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2005年11月12日(土) チェーホフ、すごい。

■丸々一日、チェーホフが大学生の頃、アントーシャ・チェホンテというペンネームで雑誌に寄稿していた短篇群を読む。彼が中学生の頃、一家破産で故郷のタガンローグからモスクワに逃げ、以降も父親の稼ぎは芳しくなく、大学生になったチェーホフが、家族の生活費の足しにと、アルバイトとして書いていたものだ。
大学生とは思えぬ観察眼が、様々な人間を活写している。それがあまりに普遍的な人間の姿なので、19世紀ロシアに生きた人間たちが、そのまま21世紀日本に生きる人間達を映し出す。
余りの面白さに絶句しつつ。夢中になって読む。
明日は、後輩の芝居を観に外出したりしなきゃあならん。いやあ、このまま2,3日、何処へも行かず、どっぷりチェーホフの小説世界に浸かり混んでいたい気持ち。


2005年11月11日(金) 絶望的に希望する。

■休暇中の目標は、3つ。
(1)デビュー作品の下書き及び企画書をあげること。
(2)自分のメンテナンスの為の小説を一本書き始めること。
(3)休暇以降の厳しいスケジュールに負けないための肉体づくりをすること。

■近所に新しく出来たスポーツクラブが入会金0円キャンペーンをやってたので、迷わず入会。トレーニングプログラム作成のための筋肉量テストを受けたら、またしても全身アスリートレベルに達している。おっかしいなあ、なんの運動もせず、4時間の長尺の芝居をただただ座って見続けるだけの生活を3ヶ月も続けていたのに……。運動は何もしていませんと言っても、信じてもらえない始末。わたしの身体は特別優秀なんだなあ。旅の仕事で飲み過ぎて、お腹のまわりの贅肉が増えたと悩んでいたのに、体脂肪も標準以下で、逆にもう少し体脂肪を増やしましょうという結果。……うーん。ま、いいや、さらに強くなって、年齢なんて吹き飛ばす仕事のための準備をしよう。

■愛用のPCが、いざ書くべき時に故障。修理に送ってしまったので、外出先用にしていた小さな画面のメビウスで書き始めている。画面におさまる字数が少なくて不便極まりないけれど、言ってしまえば、手書きでだって、書こうと思えば書ける。

HPを作った当初から、扉のページに、アイザック・ディネーセンのことばを掲げている。「希望もなく 絶望もなく わたしは毎日 少しずつ書きます」ということば。これから1ヶ月半、その通りの生活をしていくこうと思っている。

そして。もうひとつ言えば。絶望的に希望して生きていきたい。
サガンは、「あなたは陽気ですか?」と聞かれて、こう答えている。

……ええ、陽気です。わたしはいつもすべてが解決されると思いたいのです。ジャンヌ・ダルクの映画を観るたびに・・・馬鹿みたいですけど・・・わたしはいつも彼女が助かる、助からないはずがないと思うのです。ロミオとジュリエットの場合もそうです。伝言は伝わる、すべてはうまくいく、という気でいつもいます。椿姫を聞いていれば、音楽と一緒に希望みたいなものがふくれあがって、アルマンが遅れずに着くようにと必死になって期待するのです・・・。こういうふうにしてしか人は人生を捉えることができないと思います。つまり、すでに上演されて、結末を知っているオペラ・コミックのようにです。絶望的に期待するわけです。

この、強靱な期待する力、希望する力を、わたしも持って生きていきたい。


2005年11月09日(水) これをやりたかった。

■帰京。着いてすぐに宮藤官九郎の芝居を観にいく。最高に馬鹿馬鹿しいことをひどく真面目に創っていて、好感度抜群。自分たちの面白いことをやっていれば観客が面白いって感じてくれる、そんな幸せな時期を過ごしているのだなあ、と思う。ま、それが同時代の才能なのだが。自分とは全く違う路線のものではあるが、うんうん、わたしもやるぞよ、などと心につぶやきながら、久しぶりに漕ぐ自転車は心地よく。

■休みなしで次から次へと続いたものだから、家中に散乱していた幾つもの仕事の、資料だのなんだのを、一気に整理して、物置に片付ける。もう、すーっきり。過去は全部目につくところから消してしまう作業。一日がかりの大仕事だったけれど、休みになったらまずこれをやりたかった。
さて。環境は整った。
明日は恋人と一日過ごすので、あさってから新しいことの始動だな。


2005年11月07日(月) 母とわたし。

■今日、母の一日を追って過ごしたが、本当に、因果応報なのだ。
 父が会社を潰した頃、母はパートの宝石屋勤めで抜群の売り上げ成績を誇っていた。母は父の借金を倍にして、小さな宝石屋を始めた。その成功で、わたしは住むにも食べるにも苦労をせず、私立の高校大学に通わせてもらった。母の力は偉大で、努力を惜しまず、常に明るく前向きに進む人だった。

 その母が、今は手術の後遺症で、目がほとんど見えなくなり記憶力が低下し、生きる気力を失っている。その母を助けるために、これまでの知り合いや顧客たちは、見舞や見舞金という形ではなく、その母に商売をさせるということで、母を助けてくれている。緊急入院即日手術の3月から仕入れなど一度もしていないのに、手持ちの在庫は知れているのに、顧客たちは家を訪ねて、母から宝石を買ってくれる。商品も見えず、1時間たつと幾らで売ったか忘れてしまう母から、わざわざ宝石を買ってくれる。父はその傍で、母の目となり、頭脳となり、母に商売をさせている。
 その姿に、わたしは胸がいっぱいになる。

■一日、わたしは傍にいても、何も出来ない。それでも、二人でいると、関西人ならではの親子漫才が始まって、掃除にきてくれていたヘルパーさんに、「ほんまに仲がええんですねえ、楽しそうでうらやましいわ」と言われたり。家の中の移動さえ辛いのに、一緒だと外に散歩に出てみようかと言い出したり。親子ならではの幸せがたくさんあった。
 母の傍には、父がいてくれる。わたしのやることは、母の傍に常にいることではなく、東京でまた一人になって、自分の道をひたすらに行くことだ。今は女ひとりかつかつに暮らしているけれど、いずれは金銭面で助けてあげなければならなくなるだろう。

■わたしと母の決定的に違うところは、母には家族があって、わたしにはないということ。母は家族のために生きてきて、わたしは自分のために生きてきたということ。
 どちらがどうということではない。
 過去はやり直せない、これからをどう生きるかだと、かなり真面目に自分のこれからを考えたりする。


2005年11月06日(日) そしてまた、ひとつ終わる。

■お祭り騒ぎの中、大きな仕事が無事終わった。出演者たちは、今頃大阪の街で盛り上がっていることだろう。
わたしは、病中の母に会いに実家へ戻った。

■身体の調子は格段によくなったものの、目が見えないこと、近過去の消滅と記憶力の低下からくる、鬱に、母は陥っている。人に元気を与えるのが仕事だったような、わたしが何度も「ひまわりのような」と讃えた母が、だ。かつて自分がどんな人間だったかがよくわかっているだけに、この鬱の状態が、本当に辛そうだ。鬱状態の人に、また、かつてあれだけ元気だった人に、簡単な励ましのことばは必要ないし、逆に疲れさせる。ただただ、手を握ったり、馬鹿話をして笑ってもらって、少しでも楽な時間を共にするだけ。

■ふだんのわたしの生活とはまったく違う時間が、ここには流れている。
 父は、献身的な、ということばが陳腐に思えるほど、人として夫として生活のパートナーとして、母を支えている。主夫として家事のすべてをこなし、看護人として療養の助けをし、友達として話をし、夫として、母を愛でる。そのすべてがあまりに自然で、驚いてしまう。因果応報と言うけれど、母のこれまでの生き方が、周囲の温かい励ましや、父の愛情を招いている。
はて、わたしの人生は?

■明日一日、母と過ごし、あさってはもう仕事で東京へ。
 早く、恋人と会いたい。そして、将来の布石になる勉強を、いくら孤独でもかまわないから、始めたい。


2005年11月05日(土) 偶然の星に守られてる。

■偶然の出会いって、けっこうあって。
 
 伊勢丹にて、新進デザイナーのセレクトショップみたいなところで衝動買いしたちょっと凝ったデザインシャツが一枚あり。それをNY公演に着ていったら、NYの空港で、「その服、わたしがパターンをひいたんです!」と話しかけられたり。……点数を作らなかったものだけに、そのデザイナーはいたく感動していたりして。
 もちろん、わたしも、似合っていると自負していたこともあって、彼女ほどではなくも、感動していたりして。

■そんな偶然の出会いが、わたしを大きく動かしていく。

 今の師匠と出会ったのも、そう。
 恋人と出会ったのも、そう。
 たくさんの仕事仲間とも、そう。

 この間、一回死にかけたけど、そんな多くの偶然が、わたしを支えているような気がする。わたしは、まだまだ星に守られてるぞ!

■明日は長丁場の仕事が終止符を打つ日。そしてそのまま、実家の母の元へ。


2005年11月04日(金) 休暇を思う。

■7月から始まった長い長い仕事も、あと2日で終わる。旅先からそのまま実家へ帰省して、母を見舞い、そして帰京。そこからわたしの何年かぶりの休暇が始まる。仕事に忙殺され、仕事する自分の現在に迷い苛立ち、恋に喜び苦しみ、そんな怒濤の走りっぱなし生活にいったん休止符を打つ。この期間で、自分の将来の布石になることがどれだけ出来るか? ふと考えるのは、その様々な可能性。
 学生の頃、試験期間が終わったらあれをしようこれをしようと計画し夢見ながら勉強していたように、現在の仕事をこなしている。

■昨夜突然、醜い卑しいわたしが顕れて、またまた自身を苦しめていった。現在の恋人と愛し合うようになってから、幾つもそんな夜を数えた。
相手が14歳も年下だということ。わたしの若い頃の似姿みたいな男であるということ。お互いに個人主義で、お互いに結局一人だということ。お互いにまだ自己実現していないということ。お互いに、簡単には与えられた世界に染まらないこと。……二人のそんな色んな資質が、常に、二人の間に波風を立てる。幸福と絶望の間を、行ったり来たり。でも、だからこそ、叫ばないといられないわたしが、久しぶりに顕れているのだ。
何もわかってないくせに、当たり前な大人になったふりして、仕事してきた。
どうせ一生涯企画はずれの人間だったんだってことを、最近、ようやく認識した。
当たり前でなくていい、企画はずれのまま、このわたしの出来ることをやりたい。
2ヶ月弱の休暇で、さて、何が出来るんだろう?


2005年11月03日(木) 面倒くさい女。

■わたしは面倒くさい女だ。
 今夜の問題は、何しろ、嫉妬深いということだ。
 そのくせ頭がいい。なんだか半端に頭がいいものだから、自分の感情他人の感情を分析してかかる。これが大体的を射ている。
 なのに。わかっていることが、自分の感情に馴染まない。
 これは相当面倒くさい。
 だから、頭から血を流して死にそうになったりする。
 だから、今夜みたいに、夜の町を彷徨ってしまったりする。
 危なくって仕方ない。
 もう、いやだなあ、こんな自分とつきあうのは!

■現在の恋人と一緒にいると、いろんなことに気づく。幸福と絶望がかわるがわるに訪れて、落ち着きどころがなく危なっかしくって、こんなどうしようもないわたしにふさわしい男だなあとも思う。良くも悪くも、生きてることをこんなにも実感させてくれて、この10年ほどの間なかったくらい、わたしに飢えと乾きと歓びと潤いとを与えてくれて、この「生きてる」ってことを表現しなきゃ生きていけないって気持ちにさせてくれる。でも、それは、もう、何やら等身大の自分にはしんどくてしんどくて。

 ああ、悔しいから、いい仕事して、たくさんの人を感動させて、たくさんの人を気持ちよくさせたり不快にさせたり、とにかく表現し続けて、で、この私自身は、一生きれいでいて、ぐちゃぐちゃな愚か者なりに心も育て続けて、かっこよく生きてこう。くそっ。一生、かっこうよく生きてやるぞ。

 ああ、なんて夜だ。

 あと何回こんな夜を過ごさなきゃいけないんだ! とも思うし、この整理不可能な感情こそが、生きてる証、とも、思う夜。

 ああ。


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