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2005年06月30日(木) 恋のお腹は蛇腹です。

■地方公演と地方公演の間に、帰京日があって、OFFだというのに当然のように次の仕事の打ち合わせに行って。それでも半日余ったので、何処に行こうか何をしようか考えながら自転車をこぎ。月曜日ゆえ観たい芝居はほぼ休演日で、そういう場合、大体わたしは本屋に行って新しい本を買い込み読み耽ったりするのだが、一昨日は違った。

 何年かぶりにヘアサロンに行ってみた。女なのに何年かぶりって言うのもなんだが、ストレートロングの黒髪を何年も守っているわたしには、ヘアサロンは不要なのだ。前髪は自分で切るし、ちょっと不揃いになってきたなと思ったら、恋人にはさみを渡して、「真っ直ぐに切って」と頼めば良かった。それはそれで、幸せなのであった。
 でも、一昨日は、ふと思い立った。パーマをかけよう。カラーリングしてみよう。

 行きつけのヘアサロンなどないので、本屋に入って女性誌のヘアスタイル特集を探し、出来たばかりのサロンに目をつけて電話をしてみたら、当たり。すぐに予約が取れた。で、神宮前に自転車を走らせた。お陽さまの力をぐんぐん肌に吸収しながら(わたしは日焼けを気にしない。)、ちょっと珍しい行動にわくわくしながら。

 担当しますと出てきた男の子は普通に可愛い子で(作りすぎてないという意味の普通)、じっくりとスタイルを相談。好感度が高かったので、わたし持ち前のサービス精神がむくむくと起き出し、彼が仕事をしていて楽しいと思わせることに喜びを見いだす。どんどん話しかけて、笑わせて、素敵になってきたと思ったらちゃんと意思表示して喜んで。……そうすると、ちゃんと彼は仕事するのが楽しい顔になってきて、これはこれで喜ばしい。
 若い頃、サービス業のアルバイトをずいぶんとやってきたので、サービスされる側がどうであれば仕事が楽しいか、わたしは知っている。買い物をしても、食事をしても、ほぼ、愛されるお客さんになれる。そうすると、買う側も売る側も、サービスする側もされる側も、同じお金の動きでも、より幸せになれる。

 なんてことは、余談であって。
 なんと完成まで5時間半かかった。待ち時間なしの、実際に要した時間がである。
 シャンプーして、カットして、パーマをかけて(真っ直ぐ過ぎるわたしの髪は人の倍の時間を要した)、全体ではなく毛束を少しずつ半量ほど色を抜いて。抜いた部分にオリーブグリーン系の濃いアッシュをいれて。トリートメントをたっぷりして。…………。
「おまかせします。腰を据えますから、よきようにしてください」と頼んだ結果が5時間半。彼はこだわりをみせて、ほぼアシスタントの力を借りず、自分だけでやってくれた。

 で、結果。
 いい。すごくいい。気分がいい。見栄えもいい。ふわふわして柔らかく、軽やか。かなりご機嫌。

■久しぶりにヘアサロンに行っただけで、こーんなに幸せになる自分は、けっこういいなあと思う。ただ、これっくらいの幸せは、毎日あって、書くことは毎日あるのに、ここのところ書かないのは、恋人との時間が増えているから。
 今日は、会いたいのに飲みに行って戻ってこない恋人を待つ夜を過ごしているんである。読むべき本が旅先ゆえ手元になくって、時間を過ごすがもどかしい。で、書いている。

*****

■ここまで書いた時、恋人が扉をノックした。
 
 一緒に眠って、それぞれの仕事があるので、目覚めたらすぐに分かれた。

 堀口大学の詩だったかな。

「待つ間の長さ 会う間の短さ 恋のお腹は蛇腹です」


2005年06月29日(水) 観客席の中には。

■新潟を離れて、愛知入り。滞在中は梅雨らしからぬ晴天に恵まれていた(水不足のことを思えば恵まれていたとは言い難いが)新潟が、ひどい雨に襲われている。膝までに迫った雨水に戸惑う人々をニュースの画面で他人事に見ながら、いつもお世話になっている新潟の人々を思う。
 公演中、わたしのすぐ隣で観ていた車いすの青年は、カーテンコールで車いすから落ちそうになりながら拍手をしてくれていた。障害のある全身を不器用に揺らして、感動を必死になって伝えていた。最後列から思いを飛ばす姿に、自らの仕事する気持ちを引き締めた。

 わたしの師匠は若い頃、観客の青年に喫茶店に連れ込まれ、「希望を語れますか?」と問われ、「そんなもの語れない」と答えると、「あなたが希望なんて語り始めたら、これで刺すつもりでした」とナイフをつきつけられた。それ以来、彼は、観客席には千のナイフが眠っているのだと心したと言う。
 
 そして、千のナイフとともに、観客席には、神様も降りてきている。サリンジャーの「フラニーとゾーイー」の最後に出てきた、あの、足の悪いお婆さんが。

■劇場まで歩いて行こうとしたら、朝からここも雨。時間があまったので、タクシー出発の時間、色んなことを思いながらぼんやり過ごしている。


2005年06月13日(月) この上なく素敵なワンピースと出会う。

■週間天気予報では雨マークが続いていたのに、今日も雲ひとつない晴天。恋人と部屋の中でのんびり休日を過ごしたあと、自転車を飛ばして、新宿伊勢丹のバーゲン会場へ。最終日の残り30分に駆け込む。
 ここで、もう、ほんっとに、ものすごーく、可愛いワンピースを見つけたのだ。
 MARK JACOBで40950円のものが、14000円に値下げされている。試着してみたら、もう、「わたしのために誰にも見つからず残ってたの?」とワンピースに向かって語りかけたくなるほど、顔映りがよく、体に沿っている。胸元はかなり大胆にV字に切り込んでいるのに、上品で、文句なく愛らしい。迷わず購入。帰ってきてもう一度着てみたら、わたしじゃないみたいに、女らしくって素敵。サーモンピンクの花柄、肌触りのさらさらした心地よいシルク。ひらひらと裾が揺れるとふくらはぎが心地いい。
 年がら年中ジーパンで仕事に通うわたしが、突然こんなフェミニンなワンピースを着ていったら、男どもの「何があった、どうした、狂ったか」の質問攻めに会いかねない。仕事に着ていけないとなると、しばらくデビューはおあずけ。陽の目を見るまで、目に見えるところにずっとかけておきたい気分。
 洋服一枚との出会いだけで、これだけ気分が晴れ晴れとするなんて!

■わたしは根っからの消費好き買い物好きだ。人にプレゼントするのも、奢るのも好きだ。お金はあるだけ使い切りたくなるという、貯まるわけないタイプ。けちったら最後、お金に支配されそうで、持てるときも持たざるときも、お金とのスタンスは変わらない。
 大好きな洋服や香水や化粧品は、仕事に疲れがちな容姿をバックアップしてくれるし、新しいことば新しい物語と出会う喜びは心を潤してくれる。美味しい食事と美味しいお酒は、明日への活力。海外への高飛びは、劇場と稽古場に閉じこもって暮らすわたしの視野を広げてくれるし、とにかく、お金で買えるものは買ってしまう。そして、また働いて、稼ぐ。働けなくなったら、その時はその時。つましい生活をすればいい。
 こうして気楽にかまえているから、ワンピース一枚との出会いを、のびのびと喜べるのかもしれない。

■しばらくすると、また国内ツアーの始まり。大阪公演のときは、たぶん、リハビリに励む母のもとにしばしば帰れるだろう。うれしい。一昨日、仕事の合間に書いた手紙が、明日には母の元に届くだろう。喜んでくれるだろうかと、どきどきする。
 
■来年上半期の仕事が入っていないので、勉強して暮らそうなどと目論んでいたら、立て続けにオファーが入ってきて、休む時間などないことが判った。生活の不安はなくなるけれど、独立独歩の魂が、どんどんどんどん薄れていく自分が怖い。


2005年06月10日(金) 流れの中で。

■本番中で、本来は楽な時期のはずなのだけれど、次の仕事の準備に追われていて、自分の時間がなかなか持てない。その中でも、最近、またひたすらに本を読んでいる。
 昨夜は、わたしのお気に入り作家、いしいしんじ氏の「ポーの話」を、寝不足承知で読み切る。って言うか、読み切るまで眠れなかった。力の強い物語だったので。
 作者の祈るような気持ちが、ひしひしと伝わってくる。思いの強さが物語を運び、求心力が強い、とても強い。

■昨夏、忙しい時期にエアコンが壊れて、自分の家がサウナ状態になり、結果、ひと夏で10キロ痩せていた。筋肉量が人より多分にあるので、情けない体にはならなかったが、久しぶりに会った人が、小声で、「病気したの?」と聞いてくることもしばしばだった。このところ、そこから3キロほど増えた。食欲もあるし、恋人と美味しいお酒もたくさん飲んでいる。
すると。
最近、どうも人に「きれいになった」と言われる。そう言われて、嫌な気分になる女はいないわけで、わたしは、現在のちょっとふっくらしかかった感じが、自分にあっているのではないかと分析し、キープにつとめている。きれいだと言われたら、もっともっときれいになりたい。きれいであるには、心が健康でなきゃと思うし、お肌の毎日のお手入れにも気が入る。「きれいだ」という、ちょっとした言葉の力はすごい。
 恋人は、わたしが落ち込んでいる時、自分に自信を失っている時、そんなよくない時に、わたしに、ふと、「きれいだね」と言ってくれることが多い。
 そして。逆にわたしは、この人に、どんな力のあることばを投げてあげられるだろう? と、考えてやめたりする。考えて出したことばに力のあることなんて、それほどない。愛している心から自然に出たことばこそ、力を持つのだと信じて、ただひたすらに愛していればいいんだと、そう思ったりする。

■今、とっても才能のある若者と一緒に仕事している。長らくこの仕事をしているが、滅多に出会えない、本当に素晴らしい才能なのだ。才能とは、持って生まれたものだけじゃあ、もちろん、ない。その能力を活かし伸ばす自己を保つ努力が出来る人だということだ。
 持てる心と体のすべてを役に集中する準備をして舞台に出ていき、燃焼しきって帰ってくるその姿を見ていると……その日その日の出来だけが自分の生活のすべてとして生きてる彼を見ていると……自分の暮らしの生ぬるさを、思う。確かに、そんな才能ある俳優を支えている人間のひとりで、わたしは在るのだけれど、自分の心と体を切り売りしない、ぬるさを、思う。
 独りで歩き始めなければと、ずっとずっと思いつつ、それが出来ないでいる。流れに乗って、暮らしている。



ポーの話
ポーの話
posted with 簡単リンクくん at 2005. 6.11
いしい しんじ
新潮社 (2005.5)


2005年06月09日(木) 自分しだいかな。

■それにしても、世の中、携帯に毒されてるなあ。まあ、毒されてると言い切ってしまう語弊も感じないではないけれど、それにしたって、電車の中とか、街を歩きながらとか、車を運転しながらとか、どうしてそこまで携帯を握りしめてなきゃあならんのか? 交差点で、歩行者が目に入らず曲がってくる車のほとんどが、ながら携帯運転だし。歩くってのは前を見てが基本だろうに、メールを打ちながら歩くあぶなっかしい人たち。でもね、電話とか、メールとか、コミュニケーションツールとして使うなら、まだいい。まだまし。
 電車の中でひたすらに、携帯ゲームに興じる人々。……恥じてほしい。自分のかっこ悪さ、わかってほしいなあ。そんなとこでまで、あんなとこでまで、小さな画面に閉じこもらんでもいいではないか。

 と、ふだんはそんなこと思ってても面倒くさくて言わないし、日記に書こうとも思わないんだけれど、このところ、わたしの職業を脅かす、そうは言っていられない現象が起こっているのだ。
 
 劇場で新しい物語が始まるとき、新しい世界が開けるとき、「暗転」というものから始まることが多い。現実の世界が、一瞬真っ暗になるという「暗転」儀式を経て、劇的世界に明かりが入る。これ、とっても大事な闇の瞬間なのだ。だから、美しい闇を作るために、袖中(舞台の脇の隠れた部分)に必要な明かりだけ残して、毎日チェックをしてから開場する。

 そして。
 このところ、美しい闇が破られてしまうことが頻発している。ほぼ毎回と言ってもいい。暗転の中でまで、メールチェックする人。いい加減にしてください。その小さな液晶画面が、どれだけ眩しく、闇の邪魔になることか。電源を消し忘れて取り出すなら、せめて明かりが入ってからにしてください。

 我が職場の、暗転の話だけじゃあないな、これは。自分のいる場所を認識するってこと。自分が社会の中にいるってこと。そういうことを分からない人が、増えてるってことです。
 
 こういうことって、言うだけ、書くだけ、時間の無駄なような気もするのだけれど、でもねえ、闘ってかなきゃならない。諦めちゃあいけない。うるさがられようと、何の結果も生まなくっても。

■東京は、明日はかろうじて晴れるみたいだけれど、あさってからはずっと雨マーク。わたしにとっては、一年でもっとも気の塞ぐ季節。
 映画「雨に唄えば」みたいに、土砂降りの雨の中だって心が弾むような、踊り出してしまうような、そんな毎日を生み出したい。いい仕事をして、その結果としてのいい芝居を観て、恋人と心を交歓し続け、いやなことはさらりと忘れて、夢見て、夢見て……。

 まあ、現実はそううまくはいかないけれど、世の中の憂さは、自分で跳ね飛ばすものとして暮らしていくことが大事なんだよなあ。
 文句言っても始まらん。嘆いてもどうにもならないことばっかり。どうせこの世は不公平に出来てるものだし、なんたって、これだけたくさんの人間が共に暮らしているんだもの。
 
 自分、自分。自分で色んなこと、跳ね飛ばそう。あ、でも、物の力ってすごいから、雨の日が楽しみになるような新しい傘を買おうかな。


2005年06月08日(水) 自分の年齢と向き合う夜。

■わたしは元気だなあ、なんて思っていた矢先のこと。
 シャワーを浴びていたら突然お風呂のタイルが真っ赤に染まり。
 訳が分からず自分の体をチェックすると、鼻からどんどん血が零れてくる。鼻血を出すなんてこと生まれてはじめてなものだから、びっくりしてしまい、洗いかけの髪をさくさく流して風呂場を出、詰め物をして応急処置。綿を抜くとどんどん零れてくるものだから、不安で仕方ない。そうこうしていると、口の中に血が逆流してきて、気持ち悪いことこの上ない。これが、一時間強も続いた。

 思い出すのは、今年のお正月。2日初日の新春公演。さあ初日だわと、早めに楽屋に入ったら、今年70歳になる名女優Nさんが、「鼻血が止まらないのよ。鼻血なんて生まれてこの方出したことないのに……」と笑って話しかけていらした。
 念のためにと病院に行ってもらったら、その場で緊急入院。脳内の血管破裂寸前みたいな状況だったらしい。新年早々の交代稽古は大変だったけれど、鼻血が出て、異常に気づけて、命拾いできたことを、みんなで本当に喜んだ。

 ってなことが記憶に新しいものだから、なあんだかわたしも不安で……。

■職場で古い仲間たちに話すと、「いい歳なんだから、CTスキャンとか、そういう機会に行っておいで」と薦められる。かなり年下である恋人からは、「いつまでも元気で愛してほしいから、近いうちに色んな検査をしてね」と言われる始末。(それって、大好きだから長生きしてねって言われてるみたいで、ちょっと悲しい。)

 歳をとるって。歳をとるって、うーん、そういうことでもあるんだなあ。

 若い時は、粗っぽく、杜撰に、わざと暴力的に、自分の体とつきあうのが、ちょっとかっこよかった。これからは、無理してきた分も、大事に、優しく、壊れ物扱いしてやんなきゃいけないんだなあ。

 一生不良で居続けるためにも、ちょっと自分に優しくなって、元気でいなきゃ。


2005年06月06日(月) ありきたりなようでありきたりじゃないかもしれない大事な休日。

■休日。久しぶりの。休日の前夜から恋人と過ごす。ただ一緒にいる。食事を作って二人で食べ、お酒をどちらかが眠くなるまで飲み続け、ふだんは十分にとれない眠りを貪って、朝食を作って二人で食べる。わたしには、そんな当たり前なことが、最高の休日の過ごし方になる。

 恋人が美味しい美味しいとたくさん食べてくれるので、わたしも一年でずいぶん美味しいものを作った。はずれなく美味しいものができてしまって、自分でも感動する。料理におけるさまざまな冒険や実験や創意工夫は、ことごとく成功して、わたしたちを喜ばせる。
 それなのに。わたしは世間的には、料理なんてとってもできない女と思われがちだ。仕事をばりばりやってる女ってのは、どうもそういうイメージで見られがちであるようだ。「わたし、実は料理上手なのよ」と宣伝しても意味がないので、自分を語らない。恋人と食卓を囲むたびに、ものすごーく幸せな気持ちになれるのを、ささやかな秘密として楽しんでいる。

■今の職場はさいたま市。先日、駅まで乗るつもりだった自転車で、ついついさいたままで走り続けてしまった。太陽ってやつは、時々わたしに思い切ったことをさせる。
 車で送ってもらった経験から、道は知っていた。とってもシンプルな道のりなのだ。環八を走って、笹目通りを走って、新大宮バイパスを走る。1時間45分かかって、職場に到着。ほとんど疲労感はない。自分で自分の体を移動させた仄かな充実感みたいなものがある。

 でも、仕事が終わると、いきなりの雨模様。

 お休みの今日、ようやく晴れたので、恋人と別れたあと、休みだっていうのに職場まで出向き、自転車を連れて帰る。夜の道を無心に走って帰る。頭の中にはいつも仕事のことをはじめ考えることがいっぱい。無心になれる時間がなかなかないので、これもまた、いい休日の過ごし方。帰り着いたら、ものすごくおなかがすいていて、朝の残り物をもりもり食べる。なんと健康的な43歳。

■しばらく、また仕事漬けの日々。7月末には、ニューヨークでの仕事も待っている。その先も、大変な演目を延々と。でも、来年の前半6ヶ月は何も決まってない。ちょっとした巡り会わせでそうなっているのだけれど、なんとか6ヶ月、仕事せずに暮らせないものかと考えている。勉強したい。まとまった時間、勉強したい。それなのに、無駄遣いばっかりしてるわたしがいる。お酒は飲むし、タバコはやめる気もないし、本屋へ行けば必ず大きな紙袋をさげて帰ることになるし、コスメフリークぶりは嵩じるばっかりだし・・・。
 自分はどうなるんだ、これから?っていう誰しもが抱える不安や希望や諦念と、わたしもずっと共に暮らしている。


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