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2005年02月21日(月) ラブレター。

■東北新幹線に乗って、最後の旅の地へ。車中の友は、駅売店で買った渡辺淳一編「ラブレターの研究」。歴史に名を残す芸術家たちの恋文を、渡辺氏が解説している。彼の解説はその小説のように偏見があり(この偏見を説明するのは難しい。簡単に言えば、恋愛小説を得意とする彼の恋愛賛美の仕方が、わたしの好みに合わない、というところか?)、軽く読み飛ばしながら、昇華したり、潰えたり、亡びてしまったり、喪われてしまった、愛情の遺物そのものたちを味わう。

わたしはよくラブレターを書く。今の恋人と知り合ってからは、メールという簡易な方法があることも相まって、1日も欠かさずラブレターを書いている。もう一年近くになる。自分でも、まったく熱心なことだと笑えてくるほど、書き続けている。日記を書かなくなったのも、恋人にラブレターを書くことで、1日が終わり、寝支度が調ってしたうからかもしれない。
相手を思い、ことばを選って思いめぐらし、する時間。それをわたしは「恋」として楽しんでいるんだろう。その時間が、自分の人生の中でとても美しいと思える、ということが、わたしにとって相手を愛している証のような気がする。一緒にいられなくっても、相手を思う自分自身を愛する一方、伝えたい愛情は常に飽和状態だし、書かないといてもたってもいられないので、相手のためにどれだけの時間が無為に過ぎようともかまわない。

いきなり話が墜ちるが、恋人が友人とのつきあいで風俗に行ったことが発覚し、わたしに平謝りしてきたときのこと。
哀しくなったわたしは「好きだと信じさせてくれるようなラブレターを書いて」と頼んだ。そして届いたメールは、限りない、無数の、「大好き」と「愛してる」を羅列し、ほんの一行、誓いのことばを添えたものだった。
感動してしまって、ちょっと泣いてしまった。
わたしの毎日の、あの手この手のラブレターなんて、何ほどのものか、と、思った。

それでも、毎日、わたしはラブレターを書く。わたしはわたしの愛し方。

■こう書いていると、わたしはいい歳してよほど恋愛に浮かれた馬鹿のような気がしてくる。でも、世間では仕事馬鹿だと思われているのだから、面白いものだ。

なんでも精一杯。この生き方で、失敗することもあるけれど、得る喜びもまた大きい。


2005年02月20日(日) 完璧な休日。

■またしても一日だけの帰京。幾つかの予定をいれていたが、恋人が訪ねてきてくれたので、すべてキャンセル。
恋人も自身の仕事でぐったりと疲れており、わたしが起き出して幾つかの仕事をする間も幸せそうに眠り続ける。一人で暮らす部屋に、体温のある者が寝ているということが、どれほど嬉しいことかを感じつつ、仕事する。午後、起き出した彼と、ゆっくりとコーヒーを二杯ずつ飲み、のんびりと朝食。それから本日のメインイベントであった散髪。

■わたしは散髪が好きだ。好きだと言っても素人は素人。はじめて頭髪をわたしに任せたときはかなり恐る恐るだったけれど、結果的にはわたしの腕をかってくれた。以来、わたしは彼の専属ヘアスタイリストだ。
暖房のきいた部屋に、パンツ一枚という無防備な姿で、わたしに頭髪を委ねる男がいる。わたしは微妙に血の通った彼の一部である一本一本を大事に指に絡め取りながら、自分の好きな男をよりいい男にしてやろうと鋏に集中する。
今日も結果は良好。鏡に映る彼を横からのぞき込みながら、よしよしと悦にいる。……幸せな午後。

二人でまたまた昼寝してお互いの仕事の疲れを癒し、起き出してから自転車を連ねて蕎麦屋に赴き、熱燗で肴を幾品か。ざるで仕上げ。

完璧な休日だった。

■HPを作成していたMacが壊れてしまい、更新できなくなっている。流行のブログにまとめてしまおうかと思うことしばしばなのだけれど、そんな時間もなく。で、時折気まぐれに、今持っているブログページ(下記リンクのAnother Ultramarine)を更新している。余裕がなくって本を読んでもしっかりした書評を書くことが出来ないので、走り書きのメモのようにして。


2005年02月18日(金) 元気でいなきゃ。

■カンパニー内で、お腹にくる風邪がはやっていて、ひとつ前の地方では千穐楽前夜に主役が突然吐き下し、腹痛胃痛、発熱の症状を訴え、肝を冷やした。で、昨夜、このわたしも発病。彼とまったく同じ症状。七転八倒、苦痛の一夜を過ごしたのに、仕事に出かける頃には、痛みは残っているものの、すっかり元気になっている。仲間たちには、ちょっと調子が悪いくらいの方がうるさくなくっていいと言われる始末。……独りで痛い思いをするのはとにかくイヤ。いつも元気でいたい。独りで暮らすわたしは、自分が倒れてしまったら、口に糊する術もなくなる。働いていられるからこそ、生きていられる。何がどうあっても、ずっと元気でいなきゃいけないんだ。

■あと一週間で、10月から始まった長い長い仕事が終わる。これだけ一緒に旅仕事をしていると、家族みたいなものだから、それなりに寂しい。いや、ひとつ仕事が終わると、いつも寂しいのだ。出会ったら、別れる。それぞれにそれぞれの場で仕事していく。ある人たちとはまた出会う。そしてまた別れる。その繰り返し。


2005年02月15日(火) 悶々として。

■天敵ってのは、誰でも、何処の世界で生きてても、どんな生き方してようとも、必ず一人か二人はいるらしい。かく言うわたしにもいる。どんなに頑張って生きてみたところで、動かない何か。良くは転じていかない何か。自分を 脅かし続け、自分を強ばらせ続ける、何者か。
 
まあ、そういう人の存在に、そういう天敵の発言に、今夜は気分悪く居心地悪く、なんだか晴れない心を抱いて過ごしているわけだが、理屈で言えば、そういう人こそ、わたしの現在を映していると言えなくもない。わたしにとっての、必要悪だ。もちろん、これは理屈に過ぎなくて、わたしは悶々としたまま。悶々としながらも、それが自分が現在気づけない「己の欠如」 を知る手がかりなのだという意識もあったりする。

自分を大事にし、自分を慰撫することも必要だし、自分を否定し、自分を打ち破っていくための傷をつけることも必要だ。……そのバランスが難しい。

■上越新幹線に乗り、越後湯沢ではくたか号に乗り換えて、北陸へ。窓外の雪景色が美しくて美しくて虜になる。雪害のあれこれも、地震の後の雪の過酷さも、日常の中での雪下ろし のストレスも、知ってはいるのだけれど、美しいものは美しい。これは動かしようがない。

世界はどうも一辺倒な視線では、理解できない、納得できない、分析できないものであるらしい。
自分の痛み、他者の痛み、それを繋ぐ想像力。そんなものを越えた大きな力に、左右されながら、限られた年数の人生を生きている。
その限界の中で、わたしに出来るのは、いったい何なんだろうなあ?
そんな曖昧な問いに、確かな答えが欲しかったりする夜だ。


2005年02月14日(月) 料理のプロに出会う。

■次の仕事が料理に関わるものなので、スタッフキャスト揃って、某有名調理師専門学校に行って、調理実習を受ける。料理などほぼしたことのない男たちが、白衣の着方から包丁の握り方から、一から教わっていく気長な作業……かと思いきや、先生の教え方がうまいのか、けっこうみんな見よう見まねで料理を作っていく。ハンバーグだのオムレツだの、ムニエルだの、鶏の丸焼きだの、プリンだの。

料理好きのわたしには、プロの仕事を見せてもらうのが楽しくって。包丁の使い方、素材の切り方扱い方、フライパンのかっこいい扱い方、すべてが使える技ばかりで、面白いことこの上ない。ちょっとした付け合わせに過ぎないほうれん草のソテーだけど、菜箸の代わりに、ニンニクの半片を刺したフォークで炒める技なんて、今夜から使えるじゃないか!
プロの仕事っていうのは、どんな道にしろ面白い。

■久しぶりに都内を自転車で走る。当然寒いけれど、心地よくって快くって、ご機嫌。走る距離も、往復30キロほどで、疲れることもなく、実に実にご機嫌。新しい仕事場で、5年ぶりの女優に会ったら、わたしがすぐには認識出来ないほどきれいになったと言われ、また、ご機嫌ご機嫌。
この恋愛効果を、我が恋人は実に喜んでいる。それは、まあ、自分とつきあったということで一人の女がきれいになったと幾度も言われてりゃあ、悪い気はしないだろう。

彼は今、里帰りをしている。昨夜は親父さんと酒を一升ずつ飲んだらしい。その話を聞きながら、一昨年の結婚破談事件以来、両親と仲違いの続いている自分の身の上を哀しく感じるわたしがいた。とは言え、疑問を持ったまま結婚なんてしなくてよかった。自由に仕事し、こんなに愛する男に出会っている今のわたしがいるのだもの。両親とは、違う文脈で仲直りしていけばよいのだ。

■明日は北陸へ。早起きだけど、東京にいる間に片づける仕事が山ほど。さあ、頑張ろう。


2005年02月13日(日) 我が家にて。

■旅先より、また一時帰京。明日、別件の仕事を終えて、明後日朝、次の旅先に向かう。移動の暮らしは確かに疲れるけれど、張りのある生活は相変わらず。仕事も、旅先旅先で熱狂的に歓迎されている。

■アーサー・ミラーが亡くなった。T・ウィリアムズと同世代で活躍していたり、M・モンローと結婚していたり、といった情報から、ご存命であること自体に意識がなかったわたしではあるが。こうして訃報をニュース媒体で受けると、ミラーという才能溢れる劇作家が、自らの老年期に、混迷する現在混迷するアメリカをどう感じて生きていたのだろうという興味がわいてくる。
「セールスマンの死」などは、いつか自分で演出したいリストにずっとある。同じく演劇という仕事に魅了された人生に、敬意を表して、明日からわたしはまた仕事していこう。

■明日は都内の仕事。久しぶりに自転車で出勤しよう。愛車は自転車置き場にほったらかしにされて、さぞかし退屈していたことだろう。

旅先は……


2005年02月07日(月) 旅暮らしの中で。

■昨年末から、旅暮らしが続いている。12月25日に東京を離れて九州のウィークリーマンション暮らし。その根城から中部、関西に4泊ほどの出張。九州を引き払ってからすでに山陰、再び九州と2カ所の旅を終えて、久しぶりに東京の我が家へ帰ってきた。12月以来、我が家に滞在するのは3日目だ。それも次の仕事の準備に戻っているのだから、何というワーカホリックぶりだろう。でも、我が仕事のよいところは、うまくいっていればいるほど、自分の食い扶持のために働いているのだということを忘れてしまうほど、感動的で楽しいということだ。

■年頭、波乱含みで初日を開けてから、どれだけ仕事仲間たちや観客に感動させてもらったことだろう。もちろん、率いる自分が頑張ったご褒美と考えてよいのだけれど、それにしても、ずっとずっと人間に感動している。
 人生や世界が嫌になる時も、人生や世界が愛しくてたまらなくなる時も、すべてすべて、人間のせい、人間のおかげ。わたしは、その人間たちの、世界の、ひな形を拵えるのを仕事にしているわけだ。ずっと、ずっと、この嫌気と感動を行き来しながら、生きていくのだなあ。

 周囲の人々を懸命に愛して仕事していると、その人たちから、ものすごい愛情が返ってきたりする。時に泣きそうになるほどの人生の指針を先輩方に与えられたりもする。若い奴らからはちきれんばかりの愛情エネルギーをお見舞いされたりする。
 旅先ではお酒も食べ物も美味しく、先輩方にお招ばれしたり仲間と酌み交わしあったりで、すっかり体重も増えてしまった。でも、このところのわたしは、誰からも「活力みなぎる人間」とみなされていて、今はとにかく、生きる力がとっても充実しているのだろう。

■仕事でも人間とディープに対峙し、プライベートでは恋人とディープに対峙する。恋人の精神はこのところ荒れ模様が続いて、わたしは睡眠時間を削って泣くこともしばしばだが、ひたすらに対峙し続けると、彼からこの上なく純粋な愛情の結晶がぽろぽろとわたしに降りかかってきたりする。仕事浸けになっていると、つい自分が女であることを忘れてしまうものだが、彼といる限り、そんなことありえない。体力の限界に挑戦するみたいにして、わたしは仕事と恋愛の綱渡りで暮らしている。

■こんなことを書いてしまうのは、ずっとこのいい状態が続くはずもないことを、自分で知っているからだ。これから先、また気詰まりにならざるをえない仕事が待っているし、恋人との関係だって、これから先どれだけ続くか分からない。
 ただ。すべては自分から派生していることなのだから。
 この暮らしがどう動いていこうが、良いも悪いも、みな自分から端を発することに違いないのだから。

 目の前の仕事と恋愛に没頭する現在のわたしに、致命的に欠けていることは、将来の自分に積み立てる勉強だ。自分発信でよい仕事、よい現場を生むための勉強の時間が、ちっとも持てない。
 
 反省しながら、明日あさっては次の仕事の準備。あさって夜には雪深き北陸の現場に向かう。


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