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2003年06月30日(月) 優しさも、ときに、罪。

●朝から受難の歯医者へ。神経を抜いて久しい前歯が折れてしまい、駅前の歯医者を適当に選び通っているのだが、ここの歯科衛生士は、困ったことにルーズソックスを履いている。もう、最初に見たときからイヤーな予感。……やっぱりちゃんといい歯医者を選ぶべきだったか……。
 このルーズソックス嬢は、施術中に口内の水分を取る作業が悲しいくらいに下手。「お水とりますねーーーー」と言いながら、口腔内壁にブシュッブシュッとノズルをぶつけるだけで、わたしの口腔内にはどんどん水がたまっていく。そして、わたしがちょっとした痛みに顔をしかめようものなら「大丈夫ですからねーーーー。痛くないですよーーーーー」と甘ったるく語りかけてくる。いや、語りかけてなどいない。彼女のことばはわたしにかからず(届かず)、ただ独り言になっているだけ。
 わたしはひたすらに「頼むから語尾を伸ばさんでくれ、頼むから」と願いつつ、「もう終わるかな、もう終わるかな」と受難の時を耐えて過ごす。
 来週頭にようやく前歯治療は終わるのだが、セラミックの歯を入れると8万円するらしい。嗚呼。

●A氏のために夕食を作っていたら、恋人から食事の誘いの電話。瞬時に様々な思い駆け巡り、「今、ちょうど食事の支度してるところだから……」と言うと、「外でちょっと食べたい気分なんだ。今、誰かと一緒じゃないと食べる気になれなくて」などと洩らす。わたしは、すべての料理を火が止められるところまで調理して、バタバタと出て行く。出て行きながら、A氏に電話。反対はしないと分かっていても、やっぱり。
 A氏は、帰るとき電話してくれればその時まで事務所で仕事をしていると言う。

 恋人はどうやら胃潰瘍らしい。あれほど二人で飲みまくっていたお酒も、ビールをコップ一杯に日本酒を半合が精一杯。疲れと精神の滅入りが、明らかに彼を憔悴させている。
 食事をすませ、早速とタクシーに乗り込む彼を見送り、わたしは電車に乗り込む。

●やってきたA氏は、ふんだんに用意された夕食に舌鼓をうちながらも、何やら考え込んでいる。気になるわたしが聞いてみても、何やらはっきりしない。少しずつ少しずつ話をして、ようやくA氏の沈み込みの原因がわかった。

 彼は、自分が幸せになることで、(わたしの)恋人が傷つくことになるのが、どうにも納得できなかったのだ。(わたしの)恋人に悪いとか、そういうことじゃなくって、どうして、みんながいっぺんに幸せになれないんだろうなあ、という、46歳の男には珍しいほどの、単純で朴訥とした、幸福というものへの疑問が、去来していたらしい。

 そういうA氏の優しさをわたしは好ましいと思うし、もっと毅然と「俺は勝ち取ったのだから」と胸をはり、余計なことを考えないでいてほしい。

 思いやられる優しさは、時折人のプライドを傷つける。そして、恋人は、そういう男だ。

●わたしの心はどんどん迷いをぬぐってひとつの道に収束しようとしているのに、「あいつにはまだ伝えない方がいいよ」というA氏がいる。

 今週末には、わたしがA氏宅を訪れ、対面を果たす。ことはどんどん進んでいるのに、わたしとA氏という二人組は、まだまだあれこれと、壁を越えなければいけないようだ。



 


2003年06月29日(日) 先へ。先へ。

●A氏に、恋人のことを報告し、結婚のことを伝えることへの自分の不安を、正直に語る。そうしたら、こんなメールが届いた。
「私との結婚に揺るぎがないのであれば、堂々と自信をもって彼を看病してあげなさい。
人は、見ず知らずの他人でも猫一匹の為にでもそれを助けるが故に命を賭する生き物である。
遠くガザ地区へ思いをはせ、あじさいの花を眺め、ひたすら君を愛す。」
 実にA氏らしい。
 また電話をし、我々二人のことを話した。

●もうすぐ今年も半分が終わる。結婚を巡るあれこれに心のぶれが激しい今も、やはり、わたしはわたしの仕事を考え続いている。どこかにいつも、一人で闘わなきゃならないわたしがいる。


2003年06月28日(土) 報告帰省を終えて。わたしを取り巻く様々な人生の側面。

●二人で実家へと向かう前夜、わたしは緊張して眠れなかった。それは、A氏が両親に迎え入れられるかどうか、といった可愛い純粋な感情ではなく、自分の選んだ道が、どんどん先に進んで、もう元の分かれ道には戻れないところまできていることからくる、不安と緊張なのであった。
 不安の中の読書で、ふと目に付いたチェーホフの「ロスチャイルドとバイオリン」という短篇を、わたしは「聞いて!」と音読する。A氏は煙草を吸いながら、黙って15分ほど聞き続けた。
 これはわたしの愛する短篇で、生きることが、今生きている人にはどんなに無駄に見え、実はどんなに優しさで包まれているかを、淡々と綴ったものだ。その物語を読む自分を見守ってもらうことで、わたしはA氏と、今現在の不安を共有したかったのかもしれない。

●A氏は1時間ばかり、わたしは20分ほどうつらうつらしただけで、新幹線に乗り込む。車内でわたしは爆睡。

 駅に迎えにきてくれた母の車に乗り込む。バックシートに座ったA氏をミラーの中からちらちらとのぞき込んでいた母は、家にたどり着く前にすでにこんな感想を口にする。
「Aさんの顔見て安心した。顔見たら、どんな人か、だいたいのことわかるもんや」

 家に着き。A氏の持参した履歴書に目を通した父は母は、簡単な質問、簡単な挨拶を終えただけで、昼食の支度にバタバタと動き回り、落ち着かない。支度ができて二人が席についたら、ちゃんと挨拶を、と、A氏もきっかけを逃すまじと緊張している。

 そして、その時がくる。わたしをくださいという、挨拶が始まる。A氏は誠実に淡々と話す。父が不安に思っていることをA氏に投げかける。またA氏が落ち着いて、父の不安を解くことばを返す。
 A氏は話を終えたあと、持参した息子の写真を見せる。父と母は、自分の娘が自らの子供として育てることになる男の子の写真に見入る。
 わたしには、何もことばがない。

 「じゃあ、食事を」と、4人が箸を持ったときには、ビールの泡はすっかり消え、湯気をあげていた赤だしは、すっかり冷めていた。

●食事を終え、二人の指輪のサイズを測る。わたしの実家は小さな宝石屋さんだ。お祝いのマリッジリングを、母がプレゼントしてくれるらしい。さらに、母がA家へのおみやげを買いたいと、また車に乗って出かける。
 名産の素麺。東京では売っていない、黒帯結束の上級品、化粧箱入りってやつ。甘いもの好きだというA氏父のために、名産のおまんじゅう。名産のちくわ、名産の穴子。A氏はA氏で、息子のために、関西でしか売っていないインスタントラーメンを買ったりしている。そして最期に母は、「かみむすび」という日本酒を、「記念すべき日に飲んどき」と、かごにいれる。


●父と母から、もう十分に安心したから早めに帰りなさいと薦められ、新幹線に。二人で再び熟睡したあと、名古屋から東京までの2時間を、母が買ってくれたお弁当とビールを囲み、静かな宴会。イベントはあと二つ残っている。わたしがA家を訪れることと、わたしが恋人に結婚のことを話すこと。二人でゆっくりと相談しながら、きれいに弁当を平らげる。


●帰宅して、母にお礼の電話。A氏がデジカメで撮った写真をノートPCに取り込む。父と母の写真のほかに、二人で実家隣接のお宮を参ったとき、写真嫌いのわたしが2度だけフレームにおさまっていた。
 A氏のデスクトップで大写しになったわたしは、驚くほど穏やかな笑顔だった。余り好きではない自分の顔を、なんだか美しいなどと思ってしまった。自分の顔を見て、1日を振り返り、しみじみと、A氏を見る。

●かみむすびを開封し、飲みきるまで静かな宴会。わたしは最近虜になっているフラナリー・オコナーの作品のことを、語りまくる。そして、小腹の空いたA氏のために、いくつかのつまみを作る。自宅用に買ってきた穴子入りかまぼこを開封して食べてみると、これが美味。「甘だれをつければもっと旨いはず」と言うA氏のために、醤油砂糖みりん日本酒を煮きって、氷で冷ましてとろみをつけ、あっという間に食卓へ。残ったたれを薄めて、落とし玉子。昨日の残りのサラダと、ピーマンの佃煮。野沢菜のわさび漬け。
 誰かのために食事を作り、それが喜ばれつつ体におさまっていき、明日への活力に変わっていくという当たり前な幸福を、わたしはA氏のおかげで味わうことができる。
 午前5時頃ベッドへ。
 目覚めたら、A氏はもう支度を終えて仕事に出ていくところ。
 わたしはすぐにベッドを出ず、また本を一冊手にとった。このところ、読むこと、書くことだけで、わたしは自分と世界の距離を近づけようとしている。


●一方。恋人はそうとう体の調子を壊しているらしい。薬嫌いで、ふだん風邪薬さえ飲まない人が、胃の痛み止めを飲み、起きられず、遅刻した。それも、自宅まで心配してやってきた仲間に起こされ、ようかく目覚めたらしい。誰よりも仕事中心に生きている男が、どうしてしまったのだろう?

 かつてわたしが別れを持ち出したとき、彼は、大事な仕事を抱えているというのに、食べず眠らずで憔悴してしまい、大変なことになった。その憔悴ぶりに、わたしはまた心を動かし彼のところに戻ったのだが、今度はそんなわけにはいかない。

 暗澹とした気持ち。

●劇作家の岸田理生さんが亡くなった。わたしは直接仕事をしたことがないが、同じ女性として、その仕事ぶりには大いに影響を受けていた。
 お通夜に誘われたが、行かなかった。相変わらずわたしは様々なことに心が揺れていて、自分のことに精一杯なのだ。


2003年06月27日(金) ちょっとそわそわ。そして、複雑。●ヤスケンの海(村松友視)

●2時間ほど眠って歯医者へ。帰ってきてみると、恋人はまだ眠っている。起こしても起こしても、起きない起きない。疲れがシーツにべっとり貼りついているかのよう。
 ようやく起きたところで、さくさくと散髪をして送り出す。散髪は、わたしの最も愛する行為のひとつ。これももうすぐ出来なくなると思うと寂しい。何しろ、4年間のつきあいで、兄弟のように慣れ親しんでいる。
 いずれは話さなければいけないのだと思うと、胸が痛む。入籍するためのイベントは昨日書いた二つだけではなかった。

 恋人に、打ち明けねばならないのだ。

●日中。珍しく美容院へ行ったりして、わたしは自分の親に会いに行くわけだから緊張する必要もないのに、なんだかそわそわしている。そわそわしていると、つい財布の紐がゆるくなってしまい、本屋で二人の福沢さんに別れを告げる。すっかり読書オタクとなってしまったわたしだが、こんなに好きなことして暮らせるのも今のうち。
 今日の晩ご飯は、ささみのチーズ入りフライと、かぼちゃとピーマンのソテー。ミモザサラダに、ピーマンの佃煮。A氏は相変わらず、美味しい美味しいと食べ続ける。

 今、A氏はわたしの後ろで、一生懸命履歴書を書いている。明日うちの両親に渡すらしい。のぞいてみると、身上書の「自覚している性格」という欄に、「優しさゆえに人を想ひ、優しさゆえに人は傷つく」なんて、大まじめに記している。……大丈夫かなあ。と、思っていると、「これ、きざっぽいから駄目だな」と、書き直し始めた。うーん、大丈夫かなあ。

●明日は9時の新幹線で姫路へと向かう。


2003年06月26日(木) 入籍に向けて。

●これからどんどん仕事が忙しくなるA氏。相談して、土曜日に、わたしの実家の両親に会いにいくことにする。
 わたしたちが考える、入籍に必要なイベントは二つ。わたしの実家に行くことと、わたしがA氏の家族、A氏父とA氏息子に紹介されること。その一つ目を、あさってクリアするのだ。
 いい歳をして、はじめてのことなものだから、相当どきどきするに違いない。これから長く続くであろう、わたしとA氏の暮らしの皮切りにふさわしい心和む時間が展開するのではないかと、何やら楽しみにしている自分がいる。

●そんな相談をしている最中に、恋人からの電話。今から遊びにいくと言う。午前1時のこと。これがいちばんの好機ではないかと思い、「今日、結婚のことを話すよ」というわたしに、A氏はストップをかける。仕事で疲弊している恋人に与えるダメージを心配しているのだ。
 そうして、わたしはまた、A氏公式認可の元、恋人と夜を過ごす。驚くべきことに、恋人が好きな気持ちは全く変わらないのに、もうわたしはもう揺らがなくなっている。逆に、悪いなという気持ちがこみあげる。きっちり生きている大人に対して、愛し続けてきた人に対して、秘密を持つ後ろめたさ。でも、どうしようもない。彼は、9月になればパリに行き、奥さんと暮らす現実を、変えようとはしていないのだから。

 この日誌を読んでいる人に、わたしの行動は不自然に映るだろうか? 確かに、こうして未だに恋人と平気で夜をともにするわたしは、当たり前じゃない。でも、何が本当で、何が嘘? 常識なんてどうでもいい。わたしはわたしが他者を愛する気持ちに正直で、それをすべて受け止めようとするA氏がいる。わたしはこれからの人生をA氏と共に生きると決めて、恋人との密な時間を捨てる。それだけだ。迷わず、大事なことだけ考えよう。
 未だに、わたしを優しい気持ちにさせる恋人の寝顔を見ながら、そう心に思う。
 


2003年06月25日(水) 若い奴ら。●対話篇(金城一紀)

●久々、外に出ていく仕事。8月から本格始動するもののプレ稽古。キャスティングのために、歌のキーを確認したり、何系のダンスがどれくらいいけるかのチェック。
 今度の仕事は、とにかく若い子が多い。もう、みんな驚くほど若いのだ。14歳、15歳から始まって、若者組は34歳まで。30歳34歳のミュージカルベテラン組が、かなりのおじさんに見えてしまう。そして、若い子たちは一様に突っ張っている。売れてようが無名だろうが、上手かろうが下手だろうが、「俺が」「わたしが」って気持ちが全身からみなぎっている。スタート地点に立ったばかりの者の特権であるし、せめてそれくらいはないと、スタートする資格もないってところか。

 しかし。そういう若い奴らは、自分が求めるものを与えてくれる人々には、驚くほど素直だ。心を開いてくる時間差こそあれ、1本の芝居を作るうちに、わたしは必ず若者たちの姉になってしまう。
 たくさんの弟候補妹候補を眺めながら、「ああ、また新しい出会いの時だ……」と、何度その瞬間を迎えても、の、新鮮な感慨を味わう。
 
 彼らは若いってことだけで、小さな社会の中にどっぷり浸かると、過剰に愛し合ったり過剰にぶつかりあったりするので、まあ、起こることは起こることとして眺めていて、本当に困ったときだけ緩衝材になってあげようとする。……自分が自分の深い業とつきあって青春期を過ごしたおかげで、わたしは彼らの目線に近づきやすい。もちろん、人とつきあうのに決まった答えなどないので、その都度の真剣勝負になるのだが。

●稽古後、大人たちが顔をつきあわせて、若者たちを値踏みする。オーディションだのキャスティングだの、俳優達を商品として値踏みをしないでは仕事にならないわけだが、時には、その仕事を誤解している大人たちもいる。自分が何様なんだか知らないけれど、人を取ったり捨てたりすることを自らの権力と思いこむ人。勘違いしてるんだよな。うん、相変わらずいる。
きっとどこの社会でも必ずいるんだろうね。

●帰宅後、金城一紀「対話篇」を読む。若者たちと知り合った夜には実にタイムリーな作品。一晩で読み尽くす。


2003年06月23日(月) 今、ここにある穏やかさ。●フラナリー・オコナー全短編(上)

●たった22時間のバカンスを終えて、日常へ。また自分の仕事のことを考える。休みがどんどん残り少なくなっていく中、次の仕事の準備も少しずつ。7月になれば少しずつ打ち合わせだの稽古の準備だの。そして8月からは、またまた来年7月までのノンストップ仕事が始まる。

●フラナリー・オコナーの短篇集を読んで衝撃を受ける。かつて、違う編みの短篇集でバラバラに読んだことはあったが、まとめてどーんと接したのは初めて。彼女は若くして亡くなったが、その全作を貫く、余りに明確なビジョン。人生への明かりの当て方、掘り下げ方が、定まっている。自らの作風の中での、定点観察だ。それなのに、作品は偏らない。こんな作家、久しぶりに会った。

●夜は、久しぶりの休日を次の仕事でつぶした恋人の電話を受けて、食事に出る。疲れ切った彼は、食事を終えた時点で、激しい睡魔に襲われる。タクシーに乗り込む彼を見送って、珍しく電車で帰宅。
 食事に出かけることは、A氏に報告してあった。A氏は飽くまで、恋人とは会いたいと思う限り、会ってよいと言う。少しずつ、俺に気持ちが寄ってくればいいと言う。実際、だんだん、わたしの心は動いて動いて、ここにいる。
 それでもやっぱり気をもんでいたA氏がやってきて、遅い時間まで、お互いの昔話をする。
 わたしの若い頃のひどい話を、ひとつひとつ驚きながらA氏は聞いている。
 
 暴力を通じて人間を描くフラナリー・オコナーを読んで、久しぶりに思い出すことがあった。
 
 はじめてつきあった男は、頭が良く、最初こそ大変優しかったが、実はひどいナルシストだった。はじめての時から、歪んだセックスを強要され、また、勝手な理由で、監禁行為や暴力も受けた。殴られて鼓膜が破れた。それでも部屋を出してもらえなかった。蹴られてひどい頭痛を覚え病院に行けば、自分でやったことなのに、泣きながらそれに付きそうという具合だった。……ずいぶん屈折した愛され方をしたものだ。それが18の頃。
 そこから始まって、私自身、屈折した恋愛を重ねてきた。トラウマなんてものをわたしはあんまり信じていないのだけれど、今から思えば、重ねていく恋愛体験が、次の失敗を呼び込む悪循環だったと、やはりそう思えてくる。話しながら自分で、よくわたしは歪まず、こんなに前向きにやってきたなあと、改めて感心してしまう。そのひとつひとつを、A氏は目を丸くして聞く。「なんなんだ、君は」と驚きながら。でも、最後にはやっぱり言う。「でも、もう俺がいるから安心だな」と。まったく、期待したとおりの言葉が、返ってくる。

 ありきたりな恋愛小説みたいな展開を意識的に辿りながら、わたしは当たり前の幸福を、こうして確認する。その手触りを確かめて、自分の居場所をここにしようという気持ちを固めていく。

●眩しい青空の週末の後は、梅雨らしい天気が続く。


2003年06月22日(日) 当たり前だが感動的な婚前旅行。

●土曜日。A氏の稽古が休みになったので、何処かに出かけようかということに。しかし、A氏は休みでも色々こなすべきことがある。学校で地引き網実習(?)に行くという息子に弁当を持たせて見送り、7時30分。夜家を空けるので息子とお父さんの晩ご飯を作り、後かたづけをして10時。翌日の仕事の準備をして11時。ようやく我が家に12時に到着。まあ、なんと働き者であることか。

●わたしにはお気に入りの散歩コースがある。20歳の頃、はじめて辿ってから、何かにつけて(ほとんど一人で気ままに)20回は辿ったかと思う。 品川から京浜急行に乗り、久里浜まで行く。久里浜からバスに乗り、久里浜港へ。そして、久里浜と房総の金谷を結ぶ東京湾フェリーに乗る。乗船すること30分で、あっという間に神奈川から千葉へ。千葉ではそのときそのとき、気ままに歩いたり、電車に乗ってさらに遠出したりする。
 このコースをA氏の車に乗っていくことにする。

●道が混んでいても、A氏はイライラしない。退屈したら本でも読んでればなんて、気の大きいことを言っている。年下の男とばかりつきあってきたわたしには、こういう小さなことが実に新鮮だ。
 梅雨の晴れ間のお天気の中、車で外出の人が多いものの、2時過ぎには久里浜校へ到着。わたしは初めて車で乗船するのでドキドキ。
 真夏の日差しに初夏の風。甲板は最高の気分。たかだか30分しか乗らないってことろが、このフェリーの乙なところ。短い時間で、存分に、五感をくすぐるありとあらゆるものを楽しもうという気分にさせてくれる。
 なあんにもない田舎町金谷から、やはり何度か渡った仁右衛門島に行くため、房総半島を横断。東京とうってかわって、道行く車は一台もない。田植えしたばかりの若々しい緑の輝きを堪能しながら、太海という街へ。
 仁右衛門島に渡るには、手こぎ船に乗ること5分。これがまたいい。「泳いで渡れちゃう」距離を、おっとりおじさんの手こぎ船で、世間話などしながら。島に渡ると、300度眺望の海、また海。岩場にどんどん出て、突端に腰掛け、しばし海とご対面。岩に砕ける波頭の白さは、いくら見ていても飽きない。

●A氏が「今日は帰らない! どっかに泊まりだ!」と言い出したので、急遽、横須賀の観音崎のリゾートホテルをiModeで調べだし、予約。
 金谷に戻るまでの道、奥さんが亡くなったときの話を、A氏はぽつりぽつりとする。カーラジオから流れてきたサザンの曲で、思い出してしまったらしい。そう言えば、わたしだって、往き道で恋人との仕事で印象的に使った曲を聴き、しばし一人で考え込む時間があった。熟年カップル(!)ってやつは、生活のあらゆるものにあらゆる記憶をこびりつけてきているものだから、わたしたちは、そういうものに出くわすたび、いちいち報告しあおうと話す。なんだかんだ言って、まだ出会ったばかりだ。手抜きをしないでちゃんと出会っていかなければ。

●帰りの船は、ちょうど夕陽の頃。なんの計画もないドライブなのに、絶妙なるタイムスケジュールにのっとっているかのようだ。30分という乗船時間で、つるべ落としという言葉を実感。夕陽は、いつだって美しい。
 
 観音崎は、ささやかな観光地。行き当たりばったりに選んだリゾートホテルは、ちょっとお高いけれど、素晴らしい景観。
 恋人と休暇を過ごすのに、よく海沿いのホテルを選んだものだけれど、いつも高層階だった。はじめて2階という低層階に泊まってみて驚いたのは、波の音の心地よさ。わたしはおおはしゃぎでベランダにテーブルと椅子を持ち出し、波の音に包まれ、幸せいっぱい。A氏もわたしの子供心にくすぐられるのか、ずっと少年のようにはしゃいでいる。

●朝陽がきれいだよと5時に起こされる。出発の8時まで、岬を散歩。わたしはカメラ狂父親譲りのコンタックスT2で、終始にこにこ顔のA氏を激写。自分は映らない。わたしの記念写真嫌いは、こういう時でも変わらない。その手のことを曲げ始めると長続きしない気がして、あくまで自分らしく過ごす。A氏はその手の細かいことにこだわらないので楽だ。
 
 帰りの車で、わたしは運転手をさしおいて熟睡。気が付いたら家の前で、ドアtoドアのドライブ終了。A氏はそのまま仕事場へ。


●こうして書いてみると、なんて当たり前なんだろうと思う。特別なことは何もありはしない。どこの家庭でも、どこのカップルでも、休日になれば体験しているようなドライブだ。
 でも、仕事漬けのわたしや、日々休むことなく仕事と家事と子育てに追われるA氏にとってみると、何もかもが感動的なのだ。

 この先いいことばかりではないだろうけれど、こうしてささいなことに一緒に感動できる人がいるというのはいいことだ。悪くない。もうすぐ、ここに小学校2年生の息子が参入する。いいじゃないか。

 恋人からは、さっぱり連絡がない。パリに発ってしまうまで仕事を詰め込みすぎている。遠くで体調を心配しながら、わたしはすでに歩く道が少しずつ離れてきていることを思う。
 


2003年06月20日(金) 猛反対から「了解!」へ。

●ようやく自分の気持ちも落ち着いて、日誌に結婚の話題ばかり書き付けることもなくなるかと思っていたら、わたしの認識は常に甘く、問題はまだいろいろと山積みなのだった。

 母に電話して、A氏と結婚することに決めたと報告。すると、先日は「A氏にしときなさい」なんて言ってくれた母が、何やら芳しくない声を出している。受話器の向こうには、いきり立っている父の声が……。

 父の言い分。
「自分の親の面倒も見れないのに、他人の親の面倒みるのか!」
「なんでわざわざ子持ちのとこなんだ。本当の親にはなれないんだぞ」
「どこの馬の骨とも分からんのに、すぐに返事できるか!」

 ……切り出し方がまずかったなあ、と思う気持ちと、「おいおい、20歳かそこらで嫁にいくって言ってるわけじゃないんだから」と面食らう気持ちと。

●A氏に、うちの両親こんな反応だったよ、と報告。「そりゃあ当たり前だろ」というお答え。「分かってもらえるまで、俺は何度でも出向くから」という力強い保証つき。
 明日、両家への報告についてちゃんと話そうと約束して、早めにベッドへ。すると、母からまた電話が。第2ラウンドが始まっちゃうのかしらと危ぶみながら出てみたら。

●いきなり「了解!……了解、了解! パパと話したんや。OK。」との声。母は長らくは語らない。

「あんたが幸せやったら、それでええということになったわ。そやけど、息子さんのことだけはちゃんと責任持ちよ。それが出来るんやったら、あんたが決めたことなんやから。結婚しい。」

 まだA氏に会ってもいないというのに、まったくなんて両親だろう。二人は電話を切ってから、いったい夫婦でどんな話し合いをしたんだろう。

「Aさんによろしゅう言うといて。心配せんでもええって。そしたらお休み」
 そう言って、母は電話を切った。

 A氏に再び報告電話をすると、「いいご両親だなあ」という感謝の声。「君が素敵だから、育てたご両親が素敵なのは分かってたことだけど」とお褒めのことば。

●結婚することで、世界が広がるのを楽しみにしている。わたしには息子が出来、新しい親が出来、A氏もうちの両親を新しい両親とする。もちろん、どんな問題がでてくるかは今の段階では分からないが、そういうことを、楽しみだと思える幸せ。

 A氏は、今日、息子に、好きな人ができたから結婚したいと、報告するのだそうだ。小学校3年生の息子の反応は如何に? そして、はじめて顔をあわせる時、いったいどんなドラマが展開するのか?


2003年06月19日(木) 凪いでいく心。

●恋人は、午後1時半まで眠り続けた。腰が痛いと言っては、ベッドを出てフローリングの上にクロスを敷いて眠り、その堅さに疲れたと言ってはソファーに眠り。わたしは一睡もせずに、その眠りにつきあった。一緒に眠るのは、気がひけたのだった。そして、ずっと、本のページをめくり続けた。
 彼は、朝ご飯のサンドイッチを頬張って、起きるなり、仕事に出かけていく。残されたわたしは、ひどく空虚で、今日はどうしてもA氏に会わなければと考える。黙ってわたしを泳がせてくれているA氏に、仕事が終わったらすぐに会いたいとメールを打つ。

●自分のだらしなさが嫌で嫌で、本を読み進めること以外、何も手につかない。晴れ間に自転車を駆って、買い物に出かける。新しいシーツを買う。

●A氏は、一刻も早く会いたいと、まだ早いのにタクシーに乗ってやってきた。デスクトップのPCしか持っていない彼は、これで君のところで仕事ができると、新しいノートPCの箱を抱えてやってきた。仕事が終わって急いで買ってきたのだと言う。機械音痴の彼のセットアップを手伝いながら、わたしは夕食にハンバーグを作る。

●ハンバーグは素晴らしい出来で、一口食べるなり、A氏は感動の極みの様子。息子にも食べさせたいと言い言い、作り方の極意など訊きながら賑やかに平らげて、わたしはおかわりの発注を受け、箸を止めて、2つめを焼く。焼けたハンバーグを空いたお皿に盛ろうと振り返ったら、下を向いて、寂しげな顔をしている。どうしたのかと聞いたら、感動してしみじみしてしまったのだと言う。打って変わって、2つめを、黙りこくって、一口一口噛みしめるように食べる彼を見ていて、わたしは自分の選ぼうとしていることが間違っていないことを確信する。

●部屋の中を、台風風が我が物顔でぐるぐると回っている。夜中に、すべての窓を開け放っている。レースカーテンが、時々わたしの肩にまとわりつく。A氏は眠っている。部屋にいながらにして、風に煽られ、でも、わたしの心は凪いでいく。

●もう、何も迷うことはなさそうだ。折をみて、恋人に話す。一緒にわたしの実家に行ったり、A氏息子と対面したり、少しずつ、先に進んでいこう。ひりひりする思いでこうして日誌に書き付けるのも、そろそろ終わりにしてもよさそうだ。非日常が、日常に、だんだんと変わりつつあるから。


2003年06月18日(水) 選んだ一本の道。 ●幸福な王子(ワイルド)

●朝、仕事で使うスケールを入れる袋が欲しいと言うので、ミシンを出して縫製作業。その間に、A氏は朝食の支度。男三人所帯のすべての食事を面倒見ている男だから、料理が上手だ。台所を任せていたら、カルボナーラのオムレツ包みに、フランスパンとにんじんのグラッセを添えたものが出来ていた。朝からたっぷり食べる。朝からビールも飲む。お腹が空いていたわたしは、凄いスピードで平らげていく。「たくさん食べてくれるのが嬉しい」と、A氏は目を細めてわたしを見る。
 料理の上手な父に、料理自慢のわたしが嫁ぐ。息子は幸せだとA氏は言う。

●小雨の降る中、亡くなった奥さんのお墓参りへ。季節柄、苔の生した墓石を二人で洗う。A氏が「この人が嫁にきてくれることになりました」と、言葉をちゃんと声にのせて報告する。わたしは黙っている。
 しばし二人手をあわせた後、A氏は、「俺はどうでもいいから、とにかく君が幸せになるようにお願いしといたから」と笑った。わたしは少し泣いた。


●恋人の仕事が一段落ついていて、連絡のくる頃だった。A氏はそれを知っていて、「君が連絡するまで行かないから」と、仕事に出かけていった。わざわざ「俺を裏切っちゃいけないとか、ことさらに思うことないからね。まあ、俺は今世界一の果報者だけれど」と、ことばを添えて。

●午前3時。仕事仲間と飲んでいた恋人から「今から行く」と電話がかかってくる。彼にとって、わたしは、いつでも両手を広げて彼を待っている人なのだ。
 恋人は、疲れきっていて、話をする余裕だの、わたしへの思いやりなどはいっさいない。それは決して悪いことではなく、彼がわたしと長い時間をともに経てきて、甘えてくれている証なのだ。わたしと彼は、そういう関係だった。彼も、彼のやり方で、わたしを確かに必要としているのだ。
 心の余裕のない彼に、結婚の話をすることは出来なかった。今言うべきだとは、とても思えなかった。

 疲れた体をマッサージしてあげて、眠りについた彼の寝顔を眺める。何時間眺めても飽きないと思ってきた、自らを癒す眠りの中の彼。彼は立派に仕事をしてきている。それを癒してあげられるわたしがいる。

 この人とこのまま居続けても、幸せはある。寝顔を見ながらそう思った。物事はそう簡単に割り切れたりしない。

 でも、わたしはもう選んだ。何が正しく、何が輝きに繋がるか見当もつかなくっても、選んだ道に歩を進めることしかできない。体を二つに分けて二つの道を行き、どっちが好ましい場所に行き着くか確かめるなんてことは、ありえないのだ。両方の道の景観を楽しむことなどできないのだ。わたしは、選んだ道を、歩き出さなければいけない。

 人生を信じよう。何を選んでも、自分が美しい生き方を本当に望めば、行く道には花が咲くだろう。捨てた道に、別の美しい花が咲いているかもしれないことに、わたしは今、目を瞑ることが出来ると、自分を信じよう。

 正直に言えば、ものすごく辛い。

●恋人とは一緒に眠らず、わたしは起きている。そして、A氏に「安心してください」とメールを送った。恋人が来ていることを正直に告げ、あなたを選んだことを正しいと思っていると伝えた。

 これからどうなるかわからない。仕事のことでいっぱいの恋人の心に、少し隙間ができたら、話をしなければ。

 恋や愛と呼ぶものだけに囚われていては、きっと今、行動できない。
 
 人として、何に、誰に、どう、責任を取るかだ。そう、自分を戒める。
 


2003年06月17日(火) 結婚することにした。

●困ったときの母頼み。昨日、母に電話をする。
 母はこのわたしを産み、あらゆる意味で導いた人だ。わたしにとって鼻高々で語れる人である。ふだんは面倒なので、細々とした自らの現在を語ることはないが、岐路に立ったとき、躓いたときは、必ず母と話をしてきた。
 このたびも、恋人とA氏の間で揺れていることを報告。

 母は、結婚をしたままの恋人とつきあうわたしを今まで認めていた。ふつうの親なら信じられないところだが、母は、人を愛するということを、父一人を熱烈に愛し続けることで、よーく知っている人だ。
「あんたがその人のこと好きで、あんたがそれで幸せやったら、しゃあないやんか。でも悪いことしてるんやから、ええ死に方でけへんかもしれんで。それくらいわかっときや」と、そんな感想を述べていた。
 昨日の電話では。
「迷うことないわ。Aさんの方にしとき。あんたが好きやいうからしゃあないなと思うてたけど、ほんまは自分の育てたええ娘が日陰の身やなんてイヤやったんや。だって世間的に言うたらそうやろ。迷うことないわ。Aさんのこともほんまに好きなんやったら、そっちにいき。」
 と、明快な返答。

 それでもやっぱり恋人のことを思い切る自信がないわたしは、A氏を家に呼び出し、現在の気持ちを伝えることにした。

●A氏は、わたしが恋人に寄せる気持ちをよく知っている。わたしが恋人との色々で傷ついたときに助けてくれることも、しばしばだった。
 現在の混沌とした気持ちを整理しながら話すと、じっくりと言葉を選びながら、自分の気持ちを語り、わたしに改めて結婚を申し込んだ。
 A氏は、恋人のことを愛しているわたしも含めて、わたしの全存在を守りたいと誓った。決して嘘をつかないタイプのA氏が。
「君みたいな人がそこまで好きで居続けた男なんだから、すぐに思い切れるわけもないだろうし、それは不自然だよ。だから、あいつのことも好きなままでいいから、俺のかみさんになっとけ。あとは、俺が面倒みるから。君を幸せにするのが、俺の役目だから」と。
 わたしは、長らく考えて、
「じゃあ、そうさせてください」と答えた。「わたしと結婚して頂けますか?」と。
 A氏は、この上なく幸せそうに見えた。長いこと抱きしめられた。心臓がどっくんどっくん鳴っていた。わたしの心はとっても凪いでいて、キッチンに出していた大粒の梅たちが熟れて放つ甘い香りが、風に流れていくのをずっと感じていた。この甘い香りのことは、一生忘れないだろうな、などと思っていた。

●恋人と別れるということは、恋人と過ごすことでわたしが享受してた人生の悦び、人生の美しさを、捨てるということだ。そのことへの不安も、A氏に話してある。信じているから、ゆっくりやれと言われている。わたしは未だに自信がないが、でも、すでにわたしは選んだのだ。進むべき方向は決まったのだ。



●今日は一緒に買い物に出た。わたしの行く先は、相変わらずの本屋である。次なる出会いと喜びを求めて、たっぷり居座るわたしに黙ってつきあって、懐と相談して決めた5冊を、結局プレゼントしてくれた。そして、軽く食事。A氏は、今日、「俺は世の中でいちばん幸せな男だ」という顔を、ずっとしていた。始終にこにこし通しで、もう見られたものじゃない。わたしといられるだけでこんなにも嬉しいのかと、ちょっと感動する。
 A氏は、わたしが息子の母親になってくれることも最高だと、喜んでいる。何の不安も持っていない。わたしもその辺りには、おかしなことに不安がない。別に母親になろうなんてことさらに思っていない。とっても可愛い子なので、小さい友達が出来るのが嬉しい、そんなところか。向こうもわたしのことを新しいともだちと思ってくれれば、そのうち関係は育っていくだろう。まあ、人生、当たって砕けろだ。
 A氏のもう一つの喜びは、わたしとつきあうようになって、奥さんを亡くして以来のインポテンツが治ったことだ。「俺は日ごとに若返る!」と46歳の男がウキウキしている様を見ていると、わたしはおかしくってたまらない。41歳と46歳の、世間から見れば立派な中年カップルだが、本人たちは子供のように純心だ。可愛い喜びに包まれている。

●明日は、A氏の病死した奥さんの命日だ。一緒にお墓参りに行き、報告することになっている。そして、仕事にひと区切りついた恋人から、電話がかかってくる頃だ。
 また、心の揺れる1日になるに違いない。


2003年06月15日(日) 結婚しても、いいかもしれない。●二列目の人生 隠れた異才たち(池内紀)

●午前0時に眠りにつき、働き続ける恋人から午前3時に電話をもらい、目がさえて、そのまま起きてあれこれと書き始めたりしたらもう朝。そのまま1日が始まる。午前中からジムに出かけて、仕事お休みのサラリーマンが多い中、しばし汗をかく。帰宅して、あれこれしてから、A氏が企画演出したイベントへ。

●ライブハウスに到着したら、すごい行列。並んで待って、ようやく中に入ってみると、A氏がバタバタと走り回っている。忙しそうなので声をかけず、受付に差し入れのシャンパンを渡し、本番が始まる。
 中身は、ライブなんだか、芝居なんだか、コントなんだか、まあ、ちょっと得体のしれない、言ってしまえば、デタラメインテリ中年世代達の大騒ぎって感じ。ちょっと可愛かったりするおじさんおばさん達を眺め、ちょいと古いタイプのブルースなんぞを聞いたりして、3時間。
 中身はとにかく、わたしの目は、A氏とA氏息子にずっと注がれていた。 A氏息子は、かつてわたしがプレゼントした父子お揃いの赤いTシャツを着て、会場内ではしゃぎまわっている。途中でA氏に呼ばれて出ていったかと思うと、衣装をつけてかぶり物をつけて、父と一緒に登場。舞台上で父親に次の動きなど確認しながら、ちゃんと舞台に立っている。立派な子役ぶり。イベント終わりには、マイクを持ってショウの終わりをしきるA氏。頬が紅潮して、照明で目がきらきらしている。舞台っていうのは、人がだいたい美しく見える場所なんだ。職業的によく知ってはいるものの、いい男ぶりを、ちょっと見直す。

●突然、結婚してもいいかもしれない、と思った。恋人のこと。A氏には亡くなった奥さんとの子供がいるということ。様々な問題が一瞬頭の中から吹っ飛んで、この人と結婚してもいいかもしれない、と、思ってしまった。わたしは今までも、一瞬の閃きだけを頼りに男とつきあってきた。好きだと男の人に打ち明けたことは一度もなく、わたしがこの人だと閃いたら、向こうも好きだということが自然に伝わってきて、何気なくはじまる、いつもそんな具合だった。閃きがすべて。だから、結婚だって、いいじゃないか、閃きで。と。
 この目で、写真でしか知らなかったA氏息子を見たからか?
 デタラメイベントではりきるA氏の少年のような表情を見直してしまったのか? なんだかよくわからないのだけれど、心が動いた。

●搬出の車を手配しに出ていったA氏を、イベントアフターの賑やかなライブハウスで、独り、物思いにふけって待つこと1時間半。A氏のことを考える。恋人との長い長い時間を考える。
 根っから思いの強い人間なので、4年間、始終恋してきた人の存在は大きい。結婚できなくても、ずっと待っているだけでも、時折彼のそばにいられらばいいとまで、わたしは思ってきた。それが……。

 戻ってきたA氏の顔を見て、話して、何やら安心し、打ち上げに出る彼と分かれて帰ってきた。
 午前3時から起き続けていたので、日付が変わる頃には、眠気がピークに達していて、倒れ込むように、眠る。朝方、恋人の夢を見て、目が覚めた。起きてみると、携帯にA氏と恋人から一件ずつ不在通知が入っていた。携帯の音など、聞こえぬ深い眠りだった。

●今夜は、恋人が全精力をつぎ込んでいる芝居のリハーサルを見にいく。久しぶりにその顔を見て、わたしの心は、また、どう動いてしまうのか。

 池内先生の著作タイトルから言葉を借りれば、恋人は一列目の人。A氏は二列目の人だ。一流と二流ということばとはちょっと違う。何を一義に考えて生きるかという、生き方の問題だ。

 恋人は自分の仕事に生きている。その隙間隙間をわたしと過ごすことに、喜びを感じてくれている。わたしは寂しいが、その姿はストイックで魅力的だ。
 A氏は、恋愛至上主義と豪語しつつ、仕事が忙しかろうが何だろうが、わたしのこととなればすぐに動いてしまう。トップランナーになる人じゃないが、一生わたしに寂しい思いをさせないだろう。

 選べないよ。本当に。だから、昨日の閃きを信じてみようかと思う。

 わたし、結婚してもいいかもしれない。


2003年06月14日(土) 二人の男。

●天気のよかったのは、陽が昇って2、3時間のこと。わたしはいつもの暮らしを繰り返す。
 
●早朝から深夜まで仕事に明け暮れる恋人から、久しぶりに電話がかかってくる。午前3時過ぎ。まだ現場で仕事中。
 そんなことは自分が現場にいる時は当たり前のことなのに、何か不思議な感じがする。いや、枠の中に組み込まれているとあれだけ働くわたしが、どうして個人ではこんなに生産力がないかということへの、自己批判。

●恋人の声に張りがあるのでほっとする。わたしも嬉しくなる。さすがに追い込みなので、緊張感が体を支えているのだろう。
 もう長らく会っていない。会えなかった。その間隙に、A氏がどんどん生活に入り込んでいた。
 A氏はどこまでも忍耐強い。わたしが二人の男を心に住まわせることに疲れ離れようと試みても、絶対くじけない。どんな時間であれタクシーを飛ばしてやってくる準備があるし、触られたくないと言えば、我慢している。いくら我がままを言っても、それがわたしの本質でないと知っているのか、ちっとも気にしない。わたしが恋人から離れ、自らのもとに飛び込んでくるのを、ひたすらに待っているのだ。つかこうへいの「ストリッパー物語」や「蒲田行進曲」に出てくる、気の強い女とつくしまくる男の関係みたいなもので、何やら自分がどんどん調子に乗って変容していくのが怖い。

 迷いはないはずなのだ。わたしは恋人のことを誰より大切に思っている。でも、安心とか、生活とか、庇護とか、そんなものどもが、A氏のいつも広げた腕の中にあって、わたしにいつも「おいでおいで」している。ギャラの派生する安定した仕事をしていない時期だけに、それは強烈な牽引力を持つ。
 ともに暮らす男を選んだり、愛するべき男を選んだりすることが、現在の自分を見据えることになるという、どうも面倒な状況にはまりこんでしまった。恋人との間にも色んな問題を抱えているけれど、何があっても恋をしておればいい、という楽さがあったのに……。

 これも今のわたしの不調の原因。自分で選び取って、自分を自ら支えてやるしかない。A氏はわたしを守ることに(息子を守ることと同様)全人生をかけると言うが、やはり、わたしはわたしでしか守れない。それを知ってもらって、もっとしっかりとつきあい直さなくては、わたし自身、選べないかもしれない。


2003年06月13日(金) 引き続き、ダメなわたし。

●自分がだらしないと、どうも日誌というのは書きづらくなる。それでも、とりあえずこうして某か書き留めようとするのは、年頭、永井荷風の「断腸亭日乗」にぐっときた名残。
 いくら自分にお膳立てしても、始まらない時は始まらない。こういう時は、ダメな自分を甘んじて引き受け、小さなコップに水を注いで注いで。でも、注ぎきれれのは、表面張力のところまで。あふれ出すときの一滴は、いつも外から、自分の意志とは関係なくやってくる。

●東京を離れてしまった、信頼するプロデューサーから電話がかかってくる。いつ遊びにくる? と。そうだな、出ないときは何も出ない。深い緑に囲まれに、行ってみようかなと、思ったりする。でも、どうもわたしは、時間に対して貧乏性で、「この時間を使って何か……」とすぐに思いがち。詰め込みすぎる。そのせいで、ギャラの派生する仕事は何もしていないというのに、心身共に疲れ気味。

●もう朝。今日は梅雨の晴れ間のよう。このまま寝ないで、海にでも足をのばそうかとも思う。さて、この何も為せない現実の中、貧乏性のわたしがそんなこと出来るかしら?


2003年06月12日(木) ダメなわたし。●日本が見えない(竹内浩三全作品集)

●このところ、ちっとも自分の仕事が進んでいないので反省し、映画も自粛し、楽しいプールも自粛し、午前中からあれこれと、自らの仕事を考えて暮らす。いろいろと断片を書き付けてみるのだが、何も発展しない。
 先日ここに書いた、秋元先生のことばを思い出す。
 「あなたがこれだけはいいたい、ぜひいいたい、それをいわねば、あなたの精神の大切な部分が亡びてしまうと思うことが、一つはあるでしょう。それを分かりやすく、誰か一人の人に話しかける気持ちで書けばいいのです」
 わたしの大切な部分は、何処へ行っちゃったんだろう?
 仕事に追われている時は、大切なことがいくつもいくつも溢れてきて、時間ができたらこれを形に……と思って過ごすのだが、いざ時間が与えられると、さっぱり形になろうとしてくれない。
 技術の問題? 集中力の欠如? それともわたしにとって、そんなに大切なことじゃなかったの?

●悶々とするうち、竹内浩三のことを思い出して、再読する。夢中になって読み直し、今日は自分の仕事を続けることを諦めた。
 彼の溢れることばは、ダメなわたしを黙らせてしまった。それに励まされたっていいはずなのに、今日のダメなわたしは、その輝かしいことばたちを享受するだけで、満足してしまった。
 これだけの才能が奪われてしまったのに、このわたしが安穏と生きながらえる不公平に、打ちのめされ、ちょっとした無力感を味わった。一晩眠れば、ダメなわたしにも、彼のことばが力となり弾みとなるのかもしれない。いや、そうしなきゃ、「言霊」に失礼というもの。
 彼のことは、今日のBook Reviewに書いた。ずいぶん書くのに時間がかかった。

●おかしなもので、ダメな時ほど、生きてる暮らしてるって感じることがある。これも自分の一部なのだと、諦念というのではなく、そういう繰り返しなのだと妙に合点がいったりする。A氏からは「会いたい!」ということばが羅列するだけのメールが届いた。電話こそかかってこないが、父と母は、娘はどうしているかと、今日も必ず案じている。恋人は、とんでもなく大変な仕事の渦中でわたしのことなんか忘れ、あと一週間ほどもすれば、きっとやおら思い出す。このWeb上の文章だって、知らない誰かが、何か少しは感じて読んでくれているのかもしれない。
 やっぱり、ダメなわたしもイケテルわたしも、わたしの一部で、今日というダメな1日もわたしの一部だ。
 若いときはこういう時、もんどり打って苦しんで、ダメな自分を呪ったものだけれど、こんな風におおらかに考えられてしまうところがダメなのか? と、逆に思ったりもする。でも、まあ、そういう意味では、歳を取ることに逆らえない。毎日とりあえず一生懸命やってれば、そんな間違った方向には老いないだろう、そんな風に思っている。


2003年06月11日(水) 大阪のおばさん、みな、かしまし娘。

●梅雨入りの声を聞いたら、いきなりの雨。わたしは傘をよっぽどのことがないと持たない人なんで、今日もしっかり濡れました。そう言えば、去年の10月から11月にかけてモスクワに行ったとき、もうしょっちゅう雨が降っていて。(時には、雪。)でも、街ゆく人はほとんどが傘を持っていなかった。わたしもくじけそうな大雨の中、鞄を頭の上にかかげて「仕方ないなあ……」って顔して歩いている。
 あまりの雨量に負け、傘を買いにデパートに入って、その理由が分かった。……高い! 500円傘に慣れてる日本人の感覚では信じられないくらい高価。彼らの平均収入を考えれば、立派な贅沢品。しかも重くて粗悪な作り。
 ペレストロイカ以降ずいぶん変わったとは言え、まだまだ生活は厳しい。

●一方、お気楽なわたしは、通ってるジムのプールへ。もう何年かぶりのプールにわくわく。息継ぎがめちゃくちゃ下手くそで泳げるうちに入らないわたしではありますが、やっぱり水に親しむのは楽しいですよ。思いこみの激しいタイプなので、水をくぐっていくと、もうすっかり魚の気持ち。
 おまけに、ウォーターラッシュっていうクラスに参加して、水の中で飛んだり跳ねたり走ったり踊ったり。やおら子供心全快に。エアロビクスってやつはなんだか恥ずかしくって、いつも無表情でやってるんだけど、今日はにこにこにこにこして水と戯れてしまった。やっぱり羞恥心はあるので、途中からメガネをかけて隠したりしましたが。

 ここのところフィットネスクラブに通っていて思い出すのは、大阪の同じような施設の、サウナ。
 今のところのサウナなんて、みんな修行してるみたいに難しい顔して、じーっと黙り込み、汗をしぼっている。(ちなみにわたしは、サウナでも、バイクを漕いでるときも、ひたすらに読書)それが、大阪に場所を移すと……。
 もう、おばさんパワー大全開。大阪の、お昼間にフィットネスクラブに通ってくるようなおばさんってのは、もう、一時も黙ってられない人がほとんどなわけで。いやあ、とにかく、芸能裏話から、ご近所話から、それぞれの家庭の旦那事情から、話は尽きることがない。わたしは余りの面白さに、サウナをなかなか出て行けない。もう、いーっぱいネタが拾えるって感じ。そして、しゃべり疲れて、汗まみれになって、「いやー、よう汗かいたわ。やあ、もうこんな時間やんか。晩ご飯間にあわへんわ」とかなんとか、これまた賑やかに、揃って退出なさる。嵐が去って、静寂の訪れたサウナ内で、一人、おばさんたちのおしゃべりを反芻して思い出し笑い。なかなか趣があります。平和だなーって感じ。
 同じ日本人が住んでいるのに、やっぱり違うんだなあ、大阪と東京は。

●そろそろ仕事がしたくなってきた。人に囲まれて、仕事をしたくなってきた。いつもいつもこの繰り返し。何ヶ月も休みなしに働いて、こうして月単位で休みをとる。でも。
 確かに、この期間に準備をすることでしか、自分発信の仕事は生まれない。そう自分に言い聞かせて、毎日アンテナを伸ばして暮らしている。


2003年06月10日(火) 梅雨入り。風邪をひいて過ごす。●抜髪(車谷長吉)

●朝方の冷たい風を心地よく感じながら書き物などしていたら、風邪をひいてしまった。「仕事もしていないのになんで風邪などひくんだよ」と、自分を叱責して気がついた。仕事している時は風邪をひかなかったっけ。心と体が休んでいるゆえの風邪なのだと思うと、まあ、つきあってやるかと、気分に余裕もできる。

●予定していた映画を諦めて、また1日読書と学習。
 書評を書くために車谷長吉を何作か読み直す。風邪をひいて遅く起きた午後などに読み始めると、より車谷ワールドにどぶどろに浸かってしまう。車谷氏の在所である飾磨は、わたしが生まれた町の隣町だ。10分も歩けば、彼の在所にたどり着く。だから車谷氏の母が播州弁で息子にだらだらと語り続けるだけの「抜髪」など読んでいると、いつまでたっても何者でもないわたしが叱られているようで、救われない気持ちになる。また、そんな気分にはまりこむのを楽しんでいる自分もいる。
 とは言え。いつまでもどぶどろの気分にはまりこんでいるわけにもいかないので、いつもの英語学習などする。新しい英英辞典を購入したのだが、それを読み始めたら面白く、しばし首っ引きになる。

●先日書いた池内氏の「二列目の人生」を、一人分ずつゆっくり読み進めているが、何人かの人生に触れるうちに、彼らがちっとも「時流」と呼ばれるものにこだわってないという共通点が浮かび上がってきた。
 名誉や名声、金銭などに頓着がなかったと言うより、それらを意識的に避けていたというより、「ただ自分が生きているということ」を、そのまま受け止めて生きることが出来る人たちだったのではないかと思うのだ。そして、その自分が楽しめるそれぞれの「道」を彼らは見つけていたということ。その道が歩ければ、別にほかのものは大して必要ではなかったということ。
 実際、彼らの人生がライブで展開している時には、そりゃあ某かの欲だの計算だのがなかったはずはない。そんな人間いるわけない。でも、池内氏の手にかかって彼らの人生が紹介されていくと、逆に、「結局は余計なものなど何もいらなかった」だろう、彼らの人生の美しさ、面白さが、浮かび上がってくるのだ。

●東京も梅雨入りした。一年で最も嫌いな季節ではあるが、休暇中という特権をフル活用して、雨の午前、雨の午後、雨の夜を、楽しんで暮らしたい。


2003年06月09日(月) フラメンコは楽し。●桜の森の満開の下(坂口安吾)

●午前5時に寝たら、7時に目覚めてしまう。昨日だって3時間しか寝ていないというのに、わたしったらなんだか変だ。労働していないというのは、こういうことか。でもまあ、ワタクシ的に言えば、模索している今の方が仕事をしていることになるはずなんだよなあ。周りから見れば、ただ休んでいるだけかもしれないが。

●楽しみにしていたフラメンコのクラスだが、そりゃあやっぱりフィットネスクラブで提供するものに過ぎないから、初参加とは言え、フラメンコシューズを履いていたのは、センセイとわたしだけだった。みんななんと、ジョギングシューズでセビジャーナスを踊るのだ! でもまあ、そんなことはどうでもよし。なんとなく、あの12拍子を聞きながら体を動かすだけで、思いっきり地面を蹴るだけで、わたしはご機嫌。その程度でよいのだ。
 
 スペイン1ヶ月滞在の振り分けは、3週間が公演の稽古と本番で、1週間がバカンス(!)だった。この1週間を利用して、セビリアに行き、日本を発つ前に紹介されていたフラメンコの踊り手のお家を訪ねた。ジプシーである彼らと一緒に、いくつかの通好みのタブラオを回り、堪能し、舞台のはねた後には、楽屋を訪ねた。それはもう、興奮の連続。見ているだけで血湧き肉躍るような体験。
 で、単純なわたしは帰国後すぐに習い始めたのだが、もちろん見るとやるとは大違いで、そうそう楽しいことばかりではなく厳しいレッスンの連続。でも、やっぱりかき鳴らされるギターに乗って、「あからさまに女でいていい」踊りを踊り、地面を打つ足でリズムを刻むことは、たいそう楽しいことだった。続けていられれば、今頃はどれくらい踊れていたかなあ。
 いや。
 本当に続けていたいなら、どんなことがあったって続けることが出来る、ってのが人生であるからして、そんな仮定は成立しない。だから、わたしには、フィットネスクラブで真似事をするだけでも、十分楽しいってことになるわけだ。

●昨日から本の紹介を別のページに書き始めたのだが、これはけっこう大変なことだと思い知った。今読んでいる未読の本と同時に、ついつい、かつて読んだ本を読み直してしまう。今日も、ドストエフスキーのことを考えつつ、本棚からつい坂口安吾など取り出してしまい。……これでわたしはまた、読書に呆ける時間が増えてしまいそうだ。……まずいな。
(このページとIndexページの下部にリンクを設置しました。)

●こうしてまた、どうでもいいことを書いているわたしのために、夜中におそばを作ってくれているA氏がいる。人に料理を作ってあげることはよくあるが、こうして作ってもらうことなど滅多にない。何か、母が料理を作ってくれた時の、誰かの庇護下にあるという穏やかな安心感みたいなものを感じる。
 A氏に料理を作ってあげると、そのたびに「極楽だ!」とこの上なく喜んでくれるが、その気持ちがちょっと分かった。
 恋人は、同じくわたしといても、美味しく落ち着く店でちょっと贅沢な外食をし、お気に入りのバーで美味しい酒をわたしと囲むことを好む。その喜びを、確かにわたしは恋人と分け合ってきた。
 色んな喜びがある。でも、色んな男を選ぶことは出来ないのだ。少なくとも、今のわたしには。


2003年06月08日(日) 爽やかな日曜日の、あれこれ。

●昨日日誌に書いたことを、ひとつ実行しようかと思いつく。お薦めできる本をリストにして、ちょっとずつでも言葉を添えてみようかと。
 午後の空いた時間を使って作業開始。部屋の両端の窓を開け放っておくと、風が心地よく抜けていく。レースカーテンがゆらゆら揺れて、家にいたって気持ちいい。
 まずは、薦めたい本のリストを作ってとりあえずアップし、少しずつ文章を添えてリンクしていこうと方針決定し、自らの本棚7台(こんな狭い部屋に……!)を眺める。次から次へとリストアップしたい本が目に飛び込んできて、もうすっかり存在を忘れていた本まで「わたしは?」と背表紙をきらきらさせたりして、こりゃあ大変だと途方に暮れる。
 それでも、心を鬼にして、古典から、現代文学から、ロシア文学から、世界文学から、児童文学から、とリストアップの作業を快調に進めていたところで、我がG4はフリーズ。作業に夢中になるあまり、途中保存をしていなかったわたしは、もう愕然。
 わたしがHP作成に使っているのは、はじめて買ったコンピューターiMacに最初から入っていたPageMill。確かに、フリーズすることが多く、「もう古いしなあ、Windowsも買ったことだし、そろそろ別のソフトで作り替えだな」なんて思っていた矢先の事故。
 まあ、気持ちのよい日曜日のことであるので、気分を変え、方針も変更。今、この日誌で借りているEnpituでもうひとつページを持つことにした。ここで、1日1タイトルずつ、書いていく。なるべく、今読んでいるホットなものはここで触れ、かつて読んだもの、この日誌に登場していないものを取り上げることにした。こうして1タイトルずつ書いていけば、しばらくすると、立派なリストができあがる(予定)。こんなに頑張って作ってしまうのも、自分の整理のために役立つからにほかなかったりして……。

 HPの"Book Reviw"のリンクか、直リンクで訪ねてみてください。
 http://www.enpitu.ne.jp/usr2/28481/

●ジムに通い出してから、どんどん体重が増えていく。これはどうしたことか? 脂肪は落ちず、筋肉だけが肥大しているということ?
 なんだかいただけないなあ。
 トレーナーのお兄さんの「運動してるんだから、三食しっかり食べてくださいね」という言葉を素直に守ったわたしが馬鹿だったのか。うーん、納得できない。
 でもまあ、運動するのは悪くない。明日はフラメンコのクラスに行ってみよう。かつて、スペイン一ヶ月滞在の後、すっかりフラメンコ好きになってしまい、二ヶ月ほど習ったことがあった。セビジャーナスを一曲踊るところまでいったのに、結局忙しくって通えなくなりそのままフェイドアウトしてしまったのだが、今でもどこか心魅かれている。
 手軽にそういうクラスを取れるのは、やっぱり嬉しい。

●恋人からは、ちっとも連絡がこない。余りに忙しく、余りに疲れているのだろう。わたしが送ったメールが、彼のOutLookの受信欄で、数多の仕事メールに挟まれて小さくなっているのが、見えるような気がする。
 反対にA氏は、とことん積極的。仕事をしつつ息子とお父さんに毎日食事を作り(出かける前に、朝ご飯と晩ご飯両方用意して出かけるのだ!)、そんな暮らしの合間を縫って、会いたいと連絡してくる。「日頃の節約は愛した女に湯水のように金を使うためだ!」と豪語し、あれこれと気を遣ってくれる。……どうしたものか。……男三人所帯に嫁に行くなんてことが、本当にありうるんだろうか……?
 何にしても、恋人がパリに発つまで、わたしの心は落ち着かない。
 そんなこんなで、今月中にあげようと思っていた仕事の企画書は、さっぱり進んでいない。
 これでいいのか? わたし?


2003年06月07日(土) 奨めたくなる本を読む。

●池内紀さんの、「二列目の人生 隠された異才たち」という本を読んでいる。世評にこだわらず、世に隠れて終わった異才たちを池内さんが訪ね歩く。まかりまちがえば、歴史に名を残すはずだったのに、一列目には出てこなかった人たち。
 池内さんはかつて仕事をご一緒してからというもの、いつもわたしの心の片隅に人生の師としていてくださる人だ。わたしが必要とすれば、いつでもデートに誘っていいという許可も得ている貴重な先生。そんなこと言うと、池内さんは、「わたしなんかを師匠にしたら大変ですよ」と、やわらかーな関西弁で笑うだろう。偶然にも、同じ姫路市出身、同郷なので、言葉さえ懐かしい。はじめてお会いした時は、名産の素麺、揖保の糸の話で盛り上がったっけ。
 池内さんは、仕事に追われるわたしが必ずや忘れていく視線を持っている方だ。広い視界で大きくとらえ、細やかな愛情で細部に興味を持つ。いつものびやかでおおらか。少年のように自分の興味に素直。そして最も大事なのは、池内さん自身が、すべての特権的な視線から離れて、当たり前な、在野のこころで、世の中を見つめていること。

 そんな池内さんが探しだした、二列目の人たちの人生は、実に面白い。その人生も、池内さんの視線も。
 進路に行き悩んでいる若い人がいたら、一読を奨めたくなる本だ。

●思えば、たくさんの本を人に奨めてきた。わたしが本読みだということはよく知られたことなので、久しぶりに会った友達は、必ずわたしに聞く。「なんか面白い本ある?」。
 何かプレゼントとなると、まずいなと思いつつも(好き嫌いがありますから……)本をついつい買ってしまうし、悩みをもちかけられると、お話するついでに必ず一、二冊の本をみつくろって薦める。まだあんまり売れていない、知られていない本を読んで「面白い!」と思うと、棚から引っ張りだして、目立つところに平積みされた本の上に置き、個人的促販活動をしてしまう。こうなると、もう、変な人だ。
 それでも、奨めてきた本たちは、どうやら奨められた人たちの心の中で生き続けることが多いらしい。教えてくれてありがとうという言葉が、よく返ってくる。
 自分で書いたり、創ったりが、この歳になってまだ出来ないでいるわたしの、せめてもの恩返し、といったところか?
 休みのうちに、そんな本のリストを作ってみてもよいな、と思っている。しかしまあ、その暇があれば次の本を読みたくなるわたしであるから、実現するかどうか。

●象のはな子さんのことを、HPのEtceteraにアップした。


2003年06月06日(金) 象のはな子さんに会いにいく。

●昨夜22時半から起き続けていて、現在21時半。そろそろ限界が近づいている。昼夜逆転生活調整計画遂行のためには、もう少し起きていないと……。

●朝からジムに行き汗を流そうと思っていたのだが、A氏にもうちょっと一緒にいようと説得され、それならいい天気なので散歩でもしましょうかと、なんとなく、井の頭公園へ。
 本当になんとなくだったのに、吉祥寺に着いたら、行くべきところに思いあたった。象のはな子さんのところだ。20代の、いつだったか、やっぱりなんとなくの散歩の途中ではじめてはな子さんに出会った。やっぱり素晴らしく美しい日差しの中、花子さんは寂しげに、やるせなさそうに、体を揺すってずっとずっとダンスを踊り続けているように見えた。わたしは釘付けになってはな子さんを見続けた。そして、彼女の、華やかな、そして悲しい、どうしようもない、哀切な、来し方を、知った。それなのに、それっきりだっった。どうして急に思い出したんだろう? わたしの心がお休みモードに入っているからか。もちろん、「象の消滅」という短編を思い出していたことも関係あるだろう。そして、あの日と同じ、美しく晴れた空。

 わたしはカメラマニアの父のおかげで、いい写真機をいっぱいもっており、写るんですとか、あの類を使ったことがほとんどない。でも、今日は特別。駅前のDPE屋でマクロ機能ありなんてのを購入して(半信半疑ながら)、井の頭動物園へ急ぐ。A氏はこういう時、わたしの赴くままの行動に自然につきあってくれる。実によいお散歩パートナーだ。
 象舎はすぐそこ、というところまでくると、何やら胸がざわめいてくる。「よし、先に腹ごしらえしよう!」と、途中の茶屋で、そばとうどんの朝食。1本のビールを午前中から分け合う。
 美しい1日の始まり。

●はな子さんは、いた。何時間見守ったろう? 何時間も見守った。そして、また、今のわたしが彼女に出会った。ここからが今日書き留めておきたいことなのに……もう起きていられない。
 続きはまた明日。はな子さんのことを考えよう。また明日。


2003年06月05日(木) 帳尻あわせの1日。

●なんだか長らく打った文章が、どのキーを押してしまったやら、あっという間に消えてしまった。

●あまりに昼夜逆転しているので、今日は頑張って眠らず、当たり前に人が寝る時間まで起き続けて帳尻あわせをすることに。徹夜ならぬ、徹昼、ですね。

●それにしても、書いた文章が瞬時に消えるのは、余りにさみしい。同じことをもう一度書く気にもならないし。もう、外出の時間もせまってきた。今日も美しいお天気だ。出ていくのが嬉しい。


2003年06月04日(水) 読んだり観たり。 ●重力ピエロ(伊坂幸太郎)●Elephant Vanish

●「重力ピエロ」は、「なんだ、小説まだまだいけるじゃん」という、ストレートなんだか作為的なんだかよく分からない帯の惹句につられて購入。
 確かに面白くはある。確かに一気に読んだ。しかし、なんなんだ、この手触りの良さは。……どうやらわたしは、「いい人」のたくさん出てくる小説、悪い人が類型的な小説、そういうのを、あまり好まないようだ。でも、この作品のよいところは、普段小説を読まない人にでも薦めやすいというところ。わたしは飽くまでわたしの快楽の為に読んでいるので、勝手に好きだの嫌いだの言ってみるが、私好みでなくっても、たくさんの人に愛されるだろう物語はたくさんある。最近読んだ中では、池永陽の「コンビニ・ララバイ」とかもそのカテゴリかな。
 でもまあ、私自身は物足りないわけで。わたしの中のホールデン的なるものが、「まあ、いい話なんだけどさあ……」とか言い出すわけで。
 若い時から、フランス文学とかよりロシア文学を愛したりしたのも、ざらざらしたもの、混沌としたもの、割り切れないもの、泡立つもの、そういうのに惹かれるタイプだからだったのかもしれないな。

●サイモン・マクバーニーの「エレファント・バニッシュ」を観る。
 村上春樹の同名短編集(英国版)をコラージュした内容。整理され、研ぎすまされた空間は悪くはないが、内容をほぼナレーションという形で処理されてしまっては、演劇的満足感は皆無。そしてこれもまた、異様に手触りが良いのだ。うーん、それが現代的ってことなのか? いやいや、そうじゃないだろう。
 フライングや映像の使い方で面白いところはあって楽しみはしたが、それより何より。ナレーションを担当する(というか出演する)俳優が粒ぞろいなので、小説の内容が耳から入ってきて、久々にかつて読んだたくさんの短編の印象をいちどきに思い出すことができた。どの記憶も、読んだ自分のその時々の感覚を引き連れて戻ってくる。大学の生協で「風の歌を聴け」に出会ってからというもの、全作品、ほぼ発売と同時に入手して読んだきた。そんな作家、そういえば、ほかにはいないな。
 休みのうちに、村上氏の短編を一気に再読してみようか。

●昼夜逆転の生活は続き、しかも昼が気持ちよいものだからついつい起き続けて、このところ、3時間ずつくらいしか寝ていない。それでも元気でいる。いつか手痛いしっぺ返しを食らいそうでこわい。
 


2003年06月03日(火) 自転車とわたし。

●気持ちのいい日が続く。相変わらず、本を読み、ジムに行って体を動かし、芝居など観たりして、思いつくことを気ままに書き留めたりして、過ごしている。
 整理をして掃除をしてみると、仕事でとっちらかっていた時の我が家とは別の部屋のよう。そうなると、さらなる心地よさ、気持ちよさを求めて、毎日、マイナーチェンジを繰り返している。今日は時間があったので、隣駅のホームセンターまで自転車で行き、あれこれと生活快適化グッズを見繕う。こういうことが、思うほか楽しい。レジのお兄さんに、「え? これ全部自転車で持って帰るんですか?」と驚かれるほどのあれこれを入手して、片手ハンドルで大きな荷物を抱えつつ、帰宅。わたしは自転車にとっても上手に乗れるのだ。

●わたしは小学校2年生まで自転車に乗れなかった。小学校にあがっても補助輪をつけているわたしを見かね、家の前の歩道で母による大特訓が始まった。なにせ辺鄙な街だったし、たまにしか人が通らない。(保育園の頃は、確かまだ農耕牛が歩いてたっけ)格好の練習場だった。でも、わたしは小さい頃から見栄っ張りだったのか、わずかな人通りでも、自転車に乗れない自分が恥ずかしくてたまらない。人が通るたびに練習を中断しようとする。でも、母はそのたびに、わたしを叱った。今の自分を認めないと先にいけないってことを、きっと教えてくれてたんだな。
 あの時の母の教授のおかげで、それ以来、自転車はわたしの唯一無二の乗り物になった。 自動車免許を持っていないから、何処へだって自転車で行く。何だって自転車で運ぶ。 
 こんなに自転車を愛しているのに、東京に出てきてからというもの、とにかく自転車を盗まれた。これでもかって言うほど、盗まれた。だからこそ、仕事が終わって最寄り駅までたどり着いて、自転車があるべき場所にあると、「おお、待っていてくれたんだね」と、ささやかに喜びを覚える。時には、深夜の自転車投げおじさんに川の中に放り込まれ、神田川八墓村状態ではまりこんでいることもあった。(これはショックだったからいつか日記に書いたと思う。)ぼこぼこにハンドルを曲げられていることもあった。防犯登録を剥がされて、わたしの自転車なのに、因縁つけられておまわりさんに連行されたこともあった。そんなこんなの不幸を免れて、当たり前にそこにある、という喜び。
 大阪に長期の旅仕事に出ることがよくあるが、そんな時は中古の自転車を買う。何軒か安い店を知っていて、運がよければ、4000円で買える。一ヶ月の足だと思えば、決して高くない。それさえあれば、何処へだって行けちゃうんだもの。難波から梅田なんてあっという間。大阪城公園の中を乗り回すのも楽しいし、大阪の川沿いってのはなかなか気持ちよく整備されていて自転車乗りを喜ばせてくれる。また、調子に乗って適当に走っていたら、浮浪者ばっかのバラック街みたいなところに出てしまったりして、これがまた楽しい。宮本輝の名作「五千回の生死」をはじめて読んだ時は、だから、興奮したな。大阪の街を見知らぬおっさんと二人乗りして、「死んでも死んでも生まれてくるんや」と、この世のことじゃないような時間を過ごす主人公の気持ちに完全に同化しちゃって、物語の内容をまるで自分の過去の体験のように覚えていたりする。
 大阪を離れる時は、いつも、難波のどこかに乗り捨ててくる。きっと何処かの誰かが「鍵ついてへんのあらへんかいな」と物色してくれて、一夜の、あるいは長きにわたる、足になってくれるんじゃないかと思って。これを周りの人に話すと、「そんなのただの放置自転車じゃないか」って言われるんだけれど、わたしはこれが本当の「リサイクル」だって思ってる。ま、最近は折りたたみ自転車を購入したので、荷出しの時にみんなにぶつぶつ言われながら、道具と一緒にトラックで運んでもらう。とにかく自転車があれば、街は数倍楽しくなる。
 体力だけはあるので、幾つになっても、自転車にわたしは乗り続けるんだろうな。それもびゅんびゅん飛ばしながら。幾つになっても、片手離して、両手離して、風をきっちゃうんだろうな。苦しんで坂を上れば、いつか坂を下る快感が待っているのだというときめきを、幾つになっても楽しむんだろうな。車を持つ人生とか、バイクに乗る人生に憧れがないといえば嘘になるけれど、自転車だってずいぶん楽しい。実に楽しい。
 恋人と二人乗りして、おまわりさんに追っかけまわされたり、二人乗りのままウィリー走行して、あまりのわたしの重さに後ろにずっこけて恋人が大けがしたり、友人に大事な荷物を運ぶため、「走れメロス」の心境でバイク並みのスピードで自転車を飛ばしたり、貧乏で電車賃もなくって、無茶な距離を自転車で通ったり、帰らない恋人を、一晩中自転車の荷台に座って待っていたり、まあ、自転車にまつわる思い出は数知れない。
 乗り物とか、あらゆる身の回り道具、物たち。命のないものが、命のあるもの並に、自分の人生に深く関わってくれて、愛おしいと思うことがよくある。なんだか面白いな。

●恋人が訪れている。深夜の食事は、ゴーヤーチャンプルに、マカロニサラダ、みそ汁仕立てのにゅうめん。食べ終えたら、彼はわたしのデスクですぐに仕事再開。わたしは台所で、こうしてどうでもいいことを書き留めることを楽しんでいる。もう外は明るい。カラスがしきりに呼びあっている。また朝がきた。


2003年06月02日(月) ホールデン君のこと。 ●The Catcher in the Rye(村上春樹訳)●巨匠とマルガリータ(ユーゴザパート)

●野崎訳の「ライ麦畑でつかまえて」を読んだのは、中学生だったか高校生だったか。とにかくまあ、若かりし頃だ。
 両親の扶養下にあって、6年制のミッションスクールに通っていて、誰とでも友達になるが、いつも一緒にくっついているような親友はいなくって、それは自分に問題があるのではなく、自分と友達になるにふさわしい人物が周りにいないだけだと思っていた。無駄な友情ごっこに時間を費やすよりは、もっと有効な時間の使い方をした方がいいと思っていた。ものすごく気が小さいのを隠す余り、いつでも皆より率先して動いていた。1学期に必ずクラス委員長になるタイプ。高校2年まではクラブ活動に熱中し、コンペで成果をあげ、表彰された。勉強の出来はそこそこだったが、3年になって受験勉強を始めると、学年1番に躍り出た。それでも、がむしゃらに勉強するタイプに見られるのが嫌で、へらへらを演じていた。世間、世界を見る視界は実に狭かったが、美しいものを探そう愛そうという意識が強かった。そのくせシニカルだった。人並みに恋をしたが、恋をする自分に酔っていたという方が正しい。これまた臆病なくせに行動的だった。その頃から破滅型を匂わせていたと言ってもいい。

●あの頃ライ麦畑を読んで、ちっとも面白いと感じず、うざったい読み物として投げてしまったのには、ちゃんとした理由があった。
 わたしはホールデンと似た者同士だったのだ。同じような痛みや憤りを感じていたし、同じように、鼻持ちならない面倒な奴だったのだ。

●40歳を過ぎて読む村上訳「キャッチャー・イン・ザ・ライ」は、甘酸っぱい思いに囚われ、かつ、あの頃の感情の在処の曖昧な記憶が、こみあげるように追想される、実に実に愛おしい物語だった。
 読んでる間中、わたしはずっとホールデン君に話しかけていた。
「ほら、そんなこと今言わなくったっていいでしょうよ」
「どうしてそうなっちゃうわけ?」
「またそんなわざとらしいことを……」
「わかる、わかるけどさあ、ほっときゃいいじゃない」
「あーあ、だから言わんこっちゃない……」
 ってな感じで。まるで当時の自分に話しかけるみたいにして。
 そしてまた。
 鼻持ちならないところが似ているだけではなく、芸術に対する勝手な早熟ぶりってところでも、わたしとホールデン君は酷似している。歌い手や、ピアノ奏者、俳優の演技術に対する批判なんて、かなりイカシテいて、「なんだ、君、子供のくせして、わかってるじゃない」と話しかける。オリヴィエのことを論ずるところなんて、声を出して笑ってしまった。
 ホールデン君の行動言動ひとつひとつに、強烈な懐かしさと、「ばっかだなあ……」とため息の混じった愛情を感じる。
 
●物語の最後には、不思議な感じを味わった。 
 わたしはもう、ミスタ・アントリーニの世代だ。彼は実にまっとうな教師でまっとうな人間で、ホールデンへの対し方にも、年齢にふさわしい責任感と愛情が感じられる。わたしはまさしく今、そちら側にいるし、社会に対して、そちら側に立っての責任を担っている。でも、ずっとホールデンの行動につきあった流れでミスタ・アントリーニに出会うと、なんだかホールデンの側に立って、「そんな分かり切ったようなこと聞くのはうざいんだよな」って気持ちにも、なっていたりするのだ。世の中の、正しいとされることへの、嫌悪感不信感っていうのかな。そういう、ちょっと正しいこと当たり前なことに、斜に構えていたいって感じ。
 わたしの中で、かつてのわたしと今のわたしが、対峙する。不思議な感覚。

●そして、なんと言っても、フィービーの存在だ。彼女に関して、意味を語り出すと、くだらない小説論になってしまうのでやめておこう。
 大事なことは、ホールデンにはフィービーがいたってことだ。
 フィービーのためにレコードを買う時間、持ち続けた時間があって、バラバラに割ってしまう瞬間があって、その先に、「そのかけらをちょうだい、しまっておくから」と手を差し出すフィービーがいたってこと。そしてまた、フィービーがスーツケースを抱えてきた時間のちょっと先に、回転木馬の時間があったってことだ。
 わたしは、ホールデン君と一緒になって、フィービーが回転木馬に乗る姿を眺めた。わたしも、あやうく大声をあげて泣き出してしまいそうだったし、ぐるぐる回り続けるフィービーの姿が、やけに心に浸みた。ホールデン君が「いや、まったく君にも見せたかったよ」と言うように、わたしもわたしの周りの人に、そのフィービーの姿を見せたかった。

●この物語は、全編、ホールデンが誰かに語りかける体裁を取っている。彼が誰に向かって語りかけているのかは明示されない。彼は相変わらず当たり前な人生の波に乗り切れていないような感じだし、もしかしたら、精神病院につっこまれてしまっているのかもしれない。とすると、彼の語りは、ちょっと空しいものになる。でも。読後、わたしの心は明るい。「平気、平気。そんなもんでしょ」と彼に伝えたくなる。「ちゃんと生きてれば生きてるほど、わかんないこと多いよ。おかしいと思わないやつらの方がおかしいんだよ」と。ま、16歳を生きるホールデン君にそんなことストレートに言ったって聞いてくれないのは分かってるから、心の中で。「待ってるよ」と告げる。

●村上氏の翻訳は、とっても優しい。村上作品を追い続けてきたわたしには、この仕事は、「この物語は、みんな人生に2度読んでみた方がいいと思うんだけど」と薦めてくれるメッセージのようにも感じられた。そんな風に思ってしまうのは、何より、村上さんがこの物語を愛していることの証だろう。
 敬愛するレイモンド・カーヴァーを紹介してくれたことと言い、わたしは大学生の頃から、ずいぶん色んなことで村上さんにお世話になっている。
 何処か知らないところで、今日も走ったり、今日も書いたり、今日もビールを飲んだりしている(あくまでそういうイメージの)村上さんに、わたしはぺこりと頭を下げて、お礼を言う。「またお世話になりました。ありがとうございます」


2003年06月01日(日) 偏頭痛なんて何処へやら。

●最近妙な時間に気まぐれに睡眠を取るためか、起きたとたん嫌ぁな感じの偏頭痛。時間がたってもおさまらないまま劇場へ。
 
●コクーン歌舞伎の最終通し稽古。見始めると、さっきまで気になって仕方なかった頭痛がどこへやら。楽しい。文句なしに楽しい。芝居好きの心がびんびんプロセニアムを超えてくる。見せるところはたっぷり見せて。チャイルディッシュな遊び心と、大人の真情と。
 終幕なんて、お尻が椅子から浮いちゃうくらいに楽しんでいた。
 それにしても、勘九朗さんって俳優は本当にすごい。芝居への愛情と、遊び心、深い情感。そこまでかってくらい、自分の体をはってくる。お客さんが楽しんでくれるなら、やりますよ、どこまでもやりますよって気概が伝わってくる。
 舞台稽古だっていうのに、カーテンコールは大盛り上がり。いやあ、行ってよかった。見てよかった。

●東京を四月に離れてしまったプロデューサーがやってきていて、四人の女性プロデューサーと二人の女性現場制作とわたしで宴席を囲む。
 芝居の話ばっかりで、あっという間に四時間がたつ。このところ飲んでなかったわたしは、たまにはね、と、飲むは食べるはおしゃべりするは、大忙し。機嫌良く帰ってきて体重計に乗ったら、昨日より三キロも増えてきた。……そ、そんなぁ……。
 長野で新しい劇場立ち上げの仕事を始めた彼を、この休みの間に訪ねてみよう。何しろ、今まで、恋人と並んで、本の話芸術の話が分け合える大事な人だったのだ。近くにいなくなったことが実に寂しかった。姿形はどこから見てもちょいと禿げあがった「ニッポンのおじさん」なんだけど、ま、男は見た目じゃありませんからね。

●ホールデンはなかなか面白いやつだ。ちびちび読みながら、彼の痛くて辛い青春を共有している。


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