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2001年12月31日(月) 静かに ●オウエンのために祈りを(J・アーヴィング)

 くすぶっていた風邪の菌が、今こそと羽根を伸ばしたのか、次第に調子が悪くなる情けない1日。
 新年を迎えるための俄騒ぎから遠く離れて、いつもの休日。


 朝日新聞の読書回顧の頁に、川上弘美氏がこんな一文を寄せていた。

「・・・・・・毎年読んだ本を振り返るたびに、驚く。一年前、これらの本はこの世になかったのだ。今はある。なんと嬉しいことだろう。」

 本であれ、なんであれ、この先、自分から産まれたものをそんな風に喜べるよう、暮らしたい。
 
 熱にうなされ、鼻をまっ赤にしながら、静かにこれからを夢見て過ごす。



2001年12月28日(金) 読書の歓び、読書の不思議 ●シンドラーのリスト(S・スピルバーグ)

 昨夜ベッドを共にした折口信夫の「死者の書」は、美しい日本語に溢れていて、もう、筋を追うよりも、ただただ、目に飛び込んでは声なき音に変わっていく美しいことばたちと戯れ、楽しんだ。

 目が覚めると、部屋にはもう陽射しが溢れていて。そんな中で「若昼のきらきらしい景色」なんて言葉に触れると、日本語ってなんて自由で心地よいのだろう、と嬉しくなる。

***

 昨日の経験から、少し早めに家を出て、Book1stへ。書棚を飽かず眺めていて、また新しい作家と出会ってしまった。
 メイ・サートンというベルギーからアメリカに亡命した詩人、小説家。

「独り居の日記」という本は、混迷を極める社会と自分に疲れた筆者が、完璧な(彼女にとって)独居を始めた、その精神の証または礎として、書き続けられた日記。

 わたしはこのところ、もう目の前に迫った4ヶ月をどう過ごすかということに心囚われている。「生きてるだけで何かある。自由に赴くままに暮らせばいいのよ」と呟くわたしがいれば、「今のどうしようもない自分に課題と規律を与え、連続した時間が産み得る可能性を追求すべきだ」と叱咤する自分もいれば、「だらだらしてても何も産まれない、無理しても何も産まれない、自分にふさわしいやり方さえ、まだ分かっていなかったの?」などと囁く自分もいる。

 そんな時期のわたしに、「独り」であることを選んだ彼女のことばは、余りにも明快すぎて、余りにも複雑過ぎて、余りにも先を行っていて、読むのが辛くなるほど。ことばで生きる人が、ことばで自分を見つめようとする時、その作業に嘘がなく真摯なほど、ことばはそれこそ「独り」で歩き出すのかもしれない。
 
 どうしてこの本を目に留めてしまったのだろう? と、書物との出会いの不思議に、わたしはまた驚く。
 どうして、「どうしても今読んでおくべき本」に、こうして出会ってしまうんだろう?

 で、わたしの、この出会ったままで消えていく時間は、いつか何かに昇華するんだろうか?
 他人のことばをこんなに喜べるのなら、(自分の代弁者を様々に見いだせるのなら)自分で書く必要などないのでは?
 
・・・と、この書物との出会いは、今のわたしの心の揺れをいや増していくのだった。


 ああ。明日はマチソワだから早く寝ようと思っていたのに、またしても眠れない夜に。


2001年12月27日(木) そんな風に歩きたい ●生きる歓び(保坂和志)

 主演男優の楽屋入りは早い。毎日例外なく3時間前には入る。
 本日の劇場での1日は、彼らしく力の抜けた、
「あけましておめでとうございます。今年もよろしくー」という挨拶で始まった。実際、そんな気分だった。

 わたしはと云えば。
 罹っておる病にも関わらず、仕事場にくると快活で明るい。3日休んだ精神と肉体の余裕で、単に仕事が楽しいのか。それとも、職能として、元気なワタクシのヌイグルミを知らず知らずの内にかぶっておるのか。
 そこら辺が、自分でもよく分からない。


 劇場に向かう途中。渋谷にて。こんなことがあった。

 家賃を納めるために、劇場に向かう道の途中にある三井住友銀行へ。年末ゆえ、長蛇の列。頭の中には、「何時までに劇場入りし、その前にBook1stへ寄って、あの本とあの本を買って・・・」といった目算があったものだから、我が表情も渋くなる。
 引き出しだけという人はほとんどおらず、一人一人の時間がずいぶん長く、イライラしないように本を立ったまま読みながら待つ。目の前の進行状況が気になるものだから、あまり読み進まない。

 ようやく列の先頭に立つと、はす向かいの機械の前で往生していた20代くらいの女性が、振り返ってわたしを見つめ、何やら助けを求めている。Chinese系の顔立ち。
"May I hep you?" と、言葉ではなく目で合図を送ると、大きく首肯してみせる。

 仕方なく列を離れ、彼女の前の画面を見ると、「お取り扱いができません。営業時間内にお越し下さい」との表示。
「ああ、これくらいの日本語も読めないのに、機械相手に往生していたのね」と、下手くそな英語で説明してあげるが、彼女はどうも英語も駄目らしい。ただただ悲しそうな目でわたしを見つめ、「ダメ、デスカ?」を繰り返す。「明日、9時半から3時までの間にもう1度ここにくれば大丈夫」ということを、簡単な日本語と英語と、表情筋と指さし確認で説明すると、ようやく分かってくれたらしい。

 が。
(この時点で、わたしの後に並んでいた3人の人が何食わぬ顔して、空いた機械の前に移動していった。)
 彼女のたどただしい日本語によると、どうやら、キャッシュカードを呑み込まれたまま、この表示に行き着いてしまったらしい。

 それは困った! そういう時はまず係員、と、連絡用の受話器を取って事情を説明。
「もうすぐ係りの人が来てくれますから」と離れようとすると、彼女、めっちゃくちゃ心細そうな顔をする。
 続々と利用客の並び続ける列を振り返り、わたしは「うーん、仕方ない!」と心を決め、彼女の側で一緒に係員を待つことにする。

 これが、またまた、来ないのである。「今行きます」と云ったわりには、待たせることはなはだしい。
 もう一度受話器を取ると、「ああ、今行きますから」という返事。
 列は更新され続ける。

 ようやく、急いでいる風には見えない係員がやってきて、簡単に事情説明。この時には、彼女の縋るような視線は全面的に係員の方に移行していたので、わたしはホッとして彼女の元を離れた。

 行列をちょっと眺めて、「仕方ないか・・・」と、また列の最後尾に並ぼうとしていたら、今空いたばかりの機械の前に立ったおばさんが、
「前の方にいたでしょ? 先にどうぞ」と変わってくれた。


 こんなに長々と書く話だったかしら? と少し自嘲しながら、その時のことを思い出す。
 年末の、何もかもが慌ただしい街の一隅で。
 Chinese系の彼女に流れる時間、わたしの時間。

 少なくとも、使命を終えてもう一度列に並び直そうとした時、わたしはイライラしたり、うんざりしたりしていなかった。すごくニュートラルだった。
 わたし。今日1日の中で、その瞬間の自分がいちばん好ましかった。そうしたら、おばさんが、ちょっとした思いやりをみせてくれたり。

 あの時みたいな感覚で、街を歩きたいな、と、思ったりした。しばらく急ぎ足でしか歩いてないな、と、思った。


 長い休みを前にすると、それが自分にとってはあまりに非日常なので、あれこれあれこれと考える。
 生きてるだけで十分かもしれないのに、わたしはどういう風に生きよう? と、あれこれあれこれ考える。どうしたって、忙しい人なのであるなあ。


2001年12月26日(水) 軽度の罹病 ●デッド・ゾーン(S・キング)

 3日連続休演日も今日で終わり。

 演出家を囲む、プロデューサーたち主催の忘年会に誘われていた。1年間苦労を共にしたプロデューサー諸氏であるし、この演出家がいなければこんないい仕事させてもらえないぞといった感じの恩師ではあるが、行く気にどうしてもなれず、断ってしまった。

 もともとの宴会嫌いもあるが、そこで腹から喋ることのできない自分やら他人やらのことを思うと、例えそれが自分の将来に関わる政治的に大事な集いと分かっていても、駄目だった。

 わたしは相変わらずの馬鹿であることを立証した。


 読みかけのキングの最終頁を閉じてから、忘年会欠席の連絡。昨夜の遺産で食事。
 
 でも、その後の時間がどうも過ごし辛く。色々な意味で過ごし辛く。

 結局、何も、為さずに、時間を過ごした。

 それではどうにも眠れないので、日付が変わってから、映画を観ることにした。録画したまま未見だった「シンドラーのリスト」。多忙の余り映画を観る習慣がすっかり薄れ、ビデオを収納しているケースは押入の隅にあり、4分の1しか開いてくれず、それが一番手近の「未見」だった。

 部屋の明かりを消して、ビールを飲み、チーズのかけらを口に運び、煙草を吸いながら、観た。
 
 きっと、これを観た世界中の人と、ほぼ同じ思いに囚われて、部屋の明かりを再びつけた。

 幸福、不幸。富裕、貧困。戦時、平時。幸運、不運。誠実、不実。楽観、悲観。作り手、受け手。聖、俗。天然、人工。天国、地獄。生、死。
 
 暖かい部屋でわたしが受け取るものは、見方によって、あらゆる二元論を肯定するものであり、否定するものであり。

 確かなのは、錯綜する思いすべてが、作り手である自分に跳ね返ってくるということ。


 かつては、人が創ったものに何某かの思いを抱くと、明日の仕事への活力になった。それが今は、逆に今の仕事を疑ってかかる方へと向かう。

 わたしは、軽いやまいに罹っているらしい。

 今のところ、まだ処方箋もない。

 重かったら困るな。



 そんな1日だった。


2001年12月25日(火) 刹那の喜び

 金井美恵子という人が、「兎」という短編小説の冒頭で、
*書くということは、書かないということも含めて、書くということである以上、もう逃れようもなく、書くことは私の運命なのかもしれない*
 と、書いている。
  
 分かり易い言葉だ。

 今日は夕刻から先刻まで、時折しか会えない恋人と、我が家で過ごした。

 共に時間を過ごせて幸福だったあと、当然の如く、分かれ分かれになり、わたしは、電車の中で金井氏のその言葉を思い出していた。

 彼と「会う」約束をしている日は、それは朝からソワソワしたりするものだが、仕事に精を出さなければならない状況だったりなんだりで、常に彼のことを考えていられるわけではない。
 でも今日は。仕事が休みで。
 目が覚めて、起きて服を着替え、暖房をつけ、歯を磨いた時から、「彼と会う」ことだけを考えて過ごした。彼のために料理を作って待つという約束が、余計にわたしにそう思わせたのかもしれない。
 そして、幸福なことに約束が反故にされることもなく、彼の顔を見ながら食事をして、お酒を飲み。

 さっきまで二人でいた場所にこうして一人でいると。
 わたしにとっては、「一緒にいられない=会えない」ということも含めて「一緒にいる=会う」ということである以上、彼と「一緒にいたい」と願い、その時間を喜びとすることが、わたしの運命なのかもしれない、と、思えてくる。

 もっと、もっと、長い間、一緒にいたいと常に願う。
 会うたびに思うことだが、人は記憶だけでは生きていけない。喜びは基本的に、その刹那で終わるもの。
 記憶を再現して、幸せを反芻するために、人は様々な自己操作をするものの、基本はそう。
 だから、単純に、この人といるのはなんて幸せで気持ちの良いことなのだろうと喜びながら、この時間がもっと続けばいいと願う、その刹那は。
 そして、分かれ、次ぎに会うときのことを夢想する。「会えない」という形で、わたしの彼への愛情は続いていく。


 それは大変に苦しい愛情の形ではあるのだが、それでも、愛する人がいるということは、これはなんとも、いいこと。いいこと、だ。

 彼がさほど素敵ではなかったり、わたしへの興味を失ったり、という状況では、わたしは愛することに安住できないから。

 思えば思えば、幸せなこと。

 と、まあ、分かれ分かれの淋しさも。そんな風に。ひとりごちて。

***

 今の部屋に引っ越して、10ヶ月たつが、はじめて本格的な料理を作った。
 金に糸目をつけない買い物を楽しんで、渋めの音楽を聴きながら、楽しんで料理したら、出来たものすべてが美味しくって、食事中の会話はすべて、今まさに食べているもののことに終始した。
 これもまた、愛情とは別に、人生の喜びであった。


2001年12月24日(月) 自分を整理すること ●小説作法(S・キング)

 主演女優の都合により、実に例外的に、クリスマスをはさんで3日間の休演日。普通ならクリスマスだとか、ゴールデンウィークだとかは、働くことになっている業界なので、休んでいるのが妙な気持ち。その代わり、新年はすぐに仕事。
 とは云え、わたしを待ち受けているのは、来年1月中旬から4月に至る、長い長い休み。

 一昨年辺りから、余りも仕事が続きすぎて、自分の居場所がまったく分からなくなってしまった。常に常に、「ここにいていいのか?」という疑問がわたしを苛んで、現場が色褪せることもしばしば。例え求められる現場であっても、現実的にはそこが一番落ち着いた自分の仕事場でも、この手の疑問を持ち始めると、わたしは自分を小さな革命の中に追い込めたくなる。
 よって、意識的に仕事をいれるのをやめた。休むことにした。1年のほぼ3分の1を。果たしてそれで生活が成立するのかどうか知らないが、まあ、なんとかなるだろう。貧乏は我慢できるが、自分の居場所に落ち着きを持てないことには、我慢ができない。

 たった3日間の休みでも、何となく、その準備、といった気持ちで過ごしている。とにかく自分を整理することだ。今日は本棚を1台増やした。休みに入ったら、まず蔵書を整理し、自分が書物からどんな恩恵を得てきたかを思いだそう。
 読んできた本、見てきた映画、演劇。作ってきた演劇。愛してきた絵画、つきあってきた人々の横顔。これまで無駄にしてきた感慨、感興を、一度思いだして、整理して、先に進みたいと思っている。
 その時、わたしは何をやりたい人であるか?


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