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2001年10月31日(水) 自制心、まるでなし。

 昨夜、寝る前にちょっと、と始めたチェロの練習。実は、まだ弓をまともに持つことも出来なかったのだが、とあるフランス人の著した古い教則本を読んでいて、大変なヒントを発見。「こう持つのです」と教える前に、こんな風に弾きたい時、こうだといいでしょ? こうじゃないと困るでしょ? ってことを散文的に書いてくれている。
 それを読んでから弓を上げ下げしてみると、一瞬にして謎が解け、自分のチェロに対するよそよそしさがなくなった。
 よって、気持ちよくなり、開放弦を鳴らすだけでも心地よく、気がついたら5時間たっていた。朝、7時過ぎ。

 起きて大反省。さあ、仕事!と取りかかったが、夕暮れには恋人との食事にいそいそとお出かけ。会った時間が早かったので、珍しくたっぷり6時間くらいを共にする。
 チェロの話をしたら、「あなたほど自制心のない人もいないからねえ」と厳しいお言葉。わたしがしゅんとすると、「誉め言葉でもあるんだよ」とフォローしてくれたが、確かに、何かにつけて、後先考えず突っ走ってしまうのが、わたしの悪いところでもあり、良いところでもある。特に好きなこと楽しいことは、行くところまで行かないと気が済まない。

 別れた後は、いつも淋しい。そして、色気のない話だが、また仕事を始める。
 こうして、ちょっとした休憩に書いていても、「まずいまずい、間に合わない」とあせっていたりして。

 明日とあさっては、脇目もふらずに仕事をする。読書だの楽器だのデートだの散歩だのにたっぷり現を抜かしたバツである。


2001年10月30日(火) 欲することは山ほどあれど。

 4日が仕事はじめだから、あと休みは幾日で・・・と、自分の猶予日数を見据えつつ、仕事の準備と自らの欲することを配分して過ごしてきたが、そろそろ残りを指折り数える頃。このところ読書に興じていたので、あとはひたすらに仕事するしかないのかなあ。

 でも、どうしても「蝶の舌」は観ておきたいし(原作が素晴らしかった!)、休みの間にと買いためた本はまだあるし、ゆっくりとチェロの稽古もしたいし、横浜にトリエンナーレ見にいきたいし、まずいなあ、時間が・・・と思っていて、ハタと膝を打った。
「やだ! 10月って、30日まであるんじゃない!」
 今月が11月だと勘違いしていたわたしは、それだけで得した気分。そしてまた、やるべき仕事をちょいと先延ばしして、今夜も読書で夜は更けていく。 


2001年10月29日(月) 無為な休日の二つのことば。

 所用あって、自転車にて、川沿いのA公園を抜け、区役所まで行く。

 休みになると、いつも何故か必ず、この公園を自転車で走る機会がある。

 好きなんだな。
 今年の4月、現在の住まいに引っ越してきた大きな理由のひとつが、2分でこの公園にたどりつけるロケーションだった。

***
 
 ゆっくり行くと、色んな人が昼間からうろうろしてる。平日なのに。

 青年がトロンボーンの練習をしている。練習曲は「恋は水色」。
「こーいーはー、みーずーいーろー、そーらーとー、うみのーいーろー」
っていう、救いようのない歌詞の曲。何もそんな曲を選ばなくったって。

 嵐山光三郎似の草野球おじさんが、ストレッチをしながら川に遊ぶ鴨に見入っている。視線の先を見れば、褐色まだらの鴨たちに混じって、白い鴨。(鴨かどうかは不明だが。)

「恋は水色」を聴いた後のせいか、「白鳥は 悲しからずや 空の青 海の青にも 染まず漂う」って、若山牧水の短歌を思い出す。さて、曲をつけたのは誰であったか?
これって、小学校か中学校で名歌のひとつとして覚えた気がするけれど、牧水はよほどこの時、感傷的な気持ちであったのだろうね。

 青井陽二似の怪しげな男は、枯葉降る中、木々に向けてしきりにシャッターを切る。

「北風と太陽」に出てきた男のように、ひたすら忍耐のポーズで走るおじさん。

 この公園で友達になった丑之輔爺さんを探すが、いない。よく坐っていたベンチは空っぽ。かつてそこにいた姿を思い出すだけ。

 カラスの群れの、けたたましい水浴び。

 幸せなのだか、そうでないのか、あんまり読みとれないカップル。

 公園で猫おばさんに餌付けされた、たくさんの猫たち。

 ***

 薄着して、とろとろと移動していたものだから、帰ってきたら、いきなりクシュンクシュンと風邪気味。頭がぼうっとしてカラダがだるい。おまけにとっても寒い。

 仕方なく、銀座に出て映画を観る予定は延期して、新しい本を抱えてベッドに寝っ転がる。
 
 覚えておくべき言葉を発見。

 ひとつはミラン・クンデラ。

「詩とはあらゆる断言が真実となる領域のことである。詩人は昨日、”生は涙のように空しい”と書き、今日は”生は笑いのように楽しい”と書くが、いずれの場合も彼が正しいのである。今日彼は、”すべては沈黙のなかに終わり没する”と言い、、明日になると、”何事も終わらず、すべてが永久に響き渡る”と言うかもしれないが、その双方ともが本当なのである。詩人は何事も表明する必要はない。唯一の証明が感情の強さの中にあるのだから。抒情の真髄とは未経験の真髄のことである。」

 なるほど。若山牧水も然り。
 その強さの中に没することが・・・・・・云々と考えるうち、風邪薬が効いてきて、ぐっすり寝込む。

 仕事の電話で起こされた後、もう一つのことばを発見。

 この間、ちょっとした書き物で、引用したいのにちゃんと思い出せなかったことばの全貌が明らかに。

「ぼくは二十歳だった。それがひとの一生でいちばん美しい年齢だなどとだれにも言わせまい」

 こう書いたポール・ニザンは当時26歳。わたしは「言わせない」と覚えていたのに、この翻訳は「言わせまい」。随分印象が違うね。二十歳という年齢に対する距離感が、明らかに違う。

***

 とまあ、このように、休日は無駄に過ぎていく。

 それにしても、今日は寒かったなあ。


2001年10月28日(日) それでもわたしは育てるのだ。

 稽古が始まる前のプレ稽古。希望者のみが集まっての、読み合わせ。
 楽しくってたまらない時間。ひとつ仕事をする度に新しい出会い。共通言語があれば、その日から真剣に遊べる。人からお金を貰って、人を動かすための、遊び。
 もちろん、稽古が始まれば楽しいことだけじゃない。でも、今日は、ただっただ、楽しかったなあ。

 昨日はわたしにとって純然たる読書デーであったのか?
 そのつもりはなかったのに、川上弘美「センセイの鞄」を読み出したら、朝までかかって、通読してしまう。もうこれで3回目。断片的な読み直しを含めれば、もう何回読んだか。

 これだけは、ウダウダ言わず、「読んでください」とお奨めしたい。そこに書かれてあることが全て。批評を待たない作品。
 批評なんてしようものなら、あわあわと逃げていってしまいそうな、大切な言葉たち。

 ちょっと引用してしまおう。

*****************

「育てるから、育つんだよ」と、そういえば、亡くなった大叔母が生前にしばしば言っていた。(中略)
「恋情なんて、そんなもんさ」大叔母は、言ったものだ。
 大事な恋愛ならば、植木と同様、追肥やら雪吊りやらをして、手をつくすことが肝腎。そうでない恋愛ならば、適当に手を抜いて立ち枯れさせることが肝腎。
 大叔母は語呂合わせのように、そんなことを言い言いしていた。

*****************

 わたしは今、この恋情って奴を、かなりリキ入れて育てている。

 相手が忙しくって面倒みれないなら、構わない、わたしがお世話をしておく。どちらかが旅に出たりして、物理的に駄目な時も、同じこと。

 陽に灼かれようが、霜に降られようが。
 地割れが起きようが、爆弾が落ちようが。
 誰かに引っこ抜かれたって、しっかり育てりゃ根が残っているはずだし。
 また。
 葉が出て花が咲いて、グイグイと目に見えて育つ春もあれば、盛りと滅びの両方を思わせる夏があり。失って失って、感傷を誘う様のみ呈する秋もあれば、見えないところでその命の裾野を広げる冬もある。

 その季節、その季節、しっかりお世話をして、育てる。

 そういうことだよね? とか自分に言い言いして、過ごす。大変だけれど。

 大事業だ。
 
 それでもわたしは育てる。うーん、やっぱり色々大変なんだけれど。

 と、繰り言してる暇に、水をやろう。物事は実はとっても単純。きっと。


2001年10月27日(土) 「逃げてゆく愛」Bernhard Schlink

 わたしは今久々の連続OFF中なのである。今年初めて、2週間も休める。もちろん、その間、ちょこちょこ次の仕事の準備に出かけるので、遠出とか、そういうことは出来ない。また、先立つものもない。(先月、狂ったように、食事と、酒と、タクシーに浪費した。この人生で最も激しい金遣いだった。)

 目が覚めて、コーヒーをいれて、すぐにベルンハルト・シュリンクを読み始めた。ひとつ短篇を読み終える毎に、遅い朝食をとったり、メールチェックしてみたり、ぼうっとしてみたり、間隙をはさみながら、読み終えたら午後7時をまわっていた。

 わたしは40歳になったばっかりで、まだまだ若い。それでも、もうターニングポイントは越えている。すでに、誕生から伸びるベクトルとは180度違うベクトル上にいるわけだ。終わりに向かうベクトル。
 シュリンク氏の短篇は、警告に溢れている。終わる時を迎えるための、警告。氏の短篇は、痛みに溢れている。終わったことに苛まれての痛み。氏の短篇は、悔いに溢れている。取り戻せないことへの悔い。
 どうしようもない、逃げようもない現実に、登場人物は、ある時は汲々として、ある時は存在をかけて、対峙する。結果はいつも芳しくないが、読者であるわたしの中には
紛れもなく誰かが生きていたことの実感が残る。そして、つい我が身を思う。

 ***

 読み終えて、我が身を思ううち、知らず知らず時間が過ぎていった。
 よいのだ。休日なのだから。

 でも、気が小さいものだから、これから仕事を始めようとしている。
 でも、読書の余韻はまだ続いているので、一人でお酒を飲んでいる。
 本当は白ワインの気持ちなのに、なかったものだから、日本酒である。
 休日なのに、ここらへんが、ちょっと淋しかったりする。


2001年10月26日(金) 悲しくても、美味いものは美味い。

 眠ったのは朝7時。
 次の仕事のプロデューサーからの電話で目覚める。なんというか、どうでもいい話。
 仕事の資料ビデオを目覚めない頭で見た後、図書館へ。近所の、非常にドメスティックな、とるべき所のない図書館。それでも図書館は図書館、っていうような場所。

 恋人から電話があって、夕食に誘われる。
 いちばんのトピックは、近々パリにフランス語の勉強にいく、ということ。それをいきなり申し訳なさそうに話すので、問うてみたら、奥様もご同行、ということなのであった。
昨夜ベルンハルト・シュリンクの短篇を読んでからメンタリティーの弱っているわたしは、突如予期せぬ涙腺の緩みまくり攻撃に襲われ、必死になって言い訳する。「あなたのことだけで短絡的に泣いているのではない」ということを。
 実際それだけではない。それだけで泣けるのだったら、この年になってこんなにストレートな恋などしない。でも、火をつけたのは、紛れもなく目の前の恋人だったので、わたし自身がいちばん困っていた。
 
 お気に入りの、賑やかで庶民的なイタリア料理店は、今宵も感動的にうまい料理を出してくれ、確かに泣いてはいたけれど、パンを追加して皿のソースを余さず拭うことだけは忘れなかった。
 会話がなかなか続かなかった夕餉だったけれど、少なくとも、「美味しい!」と感動を目と目で交わすことで、時間が過ぎていった。
 美味しい料理は、偉大。供してくれた料理人たちは、もっと偉大。

 わたしたちは、美味しい食事とお酒をともにした喜びを携えて、分かれに分かれに帰途についた。
 自分はなんとたくましい女なのだと、我ながら感動しながら、帰りの電車の中でシュリンク氏の次の短篇を読み、引き込まれ、電車を乗り過ごした。

 家にたどり着いてみたら、思いがけず酔っていた。
 一人でワイン1本飲めば、そりゃあ、そこそこには酔うわよね。
 
 それにまあ、こんな下らない個人的なことを、こうして書いているということだけでも、わたしは元気になった、ということだ。

 とりあえず、眠ったら、また明日がやってくるのだものな。


2001年10月25日(木) 変化。

●9月10日以降、変わったこと。(順不同)

・40歳になった。
・40歳になったら、40の手習いとして楽器をひとつ始めようと思っていたので、チェ ロを買った。
・仕事をひとつ終え、新しい仕事が始まった。
・終えた仕事の中で、新しい信頼関係が生まれた。
・わたしを恋人と信じていた人を、いたく傷つけた。
・わたしが恋人と呼び続けてきた人と、かつてない濃密な時間を過ごし続けた。
・牛肉を食する時の周囲の意識が変わった。(わたしは変わらない)
・ある友人たちのわたしへの評価が仕事ぶりで変わった。(自分自身の評価は変わらな い)
・十数冊の新しい本を買い、読んだ。
・Django Reinhardtのギターが突然好きになった。
・奈良美智の絵が突然好きになった。
・体重が500グラムだけ減った。
・テロ事件が起こり、報復としての戦争が始まった。
・仕事をする時に使う「リアリティー」という言葉の意味が変わった。
・深夜の鬱状態(人には気取られない程度の)から立ち直った。
・冷房を暖房に切り替えた。
・9月10日現在より、剥き出しの不安が減った。

●本日なしたこと。
・午後からの仕事のために半徹した。
・2週間ベランダに貯め込んでいた燃えるごみを捨てた。
・劇場に赴き、新しい人と出会い、読み合わせをした。
・奈良美智の日記を購入し、読んだ。とてもいい。
・CD-RWを衝動買いし、繋ぐとMacがフリーズを繰り返すので、押入にしまった。
・読みかけだった藤田宜永「愛の領分」を読了。最悪。すぐにも古本屋に持っていこう と心に決めた。
・恋人からの短いメールを受け取り、長い返信を書いた。
・ベルンハルト・シュリンク(「朗読者」の著者)の短編集から1篇を読む。自分の抱 え持つ不安と痛みが倍増し、泣く。不安に苛まれたのに、このWEB日記を再開しよう と決めた。それは多分、不安を与えたのが、同じ血の巡りと内臓を持つ著者の「作  品」だったから。または、自分がその不安を、仕事の原動力としてようやく認識し直 せたから。
・久々に、人が読むかも知れない日記を書いている。


 きっとこのまま眠れなくなって、朝がきて、2週間貯め込んだ燃えないごみを捨て、それでも眠れなくて、わたしはベルンハルト・シュリンクの次の1篇を繰り始めるんだろう。
 誕生日にチェロを買ったものの、余りの忙しさと終えたばかりの仕事の疲れで、まだ出会っていない。他人行儀に置いてある。
 目覚ましをかけないで眠って、起きたら初めて弾いてみよう。
 
 何があっても、絶望しない。
 このHPの扉に引用した言葉を、わたしは長らく忘れていた。
「絶望もなく、希望もなく、わたしは毎日少しずつ書きます」  I・ディネーセン


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