人生の午後に書く日記

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ヤングマン
2018年05月31日(木)

秀樹の「ヤングマン」が出た当時、確か若い人たちの自殺が流行っていて、それであのような歌詞がついたのだという記憶が蘇ってきた。校内暴力なんかもあって、決して多くの人が幸せな時代じゃなかった。「ヤングマン」でレコード大賞をジュディオングの「魅せられて」と競っていて、賞がオングに決まった時、秀樹は彼女をエスコートして壇上に送った。あの優しさはあの時だけのことじゃなかったんだな。秀樹は根っからああいう人だったんだ。今更、ファンでいたことが誇らしく思える。




秀樹、お疲れさまでした。
2018年05月26日(土)

小学生の頃から秀樹のファンで、彼の魅力はよくわかっていたつもりだったけど、彼がこんなにも愛されていたことは知らなかった。交友関係があまりに広く、それも広く浅くじゃなくて、一人ひとりと深い心の繋がりを持っていた人なんだと思う。さらに誰も秀樹を悪く言わないどころか、口々に「優しい人だった」と言っている。そんな人っているだろうか? そして、こんなに惜しまれて亡くなった人を私は他に知らない。西城秀樹はほんとの意味でのスターであり奇跡だったのだと今更に気づかされた。

秀樹、素晴らしい人生だったね !  天国でゆっくり休んでください。
私の人生に思い出をくれてありがとう !



秀樹ロスです
2018年05月24日(木)

坂上忍の秀樹の番組見た。こういう時だからこそ、家族の話を聞いてくれる番組は決して不謹慎ではないと思う。奥さま、話ができたことで少し気がラクになったのではないでしょうか? そして奥さま、意外なほど普通の人に見えて、この方が芸能界の大スターと結婚していたということがとても不思議なことに感じられた。秀樹が走れるようになりたいという理由が子供とサッカーをしたいとかそんなことを聞いたけどそうでもないようで、嫌味なことをいう子供を追いかけて叱りたいからだというのを聞いて、家族なんてそんなものだよなーと納得。奥さまはこれから寂しくなるのかもしれないけど、一方で開放感も味わう気がする。それには罪悪感を感じる必要なんてなくてとても自然なことと思う。そうなったらまたその生活を楽しんでもらいたいな。

秀樹ロス。確かにそんな感じ。秀樹の歌を聴いていると沢山の思い出が蘇ってくる。私のしょうもない人生に関わってくれた西城秀樹にありがとうと伝えたい。


秀樹、ありがとう !
2018年05月17日(木)

今日がこんな日になるなんて・・・。私は子供の頃、秀樹のファンでした。もしかしたらはじめて好きになった男の人だったかもしれない。机の上にポスターを貼っていました。あの頃は歌唱力とかはよくわからなくて、とにかくカッコいい、野性的な感じ、そんなものに幼いながらに惹かれていました。特にジャガーが好きで、何度もテレビにテープレコーダーを近づけて録音したものです。あの衣装もめっちゃカッコよかった ! 背中が大きくあいてて、お尻が見えそうで見えない、秀樹の他に誰にも着こなせない衣装が今も記憶に残っています。

さっき、誰かがアップした全員集合の時のマット運動の映像を見たら、秀樹が抜群の運動能力を見せつけていました。加藤茶、志村、高木ブー、細川たかし、ジュリー・・。こんなメンバーの中で、秀樹が最初に死んでしまうなんて誰が思っただろう?  神の采配は残酷。

秀樹のCDをかけて私も熱唱で追悼。秀樹、いろんな思い出をありがとうね。忘れないから。


銀二貫くんがいい !
2018年05月13日(日)

NHKアニメ「ピアノの森」にはまってコミック全巻図書館借りで読破するつもりです。調べると私しか予約している人がいない。ピアノ弾かない人はやっぱり興味ないのかしら? でも少女漫画じゃないせいか、主人公のカイくんがあまりカッコよく描かれていない気がするんだけど? あり得ないけど同じストーリーで昔のくらもちふさこに絵を描いてほしかった。カイくん、ショパンコンクールでワルツの8番を選んだようで、私もトライしてみようかなと思ってるところ。腱鞘炎気味です。

「おっさんずラブ」にもはまってます。ケータイ大喜利が終わって土曜の夜に笑えなくなってしまったので、大いに笑わせてもらってほんとに有難いです。銀二貫に出てた人、いい演技いいする人なのですね。




REDがreマイブーム
2018年05月07日(月)

最近、杉咲花さんのことから始まって、またレッドウォリアーズにはまっているのです。当時私はファンクラブに入ってて、八王子、西武球場、長野市民会館、ラスト武道館、など追いかけてました。今改めて聴いてみて、ユカイくんの圧倒的な歌唱力と、シャケのソングライターとしての才能に驚かされてしまう。ロックをやっていると「連中」呼ばわりされてしまうけど、あの方々は紛れもなく素晴らしい音楽家集団だったとつくづく思う今なのだ。もう30年前。苦しいこともたくさんあったけど、いい時だったなぁ・・。






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