おひさまの日記
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2010年10月31日(日) 知ってるよ

他の人が見たら、

「あの人ひどいよね」

そんなことをしてしまった自分。

でもね、その行為の陰にあるあなたの大切な心、知ってるよ。

後悔していたり、
反省していたり、
それどころじゃなくてそうなってしまったり、
相手のためを思って厳しくしていたり、
そんなつもりじゃなかったり、
本当はそうしたいんじゃなかったり…

本当の心が隠れてるね。

知ってるから。
人になんと言われても、
誰もわかってくれなくても、
知ってるから。

あなたは本当はやさしい人なんだ。
あなたは本当は素敵な人なんだ。

ひとりじゃないよ。


2010年10月29日(金) 目に見えないラッキー

ピンと来ていつもと違う道を行ってみたら、
思わぬラッキーなことがあった、なんて、よく聞く話。
そして、確かにそう言うことがあると思う。

そんな話をしていた時、友達が、

「ピンと来てそっちに行ったこと何度もあるけど、
 なんにもいいことなかった」

と話していたのを聞いて、こう言った。

「なんにもなくてラッキーかもよ。
 もしかして、いつもの道を行っていたら、
 何かのトラブルに巻き込まれたかもしれないし、
 事故にあっていたかもしれない。 
 何もなかったってことは、
 逆に無事でいられたってことかもしれないよ」

ツイてる!いいことあった!って感じられること、
そういう目に見えるラッキーはすぐにラッキーだとわかる。

でも、そういう目に見えないラッキーもある。
上の会話の話もそうだし。

よくよく考えれば、空からミサイルが振ってくるわけでもなく、
平和に暮らしてて、寝るところがあり、食べるものがあり、
お風呂に入れて、歯が磨けて、布団に寝られて、安く医者にかかれて、
携帯電話持ってて、ネットもできて、
それが日本人にとってはごく普通のことなんだけど、本当は普通じゃない。

どんだけありがたく素晴らしいことか。

色々あるけど、それが一体自分にとってどういうものなのかということは、
後になってわかる。

あの体験があったから、今、私は…って。

そう思うと、過去にアンラッキーだったことって、ひとつもないように思う。
万事塞翁が馬のように、ひとつの出来事は次の何かにつながり、
またそれは次の何かにつながり、私達の人生を織り成している。
細切れにするとつらい体験も、振り返ると、
それがあったからこその今に気づくことが多い。

目に見えないラッキーが人生には満ちあふれている。

上がったり、下がったり、悲喜こもごもの人生を送りながらも、
私達は宇宙に育まれているんだなぁって感じる。

その、目に見えないラッキーに、

「あああっ!!!」

って気づく瞬間がある。それは、きっと、誰にでも。

その時人は、見えない神様の愛と宇宙の法則を、
理屈抜きで感じるのかもしれない。


2010年10月28日(木) あなたが喜ぶなら

知る人はもう知っているであろうヒラキで、
母親に、寝る時に肩に羽織るフリースの肩当てを買ってやった。

自分の買い物のついでにね。
おかあたま、冬は寝る時に首と肩が冷えると言って
タオルを首に巻いて寝るから。
ホント、何の気なしにね。
380円だし。

そうしたら、すごく喜んでくれたんだ。
普段そんな笑顔しないでしょ、ってほど、顔をしわしわくちゃくちゃにして、
肩当てをさすりながら。

それを見て驚いたの。
なんでこんなに喜ぶんだろう、って。
たったこれだけのことで、って。

そんな母を見て泣きそうになった。
うれしかった。自分がしたことでこんなに喜んでもらえるってことが。
自分のした何かで誰かが喜ぶってこんなにうれしいんだ…

そんな時、ふと、ある人の言葉を思い出した。



「厳しいことを言います。
 あなたは自分のエネルギーを自分のためだけに使っています。
 私は、私は、
 私が、私が、
 自己卑下、自己憐憫、
 何もかもが自分のためなのです。
 そのエネルギーを人のために使ってください。
 あれこれ考える時間がなくなるほど、
 そのために忙しくしてください」



私はその言葉の意味がやっとわかったような気がした。
その言葉を受け取ってから2年以上経っていた。

その言葉を受け取った時、
「自己卑下」と「自己憐憫」については、イタタ、ああ、やっちゃってるよね、って思った。

でも、正直、「エネルギーを人のために使う」という言葉から
滅私奉公のような印象を受けて、まっすぐ受け取れなかった。

まず自分が幸せでいることが大切なんじゃないかな、
楽しくワクワク生きていれば自然に周りの人を幸せにすることもできるんじゃないかな、
自分を捨ててまですべてのエネルギーを人に使うのはどうなんだろう?
そう思った。

そして、いつしかその言葉のことは忘れていった。



私はここしばらく、自分の在り方や、自分の生き方について、色々考えていた。
悶々と。
何をしても満たされることがなくて、心が迷子になっているような、
そんな感覚と一緒に過ごしてきた。

好きなことをしよう、ワクワクすることをしよう、そう思って、
自分が好きなこと、ワクワクすることをやってきたつもりだった。

ところが、私の心は満たされることなく、むしろ、どんどん枯渇してゆく。
好きなことも、ワクワクすることも、やっているうちに苦痛に変わってゆく。
そのうちに、自分が何が好きなのか、何に対してワクワクするのか、わからなくなった。
そして、何をしたらいいのかわからなくなった。すべて投げ出したくなった。

欠乏感だけが私の中で肥大していって、
特にこれと言ってイヤなことがあったわけでもないのに、
悲しくて悲しくて、昼間ひとりになると泣いていた。

ひとつだけわかっていたのは、
今の生き方が自分の望んでいるものからはほど遠いということ。



でも、母が肩当てをもらって大喜びするのを見て、理屈抜きに思った。

「ああ、これだ…」

って。

うれしかったの。
幸せだったの。
おひさまが私の胸の中で輝いているみたいに、
私の世界は光でいっぱいになったの。

私は私に対して何もしなかった。
したのは母に肩当てを買うという外への働きかけだけ。

けれど、ここ最近、自分が好きだと思っていることや
ワクワクすると思っていることをしている時より、
うんと、うんと、うれしくて幸せだった。

そして、こういう感覚が欲しいんだと思った。
自分がしたことで誰かが喜ぶ、それこそが、今の自分のワクワクだと思った。

そして、上の言葉を思い出したのだった。



私は一生懸命好きなことをして生きようとしていた。
そして、郵便局でパートをしていた頃よりは楽になった。

でも、今思うと、それは、楽になったと言うよりは、
郵便局で苦痛に感じていた色々なことがなくなって、
それから逃れられたという感じだった。
じゃあ楽しくてワクワクするような毎日を送っていたのかと言うと、
それもまた違う。
なんとなく、ただ過ぎていく日々の中に浮かんでいた、そんな感じ。

私はこれが好きなんだ、
そう思ってることを色々やってみても、
何かが違うような気がして仕方なかった。

「おかしいな、好きなこと、ワクワクすること、
 やってるはずなのに何かが違う、何が違うの?」

そんな問いが常に心の中にあった。
そして、それが続くうちに、違和感がどんどん大きくなり、
空しさだけがつのっていった。



今ならぼんやりとだけどわかる気がする。

私は自分のエネルギーを自分のためだけに使っていた。

私がうれしく楽しくなるために、
私が幸せになるために、
私が豊かになるために、
私が、私が、私が…

私は好きなことをしている、
私はワクワクすることをしている、
私は自分の心に正直に生きている、
私は、私は、私は…

自分にエネルギーを使うのはいけないことじゃない。
でも、ちょっと間違っていたと思う。

ワクワクすることをして生きる、それを提唱する「ソース」、
そのワークショップに参加したのが8月、
その時に改めて「ソース」の本を読んだんだけど、
その最後の方にこんなくだりがあって、心に残った。

「自分がワクワクすることをして幸せになるように伝えてきたけれど、
 それは、実は、最終的には人のために何かをするということです。
 ワクワクすること自体が人や社会への貢献です。
 そこに辿り着いて人は真の幸せを見いだすことができます」

というような言葉だった。
私が読んで受け取った内容を言葉にしたので、原文の通りではないけれど。

ワクワクを実践して生きようと、ある意味血眼になっていた私。
けれど、ちっともワクワクしなかった(爆)
私の毎日は、せまい牢屋の中で鉄格子の小さい窓から青い空を眺めるような、
そんな毎日だった。
ただただ空しくさびしいものだった。

私は、ワクワクを実践するということの、
上っ面だけをなぞっていたのかもしれない。
そしてやっている気になっていたのかもしれない。
好き勝手やるという、ある意味間違った方向に進んでいたのかもしれない。
そんな気がする
だから何をやってもうまくいかず、満たされることがなかったのでは…と。

そう、自分が幸せになれば周りの人も幸せにできる、
じゃなく、私が幸せになればそれでいいのよ、って。
まさに自分のエネルギーを自分のためだけに使っていた。



こうした気づきは、ある瞬間突然訪れる。
ここにこうしてズラズラ書いているけれど、それを一瞬にして理解した。
今までバラバラだった色々なことが瞬時にひとつになる。
時には何年も前の出来事も。



「そのエネルギーを人のために使ってください」

その言葉の意味もなんだかわかった気がした。
それは、滅私奉公じゃなく、
ただ純粋に、人の役に立つことに、人に喜んでもらえることに、使う、
そういうことなんだな、って。
自分を犠牲にするのではなく、自分ができること、自分だからできることで。
そして、それはワクワクすることでもあるんだな、って。

今までは、ワクワクすることって自分が基準で、
自分が満たされることだと思っていた。

けれど、喜ぶ母を見て、人が喜ぶこともまた自分の喜びなのだと、あらためて感じた。
これまでも数えきれないほどそう感じてきたはずだ。
人が喜んでくれるとうれしい、って。
でも、ここまで腑に落ちてなかった。

自分を殺して、相手の機嫌を取ろうとか、相手の愛を手に入れようとか、
そんな犠牲や打算のあるものではなく、
純粋に、自分がしたいと思うことをすることで、
もし誰かの役に立ったり、誰かの喜びを作り出せたりしたら、
それほど素晴らしいことはないんじゃないだろうか、そんなふうに思った。

人間だから、喜んでもらえないとがっかりしたり、
どこかで見返りを期待したり、
そういうことはゼロにはならないかもしれない。

でも、喜ばせるためにする、と言うよりは、
喜んでもらえるかもしれない、自分がそれをしたいからする、
そういうスタンス、そんな感じがいいんだな、そう思う。

そして、その大前提として、
ここで初めて、好きなことやワクワクすることをするというのがで出てくる。

友達の誕生日にカードを送ることがワクワクするなら、それをする
電車でお年寄りに席を譲ることが自分の喜びなら、それをする。
誰も見ていない道端にゴミが落ちているのを拾うのが自分の意志なら、それをする。

自分のワクワクや喜び、気持ちや意思がそれをしたいと望むことを、する。

人によってワクワクや喜びは違う。
時にワクワクは自己中心的なものに見えることもあるかもしれないけれど、
私がはき違えていたようなことさえなければ、
基本、自分がワクワクすることは必然的に誰かに何かを与えるものになる。

それが、わかった、やっと、わかった。
喜びや幸せはひとりでは成り立たないんだね。
わかってたのに、わかってなかったよ。



ステージが変わったのかもしれない。

昔、なんでもかんでもうまくいっていて、
大好きなことばかりして過ごしていた頃は、今よりもきっと未熟だった。
でも、うまくいっていた。
そして、そのやり方がいいんだと思って、
私はずっとそういう生き方をしてきた。
けれど、同じように生きているつもりが、
どうも空回りするようなことばかり続くようになった。

昔の私は素晴らしかったのに、うだつの上がらない今は全然ダメだ、
そう思うことがよくあった。

でも、今はこう思う。
さらに人間としてステップアップするために、
さらに大切なことを学んで成長しようとしているのかもしれない、と。

春には花がたくさん咲くけれど、
冬の間、その花の種や株は土の中で眠っている。
花が咲く気配さえ一切なく、そこにはただの冷たい土くれだけがある。
あたたかい日差しの季節がやってくるなんて想像もできないような、
美しい花が咲くなんて考えも及ばないような、そんな時間。
けれど、その間に土の中では確実に命が育まれている。
その時間なくして花は咲くことができない。

きっと、私は、今まで、そんな冷たい土くれの中にいたんだと思うようにした。
ダメなんじゃない、おかしくなったんじゃない、
そんな時間の中で起こるあらゆることから、
そんな時間の中で感じるあらゆることから、
次のステージへ行くために必要なものに自分で気づいていくために、
まるで冬のような毎日の中過ごしていたんだなぁって。



あなたの夢はなんですか?
そう尋ねられたら、私はこう答える。

「わかりません」

そして、こう付け足す。

「でも、心が望むことをします」

その第一歩として、お店でお会計をする時に、レジの人にめいっぱいの笑顔で、

「お世話様でした、ありがとうございます」

と言うことから始めた。
小さな、小さな、でも、うれしい一歩。



心が望むこと、それは、自分のエネルギーを人のために使うことだった。
犠牲やガマンの上に成り立つような滅私奉公ではなく、
自分のワクワクや喜びを媒体として。

自分の中にそんな思いが芽生えた時、
いつも心にこびりついていた重たいものはもうなかった。

何年もかけて集めた人生パズルの無数のピースが、
パチンとそれぞれの場所にはまってひとつの絵を見せてくれた。

それは、私が笑っている絵だった。

あなたが喜ぶなら、私も笑うのです。


2010年10月27日(水) ひとせら -今すぐあなたを元気にするひとことセラピー-

人生には、この人に出会えたから今の自分がある、そんな人がいる。

そんな私の大好きな人のひとり、セラピスト山志多みずゑさん。
実は彼女が本を出版したの!
今日はそのご紹介です。

どんどんどんどん、ぱーふー、ぱーふー!
( ̄▽ ̄)

彼女のメルマガ「ひとことせらぴぃ」、それが本になったというわけで。
このメルマガ、略して「ひとせら」、前にもおひさまで紹介したけれど、
軽快な江戸弁の語り口、ハッと気づかせてもらえて、心にしみる、
とっても素敵なメルマガです。

言葉だけでこんなに人の心を動かせるなんて、
それはみずゑさんが人間としてどんだけ素敵かってことだと思うんだ。
実際お会いしたこともあるけれど、
それはそれはあったかくて、人間くさくて、涙もろくて、
どんだけ人のために力を尽くす人なんだと、言葉を失うほどだった。

「ひとせら」は毎朝届く。
それを読んで1日をスタートさせるのが日課。
まさに読むサプリ。
痛いところに届く、
目をそらしていたものを直視させられる、
大切なことを思い出させられる、
何度泣いちゃったことか…


**********


なんで私は
あのひとみたいに
テキパキこなせないんだろ…

なんで俺は
いつまで経っても
決断出来ずにうだうだしてんだろ…
アイツはもう
あんなとこまで行っちまった

なんでアタシは

なんで僕は

なんででしょ?(笑)

あなたは

「あのひと」や「アイツ」にゃあ なれないんっすよ(爆)

いや…
もちろん能力がナイとかってぇんじゃなくてね

あなたには
あなたにしか出来ないコトがあって

あなたにしか
与えられない能力があって

あなたに
ちょうどいい階段もあって ね

ぜんぶ あなたにちょうどよく
なってるんっすから…

あのひとや「アイツ」と
比べたりなんかしても
何にもなりゃあしやせんぜ(笑)

あなたが 今出来る
最高のもんを
やりゃぁイイんすよ…

どうせ 比べるんなら
「昨日の」あなたと
「一ヶ月前の」あなたと
「一年前の」あなたと
比べてみてくださいまし

あなたは
あん時のあなたより
必ず 「よく」なってるじゃぁありませんか!


**********


足りない…
まだ足りない

○○になれば幸せになれるのに
○○があれば
○○すれば

(笑)

「足りない」と思ってばっかいると
ますます 「足りない」状況から抜け出せなくなっちまいやす(汗)

実は今 あなたは かなり
『足りてる』んっすよ!!!

回りを見回してくださいまし

いろんなモンがあるじゃないっすか!
いろんなひとが
居てくれるじゃないっすか!
こうしてメールを読める「何か」を持ってる(笑)!

何より

あなたは今
メールを読めるコトが出来てる

生きてるっ!!!

大丈夫 だいじょぶ

生きてりゃ
何だって出来ますって!


**********


こんなんがねぇ、毎日届くんすよ(みずゑさん口調・笑)

まさに、ひとことせらぴぃ、
そんな言葉の魔法がぎっしり詰まった本ができちゃった。
しかも持ち歩けるサイズ。

きれいごと抜きの、真正直人間の、あったかいメッセージ、
ひとりでも多くの方に読んでほしくて、ここで紹介させていただきます。

「ひとせら」
今すぐあなたを元気にするひとことセラピー
著者・山志多みずゑ


この本のご購入は今日27日と明日28日、Amazonで行われている、ひとせらのキャンペーン、
天存祭(アマゾンサイ)で。
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【ひとせら 天存祭】絶賛開催中!
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天存祭っていうネーミングがみずゑさんらしくていいなぁ。

もちろん、本屋さんでも買えるけど、
実は、このキャンペーンで購入すると、うれし過ぎる特典がついてくるんだ。
ええっ、それってセッション受けるのと同じくらいパワフルな特典じゃないか、と驚き。

私も天存祭でひとせらを買います。
キャンペーンの時に買うと特典がつくのを知っていたので、
発売しても買わずにガマンしてたという(笑)



いやぁね、もう、ホント、スゴクいいです、ひとせら。

そうそう、メルマガもぜひ読んでみてね。
ひとことせらぴぃ -ほらね元気でたじゃん♪-



これから私も天存祭で「ひとせら」買ってきまーす♪


2010年10月26日(火) ばいばい、食品添加物 2

前回の記事に続き、簡単に楽しく食品添加物を避けるって話。

食品添加物はこわいから避ける、そこに意識を持っていくと、
それはとても重くて暗いテーマになるけれど、
自分と、自分の大切な人の体を守る、みんなで健康に楽しく暮らす、
っていう方に意識を持っていくと、同じことをするのに全然気持ちが違う。

それが、楽しく簡単に食品添加物を避ける方法。
もう楽しんじゃう。
そして、そうじゃない人を裁かない。



講演会に参加して勉強し、食品添加物はコワイ、だから避けよう、そう考えた時、

「何も買えなくなっちゃうんじゃないの?」

「食品添加物を避けることでナーバスになって、
 ストレスたまっちゃうんじゃないの?」

そんな考えが頭をよぎった。

でも、食品添加物がどれだけ人体に害を与えるのかを知ってしまうと、
いわば、毒を自ら口にするのと同じ。
ただ、すぐに体に変化がないから実感していないだけで、
私達の体には食品添加物が少しずつ蓄積されて確実にコワイことになっている。

悲しいかな動物実験の話では、
目をふさぎたくなるような結果がたくさん出ている。
人間にはすぐに出ないけれど、動物にはすぐに出る食品添加物の害。
それはいつか私達が体験することなのだ。

海外じゃそうした食品添加物が人体に害を与えるということで
法律で使用禁止になってる国もあるのに、
日本はオッケーというこの不思議;


(((((( ;゚Д゚)))))ガクガクブルブル…


こうなったら消費者であるあたくしが賢くなるしかない!

まずは、アンナと一緒に食品添加物の入っていないものを買う試みを。

スーパーでいつも手にするものをひっくり返して裏のラベルを見てみる。
「原材料名」のところ。
ほとんどがヤバいものてんこ盛り。
今までこんなの食べてたんだねぇ、と失笑。

次に、食品添加物の入っていないものを探すゲーム。
ふたりで競うように手に取ったものをひっくり返しては原材料名をチェック(笑)

色々見てみるとねぇ、食品添加物が入ってないものも結構あるんだよ。
そのうち入ってないものを見つけるのが楽しくなってきて、
12歳VS43歳の熱い戦いが繰り広げられる。
見つけるとお互いに駆け寄って自慢げに見せ合い、ほくそえむ。
そしてその中から買うものを選ぶ。

なんかお宝探しみたいで楽しい♪

安心安全な食べ物を見つけると、
そう、アイスを食べ終わって棒に「当たり」って書いてあった時みたいな、
あのやった!って気分。
アイスに添加物は…とか、たとえ話のここでは言いっこなし(笑)

ぜひぜひ、無添加食品探しゲームやってみて。
自然食品の店に行くんじゃなくて、普通のスーパーでやるから面白いんだよね。
急に生活を変えるんじゃなくてさ。

それまでは値段で買うものを決めていたけれど、
その日は質で買うものを決めた。
安いものほど食品添加物はもりだくさんの傾向が。
入っていないものは入っていないからそれなりの値段なんだと納得。

選んで買うからやみくもにカゴにものを放り込むこともしない。
安いから買っておこう、なんてこともなくなる。
そう考えると、安心安全なものをしっかり選んで買うってのは、
実は高い買い物にはならないと感じた。

まあ、簡単に言うと、レトルト食品は大体入ってるよね。
お手軽で大好きだったものも実態を知ってしまうと手が伸びない。

となると、手間をかけて何かを作るってことになる。

でも、安全な食事を作ってるっていう自覚があるので、
なぜかめんどうくささがないんだよね、不思議。
むしろ楽しいと言うか。

つか、簡単なものしか作らないんだけど(笑)

そして、安心安全だと思えるごはんを、
家族がおいしいって食べているのを見るとすごく嬉しくて幸せ。
レトルトでささっと済ませる時より、
うんと食事の準備も楽しいから面白いよね。
食事を作るということに新しい意義を感じたからだと思うよ。

そう、そうなんだ。

今までなんとなくルーティンワークでしていた食事の支度が、
意義のあるものになったんだ、私にとって。
自分と、自分の大切な人達の体を守るという意義。だから、楽しくて嬉しくなった。



食品添加物にばいばいすると決めた私と、
そんな私に巻き込まれた我が家だけど、

「でも、時々カップラーメン食べようね。
 じゃがりこもね」

と、アンナとこそっと話すのだった(笑)

完璧に100%食品添加物を排除すると意気込んだらきっと疲れてしまう。
ますはできるところから。
そして、それをどんどん広げていこうと思う。
今日だってスナックちょっと菓子食べちゃったしね ( ̄▽ ̄)

私の食品添加物の知識はまだまだ赤ちゃん。
これから勉強、勉強。

つーことで、阿部先生の本、ぜひ読んでみてね。
詳しくはそちらで(笑)

「食品の裏側―みんな大好きな食品添加物」
「なにを食べたらいいの?」

人間の体は食べたもので作られる。
食べ物が体そのものになる。
だから、体が喜ぶものを取り入れていきたいとしみじみ思うよ。

普段、黙って自分のために頑張ってくれてる体だから、
感謝といたわりの気持ちを込めて、
そして、今までごめんねの気持ちを込めて、
よちよちながら、ばいばい、食品添加物。


2010年10月25日(月) ばいばい、食品添加物

少し前、アンナの学校で、食品添加物についての講演会があり、
ママ友と一緒に参加してきた。

講師は
「食品の裏側ーみんな大好き食品添加物」
「何を食べたらいいの?」の著者、阿部司先生。
阿部さんは、かつて食品添加物専門商社に勤めていたそうで、
その知識は「食品添加物の神様」と呼ばれるほど。

それが、ある日、家に帰ると、
娘さんが自分の作った食品添加物だらけのミートボールを
おいしいと喜んで食べる姿を見て、ハッと我に帰り、
翌日会社に辞表を出したのだという。

私はまずその話で猛烈に感動。

そして、それからは、
食品添加物の危険性を人に伝えるための活動に専念していらっしゃる。
とっても気さくで冗談まじりに楽しいトークをしてくださった。



小難しい話はさておき。

阿部先生が持参したのは、数十種類の添加物が入ったビン。
そして、私達の目の前で、水と持ってきた食品添加物で、
あらゆるものをどんどん作っていったのだ。

まず、ジュース。

○○レモン、ファイ○ミニ、メロンソーダ。
試飲させてもらうと…きゃーっ、ホントだ、その味そのもの(笑)
水と食品添加物で作ったのに!
しかも、元は一緒で、途中から色や味を変えるための添加物を入れただけ(爆)
ビタミンCさえ合成の添加物、ゾゾゾ…。
ファミレスのドリンクバーはこういうジュースを
機械の中で自動生成して出るようにしているところもいっぱいあるとか。

次によくある食品。

マーガリン、イチゴクリーム、コーヒーミルク。
乳化剤、増粘多糖類、もりもり入れてとろんとさせる。

それらのものには、心筋梗塞の原因となっていて
海外では使用を禁止されているトランス脂肪酸ががっつり入っている。
これ、市販の菓子パンだのクッキー、ケーキ、
フレンチフライポテトやチキン、ドーナツ、そんなもんにももりだくさん。

詳しくは「マーガリン 危険」とか「菓子パン 危険」とかでググってみてね。

あと、色づけ実験。

たくあんや福神漬け。
真っ白な大根の薄切りが、見ている前で黄色や真っ赤になって
、あれよあれよと言う間にたくあんと福神漬けの出来上がり。
もちろん味付けも添加物。

水と添加物だけでこれだけのものができてしまう驚愕の事実!

知らなかったよ…( ̄□ ̄;)

食品添加物はよくないのよね、ってどこかで思ってはいても、
なんとなく日々、深く考えず色々なものを買っていたけれど、
目の前でそれがどうやってできているかを見てしまうとコワイね。

ハムやソーセージなどの練り製品、インスタントラーメン類、色々なもの、
よくないってわかってても、見て見ぬ振りして買っていた私。

その危険性についての事実を先生のお話で知ると、もう買えない(爆)

不思議よね。頭でわかってたことを、実際目の前で見てしまうと、
それはもう知識じゃなくて現実としてリアルに自分のものになる。



そうなると、家の中の色々なものを見るのがおもしろくなってくる。
冷蔵庫の中のものをひっくり返しては原材料名をチェック。
アンナも興味津々で一緒にチェック。

危険なものが多かった(笑)



そう考えると何も買えなくなっちゃう…そんな気がしたんだけど、
これがまた、意外や意外、賢く選んで買い物すると、
食品添加物の入った食べ物を家族に食べさせずに済むことがわかった。

食品添加物は重いテーマだし、
固く考えるとホントやんなっちゃうかもだけど、
気軽に楽しく捉えることによって簡単にその害を避けられる。

今日、早速アンナと実行。

どうやって食品添加物を楽しく簡単に避けるの?ってお話は次回。

阿部先生の本、すごくいいんで、ぜひ読んでみて。私がブログで色々書くよりよっぽど楽しくてわかりやすい(笑)

「食品の裏側―みんな大好きな食品添加物」
「なにを食べたらいいの?」

一家にそれぞれ一冊だね。

つづくーっ。


2010年10月24日(日) ラッキーはラッキーじゃない顔をしてやってくる

23、24日の土日、全日本モトクロス選手権を観戦しに、
泊まりでスポーツランドSUGOに行っていた。
宮城だよ、おい、遠いよ。

abuが増田一将プロの応援と撮影をしているので、
今回は仕事抜きで追っかけで行ってきたわけだ。

他にも普段abuが撮影しているライダーさん達が走るということで車で4時間かけて遠征。
女性のライダーさんもいるのよ。
女の人がオフロードをガンガンに飛ばすなんてカッコイイ!

私は現地で撮影に夢中なabuに見事に放置されたまま、
ホコリの舞うサーキットでぽつねんと座っていたけど(笑)

abuに色々なチャンスをくださる和さん、いつもありがとうございます!
ナマの走りを見られてよかったです。

そして、増田一将プロ、素晴らしいレースをありがとうございました!
そして3位入賞おめでとうございます。





で、ここからが本題(笑)

レース観戦の2日間の中でつくづくおもしれーなーと思うことがふたつあった。

まずひとつめ。

2日目の朝の今日、どうも体調がすぐれない。
サーキットにいるのはつらいと感じ、少し車の中で休むことにした。
リヤシートで横になってうとうとしていると、携帯が鳴った。
知らない番号から。とりあえず出てみる。

昔の知人からだった。
率のいい短期の仕事を頼みたいという話だった。
いやん、やるってば、そんなワクワクする上においしい話もらえるなら(笑)

abuと、車検があるし出費がかさむねー、なんて話していた矢先。
しかも、もし私が朝体調が悪くて車で休まなかったら、
その電話には出られなかった。
なぜなら、サーキット場はものすごくうるさくて
携帯の着信音が聞こえないのだ。
バイブにしていても、
バイクの爆音の振動なんだか携帯のバイブなんだかわからないほどの状態。
マジで。
そして、不在着信が残っていても、
知らない番号なら折り返しかけないことにしているので、スルーしたはず。
別の人にもあたっている仕事だそうで、
リアルタイムで話が聞けたことが大きい。

ああ、私ってツイてる!ありがたい、ホントありがたい。

動くのがしんどいほどの体調の悪さも、
電話を切る頃にはどっかにすっ飛んでいて、
その後はサーキットに向かったという(笑)

まるで、

「いい話が来るから電話取れるように静かな場所にいなさいな」

と、サーキットに行かないようにする状況を与えられた、そんな感じ。

そして、ふたつめ。

出かける時に決めてた上着を持っていくのを忘れてしょぼんとしてたわけだ。
朝寒いからと羽織った服をそのまま着てっちゃたわけ。
アホ。
くだらないかもしれないけれど、女子はやっぱり気にするじゃん、服?
レザーのライダースでキメちゃうもんね、と思っていたので、
結構へこんでいた。

でもっ。

現地は気温が低くて、
朝なにげに羽織ったその上着が結果私をあったかくしてくれて、
無事2日間レース観戦できたわけだ。

もし、あんな薄いレザーのライダースなんぞ着てったら風邪ひいたよ。

やー、うまくできてるなー、私ホントにツイてる!ありがたいよー!

まるで、

「その上着じゃ寒くて風邪ひくからこっちにしなさいな」

と、あったかい上着を持っていくように仕向けてもらった、そんな感じ。
頭であれこれ考えたら間違いなくさぶい上着持参だったもんな。

毎日の中でそんな「ラッキー!」ってことがある度、
本当にすべてはうまくできてるって思う。

そして、ラッキーってのは、
一見ラッキーじゃない顔してやってくることも多い。
なんでこうなっちゃうんだよ、って状況が、
実はラッキーの始まりだったりする。

そして、その一見ラッキーじゃないことは、
ラッキーになるために強制的に引っ張られて起こること。
私のこのふたつがいい例ね。
どっちも一見、ちっ、ツイてないぜ、って感じのこと。
でも、それが自分で考えた範疇を超えて最善の結果をもたらしてくれている。

今までの人生振り返っても、そういうことってすごくいっぱいある。
だから人生っておもしろい。

そして、もうひとつ言えることは、ラッキーは予測不可能だということ。
それは突然「ええっ!?」ってなものとして訪れる。
想像もしてないようこととして。
そう来ますか!?っていう流れを経て最善の結果がやってくる。

そういう話をしたら、
それってえみやさんだからじゃないですか、って言われたことがあるけど、
そうじゃないんだよ。
みんなに訪れることなんだよ。

ただ、そういうことが起こっても、
そういう捉え方をせず流していってしまうと、
それが起こっても起こったと認識できないわけで。

夢を現実にするとか、ああだこうだして願いを叶えるとか、
そういうのあるんだろうけど、
私はどっちかって言うと、
そういう流れで自分にとっての最善のものが訪れる率の方が多く、
あれ、うまくいっちゃったよ、ってパターン。
しかも、そのほとんどが「予測不可能」で「想像外」。

だから、私に夢を叶える方法とか聞かないでください、わかんないんで(笑)

逆に、そういう流れの中に入る方法はあると言えるかも。
と言うか、人は本来そういう流れの中にいるので、
それを知って受け入れていくことで、それはより大きくなる。
そんな法則が人生にいっぱいあるよね。

そういうもんがあるんだと知ることによって、
今までないと思っていたものが突然見えることがある。
そんなお話をするのがすごく好きだな。





11月初旬におとうちゃんの四十九日を済ませればやっとひと区切り。
バタバタもあと少し。
新しい1週間、ゆとりのある、楽しい、心地いい、毎日でありますように。

父が亡くなったことが遠い昔のことのように思える。
誰が亡くなったかによってこういう感覚は違うんだろう。
どこかで父の死という事実を遠ざけながらも、
チラ見するようにいつもそれを考えている自分がいる。


2010年10月15日(金) おもしろごはん

これ、ぜったいやってみたら面白いって!
簡単な上に食卓が盛り上がること間違いなし。

ネコペンギンさんのブログから
このスパゲティ・ソーセージ

ウチも明日さっそくやるんだもんね♪



手続きや、やること、いっぱい。
お父ちゃんが亡くなってから半月、あっと言う間だったよ。
落ち着くのは四十九日過ぎってよく言うけど、
来月入ってすぐ四十九日の法要だし、ホントその通り。

今日は父がお世話になっていた施設に行って、
荷物の撤去やら色々な書類のやり取りやらしてきました。
はふー。


2010年10月13日(水) ばいばい、お父さん<呼ばれたね編>

よく話に聞くように、親族が亡くなった後の手続きはてんこ盛り。

あれこれこなしながら車で走っていたら、ふと、

「歴史民族資料館に行きたい」

そんな気持ちになった。
そこは、私の生まれ育った町の昔の記録などを残していある資料館。

いや、やることいっぱいあるし、
そんなトコ今じゃなくてもいつだって行けるよ、と思いつつ、
以前どこかで読んだ記事を思い出す。

ひらめきや直感はそこに思考が入らないんだって。
でも、ああだから、こうだから、と、そこに自分の思惑が入った時点で、
もうひらめきや直感じゃないとか。

ひらめきや直感に従うってのは基本中の基本(笑)
それに、その時いた場所から車で2〜3分、
いいや、行っちゃえ、そう開き直って、予定とは違う道に入った。

駐車場に車を止めて歩いていく。
歴民には、昔の店や民家などを再現した建物があり、まずそこに入る。
なつかすぃ〜看板や駄菓子屋さんを再現した店内になんだかワクワク。
タイムスリップして子供に戻ったみたい。

ふと、目をやると、壁に昔の市内の地図が貼ってある。
大正6年の地図。
こんなの残ってるんだと感激。

ウチを探してみる。
あった、大正6年の我が家(笑)
祖父の名前と、店であることが書かれている。
そう言えば、おじいちゃんは商売人だったと父から聞いたっけ。
こんなところで改めて自分の家系のルーツを見るなんて。
なんかうれしい。

本館に入る。
すると、向こうから見たことのある人が歩いてくる。

その人は、私がディーラーの営業だった時に車を買ってくれた人。
昔のお客様。
ここにいるのは知っていたけど、まさか入ってすぐに遭遇するとは。

「おー、久しぶり!」

「お久しぶりです。
 先日父が亡くなって、手続きとか色々やってる途中で、
 この近く通ったらなんとなく寄りたくなって」

「お父さん亡くなったんだ」

「はい、先日」

「お父さんにはお世話になったよ。
 お父さんの撮った写真も使わせてもらったりね」

「ああ、そんな話、母から聞いたことあります」

「あ、そうだ、お父さんの写真、見る?」

「父の撮った写真、あるの!?」

その人が出してきたのは、
一冊の小冊子で、町の松の見える景色の特集をしていた。
その中で、父が撮った風景写真が2枚使われていたのだ。

「フィルムがなかったんでね、
 写真を接写してそれを使わせてもらったんだけど、
 ほら、これと、これだよ」

心臓がドクンドクンと鳴った。
モノクロの松のある風景写真だった。
私の中から言葉がさーっと消えていった。
ただ写真をじっと見ていた。

その人が言った。

「呼ばれたね」

私ははっとして顔を上げた。
そして答えた。

「ホントだ、呼ばれましたね(笑)」

「お宅にもこの冊子を渡してあるから、
 家でも見られると思うよ」

私はその人にお礼を言い、歴民を後にした。

そして、思った。

「そうか、このために来たのか…」

なぜか急に歴民に行きたいと思った。
理由もなく。
頭で考えて判断したらまったくムダな行動だし、
その気持ちを即座に打ち消していただろう。
実際一度打ち消したし。

けれど、そういう意味のない衝動が大好きな私。
それに従うというだけでワクワクしてくるタチ、そんな行動自体が楽しい。
なもんで、ふと浮かんだ考えに従ってみたのだった。

そして、その先で私を待っていたのは思いがけないもの。
父が撮った写真。

「俺の写真見てくれよ」

父がそう言ってくれたような気がして、すごくうれしかった。

不思議だけれど、不思議じゃない、
つながってる、そう感じさせてくれる出来事。

私はこわがりで、小さい頃よく父と母に言っていた。

「お父さん、お母さん、
 死んでも絶対おばけになって出てこないでね」

父はその約束を守って、私の第六感ルートにシグナルを送ってきたようだ。

よく話には聞くけど、こういうことってあるんだね。

日常の中でもよくある。
ふと浮かんだアイディアにあれこれ理屈をつけずに従うと
思わぬ素晴らしい展開がある、とかね。

それに、偶然に起こった出来事によって思わぬ素晴らしい展開がある、とかね。
セレンディピティって言葉でもよく言われてるみたいだけど。

ああ、だから生きるって楽しい。





歴民を立ち去る前に、元お客様(笑)が言った。

「そうだ!
 もし家にお父さんが撮った写真のネガがあったら借りられるかな。
 色々な資料に使わせてもらいたいんだよね。
 お父さん、写真たくさん撮ってたみたいだから」

「あるかも。
 帰ったら探してみますね」

ネガがあるかどうかはわからない。
母に尋ねたらないと言い切る(笑)
でも、探してみよう。
探してほしいでしょ?お父さん。

今日はお父さんが大好きだったパン屋さんのあんぱんがお供え物っス。
父よ、くらえ、あんパンチ。


2010年10月12日(火) 生還

「生きて還った!」

そう言いたい気分。
親父が生き還ったんじゃないよ(笑)
あ・た・し。

先週最後のブログを書いてから、調子が一気に悪くなり、
それからずっと寝たきり生活。
厳密に言うと起き上がれないほど具合が悪かった。
よくなる気配がなく点滴も2回やった。

今回の主役はメガトン級の扁桃炎。
風邪をひくと喉に来るタイプだけど、いやぁ、今回のはすごかった。
ほぼ1週間くたばってた。
口内炎も複数炸裂。

「俺はこのまま死ぬのか?
 親父、まだ連れてかないでくでーっ!!!」

アホなことを心の中で叫びながら苦しいんだ数日。
高熱とあまりの痛さに眠れず大人泣きした夜も。

まず、解熱鎮痛剤が全く効かない。
あり得ねぇ。

先生に、きえーっ、いだいんでずっ!と泣きついて、
より強い薬を処方されること2回、最後には最強ボルタレン様登場。
でも、それも効く気配なし。
規定の倍の量を飲んでやっと少し落ち着く夜が間3日続いた。

痛いとそれだけでネガティブになる。
お父ちゃんのたたりだ、やっぱ嫌われてたんだ、なんて考え
(苦しんでる時の思考回路は極めてネガティブで愉快です)
夜中に遺骨のある部屋まで行って泣きながらごめんなさいと線香をあげた。
(アホ・笑)

解熱鎮痛剤なしで過ごせるようになったのは昨日から。
ああ、普通の毎日って素晴らしい!

.。゚+..。゚+.(*´∀`).。゚+..。゚+.

痛くてのたうち回ってる数日はパソコンにも触れなかった。
やっと起きられるようになってチェックすると、
メーラーやアメブロにメールやメッセが。
送ってくださった方、ありがとうございました。
しーましぇん、寝てました。

たくさんの人の温かい心に支えられ乗り切りました。

私が布団の人になっている間、
自分の仕事や勉強があるのに家事を全部やってくれたabu、
本当にありがとう。鼻水たらして"痛いよぉ〜っ"って泣いてる私を見て
よくぞ逃げずにいてくれた(笑)

お買い物、お手伝い、頑張ってくれたアンナ、本当にありがとう。
ママのことうんと心配してくれてうれしかった。

玄関先で動けず倒れていた私に、

「そこに寝たいの?
 じゃあ布団持ってきてあげようか?」

とすっとぼけて笑わせてくれたキミが天然ナンバーワンなお母さん、
すりおろした梨がすごくうれしかった、本当にありがとう。

泣いちゃうほどあったかいハートとNANAの手作りパンを
届けてくれた晴美ちゃん、本当にありがとう。

これ食べて元気になりなさい、そう言って
ゴーヤの煮物とタイのスイーツを作ってくれたさっちゃん、本当にありがとう。

うまく言えないけど、この闘病生活を経て「生きて還った」そんな感覚。

そして、昨日ふと自分の中に浮かんできた言葉があった。

「いやだ、毎日の中に戻りたくない」

病気で苦しんでいたはずなのに、私はその中で安堵していたのだ。
つかの間現実から遠ざかったことによって。

今までずっと言葉にしなかったけれど、
確かに感じていたのは "何かが違う" ということ。
それを突きつけられたような気がする。

ただのこじれた風邪かもしれない、
でも、何やら仕掛けられたものだったような気もする。
けれど、すべてがうまく流れているんだろう。
こんな仕掛けがあること自体愉快な話だ。

すごく不安なのに腹の底から込み上げるようなヘンなワクワク。

『何か』が来る。




abuから「油断しないで寝てなさい令」が出てるし、
これ書いたらまた寝るんダ。


2010年10月06日(水) ばいばい、お父さん<時が満ちる編>

父が他界した話からは少しそれるけれど、
私がアンナを連れて離婚して、abuと暮らし始めてしばらく経った時のこと。

ある同業の友達が電話でこう言った。

「ねぇ、アンナはどうしてるの?
 新しいパパとはうまくいってる?」

私は答えた。

「仲良くやってるよ」

すると彼女の口調がキツくなった。

「アンナは無理して新しいパパとうまくやってるんだよ。
 セラピストなのにそんなことにも気づけないの?
 あの子がどれだけ離婚で傷ついてるのかわかってる?」

私は答えた。

「気づいてるよ、わかってるよ」

彼女は納得いかない様子だった。

「じゃあ、あの子の心をどうしようと思ってるわけ? 
 つらい気持ち吐き出させてそれをしっかり感じさせてあげて、
 心のケアをしてあげなくちゃダメじゃない。
 それでも母親なの?」

それから先の会話はあまり覚えていない。
けれど、話をうやむやにして電話を切ったことだけは覚えている。

私は電話を切って泣いた。
怒りと悲しみが入り交じっていた。
彼女には言わなかったけれど、本当はこう言いたかった。

「あの子がつらいのはよくわかってる。
 わかってるけど、今踏ん張っているあの子の頑張りをそっと見てる。
 そして、いつか、あの時は頑張ってたね、って言いたい」

心理療法のセオリー通りに進まない、進められないことはいっぱいある。
心は生ものだから。
神様の息がかかったものだから。

心はうまくできていて、
大きなショックや強くつらい感情を感じる体験があると、
それをまともに受け止めて壊れてしまわないように、
自動的に感情を感じなくなったりする。
また、元気に振る舞うことによって、
自分が受ける衝撃を緩和したりすることがある。

そして、流れの中で、少しずつ事実を受け止めていけるようになると、
正面から大きなショックや強くつらい感情を感じる体験を受け止められるようになる。
心が壊れないように、少しずつ、少しずつ、受け止めていく。

だから、私は、頑張って踏ん張ってる娘をそっと見ていようと思った。
その時に実の父親と離れたことを真正面から丸ごと突きつけたら、
あの子はつらくて耐えられないだろうと思った。
彼女は、小さいなりに一生懸命現実の出来事を自分の中に取り入れていこうと頑張っていた。
だから、そんな今を生きる彼女を見ていようと思ったのだ。

実の父親と離れたのはさびしい、けれど、abuのことは好き、
そんな狭間で揺れていた彼女を、私は知っていた。
そして、アンナの笑顔の裏にある頑張りと押し殺した感情を感じて、
abuも苦悩していたことを。

私はふたりの間で、それぞれの頑張りを、ただ黙って見ていた。
少し距離を置いた心同士が近づき合おうとしている姿を見て、
泣いたり笑ったりしていた。

歯を食いしばって踏ん張ってる時ってあるじゃない?
そういう時はピーンと張ってて、
少しでも触れようものなら、パチンとはじけてしまいそうなの。
表面張力ギリギリ、あと一滴たしたらカップの水が溢れるって状態と同じで。

それは、すごく頑張ってる時。
そして、自然に最後の一滴の水が落ちてきてカップの水が溢れ出すように、
「その時」ってのが自然に来る。私はそう思ってる。

「その時」が来る前に、無理矢理頑張りをやめさせて事実を突きつけてしまうと、
早産の赤ちゃんみたいなことになる。
お母さんのお腹の中でその日までゆっくりじっくり育つからこそ、
いい状態で外におぎゃーって出られるんであって、
それを早いとこ出しちゃいましょ、ってやっちゃうと、
外で生きられる体にまで育ってなくて生育に障害が出たり、亡くなったり。

それと同じでね。

人の心も「その時」ってのが来るんです。
「その時」が来ると自然に色々なことが受け入れられて、
自然につらい感情もしっかり感じて、
自然にそこからの気づきや学びをしていく。

どんなものにも「時が満ちる時」がある。
「その時」を迎える時が来る。自然にね。




そんなことを思い出したのはね、色々な人から色々な言葉をかけられたから。
自分がその時のアンナみたいだから。

元気ね、と言われて、元気じゃないよ;と悲しくなり(笑)

本当はつらいのに無理に元気にしてるのね、と言われて違和感を感じ(笑)

ということは、結局、つらいんだけど元気そうにしてますと言いたいんだろうし、
いいえ、別に無理なんかしてませんとも言いたいんだろう。
ああ、おもしろいやっちゃ〜 (/´Д`)/

私は元気だ。
でも、晴れ時々雨の「晴れ間」みたいな元気。

そして、悲しい時は悲しい。
晴れ時々雨の「雨」の時。

今の私にはそのどちらもある。悲しみを感じ切っていないかもしれないし、
無意識に実際よりも元気に振る舞っているかもしれない。

逆に、感じるところはしっかり感じているかもしれないし、
元気な時は別に無理しているわけではなく自然に元気なのかもしれない。

それは今はわからないし、わからないから別にどっちでもいい。
今の私は全然気持ちの整理なんぞできていないのだ。

そして、上に書いたように「その時」が来たら、
ちゃあんと感じるものを感じるんだと思う。
「その時」まで、私は私をただ見ていようと思う。
きっと踏ん張ってる自分を。

「お父さんへの思いをしっかり味わって感じてくださいね」

「その奥にあるものが大事なんですよ」

こんな言葉もあったな。感じなさい味わいなさいと言われなくても、
親が死んだらイヤでもそれは感じる(笑)
いや、むしろ今感じ過ぎて恐らくわかって
意図的に遠ざけてるんでそっとしといてね、って感じ(爆)

時が満ちるまで、私は今のような、
なんなんだかわからない状態の中にい続けると思う。
そして、それでいいと思う。




おとといから発熱。
何の症状もないのに発熱なんておかしいと思いつつ医者に行ったら、
喉のリンパ腺が腫れていた。
結局風邪。

布団に潜り込むこの上ない理由を与えられた私は1日中寝ている。
これもいい機会だ。
うん、贈り物、贈り物(笑)

熱が下がる気配が一向にない中、ブログはゆらゆらしながらも書くという。

そして、ゆらゆらしながら空手に行って、さらにゆらゆらしてしまって、
今日は空手休んだ方がいいんじゃない?って言ったabuの言うことを
ちゃんと聞けばよかったと反省中。

稽古の最後、神棚に向かって正座、黙祷、礼、起立、ってがあるんだけど、
その時の「礼」で、ぽーっとしていた私は、
みんながすでに頭を上げて正座に戻っていたのに、
いつまでも「礼」をしていた。
実は前に突っ伏して半ばもうろうとしていたという(爆)

合掌、ちーん。




時満ちる時まで、私はこんな感じの私。

そして、それを見ている私。
私だけでなく、母も、アンナも、abuも、きっとそう。
自分の中だけでの物語があるんだろう。
そして、家族は私のこともそうやって見ててくれてるんだと思う。
通じ合った友達も。

ありがたい、本当にありがたいね。
恵まれているとつくづく思う。
こういう時だからこそそこにある恩恵を強く感じる。

みんなが頑張ってる。

世界中のみんなが頑張ってる。

明日もいい日。


2010年10月04日(月) ばいばい、お父さん<ほっと安らぐ編>

告別式の翌日朝8時前から電話がじゃんじゃん鳴る。
全部知らない石屋(笑)
しかも、なんでそんな遠くの業者がかけてくるワケ?ってくらい遠方からも。
よくあることだそうだ。

「この度は御愁傷様でございました。
 お力を落とされていることと思います。
 お墓のことで私共でお役に立てればと思いお電話差し上げました」

で、墓石作れってか(爆)
その前に、こんな早い時間に失礼な。
まだ7時過ぎざんすよ。

「ご丁寧にありがとうございます。
 ウチにはもうお墓があるので結構です」

石屋は一歩も引かない。

「ですが、何かお役に立たせていただきたいのです。
 何かできることはありませんか?」

「今のところ足りておりますので」

「いえ、何かあると思います。
 墓石に故人様のお名前を彫ったり…」

「結構です」

「ではどうされるのですか?
 やはりそういったことはきちんとしておかないと。
 私共では…」

「取り込んでおりますので失礼します」

ガチャ ( ̄▽ ̄)

私と石屋のそんなやりとりを何件もずっと眺めていたアンナが言った。

「そっかぁ。
 骨をお墓に入れる度、墓石を壊して新しいのにするから、
 石屋さんから電話がかかってくるんだね」

え (・∀・)?

どうやらアンナは、納骨の際、今ある墓石を壊して撤去し、
新しい墓石を建てるものだと思っていたらしい。

か、かわいい .。゚+..。゚+. (*´∀`) .。゚+..。゚+.

「アンナ、お墓にはね、
 ドアみたいに開くところがあるんだよ。
 そこを開けて骨を入れるんだよ」

「えええええっ!?
 見たい、見たい、アンナそれ見たい!」

「ふふふ、開くんだぜ、ガーってさ。
 ママ昔一度見ちゃったもんねーっ」

「ママいいなぁ!」

四十九日の納骨が楽しみになったアンナなのであった。
かわいいのぉ、6年生になってもホントかわいい。
父も見て癒されていることだろう。

どんな出来事の合間にも、こうした光差すような瞬間がある。
だから前を向けるんだ。

遺骨の前でやっと泣くことができたゆうべ。


2010年10月03日(日) ばいばい、お父さん<昇華編>

父が亡くなってつらくなったけれど、
それは、父がいなくなって悲しいからではなかった。
全然違う理由で胸が苦しくなったり、泣いたり。

父の死を介して起こった出来事で色々な感情があぶり出された。
幼い頃インプットされたであろう痛々しいセルフイメージが、
ここぞとばかりにぶわーっと吹き出した。

お父さんに嫌われている。

お父さんに許してもらっていない。

お父さんに必要とされていない。

父がいなくなることによって、
それまで何かの引き金がないと飛び出してこないそうした想いが、
遠慮なくがっつり出てきたのだった。
遺影までが自分をにらんでいるような気がした。

abuは、私や母やアンナが何もしなくてもいいように、
影となり日向となり、常に私達を気遣って動いてくれた。
そんな彼を親戚のみんなも感じたのだ。
しっかりしてるね、心配りのできる素晴らしい人だね、たいしたもんだ、いい男だ、
親戚はみんなabuを絶賛した。

とてもうれしかった。
私もabuには言葉では言い表せないほど感謝しているし、
そのabuの素晴らしさをみんなが感じてくれたのが本当にうれしい。
普段は見ることのないabuの姿。
こうした時に人の本質を見るとはよく言うけれど、
こんな素晴らしい人がこの世にいたんだ、そう思ったほどだ。

でも。

逆に私には、
しっかりしなさいよ、
お母さんを守らなくちゃダメよ、
もっと気を使ってあげなくちゃね、
そんな言葉が飛んできた。

「お前はダメ」

そう言われているような気がして無性に泣けてきた。
私は私で頑張ってるんだよ、
葬儀の準備や手続きや打ち合わせ、色々なことしたんだよ、
私がしゃんとしてなくちゃって思って頑張ってるんだよ、
心の中でそう言いながら泣いた。

「誰かほめてよー、私をほめてよー、よくやってるねってほめてよー」

声なき声でそう叫びながら。

そして、そんな中冷静に思った。

「なんでお父さんがいなくなって寂しいんじゃなくて、
 こんな理由で泣いてるんだろ、ヘンなの、ヘンなのー。
 あぶり出しみたいにこんな気持ちばっかり出てくる」

頭では、起こった出来事や言われた言葉が、
まんま私が感じた意味の通りだとは思っていない。
けれど、そうした理解とは別の場所にあるインナーチャイルドの叫び。
潜在意識の奥の奥の方までかき回して全部集めたものをごっそりと感じたような、
そんな数日だった。

ふと…今、心の大そうじをしているのかもしれない、そんな気がした。
私がずっと持ち続けてきた痛いもの、
それが、その原因として存在していた父を亡くすことにより、
別の形になっていくような、そんな気が。
そして、心だけじゃなく、人間関係、環境、
私達を取り巻くそんなものすべてが動いているような、そんな気が。

父の死と、それを介して起こった出来事を通して、
私と私の家族は、自分達が好きで心地よいものだけを
自分達の世界に取り入れる選択をする機会も得た。

大そうじ、と言うか、
うーん、そう、今まであったものがみんな昇華していくような…
そう、昇華、その言葉がぴったりだ。
上手く言えないんだけど、強くそう感じてる。

人の死は多くの贈り物を与えてくれると聞いたことがある。
今まさにその言葉の通りだと感じている。
体験の中でつかんだ尊いものだけを残して、
父はみんな空に持っていってくれる。

お父さん、ありがとうね。ありがとう、本当にありがとう。





でも、私、うんと踏ん張ったんだよ。
本当は今もほめてほしい。

お父さん、恵美はよくできましたか?
誰もほめてくれなかったんだ。
だから、恵美は自分で自分をほめてるよ。

「よくやったね、偉かったね」

って。
お父さんも空の上からほめてください。


2010年10月02日(土) ばいばい、お父さん<お笑い編 2>

父が亡くなり、通夜、告別式とこなしていく中で、
一般的には不謹慎であると言われる笑い、おかしいから笑うということを、
私達家族は何度も体験した。

そして、感じたのは、悲しみがそこにあるように、
笑いも楽しみもそこにある、どちらもただそこにある、ということ。

そして、人は瞬間瞬間を生きているのだと思った。
突き上げるような悲しみの1秒後に、
こらえきらない笑いや愉快なことがある。
それが自然なことだと思った。

悲しいから笑えないのではなく、
笑っているから悲しくないのではなく、
どちらもただそこにあった。
そして、そのどちらをも味わった。

通夜の夜、お線香を絶やさないために、私とabuとアンナは斎場に残った。

深夜、アンナと新しいお線香を焚きに行った。
棺を覗き込みながら、じーちゃん、お線香焚くよー、って。
その時、お坊さんが読経の際鳴らす、大きなちーんがあった。
なんて名前だかわからないんだけど、昔はそこによく木魚があったように思う。

私はどうしてもそれを鳴らしてみたくて、大きな棒を持って、ちーんと鳴らした。
ちーんと言うか、ごわーん、って感じ。
面白くて何度も何度も鳴らした。
読経の真似をして、ごわーん、ごわーん、って。
アンナはそんな私を見て大笑いした。
そして、はっとして私を制した。

「ママ!
 監視カメラがあるよ、全部映ってるよ!」

くるっと振り返ると、祭壇の真正面に監視カメラが取り付けられており、
こっちを向いていた。
私とアンナは、ぎゃははは!と笑いながら親族の控え室まで走って逃げた。
戻ってabuに話して3人で笑った。

そうやっている私達は、その瞬間、本当に愉快だったし、心から笑っていた。
そんな自分達が、なんだかうれしかった。

無理して明るく振る舞っているのではない。
本当におかしくて笑ったのだった。

親族の死にあたり、それではいけない、
喪に服して神妙な面持ちで静かにしていなければならない、
そんな観念がどこかにあったように思う。

けれど、実際に自分が親のが亡くなり、思った。
近い人の死に祭しても、そこには普段と同じく、色々な感情が存在し、
悲しみはたまたま大きいけれど、いつも通りでいていいんだと、そう思った。
その時その時感じるものを感じていていいんだ、と。

もちろん、不謹慎に映らないようにと、人前でげらげら笑うようなことは避けた。
だけど、私達は本当によく笑った。
私と母とabuとアンナで。その時、いつも一緒に父がいた。
笑いにはいつも父が介在していた。

そして、介在する父は、亡くなった人ではなく、
遠い昔、私を罵倒し木刀でめった打ちした人ではなく、
倒れた母の顔を何度も蹴って踏みつけた人ではなく、
病床で顔を歪める人ではなく、
今ここで私達を笑顔にする人だった。
笑いは光の渦となり、まさに "ディワリ" の中にいた。
私達はすでに新しい父と共にいた。
死が誕生だった。

あのカードの言葉を思い出した。

笑うきっかけは、いつも、くだらない、どうでもいいようなこと。
けれど、その笑いが心からの笑いであり、そこには父がいる、それを強く感じる。
笑うことで、私はそれまで近づけなかった父のそばに寄れたような、そんな気がする。
父が生きて施設にいる時よりも、亡くなった今、
父はより身近な、共にいて心地よい人として存在する。

父の映ったビデオが1本だけ残っている。
会社の忘年会で、かつらかぶって、こてこてのおかまメイクして、着物着て女装して、
梅沢富美男の「夢芝居」で踊り狂い、客席に向かって投げキッス。
会場が爆笑の渦。

私はそのビデオの中の父が好きだ。
家で般若のような顔をして怒鳴ったり暴力を振るったりする父よりうんと好きだ。
ビデオの中の父は、本当はずっと存在していたけれど、
私が出会えなかった父なのだと思う。
そして、会いたかった父。

今、私はそんな父と一緒にいる。

「それは死ではなかった。
 それは新しい生、復活だった。
 あらゆる死が新しい扉を開く」







余談だけど、
父が空に帰ってから、私を、私達家族を笑わせた、いくつかの出来事を。



【聖水でのお財布お清め事件】

父が亡くなってすぐ、
体をキレイにしてから着せる浴衣がなかったため、私は慌てて売店に向かった。
心臓がドキドキしていた。
とうとうこの日が来てしまった。

浴衣を買い、病室に戻る前にトイレに行った。
用を済ませて立ち上がった時、
脇の手すりの上に置いておいた浴衣と財布を肘で押してしまい、落下。
あっ!と思って手を伸ばす。
浴衣は押さえることができて事無きを得たが、
財布がまだ流していない便器の中にぽっちゃんと落ちた。

あああ…お母さんに預かった財布、まだ2万円入ってたのにもったいない…

そう考える時点で拾う気なし(笑)

いや、拾わなくちゃ!私は気を取り直し、
トイレットペーパーで手をぐるぐる巻きにし、
勇気を出して聖水でお清め中の財布を拾った。

拾ったはいいけど、どうするよ、これ?

しばらく考えた私は、洗面台に財布を置いて水を流した。
そして、財布の表面はもちろん、内側、中のお札まで、全部水洗い。
これでもかってくらい水洗い。

洗いながら思った。

「この期に及んでこんなギャグなことがなぜ起こるわけ?」

びしょびしょの財布に、濡れてれろれろになったお札と小銭を戻し、
これまたこれでもかってくらい手を洗い、
何事もなかったかのように病室に戻った。

母は泣いている。abuもアンナもうつむいている。

おしっこの中にお財布落としちゃったなんて言えない…

私はこう言って、水滴だらけの財布を母に返した。

「ごめんね。
 手を洗ってる時に洗面台にお財布落としちゃったの。
 びちょびちょになっちゃった」

いいよ、いいよ、そう言ってうなずきながら母は財布を受け取った。

父が体を清めてもらう間、
私達はロビーで葬儀屋さんとのやり取りを始めていた。
その合間に母にこっそり言った。

「お母さん、嘘ついてごめん。
 お財布、本当は洗面台じゃなくて、流してないトイレの中に落とした。
 一応全部洗ってきたけど…」

母が目を丸くした。

「えええっ!?」

合掌。



【オカメインコ事件】

身を清めてもらった父が、病院から自宅に搬送されてきた時のこと。
私達は神妙な面持ちで父を迎えた。
亡くなった父との対面、父の死との直面、頭がぐらぐらした。
白い布にくるまれ、布団に寝かせてもらった父。
葬儀屋さんが静かに布を外した。

何を覚悟したんだかわからないけれど、私は覚悟して父の顔をのぞき込んだ。

「えっ、えーーーっ!?
 お父さんっ、どしたの、その顔っ!!!」

死化粧をほどこしてもらった父は、まんまオカメインコだった。

しっかりファンデーションを塗ってもらって、
ほっぺにはまあるくオレンジのチークが濃く入ってて、それはそれはおてもやん。
しかも、まぶたにはパーブルのアイシャドウ、
しかも、しかも、ラメ入りでキラキラ。
さらに、口紅はピンク、しっかりピンク。

これじゃ場末の酒場のおかまじゃーん!!!

悲しみが吹っ飛んだ。
厳密に言うと、悲しみを超えたおかま顔だった。
眉毛のないバカ殿。

悲しみと込み上げる笑いが混在し、
私はどういう顔をしていいかわからなくなった。
あうあう、笑っていいのかな、いいのかな、いや…

でも、つい口にしてしまった。

「お父ちゃん、おかまみたいだね…」

全員が、ぶっ!と吹いたのを、私は見た。

もちろん、納棺の前に、葬儀屋さんにきちんときれいな顔に戻してもらいました。
さすが葬儀のプロ。

合掌。



【蚊と住職と私事件】

父の戒名と拝んでいただくお布施の相談でお寺を訪ねた。
住職が直々にお出になってくださった。

話している時、ふと気づくと、住職のほっぺに蚊がとまっていた。
住職は色白で、そこにでかい黒いヤブ蚊が。
そのコントラストで蚊がやけに目立つ。

家族なら、蚊!とか言ってぺしっ!とできるんだけど、ここは当然放置。

しかし、その蚊が、いつまで経っても住職のほっぺにいる。
穏やかにほほえむ住職と蚊。
だっ、だみだ〜、ツボだ〜、たすけて〜!

ひょっとしたら、住職は、大切な話をしているので、
かゆいのに耐えているのかもしれない。
頭が下がる。
下がるけど、その組み合わせとタイミングとシチュエーションが絶妙過ぎた。

合掌。



【名前を間違えてはいけません事件】

告別式が始まった時。開始に当たり、司会の方から故人の紹介があった。

この紹介のために、前日私達は打ち合わせをした。
父についてや、生前父がしたことなど、細かく伝えた。
それを元に紹介文を作るのだという。

父の紹介が始まった。
誕生日から始まり、生い立ち、趣味、仕事、紹介が進んでいった。

「また、故人は動物好きで、犬も飼っておりました」

私は心の中で思い出していた。お父さん、犬が大好きだった。

ミッキー(飼い犬の名前)をすごくかわいがってた。
よくお父さんとミッキーの散歩に行ったっけ。
楽しかった…。
目頭が熱くなった。

話は続いた。

「愛犬の名前は、ラッキー…」

私は、ぐっ!と変な音を立てて吹いてしまった。
瞬間的にツボに入ってしまって、おかしくてこらえきれなくなった。
笑って肩がぷるぷる震えているのがわかる。

ラッキーじゃないよ、ミッキーだって言ったじゃん、
確認もしたじゃん、名前違うから、違うからっ!

ゆうべのオカメインコで笑いに火がついていた私は、
不謹慎だと思いつつも反応してしまった。
うつむいて震えがおさまるのを待った。
最前列の私を後ろから見た人は、きっと泣いているように見えるだろう、
うん、そうさ、大丈夫さた。

「お父さん、ごめんね。
 お葬式なのにこんなに笑っちゃって」

ふと周りを横目で見ると、
笑いをこらえる私を見て家族も笑いをこらえているではないか。
みんなミッキーがラッキーに化けたことに気づいていたらしい。

合掌。



ばいばい、お父さん<お笑い編>はこれでおしまい。


2010年10月01日(金) ばいばい、お父さん<お笑い編>

人が死ぬという出来事の中で、
タブーとされることは「笑い」なのではないだろうか。
一般的にはね。

私の大好きなOSHOトランスフォーメーションタロットで、こんな話がある。


**********

60. 笑い

笑いはとても変容をもたらす力ですから、ほかにはなにも要りません。
もし自分の悲しみを祝祭に変えたら、
あなたは自分の死を復活に変容することもできるでしょう。

ーーーーー

私は中国の三人の神秘家たちのことを聞いたことがある。
誰も彼らの名前を知らない。
彼らは『三人の笑う聖者たち』としてのみ知られている。
彼らはほかにはなにもしたことがなかったからだ。
彼らはただ笑った。
彼らは町から町へとよく移動して、
市場に立って腹の底からすばらしく笑ったものだ。

この三人の人びとはほんとうにすばらしかった。
笑うと、彼らの腹は波打った。
それは伝染病になった。
市場全体が笑ったものだ……。
少しの間、新しい世界が開いた。

彼らは、人びとが笑うのをただ助けながら、中国中を移動した。
悲しい人びと、怒っている人びと、欲の深い人びと、嫉妬深い人びと、
彼らはみな、彼らといっしょに笑い出した。
そして多くの人びとがその鍵を感じ取った。
人は変容することができるのだと。

そのうちある村で、三人のなかのひとりが死ぬという事態が起こった。
村人は言った。
「さあ、面倒なことになるぞ。彼らの友だちが死んだんだ
 彼らは泣かなければならない」
だが、ふたりは踊り、笑い、死を祝っていた。

村の人びとは言った。
「もう、これはあんまりだ。
 これは礼儀にかなっていない。
 人が死んだときに笑って踊るのは、神聖を汚すことだ」

彼らは言った。

「お前たちはなにが起こったのか知らないのだ!
 私たち三人はみな、いつも考えていた。
 こいつが勝った。
 私たちは負けたのだ。
 一生涯、私 たちは彼といっしょに笑ってきた。
 どうして私たちが、ほかのことをして彼の最後の門出を見送ることができるだろう?
 私たちは笑わなければならない。
 私たちは楽しまなければならない。
 私たちは祝わなければならない」

これこそ、自分の全生涯を笑った人間への唯一可能な別れだ。
そして、もし私たちが笑わなかったら、
彼は私たちのことを笑って、こう考えるだろう。

『ばか だな!で、お前たちはまたしてもわなに堕ちたのか?』
 私たちは彼が死んでいるとは見ない。
 どうして笑いが死にえよう?どうして生が死にえよう?」

そして、身体が焼かれることになって、村の人びとは言った。

「儀式の規定どおり、彼を沐浴させよう」

だが、このふたりの友人は言った。

「いや、私たちの友人はこう言った。
 『どんな儀式も行わないでほしい。
  それに、私の服は変えないでもらいたい。
  私を風呂に入れないでほしい。
  そのままの私を、燃えている 牧の上にただ乗せてほしい』
 だから、私たちは彼の指図に従わなければならない」

そして、突然、偉大な出来事が起こった。
身体が火の上に置かれたとき、
その老人は最後のトリックを仕掛けておいたのだ。
彼は自分の服の下にたくさんの花火を隠していた。
そして突然、"ディワリ"になった!
すると、村全体が笑い始めた。
それは死ではなかった。
それは新しい生、復活だった。
あらゆる死が新しい扉を開く。

もしあなたが自分の悲しみを祝祭に変えたら、
そのときには、あなたは自分の死を復活に変えることもできる。
だから、まだ時間があるうちに、そのアートを学ぶがいい。

**********


とね、こんな話。
昔からこの話が大好きで。
ただ、近い人の死に直面したことがなかった私には、
実感としてつかめるものではなかった。

けれど、父が亡くなるという体験の中、
おかしくて笑いをこらえられないような出来事があれこれあった。
こんな時になにもこんなにおかしいことが起こらなくても…
というようなあったんだよね。
その時、この話が自分の中にスッとまっすぐに入ってきた。

笑っちゃう出来事は、
肉親の死という出来事とのギャップで余計におかしく感じられる。
告別式の途中には肩が震えてしまうほどのことも。

人が亡くなった時、そこに笑いというものが存在すること、
作り笑いや、悲しみをシャットダウンして元気な風を装うとかそういうんじゃなく、
純粋な笑いが存在すること、そんなことについて考えたりしていた。

そして、実際、笑ってしまった自分達に何が起こったのか。



つづく。


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