おひさまの日記
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2010年08月31日(火) 枕をしないで寝ると…

女優で枕をしないで寝る人がいるとか。
首のシワ防止のために。
なるほど、言われてみると一理あるような。

年齢は首に出ると言われていて、
唯一整形できないのも首なのだそうだ。
だよね、だよね、キレイなアラフォー、やがてはアラフィフのために、
首、すっごく大事よね!

聞くとすぐやってみたくなるので、早速試してみた。
首の後ろに丸めたタオルを入れて、
ちょっと首が支えられるようにして、枕はなし。

枕をしなくなって1ヶ月近く経つけど、まだ効果はわからない(笑)
でも、驚いたのは、すごく楽だってこと。
どう楽かってうまく言えないんだけど、体が楽なのよー。
最初は低くて違和感があったんだけど、それも初日だけ、
2日目からは快適に眠った。

最近じゃ、枕をすると、
無理な体勢になってる感じがして気持ち悪い。

私を見て、abuもやってみると言って、枕なしを始めた。
彼の場合、首のシワが、とかじゃなく、なんとなくらしいけど。

これまた驚いたのが、
枕なしを始めてから、abuのいびきがほとんどなくなったこと。
abuのいびきは時に爆音、私は怪獣と呼んでいた。
慣れているのでそれでも私は平気で寝るんだけど(笑)
その怪獣がいなくなって、荒い寝息程度になった。

枕をしていたことで、首が前傾してたんだろうね。
それで、気道が圧迫されてたかなんかしてたんだろうか。
専門的なことはわからないけど、でも、何かの状態が改善されて、
怪獣がいなくなったんだと思う。

今ではふたりとも枕なしが当たり前になった。

枕なしがベストだというわけじゃないと思う。
人それぞれ体型や骨格も違うし、それによるだろう。
逆に、体に合う枕をした方がいいという説もある。
こればっかりは、やってみて体がいい感じになるのを選んでくしかないよね。

女優寝(笑)だけじゃなく、
ローションだの、クリームだの使って、ネックケアも力入れようっと♪


2010年08月29日(日) 言葉と想いを一致させる

どうしたらいいと思うか教えてほしいと頼まれ、
自分なりに答えると、
無理、とか、できない、とか、それはイヤ、とか言う。

そういう人は、意見や答えが欲しいんじゃなくて、
自分が望んでいることを言ってほしいだけなんだなぁって思った。

人って、言葉と想いが一致していないことがよくある。

そして、思った。
ああ、言葉と想いを一致させよう、って。

シンプルだけど大切なこと。






今日は仙台に行ってきました。
ETCカードがあるから高速も片道1000円、安ぅい♪
とんぼ帰りだったけれど、充実したいい時間でした。
今度は仕事じゃなくて遊びでゆっくり行きたいな。

Emisuのみなさん、お世話になりました。
ありがとうございました!


2010年08月28日(土) ぐずぐずするざます

今日は、あれこれやらなくっちゃ、と思っていたのに、
朝からだるくてぼぉっとしていた。
昼前には頭痛と吐き気が。

ちょっと寝れば治るだろうと横になったけれど、なかなか治らない。
耐えきれず薬を飲み、昔で言うアイスノン(笑)、
ひんやり枕をして、改めて横になった。

頭痛と吐き気を持て余しながら、なんだか気分が思い。
何もしないで横になっている自分に罪悪感を感じていることに気づいた。

具合が悪くて横になってるのに、罪悪感を感じてるなんて。

なんにもしてない自分、
仕事に手をつけなかった自分、
生産性のない自分、
ただ寝てるだけの自分、
私にとってはバツの悪い自分なのだろう。
昨日の日記にも書いたけど、
何もしない自分や、無意味に思えるようなことをする自分に対して、
罪悪感みたいなものもあったし、今もあるようだ。

最近、そういう自分をよく発見する。
そして、眺めている。

少し前までは、罪悪感をかき消そうとして、
気が乗らないことを無理矢理やってみたり、
なにかしら動こうとしたりしていた。
はっきりと罪悪感をかき消そうと思ってるわけじゃなく、
バツが悪くて無意識のうちにせかせかしていたと言うか。

そういう時って何かしらやったとしてもなんか違うのよね。
効率が悪かったり、結局いい感じに進まなかったりで。
結局、何かしらしたけれど、結果は出ず、みたいな。
ただ単に何もしていない状態からなんとか抜け出しただけで。

そして、何もしてない罪悪感からは抜け出せたけど、
行動しても形にならない焦燥感とか、今度はそんなもんがつきまとう。

たとえば、デザインしようと1日マックに向かっていても、
結局いいものはちっとも浮かばなくて、
私ってダメなんだ、とか、どうしてうまくいかないんだろう、とか、
罪悪感の代わりに、そんな重苦しい気持ちを抱え込んでしまう。 

そりゃそうだわな。
だって、スタートの時点からもう間違ってるんだから。

冴えてる時に手をつけたものってのは、
自分でも驚くほど作業が進むし、いい感じのものができたりするけど、
罪悪感を感じないようにするという動機だけで手をつけたものは、
私個人で言えば、いい結果はほとんど出ない。

今までそうやってどれほど時間をムダに過ごしてきたか。
だよねー、だよねー、とひとり考える。

そして、心臓の鼓動と一緒に痛む頭に手を当てながら、
具合が悪い時に横になれるって幸せだな…と、ふと思った。
横になれるベッドがあって、
薬やひんやり枕や部屋を冷やすエアコンがあって、
まず居場所になる家がある、
今自分が横になっていても家族の一大事が起こるわけでもなく、
なんて恵まれてるんだろうと思った。
こりゃすごいことだ!って。

ま、具合がひどく悪けりゃ、起きてること自体無理なこともあるし、
横になるのは当たり前っちゃあ当たり前なんだけど、
とにかく、ありがたいな、と。

具合が悪くて何も手をつけられない自分もそうだし、
気が乗らない自分ってのは、
私の中では、どちらかと言うと、いけない自分の部類だった。
なまけてるとか、だらしないとか、そういう感じで。

でも、ソースのワークショップに参加して、
そんな自分でいいのさ、ってわかって、
え、そなの!?いいんだぁ.。゚+..。゚+.って感じになれたので、
すごーく解放された感がある。
人にはそういう話普段からしてるくせに、
自分のこととなると、もう、ぐるぐるしてしまうのさ(笑)

だから、罪悪感を感じる自分を眺めていられる。
そして、放置(笑)
罪悪感が自分の行動の原動力にはならなくなった。

どうも気が乗らない、やる気が起きない、そういう時は、
潜在意識が「今は違いまっせ」「それは違いまっせ」って言ってたり、
「今コトを始めるのに色々準備してまっせ」って言ってたりするんであって。
ぐずぐずしていたい時って、気が乗らない、やる気がないって時は、
潜在意識からのなんらかのサインを受け取っているのだ。

そして、時が来たら、むくむくとやりたい衝動ややる気が出てくるのであって。
もしくは、これってものに出会うとそうなのるのであって。

ソースでは、一般論とは逆に、
ぐずぐずしていたい時はぐずぐずしていましょう、ってんだから、
そりゃー肩の荷も降りるってもんで。

で、ワークショップの後は、
ぐずぐずな自分と、それを責めている自分を眺めつつ、
ぐずぐずするという体験をしているわけだ。

で、結果どうかと言うと、爽快ですなぁ(笑)
別に悪いこと起こらないし ( ̄▽ ̄)
不思議とすべき時に腰が上がるし、
すべき時に自分でどうにもならない時は、
人の力を借りるていいのだと自分に許可ができたし。

ワークショップ、ソースは、じわじわと私の生活に浸透し、
心地よい人生へと向かわせてくれている。
ああ、生活費が…とかぐだぐだ言ってあきらめなくてよかったなぁ.。゚+..。゚+.
直感でコレ!ってのは、やっぱり手を出しとくもんなんだな。

今日は具合悪くて空手休んだのが残念だったけど、
また色々なことを感じられたから、結果オーライ。
そして、夜になった今はすっげー元気だし。

これからは胸はってぐずぐずするざます。
動く時にスパーンと動くためにも。

明日は仕事で仙台に行きます。
楽しみ。


2010年08月26日(木) かけら集め

レンタルDVDが安いのでまとめ借りした。
もう5日連続で夜は映画を1本ずつ観ている。
今までだらだらネットを徘徊していた時間が映画鑑賞の時間になった。

映画に詳しいわけでもなく、ただ観るのが好き、
それだけなんだけど、いいね、映画観るのって。

ただし、ホラーやスプラッタ系の映画は観ない。
ビョーク主演のダンサー・イン・ザ・ダークみたいなのも観ない。
ラブストーリーもほとんど観ない。
そういうの以外はまんべんなく観るかな。

今回借りたのは、
ラスト・ブラッド、カムイ外伝、GOEMON、MW、
地球が静止する日、ダヴィンチ・コード。
全部見終わったらまた借りてこようと思ってる。

今までしてみたかったんだけど、してこなかったこと、
少しずつやっている最近なの。
小さなことでも、思い浮かんだら、ちょっとずつでも。

そういうものをしなかった理由なんて、
時間がないから、とか、仕事があるから、とか、
でも、本当はこわかったんだよね。
たとえば生産的なことをしない自分が。
何もしない自分や、無意味に思えるようなことをする自分に対して、
罪悪感みたいなものもあったと思う。
思い浮かんでも、ただ流してしまっていたことがいっぱいあった。

最近は、してみたいと感じていたのにしてこなかったものを、
ひとつひとつ気に留めて形にしている。
小さく、小さく。

でもね、小さく、小さく、ひとつ、ひとつ、やるのがすごくいい。
幸せな気持ちになる。
自分の大切なかけらを拾い集めているみたいで。

映画を観ることをはじめ、
アイスを買いに行って食べる、とか、
猫のお腹をなでなでする、とか、
カップラーメンを食べる、とか、
どうでもいいこともいっぱいあるけど、
でも、うれしい楽しい気持ちいいことなんだ。

そして、集め始めると、あ、あんなのもあった、こんなのもあった、って、
大切なかけらにもっと気づき始める。
そんな大切な小さなかけらが集まる毎日は、幸せな毎日。

そういうふうに暮らし始めて、
私はどれだけ自分の大切なかけらを置き去りにしていたかに気づいた。

いつ頃置いてきたのかしら。
どれだけ放っておいたのかしら。

おかえりなさい、私のかけら。
小さなワクワク、小さな幸せ。
私は私に戻ろう、かけらを集めて。
もっと、もっと、自分に。
自分じゃない自分になろうとするのはもういいや。


2010年08月24日(火) 78年の歴史との共存

昨日の夕方、庭から、シューッ、シューッ、と音がした。
なんだ、なんだ、と思ってのぞいてみると、
母が庭の植物にキンチョールをかけている。
プチトマトも栽培してるんだけど、それにもたっぷりと。

キンチョールって、あーた;

「お母さん、それ殺虫剤じゃん、何やってんの?」

「虫がついてるから殺してるんだよ」

そして、また、シューッ、シューッ。

あああああ…
おかあたん、トマト…(涙)
せめて植物用の薬にしてくれぇ…

でも、それ以上何も言わないことにした。

ウチは毎朝庭で穫れたプチトマトを食べるんだけど、
翌朝のプチトマトは見事にキンチョール臭かった。
こっそり何度か洗ってはみたものの、臭いは消えない。
とても食べる気にはなれなかった。

母は平気で食べていた。

こういうこと、いっぱいある。
へ???
ということを、彼女は平気でやってのける。

おせんべいを食べる時、お皿に入れずにテーブルの上に広げて置くとか。
入れ歯をみんなで使う食器に入れるとか。
食事してるそばで爪切ったり、鼻かんだり。
そのティッシュをテーブルの上に置いたままだったり。
ご飯粒がついたおしゃもじをなめて口紅べっとりつけたままにしてたり。
白いカビが生えたハムをアンナに食べさせようとしたり。
冷蔵庫に入っている4年前のしらたきを料理しようとしたり。
ぞうきんでテーブルふいたり。
はたまた台拭きで食器をふいたり。
マジ勘弁して!ってことがこれでもかってくらい。
そして、指摘するとシラを切って隠したり、嘘をついたりする。
挙げ句の果てには部屋に引きこもり。

振り返れば、母は昔からずっとそういう人だった。
そして、父はそういうことにいらついて母を怒鳴ってた。
昔はお父さんってお母さんを怒ってばっかりでひどい!って思ってたけど、
そりゃー怒るわなー。
親父よ、今あなたの気持ちがすっげーよくわかります(笑)

子供だった私にはよくわからなかったことが、
大人になって外でたくさん学んできて、今、すごくよく見えるものがある。

今まではずっといちいち指摘していた。
その度言い合い。
まさに親父と母親の夫婦喧嘩の再現。

恐らく、いや、間違いなく、abuはすごくイヤだと思う。
暮らしてて、マジ勘弁して!ってこといっぱいあるはず。
実の子供の私だって、ううう…ってこといっぱいあるんだから。
けれど、相方の親にはイヤだとかやめろなんて言えるはずもない。
いつも申し訳ないと思っている。
パートナーの親と暮らす、それほど大変なことはない。
そして、そうしてもらえるなんて、それほどありがたいことはない。
決して当たり前であってはならない。

母と同居してから、そういう意味で私はabuに申し訳なく思っていた。
もちろん、ありがたいという気持ちが常にある。
そして、母の素行を見る度、ピリピリしていた。
abuは私みたいにやいやい言わない(言えない)けど、イヤだろうなぁって思ってた。

そんな今日、ワークショップので親の話になった時、
みずゑさんがこんなことを言っていたのを思い出した。

「私達の親は、そうやってずっと生きてきたから、
 今になってそれがおかしいって否定してしまうと、
 存在そのものを否定することになってしまう。
 だからね、もういいかなって思ったんだよね」

それを聞いて、はっ…とした。

そうだよね。
そうなんだ。
生理的に受け付けないことは本当に気持ち悪いし、耐えられないけど、
でも、黙ってそれを見えなくしたり、知らないふりをしてあげることが、
いちばんいいのかもしれない、そんなふうに思った。
私がそっせんしてそうすればいいのかな、って。

母の78年の歴史をまっこうから否定するより、
それをただただありのまま受け入れて、
あまりにもまずいことは、私がそっと陰で処理して。
それでいいのかな、って。

ふと、そう思った。
私が今母にできる親孝行はそれなのかな、って。

もちろん、う!と思うことは今まで通りあるだろうし、
イラッとすることもあるだろう。
それでも、その時自分がどうあるかは選択できる。

abuにそんな話をすると、彼は、

「うん、それでいいんだと思うよ」

と、言った。
頭が下がる。
ありがとう、本当にありがとう。

私が母にやさしくできない分、
abuとアンナはいっぱいやさしくしてあげてくれる。
ふたりとも、本当にありがとう。
私のお母さんによくしてくれて。
私の分までよくしてくれて。

私は母の、おい、てめー、何やってんだよ!って部分と共存しようと思った。
いわば、彼女の78年の歴史との共存だ。
それがあってよし、それがある中で、うまく折り合い付けながら。
まぁ、私の苦手な部分なんだけどねぇ(苦笑)
やってみる価値ある。

大切な人にやさしくできると心がまぁるくあったかくなる。
そんな体験誰もがしたことがあると思う。
みんなで笑顔になれると本当に幸せ。
お母さん、私も、もちっとやさしいムスメになります。

その経過や出来事がどんなものであれ、
あなたがいるから私が今ここにいる。


2010年08月21日(土) いい仕事するコピーライターさん

普段はあんまり電車に乗らないんだけど、
今日はワークショップソースだったので、
江戸へと向かう電車に乗った。

電車にボーッと乗ってると、車内の広告なんぞを眺めたりする。
その中でも私の目にとまったのは、
松田龍平がイメージキャラクターのボスのコーヒーのポスター。
シリーズになってて何枚か張ってあったんだけど、
そこに書いてある言葉がみんなすごくいい。

忘れないように携帯のメールに打ってメモとしてパソコンに送った(笑)

「前を向く。自分と向き合う」

「正論を疑え。正解とは限らない」

「寄り道しても、回り道しても、ふり返れば一本の道」

「どんな絶望にも必ず隙はある」

くぅっ、グッとくるぜぇ…
コピーライターさん、いいよ、いい仕事してるよ!
読んでこんなに感動してるヤツがいることを、
その人に知らせたいね(笑)




今日はもう寝るざます。
素敵な体験をしてきたことを書く体力気力残っておらず。
明日はやはり写真展に行くために再び江戸へ。
久々にひいた風邪も完治してないし、
今日かなりエネルギー使ってへとへとだし、
体力温存のために早々に就寝とする。

でも、ひとこと。
いいね、ソース、本当に素晴らしい。
参加してよかった。

もうおねむ。


2010年08月20日(金) 好きなことしよう

適性テストなんかで、
あなたは○○の仕事が向いてます、
なんてのがよくある。

だからって、それをやった方がいいってことじゃない。

たとえ向いていても、
自分がやりたくなければやらない。
これ、大事。

逆に、どう考えても自分は才能やない分野、
どうも苦手なんだよな、
そんなものもある。

だからって、それをやっちゃいけないってことじゃない。

たとえ才能がなくても苦手でも、
自分がやりたかったらやる。
これ、大事。

よく

「もう○○才だから遅い」
「もう年だから無理」
「今更やりたいことなんて」

って言葉、耳にタコってほど聞く。

私は、年齢を重ねれば重ねるほど、
死ぬ時に近づいてるんだから(笑)時間がない、
どんどんやらなくちゃ、って思う。

どうせ死ぬんだ、いつか。
それなら、その前にみんなやっちゃわなきゃ。
どうせ死ぬなら、何をやったって同じだ。
それなら、気持ちよく死ねるように、生きていきたい。

定年退職したら、
子供が大きくなったら、
落ち着いたら、
経済的になんとかなってきたら、
そうやって先延ばしにしていたら、
何もできなくなっちゃう。

大概やることのリストの最後にあるものの方が重要なんだそうだよ。

ある車が欲しいなら、今は買えなくてもカタログを眺めよう。
ミニカーやラジコンを手に入れて遊ぼう。

あることをしたいなら、その分野の記事を読もう。
自分の周りに、最初は小さくてもいいからそれを取り入れよう。
それに関連するショップや会社の周りをうろつこう。

歌手になりたい、それならまずカラオケに行こう。

スタイルよくなりたい、それなら憧れの誰かの切り抜きを眺めよう。

何かをするということは、それそのものをすることだけが行動じゃない。
それに関連するものに触れることだって、それに近づいてることになる。
今は無理なら、そのしたいことに触れるだけならできるはず。
それさえもできないと言うのは言い訳。

人はできない理由を探す天才だ。
そして、それを正当化する天賦の才を授かっている。

できない理由を探していると、
できない理由を羅列していると、
悲しくなってくる。
苛立ってくる。
心が麻痺してくる。
自分ってもんがわからなくなってくる。
そんなふうだと、どんなにお金があってもどこか空しい。

できない理由より、どうしたらできるかを、考えよう。
思いつかなくたっていいんだ。
それを考えるってこと自体が、もう違う方向を向いてるってこと。

自分のそんな「どうしたらできるか」をぶっつぶすような人は、
知らんぷりしよう(笑)
そして、そういう人は自分の中の迷いを映している人だとわかっていよう。
自分の迷いがなくなれば、そんなふうに突っ込まれることもなくなる。
なぜなら人は自分を映しているだけだから。

人生山あり谷ありで、時には道を見失うこともあるけど、
見失ってるだけで、本当に道がなくなってるわけじゃない。

道がわからなくなったら、
自分の道をまっしぐらに進んでる人のそばに行こう。
いい影響を受けよう。

逆に、ぐずぐずと愚痴や悪口、
できない言い訳ばかり言ってる仲間とは離れよう。
傷を舐め合って一瞬ホッとするだけで、足を引っ張り合うだけだ。

もし1年後に自分が死ぬとしたら、
それでも1年間仕方ない人生を送るかな、って考えると、
何かが見えてくるよ、きっと。
そして、その時決断することや、発揮するパワーは、
実はいつでも自分のものなのだと覚えていよう。

好きなことしよう。

好きなことがわからなかったら、イヤなことから外していこう。


2010年08月15日(日) お掃除片付けする子ちゃん

最近、私は「お掃除片付けする子ちゃん」だ。
もちろん完璧にじゃないけど。

元々は、お掃除も片付けもめんどくさいし、
腰が重くてどんどん後回しにするタイプ。

でも、近頃しみじみ思うのは、
お掃除片付けをすると、まるで魔法にかかったように、
気持ちがシャキッとして気分がよくなるし、
モチベーションがぐぐぐっと上がるってこと。

特に、家で仕事をするようになって、
まぁねぇ、かっくいーちれーなオフィスがあればいいんだけど、
寝室が仕事部屋でもあるもんだから、日常生活と仕事が一緒なんもんで、
だらけに拍車がかかってたのよ。

暑いしどうもやる気出ないわー、
なんて暑さのせいにしてたけど、いや、違う。
エアコンで部屋がひんやりしても、ダラダラしてる。
気が散って仕方ない、集中できない。
挙げ句の果てには、ああ、涼しぃ♪なんて昼寝してる(爆)

これじゃあいかん。
さては…
そう、どっかでわかってたけど避けてたこと、そう、お掃除片付け(笑)
これをやってみたら、あらまあ、不思議。
きれいになった部屋にいると、おっしゃ、やるぜ!って気持ちになる。

そんな事実を目の当たりにしてから、
どうもだらけると感じたら、とにかく一旦手を止めて、
掃除と片付けをすることにした。
ほんのちょっとでもいいの。
やると違うんだなー、これが。

面白いもんで、私がそうやってちまちまと動くようになったら、
汚し散らかし大魔王のアンナが、部屋をキレイにするようになった。

なもんで、最近は、ふたりして、掃除片付けをして、
あぁ、部屋がきれいだと気持ちイイ.。゚+..。゚+.と悦に入っております。
子は親の背中を見てるのね、いたたた…

今でも掃除も片付けもめんどうくさくて好きじゃないけど、
それが終わった後の気持ちよさが快感になって、
めんどうくさい、イヤ、の気持ちより先に、
さくさく済ませてスッキリしよう、の気持ちが出てくるようになった。
43歳、進化しております(笑)

お掃除片付けする子ちゃんのポイントは、完璧を目指さないこと。
完璧にやるんだと思うと、気が重くなるから。
まずは、できるところだけ、気になるところだけ。
それでもやってるうちに、自然にあっちもこっちもってなるから(笑)

部屋は心の状態と同じ、と聞いたことがある。
はい、まさにその通り、と納得。

今日も部屋をキレイにしたところで、お仕事頑張りまーす!


2010年08月14日(土) ワークショップに行ってきたよー

山志多みずゑさんのワークショップ「ソース」の初日に参加してきました。
いやーっ、楽しかった!

ワークショップもそうだけど、とにかくみずゑさんが(・∀・)イイ!!
彼女とはスカイプでお話したことはあったんだけど、ナマ(笑)は初めて。
他のトレーナーだったら「ソース」は受けなかったと思う。
みずゑさんだから。

「好きなことをして生きる」

自分はもうそれ以外したくないしできない。
そうしているつもり。
そして、その「つもり」という3文字をなくすために、
私はソースに参加した。

語ると長くなるので今日は多くを語らないことにしやす(笑)

道に迷った時、ぐるぐる回ってどうにもならなくなるより、
人に道を尋ねた方がうんといい。
行きたい場所にすぐ行ける。

人生だってそうやって生きればいい。
そんなことを思った今日。
よきナビゲーターの力を借りるというのは本当に重要なこと。

大切なのは、ナビゲーターはナビゲーターであるということ。
人生を変えてくれるわけじゃない。
悩みを消してくれるわけじゃない。
自分で重苦しい場所から抜けるために力を貸してくれるだけ。

力を貸してもらったら、方法を教えてもらったら、そこから先は自分次第。
どんなにいい道具を与えられても、使わなければないのと同じ。
道具だけ与えられて、触りもせず何もせず、

「何も変わんないじゃん、何も起こんないじゃん」

ってのはお門違い。
自分の現実を動かしていくのは自分でしかない。




…ってね、頭ではわかってるけど、できないから苦しいんじゃん。
その部分がいちばんしんどいんだよね。

でもね、そのしんどいところに居続けて、もうそれにも疲れたんだよねぇ(笑)

人には「時が満ちる時」ってのが必ずある。
その時人は必ず動けるよ。
私も時が満まではずーっとぐずぐずしていた。
でも、満ちたんだよ。

だから、人の力を借りようと、素直にまっすぐに思えた。




来週の土曜にも「ソース」の2日目のワークショップが。

「ソース」、日本語では「源(みなもと)」、
それはまさに人生の謎を解き明かすもの。

あ、そゆことね、と、シンプルに腑に落ちながら、
パワフルに人が変容していくプログラム。
誰に強要されるわけでもなく、
誰に指示されるわけでもなく、
誰に道や方法を示されるわけでもなく、自分がすべてを決める。
決めずにいられなくなる。

ほぉら、だから行き詰まってたんだよ、
それをこうすれば流れ始めるんだよ、
そんな一番大切なことを教えてくれるもの、ソース。

来週がめっちゃ楽しみです!!!

ワークショップソースを申し込んだ時点から、
自分の内側で色々動きがあって、
それに連動して現実でも動きがあって、
すべては自分なのだということを実感してます。




みずゑさんにこの場を借りて心からの感謝を。
そして、一緒にワークショップを体験している仲間にも。


2010年08月12日(木) おとなこどもの会

あなたの夢は?
あなたの好きなことは?
あなたのしたいことは?
あなたの心地いいことは?

その問いに即答できない自分に気づいた時、
あ、ヤバっ、って思った(笑)

そりゃ、いくつかは思い浮かぶ。
でも、ほんの少しだ。

長い時間をかけて紙に書き出してみた。
うーん、うーん、って考えながら。
ほんの小さなことでもいいから、
夢を、好きなことを、したいことを、心地いいことを。

そうしたら、案外あるんだね。
あ、私、これしたいんだっけ、好きなんだっけ、って思い出す。
それなのに奥の方にしまっちゃってたんだなぁ。
しまっちゃってるとすっかり忘れてしまうんだけど、
思い出すとしてみたくなる。

今の自分に全然関係のないことも出てくる。

たとえば、私で言えば、歌。
高校生の時からしばらくバンドで歌ってた。
30代ではボイストレーニング受けてバーでライブをやったこともあった。
忘れてた。
好きなんだよな。

あと、かわいいもの。
私のイメージじゃないんだろうけど、いちごちゃんやかえるの小物とか。
(いちごは「ちゃん」づけで!)
アンナと100円ショップでおそろいで買った
でっかいいちごちゃんのころんとしたキーホールダーなんて見てるとワクワクする。
ダックとかも好きなんだよな。
キューピーとかも。

シャボン玉したい。
かくれんぼしたい。
ピンポンダッシュしたい(モラル的に問題あり・爆)。
草むらに罠作りたい(基本やっちゃいけません・爆)。
中学生の頃よくやった遊びで、
知らない人に「こんにちは−、お久しぶりです」ってのをしたい(こらこら・笑)。
ブロック塀の上を歩きたい。
草むらに寝転がりたい。
シロツメクサでかんむりや首飾り作りたい。
裸足で水たまりの中に入りたい。
ザーザー降りの雨の中傘をささないで飛び回りたい。
蝋石でアスファルトにお絵描きしたい。
「おとなこどもの会」なんて作ってみんなでやったら楽しいだろうな。
ピンポンダッシュと草むらの罠以外ね、あと、知らない人に…も(笑)
みんな小さい頃のあだなで呼びあうんだぜ。

ああ、そうだ、演劇部だったんだ、お芝居もしたい。
英会話もやってみたい。

うふふ、いっぱいある、好きなこと、したいこと。
そうかぁ、いっぱいあるんだね。
思い出したらなんだかうれしく楽しくなってきちゃった。

大人になると大切なことをみんな忘れてしまう。
子供じゃあるまいしそんなことできないよ、
そんな思いがかき消してしまうものもたくさんある。
でも、本当は持ってるんだよね、心の奥に宝物を。

そして、その宝物が発展して、
大人になったからこそしたいこと、できることが増えてるはずだ。
大好きだったお絵描きは、今私にとってのウェブデザインになってるし。
運動神経はそんなによくないけど、動くのは好きだったんだよな。
ひとりでもかけっこしてたっけ。
今それは空手になってる。
子供の頃のキラキラを思い出すと、今の自分の中に生まれるものがある。

好きなことをたくさん思い出したら、心にぽぉっと明かりが灯った。

「おとなこどもの会」マジで作りたくなった(笑)
あたしー、会員第一号!
その第一歩として、今、携帯にでっかいいちごちゃんつけましたーっ。




追記:

今現在、SunGoddessのホームページの「生きる知恵」が、
動作しなくなっています。
サーバー移転のゴタゴタで壊しました (/´Д`)/イヤァ〜
復旧できるよう頑張ります、とほほ…


2010年08月10日(火) たとえ100人に反対されても自分がやりたかったらやりなさい

12歳になったアンナに教えたこと。

「たとえ100人に反対されても、
 自分がやりたかったらやりなさい。

 たとえ100人にすすめられても、
 自分がイヤだったらやらないこと。

 答えはいつも自分の中にあるのだから、最後は自分で決めるんだよ。
 それが自分にとって一番いい結果なんだよ」

昔、ある人にこの話をした時、
それで失敗したらどうするのかと聞かれた。
答えなかったけれど。

もし、失敗しても、別にどうもしない。
そこには「体験」があるだけだ。

誰でも過去を振り返ると、
やっちゃった!失敗した!ってこと、山ほどあると思う。
私もわんさかある。
自分で選んだ道の先で、ヒサンな目にあったことだってある。
ある、ある、ネタになるほどある(笑)
バカだったな、未熟だったな、って思う。

でも、後悔していない。
むしろ、そういう経験こそが私の宝物になっている。
そこから学んだことが自分を作る。
ゲームで言えば経験値が上がって強くなるのと同じ。
ムダな経験などひとつもない。

そこで傷つこうが、損失を被ろうが、散々な目にあおうが、
とどのつまり、そこで学んでいるのだ。

そういう意味で、私は人生を信頼している。
だから、アンナにも好き勝手やって生きてほしい。
きっと、失敗するだろうし、イヤな目にもあうだろう。
でも、そこから必ず学ぶ。

そして、そこでの失敗やイヤな目にあったことも、
長い目で見た時、素晴らしい人生に向かうために必要なものなのだ。

そして「自分の意志で決めた」ということが、そこでは重要な要素だ。
誰のせいにもできないのだから。

また、もうひとつ言えることは、
自分にとって本当に素晴らしいものや必要なものは、
人様の思いや観念が決めるのではない。
社会の常識が決めるのではない。
それは、その人が生きてきた中で生まれた思いや観念であり、
人が社会を形成して生きてきた歴史の中で生まれた集合意識。
これはよいであろう、これはダメであろう、という形式的な考え。

でも、自分にとって本当に必要で大切なものは、自分にしかわからない。
それは魂が知っている。
魂は言葉が話せない。
だから、感情や感覚を通して訴えてくる。
衝動もそのひとつだ。

理由はよくわからないけれど、
なんだかこれがしてみたい、
あの人に会ってみたい、
あそこに行ってみたい、
あれが欲しい、
そんな衝動は私達を行くべき方向に誘ってくれる。

だからこそ、自分で決める、自分が選ぶ。
自分にしかわからないのだから。

ここで気をつけたいのは、逃避とそうした衝動を混同すること。
今目の前にある問題や、心の重さや痛みから逃れるために、
つまりは、それを感じないようにするために、半ば中毒的に何かをすること。

例えば、ひたすらゲームに没頭したり、
ネットショッピングにハマったり、
パチンコや競馬にハマったり、飲みに行ったり、
楽しいから、欲しいから、したいから、とそれをしているのだけど、
その裏には、自分の中にあるものを麻痺させる目的がある。
気晴らしと言うより、逃避。
そして、それをし続けることで逃げ続けていないと、
自分の中の避けたいものに直面してしまうので、抜け出せない、やめられない。
それがアディクション、中毒だ。
特徴として、それらは刹那的で、その一瞬は気がまぎれてもまたすぐに苦しくなる。
もちろん、私もその中毒は何度も体験している。
逃げて、逃げて、ごまかして、結局何も変わらない。
空しさだけが残る。

それと、衝動を混同しないことが重要だ。

そんなことも、アンナはきっと身を以て覚えていくだろう。
私でさえ、いつか彼女の意思に反対し、
彼女の生き方を批判する存在になるかもしれない (; ̄▽ ̄)
だから、今のうちに伝えてみた(笑)

もし、私が人の意見を聞いて生きてきていたら、
今の人生はなかっただろう。
聞くべきものは自分の声。

こわいとか、不安だとか、そういうことは度外視。
衝動とはそういうもの。
問題さえ問題ではなくなってしまうような衝動は、魂のサイン。

情熱的で動的なものを衝動と言うのではない。
つまりは、確固たるものと言うか。
その辺の違いを知っておくことも重要で。

まー、その辺もアンナさん、きっと覚えていくだろう。

はぴばーすでー、アンナ。
大好きだよ。
好きな道を行きな。

ママ、今日も色々。
ばーちゃんとケンカしたし、洗濯物取り込むの忘れて湿らせちゃった。
こんなママだけどこれからもよろすく。


2010年08月09日(月) あなたは私、私はあなた

近頃、ミョーにヤな感じの人によく出くわす。
その度にムッカー!!!となって、気分が悪くなる。
多い、多過ぎる、そういうヤツ。

あと、苦労話を連発する人にもよく出くわす。
今日なんか、市役所でもうウン十年も会ってない小学校の同級生に遭遇、
ウン十年ぶりなのに、苦労話と愚痴をしこたま聞かされた。
あまりにネガティブで気分悪くなった。

なんだかなー、最近こんなんばっかじゃん、気が重いよ…
と、夜のベランダの喫煙タイムに思った。

そして、ある瞬間、びかーん!と来た。

ああ、彼らはみんな私なんだ…

彼らと自分を切り離して考えてしまうから、
ヤな感じのヤツ、苦しそうな人、になってしまうけど、
彼らはみんな私なんだ…
その姿を通して私を見せてくれてるだけなんだ…

彼らが怒ってたり苦しんでたりするってことは、
つまり心が平和じゃないってことは、
私もまた同じであり、根底に同じ問題を持ってるってことだ。

この世界に例外はない。
ホ・オポノポノでもそうだ。
外側に見える問題は自分の問題なのだ。
そして、私もそう思っている。

思っているけど忘れていた(爆)

そして、今日、改めて思い出せてよかった。

ここ少しの間に出くわした、いや出会わせていただいた(笑)
ヤな感じの人達、そして、感じ悪いほどネガティブ過ぎる人達、
みんな、みんな、私に気づきを促してくれた人達。
ありがとう。

そういう考えに戻れた時、これまで、
あのヤロー!と思っていた気持ちがすぅっと消えて、
素直にまっすぐに、ありがとう、と思えた。
不思議だな。
本当にすーっと楽になるんだよ。

これから日々心に留めよう。
「あなたは私、私はあなた、見せてくれてありがとう」
そんな気持ちを。

そして、自分をもっとよく見つめて感じて、
解き放たれるべくして今私の中に渦巻いているものに気づいていよう。

誰かと自分、分離した時、そこにはすでに自分はいない。
みんなつながってる。


2010年08月08日(日) 道路っ端のバーベキュー

突然鳴った電話に出ると、
それは、以前この日記に書いた野菜直売所のお母さんから。
ちょっと片言な感じの日本語で、

「今日ひま?」

と尋ねてきた。
ナスを焼くからアンナちゃんと食べにおいで、タピオカでお菓子も作ったよ、
そんな素敵なお誘いだった。
ひまじゃあなかったけど、予定の合間をぬって行けそうだ。
いや、行きたいんだ(笑)
私はふたつ返事で行くと答えた。

約束の時間に野菜直売所に行ってみると、
小屋の脇にテーブルとパラソルが広げてある。
バーベキューじゃないか!

私とアンナは出された椅子に座り、
目の前にたくさん置かれているごちそうを目移りしながら眺めた。
んまそー!!!
そう、私はタイ料理大好きなのであったっ (*´∀`)

野菜直売所のご夫婦、奥さんはタイの人。
お母さんの息子さん(前のご主人のお子さんなので純粋なタイ人)、
そのお友達、そして私達、日本人3人、タイ人3人、
日本語とタイ語がごちゃまぜの道路っ端のテーブルで、
豪快にバーベキューが始まった。

忙しく動くお母さんに、

「何か手伝うことは?」

と、尋ねると、

「うん、食べること!」

だって。
母国語じゃないのに粋な返しをする人。
言葉はハートから出るんだなぁ。

色々なタイ料理をごちそうになって、
おいしいって笑って、色々な野菜の効能を教えてもらって、
他愛のないおしゃべりもして、楽しい時間を過ごした。
あっという間に時間が過ぎ、ごちそうさまを言って帰ろうとすると、

「お父さんに持ってきな」

そう言って、お父さんとお母さんはでっかい袋を差し出した。
さっき食べさせてもらった料理がみんな入っている。
感激!
私と同じくタイ料理が好きなabuも豪華な晩ごはんに大喜びなはずだ。

帰り道、自転車をこぎながら思った。

ありがたい、本当にありがたいなぁ、って。
私達家族を気に入ってくれていて、いつもよくしてくれる。

「料理作ったよ。
 あげるから取りにおいでー!」

と、お母さんから電話がかかってくることもある。
アンナのことは本当にかわいがってくれて、
激辛好きの私達用の料理とは別に、
アンナ用に辛くないものを特別に作って入れてくれる。
食べたことのない料理が袋から飛び出すのが本当に楽しみ。

最初は、遠慮がちにいただいていたし、
お礼にお菓子を持って行ったりしたんだけど、
お母さんは、

「物持ってきちゃダメ!
 野菜買ってくれるだけでいい」

そう言う。
それからは素直に甘えてごちそうになることにした。

おいしいって言う度、お母さんは嬉しそうにおおらかに笑う。
その笑顔を見る度、心があったかくなる。
いやなことがみんな吹っ飛んでしまうような笑顔。
不思議な人達。

なんでこんなによくしてくれるんだろう、こんな人がいるんだ、
そう思うとなんだか泣けてくる。
ただただ与えてくれる。
受け取ると本当にうれしそうにする。
それぞれ色々あった人生が交差して夫婦になったふたりは、
野菜と一緒にたくさんのものを与えてくれる。
そして、背中でたくさんのことを教えてくれる。
何も語りはしなくても、ふたりからはたくさんのものがにじみ出ている。

ありがたい、本当にありがたい。
ありがとう、本当にありがとう。

毎日、せかせか、イライラ、私何やってたんだろう…
最近殺伐としていた私の心が、ふぅっと深呼吸をした。


2010年08月07日(土) ほめる

今日はゴキゲン!

空手のお稽古、私以外全員小学生の中、
みんなと並んで突きをやっていたら、

「1年くらいやっている人みたいに上手ですね。
 みんな最初はなかなかうまく突けないんですが、
 いいですよ」

と、友蔵、もとい、先生に言っていただけた。

初心者まめこ(家でのコードネーム)、感激!
うれしい!!!

もちろん、その前後では、
それは違います、これをこう直しましょう、と、
たくさん指導を受けている。
トータルで見れば、できてないことがほとんど。

でも、先生はいいところを見つけてほめてくださった。
100の注意があっても、1のほめ言葉があると、モチベーションって上がる。
特に、何かに取り組んでいる時は、それが力を与えてくれる。

帰り道、口の端っこが上がるのがわかる。
にやにやにや。
俄然やる気がわいてきた。
帰ってからも教わったことを復習(笑)

ほめるって素晴らしい!!!
人をこんなにうれしくて幸せな気持ちにして、
そして、やる気にさせてくれる。

ああ、私はどれだけ人をほめているだろう。
そして、ムスメを。
アンナにも素敵なものがたくさんある。
上手なことも、エライことも。
明日から、改めて、それをたくさん言葉にして伝えよう。
意識して、うんと伝えよう。
今までよりも、もっと、うんと。

やりたい!という衝動で始めた空手。
ワクワクすることはまずやってみるもんだと実感。

まず、やってて楽しい。
そして、空手を始めてから精神的にすごくいい感じ。
体を動かしていい汗をかいて気持ちいいし、
運動不足によるストレスがなくなったのはとにかくうれしい。
きっとそのうち体も締まってくるだろうし。
あのやってる最中の頭真っ白な感じでたまんねー感覚もいい。

そうやって気持ちに張りが出てくると、
日々の生活態度が自然に変わるんだな。
だらだらしてた私の動きがよくなってる(笑)
そして、それがさらに自分を気持ちよくする。

何より、友蔵先生から学ぶことは多い。
(友蔵じーさんに似てるってだけで、すでに友蔵先生になってる)
空手以外でも、見ていて考えさせられることがたくさんある。
頭が下がる思いで眺めている。
実る稲ほど頭(こうべ)を垂れる、という言葉がぴったりの人。

衝動の先にあるものの中には、
自分に必要な贈り物がぎゅうぎゅう詰めに入ってるんだな。

明日から、アンナほめほめキャンペーン!


2010年08月06日(金) ソース(源)

たとえば、パソコンの動作がおかしくなったとする。
それは、不具合がありますよ、というサイン。
不具合がなければ現象として動作がおかしくなることはない。

それは私達の人生にも言える。
どこかに不具合があると、それが現象として現れる。

じゃあ、人生の不具合ってなんだ?

つらいこと、うまくいかないこと、思い通りにならないこと、
表向きうまくいっているようで、心が満たされず空しいこと、
生活のために必死に働いて、家族もいて暮らしは成り立っているけれど、
自分って何のために生きてるの?なんて思うこと。
色々、色々。

私が思うに、それは、自分らしく生きてないことが原因だと思う。
その原因があるから、現象として問題だと感じることが起こる。
原因なしに何かが起こることはあり得ない。

じゃあ、自分らしくってなんだ?

私が思うに、それは、自分を生かしていることだと思う。
「生かす」という言葉は、読んで字の如く、生きさせるということ。
それは、金銭的に生活が成り立つことではない。
食事をして睡眠を取って肉体を存続させることではない。
もちろんそれらはとても重要で必要で必須なんだけど。
肉体はあくまで魂の乗り物で、精神が輝いて生きてこそ、乗り物もなお輝いて生きる。
その証拠に、悩みやストレスがあると体に不調をきたすことがある。

つまり、自分を生かすということは、魂が望み欲する人生を生きるということ。
私達の魂はキラキラでひとつひとつがユニークで愛そのものだ。
その姿で生きること。
その姿が自分であると知っていること。

魂がって、あーた、ワケわかんない、ってなるかもしれない(笑)
簡単に言ってしまえば、好きでワクワクすることをすると本来の自分になれるのだ。
ワクワクは魂からのサイン。
これをしようよ!これこそがあなたを生かすものだよ!っていうメッセージ。
忘れてしまっているだけで、私達は必ず持っている。
心躍り、寝るのを忘れるほど夢中になれるもの、大好きなものを。
子供のように。
それをしていれば、私達はうまくいく。

人は生まれた時はまっさらな「自分」だ。
もともとの姿だ。
育つ過程でそれを押さえ込むことを、悲しいかな体得してしまうだけで。

魂が望み欲する人生を生きていると、私達は元気になるのだ。
そして、すべてがうまくいく。

そう言うと、

「無理だよ、好きなことじゃ食べていけないよ」
「子供じゃないんだし、世の中そんなに甘くないよ」
「私には才能がないから」
「目先の生活がギリギリなのに、好きなことなんて言ってられないよ」

そんなふうに答える人も多い。
実際、郵便局に勤めている一時期は、
好きなことをして…なんて言われると腹が立ったくらいだ。

「わかってるよ!
 でも今生活しなきゃならなくて頑張ってるんだから、
 人生そういう時もあるし、きれいごとばっかり言わないで。
 うるさいよ、黙っとけ!」

って。
かなーりムカついた(爆)
本当はそうしたいのにできないことへの悲しみや憤り。
それを実現している人への妬み。
そんなものを私はすべて持っていた。
ドロドロの黒い肉団子(笑)

頭では、好きでワクワクすることをして生きていきたい、そう思っても、
目の前に突きつけられた現実に翻弄されることはよくあるのだ。
ダメだ、生きるために何でもいいからとにかくやらなきゃ、って、
そして、郵便局でパートしてみたり(笑)
そのうち、上に書いたように、人生に「不具合」が発生して、
ああ、やっぱり自分を偽って生きちゃダメだ、と改めてわかって軌道修正したり。

振り子のように、行ったり来たりしている。
「ワクワクすることをして生きよう」と「やっぱそれ無理」の間を。

けれど、これだけははっきり言える。
統計として、好きでワクワクすることをしている時の方が絶対にうまくいく。
そして、不思議なことに次々と色々なことがつながって必要なものが用意される。
自分に力が足りなければ、力を貸してくれる人が現れるし、
道に迷っていれば、こっちだよ、と示してくれる人が現れる。
好きなことなので、やる気を出さなきゃ、頑張らなきゃと思わなくても、
オートマチックにやる気が出るし、どんどんやってしまう、むしろやりたい。
だから、気が乗らない自分にむち打ってやる必要がない。
もちろん、その中には挑戦や挫折もあるけれど、
好きなことをしているので、越えるパワーがある。

そして、今。

スピ系によくある話やきれいごととしてではなく、
実際に私が現実を生きてきた体験に基づいて、
やっぱり、結論は「好きでワクワクすることをして生きる」となる。
そうじゃない生き方をしていると、自分が自分じゃなくなり、
心が殺伐とし、人にも優しくできず、自分にも優しくできず、
自分が何のために生きているのかわからなくなってしまうのだ。
それほど苦しいことはない。

でも、ひとつ問題がある。

今私は迷子だ。
セラピーも再開したし、ウェブデザインの仕事も始めたし、
やっと方向が見えてきた感じなんだけど「何か」が足りない。
強い「迷子感」があるのだ。
そして、何より、好きなことをしているはずなのに、
多方面で色々なことが滞っていて「不具合」が多いのだ。
それは、私が自分を生かしていないことに他ならないと思った。

好きなことをしているようで、していないのかもしれないし、
好きなことをしているんだけど、やり方が間違っているのかもしれないし、
他にももっと好きなことあるのかもしれないし、
それはわからないけれど、とにかく、それを探しに行くことにした。

頭でわかってることを、現実と一致させるのだ。
そして、わかってることをスムーズに形にするために、
よりよい方法を手に入れるのだ。
道に迷ったら道を見つける、見つからなかったら聞く(笑)

自分でどうにもならない時には、人の力を借りる、これに尽きる。
ちょっと前までの私はそれさえできない心理状態だった。
おいしいものをおいしいと食べられない状態と言えばわかりやすいかも。
やっぱりどっかおかしかった(爆)
極度に依存することも、極度に孤立することも、どっちもかなりの不具合よね(笑)
今、まっすぐに「助けてください、力を貸してください」そう思える自分を見て、
ああ、自分の中で、少し前とは何かが変わったんだな、と思う。
少しずつだけど光に向かってるんだな、って

ってことで、このワークショップに参加することにした。
ソース
私の敬愛するセラピスト山志多みずゑさん主宰。
もう直感だね。
行きたい!って。
彼女だから行きたい。
他の人がソースをやっていても、私は行かなかっただろう。

彼女のメールマガジンも最高。
ぜひ読んでみて!
*ひとことせらぴぃ*ほらね元気でたじゃん♪
携帯版もあるから、気軽に読めるし。
何より、日々グッと来る言葉が届いて、読んでるうちに心の中で何かが動き出す。
短い文章なのがすごくイイ。
おひさまはいつもダラダラ長いけど(爆)
もうとにかく読んで〜!
ただだぜ、ただ。

abuに、このワークショップに行きたいんだ、と説明を始めた時、
最初のひとこと、ふたことを言うか言わないかのうちに、うわーんと泣き始めた。
涙がどんどん溢れてきた。
詰まってたものが溶けて流れ出すみたいな感覚だった。
そして、たくさんがまんしてたし、つらかったんだ、とわかった。
魂が流した涙だったんだろうなぁ。

8月の生活費を使い果たすことになるワークショップ参加。
現実的に考えたら絶対に行ってはいけない(笑)
わかっていた、頭では。
でも、私の中の炎のような衝動は止められなかった。
ここで行かなかったら私は永遠にこのままだとさえ思った(笑)
セラピストだから、なんてカッコつけてらんない。
セラピストだって道に迷うことあるんだよ、うん (; ̄▽ ̄)

そして、abuは快く言ってくれた。

「そう思うものには何かあるんでしょう?
 だったら言っておいでよ。
 行くことに罪悪感を感じてるみたいだけど、
 お金は、使うべきでないところと、使うべきところがある。
 それは使うべきところなんだよ。
 気にしないでいっておいで。
 なんとかなるよ」

ひたすら頭が下がる思いだった。
私は、もっとうわーんと泣いた。
ありがとう、ありがとう、本当にありがとう。
そして、生活費がどうなるか、メシ食えるのか、えみや家は生き残れるのか、
お楽しみに♪( ̄▽ ̄)

私は大好きな人に会いに行きます。
会いたくて会いたくて仕方なかった人。
そして、私が出会いたかったものがそこにある予感。
そうであってほしいという願い。
何より、行きたいという衝動。

今までの人生、強い衝動に従った時、すべてがうまくいった。
そこから滞っていたものが流れ始めた。

ディーラーの営業に転職した時も、
セラピストになった時も、
カメラを買った時も、
abuに出逢った時も。

みずゑさんの「ソース」、まだ若干残席あるらしい。
あ!と思った方はぜひ。
会場で迷子な私も見物できます(笑)
一緒に自分を探しに行きましょう!

人生半分生きてきた今、改めて、私の源(みなもと)、ソースに出会いたい。
今度つかんだら、もう離さない。


2010年08月04日(水) 空手始めました

今日から空手を習い始めた。

通うことにしたのは、この町にずっと昔からある古い道場。
私がランドセルしょってた頃からその道場はあった。
昔から通る度に道着の人が中でなんかやってるのを横目で見てたっけ。
まさか自分がそこに通うことになるとは、不思議なもんです。

先生はまったりした人。
もし、ピリピリしてこわーい先生だったら行かなかっただろうなぁ。
アンナの友達がそこに通っていて、
アンナが見学に行くのについて行ったんだけど、
本人じゃなくて付き添いだった私がやりたくなった(笑)

昔、ジムでボディコンバットをやっていて、
上手い下手は別としても(笑)格闘技系や武道系の動きが好きになった。
そして、やってて楽しい。

ジムでダンス系もやったけどそっちは続かなかったな。
コアリズムもどうも性に合わなかった。
いや、厳密に言うとどんくさくてついていけなかった(爆)
それならビリーズ・ブートキャンプの方が楽しくてついていける。

そんなこんなな下地もあって、先生のまったり感もよくて、
空手をやってみたい気持ちになったんだと思う。
もうめっちゃワクワクするもんね。

先生、まったりして、ほえーっとしてて、
見た目は、ちびまる子ちゃんの友蔵じいさんみたいな感じ。
でも、空手やり始めると別人になる。
突きをすると空を切る音がするんだぜ、シュッ、シュッ、って。
すっげぇぇぇっ、じいさん、すげぇよ!!!

その道場、大人はあまりいないので、
大勢のちびっ子にまじって基本の型を教えてもらい、
ひたすらそれを練習した。

いやぁ、いいねぇ、なんつーかあの感じ。
まだ全然なっちゃいないんだけど、楽しいねぇ。
その瞬間、他のこと考えないし、
緊張感の中で精神は静かにやわらかく澄んでる感じ。
1時間があっという間だった。
いつか周りのちびっ子達みたいにすごい動きできるようになるといいな。

帰ってきたら腕と背中の筋肉が張ってて、
久しぶりにパンプアップした感じに満足。
また筋肉を取り戻せる予感。
マドンナみたいにもりっとしたいぜ、もりっと。

月謝が3000円なんだよ。
安いっしょ?
で、週に3回練習日がある中で好きなだけ出ていいの。
休みも好きでいいの。
ゆるいっしょ?

でも、先生実はすごい人とお見受けした。
基本、私は、すごいのに全然フツーにしてる人が好き。
これみよがしな人より余計にすごく見えるしカッコイイ。

毎日の中に好きで楽しいものがひとつ増えました。
うれしいな。
ありがたい、本当にありがたいです。
それがどれだけ私を幸せに軽やかにして、スッキリとさせてくれることか。

今思い出したんだけど。
子供の頃から、女の子のテレビ番組ってあんまり見なくて、
仮面ライダーとかウルトラマンとか、ゴレンジャーとか、そういうのばっかり見てた。
で、戦闘シーンのキックやパンチの真似をするのがすごく好きだったんだよね。
誰もいないところで、男の子がするみたいに、
うりゃーの構えやケリとかやってたなぁ、こっそり。
そういうことね(笑)

小さい私と一緒に楽しみます。


2010年08月03日(火) Oshoトランスフォーメション・タロット 12・受容性

私の中は質問でいっぱいだった。

どうしたら満ちてゆける?
満ちるためには何をしたらいい?
どうしたらいい?
どこへ行けばいい?
どう在ればいい?
そして本当の自分とは?

知りたくて、知りたくて、仕方なかった。
答えをつかんでいないことが不安で、
少しでもボーッとするとすべてが崩れそうで自分を忙しくした。

そんな自分に気づいてゆるりとすることがあっても、
またいつの間にか戻ってしまっていた。

今日、久しぶりにクリック。
Oshoトランスフォーメーション・タロット
(飛んだページの左のメニューの中のOshoトランスフォーメションタロットをクリックしてね)
そうしたらこんな答えがやってきた。

膝かっくんをされたみたいに力が抜けた。
ああ、そうだ、このカードはまさに私のことだ。

私は手放さなければならないものがあると気づいた。
その瞬間を楽しみ、お茶を味わって飲む時のように、
私がここに "いなくなる" ために。
それにより受け取るために。

マインドゲームを終わらせよう。




Today's Card.

12. 受容性
The professor and his thirst for answers

積極的に答えを探し求めるのをやめるときです。
自分自身を空にして、全存在を受け入れるようになりましょう。
ただリラックスして待ち、楽しむことです。

********************

哲学の教授が、禅のマスター、南院のところに行って、
神、瞑想、さらに非常に多くのことをたずねた。
マスターは沈黙したまま聴いていた。
そして言った。

「あなたは疲れているようだ。
 あなたはこの高い山を登ってきた。
 あなたは遠いところからやって来た。
 まず、あなたにお茶を出させてほしい」

哲学の教授は待った。
彼は質問で沸き立っていた。
だが、湯沸かしが歌い、茶の香りが広がり始めて、
マスターは彼に言った。

「待つがいい! 
 そんなに急いではいけない。
 誰にわかる?
 茶を飲むことによってすら、あなたの質問に答えが出るかもしれないのだ」

教授は自分の旅全体が無駄だったのではないかと思い始めた。

「この男は狂っているようだ。
 お茶を飲むことで、神についての私の質問に答えがでることなどどうしてありえよう?」

だが、彼は疲れてもいたので、山を下りる前に一杯のお茶を飲むのも悪くはなかった。

マスターは急須をもってきて、茶碗に茶を注いだ。
茶は受け皿にあふれだしたが、彼は注ぎつづけた。
そして受け皿もいっぱいになった。
あと一滴で茶は床にこぼれる! 

教授は言った。

「おやめください!
 なにをやっているのです?
 茶碗がいっぱいなのが、受け皿がいっぱいなのがわからないのですか?」

すると南院は言った。

「これこそあなたが入り込んでいる状況だ。
 あなたのマインドはあまりにも質問でいっぱいになっているために、
 たとえ私が答えたとしても、その答えが内に入ってゆくためのスペースがあなたにはまったくない。
 それに、私はあなたに言うが、あなたがこの家に入ってからというもの、
 あなたの質問がそこらじゅうにあふれている。
 この小さな小屋はあなたの質問だいっぱいだ!
 戻るがいい、自分の茶碗を空からにして、それから来るがいい。
 まず、あなたのなかに小さなスペースを創ることだ」

あなたは南院よりももっと危険な人物のところに来た。

私とだと、空の茶碗ではだめだからだ。

茶碗は完全に壊されなければならない。
空であっても、もしあなたがそこにいたら、あなたはいっぱいだ。
あなたのなかに茶を注ぎ入れることができるのは、あなたがいないときだけだ。
あなたがいないとき、実際には、あなたのなかに茶を注ぎ入れる必要などない。
あなたがいないとき、全存在があらゆる次元から、あらゆる方向から注ぎ始める。


2010年08月02日(月) もういい加減がっつり本当の自分でいたいよなぁ

私は非公開で検索にも引っかからないブログをひとつ持っている。
そのタイトルも「かわいいゴミ箱」。

そのブログは、その名の通り私の「ゴミ箱」。
吐き出したいことを何も考えずに書いている。
主に、落ちた時用ブログ(笑)
自分以外誰も読まないので、もう書きたい放題よ(爆)

人に見られないとなると制限が外れるので、
いやー、ありのままの気持ちを書きなぐる、
後から見ると、読めないくらいひどい(爆)
どこのネガティブ大魔王なんだと思うような内容ばかり。
元気な時に読んでみると、なんでこんなに苦しんでんだ?
と不思議に思うほど。

でも、そこで吐き出すことによって、自分の中が整理できたり、
書いているうちに落ち着いてきたりと、
実はそのゴミ箱、結構いい仕事してくれる(笑)

これまで書きなぐってきた内容をトータルで見てみると、
自分が苦しくなっている時に書く内容に共通する言葉がある。

「私はダメだ、最低だ、何の役にも立たない」

「私は誰?
 私は何のために生きてるの?」

「私なんていない方がいいんだ。
 私がいない方がみんな幸せなんだ」

「消えたい」

と、まあ、そんな感じかね。
やけに客観的にこうして書いているのは、
普段はそんなふうには全然思っていないからだ。
だからまるで他人事のように見える。

その思いがふつふつと湧いてくるのは落ちている時だけ。
いや、何かがきっかけでその思いが湧いてくるから落ちるのか、
とにかくスイッチが入っちゃうと、そうした想いの場所に入るらしい。

かわいいゴミ箱のおかげで、
自分の奥の方にこびりついている想いに気づくことができる。

あと、ゴミ箱の言葉を読んでいて感じるのは、
自分を見失ってる時もやはり落ちているということ。
よく使われる言葉で言えば「自分を生きていない時」。

好きなこと、やりたいことをしていない時、
好きなこと、やりたいことがわからない時、
ワクワクを喪失してる時だね。

他に、家族に優しくできない時とか。

そうやって自分が落ちる時ってのを観察してみると、
色々な原因はあるんだけど、
結局は複合的に色々絡み合いつつつながってたりして、
自分を評価できない、許せない、愛せない、ってのが根っこらしい。

自分を責めてるんだよね、ずくずくずく、と、執拗なまでに。
そういう時は周りの人、主に家族に当たり散らすし、
特にアンナには迷惑かけてます、母さんってば… (´・ω・`)
心理的距離が近い家族には、そうしたものが出やすい。

日常の中の何かがスイッチになって、
自分のダメさが身にしみたりすると、やたら周りの誰かにイライラする。
それは、周りの誰かにダメだとジャッジしている自分を見てしまうから。

イライラしたり、怒ってる時は、本当は悲しいの。
怒りの下には必ず悲しみや寂しさがある。
怒ってる時「今自分は悲しんだな」と考えるようにすることは、
意識してやってみてほしい。

私って、俺って、ダメだ、
何らかのきっかけで、何らかの状況の中で、
そんなことをひしひしと感じると、
自分はダメなんだと思ってる部分を見せてくれる人に対して怒りを感じる。
ミョーに許せなかったり。
で、執拗に責めてしまったり。
でも、本当はその人じゃなく自分を責めてるんだよね。

そういうもんなんだと認めるだけでも、
だんだん色々なことが見えてくるようになる。
まず認めちゃう。

私なんか、大体アンナにぎゃーぎゃー言うことって、
自分に言ってることだもんねぇ (; ̄▽ ̄)
まんま自分攻撃。

逆に、相手に対して思うことや、感情的に口をついて出てくる言葉は、
自分に対しての思いや言い続けている言葉。
だから、自分が根っこの方で自分をどう思っているのかがわかる。

自分がいい感じだと思える時、なんか調子いいぞ、楽しいぞ、
そんな時、周りの人に対しても優しくできるのは、
自分にオッケーを出せているから。
自分を受け入れた分だけ周りを受け入れられる。
仮に同じ家族の言動に対しても、
そういう時は腹が立たなかったり、気にならなかったりする。
自分を責めていないから、周りの人を責めない。

話がちっとそれたけど、
自分を評価できない、許せない、愛せない、ってのは、
突き詰めていくと、本来の自分を生きていないということになる。
なぜなら、人は存在そのものが愛なのであり、
ひとりひとりがかけがえなく美しいものなのだ。
ただそこにいるだけで何かを成している。
たとえ何もしていなくても。

けれど、それを感じられないような時、苦しくなる。
自分の存在が愛に満ちてイキイキして輝いていると感じられないと。

子供がみんなイキイキして輝いているのは、
ま、難しいことは考えていないにしても、
自分の存在に対して何の疑問も否定的観念も持っていないからだ。
自分を見失うこともない。
個が分離しておらず、感じたまま思ったままがまんま自分なので、
葛藤もなく、自分がわからないということもない。

けれど、育つ過程で、親や周りからの言葉などで、
自分というものを誤って認識していくと、
(あなたは悪い子、それがダメ、あれがダメ、そんな言葉やそれを感じさせる態度、
 そんなものによって刷り込まれる、自分はダメなんだ、という認識、
 愛されない自分、という自己像)
セルフイメージが本来の姿からどんどん離れていってしまうので、
私は誰?ここはどこ?何のために生きてるの?になってしまう。

本当はシンプルなんだよね。
苦しくなるのは、自分じゃない自分を自分だと思ってしまっているというだけのことで。
そして、本当の自分を思い出すことで、
私達は心地よく素晴らしい流れの人生に戻っていくことができる。

じゃあ、どうしたら本当の自分を思い出せんのよ!?
それに戻れんのよ!?
ってことになる。
セラピーとかセミナーとか、他にも色々方法はある。
戻るんだと深い部分で決めた時(無意識に決めているので自覚はないこともある)、
そういう情報や人を引き始めるよ。
もし、あれ、これかも?って何かがやってきたら、乗っかっちゃってください。
それがあなたを導いていく。

自分のかわいいゴミ箱をのぞく度、
私の奥の方にもまだそんなものがあるんだなぁ、と感じる。

まあ、昔に比べたらずいぶん減っただろうし、
そういうものを客観的に面白おかしく眺めている分、
前進してきたんだなぁ。
もちろん、落ちてる最中はずっぽりそこにハマってるけど(笑)

誰にでもある。
心の闇。
遠い昔に刻み込まれた悲しい物語の記憶。
でも、誰でもそこから抜けていくことができるよ。

本当に大切なのは「何をするか、どうするか」じゃない。
「どう在るか」だ。
在るべき姿であれば(本当の自分、本来の自分)、
何をするか、どうするかは、おのずと見えてくるのだから。
さあ、そろそろ私も改めて自分の深い部分に触れて、
もっともっと本当の自分に出会おうではないかっ。
もういい加減がっつり本当の自分でいたいよなぁ

そろそろ白髪染め流してこなきゃだ。
お風呂&バブシャワータイム。
美容室で染めるのやめて、最近は「ラフィーネ」使ってんのよ。
回数を重ねて染まっていくんだけど、なかなかいいみたい♪
リピ確定だね。


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