おひさまの日記
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2003年10月31日(金) 自分になる

素晴らしい人がいると、自分もそうなれたらいいなぁ、って思う。
そして、その素晴らしい人があまりに素晴らしく、
追いかけて、真似しても、同じようになれない時、
ああ、私には無理だ、ああはなれないよ、そううなだれる。
無力感や自己嫌悪に襲われる時も。

でも、今日、ふと思った。

そうか、私はその人にならなくていいんだ。
私は私になればいいんだ、って。
だって、その人と全く同じになんて絶対になれないんだから。
逆に、自分にしかなれない形ってもんだってあるんだから。

素晴らしい人からは、そのエッセンスだけいただけばいい。
そのエッセンスを自分のエッセンスとブレンドすれば、
他にはない自分だけのものができ上がる。

たとえそれが今はつたなくても、
私は私になるために、
素晴らしい人のエッセンスをいただき、時に盗み、
自分の持っているものとブレンドし、
やがては、私にしかないもの、私にしかできないもの、
そんなものを生み出そう、今日、そう思った。

今までもそんなことを考えたことあったけど、
今日、改めて、こうしてスピークアウト、いや、ライトアウトか!?
することで、それを明確にしようと決めたのだった。

自分になろう、って。
自分を作っていこう、って。

私には、私にしかできないことがある。
あなたには、あなたにしかできないことがある。
そして、それを必要としている人が、世界のどこかに必ずいるのだ。
それが私達の「価値」なのだ。


2003年10月29日(水) たまご

たまご。
人ってたまごみたいだ。

生たまごを割ると中身がでろーんとなって崩れてしまう。
でも、ちゃんと茹でてから割れば、ぷるんとしたまるい中身が出てくる。

たまごの殻は、人それぞれのペルソナ、
本当の自分を隠して周囲に順応するための仮面。
その仮面が必要でずっとつけていたのだから、
殻を割るように、いきなり仮面を外してしまったら、
たまごの中身がでろーんとしてしまうように、
自分が崩れて形にならず、生きていられなくなってしまう。

そして、カウンセリングやセラピーを受けたり、
本を読んだり、誰かと接したり、様々な体験を重ねたり、
そうやって心の準備をしていくことが、
たまごを茹でることと同じなのだ。
殻が割れても中身が崩れないようにすること、
つまり、仮面を外しても、その下にある本当の顔で生きていけるようになること。

その準備が整ったら、
茹で上がったたまごの殻を割るように、仮面を外せばいい。
そうすれば、丸い形になったたまごが出てくるように、
崩れない自分、仮面に頼らずに形を成せる自分が現れる。
時には、準備が整うと、ひとりでに仮面が外れることもある。

茹でたまごと違って、人の心の準備は10分ではできない。
時間がかかる。
でも、必ず茹で上がるのだ。
準備が整う日が来るのだ。
それまでは、焦るより、じっくり茹で上がる自分を待つ方が、
とても賢明で、また近道だ。
ゆっくり、ゆっくりで、いい。
茹でると決めたら、必ず茹で上がるんだから。

殻の中にいることは悪いことじゃない。
大切なのは、殻が割れるかどうかじゃなく、
自分が今無理せずラクチンかどうかなのだ。

気付きや変化のプロセスで答えを得ることは、さして大切なことではない。
その答えが欲しいばかりに焦っても、いいことはない。
わからないことがわかるようになるのは、そんなに偉いことでもない。
偉大なのは、待つことができる人だ。
プロセスを信頼して体験を重ねる勇気を持つことができる人だ。
気付きや変化は、機が熟した時にひとりで向こうからやってくる。

そうそう、何がって、たまごね。

みなさん、茹で上がってから殻をむきましょうね。
それまでは殻の内側でじっと待ってていいんです。
そして、茹で上がったら必ずむきましょうね。
茹で上がってるのにむかないでいると、腐っちゃいます。
たまごが腐ると臭いよ〜(笑)


2003年10月28日(火) 小さな奇跡

今日のセッションの後で、とても素敵な体験をしたので、
セッションを受けたご本人の許可を得てここでシェアしようと思います。

クライアントHさんのセッションでの出来事。

彼女は、ヒプノセラピーの中で、一羽の鳥に出会いました。
緑の深い森の中を飛び回る極彩色の美しいその鳥は、
Hさんをそこでずっと待ってたようです。
その鳥は、もうひとりのHさん自身でした。
Hさんが鳥を抱いてみると、羽を怪我していました。
隠してはいたけれど、他の場所も怪我をしている様子。
けれど、今までずっと飛び続けて来ました。
美しい姿で飛ぶとみんなが喜ぶから。
とても痛かったけれど、とても苦しかったけれど、
そして、飛びたくなかったけれど、飛んでいたのでした。
人々の期待のために。
痛がる鳥は抱かれて泣いていました。
Hさんも泣きました。
Hさんが来てくれたことを、この鳥はとても喜びました。
そして、もう飛ぶのをやめて、
自分が好きな水辺で過ごすことを決めたのでした。
水の中に入っていくと、その極彩色の美しい鳥は、
どこにでもいるようなただの鳥になりました。
美しい色さえも、人を喜ばせるためのもので、
自分が望んだものではなかったのでした。
もはや、特に目立ちもせず、美しくもなく、飛びもしない、
その鳥は、とても幸せそうでした。

そしてHさんに言いました。
「わかったでしょう?」

もうひとりのHさんであったその鳥は、
望まれるままに美しい色を身にまとい、
人の期待に応えるために、怪我の痛みを押してまで飛んでいました。
自分の意志ではなく、人の意志で飛んでいました。
けれど、もうそれをやめ、ありのままの姿で、
好きな水辺に浮かんでいることを選んだのでした。
それは、本質的な自分の姿を取り戻し、
新しい決意と共に人生を歩き出すHさんそのものでした。

そして、Hさんは、
その鳥から「小さな鍵」を贈り物として受け取り、
こちらの世界へ戻りました。

Hさんがセッションを終え、椅子に座ると、ベランダから鳥の声が。
「あ、鳥だ」
と言うHさんの声に振り向いた私が見たものは、
ベランダの手すりにいた一羽の鳥でした。
どこにでもいそうなその鳥は、少しの間、ベランダの手すりの上にいると、
またどこかへ飛び去って行きました。

Hさんも私も言葉にはしませんでしたが、
それがどういう意味か、暗黙のうちに理解したのでした。
「あなたの中でのあの鳥との体験は真実ですよ」
そんなメッセージが訪れたということを。

私は胸がきゅーんとするような感動を覚えた。

セッションの後には、時々こうした小さな奇跡が起こる。
奇跡とも言えないような、小さなものだけど、
クライアントさんと私に、
セッションルームで起こった体験が真実であると
メッセージを送ってくれるようなそんな体験が。

セッションを終えた途端に、
何かを洗い流すように雨が降り出したり、
またその逆で、人生に光が差すように突然太陽の光が差したり、
そんなこともある。
偶然と言えば偶然のようなことだけど、
私はそれを小さな奇跡と呼びたい。

いいんだ、それで。
それで体験や人生がハッピーになるなら。
同じ出来事なら、ハッピーに解釈したい。

Hさん、素敵な体験をありがとう。

これを読んでいるあなたの人生にも、
そんな偶然を装った小さな奇跡がいっぱい転がっているはずです。
心を開けばそれはすぐそこに。


2003年10月27日(月) 宝物…、そ、それは…

今日、アンナを寝かしつけながら、
「アンナはママの宝物だよ」
と言ったら、
「宝って小判?」
とアンナが言った。

そ、それ、「まんがにっぽん昔話」(ビデオ)の見過ぎ!








今日、抜歯しました。
麻酔が切れても痛みは皆無に近く、ラクチン。
抜いた歯が過剰歯で、
それがあるがゆえに、普通の歯が磨けなくて無理して、
歯茎も傷めたりしていたけど、
これからは楽に過ごせそうです。

でも、抜けた歯を見たら、なんだかちょっと寂しかった。
今まで一緒にいたんだよなぁ、って。


2003年10月25日(土) 今日出会ったプロフェッショナル

またひとり、素晴らしいプロフェッショナルに出会った。
近所の百貨店の中のスポーツ用品店で、靴売り場を担当している人だ。

足が大きくなったアンナに新しい靴を探してたんだけど、
なかなかいいのがなくて、これってのを買うに至らなかった。

今日、その百貨店にふらっと寄ったら、
スケッチャーズの子供用で、すんごく可愛いのがあった。
店の人に聞いてみたら、残念ながらサイズがなかった。

今日は買うのやめよっかな、と思った矢先、
「ご希望のメーカーとか、こだわりとかあるんですか?」
と店員のおにーさんが聞いてきた。
私がないと答えると、
「足のことを考えて機能的に作られてるのは、
 やっぱりニューバランスなんですよ」
と言うと、彼はアンナのサイズのニューバランスを出してくれた。
私は心の中で『機能はよくても高くちゃ話にならん』と思っていた。
案の定、子供の靴の割には高く、予算を超えていた。
迷った。

すると、彼が言った。
「よかったらお母さんもニューバランスの靴を試しに履いてみてください。
 いえ、買ってほしいんじゃないんです。
 お子さんがどんな感じで靴を履くのか、
 その履き心地を知っておくのもいいと思うんです。
 ニューバランスは、大人用の作りを忠実に子供用に再現してるので」
私は、なんだかよくわからないけど、それもそうかと思い、
彼が出してくれた大人用のニューバランスのスニーカーを履いた。

すると、私は思わず「あーっ!」と叫んでしまった。
な、な、なんて気持ちいいの…!?
靴ってこんなに気持ちいいものなの…!?
私は感動した、そう、まさに「感動」なの。

最近は、デザイン重視&値段で勝負!そんな感じだった。
歩いて足がちょっと痛くなってもあたりまえ、
心地よくはなくても不快じゃなきゃそれがいい、
そういう感覚になっていた。
ヒラキは常連だし。

なのに、なにっ!?このスニーカーはっ!?
軽くて、足が包まれて、フィットしてる感じ。
そして、足の裏がマッサージされるみたいに気持ちいい。
こんな靴履きたい!こんな靴欲しい!そんな気持ちになる。

ふと、思い出した。
安いからと980円の靴を買い与えた時、アンナは足が痛いと言っていた。
ヒラキで180円の靴を買い与えた時、「重たいよ、脱げちゃうよ」と言っていた。

そして、思った。
こんな気持のいい靴をはかせてあげられたらいいなぁ、って。
私は迷わずおにーさんが出してくれたニューバランスを買った。
そのスニーカーは、私にとって、もはや高い靴ではなかった。
私の中で商品価値が上がり、支払う額が妥当だと感じられたのだ。

私の中でそういう変化を起こしたそのおにーさん、まさにプロフェッショナル!
彼は、ただ単に口八丁で靴を売り付けたのではない。
彼はとても靴が好きなのだと言っていた。
だから、靴のことをお客さまに知ってもらいたい、って。
謙虚だけど熱心なその想いが、ただの通りすがりの私のような客に、
今まで知ることのなかった履き心地のいい靴を手にする喜びを伝えてくれた。
そして、それは私にとって新鮮な発見だった。
靴への価値観が書き換えられた瞬間だった。

私、スニーカーはスケッチャーズが好きだったんだけど、
次は必ずニューバランスを、あのおにーさんから買おうと決めている。
私の予算や希望やイメージに合ったもの、選んでもらおうと思ってる。
またひとつ楽しみが増えた。

何かの中にある本質的なよさや輝きに出会った時、
自分が知らなかった大切なものを与えてもらえる時、
自分ではできないことをとても素晴らしい技術で提供してもらえる時、
私達は本能で喜びを覚える。
プロフェッショナルとは、そういうことが人できる人のことを言うのだろう。

自分がド素人のエリアに頼りになるプロフェッショナルを持つことは、
人生を心地よく豊かにする秘訣だ。

美容師、リフレクソロジスト、セラピスト、
カフェマスター、ピアニスト、車の修理屋さん、
ジムのインストラクター、バーテンダー、エステシャン、
そんな沢山のプロフェッショナルが、私をサポートしてくれている。
私が心地よくなるために、惜しみなくその「持つもの」を与えてくれている。

また、彼等はそれぞれの技術に伴い、高く素晴らしい人間性も持ち合わせている。
何かに秀でていても、人としてハテナでは本当のプロではない。
知識や技術の他に、人としての魅力を持つ人こそ、
真のプロフェッショナルと言えるのだろう。
そんな彼等の技術や知識は、安心して自分の人生に取り入れられる。
そして、取り入れたことにより、人生が楽しく、素敵に、豊かになる。

私の人生に、頼れる靴のプロフェッショナルが加わった。
彼も私の人生をより豊かにしてくれる人になった。
今日の買い物のように。

今日はトレカフェでゆっくり過ごした上に、
普段はあまりじっくり喋れないナオミちゃんの妹ゆりちゃんとも話せたし、
その帰りには靴のプロフェッショナルに出会った。
格別にいい日だ。

アンナの赤いニューバランス。
明日、ねねのところのお茶会に履いてくってさ。
くぅ〜っ、今度絶対にニューバランス買うぞ!


2003年10月18日(土) お金は回る

お金は回るんだよね。
今月、しみじみ思った。

私の収入はセッション料に比例するわけであって、
セッションの多い今月は収入も多いんだけど、
そういう時は出費も多いんだなぁ。

そして、ああ、また出てく、って思うんだけど、
それが苦しい状態かと言うと、そうではなくて、
必要な時に、
必要な分が入ってきて、
必要な分が出ていく感じ。

貯めることを考えると、正直ちょこっと焦りもあるんだけど、
これだけ、必要な時に必要な分が回るのを体験してみると、
いざという時、やっぱり必要な分が来るんじゃないかと思えてくる。
そうすると、なんか安心する。

それに、面白いことにも気付いた。
手元にいくばくかの諭吉があって、やりくりして残った時、
妙にヘンな気持ちになったのだ。
「これ、何に使えばいいんだ!?
 こ、困るよ!」
って感じの、妙な戸惑いのようなもの。
それに気付いた時、自分でも驚いた。
まとまったお金が手元にあることに困惑するんだ、私って。

そして思った。
「ああ、そうか、私はやりくるのが好きなんだ。
 だから、やりくるようにお金が巡って来て回るんだ」

うふふ…って笑ってしまったよ。
やっぱり現実は自分が創造しているのだ。
私が安心する好きな状況になるように、お金も回ってるんだ。
なーんだ。
もし、すごい金額が私に回ってきても、
きっと、何かに使ってしまうんだろうなぁ、って思った。
そして、それなら、喜んで気持ちよく、お金を巡らせようと。

お金は、誰に取っても、すごく現実的かつ切実なテーマだ。
時には汚い話にだってなる。
リアルだ、ものすごくリアルだ。
それなしには生きられないんだし。
そして、それだけに、
その人の持つテーマをはっきりと見せてくれたりもする。

お金もエネルギーの一種なので、放出した分は、必ず戻ってくる。
それが、お金では戻ってこないかもしれないけれど、
同等のものとして戻ってくる。
例えば、私が中島先生のセッションを受けたら、
お金は戻ってこないけど、
先生から得た「きらりーん!」というものを受け取る。
セッションを終えて、長い期間に渡って受け取り続ける。
自分の財産となるのだ。

しかも、面白いことに、喜んで出したものしか戻ってこないそうだ。
特に、人のために出したものには、同等もしくはそれ以上が戻ってくるそうだ。

けれど、精神的に不安定でギャンブルに注ぎ込んだり、衝動買いしたり、
打算でや、イヤイヤ出費したようなもの、
そういうお金は戻ってこないお金なのだそうだよ。

昔、精神世界にハマってる友達が、
「必要な時に必要な分は必ず入ってくる」を信じて、
衝動に任せ、あらゆるものをローンで買いまくっていた。
でもね、それは違うのね。
自分の支払う能力を見極めるのも大切で、
それは自分を知るということなんだけど、
そういう現実とリンクさせながらお金と付き合ってかないと、
すごいことになっちゃう。
彼女は、その後、ローンレンジャーと化し、支払いに追われ、
最後には支払えなくなり、
「必要な時に必要なものが…」
と言っていたカウンセラーを恨んでいた。
とんだ逆恨みだ。
彼女の買い物のすべての根源には、
打算と好意に見せかけた人のコントロールと、
(モノを買って与えること、
 金銭的な援助をすること、
 それによって自分を受け入れてもらいたい気持ち、
 自分を正当化したい気持ち)
心の苛立ちに比例する買い物依存があったのだ。
そういうお金はまず戻ってこない。
戻ってこないどころか、支払いに当てる分も回ってこない。

逆に、見えないものへの投資、特に純粋な衝動で自己投資したものは、
無形の財産になって戻ってくる。

それなら、せっかくだもの、お金は気持ちよく回したいものだ。

お金だけじゃない、想念や行為もそうだ。
因果応報、自分が出したものは自分に帰ってくる。
なんでもぐるんぐるん回ってるのだ。

地球も回ってるしな。
これは関係ないか。

でも、「回る」ってさ、循環じゃない?
循環によって何かが整い、進化するじゃない?
すべてがこれなのかも、と思う深夜でした。


2003年10月09日(木) 生きていくということ

知らなかった自分を知る。
気付きを得る。
癒しを体験する。
道が開けたように感じる。
そして、始まる日々は以前よりも新しい。

けれど、やがて、また行き詰まる。
辛くなる。
思い通りに行かなくなる。
問題が発生する。
悩みが出てくる。

カウンセリングやセラピー、ヒーリングを受けている人は、
きっとその繰り返しだと思う。
いや、すべての人がそうだと思う。

でも、それが生きていくということだ。

「癒し」はひとつのプロセスでしかない。

例えば、私がやっているヒプノセラピーはひとつの癒しのツールだ。
確かに、人の潜在意識の中に眠る人生の問題の根源に辿り着き、
時に穏やかに、時にダイナミックに心を癒してゆく。
けれど、それで人生が変わるかと言うと、実はそうではない。
気付きや癒しを体験し、リニューアルした自分で、
これからの日々を積み重ねる準備のためのツールでしかないのだ。

人生という長いスパンの中には、さらに細かいスパンがいくつも存在する。
それぞれのスパンでそれぞれのプロセスを積み重ね、完了する。
完了、つまり、そのステージでの学びの完了だ。
そして、それをベースにして、次のステージに進み、新たな課題に直面する。

そのひとつのスパンの中に、どんな流れがあるのかと言うと、
最近よくクライアントさんにこんなことをお話しする。


  気付いていなかった自分を知る

       ↓

  自分本来のものでなかった観念を手放したり、
  自分本来のものを取り戻す(癒し)

       ↓

  新しくなった自分で現実の中でアクションを起こす
  
       ↓
 
  現実の中で自分がアクションを起こしたことによる変化を体験する

       ↓

  体験することによって
  自分の新しい思考パターン、観念パターン、行動パターン、
  生き方を定着させ、確立させてゆく


それが、ひとつのスパンの流れのように思う。
それまるごとひっくるめて、ひと固まりなのだ。

そして、そのひとつが終わると、情け容赦なく次の課題がやってくる。
それで、「ああ、また辛くなってしまった…」と感じるのだ。
自分が変わっていないのでもなく、
後戻りしたのでもなく、
純粋に次へと移行しているのだ。

だから、人生はまさに山あり谷ありだ。

私はヒプノセラピーの看板を掲げてはいるけれど、
それは、私の持つツールのひとつでしかない。
昔はひたすらヒプノセラピーをしていた。
でも、それでは全然足りないと感じたのだ。
ヒーリングを学び、
ワークショップのアシスタントをしながら中島先生のカウンセリングを学び、
セッションを重ね、
いつしか私の今のスタイルが出来上がった。

私がカウンセリングに重点を置くのは、
癒しというひとつの切り取られたプロセスの一部分だけでなく、
そのひとつひとつスパンを全面的に応援したいというのが理由だ。
カウンセリングの中には、
レクチャーもヒプノセラピーもコーチングも含まれるからだ。

いつも思う。
より効果的なものを提供したい、って。
時にはセッションで行き詰まる。
中島先生にアドバイスをいただくこともある。
私も常に悩んでいる。

だからこそ、私は多くの人に伝えたい。
人生はいくつものステージ、いくつものスパンの積み重ねであり、
私達は常に前進している。
どうにもこうにもその場所に留まってしまっているように思える時でさえ、
私達は前進し続けているのだ。
ひとつのスパンの過渡期にあってもがいている私達は、
輝きを見い出そうとして必死なのだ。
辿り着く場所を目指している真っ最中なのだ。

小学生が数字を覚え、足し算を覚え、
やがて分数の問題を解くようになるように、
私達も、ひとつの学びを終えると、
それをベースに次のものを、
また、それを終えたら次のものを、
そうやって生きていく。
それが生きていくということだ。
生きるということは進化していくことだ。

私達は、ただ生存するためだけに生存することを越え、
生存するだけではない、何か本質的に大切なものをつかもうとしている。

私達の魂は本能で成長したいと願っている。
その学びの場が人生だ。
人間として生きることだ。

だから、生きてください。
悩んで、苦しんで、そして、生きてください。
それが、あなたが輝こうとしている証だから。
あなたには必ずそれができるから。

私達には、今、それを知る時が来ているのです。

私達は、
愛を知らないふりをすることはできても、
愛から離れることはできません。
ひとりぼっちだと落胆してそう信じて、
帰る場所がないと絶望していても、
ひとりぼっちになることはできません。
いつもあなたを見守って導いている大いなる力がそこにあるから。
変化することを求めてください。
幸せになることを求めてください。










最近日記をあまり書かないでいたら、
「どうしたのですか?」「楽しみにしています」などのメールをいただいた。
すごーく嬉しかった。
読んでくださっている人がいるんだなぁ…って。

今月は、ありがたいことに、驚くほどセッションが多く、
慌ただしくて、日記に割く時間がない。
メールのお返事も滞っている状態。

みなさん、本当にありがとう。
お会いできたひとりひとりに、
このサイトに来てくださるひとりひとりに、心からありがとう。


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今日も読んでくれてありがと♪すごくうれしい!
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エンピツユニオン