当直明け - 2006年10月25日(水) 昨夜の内科当直は0時過ぎまで本当に何も来なくて ああ本当に患者なしの新記録かも、と思いつつ就寝したのでした。 しかしそんな都合の良い話があるはずもなく、3時頃呼ばれる。 結局外科転科となる見込みだったので、 検査のオーダーは明日で、と上の先生と話が纏まる。 そして再び就寝するも、30分程ですぐに呼ばれる。 そこからがもう。怒涛の如くでした。 2時間、専門医を待てるかな、と思っていたのですが 結局突如急変しそれどころではなくなってしまったのでした。 その前にどこの病棟にするかということでゴタゴタがあったりして (しかし結局当直の看護師さんに若干難あり、だっただけで どちらの病棟の看護師さんも良くしてくれたのでした。) それが結果にどれだけ関与したか、って多分全然関係ないんだけど それでも色々なことが少しずつ悔やまれる結果になってしまったのでした。 やれるだけのことは全てやったけれども、それでも少しの後悔が幾つかあって。 コーディネーターというか、そのような役割をちゃんとできる人っていうのは やはり必要です。特に一刻を争う場面では。 結局それから眠ることなく外科の回診が始まり 昨日の流れで受け持ちとなった外科転科となった救急患者のプレゼンをしたのですが 変わった主治医から結構怒られたのでした。 何についてかというと、朝まで検査を待ったことです。 言いたいことは凄く良く解るし、確かに正論。けれども。 一応昨夜は主当直の先生が朝まで検査を待つことを決めたのでした。 というのは朝になってからの方がより多くの検査が出来ることと 主治医になる人の検査オーダーに沿ったほうが良いであろうこと。 さらに朝まで待っても然程問題にならないと考えられたからでした。 主治医に「何でやらなかったの」と言われても、さすがに○先生が…とは言えず。 ひたすら謝って言葉を喉の奥に飲み込んだのでした。 だってその主当直の先生も大変だったし 色々良くして頂いているから、悪く言うことなんてできないし。 確かにあの時「検査しておきましょう」と言えなかった私も悪いし。 それでもやっぱり、でも、と思ってしまいます。 ああちょっとぶちまけてしまった。 あのひとは午前中どこかに行かれていたみたいです。 珍しい時間に私服を着ておりました。 昨夜は偶々二人になる時間があったのだけど やっぱり無言でした。 私は書類仕上げたかったし、楽譜も書かなきゃいけなかったし。 あのひとも何か作業をしていたみたいだし。 そんなものなんだけどね。 - 落ち着いて良かったのです。 - 2006年10月19日(木) いろんな誤解が解けたということもあって 精神状態は落ち着いたのです。比較的。 昨日まではあんまり本調子ではなかったのですが。 しかしここのところの疲れでしょうか。 手術中に倒れました。 正確に言うと、気を失う寸前で清潔野から降りたのですが。 正直血が噴出すとか、そういうことには全く抵抗がないのですが。 体調不良と手術室の温度の変化にやられたらしいです。 「何か暑い」⇒「ちょっと気持ち悪い」⇒そこからものの2分で意識消失。 眼鏡からの視界とそうでない視界の区別がつかなくなりました。目の前が白くなったのは久々です。 ああせっかくリスモダン出して貰ってたのだから 朝から予防的に飲んでおけば良かった…。 手術前はやっぱり飲んでおこうと思います。 単なる血管迷走神経反射なんだから放っておいても良いんだけど。 清潔野に倒れこむ、ってことだけはやっぱり避けたいので飲む。 飲むと気持ち悪い時間はむしろ長引くんだけど…。仕方が無い。 それにしても、夫には感謝です。 一昨日からこっち、ずっと支えてもらいっぱなしです。 精神状態についてもそうなんだけど、手術室での一件の時も 彼は見学していたので助けに入って貰えたし。 同じ職場ってやりにくいなぁ、と思っていたのですが やっぱりいてくれると何かとありがたいものです。 夫への感情はまぁそれはそれとして。 いま気になるひとは、私は目を見ることが出来ません。 いいことなのか。いやそうでもなさそう。 - - 2006年10月18日(水) いつも感じていた。 疎外感、というよりは馴染めない自分。 本当に不器用だな、と思う。 結局これまで、様々な場で馴染めずに生きてきた。 家族の中ですら、感じることがある。 今でも付き合いのある中・高の友人たちの中でも。 大学なんて、言わずもがなだ。 どうやっても、すぐには馴染めない。 時間を掛けてやっと馴染めることがあるぐらいで。 無理をしている自分に気がつくのだ。 だからいっそ一人でいても放っておいて欲しい、と思う。 それほど苦痛ではないから、可哀想だなんて思わないで。 可哀想だと思われていることの方がよっぽど辛い。 私の疎外感は、他の人への壁へと変質する。 結局自分で他の人を遠ざけているのだ。 でも全く逆の人間がいる。 気がつくといつの間にか、どこででも馴染んでいる人。 そういう人を見るとやはり、羨ましいと思うのだ。 妬みすら感じることもある。 その人も集団に馴染むのに、努力をしているのだろう。私の知らない努力を。 でも私はそのやり方すらわからない。 そして時々強く感じるのだ。淋しい、と。 - - 2006年10月17日(火) 朝から物凄く苛々としている。 驚くほどに。原因はあるんだかないんだか。 なので屯用の薬を既に今日は2錠飲んでいる。 夜しっかり眠れれば変わるんだろうな。 でも明日は手術手洗いなのでマイスリーを飲むわけにはいかない。 今さっぱりとこの気持ちを晴らす方法を知っている。 机の引き出しに入っているカッターを使えば良いだけ。 しかしそれをやると、結構後々面倒くさい。2ヶ月前の傷がまだ残っている。 でも誰も気にしないんだから、きっとやっても大丈夫なんだけどね。 苛々する日には本当にいろんなことが重なるようだ。 今だってそう。 やってられない。 体中を掻き毟って自分の裏と表をひっくり返してしまいたい。 痛みを。強いものを。 結局使ってしまった。 しかし病院ってのは手当ての道具が一通り揃うって面では中々便利だ。 そういうもののために使うものではないんだけどさ。 取り敢えず少し落ち着けそうだ。 あのひとは近くにいる。 だから見ないようにする。 - 今はただ圧倒されるだけ。 - 2006年10月16日(月) 気がつくと途方も無く大きくなっていた。 いつの間にか萎れて、そして消えてしまうと知っているけれど 今はその大きさに圧倒される。 いつの間に、こんなに育ってしまったんだろうか。 解らない。 あと半年。じっと待つしかない。 突然あのひとからコールが入ってきた。驚いた。 今あのひとは私の指導医ではないし、まして内科ですらないのだから。 ごく他愛無い用件だったのだけど。 少し話していて、夫が先に帰っていて食事を用意してくれている、という話になった。 きっと夫婦仲が良いと思われているし、それは全く間違いではない。 実際仲は良いのだから。 「でも実は私、今、隣にいるあなたが好きなのです。」 そう言ったらどうなっただろう。 そう言える筈などないので苦笑した。 でもね、これは本当。 今日は一段とあのひとのことが好きだった。 そんな日でした。 明日になればまた少し、気持ちが変わってくれるかもしれません。 - 眩暈がする程の青さ - 2006年10月15日(日) 久々の更新哉。そんなことしてないで早く書類書けよ!とな。 長い休みが取れたので丸々実家に帰っていました。 ずっと沖縄で暮らしていたので やっぱりここが私の所属する土地だな、と実感。 友人にも沢山会えたし、リフレッシュできて良かった反面 こちらに戻って来た途端に沖縄が恋しくてなりません。 風は私を巻き込みながら過去をも通り抜けて行く。 あの頃と変わらない空の青さが傲然とそこに在った。 仕事に関しては外科です。ああ外科。本当に苦手。 切ったり貼ったりってのに抵抗があるわけじゃない。 麻酔科になりたいんだから手術室が嫌いということでもない。 ただ本当に合わないだけ。 でも研修である以上仕方が無いのでできるだけのことをするしかないのです。 薬を飲み続けても。 昨日久々にあいつからメールがあった。 アドレス変更したなら、別に連絡してくれなくても良かったのに。 そうすればもう連絡を取らなくても済むのに。 でも嬉しいと思う私もいるんだ。 だから凄く短くても、返信なんて送ってしまったんだ。 送った途端、今度は待つ立場になってしまう。それが嫌だったのに。 けれども以前ほど待ち焦がれる自分はもういない。 7年。あなたが薄れていくまでこんなにも歳月を要してしまった。 だから多分、あなたは私が一番愛したひとだった。 でもいつかは心の痛みも癒えていくんだね。 それに気付けたことが嬉しい。 癒してくれた周りの人達。夫に。感謝したい。 先程まで、今好きなあのひとが近くで仕事をしていた。 あのひとは気付かない。私の気持ちには。 何気ないふりをしているけれど、実は凄く緊張していて あのひとのいるところに直接目を向けられないこと。 病棟の看護師さんに、「先生寝不足?」と言われる。 昨日眠れなかったんですよ、と話すと 恋煩いなの?と返された。 一応新婚だしそれはないです、と言っておいたけれど 内心は苦笑。 看護師さんは夫のことを想定して言ったのかもしれないけれど 私には思い当たる節があるから。 眠れなかったのはそれだけが理由じゃないけれど 恋煩いか。響きは良い。 -
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