月の輪通信 日々の想い
目次|過去|未来
朝、洗濯物を干しに出て、久々に山の木々の上を走る風の音を聞いた。 新緑の木の葉を揺らして、遠くの方からざわざわと緑の波が押し寄せてくる。 満艦飾に干しあげた洗濯物もそれに呼応するようにハタハタと揺れる。 真っ白なTシャツが風を含んで、揚々と走るヨットの帆のようだ。
今週末に行うお茶会のために、アプコに白いシャツを買った。 裾に幅広レースのついた、長めのカットソー。 襟ぐりが少し広めに開いたデザインは、普段アプコが着ているイラスト入りのTシャツよりちょっと大人っぽくて、近頃とみにおませになってきたアプコのお姉さん心を刺激したらしい。 「見て、見て!」 と早速試着して、くるりと回る。 「なかなか、いいじゃん。」 短めのスパッツとあわせればいい感じだ。サイズもちょうどいい。
ふと見ると、アプコの白い胸元に小さなぽっちりが二つ。 一見して布地の汚れかなと思ったのだけれど、そうじゃない。 ああそうか。 華奢でちびっこだから、まだまだと思っていたけれど、もうそういうお年頃になってきたんだな。 5年生。 アユコも初めてブラをつけたのは、5年生だった。 学校でも、宿泊学習を前にして「女の子だけのお話」があったようだし、クラスの子の中には少しずつ少女の体型になりつつある子もいる。 アプコの胸の小さなぽっちりも、健やかな少女の成長の証。 「アプコのおっぱい、見っけ!」と、ふざけて言ったら、キュッと胸を隠して恥ずかしがるしぐさも、ちゃんと少女の振る舞いだ。
「そろそろ、下に何か着けた方がよくなってきたんだねぇ。」 通販のカタログなどを持ちだして、ジュニア向けの下着を探してみる。まだまだ、本格的なブラジャーはいらないけれど、ジュニア向けのタンクトップくらいは必要だろう。 アユ姉は、初めてのブラをつけるとき、ストラップのついたブラはなかなか着けたがらなかった。Tシャツ越しに透けて見えるストラップが恥ずかしいというのだ。だから、長いことタンクトップタイプの「プレブラジャー」で通していた。 「もしかして、アプコも?」と思い訊いて見ると、アプコは今アユ姉が着けているみたいな普通のブラが欲しいのだという。 アユ姉がすることは何でもかっこいいと思えるアプコには、大人の女性の匂いのするブラジャーにも何の抵抗感もないのだろう。 憧れと羨望に押されて、大人へのハードルを易々と飛び越えて行ってしまえる末っ子姫の爛漫がまぶしい。
とはいえ、やせっぽちで脹らみのないアプコの幼い胸には、ブラジャーはまだ無理だ。 アプコの乙女心を満足させるために、とりあえずストラップのような肩紐のついたタンクトップを購入することにする。 ついでに、そろそろ「女の子の日」に備えた下着類もそろえておいたほうがいいのかもしれない。 家の中では、いつまでたっても「チビちゃん」のアプコも、いつの間にやらそんなお年頃。 髪型や洋服を気にする様子にも、大好きな父さんに甘えてしなだれかかるしぐさにも、だんだん、花開く前の少女の淡い香りが感じられるようになって来た。 早いもんだなぁと感慨しきり。
京都で寮生活に入ったオニイ。 連休には「こっちじゃ、休みにこれといってする事がないから」と、帰省してきた。 帰宅して来た日のオニイは妙にハイテンションで、いつも電話で聞くくぐもった声も数トーン高くて弾んでいた。 たった数週間の不在にも関わらず、喜んで兄を迎えた弟妹達が密かに顔を見合わせたりした。
「毎日、なんとか食べてる。料理もそこそこしてるし。 同室の先輩達が料理上手なんで、時々ご馳走してもらってる。 んで、『200円』とか『300円』とか、その場のノリで先輩がつけた値段を払うねん。 結構ごちそう、食べてるねんで。」 なんだか、楽しそうだなぁ。 男の子の寮生活って、なんだか長い長い合宿生活のようでいい。 親元を離れての新生活の不安も、ぐちゃぐちゃ、わさわさの日常に紛れて、感じる暇もないのかもしれない。
「なんだか、君の話は食事のことばっかりやなぁ。 なんか、陶芸の学校へやったのか、お料理学校へ行かせたんだか、判らなくなるわ。」 と揶揄ったら、 「だって、おかあさんに土練りのことなんか、話してもわからんやろ。 陶芸もちゃんとやってるよ。」 と切り捨てられた。 はぁ、そうですね。 何せ、母は陶芸、素人ですから。 あれこれ心配しながら自分を送り出した母に、「とりあえず、うまいもん喰ってる。」という言葉で安心をくれようとする息子。 おうおう、オトナになったねえ。 連休明け、私は毎朝オニイに定時に送っていた目覚まし代わりのメールをやめた。
少しのインターバルがあって、今日、オニイが送ってきたメール。 前日に私が送った銀行の口座の事務のメールの礼にそえて一言。
「すんませんなあ 画像は努力の賜物」
暗い画面にアンモナイトの化石。
・・・・ではなくて、土練りを終えた粘土の写真。
陶芸修行の第一歩は土練り。 大きな粘土の塊を全身の力を込めて捏ね上げ、リズミカルに練っていくと、手の中の粘土塊の表面に規則正しい練り跡が美しい螺旋を描く。 その螺旋が折り重なる菊の花弁に似ていることから、「菊練り」という雅な名で呼ぶ。 普段父さんが土練りをすると、その手の中で重い土塊は軽やかに弾んで、まるで魔法のようにあっという間に渦を巻く。 これまでにオニイも、何度か工房で父さんに習って土練りの稽古をしたことはあったが、なかなかきれいな菊文を見るには至っていなかった。
繰り返し繰り返しの訓練の賜物なのだろう。 陶芸修行の門をくぐったばかりのオニイの胸に、誇らしい菊花の開花。 「やったぁ!」という瞬間をそのままに画像に納めて父母に送る、オニイの気持ちが愛しい。 ちょっとだけ、胸が熱くなった。
Nさんがいなくなった荷造り場で、さっそく包装の仕事。 久々に包装紙やら薄様紙やら、紙の感触を味わう。 何事にも几帳面だったNさんは、裁断した紙のはぎれや使用済みの梱包材、他所から発送されてきた再利用可能なダンボールまで、きれいに仕分けしてそろえておいてくれた。当面の仕事は、彼女が整えておいてくれたシステムにそのまましがみついていれば、なんとか滑り出すことが出来るだろう。
昔、義母とともに荷造り作業をしていた頃と比べると、道具の置き場所や作業場の使い勝手が微妙に違う。Nさんが在職中、荷造り場の仕事はほとんどNさんにお任せ状態だったので、作業場自体、Nさん仕様に変化して行ったのだろう。 正直なところ、Nさんがいるときには、そのことがちょっと窮屈に感じたりしたこともあった。けれども、実際彼女がいなくなって見ると、窯場からも事務所からも毎日とめどなく「お仕事のタネ」がなだれ込んでくるバックヤードでもある荷造り場を、果たして私一人で切り回していけるのだろうかと不安になってくる。
ちょっとした備忘のメモを取ろうとして、手元にまともに書けるボールペンが一本もないことに気がついた。 いろんな人が出入りするバックヤードでは、手近においてある筆記具や小さな文房具類がしょっちゅう消える。「ちょっと拝借」がそのまま誰かの胸ポケットに収まったり、他の場所のペン立てに紛れ込んだりしてしまうからだ。 そういえばNさんも自分の仕事場のセロテープ台や鋏などが「ちょっと拝借」で移動して戻ってこないことを時々愚痴っていた。自分が定位置と定めた場所に置かれた手に合う道具が、使いたいと思ったときにそこに置かれていないということは、ごくごく小さなものにすぎないが確かに軽いストレスではある。 新しい鉛筆を数本削り、新品の事務用ボールペンを下ろして、その1本1本に小学生のように自分の名前を書いたシールを巻いた。 新しい住処の玄関に表札を上げたような気分だった。
ミレーの有名な絵に「落穂ひろい」というのがある。 セピア色の農場風景。数人の女性が収穫後の畑に落ちた麦の穂を拾っている。 初めてこの絵を見たとき、それは収穫を喜び、刈り残した小さな落穂を拾う農婦たちの勤勉を描いたものだと思っていた。 けれども実際には、この絵に描かれた女性たちは農婦ではなく、自分の労働だけでは食べていけない寡婦や貧農たちなのだという。 当時の慣例で、収穫後の畑に残された落穂を拾い集めて糧とすることは、彼らの権利として認められていて、畑の持ち主が落穂を残さず回収することは戒められていたのだという。 私はそのことを、時々自宅のポストに布教誌を入れていくある婦人の手書きのメモから教えられた。
畑の持ち主が、どの程度落穂を畑に刈り残しておくかは、各個の裁量に任されていたのだという。 施しのための落穂の量は、等しく定められたものでもなく、誰かに強制されたものでもない。言わば、自分で決めた量だ。 自分の持っているもののなかから、どれだけのものを畑に残すか。どれだけのものを施しにまわすか。それは、自ら選んで決めることである。 そんな緩やかで厳しい律法で、人としての生き方を縛った古い基督教の教義の柔軟さに驚く。
結局のところ、私が抱え込んでいく仕事や役割というのは、私が収穫後の畑に残しておく施しのための落穂の量なのだろうと思う。 誰から強制されたものでもない。 どこから割り当てられたものでもない。 私がやらなければならないと思っている仕事は全て、私の持っている力の範囲内で最大限克服していかなければならない課題でもある。 なぜならそれは多分、どこかで私自身が選び、私自身が決めた仕事だからだ。
いつも長いスカートを揺らしながらやってきて愛想よく布教誌を投函していくその婦人は、いったいどのような趣旨でもって私にこの短い落穂拾いの挿話を書き記してくれたのだろう。 急に自分に割り当てられた新しい役割の重さに戸惑ったり、愚痴ったり。 まだ手をつけてもいない仕事の山にいじけたり、挫けたり。 「なんで私ばかりが・・・」と思う気持ちと、「本当に私に出来るのだろうか」と惑う気持ちと。 そんな私の意気地のない逡巡を、見知らぬ彼女が知る由もない。 それでも慌しい荷造り場の作業の合間に、彼女の几帳面な文字で書かれた落穂拾いの挿話が思い浮かぶのは、私が新しい仕事を自分自身の役割として受け入れつつあるからなのだろう。
今度もまた、やっていける。 きっとなんとか、やっていける。 真っ白な薄用紙の束に包丁をいれ、裁断する。 紙を切る涼やかな音は、愚かしい右往左往を鮮やかに斬ってゆく。
|