月の輪通信 日々の想い
目次過去未来


2009年04月30日(木) 仕事の日々

10年来、工房に勤めてくれていた二人の従業員さんたちが、同時に退職することになった。
作品の包装や梱包、発送などの業務を一手に引き受けてくれていたNさんと、土づくりと型の仕事を黙々とこなしてくれていたHくん。
窯元としての仕事の重要な部分を担ってくれた二人の不在は痛い。
幸い、H君の仕事を受け継いでくれる新しい職人さんは、ひょんな偶然からすぐに見つかった。この春からオニイが通っている学校の卒業生だと言う。
今週初めから出勤していて、Hくんから土作りや型仕事の引継ぎをしてくれている。
一方、Nさんのやってくれていた包装や梱包の仕事は、当面のところ私が引き受ける事になった。以前には義母と一緒にやっていた仕事なので出来ない事ではないとは思うが、釉薬掛けや調合の仕事と並行して果たして務まるのだろうか。
来月末には窯元主催の大きな茶会を控え、これからはその準備に最もあわただしい時期に入る。
漠然とした不安がわらわらと沸いて来たりする。

いつもどおり、淡々と通常の業務を終えて、Nさん、Hくんは帰って行った。長い間置かれていた二人の私物や道具類が片付けられ、それぞれの仕事場が何となくそこだけガランと空いたような気がする。
従業員である彼らは、何か事情が出来たり、辞めたい気持ちになったりすれば、早々に自分の仕事場を片付けて新しい職場に渡っていくことも出来る。
それに比べて、窯元の嫁である私は、おそらくは生涯この職場を離れることはない。
夫である父さんがここで仕事をし、成長した子ども達がこの仕事を受け継いでいく限り、私もまたこの場所で、黙々と釉掛けをし、汚れ物を洗い、梱包や包装の仕事をちまちまと片付けながら老いていくのだろう。
家族で家業を継いでいくということは、そういうことなのだろうなと、しみじみと思う。



2009年04月22日(水) 喰える?

毎年、一番遅く咲く駅前の八重の桜もそろそろ終わりが近い。
「ほら、おみやげ」
帰宅したアプコが、帰り道に拾ってきた柔らかなピンクの花弁を差し出した。
5年生になっても、相変わらず道路に散り敷いた桜の花弁をそっと拾ってくる習慣はやめられないらしい。アプコがもっと幼い頃には、通学帽いっぱいに拾った花びらをふわふわと宙にばら撒いて、「セルフ花吹雪」を楽しみながら下校してきたこともあった。
格別きれいな一輪だけを選んで持ち帰るようになっただけ、少しお姉さんになったと言うことか。
ゼリーの入っていた丸っこいガラス瓶に水を満たして、はかなく薄い花びらを浮かす。
「わぁ、きれい。」と手をたたいて瞳を輝かせる様は、まだまだ幼い。





夕方、オニイからのメール。
珍しく、画像つきだ。
「こいつら、喰える?」
入寮直後に近所のスーパーで買ったジャガイモ、玉ねぎ。使い余して放っておいたら、春の暖かさにつられて一斉に発芽が始まったものらしい。
がははと笑って、「芽のところを取りのぞけば大丈夫。喰え!」と返信する。

オニイが家を出て、十日。
初めての自炊生活もなんとかうまくやっているようだ。
メールや電話でも相変わらず仏頂面のオニイは、向こうでの生活の有様をあまり多くは語らない。
それでも時折思い出したように帰ってくる短いメールからは、新しい土地、新しい生活にゆっくりと自分の場所を育み始めているオニイの奮闘振りがそれとなく知れる。

がんばれオニイ。
ジャガイモや玉ねぎだって、芽を出し、根を張り、ズンズン成長していくのだ。
君も、やれる。






2009年04月12日(日) 親離れ子離れ

「じゃ、行ってくる」
両手に紙袋をぶら下げて、オニイが旅立っていった。
いつもなら車で送る最寄駅までの道のりも、今日は徒歩で出かけたいから要らないという。
アプコの柔らかいほっぺたをフニフニと撫で繰り回して、「コイツのこの感触もしばしばしの別れじゃ」と笑う。
今日はオニイの旅立ちの日。


家財道具は数日前に父さんの運転する車ですでに運び込んである。
車で2時間の見知らぬ町。
格安で選んだ学生寮は4件共同のコンドミニアムタイプ。
がらんとした部屋にとりあえず段ボール箱を運び込み、近くのホームセンターでカーテンやスチール棚を買い込んでおいてきた。
バス、トイレ、キッチンの共同スペースには、先住の先輩達の生活用具が雑然と並んでいる。いかにも「男子寮」のむさくるしさ。
ともに一人暮らしの経験のない父と母は、「うひゃー、面白そう」と見慣れぬ生活空間に興味津々だったが、唇を堅く結んだオニイは引越しの旅の車中、何となく不機嫌な様子だった。
見知らぬ町、見知らぬ人々のあいだでたった一人で生活していく、その現実への不安に押しつぶされそうになっていたのだろう。
次第に無口になっていくオニイにむりに言葉を求めることもせず、これから彼の生活圏となる街を車で巡った。
古い田舎の家並みに、学生向けの単身用マンションやコンビニが入り混じる雑然とした町。医院や金融機関など生活に必須な施設はあちこちに見られるが、本屋やCDショップなど楽しみのための店舗は見られない。場違いに駐車スペースの大きいパチンコ屋があったくらいか。
寮の近くには、まだ新しい感じのショッピングセンター。自宅近くにあるスーパーよりも品数も多くて、学生単身者向けの惣菜や生活用品も充実している感じ。それほど本格的に「自炊」しなくても、日々の食生活は維持できるだろう。
とりあえず、食が確保できるだけで、何となく上手くやっていけそうだなと安堵してしまうのは母の愚かな能天気ゆえ。思わず主婦根性を出して、「朝掘り」と朱書された大ぶりの筍とセール品のうなぎの蒲焼を買い込んで帰った。
オニイの不機嫌は、帰宅してからもしばらく続いていたように思う。




「途中、京都あたりでちょっとブラブラしていきたいんだけどな。」というオニイの手には紙袋の大荷物。ちょっと困った顔でオニイが笑う。引越し荷物に入れ忘れた衣類や枕(!)が入っているのだという。
その恰好で京都の街を歩いたら、一昔前の田舎から上京してきたばかりの学生じゃんとツッコミそうになったけれど、実際、オニイ自身その通りの心境に違いない。
宅配便で送ってやろうかともちらと思ったけれど、母のおせっかいももうこれっきりだ。自分のうっかりの結果は自分で担いで歩けばよい。
スマートでなくていい。
ズルズルとかっこ悪く、不器用に迷えばいい。
君らしく歩けばよいのだ。

息子が巣立ってゆく。
18歳。
巣立ちの日が、晴れやかな青空の日で本当によかった。









2009年04月01日(水) 巣立つ季節

朝、ベランダに出たら、ふわふわと花吹雪。
対岸の山桜が暖かい春の風に花びらを散らしている。
はらはらと舞っては流れてゆく春のひとひら。



オニイの入寮の日がきまった。
引越し準備のダンボールが少しづつ部屋を占領していく。
衣類や自炊道具、布団やTV。
最低限に揃えた家財道具で、送り出す。
相変わらずの朝寝坊、相変わらずの仏頂面で、残り少ない家族の時間を過ごすオニイ。
ほんとにちゃんと一人で生活していくんだろうか。
毎日三食、まともなご飯を食べられるんだろうか。
落ち着かない思いに駆られて、引越し荷物の隅にオニイの好きな即席めんやレトルト食品を少しずつ忍ばせる。どこのスーパーでも売っているようなありふれた食品をついつい買い足してしまう母の愚かさ。
「そんなの、あっちでも買えるし・・・」とふてくされながら、「いらない」とも言わないオニイにも、どこか不安はあるのだろう。
それが正しい巣立ち前の心境。



アユコ、アプコとともに10年近く通った書道教室が突然閉まることになった。
指導のTさんが、離れて暮らす母上の介護に通うことが必要になったため。
とても勉強熱心な先生で、私も娘たちも本当によく教えていただいた。
一年生から習い始めたアプコは、アユ姉のように小学生のあいだに特待生になるのを目標に頑張っていたので、とてもショック。
私もこのまま、おばあさんになるまでお習いできると思いこんでいたので、突然の決定に呆然としてしまう。
今日はその最後のお稽古日。
ずっと置かせてもらっていた書道用具を片付け、在庫の半紙や墨汁を沢山いただいて持ち帰った。
とりあえず、アプコのためには早々に新しい教室を見つけてやらねばとは思いつつ、なかなか気持ちの切り替えが出来ない。


焦ったり、足掻いたり、拳を固めたり、嘆いたり。
慌しく走り回るうちにあっという間に冬が通り過ぎていった。
見上げると、春。
たった1日、暦が変わっただけなのに、なにやら世間には新しい風。
まだ、グダグダの混沌の中に溺れる私を取り残して、巣立ちの季節は着々と進む。
待って!待って!と伸ばした手の指の隙間から、サラサラと春の時間がこぼれ落ちていく。



月の輪 |MAILHomePage

My追加