月の輪通信 日々の想い
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2006年09月25日(月) ツユクサ

秋晴れのいい天気。
朝から張り切って、洗濯物をバンバン干す。
干し物には、夏のカンカン照りもいいけれど、爽やかな風を含んだ秋の日差しもいい。はためくシーツの影が躍っている間をついとトンボが横切って行ったりする。
勢いに乗って、家中をガーガーと掃除機で回る。
休み明けの朝はどうしてこんなにも綿ぼこりがたまっているのだろう。
階段の隅にたまった埃の中には、昨日食べたチップスのかけらやアプコが遊んだ小さなビーズの取りこぼしがかすかに混じる。こどもたちが遊んで食べた名残の綿ぼこりなのだなぁ。
遠くから、小学校の運動会練習の音楽が切れ切れに聞こえてくる。
いい朝だなぁと思う。

「おかあさん、おみやげ!」
と駆けてきたアプコがブンと突き出すのは、ツユクサの花束。
帰り道の道端で摘んできたらしい。
朝、登校の時には瑞々しい朝露を含んで青く輝いて咲いていただろう露草は、アプコが下校してくる時間にはすっかりしぼんで、花の名残をぶら下げた残骸になっている。
コップの水に挿しても、回復するのは青々とした大きな葉っぱばかりで、青い花弁は元の鮮やかさを取り戻すことはない。
何度も何度も花摘みをして、アプコはツユクサの花弁のはかなさはよく知っているはずなのに、それでも懲りずにツユクサの花束を作る。その幼さがいとおしい。
「ありがとね」と言いつつ、受け取った花のないツユクサを食卓に飾る。

昔一度、私は「おかあさんが好きな花よ」とツユクサの名をアプコに教えたことがある。
それだけの理由で、アプコは何度もツユクサを摘む。

父さんの仕事場へ行ったら、小さなコップにここにもツユクサの一枝がさしてあった。
アプコが持ってきて、置いていったのだと言う。
ふと見ると、傍らのスケッチブックに父さんの描きかけのスケッチ。
「そのうち何かの役に立つかと思って」
と、父さんはいたずら描きのスケッチに照れて笑う。
複雑な枝ぶりや滑らかな葉っぱの流線型を正しく写した父さんのスケッチのツユクサには、今はもう干からびてしまった青い花弁が瑞々しい輝きのまま元の姿で咲いている。

父さんには、しぼんだあとの葉っぱばかりの枝に、青い花弁のツユクサの花が見えるのだな。
「おかあさんのために・・・」と夢中で花を摘んでくれたアプコの気持ちが見えるように。
そのことを、スケッチと言う目に見える形に表現して残すことのできる父さんをうらやましく思う。
だから今日、私は花のないツユクサのことをここに記す。


2006年09月21日(木) 頼りになる人

月下美人が咲いた。
一度に6つも。
今年3度目の開花。
いつもは深夜に咲くのだけれど、今回は夕暮れ時から少しずつつぼみがほころびかけたので、子どもらも一緒に開花の過程を楽しむことが出来た。
「夢みたいにきれい。」
と誰かがつぶやく。
ガラス細工のような繊細な花びらは数時間の命。
朝になるとシュンとしぼんで、見る間に朽ちていく。
また一つ、季節を見送る。

いつもより少し遅めに帰宅したアプコが思い出したように
「おかあさん、今日の宿題ね、『おうちで生き物を捕まえてくること』!」
と言う。
聞くと、捕まえた虫や魚を絵にかいて、短い詩をつけて作品にするのだと言う。この間から学校へ虫取り網や虫かごを持っていって「生き物探し」をしていたようだけれど、結果が芳しくなくて「おうちで採集」という宿題になったのだろう。
「でね、あたし、川へサワガニ捕りに行こうと思うんだけど・・・」
いまからですかぁ?
母、うんざり。
もう日は翳りかけているし、水遊びにはちと寒い。それに川べりは蚊も多いしなぁ。
「今からサワガニなんて見つからないよ。その辺の草むらでバッタでも捕まえたらどう?」
と、適当にあしらって取り合わないでいた。

そこへ帰ってきたのはゲン。
もう4時を過ぎているのと言うのに、今からO君が遊びに来ると言う。
Oくんは、家でザリガニをたくさん飼っているといって、その生餌用の小魚を掬いにうちの近くの川へたびたびやってくる。ゲンはよほど気が合うらしく、連日のようにOくんとともに魚とりに興じている。
今日もまた、川へ遊びに行くつもりだろう。
「ねぇ、ゲン。アプコが明日サワガニを持って行きたいといってるんだけど、アプコも一緒に川へ連れて行ってもらうのは無理よねぇ」
とダメもとで聞いてみたが、ゲンもやっぱり困った顔で「う〜ん、勘弁して」といって、そそくさと出かけていってしまった。

次に帰ってきたのはアユコ。
「おなかすいたぁ。体育祭の練習、しんどかったぁ。早く、お花、生けてこなくっちゃ。」
と帰ってくるなり、部活で頂いてきた花材を抱えてバタバタしている。
「アユねぇちゃん、あのね、サワガニね・・・」
と擦り寄るアプコのおねがいはアユねぇにもさらりと流されてしまう。

頼みのアユねえにも見放されて、アプコはぷいとふくれて家の前の空き地の草むらで虫探しを始めた。
いつもならかまきりだの、こおろぎだのすぐに見つかる草むらなのに、宿題で探すとなるとしょぼいショウリョウバッタの赤ちゃんくらいしか見つからない。
「つまんない、つまんない・・・。サワガニじゃないと、つまんない」
アプコはへそを曲げて、やけくその鼻歌を歌いながらどこかへ言ってしまった。

日が暮れて、夕飯の下ごしらえを済ませて、そろそろゲンも帰ってくる時刻と外を見ると、前の空き地に父さんがいた。
手に持ってるのは懐中電灯。
「あらら、なにやってんの?」
と声をかけたら、父さん、びくっと飛び上がって、オロオロしてる。
「いやぁ、アプコがうるさく言うから、ちょっと・・・。」
どうやら父さんはアプコにせがまれて、虫探しに行こうと仕事を中断して帰ってきたらしい。
まぁ、気のいいことで・・・と笑っていたら、ちょうどゲンとO君が山から帰ってきた。

「大漁大漁!」と持ち帰ったゲンのバケツの中には、Oくんのザリガニ用の小魚に混じって、大小3匹の元気なサワガニ。
「わ、ゲン!サワガニ、とってきてくれたの!」
「うん、まぁね。」
さすがは、ゲン。やるねぇ。
アプコも大喜びで飛んできて、サワガニを受け取った。
ゲンは、小さい飼育ケースに砂利を敷き、川の水を汲んできて、サワガニを移し、アプコが学校へもって行きやすいように準備をしてくれた。

アプコ、優しいお兄ちゃんがいてよかったねぇ。
それに、お仕事をおいて虫取りに付き合ってくれる優しいお父さんも・・・。
やっぱりいざと言うときに頼りになるのは、アユねぇや母さんじゃなくて、父さんやゲンにぃだねぇ。
アプコは飼育ケースの中のサワガニをつんつん突付いては鼻歌を歌っている。
やっぱり私はお姫様。
困ったときにはきっとどこからか王子様がやってきて私を助けてくれる。
サワガニだってバッタだって、きっと誰かがちゃんと持ってきてくれるのよ。
末っ子姫として育ったアプコ、もしかしてそんなことを考えてるんじゃないだろうなぁ。


2006年09月18日(月) 乙女の気持ち

新学期疲れ、運動会練習疲れがついにアプコに来た。

ちょっと風邪気味かな・・・と思ったら、昨夜からの発熱。

幼稚園をお休みしてぐだぐだ過ごす。

ぽってりと熱を含んで、大仰にはぁはぁして「しんどい」を繰り返すアプコに、オニイが言った。

「かわれるものなら、かわってやりたい。」

ちょっと待て、それは普通、親のセリフじゃ。



うちには、もう一人、お疲れさんがいる。

運動会の応援団。組み体操の中の「太極拳」の指導係。「御神楽」の指導係。それに村の秋祭
りのお囃子。

一人でいくつも役職を抱え込んで、ひーひー言っているアユコ。

それでなくてもプレッシャーに弱く、ストレスがきわまると自家中毒の発作が始まるというのに、
この時期、アユコは意地のように次々と新しい事に挑戦している。

「だって、誰もやらないんだもん。」

きまじめなアユコは、誰も立候補しない役職を「しょうがないなぁ」と次々いただいてきてしまっ
たようだ。



「しんどいわぁ。明日学校行きたくない。」

体力的にもきつくなってきたか、家ではごろごろしていることが増えた。

「んじゃ、明日さぼっちゃえ。君がいなくても一日ぐらい何とかなるよ。」

と、私がけしかけても

「う〜ん、1.2時間目は○○があるし、中休みには××の打ち合わせがある。お昼休みには
□□の練習だから抜けられない。あ〜、ダメ。明日は休めない。」

自分が必要とされている項目はしっかり把握して、スケジュール管理しているアユコ。

偉いねぇ。

でもね、そんなに頑張り過ぎなくていいんだよ。



朝、通販で買ったアユコの下着が届いた。

初めてのブラジャー。

やせっぽちのアユコの胸はまだまだぺったんこで、「寄せて上げる」ものもないんだけれど、そ
れでも、素肌に直接着たTシャツの胸に、微妙な尖りが見えるような見えないような。

クラスの女の子達にははやナイスバディの片鱗が見えてきている子もいて、「そろそろ、ブラの
着用を・・・」とのお達しがあった。

「まだまだ要らないとは思うんだけどね。」

と言いつつ、一番小さいサイズのスポーツブラの幼さがかわいくて、親の方が大乗り気で選ん
で買った初ブラジャー。

薄いパットを外すと、短めのタンクトップと変わらぬ感じで、さほど違和感もなさそうだ。

「アユコ、アユコ!いいもの買ったよ。みてごらん!」

帰って来たばかりのアユコにさっそくみせる。

「かわいいよ、ちょっと着けてみてよ。」

「えーっ!」

恥ずかしがるアユコ、かわいい!初々しい少女の恥じらい・・・。



・・・と、思ったら、ぽろぽろとアユコの目から大粒の涙。

「あらら、どしたの。泣かなくてもいいじゃない。別にイヤだったら着けなくていいよ。気に入らな
かった?」

激しくアタマを振るアユコ。

「まだ、すぐに着けなくてもいいのよ。イヤなら、引き出しに仕舞っておいで。」

ますますこぼれ落ちるなみだ、なみだ。

ありゃりゃ、こんな筈じゃなかったのに。



そういえば、私自身の初ブラジャー。いくつの時だったっけか。

アユコと違い、ぽっちゃりタイプで初潮も早かったから、意外と早い年だった気もする。

ブラウスの背中に、ブラのラインがでるのが恥ずかしいような得意なような・・・。

甘ずっぱい匂いのするはるか昔の思春期の思い出。

白いブラに小さく縫い取られた小花の刺繍が嬉しかったのを思い出す。



連日のお忙しと責任感で、いっぱいいっぱの力を振り絞っているアユコ。

たぶんその緊張の糸を、オトナの匂いのする新しいブラジャーが、ぷつんと切ってしまったのだ
ろう。

全く間の悪い事であった。

アユコが、これから一生、おそらくおばあさんになるまで着け続けるであろうオンナだけの下
着。

その初めての出会いを、楽しい嬉しいものにしてやれなかった自分のとんまに、腹が立つ。

ごめんね、アユコ。

乙女心の微妙な機微を、母はすっかり忘れていたよ。(なにせ、太古の昔のことゆえ・・・)



新品ブラはやっぱりもう少し大事に仕舞っておこう。

アユコが、晴れ晴れとオトナになる自分を受け入れられる日まで・・・。

もうすぐそこに来ている日のために・・・。




2006年09月17日(日) 孤立無援

強い風の音で目が覚めた。
台風が近いらしい。まだ雨は来ないようだ。
洗濯物を屋外に干して、バシバシと洗濯バサミで留める。
大きなシーツやバスタオルが、バタバタ旗のようにひるがえって、ものの一時間ですっきり乾いた。
本式に荒れ始めるのは明日以降だろうか。

朝、流し台の前に大きなムカデが出た。
「ギャー、助けて!」と息子たちを呼んだけれど、二人とも「ムカデは苦手だ」とそそくさと逃げた。
父さんもいないので、しょうがないから決死の覚悟で殺虫剤を乱射して、弱ったところをこわごわ割り箸でつまんで、顔を背けながら戸外へ投げた。
孤立無援。

近頃家の中でGがでてくると、頼りになる息子たちが飛んできて処理してくれるようになったと以前この日記に書いた
「息子たちを産んでおいてほんとによかったよ」とあんなにおだて揚げておいたのに、相手がムカデとなると話は違うらしい。
「見てみぬ振りしておけば、どっかへ逃げるんじゃない?」と見にくる気もなさそうなオニイ。
「僕が平気なのはせいぜい8本足まで。ムカデは足が多すぎる」と変な理屈で後ずさりするゲン。
なんだいなんだい、根性無し。
我が家の勇者たちの敵はたかだか8本足どまりかい?

ふん、アタシだってやれば出来るんだい。
所詮、子どもなんて当てにしてたらこんな風に裏切られる。
こんな時、父さんだったら、絶対助けに来てくれるのに。
やっぱり基本は夫婦。息子たちは、どうせいつかは他人の女のものになる奴らだ。
子どもなんかには絶対頼らないと、グチグチつぶやく母。

夕方、今度はトイレに小さめのムカデが出た。
見つけたアプコは、迷わずオニイではなくアタシに助けを求めてきた。
うううっ。
アプコ、アンタも早く大人になって助けに来てくれる男を作りなさい。


2006年09月16日(土) 友情

三連休初日。
といっても、父さんは朝から普通に仕事。
オニイは朝から部活に、私は市のPTAの広報紙講習会に。
ゲンは朝から友達と川へ魚とりに行く約束をしている。
お寝坊アユコとアプコに、洗濯干しと昼ごはんの段取りを言い置いて出かけた。

ゲンが今日、遊ぶ約束をしているのはクラスメートのOくん。最近一番気の合う友達らしい。
家でザリガニをたくさん飼っているとかで生餌用の小魚を取りに行く約束をしたのだと言う。
2,3日前にも放課後、二人して裏の川にざぶざぶ入って、小さな小魚を何匹か掬ってきていた。
ガラガラとバケツをぶら下げて、一人は長靴ガポガポ、一人はゴム草履ペタラペタラと引きずって意気揚々と川から帰ってくる様子は、まさに昭和の悪たれ坊主。
なんだかとってもいい感じなのだ。

Oくんのおうちは実は転勤族らしい。
何年か前、隣県から転校してきて、友達になったが、また最近、お父さんの転勤の話が持ち上がっているらしい。ここ一週間ほどの間に引越しするか否かが決まるのだと言う。
ゲンはその話をO君から聞いてから、本人以上にその結果を気にしている。
せっかく出来た川遊びの相棒を失いたくない気持ちなのだろう。
そういえばゲンはまだ、転校や引越しでの仲良しとのお別れを経験したことがない。
惜しむような気持ちで連日Oくんと川遊びに出かけたいゲンの想いがつたわってくる。

「ほら、こうすれば、自転車でもちゃんと持ってかえれるよ」
ゲンは掬った魚をお味噌の入っていたポリ容器に移し、ラップと輪ゴムでしっかり止めて、Oくんの自転車の前カゴに乗せた。
「もっと大きいのがいっぱいとれればよかったんだけど・・・」
そのもどかしさは、そのまま、O君への友情の想いをしっかり伝えきれない自分へのもどかしさ。
その不器用な表現が、いかにも今のゲンらしくて、なんとなく胸が熱くなった。


2006年09月12日(火) サバの味噌煮

朝、父さんを駅まで送ったついでにスーパーへ。
木曜日はこのスーパーの朝市の日。
入り口で大袋の野菜を二つ三つ買って店内に入ると、今日はなんだかひときわにぎやか。店の奥の鮮魚売り場でお客の応対をしているお姉さんの威勢のいい売り声が響いているためらしい。

「はい、サバ2尾ね、まいどありがとう。
料理どうします?3枚おろしね。
はい、どうも、しばらくお待ちくださいね。お名前、お呼びしますからね」
お客さんから調理の注文を聞いて、奥の調理場へ受け渡す。
「そちらのお母さんは、どうしましょ?
アジ?うん、今日のはきれいないいのがはいってるでしょ?
2尾?まいどありがとね。お金はレジでお願いね。」
てきぱきと仕事をこなすお姉さんの勢いに、目玉商品のサバや秋刀魚がつぎつぎに売れていく。

支払いは一括してレジでぽんと払うスーパーだから、いつもは比較的静かなスーパーなのだけれど、今日はこのお姉さんのおかげで店全体がなんとなく昔の市場の賑わいの楽しさ。
気がつけば隣で菓子パンの試食販をしている若い店員さんも、つられて大きな声でにこやかにお客さんとやり取りしているのが聞こえる。
たった一人で広い店内をこんなに活気あふれる楽しい空間にかえてしまえるお姉さん。
これは確かにある種の才能だなぁ。

かく言う私も、ついついおねえさんの勢いにのせられて、一尾200円也の青々光るサバを3尾お買い上げ。ホントは今夜はお肉料理の予定だったのだけれど。
調理の手間をサボろうと2枚おろしを頼んだら、「○○さまぁ!○○さまぁ!2枚おろし、出来上がりましたぁ!」とおおきな声で名前を連呼された。
「はぁい!ありがと!」
思わず、こちらも大きな声で返事をしてしまい、これもちょっと恥ずかしかった。
女一心太助、おそるべし。

と言うことで、今夜は久々にサバの味噌煮。
近頃お疲れ気味の父さんと、部活で帰りの遅いオニイのためにいつもより少々甘めの白味噌味で。
「お、サバミソ、サバミソ♪」
と鼻歌交じりで食卓につくオニイ。
今日の「サバミソ」は母の愛と女一心太助の元気パワー入りだ。
心して食せ、オニイよ。


2006年09月11日(月) なかよし

いつものようにアプコを迎えに出かける。
ここ数日の間に日差しはすっかり柔らかくなって、暑い暑いといいながらも時折吹く風に鼻がピクピク動いたりする。
空の色もすっかり秋の青。

遠くから私の姿を見つけて、アプコがぴゅーっと駆け寄ってくる。
カッタカッタとランドセルが揺れて、ノートや鉛筆が今にも飛び出してきそうだ。ずいぶんしっかり走れるようになったなぁと改めて小さいアプコの日焼けした手足を見る。
このぐらいの年齢の子は、夏の間の成長がめまぐるしくて、秋風の吹く頃にはその変化の大きさにいつもいつも驚かされる。

「おかあさん、あのね、きょうね、お友だちと約束したよ。
いっぱいお友達が遊びに来るよ。ジュース、冷蔵庫にあるかなぁ。
あのね、Nちゃんはりんごジュースは嫌いなんだって。オレンジよりおいしいのにねぇ。それでね・・・。」
アプコの機関銃のような連続砲火。
おいおい、ちょっとまて。
それって、今日のこと?
うちにお友だちをたくさん呼んだのね。
何人?どの辺のおうちの子?
どこで何時に待ち合わせ?
「若宮神社で待ち合わせ!」とるんるんしてるから、「何時に?」と聞くと「帰ったらすぐ」ととってもアバウトなお答え。
そうでした、低学年の子のお約束って、とっても大らかだったのよね。

大急ぎで待ち合わせ場所へ車で駆けつけたけれど、案の定なかなかお友達は揃わない。公園の入り口に車を停めて、待つこと40分。結局全員を収容して帰ってきたのが4時。
みんな、門限が5時だから、一時間弱しか遊べない。おやつ食べておしゃべりして折り紙だか粘土だかちょっと遊んで、すぐにお片づけ。ピーチクうるさい少女たちを再びトッポに詰め込んで、それぞれのおうちに「配達」してバイバイ。
はぁ、午後いっぱいすっかりつぶれました。

それにしても、小さい女の子たちが4人も集まるとにぎやかなこと!
なんでもないことでくすくす笑ったり、頬を寄せ合ったり、鼻歌を歌ったり、おしくらまんじゅうしたり・・・。小さな子犬の群れみたいに、しょっちゅうフルフル揺れて笑いさざめいている。
小さな軽自動車の後部座席にギュウギュウ4人並んで座ってワイワイ走ると、舗装されていない地道のでこぼこが楽しくて、ジェットコースターにでも乗っているように、キャアキャアと歓声を上げる。
子どもの笑い声っていいなぁと私までうれしくなる。

アプコが、近所のKちゃん以外のお友だちを連れてくるのは久しぶり。
「おかあさん、あたしね、このごろあの子達と一緒に遊ぶのが楽しくて楽しくてたまらないの。また一緒に遊んでいい?」
帰りの車の中で、アプコが興奮冷めやらぬ声で言った。
そういえばちょっと前まで、「あたしこのごろ一人で遊んでるの」とぼそぼそ言ってたアプコ。「そんなときもあってもいいよ」と慰めて様子を見てたのだけど、やっぱり仲良しの友達がいっぱいいるって言うのは楽しいことだ。
助手席でなにやらケラケラと思い出し笑いしているアプコの屈託のない笑顔が、そう語っている。


2006年09月01日(金) 夏を看取る

始業式、雨。
例によって、朝から「体育館シューズがない!」「通知表にハンコ捺すの忘れた!」「水筒が要る!」と大騒ぎ。
4人とも無事に追い出したら、どっと疲れた。
さぁ、新学期が始まるぞ。

この夏、我が家にはたくさんのペットがいた。
ネットで買ってもらった極彩色の小型のクワガタムシ。
父さんの知り合いの方が送ってくださった超高級大型クワガタムシ。
近所のおじさんに教えてもらったポイントで捕まえたカブトムシ。
ゲンは机の周りにたくさんの水槽や飼育ケースをはべらせて、毎日いそいそと餌をやり、ケースの中を掃除して水替えをし、飽きもせずニヤニヤとケースの中を眺めて、夏をすごした。
クワガタが交尾したと言っては狂喜し、ワクワクしながら産卵を待ち、芥子粒のような卵を探し出しては別のケースに移して悦に入る。

そして2回の地域のお祭でもらってきたたくさんの金魚。
我が家では毎年リビングの水槽で育てて、次の年のお祭の頃には大きくなった金魚を池に放し、もらってきた金魚で更新しするのが習いとなっている。
今年はいつもよりたくさんの金魚をもらったので、ゲンはリビングのとは別に、自分が取ってきたお気に入りの金魚を小さな飼育ケースで飼う事にした。

けれども、夏休み中、ゲンに大いなる楽しみを与えてくれたペットたちも、そのときがくれば死んでしまう。
寿命で死んでしまうもの。ちょっとした飼育ミスで死んでしまうもの。つい昨日まで元気だったのに、朝になったら動かなくなってしまっているもの。
ことにお祭の金魚は、釣ってきた直後の数日でおおかたがパタパタとご臨終になった。はじめのうち「可哀想」とすぐにティッシュに包んで埋めに行っていたアプコもしまいにはうんざりしてしまい、見て見ぬ振りをするようになったのを、見かねてゲンが「しようがないなぁ」と根気よく埋葬してくれた。
木切れを組み合わせた小さな十字架を立てて、形ばかり手を合わせて・・・。隣の空き地の一角は、葬られた小さな動物たちのお墓で、まさに「禁じられた遊び」状態になった。

2,3日前から、ゲンのお気に入りの出目金の調子が悪い。
お腹が大きく膨らんで、時々傾いてじっとしている。死んだかと思ってコンコンと水槽を叩くと思い出したようにチャカチャカと泳ぐ。
心配したゲンがネットで調べると、どうやら「便秘」らしい。消化の悪い餌を食べさせると体の中に詰まって排泄が出来なくなり、お腹にガスがたまって浮力で傾いてしまうのだという。まだ小さい出目金に、大きい金魚用の大粒の餌を与えていたのが原因ではないかと、ゲンは自らを責める。
弱った金魚をきれいな水のバケツに移し、お塩を一つまみいれて、必死の看護。それでも素人が病気の金魚に出来る手当ては少なくて、だんだん弱っていく金魚をなすすべもなく眺めてため息をつくばかり。
「お祭の金魚って言うのは、本来、すぐ死んでしまうものなのだから」という慰めもむなしい。

結局ゲンの出目金は数日の間、横向きにぷかぷか漂ったまま死ななかった。
「もう逝ったかな」とつついてみると、弱弱しく尾びれを動かして、かすかない息を訴える。
そんな生きているでもない、死んでいるでもない状態が長く続いて、ゲンはすっかり滅入ってしまった。
「こんなこと、言いたくないけど、いっそ早くすっきり死んでくれるといいなぁ。見るたびに気持ちがううっとなるよ」
「生きているのに、何にも手当てしてやれないのがしんどいよ。こんなになっても痛かったり苦しかったりするんだろうか。」
大事なペットの緩慢な臨終に苛立って、ゲンは何度も悔しさを訴えに来た。

でもなぁ、これもまた「死ぬ」ということの現実。
人間にだって、若くして早世する人もあれば、先ほどまで元気だった人が急な事故であっけなく逝ってしまうこともある。
それと同じように、昏睡状態に陥ってからも人工の医療機器につながれて「死んだも同然」の姿のまま命をつなぐ人もいる。
そのとき家族には、「一瞬でも長く生きていて欲しい」という願いとともに、「早く楽にさせてあげたい。」「早く最後を看取る息苦しい時間を終わりにしたい」と願う気持ちが一緒になって存在する。
残酷なようだけれど、それも現実だ。
少なくとも、私たちが幼い次女の臨終を待った長い最後の一夜には、「もう終わりにしたい。」と死を倦む気持ちがあったことは確かだった。

「金魚の安楽死ってないのかなぁ。」
「さぁねぇ。でもねぇ、ここまで面倒を見てやったのだから、もう少し頑張って見守ってやろうよ。
多分もう長くは生きていないだろうから、・・・」
誰かが手を下さなくても、きっとすぐに死は訪れる。
私は元来、安楽死、尊厳死というものが素直に受け入れられない。
よほどの苦痛、よほどの心理的な苦痛がない限り、たとえ昏睡状態であっても人は生きられる限りの生を全うさせてもらいたいとっている。
近頃では「過剰な延命措置はしないで欲しい」「脳死状態に陥ってしまったら、生か死かの判断は医者や家族の決定に任せる。」と遺言する人も多いというが、私自身は「体のどこかの部分が生きているなら、自らその動きを止めるまで出来る限り生きさせて」と言い残しておくつもりでいた。
けれども、たかが金魚の、たかが数日の臨終の過程をあれだけ心をいためて、凹んで、苛着いて見送るゲンの姿を見て、しばし考え込んでしまう。
「ま、みんなが辛抱できる間だけはそこそこ生かしておいてよ。」
とへらへらと志を曲げて、笑ってしまいそうだ。

夕方になって、ゲンの出目金は本当に死んだ。
つついても動かない。
目玉も白くにごって、うろこのつやも消えた。
「やっと逝ったね」
ゲンはほっとしたように、掬ってティッシュに包んで埋めにいった。
バケツもエアポンプもきれいに片付けてようやく一息。
長い長い「夏を看取る」一日だった。

この夏、ゲンはたくさんの「夏の友達」を葬った。
「ぼくな、生き物を買うのは好きだけど、死ぬのを見るのはいやなんや。
だから捕まえたカブトムシも弱ってきたら元いたところに放してくる事にしてる。そしたら、死んだあとを見なくて済むやろ。」
こころ優しく、小心者のゲンの死生観。
「優しく」見えて、ちょっと身勝手。

今はそれでもいい、子どもだからね。
見たくないものは見ないでいい。
でも、大人になったら、君もいつか直面せざるを得なくなる。
そのことは君もちゃんとわかっているんだよね。
だから自分のことをずるく感じて苦しいんだ。
今はそれでもいい、子どもだからね。


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