のりすけの日記
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2002年06月30日(日) 結婚

幼なじみに会うたびに
「もう結婚したら?」
と言われる、昨今。
わたしは今、それどころではない。
「あなたが先に結婚しなさいよ」
とわたしは言った。
「相手がいないじゃん。。」
わたしだっていないぜ。

でも、
彼女が先に行ってくれたら
わたしもちょっとは考えるかなぁ。


2002年06月29日(土) 不明

起きたら、日曜日の朝5時だった。昨日は、朝起きていたのを覚えている。気分が悪かったのも覚えている。それから寝てしまったのか、後のことはまったく覚えていない。昨日、わたしはチャットに入っていただろうか?


2002年06月28日(金) 今日三食

その日の体調や気分に合わせた生活を送ること。
誰にどう思われるかなんて考えないこと。
一度に物事の解決を図らないこと。
大切なものに敏感でいること。
くだらなさを愛すること。
そして、祈ること。

毎日一食なのだけど、今日は三食食べた。早朝から嘔吐感。しかし頑張って起きていた。晴れていたので布団を干した。夕食後、眩暈がして流石に横になった。2時間後、PCの前に座ったが胃痛でチャットもすぐ落ちてしまった。おまけに、今日は眠れなかった。。(どうしよう、気分が悪いのに眠れない)


2002年06月27日(木) 失敗

独占欲が過ぎたか。
それともお互いの依存が我侭と出たか。
わたしの説明はあなたを理解させうるものではなかったか。
まだ足りないのか。
もう、嫌なら棄て置いてください。


2002年06月26日(水) 住民検診

朝から住民検診に行ってきた。疲れて寝た。


2002年06月25日(火) メロンパン

朝ご飯を食べようと
納豆をこねていたら
ジャーにご飯がなかった。
仕方がないので、
納豆だけ食べた。
「メロンパンがあるじゃないのよ」
そう母は言ったが、
朝からメロンパンなんか喰えるか!
わたしは、納豆をもう1パック食べた。


2002年06月24日(月) アレルギー

もともとアトピー性皮膚炎ではあった。しかし、関西へ出てからはまったく気にならないくらいに改善された。一人暮らしで自炊をするようになって、6年間、スーパーでパックされた肉は2回きりしか購入したことがない。もしかしたら、その食生活がよかったのかも。

スギ花粉症と診断されたのは、わたしがまだ関西に暮らしていた時分。5月中旬に田舎に帰省したら、くしゃみとはなが止まらない。おまけに目がめっちゃ痒い。あんまりひどいので、耳鼻科に行って血液検査をしたら、その結果花粉症ということだった。医師には「石川県はイネ花粉がひどいからね。関西戻ったら治るよ」と言われたが、本当にその通りだった。それが花粉症初体験。この時、「もう2度と田舎へなんか帰るものか!」と覚悟を決めたのを覚えている。(今年も泣いたなぁ。。)

気管支喘息。風邪だと思っていたら実は喘息だった。聴診器を当てる前から「喘息じゃないの?」と言われたが、その通りだった。服薬すると、痰も収まり発作も楽になった。しかし、4日以降はそれ以上の改善が感じられない。相変わらず睡眠は細切れ。特に夜と早朝に咳き込む。レントゲンを見せられたが医師曰く「肺の中に空気がいっぱい入って、風船状態でパンパン」ということだった。今日は1週間分薬を貰ってきた。

結膜炎はよくなる。特に右目がひどい。左右どちらも痒いのだけど、眼球のゴロゴロ感だけでなく、何故か下まぶたが痛い。しかし、5日もすれば治る。

HPでこれらに検索をかけて予防法を調べた。
1.ハウスダスト(ダニやカビなど)を減らすこと
2.通気に気をつけること
3.掃除のしかたを工夫すること
4.寝具の手入れをまめにすること
自分がこれだけアレルギー体質だとは今まで気づかないで来たけれど、これだけ身体に異常が出てくると気になってたまらない。今まで以上に気をつけていかなければいけない。自己管理。しっかりしなくては。。


2002年06月23日(日) Who Moved My Cheese?

人生は、自由に何のじゃまものもなく歩めるような、
まっすぐで楽な廊下ではなく、
通る者にとっては迷路で、
自分で道をみつけねばならず、
道に迷い、わけがわからなくなり、ときには
袋小路につきあたることもある。

しかし、信念があれば、
かならずや道は開ける。
思っていたような道ではないかもしれないが、
やがてはよかったとわかる道が。

                  (A・J・クローニン)


2002年06月22日(土) I can speak

 くるしさは、忍従の夜。あきらめの朝。この世とは、あきらめの努めか。わびしさの堪えか。


2002年06月21日(金) カレー事件

被害者のようで
実は加害者でした
林被告。


2002年06月20日(木) 約束

2時に。
そう約束していたのに
わたしは寝てました。
ごめんね。
わたしが遅れてやって来たときは
きみはトラブルの最中。
わたしがもっと早く策を伝えていればよかった。
でも、きみが癇癪を起こして
それをたたき割るようなことがなくてよかった。
とにかく、
きみが戻ってきてよかったよ。


2002年06月19日(水) 喘息

弟が喘息なので、大して驚きもしなかったが、今日、わたしは自分が喘息であることを知った。医師の説明によると、喘息は6月がひどいらしい。そしてしばらく収まるが、9月あたりになるとまたひどくなるのだそうだ。まったく、姉弟して同じような咳き込みをする。体質までそっくりだ。


2002年06月18日(火) 懶惰の歌留多

 私の数ある悪徳の中で、もっとも顕著の悪徳は、怠惰である。これは、もう、疑いをいれない。よほどのものである。こと、怠惰に関してだけは、私は、ほんものである。まさか、それを自慢しているわけではない。ほとほと、自分でも呆れている。私の、これは、最大欠陥である。たしかに、恥ずべき、欠陥である。(太宰治)

これ読んで、なんだか自分のことのような気がした。だから、今日はこれを抜粋しておく。


2002年06月17日(月) 今、ケイヂ・バーンが熱い!

今現在ケイヂ・バーンのカウンタは7180。頑張ってクリックして入って下さいませ。日記の方はまだ簡単でしょ?さてさて、何人クリックして入ってくれるかな?入れた人は記念にかきこでもしていってね。


2002年06月16日(日) HPのINDEX

HPのINDEXを新調した。夏バージョンである。涼しくも手抜きである。実は以前のHPのファイルがもうないのだ。まぁ、春夏秋冬いけるようにつくった前作だったのだが、ファイルの変更が出来なければしょうがない。mayuka503のリンクだって確か新しい方に変更していなかった筈。だから、もう今回は夏バージョンということで新調した。「そうめん」は新調記念だ(笑)。


2002年06月15日(土) 葬式について。

お隣の家のおじさんが亡くなった。わたしが小学生の頃剣道を教えてくれた人で、わたしの父母よりいくつか若い。末期の癌だった。それで今日わたしは精進料理のパック詰めの手伝いに4時間ほど働いてきた。パックしたものを軽トラで寺へ運ぶ。寺へ着くと喪服姿の人たちがいて、その中にわたしの父母もいた。わたしは葬式が嫌いではない。葬式で死者の経歴の紹介みたいなのは、詳しくされるのがいい。わたしはあんなにかわいがってもらった祖父母が亡くなったときも、涙を流すことはなかった。まだ自分の生活に訴える現実的に辛い誰かの死を経験していないこともあるだろうが。生まれて、死ぬ。生まれたと同時に少しづつ死んでいく。その人が死んで、何かの縁があって、わたしはここにいると思う。思い出があれば、死者はわたしの中で生き続ける。だから、死者へのお別れは「おつかれさま」と「ありがとう」と、決めている。


2002年06月14日(金) 電子カーペット

部屋の電子カーペットを片づけようと思ったけど、付属の上敷きカーペットを丸洗いしてから片づけようか、それとも天日干しするだけにしようか迷っている。結構厚手の2畳なので丸洗いするのは大変だ。今期、はっきり言ってその部屋は寝ることと着替えくらいにしか使用しなかったので、丸洗いする必要もない気がする。濡れタオルで拭いて天日干しでいいかなぁ。なーんて考えていながら、今日はまだカーペットは敷きっぱなしです。もうちょっと暑くなってからね(いいわけ)。


2002年06月13日(木)

夜、窓から外を眺めると蛍がいた。ぴかぴか光って飛んでいた。もうこんな季節になったんだなぁ。蛍を見ると「火垂るの墓」を連想してしまうのはわたしだけじゃないと思う。また、この夏あの映画をみる。今年のわたしはあの映画を見て何を思うだろうか?


2002年06月12日(水) 風邪をひいた

風邪をひいてしまった。めちゃくちゃ喉が痛いと思っていたら、血痰が出た。これは痛いわけだなぁ。それに熱はないけど、非常に身体が怠い。頭部がぼーっとするので、昨日今日は散歩を休んだ。そしてひたすら寝ていた。


2002年06月11日(火) mayuka503の誕生日

今日はわたしが日頃敬愛してやまないまゆかの誕生日だった。何か気の利いた言葉くらい贈りたかったのに、「ちゅー」を贈ってしまったわたし。。しかも贈りたい、というよりかは、わたしが勝手にしたいだけだった。本当に素敵な人だー。かっこよくて、チャーミングで、すばらしい人だー。大好きだー。大好きー!ぶちゅぅ。


2002年06月10日(月) されど愛しき日々

わたしが先日ここで書いた「監獄」という言葉。わたしとしては、そう遠くない自分の過去の状態そのもののイメージということで、この言葉を用いた。ただ、何の躊躇もなく書き込んだか、というとそうでもない。HPとして公開されている日記に、ここまで私的なことを書いてよいものか?という点。一応「公開している責任というものがあるかなぁ」という気もするので、題材の選択には気をつけて来たつもり。ただ、わたしが現在つけている日記はこれだけで、そのためどうしてもその時々の状態がリアルに認められてしまう。それでもわたしの中では「これこそ書き留めたい」と思えることを、今まで私的に綴ってきた日記と変わらぬやり方でもって記録していきたいと思っている。わたしが日記に書いていることは何も特別なことはなくて、死ぬまで生きる人間の心の状態のつれづれなものに過ぎない。振り返って「されど愛しき日々」と思えるような愛着のあるものであるように。


2002年06月09日(日) ワールドカップ〜ロシア戦〜

起きたら夕方だった。昨日の疲労がこんなふうに影響してしまったことを嘆くよりも、頭痛と嘔吐感で眩暈が深刻だった。今日、図書館の返却日だったのにな・・・。どんな人間にもその日の仕事がある。すべきこと。「なんでこんなに寝ちゃったんだ」と悔やんで自己嫌悪に陥ってしまったが、頭も冴えてないので深刻にもならない。ふと携帯のメールをチェックすると「今日はロシア戦。一緒に応援しよー!」と暢気なメール(失敬)が入っていた。W杯なんて見たことないけど、たまにはTVもいいか。今日はサッカーの日にしよう!(わたしも単純)試合が始まるまでに台所の片付けを済まして、TVの前に寝転がった。知らなかったんだけど、試合中ってCMが入らないのだ。「次のCMでトイレに行こう」と思っていたのに、CMは入らない。点も入らない。前半ずっとそわそわする羽目になったが、結果は1−0で日本が勝った。今日は友達がかっこいいと言っていた稲本を初めて確認した。確かにかっこいいけど、わたしにはトルシエの方が魅力的なのだった。


2002年06月08日(土) 徘徊癖

目的もなく歩いてしまう。何キロも何キロも歩く。この癖がまだ自分に残っていたことにも驚いたが。最近わたしは母とともに散歩の習慣を身に付けた。それで今日は調子に乗って金沢市街へ繰り出した。百万石祭りのせいでひどく賑っていたが、興味もないのでわざわざ裏道を歩いた。何キロも何キロも。サンダル履きだったので足が痛かったが、そういう時は本屋で立ち読みしたり、雑貨屋で商品を見たりして立ち止まる方法で休憩した。欲しいものはたくさんあったが、疲れているせいで選択する余裕をも持ち合わせてはいなかった。選択する意思を捨て、歩き、その繰り返し。大勢の人と、たくさんのモノ。ふと「わたしは一体なんなんだろう?」という思いが頭をよぎる。何をしているんだ?・・・その思考にとらわれることから逃げるように、また歩き出す。歩いている、歩いている。夕方、友人と落ち合って食事をした。店内にピカソやマティスの版画があった。マスターは日本語がカタコトだった。わたしたちは村上春樹の本やチーズの本を読みあった。友人の提言でワインを頼んだが、わたしが飲んだチリワインは味がよくわからなかった。と、言ってしまうと、食べたパスタの味もよくわからなかった気もしてくる・・・。「マティス、好き?」「あんまり」友人はそう答え「よくわからないよ」と続けた。・・・よくわからない。わたしはその言葉を納得した。


2002年06月07日(金) 監獄入り

監獄に入りました
毎度のことです
お気になさらずに。

面会の際、
様子がいつもと違うかも知れませんが
心配には及びませんから。
仕方がありませんよ
なにしろ 監獄の中なんですから。


2002年06月06日(木) すべてが新しい

今までいっぱいだったハードディスクだったが、今はすっきり!Dドライブもカラッポだ。今まで保存してきたファイル等も全くない状態。大切に保存していたある種のメールくらいはFDにとっておけばよかったかな?とも思ったけど、これはこれでいい機会だと納得した。連夜徹夜して要領悪くも根を詰める作業をした。すべてが新しい。思い切ったことをした、そしてそれを成し遂げた達成感で満たされていたりする。気持ちいい。しあわせ。


2002年06月05日(水) TAの設定に泣く。

リカバリをかけてから、再度TAの設定に取り組む。1年前に一回しただけで殆どの操作を忘れていたので、接続までにも時間がかかってしまった。接続が成功してから、また同じ作業をしなければならない。HPから新しいドライバやファームウェアのDL。XPと互換性のないソフトのアンインストール。そして、ようやくXPのインストール。先のインストール時と同じ「致命的なエラー」が出たが、ウエダさんの策をメモしていたのでまたまたそれを行った。時間がえらくかかったが何とか成功した。そして、またTAの設定。ドライバのインストール。接続の設定。。泣けた。。すべてのデータがないブラウザから、まず自分のHPへ飛んだ。。みんながいっぱいかきこしてくれていた。。これも泣けた。。


2002年06月04日(火) NortonSystemWorksに泣く。

幸いにして、XPのインストールが成功した。・・・と思っていた。まずはノートンをインストールしようと思ったのだが、何故かインストール出来ない。不思議に思い、コンパネからインストールされているものを覗くと、削除した筈のノートンが残っていた。プログラムから実行できないのに、一体どこにノートンが存在するのかが解らない・・・。おまけにそれはアンインストールさえも出来ない状況にあることが判明した(エラーが出て進まないのだ!)。どうもこうも出来ないので、わたしは再びOSを98に戻し、その時点で残っているノートンをアンインストール出来ないものかと考えた。しかし、それも不可能でOSを戻したところで状況は同じであった。無知を嘆くよりせっかちなわたしは、ネットに戻れない苛立ちから、プレインストール状態にリカバリすることを決行したのだった。。(これも初めての経験であった)。


2002年06月03日(月) バイオカスタマーリンクのウエダさん

XPのインストールがうまくいかない。「致命的なエラー」が発生するのだ。何回も、何回も。仕方がないので、バイオカスタマーリンクに電話し、状況を説明して解決策を求めた。担当者の対応が心許ない感じで、一旦電話を切って紹介された解決策を試したものの、案の定という結果に終わった。徹夜で作業していたので、疲れて昼寝に入ったが、電話で起こされた。相手は先の電話で担当してくれたSONYのウエダさんだった。ウエダさん自身、自分の提案した策に疑問を感じていたのだろうか?わざわざ他の策を調べて、電話までかけてくれたのだ!わたしはひどく感動を覚えた。流石世界のSONYだ、と思った。わたしは自分のSONY贔屓をあらためて自負した(何)。


2002年06月02日(日) OSをXPに・・・

プレインストールされていた98から、XPにアップする。バイオのHPへ行って、まずは各種ドライバのDL。互換性のないものに関してはアンインストール(結構アンインストールしたものが多かった)。TAも同じ。


2002年06月01日(土) メモリ増設

256Mのメモリを増設した。今まで64Mでやってきたのだけど、今回OSをXPにアップする目的もあって奮発した。すべて自分でやるはいいが、実はマザーボードを見るのも初めてだったから、最初はどこに嵌めたらいいのかわからなかった。しかし確実にはまる箇所がひとつしかなかったので思ったよりスムーズにいった。因みに256Mメモリは¥9,260也・・・。


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