DOTFAMILYの平和な日々
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2006年08月27日(日) 「ピカピカの1年生」、或いは「六十の手習い」

または「年寄りの冷や水」。いえ、まだ60歳でも年寄りでもありませんけどね。気分はすっかり老人ですだ。

6月に愚息が義務教育を終え、7月にダンナが社会復帰を果たした。悪戦苦闘の18年間が終わり、振り返ってみれば「私は一体何をこんなに悪戦苦闘していたのか?」という疑問が残る。で、私なりに出した答えは・・・

英語がわからんからだ!

である。アメリカで暮らしていて何が困るって、英語がわからないのが一番困る。「えっ?そんなことないでしょう。英語、できるじゃないですか?」とおっしゃる日本人もいる。そういう方々は、お世辞を言っているか、あるいは「あんたが英語できなすぎるんでしょう!アメリカにいるんなら、少しは努力しなさいよ。」と言いたくなるような方々である。

”Your English is fine.”とおっしゃるアメリカ人もいる。そういう方々に対しては・・・「あんた、私のこと馬鹿だと思ってるでしょう?」と言いたい!私は自分が言いたいことの1/10も英語で言えない。(日本語だと言いたいことの半分くらいは言える。)私がしゃべっている英語で私の思考程度を判断し、「あなたの言いたいことは十分理解できます。」と思われるのは実に心外である。(私のように感じている日本人って結構いると思うんですけど・・・違う?)こっちが言葉にして言ってないことが理解できるわけないじゃないか!あんたはエスパーか?(エスパーって死語?)

思い返せば、中学から大学までの英語の成績は、ずっとD、良くてもCであった。(2か3、あるいは可か良ね。)そのままの状態で不覚にもアメリカに渡ってしまい、オロオロしながら過ごした20年。引っ越してきた当時に比べれば多少はしゃべれるようになったものの、英語の能力が向上したからではなく、単に態度がデカくなっただけである。相手の迷惑さえ顧みなければ、必要最小限のことを伝えるのに言葉はさほど重要ではないということを学んだのだ。

実は私は英語が嫌いである。というか、国語も含めて語学が苦手。語学を学ぶのは実に面白くない。興味が無い。才能が無い。これじゃいかん、と思いつつも、これまで英語を勉強しない理由(言い訳)には困らなかったためこれまで現実を見るのを避けてきた。しかし、ここに来て、突然「言い訳」が全て消滅してしまった。

わかったよ、やりゃいいんでしょう、やりゃぁ。(とは自分に言っていたのだけど。)という訳で、ついに地元の人以外は誰も知らないというMt. San Antonio Collegeというところへ入学の手続きをしに行ってきた。願書を提出すると、次はここ、今度はこれ、とベルトコンベアに載せられたように手続きは進んでいく。テストを受けて、カウンセラーに会ってアドバイスしてもらって、大学の成績証明書や卒業証書を日本から取り寄せて、専門機関に鑑定してもらって・・・などなどやることは結構あった。そのつど日記のネタになりそうなことはどんどん出てきたのだが、書いている時間もないままに手続きはどんどん進み、クラスの登録もすませ、気がついたら明日から授業が始まることになっていた。しかも、気がついたら全日制の正規学生になっていた。ESLのクラス取るともりだったのに・・・

その上、今日になってむか〜し昔日本人留学生から聞いたアドバイスを思い出した。「日本人は読み書き能力が聞くしゃべる能力よりずっと優れている人が多い。テストは筆記だから、実際の能力より良い結果がでることが多い。従って、テストの結果入れられたクラスに出てみると、授業の内容が全くわからない、という事態が頻発する。だからテストの結果で判断されたクラスより1つか2つレベルが低いクラスから始めるのが懸命である。」・・・う〜ん、今更思い出してもなぁ。

私はいつもそうなんだ。何も考えずに思いつきだけで行動してしまい、気がつくと「どつぼにはまってとっぴんしゃん!」 おかげで英語が嫌いなのにアメリカに移住してしまい、簿記や経理を学んだこともないのにフルチャージのブックキーパーの職を得てしまい、気ままな一人暮らしが好きなのに結婚してしまい、子供が嫌いなのにDOTMANを産んでしまい、テレビのセットアップもできないテクノロジー音痴の癖にホームページなんか作ってしまい、日記なんかつけたことないのにエンピツさんのお世話になってしまい・・・今度は48歳にして大学生になってしまった。

ま、いっか。ダメだったら止めちゃえばいいんだもん。

では最後に極めつけの考えなしを証明する会話を・・・

私「えっと、英語の勉強をしたいと思って・・・」
大学のカウンセラー「で、専攻は何にします?」
私「え〜っと・・・コンピュータ・サイエンス」

アホか私は!!!


2006年08月04日(金) 日記について

日記とは「日々の出来事や感想などの記録」のことだそうである。えっと、これは毎日書かなくても日記と言えるということなのかな?その日に書かなくても日記で良いのかな?とちょっと考えてしまった。

そもそも、私がエンピツさんのお世話になって日記を書こうと思ったのは・・・ちょっと使ってみたかっただけ。・・・ははは。当時はウェブサイトを作成・公開し、インターネットで色々なことが出来ることを知ったばかりで、何でもやってみたかったの。

しかし、ぼちぼちではあるが続けていると、これが結構生活の記録になっている。私は小さな頃からマメに毎日日記をつけるタイプではなかったので、読み返してみると新鮮。面白くはないが、私にとっては新鮮であった。

と、ぐだぐだと自分の日記(近況報告)について書いたのには理由がある。今年に入ってから実に色々なことがあって、DOTFAMILYの記録として残しておきたいのだが、何しろ精神的にも肉体的にも余裕がなくて書けなかった。肉体的には兎も角、精神的には余裕ができた今、振り返って書きたいことはたくさんあるのだが、某月某日こういうことがありました、と書くべきか、日にちを遡って書くべきか、と迷っていたのだ。

結論・・・日にちを遡って書くことにした。実に何の役にも立たない個人的な日記なのではあるが、私にとってはささやかな家族の記録である。10年後に読み返すことを考えれば(読み返すか?)半年ほど遡って書いたことなんざぁ覚えてはいまい。遡ったにもかかわらず、当日書きました、という振りをして書けば、ひょっとしたら「いやぁ、あの頃はちゃんとマメに日記を書いていたんだなぁ。」と感心できるかもしれない。

それでも遡って書くと、こんな私の日記でも読んでくださっている数少ない読者の方々にはわかりにくいだろうから、遡り更新をする度に、日記で報告することにしよう。

と、我儘なことばかり言って申し訳ありませんが、そういうことにしました。で、2月6日から10日にかけての更新をしましたので、宜しかったら読んでやって下さい。ダンナの腎臓移植手術予行練習の話です。

えっ、INDEXから探すの面倒?


2006年08月01日(火) DOTMAN近況報告の続き

昨日、DOTMANはフリーターになってしまった、と書いたが、あれはフリーターとは言わんのかな?

DOTMANの友人にフリーターがいる。学年は愚息より1つ上。彼はつい先日まで大学生だったのだが、生活費及び学費が足りなくなって、この夏から学校を休んでバイトに励んでいる。やっぱね、大変なんですよ。生活費と学費を自分で稼ぎながら大学へ行くというのは。で、フリーター。しかし彼は完全に自立しているのである。親からの援助は一切受けていないし、自分でアパートを借りて(ルームメイトはいるけど)自分で稼いだお金で暮らしている。ただし、正社員ではない。これがフリーターっていうんだよね。彼の家は決して貧しいわけではない。高校卒業したんだから、さっさと出てきなさい、なんていう親でもない。自分が自立したかっただけ。大学に行く気があるなら、若い内は親に世話になりながらさっさと大学卒業しちゃった方が後々楽だと思うのだけど、まぁ、そこはほら、色々あるのだろう。でもさ・・・偉いよね。

愚息は我が家にいる。何時に帰ってきているのかは定かではないが(バイトが終わってから遊びに行くから、多分午前2時か3時頃だと思うけど)、朝私が起きると必ず家にいる。食事も1、2回は家で食べる。が、家には一切お金を入れていない。私は家賃も光熱費も、食費さえも貰っていない。バイトで稼いだお金は全て自分のお小遣いである。全然自立してない!これじゃ、フリーターとも言えんだろう。ただの馬鹿息子である。ニートじゃないだけ良いか、とも書いたが、これじゃニートと同じじゃないか!

そうか、DOTMANはニートだったんだ。私の息子はニートだったんだ・・・げっ!


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