堀井On-Line



5920,閑話小題 〜そろそろ入替りの時節ですか

2017年05月31日(水)

   * 入替りの時節ですか、私も
 先週末の深夜2時ごろ、小さい騒めきで目が覚める。何気なく障子戸をみると、
間接だが赤い点滅がみえた。「救急車騒ぎか」と思いつつ、そのまま寝入った。
深夜のためか、救急のサイレン無しだったようだ。 このところ年1〜2度、
ご近所に救急車が来ている。私もいつ何時、倒れて介護生活に入っても不思議で
ない年頃に入っているが、ほぼ実感がない。
 人生観の一つ、「その時は、その時!」の考えが染み込んでいるため、
良いか悪いのか不安が少ない。同年代を見渡すと、4人に一人の割合で鬼籍に
入っている。あと7〜8年で、半分は亡くなるのだろうが、その中に私も入って
いるのだろうが。一日一日の平穏な日々を味わうことだ。        

   * 老いの高貴の魂とは、
 曽野綾子の言葉、<「何をしてもらうか」ではなく、「何ができるか」を
考えて、その任務をただ遂行する。それが、「老人」というものの高貴な魂
だと思います」>  成る程、考えさせられる道理である。
毎日を6年前につくった計画に沿ってこなしている日々だが、少しキツイと
思わないでもないが、それでも、続ける中で、面白いことに多く出くわす。
老いるにつけ、他者の粗探しに走りがちだが、それは、自分の影を指摘している
に過ぎない。公園などで物思いに耽っている老人の心の内は、過去の深い思いの
風が吹いていたことを、ここで初めて実感している。思い出すことで、その時に
気付かなかった真実に気付くことが多くある。 ふり返れば、無知無能の露わな
自分が佇んでいる。「何ができるか」は、まず、その自分を優しく慈しむこと。
決して罵倒しないことだ。やはり、人間には宗教と基礎教養が必要である。
 
・・・・・・
5555,閑話小題 〜『ルーム』
2016年05月31日(火)
   * シネマ、『ルーム』    http://gaga.ne.jp/room/
 先週、観てきたシネマの『ルーム』。ネットの評価は高い。内容はスリラー
の恐怖ものでもなし、地味だが、考えさせられる内容だった。17歳で誘拐され
7年になる若い母親。監禁されていた納戸から、誘拐犯のタネの5歳の子供を
脱出させた結果、解放される。それまで、子供は、部屋以外の世界はTVと天窓
の光しか知らない。 映画の後半は、新しい世界を次々と知っていく子供の姿と、
犠牲になった母親の人生に対する葛藤が物語として続く。子供は、母親と二人で
過ごした納戸が懐かしなり訪ねるが、子供は、その狭さを改めて知る。
外を知らないのも人生だが。子供にとって、誘拐犯の父親に対しての思いは、
まさに、<母と子供にとって「その父の存在自体が悪」になる。評価、85点。
  〜ネット上の映画解説〜
≪・映画「ルーム」が描く、ブリー・ラーソン演じる若い母親ジョイと5歳の
 息子の物語は、設定だけを聞けば随分エキセントリックに思えるかも知れない。
ある日突然誘拐され、7年間監禁され続けた悲劇の女性ジョイ。そして監禁部屋
で生まれ、外の世界を知らないまま5歳になったジャック。そんな母子がついに
解放されるのだが、目の前にあらわれた現実の世界は2人を困惑させてしまう…。
・年にわたる拉致監禁、誘拐犯との間に生まれた息子、命を懸けた脱出劇と世間
からの好奇の目。数あるゴシップ的要素にも関わらず、レニー・アブラハムソン
監督は地に足を付けた演出で奇妙な環境で普通に生きようとする葛藤を等身大
に描き出す。

・狭い監禁部屋から出たことがないジャックは、テレビを通じてだけ外の世界を
覗いてきた。しかし息子に〈閉じ込められている〉と感じて欲しくないジョイは、
部屋の中が〈本物=現実〉で、画面の中の出来事は〈偽物=フィクション〉
だと教え込む。2人がいる部屋の外には空っぽの宇宙しかなく、出ると死んで
しまうとウソをつくのだ。
・ところが監禁部屋からの脱出によって母子の世界は一変する。実は部屋の
外には無限ともいえるリアルが広がっていて、ジャックは培ってきた認識や
アイデンティティをすべてリセットしなくてはならなくなる。

・一方、ジョイが帰還を切望した外の世界は、一度解き放たれると皮肉にも
精神的牢獄になってしまう。2人だけで完結していた監禁部屋にいる限り、
社会という膨大な関係性の集積から無縁でいられたからだ。失われた7年の
重みと他者の存在が次第にジョイを追い詰めていく……。
・結果としてジョイもジャックも生きるべき世界をゼロから発見し直さなくて
はならない。痛みも喜びも伴うが、未知の物への期待感と新鮮な刺激は一歩
ずつでも前に進むことを後押してくれる。

・実はこの物語、驚くほどにわれわれが「映画を観る」感覚と似てはいないか。
われわれは映画のスクリーンと向き合い、未知の世界を探索することで世界観
を押し広げ、時に内面を見つめ直し、やがて自分自身の物語を見出す。
その〈発見〉こそが映画を観る大きな悦びだとは言えないだろうか?
・幼いジャックはさまざまな障壁にぶつかりながらも、常に世界を五感で感じ、
吸収することをやめない。その瑞々しさと観客の感覚とがピッタリ重なった
瞬間、魂に触れる小さな奇跡を起こす。≫
――――ー

▼ 観ていて直ぐに、閉じ込められた小さな納戸が、何故か、地元の城下町に
 重なって見えていた。新潟駅前の事業場と、出身地の城下町を寝ぐらに31年
を過ごしたが、これは首都圏のサラリーマンの生活形態と同じ。どうしても、
寝ぐらの狭さを感じていたが、住居は住居と割切れていた。 
 ところが5年前より、寝ぐら生活がメインとなる。これも、自分の厳格な?
生活習慣を守り、周りにスケジュールの壁を囲むことで、日々、生活して
いるが、これも慣れれば悪くはない。 何処も住めば都になっていく。

・・・・・・
2015年05月31日(日)
5190,閑話小題 〜チャーチルのジョーク
 チャーチルは、その風貌とおりのウィットにとんだジョークと名言を残した。
 毒の含んだ言葉でもウィットに富んでいれば、場を和ませることが出来る。
   * チャーチルのジョーク 
・ 民主主義は最悪の政治形態らしい。
 ただし、これまでに試されたすべての形態を別にすればの話であるが。
・ 女性議員が皮肉を言いました。
「もし私があなたの妻だったら、あなたの飲む紅茶に毒を入れるでしょう」
 するとチャーチルは、平然と答えました。
「もし私があなたの夫だったら、喜んでその紅茶を飲むでしょう」と。
・ チャーチルに仮装舞踏会にはどんな衣装で出るのがいいかと聞かれた、
 そのライバル女性議員(例の『毒を盛る』発言の彼史)のコメント。
 「しらふで出るというのはどうでしょう」
(チャーチルは酒好きで、国会にも酔っぱらって出てくることしばしば)
・「期待される政治家とは「明日なにが起きるか」を、国民に予告できなくては
 ならない。そして次の日「何故自分の予言通りにならなかったか」を国民に
 納得させる能力がなくてはならない。」
・ ある政治家を評して 「彼は羊の皮をかぶった羊」
・ 国会の答弁にて、エリザベス女王の戴冠式の準備に際し
「行進にはありとあらゆる労働者の代表を加えるべきです!」
 と主張した労働党のある議員に、NOと返答したときのコメント。
「見物客の気持ちを考えねばなりません」
・ 完全主義では、何もできない。
・ 極めつけは! 当時獣医は社会的に低く見られていた。チャーチルが
 獣医をしていたという噂があった。野党議員が議会でそのことを質問した。
「もしそうならまず初めに貴方をみてあげますよ!」議会は大爆笑だったとか。
・・・・・・
2014年05月31日(土)
4825,Quirt <内向型人間の時代> ー4
              <内向型人間の時代> スーザン・ケイン著
   * 自分の「スイートスボット」をさがそう
 この三年間の節目時、ストレスを溜めないことを第一に、一日、一週間、
一ヶ月、一年単位のスケジュールをたてて、ひたすら気持ちが落ち込まない
ことを目指してきた。そのため、スイートスポット(最適な覚醒レベル)を、
要所要所に配置したスケジュールをたて、改善をしてきた。 
 4時過ぎに起床し、直ぐに前日書いた随想日記の添削と、ネットのアップ。
この時間帯が、第一のスイートスポット。6時過ぎに、ポタリングで信濃川の
大手大橋をヒキチャリ・ウォーキングが次。そして、午前中の読書と、ネット
サーフィンの時間帯。そして、午後がスポーツセンター、そして・・ とつづく。
森の生活(現役)から、サバンナの生活(御隠居)に移動して一番良かったのが、
このスポットを自由に謳歌できること。 もちろん、数年、数十年単位の
ライフワークがあればこそだが・・・ ーその辺りからー
《 内向性と外向性はそれぞれ特定のレベルの刺激を好むと理解すれば、
 自分の性格が好むレベルに自分自身を置くようにすることができる。
つまり、自分にとって覚醒の活性が高すぎも低すぎもしない、退屈も不安も
感じない状況に。心理学者が言うところの「最適な覚醒レベル」―私はこれを
「スイートスポット」と呼んでいる―を知れば、今よりもっとエネルギッシで
生き生きした人生を送れる。あなたのスイートスポットは、あなたが最適の
刺激をえられるところだ。素晴らしい本を手にして、満ち足りた気分で
ハンモックに横たわっている姿を想像してみよう。それがスイートスポットだ。
だが、気づくと、同じ場所を何回も読んでいることに気づく。それは覚醒が
低い証拠だ。そこで、あなたは友人に電話をし、朝昼兼用の食事に出かけ
―言い換えれば、刺激レベルを一段上げて―ブルーベリーパンケーキを食べ
ながら噂話をしたり、笑ったりしたりすると、ありがたいことに、あなたは
スイートスポットへ戻れる。 けれど、より高い刺激レベルを求める外交型の
友人に説き伏せられて、パーティに出かけると、あなたにとっての心地よい
時間は終わりを告げる。・・・ 》
▼ スイートスポットに似ているのが、至高体験。人生観が変わるほどの最高の
 感激・感動体験をいう。この体験は「求めよ!さらば与えられん!」で、自ら
求める者に、求めただけ与えられる。この絶対量が多いほど、人生が豊かさに
なっていく。秘異郷旅行の体験記を書いたり、写真を見たり、旅先のTV放送
などを楽しむことが、私のスイートスポットになっている。他に映画鑑賞、
秘境・異郷ツアー、ネットサーフィン、ブログの下書き、読書、TVの
スポーツドラマやスポーツ観戦などがある。 当然のように一生を通して、
徹底して貫いたプロフェッショナルが、私の連れ合い。これが蓄積されると、
スイートスポットの方が、本人を呼び寄せる。至高体験も、同じ!
で、三桁、四桁は経験済み? 時々、「世の人の大分の人は、あんたの現状を
知ったら、怒り出すぞ!」というと、「あんたみたいな気短と一緒となら、
誰も怒らないわ!」と宣う。 その辺の固定観念の牢獄のシタリ顔の老人、
何のことか、理解すら出来ない? それも人生だが・・・ で、どうした? 
どうもしません! そういうこと。
・・・・・・
2013年05月31日(金)
4458, 一日5分「簡単ヨーガ」健康法 ー5
          『 一日5分「簡単ヨーガ」健康法 』ー番場浩之著
 * 2日目 "足腰を軽快に
A・膝を回す体位……54            
 基本体位=仰向けに寝て、両手を膝を包み込んで、肘を伸ばし、
  膝と手が離れないようにする。
1、「静かな一息」「軽く一息」を入れた後、息を出しながら、足の甲を
 伸ばして、両膝を手前に引き寄せる
2、さらに、息を出しながら、肘を伸ばして、膝・股関節を開いていき、
 膝と股関節を充分に開く。顎を引いてうなじを伸ばし、息を出し切る。
3、同時につま先を充分に伸ばして、「つま先ー>腰椎ー>胸椎ー>頚椎」
 の順に「大地のアパーナ気」を引き上げる。
4、息を入れながら膝を閉じていき「基本体位」に戻す。
 1〜4を、計三回行った後、「軽く一息」。
5、ここから逆回転で、合計三回する。
▼ ポイントは、全身にくまなく「気血」が流れるように行う実践。
 つま先はしっかり伸ばし「気」を引き上げて背筋を活性化すること。
 呼吸は「入息1、出息2の割合で、呼吸と身体の動きが一致するよう行う。
 全身の血液の三分の一が脚にあるといわれるが、この還流がうまくいって
 いるとは限らない。相対的に血液が脚に滞ると、浮腫みや、逆に脳などの
 血液が足りなくなる。そのため膝の屈伸や指の活性化が必要といわれる。
 要するに「呼吸をしながら、仰向けになり両脚を曲げ抱え込んで両手で広げる」
B・膝を伸ばして、足の指を活性化する体位:
 基本体位=仰向けになり、膝の裏で手を組み、足の力を抜いてお腹で
 ゆったり呼吸をする。
1、「軽く一息」して、「深く一息」を入れながら、膝から足先まで
 一直線に伸ばした状態で脚を上げていく。 肘も膝裏もできるだけ伸ばす。
2、以下の足指の動作を、順々に行う。
 「足指を左右に開く」−>「親指を手前(下)、他の4本の足指を向こう側
 (上)へー>足指を握る 最後に、「軽く一息」−>「静かな一息」ー>
 「各自の一息」に戻り、息を整える。
▼ 足指も、この体位だけでなく、普段でも広げたり、反らす訓練は身体によい。
 毎朝の簡単ヨガを始めて気づいたが、実際に始めると考えが出てくる。週二回
のヨガで、これは初日、これは二日目と分かる。ヨガのポーズは3千〜4千あり、
スポーツジムでは、その中の100種類に絞っているという。同じポーズでも、
その時の体調で感じ方が違う。それにしても、生まれてこの方、これだけ、
足腰を伸ばしたり捻ったりするのは始めて。精神的にも雑念を泡として
分断してくれる作用もある。
・・・・・・
2012年05月31日(木)
4084, 老いの見本帳ーダークサイト −6
     「老いへの不安 歳を取りそこねる人たち 」春日 武彦 (著)
  * 孤島としての老い  
≪ それにしても、独りぼっちになってしまった「おじいさん」の孤独感とは、
 どれほど辛いものであったのだろうか。気まずさ、寂しさ、自己嫌悪、その
ようなものに苛まれつつ彼は残りの入生を送っていかねばならなかっただろう。
どうしてそんな目に遭わねばならないのか。 基本的に、世の中は弱り目に
崇り目、弱者はそのことでなお追い詰められ、不幸は不幸を呼び寄せる
ーそのような意地の悪い仕組みになっているといった認識がわたしにはある。
すくなくとも医師として様々な形の不運や不幸を見てくると、今述べたような
感想を抱かずにはいられない。不遇であることは、それを帳消しにするような
出来事が不意に訪れる可能性よりは、なおさら足を引っ張るような「思いも
掛けない無情なエピソード」に絡め取られる危険のほうが遥かに高い。 
だからわたしは負けたり失敗したりすることが嫌なのである。たとえ些細な
敗北や過ちであろうと、それが運命に「付け入る隙」を与えることになりそうで
怖いのである(おかげで人生は疲れることこの上ない)。そして老いることもまた、
悪意に満ちた運命が付け入る隙のひとつとなり得るように思われて、意気消沈
してしまうのである。しょぼくれた老人であればそれに相応しい不遇が訪れる
であろうし、無理に若さに執着するような老人にはそれを嘲笑するかのような
不幸が駆け寄ってきそうな気がしてならないのである。 ・・老いを孤島に
なぞらえることは適切なのだろうか。いや、人間は誰もが孤島のような存在
だと主張することもできよう。だがおじいさんとおばあさんの二人暮らしなどを
見ると、あたかも融合してひとつの島であるように映りつつも、潮の干満に
よっていつの間にか二つの別々の島になっていたりするものである。
その微妙な加減が興味深い。いつしか片方の島は水没し、まさに絶海の孤島
となってしまったとき、むしろ老女のほうが淡々としかし粘り強く生きていく
ようである。「ええなあ」とのんびりした口調で羨んでみたり、妄想に生きて
みたり超然としたり、とにかく生き抜く。老女の独り暮らしというものには、
わたしが漠然と思っている以上に精神の働きの多様性が示されているらしい。≫
▼ 老い、弱り目になると、祟り目が嫌でも待ち構えている。
 それなら、一日一生の思ひで、一日を消化するしかない。だから何ごとも
一期一会ので生きるしかない。 最近特に気まずさ、自己嫌悪が強くなって
きている。問題は、その毒を貯めないよう、日ごと処理しなければならない。
現在、一日三時間の運動と、TVやシネマで映画を一本はみている。それでも
フラッシュのように、色いろの後悔する記憶が次々と浮かんでくる。
なる程、老化とはこういうことなのである。孤立というより、孤島にただ独り
という実感が老いの寂しさになるだろう。生まれてくるときも、死ぬときも、
ただ一人。 まだ背後から死が追いかけてくるような感覚が、あと数年も
しないうちに、目の前から死がジワジワと忍び寄ってくる感覚になってくる。 
それにしても暗い顔をした老人が多い。
 ・・・・・・
2011年05月31日(火)
3718, 閑話小題
   △ 現時点の関東大震災と、今回の震災の比較は?
 現時点で、1923年の関東大震災と、今回の大震災、どちらが日本にとって
打撃が大きいのだろうか? 関東大震災は東京が、二次災害の火災で10数万人が
亡くなった。死者の数は、あまりに多かったため、混乱が生じて、確かな数値は、
推定しかないようだ。首都東京が壊滅的にやられたのだから、大打撃だったはず。 
更に、その数年後には世界恐慌にも巻き込まれている。今回はまだ原発の事故が
収束に至ってない。今後どれほど日本にとって大きな影響をもたらすか、まだ
未知数。 したがって関東大震災ほどでないとは、いいきれない。 首都圏に
近い上に、本州壊滅の可能性も充分にある。失われた20年という長期的不況に
見舞われ、その上にリーマンショックである。日本経済は深刻な事態の上の、
これである。決して、楽観視は出来ない状況である。そうこう考えると、
現時点の判断は、10年スパンで考えると、今回の方が遥かに大きい震災と
考えてよいのでは。 変な民主主義が蔓延っているから、なお深刻である。
  △ ジャズは、早朝のサイクリング(でiPodで聞く)によい!
 二年近く冬期間をのぞき、信濃川に早朝、サイクリングに行っている。
これまでサイクリングでiPodでクラシックなどを聴いていたが、最近、
ジャズを聴いている。ジャストいえば、夜の喫茶店か、スナックのイメージだが、
朝の土手のジャズが意外とよい。2ビートが、早朝の心と身体にリズムをつける。 
鳥の鳴き声や海やせせらぎの波の録音などアルファー波が自然と出る単調な
リズムのものを聴いてきたが、ジャズを早朝とは・・
 ジャズといえば、ルーツは黒人の霊歌で、明るさと暗さの境目が、その背後に
あるため、夜明けにあっているためである。その上にスポーツ・ジムでも
iPodでジャズを聴いている。 これも運動に2ビートがあっている。
「聴覚を人はもっと活用すべき」というが、そのとおりである。ジャズはリズム
とテンポというが、運動に本来あっている。にわかジャズファンの誕生だが、
これまではクラシックファンだったが、これは中途半端。演歌に、クラシックに、
ロックに、カントリーに、何でも好きだが、これは!というのがなかった。 
そこで1200曲がiPodに入ったからジャズに絞るか? というのも、
何か軽すぎる? しかし、軽くて結構。門前で拒否するより遥かによい。 
特に、こういう落ち込みやすい時期には。


5919,閑話小題 〜今日は父の44周の命日

2017年05月30日(火)

   * 今日は父の43周の命日
 今日は父親の命日。はや44周年になる。現在の私の年齢で余命一年の末期癌
が発見され、予告通りに亡くなった。その間、千葉市郊外の飲食ビルの立上げの
ため、実家で同居していたが、死の恐怖と戦う姿は実に壮絶だった。
 そのシリアスな日々の中で多くのことを学んだ。 前ぶりなく、突然襲って
くる死神。その前で人間は全く無防備のため、独り灼熱砂漠の真中に立たされた
旅人のように生への渇望に悶絶する。半面、人間の持つ、神秘的な力も現れ出る。
生きるとは、愛とは、死ぬとは、行蔵とは、創業とは如何なることかを、最後の
炎の輝きの中から、まさに‘業を授かる’一年の授業をさせて貰った。その後の
人生の大きな糧になっていた。最後に残るのは、「両親の温み」である。
 温みだけはタップリ残っているが…  さて墓参りだ!

   * 大相撲5月場所総括
・白鵬が1年ぶりの優勝に13回目の全勝で自己記録を更新して終えた。
表彰式で「ただいま帰ってきました。国歌を久しぶりに歌えて最高の気持ち」
と嬉しそうだった。 次の目標は、あと二回の40回の優勝記録。
・さらに、関脇の高安が大関昇進を決めた。フィリピン人の母親を持つハーフ。
色々なこともあるようだが、横綱の可能性を持った逸材。あとは怪我をするか、
しないか、の問題。
・さらに、若手の学生相撲上がりの、北勝富士、正力、御嶽海、宇良、石浦、
輝などが活躍した。地元の新入幕の豊山が、大負けをして再び十両になる。
一年間は、実戦の中で揉まれ土台をしっかり再構築をした方がよい。

・・・・・・
5554,閑話小題 〜父親の43周期に
2016年05月30日(月)
   * 父親の44周期に
 私も、父親の亡くなった年齢まで、あと一年になる。その一年前に胃癌の
大手術を受けて、余命一年と宣告されていた。現在の私の年齢で、余命一年の
宣告を受けたことになる。手術直後、急遽、金沢から帰ってきて、千葉市郊外
の千城台ビルの建設計画に着手することになる。父親から直接、創業ノウハウ
を受継ぐ貴重な経験になっていた。
 父親は、年末年始と法事以外は、酒を一切に口にしなかった。大酒飲みの
私からして、いつ、癌の余命宣言を受けても不思議ではない。新潟での事業を
立ち上げた頃の営業関係の多くが飲酒過剰?で倒れ、既に亡くなっている。 
で、私の死期を75歳にラインを引いたのは、あながち間違いでもない?
 毎年、飽きもせず、父親のことを書いているが、これが私の供養。父親が、
ハッキリした具体的行動指標になってくれたのが、私のアドバンテージになって
いたようだ。 事業も、最悪の想定を課して、平常から長年かけた準備をして
おくことの必要性も学ぶことが出来た。数十年ぶり学生時代の友人が、
『お前は、用心深かった。それと、曲がりそうになるが、直ぐに元に戻る!』
という。 用心深い両親は学歴が無かった分、必死に基礎教養を日常生活から
求めていた。趣味も、しかり。早寝、早起きも同じ。連合いへの別立て給与
の支給と別口座預金も、実家からの継続習慣。今回の事業整理の決断も、
本能的に幼児体験と、両親の教えのベースが働いたため。その辺の下衆の
想定とは? 違っている。父親にとっての太平洋戦争と、敗戦は、それまでの
価値観が根本から変わった一大イベント。 日本人は軍人が230万人、
一般人が80万人死亡したが、東北大震災の死者の150倍である。
 それでも、資産管理は、手堅くしており、何とか戦中、戦後の混乱期を、
何とか乗り越えていた。その幼児体験を、そのまま書けば、これほど面白い
舞台と物語はないはず。「すざましい!」の一言。 父親は二代目だが、私の、
この随想日記は、まさに悲しいかな、<売り家と唐様で書く三代目>の現代版
と自覚をしているが、実家文化のお陰で、何とか軟着陸をすることが出来た。
しかし、人生を十分に楽しんだことだけは、両親に負けてない。これ、負け犬
の遠吠えか! 45年の事業人生を十二分に楽しんだのだから、両親も許す?
「日々、是、口実」ということ! そういえば、母親に晩年に聞いた逸話。
<父親が徴兵されたが、肋膜で、除隊をされた。今さら、地元に帰れなく、
 東京の同業者の一間に、一年間、居候していたことがあった> という。
父は一切、その話をしなかったが、他人には言えない話は、誰にもある。
父親に魂を通して『これ、話してよいか』聞いたところ、
『娑婆のことは、娑婆で判断して良い。死んでしまえば、そこまで、
此方は、此方の世界がある。』という。そう悪いところではなさそうだ。
それも、これも妄想でしかないが。 さて、花を買って墓参りだ。

・・・・・・
5189,閑話小題 〜父親の42周期に
2015年05月30日(土)
   * 父親の42周期に
 毎年、父への想いを書いた内容を読み返すと、年齢ごとの思いを書くこと、
書き残しておくことの秘儀の意味が見えてくる。父親の亡くなった年齢に、
あと二年でなる。 余命が少ないことを悟って死ぬまでの生き様、死にざまを
通して多くのことを学ぶことが出来た。 死んでしまえば、いっさい無。
物や金を残したところで、あの世に持っていけるわけでなし、あるのは暗黒の
死の不安と、人生の後悔。死を前にすると、世間とかいう壁がうき上がってくる。
そして、それが如何に、他愛がないものと思えてくる。 あの超保守的な父が、
何を思ったか、『赤旗』をとって読み始めて、自民党批判を始めていた。
それと、死に関する予備知識の絶対量が必要ということも痛感した。しかし、
誰も『自分が死ぬ!』とは思わない。『他人は先、我はあと』と確信している。
あの時の父の激しい生への希求が直接伝わって、「当りまえの、先ある人生が
いかに素晴らしいことか」を思い知った。亡くなる直前に、『良い人生だった。
全く同じ人生を、もう一度生れ変って生きたい!』と母親に話したという。
考えつくした上での人生賛歌の総括をしたのである。 で、死に際の苦痛は例外
なく悲惨そのものだった。私のような大酒飲みは、リンゲルの効きが悪いそうな。
晩酌に缶ビール5本飲んでいた友人が先年、亡くなったが、それは酷かったとか。
                           さて、墓参りだ! 
  * 久々のジョーク
・「おい、見てみろ、日本の総理大臣が共食いしてるぞ!」
 「はぁ? 中国人じゃあるまいし、何を食ってるんだ?」
 「アメリカンドッグさ。」
・なぜ手術室から逃げたのか、お話しいただけますか? 
 病院の理事が患者に尋ねた。 なぜって、看護婦が
『大丈夫、盲腸の手術はとても簡単なのよ!』って言い聞かせたんです。
 それで… 「彼女はね、それを先生に向かって言ってたんですよ!!」
・・・・・・
4824,閑話小題 ー今日は、父親の41周期
2014年05月30日(金)
    * 今日は父親の41周期
 5月30日は父親の命日で、毎年、ここで思い出を書いてきたが、年々、
似ていることを繰返し偲ぶことになる。歳を重ねるほどに、父親に顔も性格も、
ますます似てきているが、父親を知る人は、もう周囲には殆ど居ない。 
人生を振返ると、父親の大きな影響の中で生きてきたことが思いやられる。
その父の亡くなった年齢に、あと二年でなる。 三年前の会社整理もあって、
父親を乗越えることが出来なったが、私にとって、父の視線が、常について
まわっていた。内語で、大事な決断時に「オヤジ、どうしよう」の自問自答を
繰り返していた。その内なる対話が、知恵の原泉である。父親が42歳時の末っ子
のため、溺愛に近い状態で育ってきた。 この温もりが心の奥にあればこそ、
多くの難関を乗り越えることが出来たようだ。いざとなると、折れてしまう人は、
両親の温もりが少ない人が多いようだ。 親の温もりが、その人の温もりになり、
それが、生きていく大きな力になる。良い時代に、良い両親に、良い人に
恵まれたことが、私の大きな財産になっている。特に、父親の愛情と恩恵は、
何ものにも代えがたい。
  * 内省の日々
 数日前から、ー「事業人生を決心して45年」の語り直しーのテーマで
書き出しているが、ここで気づいたことは、これは内省そのものということ。
それをそのまま公開するとは、自分は何だろうと疑問がわいている。 
父の命日の想いも、内省になる。いま現在、命日の朝4時、父の魂と自分が向い
合っていると、背後の数メートルから、「なんてザマだ!」と、一喝されて
いるよう。父親が私にもとめたのは、「人生、社会の規制にとらわれず、事業も
趣味も最大限に生きろ!」ということ。 しかし、この程度しか生きることが
できなかった反省と、後悔がある。酒癖の悪さで、多くのチャンスを自ら潰し、
世界を小さくしてきた自分を省みることも、内省である。 それからみて、
この結果が私にとって‘ベスト’では? と・・ これは自己鎮撫になるか。
来し方を振返ると、何とも浅ましい己の姿が浮かび上がってくる。
このような人生を自嘲した歌謡曲があったが・・ 老いていくと、真面目に
なりざるを得ない。その視点で、過去を後悔するのは、所詮は老人性欝症の
なせる業ではと、内なる声もするが・・さて、これをアップして、
父親の墓参りに行くことにするが、この随日も、私の法事になる。
・・・・・・
4457, 今日は父親の命日 ー40周年
2013年05月30日(木)
 今日は父親の命日、亡くなって40年になる。ここで毎年のように父の思い出を
書いてきたが、父も本望だろう。私も父の亡くなった71歳に、あと3年半で到達、
目先の目標に近づいてきた。私の早寝早起は、父親の生活習慣を見習ったこと。
亡くなった当時は高度成長期真っ只中に、石油ショックが起きて日本中が青く
なっていた。それから日本も世界も動乱が続いた。私にとって父の死と、半年後
の千葉での創業と、結婚は、大きな分岐点で、父の死を引きずり悲しんでいる
暇は無かった。何事も直接跳ね返ってくる事業人生が始まったからである。
「親の死は子供に対する最大の贈物」という言葉のとおり、父の庇護が無くなり、
それから全ての責任が直接被さってきた。全てが未経験で、分からないこと
だらけ、そこで亡くなった父親を心の底で呼び出し、「どうする親父?」と一緒に
考えていた。 次から次への難問が押し寄せ、判断、決断が迫られる。
頼れるのは、浅い経験と知識。それと「親父なら如何する?」の仮説の自問自答。
あの時からの40年の歳月は、やはり長い。世界も日本も、そして私も変わって
しまった。情報化社会の本格的到来と、ソビエト・東欧の崩壊、中国の共産主義
の放棄が、大きく世界を変える要因になった。
 心の底で父に、「ここまで激しい変化、親父も信じられないのでは?」と問い
かけると、「私の想像を遥かに超えている。しかし、羨ましい限り。世界の果て
も気楽に見れるし、知識情報も簡単に入手できるし・・ 混乱期としても豊かさ
の範疇。少し先読みをし、変化を受け入れ自分が変われるかどうかだ」との返事。
過去の命日に、その時点の思い書いてきた。読み返えしてみると、成るほど思い
は残るもの。私が書いているというより、父本人が書いてと思える位だ。
両親から生まれでて、両親の元に帰っていくイメージがあるだけで充分幸せ。
父を通して多くのことを学んだ。何があったとしても、両親の御蔭で、よい人生
を過ごせたと感謝している。さて、お参りだ! そういえば、母親の命日に、
このような文章を書いてない。もっと世話になったのに。
時々、夢にリアルに出てくるためか?
・・・・・・
4083, 父の命日 ー39周忌
2012年05月30日(水)
 5月30日には、毎年のように供養も含めて同じようなことを書いている。
39年といえばアッという感より、遥か古い昔に感じる。父が亡くなって5ヶ月後
に千葉で千城台ビルをオープン、その一ヶ月後に結婚をした。亡くなった直後は、
ショックで茫然自失だったが、数ヶ月もしないうちに激務が待っていた。
そのため父の死を悲しんでいる余裕も無くなっていた。その激務の中、ただ真正面
にぶつかっていくしかない日々。そこで精神的、肉体的体力は、そのプロセスから
ついてくることを知った。人間にはイザとなると、信じられない力が潜んでいる。
極限に自分を置いて真正面からぶつかれば、何とかなるものである。 私にとって
生まれてこのかた、父の存在と影響があまりに大きかった。亡くなって気づいたが、
常に父を意識して、物事を判断してきていた。だから、その時に父が亡くなった
タイミングは私にとってベストの贈り物だった。父の死と、事業の立ち上げと、
結婚と、私にとって初めて独り立ちであった。全ての計画、判断、実践を自分
がして、結果がストレートに帰ってくるのである。それが慣れるまでは、
「自由の不自由性」に戸惑ったが、一度慣れると、これほど面白いものはないと
感じるようになった。 全てが自分一人の判断しか頼りにならない。とはいえ
決断しようにも自信がない。そこで自然と「自分が父だったらどうしただろう?」
の自問自答になる。そう考えると、幼児の頃から父は直接、間接的に多くの
ことを教えてくれていた。経営学とかの理論は、実践の場で直接役に立たない。
頼れるのは場当たりの直感だけである。事業を始めてから現在まで、子供の頃
からの両親の教訓が役にたったことか計り知れない。しかし終わってしまえば、
それまでだが、自分がやりたいことが創業ビジネスだったので、現在の結果は、
殆んど後悔はない。創業を幾つか楽しんだ結果、三つの経済災害で終わったが、
と本心から思えるから有難い。失う哀しみは、いずれ味わう時期がくる。
順調に後継者に引き継いでもである。それなら綺麗さっぱり、根こそぎ洗い
流されてしまえば諦めがつくというもの。この結果は、ワーストでもなく、
ベターでもなく、ベストだったのかもしれない?。 世界恐慌の直前もあり、
ベスト? 父が生きていて私を批判するなら、「調子に乗りすぎて、天合を
欠いたな!」。 新潟駅前で500室は過剰だったかもしれない。
それでも父は、「その結果に押しつぶされる方が大問題。撤収は、正解!」
と言うはず。 世界も、日本も、この異常事態なら当然。
・・・・・・・               
3717、閑話小題
2011年05月30日(月)
  * 今日は父親の38周忌
 父親が亡くなって38周年。私には生前の父親の存在があまりに大きかった
ので、亡くなった日が、第二の自分の誕生日と思うほど。その時が精神的自立
の時だったようである。毎年のように同じようなことを書いているが、八人
兄姉の末っ子で、父親は特別に私を大事にしてくれていた。その意味で、私の
人生は当たりと信じている。両親の愛情の分量が、自分という存在に対して、
肯定的になれるかどうかの境目になる。父が亡くなって38年という歳月は、長く、
刺激的な日々であった。結果として、この事態(倒産)になっても、時代背景
に飲み込まれたと諦めがついている。 父から学んだことは、金銭哲学である。
『死に金を使うな、普段の生活を節制し、使うべき時は使うこと。事業を通して
人生を楽しむこと。趣味は大事にすること。』 大筋は、こんなものだが、
人生の何たることか、両親の生き様を通して学べたことは、本当に良かったと
思っている。この事態でも、両親の子供のころ見てきた苦労からすれば、数分一
でしかない。だから、平然?としていられる。事業を起こし、維持し、そして、
消滅させる物語は、そう甘い要素で成り立つ訳がない。その前提を知っている
から、その辺の輩の批判、罵倒は無視出来る。それにしても、自分の息子に毎年、
このような追悼の文章を書いて貰える父も幸せ?である。これが私の供養である。
   * 地震保険について
・・・・・・
3352, 父の命日(37周年)
2010年05月30日(日)
 毎年、父の命日に思い出や人となりを書いていると、多くのことが記憶の
彼方から思い出される。思い出し、書くことが父にとっての供養と思っている。
「過去の所業と思いが魂」と仮説を立てると、
「両親と子供の頃の思い出は魂の故里」になる。これまで書いてきたが、
父は典型的な明治人で、シャイな性格。 長男で実家の古美術商を引き継ぎ、
第二次世界大戦の戦時中は骨董は売れなくなったため、兵隊の戦死者が多くなり
仏壇と仏具の販売で乗り切った。終戦直後は古着の売買に転進、その後、衣料品
量販店に切り替え、地方では小さいながらも名をなした。古美術商の時代には、
地元出身の山本五十六や、ツガミの津上退助、そして野本互尊などに骨董品を収め、
時代の潮流の情報や薫陶を受けたのが人生をプラスにしたベースになったようだ。 
その結果、「情報の先取りと長期的視野と、転進が、人間の一生を左右する」
というのが持論にあった。それは教養によってベースが築かれることを彼らから
学んだようだ。 学歴コンプレックスも大きかったが、それがバネになった。 
日々の生活を節制するのがベースで、贅沢、慢心、虚栄を忌み嫌い、清潔、
潔癖の明治人の特徴を、そのまま受け継いでいた。朝5時に起き、仏壇で祈り、
新聞を隅々まで読むのが日常だった。その辺は私も同じで、これは家の文化
(ハビトス)か。 また人に妥協するのが大嫌いで、親戚以外は、株屋ぐらい
しか周辺に近づけなかった。酒は年末年始に少し飲むだけで、外食は贅沢と
最小限度しかとらなかった。(当時は、それが一般だったが) 
年に一度の法事と、大晦日の年越しの家族と従業員との宴会が晴れのときで、
その楽しかったことが、そのまま父の思い出となった。 恐らく自分が死ぬ
ときのイメージは両親の手に引かれ、光の中に消えていく光景になるだろう。 
毎年、父のことを書き続けた文章を読み返すと、書き残す不思議を思い知る。
書くことは、その時点では心の記録だが、時間の経過とともに魂の記録になる。
人間の脳の思いなどアテにならないし、思い出もそうだ。しかし書き出し、
それを重ねることで、魂に熟成していくのである。音楽家は音楽で、仏像師は
仏像で、作家は小説で、魂の記録として刻印されるのである。
それも宇宙時間からみれば微小のこと。しかし、微小のことでも、
それに乗っている間は人生である。さて、恒例の墓参り!


5918,閑話小題 〜帰りの宇宙船内で

2017年05月29日(月)

   * 帰りの宇宙船で
 「何故に生まれてきたか?」の問いかけの答えを考えるに、
「宇宙彼方の惑星から地球の80年の旅に来ていると想定すると考えやすい」
と、そして、「子猿に纏わりつかれ、殆ど地球上の大自然も、人間も、人間が
営々としてつくり上げた「文化・文明」をみること出来なかったことに後悔
する」と書いた。 秘境異郷ツアーに嵌って、私にとっての世界の果てからの
現実社会からのトリップする経験をしてきた。この感覚を「人間の生死」の
極みの実感から、「人間の生きる目的」を考えるヒントにしている。
旅行から自宅に近づくにつれ、ホームベースがあればこそ、余裕を持って世界
の果てに飛ぶ立つことが出来た。それを拡大して、宇宙の果てから地球へ、
約80年の時間に色々な条件を与えられた上に、世界と内界を知り、味わい、
宇宙船に乗って帰っていく。宇宙船内で、自問自答するのは、如何だろう?
観て、経験した、感動と、感激と、感涙した極上の感情体験。四苦八苦、四楽
八楽の経験。それを阻んでいたのは、地球のシリアスな小憎らしいが、可愛い
子猿たち。それらも元の惑星に着いたと同時に宇宙の旅として忘れ去られる。
ただ、帰りの宇宙船内には、両親など因縁のある人たちが居る。数年前から、
早朝の仏壇前で、因縁深かりし故人のイメージを繰り返し想い浮かべている。
「末期の死の床での予行演習」の準備の一環ですか、これは。「暗い!」と、
いうアナタ。これは時間をかけ身につける「必須科目」。私だけの話だが… 

・・・・・・
5553, 「要するに」「面倒くさい」「面白くない」「あとでしよ」」
2016年05月29日(日)
   * 「要するに」「面倒くさい」「面白くない」「あとで」
<「要するに」「面倒くさい」「面白くない」「あとで」>は、自らの壁を
つくることになることに気づかない。この随想日記を読み返すたびに、
「要するに」が目に付いてしまう。 要約を一度する癖も必要としても、
自分の理解した枠に、せっかくの新しい知識、情報を押し込むために、
次の深化が、そこで止まる。
 最近、老いの一現象か、「面倒くさい」の思いが先立つ。しかし、何事も、
「面倒くさい」先に、面白いこと、楽しいことが待っている。乗り越えてこそ、
面白いのに、「よる年波に勝てず」と、年齢のせいにする。「面倒くさい」を
乗越えるためには、一日、週、月、年単位のスケジュールを予め組むとよい。
 次に、「面白くない」。 これは老化のバロメーターである。以前は、
あれほど面白かったことが、何か詰まらない。「あれは、ああいうこと、
これは、こういうこと」と、小さな自分の範疇に入れてしまう結果である。
何事も、急がしい合間に、無理をしてするから楽しいことが多い。
老いるほど、中村天風の『積極一貫』を心がけなければならない。
「あとで」と後回しにして、多くのチャンスを逸してきた。「あとで」と
後回しにした事の山積みが、あまりに多い。『20秒ルール』と法則があり、
とにかく、20秒以内に、手をつける。投手がキャッチャーからボールを
受取ってから投球に入らなければならない時間を、何事にも当てはめれば
よい。これは、上記は老化現象として、私たちの生活を劣化させる。
・・・・・・
5188,人生相談という気晴らし! 〜
2015年05月29日(金)
            『人生、しょせん気晴らし』中島義道著
  * 父親とは、息子にとって「存在自体が悪」である
 父と息子の関係は、古代より続く永遠のテーマである。「息子にとって、
存在自体が悪!」とは・・ 私にとっての父親は、最大の理解者で、
独立を一歩、踏出したベストのタイミングで亡くなった。私に必要だった
のは、まず父親からの独立だが、計ったように亡くなっていった。
 人生で一番に恵まれていたのは、父親の直の愛情。その温もりは、
今でも残っている。ただ、私には具体的な指示は一切しなかった。
私から、能動的に具体的な何かを求めてくるまで、何も言わなかった。
≪  Q: 父親とはどういう存在であるべきか?
六十二歳の父親です。三十歳代の息子と娘がいます。私が育った家庭環境は
封建的であり、父を敬う風潮のある時代でした。しかし、その風潮も現在では
古臭いと子供や妻に反感を買うだけです。最近、思うのは私自身が父親として、
どんな存在だったかということです。子供たちは、大学を出たのですが就職
氷河期ということもあり、安定した職につくことなく、社会を彷徨ってますし、
結婚もしていません。私は家族の幸せを考えこれまで働き、経済的な豊かさも
獲得してきたつもりでしたが、これで良かったのかと疑問が残ります。
子供たちに一体何をしてやれたのかと考えるとやりきれない思いに囚われます。
父親の役目を終える時期が近づいているのですが、父親とはどういう存在である
べきかと今頃になって悩んでおります。中島先生はどのようにお考えでしょうか?
  A: 父親は子供から忘れ去られることを望まなければならない
 今回の二つのご質問を読んで、あらためて私は「人生相談」に向いていない
なあと思かました。人生相談を持ちかける人は、たぶん常識の範囲を超えない
かぎりで、つまりあまり苦労なく実行できる範囲で、何らかのポジティヴな
回答を求めている。あるいは、ちょっと考え方を変えれば「楽になる」そんな
妙薬を求めている。とすると、私にはそういうご期待に答える素質も趣味も
ないからです。人生が何の意味もないことは自明であり、その無意味な人生
の終局は死であって、永遠の無に突入するのでしょう。こうした差し迫った
大問題に比べると、どんな相談も失礼ながらちっぽけなもの、どうでもいい
ものに思われてしまうのです。と厭味を言ったうえで、お答えします。
私も一人の息子の父親ですが、「父親とはどういう存在であるべきか」と悩んだ
ことはまったくない。なぜならば父親とは、とくに男の子にとって三島由紀夫
の言葉なのですがー「それ自体としての存在が悪だ」ということがよくわかって
いるからです。もともと存在が悪なのですから、善人ぶってもすぐに化けの皮が
はがれてしまう。父親は子供に何をしても、いや、何かをするほど嫌われます。
とくに、感謝されよう、尊敬されようとして何かをすることが一番いけない。
とすると、何もしないのが一番いいという結論が直ちに出ます。父親は勝手に
子供を作ったのですから、子供を経済的には二十歳までは支援する義務がある。
子供に生きていくカを授ける義務もあるかもしれない。しかし、それが「義務」
なのですから、何の見返りも期待してはいけない。とくに、「立派な人」に
なること、「幸福になること」を期待することが一番いけない。そんなことは、
(父親という)他人が口出すことではないのです。父親は苦労に苦労を重ねて
子供を育て上げたら、子供から忘れられることを望まなくてはならない。
子供に対する執着を断つこと、子供から独立することです。どうせ、ちょっとで
死んでいくのだから、子供の人生は、子供に任せて、残された人生を自分の
ために使ったらいかがでしょうか?悪人は悪人に徹することです。≫
▼ 父の亡くなった年齢に近づくにつれ、やはり父親が、最大の理解者で
 あったと同時に、教育者だった。いつも、待ってくれていた。傷ついて、
横たわっていた時に、ただ一言『死んでしまえ!』以外、何も言わなかった。
死ぬに死ねないから、ただ、ジッとしていた。そのジッとしている効用こそが
人生にとって大事なことである。  明日は、その父の43回忌になる!
・・・・・・
4823,変えてみよう!記憶とのつきあいかた ー4
2014年05月29日(木)
         「変えてみよう!記憶とのつきあいかた」ー高橋雅延著
   * 万能薬としての「語り直し」
 ー「事業人生の45年」の語り直しーを書き始めたが、何故か心が重い。
 気持ちの中で目的のため、多くを切り捨ててきた部分を違う視点で見ることに
なるからだ。しかし、一つのことを得ようとしたら、それに見合うだけを捨てて
かからないと、何も得ることができない。万能薬として「語り直し」も、劇薬
にもなってしまう。これまでの記憶のありようを現在の主観的経験で変えようと
するのが、「語り直し」である。  ーその辺りから
《 その人の立ち位置によって、同じできごとでも違って解釈できる。だから、
 過去のどんなできごとも、必ず違ってみることができることを、肝に銘じて
賜おくことが必要だ。その上で、ある過去のできごとについて意味づけを変える
ために、そのできごとを、それまでとちがうことばで語り直さなければならない。
世間には「時間が癒す」という言いまわしがある。ここで、見過ごされがちな
ことだが、「時間が癒す」のは、単に時間が過ぎ去るからではない。
時間が過ぎ去る間に、人はそのできごとについて何度も考え、悩み、さらには
新しい経験をする。このことによって、元のできごとの意味づけ、語りかたが
変わるからなのだ。 ・・(中略)
「記憶をつくり変えたり、それを遠ざけるのは無理なことである。・・(略) 
しかし、―つねにー私たちは、自分の苦悩、自分自身の内的経験、自分自身の
精神の経過を処理しているわけである。それは、過去とよばれる客観体ではなく、
現在とよばれる主観的経験である。変える必要があるのは、誰か他の人間では
ない。最も大きく影響されているのは、私たち自身である。記憶をぬぐい去る
ことはできないが、記憶の有りようを変えることは可能なことを、私たちは
知っている。」・・ 》
▼ 現在、連続シリーズで書き始めたのは、「語り直し」だが、それより、
 全く忘れていた記憶の書き加えが多くなる。それが、書き直しということだが、
太い幹の記憶から、忘れていた細い幹と小枝と葉っぱ記憶が出てくる。
その記憶が新たな気づきを喚起する役割なってくる。若い時分は、誰も経験も
知識の絶対量が足りなく、ただ漠然と日々を過ごすしかなかった。あるのは、
何とかなるのでは?という、儚い想いだけ。語り直しは内省そのものになる。
・・・・・・
4456, 一日5分「簡単ヨーガ」健康法 ー4
2013年05月29日(水)                                       
           『一日5分「簡単ヨーガ」健康法』ー番場浩之著   
  * 1日目 "胸を開いて積極的に    
A・完全な呼吸法をする体位……40       
 1、基本体位=仰向けに寝て、脚を少し開く。両手は臍の上に置き、
  親指と一さし指で三角形を作る。「静かな一息」−>「軽く一息」で息を
  出し切りながら、足の甲と膝裏を十分に伸ばす。顎も引いてウナジも伸ばす。
 2、お腹と脚を緩めると自然に息が入る。さらに「深く一息」を入れながら、
  万歳をするように両腕を左右45度に開いて上げ、手指を開いて肘を伸ばす。
  次に、膝裏を伸ばしながら、足先を手前に引っ張るように足裏を反らし、
  足指も充分に開く。この状態を保つ。
 3、ゆっくり息を出しながら、手を元に戻して「基本体位」で「軽く一息」。
 4、もう一回、1〜3を行い、最後に「軽く一息」−>
  「静かに一息」−>「各自の一息」で整える。
B・背骨をねじる体位(腕で半円を描く)……47
 1、基本体位=仰向に寝て両足を揃え、手のひらを上に向けて腕を横に伸ばす。
  次に右手を左の手の平に重ね合わせて左脇を下に横向きになる。次いで右膝
  を曲げて床につけ、足裏を左膝上部にあてがう。右腕を顔前の床に伸ばし、
  左手は右膝にあてがってしっかりつかむ。
 2、「静かな一息」−>「軽く一息」の後、「深く一息」を入れながら
  右腕を垂直に上げ、腰を入れる。このとき、入息に合わせて指先は
  きちんと揃え、肘もまっすぐ伸ばす。
 3、息を出しながら足指を握り、左膝裏を伸ばして腰をしっかり入れて意識
  しながら、右腕を背中側に押し倒して背筋をねじる。ここで、出息に合わ
  せて、足先から手指先までの「大地のアパーナ気」の流れを感じながら行う。
  (膝が床から浮かないように注意し、首もねじって右手先を見ながら行う)
 4、戻すときは、まず息を入れながら腕を垂直に上げて腰を感じ、次に、
  ゆっくりと息を出しながら、丁寧に1の姿勢に戻す。「軽く一息」したら、
  もう二回2〜4を繰り返す。計三回。軽く一息、静かな一息、各自の呼吸で、
  息を整え手、右腕側が終了。
 5、向きを変えて、反対側も、同じことを繰り返す。
▼ 座位で呼吸する他に、仰臥の姿勢で身体を伸ばしたり、捻って呼吸する
 ことで、「大地のアパーナ気」と、「天のアパーナ気」を取り入れるポーズ。
 ヨガの実習は、前屈、反り、ねじり、直立、完全弛緩、座法の姿勢を意識的に
 繰り返す実習で本来の姿に戻すことを目指すもの。特に、一日目の、二つは、
 基本中の基本である。これを身に着ければ、ダイナミックな「気」を引き出す
 ことが出来るはず。そういえば、学生時代の合気道に、ヨガの呼吸法に似た
 ところがある。合気道は相方と呼吸を合わせて気を練る。それに対しヨガは
 あくまで己独りの世界。 合気道の基本技には、「前屈、反り、ねじり、
 直立、完全弛緩、座法の姿勢」の全てが含まれている。ヨガの「大地の
 アパーナ気」と、「天のアパーナ気」を取り入れる行(ポーズ)も、20年位
 前の早朝ウォーキングの途中の橋の上で、天に両手を上げて天の気を取り入れ、
 それを、大地の底(地球の芯)に吸い込ませる呼吸をしていた。ところが、
 暫く休んでいたら、地球の芯が「ひさしぶり!」と反応してきた。
 あくまでも擬人化した対自か即自だが、現在では「球芯様」と名づけて、
 早朝のミニ・サイクリングの自転車上の自己対話の相手にしている。 
・・・・・・
4082, 老いの見本帳ーダークサイト −5
2012年05月29日(火)
    「老いへの不安 歳を取りそこねる人たち 」春日 武彦 (著)  
  * 老いと勘違い 
 ここで、著者は長いページをさいて、中原文夫の「本郷壱岐坂の家」を
紹介しながら、「老いと勘違い」について書いている。
その概略を紹介しながら、現在の私の心境と、老い、そのものを考えたい。
≪ 主人公は多摩川沿いで大会社でないとしても、180人ほどの会社を持って
 いる会長。 息子が社長で、妻も元気で、事業も順調である。ある日、涼子と
いう20歳の女子社員が給湯室で三人の女子社員から詰られている場面に出くわす。
その時、70年前の記憶がよび戻る。14歳の時に家に家政婦できていた、同じ年代
の中山スズという娘を思い出す。別に女性として意識はしてなかったが、何故か
意地悪をする。その女性に似ていたことと罪滅ぼしの感情もあり、強引に自分の
秘書にする。そして会長職もあり、仕事内容は私用が中心になる。妻とともに、
その女性を身内同様、可愛がっていた。ところが、ある日、会社で火災が発生。
息子の社長の話だと、どうも、涼子が火を放ったらしい。 彼女の話では、
その間接責任は主人公の会長にあるという。 総務部長の自宅に電話をしてきて
「勤務以外の時間に私用で拘束し、休日は自宅に呼びつけ調理をさせたり、
女中代わりに使っていた」という。 すべての好意が歪曲され、悪意で色づけ
されているのに呆然とする。 その彼女から電話が鳴る。罵詈雑言である。
その頃、苛めた中山スズの娘から、一通の手紙を受け取る。スズは既に亡く
なっていたが、死後に、手紙を届けて欲しいと言われていた。その手紙の
内容は、あまり幸せでない生涯だったが、主人公と、その父親に対する深い
感謝の言葉が並んでいた。あの二年間が人生で一番幸せだったと。そこで思う、
「俺はどういう人間なのだろう。思い当たる節もなく、他人から慕われ、
そしてまた、かくも憎まれるということは、これは立派な罪ではないか。 
・・主人公は、これ以上ないおぞましい感情を突き付けられ、縋るように
本郷壱岐坂の家とスズのことへ、思いを寄せる。スズという過去の娘と涼子
という現在の娘、それぞれ互いに感じ考えていたことが全く違っていた皮肉を
綴っている。 ・・・精神科医の立場のコメントは、涼子のような女性は
世間に一定の割合で偏在している。ある種の人格障害には、まぎれもなく彼女
のように「最初は普通に見えたのに、ある時、豹変して相手に憎悪をぶつけ、
今までは耐え忍びつつ演技をしてきたと言い放つ」といった類型が存在をする。
それは往々にして相手に深い精神的ダメージを与える。それによって、
もはや人間そのものを信頼できなくなってしまう。・・・ ≫
▼ 現在の私の置かれた立場は、オセロゲームで、最後のコマが黒になり、
 それまでの白が一挙にクロに変わってしまったようなもの。しかし、いざ、
そこで見据えてみると、自分より、他の人たちの豹変を冷笑し面白がっている
視線がある。人生など、全て勘違いと思い込みで出来ているに過ぎない、
その自明なことが漫画的に現れ出るからである。そういえるのは、リスク管理を
していて、目先の生活に困窮しないで済んでいることもある。事業を立ち上げる
ことは、強力な思い込みを形にすることである。そこには、当然、勘違いも多く
付随するが、消化していくしかない。しかし、最後がクロになると、全ての
出来事は、クロの要素になる。といって、それも物語である。要は、後悔しない
よう務めるしかない。人生は本来、勘違いで成立している。気づきたくないが!

・・・・・・
3716, ジャズについて −10
2011年05月29日(日)
         ー 「音楽の本」三枝成彰著 より
  □ 黒人アーティストからの反撃  ー「ハード・バッブ」って何 ?
*ソニー・ロリンズ、チャールズ・ミンガスのユニークな活躍
【五〇年代中盤以降、ニューヨーク周辺のビバップの流れをくむ黒人アーティスト
 の間から、クール・ジャズの知的な弱々しさを圧倒するかのような、たいへんに
勢いのある力強くエモーショナルな演奏スタイルが生まれてきた。これを白人
ウエスト・コースト派に対する黒人イースト・コースト派の巻き返しととらえ、
一連の傾向を「ハード・パップ」と呼ぶ。4ビートがより鮮明になり、アフター・
ピートも強調される。ハード・パップ・スタイルの特徴を一言でいえばこうなるで
あろうし、「ファンキー」とか「ソウル・ジャズ」と呼ばれることもあるが、
レッテル貼りはさておき、この時代に活躍したアーティストについて見ていこう。 
一九五六年に有名な三つのアルバムがリリースされた。ソニー・ロリンズの
『サキソフォン.コロッサス』、 セロニアス・モンクの『ブリリアント.
コーナーズ』、チャールズ・ミンガスの『直立猿人』である。
ソニー.ロリンズ(一九二九〜)はチャーリー・パーカー亡きあと、即興演奏の
可能性をさらに押し広げたテナーサックス奏者である。
『サキソフォン・コロッサス』は日本のファンが「サキコロ」などと呼ぶ定盤中
の定盤。彼の演奏は、豪快でおおらかなトーンの中に時折ユーモアのセンスも
感じさせ、なによりもヒューマンな魅力に満ちあふれていた。
セロニアス・モンク(一九一七〜一九八二)は、ビバップ創始者の天才であるが、
孤高の道を歩む。マイルスとのレコーディングで大喧嘩をしたという逸話が
残っているほど、彼のピアノ・スタイルはずば抜けてユニークであった。
ソロ・アルバムが多いのはそのため。彼は私生活でも時折、意味不明のことを
口走るような変人といわれ、七〇年代はじめに 重病で倒れたあとは、二度と
世間にその姿を見せることはなかった。しかしモンクには好き嫌い抜きで
聴ける「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」「ストレート・ノー・チェイサー」
などの有名な曲もあり、その評価は後年に高まっていくことになる。
(字数制限のためカット 2012年5月29日)


5917,閑話小題 〜ジョンレノンの言葉がよい

2017年05月28日(日)


   * ジョンレノンの言葉がよい
  最近に知った、ビートルズのジョンレノンが残した言葉が、なかなか良い。
この年齢なればこそ、感応するのか、ただ知らなかっただけか。〜その一つ〜
< ビートルズは、ほしいだけの金を儲け、
  好きなだけの名声を得て、何も無いことを知った。>
 至極、当然のことだが、レノンが言うから良いのだろう…
歌心のない私でも、学生時代、ビートルズ、プレスリー、ナッキング・コール、
シナトラ、ローリングストーンズ、ルイ・アームストロングス、サイモン&
ガーファンケルなどの50枚位のレコードを持っていた。それら全てとステレオは、
卒業時に、全てを姉の一人にあげてしまった。その中で、印象に残っていのが、
やはりビートルズ。 ネットでジョンレノンの言葉を検索をしたところ、
以下の言葉が出てきた。 現在の私が当時の私に贈りたい言葉でもある。

≪ ・ 僕がこれまで どうやってきたかは教えられるけど、
   君がこれからどうするかは 自分で考えなきゃ。

・ 根本的な才能とは、自分に何かが出来ると信じることだ。

・ 心の中のヴィジョンは、現実になるんだ

・ 問題は、これからのことや 過ぎ去ったことを思いわずらう必要は
  ないってことなんだ。大切なのは、今この瞬間を楽しむ、ということさ。

・ 仕事は元気のもとだね。
  仕事がなければ 恐れと不安があるだけだよ。

・ 未知なる物を恐怖するからこそ、みんな夢や幻想や
  戦争や平和や愛や憎しみなどを追いかけて、右往左往するのさ。

・ 愛とは僕らが出来ることを知ることなんだ。

・  希望…
  それ自体は幸福の一様態にしか過ぎない。
  だが、ひょっとすると 現世がもたらし得る
  一番大きな幸福であるかもしれない。

・ 大ざっぱな言い方をすると、
  子供たちがクレージーな理由は、
  子供を育てるという責任に、
  誰も立ち向かうことができないからだよ。

・ 目を閉じてれば、生きるなんて楽なことさ。
  目を開けてるから誤解が生じるんだ。

・ みんな平和について語るけど、
  誰もそれを平和的な方法でやってないんだ。

・ 僕らは、自分のすばらしさと不完全さのなかで、
  何よりも自分自身を愛することから学ばなければいけない。

・ 誰でも非凡な才能を持っているし、すべての人が美しいんだ。
  自分がいったい何者なのか、誰かに指摘してもらう必要のある
  人間なんて一人もいない。あなたは、そのままであなたなのだ。

・ エルヴィスの前には何もなかった。

・ 僕の言うことなんて、半分は意味もない。
  ただ君に聴いて欲しくて話しているんだ。

・ 平和を試してみよう! 僕らが言ってるのはそれだけだ。≫


▼ TVのYouTubeで改めて聴くと、半世紀を隔てた青春時代に戻った感覚
 になるが… 日本もアメリカも、良き時代、真っ只中。良い時代に青春を
過ごしていたことを音楽から改めて知ることになる。団塊の世代の二年先に
生を受け、その世代の勢いに相乗りをし、その恩恵そのままを受けてきた。
当時の音楽は時代背景もあってか、明るく、ポジティブで、楽観的で、今でも
踊りたくなるような高揚感が湧き出てくる。その音楽そのものを言葉にした
のが、上記の中に迸し出ている。 こういう時代も、あったのである。
この世代も既に定年をむかえてしまった。

・・・・・・
5552,閑話小題 〜反省すれども、後悔せず
2016年05月28日(土)
   * 反省すれども、後悔せず  (源信 往生要集)
 何ごとも、実際にやってみないと判らないし、思いどうりにならない。
だから、その結果に振り回されない様に生きるしかない。反省は経験から得る
ことが出来るが、後悔は変えることが出来ないため、割り切るしかない。
 反省とは、起きたことに対して今後に生かせる点を経験として取り入れて、
同じ失敗をしないようにすることで、それは今に生かせる。
 後悔は、起きてしまったことに対して、別の判断をしていれば別の結果が
得られたと思い悩むこと。変えられないことを思い続けることには意味がない。
思い悩んでいる人に、「その過去に立ちもどって、起こる前の時点に戻し、
あなたの思い通りの今を作り直せるなら、過去に戻りますか?」 
これにイエスと答えられるか? 「過去さえ変えられたらうまくいく」という
強い思いは、これから先に対して、確信など持っていないことになる。
その時点で、考えられるだけ考えていれば、失敗をしても、限界まで努力を
したのだからと割り切れる。何事も最善を尽くし、極限まで、努力をすれば、
不安も最小になる。 後悔は、その地点の、器の小ささ、自己能力の査定の
足りなさの結果に対しての思い。これは、「今の自分は、そのままでは受け
入れられない」と同じことになる。 
 吉川英治が、武蔵に、<われ事において後悔せず>と言わせた。後悔する
なら、初めからしないことだ。命がけでぶつかれば、後悔も反省も無くなる。
 <自分の人生、今さら後悔もあるまい、ご覧のとおり、そのまま結構>
と、割切りざるを得ないと、いうこと。タメ息の「あ〜あ」の「あ〜」は、
諦念の意味という。 で、「あ〜あ!」  何度、口にしただろう。

・・・・・・
5187,世間の捨て方 ー
2015年05月28日(木)
               『世間の捨て方』ひろさちや著
   * 「がんばればよくなる!」の馬鹿馬鹿しさ
 〜二つの愚問、「生きがいとは何か」「どうすれば幸せになれるのか」〜
この二つの愚問?を真面目に自問自答してきたが、これこそ、「世間の奴隷」
が発する問いかけ、という。「生きがいは、がんばれば出てくる」も似たもの?
我々は「幸せでなければならない」という考え方が、そもそもオカシイとは、
面白い切口である。   〜以下が、考えさせられる (P36)〜
≪ 「永遠のものなどない」が仏教の基本的な考え方です。仏教では、この世
 のすべては常に変化していると考え、どんな世の中も滅びるのは当たり前。
「日本は滅びない」と考えるほうが不自然なんです。『平家物語』の冒頭に
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」とありますが、この「諸行無常」
ということばに、仏教の考え方が端的に表現されています。
「すべてのものは常ではない」、つまり「あらゆるものは永遠の存在ではあり
えない」ということを述べているわけです。「永遠の存在がないとしたら、
この世の中は何なんだ?」と誰もが疑問に思うでしょう。そんな疑問に対して、
聖徳太子は「世間虚仮、唯仏是真」と述べています。「世間虚仮」の「虚仮」
というのは、字を見て分かる通り、「虚ろであり仮のもの」という意味。
「おれをコケにしやがって」という、あのコケの語源です。早い話が、わたし
たちが生きている世間は「嘘偽り」だというわけです。そして、「唯仏是真」は、
ただ仏だけがまことであるという意味。これが仏教の基本線ですむ世間が虚仮
であるならば、世の中をよくしようなんて、思わないことが大切です。
 ・・「いい世の中にしよう」なんて、仏教の教えに反する行為です。
世間は嘘偽りなんですから、それを良くしようなんて思わないことです。
『法華経』というお経では、この世の中は「火宅」であると記されています。
私たちの住んでいる全世界は火事になっているという。燃えているんだから、
さっさと逃げ出しなさいと『法華経』は教えているんです。「世の中を良く
したい」という人にしてみれば「火宅だったら、それを消してやろう」という
のでしょうが、それは馬鹿げています。大火事なんですから、消火活動なんて
やっていたら焼け死んでしまうじゃありませんか。せっかく『法華経』がいい
ことを教えてくれているのですから、それに従いましょうよ。問題は「自灯明」
です。お釈迦さまは、自分自身を灯明にしなさいと教えられたのです。これは、
自分に自信を持って歩めという意味だとも取れます。しかし、それよりも
「世間の奴隷になってはいけない」と解釈したほうがはっきりとします。
わたしたちはあまりにも世間のことを気にしすぎるきらいがあります。
世間の人の平均や流行に常にとらわれていて、自分が世間でどう評価されている
かが気になって仕方がない。でも、世間なんていい加減なものだということは、
さきほど述べた通りです。「世間の奴隷になっていては、自分というものを
失ってしまうよ」とお釈迦さまはおっしゃりたかったのではないでしょうか。
人間は、つい「生きがいとは何か」「どうすれば幸せになれるのか」と自問
自答しながら暮らしてしまいます。でも、そうしたことを考えること自体、
世間の奴隷になっている証拠です。「幸せ」「生きがい」を求めるのは、
自分で手枷足枷をはめて、進んで奴隷の列に加わるようなものです。
つまらない常識にとらわれることなく、生きたいように生きたらいいんです。
勝ち組になったとか負け組になったというのは、単に世間の物差しで測った
結果に過ぎません。・・・ ≫
▼ TVのコマーシャルや、番組の根にあるのは、コンプレックスの刺激が、
 隠されている。健康食品、美容品、ファッション用品など、『世間では、
こういうのが流行しています。これを使って、カバーしましょう』と!
その手段として、最近ではタブレットPCや、スマートフォンが普及した
ため、逆に世間が、狭くなって、個々への締付けが日々、強くなっている。
世間虚仮も必要だが、その過剰は、世間体コスプレになってしまう。
・・・・・・
4822,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー4
2014年05月28日(水)
   * 産能大学に編入
Α.献礇好海鮗めるについて、その身勝手さに非常に厳しい(精神的)
 リンチ? 実家に帰った時には首はガチガチで、半病人状態。当然だろう・・
それをみた両親が、四国旅行に連れ出してくれた。親は有難いもので、後先、
両親三人と旅行をしたのは、最初で最後の経験。 坂出でみた瀬戸内海の夕景は
今でも心に焼きついている。その時の印象と心情をメモ帳に書いたが、ホテルの
部屋に忘れてきた。それを見た若い?女性が、感想を書き添えて送り返してくれた
ことが思い出されてきた。 心が傷ついていた反面、それが夕景に共鳴できる
下地になっていた。
А,修慮紂∪虱佞了个硫箸ら東京の自由が丘にある産能大に通うことになる。
それまでの激務と、今度は何の束縛のない自由の中で、自分で自分を律する日々。
人間は独りでは生きられないが、まず独りになって自分を律する必要がある。
独りになるとは、考えるための第一歩。それが分からないと、集団に埋もれ、
何も考えないで一生を終えてしまう。20歳前半に、その両極端な二年を経験は、
私にとって大きな行蔵になっていた。この一年間は、過っての学生時代の
4年間を凝縮し、学び直すことにもなった。計算外の危機になった精神を
立て直すに、混乱した脳奥から湧き出てくる思いを紙に書き出し、整理する
ことが第一歩になった。50歳半ばから13年間、こ随想日記を書き続けてきた
ベースは、この一年間の独りでの心の血を掬いがあればこそ。文章に変換する
しかなかったお陰である。書かなければ、狂ってしまうから、書くしかなかった
のである。フィールドワーク(現場)の現象の中に隠れている道理を、言語化
する、当時の発想法のKJ法など、情報のカード化に関する書籍を読み、
実行する日々になっていた。経済社会をフィールドワークと見倣し、現象を
大きく分類し、科学するのに、この一年間は、有効に働いた。
─,靴し、千葉郊外の「千城台商業用地の売出しの広告記事」を見たことが、
 大きな副産物としてついてきた。それが二年後の千城台ビルの建設用地になる。
これについて、以前にも書いた。千葉県住宅地供給公社が、県の発展のため
住宅地を開発、販売する住宅地で、家付き娘の姉三人の一人が、そこに新築の
家を建て、住んでいた。そこから30分ほどに住む姉二人も、住宅地を購入し、
貸家を建てていた。そこで暇に任せて、購入希望者に対する抽選に応募した
ところ、当選。その後、父親を説得、購入させた。ここの購入条件は二年半
以内に、建設すること。ということは、二年半後に、私が、ここで何かを
始めることを意味していた。その時は、そんなことなど、一切考えず、ただ、
抽選に当選すれば、半値で買える程度にしか考えていた。数年経って気づいた
ことは、予定挫折が、人生で必要ということ。そのプロセスで、必ず副産物が
付いてくるという事を肌身で感じることが出来た。高度成長期も背景にあった
良き時代の真っ只中である。「捨石の節目時節の重要性」ということ! 
決断は独りでこそ。
・・・・・・
4455, 一日5分「簡単ヨーガ」健康法 ー3
2013年05月28日(火)
        『一日5分「簡単ヨーガ」健康法』ー番場浩之著
 「一週間の実修メニュー」はメニューは以下のとおり。
 シンプルだが、捩れ、反らし、伸ばしなどの要所をおさえてある。
* 1日目 "胸を開いて積極的に
 A・完全な呼吸法をする体位…40 B・背骨をねじる体位(腕で半円を描く)…
* 2日目 "足腰を軽快に
 A・膝を回す体位……54    B・膝を伸ばして、足の指を活性化する体位:
* 3日目 "身体の前後両面と、手指を開く
 A・胸と背中を開き、膝裏を伸ばす体位……66  B・手の指を開く体位ー72
* 4日目と背骨にいきいきと「気」を流す
 A・膝で半円を描く体位……78  B・上体を反らせて、背骨をねじる体位 
* 5日目"胸と脇を開き、首の血行をよくする
 A・胸と脇を開く体位……90      B・首を腕ではさむ体位……96
* 6日目"身体の疲れを癒す      
 A・背骨をねじる体位(腕を大きく回す)… B・上体を反らせる体位(腕を伸ばし)
* 7日目 一週間の疲れを癒し、新しい一週間を迎えるために
▼ ヨガ教室では50分間に、以上を殆ど網羅したポーズをとる。
 他にも椰子の木のポーズ、ワニのポーズとか色々あるが、50人定員のうち、
一〜二人を除けば殆どがリピーターで、回を重ねる度に難度を上げていく。
この本に縛られることもないが、まずは従うつもり。SJでのヨガはエアロビ
感覚で興味本位で参加していたが、これを自宅で実施したら少し本格的。
 30分の早朝座禅は、ほぼヨガの瞑想と同じ。これに一か二つのヨガポーズを
取り入れれば、一寸したヨガの時間帯になる。次回から、上記の具体的な内容を
書きだしてみるが、実際に夜明けに、一人、ヨガを組むのもなかなか良い。 
何気ないそれぞれのポーズに、千年、二千年の積み重ねがある。
問題は続けられるかどうか。ヨガ教室で15ヶ月続けたから自宅でも、
という気になれた。続けると何事も面白くなり、力になっていく。
4時起床で、早朝座禅とヨガね〜!冴え渡るが?
・・・・・・
2012年05月28日(月)
  * 書斎はシェルター
 私の書斎スペースは7畳ほどの仏間の一角である。一角といっても三分二を
占めている。リタイア以降、ここにパソコンを一台置いて、一日4〜5時間は
読書をするか、パソコンで随想日記の下書きを書いているか、iPadに向かって
いる。腰痛持ちのためジッとしているのは一時間が限度、一時間に5分はお茶や
トイレにいったりして節目を作っている。BGMにパソコンに入力した音楽を
ステレオから流している。またネット・ラジオの音楽放送も時々流す。
朝の4時半〜6時、9時〜11時半、夕方1時間の合計5時間は書斎にいる。
途中、廊下をはさんだ前の寝室で寝転んでiPadで遊んだり、TVを見たり、
仮眠をしたりする。居間、書斎、寝室のバランスは丁度良い。外出は早朝の
ポタリング、スポーツジム、図書館、SCが中心になる。書斎といえば、
iPadと、パソコンの中に書斎機能がある。静かに落ち着けるシェルターの
役目が書斎だが、あまり居心地が良すぎると、自閉症になってしまう。
iPadを持ち歩けば何処にいても同じ。小さな生活圏内では何処にいても
自分の居場所ができるのは非常に助かる。
   * ギリシャを合わせ鏡にすると
 ギリシャは西欧哲学の発祥の地。そして現在、世界金融危機の発火点になろう
としている。東の地からギリシャをみると、とんでもない事態に追い込まれて
いるのが分かる。しかしギリシャと大して変わらないほど惨憺たるのが日本。
一年しか持たない首相が改革を錦の旗にして交代するが、いざ就任、実行段階
となると周囲から袋叩きにして、反対勢力が綺麗ごとを旗に権力奪取。
その繰り返しが代々続いている。覚めた目でみれば、その一連を分かってやって
いるから始末が悪い。国民がグローバル化した世の変化を実感できないのが実態。
10年前に決断しておかなければならない国家規模のリストラが出来ないジレンマ
に落ちている。その限界が、あと二年しかないというが、その行き先は、誰も
分からない。ギリシャ国民のユーロ圏に留まりたいが、耐乏生活はしたくない
国民感情は日本も同じ。右上がり経済の再来の幻想に、まだ浸っている。
最後はハイパーが吹き荒れるだろうが。
 ・・・・・・・
3715, 閑話小題 
2011年05月28日(土)
  * フレンドリーの雀はメタボ
 毎朝、信濃川に冬期間を除きサイクリングに行くようになって一年半になる。
10日ほど前に、いつものベンチのところでストレッチをしていると、一メール
ほどのところに雀がきてジッとみている。外国では公園などで何度も人懐こい
雀には出会っているが、日本では珍しい。暫くすると、餌が貰えないと判断した
のか飛んでいった。ところが昨日の早朝に、同じ場所で座って休んでいると、
雀が50センチもしない自転車のハンドルに止まって、こちらを見ている。
ポケットに何かと探したが、クリスクしかない。それを一粒、地面に投げたが、
パンや菓子屑でないと思ったのか、見向きもしない。よく見ると、普通の雀の
二倍近くもありコロコロしている。もしかしたら、雀ではないのでは?と、
見直したが、やはり雀である。恐らく誰かが餌付けをしているうち、他の人
からも餌を貰って太ったのだろう。 親しそうに近くにきて見つめられれば、
何か餌を与えたくなるのが人情。 その結果がメタボである。私も近々に、
餌を与えることになるだろうが。雀と鳩は、世界中、いたるところで見られるが、
その国々で、微妙に違う。餌によるのだろう。ところで最近、本当に雀の数が
少なくなった・・ 餌といえば、アイスランドに行ったときのこと。 
ホテルの近くの公園を散歩をしていた時、野生の大ガンの群れの一羽に
クラッカーを与えたところ、数十羽の群れが、私のところに押し寄せてきた。 
恐ろしくなり無我夢中で逃げたが、その時の恐怖は!早朝の朝靄の中の出来事
が幻想的な思い出として残っている。


5916,閑話小題 〜清貧は金がかかる

2017年05月27日(土)

   * 清貧は金がかかる
<インド独立の父のガンディーは、「非暴力、不服従」を貫き、英国の植民地の
 インドを独立に導いたが、その暮らしぶりも清貧でしられていた。その秘書役
をしていた女性が、後日、米国のジャーナリストに、面白い話を残している>と、
ある本にあった。「彼に貧しい暮らしぶりをしてもらうために、周囲がどれほど
お金を使っていたことか、しれたものでありません」。
 東芝の元社長の土光が、小さな古い一軒家でメザシを食べている映像を見た
ことがあるが、普段、宴会にまみれ、せめて家ではメザシを食べないと…の
穿った指摘もあった。関西商人は、身分以上の家をつくって住むが、そこで清貧
の日常生活を過ごす習性があるとか。「恒産あって、恒心あり」で、安心できる
財産と収入があればこそ、清貧の生活を過ごせる。逆に、底浅い成金なればこそ、
派手に振りまきたくなる。700万を超えると、幸福度は上がらなくなるというが、
やはり、あるに越したことはない。増えるに比例し、他人の豊さに無頓着になる。
それに比例して、同クラスの人たちが変わってくる。人間的な品位がある人は、
明るく、邪気が少ない。清い富が理想だが、成金は、それが出来ない。
清貧は金がかかるが、清富には金はかからない。そのままで良いからである。
「で、どうした?」「どうでもないです。いや、どうでもよいことです!
どのみち、死んで三日も経てば同じこと」。要は、生き方、使い方、楽しみ方。

・・・・・・
5551, 生きる力ってなんですか?
2016年05月27日(金)
         『生きる力ってなんですか? 』おおたとしまさ(著)
 図書館で、『子どもはなぜ勉強しなくちゃいけないの?』の第2弾を見つけた。
『生きる力ってなんですか?』のテーマなら、以下の筆者に負けない内容を
書くことが出来るような人生を生てきたつもり。大した事業ではなかったが、
亀のように、準備15年、実業30年、合計45年を生きた経験から言える
言葉がある。何の実態のない得体のしれない事業に、誰一人、助けてくれない。
そこで、まずは、助けてくれる社員を、集めるしかない。何も無いところに、
自分のイメージを計画に落として、それを「カ・タ・チ」に移行していく。
 カ=神のカ、発想、着想。 タ=田圃のタ、枠組みつくり。
チ=血、エネルギーの投入。これを一人、こつこつ、作り上げていく実践が
「生きる力」として作動する。
   〜アマゾンの内容紹介〜
≪ 新学習指導要領のメインテーマ「生きる力」について各界の識者が語る。
「システムが存在しない場に自力でシステムを作り出す」 ・・・内田 樹
「手足がなくて幸運でした。自分の方法を編み出せたから」・・乙武 洋匡
「いやな会社はとっとと辞めろ。女は自分で稼げ」・・・・・・西原理恵子
「正しい生活のためにちょっとの工夫ができること」・・・・・C.W.ニコル
「自分だけじゃなく地球のことも考えられる力」・・・・・・・椎名 誠
「もめごとは肥やし科と異性を学ぶ科へどうぞ」・・・・・・・高濱 正伸
「エベレストに登ったのは生きる力を維持するためです」・・・三浦雄一郎
   (「BOOK」データベースより)
「勉強ができるだけじゃダメ!」「じゃあ、何が必要なの?」「…」答えられない
大人のために、7人の識者が語りました。大人気シリーズ第2弾。親子で読んで
語り合えるように、子ども用のページと大人用のページに分け、ほとんど同じ
内容を、子ども用にはできるだけやさしく、大人用には詳しく書いている。
   (カスタマー・レビュー)
生きる力をとは、最短距離で生き延びるための付け焼き刃のマニュアルを教え
込むことではなく、いかなる咄嗟の危機が差し迫って来た時でも、丸腰の状態
で平然と対処出来る能力のことであると思う。たとえ何度失敗したり遅れを
とっても、その都度その道の先達に衒いもなく教えを請うて絶えず修正しながら、
晩年になってでも再起出来る復元力が必要であると思う。
 政治家や教師が幼児化しているのは、子どもの頃に葛藤を避けたりケンカを
しない様に教えられ、異質なものを受け容れずに大勢に迎合したり、従わない
ものを無視して斬り捨てる教育を受けてきたからであろう。
この本ではそれぞれが小児期から老年期に至るまでの自分の現体験が綴られて
おり、7人とも劣悪な家庭環境や劣等生から如何に人生の師を見つけて立ち直り、
独自路線を切り拓いていったかが簡潔に述べられており、子供よりもこれから
でも教育されるべき大人に読んでいただきたい書である。 ≫
▼ 現在の私の生きる力は、誰に頼まれた訳でもない、毎日の少し厳しい日程を
 こなすこと。どの時間帯も、充実をしているが、そうしないと、精神が大きく
揺らぐ可能性がある。 丸腰で異質なものとケンカをし続けなければならない
のが「生きる力」である。 内田 樹の、「システムが存在しない場に自力で
システムを作り出す」ことこそが、「人生の生きる力」である。そこには、
血と汗と涙がつまっている。

・・・・・・
5186,修羅場の極意
2015年05月27日(水)
                  『修羅場の極意』佐藤優著
  * カネがないのが最大の修羅場
 月末の運転資金が足りないなどの資金繰りの修羅場を経験をしないで事業を
終えることができたのは不幸中の幸いであった。現在、中小・零細の三分一が、
資金繰りに追われる修羅場状態という。身近で、倒産時の修羅場をみてきたが、
正に阿修羅、いや獣のごとく!であった。そのため先年、知人が自殺に至った。
『修羅場の極意』の巻末の西原真理子と、著者との対談がリアル! 
≪ 西原: 夫が病気になって思ったことですが、人間は必ず病気になる。
 病気にならない夫も、潰れない会社に勤めている夫も、浮気しない夫も、
 この世の中には存在しません。そのとき、専業主婦だったら家の中は
 滅茶苦茶になる。夫が倒れて、自分に子どもを養う力がなければ、
 家庭は修羅場になります。専業主婦は極めて危険な仕事です。
 夫を治すために莫大なおカネがかかり、半年後にちゃんと死なせるため
 にも莫大なお金がかかりました。 最大の修羅場はおカネがないこと。
 おカネがないと、たいていの人は獣になってしまいます。おカネがないと
 男の子は泥棒に、女の子は売春婦になる危険性が高くなる。
 自分の娘と息子がそんなことになったら、人生最大の修羅場と考えている。
 それさえ避けられれば、ほとんどのことはどうでもいい。
佐藤: 西原さんの修羅場の対処法を整理すると、まず、最悪の状況を
 シュミレーションをしておく。それで、原因を理性的に分析して、
 危険な芽をつぶしておこうということですね。
西原: 子どもを東大に行かせようなど高望みしない。いい子に育てようと
 いった漠然とした理想も描かない。最悪の危馨理から逆算するのであって、
 上は想定していません。
佐藤: いいじゃないですか。東大を出て超有名企業に勤め上司の顔色ばかり
 うかがって、人間としての誠実さを失っていくようなエリートはいっぱい
 いますが、そんなふうになっても仕方ないのですから。
西原: そうですね。人に好かれる、何か言われてもはね返せる強さが身に
 つけばいいなと思っています。人に好かれるって一番の財産ですよね。
 それと、女の子は他人の中傷とかにすぐへこんだりしがちですが、
 それさえ気にしないで生きていける強度があればいいと思っています。≫
▼ 普通の子女が金に困り売春する金額は世界共通で、その地域の一週間分の
 給料分で、日本では4〜5万円が相場とか。対談相手の漫画家の西原真理子
は、夫の酒乱に悩まされ、末期ガンの夫を見送った手記は、日常生活の修羅場
そのものだったという。私も、事業をしている時、『起こってしまった難題に、
更に最悪を想定し、そこから対策を構築』していた。その積み重ねが、喩えば、
シェルターとか、避難ボートの準備だった。また、事業計画の段階で、最悪を
想定して、逃げ口を念入りに想定した。でも、こんな大津波(情報化社会)が
やってくるとは、思いもよらなかったのが本音である。事業で、お金は、
空気と同じで、きれた瞬間が死(倒産)である。そこから逆算しての
安楽死が事業にはある。安楽死は、自分でしか決断出来ないため、悲喜劇が
繰返される。その三分の一の経験だけは、したくはなかった。父の口癖、
『金がないのは、首がないのと同じ! 万一を想定し、備えを整えるべし』
の実践が最後には救ってくれた。準備があれば、最悪を冷笑する視線が生じる。
『こんな面白いことはない!』という、自虐的な、地底からの視線である。
鼻声で、他人の不幸は蜜の味という何への、侮蔑・汚蔑の視線が面白い。
ところで事業生活45年の、どの部分を切りとっても、修羅場と天国。
商売、事業とは、本来そういうもの。 両方とも楽しむのがコツ。
・・・・・・
4821, 「事業人生を決心して45年」の語り直し ー3
2014年05月27日(火)
  * ジャスコ入社と、新井石龍禅師の一喝!
� ジャスコ岡田屋に入社。幹部候補の特訓のためだが、そこは激烈な仕事量と、
売場と店の急速配転で、疲労困憊の極地。 知らぬが仏とは、このこと。そこは
戦場の真っ只中。自分を鍛えるには絶好の場所だが、実際は、3K、4Kの世界。
悪くいえば、当時の流通業は溜めの世界。それまでのアカデミックの世界とは、
真逆の環境。
まずは、四日市のジャスコ岡田屋本店の配送センターへ。ここが激烈な仕事量。
三ヶ月後には、日用雑貨のカーペットと絨毯売り場へ、その一ヶ月後に、神戸
のジャスコフタギの垂水店へ転勤。合併のための人事交流の尖兵である。
神戸の新興住宅地の駅前店。今度は日用雑貨売場に配転され、まずやらされた
のが新兵を試す瀬戸物の叩き売り。店頭に問屋が持ち込んだ瀬戸物を自分勝手の
売価で売る。あのテキヤの瀬戸物の叩き売りである。 
恥ずかしいのは一時間だけ、これがお客との駆引きが非常に面白い。
安く売れば売上高は上がらない。が、高くすれば売れない。相手が買う値で、
可能な限り売上を上げる。総売上の3割が店のマージンで問屋から入る仕組み。
「男はつらいよ」の寅さんが、露天で売っているのは、この方式。
その二ヶ月後が、これまでフタギに無かった靴売り場の責任者に。 
これが面白いように売れた。嘘のような話だが、数値目標の20倍の売上。
その辺りから、目の回るような配転もあって、これで良いのか、自分が事業を
立ち上げるために、これで良いのだろうか?という疑問が湧き上がる。
そして、原点を見つめ直そうと、学生時代に卒論書きのため通っていた六日町の
禅寺「雲屯庵」に、4日間の休暇をとって坐禅のため行くことにした。
そこには一年前にも司法試験の勉強をしていた高橋さんが、そのままいた。 
 そして、新井石龍禅師との問答。私の『思いの他、世の中が厳しいことが
解りました!』に対し、禅師の『世の中は、いつの時代も変わらない。
厳しいと感じたのは、あんたが甘いだけの話。世の中のせいにしないこと』
の御言葉。ガッツンとやられた上に、たまたま慶應を卒業後にハーバード大の
ビジネススクールに通っていた学生と、そこの修行僧と、高橋さんと私と夜半、
お茶を飲みながらの雑談に、私だけ、彼らの話についていけないのである。
何か根こそぎ、自分が全面否定されているような大きはショックで、迷いが更に
大きくなっていた。そして、今、学び直さないと、一生、後悔するのではと、
ここで退社をして、独りになりきる必要性を感じ、その4ヶ月後に退社を決意する。
しかし、考えてみれば、自分の身勝手で、勤務先など多くの迷惑をかけていた
ことに なる。我ながら脂汗が滲み出てくる。事業創業とは、エゴ丸出し、馬鹿
丸出しのドンキホーテそのもの!漫画といえば漫画だが、何故か、後悔はない!
・・・・・・ 
4454,一日5分「簡単ヨーガ」健康法 ー2
2013年05月27日(月)                                          
   * まず「4つの呼吸」を理解しよう   
 一日5分「簡単ヨーガ」健康法 ー番場浩之著 
呼吸も座禅と同じく吸い1に対し、吐きが2。ここでは、呼吸量のコント
ロールを取り入れている。その道の大家が言うのを、心を開いて学ぶのが筋。
スポーツジムのヨガ教室では、まだ、これは教えてない。
 ーまずは、その辺りからー
≪「4つの呼吸」では、呼吸量をコントロールしながら、「意識して行う入息」
→「自然と行われる出息」を繰り返す。普段の生活では、呼吸を意識することも、
腹式呼吸と胸式呼吸を区別して行うこともほとんどないので、まず、お腹で
たっぷりと呼吸することからはじめ、段階的に胸にも息を充たすようにして
いきます。この呼吸がゆったりとなめらかであればあるほど、呼吸の波にゆらぎ
の波動があらわれて、こころとからだの芯にに響くものとなります。
A・静かな呼吸
「静かな呼吸」では、丹田を意識して腹式呼吸をたっぷりと行います。ここでは、
胸の呼吸は行いません。鼻からゆっくりとおなかに入れ、2倍くらいの長さで、
鼻からゆっくりとなめらかに息を出していきます。普段の呼吸の40%位。
B・軽い呼吸
「軽い呼吸」は、「静かな呼吸」の要領でおなかにたっぷりと入れたのち、
胸郭下部を左右に開くようにして、胸にも息をみたします(胸式呼吸)。
胸とおなかをゆるめて、その2倍くらいの長さで鼻からゆっくりとなめらかに
息を出していきます。60%位の呼吸量。
C・深い呼吸
「深い呼吸」は、「静かな呼吸」の要領でおなかにたっぷりと入れたのち、
胸郭全体を上下・左右に開くようにして、ダイナミックに胸にも息をみたします
(胸式呼吸)。胸とおなかをゆるめて、2倍くらいの長さで、鼻からゆっくりと
なめらかに息を出す。 こののち「軽い呼吸」の入息と自然な出息を行い、
続いて、「静かな呼吸」の入息と自然な出息を行います。80%位。
D・各自の呼吸
 最後に、「各自の呼吸」を行います。
「静かな呼吸」「軽い呼吸」「深い呼吸」がしっかりとした意識呼吸であるのに
対して、「各自の呼吸」は、「静かな呼吸」→「軽い呼吸」→「深い呼吸」→
「軽い呼吸」→「静かな呼吸」を行ったあとをおさめる、ゆとりの呼吸のこと。
自然とおなかに入息、ゆっくり鼻からなめらかに出息していく、やすらぎの呼吸。≫
▼「40、60、80、60、40%、フリーの呼吸量を繰り返す」、46864
 と「への字」の形の呼吸と思えばよい。 私の場合は、さざなみ、中波、大波、
中波、さざなみ、引き波をイメージして呼吸量を、それにあわせる。
これなら何処でも練習出来る。22歳の座禅体験から始まり暫く休んで、
ここで早朝座禅、瞑想の再開。 悟りにほど遠いが、面白い。
・・・・・・・
4080, 老いの見本帳ーダークサイト −4
2012年05月27日(日)
      「老いへの不安 歳を取りそこねる人たち 」春日武彦(著)  
  * 鼻白む出来事  
 ここで紹介されていた新宿の百貨店の地下のベーカリーでの出来事が、
どこにでもありそうなエピソードである。品性卑しからずの70歳すぎの老人が、
盆に乗せていた一斤のパンを落としてしまった。不思議なことに誰も、そのこと
に気づいていないようだった。そこで、その老人は素知らぬ顔をして拾い、元に
戻して別のパンを乗せ変えた。著者は呆然と、それを眺めていたが不快感を
持ったという。正直に店員に話せば普通なら店の方も心得ていて、新しいパンを
取り替え、そのパンは奥に引っ込める。それが、外見に相応しくない品のない
行動に老いのイヤラシサを見せつけられてしまった。 私も雨の中、ある駐車場
から一般道に出るとき、溝の鉄板が外れてしまったことがある。大雨が降って
いなければ元に戻すところだったが、誰も居ないことを良いことに、やり過ごした
ことがある。その後の数年間、その近くを通るたびに自己嫌悪に陥った経験がある。 
今回の倒産劇の中でも、そのことだけは注意をしたが、それでも幾つか悔いの
残る部分はあったが、可能な限り自分の良心に従った。もちろん、落城に付き
ものの手の裏を返した身内や友人が数名いた。 後味が悪い切断は、一生ついて
まわる経験則が無いのだろう? 品性もあるが。最後に残るのは自分の良心との
自問自答だけ。後足で砂を蹴った思いほど嫌なものはない。しかし実は返り矢で、
自分で気づいてないのが本当のところだろう。立場変われば、薮の中で、自分の
勝手の解釈を、それぞれがしているにすぎない。老化からくる偏執は、自分の
価値観の歪曲からくる決めつけの起因が多い。老化による精神の弱体の顕在化は、
そのへんから見えてくる。著者は、「老いは、それだけで、その人の在りようを、
偏屈で意地悪で寂しい老人と決めつけられ、それも安っぽい、底が浅い不良少年に
まつわる物語にされてしまう」と述べている。社会的弱者になる、ということ。
だから、早く自覚をすべきということか。静かに、温かみを持って笑い、
独り読書か、音楽を聴いて、目立たない老人も悪くないが、意地悪ばあさん、
じいさんも割り切ってしまえば楽である。 最後は、やはり宗教頼み、
こんな私を神様、お助けください!か。


5915,『しあわせ仮説』 ー12  〜 「純粋な悪」を、私の中にみる

2017年05月26日(金)

            『しあわせ仮説』ジョナサン・ハイト著
   * 「純粋な悪」を、私の中にみる
 「純粋な悪」を自分にみると、どうだろう。それぞれ人によって違うが、
この切口から、自分の姿がクリアーに見えてくる。
・せっかく頂いた平均80年の人生。奇跡的偶然の積重ねの結果の私は、
「どこかの星から地球への宇宙旅行に来ている」という仮説をたてると、
何かヒントが見えてくる。ならば、地球自らがつくった大自然の美に感動し、
人間が営々としてつくりあげた文化・文明の魂に触れる。前に立ちふさがる、
18歳までに植付けられた周囲からの先入観からの脱皮を一生かけて続け、
自然と人間がつくり上げた光に感動、感激し、追い求める生き方。それさえ
知らない、「素朴な実在主義者」の心のありようが、私にとって「純粋な悪」。
それと世間様の共同幻想の「世間的常識」。
・「和して同じず」で、群れたがる人間の習性。群れこそ、生物の生きる
ための習性であるが、反面、独り死んでいくしかないのも人間。
<同じ石(人間)、少し遠目でみれば砂利じゃないか> がある。
所詮、人間など狂ってしまったサル。何をしようが、考えようが、同じじゃ
ないか?と考えていた。ところが、生きてみて、同じでないことを肌身に
沁みるほど実感をした。少しでも広く深く知りえたか、大自然の神秘に触れて
感動したこそが、帰りの宇宙船に持っていけること。
 群れてないで、少しは狂ってみたら! もう遅い? いや、垂直(永遠に
繋がる感動)に立つことは今でも出来ること。 まだ遅くないのが分かる。
情念の最たる、感動、感激を求め、自ら近づいていけば良い。
 その切口は、「孤独」「知識」「瞑想」「狂い」…
世間からすると、私自身が「純粋な悪」そのものか。現にそうだもの。
但し、万人が、多かれ少なかれ、そうである。問題は、耐えられるかどうか。
 〜で、偶然、以下に続いていく。 ご帰還の宇宙船内で涙して、
<小猿に惑わされ、「純粋な悪」に捉われ、世界を殆ど観てこなかった>と涙。
 小猿を宇宙船に持込み、遊ぶのも良いが、持込は感動、感激、感謝の念だけ。
現実に溺れ、真実の何かから目を逸らすのも人生。 じゃあ、何か?
 人生への愛と、充実感。 自分をさて置いて、他人の生き方に、あれこれ
いうことはない!  小猿が、元気で頭の中を飛び回っている。

・・・・・・
5550,閑話小題 〜雑念と小猿
2016年05月26日(木)
  * 雑念と小猿
 SJのスタジオ・ヨガ教室に参加して、はや4年3ヶ月になる。
前半の二年は、週2回、後半は週3〜4回、参加しているが、既に
生活習慣の一つで、足腰のセルフ・マッサージにもなっている。
それにしても、50人の集団が一同に会したヨガは、その人数分、
気が集まり、少し疲弊した気を強くする働きがあるような。 
イスラムのドームには、それがあるのでは?
ヨガの目的は、瞑想をしている時の身体と呼吸を整えること。
そこには、どうしても(気という)小猿が、彼方此方に飛び回る。ジムのの
ヨガで、インストラクターが、時どきヨガや瞑想の本質について譬え話をする。 
『内側から次々に出てくる雑念は、自分の身に取り付いた小猿(気)の先。
惑わされないよう、自らを律してください!』という。成るほど、小猿は、
彼方此方飛び回り、ジッとすることなく遊びまわる。思い浮ぶ雑念とは、
小猿(気)が遊び回った先でしかない。猿に惑わされ、本来の自分を
冷静に見つめることが出来ぬまま一生を終えるのが人の常。 
 世には、小猿なら未だしも、大猿になって飼主を支配しているのが多い。
その大猿の群れが、彼方此方で猿芝居をしているのが娑婆世界。
猿は愛嬌があるが、服を着た猿どもは、どうもこうも!
 それより、猿にひかれた私?、貴方?  お後が宜しい様で。
  〜いつもの偶然だが、3年前にヨガについて書いていた。
――――
4453, 一日5分「簡単ヨーガ」健康法 ー1
2013年05月26日(日)
 スポーツジムのヨガに週二回参加して15ヶ月になるが、家ではやらない。
ジム内のフリースペースで常に数人がヨガやストレッチをしている。
半年前にストレッチマットを買って始めようかと考えていたが、何もしなかった。
丁度良いタイミングに、図書館でこの本を見つけた。100回以上のヨガで、
ここで取り上げているポーズの殆ど経験している。その中で、自宅用として
要約して、「どうですか!」と提示されたよう。 独り部屋でヨガをしている
姿も奇妙といえば奇妙。
  ー著者からの内容紹介ー
動かすだけで、体に自然と力がみなぎり、元気になる!!
1日5分、1週間でマスターできるように、「息の出し入れ」「体の動き」
「気の流れ」の3大要素を、徹底図解。読んでいくだけでも、ヨーガの効果が
体得できてくる!私の師匠が長年提唱し続けてきたヨーガは、インドの伝統に
のっとったうえで、体位法などの形のみに偏らない、呼吸を大切にして
「気の流れ」のあるヨーガでした。しかもそのエッセンス的ヨーガの中に、
伝統的に重要な行法をすべて濃縮した、極めて濃度の濃いものなのです。
本書で説くヨーガも、難解な体位などの実修は含まれていません。
「ヨーガ独得の呼吸法の解説」と、それを通して得られる「生命エネルギー、
気の獲得」そしてなによりも、こうした要素を簡単に
「1日5分、2種類の実修から」始められることが、大きな特徴となっています。
 ●4つの呼吸    ●1日目 胸を開いて   ●2日目 足腰を軽快に  
 ●3日目 身体の前後両面と手指  ●4日目 背骨にいきいきと 
 ●5日目 胸と脇を開き  ●6日目 上体を反らせる 
 ●7日目 1週間の疲れを癒し  
  ●オーダーメイド・ヨーガ   ●症状別のヨーガ    
 次回には、4つの呼吸法を紹介するが、なかなか良い。
 ―
 瞑想は釈迦も取り入れて悟りに至ったが、ヨガとして確立したのは、
後のようだ。 「まえがき」の冒頭で〜
≪ ヨーガは、もともとインドの哲学や宗教のすべてに共通する宗教的な
 実践法でした。仏教も例外ではなく、心を集中し統一するための実践という
意味で、ヨーガ(瑠雌)ということばが使われています。とくにインドの宗教史
のうえでは、グプタ王朝(4〜6世紀頃)の時代に『ヨーガ・スートラ』を根本
聖典とするヨーガ学派が成立し、ごれにもとついてさまざまなヨーガの流派が
出現しました。そのなかでも、12〜13世紀以後に発達した「ハタ・ヨーガ」
と呼ばれるものがもっとも重要で、現在行われているヨーガに直接的に影響を
与えています。「ハタ・ヨーガ」とは、肉体的な修練や呼吸の制御などによって、
心の集中、統一に適する身体と精神力を築き上げる方法です。ヨーガは主と
して健康法として人々に受け入れられていますが、本来は真の意味での
心の安泰、あるいは真実の自分の発見という宗教的な目的をもった
行法であり、瞑想と深いつながりがある。≫
▼「心を集中し統一するための実践法」で、心の安泰と、真実の自己発見が
 ヨガの目指すところ。ヨガの先生が言うには、「私の日常の行為の殆どが
ヨガに繋がっている。歩いても座っても寝ても、靴を履く行為さえも」。
・・・・・・
5185,閑話小題 〜ヤマダ電機、46店舗閉鎖
2015年05月26日(火)
   * ヤマダ電機が5月末に46店舗の閉鎖
≪ ヤマダ電機が5月末に閉鎖する46店舗のうち45店舗は郊外型で、
 需要低迷が目立つ地域で事業を縮小する。一方、今年度の新規出店数は
15店舗と従来の半分程度に抑えつつ、目玉店舗として東京駅・八重洲口側に
新規出店する方針。増加傾向にある訪日外国人の需要を取り込む狙いがある。≫
 というニュースが、先日、突然発表された。
以前も書いたが、郊外型店舗で欲しい商品を見て、実際に購入するのはネット。
確実に二割はお買得になる。ヤマダ電機の総店舗数は国内外あわせて4,401 店舗
もあるから、僅か一%あまりだが、発表後、一週間で閉鎖とは・・
 買ってはないが、目立たない「自転車用ヘルメット」をネットで調べたが、
思いもしなかった帽子に組み込む隠れヘルメットがあった。また、帽子に組み
込まれたヘルメットもあった。それらは、自転車専門チェーン店も販売してない。
 情報化は、あらゆる業態の既存のシステムを根こそぎ破壊している。
   * カースト制度
 インドに行ったときに、まず疑問に感じたことが、『何故、カースト制度が
三千年も存在し続けたのか? 階級間の争いが起きなかったか?』であった。
それに対して、階級が高いアーリア人のガイドが曰く、『それぞれ階級には、
その下の階級が存在しているので、上からの差別を、そのまま下にするため、
バランスが取れている』と、平然と話していた。平等は分かっているが、肌の色、
人種、宗教上からして、アーリア人が、それ以下の人種と混血にさせないため、
つくり上げたヒンズー教。分かってはいても、階級を容認するしかない、という。
考えてみたら、自由、平等、博愛の理念は理想であって、現実は、その逆。
日本のような島国では、実質的なカースト制度が長年かけて構築されている。 
 笑い話?に、『平等の理想が困難なのは、みんなが自分より上位の人間との
平等を願うから!』がある。 なるほど、確かである。その希求は、思いの他に
強いものがある。そのため、下方ほど、他人の粗探しに精を出す「世間びと」
になる。が、それも、差別。『世間虚仮、唯仏是真』というが、せめて、自分も、
「世間びと」の自覚を。ところで、老いるたび、社会の隅に押しのけられていく?
・・・・・・
4820,閑話小題 ー22年ぶりの車選び
2014年05月26日(月)
  * 22年ぶりの車選び
 日常生活の中で、TV、パソコン、車の位置づけは大きい。
この年齢になれば、便利で、面白そうで、実利的であることが第一になる。 
年金生活者ということがあるが、これが最後の車の買物?となると、大いに
迷いが出る。しかし、選定のための中古車センターまわりは、なかなか面白い。
 22年間、乗っソアラの車検の見積で、修理費など30万といわれていた
経費がマフラーの交換が加わり、50万以上の見積になった結果、急遽、買替え
を決め、先週、連日、市内と見附と三条の中古車センターをまわった結果、
メーカー直の販売所に比較的良い車があることを知る。まず、ソアラ・クラスの
三ナンバーの大型車か、普通車のセダンか、スポーツタイプかと判断に迷った。 
まわって思い知ったのは、22年も乗っていた車より、どの車も、遥かに良い!
ということ。「このソアラは当たり!」という思い込みが、過剰に縛られる
ことになっていた。
 日産とトヨタというと、先代のソアラと、その前のコロナを加えると、
35年以上もトヨタ車を乗ってきたため、トヨタ系を選びたくなる。 
また、車は家内名義になるため、どうしても最安の選定に引っ張られる。
こういう時に、偉そうなことをいっても、森の生活とサバンナの年金生活の差
が出てくる。歳からして、あと?年しか乗れないから、可能な限り良いものか、
逆に安いものか、大きな迷いになったが・・ 何の制約もなければ、年齢を
考えても、トヨタのスポーツ車にするが、中古でも結構な値がする。
今更、遠出も、スピードも出さないため、考えた末に止めた。
 で、決めたのが、トヨタの「マークXジオ」、走行距離57千キロの格安
のワゴンタイプ。一応スタイルも気に入った上に、実用的が判断基準。
オーナーは、もちろん家内。で、ますます頭が上がらない。産業廃棄物とは、
よく言ったもの。で、車選定も一歩手前の己と似たのを探し出す!
・・・・・・
4079, 老いの見本帳ーダークサイト −3
2012年05月26日(土)
      「老いへの不安 歳を取りそこねる人たち 」春日武彦(著)   
  * 第一章 孤独な人       
 孤独は、老人に一番、似合っている。老いれば老いるほど、人間は頑固に
なると同時に、愛想がなくなり殻に篭るようになりがちになる。この章で紹介
している老人は、比較的強い人たちで孤独の世界にドップリとつかっている。 
私も長く生きるほどに、この中の誰かに似た人になっていくのだろう。
いや、既にそうか?「長生きはしたいが、歳はとりたくない」という絶対矛盾
が誰の心にもあるのだろう。理想的老人は、孤独でなくてはならないようだ。
社会的にも、経済的にも弱者に追いやられ、孤立せざるをえないのが老人。
≪ 菊蔵は、他人の不幸が嬉しいのではない。まだ自分と無関係にはなり
 きっていないがどんどん遠ざかりつつある「世間」で生じた惨たらしい
出来事が、孤身の自分の気楽さと寄る辺なさとをマゾヒスティックに際立たせて
くれるから、「また、子供が落ちて死んでいないかな」などと思わずには
いられないのである。 そこに孤独な晩年の鬱屈と醍醐味とがある。・・
わたしとしては心の深いところで共感したくなってしまう。わたしはこの章で、
自分の憧れる、あるいは好ましく思う老人たちを紹介してみようとした。
すると、どの老人も孤独な影を携えた人ばかりではないか。 老いに伴って、
心身の能力は衰えていく。もちろん人生経験を踏まえて円熟したり豊かになって
いく要素もある。 が、おしなべて衰えは我々に違和感や困惑を与えてくる。
自分自身がマイナス方向へ変貌していくという実感は、孤独感に通じるだろう。
家族や友人に囲まれていてもなお、ある種の頼りなさや不安、無力感や孤独感
が、多かれ少なかれ付いて回るのではないか。 老人となることは、死に
近づくことでもある。また、馴染み深い人や大切な人がいち早く彼岸へ
旅立ってしまう機会も増えてくるだろう。死とは、おそらく究極の孤独である。
だからこそ恐ろしい。だからこそ祈りが求められる。孤独であっても、淡々と、
あるいは瓢々と、あるいはふてぶてしく生きていく老人たちに興味が向いて
しまう理由には、そのように死への不安が伏在しているからなのかもしれない。
もちろん自身の孤独癖が大きく関与しているからでもあるのだが。≫
▼ 友人や、連れ合いにも先立たれ、誰も見向きもしなくなった頑固一徹の
 老人が長生きの果てに待っている結末か。逆に90歳半ばを超えて元気で、
あと10年は生きると仲間たちと運動している老人も、何か変である。年寄の
愚痴と、悪口、噂話ほど醜いものはないが、それは、孤独を更に際立てる。 
とぼしい行蔵の棚卸も孤独を増すだけ。 人生の終え方は難しい。  
・・・・・・
3713, ジャズについて −8
2011年05月26日(木)
 モダン・ジャズの誕生 ー�    ー 「音楽の本」三枝成彰著 より
  * ビバップのキーマン、 チャーリー・パーカー
【 四〇年代に出現した、ビバップ・スタイル以後に続く流れを総称して、
 モダン・ジャズという言い方もする。それほど、ビバップ・スタイルの出現
は革命的だったのだ。そのビパップの"スポーグスマン"的役割を担ったのが、
トランペット奏者デイジー・ガレスピー(一九一七〜一九九三年)。
「クレオパトラの夢」で有名なピアニスト、バド・パウエル(一九二四〜
一九六六年)も、のちのジャズメンに多大な影響を与えた
(アルバム『バド・パウエルの芸術』『アメイジング・バド・パウエル』など)。
 だが、最大のキーマンといえば、その飛び抜けた才能を死後になってようやく
正当に評価されたサックス奏者チャーリー・パーカー(一九二〇〜一九五五)
があげられる。 ジャズという音楽において、ペルギー人が発明したとされる
管楽器サックス(サキソフォン)が果たす役割は、他の音楽に対して比較に
ならないほど大きい。バリトン、テナー、アルト、ソプラノと四種類があるが、
いずれもジャズと切り離すことができない大切な楽器である。 このように
ジャズにとって命ともいうべきサックスの演奏家として、あえて代表をあげる
なら、のちに触れるジョン・コルトレーンとカンザス・シティ出身のこの
チャーリー・パーカーをおいてほかはない。サックスを、それこそ自在にはね
回る鳥のごとく縦横無尽に操る早業から、‘バード’名称をミュージシャン仲間
につけられたパーカー。芸術肌のミュージシャンのご多分にもれず、彼は酒と
麻薬に溺れ、34歳の非業の死を遂げるが、ジャズに新し息吹を吹き込んだ
天災であったことは間違いない。 】
▼ それぞれの楽器で、その時代のジャズを特徴づける奏者が出てきてきて
 いた。パーカーはサックスである。モダン・ジャズでのサックスの役割は
大きい。モダン・ジャズは、更にクールジャズへと変っていく。
 ・・・・・・・
3348, 閑話小題 
2010年05月26日(水)
  * 何か凄い夢をみた!
 一昨日の夜半に、変わった夢を二つ立てつづけにみた。これ以上の不愉快が
ない夢をみた。これは不徳のなせること?もう一つが夜空の星雲をみている夢。 
それが壮大なスケールで美しく今だかって見たことのないイメージ。
何かの宇宙映画の映像が頭の隅にあったのだろう。 神の目線のような、
夢でしか経験できない内的な経験である。もっと近づいて見ようとするうちに
夢が終わってしまった。 宇宙に浮いて立体的に星座の星をみている夢は初めて
だが、こんなリアルで壮大な夢をみたのに驚いている。「アバター」や
「2012年」をシアターでみたのもあるか。3Dの映画やTVで、これに近いか、
それ以上の経験もできるのだろうが。脳の奥行きの深さを夢で知らされた
思いである。こんな夢をみるとは、お迎えが近いのかもしれないゾッとする
内的経験であった。内面は宇宙ということ? 
  (字数の関係でカット2011年5月26日)


5914,閑話小題 〜気力が強くなるは!

2017年05月25日(木)

   * 書き続けることは気が強くなければできません
 昨日のこと、当分の随想日記を書き上げてホッとしていたところ、二日前に
書き上げた下書きを、改めて修正したことに気づいた。一時間もかけて直した
元の文章が、一度、完成した文章とは気づかなったことに我ながらショック。
 一週間前には、一度書き上げた文章を誤って消してしまった。過去に二度、
あったが、このときは30分かけて新たに書き上げた。気を強く持てないと、
16年も書き続けることは出来ない。面白くて、好きだからこそ、出来るが。
 ところで、中学の同期会で、「6年前から文章の力が明らかに落ちている」
と言われた。むしろ現役の立場の拘束から開放され、脱皮したため、文章力が
アップしたと思っていた。 毎日、見ている何人かの一人だが、どうだろう? 
開放された自由で、枠がとれた部分と、現役の緊張感が緩るんで一連のテーマ
探しと、内容の力が落ちてしまったか? 確かに、6年前は、生々しい心の傷
から、血が滴り落ちていた。それ以前も、時代の激変そのままの経営危機が
荒波として直撃いていた中で書いていた内容と、平穏の現在とは違うのは確か。 
現役の相撲取りの日記と、引退した元力士の書いた内容は、その緊張度そのまま
が現われ出る。読み手は、当然、それを敏感に察知する。ということは、これは
仕方がない、ということ? 毎週の金曜日のシネマの感想と、居酒屋談義風の
話題と、昼の回転寿司や、牛丼の内容では、違って当然。 かったるい地方の
同年ばかりの淡々とした日々なら、面白いネタも枯渇もする? 
それと、同期生が現役? もある。 立っている場が、見方を根こそぎ
変えてしまうことが分からない? どうでも良いことだが。

・・・・・・
5549,楽観的人生について
2016年05月25日(水)
 以下の内容は、【楽観的人生 箴言】で検索で探した箴言だが、
どれもこれも、新鮮な内容である。英国元首相のウィルソンの
『私は楽観主義者である。しかし私はレインコートを持っていく楽観主義だ』
など、例え話が分かりやすい。それは、「シェルターを備えた家」「避難ボート
付きヨット」の例えのように、設計段階から考えてあるもの。
 商売人の家では、連合いに別立ての給与を支払い、通帳を別にして、連帯保証
をしない体質にしておく。 銀行の貸金の保全の技の一つに、長期と短期貸出し
の両建てにして、経営が悪化した時に、短期貸出し金に、連れあいの連帯保証
を迫る。そして、次に子供、親類縁者、従業員の連帯保証に魔の手をのばす。
考えてみれば理不尽だが、貸す方からすれば当然のこと。 
≪ ☆ 待っているだけの人達にも何かが起こるかもしれないが、それは努力
   した人達の残り物だけである。
     〜エイブラハム・リンカーン(米国の第16代大統領 / 1809〜1865)
 :結婚も同じようなもの?
☆ 自分の夢に向かって確信を持って歩み、自分が思い描く人生を送ろうと
  努めるならば、きっと思いがけない成功にめぐり合うだろう。
      〜ソロー(米国の作家、詩人、思想家 / 1817〜1862)
☆ 神様は私たちに、成功してほしいなんて思っていません。
  ただ、挑戦することを望んでいるだけよ。
      〜マザー・テレサ(カトリック修道女、/ 1910〜1997)
 :挑戦は、結果として経験と充足感が残る
☆ 安全とは思いこみにすぎない場合が多いのです。現実には安全というもの
  は存在せず、子供たちも、誰一人として安全とは言えません。
  危険を避けるのも、危険に身をさらすのと同じくらい危険なのです。
  人生は危険に満ちた冒険か、もしくは無か、そのどちらかを選ぶ以外には
  ありません。 〜ヘレン・ケラー(米国の教育家、著作家 / 1880〜1968)
☆ 他人の失敗から学びなさい。あなたは全ての失敗ができるほど長くは
  生きられないのだから。 〜エレノア・ルーズベルト(米国のファースト
                   レディ、人権活動家 / 1884〜1962)
☆ 生きるとは呼吸することではない。行動することだ。  
    〜ルソー(スイスのジュネーヴ共和国出身の哲学者 / 1712〜1778)
☆ あなたができると思えばできる。できないと思えばできない。
  どちらにしてもあなたが思ったことは正しい。
    〜ヘンリー・フォード(フォード・モーター創業者 / 1863〜1947)
☆ 人生は道路のようなものだ。一番の近道は、たいてい一番悪い道だ。
     〜フランシス・ベーコン(英国の哲学者、法学者 / 1561〜1626)
 :悪い道には悪いのが屯している。良い道には良いのが屯している
☆ 危険を冒して前へ進もうとしない人、未知の世界を旅しようとしない人
  には、人生は、ごくわずかな景色しか見せてくれないんだよ。
    〜シドニー・ポワチエ(米国の映画俳優、黒人俳優の先駆者 /1927〜)
☆ 世間からいくら拍手喝采をあびようとも、結局、自分らしく生きていると
  いう実感が得られなければ、何の意味もない。
      〜斎藤茂太(日本の精神科医、随筆家 / 1916〜2006)
☆ 人間には、必ず人生の転機を直感し、的確に判断できるかどうかを試さ
  れる時が何度かある。 〜アントニオ猪木(元プロレスラー / 1943〜)
☆ 人の生き方を一番よく表すのは、言葉ではありません。それは、その人の
  選択なのです。選択とは、つまるところ、わたしたちの責任なのです。
   〜エレノア・ルーズベルト(米国のファーストレディ /1884〜1962)
☆ 明日に延ばしてもいいのは、やり残して死んでもかまわないことだけだ。
   〜パブロ・ピカソ(スペイン出身の画家、彫刻家 / 1881〜1973)
▲ 楽観的人生には、長年かけた防御策が必要である。万一の悲観を考え、策を
立ててない楽観など、真の楽観ではない。 思い切った挑戦も、十二分の準備が
あればこそ。それを前提に、以下の箴言を読むと、その深みが見えてくる。 
 考えぬいた末の決断ならよいが、軽率な思い付きでは、それが、のまま直に
跳ね返ってくる。 博打で一番、効率が良いのは、万全の計画の上での創業。
 その当たりは5%辺り。その博打?を、遊びまで高めれば、出来ないことが
出来る。 しかし引き時を誤ると・・ どの道、死んでしまえば同じ泡わわ〜

・・・・・・
5184,世間の捨て方 ー①
2015年05月25日(月)
         『世間の捨て方』ひろさちや著
 常日頃から〈『世間』という妄想と、その害毒〉について何度も論じて
きた。それを、この前書きで、そのまま、理路整然と書いてあった。
 20歳で、創業的人生を選択した時から、悪くいえば「自己中心」の生き方に
徹してきた。大部分の人が、何か得体の知れない模範的良い人を求め、他人の
視線を気にして日常を過ごしていた。そんなものは、転勤か、転職をすれば、
何とことはなく過ぎ去っていく事象でしかない。そして、人生の最終になり、
その妄想に気づいて慌てふためく。いや、気づきもしない人が大部分だろう。
そして、やらなかった後悔、出来なかった後悔に涙する。 以前、取上げた、
ある担任の先生が私に吐露をした、「自分には人生が無かった!両親とも教員で、
自分も教員を半ば強制的に歩んできた。定年になった現在も、90歳になっても
健在だが、何事も無い人生ほど詰まらないものはない!」と、かなり強い
初老性鬱病の前段階。一番身近な親たる「世間」の犠牲者である。
  〜まえがき〜より
≪ 「俺はどんな女も口説き落とせる」と豪語する男がいました。ところが
 彼は、ある女性から肘鉄を食らった。「きみも失敗することがあるんだね」
と言う友人に、彼はこう言いました。「なあに、あれは女じゃなかった」
 こういう人を世間では「自己中心」と呼ぶようです。
では、「自己中心」の反対は何でしょうか? わたしは、それは「世間中心」
だと思います。普段、わたしたちは「世間中心」で生きています。
無意識のうちに世間を気にしているのです。世間に気兼ねをしています。
 子どものころから、わたしたちは、
「そんなことをすると、世間の人から笑われますよ」と・・
「世間の人から褒められる人間になりなさい」「立派な人になりなさい」と
教えられてきた。つまり、世間の「期待」に応えることが求められていたのです。
しんどい生き方ですね。よく考えてみてください。世間の「期待」に応えると
いっても、その「期待」が何なのか、あなたに分かっていますか? 
企業が「期待」する模範社員は、おとなしくて、あまり自分の意見を言わず、
仲間と協調する人間でしょうか? それとも、独断専行的ではあるが、行動力
のある人間でしょうか? 場合によって違っています。とすると、あなたが
企業の「期待」に応えるためには、場合に応じて自分を変えねばなりません。
どう変えればよいのかさっぱり分からないままに、ともかく自分を相手に
合わさねばならないのです。 疲れますよ。そんなことをしていると、
人間失格になってしまいます。だから、世間を捨ててしまいましょう。
世間の「期待」なんかに応えなくていいのです。
 だいたい優等生というのは、相手の「期待」に応えようとして、うじうじ
悩んでいる人間です。いままでの時代は、そんな人間がある程度幅を利かせて
いたかもしれません。でも、これからの時代、世の中がどう変わるか、誰も
予測できません。とすると、優等生的生き方をしていてはだめなんです。
「世間中心」ではなしに、もっと大胆不敵に「自己中心」でいきましょう。
たとえば、学校の試験において、かりにあなたが不合格点をつけられたら、
「あんな問題を出すなんて、教師がまちがっている」と言えるぐらいの人間が
いちばんいいのです。あなたが働きやすい場所でなければ、それは会社が悪い
のです。会社の管理職は、あなたがもっと働きやすい組織形態に会社を変える
必要があります。そう思えるようになるのが「自己中心」の生き方です。
 本当にお先真っ暗な時代です。こんな時代を生きるには、世間に気兼ね
していてはだめですよ。だって、世間のほうがどうしてよいか分からず、
われわれに気兼ねしているのです。わたしは、いまの時代をそのように
読んでいます。本書において、わたしは自己流の時代の読み方に従って、
われわれの今後の生き方を考えてみました。これまで誰も言わなかった
ことですから、きっとあなたの生き方の指針になると思います。・・ ≫
▼ 母親が亡くなった財産分与の話合いの時に、姉四人が、私に
『何で特別に、アナタだけが、学生時代から、何ごとも自由に許されて、
したい放題。私たちは両親の監視下で、何にも出来なかった。あまりに
理不尽過ぎる。特に父親は厳しすぎた。しかし、あなたに甘い』と、
あたかも、私が父親であるかのような怒りをぶつけていた。厳しかった
父の姿を見てきたこともあり、両親を含めた「世間様」とは、心の奥で
一線を隔した内省的な性格になっていた。 で、このザマだが、自由に?
生きられた充実感は、何ものにも勝る。今日は、「ひろさちや」の過去分
の読書日記を、以下にコピーした。 改めて読んでも、納得する内容。
――
2007/02/15
2144, 「狂い」のすすめ −1 
       (~Q~;)  おはよう〜〜ファ〜  サム!
閑吟抄の中の、「ちろリ ちろり ちんちろり ・・・一期は夢 ただ狂え」
を切り口に、世間に縛られないで 自由に生きなさい!と論じている。
まさに何時も、ここで書いていることである。
私にとって、今ひとつ物足りないところがあるが、団塊の世代の
マニュアル人間が定年を迎えようとしている現在、丁度良い内容である。
人生に意味など無い、生まれ、飯を喰って、くそをして、死ぬだけだ。
あるのは「いま ここ」だけ! 
   ーまずは、その概要からー       
                     ー読書日記
                  著者:ひろさちや :集英社
 世間や常識の奴隷になるよりも「ただ狂え」。
狂者の自覚を持つことで見えてくることとは…。
人生に意味を求めず、現在の自分をしっかりと肯定し、
自分を楽しく生きようと呼びかける。
     ー表紙裏の内容紹介ー
 今の世の中、狂っていると思うことはありませんか。
世間の常識を信用したばかりに悔しい思いをすることもあるでしょう。
そうです、今は社会のほうがちょっとおかしいのです。
当代きっての仏教思想家である著者は、だからこそ「ただ狂え」、
狂者の自覚をもって生きなさい、と言います。
そうすれば、かえってまともになれるからです。
人生に意味を求めず、現在の自分をしっかりと肯定し、自分を楽しく
生きましょう。「狂い」と「遊び」、今を生きていくうえで必要な術は
ここにあるのです。
 
−面白そうな所を何箇所か抜粋してみた-
*『人生に意味なんてありません。「生き甲斐」なんてペテンです。』
*「日本人は人生を知りません。人間らしく生きることができず、
  エコノミック・アニマル、すなわち畜生の生き方をしています。
  日本人は狂っているのです。」
*「上等の靴を履いてぶくぶく太った日本の子どもと、
  裸足でやせたインドの子どもと、どっちがまともなんでしょうか!?
  そして、どちらが幸せでしょうか!?
  わたしたちの『常識』『物差し』は狂っていませんか!?」
*「ともあれ、遊牧民族は、敵と味方をはっきり分けて考えることができます。
  だから楽なんです。ところがわれわれ農耕民族の末裔である日本人は、敵か
  味方かわからない世間を相手にせねばなりません。それがしんどいのです。」
*「浄土経典である『大無量寿経』においては、
 《人、世間の愛欲の中に在りて、独り生れ、独り死し、独り去り、独り来る》
  と言われています。この「独生・独死・独去・独来」が人間の本質なんです。」
*『わたしたちは、人間を商品価値、機能価値で測ってはいけません。
  機能価値は相対的に変化します。
  勤勉な人間の方が怠け者より機能価値が高いようにおもわれますが、
  その機能価値は他者との縁によって一時的に付加されているものであって
  絶対的なものではありません。
  従って、人間の価値は、「存在価値」で論じられるべきであって、
  その存在価値を測る物差しは、「仏の物差し」「神の物差し」
  でなければなりません。それは目盛のない物差し「測らない物差し」
  なのです。』
= 要約をすると=
 ー大多数である弱者が世間(=強者)の奴隷とならないためには、
  世間(強者)が『常識』としている(それはしばしば強者の都合で変わる)
  ことがらを信用しないことである。
  だがまともに闘おうとしても勝てっこないので、むしろ世間(強者)から
 『狂っている』とみなされるようにすれば、世間(強者)も遠慮してくれるで
  あろう(いつ噛み付かれるか恐れるからだ)。
  今の世間(強者)の方が狂っているのだから、その常識の中で
 『狂っている』ということは逆にまともといえる。ーということだ。  
  
 少し強者でなければ実際は難しいがね!
−今回はこの本の大筋の面白そうなところを書いたが、
 次回は、狂ってみせる対象の世間様からのアップスケールについて、
 主観を込めて書いてみる。世間はバカが多いからね!
 なら、もっとバカになっていればよいだけじゃないかい?
 そのままがバカだから、バカになることもないか!
              つづく ¥(*^_^*)\ バイバイ
―――
2006/02/02
1766, こころの羅針盤(コンパス) −1
                     −読書日記
三十篇の文章を、どれを読んでも深い心の世界に引き込まれる。
「私たちは羅針盤の針にしたがって航海しているわけではない。
行くべき場所へむかうために羅針盤を用いるだけだ。」
という言葉一つ捉えても、ハッとする内容が次から次へと出てくる。
その幾つかを抜粋してみる。
               (*^ー^)/C□~~ コーヒーいかが?
 まずは、
「こころの震えを感じるとき」
 ─まえがきに代えて─      五木寛之
「人生いろいろ」という歌があったが、こころ模様もいろいろである。
「こころの羅針盤」というタイトルヘの感想もまた、各人各様だろう。
「こころ」という言い方がなあ、と苦笑する人もいるだろうし、
「こころ」に羅針盤なんていらねえよ、と、そっぽを向く人もいるにちがいない。
 しかし、本のタイトルなど、本当はどうでもいい事なのだ。
「題名いろいろ」と、歌いとばしてもらっても一向にかまわない。
とりあえずここにギュウギュウづめになっている三十篇の文章を、
どこからでもいい、パッとぺージを開いたところから読みはじめてごらんなさい。

「人間いろいろ」「文章もいろいろ」、こんなに各人各様でいいのかしら、と、
あっけにとられる位に個性的な書き手のオンパレードである。
声に出して笑ったり、ため息をついたり、なるほどなあとうなづいたりと、
私自身、人生を三十回生きたような感じがした。
 才気あり、含蓄あり、厭味あり、教養あり、風格ありと、
活字を読む楽しみこの一冊につきると言えば、
いささか香具師の口上めいてくる。
羅針盤の針は必ずしも一点を指すわけではない。
 実際に磁石を使ってトレッキングしたかたなら経験がおありだろう。
震える針は揺れ動きながらも、最後は落ち着くところに収まる。
この三十篇の文章は、右へ左へと跳びはねながら、
最後は或る一点に読む人を導く。
 それは「こころ」という実体など、じつはどこにもない、
という乾いた真実である。
私たちが「こころ」と信じているものは、存在する人間の影にすぎない。
ひとりひとりの性格や体型が異なるように、
その影も異なったかたちをしている。
 私たちは羅針盤の針にしたがって航海しているわけではない。
行くべき場所へむかうために羅針盤を用いるだけだ。
ここに集められた文章のすべてに、その確かな意志がひそんでいる。

 そのことが感じられたとき、震える私たちの「こころ」は、
それぞれの一点にむけて収斂するにちがいない。
ここにあるのは、そのような力を秘めた見事な文章ばかりなのである。
                        
ー評ー                        
 作家は、どうしてこのような上手い文章を書けるのか、
その博識に驚かされ、ただ感じ入るだけだ!
                     つづく
――――
2015/02/15
真の友人 ー楽しく生きる一日一話 〜③       
   * 真の友人    【本日「いいかげん」日和 】ひろさちや (著)


5913, 「純粋な悪」を、日本にみる

2017年05月24日(水)

    * 「純粋な悪」を、日本にみる
 書くのが、少し気が重いが。 三本の矢で、経済を元のような成長経済に
戻しましょうというアベノミクス。人口減が本格化を始めた日本に経済成長
など無理の話。女性の経済学者が、<萎んだ気球を再び膨らませるのではなく、
その横に気球をつけて引っ張り上げようとする馬鹿な試み>と切り捨てて
いる。高度成長期に育った世代の元首相二人が、現首相と副首相ともなれば、
当然の政策だが、現在の日本の財政は重大な岐路に立っている。
 国家収入の二倍の国家予算のどこが悪いかと、開き直っている。
そう遠くない近未来に、そのツケが回ってくるが、その日までは大丈夫と
大盤振る舞い。日本憲法も、アメリカに押し付けれたまま、改憲もしないで、
ここまできた。与えられた民主主義の甘さを抱え、ひたすら護憲を唱え、
戦争反対と、平和を唱えているうちに、海を隔てた隣国の北朝鮮が、東京
まで射程の核弾頭ミサイルを持ち、それで恐喝をしだした。「純粋な悪」の
妄想ほど始末が悪いことが、これだけで分かるはず。
 もう一つ、日本経済の成長を誘導してきた、中間層が痛んできた。
右上りの高度成長期には、その存在が有効に働いたが、今では、ネット、
パソコン機器の進化で、中間層の役割が大きく変わってしまった。
純粋悪の対象が、様変わりをしたのである。知識、情報が最優先され、
現実社会を逆支配してしまった。世界と同じくして、日本にもカオスが
覆うようになってきた。都会にエネルギーが集中、地方は今や虫の息状態。
 結局、大きな痛みを伴っても普通の国に戻ればよい。
・・・・・・
5548,閑話小題 〜都知事の変節
2016年05月24日(火)
   * 都知事の変節
 都知事、公私混同で窮地にたっているが、知事以前の過去分を含めて、
ここまで表だってしまい延命が可能かどうかの瀬戸際まできたようだ。 
バラエティーで、司会が、「たけし」に、<都知事になりませんか>と、
ふると、<俺がなったら、汚職のやり放題> と、両手で懐に向けて放り
込む身振りのジョークが真に迫っていた。 やり直しをしても、たけしの
弟子の、元宮崎県知事が出てきて、間違えなったりするよりマシだが。 
石原慎太郎にしろ、猪瀬にしろ、都知事の絶大な権力は、我身の分際を見失う
力があるようだ。
   * 思いのままに
 大相撲も終わって、今週末から、伊勢志摩サミットが始まる。
オバマ大統領の送別会的サミットだが、オバマを二期させたのが間違い
だと悟ったアメリカ国民は、トランプを、大統領に選ぶ可能性がある。
<世界は既に「大恐慌」と、「欧米のキリスト教と、ISなどイスラムとの
宗教戦争」に既に入ってしまった> と仮説をたてると、アメリカは、
強硬派のトランプを選択、という流れが起きる可能性がある。
 アジアは、<天気晴朗なれど、波高し!> だが。
   * 何かお店が大変みたい!
  家内が言うに、「スーパーとか、ショッピングセンターで、日々、
不況が深刻なっているのを感じる!」という。 今朝の、朝刊の地元版に、
新潟に本社を置く「ウオロク」の社長が心筋梗塞で急死、との記事があった。 
長岡の「原信」と一騎討ちだが、規模、システムから見て、「ウオロク」は、
不利に見えていた。 その中での急死、正しく戦死になる。
 リタイア前から、年金暮らしになると、経済の動きに対して疎くなると、
聞いていた。そして、その立場になって、まる5年になるが、まさに、そう。 
気楽で良いが、週に一度、酒と肴をスーパーで買う以外に、世間との接触が
無い上に、他の買物はネット上で済ませてしまう。 老兵は、静かに、
ひっそり生きるべし! ということか。 それも慣れれば、それでよい。

・・・・・・
5183,TPPを考えるに
2015年05月24日(日)
                『読書脳』立花隆著   
  * TPPは、アメリカが世界の富を吸い上げる戦略の要!
 ここで、反対の立場からのTPP入門書を紹介している。
「TPPこそ、アメリカ主導の、アメリカンルールで囲いこんだ地域経済を
太平洋周辺に作らんとする、ブロック経済そのものの発想。」と談じている。
日本国家として、それを分かっていても、中国との地政学上、その枠外に
出ることは不可能。その上に、現政権は、保守本流で、アメリカのポチなら・・ 
日本は70年前にアメリカに敗戦、現在に至るまで、軍事、経済と間接支配を
されており、そのブロックからの脱出は不可能! =アマゾンの紹介より
≪ 世の中、TPPへの参加をめぐって賛否両論がわきたっているが、もうひとつ
 議論の焦点がよくわからんと思っている人への、最良の入門書が、E・トッド
他十一人の著者による論集『自由貿易という幻想』。 これは賛否両論を要領
よくまとめたどっちつかずの入門書ではなく、「反対」の立場から、なぜ反対
すべきかを、多くの論者がさまざまの論拠から明らかにした党派性ある入門書。
非常に説得力がある。TPP参加を「第三の開国」と唱える人々は、自由貿易を
アプリオリに善とし、保護貿易をアプリオリに悪とする考えにとらわれ、
保護貿易は世界経済をブロック経済化し、世界恐慌に通じる道だとするようだが
それは正しくない。TPPこそ、アメリカ主導の、アメリカンルールで囲いこんだ
地域経済を太平洋周辺に作らんとする、ブロック経済そのものの発想。
その目的は、双児の赤字に悩みつづけ、ドル価値を落してきたアメリカが、
その囲い込みをテコに再浮上をはかろうとすることにある。
 年の大統領一般教書演説で明らかにされたように、「アメリカは、2014年
までに輸出を二倍にし、もって自国の雇用を増やすという戦略」を持つ。
「そのための戦術は、第1に為替の誘導であり、第二に非関税障壁の破壊である。
いずれも、八○年代のプラザ合意や日米構造協議以来、アメリカの伝統的な
経済戦術」。考えてみれば、ドルと金の交換停止(ニクソン・ショック)は、
「史上最大のアメリカによる債務不履行宣言」といってよい。
 その後、世界の通貨制度は、「ドル"準金本位制からドル基軸.変動相場制
に移行した」が、それは、金の裏付けを失ったドルを、「超大国アメリカの
軍事力と消費市場の巨大さを背景に流通させる」というシステム。それに
よって「アメリカは一種の中央銀行としてドルの発行で特権的な利益を享受し、
貿易赤字を気にする必要がなくなったばかりか世界経済を通貨と金融の面で
自由に操作」できるようになった。その後のアメリカは、実体経済の弱さを
「自国に残された唯一最強の商品であるドルを駆使して打開しようとする国」
になってしまった。その結果招かれたものは、「世界経済の金融化」と、金融
資本を国家の壁を越えてスムースに動かすことを可能にする「グローバリ
ゼーション」。その果てに出てきたTPPの推進は、「吸血鬼よろしく、アメリカ
ができる限り世界の富を吸上げて瀕死のドルに輸血するための策」と見てよい≫
▼ 欧州経済共同体(EEC)をなぞった「太平洋経済共同構想」の通貨統一を
 除いた経済圏なら、日本の農林業や、金融業は、更にアメリカ支配が強まる。
 特に、日本の金融資産は骨の髄まで毟り取られることになる。
 韓国の現状が近未来の日本である。国民の7割が国外移住希望という国に!
・・・・・・
4818,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー1
2014年05月24日(土)
 自分史的物語など、都合の要素だけを切り取り、繋げあわせた絵柄。
私の場合、こういう結果だからこそ、歩んできた道筋の要所要所の現象、決断
などの語り直しの絵柄も面白くなる? 実感としては、「この結果こそベスト?」
と、「そう都合良く思うしかない詭弁?」という気持ちを含め、断片的に語って
きた物語の「語り直し」になる。 傍から見れば珍妙な己の姿を、この結果
なればこそ、自覚できる。隠れテーマは「この喜劇の創りかた」あたり。 
ここで書く内容は、今まで書いてきた断片的な事象、内的体験の再編になるが、
視点が変わると新たな記憶が蘇ってくる。そのため殆ど書いてないことに
気づいてきた。語り直しは、あまり気持ちの良くないが、書き続けるうちに、
新しい視点が多く出てきている。自分とは、それぞれの記憶の総合体だが、
その記憶そのものを変える作業は、極度の神経の集中が必要になる。
 < 「事業人生を決心して45年」の語り直し >    
   * 学生時代編 ー前編 
① 事業創業の人生を目指そうと決心し、準備15年、創業から30年の独り
 語りを始める。漠然と自分の将来は、流通業と漠然と考えていた20歳の時、
「キリスト教倫理」の夏休みに、『これからの人生設計』のテーマのレポートが
 宿題に出された。そこで、それまで真剣に考えたことがなかった自分の将来に
 ついて考えてみた。 その内容といえば、『 父親のような創業を幾つか挑戦
 してみたい、過酷としても、事業創業の人生を生きたい! 』と。 
 その時から、人生が変わっていった。そこで当時の授業カリキュラムの内容を
 改めて見直すと、前半二年の教養課程が、人生の土台になる学問。後半二年が、
 そこから選択できる専門課程が整然と組込まれており、これから生きていくため
 のカリキュラムが合理的に組まれていたことを知る。 哲学者エリクソンは、
 学生時代や、病気療養の期間を、「心理・社会的な猶予期間」とし、より自分
 らしい人生を選ぶために必要な時間として前向きにとらえている。
 人生を振り返ってみて、大学の4年間や、その後の放浪が、自分の生きる
 目標を明確にするため必要であったことは、体験上、充分に理解出来る。 
 そのレポート作成で、漫然と生きてきた自分に気づくことになる。
 その時、真剣の考えた分、ノンビリしている同期生より、二年早く将来設計
 に気づいたことになる。卒業半年前になって、慌てている人が過半数?はいた。 
 それから読書も、友達付き合いも全く変わっていった。
 自然と、クラブの合気道と、寮生との距離が離れていった。 
② その頃から、遊び半分、アルバイト半分で、学生寮の先輩が鳩山一族
 の政治団体「友愛」が経営する『友愛山荘』を任されていた軽井沢の山荘に
 手伝いに行くようになっていた。先輩の寮生と二人、そこの手伝いに誘われて
 掃除とか、料理をしながら連休とか夏休みなどに、山荘生活と、軽井沢の世界
 を楽しむようになった。そこは、鬱蒼とした森林の中の別荘地。その世界を
 憧れる若い女性と、金持ちが集まる別天地である。こういう世界の住人になる
 には、それなりの力を持たなければと実感することになる。それにしても、
 早朝の朝靄の小道の散歩は格別! 世界には一部の裕福層と、その他が存在
 することを肌身で知ることになる。それより何が楽しいかといえば、夕食後の
 ミニ・パーティ。紅茶と御菓子で、フォークソングを歌い、踊る。
 それも御客は若い女性ばかり・・
・・・・・・
4451, しまった! ー1
2013年05月24日(金)
    ーしまった! 「失敗の心理」を科学するージョゼフ・T・ハリナン(著)
 人間の認識の甘さは今さらいうまでもない。カントのコペルニクス的転換、
「人の認識は対象に従うのではなく、認識が対象を決める」。それを知識として
知らないため、思い込みに縛られ、人は多くの失敗を重ねてきた。
更に失敗から学ぼうとしないから始末が悪い。その上、失敗に対して
意識的にも無意識的にも話を作りかえる。  
 まずはー内容紹介ーより人間はなぜ、まちがうのか」というテーマについて、
面白くてネタになるトピックを「これでもか」というぐらい集めて分析した本。
たとえば・・・・・・
★ レントゲン技師は、画像に写っていた悪性腫瘍の9割を見落とす?
★ トップレスダンサーの収入は、彼女の月経サイクルに左右されている?
★ 黒いユニフォームのチームは、ペナルティーをとられる可能性が高くなる?
★ 人間は、誤りを犯しそうなときは、むしろ「行動を起こさない」
  という誤りを犯すほうを選ぶ?
★「セックスした相手の数」を、男は女の四倍も多めに答えたがる?
★ 医師の八四%は、同業者がメーカーからの贈与に影響されていると考える。
  だが、自分が影響されていると考える医師はわずか一六%しかいない。
★ 人はなんらかの形で自分が不正をしていないことを証明すると、
  その後の作業でもっと不正をしやすくなる。
★ 映画を「あとで見る」人は高尚な作品を、「いま見たい」人は
  大衆的な作品を選ぶ。
★ キャッシュローンを勧める通知書に女性の写真を載せるだけで、
  利率を五ポイント下げたのと同じ効果が期待できる。
★ 予備選名簿の一番目に載った候補者は、得票に三ポイント上乗せできる。
★ 投資家は、金曜日の経済記事には月曜日の記事ほど注意を向けない。
★ 人間は、印象の操作など特定の目的のためには平気で話をつくり変える。
★ 無意識につくり変えた話でも、二度三度と繰り返すうちに、
  いつしか「記憶」そのものになってしまうことがある。
★ 一般的に、男は自分を持ち上げるために、女は他人を持ち上げるために
  嘘をつくことが多い。
★ 社会的地位や学歴、収入は、全体の幸福度にわずか三%しか占めていない。
★ 人を単純作業に従事させるためには、お金の力がものを言う。
  だが、たいていの行動では、人間は総じて金銭的動機には左右されない。
 (ゆえに、行動経済学はあまり役に立たない?)など、興味深い話がてんこ盛り。
▼ 人は思うほど完全な存在でないが、しかし周囲は人が完全であるかのような
 前提で動いている。私が学生時代のゼミで多くのことを学んだ中の一つに
「会社組織は完全な存在でなく、個人の将来まで考えてくれない。
独自で学び続けなければ知識や能力は得ることが出来ない」ということ。 
キャリアは自身でつくり上げるもので、与えられるものでない。実際のところ、
成功の背後には失敗の累積がある。問題は致命的な失敗をしないこと。
そして、失敗から学び取ること。人生を振り返って、今になって真の失敗は
何だったか気づくことが、あまりに多い。
・・・・・・
4077, 哲学で自分をつくる ー4 (ソクラテス)
2012年05月24日(木)
     「哲学で自分をつくるー 19人の哲学者の方法 」瀧本 往人(著)  
 * 魂に磨きをかける    
   第一章 しったかぶりはもうたくさん 〜ソクラテス ー�
≪ 死刑を宣言された際、つまり自分の死に対し、「死を恐れることは、
 死のことがよく分かってないのに分かった気になる」に等しいと、ソクラテス
は考えた。死について何も分かってないのに「死を恐れる」などということは
愚かしい、誰も死を知っている者はいないのに、なぜ恐れるのかと問いを発する。
命がけで期待された弁明の機会もアテネ市民の将来を憂いる。そして死刑判決を
受ける。 ・・無知をハッキリさせることは「汝自身を知れ」に通じる。
自分が何も知らないことを自覚し、より一層真理を追究する態度は、単に、
汝自身を「知る」ことでなく、魂の鍛錬という「実践」であり、自分がよく
生きるための問いである。魂を磨くことは、ただ漠然と、自問自答するので
はなく、他者にかかわる中で、他者に問いかける中で磨かれるものである。 
ソクラテスが探そうとしたのは「真理」であって、ソクラテスらしさでない。
探し出すには、相当の鍛錬、実践が必要とされた。自分の魂を磨くには、
命をかけて真理を追究しなくてはならない。他者が嫌がることでも、問いかけ
を行わなければならない。この対話、営みは「パレーシア」(真実を語ること)
と呼ばれている。彼の対話術は、自らの主張を他者に受け入れてもらうための
技術ではなく、「相手に問いかけること」そして相手の主張を「聞くこと」
に主眼があった。そもそもこの「無知の知」の重要性は、この「聞くこと」
のための手法にあった。何かを知っているから語るのではなく、何も知らない
から、分かってないからこそ、相手から引き出そうとする。
 パレーシアの原点は、そこにある。それゆえ、その原点は、密接な一対一の
関係が必要である。この対話は、自分が主役として振舞うのでなく、相手の話を
引き出すように行われる。それゆえ相手はソクラテスに導かれながら自分に
ついて語ることになる。重要なのは、自分が語ることができる「ロゴス」(論法
と言葉)が、自分の生き方と確固たるつながりがあることなのである・・ ≫
▼「吟味されることのない人生など生きるに値しない」というソクラテスの
 言葉が好きである。要は、味わい尽くしてこそ人生である。対話は他者だけ
でない、自分の経験に対してもおこなうべきである。そのため老後という期間が
人生に与えられている。老後を如何に過ごすか?と問われれば、「それまでの
人生に対しての自己問答を通して、魂に磨きをかけること」が答えになる。
それは死を間近にした真剣勝負である。だから面白いのである。
魂に磨きをかけるとは、そう甘いものではない。


5912,『しあわせ仮説』 ー10 

2017年05月23日(火)

            『しあわせ仮説』ジョナサン・ハイト著
   * 「純粋な悪」を、北朝鮮のドン様にみる
 ドン様と、それを支持している北の上層部にとっての「純粋な悪」とは、
アメリカ、韓国、日本であり、今では中国も加わりつつある。金日成、金正日、
金正恩になるにつれ、中国に対し、自ら不信感を強めて孤立を強めているようだ。
叔父、実兄、幹部を次々に粛清し、その亡霊に恐れおののいて、精神が歪んで
きているのが見てとれる。一人の殺害を癒すのは、25倍の英雄的実績を必要と
すると、宿敵アメリカ、日韓に対し、戦争をしかけ英雄的勝利を得るしかない。
そのため出来ることなら何でもする姿が画面に溢れ出ている。 これが
狂った小心者の心の内の中。 純粋に悪いのは、アメリカ、日韓。その思いで、
臣下の数十万、数百万の犠牲者など、大したことではない思い込み。気違いに
刃物とはこのこと。それを演じて世界を恫喝していれば、世界の皇帝並み待遇?
の立場でいられる。金日成、金生日の人質は、ソウルの2000万人だったが、
核と弾道弾で今では日本の首都圏の3〜4千万人と北京の数千万。アメリカの
数千万。最後は欧州も含めた世界中の全てを破壊できる核とミサイル。
最後は、細菌兵器に至る。とすると、数百万から一千万位で済むものなら、
今のうちに!という戦略的判断が働いても何ら不思議ではない。
内部コネクションを使った内部処理が一番、効率的だが、そうはいかないので
ここまできた。 成るほど、これもグローバル化の一端ということになる。
ヒトラーが、「パリは燃えているか?」が、「東京は燃えているか?」
「ニューヨークは燃えているか?」に、時代は変わってしまったのか。

・・・・・・
5547,子どもはなぜ勉強しなくちゃいけないの? 〜 ③
2016年05月23日(月)
     『子どもはなぜ勉強しなくちゃいけないの? 』
                      おおたとしまさ(著)
 学び続けることとは、コンテンツ(意味、知識)を増やし続けることになる。
情報端末の進化により、誰も簡単にコンテンツを増やすことが可能になって
いるが、問題は知恵を使って人類にどれだけ加工できるかである。 既成の
価値観から、いかにして自由になるかが、学び続けなければならない理由に
なるが、そのために既成の価値観とは如何なるものか、知っておく必要がある。
  〜要点の抜粋〜 (ネットより)
・「お金なんかいらない」という人と,「勉強以外のしかたでお金をかせぐから,
 いいよ」という人たちは、そもそも学校に来る理由がありません。(内田樹)
・特に大切なのは「あいさつすること」「約束を守ること」「ものを大事に
 すること」の3つ。これを忘れていると,どんなにがんばっても
 「クレジット」が失われていくよ。 (藤原和博)
・想像力とは他者に対する思いやりであり,愛です。そして,想像力を身に
 付けるには勉強が必要です。勉強が足りないと愛のない人間になってしまい
 ます。 (瀬戸内寂聴)
・せっかく勉強の機会が豊富にあるのにろくに勉強をせず,心の栄養失調に
 なっているのにその自覚がない人は本当のバカですよ。でも実際,心の
 栄養失調に陥っている人は想像力も向上心もありませんから自分がバカに
 なっていることに気付けません。これは悲劇ですよ。だから子どもの
 うちにしっかり勉強させておいたほうがいい。 (瀬戸内寂聴)
・だいたい成績にこだわるのは親のほうでしょう。勉強していい成績を
 取らないといい学校には入れない。いい学校に入れないといい会社には
 入れない。いい会社に入れないと自分の老後が安心できない。
 全部親のエゴですよ。
・「型破り」をするためにはまず型を自分のものにしなければならない
 ということです。 (板東眞理子)
・脳のクセや周りの人たちが押し付けてくる既成の価値観という束縛から
 逃れることが自由になることであり,そのために勉強しなければならない
 のだと私は考えています。(福岡伸一)
・頭の回転が速いとか臨機応変な対応ができるとか,発想が豊かだとかいう人
 に対して「地頭がいい」という表現がよく使われますが,単に地頭がいい
 だけでは彼らを「教養のある人」とは呼びませんよね。単に多くのことを
 知っている「物知り博士」や「クイズ王」みたいな人も「教養のある人」
 とは呼ばない。「知識の時間軸を持っている人」のことを「教養のある人」
 と呼ぶのだと私は思います。(福岡伸一)
・短絡的な目的のために勉強するより,本質的な勉強をしているほうが,
 結果的に進学の面からも有利であるといえます。(茂木健一郎)
・心理学者のミハイ・チクセントミハイが「フロー理論」の中で提唱する
 考え方も同様です。成功してお金持ちになるという目標を立てている人が,
 その目標を達成したら幸せになれるのかといったらそうでもない。要する
 に「プロセスの中にしか幸せはないんだ」ということです。(茂木健一郎)
・自分の頭で計算することで「数覚」と呼ばれる数に対する感覚が研ぎ澄ま
 されます。「数覚」があるのとないのとでは物事の見え方は絶対に変わって
 くるのです。(茂木健一郎)
・命というのは契約書を書いてどこかからもらってきたものじゃないでしょう。
 気が付いたら生まれていただけのことでしょう。だったらもともと自分の
 ものなんかじゃないはずですよ。(養老孟司)
・自分で考えるクセが付いている子はそういう疑問が浮かんでも親には
 聞かないでしょうね。「あ,これはもう答えのない問題なんだな」って
 直感的にわかるでしょう。(養老孟司)
・人生に正解や目的があって最短距離を歩むのがいいのなら,生まれたら
 すぐに死ねばいいということになる。(養老孟司)
 ――――
▼ <目標を達成したら幸せになれるのかといったらそうでもない。要するに
 「プロセスの中にしか幸せはないんだ」> に共感する。振返ってみて、
創業の準備期間の15年間が、幸せだったか、事業経営の30年間が、幸せだった
というと、「その45年間の全てが幸せだった」が実感。結果がどうであれ、
プラモデルつくりと同じで、そのプロセスを楽しんでいたことが、充実感に
つながっていた。ハイデッガーの世人(責任回避と平均的を疑いも持たず
求める人)の逆を実行していたため、充実感が残ったのである。そのためには、
まず学び続けなければならない。これ、「日々是口実」(日々是好日)ですか。

・・・・・・
5182,人生相談という気晴らし! 〜⑨
2015年05月23日(土)
              『人生、しょせん気晴らし』中島義道著
  * 悟りが在りや無しや?
 世には、「悟り」を真面目に求める人がいるものだが、私の答えを正直に
いえば、「自分が、つくづくバカを悟ること」「体裁を過剰に求めないこと」
と、「自分に対し、あまり誠実でないと自覚すること」である。それは悟り
の問題というより、「自覚」の問題だが。 世界の果て(秘境)で、想像を
遥かに超えた絶景に出会った感動の瞬間が、悟りに近い? 
これは自分が実感するしかないが。
≪ Q: 「悟り」の世界はただの夢なのでしょうか?
 私は五十六歳の主婦です。三十年ほど前、結婚して心のバランスを崩した
ことがきっかけで、精神世界に関する本を読み漁り、悟りという煩悩に支配
されない境地に憧れるようになりました。それから、さまざまな講演や参禅会に
参加したりしましたが、今でも悟りなどとはほど遠く、つい感情的になったり、
主人に嫌味を言ってしまいます。以前と何一つ変わらず、同じところを堂々廻り
しているような気がします。最近はいっそ、悟りなど無いと言われたほうが
気が楽だとさえ思ったりします。本当に悟りというものはあるのでしょうか。
それとも、元々ない夢を追い求めていたに過ぎないのでしょうか。
何か手がかりをいただけると幸いです。
 A: 〜自分で一生かかつて確かめてみるしかないでしょう〜
  今回の相談も「いらいらする」ものですね。大体、哲学者ごときに
「悟り」が在るか無いかを聞いても、まともな答えが返ってこないことぐらい
わからないのでしょうか? 同じように、神はいるのか、善悪の基準はあるか、
真理はあるのか-…、といった問いに、ハキハキ答えてしまう哲学者は、
正真正銘のニセモノです。では、哲学者はこうした問いに対して何もできない
かというと、そうではない。 哲学特有の領域を指し示すことはできます。
あなたはすでにわかっているかのように「在る」とか「無い」という言葉を
使っていますが、じつはその意味は皆目わからないのだ、ということを
あなたに気づかせることです。「悟り」が「在る」としても、それはコップの
ように、空間のように、数字のように在るわけではない。では、「どのように」
在るのか、もしかしたら「無い」のか、と問えば、まず論理学的法則から決め
られるのでないことは確かです。「悟り」は別にそれ自体として矛盾している
わけではないのですから。また、物理学などの科学を持ち出して決定できる
わけでもない。現代科学のすべての成果をもってしても、意識については
わずかにも説明できない。「見える」ということ、私が私の手を「上げられる」
ことさえまったく説明できません。このことを話すと話が長く(千倍くらい)
なりますので、いまはやめます。疑いなく、「悟り」とは意識に関すること
ですから、科学者をはじめ、その体験をしたことがない人が「外から」アレコレ
詮索しても仕方ないのです。言いかえれば、あなたが本当に確かめたかったら、
実際あなた自身で確認してみるしかないでしょう。あなたがいままでどの
ような修行をなさったのか知りませんが、そんなに気になるのでしたら、
自分で一生かかって確かめてみるしかないのです。しかも、最後まで
わからなくて、そのまま死んでいくかもしれないのです。本当に心の底から
出た問いなら、それでもかまわないはずですし、そもそも他人から「手掛かり」
を得ることでは満足できないはずです。そうしないで、安直に答えを求めて
いるあなたにとっては、悟りなんか「無い」と割り切って「気が楽」になった
ほうがいいのではありませんか? ≫
▼ 悟りとは、現象を、色即是空、空即是色と直感できたような一瞬の感覚?
 ネット辞書によると、《悟り(さとり)とは知らなかったことを知ること、
気がつくこと、感づくことを言い、覚りとも書く。宗教上の悟りは迷妄を去った
真理やその取得をいう。サンスクリットでは日本語の「理解」「気づき」
「通達」などの意味に相当する単語はある。》とある。悟りで、恐ろしいのが
「死期」だろう。それから死ぬまで、生きてきた分の人生を生きるというが。
ということは、「死期を悟り、それを受け入れる葛藤を通して得られる心境?
・・・・・・
4817,いま、一人前の条件
2014年05月23日(金)
 朝日新聞の(耕論)「いま、一人前の条件」=規範ない、寅さんのつらさ」
ノンフィクション作家・高野秀行が面白い。 私が一人前として自立できたと
感じたのは27歳の時。父が亡くなり、最初の事業を千葉で立上げと同時に結婚。
その時、石油ショックが起きて、ただ無我夢中の日々だった。両足に鉄の下駄
を履き(結婚生活)、背中には創業という重い荷物を担ぎ、よろよろと坂道を
登っているような日々だったが、これが私の独り立ちであった。 
以下の内容は、世界における「一人前の条件」だが、やはり結婚が大きな
目安のようだ。  ーその全文をコピーするー
《 早大の探検部以来、外国人が入らないような辺境も含め、世界60カ国
 以上を旅してきました。その経験を踏まえて言えば、
・先進国以外の大部分の地域では、結婚しているかどうかが「一人前」の
 一つの大きな基準。20歳過ぎても独身だと、 何か特別な理由、特殊な
 事情があると思われます。正確には子供が生まれて完全に一人前という
 感じでしょうか。
・かって半年ほど住み込んでいたミャンマーの少数民族の村では、子供が
 できて初めてその人の土地がその人の名を冠した「○○の畑」と呼ばれて
 いました。一人前になることは、財産を含めて地域社会から認知を受ける
 という意味でもあります。
・長年、無政府状態が続いたソマリアの取材を続けていますが、ここでは
 「大人」という言葉に、成人という意味に加え、「偉い人」「長老」という
 意味があります。長老はだいたい50歳以上、10人の集団に2、3人の割。 
 人望や財力、教養があり、何か問題が起きた時に「あの人に相談しないわけ
 にはいかない」というような存在です。氏族内のトラブルや他の氏族との
 争いでは、交渉の窓口になり、決定権や責任を持ちます。前例をもとに
 物事が決まる社会なので、年を重ねることは知識と経験をもつ貴重な
 データベースということになり、尊敬されます。私はいま47歳ですが、
 日本も私が子供の頃はアフリカやアジアの発展途上国のように、結婚して
 家庭をもって初めて一人前扱いされるという感覚が一般的だったと思います。
・最近は日本を含めた先進国で、年寄りの経験値の意味が薄れてきています。
 情報技術を駆使できる若い世代が圧倒的に知識量が多い。従って社会的に
 年寄りが尊敬されることもなければ、年をとるメリットも感じられなく
 なります。何歳から何をすべきだ、この世代はこうあるべきだという
 決めつけがなくなり、多様なライフスタイルが認められるがゆえに、単純に
 一人前とはこういう人といえなくなっています。例えていうなら、今の日本
 は山田洋次監督の映画「男はつらいよ」シリーズで、社会規範にとらわれず、
 気ままに旅を続ける「フーテンの寅さん」が急増している社会です。 
 寅さんが増えると少子高齢化がさらに進み、社会が回っていかない。
 同時に本人もつらい。規範がない社会では自分でそれを作らなければ
 ならないからです。特に日本人は自分で自分の価値観を作ることが苦手。
 でもいったん自由になると、なかなか過去の価値観には戻れません。
 「一人前とはこうだ」というモデルを強要しない社会は、
 「自由はつらいよ」ともいえるんじゃないでしょうか。  
* 高野秀行 66年生まれ。早大探検部時代にコンゴを探検し
 「幻獣ムベンベを追え」
          でデビュー。》
▼ 私の人間としての一人前は、三年前の節目時。「なるほど、自立する
 とはこういうことか!」という感覚。 家庭持った時点の自立は社会の中の
承認だが、リタイアー後の自立は、社会の束縛?からの、自立になる。(>'A`)>
いや、超越の方が正しい。真の孤独を味わうべき時に、自立できないで
アタフタしている姿がイジマシイ :((゙゚'ω゚')):
・・・・・・
4450, 「死ぬのが怖い」とはどういうことか ー10
2013年05月23日(木)
        ー「死ぬのが怖い」とはどういうことかー前野 隆司著 
 人生の大問題は死期が迫り、もう先はないと悟った時の恐怖である。
脳溢血や事故で即死なら別だが、誰もが最期の最期に行き当たる大問題。
だから著者の言葉は平易だが、どれもこれも深い。死を扱っていると同時に、
如何に生きるかの問題でもある。この年齢になると誰も明日にでも突きつけ
られる可能性のある。だから「死を解決する登山道」という。初めは軽い
気持ちで読んでいたが、読むほどに哲学の総論を読んでいるようになる。 
 ーここまで書ききれなかった印象的部分を抜粋してみるー
・切腹を辞さないほどの死の覚悟を常に持つということは、欲の超越、
 自我の超越、生死という二項対立の超越だ。
・むしろ21世紀は、世界が日本化し、日本も日本思想に戻っていく時代
 なのではないかと思う。もちろん、ここでいう日本思想とは、明治に回帰
 したいという現代保守主義ではない。もっと前からの日本思想の原点は、
 無我・無私の心、静かな達人の心だ。
・自己保存本能を超越し、何の因果かこの世に生まれてきたことに感謝し、
 今この一瞬に集中してこの幻想としての自己の存在という奇跡を心から
 祝福する気持ち。悩みや我欲を超越し、世界を愛し、自分が世界と一体で
 あることを喜び、それ以外に何も要らないし、もちろん手にも入らない
 ことを理解する境地。身体で、感性として理解する境地。
・死本来の恐ろしさとは、無で「ある」ことでなく、なぜか
 いったん存在してしまったものが無に「なる」ところにある。
・感覚ではなく心の中の何かに向けられるクオリアを、志向的クオリアという。
 「死が怖い」という感じもクオリアだ。「怖さ」のぞっとした感じが心の中
 からわき上がってくる。
・人間として生まれ落ちて以来身に付けているこのいきいきとしたクオリア。
 これを失いたくないということが、死にたくないということと、根本的な
 意味では同義なように思われる。このかけがいのないクオリアは、あろう
 ことか幻想。本当はないのだ。脳の無意識の計算がやっていることなのだ。
・知情意のクオリアは結びつけ問題を解くためにあるのか? 僕たちが
 生まれる前は、もちろん知情意のクオリアなんてなかった。何もなかった。
 無だ。ところが何の因果か、僕たちは、たまたま知情意のクオリアという
 幻想を持った生物として生まれ落ちた。だから、生きている感じがしている。
・僕は「意識は体験を記憶するために作り出された機能だ」と考える。
 僕たちが生まれる前は、もちろん知情意のクオリアなんかなかった。
 何もなかった。無だ。ところが、何の因果か、僕たちは知情意のクオリア
 という幻想を持った生物として生まれ落ちた。だから生きている感じが
 している。しかし、ほんとうは人間もロボットと同じ自動機械なのだ。
・そもそも、自分が、自由意志や自由な知覚を持っていると思うから、
 死にたくないと思うのだ。
▼ 知情意のクオリアも、心の中の何かに向けられる志向的クオリアも、
 幻想でしかない。実際にそうなのだから、「死ぬのが怖い」というのは
幻想そのもの。半世紀以上以前の中学校の頃、ひとり死を考えて、底知れぬ
恐怖を覚えていた時を考えれば、その恐怖感は、幻想でしかないことが分かる
はず。間近に迫った死を覚悟した時から死ぬまでの間に、それまで生きてきた
全人生を生きる、という。その時に「これは幻想でしかない」と、思えるのか。


5911,『しあわせ仮説』 −9 ネガティビティ・バイアス

2017年05月22日(月)

             『しあわせ仮説』ジョナサン・ハイト著
   * ネガティビティ・バイアス
 動物も人間も、エサを逃してしまうより、外敵のエサになる方が遥かに
リスクが高い。エサになってしまえばゲームオーバーで、その固体の終焉に
なるため、「悪いことに対し、良いことより大きく反応する」ように、自然
淘汰の中で、設計図を変えて生延びてきた。ポジティブだけでは生きていけ
ないのである。ポジティブ3〜6に、ネガティブ1の割合で必要なこと。
但し、その濃度は、3〜6倍が必要となる。成長しなければ競争に負け淘汰
される。  〜その辺りから
≪ ネガティビティ・バイアスを調整する【悪いことは良いことよりも強い】
 自分‘が’食べるものを見逃しても、すぐには死なない。しかし、自分‘を’
食べるものを見逃したら、すぐに死ぬ。だから動物は、恐怖・不快に対して
好機・快よりも敏感に反応する。人間もその例外ではない。
人の心というものは、良い物事に比べて、同程度に悪い物事に対して、より
すばやく、強く、持続的に反応するということが心理学者によって繰り返し
見出されている。私たちの心は、脅威や侵害や失敗を発見して反応するように
配線されているため、すべての物事を良く見ようとしても、単純にできない
のである。  ≫

▼ ハイトは、「このマイナスのバイアス原理は、心理学の至る所で現れる」
と、さまざまな例を示す。その一つが、『一度の殺人を埋め合わせるためには、
人命を救うような英雄的行為を25回しなければならないと見積もられている』。
人は、自分に恐怖や不快を与えた人のことを容易には忘れない。≫
 しかし、その逆の心理も言える。傷をつけたり、殺した相手に深く傷つく。
北朝鮮のドン様。叔父を銃殺し、実兄を暗殺し、多くの側近を殺してきた。
何を恐れ、ここまで狂気になっているのか? 処分してきた身近な人たちの
亡霊を恐れているためである。外敵が日米韓なら、内なる敵は、処分した政敵
の亡霊。だから何をしでかすか、最たる危険な小心の男である。
夫婦関係を身近にみれば… 一度、争ったら、その25倍の代償が必要となる。
だから、代償の負債残高が数知れず蓄積されていく。「おお妻よ、どんな敵でも
御前のような酷いのはいなかった」と、独り呟くことになる。 
そして、ネバティビティ・バイアスは、ここで再生産されることになる。
だから、自分の世界を長年かけてつくっておかないと、爆死することになる。

・・・・・・
5546,子どもはなぜ勉強しなくちゃいけないの? 〜②
2016年05月22日(日)
     『子どもはなぜ勉強しなくちゃいけないの? 』
                     おおたとしまさ(著)
 子供はこんなテーマの本を手にしない。手にするのは親など大人たち。
とすると、[子供偏]だけでなく、親向けの勉強の必要性を説く[大人編]があって、
至極当然である。私のようなリタイア後のシニアに、最後の総仕上げも含めて、
学ぶべきことは数限りなくある。せっかく地球上に、「遊び、学び、働き」に
来たのだから、総括の仕上げが必要である。この歳になっても、相も変わらず、
頼まれもしない、このような文章を書き続けている。しかし、今のところ
止めたいと思わないのは、テーマを探し、文章構想をたて、書上げるプロセスで、
多くの考える時間を得ることが出来るから。「考える」ことが、己を己たらし
めしている実感があるため。死ぬまで学び続ける姿勢そのことが最も大事である。
   [大人編]
 :荒俣 宏
動物だって勉強している/
人間は一人で生きていけないから勉強する/
人間は生き残るために知的欲求を発達させた/
「やってみたい」こそが「コンテンツ」集めの最強の動機/
「コンテンツ」が増えれば勉強はラクになってくる/
マイペースで勉強するのがいちばん身に付く/
親のアドバイスが子どものストレスになるジレンマ
 :瀬戸内寂聴
勉強しないと「心の栄養失調」になる/
子どもの得意なことを見つけてやるのが教育の第一歩/
「先生は尊敬すべき人」と教えるべき/
子どもはテストの点でなく親の顔を気にしている/
1行でも印象に残る文章を見つければ立派な読書/
 :坂東眞理子
「人はパンのみにて生きるにあらず」/
グローバル社会の処世術を身につけるには/
自分が今ここにいるのは自分の努力のおかげだけじゃない/
裾野が広くなければ高い山にはならない/
型を破るためにはまず型を覚える/
 :福岡伸一
「脳の水路付け」から逃れるために/
勉強には人類の文化史が折りたたまれている/
教養とは知識の時間軸を持つこと/
「小さな問い」に一つ一つ答えていく/
大人になれないサルが「大きな問い」を発明した! ?/
「センス・オブ・ワンダー」が人生を豊かにする/
科学と技術は違う。教育と職業訓練は違う
 :藤原和博
成長社会から成熟社会への移行/
情報処理力から情報編集力へ/
勉強と遊びの両方が必要/
クレジットをためれば自由になれる/
クレジットを希少性に投資するリターンは大きくなる/
 :茂木健一郎
知恵を得る以上に価値のあることは存在しない/
「フロー」のサイクルができれば子どもは勝手に勉強する/
知識や教養は高性能な脳内ネットワークを形成する/
今こそ日本の教育のベストシナリオを描くチャンス/
親がすべきは、子どもの「学ぶ本能」が起動するきっかけづくり
 :養老孟司
昔なら「くだらないころ聞くんじゃない! 」でおしまい/
「くだらないころを聞くな」と「そういうもんだ」は違う/
「勉強したくない」というのが本当のメッセージかも/
好きなことを突き詰めればすべての学問に通じる/
山道を登り始めればさらに先が見たくなる/
――――
▼ 世の中には、「心の栄養失調」の病人?の多いのに驚かされる。
 私自身、どうだろう。 倒産という形で事業生活を終えた私の人生は、
<この結果なればこそ、「五目並べ」の白の石目が一挙に黒に変わって
しまったことで、過去の白を黒として問い直せ!>ということになる。 
成るほど、どれもこれもが面白可笑しく、それらの事象が変わってくる。
視点の変化で、「大人は、なぜ勉強しなくてはならないの?」が、そのまま
我が身に突き刺さってくる。人生を洗いなおすために、学び直すために、
この結果はベストだったことになる。 
 福岡伸一氏の《教養とは知識の時間軸を持つこと》からすれば、この随想
日記を書きつらね、同月同日の内容を毎日、読み返す行為は、ベストになる。
15年分の同月同日の時間軸で、自分を省みる勉強になっている。
「シニアになっても、何ゆえに学ばなければならないの?」の答えは、
「あなたの現状そのままが、答えになっている!」  
「自由になるため、心の平安のため、広く深く遊ぶため、後悔しないため!」
 で、これもまた、以下の文章に繋がっていく。
・・・・・・
5181,アウシュビッツの回想
2015年05月22日(金)
                      『読書脳』立花隆著 
   * アウシュビッツの奇跡的幸運(地獄に仏)
 二ヶ月前のNHK/BSのアーカイブで、ある女性の奇跡的生還を扱っていたが、
これも似たケース。奇跡的幸運が重ならないと、この過酷の状況下で生延びる
ことなど出来ようはずがない。
≪「シモーヌ・ヴェーユは驚くべき女性だ」と書くと、日本では社会思想家の
シモーヌ・ヴェーユを思い浮かべる人が多いかもしれないが、私が言及している
のは、もう一人のシモーヌ・ヴエーユだ。フランスで最も有名な女性政治家。
一九七四年シラク内閣で保健大臣になったのを皮切りに、歴代の内閣で保健大臣
をつとめ、フランスに人工妊娠中絶法を導入したことで知られる。一九七九年
には、第一回欧州議会で直接選挙による初代議長に選出されてもいる。
だが彼女を何より有名にしているのは、ドイッがフランスを占領している最中、
ユダヤ人身分証偽造)に問われて、ゲシュタポに逮捕され、アゥシュヴィッツに
送られながら、奇跡の生還をとげたこと。彼女の腕には、いまでも囚人番号の
入れ墨がある。シモータ・ヴェーユ『シモーヌ・ヴェーユ回想録』は自ら筆を
とってその数奇な人生をふり返ったもので、フランスでは〇七年に発売されるや
たちまちベストセラーになった。政治家になってからの話も面白いが、圧巻は
第二章「罠」と第三章「地獄」。逮捕劇とアウシュビッツ時代を語ったくだり。
【アウシュヴィッツに着くとすぐに、その場で囚人の仕分けが行われた。彼女
は十六歳だったが、見知らぬ人の耳打ちで「十八歳」と申告し危くガス室送り
をまぬがれる。子供、老人、身障者など労働に適さないと判定された者は、
その場でガス室送りのトラックに乗せられたのだ。「親や子どもがどこへ
行ってしまったのか(略)カポー(女看守)に尋ねる人がいると、彼女たちが
窓から見える死体焼却炉の煙突とそこから上がる煙を指し示していたことを
私は覚えている。(略)死体焼却炉の煙は休みなく煙をはき出していた。
堪え難い匂いが立ちこめていた】 読んでいくと、彼女が生きながらえたのが
不思議に思えるくらい地獄の生活がつづく。収容所の娼婦あがりの女監督官に
気に入られて「あんた本当にかわいいねえ、ここで死なすにはもったいないよ。
別のところへ行けるようにしてあげる」「でも母と姉が一緒だからいいです」
と断ると、「じゃお母さんとお姉さんも一緒に」と、本当に三人そろって、
アウシュヴィッツから別?収容所に移され、仕事も調理担当に代えてくれる
というウソのような話が本当に実現した。その女監督官がなぜそんな特別の
ことをしてくれたのか、理由はよくわからない。その頃かわいい女囚に同性
愛的サービスを求めて特別の便宜をはかる女看守もいたが、それ的な要求も
なかったという。それから間もな-戦争が終り、女監督官は英国の手で
逮捕され処刑されてしまったので、その理由がいまでもわからないという。
本書には若いときのヴェーユの写真もおさめられているが、確かにガス室で
すぐ殺すには惜しい容貌だ。≫
▼ アウシュビッツといえば、フランクルである。12年前に、彼の本を
 集中して読んだが、人生への絶対的肯定に驚かされた。こういう極限の中で
奇跡的に生延びている人の共通点がある。それは、この状況下から生延びて、
家族か、友人たちと楽しい時間を過ごす具体的イメージを持っている人という。
【人生に何かを求めるのでなく、人生が私に何を求めているかを問うべきだ!】
が、特に印象に残っている。女監督官は、ただヴェーユが可愛いという理由
だけでなく、光る何かを見出したのだろう。そして、その後、彼女は光った
のである。肯定的イメージ化と、信念こそが、人生で最も必要ということか。
――
2003/09/19
《V・E・フランクル》について
 十数年前にフランクルの「夜と霧」を読んで感銘した。
そして数年前、春秋社の以下の彼のシリーズをむさぼり読んだ。
人生の調度まがり角であったためであろう。
その意味の深さー絶対的人生の肯定に魂を揺さぶられた思いであった。
彼の「意味」発見のための3つの問い
「私は、この人生で,今何をすることを求められているか」
「私のことをほんとうに必要としている人は誰か。その人は、どこにいるのか」
「どの誰かや何かのために、私のできることには、何があるか」
この3つを常に念頭において生きることが,『なすべきこと』
『満たすべき意味』を発見するための手がかりになると、
フランク心理学では考えている。

特に以下の分析には深く納得をした。
ー自己超越のための3つの意味(価値)ー
1・創造価値: 創造行為を通して得られる意味
          =仕事・子育て・学問・芸術
       ー力への意志
2・体験価値: 体験を通して得られる価値・意味
          =自然・芸術・愛
       ー愛への意志 
3・態度価値: 運命に対し模範的な態度を取ることで
        得られる価値・意味ロゴスの覚醒=対象との一体化
        ※自身が何らかの喜びに満たされていること
       ー知への意志 
人生には発見されるべき価値や意味がある
 (1)意志への自由 (いかなる境遇でも自由意志を持つことができる)
 (2)意味への意志 (意味と目的を発見し充足するのは人間の努力である)
 (3)人生の意味  (創造・体験・態度生きる姿勢の中に意味を見出す)
  ー生きることは価値判断(学習)と選択の連続である

ー私が読んだ本は以下であるー
・「夜と霧」:ドイツ強制収容所の体験記録
 V・E・フランクル 霜山徳爾(訳)  みすず書房  1985年
・「それでも人生にイエスと言う」 V・E・フランクル 山田邦男・松田美佳(訳)   
  春秋社   1993年

・「宿命を超えて、自己を超えて」
 V・E・フランクル山田邦男・松田美佳(訳)   
  春秋社   1997年

・「<生きる意味>を求めて 」
  V・E・フランクル  諸富祥彦(監訳)
  上嶋洋一・松岡世利子(訳)   
  春秋社   1999年

・「フランクル回想録:20世紀を生きて」
  V・E・フランクル  山田邦男(訳)  
  春秋社   1998年

・「フランクルに学ぶ 」    
  斉藤啓一 日本教文社  2000年

・「どんな時も、人生に‘YES’と言う
  諸富祥彦
  大和出版
・・・・・・
2003/09/20
《V・E・フランクル》について
十数年前にフランクルの「夜と霧」を読んで感銘した。
そして数年前、春秋社の以下の彼のシリーズをむさぼり読んだ。
人生丁度まがり角であったためであろう。
その意味の深さー絶対的人生の肯定に魂を揺さぶられた思いであった。
彼の「意味」発見のための3つの問い
「私は、この人生で,今何をすることを求められているか」
「私のことをほんとうに必要としている人は誰か。
 その人は、どこにいるのか」
「どの誰かや何かのために、私のできることには、何があるか」
この3つを常に念頭において生きることが,『なすべきこと』
『満たすべき意味』を発見するための手がかりになると、
フランク心理学では考えている。
ーー 
  『夜と霧』(みすず書房、1971年新版)
収容所での体験を描写することによって語っているのは
「人は変えようのない運命に直面したときでも、それに対して取る゛態度゛
というのは自ら選ぶことができる」という真実です。精神的自由、すなわち
環境への自我の自由な態度は、この一見絶対的な強制状態の下においても、
外的にも内的にも存しつづけたということを示す英雄的な実例は少なくない
のである。強制収容所を体験した人は誰でも、バラックの中をこちらでは
優しい言葉、あちらでは最後のパンの一斤を与えて通って行く人間の姿を
知っているのである。そしてたとえそれが少数の人数であったにせよ
――彼等は、人が強制収容所の人間から一切を取り得るかもしれないが、
しかしたった一つのもの、すなわち与えられた事態にある態度をとる人間の
最後の自由、をとることはできないということの証明力をもっているの。
「あれこれの態度をとることができる」ということは存するのであり、
収容所内の毎日毎時がこの内的な決断を行う数千の機会を与えたのであった。
その内的決断とは、人間からその最も固有なもの――内的自由――を奪い、
自由と尊厳を放棄させて外的条件の単なる玩弄物とし、「典型的な」収容所
囚人に鋳直そうとする環境の力に陥るか陥らないか、という決断なのである。」
 生きていれば、誰しも避けがたい苦悩に直面するわけですが、そういった
ときに、「どのような゛態度゛を取るのか」というコトが問題となってくる
のだと思います。変えられない運命に絶望しニヒリズムに陥ることや、責任を
転嫁して他者を恨むこと、現実逃避のために自暴自棄になることは簡単
だけれども、フランクルは、そういった態度は人間としての自由と尊厳を
放棄した態度だと言っているのだと思います。

「〜生命そのものが一つの意味をもっているなら、苦悩もまた一つの意味を
もっているに違いない。苦悩が生命に何らかの形で属しているならば、また運命
も死もそうである。苦悩と死は人間の実存を始めて一つの全体にするのである。
 一人の人間がどんなに彼の避けられ得ない運命をそれが彼に課する苦悩とを
自らに引き受けるかというやり方の中に、すなわち人間が彼の苦悩を彼の十字架
としていかに引き受けるかというやり方の中に、たとえどんな困難の状況に
あってもなお、生命の最後の一分まで、生命を有意義に形づくる豊かな可能性が
開かれているのである。」 変えようがない事実そのものをそのまま認識し、
そこから自分はどうするのか、何が出来るのか、といった自らの可能性を考える
態度。それは、苦しみを受け入れ、苦しみに耐えながら、苦しみと共に生きて
いこうとする態度。人はこのような苦悩を正面から受け取る態度を取ることに
よって初めて、その苦悩を乗り越え、自己をさらなる高みに引き上げることが
出来るのだと思います。ここで、苦悩の持つ意味・価値が創り出されるのでしょう。
 フランクルは、このように苦悩を超えることによって生み出された価値という
のは、他の価値とは次元の違うものであるとしています。彼は、それは如何なる
外的状況(例えば、傍から見れば「失敗」であったり「不幸」であったり「悲惨」
であったりするような状況)に関係なく得るコトの出来る価値だと述べる。
 このように、苦悩を自己の飛躍へと転化することというのは、きっと誰にでも
可能なことなのだろう、とわたしは思います。わたしたちの苦悩が収容所での
経験を凌駕するほどの悲惨なものでないのなら、この、人間が運命に対して挑む
ことの出来る唯一のやり方、「事実を受け入れ、そこから生きていくという姿勢
を取るコト」は、わたしたちにも可能だろうと思うのです。フランクルも本の
中で、このような態度を取ることが出来た人が過去において一人でもいたという
事実そのものが、「人間がその外的な運命よりも内的にいっそう強くありえる」
ということの証しとなると述べています。
  【2017年5月22日字数制限のためカット】


5910,閑話小題 〜誰かに似ていないかい、あの御方

2017年05月21日(日)

閑話小題 〜誰かに似ていないかい、あの御方

   * シネマ、『メッセージ』評
 昨日のシネマは、【メッセージ】をみてきた。 評価90点
決して派手でない内容だが、哲学的で重厚な内容。 宇宙人とのコンタクトで、
白人女性の言語学者が、地球にきた宇宙船の生命体と意思の交換を図ろうとする。
それが何とも考えさせられる。
・「人間も多言語を使えた方がよい。」
 「道具を金鎚しか知らないと、全てが釘にみえてくる。」
・「300年後に、我々、生命体を人間から救ってもらうため、地球を生き
 延びさせたい。そのための武器?道具を与えるのが目的。」と内容は至って
 哲学的である。
異生物間の意思疎通が、いかに難しいかの問いかけだが、現在の北朝鮮のドン様
のメッセージは何なのか?を、考える上に少しは参考になるのでは。
   * 誰かに似ていないかい、あの御方
 皇室の眞子様の婚約者、誰かに似ているとジッとみたら、落語家の林家三平。
さっそく家内にいうと、「そうだそうだ、似ている」と。で、翌日の家内の逸話。
「ジムの一人が『見たことのあるような顔だけど、誰だっけ』と言うから、
『誰かが三平と言っていたわよ』というと、『そうそう三平だ』と言っていた」
落語家の三平だけに、マスコミは、両者とも傷つける可能性もあってか、まだ
聞いてない。それにしても、二人の三平、気の毒に。

・・・・・・
5545,子どもはなぜ勉強しなくちゃいけないの? 〜
2016年05月21日(土)
            『子どもはなぜ勉強しなくちゃいけないの? 』
                       おおたとしまさ(著)
   * 子どもはなぜ勉強しなくちゃいけないの? 〜
 人生の黄昏時に思うことは、<もっと世界のことを知っておきたかった、
もっと様々な経験をしておけば良かった>である。そのベースは、子供の頃に、
つくってこそ、可能になる。 ということは家庭環境の家系も大きく左右する。
 学生時代を終えようとする時、それまでの知識不足に気づき、それから半世紀
近く、読書を続けてきたが、ベースの絶対的質量の不足をカバーできなかった?
ようだ。 「10歳までに、人生が決まってしまっている」というが、図書館で
見つけた、この本。子供向きの本かと思っていたら、熟年向きでもある。
 5年前、会社を早々、整理をした結果、「この男、あまり頭の良くない!」と、
陰口で言われたのだろうが、一番、実感しているのが当の本人。正に10歳まで
に決まっていた。 <子どもはなぜ勉強しなくちゃいけないの?>の答えが、
私の人生そのもの。その時点で、人生は既に決定済み。
「事前の一策は、事後の百策に勝る」の「策」が学び(勉強)であり、
事後の百策では、子供の時代の学び不足に追いつかない。ただ、その自覚が
あるだけ少しはまし? 〜まずは、アマゾンの内容紹介の
  [子ども編]より
 ☆ 荒俣 宏
人間は動物よりも多くを勉強して生き残った/
お父さんお母さんが言うことも1つ2つは聞いてみよう/
きらいな勉強は好きなことに無理やり結び付けよう
 ☆ 内田 樹
大人も勉強する理由を本気で考えたことがない/
生き延びる力を身に付ける/
どうやって仲間と支え合うのかを学ばなければ/
勉強するのは「自分のため」じゃない
 ☆ 瀬戸内寂聴
勉強しないと心の栄養失調になる/
テストの点数は気にしなくていい/
得意なことに気付くと勉強が楽しくなる/
本からも「心の栄養」は得られる/
 ☆ 坂東眞理子
子どものころに勉強の習慣と土台をつくろう/
勉強がつまらないなら100点を取ろう/
どうしようもないことをやり過ごすことも学ぼう/
勉強するのはお金のためだけじゃない
 ☆ 福岡伸一
勉強すれば「思いこみ」から自由になれる/
人類の歩んできた道を自分の足でふみしめる/
たった十数年で3000年以上分のおさらいをする/
「大きな問い」は「好きなもの」の形で現れる/
 ☆ 藤原和博
人生とは経験値をためるゲームのようなもの/
「最強装備」は遊びから手に入れる/
「最強装備」があれば「究極の力」が手に入る/
クレジットをためればためるほど自由になれる
 ☆ 茂木健一郎
勉強することとは自分をかがやかせること/
勉強を続けるコツはマイペースを保つこと/
学校を利用する気持ちになれば勉強は楽しくなる
 ☆ 養老孟司
「そんなくだらないことを聞くんじゃない! 」/
勉強とは「山道を登る」みたいなこと/
好きなことを思い切りやれば勉強が必要になる/
「答え」を知ることよりも考えることが大事
――
▼ 一言一言が、どれも身に覚えのあること。幼児なりに、言葉から
 何かを察知する言語能力が必要である。やはり、両親、特に父親の幼児
教育がベースになる。人生の「最強装置」から得た経験値は、遊びにあった。
「もっと稼いでおけば良かった」でなく、「もっと遊んで楽しんでおけば
良かった」が、最後の最後に残る。結局、何か心の底から楽しめるシステム
を、見つけ出しおくことが必要であり、それが子供時代の学びから生じる。

・・・・・・
5180,私はガス室の『特殊任務』をしていた
2015年05月21日(木)
    * ガス室の中の、断末魔の地獄絵   『読書脳』立花隆著
 ー私はガス室の『特殊任務』をしていたーショロモ・ベネツィア著を、
『読書脳』立花隆著で紹介をしていたが、その内容は極めて凄惨である。
ガスを吸った瞬間死ぬのではなく、15〜20分の間、のたうちまわるのだ。
そこで生残った特殊任務部隊員(囚人)の証言が生々しく記されている。
≪「人体組織の抵抗力で目が眼窩から飛びだした人もいました。
 身体じゅう出血している人もいれば、自分や他人の排泄物で汚れている人も
いました。恐怖とガスの効力で、犠牲者は身体のものを全部排出することが
多いのです。(略) みんな苦しんで死んでいました。普通の人は、ガスが注入
され、はい終わりと考えるでしょう。でも、なんという死か!…。よく見ると、
お互いにしがみついて、少しでも空気をと、みんな必死だったんですね。
床に落ちたガスから酸が発散するので、みんな空気がほしくなる。
そのために、最後のひとりが死ぬまでみんな互いの上をよじ登ろうとする」 
その言葉通りまるで運動会の棒倒しのように、天井の空気穴めがけてもがき
あい手足をひっぱりあい重なりあいながら人間ピラミッドを作るようにして
死んでいた。その一体一体が苦悶の表情を浮かべている。ガスの注入から全員
の死亡まで15分〜20分だった。断末魔の悲鳴が徐々に弱くなり、無音になる
のを待って、特殊任務部隊(囚人)が中に入り、からみ合った死体を一体
一体引き離し、焼却炉に運んだ。遺体の口を開き、金歯をしている者からは
金歯を抜いた。ガス室の中に入ることを許されたのは、特殊任務部隊員だけ。
彼ら自身も三ヵ月ごとにガス室で処分され、秘密が保持された。生き残り
数十人だけがガス室の中で起きたことを証言したが、あまりのおぞましさ故に、
その詳しい実情はこれまであまり表に出なかった。 本書は2007年に仏国で
出版されると大ベストセラーになり、世界15ヶ国以上で翻訳されている。
これを読まずにアウシュヴィッツに行っていたら、私も東大生と同じように、
ガス室や焼却炉の残骸を見ても、犠牲者の髪の毛の山や遺品の山を見ても、
本や映画で見たのと同じと思い、ショックを受けなかったかもしれない。≫
▼ 多くが糞尿を垂れ流し、断末魔の苦しみの中で死んでいく姿が、そのまま
 描写している。個々では、どこかの病院の一室で毎日あることだが、それが
集団となると地獄絵そのもの。20世紀は、集団殺戮の世紀で、一億近くの
人たちが抹殺された。21世紀の現在も、北朝鮮や、中近東で、こうした
殺戮が現に行われている。恐ろしいが、これが現実である。ー以下も御覧あれ!
――
2015/03/15
ホロコーストを生き延びて
  * 囚人番号A26188〜ホロコーストを生き延びて〜
          〜15年3月11日 水曜 午後6時〜6時50分〜
 先日、大相撲が終わり何気なくまわしたチャンネルが、この番組。
当時の凄惨な収容所や、殺された人たちの写真と共に淡々と語る老婆
へニアの話に、我を忘れ見入ってしまった。転々としたどの収容所でも、
奇跡的に助かり生き延びた内容は、想像を絶した生き地獄。 途中で、
この番組を数年前に見ていたことに気づいた。 ポーランド、ソ連を
中心に500〜600万人が虐殺されたホロコーストは残酷の極み!何度見ても、
その悲惨さに驚愕をする! 〜NHKのHPの、その紹介記事から〜
≪ 1939年のドイツによるポーランド侵攻は、ある少女の運命を狂わせた。
 靴工場を経営する父と母、3人の兄弟と幸せに暮らしていたヘニアは、
マイダネク強制収容所、「シンドラーのリスト」の舞台として知られる
プワシュフ強制収容所、アウシュビッツ強制収容所、終戦時のベルゲン・
ベルゼン強制収容所と、4つもの収容所を転々とし、偶然と機転、そして
時には他人に助けられて奇跡的に生き残ったのだ。
 現在南アフリカで静かに暮らす彼女は、ホロコーストを知らない若者が
増えていることに危機感を抱き、今まで夫や息子にも話さなかった悲惨な
過去を明らかにすることを決めたという。目の前で日常的に繰り返された
ナチスの残忍な行為の数々、アウシュビッツ解放前に強いられた“死の行進”、
家族の行方―ホロコーストを生き延びた“囚人A26188”ヘニア・ブライヤー
が、壮絶な体験のすべてを語る。≫
▼ 20世紀といえば、スターリン、毛沢東、ヒトラー、ポル・ポトなどが、
 大量殺戮を重ねた世紀。彼らは国内や隣国の人民を1〜2割も殺戮した、
というから、平和ボケした日本では想像すら出来ない事態。 現在も、
北朝鮮が同じような状況にある。社会主義も資本主義も駄目というなら、
何が良いのか? その上、情報機器が飛躍的に進化する中、政治体制が、
それを持った大衆をコントロールするのは至難の業である。その行着く先は
混沌とした世界。そして極端な原理主義が、世を覆い、同じような大量殺戮
の世が再び、生じる可能性が出てきた。人間は本当に進化したのだろうか?
・・・・・・
4815,尊厳死は必要か ー1
2014年05月21日(水)
 尊厳死について、多くの身近な人たちの最期をみて、これは正しい!
という答えが無いことを前提に、司法は可能な限り介入すべきではないと思う。 
回復の見込みがなくなった時に治療の中止を認める、尊厳死法案が検討されて
いるが、これは当然のこと。人生の終わりに、どうすれば尊厳は守られるのか、
当人にとって大問題である。この3月末にとり上げた、
「そんなに長生きしたいですか 1〜7」の内容に通じるところがある。
◆ 深く悩み納得するのが先 ー    祓撚茣篤帖周防正行>  
                 ー朝日新聞 オピニオン〜耕論ーより
《「患者に良かれ」と思い、治療をやめたお医者さんが、告発される。
 一度つけた呼吸器は外せない。そんなことがあるのなら、何らかの法律が
要るんだろうなと漠然と思っていました。でも、2012年に公開した映画
「終(つい)の信託」をつくるため終末期医療を調べるうち、「待てよ」と
感じるようになりました。死の迎え方は、人がどう生きてきたかと同じように、
一律ではない。経済的な理由から治療をやめざるをえない場合もあり、
社会システムの問題でもあると気付いたのです。取材してわかったのは、
食べられなくなった時に栄養を直接いれる胃ろうをつけた家族も、つけな
かった家族も、どちらも「正しかったのか」と悩んでいること。そこに正解
はなく、あんなに考え、話し合って決めたのだから、という思いがせめてもの
救いになるのでは。その質と量によって納得するしかないんですよね。
 今の医療現場では、患者や家族と医師らの間で信頼関係を築きにくい。
お互い忙しく遠慮もあるのでしょう。患者や家族がいつでも、これからの
ことや不安を相談できる人が病院にいる態勢づくりが、大事だと思う。
患者と医師を結びつけてくれる窓口のような存在がいると、患者や家族は
深く考え、きちんと悩めるようになるのです。この人が望む道は何なのか。
共通認識を持ち、それを実現するのが「尊厳ある治療」なんじゃないかな。
まずはそれが大事。良い医療かどうかって、患者や家族がいかに納得できる
かにかかっている。コミュニケーションがうまくとれないとだめなんです。
・・・ つづく 》
▼ 医療現場では、各個人の尊厳死に至るまでのフォローする仕組みなど
出来ていない。あとは、医療経営に有利な延命治療か、家族の都合によって
生かされるか、殺されていく。病院を監獄と看做すと、病室は獄内、身体に
つけられたチューブは鎖、看護婦は刑務官になる。そこでは、拷問のため
生かされた人たちの苦しみの悲鳴が聞こえてくる。チューブを外し、死なす
尊厳死は犯罪として禁じられている。しかし、当人も、家族も、それを望む
なら、拷問のような苦痛の人を死なせることも、必要になる。それを法律で
禁止すること自体に問題がある。縁者の死際では、殆どが医者の手で、呼吸を
止めているが、その前段階に、本人や家族の希望で延命を認めるべきだが、
色いろなケースがあるから一概に断じることが出来ないのが末期医療。
今までは他人事だったが、今では近い将来の問題になってしまった。
・・・・・
4448, 屋根裏に誰かいるんですよ −2
2013年05月21日(火)
   「屋根裏に誰かいるんですよ―都市伝説の精神病理」春日 武彦著
 「幻の同居人」をネットで検索すると、日本老年精神医学会学会での
「幻の同居人」に関する考察で、医師の深津亮(埼玉医科大学)が講演で、
以下のような発表をしていた。


5909,『しあわせ仮説』 −8 「純粋な悪」を、トランプ大統領にみる

2017年05月20日(土)

           
   * 諸悪の根源は「純粋な悪」
 哲学的に表現すれば「素朴な実在主義者」の心のありよう、有りていに言えば、
「大人、子供に見られる表層の現象で決め付ける幼稚な精神と知能の持ち主」。 
幼稚な心は、自分たちの世界を破壊されることが「純粋な悪」。誰の心にも
ある「純真な心」でもある。それ故に猛毒を含む。 このフィルターで、
世界を単純に切り取ると、これが面白い。
 ー今回は、アメリカの白人の本音、「白人至上主義」ー
黒人のオバマに対して、2期・8年間、不満を持っていた比較的恵まれない白人層
にターゲットを絞り、ロシアの間接的?援助も加えた泡沫が当選した。
そ素朴な白人優位主義と、有色人種への偏見を前面にうち立てたトランプ。
全く政治に素人である。純朴に、白人の優位性を脅かすことを「純粋な悪」とする
彼らの偏見は、グローバリズムに逆行する側面がある。これは、他民族を受け
入れてきたアメリカの理念と逆行する上に、ナチスの思想にあい通じる。
そろそろ、これに気づきだした国民に弾劾され処分されるのは時間の問題… 
 世界は白色、赤色、黄色、黒色の順の人種差別が歴然としている。その露骨に
現われ出ているのがインドのカースト制度。4層が、さらに細かく500層になって
いて、その網目から逃れることが出来ない。何せ3千年かけてつくり上げた階級。
交通事故で、最下層の被害者に対し、日常的に轢逃げが罷り通っているという。
 ISは赤色人種のイスラム原理主義を忠実に守り、それを守らないのは、
「純粋な悪」として殺害か奴隷というから恐ろしい。対する欧米は白色人種を
中心に国力に比例した序列がある。日本は地政学的に、白色(米国)側の、黄色
のポチ。ドス黄色の中国には、島国のため、独自のウス黄色だったため、ポチ
として、庭先の犬小屋に番犬?として、敷地内に飼われている? 白人至上者
から見れば、こんなもの。で、逆オバマ効果で、こんな人物を大統領にした。
 としても、日本は飼主がどうであれ、忠実な犬を装ってないと、エサの配分
が減らされる。門から外に出ようものなら、直ぐにドス黄色・中国の攻撃対象
になる。ふ抜けた日本の「純粋な悪」は、他国からの「侵略と、戦争」。
「平和憲法の改憲」である。何せ72年前に三百万人が亡くなっている。
ポチでも何でも、目立たないように犬小屋で大人しくするしかない。
バナナ(外が黄色で、中が白色)とか、イエローモンキーと言われようが、
ただ大人しく、忠犬を装うしかない。何?としても、大統領の一存で、
「沖縄は中国に、北朝鮮はアメリカに」の取引で、中国に売り飛ばされない
とは限らない。取引を業とするトランプなら、ありえない話ではない。
 
・・・・・・
5544,閑話小題 〜悪口は泥棒より悪いって知っていた?
2016年05月20日(金)
       ー「泥棒と悪口と、どちらが悪いか」三浦 綾子(作家)
                  『人間学入門』(致知出版社)より
   * 「泥棒と悪口と、どちらが悪いか」
 以前、この道理を知ったとき、そこまで悪口が罪悪とは思ってなかったこと
もあって、驚いてしまった。大家族の中で育ったためか、本能的に、悪口や、
他人の誹謗中傷を言うことがタブーか知っていた。一番立場の弱い末っ子が、
まず身につけるしかない自己防御のなせる業である。それが、進級、進学に
つれて、育った環境などにより、弱者に対する虐めや、悪口を言う人の比率が
増えていった。 学校、職場、一般社会も、階層があって、そのコントロール
として、誹謗中傷と悪口が、大きな働きをしていた。 それを筆者がズバリ、
泥棒より悪口が、悪いと断じるから・・  〜その辺から
≪・時折、講演で話すんですが、「泥棒と悪口を言うのと、どちらが悪いか」。
私の教会の牧師は「悪口のほうが罪が深い」と言われました。
大事にしていたものや、高価なものを取られても、生活を根底から覆される
ような被害でない限り、いつかは忘れます。少しは傷つくかもしれませんが、
泥棒に入られたために自殺した話はあまり聞かない。だけど、人に悪口を
言われて死んだ老人の話や少年少女の話は、時折、聞きます。
「うちのおばあさんたら、食いしんぼうで、あんな年をしてても三杯も食べる
のよ」と陰で言った嫁の悪口に憤慨し、その後一切、食べ物を拒否して死んだ、
という話があります。
・それと、精神薄弱児の三割は妊婦が三か月以内に強烈なショックを受けた時
に生れる確率が高いと聞いたことがありますが、ある妻は小姑に夫の独身時代
の素行を聞き、 さらに現在愛人のいることを知らされた。
それは幸せいっぱいの兄嫁への嫉妬から、そういうことを言ったのです。
この小姑の話にちょうど妊娠したばかりの妻は大きなショックを受け、
生まれたのは精神薄弱児だったそうです。 恐ろしい話です。私たちの何気なく
言う悪口は人を死に追いやり、生まれてくる子を精神薄弱児にする力がある。
泥棒のような単純な罪とは違うんです。 それなのに、私たちはいとも楽しげに
人の悪口を言い、 また、聞いています。 そしてああきょうは楽しかった、
と帰っていく。 人の悪口が楽しい。これが人間の悲しい性です。
・もし自分が悪口を言われたら夜も眠れないくらい、怒ったり、くやしがったり、
泣いたりする。 自分の陰口をきいた人を憎み、顔を合わせても口をきかなくなる
のではないでしょうか。 自分がそれほど腹が立つことなら、他の人も同様に腹が
立つはずです。そのはずなのに、それほど人を傷つける噂話をいとも楽しげに語る。
私たちは自分を罪人だとは思っていない。 罪深いなどと考えたりしない。
「私は、人さまに指一本さされることもしていません」。 私たちはたいてい
そう思っています。 それは私たちは常に、二つの尺度を持っているからです。≫
▼ これを読んだのは、20年前になる。元もと、噂話や、他人の中傷誹謗に
 興味がなかったが、大家族の中では、第三者の話題はタブーに近かった。
学生時代も、殆ど、批評はすれど、批判をしないのが通り相場。いい大人が、
悪口など、男が廃るという空気があった。しかし、自分が人を使う立場になると、
飴と鞭のムチを、知らず知らず使いだしていた。知人に噂話を売りにした人が
何人か存在するが、耳を塞ぎたくなるほど聞くに堪えない。長年、かかって顔が
暗く澱み、声まで変質している。あれ、万引き常習者になるが、これも悪口か・・ 
――――
2016/04/07
愛と孤独 ―池田晶子の言葉 〜⑤
     『幸福に死ぬための哲学 ―池田晶子の言葉 ー』池田 晶子(著)
   < 孤独の味わい方 >
  * 他人の悪口が気になる人へ
《 人間には、自分の中の気になるものを、自分の外に見つけ出すという妙な
 癖があります。自分の中のそれが気になるからこそ、他人の中のそれが気に
なるのですね。 よくあるでしょう、誰かの悪口を言っているその人が、
自分が悪口を言っているその人にそっくりだということが。つまり、人間は、
自分の中にあるものだけを他人の中に見る。裏返せば、人間は、自分の中にない
ものを、他人の中に見ることはできない。当然ですよね、だって、ないものは、
ないんだから。ないものは、気になるはずがないんだから。 》〜『人生は愉快』
 ☆ 時間薬の効果で言えることだが、5年前の会社清算の一連が、当事者と
しての内なる記者の目線でみえた現象の面白さは格別であった。
 プラモデルの趣味の人に、それが壊れたとて、喪失感は少ない。それは、
楽しんだ結果でしかないから。所詮、悪口とは、その人間そのものの影!
――――
2003/11/25
965, 悪口についての一考察
 悪口については、随想日記の中では何回も書いている。
しかしテーマにしたことは無い、一番イヤなテーマであるからだ。
昨日、新聞を見ていたら‘メジャー’ヤンキ−スの松井は中学校二年生以来、
悪口を言ったことがないという。(所詮は勝ち組が言っているから注目
している部分もあるが)
それでは「私の場合は如何だろうか?」と考えてみた。
本音でいうと
 可能な限り言わないようにしている。その為には嫌いな人のいる場には
 極力行かないようにしている。例えば、ライオンズとか商工会議所などである。
 痴呆名士志向の子狐的人間である。  地方で頑張っている人はこういう
 傾向が強いから始末が悪い。自分より肩書きや収入が多い人間には媚び
へつらい、下の人間には尊大な人だ。 仕方ないのは解っているが。
「お前の姿でもある」といえば、そうかもしれない。
  人間にとって自分は善人であり他人は悪人なのである。
 自分を理解しろと必死になるが、嫌な人を理解しようとはしない。
 それは、怠惰という無精者に過ぎないことに気づいていないからだ。
  〜辞典には
 ー悪口は「他人について、劣っていると(事実に反し、また実際以上に)
 いう言葉」とある。
 ー陰口は「その人のいないところで、いう悪口」と書いている。
 悪口とは事実に反してと書いている。
 
 週刊誌などは、それで持っているいるようなものだ。
 大衆の一番弱いところを狙っているのだ。
 辞書のとおりならば、悪口の経験のある人は虚言罪で天国の門は間違っても
 叩かれないことになる。
  ☆ 思いつくまま「悪口」について頭に浮かんだことを書いてみる。
・「悪口はドロボーより悪い!」と曽野綾子の本にあったが、まったく
 曽野(その)とおりである。ドロボーは人を殺さない、しかし悪口は時に
 人を殺す。
・悪口は結局は、自分の事をいっているに過ぎない。
 したがって根は深い。ただ自分で気がついてないのだ。
 悪口はその人の歪んだ心象風景といってよい。
・悪口にも色いろある。
 本人に面と向かっていう悪口と
 陰でいう悪口がある。
・宗親(居酒屋おやじ)「馬鹿野郎!これで俺等居酒屋が、
 商売でもっているんだ!でも酷いもんだよ!
 サラリーマンの悪口は耳を塞ぎたくなるより、
 『その対象の奴より、言っている本人を張り倒したくなるよ!! 
 まあ、そうでもしなくては精神のバランスが保てないのだろうがね』            
                         ー続く
ーーーー
2003/11/26
966, 悪口についての一考察 −2
 どんなに憎んでも、面と向かって言ってはいけない言葉があると。
しかし、悪口は楽しいのである。これが人間の悲しい性である。
4~5年前にある泥酔の高校の同級生二人に呼び出されたことがあった。
片っ端から知人の悪口を言っていたが、私を呼び出す前までは私の悪口を
言っていたのがミエミエであった。そして「人の悪口は楽しい!」といって
いる姿に唖然とした。そう、こう書いているこの文章も、彼らの悪口だが。
 私の場合、こと人間の真髄に関しては何を話しても悪口になってしまう。
虚飾などどうでもよい?見えるのは裸の猿の狂った姿である。
大学のたまたま入った学部が社会学部であった。早くいえば人間学である。
人間関係の網の構造を瞬時に洞察する訓練を受けているから始末が悪い。
さらに、こういう社会学的な本が好きで40年近く読み続けているから
知らないうちに外部化しているのだろう。
表面的な付き合いの人間には、全てが悪口に聞こえるはずだ。
同級生のスナックのママに説教をされたが、その道の専門家いやアマチュア
ということは知らないようだ。
 ところで悪口という概念は、なんの思想も持ち得ない。
ー怒れば、ストレス解消・精神衛生などという隠れみので、自己のプライド
 など微塵もみせず?に罵詈雑言をいい続ける。
ー気分の良い時は調子よく聖句などを持ち出してきて、
「悪口はいけません」とのたまう。
この二面性を持っているのが人間の姿である。
悪口の後で「仕方ないさ、人間だもの」と繰りかえす。
ー悪口をいま思い出せる言葉を羅列してみるとー
「服のセンスが悪い」「だらしがない」「カスが人間をまとっていうような奴」
「子狐のような奴」「屑どもめ」「仕事が出来ない」「気がきかない」
「痴呆迷死」「ミス何々ー失敗ばかりする女」「ダニ」「自民党のような奴」
「たかり」「くそったれ」「共同便所のような女」「東京ガス」
 悪口はまるで無尽蔵である。
嫉妬心・怒り・敵意・ねたみ・憎しみ・優越感・軽薄など心の底に
渦巻いているドブから発するガスである。
 
 ー インターネットで調べた内容をコピー ー
  「悪口をやめよ 」
 ヤコブ4:11〜12
 箴言26:17〜28
 マタイ5:21〜24
  ー皆川尚一牧師ー
 悪口をやめよ!
兄弟たちよ。互に悪口を言い合ってはならない。兄弟の悪口を言ったり、
自分の兄弟をさばいたりする者は、律法をそしり、律法をさばくやからである。
もしあなたが律法をさばくなら、律法の実行者ではなくて、その審判者である。
しかし、立法者であり審判者であるかたは、ただひとりであって、
救うことも滅ぼすこともできるのである。しかるに、隣り人をさばくあなたは、
いったい、何者であるか(ヤコブ4章11〜12節)。
 「兄弟たちよ。互に悪口を言い合ってはならない」(11節)。
 ここで「悪口を言う」(カタラロー)というギリシャ語は「逆らう」(カタ)
という語と「言う」(ラロー)という語が合わさって出来た合成語で、
「逆らって言う」とか「反対して言う」という意味です。
しかし、この語の使い方は、面と向かって相手に逆らって言うのではなくて、
今そこにいない人の悪口を言う場合に使われます。
だから日本語では「陰口をきく」とか「中傷する」とか「ざんげんする」とか
言います。顔と顔を合わせて相手に反対したり、悪口を言ったりする場合には、
相手の人は自分の考えを説明したり、自分のやり方を弁明したり、相手に
反論したりできますから、ある程度公平だと言えるでしょう。しかし、今そこ
にいない人のことを悪く言う場合には、言われる人は弁明できず、反論も
出来ませんから、悪いうわさは毒ガスのように人から人へと伝わります。
二、三人のヒソヒソばなしやいわゆる井戸端会議からゴシップが流され、
話に尾ひれがついて、あること無いことが発展して人の名誉が汚され、信用が
失われ、せっかく築かれかけた良い人間関係が壊れていくのです。だから陰口
ほど質(たち)の悪いものはありません。
  しかし、クリスチャンになってもこの悪い行いは、なかなか改まらない
人が多く、このために教会の親しい交わりが汚されるので、使徒ヤコブは、
特にクリスチャンお互い同士が陰口をきかないで、愛の交わりを育てるのに
心を配って行こうと呼びかけているのです。そこで大切なことは陰口をきく
のは恐ろしい罪だということを認識する必要があります。
それは「神の律法に違反する罪」と「神の大権を犯す罪」の二つです。

・・・・・・
5179,人生相談という気晴らし! 〜⑧
2015年05月20日(水)
             『人生、しょせん気晴らし』中島義道著
   * 信念に生きることは割りに合わない!
 信念に生きると、当然、摩擦が起きる。それをバネに信念の芯を強めるか、
修正するしかない。信念を貫いた人生には充実感が残る。
≪ Q: 先の暗い人生でも生きるべきでしょうか?
 私は58歳の零細自営業者です。同世代の先生なら説明する必要はないと
思いますが、学生時代から頑迷に反体制を信条として、就職や年金とは無縁の
生活を送ってきました。そのことに後悔はありませんが、困ったことに働ける
年齢を越えて生きのびそうな予感がするのです。いまさら、官にたよって生活
保護を受けるなんて恥ずかしくて出来ませんし、この歳になって信念を曲げて
まで生きる気もしません。自殺は解決手段ではないと読んだことがありますが、
私はこれから到底よくなるとは思えない苦渋の日々を寿命が尽きるまで生き
なければならないのでしょうか。あるいは、何としても生きるべきでしょうか。
その理由があるのでしたら教えてください。
  A: 「信念」を生きるとは割の合わないものです
 これも同じようなご相談で、一見どう答えていいか難しそうですが、
私の回答は至極簡単です。自分の「美学」があなたにとって何より大切なこと
でしたら、これまでせっかくがんばってきたのですから、国家の面倒を今後も
いっさい辞退して、潔くホームレスになってしまってはいかがでしょうか?
そして、どこまでも自分の美学を全うして死ぬことです。 私が法学部を捨てて
哲学に身をささげようとしたときは、先生から「自殺率は高いですよ」と
言われました。33歳で誰も待つ者のいないウィーンにひとり私費留学した
ときも、ドクター論文が書けなかったら戻ってはこれない、死ぬしかないと
思いました。 たとえ誰もほめてくれなくとも、いやバカだ、アホだ、と罵倒
されても、それがあなたの「生き方」なんですから、それでいいではないですか。
本物の「信念」とはそういうもの、そういう割の合わないものです。
だから(場合によって)感動的なのです。ソクラテスが最後の最後で脱獄して
しまったら(そういう誘いは多かったし、それは可能であった)、弟子のプラトン
はじめ彼のことなどすっかり忘れてしまっていたことでしょう。単なる
「合理的な爺さん」で終わっていたことでしょう。とはいえ、私は自分の信念を
貫き、ついに毒杯を仰いだソクラテス的生き方を賛美し勧めるつもりは毛頭ない。
もうひとつの合理的な爺さん的生き方もなかなかいいのではないか、と思って
います(私だったら迷うことなく脱獄します)。つまり、昨日までの反骨精神など
きっぱり捨てて、たったいまからは国家や政府あるいはボランティア団体から
すべての「援助」を貪欲にむしり取るのです。あらゆることを巧利的かつ合理的
にとらえなおし、「豊かな」老後に備えるのです。あっという間に変身する
生き方も、なかなか颯爽としていいものですよ。こちらは、ソクラテス型に
対して、ホッブズ型とも言えましょう。俺が人々と暗黙の社会契約を結んで
国家を承認したのは、自分にとって利益があるかぎりであるから、国家が俺に
死刑を請求したら、さうさと逃亡するのが当然だ、という考えです。
どうです、なかなかさっぱりしていていいでしょう? ≫
▼ 「功利的、合理的に生きる」という信念もある。サッサと事業断念を
 して「合理的爺さん」で終え、「節目を打った」と独り嘯いても、
「お前さんのそれは『日々是口実』でしかない」「これが私の生き方だから」
という「口実」が湧き出る。こと信念については、独り呟き続けるしかない!


5908、閑話小題 〜多重人格について

2017年05月19日(金)

閑話小題 〜多重人格について

 先日みたシネマの「スプリット」が、24の多重人格を持つ精神病者と3人の
被害者の恐怖の物語。 これが、面白い。多重人格には、精神には多数の人格的
な意識が、多重人格者の個人差に関係なく、人格には共通した特徴があるという。
≪ * 多重人格に多くみられる人格とその他の特殊な人格
・基本人格:重大なストレスの体験を発端として、最初に別人格が分離した
後に生じる、多重人格の核となる人格。受身的で控えめな性格の傾向がある。
幼少時から眠っていたり、非活動的な状態になっていることも多い。
基本人格に関しては、出生時からの本来の人格の状態という捉え方もあります。
・主人格:その時々で最も多くの時間、体を支配している人格。DIDの治療を
求める人格はたいてい主人格。典型的な主人格は、不安が強く、良心的であり、
頭痛に悩まされている。
・交代人格:交代人格は、主人格と基本人格以外の人格を指す場合が多い。
あるいは、主人格は交代人格に含まれるという解釈もある。あるいは、人格交代
して体を支配して行動出来る人格を交代人格とする解釈もある。あるいは、機能
や感情反応や生活史がしっかりとあることが交代人格の条件とする解釈もある。
・準(准)主人格:主人格の次に主人格のような役割を果たす人格で、
体を支配する時間や頻度が多い。
・子供人格:多重人格に必ず存在する子供の人格。子供の人格は時間が凍結
されていて、早期の心的外傷体験の記憶や感情を保持する役割を担っている。
甘えられる状況の時や自傷行為の後などに意識上に出現する場合が多い。
・異性人格:肉体の性別と異なる人格を指す。女性の男性人格は保護する役目
を持つことが多い。男性の女性人格は体を支配することが少なく、主に意識
内部で活動する。中性のような性別の人格や性別がない人格の存在もあり、
その場合も分類上は異性人格になる。
・救済人格:良心が具現化したような人格。人格達の状況を全体的に把握して
いて、危険を回避したり、適切に生きていけるように影響を与える。
理性的だが感情の起伏があまり無い。
・記録人格:生活史についておおむね完全な記憶をもっている。
過去の出来事や他の人格の行動についての情報を与えてくれる。記録人格が
複数存在するケースでは、一部の記憶だけを管理している人格もいる。
・統括人格:意識内部ではリーダー格の人格。人格達を統括する立場で、
誰を人格交代させるか決める権限を持っている場合もある。統括人格が複数
存在するケースでは、状況に合わせて別の人格が統括したり、一部の人格
だけを纏めている人格もいる。冷静で厳格な傾向がある
・保安人格:意識内部で、人格システム維持の為の任務を請け負う。
意識内部の領域を守る、問題をおこす人格に対して監視したり行動を抑制
したり活動を停止させる、その他の意識内部の管理など。
・人格断片:人格の断片のような意識で、一つの情動による感情表現や、
決まった行動をする機能を持っている。人格断片は多重人格者に数多く
内在し、融合や分離を繰り返す。
・人外(じんがい)人格:人間以外の生命体を象徴する人格状態全般を指す。
ペットになるような哺乳類の動物が主で、特に猫人格が多い。半人半獣や生物
の形態をなしていないなどの現実には有り得ないものもいる。大体は人間の
言葉を理解し喋ることが出来るが、動物の場合は動物の仕草をしたり鳴き声を
出す時もある。人外人格の多くは、しっかりとした自我を持っていない人格
断片のような存在。
・憑依人格:憑依して人格交代する霊的存在による人格状態。悪魔憑きや聖霊
に満ちているような状態でも、憑依による人格的な存在が意識上に出現したら
憑依人格に分類される。たとえ霊的存在が憑いていたとしても、人格交代
しなければ憑依人格ではない。≫

▼ 上記をよく読むと、「性格分類」そのもの。それぞれの性格として
 現われでている。幼児性そのままを残した性格、優しさを持った救済人格、
傷つくことを異常に恐れる保安人格とか、人様々である。問題は、憑依するか
しないかの問題。職場や、勤め先を転々としていると、今度は、優しさを
前面に出してやろうとか、厳しさを前面にしてやろうとか、その都度、イメージ
を持って自己演出をしてきた。基本人格の上に、交代人格を付け加えてきた。
偽善、偽悪、露悪、露善の顔色である。これが、面白いほど、社会には通る。
詐欺師には、実際に騙すというより、様々な人に成りきっているため、罪の
意識は少ないのだろう。少し誇張しているうちに本当のように、思うように
なってしまったとか。これも多重人格の要素が現われ出てきたということか。

・・・・・・
5543,閑話小題 〜お金に窮したことは一度もなかった
2016年05月19日(木)
 * そういえば、お金に窮したことは一度もなかった!
          〜お金についての考えは人生に対する考えと同じ〜
 用心深い性格もあるが、事業人生の中で、お金に窮したことは一度もない。
両親、特に父親は、お金に対して厳しい人で、見栄や、無駄金、死に金、
小銭の扱いに常に目を光らせていた。普段の生活は徹して節約をし、外食や、
ブランド物趣味には、極端に厳しい姿勢であった。しかし、書籍の購入には、
一切、何もいうことがなかった。 
 学生時代、上京をして寮に住んでいた時の仕送りも、ギリギリの生活費しか
送ってくれなかったが、ヒモジイ思いをすることが無かったのは、節約が
身に付いていたため。当時の学生時代は、家庭環境に関係なく、殆どの人が、
似たようなギリギリの送金。カナダの学生は、それが首相の子供であっても、
アルバイトで生活費を稼ぐのが暗黙の習性という。
 その節約も、21歳の「欧州一周旅行」で、全てパーに。
「使ってこそお金の価値が現出する」と信じるようになっていた。
父が、末期ガンで死期を悟った時に、身近で実感したことは、「お金は、持って
旅たつことが出来ないこと」。 結婚直後からは、「稼いだときに、1〜2割を
別立てをして、残りは、使い切る」と、方針を変えた。それもあって、より遊ん
でおけば良かった、という後悔はない。死んだ瞬間、お金は一切、必要なくなる。
 また、お金が無くて呆然とした経験が一度も無かったことが良いのかどうか。 
健康面を除いた娑婆の苦しみの中で、「金の不自由」が、一番、辛いという。
現在、家内名義の家では少し肩の狭い思いをしているが・・
 他人事ではないが、一般的に、熾烈な事業の中で、万一の場合の用心深さが
あまりに無さ過ぎるのではと思うのは、老いのなせる業か。
<お金について> を書くと、あまりにシリアスになるが、なればこそ、
自分を見つめる合せ鏡になる。そこには、欲が、そのまま露出している。
 それは健康に対していえることだが、70歳を過ぎたから、死を従容と
受け入れたいものだが、現実となると? 
 ―――
 面白いもので、偶然だが,9年前に「お金」について書いてあった。
・・・・・・
2237, お金の正体 −1
2007年05月19日(土)
      「お金の正体」 ー日下公人著
              (((。・-・)从(・-・。)・゜
「生・死」と「金」の話題は尽きることは無い。
特に「金」に関してはもういいや!と思うが、それでも次々面白い道理に出あう。
しかし、どれを読んでも面白いのは、金が欲の集約でもあるからである。
この本を図書館で手に取ったときは、あまり内容のない本に思えたが、
実際読んでみると、面白い本である。
「お金の正体」はつきつめると
「その人が求めている幸せは何ですか?」ということになる。
幸せとは何ですか?は、これも単純で解りきったように思えるが、実は深い問題である。
私が好きな「幸せはアルコールのようなもの」とか、軽く扱われない大きな問題である。

以前にも何度か書いてきたことたが、
父が死を覚悟した時にジッと私の顔をみて、数千万円の数字を紙に書いて
「この数字と銀行預金の同じ数字と何処が違うのだ?」
と深刻な顔をして私に問いかけた。
「事業という楽しみの後に残ったカスがお金である!」が父の口ぐせだったが、
それでは、そのカスも紙に書いた数字でしかないことに気づいたのだ。
「実際に使えないなら現状なら、無いに等しい」といいう言葉を加えた。
しかし両親は、そのカスを更に楽しんで使っていた。
それ以上を求めること自体は、少し求めすぎのように思えたが、
それでも逝く直前に割り切れない何かが心が残った。

その時、何かを伝授してもらった。
「仕事を遊びまで高めること、そして、そのカスとしてのお金を、
仕事とは別の趣味を見つけ楽しむこと。それも楽しんだら、
大らかな気持ちで余韻を楽しむこと」である。

金を哲学的に考察すると、交換手段としてのルール(価値尺度)でしかない。
それでは目的はというと「魂の充足と自由」である。
「金」を通して(物や事で)魂の充足をしているうちに、目的と手段が混同し、
その混同が生き方を誤らせてしまっているのが現代の傾向である。
金という手段で「魂の充足と自由」をやり取りしているうちに、
金が魂と同類に思えてしまったのである。
だから価値尺度の通帳を見てニヤニヤしているうちに死に直面してしまい、
「金」が果して何だったのだろうかと錯乱してしまうのである。

ところで私の父親の迷いは何だったのだろうか?
その謎解きをしてみよう!
事業を楽しんで当時として、地方では財をなした。
そして、以前の家業の骨董屋の因縁で「骨董」の収集と、「国内旅行」を楽しんだ。
更に豪邸をつくった、そしてその8年後のある日突然死を宣告された。
目の前には、当時の数千万の預金と、幾つかの土地屋敷がある。
「それでも残ったこれは(資産)自分にとって何だろうか?」という疑問である。
死を直面して、混乱をしたのである。

父は事業も趣味も充分に楽しんだ。
そう、魂の充足はしたのである。
ところが、何かが欠けていたのである。
それは哲学的思考である。それも、難しい哲学ではない。
それで充分幸せであった!という心の安定を裏づける確信ができなかったのである。
「それでは完全燃焼などあり得るというのか?」という哲学的な答いが
出来なかったのである。

父の姿をみていて「哲学の基礎だけは教養として身につけておかなければならない」
ことを教えてもらったのである。

ー以前、書いた一部を紹介してみるー
ーーーーーーー
H0903  お金について
 誤解を恐れずに、いや覚悟の上に書いてみる。
これほど重要なモノについて誰も直視しない。
触れたがらないのはその本質があまりにも“現金”だからである!。
ズバリお金は“自由の塊”である。
世界の大部分のモノが引換に手に入る!人の心さえも。
それほど強力な魔物である。

それに支配された時、その人の奴隷使いにも変身してしまう。
反対に上手に使えば従順な召使いになる。
父がよくいっていた
“お金がないのは首のないのと同じ位つらい、
その苦労はこの世で一番の苦労だ!。”
“お金で奇麗事を言う奴が一番お金に汚い人だ!”
“生き金は使え、死に金は使うな!”
“お金の楽しみの(うまくいった仕事の)結果のもの。”
“それは使わなくては紙に書いた絵でしかない。”
“金・金・金!!とどのつまるところ、それだ、それ位重要である。
お金に窮してはじめてそれと気ずく。
それを誰も直視しようとしない。
世の中その為に首を吊り、人を殺しもする、盗みもする。
それを認めた上で、それにとらわれるな!
とらわれない為にはお金を貯めろ!”。

父の考え方は決して間違っていないと思うし一つの見方だ。
でもお金に対して奇麗な人であった!
 ーーーーー
ヾ(´Д`、)マタネ
・・・・・・
5178,閑話小題 〜日本の将来に疑問
2015年05月19日(火)
   * 後世への恥さらし 〜歴史的汚点の結果に
・大阪都構想は、僅差で否決され、これで維新の党は消滅をする。
 これは既存政党丸がかりで「維新の党」を潰したと同じ。後々、
この否決は、日本の没落の象徴として位置づけられる。大阪市民がノー
という選択をしたことは、間違いなく、日本の将来に暗雲をもたらす。
本気になって日本を変える気持ちが無いという選択である。
・ある批評家が、ブログで、「大阪市政廃止は、何の合理化にはならない」
と、したり顔で論じていたが、この問題は、「日本を本気で変えていく気が
ありやなしか」の突破口の杭になるかどうかだった。東京オリンピック開催を
選択した上に、この有様。これが日本の現状である。それにしても、日本の
既成政党が、こぞって、反対したとは、何をか言わんである。この結果の、
マイナス効果は、大阪だけでなく日本を痛めつけるだろう。
・私が橋下を代弁すると、『仕方がない、この結果の評価は歴史が証明する。
それにしても、この既成政党の全てが総がかりで反対とは、世も末。
これだけ、内側の市長と、県知事の立場で内部告発をしても、市民、府民が
理解できないとは思いもよらなかった。何が地方再生だ。その前に、大阪を
まな板に上げ、徹底的に合理化をすべきだろうに。 これでは、生活保護の
対象者は大阪に殺到する。彼らは、この甘さを享受したいからだ。
無念だが、仕方がない!』 
・これもそうだが、気持ちの悪い空気が覆い始めている。 こういう時に、
大地震と噴火が得てして起きる。バブル崩壊の数年後に淡路・神戸大地震が、
リーマンショックの4年後に東北大震災が起きた。恐らく近い将来に経済の
クラッシュが起き、その数年後に大震災の可能性が・・(逆もあるが)
 何か、自分の死の不安を重ねている? ようだが。
・・・・・・
4813,閑話小題 ー高齢者の三割が認知症とは
2014年05月19日(月)
   * 高齢者の三割が認知症とは
 先日の朝日新聞の社会面に「認知症徘徊 不明届け一万人」の記事があった。
その中で「65歳以上の高齢者のうち462万人が認知症で、軽度認知障害が
400万人もいると推計される」とあった。高齢者が人口に占める割合が
23〜4%からすると、高齢者が3000万人。その中の862万とすると、
三割が軽度を含めた痴呆症になる。前期と後期高齢者では、二倍以上は違って
くるから、80歳までに4分の1、それを超えると、過半数は認知症になる。 
そして徘徊で不明になるのが年に一万人というから、深刻な問題である。
 それからして、長寿を願うのは実は考えもの。独り住まいの高齢者が増加
している中、本人も周囲も深刻な問題である。「健康診断などしないで自然死も
選択の一つ」も、理解出来る。胃瘻で一度、管につながれると、簡単に取り払う
ことが出来ない。生かして拷問しているようでもある。 死ぬも地獄、生き延びる
も地獄。老いて死ぬのも大仕事である。これを書いたためか、自分が認知症に
なって呆然と佇んでいる夢をみた。脳は面白いものである。その夢とは、
<店頭で、ハンバーガーとコーヒーを注文するが、商品がなかなか来ない。
それを(どういう訳か中年男)の店員に言うが、何も答えない。ところが後で
入ってきた若い男が目の前のチケットを取って、カウンターに並んでいる。
私が店のシステムの要領を得ないで財布を持って勝手に立っていたようだ。
仕方がないので、店から出て、他のテイクオフの店に行くが、店内の座席は、
二人以上でないと座れないという。どうも自分が認知症で、街を彷徨っている
ことに気づいた>ところで、目がさめる。何か恐ろしい夢だが、認知症とは、
こんなものと自分自身に知らしめる内容である。そうこう考えると、可能な
限り医者に行かないで、自然にまかせることも選択の一つである。いざ、余命
一年、半年と告げられると、その恐怖は、はかり知れないのは父親の姿で知った。
傍らに一年いて、その恐怖感が直に伝わってきた。それも、激痛が死にたくなる
ほど激しくなっていく。死にいくのは、簡単なことではない。そのため認知症を
神様が与えた自然の業わいとも言える。マダラボケになるから、本人も、周囲も
地獄になる。 生きているうち、元気なうちである。以下の内容も、その類?
・・・・・・
4446, 屋根裏に誰かいるんですよ
2013年05月19日(日)
    「屋根裏に誰かいるんですよ ―都市伝説の精神病理」春日 武彦著


5907,閑話小題 〜漫画世界の娑婆

2017年05月18日(木)

   * 漫画世界の世界政治
 アメリカ大統領の弾劾裁判の可能性が出てきた。ロシアと組んで、大統領に
当選した泡沫候補の空虚な姿は見るに耐えない。 何でも有りが政治としても、
これは酷い。存在したかどうかさえハッキリしない神の子・イエスを御伽噺風に
つくりあげた聖書はパウロの創作。新大統領は、これに手に当て、国家のために
良心にかけると宣誓する。共同幻想の最たる世界のアメリカ。そこに白人至上
主義者である。
 これをスパイ上がりのロシアのプーチンが、アメリカ大統領の泡沫候補を、
当選するように画策し、作戦とおり当選させる。 政治経験のない頭の固まった
70歳のご老人とくれば、大混乱するのは目に見えている。プーチンは、その
ネタを世界情勢を見ながら小出しにして、更に幼稚なパペット(親指人形)
北朝鮮のドン様をけし掛けて戦争を企む、質の悪いハリウッド映画の様相。
 日本といえば、太平洋戦争の敗戦から70年以上経過しているに関らず、
押し付けられた憲法をアメリカの庇護の下、いまだ大事に温存した平和呆け
そのもの。 一時期、世界二位の経済大国になったが、衰弱死の一歩手前。
その弱体化した身体に、無理やりカンフル剤をうち成長期の頃に戻そうとする
アベノミクス。 
 欧州のEUも解体前夜。歴史的な返り矢として、イスラム圏から大量難民が
押し寄せている。イスラム国とかいう7世紀当時のイスラム原理主義の教義
とおりに、実践するか、しないか。従わなければ皆殺しの世界。これでは、
母国に居たたまれない。少しでも光の見える欧米圏に逃げたくなるのも肯ける。
 太平洋戦争の敗戦直後に生まれ、右上りの高度経済成長期の40数年と、
バブル崩壊、そして、21世紀を20年近く生きてこられたのは奇跡に近い。
この混乱は、20世紀前半の頃と想定すると、如何なる事態か想像が出来る。
厳しい、激しい、混沌とした近未来が、平和ボケした日本に待っている。
朝鮮半島の不安定化が増し、それそのものが、直接、日本に影響する時代、
 以上が現時点の私の世界の心象風景である。 この数年は、想定出来ない
ほど、世界情勢は変化し続けるだろう。

・・・・・・
5542,閑話小題 〜夢にみる深い闇 
2016年05月18日(水)
   * 夢にみる深い心の闇 
 一昨夜半、虚無的な恐ろしい夢をみた。5年前に遡った新潟駅周辺で、
誰も居なくなってしまった白い空間の中、呆然と立ち尽くして、
『さて、どうしようか?如何したらよいか?』と思案をしている。その直後、
『何で今さら、如何しなければならないのか?今さらどうもしなくてもよい
のに、何をしている?『これ、もしかして夢?』というところで目が覚めた。
当時の時点では、無我夢中で、板一枚の舟下の虚無を垣間見る余裕さえ
無かったのが、現在に至って当時の押隠した不安心理が表出している夢。
それだけ心に余裕?が出てきたか、心の闇は複雑かつ深淵である。
 ――
   * ヨガに88歳が!
 先日、ヨガ・エアロの参加の行列に並んでいると、「いつも、ヨガの先生
の前に座っている人が昭和三年生まれだってさ」という囁きが聞こえてきた。
そこで、改めて見ると、そこに70歳後半?の女性がいた。が、まさか88歳とは
驚いた。 老いには、ヨガは良いことは実感するが、気持ちの若いのが第一。
老いるほど、長年の節制の差が出てくる。気力、体力、社会的条件が揃って、
元気なのだろう。 気持ちが老け込み始めた昨今、まず気持ちの持ちようと、
75歳を寿命の目安にしていたが、80歳に引上げることにした。
 ――
   * 老いの近景    (*´ェ`*)
「きょうだい」6人の生存平均年齢が77歳。連れ合いを入れた12人の中で、
3人の4分の1が亡くなっている。 先日の母方の実家の従兄弟の「49日法要」
に集まった平均年齢が70歳前半。 去年の暮れに、既に亡くなった一番上の
姉の連れあいが86歳で、49日法要の従兄弟は75歳で亡くなった。 日々、
わが身に近づいてきた実感がする。一日でも健康で長生きしたいが、死ぬまで
は生きている。古希をこえれば、チョッと前か、チョッと後の話。生きてきた、
ように、そのまま人は死んでいく。身近な死を目の当たりにすると、少しでも
後がよいと思うが・・ で、これまた丁度よく、以下へと、物語がつづく!
 
・・・・・・
5177,閑話小題 〜ミニマリズム
2015年05月18日(月)
   * あなたの中で何をしているのですか
 イタリア作家のタブッキの、『インド夜想曲』の中で、その「僕」は、
ピントという名前のポルトガル人を探して旅をしているらしい。ポンペイ、
マドラス、ゴアへ。 その中の一文が印象に残った。
≪「漂泊の旅」などといいうが、旅の無意識の目的とは、今までの自分を失くし、
 新しい自分に出会うことなのかもしれない。・・ 深夜の駅で、「僕」と死を
目前にした、「インド人の紳士」が、どこかぎくしゃくとした会話を交わす。
「この肉体の中で、われわれはいったいなにをしてるのですか」
「これに入って旅をしてるのではないでしょうか」
「なんて言われました?」 「肉体のことです」と僕はいった。
「鞄みたいなものではないでしょうか。われわれは自分で自分を運んでいる
 といった」 みずからの影に運ばれるわたしは黒いケースにおさまった
ヴァイオリンそのもの。≫
▼ 死を悟り、「この肉体を与えられ、それを使って、この人生で何をして
 きたのだろう?」と思うとき、「あ〜長い旅をしてきた! しかし、一瞬
だった気がする!」」と思うのだろう。「私たちは地球上に、一回限りの
70〜80年(平均)の旅行にきている」のである。そこで、互いに首輪の
紐を引っぱりあい、世界を見ようとしない人たちを、『世間びと』ともいう。
 で、以下のミニマリズムに繋がっていく。
   * ミニマリズム
 最近、「ミニマリズム」なる言葉を知った。 その意味とは、
<最小限主義で、無駄をそぎ落として最も重要なことにフォーカスること。>
 人生の夕暮時に入り、ミニマリズムを本格的に取り組まなくてはならない
時節ということ。 母親を看送った51歳の節目に、人生のギアを入替えた。
そのコンセプトが、
「還暦までの9年間に、80歳までの30年分を10年に圧縮して生きる」と、
濃厚な日々として過ごした。それが次の事業清算の決断?に繋がっていく。
そして、次の最重要事項が「死に準備」である。この20数年以上にわたり、
「死に関する本」を読んできたが、死ぬときは、七転八倒の苦しみの中で、
漆黒の闇に消滅していくしかない。ただし、その直前までは活ききればよい!
・・・・・・
4812,閑話小題 ーシネマ『それでも夜が明ける』
2014年05月18日(日)
   * シネマ『それでも夜が明ける』 ー評論
 一昨日はシネマの日。今週は『それでも夜が明ける』を、みた。評)90点
暗い内容だが、重厚で、アカデミー賞の作品賞をもらうだけのことはある。
南部の奴隷が動物並みに扱われていた実態は、それは酷い。中南米諸国の
アスリストの身体能力が高いのは、奴隷としてアフリカから運搬船で送られる
船中で、まず淘汰。その後、過酷な肉体労働で生き延びた人たちから、さらに
選び抜かれているため、異常に高い身体能力があるという。当時の南部では、
家畜として見ていたようだ。 インドのカースト制は、三千年前に西の方から
やってきたアーリア人が、ヒンズー教を創りあげ、肌の色で階級をつけた仕組み
で、そのミックスを防ぐのが目的で、現在も、そのまま続いている。 白、赤、
黄色、ねずみ色の順に、見た目だけで階級が判断できる。その上に体格も、
顔つきも、そのまま三千年の歴史が現れ出ている。最下層は、牛以下で、車で
はねても、そのまま立ち去ってしまう。先進国、後進国の格差も、似たような?
 3年前の節目時の日々は、『それでも夜が明ける』そのもの。 
『闘い済んで日が暮れる』である。ただ、面白みと味わいもあったが・・差別?、
軽蔑の視線をモロに受けてみて、「成るほど、こういうものか」という逆視線と、
経験したことのない怒りと、その対処法の知恵も出てくる。いちいち怒って
いられないので、その場でイメージで消去してしまう。それで相手への憎しみも
怒りも、その場限りで不思議なことに消えていく。 消去方法は?企業秘密。
で、再び怒りが出てきたら、その都度、小まめに消去する。10回もすれば、
ほぼ消去。百回なら大病、事故? 何度も書くが、避難先の高台(現状)から、
外海に押し寄せてくる大津波に、ただ、漫然としている人たちの姿が見える。
三分の二は助かるが、三分の一は、間違いなく飲み込まれる。危ない人ほど、
自分は大丈夫とタカをくくっている。 この映画の主人公のように、ある日、
突然騙され南部に売られ自由を失った主人公のように、突然、全てが失われる。
これは、社会的変動だけでなく、誰にでも起こる生老病死の問題もあるが。 
国家としての行き先は、現在の韓国のように、韓国内の企業の株式の8割が
外国所有になって、民度は落ち続け、客船沈没事件とか、得体の知れない宗教
団体の跋扈とか・・ それでも、かの国の夜が明けている。 
色いろ考えさせられた映画である。
・・・・・・
4445、早朝座禅
2013年05月18日(土)
        「早朝座禅ー 凛とした生活のすすめ」山折哲雄著
 この本を読んで直ぐに30分早く起きて、早朝座禅を取り入れてみた。
まずは、今月一杯は続けてみるが、どうなるか。今のところ抵抗感も、
異物の習慣といった感もない。もう40年以上も朝起きの習慣化があった
上に、その時間帯での全てがカタチを変えた瞑想みたいなもの。
朝の散歩やミニサイクリングは、移動座禅といってよいほど。何故、今まで
軽い気持ちで早朝座禅か、瞑想を取り入れなかったのが不思議なくらい。
 30年間の新幹線通勤の往復一時間が、瞑想に近いし、夜半の4時間の
爆睡後の一時半から4時半までの三時間は、瞑想に近い状態になるので、
あえてその必要が無かったこともある。しかし姿勢を正し、目を瞑り、
思いに捉われないで、覚醒した気持で正座をするのとは違うのは、
経験して初めて知ったこと。
ーまずは、(内容ーアマゾン)よりー
< 現代ほど「人間関係」の重要性が説かれる時代もない。家族、学校、
 会社、それぞれにおけるコミュニケーションの大切さが謳われる一方、
疲れた人やうつ病は増え続け、自殺者は九年連続で三万人を超えている。
著者は、疲れたときには「群れ」から離れて「ひとり」になってみよ、という。
毎朝、五分坐って、己の心と向き合う。正しい姿勢で、深い呼吸をする。
季節の風を胸元に入れながら、歩く。ときには庭にたたずみ、河原で風に
吹かれる。ひとり静かに自分自身や自然と向き合うことが、騒々しい人間
関係の疲れを取り、豊かな人生を手に入れる最良の方法。凛とした生活を
送るために大切な身体作法を実践的に説く、山折流・人生指南の書。>
   =概要をマトメルと=
≪ 現代社会にあふれる‘うつ’の現象を分析し、
○過去に人生モデルが見つけられない程の高年齢化。
○宗教的な感覚が欠如した口先だけの言葉の群れの氾濫。
それが、世の中に不安をもたらすモノノケとなり、うつを蔓延させている。 
回復には、ひとりで静かな中で早朝坐禅をし、モノノケから自由になり、
歩く・泣く・眠るという3原則が大事とのこと。 宗教は非日常性。
教会でもお寺でも、日常の気持ちから離れ、心を改めて参拝します。 
一方、俗人の日常は、非宗教です。宗教者とは違い、生活に宗教性は薄く、
実生活を営んでいきます。著者にとっては、この場は混ざり合っていて縦横に
歩ける無境界地帯のよう。早朝坐禅は、無念無想のために坐るのではなく、
むしろ雑念妄想を吐き出させ、それ以後の1日をスッキリ生活させる為の手段。
またチベットの寺院の真似をして、呼吸さえ密やかにする坐禅中に、茶を喫する
などその自由闊達な動きは著者独自のもの。頭の中に湧いてくる雑念をそのまま
流れに任せ感じ、そのまま受け入れる。嫌な事でもいい事でも想像の中で、
いろいろ出来る。著者は「疲れたときには‘群れ'から離れ‘ひとり'になれ」と。
そして自分の心と向き合って深呼吸をする。人間が自分を不幸だと感じるとき、
それは絶対的な不幸をいうのではなく、「幸福な他人」との比較による相対的な
不幸について言っている。 あらゆる不満は他人と比較で生じると。≫
▼ 創業の第一歩は、「ひとりになること」から始まる。心にイメージした絵に
向かい、ただ独り長年かけ準備をしていく。周囲が現在のことに無我夢中の中で、
一種の宗教のように自分が目指す、創業に向かい一つずつ、パーツを集める。
傍からみたら一種の狂人に近い心の状態。それでも続けていると、カタチが
少しずつ現れてくる。問題は前進を止めないこと。 その中で、心の芯に
「ひとり」を保っていないと、現象に流され、群れに同化してしまう。庭弄り
とか、散歩、一人旅、読書など、「ひとり」になる切り口は幾らでもある。
それでも、モノノケに縛られる。早朝禅か、瞑想の習慣は最も有効だが。 
  さて30分の野狐禅が身につくかどうか? 
・・・・・・
4071, 哲学で自分をつくる ー1
2012年05月18日(金)
     「哲学で自分をつくるー 19人の哲学者の方法 」 瀧本 往人 (著)
 実をいうと、この本、トイレに一年間以上、置いておき毎日読んでいたもの。
これを手に取ると自分の本音を見透かされてようで、切り口が素朴で日常的の
ため面白い。あまり知られてない、こういう掘り出しものが哲学書には数多ある。 
門前で野狐禅みたいなレベルで知識を弄んでいる輩(私)に、噛み砕いて教えを
説かれているようである。
   ー内容ー
 ソクラテス、ニーチェ、ウィトゲンシュタインから、フーコー、ドゥルーズ、
デリダまで、19人の哲学者の思想・人生のエッセンスを、現代に生きるリアルな
問いに置き換え、今を生きぬいていく方法を学ぶ。(読者評価) 19人の哲学者
たちの声に耳を傾けつつ、もう一度自分自身の頭で考えるということから
始めてみよう。確かに悩みや不安を宿命として受け止め肯定的に捉えるのは
容易なことでは無い。しかしそのために考えることを生きていくことの
力とする哲学というものが存在する。もっと哲学という方法を、すなわち自分で
考えるということの強度を信頼しても良いのではないか・・。著者はそうした
問題提起の下、それぞれの哲学者に成り代わって現代の読者との対話を試みる。
しかし本書は哲学者を高みの存在には置かない。また、昨今の入門書のように
デフォルメもしない。あくまでも彼らがそれぞれの時代を生きた一人の人間であり、
一人の生活者であったことに軸足を置いている。このニュートラルな哲学者の位置
づけによって、それぞれの哲学者に瑞々しい生命力が与えられ、彼ら哲学者と
現代に生きる我々との問題意識が決して隔てられたものではないという親近感を
得るのに役立っている。
  ーはじめにー の冒頭が、この著書の特徴と狙いを書いているー
【 あなたには、自分らしくありたい、人に認められたい、自分のことを
 分かってほしい、世の中で成功したい、幸せになりたい、金持ちになりたい、
モテたい、死にたくない、もっと真っ当に生きたい、といった積極的な意欲が
あることだろう。もしくは、とにかくモヤモヤしている、何もかもが信じられない、
人づきあいが面倒、生きるのがつらい、何もしたくない、誰かなんとかして、
といったような、消極的な感情もあるかもしれない。過去の哲学者たちがもし、
今、ここにいて、21世紀に生きる私たちの、そういった悩みや葛藤を聞いたなら、
はたしてどうなるのか。どのように聞きとり、どのようなことを語ろうとするのか。
「街の意見」をぶつけられた哲学者が応えるようなスタイルで本書は書かれている。 
本書は、あなたに「哲学する」ことを勧める。 ここで言う「哲学する」とは、
生きてゆくうえでの「思考の力を磨くこと」である。既存の哲学を単に解釈したり
理解することではない。日常的に哲学的な問いかけを行い、生きることに役立てる
こと、つまり哲学を使って「自分」をつくるということである。】
▼ 我々にとっての疑問、悩みを歴史上の哲学者が答える形式は分かりやすい。
 我々が日常で悩んでいることや考えていることは、全て過去の哲学者が考えて
きた一部の悩みでしかない。19人は哲学者の中でも選りすぐりの人たち。
彼らのいっている真理は現在でも、そのまま通じること。最近、気づいたことは、
私の人生はニーチェに大きく影響されていたようだ。この生活者としての生の
内面の疑問に19名が答える形式は哲学を身近に引き寄せる。
残されて人生、とにかく考え続けるしかない。
  ・・・・・・・
3705, ジャズについて −4
2011年05月18日(水)
              ー 「音楽の本」三枝成彰著 より
 1920年代に「ビッグ・バンド・スタイル(4人位のバンド編成が、
15人を超える大編成)」が受けるようになった。その巨人が、あの
デューク・エリントン。ジャズの世界を知れば知るほど、面白い。
  * ビッグ・バンド・スタイルの流行
【 ジャズの中心がその生誕地ニューオリンズからシカゴに移っていた
 二〇〜三〇年代、ニューヨークやカンザス.シティでは、大編成による
ビッグ・バンド・スタイルのジャズが流行した。トランペット奏者、サックス
奏者、トロンボーン奏者がそれぞれ四人程度、それにピアノ、べース、ドラム、
ギター奏者が一人ずつの編成し、クラシックの楽団には比べるべくもないが、
それでも、一五人を超えるメンバーからなるビッグ・バンドはニュー・
ーオリンズ・ジャズの編成(一般的にはコルネットット、トロンボーン、
バンジョー、ピアノ、ベース、ドラム各一人)に比べればはるかに大規模
だったし、現在でもトリオ(ピアノ、べース、ドラム各一が基本)か、カルテット
(ピアノ、べース、ドラム各一にトランペットかサックスが加わる)がジャズ演奏
の主流であることを考えれば、大編成と呼んでもいいだろう。 
そのビッグ・バンド・スタイルを確立させたのは、フレッチャー・ヘンダーソン
(一八九七〜一九五二)。しかし、ニューヨークの黒人居住区であるハーレムの
ポールルーム(ダンスホール)やクラブを拠点に活躍したビッグ・バンドの巨人
といえぱ、デューク・エリントン(一八九九〜「九七四)をおいていない。 
本名エドワード・ケネディ・エリントン(デュークは公爵という意味のニック
ネーム)は、あとで触れるマイルス・デイビスに、「あらゆるミュージシャンは
彼に感謝を捧げる日を持つべきだ」といわしめ、フランスの作家ポリス・ヴィアン
をして、小説の登場人物に、「かわいい女の子たちとの恋愛と、デューク・
エリントンの音楽。それ以外は消え失せたっていい。醜いんだから」と語らせた
人物である。「A列車で行こう」「黒と茶の幻想」「ソフィスティヶイテッド・
レディ」「サテン・ドール」・・・。ジャズ・ファンならずとも耳にしたことが
ある名曲.名盤を数多く残し、自らもピアン奏者であったが、彼の真の楽器は、
自分の楽団そのものだったといっていい。アーム・ストロングと同じように時代や
国に影響を与えた彼は、アームのソロイストとは対照的に、優れたバンドリーダー
であった。エリントンにとって、バンドのメンバーはさながら絵の具のようであり、
それぞれ個性という色を混ぜ合わせて、最終的には「エリントン風絵画=楽曲」
に仕上げることに長けていた。】
▼ そうこうジャズについて知ると、学生時代に、こういう本があれば、
 もっとジャズ好きになっていた筈である。エリントンの70年の録音された
「ニューオリンズ・スイート」は、その地と縁もゆかりもない彼が、ジャズの
発祥の地に敬意を表したアルバム。アメリカ発の魂の歌と言うことができる。


5906,閑話小題 〜回転(回らない)寿司

2017年05月17日(水)

閑話小題 〜回転(回らない)寿司

   * 回転(回らない)寿司
 TV番組のレポートで、回らない回転寿司のレポートを知っていた。
それが近くにできたSC内の一角にオープンした。歯医者がたまたま目の前
で昼時だったこともあり、一人で入ってみた。注文の全てがパネルタッチ方式で、
既存のパネルだけで発注するシステムと思えばよい。客の立場から一番良いのが、
厨房から握りたての寿司が数秒で目の前に届くため美味しさが違う。シャリが
立っていて街中の寿司屋のようだ。回転寿司といえば、目の前に次々と回って
くる皿を取るが特徴だが、握られてから手に取るまでに平均10分?は要する。
しかし、これは口に入るまで、1分そこそこ。 美味いのは当り前。これでは、
従来の寿司屋はますます廃れる。あと5年もしないうちに、8〜9割方は、これに
とってかわる? 
   * つれづれに
 毎日、スケジュールどおりに変わらない日々を過ごしているが、その中の柱が、
この随想日記を書上げること。これまで人生で起こったことと、日常の全てが
テーマのネタになる。過去のネタと、日々のネタを仕入れ、縫い上げる物語化
するのに頭が一杯。しかし、これも慣れてくると面白い。いや、面白くなった
が正直のところ本当。一寸したことで、落ち込みそうになるが、それも、物語化
をして面白がることで、何とか乗りきっている。これを書き続ける効用の一つが、
マイナスの出来事を、プラスに変容できること。 表現は、他人をも救うが、
自分も救ってくれる。たしかチャップリンが、映画の中で言った言葉、
<死は避けられない。しかし、生もまた避けられない>があるが、
避けられない生ならば、それを目一杯楽しむしかない。で、周囲からしたら、
奇妙な老人が、何かバカをしている? だけとしても、楽しければそれで充分。

・・・・・・

5541,閑話小題 〜 『ルーシー』

2016年05月17日(火)

     * 『ルーシー』
 先日、『ルーシー』をTVの再放送で観たが、半年に一回位は放映されている。
もう4〜5回はみている。私も微細だが、何か面白い特殊能力がある。誰も、
個々に特殊能力、いや脳力があるが、気づかず見逃しているだけ。この映画、
見る度、その面白さが増していくのも珍しい。それにしても、映画は面白い! 
 〜まずは、その内容から〜 【ストーリー】
≪ マフィアの闇取引に巻き込まれたルーシーは、特殊な薬が入った袋を体に
 埋め込まれ運び屋にされてしまう。しかし、体内で薬が漏れたことで彼女の
脳機能は驚異的に覚醒。脳科学者ノーマン博士が見守る中さまざまな能力が
超人的に目覚める一方、少しずつ人間性が喪失、自ら制御できなくなっていく。
『レオン』や『ニキータ』などクールなヒロイン像を打ち出してきたリュック・
ベッソン監督と、スカーレット・ヨハンソンが初めて組んだアクションスリラー。
体内に埋め込まれた特殊な薬が漏れたことで脳機能が驚異的に覚醒し、
人間離れした能力を発揮し始めるヒロインの暴走を描く。通常は10%程度しか
機能していない脳が、100パーセントへ向かって覚醒していくヒロインを見守る
脳科学者役に、オスカー俳優モーガン・フリーマンがふんする。≫
▼ 西アフリカを南に下っていく道すがら、面白いところがあると立寄った
 数軒のテントの店が全て、呪いに使う小道具だけを扱う店だった。当時は、
民度が低いアフリカの地方の一現象と見ていたが、どうだろう、案外に効果が
あるのかもしれない。変と思われるかもしれないが、この5年間、いや人生の
節目ごと、直接、私の心の傷口を蹴り上げてきた人の8〜9割が人身事故か、
大病か、ごく近い親族が倒れ寝たきりとかになる。あとの1〜2割は、それが
入ってこないだけと思っていたが、その数人が、ごく最近・・? 自分でも
恐ろしい? 元もと不幸な性格の人が、他者の傷口に、自分の傷口の血を擦り
付けるため、それが膿んで、自分の傷口に毒が悪化するため。こんな映画を
数回も見るため、因果をつけた筋書きをしているだけとしても、実際に、何か
あるのでは?と・・ 人を恨ばま、穴二つ、いや無数! 逆に、恨まれている
憶えは数限り? それでも何とか、健康に?生きている。毛沢東、スターリン、
ヒットラーなど、狂い死にしてよいはずだが、そうでもない。とすると、
これは私の創作した馬鹿話! がオチ。 でも不思議だが、娑婆は妄想である。
 
・・・・・・
5176,人生相談という気晴らし! 〜�
2015年05月17日(日)
             『人生、しょせん気晴らし』中島義道著
 さすがの個人主義の哲学者も、老老介護の相談には歯切れが悪い。
介護の世界は複雑で、根深い。極限の場面で、真実を知ったところで、
せめて、気晴らしになるぐらい。最期の最期は、宗教に頼るしかない?
≪ Q:  〜老老介護から人の〈生〉と〈制度〉を問う〜
 私は七十四歳の女性。以前の「死ぬ作法」の記事を読み考えるところが多く、
質問させていただきます。私は現在、九十五歳の母親の介護をしております。
昔であれば一番上の子供が還暦を迎えるころには親は天に旅立ってゆくもの
でしたが、医療の進歩もあり、寝たきりであっても延命治療が続いております。
世間では後期高齢者医療制度が問題になっていますが、むしろ末期の医療現場を
考えていただきたいと思っています。人が生きるとはどういうことであるのか、
死に近い位置から医療をはじめ生きるということを見直すことが必要ではないか
と思っております。哲学のご見地から、寝たきりとなった高齢者の生、死について
何かご示唆いただきたくお願いします。ちなみに私の兄弟三人は皆、病に倒れ
入院生活を送っています。私が倒れたら、どうすればいいものか不安で一杯です。
  A:  〜われわれは「生きている」ことの意味が分からないのです〜
これは大変難しいご質問です。私も大学でここ十年ほど「生命倫理」の講義を
受け持ちましたが、さまざまな学説を紹介することはできても、自分の意見を
言えといわれると、とたんに分からなくなる状態です。 逃げのようですが、
あなたのご質問に対して「哲学の見地から」何の示唆もできない、と言うほか
ありません。哲学は人を救えないものです。正確に言えば、世界とは、私とは、
時間とは、善悪とは、何か分からなくて悩んでいる人をある程度救えますが、
幸福になりたい人を救う能力は皆無だと確信しています。むしろ、哲学とは
不幸になってもいいから真実を知りたいという欲望をもっている人にのみ
開かれている。真実は必ずしも人々に慰めや、平安や幸福を与えるわけでは
なく、逆に不安や不幸を与えるとしても、あえてそれを追究するのですから、
相当ヘンな欲望ですね。そもそも、われわれは「生きている」ことの意味が
分からないのです。ですから、生きているほうが、死んでいることより「いい」
ことを論証できないのです。哲学は「いかに」生きるか「いかに」死ぬかを
教えることはできず(それを安直に言い出す哲学者はニセモノ)、人間が死ぬ
ことの意味そのものを問い続けることができるだけです。私も人間ですから、
直観的に「人を殺してはいけない」とか、「老人を虐待してはいけない」という
ことは理解できますが、さらに「なぜ?」と問うと途方に暮れてしまいます。
まさに、ここに問題を見出す人のみが哲学に突き進むのであり、そんなことは
何の問題でもない、目の前に苦しんでいる人がいれば助けるのがあたりまえ
ではないか、という考えの人は決して哲学の門にはいらないでしょう。・・ ≫
▼ 難しく、深刻な問題だが、決して他人事ではない。人生の最期は、決して
 不幸から逃れることが出来ない現実がある。それに対し、「南無阿弥陀仏」か、
「南無妙法蓮華経」と唱えるしかない。哲学は、「ことの道理」を追求すること
が出来ても、人を救うことは出来ない。ということは、人生相談に、哲学は
向いてないことになる。だから、逆に質問の内容そのものの甘さを指摘して
納得させるのが、ベストになる。『人の心の問題は、ほっとけ!』と。
・・・・・・
4811, Quirt <内向型人間の時代> ー2
2014年05月17日(土)
               <内向型人間の時代>スーザン・ケイン著
  * 内向型人間は二流の性格特性か?
 外交型人間の代表といえば、特にイタリア、スペインなどの南欧の人たち。
逆に内向的人間の代表はフィンランド人を代表にした北欧の人たちからみて、
季節要因と食料が大きく影響しているのが分る。黒夜の時節、15時になれば
真っ暗になれば自殺率が高いのも当然である。冬期間に雪に閉ざされ、内向き
になる秋田、新潟の自殺率が高いのと似てる。外交型人間を理想とする価値観
の中で、内向型人間は、一段も二段も低く見られるため、どうしても隠したがる。
  ーその辺りから抜粋ー
《 今日、社会が求める性格タイプはごく狭い範囲に設定されている。
 成功するには大胆でなければならない、幸福になるには社交的でなければ
ならないと、教えられる。 私たちはアメリカを外向型人間の国家として見て
いるが、それは必ずしも真実ではない。どの研究を見ても.アメリカ人の三分の一
から二分の一は内向型である。言い換えれば、あなたの周囲の人々のうち二、
三人にひとりは内向型なのだ(アメリカが有数の外向型の国のひとつだとすれば、
世界にはもっと内向型の比率が高い国々がある)。あなた自身が内向型でない
としても、家族や学校や職場に何人か思いあたるだろう。もし三分の一から
二分の一という統計に驚きを感じるのなら、それはたくさんの人が外向的のふり
をしているからだ。隠れ内向型は、学校の運動場や高校のロッカールームや
大企業の廊下に気づかれずに生息している。なかには自分自身までもすっかり
騙していて、なんらかのきっかけで、たとえば、失業、子供の親離れ、遺産が
転り込んで時間を好きに使えるようになったなどで、ふと自分の本来の性格に
気づく人さえいる。この本の内容を友人や知人に話してみれば、思いがけない
人が自分は内向型だと思っているとわかるだろう。 多くの内向型がそれを
自分自身にまで隠しているのには、それなりの理由がある。私たちは、外向型
の人間を理想とする価値観のなかで暮らしている。つまり、社交的で先頭に
立ちスポットライトを浴びてこそ快適でいられる、そんな自己を持つことが
理想だと、多くの人が信じているのだ。典型的な外向型は、熟慮よりも行動を、
用心よりもリスクを冒すことを、疑うよりも確信することを好む。たとえ悪い
結果を招くかもしれないと思っても、すばやい意思決定を優先する。
チーム行動を得意とし、グループ内で社交的にふるまう。私たちは個性を尊重
すると言いながら、ひとつの特定のタイプを賞賛しがちだ。その対象は
「自分の存在を誇示する」のを心地よく感じるタイプなのだ。もちろん、
テクノロジー分野の才能があって自宅のガレージで起業するような人なら、
一匹狼だろうとどんな性格だろうと許されるが、それはあくまでも例外で、
そういう特例として認められるのは大金持ちか、そうなると約束されている
人たちだけだろう。 内向性は、その同類である感受性の鋭さや、生真面目さ、
内気といった性格とともに、現在では二流の性格特性とみなされ、残念な性格
と病的な性格の中間にあると思われている。外向型を理想とする社会で暮らす
内向型の人々は、男性優位世界の女性のようなもので、自分がどんな人間かを
決める核となる性質ゆえに過小評価されてしまう。外向性はたしかに魅力的で
あるがゆえに、押しつけられた基準になってしまっていて、そうあるべきと、
大半の人々が感じている。・・・ 》
▼ 戦国時代の、信長、秀吉、家康を、この性格分類からみると、信長と、
 家康は内向型で、秀吉は外交型になる。家系と、家族と、連れ合いなどの
環境も、大きく左右してくるが、豊かさと、知識も多分に影響してくる。
 学生時代の、ある時期から、面白いように次々と小さな殻が壊れていった。
その一つが、父親が私の牛小屋のような寮に来て、その見窄らしい生活に驚き、
仕送りを二倍にしてくれた頃に、欧州旅行と、ゼミの影響もあって、外交型に
自分が変化していった。当時、仕送りが二倍になるのは、日常が根こそぎ
変わることでもあった。 ーつづく
・・・・・・
4444, 過去の意味は変えられる
2013年05月17日(金)
  * 過去は変えることはできないが、過去の意味は変えられる
 何気ないが心に響く言葉、「過去は変えることはできないが、過去の意味は
変えられる」がある。40年近い事業人生と、この結末を如何に受容するか。
所詮は、人生も事業もバブルと、その崩壊過程の側面がある。何事も始まりと
終わりがある。その行蔵は残るが、変えることはことはできないが、意味は
変えられる。それは、自分が何を目指すか、楽観的か悲観的か、などで意味の
捉え方で変わる。過去の意味(価値)を変えることは、未来と現在に対する
考え方を変える。過去を結果に言い換え「結果は変えることはできないが、
結果の意味は変えられる」として、人生、事業を総括すると多くの視点が
見えてくる。現在こうして存在していることは奇跡である。
全てがベストであったから今の私が、ここに存在している。
(この宇宙、地球、人間など全てだが)それでは「過去の意味を変える」とは
如何なることか。意味に近い言葉に価値がある、意味=価値として考えてみる。
価値とは、その人にとっての優先欲求、優先順位でもある。ということは、
何を目指しているかに行きつく。過去の価値は、現在の価値で解釈が変わって
当然、作り変えられ、加工される? 歴史が、時間と共に解釈が変ると同じ。
意味には真実も含まれるが、その真実もあてにならない。当人が信じていること、
それが真実といわれるケースが殆ど。そこで、真実と意味を辞書で調べると
・【真実とは、虚偽の反語。本当のこと、偽りでないこと。歪曲や隠蔽や錯誤を
 すべて排したときに明らかにされること。漢字の意味は、事柄の中身を開いて
 見たときに、実(じつ)として充満しているもの ...】
・【意味とは、表現に対する「なかみ」。意図するところ。表現(結果)を
 さかのぼる真意、意図、目的。ある現象(行為・言語・その他)に添付される、
 ある種の上位概念。】とある。
真実も、意味も、言葉の解釈で如何様に変わる。あるのは現在しかないとすると、
過去は記憶でしかない。その記憶も曖昧ときたら、成り立つ基盤は在って無い
ようなもの。「過去の意味は、現在の解釈で如何様にもなる」ということ。


5905,閑話小題 〜映画評:『スプリット』

2017年05月16日(火)

   * 『スプリット』〜映画評
 先々週末は行かなかったが、先週は『スプリット』をみてきた。評価:85点。
一人の男に24人の人格が宿って、監禁した3人の少女の前に次々に現れる。
恐いが、これが面白い。16年にわたり、随想日記を書き続けながら、同月同日分
を読み返していると、自分の中に、何人もの違った人格をみている心持ちになる。
人は毎日、進歩と後退をしながら変化しているのである。 その中で、50年近く
前の日記の内容に驚いてしまう。社会人になる前の使用前、リタイアの使用後
なら違って当然。「気持ちは大して変わってない」と思うのは、そう思いこんで
いるだけ? 読み返す度に、若い時分に戻りたいとも思わない… 
 ≪ 〜『スプリット』 あらすじ
級友のバースデーパーティの帰り、車に乗った3人の女子高生。見知らぬ男が
乗り込んできて、3人は眠らされ拉致監禁される。目を覚ますとそこは殺風景な
密室…彼女たちはその後、信じがたい事実を知る。ドアを開けて入ってきた男
はさっきとは違う異様な雰囲気で、姿を現す度に異なる人物に変わっていた―
なんと彼には23もの人格が宿っていたのだ! そして、さらに恐るべき24番目
の人格が誕生すると、3人は恐怖のどん底に。≫
▼ 内なる他者?が存在して、どれが主体人格かさえ分からない人が、世の中
 に現に存在している? 政治家など、理想の政治的リーダーを演じて票に
する日常。頭にあるのは、票とお金のことばかり。集金の主体は、汚職ぎりぎり
の塀の上の美味しい取引しかない。 で、主体人格が、まず歪む。
 演じる理想的政治たる表の顔と、それを演じる主体人格の間の皮膜の中に
自分の個性をつくるしかない政治屋タレント。心の底に、多重の人格が育つのも
解らないでもない。 24人目の人格が、人間の奥底に潜む、モンスターのような
強固の人格がオチとして現れ出てくる。 映画は面白い!
 多重人格を検索したが、これが面白い。 近くテーマにする。

・・・・・・
5540,ドーキングスのセックス機械論
2016年05月16日(月)
 カントを頂点とした欧米の哲学の世で、< 生物の身体は遺伝子(DNA)を
運ぶ箱である>などと主張すれば、袋叩きになって当然の事。人は神様が
おつくりになったと信じて疑わない国柄の米国だから顰蹙をかって当然だが、
ドーキングは、「セックス機械同士が交わった結果、子供が生まれ、子々孫々、
遺伝子が生き繋いでいく」と言い切る。この論からすると、死後の世界とか、
生まれ変わりや、「自己存在とは何だろう?」など、考えることが馬鹿くさく
なる。 たまたま、やばい我々?の身体に、遺伝子が取りついただけ?
         ーエピソードで読む西欧哲学史:堀川哲著ー より
≪ ☆ 利己的遺伝子
1976年、オックスフォード大学の動物行動学の教師、リチャード・ドーキンス
(1941〜)が『利己的な遺伝子』という本を出した。ドーキンス、35歳であった。
この本は現代のダーウィン主義を要約したものであるが、ドーキンスの文才も
あって、センセーショナルな反響を呼び起こした。
 彼は、「神も仏もあるもんか、生物はセックス機械にすぎない」という。
ドーキンスは特に宗教を攻撃して罵倒するものだから、特にアメリカでは
超顰蹙であった。ドーキンスがアメリカで講演しようとすると大変である。
硬派のキリスト教徒たちが「くたばれドーキンス!」と叫んで押し寄せる。
彼の理論自体は単純・明快である。「この本の主張するところは、われわれ
および、その他のあらゆる動物が遺伝子によって創り出された機械にほかなら
ないというものである」。 こうドーキンスは書いている。
生物の身体は遺伝子(DNA)を運ぶ箱である。よーく考えてみよう。
人間は、最初は一個の細胞である。お母さんのお腹の中に、微小な卵として
誕生するのである。 学校の生物の時間に教わったでしょう。
 細胞の核にはDNAという二本鎖がある。DNAは四種の塩基物質で構成される。
四つの記号でプログラムが書かれていると考えればいい。コンピユータ時代
にはそのほうがわかりやすい。DNAはA、T、G、C(塩基物質の名前の頭文字)と
いう四種の記号でプログラムが書かれるのである。
 人間には人間のプログラムがあり、ブタやダニにはそれなりのプログラムが
ある。私が何ものであるかは、このプログラムによって決定されるわけである。
 DNAのプログラムは自分が生き延びるように動く、そういうようにできている。
サバイバルの方法はといえば、それは自己の複製(コピ!)を作り出すこと。
私たち人間は有性生殖の生き物であるから、コピーの作業は異性との性交と
いう行為を通じて実現される。できるだけ多くのコピーを製造すること、これが
DNAの基本的機能である。DNAはそうするように作られている。雨が降るのと同じ。
 そのために、DNAのプログラムは私たちの身体を適当なときに発情させ、複製の
行為と駆り立てるのである。こうしで私たちは異性を追いかけ回すようになる。
人間誰でも年頃になれば、発情するようにプログラムされているということになる。
 ☆ 遺伝子は永遠だ
間違いなくいえることだが、私はいつか死ぬ。私の身体はやがて滅び去る。
しかし、私が子どもを製造する限り、私を製造しているDNAプログラムは
少し書き換えられて、子どもにコピー(複製)される。個体としての私は死ぬが、
私のDNAプログラムは、私の子どもがまた複製を作れば、永遠である。
私にとってはうれしくも悲しくもないけれど、そういうことになっている。
遺伝子DNAは利己的である。だから「利己的遺伝子」である。その意味は、
DNAは自己の複製を極大化するように行為する、そういうようにプログラム
されているということである。≫
▼ 30数年前になるが、犬のブリーダーが、生まれたばかり犬の子、7〜8匹の
 写真を見せてもらった時、それぞれの個性的な顔と姿を見た瞬間、「この子犬
たちは、以前存在した犬の遺伝子が、改めて、この世に現れ出てきた」と、
直感したことを憶えている。 もしかして、分霊の正体は遺伝子? たまたま、
自分とは、それに触媒の積み重ねでカタチつくられた存在に過ぎないのだ。
これを知っておくと、死に際の絶対孤独が和らぐのではなかろうか。同じか?

・・・・・・
5175,人生相談という気晴らし! 〜⑥
2015年05月16日(土)
           『人生、しょせん気晴らし』中島義道著
  * 老いた人の絶対的孤独との向き合い方は
 ここで、自分のしたいことを誠実に熱心に追及している限り、理解者は
出てくるというが、どうだろう? 今では、ブログなど、ネットで繋がることが
可能なので、ある程度の他者と繋がることが可能だが。
≪ Q: 〜年齢とともに肥大する孤独との向き合い方〜
 六十五歳の男性です。人間、歳を取るとだんだん孤独になるものだとつくづく
実感しています。若い頃は学才に恵まれていた男が、いつのまにか「俺は文化
なんてものには興味はねえ」と野卑な口調で本性をあらわしたり、デリカシーに
欠けていた男の品性がますますひどくなったり。さらには盟友が亡くなったり…。
そんなこんなで、私はこの七〜八年ほどの間に若い頃からの友人をあらかた
失くしてしまいました。孤独であることにもそれなりの味わいはありますが、
しかし、人生、いや歳を取るということは、かくも無漸なものなのでしょうか。
歳を取ることによって生じる、どうしようもない孤独にどう対応したらいいのか?
適切なるご教示をお願いします。
  A: 〜わずかでも心の通じ合える人がいれば絶対的孤独は避けられる〜
 私は「孤独」がそれほど嫌いではなく、「それなりの味わいがある」と思って
いますので、「どう対応したらいいか」に対する直接のお答えにはならないかも
しれません。あなたの問題にされているのは、主に「他人との関係」でしょう。
それにも二つあって、1つは、人間、歳を取ると「品性」がますますひどくなる
こと、そしてもう1つは、親しい他人や愛する他人が次第に自分より先に死んで
いって、だんだん心細くなること。前者については、私も同じ印象を持ってます。
私が同年齢の男女との付き合いをかなり切っているのは、―自分はともかく―
一般的に言って中高年の「醜さ」に耐え難いからかもしれません。それに加えて、
私は「哲学」なんぞに首を突っ込んでしまったので、50や60の「普通に出来
あがった」男たちと話すことは何もないと確信しているせいでしょう。
 この歳で、妙に哲学に擦り寄ってくる老人も嫌いです。大学の教師や研究者、
あるいは物書きをしていて気が晴れることは、若い学生たちや若い研究者たちや
若い編集者たちや若い読者たちとの「交流」が、適当にあることです。
もちろん、彼らの中にも「心の醜い」輩はいますが、私の周りには総じて
「心のきれいな」人が集まります。そう自分が厳選しているからなのですが。
このことは、第二の孤独にも通底しています。私の場合、特殊とも思いますが、
自分と同世代の男女との付き合いをほとんど完全に絶っていますから、という
ことは、小学校から大学までの同級生などとの交際はないので、誰が生き残って
いるのか、誰が死んでいるかさえ(連絡がないので)わかりません。それに、
私は目上の人との付き合いは(どんな恩人でも)苦手で、これもほぼ完全に切り
捨てていますので、目下、誰が死んでもいっさい葬式に行く義務はないのです。
別に老後の孤独に備えてこう準備したわけではありませんが、私はその時々で
一緒にいて心の通じ合える人がわずかにいればそれでいい、という「刹那主義」
に徹しています。どんなに歳を取っても、自分のしたいことを誠実にかつ熱心に
追求している限り、理解者は出てきますし、その限り絶対的孤独は避けられると
思いますが……。≫
▼ 著者から肩書をとったら、「醜悪なクレーマー」と思われる。
 これまでの著書を読んでいると、クレーマーとしての信じがたい内容が
リアルに書いてある。それはそれは・・ 特に街中や電車などの騒音に敏感。
それと、著書を出し、思いを表現していると、孤独感は半減する。中島の口癖、
「いずれ直ぐ死んでしまう!」は、亡くなった友人を自分に置換えると分かる。
『死んでしまえば、それまでよ! そんなことなど死んで3日も経てば・・』
・・・・・・
4810,Quirt <内向型人間の時代> ー1
2014年05月16日(金)
              <内向型人間の時代> スーザン・ケイン著
   * 内向型人間かどうかのチェックリスト
 私は、あまり外交的ではない。だから、事業創業の人生を選んだのである。
この書の冒頭にあった内向型リストで、○✖▽で、チェックしてみた結果、
20のうち、13が○、✖が3、どうだろう?▽が4で、明らかに内向的
人間である。家内は明らかに外交的人間と思っていたが、○が15に、✖が3、
▽が2で内向的人間には驚いた。専業主婦ということもあるが、驚きである。  
 ー以下、左が私、( )が私から見た家内である。
  ーまずはチェックリストからー 
           日本人、特に地方、北国は8〜9割は内向的人間? 
○グループよりも一対一の会話を好む      ○  (▽)
○文章のほうが自分を表現しやすい       ○  (✖)
○ひとりでいる時間を楽しめる         ○  (○)
○周りの人にくらべて、他人の財産や名声や地位にそれほど興味がないほうだ
                       ○  (○)
○内容のない世間話は好きではないが、関心のある話題について深く話合う
 のが好きだ。                ○ (○)
○聞き上手だと言われる            ○   (▽)
○大きなリスクは冒さない           ✖   (○)
○邪魔されずに「没頭できる」仕事が好きだ   ○   (○)
○誕生日はごく親しい友人一人か二人や、家族だけで祝いたい ○(○)
○物静かだ」「落ち着いている」と言われる       ○ (○)

○仕事や作品が完成するまで、他人に見せたり意見を求めない。▽(○)
○他人と衝突するのは嫌いだ              ▽  (○)
○独力での作業で最大限の実力を発揮する        ○  (○)
○考えてから話す傾向がある              ○  (○)
○外出して活動したあとは、たとえそれが楽しい体験であっても消耗したと
 感じる。                      ✖ (✖)
○かかってきた電話をボイスメールに回すことがある。  ✖ (✖)
○忙しすぎる週末よりも、なにもすることがない週末を選ぶ ○ (○)
○一度に複数のことをするのは楽しめない         ▽ (○)
○集中するのは簡単だ。                 ○ (○)
○授業を受けるとき、セミナーよりも講義形式の方が好きだ。▽ (○)
▼ 意外なことに、アメリカ人でさえ、2〜3人に1人は、内向的人間という。
 事業人生を30年以上、たずさわり、人との接触が多い仕事もあって、外交的
部分も多かった?反面、嫌な場面へ行かないで済む、自由もあった。逆に仕事上、
内向的姿勢も求められたこともあった。家内の友人に、極度の内向型人間がいて、
その話を度々、聞くことがあった。内向的にも、暗いのと、明るいのがいる。
冷たいのも、温みがあるのもいる。携帯パソコンが一般に普及した中、情報選択
と決断が重要になっているが、この時代だからこそ内向型人間の時代というのも、
説得力がある。ヨガブームというが、週二回、26ヶ月、参加して、成るほど、
内向き、精神性の時代が、実感できる。 高齢者は、どうであれ、内向きに
なりざるをえない。 ーつづく
・・・・・・
4443, ヨガと座禅の違い
2013年05月16日(木)
 毎週二回、スポーツジムの「ヨガ」に参加して14ヶ月、百回はゆうに
超えているが、回数を重ねるたび、身体も、気持ちも解れていく。学生時代に
野狐禅だが、六日町の雲頓庵で持ち込んだ卒論の種本を読みながら、合間に
広い禅室で独り座禅を組んだことがあった。ただシーンとした中、
「直ぐにでも止めようか」という気持ちと戦いながらのたった独りの座禅は、
永平寺での一瞬気持ちを緩めれば、禅僧に叩かれる状況より辛い。誰もいない
ため、直ぐ止めたい誘惑との闘いになる。ヨガで仰向けになり全身を弛緩する
「死者のポーズ」があるが、これは座禅の禅定に似ている。飛行機内の座席で、
耳栓をして姿勢を正し、次々出てくる思いを泡のように流していると、何かの
ゾーンに入ってしまい、10時間以上の時間がアッという間に過ぎてしまう。
ヨガは、瞑想で心を解すのが目的で、禅は、その状況から仏の悟りに近づく
ことにある。
ーヨガと座禅の違いをネットで調ベた、納得した3つをコピーしてみるー
《 人は疲れたときに目をつぶる事がある。そこで何かを思い浮かべながら
 瞑想にふける。この繰返しがヨガという。 このヨガはもともと
「軛(くびき)」ということで、牛に車を曳かせる腕木を指した。これが
次第に神の力に人間を結びつけることを意味するようになり、その修行法と
して智慧、愛、行、瞑想が重視された。一般にヨガと呼んでいるのは、
このうちの瞑想による神人合一の方法である。このヨガは紀元5世紀ごろ
には「ヨーガ・スートラ」を根本経典としたヨーガ派が独立してさかえ、
完全性をそなえたひとつの霊魂を最高神としてあがめた。このヨガの修行法
が仏教にも広く取り入れられてきた。それが坐禅につながっていく。 》
《 ヨガと坐禅は、まず姿勢を正して、呼吸や五感(眼、耳、鼻、舌、身)
 を整え、誘惑をさけ、精神統一するのはどちらも同じ。ヨガは、これに
よって初めて超自然的な力が得られ、対して禅は「禅定」に深くかかわり、
静けさを求める。禅とは(ジャーナ、禅那)という梵語の音写で、釈尊の
悟りを追体験して”身心脱落”し仏の境地になりきり坐禅をすること。
禅は「無」を標誘し功徳や利益を求めない。ひたすら足を組んで坐禅をする。
ヨガは神人合一して身心の健康を増進させる。 》
《 ヨガは、インドに古くからあり、ウパニシャッドと言われる古代インドの
 哲学書にも出てくるもので、瞑想や呼吸法、座法などによって心身を鍛える
事で、心の動きを抑制する方法として古くから用いられた。後に、ヨーガ学派
という哲学集団によって、解脱への実践方法として体系化されていったと
言われています。そして仏教においても、このヨガは悟りへの実践方法として
用いられ、釈尊も、瞑想によって真理を悟ったと言われますし、「瑜伽行」
という修行法として確立されました。現代のヨガも、もともとはそのインド
独特の修行法をアレンジしたものですから、仏教の修行とヨガとは、出発点は
同じであると言えるでしょう。違いと言えば、仏教における修行は、さとりを
目指す為の方法であり、現代のヨガは、心身の健康維持のためのもの、という
点でしょうか。座禅とヨガとの関係についてですが、ヨガは、座法や呼吸法を
盛り込んだ、精神統一の方法でありますし、「禅」といいますのは、「禅定」
つまり精神統一をし、真理を観察することであって、「座禅」は座法や呼吸法を
用いた「禅定」一つの方法ですから、根本的な部分で同じ要素を持つ。 》
▼ ヨガは座禅と出発点が同じ「座法」「呼吸」を盛り込んだ精神統一の方法に
 対し、座禅は精神統一を通して真理を観察するもので、少し意味合いが違う。
腰痛持ちの私にとって、週二回のヨガは腰痛緩和の自己マッサージ治療。
私の腰痛は完治はないが、仲良くするのは可能。その方法がヨガに多くある。
手軽なベストの場が見つかったもの。たまたまー「早朝座禅」山折哲雄著ー
を見つけ読んでいるが、数日前から、30分早く起き、早朝座禅を取り始めたが、
これが良い。4時から7時までは、正にゴールデンタイム。
60年以上溜まった毒出し、矯正の時間でもある。


5904,『しあわせ仮説』 −7 

2017年05月15日(月)

             『しあわせ仮説』ジョナサン・ハイト著 
    * 適応原理の機能とは
 考えられる最善も、最悪のことも、あまり変わらないという。人間は直ぐに
適応し通常状態に戻るためである。30歳半ばまで自己配転をしてきた中で、
常に「そのときは、そのとき、何とかなる」と不安と恐怖心に押しつぶされない
ように暗示をかけ、何とか乗越えてきた。適応原理が、その度に、働いたていた。
崖っぷちには知恵が湧き出て、底知れぬ力が働く。火事場の馬鹿力である。
《 適応原理の機能は、以下のように機能する。
 現在の自分の状態に関する判断は、自分が慣れている状態よりも良いか悪い
かに基ずく。適応は、部分的には、単なる神経細胞の性質である。それは
新しい刺激に対しては活発に反応するが、徐々に「馴化」し、馴れてしまった
刺激に対しては殆ど発火しなくなる。生命の関わる重要な情報を含んでいる
のは「変化」であり、安定状態ではない。しかしながら人間は、認知的は極限
に対し適応してしまう。私たちは、単に慣れるだけでなく、再調整をする。
私たちは、自分のために多くの標的を創り出し、その標的の一つに当たるたびに、
それを別の標的へと置き換えていく。一連の成功の後には、目標を高くするし、
首の骨を折るような大きな挫折の後は、目標を低くする。 …(略)
 適応の原理と、人の幸福の水準は遺伝子が高いという発見を結びつけると、
私たちは衝撃的な可能性にたどり着く。<長期的には、あなたに何が起こるかは
さして重要でない。幸福であれ不運であれ、あなたは、常に自分の幸福の基準点、
つまり幸福におけるあなたの脳の初期水準に戻ってくる。> それは、あなたの
遺伝子によって決定されることが大きい。遺伝子というものが知られるはるか昔、
1759年にアダム・スミスは同じ結論にたどりついている。
< 変化が予測されない永遠的な状況下においては、すべての人の心は、遅かれ
早かれ、生来の平穏な通常状態へと戻ってくる。繁栄において、ある一定の
時間が過ぎれば元の状態に戻り、逆境において、ある一定の時間が過ぎると、
その状態に戻っていく。>
 この考えが正しいとすれば、私たちは皆、「快楽のトレッドミル」と呼ばれて
きたものの上に留まっていることになる。人生においても、好きなだけ一生懸命
働き、欲しいだけ富をえ、果樹を植え、愛人を囲うことができるが、少しも先に
行くことはできない。なぜなら自分の「自然ないつもの平穏状態」を変えることが
できないので、蓄えた富は単に期待値を上げるだけで、以前の状態に比べてより、
幸せだということにならないからである。しかしながら、私たちはその努力が
無駄であることに気づくことなく、それが人生ゲームで勝つために役立っている
限り、努力を続ける。常に自分が持っている以上のものを欲し続けて、回し車の
上のハムスターのように、走って走って走り続けるのである。 》

▼ 6年前の節目から現在に至るまで、それ以前と比べて、格落ち感や、
 引け目が思いの外、少なかった。逆に、今まで意識することがなかった、
人たちを凝視する機会になった。その姿は、節目以前の自分の姿でもある。
人間は深い内面をそれぞれが持っていて、日々刻々、変化し、順応している。
それが分からないのが大方の人間であり、他者を元もと分かってない上に、
内的順応の変化など知りようがない。平穏な状態と、波乱の織りなす絵柄が、
その人の人生になる。そして、永遠の彼方にプッチと消え去っていく。 

・・・・・・
5539,閑話小題 〜消防士の収入
2016年05月15日(日)
   * 地に足が着いた人生 ー2
 先日の小テーマで、「地に足が着いた人生」を書いた。
そこで地方公務員資格試験は、如何なるものかと、「地方公務員資格試験」と、
「消防士」の二つで検索したところ、消防士の平均収入が700万以上とあった。
 危険な仕事としても? あまりに・・  〜その辺りから〜
≪ 消防士は718万円が平均年収!(地方公務員給与実態調査結果の概要調べ)
 消防士に支払われる給料の平均は36万円が基本で諸手当が65万円で、
民間企業と比較すると非常に高くなっています。 民間企業平均の平均年収は
409万円となっており、消防士はその300万円以上高い年収を得ている事になる。
消防士に割り当てられる諸手当を調べたところ、特殊勤務手当てがあり、
(1) 危険作業手当(2) 不快作業手当(3) 重勤務作業手当
(4) 非常災害業務手当 (6) 消防業務手当などの手当てがつきます。
 現在全国の消防職の職員は15万8000名。
30代の平均年収は600万円、40代になると720万円といわれており、50代では
800万円以上と民間の平均よりも非常に高くなっています。民間の場合は50代
になると年収が減少する傾向が多いのですが、消防士は着実に上昇する。≫
 とあった。成るほど、自信に満ちた彼の受け応えも、こういう背景があった。
   * 「道」という漢字は、「生首」に由来する
 ある本に、「道」という漢字は、「生首」に由来するとあった。
道は「導く」の意味もある。道は血生臭いのである。人生を道に例えると、
納得する。道には血と汗と涙が詰まっている。
≪ ・古代中国では、自分の領地をへいで取り囲み、そこから外へ抜ける道
 には敵の首を埋めて、攻め込まれないように「まじない」をしたとする説。
・敵から討ち取った生首をちょうちんのようにぶら下げ、「まじない」がわり
 にして外に通じる道を進んだとする説。
いずれの説も討ち取った敵方の生首を魔よけや、まじないがわりに使ったこと
が道の漢字の成り立ちに含まれています。
・「行が変化→辶(みち)」、と、「首(シユ/シウ→チウ疇=長く通っている
意味)」。 長く通じている「みち」→「道を行く」「みちびく」の意味。≫
▼ 人生の道を切り開くとは、戦い、血だらけで進み、途中で行倒れて・・
 と解っていても、進むしかない。急ぐのも、ゆっくり行くのも、人生。
 とすると、ゆっくり急ぐのがベストということか。 人によるが。

・・・・・・
5174,人生相談という気晴らし! 〜⑤
2015年05月15日(金)
           『人生、しょせん気晴らし』中島義道著
   * 個人主義者の覚悟
 自分を、「アウトサイダー」「ソリスト」「個人主義者」と自認している。
老いるということは、孤独の重圧に押し潰されていく過程でもある。だから、
そのスタンスを取ってきたが、それでも、弱気になることがある。
今さら、「世間びと」になれないし、なる気は一切ないが、彼らの破壊兵器も
ただならぬものがある。だから、「自分とは何だろう」と考えるに丁度よい
エネルギーになる。どの道、永遠の彼方に消滅していく。老いは厳しいのです。
≪ Q: 〜個人主義者にとっての老後を生きるヒントは?〜
 現在、53歳既婚、フリーランスで仕事をしている男です。
私は元来、めんどうくさがり屋でわがままで、人付き合いも苦手です。
特に冠婚葬祭、歓迎会、忘年会など、あらゆる会合や行事に出席を拒否。
こんな利己的性格ですから当然、会社組織に馴染めるはずもなく、こうして
一人で事業をし、近隣との人間関係の希薄なマンション生活をしています。
しかし、現在、老後の問題など何となく将来に一抹の不安を感じています
(目の前にある離婚の危機による自信喪失でしょうか)。自分本位な生き方
をしてきたため、義理を欠くことも多く、自ら世間を狭くしているように
感じています。いずれしっぺ返しがくるように思います。
個人主義生活者に「老後を生きるヒント」を教えてください。
 A: 〜「自分とは何か?」という問いを突き詰めて生きることです〜
「個人主義生活者」にと、その「老後を生きるヒント」とい言葉によって、
あなたが何を期待されているのかよくわかりません(そもそも「個人主義」
とう言葉の意味がはっきりしない)。もし、長く世間に背いて自分本位を
貫いてきたが、老境に至り身体もガタが来ているし、このまま一人で生きて
いくのも寂しいし不安だから、どうにかしたい、というのなら、あなたの言う
ところの「個人主義」をきっぱり捨ててしまえぱいいのです。前後左右の
他人の思惑に常に媚び、自分勝手な考えはぐいと抑え込み、厭なことも率先
してなし、「和」を大切にし、これから必死になって「もちつもたれつ」の
人間関係を復元するのです。それはイヤだ、やはり「個人主義」を貫いた
まま安全な老後を迎えたい、と言いたいのなら、そんなムシのいい話はない
と答えましょう。「いずれしっぺ返しが来る」ことを予見もせずに、よくも
「個人主義」などに乗ってきましたねえ。失礼ながら、おめでたいとしか
言いようがありません。わが国民が、「個人主義」を蛇蝎のように嫌っている
ことを知らなかったとは! 漢然と知っていたとしても、その大量破壊兵器級
の威力に対する自覚がなかったとは!あきれ果てます。しかし、もはや手遅れ
ですから、残された老後は、先に言ったように、「個人主義」をできるだけ
「緩和」して、世間との和解策に奔走するか、あるいは潔く居直って、暗く
寂しい老後を迎えるか、のどちらかしかないように思います。そして、ここ
までがんばってきたのですから、できれば「転向」せずに「個人主義」を
貫くことをお勧めします。それには、自分ひとりでできる仕事を見出すことが
絶対に必要です。単なる趣味ではなく、あなたの実存の中核に届く仕事。
例えば、「自分はなんでこうまで人付き合いが苦手なのか、利己的なのか、
自分本位なのか」という問いを、つまり「自分とは何だろう?」という問いを
突き詰めることです。そのためには、絶えず思索しなければならず、これまで
の体験を微細に至るまで想い起こさねばならず、多方面にわたる読書も
しなければならない。つまり、孤独かもしれませんが、ずいぶん充実した
老後をエンジョイできるのではないでしょうか。≫
▼ ほぼ大部分の人の心には、相談者のような恐れを抱えている。老いて、
 弱って、病気になって、疎んじられ、永遠の絶対無に吸取られ消滅するのが
人生である。個人主義を我が国民は蛇蝎のように嫌っているのは、一連の中で、
多いに実感したが、それ自体も幻想でしかない。
・・・・・・
4809,ある明治女性の世界一周日記
2014年05月15日(木)
   「ある明治女性の世界一周日記―日本初の海外団体旅行」野村みち(著)
 何気なく、図書館内を彷徨っていたら、この本が目につき借りてきたが、
現在の朝のNHKの連ドラの「花子とアン」の、出身校の東洋英和女学校出身と
あったことも借りる動機にもなった。そして、読んでみて、面白いこと。
ランダムに、どのページを開いても、その日その日の、本人の視線が、
そのまま直に伝わる。  ーAmazonの内容紹介よりー
「母親からの厳しい「良妻賢母」教育と共に、東洋英和女学校でキリスト教と
英語という新しい教育を受けた明治の女性、野村みち。豊かな感性と柔軟性で、
真摯に、率直な心情を綴った世界旅行記。」 ーレビューよりー
《 元横浜YWCA会長を務めた野村みちの「世界一周日記」。若い頃から洋行に
 憧れを持っていたことが書かれていた。その「世界一周」は、1908年3月18日
から96日間にかけて行われた。冒頭に旅のルートが掲載してあり、米太平洋郵船
会社のモンゴリア号で横浜港を出港し、ハワイを経由し、サンフランシスコ、
ソルトレークシティ、シカゴ、ボストン、ワシントン、ニューヨーク、英国
ホワイトスターライン社のセドリック号で大西洋を渡り、ロンドン、パリ、
ローマ、ナポリ、ヴェネチア、ベルリン、サンクトペテルブルク、モスクワ、
シベリア鉄道を利用してウラジオストック、敦賀に帰ってくる世界一周旅行。
一行54名、女性3人。筆者の夫は、横浜の実業家・野村洋三氏で、外国人相手の
古美術商のサムライ商会を営んでいました。本町通りにあったサムライ商会は
横浜の古い写真集を見ていると必ず登場するようなエキゾチックでユニークな
外観をしています。258ページに写真が掲載してありますので。筆者の家族の
写真や世界一周時の集合写真も掲載してあり、文章だけでなく当時のイメージ
が理解できるようになっていました。旅行中の装いも和装で通す意味合いも
書いてあり、このあたりに聡明さが伺えます。アメリカのルーズベルト大統領
との謁見や、パリで名バイオリニストのサラサーテの演奏を聞いたことも記され
ています。 巻末に番外編として「野村みちとは」と題する生涯を、北川原美乃
さんが25ページにわたって紹介していました。戦後すぐマッカーサーが占領下の
日本で初めて接した民間人が野村夫妻だったことも書いてあります。
そのような生き方を貫いた女性であることが分かる書でした。》
▼ 100年前の96日間の世界一周日記、そこに女性が3人、加わっての旅行、
 それは大変だっと思われるが、幕末、明治初期の一女性の目で見た当時の、
外国への視線が面白い。長年にわたり、多くの人が様ざまな経験をして記録に
残されているのに、改めて感心する。情報端末がノートしかない時代に、その
人の記録が逆に、生々しさとして、後世の者の心に訴える。横浜で外国人相手
の古物商をしていたため、カルチャーショックは、さほど無かったようだが、
そうでなかったら、その参加自体してなかっただろう。ところで、居間の座椅子
の横に、二年以上も「世界の旅行記101」が置いてあり、毎日、数分間、読む。
2〜3ページに要約した101の旅行記が、それぞれ何人かが分担して書いてある。
ところが、どれもこれも、重いため、せいぜい、一日、数分しか読めないが、
それでも門前の小僧で、少しずつ、階段を下りるように、何とか読んでいる。 
それらから比べれば、ツアーで内容が軽いが、それ故に、親近感がわいてくる。 
世界は広く、それぞれ深い!
・・・・・・
4442, 閑話小題 ーリタイア後の幸せ度
2013年05月15日(水)
  * リタイア後の幸せ度
 退職後の幸せ度は、一番高いのは創業者、二番目は違う会社で勤めている人、
三番目が、そのまま再雇用している人、最後は、そのままリタイアした人、
という調査結果がある。一番高いのが創業者は自分が、そうだから分かる。
それも、私のように会社を倒産させた人がいうと、強がりにように聞こえる
だろうが、複雑な実感である。挫折感より遥かに達成感が強いことは確か。 
自己完結してキレイサッパリするから。意外なのは、完全リタイア組の幸福度
が一番低いこと。長年かけたライフワークを持ってないためだろう。
「自分が、まだ有用の存在でいたい」のか。後は、解釈になる。収入の関係も
あるのだろう。幸せの感じ方は様ざま。 鼻歌でスキップしていくしかない?
そのためには、少々のお金と、知恵と、意欲が必要である。一番の問題は、
やはりお金に行き当たるのか。
  * 節目を超えたようだ!
 昨日、もう一つのブログ《バードウォッチ》に。「一月ほど前か、現在の自分
と娑婆に対し、底知れぬ可笑しさを感じて、知らずに独り腹から笑っていた。
これで節目を乗り越えたようだ。こういうのをアップスケール(脱皮)という。
独り万歳! あとは、心置きなく流しの遊びの世界で我を忘れればよい。
割り切るのに、やはり二年。節目としての4分割の最後のシリーズ。 
心の還暦になる」と書いた。50歳になった時が、これかと思ったが・・、
もう一破壊が必要だったようだ。そして少し楽しめ!ということになる。
まだまだ重いし、最近、何事にも面倒が先に立つ。ただ、バイアスが日ごと
取れて好奇心が強くなっている。遊びに対して、まだまだ修行が足りない。 
「節目を打て」というが、なるほどである。
(後記)ところで偶然だが、去年の以下の文章が、これに連動していた。
    面白いもの。決して傷は浅くないということか!


5903,『しあわせ仮説』 −6 適応の原理

2017年05月14日(日)


 
               『しあわせ仮説』ジョナサン・ハイト著   
   * 適応の原理
 目先のベストの幸せは莫大な宝くじに当たること、不幸は首から下が麻痺を
することだろう。しかし、ここで、果たして、そうだろうか?と、問いかける。
                  〜p129より抜粋〜
《 適応の原理 自分に起こりうる一番よいことと一番悪いことを10秒で挙げよ
 と言われれば、あなたは以下のように思いつくかもしれない。
・2千万ドルの宝くじに当たること、
・首から下が麻痺をしてしまうこと。
宝くじに当たれば、どれほど多くの心配事や制約から解放されるだろう。
夢を追いかけ、人を助け、快適に暮らすことができる事だろう。首から下が
麻痺してしまう自由を失えば、刑務所暮らし以上に制限されるだろう。
ほとんどすべての目標や夢を諦めなければならない。多くの人は、死んだより
ましだと考える。しかし、それは間違えである。
 もちろん、首の骨を折るより、宝くじに当たった方がよい。しかし、あなたが
考えるほどではない。なぜなら、どのようなことがおこっても、おそらく適応
するだろうが、実際に起こる前には適応できるとは考えられないからである。
 私たちは『感情予測』、つまり未来において私たちがどのように感じるかに
ついて考えることが苦手である。私たちは、自分の感情的な反応に対する強度や
持続時間を酷く過剰に見積もってしまう。 宝くじも、下半身麻痺も、
「平均的には」たいてい、一年以内に、自分の幸福の水準基準に戻ってしまう。
宝くじに当たって新しい家を買い、つまらない仕事を辞め、より美味しいものを
食べる。以前との対比を大いに楽しむが、数ヶ月以内にその対比も曖昧になり、
喜びは消えていく。人間の心は、条件の「変化」にたいして極端に敏感だが、
絶対的水準に対してそれほどでない。当選者の喜びは、富が高いことではなく、
その増加によってもたらされてため、数ヶ月後には、その新たな快適な水準は
日常における新たな基準値になってしまう。当選者はそれらを当然とみなす。
それ以上になることもなく、逆にだんだん悪くなる。周囲には、友人、親戚、
詐欺師、涙にうせぶ赤の他人が、群がり、訴訟を起こしたり、取り入って、
富の配分にあずかろうとする。宝くじの当選者は、あまりの嫌がらせのため、
引越しを余儀なくされる。… 》

▼ アメリカの統計だが、<宝くじを当てた95%が、5年以内に当選金を失う>
 というデーターがあるという。『男はつらいよ』の主人公・寅さんなら、さも
ありなんと思うが、普通の人は、それはないと思うが、現実は上記のとおり。
逆に考えてみれば、泡銭ならアブクのように使った方が、長い人生にとって
プラスではと、最近、深く実感する。
 <使ってしまった金は、あの世に持っていける>  あるから、未練が残る、
使って面白かったなら、そこには充実感と満足感が、楽しい思い出として行蔵
の中に刻印される。せいぜい、邸宅と、世界一周ぐらいだろう。金を持った分、
充実した気持ちにはなるが… 持って使わないのも醍醐味だが、やはり使った
楽しみは何ものにも変えられない。あるうち、使えるうち。これは、金だけの
話ではない。後悔、先に立たず!  いや、後に立たずですか?
―――
2015/09/18
閑話小題 〜宝くじで5億円当たったら何に使いますか
   * 5億円当たったら何に使いますか?
 昨日の朝のTVショーで、『宝くじで5億円当たったら何に使いますか』
の街頭インタビューがあった。 回答が多かった順というと
1位、高級マンションなど住宅購入
2位、お店などの起業
3位、世界一周 (豪華客船の旅など)
4位、健康などのエステに (健康食品、スポーツジム)
5位、整形手術 の順であった。
 その中の一人が、『当たった人をみると、多くが離婚をしている』という
答えがあったが、そうだろう。 当選をしたとして、上記の夢が実現
したところで、それが何だ?ということか。 今回の会社整理の中で、
気づいたことが、一千万、二千万分の一しか可能性がない宝くじに夢を
託している人たちの視線。要するに世間様の夢でしかないのが宝くじ。
 高級マンション以外は、5年10年スパンで計画を実行に移せば、
可能なことばかり。答える方も面白半分としても、考えさせられる内容。 
『二週間で死ぬと宣言されたら何をしますか?」の質問に似ている。
その答えは、今すぐにでも出来ることばかり。宝くじの場合の質問が軽い
ものなら、ジョークで『ホストクラブで、ドンペリをあけて大騒ぎをしたい』
とか、『全部、周りの人にあげる』とか、『宇宙旅行をしたい』とか、どうせ
御遊びの質問なら、御遊ぶの答えがよい。 それに答えている庶民?の、
あの活き活きした顔がよい。1位から4位は実現したが、だから如何した?
である。残ったのは充実感だけだが、人生で、一番、大事なことでもある。
 2位の起業希望が多いのに驚いた。だから、何もしない、できない連中が
失敗をみると、「人の不幸は蜜の味」と大喜びをする心の内は、こんなもの。
その蜜には毒がある。その毒は、自分の膿ゆえ、撥ね返って来るのが己の脳。
 で、どういう訳か、去年の同月同日の、以下の内容に続く・・
が、その前に、以前書いた、「宝くじ」に関連した文章をコピーする。
―――
2013/06/17
宝くじが当たる確率(何倍?)はどのくらい?
 宝くじには全く興味がなかった。一度、一枚だけ話の種に買ったことがある。
SCなどの店先の宝くじ売場で買っている人を見かける度、
「夢を買っているんだ!」と思っていた。 ー教えて!Goo、によるとー
【 問い=  例えば、以下のような宝くじは当選確率はどのくらい。
  1等 1億円  20名  2等 1千万円 20名
  3等 百万円 200名  4等 5万円 30000名  
  例えば、1億円当たる確立は百万人に一人とか…
【 答え=
 ○ あなたが、宝くじの1等に当る確率は、1等の当選番号が、
          「11組111111番」になるのと同じです
 ○ 一般的な宝くじは、100kgの米の中からある1粒の米粒を探し出すのと
   同じくらいの確率だそうです。
 ○ 売り上げ枚数を調べれば簡単に分かりますよ 7億6千万枚ほど売れて
   いるようですから、完全ランダムで3800万枚に1枚ほど入っているかと
 ○ 年末ジャンボの場合、1ユニットで1000万枚発売されている。
  1等は1ユニットあたり1本ですから、単純に1000万分の1となります。
 ○ 当選番号が 123456番だとした場合 最初のくらいの1番はどのくじにも
  ついているわけで,あとは1の位から万の位までの5つの数字の組合わせは 
  10×10×10×10×10で10万分の1となりますよね。ただし,これは一枚 
  買った場合で 連番で10枚買ってると 確率は その10分の1で 1万分の1。
  一等は宝くじでは この組の数が二桁あるので、その10×10の100倍 
  つまり、一枚 買って一等に当たるのは千万分の1となりますよね
 ○ ちなみに東京ドームの敷地に新聞紙を敷き詰め、天井から針を落として
  新聞の一番小さい1文字に当たる確率と同じくらいとか聞きました。
 ▼ 一等、二等で合計500万分1の確率で、当たる分けがない。買う当人に
  とっては千分一の気持ち。アメリカなどで数十億円が当たるケースがあるが、
 それが元で不幸のどん底に落ちるケースが殆どという。悪銭身につかずである。
それなら毎日、何とか5百円預金をすれば一年で18万円、10年で180万円、30年で
金利を含め1千万になり、遥かに効率が良い。 が、そうはいかないのが人間。
生を受け、今、存在していること自体が奇跡なのに、それを生き切らなくて何が
宝くじ。せめて、当たった夢をみたいのは分かるが。1億当たったところで、
したいこと、買いたい物など、何も無いのも面白くないが。
―――
2015/06/21
宝くじを当てた95%が、5年以内に
      『世界の大富豪2000人が教えてくれたこと』トニー野中(著)
  * 宝くじを当てた95%が、5年以内に当選金を失う
 日本では『悪銭、身につかづ』という諺がある。入る器の方を育て上げないと、
その殆どが溢れ流れていく。私も事業投資の当初の10年で5倍まで純資産を
増やしたが、2001年の9・11と、リーマンショックと、2011年の3・11の10年で
壊滅! 辛うじて保険代りに家内名義で積みたててきた給与の預金と、
二人厚生年金で、これまでの生活を維持している。 その辺りから 〜p40
≪ アメリカやイギリスでは、「宝くじを当てた人が、その後どうなったか?」と
いう追跡調査が、よく行なわれます。 それによると、「宝くじの一等が当たった
人の95パーセントが、5年以内に手にした当選金の全てを失っている」という。
「器のできていない人がお金を持っても身につかないこと」を、データは如実に
証明しているわけです。 いえ、当選金を失うどころか、それ以上のマイナスを
被るとがあります。たとえばアメリカでは、宝くじに当選すると、宝くじ売り場
まで乗ったタクシーの運転手まで「分け前を寄こせ」と主張してくるそうですし、
100万ドルを当てたーカ月後に毒殺されるという事件まで起こっています。
『となりの億万長者』というベストセラーで知られるトマス・J・スタンリーは、
その著書で「宝くじを買う頻度と、その人の資産レベルの間には非常に顕著な
反比例関係がある」(『なぜ、この入たちは金持ちになったのか』日本経済新聞社)
ということを証明しています。それは、「お金があるから、宝くじなんて買わない」
という理由だけではないのです。宝くじの当選確率など、計算すれば、ビジネスで
成功する確率よりはるかに低いとすぐにわかります。大富豪になるような人で
あれば、そんな確率の低いことよりも、もっと確実に稼げることに、時間とお金
を投資しようと考えるのが当然でし欲う。それでも多くの人が宝くじをほしがり、
"当たる"と評判の宝くじ売り場に朝一から並んでいるのは、
「楽して莫大な富が手に入る」という誘惑に逆らえないからです。≫
▼ 宝くじは夢を買うもので、それ自体に矛盾がある。夢は長年かけて地道に
 積み上げ実現するもの。そのプロセスにこそ価値(意味)がある。数羽の
ブラックスワンで、私の事業は終わったが、プロセスで元をとっていたので、
後悔は意外に少ない。宝くじの当選金を5年で失っても、持ったままより、
遥かに良い!とも考えられる。「失う」と思うのは傍目で、実際に使えば、
その価値を味わい尽くすことが出来る。 5年で数億など使ってみたいもの。
いや実際に使ってみた。一棟、ホテルを建てると土地代を入れると3〜10億。
そのプロセスを遊びに昇華すれば、遊びとして、それだけ使ったことになる。
遊びとしてみても、実際に面白かった。当事者の実感は、「失った」というより
「使った」である。本人が言うから間違いない! ということは、著者は浅い?
ボロボロになって涙した方が、その数倍増やしニヤニヤしているより味は濃い。
「大恋愛の成就より、失恋をした方が遥かに良い」ことを考えれば解るだろう。
『 宝くじを当てた95%が、5年以内に当選金の全て使う! 』良いでないか。


5902,閑話小題 〜環境六割、遺伝が四割

2017年05月13日(土)

   * 環境六割、血筋が4割
 「人間は環境の動物」と言われる。いくら血筋がよくても、生活環境の
良し悪しが大きく左右する。血筋が悪くても幸運に恵まれてアップスケール
することもある。 遺伝学者がいうには、
< 人の能力は遺伝と環境の総和により、「環境六割、遺伝が4割」>と。 
 これは人生一般にも生物全体にも適応する。 自らを振りかえみれば、時々の
環境によって状況が大きく左右していた。「順境に枝を、逆境に根を張れ」の
とおり、目指すところがハッキリすれば、置かれた環境と時節がプラスにも、
マイナスにもはたらく。環境づくり、環境選択は自分で出来るが、それに
遺伝子が大きく左右する。
 歳をとってガンになりたくないなら、生活習慣を正すことが必要。
まず、免疫力アップと、細胞を傷つけないための毎日の食事が重要。 
発ガン性物質の入った食品を識別し、避けて、ビタミンCやカロチンなどを
とった方がよい。マウスやサルを使った実験で、餌を7分目に制限した固体と、
そうでない固体とは大きな差の結果が出ている。 環境は条件であり、条件は
原因。因果応報が、まさにこれ。「環境六割、遺伝が四割」は納得できる。 
 環境を選ぶのは遺伝子? 血筋が環境を選ぶ? なども考えられる。
30年前に10匹ほどの産まれたばかりのチャウチャウのブリーダーから子犬の
写真を見せてもらった時、それぞれの個性が写真から溢れ出ていた。
その時の直感が、「この子犬たちは、元もと過去に存在していた犬が、再び、
現れ出た」という直感。それが正しいか、どうかは未だに不明。
ありようにいえば、遺伝子が生物を通して生き抜いて、現れ出てきただけと
解釈できる。 イスラエルの地にユダヤ教とキリスト教が、中東の砂漠に
イスラム教が、インドに仏教が、その環境にあった教義で現れ出てきた。
それらが共存するのは至難のこと。文明の相克がグローバル化の時代、
当然の現象である。そうこう考えると、人類は、今世紀で終わり? 
 すべて消え去った後に残るとしたら、次のような空虚の疑問。
《何故に、神は人類をつくり、狂わせ地球の自然を消滅させたか?》
赤ざると、白豚の掛合いが、ブラックジョークで、その近未来を予測させる。
 問題は笑い事でないこと。でも、笑うしかないでショー。これは。

・・・・・・
5172,人生相談という気晴らし! 〜③
2015年05月13日(水)
        『人生、しょせん気晴らし』中島義道著
   * 人生の意味とは何ですか?
 人生の意味は、それぞれあるが、確たる意味など、ある訳がないことなど、
少し考えれば分かるはずだが。質問者が言うとおり、この手の本を読み込んで
いなかったということか。ニーチェがキリスト教的偽善を根こそぎ否定して
ニヒリストと言われたのも、大衆は、実は神など存在しないと思っているのに、
信じたふりをいていただけ、と看破をしたため。
≪ Q: 人生の意味とは何か? 極楽を説く宗教とは?
 62歳、自営業、仕事はまあまあ、家庭も平穏、健康、毎晩酒を呑み、
週一でゴルフをする典型的な中年オヤジです。しかし、少しは本を読みます。
最近の小説のつまらなさに、学生の頃に夢中で読んだサマセット・モームを
ひっばり出して読みました。そしてガキの時には読み飛ばしていた
「人生に意味などない」(『人間の絆』)という言葉に出会ったのです。
 それ以来、この言葉が頭の中に鳴り続けています。
古今東西の英雄たちの人生さえ無意味だというなら、小生の人生は一体何か?
死がまったく「無」であるなら、天国を云い、極楽を説く宗教とは何か?
哲学書を一冊も読んだことがない小生にも分かるようにご教示ください。」
  A: 人生が無意味であることを実感するには覚悟が必要です。
 私は普通の人生相談の回答者と異なり、嘘をついて励ます(慰める)ことは
したくないので、相談者が多少傷ついたとしても、思っていることをそのまま
お話しします。まず「哲学書を一冊も読んだことがない小生にも分かるように
ご教示ください」という要求にあきれ果てています。 お答えは「できません」
というものです。ここで相談を終えてもいいのですが、(私は優しいので)
あえて続けますと、「人生に意味があ るか?」という問いに対して真摯な答えを
与えるのは、とにかく難しい。それは,こう問う多くの人が、人生に意味がない
はずがない、だから何でもいいから都合よく納得できる「意味」を提示して
ほしい、と願っているからです(あなたもその一人?)。モームは哲学者ではない
のですが、多分この問題を一番考え抜いた哲学者は「ニーチェ」でしょう。
 彼は、キリスト教の教えはすべて嘘であり、坊主たちがグルになって二千年間
われわれを騙してきたとみなしました。この世で報われなかった人があの世で
報われるわけでもなく、この世の幸不幸は永遠に清算(最後の審判)されない。
高速道路で飲酒運転のトラックに追突され幼児が焼き殺されたのも、電車が脱線
してビルに激突し、ぐちゃぐちゃになった車体の中で多くの乗客が死んだのも、
その人たちがただ「そこにいた」からです。こうしたとき、われわれは「なぜ、
罪もない幼児が? なぜ、親孝行の息子が?」と問います。古来人々はこう問い、
「われわれには測りしれない目的によって、神が災いを意志したのだ」と解釈
して、心を慰めてきましたが、ニーチェはきっぱりこれを否定する。すべては
ただそうなっただけ。その奥に隠された意味(意志)などまったくないのです。
彼はこの真理を伝えるのに全人生をかけ、ついに発狂しました。人生に何の
意味もないことを全身全霊で実感するのは、それほどきついことなのです。
あなたも、そんなに「人生の意味」を知りたいのなら、あと統計的に死ぬまで
十年ちょっとあるのですから、残りの人生、それを探究することに費やして
みてはいかがでしょうか? それが厭なら、謙虚にただ「わからない」と
眩いて死ぬことをお勧めします。 ・・・≫
▼ 中島の面目躍如の内容である。この20の人生相談の回答に、ことごとく
 私自身の曖昧さが指摘されているようでもある。それと私が忌み嫌っている
我が内なる世間びとへの批判に徹してようである。それだけ、世間という共同
幻想は、人々を縛りつけている。欧米では、その共同幻想がアッラ〜の神。
その名のもとで、互いが殺戮を行っている。ところで、『人生の意味』の意味
を価値に置換えると糸口が見えてくる。 人生に価値がありや、なしや? と。
・・・・・・
5537,閑話小題 〜閑なるままに・・
2016年05月13日(金)
   * 思いのままに
☆ 先日、一年ぶりに弁護士と会ってきた。ということは、一年、債権に関し、
 何も動きが無かったことになる。ところが、債権買取機構の一つが、債権の
買取請求をしてきた。これが終わると、残りは政府系の2つになる。それも、
私が死ねば、それで清算になる。銀行以外に債権は、ほぼゼロのため、債権
処理のトラブルは無いのが当然。弁護士一任の瞬間、問題終了ということ。
☆ 5年前に、『キレイに止めたい!』という弁護士への私の要請に、
『会社整理に、キレイも汚いもない。良くて70点ならオンの字』の答え。
そこで、『その70点で、お願いします!』 と言い換えて、手順を踏んだが、
抵当物件の全てが、呆気なく、一年以内に売却終了。 弁護士いわく、
『今回は見切り千両というより、見切り万両の結果!』と総括。私の実感は、
『70点というより、80点!』。「20日締めの月末払い」の実質現金決済
の体質もあるが・・ 『生きてきたとおり、死ぬ』の言葉とおりに終了。
実際、小さなトラブルも無かった。 だから、拍子抜けのところもある。
そこで見えた誹謗中傷は、それぞれが、その知識経験の中で、思いつきの推測
をした化物はなし、それもほぼ嘘で固められた、妄想! でしかない。
 固定化された社会には、ガスが蓄積し、まず自分の毒で、自分を殺す。
☆ 数日前のTVレポートで、最近の「冷凍食品の高質化」を取り上げていた。
 ファミリー・レストランと、味が変わらない冷凍食品が、自宅でレンジに
かければ、美味しく食べれる。 数ヶ月前、この随想日記で、その美味さに
ついて取り上げた。 不景気の中、家計が苦しくなる昨今、ファミレス、
専門レストランの料理を自宅で、安く、手軽に食べる時代に変ろうとしている。
 最近、酒と摘みを買うついでに、冷凍食品のコーナーで、スパゲッテーとか、
焼きソバを買って、昼の食事を家内と分けると、これが丁度良い量。週一回の、
酒とツマミと、冷凍食品などの買い物が、ストレス解消にもなっている? 
それと、百均ショップの買物。値段に関わらず、購買は何かの欲求達成になる。
『日々、是、好日』ということか。 時々、傷口が傷まないこともないが・・

・・・・・・
4807,閑話小題 ーボケの始まり?
2014年05月13日(火)
   * ボケか?
 先週の土曜日、親戚の法事で駅まで歩いた後、タクシーに乗って寺まで
行ったが、誰もいない。そこで住職の自宅玄関で聞いたところ、翌日の間違い。
その前日、もしかと思い、案内を見直して日曜日と確認したが、その勘違いを
確認したことも忘れてしまっていた。 こういうのが呆けの初期症状? 
家内に厳しい冗談?で、「施設に入れなくては!」と、馬鹿にされ
「他人に言わない方が良いよ」とまで、言われる始末。 それにしても、
ハガキを見直しても、間違えてしまう迂闊さに、我ながら信じられない思い。
帰り道、履き慣れない靴のため靴擦れの脚を引きずりながら、反省のため
30分の道のりを歩いて帰ってきた。 休憩のため駅東のマックに入って
ハンバーガーを食べたが、それが何ともいえない味。緊張感欠如だろうが、
後々考えたとき、これが、ボケの始まりだった、でなければよいが。
   * カラオケは、森の生活だからこそ?
 スナックに行っても、カラオケをほとんど歌わなくなった。
店内に客が連れと二人だけでも、歌う気がしないのである。やはり仕事の
憂さとか、張り合いの中でこそ、歌に張りも気持ちが入るというもの。
ゴルフはやらないが、現役時代のプレーが、定年後より遥かに面白いとか。 
年齢もあるが、秘境ツアーも以前ほど行きたいと思わない。これも、仕事の
合間に何とか都合をつけて、浮世のストレスを秘境旅行のストレスで消す
からこそ張り合いがある。 今は今の楽しみがあるのだから、
それは、それで良いとしなくては。
   * カラスの糞かけ
 またまた偶然の一致だが、法事から帰ってきた玄関で、カラスの糞が、
目の前50センチ前に落ちてきた。これまで、一度は命中、あと一度が、
以下の前年の同月同日に書いたのを含めて、三度目になる。それより、
よりにもよって一年前に書いていたとは面白い偶然である。私には、この
手合いの偶然があまりに多い。その瞬間、「今回は、カラスに狙われた」
と直感したが・・。 最近、一羽のカラスがペットのインコの鳴き声に
惹かれて、自宅の周辺に屯している。何か、法事とか、葬式に、よく起きる
不思議な現象の一つ?だろうか。 ー以下をご覧あれ!ー
・・・・・・
4440, 閑話小題 ーカラスの糞かけ
2013年05月13日(月)
* カラスの糞かけ
 数年前になるが、自宅近くを自転車に乗っていた時、カラスが低空で
私の二mほど先に糞を落としていった。問題は、これは果たして私を狙ったのか
偶然か、毎朝近くを通る度に考えたことがあった。ところが、一昨日の朝日新聞
の朝刊のコラムで、四コマ漫画の「ののチャン」が、専門家に質問する形式で、
「カラスの糞かけは、意図したものかどうか」を取り扱っていた。よくあること
だから、取り上げたのだろう。 答え手は、「あくまで偶然で、カラスにとって
何ら利益にならない」と、ゲーム説や、カラカイ説には否定的だった。
専門家といっても、私のように三十年以上、毎朝、散歩やミニサイクリングで
カラスを観察していた訳でない。で、私はゲーム説である。長岡大橋の手すりで、
カラスが5羽並んで私が自転車の通りすがりで至近距離に近づいても逃げない
「度胸ためしゲーム」をしていたことを、ここで書いたことがあった。
また散歩中の小型犬を、至近距離で、威嚇して遊んでいるのを見たことがある。
犬の飼主も、それを面白がって見ていたが、明らかにバカにして遊んでいた。
 話は変わるが、昨日の午後、帰宅をすると、隣の空地で5羽のカラスが入り
乱れて空中戦をしていた。よくあることだが、昨日は違っていた。その二組が
同時に地上で激しい乱闘を始めたのである。初めは車内で見ていたが、決着が
つかないので、車庫に車を入れてから門の角から隠れてみていたが、その間
7〜8分。鳴き声を聞きつけた他のカラスが数羽が駆けつけ、騒然とした中での
激しい乱闘はなかなか見もの。上下に体勢が入替わり互いの身体をワシヅカミ
してツツキ合っていた。よく再び飛びたてたもの。身体からみて若いカラス同士
の縄張り争い。最近、一羽が我家の庭に度々来ているが、その中の一羽だろう。
・・・・・・
4066, つれづれに ースポーツジム、その後
2012年05月13日(日)
   * スローヨガ
 このところ、スポーツジムのスローヨガに参加している。連続参加が勘違い
で14回で途切れたが、これまで18回参加した。ヨガのポーズは腰と背骨の
矯正に絶好である。大よそ40人が参加しており、火・木曜日の午後の週二日。
平日の午後、これだけの人数が一同、暗闇の教室でヨガをするのも奇妙な感覚
である。慣れるのに7〜8回はかかったが、慣れてしまえばしめたもの。
60×120センチのマットの上で色々のポーズをとるが、ヨガの先生曰く、
「ヨガでは、このシートが全宇宙と思って、自分独りと思って下さい!」  
一回、50分だが、あっという間に、時間が過ぎてしまう。始まると周囲の人が
意識から消えてしまうのがよい。シートの中の自分と先生の世界が、それぞれ
出来てしまう。 ところで、専門のヨガ教室だったら幾ら?と値踏みをしたが、
一回、千円の価値は充分ある。 週二日、月に6回(二回、休む?)として
6千円になる。 これだけでSJの会費の元が取れることになる。
時間帯もあるが、9割が中年女性である。
   * 昨夜は、新潟で飲み会
 あれから一年以上経ち、そろそろ蟄居閉門も明けつつある。とはいえ新潟駅前
で事業をしていた手前、会場は敷居が高い地区。一般債権が無いが、気分的には
近寄り難いことは確か。「あの野郎、沼垂で赤ら顔をして飲んでいた」と、
言われそうだが・・ 27〜8年前に、月刊雑誌「到知」に惚れ込み、新潟市
周辺の愛読者の同好会「木鶏クラブ・新潟支部」を立ち上げた。私自身は12年
ほど前から、会から遠ざかっていたが、現在でも続いているが、有難いことである。
最後に行ったのが一昨年の忘年会、去年は時が時だけに一年の喪?が明けた今回、
参加した。その前に、新潟駅構内にある家電のジョーシンと、ビックカメラに
寄ったが、土曜日もあって客で溢れていた。長岡と新潟の勢いの差は駅に出るが、
あまりに大きい。泊まろうと思ったが、22時半の最終新幹線で帰ってきた。 
昔の仲間との邂逅は良いものだ。
   * 自転車専門大店
 昨日、新潟駅近くのイオン直営の自転車大店に行ってみた。100坪位の
店舗にビッシリ自転車が並んでいたが、やはり電動アシスト自転車が主流。
開店直後で、まだ軌道に乗ってないようだが、時代から見て時間をかければ
良くなるはず。まだ価格帯が10万円あたりだが、4〜5万円が爆発的に売れる
分岐点だろう。店長曰く「電気代が月に20〜30円」。一回分なら分かるが、
こんなに安いとは知らなかった。電動アシスト自転車に乗って二年半になるが、
本当に良いと実感している。道具一つで、自分の生活圏の広さが全く変わって
しまう一事例である。ヨガもそうだが、ポタリングを習慣にしてしまえばよい。


5901,閑話小題 〜病は覚醒装置である 〜3

2017年05月12日(金)

   * 自己を失うことと、存在を失うこととは違う
 <自己を失うことと、存在を失うこととは違う>とは、意味深長の言葉。 
 挫折を例にすると、「挫折で自己を失った時期があったが、その中でも、
自己の存在が、その状況を冷たく、優しく見つめていた」という存在である。
印税が多く入ってくるのだろうが、浪費癖のため、蓄積は多くない?  
≪ 入院した半年後に退院したが、仕事が皆無になっていた。いきなりバッタ
 扉を閉められたのだ。世界は私を拒否をした。私は何もかもを失ってゼロに
なった。ゼロに、そうゼロである。仕事もなければ、身体を支える足も萎え、
私は私の知っているではない。見慣れない老いさらばえた女が鏡に映っている。
 …(略) 仕事を失ったと同時に、私は社会から閉め出され、私を規定する
他者を失った。他者を失うことは、すなわち自己を失うことである。ここで
あえて「ゼロ」を「無」とは表現しない。世間が中村うさぎを消し去っても、
私の存在自体がこの世から消えるわけではない。
 「自分を失うことと、存在を失うことと同義ではない」。
自分がゼロになった感覚は恐ろしいものだが、しばらくすると何だかどうでも
よいいいことのように思えるようになった。ゼロになったということは、単に
リセットされたということではないか。
 たとえば、ゲームをやっていて、いきなり何かのエラーで強制終了になって
今までやってきたことが、全部リセットされるなんてことは、昔は日常茶飯事
だった。同じようなことが人生でも起きたと思えばいい。また一からやり直せば
いい。そんな強制終了も人生でも起こりえるのだと、と学べただけでも儲けもの
ではないのか? …(略) 結局のところ、人間は自分で自分を救わなくては、
どこにも行けない。≫

▼ 深く考えることも、大きく挫折したことのないサラリーマンが、定年を
 むかえた時に、上記のような初老性欝病に陥るケースが多い。「私の人生、
何だった?」の根本的疑問である。20歳代から30歳半ばまで多くの変転を重ね、
リセットの最中で、著者の「自分で自分を救わないと、どこにも行けない。
何者にもなれない!」と独り言を脳裏で呟くしかなかった。それが、6年前の
リタイアの節目から、現在に至るまで、他者の存在に気にすることなく、
現在に至っている。元もと自分も、他者も、幻想でしかない。そこまで、
精神を覚醒していれば、何のことはない。どうでもよい事である。

・・・・・・
5536,閑話小題 〜地に足が着いた人生
2016年05月12日(木)
   * ある地に足が着いた人生
 幼児の頃から、両親の勤勉さと仕事と人生に対する飽くなき姿勢をみて、
人生の何たるかを教えられ育ってきた。それは、「凡人だけには陥らないこと、
学び続ける必要性」である。戦前、戦中、戦後の激しい時代の変遷の中で、
10人の家族が生き抜くための生存本能が働いたのだろう。 
 無我夢中で15年間も、この随想日記も書続けてきたのも、50年以上も、
早朝の読書習慣を続いているのも、その幼児体験があったため。
その卑小な自分を、ある人物の人生の合せ鏡でハッとさせられた。
ある酒席で、同年齢位の隣人に、『職業は何やってこられましたか?』と問い
かけると、少し考えた後に語った人生とは、『当時の中卒は、金の卵といわれ、
集団就職で、ある大手メーカーに勤めた。殆どの同期は、仕事の後から、
夜間高校に通い、高卒の資格をとってから地方公務員を目指していた。
自分も同様、夜間高校に通い、地方公務員試験の勉強をして合格、消防士
になって、無事、定年退職し現在に至っている。消防だけでなく、救急も経験、
多くの人生を垣間見ることが出来た・・ 』と言う。
 昭和30年代半ばは、クラスの二割位が中卒で就職をしていったが、
夜間高校から地方公務員になったケースを身近に聞いたのは初めて知った。
「夜間高校出の消防士の平凡な人生が、どうした?」といえば、そうだが。
 その人生から、恵まれた家庭環境に育った自分の境遇に気づかされた次第。 
中学の同級の訃報の半分は中卒の人たち。学歴が上がるにつれて訃報数が
減るのは何故か? その目線から見た私の人生は、大甘もいいところ。当時は
中卒で働かなければならない家庭境遇の生徒が、同級に多くいた。振返りみて、
恵まれていた人生だったと痛感する。 私の一生は、恵まれた列車で、少々、
汗をかいた人生でしかない。 それからして、最後の思いもしなかった挫折は、
私にとって幸運だったといえる? いや、誰にでも最期は死という挫折が待つ。
それぞれに、それぞれの因縁があり、それを如何に楽しむか、志を貫けるか。 
娑婆世界は、面白可笑しく、哀しく、甘塩っぱい味がする! せっかくだから、
もっともっと楽しんで、味わい尽くしてから生前に戻りたいもの! 
 幸せな人は、何があっても幸せであり、不幸の人は、何があっても不幸!
心の奥で、どう折り合いをつけるかどうかだ。 そういうこと!

・・・・・・
5171,閑話小題 〜ボ〜ッとしたデカルトの時間
2015年05月12日(火)
   * ボ〜ッとしたデカルトの時間
 御隠居の生活に入って、早朝からスケジュールとおりに時間を過ごしている。
その時間の中で一番大事なのがボ〜ッとした時間。だが、それが過ごせてない。
ひとつ終わると直ぐ、次のスケジュールに移行するため。 以前もふれた事が
あるが、宗教学者の山折哲雄が、早朝30年続けてきた座禅で、無念無想を諦め、
この時間帯は、デカルトの「ものを考えている」と思いつき、全身が解放された、
という話にハッと何かを感じとった。 最近、パソコンや読書の合間に、何を
するでなし、意識的に弛緩した状態でボ〜ッとしている。考えてみたら、現役
時代は何時もしていたことだが、問題は意識してボ〜ッとすることだった。
 〜その辺りの記述を抜粋〜
≪ 朝3時か4時に起きて、毎朝一時間ぐらい座る。毎日香っている線香一本
 燃えるのにだいたい50分前後。その一本を闇の中でつける。その明りを
見ながら座る。道元が言っている「無念無想」なんてのになれるものならなって
みるか、なんてやっていたけど、ぜんぜん無の境地にはならなかったですね。
雑念、妄想とズ〜ッと戯れている。30年近くこれをやって、「俺はもうダメだ」
と思ったのが50代の終わりぐらい。でも、もう癖になっているからとにかく
朝は座るんです。で、あるときハッと思った。「無念無想になろう」と思うから
いけないのであって、「ものを考えている」と思えばいいじゃないかと。
あっという間に全身が解放されたような気分になってね。「俺は今デカルトを
やっているんだ」と。道元の時間と思っていたからできないのであって、
デカルトの時間と思えばいいと。すると、何を考えてもいいわけです、金、
女性、喧嘩したこと…。「我考える、ゆえに我あり」。道元だって大部分
の時間は無念無想じゃなくて妄想と戯れていたんじゃないかと思ったのね。
それで瞬間的にパッと無の瞬間が訪れる。逆にデカルトだって、考えづめに
考えていて、ときには無念無想の時間に恵まれたことがあるんじゃないかと。
そうすると、道元とデカルトはぜんぜん違う世界の人間じゃなくて、彼らは
同じ時間を共有していたのかもしれない、そう思ったときはうれしかったね。
座禅が終わって五時ぐらい。それから本を読んだりものを書いたり。以前は
夜型だったんだけど、朝一時間は夜の3〜4時間に匹敵する、それがわかって
から夜は仕事をしないことにした。朝2〜3時間仕事をすることが、だいたい
自分のノルマになったかな。 ・・・。 ≫
▼ 数ヶ月前から、ブログを書上げネットにアップした後、それまでは、
 次のプログラムを直ぐに移行するが、その時、ただボ〜ッと全身を弛緩し、
ただ座ることにした。これが意外と難しい。要するに雑念が次々と思い浮ぶが、
その中に思いもよらぬ砂金が含まれていることがある。「我考える」とはいえ、
どうせ、碌なことしか考えてない。それなら、この随想日記のように、まず
禄でもないことから、考えればよい。元もと『禄でない』だから!
早朝の散歩も、ポタリングも、ある瞬間、『無念無想』の瞬間がある。
『エッ!俺、何時もボ〜ッとしている』って? それってバカじゃないか。

それってバカじゃない。
・・・・・・
4806,変えてみよう!記憶とのつきあいかた ー3
2014年05月12日(月)
          「変えてみよう!記憶とのつきあいかた」ー高橋雅延著
  * 自分も、人生も、記憶がつくりあげる
 記憶は、その痕跡として、自分でアレンジすることが出来るため、その蓄積
としての記憶は、その人自身が作り上げた要素が大きく加わっている。その時点
での、自己対話としての内的世界が重要になる。そして、その記憶もである。
時間の経過とともに、その記憶も修正されていく。
《 記憶は自己の同一性の基礎となっており、私たちの性格や生きかたに
 大きな影響を与えている。しかし、たとえそうだとしても大多数の人は、
記憶など自分の過去に起こったできごとの痕跡にすぎないと言うだろう。 
これから未来へ向かって生きていこうというのに、今さらどうしようもない
過去の痕跡にかかずらっている時間はない、と。しかし本当にそうだろうか。
 先ほどのTさんの話の中には、未来に向かって生きるためにもやはり、
記憶が重要なことを示唆する一幕がある。記憶喪失のために八年間の記憶を
すべて失ったTさんは、当初、何とかしてその記憶を取り戻そうと焦っていた。
母親はそんなTさんに、誰もが365日すべての記憶があるわけではないのだから、
過去にこだわるよりは、今から何かを始めればよいと言ったそうだ。しかし、
それに対してTさんは、「今まで何をしようとしていたのかを知らなければ、
前に進むことができない。それを知らなければ生きている意味がない」
と言ったという。 このことに関連して私が思い起こすのは、戦後40年目に
おこなわれた当時の西ドイッのヴァイツゼッカー大統領の演説だ。
ヴァイツゼッカー大統領はこの演説の中で、第二次世界大戦のナチスドイツに
よるユダヤ人虐殺について深く謝罪すると同時に、「過去は神でも変えられぬ」
という台詞で、過去を変えることができないことを強調した。しかし、だから
といって過去を封印しようというのではなく、彼は「過去に亡目になる者は
現在に目を閉じることになる」と続け、過去を知り、それを現在に生かすこと
の大切さを訴えかけたのだ。基本的には、私たちの記憶もこれと同じではない
だろうか。自分の記憶をみつめることで、それを現在に生かすことができ、
記憶は未来への航海へと漕ぎ出す原動力となるのではないだろうか。》
▼ 記憶といえば、日記に書かれていたかどうかで、大きく違ってくる。
 だから、ネットや、日記帳に、書き込んでいる。そして、毎年の同月同日分を
読み返しているが、なるほど、自分の加工が大きく入っている。それが「自分」
ということになる。ということは、それぞれが自分史を生きているのである。
今さら書く事もないが、より足取りを確かにするためには、書いておいた方が良い
のだろう。改めて、何気なく繰り返し思い出している記憶が、実は、自分が大きく
加工したものでしかないとすると、やはり共同幻想、幻覚の中で生きているだけ
ということが、少しは自覚できる。最近、ブログで過って行った先の写真を
ネットからコピーし、ブログに載せているが、これが、当時の記憶を彷彿させる。
 これも、当時の記憶の再生と、再体験になる。行ってなければ、注目もしない
だろうし、どんな写真より、当時の感動の方がはるかに良い。過去の再生と
体験と同時に、新たなる未来のためにも、常に、記憶の手入れが必要になる。
・・・・・・
4439, 「死ぬのが怖い」とはどういうことか ー9
2013年05月12日(日)
      ー「死ぬのが怖い」とはどういうことかー前野 隆司著
 ーこれまでの7つの登山道を更に簡略すると、次になる(後書きより)ー
・ ルート1は、心は幻想だと理解する道。
 脳神経科学の知見から考えると、意識される今は幻想だ。
 今とは、未来や過去が調整されて今だと思わされているに過ぎない。
 自分が主体的に行っているとリアルに感じる意思決定も、そうしていると 
 思い込んでいるだけだ。
 僕たちは「生きていると錯覚しているだけだ」と考えざるを得ない。
・ ルート2は、すぐ死ぬことと、あとで死ぬことの違いを考える道
 所詮はいつか死んでしまう、ということから人生を考えると、今死んでも
 あとで死んでも同じよなものだ。人生は死刑のようなもの。だが、それは、
 悲観的なものではない。生まれてきた奇跡を、この宇宙的ラッキーを、
 ポジティブに捉えようではないか。死ぬことが悲劇なのではなく、
 生きていること自体がすばらしい奇跡なのだ、と。、
・ ルート3は、宇宙サイズの視点に立って、自分の小ささを客観視する道。
 138億年前にできて、直径276億光年のサイズを持つ巨大な宇宙。この宇宙
 スケールから見ると、何て人間は小さいことか。しかも、地球上に70億人も
 うごめいている人間。あなたはその中のたったの一人に過ぎない。全体から
 見ると、あなたが自分の死にこだわることは、極めて部分的些細なこと。
・ ルート4は、主観時間は幻想だと理解する道。
 客観的な時間は、138億年にわたって、一秒ずつ確実に時を刻んできた
 かもしれないが、主観的な時間は、それとは異なる。過去と未来は圧縮され、
 生死のところで長さがゼロになる。しかも、それは幻想だ。あなたの過去は
 記憶にしかないし、あなたの未来は想像上の産物。あなたには今しかない。
 あなたは、今しか感じられないのだ。時間などない。だから、あなたの主観
 時間に、死の入り込む余地はない。
・ ルート5は、自己とは定義の結果だと理解する道。
 自分がいて、生きていて、考え、行動し、いずれは死んでいく。
 そう考えるのは、近代西洋流に、自と他、生と死、主体と客体、能動と受動
 といった二項対立図式でものごとを捉えているからに過ぎない。それが正解
 ではなく、ものごとを考えやすいように、そのように定義しているだけだ。
「自分」を定義するから自分があるかのような認知が行われ、「死」を定義する
 から死を恐れている気がするに過ぎない。もともと、世界は単に全体として
 世界であるだけであって、自分も死もないのだ。
・ ルート6は、幸福学研究からのアプローチ。
 幸福になるための因子は、自己実現と成長、つながりと感謝、楽観性、他人の
 目を気にしない傾向。これらを満たすのは、自己を捨て、無我・無私を実践
 できる達人の生きかた。・・ここに到達した人は、持続的な至福を感じる
 ことができる。逆に、持続的な至福を感じられる人は、達人の域に
 到着することができる。・
・ ルート7は、リラクゼーションと東洋思想からのアプローチ。
 そこには、リラクゼーションからでも座禅からでも、念仏からでも達する
 ことができる。いや、ルート6のいずれからでも到達することができると言う
 べきだ。 何しろ、もともと同じ山を登っていたのだ。 登頂した先は、
 同じところ。死を恐れない境地。それはそのまま、生を満喫出来るところ。
 昔の人は、科学技術の知見がなかったから、仏教哲学によってしかそこに
 到達できなかったのかもしれない。しかし、現代人には科学技術がある。
 脳科学の知見は意識が幻想だという事実を僕たちに突きつける。
▼ <私たちの心は幻想でしかない。137億年の時空の自分は小さな存在、
 そこでの主観時間は幻想。それを感じている己も定義でしかない。そこでは、
他の人との比較に目を奪われることなく、深くリラックスをしていれば良い>
が活きるコツ。ひたすら今を活き活き、楽しめばよい。背中に羽をつけた
天使のようになるに、まだ重い。せっかくサバンナに出てきたのに。
・・・・・・
4065, お金と神 ー1
2012年05月12日(土)
 * 「お金=信用」と「神=信仰」は似ている 〜�      
        ー「お金の執着」が経済を狂わせるー小野善康 より
金とは何だろう?と長年考え続けてきたが、金と神との同定の視点が面白い。
両者ともバーチャルの信頼で成り立っている。一部の支配者が神の信託に、
紙幣の信託の類似性をみて発明したのが金で、両者とも共同幻想の最たるもの。 
 ーまずは、抜粋から。
≪ 金と神は似ている。一般に、金とは汚いもの、神とは聖なるものと言われる。
いずれ実体のないバーチャルなものなのに、人びとの行動に大きな影響を与える。
適度に使えぱ人々に安心と幸せをもたらすが、行きすぎれば人生を狂わせる。
宗教が狂信者を生んで世界を恐怖に陥れるように、現代における金への強い執着
は、人々に購入を控えさせ、不況を生み自分たち自身を失業に追い込んでいる。
◎ 宗教とは、リアルな物欲が生む煩悩から逃れるために、人間が頭の中に
 作ったバーチャルな世界である。それはときとしてリアルな物より人間行動に
強い影響を与える。純粋にバーチャルな神という概念をそこまで高めるのに、
人間は多くの過程を経てきた。はじめ神は嵐や雷、山や川など、自然物や自然
現象と結びつき、それらのリアルな脅威や恵みが、直接の畏敬の対象だった。
その後、徐々に抽象化されていく過程では、多くの装置を必要とした。装置とは、
大伽藍であり、宗教画や彫刻であり、神話や経典である。それらを使って
人びとに極楽浄土や天国を信じさせ、信仰に導いた。この段階ではまだ、
宝石や黄金、美しい花や天女など、極めて世俗的な妄想を抱かせている。
しかし、宗教の抽象化はこれに留まらい。禅宗に至っては、脳内での世俗的な
快楽や美しさへの想像さえ否定する。すべては無であるという禅宗の経典、
般若心経では、直接的な物欲だけでなく物への妄想さえ捨て去ることにより、
心の平安を得ようとする。これによって宗教は完全にリアルから切り離され、
バーチャルな観念へと昇華きれる。 
◎一方、お金はどうか。ーつづく ≫
▼ お金の亡者は、金を神のように崇める人をいう。世の中の9割方の問題が
 金で解決出来る代物なら神様より頼れる紙切れである。神が共同幻想なら、
それを信じている世界では通用するが、通用しない世界では、紙切れの存在で
しかない。信じばこそ、そこに価値が出るもの。その価値を生み出すための装置
の重積で、妄想から信仰に昇華させていく。資本主義における神こそ、金である。
アメリカのドルと国債こそ、神に近い存在であった。それも今や、そのカラクリ
(欧米の資本主義)が崩壊しつつある。


5900,閑話小題 〜病は覚醒装置である 〜2

2017年05月11日(木)

   * 私は他人に頼ることを学ばなければ
 あと2〜3年で、健常年齢の平均に達する。著者の立場に今日明日にも以降
の可能性があり、他人事の話でない。腰痛は、週4回、ヨガ・エアロに参加を
しているに係わらず少しずつ悪化。著者ほどの無頼漢ではないが、年齢が年齢。
長年の不摂生で、他にも支障が出てきた。〜以下は、納得する。
≪ 「ひとりで生きていける人間」の条件に、経済力、精神力だけでなく、
もっと大事なことがあった。それは「健常な肉体」。身体が自由に動くこと… 
そんなのは当り前すぎて、そこに思いはせることが出来なかった。
 そこにこの病が降りかかった。私は為す術もなく、ひとり立つことも歩くこと
もできなくなった。他人に依存しなくてはならない人間になってしまった。
 なんという皮肉であろうか。神が私にこう囁いた気がした。
「ひとりで生きていけるだと?思い上がるんじゃない。おまえがどんな弱い
 存在か教えてやろうか」。辛辣な神は、いつも私に手酷い罰を与える。だが、
今度の罰ほど酷いものはない。自立した成人から一気に赤ん坊に逆戻りした気分。
自殺をしようにも出来ない自分はますます絶望した。ひとりで生きていけると
放漫にも嘯いていた私は、このような身体にならなければ、ずっとこのまま
生き続けただろう。他人に頼ることを恥じ、他人に依存する者たちを見下し、
自分は強い、自分は偉いと思い込み、高い城の天辺でひとり悦に入ってたこと
だろう。その城がどんなにキジャクな地盤の上に建っているか知る由もなく。
病を経て、誰かに手助けをもらっても、それは恥ずべきことではない。ひとりで
生きていけなくとも情けないことではない。そもそも人間は、他者を必要とする
生き物なのだ。人に頼らない人間は、人に支えられていることに気づけず、人に
感謝する気持を忘れてしまう。その末路が、どんなに寂しいものであろうか。≫

▼「他人に頼ることを学ばなければ」の言葉には…ショック。老いるほど、他人
 に頼らざるをえなくなる現実がある。不摂生をしてきた分、返り矢が突刺さる。
半年ほど入院していた間に連載の仕事が殆ど来なくなり、「病欠後、復帰しよう
とした初老の会社員がリストラされた気分になった」という。まだ中年?だから、
現役気分なのだろうが、作家の仕事は、そう甘くない。
 そうか、私は今まで「アウトサイダー」と肩肘を張っていたが、老いれば、
コテコテの捻ねた弱者でしかない。私は、何かどえらい事を学んでこなかった?
「他人に頼ることの学び」は、ありきたりだが、『感謝の念』を正一点無にし、
強めることか。身につまされた‘中村ウサギ’ちゃんを通した忠告の言葉である。
<辛いの〜 老いていくのは!>  いま出来ることは、垂直に立った、
 今日一日を、楽しむしかない! 

・・・・・・
5535,魂とは、善なる方向に向かっていこうとする意思
2016年05月11日(水)
    * 魂とは、善なる方向に向かっていこうとする意思
 魂とは何かについて、様ざまな諸説を学んできたが、
<魂とは、善なる方向に向かっていこうとする意思>の説の切口は新鮮。 
そこで思い出したのが、中村天風の言葉。 ソクラテスは、2500年前に、
魂の進化こそ人間の目的という。
  〜天風の哲学から〜
≪ カリアッパ師は遠くの空の彼方を見つめ、誰に言うともなく、つぶやいた。
【お前には人生観らしいものが何もない。その場、その場を生きているだけだと
言われても返す言葉もない。アメリカで医学とやらを勉強したらしいが、逆に
その知識が災いして、ちょっと咳をしても恐れ、不衛生だといっては神経をすり
減らし、オドオドばかりしてる。枝葉末節の学問ばかりして、一番肝心の、
『私は何をするために、この世に生まれてきたのか!』ということを考えてない。
本末転倒もいいところだ!それだったら、死でも仕方がないな。そこから立て
直さなければダメだな!】 カリアッパ師は言った。
【何をするためにお前は遣わされてきた!そのことを考えたことは あるのか!】
 これは、<私たちが生きている意味は宇宙の進化に 同調すること>であると。
教義の最終目的はアートマン(自分)がブラフマン(宇宙)に合 一すること。≫
▼ マルクス・アウレリウス、<人間の心で行う思考が、人生の一切を創る。>と、
 中村天風は、<私たち は自分が考えた通りのものになる。 そのすべてが、
この宇宙を動かしているのと同じエネルギーの力を得ている。> と、いう。
この宇宙の意思が魂ということ。善なる方向に向かおうとする意思こそ、
最も大切なことである。毎朝、仏前で、「この世の全ての人が、善くあります
ように!」と、祈ってはいるが、世人の例外があまりに多すぎて・・
〜これもまた、以下の内容に丁度よくつづく!「良い人」を止めると楽になる。
ハイデッガーのいう、「世人」相手でなく、己の良心に従えば、「ろくでなし、
結構」になる。「世人」の無知はよくない。善い方向(知識)を知らなくては。

・・・・・・
5170,人生相談という気晴らし! 〜②
2015年05月11日(月)
              『人生、しょせん気晴らし』中島義道著
   * 「いい人」やめて、「ろくでない」になれ
 母親の痴呆症と5年半の間、付合ったこともあり、相談者の切実な気持ちが
手にとるように分かる。兄弟の微妙な関係もあって、そう簡単に事は進まない。
ただ「いい人」を止めてしまうことには大賛成だが、「いい人」は簡単に止め
ようがないもの。介護は、それなりの強さと覚悟が必要になる。「ろくでなし」
にも、覚悟が必要。 正常と非正常の間を彷徨う肉親との同居は重く疲れる。
≪ Q: 〜母親の介護で、自分自身が壊れてしまいそうです!〜
 私は四十五歳で、現在母親の介護をしております。母の介護をするために
仕事を辞め、現在無職です。私には、父、兄、弟がいるのですが、まったく
母の面倒をみようとしないので、男一人で母の介護をしております。
 その母も痴呆が進み、モノの判断ができなくなり、外でゴミを拾ったり、
真夜中に叫んだり、私もその対応に、やり場のない疲れが溜まっております。
もういっそのこと、私も介護を放棄し、母親に早く死んでほしい気さえします。
同時に私まで気がおかしくなりそうなのです。しかし、これまで母親に世話に
なったことを考えると、それも出来ません。このように思う私はやはり
「できていない」人間なのでしょうか?
A: 〜「いい人」をやめて、「ろくでなし」になりなさい!〜
 これも失礼ながら、いらいらする相談ですね。あなたは、私の嫌いな
「いい人」なんですね。これまた細かい事情はわからないのですが、真剣に
考えれば社会的にはいろいろ道は開けると思います。お母さんには息子が三人も
いるのですから、三人でお金を出し合って、介護士を雇う、老人ホームに預ける
等々。(お父さんはともかく)ご兄弟がそれに協力しないのなら、あなたが介護を
続ける代わりに、彼らにあなたの心的・肉体的負担相応のお金を請求してもいい
でしょう。お二人がそれさえ拒否するなら、その原因は二つ考えられます。
一つは、あなたのご兄弟が「ろくでなし」だということ、もう一つは、あなたが
「いい人」という名の「困った人」だということ。「ろくでなし」と「いい人」
が共存すると、だいたいいまのあなたのような状況に陥ります。「ろくでなし」
は、「いい人」を骨の髄まで利用し続け、「いい人」は全身不満の塊になって
恨み続けるというわけです。一般に、人がある限度を超えて耐えるとき、碌な
結果を呼ばない。だから、なるべく避けたほうがいいのです。・・(略)
 あなたがお母さんを(間接的にでも)殺さないうちに、あるいはあなた自身が
「気がおかしく」ならないうちに、あなたは大変身する必要がある。つまり、
「いい人」をやめて、ご兄弟と同じように「ろくでなし」になることです。
そこで、私の提言はただ一つ。一度みんなを集めて、「俺だけおふくろの面倒を
見るのはおかしい!」と大声で叫んでみてはどうでしょう。「もう介護はやめる!」
ときっぱり宣言してはどうでしょう。つべこべ理由を言う必要はない。ことの
おかしさは、どんな「ろくでなし」にもわかるはずですから。一度、そういう
修羅場を経由しなければ、そしてみんなが全身ひりひりするほどの痛みを覚え
なくては、何も変わらない。もっとも、あなたがどうしてもそうしたくない、
そういう勇気がないというのなら、仕方ないですね。お母さんが死ぬまで、
あなたは介護を続けるしかないでしょう。お母さんを恨み、ご兄弟を憎み、
そして自分を責めて生きるしかないでしょう。≫
▼ 介護には、周囲の無理解がついて回る。「まだらボケ」が、その一つ。
 第三者が居るときには、緊張が入った正常状態に近いため、痴呆症の人との
同居経験がないと、「聞くと見ると大違い」と、勘違いをしてしまう。
で、「ろくでなし」と決め付けられる。 当人は今さら何をか!
私自身を振り返ると、見えてくるのが、「ろくでない」「いやなやつ」の影。
・・・・・・
4805,閑話小題 ー倒産よもやま話 ー⑥
2014年05月11日(日)
   * 当事者の隠れた心理とは
 其の辺の視線から度々、思うことは、当事者の心理まで解ってないこと。
ホテル建設の準備と立上げほど面白い仕事はないのでは? 実感として、その
トータルと、軌道にのせた時に、その金額分の元を既にとった実感がある。
これは事業創業と同じであるが。クルーズが好きで、趣味が興じて、その設計
から建設まで、造船会社と打ち合わせをし、造りあげた船が10年、20年後に
難破して命からがら助かったとする。その時、誰かが、「惜しかったですね!」
と言われた気持ち?が、こんなもの。「いや、これだけ楽しんだから、未練も
悔しさもない!海から引退する身にとって、下手に中古品で残っているより、
この方が危険な遊びより解放されて、むしろ良かった」が本音。 第三者は、
難破して命からがら救われた、姿しかみてない。しかし、当事者は、その辺り
が周辺の視線とは全く違う。これも、救命用具と救命舟を用意して、命からがら
助かった?からこそ、言えるのだが。 で、ボートしか乗ったことがない人ほど、
その時に勝手な揶揄をすることになるが、その面白さが、何ものにも代え難い
ことは知る由もない。人は、それぞれ、頑固な岩場の小さな洞窟内のことしか、
知りえない。それは、あくまで、大小の大きさの差でしかないが。
 私の身近な人の心理が、こんな心理もあった?ということを、自分が経験して
初めて知ったこと。両親の生き様の後ろ姿から、「人生には、何が起こるかも
しれない、だから、その時々の楽しみは、その時に、味わうことを、子供ながら
学んだ。それにしても、9割以上の何も考えない人たち、何をしているのだろう。
年金生活に入っても、収入の二割は漠然たる目先に不安のため、預金をして、
死期が迫ってから、この世に、したいことをし得なかった無念と、預金を残して
死んでいくのだから、恐れ入る。 で、「そのお金もない、したいこともない、
無念もない!で、どうした!」 これはこれで、おめでたいこと。これも、
目くそ鼻くそを笑う範疇でしかないが! 王陽明もあるが、論語もあるか?
 
・・・・・
4438, 「死ぬのが怖い」とはどういうことか ー8
2013年05月11日(土)
    ー「死ぬのが怖い」とはどういうことかー前野 隆司著
 * ルート7 リラクゼーションと東洋的思想からのアプローチ(思想の道)
「いい湯だな」と「悟り」は同じこと。両者とも「リラックスの極致=悟り
ということ。 笑いは緊張とリラックス(弛緩)の間に生まれ出る。喜劇や
お笑い番組の束の間に悟りがあるのか? お笑い芸人が果たして悟りをひらいて
いるのか? という疑問が出てくる。しかし「深いリラックス」が、悟りと
笑いにある。早朝のミニサイクリングで信濃川の土手を音楽を聴きながら、
深呼吸をしている時の気持ちは悟りの心境。深くリラックスをしてないと、
自分が壊れてしまう恐れもある。逆に悟りに近い心境は自ずから
リラックスの状況を求める。
 −その辺りを抜粋ー
≪ 先ほどの達人の境地や禅僧の姿はこれに通じるものがある。自分を磨く
ことによって至ることのできる境地。 これに対し、リラックスの境地は、
「世界を貫く原理原則を知った」状態とは異なるように思えるかもしれない。
しかし、そうだろうか。リラックスの境地は、我欲や悩みやその根源である
身体の不自由さから解放された境地だ。心が無であること、あるいは、幻想で
あることを、体で理解した境地だ。「ああ、世界での幸福なあり方とはこう
いうものか」と体で理解した境地だ。そう考えれば、リラックスの境地は、
「世界を貫く原理原則を知った」ことと等価ではないだろうか。「体で理解」
する点が、禅宗の「不立文字」とも関係している。先ほど述べたように、
禅宗では、悟りの境地は言葉では言い表せないものだと考える。右で述べた、
体で理解した境地とは、まさにこのことだ。 頭で理解したのではない。
体で理解したのだ。体で、世界を貫く原理原則がわかった、と実感したのだ。
よって、リラックスの境地は禅宗の悟りの境地と同じものだ、と体で理解
しさえすれば、同じものなのだ。ただ、古代仏教では、禅宗とは違って、
悟りの境地を論理として理解しようと考える。これはどう捉えるべきなのか。
僕はここにも矛盾はないと考える。矛盾か矛盾でないか、自己か他者か、
実在か幻想か、論理か感性か、頭か体か、という対立図式を超えるのが
仏教哲学の論理だ。・・・ 〜(略)湯船につかって「あ〜あ、きもちいい〜」
と思う瞬間。これは大金持ちでも、貧乏人でも同じ。育ちも実績も関係ない。
欲も悩みもない。何も考えない。ただ、「あ〜あ、きもちいい〜」に集中
している。実は、あっけないことに、これが「リラックスの極限」=「悟り」。 
あらゆる欲を超越し、過去も未来も超越し、静かで満ち足りていて、心の
安らぎと平和を享受している。悟りや涅槃の定義にぴったり一致する。
 そうはいっても、リラックスの境地と悟りが同じとは ーしかも、
よりによって、風呂の「あ〜あ、きもちいい〜」と悟りを同一視するとはー 
あまりに突飛で不謹慎な考えだ。そう思われる方も少なくないかもしれない。
が、そんなことはない。期せずして、あるチベット仏教のアメリカ人僧侶は、
悟りとは深いリラックスだと述べていた。≫
▼ 起業を決意してから45年間。三つのブラックスワンで、この結末。
 オセロで、白石が全て黒に変わったようなもの。しかし、人生にとって
ベストと数ヵ月後に気づいた。50歳の節目時に、「還暦までに、それまでの
人生を圧縮して生きる」と決意して、その通り実行してきた。しかし、
まだ何かが足りなかった。そこで気づいたのが、悟りが全く足りなったこと!
・・・・・・・
4064, 思想とは
2012年05月11日(金)                   
  * その人の思想とは一つの行為である    
           ー「人生を励ます黄金の言葉」中野孝次著 より 
 ≪ ――自分に実感がなければ、ひとを掴めるはずがない。
   心の底からほとばしって、聞いているみんなの心を
   ひたむきな感動で引っ張ってゆくのでなけりゃだめだ。
   今日も明日も机にへばりついて、膠で接ぎ合わせたり、
   他人の賞味したお余りでこった点をこしらえたり、
   掻き集めた灰のなかから 貧弱な火を吹き起したりするのでは、
   子どもや猿どもには感心してもらえるかも知れん――
   それがきみらのお望みならばだ。しかし、真実、良心から出たもの
   でなければ、けっして心に達するものではない。(ゲーテ「ファウスト」)
  そういう声を聞くと、心を打たれると同時に、なるほどこの人はそういう
  人かと、そこにたしかな一個の存在を認めるだろう。この人物には思想が
  ある、と。すなわち思想とは、つまりその人が断乎としてそのように考え、
  そのように生きる、その生き方の言葉や行動にあらわれたもの、という
  ことになる。自分の生き方の全部を賭けた言動だけが、思想の名に値する。
  そこから小林秀雄の、次のようなはげしい断定も出てくる。≫
 ≪ ――精神の状態に関していかに精しくても、それは思想とは言へぬ、
  思想とは一つの行為である。 (小林秀雄『私の人生観』より)
  口で言うのならどうにでもなる、とよく人はいい、これはとくにわが国では
  支配的で、政治家の言口葉などはその標本のようなものだが、そんなふうに
  言葉=意見を弄んでいる者は、ついに真の自己に達することはできないだろう、
  というのである。なぜなら、ひとは自分がしんから正しいと考えたこと
  (それはその人の生き方から出た必然の思想である)を口にする時、己れの
  全存在を賭けてそれを言うのであり、それが周囲に認められ、あるいは
  否認されることで、己というものを知るのだから。≫
▼ 11年間、ここで書き続けてきた効用は、この実感がないことは逆に、
 書けないということ。だから出来事に直面したときの実感を、その場で文章化
して頭に残して置いて、記憶に残す習慣が出来てしまった。写真家は、シャッター
チャンスを待つが、その間、頭の中で、その場の光景の実感を文章化している。
写真に添えられている文章は、だから写真を引き立てる薬味になる。思想とは、
真実、良心から出たものでなければ、心に達しないのである。心にとどくのは、
自分だけの頭で考え、経験し、感じた実感である。読書日記より、書くネタが
なく仕方なく捻り出した「閑話小題」、「つれづれに」のテーマの方が面白いと
言われるゆえんである。


5899,『しあわせ仮説』 −5  

2017年05月10日(水)

           『しあわせ仮説』ジョナサン・ハイト著 
   * 危機にぶち当たった時の対処   
≪ 人は危機に当たった時の対処に主に3つの方法で対処する。
・能動的対処:(問題解決のための直接行動)
・回避的対処:(その出来事を否定したり、薬物などで気を紛らわせたり)
・再評価:(思考を正したり、希望の兆しを探したり、心の内部を変える)
楽観主義者は、能動的対処と再評価の間で揺れて、対処の中で能動的
物語の粗筋をつくっていき、悲観主義者は回避的対処と再評価の間で消極的
物語、意味づけをしていく。楽観主義そのものに意味(価値)があるのでは
なく、楽観主義者がたやすく見出す「意味づけ」にある。〜P/217 ≫ 

▼ 態度価値といえば、フランクルである。 彼によれば、
【人間が実現できる価値は創造価値、体験価値、 態度価値の3つに分類される。
・創造価値とは、人間が行動したり何かを作ったりすることで実現される価値で。
仕事をしたり、芸術作品を創作したりすることがこれに当たる。
・体験価値とは、人間が何かを体験することで実現される価値である。
芸術を鑑賞したり、自然の美しさを体験したり、あるいは人を愛したりする
ことでこの価値は実現される。
・態度価値とは、人間が運命を受け止める態度によって実現される価値である。
病や貧困やその他様々な苦痛の前で活動の自由(創造価値)を奪われ、楽しみ
(体験価値)が奪われたとしても、その運命を受け止める態度を決める自由が
人間に残されている。】
 これから危機の対処方法をみると、人間としての生きる意味そのままが現れ
出てくる。再評価が態度価値になる。「受け止め方」を変えることになる。
価値実現のために、「意味づけ」「物語化」が必要で、態度価値を冷静な視線
で捉えておかなければならない。6年前の節目で、まず整理したのが、態度価値。
危機はチャンスでもある。チャンスは、節目を全身で叩きつける切れ目を凝視
する機会にすること。新たな支点で世界をみるための既成概念を叩き壊すこと。
 危機があればこそ物語が生まれる。世界が広がっていくのである。

・・・・・・
5534,若者よ、外に出よ! ー⑬ 19世紀の芸術に触れろ 〜B
2016年05月10日(火)
               『人生の教科書』なかにし礼著
 ここで、若者に、<海外に出て、自然と、芸術作品に触れ、読書などで
教養を積み、恋愛をしろ>と勧める。これは若者だけでなく、壮年、老年に
も言えること。情報化社会の中で、クラシックをジックリと聴く余裕は少ない。
しかし、今ではアイフォンがあり、何千、何万の音楽を入れておくことが可能。
更に今では、定額のネット配信で好きな音楽を好きな時間に聴くことができる。
そのベースとなる19世紀クラシック音楽鑑賞を趣味にすることを勧める。
  * なぜクラシックを聴くべきなのか
≪ 芸術を学ぶ際、音楽なら、黙ってクラシックを聴くこと。いまだに
クラシックは不滅の音楽なのだから、それを聴くことが趣味になれば最高だ。
たとえ趣味となり得なくても聴くべきである。
 特に、やはり19世紀の音楽。18世紀にはモーツァルトがいるけど、彼の死後、
すぐベートーヴェンへ、19世紀の音楽へと繋がっていく。ベートーヴェンから
始まって、シューベルト・ショパン、ブラームス、ワーグナー、マーラー、
ブルックナー、ベルリオーズ……とにかく19世紀だ。
 ロマン派の時代である19世紀は、前世紀の革命時代が終わり、
「人間は進化する」ことを人類が知った時代である。愛によって人間は死ぬ
こともできるし、愛によって罪を犯すこともできる。そして「人間は進化して
神にもなれる」という思想を、芸術家たちが作品の中に叩き込んだ。
19世紀は人間の可能性のすべてを歌いきった時代なのである。
 文学の世界でも、トルストイ、ドストエフスキー、バルザック・ユーゴ、
アレクサンドル・デュマ、スタンダール、ゲーテ、バイロン、シラー、ボード
レール・ベルレーヌ、ランボー、オスカー・ワイルドなど、大作家が生きた
時代はすべて19世紀である。
 19世紀という時代を常に自分の心の中に持っていようとするには、音楽を聴く
ことを日常の習慣にしてしまうことだ。この頃の作品は、今や不滅の作品群だ。
20世紀になるとそれらはすべて別の音楽になっていってしまうし、言うなれば
19世紀の残骸のようなものだ。19世紀の音楽を楽しめなかったら、その人間の
精神生活はすごく貧弱なものになると思う。 ≫
▼ それでは、絵画はどうだった調べてみると、
【19世紀はもっとも絵画が進化した時代と言っても過言ではない。現代絵画の
巨匠ピカソやマティス、ムンク、シャガールなど全員がその影響を受けている。
16世紀まではイタリアが、18世紀はフランスが芸術の最先端。ゴッホは19世紀
終わりの画家である。・・】とある。その背景には、国力の成熟もあるようだ。
学生時代に、安いステレオを買って、世界の民謡、ジャズ、アメリカン
ポップス、クラシックを独りコーヒーを飲みながら聴くのが楽しみだった。
 大都会の中の孤独は、音楽と読書でまぎらわすのが一番だったが、後から
考えてみると、大都会の中の孤独こそ、一番の環境だったことになる。
早稲田大学近くの寮、今でいう「シェアハウス」の25人の地方出の共同生活
から垣間見た人間観察と、クラブ、ゼミ、世界旅行と、恵まれた経験だった。

・・・・・・
5169,閑話小題 〜どっちに失礼?
2015年05月10日(日)
    * どっちに失礼?
 猿の赤ちゃんの「シャーロット」の名問題で、家内が『私も失礼だと思う!』
と言った時、思わず出たジョークが、『どっちが?』だが、反応はゼロ。
そのジョークを即座に理解出来る玉?ではないらしい。直ぐにブログに取上げ
ようとしたが、その辺の世間びとに配慮して自重した。 獣を軽くみるのは、
人間のエゴの思い上がりである。 朝日の天声人語が、上手い解説である。
≪ イギリス人はユーモアが好きだ。苦しいときほど必要だと考えるらしい。
 第2次大戦中、ロンドンはドイツ軍の空襲を受けた。動物園に爆弾が落ちた
ときは、タイムズ紙が「しかし、猿たちの士気はいささかも衰えていない」
と書いたそうだ ●考えてみると、これは「猿たち」が利いている。
猿山を眺めれば、彼らがわれわれに最も近い動物であるとよく分かる。
ゾウやキリンではあまり面白くない●古びた話を、大分市の高崎山自然動物園の
赤ちゃん猿の命名騒動に思い出した。英王室に誕生した王女と同じシャーロット
と名づけたら、「失礼だ」という批判が山と届いた。これも猿ゆえだろう
●ウサギやカピバラなら、騒動にはならなかったと思われる。ではカバはどうか
と問われると困るけれど、ユーモラスではある。英王室の広報は鷹揚に
「赤ちゃん猿の命名は動物園の自由」と語る。結局、名前はそのままと決まった。
「失礼」を案じた人たちも、先方の対応に少し気が楽になっただろうか
●ロンドン空襲に話を戻せば、半壊したある百貨店は「本日より入り口を
拡張しました」という看板を出したそうだ。やせ我慢で繰り出した泣き笑いの
ユーモアに、お国柄を見る思いがする。そういえばきのうは、英国にとって
対独戦の勝利から70年の日だった●健やかなプリンセスの誕生から世界注視の
総選挙と、英国発のニュースが続く。日本の皇室ともゆかりの深い王室である。
美しい5月の慶事を、遠くより祝福申し上げる。≫
▲ 今回の騒動について、文化人類学者は「人々の深層にある獣に対する
 差別意識が表れた」という。 また「一部の人たちが英王室の王女の名前に
日本の皇室を重ね、敏感に反応したのだろう」と。「(失礼なのは)どっちが?」
のジョークも、我ながら人類への皮肉である。 同じ島国でも歴史が違うと・・
   * 連休での渋滞原因とは
 連休での観光地の車の渋滞原因は、意外なところにある。高速道のトンネルを
抜けたときの陽光に、直ぐに眼が馴染めずスピードを落とす。その小さな積み
かさねが、数百、数千台が積み重なって渋滞になってしまう。その上、登り坂で、
少しスピードが落ちてしまうが、それに気づかないことの積重ねも渋滞原因に
なっている。要は、それぞれの小さな減速の重なりが、原因とか。 
それと、普段、遠出をしたことがないドライバーの不慣れが重なるため。
・・・・・・
4804,変えてみよう!記憶とのつきあいかた ー2
2014年05月10日(土)
       「変えてみよう!記憶とのつきあいかた」ー高橋雅延著
  * ある逸話
   ー‘あとがき’に、以下のような逸話があった。まず、その抜粋からー
《「サザエさん」の原作者の長谷川町子のマンガで、小学一四年生のときに読み、
 今なお覚えている作品がある。それは、一人の男の人生をめぐる、良い神様と
悪い神様の話だ。何の不自由もない家に、玉のような男の子が生まれた。
これを知った悪い神様は、どうもこれがおもしろくなく、この男の子の人生を
惨たん憺たるものにしようとシナリオを練る。そして、「男の子の身には次々と
不幸が起こり、紆余曲折をへて船乗りとなった挙句に猛烈な嵐に遭遇して、
最後は絶海の孤島に流れ着き、そこで人生を終える」というシナリオをつくり
あげた。はたして、男の子の身に次々に不幸が襲いかかる。しかし、良い神様が
それに気づいて彼を何度も助けたために、彼は幸せな人生を送ることになる。
ところがその臨終の場で、彼は自分の人生を振り返って、本当に不幸な一生
だったと言い出すのである。そして、自分の夢は船乗りになって、どこかの島で
人生を終えることだった、と述懐して息を引きとるのだ。二人の神様は、人間
とはよく分からないものと言って去っていく。これが私の人生の原点である。
幸せな人生とはあくまで本人が決めることであり、まわりがとやかく言う問題
ではない。もとより、記憶のざまざまな性質や、生かしかたを知ったからと
いって、幸せになれるわけではない。もとより、記憶の様々な性質や、その
生かし方を知ったからといって、幸せにはなれない。ただ、知らないよりは、
知っておいたほうが、みすみす損をしないだろうと思われるだけだ。・・ 》
▼ 何か、現在の複雑な気持ちの解釈に、大きなヒントになる内容である。 
 3年前の節目の数ヶ月前までは考えられない、「まさか、自分が!」が、
正直な気持ち。しかし、現在に至って、これが私の物語の終わりには、丁度
良いのでは?とか、こういうのも面白い?とか、何でまた?等、色いろ複雑な
気持ちが入り組んでいる。 絶海の孤島ではないが、結末がハッピーエンド
より、せっかく創業をしたのだから、倒産の終わりの方が、この筋書きとして
面白い?とか、この物語の解釈がある。これが私らしいというか、何だろう? 
要は、30年間、転身しなかった結果でしかないが。ストーリーの面白さは、
これで充分。「ああ、面白かった!」と、言えるだけでも有難い。 
神様は、丁度良いオチをつけたようだ。
・・・・・・
4437, 「死ぬのが怖い」とはどういうことか ー7 
2013年05月10日(金)
     ー「死ぬのが怖い」とはどういうことかー 前野 隆司著
  * ルート6 幸福学研究からのアプローチ(幸福学の道)
《 幸福になるための因子は、自己実現と成長、つながりと感謝、楽観性、他人
の目を気にしない生き方。それを満たすのは、自己を捨て、無我、無私を実現
する達人の生き方。欲にも、生死にも、他人との争いごとに拘らず、達観して
静かに生きる姿勢。ここに達成した人は、持続的至福に達することが出来る》 
これが、幸福学の結論。 現在の状況を冷静にみると、
「これが人生、で、もう一度同じ人生を歩みたい」という現在の心境と同じ。
  ー他人と比較しないことによる幸せこそ、人生の要諦。 その辺りよりー
≪ 幸福学とは、要するに、幸せに効く主観的な要因は何かを明らかにする研究。
 その結果、僕たちの行ったアンケートの範囲では、幸福の要因は大きく
 四つの因子に分けられることがわかった。
・一つ目は、自己実現や自己能力に関する因子。目標を持っているか、直近の目標
  と将来の目標に一貫性があるか、自己統制感が高いか、自尊心が高いか、など。
・二つ目は、つながりに関する因子。他人に対して親切か、様々な出来事に
  感謝しているか、多様な知人がいるか、など。
・三つ目は、楽観因子。楽観的か、ポジティブか。
・四つ目は、他人と自分を比べない因子。他人と自分を比較しない傾向が高いか。
 ここでは、四つ目の因子に注目しよう。 すなわち、「他人と自分を比べない
  ことによる幸福」について。 自分を他人と比較しない人には、長続きする
 幸福が訪れると考えられる。千五百人への調査結果も、それを表している。
つまり、千五百人の回答者のうち、他人と自分を比較しない傾向が強い人は
幸福である比率が高く、他人と自分を比較する
傾向が強い人は不幸である比率が高かったのだ。
 自分と他人を比較しない人々には二つのタイプがあると考えられる。
他人を見ないタイプと、自分を見ないタイプだ。前者は、自分だけを見て他人
を見ないタイプ。周りのことを気にしないマイペースタイプだ。 我が道を
行くから、周りなど関係ない。場合によっては、独りよがりだったり、わがまま
だったりするかもしれない。自分は幸せでも、他人には迷惑をかけている
「自分勝手」タイプかもしれない。後者の自分を見ないタイプは、逆に、
世界は見るが自分を見ないタイプ。何が欲しい、こうなりたい、などの自我の
欲求があまり強くないから、他人と自分を比べることにそもそも興味がない。
悪くいえば向上心や競争心がない。なすがまま、自然のまま、だ。
 たとえば、武道の達人をイメージしてみていただきたい。茶道、華道、座禅
などでもいい。 凛として、姿勢がよい。何かあっても、動じない。静を以て
動を制す。普段は静かだが、実は相手を倒す力を秘めている。無駄に力んだり
せず、相手の力をすっと利用して、自分の思いどおりに世界を動かす。しかし、
私利私欲はない。判断は大局的。全体が見えている緊張感のある空気を醸し
出すが、自分のためには怒らない。思考の対象は常に世界だ。世界のために
行動する包容力。名声を得ていたり、人望が厚かったりするが、決して自慢など
しない。 もちろん、他人と自分の比較などしない。≫
▼ どうも世の中、嫉妬と苛めの糸で哀れなほど。私住む城下町は長年の柵
 で、雁字搦めの蛸壺社会。8割以上が地元出身者で占められ、それが全社会。
学校関係者以外は殆ど付き合いがないが、垣間見えてくる世界は箱庭のようで
面白い。知識を持たない人の無意識の科学は、身近の人との比較しかない。
不幸になって当然。それも私の主観による思い込み。「横を見ないで、縦
(今、ここ、自分)を見て生きる」と割切ってしまえば、良いが。
・・・・・・
4063, 本当は怖い抗うつ剤 ー2
2012年05月10日(木)
  * うつ病になったら、どうしたらいいのか。      
              { 浜松医科大名誉教授 高田明和 }
 倒産の惨劇を身近で見ていたので、二年間は落ち込むのは避けられないと判断。 
最小にするためスポーツジム通いと、打ち込める対象を加えることを考えた。
一つ間違えると欝に伴う暴発か、破滅になっていく。それがiPadとシネマと
 蔵書の再読と、世界の潮流の鳥瞰などを、逆に徹底的に楽しむことであった。
それと、中村天風の「積極一貫」の思想書を、身近に置いて何度も読み返した。
二年にまだ一年あるが、一息ついた後半の方が危ないのかもしれない。
 その私が予防策でとった方法がそのまま、治療法として研究されていた。
運動と、考え方、受け止め方をプラスにすることだ。
≪ うつ病の治療法として確立しているのが「運動」である。体を動かすことが
精神によい影響を与えることは様々な研究で示されている。第二は「ものの考え方」
である。私たちは競争社会に生きている。競争とは相手に勝つことを目的とする。
もし負ければ落伍者になる。一度敗北すると、将来がないように思うのだ。
さらに大事なことは、どのような分野でも自分より勝れた人がいるという事実。
 例えば野球にイチローがいて、ゴルフには石川遼がいるのと同じようなものだ。
努力は大事だが、自分が及ぼないからといって自分を責めていたら人は決して
心の幸せは得られない。・・・堀口大學は自身の『座右の銘』という詩で
「暮らしは分が大事です。気楽が何より薬です そねむ心は自分より 以外の
ものは傷つけぬ」と詠んでいる。自分以外とは社会的ランクのことである。
今の自分のランクを受け入れ、それでよいのだとする以外に心は楽にならない。
禅では「不思善 不思悪」といって、思い出さないことをもって最も尊いとする。
といって、無理のことなら、思い浮かんだら、しばらく放っておいて手を出すな、
必ずその思いは消えると、禅では教えている。 実際に、どのような思いも
5秒で消える。・・・ ≫
▼ 「どんな思いも5秒で消える」は、言いえて妙である。出るのは仕方が
 ないが、なるべく、そこで切るように心がければよい。全ては二年で落着くし、
目先は五秒のフラッシュで出てきた思いの延長を考えないこと。特に寝付けない
布団の中での苦悩の嵐は、訓練で最小にすることが可能。 そのためにiPod
を枕元に置いている。最近は、ほとんど夜半、使うことはないが、音楽は効く。


5898,閑話小題 〜病は覚醒装置である

2017年05月09日(火)

 
   * 病は覚醒装置である
 二年前に、中村うさぎの手記の感想文を10回にわたって、いや、その前にも
幾つか書評を書いていた。女流無頼漢を地でいく内容が面白い。私のような半端
なアウトサイダーではない。だから心は傷だらけ。その血を文字に替えて書くから
内容はシリアス。一昨年の内容をブログ内検索をかけると、
 <「うさぎちゃん」が、心肺停止になって考えたこと!ー①2015/08/26
ーその時、言葉は私の「神」となる(新潮45/6月号)中村うさぎ著>である。
その直後にTVに出ていたが、最近は殆ど見かけることが無かった。
ところが先日、図書館で、新潮45。2月号に、彼女の手記があったが、現在、
死にかけた病を抱えたまま車椅子生活を過ごしているという。
知人に事故で車椅子生活を余儀なくされた人がいるが、心の内は如何ばかりと
思っていたが、それそのままを中村うさぎ女子が、代弁しているような内容。 
 社会といえば、経済社会が、その位置を大きく占める。倒産といえば、経済
社会では落伍者として葬りさられる。著者が語る言葉そのままが、現在の私の
奇妙な立場の気持ちそのままを表している。〜その一節より
【 私がもっとも苦手とするのは私の悪口を言う人々ではなく、私に一方的な
 幻想を抱いてそれを押し付けてくる人々だ。私の幻想を必要とする他者に、
私は一切の責任を負う気がない。だって、それは私が作った幻想でないからね。
あなたが自分で作り上げた虚像なのよ。そんなものを振りかざして私に勝手に
期待を抱かれても、困る。あなたに私を規定される筋合いはこれっぽちもない。
……(略) 病と、それに伴う喪失は、何だかんだ言いながらも社会の中に
ポジショニングされる自分を捨て切れなかった私にとって、痛烈にして効果的
な平手打ちだったのだと今では思う。いきなり身ぐるみを剥がされた時は、
まるで追剥に遭った気分だったけど、結果的には、裸にされたことで、私は
自分を取り戻せたのである。病は、私の覚醒装置だったのだ。】
 ー
▼ 6年前から現在に至る間に、小躍りをした様ざまの人が病や事故で倒れた。
 それからして、「私のエネルギーは? 彼らを排除する脳力を持つ?」
「私の覚醒装置が他者に働いた場合、彼らは「まさか」に遭遇する」という
物語を作り上げて怪奇現象?としてを眺めている。 同世代の倒れた人は、
遥かに深刻な内なるブラックスワンがいずれ自分に舞い降りるとは思わない。
己の死や重大事故が身近にあることに気づいていない。病も倒産も、確かに
覚醒をさせてくれている。数日前に書いた「素朴な実在主義者」の「純粋悪」
の汚水が年齢を重ねるにつれ満ちてくる。 生・老・病・死は、一体である。
 〜その幾つかより〜  (読み返してみて、「これじゃ病気なるわ!」)

2007/06/02
2251, ビョーキな人々探訪記  −1
才ノヽ∋―_φ(≧ω≦*)♪
             ー読書日記ー
      「変? ビョーキな人々探訪記」 著者・中村うさぎ
 
またまた「中村うさぎ」である。
買い物依存症の中村が、他の依存症の人と語る、際どい話である。
この変な人が、それに劣らないほどの変な人の病巣を浮き上がらせる。
やはり両親、特に父親との愛情不足の問題がある。
色いろ反省することが多い。
両親から愛情をたっぷり注がれたわりに子供には?等々・・・
ーまずは、その目次からー

 * 私たちって「変」ですか?うさぎと語る12人
ー目次
和田秀樹―「買い物依存症」になって考えた。人間はなぜ、心の病に罹るのか?
原田宗典―躁鬱病VS依存症。どっちがバカで、どっちが辛いか?ま、いい勝負だが。
本橋信宏―覚醒剤やめますか、人間やめますか?それとも人間やめたくて
     覚醒剤をやるんですか?
島村洋子―お互いのすべてを肯定する快感! だから恋愛って、素晴らしいと思う
横森理香―お人形さん願望と自己実現願望。エステサロンは女の業の吹き溜まり。
団鬼六 ―鬼畜のブランド買いVS鬼六のサディズム!さて両者の接点は?
尾崎弥生―やめられない、止まらない。餓鬼のごとく貪る、過食の恐怖…!
宮台真司―少年犯罪と依存症。他者への攻撃行動と自分への破壊行動は、
     正反対の存在か?
月乃光司―引きこもりからアルコール依存症へ。
     自意識の病は人を限りなく転落させる。
松本侑子―男であること、女であること。それって、そんなに大事なことなのか?
沢村拓也―ホストにハマった中村うさぎをベテランホストは救ってくれるか!?
苫米地英人ーなぜ、やめられない。なぜ、破滅したがる。
      依存症の不思議に、脳機能学が答える!
 ーーーー
この本の書評をいざ書くとなる難しい?
どこから書いてよいのやら、とまずは深呼吸をしないと、
それで上記の上から、気の向いたまま面白いところを抜粋してみよう。
下手な精神病理の話より、ずっと話の奥行きが深い。

 * 買い物依存タワーハッカー説
まずは和田秀樹の「買い物依存タワーハッカー説」より。
後楽園のタワーハッカーに乗るたび、とてつもなく恐怖と後悔を味わう中村。
だが猛スピードで落ちた後に押し寄せてくるのは、これまたとてつもない陶酔感と
異様な達成感で、全身が鳥肌立つほど興奮してしまうのだ。
これは「死の恐怖」に直面した脳が、恐怖をやわらげるための脳内麻薬を
ドッバーと分泌するからではないか。
そして、中村が浪費するたびに味わう恐怖と快感は、このタワーハッカーと
同じ現象が起きているせいではないか、と。

和田:「アルコール依存症」と「大酒飲み」の一番の違いは、
 ひとりで飲むか、誰かと飲むかの、ということなんです。
 いつも誰かと一緒に飲んでいる人は、依存症にまずならない。
中村:わかります。その気持ち。私は誰かと一緒に行く買い物はダメなんです。
 ひとりじゃないと絶対にヤダ。
和田:依存症状態になった人は、自分の内面に深く入り込みますから、
 ひとりではまっていくのです。

和田:何より、自己洞察の世界に入っていますから。これだけ自己分析が
 できるというのは、重症ではないと思います。普通なら、自分が見えなくなって
 しまうのが依存症の基本ですから。直そうと思っている時点で、充分治る可能性は
 あると思います。
 
 ーーーー
「秘境旅行依存症」というのがあるなら、少し「買い物依存症」に似ている。
この浪費で味わう事前の恐怖と達成感の快感は、タワーハッカーの現象に似ている。
いやまだあった、ニュージーランドと南アフリカでのバンジージャンプは、
この数百倍?の恐怖と達成感である。
それと「アルコール依存症」は一歩手前までいったと思ったが全く関係ない。
一人、黙々と飲むのが、特徴のようだ。 私が経験したのは、単なる大酒のみである。
ただ、守ったのは一人酒のハシゴ、この味を覚えたらアル中になる予感がしたからだ。
              see you again!(*ゝェ・)/~☆Bye-Bye♪
・・・・・・
「読書日記・映画鑑賞日記」のコーナー
2007/05/11
2229, 人生張っています −2
                (σ・з・)σオハYO!!
            『人生張ってます』−読書日記
   対談を終えてのインタビューの感想がまた面白い!
   ーー
 さすがの中村うさぎも、毒気を抜かれて「まだまだ、うさぎは青かった」と。
「私はそれなりに地雷を踏んできたなと思っていたが、世の中には私の
踏んでない地雷がいっぱいあるものだと、勉強になりました」と脱帽。

 30歳前後位で、女はみんな迷ったり模索するじゃないですか。
その時に暴走しちゃったらするんだと思うんですね。
私の買い物もそうかもしれない。
5人の場合も折り合いがついてないのかもしれないが、
「私はこっちの道を行くと決めた」というのがあって。
こんな人にはなってはいけない。

「あなたはあなたなりの道が用意されているわけで、それはあなた自身が決めないと
いけないんだ」ってこと。誰かから決めてもらって押し上げてもらって
押し上げられた人は誰もいない。ある程度のところで決断して、捨てるものは捨て、
受け入れるところは受け入れて、自分の売りとか生きていくキャラの方向性を決めないと。
「これが私なんだ、こんな私はどうよ?」という腹のすわり方は、読者も見習ってほしい。

 私のそういう瞬間は、第一次、第二次があるとして、第一次は離婚でしょうね。
あの旦那をわたしの人生から簀巻きにして放り出したところで、これでいいや
と思ったんです。それから浪費癖ですね。開き直ったんです。
「浪費作家・中村うさぎ」という名が売れるとは、想像もしてなかった。
ドン底にはまった時に、そのドン底がネタになるんですね。
ネタにしようとやっているわけではない。
    
 ーー
解)以上であるが、冷静かつ真面目に彼女等と自分を見据えている。
それよりも、すざましいウンコ話をパソコンに打っている自分が面白い?
秘境旅行は、一度の旅行に一通りの人生のトラブルが圧縮して立ちふさがる。
その一つが『デモノ・ハレモノところきらわず』である。

食事と飲み物と、時差の関係で、何時何処で、もようしてくるかわからない。
今まで、一度も失敗が無かった方が奇跡である位、何度も危機一髪の事態に陥る。
そんなことを恐れていたら、秘境旅行などできやしない。何とかなるものである?
だから、このエゲツナイ話が身に沁みるのである。
書き写すかどうか迷ったが、今さらである。
読まない方が良いですよ!と 言いながら・・・

こういう話は、タブーなのだろうが、この本は誰もが嬉々として
話しているところが怖い!ところだ。
  ー内容は、明日のお楽しみ?に!
  三人分の対談者の内容を書き写してある!
                ☆^(*≧ω≦)ノ~~~βyё βyё♪
・・・・・・
「読書日記・映画鑑賞日記」のコーナー
2007/05/09
2227, 人生張っています −1
             (*´・ω・)ノおはよー
           (((。・-・)从(・-・。)・*:
                    ー 読書日記                   
「中村うさぎ」については、もういい加減にしろ!と思いながら、
図書館で見つけると、ついつい借りてしまう。
エゲツナイ!の一言である。「人生張っています」は露悪という言葉など、
はるかに超えている。
「無頼の女たち」5人と語った対談は、互いの最悪を引き出したエログロものである。
こういう話は、世間様の枠から遥かに出ていて中途半端なお笑いより面白い!

花井愛子、岩井志麻子、マツコ・デラックス、西原理恵子、斎藤綾子とくれば
「たしなみ」など、ありえるわけがない。
「はみだし者」の世間の価値観におさまらないオバケのような妖怪女が
普通人の「常識」と違う「異世界」の話を展開している。
個性的な女同士のバトル的、際物的な、ぶっ飛びの話題ばかり。
中村うさぎが普通の人に思えてくるから不思議である。
女のシモネタの羅列も、ここまで明け透けの話すと、なるほど納得する。

西原が「私から悪いところ取ったら私がなくなっちゃうじゃない」
という言葉がよい。自分自身を丸ごと引き受けて生きている言葉である。
まずは冒頭の
       ー無頼な女たち宣言ー
 「きつねには穴があり、空の鳥には巣がある。しかし、人の子には
  まくらする所がない」 (マタイによる福音書第八章20節)
  諸君、我々には、あらかじめ用意された居場所などない。それ故、
  人はさまようのである。自分の居場所を求めて・・・・
  無頼な女たちとは、ねぐらを持たない行き方を選択した女たちだ。
  その道は自由で、孤独で、そして果てしない。
  人は彼女たちを笑い、彼女たちを恐れ、彼女たちに憧れるだろう。
  多くの物を背負いながら、何も持たないかのように歩いていく、
  その軽がるした足取りに。
  ーー
 人生とは何じゃらかんじゃら?などクソクラエである。
 世間?そんなもの何処にあるの?
 生きたいように生きて何が悪いの?
 変態? それじゃあんたはどうなのよ?
 新幹線の中で薄気味悪い笑いを浮かべながら読んでいるが、
  誰かが見たら不気味だろう!
                  ーつづく
 ☆^(*≧ω≦)ノ~~~βyё βyё♪
・・・・・・

「読書日記・映画鑑賞日記」のコーナー
2007/04/28
2216, 中村うさぎ                
       「女殺し借金地獄」 
              ー読書日記
書き写しながら、何でこんな文章を自分が?時間を潰していて、
果たしてよいのだろうか?と自責の念にかられる内容である。
男には、こういう文章はかけない?ものである。
アル中の、買い物依存症の、バカ女が、それを売りに捨身で文章にして、
生計をたてているだけの本でしかない。
それもブランド買いの世にも哀れな気の毒な底の浅さを売りに!
その哀れな女のサガが共感を得るのだろうが・・・。
一番嫌いの、そのバカさの露悪が、逆に面白いから取り上げている。
しかし、考えてみれば現象を変えてみれば自分の姿でもある。
お水の世界には、こういう人は意外と少ない。
虚飾を見抜いているからだろう?
    
ーとっておきの場面を抜粋してみるー
 ーー
P-177
その夜、私は、何人かの友人と、一気飲みのゲームをしていた。
何回か負けた後、「これはヤバイ」と気がついた。
これ以上飲むと、私ははいてしまう。これ以上飲めないと
宣告すると、友人たちは、苛酷な罰を私に課したのである。
「飲めないのなら、代わりに、ケツの穴を見せてもらおう」
吐くより、ケツの穴を見せるのは、ただ一瞬の恥で済むのではないか。
痛くもなければ、体調をくづすわけもない。そうせ、こいつら酔っ払いだ。
私がケツの穴を見せた事など、一晩たてば、すっかり忘れるにちがいない。
よ〜し、決めた!ケツの穴をみせてやるぜ!
私は不適にも微笑み、ぺロリと尻をめくってやった。
まさか私が本当にケツの穴を見せようとは誰も予測してなかったらしい。
たちまち、「ゲゲェ〜」「本当にみせるのか」というブーイング! (-""-;)
だが、私はケツの穴を晒しながら、勝利の快感に恍惚と酔いしれていた。
ざま、みろい!この中村うさぎを見くびっちゃ~いけねぇよ。
ケツの穴くらい、いくらでも見せてやらい。もってけ、ドロボ~!
たいてい、尻の穴を見せるぐらいならゲロを吐くと言うが、そうかな〜
しかしまあ、一つだけ、誤算があった。このことが一晩で忘れると
タカをくくっていた。が、彼らはしっかりと覚えていたのである。
旅行から帰ってしばらく経ってから、そのことを思い知らされたのである。
初対面の人から、「ああ、あなたが噂の肛門様?」と言われたのだ。(ー'`ー;)
二丁目の肛門様・・・それが、今の私のニックネームなのである。 σ('、`)
ま、いいや。生きていれば、いろいろ失敗もあるさ。
肛門様、いや、黄門様もいっているじゃないか。
人生、楽もありゃ苦もあるさ。わーはっは!(笑っている場合か)
 ・・・          "(;;、)ヾ(^^ )"

P−178
ところで、恥を忍んで告白すれば、私が他人にケツの穴を見せたのgは、
これが初めてではない。時は、今から10年前にさかのぼる。
その夜、私は、結婚した友人の家で酒を呑んでいた。その旦那と妙に
馬が合い、しばしば呑んでいたのである。
酔っ払った彼が、「チ〇コ見せるぞ」が口ぐせであった。
本当に見せるほどの勇気がないことを、私はヨーク知っていた。
そんなわけで、彼が「チンコ見せるぞ」と言ったとき、
わたしはせせら笑って、
「ふん!口ばっかりで、ホントに見せたら、あたしゃ、
ケツの穴を見せるモンね。」「ホントだな!」「ホントだ〜よん」
妻の友人に、このように嘲笑されては、男のコケン(股間)にかかわる
と思ったのだろう、やおらパンツを脱いで、「どーだ~と叫んだのである。
「へへへっ!驚いたか〜」と、彼は高らかにフリチンで笑った。
「さぁ〜、てめえのケツ、見せてもらおうじゃねえか!」
「おう、見せてやろうじゃん」
「ぐははは、よーく見ろよぉ〜!」  ┗(・o・)┛ナハ
私は叫んで、パンツをめくり、思い切り尻を突き出した・・・が、
その時、ガッツン!目から火花が飛び出た。
テーブルの四つ角に前屈みになった拍子に、額を嫌というほど打ったのである。
私の顔を見た彼が、すざましい悲鳴をあげたのである。
だらだらと、大量の出血をしてしまった。 ゲッ!!ε=(@.@;)
 ーー
 これ、書き写していて「バカじゃないかい! 書くほうも書くほうだが、
書き写している私はもっとバカか!」と、不気味な気持ちであった。
でも、これほど酷くないとしても、バカ騒ぎをしているのだろう、
酔っ払いは。ヘ(゜◇み)ノ~  ところで、自分は如何だったのだろうか?
まあ、忘れてしまった!    m(。^_^。)m
都合の悪いことは、どういうわけか忘れてしまう。
                 (・_・) ノ ホンジャ~


5897,閑話小題〜30年以上、毎日使ったコーヒーカップが

2017年05月08日(月)

閑話小題 〜 フランス大統領選挙
[
   * フランスと韓国の、大統領選挙
 昨日、フランス大統領選挙が行われ、明後日には韓国大統領選挙が行われる。
いずれも重要な選挙だが、フランスは、アメリカと違って歴史も、教養もある
文化国家、極右の大統領を選択する間違いはしなかった。
 〜今朝方のネットニュースによると、
【 仏紙ルモンドの出口調査結果では、得票率はマクロン氏が約65%で、
 約35%のルペン氏を上回り、当選を確実にした。7日午後7時15分現在の
暫定投票率は74.7%で、第1回投票を下回る見通し。】と、波乱は無かった。
 問題は韓国大統領選挙。結果によって北への服従政権の可能性が非常に強い。
瀕すれば貪するを地でいっている韓国。火の海になるなら、少しの妥協も厭わ
ないと考えても、不思議ではないが… それだけ深刻な事態ということか?
   
   * 30年以上、毎日使ったコーヒーカップが
 先日、注いだばかりのコーヒーが、カップの受皿に漏れていた。それを
家内がみつけ、『また〜あ』と、嫌味を言われたが、溢した覚えがない。
よく見ると、手もと部分にヒビが入っていた。30年以上も毎日使い続ければ、
当然だが、飽きもせず、よくぞ使い続けたもの。私を馬鹿にするに絶好な小話。 
どうぞ御使い下さいませ。 旅行先で、コーヒーカップを幾つも買って、飾り
だなに並んでいるが、たまに使うと、下々の者が贅沢なという嫌な顔をする。
『コーヒーカップは眺めるものでなく、時どき使って楽しむもの。地震で破損
すれば、ただのゴミ。』と、いっても納得しない。で、二回の地元の大地震で、
三分の一は破損しても、その後も、同じスタンス。その結果、一つのコーヒー
カップを30年も使うことに相成った。 気に入っていたカップだったので、
30年も使っていたのだろうが。 
  〜20年以上前になるが、もっと面白い逸話… 
 私としては少し値がはったが、気に入ったウォーキング・シューズ。
早朝の散歩や、海外旅行などに年中使って10数年。結果的は如何なることに。
靴底が磨り減って亀裂をし、水漏れのため使用不可能。
この手の話は尽きない。決して自慢できる話ではないが… 

・・・・・・
5532,若者よ、外に出よ! ー⑪ 天空のショー
2016年05月08日(日)
                『人生の教科書』なかにし礼著
   * 天空のショー
 人間わざ、大自然、そして宇宙へと、対象が一つずつ、ランクアップする。
自然現象、宇宙のテーマは、『人生の教科書』にはない、私の経験の話題になる。
 オーロラは太陽系の天空のショーで、地球上の自然現象ではない。だから、
その神秘な輝きに何か得体の知れない現象が感動を呼ぶ。テーマが、
「地球は」から、「宇宙は」に変る。 〜ネット検索によると〜
《 天体の無数の星星の間に輝くオーロラは、太陽から大気圏内へ、光や熱
 だけでなく、太陽風を降り注いでいる現象。この太陽風は、太陽の表面の
爆発によって放出されるプラズマ状の電気を帯びた小さな粒でできている。
この太陽風の粒は、地球の磁場を横切ることができない特性を持っていて、
地球の側面からは入ってくることはできない。それに対し、地球の北極や南極
の辺りの磁力線は地球に対して垂直になっているため、太陽風の粒は、地球に
入ることができる。こうして地球に入ってきた太陽風の粒が、オーロラを発生
させることになる。この極地方から入ってきた太陽風の粒が、地球から100〜
400Kmのところで、酸素原子や窒素分子などと衝突すると、光を出す。
これがオーロラの正体である。》 
 北極近くの天空をキャンパスにした神秘的な光のウネリは、気ままに姿を
現したり、消えたりする。その魅力は、映像では知ることは出来ない。
外に出続けた結果、出会えたのが、これである。〜10数年前の文章をコピー
――――
2003/10/14
923, アイスランド旅行記ー3
   2003年10月14日(火)
ーオーロラハントー
 数年前に、ノルウエーのトロムソにオーロラハントに行ったことがあった。
その時は「何だこんなものか」という程度で、期待とは全く違うものであった。
薄い雲がスジ状に光っているだけであった。だだ行きの飛行機から見たオーロラ
がカーテン状に広く光っていたが。今回も5日間で一日しか見えるチャンスが
無かった。夜になると寒くなる為か曇ってしまうのだ。
感動するような大きなオーロラのはそうそう見ることができないのだ。

 そしてたった一回だけの私にとって一生もののオーロラが出たのだ。
天空に展開した時の感激は、想像をしていたより遙かに神秘的かつ荘厳であった。
写真など撮っている余裕など無く、ただ呆然と見とれるだけであった。
これをどう言葉で表現したらよいのだろうかと考えていた。
 天空の黒をキャンパスに、滝が降るように頭上の両側に壁になり揺らぐ青白光の
波がこの世のものと思えない、神秘的なものであった。。
あとは「 ・・・・・  」である。

 取材できていた共同通信社のカメラマンが、
「このオーロラをどう東京の友人に説明したらよいか解らない」話しかけてきた。
「これは実際、この目で見るしか理解はできないでしょうね」と答えるしかなかった。
その時、涙が出そうになっていた。
 以前ツアー仲間から、この体験談を聞いたことが何回もあったが。
「もういつ死んでもよいと思った!」
「聞くと見ると大違い、実際見なくては!言葉で表現できない」
――――
H1201自然の神秘
−オーロラ−
旅行に行く度にツアー仲間よりオーロラのすばらしさを聞いて、機会を待って
いた。「この冬が十一年に一回のあたり年で五泊六日・三食付、十四万九千円」
の新聞広告に引きつけられ、ノルウェーのトロムソのオーロラ・ツアーに参加。
スカンジナビア半島の北極圏に位置した、北海道を思わせる質素だが、
豊かな上品な街というのが第一印象であった。丁度クリスマスのシーズンに入り、
それぞれの家が電飾で飾られておりお伽噺に出てくるような街並みであった。
トナカイにソリとサンタクロースがぴったりマッチするような絵画的景色であった。
帰りに一泊二日でデンマークのコペンハーゲンに立ち寄ったが、街中がネオンで
飾りたてられており、ディズニーランドを思わせるこの世とは思われない
“夢の国”という印象であった。特にチボリ公園の電飾が印象的であった。

トロムソに近づいた機中より見た、天空を背景にしたカーテン状の白いオーロラが
一番初めに見たそれであった。最終日の夜半三時よりみたオーロラも青色、ミカン色
と自然がおりなす天空色彩ショーであった。オーロラも必ず見れるという訳にいかず、
3〜4回来ても見れない人もいるという。一生に一回は見ておくべき自然のパノラマ
であった。             (H11.12.10〜12.15)

・・・・・・
写真
https://retrip.jp/articles/10962/
http://keiki-porori.com/archives/7892
http://4travel.jp/travelogue/10633722

録画
https://www.youtube.com/watch?v=lBiB6a9ERa0

・・・・・・
5167,閑話小題 〜心は科学者か弁護士か 〜�
2015年05月08日(金)
  * 私たちの心は「判事」や「科学者」ではなく「弁護士」を雇っている
 ネット検索で、「科学者」「弁護士」と入力したら、以下の内容が出てきた。
心の内なる弁護士は、時にご主人様のため、盲目になってしまい暴走、歯止め
がきかなくなる。そこで、科学者や判事も同じ力量を置かないと、極端の個人
主義者になってしまう。 〜まずは、その辺りを抜粋〜
≪ この世に産れ落ちるあなたに、神様から
「二つの人生のどちらかを選択しなさい」と言われる。どちらを選ぶ?
 �生涯究極の正直者を貫き通すが、ならず者だと思われる。
 �常習的な嘘つきなのに、模範的な人物と見なされる。
「徳が高く見えるか?」「実際そうであるか?」は、このように大きな違いだ。
現実として、皆、どちらを選んで生まれただろう? 哲学者グラウコンのように、
大抵「人々は現実よりも見かけや評判に、より大きな注意を払う」 これは長い
歴史の中で、私たち先祖が生存競争に勝利するにあたり、真実と名声のどちら
が重要だったと考えたかを表している。人は人の見えないところでは、正直
とは言えない。少数の腐ったリンゴが倫理社会をダメにしているわけではなく、
人々の大多数がほんの少しずつズルをするからこそ、この世界は危いと言える。
おまけに、始末が悪いというか、ほとんどの人が自分の誠実さを疑わない。
つまり、自分がした行為の正当化に恐ろしく長けているのだ。
 私たちは心に「判事」や「科学者」を雇っているのではない。
 私たちは心に「弁護士」を雇っているというのが、本当のところだ。
だからこそ、グラウゴンは言う。倫理的な社会を築くためには何が重要か? 
「あらゆる人々の評判がつねに皆の目に入るようにし、不正な行為がつねに
悪い結果を生むようにすることだ」と。心の「弁護士」とは「思考」のこと。
思考の中心的な役割は、他人に対して説得的な理由や、いい訳を提示するための
準備を整え、振る舞えるようにすることだ。事実自分がした選択を正当化しよう
とするプロセスはきわめて強力なので、意思決定者は、何かを決めるに際して、
他人の説得のみならず、正しい選択をしたと自分を納得させるためにも有力な
理由を探そうとする。つまり私たちの中の優秀な弁護士は「自分自身をも説得
しようとする」のだ。道徳的な思考は科学者のような真理の探究より、政治家
の票集めにはるかに近いと言える。たとえば、人は論争になると、ほとんど
考えを変えようとしなくなる。心は論争相手から遠ざかろうとし、挑戦を
むきになって論駁しとうとするのだ。とは言え、心は絶対的な独裁者でもない。
もし相手に愛情や敬意を抱いていれば、心はその相手に歩み寄るし、理性は
相手の主張に真理を見いだそうと務めるだろう。・・ ≫
▼ ここで、弁護士とは「思考」というが、判事、科学者、弁護士との
 裁判のやり取りが「思考」だろう。それと、傍聴席の視線の想定も重要。
日本では、�の人を極端に嫌う。尻尾を出していても、�の人を好む。
一神教なら、規範が明示されているが、訳の分からない世間教徒の日本人は、
あいまいな�になるしかない。で、殆どは? 人生の最終晩年に我にかえる。
人生の節目に常習的嘘が暴発し、「まさか、あの人が!」と、正体を現す。
・・・・・・
4802,年金破綻報道の罠 ー�
2014年05月08日(木)
  <世界で一番わかりやすい、年金「安心」理論> 
              ー細野真紘(2014年の論点100)
  * 年金は安心!を、まとめると
 年金は、あくまでも老後生活の補助金。あまり知られてないが、現役世代が
圧倒的に多かった数十年間で、積立金が120兆円もあり、それを取り崩せばよい。 
現在の年金の支払いは、現役世代の年金収入以外にも、税金からも支払われる。
巷で言われている、1970年の20〜65歳年齢対65歳年齢が8・5人対1で、2050年に
1・2人対1としても、今まで計画的に積み立てられてきた年金基金と、税金を
加えればよいことになる。楽観的だが、一理はある。正社員の比率が減る中で、
厚生年金に加入できる人が減っていることが大問題。今後、高度成長も望めず、
国家の体力が弱っていく中で、楽観視は出来ない。しかし、この年金制度が
無かったとしたら、10年、20年先の若者は、大変。最悪の想定で、両親2人と、
その両親の親4人、合計6人の面倒を見るケースも、ありえる。多くの紆余屈折
を経て、それなりのカタチになっていくが、悲観だけをしても何も得ることは
出来ない。ここで取り上げてきた基本的知識を、国民は、あまり知られていない
ようで、より丁寧な教えが必要のようだ。40年以上の厚生年金を夫婦してかけて
きて、手取り25万では、何か釈然としないが、それでも大きは生活の柱である。
逆に、夫婦二人で、国民年金だけの収入で手取り11〜2万では、生活保護にも
満たない。 核家族化の中で、子供からの援助も当にできず、ハイパーインフレ
にでもなれば、アメリカの貧困層のように救済センターに食事のための行列も
現実になりかねない。私も、半年前までは、倒産など、思いもよらなかった。
家内も、私の実家も、堅実な家柄だったので、厚生年金や、万一の備えをして
いたので、何とか生活の質を落とさないでいるが、一つ間違えれば、大変の事態
になるところ。生きていく上で、お金は健康とともに大切である。それから
自由になるには、長年の時間をかけての準備と、蓄積が必要。老いれば尚の事、
たかが年金、されど年金。たかがお金、されどお金。それ以前の知識も・・
 で、120兆の年金基金も、日本国債とアメリカ国債に化けているとしたら、
どうなる? 国家あってこその個人である。
・・・・・・
4435, 「死ぬのが怖い」とはどういうことか −5
2013年05月08日(水)
 * ルート4:主観的時間は幻想だと理解する道    
      ー「死ぬのが怖い」とはどういうことかー 前野 隆司著
   ーまずは、この概要を主観的にまとめてみる。ー
≪ 客観的な「今」と主観的な「今」の違いからみると、客観的時間は、時間が
 一定速度で進むという前提に基づいている。 時間を秒、分、時間、日、月、
年、10年、世紀といった絶対尺度で捉えるから、そのような結論になる。
客観時間は、一定速度で進む。それは、人がそのように定義したからに過ぎない。
しかし、主観時間は、そのように捉えるべきものでない。主観的時間を考えるに、
「今」を考えてみよう。「今」は、客観的には時間軸のある一点である。
客観的な今は時間の幅を持たない。どんなに短くても、時間が幅を持ってたら、
それは今でなく、過去と未来になってしまう。今とは、それが千分の一秒前と、
千分の一秒後の間が、今になってしまう。 千分の一などどうでもよいと思い
がちだが、数学や物理の世界ではそれを認めない。ということは客観的今とは
時間幅を持たない。 では、主観的な今とは何か。「クオリアとして知情意を
感じている、この今とは何か?」と問う以上、主観的な今は時間の幅を持って
いると考えるべきだ。ここに、時間的幅を持たない客観的な今と、時間幅を持つ
主観的今。両者の定義は異なる・・ 私たちの心は、「今」しか考えられない。
過去を思い出したり、未来を想像できるが、それらを行うのも「今」だ。
私たち人間には、過去も未来もない。実は現在もない。過去を思い出せるが、
エピソード記憶に残っていることを思い出しているに過ぎない。過去はクオリア
ではない。単なる記憶だ。その過去の体験のクオリアに戻ることは出来ない。
人間には「今」しかないのだ。・・・ 僕たちは「今しか感じられない機械」。
今と、生まれてから今までと、今から死ぬまでが、あなたにとってのすべての
時間なのだ。それだけだ。 主観的時間には、「死」なんてない。死ぬ瞬間は、
もはや主観的な「今」はない。死の直前には「今」を感じられるが、それは
死の瞬間ではない。主観的には死はないのだ。生まれる前は主観的には生まれて
いなかったのだから当然、時間は流れていなかったのだ。主観的な過去の時間は
過去にさかのぼるほど圧縮され、ついには物心ついたとき以前の時間は完全に
つぶれゼロになると考えるべきだ。未来も、先に行くほど圧縮される。
物心ついたときより前の時間がぺしゃんこにつぶれてゼロだったように、いつか
死んだ後の時間もぺしゃんこのゼロだ。・・ つまり自分が死んだ後の無限の
時間、という想定も、過去と同様、見直すべきだ。そんなのは無いのである。≫
▼ 当たり前のことを論じているが、これが自覚できないのが人間。
 過去も未来もゼロ、現在も幻想。ただクオリアがあるだけ。「自分が死んだ
後も世界は無限に続く」ということが、間違いである。死ぬと同時に今も、過去
も未来も、ゼロに潰れる。「今」しかないのに、過去や未来にこだわる人間は
奇妙な生きもの。過去は記憶に過ぎなく、未来は予測に過ぎない。ならば可能な
限り、嫌なことを忘れ、良いことを繰り返して思い出すよう努め、今だけを
考えること。所詮、未来も、過去もない。それで良いのだと。亡くなった両親を
考えてみると、その道理が理解できる。死んだ後の時間はペチャンコに潰れている。
クオリヤを感じている今こそ、生きているのである。だったら、私たちも、
この「今」を生きるべきである。主観的時間が幻想としてもである。今しか
活き活き生きることが出来ないのである。ケセラセラと今を活き切るしかない。
・・・・・・
4061, 我事に於て後悔せず
2012年05月08日(火)
 * 我事に於て後悔せず。  宮本武蔵「五輪書』より   
         ー「人生を励ます黄金の言葉」中野孝次著 より 
この本で著者は、五輪書の武蔵の「我事に於いて後悔せず」を取り上げている。
一流のプロなら、引退後の後悔などせぬはず。 後悔するのは腐った?
のような人物がするもの。 ー以下の部分は、その辺りを微妙に書いてある。
≪ これをふつうは「われ事に於て後悔せず」と読む。 小林秀雄は「わが事に
於て」と読むほうがよかろうと言っていて、その意は、「その日その日が自己
批判に暮れる様な道を何処まで歩いても、批判する主体の姿に出会ふ事はない。
別な道が吃度あるのだ、自分といふ本体に出会ふ道があるのだ。後悔などといふ
お目出度い手段で、自分をごまかさぬと決心してみろ、さういふ確信を武蔵は
語ってゐるのである」(小林秀雄『私の人生観』)と説明している。自分の過去の
行動についてあとから、あれは間違っていた、などとそのたびに後悔するよう
では、後悔というものを受け入れるようでは、ひとは本当の自己に出会うことは
できぬ、というのだ。 小林秀雄は武蔵の言葉をかりてつまりはそれが言いた
かったのだが、このことは今ぼくらの考えている「自己への忠誠」にあてはまる。
◎『自己に対する何という無礼だ、その決心をした時より今の自分の方が利ロ
だと、どうして思うのか。』スタンダール「パルムの僧院」これぞ言葉の中の
言葉だ、これほどにひとを励まし、自己への忠誠を元気づける言葉を、ぼくは
ほかに知らない。武蔵の箴言はいささか道学者くさいが、ここには自己であること
の純粋なよろこびがある。・・これはスタンダールの全作品に鳴りわたる言葉。
◎ ースタンダールはそのすぐ前で公爵夫人の性格についてもこう言っている。
 公爵夫人の性格には二つの特徴があった。彼女は一度欲したことは
 あくまでも欲した。また一度きめたことはけっして論議しなかった。
◎ ー彼女は偶然にまかせ、そのときどきの快楽のために行動してきた。
 しかしどんな行動に身を委ねる場合でも、断乎として行なった。あとで冷静に
 返っても、けっして自分を非難しなかった。まして後悔しなかった。自己に
 たいする忠誠とはかくのごときものであるかと若い日に讃嘆させられて以来、
 これらの言葉はそのときどきにつねにある内耳器官のごときものとなって、
 ぼくを導いてきた小説の主人公ではないか、とバカにしてはいけない。 ≫ 
▼ 小林秀雄に「無私の精神」という文章がある。実践家は、自我を押し通す人
 と思いがちだが、実は無私の人である。彼は無私に徹しなければ物事は成就
しないことを知っている。極限に立ってきた人は後悔などしない。そこで自分を
押し殺し、己を抑えるほど物事は大きく成就してきたことを知っているからだ。  
後悔は、実践の中では後々、害になることもである。


5896,『しあわせ仮説』 −4 〜愛は恐れを克服する

2017年05月07日(日)

           『しあわせ仮説』ジョナサン・ハイト著 
   * 愛は恐れを克服する
 シリアスな話になるが、義務教育の終わる中学校のメンバーを思い浮かべると、
成績上位の2〜3割と、下位の2〜3割を比較すると、上位は両親が揃っていて、
比較的裕福あるのに対し、下位の人たちは、両親か片親を戦災で亡くなったか、
家が貧しい生活環境にあった。これは当人の責任ではなく、運命の問題になる。
ある程度、安全であればこそ、勉強や、遊びにも注意が向く。 逆に幼児の頃、
両親に愛情過剰な位に与えられた人を何人か知っているが、これは性格が強い。
絶対的愛情を親から注がれ育った人は、生涯を通じて、恐れを克服して勇敢に、
遊べる上に、何事にもチャレンジする傾向になる。愛着理論を、ここで紹介して
いるが、ネット検索をすると、以下のとおり。
≪ 乳幼児が、不安や不快などストレスを感じている状況で、自分の親など周囲
 の養育者に対して泣いて訴える、あるいは接触を求めて甘えるなどして、親密な
きずなを形成しようとする愛着行動に関する理論。英国の児童精神分析学者
ボウルビーが提唱したもので、動物に生来備わっている自分の生命の安全を確保
しようとする本能に基づく生得的行動により、自分の訴えや要求に答えてくれる
限られた養育者との間で愛着(アタッチメント)が形成されることがたいせつと
考える。愛着は1歳ころまでに形成されるが、訴えや要求に対する応答が密なほど
安定した愛着(安定型愛着)が形成され、小児期以降に安定した対人関係をつくり
あげる礎(いしずえ)となる。しかし、安定した愛着が形成されない不安定型愛着
では愛着形成障害を生じ、その後の心身の不安定や行動障害をもたらす。 
 ボウルビーは「愛着」の形成過程を次の四つの段階に分けている。
・まず生後3か月ころまでの第1段階では愛着はまだ形成されず、周囲の注意を
ひこうとだれに向かっても同じように泣いたりほほえんだりする。
・しだいに養育者とほかの人物を区別するようになる生後6か月ころまでの
第2段階では、養育者に対してとくに強く反応し、笑ったり凝視したりする、
あるいはあとを追うような行動もみられる。
・生後6か月〜2歳ころまでの第3段階では愛着が確実に形成され、養育者を安全
基地とし、そこからある一定の範囲で行動したり探索行動をおこして、ふたたび
基地に戻る。また、成長するにつれて自分の要求を主張し、実現に向けて執拗な
行動をとるようにもなる。
・3歳以上の第4段階ともなると、養育者との身体的接触を求めることは少なく
なり、養育者の意図や感情を理解し、協力して行動するようにもなる。≫

▼ 中高校生の頃、同居していた甥っ子が、毛布に愛着を持つ依存症だった。
 今ではそれも、様々なキャラクターの人形があり多様化しているようだ。
職住一緒の商家だったこともあってか、幼稚園の頃、若い色白の女店員が、
対象だった?ような。なぜか魅かれるのが愛情豊かな長女系。で、生涯、支配
される我が身のような人生になる。人気番組の『家についていっていいですか』
で、都会の単身住まいの若い男の部屋に大きな人形があったのは驚いた。
都会の孤独地獄を癒してくれるそうだ。 私は、座卓の上に鏡を置いて、自分
自身と話していたが。それでも、様ざま寮生が1〜2時間は、部屋に来て談笑
していた。 考えてみれば、このブログも、そのようなものですか…

・・・・・・
5531,閑話小題 〜たかがプライド、されどプライド
2016年05月07日(土)
   * たかがプライド、されどプライド
 誰も心の奥底にプライドを持っている。それも中途半端な誇り。
それは中途半端に傷ついた経験しかないため。しかし何度も傷つき、立上がる
中で、中途半端な誇りの底が抜けて、虚無に通じていく中で、本物の誇りに
鍛えられる。若い時の誇りは、まだ柔でしかない。
 〜まず、「プライドとは何か?」を格言から考えてみる。
 ―――
☆ 「プライド」と「お金」だけは、何があっても守り抜くのよ
                ー朱子(ベニス)『君が主で執事が俺で』
☆ プライドだとか恥ずかしいとか、そんなつまらないことにこだわらないで、
 仕事も恋愛も、自分からどんどん扉を叩くの。そうすれば、もっともっと
 新しい扉が、開いてくるわよ  ー加賀まりこ
☆ 親はなぜ学校に行け、というかと言うと、行かないと子供の将来に
 かかわると思うから。しかしそういう親には、子供は学校でいじめられて
 死ぬほどつらい気持ちを正直に言えない。子供には、かわいそうなくらい
 プライドがあるから、土壇場になるまで言わない。子供が恥ずかしさを
 忍んで訴えたときは、ほんとうに追い詰められたときです。
 場合によっては、休学、転校してもいいんですよ  ー里中満智
☆ 女の想像をこえて、男はプライドに命をかけるものなの。
 むしろプライドに命をかけられない男は、男じゃないわ 
                   ービアンキ『REBORN!(リボーン)』
☆ 些細なことであっても、オーバーに感動してあげましょう。たった、
 それだけのことでも、相手のプライドや自尊心にかかわる一番の欲求を
 満たすことになるのです       ージョセフ・マーフィー
☆ 自信のない人ほど中途半端なプライドにしがみついて、謝ることができない。
 ここで謝ったら、自分の人格が全部否定されると思込んでいるのですー中谷彰宏
☆ 仕事へのプライドほど貴重な財産はない ーメアリー・パーカー・フォレット
☆ 僕は人の質を決定するのは、その人が自分にプライドを持っているかどうか
 だと考えている。他人に見せるプライドではない。自分自身への誇りである
                    ー連城三紀彦
☆ プライドを捨てるプライドを持て   ー作者不明(格言)
☆ 人間のプライドの究極の立脚点は、あれにも、これにも死ぬほど苦しんだ
 事があります、と言い切れる自覚ではないか    ー太宰治
☆ 女の喜びは、男のプライドを傷つけることである ーバーナード・ショー
☆ 物事は万事「必死に打ち込んだ」経験が必要なんだよ。
 それが人間の誇りを支えてくれるんだ      ーいしぜきひでゆき
☆ 失敗は誇り。それだけリスクを冒したということだから 
                       ーベンジャミン・ローゼン
☆ 人生は決して後戻りできません。進めるのは前だけです。
 人生は一方通行なのですよ         ーアガサ・クリスティ
――
▼ 5年前の会社整理で深く実感したことは、リスクを冒さない人ほど、他者の
 失敗に辛辣になる。特に組織人ほど、それが強い。思いの外、平気だったのは
その大きさに比例した必死な打ち込みをしてきた実感があるため。 だから、
目先の心が折れても?魂までは折れなかったようだ。プラモデルと同じ。
創りあげ、軌道に乗せただけで、元がとれた実感がある。批判者のそれは、
その経験がないから、上っ面の批判になる。成るほど、「失敗は誇り」である。
挫折を重るほど、芯のプライドが強くなるのは、リスクへの恐怖を乗越えたため。
 ところで、軟弱なプライドも、最後の砦の中の拠りどころで必要ではないか!
  で、偶然だが、以下につづく。 成るほど・・
――――
5166,閑話小題 〜心は科学者か弁護士か 〜
2015年05月07日(木)
   * 心は科学者か弁護士か
 心理学者いわく、《 真理にたどり着く方法は二つある。科学者の方法と、
弁護士の方法だ。科学者は証拠を集め、規則性を探し観察結果を説明できる理論
をつくって、それを検証する。弁護士は、ほかの人たちに納得させたい結論から
スタートし、それを裏づける証拠を探すとともに、それに反する証拠を斥けよう
とする。人間の心は、科学者と弁護士の両方で協力するようにつくられている。
つまり、客観的真理を意識的に探し求める存在であるとともに、信じたい事柄を
無意識に熱を込めて主張する存在でもある。これらの二つの方法論が競い合う
ことで、わたしたちの世界観は形づくられている。》
▼ 科学者が帰納法、弁護士が演繹法、と解りやすい事例で説明したもの。
これから引出されるキーワードが、判事。正・反・合の合である。居酒屋など
での誹謗中傷は、ヤリ玉の対象を酒の肴に、内なる科学者、弁護士、判事が、
掛けあいで肴に談義すること。心の中では、自分を正当化する弁護士が有利だが、
誹謗中傷では、判事が絶対優位に立つ。他愛のないものだが、それが、その連中
のレベルの内容で、そこの子狐の役回りが仕入れたネタに尾ひれはひれをつける。
それらをヘドロという。その意味では、城下町はドブ沼そのもので、そのガスは、
強力な破壊力を持つ。だから、近寄らないで、ここまできた。実は、そのガスで、
自分自身が殺されていることさえ分からないため、断絶の時代の中で、烏合の衆
として生きるしかない。その老いた醜悪が増長し、周囲を悩ます材料になる。
 そういう人たちの初老性鬱病(良い人仮面病)ほど哀れなことはない。何せ、
一生をかけて偽善の仮面を被り生きてきたのだから! 露悪でいくか、偽善か?
・・・・・・
4801,閑話小題 ー朝日新聞デジタル
2014年05月07日(水)
  * 朝日新聞デジタル版
 以前から、迷っていた朝日新聞のデジタルに加入。
現在のキャンペーン中に、申し込めば新聞代プラス500円の追加料金で済む
(平常は、千円)。別にパソコンで見る必要もないと思ったが気になっていた。
最低期間が半年で、月初めなら、その月が無料で7ヶ月間なら、試してみる
価値があると判断した。で、三日経ったが、これが正解。記事の一つを
クリックすると、そこだけがクローズアップする。更にテキスト記事に転換
可能で、スクラップも出来る。間違いなく、新聞紙を手にとって見るより便利。 
これがプラス500円ならお勧め。朝食前後に、一度、全体のページに目を通し、
昼飯か、夕食時に、印象に残ったところを、いま一度、目を通していたが、
スクラップは、ほぼすることはなかったが、これからはする!また、一日単位
でタブレットなどにダウンロード出来るので、ネット環境が無くても、持ち
運び見ることが出来る。 また家庭内の他のパソコンからも、手軽に記事に
目を通すことが可能である。現在の私は、書斎と寝室にいる時間が多いため、
何度も、気楽に、記事に目が通せるところが良い。実感で、読む時間が
今のところ、二倍になっているが、数ヶ月後には3〜4倍にはなるのでは? 
ページ一覧も可能で、一面、社会、政治、経済・マネー、国際、スポーツ、
カルチャー、オピニオン、などから、記事を拾うことが出来る。紙面が、
そのまま、ビジュアル化して見ることも出来る。 その文字の大小も選択
できるところも良い。紙の新聞を見た後に気楽に読むのに最適ということ。
これまで30分読むか読まないかだった、iPadか卓上なら、プラス30分ぐらいは、
読むのでは! 日中、居間と書斎と寝室のTVとパソコンの間を流離う身に
とって、紙聞紙の持ち運びから解放されるのは、大きい。加入を家内に告げると
、まず大きく拒否反応を示したが、これは何時ものコース。一番、これを
読むのは間違いなく、本人になるが、それが分かってない、何時ものコース。
今まで読まなかった、連載小説や、読者の声の、コーナーを早速、読み始めて
いる。新聞社も、紙面+デジタル版のカタチで生き延びようとするのでは。
月刊誌も、店売りの他に、宅配にして、デジタル版を100円+すればよい。
それなら「新潮45」か、「文藝春秋」を購入するだろう。 それにしても
デジタル版は良い! 他に、雑誌の幾つかが読み放題の「ビューン」に
入っているが、これも良い!
・・・・・・
4434, サードマン現象とは
2013年05月07日(火)
 母親が晩年になってから、たびたび「私には守護霊がいる。それは子供の頃
に亡くなった父親。何時も私を見守ってくれ、いざ何かあると、私を良い方向
に導いてくれる」といっていたが、気持ちの問題だろうと聞き流していた。
また先日亡くなった将棋の米長邦雄が講演で、「何時も父親の位牌を布団に
持ち込み、父に話かけていた」というのを聞いたことがある。 
 先日のNHK教育(PM7:00〜7:40地球ドラマチック)で、サードマン現象を
再放映していた 。これはジョン・ガイガー著「奇跡の生還へ導く人ー極限状況
のサードマン現象)をインタビューなどで編集したもの。で、その概要とは・・
◎ 9・11の世界同時多発テロで、ニューヨークのワールドトレードセンター
ビルに旅客機が二機衝突した事故で、最後に脱出した1人は、煙が立ちこめ
瓦礫に阻まれた階段を下りられず、もうダメだと諦めかけた時、どこからとも
なく聞こえた声に従い、突き進んで命を救われたとか。
◎ 多くの登山者を飲み込んできたヒマラヤのナンガパルバットに初めて
 登頂したヘルマン・ブールを危機の中、励ました声。
◎ アメリカ大陸からヨーロッパ大陸へ、人類初めての単独飛行をした
 リンドバーグを支えた声。
◎ アメリカの宇宙士が極度の緊張の合間の休みに神のような何かの存在
 を感じたとか。生命の危険にさらされた苛烈な環境の時、自分を奮い立たせる
 声を聞く能力が備わっているというのが「サードマン現象」といわれ、その
「第三の人物」は、その極限状況を克服するために精神的な助けをしてくれる。 
 この現象は、かつて神や守護天使とか守護霊として受け止められることも
 多かったが、現在、それを人間の生理的・心理的機構が生み出した幻だとも
 いわれる。過酷な極限状態において発動する右脳の原始的?スイッチの感じ。
 知らない誰かや父親、自分自身、守護天使、などがそこに存在する感覚という。
 脳は危機的な状態や生命の危機が起きたり、体験すると「潜在的脳力」が働く。
 私たち人類の先祖は過酷な自然の中で、獲物を狩ったり果実を採取してきた。
 20万年前の人類の先祖は「サバイバル」の極限の中で、恒に「サードマン現象」
 が起きていて、これらの遺伝子が先祖代々受け繋がられ、現代人にも存在して
 いると、考えられる。以前は450年前の先祖の堀井宗親という仮身を、現在は
「地球の中心点」を擬人化した「球芯様」と、両親の霊を話し相手にしている。
 それは自分の魂の仮身である。 この「球芯様」、最近は、ヨガの最中とか、
 夜半のベッドで囁きかけてくる。それが、思いもよらない問いかけをするから、
 面白い。 また、幾つかの創業の時など、極限の状態に自分を置くと、何故か
 異常な力が湧き出てくる。火事場の馬鹿力というか、底知れない力が自分の
 中心から立ち現れくる。原始的、動物的知恵と力で身体も心も浮いたように
 勝手に動き出す。誰にも経験があるはずだ。 以前、家内が世田谷と同じ面積
 のある、ポンペイの遺跡で、迷子になってしまった。それも日が暮れる直前。
 警察は来るは、遺跡のスタッフが総出で捜索に当たるは、現地ガイドと添乗員
 は、青くなって駈けずりまわった中、色々あって本人は一時間先にあるホテル
 に何とか帰りついていた。何かの折に書くが、いざとなると、異常な力が
 湧き出るということ。 サードマンを創って話相手も面白い、是非お勧め!
・・・・・・・
4060, 要は、受け止め方である!
2012年05月07日(月)
 人生、色いろ経験を積み重ねた後に過去を俯瞰すると、その行蔵はどうにでも
解釈できる。 ついてなかった人生としても、視点を変えれば、ついていた人生と
脚色出来る。受止め方次第で過去も現在も、そして未来も変わってくる。 
 中村天風は「全ての受け止め方を『積極一貫』にし、肯定的であれ!」と説く。 
人生は問題の山、その中心点が何か考えつくし無心に立ち向かうしかない。 
これからは、自分の人生を、どのように受け止めるかが人生の問題になってくる。
受け止め方を変えることは、行蔵の中の要素を仕分け直すことになる。それで、
これからの人生の方向を変えることになる。そのために記憶さえ変えるのが
人間の業。 それは行蔵の要素をどのように解釈するかになる。そこでも知識の
絶対量が必要になる。分別ない人間の身勝手な解釈では、ますます歪になろう
というもの。「運」があるか、ないかは、「運は自ら運ぶこと」と解釈すれば、
運そのものが意志の問題になる。運がない人は意志が弱いと解釈出来るというもの。 
「人生に起こったことは無駄のものなし」と、信じていれば、最悪のことも結果
としてプラス材料になる。 そうこう考えると無知は、それだけで罪の原因になる。 
知らなかっただけで、どれほど多くの失敗を重ねてきたことか。人類も私もである。
初めから自分のミッションを明文化しておけば、それが信念になり、途中経過の
失敗も成功も、受け止め方がハッキリしているので、ブレが小さく済む。 
おい方一つで、荷物も軽くなると、同じ。これからの日本は坂を転げ落ちる
ように衰退する。そこで何が必要か? 教育制度の再構築と、憲法改正。無理?
 ・・・・・・・
3694, 自己を見つめる −16
2011年05月07日(土)
  * 幸福について (不幸について) ー3  
            「自己を見つめる 」 渡邊二郎 (著)  
【 加えて、そうした無事安全な生活の場の確保に立脚して、更に誰もが、
この世に生まれた以上、自分の生きがいがある。・・略 しかし、そのために、
人は、その自己拡充を念頭において、たえず日夜、精励しなければならないで
あろう。というのも生き甲斐の達成は、いろいろな面で課題や試練や困難や
障碍に出会って、これを克服する努力の連続に置き換えられてゆくから。 
格闘することなしに、人生の実りは結ばないというのが、この世の鉄則である。 
実際、存分に生き抜いたという生き甲斐にみちた幸福感は、それなりの自己
集中や犠牲や断念や労苦の代償のもとでのみ、初めて獲得されるのである。 
けれども、いかに精進したとしても、非力で有限な人間には、完全な意味での
幸福感はけっして与えられえないであろう。考えてみれば、生きているという
ことは、まだなすべきことを残しているということと同義である。
なすべきことがなくなった人生は、死と同義である。生きるということは、
欠如の意識にもとづき、それを充足させるという運動と情熱において成立する。 
その情熱は、充実に向けられている点では、たしかに、憧れにみち、その実現
状態を夢見ていて、幸福感に浸っているであろう。けれども、その意識が、
目下は自分にその充実がいまだ与えられておらず、また、あらゆる意味での
完全な充実が人間には不可能であるという自覚に伴なわれたとき、それは、
そのまま、不幸な意識に転じるであろう。したがって、人間には、生きている
かぎり、終息した絶対的安寧としての幸福感は、与えられず、叶えられず、
許されず、その意味で、人間は、終生、不幸であろう。・・・ 】
▼ 不幸論という本もあるほど、人間の本質は不幸である。最後は死ぬことを、
 二人称の死の経験をして、洗脳されているためである。その人によって大かれ
少なかれ、不平不満、神経質、我執、理屈を言い張る部分を持っている。
それが膨張すると、周辺に諍いをぶつけていくことになる。それが不幸の大きな
要因になる。 そうこう考えると、不幸は体質もある。それは血筋、家系にも
関係してくる。どっちみち、一生の間には谷あり、嵐が襲ってくる。 
それを乗り越えるのが、人生。そのプロセスこそ人生である。そう割り切って
しまわないと、冷静に立ち向かうことができなり、破滅が待っている。  


5895、閑話小題 〜ゲントの祭壇画

2017年05月06日(土)

   * ゲント聖バーフ大聖堂祭壇画「神秘の子羊」
 去年春にベルギーの空港でテロがあった。その二週間前に到着、観光後の、
一週間前に出発したが、一つ間違えれば被害者になっていたかもしれなかった。
全日空がベルギーの直接便の就航を始めた直後のパリのテロのため、乗客が
激減し、ベルギー・オランダ、ドイツ、の何れの観光地も観光客は疎らであった。
その上にベルギーの空港のテロである。このツアーはパリのテロの直後で、
その数ヶ月前にもパリの美術館めぐりをしていた。そのため消極的だったが、
家内に引っ張られ鞄持ちのようについていった旅行だったが、内容は大当たり。
このコースは、欧州主要美術館巡りのゴールデンコースの一つ。
これまでは日本からベルギーへの直接便はなかった。 特に美術館が、どれも
これも非常に良かった。 その一つが、『ゲントの祭壇画』。
 〜ネット検索より〜 
《 ゲントの聖バーフ大聖堂にあるファン・アイク兄弟作の祭壇画「神秘の子羊」
 は、初期フランドル絵画の最高傑作と言われる作品。 15世紀に描かれたとは
 思えない。兄ヒューベルトの死後、エイクが制作を引継ぎ兄弟で完成した傑作。
・主題は開扉時下段中央に描かれている≪子羊の礼拝≫だが、上段部分、閉扉時
 部分に見られる細心綿密な写実描写など本作には特筆すべき点が多い。
・本祭壇画の開扉時下段中央に描かれている主題≪子羊の礼拝≫。
・ヨハネの黙示録に記される『諸聖徒日(天上諸聖徒と殉教者を祭る11月1日)』
 の場面を描いたとされる(拡大表示)。
・真紅の衣を纏い装飾的な玉座に座る、信仰・崇拝・儀礼・神話・教義などの
 中心となる位格・存在、キリスト教においての超越的絶対者の父なる神や、
 典型衣装とも云うべき濃紺の衣をまとう聖なる神の教典を読む聖母マリア、
 神の審判が迫ることを説き、人々に悔い改めの証として洗礼を施した、洗礼者
 聖ヨハネの描写は現実性を強く感じさせる、写実的描写を用いて描かれている。
これらの表現に画家の完成された(絵画技法的)技術と優れた才能を感じさせる。
なお開扉時の左下段翼部分≪正義の審判者≫は1934年盗難にあい行方不明のまま、
現在は複製画が入る。》

▼ 現地で初めて知ったことだが、この絵を見るためだけに、世界中から見学客
 が訪れている。特にスペイン文化圏で有名で、観光客のための直通の特急列車
が毎日出ているという。立花隆がガンになった時に、「死ぬ前にあの絵だけは
見ておきたい」と、わざわざゲントまで出かけていった逸話があるほど。
 ツアーに出るたびに、世界主要都市の美術館でシャワーのように、人類の遺産
美術品を浴びせられるように見続ければ、感動の質量の幅が拡大していく。
 これに地球自らが創り上げた大自然の美しさ。 神は、自分自身が創り上げた
姿を自ら見るために、人間をつくったというが、正にそのとおり。
 ゲント祭壇画も、それを感じさせる絵画の一つ。

 〜で、何時ものような偶然で、以下の脈絡として繋がっていく。
・・・・・・
5530,若者よ、外に出よ! ー� 日本には限界がある
2016年05月06日(金)
               『人生の教科書』なかにし礼著
  * 日本だけでは限界がある
 40歳前半までは、自宅に中・高の二人の息子がいた。そこで、行くところ
といえば国内の自動車旅行が中心だった。その二人が学園生活のため、上京
していったのを機会に、海外ツアー切替わっていた。その非日常の面白さに
惹かれたのが家内もである。一人では躊躇する秘境・異郷でも、家内と一緒だと
何とか行ける。また、非日常の中に家庭の日常を持ち込むのも慣れてしまえば
悪くはない。 夫婦してのホテルのレストランの朝食が何とも豊かな気持ちになる。
 学生時代の昭和42年に、大学の「海外旅行研究会」というクラブが企画した
『世界・30日の旅』の存在を知り、行ってはや、49年になる。当時の海外旅行者
は20万人。信じられない数だが、これがツアー観光の愛好者になる切欠となる。
何もかもが新鮮で、ただただ面白い経験だった。人生観が一変した経験である。
 なかにし礼の、以下の内容には大いに賛同するが、自分では書けない。
書けば上から目線が、露出する。 しかし、事実は事実である。
≪ 旅に出るならば1日でも早いほうがいい。自分の感受性が全部そこで
 晒されて、カメラにたとえるならいろんな映像を受け止めていることになる。
そのインプットは大きいものだ。そのインプットは日本にいてもできない類
のものなのだ。これは賭けてもいい。日本という国には限界がある。
刺激の限界だ。食べものだけ見ても、なんの刺激もない。それが日本の料理
だといえば、それは確かにそうだ。だが世の中の料理はそれだけではない。
「肉じゃがを作れる女性がいい」、とか言う男がいる。こういう人も旅行を
していない男と思う。世界の味を知らないからこうした面白くない発言になる。
 北アイルランドのジャイアンツ・コーズウェイにも肉じゃがはある。
それはスープという形で出てくる。肉じゃがの原型はビーフシチューだが、
これはさらにその原型だと言える。牛肉と芋が入ったこの肉じゃがの原型を、
現地の黒いビールを飲みながら食べる。これがうまい。明らかに元祖の味。
日本の肉じゃがよりも断然おいしい。だから日本は食事にしても、もっと研究
しなければいけないと思う。日本の文化は確かに素晴らしいものがあるが、
そこに踏みとどまって進化をストップしていい理由にはならない。・・(略) 
日本人のいいところはいっぱいある。創意工夫とか、細かいことに関する
こだわりとか・・ しかし、一方では何かにつけて「疑いを持つ」ことが
非常に罪悪視される環境になっている。それで画一的な価値観を植付け
られて、「肉じゃがを作れる女性がいい」などという頭になってしまう。
これではもったいない。
 だから若者よ、疑いを持つために旅をしなさい。
 そしていろんなものを自分にインプットする。
 インプットしたらさらに視野を広げて守備範囲を広げる。
 そうしないとインプットする内容も尽きてしまう。
だから何度も言うように、限りない欲望と探究心、好奇心を持ち続けないと
いけない。それは、夢という非日常の世界を見続けるためである。
寝たときにだけ夢を見るのでは寂しい。目醒めて、そこで夢を見るべきだ。≫
▼ 何度か書いたが、成田へのスカイライナーに乗って暫くすると、
「あ〜帰ってきた!」という妙な感覚になる。そこから非日常の刺激の強い
時空になるため、その蓄積が、磁石となって、旅を誘い、その非日常の世界が、
真なる時空、真実の自己であるような錯覚をもたらす。だから、別腹の
世界を自分の中に持っていて、暇な時間にトリップすることが出来る。
この現実世界に、世間の常識に対し、疑問を持ち続けることが出来る。
<目醒めて、夢をみることができる> 

・・・・・・
5165,閑話小題 〜一昨日で、まる14年になる
2015年05月06日(水)
  * 一昨日で、まる14年になる
 この随想日記を書きはじめて満14年目になる。その頃、通勤途中の長岡駅裏
近くにパソコン教室がオープン、渡りに舟で通うことにした。予め、「私の希望
は個人のHPを開設し、続けることと、ネットサーフィンを楽しみたいこと」
と、ハッキリしていた。丁度、ブログなるものが普及を始めた頃でもあった。
満14年となると、2001年5月で、9・11テロの4ヶ月前である。この頃から、
ブログが普及を始め、携帯電話の高度化も含めて世界が一変を始めた。
毎日毎日、傍からすれば、どうでもよいことを、飽きもせず、書き続けた
ものだが、あれだけ文章化が苦手だったのが、日を追うごとに面白くなって
いった。人間は、誰もが自分の話を聞いてほしいもの。書き始めると、周辺の
人が、毎日のように見てくれるようになった。そのため、力が抜けなくなる、
それが最大の効果と気づいた。それならと、読書日記などを中心としたHPと、
何気ない思いを書連ねるブログに、分けることにした。書き続けていると、
その積み重ねの効果が実感できるのが良い。それと習慣の力を実感する。
月に1〜2度、この数日もそうだが、書くテーマが思い浮かばなくなる。
しかし、習慣の力で、14年も続けていると、その乗り越えかたが、身に
ついていて、馬鹿力が湧き出てきて、普段より面白い文章が書ける。
次の目標は、あと6年の、まる20年間になるが、生きているかどうか?
とすると、まず来年のゴールデンウィークが目標になる。
 毎年、この時期には同じような文章を書いてあるのだろうが!
・・・・・・
4800,年金破綻報道の罠 ー�
2014年05月06日(火)
        <世界で一番わかりやすい、年金「安心」理論>
                 ー細野真紘 (2014年の論点100)
  * 基礎年金と、厚生年金と、老後の預金
 あくまで年金は老後生活の資金補助の位置づけ、とは知らなかった。
まず、老後の預金に、基礎(国民)年金が加わり、最後に厚生年金が加わる。
これを40年にわたって、かけてきたかどうかで、既に老後格差が、ついて
しまっている。父親の代から、連れ合いに別立てで給与を与え、健康保険と
厚生年金をかけるのが当然のようにいっていた。それは私の知識・知恵ではない。
 ー以下の部分は、年金を分かりやすく要約してあるー
《 ◎ まず国の年金は、大きく2種類があるのです。 1つ目が「自営業者」の
 「国民年金」です。中小業者は定年がないため、60歳以降も収入を得ることが
 できます。そのため、年金をもらうための保険料は(会社員などと比べると)
 安くなっていて、給料を預貯金に回せる割合が多くなっています。その老後
 にもらえる「国民年金」は満額で月6万6千円程度。つまり「自営業者」の
 ための「国民年金」は、「弁当」でいうと保険料を安くして、老後は最低限の
 「お米」だけもらえる位置づけで、「おかず」については60歳以降に働いた
 お金で買ったり、それまでの貯蓄で買ったりできる。
◎ その一方、「会社員」の場合は定年退職のため、定年以降は、収入を得る
 ことが難しくなってしまいます。そのため、会社員の場合は、現役時に(自営
 業者よりは多めに保険料を払うことで、国から「厚生年金」を死亡するまで
 受けとれることになっているわけです。これは「弁当」でいうと、会社員は
 定年があるので、現役時に(自営業者より)多めに保険料を払い、引退後に
 死亡するまで、国から「おかず付の弁当」をもらえるようにするものなのです。
 その「厚生年金」は月16万円程度となっています。合計で22〜3万になる。
 ちなみに、公務員の場合も会社員と同じ定年制になっているため、「共済年金」
 は「厚生年金」と同様に「おかず付の弁当」となっています(厚生年金と共済
 年金は分ける必要性が乏しいため、一元化する方向に向かっています)。
◎ 今では日本は「世界一の高齢化率」で、世界で最も65歳以上の割合が多い国
 となっています。そして、国の年金制度は仕送り方式なので、「将来は年金が
 もらえなくなる」という声がよく聞かれます。そこで、「現在の少子高齢化で、
 年金は破綻する」という論を考えてみましょう。まず、日本も含めて世界の
 先進国では、基本的に国の年金は、個人が自分のため蓄える「積立方式」
 ではなく、現役世代が高齢世代を支える「仕送り方式」です。そのため、
 テレビなどでは図表を使い、もっともらしく"年金破綻論"が展開されている。
 「今の年金制度は仕送り方式で、2010年現在では現役世代2・6人で高齢者1人を
 支えている騎馬戦型が、高齢化のピークの40年後には現役世代1・2人で
 高齢者1人を支える肩車型になる。こんな仕組は破綻する!」 これは一見、
 もっともらしく思えますが、実は単純な「ひっかけ問題」にひっかかってしまう。
 まず、国の年金制度は「仕送り方武」ではあるのですが、この「仕送り方式」
 にも「ひっかけ問題」が潜んでいて、多くの人は「これまでの保険料が、
 すべて高齢者の年金に支払われている」と錯覚している。ただ、現実に、
 そんなことになってなく、かっての現役世代が多かった時の保険料については、
 きちんと今後の年金の支払いに備えて国が「年金積立金」として保有してある
 わけです。そして、なぜ日本ではこのように極端な人ロ構成になっているのか、
 というと、「団塊の世代」の存在などの特殊要因があるためで、そのため
 「年金積立金」も世界一の水準にまでなっているのです。さらに年金の財源は、
 保険料だけではなく、あくまで「国の保険の仕組み」なので、財源として
 「税金」も入っているのです。 》
▼ ネットで積立残高を調べてみると120兆円あったが、問題は多くが日本国債に
 ばけていること。また、年金支払に税金も含まれていることは全く知らなかった。
だから、さほど心配する必要がない? 私の場合、家内も厚生年金に40年近く
入れていたので、合計で税込で350万(税抜きで300万余り)。持出しが
家内の預金から年間で??万になるが、地方もあって生活には不自由はない。
欲しいものや、旅行も、外食も、現役時代に十分、楽しんだため、TV番組で
追体験をしながら見ていれば充分。 中小企業者や個人営業の場合は、別立て
預金は当然のことで、敢えて言うことでもはない!でも、周辺で、してない人が
多い? また、保険屋と証券屋に騙されていたことすら気付いていない? 
他人事ではないが。今さら年金の話題に熱中するようじゃ、B層もいいところ? 
まあ、面白いが!
・・・・・・
4433, 閑話小題ー次のグーグルの新製品が面白い
2013年05月06日(月)
   * 次のグーグルの新製品が面白い
 ニュースでグーグルの次世代端末「グーグルグラス」を紹介していたのを
Youtubeでみたが、これは面白い。メガネのフレームの上部だけの柄に
超小型カメラがつけ、視線が、そのままネットの生中継で世界に配信される。
見知らずの人の視線が、そのままリアルで見れる面白さは格別。これは視覚の
ツイッター。「カメラ、ビデオ」と発音すると、その機能が立ち上がり自動撮影
するという。これをグーグル・アースに繋げると、アフリカや南米のある地域を
クリックし、見たいシーンを打ち込むと、誰かの目線が現れ出てくるのだろう。
ジンバブエのバンジージャンプが見たいといえば、飛び降りる画面を生で見る
ことも可能に? 日本橋三越本店の客か、店員の目線のアクセスも可能になるはず。
日本で売り出されるのは来年辺りだろうが、これが当たり前になるとしたら、
まさにSF世界。 いや現在もそうか。他のメーカーも、こういう類の情報端末
が出してくるはず。情報端末の進化は止まることはない! 良いのか悪いのか?
   * 何歳まで生きたいですか?の質問に
 ある調査で、「あなたは何歳まで生きたいですか?」の質問に、60歳未満が
8・5%、70歳未満が15・1%、80歳未満が31・1%、90歳未満が54・1%、100歳
未満が60・9%、百歳以上が僅かに9・3%という。更に150歳以上は6・5%。
私なら、90歳未満と答えるが、酒の飲み過ぎで無理。それにしても意外な結果。
神様がいたとして、「幾つまで生きたいのですか?希望を重視しますから」と
問われたら、やはり90歳と答える。「寝たきりでも良いですか?」と問われれば、
躊躇する。元気が前提、いや絶対条件になる。死ぬまで10年間は、何らかの形の
介護を要するというから、80半ば?これだけ面白い情報が手軽に入手できる時代、
出来るだけ長生きしたいが、「生老病死」の苦痛を考えるとどうだろう? 
不摂生もあり、せいぜい7〜8年か。
・・・・・・
4059, つれづれに ーネット社会の現在
2012年05月06日(日)
  * 飲食店の漫画の棚 ーデジタル本の世界
 喫茶店や中華料理店のランチの楽しみの一つに、本棚の週刊誌か月刊誌を
読むことがある。 最近、店内に入ると、iPhoneかiPadで、その店が
契約したネット上の本棚にアクセスして色いろの雑誌を読むことが出来るという。
店は一月7000円を業者に支払えば店内のネットで雑誌が見放題になるとか。
よく考えるものである。前回、70冊の蔵書をデジタル化にするため業者に
依頼したが、先日、久々に、そのHPを見たところ、デジタル化した本を
月980円で見放題のサービスを始めていた。 漫画が中心とあったので、
契約はしなかったが、これも面白い企画である。現在、私が契約しているのは、
朝日新聞のデジタル版と、朝日、毎日の週刊誌など数十冊が読めるビューン。
朝日のデジタル版は月1000円の加算。ビューンは月480円。 もちろん
有料でアクセス出来るブログがあるが、写真集のデジタル本に有料でアクセス
出来るのがある。幾つか買ってあるが、次々に更新されているのが良い。
  * スマートフォンと、タブレット
 現在、スマートフォンが爆発的に売れているという。iPhoneが初めて
売り出された時に買ったが、画面が小さすぎて、インプットに戸惑って使いこなす
ことが出来なかった。そこで学んだことは、二代目以降の機種変更になってから
購入すること。それもあってiPadは、二代目のiPad2になってから買う
ことにした。スマートフォンが爆発的普及は、携帯電話が世の中を変えたように、
世の中を更に大きく変えるだろう。 それはゲームや、ブログ、ツイッターなど
書き込みや閲覧の端末にも使える。小ささが逆に便利な場面で有効になる。
電車や、車の移動とか、昼休みに何処にでも持ち歩けるからだ。何ども書いて
いるが、現在、普通の携帯電話とiPadを使い分けている。PCは居間の
TVの前と、仏間の書斎コーナーにiMac一台ずつ、とiPad、合計三台
を使っているが、その使い分けのバランスは非常によい。これに読書とTVと、
ペットのインコとくれば、お宅そのもの。図書館と、スポーツジムと、早朝の
ポタリングと、週二日の近くの店のランチで息抜きをしているのが日課。 
これまでのスリルとサスペンスのストレスが少ないのが、逆にストレスである。 


5894,本物の教養 −4

2017年05月05日(金)

         <人生を面白くする 本物の教養 〜出口治明 (著) > 
   * 日本のリーダー層は勉強が足りない
 平和ボケをした日本は、リーダー層だけでなく、国民全体の教養度が大きく
低下したようだ。島国のため同質が求められ、それが、思考能力を削いでいる。
「和して同じず」の諺があるが、現実には、それぞれの意見を持つことが、
不協和音とされ、全会一致こそ最善とされる。島国もあるのだろうが。
 ここも、目次そのままを繋げると、要約になる。
  ――
    ―目次ー
 謙虚でなければ教養は身につかない 
 「この人は面白そうだ」と思ってもらえるか 
 面白さの源は「ボキャブラリー」 
 「広く浅く」でなく「広く、ある程度深い」素養が必要 
 決定的に重要なのは「自分の意見」を持っていること 
 欧米の若者とはすでに大学の段階で差がついている 
 学生が勉強しないのは会社がそれを求めないから 
 「考える力」をつけさせる連合王国の教育 
 「学生には自国の没落をリアルに認識してほしい」 
 自分の頭で考えないほうが都合がいい社会 
 「終身雇用、年功序列、定年」の特異な労働慣行 
 世界標準では日本の企業幹部は圧倒的に低学歴 
 これまでと同じ戦略ではもうやっていけない 
 日本にはまだかなり伸びしろがある 
  〜要点を抜粋する〜
【 ライフネット生命を創業する前、連続して合計六年間ほど、主として
 外国人相手の仕事をしたことになります。そのときの経験で痛感したのは、
ほとんどがドクター(博士)、マスター(修士)である外国のトップリーダー
に比べると、日本のビジネスリーダーはなんと教養が不足しているのか、という
こと。日本の大学進学率は50%を超えており、先進国のなかでもそれほど低く
はないのに、実際に外国のトップリーダーと向き合うと、まったくと言って
いいくらい歯が立たないと素直に認めざるをえませんでした。
 グローバルビジネスにおける人間関係は、ビジネスの中身で決まると思われて
いるかもしれません。欧米は契約社会だから、なおのこと、互いにとって利益に
なる、いわゆるウィン・ウィンの関係を築けるかどうかがすべてで、それ以外の
要素が入る余地はないとイメージしている人も多いでしょう。しかし実際に、
グローバルビジネスの現場で重視されているのは、「人間力」です。
 ウィン・ウィンの関係というだけなら、ビジネスパートナーの候補はいくら
でもいます。たくさんいる候補のなかからビジネスパートナーを選ぶとき、
大きくモノを言うのは、「この人と仕事をしたら面白そうだ」という属人的な
要素です。欧米人には、同じ仕事をするのであれば、面白い人と仕事をしたい
という気持ちがとりわけ強いように思います。
「面白そうな人だ」というときの「面白さ」の源が教養ということになるわけ
ですが、具体的にはどういうことでしょうか。
 まず「ボキャブラリー」が挙げられます。日本語に訳せば「語彙」ですが、
ここでは、たんに知っている単語の数の問題ではなく、話題が豊富でさまざまな
テーマで会話ができるという意味で、「ボキャブラリー」という言葉を使ってます。
「引き出しの数」と言い換えてもいいでしょう。専門家の場合は対照的に、
「狭く、深く」です。グローバルリーダーの場合、どちらとも少し違っていて、
「広く、ある程度深い」素養が求められます。しかも、個別に「狭く、深い」
専門分野を持ったうえでの「広く、ある程度深い」素養なのです。
 たとえば、マネジャークラス以上であれば大半の人が大学院を出ていて、
ドクターかマスターの学位を持っています。それどころか、異なる二分野で
学位をとった、ダブルドクターやダブルマスターの人も珍しくありません。
さらに自分の専門分野だけではなく、文学でも歴史でも自然科学でも、あらゆる
ジャンルに、一定レベル以上の深い造詣を持っているのです。数学のプロでも
ある経済学者のピケティが、文学にも並々ならぬ造詣を示したのはまだ記憶に
新しいところです。】

▼ 読書の質量のベースと、経験の質量の総量が、その人の素養になる。
 その素養の範囲でしか、人間は理解できない。それは独りで、長年かけて蓄積
していくしかない。基本は独学である。学校は、独学のベースを教わるところ。
また教養という点で都会の方が遥かに、刺激の機会に恵まれている。今では
ネットで世界が繋がったが、生の現実社会からの刺激も濃厚で面白い。
 外(世界)は広く、内は深いことを知るには、外に出て、それぞれの
内側をしるしかない。山は歩いてこない。自分から行くしかないが…
  
(ある内なる素朴な質問)
:何で、分かったようなことを書いていて、こんなバカなの?
:バカは死ななきゃ治らない。バカと気づいてない人よりは、少しまし。
:としても、バカはバカ! 気づいてない人など関係ないだろう。ったく!
  〜で、以下につづく〜 
 
・・・・・・
5164,パレーシア 〜真実を語ること
2015年05月05日(火)
  * ソクラテスのパレーシア 
            〜『哲学で自分を創る』瀧本往人著より
 危険を冒しながら真実をかたること。これがパレーシアだが、とはいえ、
社会において、その実行となると難しい。このブログを書き続けていると、
己の程度を曝け出し、多くの人を揶揄し傷つけてきた。気遣っていてもである。
想定の対話の相手を、数年先の自分にしているが、後で読み返し、第三者の
目を想うと冷や汗が出ることしばし。しかし、飾っていたら、長続きをしない
ことを自分が一番知っている。 〜以下の箇所は、哲学の本質を述べている。
≪ ソクラテスにとって最も大事なのは、相手をやりこめることではなく、
 自分の魂を磨くことであった。そのために命懸けで対話を行った。
この営みは「パレーシア」(真実を語ること)と呼ばれている。パレーシアとは、
危険を冒しながら真理を語るという実践を意味するギリシア語。ソグラテスが
裁判の際に立ち向かったやり方が、まさしくこのパレーシアである。
 たとえ心の中で真理が発見されたとしても、「私が思う」だけでは、それは
パレーシアとは無縁なのだ。パレーシアを通じた魂の鍛錬こそ、命のあるかぎり
やめてはならず、見返りを求めることなく、純粋な熱意に発した無償の責務で
あり、かつ、個人の内面的な人生訓にとどまるものではなく、結果的には他者や
共同体にとっても有益なものである、と考えられた。それゆえ、政治家になり、
ポリスを統治し他者の魂を気遣いたい者は、まず自分の魂を気遣うべきである、
とソクラテスは強調する。自分を気遣わない者は統治者としては不適格なのである。
ここには、身の魂の鍛錬に専心することが、他者や共同体を気導つことよりも
優先されるいという揺ぎのない確信が表明されている。 ・・(略)
ソクラテスの対話術は、自らの主張を他者に受け入れてもらうための(もしくは
認めさせるための)技術ではなく、相手に「問いかけること」、相手の主張を
「聞くこと」に主眼があった。そもそもこの「無知の知」の重要性は、この
「聞くこと」のための手法という点にあったのである。何かを「知っている」
から語るのではなく、何も知らないか、もしくは何ごともよく分かっていない
からこそ相手から何かを引きだそうとする。パレーシアの原点はここにある。
それゆえパレーシアとは「実直に語ること」ではあっても、単に一方的に
「包み隠さず語る」ということではない。ソクラテスのパレーシアは、政治家の
ように多数者に向かって語るものではなく、密接な一対一の関係が必要である。
またこの対話は、自分が主役としてふるまうのではなく、相手の話を引きだす
ようなやり方で行われる。それゆえ相手はソクラテスに導かれながら自分自身に
ついて語ることになる。 ここで、注意しなければならないことがある。
率直に語ること、もしくは相手の言葉に耳を傾けることは、後にキリスト教文化
ならびに精神分析においては、「告白」という形態をとって展開され、あたかも
地続きのもののように理解されることがある。だが、この両者は異なる。
パレーシアにとつて重要なのは、自分が語ることができる「ロゴス」(つまり
論法と言葉)が、自分の生き方と確固たるつながりがあることなのである。≫
▼ 成るほど、飽きもせず、連日、書き続けているのは、いまここの私が、
 数年先の、いまここの私に向け話している実感があるため。そして、近未来
の自分の感想を想定することで、私自身を見つめることになる。これを公開
するのは、あまりに危険だが。また、公開しないと続かない弱さもある。

・・・・・・
5529,若者よ、外に出よ! ー 会話は、プチ礼賛から
2016年05月05日(木)
               『人生の教科書』なかにし礼著
  * 対話ならいいが、どうも会話が苦手で
 リタイア後、、新しい出会いの場が極く稀になった。スポーツジムとか、
数少ない飲み会の場で、話したことがない人との会話が出来ない。
学生時代に、カーネギーの『人を動かす』の <人を動かす三原則>や、
<人に好かれる六原則>などを読み、実践してみたことがあったが、
効果は抜群だった(後でコピー)。年齢とともに、これらを忘れていた。
 その一つが「プチ礼賛」の勧め。これに「ありがとう」の口癖を
加えれば会話導入は効果抜群のはずだが、何時の間にか脱落していた。
 早速、兄弟の49日法要で、久々に会った親戚との会話に「プチ礼賛」を、
応用したところ、会話が捗っていた。要するにリタイア後に、何もかも
メンテをすべきだったのである。 <会話は「プチ礼賛」でうまくいく>を、
ほぼ全文、コピペし、考える。会話は真実より礼賛に重きをおくべし。
対話は真実の交換、掘り下げということ。男は対話、女は会話が似合うが。
≪ 日常会話で必要な会話術とは、自己紹介に始まる。自分のことを、嘘を
 交えてもいいから、面白く話せるかどうか。自己紹介イコール自己表現だし、
相手に自分を理解してもらうのは一番大事なことだと思う。そうすると相手も
自己表現するから、お互いが理解し合える。そしてプチ礼賛をすること。
 パッと会ったときに必ず相手を褒める。これは、日本ではなく、外国の流儀。
外国では当たり前の常識になっている。周りがゴマをすっていると思ったと
しても、そんなことはかまう必要はない。たとえば、服を褒めるとその服を
選んだその人を褒めていることになるわけだから、「素敵ね、これ、いくら?」、
「1900円」、うわ1最高」と褒める。しかし、うわべだけの礼賛だと底が割れて
しまう。真実そう思うように自ら努力することだ。そうすれば顔に嘘は出ない。
なぜかというと、相手を喜ばせなければ話は始まらないから。
中には「服を褒めないで私自身を褒めて」って言う人がいるけど、よっぽど
ヘソ曲がりなんだ、そういう人は。さて、人を褒めるときにほかに何を褒めれば
いいのか。実はなんでも褒められる。背が低ければ低いことを褒めればいいし、
背が高ければ高いことを褒めればいい。出身地を聞いたら、「あそこは大好き
なんですよ」と言えばいい。最初は嘘が混じっていてもいいが、次第にその
気持ちが本当になっていくものだ。だから人に会ったら、なんとなく褒め、
逆に褒められたら褒め返す。これはゴマすりではなくて、会話の糸口なのだ。
会話の小ネタといってもいい。そこから本題に入っていくときに、お互いに
気持ちのいいスタートを切るための潤滑剤だと思えばいい。≫
▼ 褒めるだけでは、ありきたり。そこで、「プチ礼賛」まで、心から褒め
 ないと相手の心は開かない。礼賛すると、みるみる、顔つきが変わっていく。
そうは礼賛されないため、心の奥から褒めると、それが礼賛になっていく。
好かれる前に、まずは人好きにならないと! それにしても、オバちゃんの、
あのフレンドリーは見上げたもの。 まずは褒める、その手際の良さ。
 ――――
  =人に好かれる六原則=
1.誠実な関心を寄せる
2.笑顔を忘れない
3.名前を覚える(名前は、当人にとって、最も快い、
 最も大切な響きを持つ言葉であることを忘れない。)
4.聞き手にまわる
5.関心のありかを見抜く(相手の関心を見抜いて話題にする。)
6.心からほめる(重要感を与える――誠意を込めて。)
4799,よくもここまで騙したな
2014年05月05日(月)
   「よくもここまで騙したな これが[人殺し医療サギ]の実態だ!
       ーいのちを奪いながら金を奪うワンワールド支配者」
            船瀬 俊介 , ベンジャミン・フルフォード (著)
 以下の内容紹介だけでも、この書の半分は言い尽くしている?
あのベンジャミン。これぐらいでないと、面白くないが、医者の世界では、
今さらのこと? こういう視点も知っておいたほうがよい。ー内容紹介ー  
〜医療を殺人ビジネス化した者たちよ! 化けの皮はすでに剥がれている!
◎ がん患者1000人殺して一人前!
◎ 日本の内科医は1人平均1000人のがん患者を殺している
◎ 命を奪う、カネを奪う!  医者は完璧に白衣の殺人鬼、白衣の詐欺師!
◎ 日本の近代医学はどこをほじくり返しても詐欺とペテンと強盗と殺人だらけ
◎ 欧米医療というのは基本的に軍隊の医療
◎ 足を切断や伝染病の治療には欧米医療はいいが、糖尿病とがんといった
  慢性病のときは絶対に関わらない方がいい
◎ 漢方も鍼灸も食事療法や整体療法も弾圧された
◎ マッサージ、カイロプラクティック、サイコセラピー、
  ホメオパシーも弾圧された
◎ 自然治癒力をサポートして病気を治す伝統的なテクノロジーは
  全部弾圧され、薬物療法だけが生き残った
◎ 伝統療法は、金融マフィアによって保険対象外にされた
◎ 強制的に保険料を取って、自分たちの息のかかった殺戮医療マフィア
  にだけおカネを回すシステム
◎ 医療の問題は上に行くとラムズフェルド、ブッシュ、ロックフェラー
  らに行き当たる
◎ 医者に金も命も投げ出す崖っぷち日本人よ! 今こそ、自分の脳を疑いなさい
◎ 薬漬け、検査漬けの放射線大量照射に生物兵器の毒物注入まで
◎ 抗がん剤は元々は廃棄に困った化学兵器の原料
◎ 失敗する医者ほど儲かる /治す医者は失業  
◎ 医療は世にも不思議な失敗報酬の世界!
◎ 一番高い抗がん剤ペグイントロンは1グラム3億3170万円する
◎ マイクログラムまで薄めて使っても1回当たり何十万円、
  利益率は何万%にもなる
◎ 白血病はがんではない。 団十郎を殺した!?マイロターグという
  白血病の治療薬は、1グラム4800万円
◎ マイロターグは投与した患者の90・5%が死ぬ!  
◎ 輸血は人命を助けていない、むしろ殺している!?
◎ お年寄りが死ぬとわかるとここぞとばかりに点滴、投薬をやる香典医療
 というのがある。稼ぎどきならぬ殺しどき!
◎ 「現代医学の神は、唯一人しかいない、それは死神である」と
 ベストセラー書籍『医者が患者をだますとき』の著者ロバート・メンデルソン
 はいっている!  だから病院が営業停止中には死人が減る!?
▼ 少し?過激に思えるが、何度か目を通すと決して過激ではなく、こんな
 ものと気づくはず。医者にすれば、見送りの手助けだが、患者からすれば殺人? 
更に言えば、人間ドックや、健康診断が一般的に行われているのは世界で日本だけ。
先日、週刊ポストの広告見出しに、ー「血圧147は健康値」の怪奇ーがあった。
《人間ドック学会が健康診断の基準値を大幅に緩和。他に「総コレストロール
199ー>254」「悪玉コレストロール119ー>178」「中性脂肪149ー>196」など、》 
「これを元に、それまで飲んできた薬は何なんだ?」の疑問が起きて当然。
この変更だけをみても「健康人」を「病人」にして、薬漬けにする利権の闇が
見えてくる。医療行政と製薬会社の利益のため、一般国民が弄ばれている図式が
透けてくる。昔、父親が高血圧で何時も気にしていたが、当時、年齢プラス90が
目安と言う。ところが、5年前に医師から聞かされたのが130。
『これも、いい加減なので』と、言葉を加えていたが・・ で、健康センター
で測ってみると125〜160の間で、平均すると140辺り。父から聞いていた数値から
すると、私は158が目安。140は少し高めだが、これで良しと思っていたが正解。
これからして、医者は偉そうにしているが、詐欺、たかり、殺人集団?
・・・・・・
4432,「死ぬのが怖い」とはどういうことか −4
2013年05月05日(日)
       ー「死ぬのが怖い」とはどういうことかー 前野 隆司著
 * ルート3:自分の小ささを客観視する道ー「1億7125分の1と、70億分の1」
今度は、時間――宇宙と生命の歴史1についてである。世界の人口からみれば、
私は70億分に1。宇宙年齢からすると、人の一生は1億7125分の1の存在。そう
考えれば、深刻に自分の生き様など考えることはない。その自分の枠組も
勝手な定義でしかない。自分など何ということはない。 やっと、それが
理解できるのが最期の最期とくる。そのことが分からないから、
「死ぬのが怖い」のである。 ー まずは、その辺りを抜粋してみるー
≪ すざまじく荒れ狂うひずんだ宇宙の中の、オァシスのような地球。
 光速で拡大することこそが普通である宇宙の中で、あたかも静かに見える
特殊で局所的な世界。そこに偶然生まれた人の命。なんとはかなく小さく特殊
な現象であることか。生命の誕生は、今から40億年前といわれている。 
地球誕生から6億年経った頃。霊長類が誕生したのは、6千5百年前。
現生人類であるホモ・サピエンスが出現七たのは25万年前。中国その他で
文明が誕生たのが今から6千年前(から9千年前)。そういわれても、どれも
大きな数字すぎて実感がわかない。そこで試しに、137億年前のビヅグバン
を、1月1日の午前零時、現在を一年後の12月31日の24時にたとえると。
つまり、宇宙の歴史を137億分の1に短縮してみると―― 
・ビッグバンは、1月1日午前零時 ・地球誕生は、8月30日 
・生命の誕生は、9月15日 ・霊長類が誕生したのは12月30日午前
 6時26六分(新年まであと1日と約18時簡) 
・原生人類のホモ.サピエンスが出現したのは12月31日午後11時50分 
・中国などで文明が生じたのが新年まで14秒前 
・人間の命は、80歳まで生きるとして、0・18秒。宇宙の年齢の、1億
 7125分の1。ちなみに、宇宙の直径が274億光年、人間の身長が
 170センチだとすると、人間の大きさは、宇宙の大きさの1・44×10
 の25乗分の一というとてつもない小ささだ。それに比べ人間の一生は、
 宇宙が経た時の1億7125分の1。時間の差は、空間の差よりもはるかに
 小さい。これは意外な気もする。1億7125分の1とは途方もなく小さい
 とお思いかもしれないが、地球の人口は70億人。あなたの心は、地球上に
 ある人間の心の70億分の1に過ぎない。一億7125分の1はそれよりも
 約四十倍も大きい。意外と宇宙の中での人間の一生も長いという気がしないでも
 ない。とはいえ、宇宙の年齢を一年にたどえると、人間の一生は0・18秒。≫
▼ 前にも書いたが、この宇宙の他に、10の500乗の宇宙が存在している
 可能性があると知って世界観が変わった。上記のことすら、問題にならない。
ケセラセラだが、当面、死ぬまでの生活もある。一日一回、このような壮大な
宇宙と、その中の自分を考えればよい。象を世界に、その皮膚の間に住む寄生虫、
70億分の1の自分。その象も、この宇宙からみれば、10の500乗の宇宙
からみれば、チリですらない微細の存在。だからこそ、生きているうち!


5893,『しあわせ仮説』 −3 〜素朴実在論と、純粋悪

2017年05月04日(木)



           『しあわせ仮説』ジョナサン・ハイト著 
   * 純粋悪
《「純粋悪は、素朴実在論の究極形態である。これが、大半の長期的な
 暴力形態の循環の究極的原因である。無差別殺人など、その犯行動機で
よく言われる、
 貧困のせい、虐待のせい、格差のせい、環境のせい、etc...
そんな外的要因(不純物)が存在しない「悪」。そんなものが無くても
成り立つ「悪」。 純粋悪=完全悪を「純粋悪」という。》
《 哲学で、私はよく世界が幻想であるという考え方に遭遇した。それは
 深い意味がある。20年間道徳心理学を学んだ末に、理解できたように思う。
人類学者のクリフォード・ギアツは、
 <人は、自分が紡いだ意味の網目に吊るされている動物である>と書いた。
つまり、私たちの住む世界は実際には、岩や木、物理的な物体から構成されて
いるのではなく、侮辱や機会、地位の象徴、裏切り、成人や罪人で構成されて
いるのである。これらはみな、人類の創造ぶつであり、それなりに存在するが、
岩や木が実在するという意味では実在しない。 これらはバリーの
『ピーターパン』の妖精のようなもの。あなたが信じるときにのみ存在する。》

▼・個人も、集団も、その純粋悪に気づかない。北朝鮮が、この現状。
 素朴実在論は、この毒である「純粋悪」の汚染の自覚も持たない。
トランプ大統領も、金主席も、自分が素朴実存主義者という自覚がない。
世界を、日米韓を純粋悪のバイアスで見ている。(逆も言えるが)
目的は手段を正当化するが、そこからも「純粋悪」が派生する。
カント倫理学における 根本的な原理であり、無条件に「〜せよ」と命じる
絶対的命法に似ている。私は、我々は絶対正しく、「外の人」は、所詮は
旅人、時間が経てば消えていく。しかし、消えるのは? そう呟く人たち。
 9・11事件のテロリストの行為の理由を「私たちの自由への憎悪」と述べて、
驚くべき心理洞察の低さを露呈した。アラブ諸国の長年にわたる屈辱と怒りの
歴史から出ていることを、一概にした市民を大量殺戮にするに至った。
知識も知恵も経験も少ない私たちは、素朴実在論を述べ、「純粋悪」の毒を
吐くしかないが、そのことを少しでも自覚できるかどうか。そのためは、
独学でいいから自分の世界を広げるための知識と、新たな経験を必要とする。
・「純粋悪」もピーターパンの妖精のように、「素朴実在論者が、純粋に
悪と思っているなら、存在している」ことになる。 それで自分を縛り付けて
牢獄の罪人に押し込んでしまう。しかし、牢獄が全世界なら、知らないまま
消え去るなら、それはそれで人生の完結になる。全て、自分自身に言えること。
 
・・・・・・
5528,若者よ、外に出よ! ーА‖膽然との邂逅の衝撃を体験しろ
2016年05月04日(水)
               『人生の教科書』なかにし礼著 
   * 大自然との邂逅の衝撃を体験しろ  
 ーピラミッドという衝撃を体験しろー のテーマから、さらに世界を広めた
ー大自然の神秘の衝撃を体験しろー のテーマが浮かんだ。ピラミッドは人間の
創造物だが、自然の神秘と美しさは、大自然自ら創った作品。その神秘の衝撃は、
魂まで振動が直撃する。 大自然には、山脈、大平原、滝、氷河、大海原、天空
のオーロラなどがある。 世界的遺跡など人間の創造物に驚愕するが、手つかず
の大自然の創造物にも驚かされる。『大自然は、自らの創造物を見たいため、
記録したいため、人間を創られた』というが、成るほど、納得することしばしば。
その幾つかの内の一つがギアナ高地。 〜ネット検索によると〜
【ギアナ高地を形成している岩石は、主に20億年から14億年前の先カンブリア
時代に堆積した砂岩や珪岩からなり、擬似カルストを呈し、巨大な縦穴の存在が
知られている。現在の形になったのは6億年前】とある。生物としての何かの記憶
が蘇るような懐かしい不思議な感覚。それは、現地まで汗し、辿り着いたから
こそ、味わうことが出来る感動である。己は宇宙の微細な地球の、小さな存在で
しかない実感が、その時、現れ出てくる。「現象界」と、「理想界」が、そこで
だぶって存在しているような世界である。「生きてきて良かった!」の実感が、
感動の後に、訪れる瞬間である。山は動かない、自ら汗して山にいけばよい。
――
H0909
ギアナ旅行記

 この数年、秘境の旅に凝っている!
そしてそれが深いほど新しい感激・感慨が大きくなる。
南米大陸の一番上に位置するベネズエラの首都カラカス。
そこより目指すギニア高地の基地、カナイマへ。更にそこから
オリノコ川の最大の支流カロニ川の上流に、秘境ギニア高地が
広がっていた。インディオの操縦で四日間にわたった
「エンゼルフォールを目指すアドベンチャー・ツアー」であった。
コナン・ドイルの“ロスト・ワールド”の空想小説の舞台となった
テーブル・マウンテンは、一〇〇〇m〜三〇〇〇mの垂直に切り立った
絶壁に囲まれた台地がいくつもそびえ立っていた。
そこより落ちる滝は多いときで二〇〇〜三〇〇にもなり、その中で
一番有名なのが、世界最長の落差のエンゼルフォールである。
その長さは一〇〇〇m、山道を一時間以上かけ登り、麓より見上げた
滝の雄大さ、神秘性は言い知れぬ迫力があった。
ここでは生物の生存がほとんど不可能であるという。
ボートでそのテーブルマウンティンの勇姿を見た時、魂を電流がつき抜けて
いったような感動で自然と腰骨がピンと立ち、ただ茫然としていた。
そして涙が自然と流れ出てきていた。
二十億年の大自然の時空を直感できた感動であった。
「これで人生の感動の分岐点を充分越える事ができた!」という言葉が、
フッと脳をよぎった。 原始人が自然に対して“神”を直感するとは、
このような二十億年の時空の中の一瞬の何かを観たのだ!。
この旅行はただテーブル・マウンテンと密林とそこを流れる川、
そして滝だけであった。
ただ高地の間に流れる川をのぼっていくボートツアーでしかない!。
でもそれだけがすばらしいのだ。
そのトレッキングの真髄を初めて経験でき、
新しい世界をかい間見た十日間であった。
(H9.8/23〜9/)

・・・・・・
5163,「現象界」「理想界」とは何
2015年05月04日(月)
   * 「現象界」「理想界」とは何のことだろうか。
              〜『哲学で自分を創る』瀧本往人著より
 日常にある「現象界」と、頭に浮かぶ「理想界」とは、そもそも何だろう。
その辺りを、『哲学で自分を創る』瀧本行人著に、分かりやすい内容があった。
青年期の理想に燃えた時、現象界そのものが、輝いて見えていたが、現在では
自ずから大きく違って見えている。人生を振り返ると、現実世界は、まんざら
悪くもなかったし、幻滅するほどでもなかった。 〜まずその部分を抜粋
≪・当たり前だが、世界は、ある人間の意のままにはならない。しかし私たちは
 そのような世界を想像することができる。この想像した世界が「理想界」。
 そしてそれを可能にしているのが理性。
・「現象界」とは単純に、日常的に把握できるありようだ。普段見えている
 この世界、感じとり生きている日常、である。
一方、「理想界」は、むしろ日常から離れて空想したり想像したりする。
もう少しカッコよくいえば思索したりする中で現われる想念とでも言おうか。
現象界においては、人それぞれの経験によって認識対象が異なって把握される、
ということは、人種や民族、大人と子ども、男と女によっても、私とあなたに
よっても、それぞれ異なって立ち現われるということである。更には時代も
異なればまた別の様相を持つことになる。だが実際人は、言葉を使って、
いろいろなものを一つにまとめあげ説明することができる。それが経験である。
現象界には直接存在しないものを、言葉、概念、用語、カテゴリーによって
まとめあげることによって、それらはこの世に登場してくる。
カントのこのような認識論は、理想界への言及と平行に走る両輪であった。
実際彼の大学での講義内容は人文地理学や「実用的な見地からの人間学」が主で
あったが、彼は現在ロシア領となっている一商業都市であるケーニヒスベルク
から一歩も外に出ることなく世界の諸現象を語ることができた。そしてカントは、
このとき「理想界」という抽象的なものを打ちたてることによって、人類共通の
普遍道徳のようなものがありうる、という議論をも可能にした。この点が重要な
意味を持ってくる。 いずれにせよ、デカルトやベーコンが人間の理性は
無際限に活用しうると考えていたのと比べると、理性に対するこのようなカント
の線の引き方は、まさしく「批判」であった。つまり、「非難」ではなく、
「限界づけ」なのである。そう考えると、私たちが「敵」と認識する対象は、
それが「敵」であると思うかぎりは、「敵」でしかない。敵という概念にある
人物やあるイメージをあなたが付与した時点で、その敵は、現実にそこにある
対象となると同時に、あなたの想像の産物にもなる。・・ ≫
▼ 「現象世界を、言葉を使って、一つにまとめあがることが、経験」とは、
 分かりやすい。体験を時間の経過をして言葉とイメージを記憶として、残った
のが経験ということ。我われは、どうも現象界と理想界を、混同してしまい
がちになる。しかし、現象界の中での理想界を思い浮かべる視線も必要である。
世界は想像の産物の幻想・幻覚なら、「幻滅界」もあって然るべき。
ところで、秘境ツアーなどで世界の観光でみた光は、これまで経験した、
「理想界」や「現象界」を遥かに超えたものだった。理想世界は、想定内で
しかない。そのことを、まずは実感してみないと!理性、感性より至高体験。

・・・・・
4798,年金破綻報道の罠 ー
2014年05月04日(日)
<世界で一番わかりやすい、年金「安心」理論>ー細野真紘(2014年の論点100)
   * 年金の根本的誤解
 これを読むまで、年金を根本的誤解をしていた。<「それで老後の生活は十分」
というものではなく、あくまで「老後の最低限の 補助」という位置づけ>という。 
そうすると、我われ国民が、ほぼ誤解していることになる。我家も、家内の預金
を取崩し、年金に加えて生活しているが、この根本の考えが間違いだった!
 ーその辺りからー
《 年金について、TVで次のような街頭インタビェーが出てきます。記者:
「あなたの年金で生活は十分ですか?」年金受給者の主婦「いや、月5、6万円じゃ
全然足りない。だから、仕方なく預金を取り崩さないといけない状態だ」
 このようなやりとりが、何の疑いもなく放送され続けているが、これに基本的な
「誤解」があると気付いている人はどれほどいるのでしょう? まず、この記者の
質問自体がおかしいが、そもそも年金は、「それだけで老後の生活は十分」と
いうものではなく、あくまで「老後の最低限の補助」という位置づけ。
だからこそ昔から人は、自分自身で貯金をするわけです。これは、特に、日本
のような「低負担」の国では必然的な行動の結果です。 さらに言うと、
インタビェーでコメントしている入も、誘導尋問に乗っかっておかしな発言を
しています。それは、そもそも貯蓄は「老後の備え」として貯めていたわけで
「老後に取り崩す」というのは、極めて当然の行動のはず。それなのに
「国に感情をぶつける」ように答えてしまっているのです。なぜこの「矛盾
だらけのテレビ報道」に対して、これまで誰も疑問を抱かなかったのでしょうか? 
これは、一言でいうと「社会保障に関する教育の欠如」に尽きます。つまり、
教育が全く機能しでいないので、視聴者が判断できなくなってしまっているわけ。
 では、どのように「国の年金」を捉えておけばいいのでしょうか。これは、
日本の年金とは「老後に国から死亡するまでもらえるお弁当」だと捉えて
おくとイメージもしやすいし、根本的な誤解も減っていきます。・・・ 》
▼ 弁当の飯とおかずの例えが,解りやすい。ということは、大部分の人たちは、
 老後は飯だけの生活が待っていることになる。ネットで中小企業の数を調べて
みると、【2006年で、420万社で我が国の企業数の99.7%を占め、中小企業の
従業者数は2,784万人で我が国の雇用の約7割を占めている。また、国民総生産の
約2割を占める製造業においても、2008年には、中小企業は48.4兆円と製造業
付加価値額の約5割を占めている】とある。そうすると、国民の多くの老後に、
決して楽ではない生活が待っているのが現実。それから考えると、少ない
給与の中で2割は別途積立など蓄財が必要になる。消費税の3%値上げや、
インフレターゲットなど、国民にとって、実際には、聞捨てにならないこと! 

・・・・・・
4431, 「死ぬのが怖い」とはどういうことか −3
2013年05月04日(土)
       ー「死ぬのが怖い」とはどういうことかー 前野 隆司著
 * ルート2:直ぐ死ぬこととあとで死ぬことの違いを考える道
                       (時間的俯瞰思考の道)
 人はいずれ死んでしまう。直ぐか、そのチョッと先かの差でしかない。 
で、悲観的になるか、楽観的になるか。誰もが楽観的の方が良いと思うが、
悲観も時に必要。ブラック・スワンが80年の人生に、必ず何羽かが舞い降りる。
思いもよらないことだらけ、これが人生。だからハリケーンや地震多発地帯
の住宅ではシェルターが必要。それを人生にも組込む必要性がある。
そのためにも悲観は必要。悲観のレールに楽観の列車で走れば良い。 
  ー次の箇所が面白い!ー
≪ 人生は絶望か、希望か?では、本質的には意味のない人生を、
 どう生きればいいのだろうか。 以下の二つの方向性がある。
(1)どうせ人生は無意味なんだから、はかなく悲しい、と絶望に向かう生き方。
(2)人生には定められた意味などないから、人生の足かせを取り去り、むしろ
 自由に人生をデザインし軽やかに生きていこう、とう希望に向かう生き方。 
 (1)と捉えるか、(2)と捉えるか・・ 
あなたはもともとお金を持っていなかったとしよう。ところが何らかの理由
で今は一万円をもっている。しかし何らかの理由で、そのお金はなくなる。
これをどう捉える? どうせお金はなくなるんだから、はかなく悲しい、と
絶望するか、たまたま一万円持っていると希望を持つか。これと同じ。あなた
はもともと生きてなどいなかった。ところが、何らかの理由で今は生きている。
しかし、いずれまた無に戻る。中島義道だったら「この世に自分の意志では
なく生まれさせられ、苦しみあえいで生きねばならないから、はかなく悲しい」
と絶望するかもしれない。 (1)型の捉え方だ。 
 しかし、見方を変えれば「なんと幸運なことに、何の因果か、たまたま、
生きているかのような幻想を一時的に手に入れた。なんてラッキーなことか」 
これが(2)だ。 つまり、人生とはあぶく銭。生まれる前には何もなかった。
ところが、何の因果か、宇宙ができ、有機物の塊が生物になり、それが進化
して、人間になった。その中の一人として、何の偶然か、あなたが生まれた。
生まれたての時は、何も考えなかったが、脳が成長・学習して今に至った。
これがラッキーでなくて何? あなたにとって、宇宙史上最大のラッキー
の一つ。死刑というより、恵みだ。信じられない、鮮烈な奇跡である。
そんな奇跡を楽しまずして、この奇跡が再び失われてしまうことにフォーカス
を当て続けるなんて、もったいない。それよりも、この刹那の偶然を、大いに
楽しもうではないかが、それが、(2)だ。
 一万円を得たこの奇跡的な現在を喜ぶか、その一万円を失う未来を憂うか。
その違いが(1)と(2)の違いだ。(1)は、いま一万円を持っていることから出発
しようとするから、失うことの絶望に向かう。それって近視眼的ではないか。
一万円を得たという既得権は、既得権。それは当然としておいておき、一万円の
維持にフォーカスしている。それよりも、人生をその始まりから俯瞰する視点に
立ち、もともとゼロだったものが一万円になったこの人生のあぶく銭を楽しもう
ではないか、というのが(2)だ。 視野が広い。 ルートと関連付けるなら、
今一万円を持っていると思っているのは、幻想だ。本当は持っていないのだ。
誰かが「自由に使っていいよ」と言い、そっと貸してくれたのだ。
このラッキーな一万円を、幻想だと知りながら、ぱーっと使おうではないか。 
そして、なくなったら、なくなったとき。くよくよしたって仕方がない。
もともと持っていなかったのだ。・・・ ≫ 
▼「要は生のラッキーを楽しみ、死の恐怖を超越すべし」からすると、
 この辺りを理解してないと人生を誤る。それを教えるのが親の務めである。
必要なのが教養。生まれたときからの環境などが備わっているかどうかもある。
幸せな家系は幸せに、不幸な家系は幸せになる傾向が強い。26歳で千葉で、
34歳で新潟駅前で創業を決意をした時、特に新潟駅前の時は、500%の成功する
だろうという確信があったが、兎にも角にも、何にも知らない業種。土地の時価
を含めて当時の私の能力からして、やはり博打。魂が震える思いである。
で、自然考えたのが、上記のこと。「せっかく与えられたチャンス。もし失敗
しても、全てを失っても後悔はしない」と!だから現在、さばさばしている。
  万一の備えはしていたこともあるが・・ 人生も、「ご覧のとおり、
そのまま結構!」と、開き直りか。 日々是口実!

・・・・・・
4057, 随想日記も12周年
2012年05月04日(金)
 11年前の5月4日にHPを開設してから連日、ほぼ休まずに掲載してきた。
旅行時は知人に頼んで書きだめしたのを当日ごとにアップしていた。12周年
を期に気楽に休むつもりである。休み癖をつけると続かなくなる心配が逆に、
ここまで続けることが出来た。内容はともかく、「自分に納得できる文章に
すること」を心掛けてきた。毎日、同月同日分の10年分を読み返しているが、
手を抜いた文は少ない。 大相撲、全日本柔道選手権、新年とか殆んど欠かさず
同日に、同テーマの感想を読むと不思議な奇妙な感覚になる。読んでいると、
変わらない自分と、変わってしまった自分に気づくことがある。ここまで書き
ためると自分自身の墓場そのもの。飾ろうにも飾ろうとしている自分が現れ出る。
従って正直に書くことになるが、それが人を大きく傷を付けてしまう。
言葉の力は大きい。大まかに、「読書日記」「過去の思い出」「現在の社会現象
と分析」「つれづれに」「箴言」「新たに知った言葉」などに分けられる。
「書くということは、書き続ける自分を維持するための行為」ということに
気づいている。思いを、印象を、書き出すということは一度、脳から文として出し、
吟味することになる。書く行為そのものが考えることになる。毎日、読み返し
11年分の自分に出会っているが、そこに自分の小さな歴史をみている。 
もし書いてなく、完全忘却をしたら、元々、何も無かったのと同じでは?と思う
ことさえある。 実家の事業を5年足らず携わった時、気持ちの余裕が無かった
こともあり、写真も、日記も殆んど残っていない。書き残していたら面白い断片が
数限りなくあった。大変だったが自分の力が十二分に発揮できた時期だった。
このシリーズは心底では自分に120点。だから逆に書き残さなかったのが
良かったとも言える。 おいおい、その時のことを書くつもりだが・・
また人を傷をつけるのか? 毎日、書き出す習慣も慣れるとゲーム感覚になる。 
ネタ切れの際(きわ)に常に立っているスリルと苦痛が逆に面白味を増す。


5892,『しあわせ仮説』 −2 〜素朴実在論と、純粋悪

2017年05月03日(水)

          『しあわせ仮説』ジョナサン・ハイト著 
   * 素朴実在論
  〜まずは素朴実在論をネットで検索すると
《 素朴実在論とは、実在論の一形態で「この世界は、自分の眼に見えたまま
 に存在している」とする考え方。子供などが持っている素朴な実在論である。
また大人などでも、哲学を学んだことがない一般人が抱きがちな実在観である。
この実在観の例をあげると、例えば、木の葉を見て、ミドリの葉が実在している
と思ったりすることである。 素朴実在論が哲学者によって未熟だと烙印を押さ
れるのは、一つには、上の木の葉の例で言えば、木の葉は夕日の中や薄暗がり
の中では黒かったりし、ミドリ色として決まっている木の葉があるわけではない、
ということからでもある。
 人間は素朴な状態なままだと、自分が肉眼で感じられた内容をそのまま存在
すると信じ、反対に、見えないものは存在していないと思い込む傾向がある。
また人は素朴な状態では、物というのは他の物とガツンとぶつからなければ動き
に変化はないと思っている。デカルトの渦動説にはそうした素朴な考えの影響が
あるということは科学史家が指摘している。また、ニュートンが万有引力を提唱
した時、同時代人がそれをオカルトだと呼んで非難したことには、「自分が
感覚器で感じられるものは実在しているに決まっており、反対に 自分の感覚器
で感じられないもの(見えないもの、触れられないもの)は存在していないに
決まっている」とする素朴な考え方を無自覚に持ったり頑強なまでに信じ込む人
が多い、という背景がある。今でこそ知覚できないことであっても実在している
ものはやはり実在しているのだ、という見方は知識として一応普及した。
だが現代においても人というのは、普通の人も科学者もしばしば、自分が知覚
できるものだけが知覚したように実在し、知覚できないものは実在していないに
決まっている、と素朴に思う傾向がある。》

▼ 「世界平和と、社会調和の最大の障害」が、素朴実在論である。
 それは、容易に個人レベルからグループレベルに拡大するため。そして、
それが「純粋悪」を生み出す。新潟駅前に事業の場に、長岡駅裏に住居にして
31年間、二つの都市を知らずと眺めてきた。そして現在、6年、長岡に住んでいる。
生れた地で生活をするに、深入りをしないことを基本にしてきたが、これが正解。
城下町は、素朴実在論そのままの世界。その根幹を成すのが、「純粋悪」の共同
幻想のドブ沼。その中での集団的残虐性は、漫画的ですらある。素朴実在を理解
すれば、それはそれで生きやすい。永年かけて作り上げたユートピアを守らんが
ため、理想的生活を追求するに異質のものを排除するには、徹した「悪人狩り」
が行われる。それは永年かけて作り上げられた世間様という根深いバイアス、
「純粋悪」にまで研ぎ澄まされているため、その影響は測り知れない。
とはいえ、所詮は素朴実在論の世界。問題は、そこから出たことがない人の比率。
 北朝鮮を悪例?とみれば、素朴実存論そのものの世界。ドン様と、その一族と、
取巻きのユートピアを脅かす不届きもの日米韓。少しでも反対でも唱えれば、
暗殺か、収容所へ。そして素朴実在論のトランプと金様が、その犠牲を顧みず、
お陰様で、全面戦争の危機に立っている。 

・・・・・・
5527,若者よ、外に出よ! 〜Α.ースト制のインドを知る
2016年05月03日(火)
 学生時代からインドのカースト制の露骨な差別社会を聞いていた。
で、あまり行きたくない国だったが、ペルーの山中で、軽い高山病になって、
三人が途中でダウン、一時間ほど仲間の帰りを待つ間に、互いに行ってない
旅行先の情報の交換をしたが、その人のお勧めが、インドだった。
『あまり気がすすまない』という私に、『もし、旅行道という言葉があると
すれば、インドだけは欠かしてはならない!』の言葉が、妙に説得力があった。
 当時の会社の取引先に‘一人旅’が好きな人が二人いたが、そろって、
インドの素晴らしさを話していた。「学生時代にガンジス川の日の出をみて
人生観が一変してしまった」話が、妙に頭に残っていたこともあり、インド行き
を決めたが、成るほど、そのとおりだった。妙に懐かしさは仏教国の為だが、
湧き出るような群集と、牛と乞食などが、街中で屯した雑然とした社会の
真っ只中に投げ出された感覚が、これまで経験したことがない世界だった。
 ー まずは、帰国直後の旅行記の幾つかをコピーする。
http://news.sina.com.cn/s/p/2010-08-23/074820954155.shtml
――――
2002/10/30
ある逸話ーインドで見たこと

インドの空港で帰国の時である。修行僧のいでたちの男、杖一本を
つきながらやって来た。素足で身に付けているののはパンツ一枚である。
それで飛行機に乗ろうというらしい。急を聞きつけた警察が数十名が周りを
取り囲んだが誰も手を出せない。空港の制服の女の人が間に立って説明をして
いるが、どうしても折り合わないのだ。パスポートも持たないでパンツ一枚で
国際線に乗ろうとしているのだ。

恐らくカースト制で身分が高いのだろう、素裸の男の態度がでかい。
大声で入国査察官を怒鳴りつけているのだ。状況から、恐らく「神の指示で
乗れといわれたのに何故乗せぬ!」と言って、強引に搭乗しようとしている
ようであった。最後の結末をみないで飛行機に乗ったが、インドの社会を
最後まで見せ付けられた出来事であった。

インドは普通の感覚では考えられない身分社会なのだ。牛が堂々と
街を我が物顔で歩いているのだ。宗教上で神聖な生き物なのだ。

以前にも書いたが、20%のある階級は餞民で人間とみなされない。
交通事故死でも警察が取り合わないという、牛なら騒ぎになるが。
実際その経験談を読んだ事がある。同乗した車が餞民を轢き逃げしたが、
その後新聞でも何も載ってなかったとか。轢いた本人も犬を引いた程度
としか思ってなかったのに驚いた、と書いていた。まあ凄い社会である。
一度はこういう社会を見てみるのも必要な事だ。

*4年前に書いた文章をコピー。
――――
 H1011 インド旅行記 ー私のみた北インド 

“インドとは...”など滞在一週間のツア−では表現できない。
面白いほど多様な国である。まず印象を列記してみよう。
� 汚く、臭く、多種多様な人種、動物が“ごった煮”されている国であった。
映画の“深い河”や二本のTVドキュメント、本は五冊読んで実際行ってみて、
ここまで貧しく、奇異に感じるとは!

� 大部分がバスの異動であったため、点というより線でインドを見れた。
“街の生活”や“田舎の街道”よりみた地域ごとの暮らしが印象に残った。
小さな節穴より垣間見た程度であったとしても沢山の事を見て、
感じ取ることができた。

� ヒンドゥ−教の聖地ベナレス。生まれて初めて見た“美しい日の出”
その日の出がガンジスに反射する陽光!そこでの聖なる沐浴の光景!
三千年前とほぼ変わらぬ宗教的行事という。その岸辺での火葬の情景!
帰りの道すがらの物乞いの一団。ふと気づくとライ病の集団に一人囲まれていた。

� インドの2/3が最下層に属し、ほぼ乞食に近い生活をしているといって
オ−バ−でない。野良犬、野良牛、野羊と全く同じ感覚で一緒に生活している。
日本の80%が中流意識とは対極にあるといってよい。
帰ってきて今でも日本が逆に奇異にさえ見えてきた。
−完璧すぎる平等と潔癖症。そして豊かさが。

� インドはヒンドゥ−教とカ−スト制を抜きでは理解できない。
おおよそ4階級に身分制があり、皮膚の色により白系(一億人)、
赤系(一億人)、黄色(一億人)、黒色(四億人)に分類されている。
我々が街で目にするのは最下層の人たちが主で、動物並みにしか上層の人より
見られておらず、本人達もそう思いこんでいる!
(ヒンドゥ−教の教えがその裏付けされている)。
白色ほど身なりがキチッとしているのは私達でさえ判断できた。
レストラン、ホテルなどそれぞれ決まっており、決して違う層は入れない。

・・・・・・
2007/08/15
2325, ベナレス −1               
                  ー読書日記ー
図書館から何げなく借りてきた本だが、一時間もしないうちに読んでしまった。
写真が半分以上だったこともあるが、死の世界が剥き出しになっている。
この本はTVの放送内容を本にしたもので、TVの映像を切り取った写真と
文章を中心に構成されている。実は数年前に、この番組をみていたのである。
本を読み終わってから思い出したのだから自分でも呆れてしまった。
早く読めたのも、その下地があったからである。
 ーー
著書もTVも、「NHKスペシャル アジア古都物語」
 ―ベナレス 生と死の聖地 ーである。
<その内容の一部を抜粋してみる>
 −−−
インド各地から遺体が運ばれてくるガンジス河中流域、
ヒンドゥーの聖都ベナレスのレポートである。
その中で、ガンジス川で沐浴をする誰もが言う。
「ベナレスで荼毘に付されれば必ず天界に行ける…」と。

全国から車やトラクターで運ばれてきた遺体は、路地を抜けるために
屋根から降ろされ、人びとの手によって担がれ火葬場へと向かう。
「ラーム・ナーム・サティヤ・へー、ラーム・ナーム・サティヤ・ヘー」
(神様だけが真実である、神様だけが真実である…)
担ぎ手たちはこの言葉を繰り返し口にする。こうして冥福を祈られながら、
やがて遺体はマニカルニカー・ガートと呼ばれる火葬場に到着する。

聖地ベナレスでもっとも聖なる場所の一つであるマニカルニカー・ガートは
ガンジス河をのぞみ、街の中心部に位置する。その歴史は数千年におよぶと
伝えられている。河に面して横長に伸び、その広さは五十mx二十mほどで
あろうか。焼き場は何もないスペースがあるだけで、多い時にはここで
十数体の遺体がいちどきに焼かれる。

ベナレスには二つの有名な火葬場があり、
・一つは街の南にあるハリシュチャンドラ・ガートという火葬場で、
・もう一つが、ガートが連なる河岸のちょうど真中あたりに位置する、
 このマニカルニカー・ガートである。
運び込まれてきた遺体は、まず、火葬場の中ほどにあるガンジス河へと
つながる階段を下り、ガンジスの水に浸される。そして組み上げられた
薪の上に安置され、そのたび油が注がれる。茶毘は伝統的な方法で行われる。
亡くなった人にもっとも近い親族の男性が喪主を務め、基本的に女性は
火葬場に立ち入ることはできない。喪主は、マニカルニカー・ガートに
ある床屋で髪の毛やひげをそり、白い装束を身に付け身を清めた後、
自分の父親や母親の亡骸に最初の火を自らの手で灯すのだ。

遺体が燃え尽きるまでの時間は、おおよそ二時間。
その間遺族は、焼かれて行く遺体から五、六メートルほど離れた場所で
肉体が消滅して行く姿をじっと見守り続ける。目の前にはガンジス河が流れ、
煙は何物にも遮られることなく空へと昇って行く。
聞こえてくるのは薪がはぜる音、人びとのささやかな声、
そして、遺体がまた運び込まれたことを告げる
「ラーム・ナーム・サティヤ・へーレ」という声である。

しかし、なぜこの街には、インド各地から遺体が運び込まれてくるのだろうか。
この疑問に対して誰もが"何故、そんなわかりきったことを聞くのだという
ような顔をして「この街で茶毘に付されれば必ず天界にゆける。そう信じて
いるからだ」とこたえてくれた。
ヒンドゥー教では、人生は「生老病死」といった苦しみに満ちていると
考えられ、そして生まれ変わるたびに、その苦しみを味わわなければならない
とされている。この考え方は、仏教にも影響を与えた「輪廻」という思想。
この「輪廻」の輪から抜け出ない限り魂の平安は未来永劫に訪れない。
こうした考えを信じる人びとにとって、ベナレスは生きることの苦しみ
から抜け出させてくれる救いの場所なのである。
遺体が焼かれた後、遺灰は目の前のガンジス河に流される。
最後に喪主の手で残された遺灰にガンジス河の水がかけられる。
こうして死者との別れの儀式は終わる。
ーー
以上のような文章と、写真が半々位で本が成り立っている。
しかし、読んでいても暗さがない。
いや、あるが、その先に明るさを感じるのである。
本の写真に死ぬ直前の人や、死んだ人の顔が次から次と出てきても、
何故か静かに見ることができるのである。
死を、ことさら大げさに見ることの方が寧ろおかしいのである。
                        つづく
・・・・・・
2007/08/17
2327, ベナレス −2
           。っω-)..。oо○(゜+。ぉレ£∋ぅ゜+。)
インドは強烈な印象の国であった。帰路の飛行場に着いたとき、実のところ
ホッとした。聞きしに勝るインドという国の文化に、良きにつけ、悪きにつけ
ショックであった。ヒンズー教とカースト制度、貧しさと豊かさ、タージ・
マハールなどの霊廟や城、ガンジス川とベナレス、そして古代から現代
までが入り混じった社会。日本の日常とは全てちがっていた。

その中でもべナレスの街とガンジス川の沐浴と、舟からみた二ヶ所の火葬場。
ガンジス川からみた日の出。ガンジスの火葬場周辺にいる修行僧の顔と眼。
そして我が物顔で歩いている牛。そしてライ病の集団の物乞い。幼女の乞食。

この本ではベナレスの「死を待つ館」の数家族がありのままを映しだしている。
生死、貧しさも豊かさ、差別も、その全てがリアルにそのまま露出されている。
それが日本とは対照的なのである。
人生の折り返し地点を越えベナレスに引っ越してきた老夫婦や、老齢になった
ことで自らべナレスの僧院などにやってきた人びとなど、死期を間近に感じる
前に移り住む人もいる。

この街は「死を受け入れる街」として永年をかけて奥行きを広げ、
深さを増している。インド各地から運ばれてくる死体は多い時で100体。
また家族や、死者の灰をガンジスに流すために訪れる人も毎日数千人もいる。
なかには郵便で灰が送られてくるケースさえあるという。
ここは死者の為の街であり、その準備の為の街である。

ここの「死を待つ館」の人に、「死ぬのは恐くないですか」と聞いても、
「どうして怖いことがあるのか。ここは寺院もあり、ガンジス川もある。
この街が私を呼んだのだ」と答えて、平然としている。彼らにとって、
ここでの死は誇らしいものであり、ここに連れてこられること、
その家族にとっては、連れてくることが喜びなのである。
 死が喜びとは!素晴らしいではないか!
                   ☆ァディオス☆(`・ω・´)ノ
・・・・・・
2007年09月08日
ベナレス−5
  ー多様なるインド世界ー
インドは日本のおよそ九倍にあたる三二九万平方キロメートルの面積を持つ。
これは西ヨーロッパの面積にほぽ等しい広さである。
そこに現在十億を超す人びとが暮らしている。
多言藷・多民族の国家であることは言うを待たないが、宗教もまた多様である。
古代から育まれてきたヒンドウー教のほかに、仏教やジャイナ教が紀元前五世紀
頃に相次いで生まれた。紀元後ほどなくしてキリスト教が伝わり、ハ世紀には
唯神アッラーを信仰するイスラーム教が本格的に到来した。
またヒンドウー教とイスラーム教双方の教義を批判的に融合したスィク教も
十五世紀に興起する。
ヒンドゥー教と仏教は輪廻や解脱の思想を共有する、いわば兄弟のような
ものである。兄たるヒンドゥー教は古来からの儀礼やしきたりを守つてきたが、
そのためさまざまな迷信や俗信をも抱え込むことになった。一方、弟の仏教は
そういう兄を理詰めで批判し、外の世界に広がっていったが、インドでは
十三世紀にイスラーム教徒の仏教僧院破壊を機に、すたれてしまった。
仏教がインドで復活するのは二十世紀半ばのことである。インド亜大陸では
現在でも宗教問の争いが絶えないが、それは主として政治的不安定に起因する。
庶民は心の底から平和を祈っているのである。
ーーーーー
解)それにしても、3千年前にアーリア人がインドを征服した時に、地元民
との混血が、自分達の存在を脅かすと考え創った物語が三千年の時間をかけて
白・赤・黄色・黒の人種の垣根をつくり、それぞれ交わることなく現在に至って
いる。そして、今でも露骨な人種差別ーカースト制度ーが社会を支配している。
人間は平等です? そんなことは有りえない!それはあくまで奇麗事というを、
インドの社会が正直に露出している。考えてみれば平等などあるわけがない。
それを実現しようとした社会主義こそ、そのウソ、建前を知らなかったのである。
優勝劣敗は哀しいことに、世の習いである。

・・・・・・
2007/04/16
2204, ベトナムとインドの「交通戦争」
          おはよう!♪〜 ヽ(´π`)ノ
ーインドの追い越しー
外国に行くと、思わない文化の違いを見ることがある。その一つが交通事情。
インドの都市間をバス移動の時、対向車線の車が追い越しのため、進路から
正面に向かってギリギリのところまで迫ってくるあわや正面衝突!と、
思わず目をそむけてしまうほど危ない。彼らにとってそれが日常のため、
国道沿いには数キロごとに衝突の車を見かける。

慣れていない日本人は見ていて気分が悪くなり、町から町への移動の国道では、
誰も前の席に座りたがらない。沢木耕太郎の「深夜特急」という本の中で、
インドからパキスタンへの移動の高速バスで、その恐怖を書いていた。
実際に自分が体験をしてみて、これほど恐ろしいとは知らなかった。
それと中国のウィグル地区からパキスタンへのカラコルム・ハイウェーの
断崖の砂利道の暴走運転の恐怖を思い出した。
明らかに我われ日本人をカラカッタ運転だった。
その手の話題はいくらでも話題は出てくる。
ーベトナム交通戦争ー       (略)

・・・・・・
2006/08/30
1975, 写真家はインドをめざす
              ー読書日記 \(^▽^*)おは!                     
インドを精通する写真家14人が描いたフォトエッセイが、
この1冊に凝縮してあり、読んでいて魂まで吸い込まれるようだ。
この本、この数年で5〜6回は図書館で借りてきては返している。
読めば読むほどに何とも魅力のある本である。いや本が魅力がある
というより、インドの地と、そこに住む人々の混在した多様性にひかれる。

カルカッタのマザー・テレサの建てた「死を待つ家」。
路傍でまるでゴミのように死んでいく身よりの無い人々が、せめて屋根の
ある家で死んでいけるように建てた家の死を待っている老人達の写真を
冷静に撮ってあるもの。
 ・物乞いのライ病患者や、駅の隅で転がっている少女の死体?
 ・河の辺で焼かれている燃え上がっている死体。

インドをドック・アイの視線でカメラマンの目は鋭く一瞬を抉り撮っている。
白黒の写真が、むしろピッタリである。一人当たり7〜8頁の文章と、
10枚位の白黒写真がその文章の後にある。画家や写真家のエッセイは何故、
ここまで優しく鋭く人の心を捉えるのだろうか? 恐らく、一瞬の被写体
の中にある本質を見抜く感性が私たちの心の奥の共感を呼び起こすからだろう。
この本のトップの日比野宏の出だしの文章から、対象を鮮明に表現する。


5891,『しあわせ仮説』 〜心の「象と象使い」

2017年05月02日(火)

             『しあわせ仮説』ジョナサン・ハイト著  
 象に鎖を繋ぐと、何度か抜こうとするが、駄目と諦めると、二度と引こうと
しなくなるという。人間も、現象として見えないが、似たようなもの。ここで、
「象と象使い」の例えを、「本能と理性」「意識と無意識」などに例えている。
しかし、この象が本当に何をしたいかと思ったら、象使いも彼にはかなわない。
ハッピーな象使いに、ハッピーな象が当たる? が、その確率は一割以下?
まあ、世の中を見れば直ぐにわかる。何とか折り合いがついているようだが。
   * 心の「象と象使い」
≪・著者は私たちの心を「象と象使い」に例え、本能と理性、無意識と意識など、
 いろんな言い方がありますが、象使いというのはわかりやすい例えと思います。
「象使いは、象がより良い選択をするのを助けるために象の背中に乗っている。
象使いはより先の未来を見通すことができ… 貴重な情報を習得できるが、象の
意志に反した命令をすることはできない」
・また本書の「幸せはあいだから訪れる」という考え方、
「だから、知恵を探すなら、けっして見つけられないと思うような場所、つまり
あなたに相反する精神の中を探すべきである… 純粋悪の神話という目隠しを
取り去ることができたら、そこではじめて何らかの良い思想に出会えるだろう」
・<幸福は「あいだ」から訪れる>。あなたと他者のあいだ、あなたと仕事の
あいだ、あなたとあなたより大きな何かとのあいだに、正しい関係を築くことで
訪れるのだ。わたしは、アメリカ人よりも日本人の方がこの考えに対して納得し
やすいのではないかと考えている(「日本語版への序文」)」。
・著者ハイトは、人間の欲求や感情の強さと、それをコントロールするはずの
意志や理性の弱さを、「象(欲求・感情)の背中に乗った象使い(意志・理性)」
と表現する。自分自身の行動について、理性にもある程度はコントロールする力が
あるが、主導権は感情に握られている。「私は手綱を握り、あっちへ引っ張ったり、
こっちへ引っ張ったりして、象に回れ、止まれ、進めなどと命令することが出来る。
象に指令することはできるが、それは象が自分自身の欲望を持たない時だけだ。
象が本当に何かしたいと思ったら、私はもはや彼にかなわない。」≫

▼ 夫婦関係も然り。お互いが象であり、象使い。どちらかというと、象使いが
妻の傾向が強い?…「自分管理をしようとしたら、自分自身を幼児のように扱え」
と。 優しく、丁寧に、繰返し、褒めて、時には厳しく、前向きなプラス思考で、
成功体験と、大自然と芸術を可能な限り触れさせ、感動と感激を最大限に経験させ、
愛情を無条件に注ぐこと。実際は、自分に逆ばかりをしている。周りに影響され、
同化してしまうため。象だけならまだしも、象使いも自分の手に鎖をかけている。
無知は悪であり罪と、つくづく考えさせられる。これは他者の合せ鏡で、察知
するしかないが… 狂暴なのもどうだが、大人しいのも… 鈍重なメス象も?…
 〜で、文脈として去年の同月同日の内容につづく〜

・・・・・・
5526,若者よ、外に出よ! ー 世界の祭り  
2016年05月02日(月)          
   * 祭りから世界の楽しさを知る
『若者よ、まず楽しさを経験しろ!』である。「嬉しい、楽しい」という
感情が、人間を突き動かすことになる。ゲームでも、ミニ祭りの飲み会でもよい。
その極地が街レベルで行われる祭り、それも世界的祭りの楽しさを知ること。
 世界最大の祭りといえばクリスマスだが、ど派手な祭りの、ブラジル
の「リオのカーニバル」と、北スペイン「牛追い祭り」を体験してみた。
その熱狂の渦が全ての人を恍惚に誘う。この2週間の北スペインのバスツアー
は、これまでのツアーのベスト5に入れることが出来る。祭りは、原始人の頃
から営なわれていたことは壁絵から推察される。生き抜く苦労と、その憂さ
晴らしは、古代も現代も同じ。祭りには時代の文化が現れ出る。
 大相撲も神事で行われていたのが始りだった。 祭りは実に楽しい! 
が、その背後には、普段の地道な生活が必要である。
≪ ☆ パンプローナの牛追い祭り(2002/09/07 記)
 今朝9時半より、衛星TVで今年のサン・フェルミン祭を放映していた。
もし神様が一日だけもう一度同じ日を与えてくれるといったら、4年前の
この祭りの最終日を間違いなく選ぶだろう。今年は例年になく多くの負傷者
が出たようだ。今日の番組は毎朝の牛追いに絞った8日間の内容の為、毎年
放映される中でも特に迫力があった。初めから最後まで手に汗を握る内容だ。
 この祭りはヘミングウエーの「日はまた昇る」で舞台になり世界に一躍
知られるようになった。
 この期間ー7月上旬の8日間、町中の人が白い服に赤の腰巻の布を巻き、
赤いネッカチーフをつける。パンプローナの出身者の多くが帰ってくる。
毎朝6頭の闘牛とそれを先導する虚勢牛6頭の合計12頭が闘牛場に向かう
街の道路に放たれる。毎日異なるドラマを生みながら熱狂を8日間重ねる。
その6頭の闘牛が毎日おこなわれる。4年前その最終日の闘牛をみたが、
会場が異様な熱狂に包まれていた。 その牛の前を走るエニシエロが、勇気
試しになる。19世紀半ばからこの祭りが始まり、闘牛とか牛追いは途中
からその祭りに加わった。
 ーユーラシア旅行社でいくと、市役所広場の前の4階の部屋から
  最終日のエンデングと牛追いが見れる。
――――
4年前の「北スペインの旅」−より抜粋ー  
 ・・この中で一番のハイライトがパンプローナの“牛追い祭り”であった。
延々8日間にわたって毎夜、闘牛が行われる。その牛を毎朝、市役所から
闘牛場へ、町中を追い上げる。その前を街の若者が走って、度胸試しをする。
死人が出ることがあるという。我々が着いたその日が最終日の為、最高の盛り
上がりであった。夜の闘牛もその為か異常な熱狂を会場にただよわせていた。
これこそ正しくスペインと思われた。
 深夜の十二時に向けたファイナルギャザリングが、一生の思い出になる
感動的場面であった。市役所前に数千の群集がロウソクを手に持って集まり、
ロウソクをかざしながら歌い踊るのだ。 彼らが心の底からパンプローナを
愛しているのがよくわかる。民家の4Fの一室を借りて見たのだが、光の海を
見ているようであった。トランペットやバイオリン・タイコの楽団の演奏に
あわせて歌を全員が歌っている。
 キリスト教で祭りを集団で祝うのはスペインだけといわれている。
イスラムとキリスト教が融合して、神聖かつ感動的・熱狂的なお祭り騒ぎ
なのである。このような宗教的感動的場面に出会ったのは初めての経験。
この場面に出会っただけでもこの旅行は充分の価値があった。
一生の心の財産になった。 ≫
――――
≪ ☆ リオのカーニバル(2003/04/23)
この時期になると例年、NHKハイビジョンでその内容が放映される。
毎年三月の初旬に開かれ,約一月後に放映されている。
何とも派手で陽気で豪華で楽しい!
8年前にいって、その雰囲気を知っているから、観ていても楽しいのだろう。
違うのは音量の大きさと、会場の熱気が直接伝わっていることだ。
 TVを観ていると、会場に行っているような錯覚をしてしまう。
以前にも書いたものを後でコピーしておくが、なかなか奥行きが深い。
ブラジルではTVなどで生中継される全国的な行事なっている。
今回、あるチームの準備などの内幕をドキュメント風に紹介していた。
80分の持ち時間の演技のために一年間の準備をする。
 審査項目が10項目あり、それを細かく説明していた。
・テーマ曲の良し悪し
・打楽器ーバテリアの内容
・テーマの紹介のパフォーマンス
・同じ衣装のダンス隊のダンス
・山車の美しさ、テーマの解りやすさ、迫力
・チームの旗手の踊り
・そのチームの女王の観客へのアピールと反応等々ある。
プロの演出者を雇い、その年のテーマにそって
カーニバルとサンバと山車や音楽や衣装が組み合わされる。
今年もなかなかの出来であった。
数回再放送でやるから、何回もみるつもりである。
ーー以前書いた文章をコピーしておきますーー
H0703  ブラジル旅行記
 “行って吃驚!玉手箱”主観をこめて現地の実感を書いてみる。
カーニバルはリオディジャネロだけでなく、全国津々浦々の都市で
行われており、四日間全国がお祭りの為休みとなる。
その最も有名で世界的に知られているのがリオのそれなのである。
リオのカーニバルのランクがA・B・CとなっておりAランクが9チーム、
Bランクが15〜16チーム、Cランクは数十チームとなっている。
AとBチームが特設スタジオのメーン、ストリー800mを80分の
持時間で踊りながら行進する。そこは六万人の観客席があり、審判席で
厳格に審査され、その年の優勝等順位があらそわれる。

 そのチケットは一般の人はほとんど入手不可能である。我々のTV
新聞等で目にするのはCチームが街頭で行進するものでしかなかった。
チームは四千名が1チームで構成されており、それが約500名×8チームに
細分化され統一のコンセプトのもとに仮装が華やかにつくられている。
音楽も各チームごとに毎年新しいコンセプトのもとに有名作曲家が名誉を
かけてつくる。その作曲も採点の大きなポイントになるという。
一日6〜8チームが夜の七時より翌朝の七時まで延々と踊りの行進が続く。
観客席もその行進曲にあわせて半数以上が踊っている。
音響もすさまじく隣の人の声は全く聞こえない。

 上位数チームが翌週の土曜日に優勝をかけて再び行進がおこなわれて優勝
チームは10億以上の賞金がつき、かつ翌年に向けよいスポンサーが約束される。
その年の山車とか衣装は翌年に持ちこさずすべて破棄するという。
カーニバルをみていて“気”とか“色即是空”とか“禅の悟り”がすべて含まれ
ており、東洋的なこのような言葉が小さくみすばらしくさえ思えるくらいだ。
ブラジルの印象として残ったイメージとしてのキーワードを書くと“サッカーと
“サンバ”(カーニバル)と“森林”と“イグアスの滝”そして
“汚職まみれの国”である。さらに加えるなら“まずしさ”である。≫

――――
▼ 祭りは、普段の質素倹約した単調な生活の憂さ晴らしのための爆発の
『晴れ』を集団で楽しむ娯楽。特に、イタリア、スペインのラテン系の国の
祭りは歴史があって、ど派手。日常からの集団トリップの一端に触れるだけで
充分に価値がある。そこには、セックスと血と死の匂いが、漂っていた。
 リオのカーニバルには、「カーニバル・チルドレン」が、結果として誕生し、
捨てられ、ストリート・チルドレンになるという。

・・・・・・
・・・・・・
5161,不幸不利の7つの法則 〜�
2015年05月02日(土)
   * 不幸不利の法則を具現化した人
 絶対的に不幸な人も、幸福の人も存在しない。それぞれの人生の時節で、
孝不幸の比率が変わる。それと教養レベルでも・・ 不幸不利の法則を、
そのまま具現化したような人を、周辺に直ぐに見つけることができる。
内幕情報屋を売りにした「あの人!」。人の不幸を探し出し、噂話を探し
まわって、転々と人々の間を、尾ひれはひれを加え、舞いまわる人たち。
最近はネットに移行したから、始末が悪い。聞いている方は、その人間の
卑しさに気づいて軽蔑をしても、顔に出さない。情報化や都会化で、人は
表面的には誰とでもフレンドリーだが、実は、彼らは「孤独の群集」で、
他人の内幕を知りたがる。だから、こういう、「内幕情報屋」の存在が
必要となる。学生時代に読んだ、リースマン著『孤独の群集』の中で、
都会化が進むほど、「内幕情報屋」が、多く現れると論証していた。
自分の趣味と、一般教養を持たないと、現象界をそのままを現実、真実
として受入れてしまう。(偶然だが、一年前と4年前の同月同日の内容が、
そのまま書いてあった) 普通の人であれば、噂話も世間話をするし、
敢えて、特徴を取り上げることもなし、ただ無知なだけ!と割切ればよい。 
ところが、実は、その内幕情報屋の流される噂話が、個々人には、
「掟というトリック」が含まれている。それが各人の牢獄をつくり上げる。
これが「絶対不幸」の人たちを作り上げる。その結果、「不幸不利」を
なってしまう。そして、自分の世界を小さく小さくしていく。
「不幸不利」のスパイラルは、強力なマイナス磁力がある。
己の「不幸不利」に気づくには教養のベースか、死線を漂う経験などが
必要になる。小、中、高、大学の同級会に毎年、出席しているが、不幸不利
の人の比率が、進学するにつれ減っている。鬼のような形相のオバサンや、
時代かかった成金は皆無になる。豊かさ貧しさは、置かれた状況でもある。
幸福であれば、他人の不幸には興味が無頓着になる。不幸不利の人は・・
・・・・・・
4796,閑話小題 ー倒産よもやま話 〜�
2014年05月02日(金)
   * 何かが変?なのは、自分? それとも巷の常識?
 先日取り上げた【「道徳」を疑え!〜自分の頭で考えるための哲学講義
  ー小川仁志著】の中で、イギリスの哲学者 フランシス・ベーコンの
「イドラ(本当のことを隠してしまう臆見)を取り上げていた。
 彼によると、人間には四つのイドラがあるという。
《・一目は「種族のイドラ」です。これは人間という種族に固有のイドラで、
 感情や感覚によって知性が惑わされることによって生じる。人間は自分が
 主張する立場に箇執し、その点からしか物事を判断できない。
・二つ目は「洞窟のイドラ」。あたかも狭い洞窟に考えが入り込んでしまった
 かのように、個人の狭い事情により生じる思い込み。その人の受けた教育、
 影警を与えた人物、読んだ本などが原因で、狭い考えに入り込んでしまう。
・三つ目は、「市場のイドラ」です。これは言語によって生じる思い込みです。
 あたかも市場で聞いたうわさ話を信じてしまうがごとく、人は言葉のもつ力に
 弱いものです。いまは市場より、インターネット上に氾濫する言説が原因?
・四つ目は「劇場のイドラ」です。それぞれの都合の良い物語を疑おうと
 しないで信じてしまうことをいう。》
:この結果、世間とかいう、ほぼ嘘で固められた常識を疑うことなく信じる九割
 以上の人達がつくられ、現に存在する。この方々は、殆どのイドラが全存在。 
 覆い隠されている真実の世界の存在など想像すら出来ないため、厄介そのもの。
 彼らには、「嘘もほどほどにしろ」より、「本当のことは、ほどほどに」と、
 対応するしかない。何故なら、本当のことは、イドラの世界からは見ることが
 出来ないから。本来、人間は共同幻想の中にしか生きることが出来ない存在。
 とすると、変なのは社会と、その中で生きる、私たち(個々人)になる。
 問題は、それを常に自覚できるかどうかが、境目になる。リーマンショック
 から、一段と世の中が変になっている。ところが何故か、それを覆い隠して
 いる何か、恐ろしい力。それが何だろう?「世界恐慌は静かに浸透しているが
 誰も声高に言わない。いや、言えない」のだろう。石ころの大小を言っている
 自分も、その中の砂利でしかない。結論は、「私も、一般常識とも、変!」 
 ということ。
・・・・・・
4429, 「死ぬのが怖い」とはどういうことか 
2013年05月02日(木)
 * 死の恐怖を克服する七つの登山道とは   
           ー「死ぬのが怖い」とはどういうことかー 前野 隆司著
 人生で最大の難関が最期の死。ここで、死の恐怖を克服する著者の椎奨の七つ
の登山道が書かれている。スッと眠るように死にたいが、そうは簡単にいかない。 
長生きすれば「死に損ない」と言われそうだし、癌で、あと一年、数ヶ月と
区切られ悶々と死んでいくのも厳しい。現に父親が、そうであった。一年間、
傍にいたので、直に伝わってきた。砂漠の真只中に置かれたような生の渇望の
乾きは残酷である。実際に、その立場に置かれて経験しないと分からないこと。
死の恐怖の克服法は知らないより、知っていた方が遥かによい。生への渇望の
克服など無理といえば無理。肉体的に精神的にも、のたうちまわって死んでいく
しかないのが実態。だから恐れる。著者が死への登山道は言い得て妙である。 
  ーまずは、7つのルートとはー
ルート1  心が幻想だと理解する道(脳科学の道)
ルート2  すぐ死ぬこととあとで死ぬことの違いを考える道(時間的俯瞰思考の道)
ルート3  自分の小ささを客観視する道(客観的スケール思考の道)
ルート4  主観時間は幻想だと理解する道(主観的スケール思考の道)
ルート5  自己とは定義の結果だと理解する道(自他非分離の道)
ルート6  幸福学研究からのアプローチ(幸福学の道)
ルート7  リラクゼーションと東洋思想からのアプローチ(思想の道)
▼ 次回から、それぞれのルートの要点を書き出してみるが、最近読んだ、
「宇宙は本当にひとつなのか」と「宇宙は何でできているいるのか」(村山斉著)
を読んで、この宇宙の他に、10の500乗の宇宙が存在している可能性がある
と知り、単純だが、自分の人生も、死も、大した問題でないことを改めて知った。
これはルート3の、客観的スケール思考の道になる。この7つのルーツの道を繋ぐと、
≪ 人間の心は、本来幻想。人の一生は宇宙的スケールでみれば、瞬時でしか
 ない、直ぐ死ぬのも後で死ぬのも同じ。また微細な存在。知情意で捉えている
時間も幻覚。自分という枠組も定義で変わるもの。恐怖が幸福の対角にあるとし、
その幸福という感覚も幻覚。ただそれだけのこと。≫ ということになる。
般若心経そのものになる。だから、死に直面すると、写経を始めるのは効果がある。
こう、まとめると、各ルートを歩くのが面倒に思ったが、よく読むと、道筋には
含蓄に満ちた景色がある。目先の死を知ってから、それまでの一生分を生きる
のだから、学び足りないのは当然。


5890,閑話小題 〜朝鮮戦争が現実的に ー6

2017年05月01日(月)



   * 日々、緊迫度が増す状況へ
 北朝鮮問題について、4月半ばから5回シリーズで書いてきた。
流れからして、全面戦争は避けられないとアメリカが腹を据えた時点で、
本格的な手順が始まる。いや既に始まっているのか。韓国と、仏大統領選挙
までは、開戦がないとみられるが、これが終わり、韓国新大統領への新布陣が
固まる8月まではアメリカも自制するが、9月以降は何でもありになる。
 アメリカの空母派遣は、親米派の韓国大統領を当選させる戦術と捉えられる。
いざ開戦危機となれば、暗殺、クーデターの可能性もあるが… どうだろう。
 ところで、横須賀に寄港している空母レーガンの動きもないが、いざ開戦時
の、補給のための交代戦力? それとも、首都圏への防空の布陣? 
 問題は、終戦後の周辺国への難民問題がある。 相応しくない大統領と、
幼稚で暗愚な主席となればこそ、起こるはずのない核兵器の使用を含めた
全面戦争になる可能性が大である。 それが8割とするなら… 
 「北朝鮮の深刻なガソリン不足で 平壌市内にあるガソリンスタンドは、
閉鎖されていて、人の姿はない。」とテレビが報じているが。
 毎日のように、御二人の漫画のような掛け合いを目の当りにしている
こと自体が信じられない。ドン様、カダフィか、フセインのような末路に
なるのだろうが、その前に数百万人の死傷者を道連れにする可能性を含む。
 問題は、ミサイルの飛来の可能性で、対岸の火事では済まされないこと。
暗殺、クーデターを恐れたドン様の自爆的粛清が更に激しくなる?
 
・・・・・・
閑話小題 〜朝鮮戦争が現実的に ー1
   * 朝鮮戦争が現実にあるのだろうか
 アメリカのシリア軍への攻撃で、アメリカによる北朝鮮への攻撃が想定
されてきた。もし開戦ともなれば、十万、百万単位の死者が出る可能性もある。
戦力として世界四位の力を持つ北朝鮮との交戦なれば、さもありなん。
大統領に相応しくないトランプなればこそ、危ない。朝鮮半島に二隻の空母が
配置されれば、一つ間違えれば、交戦もあり得る。空母には7〜8隻の艦隊が
付き添い、この二つの艦隊に加え、沖縄基地からの攻撃と、集結しているだろう
原子力潜水艦などを考え合わせると、2〜3ヶ月以内に勝負がつく位は周知して
いるはず。ドン様が早々に実兄を葬り去ったのは、それもあっての先手。
交戦ともなれば、ソウルは焼け野原になり、百万単位の死傷者が出る。
 2013年04月23日づけの『週刊現代』の記事に息をのむ。
――
≪ ■ 米軍はどう動くのか
 北朝鮮情勢が、いよいよ緊迫してきた。 韓国の国防部関係者が解説する。
・「北韓(北朝鮮)は、中距離弾道ミサイル『ムスダン』の発射を日本海の元山
 から行うなど、東海岸に周辺国の目を向けさせています。
だが攻撃の"本丸"は、あくまでも西海岸(黄海)だと国防部では見ています。
 北韓は、これだけ内外に挑発的な発言を繰り返しているので、何もしなければ、
金正恩の名折れとなります。しかし本当にアメリカと戦争になれば、一溜まりも
ないことは重々心得ている。
 そこで、米軍を参戦させない範囲内で最大限の挑発をする可能性が高い。
それには、首都ソウルに近い西海岸で暴発するのが、一番効果的だというわけ。
 具体的には、西海岸に浮かぶNLL(北方限界線)の南側にある5つの島を砲撃する
のではと警戒しています。NLLは米韓が海上に引いた線で、北韓は認めていない
ので、彼らにとって攻撃の正当性がある。小島くらいの砲撃では、アメリカは
参戦しないという読みもある。実際、'10年11月に、北朝鮮が突如、5島の一角
である延坪島を砲撃した時も、韓国側が泣き寝入りしました」
・前項でやはり「NLL付近が危険」と述べたソウル大学統一平和研究院の
 張容碩博士も続ける。
「北韓は4月9日に、南北和解の象徴と言われた開城工業団地を封鎖しました。
ここは南北軍事境界線まで8kmの距離にあり、元々は朝鮮人民軍の基地があった
場所です。そこへ再度、大量の朝鮮人民軍を配置し、韓国攻撃の拠点にしよう
ということでしょう。北朝鮮との国境付近は、大変危険です」
 実際、38度線に近い韓国京畿道高陽市では、4月1日より「危機対応マニュアル」
を市民に配り始めた。「核兵器・放射能攻撃時の行動要領」「化学兵器攻撃時の
行動要領」「生物兵器攻撃時の行動要領」など、全10ページにわたる行動指針を
記した、おどろおどろしいパンフレットだ。
――
▼ 自宅から、そう遠くない柏崎に世界最大の原発があるため、8割以上の確率
 の交戦となると、他人事ではない。 狙うなら平和ボケした日本の原子力? 
以前の戦争危機はカーター元大統領が身を挺して阻止したが、「何故、あの時」
の悔いが、右翼勢力に残った。 その右翼が現政権の中核を占めているため、
本格攻撃の可能性が無いとは言い切れない。中国も国境沿いに軍を集結、北への
圧力をかけるだろう。4月末辺りに、その「まさか!」がなければ良いが。
 中国辺りが、取巻きの女たちに亡命を保証し、暗殺か、軍事クーデターを
画策しているのだろうが… 根が深いだけに?        〜つづく

・・・・・・
閑話小題 〜朝鮮戦争が現実的に ー2
   * 全面戦争にならないのか(8割の確率で)
 私がアメリカ大統領だったら、今のうちに核施設に全面攻撃を加える。
ましてトランプなら、8割以上の可能性の説に真実味を感じるが、如何だろう。
やはり、日本は平和ボケをしている。習主席がトランプに、「全面攻撃を容認
する代わりに尖閣列島への侵攻を黙認する」裏契約をする可能性も充分ある。
現在でなくとも、来年中には? 週刊誌の売らんがための煽り記事としても、
現実は、全面戦争に向かって動いている。 〜その辺りから〜
≪ ■ 高陽市安全都市課の職員が語る。
「わが市は目と鼻の先が北朝鮮なので、すでに臨戦状態です。市民からの問い
合わせが殺到したため急遽、10万枚のパンフレットを作成して市民に配付した。
それでも市民からの問合わせが日々、大量に来て、生きた心地もしない日々です」
 北朝鮮は4月9日、韓国国内の外国人に対しても、「韓国から至急離れないと
責任は取らない」という警告を発表した。これによって韓国では、ラーメンや
乾パンなどの非常食や、ミネラルウォーターの買い占めが起こっている。
韓国はまさに、「第2次朝鮮戦争開戦前夜」といった緊迫した状況なのである。
 そんな中、ケリー米国務長官が、4月12日から15日まで、韓国、中国、日本と
北朝鮮を取り巻く3ヵ国を回る、東アジア初外遊に出た。
  ■ アメリカ国務省関係者が語る。
「わが国はいままさに、韓国と合同軍事演習の最中で、いつでも実戦に移す
準備はできています。今回のケリー国務長官の3ヵ国訪問で最重要だったのは、
中国訪問でした。新指導者の習近平は、金正恩を救おうとしているのか、
それとも滅ぼそうとしているのかを、しっかり見極めようとしたのです」
これまでの東アジア地図は、日米韓vs.中朝という対立の構図だった。
前世紀末に世界の冷戦構造が崩壊したが、東アジア地域だけはいまだに、
冷戦構造を引きずっているからだ。
  ■ 8割の確率で戦争が起きる
 だがこの伝統の図式に最近、異変が起こっているのが、中国の態度の変化。
習近平政権は、いまの大荒れの北朝鮮をどう見ているか。外交関係者が明かす。
<かつて毛沢東と小平は金日成を、朝鮮戦争を共に戦った"血を分けた誼"
と見なしていた。続く江沢民と胡錦濤は金正日を、兄弟国の"特別な弟分"と
見なしていた。金正日は計7回訪中したが、北京へ来れば必ず中国共産党の
トップ9が全員揃って歓待する習慣があった。だが習近平は金正恩を、単なる
"物騒な若造"としか見ていない。だから、北朝鮮のミサイル実験や核実験を
受けて、いともあっさりと、北朝鮮への重油・食糧・肥料の援助ストップを
決断したのだ。中国にとって絶対に看過できないのは、朝鮮戦争時代の悪夢
である米軍が北朝鮮に侵入してくることだけだ。それさえなければ、いつ
核兵器の矛先をわが国に向けてくるか知れない金正恩という狂った指導者が、
いつ失脚しても構わない。それが習近平新主席のホンネだ>
 4月10日には、中国共産党機関紙『人民日報』が発行する中国最大の国際
情報紙『環球時報』に、中国で最も有名な北朝鮮研究者の張瑰・中国共産党
中央党校教授が、次のような原稿を寄せた。
<朝鮮半島に近く戦争が起こる確率は、7割から8割くらいあるだろう。
北朝鮮にとって武力統一は、昔からの既定路線だからだ。金正恩は、金日成と
金正日が成し遂げられなかった祖国統一を、いまこそ果たそうとしているのだ>
                〜「週刊現代」2013年4月27日号より ≫
▼ 首都ソウルから北朝鮮の距離は、東京と大宮の距離しかない。そこには
 2500万人が住んでいて、北の脅し文句が「ソウルを火の海にする」である。
それを二分した国家に向かってなら効果があるが、アメリカに向かって、
「大陸間ミサイルで核攻撃で火の海にする」と、実験を繰返せば、交戦好きの
アメリカが見逃すわけがない。白人優先主義を謳って当選した大統領にとって、
東洋人の100万、200万が生きようが死のうが、大した問題ではない。
 在日米軍と、二つの空母艦隊と、多くの原子力潜水艦に囲まれ、いつ何時、
攻撃を仕掛けられない南北朝鮮の人たちと、平和ボケの日本人とは、危機感が
雲泥に違う。それでも、何かしらしら危ないのは分かる。危機の察知の早い
株式市場と、為替の変動の兆候がないので、大丈夫? そうじゃないから…

・・・・・・
閑話小題 〜朝鮮戦争が現実的に ー3
   * 死傷者は400万人
 2500万人が住む首都ソウルに、北朝鮮が核弾頭付でなくとも、ミサイルを
撃ち込めば、百万単位の死者が出るのは周知のこと。北は、それを熟知して恫喝
して何とか体制を維持している。それ故に、韓国は大統領に莫大な権力を集中
せざるを得ないため、汚職をうむ土壌になっている。現在でも破綻している国家
に戦争は更に加速させる結果になること必定。しかし、アメリカには、東洋人の
100万や200万より、己の国家の安全の方が遥かに重要になる。
「第一次、第二次世界大戦から見れば、この程度は大したことがない」と、
考えても不思議ではないのか。     
                〜「週刊現代」2013年4月27日号より
≪ ■ 北の妄想
 北朝鮮の国民は幼少時から、「朝鮮はアメリカと日本に勝利した軍事大国」
と教えられて育っている。 金日成軍事総合大学の軍事関係者は、
「アメリカを倒すのは、掌を返すくらい容易だ」と豪語しているほどだ。
 先日、朝鮮中央テレビは、3日間で韓国を占領するシナリオの映像を流した。
1日目に韓国の重要拠点を占領し、15万人の米兵を捕虜にする。
2日目に韓国の大多数の都市を占領し、
3日目にその他の地域を占領するというものだ。
朝鮮労働党機関紙『労働新聞』は、「朝鮮は世界中でアメリカに対抗できる
唯一の国である」と誇っているほどだ。
まさに皮肉たっぷりの筆致で北朝鮮の「井の中の蛙」ぶりを強調している。
 だが、張教授が述べている「7割から8割の確率で第2次朝鮮戦争が勃発する」
という予想は、すなわち中国政府の見解に他ならない。
 前出の韓国国防部関係者が続ける。
「北朝鮮は、南北の局地戦ならば、米軍は参戦しないと踏んでいるようだ。
だが、実際にはアメリカは、三つの条件さえ整えば、
第2次朝鮮戦争に参戦する可能性が高い。
 第一に北朝鮮の核やミサイルによって自国の脅威が増すこと。
 第二に戦争によって自国の兵士の損失が最小限に抑えられる見通しがつくこと。
 第三に中国の後押し、もしくは少なくとも黙認が得られること」
 前述のような習近平政権の"反金正恩政策"を見ると、金正恩除去に向けて
米中が手を組むというシナリオは、十分考えられるのである。
  ■ 死傷者は400万人
 それでは実際に、南北衝突となった場合、どのようなシナリオが想定されるか。
軍事評論家の世良光弘氏が解説する。
「第2次朝鮮戦争になった場合、北朝鮮は38度線沿いにある数千基の砲台から、
ソウルへ向けて一斉砲撃します。合わせて、スカッドミサイルもソウルへ向けて
撃ち込みます。しかし米韓は、その前にB2ステルス爆撃機を発進させ、精密誘導
爆弾で38度線の砲門や主要ミサイル基地を爆撃します。B2爆撃機の護衛には、
F22ステルス戦闘機が当たります。
 これに対し北朝鮮は、ミグ29戦闘機が迎撃しますが、まともに稼働するのは
30機程度で、たちまち撃墜されるでしょう。その間にも米韓は、F15Eストライク
イーグルやB52爆撃機、ホーネット戦闘機などを投入します。また海からは
トマホーク巡航ミサイルで平壌を爆撃します。そうして制空権を完全に押えた後、
戦車部隊やストライカー戦闘旅団などの地上部隊が38度線を越えて進軍します。
 こうして北朝鮮全域を制圧するには、3ヵ月くらいかかるでしょう。
それでも山岳地帯の坑道に隠れるであろう金正恩の身柄を拘束するには、
それ以上の時間がかかります」
 かくしてイラクのサダム・フセインのように、金正恩も拘束されて、
戦争は完全終結となる。その後、北朝鮮には、米中韓、それに日本とロシアも
加わった5ヵ国との協調政権が樹立されるというシナリオだ。
 だがこのシナリオが現実のものとなれば、第1次朝鮮戦争と同様、400万人
規模の死者を出すだろう。ちなみに中国は、金正恩から亡命要請が来ても、
断るという。≫
――
▼ 昨日の午後の政治トーク・バラエティー『そこまで言って委員会』が
 時が時だけに、ユニークな企画になった。プーチン、習主席、トランプ、
金主席の顔写真のお面を、各国の専門家に被せて、際どい質問をするもの。
専門家は、自分の意見と、お面の主の考える想定が混同するため混乱するが故、
隠れた真実が垣間見えたような錯覚が、ブラックジョーク、コメディ的である。
「これだけの危機の問題を、爆笑するのも問題では?」 というのも、
『そこまで言って委員会』の番組名からして野暮。 
 イエローモンキー(日本猿)が、寄ってたかって、
赤ザルと、白豚と、白熊と、白パンダを、寄笑い飛ばしているに過ぎない… 
としても、際どい笑いが何とも「平和ボケ」そのもの。南北朝鮮の人民に
とって一番ウケるのは日本攻撃であることを忘れないこと。

・・・・・・
閑話小題 〜朝鮮戦争が現実的に ー4
   * おい、おい、おい!
☆ ワイドショーの中で、日米の軍事専門家が語る目先の第二次朝鮮戦争の
 危機 が日ごと近づいているようだというが。当然、後方支援か、実質参戦
となれば、首都圏、原子力発電所が報復として狙われる。
 恫喝の文言の『ソウルを火の海に』が、『東京を火の海に』へと、何時の間に、
変わっても不思議ではない。「400万の死傷者が出る」なら、日本は1〜2割の、
数十万位は出る仮説を立て対処しなければ。 当然、潜入している北朝鮮軍人の
数百人?は、テロによる攪乱が考えられる。
☆ アメリカの元・軍事関係者が、「目先のベストの結果は、長い目でみれば、
 ワーストになる」を危惧した言葉が重い。 クリントン元大統領時代の軍事
危機で、数万の死傷者を危惧し、捨身で阻止したカーターを引合いに出して、
<もし中国が力で、目先の危機を乗越えても、引延ばした分、核弾頭で世界を
恫喝する力が、高まるだけ>と、引くに引けない現状を語っていた。
 そうこう考えると、8割の確率で第二次朝鮮戦争の可能性も、あながち誇張で
ない。日本の平和ボケそのものが、日本を破滅の道に向かわてきたことになる。
☆ 欧州はイスラム教とユダヤ・キリスト教とのテロを介した準戦争状態に
 あるが、今度は日本列島も似た状況に成りざるを得ないのか。
この数ヶ月のアメリカトップの動きからみると「戦争回避は無い」だが…
「歴史は繰返す」の言葉とおり、第一次、第二次世界大戦頃の道を繰返すしか
ないのか。 来年辺りには、この70余年の平和は夢幻だった?と、日本中が
嘯いている? のだろうか? 悲観的にみても、楽観的にみても、動乱に
巻込まれることは避けられない? 戦争勃発なら『国家非常事態宣言』に? 
  おい、おい、おい!

・・・・・・
閑話小題 〜朝鮮戦争が現実的に ー5
  * 北朝鮮の結末は
 北朝鮮の記念日の核実験はなかった。「中国が原油を止める事態ともなれば、
国家の存続が出来なくなる」という理由が出来て面子も立ったからだ。
それにしても、中国が原油供給停止の恫喝とは驚き。このままでは、そう遠く
ない時期に戦争か、原因不明の病死の発表で体制が変わるか?
 韓国に米国人20万人が滞在しているため、アメリカの奇襲攻撃がないこと
位は、南北朝鮮の人たちは知っている。ちなみに、駐韓日本人は6万人とか。
 しかし目先を乗り越えても、年内か来年辺には?・・ 近未来も同じなら、
今やっても同じと考えても不思議ではない。韓国人の7割が移住希望を持って
いるというのも、理解できる。
 このところ、沈黙を保っているロシアのプーチンにとって、朝鮮戦争は、
願ったりかなったり、とすると、この男がカギを握っているのかも。
小狡い北狐、中国からロシアに原油供給を委ねる可能性もある。
 ところで、韓国内は、この手の北の恫喝には慣れたもの、5月9日の大統領
選挙の方に遥かに注目度が高いという。
 
  * 結局、今年の花見はなし
 悠久山と福島江の恒例の花見、今年は行かずしまい。 近年、悠久山の花見
に行かなかった記憶はない。(信濃川土手の公園の桜は、早朝のポタリングで、
自転車を乗りながら見ていたが)。 毎日のようにTVで、世界の絶景紀行
モノを見ているのも影響している?のか、桜の当たり年ではなかったためか?
北朝鮮の恫喝のニュースで、そんな気分になれなかったのか。(それほど、
シャイでもないか) 鶯の鳴声を一度だけ、信濃川土手河原で聞いたが、自宅
の庭と、近所では一度も聞くことがなかった。

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