堀井On-Line



5494,人生 〜何のために生きるのか ―池田晶子の言葉 〜②

2016年03月31日(木)

   『幸福に死ぬための哲学 ―池田晶子の言葉 ー』池田 晶子(著),
                
  〈 人生、何のために生きる? 〉
* わからないのは当たり前    ☆ は、私の感想
≪ そもそも私たちは、自分の決断で生まれたわけではなく、自分の決断で
 死ぬのでもない。生まれて死ぬという、人生のこの根本的な事態において、
私たちの意志は全然関与していない。 気がついたら、どういうわけだか、
こういう事態にさらされていたわけです。このことの不思議に思い至れば、
人間が自分の人生について、自分のことか意志で決断してどうのこうのという
ことが、いかに小賢しいことであるかにも気がつくでしょう。
人間が自分の意志でできることなんか、たかが知れている。
人生は自分の意志を超えているのです。≫     『死とは何か』
 ☆ 人の心は、その意志あればこそ。「たかが意志、されど意志!」
 「最善を尽くして、後は神の意志に任せる」しかないが、最善を尽くさない
限り、神の意志は働かない。 問題は、その問いを発し続けるかどうか。
――
  * 信じてはいけません
≪ 苦しみから救われるためには、信じなければならないと、皆さんは
 思われるでしょう。しかし、考えてもみましょう。苦しみを苦しみだと思う
のは、なぜ。人生に意味はありやなしやと苦しむのはなぜでしょうか。
それは、人生には意味があるものだと思っているからです。しかし、もしも、
人生にはとくに意味は最初からないとしたら、「どうでしょう。意味はありや
なしやと苦しむこと自体が、ひょっとしたら、勘違いなのかもしれませんよ。≫
                        『41歳からの哲学』
 ☆ 意味ない人生を、いかに意味付けるか。意は心。その意に味付けを
 していき、『意味』にする。どの道、人生など錯覚、その錯覚を、 己の
意志で意味づけしていくのが人生。だから面白い。どの道、死ぬのだから。
 ―― 
  * 定点をもつ
≪IT革命を究めたところで、我々が生身であることに変わりなく、自然災害の
前には降参するしかない。自然すなわち人智には絶対不可解な大宇宙に、この
自分が生きて死ぬとはどういうことなのか、考えて気がつくだけでも、我々の
人生は変るのである。なんだ人生というのは、あんがい変らないものだなと。
変わるものにおける変わらないものとは、定点である。定点からみると、
先行きどうなるかわからない地球上のこの状況も、永劫の宇宙史における
一風景、そんなふうに見えてくる。 定点とは、相対化する視点である。
これを手に入れるとラクですよ。 ≫        『週刊ポスト』
 ☆ 定点とは、考えること? 変化する自分を見つめる視線? 
  自分の中の、他我? それとも、揺れ動く心を見つめる、小さな自分? 
 ――
  * 何のために生きるのか
≪この人生、何のために生きるのかとは、生きている限り避けられない問い
ではありましょう。それは人間にとって最も根源的な問いであって、だから
こそこんな問い、人に問うて答えが得られるものではない。根源的な問いほど、
自ら問い自ら答える以外はあり得ないのです。もしも本当に答えを得たいので
あれば、生きている限り一度は必ず自らに問うてみるべきでしょう。
「私は、食べるために生きているのか、生きるために食べているのか」
さて、本当に楽しい人生は、どっちだと思いますか。≫ 『人生は愉快だ』
 ☆ 旅先で、何のために旅をしているのか、とは考えない。答えが出るのは、
 目的がハッキリしている時で、それを旅行という。そのプロセスを楽しむ、
味わうのが旅。とすると、人生は、与えられた条件の中で、可能な限り人生を
味わい、生を全うすることになる。で、それを前提として生きているかどうか!
 
・・・・・・
2015年03月31日(火)
5129,失業率9割の国、ナウル共和国 〜1
 先日のTVレポートで、ナウル共和国の現状を報じていた。
街中、大相撲の小錦、曙のような肥満体の人が、何をするでもなく
ブラブラして姿があり、国民の9割が失業者。 欧州諸国に"発見"される
前は主に漁業で自給自足の生活をしていたが、イギリスの植民地時代には
強制労働に徴用され、そして独立後はリン鉱石の輸出により何もしなくても
基本給が勝手に口座に振り込まれるようになった結果は・・ 〜ネットより〜
≪ 2007年に日本テレビ『世界の果てまでイッテQ!』の取材班が訪れた際、
 日中の街中を無為にうろつき回る多数の島民の姿が映し出されていた
・面積:21平方キロM 〜バチカン、モナコ公国に次いで世界で三番目に狭い
・人口:9322人(2011年)〜バチカン、ツバルに次いで世界で三番目に少ない
・失業率は実に90%。そして、残り10%のうち95%は公務員
 働いていない方が「正常」とみなせるレベルの数字。
 アメリカ国務省によると、公務員以外の労働者は僅か300人。
 ほとんどの国民が労働を知らず、勤労意欲もない国民が労働しなくなった
 ため、肥満も加速。肥満比率は8割を超えて世界一
ナウル国は、サンゴ礁の上に何百万年もの間にわたって海鳥のフンが堆積して
できた島。その海鳥のフンは長い年月の間にやがて良質なリン鉱石へと変質。
そのリン鉱石を採掘し、海外へ輸出することによって、ナウルは莫大な富を
得ることになった。そのため、
・税金無し、教育、病院、電気代は無料
・結婚した人には政府から新居が提供され
・飛行機をチャーターして海外にショッピングに行く人も
・自炊なんてしない。缶詰やミネラルウォーターを買う
 もしくは、外国人経営のレストランに行く
・徒歩で出かける人もまばら。移動手段は車かバイク
・リン鉱石の採掘作業も他国からの出稼ぎ労働者に。
 働いているのは、国会議員と政府の役人だけ(100名足らず)
・1980年代には国民一人当たりのGNPがアメリカ以上、日本の倍に
・全世代に年金(基礎給与)を支給 ≫
▼ ところが、そのリン鉱石が掘り尽くされ、枯渇した現状は、糖尿に
蝕まれた無気力な肥満体の住民だけ。 欧米文化に翻弄され、最後は、
こうなるという事例で知られるようになった。「リン鉱石立国」として
1968年に独立国家となった繁栄は、無計画な採掘で15年と持たなかった。
採掘できる資源には限度があることは、分かっていたはず。
しかしリン鉱石で稼いだお金の半分は国民に分配、残り半分は政府
により国外への投資に向かったが、これもホボ失敗。
・・・・・・
2014年03月31日(月)
4764,閑話小題 ー3年前の日記より ー2
  * 昨日で、あの日から三年になった
 先日、3・11災害から3年経った、と書いた。そして10年日記帳から、
3月9日〜19日までを書き写した。今度は、会社整理の日々になる。先日に続き、
2011年3月20日〜4月2日の二週間。(一般債権がほぼゼロもあり)自宅も、会社
の事務所にも一度も抗議電話も押しかけが無かった。債権者会議も当然無く、
無事、切り抜けていた。それもあってか、計画倒産の噂が流れたが、そんな
ことは出来よう筈がない。事業計画をたてる段階から、万一のリスク管理
(下の数値ライン設定と、避難のためのシェルターを長年かけ用意)をしていた。
これを計画倒産と言われれば、それまでだが・・ これを書き写していて、
涙が出そうになったが、面白いと懐かしがっている自分もいる。
・3月20日(日):この連休明けから、具体的手順に入る。差し迫ってきた。
    モーニングショーでは、大震災を詳しく報じている。それもあるが、
    私も、ある意味、被災者である。 あとは、流れに任せるしかない!
・3月21日(祭日):TVで週末の東京の歌舞伎町、新橋、銀座、魚河岸など
    中継していたが、震災のためいずこも閑散。昼食は近くの
   ‘サエゼリア’で。満席だが、被災民と思しきグループが目立った。
    これが現実である。
・3月22日(火):新潟の万代のラブラに行くが、人は閑散。 昼飯は
    ケンタッキーの鳥ハンバーガー。コンサルトの林氏にメール。
    今日、決断をしたが、この2〜3ヶ月、特に動揺をしている。
    この災害が、後押しをしたのは確か。
・3月23日(水):大矢、斎藤、弁護士と事務所で、状況について
         最後の話合い。17時〜18時半。
・3月24日(木):16時40分に弁護士と打ち合わせ。厳しいが、しかたがない!
・3月25日(金):弁護事務所で、弁護士と打ち合わせ。最後の決断の確認。
・3月26日(土):NTTで、携帯電話の会社から個人への切替の手続きをする。
・3月27日(日):NTTへ、再度、手続きをしなおしに行く。
・3月28日(月):整理の具体的手順に入る!身体が浮いたようで、
頭はフル回転。違う人格が入り込んでいるようだ。 
・3月29日(火):会社には行かず、個人の整理のための手順の幾つかを踏む。
久々に際どい危機感の中の自分が、いる。
・3月30日(水):13時より、弁護士二人に女子事務員と、現金など経理部門
の引渡しを大矢と私、5人で始める。そして、17時に正式に
弁護士の宣言で、30年以上の会社が消滅をした。 
全員、起立をしてm(_ _)m。
・3月31日(木):9時10分より、弁護士と二人、第四、商工中金、新潟信金
の順にまわる。何処も、豆鉄砲をくらった様子。
        :13時、従業員を集め、解雇の言い渡し。全員が不安そうな
顔をしているのを見て、気持ちが切れ涙を流す。
        17時、車で帰路の途中、Iさんより携帯に電話。迷ったが、
これも記念と、18〜20時半まで長岡駅裏の居酒屋で酒を飲む!
Iさんも、まさかと信じられない顔。
・4月01日(金):13時半、弁護士と会社の事務所で打ち合わせ。
15時、昨日の説明会で出席できなかった5人に説明。
         18時半〜燕のKさんと燕で酒を飲む。3人の就職先の依頼を。 
21時44分で長岡に帰る。
・4月02日(土):県内の親戚に数人に事情の電話。仙台の学生時代の行方
不明だったO君より無事の電話。5分の差で助かったとか。
前に仙台の住所にハガキを出していたのが、遅れて届いていた。
▼ 良質もあるが、悲しいとか、惨めとかいう感傷的気分はゼロに近い。
 目の前の一日をひたすらこなし過ごすしていた。それは今も同じだが。
それでも「喉ぼと過ぎれば熱さ忘れる」で、何事も2年半〜3年。
陰湿の嫌がらせはないことはないが、慣れてしまえ、「理解出来る範囲で
見ている方々の程度の測量」で遊ぶ楽しみになる。これは実体験でないと
分かるはずがない。その意味でも、自分観察、人間観察でベストの経験。 
救ったのは長期のリスク管理?

・・・・・・
2013年03月31日(日)
4397,「武士道」という諸悪の根源         
  * 「武士道」という諸悪の根源   《「世間」の捨て方 ー3》
「武士道」が諸悪の根源という説は面白い見方。しかし少し考えれば当たり前
のこと。徒党を組んだ侍の親分が武力で農民の米を徴収し、仲間内に配っていた。
その暴力装置を持つ集団が綺麗ごとで尤もらしい規範をつくりあげだけ。
それを子育てを含め根こそぎ否定しているところが新鮮。ーその辺りから抜粋ー
≪ 子育ての見本として、絶対に見習ってならないのが江戸時代の武士道。
「武士という者が日本を悪くした存在です。(略)武士の頭の中にあるものは
主君に使えるということだけ。端的に言えば、奴隷ですよ。(略)・・
この奴隷というものを、武士道だなんて、日本人はやけに持ち上げるんですよね。
・・(略)その点、ヨーロッパは違いますね。武士はすべて傭兵だった。
戦争は国王が傭兵を使ってするわけです。武士は『七人の侍』みたいなもので、
雇われの用心棒だった。「日本は典型的な武士の社会。
鎌倉幕府が成立して以後、ずっと軍事国家だと私は思っています」≫
▼ 現在も武士社会が会社に入れ替わっただけ。そのため現在でも勤め先の藩と
 役職と禄高で、社会的評価がされている。そうこうみると、我われは現在でも
奴隷、それも人生の大半を何も考えずに、その生活に満足して過ごす。その中で、
人は趣味を見出し、奴隷生活の中で自由な時間を持つ。士農工商が江戸時代の
身分制度。そこで他の奴隷管理をしていた武士のつくった武士道など
信じるなどもっての外。  ーウィキペデアで葉隠れをみると
≪「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」葉隠の中で特に有名な一節。 
 葉隠の全体を理解せず、この部分だけ取り出して武士道精神と単純に解釈
されていて実際、太平洋戦争の特攻、玉砕や自決時にこの言葉が使われたが、
山本常朝自身は「私も人である。生きる事が好きである」と後述している様に、
死を美化した書物と一括りに出来ない。現代でいうビジネスマナーのマニュアル
に近い記述がほとんど。また衆道(男色)の行い方を説明した記述等、一般に
近代人の想像するところの『武士道』とはかけ離れた内容もある。戦後、軍国
主義的書物という誤解から一時は禁書扱いもされたが、近年では地方武士の生活
に根ざした書物として再評価されている。先述したように処世術のマニュアル本
としての一面もあり『葉隠』に取材したビジネス書も出版されている。≫とある。
 奴隷社会の処世術というところ。どうも日本人は、やたら道を付けたがる。
商人道、柔道、剣道とか。何かを極めるのに、どの位置にいるかを知る道標が
必要だから、道を思い浮かべたのだろうが。日本が、戦後、ここまで経済成長を
遂げたのも、江戸時代の「お家制度」の文化が背景にあったのも事実。
絶対否定は出来ない。元長岡藩の城下町、今でも色濃い武家社会の影響が大きく、
世間とかいう噂の奴隷の群れがいる。

・・・・・・
2012年03月31日(土)
4023, シングルイン、31年間の総括 ー5
  * どこで間違えてしまったのか?
「会社の寿命30年説」を検索したところ、日経ビジネスが1983年に総資産額の
ランキング分析を基に唱えたもの、とあった。私の事業も、この説のとおり
30年で寿命を向かえた。 創業当時、私が30歳代半ば、当時のマネジャーと、
次長は20歳半ばから後半。30年後の現在、3人の平均年齢が60歳近くになって
いた。ホテル4棟の平均年齢も25年になっており、引き時と見ることができる。 
 ここで、三つの震災などの外的要因を別にして、
「この事業、何処で間違えてしまったのか?」という問いを立ててみる。 
◎ 首都圏から新幹線2時間圏内の駅前ホテルの客室需要が数分の一に
  落込む予測が出来なかったのが大きな原因。
◎ 更に企業の営業活動のあり方が、この20年間に根底から変わった。
  20年前のバブル崩壊と、ソ連・東欧の崩壊で東西の垣根が無くなり、
  グローバル化が日本の国力を根こそぎ奪ってしまった。その意味を捉える
  ことが出来ず、思い切った方向転換を出来なかった判断ミスが次の要因。 
◎ それに加えて1995年にマイクロソフトが、ウィンドウ95を発売、
  パソコンが飛躍的に使いかってが良くなり、爆発的に普及した。
  それにネットが結びついたネット社会が現実社会の上位に出来てしまった。
  これで、ビジネスのあり方が根本的に変わってしまい、経済も社会も、
  スピードと変化が激しくなり、それが資産デフレと物価デフレをもたらす。 
◎ 首都圏と地方という経済と社会の関係が、首都圏と東南アジアとへシフトが
  変わっていった。そのため、日本の地方の力を大きく削いでしまった。 
  それにリーマンショックと、東北大震災が重なり致命的大打撃になった。
 ー 以上を、簡約すると、
* 20年前のバブル崩壊の影響が、ここまで日本を弱体化させる
  重大性が理解できなかったこと。
* 資産デフレと、物価のデフレが、これほど長期に続くと読めなかったこと。
* 情報化で、ネット社会が現実社会の上位に出来上がり、経済・社会を
  根こそぎ変えたスピードが、ここまで早いとは。要するに、バブル崩壊と
  情報化がもたらす影響の大きさの読みが甘かったこと。
  30年前は新潟駅に新幹線がオープン。新潟駅周辺は活気に溢れていた。
  しかし10年後のバブル崩壊で、20の都市銀行も三行になっていった。 
  時代の激変がもたらす影響を理解できず、バブル後に、さらに客室数を増加。
  これが最大の間違い。間違ってなかったとしても、それも時代の大津波が
  襲って破壊しているだろうから、どこで間違えたのだろうか?という問いが
  間違えていることになる。 継続しているじゃないか?というが、
  良くて半分、悪いと五分の一。 これに原油高に、消費税のアップ。

・・・・・・
2011年03月31日(木)
3657, つれづれに
 私にも大きな試練と転機がきた。65歳ということか。 
毎日が、原発事故の悪化を示すニュースである。本格的な恐慌へ一歩
踏み込んだようだ。 今日は、ホテル開業30周年になるが、・・
違う意味でのメルクマールになる!偶然だが、去年の下の文章が身に沁みる。
 ・・・・・・・・・
2010年03月31日(水)
 3292, 人みな骨になるならば ー8
 * くぐり抜けた境地   (p−237)
ーまずは、スカッとする?部分を抜粋するー
            (人によれば、冷水を浴びせらた感じか!)
 これまで縷々と述べてきたことは、要するに世界はわれわれに対して、
期待するほどには親切ではないが、危惧するほど冷酷ではないということだ。 
もちろん、われわれの幸運・不運によっては、期待する以上に慈悲深かったり、
また危惧していた以上に残酷だったりするが、それにも特別な意味などない・・
 究極の課題は、われわれがあらゆる無用な縛りを脱ぎ捨てて、自分だけの
人生を積みあげることである。それはたぶん海岸で砂の城を築くような児戯で
しかないだろう。いずれ波が浚っていき、後には元の砂浜が残るだけだろう。
そのことが何故、かなしむことなのだろうか。われわれは僅かな時間でも立派
に砂の城を積み上げたのに。この事実だけは何も否定できない。神であろうと
宇宙であろうと。われわれの人生というものは、ひとつのモニュメント
≪記念碑≫である。それだけで意味や価値の有無など関係ないのである。・・ 
誰も認めたがらないことだが、おそらくわれわれ一人一人の人生は無駄である。
われわれの人生は将来だれにも顧みられることのない記念碑なのだ。
歴史的・空間的に座標を持ちはするが、束の間に開花して終わるモニュメント
でしかない。 早晩、誰も憶えている人が居なくなってしまう無駄な記念碑
こそが、われわれ一人一人の生涯である。無駄ならせめて輝く無駄でありたい。
この場合、「何もかもが無駄なら、輝こうが輝かなくても同じだろう」
という野次には抵抗力をつけておこう。 単に、くすんでいるより、輝いて
いた方が良いだけだという、切り返せなくてはならない。この「無駄である」
という自覚を通してしか、われわれは知的な、あるいは心情的な束縛から抜け
きることが出来ない。「無駄である」という覚悟がないと、現世のさまざまな
意味や価値や人道や正義に惑わされてしまう。臨斉義玄が警戒した「人惑」とは、
これら総称したものである。・・意味や価値の雲海を抜けきった先には、実は
何もないのである。それを解放と感じることができない人々は、元の古巣に
戻るしかない。・・ 「おそらくわれわれの一人一人の人生は無駄である」
「無駄であるという自覚を通してしか、知的な、心情的な束縛からぬけきる
ことができない」「人生が無駄であると悟ることで、意味や価値の雲海を抜け、
その先が実は何もないことを知り、それが解放と感じる境地が全てである」と。 
般若心経の色即是空、そのものではないか。それを虚無主義とかいうベールで
包んで、色=現象の世界の絶対言明としている全てを根こそぎ掘り起こし、
そんなものは何ということはない!と、断じているのである。 虚無も決して
マイナスではないのである。 


5493,幸福に死ぬための哲学 ―池田晶子の言葉 〜①

2016年03月30日(水)

    『幸福に死ぬための哲学 ―池田晶子の言葉 ー』池田 晶子(著),
               NPO法人わたくし、つまりNobody (編集)
 池田昌子は、青少年や女性向に簡潔に哲学について、語りかけるような
文章が支持を受けた人で、生前に書かれた本は、ほぼ読んだというより、
手に取った。簡易であればあるほど内容は奥深い。この切り口は、壮年、
老年向き。次回からは、各章のテーマを取上げるが、今回は総論の紹介。
  〜アマゾンの内容紹介〜  ー死の問題は哲学の究極のテーマ。
《 悩むな、考えよ。混迷の時代を照らす、ゆるぎない言葉がここにある。
 日常の言葉で哲学の核心を伝え、「哲学エッセイ」という新たな分野を拓いた
池田晶子。累計30万部のロングセラー『14歳からの哲学』をはじめ、その著作は
没後の今なお、人生を真摯に考える読者から熱い支持を受けて読み継がれている。
本書は、池田氏の著作の中から、目まぐるしく移り変わる時代の中で、私たちが
物事を正しく考え、よりよく生きるための指針となる言葉を11のテーマ別に精選、
1冊にまとめた「言葉集」です。時を超えて変わらない真理と、人の世への
洞察にみちた池田晶子の言葉を、今こそぜひ味わってください。
 -- 〜アマゾンのレビューだが、どれも含蓄がある。‐‐
☆ 2007年に病死した池田晶子さんの文章を「死」と「生」という切り口
からまとめた本。第1章では30人の哲学者、宗教者の「死」に関する見解を
紹介し、それに対する池田さんの考えを述べている。あくまで「死」という切り
口で、これら30人の偉人たちの思想すべてがわかるわけではないが、どういう
思考様式をもった人たちだったのか、という池田さんなりの解釈がわかり、
ときおり「そういうことだったのか」と新鮮な発見をするところもある。
難解な哲学書などには歯が立たない私からすれば驚異の理解力の人である。
あと、池田さんは、世間一般では誇大妄想と避けられがちなヘーゲルを
(少なくともカントよりは)評価している、というのがチョッとした発見。
 --
そもそも、もはや語りえないことについてどう語るか、という状況において、
「1.語りえないことを考えることをやめて生活のための生産活動に戻る」
「2.何かを信じないと落ち着かないので宗教に行ってしまう」
「3.そもそも哲学的なことは考えたことが無い」
「4.しつこく考え続ける」の4パターンがさっと思いつくのだが、
大半の人(科学者も含めて)は1を選んでいるのに対し、池田さんは
最後の4を選んだ(選んでも生きていける)稀有な人なのだろうと思う。
 --
「14歳〜」で青年、「41歳からの哲学」で中年、
そのほかの本が老年などをターゲットを網羅できたので、
『もう(書かなくても)いいのではないか。』などと漏らしておられる。
―――
▼ 老いを実感し、得体の知れない不安に取りつかれようとする日々に、
 身近に置き手軽に読むに丁度よい本。「悩むな、考えよ」が人生の要諦なら、
考え続けなければならない。「考え、楽しみ、達観する」のが、老いの秘訣?

・・・・・・
5128,閑話小題 〜副操縦士の心の闇
2015年03月30日(月)
   * 副操縦士の心の闇
 世に多く存在する‘うつ病’を持つ人は、副操縦士の心の闇の一端を理解
出来るだろう。子供の頃からパイロットを夢みて、すべてを捧げてきた純粋な
青年が、その世界の過酷の実態を知り、会社と社会を恨むようになり、
それが蓄積をしていったようだ。 報道によると《 ・・元恋人は同僚の客室
乗務員で、副操縦士と昨年5カ月間交際していた。副操縦士は普段は優しかった
が、仕事の話になると急変。「給料が安い」と怒りをぶちまける一方、契約が
更新されるか、不安を見せていた。突然、元恋人に怒鳴り散らしたかと思えば、
トイレに長時間こもったりした。「墜落する!」と叫んで目覚める夜もあり、
ある時、「いつか僕は全てを変えることをしてみせる。誰もが僕の名前を知り
忘れないだろう」と語ったという。当時、元恋人は気にもとめなかったが、
墜落を知って思い出したという。元恋人は精神疾患とは薄々気づいていたが、
本人は内緒にしていた。副操縦士は格安航空会社の親会社ルフトハンザ航空
によると、長距離便の機長になることを夢見ていた。「健康の問題から自分でも
不可能と分かり、思い詰めて(故意の墜落を)してしまったのではないか」と、
元恋人は話している。》 
 重度の‘うつ病’で病院から「勤務不可」と診断書を出され、自棄になり、
機体もろ共の思いが、こういう結果になってしまった。4年前の一連で、長年の
備えをしてあり、過去の経験も含め、想定内として辛うじて大きく落込むことは
無かったが、それでも一つ判断を間違えると、重度の‘うつ病’が、口を空けて
いた。だから図書館やネットで、節目時に読むべき本を探し、貪り読むしかない。
その危なさを楽しめるまで、突詰めれば、後は、時間薬が解決してくれる。
 副操縦士にとって、操縦士としてのエリートコースから外れ、格安航空会社の
待遇が、あまりに悪く、その不満で、‘うつ病’になり、その立場さえも、維持
出来なくなれば、スチュワーデスの彼女との付合いも、結婚も失われてしまう。
 操縦士というスペシャリストが、突然、その資格を失えば、恐慌一歩手前の
欧州では、新たな就職先は皆無。あるのは失業者か、ワーカーしか残されてない。
私が彼の立場なら、燃え尽き症候群になっている。 二年前に、高校の同級生が
老舗の自営店の不振から、‘うつ病’になって、自死をしたが、他人事では
なかった。ドップリと、小さな世界に浸かると、他の世界が見えなってしまう
のも致しかたがないが・・ ホテル業を30年していた中で、2〜3年に
一度は、自殺者が出るが、当事者として、その自殺理由が警察から報告がくる。
それには、そこに至る深い理由と、闇を垣間見ることができる。 過去を振り
返ってこそいえる戯言、『生きている内が花』などの世界は、そこには皆無!
そう遠くない近未来に、うつ病より恐ろしい?「余命○ヶ月!」が待ている?
 で、偶然だが、以下へと、物語は続く! 明日が無いという恐ろしさ!
・・・・・・
4763,最後だとわかっていたら
2014年03月30日(日)
  * 最後だとわかっていたら  ーひと言でいいのですー吉川直美編より
 アメリカのマレック という女性が、わが子を亡くしたときに書いたもの。
2001年の同時多発テロで、貿易センタービルに一機目が激突したあと、救助の
ために最初のビル内に突入した数百名のレスキュー隊の一人で、行方不明に
なってしまった29歳の消防士と言われたが、それは誤報)
 ー母親の悲しみが、そのまま直に伝わってくる文章である。少し長いが・・
 ーー
      『最後だとわかっていたなら』(サンクチュアリ出版)より
あなたが眠りにつくのを見るのが 最後だとわかっていたら
わたしは もっとちゃんとカバーをかけて
神様にその魂を守ってくださるように祈っただろう

あなたがドアを出て行くのを見るのが 最後だとわかっていたら
わたしは あなたを抱きしめて キスをして
そしてまたもう一度呼び寄せて 抱きしめただろう

あなたが喜びに満ちた声をあげるのを聞くのが 最後だとわかっていたら
わたしは その一部始終をビデオにとって 毎日繰り返し見ただろう

あなたは言わなくても 分かってくれていたかもしれないけれど
最後だとわかっていたなら 
一言だけでもいい・・「あなたを愛してる」と わたしは 伝えただろう

たしかにいつも明日はやってくる でももしそれがわたしの勘違いで
今日で全てが終わるのだとしたら、わたしは 今日
どんなにあなたを愛しているか 伝えたい

そして私達は 忘れないようにしたい
若い人にも 年老いた人にも 明日は誰にも 
約束されていないのだということを

愛する人を抱きしめるのは
今日が最後になるかもしれないことを
明日が来るのを待っているなら 今日でもいいはず

もし明日がこないとしたら
あなたは今日を後悔するだろうから
微笑みや 抱擁や キスをするための 
ほんのちょっとの時間を どうして惜し んだのかと

忙しさを理由に その人の最後の願いとなってしまったことを
どうしてしてあげられなかったのかと

だから 今日 あなたの大切な人たちを しっかりと抱きしめよう
そして その人を愛していること
いつでも いつまでも大切な存在だと言うことをそっと伝えよう

「ごめんね」や「許してね」や「ありがとう」や「気にしないで」
を伝える時を 持とう  そうすれば もし明日が来ないとしても  
あなたは今日を後悔しないだろうから
    「最後だとわかっていたなら」ノーマ・コーネット・マレック 
▼ もし漠然と80歳が自分の寿命と考えていて、来年にでも余命半年と突然、
 宣言されたと仮説をたてると、現在の年齢が68歳として、差し引き11年が
失われることになる。自分の未来を子供とすると、その衝撃と哀しみが、
この詩に重なってくる。そうすると、いま何をすべきかが浮かんでくる。 
『人生をもっともっと深く愛しなさい! 家族・友人を大事に、親切にし、
供にあることに感謝しなさい! もう一度、人生を見つめ直しなさい!』になる。 
今日一日、清く正しく美しく、何事にも興味を持って、感謝して生きることだが。
若き日の追憶で、もっともっと、人生を燃焼しておけばと後悔するが、
それを何故、いま現在しないのだろう?
・・・・・・
4396,宇宙は何でできているのか −2
2013年03月30日(土)
             「宇宙は何でできているのか」村山 斉 (著)
  * 私たちの住む宇宙は、10の27乗.10のマイナス35乗の世界 ー2 
【 宇宙は10の27乗メートル、素粒子は10のマイナス35乗メートル。これが、
 私たちが存在する自然界の「幅」。その両端にある宇宙研究と素粒子研究の
 あいだに62桁もの「距離」がある。ところが最近、まったく関係なさそうに
 見える2つが、実は密接につながっていることがわかってきました・・】 
  これが、この本のポイント。
今回は素粒子になるが、どうも10の−35乗という世界の実感が沸いてこない。
137億光年の彼方より私を逆照射して、更に8桁小さい素粒子の世界を科学の言葉
として突きつけられたのである。それを実感じろという方が無理。
 「人間の大きさを一として、外界は137億光年の広がり、内は、その広がり
を逆算した、更に8桁も小さな素粒子。そして、宇宙と素粒子は同じようなもの? 
何なんだろう、これは?  ーまず、この辺りのポイントの箇所を抜粋ー
≪ ちなみにリンゴー個と原子-個の大きさの比は、天の川銀河と地球の大きさ
 の比と同じぐらい。天の川銀河がリンゴだとすると、地球の軌道は原子1個
程度の大きさしかない。さて、原子1個の直径は、10の−10乗メートル。
かつては、これが「この世でいちばん小さい素粒子」だと考えられていました。
しかし、やがて原子も「内部構造」があるーつまり「もっとバラバラにできる」
ことが判明します。原子の中心には「原子核」と呼ばれるものがあり、その
まわりを「電子」がくるくると回っている。先ほどの「原子の直径(10の−10M)」
とは、電子が回る軌道の直径だったわけです。そして、電子の軌道から原子核
までの距離は、決して近くありません。地球と人工衛星ぐらいの距離感を
イメージする人が多いと思いますが、原子核の直径は電子の軌道よりはるかに
小さく、10のマイナス15乗メートル。電子の軌道の10万分のーです。もちろん
ミクロの世界の話ですから、私たちの目から見ればどちらも同じようなものです
が、実際は5桁も違う。富士山の標高と地球の直径でさえ、4桁しか違いません。
原子核から見ると、電子ははるか彼方を飛び回っているのです。この原子核の
発見によって、「素粒子」のサイズは一気に小さくなりました。ところが、
話はそこで終わりません。原子核にも「陽子」や「中間子」といった内部構造
があり、その陽子や中間子も、いくつかの粒子によって形づくられているのです。 
その粒子が「クォーク」と呼ばれるもの。いまのところ、クォークこそが真の
「素粒子」だと考えられています。その大きさは、どんなに大きく見積もっても
10のマイナス19乗M。かつて「素粒子」だと思われた原子とは9桁、その真中に
ある原子核とも4桁違うのです。さらに重力と電磁気力、そしてあとで説明する
強い力と弱いカも統一すると期待されている「ひも理論」は、素粒子の大きさは
10のマイナス35乗Mだと考えられています。≫
▼ 世界は「ウロボロスの蛇」(蛇が自分の尾っぽを齧っている絵)で、
 宇宙研究と素粒子研究の二つが密接に繋がっていて原理的に同じという。 
「天の川銀河がリンゴだとすると、地球の軌道は原子1個程度の大きさ。
これが10の−10乗。素粒子は−35乗」と言われても、実感など出来ようがない。
ただ「物は事の変化の過程の有り様」という意味が少し分かるような気がする。
振り返れば過去は夢幻でしかない。いや現在もである。「実は宇宙のエネルギー
の96%が、他の宇宙からループ状の管の先から無限に注ぎ込まれている」
と言われても、「何それ?」の話になる。 まあ、面白い!
・・・・・・
4022, シングルイン、31年間の総括 ー4
2012年03月30日(金)
  * あの日から今日で会社の一周忌
 あの日から、今日で1年になる。17時を持って弁護士二人、女事務員二人、
私と、役員二人が同席の中、「今日の17時を持って会社は消滅をしました。
ご苦労さま!」と弁護士が宣言、全員起立をし深々と頭を下げた瞬間、31年間
の(株)ホテル・プロジェクトは消滅した。3つの会社実印と通帳の全てを
弁護士に引渡し、総務・経理関係全ての弁護士事務所への引継ぎが始まった。 
3月18日に会社解散を決めた瞬間から整理手続きが始まったが、全てドラマ
仕立てのよう。 翌日31日9時から、銀行に弁護士と事情説明にまわり、午後
13時に従業員全員を集めて解雇の言い渡し。その後に退職手続きに入った。 
修羅場には異常に強い方だが、不安そうに事情を聞いている従業員の姿を目の
当たりに見て、「気の毒。悪かった。」という言葉が脳裏に浮かんだ瞬間、涙が
溢れ出てしまった。 弁護士の手順は慣れたもの。一つずつ流れが進んでいった。 
丁度、東北大震災と原発事故の進行が重なり、現実離れした映画の渦中にいる
ような日々。新潟駅周辺には、自国に逃げ出す中国人と韓国人が溢れていた。 
自分では冷静と思っていたが、実際は動転していたようだ。「交通事故だけは
気をつけて下さい。普段の数倍の確率で起きるのが通例で、大よそ一割の人が
事故にあいます。」と、弁護士に何度も注意された。実際にマスコミが騒ぎ出す
のは、その一週間後になった。弁護士が「直接原因は、東北大震災」と流した
ため、ニュースは全国レベル。家に隠れるのは精神上悪いので県外のホテルでも
行っていようか、弁護士に相談すると、「ここで後ろ向きの行為は、良くない。
家にいるべき」という。これも一理と納得。 日曜日18時のドキュメント
「バン記者」のスタッフから、「一連を取り上げたい」と早速電話が入ったが、
もちろん断った。毎月、月次決算のために30年間、事務所に来ていた会計
事務所の担当が、「あなたは、処理過程を楽しんでいる。何が起こっているか、
理解していないのでは」と、呆たようにいう。腹を据えてしまえば、後は冷静
にコトに従うしかない。全力で事に取り組めば、自然と体が浮いたように動く。 
それが活き活き楽しんでいるように見えたようだ。 冷静に振り返ると、
創業の生みからみれば、万一の準備を備えていれば、苦しみは数分一。
それが第三者には見えない。長年かけ準備をし30年も続けた事業は、行蔵
として強く残るもの。 死や人生と同じである。考えれば考えるほど、
この事業に心底、感謝している。 結果に、悔いも、未練もない。
「 ご覧のとおり、そのまま結構! 」
・・・・・・・
30年前の3月31日を前にして
2011年03月30日(水)
  * 創業30周年の日を前にして ・・
 そういえば、明日が30年前の命がけで始めたホテル開業の日である。
当時の名前はベンクーガーホテル。その一月前の2月28日にホテルの一角で
デザイン学生服をオープンをしていた。いま思い出しても、良い時代だった。
一瞬で消え去る学生服メーカーのネーミングをホテルにつけるという奇抜さが
話題をよんだ。平日はホテルに集中。土日は学生服を販売する変ったホテル。
チンケといえばチンケだが。 当時は、まだ高度成長時代の真っ只中、創業前
に人材を集めるのが大変な時代。当時と現在の、時代の格差に驚きざるをえない。
ホテルなど誰も経験者がいない中で、右往左往の緊迫した日々が懐かしい。 
何かにガムシャラに前に向かえば、そこには求めるもの答えがあった。
私たちは時代背景の中でしか生きることが出来ない。そして、30年後の現在、
当時より客室の価格平均が三割以上も下がっている。平均給与は数倍に上がって
いるに関わらずに。ドルショック、バブルとバブル崩壊、2001年の9.11テロ、
2008年の9・15のリーマンショック。そして、この大震災。その中で特に日本
は、その都度大きく変動した。自分の人生を振りかってみて、時代の要請に
そって能力をつくり上げ成功と挫折をしながら生きていく、それが人生だった。
事業は30年が大きな節目になる。その節目がきた。


5492,人生で最も大切な技術 ー35 瞑想の実践 

2016年03月29日(火)

    『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ リカール著
   * 瞑想の実践 ー②
 学生時代、三番目の姉に「理想のイメージを具体的に持つことの重要性」
を諭された。『理想の生活、なりたい自分をクリアーにイメージを続けると、
いつの間にか、それが実現している。それも、今から考えると、小さな枠に
縛られていた。それなら、もっと大きな夢を持つんだった!』と。
そこで、書店で探すと、『夢ツリー』系の本があるある。
 以下の内容には、大きな示唆がある。瞑想で、苦しんでいる人たち、不幸な
人たちを変容する想像をすれば、自分と他者の苦しみを溶かす力があるという。
毎朝、仏前で、『因縁のあった逝きし人たちが安らかなることを! そして、
この世の人たちが良くありますように!』という想念で祈っているが、これを、
さらにクリアにしたのが、以下のメンタル・イメージ法。
≪  ☆ メンタル・イメージ法
 欲望・嫉妬・高慢、攻撃、強欲等の激しい感情に心が取りつかれたら、
おだやかで平和な情景を思い描こう。想像力を一杯にして、静寂そのものの
湖とか遥か彼方まで見通せる山頂に飛び立とう。雲一つない限りなく広い大空、
無風状態の大海原のように穏かな状態でゆったりと座っている自分を心に描く。
静寂をしばらく体験していよう。心の内に吹き荒れていた猛烈な嵐は鎮まり、
平和な気持ちが心の中に新たに広がってくるだろう。自分の受けた傷がどれほど
深くとも、心の奥にある本質はまったく影響を受けていないことを理解しよう。
心の奥には、純粋意識が常に光輝いているのである。
 まず、吐く息が、ひんやりと白く輝く命の水(ネクター)となったと
イメージする。そのネクターに、自分の幸せ、活力、幸運、健康等を乗せ、
苦しむ人々に向けて送り出そう。苦しむ人々がそのネクターを一杯吸い込んで、
苦しみが和らげられ、望みが叶えられる様子を想像しよう。危険に晒されている
人の命が永らえ、病に苦しむ人は癒され、貧困に喘ぐ人が必要なものを手に入れ、
不幸な人が喜びで満たされる状況を想像しよう。息を吸うときには、心が明るく、
光り輝くボールになったとイメージしよう。ボールは灰色の雲となって、人々の
病、混乱、心の毒を引き受け、それが白く輝く光の中に跡形もなく吸い込まれる
様を思い描こう。こうした作業によって、自分と他者の苦みは変容するだろう。
 だが、重荷を背負い込むといった感覚になることはない。他者の苦しみを引き
受け、溶かしてしまう際には、執着も固執も一切伴わず、この上ない幸福を
感じるだろう。あるいは、自分の肉体が無数に増幅され、広い宇宙を自由自在に
移動し、寒さに震える人々の衣服に、飢た人々の食料に、ホームレスの人々の
避難小屋に変容する様を想像する、というイメージ・トレーニング法も効果的。≫
▼ 大自然の景観に感動した『至高体験』を何度かしてきたが、この経験が、
 多くの問題に対処するときの純粋意識としてのバックグランドになっていた。
『正・中心・一点・無』の、無は、純粋意識。この純粋意識から、苦しむ人たち
に向けて、自分の幸せ、活力、幸運を送り出すことこそ、生きる要諦のようだ。
頭の中は、真逆の怒りなどの心の毒で、あの方々へ、黒ネクターを発している? 
で、「人を恨まば穴二つ」で、悶々の日々? 「吸う息は光り輝くボールの
雲になり。吐く息は白く輝く命の水になって、人々の不幸、心の毒を吸い込む」
このイメージを、週4回のヨガの最後の、死者のポーズで実践してみようか。
「泣いても笑っても同じ空」の雲なら、純白の雲になって、灰色になるまで、
不幸、苦悩を引き受け、白く輝く光の中に吸い込みたいものだがー
瞑想とは、魂の純白化、エネルギーの充足、そして他我への祈り。
 偶然だが、去年、二年前の同月同日のテーマにつづく。

・・・・・・
5127,「魂」の思想史 ー④
2015年03月29日(日)    
       〜「魂」の思想史: 近代の異端者とともに ー酒井健 (著)
  * ゴッホの魂 ーA
 ゴッホの魂は、ルター派のひとつ、カルヴァン派の職業観から生まれ出て
くる「働く神」であった。貧しかった彼は、いつも神から「退けられた者」
という劣等感にさい悩まされ、それが、そのまま、魂のエネルギーとして
絵画の中に残っている。  〜その辺りから(p27)〜
≪ ドイツ人のマルティン・ルター(1483〜1546)がカトリック権力者たちの
 信仰姿勢にプロテスト(抗議)したのが始まり。ルターによれば、信仰は、神と
信者の直接的な関係を本質としており、両者の間で唯一認められる媒介項は
聖書だけだとなります。カトリックの総本山ヴァチカンの豪華な教会装飾などは
邪道の最たる例となります。質素に信仰に励み禁欲的に労働に従事することが
称えられ、贅沢、無駄遺い、怠惰は批判されました。聞くべきはイエスの言葉。
「わたしの父は今に至るまで働いておられる。わたしも働くのである」
天上の神も地上の神イエスも労働に専念しているのだから、神に喜ばれたけれ
ば、禁欲的に働かなければいけないというわけ。こうしたルターの禁欲的労働
思想をさらに神中心に改革したのがジャン・カルヴァ(1509〜1546)でした。
人類を救済する全権は神が握っている。救われる人を神はすでに選んでいる
(「予定説」)。 では、「選ばれていること」は何によって分かるか、その証は
何なのか。カルヴァン派の人々は、自分の職業を神から与えられた天職とみなし、
それに禁欲的に励んでいられることが「選ばれていること」の証だと考えた。
こうなると、誰しも、この証を示そうと自分の仕事に真剣に従事するように
なります。同時に、職についていない人間は、神から「退けられた者」と
みなされ、蔑まれます。カルヴァン派の労働論にはもう一つ注目すべき点が
ありました。労働を個人の問題ではなく、社会への貢献・社会にいる人々への
隣人愛と捉えた点です。隣人愛といっても、神中心に考えられているわけです
から。まず神への愛があり、それから同じ社会に生きる人々への愛があるが、
端的に言えば、人類を愛する神に愛をもって応えねばならないということです。
カルヴァン派にとっても神は基本的に「働く神」でした。その神は神自身に
合わせて人間の社会を働く集団にしようと欲した。人類の幸福を願って、
そう欲した。こうした人類に寄せる神の愛に応えるべく、労働社会に役立つ
労働をしなくてはいけない。神への愛の証とて社会に役立つ仕事、社会の人々
を愛する仕事をしていなければいけないとカルヴァン派は考えていた。
(略)・・「逆境にいる人々に平和と安ぎを与える。」これがゴッホにとって、
愛するということの第一義でした。この愛に照らして神学部の受験勉強は役に
立たないと感じられたため、彼はこれに興ざめし、アムステルダムの赤線地帯
の補助説教師に、ボリナージュ炭田の見習い伝道師に、身を転じていった。≫
▼ ロンドンのナショナルギャラリーのゴッホの‘ひまわり’の前に立った時、
 その漂っている空気に立ち竦んでしまったが、その作品が、ゴッホの2千点
ある作品の中で、最高傑作のひとつだったことを最近知ったが、納得である。
ひまわりに関しては、次回に取り上げる。

・・・・・・
4762,私を癒したのは、許しである
2014年03月29日(土)            
  * 究極の許しとは    ーひと言でいいのですー吉川直美編より 
 キリスト教的ケースの中の、私の規範を遥かに超えた世界である。
究極の心の傷には、究極の対応がある。8人兄弟の末っ子で、親の目が
届かないところで、いつも誰かから揶揄われてきた反面、許されてもきた。
そのため、許されるのが当然という甘さがつきまとっている。しかし、
許されないことが人生には数多くある。以下の許しのプロジェクトには、
非常に教えられる。人生には色いろあったが、許し、許されているのである。
  ーまずは、そのケースよりー
《『正義は私を癒してくれなかった。私を癒したのは、許しである。
 ーデビー・モリス』 米国には、人を殺して服役している被害者と、
殺された被害者の家族が面会をする、和解のためのプロジェクトがある。
コーディネーターが間に入って、文通からはじめて、慎重に長い時間を
かけて面会に向けて双方を整えていきます。実際の記録映像を観る機会が
ありましたが、若い女性を襲って銃で撃ち殺した少年と、その女性の母と
妹が初めて顔を合わせる場面。極度に張り詰めた空気の中で挨拶が交わされ、
当然、会話もはずみません。加害者の少年は顔をあげることもできず、
緊張と恐れで体調を崩していました。観ているだけでも胃がせり上がってくる
ような重苦しさの中、家族は、「ずっとあなたに一つのことを訊ねたかった、
そのためにやってきた」と切り出します。それは、愛する者を失った日から
知りたいと願って、叶わなかったこと。警察も裁判所も答えてはくれなかった。
やはり、「なぜ殺したのか?」「娘を返して」と訴えるのでしょうか。
  母親が静かに問いかけます。
「私の娘は、最期に何かを言い残しませんでしたか? 最期の言葉を
 知りたいのです、」
  沈黙のあと、少年は泣き崩れて、言葉を絞り出します。
「あなたを許します……。あの人はそう言いました。」
「……やはりそうでしたか。娘ならそう言うと思っていました。」
「……許してください。」
ひとしきり、肩を寄せ合うように涙を流すと、亡き人の許しの宣言が憎しみ
の連鎖を断ち切ったかのように、いつしか彼らは談笑はじめていました。
最後は、少年の体調を家族のように気遣って別れました。許しは簡単では
ありません。どうやっても許せるはずのないものを容赦することなのです。
ですから、この物語を理想として押しつけることをしてはならないのです。
それでもなお、これは誰にでも起こり得る、解放の物語であると信じています。》
▼ 結局、殺された側と、殺した側の溝は広く、深い。殺される間際に、
「あなたを許します」と言うなど、深い信心がなければ言えないこと。
そう言っただろうと確信していた母親も素晴らしい。そうこうみると、人間
には、宗教が必要である。例え、幻想でも、それが深まれば、やはり人間の
魂をすくうことになる。人生には、自分の力では、どうにもならないこと
ばかり。だが、一つずつ、一人で解決しなければならない。そして、最後は
許し、許され、生きていくしかない。それにしても、すざましい事例である。

・・・・・・
4395, ヘリコプター勉強法
2013年03月29日(金)
            ー超「超整理法」より
 ヘリコプター勉強法とは自分で麓から山の頂上まで勉強するのではなく、
ネットなどを駆使することで一気に山頂を極める方法。『超「超」整理法』
 野口悠紀雄著にあった内容で、以前はパラシュート法といっていたもの。
本など一番のキーポイントを見つけ、そこだけ集中して学ぶ方法である。
10数年前、ある知人に、「あなたの読書方法の要は何ですか?」と聞かれた
ことがあった。直ぐ誰から聞き知った上で質問してきたのは分かった。
その時に自然に出てきた答えは、「熟読する本と、目的を持って読む本を
分けている。後者の場合、読みに足りる部分を主観的に読む」であった。
その答えがベストでないが、初めから対象に従うのでなく、主観的に読む
ことでポイントを把握するやりかた。 随想日記を毎日書いていると主観的
でなければ続けることは不可能。そのため、読書感想文は自ずとヘリコプター
読書法になる。この本の何処が一番の要点か、まず探す。小説と哲学書以外は、
まともに読まない。80対20の法則で、20だけ拾い読みをするだけ。図書館で
借りて読むことが多く、10冊は机の前に積んで置いて、時どきパラパラと流し
読みをし、その後アマゾンの内容紹介と書評を読む。そこに幾つかのピン
ポイントが表示され、関連した本の紹介まである。20分も流し読みをすれば
八割は把握できる。それを纏め書き残せば、後々まで、残る。だから面白く
病みつきになって続いている。
 ところで国内外のパックツアーも、ピンポイントを揃えてパックにしている。
ポイントだけに舞い降りると点で、「ヘリコプター旅行法」ということになる。 
旅通の人は小ばかにするが、ツアー好きな私など、元もと旅行と思っていない。
専用ヘリで富士山頂上などの観光ツアーで充分。何も麓からの登山をしたいと
思わない。富士の頂上から下界を眺めるだけで充分。旅とツアーは違うのである。
情報化の時代、熟読とヘリコプター勉強法を分けておくべきである。
検索にキーワードを入れれば、情報と他人の知識は幾らでも手に入る。
その意味で、幾ら時間があっても足らないぐらい、面白くて仕方がない。
幸せなことだが、いつ死を含めブラックスワンが舞い降りてくるか分からない。
楽しめ、笑え、悲しめ! 今のうちである。
・・・・・・
4021, シングルイン、31年間の総括 ー3
2012年03月29日(木)
  * 計画倒産というが
 何人かの知人に、「計画倒産?」と揶揄された。目先の資金ショートで
倒産したのではないので、言われて当然である。売上が10年で三分の一に
減少、東北大震災で四分の一が予測されれば、99%行きずまりは見えている。
それを前提に続けるべきかを考えれば、見切り千両の決断は当然のこと。  
そこで計画倒産について考えてみる。何度か、ここで書いたが、私の理解して
いる意味は、「手形決済をしている会社が倒産をする場合、仕入れ商品を増やし、
現金にして私用にまわし倒産すること」と、思っていた。 
そこで弁護士に、「計画倒産って何ですか?」と聞くと、
≪ 計画倒産と、計画的倒産は別物。 普通、倒産は資金繰りがつかなくなり
 資金ショートをして倒産する場合をいう。しかし同じ倒産でも、事前に継続
不能と察知したら、最小の混乱で済むように手はずを踏むのを「計画的倒産」
という。計画倒産と、計画的倒産は全く違う。詳しくない人は、それを混合し、
噂のネタにする・・ 計画倒産か計画的倒産かより、「良い倒産」と、
「悪い倒産」の分類を私はしています。≫ との答え。
 高利貸しなど、街の金融が入り、家族・親戚に連帯保証の受け判を押させて、
最後が自殺か夜逃げが、倒産に付きもの。幼児の頃から、何時も夜逃げ話を
聞いていた。それだけ商売の恐ろしさは知っていた。そして、身近の倒産を
つぶさにみていた。それもあり、「万一の場合、危機管理用の準備資金を用意し、
運転資金に食い込んだ時点で、会社整理を考える」と決めていた。
それが去年の1月末に一時的に使いざるを得なくなった。二年続けて2割半ば
減少していた売上が、三年目に入っても、とどまることなく続いた結果である。
そこで、色いろシュミレーションをしたところ、半年から一年内の資金ショート
が明白。会計事務所の担当に相談すると、「事務所の三割の会社が今日明日の
資金繰りに駆け回っているのが実態。現時点は下から4割レベル」という。
しかし、取引先の月末の支払いをし、退職金を、ある程度、払えるのは、
今しかない、とシュミレーションの数値は示している。 7月には地デジ化
のための客室テレビの入れ替えが予定されており、その上、ボイラーの入れ替え
予定がある。両方ともリース会社の受諾を受けていたが、事業継続が果たして
正しい判断かどうかの正念場。 その矢先に、東北大震災。30年の現事業
経験からして、更に2〜3割の売上減が予測。春恒例の催事が、ほとんど中止、
宿泊のキャンセルが続いた。その時に浮かんだのは、「一瞬早い決断は、打撃
は半分で済むが、一瞬の遅れは2倍になる。この躊躇は、差引き4倍の打撃。」
そして、閉鎖の二週間前に決断をした。これを計画倒産の範疇といえば、
答えようがない。明日で丸一年になる。これも事業の一環。
 ・・・・・・・
地震 ーつれづれに ー14 
2011年03月29日(月)
 * 自主的退避の言葉の持つ意味とは?
「自主的退避」と、福島原発事故で30キロ圏の住民に対して退避を勧めている。
この言葉の持つ意味を考えると、「本来は退避勧告をしたいが、その前に自主的
に退避できる人は、早めに退避してください」「それぞれの事情に応じて自分で
退避してください」 ということだろう。当初より政府の発表は常にパニックを
起こさないように情報を流しているが、それも重要のことである。 ところで、
この原発事故で何で電力不足になるのだろか?それは関西と東京の周波数が
違う為、関西電力から東京電力へ電気送ることは出来ない国の解決できない
大問題がある。違っていた方が一部業者の利益になるためである。それが、
この電力不足の最大原因とマスコミは問題にしない。マスコミは、広告費を
電器メーカーなどから得ているため、これを問題にできない面がある。
UC圏の周波数でさえ、統一してあるのに、単一国家の日本が、この有様である。
 * 全国チェーンと地元チェーンの力の差
 家内が、3・11災害以降、「ヨーカ堂が凄い凄い」が口癖になっている。
近くに、スーパー原信があるが、そこの多くの欠品が、ヨーカ堂には揃って
いるという。先日も東京に住んでいる息子にトイレットペーパーを送ったが、
原信との商品力が違う上に、送料が格段に安いという。こういう時に、会社の
総合力が商品力に出てくるのである。特に全国チェーンは、災害時こそ自分たち
の全国区の強さを発揮して、信用を高めるチャンスと、平時より災害時対策を
している。 原信は郊外型SC内に店舗があるため駐車をしやすいこともあるが。
 ・・・・・・・・
3290, ツイッターが詰まらない?
2010年03月29日(月)
 ツイッターを勧めた友人から、次のようなメールが入った。
《おはようございます。昨日書きかけのメール残して帰り、加筆しております。
書きかけのメール完成させて、送信します。ツイッターのことですが、私、
どうも疑問に思っている事があり、貴方にお伝えしたく、メールしました。
と言うのは、ツイッターを見ても、貴方のツイッター以外あまり価値が無い
ように感じております。つまらないのです。貴方みたいな、「ツイ友?」でも
出来ればまた変わってくると思いますが、まだわが友にはツイッターをしている
者はいません。良い方法があれば教えて下さい。》  
 以上ですが、恐らく時間が無いのが半分以上の理由。 
 ― 何度か、自分も上記のような気持ちになったことがある。
・しかし、とに角フォローの相手の呟きを、ことあるごとに
 見ていると面白くなっている。
・色いろのツイッターと、そこに貼り付けてあるブログとフォローから
 ネットウェーブをして、相性の良いフォロー先を見つける。
・また#(ハシュタグ)の先の呟きの世界も面白い。面白くなるまで、
 粘るしかない。(絶対に面白いから)
  ー以下は知人へのメールの返事。
 非常に基本的な問いなので、思いのまま書いてみます。
実は、私も同じような壁があり、若い人のように気楽にフォロー先の人に
話しかけられません。それでも、#bentou #obenntou の長野と八丈島の人に
「美味しそうですね」とか、発信すると返事が返ってきます。 もっとも、
この二人と貴方だけですが。以前、学生時代の友人との40年来のやり取りの
文を随想日記に去年8月に書きましたが、その人もツイッターを開始しました。
私の影響かどうかは分かりませんが、ツイッターのフォロアーに仙台の同年代
といえば、彼ではないかと思っています。しかしツイッター上で話していません。
(字数の関係でカット2012年03月29日)


5491, 閑話小題 〜白鵬の涙

2016年03月28日(月)

   * 白鵬の涙
 白鵬が千秋楽の結びの一番で勝って優勝をした。が、横綱同士の相手は
負傷をおして出てきた手負いに、立会いに飛んでしまった。まさか、それで
負けるとは思いもしなかった言い訳もあるが、その瞬間、会場の半分近くが、
祝賀の式典を無視して会場を去っていた。「さっさとモンゴルに帰れ」とか、
「横綱の面汚し」とかが、TVの画面を通して聞こえてきた。解説の二人も、
口を極めて非難をしていたが、これも当然だろう。モンゴルの国籍が、引退後
の部屋持ち親方の道がないことなど、36回優勝なればこその不満が見え隠れ。
 今場所の半ばに、勝負のついた力士への駄目押しの力士が、モロに勝負審番の
親方にぶつかり、三ヶ月の重症をおわせて厳重注意を受けたことも、この
らしからぬ立合いに出たのだろう。引退勧告まではないとしても、大きな
汚点になってしまった。
≪ 立ち合いの変化に場内からは大ブーイングと罵声(ばせい)が飛び交った。
 取組後の優勝インタビューでは複雑な感情が絡み合い、涙を流して絶句。
異例の謝罪も口にした。
 水を打ったような静寂が、罵声とため息で破られる。36度目の優勝を
決める結びの一番。気も伝わらなければ、熱もない。わずか1秒1。
懸賞を受け取る白鵬の表情は、かたくなる。「勝ったらなんでもええんか!」。
土俵下で行われた優勝インタビュー。拍手よりも、痛烈なやじが白鵬の背中に
浴びせられた。「あの変化で決まるとは思わなかった。本当に申し訳ない」。
あふれる涙で数秒間、絶句した。 稀勢の里が2敗を守り、星を落とせば優勝
決定戦へもつれ込む。かたずを飲む観衆の前で、白鵬が立ち合いで変化した。
右手を日馬富士の顔の前に突き出し、左へ大きく体を開く。目標を失った相手
は何もできずに土俵下へ飛び出した。横綱の気概を捨ててまで、抱きたかった
36度目の賜杯。「36」という数字に、かねてから強いこだわりがあった。
母国モンゴル相撲の元横綱、父・ムンフバトさんは年に1度の国民的行事
「ナーダム」のモンゴル相撲で6度も優勝した偉大な英雄。年6場所開催
される大相撲に置きかえれば、36は6年分の優勝回数にあたるからだ。
やはり、そう長くは持たないだろう、モンゴル人とは肌合いが違うのか。
   * 琴奨菊の、この始末
 琴奨菊の結果は、白鵬の涙で目立たなくなったのが救いだったが、過去の
実積からみて当然といえば当然。押し相撲の勢いからみて、「もしかして」の
期待が無いでもなかったが、あのハシャギ用からしても、何をかいわんや。
それほど、勝負の世界は厳しい戦場。実力からして、この勢いで横綱に
なっても、直ぐに、引退が待っている。なら、この結果は、最良ということ。

・・・・・・
4761,ぼんやり時間をしてますか?
2014年03月28日(金)
         ーひと言でいいのですー吉川直美編 より
   * ぼんやり時間
 これを読んで気づいたことが、3年前からのリタイアで「ぼんやり時間」が
少なかったこと。当時、心配したのが、心の空白からくるウツ症である。
それも初老性ウツを、周辺で何人か見ている。そこで、無為の時間を最小にする
ことを第一にすること。そのために、早朝から、寝るまでミニ・サイクリングと、
スポーツジム通いで運動をすること。そして、ブログ作成、ネット・サーフィン、
TVの連続ドラマと、週一の映画館通いなどを組込んで置くことで、まずは
3年間を乗越えることにし、合間に、寝室、書斎で空白を置くことにした。 
 それが私の「ぼんやり時間」。 〜その箇所から〜
《「ぼんやりしているのは人間にとって非常に大切な貴い時間である。
 単に漠然と貴いと言っている訳ではなく、この間に、本人はどの程度意識
しているか分からないが、必す貯えられているものがある。」〜串田孫一より
  一日の予定が、朝から晩まで有意義な計画で埋め尽くされてはいませんか。
スケジュール帳に有益な予定が 隙間なく詰まっていないと、人生を無駄に
しているようでそわそわしませんか。白紙の部分は無益な時間ではなく、自由
な発想が与えられ、想像力が羽を伸ばすぼんやり時間、たましいの息継ぎ時間。
 箸休めがあってこそ濃厚な時間も引き立つのです。 お気に入りのカフェで
コーヒーを味わう。風に流れる雲をなんとはなしに目で追いかける。公園の
ベンチに座って子どもたちの遊ぶ声に包まれる。仕事の合間にふと手を止めて、
雨の音に耳を澄ます。そんな無為な時に、ゆらりと身を任せてみましょうか。》
▼ この30数年間、何事も「遊び、仕事、学び」と、分けて、重なりの合間
 に余白時間を入れてきた。それが瞑想だったり、独りボ〜と物思いにふける
時間だったり、散歩だったり。ここで気づいたのは、ご隠居の現在、ボ〜と
する時間を、より多く持つこと。ポタリングをしていると、信濃川の土手で、
ぼんやりベンチにいる人を見かける。散歩の休憩か、ぼんやりが目的なのか? 
「ぼんやり」を検索したところ ーぼんやり時間 辰濃和男著ーがあった。
今日にでも図書館で探してみるが、面白そう 欧州では夏場など、避暑地で、
何をするでなく浜辺で無為の時間を過ごすのが最高のレジャー。
生活圏から離れ、綺麗な空気の中で「ぼんやりする時間」が最高の時間と
すると、早朝のポタリングと、午前中の三時間近い書斎でのフリータイムが
私の「ぼんやり時間」? 違う!これな日常の範疇!

・・・・・・
5126,閑話小題 ー 大塚家具の顛末
2015年03月28日(土)
   * 大塚家具の顛末
 父娘の経営権をめぐっての争い、娘側が勝ったが、当然の成り行き。
百貨店的経営モデルか、専門量販大店モデルか、の経営方針の違いによる
仲違いに親子の情実が絡んだようだが、情報化社会は父親の経営モデルを
良しとしない。リア王に、何か重なって見えるのは私だけではないだろう。
専門大店への切替となると、会長・子飼いの社員の大部分がヘドロとして、
処分されるが、これを良しとしない彼らが会長と組んで生残りを図ったとも
考えられる。しかし出資者からみたら、娘サイドを支持するのは当然のこと。
この結果、アメリカのファンドが大儲けをしたというが。それにしても、
会長の老醜、見苦しい! 老兵は黙って去るべし。それは、このブログにも
いえる事。ただ沈黙を守っていれば良いものを、恥かしげもなく、ったく!
   * 旅客機乗の道連れ自殺
 ドイツのエアバス機墜落で、検察当局は、《同機を故意に墜落させた
副操縦士の自宅で押収した書類に「勤務不可能」とする内容が見つかった》
と報じた。数年前に、燃えつき症候群の傾向があったというが・・ 
これで、当分、機長と副機長、トイレに気楽に行けなくなった?
これは道連れ自殺というより、149人を巻きこんだ虐殺? 消息不明の
マレーシア航空でも意図的な事故であることを示す証拠があり、このような
事故はここ1年5カ月で3件となり、死者は416人に上る、という。
これだけは、実際のところ防止は無理。当初、このニュースを聞いた時、
<テロリストによる操縦士の家族を人質にとったテロの強要の可能性がある>
とみたが、乗員にも同じ宗教の人も混じっているため、それは無いか。

・・・・・・
4394, 私たちの住む宇宙は、10の27乗・10の−35乗の世界 ー1
2013年03月28日(木)
           「宇宙は何でできているのか」村山 斉 (著)
  * 私たちの住む宇宙は、10の27乗・10の−35乗の世界 ー1
 村山斉の「宇宙は本当にひとつなのか」が非常に刺激的で、去年読んだ
本ではベスト。「現在、宇宙論はコペルニクス以来の大転換期にある」と素人
に分かり易く書いてあった。「我われの住む宇宙の他に10の500乗の宇宙が
存在している」というから、驚きである。この「宇宙は何でできているのか」
は、その10ヶ月前に発行されたもの。比べてみると、新著が宇宙論入門書で、
これは素粒子論が主とした内容。素粒子を突き詰めると宇宙と同じというから・・  
  =まずアマゾンのー内容紹介ーより=
≪ 全ての星と原子を足しても宇宙全体の重さのほんの4%。で残り96%は
何なのか?物質を作る最小単位の粒子である素粒子。誕生直後の宇宙は、素粒子
が原子にならない状態でバラバラに飛び交う、高温高圧の火の玉だった。だから、
素粒子の種類や素粒子に働く力の法則が分かれば宇宙の成り立ちが分かるし、
逆に、宇宙の現象を観測することで素粒子の謎も明らかになる。
本書は、素粒子物理学の基本中の基本をやさしくかみくだきながら、
「宇宙はどう始まったのか」「私たちはなぜ存在するのか」
「宇宙はこれからどうなるのか」という人類永遠の疑問に挑む、
限りなく小さくて大きな物語。≫  ーキーポイントの部分の抜粋ー
【この本のテーマは『素粒子物理学で解く宇宙の謎』。なぜ素粒子と宇宙が
 関係あるのか? 最も大きいのが137億光年の宇宙で、最も小さいのが素粒子・・  
たとえば、リンゴは直径約0.1m。人間の身長は、桁がーつ上がって1〜2m程度。
ビルやマンションはもう1桁上がって、数十mの高さ。東京タワーは333m、
建設中の東京スカイツリーは634mにです。それぞれおよそ「3×、10の二乗m」
「6×、10の二乗m」。高い富士山(3776m)、「10の三乗」という桁数。
では、富士山が載っている地球の直径は約1万2千キロmですから、メートルに
直すと桁数は「10の7乗」。富士山の1万倍。その地球が太陽のまわりを公転
する軌道の大きさは、富士山の1万倍のさらに1万倍(10の11乗m)のオーダー。
でも、それは宇宙全体から見ればほんの小さな点のようなもの。太陽系は
「天の川銀河」の片隅にありますが、この銀河は地球の軌道の約10億倍の大きさ
(10の20乗m)。さらに天の川銀河はほかの銀河系と一緒に「銀河団」を形成して
おり、その銀河団は天の川銀河の1000倍程度の規模(10の23乗mのオーダ)。
もちろん宇宙には、そういう銀河団がほかにもたくさんあります。それらを
すべてひっくるめたのが、宇宙です。そして、私たちがいま実際に観測できる
宇宙のサイズは、1つの銀河団のさらに1万倍(10の27乗)。こうなると
「兆(10の12乗)」や「京(10の16乗)」とといった単位では表せないので
「10のX乗」という表現が必要になります。これがまさに、いわゆる
「天文学的な数字」のスケールなのです。】
▼ 最も小さな素粒子については次回するが、我われのすむ宇宙は、極大と
 極少合わせ10の62乗の世界。しかし、この他に宇宙が10の500乗もある
可能性がある。世界観が変わったとかいう問題でなく、宇宙観が変わってしまう。。
他の宇宙から、我われの住む宇宙にループ状になってつながって暗黒エネルギー
を供給しているという。これを読むと、人生、社会、人間がつくり上げた神、
正義、愛、価値とかは、虚無の彼方の中に消えてしまいそうになる。
それなら日々を味わいつくし、楽しめば良い。少なくとも、何時の間に
刷り込まれたバイアスに縛られないこと。 −つづく
・・・・・・
4020, 事業生活39年の、独り語り ー6
2012年03月28日(水)
 初めての千城台ビルの建設中に石油ショックが起きてしまった。
そのビル前の数百世帯の建設予定だったマンション建設が急遽、
 中止になってしまった。 その世帯群を当てにしていたため、テナントの
問い合わせはゼロ。 完成した時には、最悪低迷の状態。 この時、つくづく
時代の激変の恐ろしさを痛感した。その最悪の出発の中で、テナントとして
商売を当て、ビルそのものを活性化しなければならない。父親の死の問題も
あって、この時は必勝が絶対条件の土壇場であった。衣料スーパーは立地的
にみて商圏が狭すぎ現実的でない。考え抜いたのが当時、破竹の勢いで店舗
展開していた養老の滝のFC。その暖簾なら客を確実に呼び寄せると直感。 
そして、ビルの完成と同時に養老の滝のオープン。その1ヶ月後の結婚と、
慌しい日々が続いていった。連日、朝の7時から23時までの激務である。
≪ ー 養老の瀧1122号店、店長の日々 ー H・0907
 両親の創業を幼児の時みていて、その厳しさを知っていたつもりだったが、
自分がその立場に立ってみて、その認識の甘さを思い知った。千葉の新興住宅地
(五万人)の十字路に“貸ビルの建築”“養老の瀧オ−プン”“結婚”という
人生の初体験を同時に始めた。丁度石油ショックにより高度成長期が弾け、
ビルの前の数千世帯のマンション計画が中止となり、最悪の出発となった。
そしてオ−プン...!完全にパニック状態!オ−プン人気も含めお客の列!
しかし、全くの素人である。ビル建築等、他に諸々が重なり、地獄のような
日になってしまった。 当初の、2〜3ヶ月は朝8時より夜半の1時までの
激務であった。指導員と私とアシスタントの3人の激しい日々であった。
“勤め人”と自営業の立場の大転換がその時おこった。それまでは8時間
プラス2〜3時間、という立場が、‘24時間(休んでいても仕事のうち)
仕事’という立場になった。サラリ−マンが事業をおこし大部分が失敗する
のは前者より脱皮できない為である。大手ス−パ−の創業期に入社、異常に
近い厳しい世界に3年近くいたが・・ その厳しさが全く違う。はじめの
数ヶ月は、今日辞めるか明日辞めるかという位、厳しいものであった。
あの空ビルをテナントで埋めなければ、私の立場が無くなる!という前提が
あった為乗り越えられたと思うが。でも不思議なもので、真っ正面より立ち
向かっていると、いつの間にか辛さが辛さでなくなってくる、適応能力が
自然についてくるのだ。ヤクザ、土方、得体の知れない人間に“気違い水=酒”
を飲ませているのだ。それと兎にも角にも全くの無警察状態に近いのだ。
そこで自分で店を衛らなくてはならない。酒を飲んだ人間の本当の恐ろしさ
をそれまで、ほとんど知らなかったためだろう、命が幾つあっても足らない事件
が月に一度はおきた。恐怖の中で1人トイレの中で(他人にはわからないよう)
震えた事があった。そこで、大きく唸った。 そしてお客に対処したところ
腹が据わったのだろう、お客が逆に竦んでしまった。“これだ!”と直感した。
また店の従業員に前もって、うち合せをしておき、お客に怒鳴る変わりに
従業員を怒鳴りつけ竦ませたり、土壇場に立つと知恵がついてくる。
フランチャイズのシステムは今でも素晴らしいものであった。標準化、単純化、
マニュアル化がきっちりできあがっていた。創業時の勉強という点、
このシステムは自らに非常に有効に働いたと振り返って思えるようになった。 
 創業は辛い!  1973.11.07〜   ≫
▼ 計画も、それが完成をした時に、時代が全く変わってしまう経験を創業の
 出だしに経験することになった。現在からみると、良い経験だが、実際に窮地
に立つと、思わぬ力と知恵が湧いてくるもの。必死に問題の中心にエネルギー
を集中していると、思わぬところからチャンスが転がり込んでくるもの。
・・・・・・
3290, 地震 ーつれづれに  ー13
2011年03月28日(日)
  * メルトダウンが始った?
2号機の付属建物で高濃度の放射能が検出された。濃度が《1000万倍》。
メルトダウンが急速に進んでいるのか? 爆発が起こる可能性があるのか?
急に政府が副首都を大阪といい始めたのは何故?等々、疑問が出てきたが、
どうなるのだろう? 大使館が大阪や京都に移動したり、外国人が大挙して
帰国していったのは、正しい情報を持っていたため?知らぬが仏の仏様は
日本人の茹で蛙だけか! 
  * 関東大震災
 今だ現在進行中の世界的にみても最大規模の大震災の真只中に日本はいる。
この津波により破壊された原発事故も、現在も予断を許さない事態。最悪の
シナリオとして日本壊滅の事態もありえるのか。現在は「東北、北関東の壊滅」
レベルだが、これが「東北・関東壊滅」だけでなく「日本壊滅」もありえる。
実際のところ水の汚染が進んだら本州壊滅が現実的になる。千年に一度の国家
的危機の大震災に発展するのか。  ところで百年来の大震災といえば、まず
思い浮かぶのが関東大震災である。
  ー そこで、ネットで関東大震災を調べてみたー
【 関東大震災は、1923年(大正12年)9月1日(土曜日)午前11時58分、
 神奈川県相模湾北西沖80kmを震源として発生したマグニチュード7.9、
海溝型の大地震(関東地震)による災害。死者・行方不明者14万2800人 
地震の発生時刻が昼食の時間帯と重なったことから、136件の火災が発生した。
それが大惨事につながった。】
死体が山のようにつみ上げられいる画像をみたことがある。この時
「朝鮮人が日本人を襲撃している」という風評が飛び交い、数千人の朝鮮人が
殺害された。東北関東大震災からみるとマグニチュードは遥かに小さいが、火災
が人的被害を大きくした。この東北関東大地震は人口密度の低い東北という
こともあり死者は関東大震災に比べれば少ない。しかし大津波と原発事故で
本州壊滅の危機に立たされてしまった。 まったく恐ろしい限りである。   


5490,閑話小題 〜移民で行き詰る欧州

2016年03月27日(日)

 ベルギーのテロ。もっと大きな規模だったのでは? と報じられている。
パリの二つのテロと、このテロが一連のテロとして繋がっているが、何処で、
何が起こっても不思議でない様相になっている。 自殺願望の人が、どうせ
死ぬならと、勝手にISに入ったふりをして、テロを起こす可能性もある。
 何か世界的に、いやな空気が覆ってきている。IS支配地区では、世界中の
国が、彼らを殲滅しようと、彼らからすれば、虐殺がおこなわれている。
 昨日借りてきた月刊誌の『新潮45〜1月号』の特集、
〜イスラム系移民で行き詰る欧州〜 が、ずばり問題の核心をついている。  
   ーその一部を抜粋ー
≪ ドイツ政府が難民・移民の受入れに前向きだったのは、人口減社会への
対策という将来的な計算もあった。それは人口減に悩む日本にとっても他人事
ではない。だが、西欧のイスラム教徒を取材した経験から言って、私には移民
や難民を単に「労働力」と見るのは、もはや無意味であるように思われる。
イスラム教徒を西欧キリスト教社会にうまく融合できない限り、彼らは社会の
異分子であり続けるからだ。 現在、EU人口五億人のうちイスラム人口は
約二千万人を占める。同時テロ事件があったフランスはもちろん、ドイツ、
英国でもイスラム教徒は別世界を構成し、容易に白人社会に融合しない。
人道上の観点から、移民受け入れに熱心な北欧諸国では、ソマリア人たちが
都市部にゲットーを作ってしまった。今の欧州には、イスラム教徒を巧みに
取り込んでいる「モデル」は存在しない。
 それどころか、イスラム教徒たちには、経済格差に加えて、白人社会の目に
見えない「壁」が厳然と立ちはだかる。知人の三十代の男性アラブ系フランス
人は、「求人広告を見て電話すると、名前を告げた途端に、だめですね。
『もう決まってしまった』と言われますよ。時には名乗る前に拒絶される。
声の様子で移民出身だと分かるから」と言う。表には出ない就職差別だ。
 アバウドが逃げ込んだパリ郊外のサンドニは失業率が公式統計で18%、
貧困率が27%で、それぞれ全国平均の約二倍だ。ベルギーも事情は同じ。
モロッコやアルジェリア、チュニジアのマグレブ三国からの移民やその
子孫の就労率は44%で、全国平均の76%を大きく下回る。こうした環境で、
イスラム教徒の若者は疎外感を募らせる。イスラム過激派対策に詳しい
フランス人の危機管理コンサルタントに
・「彼らはなぜ過激思想に走るのか」と聞いた時、彼の答えは明快だった。、
・「心に穴が開いているからです。ぽっかりとね」。ローランはシリアや
イラクに何度も渡航し、過激派に走る若者と接触してきた。さらに、
・「欧州経済はお先真っ暗で、若者は将来を描くことができない。自由だけを
与えられ、彼らは何をしていいか分からない。コーランは何をすべきか、何が
禁じられているかを明確に示してくれる。イスラム教を理解していなくても、
過激派仲間と一緒に戦反意識を分かち合うことに生きがいを感じるのです」。
 欧州に到来した百万人以上の難民は、相当長期にわたって難民キャンプ
で暮らさなければならない。難民申請が認められた後も、以前より敵対的な
キリスト教社会に溶け込むという障害が待ち受けている。彼らが、現在の
イスラム教移民社会よりもうまく融合できるという保証は、今のところ
どこにもない。〜 ≫
▼ 5億の人口に2千万人のイスラム難民とすると、日本に 五百万人の
 イスラム難民が存在することになる。考えただけでも、いや日本では、
考えられないことである。 中国人が観光ビザで入国して、そのまま滞在
している人が案外、多いのでは?いつの間にか、実は数十万も? は、
ないと思うがどうだろう? 砂漠の民用につくられたイスラム教徒が、
女・子供・奴隷などの弱者用につくられたキリスト教圏の欧州に、馴染める
わけがない。だから、目立たないように、生活圏を分けている。そこに、
当然、摩擦が起こり、その鬱憤が見えない戦争、テロになっていく。

・・・・・・
5125,洞窟の壁画 
2015年03月27日(金)
  * フランス、ラスコー洞窟の洞窟画
 8年前に購入した写真集、『世界のスピリチュアル・スポット』を
見ていたところ、「ラスコーの洞窟画」があった。以下は、そこに
書かれている説明文である。そこで、ネット検索をしたが、その規模の
大きさと、絵画の躍動感に改めて驚いた。面白半分の落書程度と思って
いたが、現代の画家も驚くほど、高度の技術を持った本格的な壁画・・
≪1940年、フランスのドルドーニュ県で、ヴェゼル渓谷の土手を探索して
いた4人の少年が迷子の犬を探していたときに木の下に穴があるのを見つけた。
そしてそれがきっかけとなり、地元の住人すら存在を知らなかった洞窟が
発見された。洞窟の中には約17.000年前、数世代にわたって創作された、馬、
野牛、鹿などの彩画、線刻画が保存されていた。はるか昔に衰退してしまった
文明で、ある特定の物事がなぜ行われたかを正確に知るのは困難である。
 だが、この洞窟が気軽な落書きの場でなかったことは明らかだった。
科学者で探検者でもあり、「先史学の父」と呼ばれたブルイユ神父は、道具や
ランプは散乱しているものの、人間が住んだ形跡がないことを指摘した。
この洞窟は何か特別な目的、おそらくは神聖な目的に限って使用された場所に
違いなかった。惰報が十分でないがゆえに、こうした場所がどういうかたちで
神聖だったのかについては、さまざまに議論を呼ぶものである。文書のかたち
でも口承ででも歴史が残されていないため、それぞれの主張を裏づけるものが
ないからだ。これらの壁画は狩猟の成果を表現したものと主張する説があれば、
猟の成功を祈願する共感呪術か、大地の「子宮」の内部で豊穣を願うシャー・
マンの儀式だったという主張もある。芸術的な内容から見るなら、壁画を描いた
人々の技術はそうした文脈を表現する上で大いに貢献した。彼らは洞窟内部の
凹凸を最大限に利用して多くの動物に立体感を与えることに成功し、なかには
高い天井を駆ける動物すらいた。画家たちの観察は正確である。彼らは対象を
熱知し、動きやカ、速さを表現することに多大な努力を払った。壁画は、
それを描いた人々にとって、単に目を楽しませるもの以上の重大な意味が
あった。これは、日常とは異なったレベルの意識領域に属す絵なのである。≫
▼「地下に長く伸びる洞窟は枝分かれし、壁画が集中している大空間などが幾つ
 かあって、洞窟の側面と天井面には、数百の馬・山羊・羊・野牛・鹿 ・人間
・幾何学模様の彩画、刻線画、顔料を吹き付けて刻印してあった」という。
それも、数世紀にわたり描かれたというから、呪術のひとつだったのだろう。
最古の洞窟壁画は、20年前に発見されたショーヴェ洞窟絵で3万2千年前のもの。
古代人の魂そのもの。世界は広く深いわりには、現代人は、あまりに底が浅い! 
・・・・・・
4760,そんなに長生きしたいですか ー8
2014年03月27日(木)
       『日本人の死に時 そんなに長生きしたいですか』久坂部 羊著
  * 死に時を忘れた日本人が多過ぎる!
ここでは「ある年齢以上の人には病院へ行かないという選択肢がある」
ことを提案している。
寝たきり時間が、男性6・1歳、女性7・6歳もある。問題は、不自然な形で、
生かしておくこと。それなら、ある年齢になったら病院に行かないこと。 
                   ーその辺からー
《 病院へ行かないことの利点として、
 ・第一に、濃厚医療による不自然な死を避けられること。
 ・第二に、つらい検査や治療を受けなくてすむこと。
 ・第三に、よけいな病気を見つけられる心配がないこと。
 ・第四に、時間が無駄にならない。第五に、お金が無駄にならない。
 ・そして最後に、精神的な負担が減るということを挙げられる。
誰もが死ぬことと、苦痛に対して恐怖を覚え、自然の寿命を受け入れられない。
多くの人が苦しい最期、過重な介護、膨大な医療費を背負い、
そちらの方が死よりも苦しい余生になる。》
 ナンシー・ウッド著『今日は死ぬのにもってこいの日』引用の
「タオス・ペブロの古老の言葉」(ネイティブ・アメリカンの詩)がよい!
 今日は死ぬのにもってこいの日だ。
 生きているものすべてが、私と呼吸を合わせている。
 すべての声が、わたしの中で合唱している。
 すべての美が、わたしの目の中で休もうとしてやって来た。
 あらゆる悪い考えは、わたしから立ち去っていった。
 今日は死ぬのにもってこいの日だ。
 わたしの土地は、わたしを静かに取り巻いている。
 わたしの畑は、もう耕されることはない。
 わたしの家は、笑い声に満ちている。
▼「自然体で、死時がきたら、受け入れなさい。介護9〜14年、寝たきり
 6〜7年半で長生きするより、病気を受け入れ、放って、早そう死んだ方が
良い!」というのも道理で、老人ホーム医の言葉だから重く響いてくる。
「ある年齢」とは、各自違うのだろうが、還暦から古希の間だろう。私は医者
に一切行かなくなったのが4年前の64歳。私の死に時を75歳にしているが、
どうだろう? 今の酒量では無理? もう充分生きた気がする。
 最近、ー私は、生きていることが好きなんだ!ーの言葉が、心に焼き付いた。 
今の私の心境である。生きてきて、実感で、良いこと二つに嫌なこと一つ
だったが、歳をとるにつれ、その比率が近づいて現在は半々。
これからは逆転し、最後は嫌なことが多くなるのだろう。 
それでも「生きることが好き!」と、思いたいもの。
・・・・・・
4393,閑話小題 −つれづれに
2013年03月27日(水)
 * 先週から早朝の信濃川一周のポタリングを始めたが、ほとんど
散歩する姿はないのは寒いためだろう。分厚い手袋と耳あてをし何とか寒さ
を凌いでいるが、日々暖かくなっている。慣れてしまえば最上の習慣である。
毎日15キロ、一年200日として合計三千キロ。三年間で9千キロ走ったこと
になるが、自転車はボロボロになって当然。リチウム電池は、当初一回の充電
で二日持ったが、劣化で一日が限度。この買換えは一年後の予定?だが、
持つかどうか。あと一年で4年で一万二千キロ、地球の4分の1周を走った
ことになるのだから良しとするか。ギリギリ使うつもりだが・・
 * 一昨日、カラスの交尾をみた。ポタリングの何時ものコースの通りの
脇の花壇にいたカラスに、小さなカラスが舞い降りてきて尾っぽを向けて羽根
をそば立てて小さくうずくまった。そこにオスが・・ メスからの求愛である。
これで春の訪れを知るとは・・・
 * 久々にグーグルアースを覗いたが、面白くなっていた。アフリカ大陸に
グーグルアースの地球儀を回転すると、画面の下に各地のツアーガイドの写真が
10ほど出てくる。それをクリックすると、そこに焦点が合わされ拡大していく。
YouTubeの右に関連の録画の画面が出てくるのと同じ。これで更に使いやすく
なった。 また以前より写真とHPなどの貼り付けが多くなっていた。スマート
フォンなどの普及でタッチで気楽に使えるように進化していた、ということ。
改めて自分の生活の中でiPadが与えたインパクトの大きさに驚いている。
マイクロソフト、グーグル、マック、アマゾンなどが世界に与えた変化は、
あまりにも大きい。
 * 数日前に朝日新聞の一面のトップに腰痛の話題が出ていた。
こういう話題を一面トップで扱ったのは、あまりなかった。ところが一昨日、
一時帰宅した長男が腰痛になって医者に行ったところヘルニアと診断され
コルセットを付けて帰ってきた。私は半世紀も腰痛に悩まされてきた。
しかし医者にかかった事が一度もない。全てホッカイロで治してきた。
時間が解決するのを経験が教えてくれた。5年に一度は、ひと月ぐらいは
酷い痛みになるが、ある時期が過ぎると直る。この4年間は重い腰痛はない。
スポーツセンターに通って二年、エアロやヨガなどで足腰を鍛えているが、
季節の変わり目は鈍痛になる。50,60歳代の4割は腰痛に悩まされる
というが、人類永遠の課題の一つ、割り切るしかない。 
・・・・・・・
4019, シングルイン、31年間の総括 ー2
2012年03月27日(火)
 ホテルは典型的な装置産業で、資金を土地と鉄とコンクルートに固めて
しまうと、30年は維持しなければならない。その間に経営環境は激しく変化
するが、客室という単品を毎日売り続ける「あきない」である。立ち上げは
華々しく面白いが、その後の時代変化に対応するに、ダメ元の覚悟がなければ、
やれる事業でない。最初の千城台ビル建設で父から学んだことは、「ビルは
長期スパンの生きもの! ツブシがきく前提で設計すべき」ということ。
具体的には、骨組みを太くして、可能な限り柱を入れないこと。構造上、
難しい場合は柱を壁面に可能な限りよせること。それに、設計事務所の方針の
「ビルは、神からのさずけもの。自分だけの使いかってで造ってはならない」
が重なったビル設計になった。それと平面図に魂を入れること。
千城台ビルと長岡の場合、夢に、その平面が出てきて、3Dのような可視化
するまでになっていた。要は、万人に通じる魂を入れること。だから、
売りに出すと即売になって当然である。買い手の全部が、ホテルか建設関係者。 
それが分かるのだろう。この事業を始めるにあたって会社には家族や親戚は
一切入れず、保証人にしないことも前提条件にした。また初期投資二億全てを
失っても、後悔はしないこと。これは何度も自分に言い聞かせた。現在、
平然としていられるのは、その覚悟の上で始めたため。妻子を会社に入れ、
連帯保証を押させ、子供に家庭があれば、家族崩壊。それと職住を分けること。
また取引先に迷惑をかけないよう債権額を最小にするのは、後に恨みを残さない
ため。 倒産は、長年、一緒に苦労を重ねてきた社員と、その家族にも多大な
迷惑をかけてしまい後にひく。倒産の翌日、従業員を一同に集め解雇を
言いわたした時に、思わず涙が吹き出てきた。この人たちは明日から失業者。 
その思いが、言葉でなく、涙になってしまった。取引先に支払う分、最後まで
残って残務整理をしてくれた社員に回すべきだったのか?これで良かったのか? 
自問自答が続く。 正解はあるはずがないが・・ 倒産の虐めの一つに、計画
倒産疑惑の流布がある。銀行は、それを許すほど甘くないのを知って知らずか。 
私にとっては褒め言葉にしか聞こえないが。  
・・・・・・
3653, あと一月で10年
2011年03月27日(日)
 何ごとも、一日3時間を10年続ければ「ひとかど」になるという。 
で、この随想日記を書き続けて、あと一月で10年。で、何だったのか? 
常に、「何か書かなければ」という心理的圧迫が感覚を磨く作用をしていた。
ここで何年に一度、書き続けている効用を取り上げてきた。論理思考が
培われたことと、読書の備忘録や、旅行の感想文、そして毎年、同月同日に
書いた文章の何年分を読み返す効用など、現在の私にとって無くてはならない
存在になっている。常に変わったことや、面白いことに出合うと、その場で
自然に起承転結の文章化をしてしまう癖がついてしまった。
「記者の目で論理を組み立てる習慣」という、現象に隠された本質を、
あらゆる角度からみる視線である。 ところで10年一区切りで実はホッと
したところもある。この随想日記を休むことも考えている。一度休むと、
再び書くことが面倒になるが・・ 「一日も休まない」というのは
実は大きなプレッシャーだが、反面それが張りになっていた。 
何も書かないとなると、頭が変になってしまうかもしれない。
書くということは、自分の心の開放でもあり自由を獲得している部分がある。 
それにしても、10年も続いたものと自分自身が驚いている。
「偉そうなことを書いているが、その様は何だ」が、読み手の心理。 
それを分かっていても、偉そうなことを書くことで、自分を開放をする
面白さもある。 65歳、そろそろ自分の痕跡の消しに入る時期に入った。 
このまま書き続けるか、それとも形態を変えるか? 書くことの秘儀は
少しは?分かった。書き出すことで、その背後にある膨大の世界を僅か
ながらでも知覚できたことが何よりも変えがたい収穫であった。 
節目の時であることは間違いない。 


5489,人生で最も大切な技術 ー34 瞑想の実践 

2016年03月26日(土)

      『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ リカール著
   * 瞑想の実践 ー①
 スポーツジムのヨガに参加して、まる4年になる。ヨガは瞑想に合間にする、
足腰の鍛錬や呼吸法で、その目的は瞑想。当初の二年間は週2回、後半の2年間
は週4回、所要時間は45分。その最後の5分の「死者のポーズ」。大の字になり、
全身の力を抜いて、宇宙と一体化したイメージで横たわる。
 自宅で横になった半睡眠の状態との違いは、瞑想は、それらの一環で、
集団の一人として参加すること。夜半寝ている時に、この状況を頭に描くと、
似た感覚に簡単になれる。 ヨガは、生気を溢れさせてくれる。 
≪ * 瞑想を始めてみよう!
 自分を取り巻く環境がどうであれ、生気溢れた状態にさせる可能性は誰の
心の中にも必ず存在する。それは、愛情豊かな親切心、思いやり、心の平安
を体得する可能性のことで、あらゆる人の心に秘められたものである。
天然に転がる金塊と同じで、掘り当てられ、磨かれ、現実のものにされない
限り、価値が高まらない。こうした可能性を引き出し、強化育成することに
より、精神的な健全状態が一段と定着化するだろう。可能性を放りっぱなしに
していても強まることは期待できない。それは一種の技術とし習得しなければ
ならない。手始めとして、自分の心に習熟することから始めること。それこそ
が瞑想修行の第一歩なのである。まず、バランスのとれた無理のない姿勢で
静かに座ろう。座布団の上で足を交差させた蓮華座が無理なら、椅子に座って
も構わない。どちらの場合も、常に緊張のない程度に自然に背筋を伸ばした
姿勢をとることが大切である。手は膝または腿の上に置き、目は自然に前方に
置き、呼吸は自然にまかせる。心の中に、思考が浮かんでは消えるのを見つめ
ていよう。最初は、思考が消えるどころか、滝のように心の中に乱入してくる
かもしれない。その場合は、思考を停止させたり、逆に、焚きつけたりせずに、
浮かんでは消えていく様子をただ眺めているだけでいい。作業の終わりには、
次第に静寂になった心によってもたらされる温かみと喜びをしばらく味おう。≫
▼ 学生時代に座禅を知り、野狐禅としても、静かに座り、心の底から湧出る
 雑念を見つめる、もう一人の自分の影を見ていた。それが魂なのか、自分を
見つめる第二、第三の自分なのか? それは、誰も持っているはずだが・・ 
フッと思いたち、般若心経を呟いて没我の状態を瞑想と、どこが違うのか?

・・・・・・
5124,閑話小題 ーボンヤリも悪くない
2015年03月26日(木)
  * つれづれに 〜ボンヤリしながら
「はてな」のブログのアクセスが3月3日から、何故か5倍の1500に
増加した。不自然なので一時的と思っていたが、なかなか減らない。ところが、
数日前の連休から、以前の300前後に戻ってしまった。突然、増えた理由も、
減った理由も分からない。300でも多いと思っていたが、1500になった、
アクセスが20日近く減少しないので少し自信を持ちかけていたが・・
 内容からしたら、300でも、出来過ぎだが。14年近く、毎日2〜3時間
かけて、一日一文を書いてきたが、気がつけば、5000以上。自分のデータ
ベースを公開し、自己コントロールするため、どうしても、他者の目線を意識
をしてしまうが、こうともしないと5千日も続けられなかったことも確か!
 ところで、一昨日の早朝、一時間ほど早く起きて机に向かったため、ブログ
のアップも、一時間早く終わった。そこで、意識的にボンヤリとしてみた。
目の前の書棚の本や、図書館で借りてきた本を次々と流し読みをしたりしたが、
この何をするでもない時間が良い。午前中のネットサーフィンでも、この間
(ま)でするが・・  
  * オープン戦の原・巨人が変? 
 明日からプロ野球の開幕だが、パ・リーグは、ソフトバンクとオリックス。
セ・リーグは広島と巨人の前評判がよい。しかし、どうも巨人の原監督の
監督としての賞味期間が切れているのは確か。巨人というブランドの監督の
消耗度はただ事ではないはず。もう無理である。新監督は、江川か、桑田辺り
がベストと考えられるが、どうだろう! それにしても、あの戦力、他チーム
を圧倒している。それを賞味期限を終えた監督で勝てないゲームを観るのも、
味わいがあることも確か。三年期限で、江川監督、桑田ヘッドコーチにし、
その後、江川が退くシナリオ。何故か、誰も言わないのは何故だろう!
原に実績があるため? 
・・・・・・
4759,挫折と悲哀こそ、人生のパスポート!
2014年03月26日(水)
              ーひと言でいいのですー吉川直美編
  * 挫折と悲哀こそ兄弟との共感のパスポート
 人生で、何も挑戦しないで、挫折も悲哀も味わったことがない人が思いの外
に多い。それも人生だが、ポッキリと折れてしまう危険がある。その時に立直る
に大きなエネルギーを要することになる。秘境ツアーの中に、こういう人を
何人か見かけたことがある。かなり深刻の悩みのようだっただが、それを経験
する方が、しないで済んだ人より幸運? 悲哀さえ、知らず終えていくのも人生。 
 大きな挫折を経験してない人ほど、「まさか、自分が!」の声が心底から
生じてくる  ーその辺りから!ー
《【苦しんだことのない人々がどんなに我慢のならないものかは、人生の
 あらゆる分野で教えられる。挫折と悲哀こそ人間がその兄弟たちと共感し
合い、交るためのパスポートである。ーロバート・ゴルティス】
ある心理的・霊的成熟を目指す研修会に、いつもピンと背筋を伸ばした
人はきぜんを寄せつけない、毅然としたシスターが参加されていました。 
ほかの参加者が様々に痛みや弱さを分かち合う中で、彼女は両親にも家族にも
愛され、早くから神に仕え、とくに記憶に残る挫折も後悔もなく、どんなに
心を探っても痛みがないと胸を張られました。その研修会にも、修道院長に
命じられてしぶしぶ来られたのでした。ほかの参加者が嘆き、もだえ苦しみ、
寄り添い寄り添われ、やがて十分泣いて気の晴れた子どものように笑顔を取り
戻したころ、思いがけずうちひしがれていたのは彼女でした。「私には人の
痛みがわからないことがわかりました。それがはじめて知った挫折です。」》
▼ 人生の味わいは、挫折と悲哀と諦念から滲み出てくる。それなくして、
 最後の最後に、味わいの無い自分の人生に愕然。秘境旅行の参加者には、
そういった風な人が人生の悲哀を味わい尽くしてきた人より、多く見られる。
それこそ一番の挫折に気づいた人たちである。何度も書くが、中学校の担任の
先生が、定年時に私に深刻に話したのは、このことだった。「定年になった
現在も90歳前後の両親に見守られ、のうのうと順調に生きてきた。しかし、
そこには自分の人生が全く無かった。これほど、無念のことはない。思いのまま
生きている、お前が羨ましい!」と。それも人生。その怒りを周囲の挫折や悲哀
に向ける人たちより、遥かにましである。この節目で‘自分の傷口を他人の血で
洗おうとする哀れな人たち’を多く観察しただけでも、良い経験をした! 
自分の経験範囲しか理解できないのが人間の性。そのことを自覚できないのも
人間の悲しい性である。 ところで私も、このシスターの範疇? で、最期は!  
・・・・・・
4392, 暴走老人!  −2
2013年03月26日(火)                
  * 待つことをめぐる考察 ー時間編  「暴走老人! 」藤原 智美 (著)
 イライラの原因の一つは待たされることである。しかし日常は考えてみれば
「待つこと」で大半は占められている。列車を待つ、車内で目的地に着くのを
待つ、エレベーターで待つ、昼飯が出てくるのを待つなど待たされることばかり。
最近、喫茶店に学生が少なくなったという。スマホなどの携帯電話で待ち
合わせの時間が無くなったり、駅などのベンチでネットサーフィンやゲームを
していればば、別に喫茶店でなくてもよい。それは待つ喜びも失われたこと。
 子供の頃、クリスマスや、年末の年越しを心躍らせ首を長くして待っていた。
現在、そんな気持ちになることなど殆どない。主体的な待つのは良いが、
相手の都合によって待たされることに苛立つ。現代はムダな時間を排除するのが
求められる。そのムダの時間には考える余裕が含まれるが、今やそれが無くなり
つつある。企業では無駄が排除され、合理性が求められる。そして定年や人員
カットで社会の一線から押し出され、御年寄りとしてムダの存在として見られ
がちになる。それに苛立ちと焦燥感が蓄積される。それが乾くと、一寸した
発火で怒りが爆発し燃え上がる。10歳の頃の一年は、本当に長かった。
新学期になってクラス替えがあり、新たな顔ぶれの中、授業が始まり、梅雨が
きて、試験があり、やっと夏休み、・・と長い日課が延々と続いた。それが、
今や、アッという間に一年が経ってしまう。 それが今では、先は残されて
ないのに、思い出すのは嫌なことばかり。以前は考えなかった、「何のために
生きているのだろう?」という問いが、浮かんで消える。そこではマイナスの
フラッシュバックが次々と出てくる。 私たちは自分の時間割を帯グラフで
割り振るようになっている。4時起床、そのままパソコンに向かい随想日記の
書き上げとアップロード。6時過ぎに信濃川沿岸へポタリング。7時半、食事。
8時風呂。9時から読書と随想日記の下書き等々、帯グラフに従って一日を
こなしていく。そこに、チャリ、パソコン、スポーツセンター、読書さえ、
マシーンが介在する。どれもこれも便利で快適だが、これに適応出来ない人に
とって、大きな格差が出る。周りをみると、同世代にiPad、iPod、
パソコンを使いこなせない人が意外と多い。それでもタブレットPCが普及を
始めたので解消してきた。 ラーメン屋の行列で待つ、新製品の発売を店の
前で待つなど、「待つ」ことが、レジャーの要素の一つになっている。
待つというのは、「間」があるということ。その間は、空白である。元もと
私たちは空白に漂う陽炎のようなもの。それが本来の姿ではなかろうか。
生れて死ぬまでの間、それが生きるということ。その間で、たっぷり間を持つ
ことも大事ではなかろうか。それにしても時間に、いや、空白に恵まれていた。
「待つ時間が人生の大半を占めていた」とはね!
・・・・・・
4018, シングルイン、31年間の総括 ー1
2012年03月26日(月)
    準備期間、一年を含めた31年間の総括をする。
 * 新潟駅前の事業 ー準備期間1980年3月1日〜、開業1981年3月31日、
   閉鎖は2011年3月30日。 まる31年。
 * 新潟駅前で4棟、駐車場一箇所、客室数500室。
 * 新潟駅前のホテル等の総投資が32億。 
 * 創業時の自己資本が2億。借金残債が10億だったので返済額20億円。
 * 営業利益が赤字になったのが最後の年だけだったので、
   勘定足って銭足らずの典型。
 * ホテル営業30年のうち、上り坂が当初10年、次の10年が緩やかな
   右下がり、2001年の9・11テロから4年かけて売り上げが
   三分に二に激減。 さらに2008年の9・15のリーマンショック
   以来、二年半で半減。11年前の9・11テロから三分の一まで減少。 
   東北大震災で、さらに2〜3割減が予測された。破綻の直接原因は
   9・11テロと、リーマンショックの売上が65%減。 
   東北大震災は最後のとどめ。
 * 取引先への負債は20日締めの月末支払いを終えた後のため、
   ほぼゼロ。事務所、自宅への債権者の電話、押しかけゼロ。
 * 最後まで残った役員と管理職の退職金は、当社退職規定の65〜95%
   の支払い済み。(国の補填3百万も含め。)役員は、役員就任時に一度、
   退職金払い済み。
 * 会社関係の5つの物件は三ヶ月で完売。 しかし一つがキャンセル。 
   それも、半年後に売却。( 弁護士曰く、「銀行も、ここまで早く売れる
   と思ってなく、慌てていた」。自画自賛になるが、千葉、長岡で手がけた
   ビルは、売り出すと同時に即売。設計の中に売却前提で計画してあるため。
▼ この事業の結果に対して、後悔も、未練も一切なし。三つの経済・自然災害
 が直接原因だが、本来、土地を仕入れ、借金をしてする事業ではない。
そのことに10年で気づかなかったこともある。それと、情報化で、ビジネス
のあり方が変わってしまった。数日かかった出張も日帰りで済むようになった。 
結果から、バブル崩壊直後に売却が理想。
・・・・・・
3652, 地震 ーつれづれに ー12
2011年03月26日(土)
  * 外国人が大挙して帰国、 そして身近に避難民が! 
 日ごと、原発の放射能の起こるべきマイナーの影響が一つずつ、
現れ出てきている。御用放送局のNHKのニュースと、広告料金で成り立って
いる民法の流す情報など信じるに足りない、と仮説を立てると、現在流されて
いる事態の本質は知ることが出来ないのは当然のことと思い知る。東北は壊滅
状態とは間違っても記事に出来ない。毎日、枝野官房長官の発するコメントは
建前の上っ面の情報でしかない。外国人が我先に逃げ出していることを考えると、
地球史上最大規模の危機とみるべきである。 政府は事実の情報を風評とて
否定することしか、パニックを抑えるしかない。現状の進展を一般には小出し
にするしかないのである。放射能の摂取量が10倍、100倍から何時の間
にか数千倍になっている。しかし、外国は容赦なく事実を報じるから、
そのギャップがみえてくる。 ところで、家内が昨日、自転車で郵便局に
向かっていたところ、中年の女性に福島弁で「郵便局は何処ですか」と聞かれ、
「自分も行くところだから、ご一緒しましょう」と、自転車を降りて話しを
聞きながら案内したという。その内容とは、「自宅が30キロ以内にあり、
家族で車で避難してきた。しかし、自分は透析を受けているので、中央病院に
近い比較的良い公立のデーサービスの施設に一人でいる。原発は政府は安全
というので、信じていたのに、こんなになってしまった」と。
その施設に三年ほど亡くなった母親を週二回、世話になったことがあった。
大きな娯楽室があるが、そこのステージの上で暮らしているとか。30キロ
以内なら、もう元の生活に戻れるかどうかである。その人の顔色が悪く正視
できなかったという。駅には、大きなリュックを持った親子連れの姿が多く
みられる。本当に、これが現実なのか信じられない日々である。この事態で、
経済活動は大幅に減ることになる。それだけでない、今年の就職の内定の
取り消しと首切り、そして倒産が大幅に増加することになる。身が凍る思い
である。あれから二週間になるが、現在も進行中で問題が拡大している。


5488、閑話小題 〜人間の尊厳とは

2016年03月25日(金)

   * 「人生の意味」の、コペルニクス的転回
  〜主語を入れ替えるか、逆照射をするか
 カントは、認識について、「対象が意識を規定するのではなく、意識が
 対象を規定する」と、「認識が対象に従うのではなく、対象が認識に
従う」と、コペルニクス的転換を示した。かってテーマとして取上げたが、
フランクルは、アウシュビッツで、『私が人生の意味を問う』のではなくて、
『私自身が人生から問われたものとして体験される』と、転換してみせた。
この逆照射の視点から、人間の尊厳の問題が提示される。
『生きるとは、人間としての尊厳を大事にすること』と。
・『幸福とは、上手くいったからなるのではなく、幸福だから上手くいく』
という、幸福論がある。学生時代に、ある2つのグループに属したことが
あったが、上記の通りである。彼らは、明るく、物事に動じず、教養があり、
気楽で、積極果敢の要素を多く持っていた。
  〜フランクの哲学をネット検索〜
≪ 「 私はもはや人生から期待すべき何ものも持っていないのだ。」
 そう言って生きることをやめようとした囚人に、フランクルは説く。
「他人によって取り替えることができないこと、かけがえのないあなたを
待っている仕事、待っている愛する人がいる。人生はあなたからあるものを
期待している」と。 フランクルたち囚人は、そのすざましい生活において、
生きるための「なぜ」を常に問わなければならなかった。そして、生活目的
を意識する。 目的が無くなったととたん存在の意味も消えてしまいます。
拠り所が無くなった人は死んでしまうのです。
 そして、生きのびるために、人生の意味をひっくり返した。
『人生から何をわれわれは期待できるか』が、問題ではなくて、
『人生が何をわれわれから期待しているか』が、問題なのだと。
『私が人生の意味を問う』のではなくて、『私自身が人生から問われたもの』
として体験される。人生は、私に毎日毎時問いを提出し、私はその問いに、
詮索や口先だけでなくて、正しい行為によって応答しなければならない。
「われわれ」「私」と「人生」を入れ替えることで、まったく違う世界を
出現させたのです。≫  ー別の検索結果はー
≪「生きる意味」は強制収容所の中でのみ必要だったのではなく、強制収容所
 は単なる野蛮な装置ではなく、凝縮された異形の近現代でもあった。
人生の無意味さに悩み、人生の意味に憔悴する「時代の精神病理」は、
これから近現代が極まろうとしている21世紀において、ますます世界を覆って
いるのではないか。これは、飽食と並ぶ先進国病理ではなく、近現代の成り
ゆく果ての病理としてとらえるべきではないかと。「ぜいたく病」ではなく
必然の摩擦ではないのかと。
「およそ生きることそのものに意味があるとすれば、苦しむことにも意味が
あるはず。苦しむこともまた生きることの一部なら、運命も死ぬことも
生きることの一部なのだろう。苦悩と、そして死があってこそ、人間という
存在ははじめて完全なものになるのだ。」 池田香代子訳『夜と霧』より≫
▼ フランクルの強制収容所の経験の後で書くこと自体が、そぐわないが、
 私自身にも、かって心の変化があった。どん底の時節に、沸いて出た言葉が、
『この最悪の状況は、私にとっての最高の状況ではないか。最悪と思っている
現在こそが、事業に耐える力を培っている。何を勘違いしているのだろう』
 という心の大転換だった。5年前の会社整理の時に思ったことは、
『この結果に意味(価値)がある。事業の準備から、創業、会社清算の一連
を含めた45年間の一括りを、「学び、遊び、働き」のきり口で物語化して捉え、
自分で納得できれば、それで充分。他者の視線、批判に惑わされることはない』
である。で、直後に、シリーズのテーマとして、ここで書いていた。 
 残ったのは充実感だけだが、それで十分。 ・・として思うしかない!
で、これも丁度良く、以下に続いていく。

 ・・・・・・
2911,人生は作品である
2009年03月25日(水)
「人間にとって、その人生は作品である」これは司馬遼太郎の言葉である。 
「人間には志がある。その志の味が、人間の味である」という言葉もある。
 身近で亡くなった両親の生き様を見てきてつくづくと、人生は作品という
ことが理解できる。そして生きている限りは未完であるところが、ミソ。 
死んだ時に完成するが、その時は自分にとって関係ないことになるから絶妙。
哲学では人生を「劇場」に喩え、その役割配置から、その真理を突き詰めていく。
それぞれが人生劇場では主役。 それは第三者が口挟むことでない。 
本人の意志に従う物語。従って還暦を迎える頃になると、その物語の辻褄
合わせが始る。シナリオ、主演が自分であり、観客の一人も自分。 
だから面白いのであり、悲しくもある。 自分で悲劇の場面と思っても第三者
の目からみれば喜劇に思える。(逆も言える)
 年齢を重ねて分別がついてきて、人生を振り返ると顔から火が出ること度々。
主役は次から次へと襲ってくる難問を乗り越えるのが役割。 難問そのものの
内容が物語を決めることになる。だから、問題に対して嘆いてはならない。
(自分の火種もあるが)問題と本人の意志が自分の人生の作品を決定する。 
 キュープラー・ロスは<人生劇場は「レッスン=学び」であると看破> 
 (以下、字数制限のためカット 2015年3月25日)

・・・・・・
5123,「魂」の思想史 ー③
2015年03月25日(水)
     〜「魂」の思想史: 近代の異端者とともに ー酒井健 (著)
   * ソクラテスを魅惑する魂
 ソクラテスといえば、「魂の鍛錬」「対話術」「無知の知」がキーワード。
魂とは「神的でダイモン的な何か」として、その鍛錬を説く。〜その辺りから〜
≪(p17) ソクラテス自身に最も人知の限界を意識させたのは、ほかならぬ
 彼の内部から立ち上がってくる声。いくら知ろうと思っても認識できない。
声といっても、明確に言葉を発するわけでなく、いつ心のなかに発生するかも
分からない正体不明の存在です。自分のなかに棲む謎の他者。分からないまま
現れて自分を翻弄する何ものか。この声は自分を毒したと正義のソクラテスは
強弁していますが、はたしてそうだったのでしょうか。
 この声が国事への公的参加をソクラテスに拒ませたのはたしかに正しかった
と思われます。しかし彼が公的な場にいようと、私的な活動の場にいようと、
あの「神的でダイモン的な何か」は曖昧な動きを呈します。しっかり動かない
既存の制度、慣習、信仰とは反りのあわない暖昧な動きです。そして彼の意識
の底で果ての知れない広がりを呈しています。大きな魂と呼んでもいいでしょう。
彼の「無知の知」の教説、彼の正義、心、そして自分自身のものと彼が考えて
いた魂は、この大きな魂と表裏一体になっていて、しかもその底から、大きな
魂を定かには見えないかたちで溢れ出るにまかせていたと思えてくるのです。
そのことは、はたしてソクラテスにとってよいことだったのでしょうか。
無知を人に悟らせるのは間違ったことではありません。立派な正義です。
しかしソクラテスの言動は正論であると同時に正論を超える何かを放っていた。
彼を死なせるほどにです。公開裁判で、彼は、五百一人の民衆裁判官に対し、
まるで自分を有罪へ、そして死刑へ、煽り立てるように挑発的正論をぶった。≫
▼ ネット検索に(ソクラテス ダイモン)と入力すると、
 <ソクラテスは、自然に際して合理的思考を、対話・議論には論理性を重視
するが、その一方で内面にダイモンという神霊の声を聞いて茫然自失の態に陥る
ことが多かったと言われます。ダイモンは『善なる神霊あるいは悪なる神霊』
とされますが、その実態は詳らかではなく、ソクラテスの意識に突如飛来する
神秘的現象であり、ソクラテス自身には『内なる道徳律を示す声』のような
認識が為されていたようで、自らが道徳律に反する悪しき行為を為そうとする
時に『それを為すべからず』といった形でダイモンの合図がやってきた。
現代の脳神経科学的な見地からは、てんかん発作に近い意識消失を起こしたと
されます。しかし、ソクラテスの脳内現象とダイモンの出現を結びつけて、
神霊としてのダイモンは幻影に過ぎないと科学的判断で切り捨ては出来ますが、
心的リアリティとして『内面的な良心や倫理観の象徴としての神霊』は実在した
こともまた事実です。> とある。彼は、一切の著書を残さず、その言説は、
弟子のプラトンによるもの。欧州の発生の地で、2千5百年前のギリシャで、
こういう議論が戦われていたとは、驚きである!それにつけても私の脳は・・
 ー思いまどうことはない、人生は無意味なのだ ーサマーセット・モーム
・・・・・・
4758,閑話小題 ー冒険家の憂鬱
2014年03月25日(火)
 ーベスト・エッセイ2012ー探検家の憂鬱 角幡唯介
  * 35歳の冒険家の憂鬱 
 ある随想集で見つけた少し哀しい話題。友人に晩婚の人が何人かいたが、
35歳ぎりぎりで結婚をした。モテ過ぎの人は、女性が逆に敬遠するようだ。
以前、女性の適齢期をクリスマスケーキに例えた時期があった。
22、23をピークに、24、25と日毎に価値が下がっていく。現在は違うが、女性の
職場には、23歳停年制の暗黙の戒律があった。若くて綺麗な娘が毎年、入社して
人気が日毎、凋落するのに耐えられない。そこで、早めに本命を掴んでおいて、
あとは少しでも良いのを探す! が、最後は、この程度と諦めて結婚していく。
著者は、35歳男の婚活についての本音だから、納得させられる!ーまずは、抜粋ー
《 婚活女からみた人間の価値判断の基準は意外と単純なところにあり、男で
 いうと34歳と35歳の間に引かれるラインが、それにあたるのではないか。
つまり女性陣の多くは私の年齢を聞いた瞬間、頭の中で四捨五入して、35歳は
40歳側の人間ーおっさんーという仮借なきカテゴライズをしているような気が
するのだ。さらに悪いことに私は探検家という日本で数人しかいない珍しい
肩書を名乗っている。名刺的には「ノンフィクション作家・探検家」としている
のだが、ノンフィクション作家などという普通の肩書は探検家を前にすると、
アマゾン州にそそぐタパジョス川みたいなもので、ほぼ存在しないに等しい。
そのことを証明するように、私はこれまで何度も、どんな文章を書いているん
ですかと質問されたことがない。聞かれるのは、どんなところに行ってるんです
か、そこで何をするんですか、何のためにそんなことするんですか、マゾか
サドかといえばマゾですか、といった質問ばかりなのだ。 ・・ 酒も入って
気持ちよくなってくると、ついついキャバクラにいるような気分になってきて、
あることないことをペラペラしゃべってしまう。やれ雪崩に三回埋まって死に
そうな目に遭ったとか、チベットで滑落して九死に一生を得たとかの話を
お酒の力を借りて講談調で話すのだ。面白いことに、そういう話をすると女性
の目は必ず変わる。もはや場の主役に躍り出たような気分になっている私は、
その目の色の変化を肯定的に捉え、今、女たちは俺のことを男の中の男だと
思っている、などと有頂天になるが、実際のところ女性陣の目の色が変わった
のは、私を男の中の男だと思い始めたからではなく、対象外と思い始めたから
であることにはその場では決して気がつかない。翌日に次回の約束を取り付け
ようと、お気に入りの女性に意気揚々とメールを出し、数日待っても返事が
来なかった時に初めて気がつく。コンパに来る女性は通常、交際相手を求めて
いるから、四十歳の側に属した探検家を名乗る、安定的な生活基盤がない
どころか生存基盤すら危うい男をつきあう対象と見なすわけがないのだ。
もし年齢と職業がネックになっているという推測が正しいのであれば、長年
憧れてきた世間的な幸せを私が享受する可能性は、いよいよしぼんでいく。》
▼ 私自身の経験では、それが27歳。21歳から26歳までは、終戦直後の生まれ
 のため、同年代の数が極端に少ない上に、数歳下の数が異常に多いため、
在庫からして非常に有利の状況。その割に?だったが、それでも早いうちから
声がかかっていた? しかし、姉4人の最低ラインがあるため、クリアーする
相手は、なかなか見当たらない。要は、さほど持てなかっただけだが、
27歳になると同時に、塩を引くように、声がかからなくなった。ここが潮時と、
思った矢先、紹介されたのが家内である。家内も同じような動機だった? 
だから、著者の悩みが分かるのである。先行きどうなるか分からない事業を
創業をするといっても、何の手掛かりもない。誰も、結婚相手として認めない
当時の私の状況に似ている? 結婚の時節は、それぞれあり、それを逃すと・・  
生涯独身が男3人に1人、女4人に1人の時代が来つつある厳しい時代である。
特に女性は、相手の選択で大きく人生が変わってくるから・・
・・・・・・
4391、大衆は何も考えない
2013年03月25日(月)
    * 劇場版「相棒の映画感想
 一年前から、平日の16時から刑事モノ「相棒」の再放送をみているが、
物語に捻りと味わいがあって面白い。一昨日、その劇場版をシネマで見てきた。 
 ーまずは、専用サイトの内容よりー
【‘謎のデータ’がネット上にバラ撒かれ、削除された・・。
 直後、燃え残った数十枚の一万円札と死体が発見された現場で、捜査一課刑事
・伊丹とサイバー犯罪対策課専門捜査官・岩月は出会った。死体は東京明和銀行
本店システム部の中山雄吾。ネットに不正アクセスし、機密情報を流していた
疑いでサイバー犯罪対策課にマークされていた。殺人事件として真実を追う
伊丹、不正アクセス容疑を追う岩月。いがみ合いながらも、共に捜査を進めて
いく二人だったが、目に見えない圧力に曝され、捜査は行き詰っていく・・。】  
 ー私の主観で要約するとー
≪ 官僚が銀行閉鎖の「Xデー」を策定・計画していた。が、その内容が
 ネット上に流され、それを知った暴力団関係のトレーダーが、そのXデーを
知ろうとして偶発的に告発者を殺してしまう。しかし官僚たちと政治家と警察
トップが、銀行閉鎖の計画を知られるのを阻止するため捜査妨害する。公然と
マスコミに出てしまえば、その日がXデーになってしまうからだ。 
キプロスで偶然、銀行閉鎖騒ぎがあったこともあり、銀行の取付け騒ぎや
銀行閉鎖計画に現実味が感じられる内容。金融庁などの各省官僚と政治家の
打ち合わせの中の言葉が、辛らつ、かつ真実を含んでいる。
 ・国民は、厳しい現実を示されるより、甘い将来の絵図を求めている。
 ・難しい真実より、簡単な嘘を好む。
 ・現在が、そのまま将来も続くと信じて疑わない。
  現在何が起こっているか知ろうとしない。 等々、
アベノミクスに両手を上げて喜んでいる愚衆を、そのまま言い当てている。
貨幣も国債も信用があってこそ通用する。誰も信用しなくなったら只の紙切れ。
映画とはいえ、現在進行形のアベノミクスを批判している。アベノミクスで
Xデーを早める必要性も確かにある。何れにせよ、一度、焼け野原にしてから
立て直さなければならないならば。それにしても、あまりに国民は無知と
(私を含め)思い知る。少し逸れるが、このオバマの中東訪問で、
「シリアへの攻撃と、イスラエルのイラン核施設攻撃のXデーの相互確認が
あった」という仮説を立て二人の会見をみると、近々に始まると思えたが。
・・・・・・
4017, 事業生活39年の、独り語り ー5
2012年03月25日(日)
 最初に事業として手がけたのは、ジャスコを辞めて、一年間の遊学時に
見つけておいた千葉市郊外の千城台の更地。父は自分の死期を悟り、ビル建設
の助言を通した父の経験則の直伝の日々になっていた。準備に入って10ヶ月後
に父は亡くなった。千城台ビルの完成前5ヶ月前である。「千葉シリーズ」は、
ビル建設の一年半と、 実務の二年間の合計三年六ヶ月取り組んだことになる。 
この三年半も熾烈の日々。(20歳〜40歳までは、常に似たようだったが。)
そのビル内で、居酒屋の養老の滝1122号店と、焼きたてのセンチュリー・
ベーカリーをオープンさせた。恐いもの知らずで、捨て身でよくやった!もの。
ただ無我夢中であった。 その時、実家でトラブル発生。急遽、店舗二店とも
知人の伝手で経営委託をして長岡にUターン。危ない綱渡りである。
人間にはイザというと、自分で決め込んだ能力を遥かに超えた力が湧き出てくる
ことを、この経験から知った。ビル投資5千万に対し一億で売り抜けたが、新潟
のホテル開設資金の資本金になった。千葉の千城台はジャスコ勤務の後に産能大
に通っていた時に確保したもの。 新聞で県の住宅供給公社が造成した団地の
商業地区の売却を目にしたのが始まり。ところで父は、実家の事業に携っている
婿取りの姉夫婦と、実兄と、私の関係を心配をしていた。 そのため亡くなる
数年前に突然、家に呼び出され、会社の株式と、主だった会社名義の土地を、
私と、母と、兄と、姉に、4等分の相続を宣言し、名義を変えてしまった。
これがトラブルのタネ。その時、姉夫婦は呆然自失。父は地方名士志向の姉夫婦
を見限っていた。ところが父の死後、生前贈与以外の父名義の財産を姉夫婦が
都合良く分配していた。その上、間接的に「母親と、兄と、私の会社株式を
自分たちに譲れ!」と迫ってきた。 それ以前に、「父の死後の社長は母親」
という父の遺言書を無視をして、母を説得、義兄が社長になっていた。 
私は「乗取り陰謀」と激しく、それを認めた母親をなじっていた。それもあり、
私が千城台ビルで、二軒目の焼きたてパン屋を開店した直後に、「主だった
従業員を引き連れて出る。それとも・・」と迫ってきた。御家騒動の勃発。 
起こるべきして起こった騒動だが、母と実兄は、二人の豹変に動転し、怒り
心頭だが、私には、想定とおり。 大学を出てからの熾烈な日々が、
「この程度の問題処理など朝飯前!」ぐらいにしか思えなくなっていた。
千葉の知人に相談したら丁度良い人を知っていた。 急遽、その人と経営委託
をして実家に戻ることになった。これも丁度良い、節目。しかし朝飯前と思って
いたが、ここも過酷な日々が待っていた。地方名士を自認していた姉夫婦の
後釜に、馬鹿息子がクーデターを起こして帰ってきたという街の冷たい視線と
流布の中で、私にとっては第二の創業。姉夫婦にとって、手際よくUターン
するとは思ってもいなかったようだ。それより我慢を重ねてきた母の激怒が、
全て。 私もイザという時の見極め(正中心一点無)は、持っていた。


5487,閑話小題 〜人間原理とは

2016年03月24日(木)

   * 人間原理とは何か
 ベルギーのテロが、やはり起こってしまったが、イスラム教は恐ろしい。
というより、イスラム原理主義が恐ろしい。 考えてみれば、アメリカも
キリスト教原理主義国家。旧約聖書によると、この世界が現れたのが7千年前。
それを信じろというのは土台無理。イスラム教徒とキリスト教徒が、アブラハム
のX(エックス)たる神の存在を信じているというから・・ この当り前の
矛盾の指摘を、ただの無神論者として軽く退けられる。そこで、最近よく目に
するのが、『人間原理』たる言葉。この宇宙には、なぜ私たち人間のような
理性的な存在者がいるのか。人間は偶然この世に現れたのか。それとも現れる
べくして現れたのか。人間が存在しない世界は可能だったのかを神抜きで
論じた原理。 〜そこで検索すると〜
≪ 1. 人間の存在は奇跡である
 人間のような理性的存在者が、それどころか原始的な単細胞生物であっても、
宇宙に生まれてきたことは必然ではなかった。もしもビッグバン初期の膨張
速度が実際よりほんの少し速ければ、重元素(水素やヘリウム以外の元素)や
銀河が形成されず、低濃度の水素ガスが希薄になるだけの歴史しか展開し
なかっただろう。逆にもし膨張速度が実際よりほんの少し遅ければ、宇宙は
数分の一秒以内に崩壊しただろう。いずれの場合にも、生命の存在余地はない。
生命を育む宇宙を初期の特異点が作る確率は10の−1230乗と試算されている。
宇宙開闢の段階で、生命誕生はもう既に十分偶然的と言えるが、生命が誕生
する条件が整うためには、これ以外にも多くの偶然が重なっている。
プランク定数、光速度、電子と陽子の質量比などが現在の値と異なっていても
生命は存在しなかったはずだ。またこうした基本的な条件がそろっていても、
もし太陽系の適正な惑星数、太陽と地球の間の適当な距離、地球の程よい重力、
大気の温暖効果、太陽風や紫外線のカットなど様々な偶然のうち一つでも
欠いていたら、地球上に人間は誕生していなかっただろう。
  2. 結果から原因を説明する
このように、宇宙に人間が現れたのは、奇蹟的な偶然である。
この偶然を説明するために科学者が持ち出した仮説が、人間の存在から宇宙を
説明する人間原理である。ビッグバンから人間の存在を導こうとすると、奇蹟
のオンパレードになってしまうが、人間の存在から宇宙の現状を導こうとする
と説明に必然性が出てくる。ただ科学者は原因から結果を説明する因果論的
説明に慣れているので、結果から原因を説明する目的論的説明に反発する
科学者も少なくない。 人間原理には弱い人間原理と強い人間原理がある。
・前者は、「宇宙の年齢は100億年以上である。なぜなら、主として重元素から
できている太陽系や人間が存在するためには、宇宙の開闢当時存在しなかった
重元素が星の内部で合成され、それが星の爆発によって外部に放出され、
そこから太陽系ができるまでに100億年以上かかるからだ」といったもので、
常識の範囲内である。
・強い人間原理はもっと過激である。宇宙の存在は人間のような知的生命の
認識にかかっており、もし宇宙に知的生命がなかったとすると、その宇宙の
存在は認識されないのだから、存在しないも同然であるとまで主張する。
 こうした「我思う、ゆえに宇宙は存在する」という主張は、自然科学者に
とっては奇妙に思えるかもしれないが、哲学者にとってはおなじみの超越論的
観念論である。≫
▼ キリスト教圏、いや一神教圏では、その大元がアッラーの神の名の下、
 解決してくれていたが、現代社会では、それでは納得することは出来ない。
で、現れてきたのが、人間原理である。これは、哲学者にとってはおなじみの
超越論的観念論である。だから哲学は面白い。今だに一神教が支配する世界に
アッラーの絶対神をアナザーワンとして論じるのだから面白くない訳がない。
 で、ユダヤ教の現代版の生活共同体の応用の社会主義が現れ出て、壮大の
実験の結果が、以下の結果。狂信的独裁者にとって、これほど都合の良い
システムはない。 が、一般大衆にとって、それは悪魔でしかなかった。
しかし、大衆は考えない羊でしかないことも確か。だから問題は続いていく。

・・・・・・
5122, 社会主義の実現を信じた狂信者という悪魔 〜3
2015年03月24日(火)
      ―ポル・ポト―ある悪夢の歴史〜フィリップ ショート(著)ー
  * ポル・ポト ―自国民の二割を虐殺した男
 国家権力は絶大だが、空想的社会主義者が持つと、こうなるという事例。
家庭を否定し、産まれると、引き離し、数字を記印し呼んでいた。
虐殺の実行者が、その少年達が担っていたというから恐ろしい。
   〜まずはアマゾンの商品説明より
≪ カンボジアで二十世紀の歴史に汚点を残す大量虐殺がなぜ起きたのか?
 人口700万人のうち150万人が犠牲になった、クメール・ルージュ/カンボジア
共産党首領ポル・ポトの伝記。極度の秘密主義を貫いた彼の生涯は、これまで
闇に包まれていた。しかし本書は、その軌跡を追い、クメール・ルージュ組織、
粛清、権力奪取、大量虐殺、失墜、死までを、綿密な取材とインタビュー、
膨大な資料を駆使して克明に描き出した、「決定版」といえる大著。
 パリ留学から帰国したポル・ポトはクメール・ルージュを組織し、「都市=
ブルジョア思想に毒された場所」「農村=革命の前衛」という図式を掲げて農村
をオルグ、独自の共産主義路線を推し進める。彼は背後に隠れ、血の粛清に
基づく恐怖政治で支配を固め、プノンペン占領を果たす。都市人口の大量移動、
通貨・商業の廃止、家族制度の廃止と共同の食事、強制労働など、極端な空想
社会主義は多大な犠牲者を生むことになる。まさに「悪夢の歴史」だ。
大量虐殺はなぜ起きたのか? 蛮行と悲劇の全貌を暴いた本書は
我々に問いかけるが、それは重く、根深い。≫
▼ ポルポトは空想社会主義を信じ、通貨・商業の廃止、強制労働、家族制度
 の廃止を貫き、反抗する者はすべて拷問・虐殺。国民の4分の1を抹殺した。
両親から引離された子供が、その拷問の執行者。1970年頃から2000年までの
30年の間、カンボジアで起きた権力闘争や虐殺の詳細の多くが書籍で語られ
ているが、その内容たるや、想像を絶している。出世のため、地方の役人が
しでかし、それを見て見ぬふりの毛沢東とは違い、ポルポトは、その具体的
指示を出した確信犯。 ヒトラー、毛沢東、スターリンに匹敵する虐殺が、
10数年前までアジアであった事実は痛ましい。国力の向上には優勝劣敗の弱肉
強食のシステムが必要だが、大多数を占める弱者を如何に守るかが問題になる。
それも文化人を狙いうちにしたのだから、国家として絶望的な所業である。
他にも、中国による、チベット民族120万人の虐殺があるが、何故か世界の
マスコミは誰も語ろうとしない。最後の最後、守ってくれるのは国家だが、
ひとつ権力者の選定を間違うと、こういう事態も有りえるということ!
 で、日本では、世界恐慌へまっしぐらの中、東京オリンピックに向け、
アフォノミクスと、お金を無制限に漆黒の闇に、ばら撒いているのだから!
・・・・・・
4757,閑話小題 ー今場所は、面白かった!
2014年03月24日(月)
  * 今場所は面白かったが
大相撲が再び人気が戻ってきつつあるが、今場所が思わぬ展開で面白い場所。
不調で負け越しの瀬戸際だった琴奨菊が、二人の横綱に勝ったことで、俄然
面白くなった。結果は鶴竜の優勝と、横綱昇進が決まったが、大相撲の醍醐味が
楽しめた。 まだ入門一年の、遠藤が三役力士と互角で闘うのだから、古参力士
のプライドに火がついたこともある。後半まで全勝だった二人の横綱が、
二人の大関に負ける展開は近年、珍しい展開。更に若手に突然、超大物?
二人が現れ出てきた。今場所は、白鵬時代の終わりの始まりの場所。
鶴竜は、その性格の大人しさのため、実力があるにかかわらず、いま一つ
だったが、先々場所の前半に負けこんで、大人しい性格に火がついてしまった。 
これで、モンゴル三横綱の時代が2〜3年は続き、遠藤、豪栄道と、
二人の超大物?の時代に移っていくのだろう。
  * 高校野球も田中の御陰で、面白くなってきた
 田中投手のヤンキースへの破格の契約金で、高校球児に大きな夢を与えた。
「アメリカンドリームを、自分も?」である。まさか田中が、イチロウ以上の
評価の選手になろうとは、驚き! 情報化で誰でも情報が入手可能の時代。
親子鷹で、科学的にノウハウを積み上げれば、異能の投手術を持つ選手に
育成可能である。逆に天才的スポーツ選手は親子鷹でないと難しいのだろう。
そこには当然、科学的な管理がある。冬期オリンピックで活躍した選手は
全て、そうである。あるところまで行くと、国がコーチをつけるのだろうが。
  * 一昨夜半見た夢
 一昨夜半見た夢が、驚き。 あるコンサルタント事務所の一室で、
マネジメント・ゲームの進化した研修を数人がしている。誰かに紹介されて
特別見学をしている自分が、疎外感に陥る。そこで、そのゲームに参加したい
と申し出ると、「ある私立小学校の創業の計画書」と、進化したタブレットPC
を渡される。計画書には、創業参加希望者の名が数名あって、まず、タブレット
で希望者の履歴を調べ、面接をするように、更に、資金計画書の作成も
タブレットでするように申し渡される。それを遂行するには膨大なエネルギー
を要する。しかし、その気力が私には全くないことに気づき、その場で参加を
取りやめる。その隣の部屋には、どこかの新興の社長が、ある事業計画の報告を
自慢げにしている。 ところで、そのタブレットが、面白いのである。
ある居酒屋チェーンの店頭に、タブレット(付属しているカメラ)を向けると、
その情報が自動的に出てくる。(誰が社長で、役員の経歴、財務内容、
コンセプト、店内の様子)が、である。このマシーンを使った事業の創業
ゲームで、ほぼ現実と変わりのないリアルなもの。 何か私の潜在意識の
一部を垣間見た思いである。その担当者の冷たい視線と、あの部屋は、
資本主義社会と私の脳内? あの部屋の中に過っていたのである。
・・・・・・
4390, ブラック・スワン ー3
2013年03月24日(日)
「ブラック・スワン―不確実性とリスクの本質」ナシーム・ニコラス・タレブ著
  * 2023年までに予測されるブラック・スワンは?
 これから10年後の2023年までに予測されるブラック・スワンは、何だろう。
大雑把でいえば世界恐慌と大戦である。今世紀に入って13年だがが、9・11テロ、
リーマンショック、3・11に代表される多くの黒鳥が、舞い降りてきた。 
さらに、その黒鳥の仲間が近くに来ているが、いつ舞い降りるのか分からない。 
地震などの天変地異、経済動乱、戦争が何かのキッカケで突然起ことになる。
しかし、恐れていては何も出来はしなし、あとは備えをするしかない。
ブラック・スワンは、歴史的大事件だけでなく、身辺の出来事にも起こっている。 
人生はマサカという形で、ある日、突然に、我われに襲いかかる。特に断絶の
境目には起きやすい。情報機器の進化は、とどまることなく進化し、情報や知識
は大量に私たちに押し寄せ、それがブラック・スワンを呼び寄せる(天変地異を
除くが)。これだけは、来てみて初めて分かること。1〜2年スパンでは、
イランの核施設へのイスラエル攻撃。それと欧州危機と破綻か、分裂か、朝鮮
戦争の勃発あたりか。地震か富士山噴火も考えられる。「まさか」だから、
こう書いていること以上のことが起こるはず。10年前に、現在まで舞い降りて
きた黒鳥を想像できようはずがない。昨日、シネマで「相棒」劇場版をみてきた。
《殺人事件の背後に、官僚と政治家による銀行閉鎖の「X−day」のネット上
での暴露が隠されていた・・・》というリアルな脚本。数日前にキプロスで
銀行閉鎖があったこともあり、現実味がある切実な問題。明日にでも、ここで
書くが、アベノミクスの批判とも受け取れる内容。意図的にハイパーインフレを
起こし、銀行閉鎖を? ウソでないから、恐ろしい。ある日を境に、黒鳥が
一定の間隔を保ちながら、次々と舞い降りてくる。今世紀に入って現在に
至るまで、舞い降りてきた黒鳥ように。
・・・・・・
4016, 事業生活39年の、独り語り ー4
2012年03月24日(土)
 昭和30年後半辺りから、駅前百貨店と既存商店街が主な流通経路だったが、
新たにスーパーが現れてきた。既存の流通経路では大量生産、大量消費の物流が
対処できなくなったためである。そして書店には「流通革命論」などが、並ぶ
ようになっていた。実家が衣料量販店だったこともあり、それに注目するのは
自然の流れ。 渥美俊一著のシリーズの「チェーンストアへの道」下地にした
「流通革命」を武澤ゼミの卒論のテーマにした。それもあり、就職先が
「ジャスコ」。その一期生と言えば聞こえはいいが、三社合併の先兵として、
合併先の矛盾の先頭に立つのが役割。そして一年で辞職、産能大に編入し、
その一年後に金沢を中心に衣料店チェーンを展開していた「いとはん」
(後にジャスコに吸収合併された)に一年半、勤務した。フィールドでの、
ジャスコ、いとはんは俗にいう修行。 その産能大時代に、三番目の姉の家の
二階に居候させてもらった。 絵に描いたような話だが、その姉が貸家として
千葉市郊外の5万人ほどの新興住宅地の千城台に、貸家を持った直後だった。 
姉、曰く、「ここは、数年で土地の値段が数倍になる。もうじき団地の真ん中の
四つ角が格安で売りに出される。あれは絶対買い得。」 そして、暫くすると
新聞広告に売り出し広告が出ていた。 千葉県土地供給公社が、「大規模団地
を造成し、購入希望者の抽選会を公開で行い、当選者に売却」とあった。 
外れて元々と、申し込みをして、公開抽選会に行ってみた。 そころが5倍と
10倍の競合だった二箇所のうち、5倍だったところが当選したのである。
 そこで実家に帰って父に告げると、にべもなく、ノー。「明らかに数年で二倍
になる権利を捨てることはない。私に買ってくれと いうのでなく、会社名義で
買うべきだ」と三日間、朝から晩まで父に張り付き、イエスの返事をもらった。
もちろん会社名義である。その売却条件が二年半以内の建物の着工。現場での
一年だけの現場経験では、まだ精神的体力が足りないのは自他とも認めるところ。
あと二年の経験が必要と当時、厳しさで知れ渡っていた金沢の「いとはん」
に二年の条件で入ることになった。その後、そこで私が何か事業を立ち上げる
前提があった。 成る程、「いとはん」は聞きしに勝る厳しさ。西友の資本傘下
に入った直後で、社内全体は動揺の渦の中。 金沢は加賀百万石の気風があり、
気位の高さと、どんよりした暗さと、人間味の深さがある独特の空気。 
 男は武士顔、女は京都顔。何ともいえない味がある。外づらは良いが、
内づらはウワサ社会の城下町である。社内は、被占領会社の惨めな空気が
ドップリと浸かっていた。 そして色いろあった一年半後に、実家の姉から
「父が末期ガンで、あと一年!」という知らせが入った。20歳の時に創業
人生を決めてから、この瞬間までが、「創業の準備期間」になった。 
振り返ってみると、激しく厳しい経験だったが、全てが合理的。特に、
産能大の一年は勉学と、千城台の土地購入は人生を大きく変えることになる。
・・・・・・
3650, 精神科医師の幸福論 ー2
2011年03月24日(木)
 * 精神科医師の恋愛論とは?
 ーなるほど、面白い恋愛論である。まずは、その箇所からー
≪ 昔ならば片思い程度で済んでいたものが、スターの追っかけやストーカー
 と派手になってしまうのは、今の「自分」への不満がそれだけ強く、相手を
脱自の手段とすることに躊躇がないからだ。 ・・ 恋愛とは、本来、相手の
幸福を願うことであるから〈お互いが、人生を満足できるように親切をすること
〉と定義すると、ここでも、�−1お互いの人生が満足のゆくようなもので
あるように望み、手助けすることと、�ー2 お互いが人生に満足できる人間に
なることを望み、手助けすることのふたつの領域があることになる。しかし、
恋愛では、先に述べたように、新しい自分になって、見るもをの聞くものが
新鮮になるという脱自が起きなくては、それこそ恋愛という感じにはならない。
つまり�こそが、恋愛の本質的な領域だということになる。それはどういうこと
かというと、�の、プレゼントを贈り合い、おいしい食事を共にし、一緒に
旅行・映画に行き、楽しい会話をする… といったモノ・コト(経験)の数々は、
それだけでは恋愛にならないということで、実際、以前の時代は、相手がこの種
のサービスを提供しようとすると、賢い女性たちは、「あんまり甘やかさないで
下さい」と断ったものだった。次に�の領域はというと、これまたふたつあって、
�ー1 は、一緒にいると、(自分ひとりでいるよりも)のびのびとでき、
リラックスできるというようなこと。ここでは、のんびりと二人で町を歩いて
回ったりすることに象徴されるように、かなりはっきりとした幸福感のような
ものが意識されていて、それは結婚を決意するときの理由に「一緒にいても気を
つかわないですむから」とか「彼といると、寛げるんです」というのが多く
挙げられることからも分かる。それに対して、�−2の領域の、二人が互いに
高めあうというのは、今は、全く人気がない。というのも、人生の課題を
達成して自分を高めるというのが、たとえ恋愛していようが、相手から干渉
されてはならない個人の最も重要な領分だからである。≫
▼ 愛・恋は自我の変容でしかないが、�、�−1、�−2の間で揺れ動く
 ところが恋愛心理なのだろう。年齢によっても変化をする。この視点で、
色々な恋愛をみるにつけ、それぞれの歪みが見えてくる。
その歪みこそ、恋愛の恋愛の所以になる。


5486,人生で最も大切な技術 ー33 聞き、考え、瞑想する

2016年03月23日(水)

   『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ リカール著
   * 聞き、考え、瞑想する
「聞き、考え、瞑想する」の「聞き」を、「読み」に置換えてみると、
この随想日記は、「考え」のプロセスになり、その後、「瞑想」で血肉化する
ことになる。特に、数年前の同月同日のテーマを読返すことは、一度、記憶
から消えていることが多いため、新たな視線が瞑想かわりになる。得た知識、
情報を地頭で考えられるまでには、噛み砕く必要性があり、何度か考え、
かつ、瞑想する役割を果たしてくれる。 
  〜その辺りから〜
≪ どのような分野の見習修行にも共通することだが、精神的な鍛錬に
 おいても、いくつもの段階を経て前進する。最初は師の教えを受け、次に、
その教えを自分のものとして吸収することが必要となる。生まれながらに
知識を備えた子供はいない。そして、体得した知識が、ほとんど開かれる
ことのない美しい装飾本のような無用の長物とならないよう、活用することを
心がけねばならない。教えられた知識の意味を深く考えることも大切である。
 釈迦は弟子たちにこう説いている。「私への尊敬の念だけで、私の教えを
鵜呑みにしてはならない。金の細工師が金を切り、熱し、叩いて調べるように、
私の教えを吟味し、試しなさい」。 師の教えを頭で把握するだけでは不十分。
それは、医者の処方箋を枕元に置きざりにするとか、「治った、治った」と
唱えることが、病気の治癒を意味しないのと同じこと。 学習した知識を、
心を流れる想念に一体化させ、包括的なものとしてまとめる作業が必要。
 こうすることで、頭の中で組み立てられた理論が、具体的な自己変革に
結びつく。これまでにも触れたように、これが瞑想の意味するものである。
 すなわち、これまでとは違う、新しい在り様に慣れ親しむことである。
瞑想を実践することで、親切、忍耐、寛容などのポジティプな特質が自然に
身についてくる。そして瞑想を続けることでは特質は強化されない。
 最初は短時間でもかまわないが、この訓練を規則正しく続けているうちに、
特質が自分のものとして同化し、隅々にまで浸透してゆき、ついには第二の
天性として習慣化するようになる。平常心を体得するための瞑想を続けるのも
いいだろう。それには、例えば、花、感情、アイデア、仏像などの対象を決め、
それに精神集中するという方法も推薦できる。最初は心がぐらつくかもしれ
ないが、訓練するうちに鎮められるようになるだろう。蝶が花から飛び立って
も、またその花に戻るように、精神集中に心を戻せるようになる。
退屈しつつも義務を果たす生徒になる必要はない。
 瞑想の目的は、弾力的で、安定していて、力強く、明晰で、しかも注意を
怠らない心の状態を維持できるようにすることである。瞑想の訓練とは、
勉強を嫌がって駄々をこねる子供を増長させるようなものでなく、心を放置
して台無しにしないで、変革のための有能な道具として鍛え上げることである。
 瞑想の仕上げの段階に到達したら、思考のべールの後ろ側に常に存在する、
純粋な気づきの状態、具体的には、自分が壮大な宇宙に存在するように、
心を完全に解き放った状態にする仕方で、あるいは、心をよぎる思考の本質を
つぶさに見つめる方法で、意識そのものを抽象的で概念的にではなく、直接に
凝視することができるようになる。瞑想方法は多様だが、どれもが内的変革
プロセスの一環という共通の機能を持っている。瞑想は、単に知性が反映
されるものではない。なぜなら瞑想とは、同一の内省的分析、同化の変革努力、
そして同一の熟考であり、それをたゆまず反復する経験である。 ≫ 
▼ 海外旅行での目的地までの列車や、飛行機内で、ひたすら黙想するが、
 これは、一種の瞑想である。行きの機内と列車内は、日常から非日常へ。
帰りは、非日常から日常への心の切替えと、旅行の総括のための沈思黙考
の場。「聞き、考え、瞑想する」ことは、体験を経験にかえるプロセスになる。
ー偶然だが、以下の内容につながる。〜瞑想とは心が魂と一体化した状態。
・・・・・・
5121,「魂」の思想史 ー�
2015年03月23日(月)   
         「魂」の思想史: 近代の異端者とともにー酒井 健(著)
 魂と心について、これまで多くここで取り上げてきた。秘境の大自然で
感じる神秘的感動は、そこに宿る神霊と、自分の魂との邂逅になる。
だから、おい立てられて、行くのである。この邂逅は、心の奥底に蓄積
され熟成され、次の神秘的感動に磁石のように引き付けられていく。
  ーまず、アマゾンのないよう説明よりー
≪ 合理主義と功利主義を基調とする近代。ゴッホ、ニーチェ、ボードレール
から岡本太郎、三島由紀夫まで―、彼らは時代の趨勢に齟齬を覚えつつ、魂の
声に引き寄せられ、思策と表現を行った。曖昧で無限定な概念でありながら、
人々を揺り動かしてきた「魂」とはいったい何か。人間の内部と外部を通わせる
その働きに、著者は現代人が見失ってしまったものを看取する。
近代の異端者を通して生の息吹に触れる異色の思想史。≫
▼ 魂の振動といえば、大自然や芸術作品だけでなく、父親との魂との邂逅
 の経験がある。それ以来、10年あまり、変な感覚がとりつかれていたが・・ 
 今では抜けている。 〜以前書いた内容から〜
≪  霊的体験‐  平成4年 7月
20年近く前になるが、父の死後49日まで何度か不思議な体験をした。
死後一週間位か妙な夢をみた。私自身父の気持が乗移り、“死にたくない。
もっと生きたい、生きたい!”という“念”になった夢である。
夢の“念”は父そのもの。父と一年身で苦しんだ為に“念”が自身に、
実感できた。目覚めた時、父が‘なんだ自分はこうして生きているではないか’
という内的体験。夢よりさめた自分の魂が“父の魂”と一緒になった実感。
これだけは経験した人間ではないとわからない。また死後二〜三日後の夢も
強烈な夢(?)であった。夜半に強烈な恐怖感がおそってきた。その時、
父のベットで寝ていたが、“おやじ助けて!”と思ってしまった。
と同時に廊下を隔てた仏間より強烈な“引力”が足をひっぱった。
その瞬間ベットにしがみついたが、隣に寝ていた母がスクッと立ちあがり
トイレに行った。全身汗びっしょりになっていた。まだまだ不思議な
出来事が多くあった… あれ以来、10数年にわたり、幽体離脱とか、
妙な霊的体験などを多く経験した。 最近は少なくなったが・・ ≫
魂とは何かの解釈もあるが、脳には底知れない何かが刻みこまれている。
そこには地球上に生命が誕生して20億年の経験が記憶されているのだから。
・・・・・・
4756,閑話小題 〜スポーツセンターの景色
2014年03月23日(日)
  * ホリデイ・スポーツセンターの景色
 スポーツセンターに通い始めて3年になる。中学、高校の同級生数名が
来ているが、時間帯が違うため、あまり顔を合わせることはない。色いろな
コースがあって、フルコースが8100円(税抜)、デイコース10〜17時が5500円
(税抜)、他にもペアーコース、夜間コースなどがある。私が通っているのが
デイコースで、金曜日定休と、日・祭日が不可である。 閑散の時間帯が
12時から14時で、13時前〜15時前が私の滞在時間である。デイ会員の時間帯は、
30〜60歳代の中高年の女性が過半数以上を占めている。その他は、リタイアー
の初老から、夜勤の仕事の人、夜間高校生、スナックのママさん風の人。
おお方、群れる人と、ソロの人が分かれ、私はソロ。見知らぬ人との何気ない
世間話が私は苦手。そのため学校関係と仕事関係の知人と挨拶をする程度。
ジムで顔見知りの人とは殆ど挨拶も会話をしないで、自分の決めたコースを
消化して、帰ってくる。それでもスポーツクラブの雰囲気が、明るく開放的で
気に入っている。ここのキャッチコピーが『遊ぶ、楽しむ、フィットネス』 
《身体を動かすことの楽しさ、汗をかく爽快感を求めていて、「楽しく体を
動かしていたら、知らない間に効果が出ていた」というような、初心者や運動が
苦手な人が気軽に楽しめることをコンセプトとした店づくり》とあり、
そのままが雰囲気として現れ出ていて、私にはベストのシステムである。
早朝から、読書、パソコンなど、独りで、決まった日程を淡々とこなして
いる中、人いきれの中でのエアロなどの共同動作が気持ちを和らげる。 
     ー以下はホリデイHPの紹介文ー
【 従来のスポーツクラブはどちらかと言えばアスリートやスポーツ愛好家を
 ターゲットにしてきたが「当スポーツクラブ」は競技力や技術力の向上を
目指すのではなく、運動本来の「楽しさ」を伝え、運動を通じて「健康」に
なってもらうことを第一に考えています。「ホリデイスポーツクラブ」が
目指しているのは、会社員が会社へ行ったり学生が学校へ通うように、
「ホリデイスポーツクラブ」が人々の日常に溶け込み、継続して毎日楽しく
適度に体を動かしていただくことで多くの人々が健康になっていくことです。
『遊ぶ、楽しむ、フィットネス』をキャッチコピーに、まずは体を動かすこと
の楽しさ、汗をかくことの爽快感を多くの方に知っていただき、「楽しく体を
動かしていたら、知らない間に効果が出ていた」と言っていただけるよう、
初心者や運動が苦手な方が気軽に楽しめることをコンセプトとした店づくりに
取り組んでいます。】
 自宅から車で3分のSC内に、月に6千円足らず(20日間として、
一日に3百円)とすると非常に価値がある。
・・・・・
4389, 「うつ」かもしれない ー4
2013年03月23日(土)      
 * 「うつ」による自殺  ー「うつ」かもしれないー 〜磯部潮著
 自殺の八割が精神疾患になっていて、その六割がウツ病。何と自殺者の
半分がウツ病による。自殺は一昨年まで10数年間、3万人を超えているが、
実際は4万と推測される。ということは二万人がウツ病による自殺をして
いる恐ろしい病である。もし原発の被爆で毎日55人が亡くなったとしたら、
外国人の大方は即刻、帰国するはず。それが何故か、ウツ病に対して
騒がない。ガンと同様に初期発見・早期治療をすれば大部分が治るのに、
それには疎い。「ウツ」による自殺を促進する最大の因子は「視野狭窄」。 
絶望感にとりつかれ、「自分は絶対に治らない」「治ったところでどうなる」
という考えにとれわれ、結果として死にたくなる。全ての人に心を閉ざし苦しむ。
前の会社の取引先の営業が高校の後輩もあり懇意にしていた。 ところが、
責任者になって暫くすると重い躁鬱病になった。その過程で、私のところにも
相談に来ていた。「躁鬱は、あくまで病気の一つ、恥ずかしがることはない。               
医者に行って治療すれば回復する。ただし放置したりすると手遅れになる
恐ろしい病」と、再発する都度繰り返し説いていた。そのうちに、会社の
役職を降り、平社員として営業を続けいていたが、最期は癌で亡くなった。
 親戚の人の自死の葬式に参列した時に、誰かが「何で自ら死ななければ
ならないのでしょうね」と囁いたところ、「死ぬほど苦しかったためですよ」
と、誰かが答えたのが印象に残っている。心も治療しないで放置しておけば、
傷口がタダレて苦痛は耐えきれなくなるが、第三者は全く気づかない。
数年前、幼馴染が倒産、離婚、引きこもり、アル中で崩壊していく過程をみた。
最後は娘の住んでいる県外に行ったが、壮絶そのもの。幼児期から、このような
話を聞かされ育てば、万一に備えるのは当然。ウツは、その知識と前向きの心
(言葉)の習慣化が必要である。心は壊れやすく、儚く、繊細。 
だから大事に扱わないと!
・・・・・
4015, 閑話小題
2012年03月23日(金)
   * つれづれに
 変わりばいのない日が続くが、それも良い。 首都圏、特に東京の下町に
住む人たちは、直下型地震で不安だろう。震度7は、観測以来、神戸震災と
中越地震と東北大震災以外に起きたことがない。そのため大都会の直下型の
場合、なすスベがない。引っ越す決断も下せないし、下町の人ほど都会っ子の
軽さも重なって長野、高崎、新潟に住むのは都落ちという惨めさが強い。
 私が東京在住だったら、一年以内の引越しを考える。勤務が東京で仕事上、
難しいなら大宮か熊谷に引越し、そこから通勤する。夜間か土日の直下型地震の
場合は被害を免れるのでリスクが半減する。 家族のリスクが半減する上に、
帰る家が残る。 ところで去年の今頃は、会社の閉鎖を決定、無我無中で整理の
手順に入っていた。同時に東北大震災と、原発事故が進行中で、非常事態の
刺激的な日々。 何ごとも動き始めると、次々とすべき手順が現れ出てくる。 
決断を少し早めると打撃は半分で済むが、少し遅れると二倍になる経験則を
持っていたため、マイナスエネルギーの重圧は4分の一で済んだ。止め時は、
あの三月末しかなかった。 べき時に、べき決断をして本当に良かったが、
奇しくも30周年記念日の前日に会社消滅とは・・・ 
   * ウドンの素
 自宅での昼飯は大方、カレーか冷凍の讃岐ウドンかキシメンかチャーハン。 
冷凍ウドンとキシメンには、私が業務スーパーで買ってくる「ウドンの素」
を使っている。 ところが先日のTVで、このウドンの素が多くの下味に使える
料理の紹介特集をしていた。鍋の下味、味噌汁、生ラーメン、チャーハン、
生卵、卵焼き、炊き込み飯、などが格段に美味しくなるという。ウドンのダシ
といえば、昆布とカツオとの混合。それが素なら、ウドンダシ以外に使えて当然。
何ごとも、その枠を取り払うと、色いろ応用できる事例。家での隠し味は昆布の
出汁を使っているが、それにカツオ節を混ぜれば同じ? 
以前、「ホテル・レストランショー」で、カツオ節を粒状にしたダシ専門
会社が出店していた。 ウドンの素をを納豆にかけてみたら、なるほど美味い。
色いろなフリカケがスーパーに並んでいるが、隠し味の素のネタが、あるはず。
春の高校野球を含めて、サバンナもサバンナ(日常生活)なりに、面白い。
 ・・・・・・
3649, 地震 ーつれづれに ー10
2011年03月23日(水)
  * 日本経済がどうなるのだろうか?
 リーマンショックで死に掛かっていた日本経済は今後どうなるのだろうか? 
  ● まずは聞き及んでいる危なそうな話。
△ 地元のNSGなどの専門学校と、新潟大学などが卒業式と入学式を自粛。
  そのため稼ぎ時の美容室とホテルが大打撃。
△ 優先的に被災地が優先されるため、地元業者への建材の入手が困難になり、
  経営の根幹に関わる問題になっている。物から人へと民主党の政策のため、
  今回のような震災になると重機の絶対量が国内で激減。
   このような事態になると民主党の政策そのものが否定されたことになる。
△ 公務員の期末、期首の移動の歓送迎会が殆ど中止勧告。この時期に、
  当てにしてきた飲食店も大打撃。駅前などの繁華街は閑散としており、
  入店客は皆無の状態。
△ 注文していた商品が入荷したと家電チェーンから電話があったが、
  「節電のため、午後一時からの営業時間」という。学生が上京などで
  家電を揃える時期にである。
△ IT化で出張などが激減している上に、日帰り圏の地方の駅前ホテル
  などが大打撃を受けている上に、これ。厳しさが身に沁みる。
△ 高校野球の特別枠の佐渡高校では応援団を出さないことに決定。
△ この震災は12〜16兆円の直接損失というが、間接損失を含めると、
  その何倍になる。国民総生産はマイナ10数パーセントの可能性がある。
△ 東北・関東の農業、牧畜は雨などの水で汚染され、壊滅状態に。
△ 計画停電は夏まで続く上に、ガソリン不足が経済の足を引っ張る。
  ピークの夏では25パーの電力不足になる。恐ろしい限り。
・・・・・・・・
3284, リーマンブラザーズ、最後の4日間
 2010年03月23日(火)
この三連休は、家で大相撲やプロ野球、そして録りだめていた映画を見てすごス。
その中で「大暴落 サブプライムに潜む罠」の続編 「リーマンブラザーズ 
最後の四日間」を二度みてしまった。実録的なドラマ仕立ての内容だから緊迫感
が満ちていた。多くの本やNHKのドキュメントを見ていたため、引き込まれて
しまったのだろう。ギリギリまで何とか救済されると思っていたリーマンの
重役達の姿がリアルである。
 ーまず「リーマン・ブラザーズ最後の4日間」の解説をWOWOWのHPからー
世界金融危機を象徴する、米国の大手証券会社リーマン・ブラザーズの崩壊。
それまでの舞台裏を、実話に基づいて描いた英国発ドラマ。歴史に残る4日間を
再現した衝撃作。2008年秋に始まった世界金融危機を象徴するリーマン・
ブラザーズの崩壊。それに至るまでの内幕に迫った英国のTVムービーを
《WOWOWプレミア》で日本初放送。 世界金融危機からほぼ1年後の09年9月に
英国BBCで放送されたばかりの最新作だ。 2008年9月12日の金曜日。
NYのタイムズスクエアにあるリーマン・ブラザーズの本社に激震が走る。 
米国第4位の規模を持つ証券会社・投資銀行であった同社だが、前年に発覚した
サブプライムローン問題の影響で、同年6〜8月期の純損失が39億ドルにも達した
と判明したからだ。それから同社が倒産するまでの4日間、同社の経営陣は
合衆国政府などに救済を求めながら何とか社の延命をめざしたが、同社の株価
の急落を止めることはできなかった。 しかしその背後には金融界や米政府を
含む様々な思惑がうごめいていた…。
実話に基づき、歴史に残る数日間をリアルに再現した衝撃の実録ドラマだ。
▼ メルリリンチ社社長とバンク・オブ・アメリカの社長の買収交渉の株式
買取の値段交渉の場面がシビアである。当時の財務長官のポールソンが
アメリカの金融機関の長たちと難局を協議する場面も圧巻。ポールソンが、
リーマンを見放したときの言葉、「何処から倒れるかだ、まずリーマンが
倒れただけだ」が印象的。
・「人は99パーセントが動物で、1パーセントが人間。その一パーセントで
変になってしまう。しかし貴方たちは、その逆と思っていないか?」
(字数の関係でカット2012年03月23日)
 


5485,閑話小題 〜51回の海外ツアーで ー②

2016年03月22日(火)

    * 世界の絵画
 ベルギーのフランドル地方の古都ゲントの大聖堂にある
『フランドルの祭壇画』を、以前にみてきたが、立花隆が、死ぬ前にみて
おきたいと、わざわざみにいった絵画。この絵画はスペイン圏では、非常に
有名で、スペインから毎日、特急が出ているという。教会の定位置には、模写
の絵画飾られていて、特別のコーナーに本物が防弾ガラスの中に、監視の元で
飾られていた。模写のコーナーでは写真撮影はオッケーだが、本物のコーナー
では不可。少女が賛美歌を歌っている表情に、それぞれの内面が出ていてよい。
 ルーベンスの『夜景』と、エル・グレコの『オルガス伯爵の埋葬』、
ダビンチの『モナリザ』、ベラスケスの『ラス・メニーナス』、
ボッチィチェリの『春』、ゴッホの『ひまわり』、ピカソの『ゲルニカ』と、
このファン・エイクの『フランドルの祭壇画』を見れたのだから、これで良し
としなければ。 絵画といえば、スペイン、英国、オランダ、ベルギー、
イタリアである。 一枚の絵画の中に、さまざまな思惑、情報が詰込まれている。
ひとつ『夜景』を取上げると、ここに出てくる人たちは、自分の姿を後世に
残すため、この絵画を特注したという。 〜『夜景』をネット検索すると
《 レンブラントに発注した18人の名は中央右後方の盾に描かれている。
 その他、鼓手、少女、少年などが絵の中には描かれたほか、左側には絵が
切り詰められる前はあと2人ほどの傍観者が描かれていた。この時の支払いや
受注の記録は全く残っていないが、発注者たちの記録によれば各人が
100ギルダー、計1,600ギルダーがレンブラントに払われた。これは当時の
肖像画の報酬としては大きな額である。
 絵画は次の三つの要素のために有名である。
・まずその巨大さ(縦3メートル63センチ、横4メートル37センチ)、
・次に光と影の効果的な使用、
・そして当時は不動の姿勢で描かれた軍隊や自警団の集団肖像画に
 動きの要素を取り入れたことである。
『夜警』はオランダ黄金時代の絶頂期であった1642年に完成した。
この絵は題名となった(火縄銃手組合による)市民自警団)が出動する瞬間
を描いている。・・一斉に人々が動き始めたため、その下では犬が吠えたて、
左には少年が走り回っている。各隊員はそれぞれ異なった方向に体を向け、
多様な表情を見せて、隊員の動きが交錯して画面に興奮を生み出している。
いずれも体の一部分しか画面に映されておらず、全身が描かれているのは
3人のみ。》とある。 絵画を描かれる背景の意味などを知るか知らないかで、
捉え方が全く違ってくる。芸術とは、そういうことである。

・・・・・・
5120,「魂」の思想史 ー①
2015年03月22日(日)    
       〜「魂」の思想史: 近代の異端者とともにー酒井 健(著)
   * 「魂」とは何か
「魂」の思想史などと、難しい問題を勇敢に取上げたものと恐れ入る。
それもゴッホ、ニーチェ、ボードレールの魂についてなら、面白いはず。
 その‘まえがき’の魂の解釈が、明快で、解りやすい。  
≪  〜魂、その捉えがたさ、その恐ろしき魅力〜
 もやもやとした何か、そのたましいとは何なのでしょうか。
「人の生命のもとになる、もやもやとしていて決まった形のないもの。
 人が死ぬと、肉体から離れて天にのぼると考えられていた」 が、
 辞書にある説明です(『新漢和大辞典』)。
漢字で「魂」と書きますが、同じ辞書によれば、左側の偏「云」が
「雲、もやもや」を表し、右側の「鬼」は「おぼろげな形をして、
 この世にあらわれる亡霊」となります。似たような言葉に霊があります。
漢字の成り立ちから意味をさぐると、上部の「雨」と「一」の文字が
「連なった清らかな水たま」、下部がそれに接する清らかな(巫)を表し、
合わせて転じてできた意味が「水たまのように冷たく清らかな神の力や
たましい」となります。魂の雲、霊の雨水は、単なる比喩ではありません。
これら漢字の文化を成り立たせ支えてきた人々は、雲や雨水に霊魂を感じて
いたのです。人間の内部だけではなく、外部の自然界にも魂や霊を感じて
いたのです。 この感じ方は、西洋の宗教用語でアニミズムにあたります。
生物だけでなく、石や水などの無生物にも生命、霊魂を認め、その特別な
表出に神聖なものを感じとっていく立場です。洋の東西を問わず、宗教の
基層になりました。 注目したいのは、このアニミズムという言葉の語源、
ラテン語のアニマです。このアニマのもともとの意味は、そよ吹く風の息吹
であり、そこから大気、人間の吐く息、生命、そして魂という意味が生まれた。
魂という言葉はここでも自然界とつながりを持っていたわけです。仏語
で、魂を意味する言葉、アームの語源はこのアニマです。英語で魂はソウル
ですが、この語源はどうやら、ドイツ語の魂ゼーレと同じく、古ゲルマン語
の湖あるいは海を意味するサイウィズにあるらしいのです。人間の魂は湖
あるいは海から生まれ、肉体の死後そこへ帰っていくという古いゲルマン人
の伝承に端を発しているようです。もやもやとした雲、数限りない雨滴が
どこからともなく吹き寄せる風の流れ、大きな水の広がり。・・ ≫
▼ 42年前に、父親が亡くなって数日、父親の魂が、私の魂に入ったような
 体験をした。以前書いた内容は次回で再び取上げるが、不思議な経験である。
これだけは、実際に体験しないと分からないこと。 人の心は複雑怪奇で
奥行は深い。池田昌子の著書に、『魂とは』を図書館から借りてきて読み
始めたが、これが面白い。5年ほど前に『魂』をキーワードに、本人の
著書を元に、再編集したもの。  ー宿命は魂にありー 池田昌子

・・・・・・
4755,そんなに長生きしたいですか ー7
2014年03月22日(土)
    『日本人の死に時 そんなに長生きしたいですか』久坂部 羊著
  * 早いーうまいー安いー
 現状の終末医療の現状を知れば知るほど、恐ろしくなる。以下の内容が現実。
《 ある医療講演会で、こんな話を聞きました。「早い!うまい!安い!」
 という看板のスライドを見せて、これはある牛丼屋の宣伝文句ですが、
うしろに「治療」という言葉をつけると、そのまま病院のキャッチフレーズに
なるというのです。たしかに、早い治療、うまい(上手い)治療、安い治療は
患者にとって最良のもの。講演者はさらに続けて言いました。
「『治療』の代わりに、「死」という言葉をつければ、今度は理想の末期医療
になります」早い死、うまい死、安い死というわけです。なるほど、うまいこと
を言うなと、私は感心しました。・・ その発想だけでは現実は立ち行かない。
患者はほとんど見込みがなくても治療を求める、医師は治療すればするだけ
儲かる、この状況では、医療費が膨大になって当然。そろそろ冷静になって、
現実をしっかり受け止め、無駄な延命治療から死を支える医療に転換すべき
ではないでしょうか。 死を支える医療は、よけいな治療をしません。
医療費が安くなれば、患者側も自己負担が少なくてすむし、国民の医療費も
削減されます。これで困るのは、無駄な治療で収入を得ている医師だけでしょう。
早い死というのは、患者を見捨てることでありません。苦しむ時間を短くする
という意味です。病気や老いと闘いながら、精いっぱい生きてきた人も、死が
近づくとどうしても衰弱します。食事や排泄などが自力でできなくなり、これ
以上生きることの意味が見出せなくなってしまいます。それを理想主義的な
励ましで無理にがんばらせたり、延命治療で長引かせるのは残酷なことです。
死は自然の成行きですから、どこまでも抵抗するのは不毛です。極論かも
しれませんが、死が避けられない状態になってから、少しでも長くとあがくのは、
手遅れだと私は思います。そうなる前に時間は十分あったはずです。・・・ 》
▼「終末期医療費が全老人医療費の2割を占める!とか、国民一人が一生に
 使う医療費の半分が、死の直前の二ヶ月に使われる!」という報告がある。
だから、医療側からすると、可能な限り生かしておいて方が良いことになる。
生かしておいて拷問の苦しみを与え、その治療費を膨大に絞るとる末恐ろしい
現実が、そこにある。末期ガンは、どのみち助からない。だったら死をサポート
する医療があるべきである。これでは入院前に、青酸カリか、致死量の睡眠薬を
準備をしておくべきと、考えてしまう。そう簡単には、死ねないのである。 
良くも悪しくも死ぬまでは生きている。死ぬのは挫折でも、何でもない。
目出度いことなに、何で延命をするか、それが利益のためなら、
犯罪的システムではないか。
・・・・・・
4388, 「うつ」かもしれない ー3
2013年03月22日(金)           
* ウツの治療 ー「うつ」かもしれないー死に至る病とどう闘うか〜磯部潮著
 ウツ症とウツ病の境は、日常生活に支障をきたすかどうか、軽症か重症かは、
「死にたくなる度合い」がが目安という。逆にいえば、それだけ苦しいのである。 
身近にも自死した人が何人かいる。共通しているのは、真面目で、几帳面、感情
は表に出さず、周りの人を思いやる心優しさがある。また、考えに弾力性がなく、
自分一人に固まっている。 こういう人が暴発すると秋葉原の無差別殺人のよう
になる。私がウツ病に何で興味があるかというと、人間の原点が、見え隠れする
かである。人生は生易しくはない。要は難題への対処である。息をつくところが
ないと、ストレスが蓄積していく。ウツの治療には、「薬事療法」と「認知療法」
がある。薬事療法は、医者と相談して症状にあった薬をみつけ最小を前提に治療
すること。それに対し認知療法は、ウツの人の持つマイナス思考、悲観的考え方
を修正するスキルをいう。私は昔から、その類の本を身近において常に手に
取ってきた。その一つに中村天風の一連の「積極一貫」の哲学の本がある。
これは本当によい。 ウツによる歪みが固定化されると、「視野狭窄」に陥り、
自殺の危険性が出てくる。だから普段より予防剤として、少し気持ちが落ち
込んだとき手にする習慣をつけておくとよい。この本にある、
「「5つのコラム」も心のコントロールによい。
1枚の紙に5つのコラム(欄)を作って、何か問題が起きたときの状況や
自分の考えを書き留めていく方法で、頭であれこれ考えるよりも、冷静に
客観的に検討することができる。5つのコラムのうち、(状況、感情、自動思考)
の3つは、自分の「認知のゆがみ」をはっきりとさせるのに役立つ。
あと2つのコラム(別の見方・考え方と最終的な心の変化)を合わせて
書いていくことで、「認知のゆがみ」を直すに役立つ。
 第1コラム 状況(気持ちが落ち込んだり、不安になったときの出来事)
 第2コラム 感情(不安、怒り、悲しみなど))
 第3コラム 自動思考(不快な感情を経験するときに心に浮かんだ考え)
 第4コラム 自動思考とは別の見方・考え方
 第5コラム 最終的な感情と考え(心の変化)
ここで詳細を省くが、ネット検索で「5つのコラム」で調べると、事例が
数多く出てくる。 著者は、日常生活での日々の習慣づけは大変なので、
第三と、第四だけを頭に思い浮かべるシュミレーションを薦めている。
書いるうちに自分の思考の癖が見えてくるだけでも効果がある。
心は荒馬のようなもの、時間と愛情をかけて乗りこなしていくしかない。
 ・・・・・・
4014, 事業生活39年の、独り語り ー3
2012年03月22日(木)
  * 武澤ゼミ (20歳の頃 ーある教授との出会いー3)
 高度成長の真っ只中、創業人生が面白そうと20歳の時に思い立ち、色いろ
の教授に触発された。その最大の恩師が、人事管理の武澤教授である。
その後も、ゼミOB会に2〜3年に一度は参加していた。10年前に亡くなられた。
【 1024, 22歳の日記−2   ー武澤ゼミについて
 何度か書いた事があるが、ゼミについて考えてみる。この時期は、武澤ゼミと
寮とクラスメイトなどの過去4年間の友人が、ほとんどを占めていた。その中で
武澤教授の影響が大きいことが、当時の日記からうかがい知ることができる。
ゼミでは、一週間前に社内トラブルの事例(ケース・スタディー)の用紙を
渡される。その間に対処を考えて、全員で徹底的に議論をする。 
その後、その事例研究のベストの答えの用紙を見せられる。そこで私たちの
出した結論と、その差異について更に議論をする。また二班に分かれて、
それぞれが議論した結果を持ち寄り、互いに議論する。その結果、知っている
限界の知識と体験をもとにした、それぞれの地言葉(赤裸々)の議論になる。 
教授は要所要所以外はほとんど話さないで議論の推移を聞いている。
考えるヒントを与え、議論を通して「考えること」を促す。そして
「考えることは如何いうことか」と、一歩踏み込んでいく。そこに各自の
知識不足を自ら気づく仕組みになっている。当時の日記を写して気づいたが、
ソクラテスの「対話法」の真理追究を、そこで体験させていたようだ。 
素朴に深い疑問を常にもって、社会や世界を見る目を持たせるのが目的。
対話の訓練が友人に受けたのだろう、卒業まじかに多くの友人が私に集中
してきた。誰もが卒業という節目で迷っていたからである。武澤ゼミで学んだ
ことは、社会に出て、事業の組立てなどに非常に役に立った。冷静な事実の
把握と、仮説の積み上げと崩しの、繰り返しの中で計画の練り上げをして
いくのと酷似していた。要は地頭で考える訓練であった。 】
▼ 振り返ってみて、事業人生で学生時代の3人の教授と、コンサルタントの
 渥美俊一に大きな影響を受けていた。渥美コンサルタントは、カリスマ的
流通革命の指導的立場にいた。 学生時代に、鈴木教授に「意志」の自覚。
野田教授に「統合(経営)」。武澤教授に「分析(冷静)」を学んだ。
独り総括をしていると、「私の人生は結局は何だったのだろう?」という、
基本的な問いが、立ち上がっては消える。人生など何の意味(価値)もない
こと位は分かっていても・・哲学を学生時代に、より深く追求しておくべき
だった。それもこれも還暦過ぎれば、それがどうした!でしかないとしても。
・・・・・・
3648, 地震 ―つれづれに  ー9
2011年03月22日(火)
  * 日本経済はガタガタ
 TVで、新宿・歌舞伎町、新橋駅界隈、秋葉原、渋谷などの先週末の繁華街や
箱根などのリゾート地の客の激減の様子を放映していた。魚河岸では7割も普段
よりお客が激減しているという。 街は節電で、真っ暗で、放射能が漂っている
かもしれない中、外食も買い物もする気にもなれない。先週の長岡駅と新潟駅中
専門店の店内には、お客の姿は皆無なほど見られない。朝から晩までTVで、
100年、1000年来の大震災の惨状や、原発の放射能漏れが報じられていれば、
買い物や外食をすること自体、後ろめたい気持ちになる。これが短期的現象で
すめばよいが、そうはいかないだろう。3月11日から日本は全く違う時代に入った。
比較的東北から離れている関西以南は、関東に比べて落ち着いているが、これも
時間の問題。損害は12兆円というが、原発事故への不安心理が景気にもたらす
影響はあまりに大きい。 昨夜、自宅近くのイタ飯屋のサエゼリアには避難民
のグループで満席であった。 着の身着のままの服装が痛々しい。
  * 想定外の歴史的惨事に、あまり責任を追及しないがよい!
 この地震は想定外の歴史的大震災。原発がたまたま巻き込まれ本州全体が
壊滅する可能性もある。政府対応が悪いとか流布されているが、それより被害を
最小に収めることが最優先にされるべき。その中で民主党が野党に協力を求めた
にも関わらず拒否をした。彼らは今だ、この惨事に対する認識が薄い証拠である。
現在の日本の稚拙な実態が、そのまま現れ出てしまったと言えよう。 
ここは災害大連合内閣で望むべきで、これで自民党は最期の命綱を自ら切り
落としてしまった。数日内に自民党バッシングの嵐になる可能性がある。
民主も酷いのは分かるが・・・ 
 ーー
3283, 人みな骨になるならば −3
2010年03月22日(月)
 人生、60歳を過ぎて、そろそろと考えていた矢先に、この百年か五百年に
一度の大恐慌である。「最後のレッスンを神が与え給ってくれたのか」と気を
取り直し取り組んでいるが、それでも弱気になると、
「自分の人生とは果たして何だったのだろうか」という原点的な問いかけが出る。
 一応、人生の課題は無難に? 解いてきたつもりだったが・・。
丁度、良いタイミングにー「人生の課題」という幻想ーという言葉が飛んできた。  
  著者は私と同じ年齢で、9年前にガンで亡くなっている。 私の中・高校の
同級生が、この10年間で何人も亡くなっている。その彼等の天国からの代弁
とイメージをして読むと、なかなか味わい深い内容として聞こえる。
 死者の視線で見れば、人生の課題も何もかもが幻想でしかないのである。
それが虚無ということ。
  * 「人生の課題」という幻想 ーの項目の一部を抜粋
「時々、宇宙における自分たちの位置を思い出してみることで、我われを
幻惑する我われ自身の分泌物たる通念を相対化してみるのは、どうであろうか。 
『人生の課題』というのは一つの幻想である。事業といっても世間に流通して
いる貨幣や評判を集めているだけである。国事に奔走するといっても、特定の
サル集団と利害を共にしているだけのこと。マイホームの夢は巣作りでしかない。
 有名になることは多くの人に個体識別されるという意味である。もちろん、
そうした目標は馬の眼の前にぶら下げる人参ほどの効果はあるだろう。
馬が走るには、何らかの動機が必要で、少なくとも何かから逃げるといった
走り方より、何かを目指した走り方が元気が出る。人参を追っている馬は、
虎から逃げている馬より、幸せだろう。何よりも重宝するのは、このような
鳥瞰的な視点を得ることは、われわれが『人生の課題』達成に敗れたり疲れた
時にそれを天空から鳥瞰して、それほど大したことがないと達観することを
容易とする。どれもこれも宇宙の一大事にはほど遠い。われわれが失恋したり、
事業に失敗して大騒ぎをすることも、宇宙から俯瞰すれば似たようなレベル
でしかない」(p116) ー幻想としても、目先の課題をキーワードに
解決すること、それが「骨になる間」のお勉めでは?と、思うのだが。
 それも、これも、「衣食たって礼節を知る」が、あってこそ
云えるのではないか。これも、幻想か?


5484、地球以外に生命は存在するか

2016年03月21日(月)

              〜「立花隆の書棚」より〜
  * ハビタブルゾーン ー宇宙の生命の存在可能なゾーン
「今までは、地球以外に生命が存在しているか?だったが、今では地球
こそが生命の辺境』という説すら出ているという。今までは存在したとしても、
出会うにあまりにも可能性が低い、というもの。 最近のアメリカでは、
多く存在しているという説が浮び上がりつつあるとか。 〜P263〜
≪ 生命が存在するためには、まず水が必要であることは間違いない。
水がないところには、基本的に生命は存在しえないのだから、水が液体として
存在している必要がある。水はうんと冷たければ固体に、うんと熱ければ気体に
なってしまいます。そうなると太陽系の場合は、太陽からの距離で、液体水の
有無が自ずと決まると同時に、生命の有無も決まってきます。太陽系の惑星の
うち、水星と金星は太陽に近く熱過ぎて生命は存在できない。一方、地球や火星
よりさらに遠い木星・土星以降の惑星になると、今度は、水は凍ってしまう。
ですから、水が液体の状態で存在し生命が存在しうるのは、地球と火星だけだと
一般的には考、えられています。それはほとんど正しい。けれども、必ずしも
それだけだと言い切れないのは、実は木星や土星のようにサイズが大きい惑星の
場合には、その内部構造を考えなくてはいけないからです。つまり、表面は
凍っていても、中は液体という状態もありうるわけです。おまけに木星と土星
にはそれぞれ、地球で言えば月にあたる、その周りを回っている衛星があります。
そのいくつかの地中には、水が液体で存在しているものがあるのです。
その一つが木星の衛星エウロパであり、その二つ目が土星の衛星ラケラドスで、
その二つの衛星についてもう少し詳細な調査を行えたなら、宇宙で地球以外生命
が存在しているという証拠が見つかる可能性がある。これが一つの可能性です。
もう一つの可能性としては、太陽系の外に生命がいるというものです。この宇宙
には太陽系の太陽に相当する恒星は、それこそ無数に存在しています。夜空を
見上げたときに星として見えるものは、あれは全部恒星、すなわち太陽と同じ。
だとしたら、夜空の星の周りには太陽系と同じように、それぞれ惑星がいくつか
広がっているということになります。
その無数の惑星の中には、ハビタブルゾーンと呼ばれる、要するに生命が生命
として存在可能なゾーン、言い換えれば、水が液体で存在できるゾーンに入って
いるものがあることが予想できます。実際に、そのハビタブルゾーン内に入って
いる惑星がいくつあるのかについて、かつては単にコンセプトとして検討する
ことしかできませんでしたが、最近では観測することが可能となりつつあります。
具体的に言うと、数年前からケプラーという人工衛星が上がっています。
ケプラーは、太陽系の外にある恒星の惑星系の中に、ハビタブルゾーソが
どれだけ存在するのかを調ぺるために作られたアメリカの人工衛星です。≫
 ▼ 観測天文学の飛躍的進化で、これまで、想像すらできなかった
  宇宙のことが知られるようになった。 地球のような惑星の存在が、
 無数存在する可能性がいわれているという。10の500乗の他宇宙の存在の
 可能性には驚いてしまった。そうこう考えると、この現実の中で、ああだ、
 こうだと、日常の現象に右往左往している自分が馬鹿馬鹿しくもある。

・・・・・・
5119,がんばれ〜!の絶叫 
2015年03月21日(土)

    * 風に立つライオン 
 映画の冒頭の場面が、アフリカの大地を少年たちが横一列に手を組み
歩いていく。そして、暫くして地雷の爆発がする。子供を使った地雷探し。
ケニアの病院研究所から国境近くの病院に派遣された医師は、そこが
実質、野戦病院であることを知る。そこは戦闘で腕や足を切断したり、
縫い合せる治療が中心の中で、主人公が、日の出の中、大地に向かって、
「がんばれ〜!」と何度も絶叫する。しかし終盤、極限の日々の中で、
自身に向けた絶叫と告白する。 見終わった後、内容が重いため、面白い
とか、ストレス解消より、何も考えられなかった。しかし、夜半、映画の
様々なことが、思い出されてきた。最後は、殺された後、行方不明になる。
 さだまさしが、この話を知り、感動して書いた原作『風に立つライオン』
を映画化。 そのまま題名の曲名にした歌がある。 〜内容説明から
≪1987年、日本人医師・航一郎(大沢たかお)は、大学病院からケニアの研究
施設に派遣される。アフリカ医療に生涯を捧げたシュバイツァーの自伝に感銘
を受け医師を志した航一郎にとって、それは願ってもいないチャンスだった。
しかし、それは恋人との長い別れも意味していた。父の跡を継ぎ、女医として
離島医療に従事する貴子(真木よう子)を遠く日本に残さなければならなかった。
理想を胸に研究と臨床の充実した日々を送っていた航一郎は半年後、現地の
赤十字病院から1か月の派遣要請を受ける。物見遊山のつもりで赴いた彼は、
重傷を負って次々運ばれてくる少年が、みな麻薬を注射され戦場に立たされた
少年兵である事実に愕然としながらも、この病院への転籍を志願する。
過酷な状況ながらも生き生きと働く航一郎は、医療団からの信頼も厚かった。
一方、同病院に看護師として派遣されてきた和歌子(石原さとみ)は、確かな
スキルと手際の良さで、航一郎と時折ぶつかりあいながら互に認め合っていく。
そして、心に傷を抱えた少年たちを「オッケー、ダイジョブ」と温く包み込む
航一郎は、いつしか少年たちの良き友であり、師となっていた。
そんなある日、病院に少年兵・ンドゥングが担ぎ込まれる。 彼は銃傷よりも、
両親を目の前で惨殺され、麻薬でかき消された心の傷が甚大だった
 ― 航一郎は、そんな彼の心の闇に真正面から向かっていくのだが…≫
▼ 20代30歳代の頃、もう極限!という場面で、左手を充電池に、右手を
 手動のトッテに見立て回転をし自らに充電する仕草をしていた。もう一つ、
自分をボールにイメージをし、初めは小さく、徐々に、大きくバウンドさせる
イメージ。本能的行為だったが、不思議なことに、極限ほど、気力も体力も、
湧き出る。そうこう考えると、極限の彼が絶叫をしないでいられない気持ちが
現れ出ている。 重いが、心に残る内容。 エンディングの歌が良い!
・・・・・・
4754,そんなに長生きしたいですか ー6
2014年03月21日(金)
       『日本人の死に時 そんなに長生きしたいですか』久坂部羊著
   * 「表の安楽死」「裏の安楽死」
 ガン末期の殆どは安楽死だが、当然、裏と表が存在する。ーその辺りからー
《 安楽死は、患者を死に至らせるというショッキングな行為である。
 方法としては、人工呼吸器はずし、塩化カリウムの注射のほか、筋弛緩剤や
インシュリンの致死量投与などがあります。いずれも患者には強い苦痛は
ありませんが、おどろおどろしい印象は拭えません。このように必ず死に
至らしめる方法を使う安楽死を、私は「表の安楽死」と呼びたいと思います。
それに対して、「裏の安楽死」は、必ず死に直結するわけではないけれど、
ほぼそれに近い行為を指す。「積極的」「消極的」という呼び方もありますが、
「表」「裏」のほうが実態に近いと思います。「裏」の安楽死は、当然のこと
ながら「表」よりはるか以前から行われていました。方法は、大量の鎮静剤の
投与や、強心剤の中止、透析や血漿交換や人工呼吸の見送り、栄養の漸減など。
誤解のないように書き添えますが、もちろん必要もないのに大量の鎮静剤を
投与するわけではありません。耐えがたい苦しみを見かねて投与するのです。
苦痛が激しいと、通常量では眠らないので必然的に大量に使われる。
そのとき、家族には副作用で死ぬかもしれないとは必ずしも説明しません。
自分たちが、安楽死を選択したという意識を与えないためです。・・ 》
▼ ここで一人の女性の安楽死をさせるかどうかギリギリの、ケースが
 書かれている。安楽死を懇願され、迷ったが留まった。その結果、一時的に
良くなったが、その後、さらなる苦痛の挙句、亡くなった。懇願されたときに
死なせてやればよかったか、一時的にでも回復したことで良しとするか・・  
普段は医者の口から語られない患者の悲惨な苦痛が、あまりに生々しい。
死ぬ時は、多かれ少なかれ悶絶をして亡くなっていくことは分かっているが・・ 
身近な人の臨終に何度か立会ったが、最後は、家族の了解の中で、医師が呼吸
装置を外し、息を止めている。時どき、積極的安楽死を槍玉にあげた問題が
生じるが、拷問のような苦痛の中で、安楽死をさせるのは当然である。
自分の死を考えると、牛丼屋のように、「早く、うまく(上手)、安く」
あげて欲しい!のは誰しも同じことになる。
・・・・・
4387, 暴走老人!
2013年03月21日(木)
               「暴走老人! 」藤原 智美 (著)
「暴走青年、暴走中年?」のように生きてきたので、今さら暴走老人でもない。
しかしツアーで関西系は言いたい放題が多い。特に大阪のオバチャンより
オジサンが図々しいが、最近は関西系老人が目立っている。歳を重ね歯止めが
きかなくなったのだろう。数ヶ月前に近所を徘徊している痴呆?老人に、
傍につかれ怒鳴られ続けられ、殴りかかれそうになった。最近2〜3度、
顔を見たことがあった老人。何か怒りの先をみつけ、毒を叩きつけているよう
だった。 駅前派出所に届け出たが、怒鳴りでは事件にならないという。
激変する時代から放置された人生に怒り(毒)が蓄積しているようだった。
新潟駅前周辺の地元老人に、こういう人たちを多く見かけた。他人事ではない。
酒を飲んだ自分に時々、彼らの影をみてしまう。ーアマゾンの内容よりー
【待てない、我慢できない、止まらない「新」老人は、若者よりもキレやすい。
現代社会に大量に生み出される孤独な老人たち。その「暴走」の底に隠されて
いるものとは? 老人たちの抱えた、かつてない生きづらさを浮き彫りにする。】
 ーレビューよりー
≪ 小説家の著者は、私と同様、日常生活でたまたま見かけたこれら
「暴走する老人」たちの姿をきっかけにして、現代の激変する「時間」感覚、
「空間」感覚、そして今やマニュアル化した「感情」に老人が暴走する理由を
探るが、あくまでも「暴走老人」は手がかりであり、本質ではない。著者は、
暴走行為は激変する環境に乗り遅れた、あるいは読み違えて「孤立」した
人間の反動的行動と指摘。つまり、断絶的な世代間ギャップが問題ではなく、
暴走はあらゆる世代に共通する連続的な現象となりうるのである。
感覚がまちまちな孤立した個人間の感覚の衝突は、さながらホッブズのいう
「万人の万人に対する闘争」状態である。しかも、個人を律するはずの常識や
規範さえも、日々更新され続けており、今後も加速度的に拡大していくに違い
ない。急激な情報化社会が逆説的に孤立を生み、闘争(=暴走)状況を作り出し、
それももはや止めようがないというのであれば、私は生きていくために今後
どうすればいいのか、途方にくれてしまう。 ≫
▼ 老化は、肉体面では自覚できる。しかし精神面での弛みも出るのである。
 決して孔子の教えのようにはならない。「・・、40にして迷わず。50で
天命をしる。60で耳に順う。70にして心の欲する所に従って、のりをこえず」
ところが、これが真逆になる。「40にして迷い、50でも天命など遥か彼方。
60で自分の人生を悔い。70歳にして呆然自失で暴走化する」これが、最近
みられる老人である。高度成長期の良き時代に生きてきた世代が、低成長の暗い
時代に、老人の枠に入れられ情報機器を使いこなせず、取り残され、直ぐに
切れてしまい暴走を始めたのである。あの歪んだ老人と、理想的な老人像とは、
あまりに懸け離れている。この時代は40〜50年の変化は、昔の4〜5百年
  の変化に等しい。その変化に取り残され、一人彷徨い切れる。
そういう私も似たりよったり。粗大ゴミの成れの果てか。
 ・・・・・・
4013, 事業生活39年の、独り語り ー2
2012年03月21日(水)
  * 野田一夫教授のこと(20歳の頃ーある教授との出会いー2)
 それまでの、寮とクラブが中心だった付き合いが、この頃から微妙に変化
していった。専門課程の三年になると卒業後が見えてくる。そこでドラッガー
を日本に紹介した野田一夫教授の「経営学」を選択した。その授業に驚いた。
≪ 2002/02/28 20歳の頃ーある教授との出会い−2(随想日記より)
 経済・経営系の人なら、この人の名を知っているはずだ。ドラッガーの訳者。 
忘れられない授業があった。確か3年の時の6月の初旬あたりである。 講座は
「経営学」である。 その時の感激を今でも憶えている。学生時代の自分の中で
色々な内面のビッグバンがあった。 その中で「Aクラスのショック」であった。
ーその内容とはー【 諸君、同じ人間として生まれたからに、せっかくこうして
学んで人の上に立とうというなら、ロマンローランの「ベートーベンの生涯」
をぜひ読んでみなさい!ベートーベンは音楽家でありながら、難聴になった。
音楽家にとっての難聴は致命的。それを乗り越え、その心を作曲したのが
「運命」である。この本の中の彼の手紙に「絶望を突き抜け歓喜に!」
「良くかつ高貴に行動する人間は、その事実に拠ってだけでも、不幸に
耐ええることができる!」という言葉がある。不幸のどん底の中の意志の言葉
だから素晴らしいのだ。この本を買って繰り返し読みたまえ!これから諸君は
何らかの形で指導者になる人間だ。 素晴らしい本を読みたまえ。
勉強をもっともっとしたまえ。何処でも席を座るならこそこそ隅に座るな!
真ん中に座りなさい。】 大体がこんな内容であった。
 この時から何かが変わったように思えた。野田一夫教授は当時、ドラッガーの
訳者として高度成長期の売れっ子教授で、今でいうタレント教授的なところが
あった。自信と個性の塊のような人で、人をある方向に駆り立てるカリスマが
あった。その後立教を辞めた。多摩大学の創立総長として、何度かTVで
お目にかかった。更に宮城大学も同様に創立に関わり総長をされていた。
ドラッガーが愛読書になったのも野田教授のお陰である。 ≫
▼ この授業の直後、30日の欧州一周旅行に出発をした。そのカルチャー
 ショックは、あまりに大きな衝撃であった。21年間の小さな固定観念が
根こそぎ壊された。欧州文化と文明に直に触れ、また夜は連日、飲み歩き。
毎日、見るもの聞くものが、面白く、驚愕の連続。 この時期に、黄色人種の
日本人である自分を逆照射はベストだった。自分は、世界の広さも、深さも、
実は殆ど知らなかったことを、知ったということ。しかし、求めれば、知識も、
経験も、富も、自分の努力で得ることが出来ることに目覚めた。
その準備期間が学生時代ということに気づいた旅行になった。
・・・・・・
3647, 自己の探究 ー2
2011年03月21日(月)
    「 自己の探究 ―自己とつきあうということ 」和田 渡 (著)
 第二章の「関係としての自己」で、ソクラテスと自己の問題をあげている。
   * 汝自身を知れ  ー P28 ー
人間は無知であり、無知であることに対しても無知なのである。それゆえ
ソクラテスが強調したのは、何よりもおのれの無知に気づき、すこしでも
無知でない状態へと自己を導くことであった。そのためにこそ、自己は配慮
されなければならない。 無知な状態を脱して、真の知を得るためには、
よく生きる努力、自己の魂への配慮を欠いてはならない。そうしたソクラテス
の信念は、『ソクラテスの弁明』のなかのアテーナイ人への呼びかけに明らか。 
世にもすぐれた人よ、君はアテーナイという、知力においても、武力においても、
最も評判の高い偉大な国都の人でありながら、ただ金銭を、できるだけ多く
自分のものにしたいというようなことにだけ気をつかっていて、恥ずかしくは
ないのか。評判や地位のことは気にしても、思慮や真実は気にかけず、精神を
できるだけすぐれたものにするということにも、気もつかわず、心配もして
いないというのは。 金銭欲や名誉欲といった誰もがとらわれやすいものから、
真実をめざして精神を配慮する方向への転換を説くソクラテスは、当時嫌味な
老人として嘲笑と反発を買ったかもしれないが、自己に向かう態度を頑固な
までに強調する。彼は、自己が金銭や他人の思惑などにひっぱられやすいもの
であると考えた。


5483,閑話小題 〜51回の海外ツアーで

2016年03月20日(日)

    * 海外ツアーのテーマの棚卸
 51回の海外ツアーに参加してきたが、その行蔵は何ものにも代え難い財産。
知れば知るほど、世界は広く深いことが解る。10回目辺りから秘境・異郷ツアー
に重心移動をしたが、10年ほど前からは欧州中心になっている。リタイアー後、
諸事情で家内の鞄持ち?のカタチだが、何はともあれ、行けるだけで充分。
「行けるうちに、行けるところに、行っていて良かった」と実感する。
・大陸別では、アメリカ大陸、オーストラリア大陸、ユーラシア大陸、インド
 大陸、アフリカ大陸があるが、万遍なく行くのと、一つに絞り込む選択がある。
・他に、テーマを、文明、文化、山脈、滝、氷河、平原、クルーズ、お祭り、
 有名ホテル巡りなどのテーマを決めて周る人がいる。 〜テーマとして・・
☆ まずは文化。 ツアーの過半数以上は、何処かの首都を経由地として一泊。
 そこには、名だたる美術館や・博物館のコースが組み込まれていて、その国の
名画や工芸品、遺跡などで発掘された国宝クラスの古美術品が展示されている。
それらを、み続けているうちに、門前の小僧、その魅力に取込まれてしまった。 
上野界隈の美術館で、その数点の展示で長蛇の列になる名画などが、数多く
展示されて、間近で見られるのが良い。 文化の一つに、各地の料理がある。
それぞれ各地の特色ある味が、そのまま染み出ていて実に美味しい。と同時に、
日本料理の美味しさに改めて気づくことになる。 文化といえば、お祭り。
北スペインのパンプローナの牛追い祭りと、リオのカーニバルの熱狂がよい。
☆ 次に文明。古代の遺跡の7割がエジプトのナイル流域にあるというが、
 これには圧倒される。他にアフリカ、中東の遺跡郡、中南米の遺跡群もよい。
圧倒的なのが、古代エジプトと、ポンペイと、シリアの遺跡群。そこには数百年、
数千の時空を超えた当時の人たちの息づかいが聞こえてくるようである。
石文明は、それが、そのまま残している。
☆ 何といっても大自然の景観! アフリカ、インド、北米、南米、北欧、
 アルプス連峰、ヒマラヤ連峰などの大自然の景観も圧倒的である。そこは、
文化・文明の数千年の時間とは違う、数万、数百万、数億単位の時間がある。
 行蔵とは、よくいったもの。 以下は12年前のテーマだから、51回と
すると、3年分、行ってないことになる。 世界的パンデミック騒ぎとか、
5年前の節目時などの件で、行けなかったが、それより、年齢からくる気力、
体力、金力?などの衰え。外側(辺境)から、内側(欧米圏)になっているが、
これはこれで、面白い! ライフワークとしての世界観光も、限界点になって
きたが、移動が動くホテルのクルーズ・ツアーがある。しかし年金暮らしには
チトきつい。「生きているうち、元気なうち」と思って、はや、20年、いや
25年になる。なら、あと5年を貫き通せば満点のライフワークになるが。

・・・・・
2004/11/19
ーー地域別分類ーー
『アメリカ大陸』

ー中南米
「18」ブラジル(リオのカーニバル・イグアスの滝)    −1995・02  
「22」ペルー・(マチュピチ・チチカカ湖)         ー1996・06  
「23」べネゼイラ・(ギアナ高地)            ー1997・08
「34」メキシコ                     ー2001.01
「39」パタゴニア                    ー2002・12

ー北米
「2」アメリカ・商業界                  ー1976・07
「7」カナダ・ナイアガラの旅 ー個人           ー1987・08
「8」アメリカ西海岸SC・ペガサス            ー1987・06
「11」アメリカ・ペガサス(ボストン・アトランタ)     −1989・04 
「13」カナダ・ロッキーの旅 ー会社           −1990・05
「40」アラスカ                     ー2003・07

ーーーーー
『欧州』
ーーーーー
「1」欧州30日一周                    ー1967・07
「10」スペイン・イタリア・パリ・ヘルシンキの旅     ー1989・12
「14」スペイン1周の旅 
   (アンダルシア・アルハンブラ宮殿・闘牛)       ー1991・08 
「16」ドイツ・パリ(ライン川下り・ロマンチック街道)  ー1993・12
「25」北スペイン パンプローナ              ー1998・07 
「30」ノルウエー・トロムソ               ー1999・12 
「35」北欧ーロシア-スカンジナビァ            ー2001・06
「38」スイス                      ー2002・07
「41」アイスランド                   ー2003・10
「42」オーストリア                   ー2004・08


ーーーーーーーーー
『アフリカ・中近東』
ーーーーーーーーー

ーアフリカ
「17」ケニヤ(ナクル湖・マサイマラ・アンボセリ )     ー1994・06
「20] 南アフリカ(ビクトリアの滝・チョベ国立公園・喜望峰)ー1995・10 
「21」エジプト・トルコ(カルナック神殿・ ピラミット)   −1996・02  
「24」タンザニア(ウンゴロウンゴロ・セレゲッテイ高原)  ー1997・12  
「29」ケニア・ヌー                        ・08 
「33]モッロコ                      ー2000.11 
「37」西アフリカーコート−ジボアール
    ・ガーナ・ベナン・トーゴ              ー2002・03
ー中近東
                   
「31」シリア・ヨルダン・レバノン             ー2000・04 
「28」イスラエル                    ー1999・04 

ーーーーーーーーー
『アジア・オセアニア』
ーーーーーーーーー
ーアジア
「6」香港の旅                      ー1986・10  
「9」中国(北京・けいりん・上海)            ー1988.09  
「12」香港クルージング                 ー1990・07 
「26」北インド                     ー1998・10 
「27」ネパール                     ー1998・02
「32」パキスタン・中国                 ー2000・06 
「36」ベトナム                     ー2001・11

ーオセアニア
「3」ハワイの旅                     ー1978・08 
「4」ハワイの旅                     ー1980・08 
「5」ハワイの旅                     ー1983・08
「15」フィジー(コマ島・ )              ー1992・11  
「19」ニュージーランド(クウィーンズタウン・
  バンジージャンップ・ミルフォードサウンド)      −1995・05  


・・・・・・
・・・・・・

2004/11/01
海外旅行ー履歴

「42」オーストリア                    2004・08
「41」アイスランド                   ー2003・10
「40」アラスカ                      2003・07
「39」パタゴニア                    ー2002・12
「38」スイス                       2002・07

「37」西アフリカーコート−ジボアール
     ・ガーナ・ベナン・トーゴ              2002・03
「36」ベトナム                     ー2001・11
「35」北欧ーロシア-スカンジナビァ             2001・06
「34」メキシコ                      2001.01
「33]モッロコ                      ー2000.11 
「32」パキスタン・中国                   2000・06  
「31」シリア・ヨルダン・レバノン              2000・04  
「30」ノルウエー                    ー1999・12 
「29」ケニア・ヌー                        ・08 
「28」イスラエル                         ・04 
「27」ネパール                          ・02
「26」北インド                    ー1998・10   
「25」 北スペイン                        ・07  
「24」タンザニア(ウンゴロウンゴロ・セレゲッテイ高原)ー1997・12  
「23」 べネゼイラ・(ギアナ高地)                ・08
「22」 ペルー・(マチュピチ・チチカカ湖)       ー1996・06   
「21」エジプト・トルコ(カルナック神殿・ ピラミット)      ・02   
「20] 南アフリカ(ビクトリアの滝・チョベ国立公園・喜望峰)ー1995・10  
「19」ニュージイランド
  (クウィーンズタウン・ バンジージャンップ・ミルフォードサウン)                                                        ・05  
「18」ブラジル(リオのカーニバル・イグアスの滝)        ・
「17」ケニヤ(ナクル湖・マサイマラ・アンボセリ )     ー1994・06 
「16」ドイツ・パリ(ライン川下り・ロマンチック街道)  ー1993・12 
「15」フィジー(コマ島・ )              ー1992・11
「14」スペイン1周の旅 
   (アンダルシア・アルハンブラ宮殿・闘牛)      ー1991・08  
「13」カナダ・ロッキーの旅                  ・05
「12」香港クルージング                 ー1990・07 
「11」アメリカ・ペガサス(ボストン・アトランタ)        ・04     
「10」スペイン・イタリア・パリ・ヘルシンキの旅    ー1989・12   
「9」 中国(北京・けいりん・上海)          ー1988.09   
「8」アメリカ西海岸SC・ペガサス                ・06
「7」カナダ・ナイアガラの旅              ー1987・08    
「6」香港の旅                      ー1986・10          
「5」ハワイの旅                     ー1983・08
「4」ハワイの旅                     ー1980・08 
「3」ハワイの旅                     ー1978・08  
「2」アメリカ・商業界                  ー1976・07
「1」欧州30日一周                    ー1967・07
   * つれづれに、哲学
 10数年前から、哲学に興味を持ち、初心者用の本を、読んできたことも
あってか、少しずつ、現象を自分の脳で考えることが出来るようになってきた。
意外と、人は考えてないことが解るようになってきた。 それと、考えない
ことは罪であり、その罪で、自分が罰しられていることに気づいてない。
まずは認識だが。対象に主観が従うのではなく、主観が対象を従わせることが
自覚できない。小さな脳の主観の妄想が世界と信じきっている自覚がない。

2004/10/31
1307, 一冊のアルバム

地震に明け暮れているので、話題を変えてみる。

事務所の移動で、秘境ツアーなどのアルバムを整理していたら、
未使用の小さなアルバムが出たきた。
一面一枚の20枚しか貼れないが、台紙のあるチャンとしたアルバムである。
買っておいて忘れたのだろう。
そこで、「さてどう使おうか?」と考えてみた。その結論として、
「過去の旅行のベスト20枚」を貼り付けることにした。
そして、それが良かった。何度みても飽きない。
私にとって、どんなものより素晴らしい宝物である。
「これは!」という写真は、一回の旅行に数枚はある。
それを更に、20枚に集約したのだ。開けば、それだけでハイになる。

アルバムはそうそう開いて見ない。いちいちアルバムを開くのが
面倒だからだ。それなら数千枚の写真を、二十枚に纏めればよいのだ。
そして、常にカバンに入れておくことにした。
詩も、言葉の中に全てを集約して残すのだから、
究極の凝縮のカタチである。
母が多くの道楽の末に行きついたのが「詩」であった。

事業にしても、
お金にしても、
不動産にしても、
写真にしても、
古道具にしても、
後継者にしても、
残るのは、生きてきた実感としての
「真実としての言葉」と
「写真」
「信頼」そして
「子供」だけである。

話しが大きく逸れてしまったが、貼ってある順に紹介してみる。
・パキスタンの桃源郷といわれているフンザ近郊の小高い崖の上で
 一人で、足を開いて片手を上げているショット
・パキスタンのカラコルム・ハイウエーのがけ崩れの落石の中、
 現地人に手を引かれ走り抜けているショット
・機上から、天山山脈を撮ったショット
・タンザニアの大晦日の現地運転手の特別招待のパーテーで、
 多くの運転手たちと0時を過ぎた瞬間の写真

・フィンランドの登山列車で、トンネルの合間のビューポイントの滝で、
 一時停車をして写真を撮っていた。ところが、急に音楽が鳴り出して
 遠くの滝の岩間で赤いドレスの女が踊りだしたショット
 (列車のお客に見せる為のショー)

・スイスの山頂の氷河に着いたが、霧で視界はゼロだった。
 その時、霧が急に風で飛ばされ、氷河が自らの姿を現した。
 家内と二人、感動で呆然として氷河の美しさに見とれていた。
 ー帰国後、同行の人が、そのショットを上から撮っていて
 くれていて、送ってくれた一枚
・スイス・マッターホルンでの凧揚げのショットと、マッターホルン
・モロッコ・マラケシュの「ジャマ・エル・フナ広場」の夕景
・モロッコのサバクで撮った、朝日が写しでした「私たちの砂上の影絵」
 幻想的な極上の写真
・ヨルダンのぺトラの前でのショット
・シナイ山の山上でのショット
・フィジーでパラ・セーリング(モーターボートでパラシュートを
 引っ張り空を飛ぶ)で、空から撮った写真と、地上からそのショット
 を撮った写真
・リオのカーニバル
・北スペインのパンプローナの牛追い祭り。
 最終日のファイナル・ギャザリングで、大衆が踊り歌っているショット
・ギアナ高地でボートからテーブル・マウンテンを写したショット。
 それと機上から撮ったテーブル・マウンテン
・メキシコのテオティワカン遺跡の「月のピラミット」の頂上のショット
・パルミラ(シリア)列柱通り
・ケニアのヌーの河渡りを見たあとの帰り道、夕陽と雲の織りなす夕景
・ワニとシマウマの死闘のあと、最後にシマウマが陸に逃げ切った瞬間
 のショット(私の人生の最高の一枚である)
・ネパールのカトマンズ近郊の山から、ヒマラヤ山脈を望む
・イスラエルのマサダの砦の山頂からのショット。 ユダヤ人
 1000人が自害した時の闘いの生々しさが、今も残っている
・そして、最後はブラジルのイグアスの滝をヘリから撮ったショット
以上だが、恐らく死ぬ時、この一冊を抱きしめているだろう。

・・・・・・
2004/09/27
1273, 2000年前のポンペイ

先日、TVで「ポンペイ」を特集をしていた。
十数年前にイタリアに旅行した時に立ち寄った、ポンペイの街の記憶と
TVの内容が重なって、非常に興味を持ってみることができた。
ーまずはポンペイの概略を書いてみる

ナポリの南東にあるヴェスヴィオス山のふもとの町。
古代ローマ時代には貴族たちの別荘地として発展し、
パクス・ロマーナ期の繁栄ぶりはめざましいものがあった。
当時の人口は2万。公共施設が次々と建てられ、建物の構えは
ローマにひけをとらないほどだった。

悲劇は、AC79年8月24日にやってきた。
ヴェスヴィオス山が突然、大爆発を起こしたのである。
大地は鳴動して山頂は吹っ飛び、火口がぽっかり口をあけた。
きのこ雲は天に達し、くもった空の下に、三日三晩、火山灰と
火山弾が降り注ぎ、泥流は火口をあふれ出し、町を襲った。
ポンペイの町にも大量の石や灰が積もり、噴火の翌日までにその灰
の深さは5〜7mにも達した。屋根の損壊や有毒ガスによる窒息に
よる犠牲者の数は人口の1割にあたる2000人と考えられている。

そこには火砕流でタイムカプセルのように、当時の生活が残されていた。
遺体を覆った火砕流の岩石の空洞に、石膏を入れて型どった生々しい
遺体の像が幾つかあった。お金を握った者や、妊婦や、奴隷、子供、
犬など様々だ。街を歩いていて驚いたのは、タイムカプセルでドロップ
アウトしたようになるほど、リアルに当時の生活が残っていたことだ。
残っていた住宅の壁画などから見て、「性」に対して非常に大らかで
あったようだ。女中部屋には、自?用の男性の??が壁につき出ていた。

幅10mの道路の両側には、焼きたてのパン屋、居酒屋、売春宿などが
通りに並んでいる。売春の値段まで残っていた。今でいうと、コーヒー
一杯分位だった。道路には轍の後がくっきりとあるし、十字路には歩道。
下水道や、公衆水飲み場もあり、街の中央には広い集会場もあった。

今回のTVの特集で、全く知らないかった事実が多くあった。
街の殆どの人が、一瞬で亡くなったと思っていたが、発見された
遺体は1000でしかなかった。15000〜20000人の人口と推測されるから、
遺体の半分は発見されなかったとみても、9割の人が逃げ延びたのだ。
爆発から、この街に灰などが押し寄せるのに19時間の時間があった。
逃げられなかった理由が遺体の様子から、それぞれ想像できた。

ポンペイとヴェスヴィオス火山の反対側にエルポラーノの遺跡がある。
この遺跡は、18世紀にある農夫が井戸を掘っていて発見したというが、
その近くの港で、300人の人骨が発見されたという。その様子から
エルポラーノの市民が、そこに逃げてきて救助を待っていて、
亡くなってしまったと推測される。

遺跡も多く見てきたが、それぞれが当時の生活や、深い因縁を秘めている。
しかし、衣服や住宅や街の様子が、火山でそのままリアルに封印されて
残っているのは、この遺跡だけである。
そこより、うかがい知れるのは「変らぬ人間の営み」である。
世界は広く、そして深い!
・・・・・・
2004/09/21
1267, 書いてなかった旅行記ー2
カナダ旅行紀ー2
(字数制限のためカット 2016年3月20日)


5482,人生で最も大切な技術 ー32 幸福も苦しみも超えて

2016年03月19日(土)

       『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ リカール著
   * 幸福も苦しみも超えて
 悟りの心境とは、これほどのことか。「幸福も苦しみも、それからみたら、
相対的な真理でしかない」とは。悠然とした大自然と接し、我を忘れる感動の
一瞬を何度か経験してみたが、その心境そのままである。しかし、これは修行
の叡智から出てきた心境とは違う。  〜なかなかの内容である〜

≪ 絶対的真理という観点から見れば、幸福も苦しみも現実に存在しない。
 幸福も苦しみも相対的な真理でしかなく、それらは、混乱した心によって
知覚されるに過ぎない。物事の本質を理解している人は、何もかもが純金で
できた島に寄港する船長にたとえられる。船長は、ただの石ころを探そうと
しても、金以外何も存在しないことに気づくのである。チベットの渡り鳥と
呼ばれた隠遁者シャブカルは、悟りと慈悲の心を次のように詠んでいる
 ―――

リラックスして、自由解放状態でくつろぎ
壮大な空中王国に到達した
そこは無条件絶対の国
すべてを見通せ、静謐そのものの
壮大な空として、そのままにされるとき
毒を含み、苦痛を伴う心の拘束が
ひとりでに緩んでいく

どこまでも透明な空のような
この国に留まるとき
言葉も思考も表現も越えた歓喜を味わう

一切を包み込む空よりもさらに壮大な
叡智の目で見つめていると
輪廻転生と解脱の現象が
なかなか愉しい見世物になってくる
見事なその連続の中にいるときは
骨を折ることなしに
森羅万象は生起する
まったく安楽に自然に
完全な満足の中で

すべての感覚あるものは自分の母と知る
心の奥深くに潜む母の恩が思い起こされる
空しい言葉ではなく
今、利他の心をもって行為する 

―――
▼ 絶対的真理に到達した悟りと慈悲の心境が、そのまま言葉に現れ
 出ている言葉である。 感動、感動の心境に似ているが、それ以上の
叡智というと・・ 利他の心をもった行為が、人間の到達地点ということか。

・・・・・・
5116.社会主義の実現を信じた狂信者という悪魔 〜2
2015年03月18日(水)
  * 迫害されたウクライナ人
スターリンという悪魔 ーウクライナ人のジェノサイド「ホロドモール」。
  〜ネットによると、
≪ 1928年から1932年にかけ、ウクライナの農民が入れられたのは、
コルホーズではなく巨大な監獄のようなもの。村にいながら軍隊に包囲され、
飢えるままにされた。たとえ村から逃げ出せても都市に入ることはできない。
都市も軍隊に包囲されていた。その飢饉は、過ってロシアが経験したことが
ないほど厳しいもの。およそ一年半の間に人口の五分一の500〜700万人が
飢えて死に、人々の一部は、死んだ家族の肉を食べてかろうじて生き延びた。
 その迫害は、コサック撲滅政策という側面があった。当時のソビエトは、
コサックを迫害していた。コサックは、もともとウクライナ人の農奴から発生
した人々の集団。 当時のウクライナではユダヤ系の資産家が地主となり、
ウクライナ人の農奴が耕すという状態が続いていたため、ユダヤとウクライナ
の顕著な対立がありました。1932年12月27日、国内パスポート制が導入され、
農民達は農奴さながらに村や集団農場に縛り付けられた。ウクライナの国境
は封鎖され、自由な出入りは許されなくなった。遂に人々は病死した馬や
人間の死体を掘り起こして食べるに至り、その結果多数の人間が病死し、
赤ん坊を食べた事さえあった。通りは死体が転がり、所々に山積みされ、
死臭が漂っていた。≫
▼ スターリンがウクライナを計画的に絶滅させようとした酷いものだが、
 近年、ロシアはウクライナのクリミア半島を併合をした。その歴史を知ら
ない訳がない鳩山元首相が、クリミアに尻尾を振って行くとは言語道断!
北朝鮮、中国、ロシアという隣国が、ジェノサイドの過去を持っている中で、
海に囲まれ、平和ボケをした日本は、この現実を知ってか知らずか内向き。
グローバル化では、閉鎖的体質はマイナスにはたらく。アメリカ大統領の
トルーマンによる、東京大空襲と、広島、長崎の原爆投下も、一般市民の
大虐殺だが、何故か誰も声高に言わない、いや言えない? 軍事的にも、
経済的にも、日本はアメリカの統治下にある既成の事実に慣化されている。
・・・・・・
4751,そんなに長生きしたいですか ー4
2014年03月18日(火)
      『日本人の死に時 そんなに長生きしたいですか』久坂部羊著
   * 老後に安住の地があるか? 
《 この結論は「ない!」である。グループホームも、「認知症介護の切り札」
 として、マスコミで好意的に紹介されているが、現場は凄惨。グループホーム
は施設基準が緩いので、質のばらつきが大きくて住宅・不動産業界からの参入も
多く、専門性に疑問も生じる。職員は経験者が条件だが、無資格で働けるため、
最低賃金に近く、過酷な介護を担わせられたら、やめるか、手を抜くか、暴発
するか、いずれにしても、かなり危険な状況が多い。有料老人ホームの実態も、
ふれ込みはパラダイスだが、実態は大いに疑問のところが多い。介護企業の施設
も、本当に良いサービスをすれば評判が良くなり、顧客も増えるが、経営が
不安定になると、その理念など、簡単に捨てられる。公的な福祉は営利でない
ので、ある程度は信頼できるが、人手が足りなかったり、順番待ちが長かったり、
効率、工夫の点で、企業に劣っている。その点、企業の方が良いが、何か釈然と
しないものが残っている。・・徘徊の激しいおばあさんが、脳梗塞で寝たきりに
なったとき、世話をしていたお嫁さんがやつれた顔で「これで楽になります・・」
医師として不謹慎かもしれませんが、私は心から「よかったね」と思いました。》
▼ 老後の不安で大きいのが、終の住まい、生活がある。老いるほど、そこは
 決して安住の地ではなく、いずれも、非常に危険で、厳しい状況のようだ。
それも、薬漬けで脳をやられた廃人として、ただ生きているだけとしたら・・ 
 私たちは、その恐怖と不安のため、僅かな年金を節約して預金をする。
しかし、お金の余裕が有る無しに関わらず、「安住の地は無い」のである。
それなら、元気のうちが花。その日、その日を目いっぱい生きるしかない。
そう割り切ったら、妄想など当てにしないで、そのままを受け入れるしかない。
出来ることの一つが、死の知識の予習。もう一つは、般若心経の暗記か、
その読経の習慣である。色即是空、空即是色と諦念を心に植え付けることだ。
 安住の地は、心の奥底にしかない、ということ。 家は浄土真宗だから
南無阿弥陀仏の読経もあるが。安住の地など、考えてみたら、あるわけない。
誰もいない海の真っ只中で、安住の島を求めて彷徨っている漂流者の心持ちで
しかない!で、偶然だが、去年と2010年の同月同日の、以下の内容に続く! 
・・・・・・
4384, 背筋が寒くなる「一生時計」
2013年03月18日(月)
  * あと2時間しか残されていない?
 野口悠紀雄の「クラウド「超」仕事法」(講談社)を読んでいると、
その中に恐怖の「一生時計」というコラムが載っていた。アナログの時計で
一生を表すもので、1周が80歳になっている(日本人男性の30歳時における
平均余命が50歳であることを考慮して、80歳としている)とすると
40歳で時計上の6時の数字を針が指すことになる。著者の年齢からしては
10時半を過ぎている。それまでの経歴と歴史的事件が時計時間に振り分け、
人生を鳥瞰することが出来る。著者は、あと1時間半しかない。
その針が一刻一刻進むのを見ると背筋が寒くなるはず。これを応用した
一年時計も作れる。歴史的事件における自分の立場や、残り時間を鳥瞰する
にはアナログ時計を図示すればよい。 それからすると私の人生時間は
午後の8時過ぎ。あと4時間になる。
 これ商品化されている。買うかどうか迷っている。不摂生もあり、二時間
あるかどうか。それも不意に止まる可能性が充分ある。この年齢になると残存
時間も当てにならないのは周囲をみれば分かる。父は71歳で亡くなった。
一生時計では9時。あと一時間しかない。一番上の姉が12年前に現在の
私の年齢で亡くなった。時刻は8時である。 事業も二年前に清算したし、
やり残したことは殆どないが、せっかく与えられた時間を味わなければ。
あと一時間も5時間も永遠の時計からしたら、一瞬。この一生時計を机の前に
置いて刻々と過ぎていく時を眺めるのも一興か。目を背けて、まだまだ高を
くくっている。50から還暦まで残された人生分を圧縮して生きた分、
焦りは少ない。父の口癖、「死んでしまえば、それまでよ!」が実感。
 実際に同じ年代の人の4人に1人が既に亡くなっている。どの人をみても、
良い死に方には思えない。これが人生である。下記の2010年03月18日に、
「人みな骨になるならば」頼藤和寛著について偶然、書いてあった。
重ね合わせて読むと、連動する。
・・・・・・・
4010,デジタル化の波間で
2012年03月18日(日)
  * 愛蔵書120冊を電子化
 蔵書70冊を業者に送り電子化した書籍がメールで送付されてきた。
それをダウンロードし、iPadに入れた。去年の暮れに50冊を電子化して
いたので、合計120冊をiPadに入力し終えた。これでiPadに120冊
の本と、2000曲の音楽が入力された。 外出先でiPad立ち上げれば、
そこが「自分の居場所」になる。かって読んだ書籍が瞬時に読めるのと、
目次の上覧のページ検索に見たいページの数字を入れると瞬時出てくることと、
 電子シオリを気楽に挟めるのがよい。 上覧のシオリの部分を押しておくと
次回に、そのページが出てくる。分類ごとに本棚が作れ、並べ替えも気楽に
できるうえ、本棚の移動も気楽にできる。これでは、数年で紙から電子ブック化
の流れは大きくなり、紙出版は半減するはず。
パソコンも、ノート型からタブレットへ流れは大きく変化する。
  * 朝日新聞デジタル版
 電子新聞は、新聞社のブログがあるので必要はないのでは?と躊躇したが、
半年とってから決めようと、とりあえず入ってみた。朝日新聞の場合、新聞を
とっていると、プラス千円でよいが二つ必要かどうか?だが、今のところ、
その価値は認める。紙面の場合、その日が過ぎると二度と目にすることはないが、
これだと、過去一週間分が、直ぐに読めるところが良い。それと、当日の記事
内容で、気になった部分を再び読み返し、コピーできるところが便利である。
これは電子書籍にもいえる。デジタル化は、映画、TV、書籍、新聞などを
根こそぎ変えている。それがグローバル化を促進し、時代を激しく変動させる。
  ・・・・・・・
3644, 地震 ―つれづれに  ー7
2011年03月18日(金)
 ここまできたら、今更だが、原発事故の順序が一号機、三号機、二号機、
四号機、次に、6号機の順番である。ジクザグに一つおきに重ならないように
火災が発生している奇妙さである。 すべてが手遅れのため、隣り合わせの
爆発を避けるため一つおきにガス抜きをさせているとみると整合する。
メルトダウンを始めた原子炉は最後まで行き着く(暴発)しかないと
実しやかに言われている。Jリーグのサッカーの欧州出身監督は殆ど帰った。
欧州はチェルノブイリ原発事故の情報を持っているので、その恐ろしさを
知っているため。それが現在進行形で最悪に向けてカウントダウンに入った?
 その最悪とは何?だろうか考えると。ますは本州が全滅の上に、地球上に
大量の放射能をバラマクことである。 少なくとも原発??キロ以内は、
立ち入り禁止地区になり、当分は国内の米・野菜が一切、食べられなくなる? 
雨水も飲めなくなるとすると?それが広島の数千倍?の放射能を放出であれば? 
それを誰も口には出せないのが現状。評論家は、その最悪の想定値の場合、
広島や、チェルノブイリ事故と比較して語らない。もし語ったらパニックに
なるからだ。フランスとアメリカが、特別便の飛行機で自国民の救済に向かった
という・・ 日本を壊滅させるほどの大被害をもたらすものとしたら? 
まずは一番の被害者は、今回の津波の被災者になる。 至上最大の原発事故が
目前に迫っている現在、大津波と、いま正に東北・関東地区に襲うとする原発
事故が重なっているところが、不思議である。新潟も福島から200キロの
ところに位置して、安全といえない場所である。 しかし、今回の政府は
首都圏の三千万の住民に万一に備える警告をしていない。むしろ、逆の情報を
流している。何故、国家非常事態宣言をしないのか! 万一に備え逃避の準備
を呼びかけないのか!この程度の人物が何ゆえ首相なのか!今日から明日が、
一番危ないと思われる。とはいえ、何処に逃げればよいのか? 200キロも
500キロも同じと放射線の専門家医師が言っている中で、ジタバタしても
同じということか。それにしても、日本人は暢気である。自分もだが・・
たまたま去年の今日、虚無主義の論が書いてあった。
人みな骨になるのだから、今更がたがたすることもないか!
 ・・・・・・・・
3279, 人みな骨になるならば −1
2010年03月18日(木)
         「人みな骨になるならば」 頼藤和寛 著
 なかなか面白い人生論である。 副題がー虚無から始める人生論ーである。
初めから終わりまで、「人はみな骨になるならば」の虚無の思想が、どの言葉の
後ろにピッタリと付いている。といって、読んでいて気分が悪くならないのは、
本人の持っている温もりのためか。この本を書き終わった数年でガンが発見され
亡くなった。そのプロセスを書きのこした本
「わたし、ガンです ある精神科医の耐病記」も出されている。
「斯う居るも 皆骸骨ぞ 夕涼み」(一茶)の句が、この本のテーマである。
そして次から次へと繰り返される虚無思想。
・「誰しも認めたがらないことではあるが、おそらくわれわれ
 一人一人の人生が一種の無駄である。」とか。
・「我々には何十年という時間が与えられてしまっている。・・どうあがいて
 みたっって、逃れられない人生という檻のなかに?我々は産み落とされて
 しまったからには、檻の仕組みや外側がいかようであれ、にもかかわらず、
 その檻の中で 一舞いしてみせる?しかないではないか」
・「人生に、意味なんて無い。けど、何かに意味を見出さないと人は生きて
 いけない。だから、自ら意味を作る。それはまるで、無神論者が祈る神の
 ようなものだ」とか。宇宙人?の視線である。
   ーここで「エゴ・トリップ」という幻想を紹介している。
【「わたしが生きようが死のうが大したことは、といった現実は非常に
 不愉快な現実である。たぶん宇宙から見れば、一匹のゴキブリや一本の松が
生きたり死んだりするのと大して変わりない。この現実から逃れるため人間は
実にさまざまのことをしてきた。われわれの自我は、その酷薄な現実に堪え
られないようだ。それに堪えるために人間は自分の意味を膨らませるために、
自分を誇大視するか、あるいは自分が属する何かを大層なものにするか、
に心をくだいた。・・自分の存在を「なにものでもない。」という実態から、
「なにものか」であるような幻想へと昇格させようという営みの全てを
エゴ・トリップという。 自分を膨張させようとする、あえない試みである。
 これは子供の背伸びから、青年の客気、男女の虚栄や見栄、年寄りのあがき
に至るまで、およそ人間の煩悩や業の全てに浸透している動機のひとつである。 
宗教的な修行や脱俗ですら、それによって自分を特別なものに昇格させたい
という目論見が透けて見える。 】
 ー考えてみれば、われわれの生活の中で何らかの努力をもった営み全てが、
エゴ・トリップと考えると、人生そのものがエゴ・トリップゲームになる。 
しかし、秘境ツアーで大自然の美しさや広大な姿に触れて、感動した経験を
多く持つ身にとって、それはエゴ・トリップとは違う、と思うが、どうだろう。
特別に昇格したいのでなく、対象に自分が溶け込んでしまう経験そのものが
良いからである。すべて夢の中 か〜 そして、すべてがエゴ・トリップで
しかないのか? そう思うと気が楽になるが!


5481,人生で最も大切な技術 ー31 幸福も苦しみも超えて  

2016年03月18日(金)

     
      
        『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ リカール著
   * 幸福も苦しみも超えて
 悟りの心境とは、これほどのことか。「幸福も苦しみも、それからみたら、
相対的な真理でしかない」とは、道理である。 その一片が、悠然とした
大自然と接し、我を忘れる感動の一瞬を何度か経験してみたが、その心境を、
そのまま表現してある。しかし、これは叡智から出てきた心境とは違う。
 〜なかなかの内容である〜

≪ 絶対的真理という観点から見れば、幸福も苦しみも現実に存在しない。
 幸福も苦しみも相対的な真理でしかなく、それらは、混乱した心によって
知覚されるに過ぎない。物事の本質を理解している人は、何もかもが純金で
できた島に寄港する船長にたとえられる。船長は、ただの石ころを探そうと
しても、金以外何も存在しないことに気づくのである。チベットの渡り鳥と
呼ばれた隠遁者シャブカルは、悟りと慈悲の心を次のように詠んでいる
 ―――

リラックスして、自由解放状態でくつろぎ
壮大な空中王国に到達した
そこは無条件絶対の国
すべてを見通せ、静謐そのものの
壮大な空として、そのままにされるとき
毒を含み、苦痛を伴う心の拘束が
ひとりでに緩んでいく

どこまでも透明な空のような
この国に留まるとき
言葉も思考も表現も越えた歓喜を味わう

一切を包み込む空よりもさらに壮大な
叡智の目で見つめていると
輪廻転生と解脱の現象が
なかなか愉しい見世物になってくる
見事なその連続の中にいるときは
骨を折ることなしに
森羅万象は生起する
まったく安楽に自然に
完全な満足の中で

すべての感覚あるものは自分の母と知る
心の奥深くに潜む母の恩が思い起こされる
空しい言葉ではなく
今、利他の心をもって行為する 

―――
▼ 絶対的真理に到達した悟りと慈悲の心境が、そのまま言葉に現れ
 出ている言葉である。 感動、感動の心境に似ているが、それ以上の
叡智というと・・ 利他の心をもった行為が、人間の到達地点ということか。

・・・・・・
5116.社会主義の実現を信じた狂信者という悪魔 〜2
2015年03月18日(水)
   * 迫害されたウクライナ人
 スターリンという悪魔 ーウクライナ人のジェノサイド「ホロドモール」。
  〜ネットによると、
≪ 1928年から1932年にかけ、ウクライナの農民が入れられたのは、
コルホーズではなく巨大な監獄のようなもの。村にいながら軍隊に包囲され、
飢えるままにされた。たとえ村から逃げ出せても都市に入ることはできない。
都市も軍隊に包囲されていた。その飢饉は、過ってロシアが経験したことが
ないほど厳しいもの。およそ一年半の間に人口の五分一の500〜700万人が
飢えて死に、人々の一部は、死んだ家族の肉を食べてかろうじて生き延びた。
 その迫害は、コサック撲滅政策という側面があった。当時のソビエトは、
コサックを迫害していた。コサックは、もともとウクライナ人の農奴から発生
した人々の集団。 当時のウクライナではユダヤ系の資産家が地主となり、
ウクライナ人の農奴が耕すという状態が続いていたため、ユダヤとウクライナ
の顕著な対立がありました。1932年12月27日、国内パスポート制が導入され、
農民達は農奴さながらに村や集団農場に縛り付けられた。ウクライナの国境
は封鎖され、自由な出入りは許されなくなった。遂に人々は病死した馬や
人間の死体を掘り起こして食べるに至り、その結果多数の人間が病死し、
赤ん坊を食べた事さえあった。通りは死体が転がり、所々に山積みされ、
死臭が漂っていた。≫
▼ スターリンがウクライナを計画的に絶滅させようとした酷いものだが、
 近年、ロシアはウクライナのクリミア半島を併合をした。その歴史を知ら
ない訳がない鳩山元首相が、クリミアに尻尾を振って行くとは言語道断!
北朝鮮、中国、ロシアという隣国が、ジェノサイドの過去を持っている中で、
海に囲まれ、平和ボケをした日本は、この現実を知ってか知らずか内向き。
グローバル化では、閉鎖的体質はマイナスにはたらく。アメリカ大統領の
トルーマンによる、東京大空襲と、広島、長崎の原爆投下も、一般市民の
大虐殺だが、何故か誰も声高に言わない、いや言えない? 軍事的にも、
経済的にも、日本はアメリカの統治下にある既成の事実に慣化されている。
・・・・・・
4751,そんなに長生きしたいですか ー4
2014年03月18日(火)
      『日本人の死に時 そんなに長生きしたいですか』久坂部羊著
   * 老後に安住の地があるか? 
《 この結論は「ない!」である。グループホームも、「認知症介護の切り札」
 として、マスコミで好意的に紹介されているが、現場は凄惨。グループホーム
は施設基準が緩いので、質のばらつきが大きくて住宅・不動産業界からの参入も
多く、専門性に疑問も生じる。職員は経験者が条件だが、無資格で働けるため、
最低賃金に近く、過酷な介護を担わせられたら、やめるか、手を抜くか、暴発
するか、いずれにしても、かなり危険な状況が多い。有料老人ホームの実態も、
ふれ込みはパラダイスだが、実態は大いに疑問のところが多い。介護企業の施設
も、本当に良いサービスをすれば評判が良くなり、顧客も増えるが、経営が
不安定になると、その理念など、簡単に捨てられる。公的な福祉は営利でない
ので、ある程度は信頼できるが、人手が足りなかったり、順番待ちが長かったり、
効率、工夫の点で、企業に劣っている。その点、企業の方が良いが、何か釈然と
しないものが残っている。・・徘徊の激しいおばあさんが、脳梗塞で寝たきりに
なったとき、世話をしていたお嫁さんがやつれた顔で「これで楽になります・・」
医師として不謹慎かもしれませんが、私は心から「よかったね」と思いました。》
▼ 老後の不安で大きいのが、終の住まい、生活がある。老いるほど、そこは
 決して安住の地ではなく、いずれも、非常に危険で、厳しい状況のようだ。
それも、薬漬けで脳をやられた廃人として、ただ生きているだけとしたら・・ 
 私たちは、その恐怖と不安のため、僅かな年金を節約して預金をする。
しかし、お金の余裕が有る無しに関わらず、「安住の地は無い」のである。
それなら、元気のうちが花。その日、その日を目いっぱい生きるしかない。
そう割り切ったら、妄想など当てにしないで、そのままを受け入れるしかない。
出来ることの一つが、死の知識の予習。もう一つは、般若心経の暗記か、
その読経の習慣である。色即是空、空即是色と諦念を心に植え付けることだ。
 安住の地は、心の奥底にしかない、ということ。 家は浄土真宗だから
南無阿弥陀仏の読経もあるが。安住の地など、考えてみたら、あるわけない。
誰もいない海の真っ只中で、安住の島を求めて彷徨っている漂流者の心持ちで
しかない!で、偶然だが、去年と2010年の同月同日の、以下の内容に続く! 
・・・・・・
4384, 背筋が寒くなる「一生時計」
2013年03月18日(月)
  * あと2時間しか残されていない?
 野口悠紀雄の「クラウド「超」仕事法」(講談社)を読んでいると、
その中に恐怖の「一生時計」というコラムが載っていた。アナログの時計で
一生を表すもので、1周が80歳になっている(日本人男性の30歳時における
平均余命が50歳であることを考慮して、80歳としている)とすると
40歳で時計上の6時の数字を針が指すことになる。著者の年齢からしては
10時半を過ぎている。それまでの経歴と歴史的事件が時計時間に振り分け、
人生を鳥瞰することが出来る。著者は、あと1時間半しかない。
その針が一刻一刻進むのを見ると背筋が寒くなるはず。これを応用した
一年時計も作れる。歴史的事件における自分の立場や、残り時間を鳥瞰する
にはアナログ時計を図示すればよい。 それからすると私の人生時間は
午後の8時過ぎ。あと4時間になる。
 これ商品化されている。買うかどうか迷っている。不摂生もあり、二時間
あるかどうか。それも不意に止まる可能性が充分ある。この年齢になると残存
時間も当てにならないのは周囲をみれば分かる。父は71歳で亡くなった。
一生時計では9時。あと一時間しかない。一番上の姉が12年前に現在の
私の年齢で亡くなった。時刻は8時である。 事業も二年前に清算したし、
やり残したことは殆どないが、せっかく与えられた時間を味わなければ。
あと一時間も5時間も永遠の時計からしたら、一瞬。この一生時計を机の前に
置いて刻々と過ぎていく時を眺めるのも一興か。目を背けて、まだまだ高を
くくっている。50から還暦まで残された人生分を圧縮して生きた分、
焦りは少ない。父の口癖、「死んでしまえば、それまでよ!」が実感。
 実際に同じ年代の人の4人に1人が既に亡くなっている。どの人をみても、
良い死に方には思えない。これが人生である。下記の2010年03月18日に、
「人みな骨になるならば」頼藤和寛著について偶然、書いてあった。
重ね合わせて読むと、連動する。
・・・・・・・
4010,デジタル化の波間で
2012年03月18日(日)
  * 愛蔵書120冊を電子化
 蔵書70冊を業者に送り電子化した書籍がメールで送付されてきた。
それをダウンロードし、iPadに入れた。去年の暮れに50冊を電子化して
いたので、合計120冊をiPadに入力し終えた。これでiPadに120冊
の本と、2000曲の音楽が入力された。 外出先でiPad立ち上げれば、
そこが「自分の居場所」になる。かって読んだ書籍が瞬時に読めるのと、
目次の上覧のページ検索に見たいページの数字を入れると瞬時出てくることと、
 電子シオリを気楽に挟めるのがよい。 上覧のシオリの部分を押しておくと
次回に、そのページが出てくる。分類ごとに本棚が作れ、並べ替えも気楽に
できるうえ、本棚の移動も気楽にできる。これでは、数年で紙から電子ブック化
の流れは大きくなり、紙出版は半減するはず。
パソコンも、ノート型からタブレットへ流れは大きく変化する。
  * 朝日新聞デジタル版
 電子新聞は、新聞社のブログがあるので必要はないのでは?と躊躇したが、
半年とってから決めようと、とりあえず入ってみた。朝日新聞の場合、新聞を
とっていると、プラス千円でよいが二つ必要かどうか?だが、今のところ、
その価値は認める。紙面の場合、その日が過ぎると二度と目にすることはないが、
これだと、過去一週間分が、直ぐに読めるところが良い。それと、当日の記事
内容で、気になった部分を再び読み返し、コピーできるところが便利である。
これは電子書籍にもいえる。デジタル化は、映画、TV、書籍、新聞などを
根こそぎ変えている。それがグローバル化を促進し、時代を激しく変動させる。
  ・・・・・・・
3644, 地震 ―つれづれに  ー7
2011年03月18日(金)
 ここまできたら、今更だが、原発事故の順序が一号機、三号機、二号機、
四号機、次に、6号機の順番である。ジクザグに一つおきに重ならないように
火災が発生している奇妙さである。 すべてが手遅れのため、隣り合わせの
爆発を避けるため一つおきにガス抜きをさせているとみると整合する。
メルトダウンを始めた原子炉は最後まで行き着く(暴発)しかないと
実しやかに言われている。Jリーグのサッカーの欧州出身監督は殆ど帰った。
欧州はチェルノブイリ原発事故の情報を持っているので、その恐ろしさを
知っているため。それが現在進行形で最悪に向けてカウントダウンに入った?
 その最悪とは何?だろうか考えると。ますは本州が全滅の上に、地球上に
大量の放射能をバラマクことである。 少なくとも原発??キロ以内は、
立ち入り禁止地区になり、当分は国内の米・野菜が一切、食べられなくなる? 
雨水も飲めなくなるとすると?それが広島の数千倍?の放射能を放出であれば? 
それを誰も口には出せないのが現状。評論家は、その最悪の想定値の場合、
広島や、チェルノブイリ事故と比較して語らない。もし語ったらパニックに
なるからだ。フランスとアメリカが、特別便の飛行機で自国民の救済に向かった
という・・ 日本を壊滅させるほどの大被害をもたらすものとしたら? 
まずは一番の被害者は、今回の津波の被災者になる。 至上最大の原発事故が
目前に迫っている現在、大津波と、いま正に東北・関東地区に襲うとする原発
事故が重なっているところが、不思議である。新潟も福島から200キロの
ところに位置して、安全といえない場所である。 しかし、今回の政府は
首都圏の三千万の住民に万一に備える警告をしていない。むしろ、逆の情報を
流している。何故、国家非常事態宣言をしないのか! 万一に備え逃避の準備
を呼びかけないのか!この程度の人物が何ゆえ首相なのか!今日から明日が、
一番危ないと思われる。とはいえ、何処に逃げればよいのか? 200キロも
500キロも同じと放射線の専門家医師が言っている中で、ジタバタしても
同じということか。それにしても、日本人は暢気である。自分もだが・・
たまたま去年の今日、虚無主義の論が書いてあった。
人みな骨になるのだから、今更がたがたすることもないか!
 ・・・・・・・・
3279, 人みな骨になるならば −1
2010年03月18日(木)
         「人みな骨になるならば」 頼藤和寛 著
 なかなか面白い人生論である。 副題がー虚無から始める人生論ーである。
初めから終わりまで、「人はみな骨になるならば」の虚無の思想が、どの言葉の
後ろにピッタリと付いている。といって、読んでいて気分が悪くならないのは、
本人の持っている温もりのためか。この本を書き終わった数年でガンが発見され
亡くなった。そのプロセスを書きのこした本
「わたし、ガンです ある精神科医の耐病記」も出されている。
「斯う居るも 皆骸骨ぞ 夕涼み」(一茶)の句が、この本のテーマである。
そして次から次へと繰り返される虚無思想。
・「誰しも認めたがらないことではあるが、おそらくわれわれ
 一人一人の人生が一種の無駄である。」とか。
・「我々には何十年という時間が与えられてしまっている。・・どうあがいて
 みたっって、逃れられない人生という檻のなかに?我々は産み落とされて
 しまったからには、檻の仕組みや外側がいかようであれ、にもかかわらず、
 その檻の中で 一舞いしてみせる?しかないではないか」
・「人生に、意味なんて無い。けど、何かに意味を見出さないと人は生きて
 いけない。だから、自ら意味を作る。それはまるで、無神論者が祈る神の
 ようなものだ」とか。宇宙人?の視線である。
   ーここで「エゴ・トリップ」という幻想を紹介している。
【「わたしが生きようが死のうが大したことは、といった現実は非常に
 不愉快な現実である。たぶん宇宙から見れば、一匹のゴキブリや一本の松が
生きたり死んだりするのと大して変わりない。この現実から逃れるため人間は
実にさまざまのことをしてきた。われわれの自我は、その酷薄な現実に堪え
られないようだ。それに堪えるために人間は自分の意味を膨らませるために、
自分を誇大視するか、あるいは自分が属する何かを大層なものにするか、
に心をくだいた。・・自分の存在を「なにものでもない。」という実態から、
「なにものか」であるような幻想へと昇格させようという営みの全てを
エゴ・トリップという。 自分を膨張させようとする、あえない試みである。
 これは子供の背伸びから、青年の客気、男女の虚栄や見栄、年寄りのあがき
に至るまで、およそ人間の煩悩や業の全てに浸透している動機のひとつである。 
宗教的な修行や脱俗ですら、それによって自分を特別なものに昇格させたい
という目論見が透けて見える。 】
 ー考えてみれば、われわれの生活の中で何らかの努力をもった営み全てが、
エゴ・トリップと考えると、人生そのものがエゴ・トリップゲームになる。 
しかし、秘境ツアーで大自然の美しさや広大な姿に触れて、感動した経験を
多く持つ身にとって、それはエゴ・トリップとは違う、と思うが、どうだろう。
特別に昇格したいのでなく、対象に自分が溶け込んでしまう経験そのものが
良いからである。すべて夢の中 か〜 そして、すべてがエゴ・トリップで
しかないのか? そう思うと気が楽になるが!
 


5480,人生で最も大切な技術 ー30 人生を豊かにするために死を心に刻む 

2016年03月17日(木)

           『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ リカール著
   * 人生を豊かにするために死を心に刻む
 メメントモリ(死を忘れるな)。 心理療法に、臨終のワークがある。
生き方に迷った時に、自分の臨終を想像し、何に価値を置くべきか、もう一度
判断しなおす方法。50歳を過ぎた頃から、知人が次々と亡くなっていった。
しかし心の中では、「ひと(他人)は先、我は後」の気持ちが強かった。
ところが、いつの間にか70歳の現在に至って、他人事でなくなってきた。
そこで数年前、75歳辺りを目安に設定したが、さて? ーその辺りからー
≪ 人生に背を背くことなく、死に直面するにはどうすべきか。
 絶望や恐怖に 駆られることなしに、死を考える方法はあるだろうか。
エティ・ヒレスムの言葉を引用しよう。「人生から死を排除することで、
完全な人生を送ることはできない。反対に、死を歓迎することで、人間は
成長し豊かな人生を送れる」。死をどのように捉えるかが、人生の質を大きく
左右する。ある人は恐れおののく。無視することを選ぶ人もいる。過ぎ行く
どの瞬間にも真価があることを認め、生きる目的をしっかりと認識するため、
死を熟視する人達もいる。死を人生の一部として受容することが、不断の努力
を続けるための気力を養い、無益な気晴らしに時間を時間を浪費することを防ぐ。
 誰もが死に直面する一方、そのための準備の方法は千差万別である。
12世紀のチベ・トの聖者、ガンポーパは次の言葉を残している。
「初めは、罠から必死に脱け出そうとして、もがく雄鹿のように死を恐れる。
中間点に着くと、丹念に畑の手入れをしてきた農夫のように、`何も悔やまなく
なる。最終段階に至ると、偉業を成し遂げた人のように、幸福になる」。
 死を恐れるほうが、死を無視するよりも遥かに学ぶことが多い。死に付きまと
われて生きることはないが、人間の存在の脆さに気づいていることは大切である。
このように死を理解するのは、人生で残された時間を十分に味うのに有益である。
死は、しばしば警告なしに訪れる。たとえ、健康に恵まれ、友人と美味しい
食事を楽しんでいたとしても、最後の瞬間を越えて生き延びることはできない。
友人を、中断された会話を、半分の食べ残しを、未完の計画を、残して去らねば
ならないのである。 その瞬間に何も悔いはないだろうか。とてつもない人間の
可能性を最大限に引き出した人で、悔いを残した人がいるだろうか。
天気が良かろうが悪かろうが、来る日も来る日も汗水流して種を撒き、作物を
刈り取って働続けた農夫は、最善を尽くしたのだから何も後悔することはない。
その瞬間に、自分自身を責めるのは、成すべきことを怠ったからである。
より優れた人間として自分を向上させ、他者の幸福に貢献するため、あらゆる
瞬間を使い切った人にとって、死は平安となる。≫
▼ この20数年、死とは何かを考え続け、多くの本を読みあさってきた。
 一番、心に残ったのが、「死後は生前に戻るだけ」。生とは、その間の
一瞬の間である。その間、宇宙、地球、世界、大自然、社会、人間世界の
光を可能な限り見ることではないか。死んでしまえば、それまでよ。
生きているうち、元気なうち。そのためには、現在なすべきことを、元気な
うちに、なすべきだが・・ 歳のせいにし、漠然とした日常をこなすだけ。
 意外なことは、思ったより、死の恐怖感が少ない反面、押しとどめていた
苦い記憶のフラッシュが多いこと。若い時にみた年寄りの内面が、これほど
複雑で、膨大の過去に覆われているとは思いもしなかった。ことに臨んで、
後悔しないかを自問自答してきたが、「後悔しないことなど無い」と、
何ゆえ、思わなかったか? 「これを後悔したとしても、それは仕方ない」
である。でも、実際は、そう考えていた? 「そのまま結構!」ということ。

・・・・・・
5115,吉本隆明の「幸福論」
2015年03月17日(火)
    * 老齢の幸福論
  吉本隆明の「幸福論」に、青年期、壮年期、老年期に分け、
 その老年期を更に三つ、老年期(65〜74)、超老年期(75〜84)、
 老年第三期(85歳以上)と分けている。現在の後期高齢者を二分割し、
 老年第三期を加えたもの。 私は、老年期半ばの69歳で、しっかりした
 老年になるが、その自覚はあまりに少ない。だが、歳月人を待たず!
  〜印象に残った箇所を抜粋すると
・「老年では、1年先のことなんか考えない、考えたって無駄。幸、不幸を
 ちいさく刻んで考え、ちょっとしたイイ気分でも、それで幸せ。な感覚」
・「一般に日本の場合は、孫と親と自分の三代は、理想的には同じ家にいて、
 老人は子供とうまくいってなくても孫とはそんなことないから、孫の相手を
 してる間は楽しいよ、ということです。」
・「老人っていうことは、心身両面が慢性的うつ病である」
・「嬉しいとか、辛いとかを、縮めて考えること。
  どっちも、そう長く続くものじゃないってね。」
・「人間の幸福・不幸とか、人生の目的は何とかは、若いときに考えるもの。
  年をとったら、長い周期で考えるのをやめることじゃないかな、何事も
  短い周期で考えればよい。」
・「自分の主治医は、自分。自分が良いと思ったことを自分でやるしかない」
▼ 一日一日をかみ締めて日々是好日で生きるしかない。老いてきた実感は、
 長生きは、思いの外、厳しい!ようだ。以前、身近な誰かが言っていた言葉、
『まさか、自分が年をとるとは考えてもいなかった!』が、言いえて妙である。
老いは誰もが通る道。『子供しかるな来た道じゃ、年寄り笑うな行く道じゃ』
が老いの先。父のように71歳で逝くか、母親のように88歳を目指すか? 
 やはり、想定を75歳が? 「良いこと3に、悪いこと1」を目指し、
日々是好日、ということか。 探すと、確かに幾らでも面白いことはある!
四苦八苦に、十二楽二十四楽で対処するしかない。「老いの愉楽」ですか。
 私の場合、傷口が深いから、その二倍、二十四楽四十八楽でいくしかない!
・・・・・・
4750,閑話小題 〜マレーシア機不明はテロとすると
2014年03月17日(月)
  * マレーシア機不明で、謎深まる
   ー まずは、断片的ニュースより
《 マレーシア機不明 乗客のうち2人が盗まれた欧州連合(EU)加盟国の
 パスポートを悪用して搭乗していた可能性があることが、当局の発表や
 関係者の発言で8日に明らかになった。3月8日 》
《 ナジブ首相は、首都のクアラルンプールを離陸したマレーシア航空機の
 通信手段が離陸からほどなくして、意図的に切られたことを明らかにした。
 機体はその後、マレーシア東海岸の上空で航空管制のレーダーから外れ、
 西に向きを変えたという。そして、マレー半島を横切り北西へ向かった。
 離陸から約1時間25分後には、軍のレーダーからも姿を消した。
 こうした機体の動きについてナジブ首相は「こうした情報は(操縦士でない)
  何者かが航空機を操縦したと考えて矛盾しない」と述べた。
 また通信衛星のデータを解析した結果、軍のレーダーから消えた約6時間後
 の午前8時11分に機体の信号が衛星にとらえられていたという。レーダー
 のスイッチを切った上で当初のコースを外れ、6時間も飛行していたことが
 明らかになったマレーシア航空機。3月15日)》
《 機長は反政府派のアンワル・イブラヒム元副首相の熱烈な支持者であり、
 元副首相は先日3月7日、同性愛罪で禁固5年の実刑判決を受けた。
 消息不明になったのは翌日。なんらかの抗議か? 3月16日 》
▼ 当時、中国の全国人民代表大会(全人代=国会)が開催されていたが、
 それに対するメッセージの可能性がある。「3月1日に発生した雲南省
 昆明駅でのテロ事件」や、「北京・天安門の毛沢東の肖像画汚す」事件も、
 党への不満。その一連とすると、非常に恐ろしい事件になる。
 消息が不明とすると、既に自爆をしたと見るべきか?それとも、何処かの
 国に侵入して撃ち落とされた?か。もし、機長がテロ犯としたら、北京の
 全人大に突っ込むことも可能だったが、その防御体制が出来ていただろうか?
 もし、実行されていたら「ソ連と同じような崩壊過程に入るほどの事件。 
 真相は、まだ分からないが、機長そのものがテロの実行犯としたら、
 「事実は少説より奇なり」になる。 中国の政治・経済バブル崩壊も
 チョットしたキッカケで起こる可能性を含んでいる!
・・・・・・
4383, 黒鳥は、いつ舞い降りてくるか分からない
2013年03月17日(日)              
 * 不測に備えよ!
       「なぜ多重債務者がベンツに乗れるのか?」鳥巣正樹 (著)
自家用車は20年以上前に買ったソアラである。現在も、ほとんど故障する
こともなく、乗り心地もベスト。スポーツタイプもあってエンジンも劣化した
感はない。燃費はL7キロだが、遠出は少ないのでガソリンは月に1万円。
当り外れでいえば、当りの車。査定ゼロで借金のカタにもならない。ところで、
「弁護士に全面委任したがよいが、どこまで信頼してよいものか?」
「個人保証分の債権のため個人破産をすべきか?」と戸迷っていた時、知人に
この本を紹介された。しかし殆ど読まないうちに忘れていたが、先日、書棚で
見つけ出し読んでみた。破産は債権者からすれば何も回収できない最悪の事態。
今回、余裕資金があるうちに弁護士に駆込んだのも債権者からみたら善し悪し。
破産は以前と違い個人への保護ネットと、この一連の経験の過程で知った。
著者は「最後の手段として、ぎりぎり、とっておくべき」という。
事業再開の意思など更々ないので破産を避ける必要性がない。ただ
「気持ちの問題、しないで済むものなら」と、現時点では、しない方針。 
著者の論からして、それが正しいようだ。ここで、「債務者の方が債権者より
強い立場にある」というが、実感である。まずは弁護士費用を用意しておく。
それ以前に長年かけ備えをしておくこと。黒鳥は、いつ舞い降りてくるか
分からない。  ーアマゾンの内容紹介ーより
≪ 合法的に、正々堂々と、借金を踏み倒す方法があった。
「借りた金はゼロになる!」。ズバリ、これが“新・債務整理論”。
本書では、事業ローン・住宅ローンをはじめ、多重に借金を抱える債務者を
救う借金返済術を大収録。「6億円の借金を踏み倒し、手元に残した1億円で
再スタートを図った社長」「4億円の借金を踏み倒し、家を手放すことなく
ベンツを乗り回し続ける社長」「3億円の借金を踏み倒し、事業再生に成功した
社長」など、合法的に借金をゼロにして、人生を再スタートさせた事例をもとに、
目からウロコの対応策を伝授します。父親の借金が原因で苦しい幼少時代を
余儀なくされた著者が、その復活劇から学んだ“踏み倒しノウハウ”が詰まって
います。借金は返すのがもちろん大前提だが、不幸にして返せない事態になった
場合、借金のために死ぬ必要はない。自己破産だってしなくてよい(自己破産は
最後のカード)。債権者だって人間、ハートとテクニックで開ける道もある。
そのためには筆者のようなプロに相談すべしという内容。
本書は、事業の借金や住宅ローンを返せなくなった人向けに書かれた本。≫
▼ 弁護士の当たり外れはある。30年来の会計事務所のグループで、
 同じ建物内の弁護士だったので安心していた。しかし、弁護士は債務者の
利益より法的正義を優先する立場。それを踏まえて対処すべきである。
債権者である銀行は、元もと損しない仕組みができている。長期事業のため
リスクヘッジを数十年積み上げてきた。が、「自分は大丈夫!」という気持ちが
あったことも事実。9・11、リーマンショック、3・11など想定できようがない。
何とか雪崩に巻き込まれる直前に決断。辛うじて最悪を逃れた。とはいえ
準備期間を入れ45年かけた事業崩壊。 そう簡単に割り切れないのが人情。
「問題の中心を凝視し続け、弱気にならない」それが長年の経験の対処法。
中小は個人保証が前提。奥さんの連帯保証を避け、奥さん名義の給与を
与えて、預金をするのは中小企業が出来る特権。そのためには、倒産、会社
整理=悪の考えを捨てること。誰ひとり、助けてはくれないのが娑婆!
家内も含め、両親からの染付いた情報と体質が、最後の拠りどころ。
・・・・・・
4009, 昼間、何してる?
2012年03月17日(土)
 数年前の集まりで、久々の高校時代の同期に「Uターンをして毎日、
何をして過ごしている?」と聞いたことがある。それと同じ質問を現在、
自分がされた。その時、「スポーツセンターとか、図書館とか、暇を持て余す
ことはない現在の私と同じような答えであった。それでも、暇そう、としか
思えなかった。私はアウトサイダーで群れることが好きでなく、同級会以外は
一対一の付合いが多い。 それもあり、月に平均二度の飲み会以外に知人友人
との接触が少なくても平気である。ブログなどで、自分の気持ちを開放し書いて
いるので孤独感は無い。ジムで人の中で運動していることも気持ちが落ち着く。
 参考のために、昨日の一日のスケジュールを、そのまま列記すると
4:20 起床ー>随想日記の下書き修正、ネットへアップと、翌日分の荒書。
6:50  コーヒー・タイムと、新聞閲覧とTV(モーニングショー)
7:40  朝食と、TV       8:20 風呂
9:20  書斎で読書、パソコン
11:00 昼飯(牛丼店)後、   11:30アピタのシネマで映画
13:40 スポーツジムへ (ホリディSJが休日のため、公営のミニSJへ)
14:40 図書館、ドラッグストア、給油
16:00 居間で休憩後、書斎で読書
17:20 TV(大相撲)、晩酌 TV(録画)
20:00 パソコン・・・     21:20 就寝
▼ 金曜と日曜は民間のジムが使えないため公営のジムに行く。
4月〜11月は、4時半に起床、6時まで、この随想日記の書き上げと、
そのアップと、翌日分の下書きをする。その後、一時間かけて信濃川の
二つの大橋を自転車で一周する。飲み会が月に平均二回。アピタのシネマに
月2〜3回。ランチが週2〜3回。図書館と蔦屋は、週一。この合間の隙間
時間に、iPadで、読書、ゲーム、ネットサーフィン、電子新聞・雑誌を
見たりする。私として充実しており、一週間はアッという間。
  ・・・・・・
3643, 大地震 ―小題二題  ー6
2011年03月17日(木)
  * やはり国家非常事態宣言が必要では!
 非常事態宣言が可能な法律があるかどうか知るところではないが、超法規で
期限を決めて、警察、軍隊、消防、金融政策をトップレベルで決定する権限を
与えた臨時的組織体制をつくるべきである。一番相応しくない人が、最悪の時に
トップにいる不幸も、日本の宿命である。 といって、今さら、この急場に
首の挿げ替えをしている時間はない。宣言と、メンバーの顔ぶれを並べ、
迅速に動いている姿をみ見せるだけで国民は安心するはずだ。空ろな顔をして、
メモを読んでいる姿をみるにつけ、パニックに火をつけるだけ。 武道館を
本部にして、政府機関のトップと、そのスタッフを集め、情報の共有化を迅速
にして、即決即断しないと、被災者も、これからの被災者もすくわれない。
  * 原発事故難民が新潟にも
 昨日、車で新潟から長岡までの帰り途中にラジオで、「福島からの避難民
の方は、この電話番号・・に電話を下さい」と放送していた。避難所の紹介。
東北自動車道が閉鎖されているためか、高速自動車道は車で満ちていた。
TVで、ぞくぞくと逃げてきた被災民が新潟市の体育館などに詰め掛けている
画面を映し出していた。その前に、ホテルに一泊しシャワーを浴びる宿泊客の
車が駅前に溢れている。 三人の男性の宿泊客が、「宮城から食料と、生活雑貨
の買出しにきた。街には死体が散乱していて、死臭が凄い。」と言っていた。
関東も関西方面に避難している車が多くあるという。日ごと、この災害の影響が
私たちにも迫ってきている。 避難のため、得別便を日本に飛ばす国があったり、
大使館の機能を関西に移動している国もある。我々は、ただ座して放射能の被爆
を受けるしかないのか! 大して先が残されてないので、諦めがつくが、
若い人たちや、日本国家を考えると、絶望的になるのは当然のこと。 
まだ、発生より6日目でしかない。
・・・・・・・
3278, 哲学者は神について、どのように語ったか ー6
 2010年03月17日(水)
  * ニーチェの「ルサンチマン」
 「財力や権力より、魂の美しさに価値があり、他者を愛し、他者のために
尽しなさい。貧しき者は幸いである。」と説くキリスト教。 その道徳も、
弱者の自己防衛にすぎないと主張したニーチェ。弱者同士が欲望を否定し、
弱者同士が慰めあう考えに矛盾を感じ「死後の天国」という幻想のため善行を
積むことを「奴隷の道徳」と否定、天国のことを考え、この世の生を否定する
ことを、死への意思と非難した。神、天国が幻想と暴いたニーチェは
「神が死んだ」と宣言をした。宗教そのものが弱者がつくり出した幻想と
堂々と当時、言い放ったのである。キリスト教を教会も、権力者も、弱者を
「貧しきものは幸いである」で、納得させるに都合が良かったのである。
彼は人間の生の原動力を「力への意志」と考えた。誰も自分をパワーアップ
して生きたいもの。しかし、大部分の人は挫折をし恨みや憎悪(ルサンチマン)
を抱えて、小さく生きている。要は、この世の生に向き合わず、宗教のいう
天国や来世を幻想して生きるのである。その幻想をキッパリと捨て去り、
今の、この世を生きることを肯定せよと主張したのである。神が死んだことで、
神によって規定されることなく、無限の可能性を持ったともいえる。
キリスト教で絶対的な神は、人間を創造する存在だったが、しかし、神が
死んだことで、人間こそが真の創造者になった。人間は何を創造するか
というと、「超人」である。超人とは、「人間は神なしですませる為に、
勇気、頭脳明晰、自負、独立性と苛酷性を持った人間」である。超人は、
そうした強靭と知恵とを持って、その生を生きます。生の苦痛に耐えて、
それを肯定することは、自分の運命に堪えることになる。悲惨でも、その
「運命を愛すること」のみが必要にとされるのである。人間は、「生まれ、
生きて、死んでいく」、この意味のない有為転変が永遠に続くだけだが、
自分に与えられた運命を良く生きることで、この永劫回帰の苦痛を克服できる
のである。各々の運命を愛しながら生きることが大事なのである。
一応、彼で近代が終わったといってよい。権力者や、それにつながる聖職者
にとって大多数の弱者をコントロールするに宗教ほど都合良いものはない。
ヨーロッパ人が、アフリカやアジアに進出する前段階に、キリスト教の普及を
したのは、そのためである。アーリア人がインドを占領し、ヒンズー教を
つくり、カースト制度を植えつけたのも、それである。


5479,人生で最も大切な技術 ー29 倫理の核心は心の状態

2016年03月16日(水)

      『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ リカール著
   * 倫理の核心は心の状態
 倫理の核心は、「叡智を養うことと、利他的モチベーションの機能を
発揮することで、これを使う叡智は体験でしか養えない」という。この逆を
売りにしている人物が多く存在している。あの内幕情報屋である。誰もが、
その要素を持っているが、程度の問題になる。その隠れた毒が回りまわって、
自分を毒していることに気づいていない。 ーその辺りからー
≪ 利他的なモチベーションとポジティブな結果をを生じようとする努力を
 選択することはいつでもできる。 そのために、自分のモチベーションを
繰り返して点検することはいつでも出来る。
 これについて、ダライ・ラマの言葉を引用しよう。
{ー自分の心が寛大か、それとも偏狭か。 大きな視点で状況判断しているか、
それとも些細な事項のみを考慮している か。 見方が短期的かそれとも
長期的か。 モチベーションが純粋に思いやりに基づいているか。
 その思いやりは自分の家族、友人、親密な人だけに限定されていないか。
等々と考えて、考えて、考え尽くすことが必要であるー}。
 そうであれば、倫理の核心は行動様式ではなく、心の状態ということになる。
外部に現れる行為が本物だと信じ込むと、例えば、罪のない嘘と悪意に満ちた
嘘の区別がつかなくなる。殺人者に「自分が追かけている奴がどこに隠れたか
教えてくれ」と訊ねられたとしても、それが真実を告げる場合でないことは
明らかである。攻撃的な行為も同じことが言える。ただし、自動車に櫟かれ
そうな我が子を母親が道路からぐいと押しやる際の乱暴な行為は、見かけに
過ぎず、子供の命を救う善の行為である。逆に、誰かが笑顔でお世辞たらたら
近づいてきたとしても、その人の目的が物を奪うことだったら、行為は一見
非暴力的だが、意図は悪意に満ちている。
 ここで基本的な疑問が湧く。それは、他者を幸福にする、他者を苦しめると
いう基準は、何を根拠として決まるか、という疑問である。飲兵衛を「幸せ」
にするために、酒瓶を与えるだろうか。あるいは、その人の寿命が縮まるのを
避けるために与えないようにするだろうか。ここで、叡智を養えという教えと
利他的なモチベーションが機能を発揮するのである。真の幸福と、快楽などの
幸福のまがい物とを識別することが、本書の趣旨である。純粋無垢な幸福と、
それを破壊する思考と行動を正しく区別させてくれるのが、他でもないこの
叡智であり、それは教義ではなく実際の体験でしか養えない。≫
▼ 倫理とは、行動様式と思いがちだが、心の状態とは驚き!
 幸福な人とは、自分の倫理観を持っている人だ。いや、ないのもいる?
叡智は教養の度合いと品性で決まってくる。倫理といえば、西欧では
キリスト教倫理になり、明確な規範がある。それは心に幼少の頃から、
刻み込まれる。日本の規範は、バナナのようなもの。外側が黄色で、
内側は白。とすると、外見と同じことになる。

・・・・・・
5114,カエル男の末路 −1
2015年03月16日(月)
        ー日本社会を埋め尽くすカエル男の末路ー深尾葉子著   
  
 * カエル男の正体とは
 〜まずは、アマゾンの紹介内容より〜
≪『タガメ女の正体』の第二弾にして姉妹作! タガメ女に箍めとられてカネと
 社会的リソースを搾取される「カエル男」が、日本の政治、経済を動かし、
部下や下請け会社、取引先といった周囲の関係者を搾取の”倍返し”で支配する
さまを、豊富なケーススタディをもとに紐解く。ビッグデータ、グローバル化が
いかに進行しようとも、日本の男たちの「カエル男」的体質が変わらない限り、
日本は失速し続け、ますます家庭生活は生きづらくなる構造矛盾を撃つ!! ≫
  〜印象に残った箇所を抜粋すると・・
* タガメ女とは、「収入のある男をガッチリと捕まえ、その財布のヒモを握る
 「専業主婦」。あるいは、共働きであっても、子どもや夫をコントロールし、
 家庭という王国の支配者として君臨する女性。・・
 「マンションや一戸建てと引き換えに結んだ35年間の住宅ローン。
 給料はすべて妻に吸い上げられ、渡される月の小遣いはわずか1万円。
 自由にできるカネがないので、まったく身動きがとれない。さらに、朝から
 晩まで命を削るように働き、ようやく休日がきたかと思えば”家庭サービス”
 という奉仕も求められる。カネと社会的リソース(労働力、経済的価値)を
 吸い尽くされ、気がつけば皮と骨だけになり死んでいく」(p.6)
* 「タガメ女・カエル男システム」はもはや食い止めることができないほど
 日本社会に蔓延(略)・・  たしかに「タガメ女・カエル男システム」
 の自己防衛本能には凄まじいものがあります。 恐らく、もうこの衝突は
 避けられません・・ ただ、ひとつ希望を言えば、衝突はしても「沈没」は
 避けることができるかもしれません。船の針路は帰ることができなくても、
 最善を尽くすことで正面衝突を避けることができる。そのため必要なことは、
 ひとりひとりの「生き残りたい」という強い思い。・・ 自分の人生を自分の
 力で生き、その命をまっとうするごとく普通の「ひとりの男」になればいい。
 いや、男も女も、まず「ひとりの人間」になるべきでしょう。その上で真に
 助け合う繋がりを紡ぎ出してゆく必要があります。だれかから搾取され、
 だれかを支配するような「ぶらさがり」の連鎖を断ち切って、ひとりでも
 多くの男たちがカエル男から脱却したとき、この日本は本当の意味で
 一人前国家になれるのかもしれません。」(p.200-)
* カエル男の4つのタイプとは
  依存型カエル男(妻にしがみつく)
  攻撃型カエル男(家庭外で鬱憤を晴らす)
  自己犠牲型カエル男(終身雇用にしがみつく)
  現実逃避型カエル男(自己啓発と絆に逃げ込む)
▼ 次回、この4つのタイプを中心に取り上げるが、どれもこれも
 身に覚えがある要素。特に攻撃的カエルは! 阿部首相を、その典型的
タイプと看破している。団塊の世代が定年に入った昨今、これらのカエルが、
家庭内で、ダガメと対峙しているが、これでは不景気が加速される。
・・・・・・
4749,そんなに長生きしたいですか ー3
2014年03月16日(日)
      『日本人の死に時 そんなに長生きしたいですか』久坂部 羊著
  * 長寿の具体的危険とは
 長寿社会の陰で、老人に多くの危険が迫っている。そういう私も、母親の
介護で多くの経験をした。傍から見たら・・? 第三者と、当事者、そして
介護をする立場とでは全く違うのである。そして今度は、自分の番が近づく? 
その前に死にいくつもりだが、これだけは神(自然)の思し召し。いま出来る
ことは、前知識を蓄えておくことと、覚悟しかない!ーその辺りを纏めるとー 
《 簡単に死ねない時代に、長寿なるがゆえの危険が数多く控えている。
医療制度のため、そう簡単に死ねないのである。そこに当然、周囲との軋轢が
出て弱者の年寄りに危険が迫ってくる。特にプチ虐待は深刻。昔は、ものが
食べられなければ、自然に静かに死んでいけた。今は鼻からチューブを入れ
たり、胃ろうをつけたり、点滴や輸液で補い、生かし続ける。
食事補給だけでなく、呼吸も循環も、排泄も、あらゆる生理機能が人工的に
補助され、なかなか死ねないのである。長生き=善という考えを無批判に肯定
したため、死なせてやる視点が全くない。
 ー危険といえば
・孤独と憤懣の危機 :老いれば老いるほど強くなる。そして、短気になり、
 周囲と馴染めなくなる孤独な老人。
・自殺の危機 :元気で長生きで、優しい家族に囲まれても、危険がある。
 老人の自殺は、独居や夫婦二人の世帯より、二世代、三世代同居の方が多い。
 そこでは、子供が中心になり、収入も子供が得てくる。自分は役に立たない、
 いらない存在という鬱憤が蓄積し、自死につながる。
・マスコミ報道に踊らされる危険 :世間では、‘最悪のことを想定する’
 という考えは、あまり歓迎されない。どうしても‘良いこと’‘あるべき姿’
 に目がいってしまう。マスコミ報道は、老人虐待や少子高齢化社会の危機に
 切迫した警鐘をならすが、これは、老人世代を甘やかすことになる。
 常に完璧な、こうあるべき視点で、報じるから、老人の不満と、我が儘が
 蓄積していく。そこには、欲望肯定主義の陥穽がある。ただアンチエイジン
 だけでは幸せになれない。もっともっとという気持ちが、不満を増長
 させる。そして、孤独と憤懣のあげく、自殺への道になる。》
▼ 私自身の5年半の介護経験からして、母親当人は大変だったはず。
 そういう時期には、他の問題が重なるため、家族全体が、極限的危機状況
になる。肉体も、精神も老化のため弱体化し周囲に問題を投げかけるが、受け
止める余裕がない。寝たきり平均6〜7年とすると、あと5年も経たないうち、
その時期に入ることになる。アンチエイジングなどしないで、自然に任せて
いた方が良い!というのも肯ける。自死の権利なるものが何故無い?
・・・・・・
4382, ブラック・スワン −2
2013年03月16日(土)
 ブラック・スワン ー2
       「ブラック・スワン―不確実性とリスクの本質」タレブ著
  ーまずは、「あるブログの要約」から ー 
≪ 歴史に接すると、人間の頭には3つの症状が出る。
1. 分かったという幻想。世界は実感するより遥かに複雑だが、
皆何が起こっているか自分には分かっていると思い込んでいる。
2. 振り返ったときの歪み。 我々は後付けで物事を解釈しがちになる。
(歴史は人が経験する現実よりも、本で読んだほうが分かりやすい)
3. 現実に起こった情報を過大評価する。権威と学識のある人は不自由になる。
特に物事を分類し始めると、それに縛られる。科学が導き出した結論の
いくつかは、めったに起こらないことが与える効果を過小評価したり、
完全に無視している。だから、現実の世界では使い物にならないケースが多い。
めったに起こらない出来事(黒い白鳥)を見るのに不自由だと、
他にも色々な事が起こる。
1. 最初から目に見える一部に焦点を当て、それを目に見えない部分に一般化。
2. はっきりとしたパターンを欲しがる自分を満足させる講釈で自分をごまかす。
3. 黒い白鳥なんていないかのように行動する。
4. 目に見えるものが全てとは限らない。歴史は黒い白鳥を隠し、
 それが起こるオッズを見誤らせる。
5. 私たちは素性のはっきりとした不確実性の源ばかりに注目する。
しかし、それらは黒い白鳥のリストとしては具体的すぎるので、
その結果、なかなか思いつかないその他の黒い白鳥は無視してしまう。
人間は現実に起こった物事に対して、やたら法則を作りたがる。
いったん法則の仮説を構築すると、その後はその仮説を立証しようとする
行為のみに熱中してしまう。歴史とは「後から起こったことの効果を
合わせて見た一連の事象」のことである。911テロ後の約3ヶ月間に、アメリカ
国内で交通事故で死亡する人が約1000人増加。これはテロの影響で飛行機に乗る
人が減り、その代わりに車で移動使用とする人が増加した結果である。実際、
飛行機事故よりも自動車事故の方が遥かに確率が高い。
 人々を2つのグループに分け、ピンぼけの消火栓の写真を見せる。
それが何だかわからないほどのピンぼけである。一方のグループには、
解像度を10段階に分けてゆっくり上げる。もう一方のグループにはもっと
すばやく5段階で上げる。そして、同じ解像度のところで、各グループに何の
画像かを尋ねる。すると、画像が消火栓と見分けられるのが早いのは、段階の
少ない方のグループであった。つまり、与えられる情報が多いほど、それだけ
人は仮説を多く作って、どんどん間違った方向に結論を持っていってしまう。≫
▼ 現在も、黒鳥が何羽か近くに来ているが、ほとんどは日常に気をとられ、
 自分に直接関係ないだろうと思っている。リーマンショックの直撃で、まさか
私が、この事態になるとは思ってもみなかった。9・11テロで直接、事業の根幹
を揺らぐとは、思いもよらなかった。まさか、1000年に一度の東北大震災が、
直撃しようとは。地元の中越の大地震二つも、まさかの黒鳥である。
人生にとってのブラック・スワンといえば、突然、目の前に突きつけられる
「死」である。必ず誰にもスワンは舞い降りてくる。私の人生時計は夜10時。
闇は深くなってきたが、生きている限り黒鳥は気配だけ。
・・・・・・・
4008, 閑話小題 ースローヨガなど
2012年03月16日(金)
  * 昭和的価値が人々を苦しめている!
 図書館で、何気なく月刊誌「新潮45」をチラ読みをしたところ、
ある対談の中で印象に残った言葉があった。「良い大学を出て大企業に入るか、
公務員になり、マンション買って、子供を二人つくり、とかいう戦後の昭和的
価値から抜け出せないで、苦しんでいる人が多い」という内容。特に、団塊世代
の親子、とりわけ子供の心に、その断層があり、両者が、その葛藤に苦しんで
いる、ということ。 ここで現役から退いて一年、昭和的価値観に影響された、
それまでの人生が見えてくる。学生時代の専攻が社会学だったこともあり、
卒業後も社会の潮流に興味を持ち、昭和的価値観を突き放し鳥瞰していたつもり
だった。しかし振り返ると終戦後から高度成長期の昭和的価値観に縛られていた
自分に、あらためて気づいた次第。 特に地方は昭和的というより、戦前戦中
の日本的価値観が失われず、そのまま残っている。それを良しとするには、
情報化がそれを許さない。そのため、その年代の横の繋がりが強すぎ孤立化
傾向が強い。 それを絆というらしいが・・ 大量生産、大量消費を目指した
昭和が終わり、情報化もあり、グローバル化の波が大きく覆い被さってくる。
その昭和の価値から抜け出れない人たちが、財布を握りしめているため
経済は停滞、少子化もあり経済は最悪の事態に突き進んでいる。
  * スローヨガ
 スポーツジムで二週間前から「スローヨガ」に参加を始めた。入会当初に
3回、参加したことがあるが、腰にきつかったため、それ以降、参加するのを
止めていた。 イージーラインを続けて二回するのが習慣になり、それが私に
とってベストになっていた。ランニングマシーンのウォーキング30分に、
イージーライン(25分)を連続二回に、週二回のスローヨガ(50分)を
加えたことになる。チャレンジ10と勝手にキーワードを決めて昨日で4回目。
この言葉を繰り返しながら通っている。腰痛改善のためのコースと思えるほど
腰が軽くなる。40坪位のエアロビスペースに30〜40人。男の参加は4人。
殆どが常連で、最後列からみると全員、姿勢がよい。 まずは、あと6回は
参加すれば、恐らく常連になるだろう。 
 ・・・・・・・
3642, 現在、我々は歴史的災害の真っ只中にいる!
2011年03月16日(水)
   地震 ーつれづれに −5
 時間が経つにつれて、この歴史的大震災の凄みが現われてきている。
「震度7、M9、死者2万、津波の高さ20メートル、三陸沖の太平洋側
幅500キロにわたる広域の大震災である。その上、チェルノブイリ原発事故
以上?の福島原子力発電所の事故が生じていて、それを加えると世界的、
歴史的な大震災が現在進行形で進んでいる。」 まず、このことを認識して
おかないと! その心臓部の格納容器が爆発をしたら、日本だけでなく
世界中に放射性物質を撒き散らすことになる。一度、メルトダウンが始ると
止めるのは不可能。最悪の場合、本州の全滅もあるかもしれない。
それより、まず被災民に放射能が直接ふりかかる深刻な問題がある。 
株は二日間にわたり暴落をしている。これをきっかけに日本が本格的経済
恐慌に突入する可能性が出てきている。そこで非常事態宣言が発令され、
銀行閉鎖が行われ、預金移動や、貴金属などの取引に規制がかけられる可能性も。 
こういう隙を狙って中国、ロシアが日本の領土や技術を、アメリカは金融を
混乱させる?。 リーマンショック来の恐慌の最中の最悪期に、さらに最悪の
ことが起きたのである。まず株式、そして国債の暴落。その結果、アメリカへの
属国化は、さらにすすむ。「まさか、まさか、まさか」の出来事が、この20年
以上にわたり、眼前に次々と現れてきていた。その最大のリーマンショックの
本格的大津波が、まず日本に押し寄せてきている最中に、この歴史的大震災。
その結果、世界も日本発世界恐慌の瀬戸際にたっている。特に、この数日の
原発事故の推移を直視しておかないと! 
 東北新幹線、東北自動車道は完全麻痺、復興の目処がたっていない。
そのため新潟県の高速と、新幹線がバイパスとして使われている。
ことと次第によっては、地震、原発難民の受け入れ基地になる可能性すらある。
事態を知れば知るほど、背筋の凍る思い。これが起こってしまった現実である。
 ・・・・・・・
3277, 大恐慌 失われる10年
2010年03月16日(火)
   「2009-2019年  大恐慌 失われる10年 」浜矩子/高橋乗宣 (著)
  ーまずはアマゾンの内容紹介からー
■これから「10年恐慌」が始まる!
 アメリカドルは基軸通貨としての価値を失い、今後さらなる保護主義、
 統制経済へと突入していく。ユーロもドルに替わる基盤ができておらず、
 現在の大恐慌の痛手を直接こうむっている。リーマンショックに端を
 発した金融危機は、カネがカネを回す「金融IT化」「金融工学化」
 「金融証券化」の結末である。それゆえに、1929年恐慌とは異質なもの。
 これからの10年は「失われる10年」となるのか。その時、日本はどのような
 経済システムの中に組み込まれていくのか。大恐慌後の世界を、浜矩子、
 高橋乗宣2人の論客が読み解いていく。
■負の連鎖は世界各国に波及している 
 大恐慌の津波は、アメリカ本国よりもむしろ欧州各国に直撃していると
 言っていい。ユーロがアメリカドルに替わる基軸通貨となり得ないことが、
 各国の状況、IMFのこれまでの不始末から言及することができる。
●老衰死のイギリス
 サッチャー改革で巻き起こったイギリスバブルは、ロンドン一極集中で、
 地域格差を生んだに過ぎなかった。日本のバブルの轍を踏んだイギリスは
 「失われた10年」を経験する
●自閉症のドイツ 
 旧東ドイツのワーカー待遇改善で賃金格差縮小の狙いが、大恐慌で不透明に。
 立ち直りのきっかけを失ったドイツは、今後ネオナチの台頭の可能性も。
●目立ちたがりのフランス
「フランス・ナショナリズム」はどこまで突き進むのか?国外から入ってくる
 企業の締出しでサルコジ政権の実像が浮かび上がる。
●相変わらず身勝手なアメリカ
 オバマは自由主義、市場主義に別れを告げるのか? 貯蓄傾向が高まっている
 アメリカの消費は確実にブレーキがかかる。明らかになったドルの崩壊から
 1ドル=50円時代がやってくる。強烈な保護主義、統制経済となった時、
 日本は生き残れるのか?
暴走する国家は、今後、迷走する国家へと変貌を遂げる。さらにリセッション
する国、ギブアップする国、再びランディングを遂げる国……。
「失われる10年」は、我々にどんな教訓を示してくれるのだろうか。
 ーー
 この本、何を言いたいのか何度も目を通したが、よくわからない。
二人が対談をしているわけでもなく、対策を述べているわけでもない。
イギリスを中心とした欧州はダメ、アメリカは終わった。
中国もアメリカ目当ての輸出がダメで内需を目指そうとしているが、
日本でさえ輸出頼みを克服するため内需拡大を目指したがダメだったのに、
中国が成功するわけがないと切り捨てている。「この10年間は大恐慌で
大混乱、失われた10年になる」と結論づけている。 
甘い期待は無理ということである。
 


5478,閑話小題 〜ギョッとする ー②

2016年03月15日(火)

   * ギョッとする ー②
 人生で一番ギョッとする瞬間は、恐らく自分の死期を悟った時だろう。
何だかんだといっても、心の隅には、「自分だけは、そんなことはない。
まだ先だろう」という根強い気持ちがあり、その時に思う言葉が、
『あと10年は大丈夫と思っていたが、まさか自分が!』。
この数年、何人から聞いた、『あと二年と、医者に面と向かって言われた!
が、まだ信じられないし、受け入れられない。あと三年後にリタイアをして、
旅行三昧を計画していたが・・』と、悲痛な叫び。私など、過剰な量の酒を
飲んできたため、2〜3年以内に宣言される可能性がある。その時、いざ覚悟を
決めていたとしても、想像を絶する‘ギョッ’が爆発するのだろう。
 その前の‘一日一日’、いや、‘いま、ここ、わたし’を味わいつくす
しかない。生きている内、元気な内である。で、毎週、飽きもせずシネマに
通い、共同幻想の世界に浸りに行っている。シネマに限らず、TVで映画や、
ドラマの共同幻想の世界で夢見ている。やはり、父の口癖だった、「死んで
しまえば、それまでよ!」である。
  * 軽度の認知障害とは
 昨夜のバラエティ番組で、タレント?の蛭子能収が軽度認知障害(MCI)?
と診断された。天然ボケ発言が売りの67歳。「最近、ものわすれがひどい。
孫の名前が覚えられない」という彼が最新の脳検査を受けた結果、MCI・
軽度の認知障害が発覚した。家内から、『大丈夫?」と言われたが、まだ
大丈夫と自己診断をしたが、物忘れ、うっかりミスが、最近、あまりに多く、
ギョッとすることが何度かあった。

・・・・・・
5113,ホロコーストを生き延びて
2015年03月15日(日)
  * 囚人番号A26188〜ホロコーストを生き延びて〜
          〜15年3月11日 水曜 午後6時〜6時50分〜
 先日、大相撲が終わり何気なくまわしたチャンネルが、この番組。
当時の凄惨な収容所や、殺された人たちの写真と共に淡々と語る老婆
へニアの話に、我を忘れ見入ってしまった。転々としたどの収容所でも、
奇跡的に助かり生き延びた内容は、想像を絶した生き地獄。 途中で、
この番組を数年前に見ていたことに気づいた。 ポーランド、ソ連を
中心に500〜600万人が虐殺されたホロコーストは残酷の極み!何度見ても、
その悲惨さに驚愕をする! 〜NHKのHPの、その紹介記事から〜
≪ 1939年のドイツによるポーランド侵攻は、ある少女の運命を狂わせた。
 靴工場を経営する父と母、3人の兄弟と幸せに暮らしていたヘニアは、
マイダネク強制収容所、「シンドラーのリスト」の舞台として知られる
プワシュフ強制収容所、アウシュビッツ強制収容所、終戦時のベルゲン・
ベルゼン強制収容所と、4つもの収容所を転々とし、偶然と機転、そして
時には他人に助けられて奇跡的に生き残ったのだ。
 現在南アフリカで静かに暮らす彼女は、ホロコーストを知らない若者が
増えていることに危機感を抱き、今まで夫や息子にも話さなかった悲惨な
過去を明らかにすることを決めたという。目の前で日常的に繰り返された
ナチスの残忍な行為の数々、アウシュビッツ解放前に強いられた“死の行進”、
家族の行方―ホロコーストを生き延びた“囚人A26188”ヘニア・ブライヤー
が、壮絶な体験のすべてを語る。≫
▼ 20世紀といえば、スターリン、毛沢東、ヒトラー、ポル・ポトなどが、
 大量殺戮を重ねた世紀。彼らは国内や隣国の人民を1〜2割も殺戮した、
というから、平和ボケした日本では想像すら出来ない事態。 現在も、
北朝鮮が同じような状況にある。社会主義も資本主義も駄目というなら、
何が良いのか? その上、情報機器が飛躍的に進化する中、政治体制が、
それを持った大衆をコントロールするのは至難の業である。その行着く先は
混沌とした世界。そして極端な原理主義が、世を覆い、同じような大量殺戮
の世が再び、生じる可能性が出てきた。人間は本当に進化したのだろうか?
・・・・・・
4748,そんなに長生きしたいですか ー2
2014年03月15日(土)
      『日本人の死に時 そんなに長生きしたいですか』久坂部 羊著 
  * 長生きは苦しいらしい 〜こんなはず、なかった!
 両親二人の死に際を身近に見たが、死のは甘くはない。父は70歳、母は
88歳だったが、死は傍でみていて直視できない。しかし死んでしまえば、
それまでよ。その私も父の死の年齢まで、あと2年。 父は、余命一年で、
スキルス性胃ガンが発見され、宣言のとおり亡くなった。そうこう考えると、
いつ何時、何が起きても不思議でない危険水域に入っている。ところで、
「長生きは苦しい」ことは、老人仲間の会話以外は、どうもタブーのようだ。
 まず、第一章から、このテーマを取り上げている。著者は、老人デイケアを
中心としたクリニック医の経験から、その苦しみを数多見て、老人の
「死にたい願望」が如何に強いかを述べている。 ーその辺りより抜粋ー
《・「心臓発作で死にかけた老女が生きかえって「まだ、死にません」に対し、
 「そんこと言わないで。長生きしていたらよいこともあるでしょう」と慰め
でいうと、声を荒げ「いいことなど何もない。苦しいこと、辛いことばかり、
このまま死んだほうがどれだけましか」と・・
有料老人ホームに診断に行くことも多いが、そこで「朝、起きて死んでいたら、
どれよどよいか」「階段からこけて、そのままポックリいけたら、どれほど
よいか」という嘆きの声が多い。・・
・よく耳にするのが、「こんなことになるとは思わなかった」という嘆き。
◎腰痛と膝の変形に悩む老人が、歩行器にすがりながら顔をしかめます。
 「若いときから山歩きで鍛えてきたのに、こんなに腰や膝がいかれるとは。」
◎脳梗塞で右半身が麻痺した老女が、口惜しげに問いかけます。
 「健康には人一倍気をつけて、身体に悪いことは何もしなかったのに、
 なんでこんな病気になつたのでしょう」
◎頑固そうな男性が腕組みのまま、撫然としてつぶやきます。
「年はとりたくないもんですな。引退したら司馬遼太郎の全集を読もうと
 思うてたのに、目がかすんでとても読めん」 多くの老人が、予想外の状況に
 悩み、苦しんでいるようで。しかし、それらはありふれた老化現象のようです。
・脳梗塞やその他の病、それはどうやら老いというものが、だれにも初体験
 だからのようでした。七十歳になった人は、みんな生まれてはじめて七十歳
 になります。八十歳も九十歳も同じ。老人ははじめての老いの中でとまどって
 いるのです。こんなことになるとは思わなかったという老人の多くは、老いを
 楽観していたのではないでしょうか。老いても元気な人を見れば、なんとなく
 自分もそうなれると思ってしまう。逆に、老いて苦しんでいる人を見ても、
 自分はそうはならないだろうと。今、長生きを望む人たちも、今の体力に
 近いまま長生きできると思っている・・・》
▼ これを読んでいると、老いていくのが末恐ろしくなる。還暦を過ぎて、
 まる八年になるが、どうだったろう? 良いことも、悪いこともあったが、
やはり生きていて良かった。時代の変化の激しさと、情報化による恩恵が良い。
不謹慎だが、倒産劇も事業人生の終わりの仕上げのドラマ仕立で、面白かった?
これも人生の味。いつ何時、上記の状態になるかもしれない危機感が、この
状況で、日々を面白くしている! 長年の準備と、独りを慎めばこそ!
・・・・・
4381, ブラック・スワン −1
2013年03月15日(金)
        「ブラック・スワン」ナシーム・ニコラス・タレブ著
 衝撃的で、世界の見方は一変しなくとも大きく変わるはず。どうも、近くに
数羽、来ているが、何の化身か分からない。恐ろしそうなのは分かるが・・
人間など儚いもの。  ーまずは、アマゾンのないよう説明からー
■「ブラック・スワン(黒い白鳥)」とは何か?
 むかし西洋では、白鳥と言えば白いものと決まっていた。そのことを疑う者
など一人もいなかった。ところがオーストラリア大陸の発見によって、かの地
には黒い白鳥がいることがわかった。白鳥は白いという常識は、この新しい発見
によって覆ってしまった。「ブラック・スワン」とは、この逸話に由来する。 
ほとんどありえない事象、誰も予想しなかった事象の意味である。タレブに
よれば、「ブラック・スワン」には三つの特徴がある。一つは予測できないこと。
二つ目は非常に強いインパクトをもたらすこと。そして三つ目は、いったん
起きてしまうと、いかにもそれらしい説明がなされ、実際よりも偶然には
見えなくなったり、最初からわかっていたような気にさせられたりする。
■ 世界の見方を変える書
 私たちは自分で思っているほど実際には物事をよくわかっていない、
とタレブは言う。彼はそんな現象を長年研究してきた。私たちはどうでもよくて
取るに足らないことにばかり気をとられてしまう。そして相変わらず重大な事件
に虚をつかれ、そんな事件が私たちの世界を形づくっていく。本書でタレブは、
私たちにはわかっていないとわかっていることのすべてを語る。
「ブラック・スワン」に立ち向かい、それを利用できる驚くほど簡単な方法を
提示する。  ーまずは、レビューよりー
≪ ブラック・スワンが象徴するのは、理論というものを「検証」することは
 非常に難しく、「反証」することは非常にたやすい、ということ。我々は常に
ブラック・スワンを発見してからしか、ブラック・スワンを含む理論を作れない。
サブプライム問題に代表されるような、ファイナンス理論が想定していない事態
は、そもそも理論で管理することが不可能なこと!金融論や投資理論を少し聞き
かじると、リスク、期待値、確率、変動率などわかった気になる。しかし、
そうした業界で議論されているリスクとはカジノゲームと同じで計測できる
リスクに過ぎず、私たちが現実に直面する現実は、計測自体不可能な不確実性
の方が圧倒的に多い。そしてちょっと判った気になった程度が、実は一番危険
だと本書は教えてくれる。「黒い白鳥」とは極めて稀な出来事の象徴である。 
一羽の黒い白鳥が舞い降りただけで、それまですべてのことが崩壊する。
しかも、世間は判りやすい講釈のついた黒い白鳥には過剰反応する一方で、
講釈になじまない黒い白鳥の存在可能性は無視される。それが重大な結果を
もたらすにも関わらずだ。毎日たんまり餌をもらって暮らしていた経験主義的な
七面鳥は「世界は気前よく餌をくれる人間でいっぱいだ」という世界観を抱く。
ただし、その経験主義的な七面鳥の世界観は感謝祭の前日に崩壊する。
限定された経験から安易に結論を導き出すことへの警鐘。 たしかに、
今回の金融危機で沢山の七面鳥が悲鳴を上げたことは間違いない。≫
▼ 9・11、リーマンショック、3・11は、ブラック・スワンそのもの。
 「まさか」の出来事で、起こって初めて気づくこと。これは、このような
 歴史的大事件だけでなく、日常の中の出来事で多く見られる。
 だから、人生は面白く、刺激に満ちている。
 ・・・・・・
4007, 共喰い
2012年03月15日(木)
             「共喰い」田中 慎弥 (著)
 スポーツセンターからの帰路、図書館により文芸春秋に目を通したところ、
芥川賞受賞作の「共食い」が載っていた。一時間あまりで読んだが、初めから
終わりまで父と愛人と産みの母と主人公のシモネタ(異常な性生活)が続く。
受賞記者会見で、田中の世間に触れたことが殆んどない未知(無知)世界への
戸惑いの挑戦的態度がユニークで幼稚である。この小説は、近年の都会的軟弱
傾向の中で、生々しい性の世界が地方の地熱と相まって露な人間の本性を描き
だしている。主人公と私が同じ年齢で高校二年の設定が、気味悪さを増幅した。 
   まずは ーアマゾンの内容紹介ー
≪ 第146回芥川賞受賞作「共喰い」――昭和63年。17歳の遠馬は、怪しげな
 仕事をしている父とその愛人・琴子さんの三人で川辺の町に暮らしていた。
別れた母も近くに住んでおり、川で釣ったウナギを母に捌いてもらう距離にいる。
日常的に父の乱暴な性交場面を目の当たりにして、嫌悪感を募らせながらも、
自分にも父の血が流れていることを感じている。 同じ学校の会田千種と覚えた
ばかりの性交にのめりこんでいくが、父と同じ暴力的なセックスを試そうとして
ケンカをしてしまう。一方、台風が近づき、町が水にのまれる中、父との子を
身ごもったまま逃げるように愛人は家を出てしまった。怒った父は、遠馬と
仲直りをしようと森の中で遠馬を待つ千種のもとに忍び寄っていく... 
川辺の町で起こる、逃げ場のない血と性の臭いがたちこめる濃密な物語。 ≫
▼ どんよりした、田舎町での父子の葛藤の物語。数ページも読まないうちに、
 その世界に引きこまれていった。 自閉症?の田中ワールドである。その中で
主人公の二人の母親と父の愛人が、いやに生々しく浮かび上がっていた。
この作品に対して石原慎太郎が異議をとなえ芥川賞の選定委員を辞職した。 
地方の性の温もりを、どう捉えるかである。地方は逃げ場のない土着がゆえに、
ドロッとした人間関係が渦巻いている。その中での性の問題は深く、
それぞれの小さな地縁と 交友の中で発酵している。  
 ・・・・・・・・
276, 大暴落 サブプライムに潜む罠
2010年03月15日(月)
 一昨日、Wowowで、「リーマンショック」の映画化をした
「大暴落 サブプライムに潜む罠」を放映した。ロンドンの一人のトレーダーを
通して、サブプライム問題を具体的な物語にしたもの。ニュースやドキュメント
で返済不能になって売りに出されている住宅が度々、映像に出てきた。
その家族の姿がリアルに浮かび出されていた。アメリカはまだ物件を引き渡せば
免責され個人破産においこまれないが。(日本は破産まで追い込まれてしまう) 
この金融恐慌の一番の被害者は日本である。悲観的になるというより最悪の事態。 
現状は「茹で蛙」で身動きが出来ないで、ただ呆然としている状態。年金など
にも関わってくるから他人事ではない。この金融恐慌、「たまたまリーマンを
潰したことが想定外の金融恐慌になってしまった。」というのではなく、
アメリカが戦略的に金融恐慌を仕掛けてきたとしか思えないのである。
まだ、誰も言わないが。 ーその番組の概要をNHKのHPにあったー
 2008年9月に始まる株価大暴落。ロンドンの金融街で活躍するエリート、住宅
ローンを専門に扱うブローカー、住宅ローンを組んだ警備員、3人の男の人生は…
「大暴落 サブプライムに潜む罠」は09年7月に英国BBCで放送。米国でサブ
プライムローン問題が発覚する前の07年、ロンドンの金融街シティの金融マン
たちもまた、空前の好景気に沸いていた。多くの家庭が 不動産を担保に融資を
受ける中、住宅ローンの営業マン、デイヴは住宅ローンを組み込んだ証券を
売りさばき、法外な利益を上げていた。ある日、昔の同級生で警備員をしていた
ジムに出会ったデイヴは住宅ローンの契約を持ちかける。 だが1年後、株価の
大暴落はジムばかりでなく、英国中の人々の生活を一変させる…。
▼アメリカでは、トレーラーなどに住む破産者がニュースの映像に映し出される。
・・・・・
2901,のど自慢全国大会
2009年03月15日(日)
 昨夜、NHKで「のど自慢大会」があった。参加1万組の中から選ばれた
15組というだけあって、誰がチャンピオンになっても不思議ではないほど
素晴らしい内容。初めから最後まで涙が溢れた状態で聞いていた。彼らの歌が
一期一会のステージだからである。ジェロ、北島三郎、和田アキ子が、15人
の歌が終わった後に歌ったが、彼らの歌に敵うわけがない。
土曜日のゴールデンタイムに歌えるチャンスは一生に一度、全てを、一曲に
かけた魂の雄叫びに自然になっていた。盲目の少女がチャンピオンになったが、
優勝をして貰った大きいトロフィーを北島三郎が代わりに持とうとするのを拒み、
最期まで重そうに抱えながら歌った場面が感動的であった。あの重さは一生
忘れることができないだろう。恐らく専門家が15人それぞれにプロが歌と
振り付けの指導をしたのだろうが、素人の初々しさに加味されて何とも
いえない雰囲気をかもし出していた。 現在は、カラオケやスナックで素人が
プロ並みになっているが、それにしても上手い。 哲学的にいうと垂直に魂が
入っている(一期一会・・永遠)のである。またNHKの演出も良かったのも
見逃せない。それぞれの歌の背景にある人生劇場を浮出していた。
歌は人生劇場を情念化した時空の世界で、歌っている間は、その世界に
我を忘れて没入しているのである。現実だけでは人生は、あまりにも厳しく
過酷である。別世界を持たないと人は生きることだ出来ない。
それが読書の世界であったり、酒の世界だったり、趣味の世界だったり、
それぞれある。「のど自慢」を哲学的に考えることもないが、情念の世界を
無視することもない。そういえば、月に1〜2度はスナックで、カラオケを
歌うのが習慣になっている。何で人は歌いたくなるのだろうか?それは物語を
求めているからだろう。物語を歌で辿っているのである。ミニ自己実現、
そして、ささやかな宴ということだ。また一年に一度の楽しみが増えた。 
歳を重ね人生の深みが少しは見えてきたか!


5477,閑話小題 〜エレベータ落下の夢

2016年03月14日(月)

 20年位前から、年に一度位、乗ったエレベーターが壊れて急降下する夢を
みていた。何故かリタイア後からはみなくなった。ある本で、それには意味が
あるという。 そこでネット検索すると、以下のようにあった。
《 エレベーターが落下する夢は、あなたの運気がどちらかというと下降線を
 たどっていることを象徴していますので、慎重に事を進めるように。
あなた自身が現在手にしている地位や周囲からの信用を失う暗示である場合が
あります。また、実際に地位や信頼を失うことはないとしても、それらを失う
のではないかと心配するあまり、恐怖心や不安感が夢として表れることがある。
  ☆ かなり高い場所から落下するエレベーターの夢
かなり高い場所から落下するエレベーターの夢は、今トラブルを抱えていた
としても、自分自身でそのトラブルを乗り越えて、解決できることを意味して
います。また、自分の能力に対して高すぎる理想や目標を抱いているため、
理想と現実のギャップについていけない心の葛藤が表れている場合もあり、
地に足がついた生活に変更すべきとの警告を促す意味を持つ場合もあります。
  ☆ エレベーターが降下する夢
 気分が良い感じが残る降下するエレベーターの夢は、あなたを取り巻く
状況が安定していることを暗示していますので、心配する必要はありません。
もし、なかなか物事が決まらなかったり、落ち着かない状況が続いている渦中
の方であれば、その不安定な状況から脱却できる可能性があります。ただし、
自分自身が落ち目だと感じているときには、非常に不安定な精神状態が、降下
するエレベーターの夢として反映される場合もあります。
  ☆ エレベーターが止まらず降下し続ける夢
 エレベーターが止まることなく降下し続ける夢は、深く悩み過ぎている
心理状態の象徴ですので、少し気持ちを楽に持つようにするとよいでしょう。
また、自分でコントロールができない精神状態をも表していますので、
意識して心を穏やかに保てるような工夫が必要です。》
▼ 客商売は、いつ何時、緊急事態が起こる可能性があり、即座の対応が
 必要なため、常に緊張の糸を張っていなければならない。万一、対応できない
場合の不安が纏わりついているが、それがプツンと切れた状態が、エレベーター
の落下の心理状態ではないかと思われる。決まって出てくるのが、一番初めに
つくったホテルのエレベーター。古くなってガタガタ音がした後、急降下して
いく。上記の説明からすると、一部、納得できる。高層ビルのエレベーターが、
止めどなく上っていくところで夢から覚めたこともあったが。エレベーターは
違った階を移動する小さな密室の異空間。夢の象徴として考えると面白い!

・・・・・・
5112,タガメ女の正体  ー⑧
2015年03月14日(土)
       ー日本の男を喰い尽くすタガメ女の正体〜深尾 葉子(著)
   * 結婚の格言が何か、違って読めてくる!
 タガメ女とカエル男のシステムを知った後に、結婚の格言を読むと、
その意味が少し違って思える! それだけ、この切口のインパクトが強い!
 印象的なのが ー結婚とは、熱病とは逆に、発熱で始まり悪寒で終わる
(リヒテンベルグ)ー 干からびたカエルとタガメの溜息姿が目に浮かぶ。
☆ よい結婚はあるが、楽しい結婚はめったにない。〜ラ・ロシュフコ
☆ 恋は人を盲目にするが、結婚は視力を戻してくれる。〜リヒテンベルグ
☆ 四ヶ月の交際が一生を保証するだろうか?      〜ルソー
☆ 男と女が結婚したときには、彼らの小説は終わりを告げ、
  彼らの歴史が始まるだろう。         〜ロミュビリュズ
☆ 女が再婚する場合は先夫を嫌っていたからで、男が再婚する場合は先妻
  を熱愛していたからだ。女は運を試し、男は運を賭けるのだ。〜ワイルド
☆ 人間は判断力の欠如によって結婚し、忍耐力の欠如によって離婚し、
  記憶力の欠如によって再婚する。       〜アルマン・サラクル
☆ 結婚とは、彼の権利を半分にし、義務を二倍にする。〜ショーペンハウアー
☆ 結婚は、多くの短い愚行を終わらせる。一つの長い愚鈍として。〜ニーチェ
☆ 三週間互いに研究しあい、三ヶ月間愛し合い、三年間喧嘩をし、三十年間
  我慢しあう。 そして子供達が同じことをまた始める。 〜テーヌ
☆ あらゆる人智の中で結婚に関する知識が一番遅れている。〜バルザック
☆ 不本意な結婚をした男にとって、彼女は妻ではない。敵だ。〜プラウトウス
☆ あらゆる真面目なことで、結婚が一番ふざけている。  〜ボーマルシェ
☆ 結婚とは、ただ一人のため残りの人々をすべてを断念せねばならぬ
  行為である。                    〜ムーア
☆ 結婚は鳥カゴのようなものだ。 カゴの外の鳥は餌箱をついばみたくて中へ
  入りたがり、カゴの鳥は空を飛びたくて外へ出たがる。 〜モンテーニュ
☆ 男は結婚により女の賢を知り、女は結婚により男の愚を知る〜長谷川如是閑
▼ まだ現役のうちは良いが、退役後、20年以上の家庭内生活が待っている。
 その上、6年の介護生活といえば、地獄? 短い愚行と、長い愚鈍の果てに!
としても、やはり家庭を持ってみなくては! カエルからすれば、バイロンの、
「ずいぶん敵持ったけど、妻よ、お前のような ヤツは初めてだ。」(>_<ウッ!
   で、偶然だが、以下の文章につづく!
・・・・・・
4747,そんなに長生きしたいですか ー1
2014年03月14日(金)
    『日本人の死に時 そんなに長生きしたいですか』久坂部 羊著
 4年前から、18年続けてきた一年一度の「一日人間ドック」を止めた。
別に、深く考えた訳でなく、毎年、同じことの繰り返しでしかない。
検査で早期発見をしても、悪性なら助からないし、良性なら助かる。
それならば現象が現れてからでも同じこと。それをわざわざ、定期検査を
するのは洗脳されているのではないか?の疑問もあった。それと
「60歳までに、人生を生ききった、元をとった」という思いがある。
この数年、近藤誠と中村仁一の「ガンとは闘うな!」の影響もある。
お二人は、薬漬け、抗癌治療、健康診断そのものに疑問を投げかけているが、
この著者・久坂部は、アンチエイジング、長生き、そのものに疑問を投げる。
   まずはーアマゾン内容ーより
《 何歳まで生きれば“ほどほどに”生きたことになるか? 長寿をもてはやし
 抗加齢に踊る一方で、平均で男6.1年、女7.6年間の寝たきり生活を送る。
多くの人にとって長生きは苦しい。寿命は不公平である。だが「寿命を大切に
生きる」ことは単なる長寿とは違うはず。どうすれば満足な死を得られるか。
元気な内にさがしておく「死ぬのにうってつけの時」とは何か。 
数々の老人の死を看取ってきた現役医師による“死に時”のすすめ。》
 ー‘はじめ’からしてシリアスであるー
「本書は、長生きの良くない面にスポットを当てています。だから、
基本的にはいやなことを書いています。なぜそんないやなことを書くか
というと、巷にあふれる健康長寿情報にはあまりにウソが多いからです。
そんなきれい事ばかりを聞かされていたら、この先どうなるのか。
ますます老いや長生きが苦しくなってしまう。その危機感が強くあります」 
   ーあるレビューよりー
【 著者は現役の医師。「長寿」に対する日本人の考え方、医療のあり方に
 疑念を抱き続けてきました。そんな著者が臨床例を紹介しながら、長生きの
よくない面にスポットを当てて解説します。「今や早死にの危険は減ったけど、
長生きの危険が高まっている」という逆転現象。むしろ、長生きすることを
「リスク」と捉える傾向すらあるそうです… 身体は死のうとしているのに、
それを無理やり引き留めるのだから、死が苦しくなるのは当たり前。
延命治療のこういう側面には、なかなか気が付きません。誰もが初体験である
「老化」そこに大きな不安が生じるのは誰でも同じです。しかし、そこに
つけ込んだビジネスの多さに驚かされます。本書ではそれらの実態を踏まえた
うえで、改めて理想の「老い方」、そして「死に方」を提案してくれます。
長寿を願い、健康情報に振り回され今を忘れていませんか?
遠い先ばかり見て未来に逃げず、今を十分生きていますか?  】
▼ 最近、自分の血糖値や血圧の話題をしている人に違和感を覚える
 ようになった。「ああ、この人、洗脳されている」と。子供の頃、老人へ
の悪口に、「死にそこない」という言葉があった。現在、それを言ったら
袋叩きになるが、著者は、「死にそこなわないで、自然に任せて逝きなさい」
と勧める。死にそこなった老人たちの実態を見ているからだ。
・・・・・・
4380, 閑話小題  ーある相撲取り
2013年03月14日(木)
   * 長岡駅裏の道路拡張工事
 長岡駅裏から東バイパスまでの大通りの拡張工事も完成に近づいてきた。
40年以上もかかっている。当初は市役所などの施設を東バイパス近くに
移転する計画だったが、地主の反対などでSCなどに変更し、三年前に完成。
毎日、その一角にあるスポーツジムに通っている。自宅から150M位の
大通りの一角には、大東建託がマンションと、セブンイレブンが完成間近か。
これで近くにローソンとセブンイレブンがあれば、ますます便利。
   * ある相撲取り
 日本人を父に持つフィリッピン・ハーフの力士が二人が新顔として幕内上位
に上がってきた。その一人が枡ノ山という力士。 肺の持病のため、20秒以上
相撲をとると呼吸困難になる。母親の離婚のため、一度フィリッピンに帰国
したが生活が困窮し、一度断念した力士の夢と生活のため母と日本に戻ってきた
経歴を持つ。母は日本で看護士として働いている。 取組直後は呼吸困難のため
激しく息を切らす。「スタミナは一般人の半分以下」と、本人も認めている。
そのため激しいぶつかり稽古は無理で、特別メニューをこなしている。
相撲はブチカマしで押出しだけ。その必死な姿と、本番終了後の激しい息遣いが
共感をよぶ。20歳そこそこの青年が、生活のため必死に闘っている姿が、
身体全体に現れ出ていて、ドラマそのもの。 力士生命は、長くないのは自明。
これも人生である。もう一人、大卒で幕下からデビューしたての千代大龍という
力士がいる。三役に直ぐになるだろうと思っていたら、糖尿病になってしまった。
これは、力士にとって致命傷。食事制限で太れないうえに体力維持も大変になる。 
その後、身体が一回り小さくなったが、それでも勢いで幕内上位に上がってきた。 
昨日は横綱に初金星である。短命の力士生命を本人も知っていて、必死に闘う
姿が心をうつ。最近は、力士の人生を土俵上で見るようになってきた。
・・・・・・・
4006, 宇宙は本当にひとつなのか ー8
2012年03月14日(水)           
  * 超ひも理論とは    「宇宙は本当にひとつなのか」 村山斉著
【 これまで電子などの素粒子は大きさをもたない点として考えられてきました。
 ですが、素粒子をただの点として考えると、つじつまの合わない、ことが出て
くるようになってきたのです。そこで、考えられたのが素粒子は実はひもだった
と考える理論です。これが超ひも理論につながる最初の考え方でした。
素粒子が実はひもだったというのは、突飛な発想のように感じると思います。
どうすれば、今まで点だったものをひもとして考えられるのでしょうか。
超ひも理論でいっているひもは、とても小さなもので、その長さは一〇の
三三乗分の一マイナスセンチです。小数点の後にゼロを三二個並べた後に
一が来るくらい小さいものなので、私たちは見ることができません。 
超ひも理論では、私たちが素粒子だと思っていたものは、実は振動して
広がっているひもなのですが、あまりに小さいので点だと思い込んでいたという。 
今まで点だと思っていた粒子の正体がとても小さなひもだったという超ひも理論
が正しいものだったら、宇宙の姿も大きく変わってきます。まず、宇宙は
一〇次元でなければいけないことになります。一次元の時間に加えて空間は
九次元ということですので、私たちが目にすることのできる三次元空間の他に
小さな異次元が六次元あることになります。加えて、プレーンと呼ばれる
三次元空間の膜も確かに存在して、物質はその膜に貼りついているという
ことも、理論が正しいことになります。】
▼ 物質をカタチつくっていた素粒子が、実は振動して広がっているヒモ
 だったとすると、モノとは何かという原点から考え直さなければならなくなる。
その超ひも理論が正しいと、宇宙が10次元なければならなくなり、空間が
9次元なければならないという。それから、多元宇宙論が導き出されるという。
「物質は、コトの一時的現象」という話を聞いたことがあった。
コトのエネルギーから生じるのが振動なら、素粒子と思っていたのがヒモ状の
振動と同じことになる。人間の感動も魂の振動。下にコピーしてある,
二年前の3月14日のーカントの神について、どう語ったかーが、宇宙論を
読むと符合する部分が多い。その前年分もか。
 ・・・・・・
3640, 大地震 ーつれづれに ー3
2011年03月14日(月)
* これからは原発の放射能漏れと大爆発の可能性がクローズアップをする。 
 まず現在、何が起こっているか頭を整理してみよう。
明治三陸地震以来の岩手、宮城、福島県沖の活断層が400キロにわたり起こった
地震と大津波。世界的にみても、今回の地震は最大規模の一つになる。
 1番 チリ地震(M9.5 1960年) 2番 アラスカ湾地震(M9.2 1964年) 
 3番 スマトラ島沖地震(M9.1 2004年)
 4番 東北地方太平洋沖地震(M9,0 2011年)
  カムチャッカ半島地震(M9.0 1952年) 
 今回の規模は、日本の歴史的にみても、一番大きな地震と津波。
人的被害では、関東大震災がある。1923年9月1日(土曜日)午前11時58分32秒、
神奈川県相模湾北西沖80kmを震源として発生したマグニチュード7.9による災害。
死者・行方不明者 14万2800人。地震の発生時刻が昼食の時間帯と重なった
ことから、136件の火災が発生しめ死者が甚大になった。今回のように、地震、
津波、石油の備蓄基地の火災、市街地の火災、原子力発電の爆発と放射能漏れ
など起こりえる全てが重なってしまった震災は過ってなかったこと。 
地震災害研究者からみたら、これほど研究材料の多い災害はない。
* この土・日曜日のTVは、東北・関東大震災の報道で一色。
 リアルタイムの生々しい内容に時間を忘れて終日、見入っていた。
三陸海岸には津波に対する警戒もあり監視カメラが多く設置されており、
個人のビデオカメラなども含め多くの映像が映し出されていた。 
日がたつにつれてYoutubeなどから多くの映像が出てくることになる。 
急な避難のため体一つで逃げてきた人が大部分。帰る家も金も無くした被災民は
今後、大変だろう。年寄りなら生活保護があるが、中年の人は、この大不況の中、
生活していくのは大変。 それでも、助かっただけでも良かった。 
 ところで、福島原発から200キロもはなれた女川原発の放射能の値が、
福島原発から流れてきた放射能で、普段の観測地値の400〜700倍になった。 
すると300キロ位しか離れてない新潟も何らかの影響を受けることになる。
 一回ごとの発表が、どんどん悪くなっているのが気がかりである。
深刻な事態になっているのだろう。大爆発の可能性も考えていないと! 
家に閉じこもっているしかないのか? 
・・・・・・・
3275, 哲学者は神について、どのように語ったか ー5
 2010年03月14日(日)
 * カントは神の問題を、どう片付けたか
 哲学の問題は古代以来、「世界は何で出来ているか」「神は存在するか」
「真理とは何か」「自由と自然因果律の関係」等、大きく4つに分け考えてきた。
人間の「理性」に絶対的な信仰を置き、これらのテーマについて壮大な哲学を
構築してきた。それについて、カントは、その問題自体が無意味と切って捨てた。 
カントは、「世界」「真理」「神」は、元もと、理性の外にあるとした。
神も含めて、理性では認識しようがないとした。 カントは、もし神がいる
としたら、客観(本質)は神のみが認識できる。人間の理性は限界があるから、
人間が相手に出来るのは、もっぱら世界の現象でしかない。カントは、世界を
神のみで知る「本質」の世界と、人間が「理性」によって認識できる「現象」
の世界に分断してしまった。本質の世界は、理性では捉えることができないと、
一蹴してしまった。 多くの哲学者が悶々として苦しんできた問題を、
そこで切り捨ててしまった。 そうこう考えると、神の存在そのものを問うこと
自体が無意味ということになる。神は、この宇宙の外の存在者と仮説をたてて、
その内なる人間の理性で、その存在を問うことと自体が初めから無理。
 ウィトゲンシュタインの「語りえるものは明晰に語り、語りえないものは
沈黙を」と同じことになる。「哲学は真偽の分からないことばかり語っている、
判断の出来ないことを語ることなかれ!」と。だから、誰かに
「神は存在するか」と問われたら、上記のような説明がベストになる。 
とはいえ、神について、のっけから考えることを遮断するのも問題である。 
理性で現象だけを追い本質を分断することになる。人間は言葉を持ってしまい、
イメージとしての死の恐怖を植えつけられてしまった。その恐怖から逃れるため
客観としての宗教が必要である。人生そのものは振り返ると夢・幻でしかない、
と感じる。それなら、その人生の光を包む暗黒のイメージに光の根源を入れて
おくこと、それも人生をかけて、つくりあげることも大事なこと。
アッラーの神、ヤホバ、何でも良い。 イスラム教徒の祈りなど、
非常に理にかなっている。あれは光の根源の祈りである。
 偶然、気づいたが、去年の同日、書いた以下の内容に続く。
 


5476,閑話小題 〜ギョッとする

2016年03月13日(日)

   * かなり春めいてきた。
 プロ野球のオープン戦が始まり、大相撲の3月場所、春の甲子園、そして、
オリンピックの地区予選も始まる。ふと、社会をみると、入試と合否の発表、
就職、進学等で希望に溢れた若者たちの姿が現れ、桜の開花と花見などの
エネルギーに満たされる。そして、春のゴールデンウィークをむかえる。
ところで、今年は何をして楽しむか?
   * ギョッとする
 ギョッとするとは、ネット辞書によると、
【突然予期しないことに出会って、驚き動揺 するさま】とある。
 年をとるとは、「あれは、あれ。これは、こういうこと」と、経験の壁で
囲われて、「ギョッとしなくなること」ではないか。小さな経験範囲で決め
付けて、その周辺とか、真相をみようとしなくなる。それを防ぐのが読書、
旅行、散歩だろう。そこには小さな発見や、ギョッとする驚き。犬も歩けば
棒に当たる、である。 海外ツアーで臨時の小集団で旅行をしている内に、
それぞれの人生を垣間見ることになるが、様々な人生にギョッとすること、
しばしば。と同時に、合せ鏡でみえてくる自分自身に驚き動揺する。
それより大自然や、人類の文明、文化の異質にも驚かされるが、これを
ギョッとはいわない。それは、身近な驚きが中心である。
 ところで、最近、ギョッとしたことは何だろう? しばしばギョッとする
のは、自分のあまりの無知、「何にも知らなかったんだ!」である。
知れば知るほど、知らない世界や物ごとの深さと広さを知る。
これこそ、「ギョッ」である。 ったく!

・・・・・・
5111,僕の死に方 −2
2015年03月13日(金)
   * 死への絶叫
 最期の著者の叫びが、生々しい。知人が次々と亡くなっているが、
このような内なる叫びをしていたのだろう。著者が死期を悟った一月前からの
具体的記述のため、心を打たれる。死に際は、これが実態。誰も通る道である。
20年以上も前に、『死ぬための生きかた』と、続刊『生きるための死にかた』
という、様々な死に際の手記をマトメタ本を読んだことがあるが、それは
生々しい!  この、一節から   〜p161
≪ あと一年半の命のところ、苦しい治療を受ければ3ヶ月伸びることに
 なるらしいが、一年半のままで終わっていい。最後まで、こうしてやりたい
ことをやり、妻とふたり、長いことおしゃべりして死んでいけるのがいい。
寿命が三ヶ月延びる治療で苦しませるのは、本人のためになるのだろか。
家族が精一杯のことをやったと思えるだけのために、0・01%もない
奇跡のため、国の治療費を無駄使いするのは本意ではない。
 正直、自殺したい。
 でも、もう、それもできない。
 体がまったく動かない。
 率直に言うと、今すぐ死にたい。この苦しみから解放されたい。
 誰かが死なせてくれるなら、頼んで死ぬという気持ちにもなる。
 でも、もう動けない。 歩けないから、ベランダにもたどり着けない。
 飛び降りようにも飛び降りられない。
 痛くて苦しくて、胸の周りがなんとなくもやもやして、生きた心地がしない。
 このまま逝ってしまうかもしれないと思っているけれど、まだ生きている。
 天命に従うしかないのだろう。
 自分の人生を選択してきたつもりだったが、
 最後の最後になって、終わりの瞬間を選べないとは。
 でもいい。
 自分は最後まで、自分に正直に生きてきた。
 濃い人生だった。そのことを誇りに思う  ≫
▼ 近所に住んでいた家内の友人が、似たような肺の病気で亡くなった。
 通夜で聞いてきた「息が出来なくなった断末魔の苦しみ」は、壮絶!
大方の人が、このような思いで死んでいくのだろう! 明日は我が身。
ここに、生への希求(砂漠の中で一滴の水を求める渇き)が書かれてない。
その渇きと、苦痛と、苦悩は、直ぐにでも死にたくなるほど辛いのである。
死ぬ時は、のた打ち回って死ねばよい。そうして生まれてきたのだから!
・・・・・・
・4746,閑話小題 ーソロモンの指輪の物語 〜2
2014年03月13日(木)
  * 情報端末と、ソロモンの指輪  <つまずき>の事典>中村邦生編著
40年近い事業生活の中で、人に縛られることを嫌い、心の自由を大事にしてきた。
ところが、振り返ってみると、自分でつくりあげた思い込みに、勝手に雁字搦め
になっていたようだ。このところ、パソコンやデジカメ、テレビの機能が飛躍的
にアップ。知識、情報面では、非常に自由になって、面白く、楽しい反面、自由
の持つ危険が発生してきた。この「ソロモンの指輪」、まさに情報機器とネット。 
  ー以下の内容が、それを暗示しているー
【ソロモンの指輪とは、その指輪を持つ者は、あらゆる動物・植物と会話する
 ことができると言われる魔法の指輪。ソロモンとは、古代イスラエルの富と
知恵にすぐれた王であり、誰よりも賢く、どんな難問でも解決したといわれる。
ソロモン王は、名誉や財を求めず、知恵のみを求めたため、神が褒美として
神の名前を彫った指輪をさずけたとされる。その指輪は知恵のみでなく、他の
すべての力の源になった。ソロモン王は、その指輪の力、動物や植物たちと話
をし、悪霊たちを秘法をもちいて操り、平和に導いたとされます。
神の守護によって守られた指輪の力が絶大だった。】
▼ スマートフォンやタブレットPCこそ「現代のソロモンの指輪」。格差の源に
なる情報が大衆に行き渡り、誰も平等に入手できるようになったが、問題は一つ
(指輪)だけでなく、大方の人たちに入手可能になったこと。検索で、あらゆる
知識と知恵が、簡単に現出するのだから、人間が道具を持って以来の20万年来
の大革命!も、過言でない。そのパソコンの進化もとどまることがない。最近、
ローンだが、新しいパソコンを入れたが、その段差に戸惑っている。
6年来なら当然だが。よりコンビニエンスになっている。これにiPadがあれば、
隙間時間を手軽に楽しめる。その点、世界中の多くの人たちが、ソロモン王に
なった。とにかく、日々が面白い! 豊かさの定義は「心配しないで済む金と、
自由の時間と、健康と、少々の教養があること」だが、それが持てないから
苦労する! ソロモンの指輪というより、首輪にならなければよいが・・ 
シネマも、自転車、TV、タブレット、時計、台所、車、何もかもがユビキタス
で成り立っており、その恩恵を受けているが、マイナスも蓄積している。
ただし、ご隠居生活の身には、素晴らしい指輪である。
・・・・・
4379, 「世間」の捨て方  ー2
2013年03月13日(水)                
 * 世間の奴隷が発する、二つの質問 ー「世間」の捨て方ーひろさちや(著)
≪ 聖徳太子は「この世の中は何なんだ?」の疑問に、「世間虚仮、唯仏是真」
 と答えている。この虚仮は、「自分をコケにしやがって」の虚仮である。
早い話、私たちの生きている世間は「嘘偽り」ということ・・ その嘘偽りの中、
人間は、つい「生きがいとは何か」「どうすれば幸せになれるか」と自問自答。
そういうことを考えて生きること自体、世間の奴隷になっている証拠。
それらを考えることは、自分で手枷、足枷をはめて奴隷になっている。
そういった物差しなど捨てて、もっと自分らしさを求めようではないか。
世間の中で生きているには、それらから逃れることは出来ませんが、幸か不幸か、
今の日本も滅亡までのカウントダウンが始まった。出世間には最適のタイミング。
少しずつでも、世間のしがらみから、抜け出すときである。お釈迦様は、
「自灯明、法灯明」と説いている。これは自分自身を灯明にしなさい、
ということ。それより、「世間のどれいになってはいけない」ということ。≫
▼ 世間の奴隷の優等生になるなら「孔子」を、奴隷から逃れるには「老子」
 を、その中庸なら「孟子」に従えばよい。それから超越するに仏の教えを灯明
にすればよい。世間という言葉には、「現象にドップリ浸かった考えない人たち」
という意味がある。その感覚世界だけの幸せと生きがいを求めるの人たちを、
著者は世間の奴隷という。趣味など自分の世界を持って、そこに生きていれば、
そこに身近な7〜8人の人を立ち入れないことだ。その趣味の世界にも世間がある。
したがって、孤独の世界をつくっておかなければならない。
孤独の世界は、求道の中にある。「学び、遊び、働き」のそれぞれの場面で、
個として守らなければならない。それが出来ない人たちが世間の奴隷になる。
生きがい、幸福を自問自答するのは、それはそれでよい。問題はとらわれない
こと。「進歩したい、向上したい」という気持ちも、考えてみれば、世間向け
の気持ち。とにもかくにも面白く、楽しくなければならない。
最期に、「ああ、面白かった!」と言えればよい。
新潟駅前の事業を総括して一つ言える、「ああ、面白かった!」。
本心である。それだけでない、事業の創業を決心してから、現在に至るまで、
本当に面白かった。 咽喉ぼと過ぎればだが・・ そうこう考えると、
感謝、感激、感動こそ人生である。
・・・・・・
4005, 宇宙は本当にひとつなのか ー7
2012年03月13日(火)
  * 人間原理とは   「宇宙は本当にひとつなのか」 村山斉著
【 この宇宙の物理法則を見なおして見ると、人間が出現するための条件が
 そろうようにできているのです。例えば、暗黒物質があるおかげで、星や
銀河が生まれましたし、量子力学の法則の存在するおかげで、原子が潰れずに
存在でき、私たちの体も壊れずにすんでいます。また、私たちの世界は三次元
空間が大きく広がっていて、それ以上の次元はとても小さなっていると
考えられる。空間が三次元に広がっているお陰で太陽系が存在できています。
太陽系は、八つの惑星をはじめ、たくさんの天体が太陽の周りを回っています。
もし、大きく広がっている空間が四次元以上だったとしたら、太陽の周りを回る
たびに少しずつずれてしまい、同じところをグルグルと回ることができなくなる。
一方大きい空間が二次元しかないと、DNAの二重らせん構造をつくることができない。
生物が存在できるかどうか怪しいものです。・・ そのようなことを一つ一つ
考えていくと、この宇宙はうまくできすぎているのです。たくさんの条件をもった
宇宙がランダムにつくられていったと考えるにはできすぎているというところから
考えられたのが、人間原理です。人間原理によると、人間が存在できるように
宇宙の条件がそろえられているのは、ある意味で当たり前のことなのです。
宇宙のことを観測するのは人間。人間が存在できる条件を満たしていないと、
人間が生まれません。人間が生まれないということは、観測されないわけなので
存在しない、もしくは存在しないのと同じです。たくさん生まれた宇宙の中で、
ごく稀に条件がそろった宇宙に人間が生まれ、そのような特殊な宇宙だけが科学
の対象になり、私たちが見ることができるという理論になっています。・・
 自然法則やその中に含まれる物理定数は、人間のような高度な生命を生み出す
のに丁度適した構造になっている。これはファイン・チューニングと呼ばれる。
人間原理は、このファインチューニングという現象に対する説明を与える。
宇宙の自然法則と物理定数が生命の存在を許す絶妙なバランスを取っている事の
理由を説明する議論には、他に、知的な存在を仮定する宗教的な立場として
創造論あるいはインテリジェント・デザインがある。それに対して、
人間原理は超越的な存在を仮定しない自然主義的なアプローチである。 】
▼ 人間原理の「人間が現に存在をして認識するから宇宙が存在をする」は、
 カントの対象に対する認知の貼り付けの認識論に似ている。宇宙の広ろがりを
知るほど、人間の存在と知能の不思議さを改めて思うことになる。「丁度良い」
が、我々人間にも、住んでいる環境にも言えること。それを再確認するに、
「ありがとう」を口癖にするのがベストになる。宇宙論も、最後は精神論か。
 ・・・・・・
3,639、大地震 ーつれづれに ー2
2011年03月13日(日)
 今回の地震の被害地・三陸地区はリアス式の入り組んだ海岸のため津波を
増幅させ、被害を大きくした。1896年の「明治三陸地震」は津波高さ 38M、
死者不明者が2万2千人が出た。その37年後の1933年の「昭和三陸地震」
では、高さ28メートル−死者不明3千人、M8・1であった。 今度の津波は
7メートルだが、津波の広がりは格段に大きいもの。 名称は本来は
「平成三陸地震」が妥当だろうが、広範囲から最も頻繁に使われているのが
「東日本大震災」。しかし「東北地方太平洋沖地震」と名称されたようだ。 
インド洋の大津波をビデオで何度かみたが、それに似た大津波を日本でみよう
とは思ってもいなかった。色々な映像をYoutubeなどで見るにつけ、巨大津波に
驚きざるを得ない。 今回の地震は、北海道から九州までにわたっており、
広範囲が特徴的である。 その中で首都東京に津波が発生しなかったことが、
不幸中の幸い。もし海水が流入したら国家機能が大きく麻痺をするになる。
東京都内は地下鉄が網羅しており移動が非常に便利である。
それが浸水したら都民の足は大きく損なわれる。 関東・東海大地震も遠くない
将来、必ず起こるといわれている。それにしても、大津波の映像の迫力には
驚かされた。釜石に押しよせた大津波の海水の流入や、広範囲の津波が海岸線を
飲み込んでいく場面には息をのんでしまうほど。 地震から発生した大津波、
市街地や住宅地の火災、石油基地のタンク火災、原発の放射能漏れなど、
全ての問題が噴出してしまった。 特に、原発の爆発と放射能漏れという
大問題が生じたが、この数日は目を離せないことになった。世界のマスコミ
にとって、これほど映像として引き付けらるネタはない。それがリアルタイム
に世界に流されるのだから、日本の株、国債、円にとって大打撃になる。
明日開かれる市場によっては、本格的恐慌に入る可能性がある。
弱り目に祟り目の循環が始るのだろうか? 土木・建設業界に
とっては神風になるが、日本経済には大打撃になる。
 ・・・・・・・
3274, ビックカメラの店頭は今!
2010年03月13日(土)
 大型家電チェーンの店頭は時代の世相をそのまま現す。新潟駅新幹線
出口の近くに位置して今まで10年以上あった「ヨドバシ・カメラ」がある。
同じ駅中に競合の「ビック・カメラ」がオープンして一年になる。
「ヨドバシ」は、これまで数年ごとに思い切ったレイアウトの変更をしてきた。
それを見ていると、その時どきの時代の流れが見て取れた。携帯電話、デジカメ、
パソコン、薄型TVの位置関係と種類と量だが。 ビックカメラの店頭は、
ある意味で駅周辺では現時点では一番ホットなところ。で、店頭をみると、
向かって一番左側に携帯があり、中央に入って直ぐにモバイルパソコンが
10種類以上展示してある。店のメインになる位置である。
そして、その後ろに最新の薄型TVが並んでいる。両方とも、売り場の至近
距離にあり、「これが現在のパソコンや薄型TVのホット商品ですよ」という
紹介である。モバイルパソコンは、小さくて何処へでも移動しやすい。 
これだったら、常に持ち歩きが可能である。 各メーカーはiPadを意識
しているようだ。 で、ドチラ?といえば、やはりiPadを選択する。
モバイルパソコンに、ツイッターが組み合わさって、この数年で社会が一変する。
他のメーカーも似たような商品を出すだろうが、iPhone、iPodに
なれた客はiPadを選択する。私も会社も、自宅もMacのパソコン。
さらに、携帯もiPone、音楽もiPod。 立派なMacFanである。
 情報化の更なるウネリはマスマス大きくなるばかり。その元は、すべて
アメリカ発である。ところでMacがデジカメに興味を示したら、どんな
カメラを創ってくるのだろう。今のところカメラやビデオを一つの機能として
しか見てないが、思わない切り口があるはず。で、新聞をみていたら、
デジカメの裏面が全てiPhoneのような画面でタッチパネルの新商品の
紹介記事があった。見るからに面白そうである。家電の店内は夢があってよい。
・・・・・・・・・
2899, イオンの誤算
2009年03月13日(金)
 イオンには大学を卒業直後、ジャスコの創業期に一年在社したことがある。
まだジャスコ・オカダヤという名前で、三社合併の一期生。僅か一年でも
全エネルギーをようした記憶がある。その後のジャスコの躍進は目を見張る
ものがあったが、地方の郊外型SCに全エネルギーを傾けたことと合併が最大戦略
ポイントであった。辞めた直後に三菱商事と組んでダイヤモンド・シティを
設立したのを憶えている。その7〜8年後に長岡に立ち寄った元同僚の話によると、
「SCが大当たりで、テナント料だけで元が充分とれ本体の出店はイニシャル
コストも、ランニングコストも零になる」という。
  (字数制限のためカット 2011年3月13日)
・・・・・・・・・
2535, 今年のフランチャイズ・ショーの感想
2008年03月13日(木)            ヾ(@⌒ー⌒@)ノおはよ?♪
二年ぶりにホテル・レストランショーと、フランチャイズショーを見てきた。
晴海に出来たビッグサイトで毎年開かれているが、30年来毎年行っていたが、
この数年は隔年にしている。おおよそ大会場を二回周る。一度目は大雑把に
見て周り、二周り目は気になったところに行く。もともと店舗ショーと、
一緒に行われていたが数年前から分離、開催されるようになった。ただ不景気
のためか、年々勢いがなくなっている。 
 〜今回、面白いと思ったのを挙げてみると、
*木製のカプセルホテルのベッドである。
 家具屋が忠実に防音をテーマにして作ったもの。ホテルのテナントが撤退した
あとに狙いを付け提案型にしたのがポイント。当方にぴったりだが、少し値段が
高いのが玉に瑕だが、木製のカプセル内は寝ていても 抵抗感が無いのがよい。 
 何か押入れの中で寝ているような感覚になる。 しかし木工団地の家具屋に
行って特別仕様でつくれるレベルである。 だから提案型にしなければ、
誰もが自分で家具屋と組んで作るだろう。
*次に面白いのが電子レンジ・炊飯器。
 (字数制限のためカット 2012年3月13日)


5475,閑話小題 〜中国輸出25%減の衝撃

2016年03月12日(土)

   * 中国輸出25%減の衝撃
 中国の輸出が25%減というニュースに目を疑った。マイナス要素が幾つか
重なったとしても、あまりに大きい。 〜ネット検索のブログ〜より
≪ 中国の最新輸出入データが発表、輸出が25%も減少していたことが判明。
 これは、半端な減り方ではない。おりしも全人代で目標経済成長率が
6.5%〜7%のレンジとされたばかり。果たして、失業の痛みを伴う経済
構造改革と、社会不安が起きない程度の安定成長が両立できるのか。
二兎を追うものは一兎をも得ず、となりかねない。ジョージソロスの、中国
ハードランディング説が再度市場で取り沙汰されている。全人代では供給
サイドの改革として減税、そして、イノベーション分野強化が打ち出された。
 この実現の過程で、ゾンビ企業の淘汰が必要となり、オールドエコノミーの
会社に働く労働者の過渡的失業は必至だ。その失業対策は諸々盛り込んである
が、肝心の職を失う労働者たちが、政府に対して黙っているだろうか。
 金融政策の分野で、例えば、預金準備率引き下げにより、市中への通貨供給
を増やすことで、痛み止め効果を狙っても、それは、根源的解決にはならない。
寧ろ、供給されたマネーがゾンビ企業の救済に廻る可能性も強い。
輸出急減を回復するには、人民元安政策が最も効果的だが、同時に、人民元安
は中国からのマネー流出を加速させる副作用があるので、大きなリスクを伴う。
 結局、財政政策=リフレ政策頼みとなろう。財政赤字の対GDP比目標が
2.3%から3%に引き上げられたことは、財政政策発動の意志を明確に表して
いる。但し、財政出動で、ただでさえ中国国内で余っているモノが、もっと
つくられるような結果になれば最悪だ。イノベーション分野にキッチリおカネ
が廻ってゆくか。魑魅魍魎とした中国社会では、分からない。最終的には
党の意向により決まる国だ。≫
▼ 上海株価の暴落がおきてないことに、驚かされる。暴落懸念の銘柄が取引
 中止が可能になるのだから、これは本来の株式市場とはいえない。日本か、
欧州か、アメリカか、中国の何れかから発火するのだろうが、問題は、それを
切欠とした暴動、テロ、戦争。第一次、第二次、東西冷戦に続く三次大戦が
既に始まっているのかもしれない。日本は、この上に大震災の予兆である!
それを忘れようと、楽しい楽しい、東京オリンピックの祭典が待っている。
・・・・・・
5110,僕の死に方 −1
2015年03月12日(木)
         ー僕の死に方 金子哲雄著ー
 流通ジャーナリストの著者が亡くなった後、この本が出版され週刊誌などで
話題になった。その本を先日、図書館で見つけ借りてきた。亡くなる一月前から
執筆したため、内容は生々しい。TV番組でスーパーや家電店で、安く購入する
コツをフレンドリーに解説する姿を度々見かけていた。 〜アマゾンより〜
< 突然の余命宣告。絶望の中でやがて彼は「命の始末」と向き合い始める。
 その臨終までの道程はとことん前向きで限りなく切なく愛しい。2012年10月、
「肺カルチノイド」という急性の難病により、41才という若さで急逝した流通
ジャーナリスト、金子哲雄さん。死期を悟った金子さんは、会葬礼状まで生前に
用意し、自分の葬儀をプロデュース、自らの死をも「流通ジャーナリスト」
としての情報発信の場にした。まさに、みごとというほかないその最期・・ 
 しかし、彼が「余命0」宣告を受け入れ死の準備を整えるまでには、
乗り越えなければならない悲しみ、苦しみ、そして何より、最愛の妻を残して
いくことへの葛藤がありました。死の1か月前から、最後の力を振り絞って
書き上げた本書には、その一部始終が綴られています。
  【担当編集からのおすすめ情報】
《 金子さんのマネジャーから担当編集者宛に、「金子さんが肺カルチノイド
という病気を患い、もう助からない。本人が会って話したいと言っているので
来てほしい」という連絡を受けたのは、亡くなる1か月前のこと。
40代で死ぬということがどういうことか、妻に何を残せるのか、気持ちに
どんな変化が起きるのか・・金子さんはそれらを書残したいと言いました。
 亡くなる直前までパソコンで書いた言葉が生々しい。『病気だけは想定外。
描いていた未来が、病気になったことで見えなくなった。病気になった後は、
遠い将来の目標に向かうわけにいかない。自分にとっては苦手な、今日一日、
この瞬間、瞬間を重ねて生きるという生き方に変えなくてはならなくなった。
これではどう生きていったらいいのかわからないとも思った。遠い未来が
見えない状態で生きていくことは、自分にとってはきつい。でも、明日、
今日、今と、ごく近い未来を目標に生きるのにも、少し慣れた気がする。』》
▼ 50歳半ばから、次々と友人が亡くなっていく。そして、徐々に自分の番?
 かと、不安が増す。想定死亡年齢を75歳とすると、残された時間は6年。
それも、いつ余命を告げられても不思議でない。父の享年の71歳まで二年が
当面の目標。そして次が、オリンピック開催辺りになる。介護期間が、平均
9年というが・・ このような、死にぎわの体験本を多く読んできたが、実際
に直面するのとは全く違う? それから死ぬまで、それまでの一生分を生きる
ことになるが、これも人生の一部。プッツンが良いが、恐いが、のたうちも!
・・・・・・
4745,閑話小題 ーあれから三年
2014年03月12日(水)
  * 現実に経験し、そうなってこそ、知ることがある!
危険水域に入っているのは解ってはいたが、それでも、倒産など、その数ヶ月
前までは、思いもしなかった。当時、前年比20%半ばの売上減が三年目に
入っても続いていたが、それでも何とかなる!という、気持ちがあった。
そして年末の支払に、予備資金を一時的に、手を付けざるを得なくなった。
3年来の売上が半分、10年間で、三分一まで、売上ダウン。その事態は10前
には考えられないこと。予備資金を使いざるを得なくなった事態と、年次決算が
償却前で赤字が事業断念と予め決めていた。資金枯渇前の事業断念は、当然。
 その前に、家族や知人の連帯保証人による借入や、高利貸しの借入もあるが、
子供の頃からの倒産に関する見聞で、タブーは分かっていた。資金繰りに
追われる前に、前倒しの実質自己精算の決断をしたことは、ここで書いてきた。 
三年経った現在、振り返ってみて、ベストの決断時だったと、自己総括している。
 5つの事業物件も順調に売却でき、四割近い自己弁済が出来た。後で知ったが、
平均の弁済率は11%とか。金融機関では40%以上が目標になっている。
 林原、林原生物化学研究所、林原商事のグループ中核3社が、同じ頃に会社
更生法適用を出した。その弁済率が93%というから、銀行と、何処かの国の
共同陰謀?の疑いを持たれるのは当然。酷いものである! 事業物件の弁済の
ための売却相場は、半値八掛(4割)が通り相場。その差額は、誰かが利益を
得ていることになる。 事業が、この結果で終わって、どうだろう? 
私の人生にとって、ベストだったか、ワーストだったか。仮に、ベストだった
としての要素を集め、筋立てを組立てると、それなりの物語になる。
「老後は、年金生活範囲で、ごく普通に暮らせれば良しとすると、緊張感の
中で、神経を尖られてきた40年の事業人生より遥かに良い」というのは、
自己欺瞞?。 会社の代わりにスポーツジムか、図書館に通う生活も悪くない。 
「自分(人間)が、ここに現在あるのは、ビッグバン以来の奇跡の連続の結果。
だから、何事も受け入れ、何とかなる、と思っていれば何とかなるもの。 
この経験で物事を多角度で見れるようになった。 
物ごとは、受けとめしだい!ということ。
・・・・・
4378, 閑話小題 ーあれから二年か
2013年03月12日(火)
   * あれから二年
 大震災から二年経つ。 また30年に亘った新潟駅前事業の整理も、それを
機会に断行した。事業物件の売却などで4割近く銀行に返済。残る6割強は
回収機構から数年掛かりで百万を目安に買い取ることにした。別に買い取る
必要もないが、成り行き次第。 事前の依頼は、「綺麗に終わりたい!」。 
弁護士、「事業整理に100点はない、せいぜい70点」。
私、「それでは、70点にしてください!」。 
で、その70点?で終え、自己完結したと思っている。しかし、これまでの
社長の立場が今度は落伍者。「それがどうした!」と開き直るしかない。 
自宅を家内が買い取り、肩身が少し狭いが、今までの
生活は大して変わらない。 長期の装置産業のため、時代変動のリスクヘッジを
長年かけ積み上げてきため平然としているが、倒産の9分9厘は悲惨なことは
幼児期から見聞きし、分かっていた。それも一歩離れてしまえば、「夢幻」
の過去の話になっていく。 東北震災の影響は、これからである。
その上に、リーマンショックの不良債権が奥底に隠されている。欧州危機、
チャイナリスク、イラン・イスラエル問題、北朝鮮リスクなど、問題が山積み。 
過去10年を振り返ってみると、地元では中越地震と刈羽沖地震、東北大震災。
そして世界的な大地震の頻発。 金融危機としてリーマンショック、欧州危機
が起こった。政治面では、アフガン、イラクへのアメリカによる攻撃。
北アフリカや中東では、独裁国家の崩壊の連鎖など激動だった。しかし、今後
10年は、それ以上の大変動が起るはず。その中で事業経営は至難。2001年
の9・11テロの時点で、その影響を悲観的にみて、現在を予測したら、誰も
信じないはず。そうこう考えると、少しでも早く、事業整理か、思い切った縮小
をすべきことになる。これ10年前の自身に向けた言葉でもある。リーマンシ
ョックも、東北震災も、その予兆はあった。しかし、大事件ほど、誰もが
「まさか!」で、何もしないし、出来ない。先日の、NHKのBS/TVで、
地震学者が、首都圏の直下型と、南海トラフ地震は間違いなく起こると予言
していた。リーマンショックの不良債権は表立つし、ユーロ圏の崩壊も、
イラン・イスラエル戦争も、間違いなく起こる。そうこう考えれば、まだ、
現時点は世界的動乱の序曲に過ぎない。悲観的過ぎる?その中でのサバイバル、
面白そうと嘯いていられない。夢幻でなく、これは現実。10年後に、これを
どんな事態で読むのだろう。いや、生きていないか?
・・・・・・
4004, 3・11から一年
2012年03月12日(月)
 去年の今の頃、リーマンショックから三年目に入り売上の激減が止まらず
事業整理の検討を始めた矢先、3・11が起きてしまった。それまであった
迷いと躊躇が吹っ飛び、その一週間後の3月18日に整理の最終決断をした。 
この地震規模が千年に一度の、三連動の太平洋沿岸沖500キロに及ぶ大震災。 
それが大津波を伴って原子力発電所を直撃した歴史的大震災であった。
その上に、この規模の大地震は今後、数十年にわたり他の地震帯や火山に
大きな影響を及ぼし、再び大地震が起こる可能性が大きい。その一つが首都圏
にあり、何時、首都直下型地震が起きても不思議でない事態。日本経済にとって、
失われた20年間で国家体力を消耗した上での大震災。この経済的マイナスの
影響が、今後、大きく覆い被さってくる。更に悪いことに欧米の経済は世界恐慌
一歩手前。よくぞ、ここまで悪い条件がつづくもの。
  ー 東北大震災の最終被災をまとめてみるとー
・ 死者、行方不明が19000人。そのうち行方不明者が3155人もいる。
・ 避難生活者が34万人。 半分が仮設住宅に住んでいる。
・ 仕事を失ったままの人が 4割
・ 家族が離ればなれが   3割
・ 福島では原発事故の避難者12万人(県外避難者が6万3千人)で、
  そのうち三分の一は福島県には戻る気はない。
・ 日本にある原子力発電54基は、二基を除いて停止。その二基も1〜2ヶ月
  で停止予定。原油がホルムス海峡の封鎖が何時、起こるか分からない。
・ 欧州発の世界恐慌も、秒読み段階にきている。
▼ 他人事ではなく、私も間接的の被災民でもある。直接原因はリーマン
 ショックだが、最後の一撃が、この震災。昨日は一周年で、地上波のTVでは、
 終日、その報道を流していたが、このイベントを期に、次の関東直下型地震に
 シフトが移るのは、世のならい。日本は、過って経験をしたことのない
 マイナス坂を転げ落ち始めた。数十年にわたった安穏とした時代が長すぎ、
 ゆで蛙状態が現状。リーマンショックの経済大津波が、そこに来ているのに!
・・・・・・・
3638, 大地震 ーつれづれに
2011年03月12日(土)
 数年前に地元の中越地震、柏崎・刈羽地震を身近で経験したばかりなのに、
更に国家を揺るがすような大地震に遭遇しようとは。事務所のある新潟駅前では
震度4の震度だったが、揺れかたが広域の地震のような気がした。直ぐにTVを
つけたところ、リアルタイムに生々しい地震と津波が中継されていた。
特に大津波が海の彼方から押し寄せてくるのを据付カメラが写しだしていた。
そういば先週みた映画「ヒア・アフター」で、ヒロインの一人が大津波に襲われ
九死に一生を得る場面があった。津波に飲み込まれ流される場面は圧巻だった。
しかし、これは現実である。 TVの画面は長い海岸線に何波も線を描いて押し
寄せてくる場面がリアルである。 その上に、お台場のビルや、石油基地の
タンクが炎上している場面などが生々しい。夜になっても全国彼方此方から
津波が注意報が流されていた。観測が始って以来最大のM8・8の大地震。 
規模は東北全体と関東甲信越にわたっている。この文章を書いている現在でも、
現在進行形で余震が発生しており、TVからライブで流れている。
江戸時代には、地震が多発していたというが、1896年 明治の三陸地震-岩手県
綾里 の津波高さ 38.2 M - 死者不明者 22,000 人が知られている。
今回は、7メートルだったが、被害は、死者が数千か、数万人になるのか。
東北6県の人口合計と東京都の人口は、ほぼ同じ。もし関東に地震が起きて
同じような大津波が襲ってきたと想定したら被害は莫大になる。結果として、
これまで起こっていた東北の地震は、この地震の予兆ということになる。 
今朝も震度4の地震があった。これだけの大規模の地震に対して、即応は無理。
救援を待っている被害者が多く存在してことを思うと心が痛む。まさか、まさか、
まさか、で、今でも現実として受け止められないの大方だろう。 国内では
部分的な地震は多くあっても、これだけ広域にわたった地震と、津波は私が
知っている限り初めてである。そういえば、学生時代の友人が仙台飛行場
近くの河口辺りに住んでいるが大丈夫だろうか心配だ。
病いのある連れ合いがいるので動き辛いはず。
・・・・・・・
3273, 東京大空襲より65年
2010年03月12日(金)
 一昨日の3月10日で東京大空襲から65年というが、新聞では殆んど
扱ってなかった。東京の住民10万人がアメリカによって虐殺されてのである。
その日にマスコミが取上げないのは如何いうこと? 長崎も、広島も、同様の
殺戮をしているが、これも一般住民を狙った殺戮。日本人は人が良いのか、
馬鹿なのか? 敗戦国へのソ連の扱いを見ているので、恐ろしくて言えない。
 ー「東京空襲」をウキィペディアで調べると
東京大空は、第二次世界大戦中にアメリカ軍により行われた、東京に対する
焼夷弾を用いた一連の計画的かつ大規模な戦略爆撃の総称である。東京は、
1944年11月14日以降に106回の空爆を受けたが、特に1945年3月10日、4月13日、
4月15日、5月25日に大規模な空襲を受けた。通常「東京大空襲」と言った場合、
規模が大きかった1945年3月10日の空襲を指すことが多い。太平洋戦争中に
行われた空襲の中でも、とりわけ民間人に被害を与えた空爆。死者、合計10万。
▼ 以上だが、戦争とは、そういうものだとはいえ、罪ない虐殺は重大な犯罪。
 その後、アメリカは朝鮮とベトナム、アフガン、イラクで同じような殺戮を
繰り返している。アメリカ支配者層の輩は、日本人などイエローモンキーとして
数段下に見下している。そうでなければ、こんな残酷なことをしない。
もっとも、スターリンのソ連では国民を数千万も殺戮したし、毛沢東支配下の
中国では文化革命下2000万とか3000万の国民が殺戮された。狂った
猿の最たるものである。アメリカは戦争を金融に当てはめ、金融工学で
100年にわたり世界の金融を支配していた。そして、このザマである。
その直轄支配国が、この日本である。マスコミも、自民党も、官僚も、
その宦官でしかなかった。それに最近になって気づいたのだから、私は何? 
それさえ気づいてないのが、現在の日本人の大多数。そして、これから10年、
世界は恐慌の嵐になる。「東京と名古屋に原爆が二発!東京は金融恐慌。
名古屋は輸出壊滅」と恐慌本の見出しにあった。もっとも、世界中が
原爆が落ちているようだが、目に見えないところが不気味。
 ・・・・・・・・・
2898,現在、歴史的転換期の真っ只中
2009年03月12日(木)
 現在、我われは途轍も大きな歴史的転換期に立っている。
・東欧・共産圏と、ソ連の解体を20年前に見せつけられた。誰も自分の
 生きているうちにソ連が解体するなど想像すら出来ないことであった。
・その直後から、パソコンによるインターネットや携帯電話などによる
 情報革命を目の当たりにした。
・21世紀の初頭の2001年9月11日にはニューヨークの二つの
 ビルに旅客機による自爆テロが起きた。
・そして今度は、アメリカ資本主義帝国の破綻と世界恐慌である。
 それとアメリカで歴史上初の黒人の大統領が誕生した。
この一連の出来事は、何か得体の知れない歴史的な転換期に我われが立たされて
いることを知らせている。近代という名のロシアを含めた欧米主導の進歩と共同
幻想が破壊したことである。そして、欧米の暗示から醒めた世界中の民族と、
これまでの欧米の文明の衝突が数十年にわたり本格化する岐路に立っているのが、
現在地ではなかろうか。そうすると、今年にかけてイスラエル国内?のアラブ
地区での虐殺が象徴的に際立って見えてくる。世界の中東・イスラエル化が今度
の行き着くところだろうか。アメリカはイラクを捨てて、戦線をアフガンまで
下げようとしているが、イラクからの名誉ある撤退のための方便とも考えられる。 
最終的には日本まで下げてくる可能性もある。アメリカの国力が、この恐慌で
大きく疲弊してしまったからである。そこで日本は大きな選択を迫られる。
・中国と距離を置いて、アメリカ、カナダ、ロシア・シベリア地区、
 日本のラインの同盟を組むか、
・中国、韓国、台湾、アジアと組んだブロック化の仲間入りをするか、
・何処とも距離を置いた欧州のスイス的な方向か、になるだろう。
どれをとるにしても、日本の国力があまりに疲弊しているので、大きな問題が
次から次へと起きるだろう。今までのアメリカのポチの存在であることは不可能。
 私の人生だけでも、世界の激変を多く目撃することができた。時代の激変という
面で何世紀も生きたような。濃厚な時代を生きることが出来た!ということ。


5474,閑話小題 〜昨日の早朝の夢

2016年03月11日(金)

   * 東北大震災から5年
 忘れもしない大震災から5年経つ。その時、会社整理の判断、決断についての
社内会議を終え、立上がった直後に大きな揺れがきた。それがスローで大きい。
これは並みの地震ではないとTVをみると、アナウンサーの絶叫が聞こえてきた。
『東北地区の沿岸の御住まいの方は、直ぐに逃げてください!』と。それでも、
千年に一度の大地震とは思わなかった。しかし時間が経つにつれて、尋常で
ないことに気づいた。新幹線が不通のため、新潟から長岡までバスで帰える
しかない。17時になれば通勤客がバスに殺到するから、直ぐに帰れば乗れると
判断しバス停に行ったら何とか乗れたが・・ その間に大津波が、東北沿岸部に
襲っていた。その騒動の最中の一週間後の18日に会社清算の決断するに至った。
 あとは会社抹消のための手順の実行にまっしぐら、大地震など他山の出来事で
しかなかった。それもこれも、今では懐かしい出来事でしかない。早かったのか、
遅かったのか。あれだけの震災も、そろそろ風化をしてきている。 
 私にとっても、事業清算を時を一にしてむかえた。それが重なったのも何かの
因縁だろう。私にとって、その重なりがあったことで、自分も震災者のような
気持ちがあった。そのせいにすることもできたが、明らかに、リーマンショック
が直接原因で、間接原因は、新潟駅前での過剰投資と、情報化による価格競争の
激化と、ビジネス客の日帰り圏に新潟県が入ったことである。 逆に言えば、
丁度よいタイミングに、リーマンショックと東北大震災がおきてくれたといえる。 
無念とか、悔しい、惜しいなどの気持ちが、殆どないのは、あまりに社会が激変
したため、これでは仕方がないと諦めがついている。

   * 一昨夜半の変わった夢
 今朝方、変な夢をみた。 創業したての頃、ある月刊雑誌に感銘し、
愛読者の会、「もっけいクラブ・新潟支部」の会を立ち上げた。そこに、
面白い男‘T’なる人物が顔を出していた。飲食関係の経営コンサルタント
だったが、時々、理屈に合わないことをいうが、それでも真っ当な部類?
だった。 現在は、長年の飲酒過剰で糖尿病で入院していると、聞いていた。
夢の内容とは、自宅の近所の運動場のような所に、ストレッチのような
スローの運動を子供も含めた人が10人ぐらいでしていた。自分も参加したが、
これは中々良いが、スポーツジムに通っていることもあって、その一つと
みていた。 「誰かが背後で指導しているのでは?」と、周りをみると、
その‘T’なる人物が、顔色がツヤツヤして、そこに元気で立っていて、
携帯電話で仕事関係の話をしている。「確か、入院しているはずだが何故?」
と思ったが、一言二言会話を交わし、「私の家でお茶でも」と思いつつ、
自宅に帰りかけると、車で私を追い越していったところで目が覚めた。 
そこで、「もしかして、死んだのでは?」と、一瞬思ったが、私の勝手な
思い込みだろうと、次の瞬間、寝入ってしまった。 ところで、今朝方も
面白い夢を幾つかみたが、一番面白いのが思い出せない。

・・・・・・
5109,閑話小題 〜一ヶ月足らずで、4年ですか!
2015年03月11日(水)
   * あと一ヶ月で、4年になる!
 『咽喉過ぎれば熱さ忘れる!』だが、日々好日を心かけ過ごしている。
もう、債権機構からの弁護士への問合せもなくなり一年近くになる。
あと一年の5年が一つの目安。去年の今頃は、消費税の未払い分の件で、
弁護士事務所で国税の調査を受けたり、住友系債権回収機構から、郵貯
の個人年金を数十万を差し押さえられたりしたが、その後は何も無し。
 この稀な経験のない人や、社会は、倒産=悪と勝手に決め付けるが、
この経験を通し分かったことは、何事も±の両面、いや多面があること。
病と同じで良質の内に先手を打つことで、悲惨な結果を避けることが出来る。
それには事業設計段階から、万一の備えを組み込んでおく必要があった。
 事業整理の目安を、資金繰りに追われる下ライン(中小企業の3分1)か、
(装置産業もあるが)営業赤字に陥った段階を自主清算?と予め決めていた。
そしてリーマンショックから二年半、そのラインに触れた瞬間に決断。
そのため、準備段階を含めた45年間の事業人生で、資金繰りの苦労を
一切なしで終えることが出来た。一般債権、労務債権は、ほぼゼロ。
これらも一般常識からみて不思議のようだ。その上に、そのまま自宅に住んで、
何も変わらない状態が憶測の世間話をつくっている?のだろが、それを許す
ほど現実は甘くないのは周知のこと。何とか軟着陸だったが、15年の準備
期間と30年間の新潟駅前事業、合計45年間のエネルギー体(会社)を、
自ら潰すのは自殺に似ている。その苦悩、恐怖、痛さ、辛さが分かる筈がない。
それぞれが、そのレベルの価値感を講釈をするだけ・・ 得たもの失った
ものが多いが、その間、魂が被植民地化されてなかったことも事実。
 ニーチェが、『価値は、全てある観点から見たものに過ぎない。
確かな真理などというものはない。ただ、様々なパースペクティヴ
(=観点、見方)があるだけ』と述べている。 という、この論も、
私の枠内の価値の羅列で、身勝手な論法でしかない。日々、是、口実か。
でも、シリア性からすれば、この結末も悪くはなかった?  (>_<) おもろ!
 少し考えれば分かるだろうが、こんな面白い経験もない!
幼児の頃から子守唄代わりに聞いていた、何?を自分が現に経験している。
大体、その認識は教養と、両親の質に比例をして、洗脳された共同幻想のまま、
勝手に「決め打ち」をするが、それが鮮明に見えてくる。 カントの認識論に、
「対象に認識が従うのではなく、認識が対象を従える」が、そのまま、鮮明
に見えてくる。それも共同幻想の認識とくるから・・娑婆など、軽薄そのもの。
いや、軽薄は、私の方ですか!    (〃゚д゚〃) (*ノωノ)テッ
――――――
4744,閑話小題 ー3年前の日記より
2014年03月11日(火)
  * あれから三年経ったが
 3月11日といえば、東北大震災から三年になる。
10年日記帳には具体的な現象を記録しているので、振り返ってみる。
 震災と、倒産への、生々しい日々が書かれている。人生の大きな節目に、
こういうことが重なるのが不思議である! 忘れたいが、そうは言って
いられない。直視し、現在を見つめ直すしかない。それにしても、日本の
政治は明らかに変!
・2011年3月09日(水):昨夜半、数時間、眠れず。 正午、轡田氏、
 事務所に来訪。2時まで。 事業断念に向け具体的になってきた。
 年齢からしても、こんなものか。終わりの始まりということ。
・3月10日(木):16時〜17時45分(会計事務所と弁護士事務所の共同
 センターの一室で)支配人、副支配人、会計事務所の担当Jさん、
 弁護士と、打ち合わせ。6月か、ゴールデンウィーク明けか、秋口か? 
・3月11日(金):14時から支配人と、前日の話合いの内容をチェック。
 決断は私がするが・・ その時に、14時46分に大きな揺れ。どうも、
 揺れ具合が、普通ではない。これは何処かで大地震が起きたはずと
 TVを入れると、東北で、過ってないほどの大地震と報じている。
 そのまま見ていると、とにかく海辺の人は非難するよう絶叫。
 新幹線は不通、17時過ぎに長岡に向け、バスで帰ることにした。
・3月12日(土):昨日の地震は、時間が経つにつれ、想像を絶する惨状。
 津波で多くの街が水没していく内容がリアル。昼は近くのイタ飯屋の
 サエゼリアで食事。
・3月13日(日):報道が、福島原発の崩壊に向いている。TVは全局、
 この震災関連。福島は、かなり危険な状況。 YouTubeをみると、
 さっそく、リアルな投稿が多く流されている。
・3月14日(月):新幹線が不通のため、車で新潟に向かう。高速道路に
 車がいやに多い。新潟回りで東北に向かっている。
 11時に福島原発の二つ目が爆発、かなり危険のようだ。
・3月15日(火):福島原発、3つ目が爆発、ますます危険になってきた。
 そういえば、学生時代の友人の奥野君が、仙台の海辺に終の棲家にして
 いるはず。東京の加藤君に電話をする。奥野君とは連絡取れず!
・3月16日(水):今日予定していた林さんとのコンサルト、この混乱で、
 中止。原発事故が、差合っての大問題。もしかしたら、金沢か、山陰
 あたりに避難? それより、会社のことがある。明日か、明後日に
 決断しないと!
・3月17日(木):前日は、車で自宅に。(新潟に16年間赴任していた
 大学時代の友人)東京の三崎君に電話を入れる。東京は、平静という。
 それより、明日にでも会社存続か、断念か、の決断である。
・3月18日(金):為替介入があって、79円ー>81・4円へ。大震災から、
 まる一週間になる。これで日本は新たな領域に入る。
 今日の、二人の役員との打合せで、事業断念を決定する。
 来週、弁護士と、その手続きに入る予定!
▼ 東北震災の中での、大きな節目。何か、いま一つ、現実感が無かった。
 しかし、動物的な感覚が、茹で蛙の自分を支配して、目の前の処理案件を
 淡々と一つずつこなしているのが見て取れる。 毎月、30年間、月次
 決算に来ていた会計事務所の担当が、「楽しんでいるように見える。
 不謹慎!」と、言われたが、この事態に現実感を持って動いては
 いられない。修羅場は修羅場で違う人格が現れ出る。ただ、後悔や、
 逡巡はしていられない。身近がまず、手のひらを返すのは当然だが・・
 あるのは、節目時の隠れた野生の感覚。 3月19日以降は、後日に
 書き出すが、この内容、自分でも、面白いのだから、第三者は、
 もっと面白い? 書き残す醍醐味か、変質者か? それでも大震災の
 ドサクサに、助けられた。
・・・・・・
2014/11/06
閑話小題 ー倒産は甘塩からい味がする

    * 倒産経験もまた、価値ある人生体験と捉えると
 『倒産は甘塩からい味がした!』をテーマとして書くと、こうなる。
≪ 時どき『闘病と、倒産体験ほど貴重な人生体験は他に無いのでは?』
という考えが頭によぎる。 倒産体験をプラス面で光をあてると、具体的な要素は
幾らでもある。私のケースは、自分で立ち上げた会社を潰したため、起承転結の
「結」が、それ。元もとの立ち位置がアウトサイダーのスタンスもあるが、何事もなく
無事に後に継がせれば中途半端な起承転々。そのどちらが良いか悪いかは、
受け止め方次第である。 事業内容の悪化に比例して辛らつに変わる銀行と、
身近の人たち。予め分っていても不快だが、時間が経つにつれ、これが面白く
思えてくるから不思議。更に、あれだけ沈んでいた気持ちも、二年、三年と
過ぎると、時間薬効果で元に戻ってくる。 その直前・直後の一ヶ月間は、身体と
気持ちが宙に浮いてように動いて、それが意外と痛面白いとさえ感じていた。 
30年来、月次決算に通っていた経理事務所の担当が、
『何か楽しんでいるようですが、自分の立場が分かってないようですね。』
と、言われてハッとしたが、実は、分かってないのは御当人。この感覚は当事者
しか知り得ないこと。何事でも、無我夢中に行動している時ほど面白いことはない。 
実際、こんな貴重体験は滅多に経験出来きないし、一度は味わうのも良よい!
とは、今でこそ言えること。一日一日を区切って、一期一会と割切って乗越える
しかなかったが・・ 「この人、こう受け止めている」が、過って、様々なケースで
自分も受止めていたので、それが分かる。 ボケ役の落語家が震える声で
「バカ野郎〜、その程度か、御前さん!」と思っている自分が、そこにいる。
これも、万一のセフティネットがあったため言えることだが、敗者は敗者、
「日々、是、口実!」になる。「事前、事後とでは、これまでも違っていた」
というのが実感。「開き直り」か。 ≫ 
▼ これを冷静に?読み返すと、こう思って日々を過ごさないと精神の安定を
保てなかったが、冷静な自分がいたことも確か。 それでも大波の中、思わず
水を飲んで、窒息しそうになっていた? 『何事も、最善と思えば最善に、
最悪と思えば最悪になるから、こう捉えていた方がよい』ということか。
これは、大病、大事故にも言換えが可能? 
 少し話が変わるが、実兄が7〜8年前に倒産した時のこと、居酒屋で、慰めで、
彼の親しい友人の実名をあげて『大病で死ぬわけでなし、決して最悪の事態では
ないよ。Oさんは、無事に会社整理をしたが、実は末期肺ガンかもしれない。
これは最悪の事態でないよ!現に生きていられることに感謝をした方が良いよ』
と、慰めたが、その2年後に、本当にOさんが肺ガンになって入退院を繰返して
いるという。この年齢になると、内なる黒鳥がいつ舞い降りてきても不思議でない。
 まだまだ、当時の森の中での夢をみる。 ・・当然のことだが。
・・・・・・
4377, 「世間」の捨て方  ー1
2013年03月11日(月)
           ー「世間」の捨て方 ー ひろ さちや(著)
 創業は、既存の業界を根底から否定し全く新たな形態をつくること。
起業だけでなく、何かをなすということは、社会、世間に距離が出来てしまう。 
社会学を専攻した影響もあるが、内から目線(信念)と、自分を見つめる
上から目線が強くなる。この経済の大津波に押し流されても平然?として
いられるのは長年かけて作ったバイアスがあるから。世間など、とうの昔に
捨て去ってきた。しかし世間にどっぷり浸かってきた人には、新鮮で奇異
だろう。 ーまずは、アマゾンの内容紹介ー
【 景気に振り回される生き方はやめよう。世間はいつも狂ったもの。
 社会と距離をおき自分だけは愉快に楽しく暮らせばいい。
そのための考え方を 語り尽くす本。】  ーまえがきーより
≪ 「自己中心」の反対は何でしょうか? わたしは、それは「世間中心」だと
 思います。普段、わたしたちは「世間中心」で生きています。無意識の
うちに世間を気にしているのです。世間に気兼ねをしています。子どもの
ころから、わたしたちは「そんなことをすると、世間の人から笑われますよ」
と言われ続けてきました。「世間の人から褒められる人間になりなさい」
「立派な人になりなさい」と教えられてきた。つまり、世間の「期待」
に応えることが求められていた。しんどい生き方ですね。
 よく考えてみてください。世間の「期待」に応えるといっても、その「期待」
が何なのか、あなたに分かっていますか? 
企業が「期待」する模範社員は、おとなしくて、あまり自分の意見を言わず、
仲間と協調する人間でしょうか? それとも、独断専行的ではあるが、行動力
のある人間でしょうか?場合によって違っています。とすると、あなたが企業の
「期待」に応えるためには、場合場合に応じて自分を変えねばなりません。
どう変えればよいのかさっぱり分からないままに、ともかく自分を相手に
合わさねばならないのです。疲れますよ。そんなことをしていると、人間失格
になってしまいます。だから、わたしたちは世間を捨ててしまいましょう。
世間の「期待」なんかに応えなくていいのです。だいたい優等生というのは、
相手の「期待」に応えようとして、うじうじ悩んでいる人間です。
いままでの時代は、そんな人間がある程度幅を利かせていたかもしれません。
でも、これからの時代、世の中がどう変わるか、誰も予測できません。
とすると、優等生的生き方をしていてはだめなんです。「世間中心」では
なしに、もっと大胆不敵に「自己中心」でいきましょう。
・・世間のほうがどうしてよいか分からず、われわれに気兼ねしているのです。
いまの時代をそのように読んでいます。本書において、わたしは自己流の時代
の読み方に従って、われわれの今後の生き方を考えてみました。これまで誰にも
言わなかったことですから、きっとあなたの生き方の指針になると思います。
ぜひお読みいただきたいと思います。 ≫
▼ 学生時代の武澤ゼミでのケーススタディ。15人位で、会社内のトラブルの
 現象の問題点と背景を捉え、原因と対策の意見を出し合い円座で議論する訓練。
プリントされた問題点には、多くの要素が隠されている。その答えは思いも
よらない分析と回答が用意されている。ゼミの出した結論と、それを対比し、
更に議論する。よい経験をしたものである。そして社会に出てみると、それぞれ
の具体的構造が、リアルに見え過ぎ戸惑うほど。事業の立上げには理想的経験。
で、最後は経済恐慌など三連発で、この様。でも、悔いもない。それを選択した
のが、私なのだから。東北震災の被害者は、その世間を根こそぎ失ってみて、
絆の暖かさと、逆に無意味さを感じ取っているはず。世間消滅も善し悪し!
・・・・・・・
4003,宇宙は本当にひとつなのか ー6
2012年03月11日(日)                  
* 多次元宇宙論と多元宇宙論 ー2 「宇宙は本当にひとつなのか」村山斉著    
 ♠ 多元宇宙論とは  ー 宇宙は一つではない ー
◇「多元宇宙」= 暗黒エネルギーを説明するためには、相対性理論と量子力学
 を1つにした新しい理論が必要だ。その最有力候補の超ひも理論のよれば、
 まだ未完成だが、膨大な宇宙が存在するという結果が出てしまう。
 これが宇宙は10の500乗個も作られたという「多元宇宙」という考え方だ。
◇ ー三次元のサンドイッチー
 これまでの話をまとめると、多次元宇宙とは、宇宙自身は一つで、私たちが
見ることのできる三次元空間以外にも別の方向があるというものでした。
しかし多元宇宙は、その前提が大きく変わります。宇宙自身が一つではなく
たくさんあるという考え方が多元宇宙です。多元宇宙というアイデアの一つの
例として、三次元空間がサンドイッチのように何層も存在するというものが
考えられます。これは私たちが生活する三次元空間がいくつもあるのではないか
ということですね。 しかし、この場合は、たくさんあるといっても、全体から
見ればひとくくりの空間の中に収まります。ということは、一つの宇宙の中に
私たちが実際に見ることのできる空間と同じような三次元空間がいくつもある
ことにすぎないのです。実際、重いものを、この三次元空間の中に置くと、
別の三次元空間に影響が出ます。例えば私たちの宇宙が図の「宇宙」とします。
「宇宙2」にある星や物質は私たちの星や物質とぶつかったり反応したりする
ことはできません。しかし三次元方向で近くに来ると重力では引き合います。
もしかすると暗黒物質は重なった別宇宙の物質という説がある。
▼ 暗黒物質と暗黒エネルギーは、別宇宙の物質と考えると理にあう。 
 ヒモ理論が10次元の異次元宇宙の可能性を説いている。この本でも述べて
いるが、「人間原理」という、カント哲学風の「宇宙を認識するから
宇宙は存在する」という素朴な説が立ち現れる。
・・・・・・・
3637, 「みずうみ」 茨木のり子
2011年03月11日(金)
だいたいお母さんてものはさ  しいん としたとこがなくちゃいけないんだ
名台詞を聴くものかな!
ふりかえると お下げとお河童と 二つのランドセルがゆれてゆく 落葉の道
お母さんだけとはかぎらない 人間は誰でも心の底に しいんと静かな湖を
持つべきなのだ 田沢湖のように深く青い湖を かくし持っているひとは
話すとわかる 二言 三言で それこそ しいんと落ちついて 容易に増えも
減りもしない自分の湖 さらさらと他人の降りてはゆけない魔の湖
教養や学歴とはなんの関係もないらしい 人間の魅力とは たぶんその湖の
あたりから 発する霧だ早くもそのことに 気づいたらしい 小さな二人の 娘たち
 ーー
 みずうみとは、 内省する時間、孤独の時間、過去を省みている時間。
この畔で水面にうつった周囲の景色や現在の自分の姿を眺めて、我を忘れ
佇んでいる静粛が永遠に通じる。


5473,閑話小題 〜歴史上稀なる恵まれた時代を生きてきた

2016年03月10日(木)

   * 我われは、日本人数が最大の時代の先っぽに生きている
 私たちの世代は、まさに日本の人口のピークになった時代に生きてきた。
確かに恵まれた時代環境に生きていることに気づくべきである。
それも終わろうとしているが・・ 平成20年12月の1億 2809万9千人をピークに、
若干の増減を繰り返してきた。 〜昨日のニュースによると、
《 総務省が26日公表した2015年国勢調査の速報値で、日本の総人口は
1億2711万人。前回10年の調査より94万7千人(0・7%)減り、
1920年の調査開始以来、初めて減った。首都圏を中心に人口が増える一方、
地方で減少しており、二極化がさらに強まった。》とあった。                        
たまたま9年前の同月同日の3月9日に「日本の人口動態の推移」をテーマに
していた。第二次大戦直後に生まれ、米ソの冷戦の最中、地政学的の好条件の中、
奇跡的な恵まれた環境の中で生きてこられたことに私たち世代は感謝すべきだ。 
それも風前の灯になってきた。そして、最期の祭典、そう東京オリンピックで、
終わりを告げることになる。 〜9年前のテーマより
―――
2166, 日本の人口動態の推移
2007年03月09日(金)   
         「超リタイア法」ー野口悠紀雄 ー読書日記
解りやすく、面白い本である。
その中で人口動態が書いてあったが、解りやすく要点がまとめてある。
日本の人口が一昨年から減少に転じた。それなら、歴史的にみて日本の
人口はどのように推移していったのか知りたくなるのが人情である。 
  人口推移を大雑把にまとめれば、
・1600年(1200万人)から1700年(2769万)までの間に倍増し、
 その後江戸時代の終り(3228万)までの約150年間はほぼ一定だった。
・明治維新(3481万人)から昭和の初め(6000万)までに倍増し、
・さらに昭和初めから現在までに倍増した。
 400年で10倍、
 140年間で4倍、
 80年間で2倍に増え、
 今後約100年の間に半分に減ることになる。。
 〜(略)〜
時点(2003年6月)の日本の総人口は、1億2761万人と推計されている。
昭和の初めから、約2倍に増加したことになる。
しかし、これがピークであり今後日本の人口は、
継続的に減少してゆくものと見られている。
国立社会保障・人口問題研究所「日本の将来推計人口」(平成14年1月推計)
によれば、2006年にピークになり、2010年に1億2747万人、
    20年には1億2410万人になる。その後、30年に1億1758万人、
    40年に1億938万人になる。そして、50年に約1億人となり、
    2100年には、約6413万人になるものと予測されている。
我われは、日本列島に生息する日本人数が最大になったさまを見ている。
―――
▼ 時代背景にはグローバル化がある。世界の平準化は決して日本にとって、
 バラ色ではなく、人口のマイナス分が個々の生活に比例してマイナスに働く。
これだけ、戦中時代に生まれた、所謂、戦中まれの人たちは、時代の変遷を
目の当りにしただけで、生きてきた甲斐、価値がある。大衆は所詮、大衆!
で、以下の、宇宙の視点の去年の内容に続いていく。
・・・・・・
5108,閑話小題 〜地動説以来の大発見
2015年03月10日(火)
   * 面白ネタ〜地動説以来の大発見
 誰かとの会話に使える、ある面白いネタを紹介する。
以前、ここで取上げた村山斉著「宇宙は本当にひとつなのか」を、
世間話風に、思うまま書いたもの。
《 天動説から自動説のコペルニクス的転回を知っているよね。
 ところが、それに匹敵するか、それ以上の宇宙的大発見が2003年に
観測された。星や銀河、それを形作るすべての元素のエネルギーは宇宙全体の
4・4%で、目に見える星や銀河は、宇宙の中のほんの一部分でしかないもの。
残る96%は何かというと、23%が暗黒物質で、約73%が暗黒エネルギー。
それを合わせると、残りの96%で、元素エネルギーを合わせ100%。
しかし、その正体は殆ど、つまり宇宙の殆どが分かってなかった。ところが、
その暗黒物質が分かる一歩手前まで来たのである。この暗黒物質の研究から
出てきた考えが、宇宙はもっと沢山、もしかしたら10の500乗個もあるかも
しれないという宇宙多元論。多くの宇宙の「たまたま」真空のエネルギーが
十分小さかったものがわずかあり、私たちの宇宙は、その一つだったという説。
そのダークマターと、ダークエネルギーが違う宇宙からループ状の管を通って、
この宇宙に流れ込んでいる。ビッグバン以来、宇宙が拡膨張しているが、
遠くに行けば行くほど、濃度が低くなるはずなのに、全然薄くらないのは、
ダークマターとダークエネルギーが、この宇宙に流れ込んでいるため・・ 
その物質の大きさが、マイナス10の35乗。他の宇宙の数は10の500乗も
存在するという。ところで、人間のサイズを1m単位とすると、この宇宙の果て
まで10の27乗で、光の速度で138億年、かかるらしい!100億は
10の27乗。直径で276億光年の広さになる。私たちはマイナス10の
35乗と、プラス10の27乗の世界に生きていることになる。》
 この話、受けるはずだが、現実に溺れている知的興味の無い人は白ける?
「それがどうした?」と訝る、あの男?の顔が浮かぶ。相手を選ばなければ。
「で、どうしたの?」 「・・・ どうもしません」 外は天風が吹いている。
・・・・・・
3987, 宇宙論のコペルニクス以上の大転換
2012年02月24日(金)
宇宙は本当にひとつなのか ー1
  * 我々の宇宙は10の500乗分の1個でしかない!
 2003年を境に宇宙論は、コペルニクス的大転換に匹敵する以上に変わった。
コペルニクスが地球が宇宙の中心と思っていたところに、実は太陽が中心で、
その周りを地球が周っているに過ぎないと主張した以上の大きな衝撃的進展。 
それは、観測の結果から宇宙全体のエネルギーの内訳が明らかになった。
星や銀河、それを形作るすべての元素のエネルギーは宇宙全体の4・4%で、
目に見える星や銀河は、宇宙の中のほんの一部分でしかないものだった。
ここで、残る96%は何か? というと23%が暗黒物質で、約73%が
暗黒エネルギー。それを合わせると、残りの96%になり、元素エネルギーを
合わせると100%。しかし、その正体は殆ど分かってなかった。
つまり、宇宙の殆どが分かっていなかった。ところが、その暗黒物質が分かる
一歩手前まで来たのである。この暗黒物質の研究から出てきた考えが、宇宙は
もっと沢山、もしかしたら10の500乗個もあるかもしれないという宇宙多元論。
たくさんある宇宙の「たまたま」真空のエネルギーが十分小さかったものが
わずかあり、私たちの宇宙は、その一つだったという説。殆んど宇宙のことが
分かってなかった事実と、我々の宇宙は、気の遠くなるような多くの宇宙の
一つでしかない裏ずけがで始めてきた。学生時代にビッグバンとブラック
ホールの理論を知ったときの新鮮な驚きを今でも憶えている。その後の科学の
飛躍的進展で、宇宙のことが格段に知られるようになった。その一つに
ブラックホールの先が違う宇宙への入り口ではないかという説。
それが2003年を境にコペルニクス的大転換以上に変わったというのを
最近、知ることになった。哲学が宇宙の外があるかどうかを論じているが、
科学は、宇宙はもっと多くあり、10の500乗もある可能性を論じている。 
科学が哲学を遥かに超えたことになる。 永遠の中の有限の存在を知った
人間が、その苦しみを緩和するためつくり上げた神も、多元宇宙論を知ると、
所詮は、そこまでということが分かる。私にとっても、衝撃的大転換である。
137億年前のビッグバンで我々の(今度から、我々の、を付ける)宇宙が
出現し、その広がりには千から2千億の星からなる銀河が、100億もある。
そこには星の消滅の時に生じる空間の歪みが、ブラックホールになり、
周辺の星を吸い込んでいる。それは、他の宇宙に通じる通路と思われる。
これが、私の知っていた宇宙である。それが、気の遠くなる数の多くの
宇宙の一つというと、根本が変わってくる。
・・・・・・
2012/03/03
宇宙は本当にひとつなのか ー2
        「宇宙は本当にひとつなのか」 村山斉著
 先日、「宇宙論のコペルニクス以来の大転換」について書いたが、
そのタネ本が、この「宇宙は本当にひとつなのか」。私にとって、世界観が
ひっくり返るほどの驚きである。オーバーにいえば夜半に目がさめ、これを
考えると息苦しくなるほど。宇宙の果てがあるのか、時間の始まりがあるのか、
神の存在とは、自由とは何か、どこまで自由になれるのか?などの問いは、
この本を読んでしまうと根底から揺らいでしまう。前提が宇宙がひとつ、
だったのが、10の500乗の宇宙の存在の可能性を突きつけられれば、
今までの宇宙論と、世界観は何だったのか?になる。コペルニクスの地動説が
事実と知った時のキリスト教徒のようなもの。これは万物の存在に根底から
問い直しを迫った宇宙論になる。
「宇宙で原子でできている目に見える物質は5 %に満たず、残りの約23 %は
正体不明の暗黒物質(ダークマター)と、73 %の暗黒エネルギーが占めている。
それが、どうもあるらしい。ということは、宇宙の約96%は正体不明で、それら
は他の宇宙から、私たちの宇宙に流れ込んできている 」という途方もない説。 
まず、「 第一章 私たちの知っている宇宙 」から、幾つか書き出す。
  * 私たちの知っている宇宙
・ 地球が太陽の周りを回る速さは、秒速 30 km。
・ 星の成分は光を分析することで解る。 
  温度が高い場所ではどんな物質でもガスになる。
  光がガスの中を通るとガスにより決まる波長が吸収される。
  このスペクトラムの欠けで元素がわかる。
・ 宇宙の年齢は137億年。宇宙が膨張して38万歳のときに電子と原子核が
  くっついて光が真っ直ぐ進めるようになる(宇宙の晴れ上がり)。
  このときの光が宇宙背景放射である。 地球の年齢は約46億年。
・ 2006年8月に冥王星は惑星から準惑星に格下げになった。光の速度で4時間。 
  月は7分。太陽系の中で恒星は太陽だけ。次に近い恒星はケンタウルス座
  プロキシマ星で4.2光年。 我々の天の川銀河には約2000億個の星がある。
  太陽系は中心から28千光年離れた端に近い場所にあり、天の川銀河では、
  まだ若く星や惑星が生まれている。太陽系は銀河の中心を秒速220kmで動く。
・ 銀河団より広い6.6億光年でみると、銀河は一つの点になり、線のように
  つながったフィラメント構造と空洞になった泡になる。
  これを宇宙の大規模構造という。
・ 60億光年位の範囲で見ると、宇宙はだいたい均質で同じような性質を持つ。 
  これを宇宙原理という。
・ スイス・ジュネーブ郊外の地下一周27kmの世界最大の加速器
  「大型ハドロン衝突型加速器」でビッグバンを再現する実験を行なっている。
  ここでは、ブラックホールをつくる計画があり、できれば4次元以外の次元、
  つまり、異次元があるという証拠になる。そうすれば、異次元の中を運動する
  物質の暗黒物質の正体もわかるかもしれない。
 ▼ この数年来で最も面白く、ショックを受けた本である。このところ、
  ショックのことが多い。異次元世界、いや異次元宇宙があるとはね
・・・・・・
2012/03/06
宇宙は本当にひとつなのか ー3
       「宇宙は本当にひとつなのか」 ー村山斉著
「暗黒物質ーダークマター」「暗黒エネルギー」「多次元宇宙」「多元宇宙」
が、この本のキーワード。まず「暗黒物質ーダークマター」から取り上げる。
  * 「暗黒物質ーダークマター」とは?
 目で見えなく正体不明だが重力を持つように観測されるものを
暗黒物質と呼ぶ。銀河は遠くに行っても星やガスの速度は遅くなっていない。
このためには、見えない物質(暗黒物質)が銀河の端に行くほど増加して
いなければならないことになる。また、遠くの銀河団の光が巨大な重力に
よって曲げられている。これから暗黒物質が存在していることがわかる。
そもそも、この暗黒物質がなければ、地球も、太陽も、星も、銀河も生まれ
なかった計算になる。この暗黒物質は何物とも干渉しないので、今この瞬間
にも私達の周辺、身体をすり抜けている。暗黒物質の有力候補がアクシオンと、
超対称性粒子のニュートラリーノであると理論的に予言、期待されている。
ニュートリノ観測結果から、銀河系の中にある星すべてが原子で出来ていると
結論。銀河系全体では、その中心からの回転速度の観測から、見えないが
重力を持つもの(暗黒物質と命名)が存在し、宇宙進化のシミュレーション
から暗黒物質が存在しないと現在の宇宙は存在しなかったことになる。 
最新の宇宙研究の現場は、この「暗黒物質」を捕える一歩手前まで来ている。 
 現在、仮説としては「暗黒物質は異次元から来る使者であるという可能性」
が、まじめに議論されている。
  ー以下は、暗黒物質についての箇所であるー
【 私たちは学校で、万物は原子でできていると習いました。ですが、
 その原子は宇宙全体の5%にもならないのです。ここで疑問になるのが、
残りの95%は何なのか。実は約23%は暗黒物質で、約73%を占めるのが
暗黒エネルギーなのです。全部足すと誤差の範囲でちゃんと100%になる。
暗黒物質も暗黒エネルギーも、名前はついていますが正体はわかりません。】
【 この考え方が最初に提起されたのは1933年のことです。銀河団の中の
銀河の運動を観測したフリッツ・ツビッキーが、最初にそういった。
最近の観測では銀河団のほとんどが暗黒物質でできている。どうしてそれが
分かるのか?重力レンズ効果を利用し暗黒物質の分布が分かります。
重力レンズ効果とは、アインシュタインが予言したもので、光は重力に
引っ張られて曲がる。そのため、遠くにある銀河や星の光は変形し地球に届く。
この重力レンズ効果が、今は正確に測定することができるようになったのです。
暗黒物質の分布地図作りではっきりしたことは、暗黒物質は原子ではない、
つまり宇宙にある物質の8割以上は、原子ではないということ。】
【 暗黒物質は、ニュートリノ以上に、他の物質と反応せずに、地球なども
すぐに通り抜けてしまう物質です。電子やニュウトリノと同じような小さな
粒々の粒子だと思われる反応はしない重い素粒子と想像される。】
▼ ビッグバンから、この宇宙が始まったというが、その元になる素粒子が、
 どうして生まれたかは謎のまま。暗黒物質が、他の宇宙から来たというなら、
ビッグバンの原因が、暗黒物質が来た原因を探し求めていく中で分かってくる
のでは?と思われる。
・・・・・
 このシリーズ、8まであるので、三年前の随日を読んでください。


5472,閑話小題 〜不眠とうつ病

2016年03月09日(水)

   * うつ病の人との対話で
 先日、うつ症の人と話していたら、一度、陥ると正常になるに苦労する、
というより、症状と仲良く付合っていくしかないという。そこで、
『般若心経』を暗記したら?と勧めたところ、既に暗記をしていると、その場で
唱えたが、初めだけで止めてしまった。その感じが? 他の対処療法として、
風呂で明かりを消して蝋燭の光をジッと見つめる療法を行っているとか。
仕事はストレスが多く、その蓄積は並々でないのは傍でも見てとれる・・ 
 夜半に寝付かれず苦悶するウツの睡眠不足は、日常の気持ちを暗くし、
マイナスの循環をもたらす。 当人がいうに、「不眠症は病気ではない、眠れ
なければ寝ないでいればよいだけ。人間は眠るように出来ているため、何処か
で眠ている。とはいうが、それを解っていても寝れないのが不眠症」とか。
仕事の関係で、いま寝ておかないととか、寝よう寝ようと、あせることが負の
連鎖になって眠れなくなる。 そこでマイナスのフラッシュが、出てきて、
不快の時を過ごすことが多くなる。人の心は複雑で、奇怪だからこそ、面白い。
  * あの難民たち滞在場所は?
 ニュースで、「シリアなどの難民たちは、欧州の都市に流れ込んでいるが、
その治安はどうか?」の一般的な疑問に対して、「難民キャンプに隔離・収容
されて、出入りが出来ないため、一般人との接触は少ない」とか。各国も入国
したからには餓死をさせる訳にいかず何処の政府も大変という。殆どの難民は、
衣服かリュック一つで、冬の最中、一日を過ごすに精一杯のはず。それでも、
シリアやアフガンに留まれば、命の危険が大きく、欧州に入れば何とか、
生きていける。昨日のニュースによると、難民をトルコに送り返す見返りに、
3700億の資金援助をする案があるそうだ。
■【ブリュッセル斎藤義彦】《欧州連合(EU)とトルコは8日、当局の許可
 を得ないEUへの「違法な移民」をトルコに送還する新対策で基本合意した。
EUは見返りにトルコ内の難民の生活向上に向けた追加支援を行い、トルコ人に
対するEUの入国査証(ビザ)を免除する。来週の首脳会議で詳細を確認する。
実現すれば、欧州の難民問題は解決に向けて大きく動き出すことになる。
EUは見返りに、トルコ国内に在住する約270万人のシリア難民の学校設立
などのため2018年末までに30億ユーロ(約3700億円)を支援する。
昨年合意した17年までに30億ユーロという支援に追加する。》
▼ 成るほど考えるものだが、何か似たような映画があった。これでは、更に
 難民がトルコに殺到するのでは? という疑問が出てくる。いずれにしても、
厳しい事態は変らない。混乱は混乱を呼ぶ。この背後には情報化がある。
・・・・・・ 
5107,閑話小題 〜「セルフディアローグ」とは
2015年03月09日(月)
   * 「セルフディアローグ」とは
 ー内なる親愛なる対話相手は、数年後の私とする「セルフディアローグ」
という言葉があった。 内語の自己対話である。創業計画や、事業計画を練る
とき、思い浮んだことをノートに書きなぐり、独り内語を声に出して、
テーゼ、アンテーゼ、そしてジンテーゼへの対話をする。 
  〜この言葉をネット検索で調べると〜
≪ セルフディアローグとは、内語たる自己対話の相手(対自)を、自分を大切
 にしてくれる友人として対話すること。日記が、これ。ディアは「親愛」、
ローグは「言葉」。親友が失敗したとき、励ましたり慰めたりするが、自分が
ミスを犯したとき、何ゆえ自分を怒ったり自己卑下したりするのか。対話の相手
を外部から刷り込まれた自己認知を中心にしないで、親愛なる対話相手を自分の
中に作るのです。≫ とあった。
 読書も、日記も、随想も、そこに自己対話。この随想日記も、一種
「セルフディアローグ」になるが、後年、再読する時、当時の自分との自己対話
が何とも奇妙。それも毎朝、過去の同月同日分を読み返し内省する。一種の瞑想? 
写真家が動物や大自然の景色をシャッターチャンスを待つ間、独り頭の中で、
言葉を探すという。それは被写体と、自分との間に生じるセルフディアローグ
でもある。『対話の相手を外部から刷り込まれた自己認知を中心にしないで、
親愛なる対話相手を自分の中に作るのです。』が、よい。
 私など、このブログの想定したビュアーと、来年、再来年の同月同日の自分を
「親愛なる対話相手」としている。だから、どうしても本音の吐露になる。
・・・・・・
4742,閑話小題 ー大相撲が始まるが・・
2014年03月09日(日)
  * 面白くなってきた大相撲!
 今日から大相撲が始まるが、久々に有望力士の三人が出てきた。
遠藤、モンゴル出身の「照の富士」、「逸ノ城」(実業団優勝で外国人初の
幕下15枚目付出しで、先場所から入った)である。1〜2年後には、役力士
として、次の大関候補になっているはずだが、怪我があるため断定は出来ない。
私の目では、モンゴルの二人は、白鵬、朝青龍クラスの要素があるようだが、
どうだろう。「遠藤」は相撲センスがあるので、大関になれる逸材だが騒がれ
すぎで潰される? 一連の不祥事の危機感もあってか、相撲が真剣勝負になり
俄然面白くなっている。ここで大関の鶴竜が、地味だったが徐々に力をつけた。
先々場所から、その力が開花し、横綱候補になったが、性格が大人いのが弱点。
真面目で、こつこつ稽古をするタイプで好感が持てるが、横綱は図太さが必要。
このところ上位陣に個性的力士が揃ってきた。ブルガリア出身の碧山あたりが、
突然、大化けの可能性がある。今場所は、色いろ楽しめそうだが、相撲協会の
体質が変わってないのが、気にかかる。
  * へ〜、そうか!
 一昨日のシネマの中で、「人はオナラを一日、平均14回する」
と言っていた。身に覚えのあるのは4〜5回?だが、意外と多いのに驚いた。
白人は腸が短いため、回数が多い? 大家族の商家の中で育ったこともあって、
暗黙の内に、鼻ほじりやオナラなど人前の不調法は厳禁であった。
「海外ツアーでは、日中、ほぼ皆無」を考えると、環境にもよる。
動いているとガスは溜まらない? ヨガにガス抜きのポーズがある。
仰向けになって、脚を曲げ、膝の上から両手で抑えて腹に圧迫を数分続ける。
これを50人でするから壮観。ところで、欧米人、本当に14回もするのか〜 
・・・・・・
4375, 閑話小題 ーシネマ評論
2013年03月09日(土)
   * フライト ーシネマ評論ー   ー90点評
― まずは、荒すじから、    
≪ フロリダ州オーランド発、アトランタ行きの旅客機が飛行中に原因不明の
 トラブルに見舞われ、3万フィートから急降下を始める。機長のウィトカーは
とっさの判断で奇跡的緊急着陸に成功。多くの人命を救い、一夜にし国民的英雄と
なる。しかし彼の血液中からアルコールが検出され、ある疑惑が浮上し・・≫
▼ この隠れテーマは「アル中機長の崩壊ドラマ」。そのアル中毒を隠すため
 覚醒剤を使っている二重構造の複雑な筋書き。搭乗の直前まで酒と女に浸り、
それを隠すため覚醒剤を吸って職務につく。ところが悪天候。アルコールのため
操縦を誤り、墜落の危機に陥る。しかし覚醒剤が効いたのか、奇跡的な機転で
墜落を逃れる。そしてマスコミで一躍、ヒーローになるが、機内でも度の強い
アルコールを飲んでいた。 ところが回収された殻ビンから発覚。航空会社は、
隠そうとし、本人も、騙し通そうとする。裁判で逃げ切ったと思われたが、
最後の最後に、良心の呵責で重度のアル中を告白する。アル中の手記などで、
その実態を幾つか読んだことがあるが、それをハリウッド版にしてリアルに
演出していた。私も酒癖で多くの失敗を重ねてきたので、身につまされた内容だ。 
  * 草原の椅子 ーシネマ評論ー
 アラスジは、≪ バツイチで、年頃の娘と二人暮らしの
 遠間憲太郎に、50歳過ぎてから三つの運命的な出会いが訪れる。
一つは、取引先の社長・富樫に懇願され、いい年になってから親友として
 付き合い始めたこと。
二つは、ふと目に留まった独り身の女性・貴志子の、憂いを湛えた容貌に惹かれ、
 淡い想いを寄せるようになったこと。
三つめは、親に見離された幼子、圭輔の面倒をみるようになったこと。
 憲太郎、富樫、貴志子の3人は、いつしか同じ時間を過ごすようになり、
交流を深めていく中で、圭輔の将来を案じ始める。年を重ねながら心のどこかに
傷を抱えてきた大人たち。そして、幼いにも関わらず深く傷ついてしまった少年。
 めぐり逢った4人は、ある日、異国への旅立ちを決意する。そして、世界最後
の桃源郷・フンザを訪れたとき、貴志子が憲太郎に告げる。
「遠間さんが父親になって、私が母親になれば、あの子と暮らせるんですよね」≫
▼ 7000メートル級の山々の間にあるフンザ。そこの、目がきらきら輝いていた
 子供たち、そして何ともいえない雰囲気のある地元の素朴な人々。
遠くに光輝いていたウルタル山。私の見たフンザは、映画の画面で見たものより
遥かに輝いていた。ここで、多くの写真を撮ってきた。最近みる映画は殆どが
ハリウッドもの。 陰鬱の時代に「ドンパチもの」で、ストレスを発散する
ものが多い。その中で、スローライフの中年のファンタジーものの映画も良い。
フンザもよいが、旅そのものが絶品だったことを、この映画で改めて知った。 
人生、万歳三度である。逆に人生に三度万歳をしろ!ということ。ー90点評
 ・・・・・・
4001,4000回の随想日記 ー2
2012年03月09日(金)
「11年も休むことなく2〜3時間もかけてエネルギーを入れて、それが何?」
という疑問が立ち上がる。そのことは私自身が、まず感じていること。40歳
後半から60歳まで、秘境・異郷旅行に年数回行っていた折に、義母が家内に、
「何で好きこのんで、そんなところにワザワザ出かけるのか分からない」と、
首を傾げていたという。これと同じ。そこで大自然の懐の中で出会う感動は、
実際に経験しないと分からない。毎日、一文章を書き上げる習慣で得られる
知識と情報の蓄積が、物事の視点を変ていく面白さは、実際に書き続けないと
分からないのと同じ。1ヶ月ほど前に朝日新聞の投稿欄に面白い。要約をすると
≪ 自分は退職後、ボランティアで忙しく充実した日々をおくっているが、
 聞くところ、定年後、暇を持て余して図書館で時間潰しをしている人が多い
という。それなら自分のように人のため、世のために、ボランティアをする道
がありますよ!≫  一見、正しく、道理である。ボランティアこそ定年後の
人生の義務かもしれない。 しかし図書館に通い人生の経験の糧を得た後の
読書もベストの時間の使い方になる。問題は自分のボランティアに酔いしれて、
読書三味の人が、ただ時間潰しにしか思えない自惚れに気づかないこと。
その人の人生の余白の埋め方は当人が決めること。それを批判する知性が問題。
万人が、このことと似た勘違いをし自画自賛をしている無知の自分に気づかない。 
四千回も書き続けている自分に自己満足をしているのと、ボランティアを自画
自賛している人を合わせ鏡にして、そのバカさを、自覚していない愚かな自分が、
ここにいる。自分のため、11年、書き続けてきた、ただそれだけのこと。 
人生は、経験と知識と感動を得ていく旅路である。面白いのは、書いている
プロセスで、自分の枠組が自然と浮かび上がり、内側を覗き見えてくること。
 ・・・・・・・
3635, 他のせいにするな!
2011年03月09日(水)
  「自分の感受性くらい」 茨木のり子
ぱさぱさに乾いてゆく心を ひとのせいにはするな みずから水やりを
怠っておいて 気難しくなってきたのを 友人のせいにはするな  
しなやかさを失ったのはどちらなのか 苛立つのを 近親のせいにはするな  
なにもかも下手だったのはわたくし 初心消えかかるのを  暮らしのせい
にはするな そもそもが ひよわな志にすぎなかった 駄目なことの一切を  
時代のせいにはするな  わずかに光る尊厳の放棄 自分の感受性くらい  
自分で守れ  ばかものよ
▼ 自分を批判する目が失われることが、老いの一現象かもしれない。
 若い人でも、心が老いてしまっている人がいる。その目は他人にいき、
己の乾いた心が硬直しているのが見えなくなってしまっている。
「駄目なことの一切を 時代のせいにはするな わずかに光る尊厳の放棄」 
が身に沁みる! とはいえ、100年、500年来の地殻変動であることは確か。
「駄目な一切」を「時代のせい」ではなく、「他のせい」にするな、
ということ。 感受性が鈍るから。
 ・・・・・・・
3270, 焼き鳥は何故串刺しにするのか?
 2010年03月09日(火)
 図書館で書棚を見ていたら「焼鳥は何故串刺しか?」という本があった。
「何々??」と手にとってみたが、成るほどと思う部分があった。
迷ったが借りてはこなかった。記憶に残ったことといえば、ー串刺しにするとー
・何本食べたか出す方も、食べる方も分かりやすい。
・串は食べやすい。箸を使うことなく串を口に持っていける。
・皮、ハツ、モツ、軟骨など、多品種にできる。
・焼き台で焼くのに串が最適。 (かつ火が通りやすく、生焼きを避ける)
・肉や内臓の切れ端が無くすことができる。
・内臓など安い材料のものを、串に刺すことで、見た目に良く見える。
 このように、改めて考えると要領を得ている。
最近、串刺しをしないで、材料を焼くだけの焼鳥を居酒屋で見かけるが、
何か様にならない。串焼に刺した肉や魚などを鉄板の間に挟んで焼く専門店
がある。駅前に一店しか成立をしないが、焼き鳥の方が人気が高い。
 串ものといえば串団子がある。これも串刺しにすることで一々箸で摘むこと
なく食べることができる。蒲焼も串を通して焼くが、出すときは串を抜く。
焼き鳥の焼き台で一本一本がクルクル回転するものや、ベルトコンベアで
一回転する間に自動的に焼き上げるものもある。また火も炭のような金属を
熱して焼くものなど、色いろな工夫もされてきている。冷凍は客に嫌われる
ので、食肉屋が串に刺したものを配達するのもある。豚肉や内臓を串に刺す
焼とんは、戦後の食糧難のときに苦肉の策でできたという説がある。
最近、スーパーなどで中国製の冷凍のものを見かけるが、やはり焼き鳥屋で
酒を傾けながらが良い。
 ・・・・・・・・・
2895, 不況景色 −9
 2009年03月09日(月)
去年の9月15日以来、毎日が恐慌の進行のメルクマールを書く日々。
この一年で中国で二千万人、アメリカで四百万人の失業者が増加。直近の
12・1・2月の三ヶ月でアメリカは200万人が失業をし、それは年率にすると
800万人。中国は今年は更に二千万人が失業するという。日本も水面下で失業が
増え続けている。来月辺りから爆発的な倒産とリストラにより失業者の激増が
予測される。昨日の朝日新聞の一面トップで「失業者 雪崩打ち生活保護へ」
ー1月は最多116万世帯ーと報じていた。
5年前の2004年の100世帯、14年前の1995年の60万世帯、
25年前の79万からみると、異常な増加。この事態の中では当然だが、
それが更に大幅に失業者が増加し続けるのである。
・日本では、夫65歳、妻60歳以上平均で、収入平均が17万、
 支出が25万。残りは預金の取崩しや子供からの援助など。
・国民年金も40年払い続けて、満額で一人当たり6万6千円、
 二人で13万あまりだから、ギリギリまで働かないと個人営業者は
 生活できない構造になっている。
・支出25万円の内訳は、食費6万、住居2万、水道光熱1万6千、
 保健医療1万6千、交通通信2万7千、その他11万1千円。
地方では、最低生活は月に15万円と税務所の担当から聞いたことがある。
中小会社や、個人営業者は船板一枚下は地獄。だから日々が刺激があって
面白いが、反面、常に最悪の事態を常に想定して生活している。この百年か
数百年に一度の恐慌は弱者を土壇場に追い詰めることになる。イギリスでは、
あのロイドが国家管理になり、4大金融機関のうち2つが国家管理になって
しまった。まずは世界の銀行が破綻しているが、これからは実体経済がやられ
企業倒産が続くことになる。その影響をモロに受けざるを得ない事業のため、
毎日が生きた心地がしないが、成るがままに身を任せるしかない。今さら
ジタバタしても、しなくても同じことである。現金商売というのが、目先は
何とかしてくれる。1〜2年は何とか大丈夫? 二年後には駅前再開発による
道路拡張で「一つのホテルの買収計画」が具体化するので、まずは二年さえ
凌げばよいことになっている。 まあ何とか成るようになってはいるが・・
それすら、大津波は根こそぎ破壊するかもしれない、それが世界恐慌である。
・・・・・・・・・
2008年03月09日(日)
産経新聞のトップページに5回にわたって連載さっれた梅田望夫の
【ウェブ時代 5つの定理】が面白い。梅田の本を読むのは4冊目になるが、
今のところ外れはない。  その5つの定理とは、
その1 アントレプレナーシップ  その2 チーム力 その3 技術者の眼      
その4 グーグリネス 自発性に導かれた「時間」 その5 大人の流儀  
になっているが、まずは1と2の概要をまとめてみよう。
* 第1定理は「アントレプレナーシップ」(起業家精神)。
 新しい物事に対する積極的意欲、リスクを引き受けて果敢に挑む姿勢、
不確実な未来を楽しむ精神の持ちよう、飽くなき探究心や冒険心や没頭、変化を
求める心、自分の頭で考え続ける力、始めたら徹底して勝つまでやりぬく気持ち、
といった要素がこの言葉には含まれる。
≪シリコンバレーの存在理由は「世界を変える」「世界を良い方向へ変える」ことだ。
 そしてそれをやり遂げれば、経済的にも信じられないほどの成功が手にできる≫
これはアップル創業者兼CEOのスティーブ・ジョブズの言葉。
 「アントレプレナーシップ」を支える「常軌を逸した熱」は、
「やりたいことをやる」という気持ちと、「社会をより良くしたい」という
思いの組み合わせによって持続する。お金が最優先事項では長期にわたって
そういう熱が持続しない。倫理性と経済性が融合したシリコンバレーの
そんな独特の論理が、仕事の面白さを倍化させ、強い「働く意欲」の源。
* 第二の定理はチーム力
≪Aクラスの人はAクラスの人と一緒に仕事をしたがる。Bクラスの人は
 Cクラスの人を採用したがる≫
この言葉をシリコンバレーでは格言としてよく耳にする。Aクラスの人は、
自分を向上させたいと常に思っているから、自分より優れた人と一緒に働きたい
と考えるが、Bクラスの人は実力に不安があるから自分よりも劣った人を採用
してしまう、という意味である。チーム編成においてはAクラスの連鎖を作る
べし。イノベーションを生むには、選りすぐりのチームを組成するところから
始めなければならないという経験則が、この言葉の背後にある。
≪世界を変えるものも、常に小さく始まる。理想のプロジェクトチームは会議も
せずランチを取るだけで進んでいく。チームの人数は、ランチテーブルを囲める
だけに限るべきだ≫ 
 これはサン・マイクロシステムズ共同創業者のビル・ジョイの言葉である。
マイクロソフトもアップルもグーグルも、すべては数人のチームによる熱狂的な
没頭から始まった。「世界を変える」イノベーションを生む一番大切なことは、
資金でも設備でもなく、 情熱を持ったわずか数人の力を結集して爆発させる
「チーム力」にある。
▼ この二つはソニーの創業時の井深や盛田などと同じである。日本にも筑波
 という素晴らしい都市があるが、そこの個性的な創業者の姿は見えてこない。
研究都市だから、少し違うとしてもである。


5471,こう生きて、こう死にたい ー2

2016年03月08日(火)

             「こう生きて、こう死にたい 」津本 陽 (著) 
   * 死生観の構図
私たちの死生観は、青少年期、成年期、壮年期、老年期によって受止め方が
違ってくる。当然、死が差迫った老年期は、一言一言が実感として受止める
ことになる。常に死と向合った戦国の武将や、剣豪の言葉は、真に迫ってくる。 
 津本陽の小説の中の侍の死生観が、この年齢になってこそ理解でき、心を
和らげてくれる。死があっての人生である。
―――

「生ずるものはかならず滅する。かように変化をくりかえすのは、
業あるゆえじや。善因善果、悪因悪果と申して業はそれに従いさまざまの
あらわれかたをいたす。 いつ人が何時に生れてきたか。死ねばいずれへ
参るかは、すべて業にみちびかれてのことで、人には分らぬようになっておる。
生死は始めなく終りなき宇宙界より見れば、またたきいたすほどにもなきこと
じゃ。どれほど長命いたせしとて、めでたくも何ともない」
                  〜『大悲の海に 覚鑁上入伝』

「生物はみな、いつかは死ぬ。死んで十万億土を旅して、お浄土へゆく」
                  〜『雑賀六字の城』

死ねば、すべてはおしまいだ。この世の不安も不自由も、とろで俺は、
死を怖れているのだろうか、と酔った頭で考え,は、死をこわがっては
いない自分をたしかめる。      〜『剣のいのち』

殺生は武士のならいじゃ。儂もいずれは死ぬ。迷わず成仏いたせ。
                  〜『名臣伝』

世俗の雑事から遠ざかりたい。兵法日下開山の栄誉を求めて、何の価値が
あるのか。人はみな死して一団の灰となるのみではないか。生きて殺生を
重ねるのも、自ら命を絶って山野に朽ちはてるのも、太虚のうちにうごめく
微細な人間がえがく一瞬の幻影にすぎないという考えが、武蔵を深い虚無
の奈落へひきこんでゆく。    〜『宮本武蔵』

老修験者は惣角に教えた。
「まず無心になることじゃ。そのうえで、神を信じよ。己が神の分霊で
あることを信じよ。心底に一点の疑念もなく信じることができたとき、
わが身に神の御力が宿るのじゃ」 〜『鬼の冠』

▼ 最後の老修験者の言葉がよい。「無心になり、己が神の分霊であることを
 心底信じることが出来れば神の力は宿る」は、その言葉どおり。それも、
これも、宇宙からみれば、微塵なこと。

・・・・・・
5106,閑話小題 〜韓国が変
2015年03月08日(日)
   * 韓国が変
 今さらだが、ますます韓国が変。韓国フェリー転覆事故、そのセウォル号
オーナーの変死事件。そして大韓航空の一連が収まったら、今度は米国大使
への傷害事件。あまりに何もかもが雑。 前大統領と現大統領の素質もあるが、
政権維持のための日本に対するバッシングは見え見え。韓国は、ほぼ米国に
経済占拠をされ、殺伐とした空気。隣には北朝鮮が存在し、米国の経済圧力
との板ばさみ。国民の7〜8割が海外移住を望んでいるというが。
それらを象徴する事件。これも近未来の日本の姿? 世界が動乱期に入って、
一番弱い?朝鮮半島が、その象徴として現れ出た事件。とすると次は日本? 
南欧?中国? 大統領が換わるたび、その劣化が鮮明に見えてくるのも、
如何なものか! ところで、ネットに以下のような日本との対比があった。
1.日本人男性と女性ともは韓国人より「やや小柄」
2.性格は日本人より直情的、直感的
3.日本人の平均年収は韓国人の約2倍
4.韓国は日本よりも少子高齢化が進んでいる
5.韓国の失業率は世界で2番目に低い
6.韓国の学生の読解力は世界一位
7.美容整形をしたことのある韓国人は日本人の2倍以上
8.韓国の強姦件数は、日本の40倍以上
9.窃盗事件、殺人事件ともに日本が件数が少なく、麻薬事件は日本が多い
10.韓国人の幸福度は低く、自殺者が多い。自殺率は10年世界一
 隣国のことを言ってはいられないのが日本。国家予算が、収入に対して
二倍になっても、その削減が出来ない事態。目先、5年後の東京オリンピック
に目を向けさせ、その事実から自己逃避をしているだけで、そのツケはくる。
ある日、国債と、株式相場の暴落となって襲いくる。で、「日本は、もっと変」
・・・・・・
4741,閑話小題 ーソロモンの指輪の物語 〜1
2014年03月08日(土)
    * 「ソロモンの指輪」の物語が面白い!    
  まずは、ーネット検索の内容からー
【 昔、ソロモン王は、悪をはたらく72人の悪魔たちを真鍮でできた器に
 入れて封じ、湖底深くしずめたとされます。しかし時を経て、そうとは
知らないバビロニアの民が湖底より引き上げて、封を開けてしまった。 
かくして人と悪魔がともに住む時代がやってきた。時が経つにつれ、ソロモン
王自ら望まなかった名誉をも手に入れていた。外国の女性もふくめ妻700人、
側女300人も仕えさせるほどとなっていた。賢明なソロモン王でも、長い間
ライバルもなく、一人勝ちの状態が続けば慢心する。それを見た神が罰として、
悪霊を遣わした。 その悪霊は、ソロモン王に化けて、知恵の象徴である
ソロモン王の指輪を奪い、海深くに投げ捨てた。悪霊はその後、ソロモン王に
なりすまし、本物のソロモン王を城から追い出した。指輪を失ったソロモンは、
知恵も誉れも無くし、自分を王だといっても信じてもらえず、物乞いしながら
生きながらえる毎日でした。やがて3年の月日がたち、ソロモンは、別の王国の
王宮料理人と知り合い、見習い料理人となりました。 そのうち彼の料理が気に
入られ、そして王女に慕われるようになりました。 やがて二人は結婚を決意。
しかし、王様は、料理人との結婚を許さず、二人を砂漠に追放した。
二人は砂漠を彷徨い歩くうち、運よく海岸へ出て、とある漁港へたどり着く。
空腹を満たすために、そこの漁師からなんとか水と魚を分けてもらい、魚を
調理しようとお腹をあけると、神の名が刻まれた指輪がでてきました。
その昔、悪霊に海へと捨てられた彼の指輪だったのです。それを指にはめると、
たちまち力が蘇った。ソロモンは、その指輪を着けてエルサレムに戻り、偽の
ソロモン王を倒して王座を取り返ました。 そして、ともに砂漠をさまよった
王女を唯一の妻として一生幸せに暮らしました。】
▼『ロード・オブ・ザ・リング』(2001年)からの三部作と、前日譚にあたる
『ホビットの冒険』が3部作として、2012年から2014年にかけて2部が公開され、
2部まで、都合5作を見てきたが、これが面白い!旧約聖書外伝のこの
「ソロモンの指輪」が原型かどうか? キリスト教圏の人たちにとって、
誰も知っている物語。その辺りが、欧米と日本人の見方の違いになるが・・
ところで、生まれてこの方、指輪などしたことがなかった!
・・・・・・
4374, 残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法 ー6
2013年03月08日(金)            
 * 平等も格差も遺伝子に組み込まれている    
       「残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法」橘玲著
 チンパンジーに、既に平等が埋め込まれているとは驚きである。
長年の間の試行錯誤の結果である。ということは、それから進歩した人間は、
平等から一歩進めて「公平」という概念になる。この辺りが一番難しい。
容姿も、能力も、人種も、生まれてきた環境も、その人によって違っている。
当然のことながら、人間は不平等に生まれつく。しかし、チンパンジーの
遺伝子に平等も格差も組み込まれている意味を考えてみる必要がある。 
  ーその辺りを抜粋するー
≪ 二頭のチンパンジーを、真ん中をガラス窓で仕切った部屋に入れ、
 片方にキュウリを与えるえるとおいしそうに食べる。ところがもう一方の
チンパンジーにバナナが与えられると、いきなり怒り出して、手にしていた
キュウリを壁に投げつける。さっきまであんなにうれしそうだったのに。
霊長類学者のドゥ・ヴァールは、こうした観察結果から極て重要な発見をした。
平等はチンパンジーにとって、けっして譲ることのできない「基本的猿権」。
 ぼくたち人間も、「平等」に強いこだわりをもっている。人種差別でたくさん
の血が流れるのも、バックパッカーがぼったくられに延々と文句をいうのも、
同じ人間として平等に扱われていないと感じるからだ。でも平等が遺伝子に
刻み込まれた生得的な価値観なら、なぜ世の中は格差社会になるのだろう。
それは、「格差」もまたぼくたちの遺伝子に刻印されているから。
 初対面の二頭のチンパンジーを四角いテーブルに座らせ、どちらにも手が
届くところにリンゴを置くと、互いに取りあう。負けがつづくと威嚇の表情を
見せるが、喧嘩にはならない。互いに先取者に所有権があることを認めている。
 ところが同じことを何度も繰り返すうちに、どちらか一方がリンゴに手を
出さなくなる。からだの大きさなどさまざまな特徴から二頭の間で自然に序列が
生まれ、いちど階層が決まると、下位のチンパンジーは上位者にエサを譲る
ようになる。保育園や幼稚園でも、子どもたちを集団で遊ばせるとごく自然に
階層が生まれ、リーダーが決まる(とくに男の子の場合、この傾向は明瞭)。
サルやヒトには、相手と自分の関係を測り、無意識に支配したり従ったりする
強力なちからが働いている。人間の耳には、五〇〇ヘルツより低い周波数は
意味のない雑音(ハミング音)としか聴こえない。ところがぼくたちが会話を
すると、最初はハミング音の高さがひとによってまちまちだが、そのうち
全員が同じ高さにそろう。 ひとは無意識のうちに、支配する側に
ハミング音を合わせるのだ。≫
▼ サルの研究では、サルと人間の重なる部分から、人間の本質を探っていく。
 特にサル社会の「平等」と「格差」との微妙な調整がポイントとなる。
生まれて死ぬまで、高校、大学、会社、事業、結婚相手などの選定が延々続く。
  その結果、都会では、住む地域まで格差ができる。その最たるものが皇居。
アフリカの王族国家を見れば、システムの馬鹿馬鹿しさが見て取れるのに、
自国になると分からない。
 ・・・・・・・
4000, 4000回の随想日記
2012年03月08日(木)
 千、二千、三千回目に、それぞれの感想を書いてきた。旅行中も「書きだめ」
をしたのを知人に頼んでアップをしていたので、ほぼ休まず書いてきた。
自分でも11年近く四千も連続して書いたと驚いている。次は五千が目標だが、
四千回を契機に、時どき休むことにする。また五千回に到達した時点で半年位は
休むつもりである。この程度の文章は誰でも書けるが、一応自分で納得した
内容を書き続けるのは大変である。充実感があり、習慣化したから可能だった。
「チョット聞いてよ。こんなことがあったよ!」という長屋のハッツァンが、
クマサンに自慢気に話している感じである。もちろん、自分のために整理し
知識として残すのが目的だが、せっかくの獲物?を共有することで、学び続ける
動機づけにしている。気楽に、面白可笑しく、バカ丸出しで、地頭で、書いた
ため、それが、そのまま伝わっていたはず。それも四千ともなると、自分の脳内
そのものでもある。自分の貯めた文章を毎朝、同月同日分を読む楽しみは格別。
今では、その日書いた分を含めると11年分の同日の自分に出会っている。 
書いたことも、その内容も、ほぼ忘れた文章が、早朝に読み返すのは不思議で
奇妙な感覚になる。だから倒産とか、それに関わる嫌な日々も、この御陰で毎朝、
心が洗われる。 文章を起承転結でまとめるのはプロならいざしらず、気力が
無いと無理。 但し、一度、その習慣をつければしめたもの。しかしブログに
字数制限があるため、当日分の書いた分だけ、過去に書いた文章をカットする。
それが、身を切る思いになる。しかし、それが好い加減な文章を書くと数年も
しないうちに、自分の手で削除することになるので、内容の質を落とせなく
なる効用がある。 文は、一度書き、アップすると、あとに戻せない。
何気なく書いたために明らかに傷をつけた人が何人かいる。 
注意はしているが、厳重な注意が必要だが、それが見えなくなってしまう。
時系列に書き続けていると、ある意味で、メモ帳、雑記帳にもなるが、毎日、
書き連ね、別ボックスに分類すると、違った意味で、価値が出来てくる。 
また分類ボックスの一番下に、過去の文章の検索が出来るようになっている。 
時々、検索をすると、キーワードの入った文章が出てくる。もし、秘境旅行、
と入れれば、過去に書いた文章が時系列に出てくる。これは記憶の検索になる。
 以下の、千、二千、三千も、それぞれ検索で調べたもの。 
・・・・・・・・
2003/12/30
1000, \(~o~)/千日の随想日記!
 1昨年の5月2日から今日の12月30日までは973日である。
更に旅行をして休んだ一回分の日にちを加えると約35〜40が合わない。
調べてみると206〜222とか250,251辺りとか何箇所かが間違いている。
しかし小説風の「宗親日記」が大体その位の数を書いているので、合わせて
一千回の到着日とすることにした。あくまで自分ひとりの記念でしかない。
 子孫への永久保存版としてー「子供や孫に見せるように」と、また「遺言」
のつもりで書いてきた(書き始めて一年位経ってからだが)。
だから続いたのだろう。自分の父親や、祖父がこのような文章を残していたら、
実際のところ面白いだろう。いま考えてみると、随想日記を書き始めた日を境に
自分が間違いなく変った。一日一日が充実してきた。20〜30人位?の人に
毎日読まれていると思うと、見守られているような感覚になる。作家などの
物書きが必死になって書くのも解るような気がする。死ぬ前に全てを消し去る
のもよいし、また書き残すもよいのだろう。いずれにしても50年以上は残らない
のだろう。いや死んだと同時に消滅してしまうか。そうすると生前葬の
遺言みたい、いや墓みたいなものだ。 ところで実感としていうと
一番勉強になり良いのが、自分。
・テーマ探しに46時中頭が1杯    ・そして構成に苦労して
・書き上げた後に、何回か書き直し   ・誤字と矛盾をさがす
そのプロセスで内容を練り上げることが、思考を練ることになるからだ。
といってこの程度の内容であるが。ス〜と書ける日はよいが、全く書けない
日がある。それでも何とか書くからよいのだ。
・・・・・・
2006/09/25
2001, 二千日の随想日記! おはよ〜!(*^ワ^*)i (~O~)ふぁ・・
 この随想日記が昨日で2千回目になった。母の十周忌の命日というのも
何かの因縁である。 (字数制限のためカット 2014年03月08日)
・・・・・・・
3634,  閑話小題   
2011年03月08日(火)
 * てっぱん
 毎朝のNHKの連続TV小説の「てっぱん」が面白い。私生児?の19歳の女性の
目を通して家族問題をテーマにしたもの。舞台は大阪と尾道。下宿先の訳あり
の住人たちが個性的で人情があり、互いを支えあっているという設定。
実際の社会は、この夢のような暖かさはない。逆に虐めと見下げの中で、
本人は崩れていく。往年の美女、藤純子がお祖母さん役で、番組そのものを
引き締めている。全体に流れている湯気が出ているような暖かさは、
家族崩壊が問題になっている中、大きな問いかけになっている。
それにしても、19歳のヒロインの持てること。逆に周囲の男たちの持てない
ことが何か不自然である。 それがTV小説であるが。それと、ここには悪役、
三枚目役が全くといってよいほど出てこない。 それも良いのかもしれない。
 * 携帯電話の買い換え
 先日、家内の携帯電話の買い替えのお付き合いをした。 私の携帯電話を
半年ほど前に、iPhonからドコモに買いかえたばかりなので、家族割引
もあるので家内もドコモにした。 私も家内も型落ちのゼロ円のもの。
しかし半年前には2〜3万はしたもの。その二つを比べると、その差に驚いて
しまった。携帯は日進月歩なのである。売り場は半分はスマートフォンで占め
られていたが、これまでの携帯電話ではカメラ機能が強化されたものがメイン。
数年で、大部分がスマートフォンになるのだろう。世界中の情報が、これら
端末情報機器から大量に流される時代。一時代前までの社会的格差は、その
まま情報格差に比例していた。それが、フラット化していけば、社会的格差が、
これまでと違ったカタチになってくることになる。これが北アフリカ、中東の
アラブ圏で起こっている変動として現れている。パソコンも、卓上、ノート、
そしてタブレット型と進化をしてきた。携帯電話からスマートフォンへ雪崩を
うって移行を始めたが、これがどの方向に変化していくのか? スマート
フォンとタブレットの境目は、どの辺になるのだろう? 35歳が子供の頃から
ゲーム器やパソコンに慣れ親しんで育ってきた年代の分岐点となる。
その人たちが社会の中心点になろうとしている現在、時代は大きく変わった。 
もう化石人間などという言葉は、誰も使わなくなった。誰もが使えるように
なってきたからだ。しかし、情報格差は、違う意味で果てしなく広がり出した。
 


5470,人生で最も大切な技術 ー28 フロー状態

2016年03月07日(月)

フロー状態を経験する
 金沢の衣料チェーに一年半ほど勤めていた時や、実家の衣料量販店で、
服に値札の糸通しをしていた時に、三十分も続けていると、奇妙な悟りの
ような奇妙な心持になる。これをフロー状態というらしい。〜その辺りより〜
≪ 誰にでも、一つの活動、実験または感情に猛烈に没入する、という経験が
あるだろう。クレアモント大学院心理学部のミハリ・チクセントミハイ教授の
提唱するフロー理論は、まさにそのことを論理化したものである。1960年代に
創造的なプロセスを研究していた同教授は、一つの事実に思い当たった。
 画家は、創造プロセスが順調なとき、作業に完全に没頭していて、完成まで
その状態に止まり、疲労も空腹も不快感も一切意識しない。作業が終わると、
突然に関心が消える。このとき画家は、「フロー状態」を経験しているのである。
その時間中は、自分のしていることへの没入のほうが、最終的な結果よりも
価値が高い。この現象に好奇心をそそられた教授は、活動の喜びが一番の
インセンティブとなる、画家、登山家、チェス名人、外科医、作家、肉体労働者
たちと数多くの面談を行った。同じ岸壁を十数回登ったロッククライマーに
とっては、頂上にたどり着くまでのプロセスが喜びであって、登頂はそれほど
重要でないのは明白である。特別の目的地もなしに、音楽を奏でながら、
またはトランプで一人ゲームを楽しみながら、ヨットで湾を巡洋するヨットマン
にとっても同じことが言える。このようなときに人は、「活動そのものに完全に
没頭している。エゴや時間を超越する感覚がある。どのような活動、動作、
思考も、前のものを引き継いでいる。それはジャズ演奏のようなものである。
自分の全存在が巻き込まれ、自分の技術を最大限に駆使する」。
 フロー論に近い状態まで心を没頭させること、ということを自ら発見した。
通訳で、講師が話している間は、心を完全に応えられる状態にしておく。
すなわち、心を一切の雑念が入り込まないように解放した白紙状態に保ち、
緊張を伴わないで注意を集中した状態にしておく。こうして耳に入る内容を
伝達する。それは、一杯になった水差しから別の水差しに中身を移し変えるのと
同じ作業である。出発点と講義の脈絡だけを記憶しておけばいいのである。
こうすれば続々と耳に入る詳細も、概して、骨を折らずにこなせる。
 心が注意集中状態でしかもリラックスしているので、長々した複雑な講義でも、
極めて忠実に再構築することができるのである。雑念や外的な出来事が翻訳の
フローを断絶する場合、魔力は消え、本筋に戻るのが難しくなる。
この事態に陥ったときは、いくつかの詳細が記憶から漏れる。数秒間、
心が真っ白になる。フロー状態を正しく経験するには、メモは取らないほうが
いいだろう。すべてがとんとん拍子に運ぶとき、スムーズな流れが穏やかな
喜びを醸しだしてくれる。自意識とは、自分自身の観察であるが、それが
事実上不在になり、疲労を忘れ、時間の経過は、遠くからは見えない川の流れ
のように、知覚することがなくなる。チクセントミハイ教授によれば、アイロン
掛けとか組立てラインなどの最も平凡で単調な作業中にフロー状態を経験する
こともある。ただし、経験するかしないかは、時間の経験の仕方にかかっている。
フロー状態を経験しない場合、事実上どの活動も、耐え難いとまでは言わない
までも、退屈でうんざりしてくる。同教授は、フロー状態に入りやすいタイプと
そうでないタイプがあることも発見している。≫
▼ 早朝の、この文章の仕上げで、気持ちを集中させ、完成までの2~3時間は、
アッという間に過ぎ去っていく。この時も、一種のフロー状態。この程度の
文章に、ネタさがしと、下書きを入れると3時間を要している。何でまた?
というが、そのフロー経験そのものが良いから続いている。少しでも、嫌と、
思ったら到底続くものでない。フロー状態だから、前年の同月同日の内容に、
不思議な偶然として繋がるのだろう。
・・・・・・
5105,社会主義の実現を信じた狂信者という悪魔
2015年03月07日(土)
       「毛沢東の大飢饉〜史上最も悲惨で破壊的人災」
                   フランク・ディケーター(著)
  * 毛沢東の大飢饉
 もう四半世紀前の1989年になるが、北京経由の桂林へのツアーで、
現地人ガイドが桂林で何気なく発した言葉に驚愕をした。
『文化大革命の時、それぞれの村に死体が山のように積まれていた。
私の村でも、積まれているのを見た。桂林では、あそこ!」と、指をさす。 
 現地で生々しい虐殺の話を聞くのは初めて。日本では、聞けない話。
旅行当時、北京の天安門広場近くには通勤途上の人民服の人が乗る自転車で
溢れていた。 資本主義的近代化?に向かう一歩手前の中国の姿だった。
  〜アマゾンの案内より〜
<15年以内にイギリスを追い越す」と宣言した毛沢東が始めた「大躍進」
政策は、人肉食すら発生した人類史上まれに見る大飢饉と産業・インフラ
・環境の大破壊をもたらした。香港大学教授が中国各地の公文書館を精査。
同館所蔵の未公開資料と体験者の証言から「大躍進」期の死者数を4500万
(大半が餓死。うち250万人が拷問死、裁判なしの処刑死)にのぼると算出。
中国共産党最大のタブーの全貌を明らかにし、北京が震撼した衝撃の書!>
  =投稿者の内容より=
≪ もし地獄というものが、あるとすればこの時期(1958〜1962)
 の中華人民共和国の姿であろう。この大躍進の前に、小躍進という大災害
があり、主としてスターリンのソホーズ・コルホーズを、中共がまねをして、
同じような飢餓と腐敗を味わったのであるが、たくみに、フルシュチョフと
張り合う形で、イギリスの鉄鋼生産量を追い抜くという、ばかげた、いや、
恐ろしい計画が、毛沢東がその権力維持の為に、発動される。それが大躍進
という地獄。共産主義国家において、しかも独裁者のもとでは、一度動き出した、
この地獄のプランは止められない。止めようとする者は地獄に落とされる。
およそ、考えられる地獄の様相はすべて盛り込まれている。単に餓鬼地獄だけで
なく、暴力、強姦毒殺、自殺のような他殺、親殺し、子殺し、人身売買、人肉や
泥、糞尿を食べる人、食べさせられる人、あらゆる冷酷のかたち、あらゆる
サデズムの形態で現実におこなわれる。発狂、逃亡、集団死、強盗、暴力
あらゆる悪徳、腐敗、無恥、がどのようにどこでおこなわれたかを、綿密に
書いていく。墓場から死体を掘り出し、あるいは飢餓で死んだ死体を肥料に
してまく。この歴史を国民に教えることはタブー。このような地獄のうえに、
その誤りを指摘する劉少奇を粛清するために、毛沢東は第一次文化大革命、
第二次文化大革命へと権力維持装置をフル回転させるわけだが、ここで
日本でも教養人にファンの多い周恩来などは、自分の命を守る方に
うごいていたこと忘れてはならない。身近な人が、身近な人に襲い掛かり、
子供といわず、婦女子、老人をたたき殺す、その異常死の数4500万人
ともいわれた大躍進の地獄は、人々の心から、忘却されてない。≫
▼ これに文化大革命を加えると、7〜8千万人が死んだというから、
 人口の一割に当たる。もし日本だったら一千万人が犠牲である。
1958〜1962年なら私が中学校の頃、隣国では、こういう惨劇が!
・・・・・・
4740,<つまずき>の事典 〜   ー8
2014年03月07日(金)
  * 「他人歓迎」       <つまずき>の事典> 中村邦生編著
 既に亡くなったが、長年、連続テレビ映画の『ララミー牧場』の解説をし、
「さよなら、さよなら、またお会いしましょう」で終わる名調子の淀川長治
の言葉を紹介している。
☆ 『 映画は、ただ娯楽というだけじゃなくて、いつでも人間勉強させて
 くれるので、私は映画に命をかけました。ちょっと大げさですけど、映画
 への愛が今日の私を作りました。(中略)そして私は、映画から3つの
 言葉を学びました。「がんばれ、苦労、来い」。二番目は「他人歓迎」。
 “他人”という言葉を持ちなさんな、みんな仲間と思いなさい、映画は、
 そう言っていました。もう一つは「私はいままで、嫌いな人に一人も会った
 ことがない」。映画を見ていて、こういう言葉が出てきた時に、私はメモ
 しました。家に帰ってから、それを身につけようとして、今日まで来て、
 どうやらどんな人とも仲良しになれる気持ちになりました。愛は、本当に、
 豊かな人生をもたらしてくれます。』  :淀川長治「美学入門」より
  〜ネット調べると、以下も、なかなか良い〜
☆『愛というものがあるからこそ、人間は美しく生きられる。
 愛のない人間は汚い。お金だけで行きている人間は汚い。
 アメリカの言葉にもあります。「金で買えるすべてのもの、それは悪魔
 でも買える。しかし・・金で買えないものを持っているのが、人間。」
 それは、愛ですね。愛は金では買えませんね。そういうことも映画から
 教えられました。』         :「大人の学校ー入学編」
☆『キザな言い方だが、講演するときもこのあと私はきっと死ぬのだと
 自分に言い聞かせることにしている。するとその講演に命をかける。
 二時間がまるで20分ぐらいの勢いでしゃべってしまう。講演の後は
 汗でびっしょり。けれども不思議なことにこの方が疲れない。思いっきり
 やったという私だけの満足感が疲れを忘れさせる。』『人は必ず死ぬ。
 一日を十分生きなければ損だ   :格言[いつも人生最後だと思う]
☆『チャップリンは幼少時代ひどい苦労をなめた。貧しさのあまり頭が変に
 なった母とチャップリンは二人暮らしになった。父を5歳で失った時に
 母は発狂した。腹違いの9歳の兄はこの家から逃れて船のボーイになった。
 5歳のチャップリンは食べるものがなくなってマーケット裏に捨てられた
 残飯を拾ったこともあった。その苦労がのちのチャップリン喜劇の中で
 いかに生きて描かれているかがわかるのである。それにこの母が実は
 偉かったのである。気が鎮まって正気を戻すと、小さな我が子を枕辺に呼び
 「イエス様はお前が運命を全うすることをお望みなのだよ」と何度も諭した。
 つまり自殺をするなということである。それは小さな我が子に言うよりも
 苦しい自分に言って聞かせたのであろう。 そのチャップリンの苦労が
 のちに幸せの花を咲かせたのである。思えば神様は人間を豊かに幸せに
 するためにいつも苦労させるのだ。:格言[苦難のあとに幸せの花が咲く]
▼ チャップリンのコメディの基本となる「悲惨な生活の喜劇化」。
 彼の芸は道化師の芸からの頂きで、「サーカスのネタばらし=自分自身
のネタばらし」である。少年の頃から、お金を稼ぐため、大道やステージに
立って注目を集めるために道化師の芸を盗んだ。子供の頃の生活のための
知恵は、万人の心をうつ。『一日を十分生きていれば、どんな場面でも
乗越えることが可能である』が、それが一番難しい。 
『一日を充実させる』さえ心掛ければ、十分!


5469,人生で最も大切な技術 ー27 黄金の時間への回帰

2016年03月06日(日)

5年前から、早朝から「黄金の習慣」を編上げたスケジュールを淡々と過ごす
日々が、そうとも言えるが、どうだろう。世間的なことを、ほぼ無視できるし、
一人、ほぼ単独でこなしている。一番の心の切替が出来たのは、20時から4時間、
爆睡をした後の、4時間の半睡を、瞑想のように過ごす。4年前からジムのヨガを
週に2〜3回、参加しているが、最後に死者のポーズを5分ほど行う。それと同じ
感覚にすると、かなり酷似した感覚になる。 歩の時間が、成金の時間帯に
変わっている。 〜その辺りから
≪ 一日に一度、ほんのわずかな時間でもいい、心を内省する時問を持ったら
 どうだろう。たしかに、知的な会話や頭を使わないですむ娯楽もそれなりに
楽しいものではある。だが、それらが本当の満足感を与えてくれるだろうか。
心を内側に向けよう。山のように習得するだろう。毎日わずかの暇を見つけて、
利他的な考えを養成し、心がどのような働きをするかを観察するのは非常に
価値のあることである。こうした心の探査は、地域情報やスポーツ記事を読む
時聞に比べて千倍も多くのものを得る上、永続性がある。世間的なことを
すべて無視しろ、と言っているのではなく、時間が有効に使われるべきだ、
と言っている。現代人は思考ゼロの状態にはまり込んでいるのである。
 挫折を味わうとか、仕事が空回りする等の経験をした場合は、
「すべてを客観的に捉え直す」ことにわずかの時間費やす。だが、その方法と
費やす時間が問題なのである。辛い時間が「さっさと過ぎ去る」のを待ち、
「気持ちをまぎらわす」何らかの気晴らしを熱心に探そうとする。 それが
ほとんどの場合だろう。だが、俳優と場面は変わっても、芝居は続くことを
忘れてはならない。湖の畔、丘の上、静かな部屋に座り、自分の奥深い部分が
どのような構造になっているのかを観察してみたらどうだろう。まず、自分の
人生で何が一番大切か、それをじつくりと検証する。続いて、それまで時間を
割いてきたさまざまな活動を点検し、基本的に重要な事や活動を優先して順位
をつける。日常的な活動のうち、必要性の低い部分を、沈思黙考と内側に目を
向ける時間に切り替えることもできるだろう。長年にわたり、英国を離れて
隠遁生活を続けたテンジン・パルモ尼はこう記している。「人は瞑想の時間が
ないと嘆くが、それは正しくない。廊下を歩いている間、信号待ちの間、
コンピュータで作業中、列に並んで順番を待っている間、と入浴中、髪を梳か
している時でさえ瞑想はできる。今この瞬間に存在しているだけでいい。
心についての余計な解説は要らない」。 人生の残ざれた時間は有限である。
人間は、生まれたその日から一秒、一歩ごとに死に近づいている。
チベットの隠者、バトゥル・リンポチェは詩的な表現をしている。
  日没に太陽が沈むように、命が次第に残り少なくなると、
  死が、長ぐ伸びた夕暮れの影のように近づいてくる。
▼ 別に、私が黄金時間を満喫しているということでなく、御隠居生活
 そのものが、心の持ちよう、考え方で、それに近づける状況ということ。

・・・・・・
5104,閑話小題 〜絶食系男子・女子
2015年03月06日(金)
   * 絶食系男子・女子
 いつの時代にも、様々な男女のタイプがいる。学生時代は、志すところが
あってか、機会は有り余るほどあったが、特定の相手はいなかった。卒業の
半年前に、ゼミの教授に「学生時代に相手を見つけておきなさい」と言われ
焦って探したが時、既に遅かった。しかし、勤務先は女性の職場、それぞれの
転勤先には、こんな美人が実際に存在しているのに驚かされた。対象の年代は、
団塊の世代で、私の世代は終戦直後の男の絶対数が少なく、環境として非常に
恵まれていたため、一人に固定されると、その特権を放棄することになる。
そこでフワフワしているのが、最適。それも、22〜27歳の間だけ。 昨今、
肉食系、草食系と言われていたが、今では絶食系男子、女子が増えているとか。
過去に一切、付き合ったこともないし、その気がない?と街頭インタビューを
していたが、「傷つくのが怖い」「自信がない」「面倒だ」「理想の人が
いないし、いても相手は無理」とか、様々。どれもこれも身に覚えがある。 
 誰も無意識で、自分のレベルより1〜2ランク上の相手を望むが、情報化は、
それをテレビや、ネット上で具体的に提示する。そのうち、それが最低条件に
変化していることに気づかない。悪いことに、映画やTVドラマで、理想的
ヒーローやヒロインの虚像を焼き付ける。現実に、そんな相手は存在しないし、
いても相手はミスマッチとなる。で、どえらい失恋を重なるうち、諦める
しかない。次は拒食系男子・女子が出てくる? ところで、その番組の中で、
「レンタル彼女・彼氏」があるという。ただ数時間デートをするだけで、
何も?無しで、二万数千円。その方が気楽で良いという。解らない時代だ。
・・・・・・
4739,<つまずき>の事典 〜   ー7
2014年03月06日(木)
* 私は人一倍こわわがり屋!(植村直己)<つまずき>の事典>中村邦生編著
 誰でもこわがり屋で、神経質である。もし、そうでないなら無知か、無神経
である。それを登山家の植村が逆に準備を周到にすることで乗り越えてきた。
私も、人一倍こわがりで、神経質の性格を乗越えてきた。初めてのケニアも、
 生きて帰れるかどうか、到着するまでは恐ろしさで震えていた。でも、
サファリ地区に入れば、何とことはない、世界で名だたるレジャーランド。
要は、決心できるかどうか。人生と同じである。 ーその辺りを抜粋ー
《 ☆ 人から「そんなに次次に危険を冒してこわくないのか」と、よく
 聞かれるがとんでもない、私は人一倍こわがり屋。危険に直面したとき、
自分だけはなんとしても生きたい、と思うのである。普段の生活では表に出ない
利己的なものが、危険に遭遇した時、あらわれるのである。ー植村直己『冒険』〜
 植村直己(1941~84)は登山家・冒険家。兵庫県生まれ。モンブラン、
キリマンジャロ、南米のアコンカグア、エペレスト、北米のマッキンリーと
世界初の五大陸最高峰登頂者となった。チョモランマを除いては単独登頂。
他にも、アマゾン川を筏で下ったり、北極圏一万二千キロを犬ゾリ単独走破
などを成し遂げた。この希有の冒険家も明大山岳部に入りたての頃は、
新人の中でも最もパテが早く、使いものにならなかったという。
 この『冒険』は一九八○年刊行の自伝的冒険記。引用は単独行への新たな
挑戦を語る章の一節。この「利己的なもの」という言葉に続けて、
「北極圏の犬ゾリ旅行のとき、ひとたび食糧が欠乏して生命に危険を感じると、
それまで家族のように接してきた犬も食糧に見えた」と告白している。
植村直己は「未知の世界に立ち向かうとき、私はあらゆる準備に時間をかける。
そして、成功への可能性が見つかったとき、初めて行動に移る」と自他ともに
認める慎重居士であった。しかし一九八四年、マッキンリーの冬期単独初登頂
に成功した帰路、消息を絶った。43歳の誕生日を迎えた後であった。
この登頂は南極大陸横断という挑戦に備えてのことだった。》
▼ 長期の設備投資の事業をしてきたが、20〜30年以上の投資のため、
 多くの時代の波に曝されることになる。判断と、決断は、それを前提にするが、
そんな先が読める訳がない。そこに底知れぬ恐怖感がまとわり付く。そのため、
万一の備えをつくっておくしかない。今回の一連で、大部分の人が計画倒産と
思ったようだが、そんな小利口なことなど、私に出来ようがない。出来るのは、
再投資の度に、リスク管理を積み重ねてきた。そこには利己的な自分が顔を出す。
 気が小さく、愚鈍で、利己的な自分と常に出会うことになる。
だから綺麗ごとが綺麗ごとと自覚できない人の心中が透けて見えてくる。
ドラマと、現実は違う。その内面は、ドラマでは表現できない。
それは、自分で経験するしかない。
・・・・・・
4372, 残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法 ー5
2013年03月06日(水)               
  * セックス原理主義から遺伝子中心主義へ    
         「残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法」橘玲著
 フロイトがユングにとってかわって久しい。そのユングも科学の進展のためか、
これまた時代遅れになっている。フロイトの説くエディコンプレックスの人間の
本性は、あまりに極端である。身近にいると、性欲対象から逆に外れてしまう。 
幼児期からの女友達と結婚するケースが殆ど無いことをみても分かること。
 ーまずは、その辺りを抜粋してみるー
≪ 幸いなことに現在では、エディプスコンプレックスがまったくのでたらめ
 だということが証明されている。フロイトは、男の子の母親への欲望は生得的
なもので、それを文化的に抑圧し近親相姦をタブーとすることで社会が成立して
いると考えた。でもそうすると、ヒトとほとんど同じ遺伝子を持ちながら
文化的なタブーのないチンパンジーやオラウータンなどの類人猿は、近親相姦で
子どもを産んでいることになる。ところが詳細な野外調査によって、彼らが
じつに巧妙な方法で近親相姦避けていることが明らかになった。たとえば人間に
いちばん近い類人類ボノボは、思春期になるとメスが冒険的になり、故郷を
離れてほかの群れに加わる。それに対して内気な雄は、母親とともに群れに残る。
この無意識のプログラムによって、ボノボの兄弟姉妹が性交することはない。
遺伝子的にみて、近親相姦はきわめて不利な繁殖方法だ。・・
 ・・・いま精神分析に代わる新たな‘こころの原理’が登場してきた。
ダーウィンの進化論を、遺伝学や生物学、動物行動学、脳科学などの成果を
踏まえて検証し発展させようとするもので、進化心理学(進化生物学、社会生物学)
と呼ばれている。ダウィンの理論は、生物は自然淘汰によって、より効率的に
子孫を残こそうに進化してきたというものだ。長い進化の過程を生き延びて
こなければいまここには存在しないのだから、これは考えてみれば当たり前で、
コロンブスの卵みたいな話だ。
この単純な理論で、キリンの首が長くなったり、クジャクの尾羽が絢欄豪華に
なったり、生物学的にはチンパンジーと大して変わらないヒトがとてつもない
知能を持つようになった理由がきちんと説明できる。進化論はナチスの宣伝に
利用されたり、聖書の教えを否定する冒�と批判されたり、なにかと評判が
悪いけれど、現代の進化論(新ダーウィニズム)はさまざまな知の領域を横断
してとても洗練されたものになってきている。 ・・・ ≫
▼「遺伝子は、自らが生き残るために生物の身体を使う」という。 
 当分は新進化論が主流だろう。結婚相手は、北海道とか、九州など遠くの
地域の人の方が、遺伝子的にも良いと聞いたことがある。地方から一度、
都会に出たほうが、色いろな人と接する機会が多くなる。それは海外にも言える。
その遺伝子の性格は非常にエゴが強いときている。遺伝子も、乗り移った身体が
弱ければ、そこで終わってしまう。 ところで、孔雀の絵柄、誰がデザイン
したのでしょうね。
 ・・・・・・・
3998, 宇宙は本当にひとつなのか ー3
2012年03月06日(火)
         「宇宙は本当にひとつなのか」 ー村山斉著
「暗黒物質ーダークマター」「暗黒エネルギー」「多次元宇宙」「多元宇宙」
が、この本のキーワード。まず「暗黒物質ーダークマター」から取り上げる。
  * 「暗黒物質ーダークマター」とは?
 目で見えなくて正体不明だが重力を持つように観測されるものを暗黒物質
と呼ぶ。銀河は遠くに行っても星やガスの速度は遅くなっていない。このため
には、見えない物質(暗黒物質)が銀河の端に行くほど増加していなければ
ならないことになる。また、遠くの銀河団の光が巨大な重力により曲げられる。
これから暗黒物質が存在していることがわかる。そもそも、この暗黒物質が
なければ、地球も、太陽も、星も、銀河も生まれなかった計算になる。
この暗黒物質は何物とも干渉しないので、今この瞬間にも私達の周辺、身体を
すり抜けている。暗黒物質の有力候補がアクシオンと、超対称性粒子の
ニュートラリーノであると理論的に予言、期待されている。
ニュートリノ観測結果から、銀河系の中にある星はすべて原子できていると結論。 
銀河系全体では、その中心からの回転速度の観測から、見えないが重力を持つもの
(暗黒物質と命名)が存在し、宇宙進化のシミュレーションから暗黒物質が
存在しないと現在の宇宙は存在しなかったことになる。最新の宇宙研究の現場で、
この「暗黒物質」をつかまえる一歩手前まで来ている。現在、仮説としては、
「暗黒物質は異次元から来る使者という可能性」が、まじめに議論されている。
  ー以下は、暗黒物質についての箇所であるー
【 私たちは学校で、万物は原子でできていると習いました。
 ですが、その原子は宇宙全体の5%にもならないのです。ここで疑問に
 なるのが、残りの95%は何なのか。実は約23%は暗黒物質で、約73%を
 占めるのが暗黒エネルギーなのです。全部足すと誤差の範囲でちゃんと
 100%になります。暗黒物質も暗黒エネルギーも、名前はついていますが
 その正体はわかりません。】
【 この考え方が最初に提起されたのは1933年のことです。銀河団の銀河
 の運動を観測したフリッツ・ツビッキーが、最初にそういった。最近の観測では
 銀河団のほとんどが暗黒物質でできている。どうしてそれが分かるのか?
 重力レンズ効果を利用し暗黒物質の分布が分かります。重力レンズ効果とは、
 アインシュタインが予言したもので、光は重力に引っ張られて曲がる。 
 そのため、遠くにある銀河や星の光は変形して地球に届く。この重力レンズ
 効果が、今は正確に測定することができるようになったのです。暗黒物質の
 分布地図作りではっきりしたことは、暗黒物質は原子ではない、つまり宇宙に
 ある物質の8割以上は、原子ではないということ。】
【 暗黒物質は、ニュートリノ以上に、他の物質と反応せずに、地球なども
 すぐに通り抜けてしまう物質です。電子やニュウトリノと同じような小さな
 粒々の粒子だと思われる反応はしない重い素粒子と想像される。】
▼ ビッグバンから、この宇宙が始まったというが、その元になる素粒子が、
 どうして生まれたかは謎のまま。暗黒物質が、他の宇宙から来たというなら、
 ビッグバンの原因が、暗黒物質が来た原因を探し求めていく中で分かって
 くるのでは?と思われる。
 ・・・・・・・
3632, 「中東革命」の行方 −1
2011年03月06日(日)
  * 「中東革命」をなぜ手放しで喜べないか
 竹森 俊平(慶大学教授)の中東革命をなぜ手放しで喜べないかの、
毎日新聞の論説が面白い。「アメリカのデモクラシー」を著した19世紀の
フランスの社会思想家、トックヴィルは民主主義の支持者だったが、
同時に民主化された国の先行きに不安を抱く「慎重な楽観主義者」であった。 
 そのトックヴィルの洞察とは、
≪ 貴族が政治を支配する君主制の下では、社会はいくつもの階層に分断
されるが、個々の階層内での団結は強い。そのため国は「利益集団」の連合体
という形態を取り、その集団の抵抗があるため、国全体を君主の意思で自在に
動かすことは困難で、君主制が「独裁政治」に転化することは稀である。
これに対して、国民の間の身分の差を認めない民主主義の下では階層に基づく
利益集団が消滅し、誰もが一個人にしか過ぎない。しかるに、巨大な社会の
中での個人の力は僅かだから、国民は「個人」として行動する場合には微弱。 
そのため国家、社会の動きに国民は脅える。とくに一番国民を脅えさせるのは
「アナーキー」である。しかも軍事的革命によって民主主義が確立した場合に
国民のアナーキーへの恐怖は大きくなる。 力によって維持されていた体制が、
その力とともに崩壊したあとの混乱を誰もが経験しているからだ。 
結局、この無政府への恐怖が、国民を「絶対権力願望」へと駆り立て、
独裁制を生む。 こうした経緯で誕生した独裁制は、君主制の下で発生した
独裁制よりも強権的である。なぜなら君主制の下では、国民は「意に反して」
誕生した絶対権力に対し抵抗し続けることができるが「意に従って」誕生した
民主主義の下での独裁制には抵抗し難いからである。 しかしマスコミは
「慎重な楽観主義」として民主主義をみている。≫ −つづく
▼ 独裁国家の崩壊は、王政国家の崩壊より性質が悪くなる。
 今回のエジプト、チュニジア、リビアのような時代遅れの独裁国家の存在
を許し、崩壊後も同じような独裁者を生むことになる。スターリンも然り。
王政が軍事独裁者が取って替わっただけでしかない? 北朝鮮も、中国の
共産党の体制も、同じ似ている。軍隊は共産党所属である。だから騒動が
起きても、軍部は民衆より共産党につくしかない。共産党もそのの子弟が
代々上層を占めている。競争社会は格差を生み出し、その蓄積が社会構造を
作ってきた。その構造が突然、崩れても新たな理想的なシステムは、
簡単につくれるはずがない。


5468,人生で最も大切な技術 ー26 退屈と孤独を越えて

2016年03月05日(土)

* 退屈と孤独を越えて
 退屈とは、何ら楽しみを見つけ出すことの出来ない状態で、楽しみの準備が
出来てない状態をいう。身辺を見ていると、本当に多い。楽しみは、10年、20年、
40年かけての準備を要する。それがないから退屈になる。目先の気晴らしと、
楽しみとは、似て非なるもの。 
≪ 退屈は、気晴らしを唯一の頼りとする人が避けることのできない宿命である。
 その人は、人生を一つの大きな娯楽と捉えるが、見世物が終わった瞬間に惨め
になる。退屈は、時間に価値を見出さない人の罹る疾患である。
 反対に、時間には計り知れないほど大切な価値があることを理解する人は、
日常的な活動や外からのさまざまな刺激からの、わずかの休憩時間を余すこと
なく活用し、どの瞬間にも備わっている、芳しく澄んだ音色を味わう。
その人は、退屈の意味も味も知らず、精神的に枯渇することがない。
 孤独にも同じことが言える。米国人の15%が、週に一度は強度の孤独感を
経験している、という報告がある。人間関係または世の中との接触を断つ人は、
エゴの幻想に陥り、群集の中で孤独を感じる。あらゆる事象には相互依存性が
あることを理解する人は、決して孤独に陥らない。 
 隠遁者を例にしよう。たった一人で過ごすにもかかわらず、宇宙のすべてと
調和し、一致していると感じることができるのである。
 注意力が散漫で集中できない人にとって、時間は、混乱した心に入り込む
物憂げな環境音楽のようなもので、まったく無為無益なものになる。
このタイプをセネカは次のように表現している。その人は、長く生きたのでは
なく、長く存在したに過ぎない。航海に出た途端に嵐に遭遇し、あらゆる方角
から絶え間なく吹きつける強風に翻弄され、同じ誹をぐるぐると回鄭している
状態を、長期航海と言えるだろうか。そのような人生は、航海ではなしに運命
による翻弄と呼ぶに相応しい」。≫
  * 楽観論の真の意味
≪楽観論には非常に深い次元がある。すなわち、人間の置かれた状況の如何
 を 問わず、あらゆる人間には変革への可能性があり、それを現実化できる。
その次元を指している。他ならぬこの可能性が、生きることに意味を与えて
くれるのである。人生はほとんど価値がない、と考えるのが究極の悲観論で、
逆境であれ歓喜の時であれ、一瞬一瞬が宝であることを理解するのが究極の
楽観論である。両者の違いは、単なるニュアンスの違いではなく、物事の見方
が根本的に違うという点が強調されるべきだろう。人間がどちらの見方をする
ようになるかは、心に平和をもたらし、それを強めることができる充足感を
自分の中に見出しているかどうか、で決まるのである。≫
▼ 一瞬一瞬が宝ということは、歓喜の瞬間こそお宝ということ。感動は、
 人を変える力がある。その蓄積は、決して減ることがなく、歓喜を呼寄せる
力を持つ。
・・・・・・
5103,悪夢の21世紀 ー7
2015年03月05日(木)
    * 「ニヒリズムに落ち込む世界」 〜�
   ー価値は、すべての観点から見たものに過ぎないー
 「価値」を、一つの点に修練される「遠近法」の、それぞれの立ち位置
 の観点でしかない、というのも面白い! 今まで「価値」の意味の解釈で、
 最も合点がいく。情報化で、それぞれが違った立居地から情報の受発信が
 出来るため、それが逆にニヒリズムを起因する。 
(13) ≪ 誰もが、広い意味で、何かの「専門家」になってしまっていて、
 特定の論点にしか関心を持てなくなってしまった。それぞれの観点を総合
 することが出来ないのである。かくて、我々の世界像は、巨大なピカソ状の
 壁画のようなもので、そこには統一もなければ、まともな論争も生じない。
 全てがちぐはぐだ。それこそ、ニヒリズムの特質で、ニーチェも言うように、
 ニヒリズムとは、統一も、目的も、真理も失われた状態である。≫
(14)≪『ではどうすればよいのか。このニヒリズムの時代には、残念ながら
 容易に答えなど見つけられるすべもないのです。ニーチェは、価値は、全て
 ある観点から見たものに過ぎない、といいました。確かな真理などという
 ものはない。ただ、様々なパースペクティヴ(= 観点、見方)があるだけだ、
 というのです。われわれは、結局、特定のある「パースペクティヴ」から
 見ているに過ぎない、というわけです。その意味では、誰もがある特定の
 専門家もどきにならざるを得ません。それはそうでしょう。そのことが悪い
 わけでもないのです。・・ 「パースペクティヴ」といったときには、
 すでにおぼろげながら、ある遠近法が忍び込んでいるのではないでしょうか。
 ある特定の観点、という自覚そのものが、おぼろげながら遠近法を想定して
 いるのではないでしょうか。少なくとも、様々な「パースペクティヴ」が
 バラバラになっては困るのです。それらの観点が文字通り、ひとつの点に
 収斂してくれなければ困るのです。・・この遠近法の収束点を与えるものは、
 やなり、我々の構想力以外には無い。この構想力は、決してグローバルな
 市場競争や大衆化した民主主義や新しい技術革新の延長上に置かれるもの
 ではありません。それらは、世界を一層混沌へと落し込むでしょう。』≫
(15)≪『そうではなく、われわれが、われわれの歴史的経験と文化を確認
 しつつ、しかも日常の常識(コモン・センス)に立ち返って将来の社会像や、
 よき生というものを構想する力というほかないでしょう。それは決して
 専門主義からは出てこないものなのです。一種の総合力と構想力なのです。≫
▼ ニヒリズムでは、世界は救われない。やはり総合力、構成力が必要である。
 民主主義、自由主義が正しいと信じてきて、今さら何を信じろ!というのか。
長くとも、10年先に生きているかどうかと、考えると虚無になるが、せっかく
地球に奇跡的に生を受けたのだから、知る限りの知識と経験を貪欲に求めて
やろう、と生きるべきだが。 
・・・・・・
4738,<つまずき>の事典 〜   ー6
2014年03月05日(水)
* 据え膳食わなねど高楊枝の後悔と・・ <つまずき>の事典>中村邦生編著
人生の黄昏時になると、若い時の愚行と共に、
絶好の機会でありながら、犯さなかった愚行の悔い?が交差する。
  ーここで紹介している内容からー
《「男が最も悔やむ愚行は、絶好の機会でありながら犯さなかった愚行です。」
                    ヘレン・ローランド『男への案内』
ヘレン・ローランドは、アメリカのジャーナリスト・作家・主に若い女性への
愛と結婚をめぐるユーモラスで、皮肉な寸言を得意とした。例えば、「結婚前、
男はあなたの言ったことを夜中あれこれ考えて眠らずにいるが、結婚後はあなた
の話がまだ終わらないうちに眠ってしまうものなんです」といったように。
 o(・`ω´-+) --☆Wink…o(;-_-;)oドキドキ♪ _+)(/_;) 
 引用の警句「絶好の機会でありながら・・」を読んで、忸怩たる思いが込み
上げてこない男はいないだろう。もちろんこの種の「愚かさ」は、特に男だけに
限られたものではないが。しかしこれはやはり男のもの。つまり「悔やむ」
という未練の引きずり方のだらしなさにおいて、男独自のものである。
そもそも「絶好の機会」などというものからして、常に後になってみなければ
気づかないようにできている「機会」なのだ。》  (“o(>ω<)o”))オシイー!! 
▼「あの時、もし、愚行をしてしまったら、どうだったか」を考えると、
 やはり留まる理由があったから。逆に「愚行の失敗の結果が現在の自分」
と思うと、これまた複雑な心境である。「踏みとどまって良かったのか、踏み
とどまらずに云々・・」などを考えることが、引きずっている男の哀しさ。
結婚を考えると、解りやすい! 男は強力な下半身のエネルギーによる愚行で
結婚相手の判断を狂わせ、一生かかって後悔する。その結果が世の男たちの、
 姿だが。「若気のいたりの愚行が無いのが一番の愚行、若気のいたり!」と、
今東光が身の下相談で言っていたが。
「いい女、いい男」は、「いい女、いい男に見えるため、思えるだけ!」
というのが解らず、家庭内離婚を含め、大部分が一生かかって後悔する。
人生の大部分が愚行で成立している。「絶好の機会」は「絶体的危機」だった。


5467,人生で最も大切な技術 ー25 人生は長くない

2016年03月04日(金)

『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ リカール著
   * 黄金の時間、鉛の時間、浪費の時間
 考えさせられる内容だ。黄金だけでなく、鉛も、浪費の時間も必要だが、
その兼合いが必要である。「人生は長くない」が、有益の黄金の時間を
過ごしてきた者にとって、人生は短くはない。 〜その辺りから〜
≪ 時間は、注意をそらしている間に、指の間から知らず知らずにこぼれ散る
黄金の粉末に喩えられる。最大限に利用される場合、時間は、意義深い人生の
布を紡ぐために、日常という横糸を往復させる杼(機織りのときに横糸を通す
道具)に喩えられる。幸福の探求においては、時間が最も貴重な財産であると
気づくことこそが最も重要なことになる。だからといって、人生を過ごす上で
意味深い重要な物事をすべて排除することにはならない。大切な人生を浪費
する原因を排除することが大切だと言っているのである。
 セネカ哲学書にはこう書いてある。「時間が不足しているのではなく、
余りにも多くの時間を無駄に過ごしているだけである」。人生は長くない。
重要な物事を先延ばしすることで人は多くを失う。人間に残された年月または
時間は、いとも簡単に消失する。知らぬ間に砕け散る値打ちの高い物質と似る。
このように非常に価値があるにもかかわらず、時間には自衛力がない。
通りすがりの誘拐者に難なく連れ去られる幼児のようなものである。
黄金の時間の受け取り方は人さまざまである。活発な人にとっては創造、
建設、達成、他者の幸せに自分を捧げる時となる。瞑想者にとつては、内面の
世界を理解し、人生の本質を再発見するために、自分の内側を凝視する時間
となる。その間は活動していないように見えても、今の瞬間の真価をはっきり
と認識し、他者を助けられる自分に内側の質を向上させる時は、黄金以外の
何ものでもない。隠遁者にとっては、生きているどの瞬間も宝であり、時間は
絶対に無駄にできない。
 ハリール・ジブラーン〔1883〜1931年レバノンの詩人〕の表現を借りるなら、
隠遁者は沈黙の中で「その心を通して時の囁きを音楽に変えるフルート」と
なるのである。怠け者は「時間を潰す」ことを考える。なんと由々しき表現
だろう。怠け者にとって、時間は、長々とした、単調で、荒涼とした1本の線
のようなもの。待機、遅延、退屈、孤独、退行に我慢できない人にとっては、
鉛のように重くのしかかる、自由を奪うものとなり、人生そのものが耐えられ
ないだろう。過ぎゆく一瞬一瞬が、拘束感と単調さを増すだけである。
時間を、恐れるべき死への秒読みと捉える人がいる一方、生きていることに
うんざりして、望むべき死への秒読みと捉える人もいる。この種の人にとっての
時間を、ハーバード・スペンサー〔1820〜1903年イギリスの哲学者、社会学者、
倫理学者〕は、「潰せない時間がその人たちを潰す」と表現している。
 時間とは苦痛で退屈な経験に過ぎないと考える人は、一日の終わり、一年の
終わり、人生の終わりに、自分が何もしてこなかったことに気づき慌てふためく。
また、誰にでもある成長の可能性にまったく気づかずに、過ごしてきた事実の
露呈に驚愕する。・・≫
▼ フランスのヴぇルジュリという哲学者が、【私たちは、幸福を外側に求めて
 いるが。それは幸福を物のように語ることである。それは、私たちが幸福で
あり、幸福が物でなく、私たち自身である ことを忘れている。】と言っている。 
 幸福は、どこかにある物でも、いつでも手に入れられるものでもない。
いま幸福になれない人は、いつまでも幸福になれない。私たちが生きているのは
「今」。今の私たちをとりまく世界を、まず肯定しなければ、来るはずのない
幸福を目ざして苦労するだけで終わっていまう。「いま、ここ、わたし」を
肯定するするしかない。
・・・・・・
5102,閑話小題 〜空を飛びまわるニワトリ
2015年03月04日(水)
   * 空を飛びまわるニワトリ
 以前だが、TVニュースのレポートで、神社で野生化したニワトリが、
樹木の枝を飛びまわっている姿の記憶がフラッシュしてきた。このニワトリ、
野犬に追われ、やむなく飛んでいるうちに、飛べるようになったようだが、
これは、人間の能力と同じ現象ではないか。野犬から身を守る生死の境で、
普段、使わない本来もっている羽の機能を使ったためである。生命が生まれて
20億年、現在の人類の祖先から20万年、経過している。脳には、生命として、
動物として、人間として、あらゆる生死をかけた経験が蓄積され、それを使い
生き残ってきた。その記憶が脳と身体に刻印されているのが、究極の危機から
目覚めてくる。その一つに火事場の馬鹿力がある。後家の踏ん張りも?
 私なんぞ、境内の木々の枝をコケッコと鳴いて飛びまわるニワトリ?
枝の上から、柵内の飛べないニワトリをみていると、何か人間の姿に?
   * つれづれに
 ☆ この30年近く、我家のペットはインコ。いまので10代になるが、
 名前は「ピー子」。7代まではボタンインコだったが、8代目がメキシコ・
コガネインコ、そして4年前から、世界で最も小さいルリハ・インコである。 
性格が大人しく、絵から抜出したように可愛いが、年を重ねる度に、野生が
顔を出し、攻撃的になる。外出先から帰ると、駐車場から察知し鳴きさけぶ。
このインコも驚いた時に、飛んで逃げるが、普段は飛べない。人間と同じだ。
 ☆ 先週の金曜日に観たシネマ『アメリカン:スナイパー』を観た。
 中東で160人を射殺したスナイパーが、退役後、心的外傷を負った男に射殺
される。その心的外傷の男が何ゆえ射殺したのか考えてみたが、私の結論は、
「自分が殺害したアラブ人への償いを、その英雄を射殺することで果たした?」
と考え至ったが、どうだろう。 キリスト教原理と、イスラム原理主義
との戦いが、21世紀の大きなウネリになる。 もう、おちおちアフリカ、
中東に旅行に行けなくなってしまった?
・・・・・・
4737,<つまずき>の事典 〜   ー5
2014年03月04日(火)
  * 思い出のグリーングラスの意味  <つまずき>の事典>中村邦生編著                  
 半世紀近く前の学生時代、トム・ジョーンズが大ヒットを飛ばし、森山良子が
日本版で歌った「思い出のグリーン・グラス」の歌詞の意味を、この本で初めて
知った? 当時、その意味を知っている人が多かったのだろうが、現在になって
知ろうとは! この原曲の本当の意味は「若い死刑囚が、執行の朝、望郷の夢
から醒めた哀しい歌だった」 当時、何も知らなかったのか? 
知っていて、その心情を深く思わなかったのだろうか?その方が、もっと酷いが。 
当時の底の浅さが、思いやられる! 多くの人が死の直前に走馬灯のように思い
出す故郷は、こんなものだろうか。ーあるブログから、元歌の歌詞の訳を引用ー
 ーー
故郷の街並みは昔と同じ    列車を降りると 両親が迎えに来てくれている
通りを走ってくるメアリーが見える    金髪でさくらんぼのような唇の
故郷の緑に触れるのは気持ちが良いものだ  そうなんだ 皆が迎えに来てくれる
両手を差し伸べて 優しく微笑みながら 故郷の緑に触るのは気持ちが良いものだ

古い家はまだちゃんと建っている   壁は干からびてひび割れてはいるけれど
そして僕が遊んだあの古い樫の木もある 愛しいメアリーと一緒に小道を歩くんだ
金髪でさくらんぼのような唇の   故郷の緑に触れるのは気持ちが良いものだ

そして僕は目覚める 辺りを見回してみる   僕は灰色の壁に囲まれている
そして気づくんだ そうなんだ 僕は夢を見ていたんだ と
看守がいるし 悲しそうな顔をした年老いた牧師がいる
夜明けには 腕を掴まれ歩くんだ それから僕は故郷の緑に触れることになる

そうなんだ 皆が僕に会いに来るんだ  あの古い樫の木陰のところに
皆は僕を故郷の緑の下に横たえるんだ
ーー
▼ Youtubeで、この歌を改めて聞いてみた。 この意味を知ってから聴くと、
 歌が違って聴こえてくる。私の幼児の頃の家と、家族と、店の人たちを、
思い浮かべると、魂の故郷に帰ったような気がする。熟年になってきて、
死が近い将来?に近づいてきた現在、この歌の味わいは、ことさらである。
 そういえば、この随想日記で「白い雲に乗って」のテーマで、
書いたことを思い出した。〜以下


5466,人生で最も大切な技術 ー24 楽観主義と悲観主義

2016年03月03日(木)

『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ リカール著
   * 楽観主義と悲観主義、この二つの世界観
 楽観だけではモノゴトは上手くいかないし、悲観主義だけでは、面白くは
生きていけない。この年齢になると、「もう○○歳」と「まだ・・」と考える
かで、大きく違ってくる。『悲観主義は気分のものであり、楽観主義は意志
のものである。およそ成り行きにまかせる人間は気分が滅入りがちなものだ』
と、アランが『幸福論』でいうが、やはり意志が受止め方を変えていく。
 〜その辺りから〜
≪・楽観論者とは、この問題は一時的、制御可能、特定の状況と関係している、
 というふうに考える人。「そのような些細なことで大騒ぎするのは理に
適っていない。すぐに片づく。自分で解決できる。いずれにせよ、これまで
常に解決できた」をモットーにする。
・一方、悲観論者は、問題は長引くだろう(この種の問題は簡単に片づかない)、
やることなすことが裏目に出る(私には期待しないでほしい)と考える人である。
また、生まれつき精神的な欠陥があると思い込み、「何をしても結果は同じ」
と冷めていて、「生まれつき幸せとは縁がない」と結論づける。
現代人の多くが不安感に苦しんでいるが、これは悲観論と密接に関係している。
悲観論者は常に災難を予想し、慢性的な不安症にかかっていて、疑い深く
なっている。不機嫌で、苛立ち、神経過敏になり、世の中や自分への信頼感を
失っていて、常にいじめの犠牲になっている、捨てられる、無視されている、
などと取り越し苦労する。≫
 * 楽観論に対する論外な非難
≪・心理学の世界では長年にわたり、多少抑うつ的な人のほうがものの見方が
 「現実的」で、楽観論者は、苦痛の伴う状況よりは、愉しい出来事に長々と
思いをはせ、過去の実績や達成を過大評価する傾向がある、と信じられてきた。
仮にそれが真実なら、楽観論者に比べて、悲観論者の方が目を大きく開けて、
状況をより明快に評価する傾向がある、という理屈になる。また、その説が
正しければ、悲観論者は、「現実は必ずしも、笑えるほどに愉快なことばかり
ではないだろうが、物事はあるがままに見るべきだ」と考える。
・一方の楽観論者は、たしかに愛想は良いが、救い難いほど世間知らずで、
無警戒な夢想者で「夢から現実世界に戻されるのが落ちだ」という議論になる。
どうやら、以上が正当化されてきたのは、単に偶然が重なっただけらしい。
各種の研究が進展中だが、その結果、客観的で超然としていて用心深い、
と考えられていた悲観論者の判断は不適切、ということが立証されたのである。
日常生活で起こる、現実的な状況に注目すると、楽観論者のほうが悲観論者
よりも現実的かつ実用的なアプローチをとることが実証されている。≫
▼ 明石家さんまの座右の銘は「生きてるだけでまるもうけ」という。
「生きてるだけでまるもうけ」は、「死」が視座にあればこそ言える言葉。
長門裕之の妻の故・南田洋子が晩年、この言葉を口癖にしていた。ならば、
生きているうちに楽しむだけ楽しまなければ! 
・・・・・・
5101,悪夢の21世紀 ー6
2015年03月03日(火)
   * ニーチェが看破したキリスト教の価値観 
(12)≪ 思想家ニーチェは、来る200年はニヒリズムの時代になる、と言った。
 ニーチェが死んだのは世紀の変わり目1 9 0 0年だった。ニヒリズムは人々が
 共有できる大きな価値観の崩壊。キリスト教が約束した福音も近代主義の福音
 も、ヨーロッパが生み出した大きな価値観であった。人々の幸福を保証する
 ものだったはず。ニーチェはそんな価値観は脱ぎ捨てろと言った。キリスト教
 や近代主義の理想にとらわれては駄目と言った。そんな幸福はちっぽけなもの
 だし、人はそんな価値によっては幸福になれないと言うわけ。 ニーチェは
 キリスト教は人間を見苦しいまでに自虐的な存在にし、自由や平等や人権などを
 唱える近代社会は極めて偽善的で欺瞞的ないやらしい社会だ、と言った。
 今日アメリカがグローバルな正義として打ち出している自由や民主主義、平等
 や人権、公正な市場経済などは、ニーチェの発想からすれば、何とも欺瞞に
 満ちたインチキくさい正義だとの論理。ニーチェの言い分が全面的に正しいか
 は別としても、今日、最早、自由や民主主義、平等や人権、公正な市場経済
 など無条件に信じられない。この「正義」の背後に、「力」の競争や闘争が
 隠されていることに誰もが気づいてしまったから。だから、市場しか見てない
 者は、規制改革を徹底して行い競争を強化すれば経済は効率化できる、という
 ことしか眼中にない。成長戦略しか見ていない者は、教育から観光から
 エネルギーから人間の生命や医療まで、すべていかにG D Pを押し上げるか、
 の観点からしか見ていない。人権主義者は、女性の職場であれ、家庭であれ、
 学校であれ、人間関係を権力関係としてしか見ていない。政治学者や政治
 評論家は、もっぱら政治を民主化という観点からしか見ていない。ある種の
 ナショナリストは、すべて中国が悪い、韓国が悪い、という観点に立つ。
 一方、平和主義者は憲法9 条にしか関心がない。≫
▼ ニーチェは、近代社会を偽善的、欺瞞的、社会と看破し、その根源が
 キリスト教にあるとした。人生振り返って、哲学では、ニーチェに一番、
影響を受けていた。特に欧米主義にドップリ浸かっている自分に徐々に
気づく過程が私の人生だった。世の論説をみると、ニーチェが看破した
価値観に即して論じているようだ。そして、世界は益々動乱になっていく。
20世紀の半ば1946年に、地球上に人間として生まれ、21世紀を15年を生きたが、
あの世からの視線で見直すと、面白い時代の狭間を生きてきた事を思い知る。
・・・・・・
4736,<つまずき>の事典 〜  ー4
2014年03月03日(月)
           <つまずき>の事典> 中村邦生編著
  * 言ってはならぬ、闘いが無益などと
 人生の終盤に、あまり良い結果ではなかった?が、自分の人生を
全面否定する気持ちは最小である。気持ちは「天気晴朗なれど、波高し」。
 この詩は、誰にでも訪れる人生の終焉で、励ましを与えてくれる。
《  言ってはならぬ、闘いが無益などと
   努力も傷手も無駄などと
   敵はなお息絶えず、怯むこともなく
   事態は相も変らず元のとおりだ、などと。
 ーアーサー・ヒュー・クラフ「言ってはならぬ、闘いが無益などと」P-44
アーサー・ヒュー・クラフはイギリスの詩人。ラグビー校でトマス・アーノルド
に習い、その息子マシューと生涯にわたる親交を結んだ。マシュー・アーノルド
の追悼詩の傑作「サーシス」はクラフを悼んだもの。「言ってはならぬ、
闘いが無益などと」は窮地にあってなお不屈の心をうたった詩として知られる
(引用は冒頭の一節)。また第二次大戦中にチャーチルがルーズベルトへの放送
の結びにこの詩を引用し、イギりス国民を励ましたという逸話を持っている。
クラフには「一度も闘わないよりは、闘って敗れた方がましである」
という有名な言葉もある。  》  
  ーネットで、調べたところ、以下の訳があった。   
【 悪戦苦闘しても無駄だ、
  骨折り損だし、怪我をするだけだ、
  敵は一向に怯(ひる)まないし、逃げる気配もない、
        結局元の木阿弥だ、などと言ってはならない。
  希望を抱いて馬鹿をみるなら、心配が杞憂に終わることもある。
        もしかしたら、ここからは見えない戦場の一隅で、
  まさに今、君の戦友が逃げる敵を追っているかもしれない、
        君さえいなければ、勝利は味方のものかもしれないのだ。
  疲れきった様子で浜辺にうち寄せている波も、
       いくら苦労しても一歩も前進してはいないように見える。
  それでも、ずっと彼方の湾や入江では、じわじわと、
       そして、黙々と、大きな潮がみちかけているのだ。
  夜明けの時にしても、東側の窓からだけ、
       光が射してくるのではない。
  東の空に太陽が昇るのが、どんなに遅々としていても、
       西の方を見るがいい、天地はもう明るくなっているのだ。 
               ー平井正穂編『イギリス名詩選』より 】
▼ 現在の私に、一言一言が実感として響いてくる。 何もしない人ほど、
 いや出来なかった人ほど、「闘いが無益で、努力も痛手も無駄」と言い張る。
闘いもない、さしたる努力もない人生ほど、毒が溜まり、精神を腐らせている。
その毒を、他人に?に向け、吐き出すしかない人々の哀れさを、この節目で
タップリと見せて貰った。「世界は広い。そして深い!」人類は成功によって
導かれてきたが、その背後には99%の失敗と挫折がある。それが人生だ。
・・・・・・


5465,新約聖書は、共同幻想の『おとぎ話』

2016年03月02日(水)

* キリスト教のアキレス腱
 大自然の働きを、神になぞらえて、共同幻想をつくりあげ、何とか人類は、
ここまできた。モーゼのつくり上げたアラーの神Xも、ユダヤ教、キリスト教、
そしてイスラム教の神とした共同幻想。しかし、この情報化社会では、共同幻想
の甘さが露呈してきた。 〜その辺りを哲学者は、以下のように表現している。
≪ 西洋といえばキリスト教である。はじめは数人の信徒しか持たなかった
キリスト教が、世界を支配するようになる。これは世界の不思議の一つである。
もっとも宗教というものは、たまたまタイミングがあえば爆発的に流行るもの。
仏教やイスラムにしても最初数人の開祖、信徒は数名であった。
 さて、キリスト教であるが、その教義にはもともと不自然なところがあった。
キリスト教は一神教である。しかし、イエスを神とみたため、話がややこしい。
イエスは「父なる神に呼びかけている。そうすると神は二人いるのか? 父なる
神とイエスが神なのか? いやいや、そうではないという。神はもちろんお一人
である。父なる神とイエスさまと聖霊は三つのものであるが、しかし、ほんとうは
一つであるという。これが「三位一体説」である。これまで誰もまともに説明
できた人間はいないのである。かのニュートンも、これには悩み、『聖書』を
徹底研究し、最後にはイエスは神ではないという結論に達するのであった。
 よく考えてみよう、もしイエスが神であるとすれば、「生まれた」というのは
おかしくない,か? 神が生まれるのか? 神は物事を生み出す原因であり、それ
自身は何からも生まれるものではない。生まれたとすれば、神を生んだもの、
つまり神以上にすごいものがあることになるのではなかろうか。
 あるいは、イエスが神で、神を生んだのがマリアとすれば、マリアのほうが
偉いのではないか?そういう意見も出てくる。イエスは死んでよみがえったと
いうけれど、しかしそもそも神が死ぬものであろうか?十字架の上でイエスは
血を流し、苦しんでいるようであるけれど、しかし神が痛さを感じるものか? 
ともかく、三位一体説はかなり問題のある理論なのである。 しかし、めちゃ
くちゃであろうとなかろうと、イエスが神だ、とするのがキリスト教である。
イエスは神ではない、とするとキリスト教の存在理由がなくなってしまう。
 しかし、根っこが問題ありの教義であるから、当然、これを批判する人間は
いつの時代にも出てくる。そうするとどちらが正統でどちらが異端であるか、
という争いがはじまる。キリスト教にはこの手の争いがつきないのである。・・≫
▼ キリスト教原理主義国家がアメリカ。ユダヤ教原理主義がイスラエル。
 アメリカ大陸でイギリスを中心に立ち上げた国がアメリカ。カナダは、
フランスが立ち上げた国。これと、欧州連合と、アラブのポチに対しての
戦いが、本格的世界大戦の様相を表しているのが現在の世界。その結果、
以下の内容に続いていく。
・・・・・・
5100,悪夢の21世紀 ー5
2015年03月02日(月)
   * 「ニヒリズムに落ち込む世界」 〜
  ー 自由、民主主義の普及こそ混乱の元凶ー
 最近では、「アラブの春」の一連の独裁国家の打倒。その結果、現れ出た
のが、「イスラム国」。キリスト教原理主義のアメリカが主導する世界に対し、
独裁者から解放されたイスラム教徒たちは、対抗するためイスラム原理主義に
向かうのは自然だが、それにしてもモハメッドの頃の戒律厳守とは・・。
( 9 ) ≪ 欧米的価値観の勝利? 現状はそれどころではない。
 イスラムとアメリカの対立が益々激化。民主化したはずのアラブは混迷に
中に迷い込み、新興国を巻き込んだ市場経済のグローバリズムは、資源や
市場をめぐる果てしない競争へ突き進んでいる。しかし、自由、民主主義の
普遍性、市場競争の普遍性などの近代主義こそが混迷を招く張本人。
だから、事態はかなり厄介である。近代主義を押し進め、グローバル化
していることそのものが問題。だから、今日生み出されている様々な
危機的な事態を乗り越える方法が見当たらない。自由、民主主義、
人権思想、市場経済のグローバル化や技術革新によって問題は解決しない。≫
(10) ≪ 人々の自由が拡大すれば拡大するほど、人々は益々自由を求め、
 その自由は相互に衝突する。それを調停するのは最後には「力」になる。
民主主義は問題を解決しない。民主主義そのものが、多数という「力」の原理。
イスラム教のような人民主権でなく「神権政治」を訴える宗教が出てくれば、
民主主義は有効性を失う。人々が豊かさを求めて市場競争をするほど、利害は
衝突する。グローバルな市場競争は、徐々に帝国主義的な様相を示してゆく。≫
(11) ≪ 今日の世界的な人口増加と新興国の経済成長を前にすれば、
 資源問題、環境問題、食糧問題の三点セットは、すでに世界的な問題。
世界的な問題とは、「世界」が我々の外にあるものではなく、我々も
そこに含まれ、いやがおうにも当事者になってしまっているという意味。≫
▼ 中東問題は、数千キロ離れた海の向こうのことだったが、ネット社会は、
 その生々しいテロや処刑を一瞬にして現前させる。この川崎中一殺人事件は、
明らかに、イスラム国の斬首の映像に影響されたもの。「目には目を、歯には
歯を」は、ハンムラビ法典や旧約新約両聖書に出てくる。我々は、これを
「やられたらやり返せ」という意味で使っているが、同害報復までの法で、
過度な報復を防ぐためである。「倍返しとかダメ」と。4000年前、すでにこの
ような、争いの拡大を防ぐ知恵があった。原理主義の衝突はニヒリズムを生む。
老いは、日々、ニヒリズムを強くする。しかし、生きているうち!いまのうち!
で、二年前の内容が、偶然だが続く! 
・・・・・・
4368, 歳を取りそこねる人たち ー2
2013年03月02日(土)
       「老いへの不安 歳を取りそこねる人たち」春日武彦 (著)  
「老いると独自の当惑や釦の掛け違いによる問題、恥や失望や悔しさが待ち
受けている」というのが本当のところ。そして最期は死ぬのである。
その中で幸福であるために、幸福とは何かを常に自省しなければならない。
  * 幸福のふたつの文脈
≪ 近頃の私は、幸福が二つの文脈から成り立っていると実感するようになった。
・ひとつは日常における安寧とか平和とか、つまり波風の立たない平穏の毎日
 である。それは往々にして退屈に感じたり、無価値に映る。だが、大病を
 患ったり危機の状況に追い込まれると、つくづく【当たり前の日常】
 の有難さに気づく。現代社会における大問題として、年齢を重ねたなりに
 淡々として、維持していく筈の【当たり前の日常】が、老人にとって
 手の届かない危惧が挙げられてないだろうか。
・幸福におけるもうひとつの文脈は、それこそラッキーなこと、嬉しいこと、
 楽しいこと、満足感を得ること―― そのよう躍動的で高揚感をもたらす事象
 との出会いであろう。こちらは個人差が大きく、ある人にとって十分喜ばしい
ことが、別の人にはむしろ物足りなさや悔しさを惹起することなど幾らである。
 こうしたことも、歳を重ねて肩の力が抜けてくれば、それこそ春の訪れを
 告げる日差しの変化とか、隣人から土産にもらった鯵の干物の美味さとか、
 窓の向こうに見える教会の屋根の赤い色と自宅で飼っている金魚の赤色とが
 まったく同じ赤であったことに今さらながら気付いた軽い驚きであるとか、
 学生時代に読んだ小説を再読してやっとその素晴らしさを悟った喜びとか、
 そういったもので十分に幸福の文脈を形成し得るに違いない。ガッツポーズ
 をしたくなるような晴々しい出来事に遭遇しなくとも、さりげなく幸福の滴を
 感じ取ることができる。それが年寄りになることの醍瑚味だと信じてきた
 (へいや、今でも信じている)。… ≫
▼ 幸福とは、当たり前の日常を受け入れる「受容」と、驚き、楽しみ、
 満足感をえる「新鮮な事象との出会い」にある。自虐的な性格もあり、
倒産すら楽しんでいた自分がいる。ならば、老いていく自分を楽しむには、
これは最適。 ー次のアマゾンのレビューが解りやすいー
《 老いるとはいかなることか、そのかたちの探求を試みる。自己の人生の
 なかで出会ってきた様々に個性的な老人たちや、小説に描かれた味わい深い
老人たちを参考にしながら、その探求の過程において示されるのは、著者の
考える素敵な老いや適切な「年寄り」のかたちも若干はあるが、ほとんど、
みっともなかったり、哀しかったり、ときには常識をはずれさえするグロテスク
な老いの姿。他者と生き別れ死に別れた孤独のなかで、死の可能性が充実した
ゾーンへと入っていく時、空間の戸惑いのなかで、人間が抱えている厄介な
ものが唐突にあらわになる。老いるとは、あらゆる出来事に対する達観した
精神の獲得といったようなものではなく、人生が与えてくる難儀さに傷つけ
ながら、なんとか過ごしていくことではあるまいか。》
 肉体も精神も老いぼれ朽ち果て、無になる。それで良いではないか。 
ただ、噂話や愚痴を言い合う老人の群れに入らないことだ。


5464, 『中村ウサギー他者という病』 ー2

2016年03月01日(火)

 自殺未遂の顛末
 彼女が書くと、いまいち、シリアスに感じられないのは何故?
自殺をしようとする時には、何か夢うつつの思考ゼロの状態というから、
当人が後で書いた内容は、軽いタッチになるのか。それは、死刑執行直前に
助かったドフトエフスキーのとはチョッと違う。死刑のそれはと、著者の
死にたい気持ちは違う。 〜内容は、あまりにもシリアスである。
≪ 死にたいと思ったことは、それまでにも何度かあった。が、
足が立たないのでタオルを取りにひとりで浴室に行くこともできない。
「身体が不自由だと自殺もできないのだな」と、薄く笑って諦めた。
しかしここ最近、私の身体はめきめきと回復して、家の中なら自分の足
で歩けるようになった。だから、「もう死ねる」と思ったのである。
 まず浴室に行ってタオルを取って、首に巻いてドアノブに結び付けた。
だいぶ回復したとはいえ、まだまだ身体が思うように動かせないので
腕もよく上がらず、ドアノブにタオルを結び付けるのはひと苦労だった。
 ようやく結んで体重をかけたら、レバー式のドアノブだったために
タオルが滑り落ちてしまい、失敗に終わった。 これは、いかん。
息を整えて、もう一度トライした。今度はドアノブから滑り落ちないよう、
しっかりと結んだ。足に力が入らないので、このような作業を中腰で行なう
のは、なかなか大変だった。
 それでもなんとかタオルを結び付け、腰を下ろす要領で体重をかけた。
気管が圧迫されて、うめき声ともつかぬ奇妙な音が聞こえてきた。
私の喉から出ている音だが、聞いたことのない声だった。顔面が充血して
くるのがわかった。そして、ものすごく苦しくなってきた時に、つい
身体がもがいてしまった。するとタオルがほどけて、またしても
失敗に終わった。人間の理想の死に方は、やはり「急死」であろう。
 自分でも死んだことに気づかないほど突然死ぬのが一番だ。
私はそのチャンスを逸してしまったので、次に死ぬ時は大いに苦しむ
羽目になる。自分で死ぬのは、思いのほか、難しいのだった。
これなら、入院中に心肺停止した時のほうが、ずっとラクだった。
呼吸停止の時だって、こんなに苦しくなかったし。≫
▼ 女流無頼漢作家としての彼女の文章は、シリアスだが引付けられる。
 それが自殺の場面では、こうなるのである。死刑になるまでの
心の風景を書いた手記を読んだことがあるが、それは、恐ろしく
リアルの内容だ。ガン末期で、死期を悟った時の恐怖も同じだろう。
それにしても、骨太の人である。
・・・・・・
2015/09/12
「うさぎちゃん」が、心肺停止になって考えたこと! ー
      ー私は「言葉」を諦めないー(新潮45/5月号)
            〜心肺停止になって考えたこと! 中村うさぎ
   * 女とは何か、の問い
 女の自意識のねじれと矛盾の言語化を何とアッサリと表現するとは驚き。
これは男も似ているが、受身である点で大きく変わってくる。 確かに、
「人間的価値」より、「性的価値」が「商品価値」として、優先するため、
それを高める化粧品や、ファッション衣料が売れている。プロの作家の
言語化は、流石である。  〜その辺りから〜
≪ 私とは何かという問いから始まって、人間とは何かを突き止めたかった。
 そしてまた、人間とは何かを考えているうちに、女とは何かという問題にも
突き当たったのである。私は自分を女という主体として捉え、その「私」は
「人間」であり「女」であると当たり前のように考えていたのだが、そもそも
「人間」であり「女」であることの定義は何なのか。 特に「女」という性別
に生まれてきたことで、自分が「欲望する主体」であると同時に「欲望される
客体」であり、そこに快と不快の両方が混在するアンビバレントな存在である
という認識を持ったのである。 
 男から一方的に性的欲望の標的とされるのは、私の心に支配への恐怖や反発
を生じさせる。若い頃、夜道を見知らぬ男に付け回されたり電車の中で痴漢に
遭ったりするたびに、私は自分が常に男から性的な視線で見られており、
しかも彼らは私の意思とは関係なくその欲望のはけ口として私の身体を使う
つもりなのだと感じた。それはまるで自分が人間ではなく物のように扱われて
いるかのような屈辱感と、彼らに力ずくで欲望の餌食にされるのではないか
という恐怖感を、私にもたらしたのだった。
 が、その不快さの一方で、私は男たちに求められることにナルシスティックな
快感を覚えることもあった。年を取って男たちに相手にされなくなってくると、
自分の価値が暴落したような気分になっ、た。それは決して私の「人間的価値」
の暴落ではなく、あくまで「性的価値」の問題に過ぎないこともわかっていたが、
しかし女の場合、「性的価値」は「商品価値」と密接に結びついているため、
まるで自分が価値のない商品に成り下がったかのような悲哀を味わったのだ。
 男たちに「性的道具」のような「物」扱いされることに怒りを感じながらも、
自分の価値を「商品価値」と捉えて「物」扱いしてしまう… その矛盾が、
理屈で解消されるものならまだしも、生理的な「快・不快」感と結びついて
いるため、よけいに始末に負えない。どんなに理性が「こんなものは根拠薄弱
で非論理的な感情だ」と結論づけたところで、やっぱり心は傷ついてしまうのだ。
それが人間というものではないか。
 私はこの「女」という生き物の自意識のねじれと矛盾を、自分の体験や感覚
を通して言語化しようとしてきた。私を、そして女を、「言葉」で再構築し、
人々に届けたいと願ったのだ。そのためならデリヘルでも何でもやった。
それがどれだけ世間から白い目で見られるかも承知していたが、それでも
「知りたい」「言語化したい」という欲求のほうが遥かに強かったのだ。 
 世の中の「自分がわからない」と嘆く女たちに、「女がわからない」と
ぼやく男たちに、私は自分の言葉を届けたかった。
諸君、我々は「主観」という濫の中から抜け出せず、互いに他者を理解し得ない
まま、閉鎖的な脳内世界の中で孤独に、生きている。だが、その隔絶された
各々の世界を繋ぐのが「言葉」なのである。だから私は「言葉」を諦めない。
それが私と他者を繋ぐ唯一の絆なのだから。 ≫
▼ 抜粋の文章をカットしようと上記を読み直すと、それが辛い。言葉に魂が
乗り移っているためである。ここまで書ければ、本望だろうが、それだけ傷が
深いのである。「言葉」に魂が乗り移ったのを「言霊」というが、成る程!

・・・・・・
哲学について
2015/09/11
「うさぎちゃん」が、心肺停止になって考えたこと! ー
      ー私は「言葉」を諦めないー(新潮45/5月号)
            〜心肺停止になって考えたこと! 中村うさぎ
   * 自分とはいったい何者なのか?
 世間を馬鹿にしているところが、いやに同調できる。『閑』という字が
ある。門の中に木がある状態、その木を己とすると、『独』の状態。
それを自分の中で守ってこそ、自分と他者との分別が可能になる。それが、
出来てない、他人志向的傾向の強い人たちを世間様と定義つけている。
 大方八割?の、世間にまみれた人たちに揉まれ、そこで、己とは何者なのか
を自覚するのは、並大抵でない。世間を見下しながら、そこに依存をするしか
ない己の心情を、以下で明晰に表現している。 〜その辺りから抜粋

≪ 自分もまた俗世間を馬鹿にしており、誰よりも高みにいる気でいたわけだ。
 なのに、そんな自分が世間から排除されたことにこれほどまでに傷つくとは!
私のこれまでの世間への侮蔑は単なるポーズに過ぎなかったのか? それとも、
私が世間を拒絶するのはいいが、世間が私を拒絶するのは許せない、と、
そういう理屈なのであろうか? 
 おそらく、そういうことなのだろう。 私のとどまるところを知らぬ
ナルシシズムは、自分を高い高い場所に押し上げ、超然と世間を見下ろして
いるつもりだった。なのに、その下々の世間から「おまえなんかいらない」
と言われたことで、私は激しい屈辱感を味わい、同時に、自分がずっと見下して
きた世間からの評価をいかに必要としていたか、強烈な痛みとともに思い知った
のである。これほどまでに尊大にして卑屈な人間を、私は他に知らない。
私は己の愚かさに呆れ果てているが、それは自己卑下と-か謙遜とかいった
ものとはまったく別の次元のものだ。
 私はいったい何者なのだろう。この問いに、またもや私は立ち返る。
何度も自分に問いかけ、一度も答えを得られなかった問いだ。これからも
たぶん、答えなんか見つからないに違いない。その答えを見つけるには、
私はあまりに己を知らな過ぎるのだ。 私は何者なのかを突き止めることが
私の人生の大命題なのだとしたら、これはもうきわめてパーソナルなテーマ
であるから、世間から承認されたり評価されたりする類のものではあるまい。
 私がその答えを見つけたとしても、誰の役にも立たないからだ。
 ならば、私は世間から排除されようが拒絶されようが痛くもかゆくもない、
ということになる。人がどう思おうと、私は自分のテーマを変えるつもり
はない。私は私にしか興味がないのだ。
 そんなふうに考えたら、なんだかちょっと気が楽になってきた。
おそらくこれからも私は態度を改めることなく、世間を馬鹿にし続ける
だろうし、そんな世間から許しをえたいとも思わないからだ。
世間が私を必要としなくても、私が私を必要としている限り、私は私の
ために生き続ける。それがどんなに傲慢なことかわかったうえで、あえて
そういう生き方を選択する。
 このように私が世間と隔絶した場所で生きようとすることと、私が本気の
言葉を諦めずに人々に投げかけ続けることは矛盾しているように思われるかも
しれない。が、私が言葉を投げかける相手は、決して「世間」ではない。
 私が言葉を届けたいのは、わざわざお金を払ってまで私の文章を読んで
くれる人々だ。その人たちの心に何かが届けばもうそれ以上は望むまい。
私はずっと「私とは何者なのか」という問題に拘泥し続け、その答えを得る
ためになりふり構わず生きてきた。「私」を解析することで、広く「人間」
というものの核心に迫れるのではないかと思ったからである。
 私は「人間」を知りたかったのだ。 私とは何かという問いから始まって、
人間とは何かを突き止めたかった。・・・ ≫
▼ 現在の、私の心情に、重なる部分が多い。数十万人?に向けて書く
 内容だから力が入りようが自然と違ってくるのだろうが、この湧き出て
くる力は、心拍停止から蘇った経験があればこそ。そう、4年前の一連の
出来事が、『脱皮』だったことを、彼女の脱皮した文章から、自覚した。
 『脱皮』といえば、51歳の時、母親を見送って、さて如何するか?
と考えたとき、還暦までに、死ぬまでの大よそ30年分のしたい事を
可能な限り、やり尽くすと決めた。 その時も『脱皮』であった。
だから8割?の有象無象を無視できる! 人生、良いように出来ている。

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