堀井On-Line



5159,閑話小題 〜夜の世界も世代交代に入った

2015年04月30日(木)

  * つれづれに 〜夜の世界も世代交代に入った
 一昨夜の飲み会の一軒目は、最近、長岡駅、新潟駅、そしてイオン長岡店に
できた、上越出身の寿司チェーンの長岡駅前店に入ってみた。明るい居酒屋の
雰囲気で、値段は中。ネタが良いのと、各テーブルにあるタブレットで、直接、
オーダーが出来ることが特徴。客単価は4〜5千円? 何とか残存している
老舗の寿司屋は脅威になる。一言で言えば、「寿司を売りにした居酒屋」。

 二軒目は、39年続いたカラオケスナックが、4月で廃業というので、
お別れの挨拶で行くことにした。80歳過ぎの大ママと、50代のチイママと、
スタッフ二人の比較的大きな店で、けっこう、繁盛していたが、今年が契約の
更新のタイミングに廃業を決めたという。しかし急遽、アルバイトの若い女性が
引き継いで、同じ店名で継続するとか。要するに代替わり。夜の巷も世代交代か。

 団塊の世代が、本格的にリタイアをし、年金生活に入いり、また、景気も
悪化が深刻化している現在、個人が体を張った飲食店は深刻な事態のようだ。
スナックが4〜5千円とすると、シネマなら4〜5回行けるし、スポーツジム
の平日会員は6千円。それからみると、居酒屋もスナックも高過ぎ。
滞在時間から値段をみると、スナック、居酒屋は一時間、2千円。
シネマは4〜5百円で3〜4分の1。刺激と面白さが3倍とすると、
10倍の価値の差になる。夜の商売の敵は、御多聞に漏れず、テレビや
ネット、シネマ館ではないか。時代は、何れの世界でも、大きく動いている。
・・・・・・
2014年04月30日(水)
4794,閑話小題 ーつれづれに〜4月29日
  * 4月29日の午後は、寝室でTV三昧
 4月29日の祝日は、毎年、全日本柔道選手権のTV観戦をしているが、昨日の
午後は、これに加えて、巨人・ヤクルト戦、サッカーの新潟アレビレックス戦、
映画のアーカイブを、寝室にこもり一人で同時に見ていた。どれもこれも面白く、
伯仲した思わぬ展開が続いていた。特に残念だったのが、巨・ヤ戦。九回の表、
エース菅野が完投勝利直前の三対一から、思いもよらぬ選手から逆転スリーラン
を打たれてしまった。このところ、負け続けのヤクルトが気の毒に思い、急遽、
ホームランを願ったところ、それが通じてか、逆転をして、会場は騒然。
ところが、その時、「逆転サヨナラホームラン」と、勘違いをしてしまい、
チャンネルを全日本柔道に変えてしまたが、そこでも熱戦が繰り広げられ、
決勝で21歳の無名の伏兵が、優勝候補を破って優勝をした。その思わぬ結果に、
本人は何と「優勝候補に自分の名前が一切、取上げられなかったのが悔しくて、
それを晴らそうと優勝を狙ったいた」と。「優勝など思っていませんでした」
と、答えると思っていたため、耳を疑ったが、本人には、「優勝できる手応えが
元もとあった」と、言いたかったようだ。アーカイブの映画も、いずれの試合も
面白かった。しかし、夕方のニュースで、巨人が9回裏に更に逆転サヨナラで
勝利したと知り、一番面白い場面の観戦が出来なかった勘違いに、我ながら
驚いた始末。 我ながら、平凡な、ありきたりの、軽い御隠居になったものだが、
それは、それで、気に入っている。見方によれば、TVで頭をやられたバカな
ヤツになる。 それでも、朝、4時に起きて、随想日記を書き上げ、信濃川の
大橋と土手を一周し、午前中は、読書とパソコンに向かった上だから、と自分
に言い聞かせているのだから、真面目というか、硬いというか・・
 で、今朝は小雨で、ポタリングは無理?かどうかと、空を見上げ、
ため息をついている。
・・・・・・
2013年04月30日(火)
4427, 閑話小題ー 「人生−仕事=?」の質問
  * 「人生−仕事=?」の質問
 「貴方の人生から仕事を差し引いた何が残る?」という問いかけ。 
さしずめ私は屁理屈と、秘境ツアーの思い出と、酒癖の悪さ、随想日記の辺り。
そして幾つかの建物。ところで人生の中で仕事はどれほど重要な位置を占める
のだろう? 知らない人に出会ったとき、まず知りたいのは職業で、趣味は後
になる。都会のセミナーや何かの同好会で、初対面の素性を知りたいとしたら、
まず職業と肩書きである。その後、学歴、出身地、趣味になっていく。
それだけ職業は大きな要素である。人生とは生まれて死ぬまでの生きた道筋。
そこで職業は生活をしていくベースで、まずは、その確保が必要になる。
とすると、「人生=仕事+?」になる。「?」を思いついた順に書いてみると、
金、教養、趣味、愛、夢、家族、仁、神、自分の世界、情熱、世間体、などが
出てくる。仕事の中に、それら集約されたものが含まれる。私の場合、挫折を
入れ、「人生ー仕事=挫折」とし、置き換えると「人生=仕事+挫折」。
人生から見れば「成功」と変わらない? 実際は上記の全て。
   * どうも人は、長期的思考が苦手のよう
 事業が長期的設備投資のため、常に長期的、中期的、短期的に分けて
考える習慣が身についているが、一般的には、長期的思考が苦手のようだ。
大家族の商家の末っ子で、姉兄が自分の3、5、7、9、12歳上のため、
自分の将来が垣間見れる位置にいた。商家は家庭が日常戦場の現場で、不安の
真只中に置かれていた。そして一年一年、家族が同時に歳を重ねながら変化して
いくのが刺激的であった。変化は残酷にも現状を破壊する。その中で、親の目が
届かないため、まず自分の身を守らなければならない。そうこうあり、全神経を
身近な周囲に向ける癖がついてしまった。特に商売の先行きが幼児ながら心配で、
時代の成り行きには敏感であった。それが、そのまま現在まで続いている。
では長期思考が得意かというと、そうでない。そうならば、この結末に至らない。
9・11テロの地方経済に及ぼす影響と、リーマンショックで、売上が三分の一まで
落ち込むとは想定外で、これである。過去10年の想定外の出来事を、これから10年
先に想定したら、誰もが竦むはず。楽観的だから人間は生きていけるが、対策は
とって置くべき。特に、このアベノミクスには注意すべき。この10年の延長上の
大地震の頻発と、火山の噴火、更なる経済変動(恐慌)、北朝鮮の暴発、国境紛争
を切欠とした戦争、などなど、いつ何が起きても不思議でない。大変動を冷静に
受け入れるしかないが、刺激的で、面白い時代でもある。
・・・・・・
2012年04月30日(月)
4053, 閑話小題
  * 自分の傷口の血で、他人の傷口の血を洗うな!
 その辺のシラミというより、人間というものは、他人の血の臭いを嗅ぎ付ける
と本能的に食いついてくる。自分の傷口の血を相手の傷口に擦りつけたくなるのは
本能のなせる業。結局、それは自分の傷を化膿させる。他人の不幸は密の味で、
シタリ顔をして評価が始まる。 その家系や過去の出来事をあたかも知り尽くした
気になり、人物鑑定から始まり最後は嘲笑で終わる。それが共同幻想化をしていき
化け物のように変異していく。しかし実際の化け物は、それをつくり上げている
シロアリ集団そのもの。地方に痴呆が多いのも変化が少ないため。如何に何も
しなかった、いや、出来なかった自分がマトモと言いたいのである。
逆に、それに縛られてしまっている自分たちの姿が見えなくなっている。
老齢化社会とは、こういうことだ。
  * 4月29日といえば
 例年楽しみにしている天皇賞と日本柔道選手権も、ダークホースが優勝をした。
それがGWの連休が始まりである。 梅も桜も散り、鯉のぼりの時節になる。
この数年来、信濃川沿岸近くの公園で鯉のぼりが多く上る。初夏の到来である。 
また季節の変わり目で、軽い腰痛が出るが、トレーニングの為か何とか軽く
収まっている。 積雪のため休んでいた早朝のミニサイクリングも、慣れてきた。
日本と世界経済も、何時、暴発するかどうかの緊迫の中、どうしてもマイナス
思考になりがち。しかし、情報化の御陰で面白いことに近づける。こういう時代、
「よく見れば、なずな花咲、垣根かな」で、身近な楽しみを味わうこと。
TVの昔のドラマの再放送も、ジックリ見るとけっこう面白いのが多い。だんだん、
この生活に慣れてくると、味わい深くなっていく。御隠居とは、よく言ったもの。 
・・・・・
2011年04月30日(土)
3687, 節目どきに ー11
  * 今年の桜
 今年の桜も、悠久山もほぼ散ってしまった。私の主観でいうと、「福島江の
桜は例年並み、悠久山は、数年に一度の咲き具合。」だったが、丁度みた時間帯
などにもよる。しかし去年の写真を見ると同じようなものだから、主観的な要素が
強いということか。大震災で花見という雰囲気ではない。ボンボリも殆どなく、
人影も普段の散歩程度しか見かけられなかった。やはり、何かが変ってしまった。
  * 居間を追われ
 数日前、家内に「居間を昼間、占拠されていると自分のいる場所がないので、
仏間の一角の書斎コーナーに行くように」と強く言われ憮然とした。が、考えて
みれば、その通り。そこで事務所から引き上げてきたパソコンの荷をほどき、
机に移動、ネットに結んだ。パソコンの設定が違っているため、SEをしている
知人にお願いをして苦労惨澹の末、結ぶことができた。そうなってしまうと、
そこが最適の居場所になり、家内からのシェルター?にもなっている。 
中古でも良いから以前より、ここにパソコンを、もう一台置いておけばという、
欲目が出てきている。 それにしてもパソコンの存在は大きい。
「酒に、タバコに、そしてiphne」と言われる位に、スマートフォンの
影響は大きいというが、納得できる。
  * 生活保護者受給者数が200万
 生活保護受給者が200万人となり、10年前に比べ8割も多くなって
いるという。さらに、この震災で大幅に増えるのは明らか。震災・原発事故の
問題で景気は一段と悪化、生活保護受給者が数十万は増加するのは必至。 
現在の生活保護費は3兆円を超えており、今後4兆円になっていくのだろうが、
予算の一割が生活保護費とは! この大震災の経済における影響は底しれぬ
影響を今後、もたらすことになる。それにしても、現在おかれている状況から
みる日本は、あまりに楽観的である。
・・・・・・・
2010年04月30日(金)   
 3322、iPadについて
 iPadについて、「ウェブ進化論」著者の梅田望夫が、どのように見ている
のか知りたかったが、4月26日(月曜の産経新聞・一面)のコラムで以下の
ような感想を述べていた。雑誌や、週刊誌の記者が実際に使ってみた感想と同じ
だが、同じことをいっても専門家の言うことは重みが違ってくる。 
私も使ってはいないが、ネットでデモの画面の内容をみて、「これは現在ある紙を
媒体とした情報手段を叩き壊すだけでなく、携帯電話や、iPodや、パソコンが
生活様式を変えたより、大きなインパクトを与える革命的な存在」の予感がした。
iPodやiPoneのソフトの下地にあるから相乗効果を出すはず。 
書籍だけでなく新聞を、これを媒体として、見るようになる。5年から7年で、
本や雑誌の出版が1〜2割まで落ち込む可能性があるという。
 ■ 全てを“本”にするiPad   梅田望夫 (産経新聞)■
4月3日、米アップルがタブレット型コンピューター「iPad」を発売した。
事前にネット注文していた私は3日は外出の予定を入れず、自宅でiPadの
配達を待った。そして、アップルストア開店から4時間遅れて中国からiPad
が届いた。iPadは電子書籍端末としての期待も大きい商品だが、使ってみて
私が直感したのは、これは創業者ジョブズが昔から作りたかった「理想のマルチ
メディア・コンピューター」の姿そのものだ、ということだった。アップルの
社名はもともとアップルコンピューターだった。しかし90年代に経営危機に
陥り、携帯音楽プレーヤー「iPod」の大ヒットなどで復活したあと、業態と
合わせるために社名からコンピューターがはずれた。しかしジョブズは執拗に
コンピューターを構想し続けていて、いまiPadという製品に結実させた。
使い始めてしばらくして私は、ぜんぜん想像していなかった不思議な感覚を
味わうことになった。「あれっ、本と雑誌と新聞とウェブサイトの区別が
つかなくなってきたぞ」と。昨年アマゾンが電子書籍端末「Kindle」を
世に出したとき、人々は「本がまるで本であるかのように読める」ことに驚いた。
しかしiPadは、本や雑誌といった出版商品だけでなく、ウェブコンテンツ
であれ書類であれ、何でも読めるコンピューター。しかも形状は電子書籍端末に
近く、カラー画面上に指を滑らせるだけで、ウェブコンテンツにつきものの
夾雑物をも取り除ける。その結果、利用者に「本以外のすべてのコンテンツを、
あたかも本を読んでいるかのように錯覚させてしまう」効果をもたらす。
「本がまるで本であるかのように読める」というのとは全く違うのである。 
本も雑誌も新聞も、紙と印刷技術を前提にしたパッケージ商品である。 
電子書籍とはこれまで、その「本という概念」を変えることなく電子化する
ことを意味していた。雑誌や新聞の電子化も右に同じ。Kindleはその
方向性に忠実な端末だ。しかしiPadの登場は、逆に「本と本以外のあらゆる
コンテンツの境界が揺らぐ感覚」を私たちに味わわせる。そしてその揺らいだ
ところに新しい技術が注入されれば、越境により新しいジャンルが創出できそうな
予感に満ちている。いまiPadにいちばん興奮しているのは、初期の利用者
以上に、世界中の開発者やクリエーターたちだと言っていいだろう。 
iPadとは、ジョブズが仕掛けた「メディア産業全体に創造的破壊をもたらす
時限爆弾」なのだ。iPadの米国での販売台数は発売から1週間で50万台
以上と、事前予測を超える大ヒットとなった。供給がまったく追い付かず、米国
でもなかなか手に入らない。日本を含む米国以外での発売時期は1カ月延期
されて5月末。
・・・・・
2009年04月30日(木)
2947,全日本柔道選手権  ー2009年
 毎年、全日本柔道選手権は(壮絶の試合になるので)必ず見ている。
そして毎年4月30日は(一昨年を除いて)前日の試合の感想を書いてきた。
それを読むと、それぞれの時代の有力選手の姿などが見えてくる。
今年は24歳の若手の穴井が優勝をしたが、決勝戦の棟田との試合は極限の中
での勝負であった。最後に若さの力を振り絞った穴井が逆転勝ちをしたが、
見ていて感動的だった。 去年までの数年間は、井上、鈴木、棟田、石井が
準々決勝の常連だったが、今年は井上と、石井が引退、鈴木も準々決勝で
敗退してしまった。 時代の変化が、そのまま現れていた。この試合は体重別
でないのが良いし、日本人柔道家にとって思い入れの深い選手権。次の主役が
穴井と準決勝まで勝ち進んだ高井が浮き上がった。 毎年のことだが死力を
尽くしきった試合は心を打つ。また、今年勝った、穴井が優勝をして男泣き
していた姿が何ともいえない純粋さが現われていた。石井が去年のオリンピック
の金メダルを取った後の引退騒動。彼に柔道そのものが汚されてしまった。
それが柔道界全体に後をひいたように感じたが。石井の醜態は、柔道そのものを
汚した反面、世界は柔道から「ジュウドウ」への流れを、石井は適応して
オリンピックで優勝をした実績は実績である。ところで毎年書き続けてきた
文章を一切に目にしないで見たままを書いているが、自分自身を試合を通して
合せ鏡をみているようで面白い。 大相撲もそうだが、一つのことを書き
続けることも、何か自分の心を見つめる良い機会になる。
 ー
この文章を書いた後で、これまでのものを読み返すと、「毎年書き続けた
文章を目にしないで書いている」など、同じ文言が書いてあったが、
決まった言葉を疑問を持たずに繰り返す自分の枠を見せつけらる。
・・・・・・・・
2008年04月30日(水)
2583, 全日本柔道選手権
毎年、この大会を楽しみにしている。特に、オリンピックの年のこの大会は、
異常な熱気に包まれる。日本の柔道家は、オリンピックより、この選手権に
勝つことを重要視している。今年も、準々決勝から放送されたが、どの試合も
熱気に満ちた劇的な試合が続いた。特に、準々決勝の棟田・生田戦と、井上
康生と高井戦が劇的な戦いであった。それまでの全てをかけた男同士の極限
の戦いということ。結果として石井と鈴木の三年連続決勝戦になった。
普通の人なら、この試合は凡試合で、後味の悪い幕切れと見るだろうが、
私は違う。 (以上、字数制限のためカット 2010年4月30日)
・・・・・・・・・
2007年04月30日(月)
2218, 団塊格差は、かくもついたり  (p≧w≦q)オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァ♪    
              『団塊格差』三浦展著   ー読書日記ー
2005年12月に、この著者の『下流社会』について書いたことがあった。
今度は『団塊格差』という本が書店に並んでいた。丁度、団塊の世代が今年
から定年を向かえるのでタイミングがよい。これもまた買うほどでないので、
ネットで概要を調べてみた。時代背景が良かったので、格差がついたとしても、
それぞれの立場で納得しているところが、見かけられる。総中流時代の中で、
結果として格差がついても、時代の恩恵は受けていた年代である。歴史的に
みても、団塊の世代は日本の黄金時代の背景があった。格差がついたとしても、
それが如何した!でしかない。格差は、その子供たちに直接影響を受けるから、
問題は子供である。それが大きい!が、しかし、どれが如何した!と言えば、
それまでのこと。
 ーまずは、ネットで調べた内容からー
月刊誌『文藝春秋』との共同調査で、2000人の男女から得られた様々な
数字を基に、「団塊たち」の人生60年とこれからを考える
*貯蓄:   300万円未満ー29%、 2000万円以上ー19% 
*退職金:    なしー35%   2000万円以上ー28%
人生60年の棚卸しをしてみたら、実は団塊の世代にも大きな階層間格差が!
月刊『文藝春秋』との共同調査をもとに、所得、資産、仕事、結婚、定年、
子育ての視点から現状を分析。
・女性にはもてたい43%、・不倫したことがある28%なども含まれている。
『下流社会』の著者が、団塊世代の格差をとらえている。
 ー団塊格差ー
1.リッチ・シニア層
  退職金は2000万円以上、充分な年金、ある程度の資産を保有。
  職業を持つ場合、実業家であれ、再雇用で会社従業員になるにしろ、収入の
  ためより、社会貢献の一環として、好きで働く層。職業を卒業した場合は、
  ボランティア活動をしたり、趣味に生きたり、学問や研究をしたり、自分の
  好きなように、自由に、有意義にセカンド・ライフを送ることができる階層。
2.アクティブ・シニア層
  金銭的に不安があるため働かざるを得ないが、法制度の改正にうまく乗って、
  シニアになっても職業を得ている階層。例えば、労働基準法の改正による、
  会社の雇用延長制度や再雇用制度を上手に利用して就職できている人々。
  健康で元気なうちは良いが、病気やケガで働けなくなると心配。
3.ワーキングプア・シニア層
  金銭的に不安があるのに、アクティブ・シニア層のように収入を得る
  職業に就くことも難しい層。
 ▼ 調査が浮き彫りになった団塊世代こととは何か。著者があとがきに
  記している次の一文が、それを端的に表している。
  (字数制限のためカット 2011年4月30日)


5158,不幸不利の7つの法則 〜②

2015年04月29日(水)

 そこで、幸福優位の7つの法則の真逆の言葉を書いてみる
  〜不幸不利の7つの法則〜
法則1: 不幸感の強い人は、周囲に人に違和感と、悲哀感と、絶望感を与える
  2: 心のマイナスへのレバレッジ化が強くなり、ドブ沼にはまりこみ、
     その毒を周囲にマイナスを振りまく
  3: 何事にもマイナス要素に対し敏感になり、何事もマイナスに考え、
     粗探しを求めて彷徨う、あの人たち
  4: 下降の勢いを他人に向けて、結果として傷口の血を周囲に塗りつけ周る
  5: ゾロ・サークルの円が、日々、小さく、固くなり、自分の首を絞める
  6: 20秒ルールが、悪く働き、下降曲線が身につき、悪い習慣が増強される
  7: ソーシャルに毒を撒き続けることで、その毒が返り矢で降りかかる
 多くは、四苦八苦に打ちのめされ、「貧すれば鈍する」の負の連鎖で、恨みを
買う劣者のスパイラルに入っていく。「順境には枝を、逆境には根を張れ」の
とおり、ただ、ジッと下を向いていれば良いものを。傍からみれば、私の現状は、
まさに、上記の法則のように見えているのだろが、何とか『不幸不利の法則』の
スパイラルから逃れている。 子供の頃から現在に至るまで、様々な『不幸不利」
の事例を見てきたが、それはそれは残酷なもの。とにかく、不幸不利の状況に
立たないことだが。 備えを普段からつくり上げておくしかない。
とはいえ、全ての人には、死という挫折が待っている。死ぬまでは生きている
のだから、死を悟る瞬間までは、幸せに生きなくては! 
ところで、毎年、小、中、高、大学と同級会に出席しているが、上に進むにつれ、
不幸不利の人の割合が、少なくなる。 これだけは、仕方がないことだが。
 『泣いても、笑っても、同じ空!』である。
 〜参考〜 「幸福優位の7つの法則」
法則1 ハピネス・アドバンテージ〜幸福感は人間の脳と組織に競争優位をもたらす
法則2 心のレバレッジ化〜マインドセットを変えて仕事の成果を上げる
法則3 テトリス効果〜可能性を最大化するために脳を鍛える
法則4 再起力〜下降への勢いを利用して上昇に転じる
法則5 ゾロ・サークル〜小さなゴールに的を絞って少しずつ達成範囲を広げる
法則6 20秒ルール〜変化へバリアを最小化して悪い習慣をよい習慣に変える
法則7 ソーシャルへの投資〜周囲からの支えを唯一最高の資産とする
・・・・・・
4793,「消費される物語」 ー3
2014年04月29日(火)
           朝日新聞(4月22日) 耕論「消費される物語」
  * 自己完結せず外へまなざしを        作家・高村薫
 毎日、一文章を書き終える自己完結に精一杯で、内々に凝り固まっている
現状を批判するに、丁度良い内容のようだ。 それも、13年間にわたって、
束縛されてしまっている自分にである。 ーその辺りからー  
《 ■「我々の社会」という物語が揺らいでいるため、物語は過剰な作られ方
 をしているー人間の社会があるところには必ず物語が誕生します。原始時代
でも自分たちの集落とその外を分ける物語があったはず。日本で「古事記」や
「日本書紀」が編纂されたのも、律令国家が確立して自らの国史を欲したから。
つまり、物語は人間が生きていくうえで必要なものなのです。私たちの国、
私たちの王、家族、これらはすべて物語です。物語の特徴は、自分たちが見たい
もの、好ましいものを取り入れる一方で、見たくないもの、不都合なものは排除
することができるところにある。つまり虚構です。私たちは物語という虚構を
消費しながら生き、社会は虚構に支えられて維持されている。ですから、今日
さまざまな物語が次々と作られているのはそれほど不思議なことではありません。
 ただここへきて、その物語の作られ方が年々過剰になっているのは
「私たちの社会」という物語が揺らいでいるからです。例えはグローバル世界
では、人やモノの自由な往来が国境をなくしてゆくだろうと予想されていたのに、
実際には世界のあちこちで「私たちの国」という物語が不安定になって、その
穴埋めのために過剰な物語が生まれています。ナショナリズムの台頭もその一つ。
社会不安が増したり、経済状況が悪化したりして、人ぴとが自信や幸福感を
失うとアイデンティティーも揺らぎます。それを補うために、ことさら物語を
増幅させているのが今の世界です。これまでと大きく方向性の異なる安倍政権が
誕生したのは、新しい物語を語ってくれそうだという朋待が有権者にあるからで、
それが高い支持率の正体かもしれません。
 日本では、戦後続いた経済的な繁栄という物語が崩れた後、社会をまとめる
物語がなかなかできません。1990年代以降は、心の余裕がなくなつて、物語が
より内向きになっています。人は誰でも、より心地よい物語の方に惹かれます。
社会にはかって、本筋を外れてはならない暗黙の了解というか、節操があった
と思います。明るい未来が見えているときには、外に向かって積極的に開いて
いくことができたのですが、それが出来なくなってしまった。》
▼ 13年間で、5千近い文章、物語を書き続けてきたが、これが私を、更に
 内向けにしていた。これで、都合の良いように物語化して、都合の悪いことを
排除していたのである。混沌とするほど、それが大きくなっていくのを、冷笑
して、改めて読み返すのも、また、都合の良い物語である。小さく、小さく、
自己完結をしていただけだったのである。その知識を加えて、これからの文章を
書いていくしか、現在の私には術がないが。自己完結するから、次に進むことが
出来るともいえる。そういえば、単調な自己完結した日々を繰り返している
現状を、改めて考えてみようか? 読者の一部には、これが見えていたのだろう。 
今さら、自分は自分でしかない!と、思わなくては、ボキッと折れる。
・・・・・・
4426, 残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法 ー9
2013年04月29日(月)
        「残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法」 橘玲著
  * 日本人は実は会社が大嫌い
 これまで年功序列と終身雇用の日本的システムこそが人々を幸福にすると
信じて疑わなかった。が、実はサラリーマンは昔から会社が大嫌いでガマン
して働いていただけ。それが出来たのは高度成長でパイが拡大していたため。 
バブル崩壊で景気が落ち込むと、日本的雇用制度が虚構の上で成り立っている
のが露呈してきた。 著者は、ここで、
《 大卒内定率が50%を下回るのも、3人に1人が非正規雇用になるのも、
 中高年のサラリーマンにうつ病が急増するのも、日本人がアメリカ人の2倍
(イギリス人の4倍)の割合で自殺するのも、すべて、機能不全を起こした
日本的システムから生じる同根の現象》という。誰が好きこのんで年功序列の
終身雇用のラインにいるのではない。それなりの理由があるため。
  ーその辺りを抜粋してみるー
≪ バブル最盛期の1980年代後半に行なわれた、仕事の満足度に関する
 日米比較調査がある。おそらくほとんどのひとは、日本と米国のデータが
すべて逆になっていると思うだろう。この調査結果は衝撃的で、私たちの「常識」
を根底から覆す。カリブォルニア大学と南カロライナ大学によるこの調査は、
日本の厚木と米中西部イソディアナポリス地区の製造業七業種の労働者それぞれ
4千人あまりを対象とした大規模なものだ。彼らは日本と米国の仕事観に際立った
違いを明らかにした。
* 結局のところ「いまの仕事にどれほど満足ですか」との質問に対し、
 満足との回答は米で34%、日本はその半分の17・8%。不満は米では
 わずか4・5%に対し、日本はその三倍の15・9%にのぼる。
*「あなにの友人にこの会社であなたのような仕事を希望したら、あなたは
 勧めますか」の質問には、米では63・4%が友人に勧めると答えたのに対し、
 日本はわずか18・5%だけだ。逆に勧めないと答えたのは、米が11・3、
 日本が27・6%だ。
*「いまあなたが知っていることを入職時に知っているとしてこの会社の
 いま一度、この仕事につきますか」の質問では、「もう一度やりたい」
 との回答は米ではじつに69・1%、日本は23・3%と三分の一にすぎない。
 二度とやりたくない」は米ではわずか8%、日本は39・6%と回答者の
 四割にものぼる。
*「いまの仕事は、入職時の希望と比較して合格点をつけますか」に対しては、
 合格点は米33・6%に対し日本はわずか5・2%にすぎない。否定にいたって
 は米の14・0%に対し、日本は62・5%と過半数を超える。もういちど
 繰り返すけれど、これは雇用崩壊が騒がれるようになった最近の調査結果
 ではない。80年代は日本企業が世界に君臨し"ジャパン・アズ、ナンバーワン"
 と呼ばれた時代であり、一方のアメリカでは、家族経営を信条としていたIBMや
 コダック、AT&Tなどの大企業が次々と大規模なリストラに追い込まれていた。
 それにもかかわらず、アメリカの労働者のほうが日本のサラリーマンよりも
 はるかに仕事に充実感を持ち、会社を愛し、貢献したいと思っていたのだ。≫
▼ アメリカの平均的家庭はプロテスタントで、働くことの価値の宗教的
 裏づけがある。日本にあるのは、儒教と朱子学の勤勉と、藩への滅私奉公の
意識ぐらい。それもアメリカの占領政策により、骨抜き。特に私は従属が大嫌い。
そのため会社に入らないで済ませるため、自分で会社を作る道を選んだ。
振り返ると、それが正解? 調査結果の内容は、国民の民度の問題でもある。
これでは経済の荒波が来れば、ヘチャルわけ。使われるのも大変だが、
使う方はモット大変。 * これらの質問の逆を考えて、何人肯定出来る? 
日本人と同じ比率? 肯定肯定、絶対肯定!と、感謝の言葉を繰り返す日々。
・・・・・・
4052, 閑話小題 
2012年04月29日(日)
   * ゴールデンウィーク
 ゴールデンウィークといっても、現在の私には関係ないし、敢えて人混み
の中に外出をすることもない。一般社会では、まとまった休暇は、この時期
しかないのが世の習い。大多数が行楽地に出かけたりするのを見ると、似た
ように動きたくなるのが人情。 ところで、現在通っているスポーツジムが、
この期間にオール・オープンのサービスを打ち出してきた。年中休みの私に
とって有難いことである。例年、ゴールデン・ウィークは昼か夜、隔日ごとに
外食するのが慣い。今年も何の予定も無し、サンデー毎日と同じ感覚である。 
5月の連休をゴールデンウィークとは、良い命名である。
  * 見切り千両
 撤収の決断のキーワードは、「見切り千両」である。 以前より節目では
「見切り千両」をキーワードにしてきた。見切りこそ生物的本能が生かされる。
攻撃の判断と、撤退の判断、この二つが決断の要。 そのためには経験と知識
の蓄積が必要。攻撃の決断より、撤退の決断は遥かに難しい。 
遅かったきらいもあるが、この時しかなかったのも事実。
  * 秘境の写真集とドキュメント
 趣味に、秘境・異郷の写真集とTVドキュメントを楽しむことがある。
(最近、秘・異郷ツアーに行ってないので写真で我慢もあるが)最近は、
もっぱらiPadで写真集にアクセスして見ている。 やはり一度、訪れた
ところが主になる。 一度行ったところは、それぞれの目線により対象が
違って見え新たな発見があり、その延長の旅を続けているような気持ちになる。
その点でiPadは便利。常に身近において置けるのでチョッとした豆時間
(隙間時間)に、開き見ることが出来る。質も大事だが、量をこなすことも必要。
多いほど、より対象により近づいていける。 現地で全身で情報を吸収すれば、
その後、情報は磁石のように吸い寄せられてくる。今ではネットから簡単に入手
出来る。 世界は面白いことで満ち溢れている。 やはり行動しなければ、
そして知識を満たさなければ!
 ・・・・・・・
3686, 自己を見つめる −10
2011年04月29日(金)
  * 孤独と愛について、    「自己を見つめる 」 渡邊二郎 (著)
【 ー孤独の深さー 二ーチェによれば、落ち着いた人間の心のうちには
 「深い泉」があって、そこに石が投げ込まれても、その底に達するには時間
がかかるという。そうした人は、端から見れば,反応の遅い、退屈な人と見える
のだが、そうした人こそは、外からの刺激を深く受け止めて、よく考える人
なのである。 そうした人は、孤独のなかで熟慮する。
 西田幾多郎は、かつて、こう歌った。
ー わが心 深き底あり 喜も憂の波も とどかじと思ふ ーと。 
心の深い奥底は、そこに、すべての知情意の作用も、憂き世のあらゆる出来事も、
みんな呑み込まれて、沈殿してゆき、いわば底知れぬ深淵のまま、自己を支える
存在の根底としてどよめいている生命の大海、ないしはその尽きることのない
源泉なのである。その心の奥底を孤独のなかで見つめつつ、自己を照らす
根源的なものと面座する自己意識の極限こそは、 自己の知を越えて、自己の
存在そのものと融け合うであろう。】
【 ひたすら、いのちを慈しみ、優しく幼子をかき抱き、愛情の限りを尽くして、
子らのために献身する母性というものの記憶が、 人間における愛の心の象徴的
原点を形成することは否定できないように思われる。なぜなら、そうしたものが
あったからこそ、人類はこれまで、そのいのちの営為を継続して、存続することが
できたからである。おそらく、愛の根源は、象徴的には、そうした母性を介して
人間に植えつけられるところの、無償の贈与、そのひたすらな献身のうちにある
であろう。いのちあるものに恵みを与え、それを慈しみ、見守り、育て、その
無垢の胎動を大切にし、その侵すことのできない尊厳を守護しようとする、
いのちへの優しい気遣い、その存在の絶対的肯定、それが愛であると言ってよい。
 そうしたいのちの見守りの働きが、さらに拡大されて生きとし生けるすべての
ものに及ぼされて、あらゆるものをその存在意義において許し、承認し、助け、
生かし、守護し、見守り、育て、養い、その存在の至福を祈念する働きのすべてが、
 愛という語によって含意されることになろう。そこに、万物を生かすところの
神の愛といった観念も成り立つ。もちろん、そうした愛に、さらに厳しさも
加えられてこそ、万物の生成が初めて可能になるという観念も、やがて成立する。
シェリングの世界観などはその典型である。】
▼ 孤独と、そこに潜む愛の問題は人間の本質に根ざしている。 
「母の愛を介して人間に植えつけられる無償の贈与は、その献身の中にあり、
それが心底で象徴的原点を形成する」ことは、誰もが体験的に知っている。
その量と質が、人間性を決めてしまう。特に幼児期の両親の絶対愛が、人生の
原点になる。絶対量の少ない人は多い人の温みの起因を知ることがない。
 ・・・・・・・
3321, 「知の衰退」からいかに脱出するか?  −1
2010年04月29日(木)
 ー「『知の衰退』からいかに脱出するか? 」 ー大前研一 (著)
大前研一は、図書館や書店で手に何度か手に取るが、何か読む気がしなかった。
しかし現在の日本の行き詰まりなどをみるにつけ、「日本が変、それも異常な
ほど変である!」と思っていた矢先に、グローバルの世界の中で「茹で蛙の日本」
を徹底的に非難している内容をみて、読んでみることにした。保守的な人から
みたら、眼を剥いて怒るような内容が次から次へと出てくるが、現実に中国や
韓国の若者たちは、眼を輝かせて必死に勉強している割合が日本の若者に比べて
圧倒的に多い現実がある。 高度成長期の時代なら、解るが、低成長の時代に
生まれ育ちデジタルの時代の中で、情報だけは豊富にあり、偏差値でランク付け
を子どもの頃からされた若者の立場もわからないでもない。しかし、だから
ダメと諦めてかかっては、どうもこうもならない。これからのビジネスマンに
必要な三種の神器は、「IT」「英語」「ファイナンス」というのも、初めは?
と思ったが、21世紀には、当たり前といえば当たり前のこと。特に、
ファイナンスを挙げているのは良い。最後は、この辺である。日本の若者の相手
はネットの先の、世界の高IQ化した若者である。だから、日本の低IQ化した
相手を無視して、自分の得意とする分野でユニークなスキルを磨くことを勧める
ことこそ、若者の道筋である。「現在の日本の低IQ社会の一員になっては
ならない」ということ。 だから、私の知人の子弟が数人、高校から外国に留学
をさせているのをみかける。「寂しくないか?」と聞くと、毎日ネット電話で
顔を見て話しているので、全く感じないという返事。 それと、外国に行って
いると金銭感覚が、鋭くなるという。そうこう考えると、著者のいう三種の神器
を身に付けさせるために行かせているようだ。
・・・・・・・・
2946,タレント知事をどうみるか? ー2
2009年04月29日(水)
  佐高信は、タレント知事を完全に否定している。 
ー反対する理由はー
「タレント、つまり人気商売は常に多数に寄っていく宿命だ。だから知事に
 一番向かないのではないか。多数の人気に自分を預けていて、自分の意見が
 ありそうで、ない。例えば、東国原知事の国政への転出騒ぎがその象徴だ。
『みなさんが許すなら』という言い方だった。 自分に信念があって不人気
 でもやるということではなく、人気に寄りかかっている。橋下知事も反発を
受けることを断行しているように見えるが、常に多数に乗っかっている。
 政治家や行政マンに必要な信念があるようで、実はない」
ー知事に必要な条件とは何かー
「弱者の痛みが分かること。過疎を切り捨てない人。この逆をやった政治家が
 小泉純一郎氏だ。全体的に政治家の『小泉純一郎化』が進んでいる。タレント
 知事も同じ人気者路線に乗っかっている。喝采(かっさい)を浴びた小泉氏
 のまねをして県民に受けている。 政治や行政の本来の使命である『公共』
 という概念が忘れられるというか“殺される”と思う」 タレント知事は
 人気を利用した発言力が役立ってはいないかーPR係として雇えばいいだけー  

・・・・・・・・・
2582, 柳田邦夫の2.5人称の視点
 2008年04月29日(火)
 ー「人生の答え」の出し方ー柳田邦夫著 ー1
柳田邦夫著ー「人生の答え」の出し方ーに「2・5人称の視点」という言葉
があった。その意味を噛締めてみると、成程と合点がゆく良い言葉である。
学生時代のゼミで、色いろな人間関係の実例を取り上げ、それぞれ原因を探り、
解決策を討論する事例研究を一年にわたり徹底的に鍛えられたことがあった。
この本を読みながら気がついたことがある。それは事例研究から学んだことは、
一人称、二人称、三人称、そして一・五人称、二・五人称の視点の訓練を
させられたこと。 ーその二・五人称とは何か?を大筋書いてみる
一人称は、自分、 
二人称は、あなた、家族など身近な人、
三人称は、専門家、役人、ジャーナリスト等、客観的に。他人事とみる視点。
三人称は「事態を客観的に見る良さがあるが、悩んでいる、落ち込んでいる
     一人称、二人称からは冷たく見えてしまう」
  (以下、字数の関係でカット2015年4月29日)


5157,不幸不利の7つの法則 〜①

2015年04月28日(火)

 去年の暮れ、幸福優位についての以下の書籍の批評文を書いた。
そこで、真逆の『不幸不利性の法則』のテーマを思いついた。あらためて、
幸・不幸を考えるに手軽である。ひとつ歯車が狂えば他人事の話でない。
≪2014/12/02 〜幸福優位7つの法則 −2
 【幸福優位7つの法則ー幸福と成功の意外な関係】ショーン・エイカー著
   * 幸福の概念と、幸せな人
 それぞれの内容一つ一つに含蓄があり、納得させられる。その法則とは・・ 
法則1 ハピネス・アドバンテージ〜幸福感は人間の脳と組織に競争優位をもたらす
法則2 心のレバレッジ化〜マインドセットを変えて仕事の成果を上げる
法則3 テトリス効果〜可能性を最大化するために脳を鍛える
法則4 再起力〜下降への勢いを利用して上昇に転じる
法則5 ゾロ・サークル〜小さなゴールに的を絞って少しずつ達成範囲を広げる
法則6 20秒ルール〜変化へバリアを最小化して悪い習慣をよい習慣に変える
法則7 ソーシャルへの投資〜周囲からの支えを唯一最高の資産とする
  ー以上だが、再起力、20秒ルールには特に新鮮な驚きを感じる。】
▼ 幸福度からみた、下位の二割の人たちのところに八割の不幸が集まり、
 上位二割の人たちのところに、八割の幸福が集まる傾向にある。幸福感も
長期スパンでつくることが可能。人間である限り、孝不幸はついてまわる。
特に不幸?の四苦八苦は、避けることが出来ないが、その三倍の幸福状態を、
中長期の習慣化で身につけることは可能である。第二の天性といわれる習慣を
身に付け、幸福状況を三倍にすればよい。周囲には実に不幸の人が多くいるが、
彼らは、上記の幸福優位の法則の真逆をしているため。  〜つづく
・・・・・・
4792,「消費される物語」 ー2
2014年04月28日(月)
           ー耕論「消費される物語」朝日新聞(4月22日)
  *「消費される物語」 〜希薄化する挫折      
 物語といえば、劇場で演じられ、それぞれの役割がある。その物語が、
右下がりで、大した意味のない役割としたら、生きている張り合いがない。
そこには、夢も挫折もない、節のない竹のようなもの。挫折には価値がある
のである。今回の節目で、気づいたことが、これ! その挫折さえ持てないと
したら・・ 挫折感は、人を絶望に到達させる。その虚無を背景に、人生が
新たな出発点になる。その以前に夢が持てないとなると、どうするのだろう。
  ーその辺りから
《 ◆ 希薄化する挫折
 一方、現代を生きる人々にとって、恋愛はもはや、それほど非日常的な
体験ではないし、社会への高い理想を持つこともない。欲望が「恋愛」や
「理想」という形で結晶化しないため、我々の世代では当たり前だった
「若い時に挫折し、自らの欲望をかみ殺す」という重大な経験が起こりにくく
なっている。 挫折が希薄化したことで、多くの人々が「いつかはみんなから
認められる」「夢はかなう」というナイーブなロマンチシズムを、年齢を
重ねても引きずり続けているのではないか。 あくまでも仮説ですが、
佐村河内さんや小保方さんの成功物語が大きな支持を集めたのも、そうした
ことが影響しているのかもしれません。「夢はかなうかも」と思い続けたい
上に、うさんくさそうな話を疑うリアリズムを身につけていない。
だから物語をあっさりと信じてしまい、裏切られると本気で憤る。私自身は
この仮説を「真実だ」と結論づけるだけの証拠は持っていませんが、貴重な
示唆を与えてくれると思います。 いずれにせよ、挫折がない、それゆえに
自らの欲望と現実社会の折り合いをどうつけるかという筋道がはっきりしない
という問題は、現代に固有の危機だと思います。それぞれの時代で、常に
本質的な危機がある。若い世代が中心になってその筋道をつかみ、しっかりと
表現することが、文化の大きな役割だと考えています。》
▼ 私たちの高度成長期の頃の「夢はかなう」は、当然のことであった。
 しかし、国家が衰退し始めた現在、大多数の者にとって夢の実現が考え
られなくなった反面、挫折も希薄になっている。 小保方氏や、佐村河内氏の
成功物語の崩壊も、また新たなる物語になる。私たちは、高度成長の経験と、
バブルの破裂、右下がりの経験をしてきたが、団塊世代の子息以下の世代は、
高度成長やバブルを知らない。だから、夢も挫折も、おのずから小さくなる。
また、物語もミニになる。青年期から成年期の間には、夢と挫折が、大きは
節目をつくる。 それが希薄化するのだから、気の毒といえば気の毒。
 私の事業の最後は、倒産という挫折?で終わったが、傷は少ない。準備期間
15年を含めた45年の物語が、行蔵として、心の底に残っているため、諦めと
同時に達成感がある。だから、毎日を、淡々と過ごすことが出来ている。
実際のところ、「希望が持てないほど辛いことはない」のだろう。現代の若者
は、その意味で、非常に辛いのである。で、仲間内の闘いの中で、相手を倒し、
馬乗りになることで満足をするしかない、きめ細かい差別化の時代の到来!
・・・・・・
4425, 閑話小題 ー今時のプレハブ住宅は二ヶ月で建つ
2013年04月28日(日)
   * 今時のプレハブ住宅は二ヶ月で建つ
 5年程前に裏隣の古い貸家が壊され二軒の住宅が建った。そして三軒目の
プレハブの着工が、この4月10日に始まった。その知らせに、完成が二ヶ月
後のの6月10日とあった。以前は、住宅は最短で半年から一年だったが、
今時のプレハブは工期が二ヶ月とは驚き。 まず基礎工事に二週間。次に外壁
工事で、周囲に足場をつくり、柱を建てていく。この連休が終わるころまでに
外壁まで完成し、内装に一ヶ月かけて完成のようだ。 最初の二軒は貸家で、
その借り手は両方とも既に居なくなり、一軒は空いたまま。表通りの方は
小さな小物雑貨店だったが、夜逃げ。その後、ファッション衣料店だが、私の
感覚では、この入り込んだ立地で商売が成り立つのかさっぱり分からない。
で、三軒目の住宅の着工。子供の頃近くに建前があると父に手を繋がれ見に
行ったもの。それより、2〜3歳にかけて実家の店兼住宅のビル建設の最中に
あった。住んでいる家を近くにあった300m先の公会堂の前に曳いていき、
空いたところにビルを建設をしたが、幼児ながら、毎日、父と建設現場に
行ったときのトキメキが、今でも忘れられない。その幼児体験が、ビル建設
マニアになったのだろう。 新築は夢があってよい。
  * 目的に合わせて人集めをするのではなく
 もう十数年経つが、ドキッとした言葉があった。《起業では、何かを
しようと適材を集めるのでなくて、優秀な人材を確保してから、何をするか、
どうするかを考えるべし》 まず有志が集まって、何の事業を始めるところから
考えるのが理想なのだろうが。 創業というと、一人の強力な個性が必要になる。 
黒澤監督の「7人の侍」は、盗賊から村を守るため、かき集められた浪人が、
圧倒的多数の盗賊と闘う。これは目的に合わせた人集めの典型。このことは、
教養についてもいえる。何かのために知識を得るのではなく、知識のための
知識のベースが、まず必要。それが教養である。大学も4年のうちの二年間が
一般教養、あとの二年間が専門課程になっている。人生を振り返ると、本当に
必要な知識は、哲学、文学、倫理とか、経済の基礎知識であった。教養課程は、
その導入知識を広く教えてくれる。大都会と地方の差は、そういう人材が
身近にいるか、いないか。40数年の独学では限界があった。 
「限界は誰でも到達するが、問題は、その先!」の意味を実感する日々。
・・・・・・
4051, シングルイン、31年間の総括 ー10
2012年04月28日(土)
   * つれづれに ー あれから一年
 去年の3月30日17時に会社を閉鎖して一年余りになる。激しく落ち込むと
覚悟はしていたが、思いのほか平静の日々を過ごすせた。会社経営から開放され
現在でも宙に浮いたようで、長年、重荷を背負っていたことに改めて気づいた
次第。日が経つにつれて、前倒しの決断をして本当に良かったと実感している。 
しかし世界も日本も国債と株価も何とか持ち堪えている。 早ければ、去年の
11月、遅くとも今年末と思っていた 辛うじて4月末現在、何とか維持し現在
に至っている。 世界の銀行と政府、企業の金庫の中に六千兆円の十倍の6京円
の不良債権が塩漬けになっている。何時、それが表面化するか時間の問題。
 一番早く表面化しそうなのが欧州だが、日本も、中国も、何が起こっても
不思議でない。日本は福島原発事故も解決したわけでなし、かつ原子炉54基
すべてが、止まったままである。更に政変含みの状態。 年末の米国と韓国の
大統領選挙まで持ちこたえるのか。会社名義のホテルと駐車場抵当物件の処分が
終わり、個人住宅も家内が買い取って全て終了した。ホテルも今までのホテル名で
再稼働を始めたという。有難いことである。 普段の生活が、もう少し手持ち
無沙汰で暇を持て余すと思いきや、全く、それはない。反面、倒産は倒産、
犯罪者に近い目で蔑視される事実に驚いた。一般債権は、ほぼゼロ。社員への
退職金の満額支払いは出来なかったが、国の一部たて替えを含めると平均八割
近く支払ったが、残債は残った。 一般債務分で補填すべきだったか? 
30年間、経理事務所の担当が言うには、「本当にキツイのはこれから」という。 
その意味が、まだ分からないが、差別?蔑視からくる世間様の何なのだろうが・・ 
今のところ「シラミ!」の10回の呪文で、気持ちの処理が可能。 自分を含め
シラミはシラミ。 スポーツジムと、iPad、シネマ通いと、図書館の御蔭で
何とか精神を保っている。好きなことだけが出来るからである。アウトサイダー
に徹してきたのも、結果として良かった。小さな襞(地域)の中で、煩わしい
因縁社会に組み込まれない生き方が、ここにくると楽。一歩、年金生活に入ると
景気とか社会に対する温感が鈍くなる。景気は最悪の筈だが、悲鳴が聞こえない。
・・・・・・
3685、 自己を見つめる −9
2011年04月28日(木)
           「自己を見つめる 」 渡邊二郎 (著)
 孤独については、これまで何度も書いてきた。結局、人間は独りでは
生きられないのである。しかし孤独は、世間とかいうのがある限り必要である。
私の出身校の「長岡高校」の校是が「和同」の精神である。 和して同ぜず。 
和せ、同じになるな!である。これは、それぞれが孤独を守る中から生じる。
ここで孤独について、ニーチェの体験を指摘している。 孤独の素晴らしさを
「私の故郷」の良さに譬えているのは言いえて妙。
  ーまずは、その部分をー
【 ー孤独の大切さー ニーチェはかつて、孤独を「私の故郷」と呼んで、
 その至福にみちた優しさを讃えた。孤独が終わるところ、そこに「市場」
が始まり、世間の大人物や大俳優たちの騒々しさが耳を圧し、毒をもった
蝿たちのうなりが聞こえ、小人物たちの刺が私たちを突き刺す。そうした
騒がしい市場を離れ、海辺に出て、高い品位をもって沈黙し、岩陰にそびえ
立つ大きな樹木を見よう、とニーチェは誘う。その樹木のように、静かに耳を
澄ましながら、存在の声を聞こう、とニーチェは促す。そのとき、ニーチェは、
「孤独」の素晴らしさを、「私の故郷」と呼んで、その声が、なんと優しく、
また至福にみちて、自分に語りかけてくるか、ということを打ち明ける。
ニーチェは、そのとき、あらゆる「存在」が、「言葉」となって自分に開かれ
てくると言い、存在の内奥の秘密を宿した言葉の小箱が、一気に開かれ、
ありとあらゆる生々流転が、その秘儀を語り始めようととするかのようだ。 
このニーチェの体験は、すべての人間の体験だと言ってよい。言い換えれば、
孤独とは、そこで私たちが本当の自分を取り戻し、改めて純粋に、自分自身と
世界の人間のすべてを見直し、存在の真相に触れ直す瞬間なのである。実際、
私たちは、物事のほんとうの姿が何であるのかをよく熟慮しようとするときは、
世間や俗事の雑音を一旦は遮断しなければならないことをよく心得ている。
たとえば、他の人々と大勢で、がやがやわいわい騒いでいるときには、
私たちは、ほんとうに自分らしく純粋に物事を見直し、考え直し、正しく
事態を把握する余裕や冷静さを持つことができない。 人間は、それほど
までに非力なのである。 】
▼ 世間や俗事の雑音を一旦、遮断するため孤独になるために、古典などの
 世界に浸ることが最も手短である。それか、一度自分の住んでいるところ
から外に出て、純粋に物事を考え直し、冷静さを保つことが必要である。
宇宙の塵でしかない己を自覚すること、しかし、その塵の素晴らしい存在
である一度だけの人生を自覚するためにも。 
 ・・・・・・・
2010年04月28日(水)
  『カントはこう考えた ー人はなぜ「なぜ」と問うのか』石川文康著 −2 
* 理性は絶対を求め、「理念」を生みだす  
 学生時代の問い「理念の意味は何か?そして、その理の意味は?」が、40年
以上経った現在、その答えを見つけたのである。 何か微妙な感覚である。 
理念が理性の「何故?何故?」を徹底した問いの極限というから、眼から鱗。
  ーまずは、その部分を抜粋して考えてみる   P−24
≪ 理性的とは、「なぜ?ーなぜならば」という仕方で物事に筋道をつける
 能力である。それも、どこまでも道筋をつける能力である。というのは、
「何故?ーなぜならば」の関係は原則的に一組でほ終わらないからである。
一つの「なぜ?.」にいったん「なぜならば」と答えても、その答えに対して再び
「なぜ?」と問いうるし、そのまた「なぜ?」へとさかのぼりうる。理由のそのまた
理由……、原因のそのまた原因……、という具合にである。そのようにして、
「どこまでも」ということは、「徹底的に」という意味になる。そして
「徹底的に」ということは、究極に迫るということ、すなわち、最後には「極限」
にいたるということである。それは、理性が推理の能力であるということと表裏
一体である。 ある物事(結果)の理由や原因には、そのまた理由や原因がある。 
すなわち、いったん「なぜ? なぜならば」の推理が開始されるや、その鎖は
原理的にどこまでもさかのぼる。ということは、理性は原因のそのまた原因、
そのまた原因のさらにそのまた原因、等々の果てに、必然的に究極原因を求め
ざるをえなくなる。要するに、理性は極限に迫らざるをえないのである。 
いわゆる「理を通す」とは、そういうことである。・・
・・(中略) 冷めた言い方をすれば、理念は理性固有の本性や関心から
理性自身によって生みだされ、現実社会に合理的な脈絡をつけるために、現実社会
のかなたに「投影」された像に他ならない。 それは現実社会を合理的に読みとく
ためには、はなはだ有効であり、それどころか不可欠でさえある。 ところが、
ひとたび投影され現実世界と融合した像は、いつしか現実世界の一部はおろか、
その全体として実在するかのように、うっかりと思われてしまう。ちょうど、熱心
な観客が映画のスクリーンの中に、あたかも実在の世界があるように思い込んで、
感動したり憤慨したりするように。このように、理念は「功」と「罪」の両面性
を持っている。この両刀論法、すなわちパラドックスの原因とオーバーラップする。
この理性の両面性事態がまさしくパラドックスである。 このパラドックスこそ、
アンチノミー(二律背反)に他ならない。その理性が意志をコントロールし、
決定をする。 ≫
 ー以上だが、我が社の理念とか、私の理念とかで、使うが、まずは理性から
考えていかなければならない。そうすると、やはり何故、自分は目指すのか、
そして、何を目指すのか、その根拠(理性=理由)を明確にし、それを突き詰めた
のが会社理念となっていく。 それが個人としての私の行動指標なら、その根拠
の明示が必要になる。
 ・・・・・・・・・
2945,タレント知事をどうみるか? ー1
2009年04月28日(火)
 最近、一時なりを潜めていたタレント知事がマスコミで注目を浴びている。
青島幸男、横山ノックなどで選挙民は、その正体を見てあきれたはずだったが、
再び田中康夫、東国原、大阪の橋元知事、直近では森田健作が千葉県知事になった。
田中にしろ、橋元、東国原知事も、現在見るところ、最大限にタレントの経験を
生かしているようだ。産経新聞のオピニオンというコーナーで、その功罪を
浅野志郎と佐高信が論じていた。浅野は、タレント議員を肯定する立場で、佐高
は否定する立場である。まず浅野は「知名度で圧倒的有利なのは言うまでもない。
外に対する発言力に長けている。マスコミに面白がられて目立つことも悪くない。
また政治的未経験について、「ほとんどの知事は政治未経験者だ。これは決して
マイナスでなく、むしろメリット。僕は国家公務員を23年7カ月間務めたので、
知事になったとき行政についてはお手のものだったが、大きな改革や新しい発想
をする時はマイナスになる。『センス・オブ・ワンダー』、つまり驚きを感じる
心が必要だ。東国原知事や橋下知事は県(府)庁に入って驚きの連続だったと思う。
 (字数制限のためカット2011年4月28日)


5156,閑話小題 〜地球規模で、天変地異が

2015年04月27日(月)

   * つれづれに 〜地球規模で天変地異が
・ネパールで大地震があったが、太平洋岸で次々と起きている 大地震の一連? 
 それと、イルカが最近、太平洋岸に迷い込んだのも関連しているのか。 
 それとチリの大噴火も、先年の大地震の関連。そうこうみると、三陸沖地震が、
 そう遠くない時期に起きても不思議ではない。
 ――
・自宅の極近くのSC内にある喫茶店チェーンのコメダコーヒー。今月になって
 二度行ったが、一人客が意外と多い。数ヶ月前、9枚綴りの回数券を買ったが、
 あと一枚残っている。近所のため、一人で行きづらいが、気分転換に良さそうだ。
 ――
・首相官邸の屋上に、ヘリコプターのクローンが着陸し、発見されたのが二週間後
 というから国辱もの。ハッキリいえば、テロから逃れること自体が不可能。
 ネット上で、一気に100人が打ち合わせをして飛ばしたら、どうなる? 
 「原子炉の上空をクローンが飛んでいるのを何度か見た」と報じていたが、
 恐ろしい時代に入った。人類は22世紀を無事迎えられないという説がある。
 ――
・小学生の頃から超大物といわれた高1の野球選手が注目を浴びてきた。
 ラグビー元日本代表の清宮克幸の息子。成るほど、それだけの器のようだ。
 少年相撲にも、それクラスのがいるというが。
 ――
・幸福優位7つの法則ー幸福と成功の意外な関係】ショーン・エイカー著―
 の感想文を、書いたが、フト、真逆の「不幸不利7つの法則〜不幸と失敗の
 意外な感想」をテーマに思いついて、数日前から下書きを書き始めた。
 幸福優位と、不幸不利性が、あい絡まっているのが人生。その二つを意識して
 コントロールするしかないが・・ 傍から見たら、私など不幸不利の典型に
 思われているのだろう。不幸不利に思える人を多く見かけるが、両親から
 引継がれているとしか思えない。 身近な人をみていると、連合いとの
 相性もある。神様は、一番相性の悪いのをわざわざお選びになった?
・・・・・・
4791,「消費される物語」 ー1
2014年04月27日(日)
          ー耕論「消費される物語」朝日新聞(4月22日)よりー
 * 「消費される物語」 ー憧れをかみ殺す  
  ー「夢はかなう」を引きずるロマン 竹田青嗣ーより
 毎日、随想日記をネットに載せてから、まる13年になる。これも、ミニ物語
になるが、先日の朝日新聞の耕論「消費される物語」が考えさせられる。 
 ーまずは、竹田青ほぼ全文を抜粋ー
《 「どんな物語が杜会で受け入れられるか」ということは、「人々の間で
 広く共有されて一般化している欲望とは何か」ということに強く影響されます。
近代社会のかっての一般的な欲望は「自由」でした。職業選択の自由、思想信条
の自由、そして自由恋愛。だが、これらの自由への欲望は、先進諸国では20世紀
半ばまでに実現してしまった。それに代わり、現代社会で一般化しているのが
「承認」への欲望です。 そもそも人間の欲望には、それが他者から承認され
ないと実現できない、という特質があります。赤ちゃんがお乳を吸おうとする
ことさえ、母親の「あなたは私の子ども」という承認がなければ実現できない。
人間社会では、どんな欲望も承認を経て初めて実現する以上、快楽への欲望が
「みんなから認められたい」「祝福されたい」という承認への欲望へと移行して
いくのは、自然なことです。佐村河内さんの物語も、小保方一さんの物語も、
「不幸な境遇にある人や一見平凡に見える人が、がんばって成功し、多くの
人々から承認を得る」という基本的な枠組みは共通している。最近公闘された
英国の映画「ワンチャンス」も、携帯電話の販売員がテレビ(オーディション
番組で優勝し、塒界的なオペラ歌手になる、とり実話を描いた作品でした。
   □ 憧れをかみ殺す
 だが、ここで問題になるのは資本主義社会における「承認を巡る競争」
はゼロサムゲームで、勝者は常に少数派、です。「そこそこ満足」という人まで
勝者に含めても、6〜7割の人は最終的に挫折感や敗北感を抱くのではないか。
実現不可能な一般的な欲望に縛られ続けると、人間は不幸になるだけです。
(略)・・・ 挫折自体は決して悪いことではない。実現不能な欲望や憧れを
かみ殺し、強い忍耐で現実世との調停を試み、自らの生き方を確立する契機に
なるからです。・・欲望をすべて実現したいという「極端なロマン主義」、理想
がかなうことなど決してあり得ないという泥のようなリアズム、そのどちらかに
真理があるではない。両方の引き合いので、より深く生きられる「微妙な場所」
を探し当てることこそが必要なのです。私にとっては井上陽水の歌や、
フッサール、へーゲルの哲学が、そうした場所を見いたすための道しるべ
となってくれました。 ・・ ーつづく  》
▼ 現実にぶつかり、破壊された挫折経験の中で、「微妙な場所、そして立場」
 で、生きている我身にとって、自分にとって、都合の良い「物語」をつくる
しかない。それが、珍妙で、哀しく、痛面白いのである。逆に言えば、イドラ
(真実を覆っている嘘)世界にドップリ浸かっている人たちが鮮明に見えてくる。 
だから、この結果も悪くはないのである。イドラの言葉から、世間を読み解くと
面白い! 其の辺の、市場で聞いた噂を、信じて、小さな殻の中で、情念で
生きているのが一般である。ほぼ、世の中は、嘘と妄想で出来ているのが、
気づかない人たちの総称を「世間」。日本人の大多数にとっての宗教が、
この「世間教」。で、信者の群れが数多、屯する。それを、学生時代のゼミの
「ケース・スタディ」で、徹底的に議論の中で教わった。現象の中に隠された
真理、道理を冷静に捉える知識の必要性である。釈尊の遺言に「すべてのものは
移り変わる、怠らず努め励めよ」とある。変化する時代の中で、ロマン主義と、
泥のようなリアリズムの引き合いの中でこそ、怠り務めることだ!(-ノ-)/Ωチーン
・・・・・・
4424, 残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法 ー8
2013年04月27日(土)
      「残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法」橘玲著
  * 私たちが何故不幸か、進化心理学が教えてくれる
 チンパンジーからして、実は平等も格差も遺伝子に刻印されている。
この矛盾が、人間を不幸にしている。能力も、女性の容姿も、生まれながら
大きな差がある。それを克服するには、一生を要するが、それを失うには数年、
いや、数ヶ月で済む。女性が連れ合いの選択にシビアになるのは当然、それで
人生の大半が決まってしまうため。だから二段階上の相手を必死に探す。
それをシンデレラコンプレックスという。しかし殆どが夢幻の幻想で終わる。
だから神様は、男の性欲を過剰に与えて、仮装の相手に惑わさせるようにした。
で、男は一生、その付けを払わされる。平等欲求と格差の遺伝子を同時に与え、
不幸になるように創られたのは、神様の仕業。だから幸福など気の迷い。
「不幸なのは人類の宿命で、私や貴方だけでない!」と割り切るしかない。
 ーその辺りから抜粋ー 
≪ 二頭のチンパンジを真中をゴフス窓で仕切った部屋に入れ、片方にキュウリ
を与えるとすごくおいしそうに食べる。ところがもう一方のチンパンジーに
バナナが与えられると、いきなり怒り出し、手にしていたキュウリを壁に投げ
つける。さっきまであんなにうれしそろだったのに。霊長類学者ドゥ・ヴァール
は、こうした観察結果から極めて重要な発見をした。平等はチンパンジーに
とって、けっして譲ることのできない「基本的猿権」なのだ。 ぼくたち人間も、
「平等」に強いこだわりをもっている、人種差別で沢山の血が流れるのも、
バックパッカーがぼったくられたことに延々と文句をいうのも、同じ人間として
平等に扱われていないと感じるからだ。でも平等が遺伝子に刻み込まれた生得的
な価値観でなぜ世の中は格差社会になるのだろうそれは、「格差」もまたぼく
たちの遺伝子に刻印されているからだ。 初対面の二頭のチンパンジを四角い
机に座らせ、どちらにも手が届くところにリンゴを置くと先へと互い取り合う。
負けけがつづと威嚇の表情を見せるが、喧嘩にはならない。互いに先取者に
所有権があることを認めているからだ。ところが同じことを何度も繰り返すうち、
どちらか一方がリンゴに手を出さなくなる。からだの大きさなどさまざまな特徴
から二頭の間で自然に序列が生まれ、いちど階層が決まると、下位のチンパンジー
は上位者にエサを譲るようになる。保育園や幼稚園でも、子どもたちを集団で
遊ばせるとごく自然に階層が生まれ、リーダーが決まる(とくに男の子の場合、
この傾向は明瞭だ)。サルやヒトには、相手と自分の関係を測り、無意識のうちに
支配したり従ったりする強力なちからが働く。 人間の耳には、五〇〇ヘルツ
より低い周波数は意味のないハミング音としか聴こえない。ところがぼくたちが
会話をすると、最初はハミング音の高さがひとによってまちまちだが、そのうち
全員が同じ高さにそろう。ひとは無意識のうちに、支配する側にハミング音を
合わせるのだ。 声の周波数分析は、アメリカ大統領選挙のテレビ討論でも
行なわれている。一九六〇年から二〇〇〇年までの大統領選挙では、有権者は
一貫してハミング音を変えなかった(すなわち相手を支配した)候補者を常に選んで
きた。わざわざ選挙などやらなくても、討論のハミング音を計測するだけでどちら
が勝つかはわかってしまうのだ(ドゥ・ヴァール『あなたのなかのサル』) ≫
▼ 誰もが不幸になるよう設計されていると思えば、少々の怒りや悩みは解消
 される。だいたい幸・不幸は一時的感情。だから格差を容認するため「公平」
という考え方を作り上げた。ここでチンパンジーに平等の意識が「基本的猿権」
 としてあるのに驚いた。数十、数百万年かけてつくられたのだろう。小・中・
高校、大学に進学する度に選択されていく。上に進むたびに格差された自分の上下
左右が鮮明に見えてくる。平等、自由、博愛、これは理念、現実は逆ということも!
・・・・・・
4050, 一時停止 ー8
2012年04月27日(金)                
 * 「好き」という言葉が好きだ     
          「一時停止」 谷川俊太郎ー自選散文ー1955〜2010
≪ ・・ぼくは生きる上でいちばん大切なのは、好きになる気持ちだと思って
 いるんだ。好きになるのに理由はない。「好き」はじぶんのからだとこころ
のもっとも深いところからわいてくる。 むりして好きになるわけじゃない、自然
に好きになる。好きになる気持ちは人間に、そしてほかの生きものにも、はじめ
からそなわったすばらしい能力だと思う。何かを、誰かを好きになること、じぶん
が生きているこの世界を(それがときにどんなに苦しく悲しいものであれ)好きに
なること、そしてこれがけっこうむずかしいんだけど、じぶんじしんを好きに
なること。じぶんがきらいじゃ、ほかの人を好きになれないし、生きているのが
つらくなる。はじめきらいだと思っていたものや人が、知っていくにつれて
だんだん好きになるってことだってある。ぼくは「好き」ということばが好きだ。    
                  (母のひろば482号一 二〇〇四年) ≫
▼ 人生の早い段階で好きなことを見つけ、続けることは大事なことだが、
 それぞれの年代ごとに、蛇の脱皮のように、好きなことを変えることも必要。
それは男女の出会いに対していえること。節目ごとに好きな対象が変化するものと、
一貫して好きを貫くか、である。「好きと嫌いじゃ どれほど違う 命ただやる 
ほど違う」という都々逸があるが、それほど好みは根源から湧き出るもの。 
反面、「好きになるまで取り組んだことを突き詰めれば、奥底好きになれる」
こともある。好きという言葉は、人生の鍵を握っているようだ。現在の自分が
好きになれるか?特に人生の晩秋に差し掛かった時期の自分が、どうだろうか?
 「日々、面白い!」と思えるかどうかが目安。ここまでくれば、
「突き抜けた自分を好きと思うしかないか!」自嘲的自己肯定か、最期は。
   ・・・・・・・
3684, 自己を見つめる −8
2011年04月27日(水)          
  * 仕事について     「自己を見つめる 」 渡邊二郎 (著)
 第二の人生に入って一ヶ月足らずになる。 今月から仕事・事業人生から
無職のリタイアの人生に入った。人生の大部分を仕事を通して幸福・不幸の
波の中で泳いできた。仕事は人生の核であることは間違いない。社会の中の存在
意義が仕事を通して証明される。そこで表現した中に自分が見えてくる。仕事、
趣味、そして学びは人生の三本柱。人生のプロセスで、その重心が変わって
くるが、男は家族を作り、養っていかなければならない。だから仕事の比重は
のしかかってくる。とはいえ、三本柱の一つだが・・・
  ーこの本の中の仕事に関する部分を抜粋して考えてみるー
【 したがって、社会に応えてなんらかの役割を果たし、世間に寄与することが
 できるということは、人間の自己意識にとっては、自己の存在の意味を確認
することのできる最も直接的な答えであり、また喜びであることは、疑いようの
ないことだからである。もちろん、そうした仕事における労苦のうちには、
失敗や挫折、困難や事故、予期せぬ妨害や災害、さらには競争や不運など、
実にさまざまな心労の種が含まれていて、人生の現実が容易ならぬものである
ことが、誰にでも、ひしひしと実感されてくる。人生における懐疑や煩悶、
疑心暗鬼や気欝は、多くの場合、仕事をめぐるトラブルや、そこに絡んでくる
陰湿な人間関係に起因するものであることは、否定することができない。
けれども、そうした暗欝な影にもめげずに、自分の関与する仕事の有意義性を
確信して、少しでも前進し、実りある人生行路を切り開こうとする人にとって、
やはり、仕事を措いて、人生の実質上の道程は考えられないことになるであろう。
そして、もしもその人が、強い信念の持ち主として、どんな障害にも屈服せずに、
この世界では善が勝ち、道徳的な世界秩序が実現してゆくはずだと確信する
ことができるならば、たしかにヒルティも述べたように、その人にとっては、
仕事を通じた人生の意味と幸福が、力強く確認され、労働の喜びが増すであろう。】
▼ 「人生における懐疑や煩悶、疑心暗鬼は、仕事をめぐるトラブルや、
 それに絡んでくる陰湿な人間関係に起因する。」 しかし、それを乗り越えて
仕事を成し遂げることこそ、その醍醐味がある。とはいえ、経済震災や、自然震災
は、その全てを飲み込んでしまう。これほど大激震だと諦めがつくが。
これも人生。人生の多くを事業を通して多く学び、楽しんだことも確か。
 まあ、面白かった! 
 ・・・・・・・・
3319, 理性の「理」は、理由の「理」
2010年04月27日(火)
   『カントはこう考えた ー人はなぜ「なぜ」と問うのか』 石川文康著
 学生時代に理念、理性の「理」の意味は何だろうと疑問に思い、ゼミの人たち
に聞いてみたが、納得する答えがなかった。そこで字づらから、王の里で、真理
の大元と一人合点をした。ところが、先日図書館で借りてきた『カントはこう
考えたー人はなぜ「なぜ」と問うのか』石川文康著に、カントの
「純粋理性批判」中の「理」が解りやすい。
《 理性の「理」は、実は理由の「理」にほかならない、と述べている。 
 欧州の古典語であるラテン語で「理性」を意味する「ラテオ」は、同時に
「理由」を意味する。理由とは、「なぜならば〜」と表現されるもので、物事の
「根拠」、物事を「根拠付ける」働きを意味する。さしずめ「なぜならば」と
答える能力が理性であると言ってよい。20世紀のハイデッガーは、理性と理由、
理性と根拠が同一であることを際だたせて、次のように述べている。
「理性とはラチオのことであり、すなわち根拠の能力。理性は物事を基礎づける
根拠である。根拠は純粋理性の理性的根拠以外にない」 ところで、この
「なぜならば」といきなり、切り出すものはいない。それを誘導するものがある。
それは「なぜ?」という問いである。「なぜ?」と問われて、はじめて
「なぜならば」が発せらるのである。・・・ 》
▼ 以上だが、理性的とは「なぜならば」と答える能力である。と同時に
「なぜ?」と、問う能力である。分かっているようで、分かってなかったようだ。
そうすると、常に「なぜならば」と「なぜ?」を、考えている人が理性的という
ことになる。人は「なぜ『なぜ』と問うのか?の答えは、「人は根拠となる
物事の基礎を把握したいため」である。「なぜ?」「なぜならば」と、言っている
限りは、理性を使っていることになる。 ということは、根拠=原因を知りたくなる
根本的な探究心のため何か驚いたり、知らない現象に出会うと、その背後にある
原因を探したくなり、「なぜ」と問うのである。認識に経験論と合理論があるが、
合理の理性から物ごとを認識をするという場合、経験が直接的に認識するのに対し、
 合理の理性で把握するのは間接的に認識する、ということになる。 −つづく
 ・・・・・・・
2944,ブラックアウト
2009年04月27日(月)
 ーブラックアウトについてネットで検索をしたら、以下のようにあったー
blackoutは、飲酒中やその直後に自分の行ったできごとについて、翌日に一部の
記憶がなくなるアルコール性記憶喪失をいう。例えば、飲んでタクシーで帰ったが、
友人に乗せられたまでは覚えているが、その後はまったく記憶がないなどである。
社交飲酒家でも認められるが、アルコール依存症者ではしばしば認められる。
ブラックアウトの出現はアルコール依存症の入門切符。
▼ 「元スマップの草薙剛が、ブラックアウト?で逮捕された」と報道された。
 深夜三時ごろに全裸で騒いでいるところを逮捕されたもので、何と猥褻罪という。
深夜に素っ裸で公園にいたところで誰に見られた訳でなし、やりすぎではないかと
思うのは私だけではないはず。有名人でなければ、これだけ騒ぎになるわけでなし、
酔っ払い保護センターもあるし、騒ぐほうも騒ぐほう。
(字数制限のためカット2012年4月27日)
・・・・・・・・・
2580, 閑話小題
2008年04月27日(日)       \(⌒∇⌒)/おはよ?!
 ー哲学と思想の違いー
池田晶子著の「暮らしの哲学」で 「哲学」と「思想」の違いについて
次のように書いている。
『「哲学」と「思想」の違いは「哲学」とは考えることであり「行為」である。
それによって導き出された言葉なり文章なりの結果が「思想」である。だから
「哲学する」とは言うけれど「思想する」とは言わない』と。解りやすい説明。
「哲学は考えること。思想は思いこむこと」 というと、何か違うような気がする。
 人の考え、思い込んだことを言語化したもので、貼り付けることが出来るのが
思想で、考える行為が哲学ということ。一般的には、哲学も思想も同じように
論じられているから、話がややこしくなる。ここの差異をハッキリさせおくと、
哲学・思想書関連の本を読んでも整理がつく。
 ー何でも半分ー
 (字数制限のためカット2010年4月27日)


5155,理性と感性と悟性

2015年04月26日(日)

   * 理性とは何か
 学生時代のゼミで何気なく私が発した言葉が。「理性とは何ですか?」
あまりに唐突だったので、誰もがポカンとしていたが、それを簡潔に解釈した
内容を47年後にネットで見つけた! ネットと暇な時間は便利である・・
≪ カントやヘーゲルによって展開された「ドイツ観念論」を理解するためには、
 まず、感性と悟性と理性という三つの能力を区別する必要がある。
 主体としての人間が対象に働きかける仕方である。
・「感性」は「直観」の能力であり、時間と空間という形式を持つ。
(「直観」とは、カントの場合、見たり、聞いたりする感性的(=感覚的)
な直接知を意味する。)我々が何かを見たり聞いたりする際には常に、その条件
として、時間と空間という形式が先行しているはずである。我々は物(あるいは
何かのイメージ)を空間(および時間)なしに考えることは出来ないのだから。
・「悟性」と訳される「フェアシュタント(Verstand)」というドイツ語は、
「解る」「理解する」という意味の動詞(verstehen)から来ていて、
「理解する力」「常識」(英訳は、"understanding")を意味する。
その純粋な形式が、カントが「カテゴリー」と呼ぶ、判断の論理的形式である。
(これには、肯定や否定という判断の「質」、存在や全称という判断の「量」、
実体や因果性という判断の「関係」、必然や可能という判断の「様相」がある。)
・これに対して、「理性」は、より高次の、悟性の判断を総合的に関係づける、
推理の能力である。例えば、「人間は死ぬ」という命題は、「生物」という
媒概念を介して、「人間は生物である」「生物は死ぬ」という二つの判断を
総合したものである。英語でいうと、リーズン。つまり、「理由」「根拠」
「道理」を意味するのが「理性」である。なぜ?と問いかけたとき、
「なぜなら〜だからだ」と答える力が理性になる。≫
▼ 「感性」は直感能力、「悟性」は理解能力、「理性」は「高次の推理能力」、
 つまり高次の理由づけ、根拠づけになる。世間の噂話レベルは、身近な世界
の空間・時間が先行するため、一般的には「あの世界」に埋没する。
理性の真逆の世界。理性を高めるには、「ぼんやり時間」を意識的に持たねば
ならない。「ぼんやり」とは、闇の世界で迷子になっている状態。その5文字は
1、「闇」―蛍と星とダークマター
2、「独」―独りでいること
3、「閑」―逆茂木に囲まれて
4、「怠」―「1日4時間労働」の夢
5、「懶」―心の余白 である。
 いっけん、理性の世界とは真逆のようだが、この状況から、感性も、
 悟性も、理性も研ぎ澄まされる。高次の道理の追求ということ!
・・・・・・・
4790,閑話小題 ー父親のこと
2014年04月26日(土)
   * 父親のこと
 これまで母親について語ってきたが、父親について殆ど書いてなかった。
父親が42歳時の時に8人の末っ子として生まれた為、父親が孫のように特別扱い
され育った。それもあって、直ぐ上の兄に陰湿に虐められてもいた。 御陰で、
気が強く、常に自分の身を守ることに、人一倍の知恵が身についていた。
今回の一連も含めた危機管理などの用心深い性格は、この辺りからきている。
 大家族の中、父親が絶対的存在で、母親も、兄姉たちも、常に緊張の中で
父の顔色を伺っていた家庭環境であった。父親は骨董商の二代目。祖母が
婿取りで、母が結婚した時には、当時の資産で七万ほどあったと、母の晩年に
なって、語っていた。母が結婚当時、父に「うちは金持ちなの?」と、聞いた
ところ、「金持の目安が10万で、どうだろう?」と答えたというが、その後、
数倍に増やしたというから、資産家の部類だったようだ。プチブルレベル?
 太平洋戦争前まで、当時のトップセールスを思い立ち、津上製作所社長や、
野本互尊など上客を持って、年に数回の取引で、かなりの利益を上げていた。
そして、大戦の勃発で、骨董は売れなくなり、地元からも多くの戦死者が
出ていた。その中、仏壇販売で戦中の生活を凌いでいた。それも終戦を向え、
次に考えたのが古着販売。食えなくなった人の古着を他より高い値で買取り、
欲しい人に、安い値で販売することを思いつく。それが拡大したのが、
衣料量販店である。これも、問屋からの仕入れでは安く売れないため、岐阜、
名古屋、岡山、広島などの生産地に直接行き、仕入れることを考えついて、
繁盛店として、全国的に知られるようになった。商売人の基礎の質実剛健を
モットーに、明治気質の、真面目な人であった。顔つきも、性格も、私が、
そのまま、受け継いだが、酒は、殆ど飲まないところが、私とは違う。 
趣味は、旅行と、骨董収集と、茶道と、住宅の建設。自宅や、姉たちの新築
建設に金も口も出して、そのプロセスを楽しんでいた。家も、店でも、チリ一つ
でも落ちているのを嫌い、徹底的に掃除をさせていた。学歴コンプレックスが
強く、自然に娘婿には高学歴の人がなっていた。 友人の持てない人で、
株屋や、保険屋の営業などしか、傍には寄せ付けなかった。兄姉も、怖れて
近づかない中、末っ子の私だけが何時も父の傍にいて、何かペットのような
存在であった。法事などは、何時も私だけが出席をしていた。父親は、太平洋
戦争を挟んだ激動期を、乗り切ったが、私は、結局は、飲み込まれてしまった
甘い三代目になる。 この随想日記も〈売り家と唐様で書く三代目〉の
‘唐様で書いた’で、しかないのか。 ゙(。ノω<。)ァチャ- (-_-)ウツタ
【(後記)これを書いて、分類の<堀井誠作・シマ ワールド>を開いた
 ところ、父親の命日などに、多く取り上げていた。今さら、我ながら
 驚いてしまった! 結局、父親は私の大きな後楯の人だった、ということ。
 それにしても! 呆けか 】
・・・・・・
4423, 老後の不安で天引き預金、の良し悪し 
2013年04月26日(金)                     
 両親を近くでみて、お金について多く学ぶことができた。そして、このザマ? 
で、まあ、聞いて!額は小さいとしても、三十年近く給与の範囲で使い切ってきた。
また増築も含めてビル建設八棟と古ビル購入で35〜6億はつかった。土地仕入れを
含めたビル建設の面白さは何にも変えがたい。これらを現在も所有していれば
オーナーだが、手から離れれば、使い果たしたことになる。大金持ちがヨットに、
車に、別荘に、買物に35億使ったのと、35億のビル建設の道楽?と大して違わない。
それらを所有していようがいまいが車と同じ。ある期間を過ぎれば下手に所有して
ない方が良い。 父が死ぬ直前いっていた言葉が今でもハッキリ残っている。
『数千万の貯金通帳の数字と、この紙に書いた数字と何処が違う。何にも違わない。
買い集めた骨董が倉庫にあるが、これも同じ。二度と箱を出さないものばかり。
あるのは持っているという満足感だけ。だから、使える時に使っておくべき。 
金は商売を楽しんだ後のカス。カスを目的にするから失敗をする。そのカスで
自分を飾り立てたりしないこと。』と。
 それでも、茶道を楽しむため新たに自宅を建て、茶道具を中心にした骨董品
集め楽しんでいた。しかし無駄と、見栄のための出費はしてなかった。その家を
建てること自体、見栄でもあったが。それを見ていたこともあり、40歳過ぎから
収入は家内への給与分以外の全額は、使うようにしていた。酒、海外旅行、投資
の失敗位だが。しかし秘境旅行などは10年、20年続けると、なかなか良い思い出
が蓄積されていく。それもあって現在、あまりしたいことはないし、金もさほ
欲しいと思わないし、買いたいものもないし、遣り残した思いも少ない。 
 で、仮りに徹底した節約をして年に400万ずつ30年、毎年積み立てをして
いたとする。30×400=1億2千万。投資で二倍として2億4千が残る。
しかし長期的事業の個人保障で万一のことが発生すれば、この程度は数年でゼロ。
ということは、その範囲で、その時節に使っておいて正解だったことなる。
人間は収入減に比例し支出を落とせないのは、現在の日本国家を見ればわかる。
そこで「別名義で一割程度は積み立てをしておくべき」ということになる。
 その長年かけて積み上げた金も信用も、失うのは一瞬。これは事業と同じ。
あの世に持っていけるのは行蔵だけ。こつこつ貯めるのと、こつこつ使って
楽しむことの両立は難しい。何と金は使えるうち。後悔先に立たず、である。 
その辺を巧妙に仕掛けてくるのが保険屋と株屋。長年のスパンで積み上げた金を、
彼らは狙ってくる。都会の年金暮らしのリタイア組みは、収入の7〜8割しか
使わず、残りを預金しているとか。その殆どが亡くなった後、子供に相続される。
老後の不安で使うことが出来ないため。彼らは理詰めで考えないで、ただ不安に
流されているだけ。その不安は、「今・ここ・私」が確立されてないため
生じている。まず、それに気づくこと。直ぐに泣く時が来るなら、今、笑うしか
ない!腹から笑えるのは訓練で出来る。笑うから可笑しい。人生、笑って何ぼ!
・・・・・・
4049, 一時停止 ー7
2012年04月26日(木)                  
 * 公共広告「あなたが大切だ」について  (ふくろう通信一2008年春) 
            「一時停止」谷川俊太郎ー自選散文ー1955〜2010
≪ 命は、たいせつだ。命を、たいせつに。そんなこと、何千何万回言われる
 より、「あなたが、大切だ」 誰かがそう言ってくれたら、それだけで生きて
行ける。不思議ですね。このコピーは不特定多数に向けられた言葉なのに、
まるで誰かが私に向かって言っているかのように感じられる。この短い文章の
中で「命は大切とい一般論が、「あなた」という、ただ一人の人間に向けられた
言葉に変換されたからでしょうか。コピーに添えられた写真の少女は、もう
何かを訴えかける元気もなく、孤独で病的な表情でこっちを見つめています。
この少女にとっては、一対一で自分と向き合ってくれて、自分のことを本気で
気に向けてくれる誰かが言う「あなたが大切だ」という言葉が、「魔法の言葉」
なのではないでしょうか。「元気になる魔法の言葉」は、もしかすると本や
雑誌やテレビ番組の中にも見つかるかもしれませんが、何よりも身近な人の
言ってくれたこと、書いてくれたことにひそんでいるのではないかと思います。
たとえば大切な人と別れなければならないとき、別れの悲しみと苦しみが
深ければ深いほど、どんな言葉も自分を元気づけてはくれないし、慰めても
くれないと思いがちです。でも、もう言葉が何の役にも立たないと感じられた
ときにも、私たちのこころとからだの奥底で言葉はもがきながら生きています。
だから言葉にならない自分の悲しみ、苦しみが言葉になったとき、私たちは
元気になるきっかけをつかむことができる。同じように、誰かが苦しみ、
悲しんでいるとき、私たちはその人のこころとからだにひそんでいる言葉と
共振する言葉を探します。それはとても微妙で繊細な作業ですから、場合に
よっては言葉を探さずにただ黙ってその人のそばにいて、その人を抱きしめる
だけのほうがいいこともあるでしょう。辞書には載っていない「魔法の言葉」
は、変幻自在ですから。   ≫
▼ 本を読むということは、書き手の意図を、自らに対する言葉に切り替える
 作業でもある。一人も「あなたが大切だ」と、言ってくれなくても、著書を
通して書き手から、私にとって自分自身が最も大切だと受け止められれば良い
のではないか。とはいえ、それが出来る人は僅かとすると、やはり直接、
誰かに言われたいもの。幼児期に両親から愛情を多くそそがれた人は、
「あなたが、大切だ」という気持ちがシッカリと根付いて、その人の人生の
土壌になる。 両親の愛情は大切である。
 ・・・・・・・
3683, 自己を見つめる −7
2011年04月26日(火)
                 「自己を見つめる 」 渡邊二郎 (著)
 昔ほど生甲斐という言葉を言わなくなったが、そのかわり、「好きなことを
見出し楽しめ」というようになった。生き甲斐は、それなりの覚悟と追求の
エネルギーを要するが、「好きなことはを楽しむ」には、それほどの重さはない。
 生き甲斐について、著者は以下のように納得できる説明をしている。
  * 生き甲斐の探究
【 私たちは、この世の中を生きるとき、なんらかの形で、生き甲斐を
 求めている。生き甲斐のない人生を好んで求める人は、考えることができない。 
生きるということは、みずからが、そこに意味を見出し、なんらかの有意義性
の成り立つことを信じることのできる道程を発見して、そこに自分の人生の基盤
を据えて、自己の時間的な生成過程と、振幅を含んだ多様な遍歴の道を、辛苦や
労苦を越えて、歩み進もうとする覚悟にもとづいて初めて成立する。それを可能
ならしめるものが、生き甲斐にほかならない。むろん、その生き甲斐という問題
は、さまざまな局面を含んでいて、けっして単純ではない。けれども、生きる意味
を信じ、自分の人生を肯定できる道程を発見し、そこで自分の人生の充実を図って
生きる、という構造を含まないような人生設計や人間活動というものは、人間の
生き方として、考えることができない。意味や有意義性は、ディルタイがすでに
指摘したように、私たちの生を構成する最も基本的なカテゴリーなのである。 
そうした生き甲斐とは、それを最も強い形で言い表せば、自分の死に場所を発見
することと同じだと言えるであろう。 その道を突き進んで、その果てに自分は
もう死んでもよいと言えるような生き方とその内実を発見したときに、その人は
自分で自分の人生の充実を図って生きる、こういう構造を含まないような人生
設計や的活動というものは、泰然自若、自己であることに安らうはずである。 
たしかに、「人生、いたるところに青山あり」である。 しかし、ほんとうに
死んでもよいと思える場所と生き方を、最終的に見出すことは、けっして容易
ではない。何人も迷いを免れがたいもの。けれども、人間は、最後には、自分
を捨て、そこに自分を埋めてもよいと覚悟できる人生の住処を求めている。】
▼「生き甲斐とは、自分の死に場所を発見することと同じ。その道を突き
 進んで、自分はもう死んでもよいといえる生き方と、その内実を発見したとき、
泰然自若、自己であることに安らう」は、納得する。本当に自分の好きなことを
見つけ、全霊を傾けて自分のエネルギーを叩きつける時に、生甲斐が生じる。 
それがない人生は、空虚な喪失感が付きまとう。しかし生甲斐は、そう簡単に
得ることはできない。極限の中にこそ、生じてくる。生甲斐を感じているときが、
自分の心の芯にいる時であり、自分である時である。家族の為に我を忘れて
必死に働いている時、振り返ってみた時に、生き甲斐を見出すのである。
そこには、意味も意義も充分にある。 全身全霊をかけて対象に取り組んで
いる中に生き甲斐が生まれてくる。
・・・・・・・・
3318, 悲しみ、苦しみは人生の花
2010年04月26日(月)
 「悲しみ、苦しみは人生の花だ。悲しみ苦しみを逆に花咲かせ、楽しむ
ことの発見、これはあるいは近代の発見と称してもよろしいかも知れぬ。」
これ坂口安吾の言葉である。それなら喜び、楽しみは果実というところか? 
60数年の人生を振り返り肯定的に眺めれば、そうかもしれない。 
私の実感は、悲しみ、苦しみ人生のレッスン=学びである。近代の発見とは、
目標の発見と解釈できる。また花咲かせるとは、目的、目標の達成である。 
目的達成のプロセスこそ人生の花というのも肯ける。「花も嵐も踏み越えて」
という歌の文句があるが、人生とは挫折を乗り越えてこそ、その先の喜びも
大きくなるもの。「悲しみ、苦しみは人生の花!」は、なかなかいえない
言葉だからこそ、心に響くのである。自分の子供に先だたれた親に、この言葉が
当てはまるのだろうか。それも運命と割り切って受けとめることも人生だろうか。
「災い転じて福と成す」これが人生の真髄というが。 大きな時代のウネリの
中でこそ、味わいたい言葉である。過去を振り返ると、一番のどん底の時ほど、
周囲の人の苦しみや悲しみに対して鋭敏になり、優しい言葉をかけていた。 
その時ほど多くの人と心が通いあっていた。言い換えると「どん底の時期は
人生の花の時期」。「一番苦しかったけれど、一番楽しい時だった」と、
気づくかどうかである。 私の場合は「人生、面白かった〜!」が実感だが。
「喉ぼと過ぎれば熱さを忘れる」で、それなりに人生、色いろある。
 「人生、当たり!」と自己暗示するしかないか〜 
「悲しみ、苦しみは人生の花」と、心の底から思えたら、
それは一種の悟りだろう。 あれが花?
 ・・・・・・・・
2943電動式ステッパー
2009年04月26日(日)
 スーパーやホームセンターで、「自力式のステッパー」を見ていたが、
知人が毎日使っているが、非常に良いとは聞いていた。ところが電動式
ステッパーを家電店でみつけたので売り場で使ってみたが、なかなか良い。 
足の部分が勝手に動くものだが、しかし13万円もする。数ヶ月前に電気
ウエーブ・マッサージを見つけたが、12万円もする。そこでネットで廉く
小さいのを探したら1万4千円のものがあった。さっそく買って使っているが、
これが大当たり。 朝晩使っているが腰と胃腸と血流に非常に良い。 
それなら電動ステッパーも廉い簡易式のがあるはずと「電動ステッパー」
と検索を入れたら、アマゾンやビックカメラのネットで、29800円のものが
あった。さらに価格ドット・コムで調べたら最低価格が7665円(送料別)
があったので、さっそく注文した。
(字数制限のためカット 2011年4月26日)
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2579, 連鎖する大暴落 -2
2008年04月26日(土)      (p≧w≦q)オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪
 サブプライム問題は、予測できることであった。だから、逆張りも出来た
はずだが、それも振り返ってみればの話。オバマが大統領になると断じている
ところが面白い。民主党は(クリントンは新鮮味がないので)オバマとしても、
共和党のマケインとは互角だろう。しかし民主、共和党が10年ごとに交代する
ことに話がついている、というのも肯けること。この本の通り、日本がアメリカ
の属国と割り切ってみると、日米関係が改めてシビアに見えてくる。世界中の
物資を、ドル、アメリカ国債などの偽札モドキで交換しているに過ぎない。
特に日本などは、それで高い兵器を言値ねで買わされているのだから哀れなもの。
この本を読むと、ドルが60円台、株が3000ドルも、なんら不思議ではない。
ー前著同様に、この目次だけでも内容が充分に要約されている。
[目次]
第1章 私の予言はなぜピタリと的中したか
 ・サブプライムローンの破綻はすでに2007年の5月にははっきりしていた
 ・アラン・グリーンスパンFRB議長は2005年に警告を発していた 
 ・ニューヨークもこれから三ヶ月ごとに大暴落していく
 ・返せそうもない人々に無理矢理お金を貸し付けたのがサブプライム  
第2章 大暴落がこれから3カ月ごとに襲い来る
 ・専門家と称する詐欺師たちが金融の八百長をやってきた
  (字数制限のためカット 2011年4月26日)
 


5154,知の逆転 〜⑪

2015年04月25日(土)

           ー知の逆転ー 対談相手〜マービン・ミンスキー
   * ユングとフロイト
 ユングとフロイトについてミンスキーはフロイト寄りの論だが、説得力がある。
私自身、ユングのいう、「意味ある偶然の一致」=シンクロニシティ(共時性)
の体質?が少しあるので、ユングに傾倒していたが、違う論も面白い。 
  ーその辺りを抜粋 〜P195
≪ ーあなたは人工知能に関連して心理学の分野も研究されるわけですが、
 以前「カール・ユングの人気は全くおかしい」とおっしやっておられました。
 なぜそのように考えておられるのでしょうかー
ミンスキー: カール・ユングは科学分野からとうの昔に消え去ってるでしょう。
  ーそれに異論がありませんが、フロイトはどうでしょうー
ミンスキー: ジークムント・フロイトはなかなか興味深い人物です。
 たくさんの新しいアイディアを持っていましたが、あまりに時代に先駆ていた。
たとえば、神経系の中をいかに情報が伝わっていくかについての理論を、早く
から論文にしていたけれども、一九五〇年になるまで活字にならなかった。
神経細胞がどのように情報を伝達するか、それが経験によっていかに変わって
いくかなど、さまざまなアイディアが入っていたのですが、あまりにも当時の
他の理論と異なっていたために、なかなか出版されなかったのです。
フロイトの学生だったユングは、面白い理論を構築し始めます。その過程で、
異なるいろいろな文化が実は同じようなアイディアを持っていたことに気づく
わけです。たとえば、それぞれの文化の伝説や神話がやたら似ているとー。
 悪い行いをすると神様が出てきてその行いをこらしめるといった話ですね。
だからユングは、全ての人々の心は、何かテレパシーのような神秘的な方法で
コミュニケートしているんじゃないか、と考えたわけです。これに対して
フロイトが怒って、以来、二人は二度と口も利かないようになった。
互い相手の主張がばかげていると思ったんですね。ばかげていたのは明らかに
ユングのほうでしょう。でも、いまだに多くの人々が、彼の説を良しとして、
意味のある心理学だと思っているようです。・・・ ≫
▼ 改めて、フロイトとユングの違いをダイジェスト的に論じているが、
 色いろ相まって人間の心は構成されているため、フロイトの考えだけでは
限界があるし、ユング的霊性も限界がある。ネット社会で、共時性が如何に
意味を成していくか、失っていくのか? 対談者とインタビュアーは、後者
のようだ。ネットが共時性そのものに、なったため、それが如何した?
レベルになった? 生物、人間が進化してきた過程で膨大な経験がある。
・・・・・・
4789,葬式は、要らない ー2
2014年04月25日(金)
           「葬式は、要らない」島田裕己著
   ーアマゾンのレビューよりー
《 過激なタイトルだが、葬式が「要らない」のではなく、そんなに
 金をかけるものでは無い、と言いたいのだ。「高い高い」と言われても、
何もお寺が強要してる訳でもなく、また業者も商売なので多少の出費は仕方ない。
人が嫌がる、または面倒な事をお願いするのだから。また諸外国と(金額の)
比較をし、日本が異様に高いというが、国柄や文化がそれぞれ違うのであまり
参考にはならない。要は個人個人が思うようにすればいいだけの話。
 でも日本人はそれができない。冠婚葬祭に関しては世間体やら周りの目を
気にする体質ですから。ある意味、日本に住んでる以上葬式にお金がかかるのは
仕方の無い事かも。日本人は世間体を絶ず気にする。それがあらわれるのが葬式。
布施や香典は行う側の気持ちによるとされてはいるものの重視されるのは、自分
がいくら出したい・出せるかではなく、他人がいくら出しているのか、である。
こうした感覚が日本人のなかに育まれる上で重要な働きをしたのが村落共同体の
成立である。江戸時代に入って寺請制度が導入されたのは大きな意味をもった。
すべての村人は村内にある寺の檀家になることを強制された。よって村人は
必ず仏教式の葬式をしなければならなくなり、戒名も授けられた。
 仏典は膨大な数が存在するが戒名についての説明はない。仏教が広まった
地域のなかで戒名という制度が存在するのは日本だけ。初期の仏教はインドで
生まれ主に東南アジアの国々に広がった。その後生まれた大乗仏教はインドから
中国に伝わった後、朝鮮半島や日本に伝えられた。最後に生まれた後期密教は
チベットに伝わった。 出家した僧侶がその証に戒名を授かる点は日本も他の
仏教国と同じだが、一般の在家の信者でも死後に戒名を授かるのは日本にしか
ない制度だ。しかも日本は出家であるはずの僧侶が妻帯し戒律を蔑ろにしている。
破戒の道をたどっている僧侶が授戒を行い矛盾している。多くの宗教にも出家の
制度は存在しない。あるのは仏教とキリスト教のカトリック、東方教会だけ。
仏教でも本来、出家した人間に僧侶としての名前が与えられるのであって、
俗人にそれが与えられることはない。が、日本では禅宗で在家の信者の葬式の
作法が確立され、その際、いったん出家のかたちをとらせたため戒名が授け
られることになった。寺にとって財政を支えてくれる檀信徒の存在は不可欠で、
寄進された土地や田畑は寺領として寺の維持に貢献した。が、明治に入り寺請
制度は廃止され、寺領は召し上げられた。奈良の寺々は葬式仏教の前の時代に
創建されており境内に墓地を持たず檀家も存在しない。寺領没収後は他の収入の
道を確保せねばならなかった。境内に墓地を持ち地域の住民を檀家として
かかえる一般の寺院は葬式仏教の道を歩むことで生き延びることができた。
寺は檀家の布施がなければ寺は成立しない。戒名料が高騰するのは戒名の本質
死後の勲章だからであり、立派な戒名が葬式を贅沢なものにしていく。
が、戒名のあり方や戒名料への批判はあっても改革が行われないのは寺院経営
の問題が深くかかわっているからである。寺は宗教法人であり、檀家は法人を
構成するメンバー、つまりは信者である。・・・ 》
▼ 上記の内容は、この情報化では一般的に周知のこと。ますます、お寺は
 衰退し、墓参り仏教も、変化する。戒名など、いらないし、年内に自分で
つけた戒名の位牌をネットで注文しようか、そんな必要もないか?
私の場合、家族葬で20人ぐらいで、葬儀社の指定した僧侶にお経をあげて
もらって、それで御終い! それを、むしろ願っている。死んでしまえば、
それまでよ! である。 墓は、このブログで充分!
・・・・・
4422, 糞袋の内と外
2013年04月25日(木)
              「糞袋の内と外」石黒 浩 (著)
「世界の中の自分は時に不自由であるが、世界を飲み飲んだ自分は自由
なのである」という新聞広告にひかれて、アマゾンで、この本の内容紹介を
読んでみた。まだ発刊して間もないこともあり、レビューも何もない。
パソコンとネットの機能から、逆に人間の脳の機能を逆照射した哲学を読んだ
ことがある。 ロボット工学者が、人間の形を持ったロボットの視点から人間
を見つめると、また違った何が見えてくる。 まずは ー内容紹介ーより
≪ 人間は感覚器が集まった糞袋。しかしその糞袋は、自分が自分である
 ということを確認する手段を持たない。CNNの「世界を変える8人の天才」
のひとりに選出されたロボット工学者、石黒浩。最先端のテクノロジー開発
を通し人間の本質を見つめる中で、「生きるとはどういうことか?」
「人間とは何か?」という問題を常に問い続けている。【人間を「糞袋」
と捉えることで、どのような答えが浮かび上がるのだろうか? 】約2年間に
わたって発信してきたツイートをもとに考察を深め、いま本当に伝えたい
メッセージを丁寧に綴った、渾身のエッセイ。≫
▼「人間は感覚器が集まった糞袋」と「世界を飲込んだ自分は自由なのである」
 という意味について考えてみる。まず「人間は感覚器が集まった糞袋」を、
「人間は考える製糞器」であると言い替えると、動物とロボットと際立って
違うところは、動くエネルギーが動植物系と電気かガソリンの違いになる。
人間の燃えカスは、一度、糞袋に溜められて排出される。人間は世界を飲み
込んで(環境を直感して主体的に)動くところが違う。それも自由度が高い
ほど人間度が高い、ことになる。自由こそ人間たる要素である。
世界を知り、そこで方向を探し出し、常に環境の変化に対応し、殻を破り
 続ける糞袋が人間の本来の姿。だから、身近に飛行機、自動車、自転車、
パソコンなどの身に合ったツールやシステムを使いこなし、自由度を高める
ことが必要。優秀なロボットを創ることで逆照射をして、人間の本質を探る
切り口は新鮮。人間の肉体を内と外面をシビアに捉え完成に近づける過程
から見えてくる姿は、哲学でいうところの「他者」と「自分」の関係を
考える上で面白い。この工学者は、自分の姿のロボットをつくり、生身の
自分から見つめている。第三者が触ったり、殴ったりした時に何かを感じる
はず。これは自己承認や、他者承認の問題に似ている。ロボットから見たら
糞袋に過ぎない人間の肉体。ロボットのように、第三者からの指示や
プログラムでしか動けない哀れな糞袋が、あまりに多い。そういう私の貧弱な
プログラムこそ最も稚拙!後悔先に立たず。自分を腹から笑えるだけ、
まだましか。
 ・・・・・・・
4048, 一時停止 ー6
2012年04月25日(水)
  * 人間は大文字で書かれた矛盾     
         「一時停止」 谷川俊太郎ー自選散文ー1955〜2010
≪ 唐突なようだが・シモーヌ・ヴェイユのことばを孫引きさせてもらう。
(精神がつきあたるもろもろの矛盾、それらのみが実在するものであり、
実在性の基準である。想像上のものには矛盾はない。矛盾とは必然性の
如何を試すものである)(存在の奥深くまで体験された矛盾、それは我々の
身も心も引き裂く。それが十字架である)自己弁護のためにひくにしては、
これらのことばがあまりに痛切であることは感じてもらえるだろう。
私は十字架にまで到達できる人間ではないけれども、せめて矛盾をかいま
見る地点にまでは行きたいと思う。矛盾の一方に身を置けば、たしかに
そこにも悲劇は待っていよう。作家の自殺のいくつかはそうした場所で
行われたのではないかと私は想像する。だが矛盾そのものを生きることは
―それは私には想像もつかない。ヴエイユの言う矛盾は、いわば大文字で
書かれた矛盾であり、人間そのものと言っていいと思うが、そのことが、
つまり究極には矛盾しかないのだということが、私に勇気を与える。
私の出会うもろもろの小さな矛盾も、最終的な矛盾と構造的に結ばれている
に違いない。ひとつの矛盾を解決し得たと思うとき、それがすでにもう
ひとつの矛盾のはじまりになっている。その無限地獄にこそあるいは
書くことに第一原因がひそんでいるのかもしれない。―その辺でやめておけ。
おまえにはそんなことまで論ずる資格はありはしない。どうしてそんなに
大仰でこわばった口しかきけないのだ。 おまえの内なる自然の荒廃は
その口のききかたからもあきらかだよ。見栄をはって、もっともらしい
愚痴を人に聞かせる暇はもうないそ。 (一九七二年) ≫
▼【 ヴェイユの(精神がつきあたるもろもろの矛盾、それらのみが実在
であり、実在性の基準である。想像上のものには矛盾はない。矛盾とは
必然性の如何を試すものである)】が良い。人生を総括すると矛盾の塊である。
しかし、その矛盾こそ実在であると知れば、人生を、そのまま受け取ることが
出来る。「矛盾は人間そのもの」とすれば、自分だけでなく他人を受け入れる
ことも出来よう。激しく生きるほど矛盾は大きくり、その重圧に潰されながら
生きていくことこそ人生の味わいを深くする。人間は矛盾だらけか〜
 ・・・・・・
3682, 節目どきに ー10
2011年04月25日(月)
  * スポーツジムなど行ってみるまでは別世界だったが!
スポーツジムに通いだして三週間になる。行くまでは別世界と思っていたが、
今では生活に組まれた日常になってしまった。ジムのシステムで、色々な
プログラムがあって自分にあったものに参加出来る。 その一つに
「イージーライン」がある。6つの機器を円座になって12人のメンバーが
参加、輪の真ん中にインストラクターが音楽に合わせて全員を誘導していく。 
一つ置きにステップ台があって、大手を振って上がったり降りたりして息抜き
をする。25分間一コースだが、これをベースにして、ランニングマシーンや、
他の機器を使う。最後は小さな暗い部屋に6台ある電動マッサージの一つで
30分ぐらい疲れをとる。 他にもプールや風呂もある。 私の場合は滞在
時間は90分である。 そこに行ってきただけで、気晴らしになる。
私が選択したのは「金曜日が休日、日祭日は参加できないコースで、
時間帯は10〜17時。その時間帯なら、何時間もいてもよい。30坪位の
サロンもある。 金曜と日祭日は、車で5分ほどの近くの市営スポーツ施設
に行っている。ここは三ヶ月で1800円。昼時には数人しかいないのがよい。
とにかく健全な日常を維持しないと! 
  * ウォーカーの数が激減
 晴れている日には早朝、毎日、信濃川の土手にサイクリングに行っているが、
散歩の数が激減している。初めは気のせいかと思っていたが、そうでもない。 
原発事故による放射能に対する警戒のためだろうか。ウォーキングでこれだから、
行楽が大打撃になるのは仕方がない。ホテルは、どの業態も惨憺たるで、私も
早々見切って倒産した。特に温泉街が酷いとTVで騒いでいる。あの草津温泉
では95パーセントがキャンセルで、死活問題になっているとか・・
「新潟の月岡温泉の一番大きいホテルは二棟のうち一棟が休館。
オープンしている棟も、一番上の階しか電気がついてない」とか、
「長岡の奥座敷の蓬平温泉街は、客がほぼゼロ」、という噂が漏れ聞こえてくる。
日本国家始って以来の危機の一現象である。まだピンときてないのが日本の
平和ボケした大部分の人だけ。まだ、他人事としてしか受け取ってない?
 ・・・・・・・
3317, つれづれに ー閑話小題
2010年04月25日(日)
  * 無理をするな、素直であれ! か〜
「無理をするな、素直であれ。すべてがこの語句に尽きる。この心がまへさえ
失わなければ、人は人として十分に生きていける」は、種田山頭火の言葉である。 
この年になってこそ、その意味の深さが理解できること。それが許されない事態
が次から次へと起こるのが人生である。で、最後に落ちついた時に、この言葉が
出てきて、そして一人納得する。これを真正直にして生きればホームレスか、
引きこもりになる可能性が高い。現に山頭火は放浪の乞食。私なら「自然体で、
力まず、目を逸らさず、真正面に向き合うこと、それも正直に」と言うところか。
  * 人生は放浪
 山下洋輔がいみじくも言った「旅とは帰ってくるものだ。だから、人生は旅だ、
などという言葉がぼくには分からない。どこに帰っていくというのだろう。むしろ、
人生は放浪だ、といってくれたほうがよい。帰るあてがなく、行きっぱなしだ。」
 還暦を過ぎると、この言葉が身に沁みる。 自分に植え付けられている死の
イメージが虚空に帰すからだ。 死んでしまえば、それまでよ」と口癖だった
父の言葉を思い出す。 引越し先で、全てを忘れる当てのない渡り。
  * 人間原理とは ーウィキペディアによると
《 人間原理とは、物理学、特に宇宙論において、宇宙の構造の理由を人間の
 存在に求める考え方。"宇宙が人間に適しているのは、そうでなければ人間は
宇宙を観測し得ないから"という論理を用いる。 これをどの範囲まで適用する
かによって、幾つかの種類を見つけることができる。人間原理を用いると、
宇宙の構造が現在のようである理由の一部を解釈できるが、これを自然科学的な
説明に用いることについては混乱と論争があり、未だ多数には認められていない。》
 何か無理があるように思える考えである。人間原理の人間を自分に置き換えて
みると分かりやすい。もっとも、優秀な奴は、これに近い自分原理を持っている。
それが自分のステートメントだが、人類が、自分に当てはめると一神教みたいに
なってしまう。


5153,知の逆転 〜⑩

2015年04月24日(金)

           ー知の逆転ー 対談相手〜マービン・ミンスキー
   * 感情とは思考の単純形だ ー感情機械としての人間
 感情で動く多くの人からみたら、元もと感情が単純形と思うのは当然。
逆に、心理学者や哲学者からみれば、感情は複雑で底がしれない泥沼の
ようなものと考えているため、改めて考えることになる。考えつくした
末の感情であれば、決して単純形ではないが・・ 〜その辺り〜より
≪ ミンスキー: 何干年もの間、人々は、「思考」すなわち理性的で論理的
 で機械的なものと、「感情」すなわち自然で論理的でないもの、というふう
に区別してきたわけです。従来の心理学は、自然な行動というものは二種類に
分けられるという考え方に基づいていました。 ちなみに私に言わせれば、
何にせよ世界や物事を二つに分けようとする試みは、大きな間違いです。
そうすると、全てを「これ」か「あれ」であると言わなければならず、両者の
間に位置するものに対して、橋をかけられない。私の発見の大半は、少なく
とも三つの事柄があるという考え方に基づいたものです。ですから、「ここ」
から「あそこ」へ行うとしたときに、障害(三つ目のことがら)があれば、
それを迂回するという考えが出てくる。 
 本来「思考」と「感情」を分けて考えるべきではないと思います。「思考」
というのは非常に複雑で、われわれは実に多様な物事の理解の仕方をする。
一方、わずか10〜20くらいの別のやり方でも物事を理解していて、これらを
「感情」と呼んでいるわけです。従来、「思考」というのはシンプルで論理的
であるのに対し、感情は非常に複雑で強力で神秘的だと考えられてきたわけ
ですが、これが大間違いなんですね。
 「感情」というのは非常に単純な動物でも持っている。ある状態では
とてもお腹がすいているから、食物がほしいと思ってそれが行動を独占する。
別の状態では危険を感じる、だから即逃げる。そしてまた別の状態では――
というふうに、単純な動物は、こういった反応の仕方をするわけです。
 これに対して、哺乳類や鳥類の一部、タコなどの複雑な動物は、状況に応じて
実にさまざまな反応の仕方をするわけで、これらを「思考」と呼んでいるのです。
従来の考え方とは逆に、「感情」というのは単純かつ機械的であり、「思考」は
実にさまざまな状況の判断や反応の仕方をするものだというふうに、見方を変える
必要があると思います。・・・(略) P194 ≫
 ▼ 「思考」が単純で論理的プロセスであると考えるのは全くの間違えで、
単純で、機械的なのは、怒っているとか、恋をしているとか、腹が減っている
とかの「感情」の方であるという。感情的になって事業停止をしたのではなく、
考えつくした上で、決断する。あくまで、感情は思考の単純形というのは、
自分の経験からみて至極当たり前のこと。一時的恋愛感情だけで結婚、その結果、
冷静に互いを見つめて、考えた結果の離婚の多さが、それを物語る。 熱病に
でもなければ結婚など出来ないが! まずは一息、入れろ!さらに、もう一息!
・・・・・・
4788,「道徳」を疑え! 〜2
2014年04月24日(木)
       「道徳」を疑え! 〜自分の頭で考えるための哲学講義〜        
 * 自分の頭で考えるための哲学講義 ー大抵のことは嘘を見抜くこと
   ーまずは、その辺りを抜粋ー
《 哲学の第一歩は疑うことである。なぜ本質や真理に到達するために疑う
 ことが必要かというと、本当のことは常に隠れているからです。私たちは
ついつい人から聞いたことや、実際に見たものをそのまま本当のことと信じ
込んでしまいがちです。でも、たいてい、それは嘘なのです。これには人間の
弱さや未熟さが関係しています。イギリスの哲学者フランシス・ベーコンは、
それを「イドラ」と呼びました。本当のことを隠してしまう臆見(おっけん)
のことです。 彼によると、人間には四つのイドラがあるといいます。
・一目は「種族のイドラ」です。これは人間という種族に固有のイドラで、
 感情や感覚によって知性が惑わされることによって生じます。人間は自分が
 主張する立場に箇執し、その点からしか物事を判断できないのです。
・二つ目は「洞窟のイドラ」です。あたかも狭い洞窟に考えが入り込んで
 しまったかのように、個人の狭い事情により生じる思い込みです。
 その人の受けた教育、影警を与えた人物、読んだ本などが原因で、狭い
 考えに入り込んでしまう。
・三つ目は、「市場のイドラ」です。これは言語によって生じる思い込み。
 あたかも市場で聞いたうわさ話を信じてしまうがごとく、人は言葉のもつ力に
 弱いもの。いまは市場より、インターネット上に氾濫する言説が原因になる?
・四つ目は「劇場のイドラ」です。あたかも劇場で観たものに強い影響を受ける
 ように、すでに完成した塊のストーリーを目の前に提示されると、人は容易に
 信じてしまうものです。バトルゲームに影響されて犯罪に走る若者がいるように。
 このように、人間は弱い存在であることから、なかなか本当のことが見えなく
 なってしまっているのです。したがって、本当のことを知るにはあえて
 見たまま、聞いたままのものを疑うことが必要になってきます。
 しかもそれを根源にまでさかのぼって徹底してやらなければなりません。
 そうして初めて、答えに到達することができるというわけです。批判的・
 根源的に考える哲学という学問が、出来合いの「正しさ」を植えつけよう
 とする現行の「道徳」とは正反対の営みだということが、これでご理解
 いただけましたでしょうか。・・・ 》
▼ 私が40歳過ぎから還暦まで年に二回以上、秘境・異郷を中心にした
 ツアーに参加して気づいたのが、逆照射の視線である。極北のアイスランド
の地から見れば、日本は極東である。アフリカの最南端のケープタウンから
みても同じで、日本で思いつくのは、空手、忍者、侍、ソニーぐらい。
そこからみた、常識とか、道徳を分解すると、上記の四つのイドラになる。
地球を象に例えると、我々は、その皮膚のヒダに棲むダニかシラミになる。
その視線が行く回数を重ねる度に、強くなっていった。装置産業もあって、
あまり人と接する必要もなかったため、強固な小さな視線しか持ち得ない人
との接点を最小に保つことが出来たことが、人生最良の環境と思っている。
 他人からみたら、変人そのものだろう。それも、人間関係工学(造語?)
を40年以上も独学を続けているのだから、やはりオカシな人間だろう。
おまけに、創業を20歳の時点で決心したため、視線が現状、現象の先を
見つめることが優先となれば、言動は誰から見ても変? それでも変な
創業事業者という隠れ蓑があったが、それが無くなった今!?
・・・・・・
4421, さっさと不況を終わらせろ
2013年04月24日(水)         
 * アベノミックスの理論的背景は、こんなもの!  
    「さっさと不況を終わらせろ」ポール・クルーグマン (著)
 安部政権の経済政策の大元が、この本ではないか? しかし非常に危険と
思うのは私だけでないはず。国力が無い国が、これを実行したらハイパー
インフレになり国家破綻になってしまう。強者の手法ならよいが。
そこで、日本は強者か、弱者なのか? 腐っても鯛(資源、軍事、金融、
世界共通言語、農業などが出揃っている)のアメリカとは立ち居地が違うと
懸念するが。まあ、ジャブジャブの結果、どうなるか見物である。
   ーアマゾン内容紹介ー
 いま最も信頼できるノーベル賞経済学者がついに叩きつけた不況打破への
最終解答!  リーマンショック以降、いまだに好転の兆しを見せない世界経済。
では、各国政府と中央銀行、そしてわれわれが本当になすべきこととは――? 
いま最も信頼できるノーベル賞経済学者が、ついに叩きつけた最終解答。
(本書「訳者解説」より)ー日経「エコノミストが選ぶ」2012年経済図書第2位
≪ 本書の主張はきわめて単純明快。いま(2012年)はまだ、りーマンショック
 以後の不景気が続いていて回復していない。そして失業者の技能や労働市場で
の価値の低下から、その害が一時的なものではなく、長期的被害になりつつある。
だから景気回復策をきちんとやろうということだ。そしてその手法も明快。
【 前書きよりー 昔ながらのケインズ的な財政出動をやろう。
 赤字国債を出して、大ものを一気にやるべきだ。そして中央銀行はそれを
金融緩和で徹底的に支援すべきだ。それに伴う財政破綻だの金利上昇だのは、
悪しき固定為替制度の下にある、ユーロ圏のスペインやイタリアのような
かわいそうな国以外は、全く心配する必要はない。以上のきわめてシンプル
な主張をまとめたのが本書となる。】 ・・・(略)
【 あとがきよりー 本書を読んで、一人でも多くの人が現状の各種政策の
 愚かさに気づけばとは思う。財政出動しようよ。かなり手遅れとはいえ、
復興まともにやって、教育やインフラ補修にどんどん予算だそうよ。そして
予算つけるだけでなく、ちゃんと消化しようよ。必要なら予算執行の細かい
基準とか緩めようよ。日銀は、すでにやっている国債引き受けをもっと
認められた枠いっぱいにやろうよ。それ以外にも、自分たちの保身だけでなく、
日本の人々のことももっと考えてよ。そして増税なんて今やることじゃない
でしょうに! そういうことを理解してくれる人が、少しでも増えてくれれば─ 
 こう書きながらも、それがどれほどはかない望みかは、知らないわけじゃない。
それでも、一人でもそうしたごく基本的な部分を理解できる人が増えることで、
日本経済の未来はすこしはよくなるはずだ、とぼくは信じている。報われない
信仰かもしれないけど…そのために、本書がごくわずかでも役立つことが
あれば、大いなる幸せだ。―山形浩生(訳者) ≫
▼ これで不況が終わるのだろうか?本当に!ハイパーインフレになった時、
 銀行閉鎖かデノミを実施すればよいのは分かっている。現状がすでに待った
なしの事態からみれば、それでよいのか? PIIGSとは違い、自国通貨で
インフレを起すから大丈夫とかは、このグローバルの金融の世界で果たして
通用するのか? そのツケは、社会的弱者にまわってくるので、現在の
選挙システムでは、政権そのものが持たない一年内閣が、続く。ということは、
  ハイパーによる自滅が4^5年先と見るのが道理。
顔色だけは良い麻薬漬患者?あっそう、アベグロ劇場の始まり!
・・・・・・・
4047, 一時停止 ー5
2012年04月24日(火)
         「一時停止」 谷川俊太郎ー自選散文ー1955〜2010
  * 魂という言葉
≪ フランスのアランという哲学者は、「一つの身体の運命に結びつけられた
 精神が魂(AME)というものである」と定義した。同じフランスの現代の
前衛的文学者たちの中には、魂などという語はもう使えないと言っている人たち
もいるらしい。彼とって人間は魂という言葉ではとらえることが不可能なほど、
細分化され抽象化された存在なのだろうか、だがぼくにとっては、魂という言葉
はまだ或る現実的な手ごたえをもってる。 肉体なしでも成立するかのように
使われる精神という言葉とちがって、魂には人間の肌のぬくみが感じられるんだ。
精神はたしかに個人の肉体を離れて、その死後もかずかずの書物や芸術によって
伝えられてゆく。だが魂は、個人の肉体の死後むしろゆきどころを失って
宙にただようもののように思える。「詩人の魂」という歌があったっけ。
たしか歌の歌詞は忘れられても、そのメロディは人々に口ずさまれて残ってゆく
というような歌だった。自分はいったいどこから来て、どこへゆくのか、自分が
たかだか百年に満たぬ人生を、この無限の宇宙の中の地球と呼ばれる星の上で
過すことに、どんな意味があるのか、そんな疑問にとらえられたことのない人間
はいないだろうか、そして決して本当の答を得ることができないそんな疑問に、
精神は或る仮の答えを出すことが出来る。たとえば、いまのぼくは、自分に
こだわるより、むしろ我を忘れて自分を超えた他人の世界にかかわってゆく
ことに、あるべき生きがいを見出そうとしていると言えるかもしれない。・・≫
▼ アランの魂について、「一つの身体の運命に結びつけられた精神が魂」
 という定義が分かりやすい。 キリスト教徒は、「魂は人間の不滅の本質
であり、魂は死後に 報酬か懲罰を受ける」と信じている。 私の魂の解釈は、
「心は毎日変わるが、魂は、その心を支えている生まれてから死ぬまで一貫した
幹である。感激は心の響きだが、感動は魂の振動」である。秘境の大自然の中で
何度も魂の振動を経験した。それが感動である。全身全霊で何かに没頭した
ときに魂が現れ出てくる。
・・・・・
3681, 逆説を考える
2011年04月24日(日)
 考えるときの一つに、正反対の説を立てる方法がある。「逆も真である」
を試してみると、考え方の幅が広がってくる。とはいえ、逆説を正面から
考えたことはなかったので、その意味を取り上げてみる。学生時代のゼミの
教授が、中根千恵の「日本社会は縦社会=蛸壺社会」という説に対し、
「横社会=資格社会」という説を立てられた。「日本社会には武家社会の
影響が残っており、殿様、家老、家臣、家では家長、嫁、婿、長男、末っ子、
という資格社会ではないか。蛸壺というが、どの世界でも、その資格で評価
されるではないか?」という逆説に驚いてしまった。それを切欠に、
逆照射の見方を常に持つようになった。
   ーYahoo辞書によると、 ー逆説とはー  
1 一見、真理にそむいているようにみえて、実は一面の真理を
 言い表している表現。「急がば回れ」など。
2 ある命題から正しい推論によって導き出されているようにみえながら、
 結論で矛盾をはらむ命題。 逆理。 パラドックス。
3 事実に反する結論であるにもかかわらず、それを導く論理的過程のうちに、
 その結論に反対する論拠を容易に示しがたい論法。ゼノンの逆説が有名。
 逆理。パラドックス。  ー広辞苑」によると
「衆人の予想に反した、一般に真理と認められる説。また、真理に反している
 ように見えるがよく吟味すれば真理である説」。逆説といえばマックス
 ウェーバー著『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』。
 資本主義といえば「自分の利益の為に利益を追求する」ことだが、
 マックスウェーバーは資本主義は「プロテスタント」は「禁欲」「勤勉」の
 基本理念から出発したと主張。「禁欲」を目的とした「プロテスタンティズム」
 は「勤勉さ」を旨とする「合理的」生活態度を形成した結果、
「計画的・合理的」に企業経営を行おうとする精神が形成されたという、
 逆説は資本主義社会の大きな精神的支柱になった。
▼ 「逆も真なり」という諺が昔から日本にあったが、両者とも成立する
 確信で考える入口になればよい。考えるための一番の近道だが、正論を
 把握した後でないと単なる歪みになってしまう。 
 ・・・・・・・
3316, 人みな骨になるならば ー11
2010年04月24日(土)
 * 神とは ?
 虚無主義の著者の宗教観がシビア。 この辺が、明るい乾いた虚無主義者の
真骨頂である。大方の人は、以下の論に近いのだろう。 アブラハムがつくり
あげた超越的存在の神、そしてユダヤ教、キリスト教、イスラム教の内輪もめ。 
これが、現在の世界の宗教戦争を引き起こしている。
  ーまずは、その部分を抜粋してみるー
 神という言葉を使うと近代以後の知識人は懐疑的になったり警戒したりする
ものだが、それは「神」という概念の内包(意味)に関して伝統的なイメージを
ひきずっているためである。もともと「神」などという超越的観念は、それを
思っている人によって勝手にイメージされてきた。 中世の農夫にとっては
雲の上にいる白髭の老人であり、現代的な信者にとっては、「宇宙に偏在する、
形のあいまいな意志そのもの」である。 どこかの原住民にとっては自分と
同じような腰蓑をつけているオッサンかもしれない。このように、信者たちが
各自勝手に想像しているのが絶対者なのだ。ある意味で、このような多義的に
なんとでも解釈できる教義を備えていない宗教は、レベルもニーズも様々な
多数の信者を引き寄せることができないらしい。だから近代以降のインテリ
たちは、神を否定したがる。確かに、そんなシロモノは実在しそうもない。 
ただ、そうした多様なイメージのむこうに共通項として「それ以上の審級が
存在しないような超越的かつ絶対の存在にして運命の決定者」を想定すること
はできるだろう。それが人間臭い愛や怒りや嫉妬や気まぐれをもつかどうかは、
各信者の想像力の限界を示すだけである。むしろ、その人間の程度を知りた
ければ、その人物が信じている神の特徴を教えてもらえばよい。
神のイメージは、たいていその信者の願望と恐れを投影したものだからである。 
そこで、ここにいう「神」とは「宇宙を統べるなにか」以上のものではない。
そんなものが実在するかはひとまず措く。もしそうしたものが存在するならば、
それとの相談なしに将来を誓うことは人間の分際を越えていることになる。
そして、そうしたものが存在しないなら、ますますわれわれの生や将来には
なんの保証もない。
 〜〜
「その人の程度を知りたければ、その信じている神の特徴を知ればよい。
神のイメージは、その信者の願望と恐れを投影したものである」は、言いえて
妙である。人間が言葉を持ったが故の不安と不幸をカバーするため、未知の
存在の畏敬としての神は、必要である。しかし、それでしかない。
「その人物の程度といえば、連れ添いを知ればよい!」というが、これは
当たっているか?これとは関係ない。神については黙するしかない、
ということか。最後は、神様助けて、というしかないのが人間である。
 ・・・・・・・・
2941,ナチが愛した二重スパイ
2009年04月24日(金)
 「ナチが愛した二重スパイ」  ベン マッキンタイアー著
 新幹線通勤の往き帰りの車中で一ヶ月かけて読んだが、これが何とも面白い。
第二次大戦末期、ロンドン暗黒街のチャップマンは、ナチのスパイとなる。
しかし「二重スパイ」として、ベルリンに偽情報を送っていた実録もの。
ロンドンの当時の札付きの泥棒、ジゴロの生々しい犯罪と、監獄暮らしなどが
詳細に書かれている。現在の犯罪者も似たようなものだろうから、我われ小市民
とは全く異質の存在である。肯定的にみれば「何もしないで一生終わるより、
よほど思いのまま生きることも必要では?とさえ思わせるほどである。 
札付きの犯罪者がその経験を生かして二重スパイになって国家のために大きな
働きをすることになるから、皮肉といえば皮肉。
pー234に 著者は、二重スパイのチャップマンを次のように分析している。
 【 二重スパイのチャップマンの話は、地味なスパイの話とは違う。
スパイ小説なら、あり得ないこととして拒否される内容である。主人公は
悪党であるが、悪党としては決して敗残者ではない。彼の犯罪歴は、軍隊脱走
から猥褻行為へ、女から脅迫へ、強盗から金庫爆破へと段階的に進んだ。
あとになると彼の報酬は多くなり、最初はつまらぬことに手を染めたのを恥じて
いるのは疑いない。この男の本質は己惚れで、自ら評価するところでは大物で、
暗黒街のプリンスのような存在である。 (字数の関係でカット09年4月24日) 
・・・・・・・・・
2577, フロー体験 ー2
 2008年04月24日(木)
 ー まずは、要点を書き写してみる。ー


5152,閑話小題 〜常識とは

2015年04月23日(木)

* 常識とは何か
 アインシュタインの言葉に、『常識とは、18歳までに仕入れたもろもろの
先入観のコレクションである』がある。人生を振返ってみると、まさに先入観
の破壊の連続。 地方の田舎から上京をして、右も左も分からず、多くの壁に
ぶつかり、その都度、先入観の壁が一つずつ叩き壊れていった。
 あれだけ必死に挑んだにもかかわらず失敗と挫折の連続。 何故だろう?
そこで考えたのが、己のの無知、無能の自覚である。実際に多くの挫折を経験
をすれば、認めるしかない。その底から立上り、一歩を踏出すためには膨大な
エネルギーを使った末の知恵を絞り出すしかない。バカの壁の認識と、破壊
である。挫折とは創造前の破壊になる。21歳の夏の‘欧州一ヶ月間の旅行’で、
自分を取囲んでいた壁が粉々に崩壊された。そこで見たのは、西欧文化の深さ。
その西欧からみえた「極東の黄色人種の私」という存在。日本すら知らない、
自分すら知らない私の自覚。あの経験はプラス・マイナス両面で大きな節目。
経験と知識と、それから捻り出す知恵が、人生にとって、最も大事な要素で
あることを実感した。それぞれの国と地域には、そこの常識がある。
それは、そこの常識だが、一歩、二歩離れると、それは非常識でしかない。
常識が悪いというのではない。常識は必要条件であって、絶対条件ではない
ことの自覚を常に持ち続けることが必要ということ。
18歳までに仕入れたもろもろの先入観のコレクションこそが、人生の壁に
なっていることを、早々、気づく必要があるということ。そういう常識の
持ち主の人たちの中で、一生を終えるのも人生。鳥瞰するのも人生である。
・・・・・・
4787,閑話小題 ー倒産よもやま話 〜�
2014年04月23日(水)
    * 綺麗に止めたい、のですが! 
 実際に自分が当事者になって感じたことは、自分もそうだったが、
他人の卑下の視線と、いい加減さ。地場の中で単一価値観しか持ち得ぬ人の
「上から目線」が、漫画的で面白いといえば面白いが、経験する前の自分は、
こんなもの。倒産といえば、【夜逃げ、自殺、家庭不和による離婚、計画倒産、
連鎖倒産、社会的抹殺】などが思い当たる。娑婆からみれば、良い倒産、
悪い倒産など関係なく、差別対象で、成るほど!と、実感する日々!
弁護士に依頼したことは「30年間、会社取引は綺麗にしてきたので
『立つ鳥跡を濁さずで』終えたい!」に対し、「倒産に綺麗も汚いもない。
あるのは、良い倒産と悪い倒産だけ。今の状態は、それは可能。点数でいえば、
100点はあり得ない。せいぜいで70点!その手伝いをするのが弁護士の役割」と。
「ならば、その70点でお願いします!」で、方針が決まった。 結果は概ね
70〜80点と自己評価。弁護士も、その方針とおり動いてくれ、事業物件の、
全ての買い手がついた。 自宅も、家内が購入を希望し、名義が家内に移って、
現在に至って、今では使用人扱い! 抵当などのの弁済平均が全国平均11%に
対して、40%弱の弁済で、無事終了。一般債権も、労働債権もほぼゼロ。
役員と社員の退職金も規定の7〜8割は支払うことが出来た。  
 中小企業は、万一に備えて事業主の連れ合いに給与を支払い、厚生年金と
健康保険をかけて、残りを本人名義の預金にする。これが「間接保険」になる。 
特に、長期の設備投資には必要条件というより絶対条件になるが、これが
装置事業でないと、その備えをしていない。それと妻など家族に、連帯保証人
にしないのも長年の知恵。 私の場合、40年近く、給与の一割を目安に家内の
給与にしていた。これが、今では、命綱になっている。孫子の攻守の鶴翼の
構えである。 思わぬ震災クラスの社会変動を、家系として経験してきたから
こそ出来たこと。更に保険に入る代わりに、家内名義の預金を40年近く続けて
いたが、塵も積もれば(小)山。 ケセラセラでは、生きられないが、これを
もって計画倒産と巷の噂! 弁護士に、「私の場合でも計画倒産?」と聞いた
ところ、「倒産には、計画倒産と計画的倒産があり、長年にわたり備えるのは、
それ以前の体質の話。『金持父さん、貧乏父さん』という本があったが、
もじって『良い父さん(倒産)、悪い父さん』が基準の言葉。 世間的には、
それを同じに見ているが、似て、非なるもの」との解りやすい回答。 
それを前提に、あの卑しい目線の底の浅さが見え、それが気持ちを大きく支える。 
成るほど、人間は自分の範囲でしか事象を解釈できない。そういう自分自身も
同じことだが。日頃から教養、特に哲学、歴史を学んでいないと、こうなる。

・・・・・・
4420, 暴走老人!  −3
2013年04月23日(火)
   * 孤立化する空間      「暴走老人! 」藤原 智美 (著)
 近所をみても一人住まい老人の家が目立っている。去年には孤独死の老婆が
死後発見された。二年前には、その隣の老夫婦の奥さんが自死。独り住まいの
弧族が目立って多い。そういう我家も何時、いずれ弧族になる? 近くに
スーパーや、コンビ二があるので、不便はないのだろうが・・ スマート
フォンの普及は便利な反面、人と人との係わりを最小にする。また、年寄りは
情報機器を使いこなせるかどうかで二分される。使いこなせない人の疎外感は、
より大きく膨らむ。とはいえ、孤立した老人が不幸か?というと、これだけは
当人しか分からない。大家族の中の孤立の方が不幸のケースもある。
現在、毎日、書斎に4ー5時間はパソコンか読書をしている。それを孤立とは
言わない。問題は、孤立した空間で楽しめるか。≪ かつて農漁村、都市の
商店街のような場所には、仕事や土地(地域)を通じた共同性が存在した。
一方、郊外住宅地に仕事を基盤とした共同性を求めることは不可能だ。
そこは仕事場とは切り離された、文字通り「ペツドタウン」である。
しかも長い時聞をかけて発展した町ではない。そのほとんどが、計画的に一気
に造られたきわめて人工的な町である。当然、造成地という白いキャンバスには、
地域社会の秩序となる規範など存在しなかった。数世代、数十世代にわたって
造られていった町のように、受け渡される土地に根ざした約束事もない。
郊外に暮らし始めた人々は、同質性(家族構成、年齢、収入は似たり寄ったりの
ある家をそなえていた。 彼ら核家族は、古い家父長制や地域共同体の縛りから
自由な新しい家族像、核家族を中心としたマイホーム主義を実践した。
だがそれは一方で、地域社会の力を極端に弱める結果になった。それぞれの
核家族が均質な力をもった存在として、新たな土地で生活をスタートさせる。
彼らを束ねる地域の「権威」もなく、関係の秩序が成立していないその時点で、
互いが強い主張を始める生活はきわめて不安定化する。住みにくい、ストレス
な場所になるだろう。その状況で新住人たちが選択したのは、なるだけ隣人と
かかわらないことだった。互い干渉しないことで、新興住宅地はかろうじで
暮らしの場所となったのだ。(略)・・ 鳥瞰してみると、そこにあるのは
各戸に孤立して存在する家庭群落だった。群れていても、関係しないという
どこか矛盾した場所が郊外である。やがて明らかになったのは、孤立する家が
内部では個室によっでさらに分節化され、家族もまた個人として孤立している
という像だった。新興住宅地は二重に分節化され、最後は個人に行き着く。
それが「孤独な郊外」の本質。だが地域社会が衰弱、家族が孤立する構図は
郊外だけにあるのでない。都市近郊の団地からスタートした「孤独な郊外」は、
都心部の集合住宅にもおよび、今では農村地帯も孤独な郊外化は進んでいる。
こうして日本中の住宅地から地域社会はしだいに姿を消していった。
そして非地域社会化をいち早くスタートさせた郊外住宅地は、現在著しい
疲弊の姿をさらしている。多くは「ふるさと化」が失敗し、二代、三代と
住みつづけ、新しい規範を生みだすこともなかった。最近では大都市圏で、
都心回帰がさらに郊外住宅地の疲弊を早めている。住まいから次世代が
消えた老人世帯は、家そのものが個室化した。・・・≫
▼ 平櫛田中の言葉「子供しかるな来た道じゃ、年より笑うな行く道じゃ・
 行く道・来る道一人道・これから通る今日の道。今やれねば誰がやる・
わしがやらねば誰が やる」がある。これは【「子供叱るな来た道だもの、
年寄り笑うな行く道だもの、来た道行く道二人旅、これから通る今日の道、
通り直しのできぬ道」作者不詳。妙好人(=浄土宗の信徒の誰か)】を、 
言い換えたものと思われる。この位の意志がなければ、生きてはいけない。
そういう私も何時の間に、その年寄りの仲間入り。年齢に気持ちが
追いついていけない日々を孤立化した書斎で、過ごしている! 
・・・・・・ 
4046, 閑話小題 ー癲癇について
2012年04月23日(月)
  * 癲癇とは
 先日、京都で癲癇持病の交通事故で多くの死傷者が出た。発作時には
気を失うというから恐ろしい。 以前も似た事故があった。持病を持った人
にとって働く範囲が決まってくるため本人にとって大変な病。 国内に
120に一人、100万人が患者というから、身近にもいたはずだが何故か
具体的に知らない。10年ほど前のこと。突然、バスの後部座席で後ろの人に
両手で全力で肩を掴まれた。 その時に何が起きたか理解できず、前屈みに
立ち上がり、その手を払いのけた。そして振り返り怒ろうとしたが硬直している。
何かの発作が起きたと判断して騒ぎにはしなかった。次のバスステーションで、
その中年女性が何事もなかったように降りていった。それが癲癇ではないか?
と、思うに数日ほどかかった。今回、100万人も存在していることに驚いた。
100人万といえば、リウマチ患者と同じ。患者本人は人前に出ず可能の限り
隠すので表面化していないという。 
  * 悲しきかな、人生は!
 先日、連帯保証をしている関係で自宅は家内の物件になり、私は宿六に。
弁護士曰く、「爪を切らた貰われてきた飼い猫のように大人しく従順に生き
延びるしかない!」と辛辣。 無理? とすると!
  * フランス大統領が交代?
 フランス大統領選挙でサルコジが落選の様相である。5月6日で決選投票で
交代にでもなったら、ユーロ危機が大きく再燃する。世界経済は毎日がスリル
とサスペンスの日々である。 時の権力者がギリシャ、イタリア、スペイン
などPIIGSを救いざるを得ないのは解る!日米欧の、どこもかしこも際どい状況。 
中国も首脳交代で怪しげな権力闘争が表面化してきた。年末の韓国とアメリカ
の大統領選挙もある。
・・・・・・
3680, 節目どきに ー9
2011年04月23日(土)
  * ふと、思うこと
 まだ何が自分に起きていることが、分かってないのかもしれない。 
廃業、倒産と慌しく現象だけは移り変わっていくが、何か他人様から
「奇妙なもの」に見られているような、これまでの視線とは全く違うような・・ 
それはそれで仕方がない。経済震災・自然震災としても、倒産は倒産。 
それでも、新潟・長岡と職・住が別だったので半分は助かってはいるが。
これから起こる経済動乱を考えると、一年だろう。銀行債権以外の一般債権
などは、ほぼ迷惑をかけないで済んだが、一般の人は、そのことを知らない。 
家内も含め、二人とも厚生年金に40年以上入っていたので、今日明日の生活
の心配はない。弁護士がいうに、「現時点で3割が終了、債権の9割9分以上が
銀行債権で、一般債権を、ほぼ完済しているので、これまでは順調。手続きから
して二年が目安。」 それにしても私自身に、自分の立場に何の疚しさと、
暗さがないのが問題。「これだけは、経済震災と自然震災で、私の力の及ぶ
ことでない」という思いがあるし、実際に、そうだ。 あんまりケロッとして
いるので、30年来の税理事務所の担当に「貴方は、自分の置かれた立場が
全く分かってない!」と注意された。それも分かるが、「じゃあ、どうすれば
良かったのですか?」という内語が、何処かで沸いてくる。 それらしく、
していろ! ということか。しかし時間の経過と同時に、気持ちがジワジワと
追い詰められていくのが分かる。自然災害も含め、それぞれ全国民の問題だが。
・・・・・・・
3315, アポリアと空とぼけ
2010年04月23日(金)
「プラトンー哲学者とは何か」 納富信留著
 *アポリアと空とぼけ  P−36
対話によって突き落とされるこの困惑の状態は<アポリア>と呼ばれる。
それは、どこにも進むことができない行き詰まり、途(アポロ)のないあり様を
意味する。ソクラテスの吟味にさらされ、アポリアに落いった者は、対話相手
メノンが告白するよるように、あたかも「痺れエイ」に刺されたように感ずる。 
対話相手は心も口もしびれて何も言えなくなってしまう。このような対話に
おいてソクラテスは、問いかけ、議論を導く主導者の役割をはたす。しかし
ソクラテスは、対話をかわしながら、自らはその事柄について「知らない」、
つまり、自らもアポリアにあると主張する。その一方で、対話によってアポリア
へと追いやられ、無知を突きつけられた人は、言葉によって鋭く矛盾をついて
論駁するソクラテスが、その問いの答えを実ははじめから知っているのでは
ないかと推測する。さもなかったら、どうしてこれほど鮮やかに、相手の無知を
あばき出すことができるのであろう? しかし、そうしたなかであくまで
「自分もあなたと同じように、知らない」と言いはるソクラテスに、やりこめ
られた相手は、しばしば怒りをぶつける。 ソクラテスは本当は知って質問
しているのに、しらばくれてわざと知らないふりをし、意地悪にも人々の無知を
あばき立てよろこんでいるのであると。 人々はこうして、ソクラテスを
「空とぼけ」の人と呼んだ。「空とぼけ」が、対話するソクラテスの謎を
あらわす言葉となったのである。 だが、ソクラテスの対話を空とぼけ、つまり、
本当は知っているのに知らないふりをしているとみなすのは、対話する相手や
対話を見ている人であり、ソクラテス自身は空とぼけているわけではない。
▼ 学生時代の卒業の年に人事関連のゼミと出会い、そこでの学びの中で、
 自分は何にも知らないという事実を突きつけられ、呆然自失状態。
「学生時代にモット知識を得ておくべきだった!」と、頭がグチャグチャ状態。 
その結果、悩み苦しんだ結論として、死ぬまで学び続けること。 
何があっても、一日ニ時間の読書を自分に課せることだった。しかし、
最近気づいたことだが、「グチャグチャと、学び続ける決心」そのことが学生
時代の一番の学習効果だったこと。ゼミの教授の方針に乗ってしまった
ことになる。「自分は何も知らない」という思い込みが「アポリア」として
プラトン、いやソクラテスが2500年も前に看破していたのである。
15人のゼミの人たちの議論から、「何も知らない自分を一年かけ知った
ことになった。」  本当に有難いことである。 で、このザマ? 
人は人、我は我。 「全て人生は無知の馬鹿踊り」と思えば、楽なもの。 
自分は違う? 貴方だけはね!
・・・・・・・
2940,レーシック専門眼科医院 ー2
 2009年04月23日(木)
視力の矯正方法には、メガネ、コンタクトレンズ、の他に、
レザー手術、有水晶体眼内レンズ、オルソケラトロジーがある。
・レザー手術は、レザーで角膜の形を変えてしまうもの
・有水晶体眼内レンズは、角膜と水晶体の間に、コンタクト・レンズ
 を入れて矯正する方法。
・オルソケラトロジーは、寝ている間にハードコンタクトを入れ角膜に
 クセをつけてしまう方法である。レザーや、有水晶眼内レンズを入れたり
 すると、ドライアイになりやすい欠点もあるという。
 今回の短い先生との会話を再現してみよう。
・私の質問、  レザーや、有水晶体眼内レンズの失敗確率は?
  先生の答え、 数千分の一
・質問、 失敗したり、上手くいかなかった時は、どうなるんですか?
  答え  出血をしたり、レンズがずれたり、黴菌が入って炎症が
     起きたりするケースがあります。
・質問  もしも初期の白内障を取ってもらって、レザーで矯正をしたときの
     中期的なマイナスは何ですか。
  答え  早ければ早いほど、次の段階、緑内障に移行する時期が
     早まることになります。
・質問  私の今の段階での手術は、先生は勧めますか?
  答え  私は元々、手術は最後の手段で、本来はすべきでないというのが
     持論です。今回の場合は、手術は勧めません!何を選ぶかは本人次第。
・質問  もし、手術をしたときに眼の度数が進んだり、
     白内障が再度出るのですか。
  答え  もちろん、度数は同じく進み、白内障も出てきます。
     更に緑内障になる可能性も早くなります。
・質問  近視の進行を止める薬が開発されたと聞きましたが、実際に、どう?
  答え  あれは、過大評価で、殆ど効きません。出しても良いですが、
     効かないものを出すこともないでしょう。
▼ 以上であったが、それにしても良心的な先生であった。身近な二人の経験者
 が同じような忠告をしてくれていたが、「緑内障への移行が早くなる」と、
「貴方の体質は極力、手術をしない方がよい」が、今回の断念の決め手である。
 ・・・・・・・・・
2576, ドル覇権の崩壊 ー6
2008年04月23日(水)           \(⌒∇⌒)/おはよ?!!!
 *アメリカの住宅バブルとは?  P-55
アメリカの住宅バブルを分かりやすく話すと、例えば「10年前に50万ドル
(約6千万円)で買った家が、今は100万ドル(約1億2千万)になっている。
これがアメリカのミドルクラスー中産階級の家である。中産階級というのは
それほど貧乏ではない。日本語の中流という意味ではなくて、もう少し豊かな、
専門職業をもっている小金持ち層のことである。このミドルクラスが自分の家を
最初、一軒目を住宅ローンで買っていたのだが、家の時価(市場価格)が100万ドル
になってしまっているので、残っているローンの残高の3千万円を除いた残り
9千万円分を更に目一杯までお金を借りられる。また銀行も担保力があるかぎり、
家の価値、価格がある限りは、いくらでもお金を貸すのがアメリヵの流儀である。
すなわち一般庶民層までぎりぎりまでお金を借りて、二軒目の投資用の家、
あるいはアパート(コンドミニアムと言う)を買って利殖する。あるいはその
余剰資金を株式市場や債券市場での運用に回す。もともと返済能力があまり
ない人たちまでが、この含み資産であるところの不動産資産を担保にして、
ぎりぎりまでお金を借りている。 そして、これが逆回転(リワインド)するのが
いちばん怖いのである。このことをグリーンスパンFRB前議長が警告を鳴らしていた。
▼ これを読んでいると、まさしく日本のバブル期に土地投資に走った会社と、
目端のきいたサラリーマン達がしてきたことと同じではないか。
(字数の関係でカット12年04月23日)


5151,知の逆転 〜⑨

2015年04月22日(水)

           ー知の逆転ー  対談相手 オリバー・サックス
   * 人間特有の能力とは
 人間特有の能力とは、「文法」と「読む能力」という説。これは50年近くの
読書習慣と、一日一文章の作成から実感するが、少年期に読書週間がなかった
ことがハンデになって現在に至っている。それでも、この習慣で助けられた。
文法こそが、多くの意味をもたらすが、技量をつけるには量をこなすしかない。
≪ ・多くの動物や猿が、40もの異なる危険を知らせる音を持っていること
 が知られていますが、これらはどちらかというと記号のようなものです。
人間の言語では、チョムスキーの言うような意味での「文法」というものが
不可欠になります。文法こそが言語に限りなく多くの意味というものを生み出す
ことを可能にし、言語をクリエイティブなものにします。単に情報交換を目的と
したコミュニケーションのためだけでなく、われわれ自身そのものを表現する
手段としての言語というのは、人間に特有のものでしょう。
音楽もそうです。録音機を持って50万年前に戻れたらいいのですが。
・言語の一側面である「読む能力」というものは、強力で人間に特有なもの。
しかしこの能力は進化の直接の産物ではありません。環境の視覚認識のために
使われていた能力を利用したものです。類人猿では個々の記号を認識するところ
まではできても、テキストを読むというのは無理で、これは人類に固有の能力で
あろうと思います。この能力は、限られた知能しかない場合も含め、おしなべて
人類に共通する能力なのです。 〜p153 ≫
▼ これを人間の能力にも言えること。その力量に比例して「文法」と
「読む能力」が身についていく。「文法」は、話す能力、書く能力。
「読む能力」は、相手の、社会の発信する知識・情報を受止める能力になる。
14年間、これを続けてきたのは、この努力の効果と、その蓄積からくる醗酵の
効果が実感できるため。 ネットによる「文法」の意味とは、<広義の文法は
言語能力であると考え、音声や意味から独立した自律的 な構造を想定し、
それを特に文法と呼んでいる。> 言語能力こそ人間たる思考能力になる。
読め読め読め、聞け聞け聞け、書け書け書け、そして黙れ!ということか。
・・・・・・
4786,自分の頭で考えるための哲学講義
2014年04月22日(火)
         「道徳」を疑え! 〜自分の頭で考えるための哲学講義〜
  * 価値教育とは?
 20歳から30歳までは、変化の連続になる。社会人、結婚、早ければ父親、
と、色いろと変化をしていく。そして、年々、就職先、結婚相手の選定など、
人生を大きく左右する決断が突きつけられる。その中で、大きは危機が
体質の変化時の24歳頃にやってくる。それが人生の大きな分岐点になる。
ここで悩み、基礎を固めておかないと、長い実社会の中で、大きな落とし穴
に落ち込んでしまう。精神的には鬱病、分裂症など。社会的には突然の失業
とか大病とか・・ そこで直面するのが、人生の意味と、価値感である。
その辺りを「アメリカ道徳教育からわかること」の小項目で取り上げている。
   ーまずは、その辺りを抜粋するー
《 価値教育とは、子どもの全人的尊重と、その自主的な全人的な働きによる
 価値の明確化を援助する方式をとる。従って確定した知識を権威として教師
中心に教え込む指導方式とは根本的に違う。・・ アメリカの教育学には、
二つの大きな流れとして本質主義と進歩主義がある。
・前者は、歴史の試練に耐えてきた文化遺産の教育的価値を重視し、学校には
それを次世代に伝達するという、社会から依託された任務があることを強調
するのに対して、
・後者は、子どもの興味・関心・成長欲求を受けとめ、自発性・主体性を尊重
して活動意欲を引き出すことを重視する」と。 そして、本質主義に基づき
価値の伝達に主眼を置く教育が、価値の押しつけにすぎないとして批判される
につれ、進歩主義に基づいて子どもの価値表現や価値判断を重視する教育が
主張されるようになったといいます。そして現在では、両者の統合が課題に
なっているそうです。私が注目したいのは、もちろん後者です。
つまり、子どもたちの価値判断を重視する進歩主義的な教育です。たとえば、
ラス、ハーミン、サイモンらが『道徳教育の革新』のなかで主張した
「価値の明確化」という概念があります。彼らは、すべての人が同じ価値観
をもつことはないという前提のもと、それぞれの人が自分なりの価値観を
確立する手法を明確化しようとしました。 それが次の7つのステップです。
選択すること:①自由に選択する ②複数の選択肢の中から選択する、
     ③各々の選択肢の結果についての十分な考慮の後で選択すること
尊重すること:④尊重し、大切にする、⑤肯定すること、
行為すること:⑥選択に基づいて行為すること、⑦繰り返すこと。
 これらの七つを満たしたものを「価値」と呼ぶそうです。 》
▼ アメリカ的価値観が、そのまま現れ出ている。「神の前で、それぞれが
 経典に従い、自主独立で、前向きに生きなさい」という事だが、更にマトメル
と、【自由に、複数の選択肢の中で、充分考慮した上に、大切に、肯定的に、
選択した行為を、繰り返すこと、を満たしたのが『価値』】ということになる。 
価値観は、それぞれの年齢で変転していくため、人生は、何時も学び続け
なければならないことになる。まずは両親など家族からの価値観から脱皮する
には、この7つのステップは有効にはたらくだろう! そのためには、教養が
必要条件になる!三年前の【3679, 自己を見つめる−6 2011年04月22日
「自己を見つめる 」渡邊二郎 (著) 】が、続きになる!
・・・・・・
4419, この結果に感謝している!
2013年04月22日(月)
 一昨年の倒産劇から数ヶ月あたりから、
「この結末が私の人生にとってベスト?」という思いが心の片隅に生じていた。
他人に言うべきことでもないし、失業させてしまった社員や役員に対しても、
こんなことは口が裂けてもいえないこと。2001年の9・11テロ以来、10年間、
右下がり傾向が続き、リーマンショックで売上げが三分の一まで落ち込んでいた。
経営は死に体に近づき、真剣に止め時を探っていた矢先の東北大震災。もう駄目!
と早めの決断をした。その事業物件の買手が直ぐに見つかり、同じホテル名で
新経営者の下で現在、営業が続いている。一般債権もほぼゼロで、金融債権以外
は思惑通りの清算ができた。会社借り入れの個人保証もあって普通なら個人破産
しかないが、物件の処分が順調だったこともあり、何とか破産なしの無傷で
済ますつもり。担保に入っていた自宅も、家内が買い取ることで確保。 何とか
今までとおり生活をしている。 順調に誰かに経営を渡すのと、この結果の
どちらが良かったか、勿論、前者と思うが、こと私の人生という面からみると、
この方が良かったとも考えられる。 全てがベストに動いてきたから、人類も、
自分もいる。 先日の高校の同級会で、半年前に老舗の会社を倒産させた人が
隣でシミジミと、「この結果で終わったことに感謝している。こんな気持ちに
なるとは思ってなかった」と、現在の私の心情と同じことを、そのまま語り
かけてきた。 これは実際に経験した者でしか言えない言葉。無念で、情けない
自分と、周囲の好奇の視線の中、独りで日々、悶えた結果、この現実をそのまま
受け入れるしかない中で、実はこれがベストの結果だと気づく。「この苦しみを
与えているのは、神(自然)が、何かの意味を気づかせようとしているのでは
ないか」という、フランクルの問いかけである。その時に自然に出てきたのは、
「この経験で私は、やっと半人前になったが、貴方は以前の不幸分を加えると、
半人前から一人前になった」で、ある。互いの心奥の葛藤と、その思いは同じ。
過去を振り返ると、何度かのどん底の青春期の日々にこそ、人生の味があった。
思い出すのは絶頂の浮かれていた日々でなく、瀬戸際で呆然と過ごしていた
日々である。あの時、何かが変わろうとしていた。それと同じ心情が、
「この結果(状況)に感謝!」の言葉に集約されている。底に下りてしまえば、
不安感など消滅。結果を素直に受け入れれば、そのまま安心立命の境地に到達
できるのが人生。実際に倒れ、孤立し、そこで人生を俯瞰すると、全く違う
目線を得ることが出来る。その視線から、これまでの人生を振り返ると、
何とつまらない自分が見えてくる。だから、「この結果に感謝している!」
の言葉になる。なかなか人生は味があり、面白い。
それを味わうのが、これからの人生。 
・・・・・・
4045, 末っ子はつらい ー3
2012年04月22日(日)
 私は10人家族の末っ子。 家が商家だったので誰も自分のことで手一杯、
互いのプライベートを見せないのが暗黙のルール。4〜10歳までは1Fが店舗、
2Fが倉庫と事務所、3Fが住居、4Fには住込みの女子従業員7〜8人が住む。 
食事は、何時も従業員と一緒。 小学校5年になって、7〜8分離れたところに
住居部分が移動した。雑然とした商家では独りで遊ぶしかなかった。末っ子は
親の目が行き届かない分、姉や兄の虐めから自らを守らなければならなく、常に
周囲の顔色を窺がう性格になっていた。特に父親が店と家族と親戚を束ねていた
絶対的存在で、父に媚びるのが効果的であるのを知っていた。そのため?末っ子
の私に甘かった。数年前、新幹線の乗客の会話で、「私は多人数兄弟の末っ子で、
常に親や兄弟から許されてきた。それが今でも直らず、失敗をしても許される
だろうという思い込みの性格が身について、大きな壁になっている」というのを
聞いて、「まさに自分そのもの!」と、驚いたことがあった。家族間では絶対に
互いの陰口はタブーで、兄や姉が他人の噂話をしたのを殆んど聞いたことがない。 
児童心理学では、家族は5人以上が必要という。一人っ子は同年代の心の内を知る
機会が少なく、孤独になりがちになる。 さらに親のかまい過ぎと、兄弟がいない
ため自己中心になってしまう。 家族の立ち位置で、性格が形成されるのは自然
の摂理。数年先が、それぞれの姉、兄の姿から見え、学ぶことが多い。
7歳年上の姉が勉強の仕方とか、自分の夢をイメージ化する重要性などを、
節目ごとに教えてくれた。ある意味で、一番、世話になった人である。末っ子は、
末っ子の欠点と利点がある。冷静にみて、やはり大家族は利点が多い。  
両親の要素もあるが。
  * 末っ子はつらい ー2 2002/05/08
 末っ子は辛いと、姉が聞いたら、「なにをいっているか!」と怒鳴られそうだ。
「両親に、兄姉にみんなに可愛がられて!」と。確かにそうだ。特に両親にとって、
ペットみたいな存在で、亡くなる時もしかり、傍にいた。そして遺言も財産に
関しても、不利にならないようにして亡くなった。 家は両親が死ぬまで常に
お手伝いがいて何時もチヤホヤされてきた。末っ子の特権を充分享受した。 
それと大家族は逆に孤独に強くなる。一人でいつも遊んでいた。後年になって
長姉がいうには、いつも一人で三輪車で遊んでいたとか。今も一人遊びが好きだ。
ノイローゼになる人は一人遊びの出来ない人。 幼児期・少年期は事業の立ち
上げ時で非常に刺激的な環境。 そういう意味で「三つ子の魂百までも」である。
それぞれの性格はその時代の背景と、血液型と家族関係と両親の年齢などによって、
微妙に変わってくる。 長男には長男の立場、末娘ならその立場で決まってくる。 
すぐ上の兄は、私の影的存在で?大人しい性格。「積み木崩し」というタレント
手記があった。長女、次女の次に男が生まれると、その次女がひねて非行に走る
ケースが多いという。  兄妹の立ち位置で、性格が決められる。
  * 末っ子はつらい ー1 2002/05/07
 8人兄弟の末っ子である立場の自分を書いてみる。少年期まで、末っ子は
上からの虐めがきつい。特にすぐ上の兄のそれがきつい。常に気を張って
いなくてはならないのがその宿命。食事も早く食べないと食べ分がなくなる為、
早食いが癖になっていた。多くの兄弟で育った末っ子は社長に向いているそうだ。 
他人の気持ちを読む習性が、それに向くのだろう。それと結婚の相手は長女が
いいとも最近聞いた。たまたま家内がそうだった。そういえば過去に惹かれた
女性は長女で、A 型で、おっとりタイプが多かった。また末っ子は口が堅くなく
てはならない。立場上、それぞれの兄姉の秘密を知る機会が多い。しかし万一
告げ口をしたら、袋たたきにあってしまう。家族はまず出会う初めての社会。
・・・・・
3679, 自己を見つめる −6
2011年04月22日(金)
           「自己を見つめる 」 渡邊二郎 (著)
自己を見つめる、その自己とは? そもそも何だろうか? その自己は、
「少なくとも、この世で、自己として瞬時の光芒を放って輝いた」のである。 
この世に表れでたのは、その存在理由があったのである。
  ー 第五章 自己 ー
【 およそ、あらゆる芸術家、学者、政治家、実業家などの、人類社会に
 貢献した人々はみな、その生涯において、自己決定の稀な瞬間を生きとおして、
 それぞれ個性ある一生を築いて、この世を去った。もちろん、際立った、選り
抜きの人々以外でも、考え直してみれば、あらゆる人間がみな、それぞれなりに、
自己の人生と運命を生き抜き、そのかけがえのない人生の軌跡を描いて、
自己の人生を全うしようとして、一生を走りとおしたと見なければならない。
 むろん、この世の人生においては、不運や事故、挫折や失敗が付き物であり、
多くの人々は、志半ばで、不幸のうちで倒れ、意に満たない、悲運のなかで
一生を終えた。けれども、人間はすべて、最後には、自分らしい生き方を、
運命として肯定しながら、この世に別れを告る覚悟で人生を生きるものである。
そこに、ほかならぬ、掛け替えない当の自己自身の人生が一回限りの形で生起し、
代りの不可能な、それなりの個性と必然性をもったものとして刻まれ、こうして、
永遠の闇から闇へかき消え、あるいは不減の魂のなかに久遠の記憶として残され、
少なくとも、この世で、自己として瞬時の光芒を放って輝いたのである。 】
【 大切なのは、人間の存在の必要条件と十分条件とを峻別することにある、と。 
 人間が生物としての機能を果たして生きるということは、人間の存在の必要
条件を満たして生きるということにほかならない。また、人間が社会的存在と
して、なんらかの環境や境遇のなかに置かれて生存を営むということも、人間
の存在の必要条件を満たして生きるということのうちに入る。けれども、それだけ
では、真に人間的な自己自身として生きるということの十分条件が 満たされた
ということにはならない。衣食住の欲求を満たし、胃腸や呼吸が正常に機能し、
なんらかの社会的環境のなかに置かれて生きるということならば、誰もがやって
いることである。むろん、そこに、胃腸の丈夫な人とそうでない人、あるいは
比較的恵まれた環境に生きる人とそうでない人との差異はあるであろう。
けれども、そうした所与の心身の資質や社会的環境のなかにただ置き入れられて、
それにまったく受動的となり、なんら奮起することがないのならば、その人は、
ほんとうには、まだ自己自身に目覚めてはいないと言わなければならない。 】
 ― 自己の存在の十分条件を満たしたかどうか、それも充分かどうか、
   それぞれあろう。それは個性を発揮できたか、どうか。
・・・・・・・
3314, 聞きしに勝る3D/TV
2010年04月22日(木)
 最近、昼飯は外食を週一にして、サンドイッチを通勤途中に買ってきて
食べているが、昨日は、新潟駅の中華店でランチ。その後、ジュンク堂書店に
向かう途中、ビックカメラの前を歩いていると、話題の3DTVが店頭にあった。 
昨日の新聞で一部の店舗でデモ展示を始めた記事を読んだ直後だった。
ところで、現在のTVは7年半になるパイオニアの50インチのプラズマ。
当たり外れの、当たり。しかし、地デジには特殊のマシーンを入れなければ
ならないので、替えときにきている。 先週の土・日に家電を見て周り、一度
頭を冷やした今週末に、シャープの60インチのLED・TVを発注と決めたが、
「3D/TVが700万台の新規需要の創造」とかいう週刊誌の広告が気に
なっていた。そこで早速、見たところ、その決心を覆すほどの画面。
映画のアバターを3Dでみて驚いたが、TVは大したことはないと思っていた。 
ところが実際は映画より良い。映画もそうだが、画面と自分の間に空間ができ、
更に画面の奥行きができたイメージで立体感を出している。デモ用の3D/
TVはメガネが固定してあるので、メガネをした時と、しないで見たときの
差が比べることが容易。そこで、比べた結果は格段の違いである。これで
大相撲や野球を見たら、迫力は数倍は違ってくる。デモ用のソフトは石川遼の
ゴルフだった。なるほど週刊誌の見出しの「新規700万台の市場の創造」
の意味が分かった。十数年前に初めてハイビジョンが店頭に出たとき、ソニー
の画像を見たときの驚きと同じである。その時は、暗い舞台にバレリーナーが
白鳥の湖を踊っていたが、立体的な画面に感動したことを憶えている。
それまでのTVとハイビジョンTVの格差と、3Dの映像の差は同じ位はある。
数年後には多くの3D番組が出るだろう。急遽、買い替えは数ヶ月待ってから、
3D/TVにすることにした。 ますます、お宅か! 21世紀とは、
ツイッター、3D/TVにしろ、iPadにしろ、こういう時代だったのか! 
驚きの連続である。「明治は遠くなりにけり」から「昭和は遠くなりにけり」。
  ・・・・・・・・・
2939,マネー資本主義“暴走
2009年04月22日(水)
 4月19日(日)の 午後9時00分から 総合テレビで
「マネー資本主義 第1回“暴走”はなぜ止められなかったのか
           ーアメリカ投資銀行の興亡ー」が面白い。
  *まずはーNHKのHPの番組紹介からー
【金融危機はなぜ起きたのか。巨大マネーはどのように膨張していったのか。
 マネー資本主義の主役として批判の的となっているのが、リーマンショック
 を起こした当事者でもある「投資銀行」。
     (中間カット 字数の関係で 2011年4月22日)


5150,知の逆転 〜⑧

2015年04月21日(火)

           ー知の逆転ー  対談相手 オリバー・サックス
   * 没頭している「平和の時間」こそが
 午前中、4〜5時間、仏間にある書斎コーナーで、本を読んだり、パソコン
に向かっているが、その時間はアットという間に過ぎてしまう。集中している
ためだろう。ネガティブになりがちな身の上?に、老齢化が重なっているため、
落込みへの解毒剤になっている。冬場を除いて、朝方の自転車散歩も加えて、
何とかポジティブ3にネガティブ1の比率を維持している。
 ここで、<没頭している「平和の時間」が、最も望ましい>というが・・
この随想日記の習慣の効用である。没頭には、長年の継続が必要である。
 ーその箇所を抜粋ー p149 
≪ ・・私自身も、書き物をしたり考えたりすることに没頭しているとき、
 あるいはピアノを弾ひたいたり音楽に浸っているとき、神経症やうつ病が
消えて、時間というものを意識しないで平和な時を過ごすことができます。
われわれは誰もがそういう時間を必要としているのです。フロイトの精神分析
では、楽しいことに没頭しているときの平和な時間という部分が看過されて
いると思います。彼の精神分析では、生は緊張として捉えられ、緊張が解ける
と何もない状態になると解釈されているわけです。しかし、ポジティブな
平和な時間というものは芸術や科学の基盤であり、最も望ましい状態では
ないでしょうか。≫
▼ 「平和の時間」は、外界の喧騒から隔絶出来て、気持ちが集中、脳も、
 心もシンプルでいられる。週一のシネマも、ポタリング(自転車散歩)も
「平和の時間」。リタイア直後に立てたプログラムは、まず、ストレスによる
自己崩壊を避けるためだったが、結果として「平和の時間」の維持の効用に
なっていた。今までは会社の維持に向けられたエネルギーが、「平和の時間」
に向けられるから、悪いわけがないが、だがストレスは生半端ではない。
それが当り前だが! 知恵を使って、見方、支点を変えれば、逆境さま様!
ものは考えよう、面白いもの。 偶然だが、以下の内容が、丁度良く続く。
・・・・・・
4785,閑話小題 ー倒産よもやま話 〜②
2014年04月21日(月)
   * 倒産よもやま話(三年目の実感) 〜②
「その直後、気持ちを落ち着かせるため、東京周辺に一週間ほど出たい」と、
弁護士に相談すると、「一番、大事な時。それは問題に対し後ろ向きになる。
苦しいが今は、直面し続けるしかない!」と一喝。そのことは以前から体感して
いた為、納得。問題の中心点を凝視し、立ち向かい続ければ、時間が解決する。
この経験で、身近の経験者のことが、解っているようで実は何も解ってなかった
ことに気づいた。実は、「犯罪者が捕まり、ホッとした気分は、こんなもの?」
という風な、変な安堵感もあった。 現時点では、『人が死ぬって悪いこと?』
と、ほぼ重なる。 バブル崩壊、9・11、9・15、3・11で、時代が根こそぎ
変わってしまった。現在時点の、良い悪いは、表面的な現象。
10年前から、現在に至るまで何が起こった? 身近の天変事変では、中越地震、
柏崎沖地震、東北震災。 世界では、数万規模の死者が出た、幾つかの大地震。 
経済では200年に一度といわれるリーマンショック。そして、今後10年で、
その数倍規模?の自然災害、経済災害が、間違いなく起こる可能性が高い現在、
「倒産、廃業が悪」の図式・考えを捨てるべきではないか?というのも、
排除してはならない。その辺は、自分の自頭で考え、判断すべきである。
 その上に、飛躍的なパソコンの携帯の進化で、これまでの現実社会をネット
社会が覆ってしまった。そしてアメリカのルールに習え、のグローバル化。
これが、良くいえば創造的破壊という美名の元に始まっている。
その最たるものがTPPである。経済的な日本併合である。それにしても、
国家戦略ゼロの日本の思考能力に暗澹たる気持ちになる。この節目は、やはり
明治維新、太平洋戦争の敗戦に匹敵するか、それ以上の事態。それに、呆気無く、
飲み込まれてしまったのが、この一連から、鮮明に見えている。私のケースは、
事業からの私自身のリストラであり、経済社会からの完全リタイア、排除である。
で、近く避難先で、町を見下ろしている。  
・・・・・・
4418, 残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法 ー7
2013年04月21日(日)                
 * 幸福とは何か ー大富豪とマサイ族   
        「残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法」 橘玲著
 幸福とお金の関係は、なかなか難しい。幸福の必要条件の一つにお金があるが、
十分条件では決してない。その辺りを、以下で大富豪とマサイ族を比較して
分かりやすく説明している。
≪ アメリカでは一九八○年代から、幸福を心理学的に計測するという試みが
 行なわれている。これは厳密に科学的なものではないが、様々な調査によって、
統計的にほぼ同一の傾向を確認できる(大石繁宏著『幸せを科学する』)。 
ある調査によれば、人生の満足度を七点満点とすると、アメリカのビジネス誌
『フォーブス』に載った大富豪たちの満足度の平均は五・八だった。彼らは
資本主義社会の頂点に立つ成功者で、豪邸やプライベートジェットなど望む
ものはなんでも手に入れることのできるひとたちだ。 アフリカのマサイ族は、
ケニアとタンザニアに住む半遊牧民で、必要最小限のものしかない貧しい暮し
をしている。同じ調査で、彼らの人生の満足度は五・四だった。目の眩むような
大金は、ひとをたった○・四ポイントしか幸福にはしてくれないのだ。
もちろんこれには様々な解釈が可能だが、大富豪がマサイ族の村に行ったと
したら幸福だと思うだろう。マサイ族の若者がニューヨークを訪れれば、
極貧と不幸に打ちのめされるかもしれない。幸福感は相対的なものだからだ。
マサイ族が幸福なのは、家族や仲間との強い絆(愛情空間と友情空間)のなかで
暮らしているからだ。それに対して貨幣空間の成功者である大富豪は、
その成功ゆえに愛情や友情から切り離されて幸福を感じられなくなる。 
 でも彼の人生は、まだマシな方だ。この調査によれば、世界でもっとも
不幸なのはロサンゼルスなどの大都市で生きているホームレスだ。
彼ら貨幣空間の敗残者は富も人間関係もすべて失ってしまい、自分たちより
過酷な生活をしているインドのスラム街の人たちよりはるかに幸福度が低い。
もっともこれは、それほど奇異な結果ではないだろう。お金が幸福の必要条件
ではあっても、十分条件でないことは誰だって知っている。ぼくたちがお金に
こだわるのは、それが「安心」「安全」という大切な価値と結びついているから。
ヒトはずっと不安のなかで生きてきたから、安心を得ることは幸福の大事な条件
のひとつだ。そして市場経済においては、この安心はお金で買うしかない。
日本国の財政が未曾有の赤字に陥り、少子高齢化で年金制度が破綻必至になった
ことで、この国を重苦しい不安が覆っている。老後を国家からの年金に頼って
いたひとが、安心を奪われてしまったのだ。 でも単純な経済問題だから、
お金により解決できる。財政破綻で年金の大幅減が実行されても、宝くじで
一億円当たったら、どうだってよいと思うだろう。(当たらないと思うが) 
幸福のためにお金を求めるのは、きわめて合理的な行動。ところが皮肉なこと
に、宝くじの当せん者を追跡調査をすると、実はあまり幸福のなっていない。
買物や豪遊で賞金を使い果たすころには、自分には何も残ってないことに
気づくのだ。 ・・・ ≫
▼ ー我われがお金に拘るのは、「安心」「安全」という価値に結びついて
 いるためーというのは分かる。ならば、日本は世界一の「安全」で、「安心」
して暮らせる国で、万一のことがあっても、生活保護がある。しかし自殺は
先進国の中でトップクラスにあるし、国民は幸せそうでない。何故なら国の
先行きが見えないためである。先行きなど、かつても見えなかった。
中途半端な幸せを長年続けてきた結果、激変の最中、動揺しているのである。
東北大震災から数ヶ月後、アフリカの難民をよびよせ、被災民の状況を見て
もらったが、殆どコメントをしないで帰った。彼らにしたら何をか言わんである。
豊かさの中の極貧生活が不幸の最たる状態であるのは、大都市のホームレスを
見れば分かる。今や夫婦間資産格差が出来た私など、不幸の最たるもの?
でも不幸感はない。「不安感」が最小に縮んだからだ。先行きの不安感は、
今が不安定だと生じ、蓄積していく。着地をした現在、今さら「不安」
など感じようもない。
・・・・・・
4044, 一時停止 ー4
2012年04月21日(土)
         「一時停止」 谷川俊太郎ー自選散文ー1955〜2010
  * 他人との出会い
≪ 肉体的な成長だけで子どもがおとなになれるわけではない。肉体的な成長
に精神的成長が伴わなければ、人間はおとなになれない。その精神的成長とは
どういうものか、知識が増えること、感情が豊かになること、経験を積むこと、
考える力が増すことーいろいろな面から考えることが可能だろうが、そのどれも
が結局は<個>の自分の確立ということにむすびついていることに気づく。
 群棲動物である人間は、ひとりで生きてゆくことができない。そこから
私たちは複雑な社会的構造を生み出し、〈個〉は常に自分と同等な〈個〉、
すなわち〈他〉との関係において生きてゆく。〈個〉の確立とは自我の拡張と
同時にその制限をも意味している。言葉をかえると、他人と出会ことによって、
子どもはおとなへと成長してゆくと言うこともできるのではないだろうか。
もしそんなふうに言えるとしたら、私にとって初めての他人との出会いは、
いったいいつのことだつたのだろうと考えることがある。もちろん人間にとって
最初の他人とは母親であると言うこともできるかもしれない。しかし、ほとんど
の子どもにおいては、母親は自分自身の延長のような存在であり、母親を他人
として意識しはじめるのは、むしろ彼がおとなになってからだろうと思う。
似たようなことは他の身内・家族などについても程度の差はあるが、おおむね
あてはまるだろう。 ≫
▼ 学校時代は、進学する度に変わる同級生が、他者を考える上に分かりやすい。
 その時の面々が、その時の自らの分である。それは、自分の広がりでもある。
それが他人との出会いである。その範囲が広がれば広がるほど、その冷たさと
暖かさの差が大きくなる。その段差が、人間を成長させるのである。逆に言えば、
その段差が少ないと、成長が逆行していくことになる。自分を意識する前に
見知らぬものとの出会いがある。その境目が増えるにしたがって、己との枠が
でき、それが自分になる。それぞれの時代の相手の中に、自分の姿が合わせ鏡
となり、自分の姿の一部を垣間見ることになる。
 ・・・・・・
3678, 自己を見つめる −5
2011年04月21日(木)
  「自己を見つめる 」 渡邊二郎 (著)
  ー 境遇 ー
【人生においては、私たちは、それぞれの境遇で、様々な経験をしながら、
 自己自身の人生の有意義性を目指して、日々努力を重ね、永い人生行路の
 過程を踏み、自己の歴史が築かれてゆく。人生とは、そうした各自の時間的
 歴史的な行程であり、多様な諸経験を重ねてゆく遍歴の旅路である。
 人生は、しばしば、旅だと言われ、西洋でも、人間とは「ホモ・ヴィアトール
 (旅する人)」だと語られる。しかし、そのような遍歴の旅とは、いったい何で
 あろうか。とりわけ、多様な諸経験を経巡ってゆくということのなかに
 籠められている大事な眼目は、いったいどこにあるのだろうか。・・
  遍歴の労苦を通じてのみ、私たちの人格の花は、大きく咲き出るのである。
 格言に言われるように、可愛い子供には旅をさせねばならず、異境に出て、
 他流試合に揉まれ、異他的なものとの交流もしくは対決を経巡ってのみ初めて、
 私たちの人格は、大きく実るのである。そうした切磋琢磨と、人格的遍歴の
 過程を、すべての人が、互いに、愛の思いと暖かい心とを込めて見守らねば。
 こうして、人間的振幅や試行錯誤のすべてを受け容れ、また赦すところの、
 裏切ることのない、誠実な追憶の魂もしくは心のなかに、それらの歩みの
 すべてを銘記し、それらを、過ぎ去りゆくことのない、不滅で、貴重な人間的
 経験の全体として、共同でいたわり、保持しようとすることこそが、あらゆる
 人間にとっての、最も崇高な、道徳的かつ人格的な相互的責務であると思う。】
▼ 神話は、まさに異境に出て行って、辛苦の中で勝利し帰還する物語が原型
 である。それは、自分の魂にとっても同じこと。異質なものとの出会い、
そして邂逅のプロセスを通して自己が深まり、広がっていく。ここでも「異境に
出て、他流試合に揉まれ、異他的なものとの交流もしくは対決を経巡ってのみ
初めて、私たちの人格は、大きく実る」現実の世間的価値観の中では、人格は
大きく実らないことは周辺を見れば良く分かること。更にいえば、自己とは
異質なものとの出会いと邂逅の中にこそ存在する。
  ・・・・・・・・
3313, 対話について
2010年04月21日(水)
  「プラトンー哲学者とは何か」 納富信留著
 * 対話について
 プラトンの「対話篇」を分かりやすく噛み砕いてある内容である。
以下は、そのエッセンスの部分である。プラトンと、ソクラテスの立場を
簡潔に分かりやすく述べている。 ーまずは、その部分から (p28)
ソクラテスはつねに「対話」において人々と語り、プラトンはそれを「対話篇」
として書いた。ソクラテスとプラトンとの出会いは、また、言葉を語ることと
書くことのへだたりと「対」として現れる。ここに、哲学成立の秘密がある。 
対話とは、人と人との出会い、言葉をつうじて何かを追求し明らかにしていく
営みである。それは、顔をもつ生きたひとりの人間と人間のあいだにかわされる、
一度かぎりのやりとりである。 対話は、それがかわされる特定の生きた状況、
時と場を離れてはありえない。会うのは心と心であり、ぶつかりあう言葉と
言葉が吟味により明るみに出し対話する人の生そのものである。そして、人と
状況は、その対話を通じて変化していく。対話を交わした人のあり方は、もはや
以前のものではありえない。 人が形つくる対話の言葉は、また、その人を
形作るものである。そして、対話は、二度とくりかえさることはない。 
これに対してブラトンは、語られる言葉を書かれた言葉にして残した一度しか
起こりえない対話を書き物に結晶させた時、それは時を越えて反復可能なものと
なった。書かれた対話は、うつろいゆく言葉を文字に留め、それを読むことが
対話を反復させる。私たちの心には、思りという新たな対話が生み出される。 
そうして書かれた対話篇において、対話は対話者たち、さらに、著者プラトンの
手を離れて、私たち読み手のものとなる。 一時の対話を永遠へとつなぎとめる
著者と、それを再び時間においてくり返す対話者。対話篇を読む私とは、
そのようなもうひとりの対話者なのである。しかし、ソクラテズが従事する
生きた対話と、それを書きあらわした対話篇とのあいだに根源的な隔たりがある。
このギャップは、「パイドロス」で、エジプトの神々の対話という形をかりて
語られる、「書かれた言葉」への批判に現れる。文字が記憶と知恵のための
すぐれた発明であると自慢するテウトに対して、王神クムゥスけこう批判しる。
書かれたものを信頼することは記像力の訓練をなおざりにする想起の秘けつに
すぎず、それが与えるものは真の知ではなくその見かけにすざないと。 
書かれた言葉は、問いかけても何答えない。
 〜〜
 対話について、これだけ分かりやすく書かれているのものも珍しい。 
学生時代にプラトンの「ソクラテスの弁明」を読んでいたが、何を理解して
いたのだろうか。 字づらだけを見て、知ったつもりでいただけではないか?。
 反面、学生時代に寮にいたことや、ゼミや、クラブの人たちなど色いろな人と
一度限りの対話があった。その蓄積が人生の大きな基盤になっていた。そして
自分の壁を破壊してくれていた。現在、ツイッターが爆発的に広まっているが、
あれは会話?でしかないのか。それとも、人によっては対話になりえるのか? 
ブログでは対話が成立していると思うが!議論すること、書き留めること! 
その青さを持ち続けること!  チロリチロリだけでは、だめか?
 ・・・・・・・・
2938, イエスマン
2009年04月21日(火) 
 先々週にシネマに行ってきたが、そこで「イエスマン」という
面白そうな映画予告をしていた。そこでネットで調べてみた。 
  ーネットの紹介文には、
《 人生において常に「ノー」を連発してきた後ろ向きな男が、どんなときでも
 「イエス」と言うルールを自分に課したことから騒動が巻き起こるコメディー。
・・・ ある人に「もっとイエスって言わなきゃ」と言われ、半年間、“イエス”
と答え続けた経験を回顧録にまとめベストセラーに。スパムメールの怪しい
広告や平和運動への誘い、週末シンガポール旅行、車のセールス、すべてに
“イエス”。「もう1杯?」と聞かれなくなるまで飲み続けた。
ダニーはその日々を「とにかく楽しかった。楽しいパーティでも、つまらない
パーティでもいい人に出会える確率は同じ。パスしていたら始まらない」と振り
かえる。誘われたり、勧められたり、頼まれたり、あるいは決断を迫られたり・・。
..........
2574, 我々は 井伏鱒二の山椒魚?
2008年04月21日(月)
 山椒魚は悲しんだ。彼は彼の棲家である岩屋から外へ出てみようとしたので
あるが、頭が出口につかえて外に出ることができなかったのである。ー『山椒魚』
本文より?岩屋から出られなくなってしまった山椒魚が、孤独のあまり岩屋に迷い
込んだ蛙を閉じ込めてしまうという、井伏鱒二の「山椒魚」を読んだときの衝撃が、
今でも鮮明に残っている。学生時代に読んだ時の私の解釈は、「岩屋」を自分の
つくった固定観念と、因縁に縛られてしまった現実(生活レベルの環境)という
ことであった。岩屋に入った後に、自分の体が大きくなり、その入り口から
出れなくなった悲哀である。人生の縮図のようで、何か残酷にさえ思えたものだ。
身近な壮年・老人の一生が山椒魚に重なって見えたのである。家業に縛られた
長男、長女の立場も岩屋にたとえることが出来るが、ただ誰もそのことにすら
気づいてないのが、悲しいといえば悲しい!しかし考えてみれば、全ての人が
同じではないだろうか? (12年04月21日 字数制限のためにカット)


5149,閑話小題 〜家族という病

2015年04月20日(月)

  * 家族という病
 NHKアナウンサーだった下重暁子が『家族という病』という本を出した。
家族も、国家同様、共同幻想とみることも出来るが、「欺瞞を信じること」
が問題と、いう。 〜アマゾンの内容紹介から〜
≪ 日本人の多くが「一家団欒」という言葉にあこがれ、そうあらねばならない
 という呪縛にとらわれている。しかし、そもそも「家族」とは、それほど
すばらしいものなのか。実際には、家族がらみの事件やトラブルを挙げれば
キリがない。なのになぜ、日本で「家族」は美化されるのか。 一方で、
「家族」という幻想に取り憑かれ、口を開けば家族の話しかしない人もいる。
そんな人達を著者は「家族のことしか話題がない人はつまらない」「家族写真
入りの年賀状は幸せの押し売り」と一刀両断。家族の実態をえぐりつつ、
「家族とは何か」を提起する一冊。≫
  〜ビュアーからの投稿より(アマゾン)
【 世の中には口にすること自体タブーとされる領域がいくつかある。
 出生、能力、死、犯罪歴、宗教、遺伝、国籍などである。
本書は「家族はすばらしい」は欺瞞である、という斬新な切り口から
家族観における1つのタブーに挑んでいる。これまでにないテーマだけに
読後感は様々だろう。本書の主旨、提言などと全く無縁なまま一生を終える人は
ある意味安泰で幸福な人生かもしれない。しかし家族の中にも修復不能となる
アクシデントがなかなかの頻度で発生するものだ。配偶者との離別は無論、
血縁者間でも家族内崩壊は起きる時には簡単に起きてしまう。
 一家団欒を無邪気に肯定するのも悪くないが、ある種の読後感の悪さを
犠牲にしても筆者の視点に一度触れておく効用もあろう。
読み進むと上記の保険的効用だけでなく筆者のより普遍的な家族観を垣間
見ることができる。いかに生きるかは正しい死生観が前提となるように
正しい家族観には本書の主旨の理解が前提になるのかもしれない】
▼ 家族のあり方は、時代により変化していく。TVのインタビューや、
上記の内容を見る限り、納得する部分と、違和感を感じる部分がある。
国家幻想論を、その構成要素の一つの家族に当てはめると、これまた共同幻想
でしかないことが分かる。その家族の形態が情報化の時代の中で、大きく変化
を始めてきた現在、そのあり方を根こそぎ否定してみる必要がある。
 殺人事件の過半数以上が家族内殺人という現実がある。 商家の大家族の
末っ子の環境で、下目目線で家族を見てきた経験から、また両親から孫の
ように扱われたため、その温みが今でも残っている。それもあって、著者の論
は、あくまで一面でしかないことも見て取れる。 私の家族は、戦前、戦中、
戦後と、生き抜く中で、全員が病というより、戦傷の深い痛手を受けていた。
誰一人として、家族が素晴らしい!など思ったことはなかった。ただ自分ひとり
を守り、生きていくだけで精一杯。 この時代は誰もそうだったのだろう。
家族は素晴らしくあらねばは、占領国アメリカの洗脳の一つでしかない。
確かに家族は病であるが、魂の故郷でもある!家族が病と割切って良いものか?
・・・・・・
4784,閑話小題 ー倒産よもやま話 〜①
2014年04月20日(日)
  * 倒産よもやま話(三年後に思うこと)
 倒産など滅多にできない経験である。姉夫婦、兄夫婦の倒産劇を身近にみて、
相談にのっていたのが予備知識になっていた。お陰で、右往左往することなく
比較的冷静に対処できた。「人助けは、結果として自分のため」になる。
幼馴染が10年前に訪ねてきて、倒産の生々しい話をしていたが、姉・兄と共通
する点が、弁護士などの代理人をたてること。そのための資金を必ず確保する
ことを強調していた。それもあって、迷わず弁護士に依頼した。30年来の経理
事務所の合同センター内の弁護士に依頼することになった。兄の倒産も手がけて
いたので、内情を知っていたこともあり、順調に手順が進んでいった。 
無我夢中の渦中、何もかもが新鮮な体験で、ドラマの主人公のような気分。 
過酷というより、「痛・面白い日々」という感覚で、惨めとか、恥ずかしいなど、
思う余裕などなし。動物的本能が自らをつき動かしていた。 2011年3月30日
午後5時に、担当弁護士の主導のもと、弁護士二人と、女子事務員と、私たち
三人の役員が起立をして礼をした後、「これで会社は消滅しました!」と宣言。
その後、経理総務は全てが弁護事務所に引き継がれた。その時から、二人の役員
は弁護事務所の引継ぎと、資産処分の補佐になる。と同時に、私は倒産会社の
前社長。翌日の午前、弁護士と二人で、地元銀行に報告を兼ねた御詫びまわり。
午後からは、従業員への事情説明と解雇の宣言。その後は、取引先からの問い
合わせは一切なく、私個人の身の回りの整理だけ。そのため、40年近い事業
人生の緊張感が切れて、浮いたような軽い気持ちになる。数日間は、町内と、
取引先しか情報は流れてないため、普段通りだったが、一週間経ってから、
マスコミが騒ぎ出す。どのチャネルを回しても、倒産騒ぎ。それも、震災絡み
もあってか、日テレ「真相報道バンキシャ!」(毎週日曜18:00〜放送)から
自宅に取材依頼の電話。尾ひれ羽ひれが流される位は解っていたので、迷わず
断る。東北震災絡みで、数軒のホテルなどが廃業・倒産をしていたが、規模
から見て、当方が最大規模の為、あわや全国版ニュースになるところ。 
振返ると、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」で、「痛・面白い」など、とんでも
ない事態ではあった。時間が経つにつれ、記憶の書き換えをするしかない
典型的事例か! ーつづく
・・・・・
4417, 閑話小題 ー昨夜は高校の同級会
2013年04月20日(土)
  * 審判のミスジャッジ
 一昨日の巨人対阪神戦で、一塁審判が明らかにセーフのジャッジをアウト
にした。残酷なのは、走者の足が一歩先に塁に着いているのをビデオで何度も
流していること。後で注意勧告されるのだろうが。目から火が出る思いだろう。
恐らく、ビデオで流されているのだろうと気が気でないはず。甲子園の高校
野球で審判のミスジャッジを見かけるが、これも純真な子供の心を傷つける
ことになる。審判もミスをするが、致し方がないと割り切るしかない。
ビデオの方が人間の目より明らかに優れている。その結果の現象だが・・試合が
流れているため、ミスとしても後に戻せない矛盾がある。これと同じことが、
政治にもある。誰が見てもミスジャッジの政治判断としても、変えることが
出来ない。私利私欲や党略で、正当な判断が出来なくなり方向を誤ってしまう。
  * 昨夜は高校の同級会。
 昨夜は高校の同級会。幹事は気をゆるして酒が飲めない役回り。このところ
二回に一度は、私と幹事相棒Mの役目。別に好きでやっているわけでないが、
大学の寮とか、会社経営をしていた頃の宴会を含めると、間接を含めて二百回
以上は仕切りをしてきた。いや、もっと多いか。まずは盛り上げに役回りに
徹すること。酒を飲むのも一期一会。人生を振り返ると、いつも、「宴会ととも
にあった」。 気の合う相手であれば二人でも宴会。
 ネットの「日本大百科全書」によると、
≪ 酒や歌舞などを伴う高揚した心の触れ合う機会。宴とも饗宴ともいう。
また宴会の性格によって祭宴、祝宴、招宴、酒宴、狂宴などとよばれる。
一般に宴会は季節ごとの折り目や人生の節目に行われ、忘年会や新年会が年末、
年始という折り目に行われる宴会とすれば、子供の誕生祝いや結婚の披露宴は、
人生の節目に行われる宴会ということになろう。≫ 
とあった。以前は、各家ごとに料理をつくって御客を招待したり、料理屋で
宴会を開いたが、今では居酒屋の大部屋で開くケースが多いという。小・中学校、
高校、大学の同級・同期会だけは、最優先に出席にしてきた。同級会は魂の世界。
心の故郷が魂とすると、年々「遠き日は 年とるごとに 近くなり」というのが
実感できる。結局、家に帰ったのが一時過ぎ。
・・・・・・
4043, 一時停止 ー3
2012年04月20日(金)         
  * 出会い ーフェルメール 1967年     
「一時停止」 谷川俊太郎ー自選散文ー1955〜2010
≪ 私がほんとうにフェルメールを見たのは、その本物を見たときである。
本物を見たから、フェルメールが見たくなったのだし、旅に出ずに複製しか
見る機会がなかったら、もしかすると一生私はフェルメールに気づかなかった
かもしれない。現代の進歩した印刷技術は、複製と本物との差をだんだんに
小さなものにしてゆきつつある。複製で見ても本物で見てもそんなに変わりは
ないという絵画もあるだろう。複製を見ることが、本物を見ることにつながる
絵画もあるだろう。だがフェルメールはちがう。複製と本物との間に、越え
がたい断絶がある。 あたかもヴィニールの花と、野の自然の花とのように。 
あるいはこう言いかえてもいいかもしれない。本物を見ても、複製を見たのと
同じ感動しかなければ、私はその絵にほんとうに感動してはいないのだと。
そういう形で感動した絵は実は私にはまことに少ないのだが。 はじめて見た
フェルメールに感じた気持ちを、そのときの状態のままにことばにすりとしたら、
それは「ああきれいだなあ、ほんとになんてきれいなんだろう」ということに
しかならない。 美は人を沈黙させるという。その通りである。その沈黙の中に、
無数のことばにならぬことばがひしめいているのではないかと言う人もあるが、
少なくとも私の場合、そう言えば嘘になる。沈黙はもっと深く、ことばにならぬ
ことばなどといった不純なものはない。しんとした純正の沈黙なのである。 
ことばはずっとあとになってから、やっと重い腰をあげる。その時でもことばは
謙虚だ、ただいちばんふさわしいオマージュを捧げ、絵の美しさにほんの
少しでもあやかりたいと思うだけなのだ。≫
▼ 本物の絵画や美術品を数多く見てきた。TPOもあるが、その前で
立ちすくし、身動きが出来なくなる。ダビンチのモナリザ、サンピエトロの
ミケランジェロ作ピエタの像、ゴッホのヒマワリなどを目の当たりにした感動。
対象が浮き出てくるようなエネルギーが満ち溢れていた。 特にゴッホの
ヒマワリは、周囲に誰もいなかったこともあり、10分間ほど、釘つけになって
しまった。出会いである。そういえば、近じかフェルメール展が日本で開催される。
・・・・・・・
3677, 自己を見つめる −4
2011年04月20日(水)
    「自己を見つめる 」 渡邊二郎 (著)
 節目どきは、境遇の節目でもある。特に乗り越えることが不可能と思える壁に
直面した状況を「限界状況」と、ヤスパーが指摘している。 その限界状況に
「人生の不条理」に突き当たる。その時、それまで隠されていた真実が現れ出る。
節目を打つとは、人生の不条理を受け入れ目を背けないことである。
正中心一点無になり、変化を受け入れること。
  ー 第三章 境遇 ーから、抜粋
【 現在、変えることのできない定めを帯びた宿命的な境遇のなかへと投げ
出され、置き入れられて、人生の途上にある。その私たちの無に貫通された
現世における存在のうちには、宿命的な境遇のもつ変えることのできない定めが
刻印されている。ヤスパースが指摘するように、私たちの生存のうちには、
どうしようもない「限界状況」が巣くっていると言える。限界状況とは、
それに突き当たっては、私たちは挫折し、崩れ去る崩れ去るような、乗り越る
ことの不可能な壁に直面した状況を言う。そうした限界状況に面座して、
私たちは途方に暮れた困惑のなかで、解決しようのない自己の人生の不条理の
根源的事実に突き当たる。しかし、そのときにこそ、私たち自身の、ほんとう
の「実存」が目覚めてくる。実存とは、私たち各自の生存の、赤裸々な真実、
その拒否できない現実のあり方のことである。自己の実存を自覚し、それにも
とついて生きるよりほかに、この世を生きる生の根拠を、私たちはもたない。】
【 ハイデッガーが述べた通り、私たちは、それぞれ何らかの世の中に投げ
出されと「被投的」存在である。その「現事実性」を引き受けて生きて
いかなければならない存在である。その存在としての自己を生きていかなければ
ならない辛い気分を取り払い、重みや憂いを取り払い、それらを忘却させよう
という気晴らしや、慰めを求めて、無邪気な明るい朗かさ愉悦を、好んで受け
入れようとする傾向にある。しかし、そうした気晴らしが、瞬時の儚いもの
ということを骨身で知っている。その人生の底を見つめ、底知れぬ深遠を
予感し戦慄をする。その深遠が、「限界状況」の時に直面する実在である。】
  自己を見つめるとは、節目の境遇の人生の底を見つめ直すことと、
言われると、挫折体験を振り返ることになる。その意味で、挫折体験の中には
  多くの教えがある。 が、時間がたつにつれ、それを忘れてしまうのが
 人間の性である。そう人間、皆、馬鹿!
 ・・・・・・・
3312, ゴールドマンを訴追
2010年04月20日(火)
 1929年から始った世界恐慌では、その直接の仕掛け人達が多くが逮捕された。
しかし、これまで逮捕までされたという話は聞いてない。何か不思議な感がして
いたが、やっとSEC(証券取引委員会)が訴追に動き出した。アメリカは金融
マフィアが仕切る国でも、歴史に残る犯罪を、見逃すことは歴史が許さない。
以下は、毎日新聞の数日前の社説だが、毒入り債権を欠陥車に例えるとは、
トヨタの喚問もあったこともあり比較するに分かりやすい。
例え話は本質をより分かりやすく整理してくれる。
  〜まずは、その部分から〜
  = 毎日新聞社説: 「ゴールドマン訴追 金融危機解明の弾みに」 =
(字数制限のためカット 2011年4月20日)
・・・・・・
2937,レーシック専門眼科医院
 2009年04月20日(月)
姉三人が私と同じく強度の近視。その姉三人とも「矯正手術をうけて良かった」
という。知人の何人かが経験者、聞いてみると「白内障の手術時にレンズを
入れたが、出来たらやらない方がよい」と真剣にいう。 迷いに迷っていたが、
去年の半ばに、春先になったら決断しようかと決めていた。そして春は過ぎよう
としているので、 検索に「新潟 レーシック」といれたところ、何と自宅から
数分のところの所在地に「長岡眼科医院」が、あった。三年前ぐらいに出来た
(眼科らしくない)ミニ結婚式場みたいな医院があったが、まさか、そこが気に
していたレーシック専門眼科とは思ってもみなかった。本気にならないと
見えてこないものである。(字数制限のためカット 2012年4月20日)
・・・・・・・・・
2573, 「好き」という言葉の重み
 2008年04月20日(日)
「好きと嫌いじゃどれほど違う、命ただやるほど違う」という川柳があるが、
これほど人間の本質をあらわしている言葉はない。私も好みの激しい人間だが、
この感情は、何に由来するのだろうか。「あの男は好かん」とか、「あの女性は
私のタイプだ」とか、思うにつけて、その意味を考えたことがない?育ってきた
環境が似ているとか、教養レベルが同程度とか、趣味が一緒だとか。反対に
「俺は堀井が嫌いだ」と何人から言われたことか。でも、相手が相手だけに
心の底では?私の経験上からみて「嫌い」いう言葉は禁句である。いわれた方が、
それで一生恨まれるからである。犬でも猫でも、相性があるから、これだけは
如何にもならないことと割り切るしかないのか。私の好き、嫌いの基準は娑婆
経験の中からハッキリ自覚している。女性は長女、血液型A型、教養と品性があり、
顔はノッペリ。優しい雰囲気があり、明るい人である。大体、好きなタイプは
概ね、これを満たしていた人。興味のないタイプは、冷たいタイプで、神経質な
近寄りがたい正統派美人と個性的な自意識の強いタイプ。 殆どいないが!
コンプレックスの強い人。 犬でいうと、宅上犬タイプが好きで、シェパード、
コリーのような人は苦手。同性は、品性と教養のない人と、社会的な肩書き
だけで人を判断する人とか、チャラチャラした人は苦手。商工会議所、
ロータリー、ライオンズとかの人間関係に没頭している人種。
それと女性関係に派手な人。軽薄な二代目。 もう一度いうと、品性のない人!
それをいったら、地方では誰も相手に出来ない?とはいうが、それはそれでよい。
そういう御前さん、どうなの?といわれるが、他人に厳しく自分には甘い?
 ところで好き嫌いということは、如何いうことか?相性ということ? 
それとも持って産まれた先天的な本質。これだけは、どうにもならないこと?
好きなことを選んで、それを一生を通して追求することが、幸せと不幸の
分かれ目になる。好き嫌いが、先天的なものとすれば、この道理は正しいこと
になる。 神=自然が与えた本質的素養だからである。シカゴ大学の心理学者
ミハイリ・チクセントミハイによると、人間には“フローの状態"
と呼んでいる精神状態がある。(字数制限のためカット 2011年4月20日)
 


5148,閑話小題 〜原監督の休養

2015年04月19日(日)

    〜つれづれに ー原監督の休養
 巨人の原監督がインフルエンザで休んでから、俄然、巨人が負けなくなった。
これを知ったとき、「少し休ませろ!」と球団から命令があったと直感したが・・
監督本人に挫折経験が少ないため、中途半端な負けが、開き直りが出来ない、
そのことが選手の動揺を抑えることができないため。 捩れの要素として、
・安部を一塁専任し、キャッチに戻すことはないと断言したことが、彼にとって
 負担になったこと。その動揺が、他の選手にも大きく影響をしてしまった。
 またキューバの有名選手の不振も、これに呼応した。
・問題は原監督の耐用年数を超えてしまったことにある。元に戻って、監督を
 続けることになるが、これで今期で退くことになるのが決定的? 
・さらに毎年、各球団の良い選手を次々と入団してくるため、既存の選手が萎縮、
 監督。コーチに対し異常なほど神経質になるのは自然の理。特に負けが込むと、
 「二軍に落とされるのでは?」と、萎縮の連鎖が全体を覆うパターンである。
 村田、片岡、井畑、今年は金城、相川という名だたる選手が、次々と入団
 すれば、既存選手の出場機会が、それだけ減っていく。大田、矢野、中井など
 他球団に行けば間違いなく、即、レギュラーになれる選手が燻る病である。
とはいえ、この現象は、巨人の例年のパターン。交流戦を終えた頃には、何事も
なかったように、その地力が表立ってくる。病も時には必要である。
 さて、悠久山の花見でもいってきますか!
・・・・・・
4783,葬式は、要らない ー1
2014年04月19日(土)
          「葬式は、要らない」島田裕己著  
 葬式の希望を書きおく時期になってきた。現時点での希望の大枠は、
《 会場が3百メートル先のセレモニーホールで、直葬に近い家族葬。
 ごく身近な人たちだけにし、遺骨は実家の墓に。戒名は自作のものを
 仏壇の引き出しに。その後は、「墓参り仏教」に従うことなく、命日に
 それぞれが仏壇に手を合わせてくれれば充分。》 これだけ!
  内容(アマゾンより)
{ 日本人の葬儀費用は平均231万円。これはイギリスの12万円、韓国の37万円
 と比較して格段に高い。浪費の国アメリカでさえ44万円だ。実際、欧米の映画
等で見る葬式はシンプルで、金をかけているように見えない。対して我が国と
いえば巨大な祭壇、生花、高額の戒名だが、いつからかくも豪華になったのか。
どんな意味があるのか。古代から現代に至る葬儀様式を鑑みて日本人の死生観の
変遷をたどりつつ、いま激しく変わる最新事情から、葬式無用の効用までを考察。
葬式に金をかけられない時代の画期的な1冊。
  ーアマゾン読者のレビューよりー
・日本の法律で葬式が義務となっているわけではない。医師に死亡診断書を
 書いてもらい、役所に行って死亡届を提出、埋葬許可をもらう。決まって
 いるのはそこまで。遺体の処理については墓埋法で、
1.死亡後、24時間経たなければ、埋葬も火葬も行ってはならない、
2.火葬は火葬場以外で行ってはならない、
3.埋葬は墓地以外で行ってはならない、とされるのみだ。
 焼いた遺骨をどこかに撒くのなら、葬式もいらなければ、墓もいらない。
 宇宙葬の費用ですら100万円である。もっとも現実には葬式を行わない
 ケースは少ない。人は誰かかかわりあった人が亡くなれば、その死を確認して
 けじめをつけたい。葬式への参列ほど明確なけじめの機会はない。ただし
 葬式を出すことと、葬式に多額の費用をかけることとは直結しない。
・家族葬は近親者だけで行う規模の小さい葬式全般を指す。以前は密葬と
 呼ばれていた。通常なら通夜と葬儀・告別式で二日かかるところを、一日に
 まとめたワンデーセレモニーという形式も生まれている。もともと通夜は
 近親者だけで営むものという感覚があり、一般の会葬者が参列するのは葬儀・
 告別式のほうだった。結婚同様に、葬式も組織の儀式から個人儀式へと変化
 してきた。昔は商家も農家も家は生産や経済活動の単位であり継続が不可欠
 だったが、サラリーマン化が進むことで、養子をとったり婚外子を作って
 まで家を存続させる必要がなくなった。 自営業の場合なら家の存続が重要で、
 伝統的な祖先崇拝の信仰を取り入れる傾向が強く、喪主になるのは後継者
 であり、葬式は後継者を披露する場ともなる。 が、サラリーマン家庭の場合
 は家は生活の場でしかない。永代供養墓は跡継ぎのない家が増えたことで
 生まれた供養形態。墓を求める際に永代供養料として一定金額を払うことで、
 墓守となる跡継ぎがいなくても、寺が命日に読経するなど供養を続けてくれる。
・直葬は密葬、家族葬の一番簡略化された形態だ。現在、東京では20%が直葬。
 直葬では、故人の遺体を寝台車に乗せ、自宅や葬儀社が用意する一時的な安置
 場所に搬送し、とりあえずそこに安置。そこで納棺し近親者だけで通夜をする。
 会葬者は呼ばない。翌日、霊柩車で火葬場へ出棺する。そして、やはり近親者
 だけで故人に別れを告げ、遺体は荼毘に付す。最後に、収骨、骨あげをして
 葬式は終わる。直葬の費用は多くとも30万円ほどで、僧侶に読経を頼んでも
 50万円以内でできる。もっとも簡素な形式を選んで近親者だけが集い、
 会食もしなければ10万円程度で済む。
▼ ますます直葬、家族葬が増えることになるが、長く続いてきた家族中心から
 個人中心主義になる御時世では当然の流れ。これが不景気になるほど、簡易な
葬式が増えてくる。直葬、密葬を宣言してしまえば、残された者は楽。
私の墓は、このブログ。閲覧は墓参りのようなもの。 
時どきの墓参り、本当に有難うございます。
・・・・・・
4416, ふしぎなお金
2013年04月19日(金)
                 「ふしぎなお金」 赤瀬川原平著
 子供用の絵本だが、人は当たり前のように使っているお金について、あまり
考えない。お金は自由の、エネルギーの、塊。日本人は金を不浄なものと考え
がちだが、お金は血液のようなもので、人間にとって非常に大事である。 
人を生かし、また殺してしまう力を持っている。 子供に諭しながら、実は
大人に語りかけている。 ーまずは、印象的な部分を抜粋ー
≪ *「冬のバーやレストランで、席につく前に、「コートお預かりします」 と
 いわれて、なんなドッキリとしないだろうか。だってコートの内ポケットには
 拳銃が入っている。それをそのまま預けて大丈夫なのか。というほど錯覚を持つ
 ほど財布は拳銃に似ている。だから「貴重品はよろしいですか」といわれると、
 何だかもっていかれるかと思って、その護身用の拳銃みたいな財布を、身近な
 ポケットに移し替える。でも移し替えながら、どことなく後ろめたい、とうより、
 どことなく情けない気になる。「お前はそんなに相手が信用できないのか。
 そんなに拳銃なしで丸腰に、なるのが怖いのか、という`声が追いかけてくる。 
 そういえぱ、昔の西部劇映画には、ガンペルトそのものを外す場面があった。
 宿について、あるいは自分の家に戻って、外敵なし、大丈夫、という状態で
 はじめてガンペルトを外して椅子の背に掛ける。ガンマンがくつろぐ一瞬。
 ところであのガンペルトとは、実はむき出しの現金を装着したベルトなのだと、
 そんな感じがしないだろうか。ガンマンはその現金でいつも勝負している。
*「日本の場合は刀の大小だ。明治以前、武士はみんな刀を差していた。
 男子、一歩外に出れば七人の敵、といわれるくらいで、刀の大小を肌身離さず
 持ち歩いていた。刀は護身用であり、権威でもあるところは、やはりいまの
 お金に似ている。武士の世界の文化の一つに茶の湯があった。招かれて行く
 お茶室には、小さな躍り口が設けてある。あそこを入るには腰の大小を外して、
 外の刀がけに欠けねばならない。武士はみな一瞬、躊躇したのではないか。
 財布は刀やピストルと違って、人を殺める道具ではないのではあるが、人は
 金のために人を殺したり、金のために自分の首を吊ったりして、金はやはり
 隠然たる凶器の光を忍ばせている。拳銃も財布も、緊張の物件である。
 いざとなると拳銃をぶっ放すように、札びらを切る。でも「いざ」とならない
 ときは、それはそっとボケットに仕舞われている。昔よりも落ち着いた現代
 社会では、さらに奥深くの内ポケットに移行している。」
*「足元にお札が落ちている。それを見たとたんにハッとする。千円札の四つ
 折りにしたわずかな面が見えているだけでも、何か異様にハッとするのは何故
 だろうか。足元に血が垂れている。それを見たとたんにハッとする。ちょっと
 した赤い液体なのに、何か異様にハッとする。見てはいけないような、
 一歩踏み込んだ秘密を見てしまったような、緊張感が走る。」
*「人間の血はだいたいみんなと同じで、成分にほとんど違いはないが、
 自分の血は自分のもので、自分の体内に密閉されている。でも場合によっては
 人助けで献血をする。場合によっては寄付したり、プレゼントしたり、投資で
 失くしたりする。」 
*「お金も血も、命にかかわるエネルギーの源である。流体である。
 生臭いものである。でも、輝いている。いきなり見せられるとドキリとする。
 プライベートでありながら、共有のものでもあるところが不思議な関係。」 
▼ 財布を拳銃に、そして刀に喩える切り口がよい。撃たれ、切られたとき、
 血が吹き出る。それからみて金はエネルギーと同じ。一万は一万の、一千万は
 一千万、一億は一億のエネルギーがある。無駄を廃し、使うべきときは使う、
 それが金の効用。
・・・・・・
4042, 世界の旅行記101 ー3
2012年04月19日(木)
   * 旅行記は、旅人により再構築された言説
≪ 旅行という行為や、そこでえられた環境や状況についての情報は、言説
 として再構成されている。おもいもかけない発見や探索、あるいはそれに
出会った旅人の心象や思考は、旅行記という形態に定着させられるときに、
一定の文スタイルやデザインを採用する。 文章のかたちをとるという点から
みれば、「文体」といいかえてもよい。見聞され体験された隔遠の地における
非日常の事実は、旅人の言語に変換され、日常の世界に発話される。著者と
読者とが共有する表現と読解のルールにもとづいて旅行記は書きおろされる
「言説」といったのはそうした意味においてである。 旅行記は、旅の事件記録
性を検証するよりもまえに、言説そのものの解読作業がほどこされねばならない。
旅程のすべてを記載できるわけではない。見聞された事象すべてが、偏りなく
叙述説うるわけでもない。しかも、だれにとってもひとしく共有される述法の
ルールにしたがって。 そうではなくて、旅行記は、旅人が旅先について投射
した特定の視線が、対象のうちに読みとった文脈にかんする言説である。 
使用される語彙もシンタックスも、そしていますこしふみこんでいうならば
価値感覚も、言説として独自の完結を実現している。別のいいかたをすれば、
中世ヨーロッパ人と近代アメリカ人、古代中国人と現代日本人は、それぞれに
採用する言説の方式はことなっている。いや、著作者の身分、出自、性別、教養
のちがいによって、同一物にいての言説は別個のものになりうる。 ≫
▼ 旅先の情報を言説として再構築したのを旅行記とすると、書き手の特定の
 視点こそ注目すべきである。それが旅行記の特性であり、面白さになる。
だから、この101の旅行記は、101人の特異体験を記した事件簿として垣間
見ると分かりやすい。それぞれのクロス・エンカウンター(因縁)が現れ出る
から面白い。人生の記録も、それぞれの特異点の旅行記に酷似している。
 ・・・・・・・
3676, 自己を見つめる −3
2011年04月19日(火)
           「自己を見つめる 」 渡邊二郎 (著)
 「時間」は簡単のようで、難しい。心の中は、時空をこえた多くの思いで
満ちている。特に多くを経験した熟年期に差し掛かると、思いは過去に向かう。  
そこには現在の知覚と直感で彩られた抽象画としてたち現れてくる。
豊かな経験なら豊かに、逆なら逆として! 生きてきたとおり、人生は自分に、
その姿を突きつけてくる。  ー 第二章 時間 ーより
【(p45) 私たちの心は、アウグスティヌスが言ったように、たえず
 なんらかの出来事を記憶し、知覚し、期待するという働きを、本質的に
具有している。記憶は、過去の出来事に関わり、知覚は、現在の出来事に関係し、
期待は将来の出来事に向けられ、しかも、それら三つが別々にあるのではなく、
むしろ、私たちの心のなかに、それら三つのものがすべて取り集められる。
 したがって、「過去のものの現在が、記憶であり、現在のものの現在が、
直観であり、将来のものの現在が、期待である」とアウグスティヌスは言った。 
いわば心という大きな現在のなかに、過去の追憶と、現在の印象と、将来の
予期とが、すべて取り集められているわけである。たえず現存し続ける
その大きな心が、うしろを振り返って追憶に浸るときに、過去が浮かび上がり、
いま周囲を注意深く見回すときに、現在が印象深く迫ってき、行く末を思って
期待や予期に心を震わせるとき、将来が思い描かれるのである。 時間とは、
このように、振り返ったり、見回したり、行く末を思ったりする心の働き、
 すなわち記憶や追憶、知覚や直観、期待や予期といった心の作用に由来する
わけである。逆に言えば、大きく静かで揺らぐことない「立ち止まる今」と
いう現在の心の場、いわばそうした明鏡止水の心眼という現在の鏡のなかに、
さまざまな過去と現在と将来の出来事が映し出されてきて、それらが追憶され、
知覚され、予期されるとき、そこに、それらの出来事が、過ぎ去り、現れ、
到来する時間の諸相において意識されてくると言えるであろう。】
▼ 現在置かれている、この節目どきに、これまでの記憶と追憶と、現在立た
 たれている分岐点、そして、これから予期されること、その三つが、心の中で
濁流のように渦巻いている。この自分の中に、多くの節目があって、それが
現在という幅のある時間の中で自分という確かな存在が見えてくる。これは
晩年期に差し掛かった人間に共通しているが、心が、これほど激しいものと。
人は生きてきた、そのままに老いるとは、その意味である。 現在は、
その「立ち止まる今」である。 それでも時間は止まらない。
・・・・・・・
3311, 笑われ力  −3
2010年04月19日(月)
「 笑われ力 」 太田 敏正 (著) 石原 壮一郎 (監修)
  ー次に、なるほどと合点した箇所を抜粋し考えてみる!ー
*「笑われ上手」に「背伸び」禁物
 ・まずは「私は凡人」とみとめる。
 ・「みんなをリスペクト(敬う)する。
  そう思えば、自分の中の良い部分も見えてくる。
 ・笑ってもらえたら「笑ってくれてありがとう」という気持ちを
  持つこと。この一歩下がった気持ちが必要となる。
*「笑われ上手」の下ごしらえ、をつくっておく
 ・「ダメな自分物語」を多くつくっておく。出来るだけ短くまとめておく。
  失敗したその場でつくる。
 ・もったいぶらないで、いきなりクライマックスの話を話題に出す。
 ・キーワードを決めておく
 ・一度、物語を用意したら、あとは白紙の状態にしておく
▼ 20年前から10年前にかけて、かなり遊び人の不動産屋の社長と古町を、
 飲み歩いたことがあった。小料理屋や、スナックなどで、話術の巧さに驚き、
花柳の世界を垣間見た。芸者を相手の粋な遊びは今では夢のようである。
あれから10年も経ってしまった。彼には、ここに書いてあることは、ほぼ
身につけていた。決して他人の悪口や話題をしないのは、当たり前。
自分の昔話も成功談が一割、失敗談が九割。芸者に三味線を弾かせて
都都逸など一ひねりなど、粋な遊び方等など。話術も自分を嫌味なく下座に
おき笑わせておいて、実は笑わせている妙は場数のなせる技(業)こういう
時代になればこそ、「やれる時にやれる事をやっておいて、良かった」と実感!
(逆に遊び過ぎ?もあったか)「ダメな自分は、嫌な自分ではない」、これが
笑われ上手のポイントと著者がいう。 笑われ力は、自分の中のダメな部分や
矛盾を笑ってもらう力であり、相手のタイミングで「笑われネタを」提供する。
それが受けたからと言って、もっと笑わせてやろうとか背伸びするのは厳禁。 
あくまで相手と場のタイミングに合わせるのだ。
  その「笑われ力」のきほんステップとは
1、「ダメな自分」を見つける 2、「笑える部分」を特定する 
3、自分で笑い飛ばしてみる 4、笑顔で他人に話す     
5、その結果「心地良い笑い」が生まれる 
 落語の「まくら」では、名人の域に達した人ほど、上手い。
「駄目な私」のネタなら膨大な蓄積がある! ったく。カミサンに耳にたこが
出来るほど指摘されている。 大きな経営者大会で講演者が「女房は亭主をバカ
にする動物である」と言った時、会場が異常な爆笑があった。大きな会社の立場
の人ほど家ではバカにされているのだろう!良いように出来ている。
・・・・・・
2936,「NHKの世界同時不況の双方向解説」を見て
2009年04月19日(日)
 昨日の土曜日の午前10時に、NHKの「そこが知りたいー世界同時不況・危機
への対応は十分か?」は、9人の解説委員による、伯仲した議論と、その合間に
視聴者の意見や、世界の識者の論説を挟んだ、見ごたえのある内容だった。
 ーまずは、NHKのHPの紹介文から
 (以下、字数制限のためカット、2012年4月19日)
▼ 解説委員ということで、同質の意見が多かったという感は免れなかったが。
・100年に一度の経済危機なら、100年に一度の対策をたてるべきだが、
 それが感じ取れない。
・非常に深刻な事態である。大量に輸血しないと患者が死んでしまう
 という共通認識はある。
・アメリカと中国のG2が、今後大きな役割を持つ。
 ロシアと中国をプラスしたG9も必要。
・視聴者からの質問で、「100年に一度の経済危機というが、世界恐慌と
 いわない何故か?」に対して、「GDPの落ち込みは、1929年の世界恐慌と
 同じだが、失業率は25パーセントに対し、10パーセントで収まりそう。 
 今回は世界の経済政策の協調があるところが前回とは違う。
 従がって、まだ世界恐慌に入ったと認識されてない」
 の答えであった。 実際は、10年〜20年後に振り返れば、
 今回の方が遥かに大きいはず。
・アメリカを中心に世界経済を引っ張ってきたが、今後は、新興国に中心が
 移動するターニングポイントではないか。今後はアジア中心の経済モデルを
 作るべきである。
・ドルに替わる基軸通貨は10年20年単位では出てこない。
ー以上、印象に残った部分のメモをまとめてみたが、それほど大したことを
 言ってはいない。今回の恐慌の概要を知らしめ続けるには、良い内容だが、
 NHKの立場もあって、過激な現実を報道ができないこともあろう。


5147,1%による1%のための勝利戦略 ー②

2015年04月18日(土)

      【金持ちが確実に世界を支配する方法】スーザン・ジョージ著   
 〜内容紹介〜  
  〜ネットにあった概要の後編より
≪・本書の前半では、「第1回報告」(これも架空)を振り返り、社会、経済、
 環境問題の展開を検証する。後半では、「階級闘争必勝戦略」の提言を行う。
「階級闘争必勝戦略」は、投資家で世界第三位の大富豪ウォーレン・バフェット
の2006年の発言、「階級闘争があると言いたいなら、そう言ってもいい。しかし
戦いを仕掛けているのはわれわれの階級、金持ち階級のほうで、勝利は目前だ」
から取られたものであり、1%の野望をはずかしげなく洩らしている。
・本書によれば、リーマンショックにもかかわらず、1%への富の集中は進んで
いるので、彼らが仕掛けた階級闘争は順調。彼らの「必勝戦略」は、ひたすら
99%を洗脳する事と、言い変えると「文化的乗っ取り」あるいは「メディア戦略」。
「民主主義をお払い箱に」にし、人権を縮小し、自由競争や自己責任の言葉の
連発で、新自由主義に洗脳することが、1%層の宿願である。
・本書の架空の作業部会が、日本の採点をするとしたら、世界の優等生として
褒めてもらえそうである。福祉(医療、年金、生活保護)の切り下げ、消費税に
よる99%層への収奪、一方では大企業への減税の大盤振る舞い、経済格差の進展、
実所得の低下、子どもの貧困率のさらなる悪化、東電福島原発事故の発生と
その被害者の切捨て、秘密保護法の制定、集団的自衛権行使への動きとそれに
伴う軍需産業の動き、国民を犠牲にしても自由貿易を拡大しようとするTPP推進、
ますます政府の広報機関と化している新聞・テレビなど、日本で進行中の動きは、
本書が暴き出した「1%による99%支配の強化」の日本版と読替えれば、すべて
納得がいく。本書は、日本での動きが、世界を席巻するグローバリズム
(新自由主義化)の一環であることを改めて教える。
・本書の性格上、99%による1%への対抗戦略は書かれていない。1%が何を考え、
そのためにどのような手段を使っているか、を寓話形式で知らしめることが
目的だからである。99%が明日からでも実行可能な、1%への対抗戦略については、
ジーン・シャープ著『独裁体制から民主主義へ』がある。≫
▼ この政策を実行するに、3つのS戦略が重要としている。 スピード
(すばやく)、セクレシイ(知らせず)、ステルス(水面下)である。これに
サプライズも加えることができるという。中国は、彼らと同じ体質を持っている。
この傾向は、短期間で達成している。地中海クラブに住む劣等国民には、憎悪
すら感じている。彼らは身に合わない生活をしてきたため、債権は、他の国が
払うべきと信じて疑わないが、これも時間の問題。アフリカ、中近東は、彼ら
の手先の一部王族が、天然資源を独占、営利を貪っている。それがIS国として
大きなウネリとして支持を得ている。世界は、1%の人たちのためにあるようだ。
・・・・・・
4782,大不況には本を読む
2014年04月18日(金)
  * 「本書のまとめ」      「大不況には本を読む」橋本治著
 今さらだが、時代を鳥瞰するにクリアーで解りやすい。 ー(P183)
《【十八世紀の後半に起こった産業革命は、それまでの世界のあり方を変えて
しまった。その新しくなった"世界秩序"が日本にやって来て、日本は150年前に
開国した。開国した日本は、その時の世界秩序にのっかって、見事に成功した。
成功して行き過ぎて、第二次世界大戦とバブル経済という二度の破綻を経験した。
成績トップになった優等生の日本は、それゆえに"見事な破綻"を経験するが、
その他の国はまだそこまで行っていないので、相変わらず"産業革命以後の体制"
は健在だったが、今度はアメリカが新たな破綻にぶつかった。産業革命以降の
体制は、アクセル全開の自由貿易主義だったが、そのこと自体にブレーキが
かかってしまった以上、改め"ブレーキをかけることの意味"を理解した方がいい。
 そんな世界的なあり方は、″会社の仕事に追い回されて、自分及び自分の家族
やその周辺のあり方を省みない゜という日本人のあり方にシンクロする。自分の
あり方を省みるために、もう一度‘本を読む’というところに立ち戻ったらいい】
 この考え方をエコノミスト的に裁断すると、私は「保護主義のイデオローグ」
ということにもなるが、私はエコノミストではない「人間のあり方に立脚する」
文芸関係者なので、「そりゃお門違いだろう」ということにしかなりません。
 バブル経済へ向かって進行する中で、いくつもの誤解は生まれましたが、
「経済が分からないのはバカだ。物事は経済的見地’にのっとって見なければ
ならない」ということになってしまったのも、その一つです。 経済の方で
「保護主義的」と言われるものは、「人間のあり方に立脚する」立場からすれば、
「人が生きて行くために押さえておかなければならない基本」でもあって、
だからこそ私は、経済の方では「保護主義的」と言われるものを「自立」と
関連づけるのです。「金儲け」のことをあまり考えない、その能力があるとも
思えない文学や思想、哲学といったもの ーつまり「文学」「その他」は、
「働いて金を稼ぐ」に代表される現実生活のことを、ともすれば忘却しがちです。
 ・・・ 2008年秋以降の・金融危機・経済危機はそれで、「破綻してよかった」
でもあります。しかし、でありながらも「世界」の方は「豊かさの達成は進行中」
という前提に立って、相変わらずの「富の均質化」を求めます。だから、輸出量
や輸入量の調整は求められるのですが、この「調整」の向う方向は、一つです。
「豊かである国の、既に達成された豊かさを目標にして、世界中を均す」です。
既に経済危機で「豊かな国の豊かさの基準」はぐらついているのですが、世界が
「豊かさの達成はなおも進行中のはず」という前提に立っている以上、目標と
される基準値は「豊かな国の豊かさ」です。そしてこれは、「工業に追い抜かれ、
工業にすがりついて追いつこうとする農業の哀れさ」と同じ質のものなのです。》
▼ 大きな節目時に、読書をして行間を読むしかない、ということ。
 特に、アメリカの露ばらいをさせられた日本こそ、新たな解決をしなければ
ならない。「経済の自立=保護主義的になりざるをえない、という基本を押さえて
おくこと」には、考えさせられる。日本は明らかに衰退の道を歩き始めた。
しかし、現実をみると、誰も直視しない。そのツケは、株価と国債の暴落という
突然の崩壊で生じることになる。日本は近い将来、豊かさとは、かけ離れた国の
悲哀を味わうことになる。150年の間の政治経済のマクロの流れを振り返り、
今後の方向性を見つけることは至難の業だが、それでも見つけ出すしかない。
「普通の国」が、キーポイントだが、地政学的に見て、日本は中国とアメリカ
の間にある海洋国家。その辺りが鍵になる。今後10年間は、これまでの10年間
より遥かに厳しい事態になる。この20年間の変化が、10年間に圧縮して襲い
かかるとしたら、考えただけでも身震いがするが、興味もそそられる。
気の毒なのは、若い人たちである。
・・・・・・
4415, 余生を過ごす場所は?
2013年04月18日(木)
  * 今の場所で快適に過ごす工夫を!  「知的余生の方法」渡部昇一
 余生を過ごす場所は、生れ故郷か、はたまた別荘地か、海外か、そのまま現在
住んでいる場所か、迷うところ。著者は、現在住んでいる場所こそ「ふるさと」
と思い、別荘地など考えずクーラーでも入れ快適にするなど工夫すべきという。
「住めば都」で、心地よく住んでいるところが、いなかと諭す。ーその辺りよりー
≪ P・94 英語では一般的に「ふるさと」は単にホームという。イギリス民謡の
『埴生の宿』の原題は‘Home,SweetHome’だが、このホームがそうだ。ホームは
単なる「住み家」「生まれた場所」という意味に過ぎない。そこから懐かしさを
伴って、「ふるさと」をあらわすようになり、「家庭」を意味するようになった。
だから、「ふるさと」と「家庭」が相通じ、切り離せない関係にあるといえる。
そこには父や母がいて、昔の日本の田舎でいえば、囲炉裏を囲んで話をする風景。
そのホームも、今では崩れつつあるようだ。 ローマ時代からの諺に
「自分がうまく生活しているところ、そこがホーム、つまり自分の「ふるさと」
「故国」という意味である。これは言い得て妙で、都会暮らしの生活者にとって、
救いになる言葉である。田舎から東京に出てこようが、海外に移住しようが、
そこで成功し、そこで良い暮らしをしていれば、その土地こそ「ふるさと」である。
都会でうまく生活しているなら、都会こそ自分の「ふるさと」と腹をくくるべき。≫
▼ 思い切り移住するのも悪くないが、そのまま居座るのが自然。私のように、
 ブラックスワンの御蔭で、肩身が狭くても、「平気で死ぬのが悟りでなく、
平気で生きてこそ悟り」と、自分に言い聞かせ、割り切れば別に何とことはない。
 ソフト・ランディングだったこともある。しかし、5億、10億の現金があれば、
軽井沢のマンションか、ハワイを考える。としても、現在と大して変わりはない。
いや、違うか! 天使の様に、肩に羽をつけ、浮いたように生きればよいだけ。
 フワフワ生活するのはお手の物。いずれにしても死んでしまうのだから、
今を楽しむしかない。場所は二の次? 改善でよい。
・・・・・・
4041, 世界の旅行記101 ー2
2012年04月18日(水)
  * 旅行記は事件簿でもある
 はじめにー旅行記を読むということーの冒頭が、旅行記の本質をついている
≪ 古今東西、旅をする人たち、旅を愛する人たちは無数に存在した。そして
 無数の旅行記、紀行文が書かれた。どうも旅という非日常の行動は、文章の
起草をはげしくうながすものらしい。いろいろの旅行記がある。任務をもって
旅したものであれば、復命書を。さだめなき漂泊の旅にでたものであれば、遍歴
の跡をしるす随筆を。どれも当の本人にとっては、記録としての重みは、ひとしい
だろう。だが、旅行記を読む側からすれば、自から興趣には軽重の差がある。
「読み甲斐」のある旅行記とはどんなものであろうか。まず考えられるのは、
旅そのものが、冒険や危険にみちている場合。 安穏として、ほとんど日常の
域を出ない旅とはちがい、未知の領域や未踏の領野をゆく旅は、つねに発見と
遊遁にみちている。ドキドキ、ワクワクの連続は、旅する本人とともに読者をも、
不安と興奮にまきこむ。探検記、踏査記が長らく愛読されてきた由縁である。
 旅は始点と終点とがある事件であるとすれば、旅行記は事件簿でもある。
そこにふくまれる小事件のつながりが、どれだけ起伏にみち、意外性にあふれて
いるかによって読者へのアピールはことなる。実際には、みずからその事件に
参画することは困難だが、そのアピールをうけいれ、旅行記とともに旅という
事件を追体験する。おそらくは、なにがしかの潤色がほどこされるではあろうが、
旅は現実に存在した事件であるだけに、迫真の体験が身にしみる。アームチェア
で葉巻をくゆらせながら読むものも、通勤の電車内で文庫本に読みふけるものも、
旅行記から、かの体験をうけとるだろう。ときには、身にうずきを感じ誘われる
かのように、みずから旅への計画にむかうこともあろう。
旅行記の効用は、じつに広く深い。≫
▼ この事件簿は大事件の膨大な資料が詰まった代物。それぞれのダイジェスト
 は50数人が書いたのを編集したもので、紀元前から近代まで至っている。
2〜3ページに纏められているので、軽く読めるし飛ばし読みもできる。
2千数百年にわたる時代の世界各地を、それぞれの目線を通したフィールドワーク
を編集しているから、面白いはず。とはいえ、ダイジェストはダイジェストだから、
これを手引書として各書を読むと良い。旅という非日常から、旅先の日常を垣間
見るのも面白い。 私たちの生きている世界が、いかに極小で、特異ということ
にも気づかされる。 私たちは最高の特異の時代に生きてきた!のである。
・・・・・・・
3675, 節目どきに ー8
2011年04月18日(月)
  * 体重が減り始めてきた!
 毎朝のウォーキング(サイクリング)を20数年間続けてきたためか
体重は標準である。ところが、ここでスポーツジムに通いだしたため? 
半月で学生時代の体重まで落ちてきた。心労もあるかもしれないが、これは
明らかに運動効果である。入会時にジムの人に計ってもらった肉体年齢が私の
肉体年齢より11歳も若かったのに驚いた(54歳)。長年の早朝のウォーキング
の蓄積が肉体年齢を若くしていたようだ。 肉体的には健康的な日々だが、
精神的には、どうだろう。
  * CTスキャンは大量の放射能を?
 CTスキャンの被爆量が胸部レントゲン写真300倍に匹敵し、数十年後に
がん発症リスクは被爆で高くなるという。私など毎年の検診で20年近く
CT検査をしているので、大量の被爆をしていることになる。そろそろ被爆の
結果が出てくる頃。知らないことは恐ろしいことである。チャンとした説明を
受けていれば、三年に一度位に減らしていた。 しかし適当な被爆なら、
細胞が活性化して、むしろ健康によいとも言うが。
  * 今でも、私にとって3月11日が止まっている
 TVの画面で、被災地の中年女性の言葉が印象的だった。 
「私にとって3月11日がそのまま止まっている。毎日が、そのまま3月11日の
繰り返しで続いている」と。 そうだろう、被災者にとっては、あまりにも、
その日の出来事は大変事で、その日をもって生活環境が一変してしまった。 
被災者の一人が、「ここにいる殆どの人たちには、生死の境目にいて、九死に
一生を得たドラマがある」と朴訥とした言葉で話していた。現在進行中の原発
事故が、今だに、この災害が終わってないことを告げている。我々が自覚して
いるより、遥かに危険な状態の置かれているが、まだ、序曲。 
そういう私も、震災ショックによる何の被害者である。
・・・・・・・
3310, 笑われ力  −2
2010年04月18日(日)
     「 笑われ力 」 太田 敏正 (著) 石原 壮一郎 (監修)
 笑われることができたら、会話も人生もラクになる!
 笑われ力: 飾らず、威張らず、強がらず、素の自分をさらけ出せる力。
「笑われ力」では、まずは「恥ずかしいこと」を全面的に認める。そうして
しまえば、まわりもそれ以上バカにできない。恥ずかしいという感情そのものを
曝け出すのである。 私は、平気でサエゼリアに行くし、その話をする。
サエゼリアが値段からみて価値がある思うからである。世界中の郷土料理を
食べてきて味に対する自信があるから、言えること。気楽に入る安いイタメシ屋
を小ばかにする方が野暮というもの。SC内のスーパーより安いのだから。
あれはファーストフードとみた方が分かりやすい。その辺の出来損ない?
のイタメシ屋と比べる方が無知といういうもの。 美味くなくていい、
不味くなければ。日本料理も、居酒屋料理も、フランス料理も、中華料理も
食べつくきたので言えるが。 週末などの外食は2千から5千円の店で充分。
もちろん二人で! 「笑われ力」も、実は、それと似ているのではないか。 
笑いで周囲に安らぎを与えることが出来れば、それが73パーセントの
「おとな力」の要素として、当人にプラスになる。「笑わせ力」を身につける
より「笑われ力」を伸ばす方が簡単。笑われる欠点を自分がよく知っているから。
人間の本能が「笑い」を求めている。もし「笑い」がなければ場は息苦しい空気に
包まれる。「笑い」が醸し出す「心地良さ」が、その場を良くする。
注意しなければならないのが「笑わせ力」である。ひとつ間違うと笑いの強要
になり、シラケを生む。無理をすると、タチの悪い「笑い」になることが多い。
特に第三者の失敗の話題で笑いを誘う「邪悪な笑い」は特に注意。 
著者は、 笑われ力をつけるには、準備が必要という。 まず、
・ダメな自分を集めてみる
 *過去:失敗談 *現在:無知、悩み、コンプレックス、苦手 *未来:妄想
・そのネタを次の公式(ネタ*表現)に当てはめて話をする失敗話、コンプレックス、 
 悩み、 勘違い、 なら幾らでもある。ただ、ヒタスラ隠してきただけ。
  (字数制限のためカット、2012年4月18日)
・・・・・・
2935,わが人生最良の瞬間 ー2
2009年04月18日(土)
 一番、具体的に納得した「人生最良の瞬間」は小野田寛郎の
「29年後の終戦記念日」である。 彼にとっての終戦日は、昭和20年8月15日
でなく、その29年後であった。その間に死亡した二人と共に、ジャングルの中で
命令に従い戦い続けたのである。終戦直後から「降伏命令」のビラがまかれて
いたが、彼等は信用しなかった。そして29年後に彼を捜しに来た冒険家の鈴木
と遭遇した時も、フィリッピンの掃討兵と思い殺害しようと接近したが、思い
とどまり話をしているうちに、「命令解除の命令書を持ってくれば投降すると」
と、ボールを投げた。それを持ち帰った元上官がやってきて残留命令と任務解除
と投降命令を受けた。その瞬間「なぁんだ」と思ったという。・・投降という
ことは、それは死を覚悟したもの。・・ところがフィリッピン軍のレーダー基地
に着くと、捧げ銃の敬礼で迎えられた。捕虜にそんな礼を尽すわけがありません。
さらに面会したランクード司令官も、投降の意味で差し出した軍刀の受け取りを
拒否しました。そして翌日、マラカニアン宮殿で会見したマルコス大統領がこう
話したのです。「我われは、それぞれの目的で戦った。しかし戦はもう終わった。
私はこの国の大統領として、あなたの過去の行為すべてを赦します」 
もう疑う余地はありません。昭和49年3月11日のその瞬間に私の身柄と生命は
保証され、「私の戦争」は終わりました。帰国のためにマニラ空港を出発する
私に、フィリッピン空軍の軍楽隊が日比両国の国歌と「ハッピーバースデー」
を吹奏してくれました。死を覚悟した戦闘の日々から解放されたのだと、
心から生きる喜びを噛みしめました。
▼ この人の人生最良の日は、まさに昭和49年3月11日であった。これほどの
 最良に日は、過酷の日々が兵隊生活の三十数年があればこそである。こういう
体験記を読むと、迂闊に「わが人生最良の瞬間」など言ったり書いたりは出来ない
と思い知る。彼の一言一言が、過酷な経験の裏づけをもって光り輝いてくる。
そういえば、人生最良の瞬間より、人生最悪の瞬間が心に残るのは如何いうこと
なのだろうか?「良いことが多くあったが、嫌なことも多くあったな?!」と、
「嫌なことも多くあったが   (字数の関係でカット2,011年04月18日)


5146,1%による1%のための勝利戦略 ー①

2015年04月17日(金)

     【金持ちが確実に世界を支配する方法】スーザン・ジョージ著
  まずは〜内容紹介〜より
< 世界中の富裕層のみなさん、お喜びください。完全勝利は目前です。
 ただ少々、問題がございます――。世界金融危機で痛手を被ったかに
見えた1%の富裕層。再び立ち上がり、さらなる富を手にした彼らは、
一体どのような手段を取ったのか。『なぜ世界の半分が飢えるのか』の著者
が「報告書」という形をとって、グローバル化された収奪のシステムを暴く。>
 ネットに、概要を簡潔にまとめた内容があった。
≪ ・ 多国籍企業が国境を越えて自由貿易および市場主義経済を拡大させる、
 グローバリズムの動きがますます急である。これに伴い、世界中で上位1%
への富の集中が著しい。最近は1%どころか、さらに最上位0.1%へ富が集中して、
アメリカの場合には2012年で、純資産が2000万ドル(約20億円)を超える富裕
層上位0.1%の人々の家計に、米国全体の富の23.5%が集中したという。
各国の福祉は切り詰められ、99%の窮乏化は進む一方。誰が一体、
このような事態を引き起こしているのか。
・ 本書は、反グローバリズムの旗手である著者が、1%が委託した、ある架空
の作業部会が作成した架空報告書(今回は2回目の報告書)という寓話形式で、
鋭い皮肉と風刺を用いて、支配している権力者の思考方法と支配メカニズムを
暴き出したもの。架空とはいっても、支配者の論理を知り尽くした著者が、
実証データを駆使し書き上げたものであり、「陰謀論」の批判は全く当たらない。
「スイスの某リゾート地で毎年開かれる1%層のための経済フォーラムが、
秘密部会を設けて世界情勢を分析した内容」とでも想定すればイメージが
ピッタリである。・・ 〜つづく ≫
▼ ここで、「階級闘争があると言いたいなら、そういっていい。しかし戦い
 を仕掛けているのは我々の階級、金持ち階級のほうで、勝利は目前だ。」と、
ウォーレン・パフェット(世界三位の大富豪)が述べている。たとえば、世界
の85人の手に、世界人口の半数、約35億人分と同じ富が握られている。
仮説の委嘱委員のような人たちは、自分には今もっているものを持つ権利が
あり、他人に恩義を感じる必要がない、貧乏人は事業自得だ、民間セクターは、
公的サービスより常に望ましいと考えているようだ。著者が、「本書は、
事実に基づくフィクションで、信頼おける確実な情報源によるが、実際の
『作業部会』は、存在しない。だから、綺麗ごとを並びたてる必要がないため、
内容は辛らつで、核心をついている。何度も書くが、自民の保守本流はポチ!
・・・・・・
4781,閑話小題 ー怒りの取り扱い方
2014年04月17日(木)
   * 怒りの取り扱い方
 一昨日こと。家内に「同級会の席や二次会などで、誰かに見られているかも
しれないから気をつけて!」と言われて出かけたが、案の定、二次会のスナック
でハイになっている中、銀行OBと思われる男に「誰かに見られているぞ!」と、
通りすがりに声をかけられた。「うるさい、人のことより自分をみてろ」と、
言えないし。軽さが、そのまま出ていたが。他人ごとではないか?スポーツジム
でも、露骨なイヤミな視線を数ヶ月に一度は感じる。で、悟りが深くなる。
ー悟りとは、平気で死ぬのではなく、平気で生きることーというが、何事も慣れ。 
最近、腹が立つとすることがあるが、書くのはやめておく。
 ヒト指先で人をさすとき、親指は上(道理)、他の三本は、自分を指している。
哲学でいう認識である。他人の指摘は自分の世界観を言っているに過ぎない、
という自覚がない。ネズミ集団=世間の戯言ネタに、一々怒ってもいられない! 
世間教の下世話ネタが、ネズミたちの集団念仏。気の毒といえば、気の毒だが、
こんな??のことを書いている私こそ遥かに気の毒? そのために、ぼんやりの
時間を持たなければ、せっかくの人生は台無しになってしまう。それにしても、
バカなことを書いている、自分に驚いているが。で、ぼんやりする時間が必要。
[・現実の背景にある膨大な漆黒の闇を意識する。・その為に独りの世界を大切
にする。・その時空をつくる為に、閑居の世界を身近に持つ。・働いてばかり
いないで、怠けること。・その中での心の余白を良しとする懶惰の気持ちが鍵] 。
ぼんやり時間のエネルギーこそ、己を包み込む。 怒りは、エネルギーの源。
大事に扱うべきだが、因われないことも重要。・・人生は、面白い玩具で一杯。 
老いも、喜怒哀楽も、楽しか! 目を本質から逸らさなければだが。
長岡という出生の地に飲み込まれない知恵こそ、今こそ必要だが、老いは、
その知恵を弱らせる。私の人生は、50歳辺りから二毛作目と思っていたが、
二期作でしかない?(二期作は、同じ農作物。二毛作は、違った作物) 
それとも、50歳から三年前まで、二期作目で、その後が、二毛作目?
・・・・・
4414, ボストン爆弾テロについて
2013年04月17日(水)
  * この結末は、どうなる? 
 ボストン爆発テロ、北朝鮮の関与を誰もが思い浮かべただろう。
アメリカの反政府の団体という仮説も立つが、平城でマラソンが行われた直後、
ボストンのゴールのカメラの多い中で、二つも爆発させたのは脅しの効果として
抜群。他に二つの爆弾が発見されたというから、明らかに何かの警告。
 刑事ドラマのシリーズ「相棒」で、東京マラソンを狙った爆弾テロを阻止する
ストーリーがあったが、手口は同じ。とすると近くの国の??と連想するのは
私だけでないはず。 ボストンマラソンといえば、世界で有数の権威ある大会。
そのゴールを狙うとは大胆。それもケリー国務大臣の因縁あるボストンで・・ 
ミサイル実験の前のデモンストレーション、としては危険すぎる? 
今のところ、誰も北の関与を口に出さない。だから恐ろしい。タイミングから
して確率は高い。アメリカが黙って見過ごすか、全面戦争の切り口になるか? 
関与していなければ、北朝鮮は震え上がっているはず。これだけ全面戦争と
騒いでいた最中、タイミングが合いすぎ。 覚悟があってだろうがまずは、
この数日が境目だが、数ヶ月後には、全面戦争?が現実味を帯びてきた。
まさかと思っていたが、やはり! その最中、ミサイル発射実験、やるか、
やらないか、見もの。 これで軍事的に一触即発になった。しかしアメリカも
軍事産業立国の要素が強く、得体の知れない国家。さらにシリアもイランも、
アメリカの矛先を北に向けたい思惑もある。またCIAが北の仕業にした先制攻撃
の口実作りも考えられるし、アルカイダがビンラディン殺害の復讐のため、
北朝鮮と見せかけ、全面戦争の‘けしかけ’の可能性もある。どの切り口も
前面戦争の方向。その最中のシナリオ、あの坊やの考えそうなこと。危ない!
アメリカは金がない、中国も新体制が整ってない、欧州危機は深刻だし、
日本は衰弱。 最初のブラックスワンは何から?
・・・・・・
4040, 汚れつちまつた悲しみに ー3
2012年04月17日(火)
 7年前の同月同日に若い時分の挫折体験について、次のような文章が書いて
あった。傍からみた現在の私は、このようだろう。ところが今回の挫折体験の
心の傷は、これほどでもない。逆にいえば、茫然自失まで至ってないためか、
若さを失ったためか。青年期の幾度の挫折体験で、よくぞ狂わなかったものと
思うほど心の傷は深かったが、今回は、魂まで切っ先が届いてない。
長年の読書と、経験、人間関係の構築のベースがあったためである。 
特に若い時分の挫折体験と、長年の読書の蓄積が大きい。それとも悲しみを
遥かに超えた多くの体験のためだろうか。それにしても、真似た文体としても、
血だらけの挫折体験が、そのまま出ている。書くということ、書き残した自分
の文章を改めて読み返すことの意味(価値)を、この文章で知らされた。 
【 1475, 汚れつちまつた悲しみに ー2  2005年04月17日(日) 】
 「汚れつちまつた悲しみに」の「汚れ」を「倒れ(挫折)」にして、
「倒れてしまった悲しみに」という詩を書いてみた。昔の何度かの挫折を
 思い出しながら。 ー作成時、2005年4月16日 20時20分
ー倒れてしまった悲しみにー
倒れてしまった悲しみに 今日も涙の雨が降りかかる
倒れてしまった悲しみに 今日も嵐が吹き荒れる
倒れたしまった悲しみは たとえば樹氷のように突き刺さる
倒れてしまった悲しみは たとえば黒い血海のよう
倒れてしまった悲しみは たとえば虚空の空飛ぶ蜻蛉よ
倒れてしまった悲しみは あなたの愛に気づくとき
倒れてしまった悲しみは 夢みた昔を懐かしみ
倒れたしまった悲しみは 倒した人を思いだす
倒れてしまった悲しみは 光りの日々が走馬灯
倒れてしまった悲しみは 独りの自分に出会うとき
倒れてしまった悲しみは 悲しい悲しい悲しみよ 悲しい悲しい悲しみよ
倒れてしまった悲しみは 倒れてしまった悲しみは 倒れてしまった悲しみは
▼ 悲しむべき時には、悲しむが良い。 本当の悲しみが出てくるのは、
 数年先になるのだろう。まだ、悲しむだけの余裕がないのかもしれない。
 ・・・・・・・
3674, 自己を見つめる −2
2011年04月17日(日)
           「自己を見つめる 」 渡邊二郎 (著)
 私たちは人生の現実を経験を介して初めて知られてくる、経験をして
みなければ分からないのである。人生は、経験を通してその深みと広さを増す。 
自分とは、経験してきた全てである。人生は様々な過去の追憶を返し、暖め
なおすことしか、事実上何処にも存在をしない。良質な経験の積み重ねこそ、
人生を豊かに、実りあるものにする。
   ー 第一章 経験 の中より ー
  哲学者・ダガマーは経験について3つの点をしてきした。
・まず第一に、それが誰も予見できず、見通せない仕方で生じてくる点である。
 したがって、経験は常に新しさを含んでおり、経験がもたらす内実を、
 まったく予測することができない。
・次に第二に、そうした経験の過程は、いつも否定的過程であって、実際に経験
 するまでは、当の事柄を知ってなかったことを痛感させられるわけである。
 つまり私たちは徹底的に、浅見や独断を捨て去らねばならないことを教えられる、
 とガダマーは断じる。
・さらに第三に、それゆえに経験とは、本質的に、辛い不快なもの、期待の
 幻滅を伴うものである。かつてギリシアの悲劇作家アイスキュロスが語った
 ように、人間は、「苦しみをとおして学ぶ」のである。それが経験ということ
 であり、こうして初めて人間は、真の洞察と自己認識を獲得するのだ、という。 
  要するに、経験をとおして、私たちは、あらゆる予見の限界と、すべての
 計画の不確かさと、人間の非力さと有限性を、徹底的に思い知らされるわけ。 
 実際、こうした労苦にみちた経験を介して、私たちは、ほかならぬ自己自身の
 人生の実相のただなかに立つことになる。そしてそれ以外に、どこにも人生
 というものはない。私たちは、経験において初めて、自己自身と宿命的に向き
 合うことになる。 経験のなかにこそ、自己自身があると言いうるゆえんである。
▼ 人生を振りかってみて、経験の中こそ、自分があると、つくづくと思い知る。 
 その境界が自分の限界であった。だから迷ったら、とにかく、一歩踏み出して
行動することが、自分を広く深くする。「自分を見つめる」とは、自分の経験を
見つめることと同じである。 経験して初めて、知るが、それは否定的過程を
踏む事であり幻滅を伴なう。 とはいえ、落語の与太郎では? 
 ・・・・・・・
3309, 笑われ力  −1
2010年04月17日(土)
   「 笑われ力 」 太田 敏正 (著) 石原 壮一郎 (監修)
 図書館で、この本を見つけた時に、「面白い!」と、直ぐに借りた。
「自分の失敗や欠点を笑い飛ばしなさい。それで既に自分を客観的に見下ろして
いることになる。」とは癒しの真髄であり、これまで「フン、この程度モノさ!」
と自分を笑い飛ばしてきた。 しかし、それを一冊の本として真正面から取組む
とは。お笑いのサンマやタモリが、この名人である。 実に上手に自分の失敗談
を取上げて、周囲の共感と笑いをとる。タモリが「電車で、もようして? 
有名人なのでトイレに入りづらく、失禁直前に家にたどりついて、ホッとして、
ところが大爆音のガス一発だけ! あの1時間の苦労はなんだった? 」で、
場内、爆笑だったが、「笑われ」の典型的事例。誰も一度や二度は経験のある?。
私の知人でも、「笑われ力」を駆使して世渡りをしている人が何人かいる。
実に自分の欠点、失敗を披瀝をし、周囲の苦笑と共感を誘っている。自分より
知識や、経験の少ない人の前では可能だだろうが、同じレベル?の人の前では、
躊躇をしてしまう。 素の自分を曝け出し、相手を笑わせようというのだから、
基盤がないと出来るものでない。
  まずは、アマゾンの ー内容紹介よりー ≪石原壮一郎≫
≪「心地良い人間関係」に「笑い」が不可欠なのは言うまでもないでしょう。
 しかし、ウケを狙えば狙うほど、スベりやすくなるものです。まして、
人をバカにして笑っても「心地良い人間関係」は生まれません。そこで
「笑われ力」の登場です。 笑わせようとするのではなく、笑われる意識、
人をネタにするのではなく、自分をネタにするスタンスです。 お笑い芸人
のような爆発的な「笑い」が、笑わせることを目的にしているのに対し、
「笑われ力」が生む自然な「笑い」は「心地良い人間関係」を築くための
プロセスに過ぎません。大爆笑は不要です。 自然で心地良い「笑い」を
プロデュースする方法をゆる?く紹介します。≫
▼ 「まえがき」の冒頭に、「いきなりですが、おめでとうございまう!
 あなたが、こうして『笑われ力』に出会ったことは、あなたの人生にとって、
大きな意味を持つでしょう。きっと日ごろの行いがいい方に違いありません」
とあり、最後の方には「大人力の77パーセントは「笑われ力」でできています。
残り23パーは、さほど気にしていただく必要はありません。」とある。
この随想日記やブログも早くいえば「笑い」というより自嘲の披瀝。そうでも
思わないと、毎日、アクセクして書いていられない。ある意味、癒しになって
いる。 読み続けている人はご存知のとおり、最後の一行に捻りを入れるよう
にしている。それも共感を得るような自嘲気味の捻りで締めるように。決して、
この本を読んだぞ!でなく、やっと読みおえた!でないと続かない。
この本の内容は簡単明瞭。 嫌味なく自分をダシに笑いをとれれば、悩みや、
怒り、悲しみの絶対量は激減する、ということ。 そういえばオカマバーの方々、
実にオカマの世界を自嘲気味に話し笑いをとっている。笑われてナンボの世界か、
珍獣?の世界は。10年以上は行ってないが、歳のせいか気持ち悪いが先にたつ。
 ・・・・・・・・
2934,世界恐慌に入って、まる7ヶ月 ー2
2009年04月17日(金)
 新潟駅前でビジネスホテルという業態モデルを経営しているために、世界恐慌
の影響がストレートになる。初めに、広告、営業活動に対して経費をつめてくる。 
二時間以内の出張は日帰りである。インターネットや携帯電話などで情報をやり
とりして出張は可能な限り回数を減らすのは常道である。最近は宿泊ネット販売
が25パーセントなっている。しかも新潟では半額以下の2600〜3000円代前半は
当たり前。当日でも3000円前半なら何時でも取れる状態だから堪ったものでない。
そういう私も、冷蔵庫や洗濯機や大型TV以外は、電気製品、デジタル家電、書籍、
健康食品、ユニクロは、ネット購入。情報は、大型店の店頭で見て、実際に買う
のはネット。2〜3割はまちがいなく廉いからである。リーマン・ブラザーズ
から始った経済危機から世の中は一挙にデフレスパイラルに入った。情報化に
よるフラット化で一物一価の世界になったことも、さらに輪をかけている。
最低価格が実現できないところは、即、退場をさせられてしまう。(客室は、
在庫が限定されているから、まだよいが)ということは、大部分の企業は淘汰
されることになる。 世界は5〜10年と暴風雨が吹き荒れだしたのである。
日本の国力もバブル崩壊後に大きく失われてしまった。アメリカのように資源や
軍事力や知的蓄積がないのである。この金融恐慌は近代資本主義社会の根幹を
揺るがすほどの大事件。4〜500年かけて近代社会がつくり上げてきたのが
中産階級である。その中産階級が中期・長期的に見て消滅しようとしている
というのだから、ただ事ではないのである。1990年前後にソ連と、東欧諸国の
共産社会体制が消滅。そして10年後の2001年9月11日にイスラム原理主義の
アルカイダがアメリカの金融の中心のビルを二つ崩壊させ、2千数百人の
生命を奪いアフガン・イラクの戦争中に入った。そして今度は百年、数百年
に一度といわれる金融恐慌である。これは簡単に解決できるような事態では
なく5〜10年は世界中で想像を絶した多くの経済混乱が発生する。 
まさか、これほどの大事件を目撃できようとは思っていなかった。
それも全ての人が直撃する惨事を・・


5145,閑話小題 〜漫画本を読む感覚でシネマを観る

2015年04月16日(木)

   * シネマは、漫画本を読む感覚で・・
 明日の金曜日は、所要でシネマに行けないので、昨日、前編に続いて
『ソロモンの秘密ー後編』を観てきたが、期待に反しない重厚な内容。映画館
で、シネマを観ると何か充実感が残る。大きな館内で、大型スクリーンで、
大音響で、数多の映画の中で選んで、独りで行って、観るからこそ没頭出来て、
その世界の幻想世界に入り込むことが出来る。平日の昼前後は、10〜30人
位しか観客がいないところも良い。この3年間、年に数度は休むが、ほぼ毎週
金曜日のシネマ通いを欠かさない。面白いから続いているが、デジタル技術の
進化で、迫力が日々、増しており、コスト対ストレス解消効果はネットに
劣らない。あれだけの幻覚の別世界に誘って、千百円は価値がある。 
平静を装っているが、ストレスは沈殿して、少しのことでも動揺は起こる? 
そこでTVや、ネットなどで、自動発生するマイナスの情念を日々、解消する。
そのため面白、可笑しく、気持ちをフレッシュにしバウンドしている。
ハピネス・アドバンテージ(幸福優位性)を維持するためには、マイナス感情
の3倍の楽しみを持つ必要がある。慣れてしまえば、結構、ネタはある。
この文章を書く習慣も、その一つ。 
 20年になるが、母親が痴呆症になって5年半、そのストレスは尋常では
なかった。そこで、本能的に好きな年二回の秘境ツアーに行くことにした。
そうでもしなければ、ストレスの短期間解消が出来なかった。  あれは、
恐怖心を乗り越えるゲーム。帰路の機内では、ストレスが見事に消えていた。
その代りがシネマ通い。月4〜5回で4〜5千円が高いかどうかだが、居酒屋
や、スナックの一軒分からみれば、価値は充分。問題は、これも続けること。
 デジタルの映像漫画を、大スクリーンで、観ると思えばよい。所詮、人生、
振返れば幻覚の悲喜劇の世界。せめて、小さな世界から一時だけでも、
ドロップするのも好い。面白いことに、館内から出た瞬間、全てを忘れる。
人生と同じ。何せ幻想世界であるからだ。それを現実と思うから、変になる!
・・・・・・
4780,ぼんやりの時間 ー9
2014年04月16日(水)
               「ぼんやりの時間」辰濃 和男 (著) 
  * ぼんやり時間について ーつれづれに
 10年前に、この本を読んでいたら、どうだったろう? 
まだ娑婆っけが強かった年齢。人生の余白を埋めることに全力をあげていた
真っ只中で、ぼんやりなど程遠い生活であった。 
 ー‘あとがき’の次の箇所が最後のマトメによいー
《ところで、「ぼんやり」という言葉は、辞書ではどう説明されているのか。
 何冊かを調べてみて、予想以上に評判が芳しくないことを改めて知った。
「①気がきかないさま。②利発でないさま。③どこか元気がなく、気持ちが
集中しない様子。④間が抜けているさま。⑤呆然としていたり、うかつで
あったりする状態。」 多くの辞書では、「ぼんやり」という言葉は否定的な
意味で説明されているし、世間の人ぴとのぼんやり観も、たぶん、同じように
否定的なものだと思う。たしかに、横断歩道のところで呆然とした状態で
ふらふらと車道に歩み出れば、これはもう危険な場所、不適切な場所での
ぼんやりは困りものだ、ということについて、私としては異議もなく、異論も
ない。そういうことは承知の上で、串田孫一は「ぼんやりしているのは人間に
とって非常に大切な貴い時間である」と書いたのだと思う。
 私は、串田の文章に共鳴するものだが、それでも、ぼんやりの否定面を
忘れることはなかった。ぼんやりの否定面を仮に「ぼんやりH」といい、
ぼんやりの肯定面は「ぼんやりK」ということにしよう。この本で繰り返し
説いてきたのは、主にこのぼんやりKのことである。「これは、ぼんやりKの
場合です」といちいち断ってはいないが、いままでこの本で書きつらねてきた
のは、ほかでもない、主にぼんやりKのことである。世の中の支配的な風潮に
対して否定的な考え方を示すことは、難しいことではあるが、ある意味では
実に大切なことだと思っている。ぼんやりということを考えるとき、
「ぼんやりH」的な思いが支配的な風潮であるならば、一方で、「ぼんやりK」
的なもの、つまり、ぼんやりには、脳の働きをいきいきさせるものがあり、
生命力をよみがえらせてくれるものがあると主張することは、ことのほか
大切なことではないか。そんな思いが私にはある。私たちは「光」の恵みを
考えるならば、同時に「闇」の恵みにも思いをいたす必要がある。
「陽」の力を思うときは、同時に「陰」の力を思う必要がある。「動」や
「働」や「がんばり」が大切だと考えるときは、「静」や「休」や「ぼんやり」
もまた、いかに大切であるかを考えねばならぬ。日常の暮らしのなかで、
私たちはあまりにも「働」や「緊張」や「がんばり」に力点をおきすぎて、
「休」や「やわらぎ」や「ぼんやり」の効能を片隅に追いやっているのでは
ないか。ぼんやりは「呆然としていること」であり、「間が抜けているさま」
であるということとは別に、「ぼんやりすることは貴い」「ぼんやりする
ことで、なにかが貯えられる」「ぼんやりは活力を生む」という場合もある。
ときおり、ぼんやりした時間をもつことは、生気、活力をよみがえらせる
ためにも必要なのだ。》
▼ 人生には「よく働き、よく学び、よく遊ぶ」ことが核になる。それを、
 いつも意識をし、分類し、バランスをとってきた。その他に、もう一つ、
背景に広がる空白も意識してきた。働くでなし、学ぶでなし、遊ぶでない、
ボーとした時間である。これは幾つかの挫折体験などから、否応なしに誰もが
経験すること。 そこでの、ぼんやりの時間も飽きてくると、そこから
エネルギー、気力が湧き出ることを、である。ツアーで、独自で行けない
秘境・異郷に行くのをライフワークにしてきた。そこでは、旅の企画と手配と
案内は全て代理店と添乗員がしてくれる。その大部分が、移動の飛行機か、
バスの中。そこの「ぼんやりの時間」が良いのである。慣れるまでは苦痛
だったが、回数を重ねる度に、その高速移動空間で、ただただ、ボ〜っと
する時空の魅力に気づくようになった。何か、痴呆症の勧めのようだが・・ 
・・・・・・
4413, 早起きの話
2013年04月16日(火)
 早朝の読書習慣は事業を立上げた27歳の頃から現在まで40年になる。
父も早寝早起きで、夜は9時前に寝ていた。一日、二時間は読書をすると
決めていた為、創業の忙しさの中で読書環境は静かな早朝しかなかった。
40年にわたる早朝の読書時間は私の独学塾。その蓄積で、もう少し読書
の質が上がって良いさそうなものだが、独学もあり壁を破れなかった。
それもあって夜は9時就寝に自然となっていた。 晩酌をすることもあり
就寝と同時に4〜5時間は爆睡するが、深夜1時〜2時頃に目が覚める。
その30分は頭が冴え渡る。事業で何か大きな決断をするとき、2時半を
目安にして判断をする。その後、半覚半睡の状態で二時間ほど過ごし4時〜
4時半に起床、書斎に入る。そして6時頃からポタリングに出る。
早朝時間の活用をしている人は意外と少ない。 時間帯として、
「20対80の法則」「6対94の法則」でいう、この時間の読書と散歩か
ミニ・サイクリングは私にとって重要事項。カレルが「物理的に過ぎ行く
時間の他に『内的時間』が別にある」というが、早朝の時間は、その内的時間
に入る。内的時間の芯といえば純化した心のゾーン。名著などに没我しきった
時間の、それである。ところで日本は戦中・終戦直後まで人口の過半数以上が
農林漁業に従事していた。そのため、朝早く起き、夜早く寝る習慣になっていた。 
朝の陽光が生命の源。朝の語源は、天が開いて明るくなる「明ける」からきた
という説がある。英語のモーニングもドイツ語のモルゲンも、太陽の光を
思わせるイメージがある。仕事により朝方かどうかが変わってくるが。
早起きの効果は、長年続けなければ出てこない。部屋で、土手で、早朝、
独りで物思いにふける時間は至福である。
・・・・・
4039, 世界の旅行記101  ー1
2012年04月16日(月)
  ー 内容(アマゾンより)ー    「世界の旅行記101」 樺山 紘一著
 アームチェアで葉巻をくゆらせながら読むものも、通勤の電車内で文庫本に
読みふけるものも、旅行記から、迫真の体験をうけとるだろう。ときには、身に
うずきを感じ誘われるかのように、みずから旅への計画にむかうこともあろう。
旅行記の効用は、実に広く深い。ヘロドトスの「歴史」からイブンバットゥータ
の旅行記、ぺルリ提督日本遠征記、はたまた永井荷風の「あめりか物語」・・ 
異文化への遭遇と驚き、喜びを満載した古今内外の代表的な旅行記101冊の
歴史的な意味と、意義、概略をコンパクトにまとめている。自宅でくつろぎ
ながら、旅行記の魅力に浸れます。
この中から興味を持った本を図書館に行って借り、読むのも一興。
  ◎ アマゾン読者感想 
≪ 読書と旅が好きな者にとって、旅行記は興味この上なく深い。しかし、
 世の中には旅行記なる書物は山のように存在する。その中からその時の関心の
在処に応じて何か良いものを探し出そうとする時、手引きとなる情報があると
助かる。 旅に出る時、ガイドブックとは別にその地をめぐった先輩の書き物
に教えを請おうとする時、適切な本を探索する手引きとなる情報があると助かる。
また、仕事を終えた夜のつれづれに、何か旅の本に想いをいたそうとした時に、
そんな本の梗概を記した手軽な本があると愉しい。私は、数年来、この本を
そんな風に使ってきた。先日、タヒチを訪ねるにあたって、モームやゴーギャン
の作品などとともに、ブーガンヴィル、クック、ダーウィンという探検の時代の
旅行記の関係部分に目を通した。その時、この本が彼らの旅行記を推薦した。
そして、私のタヒチ旅行はいっそう内容豊かになった。この本には、紀元前から
現代までの代表的旅行記が外国から日本まで101件、原則2頁で、時に地図や
写真を付けて紹介されている。各文末には、入手可能翻訳本を記している。
関連年表、索引もやや詳しい。目次は、書名のみ、著者・解題者付書名、執筆
年代順書名という3種が付されている。ハンドブックとして工夫次第で利用勝手
は拡がる。旅が好きな読書子には常備して価値のある本であろう。理想を言えば、
併せて、古今東西の旅行記・紀行文を網羅したリストを座右におけば、
精粗あわせて情報が得られて良いのだが・・・ ≫
▼ 10年ほど前に買った本だが、数編を読んだまま蔵書になっていたもの。
 どのページを開いても、生々しい事件に満ちている。編者の「旅行記は事件簿
でもある」という見方こそ、面白い切り口である。旅行は事件なのである。
そこには、それぞれの人生の全てトラブルが現れ出ていて、生々しい記述で満ち
ている。それと、自分の人生の様々な場面と合わせ鏡にすると万華鏡のようである。 
  次回から、目に止まった面白い旅行記の逸話を抜粋する。
 ・・・・・・
3673, 自己を見つめる −1
2011年04月16日(土)
           「自己を見つめる 」 渡邊二郎 (著)
 ここまで人生を生きてきたら、要は「生きてきた過去をどのように
受けとめるか?」になる。それは生きてきた「自己を見つめる」になる。 
その「自己とは、そもそも何か?」色々な場面で、多くの判断をし、決断を
してきた、その時々の主体が節目ときの自己になる。それらの自己の総合体が
自分になる。 先日、何気なく図書館で借りてきた10冊の本を流し読みを
していたら、思わない拾物をしたのが、この本。現在は、その「節目どき」。 
自分を見つめ直す機会である。 まずは、−アマゾンの説明書きよりー
《 放送大学の空前の人気授業といわれたテキストを叢書化。ニーチェや
 ハイデッガーのことばをまじえながら、崩れ落ちそうになる気持ちを支え引き
締めてくれる。「この授業、このテキストがあったから、いまの私の人生がある」
と語りつがれる哲学の名著。 日本を代表する哲学者が「自己」「仕事」「孤独」
「世間」「運命」「不幸」など 15章のテーマで語る人生の真髄。  
  ― 次に、アマゾンの感想文の中の抜粋をコピーしてみた ―
* 「生き甲斐は、根本的に重い運命愛の意識に担われた、死場所への覚悟と
  いうものと深く関係している。しかし、他方では、それは、ときにはそれを
  忘却した、放念と遊戯と飛翔のうちで、自己の快癒を図る悦楽の解放感とも
  接続していることは確実である。この大きな振幅のなかで、私たちの生の
  営みは展開している」 (「生き甲斐」)
* 「愛とは……問題となっているものを、深く大切に思い、それを慈しみ、
  人生の大事と考えて、その尊厳を守ろうとする、控え目ながらも持続的で
  強い根源意欲ないし生命意欲に関係するものであり、また、そのことに伴う
  あらゆる憂いと悲しさの 情念のすべてであり、自己としての生きる人間の
  根源に関わる根本問題なのである」 (「愛」)
* 「幸福は、たいていの場合、不幸を介して、その姿を浮かび上がらせてくる
  失われた桃源郷である」 (「不幸」)
* 「老年になって、やっと人は、自分の人生を変えた大きな出来事が、そっと
  気づかないうちに、自分に忍び寄ってきて、自分を支配することに至った
  ことを理解する。自分の周りの人々が、ほんとうは何者であったかが、
  ようやく分かるのは、老年になってからである」 (「老い」)
* 「人は、多くの場合、無言のまま、誰にも相談することのできない、
  こうした人生の重大問題を抱えて、悩みながら生きている。私が、本書
  『自己を見つめる』において、語りかけたいと思っている読者は、そうした
  優しく敏感で、傷つきやすい、心豊かな人、慰めもなく、苦しみながら、
  しかし立派に生きる務めを果たそうとしている人である」(「まえがき」より)
 [目次]  まえがき  
  第一章  経験  第二章  時間  第三章  境遇  第四章  遍歴  
  第五章  自己  第六章  生き甲斐  第七章  仕事  第八章  孤独  
  第九章  愛  第十章  他者  第十一章 世間  十二章 運命 
  第十三 不幸  第十四章 老い  第十五章 死
▼ これを図書館から借りてきて、直ぐにアマゾンで、姉妹書の「人生の哲学」
 と共に注文をした。老年に差し掛かってきた現在、自分の歩んできた人生を
振り返り、己を見つめ、考える時期に来ている。それが「節目を打つ」こと。
青年期の挫折時には、これをチャンとしていたから、躓きの石を踏み台の
石にすることができた? 内省も面白いものだ。
・・・・・・・
3308, 万田酵素
 2010年04月16日(金)
 新聞広告で、「万田酵素、無料キャンペーン」の見出しがあった。 
前から新聞広告やドラッグストアで見かけていたが、一万円前後。無料キャン
ペーンはお試し用の6パックで1200円。10日前に届いたので、試飲をしてみた。 
で、二日間、一パックを飲んだところ、二日酔いのような赤ら顔になった。 
何かニンニクエキスを飲んで、一日中逆上せているような感じ。そこで、小さな
パックだが、半分にして飲んだところ、丁度良い。酵素といえば、もう25年来、
玄米酵素を飲みつづけている。これも一日一パックを飲んでいるが、続いている
から身体に適応しているのだろう。 酵素といえば新潟産業博で年一度、小さな
コーナーで「酵素源」のデモ販売をしている。そこで三度ほど買ったことがある。
ただ7千円もするので、一瓶を数ヶ月かけて飲んだ。確かに身体全体に活力が
出たが、電話で取り寄せるほどではなかった。無料の試しパックは一パック
2百円と高い感がする。 しかし飲んでみると、全身から活力がみなぎ出る感じ。
通勤途上にある「マツキヨ」の健康食品のコーナーをみたら、全く同じものが
一瓶9800円である。これなら少しずつ飲めば三ヶ月は持ちそうである。 
で、ネットに「格安 万田酵素」と入れたところ、何と3600円。ネットでは、
3000円半ばの販売価格に集中していたから、「マツキヨ」のバイヤーもネットで
チェックしているはず。それでも、この価格で販売しているのだから、ネットで
チェックしない客を狙っているのか。ネットの世界=情報化は、ドラックストア
さえ中抜きにしてしまう。 バイアグラとしても、使える?代物。 
バイアグラ以外では、これが一番?  今さら、大して用がないか!
・・・・・・・
2933,世界恐慌に入って、まる7ヶ月 ー1
 2009年04月16日(木)
去年9月15日のリーマン・ブラザーズ破綻から、まる7ヶ月経った。
その間に金融恐慌関係の経済雑誌の特集や著書を、多く読んできた。
楽観論から悲観論まで様々あるが、当然のことながら悲観論が主である。
当初は、「50~100年に一度の金融恐慌」といっていたが、何時の間にか50が消え、
「100年に一度の経済危機」の言葉が定着したきた。1930年代の世界恐慌より、
今回は深刻という事実を時間をかけて一般に知らしめてきた。
新潟駅前の宿泊現場のセンサーからみると、全体的にみて30〜40%ダウン。
輸出産業を中心としたメーカー関連で、40〜50、それ以外が20〜40%のダウン。
2001年の9・11事件の時は、三年かかって30%にダウンしていったが、今回は
2〜3ヶ月で、総じて30〜40パーセントのダウンである。9・11の時は、金融庁の
方からは、駄目な会社は早々処理するようにというお達しが出ていたが、今回は、
何とか助かるところは、潰さないようにという、お達しが出ているという。
大きな方針の転換である。実際には、現場は11月末から露骨な売上減が始ってきた。
これは、どの業界も同じである。そして年を越えてから一ケ月ごとに、ジワジワと
経営圧迫がきているのが現状である。国家として3月末の大量倒産を避けることが
出来たが、問題は決算が出揃う5月〜6月にかけて大事変が続くと言われている。 
実際に数字を見ていると凍りつく思いである。当方の先期決算は恥ずかしくない
数字だったが問題は、これからの経済社会の情勢。この恐慌の大波が、まずは
日本に押し寄せているが、アメリカ・中国に深刻に現れるのは、これからである。
韓国・台湾・シンガポールなどの日本の輸出比率が2倍もある国では、GDPが20%
ダウンというから、大打撃になっている。かなり深刻な事態が、世界各国、
いや日本に出てくることを覚悟をしなければならない。この7〜8年、何とか
輸出立国というモデルで何とか、日本を牽引してきたが、そのモデルは
崩壊してしまった。 どうなるのだろうか? 
・・・・・・・・
2569, 閑話小題 
2008年04月16日(水)
  * ガソリン価格
 先週、車のタイヤ交換のため新潟に来たが、見附で124円のガソリンを
入れた。そして新潟のバイパス近くのガソリンの値段を見たら120円とあった。
ところが、家内の話だが長岡はセルフ以外は、127円で統一(談合)している
のでは? 市内の何処を見ても統一は不自然だという。こんなことをしている
から消費者に嫌われるのを知らないのだ。誰も直接口には出さないが、必ず
口コミで辛らつに批評されているのである。
 * 呼び込みの、その後(迷惑条例実施の、その後)
(字数制限のためカット 2012年4月16日)
 * ロシアのバレー事情の激変
(字数制限のためカット 2012年4月16日)


5144,知の逆転 〜⑦

2015年04月15日(水)

    * 個人物語   ー知の逆転ー
              対談相手 オリバー・サックス
 14年近く、休むことなく毎日、この随想日記を書いている。これは私が、
「直近に読んだ書籍や、経験を個人の物語としてパッケージ化して保存」
する習慣で、それを毎年、同月同日に読み返す。何故に14年も続いたか
といえば、「私つくり」に有効と実感するため。「個人物語化」化である。
 ー以下は、まさに、それ! 私のフィルターを通した経験を、書き連ねる
ことで、経験を自分の中に、埋め込む重要な習慣である。
≪ 「個人の物語」化というのが、それぞれのアイデンティティを確立のため
にいかに重要か。生物学的あるいは生理学的に見て、われわれにはほとんど
違いはないが、各個人の物語は異なっている。それは、脳や免疫システムは、
ある程度以上のレベルになると、みなそれぞれ異なっているからです。
病気に向き合う際にも、落ち着いて対処する人もいれば、すっかり怖気づいて
しまう人もあるし、全く無関心な人もあるといったふうに、人によって物語も
違います。細胞組織レベルでは私たちはほとんど違いはありませんが、脳は、
たとえ一卵性双生児であっても、生まれたときから既に違っている。さらに、
生まれてから脳は、経験によって大きく左右されます。数学者の脳は音楽家の
脳と異なるし、視覚芸術家や言語芸術家の脳も異なります。18世紀の科学者
ヘンリー・キャベンディッシュは、ほとんど他の人間との接触というものを
避けて生きていたそうです。裕福そうな人でしたが、使用人は家の別棟に
住んでいて、キャベンディッシュに話しかけることを禁じられていた。
想像も及ばない静寂と孤独の中で暮らしていたそうです。彼はたいへんな
知性とオリジナリティを備えており、地球の重量計測から始まって、
新元素の発見などを成し遂げているのですが、科学者によく見られる野心や
競争心とは全くかけ離れていたそうです。バートランド・ラッセルが
「最も高い教育を受けた者たちのなかで、一番幸福なのは科学者である。
なぜなら、彼らの脳は仕事の内容でいっぱいで、感情面では非常にシンプル
でいられる。あまりにシンプルなので、食べることや結婚することなどに
楽しみを見出だせるほどだ(笑)」と言っていました。 ≫
▼ 個人物語は、自分が主役で、舞台と、配役が在って、観客がその物語を
 観ている。それを把握するのが主人公の「私」であり、総監督も兼ねる。
それを自覚する方法に「瞑想」や「散歩」がある。あるいは、映画や書籍に
没頭することで、自分を見つめなおし自分の物語を鳥瞰する。
「事業人生を決心して45年」の語り直しー50(2014/08/25)
 総括の総括 ー小さな物語のまとめー のシリーズを去年の夏、書いたが、
自分を物語を、冷静にみると、小さなエゴの塊の物語が見えてくる。
問題は、認識できるかどうか? ほぼ、出来てない。 程度の差?ですか。
・・・・・・
4779,閑話小題 ー勘違い
2014年04月15日(火)
   * 勘違い
「今回、Windows・XPのサービスの停止で、私のWindows・Vistaも、その範囲」
と勝手に勘違いをしてしまい、新たに、Windows8のパソコンを買ってしまった。
実際のところVistaは、あと3年後であった。6年以上も使って買え時期だった
ので後悔はしてないが、その迂闊さには我ながら呆れ果てる。 検索で
「Vistaのサービス停止」と入力すれば良かったが、思い込みは恐ろしい!
しかし、知人の言う「パソコンは進化を考えたら4年が買替え時」も事実。
   * 今年の桜は
 毎年恒例の桜のシーズンで、数日来、満開だが、それぞれの地域ごとに
素晴らしい桜並木があるもの。その中で、特に自分の気に入った桜の木を
決めて、毎年、再開するのも良いものである。個々も良し、並木も良しが桜。
シーズン中の、天候の良し悪しも大きく左右する。その点、今年は当り年。
明日あたりから、散り始めるが、これもまた良い。川辺などの桜が散る頃、
山辺の桜が満開になり、それも散ると、今度は八重桜が満開になる。
八重桜は八重咲きになるサクラの総称で、山桜のヤマのマがエの変化したもの。
何か歳とるごとに、桜の花が愛おしくなっていく。
 ゆさゆさと大枝ゆるる桜かな (村上鬼城)
 したたかに水をうちたる夕ざくら (久保田万太郎)
 ゆふ空の暗澹(あんたん)たるにさくら咲き (山口誓子)
 やどりして春の山辺に寝たる夜は夢の内にも花ぞ散りける (紀 貫之)
 すさまじくひと木の桜ふぶくゆゑ身はひえびえとなりて立ちをり(岡野弘彦)
 夜半さめて見れば夜半さえしらじらと桜散りおりとどまらざらん(馬場あき子)
 世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし (在原業平)
 ひさかたの光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ (紀 友則)
今日は、この数日来のコースを周り、明日からは悠久山のコースの予定。
・・・・・・
4412, 大丈夫、なんとかなるさ −2
2013年04月15日(月)                
 * 今を生きる女の強と、昔を生きる男の弱さ 
             ー「大丈夫、なんとかなるさ」近藤勝重著 
 国が衰えてくると、俄然、女性の強さが浮かび上がってくる。その一つの
傾向として男は台所に女が外に働きに出る。定年をむかえ、男は仕事で消耗
してしまい家の中では粗大ゴミ扱い。そこで争いが。しかし強いのは女性。
ここで、その理由を明確に述べている。働きづめだった男こそ、「今を生きる」
ために与えられた時間なのに、過去の想いに囚れ今に生きることが出来ない。
≪ ある時期、男たちの間で女性の活躍がよく話題になった。おのずと話は
男女の一般的な比較諭になって、いざという時には女は強く、男は弱いという
意見や感想が目立った。彼らの話を聞きつつ、ずいぶん前に新聞で読んだ男女
の産み分けがなぜ可能かの記事をい出していた。ある大学医学部が明らかに
したもので、人聞の精子を分離すると、女の子つくるX精子は重く下にたまる
のに比べ、男の子をつくるY精子は軽くて浮くという。 
 そんな内容であったと記憶する。以来ぼくは男女比較論になると、その話
を引用しながら「つまり女はもともとどっしりと安定しているのに比べ、
男はふわふわと不安定なんだ」としたり顔で言ったものだ。 さらに近年は、
脳科学のこんな説にも注目してきた。芸術・感情脳の右脳と、言語機能を持つ
思考.論理脳の左脳を結ぷ脳梁などは、女性のほうが男性より太く、そのぶん
情報交換量や、情感も女性が豊かだという訳だ。これには異論、反論があるが、
男性よりよくしゃべり、よく泣き、よく笑う女性のリセット的特性を説明
しやすく、これまでも重宝してきた。 男より女佐が長生きするなども、
それらの特性でかなり説明がつくようにも思える。ところで人間のありよう
が遺伝学や脳科学とは別に日常の習慣性からとらえられるとすれば、前に紹介
の加藤登紀子さんの話のとおり、炊事・洗濯・掃除といった短いサイクルで
毎日を生きている女性のしぶとさは男など問題外だろう。その場その場の
対応力や性を生きる強さ、男よりよく泣くにしても、泣いてすっきり、
ああご飯がおいしいとすぐに涙など吹っ切っている女性を見ると、事態への
能力において男の勝ち目は縛い。・・・ ≫
▼ 現在の状況を冷静にみると、身につまされる。比較的、今の時間を生きて
 いるつもりだが、家内の日常からすれば、全く劣っているのが現実。毎日、
毎週の習慣から抜け出せないのである。歳もあってか、既に世の中を見切って
しまい、映画か読書とか、過去の記述など頭の中の世界に生きようとしている。
それに比して、家内といえば、羽がはえたように「横世界の今・ここ」を
生きている。で、私は、早朝起きて独り部屋で、これを書いたり、ポタリング
をしている。猫(女)と犬(男)の生活を続けた差が、鮮明に出て当然である。
 ニャ〜ンとワンが喧嘩して、毛をソバたてたフーとワンワンでは、
猫が勝つに決まっている。夫源病と妻源病か!
・・・・・
4038, 閑話小題 
2012年04月15日(日)
     * つれづれに
◎ 昨日、一昨日と二日続けてシネマを見てきた。全米の観客動員数が一位と、
 二位というから間違いないと判断。私の評価は、全米一位の「バトルシップ」、
 85点。 二位の「ジョン・カーター」、90点。一応、合格。
 昨日は土曜日のためかロビーは客で溢れていた。 シルバー割引千円で
 現実からトリップできるから価値は充分ある。ストレスを解消してくれそうな
 ものを、話題になった中から選んでいる。大不況の鬱憤を映画で晴らそうと
 いうのか、破壊と再生の物語が多い。 バーチャルの世界で鬱屈した?
 気持ちをスカッとさせ、ストレス発散をするようにできている。
◎ 現在、世界的にも、国内的にも大きな節目。 現実に私のケースのように
 過去10年間の売り上げの激減と、その結果の事態は、数年先の現実の前倒
 現象になる。 それで、悲観過ぎるのか?決して悲観過ぎるということはない。
 毎日毎日、同じようなことを飽きもせず書いているが、書くことで、気が付く
 ことが多い。ところで、このところ、この随想日記のスランプ期間に入った。
 テーマが出てこないのである。数ヶ月に一度くるが、これも慣れている。
◎ 「年齢に気持ちがついていけない!」 これが、人生を生きてきて常に
 感じてきたこと。歳をとればとるほど、その傾向が強くなる。未来より、
 過去を見つめる時間が長くなるためだろう。そこで、過去を否定しないこと。
◎ 米国の天然ガス価格が2ドル代の大台を割って、日本の輸入価格は18ドル。 
 日米格差は9倍である。米国は世界最大の資源国であり、世界一安い天然ガス
 を使える。これに対して日本企業は電力不足と、世界一高い法人税、そして
 社会保障費と人件費も高い。米国産原油価格優遇策となれば米国優位は
 ゆるぎない。これが宗主国と属国の力の差。ジワジワと、その影響が日本経済
 と社会に出てくる。日本は海洋国家と、水資源が豊富にある。それと島国の
 特性の中に、これからのヒントがあるはず。それにしても、東北大震災と、
 原発事故と、54の原発が使えないのが大きい。
・・・・・・・
3672, 節目どきに ー7
2011年04月15日(金)
  * つれづれに
△ 事務所にあった身の回りのものと書棚が二回に分けて届いた。 
 倉庫の中に三坪ほどのスペースをとり、収めたが丁度良く収まった。
 事務所の移転ごとに多くを捨ててきたので比較的最小限度のものしかないが、
 それでも捨てがたいものが多くある。会社に置いてた本の半分ほどは処分して
 きたが、振り返ってみると、もっと早く、哲学書を読み込んでおけばと反省
 しきりである。逆に言えば、この10数年で読む本が変わってしまった。
△ 昨日、小学校5〜6年担任の恩師の西沢先生から、丁寧な破綻の?見舞いの
 葉書が届いた。現在、80歳前半になられたが、葉書に筆で書かれた書体の
美しさに驚いてしまった。私の5歳上の姉も担任をされたが、姉は、あまり
先生のことを語ってくれなかった。 先生が定年退職をされた時に、確か
小学校の同期会に先生が出席され、その時に先生にお願いをして、新潟の私の
ホテルに宿泊をしてもらい、一晩、酒席を共にさせて貰ったことがあった。
もう20数年も前になる。 先生は多くの小中の校長を歴任し、長岡の教育長
までされた人で、定年時には、そのお祝いに300人が集まってくれたと
嬉しそうに語ってくれた。 その時に先生がつくられた御猪口を貰いたが、
先日まで、会社の事務所の飾りだなに大事に飾っておいた。卒業まじかに、
半年間、虐め?で級長にされたことがあった。これはきつかったが、その時に
不貞腐れていて運動場で掃除をしていた私の頭を引っぱたかれた心の傷は、
今でも鮮明の残っている。しかし人を導く不思議な力を持っていた。
先生の両親とも先生で、息子も先生をしている教員一家。色々の人生を垣間
見たのだろう。そういえば小学校の同級生、地方としては男15人の中で、
慶応、早稲田、立教三人、新大二人と、出来は悪くない。喧嘩も、勉強も
ライバルが多くいた。 変なのもいたが、変ななりに、まっとうに?
家業などを引き継いでいる。 駅前エリアもあり、玉石混合ということか。
 ・・・・・・・
3307, 日本破綻 −2
2010年04月15日(木)
ー 「日本破綻ー株・債券・円のトリプル安が襲うー」藤巻 健史 (著)
 著者は新自由主義論者で、円安論者。 グローバル化社会を推進すべきだ
としている。そして「大きい政府・規制社会・結果平等税制」の是正を主張。 
経済を拡大をしないと、グローバルの世界を生き抜くことは不可能で、その
ため円を実力どおりの円安に誘導すべきという。日本は輸出立国でしか成り立た
ないと論じている。格差が開いたとしても日本の貧困層は世界の中間層で
しかない。 ここで、アメリカの強さを何気なく書いている。
・アメリカの双子の赤字は大げさ= アメリカの税収2008年で
 約2.5兆ドル=220兆円。日本の44兆円の5倍ある。アメリカの
GDPは日本の3倍に対して5倍である。一方、財政支出は、2008年で
4500億ドルの赤字。ほぼ日本と同じ。2008年末の連邦債務残高は
10兆ドル。これも日本と同じでしかない。日本は不景気が良くなって
金利が5パー増えたら43兆円の支払い増で、今の税収が吹っ飛んでしまう。
もうひとつのアメリカの赤字、経常赤字も大げさに騒ぎすぎ。ネット金額で
見ると、資本を海外から取り入れているにかかわらず、配当金や金利は
「支払う額」より「入ってくる額」の方が大きい。 借金をしていれば金利は
「支払うはず」なのに、「受け取っている」のです。それは、アメリカ人に
リスクをとる精神があるからである。海外投資で高い配当金や利息が
国内に入ってくる一方、支払い金利の方が少ないからだ。
・日本のバブル時の1989年末と現在2010年1月と比べると、日経平均
3万8915円から1万765円と4分の1近く。一方のNYダウは2753
ドルから1万765ドル。4倍になっている。その差は15倍になった。
NYダウが最高値の1万4千ドルをつけた時、日経は1万8千円として、
そこから1万765円。アメリカが20パーセントダウンに対して、日本は
40パーセントのダウンになっている。
 〜この背景には世界の主軸通貨がドル本位制がある。 ネズミ溝の親は、
外貨準備金は必要でない。ただ紙切れを刷っていれば済む。紙代だけなら
荒利は99パーセント以上の利益を得ることが出来るからだ。数年以内に、
アメロなどの新ドルに切り替え、実質的なデフォルトをしてくるだろうが、
日本破綻は大きな岐路にたつ。
 ・・・・・・・・
2009年04月15日(水)
2932,筑紫哲也の残日録
 文藝春秋の二月号の、筑紫哲也の「がん残日録」ー告知から死まで5百日
の闘いー が壮絶な死と生の記録であった。2人に1人が癌になり、3人に
1人が癌で死ぬ時代である。50歳を過ぎれば何時何が起きるかもしれない。
癌は体内に発生して、最初に発見されるまで、14〜5年かかると言われる。
発見されるまでの潜在的なものを含めると、全員が癌を持っており、全ての
人が癌への道を歩いていることになる。一グラムの癌細胞は鼠算的に2倍
ずつ増えていくと、1キロに増加するに10回の2倍を重ねるだけでよい。
  =この残日録の中の印象に残った部分を抜粋してみる=
・《07年10月20日》 福田康夫様
  歴代の総理を拝見していますと、この人がと思う人でも、鬱積が溜まって
 いくものです。それをあまり我慢するのもよくありません。秘訣は、本当に
 怒らないことです。口さがない批判、非難の大部分は、それを口にする者の
 身の丈、思考の水準に見合ったものでしかない。そんなものに自分が
 とらわれてたまるかと思えば腹は立たないでしょう。総理の仕事は、
 それより遥かに次元が違うでしょう。
・《07年12月8日》 執行猶予
  この病を得ることは、いわば《執行猶予ー死ぬまでの》の時間を与えられた
 ことになる。それは自分の正体を見つめなおす機会を与えられたということ。
 私は何ほどのものか。何をしてきたか、何をしてこなかったのか。
  己を正視するのは、そんなにたやすいことではない。それに加えて、もう
 一つの困難がある。こうやって、何事かを言語を用いて表現することは、
 通常は他者に向かっての意思伝達の手段なのだ。そのための工夫や表現力は、
 訓練次第、あるいは個人的能力によって多少とも向上させることができる
 だろう。だが、本質的に社会的、公共的ツールである言語が、自分に向かって
 自分を説明するのに、どこまで有効なのか。どんな言語表現もすり抜けていく
 部分、そこに自分の正体はぼんやりと、または黒々と潜んでいるのではないか。
 「よい人生だった」「悔いの多い、くだらぬ人生だった」どちらにしても、
 言語を用いる以上、他者への説明を意識しているのだろうし、そうでなくとも、
 「自分の中の他者」に言い聞かせているのかもしれない。
・《08年1月 日付なし》 
  泣いても一日 笑っても一日 どちらでも良い 良くないのは 
 どちらでもない一日 せめて怒ってみるか
・《08年2月15日》 次女ゆうな の言葉
  この宣告以前に、父が違う病院のお医者さんに余命について質問をした
 ことがあるんです。その時に言われたことは 『自分が駄目だと思ったとき
 が余命の始まりです』という言葉。はっきりとした余命を伝えることは
 『ダメか』と思わせることになるから、と家族で結論を出して、伝えることを
 しませんでした。
・《08年11月5日》 こん睡状態、次女に『メモ、メモ』と紙と
 エンピツを用意させ、《THANKY YOU》
 ーひとりの人の死は、生きてきたプロセスを圧縮して立ち現れてくる。
・・・・・・・・
2568, ドル覇権の崩壊 ー3
2008年04月15日(火)
 著者はアメリカが実質的価値のないドルと、偽札のドルとどこが違うと
疑問を呈する。私も以前から北朝鮮が国家として作っているといわれる偽ドル
と、アメリカのドルと、どこが違うか疑問を持っていたが、その極めつけが
プライムローンである。 まずは、その部分を書き写してみる。
 ーー
第二章 世界はこうしてドルに騙された
  非兌換紙幣であるドルの刷り散らかしはアメリカによるマネーの偽造
ーP100
「紙幣を印刷するものがが法律を制定する」少なくともまだ暫くの間はこの
格言が真実として通用するだろう。今日では、ゴールド(金貨〉は通貨として
もはや使われていない。表面上は、ゴールドによる貿易決済もゴールドを準備
貨幣とする経済体制も存在しなくなっている。しかし、それでも今のアメリカ
の強大(そうに見える)な軍事的優越性と、米ドル紙幣の印刷と強制通用の
みせかけの信用によって、諸外国の国民が、米ドルをゴールドと同じような
信用力を有するものと、思いこみ、深く信用しているからだ。また、そのように
信用させることが大事であるから、そのように、上手に「ドル紙幣の生産と
そのドル紙幣で各国への軍需や経済援助を実行し続けるという外見は今も不変。
(以下字数の関係でカット2011年04月15日)


5143,知の逆転 〜

2015年04月14日(火)

             ー知の逆転ー
  * 5万年の間、人間の認識能力は進化してない
                 対談相手 〜ノーム。チョムスキー
 フランス、スペインに多くの洞窟壁画が、近年発見されたが、発見当時は、
プロの画家や学者は、3〜4万年前に、これほど高度技術の壁画の存在を認めず、
最近、いたずらで描かれたと譲らなかった。ラスコーの壁画は、霊媒師のような
存在の人が、百数十年にわたり書き加えていたという。
≪ ・わかっていることとしては、約五万年前、ごく小さなグループの人間が
 東アフリカを出て、急速に全世界に広がっていったということ。それ以来、
知る限りにおいて、認識能力の進化は起こっていない。 つまり、たとえば
アフリカを出てから全く他の人種との接触のなかったパプア・ニューギニアや
アマゾンの原住民の子供たちと、われわれの子供たちとは、認識能力に全く差が
ないということです。当時の原住民の子供をボストンに連れてきて育てれば、
私の孫たちとなんら変わらないはず。種族間の遺伝的な差異は見つかりません。
同じ種族の中での差異はありますよ。たとえば、病理学上の違いとか。
でも基本的には認識能力に差はない。ですから、過去五万年の間に、進化上の
変化は全くなかったと言っていい。たとえば髪の毛の色といった表層的な
変化はありましたが、認識能力上の変化は起こっていない。
・考古学上の資料によれば、約5万年から10万年くらいの周期で、重要な
創造力の爆発があるといいます。ですからそれくらい前に人類学者が「大躍進」
と呼ぶような何かが起こったらしい。その頃、記号を使った行動や表記が始まり、
天体の記録や複雑な社会構造が生まれ、考古学上の記録だけでも、人間能力の
突然の進化や向上が見られるわけです。それ以前にも進化はあったけれども、
この頃に急激な変化が起った。 
・カンブリア紀の生命爆発の頃に、生物の基本的なパターンというものが
整ってからは、生物の発達というのはみなほとんど同じなのです。
遺伝子の保存についても十分にわかってきている。多様な生物は、実は一種類が
非常に長い時間をかけてわずかずつ変化してきた結果であるとする論文も発表
されているくらいです。しかしそれらとは違って、言語を含む人間のさまざまな
能力は、非常にごく最近、突然現れたものなのです。・・ ≫
▼ 「5〜10万年の周期で、創造力の爆発がある」というが、まさに現在の
 ネットの世界的普及が、これに当る。認識能力が、このネットで飛躍的に
伸びることになる。ハッキリいえば、最近、同年代の人を二つに分けている。
「パソコンをどのように使ってますか?」「ネットサーフィンしてますか?」
 人類にとって、これは有益かどうか?など、考える必要はない。奈良時代に
ヘリが空から舞降りてきて、誰でも使えるようになったようなもの。こんな
面白いものを使えないのは、知らないから。認識の飛躍的拡大が可能のマシーン
が、各自が手にしたのである。 人類にとって、断絶の時代である。
・・・・・・
4778,閑話小題 ー 二度のポタリングの試み
2014年04月14日(月)
  * 先週から、一日二回のポタリングを開始
 先週から、早朝に加え午後の一時間のポタリングを加えた。
午後はスポーツジムを早めに切上げ同じコースを走る。健康もあるが、
グライダーで空中遊泳をしているようで気持ちが晴れるからだ。
音楽を聴きながらの土手の時間は特上。
 NHK・BS/TVで、朝食時に日本各地を火野正平が撮影チーム4人と自転車で
駆け抜ける番組を放映している。数ヶ月先のコースを予告して、視聴者が、
どの道を走って欲しいかの便りを元に走る内容である。朝ドラの直後もあって
か、視聴率が高いという。平凡な毎朝の、私の定番だが、ツーリストの
自転車目線が好き。 その一つの便りに、「先年、亡くなった父親が生前、
行き先は何も言わないで早朝から夜遅くまで、出かけていた。ところが最近、
父親の日記帳を見たところ、自転車でお寺や名所廻りの行先の記録があった。
その一つの寺院のコースをまわって欲しい」とあり、そのコースを辿っていた。
「早朝から夜まで、自転車に乗って、独り、何処かに行っていた」という
言葉が妙に引っかかった。 私の自転車歴は4年半だが、その人は、一日中、
どんな気持ちで走っていた? チャリダー? ポタリスト? 私の命名は、
「一日ツーリスト」。 少なくとも、家でゴロゴロしているより遥かに良い。 
 そこで「現在、一時間のポタリングも、2〜3時間にしたら?」と思いたち、
先週から二回目を挑んでいる。で、私は、「一時間ポタリスト」というところ。 
ただ、自転車は危険なこと、この上ない。それもあって、土手と、バイパス
脇の道路以外は、避けている。最近、始めたのが、ある本をヒントに、
ベンチで「ぼんやり時間」を持つこと。これが、なかなか、難しい。
自転車があるので、道の傍のベンチに座るが、ウォーカーが通ると、
何か落ち着かない。ボ〜っとした自分の姿を他人に見られたくない気持ちが
動くのだ。 まだまだ「ぼんやり道」の初心者でしかない。
   * 面白い公園
 ツアーで、世界中を旅行していると、行先の都市の美術館、博物館、寺院
などの観光の中に、公園がある。公園は、その国の文化が、そのまま現れ出る。
その中に、ノルウェーのオスロの彫刻家のヴィーゲランの作品をテーマにした
公園がある。 幼児期から老人期、そして死、愛、感情など、一生の出来事を
テーマに、人生を考えさせられる像が、様々なテーマごとに並んでいる哲学的
空間である。初めて、その空間に入った時の驚きは、今でも憶えている。
人生をテーマに国をあげて公園をつくる、そのセンスの奇抜さに・・
 一日がかりで、それぞれのコーナーで、自分の人生と重ね合わせると、
記憶が生々しく立ち上がるのだろう。
・・・・・・
4411, 隠居大学ーよく遊びよく遊べ −8
2013年04月14日(日)
   * 心清く、よく遊びよく遊べ ーつれづれに
 老後を考える上で、なかなか面白い本である。何事にも自然体で、拘りを
持たず、自由に気楽に生きることがベース。人間は、それぞれ固いバイアスに
囲われている。それを一枚一枚、そぎ落としていくのが人生。老いるにつれ
何事も面倒になり、過去に目を向けて、周囲の現象には上から目線になりがちに。
両親の晩期を供に生活をし、冷静に身辺整理をした父の姿を見ることが出来た。
母からは何事にもチャレンジする姿を見た。「始める前に、あるレベルまで
到達できるかどうか見極めること。決心をしたら、先生を見つけ集中すること。
ライバルを見つけること」と、教えてくれた。道を極めようと一心不乱で
日々過ごすと、心が純化されていく姿が見て取れた。「心の純化」こそ極意。 
以前「何かに集中していると、あるゾーンに入る瞬間がある」と書いたが、
それは心の純化の状態。 何事も純化の心から生まれ出てくる。「童心に帰り、
純化の心で、遊べ遊べ!」である。人生を振返ると、その時々、面白く遊んだ
ことが思い出される。 事業も、遊びも、何でも、遊びになるまで対象に入り
込まないと。それは楽しむことから始まる。楽しみになるまで対象に同化する
こと。「おもしろき こともなき世を おもしろく すみなしものは 心なりけり」 
これは高杉晋作の言葉だが、その心は純化した心。 論語の雍也第六に
『子曰。知之者不如好之者。好之者不如樂之者』がある。「師曰く、真理を
知る者は真理を好む者に及ばない。真理を好む者は真理を楽しむ者に及ばない」
という意味である。真面目に学べば「知ること」ができる。 しかし、知った
ことは、よく忘れる。だが、好きでやったことは身に付くから忘れることも
少ない。更に良いのは「楽しむ」こと。・・・更に、楽しみを遊びにしていく
ことである。遊びは、現代風にいうと、ゲーム化することになる。
ゲームは仮想世界の競争である。人生を夢幻として、難関を乗り越えて
いくことになる。人生のゲーム化。 夢幻の劇場で自作自演の役割を演じ、
それを味わい楽しむことである。心清く、遊んでいれば、その役をこなすこと
が出来る。 「うれし、たのし、おもしろし」の世界を、持つこと。ただし、
節度を持ってである。だから、そこに「良く」がなければならない。
その辺りに少し気を使いながら。
・・・・・・
4037, 閑話小題 
2012年04月14日(土)
  * スマトラ沖でM8・7クラスの大地震
 先日のスマトラ沖地震は、2004年のスマトラ沖大地震の余震とみられる。
前回のような断層の縦移動でなく、横に移動したもので、M8・7の大地震に
しては大津波は発生しなかった。地震学者は、「これは東日本大震災も震源地の
隣接地域で10年、20年単位で誘発地震が起きる可能性を示唆しているもので、
注意が必要。」と、忠告している。東海、東南海、南海地震と、首都圏直下型
地震の可能性を示している。 地球規模の地殻変動期の渦中にいるのである。 
日本は、その地震帯が重ねっている地震大国。 そこに原発が54もあれば、
危険極まりない事態。
  * ポタリングを再開
 早朝のミニ・サイクリング(ポタリング)を再開した。冬期間を除いた4
月〜11月の間、一時間かけ信濃川の二つの大橋を一周する。6時過ぎから
7時過ぎにかけての時間帯だが、何とも清々しい。電動アシスト自転車の効能で、
午後の二時間のスポーツジムを加えると、三時間も運動している。平坦な習慣の
組み合わせのためかアッという間に一週間が経ってしまう。電動アシスト自転車
の使用目安を5年と決めているので、半分使え終えたことになる。電動自転車は、
お薦めである。手段(自転車)が、目的(朝の運動)を変えてしまう
(ウォーキングからポタリングへ)典型的事例になる。これからはスマート
フォンとタブレットPCの普及が、ビジネスや生活パターンを根こそぎ変え
始めているが、手段の進化は、人間生活を間違いなく良くしてくれる。
  * チョッと騒ぎすぎでないのか?
 打上げ失敗で、よかったものの、北朝鮮のミサイルの打上げ少し騒ぎすぎ。
また、おどおどした防衛大臣の巡り合わせも悪い。北朝鮮の存在で一番、都合が
良いのは中国。極端に時代がかった漫画的国家を存在させておくのは、米国の
属国、日本と韓国の国境の緩衝地帯として地政学的に見ても必要である。 
まだ韓国が存在しているから他人事のように勘違いしているが、危険極まりない。
更に、やっかいなのは日本。充てがわれた憲法をたてに、軍隊の存在を認めず、
国境を侵犯されても他国への攻撃は相成らぬという、呪縛にとらわれている。 
その結果が、国家の体をなしてない有様。この十年で、残った体力を使い切る
ことになる。
  ・・・・・・・
3671, 節目どきに ー6
2011年04月14日(木)
  * 都知事選の結果をみて
 一度、不出馬を表明していた石原慎太郎が一転、出馬をして当選をした。
東国原とかいうお笑いタレントが石原が不出馬の場合に、当選する可能性が
あったからという。お笑いタレントを首都東京に選出するなど論外だが、
この国ではありうること。都民の大部分は以前、タレントの青島で大失敗を
したことを知らない。 この時期に人材が存在しないのは、悲しむこと。政治は
言葉で方向性を常に発し導くことである。石原を除いた他の候補は、論外も論外。
  * 本州壊滅は本当だったのだろうか?
 この原発事故が発生した数日後、あるところから、これは「本州壊滅の惨事」
と聞き及んでいた。ここでも何度か書いてきたが、その直後から外国人が列を
なして帰国をしていった。去年の三月にオープンした、東京駅に隣接している
シャンブリアホテルの支配人やシェフが、逃げ出して運営が出来なくなり、
事故後10日もしないうちに、休業に入ってしまった。(昨日に、営業再開の
ニュースがあったが・・)ところが数日前になって、チェルノブイリ級の最悪
レベル7に引き上げられた。事故直後は、危険レベルが4だったが、実際は7と
いうことを外国人は知っていたのである。知らないのは日本人だけだったのが、
ここで裏づけられたことになる。風評に気をつけろでなく、政府の発表と風評、
両方とも疑ってかからないと、大きなリスクを負う。
  * ホテル・飲食・サービス業界の悲鳴
 一足先に、事業を清算したが、同業の悲鳴がグッサと刺さってくる。
前年比で全国平均で三割減、首都圏で6割減、東北・北陸で八割減。それも、
リーマンショックで売上げが半減し体力を消耗した上で、これである。地元の
リゾート地や、佐渡など壊滅的と漏れ聞こえる。「過度の自粛を控えなさい」
というが、この世情の中で、生活防衛に入りざるを得ないのは当然のこと。
だから、あまり費用のかからないスポーツジムが大流行になる。
気の毒なのは料理屋、居酒屋である。 酒のツマミには魚料理である。
その魚に不信感を持ってしまえば、足が遠ざかる。最近、居酒屋の刺身が、
いやに美味しい。高級魚が売れないため、居酒屋に安く流れてくるためである。  
 ・・・・・・・
3306, 日本破綻 −1
 2010年04月14日(水)
 ー 「日本破綻ー株・債券・円のトリプル安が襲うー」藤巻 健史 (著)
 また恐慌本だが、近未来の津波のひとつの形が株・債券・円のトリプル安
と分かりやすい。現在の世界経済と国内経済も異常事態だが、何か茹で蛙と
いうのか、諦めムードというか、危機感がいまひとつ。津波がきたところで、
今さら如何にもならないこともある。それに加えて政治の混乱である。 
最悪の政党がやっと瓦解し、溶解しかけているが、それに劣らない時代遅れ
の社会主義政権になってしまい滅茶苦茶な空理空論の政策を始めた。
それが、とんでもない破滅型政策とくれば「株・債権・円」のトリプル安は
早まること必定。  まずはー 内容(amazn)から
《 バブル崩壊を上回る市場の反乱が日本を襲う財政の極度の悪化が招く
 「日本売り」が迫る。市場経済を無視し続けた代償として「トリプル安」
 による未曾有の大混乱が迫る。惨事を回避する策は果たしてあるのか?
 〜 本文の印象的な部分を抜粋しながら考えると、現状の深刻さに凍りつく。
*「市場の反乱」が起こると、人はそれを市場の暴力といいます。しかし、
 それは違います。日本でも株価が4000円を割り、円は200円まで
 暴落をし、失業率30パーセントが日本を襲う可能性がある。しかし、
 それは『市場』の自動調整機能を封印し、「計画経済」「管理経済」政策を
 長い間とってきたことの‘ツケ’なのです。
*2008年の54兆円の税収が、リーマンショックで44兆円まで
 落ち込んでしまった。この44兆円の内訳は、法人税が10兆円、所得税が
 15兆円、消費税が10兆円、その他が9兆円。その結果、33兆円の赤字
 を出してしまった。法人税は、これで世界で一番高い税率である。ところが、
 2009年度では10兆円だった法人税が「5〜6兆円」に減ってしまった。
 それは民主党がいっていたマニフェスト「子供手当て」とホボ同額。
 法人税は日本の三大税収のひとつだが、そのひとつ分を「子ども手当て」
 として、すべてばら撒こうという。その結果、53兆円の赤字国債を発行
 して、更に金を借りようとしているから驚きである。
*ハイパーインフレは「合法的徳政令」= 以上のことから、過剰なトリプル
 安が起こった結果としてハイパーインフレになった結果としては、貨幣の
 価値が大幅に低下する。その結果、政府の872兆円の借入れは、どんどん
 小さくなる。国債も紙くずになるということ。こうなると政府も簡単に借金
 をへらすことができる。私が、これを「合法的徳政令」政策と呼ぶ理由はここ
 にあります。 ・・しかし、ハイパーインフレは大きな格差を生むことになる。
 株式や不動産を持っている人は良いが、持たざる人や、
 給料の低い経済弱者が酷いめにあう。
  〜〜
 結局、何時の世も弱者が最大の被害者に成りざるを得ないのである。 
 問題は、これが何時、始るかである。
 ・・・・・・・・
2931,わが人生最良の瞬間
2009年04月14日(火)
 ある雑誌に、「わが人生最良の瞬間」というテーマで各界30人の有名人が
寄稿していた。歓びと、悲しみ、そして出会いと別れが、その人をつくりあげた
ことを、それぞれが心を込めて書いている。なるほど、このテーマで自分の
思いを語ることは、自分自身を語ることでもある。それぞれの人が、自分の思い
入れがあり、その一番印象的な瞬間こそ、「わが人生最良の瞬間」になる。
その中で、印象に残ったものは、宗教学者ひろさちや「即今・当処・自己」。
【 華々しい賞を貰ったこともないし、逆に刑務所に入ったこともない。
それにかかわらず著作活動で500冊の本を書いた。何処をもって最高だったか?
・・と考えた瞬間にハッと閃きました。そうだ〈いまが最高なんだ〉と。
ラテン語に「カルペ・デイム」という言葉があります。「いまを楽しめ」という
意味。BC1世紀のローマの風刺詩人のホラティウスの言葉です。 仏教では 
ー即今・当処・自己ー と、いっています。「いま、ここ、わたし」。 
もし、いまが苦しみの内にあるなら、わたしはその苦しみを味わって生きれば
よいのです。病気なら、その病人をしっかり生きればよいのです。病気でない
わたし、苦しみのないわたし、そんなわたしは存在してないのである。
あの頃は良かったといっても、それはもう存在してないのです。未来に
求めても存在してないのです。それゆえ、「人生の最良のとき」と問われれば、
「いま」になるのです。何か遺言みたいになったが。】 
▼ 以上だが、最良の瞬間には永遠という時間が縦に流れとすれば、彼の
 この言葉は当然のこと。私の「わが人生最良の瞬間」を、考えてみたことが
何度もある。 私もそれほど、華やかの経験もないし、実績もない。しかし
「わが人生最良の瞬間」という経験を数多くしてきた。多くの感動の積み重ね
が自分の中に沈殿し、それが磁力になって感動を引き寄せていったのだろう。 
その度に感受性が強くなってしまったのだろう。秘境で大自然の神秘的な光景
との思わない出会い、酒を飲んで騒ぎ、読書を通して時空を超えて多くの人と
出会い、それぞれの節目ごとに多くの人と邂逅し、多くの美術館で有名な絵画
などに出会うなどの集積が、多くの最良の瞬間を引き寄せてくれたのである。
小さな自己満足でしかないが。「いま、ここ、自分」を大事にしろ!
ということ。 そして、その場をつくる積極的な準備もである。
「ひとがみな われより偉くみゆる日に 花を買いきて独りでしたしむ」も、
人生最良の瞬間になりえる。
・・・・・・・
2567, 閑話小題
2008年04月14日(月)
  *桜咲く
 今日現在、桜が満開である。三分咲き、六分咲き、七分咲き、そして満開と
自分の人生を開花の中にみる。毎年、同じ桜でも気持ちが新たになる。短時間
に咲いて散るから心を打つのである。一日ごとに、それぞれの姿を見せてくれる。
そして今日あたりから一日一日と散っていく。通勤途中だから、それがよく
見える。散るのもまた良しの気持ちにはどうしてもなれない。 
*最近の身近な景気状況
 (字数の関係でカット ー2012年04月14日) 
*その後のipod
 (字数の関係でカット ー2012年04月14日)
*最後の叔父が亡くなる
 (字数の関係でカット ー2012年04月14日)


5142,知の逆転 〜⑤

2015年04月13日(月)

                ー知の逆転ー
  * 帝国主義の終わり ーC  (民主主義の限界と、ネット)
              対談相手 〜ノーム。チョムスキー
 帝国主義の限界が見え始めてきたが、まだ当分の間は続いていく。
新しい時代に入り世界の枠組みが激変を始めた現在、民主主義も
限界にあるようだ。  〜インタビュアーの質問に
≪ ー侵略者はいつだって、気高い志に燃えているー
 もしブッシュをインタビューして、真実についてどう考えるかと聞いたら、
おそらく真実は素晴らしいもので、自分は真実というものに挺身するつもりと
いうでしょう。ヒョッとしたらヒトラーも同じように・・ 
アメリカ南部の奴隷所有者たちも実際かなり的を得た論理を重ねていた。
  ー民主主義の限界ー
 アメリカは世界中で最も自由な国のはずだが、国内に力の不均衡がある。
情報システム、メディア、広告などが、ほんの一部の手に集中している。
巨大な力を持つアメリカの企業は、地球温暖化というのは根拠のない仮設
に過ぎないと、大衆の説得を試みていて、しかも成功しつつある。
人為的な理由による地球温暖化を信じているのは人口の3分の1にすぎない。
先の(2010年)中間選挙で当選した共和党の大部分は、温暖化を否定。
共和党の主要委員会の若いリーダーは、「そんなことを神が許すわけがない。
神が許すわけがないことは存在しない」と言ったのです。
  ーインターネットなどの垂れ流しの情報は、情報がないのと同じー
 生物学者が、ハーバード大学の図書館にある全ての論文を読んだところで、
ほとんど何の役にはたたない。 生物学でノーベル賞をとるような人は、
論文を片っ端から読むような人でなく、何を探すべきか、何が大事か、
ということがわかっている人です。だから、こちらで大事なことを拾い、
あちらで大事なことを拾うという風に働く。・・・
 世界事情も同じで、何が必要か知っておく必要がある。そのために、
理解あるいは解釈の枠組みというものをシッカリと持っていなければ
ならない。これを個人で獲得するのは大変で、機能している教育制度や
組織が必要だし、他の人たちとの交流が必要になる。ちょうど科学分野の
大学院のようなものです。≫
▼ 世界の富の半分は、およそ80人が所有するという。グローバル化が、
 そのために大きな力に働いている。イスラム国は、それに対する抵抗
勢力とみると、その意味の一端が見える。アラブやアフリカの国は、
欧米の都合によってつくられた人工的国家であり、元首はポチと見做す
のも、一理ある。そして、日本の保守本流も、そう見ると肯ける。
・・・・・・
4777, 閑話小題 ー消費税3%値上げの実感
2014年04月13日(日)
   * スタップ細胞の真偽について
 世紀の発見といわれたスタップ細胞の存在の真偽問題で、小保方リーダー
の記者会見がライブでTV放映をされた。理化学研究所のトカゲの尻尾切りで
終わらせようとした目論見は失敗。冷静にみれば、やはり小保方氏に問題が
あったとみるしかない。200回もつくったなら、期限を決めて201回目を専門家
を総動員してやればよい。共同研究者の上司が降りたことからみても、疑われて
仕方がない。世界的な大問題になった中での、彼女の会見の受答えには驚いた。
本人が撒いた種としても、問題が表沙汰になってからは地獄だったろうに。
彼女が醸し出ている怪しげな雰囲気が、ドラマ仕立てに妙にピッタリである。
「傷口が膿んだ後に皮膚が再生するのだから、それらしき何かがあって
然るべき」という専門家がいたが、いやに納得させられた。
   * 消費税3%値上げの実感
 毎週、木曜日のスーパーのシルバーディに酒とツマミなど一週間分を
買い込む。で、先日の値上げの実感といえば、思いの他、大きいというのが
実感。他の値上げを加えた家計は、これでは大きく響くはずだ。私にとっては
酒を控えるチャンスにもなる。ウィスキーの水割りと黒ビールの二本を、
350mlのノンアルコールビールと、黒ビールの二本にすればよいが。つい売場
で、他に日本酒かウィスキーのボトルに手がいってしまう。この値上で、電化
商品とか車などの売上が、駆け込み需要の反動で激減しているが、ファミレス
とかコンビニは、影響が少なそうだ。 年金だけが収入の我家。家内の買物
行動をみていても、異常なくらいシビアになってきたが、何かゲームを楽しん
でいるふう?これでは当分は、さらなる消費の落ち込みになる!それと価格に
転嫁の難しい中小企業も、厳しい事態である。世界的株価の暴落の可能性も
膨らんでいる現在、危険な日々が続くことになる。「10年前から今日まで、
何が起こった?」そして、「今後10年間で、同じレベルか、それ以上のことが
今後起こるとしたら、それ何?」とすると? それより我身の存在?
・・・・・・
4410, 夫源病と妻源病
2013年04月13日(土)
 昼のワイドショーで、ゲストの医者が「最近の病の原因が夫婦間のイザコザ
が多い」という。それについて何人かの主婦や、夫に街頭で互いの不満について
インタビューをしていたが、その殆どが我が身に当てはまる内容。驚いたのは、
「それでも旦那を愛していますか?」という質問に、イエスと答えたのが20人
いた番組の参加者の僅か5名。キャスターは唖然。そんなものだろう、夫婦は! 
  ーそこでネット検索で「夫源病」を調べるとー
≪ 最近の病の原因を探ると、妻は主人への不満を語り出し「夫源病」と診断
 されるケースが多い。夫の言葉や行動に対する不平や不満がストレスになり、
妻の身体に更年期のような症状がでてしまう。まずはコミュニケ不足と家庭内の
役割分担がうまくいっていないことが問題、と言われる。家庭の主婦がおこす
病名として、大阪大学大学院医学研究科の准教授・石倉文信先生が名付けた病名。 
夫源病の症状として、原因不明の不定愁訴や強い耳鳴り、横揺れのめまい、
激しい頭痛、のぼせ、ひどい肩こり、全身の痛み、動悸、息切れ、呼吸困難、
不眠などがある。妻の置かれた状況を察しない夫への日々の小さな不平や不満
が、脳の視床下部(自律神経やホルモンのバランスを司る部位)にストレスを
かけ続け、次第に自律神経がバランスを失い暴走し、色々な症状をおこす、
と考えられる。その夫源病の対策として、感情を爆発させる、秘密を持つ、
プチ家出をする、などがある。≫ 
▼ 夫も同じで、モンスターワイフのストレスの「妻源病」が増えている。
 以前からあったが、こういう病名が付けられると、互いに我慢していた夫婦
の亀裂が更に大きくなる。 中国で巣立った後の家庭を「空巣家庭」という。
また英語には、「Empty nester」という言葉がある。ヒナ鳥が巣立った後の
「空っぽの巣」 を守る親鳥に喩えて子供が育った後の親の事を指す。日本中、
団塊の世代が定年を向かえ、空の巣で「妻源病」「夫源病」が向き合い、互い
の首輪の紐を持ち合い、引っ張り締め付けあう。とはいえ、状況からして
今さら離婚も無理。さらにリタイアによる収入激減が、不満に火をそそぐ。
多かれ少なかれ、何処の空巣でもバトルがある。
で、やはり強いのは大方は御夫人の方? 
・・・・・・
4036, 一時停止 ー2
2012年04月13日(金)
         「一時停止」 谷川俊太郎ー自選散文ー1955〜2010
  * 昼と夜  ー ある感受性のプログラム 1955年5月 ー より
≪ 私「それで、あなたは、昼と夜とのどちらをお選びになるのですか。」 
 詩人は目を地に落としたまま答えた。「私は両方を選ばねばなりません。
私は詩人ですから。しかしあなたは昼を選ばなければいけない。あなたは
詩人ではないのだから。あなたは夜、眠ることが出来るのです。そうです、
人間はみんな夜、眠らなければいけないのです。眠りこそ最も知恵深い
行いなのです。」 私「あなたは昼も夜も眠らないのですね。」
詩人は答えなかった。 私は詩人の深い孤独を思わずにいられなかった。 
その私の気持を見ぬいたかのように詩人はいった。「しかしそれが運命なら
詩人はそれを不幸とは呼ばないでしょう。どんな不幸であろうと、それが
言葉になった時、詩人は幸せなのです。その時彼は人間になれるのです
「だから。詩人の本当に怖れるのは言葉になり得ない不幸なのです。」
その時、すべての夜が詩人の中に集ったかのようであった。 私たちは
黙って立ち上り、歩き出した。夕暮が近づいていた。詩人「こんな日は、
ぼくはかえって気楽なんです。どうも曇りの方が晴れよりも人間的な
ところがありますね。 ぼくは天を見ずにすみます。だからぼくは人間
の中にいられます。ほんとうに雲ってやつは、大気や水が無ければ出来ない
んだから、それだけでもどこかわれわれに親しいような感じがしますね。」 
私「で、あなたは今、昼を選んでいらっしゃるというわけですか。」 
私の問は半ば冗談だったのだが、彼の顔は生真面目であった。 
詩人「そうもいえるかもしれません。 しかし詩人は昼を選んでいる
ように見えている時でも、決して夜をあきらめてしまっているわけでは
ありません。また逆に夜を選んでいるように見える時でも、決して昼を
諦めているわけではないのです。」≫
▼「どんな不幸であろうと、それが言葉になった時、詩人は幸せなのです。
 その時彼は人間になれるのです。だから詩人の本当に怖れるのは言葉に
なり得ない不幸なのです。」 言葉になり得ない不幸が夜という言葉に滲んで
いる。谷川のいう言葉は、言霊である。「不幸も言霊になった時、それも
夜半の闇の中で熟成して生まれ出ると、不幸が不幸でなくなる」のである。 
夜半に目がさめ、色いろ考えが吹き出てくる。それはマイナスが多い。 
詩人は、そこで多くの想いの中で、葛藤し言霊を生み出すのである。
 ・・・・・・
3670, 節目どきに ー5
2011年04月13日(水)
  * 娑婆には知らないことばかり
 先日、最近できたSC内のスポーツジムの施設を見学に行ったところ、
10時のオープンに50人位の行列。「プール関連の新しいサービスが開始
されるため」というが、今どきに、あの熱気は凄い。館内設備の案内をして
もらっていたら早速、小中学校時代の同級生に声をかけられた。
「よう、八ちゃん、入れって!」だと! 時が時だけに「まずい!」と
思ったが・・ 何を今さらと気を持ち直して一時間ぐらい見学をしたが、
成るほど人が殺到するわけである。ここは契約時間内なら何時間いてもよい。
家内の新潟在住の知人は駅南のスポーツジムに、日中5時間も行っていると
聞いていたが、成るほど合点がいった。家内の、別の新潟の友人は、二つのジム
に入っていて、交互に行っているとか。家にいるより快適で、金がかからない
上に、主婦にとって癒しの場。漫画喫茶のパソコンとTVの替わりに、
ウォーキングマシーンなどを入れかえたスポーツ用レジャー施設である。
平均年齢が女性の方が5歳以上も多いのが分かる。 風呂・プール関連、
ウォーキングマシーン・サイクリングマシーン、エアロビックスのプログラム、
そしてマッサージ機の4本が柱になっている。考えた末に、10〜17時の
平日コース(金、日、祭日 休み)に入ることにした。 月15回行くとして、
一回につき400円なら価値は充分にある。 これと市営の福祉センター内の
運動ジムと、図書館が当面の日中の外部空間になる。考える時間が多く
なった分、身体を動かさないと! 
・・・・・・・
3305, 金の価格は談合で決まる!って本当 ? ー2
2010年04月13日(火)
 ハイパーインフレへの対策は、少しは金でヘッジをすべきと思っていた。
前回のレポートからみて、投機、投資の世界は、私たちの窺い知れない世界。 
金融シンジケートの手中にあるようだ。そのうえ、国家が金を吸い上げようと
思えば、朝飯前。利益に8割でも9割でも税金を賦課すればよい。その結果、
金売りが殺到し暴落する。その後、政府が買い上げた上、その法律を元に戻す。 
一般の国民は、一時的の収益があっても中長期の利益を上げ続けることなど
不可能である。アメリカの金融占領国の日本は、そのコントロールから抜け
出すことは出来ないのが現実。近々に為替か株式かで、乱高下が起こるはず。
金は世界共通通貨である。ネズミ溝システムの米英通貨体制とすると、
ドル体制を守るために金の価格をコントロール下におくのは当然。金が真実で、
ドルを虚偽と仮説すると、ドルを発行するアメリカは、金の価格を可能な限り
下げておく必要があった。 しかし借金棒引きために、数十年かけて静かに
買い集めたゴールドを、今度は暴騰させドルの価値を下げる必要性が出てきた
のである。ドルの下げはアメリカの対外債務が大きく減額される。1〜2年か
遅くても3〜5年後には金の暴騰を中国などと組んで仕掛けてくる。と同時に
デノミなどを世界中が一斉に実施するだろう。その前に金融シンジケートは
何度かは大きな株や債権の上げ下げをしながら、売りだされた金などの現物
商品を買いに入る。だから、5〜10年スパンの長期保有の覚悟があるなら、
金は買い。「世界は、ごく一部の人たちによってコントロールされていて、
99パーセントの人たちは、彼らに搾取されている」という、眉唾的な本を
度々見かけるが、一連の恐慌謀略説など、あれは本当だったのかと考えざるを
得なくなる。G7の首脳を動かしている力の存在は、当然、存在している
はずである。今更何をいっているかだが!
・・・・・・・・
2930,新潟清酒達人検定
 2009年04月13日(月)
一昨日の法事で、隣に座った従兄が三月に「新潟清酒達人検定」
に受験、銀と銅のランクの、銀に合格したという。
・銀が500人、銅が800人が受験、合格率が7割。発表はネット上だという。
・3000円位の教科書があって、その中から問題が出て、○×で答えるもの。
・内容は、大吟醸は何の基準で決められるのか?とか、清酒のアルコール度は
 1〜22度まであるとかいう軽い内容が中心?
(以下、字数の関係上カット2012年04月13日)
・・・・・・・・
2566, ターニングポイント
 2008年04月13日(日)
・世界のターニングポイントは
 ソ連が崩壊した1991年か、アメリカの9・11テロの起きた2001年か、
 意見は分かれるだろう。
・日本は、バブルと、その崩壊の(1986年12月〜1991年2月までの4年3か月の)
 1991年か、阪神淡路大震災、オウム事件、そしてネット社会の始まりをつげる
 ウィンドウ95の発売で始まったネット社会の起動の1995年か、これもまた
 分かれるところである。世界にとって、ソ連の崩壊と、アメリカのテロによる
 威信の失墜と弱体化は、同じ位の意味はある。世界も、日本も、その背景にある
 のは、情報化社会の到来によるグローバル化がある。民族と宗教対立が世界規模
 で生じてきたのである。そして中国ではオリンピックを契機に大混迷期に入る。
   ー以上のことからー
「日本はバブルの発生した1986年からウィンドウ95 ・阪神淡路大震災 
 ・オウム教事件の発生した10年間、世界はソ連崩壊の1991年から2001年の
9.11事件の10年間が、ターニングポイントの期間になる」ということになる。
これは20世紀から21世紀への時代の千年単位の変化で、その背景にIT革命など
の科学の飛躍的進歩がある。まさか、ソ連が崩壊するとは思っていなかったし、
ニューヨークのアメリカを象徴するビルが二つ瞬時に消滅するなど、
考えられない事件であった。 日本では、バブルと、その崩壊、そしてネットの
普及は大事件である。20以上あった都銀が、あれよあれよという間に3つに集約
され、西武グループも、西武鉄道も解体された。デパートも、ここにきて4つに
集約されようとしているし、ナショナルチェーンも2つに集約された。
ターニングポイントは、10年にわたったが、その余波は政治経済の事象を大きく
変え続けている。それだけ大きな時代の断層は大きいのである。 身近では、
僅か3年半で大地震が二度も起きた。幸い事業には最小限の影響ですんだが、
それでも決して甘い状況ではない。 ハッキリいえることは、これで新潟県の
エネルギーが10〜15%ダウンした。 その中で、一つ状況への対応を間違えれば
事業として即死するしかない。これは、どの事業も同じことだが。もう一つ
ターニングポイントといえば、今年が大きな変わり目になる。
恐ろしい年と覚悟をしたほうがよい。特に、後半に政治も経済も大波乱がある。


5141,閑話小題 〜二年で円の通貨量が二倍になったが

2015年04月12日(日)

   * 二年間で円の通貨量が二倍に!
 二年前、日銀の黒田総裁が、「2012年末に138兆円だった資金供給量を14年末
には約2倍の270兆円に拡大。長期国債の購入量も2年で190兆円と2倍強に、
上場投資信託などリスク性資産の購入も増やす。インフレターゲットは2%。」
と発表した。ところが、先日のニュースで、「2年間で円の通貨量が
2倍になったが、インフレ目標の2%はゼロのままと、日銀が公表」と報じた。
 リーマンショック後、米国は数ヶ月で二倍、現在は三倍以上にドルを増刷、
為替相場が3分の1になったかといえば、7年前と同じ。日本の供給量は
2年で二倍。しかし為替相場は3分の2。株価は安倍首相が就任した2012年
12月26日の終値は1万0230円36銭だから、2倍になった。日本も米国も通貨量を
2〜3倍にしたにも関わらず、インフレにならないところが摩訶不思議。
アベノミクスは中長期的にみて明らかな失政が見てとれるが、保守本流の
頭脳は膨張以外、考えが至らない。「後は野となれ山となれ」である。太平洋
戦争突入の数年前の様相と似てきている。家内を見ていると、物価の値上げに
対する反応に敏感だが、これは一般主婦の趨勢。スタグフレーションの様相を
示している。保守本流は、早くいえばアメリカの忠実なポチ。強者に優しく、
弱者には厳しい。先日、図書館で借りてきた、『金持ちが確実に世界を支配
する方法』の「1%による1%のための勝利戦略」が、まさに現在の政権と
酷似している。とって付けの、政策など、直ぐに、その正体を現れ出るが、
その前に衆議院選挙を昨年末に断行した安部も、強かである。この国民を
して、この政府。とはいえ、激動期には保守本流で中心を固めないと、
学芸会のような政治ごっこの政党に、国は荒らされる! まだ、マシ?

・・・・・・
4776,閑話小題 ー痴呆症を持った家族の物語
2014年04月12日(土)
   * サクラサク ー昨日みたシネマ  評ー85点
 ストーリーは、《 大手家電メーカーに勤める大崎俊介は、部下からの
信頼も厚く、将来を嘱望される会社員だ。重役への出世も目前で、生活は順風
満帆なように思えた。しかし気付けばその家庭は多くの問題を抱えていた。
妻・昭子との関係は冷え切り、息子の大介は大学受験に失敗してからは
アルバイトを転々とし帰宅後も部屋に閉じこもる。娘・咲子は高校生だが毎晩
帰りが遅く、俊介の忠告も聞かず何を考えているかわからない。周りを見つめる
きっかけは、父・俊太郎が老人性認知症を患ったことだった。大雨の夜、俊太郎
は徘徊しているところを警察に保護され、この日を境に変な行動が増えていく。
苦しむ俊太郎を見ても家族は見て見ぬふりで、一切助けようとはしなかった。
薄情な家族に俊介は大きく失望し、孤独な父を守ろうと奮闘する。
しかし実は、息子が人知れず俊太郎を介護していたことを知り… 》
▼ 40歳半ばから50歳までの5年半の間、母親の認知症と付き合った。
 映画は息子と娘、私の場合は、息子2人と、少し状況は違うが、家内も同じ頃。 
家庭内や、4人の実姉達との関係は崩壊寸前。他にも大きな問題を抱えていて、
人生の大きは危機の時期であった。実の母親のシモの失敗の始末は、なかなか
出来るものでないが、思わぬことが起きた。長男がみかねて、率先して面倒を
みてくれるようになっていた。しかし次男は、素知らぬふり。ところが、その
長男が進学で上京をしたと同時に、自分の順番とばかりに、負けないぐらいに
世話をするようになった。それぞれの立場があったのである。それにしても
一番だらしないのが自分。それでも毎日の早朝、車で20数分先にある、長岡
ニュータウンの散歩道で三十分の間、神秘的時間を過ごしていた。この映画の
ストーリーはハッピーエンドだったが、実態は、そう甘くはない。経験者に
とっては、物足りない感が残るのでは?現在、非力な自分への後悔の念が残る。 
その時は無我夢中だったが、よくぞ家族で乗越えたものと改めて、家内と
子供に感謝の念が湧いている。そして今度は自分の順番が、さほど長くない
先に控えている! やはり死ぬべき時に死ぬが良い!それまで一日一日を
味わい尽くすしかない。母親は下の失敗は最小で済んでいたが、呆けても
プライドが、そうさせていた。 御陰で、この5年半の経験がバネになって、
50歳代の10年間で20年〜30年分の人生を燃焼することが出来たようだ!
・・・・・・
4409,隠居大学ーよく遊びよく遊べ −7
2013年04月12日(金)
 第六時限「遊行の旅に出よう」ー「隠居大学」天野祐吉、お相手 安野光雅
    * いのち短し恋せよ 人生は! 
 御隠居には自由気ままで何事も楽しめる特権がある。桜は咲き誇った時だけ
でなく、桜絨毯にも何ともいえない美しさがある。散った花も花である。人生は
二度なし、その時どき、すべきことをしておくべき。しない後悔より、してみた
後悔がよい。「いのち短し恋せよ 人生」である。今でも遅くない、
自分のバイアスに気づき取り払うこと。それが、御隠居の残された最後のお勤め。
今までの枠を超え楽しまなくては、長生きの甲斐がない。
どちらにしても先は長くはないのだから。
≪ 天野: 落葉の風情なんてまるで意味のないものと思われていますよね。
 安野: あのね、わたしの家の近くには桜並木があって、春には窓から
  花見ができる借景なんです。この前、ある人が近所に引っ越してきて、
 その人も最初はキレイな桜を見て「素晴らしい、素晴らしい」って喜んで
 いたの。ところが、秋になって落ち葉が家に入ってくるようになうたら、
 こりゃ住めたもんじゃないっていって、引っ越しちゃった。花も落葉もある
 いいところなのに。落葉は風が吹くと竜巻ぎみたいになって、クルクル
 回ったりしてね、いいなって思うんだけど。
天野: 落葉のそういう風情を楽しむのは、遊び心の一つなんですよね。
 機能的なことだげ考えたら、そんなのないほうがいいってことになっちゃう。
 だけど、そういう、なんとなく無駄なようだけど風情があることの中に、
 何かこう人生を感じたり面白味があったりするなあと思うんですよ・・(略)
安野: ・・・いまの現代の文明が昔を超えたかというと、超えていないわけ
 ですよ。ミケランジェロみたいな絵を描けっていわれても描けない。
 ミケランジェロはおろか、まだ人間以前のクロマニヨン人が描いたラスコー
 の壁画だって描けませんよ。電気もない、真っ暗な洞窟の壁に、あんなもの
 どうやって描いたんだろうと思うけど。文明は進化したかもしれんけど、
 文化はさほど進化していない。だから、古いものだからって、
 バカにするのは違うんですよ。
天野: 人間は技術文明の上では巨人になっても、文化や芸術の面では木偶の坊
 になったっていう人がいるんだけど、同感だね。せめて現代の隠居は、落葉の
 風情の楽しみ方みたいなものを次の世代に伝えていけたらいいと思います。
安野:『即興詩人』に憧れてイタリア全土を周遊するなんて若いころの話で、
 今では、仕事だから、仕方がないから行っているものも多いんです。
 私は言葉が分からなくても行くからね。そういうと、言葉とか、食事は
 どうするか聞かれる。高学歴の人に多いね。でも、困ることなどない。
 宿屋に行けば、「部屋探しに来たんだな」って思われるし、八百屋に行けば、
「野菜を買いに来た」と思われる。レストランなどでは上から三つ目にしている。
 たいてい食べられるものが出てくる。 一度、とんでもないものが出てきた
 ことがあったけどね。(笑い)  
天野: 隠居生活は、遊行の旅のようなもの。日々気ままに、
 好きなほうに歩いていけばよい。面倒なことをしないで。
安野: そう、なんでも、自分の思いのまま、楽しんでやってみたらいい。
 言葉など必要ない。いのち短し恋せよ少女、ですよ。≫
▼ 何ごとも楽しむ人生を過ごせたので、あまり人生に後悔はない。
 いい時代、いい家庭に恵まれたことを感謝している。あとは、過去の思い出と、
現在の楽しみを味わい尽くすことである。死んでしまえば、それまで。生きて
いるうち。 それにしてもバイアスが邪魔をする。「ハミングしながら
スキップ気分で何事にも触れること」は分かっているが、いま一つ。
・・・・・・
4035, パチンコに日本人は20年で540兆円使った
2012年04月12日(木)
  「パチンコに日本人は20年で540兆円使った」 (幻冬舎新書) 若宮 健(著)
 以前にも、同じ著者の本を取り上げ、パチンコが日本に大きなマイナスを
与えている実態の驚いた。先日、図書館で、その続刊の最新書を見つけ読んで、
改めて、その被害?の大きさに驚いてしまった。
 ー内容紹介ー
≪ あっという間に1万円が消えるパチンコに日本人は多くのカネと時間を
奪われてきた。この既得権益を貪る人間、依存症に苦しむ人々。20年で540兆円
―日本人が「失われた20年」でパチンコに費やしたカネは、2011年の国家予算
(92兆円)の約6倍、GDP(479兆円)を凌駕。多くの人々の労働・消費意欲を
奪い、また精神疾患であるパチンコ依存症者の数は450万を超える。ものの30分
で1万円以上を失うパチンコが、カネと人間性を奪ってきた。なぜ韓国には
できた「パチンコ全廃」が日本ではできないのか。依存症の実態とそれを誘発
するメーカー、蜜に群がる利権政治家、警察、マスコミの現状を徹底糾弾。
◎ パチンコ業界の売り上げは、『レジャー白書2011』によると、2010年は
 19兆3800億円。これは日本独自の市場。ギャンブル依存症は世界保健機関も
認める精神疾患近年は通常の病気と同様、健康保険の適用を受けられるように
なった。否認の病気と言われ、嘘・借金・お金を盗む・うつ・失踪などが症状
で、進行性の病気である。厚生労働省が2009年に行った研究調査の結果によると、
 日本の成人男性の9.6%、同じく女性の1.4%がギャンブル依存症であるという。 
2009年の成人人口から単純計算すると、男性は483万人、女性は76万人で、
合わせて559万人という驚くべき数。そのうち8割程度がパチンコ、
パチスロによるものと言われる。
◎ テレビ、映画で禁じられるサブリミナル効果がパチンコの特許に特許
3029562の発明。大当たりの図柄を暗示銘柄にし、遊戯者が認識できない短い
時間、挿入している。潜在意識に働きかけ、遊戯を続行させる手段として
用いているようだ。≫
▼ 私の感覚では20年で540兆円、年平均27兆円も使ったとは信じられない
 額である。コンビニの総売り上げが8兆円。スーパーの売上総額が20兆円。
書籍の2011年総売り上げが1兆1千億というから、その20倍の売上高。
それに対してパチンコの売上総額が20〜30兆円。しかも愛好者が1600万人、
中毒者が500万人。数多あるコンビニの二倍以上の売上高?信じられないので
何度見直しても、そうある。 事実としてみると、これは亡国の事態。
韓国は、その社会的大きさに、国家として廃止してしまった。
しかし日本には、それを実行するだけの自己修正力は無くなっている。
◆ パチンコ店が何故、廃止にならないのか ? −2 2012/02/28
 パチンコの売り上げ、10年前に30兆円、現在では20兆円という。ギャンブル
総額が30兆というから、大部分がパチンコ・スロットの売上げが占めている。
子供を含めて一人あたり15万円にもなる。これは明らかに賭博であるが、
どういう訳か廃止論が出て来ない。この国は、政界、警察、広告、メディアが
パチンコ業界と癒着?の実態がある。それがあって当然というのも異常。 
チョットした市の郊外には必ずパチンコ屋がある。ギャンブルと見なされて
ない遊びの文化のようで何の規制もない。 受験が終わって、友人と初めて
行ったのがスロットマシーンとパチンコ屋。 やっと大人を感じる時である。 
人がギャンブルに嵌りこむのは、大損しても、稀に勝った快感の記憶が残り、
その味を求めて繰り返す仕掛けがある。業者の方は、勝った際の高揚感や
恍惚感を高める工夫をする。パチンコ店の音楽やパチンコの光と音など。 
そして勝つための技術が必要と錯覚させる仕掛けをつくる。負けたのは、
勝つための技術料金と錯覚させる。もう一つ巧妙なのは、ニアミスの仕掛け。
スロットの場合、AAAが当たりの場合、ABAや、AABが出ると、
「当たり損ねた」と考える。 しかし、外れは外れでしかない。その辺の
気持ちを逆用するようゲームは出来ている。ギャンブル依存症の人は、
脳内に勝った時に出るドパーミンが長年の間に多くなっている。それは麻薬
中毒の似ている。iPadを購入して以来、パソコンゲームに嵌っている。 
あるゲームの場合、達成すると、音楽と金色の星が三つでる。失敗すると、
グフフ!とバカにしたような笑い声と軽蔑の絵が出てくる。 それも、
あと一歩のところで達成できないようになっている。金を賭けている訳でも
ないのに、やり始めたら、止めるタイミングが無くなりトイレさえ行けない
ほど熱中する。難しい本を読んだ直後には非常に効果的である。私の周辺の
人でパチンコが趣味というのは一人もいないため、20〜30兆円がピンと
こないが、この金額は国民の何割の人は中毒に近いと伺わせる。韓国は、
悲惨な悲劇の続出で禁止されてしまった。この不景気で、業界は壊滅的打撃
を受けているはずだが、何故か倒産の話は聞こえてこない。
  ・・・・・・・
3669, 節目どきに ー4
2011年04月12日(火)
 こういう時にこそ、これまでの付き合いの真の姿が見えてくる。
私の人間関係は長年?の友人が多い。その節目どきに、真かどうか見えてくる。 
具体的の話は、まあ・・止めておこう。立場が変われば、これまでの関係が
変わるのは当然。それを取り上げること自体がおかしい。その中で一番身近な
家内が、このところ上機嫌である。立場が逆転するからである。
今後を考えただけで恐ろしい。早々に粗大ゴミにされてしまう恐れがある。
彼女も含め、手の裏を返す人の共通点は、プライド?の高い、底の浅い?
修羅場経験の少ない人?等、共通がある。しかし何処か憎めない性格。
前向きな人生を生きていなかった? それぞれの人生が、境目から見えてくる。
これは私の歪みの目。それでは御前は何じゃい! と言われると返す言葉がない。
年齢からして「節目どき」というより「夕暮れどき」か? 65歳なら、それも
仕方がないか。 大体が人間の付き合いは立場における力のバランスの上で
成り立っている。その力が変化をすればバランスが崩れて当然と割り切れば
よいのは分かっているが。 ところで昨夜、学生時代の友人が当時のクラブを
代表して東京から見舞い?に来てくれ新潟駅南で一献を傾けた。
(当人の会社の仕事が偶然あったこともあるが)有難いことである。 
そうこうして落ち着いた二ヶ月後に落ち込みが来ると、何の?先輩の実兄が先日、
電話で教えてくれた。 この体験の中で、ここでは書けない聞くに値する?
話しは幾らである。いや、この数年間は、その宝の山だろう。特に銀行筋の
手順の中には・・・ それと、世間様レベルの人々の視線を、そのまま書く
ことになるだろうが、面白そうだ。「家内が、先日、前の町内会長婦人とあった
ので、挨拶をしたら無視された」レベルの話しである。こういうのを重ねて、
ジワジワ追い詰められていくのだろうが、アウトサイダーの長年の実績が、
こういうのを茶化して楽しむ術がある。人は言葉よ、言葉!それも心の奥底の
絶対言明!より深く本を読む節目の時節到来か。
 ・・・・・・・
3304, 金の価格は談合で決まる!って本当 ? ー1
2010年04月12日(月)
 あるレポートに「金(ゴールド)の相場は談合で決まっている」という
衝撃的な内容があった。どうも金の相場を見ていると、不可解な動きに疑問を
感じてはいた。しかし、こうしたレポートで、「連銀が間接的にコントロール
している」とか、「大手貴金属会社の主要メンバーの談合で動かされている」
というと、話しは違ってくる。 〜そのレポートの内容とは〜
・ひとつは、世界の中心的な金相場のあるロンドンで、JPモルガン・チェース
などの米英機関が相場が上がりそうになる度、大量の先物売りを浴びせたという。
連銀が金融機関に相対取引で「地金を貸し出す仕組み」の中で金利を極端に下げ、
金の空売りを奨励しているというから、聞き捨てにはならない。これはある業者
の告発から表ざたになった情報で、レポートの主が「ネット上で見つけた内容」。 
真偽は如何だろう?
・いまひとつは、金の価格は表向きの取引で決まるのではなく、ロンドン貴金属
市場協会のメンバー60社の中の主要9社が午前と、午後の二回、金額を持ち
寄り、上の値の2社と下の2社の価格を取り除いた5社の価格平均で決めている
いうもの。米英が二社ずつ、独・仏・日、カナダ、スイスが一社ずつという。 
ここで問題になるのは、その総量が実際に会員が保有している総量より多いこと。 
これはマグワイヤというトレーダーによって暴露されたという。その本人は、
その後に、あわや暗殺されそうになったとか。金の先物で破産したとか大儲け
したとか、という話を聞くと、ラスベガスの八百長賭博並みの世界で騙された
結果でしかなかったことになる。「嘘だろう!」と狐につままれた内容だが
相場の世界は、こんなものかもしれない。相場の世界は情報の質量の絶対数が
多い方が有利で大手ほど有利になるが、「金相場が談合で決定!」というと、
話は違ってくる。ちなみに、このレポートはネット上のものだが、半年、
3千円、2〜3日に一度、書き込みがあるもの。 決して、怪しげな情報源
ではない。世界経済は、数人の男たちによって動かされているというが、最近、
それが信じられるようになってきた。ロシア、アメリカの政府の首脳とは別の!
・・・・・・・・
2929,閑話小題
2009年04月12日(日)
 * 昨日は法事
 去年早々、母方の叔父が亡くなり、両親の全ての兄弟・姉妹と連れ合いが
亡くなった。その叔父と連れ合い、そして長男の合同の法事が昨日あり、家を
代表して参列してきた。「自分たちの法事としては、最後」と言っていた。
これから法事は少なくなる傾向のようだ。「家」の意識が、ここで大きく変化
している。親戚も最小にして、ごく内々で済ますようになった。坊様の商売は
不景気に大きく左右される上に、これだから上ったりだろう。
 * 国債>税収 
09年度の一般会計が、ついに税収を国債発行が超えてしまったと、あった。
目を疑ったが、事実である。もちろん戦後60数年で初めてで異常事態である。
国債大量発行で国債価格が下落し、金利が上がれば、企業の資金調達が困難に
なる。恐ろしいことである。世界規模の大恐慌を避けるために、15兆円の
大ぶるまいだが、それは国債発行でまかなうしかない。しかし、その結末は
将来の大きな負担と禍根を残すことは間違いない事実。あらゆるところから、
綻びが現れてきている。
 * 宮城県が2011年にも財政破綻
これまた、目を疑ったが、宮城県が2011年にも財政破綻という。宮城県だけで
なく多くの県が同じような窮状にあるという。一般には隠しているだけで、
数年以内に露呈するという。一日一日と何か恐ろしい事態が迫っている。
マイナスばかりが、目に付くが、それが現実なら仕方がない。
 * 桜が満開に
新潟市は昨日一昨日と花見と年度変わりの歓迎会を兼ねた宴会が集中する。
不景気になって今年は、それが顕著に現れたようだ。近くの地元の大型居酒屋
は、予約で満杯という。但し長岡は、どこもガラガラ。地域によって
違うようだ。桜は満開になり、渡り鳥の姿が見られるようになったが、心は・・


5140,閑話小題 〜北陸新幹線開通1ヶ月

2015年04月11日(土)

   * 北陸新幹線開通1ヶ月
 北陸新幹線が開通して1月。ゴールデンウィーク辺りから、福井、石川、
富山の北陸三県の観光地が脚光を浴びる。金沢は加賀百万石の文化が営々と
引継がれている。20歳代半ばの頃、1年半、金沢の地で勤務したが、現在
でも鮮明な記憶として残っている。休日、日帰りバスツアーで能登半島を
一周したり、半日市内観光をしたり、金沢港でキス釣りをしたり、茶道に
習いにいったりした。 加賀百万石の文化は何とも風情のある。
特に、老舗の居酒屋が良い。北陸三県と隣接した地区の観光資源は豊富。
その背景に三大都市圏の観光需要があるのが大きい。そこに新幹線で二時間半
で行けるのだから、女性にとってうってつけ!『日帰り能登一周コース』を
つくれば良い。 逆にストロー効果で、地元民が東京に取られる可能性も大。 
 ところで金沢滞在の一年半で、姉や友人が三人、訪ねてきた。更に、実家の
会社の慰安会で近くの温泉にバスで来て、私もそこに招かれ、泊まって騒いだ
こともあった。勤務先の会社上げての慰安会が、泊まり込みで片山津温泉。
高度成長経済の真只中時代だった。今では隔世の感がある! 
金沢・能登は一人旅に、うってつけ、お勧めである。
   * ジヌ(銭)よさらば! ーシネマ評
ハリウッドか邦画か、翌日放映の‘ソロモンの偽証(下巻)’にするか
 迷ったが、上記の内容を読んで、こういう風変わりも「良いか」で、
これにした。80点だが、不満も残らない内容。観客は10人あまり。
《 田舎の小さな村“かむろば村”に、大荷物で降り立った1人の青年。
彼の名は通称・タケ。一見どこにでもいる若者だが、実はこの男…お金を
“さわれない、使えない、欲しくない”の三拍子がそろった“お金恐怖症”
になってしまった元銀行マン。現金にさわるだけで、とたんに激しいめまいに
襲われ失神してしまうという筋金入りだ。「1円もお金を使わない!」
と悲壮な決意を固め、かむろば村へやって来たタケは、どこか田舎の自給
自足ライフを甘く見ているフシもあり度々命の危険にさらされるが、憎め
ない天然キャラに救われ、村人たちに度々助けられるのだった。・・(略)
クセ者なのはタケだけではない。彼がやって来たかむろば村こそ、一見
どこにでもある寒村ながら、ユニークというには濃すぎる村人たちが生息
していたのだ。学校はないけれど、異常に世話焼きな村長がいる。銀行も
ないけれど、写真好きで目が光ったりする神様がいる。病院なんてもちろん
ないけれど、色っぽい美人が(多少)いる。そんなキャラクターの濃い村人
たちのお蔭もあり、危なっかしいながらも奇蹟的に1円も使わない生活を
続けるタケ。最初はタケの無知と無鉄砲さに半分あきれていた村人たちも、
タケの存在を優しく受け入れてゆく。そんな矢先、穏やかだったかむろば村
に不穏な風が吹き始める。村長の過去を知る不気味な男の出現、同時に迫り
くる村長選挙をめぐる陰謀が発覚!村に来て間もないタケも、知らず知らず
のうちに騒動の渦中へ…。タケの生活は思わぬ方向へ向かいだす…! 》
▼ 少し、いや非常に甘い主人公と、その物語の設定だが、それでも、
 何時の間にか、‘かむろば村’の世界に引きこまれてしまうには、
主人公の松田龍平の周りに、松尾スズキ、松たか子、西田敏行などが、
脇を固めているため。「ぼんやり」と息を抜くには丁度良い。以下に続く!
・・・・・・
4775,ぼんやりの時間 ー8
2014年04月11日(金)              
  * 「懶」 ー心の余白    「ぼんやりの時間」辰濃 和男 (著) 
「『ものうい生活』の中に自らなる別天地に休んじ、楽しむことを気取ることが
懶惰」というらしいが、これが、この年齢で、少しは分かってきたようである。
事業を立上げ、軌道に乗せて暫くの間、何もすることが無い日々の別天地を
知っればこそ、この懶惰の味わいが分る。振返ると、あの退屈の懶惰こそ、
お宝だった。その合間の、読書や、秘境ツワーなども、それだ。
《 谷崎潤一郎は、1930年に『懶惰の説』という随筆を書いている。西洋の
 人々がいかに活動的であり、精力的であるかを例示し、これに対し東洋の
人々がいかにものぐさで、面倒くさかり屋であるかを対照的に書いている。
懶惰の代表者は誰か。物語のなかでの人物ではあるが、物臭太郎(三年寝太郎)
の名をあげている。 さて、瀬惰とはなんだ?.
「『ものうい生活』の中に自らなる別天地のあることを知り、それに安んじ、
それをなつかしみ、楽しみ、或る場合にはそう云う境地を見えや気取りにするか
の如き傾向の存すること」 瀬惰心という言葉があるとすれば、この谷崎の
定義はその一面を言い当てている。むろん、西洋人にも瀬惰心の人がいるし、
東洋人にも活動的な人がいるのはいうまでもないが、あるていど類型化
しないと、論旨がはっきりしない。瀬惰をよしとする人は、年中あくせくして
きりきり働く人を冷笑、ときには俗物扱いにする。朝から晩までせかせかと
動き回る人を嗤う傾向がある。一方、瀬惰心に批判的な西洋人は、浮世を
捨てて山の中に隠遁し、独り瞑想にふけっているような人物を聖人とは
思わない。高潔の士とも思わず「一種のエゴイスト」にすぎないと切り捨てる。
 谷崎自身は、瀬惰心というものに、一定の共感をもっていたことはたしかだ。
「とにかくこの『物臭さ』『億劫がり』は東洋人の特色であって、私は仮りに
これを『東洋的瀬惰』と名づける、というとき、自分にもまた、その東洋的
瀬惰なるものの血が流れているという自覚があっただろう。 》
▼ 事業を目指し、準備15年間、立上げ、最後は、津波で流され終わった
 私の事業人生。それを全面否定され、あざ笑われているような内容である。
それも、あと一年で古希になろうとして気づいた底浅い己には、この結果が
似つかわしいと独り納得させられる。 こういう視点もあると割り切っては
いても、気になることは確かである。心の余白など埋めぬがよい! 
いや、埋めようがない!
・・・・・・
4408, 隠居大学ーよく遊びよく遊べ −6
2013年04月11日(木)
    第五時限「うふふ力を磨こう」ー「隠居大学」天野祐吉、
  * 俳句はゲーム感覚で楽しむ     お相手 坪内捻典
 母が50歳の頃、それまでの苦労のため重症のウツ病になり、数年かけ独り
立ち上がったが、子供なりに壮絶さを垣間見た。88歳で老衰で亡くなったが、
医師の要請による解剖で心臓の四分の一が壊死していた。第二の人生の40年
近くは、趣味の世界に徹底していた。舞踊、謡い、茶道、写真、短歌、どれも
これも負けず嫌いで、ある領域まで達していた。
 晩年、母親に、「一番、極めたのは何?」と訊ねたところ、
短歌という。 老年の趣味といえば、短歌と俳句と川柳がある。
  ー 次の箇所は、短歌と俳句の違いを端的に示している ー
≪ 坪内:俳句的人間と短歌的人間って呼んでいるんですよ。ぼくの中では、
 つぶあんは俳句的人間、こしあんは短歌的人間。天野 どういうところが、
俳句的、短歌的なんでしょう。坪内 そうですね、まず、俳句は、自分の言い
たいことを言わないんです。これは、つくるときにも意識しておくといいと
思うんだけど、いちばん言いたいことを言わないのが、俳句がうまくなる
コツですよ。よく「わたしのこの俳句は こんなところがこんなにいいんです」
と、自分で一生懸命説明する人がいるんだけど、そういう人はあまりうまく
ならない。自分の俳句についてしゃべらなくて、人の意見を聞いている人が、
うまくなるっていうか、俳句向きだと思います。
天野 主体性のない人がいいんですね。
坪内 そうです。無責任で主体性がないんでいいんです、できるだけ(笑)。
天野 自分ってものを、強調したがるような人は……。
坪内 それはもう、あきらかに短歌の人です。短歌は最後の七七で、
 自分の言いたいことが言えるんですよ。俳句には、その七七を言わない
 醍醐味というのがあります。
天野 そうか。これは短歌じゃなくて狂歌ですが、「世の中に金と女は仇なり
 早く仇にめぐり会いたい」というのがありますよね、これも、言いたいことは
 最後の七七ですもんね。
坪内 俳句だったら、最後の七七はいりません。  ・・・(略)
天野 言いたいこと言わないなんて、欲求不満になりませんか。
坪内 そう思うのが、こしあんの人の特色なんじゃないですか(笑)。
 俳句的つぶあんは、言いたいことを言う欲求より、自分の言葉を他人が
 どう読むか、っていうほうに欲求や興味がいくわけです。
天野 じゃあ俳句は、こう見て欲しい、感じて欲しい、こう解釈して欲しいって
 いうのは、表には出しちゃいけないんだ。
坪内 いけないってことはないけど、出さないほうが俳句らしいでしょうね。
天野 お話を聞いているうちに、「三月の甘納豆のうふふふふ」がなんだか、
 これまでとは違うふうに思えてぎました。 なるほどねえ。今日、帰ったら
 さっそく俳句、つくってみようかな。・・・ ≫
▼ 「俳句は、ひとりきりで捻っていく人はうまくならない。それは自分を
 読者にしていまうから」に、ドキッとした。句会では、たいてい作者名を隠す。
それで非難され恥ずかしいと思ったら句会に入れない。恥をかくから上手くなる。
この随想日記、だから公開しているが、あくまで自分中心。毎日、書き続けて
いると、誰かの嘲笑を独り感じる。そこで、馬鹿丸出しを曝してよいものか?
迷いが出る。しかし、人間には露悪趣味が心の隅にある。露悪とエゴと無知を
偽善で包んでいるのが人間の本来の姿と思って開き直るしかない。私が短歌を
書いたら、ほぼ狂歌だろう! 
 母の短歌より :窓の下 逆巻く波のはげしくて わが生涯の縮図の如し
  :大仕掛け 空を焦がして彩どれば 中天の月いろを失ふ
  :若き僧 煙草の吸いがら 投げ捨てぬ 早朝のホーム 一点のしみ
  :青き田の水に浮かべる没つ日を 絵心あらば 描かむものを
  :ものかなし 豆腐屋の鈴流れきて 秋の夕暮足はやに来ぬ
・・・・・・
4034, 幸福になるための五箇条
2012年04月11日(水)
          「幸福になるためのソフト」の五項目 ー中川昌蔵
  「今日一日 親切にしようと想う。」
  「今日一日 明るく朗らかにしようと想う。」
  「今日一日 謙虚にしようと想う。」
  「今日一日 素直になろうと想う。」
  「今日一日 感謝しようと想う。」
「以上のことを、実行してはだめです。意識して実行すると失敗します」。
意識するとエゴがでてしまいます。そういう想いが、いつも体の中にある人間に
なるのが一番いい。 潜在意識に刷り込むのが良い。
▼ 老齢とは、この逆になっていくことをいう。
「しようと想う;なろうと想う」が良い。パソコンかトイレに貼っておくと良い。
「今日一日、しん(親切)、めい(明るく)、にかけ、謙虚に、素直に、感謝
 しようと想う」と憶えればよい。
・・・・・・・
3668, 節目どきに ー3
2011年04月11日(月)
 これまでと違う日常に入って、10日になる。もっと、その変化に違和感を
感じるかと思いきや、それが全くない。恐らく10年以上、一日2〜3時間を
集中し、蓄積してきたこのHPのためである。事象の変化に対して、脳の外部化
した基地が、ここにあるためだろう。 ある人に「HPに偉そうに書いているが、
現状のその様は何だ!」と酒席で言われたが、その通り。その時に「少なからず
経営に携わっている限り、赤裸々に曝け出すブログを書くのは如何なものか」と、
他の人から忠告された言葉を思い出した。毎日の記憶をHPの中のブログに
記録したり、読書の感想を書き残したり、毎日一文を書き始めた時から何かが
確実に変わっていった。脳の外部化で、因縁のある人の何人かと繋がっている
実感があるのが心を広く明るく自由にする。心は言葉である。毎日、言葉として
表出していれば、現象が変わったとしても、気持ちの芯が乱れることはない。
毎日、書き続けているのは、経営を良くするためでない。経営は失敗すれば、
全責任はトップにある。何を責められても言い訳は出来ない。 立場的に、
赤裸々に自分の心を露出すること自体が大問題である。ギリギリのところで、
表現を注意していても本音が表出してしまう。しかし、その何倍も、書き出し、
公開することの効果を感じ取っている。だから 偉そうに! と言われても、
その通りと認めざるを得ない。初めから覚悟をして書いている。5年、10年後
から振り返ったとき、書いた時々のマイナス、プラスなど、如何にでもよい
ことを毎日、過去の文章を読み返していて分かっている。以前に都銀の担当に、
「借りた金は、返すな!」という読書感想文を書いたのを読まれ、貸し剥がし
をされかけた事があった。その上に、いわれのない? 数百万を強奪?された
ことがあった。それなりに書き、表現すると周囲に波を立てることになる。
しかし、その蓄積が、このような節目どきに、安定した心を保つことが出来る。
その時に、書く内容に力を落としたら、その分だけ心に違和感が出てくる。
先月末を持って、数ヶ月、節目ということで、休もうとした。しかし、
あと一月で、まる10年に辿りつくまで書くことにした。結果からして、
心を乱さないためには、休まないのが正解であった。 で、・・
・・・・・
3303, 人みな骨になるならば ー10
2010年04月11日(日)
 * 死の不安の克服は可能か
ー まずは、その部分の抜粋 ー
 老いゆく日々はまた死の不安に対する対処の日々でもある。その圧力が
あまりに大きいため、われわれはそれと正面切って対決するよりは、なにかで
紛らせてしまおうとする。人生前半は若さや時間をもてあますあまり何かで
紛らせようとするが、人生後半になると若さや残された時間の急速な目減りを
直視しないために何かで紛らせる必要が生じる。不安や恐怖に対して、
そこから目を逸らせて別の関心事で紛らせることは必ずしも悪い料簡ではない。
何かで紛らせるのが下手な人物のほとんどは中高年期以後に精神障害に陥る
ように思われる。つまり、何かで紛らせそこねたとしても、自らの死や限界を
直視したり対決したりできるものではなく、ただノイローゼになるだけなのだ
としたら、死の直前まで俗世間のことで紛らせ続けるほうがはるかにましな
選択かもしれない。ある意味で病気というのが紛らせる工夫として最後の手段
なのであろう。少なくとも、病気はそこからの回復という一時の目的を用意して
くれる。 ただ、ノイローゼになろうが、別の何かで紛らせ続けようが、
最後の時が近づいている事実を変ることはない。猛獣にねらわれた駝鳥が逃げ
あぐねて、砂の中に頭をもぐりこませたとしても、猛獣そのものが消えてなく
なるわけではないのだ。 俗世において最低限の衣食住を確保すること以上の
関心や活動の全ては、死や滅亡しないで済ませる工夫でもあり得る。 
仕事も趣味も健康法も孫の世謡も老入クラブもゲートも、いやい老人向けの
ものばかりで無い。あらゆる交際、作業、訓練、試合、家事、育児、創作、
旅行、遊興、その他、ありとあらゆる実務と余技と行楽が空虚を埋めてくれる
レパートリーなのである。 与えられた時間の中身を埋めていく営みを、交流
分析の祖、E.バーンは「時間の構造化」と名づけた。確かに、われわれは
無構造な時間、中身のない時間を過ごすのに適した脳を進化させてはいない。
 ・・(中略)恐らく人間は、ただ死を待っている例外的な状態か、それを
忘れるために俗事に忙殺されている通常の状態かのいずれしか許されていない。
・・われわれのできる最大限の抵抗は、せいぜい「生まれる前なることが、
それほど恐れるべきことか」と自他に問いかけることぐらいだろう。
・・(中略)それがしの不安を宥めるために思いつかれたかどうかはさだけで
はないが、祖先や供養や崇拝もわれわれにとって捨てがたいことである。
・・もちろん、われわれは多くの祖先に負っている。祖先がどこかで安らんで
いると思えば心安んじることができるし、なによりも、わたしたちが、そこで
安んじることができる。しかし、ああ哀しいかな現代のわれわれは、草葉の
陰も、煉獄も、もはや信じていないのである。
▼ あまりにも虚無的な内容だが、そんなものかもしれない、特に目を逸らして
 きた人は。60代までは、後ろから迫ってくるが、70歳代に入ると前方より
迫ってくる感覚になるという。 病気でさえ、それから回復という目標としての
気を紛らわせる手段でしかないとは・・ 死は本人にとっては、無だから、
そんな存在しないことに恐れることはない!とはいえ、そういかないのが、
言葉を持ってしまった人間の宿命。 だから、天国のイメージを永年つくって
おく必要があるから宗教が最後のよりどころということか。最後のレッスン=
学習と思っても、身近な人の苦痛と苦悩の極みを見ているから、一日一日を
精一杯生きることしか、紛らわせることができないのだろう。 知ること、
新しい経験をすること、愛すること、楽しむこと、等々、時間の構造化(一週間
の予定を立て入れていく)をすること位しか無いのだろう。
気を紛らわせるために。
・・・・・・・・
2928,中沢新一の『三位一体モデル』 −7
2009年04月11日(土)
それでは、実際の演習をしてみる。
 ー「会社役員」ー
子=会社役員
父=変化する社会変化、その変化に関わるニーズの変化、市場の変化そのもの。
  会社の理念、そして「あるべき姿」を把握。精霊=会社の現状、そして
  父の姿を反映しているか?ということになるが、何か書きながら赤面
  してしまうから、・・・
 ー設計事務所ー
子=設計事務所
親=会社の理念、創業者の積重ねた信用、長年積み重ねてきたノウハウと実績。
  社会の変化と、新しい技術、そして
精霊(自己増殖するもの)=設計で完成した建物。地域社会との繋がりと貢献。
 ーソフトハウスー
子=ソフトハウス
親=ニーズとされる人材の確保と、
  〜〜
ー保険事務所ー
 子=保険事務所
 親=万一の危険に対する対応のニーズ。危険を金で分散をしておくノウハウ
 精霊=得意先のニーズの充足。 顧客。 金融商品。
 こんなものだが、自分の名前を「子」に入れてみようか?
 ドッキとするだろうが。
・・・・・・・・・・
2564, サルも朝日の美しさに感動する! −1
 2008年04月11日(金)
  (字数制限のためカット 2010年4月11日)


5139,閑話小題 〜元校長の買春、12600人切り!

2015年04月10日(金)

   * 12600人切り、それも元校長の・・
 にわかに信じがたい下世話なニュースが入ってきた。〜まず、その内容から
≪ 1975年に教員採用された高島容疑者が、マニラの日本人学校に赴任したのは、
およそ25年前。3年間、理科を教えていた。高島は、マニラ時代のことを
コラムに「経済的理由で、学校に行くことができない子どもたちが多いこと。
明日をも知れぬ子どもたちが街にあふれているのだ」と書いていた。
高島は、このマニラへの赴任中に、少女などの買春を始めたという。
高島は「買春の快楽を覚えた」と供述している。日本に帰国したあとも、
学校の夏休みなどを利用して、フィリピンに65回ほど渡航。およそ25年間で、
13歳から70歳くらいまでの女性1万2,600人以上と買春したという。・・・
 警察が高島容疑者の自宅から押収したものの中には、複数のカメラやDVD、
児童ポルノの漫画のほか、買春した少女らの写真を保存したアルバムが410冊。
写真には、通し番号が振られ、その数は、1万2,600人以上に及んでいた。≫
▼ 過って聞いたことがない話。 巷の話としては、こんなものだろう。
< 65回×10日+αとして、仮に千日。 赴任期間の千日を加えて二千日。
一日に6人の買春とすると可能だが、としても信じがたい。たまたま精力絶倫
の男の職業が校長だったため問題になったが。こういう人種が存在する具体例
のニュースとして面白い。「少女の清潔感が・・」は、経験者でこその言葉。 
それにしても12600人とは! 一度きりの人生、「??まくるのも人生か」 
その辺の誰かより、マシ? 巷の男にとって、ニヤと笑って本音は? が、
これだけはタブー。スケベの女性版では、かの国の元王女を思い出す!
最後は謎の死だったが・・ せめて10人、いや1人でも・・ > 
 大よそ、はな金の居酒屋かスナックの酔払いの話は、こんなもの。
こんなことを、朝っぱらから書いている私も私!だが。
・・・・・・
4774,ぼんやりの時間 ー7
2014年04月10日(木)
                「ぼんやりの時間」辰濃 和男 (著) 
   * 「怠」―「1日四時間労働」の夢
「怠」肯定の論など、それもラッセルというから驚いた。ーその辺りからー
《 英国の哲学者であり数学者であったバートランド.ラッセルは、一九三二年
『怠惰への讃歌』という論文を雑誌に発表。怠けることは「いいことなのだ」と
いえば、昔はむろん、いまでもかなりの反発を買うことになるだろう。
 お前は怠け者の味方をするのか、この世に怠け者が横行すればマジメに働く
ものは損をする、働くことをおろそかにする世の中なんかおしまいだ、など
など非難のツブテはつきないだろう。怠けることは大切なことだと主張した
ラッセルでさえ、「何もしないで怠けているものに、悪魔がいたずらをする」
という子どものころに聞いた格言を紹介し、怠けることを恐れるあまり、いま
まで一生懸命に働きつづけてきたと回想する。 それでもなお、ラッセルは
「仕事はよいものだ」という信念こそ、恐ろしく多くの害をひきおこしている
と主張する。 ラッセルはなぜ「仕事はよいものだ」という世問一般の常識を
批判し、「怠惰はよいものひぽだ」という主張をしたのか。
 人びとが生きるうえで大切なのは「閑」である、という思いがラッセルの
主張の根幹にある。勤労は神聖であり、働くことはすばらしいものだという
考え方は、支配者、富裕階級が、働くものにそう思いこませるためにいい
つづけ、その企みが一般にもひろまったとラッセルは考える。 
 少数の特権階級は、他人の労働のおかげで多くの閑な時間を享受している。
自分たちの快適な閑を守るためにも、特権階級は働く人に向かい、「働くこと
は大事なこと」といいつづけてきた。 「私が本当に腹からいいたいことは、
仕事そのものは立派なものだという信念が、多くの害毒をこの世にもたらして
いるということと、幸福と繁栄に至る道は、組織的に仕事を減らしていくに
あるということである」と、ラッセルは書いている。 文明が起こってから
産業革命まで、人ぴとはせっせと働いてきた。妻も、働ける年齢になった
子ども働いてきた。しかし、最低の生活支える分しか手元には残らず、
食料は支配者階級が管理した。飢饉のときは、余剰物資は支配階級の管理下
にあり、多くの労働者は餓死した。労働者たちは、十分な閑をもつどころで
はない貧しい暮らしをつづけいた。 》
▼「人生で最も大切なことに縁が無くなるのは、暇な時間が無いため」と、
 ラッセルが指摘する。 私の選んだ事業は装置産業だった。 当たりさえ
すれば、当分は何もしないで済む時間が、褒美として差し出される。当初は、
戸惑い、暇を持て余し次の設置に取組んで、最後は、過剰投資でダウンした。
しかし、その間の膨大の時間は、何ものにも代えがたい贈物であった。 
冷静に考えれば、長期装置産業など、この激変の時代に、そぐわないが、
後悔が少ないのは、膨大の「怠」の時間を得ていたため。これは当事者で
なければ理解できない実感。そのため、解放された現在、肩に羽がはえ、
空中を飛んでいる感覚がある。いずれも、同じでしかない、ということ。 
生きるのは、辛く、哀しく、面白く、滑稽な、ことである。立場が変われば、
見方も変わる、ということ! 振返ると、挫折して呆然としていた時に、
人生で一番、必要なことをしていた。聖書を読んだり、講演を聞きに行ったり、
旅をしたり、溢れる言葉の整理とか・・
・・・・・・
4407, 閑話小題 ー自転車の修理
2013年04月10日(水)
  * 自転車の修理
 一昨日はチャリのパンク。で、何時もの自転車屋に持っていくと、
オヤジさん、転んで左手を骨折で修理が出来ないという。「手伝うので直して
ほしい」と言うと、しぶしぶ納得。そこで思ったのが、自分でも可能でないか
ということ。「こんど泊り込みでサイクリングに出たいがパンクが不安。
で、見ていて私でも直せそう」というと、「問題は修理道具だが、二本の
専用ヘラがあれば、タイヤ外しと装着が手軽に出来る。HCにはパンク部分は
ゴムのノリ付シールがついたパンク修理セットが売られている」という。
一寸した靴の修理と同じである。 靴も自転車も専門家が直すもの、という
バイアスがかかっているだけのこと。それか千二百円を割り切って払うか? 
次回、考えてみようか!
   * 絆とは
 絆は家畜などをつなぎとめる綱の意味。言葉の通じない人間と家畜が、互い
に生きていくため、鼻や首につけられる綱が転じて義理や人情の喩えになった。
互いが、その綱だけで繋がっている危うい関係をいう。そのため、震災での助け
合いの繋がりに使うのに無理がある。阿部首相が米国との絆を強調したが、
毎日新聞に「日本は米国の家畜と受け止められる」と批判されたのが、記憶に
新しい。絆という言葉に何か危うさ弱さを感じるのは私だけでないはず。
とはいえ、身内や自宅や共同体を失って路頭に迷った時、頼れるのは親戚縁者と
共同体の繋がりしかないのも事実。いまだ避難民が20万世帯もいると思うと、
「絆の批判」など、とんでもないこと。人と人の間で生きているから、人間。
その繋がりが絆ということか。
   * ネットラジオ
 書斎コーナーのBGMはネットラジオを聴いている。iTunesで、
世界中の千局のテーマ別スタジオから音楽を聴ける。思いもよらぬ曲が次々と
飛び込んでくるが、これが新鮮で良い。人は、思いもよらぬ仮想の中で気持ちが
解放される。それは未知の音楽の中に近道があるようだ。こういう音楽を気楽に
聴けるようになったのは、バイアスがとれたため。ジャズ、ソウル、カントリー
などジャンル別だったり、70 /80/90年代のヒット曲別だったり、分類も豊富。
音楽好きだったら、たまらないはず。少し目をネット上に向けると、こういう
のが無制限に手に入れることが出来る時代、それを如何に楽しめるかどうか? 
そのため若い人の間に居ないと。バイアスが外れる度、外は広く、内は深くなる!
・・・・・・
4033, シングルイン、31年間の総括 ー9
2012年04月10日(火)
   * つれづれに ー9割がた終了
 抵当に入っていた自宅は家内が買い取ることになり、新潟駅前の物件5つを
加え、すべて決着。 弁護士曰く、「あれから一年、世の中はグチャグチャ。 
この環境下、見切り千両というより、見切り万両といってよい。これだけの物件
で金融関係が全く異議をいってこないのは、初めて。」という訳で、9割方終了。 
一瞬早い決断は、問題を数分の一にしてしまう。あとは個人保証債権を
サービッサーと交渉して家内が買いとるか、破産するか一年がかりになる。
これが残りの一割。 「この時世の中、全ての物件が一年で処分できたことに
逆に銀行に感謝された!」と弁護士。これで現時点で、絵に描いたような撤収。 
これも一連の事業の範疇。経理担当Oさんの管理が完璧だったことが背後にある。  
夜逃げ、首吊りか、合理的撤収になるかは一瞬の決断の間合い。それでも心の傷
が癒えるに数年はかかる。これは、時間の経過と、問題の中心点に気持ちを集中
し続けるしか、解決はできない。多くの要素が絡んだ原因と結果でもあるからだ。 
 一度、社会から身をひくと、経済と社会の流れに鈍感になる。表立ってないが、
深く景気の悪化が進んでいるようだ。起こってしまった東北大震災と、今後予測
される大震災を、連日マスコミで流されれば、住宅関連、車、家電など買う気が
なくなる。その中で運良く全ての物件が売れてくれた。ホテルの装置は稼働して
いないと、内臓(ボイラー、配管)が時間とともに腐り、買い手がいなくなる。 
最悪の場合、建物撤去が必要になり、価値が暴落することを銀行は知っている。
その結果、個人保証に厳しい姿勢になる。 破産をすれば、それで終わるが、
拗れると個人破産にも異議が出る。しかし生きたままの債権移動は、買い手も、
銀行も、債務者も良い「三方両得」になる。目安が3〜5年先と思っていた
ので、歴史的異常時の中、有難い結果である。
  ・・・・・・・
3667, 節目どきに ー2
2011年04月10日(日)
 今回の ? を当事者の目線で現状分析すると、
・ 9・11、9・15、の経済震災と、3・11の自然震災の直撃で、事業としての
  立ち居地が悪かったこと! 五割が、これ。
・ 三割がネットなど情報化の影響が直撃、そこにビジネス客の首都圏より
  二時間圏内の日帰りの徹底が地方都市駅前ホテルを衰退を招いたこと。
  グローバル化で、特に、この10年地方経済が衰退したことがある。
・ 最後の二割が、鉄とセメントの装置産業で身動きが取れなかったことと、
  部屋在庫を多く持ちすぎたことである。
・ さらに当方として30年という事業年齢の満期にきたこともある。 
  これらを読めなかった能力不足が全てといえば、その通り。しかし、
 (これを読めというのか?)という内なる声。 結果からすれば、創業後
  10年辺りの最盛期に事業転換をすべきだったが、これはあと講釈。 
  この3つの経済震災と自然震災の結果について、震災は震災として割り切る
  しかない。その辺の、したり顔の下司講釈など・・ 宮城の震災地の真只中で、
  「こんなところで事業をしている御前が悪い」とか言う輩はいないが
  (いや何は何処にもいるか?)、経済震災になると、その辺の類推がでない
  人が大部分だろう・・・。 今回の災害そのものを大地震とすると、恐慌
  という大津波が何波も、もう、そこにきているのに、情報コントロール下
  のため?か、大部分の国民は、分かってない? 今年は2012年の前年。
  この三年は10〜20メートル・クラスの経済破壊の大津波と、放射能
  汚染などのパニックが起こってくる。 たとえとして、ソ連解体直後の
  ロシアの大混乱?や、中国の文化大革命(推定3〜7千万人の??)
  に匹敵する混乱を日本に想定すればイメージがわいてくる。
  リーマンショックが日本経済を直撃している最中に、日本史、いや世界史
  に残る、大震災に直面するとは! 東日本のリゾートホテル・旅館は、
  客が5分の1、10分の1という。長岡の奥座敷といわれるホテル街は、
  ほぼ客がゼロとか。 中越地震で立ち直りかけた矢先に豪雪と、これ。 
  青色吐息でなく、黒色吐息。 それにしても、原発事故の行方がサッパリ
  みえない暗い日日が続く。このままでは経済の先行きは真っ暗。
  この原発事故の汚染が、このまま収まるとは思えない。農業、漁業、土木、
  建設、第三次、第四次産業も、輸出産業など、どれをみても・・
  どうなるのだろうか? 何をかいても曳かれし者の戯言 か、これは。
  ・・・・・・・
3302, ブログ向けビデオカメラ
 2010年04月10日(土)
新聞で、ブログ用に特化したデジカメを二種類を比較対照した記事があった。
発売当初から両方とも興味があったので早速、近くの家電量販店に行ってみた。
たまたま、真剣に見ていたためだろう、女店員が来て詳しく説明をしてくれが、
なるほど実物は思ったよりズット良かった。衝動買いは必ず後悔することを
経験上知っているので、パンフレットだけを貰ってきた。ネットで調べて
迷ったあげく、結局はアマゾンで買ってしまった。ヨドバシカメラの値段より、
25パーセントはやすい。16GBのSDカードを別口に注文をして3万1千。
ちなみにヨドバシは、カード込みで4万弱だった。一方のソニーのものと
最後まで迷ったが、5千円高い方の、これにした。シンプルだが、非常に使い
かってがよい。5年前なら軽く20万はしただろう。デジカメとして800万
画素もあるので、デジカメにビデオが付いているという感覚である。
(字数制限のためカット 2012年4月10日)
 ・・・・・・・・
2927,中沢新一の『三位一体モデル』 −6
 2009年04月10日(金)
 *「三位一体モデル」を使った演習  ー �
「三位一体モデル」を実際の知人の仕事を当てはめて演習をしてみたが、
考えさせられる。実際に丸を重ね合わせて三つ書いて、その一つの「子」の
円に、職業を書き込んで、次ぎに「父」、そして「子」の順に書き込んでいく。 
それが、なかなか面白いのである。 その前に、我われの生存ベースである
幻想としての「国家」、「国民」、そして「家族」から考えてみる。
* まずはー「国家」ーから
 子=  国家
 親=  国家成り立ちの神話 日本なら「天皇神話」から、
     これまでの歴史と、これからの方向を示す羅針盤。
 精霊= 文化、文明(国家としての教養)。国民と、その民度。
     国家としての政治・経済・軍事力・警察力。
* 次に、ー「国民」ー
 子=  国民
 親=  国家憲法、法律、それを維持する暴力装置
     (対外的には軍隊、対内的に警察)。これに愛国心。
 精霊= 公共施設(道路、河川、鉄道、公園、学校 etc)、都市、
     街、村、故郷、政治家、芸術家、経済力、など・・
* 国家のベースとしてのー「家庭」ーとは
 子=  家族
 親=  血統、家柄。家訓、家そのもの。
 精霊= 子孫、盆暮れの集まり。家族の団欒。家族旅行。 
国家は、共同幻想の典型と言われるが、長い歴史に裏付けられた蓄積がある。
日本では天皇制度である。人間の「なすべき基準、価値観のベース」は、国家
のために何をすべきかに行き着く。我われの安全を最後に守るのは国家である。
それが軍隊であり、警察という暴力装置である。現在の憲法は、明らかに
アメリカ庇護を前提として作られている。庇護は建前で実態は隷属である。
この憲法である限り、日本は衰退するしかない。右翼みたいなことを言うが、
グローバル化になればなるほど、ベースとしての国家の強固の基盤が必要。 
無理だろうが・・          つづく
 ・・・・・・・・・・
2563, ディープ・スロート
2008年04月10日(木)
『ディープ・スロート 』ー大統領を葬った男  ボブ・ウッドワード著    
これも図書館で見つけた本である。これが出版されていたことは知っていたが、
買うほどではないと、判断していた。あまりに奇抜で、生々しいから目をそむけた
のだろう。まずは、アマゾンの紹介文からして、面白い。
 ー内容
 ニクソン大統領を辞任に追い込んだ「ウォーターゲート事件」から33年。
新米記者ボブ・ウッドワードに地下駐車場で極秘情報をリークしていた
人物が名乗りを上げた。当時のFBI副長官マーク・フェルトだった。
フェルトが死ぬまで秘密を守り抜く覚悟でいたウッドワードが、その告白を
受けて初めて明かす、フェルトとの出会い、情報源秘匿のエピソード、
その後の二人の関係…。  (字数制限のためカット 2010年4月10日)


5138,閑話小題 〜二人の旅路

2015年04月09日(木)

  前日に続いて見た、プレミアムアーカイブスHV特集
『二人の旅路〜日中 激動を生きた京劇夫婦〜』も重厚な内容。
 日本人の父と、中国人の母と、中国人の夫を持つ、「事実は小説より
 奇なり」を地でいく日本女性の壮大な物語。 〜その概略から
≪ 中国・京劇のスターだった夫婦、梁嘉禾さんと柴田真理さん。
 およそ20年前、残留孤児の妻と日本に移住。そのとき、夫は中国京劇の
 最高峰・国家一級俳優の座を捨てた。妻は「夫のすべてを奪ってしまった」
 と悔いるが、夫は「あなたといる今が一番幸せだ」と語る。
 日中戦争後の中国、文革などの激動の時代を生き抜いた二人。2010年秋、
 逆境を乗越えた末、夫は20年ぶりの舞台に立つ。〜2011年放送。 ≫
  〜ネットに、心のこもった投稿があった〜
《 このTVを観た後、一夜興奮して眠れなかった。涙がとめどもなく流れ、
枕をぬらした。1945年8月6日、麻里さんの両親は敗戦直前の上海で結婚した。
父は東京大学卒業、三菱商事武漢に勤めるエリート社員、母は裕福な20歳の
中国人美女、しかし7日後日本の敗戦、1946年父は強制収容そして日本へ強制
送還、その後は消息不明、中国人の母も日本人と結婚した罪で2年間の投獄、
柴田麻里さんが10歳になった時、母は人々から素性を隠し中国東北部の
貧農へ再婚、その後、麻里は柴麻里と中国名に改名し、京劇女優になった。
しかし、文化大革命の真っ只中、麻里は日本人の子であることが暴かれ 
いじめられ、傷つけられ、紅衛兵にも選ばれる事はなかった。そんな苦しみ
の中、京劇名優梁さんと出会い 恋愛・結婚。しかし、2人は一緒に住む事も
許されず、3年間の別居。再び、麻里は素性を隠すように、西の果て、遼寧省
に移り 夫婦で京劇に徹する。夫 梁さんは 国家1級演劇家として、将来を
期待されたが、日中国交回復後、中国残留孤児として妻の麻里さんは、京劇
仲間から「日本に帰れ」と、苛められ 激しい追い出し環境に耐え切れず、
2人は日本に住む事になる。そんな中、父はウルグアイで亡くなったと知る。
もう日本での親族発見も叶わず、福岡市の残留孤児仲間と一緒に住むうち、
柴田麻里さんは身体を壊し、始めた中華料理店も閉店に追い込まれ、日本政府
の僅かな援助金で、貧しい2人の生活は続く。そして昨年、麻里さんの母親は
亡くなり、母の散骨と、梁さんの京劇記念講演の為、再び遼寧省に向う。
2人の長い、辛い人生を象徴する、大地を走る列車の窓から見る夕焼けの空は
遠く霞んでいた。あの日中激動の下に、押しつぶされていった2人の人生、
哀しい人生だ、しかし誠実な夫と、美しい妻の愛情は今も、2人の人生を 
格調高く 結びつけている。美しい2人の後姿はいつまでも忘れられない。》
▼ 家内と、互いに見つめあうリタイア後からの生活の中で、生きること、
 老いること、夫婦とは、愛とは、厳しさ、優しさとは何かを考えてきた。
その答えが、この物語にあるような気がした。苦難は人生に付きもの。
それに日々、前向きに立向かうしかない。 一日一生の覚悟。
・・・・・・
4773,ぼんやりの時間 ー6
2014年04月09日(水)
                「ぼんやりの時間」辰濃 和男 (著) 
  * 「閑」ー逆茂木に囲まれて
 森の生活(世俗)を抜け出て、ご隠居(サバンナ)の世界に入った現在が、
まさに逆茂木の「閑」の世界である。閑の字は、門の中の一本の木がある。
それが、ぼんやりの世界である。 ーその部分を抜粋し、考えてみるー
《 さかもぎの刺のある木の枝をならべて積み、垣にしたものを逆茂木という。
 トゲトゲの垣を周囲にめぐらせておけば、「邪魔者はたやすく突破できない。
逆茂木の内側では、人はのんびりと過ごすことができるし、閑をたのしむこと
もできる。それが閑という字の意味だ。 およそ、そんな意味の文章が
『閑適のうたー中華愛諦詩選』の冒頭にあった。・・ 
 だれにも知られてない宿でぼおーっとして過ごすとか、めったに人の来ない
尾根道で二時間も三時間もぼんやりしたときをもつとか、そういうのが逆茂木
に囲まれた「閑」の状態というのだろう。閑は時間であり、空間である。 
それはときに逆茂木の内側という空間を表し、同時に逆茂木の内側に坐り
つづける時間を表す。そして、「閑」と「ぼんやり」は表裏の関係にあると
いってもいい。現代人にとっては、隠れ家を逆茂木で囲むには、それなりの
工夫が必要になる。 白居易の詩『閑適の詩』に、こんなくだりがあった。
   心足る(みちたる) すなわち 富(とめる)なり
   身暇なり(からだひまなり) すなわち貴(とうとき)なり 
(中略)・・ やがて吉井勇は、こんな歌をうたうようになる。
目を閉ぢて半珈を組みて或る夜半はほのぼのとして涅槃おもふも苦しみ、
楽しみながらたどりついた一つの境地が、この歌にはある。
(中略)・・旅をすること、自然度の高いところに隠ること、日々、
散歩をすること、温泉に入ること、閑をもつこと、独りになること、
雑事から解放されたこと、すばらしい土地の人びとに会えたこと、そして
たっぷりとぼんやりする時間に恵まれたこと、勇は、高知の猪野沢温泉で、
そういうぼんやり道の骨子になる部分の実践をしたことになる。
そのよみがえりは偶然のことではなかった。》
▼ 「せめてミニ書斎を持て!」とは、この閑の独りだけの時空を持て、
 ということになる。現に、この二m四方の、この空間は私だけの世界で、
BGMが流れ、2台のパソコンからは、欲しい情報、知識の殆どを手に入る。
今では、タブレットなどのモバイルPCという優れものもあり、何処へにも
持ち出し可能である。とはいえ、やはり自分の空間も必要である。雪もとけ、
自転車散歩(ポタリング)を再開したが、信濃川の土手の休憩で「ぼんやり」
を意識的に始めたが、これがなかなか良いが、難しい。先を急ぐ気持ちが、
勝ってしまい、直ぐに立上がってしまう。木の下や、ベンチで30分でも
一時間でも、小春日和の中、寝転べば良いのが分かっていても、気が競ぐ。
・・・・・・
4406, 大丈夫、なんとかなるさ
2013年04月09日(火)          
  * よい先生、わるい先生  ー「大丈夫、なんとかなるさ」近藤勝重著 
 著者は毎日新聞の論説委員をしており、「文章をうまく書く秘訣」などの
レポートを読んだことがある。「随想は想いを書くもの。その想いを書くとは
思い出を書くこと。多くの経験の中で、記憶として残っているのは、その人に
とって大きなインパクトのあったこと、それを書きなさい」という論に、
ハッとした。 これは、毎日新聞の夕刊に「しあわせトンボ」に5年前から
二年半の間、連載されたエッセー。なかなか味わいがある。 
  ーまずは、心に響いたものから、取り上げてみる。
≪ 司馬遼太郎さんが学校嫌いで図書館が好きだったことは有名だ。
 それは中学一年の英語リーダーで先生にニューヨークの、地名の意昧を質問
したことからはじまる。なんと先生は「地名に意味があるか」と怒声を上げた
という。司馬さんは帰り道、市立図書館に寄ってニューヨークの意味を知る。
独学癖がつくようになるそもそもだが、一方で「いい先生につくに越したことは
ない」とエッセーで言い添えている。 いい先生というと、アメリカのある学校
で数学を教えていた先生の話を思い出す。その先生は数学を教えることが自分の
仕事だと思っていたが、ある日、「私の仕事は子供を教えることである」
と思い直す。つまり科目「数学」から科目「子ども」へのチェンジである。
「数学」を教えていれば子どもに完全な答えを求める。しかし「子ども」
を教えるのだとなると、それは最終の目標ではなくなる。やがで子どもたちも
変わってきて、成績がぐんぐん伸びたエディという子はこう答える。
「先生に習うようになっでから、自分が好きになったんです」 
「こころのチキンスープ」で知った話だが、・・・ ≫
▼「数学を教えるのではなく、子供を教えるのが仕事」は、さすが。 
 この随想日記、「自分のために、同調したこと、心に響いたこと、記憶に
残したいことなどの雑記帳・記録帳」と割り切っている。忘却のためのメモ帳
ということ。そう割り切ってしまえば恥も外聞も何もない。「偉そうなことを
書いている割に全然、成長の跡などみえないじゃないか」と言われれば、
「全く、その通り!」である。未来の自分は、現在、そして過去の自分の
子供と想定。 その子供のために書き残すと思えば、逆に手が抜けなくなる。
「未来の自分は、現在と、過去の子供」という言葉、我ながら言い得て妙。
  とすると、過去の自分は現在の親になる。あまり良い父親ではない? 
まあ、いい、この子(私)を見れば、仕方がない! 
・・・・・・
4032, 「人生の知恵」ノート ー4
2012年04月09日(月)                    
   ー 人生を成功に導く言葉ノートより ー
* 先延ばしは命どり
 「仕事で失敗する理由で一番多いのが先延ばし。一度やりはじめれば
 意外と簡単に片付く。とにかく先取りで問題を解決すること。
* 尊敬など、されようと思うな
 孤高の姿が敬意を呼ぶ。無理に尊敬されようとしないこと。
* ツキを見極める
 新しい事を始めるときは、運の風向きに敏感になり、
 好機を待つ間に準備を進めよう。
* 引き際を見極める
 勇敢な攻撃と同時に退くこともたたえれるべき。引き際のタイミングが大事。
 幸運の女神は、その頂点が高いほど、期間が短くなる。絶頂期を見定めたら、
 引き際を考えるべきだ。
* 欠点を直すこと
 人は他人の欠点を見逃さない。あなたの実力を点検した上で、
 欠点だけに注目、悪し様に言い立て、他の長所をかすませる。
* 二回目の挑戦を必ずする
 一度失敗しても、必ず二回目の挑戦をすること。一回目の失敗を取り戻せる。
 成功より失敗の方が多いが、二回目に成功する確率は一回目より遥かに高い。
 多くの挑戦は二回目に成功が多いという真理を知っておくべきだ。
* 現実的に生きるべし
 賢者は思ったふうに生きられないとしても、できる限りのことをする。
 運命が与えてくれないものを惜しむのをやめ、運命が与えてくれたものを
 大切にすべきだ。現実が理想を支えることを知ろう。現実の土台が弱ければ、
 理想は単なる重石となる。未来の理想の自分を明確にしたうえで、現在すべき
 ことを確実に実行する。賢人は現実で未来をコントロールする術を知っている。
* 忘れるべきは忘れる
 「人が一番良く覚えているのは、忘れた方がいいことである。」
 嫌な記憶は楽しい思い出で吹き飛ばせばよい。反省をしたら、次へ。
▼ 引き際は、最も大事な決断。最高値の引き際は無理だったが、
  最後の最後は断崖絶壁での引き際。 いや、どうだか? 
  ・・・・・・・
3666,  節目どきに
2011年04月09日(土)
 先月末から一週間、この30年来と違った生活に入った。リタイアになる。 
以前もそうだったが、それまでの生活と全く変わってしまったが、抵抗感はない。 
肩の荷がおりたためか、何か地から浮いているような、ふわふわした気分である、
独りになったためか縛りがなくなり、まずは足が軽くなり、直感的に新しい習慣
つくりを始めている自分に驚いている。30年、40数年前の自分に戻ってしまった
ようである。 装置産業の装置に縛られていた、それからの開放ということか。
今は興奮状態だが、2〜3ヶ月たつと「より戻し」がくるようだ。 
問題は、これまでのエネルギーを、どの方向に向けるかである。  
 同じ一日なら、充実した時間を過ごさないと! で、イメージとして
・市営の福祉センター1Fにあるスポーツジムと、
 初心者向スポーツジムに入会。平日、この二つを隔日に使い分ける。 
 今まで通り図書館通いと、信濃川沿岸の早朝のサイクリングとウォーキング。 
 さらに月に一回のシネマの通いと、月1〜2度、居酒屋でクダをまく?。 
 更に、これから探すが、何かのカルチャー・センター通い。
 その立場にたつと、新しい世界が開けるもの。 とはいえ、当分は謹慎の身で
 あることは事実。 元もとアウトサイダーを自認してきたので、こういう
 切り替えには抵抗感がない。 それと世間様とやらの何は今さらである。 
 マイナーの方々の暗示にさえ乗らなければ落ち込むことはない。 
 居間に中村天風本を手元に置いておくか。  ー つづく
・・・・・・・
3301, 日本経済は死ぬのか
 2010年04月09日(金)
 先日の週刊現代の新聞広告の見出しを見て、つい買ってしまった。 
週刊誌の見出し以上の内容が無いのは知っているが、それでも何か目新しい
ことが?と ・・で、あるわけないがジックリ恐慌本を読む機会のない人には
ダイジェストとして丁度良い。その中で、野口悠紀雄が、「もはや日本経済は
死に近づきあることは間違いありません。まず、日本経済の落ち込みの原因を
「米国の金融危機」と考えていますが、それは正しくありません。悪化原因は
米国にあるのではなく、極端に外需に依存してきた日本の産業構造にある。
戦後最長といわれた2002年から08年の日本の好景気は、米国のバブルに乗った
ものです。米国の住宅価格のバブルによって、結果として日本の輸出が伸びたと
いう現象が起こっていたのです。当時の米国では3パーの物価が上昇していたが、
日本では0パーセントことが円安に拍車をかけていた。・・そのバブルが弾けて
しまったのだから2002年前の水準に戻るのが当然。数字で言えばピーク時の07年
度に対し輸出で20パー、GDPで10%減になる。09年の2月の輸出額は3兆5300億、
これは1984年度3月と、殆んど同じ。この事態に、政府はエコポイントで家電や
自動車などの購入を支援している。これは今の製造業が、政府の支援にしがみ
ついて生きている状態。これも期間が終了をした時には反動として跳ね返える。
それは時限爆弾になる。 日本の潜在的失業率は14パーセントというが、これが
打ち切られれば、失業率が10パーセントを越える可能性が高くなる」等々、
刺激的内容である。彼の著書「世界経済危機ー日本の罪と罰」をダイジェスト
とし述べているといってよい。欧米の失業率が10パーセントに対し、これだけ
悪化している日本が5パーセントは、明らかに変である。それが一挙に二倍、
三倍になると、どうなるか考えただけで恐ろしくなる。他人事では決してない。
まだ日本の消費税を5パーセントに抑えてあるから、少しは救いがある。
これが、既に欧州並みの20パーセントで、これだけの赤字なら救いがない。 
したがって早めに政界再編成をして、消費税のアップが必要である。
ただし国民を納得する上にも国会議員、地方議員も定数を半数か、三分の二に
しなくてはならない。スマトラ沖地震の津波の映像で、向うから大津波が
来ているのに、浜辺で海水浴をしている観光客を思い浮かぶが。
 ・・・・・・・
2926,中沢新一の『三位一体モデル』 −5
2009年04月09日(木)
  『三位一体モデル』中沢新一著  −読書日記
 *「三位一体モデル」を読んだ人たちの座談会
それぞれの職業の立場で考え出した三位一体モデルの事例が面白い。
これからみても思考モデルとして充分に使える。 私の思考法として
利用しているのが、この随想日記である。テーマ選定から始まり、
それを起承転結にまとめあげる、そのプロセスで頭の中を整理していく。
第三者から見れば、私の脳の中が少しは見ることができるのだから
面白いだろう。
 =その事例から=
ー広告代理店の勤務ー
 「精霊(代理店)」と、「子(お得意先の企業)」は、一緒になって、
見えにくくなった「父(理念)」を探しにいく旅に出るということでしょうか。 
父は「企業の社会的価値」と理解できる。 
ー中学校の教師ー
 自分(教師)を「子」とすると、父が「法則」「原理」「先人の知恵」。
 そうすると、まずは<成功や幸福という概念>が「父」だと思われます。
 分かりやすくいうと予備校の教師群こそが「精霊」なのです。
 資本主義社会では予備校こそ一番分かりやすい「三位一体モデル」です。
ー音楽業界にいるものー
 先ず「子」として、音楽家とする。そして私たちは音楽産業を「精霊」
 の場所とする。父の部分を逆算して「歌われるべきもの=神の意思」と。
 この原型になるのに教会音楽がある。神の思し召しを、バッハが音楽を
 通して地上の民に伝えてくれる。それを伝える場所が教会であった。
ースポーツ業界にいるものー
 ルールが父なんです。見えないけど絶対の「神」です。「子」が選手です。
 「霊」の中には、「競技場」とも「観客席」ともいいし、「テレビ」でも
 いいと思います。いっそ、「スポーツ業界」ともいえる。いまの時代に、
 もっとも考えられているのが、この部分です。一番のポイントは、装置化
 した「霊」の部分が、「子」の材料を探してくることです。スポーツでは、
 三位一体は考えやすい。何しろ「父」が確固として存在しているからです。
ー料理人ー
 レストランでは、前から「三位一体」を「味」「料理」「ムード」
 といってました。今回の、この「三位一体」を読んだことで、
 「美味しい幸せ」が父。それを作り出すのが「料理人」というのが「子」。
 そして、「お店とムード」が「霊」に変わりました。
 ――
 スポーツ業界のルールが親には驚いた。コーチとか、父親・母親なら
 わかるが。次は、身近な知人の職業を『三位一体モデル』で演習。
・・・・・・・・・
2562, ドル覇権の崩壊 -1
2008年04月09日(水)
 図書館で借りてきた本だが、この本が出版されたのが、去年の7月末である。
それから半年もしないうちにアメリカのサブプライムの問題が表面化をして、
この本の大筋のとおりになってしまった。かなり刺激的な言葉に満ちているが、
サブプライム問題で株とドルの暴落を目の当たりにすると、納得するしかない。
この著者の本は何度か買って読んだが、何時も刺激的・悲観的な内容で一貫して
いる。そして、指摘しているほどの事態に世界はならなかった。しかし、この本
に関する限りアメリカのサブプライムが表面化したために、決して悲観過ぎでは
なかった。 この一連の金融危機、考えれば考えるほど、恐ろしい近未来が待ち
受けているようだ。 年々ジワジワと悪くなっているのが身に沁みる。
どうなるのだろうか?
 まずは、この本の表紙裏の 「説明文」と 目次を コピーしてみる。
 これだけで、この本の半分以上の要旨が書いてあると言って過言ではない。
  ーー
「ドル覇権の崩壊」?静かに恐慌化する世界  副島隆彦著
 ー背表紙裏の説明文
ドル暴落を見越した資産逃避(キャピタル・フライト)が始まった
2007年5月からの「三角合併方式」での日本企業への買収の真実は"ドルの逃避"。 
日本企業をただ単に乗っ取ることよりも、真の動機は、ドル資産の保全、ドル
暴落からの避難、外貨建て資産でのリスクヘッジという考えに変わりつつある。
日本の大企業を買収する利益は、チョップ・ショップ方式による、荒っぽい
自動車泥棒・解体屋の手法ではなくて、これからは、アメリカ本国からの
資産逃避(キャピタルフライトである。
  ー 目次 ー
(字数の関係でカット2009年04月09日)


5137,閑話小題 〜定年・夫婦で走った40日

2015年04月08日(水)

   * 定年・夫婦で走った40日
 昨日のアーカイブの番組が現在の自分を考えるのに丁度良い内容。
平日の朝9時のプレミアムアーカイブスを、隔週に一回位はみるが、
今回の『定年・夫婦で走った40日』が考えさせられた。恐らく旅行代理店
の企画だろうが、全ての車が乗用車に牽引するキャンピングカー。
48台が連なって走るのは西部に向かう幌馬車隊を髣髴させ、壮観。
  〜まず、NHKの番組案内より
≪ アメリカのテキサス州から中米のパナマまで、24台の車が連なって
 5000キロの旅に出た。旅をするのは夫婦で第二の人生を走り始めた
中高年夫婦たち。子どもが独立した夫婦。伴侶に先立たれ再婚同士の夫婦。
伴侶の思い出を抱きながら単身参加する男性。さまざまな夫婦がメキシコ
と中米6ヶ国を訪ね、向き合い、これからの人生を見つめた40日の
心の旅日記。 〜2001年放送分 ≫
▼ 47人の平均年齢が67歳、年齢は50〜70歳半ばまで。
 とすると、私と家内の平均と同じ。それぞれ夫婦の道中の会話で、人生を
振返り、語り合う。それまでの子育てと、それぞれの仕事のため、24時間、
向き合うことが無かった二人が、様々なトラブルの中で、協力し乗越えていく。
二人参加の旅は、夫婦関係にとって、非常に危険を伴う。普段、隠蔽?
されていたトラブルが、圧縮された移動空間で、噴火する。だから、成田離婚の
悲喜劇が起こる。ツアーで、百回以上の参加経験者がいても、夫婦の参加者の
10回以上は今までなかった。多くて7〜8回。 24組の参加者で、一組の
脱落者が出なかったことに驚かされた。夫が『二度、殺したくなった』に、
妻が『寝ているときでしょう。解っていたわ』は、何とも迫真があった。
ところで、キャンプ地の料金は、平均10ドル。帰りは同じ道を辿る。
「ぼんやり!時どき旅」が理想か。それとも「旅をしながら、ぼんやり」か。
・・・・・・
4772,ぼんやりの時間 ー5
2014年04月08日(火)
               「ぼんやりの時間」辰濃 和男 (著) 
  * 「独」―独りでいること  ーぼんやり道
「ぼんやりの時間」は独りでいる時である。人間は生まれてくるときも、
死ぬときも独り。宇宙の一点に独りおかれた存在で、その背後には暗黒が
無限に広がっている。だから、自分という存在と、親しい人の存在が大事。
  ー以下の部分に納得するー
《 アン・モロウ・リンドバーグは1955年に『海からの贈りもの』を刊行
 している。この本には、多くの心に残る言葉がある。 たとえば
「今日、わたしたちは、ひとりになることを恐れるあまり、ひとりになる
ことができなくなっている」という言葉。いつもだれかとつるんでいたい、
群れていたいという習性になじんでくると、人はしだいに「独りになること」
が怖くなる。仲間はずれにされるのが恐ろしくなる。群れてみたからといって、
心が満たされるものでもないのだが、独りっきりになるよりはましだという
気持ちになり、人は群れようとする。A・M・リンドバーグはこうも書いている。
「わたしたちは、ひとりの時間を求めなければならない。ひとりで静かに
過ごす時間。ゆっくりと考える時間。祈りの時間。音楽、読書、そのほか
何かの勉強でも、仕事でも、自分を自分の内部に向かわせて、わたしたちを
分断しようとする各種の遠心的な力に抵抗しなければならない。」
 なぜ独りになるのか。独りでいることによって、人は「静かに過ごす時間」
というものを味わうことができるからだ。「ゆっくり考える時間しを過ごす
ことができるし「自分の内部」に思いを向ける時間をもつことができるからだ。
「空想にふける」時間も生まれる。『孤独の空間に自分の夢の花を咲かせる」
ことだってできるのだ。そして、独りでいることと、ぼんやりすることとは
かなり重なっている、と私は思う。・・(略)
「寄せては返す波。松林を吹き抜ける風。砂丘をゆったりとはばたきながら
飛んでいく都鶏。そんなものが、あわただしい都会の暮らし、時間割りや計画
のざわめきを消してくれる。そうして、ただそこに横になったままのわたしを、
あるがままでいさせてくれる。横になったわたしは、波で平らになった浜辺と
ひとつになる」。「ぼんやり道」というものがもしあるとすれば、このあたり
の文章はまさに「ぼんやり道の奥義」、といっていいだろう。
ただそこに横になっている。あるがままの自分がそこにいる。・・
 リンドバーグは、さらにこの本で、「孤独の力」といったことについて、
重要なことを書いている。「ひとりでいる時間は、一生のうちでもきわめて
重要な時間である。ある種の原動力は、わたしたちがひとりでいる時にだけ
湧いてくる。芸術家は創造するために、作家は考えを深めるために、音楽家は
作曲するために、そして聖者は祈るために、ひとりにならなければならない
ことを知っている」 独りでいる。独りでいることで、心安らかにぼんやり
することができる。ぼんやりしながら、いつか自分の内面と向き合っている。
謙虚な気持ちで、内面と向き合っている。・・・ 》
▼ 午前中の5時間は、ミニ書斎でブログの下書きと、修正、読書、ネット
 サーフィンのいずれかをしている。この時間帯は時間感覚が無くなって、
完全孤立の壺の中。没頭ないし、ぼんやりの世界という方が正確だろう。
 そこで生じた内容を公開していることもあり、日常の生活でも、孤立感とか、
孤独感が全くない。毎夜、4時間の爆睡後、うとうとしたり、夢をみたり、
急に頭が冴えわたったり、またぼんやりしている時の漆黒時間帯がある。
この孤独の3時間は、何ともいえぬ味がする。潜在意識と、顕在意識の際が
混濁した時間帯で、時空を超えたフラッシュが現れ出てくるが、決して
楽しくない。老いとは、この時間帯の感覚が、昼夜続く孤独な老人になって
いくこと。とすると!
・・・・・・
4405, 隠居大学ーよく遊びよく遊べ −5
2013年04月08日(月)
    四時限 宇宙人を目指そう  『隠居大学』 天野祐吉
 * 隠居をすると自由になれるー宇宙人を目指そうーお相手 谷川俊太郎
 ここで、「人生はカマボコ形グラフ」とあるが、そうかもしれない。
右下がりは以前、還暦だったのだろうが、今は古希か。体力からみると、
私は古希が目安。リタイアーをした後、スポーツジムに連日通いだしてから
足腰は寧ろ、強くなってきた。知能も、バイアスが取れてきた分、
これも良くなった?ようだ。とに角、面白い。 
≪ 谷川:うん、それもあるし、ぼくは幼児に戻れるというふうに思って
 います。われわれ世代は高度成長の時期と重なっているからか、人生に
ついても右肩上がりのグラフで考えるくせがついていたんですよね。
けれど、やはり母の介護を経て、「老い」ということを身近に考えるよう
になって、鶴見俊輔さんらがいうような「人生はカマボコ形グラフ」なんて
ことが、実感としてすごくよくわかるようになった。ある程度上がったら、
下がっていくのが自然なんですよ。それはさっき言ったように自由になったり、
解放されたりすることも含めて。
 天野:下降ということは、嘆くばかりのことではない。
 谷川:そう、人間の加齢を考えるとき、樹木の年輪にたとえて考えるのが
わかりやすいと思っています。中心に0歳の自分がいて、一歳、五歳……と
だんだん経験とともに年輪が増えていき、いちぽん外側に現在の自分がいる。
だから、どんな年齢の老人のなかにも、0歳や三歳の幼児がいる。
これは心理学でもそういう考えがあると思うんです。そして、働き盛りの
中年期を経ったら、今度は積み重ねてきた年輪が一枚一枚、はがれていく。
つまり年をとればとるほど、中にもともといた自分、幼児の自分に戻れる
のではないかというのが、持論です。
 天野: なるほど。年輪となる厚い木の皮は、たんに経験ではなく、
社会的な制約というようなものでもあるんだ。
 谷川: 中年期のひとだって、本当は幼児の自分を持っているわけです。
そしてその部分は、本当はもっと自由になりたいといつも思っているはず
なんですよ。われわれのように詩を書くような人間は比較的自由に幼児の
部分を出せますが、会社組織のなかにいると、そうもいかないでしょう。
だから会社が終わって飲み屋さんに行って、ママさんに甘えるという
かたちで幼児性を解放しているんじゃないかと、そうにらんでいます。
 天野: なるほど(笑)。つまり幼児化、宇宙人化は、もともとできたこと
が下降したり変質したりするわけではなく、むしろ、 自然な姿に戻って
いるということですね。≫
▼ 「加齢を樹木の年輪にたとえて考えるのがわかりやすい」というのが
 言いえて妙。一番外の厚い皮が社会的制約、も面白い。その樹皮を外し
てやるのが御隠居の第一歩。一度外すと「遠き日は 年とるごとに 近くなり」
になっていく。振りかえると、してしまった後悔と、しなかった後悔がある。
後悔あとに立たず、だが・・ 解放され自由になるのは良いが、それを
楽しめないと重荷になってくる。 私の知る限り3分の2。
何故解る?顔に出ているもの。せめて楽しいふりをしたら。
・・・・・
4031,「人生の知恵」ノート ー3
2012年04月08日(日)
 ー 品格と、自分を高める言葉のノートより � ー
  * 人間的側面見せすぎない
あまりに人間的と見られれば、軽く見られ尊敬を失う。グラシアンは、
「中身が少々足りなくても、重々しい雰囲気を出せれば尊敬を集めやすい」
という。軽々しさは尊敬を失う。人は浅はかな者ほど人をバカにしたがる。
バカに隙をみせるな。
  * 余計な関わりは最小に
「人に干渉しないだけではダメで、人からも干渉されないこと」が原則。
そのために「余計な関わりは最小に」。
   * 人との距離を一定に保つ
 苦境に陥ったときは同伴者がいることが大きな慰めになる。
溺れる人を助けようとして、自分まで溺れることはない。
「星は空高く輝いているからこそ、まばゆい存在。 非凡であるには、
節度が必要。なれなれしくしないことだ。
   * 賢者ならどうするか?
「幸運を選び、不運を避けよう。不運はたいてい愚かさの罰として与えられる。
どんな小さな災いにもドアを開いてはいけない。もっと大きな災いが忍び込んで
くる。」 判断に迷ったら、賢者ならどうするかを考えよ。 現状を冷静に
見ることができ、的確な選択が可能になる。これが知識から知恵への転換に。 
これは独りになりきることで可能になる。
   * 品格を備える
 品格は勇気、分別、賢明さ、王者の威厳にさえ勝る。何かを成し遂げるため
の近道であり、困難からたやすく逃げる道である。「品格は言葉や行動の要。
品格がなくては美は精彩を欠き、優しさは形ばかりになる。
▼ ここまで生きてきて、品性、品格について考えさせらることが多い。
 家内に何時も「あなたは品がない」と、暗示をかけられていた。
ところが数年前に「国家の品格」とかいう本で「品格」の付いた本がブーム
になった。「女性の品格」に「品格」の定義があった。それが思いもよらず、
殆どクリアーをしていたが、家内は??。自主独立、陰口を控える、趣味を
持つ、信念の確立の有無などで、自己の確立が出来ているかが品性の土台の説。
一般人は表面的にしか捉えない・・ それにしても品性のない人が多い。
・・・・・・・
3665, 関係性が問題
2011年04月08日(金)
 カーラジオで「夫婦間のトラブル」について、その道の専門家が「夫婦間の
問題は関係性にあって、一方的に相手が良い悪いとか、自分が良い悪いという
問題でない」と論じていたのが、いやに説得力があった。要は相性と、互いの
立場のバランスなどの関係に問題が存在する。それでは夫婦間の関係性とは、
そもそも何か! 二世帯同居の嫁姑の立場とか、マザコン夫とファザコン妻の
組み合わせだったり、長女の嫁と末子の夫の関係だったり(これは私だが・・)
色いろある。 互いが相手のマイナスを見つめあうのでなく、互いの置かれた
立場と条件を理解するしか手立てはない。恋人同士の関係は良かったが、夫婦
関係になったら、破局をするケースが多い。そして別れたと同時に、関係が良好
になって、結婚と離婚を繰り返す芸能人が多く見かけられる。リズとバートン
とか! 無知からくるのだろうが・・ 関係が重なるとネットになっていく。
ネットといえば、網目。それぞれ結び目で出来ている。
その結び目が関係性である。 
 ー ネットで、関係の意味を調べてみると ー
【関係】1 二つ以上の物事が互いにかかわり合うこと。また、
     そのかかわり合い。「前後の―から判断する」「事件に―する」
   2 あるものが他に対して影響力をもっていること。また、その影響。
   「気圧の―で耳鳴りがする」「国の将来に―する問題」
  3 人と人との間柄。また、縁故。「あの人とはどういう―ですか」
  「友好―を結ぶ」「父親の―で入社する」
 4 男女間の性的交渉。また、それをもつこと。「妻子のある男性と―する」
5 (他の名詞の下に付いて)その方面。そういう領域。「音楽―の仕事」
▼ 何ごとも、関係性の中で成立している。触媒の中でこそ、自己は成立。
 ・・・・・・・
3300, 平山郁夫の教養世界
2010年04月08日(木)
 先日、何気なくTVをまわすと平山郁夫の絵と、彼の原爆体験などの逸話
などを取上げていた。原爆後遺症で一時は死も覚悟したなかで玄奘三蔵をテーマ
とした『仏教伝来』を描きあげ院展に入選した平山郁夫の作品には仏教をテーマ
としたものが多く、それがインドに発生した仏教をアジアの果ての島国にまで
伝えた仏教東漸の道と文化の西と東を結んだシルクロードへとつながっていった。 
彼は東京芸大教授、そして学長になるが、何ともいえない風貌に教養の深さを
感じ取ることができる。この番組で、彼の逸話が印象に残った。「ある先生に、
人の真似をしないこと、と教わった。そのためには独自の世界を創り、それを
表現すること。独自の世界を創るには、はば広い教養が必要である」と教えられ、
痛感。それから宗教、哲学、歴史など幅広い分野にわたり猛勉強をした。
その裏づけがあるから、あのような絵が描けるのである。この齢になって幅広い
教養のベースが、その人なりであると、つくづくと感じ入ったため、なお納得。
先日、TVを通して400年前の画家・長谷川等伯の絵を見たが、その中にある
幽玄な世界に、等伯の魂を数百年の時空を超えて感じとれた。絵の中に彼の
独自の精神世界が全て込められている。独自の世界をつくり、その世界を表現
することが最も重要なこと。 そのために幅広い知性と教養が必要といわれると
納得できる。その結果、真・善・美という価値が自然に現れ出ることになる。 
経験、そして知性を裏づけとした教養を考えると、何か心寂しい己に寒気がする
此の頃。良い学校に行き、良い師に出会い、良い友人と語らう中で、
教養のベースができるということか。
 ・・・・・・・・
2925, 中沢新一の『三位一体モデル』 −4
2009年04月08日(水)
 *「三位一体モデル」と「カ・タ・チ・モデル」の相似と違い三位一体の
モデルを肯きながら読んでいて、似ている思考モデルを思い出した。
創造工学の故中山正和の創造思考法である。
・カ= 神の閃き(神のカ)
・タ= 田んぼのタで、カタチ取りをする
・チ= 道のチ、血のチ、力のチで、エネルギーを注ぐカタ=カ+タで、
型をつくることになる。カタ+チ=カタにエネルギーを入れて、カタチ(創造)
にすること。 何かそっくりだが、彼がこの三位一体モデルから、このヒントを
得たかどうかは分からない。「三位一体モデル」は、父、子、精霊のうち、
まずは子の設定をした後に父たる普遍と、増殖する精霊を考えるのが自然。
しかし、それに対して「カ・タ・チ・モデル」は、カの閃きから、カタ、カタチ、
へ発展していく考え方である。そうすると三位一体の父たる「閃き」を纏めるに、
「カ・タ・チ・モデルを使えば良い。 二つの思考法の合体である。
いや、ややこしくなるので類似した思考法があるというだけで良い。
 カ=頭、タ=身体、チ=血液(循環器)・エネルギーということか?
思考法として、『起承転結』『カ・タ・チ・モデル』『正反合モデル』
『曼荼羅思考法』『雑記ノート書き散らし法』などをメインにしているが、
『三位一体モデル』が一つ加わった。次回は、この本の最後にあった、
各職業の『三位一体モデル』の実例を書き出してみる。その一つだけを、
まずは紹介してみる。
  ー書籍の出版社ー
 私たちの場合は、一冊の本ごとに「三位一体」があるといえます。
作家、作者が「子」であることは分かります。その作家に本を書かせた
「動機」が、これが「神」なんです。書いた人がいて、彼が書いたものがある。
それを書かせたものがあるとしたら、それは「父」です。何しろ、初めに「子」
ありきで、一冊ずつ、みんなそうだとしたら、出版社は八百万の神々の
集会所のようなもの。
・・・・・・・
2561, ウォルト・ディズニーがくれた夢と勇気の言葉  ー2
2008年04月08日(火)
 創業のノウハウの全てが、ディズニーの全てに入っている。
それが遊びという世界で万人が解りやすいから、尚のこと心を打つのである。
感動、そして共感が一つずつのイベントに入っている。その原点がチャップリン
の凝縮されたミッキーマウスから出発している。ディズニーのの世界は
参加型バーチャルであり、夢の世界で幻想を楽しませる。
明るく、光にみちた世界に一時を過ごすのである。
▼ ひとつ踏み出す、つまり、新しいことをやってみるということは勇気が
 いるけど、自分を信じて思いきってやってみよう。ひとつ踏み出さなくちゃ、
何にもはじまらない。 解)その一歩の勇気、それが大きく人生を左右する。
 その一歩も裏づけを十二分に持ってないと、逆の結果になってしまう。
▼「人生の素晴らしい瞬間というのは、自分ひとりのためよりも、愛する者たち
 のために行ったことに結びついている。」 解)押し付けにならない程度のこと。
▼ 実は人々はお互い相違する点よりも共通する点が多いということを、伝えていく。
   解)自分の中に、その共通点を見出していくのが教養?
▼ ただ、絶対に忘れてならない。すべてのはじまりが一匹のネズミだった
 ということを。解)ミッキーマウスが、チャップリンの漫画化ということも?
▼ 我々は何か人をひきつけるものが欲しくて、チャップリンのような切なげな
 様子を持つ小さなネズミを思いついた。とにかく精1杯生きているちっちゃな
 やつ、というような、どこにいても人々がミッキーを見て笑い、共に笑い続ける
 ことだけを求めた。 特に社会的象徴のような重荷を課したりしなかったし、
 社会の欲求不満を代弁したり、痛烈な皮肉をしゃべらせたりしなかった。 
 ミッキーは人を笑わせる使命を与えられた小さな人格なのだ。
▼ どこにいても人々がミッキーを見て笑い、共に笑い続けてくれる
 ことだけを求めた。特に社会的象徴のような重荷を課したりしなかったし、
 社会の欲求不満を代弁したり、痛烈な皮肉をしゃべらせたりしなかった。
 ミッキーは人を笑わせる使命を与えられた小さな人格なのだ。
  解)笑わす使命を与えられた人格=チャップリンか? 気の毒じゃないか、
 そういうのは?いや、人に微笑を浮かばせることこそ、人間としての使命
 ではないだろうか。


5136,知の逆転 〜④

2015年04月07日(火)

               ー知の逆転ー
  * 帝国主義の終わり ーB
            対談相手 〜ノーム。チョムスキー
 アメリカのいう核抑止は、実は「核支配」。核が存在する限り、遅かれ
早かれ核戦争は避けられない。キューバ危機、インド・パキスタン危機など、
非常に際どい瀬戸際に立たされたが、アメリカが考えているのは、「核抑止」
ではなく「核支配」。 前者が偽善で、後者が真実になる。
  ー真実と偽善ーの小テーマで、その本質を指摘する。
≪ ・・「真実を好んで偽善を嫌う」ということについてで、最初に
 あなたの政治的な視点というものに触れた折、自分の知っている世界が
 全く違って見えたショックをまだはっきりと覚えています。
 あなたのコメントからいくつか引用しますと、
・「偽善者とは自分に課す基準と他人に課す基準が違う人のことだ」、
・「エリート大学は最も従順な生徒を選択し、体制順応者を生産する」
・「東京裁判は単なる茶番だ」あるいはマーチン・ファン・クレフエルト
  (イスラエルの最右翼の軍事歴史家)を引用して、
・「イラクに何が起こったかを目撃したあとで、もしイランが核兵器を
 開発しないとしたら、彼らはまともじゃない」
・「アイゼンハワー、ケネディ、ブッシュ、レーガン、クリントン、みな
 ミロシェビッチやスハルトと同じ犯罪者だ」 
  そして、ちょうどバートランド・ラッセルが言ったように、
・「偏ったイデオロギーをくり返す代わりに、それを解体して真実を探し、
 真実を語りなさい」と。 ・・いつでも何が偽善でどこに真実があるか
 を、徹底して探ろうとするわけ・・ 
・オバマは言い方が上手なだけ。政権の政策は以前と少し変わったが、
 本質的には同じ。彼はまさに民主党中道派で、それに尽きるが、
 業績で目覚しいことは何もない。 ≫
▼ 米政府の冷戦後の戦略政策についての文章に「核兵器を維持することが
 重要である。非核保有国を含むあらゆる国に対し、核兵器使用優先権を
維持すべき」があると、チョムスキーが指摘。核保有で従来の兵器使用の
枠組みが決まってくると・・ だから、アフリカ、中東でも、非核武装地帯
を実現しないのは、アメリカが、阻止をしているため。 それは中東も、
南太平洋も同じ。アメリカの軍事費は、世界の他のそれを合計とほぼ同じで、
破壊能力と性能において、他の追随を許さず、世界中に700〜800の軍事基地
をもっているという。それも数十年もしないうちに、凋落が予測されている。
しかし、アメリカの負債(国債)は、主軸通貨国にとって幻想に過ぎない。
リーマンショックの前年度からドルの供給量が3倍になったが、ドル相場は
殆ど変わっていない。そして、世界中にばら撒いたドルをアメリカ国債と
交換すればよいだけ。それでは国債が暴落をするかといえば、してない。
 といえ、これまでの流れからして、数十年?は、そのまま流れるが、
その先は凋落をする。その時、いや、10年?もしないうち日本は?
・・・・・・
4771,ぼんやりの時間 ー4
2014年04月07日(月)
             「ぼんやりの時間」辰濃 和男 (著) 
  * 「ぼんやり」と響き合う一文字 ー�
 響き合う一文字で、言葉の意味を考える方法もあるのだ。
そして、以下の5文字がよい。その最初が闇とは・・ 
闇は人を思索の世界に誘う。「ぼんやり」とは、闇の世界で迷子に
なっている状態なのか。 その5文字は
1、「闇」―蛍と星とダークマター
2、「独」―独りでいること
3、「閑」―逆茂木に囲まれて
4、「怠」―「1日4時間労働」の夢
5、「懶」―心の余白 である。
   ☆ まずは「闇」から
《 消えてはまた光って飛びつづけている。お前さんは、眠るのを忘れて
 しまったのか、恋人が見つけられず、そうやってふらふらしていたのか、
いつまで舞いつづけるつもりなのか、とらちもないことを思って見守って
いるうちに、蛍の光はふっと消えた。力を出し尽くしてくたびれてしまった
のかもしれないし、劇的なめぐりあいがあったのかもしれない・・
崖の上に何本かの椎の木が闇につつまれている。その梢の間に光るものがあり、
一瞬、それもまた蛍かと思ったが、星だった。蛍の光とは違って、星の光は
ずっと小さく、冷たい感じだった。 夜空の闇の広さを見ながら、宇宙では
やはり闇が主役なのだという思いがわいた。ごく感覚的にいえば、
銀河の壮麗さは、澄みきった大気に包まれた闇があってはじめて私たちの
視界に入るのだろうし、月を見る楽しさも透明な闇の濃さに左右されるはず。
花火の豪華けん麗さをひきたてるのも真の闇で、真の闇を失えぱ、花火は
いくら塀を競っても人をひきつけない。蛍だって、闇があるからこそ光を
放つことの意味が出てくる。夜の景色の基調は、なんといっても闇なのだ。 
・・ いや、本音をいえば、私は光より闇、陽より陰、実よりも虚、
緊より緩、作為より無為、色よりも空などが、よほど、この世の仕組みを
つくっているのに大切な役割を果たしているはずと思っている。・・ 》
▼ ここで、宇宙を支配しているダークマター、ダークエネルギーを引合に
 だし、宇宙を本当の主役は暗黒物質とその エネルギーとして、考えると
闇の大切が、人生論で「ぼんやりのたいせつさが」が、重なりみえてくる。
そうである、もっともっとボ〜っとするべきである。
・・・・・・
4404, 隠居大学ーよく遊びよく遊べ −4
2013年04月07日(日)
  * 第三時限 いい加減にしなさい 
           ー「隠居大学」天野祐吉、お相手 赤瀬川原平 
「遠き日は 年とるごとに 近くなり」 という句があるが、最近、特に
感じているのは私だけでないだろう。御隠居は日々この感慨を持ちながら
人生を振りかえ鳥瞰し、残された一日一日を噛み締め味わう楽しみがある。
隠居生活は娑婆(雑多な日常)から隠れることであって、人生からの御隠れ
ではない。起承転結の「転結」を「転々」に変え、転がりながら最期を
迎えること。 それもこれも、どうでもよいこと! ーその辺りを抜粋ー
≪ 天野: 力を抜いて自分をコントロールする上で、老人力は非常に重要な
 要素じゃないですか。前回のゲストの外山滋比古さんは、忘れるということ
 がいかに重要かという話をしてくれたんです。第二の人生で定年まで、
 一生懸命詰め込んだような知識は、第二の人生で自由に生きるというとき
 には何の役にも立たない。そんなものは、思いっきりきれいに忘れて
 しまったほうがいい、というふうに。
赤瀬川: いらないものを捨てたら、キャパが広がりますしね。
天野: そう。頭の容積は決まっているわけだから、サラ地にして、
 新しい作物をつくりましょうという話をしていただいてね。
 そのときにも赤瀬川さんの『老人力』のお話を思い出していたんです。
 老人は忘れっぽいということで世の中はいけないことのように思っている
 けれど、そうではないんだと。たとえば、若い人は失恋なんかしたら大変で、
 その苦しみや悲しみを忘れることができなくていつまでもメソメソ悩む。
 でも老人は「忘却力」を身につけているから、すぐに忘れてしまう。
赤瀬川: ええ、強い忘却力を持っていますね。
天野: そう、これまでマイナスイメージでしかなかった「忘れっぽさ」
 をそんな悪いもんじゃない、というふうに書かれていた。あの本は、
 ものすごいベストセラーになったけれども、どういうつもりで買ったので
 しょうね。老人はまだ社会に役に立つとでも思ったのでしょうね。実際は
 違うのに。・・ ボケたとかモウロクしたのが、老人力がついたとか
 ポジティブに書かれて悪い気がしないですよね。≫
▼ 「神様(自然)は、老いの苦悩苦痛を和らげるため、忘却と鈍感さを
 与えて下さった」という解釈がある。老いて今さら気ばんでも致しかたが
 ないし、運命に従うしかない。忘却といえば、この随想日記。書き上げ
 アップロードをした瞬間、内容は勿論、テーマすら綺麗さっぱり忘れて、
 頭は翌日のテーマと内容になる。直後から次回分の書き直しを始めるからだ。
 だから数時間後でも、その文に対し第三者になっている。この最大の収穫は、
 過去に書いた同月同日分12年分の文章に出会うこと。時空を超えた自分に
 毎朝出会うのも良いもの。また「(自)己の分」の限界も見えてくる。
 それを第三者に曝すのも自虐だが「所詮こんなもの」という諦観が出来る。
 「いい加減にしろ、先は短いのだから娑婆気を減らせ」ということ。
・・・・・・
4030, 一時停止  ー谷川俊太郎ー自選散文
2012年04月07日(土)
        「一時停止」 谷川俊太郎ー自選散文ー1955〜2010
 図書館で借りてきたが、直ぐにアマゾンで購入した。谷川俊太郎の詩集や
特集の雑誌を何冊か、読んできた。その散文集なら面白くないわけがない。
谷川の詩も文章も、ストンと心に落ちて振動する。青年期に、谷川の著書を
読んでいたら、人生は変わってはず。 言葉を仕事にしている詩人の書いた
文章は、分かりやすい。読み手の目線を常に意識しているためだ。
  * 「青年という獣」1957年 ーより
≪・・生きているということと、生活しているということとの相違をもっとも
 てっと早やく云えば、前者を非人間的、後者を人間的と云って 差しつかい
ないだろうとぼくは思う。生きるとは、コスモスの中に生きることだが、生活
するとは、人間の社会の中に生きることだ。現代ではこの違いを理解する人は
少ない。下手をすると、コスモスなどという言葉は野暮な言葉で、悪くすると
危険な言葉にされかねない。青年は意識的、無意識的にかかわらず、これに
抗議する。青年は生きようとするものであって、生活しようとするのではない。
一見如何にソシアルに見える彼の行為も、その意味では本当にソシアルになり
得ないものだとぼくは思う。何故なら、人間以外のものになることを、いやいや
ながらでもあきらめてこそ、始めて人は人間になれるものだからだ。
人間は生活という唯一の現実によって人間になる。青年は生活以外のすべての
夢によって青年になる。青年は人間である必要はないのだ。彼は自分の夢を
喰って生きる位の非人間的な強さをもつていなければならぬ。
倦怠はおそかれはやかれ彼を襲うのだ。その前に彼の肉体がまだ新しいうちに、
青年は彼の役割を果さねばならぬ。ビリイ・ザ・キッドは若かつた。
彼は太陽や風や、残酷な青空や、愛らしい女を知つていた。彼はコスモスと
その中の生命に気づいていた。彼は人間や、その生活などを知りはしなかった。
彼が強かつたのはそのためだ。彼は死のもつ非人間的な意味だけに気づいていた。
死のもつ人間的な意味などに気をとられなかつた。彼の手が震えなかつたのは
そのためだ。そのためにこそ、彼は人間としても偉かった。彼は人間を代表して、
コスモスの真只中に立つてひるまなかつた。彼は人聞を殺すことで、
コスモスと戦った。 ≫
▼ 創業は、全く経験のない思い込みの未知の生命体を創り上げること。
 それは「生きる」分野にある。それは創業という獣的行為。生活のためで
あっても、それを創るには人間性を、普通の生活者の考えを、根こそぎ捨てて
かからなければならない。ここで、「青年は生活以外のすべての夢によって
青年になる。青年は人間である必要はないのだ。彼は自分の夢を喰って生きる
くらいの非人間的な強さをもつていなければならぬ。倦怠はおそかれはやかれ
彼を襲うのだ。その前に彼の肉体がまだ新しいうちに、青年は彼の役割を
果さねばならぬ。」とある。新たな事業を始めよう決心した瞬間から、非人間的
になる。獣にならなくては創業など不可能。何時の間に獣から普通の生活者に
なっていた。地元の生活者の中の創業は獣の姿を曝すことになる。 
本当の生活者になるのは、これから。 
  ・・・・・・
3664, 閑話小題
2011年04月07日(木)
  * 駅やSC内のATMが閉鎖は
 今だに駅やSC内のATMが節電を名目に閉鎖されたままである。
これは間接的、現金引き出しの窓口規制そのもの。支店、営業所内の
ATMは開かれているが数は僅か、不便そのもの。経済的側面からみたら、
大震災と原発事故全体を大地震とすると、大津波は本格的経済恐慌で襲いくる。
電力と節約の呼びかけは、消費を冷やす効果は充分にある。
  * スポーツクラブだけは盛況
 家内がスポーツクラブに10年以上も行っているので、同行してみた。
驚いたのは平日の午前に関わらず、中高年の人たちで満杯だったこと。
100人位に人たちがマシーンと共に無言でひたすら運動していたことである。
雰囲気は開放的で明るい。分かっていたら、前から通っていただろう。
「平日の10時から17時までの時間帯コース」の会費が大よそ6千円、
10〜22時のフルコースだと8千円。週に4日×4=16日が平均とすると、
一日400円〜500円。 施設からみてそう高い感じはしない。
それより、歩いて15分のところに、公営施設の中に、大きなジムがある。
これは、一回300円、3月で1800円。以前、入会しそうになったが、
止めたことがあった。早朝のウォーキングか、サイクリングをしていたが・・ 
 ・・・・・・・
3299,金融世界大戦 という捉え方
2010年04月07日(水)
 * 軍事戦争から金融戦争へ(兵器から債権へ)
 経済評論家の田中宇が「金融世界大戦」という造語で、現在の金融恐慌の本質
を説明している。さらに「金融兵器」という恐ろしい言葉が加わったのである。
これをアメリカ国内だけでなく、世界中に時限爆弾入り兵器という危ないやつ。 
何処かで爆発をすると、それは繋がっていて連鎖爆発をする危険なシロモノ。
「世界的な軍事戦争が出来なくなった代わりに、金融による世界覇権をめざした
米英が、破壊兵器=金融債権を武器に世界制覇を狙ったが、それが敢え無く破綻、
世界を恐慌に導いてしまった。一時、世界経済を米英を親とした「ねずみ講」
をつくり上げ、世界中のものを紙切れで買い漁っていた実態が崩壊した。 
これで世界中の貨幣制度の根底に大きなヒビが入ってしまった、しかし大元の
アメリカは破壊した金融機関やGMなどを国有化し、何とか体裁を保っている
ドルを注入し、立ち直りを図っている。詐欺師は元もとの金や資源を温存して
いるから、ドルや債権の価値を徹底的に下げてしまえば、傷は最小で済む。
しかし被害者は輪転機を持っているわけでない、その負債を負わされ国家破綻、
すなわちハイパーインフレで国民の金融財産の大部分が消滅する。
 世界の国々はアメリカの、こうしたネズミ講の危なさを知らずにアメリカ国債
や、アメリカの銀行が発行するCDOやCDSを見境なく買ってしまった。 
現在、各国が何とか金融破壊兵器を爆発させないように持ちこたえているが、
これも時間の問題。 ユーロ圏か、アメリカか、中国から、その爆発が始るのは
防ぐことは不可能である。 破壊兵器(債権)は、世界中にばら撒かれ、連鎖
して世界中を破壊する。それはデフレスパイラルから、ハイパーインフレへの
転換期に始る。日本はアメリカの金融占領国の悲哀を株価暴落か、(一時的な
円高の後?に)円安という形で日本を襲ってくる。「気がつきゃホームでゴロ寝」
で、IMFの管理国家として裸同然の国に落ちぶれることになる。アメリカは
第二次大戦後、朝鮮戦争、ベトナム戦争、冷戦、ソ連の崩壊後は、アフガン、
イラク戦争と戦い続けている。ところがソ連が弱体化を始めた1980年頃から、
米英は軍事から金融戦争に軸を変え始めたのである。その一つがプラザ合意
から始る日本のバブルと、破綻である。(字数制限のためカット2012年4月7日)
 ・・・・・・・・
2924,中沢新一の『三位一体モデル』 −3
2009年04月07日(火)
          『三位一体モデル』中沢新一著   読書日記
  * 煉獄の発明
 キリスト教の資本主義にとって、都合の良い「煉獄」を発明した。
中世にこれを発明したのは、実に都合の良い大発明にある。それまでは天国と
地獄しかなかった。しかし、この発明で、いったん地獄に落ちた人が煉獄に
地獄から這い上がれば、上から天子がやってきて、天国にむかえてくれますよ、
と、こんなことを言い出したのである。こういう経緯を経て、資本主義が動き
出したのである。これは恐らく商人のために考えられたもので、動物の殺生など
に従事していた職人たちも、その恩恵にあやかった。それまでは彼等には、
まったく救済がなかった。だから、生前、極悪非道の金貸し商人だった人が、
死後に、煉獄の山を苦労して登り、天国に行ったという話しがでっちあげられる
ようになった。こうした経緯を経て、西欧州の資本主義が動き出した。
ガシャガシャと動き出したのが13〜14世紀。それから、16,17世紀を
経て、19世紀にフル活動をするようになった。もし煉獄とうの考え方が
なかったら、今日の西欧資本主義はなかった、といえる。 ようするに
一神教である限り、資本主義の潜在力は抑えられてしまう可能性があった。
発達を可能にしたのは、それに加え、増殖の原理を飲み込んでいたからである。
キリスト教は、西と東に分裂したが、東のギリシャ、ロシア、東欧のキリスト
教圏では資本主義は実現できなかったのも「三位一体」の理解法にあった。
1990年代まで続いた東西対立の、いちばん深い根っこの部分にも
「三位一体」は関係している。さらには、現在のロシアの経済が何故あんなに
混乱しているのか、また、70?80年前に。その地に何故社会主義なるものが
できたのか。これも、この三位一体の歴史問題と関わってくる。
▼ 煉獄という言葉を知ったのはロシアの文豪ソルジェニツゥインの
『煉獄の中で』である。地獄の一歩手前のところと解釈していたが・・


5135,知の逆転 〜③

2015年04月06日(月)

              ー知の逆転ー
   * 帝国主義の終わり ーA
             対談相手 〜ノーム。チョムスキー
  名前は聞いたことがあるが、成るほど面白く、鋭い。
 〜まず、チョムスキーの人なりと、学説から
≪・ノーム・チョムスキーは、プラトン、フロイト、聖書と並んで、最も引用
 回数の多い著者であり、「生きている人の中でおそらく最重要な知識人」
(ニューヨーク・タイムズ)と形容される、MITエ科大学の言語学教授にして、
哲学者、政治活動家。 著作は200冊を越え、50ヶ国語に翻訳。
・全ての言語にはその深層に共通する文法が存在し、そこからさまざまな表層
構造が生成されるのであり、人間は言語の基本文法を生得的器官として持って
生まれ、不十分なインプットで十分な言語能力が発揮されるような脳の仕組み
になっているとする。この「普遍文法」の提唱(1955年、57年)は、言語学分野に
革命をもたらした。
・1960年代のベトナム反戦演説を皮切りに、反戦、反暴力の姿勢を貫いて、
アメリカが「デモクラシーを広める」という名目のもとに行っている、自分の
言うことを聞く抑圧的な政府(チリのピノシエやニカラグアのコントラなど)を
支援して民主主義を阻止するというような他国への軍事ならびに経済介入は
テロリズムそのものだ。そのお先棒を担いでプロパガンダを煽っているのが
アメリカのマスメディアであり、特にエリートは常に提灯体制の提灯持ちに
なりやすいと、アメリカの覇権主義を厳しく批判する活動を続けている。
・また、広島と長崎への原爆投下は人類史上最もひどい犯罪の一つであると
明言すると同時に、第二次世界大戦における日本帝国主義の犯罪も厳しく糾弾。
・さらに、世界経済は多様化したほうがショックに強くなる一種の存続と同じ、
多様性を保つことが社会全体の体力を強くする。・・
・細々とした講演活動を地道に続けて少しずつ人々の目を事実に向けていき、
いまでは時代がチョムスキーに追いついてきて、講演は常に人があふれて、
世界中からのインタビュー依頼がひきもきらない。≫
▼ 「資本主義の将来は、市場原理主義だけでは必ず破綻するとし、民間
 ビジネスは、強い政府によって守られることを望んでいる。」という。
中国のような大国で、流砂の民といわれ、個人主義の強い人民の国では、
特に、中央の統制が強くなければ体制が維持できない。それは、アメリカの
市場経済主義も同じ。
・・・・・・
4770,ぼんやりの時間 ー3
2014年04月06日(日)
           「ぼんやりの時間」辰濃 和男(著) 
  * ぼんやりと過ごすために ―その時間と空間
次の問いかけー「むだな時間」はむだか?ーの問いが考えさせられる。 
  まずはーアマゾンのレビューよりー
《 ミヒャエル・エンデの傑作「モモ」の主人公は「ぼんやりしている時間」
 を大切にする少女だ。・・ エンデの作品は、時間泥棒の「灰色の紳士たち」
が、人々から「時間」を奪っていく物語だ。むだだと思われる時間を奪われた
人々の暮らしはどうなるか。それが「モモ」の主題だ。ぼやーっとしている
時間はそれこそ、むだそのものだ。効率至上主義者はそう言うだろう。
むだな時間を幾ら重ねても何の稼ぎにもならない。灰色の紳士たち、つまり
時間泥棒たちは、人々の心に忍び込んでは「むだな時間」を節約し、その分を
『時間貯蓄銀行』に預けなさい」と誘う。銀行に預けられた時間は、すべて
灰色の紳士たちが生存するために使われてしまう。いわば詐欺そのものなの
だが、人々は詐欺とは気がつかず、せっせとむだな時間を削っては、その分、
自分たちの生活を貧しくしてゆく。モモは何処からかふらりとその地にやって
きた少女だった。土地の人たちの好意で、古い円形劇場跡の一角に住まわせて
もらう。少女は、夜空を眺め、夜空の発する「荘厳なしずけさ」をひたすら
聴くのが好きだった。モモにとっては、このぼんやりの時間はけしてむだな
時間ではない。宇宙の静寂の中で時を過ごすと言うのは、モモがモモらしく
生きるための、大切な時間だった。夜空を眺める時間を持つことで、モモは
「荘厳なしずけさ」を感ずることが出来たし、何よりもそういう時間を持つ
ことで、曇りのない目を持つことが出来、灰色の紳士たちのインチキを見破る
ことが出来るのだった。かなしいことに、私たち現代人は、夜空をしみじみと
仰ぐ習性からしだいに遠ざかっている。利潤、効率、管理、豪華さ、スピード
とか、そういうものを生活の拠所とする人々が増え、夜空を眺めるなんて
無駄なことだ、と思う人が増えてきた。しかし、そのむだは本当にむだなこと
なのか。そういうむだがあるからこそ、生活はむしろ、ゆたかなものになって
いるのではないかとエンデは問いかける。》
▼「モモ」の時間が、何か日本人の預金のように感じられる。それを狙った
 偽札が、米国と日本の国債の紙切れ。国内に不安を押し付け、さほど多く
ない収入から、年金をかけさせ、預金をさせ、それと国債を交換するシステム。
その国債の価値の上げ下げの決定権も当然、彼らが持っている。金融工学など
の言葉は詐欺工学と言い換えてよい。おちおちしていると全てを失ってしまう。
豊かさには、お金など資産と、知識と、品性と、時間などがある。
その中で、一番に大事なことが、それぞれ平等に与えられた時間である。
だから、ぼんやりすべきか?、ぼんやりしてないで、有効に使うか? 
その人により違ってくる。ぼんやりの時間は、自然瞑想に近い心の状態では
ないか。『よく働き、よく学び、よく遊べ、しかし時どき、ボ〜ッとした
時間を持って、それを味わいなさい!』ということ。
・・・・・・
4403, 隠居大学ーよく遊びよく遊べ −3
2013年04月06日(土)
        『 隠居大学ーよく遊びよく遊べ 』天野祐吉、お相手
* 第二時限 「ゆっくり急げ」 外山滋比古講師
   ー人生二毛作の進めー
 二期作と二毛作の違い、「二毛作は、ひとつの耕地で、一年で種類のちがう
作物を二度栽培すること。二期作は同じ作物を二度栽培をすること。
人生においては、二毛作をすべし!」と、「ゆっくり急げ」が御隠居の要。
 そのために、これまた長年かけた準備が必要になる。土壌は今さら変える
ことは無理。ならば移住するか、その土壌に合った新しい作物を長年かけて
用意しておかなければならない。  ーその辺りを抜粋するー
≪ 外山:わたしもそうですが、長いこと組織の従業員をやってきた
 サラリーマンの場合はですね、それまでの価値観を、いっぺんひっくり
返さないといけません。前半の人生ではだれかに仕えていた人も、後半の人生
は自分が自分の大将になり、自力で道を歩むための新しい志をかかげなければ。
そういう意味で、この隠居大学というのは、たいへん面白い試みですね。
天野:あまり実践的でない大学ですが、気楽におしゃべりで、いろいろな
隠居の楽しみ方を紹介する遊び場になればいいと思っているんですよ。
ところで、外山さんの『「人生二毛作」のすすめ』、すごく面白く読ませて
もらいました。二毛作っていうのは、ひとつの耕地で、種類のちがう作物を
二度栽培することですよね。たとえば、春から夏にかけて稲をつくったら、
二回目は大豆や麦なんかをつくる心つまり隠居の楽しみというのは二毛作目の
ようなものであって、前半の人生と同じものをつくったんじゃ面白みがないと。
外山:そうそう。人生も折り返し地点に来ると、価値観というものがおおむね
 逆になります。そもそも、前半で立てた志というのは、学校出て就職したら
ある程度の方向が決まってしまうようないいかげんな志です。わたし自身も
そうでしたが、いちどエスカレしターに乗ったら、自分の力で歩かなくても
成長しているような気になって、それでは本当に生きてきたといえるかどうか。
天野:もし二毛作にチャレンジしなかったら、どうなるんでしょう。二期作と
 いうのかな。前半の人生と同じものをつくる。たとえば、定年を迎えたけれど、
嘱託社員として会社に残って、空いた時間で好きなことをするというような・・
世の中には、そういう隠居スタイルの人もいると思うんですけど。 
外山:いや、それはエセ隠居です。高級官僚の天下りがいい例です。二毛作目
 をやるのは面倒くさいし、自信がないから、とにかく一毛作の延長で行こう
としがみつく。そんな甘い考えではいい年寄りになれません。といってもわたし
もね、少々まわり道をしたんですよ。大学で教師をしていたんですが、最初の
勤め先を定年退職後、もう一度別の学校に勤めに出たが、がよくなかった。≫
▼ 私の長年の友人は、ほぼ二毛作の人生を過ごし三毛作の人もいる。
 転進すべき節目時に決断している。情報を持っていたのである。逆に一毛作
でハッピーエンドだったら、小さな畑で隣の田畑と比べるだけの水平の人生も、
それもご愛嬌。 価値観の転換など関係のないのも、これも人生。
死んで三日も経てば、みな同じ。あるのは?永遠の虚空だけ!
・・・・・・
4029, 「人生の知恵」ノート ー2
2012年04月06日(金)
     ー 品格と、自分を高める言葉のノートより ー
  * 情報や知識が少ない場面では
「何をするにしても、勝手が分からないこをやる時は安全な方を選ぼう。
手堅いことは独創であることよりも大切である。」これも人生を振り返ると、
骨身に感じること。情報不足の時は、奇をてらえば、必ず失敗をする。
  * あえて敵をほめること
 敵を褒め、親切にすること。特に復讐のチャンスの時ほど、逆に寛容に
すべき。その品格が求心力を生む。ボクシングの勝者は観客を意識し敗者に
対し、「良い選手だ」と必ず褒め称える。ファン対策のためだ。
 人生は、闘争である。まともに生きていれば、罵られ、足を引っ張られる。
しかし、決して愚弄してはならない。憎い相手ほど、冷静に褒める。
それが品格を高めることになり、敵を少なくし、求心力を生む。
  * 放っておく術を知る
 人間関係の諸問題は、さまざまな感情の暴風雨を引き起こす。そんな時、
港に退避し、碇(怒り)を下ろして乗り切ること。殆んど時間が解決する。
複雑な問題を解決できるのは「時間」か、強い権力だけと知るべき。
「低俗の人たちが起こす問題の嵐を静めるには、何も手を出さず、自然に
収まるのを待つこと。一度、退くことがベスト。
  * 見かけも重視すべし
 信用は金を出しても買えないが、外見は僅かな投資で整えられる。 
正義でさえ、正義に見えなければ、それにふさわしい敬意を受けられない。
きちっと見抜ける人は、見かけで騙される人よりずっと少ない。清潔な服装
を着るだけでなく、時計も靴にも高級感のあるものを選んで、いつも磨きを
かけることが必要。話す言葉も、少し保守的に、謙虚さを装うべきである。
第一印象は僅かな投資で良くすることができる。それが信用の土台になる。
  * 感情の波を乗り越える
 感情は、常に理性を踏み越える。常に冷静な態度を保てる賢明な仲介者を
間に入れれば良い。激情にかられたらその場を離れる。
  * 失うもののない人と争わない
 人物を選ぶこと。危ない人は、いつの間にか悪い情報のタネにする。 
  * 言葉はやわらかく、態度はやさしく
「言葉を使えばたいていのものは買うことができ、不可能を可能にできる」
言葉の力と恐ろしさを知って、用心深く、やさしく使うことが、品格を作る。
▼ このブログの公開が恐くなってきた。「本当のことは休み休みに言え」
 が、社会。この箴言は現在の私への諌めの内容ばかり・・
・・・・・・・
3663, 9・11、9・15、それをしのぐ3・15 −2
2011年04月06日(水)
 この大震災と原発事故の3・11が、9・11と9・15を超える歴史的事件の仮説
の上で、この今後の行末を考えてみる。それだけ大きな事象なら、これから
生じる問題は想像するだけで恐ろしい。
 * 9・11の結果、アメリカのアフガンへの攻撃、イラクのフセインへの
 攻撃で数十万人を殺害し、新しい政権を確立をした。このテロは、白
(白人系宗教)対、赤(アラブ系イスラム教)の対立が表面化した事件で、
 文明の衝突である。
* 9・15は米英の金融支配の崩壊であり、世界経済を根底から破壊を始めた
 ばかり、それだけでない500年の欧米的価値観を根底から変える歴史的
 大転換の大事件である。。
* これに対し3・11は、東北の太平洋岸で100年来の最大規模の地震と大津波
 が発生し、沿岸の原発に直撃。その結果、放射能汚染が日本の国そのものを
 崩壊するかどうかの瀬戸際に陥っている。その上に、世界に汚染を拡大させる
 可能性もある。 さらに世界の原発推進の流れを根底から変えようとしている。
 事実には、真実と虚偽が混ざる。TVで「風評に気をつけて下さい!」と、
 政府筋がコマーシャルを流している。
しかし政府の流してきた情報こそが虚偽?で信用ならないことを国民は熟知
している。 ネットで、政府より国民の方が情報を素早く得ているのである。
政府が「原発は絶対大丈夫!」といい続け、それを信じてきた純朴の住民が
最大の被害者。あの歴代の保守系の政治家と官僚の連中に騙された結果が、
この様である。それを今さら「風評に気をつけてくだい!」といわれても、
誰が信じるかである。 地震発生と原発事故の発生して数日後に「本州全滅!」
と、ある筋から聞いたときは、それでも心の何処かで「まさかだろう」
と思っていた。しかし日々刻々、入ってくるニュースを見ていると、
「もしかしたら?」でなく、その仮説?の上で、原発事故の行き着く先を
考えなければならない。「首都圏の官僚の子弟は、遠くの親戚に疎開を始めて
いる」とかが、決して風評で軽々しい、とは思えない事態。「外国人が、早々、
列をなして国外に逃亡した行為と、大多数の人たちが、風評として見逃している
情報の方が正しい」という仮説を立てて自分の中で立てておくべきである。 
  私たちの年代は、充分生きたが、若い人、子供は気の毒である!
 ・・・・・・・
3298, 一年の重み
 2010年04月06日(火)
図書館で小林正観の「人生を楽しむための30法則」を見つけ借りてきた。
例の「ありがとう」教の本を書いた人。それで一番ありがたかったのは、
彼だろう。それはいいとして、何げなく目を通していると、以下のような
面白い内容があった。(字数制限のためカット 2012年4月6日)
 ・・・・・・・・
2923, 中沢新一の『三位一体モデル』 −2
2009年04月06日(月)  
『三位一体モデル』中沢新一著   −読書日記
  *「霊」は何か?
ここでいう霊とは、英語でスピリッツ、ドイツ語でいうガイスト、
日本語で霊(たま)という。語り得ない「神」とか「霊」をどう表現するか
興味を持って読んだが、神を三位一体モデルとして、「父」「子」「精霊」
と構造的に分解している。一つの見方だが、それを思考法として利用したり、
この世界を理解するには有効になる。その一つの「霊」を、ひとことで
「増えていくもの=増殖するもの」としている。「父」たる普遍的なことを、
現実の姿として「子」キリストなどの現象とし、霊(増殖するものとして)
を使って世界中に布教していく便利な存在?である。この霊を組み込んだ
キリスト教が、<増殖>現象を自分の中に抱えこんで世界に爆発的に布教
していくことになる。それが西欧資本主義の出発点になるのである。
ここが、イスラム教と、もっとも深い対立点になる。
  * イスラム教との「増殖」をめぐる対立とは?
 イスラム教は、キリストが神の「子」という点、そして増殖原理である
「霊」を唯一神の中に組み込むという点については、絶対に認めない。
イスラム教にとって、神と人間のあいだに立つ媒介する存在など、あっては
ならない。イエスなど、ただの預言者でしかない。ただひとつの神に霊を組み
込むなどということは、絶対にありえないこと。なぜなら、霊は「増殖現象」
を起こすなど、唯一の神アッラーは増え得ないからである。
イスラムにとって、アッラー自体は変化しない。しかしキリスト教徒は、
じつに微妙なかたちで、「増える」という原理を組み込んでしまった。
イスラムにとって、「神の本質が増えるとはどういうことなんだ」ことになる。
キリスト教は、増殖という現象を内部に組み込むことによって、
その後の奇跡的な勢力拡大の基礎をつくっていったのである。
▼ 結局は、キリスト教は欧米人の世界からの略奪行為の尖兵として、
 情報機関として建前として使われてきたのは自明だったが、ここで、
その宗教の歪みの部分を解明している。この世界恐慌も、その崩壊の一つ
とみてよい。霊を増殖するものという見方は初めてである。
・・・・・・・・・・
2559, 印度放浪 ー3
2008年04月06日(日)
 ー語録ー2
人間の身体を見ていて神々しいと思ったのは、一ぺん沈んで浮かんできた水葬体。
水葬にしていったん沈むんだけど、沈んだあと底につかないのはそのまま浮かば
ないで流れ浮かばないで底についたのは必ず浮かんでくるんだ。
そうやって浮かんできた時の顔とか身体というのは、不純なものがいっさい
流れたような美しいものなんだね。半眼微笑の仏像そっくりな場合すらある、
それが二、三日経つとだんだん膨らんできて、中の血管の血がバッーと表に出て、
まるで不動明王や五大明王みたいに赤黒くなる。それからまた血が引いて漂白
されたようになって行く。水に投げられたひとつの死体をずーっと見ていると、
人間のもっているすべてが見えるよ。日本でも死ぬ時に、これは単なる比喩的な
言いまわしだろうけど、死ぬ時に一回苦しんだか二回苦しんだか、三回苦んだかで、
その人の生前にもっている業みたいなものが出るということを言うじゃない。
それとは違うけど、水葬死体も人間のもっている生前のことを全部見せてくれる
ような気がするね。
 解)日本人は死体を特別に大事に考えている影響が40年前の著者に残って
  いるようだ。こういうのを読むと、さっさと重油をかけて焼いてしまうのも
  良いと思う。その方が余程ドライである。
ーー
犬が水葬体を食っているのを見て、法華経に出てくるクンパーダカをふっと想像
したんだ。クンバーダカ鬼は架空の生きものだから見たことはないが、そういう
感じがしたんだ。広角で撮ろうと死体を食っている中洲の犬に近づいたら、そこに
いた一匹が逃げたんだ。それが遠くから十二、三頭を連れてきた。砂けむりを舞い
上げてね。僕がエサを取ってしまうとおもったのか、全部がうなりながらにじり
寄ってくるんだよ。人間を喰っている犬ににらまれたんだから、かなり危機感
を持ったね。眼を離して逃げたらワーッと襲われてやられるとおもったから、
こっちも動けない。川の中洲だから人間は誰もいない、助けも呼べない。
  (字数制限のためカット 2015年4月6日)


5134,知の逆転 〜文明の崩壊 

2015年04月05日(日)

          ー知の逆転ー
   *  文明の崩壊 
                対談相手 〜ジャレド・ダイアモンド
  ― まずは、『銃・病原菌・鉄』の著者ジャレド・ダイアモンド ―
 条件と原因は、ほぼ同じ。環境条件が、そのまま、文明や、人間そのものに
当てはまるだけ。人生に意味など求めるなど愚の骨頂、条件次第でしかない。 
現実世界の上に、ネット社会が出来上がり、グローバル化が進んでしまった
世界は根底から激変している!しかし、一般は、その辺りの認識が甘い!
  〜その幾つか抜粋してみる
・西欧の発展は、そこに住む民族が他より優れていたわけでなく、たまたま地の
 利がよかったことと、農業を可能にする動物・植物が、その地域にまとまって
 生息していただけのことであり、文明はわずかな決断の誤りでもろくも崩壊
 すると見抜いてみせた。要は、地理的条件が文明の発展を決めていた。
・現在のように消費量の格差がある限り、世界は不安定なまま。だから 安定
 した世界が生まれるためには、生活水準がほぼ均一に向かう必要がある。
 たとえば日本がモザンビークよりも100倍も豊かな国であるということが
 なくなり、全体の消費量が現在より下がる必要がある。(p30) ・・(略)
 国家間格差がある限り、紛争は無くならない。ということは、国際紛争は
 永遠に続いていく。概していうと、欧米と日本の生活水準は下がっていき、
 中国、インド、アフリカ、南アメリカの生活水準は上がる。
・たとえば日本は三分の二が森林に覆われているが、使われている材木は輸入
 されたもの。その意味で、日本は結果として森林資源を守っている。(p33)
・人類が成功をしたのは言語のせいと考えられる。言語を獲得すれば、発明も、
 思索も、道具を作り出すことも、知識を後世に伝えることができる。
 だから、直立歩行と脳の肥大化に加えて、人間の言語の発達が、人間進化上、
 最も重要なステップだったのでしょう。(p38)
・「人生の意味」というのを問うことに、何の意味も見出しません。
 人生というのは、星や岩や炭素原子と同じように、ただそこに存在すると
 いうだけのことであって、意味というのを持ち合わせていない。(p56)
・アメリカの産業のリーダーたちが環境に関心を示すようになる大きな理由の
 一つは、彼らの12歳の娘や息子が、パパやママが会社でいったいどんなことを
 しているのか、環境のために会社は何をしているのかを聞いたときに、CEOが
 「環境問題なんて取るにたらない、あんなのはデタラメだ」などと一蹴しよう
 ものなら、「パパ(ママ)大嫌い、サイテー、二度と口をききたくない!」と
 大泣されてしまいます。これが実は、信じられないくらい効果的です。(p59)
・大よそ5500年前に初めて大社会が出現するまで、世界の全ての社会は、
 小さなものでした。過去700万年にわたる、われわれの社会の進化の過程を
 考えるうえでは、小さな社会が最も適したモデルだと思います。大社会は、
 ここ数千年で出現したもので、ごく新しいまとまりであるからです。(p61)
▼ 『銃・病原菌・鉄』の、銃はテクノロジー、病原菌は家畜化された動物から
 移った細菌によって免疫力がついて、新大陸征服時に、この3つが威力を発揮
した。ここで、宗教は支配階級を維持するための強力な道具であったと指摘。
支配するものには、これほど都合の良いものはない。天皇制も一種の宗教制度。
島国での統治には必然だったかも? そのミニ化したのが世間様、娑婆(O皿O;)。
・・・・・・
4769,閑話小題 ー高速道路のサービスエリアで高額品が売れる訳
2014年04月05日(土)
    * 高速道路のサービスエリアで高額品が売れる訳
 先日のTVで、「何故、高速道路のサービスエリアで高額品が売れる?」
をテーマにしていた。これは長距離移動で車中に束縛された反動で、ストレス
を発散しようとする無意識のはたらき?を二組の男女学生5人で試みるもの。 
まず一組目に郊外で散歩させ、その後、寿司屋で自前で、寿司の松竹梅を注文
させたところ、一人だけが松を選び、他の4人は竹と梅を選んでいた。
もう一組には、目だけ空いた仮面を被って同じように散歩をさせ、同じ寿司屋
で注文をさせたところ、全員が松を注文をしていた。この結果、ストレスが
高額品を選ばせる証明と結論づけていた。10年ほど前の話だが、新潟の、
ある親睦会で、知人が大きは手術後、暫くし出席をしたおりに、「退院して、
何が無性にしたくなったか、分かりますか?」と、全員に問いかけてきた。
「驚いたのは、買物!とにかく何か買いたくなる衝動には、驚いた」と。
成るほど、ストレス解消には買物が良いようだ。女無頼作家の中村うさぎは、
重度の買物症候群をネタをエッセイ風に書いている。殆どが買ったままの袋詰
状態で、家に置いたままと宣う。 それが高額のブランド品のため、借金地獄。
その実録の迫力の吸引力はすざましい。以前からムシャクシャすると、スーパー
か、百円ショップで買物をするが、お陰で机周りと居間は、得体の知れない
小物が溢れている。成るほど、百均はミニ・レジャーランドである。
   * ローリングストーンに苔ははえない
「転がる石には苔が生えぬ」とは、同じ場所にとどまらない石には、苔も
生えない事象を肯定的にとられている。私は今まで、頭も身体を動かしていれば
病にならないなど、マイナスにとらえていた。 本来は英国の諺で
「A rolling stone gathers no moss.」で、「職業や住まいを転々とする人は
成功できない」という意味で使われるが、米国では「活動的にいつも動き回って
いる人は能力を錆びつかせない」という意味で用いられる。 この違いは、
イギリスは保守的、アメリカは改革的な考え方をするためである。類義語では、
「度々植えかえる木は根が張らない/使っている鍬は光る/転石苔を生ぜず/
流れる水は腐らず」などある。30年前からは、身体と脳をフル回転させて、
ウツ病とか、ガンの予防対策にしていたが・・ 
・・・・・・
4402, 自分の世界の自覚  ー世界内存在
2013年04月05日(金)
  * 象の皮膚の皺につく寄生虫  「知的余生の方法」渡部昇一
10年位前に、何か哲学書の中で、象の皺を全世界、そこにつく寄生虫を
人に喩えた「世界内存在」の説を知った。寄生虫は、全体の象の姿を知ること
が出来ない。だから旅行や小説などで時空を超えて象の皺から出てみないと・・
この随想日記でも度々、世間とかいう枠組の批判に、この喩えを使ってきた。
 ーその出所が、ここに詳しくあった。 
≪ 象の皮膚の皺につく寄生虫は、自分がくっついているその皺だけが
 自分の全世界で、象がどのような形をしている動物かも知らないー
というようなことを言ったのは仏の哲学者ルコン・デュ・ニュイユイ。
このように虫の立場から見る世界とか、鳥の立場から見る世界とか、人間以外
の動物の目から見る世界という「視点の転換」を教えたのはJ・J・ユクスキュル
というドイツの動物学者。哲学史でどう取り扱われているか詳しくは知らないが、
人間の思考法を大転換させる業績だと思う。・・・(略)
 ここから類推すると「人間は世界内存在である」という場合の「世界」は、
人間の五官が認知できる世界ということになる。縦、横、深さの他に時間を
入れてもせいぜい四次元の世界である。五次元や六次元の世界がどのような
ものであるかは想像もつかない。音も光も人間が五官で羅できる周波数の範囲は
限られている。それは象の皮膚の皺の中の寄生虫には星が存在せず、梅の香りが
存在しないようなものでないか。人間は五官の世界内に閉じ込められている。
これから逃れる方法がない。この状況を「人間の世界内脱出不可能性」という
らしい。・・・(略) 人間は、象の皮膚の皺の中に住む寄生虫とは違う。
人間は自分が五官の世界内に存在していることを知りながら、そこから脱出
しようという努力をしたり、脱出することを祈ったりするからである。
そしてそれに成功している人もあると主張する人もいる。それがオカルト。
オカルトとは、つまり五官と時間の囲い込みを超越しているという意味である。
どの宗教の神様も人間の世界内に閉じ込められてはいない存在だ。だから
有難いのである。神様とはいかないまでも、超能力があるという人もある。
ある宗教家には私の前世がわかるという。私の霊魂は在原業平とベンジャミン・
フランクリンのそれだったという。二人とも私が好きな人であり尊敬する人でも
あるから悪い気はしないので、それを信ずるわけでないが、有難く承っている。
こういう認識の仕方は、人間の世界内存在の状況を完全に超越している
普通の人間は、解剖学的制限の下にある。これが哲学的に言えば「世界内存在」
の実体である。だから解剖学者はオカルトの世界を認めない人が多い。人間は
いくら解剖をし、すぐれた顕微鏡や検査法を用いても、その存在は認めらない。≫
▼ カントが同じようなことをいっていた。人は5感の範囲でしか、経験の
 範囲内でしか認識できない。認識できた範囲を、対象に貼り付けているだけ。
「知っている範囲しか、知り得ない!」当たり前のことだが。これが自覚
できないのが問題。カナダのロッキー、テーブルマウンテン、ケニアの大草原、
カラコルムハイウェーなどなど、どれもこれも、想像を遥かに超えた世界。
問題は、帰国し日常に帰った時、象の皺の世界が逆照射し、元に戻れないこと。
・・・・・・
4028, シングルイン、31年間の総括 ー8
2012年04月05日(木)
   * 3・4の法則
 あるコンサルタントの先生から教わった「へ」の字の「3・4の法則」。
「上手くいった新店でも、そのままだと3年上りで、下り4年になる。
4年目から右上がりを続けるためには、二年から新たなへの字=革新を
つくり続けないと4年目から下りに入り7年で死に体になる。この法則から
すると、ホテルの場合は長期物件もあり12年上りで、下り18年とみると、
確かに、その通り。 事業とは時流の先取りを事業化をしてバブリ、最盛期
から空気の抜けたように萎んでいくのが自然の姿。新潟駅前シリーズの事業も
創業10年目にソ連・東欧の崩壊と、日本経済のバブルが崩壊した。
それからするとバブル崩壊の数年以内にホテル事業を売却すべきだった? 
終戦直後に生まれ、右上がりの時代に少年・青年期を過ごした体質からして
無理か。 バブル崩壊が日本にとって、衰退期へ大断層だったのを読みとく
ことが出来なかったのである。偉そうに書いているが、これが私の限界。 
バブル崩壊時に郊外型ビジネスホテルを考えたが、実際は、駅前の280室を
500室に増加の戦略ミスの選択をした。 それが18年の下り坂の節目。 
1985年のプラザ合意で米国にバブル政策を強いられ、その結果のバブル
崩壊で日本は致命的打撃を受けた上に、2001年の9・11テロと、
2008年のリーマンショックである。私の事業も日本経済と全く同じ運命を
推移してきた。 人生も7年か8年で一節。 前半上りで、後半下りである。 
その辺りを人生計画に嵌め込めば良いが・・ 女が7年、男8年というが、
振り返ると、大方あてはまる。同じ体質を保つに不断の改革が必要というのが、
「3・4の法則」だが、失敗するには、それなりの理由がある。
・・・・・・
3662, 閑話小題
2011年04月05日(火)
  * 大相撲の八百長処分
 大相撲の八百長処分が発表され、23人の力士と親方が事実上、角界から追求。
幕内6人、十両9人というから、影響は大きい。私が知る限り現親方も含めて9割
が日常的に八百長が行われていたみるのが順当。 「今さら何が八百長?、
何で自分だけが」と追放された力士は合点がいかないのは当然のこと。
まだまだもめるはず。日本的談合社会の縮図が、そのまま現れた事件。 
結果からいうと、情報化が、それを許されなっていたことを察知して談合
システムを変えるべきだったが、伝統を重んじる古い体質が、それについて
いけなかったことになる。今後も大相撲が続く限り、この問題は続くはず。
伝統芸能の一環として、目くじらを立てすぎるのも問題あり。
  * 都知事選挙TV討論をみて
 日曜の朝7時半の「新報道2001」をみて、現知事と他候補のレベル差に驚いた。
一同に集め議論をさせると、その差異から、それぞれの質が見えてくる。 
石原慎太郎が良いということでなく、他が東京都知事としての素質がないのが、
議論の中身から感じ取ることができた。恐らく、石原がたたなかったら、
あの方々の一人が、選出されると都政は滅茶苦茶になると危機感を持った
フィクサーが、石原の引退をとどめたのだろう。この大震災の中で、他の誰に
都政が任せられるというのか? 一応、日本の首都の首長を考えると・・・
・・・・・・
3297, 不思議現象の正体を見破る ー2
2010年04月05日(月)
 * 手品師 ユリゲラーの超能力
 ユリゲラーも、当時からマスコミに、その正体が暴露されていた。
それは後として、イスラエルのユリの経歴に興味をそそられた。
1946年12月30日、テルアビブに生まれた。少年期に両親が離婚、キブツに
入れられ、色いろあって、15歳でスパイ組織に加わり2年間の訓練を受ける。
そして21歳の1967年にイスラエル兵として第三次中東戦争に従軍し、
戦場で負傷してリハビリのキャンプに送られて療養生活に入るが、そこで、
シュトラング(通称シュト)と知り合い、本格的なマジックの練習を取り組み、
初めは友人の誕生パーティーなどで演じていたが、後には、クラブのショーなど
に出るようになる。得意な演目は「ツゥー・パースン・テレパシー」と呼ばれる
もので、目隠しをしたユリ・ゲラーに悟られぬように一人の観客が黒板に数字を
書き、全員が確認したところで跡形もなく消してしまう。すると、ユリ・ゲラー
がおもむろに目隠しを外して、観客に数字のイメージを念じるように要請する。
つまり観客が念波をユリ・ゲラーがとらえて当てようというわけ。そこで、客に
念じ方が足りないとか、色いろけしかける。やがて、おもむろに「5でしょう」
などと、当てる。 何とことはない、観客席に居るシピが「はなを触ったらと
いった暗号に基づいて信号を送っていただけの話。あまりに単純のため劇場の
支配人にまで見破られたが、それでも止めようとしないので、裁判沙汰まで
なっている。 有罪の判決で、営業停止になったが、今度はアメリカから
プハーリクなる超心理学者がきて、ユリのショーを見て「超能力」と信じ込んで
しまった。 さあ、これが大変な切っ掛けとなった。 彼はユリをアメリカに
連れ帰って、スタンフォード研究所でテストを受けたが、これが、いかに杜撰
だったようである。相棒のシュトが、明らかに巧妙に信号を送ったかが、
その結果からして窺える。 その実験は中途半端で中止された。
 しばらくはスプーン曲げなどで世間を、アッといわせたが、アメリカの
TV局も考え始めた。プロのマジシャンと相談してカメラ・ワークを緻密に設定、
ユリ・ゲラーの側にマジシャンを監視役に立てたところ、彼の売り物の超能力は
全く起きなかった。これは英国と同じ結果となった。 ユリは成功すると、
サスガ超能力者、失敗すると、体調次第で念の集中が上手くいかないこともある、
とされるようになった。 アバタもエクボである。ユリが1974年に日本に上陸、
TVに出演した。(私も、その番組を見ていたが・・)まずはスプーン曲げで
仰天させた。当時のマジックにはスプーン曲げなどの演目がなかったので、
日本人もすっかり騙された。 その後、日本の少年Sも、その超能力があると、
一世を風靡したが、後に週刊誌のストロボ撮影を通じて、トリックが暴かれた。
何とことはない、投げる瞬間にスプーンを絨毯に押し当てて曲げてから
投げていたのである。 ー つづく
 ・・・・・・・・
2922,中沢新一の『三位一体モデル』 −1
2009年04月05日(日)
 『三位一体モデル』中沢新一著  −読書日記
図書館で何気なく借りて、目を通したところ面白い本である。
特にキリスト教とイスラム教の違いと、その争いの元を解りやすく書いている。
三位一体とはキリスト教の考え方で、西欧の考え方でもあり『父』『子』
『精霊』を指す。それぞれの円が三つ重なりあっている図を想像すれば良い。
・『父』は 物事の基本になる普遍的なこと。哲学や理念などが含まれる。
・『子』は 『父』のベースを具体化する存在。 
・『精霊』は 子の働きにより、増殖するコントロール不能な物もの。
  (販促、宣伝など資本主義の増殖を助ける役割を担ってきた)
 この3つがバランスよく配置されることで物事の意味や本質が捉えられ、
すべての問題はこのバランスをみると理解出来ると言う。
 会社をみると『父』は理念や社会還元、『子』は会社そのもの、
『精霊』は販促や生産活動。『父』の不在が、会社を迷走させることになる。
社会問題の多くは、社会の父たる規範が無くなっていることから始まる。
『精霊』はキリスト教社会の中で不可欠なもの。 イスラム社会では『精霊』
にあたるものがない。偶像廃止も、この辺からきている。(お金でお金を生んで
だめ<株>はいいらしい) そのためにイスラムの銀行は利子がつかない建前
をとっている。 資本主義の『精霊』に頼る経済はイスラム世界にとっては
『堕落』そのもの、『9.11テロ』でニューヨークのWTC(経済のシンボル)
に突っ込んだのも、その攻撃行動という。
この本は100ページも満たないが、多くの示唆が含まれている。 ーつづく
・・・・・・・・・
2558, 爪もみ療法
2008年04月05日(土)
ある本を読んでいたら、「爪もみ療法」という聞きなれない健康法があった。
そこで早速ネットで調べてみたら、以下のようにあった。
 【爪もみのやり方】
・爪の生えぎわの角を反対側の手の親指と人さし指で両側からつまんで揉む。
・一カ所を十秒ずつ、症状に対応する指は二十秒ずつ、揉みます。
・以上を一日に二から三度行います。
・少し痛いくらいの強さで刺激する。
・薬指だけを揉むことは避ける。(薬指は交感神経を刺激する指のため。
 ほかの四本指の刺激と一緒に行なう)
  ー字数制限のためカット2010年04月5日ー


5133,知の逆転 〜①

2015年04月04日(土)

   「知の逆転」〜ジャレド・ダイアモンド , ノーム・チョムスキー&他
 * まずは概要から
                〜 内容(アマゾンより)
< 「二重らせん」構造を解明したワトソン、「普遍文法」を提唱し言語学に
革命をもたらしたチョムスキー…限りなく真実を追い求め、学問の常識を逆転
させた叡智6人。彼らはいま、人類の未来をどう予見しているのか。
「科学に何ができる?」「人工知能の可能性は?」「情報社会のゆくえは?」
 ―現代最高の知性が最も知りたいテーマについて語る興奮の書。>
  〜ビュアーの書込みが、概要を簡潔に言い表している。
《 本書は、元NHKのディレクターのサイエンスライターによる、知の巨人たち
への質の高いインタビュー集だが、ピックアップされた知の巨人たちが豪華。 
・名著『銃・病原菌・鉄』の著者ジャレド・ダイアモンド。
・生成文法理論で言語学・哲学にパラダイムシフトを起したノーム・チョムスキー。
・映画にもなった『レナードの朝』の著者・神経学者のオリバー・サックス、
・人工知能の父と称されるマービン・ミンスキー、
・アカマイ創業者・数学者のトム・レイトン、
・DNAの二重らせん構造を明らかにしたノーベル賞のジェームズ・ワトソン。
 インタビュー集なので、個々の情報はそれほど深くはないが、それでも、
知の巨人たちによるこの世界の解釈には、何度もうならされました。・・(略)
 文学も音楽も芸術も、思い込みと想像と誤解に支えられてきたけれど、
たくさんの情報がそれぞれ本来の姿をよく映し出すようになると、思い込みと
想像と誤解が減った分、それらの世界が必要以上に大きく見えることもなく
なってしまった。中東紛争はじめ、インターネットを通して世界中の様々な
人間の生きざまを目のあたりにすると、この生は仮のもの、この世にあるもの
全ては悲しいものという、『方丈記』の意識が、時代精神となってくる。
いきおい深いかかわりを避け、食べるものも着るものも住む処も、そして人に
さえ、こだわりを持つことを避けるようになる。生物として自分をアピールする
ために、他の人間と少しは違っていたいけれど、こだわるほどの、つきつめる
ほどのことはない、とー。潤沢な情報は、かくしてロマンを奪い去りつつある。
唯一ロマンが残っているとすれば、それは人と人・人と物・人と雰囲気との
ケミストリー、波長と言ってもいいかもしれない。波長が合うかどうか、人は
まだほとんど制御できないものだから。人生は出会いが全てかもしれない。
人や動物や物との出会い、色彩音楽や一文との出会い。この世で生きるのは難儀
だが、わずかでも強く心に残る出会いがあれば、それでけっこうやっていける。》
▼ インタビュアーの質問が、鋭く、その返答そのままが、読者にとって
 理解しやすい。特に私が知りたかった、「情報社会のゆくえは?」は、面白い。
学問の常識を逆転させた彼らの視線は、私の常識を根こそぎ破壊してくれる。
この年齢での常識の破壊こそが日々を面白くする! 我が内なる常識の壁。
「あとがき」の6人に対する評がよい。 「ダイヤモンドは静謐にして鋭い室内楽、
チョムスキーは鮮明にして華やかなオペラ序曲、サックスはカラフルで心地よい
ジャズ、ミンスキーは一つのテーマにクールに焦点を当てたソナタ、レイトンは
ドキドキするほど生きのいいロック、そしてワトソンはサイエンスを基にした
コンチェルト、といった感じでしょう。」  私には書けない言い得て妙の評。
・・・・・・
4768,ぼんやりの時間 ー2
2014年04月04日(金)
     * 「ぼんやり」礼讃    『ぼんやりの時間』辰濃 和男 (著) 
 受験期に「ぼんやり」していたら、一生を棒にふることになるし、弱肉強食の
世界では生きていけない。逆に、ひたすら人生を戦いにくれるのも、問題が残る。
時代が世界的大不況に入って、ひと握りの人たち以外は、決して物質的に豊かに
なれない時代。だからこそ大部分の者にとっては、「のんびり」生きる方が良い。 
ここで、リタイアーを向かえた人は、思い切って舵を変えなければならない。
これまで否定的だった「のんびり」こそ礼讃するに値する時節到来ということ。
 ーその辺りから
《 ・・なにはともあれ、自分でぼんやりしてみるのがいちばんだと思う。
 小さな公園のベンチでもいい。コーヒー店でもいい。鎮守の杜の木洩れ日の
なかでもいい。外に出るのが面倒なら、家のなかでもいい。とにかく、ぼんやり
を体験してみること、まずはそこから始めたい。一番いいのは風の吹き抜ける
静かな場所に坐り、背を伸ばし、肩の力を抜いてみることだろう。
深呼吸をする。坐っていても、立っていても、深呼吸のやり方は変わらない。
深呼吸は息を吐くことに重きをおく。吐いて、吐いて、さらに吐く。細く長く
吐ききるまで吐く。あなたのからだはまだまだ硬い。ゆったりした気分になり、
さらに肩の力を抜いてみる。下腹たんでんの丹田を意識する。
 深い呼吸をしながらぼんやりしていることが、あなたにとって快い状態に
なればしめたものだ。ときには、静寂が皮膚にしみこむのを体感することが
できるかもしれない。静寂のなかでぼんやりするとの気持ちよさを味わう
ことができれば、それは至福への道の一歩になる。近所に、緑のゆたかな
大きな公園があれば、なおさらいい。そういうところは、きっとあなたの好き
な木が何本かあるはずで、好きな木の前に立ってぼんやりする時間をもちたい。
「ぼんやり」という言葉と「貴い」という言葉は、ふつうあまり結びつかない。
しかし串田は、それを手品師のように鮮やかに結びつけている。
その結びつけ方があまりにも鮮やかで、あまりにも自然なので、私はすんなり
と合点した。よく考えてみれば「ぼんやり」と「貴い」を結びつけるのは、
相当の力技かもしれない。串田の数々の文章を読み、それらはみな、長い黙想の
なかで湧き水のように流れでてきたもの、という感じを私はもっている・・ 》
▼ ヤフーのブログに、現在、ネットで拾ったフィジーの写真を載せている。 
 地域柄、何ごともおおらか。挨拶がハワイの『アロハ』のように『ポレポレ』。
こんちは、さよなら、ありがとうなど、全て、この一言で済む。大柄で、スロー
テンポで、陽気で、こころ優しくぼんやりしている。先進国が優れている!が、
戯言と、直ぐに教えてくれる。自然の豊かさと思いやりが人間の貴品をつくる。
3月半ばの15時からポタリングを再開した。途中で5分ほど信濃川の土手で
休憩しているが、早速、10分間に延長、「ぼんやり」してみたが、なるほど、
気分は良い。が、5分過ぎると、そわそわ、その後の5分が長く感じた。
今度は、バスタオルを持って、ベンチで延び延び寝てみたい。信濃川の土手で
春うららの中の転寝は、気持ちが良い。他人様の転寝を見ていたが、自分に
置き換える知恵が全く無かっただけ。 スポーツジムのマッサージルームで毎日、
20分間、ボッケっとしているが、確かにリラックスする。生きているうち、
元気なうち、ぼんやりできるうち、である。 最後は、痴呆症でぼんやり?
・・・・・・
4401,フランクル ーつれづれに
2013年04月04日(木)
   * フランクル
 昨日、何気なく昼、NHK/Eテレをまわすと、≪フランクル“夜と霧”
−終−第4回「苦悩の先にこそ光がある」≫を放送していた。フランクルの
著書は何冊か読できたが、いずれも大きな感銘を受けた。 
  ーNHKのブログによると、
【 フランクルは、生きる意味は自ら発見するものであり、苦しみは真実への
 案内役だと説いた。最終回では、フランクルの言葉に支えられながら生きて
きたという、姜尚中さんをスペシャルゲストとして招く。姜さんは「与えられた
運命を引き受け、それをバネにすることで成長が生まれる」と言う。先行きの
見えない不安が広がっている今、わたしたちは生きる希望をどのように見いだす
べきなのだろうか。「夜と霧」から考える。】とあった。
メモを取ってなかったので、少し文言は変わるが、
《 ◎ 成功、失敗は左右の水平軸に分けられるが、縦線の上に意味、
  下には絶望・苦悩を置いて縦横の立体で捉えるべき。
 ◎ 砂時計で上の砂が真ん中の細い管を通って落ちて、下に溜まる。
  上の部分が未来、細い管の部分が現在、下が過去になる。私たちは
  下の過去に重きをおかないが、苦悩などを含め必死に生きた管(現在)
  を過ごした過去は、充分に価値があり、その人そのものになる。 
 ◎ 苦悩とは、人間を成熟させて真実の自分を呼び覚まし、
  生きる意味を成就させるチャンスそのものになる。
 ◎ 人生に期待するのでなく、人生の方が私たちに期待している。》が印象的。
 フランクルといえばー自己超越のための3つの意味(価値)ーが、挙げられる。
1・創造価値: 創造行為を通して得られる意味 =仕事・子育て・学問・芸術
2・体験価値: 体験を通して得られる価値・意味 =自然・芸術・愛
3・態度価値: 運命に対し模範的な態度を取ることで得られる価値・意味=
  極限状況の中での尊厳ある態度。また、ー人生には発見されるべき価値や
  意味があるーとして
1・意志への自由 (いかなる境遇でも自由意志を持つことができる)
2・意味への意志 (意味と目的を発見し充足するのは人間の努力である)
3・人生の意味  (創造・体験・態度など生きる姿勢の中に意味を見出す) 
 の3つを上げている。フランクルは、「生きるとは価値判断(学習)と選択の
連続である」という信念が一貫してある。よく遊び、よく学び、よく働くことだ。
それに私の考えを加えれば、喜怒哀楽を開放してやることだ。
・・・・・・
4027, シングルイン、31年間の総括 ー7
2012年04月04日(水)
   * デフレの直撃
 ホテル物件は直ぐに相場の半値八掛で買い手が現れ、ホテル名をそのまま
引き継ぎたいというので快諾した。せめて名前が残れば有難いこと。結果と
してはオーナーのリストラ。 ある人が、「ホテルの買い手がいるんですか?」
と聞いてきたので、「‘やれる’と、‘やれると思う’は別物」と答えた。 
「この30年の数字と経験から無借金でプラマイゼロ」と思っても、「やれる!」
と思う人が現に出てきた。三年間持ちこたえるかが目安だが、道路買収の時期
が問題。無借金なら、面白い?私なら絶対に手がけない。これも「私の思い」。 
経営環境が厳しくなると長所にも想えた4棟分割が合理化の妨げになっていた。 
分かれている長所は、在庫過剰になった時に棟ごとの業態変更が可能。
現に長期滞在型への業態変更と、二棟の1F部分のテナント化は思惑どうり。
しかし棟が分かれ中途半端の規模は、総人件費の削減と、諸経費削減に不利に
なっていた。 デフレも、資産デフレの直撃が大きい。土地の相場が、30年前
の3分の一以下、土地購入値の3〜4分の一は、厳しい。インフレであれば、
半分も返せば8割以上返済したようなもの。今回の資産暴落は、返済総額より
遥かに実質借入が増加の結果となった。この物件を半値八掛で買った新しい
事業者が更に絞り込んだコストで、既存のホテルに対抗するために更に価格を
下げて、市場に挑んでくれば、一段のデフレが進む。資産も半値八掛で資産
デフレの材料になる上に、価格の下げ圧力になる。デフレスパイラルである。
しかし光熱費は原油高で二倍、人件費も高騰、金利高なら、スタグフレーション
になりざるを得ない。 恐ろしい限りである。何度も書いているが、本当に
恐ろしいのは,その後のハイパーインフレ。これが恐慌の本体である。
その境目が、今年になる。
 ・・・・・・・
3661, 9・11、9・15、それをしのぐか3・11
2011年04月04日(月)
 この3・11災害は、2001年のイスラム教徒によるテロの9・11、そして現在も
進行中の2008年の9・15をしのぐ歴史的出来事である。地球温暖化の中で原子力
発電が容認され、世界中が原発建設を競争するように計画・建設されている潮流
での惨事である。思いもよらない「震度7、マグネチュード9の大地震と大津波、
そして原発事故と放射能汚染」である。リーマンショックで既に日本経済は
崩壊を始めていた上に、これ。今年から来年にかけて経済動乱が予測されたが、
3・11の衝撃で、日本の存続の根底を揺るがすだけでなく、地球規模の危機に
なってしまった。 10年前の9・11事件は、欧米とアラブの文明の衝突が露出し、
それ以降、世界が変わっていった。そして2008年9月15日のリーマンショックは、
米英の金融支配の構図を根本から破壊してしまった。今年から来年にかけて、
世界規模の経済動乱に入りかけていた矢先に、こともあろうか、日本発の歴史的
大惨事である。 これは人類史上に残る歴史的大事件であり、これまで人類が
営々と積み重ねてきた文明を否定する象徴的事態である。それも66年前に
日米戦争で原爆を二回も落とされた国で起こった惨事である。20年前に経済
バブルがはじけ、右下がりが続いて、去年になて経済力を中国に抜かれ世界
第三位に落ちてしまった。 今世紀に入って僅か10年の間で大事件が三回も
起こっている。9・11、9・15、そして3・11の惨事である。これは9・11、
9・15の歴史的大事件をしのぐ大惨事が日本で起ったのである。
当然ながら国内は情報コントロールをされているが、日本人は無防備に、
そのコントロール下にある。入手できる範囲の情報で、あとは自分の勘を頼る
しかない。そして、その勘にしたがって、判断をするしかない。原発事故と
放射能汚染は、日々一刻と進んでいる。その結果は? この国は大震災の日
をもって、それ以前、以降といわれるほど、根底が変わってしまったのである。
被災民は、全国民!
 ・・・・・・・
3296, 不思議現象の正体を見破る ー1
2010年04月04日(日)
            「不思議現象の正体を見破る」安斎 育郎 (著) 
―超能力や心霊現象に、人はなぜ騙されるのかー 
   ー内容ー(アマゾンより・・・)
 現在までに報道されたり紹介されてきた不思議現象(超能力、超常現象、
予言など)のトリックと、それを鵜呑みにしてしまう心理状態を解説した書。
同氏の他の著作と重複する事例・内容も多いが、本書では、不思議現象が存在
するという根拠にたいし、そのトリックを説明することで、それらすべてが
いかに信憑性がないか(あるという証明になっていないか)を示している。 
世界的に有名な事例を紹介しており、それらがすべて単純なトリックである
ことに改めて驚く。圧巻は、漠然とした詩が、大事件と簡単に符合し、
いかにも予言であるかのように曲解して読み取ることが可能かを示した点。
例として、枕草子の記述を深読みすると、一文一語が普賢岳噴火にぴったりと
符合する!このことからも、ノストラダムスの詩が後世の歴史的事実と多少
符合しても、それが偶然以外の何ものでもないことを暗示している。 
現に、世紀末には何も起こっていない。
▼ ユリゲラー、イギリスのミステリーサークル、コックリサン、念写など、
 その嘘を一つずつ解明している。 ユリゲラーも、ミステリーサークルも、
念写などをTVで取上げなくなった。これはブログなどの情報化のため。
もし、信じていると言えば誰かが知っているカラクリを教えてくれる。
それだけでない、TV局そのものが問題視され、ディレクターは外される。
この本で知ったが、イギリスのミステリーサークルも真実が明らかになった。
<二人の老いた絵描きが、「夜中に麦畑のキャンパスに描いた作品」だった
と白状していた。二人はL字型の棒を持って、実際にデモンストレーション
もやってみせた。いやにイギリスの麦畑ばかり、という理由が、これである。
この現象をプラズマ物理学の立場から研究したミーデンは真面目に、この現象
は世界各国に出現したと主張、彼だけでなく色いろな人が多くの原因を唱えた>
 彼らは二人の老人に騙されたのである。こんな調子に、過去の不思議現象の
正体を暴いているから、読んでいて飽きない。次回は、あのマジシャンの
ユリゲラーを。今さらだが、オサライをしてみよう。 彼はマジックを
超常現象としてショーアップしていただけだが、注目されればされるほど、
その稚拙な手法がコミック的。
 ・・・・・・・・
2921,不況景色 ー10
2009年04月04日(土)
 * 上野動物園が入園300万人を切る
一昨日のニュースで、上野動物園の入園者が60年ぶりに300万人を割った
と報じていた。前年より妬く60万人減というから20パーセント減になる。
パンダが死んで居なくなったことと、この不況が直撃という。9月半ばから
4〜5割減ということになる。家計面で節約対象になったようだ。また、
オーケストラが個人や一般企業の寄付の激減で大赤字に転じていると報じた。
恐慌状況の中、なかなかオーケストラを聴こうという気になれないのも分かる。
 * 金融サミットで
金融サミット「20G」が開催され、首脳宣言が採択されたが、
何か首を傾げた。公式とは違う決定もなされたのだろうが・・・
  (字数制限の関係でカット2012年04月4日)
 * 4月に入って、更に悪化
去年の11月後半から、金融危機の影響が経済の現場に深刻に現われてきた。
今回の経済危機の第二波である。そして第三波が、4月に入って襲い始めてきた。 
予測はしてが、やはり現象として直面すると凍りつく。ただし政府が、三月決算
を乗り切るため思い切った緊急融資を上から押し込んだために、とにもかく平穏
を保っている。しかし、決算の結果が表面化する5月になると
一挙に現象に現れてくることになる。
・・・・・・・・・
2557, 印度放浪 ー2
2008年04月04日(金)
 この本に著者・藤原新也の《語録》というコーナーがあるが、深い言葉が次々
出てくる。40年前の25歳の言葉だから恐れ入る。印度という国が、彼の精神
を育てたのか、元々持っていた素養なのか。読んでいるうちに、いつの間にか
自分と比べている。そして、小さな世界の中で小さな習慣に甘んじている自分が
浮かび上がってくる。比べること自体がおかしい。その一部を抜粋してみる。
  ーインドへの準備はどういうものだったんですかーー
二つある。捨てること。それに準備しないこと。僕の場合はね。学校。アパート。
家具。本。捨てて支障のないものは全部捨てたり、売り払ったりしたんだけど、
そうしてみると、案外ほとんど自分の身の回りのものに切実に必要なものは、
歯ブラシぐらいのものってことがわかる。さっぱりしたよ。準備しないって
のはね。情報を一切入れなかったことだね。旅の目的地に関する。
(字数制限の関係でカット2009年04月4日)


5132,閑話小題 〜奇跡的二打席連続本塁打に続いて、翌日は

2015年04月03日(金)

   * 奇跡的二打席連続本塁打に続いて
  高校野球には魔物がいるというが、幸運の神様もいるようだ。
 〜ネット上の記事によると、
《大阪桐蔭との決勝戦で、同点で迎えた八回、試合を決めたのはまたしても
 背番号17の松本哲幣。前日の2打席連続満塁弾に続く決勝2点本塁打で甲子園
 のヒーローとなった。・・》
準レギュラーの全く無名の選手が、準決勝、決勝戦で、2打席連続満塁打と、
勝越しの2点本塁打を打って一躍、ヒーローに・・ 昨年秋から右翼ポジション
争いに敗れ、背番号「17」に甘んじていた男が、その素質を一気に開花させた
場面である。これまで、数多の試合を観てきたが、無名選手が、これほどの劇的
活躍を目の当りをしたのは初めて。満塁本塁打の後、再び満塁の打席に立つこと
自体が出来すぎ。更に翌日、決勝の勝越し打を打ったから驚き。 記録として、
1試合8打点も史上最多。当時星稜の松井、PL学園桑田らがマークした
7打点を上回った。プロ野球では2006年に巨人二岡が史上初の2打席連続
満塁本塁打を記録しているが、元々、それだけの実績のあった選手である。
 この場面の巡りあわせに、日ごろの練習で培われた才能が爆発をしたもの。
因縁とは、因が直接原因、縁が間接原因とすると、その二つがタイミング良く
巡りあったことになる。平沼というピッチャーが、いたため、野手に転向した、
右翼ポジションの争いにも敗れた控え選手だからこそ光り輝く。
高校野球史に残る快挙の物語として残る。 それより、両親が喜んだろうに! 
たまたま億以上の宝くじが、三度続けて当たったような? いや、それ以上。
 ところで、スカウトの経験からして、こういう選手?の扱いは、冷ややか?
・・・・・・
4767,閑話小題 ーさあ、ミニ書斎をつくろう!
2014年04月03日(木)
  * 書斎は、自分の壺中!
 3年前のリタイアで、まず考えたのが自分の居場所。それまで仏間の一角に
本棚と机を置いていたが、ほぼ座ることはなかった。家では、早朝に起きて、
本を読むか、ノート型パソコンでブログを書いていた。仏間の一角は、あくまで、
そのための予備コーナーの場でしかなかった。また通勤の新幹線の往復一時間の
座席も、大事な読書空間。高速の移動空間は、脳にとって最適だが、この様。 
更に会社の事務所も、訪れる人も少なく、ここも書斎空間になっていた。
しかし、リーマンショックで、リタイア時期が三年早く到来してしまった。
 一挙に失われた会社の事務所と新幹線の時空間が必要になって、倉庫と仏間の
一角に移動することになる。もともとあった机と書棚に、サイドテーブルを設置、
事務所のパソコンと、ミニコンポ小型書棚を移動した結果、そこは私の最適空間に
なっている。今では早朝に2〜3時間、午前9時半〜12時まで、5時間はいる。
ここは心の落ち着く自由空間で、我ながら気にいっている。音楽をBGにて、
自由気ままに、読書をし、ブログを書き、ネットサーフィンをし、瞑想をしたり。
男には趣味に没頭できる空間が必要。先日、図書館で文庫本のコーナーで偶然、
『ミニ書斎をつくろう』杉浦 伝宗 (著)を見つけた。立読みだったが、
「書斎が無理なら、ミニ書斎をつくりなさい」には、全く同感である。
私の空間は、仏間の半分の、2m四方の4平米だが、著者の目安は1・3m四方。 
私の一歳下の団塊世代が、一斉に停年になって家に入っているが、問題が居場所。 
著者は狭小住宅を手がける建築家で、1畳・1万円の予算から、階段下や寝室の
一部などの空きスペースを書斎化するアイデアを提示している。 流し読みで、
面白いと思ったのが、「ミニ書斎は壺空間」。自分独りのシェルターの確保こそ、
粗大ゴミと蔑まれる我身の守るため必要なことである。もう一つ、電子書斎が
あれば、その空間は更に良いものになる。オタクもいいところだが!
「大不況には本を読む」(橋本治著)を、借りてきた。ネットの検索に、
「ミニ書斎 写真」と入れたら、面白いものが多くあった。私のミニ書斎
と共に、ヤフーブログに載せたが、理想的な良いものが多くある。 
・・・・・・
4400, 隠居大学ーよく遊びよく遊べ −2
2013年04月03日(水)
      『隠居大学ーよく遊びよく遊べ』天野祐吉、お相手 横尾忠則
  * 第一時限 ー猫の自由に学ぼう 横尾忠則
 横尾の『猫の自由に遊ぼう』が面白い! 気の向くまま、飼主に気兼ねする
こともなく、自由気ままに時間を過ごす。これを御隠居と二重合わせにしている。
専業主婦の家庭は、亭主が犬型で、主婦が猫型に自然になっている。家内を
みると、つくづくと猫の生き方を見て取れる。亭主は会社で赤くなったり青く
なったり。しかし、猫型の主婦は、給料を持ち帰ってくれれば、我関せず。 
亭主は、リタイアー後も猫になりきれず、切れた首輪をつけたまま外をうろつく。 
元何某の肩書きなど何にもならない。リタイアをして新しい環境に直ぐに適応
するために、長年かけた準備が必要になる。〜以下の対話は、なかなか面白い!
≪ 天野: 猫型人間とか犬型人間とかいうが、誰にでも心の中に両方を養って
 いるじゃないかと。子供の頃は、だいたい猫型の方が偉そうにしているが、
 大人になって組織の中で働くようになると犬の方が成長していく。
横尾: 猫は、僕にとってアーティストの見本です。猫は妥協しないし、
 犬みたいに尾っぽを振らない。自分に忠実で、他人に忠実でない。
 アーティストは自分以外に忠実になっていけないのです。
天野: ぼくの場合ですと、二〇年前にふっと気がつい。自分の内側を
 のぞいてみたら犬ばかり肥大していて、猫は息も絶え絶えになっていった。
 動物虐待もいいところだなあと思って、それから犬的部分の猫に栄養を
 与えるようにして。そして猫が元気を取り戻してきたら次第に、「なんで
 真面目に働いでばかりいたんだう。こんなことのたために生れてきたのか?」
 という思いがどんどん強くなってきたんですね。そして、これって、多くの
 隠居候補の人に気持ちに近いと思う。世の中のルールに従うことも、あるいは
 働くことも大切なんだけど、でも隠居生活を送る上では、猫の自由をもう
 一度学びなおす必要もあってよいんじゃないか。それで『猫の自由に学ぼう』
 を隠居大学の校訓その一にしたいと思ったんです。≫
▼ 私の中の犬猫は、首輪をつけたままの野良犬と野良猫。一応、自由に
 放飼いをしていたが、何時も喧嘩ばかりで、札付きの嫌な奴である。
どうも酒を飲むと、表立って出てくるから困ったもの。青年期までの猫、
成年期の犬、そして老年期に猫に戻るという説が何とも珍妙である。
両者とも野生動物を人間に都合の良いよう改良されたもの。「犬は家につき、
猫は人につく」というが、今さら男は新しい人間関係の構築は難しい。
縦社会で生きてきた男達は、横社会には向いていない。家では嫌われ、
紐のきれた首輪をしたまま街中を彷徨うか、猫を被るしかない。誰?それ!
・・・・・・
4026, 「人生の知恵」ノート
2012年04月03日(火)
 4年前に、図書館からグラシアンの「賢人の知恵」という本を借りてきて、
ここで書き始めたが、一回限りで終わっていた。少し読んで、いま一つピンと
こなかったので途中で止めていた。ところが先日、図書館でー本当に役立つ
「人生の智恵」ノートーというグラシアンの他の訳書を見つけて読んだ。 
今回は、言葉の一言一言が納得出来た。 現役を退いたこともあるのだろう。 
グラシアンの経歴は、『雄弁な伝道師として圧倒的な名声を得るが、1657年、
サラゴサでの聖書学の教授の地位を追われる。逮捕され、追放されたタラソナ
という村で一年後に没した。』とある。これで、この人物の処世術が生くさ
すぎることが分かるが、内容は、現在も納得するものが多い。“善人が損を
するのは善良だからではなく、世間を見る目が甘いからだ。”など、
伝道師にしてはシビア。人間は、真面目に生きているわりに、次から次へと、
問題が生じてくる。 何故だろうか、智恵が足りないのである。グラシアンは、
「高邁な知識だけで人生は乗り越えられない。日常生活に適応するのが重要
とまではいわないが、最も必要。使えない知識より、今日使える術こそ
真の知識。」という。 ここで人生と事業を振り返ると、多くのことが
改めて見えてくる。 ー 以下は、人間関係を良くする言葉のノート ー
 1 愚か者とはつきあわないー愚か者ほど優秀と思っている。
   指導するだけ徒労。ー互いに思っているからすくわれる?
 2 誠実になりすぎない ー蛇の悪知恵と、鳩の誠実さを使い分けよう。
   自分が騙したことがないから、直ぐ騙される。
 3 第一印象にとらわれない ー人の心は多面的。一面だけで判断しない。
 4  口に合わない料理をすすめない ー相手の好みを知ること。
   自分の好みは相手の好みとは限らない。
 5 突飛なふるまいをしない ー突飛な振る舞いは、欠点として相手はみる。
 6 もろい人間とつきあわない ーもろい人間は自分勝手な心が強い。
   被害者意識が強く、人は悪意の塊と思う。
 7  不幸な人ともつきあわない ー走り続ける成功者は不幸な人と
                 関わる余分な時間はない。
 8 他人の欠点に慣れる訓練をする ーこれは訓練で慣れる。
 9  多数派とともにある賢者たれ 
  ー周囲に合わせるのは良いが、品位を忘れない。少数派の愚者もいるが。
 10 友人であり続ける努力をする ー長く付き合える友人は見定めること。
 11 賢者を見つけ助言を求める  
         ー相手を見定め、助言を求めるのは、思慮深さの証である。
 12 認められなくてもがっかりしない ー必要なのは厳しい自己評価。
 13 会話は慎重に、そして楽しく ー会話は雄弁さより慎重さが大事。
                  相手に合わせよ。
 14 親切をおまけにつける  ー親切は費用対効果が高い。
                 相手より先にするのが技。
 15 相手の急所を見つける  ー殆どの人が求めているのは快楽。
                 その急所を見つけよ。
▼ 品位のない人間は最後の裏切りの切り口で、本姓が分かる。 
  見上げても見下げても、全て自分の範疇。
    ・・・・・・・
3660,音信不通だった友人から連絡が!
2011年04月03日(日)
 * 5分の差で助かった
 学生時代の友人の奥野和夫さんから、昨日の午後に電話が入った。
安否を知るために、宮城県亘理町の住所先に葉書を出していた。
それが昨日になって本人の手元に届き、電話をくれたのである。
  彼の話の概要とは! 
≪ 妻が病院に行くのに付き添った後、自宅に帰ってきて、たまたまTVを
 見ていたら、激しい地震が襲ってきた。それが長い時間にわたり続いたが、
急にTVの画面が変わって6メートルの津波が押し寄せるという緊急の内容。
直ぐに6Mより10Mに変わったのをみて、着のみ着のままで自動車で高台の
方面に向かった。しかし、道路は渋滞で前に進まない。そこで機転をきかせ
農道に回ったが、そこも渋滞。その間に余震が激しく前に進めないほど。
それでも何とか高台に辿り着いた後の5分後に大津波が襲ってきたという。 
その後、避難所に行ったところ数百人の先客がいて寝れる状態ではない。
そこで車中で一晩過ごしたが、着の身着のままのため、寒がきつい。 
暖房もガソリンが無くなるので、一晩中、5分ごとにエンジンをつけたり、
止めたりして過ごした。朝までの時間が非常に長く感じた。水洗トイレは、
ボランティアの中高学生が水を近くの川から次々と運んでいた。
命は助かったが・・ 妻が病のため、避難所では悪化の可能性がある。 
ふと30分の所に前の会社の先輩が住んでいるのを思い出し、そこに9日間、
避難させてもらった。そのうちに群馬の実家の兄に連絡がつき、車でガソリン
を新潟県経由で持ってきてもらい、何とか兄のいる実家にたどり着いた。
最近になって道路が復旧してきたので、自宅を見てきたが、1Fが海水の泥で
滅茶苦茶のため、廃材処理の手続きをしてきた。命一つでも助かっただけ充分! 
火災保険に入っていたが、地震保険には入ってなかった。 ≫
 ー以上が、彼の15分間の電話内容。一つ判断を間違えれば助からなかった。
住所の亘町荒浜は仙台飛行場の南下に位置し、阿武隈川の河口にある。
終の住処を、そこに選んだことに羨ましさを感じていた。それが、まさか・・
それでも命が助かっただけでも喜ばなければなるまい。
他人ことではない、まさかまさかの日々。
・・・・・・・・
3295, 果たして、日本は財政危機が訪れるか?
2010年04月03日(土)
 昨日の朝日新聞の ーキーパーソンーのみずほ証券の高田創氏への
「先進国最悪の借金、財政危機は起きますか?」のインタビュー形式の内容が、
時が時だけに注目して読んでみた。 ーその内容を私の主観でマトメテみたー
日本の国債残高が2010年度で637兆円に達する見通しだが、「先進国で
最悪の借金体質」といわれる中で、国債発行余力を探った。  
 (字数の関係でカット2012年4月03日)
・・・・・
2920,私は嘘しか言いません
2009年04月03日(金)
 ー養老孟司が、対談で次のようなことを述べていていた。
《 数年前に亡くなったユングなどの研究者の河合隼雄が真面目な話をする時に
 「私は嘘しか言いません」と言っていたそうです。これは考えてみたら
シミジミと効いてくるセリフです。つまり「私は嘘しか言いません」という
のが本当だと既に嘘をついている。河合さんは、この言葉に「言葉など当てに
なりませんよ」という意味を込めていられるのだと思いますよ。》
 なるほど面白い。哲学に似た問題提起があった。「クレタ人の嘘」である。
ー『クレタ人は嘘つきだ』が真なら,クレタ人が発した『クレタ人は嘘つきだ』
自体が嘘で,クレタ人は嘘をつかないことになり,『クレタ人は嘘つきだ』が
真という仮定と矛盾する。もし、『クレタ人は嘘つきだ』が偽ならば、クレタ人
は嘘をつかないことになる。つまり、『クレタ人は嘘つきだ』が真となって
しまい,『クレタ人は嘘つきだ』が偽という仮定と矛盾する。
『クレタ人は嘘つきだ』の真偽がいずれであると仮定しても、矛盾が起こるー
言葉の何とも妙なところだが・・ 「私は嘘をいいません、信じてください!」
の口癖の人がいた。これほど好い加減な言葉はないが、言うほうも言うほう、
騙される方も騙されるほうだ。騙している方も騙されている方も、ボケ漫才の
ように気づかないから始末が悪い。なら「私は嘘しか言いません」の方が良い。
それも哲学的ときているから面白い。しかし、それでは世界が回らない。
詐欺師は「嘘しか言わない」からこそ、その奥にある言葉の意味を知っている。
言葉は共同幻想、そして仮想を創りあげる。それに己が気づかないから問題は
拗れるのである。「私は嘘を言いません」と真面目に言う人がいるが、
「私は嘘しか言いません」を悪用するとどうなるか?「私は嘘を言わないように
心がけている。嘘を言った分、何倍も自分に跳ね返ってくるし、自分の中に残る」
これは、私の基本だが、一般も同じだろうか? 嘘も方便だが・・・
冗談のつもりの嘘で何度も大失敗をしたが。ところで本当(真実)って何?
・・・・・・・・・
2556, 印度放浪 ー1
2008年04月03日(木)
  『印度放浪』 藤原新也著  朝日文庫
写真家の文章は何故もこのように対象を、そして対象に映った気持ちを
上手く表現出来るのだろうか。言葉の一言一言が詩のようでもある。
以前、買って目を通したが、長男がインドへ行ったのを機会に読んでみた。
文庫本になっているが、半分以上がカラー写真で、40年以上前に書かれた
ものとは思えない。表紙を開くと、すぐ次のページに、この一行だけがあった。
ー歩むことに、ぼく自身と、ぼく自身の習ってきた世界が虚偽に見えてきた。ー
そして、その二ページ後に、
ーぼくは歩んだ。
 出会う人々は、悲しいまでに愚劣であった。
 出会う人々は、悲惨であった。
 出会う人々は、滑稽であった。
 出会う人々は、軽快であった。
 出会う人々は、はなやかであった。
 出会う人々は、高貴であった。
 出会う人々は、荒々しかった。  世界は良かった。
《旅》は無言のバイブルであった。《自然》は道徳であった。
《沈黙》はぼくをとらえた。そして、沈黙から出た言葉はぼくをとらえた。
 良くも悪くも、すべては良かった。ぼくは全てを観察をした。 
 そして、わが身にそれを《写実》してみた。
▼ 40歳になって15年ぶりにこの旅をふりかえった著者が
「なぜインドに行ったのか」の質問に言葉がつまり、その若者の後の影に、
過去の自分を投影する。(若いときの自分について)青年は何かに負けている
ようだった。たぶん青年は太陽に負けていた。そして、青年は大地に負けていた。
青年は人に負け、熱に負けていた。青年は牛に負け、羊に負け、犬や虫に
負けていた。青年は汚物に負け、花に負けていた。青年はパンに負け、
水に負けていた。青年は乞食に負け、女に負け、神に負けていた。
青年は臭いに負け、音に負け、そして時間に負けていた。
青年は、自分を包みこむありとあらゆるものに負けていた。
疲れたその青年の目は表情を失っているかに見えたが、太陽にいられて眩く
白熱する、目の前の地面を、ただぼんやりと見つめ返すだけの意思をわずかに
残していた。・・
・・なんか知らんけど目茶目茶に何でもかんでも、負けにいったんじゃない
かなぁ。最初の頃は。  (字数の関係でカット2012年4月03日


5131,失業率9割の国、ナウル共和国 〜3

2015年04月02日(木)

* 日本にとってのリン鉱石とは?
 ナウルのリン鉱石、日本にとって何だろか考えてみた結論が、戦後から、
この方コツコツと貯めてきた預貯金。しかし、リン鉱石と同様、その多くが
日本国債と米国国債に替わっている! 総預金と、国債などの負債が同額に
なるのが今年。 そこに、5年後にオリンピックの開催とは何ぞや・・ 
 わずか4年前に、千年に一度の大地震と津波で、大きく痛んで復興半ば。
今だ福島原発では溶解が進行中。このクラスの大地震の10年以内後には必ず、
それに匹敵する地震か火山の大爆発が起きている。これらが複合し、近未来に、
国民の弱者に皺寄せが大きく直撃をする。「現状さえ良ければそれで良し、
未来は未来!」の、‘いいじゃないか’騒ぎ! 〜その辺りから〜
≪・ナウル人は、Buada Lagoonで捕れた魚や、ココナッツやパンダーヌスを好む。
 しかし、現在、ほとんどの食料は輸入に頼っていて90%は輸入で、ほとんどは
缶詰。そこにはたっぷりと保存料が入っている。その食料が不足している上に、
ナウルに入る航空便も頼りに出来ない。それはスカスカの店の棚を見ればわかる。
ナウル人の平均寿命は男性で58才、女性で64才。日本より20歳は早死になる。
・ナウルの状況はダイヤモンド著の『文明崩壊』で語られるイースター島の
崩壊の物語を彷彿とさせる。ナウルと同じ太平洋の小島イースター島は、無計画
な開発と環境破壊を続けた結果、ついに資源を消費し尽くして文明が消滅して
しまい、島民の生活は石器時代に戻った。両者の大きな違いは、イースター島は
他の文明と隔絶され閉鎖された空間に存在し、また森林破壊等が国土に与える
影響を科学的に分析・理解できる時代ではなかったのに対して、ナウルは
地理的にはイースター島と同じく世界の果てに位置するにせよ、他文明と
隔絶するどころかむしろ積極的にグローバリゼーションの波に乗って行き、
それに飲み込まれた結果として崩壊に向って行っている点・・ ≫
▼ ナウル人も、日本人も、公務員、金融関係者と、一部の上層階級は、
 万一に備えた準備が完了してあるという。リン鉱石(預貯金)を
 掘り尽くしてしまった日本、現象面では、国債と株式と円相場の暴落で、
 その正体が現れてくる。 ナウルは、そのまま露出されているだけ。 
 私も似たようなものだが! 裏山の中腹から外海が見えるからこそ、
 断言できること。刻々と時は進んでいく。 老化の戯言であればよいが!
・・・・・・
4766,ぼんやりの時間 ー1
2014年04月02日(水)
                ぼんやりの時間  辰濃 和男 (著) 
 リタイア以降、時間が有り余り、ぼんやりの時間が増えたかというと、
そうでない。ウツ病に陥らないために、早朝から寝るまでのスケジュールを
決め、ただ淡々とこなしているからだ。 3年経った今、良いタイミングに、
 この書に出あった。平坦な一日がアッという間に過ぎていく。
それはそれで良いが、ぼんやり時間が少なすぎる?
   ーまずアマゾンの内容紹介ー
《 常に時間に追われ、効率を追い求める生き方が、現代人の心を破壊し
 つつある。今こそ、ぼんやりと過ごす時間の価値が見直されてよいのでは。
では、そうした時間を充実させるために何が必要であり、そこにどんな豊かさ
が生まれるか。さまざまな書物にヒントを求め、自らの体験もまじえながら
つづる思索的エッセイ。 》
   ーカスタマーレビューよりー
【「ぼんやり」と生きるライオンやサンマは生存していないのであろう、
 だから、人間にも本来、「ぼんやり」は許されないのだ。幼い時から、
悪臭や異音に鋭く反応しつつ成長し、身を守って生きている。このような
絶え間のない外界との緊張関係は、必然的に対極の「ぼんやり」へ憧憬を生む。
すなわち、「ぼんやり」は人間に生来備わった自然感情や心のあり方と見る
よりも、生物として必須条件である「対外緊張」を運命付けられた人間に
根差した”解放願望”として捉えられるべきであろう。
従って「木と共に過ごす」串田孫一、「湖畔の小屋を建て、畑を耕す」ソロー、
「隅田川の川面を眺めているうちに、あっという間に2時間過ぎた」池波正太郎、
「珊瑚や熱帯魚を求めてダイビングに浸る」玉三郎、「夏の夕暮れ時の樫の木々
に映える日の光に心を満たされた」ミッテランなど、どの登場人物も眩く輝いて
いる。彼らのどのエピソードも懐かしい幻想のように温かで、ユートピアの
ように心和ませるものがある。しかし「ぼーっとしながら生きる」のが好きと
いう深沢七郎の背後には片目失明の不自由をこらえて右翼暴力から逃げ惑った
日々が刻印されており、「林に入り黙座す」と「武蔵野」で詠んだ国木田独歩
には、帰れば妻との確執の絶えない実生活が待っていた筈である。
著者は自らの体験も含め、こういう人間の現実の生活を冷静に観察した上で、
「ぼんやりの時間」を持つことは実際には口で言うほど簡単なものではないこと
を熟知するが故に、だから敢えて「ぼんやりの時間」を人間にとってかけがえ
のない、貴重なものと見ている。本書に見られる「ぼんやり賛歌」は、大抵
の生身の人間には実現困難だという著者の苦い現実認識と、それでも尚、
人間らしく生きる上で我々が忘れてはならない理想願望がベースになって
いることを見逃してはなるまい。 】
▼ 欧米人のバカンスはリゾート地で、かけ替えのない貴重な時間をのんびり
 過ごす。 日常を離れた自然の中で、ボ〜っとするのが、最高のレジャー。
日本には温泉宿で湯治で身体を休めるレジャーがあった。私のネックになって
いるのが、この随想日記と、ネットサーフィン。誰に頼まれた訳でもないのに、
毎日、これで自己達成をした気分にとらわれている。そうでもしないと自分を
支えていられない状況もある。偶然だが、去年の今日(4月2日)の文章は、
ノンビリしないで遊べ遊べというのから、この内容の意図に反している?
「自分の限界としても、還暦までに、やりたいことをやった!」という思いが、
ある。この時節も、ぼんやりなど、してはなかった。時節があるのだろう。
どの道、死んでしまうまでの精神のあり方の問題でしかない。
・・・・・・
4399, 隠居大学ーよく遊びよく遊べ ー1
2013年04月02日(火)
    『隠居大学ーよく遊びよく遊べ』天野祐吉、お相手 御隠居
 御隠居生活に予定より三年早く、二年前の65歳をもって入った。
しかし振り返ってみると、51歳から実質的御隠居生活に一歩踏み込んでいた。 
同居していた母親が痴呆症になって5年半後に亡くなった後、数ヶ月間は呆然と
していたが、「今までの延長は捨て、50歳代に、その後の余生の全てを
遣り尽そう」という思いが湧き上がった。そして残り30年分の人生を圧縮して
生きようと決心をして、「思い浮かぶ限りの遣り残した事を迷わず優先的にする」
ことにした。 50代で秘境ツアーを中心に24回の旅行。美味い酒を飲む。
当時、まだブログが無かったので、パソコン教室に通い、個人HPを立上げて、
全エネルギーをかけ思い浮かぶことを毎日「随想日記」として書き続け現在に
至っている、これである。これが私の隠居生活の移行で、それを私自身も
気づかなかった。どれもこれも面白く、楽しくなければ続かない。
この経験から学んだことは、「御隠居は覚悟が無ければ出来ない」ということ。
傍からみたらつまらないこと?でも、遊び気分で全エネルギーで取り組んでこそ
道楽。これも毎日、よくぞ真面目くさって書いている。でも、私にとって面白い。
だから道楽である。 御隠居は道楽をもっているかどうか。たっぷりある時間を
遊べるかどうかである。   まずはー内容紹介ー     
【こんな時代こそ「隠居」を見直そう!原始、「隠居」は遊びの達人だった。
 若いモンの憧れだった。目指すは、自由で洒脱な遊びの達人。横尾忠則、
外山滋比古、赤瀬川原平、谷川俊太郎、安野光雅、坪内稔典の豪年を取るって、
いいもんだなァ。 豪華講師陣を迎え、ここに隠居養成大学がオープン。
オモシロキビシク、いい加減精神の真髄を語り明かす。】
老いは、生老病死のマイナス面が表立ってくる時期。その時、失われつつある
喜怒哀楽を道楽の中に求める必要性がある。考えてみれば「良く遊ぶ」のは
非常に難しい!次回は、一時限目の「横尾忠則 対 御相手の天野祐吉」より
 ・・・・・・
4025, シングルイン、31年間の総括 ー6
2012年04月02日(月)
  * リストラは、どうだったか ?
 2001年の9・11テロの翌月から売上が毎年続けて一割以上減少、
三年間で3分の2まで減少していった。それに対し、ボーナスの半額カット
(年間給与の一割相当)、私は5割以上、役員は4割カットをして対応したが、
キャッシュフローからの返済は1億3千万から4千万まで激減してしまった。 
それまでの正社員と役員20数名のうち、三分の一まで減らし、パート・
アルバイトに切りかえた。 次に、二つのホテルの1階部分の客室を飲食店用
のテナントスペースに切り替え貸店舗にした。さらに第三シングルインを長期
滞在型ホテルに切り替えた。 二つの客室の壁を取り去り、一つにして自動車
学校や、企業の長期滞在として貸し出した。 それも数年で軌道に乗りかけ、
目処がたった矢先のリーマンショック。これも2割以上の売上減が三年目に
入っても続いた結果、事業断念に至った。新潟駅再開発も大幅に遅れ、二つの
ホテルが道路拡張計画上にあって説明会が開かれていたが、そのプロセスで
規模縮小か移転の想定も当てが外れていた。そのリーマンショック以来、政府の
緊急政策の御陰で資金繰りは何とか予備資金を使うことなく持ちこたえていたが、
売上が三分の一まで落ち込み、事業存続の先行きを考え出した矢先に東北大震災。 
これで最後の踏ん切りがついたが、直接原因はリーマンショック。事業構造の
転換も身を切るほど厳しいが、事業経営の真髄が発揮される場面。もちろん
返済額の減額交渉に、リストラ策と、その実施と、経過報告が義務つけられ、
その効果が出始め目処がたった矢先のこれ。十年間、やれることはやった
思いがあるので、後悔は全くない。シングルインというホテル名と建物は、
他の事業主が引き継いだので、ここで経営のリストラが断行されたことになる。
6年先の道路買収まで維持できるかどうかだが、あまりにリスク要因が大きい。 
長期装置産業の恐ろしさを知らないようだが、世界は楽観と悲観で成り立って
いる一事例。
 ・・・・・・・
3659, つれづれに
2011年04月02日(土)
  * 原発事故の深刻さ
 原発がもたらす影響は、今後どのようになっていくのだろうか? 
経済は大きく落ち込むのは目に見えて明らかである。業界格差は明らかに
出てくるだろうが、飲食、ホテル、レジャー関連、タクシーなど三次産業から
深刻度が深くなっている。東北、関東地区の農水産も壊滅状態、米の生産者も、
今年の作付けに入ってよいものか、思案をしているのだろう。伝え聞くところ
によると、長岡の奥座敷といわれているリゾートホテルは、お客がほぼゼロの
状態が続いているとか。この冬は豪雪で惨憺ものだったが、さて春が来たという
時に、地震と原発事故である。特に原発事故の成り行きを世界中が、固唾を
のんで見守っているのは、死の灰が地球規模に広がる可能性があるからである。 
毎日毎日、TVでこのニュースである。消費マインドが冷え込むのは自然の
成り行き。 株と国債の暴落をきっかけに、ハイパーインフレになるのが、
一番考えられる道筋である。その時、「新円切り替え」が実行されるはず。
日本の危機といえば、元寇、明治維新、日清戦争、日米戦争である。
それ以上の危機になっていくのだろうか? 東京では、一部の子供たちの疎開
が、静かに行われているようだが・・
・・・・・・・
3294, エッ何!
2010年04月02日(金)
 * 次年度からの予算財源はこれ?
 ドサクサに紛れ一瞬で郵貯の預け限度金額が2倍の2千万円に決定した。
閣内対立を演出して、仕方なく鳩山首相が原案通りに決定したカタチをとった
のは筋書きどおり。23年度以降の予算が、このままでは組めなくなるのを
見越し郵貯の限度額を上げて、郵貯残高を増やそうという目論見。
穿った見方をすれば、中小・零細金融機関が更に危なくなるのを見越して、
その受け皿をつくっておくメリットもある。3人だけの政党の亀井を金融
大臣に据えて泥亀の捨石として最大限に利用している。もちろん本人も、
それを承知、それが政治。先日のTVのモーニング・ショーで金融機関の
破綻時の国家補償を1千万から2千万に引き上げてもよい」
と述べていた。 
(以上、字数制限のためカット 2012年4月2日)
 ・・・・・・・・
2919,寝入る瞬間を経験したことがあるか? ー3
2009年04月02日(木)
 マギーの「哲学人」の中に、次ぎのような文章を見つけた。
ー私は寝入る瞬間について大いに頭を悩ませていたが、ウィトゲンシュタイン
は死に関して、それと同じような瞬間を扱っていた。その瞬間を経験しようと
しても無理であると彼は述べていた。 なぜなら、明らかにその瞬間に意識が
なくなるため、それを意識できないからなのだと。ー
 これによると、その瞬間は意識がないのだから、ない意識が、それを経験
できないというのだ。「もし哲学者が考えるとしたら?」と私が考えた内容と
酷似はしている。しかし私の実体験とは違っている。「あっ!」という数百分の
一秒の感覚を、寝入る瞬間に直感したのである。実際にスット意識を失う刹那
(瞬間)を感じたのである。「その瞬間の感覚は、寝入る瞬間の直前であり、
寝入る瞬間ではない」と反論されそうだ。しかし「それが寝入る瞬間だろう」と、
 反論も可能である。それに対して「意識が無意識の世界への移行の瞬間を
如何して感じ取るというのか、論理からみて疑問である。その直前の刹那が
果たして経験できると言うのか?」 と言うだろう。しかし私は、その刹那を
感じたのだから、何を言おうが事実は事実である。「それでは証明しろ」
と言われれば 証明のしようがない。
 この書で寝入る瞬間を経験することは、ほぼ不可能で私は特異経験をした
ことが分かった。寝入ったアチラの物語の夢について、ここでも多く書いて
きたが、気楽に内容を言葉としてノートに書き出すと面白い。このテーマとは
関係ないか! ところで寝入る瞬間の体験って、そんなに大事なこと?って。 
ある哲学の本を読んでから、ほぼ皆無というなら、私にとって大事なことです! 
毎晩、何度も目がさめる者にとって、一度は経験してみたいもの。
それを経験したのだから。
・・・・・・・・
2555, ホモ・ルーデンス ー1
2008年04月02日(水)
『ホモ・ルーデンス』        ー読書日記
      ヨハン・ホイジンガ(オランダの歴史家) 1938年著。
「文化は遊びとして、もしくは遊びから始まったのではない。
             言うならば、遊びの中で始まったのだ」
  ーすべては遊なりー
 〜文化は遊びの中にはじまる〜
ホイジンガーの言いたいことは、この二つに尽きる。
まずはーすべては遊びなりー(遊びの考察と定義とは)について考察してみる。
ホイジンガの遊びに対する考察は、プラトンの言葉から始まる。
「真面目にすべきことは真面目にやり、真面目でなくてもよいことはそうしない
でもよいのです。最高の真面目さを以て、事を行うだけの価値があるのは、
ただ神に関する事柄だけなのです。これに対して、人間は、ただ神の遊戯の
玩具になるように、というので創られた。これこそが、人間の部分です。
だから人はみな、男も女もそういうあり方に従って、最も美しい遊戯を遊戯
しながら、今ちょうど心に抱いているのとは正反対の考えで生きてゆかなければ
ならない。(プラトン対話集『法律』)」 著者は、この真面目と遊びの対立
において、「真面目は遊びを閉め出そうと努めるが、遊びは喜んで真面目さを
自己の中に抱き込むことが出来る」と、遊びの優位性を説いている。そして、
遊びの定義として、「遊びは自発的な行為もしくは業務であって、それはある
きちんと決まった時間と場所の限界の中で、自ら進んで受け入れ、かつ絶対的
に義務づけられた規則に従って遂行され、そのこと自体に目的をもち、緊張と
歓喜の感情に満たされ、しかも『ありきたりの生活』とは『違うものである』
という意識を伴っている」「遊びは人間がさまざまの事象の中に認めて
言いあらわすことのできる性質のうち、 最も高貴な二つの性質によって
充たされている。リズムとハーモニーがそれである」遊びの定義から、世俗に
対して離れているという点で、「聖なるもの」と「遊なるもの」は同一であると。
最後の文章に「人間的思考が精神のあらゆる価値を見渡し、自らの能力の
輝かしさをためしてみると、必ずや常に、真面目な判断の底になお問題が
残されているのを見出す。どんなに決定的判断を述べても、自分の意識の底
では完全に結論づけられはしないことがわかっている。この判断の揺らぎ出す
限界点において、絶対的真面目さの信念は破れ去る。 古くからの
『すべては空なり』に代わって、おそらく少し積極的な響きを持つ
『すべては遊なり』がのし上がろうと構えている。これは安っぽい比喩で、
ただ精神の無力を思わせるかのようだ。しかし、これこそプラトンが人間は
神の玩具であると名付けた時に達した知恵なのだ」
ーー
一流は、その芸を遊びの領域まで到達している。
遊びは自由への飛躍ということだ。次回はー文化は遊びのなかにはじまるーを
考えてみる。梁塵秘抄 巻第二 四句神歌 に以下のような歌がある。
「 遊びをせんとや生れけむ 戯れせんとや生れけん 遊ぶ子供の声きけば 
我が身さえこそ動がるれ」子供達が純真に遊ぶ心を忘れずに、健やかに育って
欲しいと願う気持ちが、そして、自らもまた、子供の頃の気持ちを持ち続けて
いたいと願う心がこもっている歌だが。
 ・・・・・・・・・・
2007年04月02日(月)
2190, 飲料水について       オッ(*^○^*)ハ?ヨウサン!
 何処かの国の大臣様が、不正申告の事務所代の言い訳に
「6000円のミネラル・ウォーター」を経費にしている、と言い訳をして
失笑をかった。 (以上、字数制限のためカット 2010年4月2日)


5130,失業率9割の国、ナウル共和国 〜2

2015年04月01日(水)

失業率9割の国、ナウル共和国 〜2
 
   * ナウル共和国の現状
≪ ・最盛期には年間200万トンの鉱石を輸出していたナウルも資源枯渇が進み、
 2002年時点で数万トン、2004年時点で数千トン規模にまで採掘量は減少した。
リン鉱石は島の真ん中に集まっていたが、リン鉱石が掘り尽くされた今、ナウル
の8割の地表はめちゃくちゃだ。かっては森で覆われていた地表は、石灰石が
転がる灰色の大地になってしまった。海外からの資金流入と国際金融業の参入を
狙って、ほぼすべての規制を廃したが、マネーロンダリングの抜け穴になること
を理由としてアメリカ合衆国から批判を浴び、頓挫!
・そこで、アフガニスタン難民を受け入れる事と引換えにオーストラリアから
援助を受け取る事にした。が、難民は国民の2割程度まで増加。政局は混乱し、
難民の管理どころでは無くなり、難民たちから「オーストラリアの方がいい!」
と言われる始末。当然これも失敗した
・リン鉱石枯渇を見越して、その利益を他の事業に振り分ける開発グループが
存在したが、ハワイやメルボルンにホテル建設などを行なうものの、こちらも
外国人任せの経営で利益は出ず、失敗に終わっている。
・2003/01/19-下旬: ナウル大統領官邸がナウル国民の暴動により焼失。
海外と繋がっていた唯一の電話回線が不通に。電力供給も滞り,国民の生活
も麻痺状態に。大統領が各国に緊急支援を求める声明を発表するも,電話回線
不通のためか外部に届いたのは3週間後。地表を覆っていたリン鉱石がナウル
の富の源で、1960年代、1970年代には世界でもっとも豊かな国の一つだった
ナウルはこのリンの生産に国の全事業を投資し、リンが取れなくなった現在、
経済が破綻した。 ≫
▼ 童話のような物語だが、残酷といえば残酷。 現大統領も超肥満体だが、
 歴代の大統領は、糖尿で次々と亡くなっていたというから、笑うに笑えない。
この話、何故か現在の日本に重なるところがないだろうか。国家収入の二倍
の予算を削る意欲もなく、世界恐慌が迫る中、オリンピックの開催に向かって
お祭り騒ぎ。反対の論は国賊扱い。そのツケの全ては、10〜20年後の若者へ
引継がれるが、誰も、目を背けている。このナウル国の現状が、未来に・・
 ・・・・・・・
4765,閑話小題 ー感動の書換え
2014年04月01日(火)
   * 感動の追体験
 以前、少し書いたが再び。 現在、ヤフーのブログ‘バードウォッチ’
に、以前に行った先をネットでひろった写真を載せている。これが面白い! 
現地で思いもよらない光景に出あった感動は心の大きな財産だが、その瞬間は
決して写真や映像では残せはしない。対象と同化し振動しているからで 夏の
花火と同じである。ところが、デジカメの進化もあって、ネット上には違う
視覚の感動の瞬間(写真)が溢れているのを最近、知った。実際の感動の方が
遥かによいのは当然だが、ネット上の写真を見ていて、<ああ、これだ!>
と感じた瞬間に、その時の感動が再度、浮び上がるから不思議。 エーゲ海
クルージングで、寝椅子に寝転がってエーゲ海の美しさの中、リラックスする
心地よさは、何ものにもかえがたい。一期一会の自分だけの至福の時である! 
今では、誰でも、そのTPOSの光景をカメラやビデオで撮って、ネット上に
公開するようになった。その御陰で、その瞬間と似た体験をした者にとって、
手軽に感動の追体験?が可能になっている。カメラ目線が違っても、その瞬間
の感動は同じ。それは記憶の復習効果、書換えにもなる。 所詮は、全ては
幻想である。カメラ性能が格段にアップし、誰もが気楽に撮れるため、ネット
上には素晴らしいのが多い。豊かな気持ちは感動の質量の掛け合わせに比例する。
  * 猪瀬の贈収賄、不逮捕されないの? 
 何ゆえに、猪瀬が逮捕されない? 次の東京オリンピックの汚点にしたく
ないため? とすると、支離滅裂。ここまで真実(汚職)が露呈しているのに、
この結末はない!上記の御二人の、御意向か? 何が東京オリンピック? 
江戸末期打ち壊しの「ええじゃないか、ええじゃなかい」の騒ぎに酷似。 
同じアフォ(アフォのミクス)なら踊らな損!と笑ってられない。最も地政的
に危険な立ち位置にいるのが日本なのに!20世紀前半に酷似している。
  * アベノミクスで生温かい風が吹いているが  
        ー偶然、去年の今日に似たタイトルがあったー
 何かが変なのは分かってはいるが、それでも?首を傾げることが多い。
それと6年後の東京オリンピックも。「デフレ脱却のため、無制限まで通貨を
増やしましょう、後は野となれ山となれ!そのため注意をオリンピックに
向けましょう」」ということ。それも、日本の財政破綻の責任者だった二人の
元首相が、現首相と副首相に居座り、更に悪化に向けた舵きりをするのだから! 
電気光熱費と、消費税の値上げは、一般の消費者と、中小企業に大きな負担
になる。それと、欧米も、新興国の経済も波乱要素が大きい。
恐ろしいのは、突然の世界同時株安である。
・・・・・・
4398, 閑話小題 ー 円滑法が4月から期限切れになるが
2013年04月01日(月)
   * 要は、アベノミクスとは!
 アベノミクスと浮かれているが、少し考えれば、こういうこと。
「小泉の中期政権後、毎年、首相が変わってきた。その二人が偶発的に首相と
副首相になって、似たような失敗の拡大版を始めようとしている。再び失敗した
ところで、政敵に殺されたり、刑務所に入れられたりしない。大盤振る舞いの
付けは、国民の負担になるだけ。幾ら金を発行しても、銀行を通して国債を
買わせることで周りまわって戻ってくる。一度、ハイパーインフレにし、銀行
閉鎖するなどの荒治療した方が、デフレスパイラルが続く現状より良策。世界は
通貨安比べ、その中で紙幣の供給を増やし銀行閉鎖も含め、一より出直しすべし」
ということ。その中で大部分の国民に物価高という負担が架ってくる。そして、
責任を取って辞任。そのパターンが繰り返される。
   * 同級会の幹事
 毎年行われている高校の次回の幹事になった。この10年近くの会の半分近くは、
私とコンビのM君二人がしている。二人とも飲み会の幹事は手馴れたためである。
名簿を振り分けメンバーに連絡をすると、それぞれの様子が直に伝わってくる。
ここで多くがリタイア、年金生活に入ったか、事業整理か倒産とか、その一歩
手前など色いろあるようだ。それと、名簿に横棒で消された亡くなった名前が
目に入る。あと10年もすれば、横棒が半分になる。
   * 円滑法が4月から期限切れになるが
 円滑法案が延長されていたが、4月から期限切れになる。一昨年、整理をした
事業の実情からして、この打ち切りは厳しい。今から4年前に施行され、その
御蔭で運転資金のマイナス分を、これと、雇用調整助成金・中小企業緊急雇用
安定助成金をプラスした分で二年間を持ちこたえた。そして限度にきた時に、
3・11の東北震災が起き、迷わず事業整理に入った。その円滑法が切れるという
から弱体化した中小・零細は破綻が増えと見るべき。それもありマスコミが
騒ぎ出した。特に首都圏から離れた地方ほど、不景気の影響が大きい。
それでも参院選挙までは何とか持たせるが、問題は、その後。
・・・・・・
4024, 事業生活39年の、独り語り ー7
2012年04月01日(日)
 11年前に、千城台ビル内で創めたベーカリーについて書いていた。  
   ―まず、そのコピーからー
≪ [103] センチュリーベーカリー 〜昭和50年3月ー8月31日(2001/08/09)
 他人に話した事が殆んどないが、焼きたてベーカリを立ち上げた事がある。
千葉千城台のビルと養老の滝1122号店を立上げ一年、空きビルを埋めるべく
何がいいか考えた時、当時団地では全くなっかった‘焼きたてのベーカリー’
に目をつけた。冷凍生地を主体とした焼き立てパン屋である。商社の東レの
子会社の蝶理という商社が、このフランチャイズをやるという新聞記事をみて、
ホテル・レストランショーで実際にみて、早速やることにした。
東十条にある関連のベーカリーに朝4時に起き通う。そして二カ月後にオープン!
 例のとうりパニックそしてーーー。 素人は初めは良いがある時期がくると、
応用が利かない弱点が出る。その時期に長岡の実家で問題が発生。 
このタイミングを狙われたのである。そこで第三者に経営委託をして急遽
長岡へUターン。恐らくあのままやっていたら数年で行き詰まったと思われる
ほど、実際は難しい商売。 振り返ってみると‘開発型委託経営ビル’を
造った事になった。 考えてみれば、ジャスコ、いとはん(北陸ジャスコ)、
ビル開発(飲食フランチャイズ+ベーカリー立上げ)、実家の衣料デスカウント・
ハウスと、12年近く、全く未経験の分野への自己配転をしていたことになる 。≫
▼ このビルは、建設の7年後にテナントが埋まったこともあり総投資の二倍の
 一億で売却した。 当時、5つのテナント部分は、養老の滝のオープン以来
一年数ヶ月経っても空いたまま。養老の滝も、軌道に乗り、サブだった人に任せ、
空きテナント部分で新しい店を考えた。そこでホテル・レストランショーで
見つけた、テイクオフのベーカリー。ジャスコでも、金沢の「いとはん」でも、
数ヶ月単位で担当売り場を変え責任を持たせる。キャリアを積ませるのである。
配送サンター、寝具、靴売り場、子供服、日用品、など次々に任される。
品種変われど、商品管理の本筋は同じ。居酒屋も、ベーカリーもシステムを把握
して全力で取り組めば、何でも可能ということを知っていた。そのため実家の
仕事を引き継いでも、ビジネスホテルを立ち上げるにしても全然、抵抗感がない。 
 何事も、表面が違っても、本質は同じである。
  ・・・・・・・
3658, 価値とは思い込み
2011年04月01日(金)
 価値観の価値は「思い込み」とすると、その意味がストレートに伝わる。
価値は意味に非常に近いと解釈をしていたが、「思い込み」とすると、より
分かりやすい。人間は、それぞれの思い込みの中で生きている。その思い込みは
子供の頃からの周囲の刷り込みがベースになる。その刷り込みから脱皮していく
経験と知識の蓄積が教養になる。大きな挫折をすると、思い込みが破壊される。 
創造と破壊は裏腹であるが、思い込み(価値観)の破壊も重要である。それが
節目の切欠になる。「互いの価値観が違う」というが、「互いの思い込み違う」
ことでしかないのが分かる。まずは自分が何を思い込んでいるかを知ることが、
第一歩。 それも、思い込みになるかもしれない。価値、意味、思い込みを、
絡めて一文をつくると「価値、価値観と難しいそうにいうけど、そんなことは
思い込みという意味でしかない」
・・・・・・・
2010年04月01日(木)
3293, 人みな骨になるならば ー9
  * なぜ簡単に(エゴ)捨てられないのか
「なぜ簡単に人間はエゴを捨てられないのか」が、理路整然と書かれている。
 ー まずは、その部分を抜粋して考えてみる ー
試みに、街を歩きながらエゴの武装解除をしていき、「すべてはブラフマンの
現われである。あの広告塔も、こなたの酔っ払いも、私と同根のものだと実感
する修行を続けてみるがよい。 その結果、わかることは、目の前にある山川
草木、鳥獣虫魚はもちろんのこと広告塔や塵芥とさえ、つながっている感覚を
わずかに持つことができる。一番難しいのは、むしろ他の人間と通底している
という実感である。これは予想外のことだ。人間は他の人間との差異に対して
最も敏感である。もちろん修行などしなくても、抽象的な「人類」や「同国民」
と連帯しているような感覚を持つことができる。われわれはスローガンとしての
連帯や仲間意識は大好きなのである。しかし、通底体験というのは、そうした
観念上のものではなく、目の前の太ったオバちゃん、向こうからやってくる
ダラシない若者との瞑想的な一体感なのである。 これが実は難しい。
 このことは、おそらく自我の意識というものが、主として社会集団において
自己と他の具体的な成員と区別をするために発生したのではないかと疑わせる。
人間らしさの殆んどの特質が、他の人間との生存競争を通じて進化してきたと
主張する学者が多い。人の容姿はもとより言語や知略も、たぶんサーベル
タイガーやマンモス相手に開発されたものではない。異性や仲間との付合い上、
是非とも必要だったのだろう。自我もまた水辺やサバンナでの生計とか氷河期の
気候とかに適応するためでなく、狡猾な同族であるヒト相手の社会生活を
生き抜くために必要だったからだ。
▼ 映画の「2012」でも、世界の滅亡に、世界各国が協力しあう場面が、
 これを読んで浮かんできた。人の差異は、外敵に対してでなく、社会集団に
おける自己と他者との生存競争を通じて進化してきた!というのが、鋭い指摘。 
40年前の学生闘争の嵐の中で、田舎出の教条主義の「あれ等」は、同じ方向の
分派達との争いの方が、残酷な死闘になっていった。 殺人の過半数以上が
家庭・親族という事実と同じである。人間の遺伝子の性格は利己主義という。 
それを抑えるのではなく、他者の迷惑にならないようにすることと、社会の
有益な何かに向けることが、人から人間になることだろうが、それは建前と
割り切るのではなく、エゴを野獣、いや野性と看做、コントロールすることが
教養か? 酒を飲むと、それがね〜 鵺?
 ・・・・・・・・
2918,「無趣味のすすめ」という問題提起 ー1
2009年04月01日(水)
 新聞広告のー「無趣味のすすめ」村上龍著ーの説明文である。
ーわたしは趣味を持っていない。小説はもちろん、映画製作も、キューバ音楽の
プロデュースも、メールマガジンの編集発行も、金銭のやりとりや契約や批判が
発生する「仕事」だ。 趣味の世界には、自分を脅かすものがない代わりに、
人生を揺るがすような出会いも発見もない。心を震わせ、精神をエクスパンド
するような、失望も歓喜も興奮もない。真の達成感や充実感は、多大なコストと
危機感を伴った作業の中にあり、常に失意や絶望と隣り合わせに存在している。
それらは私たちの「仕事」の中にしかない。 ー 思い切った問題提起である。
「人生は仕事だけではない」ことは今さらだが、中途半端な仕事をしながら、
趣味の世界に生きる人間に対する一撃。しかし仕事一筋できた男が挫折した時に、
趣味の世界を持っていたために救われることがある。 仕事のできる男ほど、
それと同じぐらいの趣味の世界を持っていて それが仕事をプラスへ導く。 
しかし、仕事を達成するには多大なコストと危険を伴い、常に失意や絶望という
底知れない荒海が舟板一枚下にある。趣味だ娯楽など、余所見をしている暇など
ないのも事実。 読書を趣味としてきたものにとって、いや酒が好きで居酒屋
通いをしてきたものとし、秘境・異郷ツアーが好きで世界中を巡ったものとし、
そこには失望も歓喜も興奮が満ちていた。そこは熱帯雨林のように豊穣な世界が
存在をしていた。 しかし、言われてみれば過去の事業を振り返れば、その数倍
の豊穣な世界があったことも事実である。要は、「力、愛、知」の「力」の
部分に力点を置くべし、ということだろう。少し、趣味に力を入れすぎたか? 
そうでもないか? 新聞広告に列挙していた内容を次回に書き出してみる。
その一つが  ー効率化とゆとりー 
「農耕と国家が生まれてから、ゆとりを持って生きることができた人は
全体の一%もいない。」が、面白いが、そうでもないんじゃないかとも
思われるが、如何だろうか?  身近では、一人も存在していないが、
いや、ごく身近に一人居る? いや、そう見えているだけ?
 (字数制限のためカット 2012年4月01日)

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