堀井On-Line



5008,人は死ぬとき何を後悔するのか? 〜4

2014年11月30日(日)

             『人は死ぬとき何を後悔するのか 』小野寺 時夫(著)
   * 治療を後悔する人が多すぎ
  読むにつれ憂鬱になるのが、病院経営の利潤が優先され患者はグチャグチャに
される実態?である。父が亡くなる直前にポツリといった一言、「あんなに苦しむなら、
手術をしなければよかった!」 死を覚悟した時、「どのみち助からないのに、
あの激痛を長時間も耐えなければならなかったか?」の疑問が生じるのは当然。 
ー治療に対する後悔する原因を要約するとー
・ここで外科医だった当事者の著者が、末期ガン者の手術のやり過ぎの実態に強い
疑問を投げかける。 転移している場合、根こそぎの切除は不可能にかかわらず、
大掛かりな手術をするケースがあまりに多い、と。 食道ガンの名医が、転移している
膵臓ガンも切るため、その方が好い加減な手術になる。 
・日本では、「手術して直る可能性が高いのか」「再発する可能性が高いのか」
「再発するならどれ位生きれるのか」などを、医者が説明せず、患者の方も医師に
質問しないのが普通だが、欧米人には考えられないことという。
・抗がん剤が効くのは、ある種の白血病、悪性リンパ腫、睾丸ガン、小児ガンで、7割位
の人に有効で、5年生存率も6割を超えている。 問題は、それ以外のガン。 
延命効果があるのは10人に1人。著者が外科医だった頃、試みた中で殆ど効果は
なかった。 新薬治験という誘惑があるが、これも薬品会社のモルモットかわりか、
法外の費用になる。新薬治験効果があった話はほぼ聞かないという。
・また民間療法も、あまりの法外の費用面で、「一千万単位の借金を背負った」という話が
あまりに多いとか。家族が苦し紛れで、自宅を抵当に入れケースである。これなど、
 少し冷静に考えれば、効果などある訳がないが、溺れるもの藁をもすがるで、家族全体が
 破滅に向かう。代替治療という‘無法地帯’が、世の中にはある。岩盤浴、低周波装置、
 ガン免疫療法などなど、幾らでもある。しかし、著者の知る限り、全て効果は無かったという。
▼ 高齢の転移したガンの手術は考えた方がよいことになる。治療の後悔も、情報と知識
 不足が原因。それで目先は助かっても、長期間の苦しみが待っている。人生の晩年は、
厳しい『生老病死』が待つ。やはり「手遅れで余命半年」が、一番良い? その瞬間から
地獄のような日々になるが、これも人生。同年代の4人に1人は、そうして逝った!
 どうしたら良い? 今を充実させ、楽しむしかない。「死んで花実が咲くものか」で、
死にかける前に、元気なうちでなければ、再びよい目に会えない。 
 さて今日は何を楽しもうか? 面白そうなことは幾らでもある・・ 
・・・・・・
2013年11月30日(土)
4641, 閑話小題 ー「考えないこと」こそ罪
 朝日新聞の‘論壇時評’で、作家の高橋源太郎がー暗い未来「考えないこと」こそ罪ー 
をテーマに書いていた。「馬鹿な考え休むに似たり!」としても、社会の常識を疑い、
逆照射をしたり、哲学書を生半可とても、融かすように学び続けるしかない。だから、
考えようとしない人は直ぐに分る。まともな順にA,B,Cと分け割り切っている。その全ては、
過去の自分の行蔵に含まれており、険しい山道の道標の自分の姿でもある。
死刑囚の『無知の涙』永山則夫著という書があるが、「考えないこと」からくる罪は、
無知から生まれ出る。 過去の記憶のフラッシュは、B,Cの自分の行蔵が殆ど。
他人の評価は別として、私自身としてAに到着したのは、還暦辺りか、それとも65歳の辺り。
いや、Cのまま? ABCが混在しているのが人間だから人生は面白い。 
経済震災と自然震災もあって? この結果に終わり、あたかもオセロの白駒が、黒駒に
変わったような経験をしてから、更に考えざるを得なくなっている?筆者は「日々の暮らしに
目を奪われ、考えないことが、如何に罪を積み上げていくことを知るべき」という。  
  ーその辺りの一部よりー
《「憎悪の差別語をまき散らして憎悪をかき立てる『凡庸な悪』と、社会は如何に向かい
合うべきか」の座談会の出席者たちは、いわゆる「在特会」の「朝鮮人は死ね」といった
ヘイトスピーチの主張に、かってハンナ・アーレントがユダヤ人虐殺の中心人物であった
アイヒマンについて語った「凡庸な悪」を見いだす。深みのない「凡庸な悪」であるからこそ、
底無しに広がってゆく可能性があると指摘。彼らは特殊なのではない。
私たち社会の中に、彼らの考えに同調する素地があるのだ、と。
 だが、その「凡庸な悪」に染まり、世界を滅ぼそうとしているのは、「在特会」とそれを
支持している人たちだけなのだろうか。アーレントは、アイヒマン裁判を傍聴し、彼の罪は
「考えない」ことにあると結論づけた。彼は虐殺を知りながら、それが自分の仕事である
からと、それ以上のことを考えようとはしなかった。そこでは、「考えない」ことこそが
罪なのである。私たちは、原子力発電の意味について、あるいは、高齢化や人口減少に
ついて考えていただろうか。そこになにか問題があることに薄々気づきながら、日々の
暮らしに目を奪われ、それがどんな未来に繋がるのか「考えない」でいたのではないか。
だとするなら、わたしたちもまた「凡庸な悪」の担い手のひとりなのかもしれないのだ。》
▼ 年末年始になると、中学、高校、大学、そして趣味などの忘年会に出席する。
 学歴が上がるほど、「凡庸の悪」の人が間引きされ?少なくなる。それが、その場の
空気を綺麗にする。「凡庸の悪」の傾向の強い人は、とにもかくにも考えない。
その代わりに、他人との比較と噂が主たる世界。そこから出る毒ガスで脳が侵され、
噂を嘘に変えていく「凡庸な悪」の担い手、無知の涙に浮かぶシラミ。で、どの会にも
一定の割合で存在する。逆に「考えるとは何か?」という問いかけは哲学の問題。
「考えないことの罪」は、人類そのものの原罪である。だから、人は学び続けるしかない。
 その結果、我が内なる(過去・現在)B・Cに出会うことになる。その姿を見ている視線が、
Aなる自分、考える自分になる。
・・・・・・
2012年11月30日(金)
4276, 100の思考実験 ー2
       「100の思考実験: あなたはどこまで考えられるか」ジュリアン バジーニ (著),
   * ギュゲースの指輪
 次に印象的だったのは「ギュゲースの指輪」である。 ウィキペィデアに次のようにあった。
≪ カンダウレス王の治めるリュディア国に住む牧人のギュゲースはあるとき地震にあった。
 地震の後に畜群を放している山の手に洞窟が現れたのを見つけた。入ってみると中には
玉座に遺体が置かれていた。その遺体は金の指輪をしており、ギュゲースはその指輪を
盗み出した。戻ってきたギュゲースは指輪を身につけてあれこれと探るうちに指輪を内側に
回すと透明になって体が見えなくなり、外側に回すとまた見えるようになることに気づき、
悪だくみを思いついた。家畜の様子を告げる伝令として宮殿に入ると、透明になって后に
近づいて姦通、密謀してカンダウレース王を殺し、位を簒奪した。
豪富で知られるクロイソス王はギュゲースの子孫である、という伝説が当時行われていた。
プラトンは「国家」の談義では兄グラウコンがこの話を引用して「人は知られなければ
悪事を働くのものだ」と述べて、プラトンのこれに反対する形で「悪事は知られなければ
構わないという考えは良心を腐らせ悪しき結果となる」と述べている。≫
▼ ギュゲースの指輪は、人間の心の奥に潜んでいる不道徳性を試す物語。 人にさえ
知られなければ、誰も誘惑に駆られ多くの悪事をするが、他人になると声高に非難をする。
もし、私がギュゲースの指輪を持っていたとしたら、恐らく何をしでかすか分からない。
見せかけの自分と、本性の自分は全く違うことは、自分の心を考えれば分かること。
「指輪物語」は、これをヒントにつくられたという。 ギリシャの哲学者プラトンが、2千数百年も
昔に、この人間の性を物語にしていたというから恐れ入る。性善・性悪説の論争に似ている。 
若い時には純粋で理想に燃えて社会に出るが、何年もしないうちに垢に汚れ、何時の間にか
良心を腐らた世俗人になってしまう。それを他人には見えるが、自身には見えないから、
その矛盾が直接、自分に跳ね返ってくる。その結果、精神分裂になり、自分の壁を
つくって篭ることになる。それからして、カントの道徳律は重要である。「仮言命法」としてではなく、
「定言命法」である。仮言命法とは,「もし…なら…べきだ」というもの。道徳律においても、
「もし人から信用されたいのならば、嘘をついてはいけない」「早起きは三文の得」などがそれ。
それに対して、条件なしに「…すべきだ」とだけ命ずることを定言命法(無上命法)。
人間、良心に反する行為は、すべきでないということ。しかし、・・  この「しかし」が、
人間を迷わせる内語になる。悪事は結局、回りまわって自分に帰ってくる。で、・・! ・・?
・・・・・・・
2011年11月30日(水)
3901, 精神力ーその偉大な力  ー2
   ▼ 世界でもっとも重要なもの
 著者が言わんとすることは、「原因の世界に住んで努力を続ければ何事も必ず実現する。
成すべきことを成し遂げれば、何事にも光がさし込む」ということ。精神力とは信念のことを
いい、確たる目標に対する継続した努力をすれば、その努力が信念になっていく。
そこには、当然に難題が立ち塞がるが、それには必ず対策がある。そう信じることが信念。
ここで、エマソンの次の言葉を引用している。「すべての個人には共通の一つの心がある。
各人は、同じものの一つ一つの、また同じものの全部の入口である。この普遍の精神に
触れた人は、実存するもの、あるいは、行われうることすべてへの仲間入りをした人である。
これこそ唯一の、そして最高の力だからである」 この辺は、中村天風の積極一貫の精神と
同じ。精神ー信念は、自然界が全ての人に贈った要具である。
それを使いさえすれば人生は美しく、光栄に満ちたものになる。
   ▼ 人が知識を得る三つの方法
 ◎ 知識を得るには、科学的方法があり、経験と実験によるわけ。 
 ◎ 二つ目は哲学的方法であり、それは理知による。
 ◎ 三つ目は宗教が用いる神秘的方法もあり、内心的に感知する。 
 この三つを組み合わせたときこそ、満足する結果が得られることを著者は見出した。
   ▼ 人生は胸おどる冒険 、苦難は間違った考え方の結果
 「大生命力は実在します!それを生きなさい。 人は大生命力のなかの、自覚を持つ
ポイントです。精神は大生命力の法則、生命が作用する方法、創造のための大生命力の
要具です。それを使いなさい!」そのためのドアは、本人が開けなければならない。
不快、失敗、不満などの苦痛は、当然なすべきことをしていない結果に過ぎない。
その苦痛は心の使い方を不健全に使っていることを忠告しているに過ぎない。
その反対に、幸福や裕福や健康や心の平和を、正しく考え、正しく行なっていることに
報いる自然界一流の方法です。 ホランドの詩に次のようなものがある。
「 天国は、ひと跳びに行けるところではない  登るはしごを建造するのだ
  低い地上から、まる天井の空まで――    はしごの横木を一つ一つ登っていくのだ 」
  いかに思うべきかを学ぶことは、いかに生きるかを知ることだ」と、皆知っている。 
 しかし信念の在り方を変えなさいと力説する人たちも、どうすれば、それができるかを
 教える人は、非常に少ない。
  ・・・・・・・
2010年11月30日(火)
3536、沈黙せよ!
「語りえぬものからの問いかけ」という東大駒場〔哲学・宗教・芸術〕連続講座ー
《「言い表せないもの」の詩学 −チュッチェフ『沈黙』の逆説ー沼野充義 》の「沈黙」
 という詩に、思わず息を飲んでしまった。 何か、毎日、自分が書き続けていることを
根底から否定されたようである。否定されるほどのものも無いことを私が一番知っている
から書いているだけ。  ーまずは、以下の文と詩からー
【 チュッチェフには「沈黙」と題された詩がある。この詩人は、ドイツ・ロマン主義の影響の
 色濃い哲学的・思弁的な作風で知られ、バラティンスキーと並んでロシアにおける思想詩の
系譜の一人とみなされている。「沈黙」も、そういった傾向を代表する彼の初期の代表する
チュッチェフ初期の代表作の一つで、ロシア人なら誰もが知っているほど有名なものです。
文豪のトルストイはこの詩に感激し、「なんという驚くべき作品だろう! これ以上の優れた
詩を私は知らない」とまで言ったと伝えられていす。それほど有名で優れた詩であれば、
これまで多くの専門家によって数多くの研究や解釈がなされてきたのも、また当然のこと。
・・ 翻訳で読み、解釈するという作業にはどうしても限界がありますが、そのことを肝に
銘じたうえで、しかしそれでも何かを読み取ることができるかどうか、読解を試みてみましょう。
  ー 沈黙! ー
沈黙せよ、隠れよ、そして隠せ           自分の気持ちも夢も―
魂の深みでそれらは                 夜の星のように黙々と
昇っては沈むことを繰り返しているがよい     それに見惚れ、沈黙せよ!

心はどうしたら自分を言い表すことができるのか  他人にお前のことがどうして理解できようか
お前の生きがいが他人にわかるだろうか       心に思うことも口に出せば嘘になる
泉を掘り返しても、水をかき乱すだけだろう      ただ泉の水を飲み、沈黙せよ!

自分自身の中で生きることだけができればよい    お前の魂の中にはまるまる一つの
神秘的で魔法のような思念の世界がある       その思念を外の騒音がかき消し
昼の光が追い散らしてしまう             それら思念の歌に耳を傾け、沈黙せよ! …
 〜〜
「 ・・・・・ 」この詩について、何かを語れといっても・・ 
「HP読みながら、いつも思っていた!」って言わない。 思念公開も面白いもの。 
土いじりや、趣味の世界、神への思念に没頭すると、沈黙せざるを得なくなる。 ーつづく
 ・・・・・・・
2009年11月30日(月)
3161,つれづれに ー閑話小題
 * 円高 85円
為替が円高・ドル安に動き出してきた。 それにつれて金の価格もジワリと上がってきている。
年末に向かって周辺も冷え冷えとし、殺伐としてきている。 年末年始は大荒れになるのか、
それとも何とか中小企業特別救済で乗り切れるのか? 公共事業の大幅カット、そして
ボーナスの減額、デフレスパイラルによる不況の深化などで、一日一日と厳しさを感じる。
 この上に円高というから、救いようがない。社会はますます内向きに成りざるを得ない。
 * 「坂の上の雲」がNHKドラマの初回が放送されたが
「坂之上の雲」が日曜日夜のNHKで数回シリーズのドラマとして放送が始った。
私たちの年代の多くが、この小説に大きく感化された。 筋立ては、秋山兄弟と正岡子規の
生きかたを通して、明治時代の人間像と時代背景を書いている。 
(字数制限のためカット、11年11月30日)
 * 同じ映画を二度みたのは始めて! 
土曜日にシネマ「2012」を再び観てくる。映画を二回つづけて観るのは初めてである。 
(字数制限のためカット、11年11月30日)
 ・・・・・・・・・
2008年11月30日(日)
 2796.ユダヤ人成功者たちに秘かに伝わる魔法の言葉・・5
ー 金を追うな、金に追われるような人間になれ ー
【第4の法則】 金を追うな、金に追われるような人間になれ
 「空気人間になれ」
(ゲットーに住むユダヤ人は隙間で生きていかなればならなかった。自分に対する誇り、
自尊心が確立されているから、仕事の体裁などにこだわることはない。チャンスとみれば
偏見に囚われずに何でもやる。元手が少なくても、わずかなチャンスを確実にっかみ、
成功に近づいていく。空気のように軽く、どこにでも入っていく。それでいて、空気のように
誰もが必要とする資質を兼ね備えた人間。苦難を空気化した人、それがルフトメンシュ。)
ユダヤの知人の言葉
*「この仕事で 豊かな気分になることはない。ただあるのは、どれだけ稼いでも、
 新しいレベルの相対的貧困感に 苛まれること」 ユダヤ人の知人のコトバ
*「神がお金について どう考えているのかを 知りたいのでしたら、
 どんな人に神が お金を与えたのか を観察してみるといいでしょう」ドロシー・パーカー
*お金は手段にすぎません。自分が行きたいところには 連れていってくれますが、
*11ポ・ドの金塊よりも、 1オンスのツキのほうが 価値がある」  東欧ユダヤ社会の諺
*「人生は、賢者にとっては 夢であり、 愚か者にとっては ゲームである。
 金持ちにとっては 喜劇であり、 貧乏人にとっては 悲劇である」ショーレム・アレイヘム
・・・・・・・・・
2007年11月30日(金)
2431, ネット君臨      ヽ(★>з<)。o○[ォハヨ]○o。
「ネット君臨」−毎日新聞取材班ー(出版・毎日新聞社)        −読書日記
この本を図書館で見つけ、読んで驚いてしまった。この春先に毎日新聞が連載したものを
本にしたものだが、この連載は大きな社会問題を提起、幾つかの規制の法案ができる
キッカケになった。私も政治や、ゼネコンなどの談合に批判を書いているが?言い方には
気をつけなければと自戒させられた。 マイナーの人?いや色いろな考えの人が見ている。
それにしても、ネットによる虐めの陰湿さには驚いてしまう。特に「2ちゃんねる」上における、
匿名による誹謗・中傷の内容は、人を死に至らしめるほどの内容に満ちている。
毎日新聞の連載をまとめた本だが、ネットのマイナス面に絞っているのも、ネット社会の
規制を考える面で、良いこと。
 *まずはアマゾンの、この本の紹介文から
  ー内容紹介ー
 匿名社会の恐怖、拡大するネット犯罪…。ネット社会の急速な進展は、我々の生活
に便利さや効率をもたらす一方、さまざまな負の部分を生み出している。ネットは我々を
どう変えるのだろうか。また我々はネット社会をどう築けばいいのか。ネット社会に警鐘を
鳴らした毎日新聞取材班の大反響連載「ネット君臨」の書籍化。本書では、国内最大の
ネット掲示板「2ちゃんねる」に代表される匿名による誹謗・中傷が人々の暮らしに深刻な
影響を与えている実態を現場から報告。「2ちゃんねる」の管理人ひろゆき(西村博之)氏
にインタビューしている。さらに国の政策がインフラ整備に偏り、企業や個人の
マネーゲームを生んでいる実態や米国、韓国、中国のネット犯罪の現場をルポ。
 ー概要ー
マスコミがこれまで殆ど触れてこなかったネットの問題点に真正面から切り込んでいる。
難病(拘束型心筋症)の上田さくらちゃん(四歳)がアメリカでの心臓移植をうける費用
(約一億三六〇〇万円)を賄うために「さくらちゃんを救う会」が結成され、ボランティアによる
募金活動が開始された。(字数制限のためカット、09年11月30日)


5007,人は死ぬとき何を後悔するのか? 〜3

2014年11月29日(土)


              
               『人は死ぬとき何を後悔するのか 』小野寺 時夫 (著)
    * あるレビューより
  ーまずは、アマゾンのレビューを要約するとー
≪ 日本のガン治療の疑問を述べている。著者はあくまでも高度の進行がんにおいては
手術・抗がん剤治療、免疫療法をするのではなく痛み・苦しみを和らげながら静かに看取る
方を良しとしている。タイトルの「何を後悔するのか」はまさしく「効果の無い、苦痛を伴う無駄な
ガン治療は後悔えをする」に他ならない。著者も57歳のときに喉頭がんを経験。
妻が劇症の白血病を発症すると休職して介護に専念。気力体力の限界まで精魂を
傾けられたことは大きな心のやすらぎである一方、死の直前、呼吸困難で苦しませ、
穏やかに逝かせてやれなかったことへの悔恨にさいなまれていた。どの言葉のひとつ
ひとつが説得力に満ちていて、実践的な「死に方準備ケーススタディ集」でもある。
・がんは大急ぎで治療する必要がないのです
・死は生の延長上の遠い淵にあるのではない。人は“死にまとわれながら
生きている不安定な存在
・死に直面すると、金、権力、名誉のある人の方が、不安、怒り、落ち込みが強い
 それまで力のあったものが、死には全く役立たなくなるから
・生前に本当によく尽くし合っていなければ死ぬときによい介護を受けられない
 死ぬときに奥さんのいじめが気にかかる人は、恥を忍んで奥さんに詫びるか、
 今からでも懸命に尽くす姿を見せるなどの対策を講じておくのが安全
・唯一確実なボケ予防策は「高齢になっても女性に関心を持ち続け、行動すること」
・死ぬ時に至って自分の生き方を他人と比較するのは全く無意味
・高齢になってもよく歩いている人ほど「コロリ死」が多い
・ホスピスの入院患者で、何かに没頭して楽しめる人はとても幸せな人
・死を迎える部屋は個室がお勧め
・「鎮静(麻酔などで苦痛を抑え入眠状態にする。続けると数日で死に至る)」は、
早めに医師に願っておく。それもひとつの死生観。死の準備は本来、病状に応じた
オーダーメードであるべき
・日本は多くの人が「自分の望まない死に方」をしている国
・孤独感が原因の激痛がある
・「低カロリー、低たんぱく質」でゆるやかに最期へ向かう… ≫
▼ この要約を読み返すたび、どれもこれも更に深く心に染みる。 近い将来、恐ろしい
現実が間違いなく待っている。恐ろしいが、覚悟はしてないと。心の拠りどころは、
50歳代の10年間で、30年分を圧縮し過ごしたこと。さらに、このブログに行蔵や、
思いや、青春時代の日記などを書き残したことが心強い。この奇跡のような私の生。
ビッグバン以来、ここまで続いている、この「私」という存在。それを満足し生きてきた
だけでも、充分に元を取れた感がする。この文章を書いていて気づいたことが、
後悔の逆は、感謝、感激、感動、満足、ということ。
老いの『俺たちに明日はない』の日々を楽しめるかどうか、だが。
・・・・・・
4640, 閑話小題 〜都知事の狼狽
2013年11月29日(金)
   * 「徳洲会」資金提供問題で、都知事の狼狽
 ーまずネット記事よりー《 猪瀬直樹知事が大手医療法人「徳洲会」から5,000万円を
受け取っていた問題で、猪瀬知事は、会見でも、個人的な借金だとする点を強調している。
さらに現金受け取りの前の和食店での面会についても明かした。猪瀬知事は「借用証
徳田 毅殿 (去年)11月20日5千万円也、僕の住所とサインです」(その借用書は最近
作ったものでは?)の質問に「それは誤解。これは、間違いなく原本」と述べた。》 
 この一連の会見の内容からして、明らかに逮捕に準じる資金提供。検察も逮捕をする
しかない?だろう。政治家としての叩き上げではないため、副都知事の場合と違った
トップの立場の身の処し方が出来なかった。マスコミ上がりの正直さが、そのまま表立ってか
シドロモドロ。言い訳するほど、自分の立場を悪くする。政治世界は一寸先は闇。 
これで逃げ切ることは難しい! 2020年まで安泰と思っていただろうに。
それとも、石原慎太郎の知恵で難局を何とか乗りるか? 
   * ストーブリーグが面白い
 落合の中日のGMの就任で、ストーブリーグが俄然、面白くなってきた。巨人の小笠原が
中日に、逆に中日の井端が巨人に移籍。他に、広島からFA宣言した大竹寛投手(30)が、
巨人への移籍を表明した。更に、有力選手2〜3人が移籍してくるだろうから、これで来年の
巨人の独走がみえてきた。その巨人を他球団が叩き潰し、原監督を引きずり物語が面白そうだ。
 ーネットの記事からー
《 落合GMは井端は「戦力外の選手には金額提示はしない」と、来季の構想外では
なかったことを強調。そのうえで「彼に対してはそれなりのものを例年払ってきた。
故障でメスも入れたし、億以上を出すリスクを球団が背負えるか、という判断」と、年俸大幅
ダウンの提示を説明した。球団は井端に対し、野球協約に定める年俸の減額制限を大幅に
上回る今季年俸1億9000万円から1億6000万円減の3000万円を提示したとみられる。
▼ 小笠原が3000万、井端は4500万と大幅ダウンという。厳しいものだが、それでも
井端の方が、お買い得? 原監督は、優勝をしていれば今期で辞め時だった。早く言えば
飽きてしまった!ということ。 江川監督、ヘッド兼任のバッテリーコーチに桑田、GMに
野村元監督あたりが面白そうだが! 更に「巨人は27日、西武から国内FAを宣言した
片岡治大内野手(30)と都内のホテルで初交渉」というニュースで報じていた。
・・・・・・
4275, この非常事態に、万一の備えがあるの? −4
2012年11月29日(木)
   * 長岡冬景色 ーある同級生の死
 昨日の朝、高校の同級生から電話が入った。20年以上、毎年開かれていた同級会の
メンバーの1人が一昨日の夜、自殺をしたという。近郊の町で家業を継いでいる人で、明るく
サッパリとした性格で皆から好かれるタイプ。本人が居るかどうかで、同級会の明るさが
違うほど。その男が自殺とは、一瞬耳を疑い、息を呑んでしまった。「この非常事態に、
万一の備えがあるの?」を、今月の15日に、ここで書いた。  その前日の地元紙に、
* 同級生の老舗会社の倒産記事が出ていた。20年前に工場が火災で全焼、しかし
保険で建替えて、無借金経営と聞いていた。
* その翌週には、計算サンターの社長をしている会社が、TVと新聞に大々的に、
 「不正に雇用調整給付金を受給。それも内部告発により調査の結果。不正分を全額返済
のため、刑事告訴はしないが、悪質なため発表した。」と報じられた。全国ニュースに
ならなかったのが不幸中の幸いだが、銀行系もあり処分は厳しいと推察される。
* そして今週は、彼の自殺である。 親戚や近所の自殺は身近であるが、同級生は初めて。
 まさか、このテーマで書いた警告が、そのまま、ごく身近で直ぐにたて続けて現われ出るとは。
3人とも傍からみれば、これ以上の堅実経営はないかと思われた会社。
そのため、ことさら驚きは大きい。それにしても自殺とは、よほどのことがあったのだろう。 
同級会のメンバー内の話としては、去年春に私が先ぶれに破綻。そして、この11月に
たて続きに3人が、続いたことになる。 以前から、「2012年問題(時代の断層の年)」
が言われてきたが、今のところ何も起きていない。しかし極身近から、このように生々しく
起こるとは思いもしなかった。 恐慌の大波は根こそぎ、全てを破壊していく。
これが地方の特殊要因でなく、世界、日本レベルの大波の地方の一現象でしかない
ところが恐ろしい。まだ経済の大津波(恐慌)の本体は外海、到達は来年辺り? 
3900, 精神力ーその偉大な力  ー1
2011年11月29日(火)
  * 「精神力ーその偉大な力」 ダン・カスター著
 学生時代の卒業間近から27歳までの修行時代から事業創業期の精神は緊張と
不安の極限にあった。あまりに突き当たった壁が厚く、自己確立が曖昧だった内面は粉々に
なりかけていた。しかし、それを表立てることは許されない節目時。 傷つき荒れ狂った気持ち
を自分で何とか立て直さなければ、絶壁の谷底に転がり落ちる綱渡りの日々。その中で、
狂わないようにバランスをとらなければならない上に、自分を奮いたっていなければならない。
その日々の中で、学生時代の終わりの頃に読んだ、このブリストルの「精神力を活かす」と、
ダン・カスター著「精神力、その偉大な力」が心の支えになっていた。そこには色の違う
傍線が幾つも引かれている。経験を重ねるうちに、この手の本は安物の精神主義の本で
しかないと疑問を持つようになっていた。 40年経った現在再び、読み返しているが、
決して安物の精神論の本でないことが分かり安心をした。マーフィーの成功法則の下地に
なっているのではと、思われる。 特に「精神力ーその偉大な力」は、先がさっぱり見えない
不安感と挫折感の中で、何度も何度も読み返したことが懐かしい。節目時に読んだ本は、
節目時の自分の心でもある。 40年の年月は長い!そこで失ったものと得たものが私自身。
 一月程前に、信濃川の大手大橋を歩いていたとき、地球の芯からの声が聞こえてきた
ことを書いた。自分の独り言であるのは敢えて言うまでもないが、魂の芯から出ていることは
違いない。時どき、その声と対話をしたり、中心点に気持ちを収集して、そこの蓋を開ける
イメージを持つ。そして、そこからエネルギーが心に溢れ出てくる感覚を持つ。
また、その蓋の向う側に無限の宇宙の時空をイメージする。 気持ちが弱った時など非常に
有効に働く。その下地が早朝の散歩の途中にしていた呼吸法。気持ちを地球の中心点まで
到達するイメージを持ち、中心点を擬人化して挨拶したり会話をしていた下地があった。
 散歩をポタリングに変え、しばらく、その呼吸法をしてなかった。ところが、サイクリングの
途中にウォーキングを取り入れて大手大橋を‘引きチャリ’をしていた時、脳の底から独り言で
話していた擬人化したイメージの声が聞こえてきたのである。
一月前の随想日記に同じことが書いてある。その芯と声が、この「精神力」と同じである。 
 心の底のエネルギの源泉を探し出し元気を創造しろということ。次回から、少し書き出して
みるが、過去を振り返りながら心の源泉の湯に浸かっている気分か。 
精神を哲学するのも、面白い。精神=信念=「絶対言明」+エネルギー。 
意志に似ているが、少し違う。意志の哲学といえばショーペンハウアー。 
その影響を受けたのがニーチェ。
・・・・・・・
3535, つれづれに ー 閑話小題
2010年11月29日(月)
  * 自分の初めの感じたことを信じなさい!
 夏の終わりごろにニューカレドニアに行った時の話。 ホテル内の土産店で若い女性二人が
土産物で迷っているところ、60歳代半ばの日本人男性が話しかけていた。「自分の初めの
感覚を信じなさい!」と。「私に、そんなことを言ったら『アフォか、御前は!』と思うが、若い女性
なら良いか?」と独り言を頭の中で呟いていた。 その言葉は、正しくもあり、間違いでもある。
これは経験からいえること。経験の浅い人になら、自分の感覚を信じて、まず決断をし、
その結果をフィードバックする方が、躊躇して何もしないより良い、ということになる。
それを信じて軽い気持ちで判断をして大失敗を数限り経験してきた私にとって、そんなことは
若い女性にしか言えないこと。その人に何か怪しげなバナナ的雰囲気を漂わせていたが。
同じ言葉でも、受止め方は年齢、知識・経験の質量で変化する。
  * 尖閣ビデオでYoutubeが注目される
 もう古い話?になったが、海保のビデオ流出事件でYoutubeが更に注目を浴びてきた。
Youtubeは10分の制限があるが、個々人が撮影したビデオを自由に投稿できるもの。
僅か5年前に若い二人の米国人によってつくらたサイトで、一年後にGoogleに2000億円で
売却された。日本にも、その翌年2007年に上陸、瞬く間に普及した。
一日20億回のアクセスがあり、このサイトから世界的に有名になる人が続出。
数ヶ月前から面白そうなものを私のブログに貼り付けている。過って見たことがない面白い
映像が次々と見つかる。TV番組でも、世界の面白映像として毎週紹介する番組が既に
出来ているが、その多くは見たもの。 面白いビデオの右側に関連したビデオの写真が
貼り付けられ、アクセス数が書かれているので、関連したビデオにネットサーフィンできる。
そこで、思いもよらない世界を垣間見るケースが多くなる。コスプレ、ラップ、ペットなど、
知らなかった世界を知ることが可能である。ところで、あのビデオについて石原慎太郎が
「売国奴の治世者が、英雄的行為をした人を国辱罪で訴えるという奇妙な現象が起きている」
と発言。言い得てるが、それが東京都知事ときている。 訴えると脅され、「チャンと受けて
たって証言をする」といったら、何も言わなくなったとか。
 面白いと笑ってられないのが、この国の現状。
・・・・・・・・
3160, ドバイが債務不履行!
 2009年11月29日(日)
 アラブ首長国連邦のドバイの資金繰り悪化が表面化した。数年前にドバイの発展する
様子をNHKスペシャルで放送したが、石油で得た資金で競って超高層ビルを中心とした
新都市の様相には驚いた。 世界のクレーンの3割が、そこで動いているという信じがたい
ことも報じていた。大金持ちの若い御婦人が高級ショップで「もう、買うのに飽きてしまった、
ツマラナイ!」と云々。 ( 字数制限の関係でカット 2011年11月29日 )
・・・・・・
2795.ユダヤ人成功者たちに秘かに伝わる魔法の言葉・・4
 2008年11月29日(土)
【第三の法則】 口はひとつ 耳はふたつ
「神が人間に二つの耳と一つの舌を与えたのは、話すよりも聞くことを重視したからである」
ーユダヤの諺
「口を閉じれば閉じるほど、自分の話を聞いてもらえる」
「噂はかならず三人の人を殺す。噂をばらまく人、疑問を抱かずに噂話を聞く人、そ
して噂の対称になった人」
「美徳と称するものは、 他人の嫉妬を刺激するものだが、控えめであることだけは例外だ」
ーユダヤの諺
「捕まえた鳥を逃しても、また捕らえることが出来るかもしれないが、一度発した言葉を
 取り返すことはできない」ーユダヤの言葉
「知恵に近づくには、まず沈黙し、次に相手の話に耳を傾け、第三にそれを自分の中に吸収し、
 最後は人に教えてみることだ」   ソロモン・カビロール 
  (字数制限のためカット09年11月29日)
・・・・・・・・
2007年11月29日(木)
 2430, <おばあちゃん> 『いのちの書』ーより
「ちくま哲学の森」シリーズの第2巻の『いのちの書』という生死の関する22人の内容が
驚く内容の連続である。死刑の立ち会いの詳細、実際に拷問にあった本人の手記、臨終の
こととか。死に関しては、日常の中では、誰もが見てみないふりをする。
しかし書き手が言葉として書き連ねると、それ自体が物語になるだけの深みを持つ。
この本の冒頭の金子光晴の詩がよい。
<おばあちゃん>  金子光晴
『若葉』のおばあちゃんは   もう二十年近くもねてゐる。すべり台のやうな傾斜のベッドに 
首にギプスをして上むいたまま。はじめはふしぎそうだったが いまでは、おばあちゃんときくと 
すぐ<ねんね>とこたえる『若葉』。なんにもできないおばあちゃんを  どうやら赤ん坊と
思ってゐるらしく サブレや飴玉を口にさしこみにゆく。むかしは、蝶々のやふにへんぺんと 
香水の匂ふそらをとびまはった おばあちゃんの追憶は涯なく、ひろがる
そしておばあちゃんは考える。 おもひのこりのない花の人生を 『若葉』の手をとって
教へてやりたいと。ダンディズムのおばあちゃんは 若い日身につけた宝石や毛皮を 
みんな、『若葉』にのこしたいと。できるならば、老いの醜さや、病みほけたみじめな
おばあちゃんを 『若葉』のおもいでにのこすまいと。おばあちゃんのねむっている眼頭に 
じんわりと涙がわき 枕にころがる。願ひがみなむりとわかってゐるからだ。
ーー
ある伯母が晩年に「歳をとることは、無念なこと」と言っていたとを、聞いたことがある。
偶然に去年、老いを取上げていた!
・・・・・・・・・
2006年11月29日(水)
2066, あたりまえなことばかり −17        おふぁ  ファ〜
 そろそろ、死に支度モードに入らなくては、と思っていたが。チョッと待てよ!
死なないのだから、そんな準備などする必要はない。が、しかし歳相応にギアを変える
必要はある。還暦を過ぎたのだから・・両親の死に際に、二人とも同居していた。
そして「老いる」姿と、肉体的終末を看取って、決して歳をとるのも悪くはないと実感した
経験がある。さらに老いた色いろな人と人生を多く語り合った。だからこそ、老いることは
まんざらでもないことを知っている。一つだけ「死は存在しない」ことを、彼らが知らなかった
のを除けば。「死は観念でしかない」ことが、解るはずはないのは当然である。
母親が、痴呆になっても学ぼうとする姿勢が見えた。 魂は永遠の学びをしていく。
ただし、それなりの人生を活きてこそ、だが・・
ーーーーーーーーーー
老いは個人の生を超え
ーーーーーーーーーー
人は、老いるという存在の現象を、なかなか素直に認めることができない。
それを否定的に感じてしまうのは、若さという経験を先にしてしまうからだ。
やがて人は、例外なく順番に40,50歳と年齢を重ね、老いるという現実を肉体の
事実として知ることになる。老いることは死と違って逃れようもない現実である。
生きられてしまった事柄とは、端的にかこである。それは動かせない事実である。
過去は動かせないと知るということは、自分の人生がそのようであったと、それ以外では
あり得なかった、このとき、人は人生の一回性の秘密に触れているのだが、多くの場合
それは、それぞれの感情や感傷によって覆い隠されてしまう。記憶に苦痛の伴わない人は
幸福である。過去は動かせない、しかし動かせる未来もない。なぜ自分の人生はこのようで
しかあり得なかったという、存在への問いが、溜息に等しいような老いの時間は哀しい。
生きるということを、物理的肉体の生存と定義するなら、老いていく過程として生きていくのは
肉体を失っていく過程である。しかし、我われの直感は、決してそんなふうに感じてない。
老いていくことによって、得ているものはたしかにある。何かが確実に増えていくと感じるもの、
それは何か。精神というより、むしろ魂。成熟するのは魂である。魂は成熟する。
「ソウル・メイキング」と呼ばれるもの。現代風の言い回しも、ソクラテスふうには
「魂の世話」となる。経験と時間を織り込みながら、魂であるところの人生を織り上げていくと、
いった意味合いらしい。縦糸に時間を、横糸に経験を、織り込みことで織り込まれつつ、
魂が自身を織り上げていく行程は、刻々老いてゆく肉体の老いとは反比例して豊かである。
いや、肉体の老いとは、それ自体が新たな経験の他ならないのだから。それすらも、
織り込みつつ色はその深さを増すのではなかろうか。人生とは、生死の間に存在する時間。
なるほど論理的には人生には生と死、すなわち一とゼロしか存在しない。 
したがって、時間もまた存在しない。しかし、現実には人生は一とゼロの間に存在するもの、
すなわち無限である。有と無の間で生成する質である。質は論理でない。論理が指示する、
論理自身の影である。論理的には存在しない死を、しかし現実には存在するとして生きて
いるという、このこと自体が人生の不思議である。その存在しない死が近づいてくる老いの
時間とは、いよいよ玄妙なものになっていくはず。
 字数の関係でカット(2011年11月29日) 


5006,人は死ぬとき何を後悔するのか? 〜2

2014年11月28日(金)

                 『人は死ぬとき何を後悔するのか 』小野寺 時夫 (著)
   * 死を忘れた日本人
 41年前に、一年間、同居していた父親の死際を目の当りにした。その時の生への渇望は、
砂漠の真中に一人取り残された彷徨い人のようだった。その時から現在まで、多くの死に
関する書物を読んできたが、一般的に人は死に関し目を背けているようだ。ーその辺りからー
≪☆ ホスピスにくる患者に接すると、自分が死ぬということをあまり考えたことのない人や、
 どうしても死を認められない人が増えている。若い人は当然だが、中高年の人にも多く、
 特に、金や権力のある人にこの傾向が強い印象がある。自分は平均年齢までは生きられる
と考えている人が多いが、その一方で、平均年齢に達しないで亡くなる人も多い。
☆ 日本は「寝たきり老人」が世界一多く、脳卒中の後遺症、認知症などで自分で食べられなく
 なったため、胃瘻(腹壁から胃に管を通し食べ物や薬を流し込む処置)で生かされている人が
 5万人以上もいる。北欧の老人施設を見学して驚くのは、寝たきりや胃瘻で生きている人が
 いないこと。これは日本の介護と欧米の介護の考え方の違いで、欧米はどんなに手
がかかっても、最期まで自力で歩かせ、自力で食べるように仕向け、それができなくなったら、
 あまり手をかけない。意識がなく回復の可能性のない人に胃瘻で生かす考えはない。
☆ がん患者の在宅死の率は、米国では8割、欧州で5〜6割、しかし日本では1割弱。
 病院は死を迎えるには適切ではない場合が多く、住み慣れた自宅で、家族や孫の声を
 聞きながら死んでいくのが求められる。
☆ がんで助からないと分かると、ほとんどが「こういう病気で今死ぬとは思わなかった」と述べる。
 実際には、人は常に死にまとわりつかれ生きている。人が死に向き合う時は、それまで身に
 つけていた社会的衣のすべてが剥がれ、むき出しの個人になる。繰り返すが、死に直面すると
 金、権力、名誉など社会的衣は役立たない。「人は生きてきたようにしか、死ねない」死に直面
 しても、その性格の本質が変わることはなく、自立心の強い人は死ぬときも動揺が少なく、
 世の潮流に流されながら、他人や社会への依存心の強い人は死に向かうときに不安や
 動揺が顕著になる。確かな死生観を持って、誠実に努力して生きてきた人は、死に様も
 立派な人が多い。 死ぬということは 自然現象で、死には金も権力も全く無力である。
☆「金で命は引き延ばせるか」金さえあれば世の中できないことはないと思っている人がいるが、
 そういう人が死に直面すると、金ではどうにもならないことに憤慨して不穏な気持ちになる。
 特に多いのは免疫療法に対する"思い込み"である。特別高価な免疫療法が効かないわけは
 ないと誤解している人が多い。民間の代替医療も高いほど 効くと誤解している人が多い。 ≫
 ▼ 一部の望みは妄想でしかない。その妄想で、最期は悲惨な死をむかえるケースが多い。
  元気なうちに、ノートかパソコンに、書き残しておくべきである。死の現場は悲惨である。
・・・・・・
4639, デフレの真実 ー金持ちの本音 ―�
2013年11月28日(木)
             ー庶民は知らないデフレの真実 ー森永 卓郎 (著)
   * 東日本大震災後の第三次震災恐慌が狙い目
 貧乏人が金持ちになるには震災が狙い目?それが数年後の恐慌か、経済大変動というが、
御隠居の身で鳥瞰するには良いが、知れば知るほど末恐ろしい。震災恐慌では大部分が
被災者になり、弱者になる。金持ちは、海外に資産を移動して最小の打撃で済むか、焼け
太りになる。しかし、貧乏人にもチャンスがあるはず!と。  まずは、ーその辺りからー
《 関東大震災後に世界恐慌の煽りで、第一次震災恐慌が起こった。そして1995年1月に
起こった阪神・淡路大震災から2年後の1997年、橋本内閣は�消費税を3%から5%に
引き上げ、�特別減税を廃止、�会社員の医療費本人負担を2割から3割に引上げ、都合
9兆円もの国民負担を断行し、その後14年続くデフレの原因を作ってしまった。
 恐慌ほどでないにしても、先進国でデフレに陥ったのは日本だけ。
これを第二次震災恐慌という。そして、この情勢から早ければ2014年、遅くとも2015年に、
第3次震災恐慌が日本を襲うだろう、消費税率は2014年4月に8%、遅くとも2015年に10%に
引き上げられる。一方で2014年には徐々に復興需要のカンフル魂剤が切れる―過去の例を
振り返っても震炎恐慌が起こる確率はかなり高いのだ。 どれだけ資産価格が下がるかを
正確に予測することほできない。しかし、第3次震災恐慌は、少なくとも1997年以降に起った
のと同じくらいのインパクトを持っだろう。1997年から2010年までの13年間で、全国の
市街地価格指数に49ポイント下落し、日経平均株価は45ポイント下落している。
だから、資産価格の半額セールが始まると見てよいだう。・・・》
▼「日本の二つの大震災の数年後に、恐慌か、それに比類する経済大震災が起こった。
 だから、今回も起こるのでは?それも、来年か、再来年に?」という筆者の論も、ある面、
納得できる。アベノミクスの政策をみれば経済震災は至極当然。その時どう対処するか? 
その混乱を中国が虎視眈々と領土を狙っている上に、米国がTPPを隠れ蓑にした郵貯を
狙っている。「刺激的なことを書いているが、恐慌など起こってないじゃないか!」は、
「日本のバブル崩壊後の20年間で、何も起こってないじゃないか!」と、似ている。
二つの大震災、20以上あった都銀が3つになり、20年のデフレが続き、経済は疲弊。
 世界ブランドの、パナソニック、ソニー、日立、カシオは地に落ち、ダイエー、西武グループ
が消滅した。それと同じか、より激しい経済変動が静かに起こっている。かくいう私も、
大波に飲み込まれてしまった。 偶然だが、以下に金融面でコンサルティングをして
貰っていた林さんの著書の感想文があった。この春で、円滑法が打ち切りになったが、
表立った倒産の急増の話はない。どうして? と思うが、消費税の増税で金融を緩めて
いるため。地元の知人の話を聞くと、景気悪化は止まっていない現実がある。
株価が上がっているのは、金融緩和の資金が実需でなく株式に回っているため。
これも金持優遇である。中国との領土問題など戦争の匂いもしてきた。
被害者は弱者の大衆になる。
・・・・・・
4274, 「金融円滑法の打ち切りの是非」を 世に問う
2012年11月28日(水)
  「中小企業金融政策の理念」林憲昭著
* 初めてのアマゾンのレビューへの書き込み
 以前、金融に関してコンサルティングをしてもらっていた林さんが、新著を出された。
何冊目になるだろうか。そこで一度、アマゾンのレビューを書いてみたいと思っていたので、
投稿してみた。赤裸々な事態を曝してよいものか、どうか考えたが、実名を出すわけでなく、
今さらと思い投稿した。  ーまずは、その内容からー
≪ 昨年の3・11直後、事業を断念して1年8ヶ月経ち、少し気持ちが落ち着いた矢先、
以前、読んだことのある著者の、この本を見つけました。9・11以来、売り上げが三分の二
になり、血の滲む思いでリストラを断行し、何とか目安がついた矢先にリーマンショックで、
さらに半分、合計で三分一まで激減。それでも金融円滑法と、雇用調整給付金で、何とか
持ちこたえていました。しかし、あと半年〜1年で資金が底をつくのが目に見えてきた矢先に
東北震災が発生。その直後に前倒しで会社を整理した。それでも複雑な思いがあります。 
大きな肩の荷が下りて本当に良かった、という思いと、重大な経営ミスをしたわけでなく
震災ともいえる経済津波で長年培ってきた事業が消滅した無念さがあります。
大不況の中、大多数の中小企業は血の滲む思いで踏ん張っていますが、来年の三月で
金融円滑法の打ち切りになります。 著者が現場の窮状を目の当りにし、可能な限り
弱い立場に置かれた中小企業を、この非常事態に擁護すべき、という熱い思いが、
伝わってきます。来春このまま金融円滑法が打ち切られた場合、数千、数万の中小が
大きな岐路に立たされることは、私の経験からしても間違いありません。しかしグローバル化
の時代、3年も猶予を与えられたので打ち切りも致しかたがない、のも道理です。
悪いことに再来年には消費税の増税が控えています。ここで1〜2年、更に引伸ばしても
同じでは? というのも、既に事業から退いたから言えること。私の事業フィールドが
地方だったこともありますが、地域経済の冷え込みは、想像を絶しています。
著者の指摘で中小企業の金融政策関係者に大きく取り上げられ中小企業の助けになる
ことを望みます。私が、3・11以降、あのまま事業を続けていたらと思うと背筋が寒くなります。 
経済的大津波は、外海から内海に向けて押し寄せて来ているのが、私には見えています。 
私は償却前赤字を事業断念の目安にしました。 情報化と、グローバル化による生産の
国内から海外へのシフトによる空洞化と、物価と資産のデフレの中小企業への直撃が、
この異常事態を引き起こしています。それを割り切り諦めるか、最後の最後まで踏み止まるか、
難しい問題です。小泉改革は、あまりに大手銀行よりで、私の経験からしても酷いものでした。
その方向に、自民党が政権をとった時に戻るとしたら、恐ろしい結果が待っているはずです。
その中で、丁度良いタイミングで世に問うている素晴らしい中小企業擁護論です。
多くに金融関係者に是非とも読まれることを勧めます。≫
▼ 昨夜、TVで「来春の『金融円滑法の打ち切り』後は、弾力的に対応する」という
コメントが流されていた。この著書が大きく影響したのか、タイミング的に同じだったのか? 
 世情の厳しさは、止まることはない。
 ・・・・・・
3899, 国債クラッシュ
2011年11月28日(月)
       「国債クラッシュ―震災ショックで迫り来る財政破綻 」 須田 慎一郎 (著)
  ◎ 国債金利2%で発生 ?
図書館で何気なく手にした本だが、来年暮れの具体的な国債暴落のシュミレーションが
生々しい。この本の出版日が今年の6月末。それからして4〜5月に書かれたもの。
半年間の流れは、この本のシュミレーションより危機の度合いは激しい。ギリシャ危機で
世界恐慌一歩手前まで行ってしまい、イタリアがIMFの実質管理入りし、そしてスペインと
ハンガリーが危険水域まできた。さらに一番安全とみられていたドイツ国債が三分の一も
売れ残ってしまった。 日米より遥かに健全?と思われているドイツ国債の売れ残りには
世界中が唖然とした。それならば日本は?の連想になる。この本のシュミレーションは
一年後の11月から12月の想定。この本を読み始めた直後に、ある人からメールが入り、
石角完爾『ファイナル・クラッシュ』(朝日新聞出版)が、シビアに現在の日本の危機が
書いてあると教えてくれた。また昨日の関西系TVの政治経済を話題にしたバラエティーでも、
この本を取り上げていた。アマゾンの書評を読んで、こちらの方がよりシビアと早速、購入した。
 ー「国債クラッシュ」のアマゾンの内容紹介からー
 2012年12月、ついに「その日」がやって来る。大震災が「財政破綻」の引き金をひく戦慄の
シナリオを詳細シミュレーションで検証。3.11大震災以降、日本の抱える「財政破綻」という
"時限爆弾"のタイマーは、確実に時を刻むスピードを上げている。国債の大暴落が
円・株・債券の全面安という、空前の「日本売り」を引き起こす戦慄のシナリオを詳細
シミュレーションで徹底検証。〜印象的な部分を、書き出してみると・・
*「具体的には長期金利2%が、実質的な[国債クラッシュ]の目安。その数値に達成した
 場合、為替では、現在の様相がウソのように円安にぶれていき、それによる価値の
 目減り分を嫌った資産の海外逃避が、いっせいに進み、円安の底なし沼にはまる」
*「マーケットには現実を正確に把握する力もなければ、結果を見通す眼力もない。
 マーケットには不安に駆られやすく臆病で、かつ利己的な心理があり、それに従った
 場当たり的な判断があるだけ」
*「国は国民から税金を取れないがために、国債を発行して『借りる』という形で茶を濁してきた。
 国民は税金さえ取られなければ、国の借金体質には寛容だった。・・・そして危機が訪れるや、
 企業や個人は自己防衛のため、いっせいに日本売りに乗る・・・」
*「日本国債とアメリカ国債は、よく見ると連動している。アメリカの金利が上がり出すと、
 それにつれて国債の金利も上がる。と同時に、連動して日本の国債と銀行金利も上がる
 とすると、2%など直ぐにでも上がっても不思議でない。」
▼ 何か不気味な風が日本を覆い始めている。それも来年の今頃のシュミレーションが
 具体的な物語風に書かれているのをみると、不気味というより、恐怖を感じる。それも
半年前に書かれた時は、ドイツの国債が三分の一も売れ残るなど著者も思いもよらぬこと。
 ・・・・・・
3534, エコポイントの駆込み購入の愚!
2010年11月28日(日)
 * エコポイントは目先延命の劇薬、それが切れる来年は? 
 少し考えれば分ることだが「エコポイントの駆け込み購入」で、このところ家電チェーンが
賑わっている。しかし、この騒ぎが終われば値崩れが起きて、このポイント以上に値下がりを
するのは火を見るより明らか。元もとエコポイント制度そのものが、恐慌に対する延命の
カンフル剤で、目先の苦痛を避けるためのもの。しかし来年の前半には、この前倒しの反動が
大きくなる。薄型TVは典型的な相場商品、大きく値崩れをするのは火を見るより明らか。
そういう批判がないのは、マスコミがメーカーから広告を貰っているため。地デジ化は来年7月、
その間に大きく値下がりは当然のこと。その上に世界的恐慌の火の手が更に大きくなる。 
 他人事ではない、当方は460台のTVの買い替えがある。来年7月の瀬戸際ほど安くなる、
と仮説を立てたところ、このことに気づいたのである。エコポイントは、間接的には住宅、
家電、自動車メーカーに対する間接的援助ではないか。そのピエロが、それで買いに
走っている大衆。決して穿った見方ではない。誰も気づかないだけで、これはこれで良い。
それを声高にいうこともない。国家にとって目先の失業と倒産を避けなければならない。
しかし来年は、この反動で、日本経済は大きく落ち込むことになる。「来年、怖い!」が、
キーワードか。デフレ・スパイラルが更に大きくなる。総中流が、総下流社会に墜ちていく。
しかし、総下流が大部分なら、それが普通になり、総中流ではないか。 ブラックジョーク
になるが、それが社会主義の理想とするところ。格差のない清貧の社会。
  (以上、字数制限のためカット 2011年11月28日)
・・・
3159,金を通して世界を読む  −2
2009年11月28日(土)
 「金を通して世界を読む 」 豊島 逸夫 (著)
住宅価格下落を予測して、下げで大もうけをしたジョン・ポールソンが近く金《ゴールド》を
中心としたファンドを始めるという。彼が3〜5年スパンで金に「兆」単位を投資するというから、
2〜3倍以上の高騰を予測しているはず。銀も一年前から高騰を始め、年に90パーセント
以上も値上がりをしているから、金はまだ40パーセントだから、50パーセントの値上がりと
考えることができる。 そうはいかないのが相場の世界である。まあ、どうなることやら。
   ーこの本の中で、含蓄の深い部分を抜粋してみるー 
≪ 日本で最も金が売れる地域といえば、京都である。 店舗の面積坪当たり最大の
 金小売店も京都にある。京都には宗教法人が多く、資産も蓄積されている。 長年歴史の
波にさらされてきたからこそ、スイス流の「最後に頼りになるのは金」という考えも強いようだ。 
ある金ディーラーが縁あって某名刹の住職と面談したときのこと。住職曰く「金は先の大戦
でもそのまま残り、資産として破損することはありませんでしたな」。 ディーラー氏答えて
「はあ、第二次大戦でも京都は空襲を免れましたしね」。 住職「なにをおっしゃる。
私の申しているのは応仁の乱のことです」。各県別に見ても、金が売れる地域というのは
必ずしも県庁所在地とは限らない。 現代の経済行政の中心地より、城下町であった都市の
ほうが資産のストックは多いようだ。 郡山より会津、山形市より米沢、青森市より津軽、
というようなあんばいである。  (以上、字数制限のためカット 2011年11月28日)
 ・・・・・・・・・
2794.ユダヤ人成功者たちに秘かに伝わる魔法の言葉・・3
2008年11月28日(金)
【第二の法則】
  なんでも鵜呑みにするな!人間は鵜ではない。
「世間において 常織とみなされていることに対して、疑問を呈する勇気を忘れてはならない。
  健全な猜疑心こそ、ものごとの裏に潜む本質を見極める近道である 」  ロバート・ルービン
「誰もが同じように考えているときは、一人として真剣には考えていないもの」ウォルタ・リップマン 
「貴殿の理論が狂っている、つまり突飛であるかという点では、我々の意見は一致している。
 だが、正解になる可能性があるほど狂っているかについては、意見がわかれている。
  私の直感では、まだ十分に狂っているようには思えないのだが」   ニールス・ボーア
「二つの文化のうち、それぞれの半分だけ足しても、一つの文化は 生まれてこない」
                                           アーサー・ケストラー
「半分の真実といえば聞こえはいいが、本当は真っ赤なウソである」     ユダヤの掟
「権力とは 究極の媚華である」                 ヘンリー・キ・ソシンジャー
「違うよ。そうじゃないんだ。君は、思考していない。ただ、論理に支配されているだけなんだ」
                                             ニールス・ボーア
「嘘には三つの種類がある。 ウソ、 真っ赤なウソ、 そして統計」ベンジャミン・ディズレイリ
  ーーーーー
何事も、自分の頭で一度は精査することが必要である。それが、考えることになるのだ。
考えない方が良い人が多いが。
・・・・・・・・
2007年11月28日(水)
2429, 20世紀を生き、21世紀を覗き見て (p≧w≦q)オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァ♪      


5005,人は死ぬとき何を後悔するのか? 〜1

2014年11月27日(木)

        『人は死ぬとき何を後悔するのか 』小野寺 時夫 (著)
   * 2500人を看取った医師が知る「間際の心」
『死ぬときに後悔すること25』大津秀一(著)の読書録など「死に際の後悔」について
書いてきたが、これも重厚な内容。この20年〜30年間、死についての本を多く読んできた。
そこには、死とともに、いかに生きるかが、逆反射で見て取れた。ーアマゾンの説明よりー
《 外科医、ホスピス医として2500人以上の死と接してきた医師の小野寺時夫氏が見た、
 様々な「死に際」。人生の最期の場面に、その人の生き様がすべて現れるという。
しかし、死生観を持たない日本人は、すべからく「哀れな死」を迎える人が多いと著者は言う。
死に際に後悔をしないためには、どんな生き方をすればいいのか。
「人は生きてきたように死ぬ」「死」を考えることは、よりよき「生」を考えることである。》
ー別の本の話になるが、数多くの患者を看取った女性介護人が振り返る老若男女の
「最期」の言葉、『死ぬ瞬間の5つの後悔』ブロニー ウェア(著)の「5つの後悔」が明快である。
1 自分に正直な人生を生きればよかった 2 働きすぎなければよかった
3 思い切って自分の気持ちを伝えればよかった 4 友人と連絡をとりつづければよかった
5 もっと幸せを求めればよかった
 〜以上が、人生に対する正直な後悔の気持ちだが・・(・・;),(--;),(__;).(~_~;),
▼ 去年の春先、小学校の同期性が男女13人集まった。そのうち4人が男だったが、
 既に一人が膵臓ガンで、あと一人が、余命が長くなさそうなガンになっていた。
当人にとって、死は内的な「ブラックスワン(絶対に有得ない出来事)」とはいえ、
必ず直面する問題。その余命長くなさそうな男は、「まさか、自分が・・ 80歳までは
生きれると思っていた!」と慌てふためいていた。ボロニーウェアの場合、誰一人として、
もっと金を残しておけばという人はいなかったと・・ 殆どの人が後悔をするのが人生。
 問題は、それを少なくする生き方である。ならば、5つの後悔の逆の生き方をすればよい。
『自分に正直に、働きすぎず、自分の気持ちを思い切って伝え、友人とは連絡を取り続け、
幸せを追い求める人生を生きる』 そう考えると、自分の場合どうだろう? (=_=;)
 やはり後悔先に立たず? 後悔しても、何でもやってみる生き方も捨てがたいが!
小林秀雄は「私の人生観」で、《 武蔵の言葉で、「我事において後悔せず」
(われ、ことにおいて、こうかいせず。)これはもちろん一つのパラドックスでありまして、
自分は常に慎重に行動してきたから、世人のように後悔などはせぬというような浅薄な意味
ではない。今日の言葉で申せば、自己批判だとか、自己清算だとかいうものは、みな
嘘の皮であると、武蔵は言っているのだ。そんな方法では、真に自己を知ることはできない、
そういう小賢しい方法は、むしろ自己欺瞞に導かれる道だと言えよう、そういう意味が
あると私は思う。》と述べているが、極限を生きてくれば、後悔などすることはない、ということ。
・・・・・・
4638, デフレの真実 ー金持ちの本音 ―�
2013年11月27日(水)         
 * 資本主義社会は、金持ちが有利につくられている!
 ー庶民は知らないデフレの真実ー森永卓郎(著)
 要点を絞り込むと、資本主義社会の金持優遇が明確に見えてくる。
消費税が5%から10%に増税される反面、金持ちや企業の減税がなされる。 
英国で1979年にサッチャーが首相になると、9年かけ、これまでと真逆の政策を実行した。
25%から83%まで11段階あった所得税率を25と40%の二段階にした。その反面、
消費税を8%から15%へ引き上げた。金持ちの所得税を半減し、庶民が負担する消費税は
二倍近い増税である。これは1982年のフォークランド紛争を利用して、勝者・サッチャーの
政策を支持させて、この金持優遇の税制改革をした。弱肉強食社会こそ国力を上げるという
美名の元に。現在、TPPの話し合いが続いているが、日本にとってはマイナス。
環太平洋沿岸国の関税などを撤廃して、アメリカ主導の貿易圏を作りましょう!というが、
これは弱肉強食の強者に有利な制度。狙いは、日本人が溜め込んだ郵貯。
それを民間にして、本体の株式と、預金を狙っているのは自明である。ー金持優遇の一節より
《 金持にとって、デフレは天国だ。私が持っている3億の価値は、デフレで1%下がった
だけで300万分の価値が上がると同じことになる。資産がさほど無いけれど、おいしい
既得権を握っている人はデフレは好都合。庶民は転職が難しくなったり、リストラにあうが、
終身雇用の公務員はリストラはない。デフレは、この人たちの暗黙の了解で行われている。
管弦楽団と同じように、オーケストラのメンバーはタクトを見れば、具体的指示がなくても
指揮者の意図を読取り演奏ができる。それと同じことが、世の中で行われいるのだ。
 ・・ 消費税増税で10%になった場合、庶民は収入の80%を消費に回すのに対し、
金持ちは20%で済む。社会保険は収入に対してかかるのに、庶民の払う消費税は、
80%のうちの10%で収入の8%になるが、金持ちは20%×10%だから、2%で済む。
だから金持ちと、庶民は消費税一つとっても違うのだ。》
▼ 著者は、だから金持にならないとワリを食うと強調する。まず、一年分を貯めろ、
次に三年分。そして、それを投資のタネ銭にしろ!という。 この辺りから、
「君は一万円を破れるか?」の著者と、大きく違ってくる。本音は誰も貧乏より金が
あった方がよい。その目安は、金に心配しないで済む収入と、貯蓄。
一説では、300〜400万の収入と2千万の預金。あとは、さほど変わらない?という。
しかし、これも思い込み? 生物の進化は優勝劣敗があればこそだが!
・・・・・
4273, 100の思考実験
2012年11月27日(火)           
   「100の思考実験: あなたはどこまで考えられるか」ジュリアン バジーニ(著),
 ー 内容紹介(アマゾン) 
● これは「読む」本ではありません。「考える」本です。
● 「列車の暴走で40人が死にそうなとき、5人だけ死ぬほうにレバーを切り替えられる
としたらどうする」NHK「ハーバード白熱教室」で取り上げられた「トロッコ問題」のように、
古代ギリシャの時代から哲学者たちは「思考実験」を“考えるためのシミュレーション・ツール”
として用いてきました。 身体と脳・自意識・生命倫理・言語・宗教・芸術・環境・格差など、
多岐にわたるテーマから選りすぐった簡単に“答え”の出ない、哲学・倫理学・論理学の
100の難問があなたをぐらぐらと揺さぶります!
★【書評から】 「読んでいて思わず引きこまれる。知的で愉快で、型破り。
巧みでセンスのよい構成。 誰かと議論したいのに、相手が見あたらないとき、繰り返し
手にとりたくなる本だ」 「楽しんでできる頭の体操」「何度も考えることこそ、明敏で切れ味
のよい本書の意図するところだ」 「この本はさながら、 道徳哲学の“数独”。
身動きできない地下鉄の中でも、“思考実験”のどれかに取り組めば、たちまち
 通勤地獄から抜け出せる」 
▼【私の書評】 考えさせられる本である。まず一番私が考えさせられたのは、
「楽しみの法則」である。≪ キャリア上の躍進を続けてきて、ようやく、二つのチャンスが
同時に舞い込んだ。ふたつの国の大使である。 どちらも南太平洋の小さな島国で、
ひとつは、厳しい法律があり、婚外セックスも飲酒も麻薬も大衆的娯楽も、 贅沢な
食事まで禁じられている。許されているのは美術や音楽といった高尚な楽しみだけ。
実際に国が、それらを推奨していたため、世界屈指ののオーケストラやオペラや美術館や
劇場がそろっていた。もうひとつ、 知的にも文化的にも砂漠のようだった。
しかし、快楽主義者にとって天国で知られ、何もかも許されていた。≫
 このふたつの判断、自分だったらどうするだろうか。 学生時代の四年間の過ごし方に
似ている。学生時代の遊学で、有り余る時間の中で何をするかは、本人の自由。
この問いのように、学びに中心を置くか、 遊びに中心を置くか、大きく迷うところ。 
都会での遊びも、学びも、学生時代しか出来ないことがある。 問題は、どう考えるか。
人生でも同じことがいえる。往々にして、二つの両立は、なかなか難しい。私の場合は、
「硬派のレールの上を軟派に生きる」を意識していたが。低俗の遊びには、高い税金が
かけられ、崇高な遊びには、 推奨金が出るケースが多い。とはいえ、どちらも実際に
経験してないので、本人にとって、選択した以外の方は、うかがい知ることはできない。
この歳になり過去を振り返って、この問題がフラッシュのように思い浮かぶ。
 あの誘惑に乗っていたら??・・ で、私なら? 答えは明白である。高尚の方である? 
何故なら、快楽の楽しみは、帰国した時にチャンスは無限にあるが、高尚の方は、
帰国した時に雑多な日常の中では、じっくり浸る時間が取れないからだ。その人が、
それまで苦労して手に入れた高尚な?大使職である。 その職に相応しい時間を
味わうのは当然の理である。とはいえ、大きな後悔も残るだろうが。
・・・・・・
2011年11月27日(日)
3898, つれづれに  ー景気の話ー
   * 金融株は、どうなっている?
 久々に金融株を見て驚いた。何と野村證券が230円、三井住友銀行が2000円
(額面を換算で200円)、みずほ銀行が100円割れ。東京三菱が330円とあった。
野村證券は5年前の10分の一、みずほ、三井住友が6〜7分の一以下。銀行株が
100円を割ると危険水域を超えるというから、みずほ銀行は非常に厳しい事態。
いかに、リーマンショックの影響が大きかったかである。EU危機も何処かの国が
デフォルトでもすれば、欧州だけでなく、世界中の銀行の連鎖倒産が起る。
日本国債務のGDP比が220%もあり、ユーロ圏の90%程を大幅に上回り、アメリカの
100%、イギリスの80%に対しても、あまりに多いことが分かる。その日本が、
このままでいられる訳がなく世界の投機筋が日本を狙うのも時間の問題。
日本人が1400兆円の金融資産を保有しているというが、その多くがアメリカ国債に
変わっている。日本が本当に健全なら、日本の三大メガバンクの株価が、ここまで
落ち込むことはない。その中で消費税の10%へのアップを与野党がこぞって反対を
している現状は情けない。とはいえ経済の疲弊度からみて、内税のコストを中小企業が
吸収するに限界を超えることになる。
  * 70インチTV
 新聞報道で70インチのTVが売り出されたとあったので家電で見てきたが、
想像以上に大きい。50インチの二倍近い画面であれば当然だが、一般の家庭の
居間に果たして収まるか疑問もある。大型TVは大きいほど良いが・・ 
あれでデナーショーを見たら現場感覚に近い迫力を感じ取ることが出来るだろう。
50インチのTVを見た時の驚き冷めないうちに、二倍の大きさになっている。
こういう不景気の時代、家でTVを見ているのが一番安上がり。
 ・・・・・・・
3533, 竹森俊平の「漂流を始める世界経済」
2010年11月27日(土)
 経済専門雑誌「Voice」12月号に、竹森俊平「漂流を始める世界経済」があった。
彼はリーマンショックの直前に、それを予測するような著書「資本主義は嫌いですか」
を出版している。直ぐに読んだが、そこで「紙切れ通貨制度」の功罪を呈示し、そこから
生じる厄介な問題がいくら抱えても、われわれは管理通貨制度と、うまくつきあって
いくしかない!と論じている。「漂流を始める世界経済」の中で彼は、2011年の記憶を
あらかじめ消去してしまいたいほどの経済惨状を予測する。
【 来年には世界経済が二番底に陥る可能性が高く、その様相が悲惨になるからだ。
主要国指導者は己の判断ミスを認めず、責任を外国に転嫁し保護貿易主義に走る。
しかし保護主義によって事態が好転しないため、指導者への信頼は一層地に墜ち、
その後の操縦席に人がいない状態になり、世界経済の漂流が始まるという。
 そこで二番底は、ギリシャ危機以降、PIIGS(ポルトガル、アイルランド、イタリア、
ギリシャ、スペイン)の破綻と考えたが、それを撤回した。 ヨーロッパのエコノミストや
政治家と、逆に財政刺激策の継続を説くアメリカのカウンターパートとを比べると、
景気浮揚に失敗するのはヨーロッパと思われるが、ヨーロッパの政治エリートは、
大衆の意向に反して豹変が許されている。「状況が変わった」と、今までと百八十度
異なる政策をとることも可能である。しかし選挙民の思惑にがんじがらめなのがアメリカ。
失業率9%台の高止まりも、本来、緊急景気対策費65兆円のおかげで、その程度で
いられると読むべきだが、「巨額な対策費にもかかわらずそんな効果しか上げられない
のか!」と受け止めるのがアメリカ国民の実態。 さらに今年末には前政権による
所得減税が終了し11年からは増税が始まる。「ティーパーティ運動」が声高に叫ぶ
「これ以上無駄な税金を使うな」を、政治家が無視できなくなる。ということは、二番底が
どこかで発生するとみてよい。 今や二番底と保護貿易主義という暗雲がたち現われている。
ここで世界は問われているのは政治のありようである。】
 ・・・・・・・・
3158, 金を通して世界を読む  −1
 2009年11月27日(金)
  「 金を通して世界を読む 」 豊島 逸夫 (著)
  このところ、金の価格が動き始めてきた。年初からみると、4割の上げで3500円。
 銀が9割上げていることからみて、まだ上がるという強きの見方が大勢である。
 この本、半年前に買って目を通したが、あまり積極的には読んでなかった。
 しかし、ここで新聞などで金の値上がりが報じられたこともあり、再び読み始めたが面白い。 
   まずは、その一分内容を書いてみる。
・ 投機を目的とするか、投資なのかをハッキリすべし。
・ 金は一般的に「有事の買い」といわれるが、実は「平時の買い、有事の売り」である。
・ ドルは200年、金は2000年の通貨の歴史がある。
・ ドル発券国のアメリカの外貨準備に占める金の割合は70パーセント以上。
中国・日本は1%に過ぎず、巨額のドルを保有。欧州のドイツ、フランスは50パーセント以上。
中国の金の生産量が南アを抜いて世界一位。その日本は、金が高騰すると、貴金属の
リサイクルが進んで、一転輸出国になる。これは国力衰退の象徴である。
・ 金は30年前の5千数百円をピークに停滞が続いたが、10年前の1999年から
長期上昇トレンドに入る。10年前の底値は250ドルである。現在は1200ドルに近い
ので10年で5倍近い値上がりになる。
・ 実物資産の不動産と比較すると、金には 
*固定資産税がかからない。 *売買市場が完備されており、日々の価格も
外為同様に公表される。 *小分けが出来る。 *資産の隠匿手段として最適  
*利息などキャッシュフローを生まない。しかし、これがアラブなど中東の金持ちにとって、
アッラーの教えに反しないので金保有は都合が良い。
〜〜
 以前にも少し「金」について取上げたが、金といえば商品取引業者の餌食になる
「金の投機」が思い浮かぶ。目先の動きの先物で利ヤザを稼ぐ際どいもの。 著者は、
その道のプロだが、長年の結果が8勝7敗だが、そのプロ筋では8勝の結果は評価は高い。
金投機のプロは8勝7敗で生き残り、7勝8敗で消えていく世界。その8勝と7勝の一勝の差は、
「損切り」。 問題は負けが込んでいたときに、いかに手早く見切るか、それが出来ないという。 
今に戻ると希望的観測を持ちたがるが、よほど強い意志がないと出来ないという。
 だから、相場のプロも自分個人の資産運用に関しては純金積み立てと決めている。
 相場に魔法の杖がないことを骨身にしみているので無益なゼロサムゲームには参加しない。
 仲間のデーラーも同様だという。 そういう世界が投機筋ということだ。 恐ろしい世界である。 
 ・・・・・・・・
2793.ユダヤ人成功者たちに秘かに伝わる魔法の言葉・・2
 2008年11月27日(木)
「自分を大切にするものは、他人も大切にできる」とするなら、「自分を大切にしないものは、
他人も大切にしない」ことにある。こういう人間、本当に多いよな〜、と思っていたが、
じゃあ、御前さんはどう?と言われると、酒飲みすぎて、命を縮めているじゃないか。
そして酒の勢いで他人を傷つけているじゃないか?と言われれば、成るほど、納得する。
「自分の意志の主人となり、良心の奴隷となれ」ユダヤの諺)は至言である。
 ーーー
「ユダヤ人成功者たちに秘かに伝わる魔法のコトバ 」−2    読書日記
【第一の法則】
▼ 自分を大切にするものは、他人も大切にできる。
「自分が ありのままの自分でいられるような人生を 謳歌するためには、音楽家なら
作曲し、画家ならば絵を描き、詩人であれ詩を書くのだ。自分の命にそった生き方を
選ぶことが、人間にとって、もっとも自然な姿なのである」エイブラハム・マズロー
▼「無理して人と違う自分を演じようとする必要はない。
良い結果を出そうと頑張れば それだけでじゅうぶん人とは違う自分を演出できるのだ」
アーサー・フリード
「盲人の国では片目の男は王様だ」    ユダヤ人の友人のことば
▼「自分を信じるのだ。自分の力は、自分が思っている以上に あるものだ」ベンジャミン・スポック
▼「自分に対してとことん正直になること、それが心身に良い影響を与えるのである」
                                            ジークムント・フロイト
▼「いつも自分一の外側に、カや自信の源があると信じて捜してきました。でも、本当は
自分の内側からにじみ出てぐるものなのです。 いつだって 自分の中にこそ、強さや自信の
源はあるのです」アンナ・フロイト
▼「世の中を敵にまわして戦う時は、世の中につけ!」        フランツ・カフカ
▼「よく、あの人はまだ自分を探し終えてない、などという人がいるが、
   そもそも自分とは 探すものではない。 みずからが創り出すものである」ユダヤの諺
▼「みんなにイイ奴とは、誰の友達でもない」  ユダヤの諺
▼「自分の意志の主人となり、良心の奴隷となれ」   ユダヤの諺
▼「わたしのモットーは、心に生じる罪悪感を 決して疑わないこと」  フランツ・カフカ
・・・・・・・・・
2007年11月27日(火)
2428, 自分を理解するため他者・コンピューター −2     才ノヽ∋―_φ(≧ω≦*)♪        
(カット 14年11月27日)


5004,閑話小題 ーつれづれに独り思うことー2

2014年11月26日(水)

   * つれづれに 
 年金生活に入ると経済世情に疎くなると聞いていたが、そのとおりである。
景気に大きく左右される一つが歯医者というが、半年ぶりに歯石をとりに先週二回、
歯医者に行ったが、いずれもガラガラ。またスポーツセンターも、3年半前の開業時
から何割か減ったようだが? 

 阿部首相の思い切った解散。どのように国民が判断するか。圧倒的多数の議員数を
1〜2割減らしても、残り任期の2年を4年に延ばした方が得策と考えたのだろう。
とすれば、今しかない。二割は減るだろうが、来年なら四割は減るだろう。 
政治家はしたたかだ。三割減なら首相辞任になる?ため、思いきった賭けでもある。

 こう思いのまま書いていると、年齢相応の胡散臭い自分に気づかされる。
68歳では当り前だが、精神年齢が40歳半ばで留まってしまったようだ。 
年齢は、時節時節が初体験。老いるたび世の中の端に徐々に追いやられている。
それも仕方がないが・・ 

 年寄りの婚活も注意もの。【京都青酸カリ殺人】で、連続不審死が7人になったが、
商品取引で失敗した老女が、婚活で金持ち独居老人を探し出し、殺して資産を奪う手口。
被害額が8億とか。ここまで放置していた警察も警察。
 こういうのが、ファージーを含めると多くあるのだろう。彼女の結婚相談所での
希望用件が、「高齢で、身寄りのない、年収一千万以上、病弱の人の面倒がみたい」
というから恐ろしい。引っかかるのが真面目な人で、勝手に相手も真面目!と思い込んで
しまう人。 やもめの男性で、家に引きこもれば、一週間、二週間、誰とも話さない人が
多くいるようだ。殺さないにしても、こういう類が増える?(;"ε")σ アナタ σ("ε":)
・・・・・・
4637, 夫婦格差社会 〜どういう男女が結婚するのか ー5
2013年11月26日(火)
             『夫婦格差社会 - 二極化する結婚のかたち』橘木 俊詔 (著)
   * ウィークカップル
 ウィークカップルの現実をみると、近い将来の日本全体の現実が思いやられる。高齢者を含めた
単身世帯の寄与率が2001年で41%。(*寄与率とは、貧困世帯全体に占めるそれぞれの世帯累計の%)
母子家庭を加えると45・8%。この12年で、更に悪化しているため過半数は軽く超えている。
・(夫の年間所得が100万円未満という超低所得階級における妻の有業率は)1982年に比べて、
 調査年ごとに低下しており、20年で10ポイント近く低下している。このことは、夫の所得が低い
にもかかわらず、妻が働かない夫婦の比率が上がっていることを示している。・・衝撃的なことは、
 夫婦の合計所得の最も低いグループと、最も高いグループとで、実に年間800万円以上の
大きな所得格差が生まれていることである。恐ろしいのは、子孫まで受け継がれること。
・夫の年間所得が300万円未満であれば、妻の年間所得も200万円未満という割合が
70%を占めている。
 つまり夫も妻も低所得という組み合わせが非常に多いことがわかる。
・年間所得1600万円以上の夫では、妻の年間所得も1000万円以上という夫婦が約13%おり、
 パワーカップルの象徴と言える。
・貧困状態にある夫婦は学歴が低い傾向があり「男性の17%が中卒、3分の2が高卒、
女性も中卒が15%、高卒68%」になっている。また、若い夫婦に関しては、配偶者がいても
貧困に苦しむ世帯が少なくない(配偶者がいる20代男性の26%、20代女性の約20%が
貧困状態)。ウィークカップルの典型例とは、「ともに低学歴かつ低収入で貧困にあえぐ
若年夫婦である」と結論。
▼ ネット検索で、《 日本の母一人子一人の母子家庭で、貧困率が57・9%で、OECD平均
 の21%の3倍近くと飛びぬけ2007年(平成19年)の国民生活基礎調査では、✩単身者で手取り
所得が127万円、✩2 人世帯で180万円、✩3人世帯で224万円、✩4人世帯で254万円が貧困層。》。 
現在、三組に一組が離婚するというが、子持ち離婚の6割が貧困家庭に陥る。 著者は、
「貧困になりたくなければ離婚だけは避けるべき」という。先日、書いた、タクシードライバー
の嘆き「母子家庭に育ち、直ぐに働いて、転職を繰り返したあげく水商売に、ホステスと結婚した
妻が客と浮気。1人娘の引き取りで裁判で勝ったが、その子も手元から離れ、
現在90歳の母親と一緒。 現在の収入では、生活がギリギリ。人生何も良いことが無かった」。
一度貧困に陥ると、三代、四代、と続く典型的ケース。それでも、結婚できた人は良いか? 
人生には、登り坂、下り坂、まさか、の坂が待っている。どの坂も、平坦な道より味わいあるが?
厳しい事は確か。陥るのは一瞬だが、這い上がるのは何代もかかるから始末が悪い。
「親の因果が、子に祟り」 他人ごとでないか?
・・・・・・
4272, 閑話小題 −つれづれに
2012年11月26日(月)
* 過去の随想日記を改めて読み返すと、結構、面白く可笑しい時間をすごしている。恵まれていた
 時代に生きていたということか。 自分が経験したことや、本を読んで納得した以外のことは、
 全て想像と思い込みでしかない。それは他人にも言える。一歩退いて、きし方を振り返ると、
 その時には気づかなかったことが今になって気づくことが多いが、それも思い込みでしかない。
「事実などない、あるのは認識だけである」という道理がある。事実が真実とは限らない。
 そのことを知識だけでなく、人生経験から理解出来る人と、理解出来ない人がいる。
 とはいえ、真実と思い認識していることも、怪しいもの。
* 情報化=ネット社会が世の中を根こそぎ変えている。ひと昔なら想像すら出来ない情報機器
から限りなく情報が入ってくる。さらに一人ひとりの情報発信基地を持てるようになってきた。
 しかし情報が豊富になって、人間が豊かになったか?というと、そうではない。むしろバカに
 なっているところが多いのは自分自身を見ればわかること。それでも年々、面白くなっている。 
 こういう時代は、落語の御隠居とか、はっつぁん、熊さんみたいな、暇人ほど良い。
それに教養のベースがあれば、ネット社会では色いろな世界と繋がることが出来る。
繋がった先の世界から逆照射して、自分の世界を見ることが出来る。
* もう、以前のような事業生活には戻りたくない。右下がりの世相もあるが、今ぐらい状態が
丁度良い立ち位置である。専業主婦は、暇の効用を知り尽くしている。バーチャルのTVの
世界と、人工頭脳空間の都会を彷徨う楽しみを知っている。人生は夢幻と割り切ってしまえば、
 これだけ面白い時代はない。自分が幻想する前に、誰かの幻想空間が我々を魅了する。
 それは、逆に私たちの空想、幻想の力を削いでしまう。
* あと一月あまりで、今年も終わる。間違いなく、株の暴落か、イスラエルによるイラン攻撃が
 あると見ているが、今のところ、静粛を保っている。この時期の衆院解散が吉か凶となるか? 
 どちらにしても、政権交代は必要。ここでシャープ、ナショナルに引き続いてソニーの格付けが
 危険水域まで下がった。2〜3年前では考えられないこと。戦後の日本の家電を引っ張って
きた世界に名だたるブランドの会社がである。恐慌前夜の風景といえば、その通りだが。
 まあ新幹線最終駅の、あの業態で、これほど堅い商売と思っていた私の事業が、
 いともあっさりと終わるのだから、何も不思議でないといえば、それまでだが。
・・・・・・・
3897, 腰痛は、脳内システムの不全が原因 ー2
2011年11月26日(土)
 先日、鎌倉の散策で起伏の激しい坂道を歩いていたら腰痛がきた。
その前日、スポーツジムでツイストのマシーンをしすぎと相まったこともある。
鎌倉の坂道で頭に浮かんだのは、腰痛はストレスなどで脳内の痛みをコントロール機能が
弱まるためか? の疑問。その時、三人の間で海外旅行の話に気持ちが集中したためか、
腰痛のことを忘れていた。 成る程と実感したが7ヶ月もスポーツジムで鍛えた割に、
いとも簡単に腰痛が出るとは・・ しかし帰りの駅のタクシーの乗車の間に腰痛は嘘のように
消えていた。そして翌日起きると、ほぼ全治。やはり腰を鍛えていた効果があったようだ。 
鎌倉は坂の多いところ。 
 ところで二年以上、重症の腰痛が起きてない。今回のように少しは出ても直ぐに元に戻る。
しかし人生の節目の後遺症のストレスは消えていないので、注意しなければならない。 私の場合、
多くの腰痛対策の複数効果が明らかに出ている。 腰痛は完治は無理。重症にならないように
付き合うしかない。身体全体を冷やさないこと、常にエビ反りマシーンで背筋を伸ばすこと、寝室と、
居間と書斎の椅子に低反発マットを敷くこと、冬期間は腰にホッカイロを当てること、など注意を
怠らないなどである。 脳内システムといえば、スポーツジムでインストラクターが、
「ストレッチの時に、腰のストレッチだったら腰に、大腿部だったら、大腿部に気持ちを集中
してください。そうすると、効果が数倍上がります!」という。 実際に、そこに気持ちを集中
すると成る程、効果的なのが分かる。 人間の気持ち=脳は不思議である。 
でも、寒くなると軽い鈍痛が、常に付きまとう。
・・・・・・
3532、何か哀しい北朝鮮
2010年11月26日(金)
 どちらが先に砲撃をしたか分からないが、28日の米韓の合同演習の直前というところが
ポイント。その二日前に、金親子が砲撃をしてきた基地を視察した?ということからみて北朝鮮
の先制と報じている。12月4日に日米による尖角列島付近の合同演習も控えているので、
中国と北朝鮮が打ち合わせを充分にした上の攻撃と見ることも出来る。
これはアメリカにとって黄海での原子力空母派遣の大儀名分を手に入れたことになる。
韓国軍の中に前回の哨戒艦の撃沈に対し沈黙をせざるを得なかった反発から、
アメリカ空母からの攻撃の誘発を狙った砲撃を北朝鮮に仕掛ける兵隊が出て一挙に
全面戦争もありえる。アメリカにとって、北の原子炉を破壊するに丁度良い機会になる。
そうあって欲しくないが、アメリカも何を考えているか分からない得体に知れない国。
あのドン様も、病気であとさき短いと考えて、自分の命と道づれに戦争の中で死を選択しても
不思議でない。と同時に、日本にテロを仕掛ける可能性もある。昨日の新潟駅には、いやに
警官の姿が目立っていた。この数日は、黄海から目を離すことは出来ない。
あの「緊張感のない息子の顔」からして、瀬戸際を越えてしまう可能性は充分。
中国も、一つ判断を違えれば、動乱になるほど多くの問題を抱えている。またオバマも
中間選挙の敗戦で追い詰められている。北京万博、アジア大会、そしてアメリカ中間選挙も
終わり、この辺で、朝鮮で一騒動を起こすに丁度良いタイミングである。年末まで、あと少し。
今年の後半期のイベントは、これになるのか? 欧州はアイルランド危機で、極東の小紛争で
しかない。アメリカも体力が消耗し尽くしているのを見込んだ上の、北の仕掛けで、
我慢するしかないのか、ここも。 もし、全面戦争になったとしたら、アメリカにとって
一番有利な展開になる。中国と日本に対する威嚇という面でも。ところで「何か哀しい北朝鮮」
からすると、この国の現状は「何か惨めな日本」「何か哀れな日本」ということになる。
・・・・・・・・
3157,つれづれにー 閑話小題
 2009年11月26日(木)
  * 金か〜
 金の動向が気になってはいたが 一月前あたりからジワジワ動き出してきた。
金が上がるのではなく、他の貨幣が下がるのだという理屈は言いえて妙である。
住宅価格下落をよんで、下げで大もうけをしたジョン・ポールソンが近く金《ゴールド》を
中心としたファンドを始めるという。彼のことだから、3〜5年の最低のスパンで金に
兆単位を投資するというのだから、ズッシとくるのは当然である。 
恐らく、2〜3倍の高騰を予測しているのだろう。銀も、一年前から高騰を始め、
年に90パーセント以上も値上がりをしているというから、銀に正比例すると、金はまだ
40パーセントというから、50パーセントの値上がりが見込めることになる。
そうはいかないのが、相場の世界の恐ろしさ。どうなることやら。
 * その時、犬が吼えた ワン!
 まだ忘れることが出来ないが、ウソのような本当の話がある。
学生時代のドイツ語の授業のことである。 ドイツ語を日本語に誰かが訳していた時のこと。
「そこで犬が吼えた」と訳した時に、ハカッタように何処かから犬が「ワン!」と吼えたのである。
部屋中、教授も含めて大爆笑だった。 あれほどの面白タイミングの面白い偶然は、後にも
先にもない。あれから44年もたったか。年齢を重ねると、一年前も、50年前も同じようなものか。
 *「ランチョンテクニック」
 食事をともにした相手に心を許しやすい心理傾向を「ランチョンテクニツク」という。我われは
自律神経が午前中と午後とでは働きが違うが、これは人類がまだ狩猟生活に明け暮れていた頃
の名残で、「交感神経」が「闘争と逃走」を、「副交感神経」に、午後は「休憩と食事」のモードを
司っているからである。つまり朝から昼にかけては論理が支配する「論理モード」に、夕方
以降は「感情モード」になっている。これをさらに応用すれば、ランチ時は「論理モード」なので、
契約や提携などビジネスモードのシビアな話をしても「ランチョンテクニック」で緩和される。 
そして「感情モード」の夜に食事をする相手は、ビジネスの話はそこそこに親密度がアップ
する接待モードが効果的になる。 
だからロジカルにビジネスの話を進めようとする外国企業はランチを共にすることを好み、
取引先との人間関係を大事にしたい日本は夕食を共にしたがる。 そういえば、自分をみるに、
朝一番には、この随想日記の最後の仕上げをし、出社した後には前日の数字を見て、
新聞と手帳や手書きの日記帳に何やら書きつけ、それが終わると遊びモードに入ってしまう。
自由に気ままにインターネットをしたり、本を読んだり、とにかくリラックスをして考える。
・・・・・・・・・
2792.ユダヤ人成功者たちに秘かに伝わる魔法の言葉・・1
 2008年11月26日(水)
 ユダヤ人成功者たちに秘かに伝わる魔法のコトバ  −1
    「ユダヤ人成功者たちに秘かに伝わる魔法のコトバ 」 スティー ブ・モリヤマ (著)
 この本はユダヤ民族に流れる哲学や思想が151の名言・フレーズとして紹介されている。
図書館で借りてきて何気なく読んでみたが、中味の濃い内容が次から次へと出てくる。ユダヤ流
「成功のヒミツ」は、ビジネスの成功者やノーベル賞受賞者は人口比でみても多いのですが、
ユダヤ人の成功哲学には「金儲方法」の類はまったく見当たらない。実践の結果として、財力や
知性が身につく教えが多い。彼らに一貫しているのは、「知識」ではなく、「知恵」に対すこだわり。
彼ら成功者たちは、先人や親からのそうした教えを自分で消化し、実践している。  
 ー以下は、この本の説明文と、9つの成功法則である。
  〜〜〜
この本ではユダヤ流・成功法則を以下の9項目に分け、各項目に関連するユダヤ人成功者
たちの名言を付記している。各法則を一つ一つ文字でこと細かに説明するよりも・この方が
より効果的に行間に流れているユダヤ哲学を伝えられるのではユダヤ人は他人と差別化
することを重視しているため、多種多様の解釈がでてくるが・読者の置かれている状況も
多種多様である以上、そのほうが具体的事例に当てはめやすいかもしれない。
●ユダヤ流・成功法則 1        自分を大切にするものは、他人も大切にできる。.
●ユダヤ流・成功法則 2        なんでも鵜呑みにするな人間は鵜ではない。
●ユダヤ流・成功法則 3        口はひとつ、耳はふたつ。
■ユダヤ流・成功法則 4        カネを追うな! お金には追われるようになれ。
●ユダヤ流・成功法則 5        「学ぶ」ことは「知る」こと。「知る」ことは「変わる」こと。
●ユダヤ流・成功法則 6        失敗を恐れるな。やろうともせずに逃してしまう
                           チャンスこそ、恐れるに値するのだ。
●ユダヤ流・成功法則 7        何もしないことこそ、最大のリスクなのだ。
●ユダヤ流・成功法則 8        無から有を生み出す喜びを知れ!それには「質問力」が大切。
●ユダヤ流・成功法則 9        笑ってツキと若さを引き寄せろ!
 〜〜〜
 これらの内容は、著者が過去十余年にわたってヨーロッパで働きながら集めた世界中の
ユダヤ人による 名言の一部である。収集した約1万の名言の中から厳選したというだけはある。 ・・・・・
2007年11月26日(月)
2427, 自分自身に「なる」こと     (。・ω´・)っノXXXXXXXXXX>C【才ノヽ∋―】
 人生を振り返ると、全てが自分自身に「なる」ためのプロセスのような気がする。
先日、小学校の同期会があったが、それぞれの生き方をしてきたとしても、突きつめてみれば
「自分らしく生きてきたかどうか」である。人生の質でも濃さでもない。そんなことは生きてきた、
生きていることからみれば、些細なことである。死線を何回か乗り越えてきた人、北アフリカと
フランスに十年住んでいた人など、色いろな人生を背負った、それぞれの人生を垣間みて、
「人生で何をしたかより、その人らしい生き方をしたかどうか」こそ、振り返った時に問題になる。
残るのは「本人らしさ」だけである。 以下は、『哲学の教科書』・中島義道ー 
の中の文章である。 (字数制限のためカット 2014年11月26日)


5003,河合隼雄 ー私が語り伝えたかったこと 〜③

2014年11月25日(火)

                 ー「私が語り伝えたかったこと」河合隼雄著
  * 先住民の老人たちの品格ある姿
 ユングがみた先住民の品格ある老人たちは、「自分の生の価値」を確信していた。
人生を自信を持っていく抜くためには、「生の価値(意味)」を知っておかなければならない。
それを知り得るかどうかで、人生は大きく分かれてくる。その一番手っ取り早いのが読書。
  ー以下は、考えさせられる内容であるー
≪ 民俗学者の柳田國男は、自分の近所の人で、いつも落ち着いて人間ができていると
 感じさせる人が あったので、その人に話しかけてみた。そして、その人の安定した
生き方の秘密を発見した。その人は自分は死ぬと「御先祖様」になると確信していた。
死んでも自分の霊は御先祖様の一員として迎えてもらい、それを子々孫々が祀ってくれる。
柳田は、このように「遠い将来」のことについて確かな見とおしを持っている人が、
落ち着いた生活をしているのは当然のことと思う。 まったく異なる例をあげてみよう。
 スイスの分析心理学者カール・ユングは1929年頃に、アメリカ先住民のプエブロ族を訪ねる。
彼が非常に心を打たれたのは、その品格のある姿。ヨーロッパの老人たちと比較すると、
そのたたずまい、容貌などがまったく異なっていて、犯し難い尊厳性を感じさせる。
そのうちにその秘密がわかる。ブエブロの長老たちは高い山に住んで、自分たちの祈りの
力により太陽の運行を支えていると信じているのだ。 彼らの存在感のスケールが大きい。
彼らが祈りを怠ると、世界中のすべての人々が太陽を朝に上ることができなくなるのだろう。
あの老人たちの品格が高いのも当然と納得する。 自分の生のスケールが今生きていること
のみではなく、死後や宇宙にまで拡大される。
 この話を知って、高齢者の生き方について考えさせられるが、さりとて、現代人として、
高齢になると太陽の運行はおろか、家計の運営にも関係なくなるのではなかろうか。
現代人のなかのどれだけの人が、御先祖の一員になることを確信したり、祈りによって
太陽の運行にかかわると信じたりできるだろう。・・ ≫
 ▼ この老人の信念が、宗教の原点だろう。”井の中の蛙大海を知らず ”とは、
『狭い世界に閉じこもっているものには、広い視野や考え方はできない。』の意味だが、
以下の意味もある・・
 �井の中の蛙大海を知らず  されど 空の深さ を知る
 �井の中の蛙大海を知らず  されど 天高き  を知る
 �井の中の蛙大海を知らず  されど空の蒼さ  は知る
 �井の中の蛙大海を知らず  されど空の広さ  を知る
 �井の中の蛙大海を知らず  されど井戸の深さ を知る (ネットより)
とすると、世間様も、あながち否定はできないことになる。品格ある人は、時間軸と
空間軸がきっちり出来ているから、自分の価値に確信出来るのである。少し考えれば、
137億年のビッグバン以来の歴史に、この自分がつながっていることが分かる。
・・・・・・
4636, 年齢(よわい)は財産
2013年11月25日(月)
  * 年齢と財産の結び目から見える女の一生 ー「年齢(よわい)は財産」日本ペンクラブー
 以前、この本の中の瀬戸内寂聴の以下の文章を読んで、何もかも洗いざらいに曝け出す
作家の覚悟に圧倒されてしまった。「作家は、大道に素っ裸で大の字になる覚悟がなければ」
という彼女の言葉を思い出していた。(他の作家も似たような、言葉を残している)両親の
創業時の修羅の姿に似ている。生きることが、だいたい大道に素っ裸で寝ているようなもの。 
で、自分の姿は見えないが、他人の素っ裸の姿を囁いているが、その実、それが自分への
猛毒になっていることが解らない!
《 私は二十六歳の真冬、夫と子供の家を出奔した。その時、夫は私の着ている
オーバーもマフラーも脱いで行けと路上に追いかけてきていった。尤もだと思い、
その場ですべてを脱ぎ、着のみ着のままで歩きだした。 夫の声が追った、財布も
置いて行けと言う。 ちょっと考えたが、やはり尤もだと思い、それをきちんと畳んで
路上に置いたオーバーの上にのせた。私はふり向かず、電車の線路づたいに、
ひたすら歩きつづけた。  私の人生再出発はこうして無一文で始まった。
線路を一時間ばかり歩いて、東京に嫁いでいた故郷の女学校の友人の家にたどりつき、
彼女が柱にぶっつけて割ってくれた素焼きの桃の形の貯金箱から、座敷にあふれ散った
銅貨を全部借りた。かき集めて、東京から京都まで鈍行の汽車賃になった。
京都で東京女子大の友人の下宿に転りこみ、下着から靴まで借りて、職を探した。
ようやく勤めた小さな出版会社がつぶれ、京大の付属小児科病院の研究室に移った。
そこで少女小説を書き、投稿したところ、みんな採用され「ひまわり」の懸賞も当選した。
正式に離婚出来たのと、故郷の父が死んだのをきっかけに、背水の陣を敷いて上京した。
すべては行き当りばったりの身の処し方で、いつでも経済を度外視していた。
家を出たのが二十六歳で、京都暮しから上京したのが二十九歳であった。
少女小説で食べつなぎ、「文学者」で小説の勉強をさせてもらい、小田仁二郎と同人雑誌
「Z」を出し、新潮社同人雑誌賞を受賞したのが、三十五歳であった。 大人の小説で
お金を貰ったのは、これが初めてであった。 この賞のおかげではじめての本を出してやる
といってきた出版社があり、私は大喜びで原稿を渡した。『白い手袋の記憶』という本は、
再版までしたが、印税は一銭も貰えず、かえって社長に騙されて、五万円だか十万円
だか取られてしまった。ちょっと二・三日貸してくれといわれて出したのが返って来ない。
それでも本が残ったからいいと私は喜んいた。・・・  
 四十二歳の末、中野本町通りの質屋だった蔵つきの家に引越した。ここも借家だったが
日白台のアパートより高い家賃がとどこおりなく払えた。 四十四歳で京都に家を買つた。
西ノ京原町で、西大路御池通りだつた。どの引越にも、男の問題がからんでいた。
京都の家はお金がなく、すべてを銀行で惜りた。信用貸しの形で銀行が金を貸してくれる
ほど、私自身が財産になっていた。その時の保証人になっくれたのが、祇園の女将で、
私は二度しか会ったことのない人だった。五十一歳の時、さすがにタフな私もつくづく
疲れて、その生活を一挙に破壊するには死ぬか出家をするしかないと思いつめ、
出家を選んだ。五十二歳の時、御池の家を売って、足りない分は銀行で借りて、
嵯峨野に寂庵を結んだ。」・・・ 》
▼ 寂聴の人生の粗筋が、それぞれの年齢と財産の網目で垣間見ることが出来る。
 三谷佐知子のペンネームで、ポルノまがいの小説を書き賞を貰うが、「子宮作家」と
まで呼ばれるようになる。当時の彼女の顔の写真を憶えているが、手練手管の水商
売女という感がした。純粋な反面、それが自分の衝動に素直であるため、激しい人生に
なってしまう。それを小説のネタにする。自作自演の人生を純粋に生き抜いた結果が、
死ぬか、出家の選択になる。そして、あの穏やかな寂聴が、そこにいる。
何人、男を潰したのだろう? 潰すというより、食べてきた、が本当だろう。家族からしたら、
『何が寂聴。悟りすまして、よく言うよ!』である。でも人生は激しく活きたもの勝ち!
 寂聴名言集で、「どんな悲しみや苦しみも必ず歳月が癒してくれます。
そのことを京都では『日にち薬』と呼びます。時間こそが心の傷の妙薬。」
「私の悪口を言った人はみんな死にました。」
「子どもは、悪口を言われて伸びることはありませんよ。悪口は他人が言いますからね、
肉親は褒めてやらなきゃいけない。どこ褒めようかなって探すのが親の努めと思いますね」 
これでも林芙美子の激しさと比べれば・・誰も人生、助けてくれないが「地獄に佛」はいる!
・・・・・・
4271, 法則は思考のショートカット −3
2012年11月25日(日)
* 明日できることを今日やるな「知っているようで知らない法則のトリセツ」水野俊哉(著)       
 マニャーナの法則とは、「仕事を洗い出し、明日以降でよいものはとりあえず
先送りにし、今日やると決めたことだけをやること」仕事で、やるべきことをリスト化し、
いつまでやるかをコミットメントするとよい。英国のビジコンのマーク・フォスターが
提唱した法則。 明日やる仕事をリスト化すると、今日の仕事は、昨日リスト化した
仕事だけをすればよい。リストを明確にして、優先すれば、今日すべき仕事だけに
集中できる。明日の仕事をリスト化できれば、一週間、一ヶ月と計画のリスト化
が可能になる。逆に、下手に明日以降の仕事をすると、今日の仕事がおろそかになる。
やるとしたら、明日以降の計画を考えていた方がよい。的を得た法則である。
今日やるべきことを確実にこなす事こそ一番重要である。我われは、今日の仕事を
中途半端にして、明日以降の仕事をしていまいがちになる。
明日の仕事のリスト化は改めて考える行為である。 成るほど理に適っている。
   * ハロー効果
 学生時代に知った法則で、いやに鮮明に記憶として残っている。
一つのことで顕著な特徴があると、他の評価まで歪んでしまう心理状態をいう。
人は美人というだけで性格まで良くなってみえたり、言葉遣いが丁寧というだけで誠実な
人と思い込んでしまう。その心理傾向は、背中から、まるで光がさして見えるため、
背光効果=ハロー効果といわれる。一流企業の業績や人事制度についての評価が
いかに、このハロー効果で歪められているかが問題。 一流大学を出ているだけで
優秀とは限らないのと同じ。
   * ピーターの法則
 これも学生時代に知った法則。Aさんは平社員に能力を発揮、係長になり、
そこでも活躍し、課長、そして部長になる。しかし、その能力は、それが限度。
そして、そこに留まり続けると、ハツカネズミが回転の輪を何時までも回り続けるのと
同じで、ロボットのような限りない無能化に陥ってしまう。
それが、すべての階級で同様なことが起こり、やがて無能なA部長、無能なB課長・・と、
能力の限界に応じた最終段階に達したバカばかりになってしまう。いずれの会社も、よく
見れば無能者の群れ。これを「ピーターの必然」と言い、「やがてあらゆるポストは職責を
果たせない無能な人間によって占められる」ことになる。いずれの破綻原因は、その果て。
それもあり10年転職、10年転業説が出てくる。その度、悪くなるのが殆ど?だが・・・
 ・・・・・
3896, デフレの最近事情
2011年11月25日(金)
 先日、鎌倉に日帰りで行ってきた。JRの期間限定の特別料金で新幹線往復も含め
昼飯付きで一万円。大よそ半額である。その数日前に家内がディズニーランドに遊びに
行った時、義妹と御台場のホテル日航に泊まったが、交通費と宿泊代を含めて
一万八千五百円。割引パックの場合、景色が良くない格下の部屋になるが、
「今日は特別、良い部屋にしておきました」と、東京湾が一望できる部屋に泊まったという。
デジカメで撮った東京湾の景観と部屋からして二人で三万はする部屋。ホテルには客が
少なく、家内がいうに「 サービスをしてくれたのでは?・・」とか。 これも大よそ半額割引。
それとシネマが60歳以上が千円、これも充分価値がある。また毎月の一日が、年齢に
関係なく全て千円で、その日に客が殺到する。 何度か書いているが、最近ランチを
週二回は食べに行っている。(そのうち、一回は家内と一緒)家内が情報を仕入れ、
ついていく。それもあってランチとはいえ十分満足できる内容である。 牛肉も、高級魚も、
不況のため、居酒屋や、回転寿司のネタになるほど、値下がりをしているためである。 
鎌倉コースは行きも帰りも新幹線の自由席は満席に近い状態。行きは旅行客と通勤客が
半々。寺から鎌倉駅までのタクシーの運転手に、「景気は、どうですか?」と聞くと、
「大震災直後の売上は半分まで落ち込んだが、現在は、それでも回復してきたが、
元に戻ってない」という。 このデフレの中、事業主はギリギリの状態。
その上、資産デフレも重なり、経営資源の枯渇が激しく経営を圧迫している。 
これにTPPの参加問題もある。これは農業だけでなく輸出関係も影響してくる。
デフレに大きく関係しているのが情報化である。ここで携帯電話がスマートフォンに
変わりつつある。それが、少しでも安くて、良いものを提示してくれる。 お客にとって
ベストだが、売り手にとっては常にベストを維持しなくてはならない。
消費者は収入が減っている上に、情報だけは過剰に?流れ込んでくる。
事業側はコストがかかる反面、お客の目は厳しくなっている。
 デフレ以上に恐ろしいのが、次にやってくるハイパーインフレ。 
二年前の同日(下にある)に、偶然、デフレについて書いていた。
・・・・・・
3531, 専門家を疑ってかかれ!
2010年11月25日(木)
  * 「ローゼンハン実験」 ー専門家の先入観を疑え―
 先日の朝日新聞の勝間和代「人生を変える法則」のシリーズに、以下の実験に
関する法則の紹介があった。 医学など、こんなものだろうが、アメリカ的で何とも面白い。 
  まずは、その内容から・・
【  精神分析学に、「ローゼンハン実験」という有名な実験があります。これは、1973年
に米国の心理学者のデービッド・ローゼンハン博士が友人7人を募り、8人で12の病院に
「幻聴が聞こえる」と訴える偽(にせ)患者を装って診察を受けに行ったところ、診察に
あたった医者がそれを詐病と見抜けず、全員入院させられて、薬物治療を受けることに
なったというもの。この実験は、医学界から大変な反論と反響がありました。
ある病院は、偽患者はかならず見分けられると主張し、ローゼンハンに、好きなだけ
偽患者をよこせと勝負を挑みました。 じつはこのときも、ローゼンハンの完勝でした。
なぜなら、この病院は、3カ月間で診察した193人の患者のうち、41人が偽患者だと
見抜いたと発表しましたが、なんとローゼンハンはこの病院に一人も偽患者を送りこんで
なかった。もちろん、当時と現在では、精神疾患に対する診断基準が違うため、いま、
偽患者を装って受診しても即入院とはならないでしょう。しかし、経験則に重きをおく医学
では、医者が、短時間で患者の訴えの虚実を見分けることは大変、難しく、なんらかの
病気の診断を下そうとしてしまいがちだというのです。 
 現代で、同じような偽患者による追試を行うと、入院こそさせられませんが、念のため、
ということで薬が処方されることがあるでしょう。これも、医者が、患者の期待に、なんとか
応えようとするためです。この実験の教訓は、専門家たる医者の立場からみると、
先入観にとらわれてはいけない、ということです。さらに、患者が嘘をつく可能性を念頭に
置き、物事を熟知していると自負するあまり、あるパターンに押しこめて理解しようとして
いないか、常にチェックすることです。また、患者の立場からみると、こちらからの情報が
正確に伝わらないと、誤診を犯す可能性があるということを理解しておくべきでしょう。
しかし、この実験から、「専門家はあてにならない」と即断すべきではないと思います。
専門家も間違える可能性を念頭に置きながら、互いに信頼関係を築き、ベストな情報を
交換し合うことが必要でしょう。 (勝間和代ー経済評論家)ー2010年11月22日 】
 ー 医者も間違えることをことを患者サイドは、常に意識しておかなければならない。
要は、医者も能力の差があり、正確な診断を下せるとは限らない。それが精神疾患と
なれば、尚更である。これは、医者だけでない。社会一般にも言えること。専門家と
称する人が言うことが、常に正しいとは言えないということだ。引退近い力士が、
負けが込むと医師から色いろな病気の診断書の墨付きをもらい休場する。
見ているほうからすれば、力の衰えからくる実力で負けが込んだのは一目瞭然。
医者も阿吽の呼吸で診断書を書く。 ところで、考えてみれば、人間の認識ってのは、
全てが先入観でしかないのでは? 
・・・・・・・
3156,デフレ・スパイラル
 2009年11月25日(水)
 政府が先日、三年数ヶ月ぶりにデフレ・スパイラルに入ったと宣言をした。
この宣言は消費者の財布をますます閉めることになるが、賃金・GDPも17年前の
水準まで落ち込んでおり、購買が減るのは当然。そういう当ホテルの客単価もピーク時の
3分の2である。ネット予約の顧客が全体の四分の一になっているが、破格値である。 
そういう私も本の半分以上はアマゾンで中古本を買う。カメラや、ブルーレイ録画機も、
健康機器も、電気自転車も、何でもかんでもネットで一番買い得のものを選ぶ。 
 また週初めは通勤途上の新潟駅で、週末の売れ残りのバナナか、村上牛の値下がり
品を買う。家内は初めの頃は買ってくると怒っていたが、今では逆に頼まれる始末である。 
新潟駅駅ビルにビッグカメラがあるので度々、カメラや薄型TVを見にいくが、この数年で
廉くなっているのが分かる。先日、長岡のアピタの隣のシネマ館にいったが、60歳以上は
千円である。 またユニの衣料コーナーで驚いたのが紳士服。二着で一万五千円だったが、
柄も生地も悪くない。思わず買いそうになってしまったが、踏みとどまった。 
デフレ宣言を報じていた新聞をみていたら、紳士服の単価が一年で4割以上もダウン
しているとあった。家内がジーンズが好きで、微妙なカタチで購買を決めるというが、
廉くても、その微妙な部分はチャンとデザインに取り込まれていて悪くないという。 
既に大手スーパーや百貨店などは、究極の消耗戦に入っているが、こうなると弱い
ところに打撃は大きくなる。その山が年末年始にくるはず。
ユニクロも、デフレを察知し、60週記念売り出しで思いきった値下で先手を打った。 
大盛況だったというから、他店の出鼻を挫いたことになる。それだけ、ユニクロは大きな
影響を与える.デフレは厳しいが、消費者の節約にとっては良いことになる。
しかしハイパーインフレが始った訳でないのが、まだ救い。金がジワジワ値上がりを
始めてきた。大荒れの一現象だが、見逃せないことである。
 ・・・・・・・・・
2791, 新型インフルエンザ
 2008年11月25日(火)
このところ、連日のようにTVで鳥インフレエンザの脅威について報道している。
60年か70年に一度は、必ずといってよいほど大流行が起こるが それが近々という。
世界で最大、一億5千万人が死亡、日本では60万人と言われているが、
鳥インフルエンザH5N1型の場合、感染の六割が死亡するといわれる。
半数が感染した場合、三割とすると????万人である。
・・・・・・・・
2007年11月25日(日)
2426, 「おばあさん」初体験      |* ̄o ̄|お|* ̄O ̄|は|* ̄。 ̄|よ
 朝日新聞の「生活」のページのーひとときーという欄に切実な投稿があった。
家内が読んで「もう直ぐこういう経験をするかもね!」と教えてくれたのである。
一年ほど前に山の手線で偶然にシルバーシートの前に立ったことがあった。
若い人が座っていたが、その時に「もしかしたら、席を譲られるのでは」という不安感に
陥ってしまった。結果として譲られなかったが、次の駅が来るまで頼むから譲らないでと
願った経験がある。 (字数制限のためカット 2010年11月25日)


5002,閑話小題 ーつれづれに独り思うことー1

2014年11月24日(月)

   * 早朝、独り思うこと 
 現在の毎日の課題は、「既に残された時間は少なくなった分、
生きる面白さを味い尽くさないと!」になる。
 生きる面白さは充分に味わってきた。そして、あと何年、
生きるか分からないが、これからも、その余白に生きる面白さを
味わい付け加えることになる。生きる面白さには、味気ないことが
背後に膨大にあるが、それはそれで充分、価値があること。
 
 暇もあってか、過去をジックリ思い出すことが多くなった。
その度に多くの現象を改めて多面的にみることができる。
面白かった!という記憶が、非常に多いが、知らぬ間に、
面白くない記憶を消し、目をそむけてきた。
 とにかく、読書時間を持っていたことと、行動してきたのが
良かったのだろう。両親の影響も、あまりに大きい。

 「何事も取り組んだことが面白く楽しくなるまで、集中し続ける」
が、両親から学んだこと。そのために、世の中の流れをつかみ、
無駄を見極め、そのエネルギーは最小にすること。
一般の価値観は、娑婆の価値観。自分の価値観を見据えること。
そのためには、俗にいう「C」さん達と、距離を置くこと。
要するに「世間」を見切ること。それを20代から実践したため、
『色即是空、空即是空』の心持ちに少しでも近づけた?
早朝の時間の活用が、それを手助けてくれた? そうでもないか。

 ランチに週二回いっていたのが、今では週一である。
<昼飯は本来、ジャンクフードで、抜いても良いのでは!>
と思い立ってからだ。スナックとバナナ一本で充分と思えば、
それでもよい。実際のところ、惣菜売り場のパックの『つけ麺』か、
インスタントのカレーライスで、腹持ちがする。年齢もあるが・・ 

・・・・・・
4635, 夫婦格差社会 〜どういう男女が結婚するのか ー4
2013年11月24日(日)
           『夫婦格差社会 - 二極化する結婚のかたち』橘木 俊詔 (著), (その他)
 * パワーカップルの最たる医師同士と、法曹界の収入は?
    ー要所を抜粋するとー
《 現在、医師の女性の占める割合いは20%。50年前は10%。現在の医学部の女子学生は40%を
 占めている。とすると近い将来、半分近くが女医になると読み取れる。今だ役所、企業での女性の位置が
低いが、医療現場では、さほど、その障害がないことが挙げられる。現在、一億以上の高所得者のうち、
7人に1人が医師である。特に、開業医の収入が多いことは、巷に知られている。男性医師の4人に1人、
女性医師の3分の2が、医師と結婚している。男子が少ないのは、収入が多いので、専業主婦の相方でも
困らないことがある。医師以外に、36・5%が薬剤師、看護婦、医療技能職の医療従事者がいる。
ちなみに、学生時代知り合った場合、に妻の方が子供育てを考え、負担の比較的軽い、精神科、眼科、
皮膚科を選ぶケースが多いという。開業医が2千5百万、勤務医が、その半分の1230万。
医師カップルは2千〜5千万。開業医で夫婦で運営すれば、一億超えることも珍しくない。
医師夫婦こそ、スーパーカップルといえる。》
▼ 収入から見ると、医者は一種の特権階級の住人。 医師のパワーカップルに比べ、法曹界の収入は
 心もとない。女性が司法試験に合格し弁護士になるプロセスが大変な割に収入が少ないこともあり適さない
こともある。男性弁護士からみて、弁護士の妻は6・6%にとどまり、医師の比率から見て6分の1になる。
それだけ医師の収入条件が良い。難関の司法試験に合格し、司法修行を終えても、法曹職を得られない人が
2割もいる。しかし、米国社会の後追いをする日本も、訴訟社会になっていくので法曹職も、将来性がある。
情報化、グローバル化社会は、弱肉強食、一強多弱が更に進み、階級社会が固定化する。そこに生じてくる
のは激しい階級間闘争。とすると、第三次世界大戦が東西冷戦とすると、 第四次世界大戦は、民族間と、
階級間の、果てしない戦争になる。それも、テロという手段が頻繁に使われる不安定な社会が現れ出る。
その反面、パワー階級は、今もだが・・ 特別区という別世界に住むようになる。まあ、あまり明るくない
殺伐とした近未来が待っている。TPPは、アメリカ社会に右ならいということ。厳しい階級社会が、
本格的に来るということ! 第二次大戦から20年余の社会主義化した、あれは、むしろ奇跡?
地元の病院の眼科の先生が夫妻と聞いたことがあった。
歯医者はドクターではないが・・収入は似たようなもの?
・・・・・・
4270, 法則は思考のショートカット −2
2012年11月24日(土)
               「知っているようで知らない 法則のトリセツ」水野 俊哉 (著)
   * ほめるこつ、「条件付け」「ウィンザー効果」「コミットメントと一貫性」
 部下が功績をあげた時、ほめる際に食事に連れていくと、それが当り前になる。これを「連続強化」と
いうが、何度かに一度は、何も褒美を与えない。これを「間欠強化」という。何時も与えられている褒美を
与えられないと、部下は褒めて欲しいために尽くしたくなる心理になる。これを「条件付け」の法則という。
これは、『新婚さん、いらっしゃい』というバラエティ番組で、新夫が相手を口説く時に、毎日のように
電話をしたが全く相手にしてもらえなかった。そこで当分、連絡しない間を入れたところ、女性の方が
不安になってデートに応じるようになった」という話題を思い出した。 また「ウィンザー効果」
というのもある。直接褒めるのではなく、間接的に褒めて相手に伝える方法。褒め育てる方法もあるが、
初めから徹底的にしごいて、育てる方法もある。「コミットメントと一貫性」である。新入社員を
入社前に徹底的に鍛えあげると、忠誠心が大いに高まるという。 いずれにしても、組織には必ず20%の
怠け者が存在するので、手抜きは避けることはできない。
   * エメットの法則
 「仕事を先延ばしは、その後片付け仕事の2倍の時間とエネルギーを要する」というリタ・エメットの
提示した法則がある。この法則があるとは知らなかったが、私は経験則で知っていた。私のごく身近に何事も
先送りする人がいる。とにかく、後回し。見ていると、数倍もかけて、その後始末に追われている。
若いときに社会(仕事)で鍛えられなかったためだ。 事前の準備は、時間厳守と同じく仕事の第一原則。 
この不況で、新卒で正社員になれなかった人は、ビジネスの第一原則を徹底的に叩き込まれてない。
そのことを企業の人事担当は着目するため、まともな会社には、なかなか入社が難しい。同じことだが、
去年春の決断時に弁護士に、「少し早い決断は、打撃が二分の一で済む。少し遅れると二倍になる。
今回の決断は少し早目だが、一瞬の差で、差し引き4分の1になる。それなら、今決断します!」と、
最終結論を出した。そして一年後、弁護士に、「今回は見切り千両いや万両でした。半年でも遅れていたら
5物件は売れなかったでしょうね」と、言われた。実際に私も、そう実感している。
あの東北大震災の影響は、マスコミは大きく騒がないが、日本人の消費行動を根こそぎ変えている。
近未来に必ず起こる恐慌と、大地震をふまえ、消費マインドが更に冷え込んでしまった。
老後は太平洋側に住居を移したいという気持ちが少しあったが、今や全く消えうせている。札幌か、
函館なら考えてもよいが、それなら現在と大して変わらない。何事も「先手、必勝」、
「今日すべきことは今日中に」である。
・・・・・・
3895, 「現代型うつ」とは
2011年11月24日(木)
 新しいタイプの鬱病が多く見られるようになっていると、NHK「クローズアップ現代」で取り上げていた。
これまでの鬱病は、自分を責め、劣等感に陥って不眠になったり、閉じこもりなったりした。しかし最近では
「現代型うつ」という新現象が以前ここで「エイズより怖い性病」として「何事も他人のせいにする若者」の
性癖を取り上げた。その結果が「現代型うつ」として社会問題になっている。20〜30代の若者を中心に
増え続け、抗うつ剤など従来の治療法が効きにくいため医療現場は混乱しているという。このタイプは幼い頃
から大事に育てられ怒れた経験がなく傷つきやすい。本人に被害者意識が強く、他人のせいにする傾向がある。
人依存の典型である。 ここでは取り上げたケースとは・・
≪ 東京のIT企業・信興テクノミストでは、電車にカバンを置き忘れた入社2年目の社員に上司が注意
 したところ、体の不調を理由にうつ病の診断書を提出、休職した。 ところが、社員寮を尋ねると本人は
不在で、同僚と頻繁に飲みに外出していることが判明。その後4人の社員が会社を休む事態が続き、総務部
部長は頭を抱えているという内容 ≫
 ある病院院(福岡県)では、患者同士のグループミーティングを取り入れ、自分の心の弱さに気づいて
もらい、7割の患者が復職を果たしたという。自分で事業を幾つか起こし、全てが直接跳ね返ってきたため、
他人のせいにする余裕など、あるわけがない。その反面、色いろの場面で人のせいにしたがる大の大人を多く
見てきた。一番の身近の夫婦間が、その典型。 その果てが三割の離婚率。また会社内の仕事の場では、
上下、横の関係の中で、色々の摩擦が起きてくる。ところが、内面は鍛えられてないので、落ち込んでしまう。
 欝は、その落ち込んだ気分から立ち上がれないで社会生活に支障をきたす病。生きていくことはトラブルと
壁を解決をするプロセス。それを自分以外に原因を見つけようとする積み重ねが、欝への道程になる。
自己を見つめる事がないから、自分の歪みが見えない。「電信柱の高いのも、郵便ポストが赤いのも、
みんなアナタが悪いのよ」になってしまう。 その結果、心の底に鬱憤というヘドロが蓄積されていることに
気づいてない。 情報化が、内面の芯の部分を鍛えるチャンスを潰している結果もある。韓国は徴兵制度があり、
鍛えるべき時に徹底的に鍛え上げるシステムがある。 その上に最近では大学受験戦争が激しい。 その結果、
日本は韓国に明らかに遅れをとってしまった? 現代型うつが、現代の若者の一現象とすると、日本の将来に
悲観的になりざるを得ない。
 ・・・・・・・
3530, ハーバード白熱教室 ー2
2010年11月24日(水)
 海難で生きるために三人が一人の人肉を食べてしまった事件で、多くの問題が出された。
海の遭難現場での異常事態で、どの答えが正しいとはいえないが、これをヒントに正義を論じ、考えることは
可能である。次にサンドル教授は、「イチロウの年俸は高いか?」を問題定義をしている。イチロウの年俸は
15億円。それに対し、日本の教師の年俸は400万、400倍。オバマは3600万だから、その40倍。
イチロウの年俸が高すぎるという意見と、妥当という意見を生徒から導き出して、議論を進めていく。
これも、美徳と貢献などの問題を提起し、議論を導き出していく。何でアメリカ大統領の40倍の報酬が妥当か、
逆に、それは不当すぎるほど高いと言えるのか等々を・・ この問題には自由と平等・公平の問題が含んでいる。
 二時間目からは「戦争責任について」である。そこで生じた道徳的義務と責任は *個人的なものと、
*集合的なものと、分けて考えられる、としている。カントは「責任は自分自身の自由意志と、選択によって
生じる」という立場、要は純粋実践理性よって生じるという。 道徳の根本原理によって、普遍原理に達する
ことが出来る、という。アリストテレスは、「責任は、よき生についての私たちの考えによって成立する」
という立場。 次に「義務」について、「殺人を犯した家族を警察に突き出すべきかどうか」を事例に議論を
進めていく。家族の立場をとるか、社会を優先させるべきか、当然に意見が分かれてくる。互いの議論の中から
問題を捉えていく。彼の授業は、古代哲学者や近代哲学者などの思想を現代の問題に結びつけるやり方で、
対話をしながら考え方そのものを教えていく。 先に書いた私の学生時代のゼミの授業の進め方、すなわち
「自分自身で考えること、それを進めることが、本当の教育」であるということだ。判断、決断する前に、
独りで考えを進められる能力が教養である。我われは、誰もが哲学をしている。そのレベル、効率化の向上は
可能である。パソコンから類推すると、解りやすい。哲学(考えることを考える)は、全ての人にとって
最も重要である。何故、生きるのか、何故死ぬのか?人生に意味があるか?
 ・・・・・・・・
3155, 「 2012 」
2009年11月24日(火)
  * シネマ 「2012」
 その迫力の凄さの予告をみて、初日の幕開けを観てきたが、期待以上の内容であった。 
現在のCGの技術をフルに生かした映画であり、次から次へと想像を絶する破壊の画面が続く。
映画館の大画面と音響で観るから良いのである。 特に後半は次から次へと都市破壊の映像が映し出され、
思わず座席にしがみついてしまうほど。都市破壊の場面や大津波は圧巻!エベレスト山頂近くまで洪水が
押し寄せ、ワシントンのホワイトハウス、自由の女神、ハワイ、ローマのバチカン、エッフェル塔などが、
次々と破壊していく場面などは観るだけの価値はある。 これを映像で観ている自分が不思議に感じた。
「マイケル・ジャクソン」と同じく、上映中に、いま一度見たいと思えたから、お勧めである。 
  ーまずはHPの紹介文からー
 2012に世界が終わる!マヤ文明の黙示録的予言を描いたSF映画である。
天文学や数学に長け、高度に発達しながらも謎に包まれたまま消滅した古代マヤ文明。マヤ人のカレンダー
であるマヤ暦は極めて正確なものとして知られているが、その暦は西暦2012年12月21日で突如終わっている。 
いつのころからか、その理由は「2012年には地球が滅亡する」というのが西洋世界では通説となり、
多くの書物が著され、数多くの人がこの説に現実的な恐怖を抱いている。 この2012年を舞台に、
その終末世界と人類が生き残れるかどうかを描いたデ超大作が『2012』である。『ID4』
『デイ・アフター・トゥモロー』など、過去幾度も“地球的危機”を描いてきたエメリッヒ監督が
ついに地球の滅亡を描き出す!
 〜
 2009年。太陽の活動が活発化し、地球の核が熱せられた結果、3年後に世界は終わりを迎える。
この驚愕の事実をいち早く察知した地質学者エイドリアンは、すぐに米大統領 主席補佐官に報告。
(字数の関係でカット2011年11月24日)
・・・・・・・・
2790, 閑話小題
2008年11月24日(月)
  *金融危機 あれこれ
 AIGが8兆円を使い切り、追加支援をいれて15兆円に拡大しているが、米国政府も見切りを
つけなければなるまい。見切りをつけたと同時に本格的な恐慌になるので、手の打ちようがなく果てしなく
ドル投入しなければならない事態。当方の保険は日本のアリコに入っている。 日本は大丈夫というが、
日本の保険会社の何処も買収に腰が引けている。 他にも、政府系のファニーメイが赤字2.9兆円。 
更に家電チェーンのサーキットシティも倒産(負債2,300億円)。現在は、ビッグスリーのGM、
フォード、クライスラーも倒産の秒読み、全米の銀行ナンバー1のシティも重体という事態。その中で、
十一月になってからホテル宿泊も影響が出始めてきた。 やはりタダゴトではない状況になってきている。
日々、事態は深刻度を増しているのに日本政府の機能は混乱しているというから、どうもこうもない。
  *定額給付金の愚挙
 定額給付金について、全国世論調査では反対が、賛成の二倍。決定のニュースを見たときに思わず
咳き込んでしまったが、それは私だけではなかった。あの人の知能レベルが、定額給付金の愚挙になった
ということ。怒りより日本の行末の方が心配。日本中は、この時期に、この程度の人物が首相と呆然状態である。 
100年に一度の経済危機と言いながら、その対処が目先の選挙対策の苦し紛れの金ばら撒きをしている姿は
何だろ?。これで、自民党政権は全くのレイムダック。【医者は社会的常識に欠けている】は、
よく言ってくれたが・・・
  *散歩の光景
一年ほど前から、朝のウォーキング途上(冬場を除いて)80歳位のオジイサンが土手に立って、
通りすがりの人に親しそうに話しかけている。 軽い痴呆が入っているようだが、それでも一人で来て、
帰っていく。(字数の関係でカット2011年11月24日)
・・・・・・・・・
2007年11月24日(土)
2425, 自分を理解するための他者・コンピューター −1  ヽ(★>з<)。o○[ォハヨ] 
  ーまずは、私の感想文からー                   


5001,閑話小題 ーつれづれに〜5001回

2014年11月23日(日)

   * つれづれに〜5001回
 一昨日で、随想日記が5千回になったが、一日一テーマの作成の重圧は、ストレス
になるが、これも慣れ。一線から離れると、これが丁度良いストレスとエネルギーの消耗
になる。 としても、5千日連続して書き続けたもの。この習慣は、頭を使いざるを
得ないことと、自分しか書けないことを書き残せるところが最大の魅力。 
 テーマを探し、決まったら、一気に書き上げ、書き直し書き換えに全力をかけるしかない。 
これはストレスでストレス発散をしていることになる。 自分が何かを感じなければ、未来の
私に、それをを伝えることができない。 だから、心のアンテナが敏感になるのが良いようだ。 
 未来の自分が再読するため、嘘とか中途半端なことは書けないから、まず正直に書くしか
ないが、読み直すと、それでも、偽善、偽悪も、露悪、露善が出ている。
そこを第三者が見ているのだろうが、その緊張感が面白く、反面、恐ろしい。
 毎日、書き続けていると、日常に浸り流されている自分が鮮明に見えてくる。
それも、この年齢では平凡な日々を感謝しなくてはならない。 早朝、この文章を書き直しを
したり、過去数年分の同月同日分を読み返すことは、一種の内観。そして「何をしてきたのか、
考えてきたのか、この男は!」と・・ 
 それにしても、文筆家の言葉はアマチュアや、素人とは全く違う。それで、生計をたてて
いるから当然だが。それにしてもである。それは、書き続けたからこそ分かったのだろうが。

・・・・・・
4634, 閑話小題 〜また一人、奥さんからの年賀欠礼の葉書
2013年11月23日(土)
   * また一人、奥さんからの年賀欠礼の葉書
 また一人、創業時からの営業担当の奥さんから年賀欠礼の葉書が届いた。
創業を始めて40年、地元に帰ってきて、38年も経てば、その時節ということか。
「東芝エレベーター」の営業担当の馬場さんで、この8月に亡くなっていた。
長岡の大手通四角の物件から始まって、都合、五台のエレベーターを入れていた。
その都度、本当かどうか、ギリギリの値段で入れていたため、会社から厳しい視線で
見られていたとか。サッパリした性格で、私とは相性が合ったようだ。毎年、会社の
忘年会に出席してもらった常連の一人。10年前に定年退職して、自宅近くの公用地・
500坪を借りて、野菜つくりをしていた。 定年後も、前の会社の事務所に訪ねてきたり、
新潟駅前の町内の懇親会で酒を酌み交わしていた。
 彼から酒飲みで学んだことは、「自棄酒など、美味くない酒は飲まないこと。
さらに落ち込む!」である。長岡の実家の商業ビル建設を建てかえていた時の修羅場の
姿を見ていた数少ない人である。それもこれも、過ぎてしまえば、夢幻である。 
当初からの忙新年会の上席で残っている?人は、数人だけになってきた。
 「ひとは先、我は後」。        享年、74歳。 ご冥福を!
   * 昨夜は、高校同級生の偲ぶ会
 昨夜は、昨年の今頃に自死した高校の同級生の「K君を偲ぶ会」が長岡駅裏の居酒屋
で開かれた。出席者は16名。商売上の事由というから、他人ごとではない。 30年近く、
この同級会は毎年開かれているが、常連組17〜8人のうち、これで5人が亡くなった。
幼稚園から大学までの同級生で、自死は始めてである。自死には、それだけの事由がある。
明るく、サッパリした性格の反面、神経が繊細。 高校では山岳部に属し、趣味は落語を
聴くこと。 偲ぶ会の寄せ書きは、如何なことか、と思ったが、色紙に、それぞれが一言、
書き留めて仏前に添えてもらうことにした。
   * 雪下ろしの雷
冬の雷を「雪下ろし」という。11月の雷は初雪の前兆で、轟音がすざましい。
その後の雷は、激しく降る合図になる。今年も、例年と同じ下旬。直ぐに降雪するか、
1〜2週間後に50センチ位の積雪になる。
一度、消えるか、降ったり止んだりし、1月半ばか、下旬に2M位の積雪になる。
それが消えるのが四月の初旬の頃。
・・・・・・
4269, 閑話小題 ー虚無より傷心が上
2012年11月23日(金)
   * 人生、虚無より傷心が上?
 W・フォークナーの言葉に、「人生は虚無より傷心が上」がある。 
両親が大戦の長岡空襲で財産の全てを失い、第二の創業を幼児から少年期にわたり
目の当たりにしていた。 そして自分も創業人生を過ごしたいと20歳の頃に決心し、
去年まで挑戦と挫折を繰り返した45年間。その心血を注いだ事業も、3つ(9・11、
9・15、3・11)の歴史的震災?で、呆気なく消滅してしまった。 口ではカラ元気なことを
いっても、やはり深く傷ついている。とはいえ「何も人生をかける機会がない、虚無の人生」や、
「上手く後継者の譲ったハッピーエンド」より、傷心している現在の方が良かったと思っている。
いや、自分にそう言い聞かせている。節目には挫折感がともない、深く傷つき、虚無が覆う。 
何事もない虚無や順調な人生より、傷ついた後の虚無の方が、(ドーナツの穴のように)
傷口が取り囲んで虚無を浮きだたせる。何度か、そこ知らないほどの虚無感に陥ったことが
あった。半年位だっただろうか。何事にも自信が無くなり、虚脱状態で、ただ独り、極小に
縮んで滅していくような妙な感覚。  現在も、ひとつ間違えると、陥る可能性があるのが解る
ので、ブログを書き、スポーツジムに行き、読書をするなどで自分に隙を見せないようにしている。 
ただ愚痴を言い、他人を標榜するしかない老人を多く見てきたので、その愚だけはしたくない。
しかし、知らぬ間に愚痴を独りで呟いている自分がいる。 先日も、近くの道路で大声で
愚痴を喚きながら歩いている老人を見た。家内がよくスーパーで買物をしているのを
見たというから、痴呆の独居老人らしい。心の傷口が化膿しているのだろう。 
男ヤモメの痴呆症は近くの親族は苦労する。「人生、傷心、時どき虚無」か。
いや、「虚無、時どき傷心、のち躁鬱」か。毎日が、心の天気模様のよう。
台風もたまに来るが。 服装と、心と、身体の管理だけは十分に気をつけてないと・・  
 ・・・・・・
3894, ギリシャの次は・・ ー2
2011年11月23日(水)
  前回、取り上げたPIIGSの国債の数値化を、改めて考えてみる。
 ・ ギリシャ    32.29%      
 ・ ポルトガル   11.52%
 ・ アイルランド   8.22%
 ・ イタリア     7.28%         
 ・ スペイン     6.43%     
ギリシャの32・29%からみる。EUが今回、国債の残高の半分を免責、「ギリシャが現在の
国家の支出を大幅にカットしても、 数年もしないうちに行き詰まるのは明らかな数字である。
あくまで延命である。それに、他のPIIGSの金利も、この数値からみて、重体である。
これらの国のトップは殆ど、ここで変わったが、それで問題は片付いた訳でなく、間違いなく
破綻が近づいている数値。もしもの話をしても仕方がないが、日本国債が今後どうなるかである。
現在の10年もの国債は1・47%であるが、何時、国際的 投機筋に狙われるかである。 
 現在の利払いだけでも千兆の一%としても10兆円になる。その上に返済をしているので、
既に国家予算の半分が、国債に向けられている。ある日、国債に対して不信感から売り
浴びせられたら、国債金利は高騰する。考えただけでも末恐ろしい。首相を一年ごとに
変わるので長期的政策を持てずに、無責任の垂れ流しの予算しか組めないのが現状。 
その破滅的システムが、この数年、続いている。 
アメリカにとって、それがベストのため変えられないこともある。5年、いや、もっと早く
IMFの管理下に入って徹底的なリストラを行われるしか手立てはない。そのキッカケは
ハイパーインフレ? それでも消費税が5%で、欧米の平均値の20%まで15%のノリシロ
がある。 また、国民の預金が1千兆円以上ある。それも、アメリカ国債を買わされている・・ 
ギリシャか、イタリアが破綻すると、リーマンショックの比較にならないほどの大混乱に
なるというが、その具体的な状況は誰も想像つかない。 
一線をひいてみると、なる程、より鮮明に見えてくる。
  ・・・・・・・
3529, ハーバード白熱教室 ー1
2010年11月23日(火)
 一昨日(日曜日)のNHK・TVで15時から2時間、東京大学での日本版アンコールの
サンデル教授の授業をを見た。ハーバード大の彼の講義には、毎回1000人以上の
学生が出席しており、1636年に創立された同大の歴史上、最大の履修学生数を誇り、
あまりの人気ぶりに、大学側は非公開の原則を覆し、初めてメディアに講義を公開した。
その一つを以前に見たが、私でも理解できる内容であった。 
日本でのアンコール版は、一般から応募した1千人の生徒との質疑応答を中心としたもの。 
元のハーバード大の授業内容は、米国のボストン公共放送局が制作し、昨年、全米ネットで
放送した放送権を買い取ったNHKが邦訳をつけ、今年4月から全12回での放送を始めたもの。
東大の大教室には一般から募った1000人以上の参加者が詰めかけた。 彼の講義の特徴は、
サンデル教授が提示した究極の事例研究を通して考えさせていく手法である。 
 始めのテーマは「正義とは何か」である。 まず正義を、彼は3つ上げてた。
* 幸福の最大化 (ベンサムの最大多数の最大幸福)
* 人間の尊厳に価値を置く (カントの主張)
* 美徳と共通善を育む (アリストテレス) 
 初めのテーマは、(18世紀に実際にあった事件=)難破した船乗りが救助を待つ間、
最も衰弱した1人を残りの3人が殺し、その肉を食べて飢えをしのいだという実話を挙げ、
「道徳的に許されるか」との問いを投げかける。まず初めの学生は、「3人が生き延びる
ためには必要だった」「被害者の同意があれば許される」という立場、しかし他の学生
からは「どんな場合でも殺人は殺人」「食人は許されない」という否定論が出てくる。
色いろな議論の中から、初め上げたベンサム、カント、アリストテレスの立場の哲学を
導き出し、会場の生徒たちを巻き込んでいく。サンデル教授は、学生たちの意見を
踏まえた上で、「最大多数の最大幸福を求める行為が望ましい」と主張した18〜19世紀
の政治哲学者ベンサムの功利主義が、常に正しいとは限らないことを示唆したり、
カントの立場も示唆したりする。
 この授業で奇妙な既視感が浮かんできた。そう、私が度々、ここで書いてきた、
学生時代の人事管理の武澤ゼミでの放課後の週二回のゼミである。人事上のトラブルを、
ある一管理職が書きつらねた難問の文章を渡され、次回に、それについて15〜6人が
議論する。 初めはランダムに背後にある問題を抉り出して、最善の解決策を考え出していく。
次々と、問題に対する意見を搾り出すが、そこには教授が難しそうな顔をして目たないように
座っている。したがって甘い指摘は許されない緊張感が張り詰めている。 
もちろん甘い意見は、その後の誰かに指摘され潰される。2時間の議論を終えて
部屋から出たときには、太陽が黄色に見えるほどだった。そこで思い知らされたのは
絶対的知識不足である。 一年前の欧州一ヶ月の旅行で破壊された固い壁が、
さらに粉々になっていた。時間をかけ考え考え考えること!人生それしかない。
・・・・・・
3154,低反発マットと腰痛
2009年11月23日(月)
 低反発マクラを使ってみて想像以上良かったので、居間用のクッションとしてマクラに
バスタオルを巻いて使っているが、その後、ベッドに低反発マットを敷いて寝ている。
使い始めて2ヶ月ほど経過するが、マクラと共に非常に良い。腰痛も少なくなったようである。 
寝返りが、これまでの半分以下になったようだ。それと横向きが少なくなった。人は平均、
左右、仰向けなど平均10回ほど寝返りをするが、それが4〜5回?ほどになった。
だいたい寝返りの時に目がさめるから、少なくなった分、良く寝れることになる。
それは腰や肩の部分が身体に合わせて包み込むような感じで、マクラと首も同じである。
実感として、寝心地が二倍は楽になったようだ。 これだけは実際に数ヶ月、寝てみないと
分からない。特に腰痛の人にはお勧め。 この特徴は身体との接点の部分だけが沈み
込むことにある。シートの方が身体に合わせてくれるのである。 誰もが寝入りの数時間は
熟睡するが、その後、身体と布団の接点部分の重圧で寝返りが多くなる。  
 ところで、ビックカメラには低反発のマクラ専門コーナーがある。私のはニトリで2千円だが、
そこは4千〜2万以上。どこが違うのか聞いてないが、低反発の沈み具合が違うのだろう。
他にマットの素材にゲルマニウムやセラミックが混入されているのもある。
(私は、枕の下にゲルマニウム石を置いている) 低反発マットもニトリで6980円の
値下がり品を買ったが、通販では1〜2万円が通り相場である。ベッドには、低反発枕と、
その下にゲルマニウムの鉱石、それに低反発マットをセット、目にはゲルマニウムの
アイマスク、耳には、100円ショップで買った耳栓をしている。 その積み重ねの結果は
充分出ている。 良さでは、低反発マクラ、マット、耳栓、アイマスクの順である。
就寝は人生の三分の一を占める割に、人は無頓着である。この低反発マットを使って
気づいたが、ウォーターベッド、これ良いんじゃないか? もちろん、ハンモックも良いが。
・・・・・・
2789,人生ゲームを楽しまむため、生まれけん! −2
2008年11月23日(日)
  人生ゲームの基準を、私ならどのようにするかを考えてみる。
 昔から言われているように「良く遊び、良く学び、良く働く」を目安にすると解りやすい。
 ・どのような趣味をもって、ライフワークにしてきたか。
 ・どのような仕事に従事して、楽しんだか。
 ・長年かけて教養を積み上げてきたか。
 ・それらを達観できる視線を、自分の孤独の世界で創りあげたか、である。
 人生の価値基準は心の内の問題だから、第三者がとやかくいえることではない。
この4つを、どうバランスよく拡大、深耕したかを、自分のゲームとして楽しんだかが
人生ゲームを楽しむことと、定義づけてみた。鼻歌を歌いながらスキップするしかない
場面も人生には往々にある。人生には、ある程度の長生きも必要である。
人生を楽しむには、楽観的で、能動的でなければなるまい。そのためには、常に楽し
い明日をイメージして、その実現の準備を地道にすることだ。耳には、何時も心地良い
音楽を流すことは、誰でもできる。 目は、大自然の風景や、美術館で良い絵や陶器を
みたり、本やネットで良い写真や、ビデオで映像をみることができる。 鼻や口は、季節季節
の新鮮なものを食べればよい。誰でも、身の回りに楽しめることは幾らでも転がっている。
「おもしろきなき世を おもしろく」は、長州藩士、高杉晋作の辞世の歌である。
彼が死ぬ間際に、そばにいた野村望東尼(福岡の女流歌人)が受けて、
「すみなすものは心なりけり」と下の句をつけたというが、成るほど上手い歌である。 
いずれにしても、ゲーム化した段階で、自分を客観視する冷静さを持つことになる。
何が起きても 「その時は、その時。 それも、また娑婆経験」と、魂が、自分の心に
語りかける冷静さこそゲーム化で身に付けることで可能になる。 人生を振り返ると、
全く下手なゲーマーの自分が見えてくる。そういえば、最近、「人生ゲーム」という
ゲームがマスコミで話題になっている。
・・・・・・
2006年11月23日(木)
2060, あたりまえなことばかり −14
            (o_△_)oゴロン(o_ _)o.。o○グーオハヨ〜           
{人が死を見るのは「死体」であって、「死」そのものではない。
「存在しないこと」であるところの死が、目に見えるわけがない。
見えるのは物質としての「死体」なのである。しかし、多くの人は、この両者を混同する。
死体を見たことによって、死を見たと思うのである。見たことで、死を理解したと思い込む。
こうして、自分の死の観念を、他者の死体という現実で、現実のものと思い込む。}
 恐らく人類の一番の思い込みが、死であろう。 無を言語化したのと、死を言語化して、
それに恐れおののいているのに酷似している。 尽きる間際の混乱を恐らく恐れているのだろうが。 
「生など一瞬の稲妻でしかない」と、思いつつ恐怖のどん底のパニックなりつつ、
ヨタヨタと消えていくのだろう。 面白そうだが・・せめて極上のモルヒネで最高の気分で 
 (字数制限のためカット 2014年11月23日)


5000,閑話小題 ー今日で5000回!

2014年11月22日(土)

   * 随想日記も5千回に
 気持ちを入れた文章は足跡として残る上に、過去の同月同日に再び、その時の自分と出会える。
5千回は、以前より大きな目安としていたので、やはり感慨が深い。とにかく続けることだが・・
 この随想日記と、50回の海外ツアー(来年達成)と、新潟駅前事業が、この30年の大きな
行蔵だが、これ、何の価値(意味)があるの?と、改めて問いなおせば、何もない。
ただ、ひたすら生きてきた中で、これがあっただけ。面白く、厳しい場面が多くあったが、
悔いは無い。いや、そう思うしかない。 
 読み返すと千回までが大変だったのが見てとれる。5分遅れでアップできなかったことが
一回あったが、我ながら五千回もよく続いたもの!学生時代に日記と、卒論を書いた以外は、
社内報に二月に一度、書く以外は、殆ど書くことはなかった。それまで本を読みっぱなしで、
ダイアリーにメモ書きで残す以外、感想も、要約も書き残すこともなく、一番大切なことを
してなかったことに気づいていた。そこでHPの存在を知り、記憶の雑記帳としてネット上に
公開すればと、思い立った。そこに、通勤途中に開業したばかりのパソコン教室を見つけて
本格的にのめりこんで行った。当時は、まだブログの出だしの頃で、手作りのHPだった。
それが、今でも、エンピツの「随想日記」と、「分類」として続いている。
 そして7年前に、二つのフォロー用に始めた、「はてな」のブログに、殆どが移動していった。
そのことに気づいたのが一月前。 13年の日時もあって、「ヤフー」のブログを加えると、
400人の閲覧になっている。もっとも、最大のファンは同月・同日の自分と、未来の自分だが。
アップをした瞬間、その全てを忘れるため、読み返すと奇妙な気持ちになる。
なるほど、言葉は言霊!「その瞬間の自分は、集中すればしただけ残るんだ!」を、
読み返すと分かる。   ーまずは初回からー
――
ウオーキングについて
2001年05月04日(金) 
 7〜8年前より 1日平均 15000歩、歩ている。土日曜祭日は23000歩 は歩く。気功、
屈伸、地蔵様へのおまえリ、瞑想、太陽視、呼吸法、肯定思考訓練など全部取り入れてある。
趣味をとうりすぎてライフワークである。酒を多く飲みすぎた時など毒素が抜けるのがわかる。
日経新聞のコラムで1日7〜8万歩も歩いている人の文章を読んだ事があるが、上には上が
あるもの。 10年前に書いた文章をコピーしてみる。−>
【最近、造った言葉で“夜明けのリゾート・タイム”がある。(江藤淳の“夜の紅茶”をもじった)
�早朝(4時半〜5時半)起床 �近くを一時間散歩 �テレビ体操 �瞑想 �家族全員のお祈り 
�食事�風呂と続く。特に散歩が非常により。山の彼方をみながら複式呼吸をして歩く。
季節ごとの草花や鳥をみながら川のせせらぎを聞き、時々に般若心経をとなえる。
この散歩に全てが含まれても過言ではない。
 これを実施して4年、副産物としてアフター・ファイブに出あるく事と、酒量が激減した事だ。
健康食品を口にする事も加えて七kgも体重が減った。時々不節制が続くと散歩していると
身体がだるく重くなるのがはっきり判る。また朝の風呂も非常によい。当初は疲れが残ったが
なれると気分爽快になる。早朝型のきっかけは松下電器の山下俊彦元社長の講演を聞き
感激して自ら挑戦してみた事だ。登山がライフ・ワークであり、その訓練も含め毎朝3時半起床。
1時間半10km歩くという。そして読書とシャワーをあびるとの事。夜は定時がくるとすぐ帰宅。
夜のつきあいは一切断っている。これが逆に考える時間と、心の余裕をつくったのでないか。
山下跳び(飛躍的出世)の秘密もこれがポイントではないか。平成3年 5 月  】
――
4000, 4000回の随想日記
2012年03月08日(木)
 千、二千、三千回目に、それぞれの感想を書いてきた。 旅行中も「書きだめ」をしたのを
知人に頼んでアップをしていたのでほぼ休まず書いてきた。自分でも11年近く四千も連続して
書いたと驚いている。 次は五千が目標になるが、四千回を契機に、時どき休むことにする。 
また五千回に到達した時点で半年位は休むつもりである。この程度の文章は誰でも書けるが、
一応自分で納得した内容を書き続けるのは大変である。充実感があり、習慣化したから
可能だった。「チョット聞いてよ。こんなことがあったよ!」という長屋のハッツァンが、クマサン
に自慢気に話している感じである。もちろん、自分のために整理し知識として残すのが
目的だが、せっかくの獲物?を共有することで、学び続ける動機づけにしている。 気楽に、
面白可笑しく、バカ丸出しで、地頭で、書いたため、それが、そのまま伝わっていたはず。 
それも四千ともなると、自分の脳内そのものでもある。 自分の貯めた文章を毎朝、
同月同日分を読む楽しみは格別。今では、その日書いた分を含めると11年分の同日の
自分に出会っている。書いたことも、その内容も、ほぼ忘れた文章が、早朝に読み返すのは
不思議で奇妙な感覚になる。だから倒産とか、それに関わる嫌な日々も、この御陰で毎朝、
心が洗われる。 文章を起承転結でまとめるのはプロならいざしらず、気力が無いと無理。 
但し、一度、その習慣をつければしめたもの。 しかしブログに字数制限があるため、
当日分の書いた分だけ、過去に書いた文章をカットする。それが、身を切る思いになる。
しかし、それが好い加減な文章を書くと数年もしないうちに、自分の手で削除することに
なるので、内容の質を落とせなくなる効用がある。 文は、一度書き、アップすると、
あとに戻せない。何気なく書いたために明らかに傷をつけた人が何人かいる。 
注意はしているが、厳重な注意が必要だが、それが見えなくなってしまう。
時系列に書き続けていると、ある意味で、メモ帳、雑記帳にもなるが、毎日、書き連ね、
別ボックスに分類すると、違った意味で、価値が出来てくる。また分類ボックスの一番下に、
過去に書いた文章の検索が出来るようになっている。 時々、検索をすると、キーワードの
入った文章が出てくる。もし、秘境旅行、と入れれば、過去に書いた文章が時系列に出てくる。
これは記憶の検索になる。
――
3000、3000回か〜
2009年06月22日(月)
 この随想日記が3000回になった。1000回、2000回の時ほどの感慨がない。
書き続けることに慣れてきたのだろう。 誰に頼まれたわけじゃなし、ただ習慣だから
続けているだけ。確かに、続けているとプラスにはなる。 考えざるを得ないからである。 
それと、常に何か書くことがないか注意を周囲に向けるようになった。 その現場で、
キーワード探しと、その組み合わせをするようになっている。
書くことを職業にしている人は、考えることを職にしていることになるが、
紺屋の白袴で・・・・?
ところで、千回、二千回の時に何を書いていたか、調べてみた。 
なるほど、今回も同じような気持ちである。ふと、気づいたが、自分とは時間の経過と
同時に広がっているということ。それと、心の底の変わらない‘X’が魂ということになる。
――
2000, 継父
2006年09月24日(日)
           (。^0^。)オッ(*^○^*)ハ〜
今日は母の命日で、亡くなってまる十年経った。
この随想日記2000回と重なるところが不思議である。
早かったのか遅かったのかというと、大昔のような気がする。
5年半の間、痴呆症になっていたが死に際の入院まで
オシメをすることがなかった。

痴呆症を切れ掛かった蛍光灯に例えると分かりやすい。
始めは時々切れてはつくが、その回数が増えてくる。
マダラボケがジワジワと悪化すると被害妄想や、
抑えていた悪口・陰口が始まる。
心が腐っていくのが手に取るように解る。

マダラボケは一緒に生活をいていると疲れるものである。
亡くなって一月後になって、
「人様はなんて楽な日常を過ごしているのだろう!」と、驚いてしまった。

両親の一生をみると、人生の深さを思い知る。
戦争は全ての国民に深い傷と重石を担がせる。
第二次大戦直後に生まれたが、
あと十数年早く生まれていたら戦争にとられて・・・

ところで母の命日なので供養として、
母の幼少時の、絵に描いたような地獄絵の世界を話してみよう。
そして、それが長男・次男の死の間接的な死の原因になってしまう。
この話を故人になったが教育学者の森信三さんが間接的に聞いて、
「自分の主催している会で話して欲しい」と依頼があったが、断ってしまった。
20年前で母が生存中なことと、それを多くのセレブの前で話すには
自分が出来てなかった。
その時、是非話しておけばと悔いが残っている。
母が幼児の頃、父親が母の兄と姉を残して亡くなってしまった。
(奇しくも昨日 TVのWOWOWで「世界で不幸な物語」という映画を観た。
3人の資産家の孤児が、里親に命を狙われ転々とする筋書きであった)
家が商売をしていたので残った母の母ー祖母は男後家をもらうしかなった。
そして祖母と男後家との間に4人の子供が生まれた。
そこで何が起こるだろうか?
この設定は、言わずもがなの結果になる。
義父による実子との差別と、徹底的な虐めである。
3人の末であった母に、特に虐めがいったという。
それが母のトラウマになってしまった。   ーつづく
 さて墓参りだ!
 ーー
 書いた後に気がついたことだが、
 ほぼ同じ文章を、2年前に書いていた。(後にコピー)
 次回は更に深く母の一生を掘り下げて書いてみよう。
               (。・ω・)ノ☆゚+.バイ! 
ーー
1000, \(~o~)/千日の随想日記!
2003年12月30日(火)
 1昨年の5月2日から今日の12月30日までは973日である。
更に旅行をしていて休んだ一回分の日にちを加えると約35〜40が合わない。
調べてみると206〜222とか250,251辺りとか何箇所かがぬけている。
しかし小説風の「宗親日記」が大体その位の数を書いているので、合わせて
一千回の到着日とすることにした。あくまで自分ひとりの記念でしかない。
 子孫への永久保存版としてー「子供や孫に見せるように」と、また「遺言」
のつもりで書いてきた(書き始めて一年位経ってからだが)だから続いたのだろう。
自分の父親や、祖父がこのような文章を残していたら、実際のところ面白いだろう。
いま考えてみると、私にとって随想日記を書き始めた日を境に自分が
間違いなく変った。一日一日が本当に充実したのだ。
50人位の人に毎日読まれていると思うと、誰かに見守られているような
感覚になる。作家などの物書きが必死になって書くのも解るような気がする。

 死ぬ前に全てを消し去っていくのもよいし、また書き残すもよいのだろう。
いずれにしても50年以上は残らないのだろう。いや死んだと同時に消滅してしまうか。
そうすると生前葬の遺言みたい、いや墓みたいなものだ。
 ところで実感としていうと
 一番勉強になり良いのが、自分であることだ。
・テーマ探しに46時中頭が1杯
・そして構成に苦労して
・書き上げた後に、何回か書き直し
・誤字と矛盾をさがす
そのプロセスで内容を練り上げることが、思考を練ることになるからだ。
といってこの程度の内容であるが。
 ス〜と書ける日はよいが、全く書けない日がある。
それでも何とか書くからよいのだ。
書きつづけていると、自分自身が変っていくのが良く解る。
書くということは、考えるということであり、考えを纏めることになる。
書き続けることは、書き重ねることになる。
書き重ねて、それを読み返すことは内面の深層に入り込むことになる。
深層の自分は、ユングではないが万人にあい通じる部分が出てくる。
その共通面と、違う面を自分で見つめることが可能となる。少し難しくなってきたが。
 来年からは「閑話休題」や「あはははは」とか、ソフトな内容を挿んだり、
土日を休むとかして、今のエネルギーを半分にしようと思っている?
このまま続けると、ある日突然「や〜めた!」ということになりそうだ。
千回千回と思いながら、書き続けてきたのだから、やはり転換期だ。
来年は待ったなしにリストラー事業構造の転換の年、頭を仕事に
切り替え集中しなくてはならない。
 それとも、「2千回2千回!」と唱えなおそうか?
どうなるか?自分でもわかりません。
 ー本当に読んでいただいて有り難うございました!


4999,河合隼雄 ー私が語り伝えたかったこと 〜②

2014年11月21日(金)

                 ー私が語り伝えたかったこと〜河合隼雄著ー 
   * 般若心経の勧め ~(-ノ-)/Ωチーン
 般若心経を暗記をしてから30年近く経った。この間に、数十人に暗記を勧めた。
当時、息子二人も、毎朝の仏前の読経をきいて面白がって暗記をした。何万回、
唱えたことだろう。唱えた分そのままが、心の底に蓄積されている感がする。
今は、数日に一度だが、唱えること自体に意味があることを実感する。
ポイントは、ゆっくりと、一言一言を区切ること。創造工学の中山正和の講演で、
「運を強くしたいなら、般若心経を暗記しなさい」という勧めを受けて、必死で憶えた。
これを一度憶えてしまえば、ふと汽車待ちのベンチや、夜半に眠れない時など、
唱えることが出来て、頭がクリアーになる。 ーその辺りからー  
≪ 会社で出世して係長から課長になっておめでたいのは確かだが、見方を変えれば
係長級のストレスからさらに大きな課長級ストレスを抱えることにもなる。それほどの
大ストレスを癒すには通常の意識レベルを、違うレベルの意識に持っていくという作業が
すごく大事になる。そのため何をすればよいかといえば、一番簡単な方法の一つが毎日、
「般若心経」を唱えることなんです。訳はわからなくていい。とにかく唱える。
そこで大事なことは、へたに解釈してはいけないこと。ただ、ありがたいと思うことが
大事なんです。 また、例えば会社でも、朝みんなで社訓を唱えたりするでしょう。
あれだって意味を考えてなくて怒鳴るから効果があるのです。まともに考えたら
馬鹿臭くなるのではないでしょうか。
 ーそういう意味で、「教育勅語」などは、その典型だったわけですね。
そうですね。僕ら、小学校のとき、何にも意味わからないことを聞いて全部暗記してました。
 ーある種の呪文なんですね。.
そうです。現代人には、ある意味でそういうものがなくなってしまった。
いわゆる近代主義というのは呪文を全部否定したわけです。呪文を否定して何でも
意味を考えて、何でもわかると考えてしまった。そうすること自体がすごいストレスを
生み出してしまった。つまり「般若心経」を例に取れば、それをわかろうとするのではなくて、
単に唱えることに意義、つまり心を癒す作用がある、ということですね。 ただ、それで
完全にわかったと思ったら、もう駄目だと思います。理解するより唱えることに意味がある。
「般若心経」は。‘ありがたい’と思うことが大切だ、ということです。(p178)  ≫
▼ 「般若心経」を唱えている間は、別時空に入ったような感覚がする。《現象は、五感は
夢幻でしかない、それを自覚しなさい》ということ。《南無阿弥陀仏》《南無妙法蓮華経》
《南無観世音》も一心に唱えている時は、心が魂の世界とつながっている。
魂とは一心不乱に対象に没入している時の心の状態をいう。ひたすら、念仏や、
般若心経を唱えている時こそ、自分が自分になる。 南無..(-人-) Д│
――
 H0605
般若心経のすすめ
 十年前に創造工学の中山正和氏の“運のつくり方”という講演で、般若心経の
すばらしさを聞いて一ケ月がかりで丸暗記をした。今まで何万回唱えただろうか。
当社では入社教育で丸暗記が必須。二人の子供ま毎朝の仏壇での私のお経の為か
丸暗記をしてしまった。十年間の経験より(私の実体験より)直観した事を列記すると
�自分サイズの時空を超えた一つの視点をえた
�心臓音に波長があっている(リズム)
�α波がくみこまれている
�“念”がこの中に入っている
�お寺・神社等で唱えるとTPOとして、
 その場のイメージが鮮明に残る
�情報雑念等を切断、整理をする働きがあり、
 結果として“運=無意識の判断”を左右する
�これをくり返しているとベースとして“空”がつみ重ねられてゆき、
 自己の中にその中空がつくられる
�夢の中で“空”を直感するイメージを得られた、等々限りない。
 立花隆と宇宙飛行士との対話の中で
「彼等は地球をはなれた体験の中の一瞬に、
キリストや仏等の教祖が苦難の上で直感した“絶対無”を観た」
のではないかと言っている。
それは般若心経をくりかえしの中で、
少しでも近づける様な気がする。
――
2001年06月11日(月)
[49] 一期は夢 ただ狂え

世の中はチロルにすぐる チロリチロリ
 何ともなやなう 何ともなやなう  浮世は風波の一葉よ
 何ともなやなう 何ともなやなう  人生70古代稀なリ
 ただ何事もかごとも  夢幻や水の泡
 笹の葉に置く露の間に あじきなの世や
    夢幻や南無三宝
 燻む人は見られぬ 夢の夢の夢の世を 現がおして
 何しょうぞ くずんで 一期は夢よ ただ狂へ
                閑吟抄
470〜480年位前、富士山の近くに庵を開いていた名も知らぬ男
が古今集をまねてつくった歌の一つ。
‘人生など一瞬でしかない。なら狂ったようにしたいことをして生きたいものだ’
と言う内容である。今年の年賀状にこの一節を載せたほど、感じろところがあった
内容だ。500年前この無名の男の人生‐過去に何があったのだろうか?
今500年の時空を越えて、激しく共感するのはなぜか!
・・・・・・ 
4632, 夫婦格差社会 〜どういう男女が結婚するのか ー3
2013年11月21日(木)
              『夫婦格差社会 - 二極化する結婚のかたち』橘木 俊詔 (著)
   * 早慶・東大卒のお相手の学歴は?
《夫から見た場合、妻の大学カテゴリーは大きくぱらついている。ところが女性を基準にすると、
 別の結果が見えてくる。 まず、同じグループの大学を卒業した組み合わせが非常に多い。
具体的大学名までは分らないが、同大学の男性と結婚する人が多いのであろう。
「旧帝一工(旧帝大.一橋大・東工大)グループに注目すると、同グループの男性の比率が
約64%に達する。次いで「その他の国公立大」「GMARCH(先述のMARCHに学習院を加える)
や「関関同立(関西、関西学院、同志社、立命館)ほか」という比較的入試の難易度が高い
大学卒の男性が続く。・・名門大学とされる「旧帝一工」「早慶」の両グループを卒業した
女性は、同グループを卒業した男性との結婚を望み、実現させている。そうした夫婦は、
パワーカップルの代表例である。ただ、それらの大学で学ぶ女性の数は男性と比べ
少ないので、彼女たちに選ばれなかった同グループの男性は、他の大学を卒業した女性と
結婚することになる。これが男性側から見た、女性の出身大学の散らばりの理由である。・・
 東大卒の105名の女性の場合、同窓の東大が70人と三分の二を占め、他の国立を
含めると、94名で、9割を占める。男性の東大卒19名のうち、東大卒女性は少ないが、短大4名、大卒13名と
高学歴が多い。御茶ノ水、津田塾、フェリス、上智、慶応、ハーバードと難関のところが多い。》
▼ 難関校の女子は女性比率が低いため、よりどりで、三分の二が同じ大学生と結婚。 
 男の方は一流女子大生と結婚に至るケースが多い。女性の場合、まず家柄、大学の
ブランド、相性、次に容姿の順になっていく。それさえ気にしなければ、それぞれの勤め先
には、地場の美しい魅力的女性がいる。20代前半は花の時節。とはいえ、一生抱える
となると?その人を知ろうとしたら奥さん(旦那)を見ろ!という。
その人、相応の相手とすると? 深く考えるのは止めておく。 若い女性は、自己評価が
思いのほか高い。その自覚を持たない人が多い。 そのため?行かず後家を多く見かける。
秘境ツアーで見かけるが、それは大変な人。プライドが高く、唯我独尊、傷つきやすく・・ 
2〜3回に一度はいる。自分も同じか? 話を戻す。パワーカップルといえば、20数年前、
東京のパレスホテルの経営セミナーの夕食の時、隣席の人と名刺交換をした。
グリーハウスという全国有数の企業の社内食堂を受託する給食ビジネスを展開していて、
飲食業界では有名人。駅などで見かける「サボテン」という豚カツ店、デリカのチェーンも
展開している。 セミナーでは、可能な限り気楽に名刺交換をするのが慣わし。
異種業種からの情報が入るためである。私の名刺を見て、「私の家内は、実は柏崎出身
なのですよ!」というので、「私もです。柏崎には親戚や、仲人がいるのでよく知ってます。
どちらの娘さんですか?」と聞くと、「ブルボンです」と。「私の仲人とブルボンの社長が
幼馴染で、非常に親しくしていると、聞いてます。ところで何処で知り合ったのですか?」に、
「母が慶大のOB女子会の役員をしていて親しくなったのが家内の母親。
その関係で・・」 大手のオーナー会社トップのパワーカップル?である。
で、衰退系の会社?まず昼飯から合理化をするからだ!そういうこと!
・・・・・・
4267, つれづれに ー衆院選・政治談議
2012年11月21日(水)
   * 次の内閣は安部首相で、石原が副首相か
 消去法からすると、まず民主が消え、自民も駄目、公明、共産、社民は論外。
その他のミニ政党も烏合の衆の範囲。そうすると日本維新の会しかない。中心人物
二人が東京都と大阪市の首長として改革した実績が光っている。その実績をもって
二人が国政を改革をするというなら、期待するのは当然の理。 
おそらく、自民が180〜200票で、維新の会が80〜100票前後で、「安部首相、石原が
副首相」か、逆の「石原首相で、安部副首相」の超保守的強権内閣の可能性が出てきた。
こうなると、改憲や領土問題などで一挙に中国や韓国との間に摩擦が生じる。
また、国内的にみても荒療治が行われることになる。 公明党も、時の権力に擦り寄るのは
自明。ここで強大な救国内閣という名の下に思い切った荒治療をすべき時期でもある。 
一歩退いて改めて日本を、世界をみると、実相が鮮明に見えてくる。
 日本は既にEUのPIIGS並みに陥っている。ここで本気に改革しなくては周辺各国から
狙い撃ち状態になる。いや、既になっている。 国家非常事態の特別立法をつくり超権力を
持って腐った病巣を切り捨てるべき時節。 野田首相は、それでも真ともだったが民主党の
3年あまりは酷かった! しかし、このところ安部が、政権をとったら国債の日銀の
引き取りをさせるという。これを始めたら国家滅亡と前からいわれていた。個人国債も同じだ。
自民だけには政権をとらせてはならないが、では誰がというと、石原と安部しか見あたらない。 
どちらにしても先行き真っ暗である。 安部・自民は時代の逆戻りという感が非常に悪い。
国民には自民党へのトラウマが根強く残っていることを、彼らは分かっているのだろうか? 
この選挙で、日本の将来は大きき変わることになる。ご隠居の視線で劇場型政治と
割り切っている分には面白いが、壊滅は、どうも・・
 ・・・・・・
3892, 顔を哲学する
2011年11月21日(月)
 家中心の生活に入って8ヶ月になろうとしているが、平日のバラエティーは化粧と
ァッションを取り扱った番組が多い。それほど顔が大事にしては、「何故、これほどまでして
人は化粧をするのか」という疑問と、答えをあまり聞かない。顔について哲学した学者といえば、
レビィナスである。 顔は、その人の魂の表出でもある。 特に女性は、そのバランスの釣り合い
(美系)によって人生さえ変えてしまう力がある。全身の肉体のバランスが、そのまま顔に
集約されて出てくるからだろう。口は女性の性器に鼻は乳房?を表現しているという。
顔面の評価認識は時代と、国により変化している。また脳の中にそれ専用の部位がある
ことから、生物的に有意な機能があると考えられる。美醜の存在は、それが単に
コミュニケーションのためだけでなく、身体機能や脳機能の優劣選択のシンボルとなっている。
そのことは目は脳、鼻は肺、口は胃と同じ細胞から分裂して形成される事から推察される
(だから胃が荒れると唇も荒れる)。美人を優れた男が獲得する事が続けば、結果的に
身体的な強さと顔の美しさが相関するようになるのが当然である。その意味で顔は、
その人の家系の表出と見てよい。韓国では、女性の整形はごく普通のように行われている。
整形も、化粧も、顔のバランスの崩れを修正し、美形に近づける。顔の中で眼だけが、
内臓が露出している。目は脳の細胞と同じで、人の心が、そのまま現れ出てしまう。
だから女性は目元、睫毛、眉毛に注意する。イスラム教徒の女性が、ベールで顔を隠すが、
欧米人が酷く嫌い、恐る。顔・形を隠すからである。また、双子を除けば万人、それぞれ
違っている。その人の認証のサインである。 そうこう考えると、顔・形に、特に女性が
集中するのは至極当然である。 それと姿勢があるが、これも年齢と共に崩れていく。
 ・・・・・・
3527, 円高より深刻な国力低下
2010年11月21日(日)
 18日の産経新聞の一面の「日本の未来を考える」で、
東大の伊藤元重教授の「円高より深刻な国力低下」の論説がよい。 
  ーこの内容を大ざっぱにまとめるとー
≪ 現在の円高は1995年に比べると、アメリカの物価などを考慮すると、30〜40パーの円高
 に過ぎない。しかし、産業界の実情を聞くと、どうも、その時のレートより今の方がきつそうだ。 
それを考えると、15年間で日本の経済力が落ちてしまったのではないか。言い換えると、
周辺国の競争力が上ったのである。これは、円高を嘆くより、経済力、国力の低下を
嘆かなければならない。≫と言うのだ。 この20年間、海外に出て、日本に帰ってきて、
新聞と週刊誌を飛行場で買って読むが、年々、紙面から出てくるエネルギーが目だって
落ちている実感がしていた。 最近は、それも慣れてしまい、それすら感じない。
 様子が変わったのがバブルの崩壊からである。一度、1995年に持ち直したに見えたが、
数年もしないうち、再び下がり基調になってしまった。金融再編成で都市銀行が、三つに
なったり、証券会社が淘汰された時期。そこに、2001年のリーマンショックである。
そこで、まず地方の弱体化が本格化した。その間に、関東・東海地区は、金融と輸出で大きく
潤ったが、地方は弱肉強食の弱肉になってしまった。そして、2008年のリーマンショックで、
関東と東海に原爆ニ発が落とされた位の大打撃を被った。しかし、同時にとって、地方の
更なる衰弱になっていった。悪いことに自民党の自滅で、民主党が政権を取ってしまい、
更に国力が削ぎ落とされてしまった。これで、まだ大底についてないのが実情で、
この数年で大底が待っている。そして、二番底の可能性がある。それを前提に現在を、
そして、この20年、30年を振り返ると、アメリカによる、日本の愚民化政策が見えてくる。
それが現状と、数年先に予測されるだろう惨状である。
大学生の半分近くの就職先が見つからない事態を、10年、20年前に誰が予測しただろう。
この地方経済の惨状もである。高度経済成長の時代の陽気さと、現在の暗い世相の段差が
分かればこそ、国力の低下を嘆くのであって、それを知らない若人たちは、こんなものと思って
いるのか。まだ円高だからよいが、円安になったら、国力の衰退など言っていられなくなる。
・・・・・・・・
3152, ラ行の受身形
 2009年11月21日(土)
「年齢(よわい)は財産」〜日本ペンクラブ編 
の随想集の中にあった土居伸光氏の【言葉遊び】ーラ行の受身形ー がよい。
 ーその概要を短く纏めてみるとー
10数年前に末期癌で亡くなった奥さんの、死に至る過程を見つめ、彼女が否定的で
受け入れたくない出来事に対して使われる言葉が、感謝へと転換していく姿を愛情を
込めて書いている。
 ラ行の受身形とは・・・
・叱られた   ・文句を言われた  ・虐められた  
・騙された   ・裏切られた    ・嫌われた    これらは私達が日常でよく使う受身形。 
 どちらかというと、否定的で受け入れたくない出来事に使われることが多い。そこで、
「叱られた→叱っていただいた」「嫌われた→嫌っていただいた」など、ラ行の受身形を転換を
すればよい。その結果として、感謝の心を増幅させるだけでなく、人を大らかにし、強くさせる
力になる。奥さんは、絶えることなく襲ってくる激痛に逃げ出すことはしなかった。 
直観力が強くなったのだろう、激痛を事前に察知して、仏壇の前に正座をし、ローソクと線香を
灯し、祈りながらそれがやってくるのを待った。その後姿に、著者は揺るぎない彼女の覚悟が
読み取れた。 そして、ある日、「問題は、すべて私の中にある。ガンを早期に発見できなかった
のは病院ではない。ガンそのものが、問題ではない。ガンは自らがつくり出したもの。
ガンは自分自身。誰も悪くない」と耳の疑うような言葉が彼女の口から飛び出した。
その言葉を境に、奥さんは大きく変わっていった。・・・  激痛を乗り越える過程で受身だった
彼女は感謝の心に変わっていったのだ。そして余命半年といわれていた奥さんは三年生きた。 
我われは老いの進行と共に、頭や身体は思い通りには動いてくれなくなる。 
第三者から「ラ行の受身形」の言葉=《叱責、文句、虐め、騙し、裏切り、嫌悪》が、
未来の自分に投げかけられる可能性がある。 その都度、心が大きく揺れるようでは、
人生の平安はほど遠くなる。ラ行の受身形を転換し続けることで、すこし謙虚になった
ように思うという。文句を言われるのは、文句を言われるようなことがあったからと気づく。
そう考えると、自分の至らなさが見えてきたりする。そうすると、文句を言った人に、怒りでは
なく感謝の気持ちがわいてきて、嫌な人物がそうでなくなってくる。 今の私には嫌な人物は
一人もいないという。 単なる言葉遊びと思われるかもしれないが、やってみる価値は
十分ある遊びである。この遊びの素晴らしいところは、使っても目減りをしない。
使えば使うほど心は確実に成長し、その結果は微笑みという形をとって顔に
現われてくると、無邪気に信じてくるようになる。
 ー
 味わ深い内容である。 この続きも良いので次回に書く。 これは先日書いた
「要は、受止めかた次第」の具体例と考えるとよい。 その意味で、この文章に偶然出会った
のが不思議である。書いていて思い出したのが「もとは、こちら、そのままけっこう」である。  
実際に現在抱えている幾つかの問題に対して言葉遊びをしてみたら、直ぐに「そんな問題じゃ
ないだろう」と、心(言葉)が噴出してきた。 しかし、「遊び、遊び!」と自分に言い聞かせ、
何度か言葉遊びを繰り返すと、あれだけ腹立っていたことが収まってくるから不思議である。
色いろな悟り方があるもの。
・・・・・・・・・
2787, 不況景色
 2008年11月21日(金)
(字数の関係でカット 2014年11月21日)


4998,暴走する世間 −12

2014年11月20日(木)

       「暴走する「世間」―世間のオキテを解析する」佐藤 直樹 (著)
    * 世間とは、差別社会の日本的用語!
  日本の世間にも、欧米社会にも歴然とした格差があるが、高度経済成長と、
バブルと、崩壊を経て、中流階級が、総下流になりつつある中、世間様では窒息感が
強くなって、世間様のイギリス化が始まっている。 この傾向は、今後ますます強く
なっていくことになる。 ーその辺りからー
≪ 八○年代までは相対的に景気がよかったため、人びと余裕というものがあった。
「世間」の贈与・互酬関係」や異通の時間意識」は、「お互い様」という相互扶助」や
「やさしい関係」という「共生感情」を生みだす。これが「世間」のウチでセーフ
ティネットとして機能していた。ところが、九〇年代以降の不況の時代に入ると、
人びとにこうした余裕が失われ、セーフティネットとしての「世間」の機能が
だんだんと後退し、「世間」の「権力性」「抑圧性」といったネガティブ面だけが
目立つようになった。「世間」の「息苦しさ」や「閉塞感」が、前面にせりだした。
この変化を、私は資本主義の「中世」化とよんだことがある。 九〇年は、
オングのいう「第二次的な声の文化」が始まる時代と符合する。
オングは九〇年代以降、電子メディアの普及によって、文化の伝承という点で、
ちょうど「中世」のような状況があらわれたという。「中世」の特徴は身分社会に
あるが、「世間」もまた「目上・目下の関係」としての身分関係を重視する人的
関係である。この資本主義の「中世」化によって、世間」がせりあがってきた。 
 ・・(中略)例えば英国の階級社会とは、何なのか。イギリス生活が長い
ジャーナリスト林信吾によれば、英国の階級制度は、上流、中産、労働者
階級に明快に分けられる (『しのびよるネオ階級社会』林信吾)。 
☆ まず上流階級と中産階級を分ける基準は身分。これは古い貴族制度が
のこっているためで、上流階級には王室をはじめとする貴族や代々の大地主
などが入る。これはまあ、わかりやすい区別である。
☆ つぎに中産階級と労働者階級を分ける基準は、収入や資産もあるが基本的
には職業であるという。 これはみた目で区別するのは少しむずかしい。
中産階級に属するものとして、医師や弁護士などの専門職のアッパーミドルクラス、
高学歴のエリートサラリーマンなどのミドルクラス、一般的なホワイトカラーや
下級公務員、零細自営業者などのロウアー・ミドルクラスがある。
☆ 後に労働者階級に属するのは、特別の資格やスキルを必要としていない
仕事に従事している者。 ロンドンでは、二階建てバスの運転手は労働者階級
だが、むずかしい試験に受からなければならないロンドン・キャブの運転手は、
ロウアー・ミドルクラスだという。
 ・・英国でおなじみのパブでも、1軒のお店のなかで、中産階級向けの
ソファやスツールに座って飲む「サルーン」と、労働者階級向けの墓本的には
立ち飲みの「バー」が分かれていて、入口まで別。≫
▼ 欧州は人種の坩堝のため、飲食店は長年かけて以上のようなシステムに
なっている。日本も、ますます、この傾向が強くなっていくのだろうが・・ 
実際、日本も表立ってないが、客単価で、えり分けをしている。
世間とは、それぞれ階層の「目上・目下」の人的関係に過ぎないが、当人たちに
とっては大問題である。大学、高校、中学、小学校の同級会に毎年のように
出ているが、そこには、階層差が歴然としている。その上、それぞれにも
明確に存在する。それを見てきたため、創業時の事業設計から万一の備えを
組み込んでいた。 娑婆は面白い! それも所詮は、共同幻想でしかないが。
・・・・・・
4631, 夫婦格差社会 〜どういう男女が結婚するのか ー2
2013年11月20日(水)
     『夫婦格差社会 - 二極化する結婚のかたち』橘木 俊詔 (著)
   * 学歴の組み合わせは?
《 1000人にアンケート調査を行い、結婚相手の学歴、とくに大学名を挙げ、
どのラインを理想とするか、あるいは、ぎりぎり妥協できるかを問うている。
この調査から、日本の学校間格差、男女差、心理的な葛藤など、様々がわかる。
・まず中卒、高卒の男女で相手に大卒を望む人は非常に少ない。高卒女性では
大卒男性を望む人もいるが、そのなかで大学名にまでこだわらない人が大多数。
・男女差に注目すると、男性よりも女性のほうが相手の大学名にこだわる。
大卒男性は女性の大学は無名でよいという人がかなりいるのに対して、女性の
場合は自分の大学よりも名門度が高いか、同程度の大学の男性を望んでいる。
・「国立大・早慶上智クラス」卒業の女性の64%が同クラス卒の男性を理想と
しているし「MARCH(明治、青山、立教、中央、法政)クラス」卒、および
「成蹊・成城・明治学院クラス」卒の女性の過半数が「MARCHクラス」卒以上の
男性を理想としている。なぜ入学の困難な名門大学で学ぶ女性は、
相手男性も同クラスの大学卒であることを希望するのか幾つか考えられる。
難関校に入学する女性は少数派なので、自分に自信がある。自信があれば、
男性にも同等ないしそれ以上の大学を希望するのは自然である。 一方で、
男性は劣等感を抱く可能性があるため、自分より格上の女性を避ける傾向が
あるとされる。》
▼「東大」「旧帝一工(旧帝大.一橋大・東工大グループ)」「関関同立(関西、
関西学院、同志社、立命館)」「MARCH(明治、青山、立教、中央、法政)」の
色分けは、私の学生時代から、あまり変わらない。有り余る自由の中で、何を
していたかが大きい。としても大学は、それぞれの人生に大きな影響を与える。
血筋、大学、結婚相手のレベルで、人生が決まるか?というと、そうでもないから
面白い。しかし8割は大きく左右する。 毎年、中学、高校、大学の同級会に
出て感じる事は、進学するにつれ、世界が広まる奇妙な感覚。  
中学は駅周辺、高校は中越地区、大学は首都圏周辺と全国区へと広がる。
義兄に東大、一橋卒、中央・法科と、長岡商業卒がいる。姉は、大手高校、
ドレメ、実践女子短卒が二人。なるほど、その組み合わせが、そのままが、
その人となり?結婚相手の当たり外れかは、棺桶の蓋を閉めるまで分からない? 
結婚相手と両親、学校、生活の質(読んだ本と趣味の質・量)で多方が決まる? 
諸条件は、原因? 運もある?(★>Д<★)
・・・・・・
4266, 法則は思考のショートカット −1
2012年11月20日(火)
       「知っているようで知らない 法則のトリセツ」 水野 俊哉 (著)
 今さら法則もないが、しかし面白い本である。ーまずアマゾンの内容紹介からー
【 内容紹介: 巷にはさまざまな成功法則や戦略書がある。いったいどの法則が
実際に使えるのか、そしてどのような場面でどんな法則を使うべきなのか、迷って
しまうことも多い。そこで本書ではどれが有効か、ケース別、TPO別に解説する。 
ナポレオンヒルから行動経済学までを完全網羅!
 △ 世の中はこんな「法則」で回っている!
   組織には必ず20%の怠け者が存在する
   会議では自分の意見に反対する人は正面に座る傾向がある
   一度Yesと答えてしまうと後でNOとは言いづらくなる
   先延ばしした仕事は、処理に通常の2倍の労力を要する等 
   不安定な時代に知っておくべき法則」 がある。
   人生の「ショートカット」となる「法則」の数々が、この一冊に! 】
▼ ざっと概要は、こんなものだが、取り扱い方というより多くの知らない法則が
各分野に多くあるのに驚いた。それらの法則を知っているか知らないかは大きい。
「法則の取り扱い方」の説明書より法則の紹介書。「法則」を多く知り、用いる
ことが出来れば、人生、数倍、いや数百倍も豊かに人生を生きることが出来る。
しないで済む苦労も事前に避けることが可能。長い歴史の中で科学も人生も、
ほとんど先人が既に経験済み。法則は、それらを経験則として凝縮されている。
それを知るほど、世界を広げることが出来る。三年前に出版された本だが、
過去に、このような本は数多あったはず。多くの「法則」、知っていても本当に
理解していたか?というと疑問である。ここで法則を、職場関係と仕事の法則、
ビジネス一般、心の法則、勉強の法則、そして成功本の成功法則など分けている。
半分近くは、これまで読んだりして少しは知っていたが、全く知らない法則も
多く紹介されている。何気なく目次を見た中で「好意の互恵性」の法則があった。
「好きになると、好かれる。好かれると好きになる」とかいう法則である。
これも一方的に思い過ぎたり、思われ過ぎると逆効果になるが、ほどよく
人間関係に適用すれば、職場などの人間関係で有効になる。 
次回から、今まで知らなかった面白そうな法則を選んで紹介する。
・・・・・・
3891, 腰痛は、脳内システムの不全が原因
2011年11月20日(日)
  先日のNHKTV番組「ためしてガッテン」で、腰痛を取り上げていた。
腰痛について、ここで何度も取り上げてきたが、内容は、思わない展開であった。
大雑把にまとめてみると、<腰痛の痛みは、椎間板ヘルニアと思われていたが、
その痛みはストレスなどで脳内にある痛みを抑える脳機能の働きが弱ったためで、
犬や他のことに気を散らせると大きく改善する・・云々>という内容。今でも半信
半疑である。 ーまず「ためしてガッテン」のHPの内容紹介を、箇条書にしてみるー
 ◎ 日本人の8割が一度は経験するといわれている腰痛が、実は
「国民的大誤解」があることがわかった。まず、「腰痛の85%が原因不明」という。
 ◎ さらに、主犯と考えられていた椎間板ヘルニアさえ犯人じゃない?
町の人に尋ねると、半分の人たちがこの椎間板に原因で、ひどければ手術!
と信じていました。 ところが、これが国民的大誤解。 ヘルニアを切除して、
神経の圧迫が無くなったのに、痛みが消えない人。さらに、ヘルニアがあるのに
  痛みがない人が続々とみつかりました。「ヘルニア手術」をした場合と
「手術以外の治療」をした場合を比較しても、2〜10年で患者の回復満足度に
差がないことも明らかになってきた。
 ◎ そんなナゾ多き痛みに、50年に1度という大発見がありました。
それはなんと「脳」と「腰痛」の意外な関係。「犬」を飼ったら大幅に直った!
という事例がある。神経が、痛みに集中していたのが、犬に気持ち分散した
ためである。研究者が注目しているのが「脳」と「腰痛」の意外な関係。 
  様々な論文で、ストレスが高まると「腰痛」が増えることが指摘されて
いましたが、その理由は解明されていませんでした。福島県立医科大学が、
原因不明の腰痛患者の脳血流量を調べたところ、7割の腰痛患者が、健康な
人に比べて血流量、つまり脳の働きが低下していたのです。 アメリカの
ノースウエスタン大学がさらに詳しく調べると、活動が特に低下しているのは
「側坐核(そくざかく)」という部分であることがかってきました。「側坐核」は、
痛み信号が脳に届くと、鎮痛物質を働かせる命令を出すと考えられています。 
これによって、脳は大きな痛みを自動的におさえていたのです。ところが、
慢性的なストレスを受けると、側坐核の働きが低下。鎮痛物質に命令が
いかないので、痛みがおさえられず、激痛を感じてしまうのです。
  ストレスが痛みの原因を作るのではなく小さい痛みを強めて激痛を
生み出すことが分かってきた。脳の鎮痛システムが働かなくなるので、
痛みが増加しているというのです。 
 ▼ 腰痛を47年も抱えてきた私にとって、まだ信じられない結果である。
 腰痛解消のため、30年前から早朝のウィーキングを続けており、二年前からは
低反発クッションと枕を取り入れたこともあり、重い腰痛は起こらなくなった。
そして、半年前からはスポーツジム通いで、更に改善をしている。 それが、
ストレスによる脳の働きの低下により重くなっていると、いう。そんなものではない!
というのが、私の現在の心境。 しかしストレスは万病の元である。
ストレス無いのが一番のストレスというが。
・・・・・・
3526, 死に至る地球経済   ー2
2010年11月20日(土)
   「死に至る地球経済」 浜矩子 著
 ー今だ一番底に落ちてない世界経済ー
 今だ、底に落ちてないのに二番底というのは矛盾がある。
来年から再来年に、一番底が来るのは流れからみて当然。そして、その後に
数年して二番底が来る。プライムローンなどの不良債権は、まだ表ざたになされ
ないまま、銀行、企業、そして自治体などに塩漬けにされている。
しかし、そのままにしてはおけない。
   ■ランダムに印象に残った部分を書き出してみた■
*「二番底」と言うが、問題がある。ここまでの地球経済は、しっかり一番底に
足がつかないまま、無理して舞い上がることを強要された恰好で推移してきた。
このリーマン・ショックをもたらした諸々の歪みを是正され修正されるプロセスを
貫徹されないまま、当座凌ぎの緊急対策で経済活動を離陸させた。
二番底というのは、失速し、谷に落ちた経済活動が、一度は活力を取り戻して
谷底から這い上がったのに、再び力尽きて谷に落ちた場合である。
今回のは、谷に落ちていく途中で、つかの間の踊り場が人為的に繰り出されて
一息ついた感じである。大底に向かっての小休止に過ぎない。
そんな小休止の踊り場はぐらついている。G20の「成長に優しい財政再建」
の苦肉の言い回しが、この厳しさを実によく言い表している。
* PIGS(ポルトガル、アイルランド、ギリシャ、スペイン)の国々は「豚箱入り」
* アメリカとPIIGSはキリギリスで、ドイツはアリ。 日本は「アリの民間」と
「キリギリスの政府」と喩えられ、「アリギリス」だ。 アメリカは、これから
アリギリスを目指そうと言うが・・・
* 日本のお家芸は「量的緩和」と「金利引き下げ」である。
*「自国さえ良ければいい」的な通貨安競争は一時的には自国の利益を
増やすが、各国が密接に関連している世界経済では、巡り巡って自国への
強烈なカウンターパンチとなりかねない
* ガルブレイスの言葉、「政治は可能性追求の技にあらず。
それは選択の技である。 選択肢は、悲惨なるものと耐え難きもの。
二つに一つだ」(61-2頁)   (字数制限のためカット 11年11月20日)
 ・・・・・・・・
3151、災害で助かる人、助からない人
 2009年11月20日(金)
 韓国の釜山の火災で日本の観光客が亡くなったり、浜松のマージャン店火災で
7人が死傷したが、色いろの現場で助かる人と助からない人が出る。 一般的に
地震や火災などに遭遇したとき、人はどのような心理状態で行動するのか?
 まず、どちらが正しいか?という質問。
 1 地震や火事に巻きこまれると、多くの人々はパニックになる
 2 地震や火事に巻きこまれても、多くの人々はパニックにならない 
  答えは2という。 
 日本や欧米の研究でも、避難の指示や命令があっても、大部分の人間は
速やかな避難行動を取らないという。指示する側が人々に安心感を与える
ために状況の深刻さを軽めに伝え、その結果、手遅れとなることもある。
一般的には、実際の災害現場では幾つもの要因が偶然に重ならない限り
パニックなど起きないという。過去の大災害時に助かった人で一番死亡
しやすいのは年齢の高い「男性単身者」。逆に一番助かりやすいのは「家族」で、
行動を共にする人がいること。 また若い人ほど生存確率は高い。
家族による信頼感と無償の援助、心理的な安心感が生存確率を二倍にも
高めるということ。マスメディアや近所つきあいの接触の多い人間は、早めの
避難行動を取る傾向があり、助かりやすく、また金持ちほど助かりやすい
データもある。大金を残して死ねるかという執念があるからか。
状況判断が的確に出来るか、そして前もって災害の恐ろしさの情報があるか
どうかが分かれ目になる。 
 少し話は逸れるが、地震や大火災は、都市の時間的流れを強制的に進める
効果がある。神戸の震災は復興はしたが、経済的な後退感は否めない。
それは神戸が経済的には下降期にあったからだ。逆に関東大震災の東京は、
それを機に都市計画を整備し、震災以前よりも首都として成長することが
できたのである。都市が成長期の災害は一層の成長をし、衰退期の災害は
一層の衰退につながる。 人生も事業も同じようなものか。 飛行機事故で
数人助かった人の顔は、何か共通の異相をしているのにお気づきですか。
 :天声人語に以下のような文章があった; 
 警察によると、幅約1.4メートルの落石が駐車場フェンスを突き破り、
駐車場に停まっていたキャンピングカーを貫通した  
 (字数制限のためカット 11年11月20日)
・・・・・
2786, 人生ゲームを楽しまむため、生まれけん!
 2008年11月20日(木)
ー次は、ある雑誌(文藝春秋)の中にあった、角川春樹の文章であるー
【 私は平成五年八月二十八日、麻薬取締法違反で逮捕され、ニ年五ヶ月、干葉
拘置所に拘束されていた。その間、私を悩ませた課題は、「自分は何故生まれ、
何処へ還るのか」という古代ギリシャ以来の疑問であった。
ある時、一冊の本が差し入れられた。立花隆の『宇宙からの帰還』である。
その中で私を惑動させたのは、宇宙飛行士のエド・ミッチェルの、次の発言。
〈すべての存在がそれぞれにその役割を担っているある神的なプランがある。
そのプランは生命の進化。個別的生命は全体の部分である。個別的生命が
部分をなしている全体がある。すべては一体である。
この全体の中で、人間は神と一体だ。宇宙は創造的進化の過程にある(略)。〉
彼の言葉が、完壁に理解できたのは、平成十年の大晦日である。 
朝から二度倒れ、四度嘔吐した。その時、突然、次の唱句が天から降りてきた。  
  年ゆくや天につながるいのちの緒   春樹
この瞬間、あらゆる生命が宇宙意識と繋がっていること、宇宙は一つで
あることを直感したのだ。エド・ミッチェルが宇宙で体験したことを、私は地上で
体験したのである。そして平成十六年九月一日、私は静岡刑務所の独房で、
自分の意識が宇宙の果てまで辿り着いた時、逮捕されて以来の長い間の
疑問があっけなく感受できた。 答えは、人間は人生ゲームを楽しむために
地球に生まれて来た、ということだった。】
▼ 人生のゲーム化については、ここで何回か書いているが、彼が他の人と
違うところは、そのコンセプトのもとに雑誌を刊行したことと、刑務所の中で、
絶望の底で、実感として掴み取ったことである。‘ゲームとは、到達地点を決め、
その間に障害を置いて、如何に効率よく到達するかを競う遊び’である。
人生ゲームの醍醐味は、死の完成までの障害を乗り越えるプロセスを如何に楽しみ、
味わうかにある。 それも命がけに取り組むほど、ゲームが面白くなるのである。
 【 父母に 呼ばれてこの世の 客となり用が済んだら はいさようなら 】
という一休の詩がある。せっかく、客として呼ばれたからには、この世の
人生ゲームを充分楽しまなければ、生まれてきた甲斐がないじゃないか!
ということだ。そうこう考えると幸せの4階建ての4Fが、克服できない苦難や
悲しみ、というのが少しは分かるが。
  4階:克服できない苦難や悲しみの中に、幸福がある。
  3階:苦難や悲しみを経験し、それを克服する。
  2階:獲得した「快」を永続させる。
  1階:人間の本能的な「快」(恋、富、名誉など)を得て、増やす。
 人生ゲームは、このビルの中で遊ぶようなものである。 
  何か際どい話になってきたが。


4997,暴走する世間 −11

2014年11月19日(水)

          「暴走する「世間」―世間のオキテを解析する」佐藤 直樹 (著)
   * 「格差」拡大による「そねみ・ねたみ」の肥大化
  建前が平等の社会にあって、格差が拡大すると、自分より上に対する「そねみ・ねたみ」
が拡大する。 逆に下に対して、陰湿な苛めなど差別をするのが人間の性である。それが
世間様というもの。その互いに発する毒の共同幻想で実は本人たちの脳がやられる。
問題は自覚できないこと。 ーその辺りからー                       
≪ つまり自分と同じ」だと思っていたお隣さんが、ある日突然ベンツを買ったとすれば、
 それは自分と「同じ」 ではなくなる。ビミョーな「格差」が生まれたときに、他人にジト−ッと
 嫉妬する独特の心理が生まれる。 この日本人特有の嫉妬について、正高信男さんは
 以下のようにいう。
【 いかに時代が変わろうと、日本人は基本的に非常に嫉妬深い。いじめも、モンスーン
 気候の風土と正比例するように、ジメジメしている。だから、分よりも注目されている人間に
対しては、いくら口先で褒めても、内心はムカツク要素を秘めている。昔でいえぽ、胸くそ悪い
とでもいうのか。単に不愉快ではすまない。 いつまでも梅雨が上がらないようなしつこい
陰湿さがある。嫉妬心も消えない。(『他人を許せないサル』)】
 ・・(略)自分は自分、他人は他人という個人主義ではないから、自分が他人に比べて
損をしていないか、得をしているかがいつも気になって仕方がない。横並び一直線で
暮らしていた時代は成功した者とそうでない者のデコボコの差がほとんどないから、嫉妬の
質も深刻ではなかったかもしれない。が、現代のように勝ち組、負け組の区別がはっぎりして、
所得格差も以前よりひどくなり、社会システムがより欧米化されると反応は過敏になってくる。】
▼ 地方では勝組は少ないが、大都会は中国などの勝組の観光客も相まって、歴然とした
 格差が現前している。それが面白い!と言えるのは、余裕のある立場の人たち。そこは一度
沈んだら、二度と立上がれない世界。他人事ではないが・・ 日本は国家として明らかに負組に
なってきた。その結果、国内には、ジメジメした空気が漂い、今まで無かったような殺人事件が
多発する。そして、それを揶揄して楽しむ歪な空気が漂う。 そこに欧米のような個人主義
でないが故に生じる共同幻想で集団で脳をやられる。 江戸末期の「ええじゃないか!」
の馬鹿踊りが形を変えて出てきたのが、『東京オリンピック』である。
 この共同幻想を楽しみながら、最期の宴を国家とともに終るのもオツナモノか。
・・・・・・
4630, 閑話小題 ー相棒 〜国民的刑事ものシリーズ ー2
2013年11月19日(火)   
   * 相棒 ー愛人と共謀の夫殺し 
 昨日の『相棒』は、二回完結型の後半もの。概略は
《 有名女優が、内縁の夫の作家を愛人のマネジャーと共謀して撃ち殺す。
 強盗の仕業にするが、右京が追い詰める。ところが調べているうちに、内縁の夫は
女優の実の父であることが判明。子供の頃に両親が離婚。 亡くなった母親が残した
アルバムから、半年前に知るが、父は、そのことを知った上に、女優と内縁の関係になって
いた。そのことに同情したマネジャーと共謀し・・ しかし、そこには二人の純愛があった。
 逮捕をされる時、マネジャーが相棒二人に、結婚届けを託すラストシーンが、涙を誘う。》
話は、これからである。 ああ終わったか、とチャネルを回そうとすると、TV局も、視聴者
心理をしってか、冒頭から、ニュースの触りを持ってきて、引きとめようとする。
ところが、冒頭のニュースが、これに似ている裁判の内容。「裁判で、被告が突然、
自分は主犯でなく、殺害した被害者の奥さんと共謀してやった」と主張、その奥さんは、
証言で「ストーカーの被告が勝手につくった物語」と、両者の言い分が対立、と報じていた。
被告の証言で、「以前、奥さんから、本人がつけている香水をもらった」と、それを提出した
のに対し、奥さんは、・・まあ、テレビドラマそのもの。偶然としてもTV局は、してやったりの
タイミング。奥さんらしき人の写真が流されていたが、被告も、奥さんも普通の感じ。
今週のマスコミは、この問題で大騒ぎだろう。『相棒』の話題、軽いので、テーマとして
迷ったが、こうなると、良かったことになる! 
それにしても、視聴者の多くは、主犯は? 二人共言い張れば、通る?
   * 何もする必要が無いのが、御隠居生活
 思いのほか、御隠居生活に馴染んでいるが、準備期間を含めた事業人生から
解放された気楽さがある。大きな成功を必死に求めていた自分が、可愛らしく思えるのが
御隠居の視線である。以前も書いたが、家内が不思議そうに、「毎日、単調な生活で刺激も
無いようだし、つまらなくない?」と聞いてきた。 その答えは、「実際に、事業をしていると、
寝ても覚めても極度の緊張状態。それは良いこともあるし、嫌なこともある。
現在も、同じこと。これはこれで、淡々として良いし、逆に詰らないこともある。
どっちも同じこと」が、偽わざる気持ち。滑り台に例えると、早朝が一番上で、就寝が一番下。
寝起きに、この随想日記の添削をして、アップ。30分の瞑想、ポタリングへと続く。
そして朝食とり、八時またぎでTVを見て、風呂に入り、九時半からパソコンと読書に二時間、
費やす。そして、・・と、淡々と何時ものとおりの習慣を繰り返す。重要度からすると、徐々に、
下がっていくから、楽といえば楽。午後からは、スポージム、読書、ドラマの視聴といった
流しになる。面倒なら飛ばせば良い。どれもこれも誰に頼まれた
訳でない。 森の生活では、少し不安だったサバンナも、慣れてしまえば、これはこれ。
50年近い、読書習慣が支えである。
・・・・・・
4265, この非常事態に、万一の備えがあるの? −2
2012年11月19日(月) 
 私の場合、記憶が1歳の頃からある。そして両親の商売の一喜一憂が、そのまま普段の
生活に直に伝わっていた。終戦直後で、新しい事業を両親が模索していた時期のため、
今から振り返ると、何ともいえない張り詰めた緊張感があった。「どこどこが倒産した」
「店を出したが、少し良くなると天狗になり夜逃げをした」などが、日常会話。それもあってか、
自分が瀬戸際に直面した時に、不謹慎だが、デジャブというか、その自分を冷笑し楽しんで
いる視線があった。現在も一部それがある。それらの幼児体験もあり、万一の備えを
無意識に次々と重ねていた。悪化と同時に、自動的に手順をつのが自然の道理。
30年間(事前の準備期間を入れたら45年間になるが)、創業から整理までの起承転結の
一サイクルの経験をしてみて、手じまいも、事業の最大のイベント。 最悪に見えた経験も、
奇妙な感情が支配していた。あと講釈だから、言えるのだろうが。15年以上かけ準備をし
立ち上げた事業を、その衰退を見届け、自分の手で潰すのも事業経営の一環であり、
後悔も無念の感情も残らないのも道理。 で、この本体の経済崩壊の大津波、地方では
既に到来している感がする。大方は茹で蛙状態で、知ってか知らぬふり? 
年末の選挙前後辺りにクラッシュの可能性の仮説はたてておくべきだ。年越しの
可能性もあるが、遅かれ早かれ恐慌は起きる。 日本で、この2千年の間に4回の
東日本で震度8クラスの大地震があった後、10年以内に、いずれも首都圏で直下型地震が
連動して起こっていた。 西日本では18年以内にM8クラス以上の巨大地震が起きている。
経済の7割が集中している太平洋ベルト地帯が破壊されてしまうのである。恐ろしいが
日本には失われた20年で経済が壊滅的状態。そこに少子化もあり、分かっていても、
資金が追いつかないのが、現実である。それと世界的恐慌と、デフレの問題がある。
ある日突然、何かの切っ掛けで、世界は機能不全に陥ってしまう危険がある。
そうすると、弱い国に矛先が向かう。その弱い国が、日本となる危険が非常に強いのである。 
バフェットが、一度売り抜けた金を再び大量購入をした。 イスラエルが、先手をうって
ガザ地域で戦争を仕掛けている。イランへの攻撃が始まるか? 
 ・・・・・・
3890, ギリシャ/イタリアの次は・・
2011年11月19日(土)
 ギリシャが何とか目先の命を繋いだが、これも解決したわけでなく問題の先送り。
その直後に、待ってましたとイタリアがマナ板に上がり、IMFの管理下に置かれて徹底的な
国家の合理化が図られる。 イタリアには一度就職をすると簡単に人員整理が出来ない
法律がある。イタリア人は、それを逆用して働かないで給与を貰う体質が染み付いている。 
グローバル化の世界では競争力がなくなり破綻するのは当然。IMFの厳しい合理化にイ
タリア人気質が耐えられるか?というと、非常に難しい。ギリシャ、イタリア、スペイン、
ポルトガルという一時代を築き上げた国が次々と国家破綻の瀬戸際になっている。
 リーマンショックがキッカケで、世界の多くの国が積年の矛盾が噴出し、一挙に激変の
様相になっている。それに対して指導者は、その対策が全く立たない事態で、その場限りの
対処しか考えられないのが現状。あとは何時何処で火を吹き出すか。1999年からG7に
ロシアを加えた蔵相会議が開催されてきたが、リーマンショックを契機に世界の主な国の
12ヶ国を加えたG20が年に1〜2度のペースで開催され、その対策が検討されている。
そこで何とか恐慌を食い止めているが、それも秒読みになってきた。イタリアに続いて
スペインの国債利回りが7パーになろうとしている。ここもIMFの管理国になるのだろうか。
 ギリシャ危機の9月のギリシャ国債のりまわりが136パーセントというから驚き。
現在の32パーも、危機ラインを遥かに超えている。日本だったら1千兆の利回りだから、
329兆円の利回りになる。国家収入の10倍になる。そのギリシャと程度が同じで、
数年後には、似た状態になるとしたら、ここで叫び続けていることは、まだ楽観的範疇。 
例の国の国債の利回を見て、呆然。近未来が見えている。
 <10年もの国債の利回>   ぷかぷか煙草を吸いながら川辺で車に寄って
引き潮を見ていた東北大震災の被害者の姿が目に浮かぶ。
・ ギリシャ    32.29%      
・ ポルトガル   11.52%
・ アイルランド   8.22%
・ イタリア     7.28%         
・ スペイン     6.43%   
たまたま、この数年来の同月同日に予告編?を書いていた。
・・・・・・・
3525, 死に至る地球経済
2010年11月19日(金)
  [死に至る地球経済」浜矩子 著
ー内容紹介ー
 ギリシャ危機に端を発するソブリンリスクを抱えたEUや、人民元の動向が注目される
中国など混迷が続く世界経済。長期低迷を続ける日本経済も、デフレ、資源価格の高騰、
財政危機というトリプルショックを迎えている。今、進むべき道はどこにあるのか。
グローバル経済の新しいあり方を視野に入れ、現状を分析し未来を模索する。
(第1章)では、G20サミットの苦悩にみる政策主導型成長の限界を論じ、
    「成長に優しい財政再建を目指すこと」の困難さについて述べている。
(第2章)ソブリン・ショック=国家破綻の脅威についてで、グローバル時代の恐慌は、
   いったん始れば国家財政で押さえ込むスケールを遥かに越え広がり、セスキュー
   隊員を遭難させ、その隊員の遭難が更に恐慌を深める
(第3章)終焉近い基軸通貨体制 ートリフィンのいわゆる「流動性ジレンマ」論を
    踏まえての基軸通貨システムへの代替論の提示)、どうしても「地域通貨」に
   一つの解答を見出したくなるという
(第4章)ポスト・リーマンのグローバル金融の模索、ー再暴走か、大縮減かの
   瀬戸際に立つ緊迫状態
(第5章)中国は果たして救世主になれるか? 世界経済における中国の存在意義と
   それが生み出す諸問題、経済活動は、成長と競争と分配を三辺とする三角形。
   中国は、はなはだ歪で成長だけの一輪車。
(第6章)そしてわが日本はどうすべきか。総中流に向けて忙しく働き、皆が豊かに
   なっていく時代の状況は変わってしまった。「下流社会」という言葉も出ている中、
   誰もやらないことをやるのが政策の仕事。
▼ 著者は、辛口の経済学者として著書、雑誌で度々みかけ、その論調も痛快である。
 エピローグで、ここで再び世界を不安感が覆いはじめていると警告。その不安を呼び
覚ましている言葉を二つあげている。その一つが「財政破綻」。二つめが「二番底」という。
財政破綻は、国家破綻を意味している。その二の「二番底」は「死に至る危機」が襲う
恐ろしいこと。これは当初からあったが、目先の緊急措置で当面の間、乗り切ったに過ぎず、
根本問題の先送りをしただけ。その先送りの問題が、再び立ち上がっている。
「国家財政破綻」これが、恐ろしいのである。欧州では、理想的なEUが発足されたが、
さっそく、この金融恐慌で、その脆さが出てしまった。先行き、真っ暗で、世界恐慌への
引き金を引きそうな事態に。      
・・・・・・・・
3150,「要は如何受け止めるか」である!
 2009年11月19日(木)
   「いやな気分の整理学」―論理療法のすすめ  岡野 守也 (著)
 最近、どうもこうも不機嫌なことが続く。年齢的からみて通らなければならない
60歳前半の欝症だろうか。それまでは、いやな事があっても次の事象が起これば直ぐに
切り替えが効いたのが、年齢的な衰えからから、以前のように切り替えに時間がかかり
何時までも引きずってしまう。
 いやな出来事A(失敗・陰口・争い)→ 結果C(落ち込み・腹立ち)が生じると、それは
失敗や陰口と思いこむ。しかし論理療法のABC理論は、AとCの間にB(Belief)を入れる。
出来事・A →  考え・ビリーフ・B →  結果としての感情・Cとする。
「いやな出来事と感情の間に、それに対する受け止め方・考え方があり、それが感情的な
反応を決める」要は「どう受け止めるか」である。Bで肯定的思考に変えることで、暗い性格
から、明るい性格に換えてしまう。 論理療法の創始者エリスは「ねばならない」
「であるべきだ」「であってあならない」「はずがない」という非合理な思い込みが、不健康な
否定的感情につながると指摘。「絶対にうまくやらねばならない」「私の人生は完璧で
あるべきだ」「こんな不公平があってはならない」という思い込みが、いやな出来事Aを
いやな気分に変換してしまうとする。そこで、論理的な対話型セラピーによって、非
合理的考え方、イラショナル・ビリーフを解消するのが論理療法。
*「私はまったく無力です」という人には「歩いてここまで来られたのですから、歩行能力が
あるんですよね?」と話を持っていき、ご飯を食べたのだから咀嚼力も消化力もあるし、
目が見えているから視力もあるじゃないですかという風に誘導。人間の心はおもしろいもので、
「自分は無力だ」と考えると、無力感が襲ってくる。「微力としても、力はある」と考えると、
少し力が涌いてくる。 思い込みの内容を意識して言葉として表出させて、論理的な説得を
繰り返すことで、感情の自己コントロールが可能な性格に変えようと持っていく。  
 肯定的思考法に似ているが、マイナス思考を無視するのではない。
*「落ち込み癖」を治すには
・「ダメな私」=自己非難 ・「かわいそうな私」=自己憐憫
・「かわいそうなあなた」=他者憐憫を、まず止めること。 夫婦で慰めあっているのがいるが、
「可哀想な貴方たち」ということだ。 そのうち、互いにダメな貴方になるが。そのためには
ミッション・ステートメントなど、自分の信念を箇条書きにして、それをビリーフにすればよい。
「出来事のうけとめ方」とは「自分で自分を説得すること」で、気分を合理的に整理する
方向に持っていくことになる。他にも気分を整理する働きとして、般若心教に、ウォーキング・
セラピー(こんな言葉はないが)に、日記に、カラオケに、秘境ツアーに、あげれば限がない。
私の場合は、嫌な気分の原因を集中して考え続けていると、ある時点で、消えていく。
その時間査定も、その中でしてしまう。初老性欝症状は軽く終わりそうだが、あと半年? 
その後は、慢性老人欝症かいな?
・・・・・・・・・
2785, 恐怖指数
2008年11月19日(水)
 11月17日付の読売新聞・一面の「編集手帳」が面白い。 
【 アメリカで4年に1度、注目を集める経済指数がある。大統領選の行方を占う
 指標とされる「ミザリーインデックス」である
◆日本語訳は「悲惨指数」「窮乏指数」と悲壮感が漂うが、要は物価上昇率と失業率を
 足した数字のこと。これが10を超えると、米国民は経済失政に怒り、政権交代を望むという。
 8年ぶりに民主党のオバマ氏が大統領選を制した今年、指数は6月から10を超えている。
 歴代大統領では、指数が高かったフォード、カーター両政権は短命だ
◆ 政権交代との因果関係は定かでないが、指数が上がると政府の無策を嘆く人が
 増えるのは間違いない。 実は日本も6を超え、1980年代前半以来の高さになっている。
経済政策への不信感は、相当に強いに違いない 
   (以下、字数の関係上、カットー2008年11月19日)

 


4996,暴走する世間 −10

2014年11月18日(火)

           「暴走する「世間」―世間のオキテを解析する」佐藤 直樹 (著)
   * 公共性と「世間」とは、同じでない!
 往復一時間の新幹線通勤を30年続けてきたが、そこは全国レベルの公共の場。
時どき、台風などで在来線が不通になると、一般客で満席になることがある。
そこが、公共性のある新幹線車内の「社会」と、通学、通勤の客の「世間」のミスマッチの
クロスになる。都会と田舎の違いは、両者がクロスしているか、いないかの差でもある。
それは、ネット社会でも同じことがいえる。  ーその辺りからー
≪「世間」は私たちを支配しているが、具体的にみえるモノではない。しかも「世間」は、
「広い世間」のウチに「狭い世間」が存在し、その「狭い世間」のウチにもまた「より狭い世間」
があるというように、一種の入れ子のような複雑な構造をもっている。
 問題なのは、「世間」は「共通の時間意識」をもつために、「世間」のウチの人間にたいしては
相互に「配慮」しあい「優しい関係」をつくるが、「世間」のソトの人間は、人間だとは思わない
という本質をもっていることだ。つまり「世間」は「世間」のウチにいる者を「身内」とよび大切に
するが、ソトにいる者を「赤の他人」と排除する。公共性という概念が「世間」に似ているのは、
ある種の社会的強制力をもつからである。しかし「世間」が公共性と異なるのは、「世間」が
つねにウチとソトという区別をおこない、「世間」の内部の原理がソトまで及ばないこと。
さきほどの例でいえば、「世間」のウチとみなされる町の駅はキレイに保たれるが、「世間」の
目のとどかない「世間」のソトとみなされる富士山の頂上では、この「キレイにする」「ゴミを
捨てない」という倫理・道徳は通用しない。日本は「旅の恥はか捨て」というとんでもない
格言があるが、これこそ、自分の「世間」のソトでは、「世間」がみていないので、タガが
はずれて「なにをしてもいい」ということを意味する。 居酒屋で盛り上がっている人間は
「世間」をつくっているから、他の人間は「赤の他人」であり、人間だと思ってない。
「世間体」とか「世間の目」という言葉は、その内部だけで通用するのであって、その外では
まったく機能しないのである。 花見でも同じで、世間はグループ内だけの話で、他の
グループには通用しない。最近若い女性が電車の中で他人の目を気にしないで
化粧するのも、自分の「世間」を離れたところの行為。≫
 ▼ ワールドカップで、日本人観客席が、帰り際に綺麗にゴミを持ち帰る姿が話題になったが、
  これも「世間」の特質の現れである。その世間が、神様かわりをしているとしたら、三年前の
節目から突然、私の前に現れ出てきた神様気分の、あの連中をコミック的に思えたのは
当然至極。これは、実際に経験してみないと味わえない経験でもある。世間様世界は、
面白い動物で満ちている。とすると私は、珍獣?
・・・・・・
4629, 夫婦格差社会 〜どういう男女が結婚するのか
2013年11月18日(月)
        『夫婦格差社会 - 二極化する結婚のかたち』橘木 俊詔 (著), (その他)
   * 結婚相手に何を望むのか ー
 ∵ 「なぜ一夫一婦制なのか?」に、
第一に、子供を養育する義務があるのは、男女の関係を結んだ一組を明確にするためである。
大昔は、生まれてくる子供の親が特定できないことが多々あったため、養育に支障をきたした。
一夫一婦制で子育てを義務化することができる。第二に、キリスト教などの倫理観から生まれた。
性の乱れを防ぐ目的もある。第三に、弱者保護の目的である。権力、資産、容姿、体格、知能
などを有する以上、弱者と強者が出てくる。強者が多くの異性を抱え込んで、弱者が異性から
排除される事態を防ぐための人類の知恵としての制度という学説がある。
 ∵ 「何故、男女が結婚をするのか?」に、「相補説」と「類似説」がある。
 相補説は、互いに違った点をもち、補完できるような組み合わせの方が結婚生活は、
うまくいくと考える説。類似説は、素質の似た者同士の方がうまくいくという説。補完説
でいえば、経済力がない人は、経済力のある人を、精神的に弱い人は、心の強い人を、
背の高い人は、低い人を求める、ということになる。自分のない部分を相手に求める。
一方、類似説では、背の高い人は、背の高い人を、低い人は、低い人を、美男は美女を
求めるなど、同じ素養、素質を共有する方が、相手の欠点を気にしないで済む。
人と好み、育ってきた環境で異なる。人それぞれの優先順位で変わる。
  ∵ 「未婚者は相手に何を望んでいるか?」に、
第一に、男女とも相手の人柄で、具体的に会話が弾み、結婚生活をスムースに進む相手、
第二に、「家事能力」である。第三は、男女とも大きく異なるのが、職業と、学歴。女性の
9割は経済力、男性は4割でしかない。まだ男女の役割分担の意識が高いが、学歴に関して、
男女とも同類婚を望んでいる。
  ∵ 「見合いか、恋愛か、どこで出会うか?」に、
 大まかに分けると、職場と、友人・兄弟姉妹を通じてが、それぞれ30%。
学校が10%。サークル、街中、アルバイト、見合いが、それぞれ5%と9割を越す。
見合いが低いが、結婚紹介所の出会いが、それを補完。
▼ 世界のおお方が一夫一婦制のわけや、何故結婚をするのか、何を相手に望んでいるのか、
が解りやすい。殆どの人は、学歴も、家柄も、容姿のうち、二つが揃っていれば良しとして
結婚するしかない。誤解で結婚をし、理解し合って、離婚するのが、今では3〜4組に一組。
世の中、すべからく妄想でなりたっている。その最たるのが結婚の妄想。青年期を振返ると、
女性の方がシビアで、見るところを見ていたようだ。それで、決まってしまうからだ。
・・・・・・
4264, しまった!  ー12
2012年11月18日(日)
         ー しまった! 「失敗の心理」を科学する ー ジョゼフ・T・ハリナン (著)
   * 人生の財産 ーこの著書を総括するー 
 瞑想は、静かに独り座し、心を沈め、バイアスのかかった自分を見つめ、かえりみること。
ある人は、「飛行機のビジネスクラスで世界を移動することを仕事の核にしている」という。
10時間以上の、まとまった時間、ただひたすら、黙想する。その時、深い何かに触れるという。
前回の旅行でエコノミーの席だったが、耳栓をし、同じように、ただひたすら黙想をしてみた。
「一万メートル上空で、時速千キロ以上のスピードの空間の半睡のような黙想体験は、言葉で
表現し得ない悟りというか、マドロミに包まれた夢のよう。 考えるでなし、何かの思いが
浮かんでくれば思うまま、半睡状態にいる。それが飽きることなく(トイレと食事以外)、
その状態。宇宙と一体になっているような、何かから解放されているような永遠な何かと
一体になっているような。疲れ果てたとき、決断したいとき、頭を整理したいとき、ただ、
あの空間で、飲食のサービスを気ままに受け、自然体で黙想するには理想的空間である。
高速の移動空間は、脳内活動を活発にすることは新幹線内での読書で経験していた。
学生時代の友人の娘が日航のスチュワーデスをしていて、小泉元首相が外国への飛行での
機内専用サービスの担当になった時の経験談を聞いたことがある。
「10数時間、お茶を一口飲んだだけで、ただ眠り続けていた」という。あれは疲れで
寝ていたと同時に、黙想?もあったのだろう。 過去に機内で同じ状態でいた時間はあったが、
ひたすら10数時間を黙想状態にしたのは初めての経験だった。 時間とお金に余裕があれば、
充分価値のある時間になると、納得。この経験から、ひとつの習慣が出来た。休日などで、
ふと何もすることが無いとき、独り寝室で半睡をする。大体30分〜1時間。ただ目を瞑り、休む。 
この春から始めたヨガで、最後の5分、マントラを聞きながら大の字で弛緩する。
これも機内と同じ状態。好きなことに熱中している時も、これと似ている。この時間こそ、
人生の財産である。私には時間という財産だけは充分にあった。装置産業を選び、それゆえに
固定化されたマイナス面があったが、反面、自由になる時間が充分にあった。これこそ財産。
秘境ツアーに、読書に、パソコンに・・ 日本人には、何もしないと価値のない時間と思い込む
妙な習性がある。定年をむかえ、それまでの延長に生きている人が、あまりに多い。
私も似たようなものだが、改めて、じっくり時間の過ごし方を考えなければ!
・・・・・・
3889, 積極的逸脱 ー2
2011年11月18日(金)
 積極的逸脱は、その視点で捉えると多くの分野で見て取れる。
ベターに妥協せずベストを求めた結果の現象が逸脱になる。天才と秀才の差は逸脱を
しているかである。秀才は決して逸脱はしないで、その世界の価値観の中で頭角する。
野茂がメジャーに行き、その後にイチロウ、松井秀喜が続いた。初めてのチャレンジは
逸脱と捉えられがちになる。彼らは天才、それとも秀才だろうか?
日本のレベルを超えているので、日本では天才、アメリカでは秀才? いやイチロウは
アメリカでも天才だろう。そう考えると天才、秀才は比較の問題。とすると、自分で地元で、
積極的逸脱をしていたと思っていたのは、自己詭弁でしかなかったことになる。
単なるアウトサイダー、ハグレモノ。天才は、対象に没頭するあまり誤解のベールに包まれ
逸脱者として扱わた。ところで、酒や薬でトリップするのを積極的逸脱というのか?というと、
それは違う。前回、書いたが、40・50歳代に多くの問題が重なり、そのストレス解消の
ため秘境旅行に数多く行ったが、これは日常からの積極的逸脱であった。
その総量のエネルギーと感動は、その他の人生の総量と同じぐらいはあった。
人生の積極的逸脱で見られるのは、40歳半ばから50歳で一線を引退し、早々に自分の
趣味の世界に入る人がいる。江戸や明治時代には多く見られたが、現代では経済的事情が
あり、そんな優雅がことは難しい。 いや、それより、早々に産業廃棄物扱いをされてしまう
恐怖感が壁になっている。 私も結果からして、10年前に会社を売却して、第二の人生に
入った方が得策だった?と考えたが、それは後講釈。どちらにしても結局は同じ。 
事業に「たら、れば」はない。積極的逸脱もあるなら消極的逸脱もあってよい。
一般にいう落伍者である。落伍による失意の果てに待っているのが自死。
これも、あの世への積極的逸脱と考えられなくもないが、好き好んで自死をする人は
皆無に近いから、消極的逸脱の果てになる。 鎌倉時代中期の僧侶一遍は時宗の開祖。
「捨聖(すてひじり)」と尊称された。捨てて捨てて捨て去った人。
 ・・・・・・
3524, 「人・ひと」と、「人間」の違い
2010年11月18日(木)
 私たちは「人」と「人間」の違いを意識せず何気なく使っている。しかし、そこにはハッキリ
した違いがあるようだ。 この違いについて膨大なエネルギーで和辻哲郎が研究している。
【 和辻哲郎は「人・ひと」と、「人間」の違いにこだわり、これがどのように混同されて
使われてきたかを、英語、フランス語、ドイツ語などと比較対照しながら、考察を進めてきた。
日本語に「われひとともに」という言葉があるように、「ひと」「人」はわれの人としての自覚から
始めて、他人を意味している。そのうち「ひと」は「人は言う」や「人聞きが悪い」などのように
世人・世間の意味に用いられるようになった。 では、「人間」という言葉はどうか。
これは、人に間の字を添加している。間を加えるとすると、すでに「ひと」「人」は、自、他、
世人を意味しているのだから、そういう人の間を意味し、そういう人の間の関係を示すという
ことになる。人間とは世間であり、世界でもある。和辻は「法華経」や、その原典に関わる
古いインドの神話まで渉猟して、人間とはあくまで人間社会のことであって、天上や自然界に
関わるものでないことを実証している。】 ( 哲学者の言葉100 −稲垣真美著 p‐37 )
 〜「人間は、人の間の関係を示す」とすると納得する。人は人との関わりあいの中で、
人間になっていく。また、それは人だけでなく、我われを産み出してきた根源といわれるものと
発展していくが、それは、人間の意味に、あくまでも含まないとする。根源を含め人間というと、
それぞれの自己絶対化が生じてくる。人は人間関係、社会を通して人間になっていく。
書物を通した色いろな人物もである。「出会い」こそ、人を人間に変えていく。
 ・・・・・・・・
3149,つれづれに ー閑話小題
 2009年11月18日(水)
  * 論理的思考とは
毎日、二〜三時間かけてレポート1〜2枚分の文章を書き続けて8年半経つ。
自分のメルクマールのため続けているが、この習慣で得たことは「インプットした知識もあるが、
各種の題材を探し出し、その要点をまとめ上げる過程で身に付いた本質を見抜く視点と、それを
起承転結にシンプルにまとめる論理力がついたこと」理構成力こそが、自分の核である。
その核?はウネウネとトグロを巻いているようで、ブラックホールのようなトンネルの先の別世界
に繋がっているようにも思える。大した論理構成力でないが、その蓄積と、その発酵は、
トンネルの先で起こっているようだ。純真の視点ということか。何かのイベントに参加すると、
その事象をスラスラと文章化できるようになったのが一番の収穫である。
それは記憶のパッケージ化をしていることになる。その蓄積は人生経験を豊かにしてくれる。
デジカメで日常の写真を撮り、そこに言葉を添えて毎日の日記帳にすれば、それだけで
豊かな気持ちになれる。 その人によるが。
  * ブルーレイ録画機
7年間使ってきた、DVD録画機が故障を始めたのでブルーレイをネットで買った。
量販店の7〜8掛けである。  (字数制限のためカット2011年11月18日)
  * オモシロ、オカシク
(字数制限のためカット2011年11月18日)
 ・・・・・・・・・
2784, こんな経験したことありますか?
2008年11月18日(火)
 下記に近いことを、私は何度も経験している。人間の五感が受けるのは、普段動いている
五感の範囲のことでしかない。犬は数万キロの彼方の子供の泣き声を感じ取れるというし、
象は遠くの仲間の音波信号を感じ取れる。以下の内容は不思議でもなんでもない。
普段は動かなかった感覚が動いただけのこと。絵に残った痕跡が著者の心の奥の何かに
反応し、墓に感応しただけ。でも、何ともいえない著者の心の内が顕れている。 
  *うぶだしや*             (うぶだしや=遺品買取屋)
「大正の末か昭和初年でしょうか?職業画家のものにはみえない」それらは令嬢の死を
いたむものだった。ほかにもたくさんの政界の名士が弔辞をよせていた。令嬢は長く病床に
あッたという。肺を病んでいたのだろう、と私は思った。友達が学校に通い、結婚していく
なかで、令嬢は、ずっと病床にあって、死病に向きあっていたにちがいない。
思えぱ、日本画に描かれているものは、彼女が送ることのできなかった女の幸せな日常
ばかりであった。彼女は、死にゆくなかで、絵筆をとり、現実には、自分が送る二との
できない憧れの生活を描きつづけていた。そのせいか彼女の残した日本面はどこか畏様な
気配がただよっていた。日本画は通信添削で習っていたのか、絵の裏に、師匠の画評が
書き込まれていた。 彼女の遺品のなかに「磨かずぱ玉も鏡もなにかせむ学びの道も
かくこそありけれ」と書かれた額があった。昭和皇太后の肉歌であった。
私が、それをながめていると、うぶだし屋が、そっといった。「これ!もう売ったんですか?
一枚だけでいいですから、ぼくに売ってください!」「ようござんす。まだ商売になっちゃいない。
一番、いいのをひとつ選んでおくんなさい」うぶだし屋は、大きくうなずいた。うれしそうであった。
私は、髪をたばねた少女が着物にエプロン姿で立ち、カフェで給仕をしている絵を一枚えらんだ。 
お代は二千円。このうぶだし屋は、ただ同然で品物をゆずるときは二千円ときめていて、
だまって指を二本たてる癖がある。私はその絵を大切にした。箱にいれて、しまっておき、
ときどき取り出しては、うっとりとながめた。画中の女は、美しいというより、どこか寂しげ。
だが、あるとき、ほかの骨董屋に、こんなことがあったと、右のいきさつを話したら、その骨董屋の
顔色が変わった。「先生、そういう品はいけません。それ死人の念のこもった御品です。
悪いことは申しません。御縁が遠くなりますから、ご供養のうえご処分なさい」たしかに、
それからというもの、私はいくら結婚したいと思っても、まったく、縁がなかった。
(やはり、あの女の絵のせいではなかろうか…と思ったが、どうにも絵を捨てられない。
捨てられないと、こだわるほど、悪いことが起きそうな予感がした。 ところが、しばらくして、
信じられないことが起きた。ある妙齢の女性から花見の誘いをうけた。 顔は知っていたが、
それほど親しいわけではない。なのに突然、電話がかかってきて、「青山墓地の桜が縞麗だから
二人で見にいきませんか?」という。こういうことはまるでなかったから、素直に、誘いにのって、
いくこことにした。桜は美しかった。墓地に眠る人の命を吸っているから、美しいのだろうと。
私は、はずかしいから地面をみて、女性のうしろを、とぼとぼついて歩いた。
私は女性の顔をちらりとみた。青白い気品のある横顔であった。体が弱いのか、のどくびを
覆い隠す洋服を着ている。しばらく墓地をみてまわったところで、女性がいった。
「桜、きれいね」そのと教私は背後になにか気配のようなものを感じた。目をあげると、
そこには、信じられないないものがあった。あの日本画をかいた乃木坂の令嬢の墓石であった。
「享年二十七歳、昭和九年没」と刻まれていた。地の底から女が、じっと、こちらをみている
ような気がした。 気味が悪くなって、それっきり、その花見の女性とは会わなくなった。 
二十七歳で死んだ女の絵は、いまも私のもとにある。
 ▼ 私なら、花見の女性と深い因縁があると考え、一歩踏み込む。
 そして、その墓の若い女性を自分の守り本尊にし、毎年、花見に来て、墓に祈るだろう。
いや、感謝をする。何で気持ちが悪いのだろうか? まあ、いいか! これも解釈の一つで
しかないが。 桜には霊気が満ちているというが!
・・・・・・・・
2007年11月18日(日)
2419, 『楽天主義』
      *ヾ(´∀`o)+。才ノヽ…YΘ! 
 『楽天主義』ーヘレン・ケラー著            ー読書日記
 この本を図書館で見つけ、数ページ読んで、その行間から溢れ出てくる光のような
メッセージに驚いた。    


4995,河合隼雄 ー私が語り伝えたかったこと 〜①

2014年11月17日(月)

                 ー私が語り伝えたかったこと〜河合隼雄著ー 
   * 「三年寝姫」ばななが過ごした‘さなぎ’の時期
  次の一節に考えさせられた。人生に無駄なし!である。
≪ 先日、テレビの番組で、作家のよしもとばななさんと対談をしました。
ずいぶんと面白い話を聞かせてもらったのですが、その中で、「三年寝太郎」
ならぬ、「三年寝姫」という話がありました。「高校時代の三年間、私は寝て
通しました。教室の中でも、両手の上に頭をのせて寝てばかりでした」と、
よしもとさんが言われるのです。以前から私は、「思春期さなぎ説」を唱えています。
毛虫が蝶になる前にさなぎの時期が必要なように、人間も、子どもから大人に
なる前には、さなぎのように閉じこもり、内面的な変化を乗り切っでいくというもの。
この変化がさなぎの殻によって守られず外に向かって出ていくと、思春期の
破壊性を持った行動になるが、よしもとさんは、三年間、さなぎの時期を寝て
過ごしたわけです。そのことが、後の作家としての大きな成長に役だったことは
言うまでもないでしょう。それにしても、この間、よしもとさんが‘寝ることを
許していた’高校の先生方も、大したものです。もしそうでなかったら、
よしもとさんはきっと不登校生になっていたでしょう。ちなみに、よしもとさんの
お父さんは哲学者の吉本隆明さんですが、奥様ともども、ばななさんの意思
を尊重して、その三年間を黙って見守っていたそうです。 間違ってもらっては
困るのですが、思春期の子どもは放っておけばよいと言いたいのではありません。
それは一番困ることです。その子の成長に関心は持っているけど、ある時期は
見守るだけにしておく、こういうことも大切だと言いたいのです。よしもとさんの
御両親にしても、高校の先生方にしても、その点が大したものだ思ったのです。
そもそも、見守るということは、その子に対して何かをするよりもはるかに
エネルギーがいることです。≫
▼ ここには多くの示唆がある。私にとって受験のための高校生活は思い出したくも
ない時代。悪いことに鼻炎に悩まされ、机に向かうと頭が重くなるが、山ほど記憶
しなければならない教科がある。何とか卒業は出来たが、更に一年の浪人生活を
加えた『空白の4年間』。それもあって記憶から切り捨てていた。
 もし希望校に入っていれば別だったのだろう・・ しかし実は、この期間を
「さなぎの時期」として見直すと、多の側面が思い当たる。 私にとって一番
面白く恵まれていた時節は、学生時代を加えた20,30歳代。
その中で特に20代。 その背景には、この4年間があったという見方もできる。
読書習慣で培われたベースがあるわけでなし、何か夢中になったこともなし、
ただ、お受験の重圧の中、ただボ〜ッとしていた暗い日々! 
これが実は「思春期さなぎ説」の切り口で捉えると・・ 成るほど! 
この年齢で気づくことが、あまりに多い。 振り返ると、「してしまった後悔より、
しなかった後悔」の方が、遥かに悔いが残っている。 しかし、「さなぎ」の時節を
改め肯定すると、新鮮な切口になる。そのまま一生ボ〜と過ごす人もいるが、
どうだろう? それは、蝶か蛾によるのか。フランスでは、蝶と蛾は同じというが・・ 
 以前、ここで取上げた『ぼんやりの時間』辰濃 和男 (著)に、「ぼんやり」と
響き合う5つの「一文字」がある。  
1、「闇」―蛍と星とダークマター  2、「独」―独りでいること   
3、「閑」―逆茂木に囲まれて   4、「怠」―「1日4時間労働」の夢  
5、「懶」―心の余白  ー彼女は、この世界に浸かっていたのである。
・・・・・・
4628, 閑話小題 ー相棒 〜国民的刑事ものシリーズ
2013年11月17日(日)
   * 相棒 〜国民的刑事ものシリーズ
 一昨年の春以来、見始めたTV番組のが「相棒」で、平日の16時前からの
一時間のスケジュールに込んでいる。10年以上続いた刑事ものドラマの再放送である。 
ー概要をウィキペディアでみるとー
{ 優秀なキャリアでありながら、ある事件の影響で出世コースから外れ、警視庁内の窓際部署
「特命係」に追いやられた警部・杉下右京(水谷豊)を中心にした刑事ドラマ。いわゆるバディ
ものであるが、相棒は3度変わっている。1話ごとの基本的なプロットは、超人的推理力・
洞察力を持つ右京が犯罪者を理詰めで追い詰めていくというミステリ的なものだが、その一方、
全体的なストーリーとしては『踊る大捜査線』が打ち出した警察組織内部のいざこざを描く
警察ドラマ路線を更に推し進めたものであり、警察組織のみならず、官僚・政治家の権謀術数を
描いている。 2000年6月にテレビ朝日系・土曜日で、単発ドラマとして放送され、
2002年10月より連続ドラマとしてシリーズ放送されている}
▼ 団塊世代以上のリタイアー組を対象としての時間帯の再放送。その対象の一端に
私も入ってしまった。 一年ほどして、家内に「これって、現代版の水戸黄門でないか。
トップ直通のルートを持った東大卒の歪んだ元エリートが、最後は国家権力を振りかざし悪と
対峙する勧善懲悪ものじゃないか」というと、「今まで気づかなかったの?そんなのは、
当初から言われていたこと」という。12年も続いているので、過去分は、まだ2割も見てないが。 
馬鹿馬鹿しいと思いつつ、見ているが、内容は凝ったものが多い。刑事コロンボの逆の、
キザの東大卒の刑事が、相棒と様々な事件を解決する。その一つに、研なお子が、
明らかに美川憲一を思わせる役柄のタレントの犯人を演じたのが傑作。再放送直後、
家内が知人に、「あれ見た? 凄く面白かったわよ!」と、いう。オバサマたちの多くが、
見ているという。もう一つ、面白かったのは、岸恵子がフランス帰りの「岸恵子」そのものの
キャラを演じた犯人役のドラマも、なかなかのもの。  

・・・・・
4263, しまった!  ー11
2012年11月17日(土)                      
 * 人生の財産  ー総括するとー1
 〜ー しまった! 「失敗の心理」を科学するージョゼフ・T・ハリナン (著)
人の幸せについて研究してきた学者が同僚とともに、結論に達した。
《人生の資産はお金でなく時間である》と。人生の大きな転機に起こる大きなまちがいに
「時間の過ごしかたを変えない」ことがある。やろうと考えていた新しいことでなく、人は、
これまでと同じことをするのに時間を費やしてしまう。人生を精巧に作り変えるには、
決意と自制が求められるが、難しいのである。人の幸せは、どこに住むかでなく、自由になる
金があるなしでなく、時間をどのように過ごすかにある。それを忘れて、思い切った割り切りを
しないことが人生の最大の「まちがい」になる。 この「失敗の心理」から自分の思いあがりや、
固定観念の殻に気づき、苦笑の連続であった。人間は、間違いを犯す動物であり、それを
前提にして、いかに間違いを減らすかである。 それぞれに人間はバイアス(体系的偏見)
がかかっている。それを知り、自覚することは可能である。多くの知識の蓄積が教養だが、
バイアスの自覚も、その効用のひとつになる。 それぞれの人間のバイアスは面白いほど
ケッタイである。気がつかないから、本人にとって悲劇、他からみたら喜劇にみえる。
間違いを少なくするには「小さく考えること」。間違えは意外と身近な些細なことから生じている
ことに気づくこと。私たちの重大な決断も、考え抜いた末に、印象で勝手に決めつを避けている
つもりだが、しかし結果は、大きく影響されている。考えることを嫌い、こうなるはず、という
直感に従ってしまう。私たちは見ていて見えてないのである。知っていても理解してない。
そのことを、まずは自覚することから間違いを減らすしかない。それでも、頑強なバイアスが
脳の奥底に強固にこびりついて思考、行動を規制している。節目に、それが現れ出てきて、
大きな壁となる。ところで現在の状態に、あまり不満はない。毎日の生活が自然のままだから。
知りたいこと、楽しみが絶えないこともある。失敗も成功も人生の内である。それも考えて
みれば裏表、一過性の現象でしかない。死んで三日もすれば、永遠の彼方に過ぎ去る。
・・・・・・
3888, 第二の人生は、「自由の刑罰?」
2011年11月17日(木)
 サルトルが「人間は自由の刑に処せられている」と述べた。自由は人間の求めるところだが、
突然の倒産や、会社に不満を持って辞め、いざ自由の身になると何も出来ない自分に直面して
戸惑うのが人間の常。私も初めて会社勤めで、その過酷の仕事に疲れはて、再び大学に
入り直したが、もう社会的には傷物。その後、事業を始めるには、まだ能力不足で、再度、
金沢にある会社に入り直し鍛え直した時の苦しさは筆舌に出来ないほど。 
 何とか踏みとどまっていたが、逆に、その立場の視線で社会を見ると、多くが見えてくるもの。 
結果からみて、それは予定挫折であった。自由は厳しいものである。「なるほどサルトルのいう、
自由は不自由!とは、このことか」と骨の髄まで思い知った。結局は自分の思いは、
思いでしかない。その経験を人生の前半に何度か味わってきたので、今回の事態では、こんな
ものかと冷静にいることが出来ている。それよりも65歳の現在、人生を振り返ると、40年近く
自分で事業を起こし、独立独歩であったことが、如何に恵まれていたか。
自由を自分のものにして、判断をし、その結果をプラスもマイナスも直接感受出来たことは、
最大の人生の収穫。自由の不自由を克服し、不自由の苦悶の褒美として、自由の使いこなしが
出来たことほど、幸せなことはない。サルトルは実存主義者だが、人間の本質は
「投企=取捨選択しながら未来に向けて自己を投げ入れ人生を切り開く」存在であるとし、
実存が存在に先立つとしている。しかし老年になると、その未来が少なく感じ、人生を切り開く
前に絶望が先立つから困ったもの。自由と平等と博愛の社会は理想だが、こと個々人になると
非常に難しい課題。「自由の刑罰」の獄死か、獄内で、うち拉がれている人の山? 
それが世間という世界である。
・・・・・・
3523, 都市型狩猟採集生活
2010年11月17日(水)
   「ゼロから始める都市型狩猟採集生活 」 坂口 恭平 (著)
 先日、「新潮45・9月号」を図書館から借りてきたが、そこに養老孟と設計士兼作家の
坂口恭平の対談があった。「都市型狩猟採集生活ー対談」がテーマで、上記の著書の内容に
ついての対談。彼は巨大建築物を設計することに違和感を持ち、これ以上、新しい建物を
作っても仕方ない、それより現在あるものを転用したり、人が見捨てた場所を転用したりすれば
いいと考え、路上生活者の家に興味を持った。都市から溢れ出た「ゴミ」によって作られた
工費0円の家。その写真集「0円ハウス」まで出版。たまたま図書館で、その写真をみたことが
あるが合理的だ。 路上生活者は都市に落ちている余剰物を「自然素材」と捉え、それらから
家を建てている。彼らにとって、都市は鬱屈したコンクリートジャングルでなく、資源ゆたかな
世界に見える。 坂口は、廃棄されるゴミを山や海の幸のように〈都市の幸〉と名づけた。 
彼らは“都市の幸”で暮らせば、政治、経済、労働、あらゆるものから解放され、自分自身に
しかできない生活を獲得している。
ー以下の文章はアマゾンの書評にあったものをコピーしたものだが、なかなか考えさせられるー
*「アルミ缶拾いは他人よりも先に拾わないといけない生業なのに、達人たちの話を聞くと、
みんなあまりガツガツしていないことに驚かされる。ようするに焦ってはダメなのだ。採集した
あとは周囲を掃除する位の心の余裕が必要だ。そんな姿を見ている人がいる。 それが
次の顧客との出会いにつながるのである。」 (p.68)
*「高い解像度で都市を見ることができるようになったきみは、社会のルールを何一つ
変えることなく文句一つ言うことなく、独自の生活をつくり出すことに成功する。・・・  
社会システムは、いくら変化させてもまた同じ循環を繰り返し、人間を苦しめつづけるだろう。
それよりも まず、きみの精神、視点、創造性を変革させるのだ。
 ・・<都市の幸>で暮らすことは、きみが起こすことのできる唯一の革命なのだ」 (本書P148)
*「路上生活者支援に積極的なのはキリスト教会であり、それに比べて仏教寺院の多くが
冷淡なのはどうしてか?」
   ーこの対談の最後に坂口と養老の言葉がよい。
 坂口:意外だったのは、「都市型狩猟採集生活の民」たちが、激増する自殺に危惧の念をもって
いたこと。彼らは、 「自殺する前に、なぜうちのバラックのドアを叩きに来てくれないのか?」
という。うちの手伝いに来て、 アルミ缶を一緒に拾ってくれれば、金なんかなくても生きていける
のが分かるのに、なぜ相談してくれないのか、と。  人生を失敗し、すべてを失ったと思っても、
絶望して死を選ぶ必要がない。「どん底に落ちたら、とりあえず周辺を歩け。歩けば何でも
見つかる」と、住民の酋長といわれる男が言っていた。養老:身体を使うことは大事。
私が好きなイタリアの箴言に「どん底に落ちたと思ったらそこを掘れ」って。
▼ 日本にトレーラー・ハウスの住人が少ないのは、公営住宅などが揃っていたり、
生活保護などの支給があるからか。それにしても、ホームレスの仮設住宅?に合理性を
見出すとは、感心させられる。カラスも雪国でチャンと冬を越せる。何か無駄なものを人間は
持たされてしまったのではないか!立って半畳、寝て一畳というが、老後の心配で節約など・・
・・・・・
3148,殺人事件の半分は家族内殺人
 2009年11月17日(火)
 先日、図書館で「新潮45・2009・7月号」{殺人事件の半分は家族内殺人}ー橘由歩 
のレポートが目に入った。子供の頃から両親に、「それぞれの家には必ず問題がある。
だから、あまり深入りをしないこと」と言われてきた。しかし、このレポートの題目をみるまで
『殺人の半分が身内』とは知らなかった。さらに知人の殺人が9割を占めるというから驚き。
これまでは、家族内殺人はイメージとして1〜2割である。いや、もっと低い。
それだけ家族内では問題が発生していることになる。彼女の著書で取り上げている
10人の家族内殺人者の共通点がDV被害者というのも印象的である。
  ーまずは、一番印象的な部分を書き出してみるー
≪ 本書に登場する10人の殺人者に共通するのが、虐待家庭で育ったということだった。 
 子どもとは本来、親の愛を求め、親からありのままの存在として認められ尊重されたいと希う。
それをどこかで歪めなければならなかった子どもたちだった。
自分の心を育てる時間を持てなかったということだ。 その空っぽな心が、他者への依存を生む。
 前述の母親たちは、子どもによって自らの空虚感を埋めてもらおうと子どもを使った。
だからこそ、子供に依存し、子どもを自分の為に使ってはいけないということだ。
子どもが心を育てる場所と時間を、大人は決して奪ってはならないと。≫
  ーー
  多くの若い人を採用し、教育過程でみえてくるのは、両親の子どもに対する影響である。
 特に母親の甘やかしと将来への依存が、子どもに大きなマイナスを与えている。 子どもに
とって厳父と優しい母のバランスが必要不可欠。 夫にとって、妻が一番危険であり、妻に
とっても夫が危険である。 親子も同じことがいえる。 家族に殺される確率は1千人に1人
というから、ありそうなことである。 自分で自分を殺す自殺は、身内とはいえないが他殺の
20倍になるという。一番恐ろしいのは自分ということ?
  ーー
 「身内の犯行」 橘由歩著  ーネットよりー (字数制限のためカット 2010年11月17日)
・・・・・・・
2783, 外は広く、内は深い
 2008年11月17日(月)
日本総研会長の寺島実郎が文芸春秋の中で『新編 東洋的見方』(鈴木大拙著)に
ついての文章の一節である。
【・・・大拙の語り続けたことを集約すると、「外は広く、内は深い」という言葉に行き着く。
「独りよがりではいけない」そして「自らを失ってはいけない」ということで、
「眼と心を星空に向け、その眼と心をもって世界を見直すこと」という言葉は心に沁みる。
西洋的な見方は分別的知性であり、「分けて制する」、つまり主客を分別することで知の
成立を図る思考であり、そこから一般化、概念化、抽象化という体系が生まれ工業化
産業化が成功裡に展開される土壌になったと大拙はみる。他方、東洋的な見方は対置
概念を退け、主客未分化のまま「無分別の、分別」によって円融自在に全体を捉えようと
する知性である。西洋に真摯に向き合いつつ、論理万能の分断的知性の限界を大拙は
見抜いていた。ある時、弟子が「禅の話などアメリカ人に分りますか」と尋ねたという。
大拙は「君たちには分るのかね」と答えた。 大拙の本質に迫る話だと思う。】
 〜己の人生を振り返りと、「狭い世界の中で、浅い知識」を振り回して生きてきただけの
輪郭が見えてくる。    (字数制限のためカット 11年11月17日)
・・・・・・・・・
2007年11月17日(土)
2418, よく生きる −3          才ノヽ∋―_φ(≧ω≦*)♪
宗教の問題も、それぞれの人間にとって大きな問題である。日本人が平気で外人に
「私は無宗教」と言うと、腰を抜かさんばかりに驚くとか。多神教の風土が無宗教と言わしめる
のだろうが。しかし著者の次の内容は、宗教の必要性を解りやすく説いている。
私達は大いなる根源から送り出され、そして根源に帰って行くのだ。
その道筋は、それぞれ違っても行きつくところは同じであろう。その違った宗教観を持った
人の集まりが社会である。宗教観と社会観を理解してないと、よく生きることは出来ない。 
 ー その部分を、「まえがき」の部分から抜粋してみる ー
(3)さて、人は自己を実現して自分の存在を確保し、他者との交わりによって愛の喜びを
味わっも、挫折、病気、老化、それが第三の論点、すなわち宗教の問題です。この問題は
一言でいえば、私たちと私たちの存在の根源、言い換えれば、宇宙のすべての存在者の
根源との関わりの問題です。この根源は、人類の中で、存在、神、絶対者、道、天、空、
ヤーヴェ、仏、アラー、ブラフマンなどなど、いろいろな名前で呼ばれてきました。要するに、
私たち個々の存在者はこの根源から送り出され、死を通しての根源へと帰るのです。
このとき、この根源を善意に満ちた親と考え、優しい親元へと帰るのだと信じることができれば、
安らぎが生れるでしょう。それはすべての存在者を生み出した根源ですから、そこでは
自分と他老の区別が意味をなさなくなる。それが自他不二の世界であり、絶対者の懐に
抱かれて万人が肯定される世界です。ところで宗教的人間は、一般に特定の宗教に献身
していますが、人類の歴史を血まみれにした宗教戦争の惨禍を乗り越えるためには、各人が
自己絶対化を捨てなければならないでしょう。多者共存が人類共生の不可避の前提となった
現代においては、それゆえ、すべての偉大な宗教がそれぞれ異なる道を通って共通の根源
へと向かっていると考えるべきでしょう。普遍的な霊性が肝要なのです。
 (4)そして最後に、第四点目として社会の問題があります。人間は本性的に社会の中で
生きる存在者ですから、どのような社会を作るかは人間の幸福にとって死活の問題です。
人類は、おしなべて初めは王制から社会を作り始め、やがて貴族制へと移行し、それらの
劣化した形態である独裁制、寡頭制を経て、現在ではデモクラシ喜最良の社会形態として
是認しつつあります。  (字数制限のためカット 11年11月17日)


4994,閑話小題 〜一昨日はシネマ鑑賞の日

2014年11月16日(日)

   * 一昨日はシネマ鑑賞の日
 一昨日みたシネマ「イフ・アイ・ステイ」が面白い。前週の予告で、女子高校生の臨死体験に
惹かれてみることにしたが、テーマは思春期の恋愛と苦悩があら筋。ストレス解消のドンパチ
ものの中で、たまには、これも良いのではと・・
 一家4人が交通事故で両親と弟が死んだ中、集中治療室で危篤の女子高生が病院の中を
彷徨っている。そして、その直前までの日々の世界が、彼女の意識下で映し出されている。
 みていて私の人生69年近くの生涯が、主人公の17年の記憶と、病院の中の彷徨いが、
この3年半と重なっていた。 毎晩、夜半の1〜3時辺りに目が覚めると、この映画の臨死体験と
同じような意識下で過去の世界を夢遊をし彷徨っている。意識を白い塊のイメージをして、
思い当たった記憶に集中する。余命半年、3ヶ月と宣告されると、この濃度が強くなり、
それまでの人生と同じぐらい生きるらしいが。   ーその内容といえばー
≪ ミア17 歳、高校3 年生。親友と呼び合える友達がいて、つきあい始めて1 年の大好きな
 彼氏がいる。将来の夢はチェロ奏者。今はジュリアード音楽院への入学をめざして猛練習中。
そんなミアを、ある雪の朝、突然の悲劇が襲った。一家が乗った車に対向車が突っ込み、ミアは
一瞬にして家族を失ったのだ。病院のベッドの上、昏睡状態のままのミアの目に映ったものは、
ベッドに横たわる自分の姿と幸せだったこれまでの人生、そして、彼女を死の淵から呼び
戻そうとする人々の姿。 いつもと変わりなく話しかけてくれるおばあちゃんの声。
「辛いなら頑張らなくてもいい」と言って泣いたおじいちゃんの涙。親友のキムと、看護師の
制止を振りきって来てくれた最愛のアダム。彼らはミアに何を語り、ミアはそこに何を見るのか。
事故から決断までの24 時間が描かれる。≫
▼ シネマも、少し見方を変えると、内容が全く違って見える。最期は、このような意識の
 混濁の中で、「あ〜面白かった!」の言葉と同時に『プチッ』とシャットダウンするのだろう。 
その時{もっと知っておけば、働いておけば!より、もっと楽しんでおけばよかった!}と思うはず。
そうすると、まだまだ楽しみが足りてないことが、よく分かる。でも、人生、面白かった! 
 そして、いま今日此の頃も。それでも、まだまだ楽しみが足りてないようだ。 さてと・・ 
何して遊ぼうか? 
・・・・・・
4627, 夫婦格差社会 ー2
2013年11月16日(土)
    『夫婦格差社会 - 二極化する結婚のかたち』橘木 俊詔 (著), (その他)
  * 夫と妻の所得の関係 ー不平等の鍵はどちらに
 奥さんがリッチか、有業かどうかで大きく違ってくる。一人の収入で二人口より、二人の
収入の二人口の方が長い年月で大きな差が出てくる。ローマの道は一日にしてならずである。
とはいえ、残しても、不安の残痕の通帳の残高でしかない。〔妻の勤労による所得が、夫婦
合算所得の平等化に寄与していた時代は終了し、むしろ格差拡大・不平等化に寄与する
時代になっている〕の指摘が、一番の要所。結婚相手で、人生は決まってくる。 
  ー概略といえばー
・「ダグラス・有沢の第2法則(夫の所得が高いと妻は働かない)」の観点で見ると、夫の年収が
 増えても以前ほど妻の有業率は減少しない傾向が出てきている(夫の収入が1000〜1500万
 の場合でも妻の有業率は50%)。夫の収入に関係なく、妻が働くかどうか、決めている。
 この10年で25-34歳の既婚者の労働力率が10%増加 (結婚しても仕事をやめなくなった)。
 ・国際比較では、日本の場合、大卒・大学院卒の女性の労働力率の低さは際立っている。
  まだ女性の社会進出が遅れている。
 ・1960年代後半に生まれた女性はそれ以前より離婚確率が高い、男性にとって
  未就学児がいることは離婚抑制に繋がるが女性は繋がらない、(日本では)低学歴の
  人ほど離婚確率が高い。
 ・生涯未婚率(50歳で一度も結婚の経験のない人の割合)のデータ分析(p113)。
  1985 年までは男女ともに5%以下だったのが爆発的に上昇に転じ、2010年には、
  男20.1%、女10.6%であるが、2030年には、男は30%、女は20%と予測される。 
 ・長時間フルタイムで働く30代男性の割合は、東京、大阪、神奈川などの大都市で高く、
  島根、秋田、高知などの地方で低い。ところが30代既婚女性の就業率は、大都会では
  地方より20%も低い。つまり、キャリアウーマンが多い東京などの都会は専業主婦が
  少ないように錯覚されるが、高所得男性も多いので専業主婦率は地方よりも遥かに高い。
 ・同じ階層で結婚することが多く、高収入夫婦が増える一方で、その逆も増えている。
  (女性にとって、結婚は階層を上げる役割を果していたが、今では薄れている)
 ・職場での出会いが減ったため、婚姻率も下がっている。
 ・女性の約半数が「自分は異性に対して魅力がないのではないか」
 「そもそも異性との出会いの場所がわからない」と不安。年収300万円未満の20代男子の
 4割は女性と交際した経験がない・・ 男性にとって年収300万円が結婚の壁になっている。
 ▼ 家庭間格差は妻が働くかどうかと、離婚、そして婚姻率の低下などが、直接、間接的に
 影響してくる。知人をみると、奥さんが働いているかどうか、親からの資産があるかで大きく違う。 
 短い人生、可能な限り稼いで使いきることだ。百億稼いで残した人生より、それを使い切った
 人生の方が理屈から考えても、面白いに決まっている。 どの道、夢幻!
・・・・・・
4262, しまった!  ー10
2012年11月16日(金)                  
           ー しまった! 「失敗の心理」を科学するージョゼフ・T・ハリナン (著)
* どう思うかは、そのときまでわからない
 今回、思ってもみなかった事態に陥ってみて大変ではあったが、一度、受け入れると、
諦きらめがつき、後悔とかは皆無。この一年八ヶ月の生活は、この10年間の気苦労の生活
より、少し近所の視線が気になる以外、はるかに気楽な平穏な日々に自分でも驚いている。 
これまで何かにチャレンジをして不安になると、その結果に対して「なるようになる、その時は、
その時!」という言葉が常に繰り返していた。 何事も、その場に立たないと分からないから
面白いのだ。 ーその辺りよりー
≪ 大方の人は、自分が将来どう感じるかの予測は得意のはず。だが人生は、遠くから
 眺めるのと近くとでは違ってみえるもの。人はとかくその瞬間がくるまで、自分がどう感じるか
などわからない。たとえば、自分が若いときは、老いて、特別な延命治療を受けるかの質問に、
殆どが「受ける」と答えない。ガンの専門医で「受ける」と回答したのは6%、化学療法士で
ゼロ、健康の人で10%だった。しかし、死にかけている人に同じ質問をすると、重病患者の
58%の人が、たとえ一週間しか命が延びなくても、治療を望むだろうと答えている。・・ ≫と。
▼「こと(実践)」に擦り寄って、体感してみないと、実際のところ分からない。
一流のエキスパートには二つの共通点があるという。一つは、「幼少期からはじめている」ことと、
二つ目は、「肉体面でも、頭脳面でも、生まれもった能力は人が思うほど大した要因でなく、
重要なのは練習量、特に10年間の持続的な努力を要している点」。
 研究者によると、バイオリニストの調査で、同年代で、世界の最高レベルの人たちの
グループは、20歳までに一万時間の練習量を超えており、それほど成功してないレベルの
人たちの平均は、2500〜5000時間だった。当然ただ練習をすればよいのではなく、練習の
繰り返しの中で、パフォーマンスの記憶を改善する方向を目指すことが必要。 ところで秘境
旅行は実際に当地に行き直接、その大自然に接し感動してこそ醍醐味が実感できる。
どんな大自然に出会うか、そのときまでわからない。それが良いのである。それは事業でも
人生でも同じこと。未知への不安に対しては、自分で乗り越えるしかない。私の友人の哲学
(信念)は、「迷ったら、とにかくやる!」見ていて面白い人生である。節目ごとに私のところに
相談にくるが、見事なぐらいに転進していく。どうなるのか、現に実践してみないと分からない
のを本人は知っている。本題から逸れたが、ある程度を考えたら、後は出たとこ勝負である。
・・・・・・
3887, 積極的逸脱
2011年11月16日(水)
 異端をマイナスに捉えるのでなくポジティブにみる「ポジティブ・デビアンス」という言葉がある。
日本語にすると積極的逸脱になる。世界を巡ってみると、それぞれの地域の閉鎖性が垣間見え、
それが異端に見える。当然、自分の住んでいる異端が合せ鏡で見えてくる。そういう私の方が
地域社会では異端になる。それもあり、地元の人の付き合いは一部の人と因縁のある学校の
同級生を除いて最小にしてきた。私にとって、これが積極的逸脱である。職場が新潟、住居が
長岡だったこともあり比較的上手くいったと思っていた。 しかし、私という存在は他者がいて
こそ成り立っている。その他者が限られた閉鎖社会としたら、その兼ね合いは難しい。
「ポジティブ・デビアンス」は、もともと社会問題の解決法に使われていたが、現在では
ビジネスに使われているようになっている。後進国の農村で死亡率が高い中で、ある村が
何かのきっかけで、手を洗い、動物性タンパク質を取る習慣があって、たまたま近くに医者が
いる部落があったとする。その地域からすれば、その習慣は他の地域社会の常識から逸脱
していることになる。しかし、それを知った外部の人が、それを他の部落の人に広めることで、
全体の死亡率が減っていったとういう事例がみられる。コンピューターの世界に「暴走熱」がある。 
一定期間継続して作動するコンピューターが、熱を出して不具合が生じるトラブルで、これは
エンジニアの世界共通の常識であった。これをアメリカの大手コンピューター・メーカーの一人の
エンジニアが立ち上がり、世界中のポジティブ・デビアンスを探し出し解決をして、会社への
競争優位をもたらした。大体が改革とは、そういうもの。従来のやり方を根底から変えることは、
どうしても摩擦が生じるもの。 秘境ツアーそのものも、極的逸脱と見ることが出来る。 
世界の在り来たりの観光地から、秘境・異郷に興味が向いたのは積極的逸脱であった。
そうしなくてはストレスが解消出来なかった。逸脱する対象が、どんどん奥地になるほど、
比例して満足度が高くなっていた。あと二週間しか生きられないとしたら、何をしますか?」
という質問がある。死に直面したら、当然、日常生活からの積極的逸脱が残された人生を
生きる術になる。ベターの時間より、ベストの時間を過ごす何かを求めるはず。
そこで、それを本気になって探すと、自分の生きている世界中に、それが無限に転がって
いることに気づくことになる。 第二の人生でのキーワードは、積極的逸脱である。
緑の原野から、視界の広がったサバンナへの逸脱へ・・
・・・・・・・
3522, 「尖閣ビデオ流出問題」を哲学してみると!
2010年11月16日(火)
今回の尖閣列島の衝突問題と、そのビデオを海保の保安官が流出させた問題を考えてみる。 
まず、この問題は、G20が韓国で開催される時期と、APECの日本で開催される直前に
明らかに政治的思惑で中国側から仕掛けられた難題である。それに、やすやすと乗って、
中国の強圧的態度に尻尾を下げ、その間隙をつかれロシア大統領に北方四島の一つに
上陸をさせてしまった。これはアメリカに対する圧力の駒であり、中途半端な外交姿勢の
管首相の足元をみられた結果である。ところが、中国・ロシアの計算外の海保の保安官の
秘密漏洩が起こってしまった。これは、タイミングからみて周到に計算された国家戦略から
幾重ものクッションを通して行われた可能性を含んでいる。それが出来るほどのタマは
現在の日本にいない?しかし中国のトップの顔に泥を塗るにタイミング的に良かった。
その映像がアジアでも日本でも繰り返し放送されたからである。 これは政治的にみて
タイミングがよすぎるたのではないか。保安官が、自分の身分に捜査の手が及びそうになる
直前にマスコミに接触したことも、一介の海保の保安官のなせる技だろうか? 
差出人の名前に「sengoku38」というネーミングも、上手く作りすぎである。
「仙石さんはパー」とか、「仙石は左翼」との解釈で揶揄されている。 
それより、中国の居丈高の姿が逆効果にするに、あまりに効果があった。だから、あの男は、
日本に来てからアカラサマに不愉快の顔をしていた。いずれにしても保安官が逮捕でも
されれば管・仙石ラインは、そうそうレイム・ダックになってしまう。 まずあ支持率も
20パーセント辺りまで急落することになる。その隙をアメリカも、中国も、ロシアも狙っている。
日本を更に追い込むにはTPPに日本を参加させ、農業の自由化を迫ること。これが完成すれば
アメリカの属国の縛りが一段ときつくなる。ここで、民主党小沢派と、自民党の隠れ主流派が
大同連合を組み、国家非常事態宣言をし、銀行閉鎖も、デノミも、核武装もすればよい。 
それが100年、250年に一度の地球規模の危機に対する対処になる。 海保の保安官の
逮捕は海保のクーデターと認めることになるのを自覚も出来ないのか?
 ・・・・・・・・
3147, 地方経済惨状の一現象
 2009年11月16日(月)
 このところ、たびたび地方経済の惨状を書いている。 先日の読売新聞の新潟県版に帝国
バンク支店長のインタビューで「新潟市内のマンション建設が、この数年で3千室も供給された。
しかし売れたのは700〜800室。いずれダンピングが始る。団塊の世代の定年退職者の
退職金をあてにしたものだが、それが全く当てが外れてしまった・・云々」 マンション業界では
100室クラスのマンションで、最後の1〜2室で、やっと利益が出るかどうかの世界。
それが4分の1しか売れてないとは、惨憺たるもの。 数ヶ月前に大手のマンション販売会社が
倒産し、新潟の信濃川の川沿いの大きなマンションが宙に浮いた状態にある。それを長岡の
行きつけの居酒屋店主に話したところ、「東京にいる息子が先日、5200万のマンションを
1200万の値引きで4000万で買った。しかし、売れ残りのマンションでは半額のものもある」と、
息子が言っていたという。それと、「大手大橋の向うのショッピングセンターの真ん中にある
マンション、4室もあって1200万円で買えるらしいよ。」という。大型マンションは、土地の
仕入れから建設期間をいれれば3年〜5年はかかるが、その間に世界が劇的に変わって
しまうから難しい。 といって、仕込み、造り続けないと会社は存続しない。
 ところでホテルは、計画から資金回収まで20〜30年のスパンときている。その間に、
時代は激変をする。その中で単品を売り続ける商売。 恐ろしい事業に手を出してしまった
ことが今になって分かってきた。新潟駅再開発の道路拡張で4棟のうち、二棟が買収される
から何とか帳尻が合いそうだが。  (以下、字数の関係でカット2011年11月16日)
・・・・・・・・・
2782, 浅井さん
 2008年11月16日(日)
 十年前の「随想集」の中にあった、「浅井さん」という文章である。
 ホノボノとした三人の人間性が雀の雛を通して伝わってくる。
 「随想とは、こういうものだ」と、教わるようだ。
 −−−
ー浅井さんー          諏訪崎はるえ
 数か月前、我が家の隣の古い家屋が取り壊された。 隣は軒先に雀がよく巣をつくるので、
子雀達はどうなるのだろうと、で、ブルドーザやシャベルベルカーが現れて、一時の間に家は
壊われた。 日暮れ近くになって、庭に若い作業員が二人、敷地の隅に駆け寄って行って
しゃがみ込むのを見た。「雀?」 フェンス越しに私が問うと、ヘルメットが頷いた。 
掌に渡された子雀一羽に、私はうろたえた。うぶ毛も生えていない赤裸の雀である。
何とかしなければ……と、気持ちの焦る中で、ふと、以前に浅井さん夫妻が雲雀の子を育てて
巣立たせた事があったのを思い出した。電話をかけてみると、雀の子育てを引き受けて下さる
という。 折よく在宅だったご主人の運転で、お二人揃って車で雀を迎えに来てくださった。 
その数日後、浅井さん夫妻には長女の方の嫁ぎ先へ行かれる用事ができて、雀は一時
我が家へ帰って来た。我が家には猫がいる。 (以下、字数の関係でカット2010年11月16日)
・・・・・・・・・
2007年11月16日(金)
2417, よく生きる −2    ・ω・)ノはよー
                              −読書日記ー   
 この数日の間、この4つの問題を私の経験を照らして考えてみた。自分は本当に
「よく生きてきたのか?」という自問自答である。やはり根本的なところが欠けていたようである。
「万人が、そのはず?気がつくかつかない人もあろうが」と自己弁解をしながらだが。
無神論に近いが、やはり最期は「絶対者の元へ帰っていく」という確信は必要ではなかろうか? 
生きてきた過程で現在、こう在らしめている何か=Xを、神として心の底に置かなければならな
かったのでは?という自問自答。真面目に、健全に、前向きに生きていれば良いだけだが・・・
 まずは、4つの問題の二つの要点をーはじめにーの中から抜粋してみる。
  ーはじめにー
旧友のクリトンが「無実の罪なのだから逃亡すべきだ」と脱獄をすすめにきた時に、
語られた言葉です。ソクラテスが言うには、
(字数制限のためカット 09年11月16日)


4993,暴走する世間 −9

2014年11月15日(土)

          「暴走する「世間」―世間のオキテを解析する」佐藤 直樹 (著)
    * ケイタイ、スマホが子供、若者を駄目にするわけ
 以前、繁華街でTVレポーターが若者に何か質問をしたところ、やおらケイタイを取り出し、
友人に連絡をして、その友人の言葉を鸚鵡返しに答えていたのには驚いた。考えようとせず、
反射的に誰かに聞いて、その場を繕っている現代の若者の姿が、そのまま現れ出ていた。
 それが今ではスマホで検索すれば答えが瞬時に出てくる時代、便利さが、考える能力と
自立心をそぎ落としている。 ー以下の指摘が、まさに、言当てている!
≪ アメリカでは、子どもにケータイをもたせることは、子どもの自立を妨げるのではないか
という議論がある。アメリカの社会学者タークルが、つぎのような興味深いことをいっている。
<かつては、たとえばニューヨークの繁華街に初めて自分だけで行くとか、地下鉄に一人で
乗るとか、ボストンの街をどこまでも歩いていいという許しをもらうとか、都会の子どもが
そういう経験をするとき、その子にとっては「自分だけが頼り」だったわけ。自分がただ一人で
すべての責任を負うわけですから、何か危険なことや恐ろしいことが起こっても、自分で
身の振り方を決めなければなりません。 人は、どこかでそういう経験をし、そこで湧き起こる
感情と闘う術を学んでいかなければならない。どんなことが起こったとしても、状況を打開
できるかどうかは自分次第だったのです。
しかし携帯電話の登場以来、子どもがこういう経験をして理屈上は一人であっても、親が
ずっとそばにいるという不思議な状況が生まれています。また子ども自身も、自分が一人では
ないと感じているのです。また、携帯電話は、このような状況を作り出しているわけです。
子ども一人では心もとないだろうと思われる場面で親が見守っているという経験をさせることは
可能になりましたが、自立の時を遅らせているだけだともいえます。
(タークル「技術を本来の役割に」より)>
 ケイタイによって、親が子どもとずっと一緒にいるという状況が生じ、子どもひとりやらなければ
ならないことが阻害されるというのだ。「ひとりでいてもひとりじゃない」状況は、自立を妨げる
ということ。 ≫
▼ 重大な岐路に立たされると、直ぐに電話がかけてくる男がいる。重大な岐路であるほど、
担当と議論を重ねて自分独りで熟考すべき時に、身近な人に判断をあおごうとする。 
関西で、子どもが誘拐され殺害されたとして、何で北陸の学校が送り迎えを集団でしなくては
ならないのか?変なのは分かっていても、それを声高々に言えない。戦勝国のアメリカから
与えられた自由民主主義の弊害である。そして、次がネットである。これにプチ世間が結び
ついた弊害が、青少年だけでなく、成年まで変にしている。情報化社会になるほど、個人の
教養のベースが必要になる。その基盤がないため「IT世間」が、個人の内面を縛り付ける。
恐ろしいかなである。 私も、その犠牲者? でも、面白い時代である。 
・・・・・・
4626、閑話小題 ー今度は絶食系男子!
2013年11月15日(金)
   * 今度は絶食系男子だと!
 草食系男子、肉食系女子が話題になっているが、今度は「絶食系男子」を、NHK番組で
紹介していた。彼らは女子に興味がなく、将来も結婚するイメージが出てこないという。
別にホモ系でもない。女性と付き合ったことがない若者が45%いて、男の2割と女1割が
生涯独身。2030年には男の3人に1人、女4人に1人が生涯独身になるという。
アラフォーや、アラフィーの独身男性が「現在の収入や、独り身の気楽さを考えると、
結婚に躊躇」とインタビューに答えていた。それにしても絶食系男子のネーミングにビックリ。
本来、男は「絶倫系男子」だが! ある小話に「月は雲間に隠れたし、貧乏人の俺等には
何の楽しみも無いし、(女房)おや、お前さん今夜もかい!」がある。 情報化の時代、
面白いことが山のようにある。お金もないし、敢えて束縛されることもないし、面倒! 
というのも分かる。しかし、妻子のない老後の独り暮らしは非常に厳しいという。
べき時に、べくことを、べくすべし、でないと・・ 絶倫系も、絶食系も、割り切ってしまえば、
これほど面白いことはない。 ある漫画に、夫婦が互いの首輪の紐を持って、ソッポを向いて
いるのがあった。何人かの紐を持って、困っているのもいる。人生、ままならぬ、ということか。
   * ソリスト
 自転車入門書によると、ソロでツーリングをしている人をソリストという。ソリストの本来の意味は、
「(1)独唱者。独奏者。(2)バレエのソロを踊る踊り手。第一舞踏手」 冬期を除いて4年以上、
毎朝、1日時間、自宅から15分かけて信濃川の土手周辺をポタリングをしている。
私の一日のスケジュールをみると、殆どがソロ。スポーツセンターでも誰と話すわけでなし、
一人で行って、幾つかのエアロに参加して、帰ってくる。ヨガとか青竹エアロで、誰かと仲間に
なり楽しそうにしている人と、私のように誰にも挨拶するでなし、数人に軽く会釈するだけの
ソロ組に分かれる。ヨガでは、50人中、男は10人前後。スタジオの右前方に5〜6人が
陣取り、左最後方に4〜5名のソロと、夫婦連れが横一列に並ぶ。あとは中高年の女性たち。
SJには同級生やスナックのママなど顔見知りがいるが、挨拶程度で、会話はない。
早朝のポタリングや、ウォーキングも、ソロと二人連れに分かれる。それと犬連れ。
で、独身主義が、人生のソリスト? それが自分から求めたかどうかもある。
ポタリングは当然、ソロである。単独か、群れるかは、人であることを優先するか、
人間であることを優先するか、である。
・・・・・・
4261, この非常事態に、万一の備えがあるの ?
2012年11月15日(木)
   * 本当は危ない、夜逃げ予備軍の事業主に!
 第一線から退いたため、より冷静に事態をみることが出来ているが、余裕資金のない
大方の中小企業のトップは、どこかで株式の暴落か、イスラエルによるイランへの攻撃でも
始まれば、一発でダウン。 私の事業継続断念時には、運転資金とは別の僅かだが
予備資金の積立てがあり、それが命綱になった。あれから1年8ヶ月、大方の企業は
更に体力を落としている。 リーマンショックの次なる津波は、ただならぬ大きさ。 
私が前倒しの整理が可能だったのは、30〜40年前の事業設計にシェルター機能を
組み入れていたため。それで思い切った事業整理が可能だった。「あと講釈」だが、
  ー中長期のリスク対策ー をまとめてみた。
 【来年にでも実情を書こうと思っていたが、前倒しする】
・全ての建物は万一を考え、用途変更可能の設計(壁以外の柱を入れない等、好立地もあり、
不動産の6物件は完売。)
・借入金は県の保障協会を含め3分2が政府系金融機関。他は都銀と第四銀行で、
 ほぼ大部分。ー元金融関係の先生のコンサルティングを5年前から3ヶ月に一度の割で
 受けていた。その御蔭で常に先手の対策を打ち続けることが出来た。
・職場を新潟、住居は長岡と分け、住居地域では学校以外の人間関係は最小にする
  (名誉職的団体に一切に入らないなど・・)
・20年前に短期借入全てを長期借入金に組みかえ終了・・(悪化の場合、短期の借換え
 時点で追加担保の要求が出るため)
・10年前からは、万一の場合に備えた予備資金の積立てを続け、運転資金に一部でも
 転用した段階で事業閉鎖(隠れ目標値)を予め決めておく。そして到達と同時に廃業を決断。
 ー見切り時期の設定ー(償却前赤字の転落時点も、目安にする)この時期に、個人名義の
 事業物件を会社に転売して、個人の金融負債をゼロにする。
・ 二人の幹部社員には役員就任時に一度退職金を支払済み(平均・三分の一)。
 そのため結果として、会社の退職金規定の8割近くの支給が可能になる。
 (国の退職補助金一千万近くを含めて)
・ 事業停止時には、「取引先への20日締めの月末支払いを全て決済」を予め決めていた。
 一般債権は、ホボゼロ。
・* 個人的には、当初より事業に親戚縁者は一切組み込まず、家族経営を排除。 
 * 創業時に、高値の事業転売を前提(売り時を逃がし、結果的に出来なかったが)。
 * 事業の創業を目指すと決意した時から、連れ添いは、「商売とは何かを体感している
   事業経営者の子女」を前提。
 *「家訓の、借入金の保証人を妻子など家族を入れない、保証人にはならない」を厳守。 
 * 家内には結婚来、毎月給与を支払い、健康保険と厚生年金をかけ、残りは家内名義の
  別立て預金。
   一般的には事業停止時に、自宅も銀行に収容され、個人破産?は必定だが・・
   自宅は家内が買い取ることで確保。
 【長期の装置事業に長期のリスクヘッジをしていた】だけだが。しかし結果は、ご覧のとおり。
▼ ーあとバイアス(偏見。あと講釈)の要素はあるが、大筋は以上の通りー   
 長期の装置産業には時代断絶の大きなリスクが伴うが、それに中長期のリスクヘッジを
かけておくのは、経営の正道。経済震災は既に起こってしまったのである。現在、中小・零細
企業の三割は‘今日明日の資金繰り’に追われ極限状態。あとの三割以上も、その一歩手前
といわれる。そこで、まずは、「弁護士費用は別口に用意して、家族の保証は避けるべき。」 
現在は想像を絶する国家的非常事態。正常時とは全く違った舵取りが必要・・  金融機関に
小手先の手法など土台、無理。まして計画倒産など、この時節に出来ようはずがない。
それほど金融機関も一般債権者も甘くはない。そのためには、「事業は舟板一枚下は地獄」
を前提に《戦略的防御の構築》を中長期的に作っておくしかない。私の見立てでは7〜8割が、
「本当は危ない、夜逃げ予備軍」。しかし、それに気付いてないため、ことは深刻。私の場合、
決断をする3ヶ月前まで、まだまだ大丈夫と思っていたが、気付いたときには雪崩が間近。
 直感的に即断したため、命拾いはしたが・・
  ・・・・・
2011年11月15日(火)
閑話小題
    * 江戸時代の幸福とは
 江戸時代の幸せを並べた俗うたがある。
<世の中は、年中三月、常(じょう)月夜、嬶(かかあ)十七、俺三十、負わず借らずに子三人>
 17歳の嬶に、子が三人もいるわけでない、月日も止まるわけでもない。借金も、何時の世
 にもついてまわる。最後は、子供の顔でも見て幸せを感じるしかない、ということになる。 
   これを現在に置き換えると?
<世の中は、年中連休、常外食、嬶働き、俺は主夫、負わず借らずに子一人>というところ?
 ざれ歌を、まっとうに考えることもないが、いかに幸福感が妄想で不平の上に成り立っている
 かである。
   * 人生に意味(価値)があるのだろうか
 40年近い事業人生を終え、毎日が日曜日の日々で、「自分の人生は何だったのか?
 意味=価値があったのか?」等を、考えざるをえない?日々。 人生の価値とは何か?は、
 人生の根本問題。その時点時点で、価値を見出し、それに従って生きているのが人間だが、
 実際には考えているフリをしているだけで、漫然と生きているだけ。ニーチェが、そのいい
 加減な万人の生き方を取り上げ、人生に意味などない、世の中に価値など無いと知るべきと、
 指摘している。 キリスト教の教えを、弱者の救済の思想とし、その教えの価値も全く無いと
 切り捨てている。 価値無きものを求めるから、人間は間違えるものと。そうこう考えると、
 せっかく哲学書を読み続けていながら、今さら、自分の人生に価値=意味があったか?
 などという思いは妄想そのもの? あるのは充実していたかどうかの一点である。 
 その辺のオバサンかオバアサンが、したり顔で人の悪口、陰口を言っている醜さは、
 結局は自分のことを言っているに過ぎないことを自覚してないためでる。 まして大の男が
 腐った女?のような価値論を述べているなど・・・ エッ 私のこと? いえ、貴方のこと! 
 全ての人である。
 ・・・・・・・
3521, 我が家に新しいTVが  −4
2010年11月15日(月)
 「新しいTVが入って2〜3ヶ月経ったら、居間の世界が変わるぞ」と、家内に言ってから
三ヶ月近くが経つ。そして、予測とおりテレビの見方が全く変わってしまった。 これまでの
テレビとは別物のマシーン。ニュースかスポーツの生番組以外は録画に軸が変わった。
そのためか居間での時間が二倍以上面白く、充実をした。
* 画面と音響が格段に良くなった他に、地デジを全てを自動的に25時間録画するか、
 19時~23時の四時間×6日間(変更可)を自動録画する機能がよい。これが一番の売り
 だったが、実際に利用する前は何で地デジの全番組を録画するのか?不思議だったが、
 実際に使ってみると、これがよい。ゴールデンには必ずといってよいほど面白い番組がある。 
 しかし当日の地デジは殆ど見ることはない。 見るのはBSか録画。 録画のものは面白く
 なければ、その場で消す。平日の18時半〜21時は、せいぜい二番組しか見る時間がない。
 当日のベストは後にして、これまで録画をしたものでベストのものか、ゴールデンタイムの
 過去6日分の中から、面白そうなものを選び、面白くなければ、他を見る。 
 改めて過去のゴールデンタイムの番組を見て面白いものが冷静に選ぶことができる。
 そのため面白い番組の選択枠が5倍以上になった。トピックスなどはそれを早送りで見る。
* マシーンが変われば品変わるで、歌謡ショー、映画、次にボクシングなどの格闘技、
 プロ野球が格段に臨場感が出たため、内容が数段良くなって見える。 家内は三日に
 一度は「凄い!」という。 要は一画面の情報量が格段に増えた分、臨場感がアップした。 
 それが感受性を更に高めている。
* 先日、松田聖子のスタジオの(観客無しの)ワンマンショーの録画を観たが、二時間
 テレビに釘付けになった。ハイビジョンを意識して構成されていて、音響とステージの
 色彩が幻想的。 それほど好きでもない歌手のショーに引きこまれてってしまった。 
 次々と光と色彩が音楽に合わせて変化をし、全く飽きさせないショー。
 これほど幻想的画面を見るのは実のところ初めてといえるほど。映画館で最近観た
 マイケル・ジャクソン(ケニー・オルテガ監督) 最後のコンサート「THIS IS IT」の
 リハーサル映像があるが・・・。 また「生」で世界のショーを幾つか観てきたが、いずれも
 ステージは臨場感。それが音響を含め数倍になったということ。所詮は、人生を振り
 返れば夢のまた夢。虚構は虚構で!
  (この下の方に、8年前にパイオニアのPDPのTVを入れた時の感想が書いてある。)
  ・・・・・・・・
3146, 変である、日経の論調
 2009年11月15日(日)
一昨日の日経新聞のー経済教室ーで「中小企業金融円滑化法案」を全面的に批判をしていた。
慶応大の桜川昌哉教授と、カルフォルニア大の星岳雄教授である。日経に請われて書いた
提灯論理としか思えない内容で、日経新聞の上から目線を自己証明している。
ポイントとして:貸し渋り対策で、過度の政府介入するな :問題は貸し渋りではなく収益の低迷 
        :政府支援の照準は・新規参入・産業再生に すべきという。
5〜6年前に、金融監督庁が執拗に銀行に入り込んで、弱体化している会社を潰すように
指導し、強引に整理をさせた時に日経新聞は当然のことと冷笑していた。何を、この新聞社を
載せるのだろうか。そのころ日経新聞自体のスキャンダルで、内部が滅茶苦茶だったが・・ 
これで新規融資が一段と萎縮するというが、上から目線の論法でしかない。 地方の現場から
逆照射をしてみると、「上からお金を流すのは構わないが、下の目線で資金コントロール
するのは相成らぬ」と解釈できる。「銀行サイドの床柱の姿勢を改めるか、改善しろ」という、
どこが悪いと言うのだろう?二番目のポイントしてあげた「問題は、貸し渋りではなく収益性の
低迷」というが、リーマンショックで、大打撃を直撃して低収益になっている弱者を、この法案で
救済する、どこが悪いというのか。日本中の中小企業の経営者の99パーセントは、
私の意見と思うが。この学者「本筋は企業収益向上」と言うから驚き。 地方の企業は、
そうじて売り上げが大よそ半減している現状が分かって、こういう空理屈を言っている・・・ 
去年のリーマンショックからの金融危機は大災害、いや震災であって、企業収益の向上
などと言っているケースではない。大手銀行にあれだけの資金を投入したのは赦されて
いるのに、この法案が日本の金融システム全体に対する不信感を生み出しかねないと、
一方的に言うのはオカシイ思わないのだろうか。 日経新聞の質の低下も甚だしい。
床柱、上から目線が、自分ではわからないのだろう。 もう一度いう、「これは、大震災、
それも100年に一度の大震災」。都会の真ん中で理屈を捏ねている茹で蛙には実感
できないのである。それと日経新聞もである。
 ・・・・・・・・・
2781, 世界同時不況  ー日本は甦えるか −2
2008年11月15日(土)
 文藝春秋の12月号の特集「世界同時不況 日本は甦えるか」−2
  ーまずは前回の対談の、続きの要所を抜粋する。
・なぜパーナンキFRB議長やポールソン財務長官がリーマンを破綻させたのか。
 思いつく最も説得力のある答は、金融機関の不良債権を買い取らせるとう
 ポールソン・プランを認めさせようとするショック療法だった。(竹森)
・三菱UFJ銀行から1兆円の融資を受けたモルガンスタンレーが、冬のボーナスに六千億を
 用意しているという。
・そう簡単に次の機軸通貨は現われない。現に円を除けば、他のどの通貨に対しても
 ドルの価格は上がっている。 但し、円だけはありあえない。
・アメリカの国債を買うしかないのは日本だけしかない。オイルマネーは非常にケチ。
 中国には、その力はない。
・現在、アメリカは基本的に弱くなっている。しかし、日本はきわめて世界から見たら
 特殊な国である。端的にいえば、日本は千五百年間、一度も外国に侵略されてない。
 こんな国は他にはない。その意味で、これからは第二の維新・開国の時代を迎えている。
・グローバル化によって、新興国は1960年代の日本の3,4倍の速度で近代化している。
 これからは、新興国の人から預金を集めて、中小企業にきちんと貸すリテール中心の
 銀行であり、彼らに買ってもらう安価なカラーテレビや自動車である。
・新興国が消費の中心となると、従来の多機能、高品質、高付加価値の商品戦略は成立
 しない。日本が過って1950年〜60年代に手がけた安価な商品をつくって競争しかない。
 生産技術の水準を落とすのではなく、多機能を止めて、価格帯を下げればよい。
・国内では、これまで手がけてこなかったセクターに支援を行うべき、例えば地方であり、
 中小企業であり、農業を初めとする第一次産業である。 農業といっても、農業土木では
 なく、農業自給率を60%にするような本当の農業再生である。
 −−−
  以上から考えられることは、一度徹底的に、近代資本主義を破壊して、
ゼロからやり直すチャンスと説いている。  (字数の関係でカット 11年11月16日)
 ・・・・・・・・・
2007年11月15日(木)
 2416, よく生きる −1       ゜+.(ノ*・ω・)ノ*.オハヨオォォ☆゜・:*
  (以下、字数制限のためカット2014年11月15日)


4992,暴走する世間 −8

2014年11月14日(金)

          「暴走する「世間」―世間のオキテを解析する」佐藤 直樹 (著)
    *「IT世間」の登場
 この随想日記(自分の覚え書きや、読書感想、つれづれの思いなど)の公開を13年
以上も続けてきた。せいぜい50〜60のアクセスと思い込んでいたところ、10日ほど前に、
フォロー用の「Hatena]のブログが300近くのアクセスがあることに気づいたことを先日書いた。
これと二つのブログを加えると350以上のアクセスがあることになる。身近な50〜60だと
「IT世間」になるが、350以上だと「ITネット社会」になる?と・・ いや、この程度の数は
「IT世間」でしかないか。この発信もあってか、群れたいとか、寂しいとかが皆無に近い。
人間は、誰かに自分の話を聞いて欲しいのである。70年も生きてきたお陰で行蔵は充分あり、
考えることも、読みたい本も、行ってみたい世界も山ほどある。 その独り語りを、ケータイや
パソコンなどのITの端末から発信出来、かつ様々なブログをみることが出来るのだから
有難いことだ。しかし、その反作用で「世間」しか持ち得ない日本では、IT社会がIT世間として、
プチ世界を更に小さくしているようだ。このブログも同じようなもの?  ーその辺りからー
≪ 日本では1980年代以降の「過剰商品化」によって、「ある限度」をこえた市場化ー
商品経済化が生じ、その結果として、子どももふつうにケータイをもつことになった。
これは西欧社会と比較しても、ケータイの普及が日本ではいわば臨界点にたっしていることを
意味する。しかしケイタイの普及によって、人びとがウェブを介して世界の人間とつながることが
できるようになったか? そんなことはないはず。日本おけるケイタイのつかわれ方は、むしろ
狭い「世間」をますます狭くするように「世間」を再生産してる。 いまや小学生がケイタイを
もつようになって、それが「いじめ」につかわれることが問題になっている。
ケイタイの登場という技術革新で、日本に新しい人間関係が生まれたか。答えはノー。
「日本ではケイタイの普及で、個人をベースとした社会的交渉が成立している欧米にない、
IT化された世間の付きあいが生まれるに至ったのだ」といい、それを「IT世間」と名づける。
 つまり、いかに新しいツールをつかおうが、そこに形成される人的関係は・西欧のように
個人が集まってできる社会ではなく、あくまでも個人が存在しない「世間」である。
ケイタイもまた、この日本の「世間」を変えるチカラをもっていない。
逆にいえば、「世間」はそれほどつよく日本人に根づいているということ… ≫
▼ リアル世界の上に、ネット世界が別に出来、それがリアル世界をコントロールを始めている。
しかし、リアル世界で「世間」しか持てない日本では、ネットがリアル世界の「世間」を、更に
狭くしている。この随想日記も、「社会」に向け公開していたつもりが、身近な世間様に向けての
「IT世間の独り語り」でしかなかったのか,そして狭い世間を更に小さくしていた? 
つくづく・・(_ _Paと思うが、今さらか!
・・・・・・
4625, デフレの真実 ー金持ちの本音
2013年11月14日(木)
                 ー庶民は知らないデフレの真実 ー森永 卓郎 (著)
 「君は一万円札を破れるか?」の対極の要素が多い内容で、お金を考える点で面白い。
 3億持てば、3億。100億持てば、100億の世界が開けるのだろうが・・ 
   ーアマゾンの内容紹介ー
《 消費税率を上げる前に、デフレからの脱却を図るべきだ! 増税路線に対する国民からの
反発は大きい。また野党も執拗に批判を繰り返す。しかし、増税路線は決して止まらない。
そしてデフレも止まらない。それはなぜか?経済政策の間違いでもなんでもない、庶民が
知らないデフレの真実を森永卓郎が明かす。金持ちの論理から日本経済を読み解く、初めての
「金持ちによる金持ちのための経済学」。申し訳ないが、庶民は、出入り禁止だ。 》
 面白い本だ。10年間、ひたすら働き、遊ばないで三億の金を貯めて、一応、金持ちの
仲間入りをして、見えたことは、一握りの金持ちに有利な社会システム。
だから「まず年収分を、次に三年分の預金を!」という。 まずは、=アマゾンのレビュー=より
【 金持ちの立場から日本の経済状況を解説する一冊。消費税引き上げやTPPなど政府の
方針は、どれも「金持ちの金持ちによる金持ちのための政策」だという。デフレで一般庶民は
生活が楽になっているようだが、実は借金のある人には不利な状況だし(家を住宅ローンで
買った人は特に)、一般人の年収はずっと下がり続けるだろう。金持ちは、数年後にくる暴落時に、
土地や株を買い占めることでさらに儲けることができる。その後には、アメリカのような、
あるいは日本の明治時代のような超格差社会がやってくる。我々にできることは、とにかく
節約して、キャッシュを貯め、来るべき暴落に備えることらしい。】
【✩ プロ野球の一流選手だって同じこと。監督とコーチの指示を受けなくても、試合展開を
 読みながら、自分のポジションでやるべきことを理解して動く。それができない二流選手は
 2軍に落とされ、やがて解雇される。」 
✩ デフレを止めようとしなかった論理として、地価が下がり、二束三文で叩き買いまくった後、
 インフレを起こして「貧民はインフレになっても賃金が上がらず(スタグフレーション)、富豪は
 持っているモノの価値が上がって大もうけ。さらに株などで”カネがカネを生む”生活をして
 ますますもうかり、”貧民はその子孫も貧民、富豪はその子孫も富豪”にする社会づくり」を
 目指す。消費税増税、デフレ問題、TPPなど、お金持ちのためになされている政策である。】 
【 金持ちの視点からみた経済政策。 この金持ちを「米国」に置き換えると貧乏人は「日本」。
さらに金持ちを「米国を支配する者たち」に置き換えてみれば貧乏人は? 対象をもっと広げて
「世界全体」に目を向けると・・ 我われほとんどの人類は「貧乏人」に分類されてしまう! 
金持ちは「マネーメーカー」のみ!!】
▼ 資本主義社会は、金持ち=善、貧乏=悪、という洗脳がされている、が「君は一万札を・・」
 の主旨。著者が10年かけて3億の現金を持ってみて、社会構造が金持ちに有利で出来て
いることを実感した!という。バブルの頃、会社の預金を含めて3億近く持ったことがあるが、
豊かさの実感はゼロだった。そして、今は色いろあってゼロだが、貧しいとも思わない。
やりたい事を、しつくした手応えがあるのと、年齢もある。しかし世の中、8割がたは、金で
解決できる厳然たる現実がある。残りの2割に、人生の8割の価値があるというが・・・
・・・・・・
4260, しまった!  ー9
2012年11月14日(水)                 
  * 人は誰も人並み以上と思うもの ーしまった!
          「失敗の心理」を科学するージョゼフ・T・ハリナン (著)
 色いろな挫折体験から学んだことは「自己能力の限界の設定」。しかし、その設定さえも
間違えてしまう。それだけ、自分のことになると見えないのである。 若い女性の場合、これが
極端に出る。若いだけで周囲が特別視するが、それは束の間のこと。そこで若さを失うにつれ
表面的な化粧や衣装で若く見せようとするが、その衣装と化粧代は膨大になる。
自分を人並み以上と思うのは、まだましで、特別な存在と信じて疑わないのがあまりに多い。
  ーその辺りを抜粋し考えてみるー
≪ スポーツジムの会員は、自分が期待する回数の半分程度しか通っていない。
 大半は回数券の方が得なのに会員権を買っている。統計からみると、月会員の八割ほどが、
利用ごとの支払いにしておいた方が得という。 何故そうかというと「要するに自信過剰。
自分が出来ると思っていることと、実際に出来ることを混同している」のである。その原因の
一つに、ジムに行かない理由を、何かのせいにすることが多い。そのため、フィードバックが
効かなっている自覚が無くなってしまう。同じような結果が、兵隊の射撃の予測と結果に現れ
ている。大方の兵隊は射撃がうまいと思っているが、実際に射撃をすると、大きな差が現れる。
75%が予測より下で、25%以上が、あまりに下手で不合格の成績に終わっていた。
気象予報官についても、経営者についても、同じ。奇妙なことに課題が難くなる職業ほど、
自信過剰のレベルが下がるのではなく上がる傾向にある。困難が過大になるほど、
自信過剰がもっと高まるのだ。・・・どうして、このような自信過剰過多の幻想が出てくるのか
というと、情報の持つ魔力、というのが答えである。情報を読めば読むほど、知識が増えたと
勘違いをする。だが、実際には、そうとは限らないのである。それは見聞ではなく、
自信が増しただけ。情報化過多の落とし穴が、そこにある・・・ ≫
▼ 自信過剰自体は問題がないが、現実の自分に出会ったときに歪みが出て、それが
他人の弱点を見つめ攻撃に向かった場合、それは回りまわって自分に返ってくる。
それが嫉妬や怒りに転化して怨恨になっていく。 だから不幸がついてまわる人には
近づかない方がよい。あるいは自分が不調な時節には、孤高を守るべきである。 
不幸タイプの人は、必ず、その正体を現し、恩をに仇にして返す。それを品性の低さというが、
それが更に自らを貶めることに気づかない。「人並み以下の人ほど、自分を並以上、いや特別な
存在」と思うもの。だから、お世辞が人間関係の円滑油になる。逆にいえば、恵まれてない人
ほど注意し大事にしなくてはならないことになる。特に若い女性と青年と熟年には・・ 
そうすると自分を大事に扱わなければ。
・・・・・・・
3885, 平等と公平
2011年11月14日(月)
 最近、平等と公平に対する議論を多く目にするが、その辺の哲学か理論があるはずと
思っていた。ところが、小川仁志著「人生をやり直す哲学」中で、ロールズの『正義論』が
紹介されていた。その概略というと、
≪ ロールズは、ハーバード大の教授で、アリストテレス以来の政治哲学の復権を図った
人物で、その『正義論』は、その後の正義に関するあらゆる言説、あるいはリベラリズムの
議論の機軸になったと言われている。リベラリズムとは自由主義のことを言い、物事の価値
の中立性をとなえる立場である。分かりやすく言うと「善に対して正の優先性」をとる立場。 
本来は平等など我われの世界には存在しない。全てが不平等である。金持ちと貧乏人、
才色兼備と、そうでない人など比較すれば全てが不平等に出来ている。情報化などで
一強多弱が進むと、その格差は社会的歪を生み出してくる。 そこで問題になるのが
平等と公平の問題になってくる。それを克服するために正議論が出てきている。
正義の二つの原理、すなわち「平等な自由の原理」と「機会均等」である。
◎ まず第一原理ー「平等な自由の原理」とは、<各人は基本的な自由に対する体系に
 対して平等の権利を持つべきで、この自由の体系は他者と両立しなければならない>
 という原理である。自由に関して誰も平等であるべき、ということ。
◎ 第二原理とは、「社会的、経済的不平等は次の二つの条件を満たしていなくてならない。
 (a)「社会の最も恵まれてない人の状況を改善すること」、(b)機会の公正な均等という
 条件の下で 全員に開かれている公職や地位に伴うこと」の二つ。≫
▼ 競争条件の前提として、自由度と機会平等の権利を持たすべきということになる。
資本主義も、社会主義も、家系の知力、資金力で、競争前提が全く違っているのが実情。
それが、そのまま、社会的格差になっている。中学校の同級生の、その後の人生を見ていると、
その時の家庭の格差の拡大が、そ後の人生に見えている。(但し、何事も例外はある)
ロールズの言わんとする趣旨は、道徳的議論、つまり善悪の「善」よりも、手続き的な正しさの
「正」を優先させるところにある。それを守るために、これらの原理と、その都度の判断を比較して、
公式そのものの妥当性をチェックすべきとしている。「平等は無理としても、公平であるべき」
というが、しっかりした二つの原理の社会的前提がなければならない。現在、情報化で社会的
不平等が露出されてデモが多発している。 これは「平等と公平」の問題を訴えているのである。
そこで、この『正義論』が大きくクローズアップされている。 自由人平等と博愛の問題は、
そう簡単でない。明治以降、日本が世界列強の一つになったのは、家柄より学力、学歴を
最優先したからだ。 二つの原理が明確に当てはまる。
・・・・・・・・
3520, 電子書籍は、その後どうなった?
2010年11月14日(日)
 iPadで火がついた電子書籍は、その後、どうなったか?が、読売新聞で特集をしていた。
また一昨日の朝のNHKニュースでも取り上げていた。 5月末に発売されて半年で、トピックス
としても丁度良いタイミング。私も秋口の11月頃と発売当初に考えていたが、各社メーカーが
年内に出揃った後、比較してからにした。それとまだ電子ブック・ソフトの販売網も充実をしてない。
 4年後にタブレット式パソコンが二億台も普及するという。戦士書籍だけでなく新聞、雑誌も、
ブログ、ツイッターも、ここから見ることになる。 これまでの隠れネット難民も、その使いやすさ
から使い出すだろうから、社会的には大きなインパクトを与える。例えの話だが、村上春樹が
自分の小説をブログから直接販売も可能になる。映像ではYoutubeが自分撮ったビデオを、
直接投稿をしている。良い内容のものはネット上の口コミや視聴ランキングの多さで、一瞬に
世界を駆け巡るので、直ぐにスターになれる。既に、ここから多くのスターが出ている。
 タブレットは電子書籍専門のものと、他の機能が入っているタブラットと大別される。
多機能のiPadは、半年で700万台売れた。その使用場面が居間と外出先の電車や
レストラン。多くのメーカーが、それぞれの機能の特徴を前面に出した機種の出現が楽しみ。
思いもよらないソフトも出てくるだろう。既にアコーデオンの鍵盤を画面に映し出し、演奏
できるものや、パソコンやiPhoeにある自動車運転ソフトを使い、他の誰かとレースを
競うものとか、カラオケ端末機能とか、数年後には、日常の当たり前の端末になる。
その反面、雑誌、新聞、書籍などが激減することになる。レコード店など駅前商店街が
消滅していったように、新聞、雑誌、地方TV局など多くが淘汰されていく。
これもインターネットの渦の一つ。
 ・・・・・・・・・
3145,高速道路千円の仕掛け人
2009年11月14日(土)
 学生時代のゼミの一年下の松下さんと、以前に「新潟を活性化するに如何したらよいかと
大和総研に頼まれたが、何か知恵がないか」と電話があったので、「 新幹線を新潟駅から
飛行場近くまで延長して、東京駅から直接乗り込みの飛行場を持った環日本海都市として
売り込めばよい。その沿線には中国、ロシア、朝鮮の特区地区としてパスポートで出入りする
地区をつくり、工場などを誘致して、それで足りなければ、高齢者などの施設をつくって首都圏の
補助機能をつくり、元もと天領だった特性を、そのまま利用すればよい。現在、新潟駅再開発が
動き出したので、その延長として本気にならないと、北陸新幹線が完成したおりに、幹から
枝葉の地区に取り残される。これが最後のチャンスと思うよ」と、軽く答えた。 ところが
数日たってから、その話を新潟県のエライサンに直接話して欲しいということになり云々・・・
話は長くなるので、これはこれで終いにするが、その松下さんが道路経済学を一人で
長年かけて学んできて、現在では、その道の権威者。「高速道路の千円」の大元の理論家。 
更に無料化の流れを彼がつくったというから、尊敬に値する。その彼が、民主党が天下を
取ったら自分の理論が政策に取り入れられ、大きな役割を与えられると数年前に言っていたが、
その時代がやってきたようだ。 先週に彼から、週刊エコノミストに大きく取上げられたと
そのコピーが同封されてきた。 早く言えば、「思い切った高速道路の値下げが、大きな
経済効果をもたらす」という、英国学者の理論を日本に紹介したもの。彼の著書
「道路経済学」も、なかなか説得力がある。「過剰な高速道路を、世界一高い値段の
料金を無料化をして、皆で使いましょう。大部分は、ほとんど使ってないのだから」というのも
一理ある。それを先読みして、コツコツ学んできたのだから・・ ー以下は、コピーの礼状である。
  ー松下文祥様ー
前略、 送っていただいた資料、さっそく拝見しました。高速道路の料金一律千円、松下さんの
出版された本が出発点だったようですね。近くの岩室温泉や月岡温泉などのリゾートホテルが
潤っていると知人から先日、聞いたばかりです。また、民主党が高速道路の無料化の方針も、
やはり貴方の理論的裏づけがあるようですね。 貴方の長年の地道な努力が、こういうカタチで
花咲くのは同じゼミの出身者として誇りに思います。恐らく、戦略会議の一員にも推挙されて
いるのでは? と思いますが・・    《以下、字数の関係でカット。2011年11月14日》
 ・・・・・・・・・
2780, 世界同時不況 ー日本は甦えるか −1
 2008年11月14日(金)
 文藝春秋の12月号の特集「世界同時不況 日本は甦えるか 
           ー未曾有の経済危機の核心を七人のエキスパートがえぐる」を読んでみた。
 内容は、刺激的なことをオブラートに包んで語り合っているが、それでも大恐慌に突入したことを
前提であるのが、興味深い。 もう堰は切れたのである。 面白そうなところを、書き出してみた。
ーー
高橋洋一/榊原英資/竹森俊平渡辺喜美/水野和夫/田村秀男/宮崎哲弥の対談で、
  1、「失われた十年」再び来たる    2、株安・円高地獄の脱出策は?
  3、「アメリカ金融帝国」没落す   4、GMがトヨタに買われる日 の、分野で議論をしていた。
    ー印象に残った部分を書き出してみる。
 ・欧米で合わせて320兆円を超える公的資金投入は、人類が始めて経験する未曾有な経験
 ・アメリカのウォール街が主導して世界のGDPの十数倍の金融商品を作り出し荒稼ぎしてきた、
  金融工学と称するシステムの破綻と、借金漬けの消費帝国アメリカの終焉。
 ・その結果、アメリカという国は二度と立ち上がれないほどのダメージを負った。
 ・アメリカの貧困層に住宅ローンを売りつけ、彼らを丸裸にしてしまった。
 ・フォードやGMの社債は、額面の25〜30%を割っており、もはやジャンク債の域である。
  GMは毎月1000億の損失を出している事態になっている。
 ・アメリカが4割の下落に対して、日本は5割の下落である。
  その理由は、日本の利益の源泉が北米の輸出で、利益の5割を占めている。
  大雑把にいうと、それで5割の減益だが、アメリカの金融セクターの占める割合は4割。
  だから日本のほうが株価の下落が大きい。 (字数制限のためカット2010年11月14日)
・・・・・・・・
2007年11月14日(水)
2416, 世界の「富」は、人口の2%が過半数以上所有         才ノヽ∋―_φ(゜▽゜*)♪
一月ほどの新聞記事だが、国連の研究機関が発表した調査によると
  ー世界の「富」は、人口の2%が半分以上所有ーという。
 これを解りやすくまとめると
《以下、字数の関係でカット。2014年11月14日》


4991,暴走する世間 −7

2014年11月13日(木)

              「暴走する「世間」―世間のオキテを解析する」佐藤 直樹 (著)
   * なぜ日本の男はマザコンなのか
 世間が、そのまま家庭に入り込んでいるため、そこにあるのは甘えの構造。
その延長を男は、酒場の女将に「ママ」として求める。マザコンは、どこか乳離れしない
母子関係の名残。 ーその辺りからー
≪一般に日本では、恋愛が恋愛として完結しない。恋愛関係はいずれ壊れるか壊れなければ
「母子関係」に移行するかのどちらかになる。奇妙なことに、日本の家庭で夫婦がお互いを
よぶときに、「ママ」「お母さん」や「パパ」「お父さん」がつかわれる。子どもが親をよぶときの
名前が、そのまま夫婦の呼称になっているのだ。これは、そもそも夫婦がお互いに個々の人格
として向き合っているのでなく、あくまでも子どもを媒介として向き合う関係を示している。
そして面白いことに、飲み屋のおねーさんや、バーの「ママ」、クラブの「ちーママ」も「ママ」。
つまり夫の場合、家庭の外に複数の「ママ」が存在することになる。妻に家庭外に「パパ」が
いることもあるかもしれないが、それは、愛人関係など特殊な場合だろう。妻にとっては、
家庭での「パパ」は、ただちに「父子関係」を意味しない。だが夫にとっては、家庭内外での
複数のママとの関係は「甘え」の関係であって「母子関係」を意味する。ようは、男はいわば
複数の「家庭」をもってることになる。さらに夫の側が、家庭は「癒しの場」や「憩いの場」だと
いうときには、根底にはこの「母子関係」がある。つまり、自分が癒される場所、憩える場所
だと考えている。しかし妻の側にとって、家庭はあくまでも「夫を癒してあげる場所や、夫を
憩わせる場所」なのである。そこにある癒される自分のちがいは決定的である。・・  
阿部さんは日本では、西欧のような「個人の時間意識」ではなく、「共通の時間意識」
があるため、母親と子供の関係も、母親が90,70歳でも、息子は息子であり、
いくつになっても、母と子の関係が続く。 ≫
▼ 日本の夫婦間の喧嘩で常に妻から出る罵声、『マザコン!』。外向きは亭主が上だが、
 内情は、妻のほうが上位にある。これは「母子関係」が、知らぬ間に夫婦間に移行したため。
私など、マザコン、ファザコンの上に、4人の姉の存在もありシスコンが加わる。これが悲しい
かな大家族の末っ子の宿命。家の中は「憩いの場」は一切なく、常に緊張をした「集いの場」で、
無言で大人しくするしかない。そう自分とは、家庭内の他者と、家庭外の他者から、
形づくられていることが分かる。健全な家庭こそ、全ての基本になるが、ファザ、マザ、シスコン
の歪んだ私が健全の家庭をつくってきたのだろうか?
ところで健全な家庭って存在するのか? 程度の問題? 
マザコンとファザコンが絡みあった二人が家庭をつくるのだから、それは大変なことである。
・・・・・・
4624, 夫婦格差社会 ー1
2013年11月13日(水)
 『夫婦格差社会 - 二極化する結婚のかたち』橘木 俊詔 (著), (その他)
図書館の中公新書のコーナーで、この本を手にとって、てっきり夫と妻との格差と思った。
私など今では妻との立場が逆転、家内の家に年金を収めて住まわせてもらっているよう。
ママ(ババ)リッチ、パパ(ジジ)プアーである。 ところが、これは家庭間格差の問題。
現在、パワーカップル(夫婦共に医師などの高学歴・高収入世帯)と、ウィークカップル
(非正規労働同士の低収入世帯)の二極化が進んでいる。嫌な話だが、学生時代の
欧州旅行で知り合った友人たちの相手は、誰もがつり合いのとれた?家庭環境で、
間違えてもシンデレラ物語の相手でない。病院で、医師と看護婦の職場結婚が案外
少ないのと同じである。医師同士か、その収入レベルの出身者になる。女性の選択基準は、
学歴と、所得、家の資産状況、そして容姿になる。まずは互いに釣りあった条件の相手を
求めるのである。 卒業間近に「学生時代に伴侶を見つけるのが最良」と気づき、半年の間、
友人に頼んで探したが間に合わず? 今から振り返ると、居ないことはなかったが、それが
誰かを判断し、決断する能力が無かった、ということ。それより、覚悟が出来たのが結婚を
した27歳。 事業創業を目指す!と決めていたことが、相手の選定に大きは壁になっていた。
それと四人の姉と遜色ない相手の中で、なびく女性を探し出す能力と自信がなかった?
(シスコン?) やはり、一番面白い20歳から26歳に、独り者の方が良かった?と言える。
「結婚とは一人以外のすべての女性との(結婚の)可能性を捨て去ること」という格言も
効いていた? 二度とない、あたら青春を早そう捨てることもない。 人それぞれだが・・ 
  まずは ーアマゾン〜内容紹介ー
〔 格差が拡大しつつある日本。家族の最小単位である「夫婦」もその流れに拍車をかけている。
 さまざまなデータに基づき、日本の夫婦の今を探ると見えてくるのは、夫の所得と無関係に
 働くようになった妻の影響力の大きさ。医師夫婦に代表されるパワーカップルと、対極にある
 若いウィークカップルなど、興味深い事例を紹介。 また、結婚できない人たちから、離婚、
 そして地域差まで視野を広げ、夫婦をめぐる格差を考える。 〕
ー目次ー 第1章:夫の所得と妻の所得          第4章:結婚できない人たち
     第2章:どういう男女が結婚するのか       第5章:離婚による格差  
     第3章:パワーカップルとウィークカップル     第6章:地域差を考える
▼ 目次からみると、日本の結婚像と夫婦像を分析する構成でなっている。
 東大卒女性104人の結婚相手の大学の内訳や、早慶卒の相手の学歴の傾向、中卒男子の
相手の学歴?とか、離婚率は欧米では高学歴ほど高く、日本は真逆とか、著者の教え子の
女子学生?が補佐したこともあり、切り口が醒めており女性週刊誌的で面白い。
子供の頃から姉達や、実家が商売をしていた環境の中、若い女性に多く接して、年頃を
過ぎた後の変容の激しさを見てきたこともあり、選定には用心をしたが、その結果が? 
互いに(●≧Å≦):(/ェ\。))である。結婚は百人が百人、そうだから? 書けるが! 
ライオンのメス集団のボス・オス選び以上に、女性の場合、結婚相手の選択にシビアに
なるのは自然のなせる技。世間でいう階層をアップする最初で最後の機会、自分の特性を
最大限にアピールをして売り込むしかない。それが、つり合いの取れたチョット上の相手。
  ーつづく  で、結果が、以下の文章になってしまう。 ーこれも、たまたま偶然だがー 
・・・・・・
4259, しまった!  ー8
2012年11月13日(火)  ーしまった! 「失敗の心理」を科学するージョゼフ・T・ハリナン(著)     
   * 人は、聞いた話を自分なりに綺麗に改変する  
≪学生の被験者に、ある物語を聞かせ、後で、その物語を語らせると、大きく歪曲する
 事実があった。問題は、その話の程度が予想を遥かに超えていたこと。 全談話の61%に
情報の追加、省略、誇張、最小化をおこなっていた。それを学生の42%しか、認めてなかった。
それは学生が偽りだったとは思ってなかったことを示している。・・・ そのうえ、学生は話を
聞き手の好みに合わせただけでなく、更に重要なことは自分の目的に合わせていた。
特に面白い話の場合、大幅に誇張したり、うそを加えたりした。後で聞くと、被験者の6割が、
その話に嘘を入れていた。人は談話をするときには、情報伝達をする目的と同時に、ある目的を
達成する手段になるもの、という結果になった。その意味で、対話の目的とは事実を伝える
のではなく、印象を伝えることだと。もっと面白い作用は聞き手だけでなく、話し手自身に
対するもの。語り手が自分の作り話を、何度か話しているうちに、作り変えた話が、その人に
とっての記憶になるケースが多い。 私たちは自分の嘘を本気で信じるようになるのである。
更に悪いことに、本人に、その自覚がないことである。≫
▼ 私が小さな地域社会で、アウトサイダーに徹しているのは、これを知ってのこと。
 社会学を40年以上、独学してきたので、その馬鹿馬鹿しさを知っていた。逆に、それを
独り楽しんでいる自分がいる。割切ってしまえば、これほど面白いものはない。B層の、さらに
下のC層という何も考えない旧来の価値観から一歩も出たことのない人たち。
彼らにゾンビが多い。彼らは普通の風体をしているが、中身はカラカラの干物。 
水気が失われているため、真っ当な人間に対する語り部になるしかない。彼らの毒は、
「作り話」として人に襲いかかる。 襲われ、その毒に侵された人間は、その瞬間、ゾンビに
変身する。そして地域社会の多くがゾンビ化してしまう。彼らは思考能力ゼロのため、
その自覚も無く、屍の群れは今日も人を襲い続ける。これが城下町レベルでなく、
情報化の御蔭で全国区レベルになっている。
・・・・・・・
3884, マネーボール ーシネマ感想
2011年11月13日(日)
 ブラッド・ピット主演の『マネーボール』を見てきた。最近、シネマが面白いのがたて続きで、
先月から今月にかけて映画漬け。内容の概略といえば、今までは、スカウトが見つけてきた
有望選手を一流選手に育て上げ、有能な監督が選手を有効に使って優勝に導く手法だった。
それを実在のアスレチックスのGMのビリー・ビーンが「他のチームで埋もれている傷物に
近い選手を一流選手の値段の数分の一で入団させて、その強みを組みあせて有効に使う
手法」を、考え出す。 そのため、当初は敗戦が続き、旧来のスカウトや監督、選手、そして
マスコミからも袋叩きになる。しかし、ある時期からその理論通りにチームが20連勝を
達成をする。これでビーンは、現在のメジャーリーグの野球を根底から変えてしまった。
それも、わずか10年前の実話を映画化したもの。最近、弱小チームだったヤクルトが、
監督交代と同時に優勝を争うチームに変身したが、この理論に忠実に沿ったチームの
立て替えだったかどうかは分からないが、みるみるうちに逞しいチームになっていった。
 また新潟の野球チームの前監督が、野村監督のデーター野球を引き継いでいたのを
買われて巨人入りをしたと報じていた。 過っての巨人のような一流選手を金でかき集めた
チーム編成で勝てる時代は終わったようだ。この映画を見た翌日に、巨人の騒動である。
この数年のトレードの責任はGMを兼ねている球団代表にある。特に外人選手のトレードを
みて、GMの首は当然と思うのは私だけでないはず。
  ー 『マネーボール』のHPの内容紹介 ー
< メジャーリーグの弱小チームを“常勝軍団”に作り替えた男、ビリー・ビーンを題材にした
ノンフィクションを、ブラッド・ピット主演で映画化した「マネーボール」が公開された。
「ソーシャル・ネットワーク」(2010年)でアカデミー脚色賞を受賞したアーロン・ソーキンらの
脚本で、燃える男ビリーと相棒ピーターの孤立無援の戦いが、抑制の利いたタッチで描かれる。 
経営難の球団、オークランド・アスレチックスは、スター選手をまたしても裕福な球団に
引き抜かれ、ピンチに陥っていた。ジェネラル・マネジャーのビリー(ブラッド)は、イェール大で
経済を専攻したピーターを引き抜き、球界の常識を完全に無視したデータ主義によるチーム
作りに乗り出す…。打点や本塁打の数より、出塁率や長打率を重視し、低コストで人材を
かき集めていくビリーに対し、ベテランのスカウトたちから強い批判が集まる。
そのビリーには、かつて巨額の契約金を提示され、大学進学をあきらめて
ニューヨーク・メッツに鳴り物入りで入団、その後、芽が出ずに退団した過去があった。>
 ・・・・・・・
3519, インターネットは20万年来の革命か? −2
2010年11月13日(土)
「一口に、インターネットは20万年来の革命というけれど、過剰表現では?」
と思うのは誰も同じ。人間が狩猟・採取から、牧畜・農業を始めて1万年、その20倍の
20万年前に道具を本格的に使い始めて以来の大革命、というから、いかにネットのツール
としての威力の凄いかである。 個々人の情報を写真、動画、論説、つぶやき、などが発信も、
受信も、気楽に出来るのである。やはり道具として20万年、200万年来の大革命である。
それに加えて端末機器が日ごと進化を始めて、止まることがない。 電子化は一度ソフトが
完成すればコピーと圧縮が可能。それをベースに次々と新しいソフトの追加が際限なく
出来るため時間の経過とともに、進化していく。「フューチャリスト宣言」の対談で、
梅田と茂木 の次の一節がネットの明るい可能性を言いあらわしている。
  ーとにかく、明るい未来フューチャリストだから、読んでいても楽しい!ー
 茂木:  自分の人格を高めていく喜びは、おそらく人間が体験できる喜びのなかでも
  最も強く、深い喜びはないでしょう。食べる喜びなど、おなかがいっぱいになれば
  終わりだし、性的な喜びも限界がある。 それに対し学ぷ喜びは限界がない。
  インターネットというものが、「学ぷ」という最も根源的な、終わりのない喜びを大爆発
  させる機会を与えている。まさに、「知の世界のカンブリア爆発」です。しかも、一部の
  特権的な人だけにでなく、あらゆる人に、発展途上国の人にも、その可能性が広がる。
  基本的な認識はそこで、人間の脳の報酬系、強化学習のプロセスに作用する。
 梅田: なるほど。言語を獲得したときも、脳が喜んだわけですね。
 茂木: 要するに、それが現れたことで脳の使い方がまったく変わったもの、ということで、
  「言語以来」という言い方が成立するのではないか。 言語によって脳の使い方が
  劇的に変わったんだけど、インターネットによっても変わるポテンシャルがある。 
  でも、まだその可能性にまだみんなあまり気付いていない。
 茂木: 人間は快楽主義だから、楽しいことをどんどんやろ・・とする。思っている以上に
  変わるかもしれない。ほんとうに素晴らしい機会がいま訪れていますよね。動画でも
  何でも、たとえ大学の講義のようなものでも、タダに近いかたちで入手できる。   
  そういうときに大学などの既得権益を保持する側がどういう反応を示すか。でも、長い
  歴史の中で人間の社会は必ず学ぶ喜びを青天井に開放する方向に変わると恩います。
〜〜
 ネットが、ほぼ無料で、知識を世界中から簡単に入手できるツールになったこと、
そのことが20万年来の革命。ネットが出現して15年、本格的に普及をはじめて7〜8年で、
もう一つの世界をつくり上げた。ネット販売が僅かな時間で百貨店、コンビニの総売り上げを
超えてしまったこと一つをとっても分かる。 当方のホテルの三割近くが既にネット経由からの
予約。また私の書籍購入の八割がたはアマゾン。小型の電器製品もほぼネットから購入。
これは20万年来の革命的ツールと仮説を立てると、まさしく符合する。ここでも脳学者が
言語で脳の使い方が変わったのと同じく、ネットで脳の使い方が変ると述べていることを
考えると、ネットは200万年来の大革命というのも納得いく。これがリアル世界を根底か
ら変化させている犯人。
  ・・・・・・・・
3144,「法則」のトリセツ  ー5
2009年11月13日(金)
  * フェルミ法則
 ーネット辞書「ウィキペディア」によるとー
フェルミ推定とは、実際に調査するのが難しいようなとらえどころのない量を、いくつかの
手掛かりを元に論理的に推論し、短時間で概算すること。名前は物理学者のエンリコ・
フェルミに由来する。フェルミはこの手の概算を得意としていた。フェルミ推定は
コンサルティング会社や外資系企業などの面接試験で用いられることがあるほか、
欧米では学校教育で科学的な思考力を養成するために用いられることもある。
Google社やマイクロソフト社でも、入社試験問題として出題されたことがある。
フェルミ推定という語句が日本に入ってきたのは、『広い宇宙に地球人しか見当たらない
50の理由―フェルミのパラドックス』(スティーヴン・ウェッブ著、青土社、2004年)
が最初だろう。ただしこのような考え方自体は大学の授業などで教えられていた。
例えば「東京都内にあるマンホールの総数はいくらか?」「地球上に蟻は何匹いるか?」
など、見当もつかないような量を推定する。フェルミ推定で特に知られているものは、
「アメリカのシカゴには何人のピアノの調律師がいるか?」を推定するもの。これは
フェルミ自身がシカゴ大学の学生に対して出題したとされている。この問題に対して、
次のように概算することができる。 まず以下のデータを仮定する。
・シカゴの人口は300万人とする    ー> ・シカゴでは、1世帯あたりの人数が
 平均3人程度とする
・10世帯に1台の割合でピアノの保有している世帯があるとするー>・ピアノの調律は
 平均して1年に1回行うとする
・調律師が1日に調律するピアノの台数は3つとする ー>・週休二日とし、調律師は
 年間に約250日働くとする
・そして、これらの仮定を元に次のように推論する。ー>・シカゴの世帯数は、(300万/3)
 =100万世帯程度
・シカゴでのピアノの総数は、(100万/10)=10万台程度ー> ・ピアノの調律は、年間に
 10万件程度行われる
・それに対し、(1人の)ピアノの調律師は年間に250×3=750台程度を調律する
・よって調律師の人数は10万/750=130人程度と推定される
 フェルミ推定では、前提や推論の方法の違いによって結論にかなりの誤差を生じることもある。
 〜
 以上のような推定と実際の数値が、変わりないというから驚いてしまう。
先日、新潟駅南のジュンク堂に「フェルミ法則の事例訓練」の本があった。
迷ったが買わなかったが、面白そう。推論の訓練も面白いだろう。
・・・・・・・・・
2779, アメリカは、どう転んでも、最小の損失!
2008年11月13日(木)       
 こういう微妙な時期には「産経新聞」「毎日新聞」の論説の方が、読売、朝日、日経より
筆先は鋭い。サブプライムローンの問題の深さを解りやすく説明しており、民主党のオバマの
スタッフが、クリントン時代の面々が返り咲き、国債の「奉価帳」を回してくることを予測する。
今度の緊急サミットも、そのために使われる。アメリカの消費バブルと、中国が生産バブル、
そして日本が金利ゼロの金融供給のバブル、それが一挙に破裂したことを解りやすく
書いている。一番の加害国のアメリカは、実際のところ、大恐慌になっても、ドルもアメリカ
国債の価値が失墜しても、あまり困らないのである。損失は紙代だけという穿った見方もできる。 
困るのは、紙を溜め込んだ日本と、中国、そしてアラブの連中だけ。だから、アメリカの脅しに
のり、更に紙を引きうけ、セッセと生産品を送り続け泣けれならないのである。 
その結果、待っている事態は、戦争であある。   
−まずは、その内容から   (字数の関係で中間カット2009年11月13日)
・・・・・・・・・
2007年11月13日(火)
2415, 閑話小題        才ノヽ──d(∀`d*)─(*b´∀)b──
 *古着の処分*
 (字数の関係でカット2011年11月13日)


4990,暴走する世間 −6

2014年11月12日(水)

              {暴走する「世間」―世間のオキテを解析する}佐藤 直樹 (著)
    * 家族の解体の原因とは
< 日本の「家族」は、世間様の「贈与・互酬の関係」の共同幻想に侵食されていて、
元もと解体されていた> という論旨は、身近を見れば納得できる。特に世間に生きる
女性の場合、連添いで人生が大きく変るため、「贈与・互酬の関係」にシビアになり、
相手も商品と同じ?ように選定する。   ーその辺りからー
≪ 高度消費社会がもたらした「過剰商品化」によって、なぜもかくも、やすやすと家族が
解体されたのか、それは、一部例外を別として、日本には市場原理に対抗できる近代家族、
愛情原理が存在しなかったためである。この家族の解体に大きな役割を果たしたのが
「世間」であった。その本質は共同幻想だが、ある場合には社会を意味し、ある場合には、
親族や家族を含むという、極めて曖昧な共同幻想である。 世間体が悪い、という世間とは、
「公」であるが、日本では家族もまた「公」と考えられるので、ヘーゲルのいう愛情原理で
構成される家族と、市場原理で構成される対立は存在してない。
家族は「世間」という共同幻想に侵食されていて、高度資本主義=高度消費社会によって
「解体」されるまでなく、あらかじめ「世間」によって、解体されていたのである。 ・・(略) 
 日本の夫婦には愛情がないためなのか?たしかに男女の恋愛はない。
恋愛は、個人の存在を前提とし、しかも二人の間が平等であることを前提にするが、「世間」
の中では、男女の間でも「平等な個人」は存在しない。「世間」には「目上・目下の関係」
という差別性原理があって、さまざまな男女差別は、これから起因しいている。
例えば、夫婦茶碗や夫婦箸が、夫用が妻のものより大きい。日本では男女間の愛など、
もともと信じてなかった? 日本の家族愛が建前、「滅私奉公」になっているが、日本の
「愛」は、「贈与・互酬の関係」があるため、どこかで見返りを求める「愛」となる。
日本人は何か親切にすると、「お返し」を求めるから、ボランティアと行為が、広まらない。≫    
▼「世間」という共同幻想は、知らないうちに、「愛」や、「家族」のベースに大きな影響を
与えている。 そこには、「目上・目下の関係」の差別性原理があって、少しでも弱点を
みせると、襲い掛かってくる。それに動じないためにも、その本質を見極めてないとウツに
陥る。その防御には、ただボ〜ッした「ぼんやり」の時間と、長年かけた教養が必要になる。
家族の解体の流れ、家族、核家族化、個族化は止まることはない。それを暴走する世間
が加速させているとすると、ただ事でない事態である。日本は国家として下り坂になった。
・・・・・・
4623, 閑話小題 ー創業当初の営業担当の年賀欠礼の葉書
2013年11月12日(火)
   * シネマ・人間資金
 シネマの『人間資金』が期待してなかった分、良かった。邦画で90点は、私としては
高評価。内容といえば、「実は噂のM資金が存在しており、日米の選ばれた人たちで
運営されていた。それも人類の発展のためが建前。日本の戦後の復興資金にも
貸し出されていた。しかし米国の責任者が、それをファンドで、自分たちのために利用
しようとし、日本の責任者と対立する。その一部の資金で情報端末を某国の国民の
多くに配布、それが国民に有意義に使われて、理想像に近い国家になっていた。
しかし、それを良しとしない米国の責任者が、その国を攻撃しようと企らむが、ギリギリの
場面で、国連の壇上で、個々の国民の生の映像が次々と流され、その企みを阻止する」
というストーリー。もっと、欲と欲の中での生々しいと思っていたが、最後は
ヒューマンストーリー。こういうのも、良いのだろう!
   * 創業時の営業担当の、年賀欠礼の葉書
 実務で創業を始めて40年になるが、10年ほど前から次々と年賀欠礼の葉書が届く
ようになった。昨日は、35年前に実家の商業ビルを建替えた淺沼組の新潟営業所長
だった牧野さんの奥さんから、年賀欠礼の葉書が届いた。3ヶ月前の8月2日に、
74歳で死亡、とあった。長岡のビル建設の後、新潟駅前ホテルを三棟、合計四棟を
営業責任者として直接の交渉担当者としてやりあった相手。 酒好きで、重症のアル中。 
一時、二千万の酒代のツケがあるといっていた。ゼネコンの営業は、会社の上司と、
施主、現場責任者、下請けなどに挟まれた軋轢があって、殆どがアル中になるか、
ガンでの壮絶死が待っている、と言われる世界。
一緒に飲む分には、これほど面白い相手はいないヤクザな役割。3〜4年前に、
以前の会社の事務所に10年ぶりに訪ねてきた時には、以前の面影は無く別人のような
顔つき。「ガンが進行していて、長期間、何度も入院、いつ何時、お迎えが来るかも
しれない」と、深刻な顔。互いに、これが最期と別れた。 勿論、そんなことは、
口に出さないが。 私も、この人との付き合いで、酒浸りの日々が続いたことがある。
逆に、「あれだけ飲んで、よくぞ74齢まで、生きていたもの!」というほど、酒浸り。
 ところで長岡も含めた事業の当初の親しくなった営業担当が、半分近く亡くなっている。
朝広の五十嵐さん、新潟デザインセンターの阿部さん、マルヒロ不動産の後藤さん、
富士総業の小竹さん、と次つぎと顔が浮かぶ。亡くなる順番は、来るまで誰もわからない。
全てが夢幻の宴の仲間。辛さ三割、面白さ七割、だった。ご冥福を!
・・・・・・
4258, しまった!  ー7
2012年11月12日(月)                   
  * 状況は「偉大な杖」の如しーしまった!「失敗の心理」を科学するージョゼフ・T・ハリナン著
 私たちは目先の出来事(現象)に、惑わされてしまう。大部分の人は、目先の周りばかり
みて長期的見方をしようとしない。それをするには考えなければならないが、本質など
見知りたくないのである。出来るのは、他人の表面を見ることだけ。そういう私も同じだが、
そのことを自覚していると思い込んでいるだけ、タチが悪い。 
   ーその辺りを要約してみるー
≪ 日常の出来事を認知するうえで私たちがいかに「状況」に頼っているかである。
 状況は偉大な杖だ。私たちは自覚しているよりもはるかにこの杖に頼っている。
ハロウィーンの時期に事件があると(ろくに考えもしないで)ハロウィーンに関係があると
思いこむ。たいがいはそのとおりだ。しかし、そうでないことも多々ある。 街角で首吊り
自殺が実際にあっても、ハロウィンの飾りの一つと見てしまう。スキムという法則がある。
情報の表面的理解のことだ。これはベテランの投資家や、音楽家などで多く見られる。
人は得意の分野ほどウッカリミスのスキムしがちになる。特に集団が暗示にかかった
時など、それに大きく左右される。日本のバブルと崩壊が、その典型的事例である。
それを悪用したのが証券会社。現在、アメリカの金融工学とかで世界中に不良債権をばら
撒き、恐慌一歩手前の金融危機を向かえている。世界の金融機関が状況に騙されたのだ。
ある実験で、催眠中に暗示を与えられ気分が楽くなった人と、悲くなった人が、それぞれ
以下の物語を聞かせた。
【 二人の大学生が仲良くなり、テニスを楽しんでいる。一人は何をしてもうまくいく
 楽観論者、もう一人は、何をしてもうまくいかない悲観論者。後催眠をかけられた
被験者たちは、物語を読み終えた時、主役は誰かと問われた。すると、楽しい気分の
人たちは楽観論者に、悲しい気分の人は悲観論者を主役と感じた方が多かった。】
これが人間。 ≫
▼ 「幸福な記憶は、幸せなときこそ鮮明によみがえる」のである。だから貧してはならない。
貧すれば鈍するになる。人は、あまりに目先の状況に対して隙だらけ。
だから考えなければならない。自ら省みて、考え足らずを思い知らされる。
 ・・・・・・・
3883, 無知蒙昧が老いると、無知老害! ですか
2011年11月12日(土)
 「無知蒙昧」が歳をとると「無知老害」になるというが、成るほど老いて、つくづく実感する。
何事も知っていると知らないとでは天地ほどの開きが出てきて当然である。それが自覚
出来ないのが人間の儚さ。それでも情報機器の飛躍的進化で私たちは、情報(知ること)が
無限に近く入手可能になっている。とはいえ情報蓄積と、分析と加工のベースがないと、
情報が、そのまま通過するのみ。 知識の蓄積と知恵への変換の基礎教養が必要になる。
そのため己の無知蒙昧を自覚するのが、第一歩。「無知の涙」という死刑囚の執筆があるが、
これは万人の姿。人生を精一杯生きるほど、自分の限界線が鮮明に見えてくる。
何度か極限を見えたことがある。その先は何とか意識的狂気で乗り越えた。事故死をした
レーサーの名言がある。「誰もが極限まではやる。問題は極限の先を何処までやるかだ」と。
限界を超えようとすることを狂気という。自分の正気は小さな限界を示している。 
狂気こそが、その限界を破壊してくれる。 正気の世界のみで生きている人たちこそ、
蔑視に値する人としてみると、成るほど合点がいく。自分の現在だからである。
正気の世界のみで生きた人生こそ「正気の沙汰」の人生になる。「若気の至りがない
人生こそ、若気の至り」も同じこと。「若気」こそ、人生のヒントが隠されている。
この言葉から「老気」という造語?が浮かぶ。 歳相応の「老気」も悪くはないが、人生を
旅路とすると、最期まで旅そのものを楽しむ「若気」は失わない方が良い。
私たちは、あまりに人生を無意味に生きている。それもこれも、死んでしまえば皆同じ、
と思えれば良いが、心は足りなかった部分にいく。 それが無知老害になっていく。
これ、顔に出るから恐ろしい! 最近、鏡を見るのが恐ろしい? 
 ・・・・・・・
3518, 不況景色とは、こんなもの? −2
 2010年11月12日(金)
 これまで何度も書いてきたことだが、日ごと娑婆が留まることなく冷え込んでいると実感。 
「来年2011年から2012年にかけて世界も日本も大きな節目になる」と仮説を立てると、
現在の深刻度がはっきり見えてくる。二年前、アメリカのプライムローンの債権ばらまきから
発した金融恐慌が、本格的に世界経済を大混乱に陥る時期である。1929年に始った恐慌も
大波は3〜4年後の1932年〜33年度にきている。その一番の大波がまず日本に来る。
アメリカの軍事・金融属国の宿命で、当然といえば当然。悪いことに、その時期が団塊の
世代が大方、年金生活に入る時期に重なる。その引き当て財源の多くがアメリカ国債などに
化けている。 それが表面化すると一挙に円高から円安に転換し、5〜10年かけて300円
まで下がると予測される。あと数年で国家予算すら組めなくなり、国家の信用失墜となり、
長期金利の上昇をもたらす。不動産は底抜けし、株は暴落、ハイパーインフレが吹き荒れる。 
日本がG8の中で最初にデフォルトを起こし、IMFの管理国家として悲哀を味わうことになる。
これが近未来に起こる大波の現象である。 現在は、まだ預金が1400兆円あるというが、
それらはハイパーインフレで価値が激減する。 一部の資産家は金の現物か、香港、
カナダか、オーストラリアの国債に替える等の避難をするが、一般人は丸裸に近い状態
というイメージがわく。 この5年間の年替わりの政権たらいまわしをしてきたツケが、
今後10年の間、さらに低落に拍車をかける。日本の政治システムが激変に対応できない。 
これらを考えると悲観的になってしまうが、これが現実。 割り切るしかない。 
これも情報化社会の到来による劇的変化の一現象でしかない。
 ・・・・・・・・
3143,プロ野球の順位予測と結果
 2009年11月12日(木)
毎年、毎日新聞の「記者の目」のコーナーで、スポーツ記者10人によるプロ野球の
順位予測が、開幕前に取上げられる。それぞれのリーグに5人ずつの記者が予測するが、
その平均予測順位はセリーグ、巨人、中日、阪神、広島、ヤクルト、横浜。結果が巨人、
中日、ヤクルト、阪神、広島、横浜だった。 ヤクルト5位の予測が3位に入れ替わった
だけだから、良しとしなければならない。しかしパリーグが惨敗で、予測平均は西武、
ロッテ、日本ハム、オリックス、ソフトバンク、楽天。 そして結果は日ハム、楽天、
ソフトバンク、西武、ロッテ、オリックスというから惨憺たるもの。特に西武が完全に外れ。
その原因はコーチの大久保と、黒江が抜けてチーム全体が緩んだことを上げていた。
さっそく大久保の現場復帰が決定された人事が発表されていた。 それと楽天を
最下位に5人中3人が予測していたから、これまた大きな外れといってよい。
一位日ハムを予測した者は誰もなく、二位楽天も一人も予測する者は無かった。
野球はチームプレーで、チョッとしたコーチの配置で、結果が変わってくる。
だから、面白いのだろう。
・・・・・・・・・
2778, 世界は一冊の本
2008年11月12日(水)
 次の詩がよい。その中の「本でないものはない。世界というのは開かれた本で、
その本は見えない言葉で書かれている。」 私が秘・異郷ツアーに魅せられるのは、
世界の開かれた本を正しく読めるからだ。それぞれ一期一会の出会いがあるからだ。
そして感動し、考えるのである。生きるとは感動し、そして考えること。
ーー  
  「世界は一冊の本」        −長田弘
 本を読もう。 もっと本を読もう。 もっともっと本を読もう。
書かれた文字だけが本ではない。 日の光り、星の瞬き、鳥の声、川の音だって、本なのだ。
ブナの林の静けさも、 ハナミズキの白い花々も、 おおきな孤独なケヤキの木も、 本だ。
本でないものはない。世界というのは開かれた本で、その本は見えない言葉で書かれている。
ウルムチ、メッシナ、トンブクトゥ、地図のうえの一点でしかない 遥かな国々の遥かな街々も、
本だ。そこに住む人びとの本が、街だ。 自由な雑踏が、本だ。  夜の窓の明かりの
一つ一つが、本だ。シカゴの先物市場の数字も、本だ。 ネフド砂漠の砂あらしも、本だ。 
マヤの雨の神の閉じた二つの眼も、本だ。人生という本を、人は胸に抱いている。  
一個の人間は一冊の本なのだ。 記憶をなくした老人の表情も、本だ。
草原、雲、そして風。 黙って死んでゆくガゼルもヌーも、本だ。  権威をもたない尊厳が、
すべてだ。200億光年のなかの小さな星。 どんなことでもない。 生きるとは、考えることが
できるということだ。 本を読もう。 もっと本を読もう。 もっともっと本を読もう。
ーー
 ローガウの「格言詩」の中に「世界は一冊の本であり、人間ひとりひとりは活字である。
国々は綴じひもであり、時代はページである。」という詩がある。これを人生という視点で
置き換えると「人生は一冊の絵本であり、出会ったひとりひとりは挿絵である。
家族は綴じひもであり、時代はページであり 筋書きは愛である」という詩ができる。
それにしても、「世界は一冊の本」の詩は、ひとことひとこと胸に刺さる。                          
 ・・・・・・・・
 2007年11月12日(月)
2414, 反転 ー闇社会の守護神と呼ばれて −2      オハヨウ (▼皿▼#)!
 この本の中には検事の職業の裏と表を、あますことなく書いてあるが、次の言葉が
解りやすく象徴的である。「検事を含め法曹界におけるわれわれの仕事は、しょせんその
「ドブ掃除」にすぎない。 正義を振り立て、人をリードする職業などではない。
人間のやった後始末をするだけだ。 それも人間のいちばん汚い部分の後始末である。」
それゆえに、ヤメ検は裏社会に適応するのだろう。 ー前回の続きの部分をコピーしてみるー
  (字数制限のためカット09年11月12日)
ーーーーーーー
2006年11月12日(日)
2049, あたりまえなことばかり −5          オッハ ∠_(o ̄∇ ̄o)  
{「私」のための現代思想 }の読書日記を17回にわたり書いたが、ここの著者の「私」に
ついての解釈も面白い。「私」については、知れば知るほど面白い。ソクラテスの
「汝自身を知れ」ではないが、汝が居てはじめて「私」が存在する。複数の汝によって、
「私」は社会の存在者として表出する。         
 ー 生きているとはどういうことか ー
科学的世界観時代のドクマとして、自分は肉体であると思い込むに至る。しかし自分は
肉体であるとは、どういうことなのか。それを極言すれば、自分とは脳であると、現代人は
9割がたの人が疑ってない。「私」という言葉で、精神、感情、心とかいったことも含めるん
でしょうが、精神的なことも脳波を測定したりしていますが、「私」は果して脳なのでしょうか。
脳には触れることができるとしても、考えそのものには触れることはできません。 
感情だって、同じである。「私」という存在にもっとも驚いたのは近代哲学のデカルトである。
なんだこれは。考えている「これ」です。「精神」「コギト」と彼は言いましたが、非物質の精神
の存在、コギト。 彼はそこで失敗したのは、それに「私」という名を持ってきてしまったことだ。
そこに「私という名を持ってくると、どうもそこに私が存在するようになる。問いとしてあべこべに
なってしまう。 つまり考えている「これ」に「私」という名前を当てたに過ぎないのであって、
「私」というものが予めてあるのではない。何かにあてられた一人称代名詞。これも名前に
過ぎないということに気がつきます。この一人称代名詞「私」は一体、何を代名しているのか。
最近「自分探し」というのが巷で流行っているそうですが、これは方向としてあべこべで「私」
という何かが何処かに在ると思っている。たぶんそれは社会的なアイデンティテーが欲しい
ということなんでしょうが。それは正しい問い方ではない。「私なんてものは、無いんですから。
無いにもかかわらず、考えている何かがある。それは何か、ですから。「何が私という名前で
呼ばれているか」これが哲学的な問いです。どうも「私」は物質ではないらしい。
非物質。それと「私」は死なない。 死が無いから、「死後」は問えない。死後が在るか
無いかという問いの間違いは、死が存在するとして時間が前方に直線的に流れている
という誤った表象に基づきます。この誤りに気がつけば、すべては、今ここにすべて存在する、
ということに必ず気がつきます。「私」が死なないという意味であって、死後にも生きている
ということではない。なぜだか、全ては今ここに存在すると知っているこの何者かは誰なのか、
これが正当な謎として立ち現れてくる。このような不思議な存在に対して、「魂」と言い
たくなる。しかし魂という言葉はつかい方が非常に難しくなる。何か実体があるような、
そういうものが生まれかわりするようなイメージになりがちです。実体的イメージ。
しかし、すべてが今ここに存在しているのだから、前世来世を問うのはナンセンスです。
だからと言ってそういうものが無いというものでもない。 とはいっても「私は私である」
「私は個人である」とは、「私とは誰なのか」という問いを止めてしまった我われの
思い込み。    
 ーーー
ー死後が在るか無いかという問いの間違いは、死が存在するとして時間が前方に直線的に
流れているという誤った表象に基づきます。ーここがポイントではないか?「死があると信じて
時間が直線的に流れている」と、思ってきたが少なくとも私は死なないのである。 
「すべては、今ここに存在する」と、「死は無い」とが、深く結びついているのである。
「永遠の今ここ、そして永遠の、《私》」ということか・・  死ぬわけ無いじゃん、
わたすは私だから          


4989,暴走する世間 −5

2014年11月11日(火)

            「暴走する「世間」―世間のオキテを解析する」佐藤 直樹 (著)
   * うつ病は「世間」の共同幻想にやられる病!
 ここで、次のような精神療法家M.バリントンの指摘を紹介している。
≪・「三人関係の対人状況」(三人状況)といわれているのが、吉本さんのいう共同幻想であり、
 ・「二人関係の対人状況」(二人状況)が、対幻想であり、
 ・「一人状況」が自己幻想である。  各々、
それぞれ、「三人以上の人間がつくりだす観念」「ペアとなった二人の人間がつくりだす観念」
「一人でいて、じとーとしている時の観念」と考えればよい。
「三人状況」(共同幻想)が、躁鬱病(うつ病を含む)に、
「二人状況」(対幻想)が、統合失調症になっていく。
 とすると、「世間」とは、三人以上の人間がいるところに現れる幻想・観念であるから、
うつ病はこの「世間」に関わる病だということになる。
 ところで当たり前のことだが、うつ病は全世界的に普及した病だが、
西欧のうつ病は「三人状況」(共同幻想)として「社会」に関わる病であるとすると、
日本のうつ病は「世間」に関わる病ということになる。
 ・・「世間」は個々の具体的な人間のことではないが、抽象的な人間一般でもなく、
上司や同僚や近所の人などといったような「顔のみえる」他者のことである。
うつ病の患者にとって問題となるのは、こうした他者なのである。≫
 また、木村敏と阿部謹也との対談で、木村敏の次の言葉を紹介している。
≪ 日本では、西欧社会のように、「判断が神との一対一の関係」で決定されず、世間は
空間的な概念だが、それを時間的にとらえた表現が『御先祖様』であり、『御先祖様に
顔向けができない』ということになる。世間の中には「呪術性」という原理があり、そこには
森羅万象、動物や植物やモノや死者まで含んでいる。≫
▼ 日本の自殺者数は、先進国の中でダントツに多い。{さらに多い韓国は先進国に含まない}
 経済的理由による自殺は、日本では「借金」という金銭貸借関係が、たんなる法律上の契約
関係としてだけでなく、「贈与・互報の関係」ととらえられているため、それを守っていけない
人間として{世間」からつまみはじき出されるところからおきる。日本人は世間とかいうのから、
つまみはじけ出されると、「ご迷惑かけました」という遺言を残して自殺をする。決して心が
弱いだけでなく、その思い込みが原因。要するに情緒的体質が、その背景にある。
私など「世間」に袋叩き?で、気違い扱いだろうが、45年前に、見限って生きてきたため、
今さらである。むしろ叩かれることが自己存在と自認している。暴走しているのは、世間様。
その世間様の暴走をネット社会が更に推し進めているから、ことは深刻。死んで三日も経てば、
ほぼ忘れ去られる世間など、のっけから相手しないで、アウトサイダーを決め込んできた。
特に晩年は「老人性うつ病」がすべての人の問題。群れればウツが振幅するため孤独を深める。
・・・・・・
4622, 君は1万円札を破れるか? ー7
2013年11月11日(月)
    * 空観、仮観、止観、そして中観に至る
 空観、仮観、止観、そして中観に至って真の自由の獲得する道筋がわかりやすく、良い。
一つ間違えばアウトローだが。としても、どっぷり浸かってしまった小さな世界から、一歩も
二歩も、外に出ないと「シラミ」になってしまう。同じシラミなら、外の世界を持っているかどうか、
である。 ライフワークは、そのために持っていなければならない絶対条件。
 ーその辺りをまとめてみたー  {般若心教の具体的解説とみると理解しやすい!}
《 無限に広がる巨大な「網」を想像してください。無数の網目が集まって網を成していますが、
その区切られた一つの「網目」だけを取り出しても、それは存在しているといえるでしょうか? 
いえ、「網目」という実体はありません。このように、すべての存在現象は他に依存して「仮」に
現れているだけ。本来は消滅増減もなければ色形の区別もない、つまり、「空」である。
このように宇宙を観るのが、「空観」です。 自分が作り出した欲求が「苦」を生むのですから、
煩悩を捨てていき、すべてが幻想であると理解したら、心安らかに生きていける、ということ。
しかし、人が煩悩を完全に捨て去ると、人類が滅亡してしまいます。そこで、もう一度、認識
されることによって現れる世界の「仮」の姿を見るのです。これを「仮観」といいます。
 たとえばコップを見て、「水を飲むもの」と認識したら、それはコップにそういさう「仮の役割」
を持たせたということ。同じコップを「水を注いで花を挿すもの」と認識することもあるでしょう。
このように、世の中のすべてを、役割を持たされた仮の存在と見るのが「仮観」です。
 釈迦がすごいのは、「空観」と「仮観」のどちらも欠いてはいけないとわかっていたことです。
すべてを「空」だと知ったうえで、同時にすべてのものに「仮」の役割を見いだしていくのです。
すると、結局のところ、世の中に何一つ、役割のないものは存在しないということがわかります。
この考え方を「中観」といいます。中観こそ、私たちが最終的に目指すべき境地だといっていい。
◎「一億円持っているから幸せ」とか「1億円の負債があるから不幸」と感じるのは、本当は
いずれも幻想に過ぎないことを知るのが、空観方式です。ただし、どうせ同じ幻想なら、自分の
望むようにゴールを設定し、徹底的に目指すほうが途中の過程を楽しめます。
◎「じゃあ、実際にどんなものか、1億円を稼いでみましょう」と、仮のゴールとして設定するのが
 仮観方式です。注意すべきは、その達成で得られる「幸せ」は、あくまで「仮観」。
幸せの仮の姿と知っておくことです。知っていれば、実際にお金持ちになっても、「もっとお金が
ないとイヤだ!」と思うような不幸は起こりません。要は、煩悩に振り回されないよう、ということ。
◎そこで大事なのが、「止観」という考え方です。煩悩をいったん「止めて、観る」のです。
 といっても、難しいことではありません。 煩悩が暴走してしまうのは、その衝動を意識できて
いないからです。意識さえしていれば、コントロ!ル下に置いて、暴走を防ぐことができます。
意識するには、自分の煩悩を少し脇に置いて、客観的に眺めてみればいいのです。
「止観」によって、自らの欲求を認識することは、抽象度の上がった世界から眺めることに
ほかありません。そこから眺めれば、欲求は自然とコントロールできます。
それを続けることにより、中観の境地に至っていく。》
▼ 「中観に至ると、ありとあらゆる価値観の束縛を超えながら、この世で真に自由に、
 自らの望む役割を果たすことができ、他のあらゆる存在も、それぞれの役割を果たして
いるだけであり、そこに一切の上下関係などないことがわかってくる」 私たちの本来、持って
いた自由と、親とか学校教育で教えられた自由と違うことが、中観に至るとわかってくる。
ところで、武澤ゼミで教わった真髄は、この中観の目線だったのではなかろうか! 
一つ間違えば、私のようになるが?
・・・・・・
4257, しまった!  ー6
2012年11月11日(日)
 * 人は、あまりに楽観的過ぎる!
           ーしまった!「失敗の心理」を科学するージョゼフ・T・ハリナン著
 人は楽観的の方が気楽で生きやすい。しかし、それが人生に失敗をもたらす大きな
危険を呼び起こすとしたら、問題は別。バブル崩壊後の失われた20年は「根本問題から
目を背け、経済成長に戻る」という楽観論に惑わされた結果である。 根本問題は、東西
対立が終わり米国が地政学的に日本に対する特別待遇の必要性が無くなったことと、
アメリカの衰弱、少子化、そして情報化によるグローバル化の結果である。 
その前提が変化しているに関わらず今だ成長路線への修正を目指している。
あまりに楽観的である。間違いなく、10年後には国民の生活レベルは現在の半分以下か、
三分の一になる。著者はここで、大学の色々な実験結果を示し、人間は昔から自分の記憶を
いいように、自己満足するように再構成する性を指摘している。たとえば親は、実際よりも
専門家の意見に近い子育てをしてきたと信じてきたし、ギャンブラーは、負けより、勝ったことを、
こと細かく記憶している。それぞれの顔を何割か良くした修正写真と、修正前の写真を二枚
並べて、どちらが自分に近いかを問うと、確実に修正写真の方を選ぶという。人間は自分に
都合よくものを見たり思ったりするもの。人間で凄いのは、とにもかくにもモノゴトを考えようと
しないこと、楽観的すぎるということである。更に悪いことに結果を知ると、それまでの考えを
無意識に修正してしまい、以前より修正後の考えを持っていたと思い込んでしまう。
大部分の人は世界は自分の為にあり、自分中心に地球が回っていると考えている。
実際は、その正反対であるのに。その甘い考えで経験を重ねるうち、直接、自分に跳ね
返ってきて叩きのめされる。それが小さな事態なら、まだ良いが・・ 「楽観は意志、悲観は
感情」という言葉は、一面、真理だが、これは意志に裏づけがあり強固であってこそ。
右上がりの時流の時は「長期、楽観!短期、悲観!にして、日々楽しく!」で、右下がり時は、
「長期悲観、短期楽観で、日々可笑しく!」を旨にして、冷静にあるべき。
楽観的であるのはよいが、現象のマイナス部分を見て見えないという、欠点がある。
その蓄積が大失敗に繋がる。自分のことか?・・ いや、貴方も!
・・・・・・・
3882, 閑話小題
2011年11月11日(金)
    * カラスの怒り
 一月ほど前の話になるが、信濃川の大橋を自転車で走っていると、橋の下から飛んできて
欄干にとまろうとしたカラスと50センチ位の間近かに鉢合わせをした。カラスは不意をつかれ
ヒックリ返って橋の下の方に落ちていった。 しかし体制を立て直したのだろう、30Mも行かない
うちに自転車の数メートル先の欄干に止まって羽をいからせ威嚇してきた。それを4度も繰り
返したことから、怒り心頭が分った。 カラスにも人間のような意地があるようだ。
散歩などで時おり威嚇してくることがある。 黒色系の服装が刺激するのだろう。 
鳥は、人間が思っているより遥かに頭がよい。それもカラスは、地元密着で多くの知識の
蓄積がなされている。 人間社会との微妙な距離を守り、共存している。土鳩とカラスと
雀は世界の街の何処にでもいる鳥である。
   * オリンパスの飛ばし
 オリンパスの飛ばしと英国人社長の解任事件、英国の優秀な人物を社長にしたのはよいが、
その男は一神教の堅物。彼を引き上げた実力者の意図と違った行動を始め即刻、首なった。 
ところが、その英国人が内幕を暴露をし、世界的なニュースになってしまい実力者の元社長は
追放され、司直が入る可能性が出てきた。これが現在、伝わってくる情報。
飛ばしは、粉飾決算の手法の一つ。それが銀行と証券会社主導かが問題視されている。
飛ばしは日本だけの慣習なのか?世界共通の手法かは分からないが、これを切欠に、
次の飛ばしの会社が槍玉になってくる。次は、どの会社かは情報筋は分かっているはず。
 この事件はアメリカにとっても、大きな日本バッシングのネタになる。今度は、オリンパスが
買収される側になる?一英国人からみた日本の経営的慣行は、非常に歪んで見えるのだろう。
それが白日に曝されるのだから・・ アメリカは、TPP交渉に日本を引きずり出す絶好の
ネタとして、最大限、使ってくるはず。
 ・・・・・・・
 3517, 不況景色とは、こんなもの? −1
2010年11月11日(木)
  * 繊維業界の不況景色とは?
 昨日の朝のNHKニュースのレポートで岐阜を中心とした繊維不況の実態を映し出していた。
デフレに対する人件費の削減のため、中国人を研修目的の名目で入国させて何とか凌いで
いたが、研修目的という題目の低賃金が法律で禁止されることになり、先行き真っ暗という。
ついに、来るところまで来てしまったという深刻なもの。30年前に5年近く実家の衣料量販店を
たずさわり、岐阜や広島などの生産現地に仕入れに行っていたこともあり、その深刻度が直に
伝わってくる。現在は業種は変わってもほぼ同じような問題で地域経済は喘いでいる。
住宅も、車も、電気製品も、エコポイント制度による前倒し需要で何とか今年は凌いできたが、
問題は来年はどうなるか?である。前倒し需要の反動がモロに日本を覆うことになり、来年は
更に冷え込みが大きくなる。考えただけで恐ろしい。また消費税の増税も待ったなし、
ときているし、さらにTPP(環太平洋湾自由貿易)で、農業も例外なく自由化されれば、日本の
農業は大打撃を被ることになる。もし参加しないなら、日本経済そのものが壊滅的打撃になる。 
一昨日の同じニュースのレポートは、目と耳を疑う内容。「風俗嬢の派遣会社に一般主婦の
応募が急増している」という。顔を隠しているが、サラ金の借入れが厳しくなって、手っ取り早い
風俗に昼間に行っているという。週に4〜5日、6時間で月40万になるという。 
朝のNHKが放送する内容ではないが、時代は、そこまで深刻ということ。もう自明になったが、
民主党に政権を取らせたことが間違い。今年の暮れか来年早々、政変で自民党と民主党の
小沢派が大同連合をつくり、この難局を乗り越えないと、国家破綻が現実的になってくる。 
アメリカのCIAは、あらゆる手を使って阻止してくるが、それしかない。 
まったく、どうなってしまった日本よ!
 ・・・・・・・・
3142, 最近、いやに時間が短く感じるが
 2009年11月11日(水)
 齢を重ねるごとに、あれだけ長く感じていた1年があアッという間に過ぎ去る。還暦を
過ぎてから、それがますます激しくなっている。 日常生活に大きな変化がないためだろうが。
年齢を重ねるほどに、時が経つのが早くなるのは万国共通。これは実験でも検証されており、
「数十秒から数時間という経過時間を被験者に評価させると、加齢に従い短い時間を報告する」
という。また、苦しい時間はユッタリ流れ、楽しい時間は短く感じるのはどうしてか?などを
突きつめると面白いはず。 「大人の時間はなぜ短いのか」一川誠著に、
時間に影響を及ぼす主な要因としては次の4つが挙げられていた。
・身体の代謝= 代謝が高まると時間をゆっくりに感じる。1日の内でも代謝の関係で
 午前がゆっくりで午後が速く感じられるようだ。 代謝は加齢に伴い低下する。
 年を取るほど時間経過を速く感じる一因となる。
・心的活性度=緊張や興奮によって時間経過は速く感じられる。実験では逆にクモ恐怖症
 の人をクモと一緒の空間に閉じこめると時間が長く感じられたという。
・時間経過への注意= 時間を気にすると長く感じられる。時間経過への注意が時間を
 分節化してしまい、分節化された時間帯の数を多く感じることで、長いと感じるという仮説。
 時計を度々見ると長く感じる!
・他の知覚様相の状態= 広い空間では時間はゆっくり。刺激が多い時間は速い。 
 受け取る情報に脈絡やまとまりを感じていると速く感じる。目や耳で感じる印象と物理的
 実在のずれは案外に大きいことがわかる。時間感覚のずれも錯覚の一種としてとらえている。 
 今後、研究が進んでいけば、錯視パターンのように、人間の時間経過を操作する技術が
 発見できるのかもしれない。人間には心地よいと思える「精神テンポ」が備わっているとか。
ーー
なるほど、どれもこれも、納得できるものばかり。分子の一年を、生きてきた分母で割ると、
その分母が大きくなる分、導き出された答えは小さくなる、すなわち短く感じると単純に
考えていたが、他にも多くの要素があるようだ。肉体の新陳代謝のテンポや、齢をとるごとに
刺激の感受性が少なくなるのも理由。要は老化現象で時間が短く感じるということか。 
長い時間をかけて、人間は自然とユッタリ身構えるようになる。
 ・・・・・・・・・
2777, 仮説思考 −4
2008年11月11日(火)
 棋士の読みの一手は、仮説思考そのものである。次の文章で、そのことを上手く表現している。
制限時間のかなで、判断しなくてはならないから、一瞬の仮説思考が必要になる。 羽生は、
ここで「直感の七割は正しい」といっている。面白い確率だが、彼の天才的な能力だから
七割なのだろう。共同体の中で、共同幻想を持って、そのことすら気づいてない我われは、
仮説の世界で生きているようなもの。棋士の目で経営アドバイスをすれば、
良い助言が出来るだろうに。
 *天才棋士は一瞬で打ち手を絞り込む  P−32
 プロ棋士、羽生善治は稀代の天才棋士であることはいうにおよばないが、仮にビジネスの
世界に進んでいたとしても、かなりの確率で成功を収めたに違いない。なぜ、そんなことを
いうかといえば、それは羽生が仮説思考の達人だからである。羽生の棋風はオールラウンドで
幅広い戦法を使いこなし、終盤に繰りだす妙手は「羽生マジック」と呼ばれる。
「マジック」の使い手ということになるが、こちらも妙手の秘密について著書「決断カ」で言及。  
 羽生は将棋で大事なのは決断力だという。すなわち意思決定だ。決断にはリスクを伴うが、
それでも「あとはなるようになれ」という気持ちで指すのだという。そのときの意思決定を
支えているのが仮説思考である。 将棋には、ひとつの局面に八○通りくらいの指し手の
可能性があるが、その八○をひとつひとつ、つぶさに検証するのではなく、まず大部分を
捨ててしまう。八○のうちの七七、七八については、これまでの経験から、考える必要がないと
瞬時に判断し、そして、「これがよさそうだ」思える二、三手に候補手を絞る。これはまさに
仮説思考だ。八〇のうちから、よさそな三つの答えを出す。そして、その三つについて
頭の中に描いた将棋盤の中で駒を動かして、検証する。大胆な仮説を立てて、
「これでよいのではないか」と指しているのだ。 羽生は「直感の七割は正しい」ともいっている。
直感は、それまでの対局の経験の積み重ねから、「こうういうケースの場合はこう対応した
ほうがいい」という無意識の流れに沿って浮かび上がってくるものと思う、と羽生はいう。 
こんなこともいっている。「判断のための情報が増えるほど正しい決断ができるようになるか
というと、必ずしもそうはいかない。私はそこに将棋のおもしろさのひとつがあると思っているが、
経験によって考える材料が増えると、逆に、迷ったり、心配したり、怖いという気持ちが働き、
思考の迷路にはまってしまう。将棋にかぎらず、考える力というのはそういうものだろう」 
将棋の対局の軽験をビジネスの経験に置き換えても同じことがいえる。ビジネスにおいても
問題の原因と解決策について、あらゆる可能性を考えるよりも最初に焦点を絞って飯説を立てる
ことが大事というのは、これまで述べてきたとおりであり、それは、経験に裏打ちされた直感力、
勘によるものだ。
 −−−
 羽生棋士の話より、多くの仮説から瞬時に一つを選ぶ‘決断’の重要性を教えられる。
 孫子の兵法で「巧遅より拙速」というが、そのためには高度の経験の蓄積を必要とする。 
 何事も同じである。 
・・・・・・・・
2007年11月11日(日)
 2413, 反転 ー闇社会の守護神と呼ばれて −1           (ォ'`ョゥ)
この本を読んで俗にいう娑婆のことを多く学ぶことができた。
《字数の関係でカット2008年11月11日11日)              ○´・ω・]ノヂャァネッ


4988,暴走する世間 −4

2014年11月10日(月)

             「暴走する「世間」―世間のオキテを解析する」佐藤 直樹 (著)
   * 『プチ世間』 ー小さな大人の世界の誕生
 30年前、息子を見て時代が大きく変わってきたと思ったが、スマートフォンが普及した現在、
更に子供が大きく変って、私たちとは断絶した別生命という感がする。考えてみれば、私より
50〜60年も長生きをするのだから、違って当然。  ーその辺りからー
≪ 日本では、一九八○年代にはじまり、九〇年代以降本格的に「小さな大人が登場した。 
問題なのは、子どもが市場経済に巻きこまれ、子どもが大人とほとんど同じ消費生活をする
ようになって、子どももまた大人と同様の「世間」に生きることになったことである。
つまりそれまでは、子どもには子どもの世界があり、それは大人の「世間」とは相対的に
独自の世界であった。しかし子どもが「小さな大人」になることによって、子どもの世界も
大人の世界と地続きになり、子どもも小さな「世間」として「プチ世間」に生きることになった。
要するに子どもも、「世間」に生きる大人と同じような困難な問題に直面することになった。
 一九八○年代以降大きく変化したことといえば、子どもが「小さな大人」になったことだが、
八○年代後半以降の「いじめ」の発見は、おそらくその変化を大人たちが敏感に感じ取った
結果を反映したものといえる。大人たちは、子どもの世界に何か大きな変化がおきていることに
不安をもち、子どもを把握できないというその不安が、子どもの世界をより強く監視管理する
方向に動かしたのだ。それまで、大人の世界とは相対的に独自のものであった子どもの
世界のいじめは、無視や、嘲笑や、からかいや、脅迫や、リンチなどといった形で、個別的に
とらえられるものであった。しかし八○年代後半以降、子どもの世界は大人の世界と地続きとなり、
子どもの「プチ世間」が登場した。(略)・・・ この問題の解明への手がかりは、現在の少年たちの
「つながってなくちゃなんない症候群」にある。  ーある調査官はつぎのようにいう。
「今は中学生はもちろん小学校高学年ごろから群れていないと不安で、そこにしか生きる世界が
ないんです。行動規範は仲のいい友だちグループの中だけで決まって、そこから弾き出されたら
生きていけない。それは、とくに女の子にひどいです。三人グループでいたのが外れたら教室にも
居場所がなくなってしまう。そんなふうに、たがいが縛り縛られ合って、やれ携帯だメールだという
‘つながってなくちゃなんない症候群’がいよいよ強まっていますから、自分の時間なんか
持ちようがない。逆に言えば一人で行動できないようになって、それがフツーの子として
安心できる状態になっているのが現状なんです」
             (小林道雄「感受性の未熟さが非行を招く」『世界』二〇〇一年一月号)≫
▼ 大人になるまでの、基礎知識や、精神的体力がない子供が、プチ世間の中で、子供たちは
群れてないと、つながってないと、不安で息づまる窒息感に悩むことになる。垣間見れる孫世代に
背筋が寒くなることがある。この「つなっがてなくちゃ症候群」が、世間の正体でもある。島国で、
水に恵まれた日本の閉鎖された環境を背景にした世間こそ、全てと勘違いをするのは当然だが。
これにネット上世間?で雁字搦めになっているのが、現在の女こどもの世界。これが21世紀の
世界の一端ということ! 使いこなせれば、思いのほか面白いのでは?
・・・・・・
4621, 2000年前のポンペイー7
2013年11月10日(日)
   * ポンペイの迷子
 二回目のポンペイで、あわや迷子になりかけた。1989年に会社でスペインツアーに行った
帰路のローマでフリーの一日。20数年ぶりに再びポンペイを見たくなり、オプショナルツアーに
参加した。ところがバスに乗ると日本人は私、一人だけ。往路の高速道路が大事故で渋滞。
おまけに前日、ルーマニアのチャウセスクがクーデターで殺され車中に殺伐とした雰囲気が
漂っていた。で、ポンペイ。 急ぎ足で、まわっているうちに、グループからはぐれてしまった。
そこは、世田谷と同じ広さ。直ぐに見つけなければツアーバスで帰れない。背筋が凍りつく
思いで、駆けずりまわった末、辛うじてグループを見つけた。帰りのバスで、「あのまま、
はぐれていたら、翌日のローマの出発に間にあわなくなっていた」と、考えたら脂汗が出てきた。
ツアーとて、決して甘くはない。
 ところで、三回目のポンペイで、家内がツアーからはぐれてしまった。それも、夕刻。
バスが次の目的地パレルモに向けて出発しようしたが家内が居ない。トイレと思っていたが、
途中ではぐれていたようだ。その時の、添乗員と、イタリア人ガイドの慌てようで、ことの
重大さを知った。ところは南イタリア、それも薄暗くなりかけた遺跡である。館内の職員全員と、
警察のパトカーが駆けつける大騒動。一時間以上ほど探したが見つからず、添乗員が、まさかと、
移動予定の一時間先のホテルに電話をしたところ、本人は着い部屋にいるという。はぐれた直後、
暫くそこにいたが、心細くなり、他の団体の後について、出口に出た。そこで待ったが見当たらず、
近くのGSで、事情を事情を話している時、たまたまタクシーが来た。そこでアマルフィーまで
値段交渉をして、宿泊先のホテルに行ったという。直ぐにホテルから添乗員の携帯に電話
するのが、当然だが、動転していて、ただ、ボーッとしていたとか。バスで待っている間、
ツアー仲間の冷たい視線の中、ひたすら待つしかなかった。 家内は、殆ど娑婆経験が無く、
万一の備えの観念が皆無。旅行中には、まずは添乗員から目をつけられる。
彼らは、そういう人を数人、把握。二割の人が、八割の問題を起こすことを学んでいるからだ。
移動とか食事時間に、常に遅れてくる。40回近く、数百回、注意しても治りはしない。
以前もアテネの・・ これだけ迷惑をかけても、翌日の夕食時間に遅れるのだから、大したもの。
で、夫婦連れのツアーは、途中から、別々の単独ツアーになっていく。一つだけ自慢が出来る
ことは40回近くの夫婦連れ海外旅行経験。 今までのツアー仲間の最高が8回。その間に、
二人の間に、自然発生的にルールが出来ている。「互いに(単独旅行者と割切り)頼らない」こと。
何度もツアー仲間に、「どういう御関係ですか?」と聞かれている。移動と食事以外は、単独で
いるため。これまで二組、夫婦別室がいた。そこまでは、してない。これも慣れと訓練!
その時、懲りない家内に「ざまをみろ!」という気持ちが何処かにあった。 が、誰かに
見透かされていたようだ。で、一日もしないうち、全てを忘れ、彼方此方で笑い声を上げていた。 
 (*∠_*) ダカラドーシタ。で、人は生きられる! で、以下の内容に続く! 偶然だが!
・・・・・・
4256, しまった!  ー5
2012年11月10日(土)                 
  * 後悔の歪み   ー しまった! 「失敗の心理」を科学する ージョゼフ・T・ハリナン(著)
人生、振り返ると後悔することがあまりに多い。その後悔が次の行為の壁になり消極的人生を
過ごしてしまう。反省はよいが、後悔は程々に、である。トラブルも失敗も生きていればこそ。
ーその辺りを抜粋して考えてみるー
≪ 失敗を裏づける証拠が増える一方なのは、意思決定における「感情」、とりわ後悔の念が
 果たす微妙な大きな役割について。人は誰でも、引き出した結果を悔やむ状況に立たされ
続けている。結婚の失敗。故障しがちな車。処分できなかった不動産。しかし同じ後悔でも、
「後悔する優先順位」というのがある。後悔の深さの差から、なぜ人は最初の直感にしつこく
こだわるのか、その理由が見えてくる。 一般に人は「不作為」よりも「行為」に対して大きな
責任を感じるものである。誤りを犯しそうなときは、むしろ「行動を起こさない」という誤りを
犯すほうを選ぶ。 というのも、不作為は受け身のできごとと見られがちだからだ。 
自分は何もしなかった、だからその結果に感じる責任も小さい、というわけだ。
1600人以上の大学生による模擬試験の観察から、観察者は、先行研究で発見されたのと
同じ誤りとを発見した。答えを変えた受験者は、たいがい点数を上げていた。変更された全解答を
カウントして分析したところ、誤答から正答への変更は、正答から誤答への変更を二対一の比で
上まわった。 だが、もっと重要なことは、実験後の学生との面談から明らかになった。
「正答を誤解答と変える予感は、誤答を正答に変え損ねる予感よりも大きな後悔をもたらしていた」
のだ。つまり、何もしないほうが、何かをするより後悔しないで済む、ということだ。
どのみち誤答してしまうとしても。≫
▼ 人は、しなかった後悔より、実際にしてしまい失敗した後悔により捉われる傾向にある。
 実際に、この実験のとおり、私の具体的経験を振り返っても同じことがいえる。やらなかった
後悔は、実際に失敗した後悔の数倍の損失のことが多い。しかし実際ところ、止めて致命傷に
ならないで済んだことも多くあった。事業結果がこうだとしても、後悔をしていない。
原因がハッキリしているためだが、全身全霊を注ぎ込んだこともある。思った通り、生きて
なかったら数倍、いや数百倍も後悔していたはず。 海外旅行は、起こりえるトラブルが全て
起こると覚悟をしておかなければならない。「良いこと2に、後悔すること1」の比率で、通常生活
10倍が圧縮して生じてくる。そう割り切ってしまえばよい。「正答を誤答へ変える予感に従うと、
正解する確率が二倍になる」のと同じ比だが・・少し意味が違うか。人生も同じことがいえる。 
刷り込まれた思い込みを間違っていると直感しても、その修正による失敗を恐れ、大事な人生を
棒に振る。 修正した方が正しいと分かっていても、である。だから計画をたて、準備を充分する
のである。結果は、それまでの経験の色分けを変色し、その歪を大きくする。
それにシタリガオ批判の歪が加わり自滅してしまう。
・・・・・・
3881, 閑話小題 ースロータイムの勧め
2011年11月10日(木)
    * のんびり、ぼんやりといこか〜   ー スロータイムも悪くない!
 第二か、第三の人生のキーワードは何だろと考えると、「ぼんやり、のんびり、のびのび、
ほのぼの」という言葉が浮かんでくる。あまり、のんびりすると、ボケてしまう?。 数十年も
緊張の連続の後、これからの人生は、せめて一日のうち数時間でも、のんびりし、
ぼんやりすることも必要だろう。この随想日記を毎日書き続けるのも結構、緊張をする。
スケジュールに沿って生活しているので、一日中は、ぼんやりしていられない。
一応、午前中はスケジュールを満つにして、午後はフリーにしている。
最近、「アングリー・バード」という子供向けのPCゲームで、午後の一時間は遊んでいるが、
これも、のんびりの範疇。無意味=無価値の時間を遊ぶことも必要?
「定年になったら女房と、のんびりと世界一周をしたい」というのを聞いたことがある。
地方で装置産業を事業としてきたので比較的に時間があった。しかし、のんびりしてきたか?
と言えば、そうでもなかった。しかし節目が変わって、価値観がコペルニクス的に変わり、のんびり
する時間が多い人生こそ最大の収穫と思えるようになってきた。 
ところで栗田昌裕の指回し体操で「 さわやか、まろやか、のびやか、晴れやか、ほのぼの 」
とブツブツ言いながらする健康法があるが、これを「ぼんやり」とすると良い。積極的幸せの追求は、
さておき、消極的幸せの追求に重心を移動する時節でもある。積極的幸せとは、自分の趣味を
追及するとか、人に認められるような事、人のためになる事を、追求すること。 
消極的幸せとは、病気や事故にならないように、人の迷惑にならないようにとか、まずは普通の
生活を確保して、それに満足する生き方、無事平穏こそ幸せ、と信じる生き方。 
第二の人生は現状を、これで良しと諦念する生き方?。 年寄りっぽくなってきたが・・ 
「歳には勝てない」として生きるか、原野に留まり自分の価値を高め続けるのか、その人次第。
それも、生活が安定した上の話になる。
・・・・・・・
3516, インターネットは20万年来の革命か?
2010年11月10日(水)
 10年ほど前に、「ネットは人類の歴史で20万年以来の大革命である」と聞いた時、20万
年前は、言葉か絵画の出現?と勝手に思っていたが、先日になって、それが「道具」と知った。
 ■一万年前に狩猟・採取から農業・牧畜が始り、■5千年前に5大文明が世界各地で起こり、
 ■250年前に蒸気機関が発明され、産業革命が起きた。■そして人間が道具を使うように
  なったのが20万年前。
 ■脳学者の茂木健一郎は、ネットは言語以来の発明というから、200万年以来の発明になる。
* 200万年の言語というと、掴みどころないので20万年の道具説以来の発明の方がよい。
 そして、この十年でネットが世界中に結ばれ、検索にキーワードを入れると世界中からの情報が
入ってくる。さらにブログやツイッターが普及し、各自が情報を無条件に公開を始めたため、
情報が爆発的に増えている。ネット世界の出現で、もう一つの世界が出来たといわれるが、
それが現実世界の上位に立ち始めたことからみて、20万年来の革命的ツールという説も、
言葉使用からの200万年説も、決してオーバーとはいえなくなってきた。そのネットと最先端
電子機器が世界を根底から覆していることを、あまり取り上げない。 今さらなのか? 
しかし現実を見ていると、機器とソフトが独走をして一部の人間を除くと、コントロール不能になり、
政治、経済のあり方を根底から変化させている。政治ひとつとっても、直接に政治に関りない
国民の方が、渦中の政治家より、正しい判断が可能になっているとか、思いもよらない情報が
表ざたになるとかで社会を大きく変えてしまった。現在問題になっている尖閣列島の中国漁船
ビデオの流出も、それを阻止すること自体がどだい無理の話。一人の海保職員が政治を大きく
左右することが容易になっているのも、ネットのため。これらによる社会変動は、まだ始った
ばかりで、時間の経過が経つほど大きな影響を出してくることになる。 再度いうが、TV、
携帯電話、パソコンなどの進化には驚かされる。 問題は、それをどう使いきるかである。  
まさか、これを現実に目の当たりにできるとは!
 ・・・・・・・・
3141,自分の年齢から時間の長さを考えてみる
 2009年11月10日(火)
産まれて、あと二ヶ月で64年経つが、遥か彼方のようでもあり、それほどでもない感覚でもある。
20歳の人からみたら、大昔に感じるだろうし、90歳の人からみたら、それほどでもないだろう。
そこで自分が産まれた時点から、逆に64年前を考えてみると、128年前、1881年、明治14年
である。私の祖父が、この頃は10歳位になる。  それを考えると、やはり遥か彼方である。
 この年を調べると、
・外国の動きでは、ロシア皇帝アレクサンドル二世暗殺
・明治天皇、東北、北海道巡幸御発輦
・黒田清隆、大隈重信の国会開設早急論に反対し、三条実美に趣意書提出
 大隈重信、参議を罷免(明治14年の政変)   国家の形が出来始めたころだ。
この64年間に第二次世界大戦、朝鮮戦争、米ソの冷戦、中国の文化革命、ソ連の崩壊、
9・11テロ、去年の9・15から始った金融恐慌である。そして眠れる獅子中国の時代がやってきた。
また、時代とともに家電機器やパソコン、そしてインターネットの飛躍的な進歩で情報社会が
劇的に我われの生活を変えようとしている。もちろん、変わらないものがあるが、潮流は飛躍的に
変っている。三倍の200年の時代を経験してきたようだ。特に、この20年の変化は劇的であった。
とはいえ、私の産まれる前の64年間には日清・日露戦争、5・15、2・26事件、昭和の大恐慌、
東京大地震があった。世界でも第一次、第二次世界大戦と世界恐慌があった。 
世界は激動していたのである。 80歳を一つの目安とすると、あと16年。10年間は恐慌の嵐が
吹き荒れる環境で、日本がダウンサイズし、中国が勃興するプロセスを目撃することになる。
また、ITなどのネット社会への激変も目撃することになる。64年間、十分に世界を見てきた
満足感はある。 長生きしなければ、世界の変化を充分に見ることは出来ない。
 少し、酒でも控えるか。 もう、遅い? 戦争で兵隊を経験し、戦中を乗り越えてきた
80歳後半の人は、本当に長く生きてきた実感はあるだろう。 彼らは変化を受け入れ、冷静に
見ているから、なお、時間の長さ・短さを実感しているだろう。
これだけ激しい変化を目撃するとは実際思ってもいなかった!
・・・・・・・・・
2776, 仮説思考 −3
 2008年11月10日(月)
「仮説思考」で、この金融危機を掘り下げて考えみる。
「この一連の金融危機は世界恐慌の序曲である。」と、仮説を立ててみる。
(「もうこれは仮説ではない! 現実である」という私の内なる声は無視する)
  −−その仮説から考えると−−
「1929年の世界恐慌と比べて、今回の方が遥かに規模が大きく、タチが悪い」と
世界恐慌・研究の米国人経済学者がインタビューに答えていた。 経済危機としては歴史的に
みて最悪の事態であり、5年や10年のスパンで収束しない事態。 
その最大の被害者は一番の友好国である、イギリス、イギリス連邦、日本、サウジアラビア。
次は体質のまだ弱いUCの国々、ロシア、中国である。アメリカの毒入債権を金融機関や個人が
多く保有しているからである。 アフリカ系のオバマが、いくらチェンジといっても、それは
口先だけのこと、実際はあまりにも大きな壁があり、早期回復など有得ない。 そうこう考えると、
この10年は想像を絶する事態が待ちうけ、世界戦争につながる可能性が大。 
「地球システム」の立場からみれば、この狂った猿の自滅が始っただけで、むしろ有益である。 
今年の暮から来年にかけて世界中が一挙に不況風が吹き荒れ、倒産ラッシュは避けられない。
5〜6年先には、食品が二倍に値上がり(もっとか?)、消費税が25%、株は5千円以下、
土地の値段は現在の半分か三分の一。生活レベルが現在の半分以下とみればよい。 
それでも40年〜50年前の生活に戻るだけである。 それがどうしたといえば、どうもしない。 
この予測が悲観的ではなく、現実的な予測。そうなりざるを得ないだけ。 企業には成長対策、
競争対策、生存対策、将来(長期)対策があるが、生存対策が最優先の時代の到来になった。
 今回の問題は、これまでのドル体制が根こそぎ崩壊していくサインである。更に悪いことに、
ユーロも崩壊に近い状態であり、今後の新しい金融システムの未来像が見えてない。
そうこう考えると、世界は欧州、アメリカ、アジア、アラブ圏などの、ブロック化の傾向が強くなる。
その中で日本は、どのブロックに入っていくかが戦略的大問題になる。 
 今週末のサミットは異常事態の中での緊急に開催されるが、「驚くべき声明」になる可能性もある。
各国が同時に非常事態を宣言する可能性とか、一時的な銀行閉鎖もありえる。 
世界はキセズシテ激動期にはいったのである。 日本でも、世界でも、大地震や津波や
サイクロンが発生するし、異常気象が発生している。 この世界的危機を含め地球システム
そのものの変調が原因とみるべきである。 ▼ 以上が、この異常事態を「世界恐慌」と仮説?
して書いたものである。成るほど、書いていて基点が明確であるので、
 どんどん言葉が出てくるし、掘り下げて考えやすい。                    つづく
  (字数制限のためカット 13年11月10日)


4987,閑話小題 ー一日の閲覧者が、実は7倍の350!

2014年11月09日(日)

   * 一日の閲覧者が、実は7倍の350だった!
 晴天の霹靂である。Yahooの「バードウォッチ」が20〜40の閲覧で、エンピツのサイトが
40〜50の閲覧。これは重なっている。それからみて、「Hatena::Diaryは、同じだろうと、
検索数を、バックアップ用でもあり、開設以来の7年間、一度も調べてなかった。
 ところが数日前に何気なく調べたら、(総検索数を7年×365日で割った)一日、300近く。
何かの間違いだろうと、この数日、日ごと調べたら、7年間の平均と同じ検索数。
多くて50〜60と信じていたが、実際は350の検索があったのである。見続ける多くが決して
好意的でない? とすると、少し恐ろしい気がする。悪意の視線を意識してはきたとしても・・ 
学生時代から、こと批判に関して、多くの人に重すぎる?と言われてきたが・・ 何気なく
知人に聞くと、殆どが見続けているという。それにしても50〜60は少ないと思っていたが、
実は7倍の350以上の閲覧とは驚きである。未来の自分への憶え置きと、毎日の出来事と、
読書などの雑記帳として、墓場として、書いてきたため、あけすけの内容になっていたが、
周辺の知人の50〜60人なら、まあ、いいだろうと・・ 
 全力で親しい友人に「とっておきの話をする感覚」で、5000日近くも、面白おかしく
書いていれば、この閲覧数は不思議でないが。それも三年半前からは、ライブで、めったに
ない特異体験の生中継である。 血だらけの手(こころ)で、有りのままを、その血で書いて
いれば、第三者からみた
ら、これほど面白い内容はないだろうし、心の歪みの露出が、
そのまま現れ出ている。特に、その特異の歪みが面白いのでは。
 ところで10年位前、毎日新聞の記者から、何気なく書いた内容を指摘され、
「それを更に聞きたい、それにしても凄いことを書いてますね!」という電話があった。
そこで慌てふためき内容を書き直したが。もし積極的にネット上に打って出れば数千は
可能?ということか。 間違えても、出るつもりはないが、もしかして心境の変化がある?
それぞれが特異点であり、そのままを書けば、特異のブログになるはず。
 < ところで、こうとも考えられる。10数年分の随想日記が、コピーしてあるため、
「Hatena」の読者のキーワードにヒットしていて大部分が見てない可能性がある。 
  いずれにしても、ネット上は、こんなものか>
・・・・・・
4620, 閑話小題 ー食材の不適切表示について
2013年11月09日(土)
   * 食材産地の不適切な表示について
 現在、問題になっている「食材虚偽表示問題」、騒ぎすぎではないか?
明らかにマスコミも店側も過剰反応。「今までは軽い気持ちでしていたことが、情報化時代に
移り変わり、現場の告発などで発覚し、大事件となった」ということ。「味さえ落とさなければ
良い」という現場の調理人の意思がまかり通った時代が終わりを遂げる事件。 料理修行で
虐められて辞めざるを得なかった人達の告発も、情報機器の進化で気楽に出来る世の中。
日本中の料理店は真っ青。ブランドに頼り、自分の舌に自信がないから、怒るのである。
所詮、成り上がり食通など、その程度。それより、この変な風潮の方が気になる。
それも百貨店に入っているテナントの食材表示虚偽まで、何故、大家が責任をとらなければ
ならないのか? 「他が誤っているから自社も」というのだろうが、酷いもの。 味が悪けりゃ、
二度と行かなければよいだけ。店選定と、味に自信があれば、どうでも良いこと。 
メニューに小さく、「その日の天候で食材が変わることがあります」と、書いてあるか
ないかの問題である。
   * 消費税増税前のバカ騒ぎが始まった
 来年4月からの消費税の増税前の駆け込み騒ぎが始まった。このデフレの中、どうすれば
よいか、考えどころ。特に、車や住宅など高額商品の購入を迷っている人達は、焦って判断を
間違う可能性がある。数年前の地デジ移行のテレビの買替え騒ぎ。 その後のTVの暴落を
目の当たりにした経験を、忘れている。 「インフレの可能性と、売手は、円安による輸入コスト
のアップを加算すると、1割、2割は高くなる?」という不安心理を巧くつく。
どの道、大恐慌が表面化するため、同じこと? 住宅購入は、人生の大博打。
それと生命保険もである。そこには、大きな仕掛けがある。それが分からないから、
生命保険に入ってしまう。理屈からして、採算が合うはずはない。綺麗ごとを掻き立て、
いざとなると、殆ど詐欺同然のため、見返りは無いのが、保険である。相手は数百年かけた
ノウハウを持ったプロの詐欺集団も手口は酷似。あれだけ経費をかけ集金し、その上に利益を
出しているのだから、総体からみれば、半分以下のはず。で、これから数ヶ月は、その狂乱が、
一部だが始まった。他人様のことは、言えないが、結局は、無知が不幸を呼ぶことになる。
・・・・・・
4245, しまった!  ー4
2012年11月09日(金)
           ー しまった! 「失敗の心理」を科学する ージョゼフ・T・ハリナン (著)
   * 人は、出会った人の名前はどうでもいい
 私は人の顔と名前が覚えられない性質である。元々、見ないのである。数年前に義妹の
名前も忘れいて、呆れ返られた。しかし、この本によると名前は意味がないため、関心度の
重要度が低いという。人は名前や名称より、意味を記憶をする。逆に記憶するにはキーワードに
意味を持たせればよい。人は、職業と趣味に注目されるが、名前や性格は二の次になる。  
ー その辺りから ー
≪ 人の名前は、じつは人の特徴とよく似ているが、大した意味がないので、忘れたり、
まちがえたりしやすい。名前がほかの要素と比べて重要でないことは、数年前にイギリスの
研究で証明された。 にせの人物のプロフィールを暗記させるという実験だ。各プロフィールには
架空の名前のほか、その人物ゆかりの地名(出身地など)や職業、趣味といった、にせの
情報が記されている。にせのプロフィールは、たとえばこんな感じだ。〈アン・コリンズ。
有名なアマチュア写真家。ブリストル近郊在住。地元で訪問看護師として働いている〉では、
実在する被験者たちは、その人物の何を覚えていたか?「職業」だと思ったあなた、正解だ。
職業は全被験者の69%が記憶していた。タッチの差で二位だったのは「趣味」の68%。
次いで、62%の「出身地」。ぶっちぎりで最下位だったのが「名前」である。ファーストネーム
(名)は31%、ラストネーム(姓)は30%しか覚えてもらえなかった。どういうわけか、その人が
パン屋を営んでいることは姓がベイカーであることより覚えやすいのだ。なぜこうなるのか?
研究者にもわからない。おそらくは、人の名前は、あまり意味がない恣意的につけられた
「ラベル」でしかないということだ。ジムにしろティムにしろ、可能だ。・・・ 
人はパン屋さんであるベーカリーの方を、ベーカーさんより記憶する。≫
▼ 営業は顧客の顔と名前を必ず一緒に記憶する重要性を知ることから始まる。
過去のツアー仲間たちで、憶えているのは、職業、趣味、出身地、そして顔。しかし、名前は、
実際のところ殆ど憶えていない。031538という数字を例えると、「3月半ばの15日の3時と
8時か、どちらかに」か、「王(おー)さん、いこか38本。」とか、何か意味づければよい。
意味づけるには、上記のように小さな物語を作ることである。名前は、それぞれの物語だが、
他人にとって符号でしかない。
 ・・・・・・
3880, 東北大震災と、9・11、9・15を重ねると
2011年11月09日(水)
   * 東北大震災と、9・11、9・15を重ねると
 東北大震災と、9・11テロ、プラス9・15リーマンショックを重ねると、現在の世界金融危機が
見えてくる。東北大震災は三つの地震が連動しM9の大地震になって、それが10メートルの
大津波となって太平洋側の東北の海岸線に押し寄せた。その上に宮城の原子力発電所を
襲い破壊してしまった。 起こりうる最悪の重なり(大地震、大津波、原発事故)である。
その原発事故は今だ進行中である。 9・11テロと、9・15の金融危機の重なりも、ことは
重大である。9・11はイスラム対キリスト教の対立。またリーマンショックも、金融王国
アメリカがもたらした経済大震災。アメリカのサブプライムローンを組み込んだ債権を世界中の
企業と金融機関などに撒き散らしたが、今だ塩漬けの状態。 しかし遅かれ早かれ表立って
世界中の金融機関を破壊してしまう規模のもの。今回のギリシャは何とか目先乗り越えたが、
次はイタリア、スペイン、ポーランド、アイスランドが待っている。東北大地震が起きた後の
大津波の襲来は、1時間から4時間経ってから海岸線に押し寄せた。 リーマンショックを
大地震と例えると、その大津波は金融恐慌、経済恐慌に例えられる。前回の1929年の
恐慌は、当初の株の大暴落から3〜4年後の1933年に本格的大暴落になって、大恐慌落に
落とし込んだ。 今回はG20を緊急に組んで各国の首脳が対策に努めているので、何とか
目先を引き延ばしている。それも瀬戸際に近づいてきた。 不安を煽るようだが、東北大震災が
日本経済に与える影響は、これから。一年一年、ジワジワと我われの生活に影響をしてくる。 
失われた20年とリーマンションショックの時期が重なっているため事態は深刻。
以前は世界規模の戦争を起こして清算してきた。しかし、現代では、そのロスの方が
遥かに大きいのは目に見えている。その中で、世界の指導者も、我われも自然の流れに
身を委ねているのが現在。 株式の暴落=Xディーが、何時のなるのか、薄氷の日々が続く。
 起こってしまった経済大震災と自然大震災、極めて大きな黒雲が漂っている。 
これに情報化社会がもたらす社会変化が加わる。その結果としての近未来の惨状は世界も
日本も第二次世界大戦を超える可能性がある。特に経済的ロスは下々の方が大になる。
その彼らは正常性、同調性バイアスで、日々を過ごしている。しかし、それも、あと僅かに
なってきた。悲観的過ぎるかもしれないが、そうとしか考えられない。私の現状が既に
震災の被害を直撃したため悲観的過ぎるのか、そこに身を置いたから分かることなのか?
 ・・・・・・・
3515, ユダヤ人の頭脳活性法 ー7
2010年11月09日(火)
  「ユダヤ人の頭脳活性法 」手島 佑郎 (著)
 * ユダヤ人の考え方から何が学べるか
  ー 日本人は、第一人称不在である。
 記憶力が良いことと、自分で問題解決方法を工夫するのは別次元である。
「それについて自分がこう思った。私はここを疑問に思った。私であったらこう考える」という
主張が欠如している。つまり「自分自身は」という一人称が不在である。日本人の、無思考
シンドロームの若者の多さは、大人たちの解答直行主義がまいた種子の結果。学校時代の
まる暗記などで大学受験を乗り切ってきた根源が社会に出てからも続いてきたからである。
ベストセラーなど名著を読んでも、その本に感化されるわけでもない、吸収もしない、いわば、
消化器の胃腸を持たない食道だけの状態の人間、知識の食道人間、それが日本人である。
ソクラテスもカントもニーチェも、自分の時代の問題を自分のことばで考えたのであって、
他人の言説の解説はほどんどしてない。対照的に、日本の知識人は、あたかも自分の
考えであるかのように海外の思想を引用し、それを基準に世間の動向を批評している。 
 ■ここで考える四段階とは?を説いている。
△第一段階で、考えるための基礎的知識とヒントをどうつかむか?を、
△第二段階で、考える課題を自分自身に引きつけ
△第三段階で、自分で疑問を持ち、問題を発見し、解決法を組み立てて
△第四段階で、自分のことばで、自分の考えを述べるこれを徹底的にすることで思考力を高める。
 ■「質問」ができるか?という能力も大きく問われる日本人は、小中高校を通して、先生に
あまり質問をすることはない。それは逆に言えば、深く問題を自ら求めてないからである。
先生の方も生徒に課題を多く出して、生徒自身が研究し、自分で解答を見つけるように仕組む
のが教育もあるべき姿である。ユダヤでは低学年の時から小人数のグループ編成と
ディスカッションを進めている。一クラス25人を超えることはない。課題研究は5〜6名で、
生徒たちは議論をしながら進める。自分たちで考え、自分たちで疑問を持ち、自分たちで
質問しあい、自分たちで答えを出す作業をしている。
 〜〜
 自分の頭で考えること、そのためには「自分自身は、こう思う」という第一人称で考えること。
疑問を持ち、何が問題かを見つけ、解決策を見つけ、自分のことばで考えなければならない。
特にユダヤの教育は子供のころから、これを徹底させる。島国の中で、外敵から攻撃の心配が
ないことが、思考の必要性を最小限にしたのだろう。明治維新は、外的の脅威から起こった。
坂本龍馬、高杉晋作、吉田松陰など、強烈な個性を持った男たちは、第一人称を持っていた。
 ・・・・・・・・
3140, マイケル・ジャクソン 「THIS IS IT」
 2009年11月09日(月)
 昨日、長岡T.joyでマイケル・ジャクソン「THIS IS IT」ーを観てきたが、期待した
以上の内容だった。長男が二回も観てきたというし、家内も観て良かったというので、ネットで
内容を調べ納得し見ることにした。亡くなった時に、あれだけ世界中が悲しんだのだから
何かがあるはずと・・・。ライブをそのまま映画化したものを観たいと思っていたので
丁度よいタイミング。 《以下字数の関係でカット2010年11月09日》 
 ・・・・・・・・・
 2775、仮説思考 −2
  2008年11月09日(日)
    ー この本の背裏の紹介の内容が、ズバリ要所をついている ー
 「情報が多ければ多いほど、よい意思決定ができる。このように信じているビジネス
パーソンは多い。 そうであるがゆえに、できるだけ多くの情報を集め、それらを分析してから、
経営課題の本質を見極め、解決策を出そうとする。実際に起こることは何か? 情報収集
しているうちに時間切れになったり、あるいは、ほかのどうでもよいデータはあるが、
最も重要なデータがないことに土壇場で気づき、苦し紛れで「エイヤーッ」と意思決定せざるを
えないことになる。徹底的に調べてから、答えを出すという仕事のやり方には無理がある。
では、どうすればよいのか?仮説思考を身につければよい。仮説とは、十分な情報がない段階、
あるいは、分析が済んでいない段階でもつ、「仮の答え」「仮の結論」である。常に仮の答えを
もちなながら、全体像を見据える習慣を仮説思考と呼ぶ。「仕事が速く、優れた成果をもたらす
コンサルタントはみな、仮説をもって仕事をしている」と著者は言う。 
ーこれだけを身につけるだけで、全てが変化をするだろう。そして、その効用とは・・・
*仮説思考の効用
 著者は、仮説思考の効用を3つ上げている。
 (1)情報洪水に溺れなくてすむ、(2)スピードアップ、(3)他人に状況がよく見える。
 (1)は、学生時代の研究レポートのようなものを考えると分かりやすい。「できるだけ
たくさんの情報を集めて分析してストーリーを作ろうとすると、提出日前の夜中になって重要な
点を調べ忘れたと気が付いたりする。その結果、その部分は穴をあけたまま提出することになる。
情報収集に時間を取られた結果、思考する時間がほとんど取れなくなってしまうのは最悪だ」
(内田)。これでは仕事の質が悪いばかりか、時間の無駄となる。 「最初に答えを決めておいて、
それに必要な部品を集めていけばいい。100を網羅的にやるより、もっともらしい2、3をやる。
仮説思考は繰り返せば繰り返すほど経験がものをいうし、精度も上がる」
 (2)は、仕事がスピードアップし、楽になるという点だ。多くの作業をこなした方が仕事をした
気にはなるが、実際には仕事の価値とはまったく関係ない。(1)とも関連するが、「100のうちの
3に絞って考え、それで結果的に問題の解決策につながれば、仕事は加速度的に素早くなる」。
作業のスピードを向上させるのではなく、仕事の量を減らすことで作業の効率化を図るというわけ。
 (3)は、他人に仕事が見えるという効用だ。例えば、部下に仕事を依頼し途中経過を確認
しようとしても、頑張ってはいるようだが、状況がよく分からないということがある。作業の状況
よりも着地点を先に決めている人への方がアドバイスしやすいし、上司も安心できる。
ここでも先に仮説を立てている人の方が結果として良い結果につながりやすい。
同様に上司も仮説を持っていると、部下は最初から仕事の方向性が見えるので無駄な作業を
しなくてすむ。「徹夜してやらなければならないような作業を行ったのに、結果的に間違った
 ものが出てくる」という事態を避けられる。もう一つ事例を挙げると「実験をする前に論文を書く」
  ケースがある。 最初に論文を書くことで、アウトラインを明確にする。 そのため、その結論に
至る実験内容を決定できる。 つまり、その結論に至る余分な実験を行わなくてよくなる。
失敗しても自分の出した結論は間違いだと短時間で分るため、それほど時間の無駄にはならない。
*自分より1つ上のポジションの立場で考える
  仮説を持って仕事をするためのポイントは、全体のストーリーを立てることだという。
全部いっぺんにやろうとしてはダメだ。「網羅的にやって80点を取ろうとするよりも、ヘソをおさえて
やる方が大事だ」 「少ない情報でもイマジネーションを使えば2週間もあれば結論を出せる」。
新米のコンサルタントに最初の2週間で出させた結論と、プロジェクト修了後に出した結論を
比べてみても「これがほとんど変わらない」という結果になるという。著者は仮説思考を
訓練するために「常に自分よりも1つ上のポジションにいる人間の立場になって考えてみる」
ことを勧める。また「相手の眼鏡を掛けてものを見る」ように心掛けるのも役に立つという。
ーー
 後記)考え方としては、「演繹法」に似ている。まずテーマを決めて、その要素を探し出す方法。
次回は、この本で紹介している、天才棋士の羽生の話である。棋士ほど、あらゆる仮説を一瞬に
立て決断しなければならない。彼の言葉の一言一言が仮説思考について当てはまるのである。  
・・・・・・・・
2007年11月09日(金)
2411, からだのままに      (☆-v-)。o○《Gооd Мояйiиg》
 「からだのままに」 木けいし著 文藝春秋社   ー読書日記ー 
 数年前、レンタルDVDでみた「阿弥陀堂だより」が非常に印象的であった。
図書館で見つけた本だが、  《以下字数の関係でカット2008年11月09日》           
・・・・・・・・
2006年11月09日(木)
2046, 教養について −2
(字数の関係でカットー2011年11月9日)


4986,暴走する世間 −3

2014年11月08日(土)

             「暴走する「世間」―世間のオキテを解析する」佐藤 直樹 (著)
   * 世間学的エポケー
 節目時は、それまでを一度、清算して、新たな世界への区切りである。
その時に重要なのは、その時に感じたことを優先すべしというのは、現在の私に言えること。
その意味で、毎日、書き続けている、このブログは、大きな役割を果たしている。だから、
世間という幻想、幻覚に迷いそうな、いや、迷っている自分を見つめ続け、
世間学的エポケーの立場を守らないと、その節目が薄れてしまう。 ーその辺りからー
≪ エポケーというのは、E・フッサールの現象学の用語である。エボケー{現象学的判断伴止}
とは、自分がそれまでとらわれていた主観/客観という世界認識の方法の自明性を、いったん
カッコに入れるという、世界像の判断停止のことである。これにならっていえば、自分がこれまで
自明であたり前だと思っていることの一切を、デカルトのように徹底的に疑い、すべてをいったん
カッコに入れる。  〜フッサールの現象学的判断停止について、哲学者M・メルロー・ポンティが、
次のように説明している。
< われわれは徹頭徹尾世界と関係していればこそ、このことに気づく唯一の方法は、
このように世界と関係する運動を中止することであり、あるいはこの運動とのわれわれの
共犯関係を拒否すること(フナサールがしばしば語りているように、この運勤に参与しないで
それを眺めること)であり、あるいはまた、この運動を作用の外に置くことである。
それは常識や自然的態度のもっている諸確信を放棄することではなくて―それどころか
逆に、これらの確信こそが哲学の恒常的なテーマなのだ― むしろ、これらの確信がまさに
あらゆる思惟の前提として〈自明なものになっており〉、それと気づかれないで通用している
からこそそうするのであり、したがって、それらを喚起しそれとして出現させるためには、
われわれはそれらを一時さし控えねばならないこそそうするのである。>
 そのさいに重要になるのが、「内在」という現象学の方法である。それによれば、自分の
判断の根拠を、自分の「感じ」だけに置く。いいかえれば、たいていのものは「可疑的」、つまり
疑いうるが、疑いえないものがたったひとつあり、それが自分が「こう感じた」ということだという。 
簡単にいえば、他人がいうことではなく、「世間」の評価ではなく、自分が素直に「感じたこと」
だけを信じる、ということである。思いだしてほしい。じつは、さきほどのべたように、これが
阿部さんの「世間」論の方法だったのだ。自分が「感じた」ことだけを信じ、これに徹底的に
言葉を与えてゆく。すべてのものは疑いうるが、たったひとつ、疑いえないものがある。
それが自分の「感じたこと」なのだ。≫
▼ 「大病による長期休養」や、「長期間の旅」はエポケーになる。人生には、一度、属している
世界の外に出て、自分を見つめなおす必要性がある。外側から、内側で「感じたこと」を
感じなおす必要性である。以前から、小さな洞窟内を自己に、その前にある湾を世間に例え、
その外海を社会に例えていた。自分(洞窟)と、世間(その前に広がる砂場)と、外界を見極めて、
外から、これらを見つめなおすことが必要である。所詮は、これらは集団幻想でしかない、
そのことを自覚するためにも! 
・・・・・・
4619, 君は1万円札を破れるか? ー6
2013年11月08日(金)
    * 内部表現とは? そして、内部表現の書き換えー①
 「内部表現」という言葉が新鮮である。目には見えない「心(脳)」「無意識」「潜在意識」ということ。 
人は、この内部表現によって自動操縦されている。この随想日記は、「内部表現」そのもの。
過去文を読むと、よくわかる。 ーまず内部表現を記した部分を、この本とネットから抜粋してみる。
◇ 「内部表現とは、一言でいえぱ、その人に固有の情報状態です。この世界について、
自分の認識している情報だけを書き込んだハードディスクのようなものです。そして、情報である
以上、それは書き換えが可能。人間の認識をなんらかの操作によって、別の認識に換えてしまう
ことを‘内部表現の書き換え’といいます。 あなたが今、現にもっている内部表現は必ず、
あなた以外の他者による書き換えを受けています。」
◇「外界を視覚で認識すれば、視覚野での神経が活性化し、その結果が前頭葉で認識される。
この視覚野から前頭菓までのすべての脳内での情報状態が内部表現である。内部表現は
神経の物理レベルの情報状態のみならず、概念や感情など、心理レベルでの表現も含まれる。
すなわち、脳内の物理レベルから心理レベルまで含めたすべての抽象度における外界の表現が
内部表現である。自分自身の表現や自己の記憶、内省的な自我、 さらには現在時の自分の
思考状能や会話、言語の認識状能も内部表現の一部である。内部表現は常に外界と情報を
やり取りしながらリアルタイムに情報状能が更新されているため、その動きは非常にダイナミック。
 脳内にある自分自身を含めたあらゆる抽象度における世界のモデルが内部表現。
ただ、内部表現内のそれぞれの情報状態は、巨大な相互関係のネットワークを構築し、
それが常にリアルタイムでダイナミックに更新されているので、実際にそれを我々が
記述することができるか否かは別問題である。」
◇「内部表現は、進化のレベルに従って複雑になつてきている。これは脳が進化している結果。
 人間においては、内部表現という外界のモデルとして脳内で表象される世界が、物理的な
現実世界だけではなく、映画や小説の仮想世界にも持てるのが特徴的。例えば、言語で
表せられた世界は、物理的な現実世界ではない。
 それでも小説で描かれる世界を整合性をもって、臨場感を感じて認識することができる。
これは小説の仮想的な世界を、内部表現として脳内で表象できるからだ。」
◇「内部表現を変える」には、①狩りのゴールを設定し、そこに向かってコンフォートゾーンを
変えていくー>内部表現の中で「自我」を定義している情報を選択的に書き換える。
②抽象度を徹底的に高めて、この世界・宇宙を見つめ直すー>内部表現全体を書き換える。
 【コンフォートゾーンとは、自分がラクでいられる 範囲のことで、 人は、
 この居心地のいい環境や場所は楽なので、ここにとどまろうとする 】
▼ 高度成長期の右上がりの時代背景に、「創業者人生」を20歳時に決めた。
それから私の「内部表現」の書き換えが始まった。と同時に、俄然、人生が面白くなってきた。
大空を掴むような得体の知れない目標に向かい、ドンキホーテのようなコミカルな人生が始まった。
それが「内部表現」そのもの。事業人生を終わって、しみじみと傷口から45年間を振り返った時、
その自分が可笑しくて、独り笑いがこみ上げて大笑いをした。
人生は、結果はどうであれ、こんなものか。 笑えるだけ、まだ良い? か!
・・・・・
4244, しまった!  ー3
2012年11月08日(木)    
          ー しまった! 「失敗の心理」を科学する ー ジョゼフ・T・ハリナン (著) 
   * 見ていても見えているとはかぎらない
 この年齢になって、つくづく感じるのは自分の無知。特異と思っていた自分の人生も、
小さな世界に縛られた凡庸な枠内。知っていたつもりが、何も知ってなかった厳然たる事実。
それでも可能な限り考え、前向きに生きてきたつもりだったが、振り返れば「しまった!」の連続。
「見ていても見えなかった」のである。結局、地頭の限界が、その人の程度。
「知ったかぶりするな!」が、何事についての基本。知りもしないのに、知っているつもり
だったのである。そう、実験に昨夜、ビデオに録った「居酒屋放浪記」を、見たが、二度目に
見たとき、一度目は、殆ど何も見えてなかったことに思い知らされた。大部分の人が、
そうだとしても、こと重要案件に対しては、それは許されるものでない。   
ーまずは、その辺り部分を抜粋してみるー
 ≪ 私たちは何かを、または誰かを見るとき、そこにあるすべてが見えていると思う。
しかし実際はそうでない。小さなもの、背景などが目に入らないことが多い。目はカメラではない。
出来事の「画」を撮りはしないし、一度にすべては見えてない。視野の中で常に見えるのは、
全体の数分の一に過ぎない。たとえば通常の視距離でハッキリ見えるのは、視野の四分の一に
過ぎない。目はこの制約に対処するため、絶えず視野を動かし、一秒におよそ三回の割合で
動いて止まってを繰り返す。さらに動いている目に何が見えるかは、見る人によっても変ってくる。
たとえば、男と女では、気づくものが違う。男が女の財布をひったくられたのを目撃したとき、
女性はひったくられた被害者の容姿や行動に目が行きがちだが、逆に男性はひったくられた
犯人の風体を覚えている。 ・・・交差点では、右折か左折かをするとき、右利きの人は右折を、
左利きの人は左折を選びがちである。結果として、ある研究の報告者は、こう助言した。
「店や銀行で、なるべく短い列を探すとき、まず左側を見るべきだ」と。・・・「人は探しだすのが
難しそうだと、早めに「あきらめる』ようにプログラムされている」また、レントゲン技術者は
画像に写った悪性腫瘍の9割を見落としている」というし、アメリカ国内で10年前に
調査された結果だが、四丁に一丁の割合で見逃されていた。≫
▼「自分は、見れど見えず、知っても理解できず」と、突き放すべき。 昔読んだ本を再読して、
果たして、この本の主旨を理解していたのだろうかと疑問を持つことが多い。その時の自分の
知識レベルで中途半端に理解していたに過ぎない。 リタイアをし、過去を振り返ると
「しまった!、あの時の、あれは」と、日々、独り言を呟くことになる。その上に「手ごわい
後バイアス」のフィルターがかかっていれば、独り思い込みの世界に、それぞれが居るようなもの。 
しかし、人は、失敗を恐れ、「何もしないという、より大きな失敗」を選択してしまう。
そして、これが限界と、自嘲するしかない。そして誰かに向かい「自分の人生を返してくれ!」
と、嘯くしかない。それが両親に向かったとき、自爆、無知の極みの悲劇になる。
・・・・・・
3879, 閑話小題
2011年11月08日(火)
   * 焼鳥屋、鳥梅
 私の幼稚園の頃の、一番初めの友達が、近くの焼き鳥屋の息子であった。
幼稚園の一年間と、小学校の二年の三年間である。ある日の午後、そこに遊びに行くと、
今から思うと焼き鳥の串さしの仕込みを御父さんがしていた。子供なりに、仕事の場には
近づいてはならないことは知っていた。ところが手招きをして、その一本の焼き鳥を
差し出してくれた。 そして、食べて驚いた。その美味いこと。ガムのようで噛んでも噛んでも、
噛み切れないが、その味わいと香りは、今でも強烈な記憶として残っている。その後、
成人になって長岡にUターンをしてから1〜2度、飲みにいったことがある。 私の幼馴染は
何があったか分からないが、店から引退し、姉さんと、奥さんが店に出ていた。
その店の前を二月ほど前にポタリングの帰りに通ったら、店の看板が無くなっていた。
そこで、姉さんらしき女性が、店の前で掃き掃除をしていた。 そこで、長岡の夜の博士と
自認している?人に、聞いてみたところ、「この春に閉店したが、その閉店の日に行ってきた。
姉さんも高齢と不景気で止め時と言っていた」という。それにしても、幼稚園時代の記憶の
原点の一つの店が閉店とは、時代の変わり目である。
  * 11月7日になると
 毎年、11月7日になると思い出すことがある。私が27歳で初めて貸しビルを完成、
その一角で養老の滝のFCの居酒屋をオープンした日である。 まだ生々しく憶えているが、
開店直後からパニック状態でオロオロし、身体は硬直し、冷や汗が出て、茫然自失とは、
あの状態である。一週間は使いものにならない廃人状態。 後で分かったことだが、
20年、30年の経歴を持っていた人でも、殆ど同じ状態になるという。 それを聞いて
安心したが、あの切なさは言語を絶している。それでも両親の創業時の姿からみれば、
全く甘いもの。実際に自分が現場で七転八倒をして、両親の苦しみの一端を知ることになる。
酒飲みの酔った時の異常な振る舞い。カウンターの内と外側の一歩の大きな差。 
立場が変わった時の風景の違いを、そこで思い知った。 数ヶ月は、朝7時から夜11時までの
世界。千葉の郊外のニュータウンの真ん中で、ズブの素人が、顔色を変え醜態を曝していた。
その二年後に、隣の一角でベーカリーの立ち上げを始めたのだから、振り返って我ながら
驚いているより、呆れている。しかし商売の原点を、肌で学んでいた日々になる。 
思い返せば、ジャスコも、その次に勤めた会社も、創業のプロセスにあった。
そこは究極の異常世界。 仕事の現場は、どの世界でも厳しさは同じ。創業は、捨て身で
全てのエネルギーを叩き込まなければ、一つの生命としての事業は生まれない。 
振り返ってみると「人生は、良いことが51に、悪いことが49」ということか。その辺の輩が
一現象だけをみて分かったようなことを言うが、一つの現象の背景には、
多くの血と汗が隠されている。馬鹿さもだが。
・・・・・
3514, ペットロス ー2
2010年11月08日(月)
 インコの死で、何か家の中がシーンとしてしまった。 僅か一年だったが、存在感のあった
インコだった。呼びかけた言葉を憶えてしまい、居間のガラス戸越しに、その言葉で必死に
呼びかけてきたからである。今までにない経験である。ここで、ペットロス症候群というウツ病
を知った。ペットの死で幼い子供の死と同じぐらいのショックを受け、立ち直れなくなる欝症。
先日、私のブログでペットの死を知った友人が「飼い犬の死に際の逸話」を聞かせてくれた。
「15年間飼っていた犬が、あと一日で死ぬときに、県外にいる三人の子供全員が別れのため
帰省してきた。ところが友人は私と酒を飲んでいて午前様になってしまったが、犬は帰って
くるのを待っていたかのように本人が頬ずりをした直後に息を引き取った」という。
うちのインコが長男が知らせを聞いて駆けつけてきて撫ぜてもらった直後に死んだのも
偶然だけではないと思っていたので、丁度よい内容であった。 動物も、人間と同じような
ことがあるのかどうか。休日だったこともあり死に際に立ち会えたが、ペットが一日かけて
死んでいく姿も人間のようであった。何度も危篤になるが、頭を摩りながら呼びかけるとハッと
我に返る。そして時々、餌場から下に堕ちてしまい、力を振り絞って金網を登ってくるが、 
その都度、衰弱してくる。しかし目は虚ろになりたっているのも難儀になり、蹲ってしまう。
呼吸が苦しくなりヒューヒューという息遣いが聞こえてくる。そして、時々大きな深呼吸をする。
意識が遠くなるが、その都度、何かを待っているように戻ってくる。最後は、長男が喉を
摩っている中、ドッサと下に落ち、息絶えてしまった。長男も、家内も、涙を流していた。
ところでペットは何故、あれだけ人をひきつけられのだろうか。 それは彼らが無条件で
なついてくれるから、人間の方も無条件で受け入れるのである。それが愛情の原点である。 
愛情とは無条件だからである。人間は子供の頃は無条件だが、時間とともに自立していくほど
薄れていく。 しかしペットは、何時までも無条件で愛情を求めてくるため、人間も何時までも
愛情を無条件で与えることができる。したがって幼くして亡くなった子供の悲しみと
ペットロスの悲しみは酷似するほど深くなる。 特に子供たちが結婚などで巣立っていった
中高年の家庭では、ペットは実際の子供と同じように愛情をもたらしてくれる。
それだけ、悲しみも深くなるものである。それが犬や猫を10数年も飼っていれば・・・
 ・・・・・・・・
3139, 「法則」のトリセツ −4
2009年11月08日(日) 
* フット・イン・ザ・ドア・テクニック
    ー小さなウソの積み重ねー
 OKしやすいことからはじめて、そのOKしてもらった内容を少し変えていきながら
クロージングする方法。よくあるのが「お試し」。「どうぞ、ちょっと試しに着てみてください」
と言われて試着すると、あの手この手のほめ言葉でいろいろと買わされてしまう。 
アメリカの心理学者スティンプソンたちが行った実験で、女子大生たちに環境に関する。 
アンケートを実施し、それに回答した者に、さらに難題を要請するというものがある。
最初の依頼、「環境問題に関する10の質問に答えてください。」
第2の依頼、最初の依頼にOKしてくれた女子大生を対象に、「環境浄化に協力をして下さい。
 指定の場所 (大学から数マイルはなれている)に、苗木を植えてもらたいのですが、お願い
出来ますか?」 いきなり、2番目の依頼をすると半数以上の人が拒否をしたにも関わらず、
このステップを踏むと、承諾率は80%近いところまで跳ね上がった。 このテクニックは、
通販広告(ダイレクトレスポンス広告)で良く利用されている。サンプル無料提供、モニター募集、
などである気軽に試乗してください。 よろしかったら一度試着しませんか、というセールストークも
この原理を利用している。1番目の依頼と2番目の依頼のバランスがポイントである。
この2つの間にあまり大きな開きがあってはいけない。 この心理を応用した説得の方法を言う。
――
こういう手口は、過去経験の中で、幾らでも転がっている。その事例を幾つか。
騙す本人も知らないで?使っているケースが多々ある。そう解釈したい。もしかしたら、
成り行きで自分も? 動機の問題もあるが・・・
 * ゼネコンが受注する時が、ほぼ、この手段を使う。完成品を買うわけではない。 
素人の隙の部分をねらう。 要は、追加工事である。ダムとか道路工事の計画もしかり。
出来っこない計画で着工させ、初期工事の途中で到底無理と分かっても誰も指摘をしない。
 * 倒産間際の資金繰りに窮して身内や知人からウソを積み重ねて借金。
初めは小さなウソの積み重ねも、積もり積もると立派な詐欺行為。刑事事件にならない
際のウソの繰り返しは見ていて人間観が変わるほど。 まずは自分の創作した物語に
自分自身が酔ってしまう。そうでもしないと、他人を引き込めない。 倒産劇からの親戚を
巻き込んだ借金話のもつれほど、ストレスなものはない。 他人を騙す場合、まずは一番の
身近から始める。 これを知っておくと知らないとでは大きな違いになる。もう一つ最近にも
あった。生生しいから書けないが・・・、 倒産は人間の本性を露出させる。
 * 「まあ、私を信じて下さい!」が殺し文句の男がいる。 この人、ウソを重ねている
自覚がない?から罪深い。すべて、いざとなると、この言葉で煙をまく。
それも何度、騙されても、つい信じさせる技の蓄積がある。
 * ネット上のマッチポンプも、居る。 何年も続ければ立派な『犯罪行為』。  
 ・・・・・・・
2774, 仮説思考 −1
2008年11月08日(土)
  「仮説思考」 内田和成 著         −東洋経済新報社
 実のところ、これを読んでショックであった。
 (字数制限のためカット11年11月8日)


4985,暴走する世間 −2

2014年11月07日(金)

           「暴走する「世間」―世間のオキテを解析する」佐藤 直樹 (著)
   ー著者は、安部謹也の「世間とは何か」を紹介している。
《「社会」と「世間」について。「社会(society)」という言葉は、近代化の時代に西欧から輸入し、
翻訳されたものである。神と個別の契約を結んだ「個人」たちが営む集団組織のことを言う。
 西洋人たちは長い時間をかけて、こうした「社会」を作り上げてきた。維新の立役者たちは
西欧文明に追いつこうと、様々な学問を持ち帰ってきた中で、日本にも「社会」という言葉が
輸入され、幅を利かすようになった。 日本には「社会」が無かったにもかかわらず。
そこにあるのは「世間」である。「世間は社会ではなく、自分が加わっている比較的小さな
人間関係の環」である。日本人にとっては、個人がどの「世間」に加わっているかが重要で
あって、それによって、相手との人間関係が決まってくる。「世間」はある時は強力な保護者に
なってくれるかもしれないが、一歩間違えば、個人に対して没個性を強要する権威主義にもなる。
本書は、こうした関係の中で自己を形成せざるを得ない日本の個人についての論考である。》
▼ 「世間を全世界と勘違いしている人たち」に同調したくないため、アウトサイダーのスタンスを
 取り続けてきた。幸いに装置産業は近隣社会と接触が最小ですむ好都合の事業でもあった。
以前の「世間」のテーマで取上げた、藤沢周平の『海鳴り』の一節で、世間の中で生きている
ある商人の世間に対する気持を正直に書いてあったが、世間の有様を鋭く観察するもの
と感心をしたもの。  〜その一節から〜
< たしかに世間には善意の人もいれば、悪意の人もいた。世間は時には悪意をむき出しに
襲いかかってきたが、稀には救いの手を差しのべても来た。渡る世間は鬼ばかりではなく、
世間は善意と悪意の巨大な混合物だった。だが善意の人も、一たん利害が対立すると
手のひらを返したように悪意に満ちた中傷をばら撒いたりすることもめずらしくなかった。
つまり、と新兵衛はそのころ思ったものだ。無償の善意などというものを世間に期待するのは
馬鹿げていて、この世はむしろ悪意に満ちていて、隙があれば足元をすくおうとしていると
覚悟をしていた方がいい。> とある。その権化が、週刊誌などのバッシング記事となる。
 この世界は、実は幻想、幻覚であり、それぞれが、それぞれの小さな世界で妄想しているに
過ぎない。それさえ知ってしまえば、何事も切実に悩むことも無いが、この世間という妄想は
どうにもこうにも。で、『世間学的エポケー』の問題になる。 この世間という集団妄想を
見据えると『無知蒙昧』のヘドロ!
・・・・・・
4618, 君は1万円札を破れるか? ー5 
2013年11月07日(木)
                ー君は1万円札を破れるか?ー   苫米地英人 (著)
   * 世界経済の影の支配者 ー世界の富の95%を独占する人々
 世界は幾つかの世界財閥の支配下にあり、各国の中央銀行の株の多くを握っており、
富の大部分がコントロールされている。そして彼らは決して表には出てこない。その存在は、
多く書かれているが、FRBや、EUBの株式の多くを握って、世界の金融をコントロールを
しているとは驚いた。 ーまずは、その辺りを抜粋ー
《 世界経済の中核を担う先進国の中央銀行は国の機関ではあく、これらの中央銀行の
実権を握っているのは、大株主の英仏のロスチやイルドや、アメりカのロックフェラー家、
モルガン家など、ごく少数の富豪たちです。イギリスの中央銀行イングランド銀行、フランスの
中央銀行のフランス銀行も、形の上で国営化されていますが、事実上は英仏ロスチャイルドを
はじめとする個人によって支配されています。それらの大富豪一族のほとんとは、前で触れた
ゴールドスミスの系譜に連なる人たちです。現在、世界の基軸通貨のアメリカのドルは、
FRBが握っています。FRBは金融政策を決定する最高意思決定機関でありアメリカの
中央銀行である連邦のことでが、連邦準備銀行そのものは民間銀行であり、ぞの株主は主に
イギリスを中心としたヨーロッパ系なのです。FRBには、1923年のクリスマス休暇中に、
ロスチャイルドなどのヨーロッパの名家や、ロックフェラー家、モルガン家などのアメリカ名家の
息のかかった議員だけが突然集められ、成立した「FRS(連邦準備制度)」法案により
成立されたという驚くべき経緯がある。ユーロの発行権を持つECBにしても、EU加盟国の
どこの国の政府からも介入を受けないで、完全に独立をして通貨を発行できると規定されている。
このように、先進国の通貨発行権を握ることで、これらの大富豪たちは世界の富のほとんどを
独占している。だが、実に不思議なことに、表に出ることなく、分厚いベールに包まれている。・・・
 「アメリカの支配者」「欧州の支配者」とかいう表現は、それは必ずしも欧米の指導者とか、
為政者とかいう意味ではない。経済的な支配によって各国を裏から動かしている人という
意味であり、国籍は他国にあっても実質的にその国の一端を握っている人たちもいます。 
たとえば、日本は実質上、支配しているのは総理大臣ではなく、第二次世界大戦以降、
アメリカの属国のようなものです。歴史をたどれば、明治維新のころから英仏ロスチャイルド家に
代表されるヨーロッパ系巨大大財閥の影響を受けています。》
▼ 日本の中央銀行の日銀の株式は政府が55%を保持しているが、他の45%は不明という。
 日銀の政策の独立性とかいうが、政府の意向は大きく働くのは致し方がない。
もし、その55%が欧米の財閥に握られているとしたら、その財閥の隷属下にあることになる。
ということは、アメリカの隷属国家の日本も、彼らの支配下ということになる。そういう貨幣を
信じて蓄財に励み、それを米国国債を一兆ドルも買わされ、二度と戻って来ないというから、
奴隷国家そのもの。阿部も、麻生も家系からしてポチ系。ますます、忠犬になるしか道がない。
小沢は日本の独立に目指して一歩踏み出したが、忠犬官僚の検察とマスコミによって完璧
までに潰された。そうこう考えると、大きな成功より、小さな個々の成功(趣味など)を
目指した方が、無難ということになる。彼らのスイッチ、オンオフで、何もかもが決まるのだから。
バブルの阿波踊りと、破裂だったか、私の人生は? いや、全て。まあ、面白かったが!
 これでは、遅かれ早かれ、素っ裸。今でも第二次大戦の敗北で間接統治のまま!
韓国にはIMFが入り、米国資本が主だった大企業の株主。近未来の日本?
・・・・・・
4243, しまった!  ー2
2012年11月07日(水)                
  * 手ごわい「あとバイアス」ー しまった!「失敗の心理」を科学するージョゼフ・T・ハリナン(著) 
 周囲の世界を見たり、記憶したり、感知したりするのは、総じて‘体系的偏り’(バイアス)を
通して行われ、間違いの起因になる。要するに、人は、それぞれの偏見に焼きなおして記憶する
のである。それは、その人の期待でもある。 小さな地域社会では、それが一人歩きを始める。
それが老人の多い町ほど、内容は、地域の偏りの魔女狩りの様相になる。酷い噂は、流れの
ない淀みに住んでいれば、誰もが何度も経験する。インサイダーになるか、徹底してアウトサイダー
になるかの選択をするしかない。それが、「あとバイアス(歪んだ後講釈)」として、更に歪むため、
ことは厄介になる。  ーその辺りを抜粋してみるー
≪ 簡単にいうと人間、自分が思うほど完全な存在ではない。だが周囲の世界は人間が完全で
 あるかのような前提で動いている。たとえば、社会は数え切れないほどのパスワードを、暗証
番号を覚えるよう要求する。ところが、この種の情報の記憶を人間は苦手とする、あるテストでは、
たった一週間で三〇%の人がパスワードを忘れてしまったし、別のテストでは、三ヵ月後に六五%
以上の人がパスワードを忘れていた。人間が一度にできることの数はごく限られているのに、
ふだんの生活でマルチタスク(複数の作業を同時にこなすこと)が求められ、その限界が試される。
そのうえ同時におこなうよう求められることは、たいがい実行中のことと無関係。
しかし一般に人間の短期記憶は、五つ以上の無関係なことを一度には覚えられない。
たとえば愛車はあなたに、いくつのことを記憶するよう求めているだろう? 車内にナビは搭載? 
自動速度制御装置は?衝突防止装置はある? 死角警報システムやリアビューカメラ、子ども用
の娯楽システムは? MP3プレーヤーや携帯電話は? いまや車内には運転者の気を散らし、
それ自体が事故の原因になりうる装置があふれている。だが事故が起きれば、責めを負うのは
車ではなく、あなたなのだ。自分が間違えるのを「間違った」もののせいにしていたら、同じ
過ちを繰り返すことになりかねない。原因をまちがえていては、経験から学べることは少ない。
とりわけ大きな不具合が生じた場合に、責任の所在を追及するのは当然のことである。だが
どこに誤りがあったか、それをつきとめるのは容易なことではない。だから「あとバイアス」をする。≫
▼ 「あと講釈」の一つに、スポーツ解説がある。勝手に選手の失敗に対して、あたかも本当の
 ようなウソをいう。聞いている方は素人を承知で、「あとバイアス」の言いたい放題。
気の毒なのは、選手で、それが恰も真実として罷りとおる。批判される選手と監督は、
結果責任を問われているから何も反論できないことを充分に承知の上のため、言いたい放題。
しかし、「あとバイアス」を自分の思考や判断を狂わせてしまう。
現在の日本の政治の混迷も、これが大きな起因になっている。
・・・・・・
3878, 閑話小題
2011年11月07日(月)
  * 再び、ギリシャ
 ギリシャの首相には驚き、呆れてしまった。例え話でいえば、
《暴走しているバスの運転手、助けにきた他の車が暴走車に鎖をつけて、何とか大事故を
抑えようとしたところ、「鎖をつけるかどうか、乗客に聞いてみてから」と、言い出した。
乗客は暴走をしているのを知ってか知らずか?バス内の自分たちの不満で頭が一杯。
瀬戸際で運転手が、どの道を選ぶか乗客に聞いている場合でない。一つ間違えると、
助けにきた仲間も道連れになることを運転手と乗客も知っているので、タカをくくっている。 
そこで「それなら助けるのを中止する。その上、共同体から排除をする」というと、急に運転手も
乗客も慌てだし、従うと言い出した。》
これは世界中が唖然とした寸劇。しかし国民の反対デモや議会の混乱を抑えるため「国民投票」
といえば、世界の袋叩になるのを覚悟の上、あえて言った政治的駆け引きとすれば、これも納得。
 国民投票やるべし!のデモが起きるかどうかだが、起ってこないのが漫画的。
この10年間、哲学書を読み続けているが、始まりはギリシャ哲学。 その西欧文明の
行き着いた終着駅が現時点とすると、ギリシャ問題は、図ったように起きたユング的現象か。
民主主義の発生の国で、その矛盾が、そのまま表出することになった。ともかく目先の火の手を
納めたが、次はイタリア、スペイン、アイルランドが控えている。そして、日本、アメリカ、中国も?
  * 少しウツ気味で、正常の状態?
 少しウツ気味。 年齢と現在おかれている状況から当然で、これが正常なのかもしれない。
パソコンの具合が悪かったり、スポーツジムで冷たい視線を感じたり、家内が機嫌が悪かったり、
幾らでも原因はある。それでもiPadという新たな遊び道具を手に入れネットサーフィンや、
パソコン・ゲームに熱中。 スポーツジムや、早朝のサイクリングで発散ができている。
過去に身辺のウツ症状の人の素人カウンセリングをしたりして対処の擬似体験をしていたので、
最小で済んでいる。目先の落ち込みはシネマにいくのが即効性がある。で、最近多く行っている? 
他にストレス発散に買い物がある。百金や、スーパーで「酒のツマミ」や、机周りのものを
買ったりする。あくまで日常品の範囲だが・・・。
 50歳代の10年近く、20年・30年分の人生を押し込んだのが、ここにきて効いている。
そのため現状を悲観し過去の良かった時節を懐かしむこともない。人生は時節ごとに一期一会。
それぞれに、また違った人生がある。これからの人生を有効に生きるに、何が良いのか考え
尽くさねばならない。 これまでの緑の原野から一歩出て、目の前に広がる「草原の世界」
で何をすべきか? そのためには新しい世界を知ること。そして、草原で生きるための
「人生の知恵」を改めて身に着けなければならない。緑の原野だけが人生ではないことを
知るには、そこを一歩出てこそ分かるもの。 真実の自分に気づく旅路?
 ・・・・・・・
3513, ペットロス ー1
2010年11月07日(日)
  * ペットが風邪で死す
一年前に我が家のペットになったメキシコ・コガネインコが、数日前の夕方に死んでしまった。
12年は生きるとあったので一年は早すぎる死である。 死因は風邪である。大よそ30年から
20年前にかけて、小桜インコを代々5羽飼っていた。殆どは二年位で逃げられてしまった。
その度に雛を飼ってきては手乗りにした。しかし最後の一羽は凍死をさせてしまい、その罪悪感と
子供が大学入学で巣立っていったこともあり飼うことを止めてしまった。数年来、ペットショップを
動物園代わりに、近くのSCに行ったついでに立ち寄っていたが、いやに人懐こいインコが気に
なっていた。しかし売れないようで金網にとまって御客から頭を撫ぜてもらっていた。
値段が6万8千円じゃ、そうは売れない。たまたま中年の夫婦が、そのインコの頭を撫ぜていた。
「慣れたインコですよね」と話しかけると、「私たちはオカメインコを飼っていたが、鳴き声が大きく
近所迷惑で、親戚の人にあげた。それで時々、ここのインコを見にきているが、このインコが
懐いていて欲しいけど、やはり近所迷惑が・・・」という。 何気なく私の癖が出て、近くいた
女店員に「5万円なら買いたけど」というと、「このインコ、店の皆が大事に育ててきたインコ。
値下げなど出来ません」と怒りだした。で、私もムキになって、「三ヶ月前から、売れないでいる。
ペットは大きくなるにつれて価値が下がるのは常識。お客が、そう言っていると責任者に
聞いてきて欲しい」というと、暫く姿を消していたが「店長が6万円ならオッケーです」との返事。
その成行きで買う羽目になったことは以前、ここで書いた。で、家内に例のごとく反撃にあって、
あわや「新潟の長期滞在の御客様のペット」となる直前に、急に家内の気が変わって暫くは
OKになった経緯がある。そうこうして我家のペットになったが、ペットショップの多くの御客から
頭を撫ぜてもらっていた為、人懐こいのである。しかし朝晩以外は誰もいないベランダに
置いておくため、足音など人の気配が聞こえるとピーピー鳴き叫ぶ。最初のうちは、うるさいと
思っていたが、だんだん、それが可愛らしくなってきたのは私と長男だけでなく、家内もである。
直近は一番、あれだけ嫌っていたのが、このインコの大ファンになったいた。 鳥というより犬に
近いと思うほど、人懐こく、頭がよい。 個々人の識別もし、その対応も変わる。
何とか人にかまってもらおうと、色いろな鳴声が憶えた人間の言葉。それで呼びかけられれば
愛情が湧いて当然。「三つ子の魂いつまでも」で、店頭で可愛がられて育った温もりが、
性格になったいた。
 ・・・・・・・・
3138, 閑話小題  ーつれづれにー
2009年11月07日(土)
   * 金の価格が、動き出した?
 金の価格が、そろそろ動き出してきた。 世界の株式総額4000兆円に対して金の総額は
500兆円でしかない。信用取引などの債権総額が7京(7千憶×10)。金の通貨としての歴史は
数千年もある。 時代が変化しても、やはり通貨の基準軸である。で、去年に世界主要20ヶ国が、
この通貨危機に対して、どんどん通貨を刷りましょうと決めたのだから、近い将来に金が暴騰
するのは当然のこと。 しかし目先に金を放出して、金融危機を乗り越える機関もあり、
一年あまりは自動調整をしてきたが、ここで値上がりに転じてきたようだ。IMFが放出した
400トンの金の半分を伏兵だったインドが買ったことも上げ相場の原因だが。
それとも、まだ調整期の一現象か? 金融の世界だけは複雑怪奇なので即断は出来ない。 
これでバブルの沸く中国上層階級が買いに入るかどうか?
  * 新潟飛行場タクシー運転手殺人事件
 物騒になってきた。新潟市は殺人事件が多いが、港町ということもある。
数万の金のため簡単に殺人事件を起こすから恐ろしい。 運転手も戦々恐々だろう。
「不景気で稼ぎが悪い上に、これだもの!」という、ボヤキが聞こえてきそうである。
さっそく、刑事が当日の宿泊客の名簿を調べにきていたが。 
  * 来春の高卒の就職内定者が4割を割って過去最低
 来年の高卒就職内定率が9月末で37パーセントで、去年より13パーセントもダウンした。
経済活動全般が三分の二になったのだから、この数字も肯けるが、地方ではよりマイナスが
大きい。新潟県は33パーセントというから、学校によっては、2割も決定してないところもあるはず。
企業側からいえば、5年もしないうちに大部分が辞めていくなら、中途採用を準社員にした方が
数段、戦力になる。この流れは、もう止まることもないから若者は絶望的になるのも分かる。 
新卒の若いうちに、正社員としての基礎訓練を入れてないと、何処の企業の再就職も難しい
ことは周知の事実。日本がますます弱っていく姿は痛痛しい。その人にとって時代背景に
恵まれていたかどうかは、大きな要素。その意味で現在、卒業を迎えている若者は気の毒。
しかし「今時の若者は」ではないが、ますます若者の質の劣化が進んでいる。まともな会話さえ
出来ないのが大部分。どうする日本である。それにしても、「ゆとり教育」の弊害は深刻。 
日教組か〜歴史に残るだろう、これは! (偶然だが、去年、似たようなことを書いていた)
・・・・・・・・
2773,  どこか変?
2008年11月07日(金)
 今更だが、子供も含めて「どこか変」である。「今の若者は!」と、ピラミッドの何処かに
書いてあったというが、現在の若者のそれは、そのレベルではない。見てみない振りをする
しかないのか。アメリカが画策した占領下無能化教育の完成品?立場的に書けないことは
幾らでもあるが、酷いを遥かに超えている。 情報化による弊害もある。
 以下、その純朴な疑問がそのまま書いてある随想の一部である。 まずは、その部分から、
  *どこか変です!
 女子高校三人が乗ってきて、通路をはさんだ私の前の三人がけの座席に座った。
その直後である。駆け込み乗車さながらに、白い蝶が一匹、勢いよく飛び込んできた。
まるで意志あるがごとくにである。その潔さに驚いているとドアが閉まった。蝶はまぎれもなく
電車の一員になったわけだ。この珍景に心を奪われていると、蝶はやがて失敗に気づいたらしく
右往左往しだした。だが程なく居場所が決まった。三人の前である。彼女たちの匂いや彩りを
花と見立てたのだろう。その前を拠点に、ひらひらを始めたのである。私はほっとした。 
三人はきっと優しい視線を注ぎ、あわよくば誰かがその柔らかな掌に包み込んで
いとおしむに違いないと思ったのだ。   (字数制限のためカット09年11月07日)
 


4984,閑話小題 ー倒産は甘塩からい味がする

2014年11月06日(木)

    * 倒産経験もまた、価値ある人生体験と捉えると
 『倒産は甘塩からい味がした!』をテーマとして書くと、こうなる。
≪ 時どき『闘病と、倒産体験ほど貴重な人生体験は他に無いのでは?』
 という考えが頭によぎる。倒産体験をプラス面で光をあてると、具体的な要素は幾らでもある。
私のケースは、自分で立ち上げた会社を潰したため、起承転結の「結」が、それ。元もとの立ち
位置がアウトサイダーのスタンスもあるが、何事もなく無事に後に継がせれば起承転々。
そのどちらが良いか悪いかは、受け止め方次第である。 事業内容の悪化に比例して辛らつに
変わる銀行と、身近の人たち。予め分っていても不快だが、時間が経つにつれ、これが面白く
思えてくるから不思議。更に、あれだけ沈んでいた気持ちも、二年、三年と過ぎると、
時間薬効果で元に戻ってくる。 その直前・直後の一ヶ月間は、身体と気持ちが宙に浮いてる
ように動いて、それが意外と痛面白いとさえ感じていた。 30年来、月次決算に通っていた
経理事務所の担当が、『何か楽しんでいるようですが、自分の立場が分かってないようですね。』
と、言われてハッとしたが、分かってないのは御当人。この感覚は当事者しか知り得ないこと。
何事でも、無我夢中に行動している時ほど面白いことはない。 実際、こんな貴重体験は
滅多に経験出来きないし、一度は味わうのも良よい!とは、今でこそ言えること。 
一日一日を区切って、一期一会と割切って乗越えるしかなかったが・・
「この人、こう受け止めている」が、過って様々なケースで自分も受止めていたので、分かる。 
ボケ役の落語家が震える声で「バカ野郎〜、その程度か、御前さん!」と思っている自分が、
そこにいる。 これも、万一のセフティネットがあったため言えることだが、敗者は敗者、「日々、
是、口実!」になる。「事前、事後とでは、これまでも違っていた」というのが実感。「開き直り」か。≫ 
▼ これを冷静に?読み返すと、こう思って日々を過ごさないと精神の安定を保てなかったが、
 冷静な自分がいたことも確か。それでも大波の中、思わず水を飲んで、窒息しそうになっていた?
『何事も、最善と思えば最善に、最悪と思えば最悪になるから、こう捉えていた方がよい』
ということか。これは、大病、大事故にも言換えが可能? 
 少し話が変わるが、実兄が7〜8年前に倒産した時のこと、居酒屋で、慰めで、彼の親しい
友人の実名をあげて『大病で死ぬわけでなし、決して最悪の事態ではないよ。Oさんは、無事に
会社整理をしたが、実は末期肺ガンかもしれない。これは、最悪の事態でないよ!現に生きて
いられることに感謝をした方が良いよ』と、慰めたが、その2年後に、本当にOさんが肺ガンに
なって入退院を繰返しているという。この年齢になると、内なる黒鳥が、いつ舞い降りてきても
不思議でない。 まだまだ、当時の森の中での夢をみる。 ・・当然のことだが。
・・・・・・
4617, 閑話小題 ーチョット何か変じゃないか?
2013年11月06日(水)
   * 今の空気、チョット何か変じゃないか?
 12年前のリーマンショックで、以前に経営していたビジネスホテルの売上が三分の二に、
そして5年前のリーマンショックで、その半分になり、合計で三分の一まで売上が激減し、
事業断念を決断した。その間、国の政策で何とか追加借入無しで、何とか傷口が広がらない
うちに止めることでき、最小の傷で済んだ。問題は、その後。本当に景気が回復してきたか?
である。 実感として景気回復は、ほど遠い世界。政府は消費税の増税までと何とか
持維持しているが、何が起きても不思議でない。タクシーの運転手や、周囲の話も、いま一、
ハッキリ聞こえてこない。給与などの収入減を、デフレ効果で、何とか遣り繰りをしている? 
団塊世代は年金生活の中、退職金で何とか食いつないでいるが、日々、厳しさが増している?
 この事態の中で、誰も黙して語らず。 一般的な趨勢はどうか?というと、平均預金残高が
1100万だが、ローン残もある。平均より多い人も、ゼロの人もいる。そこで収入の中間点の
人はどれくらいか?といえば、400万。 預金ゼロが30%という。 マスコミが勝ち組とかいう
資本主義の、お金優先の価値観で、洗脳するため、大多数を占める負け組?の不満が充満する。
 ー 先週末のNHK、日本新生「熟年サバイバル〜年金減額時代を生きる〜」がシビアー 
    〜その内容といえば〜
《 「定年後は、年金をもらいながら悠々自適の生活…」、そんなサラリーマンの人生設計が
 成り立たない時代が始まった。厚生年金の受給開始年齢の引き上げが今年度からスタート。
現在52歳以下の男性は65歳まで年金が受け取れなくなる。定年後、ゆとりある生活を送る
ために必要な費用は、民間機関の意識調査によると月37万円で年金の受給額は月23万円、
14万円の不足だ。 支給開始年齢の引き上げで、状況はさらに厳しくなる。「生きがい」のため
だった定年後の就労が「生きるため」の手段とならざるを得ない状況になってきているが、定年後
の職探しは厳しいのが現実だ。一方、今年から始まった「65歳までの希望者の雇用義務化」
を受け、中高年社員の再教育に乗り出す企業も現れるなど、「シニアワーカー」の活用が
人口減少社会の成長の鍵を握る課題となっている。しかし60歳以上の増加する
「シニアワーカー」の雇用を確保しようとすれば、若い世代との雇用のイス取りゲームが激化し、
社会の不安定化を招くという指摘もある。どうすればシニアワーカーに活躍してもらい、
社会全体に貢献してもらうことができるのか? そのために個人、企業、そして社会全体は
何ができるのか?徹底的に議論する。》
▼ この国の経済力が三分の二になっているに関わらず、政治の貧困のためダウンサイズ出来ず、
 ひたすら破滅に向けて借金を重ねているのが現状。裸の王様と同じで、誰も、それを大声で
主張できない。 定年延長は若い世代の労働にはマイナスという、悪循環が起きている。
これで景気回復といっても無理がある! 
  中小企業には地獄の鍋の蓋が大きく開き、で、東京オリンピック!それは面白いだろう。
・・・・・・
4242, しまった! ー1
2012年11月06日(火)
            ー しまった! 「失敗の心理」を科学する ー ジョゼフ・T・ハリナン (著) 
 誤りは人の常。人はそれぞれのバイアス(体系的偏見)から、自分自身と世界を見ている。
問題は自分で、それに気づかないで、それぞれの岩の中(バイアス)で一生を過ごしてゾンビに
なってしまうこと。そして魂の抜け殻人間になってしまう。そして最期に、「しまった!」と後悔する。
年寄りの顔が暗いのは、そのため。同じ後悔ならバイアスに気づき、出るしかない。
    ーまずは、内容紹介ーより
 「人間はなぜ、まちがうのか」というテーマについて、 面白くてネタになるトピックを
 「これでもか」というぐらい集めて分析した内容。 たとえば・・・・・・
★ レントゲン技師は、画像に写っていた悪性腫瘍の9割を見落とす?
★ トップレスダンサーの収入は、彼女の月経サイクルに左右されている?
★ 黒いユニフォームのチームは、ペナルティーをとられる可能性が高くなる?
★ 人間は、誤りを犯しそうなときは、むしろ「行動を起こさない」という誤りを犯すほうを選ぶ ?
★ 「セックスした相手の数」を、男は女の四倍も多めに答えたがる?
★ 医師の84%は、同業者がメーカーからの贈与に影響されていると考える。
  だが、自分が影響されていると考える医師はわずか一六%しかいない。
★ 人はなんらかの形で自分が不正をしていないことを証明すると、
 その後の作業でもっと不正をしやすくなる。
★ 映画を「あとで見る」人は高尚な作品を、「いま見たい」人は大衆的な作品を選ぶ。
★ キャッシュローンを勧める通知書に女性の写真を載せるだけで、利率を五ポイント
  下げたと同じ効果が期待できる。
★ 予備選名簿の一番目に載った候補者は、得票に三ポイント上乗せできる。
★ 投資家は、金曜日の経済記事には月曜日の記事ほど注意を向けない。
★ 人間は、印象の操作など特定の目的のためには平気で話をつくり変える。
★ 無意識につくり変えた話でも、二度三度と繰り返すうちに、
  いつしか「記憶」そのものになってしまうことがある。
★ 一般的に、男は自分を持ち上げるために、女は他人を持ち上げるために嘘をつくことが多い。
★ 社会的地位や学歴、収入は、全体の幸福度におけるわずか三%しか占めていない。
★ 人を単純作業に従事させるためには、お金の力がものを言う。
  だが、たいていの行動では、人間は総じて金銭的動機には
  左右されない。(ゆえに、行動経済学はあまり役に立たない?) などなど、
  興味深い話がてんこ盛り。
 ▼ 多くの事例で人の「まちがい」メカニズムを解明。 人はミスを防ぐことができるのだろうか
  を問う内容。人は自分を騙す動物だが、自分に騙されている自覚がゼロに近いため、
  その蓄積が致命傷になる。 本来、「人生は、しまった」の連続。その最たるものは結婚。
  9割の夫婦が失敗と思っているというデーターがある。 人間の最期は死に直面するが、
  誰もがシマッタと思う。バイアスに閉じ込められていた自分に初めて気づくことになる。
  ・・・・・・
3877, フォトビジョン
2011年11月06日(日)
 iPadを購入して数週間後、分からないことがあったので買った先のソフトバンクショップに
聞きにいった。ところが、「それは販売店では解決できない問題で、直接、アップルに電話をして
聞いてください」と、軽くあしらわれてしまった。その時に気づいたのは、こういう販売代理商品は、
ヤマダ電機などにあるアップルの担当のいる店で買うべきで、販売代理をしている店で買う
べきでない、ということ。 その窓口の人が、「ところで、iPadを購入すると、PhotoVision
というフォトフレームが無料で貰えるのを知っていますか?」という。買った時に、そんな話を
聞いてない・・ そこで、「以前から興味があったが、買うほどでもないと思っていたが、タダなら、
もらいたい。」というと、急に態度が変わり、その手続きに入った。 そこで分かったのが、
デジタル・フレームに携帯用の電話番号がついたもので、メール用の住所もある。 
携帯電話で撮った写真をデジタル・フレームに直接、電送してしまうもの。なるほどと思ったが、
手続きに時間がかかる上に、新たに携帯電話契約のローンを組まされた。その見返りとして、
それに見合う金額が数週間後に銀行に振り込まれる仕組み。 何か騙されたような?
奇妙な気持ちであった。 これは、孫や小さな子供がいる家族に、遠くはなれた子供から
携帯電話で撮った写真を直接メールをしてくれる。 面白そうだが、孫もいないし、新たに
携帯電話料金もかかるし、どうでもよいものを持たされてしまったと釈然としない気持ちであった。
そのため二ヶ月ほど使わないで放っておいた。 しかし数日前に急に思いたち、取り付けてみた。 
携帯電話の写真電送などすることがなかったので、初挑戦と、そのフレームに携帯電話で
撮ったばかりの写真を送ってみた。何度か失敗をした後に、確かにフレームに撮ったばかりの
写真が送られてきた。普通の電子写真立ては携帯電話やデジカメで撮ったSDカードを
差し込んで見るが、これも直接入力も出来、スライドショーにもなる。 親からすれば、
遠くの子供や孫から、メールで写真がフォトフレームに送られてきたら、嬉しいだろう。 
という訳で、私の前のiMacパソコンの横に、iPadと、ソフトバンクのPhotoVisionが仲良く
並んでいる。面白いのは、同封されてきたパンフレットに糸目が入った「フォトとも、をつくろう!」
というのがある。6つほど、そこにメールを書き込み人に配ればよい。 最近のスマートフォンで
若い人たちや、女・子供は、気楽に写真添付のメールのやり取りをしているのだろう。 
 いや、メールでなくツイッターか。 面白い時代である。
 ・・・・・・・
3512, ユダヤ人の頭脳活性法 ー6
2010年11月06日(土)
  「ユダヤ人の頭脳活性法 」手島 佑郎 (著)
  * 「論理力」を身につける
 ▼ー知恵は、地中深く岩と砂にまじっている金鉱石に似ている。 
     論理は金を鉱石から抽出する水銀に似ている。(ラビ・モシェ・イブン・エズラ)
  ーまずは、論理力の身につけ方を要約してみたー
【 点と点の情報を結ぶ能力が、論理力であり、点と点とのつながりが論理であり、「論理的」
であるとは、点と点が一貫した整合性で結ばれていることである。また論理的ということは、
真実の根拠を積み上げて考えることである。論理的に考える際の、思考の最小単位となるのは、
「A=Bである」というであり、その表現を組み合わせながら、私たちは物事を考えるのである。  
また、考えるという行動には幾つかの面がある。
△論理的に考える △分析的に考える △直感的に考える △情緒的に考える 
△肯定的に考える △否定的に考える △建設的に考える △消去的に考える。
 これは、考えるという行動の様態というか、一面を示している。 過去を思い出すのも
「過去を想像する」ことから始る。しかし思い起こした内容が実際かどうか、合理的かは問われる。
過去のことを自由に想像して、そこから整合性があるかどうか、確認でもある。それでは未来に
向けては、どうすれば良いか。いわゆる空想には、願望や憧憬、単なる想像がある。
どこまでも、自分の思うままに、自由に、想像の翼を広げてみるのもよい。
これを「考える力を高める」という目的に結び付けるに、現実化へ一歩ずつ踏み出す必要がある。
現実と理想の隔たりを埋めるために、考える力が必要になって来る。
そこで、一つだけ絞って、できる限り詳しく想像をめぐらしてみることである。
  それが実現すると、どのようなことが起こるか。
○何がさらに始るか。○誰が喜ぶか。○誰が最もメリットを受けるか。
○それを持続していくと、さらにどのような幸せを誰と誰に与えることができるか
 これらプラス思考は、どんどん広がっていくもの。またマイナス思考も同じぐらいしておくこと。
それをなるべく具体的に描いていくことです。そして、その理想を実現する方法は、今度は、
理想とする未来の方向から現在へ向かって発想する。そうすると、理想を実現化するための
手段が明確になって来る。いきなり自分から理想に近づこうとしても無理。
逆順をしていって、現在の具体的な行為で一つずつ片付けていけばよい。 理想とは、
未来のことでなく、未来が要求する条件にかなうように、自分を準備する。そうすることで、
未来が現実のものになる。理想と未来からの発想が、人間を変えるのである。】
 〜以上だが、これらは長年の訓練の繰り返しの中でしか、身につくもの。
しかし、論理(筋道)がチャンとしてないと、行き当たりばったりの生き方になってしまう。
それぞれの家のハビタス=習性も、長年かけた代々の行いから築きあげられたもの。
それにそっていくのも良いのかもしれない。
・・・・・・・・
3137, 脳と日本人 ー3
 2009年11月06日(金)
「 脳と日本人 ー3 」
   * 庭の話             P−116  ー枯山水と認知科学ー
≪ 伝統的な庭園を日本と西洋とでは、どう違うのかというと、日本庭園の始まりのひとつは
京都の禅宗寺院の庭園。その一つに竜安寺の石庭がある。 逆に幾何学パターンの伝統的
西洋庭園の違いがある。 日本の伝統的庭園素材の代表は石である。何百年も庭の存在を
維持する石である。石そのものが伝統的日本庭園の中心で、植物は、あくまでも脇役。
しかし西洋庭園は植物、とくに花が中心で、石は具えもの。日本は庭をみて作庭者の心を読んで、
無心に庭の心を読み、無心に己を見つめるためにある。それに対して西洋の庭は花そのものを
楽しむためのものであった。 日本は植生が豊富で、建物も木。その対比として石を主役にし、
植物は第二にする。 西洋は石材の建物のため、植物をメインにしている。
 日本の平安時代頃の建物は、家の空間が庭と一体となるように考えられており、部屋で座って
庭を眺めるようになっている。日本は家と庭とが同一空間の中の中にある。それで家庭という
名になるのである。それに対して、西洋では石の家の上から見下ろすつくりになる。
 ところで中世から日本の作庭は、「石の乞わんに従え」といって、石が「ここに置いてくれ」
といういう声を出しているのを聞いて配列を考えると禅坊主から庭師に職かえをした人が
「作庭記」に書いている。石の形を生かそうとする考えが基本にある。それに対して、
西洋の基本は、石を切り刻んで形に入れようとする。その根本的な違いが両者にある。
その違いを西欧人は日本に来て直ぐに見抜くのである。≫
 ▼ 父が私の現在の年齢の時、昭和38年から39年にかけての高度成長期に
   入った頃に、終の住処として(現に私が住んでいる)
 ー以下は字数の関係でカット(2011年11月06日)
 ・・・・・・・・・
2772, アメリカの人種比率は?
 2008年11月06日(木)
黒人の大統領が当選したが、アメリカの白人、黒人、モンゴロイドの人種比率を
ネットで調べてみた。
 ーー
2005年の人口統計によると、
・白人(ヨーロッパ系、北アフリカ系、中東系、中央アジア系、ラテン系)74.7%(2億1530万人)
・サハラ以南のアフリカ系(黒人)                   12.1%(3490万人)
・アジア系(東アジア、東南アジア、南アジア系)            4.3%(1250万人)
・アメリカン・インディアン                      0.8%(240万人)
・太平洋地域の先住民系                        0.1%(40万人)
・2つ以上の人種を祖先とする国民                    1.9%(560万人)
・その他                                6%(1730万人)
ー以上だがー、
四人に三人が白人、九人に一人が黒人。二十二人に一人がモンゴロイド、
五十人に一人がハーフ。ということになる。
  ー以下は字数の関係でカット(2010年11月06日)


4983,暴走する世間 −1

2014年11月05日(水)

           「暴走する「世間」―世間のオキテを解析する」佐藤 直樹 (著)
   ーまずは、アマゾンの解説からー
< 日本社会の見えないオキテ、それが「世間」である。事件が起きマスコミで報道されるたびに
「犯人」にたいして極端なバッシングが起きるのも、「空気を読め!」という無言のプレッシャーが
生じるのも、携帯を使ったいじめが起きるのも、「世間」という同調圧力のなせるわざ。
「お世話さまです」「おかげさまで」といった物言いにさりげなく顔をのぞかせ、いじめ・うつ病
・自殺の引き金にもなる「世間」。バブル崩壊以降とみに暴走しはじめた「世間」の危ない構造に
メスを入れる長編評論> ~~
~~森林(現役)の生活からサバンナ(御隠居)へ、住居を移動したことで、見えていた世界が
様変わりをした。社会から、世間への移動?それとも、逆? いずれにしても、ますます、独善に
なっていく自分がいる。 世間的強制力にアタフタするのは、やはり個人が確立してないため。
 実は社会も、世間も共同幻想でしかない。そう思えば楽だが、それが比較的楽に出来るのが
御隠居の身分。 ーその辺りからー
≪ 社会も個人もいない「世間」のなかで、「世間」的強制力をともなって、個人に責任を
押しつける「自己責任」や「心理主義」が強調された場合、「世間」はますます住みにくくなる。
しかし「世間」は、日本人であれば、生まれたときから取り囲まれ、あるものと親から教えられ、
そのなかで生きてきたから、それを意識的に取りだすのがとてつもなくむずかしい。 
これに加えて、「世間」は具体的なものではなく、ある種の共同幻想、つまり人々のアタマに
宿る観念である。人によって「世間」は広かったり、狭かったりするが、それは「世間」とは
関係そのもののことであって、本質的には人間のアタマに宿る共同幻想だだから。
 共同幻想とは、複数の人間に宿す観念である。厳密にいえば二人の間だけでは、共同幻想
とはいえない。たとえば恋愛関係などのように、二人の対になる関係においては、世間は存在
しない。この二人の関係を、思想家の吉本隆明さんにならって「対幻想」とよんでおくことにする。
 「世間」は三人称的な関係で、三人以上の人間が共同して生みだす幻想である。
なぜかといえば、「世間のオキテ」といったようなルールや規範が存在するためには
三人以上の人間を必要とするからだ。「世間」は幻想であるから、ないと思えば、ない。
「世間のオキテ」も、ないと思えば、ない。げんに外国で生まれ、日本に住んでまだ間が
ない外国人には、「世間」も「世間のオキテ」も間違いなく、ない。だから原則として外国人は、
「世間」には入っていない。かなり長く日本に住んでいる外国人でも、日本の「世間」のなかに
入ることができるのは、まれである。外国人が「日本人はとっても親切だ」というのは、
かれらがはじめから「世間」に入っておらず、そもそも「世間」の外にいる「お客さん」であるから、
親切にされるにすぎないのだ。 問題なのは、「世間」が具体的なものではなく、共同幻想で
あるがゆえに、それを否定するのが相当にむずかしいということである。具体的なものなら、
捨てるか、近づかないようにすればいいが、共同幻想は観念そのもののことだから、
そうはゆかない。簡単に捨てることができないし、そのなかで生活している以上、近づかないで
いるわけにもゆかない。だからこそ、「世間」の存在はなかなか意識化できないのだ。
しかし、これを意識化する方法がある。それが、「世間学的エポケー」である。・・・≫
▼「あの老人、一度も恋をしたことが無いんだって!現実に溺れすぎて」という強烈な言葉がある。
 共同幻想の前の「対幻想」の幻想である。その共同幻想も、何も考えもせず、ただ、成り行きで
染められた幻想でしかない。Uターンで地元に帰った時に感じたのが、城下町という特殊の世界。
専門が社会学だったことと、10年の間の外界経験から、これが特殊ということが分かっていた。
で、アウトサイダーに徹し、そして、事業場を新潟にした。これが「世間学的エポケー」
これも事業設計、人生設計の一つ。予め世間を特殊世界と割切って捨てれば、これほど楽な
ことはない。一般的には御隠居になって気づくが、気づかないままが殆ど! あのゾンビの群れ。
・・・・・・・
4616, 君は1万円札を破れるか? ー4
2013年11月05日(火)
         ー君は1万円札を破れるか? 〜お金の洗脳を解くと収入が倍増するー 苫米地英人 (著)
   * 年収は人の価値判断の基準になるのか?
 森の生活(経済社会)から退いて、サバンナ(隠居生活)に出て気づいたことは、これまで、
「人の判断基準に、手持ちの資産と、年収を価値基準にしていたこと」である。資本主義社会の洗脳である。
「格差社会」「勝ち組・負け組」の言葉の背景に資本主義社会の価値観がある。それも一線を退けば、その比重は
低くなる。お金を気にしないで済む収入と、蓄財が幾らかあれば、それ以上は皆、同じ。森の生活では、稼ぎが、
その人の価値と錯覚をしてしまいがちになる。他人との比較で、その額の差が人間の価値と錯覚をしてしまう。
「お金には絶対的価値がある」「お金はすべてのモノの価値を規定する物差し」という洗脳が長年かけされ、それを
疑おうともしない。お金で、自分の労働や価値を規定され、振り回されている状態は、宗教に洗脳された信者と同じ。
 著者は、ここで、現代社会における「価値」を「物理空間における価値」と「情報空間における価値」と分ける。
物理空間とは、体で触れることができるモノの世界。情報空間とは、脳や心の中に存在する様々な概念が作る空間。
米を例にとると、タイ米と魚沼コシヒカリ。その価格差は10倍近いが、物理的な味と栄養は、せいぜい二倍?
あるかなしか。「美味しい」という感じ方はそれぞれ違い、何倍美味しいとの数字化は不可能。タイ米と魚沼
コシヒカリと表示されなければ、値段の差だけの価値を感じることはできない。ブランドものはバーチャルバリュー
が、その価値を高めている。年収も財産も同じで、ある金額以上になると大して変わらない? いや2千万と、
2百万の年収では生活の快適さは違う?貧すれば鈍するし、豊かさには幸運の機会を多く集まる。年収が多いに
越したことはない。貧しさは、人間性を卑屈にする。問題は、年収が「絶対的」ではない、ということ。 
タイ米なら、タイ米にあう調理をすればよい。考え方である。「資本主義社会の洗脳」の自分を一度突き放し、
冷笑し、卑屈にも、のぼせ上がらないこと。所詮は、娑婆のこと。それを自覚し、超越するために、ライフワークを
持つこと、それが教養につながる。 多趣味か、一つの趣味を深く追求するかと、年収が多少の差とを類推すれば、
理解しやすい。   = 偶然、7年前に、同じようなテーマの読書日記があった。
〜〜〜
2073, 金は人を幸せにするか?
2006年12月06日(水)
           才八∋ウ_〆(∀`●)
  お金に関しては、何度か書いてきたが・・
 先日の書評「金は人を幸せにするか?」は題材として面白い。
          毎日新聞の『「豊かさ」の誕生…』    =W・バーンスタイン著の書評で、
 その内容が紹介されていたが、なかなかよい。    建前でいえば、
 「お金で幸せが買えるかって?冗談じゃない。幸せは心の問題だろう。
 それが金で買えれば、世の中の金持ち全部幸せのはず。
 質問そのものがナンセンス」が正論である。
 しかし本音のところ、 「金は何でも買うこともできる自由の塊、何でそんな建前をいうのか?
 そんなことを言えるのは充分ある人のこと。」と、陰の声がささやく。
「貧乏の極みで家庭は崩壊、借金で高利貸しに追われ、
 最後は不幸のどん底、投身自殺を図ったが死に切れず・・・」
 これなど不幸のカタチで何処にもあるパターンである。
倒産や失業では金欠が当面の切実の問題になる。
人間の品性は「金欠と女性問題」で露わになる事例を山ほどみてきたので、
間違いなく「金のないのは、人を不幸にする」ということだけは断言できる。
幸せになるのもいるが、それは珍しいから小説の種になる。
 私の持論は、 「金で8割の幸せは買えるが、あとの2割は金で買えない。
その2割こそ一番大切なことである。しかし8割は買える。
幸せとは、したいことがあり、それをやり遂げた心のさまである。
それは金では確かに買えない部分もあるが、しかし金=自由であるから、
やり遂げる手段としては、最有効になる。」である。   (*´θ`*)金、欲しい!
理屈として、「買えるものは買えるし、買えないものは買えない。
買えるものは金があればこそ買える。金が無ければ‘買えない’範囲が広くなる。
そのぶん自由度が狭くなる。自由は人間にとって非常に大きい幸福の要素である。
自由度を大きくするには、より多く金が有ればよい。生存レベルで必死の人にとって、
{生活手段としての資金の確保から解放されることが幸せである}
のは当然のことであり、お金は資金確保からの解放を意味する。
生存レベルの資金確保の束縛から解放された人は逆に、 幸福感が
「生活資金確保の段階」からアップスケールしているのだから、身近な世界の人との
比較や、違うレベルの欲望の達成の幸福感でなくては、幸せなれなくなる。
 金が無くなって「お金だけが人生ではないお金は決して人を幸せにはしない」と、
言うに丁度よい言葉の羅列にはなるが。
・・・・・・
4241, 閑話小題 ーある居酒屋で
2012年11月05日(月)
    * 再び不景気の話
 先日、TVで成田のホテル事情を放送していた。値段とサービス競争で少ない客の獲得競争が激烈化している、
という。日航ホテルがツイン・ダブルで一人3千円からと、打ち出していた。もちろん飛行場までは無料の
シャトルバスが出ている。「訳あり客室」と名うって限定数だが、実は何の問題のない部屋。最近は格安運賃で
早朝出発の客が多いので、格安価格を打ち出すしかないようだ。そのホテル内にはローソンがあり、お客の殆どが、
そこで弁当を買っている。中国・韓国からの客も激減で死活問題。新潟駅前も厳しかったが、成田は、そんな
ものではなさそう。リゾートホテルや温泉街など酷いようだが、潰れないのは銀行が潰せないため。
年の瀬に向かって厳しさが直に伝わってくる。ナショナルが二年で1兆5千億の赤字を計上したと報道にあった。
粉飾などしないのがナショナルの良さだが、スマートフォンと、タブレットPCに、テレビ、デジカメ、パソコン、
電話、書籍、ナビなどが集約され格安になれば、会社の土台から揺らいで当然。その上に韓国のサム寸や、
中国の家電がシンプルな格安商品を売り出し攻勢をかけている。世界ブランドのナショナル、シャープ、
ソニーなどが、会社存続も危ぶまれるなど数年前までは考えられなかった。 
   * その上に不景気の話
 日経新聞に ≪ 【ソニー、パナソニック、シャープ】3社の5年前の2007年前半の時価総額16兆円が、
2兆円にまで激減、逆に韓国のサムスンは14兆円まで増えている≫と報じていた。今や産業全体が衰退しており、
好調を維持している産業が衰退する事態になりつつある。それにしてもナショナルが2年で1兆5千億の赤字で、
20年分の利益総額分をとばしたというから酷いもの。株価は暴落でストップ安。シャープも4000億以上の赤字決算・・
 リーマンショックの地震の後の、日本版大津波の一つの現象。近未来の株式の大暴落より先に、こういう形の
現象が現れてきた。家内がイオン内にあるスポーツジムに通っているが、「とにかく、変!」と、価格の底抜けが
異常と、いう、主婦なら分かっていることだが。経済に疎い家内が、ことあるごとに、「会社を早々、たたんで
本当に良かった。中小や個人など、やっていけないのが私でも分かる!」と、いう。先日、久々に殿町で定例の
飲み会。何れの店の客の入りは良くない。十数年ぶりに入った居酒屋、客の入りの割りに、注文した料理が
出てこない。主がイライラしてのがカウンター内から直に伝わってくる。母親とパートのような二人の動きが変。 
二軒目のスナックで何気なく連れが、「以前いた奥さんが居ない」と話していると、隣の客が、「どうも別れた
ようで、二人は母親と姉さん。以前より度々、奥さんを叱責していたが、あまりに酷い怒りかただった」という。
不景気と嫁姑の関係で、居たたまれなくなったようだ。 客商売の苦労は、売り上げが良ければ、それだけで
解消するが、逆だと相打ち。駅前のチェーンに客は取られるし、この不景気、飲屋街の居酒屋など直撃している。 
何か切ない話だが、これが現実。
 ・・・・・・
3876、閑話小題
2011年11月05日(土)
  * 五ヶ月前の「次の首相」は誰か?の予測は
「文芸春秋−7月号」を図書館で借りてきたが、そこで68人の識者が次の首相を予測していた。その中で、
9、7,6票と、石破、安部、小沢の順であった。 野田を予測していたのが政治学者の伊藤敦夫だけ。
彼は野田を「安定感」と「バランス感覚」に優れていて、他の候補と比べて、「理」に走る‘民主党臭さ」
がなく、「論破」のタイプではなく、「説得」で物事を進めていくのが、他党との信頼関係を築く上で、
最適であるとしている。その頃でも、安部とか小沢一郎とかの名を上げている識者が多かったのに驚いてしまう。 
野田は、就任してニヶ月だが、今のところ安定した政治運営をしている。 これを読んでみて、識者の予測の
いい加減なことに驚いてしまう。現在の日本は大震災から僅かな時間しか経っておらず、まだまだ非常事態の最中。 
まだ実務的能力が優れているのか見極めがつかないが、兎に角、1〜2年で終わらない政権であって欲しいもの。
時代の変化は激しい!
  * 最近、ちなみに感じること
 一年ほど前に、林秀彦著の「9.11・考えない・日本人」の読書日記を書いていた。この春に大きな
人生の節目を経験し、その後も、色いろ考えさせられることが多くあった。そのプロセスの中で見えてくるのは、
この書のとおり、「大部分の人は全く考えないということ」である。 という私も、考えが足らなかったので、
この結末を迎えてしまった。偉そうなことは言えた立場ではない。 考えるとは、目的、目標に向かう時、
最短距離と、不足しているものを探すプロセス。他にも、目的が無くとも、楽しいと思えることを探すことも、
考えることになる。 林秀彦は、アメリカの戦後占領政策の一環として、日本人に考えさせない教育をしてきた。
その結果として、考えない日本人の現在があると指摘している。この10年近く、哲学書の入門レベルの本を読み
続けてきた。 考えるとは何か、考えるべきことは何か、を考え続けてきた。その積み重ねから分かり始めた
ことは、自分も含めた大多数の「考えない、考えられない日本人」の現状である。その大敵は、TVであり、
ネットであり、映画である。とすると、その考えない日本人の典型は自分ということになる。
それでも、何とか考える時間は持っているつもりだが、それを全て、文明の力?が破壊している。
考えないことを、日本人だけでなく、自分の中に見るべき、ということ。「下手な考え、休むに似たり」もあるが。
・・・・・・・・
3511, ユダヤ人の頭脳活性法 ー5
2010年11月05日(金)
  「ユダヤ人の頭脳活性法 」手島 佑郎 (著)
  * 感じたことをどう表現するか
10年近く毎日、テーマ日記を書いてきて得たことは、感じたことを、素直に表現できるようになったこと。
それは前日書いた文章を、早朝40〜60分かけて添削し続けてきたからである。たった、この短い文章にである。
そのため過去に自分が書いた同月同日の文章を読んで、時間をかけたエネルギーを文章の中に感じ取ることができる。
魂の一片である。言葉のデッサンの修正と、色づけをしていたことになる。知人が、あれだけ自分にはスラスラ
書けないと、諦め顔でいったが、私だって出来ないことを一番知っている。スラスラ書けるようになるには、文筆業で
しか生活が出来ない土壇場を経験してきたプロでしか出来ないはず。 天才は別だが。早朝、何度か書き換えて
アップロードする時に必ず「稚拙だが、これしか書けない!」という思いで吹っ切っている。さらに自分の文章の
蔵庫を開放しているに過ぎないと。満足に近いのは年に数回しかない。それも自画自賛で我を見失っている時である。
それ位、感じたことを適切に表現することは難しい。いや、その感じているそれさえ、疑問を持っている。
(この本のマトメというより、自己主張になっているか) この本に【短くても素直な言葉、素直な表現、素直な
組み立てで自分の心にある思いを表現する、それが考えるということ】とあるが、それが考えることの基本である。
素直な心−ことばは、おのずと独特の音、独自の韻を持っていると、著者は述べているが、その自然の抑揚と響きが
読者の心を打つのである。 過去10年近くの文章を毎日読み続けていると、ただ書き写した文章と、自分の脳を
通して消化してある文章の差を自分が一番敏感に知ることになる。素直に発したことばは、時空を超えて過去の
自分に邂逅できる。だから、素直になるしかない。それが毎朝となれば、添削の作業そのものが瞑想そのものになる。
それと過去の文章を無心で読むことも。だから続いている。  この文章は、著者に触発されて、私が感じたことを、
そのまま書いてしまった。ところで今度、実際のダ・ビィンチなどのデッサンの模写をしてみようか。 
名画の模写と、名文の模写は基本である。
  ー文字制限のため毎日、文章をカットしているが、これが自分の身を切るようで辛いー
 ・・・・・・・・・
3136,脳と日本人 −2
2009年11月05日(木)
 「脳と日本人  松岡正剛 茂木健一郎」 −読書日記
 * 日本という方法
松岡:ぼくは、日本をヨーロッパ思想の規範の価値観だけで見るのじゃなくて、日本が日本を「方法としての日本」
 にしようとしてきたことに関心があるんです。それを見ることが好きなのです。たとえばインドに生まれたブッダの
 仏教は、中国をへて日本に伝来しましたね。中国の浄土教が日本に入ってくると、法然や親鶯らによって、かなり
 独創的な日本浄土教というものになっています。空海の密教も、インドはむろん、中国にもあまりないものです。
 つまり、日本は、中国にあったものを変えて日本化させてしまっている。再編集するのですね。それは禅も
 そうだし、屏風や庭園もそうです。屏風は、中国ではほとんどが木です。日本は紙ですね。 日本という方法に
 なっていくんですね。 たとえば、屏風は、閉じてまた開くとか、季節になったら蔵から出してきて、終わったら
 また蔵に戻すとか。ぼくの家もそうしていました。掛け軸も、その場に合わせて掛け替える。ヨーロッパなどでは、
 いつ行っても同じ絵を飾っていますね。えんえん百年間も同じ絵を飾っているという家庭もありますからね。
 セザンヌの絵でもお爺さんの肖像画でも、三年ぶりに訪れたら掛け替えてあったということはほとんどないしね。 
 (字数の関係でカット13年11月05日)
 ・・・・・・・・・
2771, 女の一生
 2008年11月05日(水)
ある随想を読んでいたら、次のような内容があった。一人ひとりの人生を見つめると、
誰も彼もが波乱に富んでいる。短い文章の中に、一人の人生が垣間見れるようだ。
「言葉には魂が宿る」ということである。
  (字数の関係でカット09年11月05日)


4982,瞬間説得 ー3

2014年11月04日(火)

          「瞬間説得ーその気にさせる究極の方法」ケヴィン・ダットン著
  * 美人であることが、瞬間説得になる!
 「美人は本当に得か?」という研究を社会心理学者がしたところ、その答えは、「本当」である。
  今さらで驚くべきことでないが、女性にとっては大問題。 ーその辺りを要約するとー
・署名活動で、美人の方が普通の人より格段に多く集めるし、
・美人のボランティアが立っている慈善街頭募金は、圧倒的に金額が多いし、
・裁判でも、容姿の魅力が効果をあげ量刑が軽くなっているという。 
・アメリカの大学の実験で、男子大学生に事前に被験者の細かい情報に加え、美人と、
 そうでない人の写真を混ぜておくと、事前の10分間の電話打合せでは、魅力度で、対応に
 明らかな変化をもたらす結果だった。
・もっと露骨な調査があった。排卵期、月経期、その他のグループの3つに分けて、
 どのグループの女性が、持てたかというのもある。もちろん、子供ができる可能性が高い
 排卵期の女性で、フェロモンが出ていたため?
   ーこのジョークが、まさに瞬間説得である。
《 交通警察官が、スピード違反でバイクの男をつかまえた。「違反切符を切れないような、
 納得できる理由があればいってくれ」と警官。「それがさ。先週、女房がおたくの警官と
駆け落ちをしたんだ。それが、パトカーを見たとたん、彼女を帰しにきたかと思って逃げたんだよ」》
 身近なペットを見ても、それぞれの方法で飼主への瞬間説得を身につけている。
ペットのインコは、鳴き声と、止り木での回転と、視線で瞬間説得をしている。アイコンタクトも、
女性の流し目も同じ。「目は口ほどにモノを言い」である。 TVのスポットCMも、15〜20秒の
瞬間説得になる。特に、女性へのコンプレックスCM(化粧品、ヤセ薬、装飾品など)が巧妙で、
見ていて面白い。 香水は、瞬間説得の最たるもの。 それと褒め言葉も。
・・・・・・
4615, 閑話小題 ー愛すればそっくり
2013年11月04日(月)
   * 愛すればそっくり
 30年間、ウォーキングとポタリングを続けてきた中、犬の散歩と行きあってきたが、
何故か犬と飼い主の姿と顔が似ている。TV番組で、そのレポートをしていたが、学者まで
出て分析をしていた。犬と飼い主の写真を左右において、ペア当てをしたところ、7割が一致。
そこで、目だけを両者切り取ってペア当てをさせたところ、やはり7割が一致。同じ環境で、
似たようなものを食べていれば似てくるのか? しかし飼った年月が長いほど似てくるか?
といえば、そうでない。そこで「自分に似た犬を無意識に選定する」という説がクローズアップ。
同じ環境と、互の性格が同化する説が尤もらしい。 似た者夫婦というが、同じ? 
犬は上下が明確だが、夫婦は対等?で、愛憎相まり!正反対の顔になっていくケースが多い? 
   * シネマ『スティーブ・ジョブズ』
 先日、シネマで『スティーブ・ジョブズ』をみてきた。  ーシネマのブログにはー        
【 常に既成の枠組みを打ち破り、理想を求め続けたスティーブ・ジョブズ。
人と違う考え方を貫き、周りの人全てを敵に回した<反逆児>が、どうやって、世界中の
人に愛されるデバイスを創ったのか。 シリコンバレーの寵児と呼ばれながらも繰り返される
成功と挫折の狭間で、彼は何を考え、何を想ったのか―。1970年代、友人たちと共に自宅
ガレージからスタートしたアップル・コンピューター。 その類稀なる創造力により、文字通り
 “世界を変えた”天才の半生を描いた大注目作。】
▼ ジョブスに関するドキュメントは、幾つかTVで取り扱われており、シネマは、それらを
 忠実に物語化。その中で、ジョブスが、マイクロソフトのビル・ゲイツ氏に電話越しに
怒鳴りつける場面が圧巻。ジョブスは「絵文字をモニター画面上に表したりマッピングの概念」
をゼロックスから盗み、そのアップルからゲイツが盗作したのである。
《 画面をスクロールするために「ボタン」をかたどった部品の絵を使ったりして、PCを直感的に、
しかも簡単に操作できるようにしたウィンドウズは、これらの経緯で出来ている 》ということ。
 映画では、ガレージでアップルを興した20代初めから、晩年までの約30年間のジョブズ氏の
人生のストーリ。まず学生時代に、友人たちと自宅のガレージでアップルを設立するところから
スタート。4年で株式を上場させ富と名声を手にするも、目に余る傍若無人ぶりで「君自身が
アップルの敵だ」と役員の全員一致で解任されてしまったジョブズ氏が、それでも夢を諦めず
ピンチに陥ったアップルに立ち戻って「アップルをもう一度クールに」と大胆かつ斬新なビジョンを
実現していく。そのキッカケが、iPodである。そしてiPhone・iPadにつながっていく。
ウィンドウズも元といえば、ジョブス。ジョブス、ゲイツは、明らかに歴史を変えた人物として残る。
                                             〜評価85点
・・・・・・
4240, 雑談ネタ、酒の肴ネタ ー13
2012年11月04日(日)
     * 駅伝のルーツとは       ー「ルーツ大全」インフォペディア編 より
 今日、大学選抜の駅伝が行われるが、駅伝のルーツが、この本にあった。
飛脚がルーツという感があったが、なるほど、色いろな経緯があった。
箱根駅伝もTV中継をするようになってから爆発的にファンが増えた。 
 −まずは、その辺りを抜粋する。
≪選手がリレーして走る、いわばロード・リレー・レースである駅伝は、日本発祥のスポーツである。
 最初に駅伝が行なわれたのは、1917(大正六)年のことだ。この年は、京都から東京へ首都が
移ってからちょうど50年目にあたった。当時の有名企業は、こぞって50周年の記念行事を計画し、
駅伝はそうした企画のなかの一つとして、考案されたものだった。駅伝を発案したのは、当時は
まだ朝日新聞や毎日新聞の後塵を拝していた読売新聞の青年社員。彼は、京都の三条大橋から
東京の上野を結んで、昔の飛脚のように東海道五十三次をマラソンリレーする斬新なアイデアを
考え出した。「駅伝」という名前はこの時考え出された。鉄道の駅に立ち寄るわけでもないのに、
なぜ駅伝という名前がつけられたのだろうか。これは、古代の「駅伝制度」にちなんでいる。
古くは飛鳥時代から、日本の主な街道には、急ぎの使老が乗り継ぐための馬を配した「駅馬」
「伝馬」が置かれていた。選手たちが次々に走り継いでいく様子をこれになぞらえ「駅伝」と
名づけたのだ。この日本初の駅伝は、関東組、関西組のニチームで争われ、選手たちは三日間
昼夜を徹して東海道を走り抜いた。沿道は世紀の大勝負に大観衆が熱狂して声援を送り、
最後は関東組の勝利に終わった。この駅伝大会が成功したため、三年後は東京と箱根を往復
する駅伝大会が始めている。これが現在の箱根駅伝。最近では海外でも駅伝が行なわれている。
日本が生んだ競技が、世界に広がりつつある。≫
▼ 駅伝は順調でもチームの一人が倒れれば、それで終わりとう危険がある。
だから、見ている分には面白い。倒れた人は、それで一生の傷を負う。
甲子園の野球に、似たところがあって、そのドラマは残酷でさえある。
 ・・・・・・・
3875, ギリシャ危機の実態とは? −2
2011年11月04日(金)
  * 呆れたギリシャと、日本
 ギリシャが支援を受けるには借金を減らすため政府予算をきりつめなければならず、
国民の反発が強い。否決されれば、欧州の解決策が白紙に戻る。そのジレンマの中で、
何と国民投票をギリシャ首相が表明したとニュースにあった。いずれ破綻をするのなら、
一度破綻させ、ギリシャをEUから外せばよい。一つ間違えると、世界は恐慌。いや、既に
瀬戸際に立っている。本来は10月に起こって不思議でない恐慌が、少し延びているだけ。
まず、その記事の一部をコピーから・・・
【 欧州の政府債務(借金)問題への懸念が再燃し、株安やユーロ安を引き起こした。
ギリシャがユーロ圏各国による支援策を受け入れるかどうかを国民投票で決めると発表し、
否決されれば欧州問題が解決できなくなるとの不安が強まった。独仏首脳はギリシャ側と
2日に緊急会談を開き、対応を協議する。 1日の欧州株式市場では、ドイツの株価指数が
一時6%、フランスの株価指数が一時5%を超える大幅な下落になった。とりわけギリシャ
国債を多く持つ仏金融大手のソシエテ・ジェネラルやBNPパリバなどの株価が大きく落ち込み、
金融機関の経営への懸念が強まっている。その後のニューヨーク株式市場も急落した。
大企業で構成するダウ工業株平均は一時、前日終値より約320ドル下落した。 
欧州通貨「ユーロ」も売り込まれている。1日午前の東京外国為替市場では一時1ユーロ=
109円台をつけたが、その後は 円高ユーロ安が進み、欧米市場では106円台になった。】
▼ 世界の金融関係者は固唾を飲んで見ているが、日本は、他山の石でないから大変である。
問題はギリシャだけでなく、他のPIIGSが控えていること。その上にアメリカも、日本も、そして
中国も大きな地雷を抱えている。各国の指導者の誰も、その解決方法が分からず、成り行きに
従うしかないのが現状。 ギリシャの公務員数が、何と人口の10パーセント。
日本の公務員数はというと400万人。国家公務員100万人、地方公務員300万人。
多いといっても3パーセントでしかない。話は飛ぶが、日本の公務員は、退職金とか公務員
年金を給料に換算すると年に一千万近くになるという。で、それを掛けると、何と40兆円になる。
国家予算と、地方の予算は別としても、国家予算より多いことになる。
で、国の予算が実収入の三倍。 当然、待っているのは、国家破綻である。そして、韓国が
IMFの管理下で血の滲むような、合理化をせざるを得なかった道が目の前に待っている。 
同調バイアスと、正常性バイアス、そして他愛主義者が政権をとっていることもあり、国民は
大津波の前の土手で、車に寄りかかってプカプカとタバコを吸っている姿に類推できるのが、
現時点。海岸線の危ない人の話だけでない。
  ・・・・・・・
 3510, ユダヤ人の頭脳活性法 ー4
2010年11月04日(木)
「ユダヤ人の頭脳活性法 」手島 佑郎 (著)
   * 全身学習法
 子供が六歳でへゲルとよばれる寺小屋に通い始めると、まず文字を指で押さえながら
朗読することを教える。つまり、目で文字を追い、指で押さえ、口で朗読し、耳で聞くわけである。
人にとっていちばん記憶しやすいのが、自分の声。次は胎内入る時から聞いている母親の声。
母親の語る童話や寝物語は、人間の知性の発育に大きく影響。ユダヤ人は、これに加えて、
身体を前後に揺らしながら読みます。つまり全身を使って読むわけである。 我われは本を持って
部屋をウロウロしながら小さな声を出して読むのが一番効果があることになる。
座って前後に身体を揺らせながら読んでもよいが。こういう時、速読は駄目で、ゆっくりと一行
ずつ幾度も音読を繰り返し、文章の余韻を味わってみることである。 それと、考えと思いを
書き出すことも重要。自分が心の中で思っていることと、自分が理知的に考えている間には、
大きな段差がある。自分自身に対して中途半端に妥協せず、自分が納得するまで、とことん
吟味し選び抜き、自分が納得できる表現の文章に組み立ててみることである。
 解)そういえば、鳩山兄弟の勉強法に「部屋の黒板に書きながら理解をしていく」と
あったが、これも身体全体を使っている。 
  *「模写する力」を身につける
ー「書き写す」、「真似る」そこから自然とオリジナリティーも育ってくる
書くということは、自分の考えを綴るだけでなく、他人の名文を書き写すことからも学ぶ点が多い。
名文というものは、日本語の韻律に優れているだけでなく、仮名と漢字の使い分けや、
そのつなぎの妙、そして仮名と漢字の織り成す音韻の点でも優れている。受験生などに有効な、
もう一つの方法は「筆写」。試験問題も、設問も、全部二・三度書き写してみる。 そうすると
出題者の意図が試験問題全体から伝わってくる。もう一つ、「写生」である。写生は見えている
ものを描こうとすることです。紙の空白の何処のスペースの置くか、何を訴えて描こうとするか
ー奥行きが深いもの。それが上手く出来るかどうかは、全体の構図の取り方にかかる。
 「デッサン」も、誰もが実践可能な頭脳活性法である。デッサンはフランス語で「下絵」のこと。
 鉛筆や木炭、単色の画材だけを使って対象物を書く素描のこと。対象物をその輪郭、白黒の
濃淡、陰影、線の太さ、細さなど、単純な要素で表現するもの。それだけ、描き手の目の鋭さと
腕の確かさが一目瞭然になる。自分でデッサンできないなら、模倣と模写から始めることだ。
欧米の美術館に行くと、巨匠の画家の作品の前で終日、模写をしている若い人を見かける。
〜〜
真似る、書く、書き写すことが、基本のようだ。それも繰り返し、続けること。
 ・・・・・・・・
3135, 「法則」のトリセツ  ー3
2009年11月04日(水)
* ドアインザフェース ー取引の駆け引きの一手法   
  ‘ホテルカツ上げ’のケース
アメリカの心理学者チャルディーニが行った実験がある。最初の依頼「これから2年間、
毎週2時間ずつ青年カウンセリングプログラムに参加してもらいたい」
第2の依頼「ボランティアとして、1日だけ、子供を動物園に連れて行ってもらいたい。」
 最初の要請はほとんどの学生が断った。 断った学生に第2の依頼をすると、約50%の
学生が引き受けてくれた。ところが最初のステップを踏まず、いきなり第2の要請をすると、
17%の学生しか承諾してくれなかったのである。この方法は、外交交渉でよく使われる。
 以前の経済交渉で、アメリカが常套手段にした方法がこれである。
最初に、とんでもない要求を突きつける。相手が断ると要求を下げてくる。下げてきた
要求の方がアメリカの狙いだったりする。このテクニックは、最初の依頼を断った時の
相手の罪悪感を利用している。 一般的な例としては
「財布を忘れてきたので、一万貸してくれないか」「悪いけど人に小銭でも貸したことがないので
汽車賃なら」「じゃー昼飯代で二千円でも」で、相手が優位な状態で仕方なく金を貸しざるを
得なかったことがある。 女性にルーズで、当時倒産をして生活が苦しいとは聞いていたが。 
また最近、ホテルであったケースとして、《部屋においていた高価な時計が無くなったと騒ぎ出し、
警察を呼んで調べてもらった翌々日から電話での恐喝が始った。明らかにカツ上げが目的。
百万以上の時計だが、御前のところの誰かが盗んだはずだ。どう弁償してくれる、何とかしろ。》
 警察に電話をしても「民事のこと、話し合いで何とかしてください」という。 何度か電話が来たが、
最後は露骨な脅し。そこで録音をして警察にとどけることにした。 百万といっておいて
数万〜10万で手をうつ手法は見えみえ。といって、恐喝ハンターとしては警察沙汰にした方が
後々のため。 で、電話を録音をして警察に届け出て一件落着。二十年前の時は、
「電話の取次ぎが途中で切れてしまった。 数百万の取引が駄目になった。
保障をしろ」という。これも体の良い恐喝である。 二人連れだったが、対応した副支配人に
包丁を突きつけての脅し、その包丁が彼等の車内で発見されて逮捕された事件があった。
次回は、小さなウソを重ねた詐欺的行為?のケース・・
〜〜
2770, 半歩遅れの読書術 −3
2008年11月04日(火)
 茶道を通して二人の男の深い魂の結びつきが伝わってくる。馴れあわない親愛、孤独に
耐えうる人間の友情が、何とも良い。さっそく、『平心庵日記』をアマゾン《中古本》で注文をしたが、
面白そうだ。 ーあるHPの感想文からー
  * 逃避から得た恩寵
 昨年(2000年)の晩秋に読んだ本だが、近藤道生氏の
『平心庵日記-失われた日本人の心と衿持』(角川書店)も、私にとってその種の本の一つ。
著者は戦後復興期の大蔵官僚であり、転身して博報堂の代表となった経済人だが、同時に
現代の茶道を支える大茶人として知られている。その著者が、外科医で茶人だった厳父、
平心庵・近藤外巻の日記を読み返し、しだいに大戦の影の迫る、大正末から昭和初期の
茶人の生活を描いたのが、この本である。平心庵は文字通り「仁術」に生きる開業医だったが、
そのために営利的な同業者のあいだでとかく孤立しがちであった。だがその彼が茶友としたのが
三井財閥の総帥であり、近代茶道の復活者一人、鈍翁・益田孝だったから、話はにわかに
華麗な背景に飾られる。 益田は財界の雄であり、山県有朋と結んで政界をも左右した
人物だが、それ以上に江戸後期に形骸化し、利休の精神に回帰させた大正茶道の指導者
として有名であった。 感動的なのは、この二人がたま小田原に住んで、ただそれだけの縁で
無私の友情。育んでゆく過程である。当時・反軍的な益田はようやく政界での力を失い、
国の将来を憂いながら隠棲に似た生活を送っていた。二人はともに孤独を覚えがちな境遇の
なかで、いささかも馴れず甘えあわず、茶の湯の規則貫かれた君子の交わりを結ぶ。
二人のあいだに慎み深い距離があって、しかも同じ不幸な時代に耐える暖かい共感が
養われていた。そしてとくに私の注目を惹いたのは、この同じ規律が近藤家の家庭の内部にも
及び、息子は父にいつも敬語で語りかけていたという挿話であった。 
この二年、私は「社交する人間」という長編評論に取り組んできた。そのなかで私が社交に
求めていたのは、一貫してこの馴れあわない親愛、孤立に耐えうる人間の友情だったのだが、
この本はそれに具体的な挿絵を与えて、書きつづける私を勇気づけてくれたのであった。
▼ 以上だが、両親が茶人だったこともあり子供の頃から茶道の世界を垣間見、その奥行きの
深さを感じ取ってきた。私が残された時間ですべきことは茶道の世界なのかもしれない。 
 金沢時代に一年間、寮の近くの個人が教えている家に通ったことがあったが・・・
・・・・・・・・・・
2007年11月04日(日)
2406, カラスの話 −2    ○( ̄ ̄ ̄ ̄o ̄ ̄ ̄ ̄)○ おっは〜♪
「カラスの話」でもテーマにしようかと思いたった。ところが、そういえば一年ほど前に
書いたような気がしたので調べたら(Hp内の検索)やはりあった! 一年近くに書いてあった。
 先月の10月23日のこと、中越地震三周年の花火が通勤の帰路に(亡くなった人の数?)
打ち上げられて、その音と地響きが聞こえてきた。その時、彼方此方からカラスの鳴き声が
聞こえてきたが、「恐怖の叫びと、互いに安全の確認」と推測できた。「カラス語」で検索して
みたが、仏の鳥類学者デュポンのカラス研究があった。彼の長年の研究の結果、
カラス語が幾つか解るようになった。
・カラス語は25の語数からなっていて、ほぼ全ての意思を伝えることでき、
・「クラ、クララ、クラオ、クラオ、クロア、クロネ・・・」とある。
 フランス人は日本のように「カ〜カ〜」の音ではなく、「ク〜ク」の「ク」の音階で聞こえるという。
 (字数制限のためカット2014年11月4日)  


4981,瞬間説得 ー2

2014年11月03日(月)

          「瞬間説得ーその気にさせる究極の方法」ケヴィン・ダットン著
  ー前回の瞬間説得の問いの答えの内容はー
★ < 電車は五分ほど途中停車しました。車内は満員で、しかもさらに五分間停車するという
アナウンス。 すると、ジョギングウェアを着た男がいきなりタバコを取りだして火をつけました。
車内は不愉快そうな沈黙に包まれましたが、誰もが黙っています。あなたなら、トラブルもなく
一発でやめさせるには? >
 ー>人々の顔がそれを雄弁に物語っていたが、誰もが、こうした場合ありがちなように黙っていた。
 そのとき突然ピンストライプのスーツの男が禁を破りました。「失礼」とタバコを持って男に身を
寄せ、「ちょっと火を貸していただけませんか」 これがきっかけになりました。 堪忍袋の緒が
切れたのです。すぐに別の乗客が止めに入りました。「あんた方、禁煙だってこと知ってるだろう?」
と彼は言いました。スーツの男は禁煙の表示に、突然"気づき"ました。
「悪かった。気づかなかったんだ」それから彼はジョギングウェアの男をふり返りました。
「これは消した方がよいみたいだね」 ・・禁止区域で平然とタバコに火をつけるような人物は、
おとなしくしていないのが普通で、必ず抵抗します。 これに対処した乗客はどうしたでしょう? 
真正面から対決するのではなく、まったく反対の方向へ行きました。》
 ▽ 逆に二人になって、ますます黙りざるを得なくなる可能性もある? 
★《 =赤ちゃんには逆らえない=ヒューストンのある女性から聞いたばかりの話。
昨夜友達が自宅のポーチで赤ん坊の泣き声がするので、気味が悪くなら警察に通報したそうだ。
警察が彼女に言った。「とにかくドアを開けないでください」するとその女性は心配し訴えた。
もしも赤ん坊が窓のぞぱを這っていて、道に出だりしたら車に轢かれてしまうかもしれないと。
 警察は言った。「すでに警官のチームがそちらに向かっています。何があろうとドアを開けないで
ください」警察は連続殺人鬼が録音した赤ん坊の泣き声を流し、誰かが赤ん坊を捨てていった
のだと思わせて、女性たちを外にもびきだそうとしているのだと言った。絶対とは言いきれないが、
夜中に女性が一人でいる家の外で赤ん坊の泣き声がしたという通報を数件受けているのだと……。
人間の赤ん坊の無力な泣き声は、か弱くもないし、無能でも、原始的なものでもない。
それは自然界でもっとも深遠かつ強力なものだ。父親と母親はそれを聞いて初めて、親としての
自覚が生まれる。「幼児の」泣き声は、宇宙に放たれるのではなく、人間の愛と慈悲の深みへ
降りていく。それを強盗が利用しようというのだ。》
 ▽ 子供の泣き声こそ、瞬間説得になるが、実際にあったことだから、説得力があるし、
この程度の細工はするのだろう。 初めての創業で、小さなテナント商業ビルの一角に、
養老乃滝をオープンした。ところが、居酒屋などの経験が無かったため、2〜3ヶ月に一度は、
酔っ払いの絡みに対応できなかった。そこで考えたのが、相方や、手伝いのパートさんと事前に
打合せておいて、彼らを怒鳴りつけることで、酔払いの気勢を削ぐ方法を思い至り、何度か
きりぬけた事があった。 ・・で、女性が頻繁に使うのは、涙。瞬間説得の最たるもの。
 もう一つ、謝罪会見の後の、10〜20秒間の最敬礼! 彼らは、下を向きながら 1,2,3と
数えているらしい!
・・・・・・
4614, 2000年前のポンペイー6
2013年11月03日(日)
 イタリアのポンペイの遺跡には三度行っているが、行くほどに、その魅力に惹かれる。
また何度か、ここでも書いてきた。TVでは、『NHKBS歴史館』などで、多くの特集を組んでいる。
また、図書館には写真集がある。AC79年に、ナポリ湾を見下ろすベスビオ火山 が大噴火すると、
南東10キロに位置したポンペイの町は火山灰に埋もれたが、1748年から発掘調査が行われ、
それが現在も続いている。ローマ人が創り上げた古代都市が徐々に姿を現しているが、今でも
半分も、発掘されてない。 舗装された道路、神殿、住宅、商店街などが20Mの火山灰に、
2千年の間、保存されている。人骨などは、その熱で溶けてしまい、それを覆って出来た空洞に
石膏を流し込んだものが発見された現場近くに展示されている。
 ところが最近、ある地下室で、54人が噴火後、生埋めになって折り重なった生々しい遺骨が
発見された。そこで、彼らのDNAや、装飾品・衣服などから新たに多くの事実が分かってきた。 
そこは大きな商家で、その主人と思われる人の身の周りから金銀が。エメラルドを身につけた
男女の遺骨には、人骨が青く同化。小銭を多く持っている人は近くで商いをしていた人。
妊婦は胎児の骨がお腹の辺りあったことから推察される。噴火から火山灰がポンペイまで
到達するに19時間かかったというから、留まった人は、大金持で金銀の財産を失うのを恐れ、
妊婦は身重で、商人は店に未練があったため、等々が推察される。ポンペイには下水道が完備、
都市計画があって、商店街、大広場、神殿などあり、現代の都市にひけをとってない。
古代ローマの都市は、中世のルネサンスまで、それを凌駕した時代は一度も無かった。
その古代都市を、大噴火の20Mの火山灰が石膏代りに、都市全体を保存し、私たちの目の前に
再現し見せてくれるのだから、奇跡である。石の文化は、後々まで残るからよい。
彼らは午前中だけ働き、あとは浴場や、劇場などで、生活を楽しんでいた。
瀬戸内海周辺は、農作物などが豊富で、物流が盛ん。それが万遍無く市民に
行き届いていたようだ。 世界は広く、深い!
・・・・・・
2004/11/29
1336, 2000年前のポンペイー5
一昨日のNHKスペシャルで「ポンペイ」を特集していた。
落書きを切り口に番組みを構成していたのが、新鮮であった。
たまたまポンペイについて書いていたので、その偶然の一致が奇妙な気分である。
2000年前の生々しい人間の心が、落書きの中に出ていた。話は少し逸れるが、エジプトの
ルクソール神殿の遺跡の壁にあったレリーフに,兵隊の絵があった。同じ絵が多く描かれていたが、
現地の日本人女ガイドの説明が面白い。その兵隊うちの一人だけが、ところどころ逆向きに
向いているのだ。当時の多くの職人の一人が、命をかけて?わざっと逆向きに彫ったという。
いつの時代でも、そのような遊びがあった。それよりも、数千年の時空を超えた男の生身の
人間的なジョークを伝えているのがよい。
  ーその番組みで紹介していためポンペイのメモには
・〔私と貴方が一緒に踊ったことを憶えていて、訪ねてきてくれてラブレターを置いていってくれた〕
 返事が壁に書かれていた。
・隣近所のお知らせー人々は回覧板かわりに壁を使ってコミュニケーションをしていた。
・現在の通りの商店看板と殆ど同じものが、当時のポンペイの街にもあった。
・ポンペイの街には400軒の店があった。 24時間営業の居酒屋があった。
 その居酒屋の奥の部屋でゲームと会話をしている絵が残されていた。
・食料品店の壁には、掛け売りのメモが書きこまれていた。 家計簿的なメモもあった。
・果物屋には桃が売られていたメモがあった。  等々である。
メモから、当時の変化がうかがい知ることが出来る。当時のローマ帝国の政策の大きなもの
として、パンと、サーカス(街には必ず円形劇場がつくられていた)を庶民に与えることであった。
AD・54に17歳で皇帝になったネロが、その政策を更にエスカレートさせていった。
そのためか、贅沢の限りをつくす考えが一般にまで浸透を始めていた。
その頃のメモに〔今を楽しめ〕というのがあった。
それがエスカレートしたのかタブーのメモもあった。
・下品の言葉を慎むように
・他人の妻には手を出さないこと
・食事をしていて、着物を汚さないように
 宴会場の壁には、酔っ払いの落書きに
〔とことん飲むぞ!〕というものもあった。
富める者と貧しいものとの格差が鮮明になり始めてきていた。
そして、貧しい者の荒んだ心がそのまま落書きになっていた。〔あの男に災いあれ!」
当時の円形闘技場の落書きの中に「闘技場の外で多くの人同士が剣をもって争う姿」があった。
試合を見ていた同士が喧嘩になって殺しあう事件が起こったのだ。普段の生活が、火山で時が
そのまま密封され生々しい世界が奇跡的に今に多くを語りかけている。
  −この私のポンペイのシリーズはまだまだ続くー
・・・・・・
2004/11/26
1333, 2000年前のポンペイ −4
遺跡の中でポンペイの遺跡は、奇跡に近い状態で当時の世界をそのまま閉じ込めて現在に
提示してくれている。このグラビアの本を開いているだけで、気持ちが2000年の時空を飛び
越えてローマの時代にはまりこんでしまう。この小プリニウスの手紙には、大きな衝撃を受ける。
この青年の知性にも、驚きざるをえない。それと、大プリニウスの行動にも当時の知的レベルの
高さを知ることができる。この内容が、2000年前の事実がそのままドキュメント風に
記載されているから迫力があるのだ。人間の変わらない感動、恐怖、そして生活が
そのまま伝わってくる。街全体が、当時のまま残っているから、更にこの手紙の内容が生々しい。
18世紀の初頭まで人々の記憶から忘れ去られたことが、当時のままの姿を残すことにもなった。
35年前の日記を昨日のように感じるのは何ら不思議ではない。全て昨日のようなものである。
数ヶ月前のTVドキュメントは、この手紙を忠実に映像化をしていた。
そして、爆発が起きてからポンペイが埋まるまでの19時間も、当時の遺体の様子から
想像をしたドキュメントが生々しく時系列で構成されていた。。
ー6月20日の手紙
私は先に、あなたの求めに応じて、伯父の死についての手紙を書き送りました。
手紙を読で、ミセヌムに残されたこの私がいったいどんな恐怖を味わい、そしてどんな危険に
あったかぜひ知りたいと貴兄はおっしゃいます。実は、先の手紙ではそれを書こうとしていて、
筆を置いてしまったのです。「思い出すのもつらく、悲しみは深いけれど、とにかくやってみましょう」
 伯父が出発した後、私はずっと勉強をして過ごしました。そのために残ったのですから当然です。
それから入浴と食事をし、そして短く途切れがちな睡眠をとりました。
それまでも、前ぶれのような地震が幾日も続いていましたが、カンパニア地方では珍しい
ことではなかったので、さほど恐ろしくはありませでした。しかし、その晩起こった地震はあまりに
激しく、もはや揺れているという程度ではなく、すべてがひっくり返ってしまったかのようでした。  
母が急いで私の部屋にやってきました。私の方ももう起き上がっていて、母がまだ眠っていたら
起こそうと考えていたところでした。
私たちは中庭に避難し、腰を下ろしました。そこは海と建物を隔てる格好の空間でした。
当時17歳だった私は、落ち着いていたというか、無分別だったというか、ティトゥス=リウィウス
(訳注:古代ローマの歴史家、『ローマ建国論の著者)の本を持って来させ、いかにも暇を持て
余しているかのようにその本を読み、やりかけのレジュメを続けていました。そこへ伯父の友人が
やって来ました。伯父に会いにスペインから戻ったばかりだというその友人は、私が母と一緒に
座って本を読んでいるのを見て、私の無気力と不注意を責めました。それでもなお私は、熱心に
読書を続けようとしていたのです。 もう昼の第1時だというのに、光はなおもぼんやりとして、
まるで病人のように弱々しいままでした。すでに建物には亀裂が入っていました。
私たちは屋外にいたのですが、建物が崩れ落ちたときのことを考えると、その狭い場所では
安全とは言えませんでした。ついに私たちは町を出る決心をしました。私たちの後には茫然と
なった群衆が続きました。人は突然激しい恐怖に襲われると、自分の決断より他人の決断に
従う方が賢明だと考えるらしいのです。   (字数の関係でカット 2013年11月3日)
・・・・・・
2004/11/13
1320, 2000年前のポンペイ −3
  小プリニウスの「手紙」−1
ポンペイについて書いた直後に地元の新潟中越地区に大地震がおきた。偶然の一致だろう。
ポンペイの遺跡から当時の情報が多く知ることができた。歴史から忘れられたポンペイの遺跡が
発見され、発掘が始ったのが18世紀の半ばであった。そして現在に至るまで250年にわたって
発掘が続いている。まだ発掘してないところが多くあるという。
歴史家のタキツゥスが、書の中で当時のある若い青年の手紙を残していた。当時まだ17歳だった
青年の2通の手紙が当時の模様をこと細かく整然と後世に伝えていた。その文章を読んでいると、
その一言一言が身に沁みる。その青年とは、当時、地中海艦隊の司令官としてナポリ湾岸の町
ミセヌムに駐在していた大プリニウスの甥、小プリニウス(61年頃〜112年頃)である。
歴史家タキトゥスの求めに応えて書いたこの手紙は、ローマ帝国内の美しい都市に起きた
大惨事の貴重な目撃談となっている。 この手紙を読んでいて、彼の驚きと当時の若い
彼の興奮がそのまま、2000年の時空を超えて伝わってくる。
「言葉を持つことは魂を持つこと」という言葉の重みを実感する。
発掘された遺跡の姿そのものが、そのまま人間の変わらない生活と真実を伝えている。
ーー
小プリニウスの「手紙
ー6月16日の手紙
 伯父の死をできるだけ正確に後世に伝えるため、あなたに手紙を書くようにとのご依頼を受け
私はとても嬉しく感じました。というのは、伯父の死があなたによって書き留められることで、
彼に不滅の栄光が与えられると考えたからです。恐ろしい災厄によって死んだために、
伯父の死は、他の被害にあった住民や美しい町とともに永遠に記憶されるでしょう。
また、伯父自身、後世に残るであろう多くの作品を書いています。しかし、それに加えてあなたの
著書に書き留められるとすれば伯父の歴史上の記憶は、より確かな、永遠のものになるはずです。
私は思うのですが、歴史に残るようなことを行うか、あるい、は価直のある文章を書く能力を神から
与えられた人は恵まれた人であり、しかもこの能力を2つとも与えられた人は、最も幸せな人です。
私の伯父は、彼自身の著書とあなたの御著書とによって、そのような恵まれた人物の一人と
なるでしょう。というわけで、私はあなたの御依頼をお引き受けいたします。いや、こちらから
進んで手紙を書かせて頂きます。
 伯父はミセヌムにいて、船団の指揮をとっていました。異様な形の巨大な雲が現れたことを
母が伯父に知らせたのは、9月の第1日より9日前(8月24日)の第7時(午後1時)頃のことでした。
伯父は日光浴と冷水浴をしてから軽い食事をとった後で、ちょうど仕事の最中でした。
伯父は靴を持って来させると、その超自然現象を一番よく観察できる場所にのぼりました。
 (字数の関係でカット 2013年11月3日)
・・・・・・
2004/10/22
1298, 2000年前のポンペイ −2
図書館で何気なく歴史コーナーを見ていたら、「『ポンペイ』完全復活、2000年前の古代都市」
というグラビア集があった。一ケ月位前にTVで『ポンペイ』を特集していたのをDVDに録って、
その面白さに繰り返し見た後なので、思わす時間を忘れて、その場で見入ってしまった。
借りてきて見ているがTVよりさらに深い内容である。本は、映像では表現できない違う役割がある。
 AC/79年8月24日、ヴェスヴィオス山の大爆発で火山灰で埋没したこの街は、その18世紀半ば
からの発掘によって、古代ローマを知る上で大発見になった。それまで、古代ローマの遺跡と
いえば、ローマ市郊外の遺跡であったり、地中海沿岸の都市であった。
ローマ帝国は、このような街が数千もあって、それによって支えられていた。
しかし、それらはその後の追加工事などで、当時の原型を殆ど留めていないものばかり。
これだけ、完璧に残って発見されたのは歴史上初めてである。街そのものを、石膏(火砕流)
を流し込んで、そのまま保存したようなものである。
ーそのグラビア内容とは
・街全体の航空写真と、それを元につくられた街の復元の絵
・それで解ったポンペイの都市計画図 そして街の構成と築造技術
・給水システムと下水システム
・共同墓地と体育場と円形闘技場、そしてスタビア浴場
・娼婦の館の写真と、そのレイアウト。 そして、そこに描かれていた男女交合の絵
・完全に残っているパン屋と、内部の工場と、パン原型 そして、それをもとに作られた
 パン屋の想像図
・複合劇場施設の航空写真と、その図面と、想像図
・音楽堂と、そこに描かれていた壁画と、残されていたタンバリンと、ブロンズ製のパンパイプ
・街の心臓部になっていた、市民広場 そこでは、街の住人や、郊外の豊かな農民、商人、
遊び人など様々な人たちが集っていた。そこでは選挙もおこなわれていた。
・公衆トイレもあり、入ると控えの間があり、外からは見えないようになっていた。
そこを入ると便座があり、 排水溝があって常に水が勢いよく流れていた。
こう見ると、現代の都市と大して変わりがないといってもよい。      ーつづく
・・・・・
2004/09/27
1273, 2000年前のポンペイ ー1
先日、TVで「ポンペイ」を特集をしていた。十数年前にイタリアに旅行した時に立ち寄った、
ポンペイの街の記憶とTVの内容が重なって、非常に興味を持ってみることができた。
ーまずはポンペイの概略を書いてみるナポリの南東にあるヴェスヴィオス山のふもとの町。
古代ローマ時代には貴族たちの別荘地として発展し、パクス・ロマーナ期の繁栄ぶりはめざましい
ものがあった。当時の人口は2万。公共施設が次々と建てられ、建物の構えはローマにひけを
とらないほどだった。悲劇は、AC79年8月24日にやってきた。ヴェスヴィオス山が突然、
大爆発を起こしたのである。大地は鳴動して山頂は吹っ飛び、火口がぽっかり口をあけた。
きのこ雲は天に達し、くもった空の下に、三日三晩、火山灰と火山弾が降り注ぎ、泥流は
火口をあふれ出し、町を襲った。ポンペイの町にも大量の石や灰が積もり、噴火の翌日までに
その灰の深さは5〜7mにも達した。屋根の損壊や有毒ガスによる窒息による犠牲者の数は
人口の1割にあたる2000人と考えられている。そこには火砕流でタイムカプセルのように、
当時の生活が残されていた。遺体を覆った火砕流の岩石の空洞に、石膏を入れて型どった
生々しい遺体の像が幾つかあった。お金を握った者や、妊婦や、奴隷、子供、犬など様々だ。
街を歩いていて驚いたのは、タイムカプセルでドロップアウトしたようになるほど、リアルに
当時の生活が残っていたことだ。残っていた住宅の壁画などから見て、「性」に対して非常に
大らかであったようだ。女中部屋には、自?用の男性の??が壁につき出ていた。
幅10mの道路の両側には、焼きたてのパン屋、居酒屋、売春宿などが通りに並んでいる。
売春の値段まで残っていた。今でいうと、コーヒー一杯分位だった。道路には轍の後がくっきりと
あるし、十字路には歩道がある。下水道や、公衆水飲み場もあり、街の中央には広い集会場
もあった。今回のTVの特集で、全く知らないかった事実が多くあった。
街の殆どの人が、一瞬で亡くなったと思っていたが、発見された遺体は1000でしかなかった。
15000〜20000人の人口と推測されるから、遺体の半分は発見されなかったとみても、
9割の人が逃げ延びたのだ。


4980,瞬間説得 ー1

2014年11月02日(日)

          「瞬間説得ーその気にさせる究極の方法」ケヴィン・ダットン著
 面白い本である。その大部分が、一瞬の説得で、その気にさせた事例だが、面白いものばかり。
ヤクザの恐喝も、これである。何かに因縁をつけ、恐怖のどん底に落としいれ、金を巻き上げる。
書籍の帯も、店頭の客への瞬間説得のため。情報化社会こそ、これが必要ということ。
  ー背表紙裏のないよう説明からー
【 そんなつもりはなかったのに、その人にはなぜかいつも説得されてしまう。もしかしたら、
 あなたの相手は瞬間説得力を身につけているのかもしれない。ことば巧みというだけでは
説明できない、この特殊能力はどこからくるのか?視覚、聴覚、先入観と、説得力の密接な
関係とは? 心理学者が 科学を武器に、隠された説得の方法を探りだす!】
    〜まずは、幾つかの事例から〜
≪ ◎ 問題を一つ。
 金曜の夜、ロンドンの地下鉄で信号機故障があり、電車は五分ほど途中停車しました。
車内は満員で、しかもさらに五分間停車するというアナウンス。すると、ジョギングウェアを着た
男がいきなりタバコを取りだして火をつけました。車内は不愉快そうな沈黙に包まれましたが、
誰もが黙っています。あなたならどう声をかけますか? トラブルもなく一発でやめさせるには?・・
 [ 答えは、明日ここで ]
  ◎ いま一つ。
 イギリス連邦政府の要人のためにロンドンで催されたある晩餐会でのこと。ウィンストン・チャチル
は、顔見知らぬ客が値のつけられないほど貴重な銀の塩入れを盗もうとしているのに気づいた。
問題の紳士は、稀少な工芸品をディナーをジャケットにすべりこませ静かに出口へと歩きだしだ。
チャーチルはどうしただろうか? 主催者の顔も立てなければならないが、不祥事も避けたい。
その板ばさみに悩んだすえに、妙案を思いついた。一秒も遅れてはならないと、すぐにペアの
胡椒入れを手にしてこっそりと自分のディナージャケットに入れた。それからゆ共犯者に近づき、
ひそかに持ちだした調味料入れを見せた。「おれたちは見られたみたいだ」とチャーチルは
呟やいた。「あそこに戻したほうがいい」 ≫
▼ ここで、5つの要素、「単純性・私的利益感、意外性、自信、共感」が重要だとしている。
(著者は英語での頭文字をとってSPICEとしている)上記の、いずれにも、この5つの要素が
入っている。おれおれ詐欺も、ブラックの営業も、同じである。相手を混乱させ、瞬間説得で、金を、
契約を騙し取る。ファッション店の売り子も、迷っている客に、買わせるように誘導する。
ここで取り上げた事例も、まず、仲間の立場に自分を置いて、間接的に説得している。
 口説きも、性欲という面で、似たような? ーつづく
・・・・・・
4613, 君は1万円札を破れるか? ー3
2013年11月02日(土)
 ー君は1万円札を破れるか?〜お金の洗脳を解くと収入が倍増するー 苫米地英人 (著)
   *「銀行」は詐欺から始まった! 
 手持ちの資金の8倍まで資金の貸出可能というから、必死になって預金を集めるわけである。
その8倍の枠も、米国の強制によるもの。それ以前は無制限。そのアメリカといえば、自国に
抜け道を多くつくっておいて、8倍の枠組みを他国に強制するのだから、悪質。銀行ほど良い
商売はないが、バブル崩壊で都市銀行は三行に集約された。 
 ー以下が解りやすいー
《 現在のような形態の銀行が誕生したのは中世末期、17世紀ごろのヨーロッパいてでした。
 この当時、ヨーロッパでは貿易などの拡大によって商業取引が盛んになり決済に使われていた
金を大量に保有する人たちが出てきました。大量の金を手元に置いておくと、泥棒に狙われて
危ないので、預けることにしました。その預け先というのが「ゴールドスミス」と呼ばれる人たちで、
金を加工して、金貨を造る金細工商。彼らは、金をしまっておくための頑丈な金庫を持っていた。
ゴールドスミスは、お客さんから金を預かった際に、預かり証を発行しました。この預かり証は
本来、クロークに上着を預けたときにもらうチケットや、パーキングのチケットと、なんら変わり
ないはずです。ところが、ここから意外なことが起こります。重たい金を持ち運ぶのは不便なので、
人々がゴールドの預かり証を金の代わりに取引の決済に用い始めたのです。そして、ゴールド
スミスたちはあることに気づきました。それは、預かり証を持ってきて金をくれという人が
ほとんどいない、ということでした。というのも、決済で預かった人も、自分の手元に置くのが
不安なので、そのままゴールドスミスに頂けておくからです。預けに来る人ばかりで、受け取りに
来る入が少ないならば、自分たちが実際に保有する金の総量以上の預かり書を発行しても、
問題にならない。預かり書を持った人々が一斉に窓口に来て金を取り戻そうとさえしなければ、
どれだけ架空の預かり書を出してもバレないというわけ。彼らはこれを利用して、預かり書を
大量に発行し、人に貸して利子を取り始めました。これはハッキリいって、詐欺行為です。
もし、個人が同じことをやったら、完全に詐欺。でも、現代の銀行がやつていることも、原理は
これといっしょです。このように、預かりを保証する金よりも頂かり証の量の方が多くなるのが、
「信用創造」です。銀行というのは、そもそも信用創造という考え方による、合法的な誰欺
行為をなりわいとしているのです。ゴールドスミスのやり方を真ね、やがてヨーロッバ全土に
同業者が現れ、それぞれ独自の預かり証、つまり紙幣を発行するようになります。
そうなると、これまでのように国家がお金の発行権をコントロールできなくなっていきます。
時の権力者であった君主たちは、自らの権力が脅かされるわけですから、「お前ら、何を
やっているんだ」と口を出します。ところが、銀行家、「こんなにおいしい商売はないですよ」
といわれて、「じゃあ、俺にも入させろ』ということになる。自ら権力を奪われるとも知らずに。
そして、国が必要とする金が賄えないと、銀行から借りるようになる。銀行家は、国家に
貸し付けることで、権力を自らの手に引き寄せていったのです。・・・ 》
▼「銀行の本質は詐欺! 金で世界が回っているが、その金は、架空の預かり書の紙切れ。」
現在の日本は、得体の知れない恐怖に覆われ、将来に希望が持てなくなる。その恐怖に慄き、
竦み、預金に励む。それも結局、アメリカ国債を買わされ、その国債が4兆ドルに至っている。
売ろうとしたところ、それは米国に対する宣戦布告と脅されている始末。日本の出世システムは、
米国の属国たる優秀なポチになること。 優秀な人ほど人相が悪い?のは、そのため。 
・・・・・・
4238, 雑談ネタ、酒の肴ネタ ー11
2012年11月02日(金)                             
  * バイブレーターの起源は、ヒステリックの医療機器 ー「ルーツ全集」インフォペディア編より
 際どいが健康機器売場でのバイブレーターの見方が、これで少し変わってくる。
≪ ちょっど刺激釣なセックスをしてみたい…。そんな時に使う大人のおもちゃの定番といえぱ
 バイブレーター。女性を絶頂に導いてくれるスグレモノだが、バイブレーター、じつはもともとは
医療器具だった。いったいどんな治療に使われたのかというと、情緒不安定、具体的には
ヒステリー発作を起こしている女性を対象としていた。ヒステリーの語源は、ギリシャ語で子宮を
意味する「ヒューステラ」。つまり、昔は、ヒステリーを起こすのは子宮が原因と考えられていた。
しかも、子宮が欲求不満であることから起こると信じられていた。 もうおわかりだろう。
ヒステリーを起こすのは、性的欲求不満が原因なので、治療法としては、女性を性的に満足
させればいい。そこで、医者や助産師が、指でマッサージ(愛撫)して、絶頂に導くことで治療を
していた。 この療法のための医療機器として一九世紀の終わりに開発されたのが、ヒステリー
専用のマッサージ器であるバイブレーターだったというわけ。こうした治療は古代ギリシャの時代
から、一九二〇年代まで、西洋ではれっきとした医療行為だった。確かに、目的自体は今も昔も
変わっていないとはいえ、医者が患者にバイブレーターを使うなど現在では考えられない。
一方、バイブレーター以前は、大人のオモチャの主役だった人工ペニスは、10Cのビザンチン
帝国の百科事典にも記載されている。 こちらは一般的に普及していたようで、アテネの女性に
愛用されていたようだ。また、インドの性典『カーマ・スートラ』にも「男性自身が小さすぎて
満足できないときは、これを使うとよい』と記されている。 ≫
  ▼ ・・・ !  これを読んで、「大人の玩具」と検索して吃驚仰天。  
・・・・・
3873, 緑の原野が君たちを待っている!
2011年11月02日(水)
 学生時代に衝撃を受けた授業といえば幾つかある。その中で当時、ドラッガーの訳者で
経営学の野田一夫教授の言葉である。HP内検索で調べてみたところ10年近く前に、
この随想日記で取り上げていた。
 ≪ 2002/02/28 20歳の頃ーある教授との出会い−2 野田一夫教授 ≫である。
野田教授の授業は厳しく、少しでも遅れてきたら入室禁止、途中の退座や、よそ見や、私語は
絶対禁止。授業は異常なほどの緊張感で進められていた。その内容を再び大まかに書いてみる。
≪ 貴君らは選ばれて、ここにいる。そして、社会に出て行けば指導者の立場になるために、
 ここで学んでいる。今日から食事をするときは、店の真ん中に座って堂々ととりたまえ。 
間違っても、隅でとるな。君たちの学生生活は、指導者になるための準備期間であることを
忘れないこと。そのために可能な限り本を読みたまえ。あらゆる分野の本を読めるのは今しかない。
ロマンローランの「ベートーベンの生涯」を直ぐに買って読みなさい。彼は多くの災難を乗り越えて、
あれだけの素晴らしい曲を作った。「運命」は、音楽家でありながら、難聴の病に冒された時の
絶望を音楽にしたもの。「苦難を突き抜け、歓喜に」「良く、かつ高貴に行動するものは、
その事実によってだけでも困難に耐えることができる」などの言葉がある。絶望を通り抜たからこそ、
あの曲が出来上がった。 君たちは恵まれている。しかし、それに甘んじていてはならない。
「社会という緑の原野が君たちを待っている!」 だから、学生である現在、灰色の世界
(学問の世界)で、多くを学ばねばならない。≫
この感動的な教えを聞いて将来に明るい陽ざしを感じたのは初めての経験。
それも高度成長期の最中である。その日以来ドラッガーの書を必死に読み始めることになった。
自分の強みを見つけ、自分の資源を集中すること。マーケッテングを優先すること。
紳士的であること。他にもアメリカの経営書を多く読むことになった。 その何もかもが面白く、
理詰めで、乾いた干乾びていた脳に吸収されていった。 教養課程の二年までは、日本の作家の
書を中心に読んでいた。 が、それでも絶対量が少ないことに気づいた。高校時代まで、殆ど
教養書を読むことがなかったツケが回ってきたことに気づく。お陰で、卒業後40数年の間、
毎日二時間の読書習慣がついた。 何で。このことを思い出したかというと、当時が一つの節目
だったからである。そして現在、次の節目に至ったためである。「灰色の世界から緑の原野へ、
そして、原野を通り越して、大草原に出たのが、現時点」である。 アフリカの猿は原野の木の
上から、草原に進出し、二足歩行を始めた、という説がある。 そう考えると、第二、第三の
人生こそ、やっと人間らしい生活が我われを待っていると考えられる。周囲は、既に
エネルギーを使い果たし、抜け殻しか残ってないような人が三分の二? それも人生だが、
緑の原野にいた蛇の代わりに、草原にはライオンもハイエナも豹がいる。振り返ってみて、
学生時代に多く視点を得た。緑の原野では、さらに多くのものを得た。そして、現在、
草原に入った。 そこで生き抜くためには、ただ一つ、考えなければならない。
・・・・・・・
3508, ユダヤ人の頭脳活性法 ー2
2010年11月02日(火)               
 *インテリジェンスとはー点と点を結ぶ能力  「ユダヤ人の頭脳活性法 」手島 佑郎 (著)
  ーまずはP/28から
≪ インテリジェンス=考えるとは、そもそも何か? 考えるとは、点と点を結ぶ行為をいう。考える力は、
そもそも言葉や概念、知識などの量とは関係ありません。まず考えるために物事をありのままに見る行為から始まる。
知識をたくさん持っているのに、考える力がない人が大勢いる。知識と考える力との間には直接の関係はないのです。
最近ではインテリジェンスということばを「情報」と訳したりもしていますがインテリジェンスは情報ではありません。
Intelligenceというのは、もともと[Inteー重なり、、際(きわ)」「legere(結ぶ)」という
二つのラテン語が合成された言葉です。きわときわを結ぶ、物事と物事を結合するという意味です。スパイは、
点と点の情報を結んで線の情報を推理し、他の線と線の情報を結んで、面の情報を組み立てます。そういう断片的
情報をつないで、総合的な情報に組み立て、物事を総合的に判断する能力が知性なのです。
そして、この点と点を結ぶ行為こそが「考える」という行為です。 ≫
▼ インテリジェンスとは元もと軍事用語で、スパイが諜報で得た情報から線、面へ推論する能力。線と線を
的確につなげるには、様ザマな能力が必要になる。そのために、まず「五感」を鍛えなくてはならない。
点と点から線を推論し、他の線と組み合わせて面を推論、その面を幾つか重ねて立方体を推論していく過程を考える
こと、というと、分かりやすい。この著で、ラビ・レオポルド・スティンは「インテリジェンスの人というのは、
まずオープンマインドで、しかも積極的に記憶して、そして常に体験してみる人のことだ」と指摘している。
それは、点、線、面、立方体へと考えを進めていくことになる。その視点で、もう一度、自分も含めて周囲を
振り返ると、インテリジェンス人は稀のようだ。せいぜい点と点を結んで線にして、それで止めている。 
佐藤優の本を読むと、点と点から線を、線と線から面、面と面から立方体へと推論を組み立てている思考に驚かされる。
・・・・・・・
3133、現代の結婚事情
2009年11月02日(月) 
 この世知辛い世の中で、男も女も結婚相手を見つけることは大変である。
私の世代の男は、少し下の年代が団塊の世代のためイメージとして男女比が2対3で恵まれていた。
それにしては??。 最近の結婚の大変さには同情する。 世の中の男の格差の問題もある。 
以前は三高といって高学歴、高収入、高身長(ちなみに三低は低趣味、低収入、低学歴)だったが、今では
女性からすると
 3低 =低姿勢(レディーファースト)、低依存(束縛しない)、低リスク(リスクの低い職業・公務員など)。
 3C =コンファタブル(快適)、コミニケーティブ(理解しやすい)、コンポレーティブ(協力的)
・男性からみると、4K =可愛い、賢い、家庭的、軽い(痩せている) という。
 収入問題などで、ますます晩婚化になっているが、歳を重ねると、プライドだけが高くなり、
 自分の品との段差が開いていくから、始末が悪い。
人生を振り返ると、両親、連れ添い、そして仕事の相性で、8割方が決まる。
その中で、結婚は私生活の大部分を占めるから大問題。 姉の一人が「結婚は大事業」と実感を込めて言っていたが、
その通りである。 最後は、性格の問題になるが・・・ 一生を添い遂げるのも芸のうちである。 
神様は最も合わない相手を結婚相手に選ばせるように人間をつくり上げてきたという。 
それにしても面白い罠を人間に与えるもの。 人生とはレッスンというより修行である。特に結婚は荒修行!
――
結婚といえば、^カリール・ジブラン「結婚」ーの詩が良いー
 (字数制限のためカット 2011年11月2日)
・・・・・
2768, 半歩遅れの読書術 −2
2008年11月02日(日)
 【 出久根達郎 】
  彼の記述にある「井上流 本の読み方十箇条」が面白い。 井上ひさしの『本の運命』に、紹介されているが、
  ここでは二つしか紹介されてなかったのでネットの検索で調べた。 以下のとおりである。
   ーー
一、「オッと思ったら赤鉛筆」。ーこれは万人が実行している。
二、「索引は自分で作る」。ー大切な言葉や事柄に関する索引を本の扉や見返しに つけておくとよい、という。
   思いつかなかったが早速、実行することにする。
三、「本は手が記憶する」。ー「書き抜き帳」を一冊作ってそこに何でも書き込ん でいく。
   大事なのは手で写すこと。そうすると手が自然と記憶する。
四、「本はゆっくり読むと、速く読める」。ーどんな本でも最初は丁寧に、登場人物の名前や関係を、抑えながら
   読むといく。そうすると書 いている人の癖が分かって、その後が読みやすくなり、結果的に速く読める。
五、「目次を睨むべし」。 ー目次は全体の構造の見当がつく。
六、「大きな事典はバラバラにしよう」。 ー分厚い事典は持ち運びが便利なようにバラバラにする。
七、「栞は一本とは限らない」。ー井上ひさしは本を買うとまず、タコ紐の栞を三本ほど貼りつける。
八、「個人全集まとめ読み」。ー個人全集を集中して全部読むと、著者の言葉遣いや書き癖などが分かっておもしろい。
九、「ツンドクにも効用がある」。ー本との運命を大事にする。本は「買おう」と思ったときに買っておく、これ鉄則。
   そして机の横にでも置いておくと、不思議なことに本の方から「読め 読め、読め読め」と言ってくる場合がある。
十、「戯曲は配役をして楽しむ」。ー戯曲を楽しむためには自分でキャスティング すると良い。
   ーー
  以上だが、これとは別に「本は撫でてやると、所蔵者にささやいてくれる」という。成程、その辺は合点がいく。
 そのためには、図書館で借りて、これは!と思ったら迷わず買うことだ。
 出久根によると、井上やすしはかって、日本で発行される書物と雑誌を、一冊残らず買い求めていたという。
 200冊か100冊か、全部毎日買い求めたというから、たいていではない。 井上は本を買うとまず暇そうな喫茶店に入り、
 一冊20分くらいかけて目次を見 たり、ところどころ読んだり、栞(後述参照)を貼りつけたりするという。
 そしてこれを「僕と本との新婚旅行」(98頁)と呼ぶ。こうして一回撫で回すと、本が彼に向かって話しかけてくる。 
 「この間、目次見たでしょ」とか、「そのことは私の中に書いてありますよ」、と。
 結局、そうこう考えると、テクニックというより絶対量をこなすほどの愛情がなければ!ということだ。
 出久根は、この文章の終わりに作家の福永武彦の名言で閉めている。
【人に人徳あれば本もまたこれに従う】 読書だけでなく、全てに言えることだろうが。
・・・・・
 2007年11月02日(金)
 2404, 久世塾                     ゚+.(ノ*・ω・)ノ*.オハヨオォォ
 (以下字数制限の関係でカット10年11月2日)


4979,閑話小題 ー話すより書け      

2014年11月01日(土)

   * まずは、話すより書け
 数ヶ月前になるが、小学校の同期会が近隣の温泉宿で行われた。
86歳の担任の西澤先生も出席され、会の始まる前に別室の先生に挨拶にいき
20分ほど話をさせてもらった。以前、新潟で一晩、御一緒して古町に飲みにいった
ことがあった。その時に、社内報に書きつらねた『事業百訓』のコピーを差上げたが、
その話から、『今ではブログに13年以上、毎日欠かさず文章を書き続けて、身近な
30人〜40人位が読者になっています。慣れてくると、これが面白くなって、毎日
2〜3時間はかけてます』と話すと、『そうですね、話すより書けと言いますよね。
書けば、一度、内容を整理できるうえに、考えますから・・』と答えられた。
 ところで、高校、大学の合格時に、お祝いの葉書を頂戴した。そして三年前?も
慰めの葉書を頂いていた。先生は筆書の達筆家。そのため、悪筆の私には、
それがプレッシャーになり、その返事に悪戦苦闘。
大学のゼミの武澤先生も、何度も、手紙を頂いた。話すより、書けである。
入院した人に一番良いのが葉書の便りというが・・ 書く癖をつけると、論理的に
なって、相手の話の骨格が把握できるようになる。読書と、手紙を多く書いている
人は、そうでない人に比べ、話す内容が格段の差が出てくる。逆に、一寸した
世間話に、気楽に答えられなくなり、結果として、硬い印象を与えてしまう。
性格もあるが・・ 頭に浮かんだ言葉を、一度、書き出してみると、更に、考えが
出てくる。話すことで、次々と、新たに考えるタイプもいるが・・
早朝、この文章の加筆、修正をしていると、意識内での自己対話をしている
感覚になる。それと、誰かに向かい問いかけをしているような・・ それが内省、
内観にもなっている。大自然に、一流芸術に触れ、驚き、感激し、感動し、
それを言葉にし、自己対話をし、誰かに話す、そして書き出し、残す。
この一連が人生を豊かにする。 
・・・・・・
4612, 君は1万円札を破れるか? ー2
2013年11月01日(金)
            ー君は1万円札を破れるか? ー 苫米地英人 (著)
   * 世間を覆う「不安」の正体 ーお金の本質は「情報」であるー 
《 今の世の中、「先行きの不安」を感じている人が、大変多いようです。
2010年に次の世論調査の結果が発表。世界の国内総生産の75%を占める先進23ヶ国の
人々を対象に「将来について安心を感じるか、不安を感じるか」という質問をしたところ。
将来が「安心」と回答した人が23ヶ国中最低の86%もの人が「不安」と回答えたそうです。
ちなみに,「安心」と回答した割合が高かった国のトップはインド(79%)、中国(78%)、
オーストラリア(73%)でした。 なるほど、インドや中国は今後、飛躍的な経済成長が見込まれて
いますし、オーストラリアは先進国の中にあって、健全な財政状況が続いています。
それに比べて日本はと考えたときに、将来に不安を覚える人が多いこと。・・恐怖というのは、
その対象がハッキリしているものをいいます。その対象によって自身にどんな危険がもたらされる
のかという認識が生じます。その危険に対して、なんらかの対処をしなければという反応を伴う
精神状態が「恐怖」です。 たとえば、山道を歩いていてへピに出くわしたときに感じるのは
「不安」ではなく「恐怖」。「かまれたら、危ないかもしれない」と危険を認識して、一目散に
逃げるなり、危険を回避するための行動を取ろうとします。それに対しして不安とは、その対象が
はっきりしないもの。精神医学でいう不安症とは、具体的に恐れる対象や根拠がないにも
かがわらず「何かいやなこと、恐ろしいことが起こるかもしれない・・」といった悪い未来を漠然と
予測し、不安にとらわれる病気。日本国民の大半が、不安感に取りつかれている。
「会社の業績が不振で減給された。いずれリストラされるのでは……」「企業が次つぎ倒産し、
求人がへり仕事に就けなくない…」「年金や国保などの社会保障制度も維持できなくなることは
わかりきっている…」など不安を感じる理由が挙がってくる。けれど、「不況」や「財政破綻」などの
問題に対して、「どのように危険なのか」を正確に判断し、「どうすれば対処できるか」といった
ことにまで考えをめぐらせている人は、あまり多くないでしょう。大半の人は、テレビのニュースや
新聞、雑誌などでそれらの言葉を見かけるたびに、ただ漠然と「何か困ったことが起こり、その
弊害が自分の身にも及ぶのではないか」と不安を煽られているだけでないでしょうか。 
その不安の正体を突き詰めれぱ、「お金に関する不安」です。世の中の先行きが恩わしくない
方向に向かつていて、そのために自分が充分なお金を得られなくなり、生活が苦しくなる・・
そんな不安に多くの人がさいなやまされているわけです。 最初に結論を言っておきます。
現代のお金は、単なる「情報」に過ぎない。「これには、これだけの価値がありますよ」と主張
する情報です。これもまた「信用」という情報のみです。 多くの人は、日ごろ目にしている
紙幣や硬貨のことをお金と思っているかもしれません。紙幣や硬貨には物理的な実体が
ありますが、実は、それはお金の実質ではありません。仮の姿だといってもいい。
お金の本質により近いのは、みなさんの預金通帳に記帳されている「数字」です。こういうと、
「実際にお金があるから。通帳に数字が書き込まれているんでしょう」と思われるかもしれません。
通帳に起蔵されている残高をいつでも引き出すことができる。それはただ、お金が出人りして
いる記録だろう、と。実は、そうではない。数字のほうが本質で、紙幣やコインはそれを目に
見えるようにして、やりとりできるための道具。ただの紙っぺらであり、金属片に適ぎないのです。》
▼ 準備期間を含めた45年間の創業と事業人生、このカラクリを真に分かっていただろうか。 
 2001年の9・11テロから急激に地方経済が悪化していった辺りから、バブル崩壊の上に、
更に大きな並みが押し寄せてきている。9・11テロも、やらせ?・・そして、リーマンショックと、
3・11災害と、世界規模の地震と津波。経済震災と、自然震災が世界と日本を襲った。
お金の正体は情報というなら、情報機器の革命的進化が世界を根こそぎ変えている。それが、
経済震災でリーマンショック、政治的には北アフリカ、中東の政変であり、欧米経済の衰退。
そして、静かに進行している世界恐慌。
・・・・・・
4237, 雑談ネタ、酒の肴ネタ ー10
2012年11月01日(木)                       
  * 卓球をピンポンと呼ぶのはなぜか    ー「ルーツ大全」インフォペディア編 より   
 卓球は英語で「テーブルテ二ス」という。1880年代、イギリスのテ二ス愛好家たちによって
考案されたスポーツだ。じつはテーブルテニスというのはあとでついた名前で、もともとは
イギリスでもアメリカでも「ピンポン」と呼ばれた。ピンポンの語源は、当時使われていた中空の
革張りラケットで球を打つと「ピン」という音が出て、球がテーブルに当たると、「ボン」と聞こえる
ところからきている。この名称が卓球協会の名称として正式に採用され、イギリスとアメリカでは
「ピンポン協会」が設立された。ところが、このピンポンという名称はすでにイギリスで商標登録
されていることが、あとになって判明。スポーツ用品メーカーが家族で遊べる玩具として発売して
いた卓球セットの商品名を、「ピンポン」として登録していたのだ。そこで、トラブルを避けるため、
イギリスのピンポン協会は解体された。今でも卓球をピンポンと呼ぶのは、当時の名残り。
   * 土壇場は斬首刑の土もリ
 ドタキャンとかいう、土壇場の意味は、字の通り「土を盛って築いた壇の場所」。
江戸時代の死刑に、この土壇場に罪人を横たわらせて斬首刑を執行したため、土壇場は
「斬首刑の刑場」を意味していた。土壇場に上げられた罪人は、手足を拘束され、どうにも
ならない状態で処刑を迎えた。ここから土壇場は、どうにもならない事態をさすようになった。
▼ 土壇場で死に直面した時のの恐怖は、言語に絶するだろう。そういえば、ユーチューブで、
フセインが絞首刑になるまでの映像があった。吉田松陰も恐怖で転げまわったとか。
ところで、バンジージャンプの飛込み台の恐怖のどん底の凍りついた瞬間を思い出した! 
数分前から恐怖で呼吸困難、頭の中は真っ白!「こんなはずでなかった!」
という言葉。躊躇するほど恐怖が倍増してくる。ワッーという感じで飛び込んだが・・  
高層ビルから投身自殺をしようとして、2Fで何かに引っかかり九死に一生を得た人の
インタビューをTVで見たことがあるが、その直前まで意識があり、鮮明に落下していく光景が
見えていたという。ロシアン・ルーレットも、こんな感じだろう。快感のところもあるようだが。
・・・・・・
3872, 一人旅
2011年11月01日(火)                       
 一人旅を過去に何度かしたことがある。北海道と九州に、それぞれ10日間ほどと、大学を出て
四日市に勤務をしたときに、紀州の尾鷲に一泊したこともあった。 金沢で修行していた時には、
観光バスの日帰りコースで能登半島に行ってきた。23歳から26歳の4年間、精神的な体力が
出来たころである。一人旅には、それに似合った時節がある。
27歳で結婚し、事業の立ち上げを始める直前。振りかえってみると、その時節しかタイミングが
なかったのである。一人旅をすべき時節に、すべき事をしていたことになる。
 一人旅は思い立ったら、駅の旅行センターで、「一週間ほど北海道の一人旅をしたい」
といえば、窓口の担当者が、そのルートを一緒に組んでくれ、列車と宿の手配をしてくれる。
そして、そのルートに従えばよい。一度、列車に踏み込めば、不安とか、孤独感はなくなる。 
若さもあり、一人旅そのものに酔っている部分もあった。 当時の記憶が少ないのは、目先が
変化変化の連続で、刺激の強い日々だったからである。 現在、一人旅というと、面倒という
思いが先にたつ。しかし今から思うと北海道も、九州も思いで深い。人生を振り返ると、
それぞれの時節の思い出があるが、特に旅行の思い出は大きい。北海道は、青森から
青函連絡船に乗り、函館、札幌、釧路、網走、旭川、函館と周遊した。北海道の旅も、
一歩踏み出すと気ままだった。結婚してから10年間は家内と国内旅行ガ中心だった。 
事業と家庭中心で、海外旅行に切り替えたのは15年経ってから。卒業記念に海外への
一人旅が流行りだしたのは、私が卒業をして数年してから。しかし当時の私の精神的体力では、
海外の一人旅は無理。私の知人ではオーストリアが二人、イタリアに一人、留学をした。
それと幼稚園から高校まで同窓で、慶応大学教授になった直後に亡くなった男が、
学生時代に欧州を数ヶ月一人旅をしたといっていた。 そう、新潟県活性化案を一緒につくった
松下さんも、一年間、彼方此方のアメリカの大学を聴講してまわったとか。 感受性の強いうちに
世界を見ると見ないとでは大違い。それも一人旅で・・ 幕末から明治維新にかけ、外国に
行った人と、行かなかった人と、その後の活躍が違っている。 明治政府の高官になって、
新しい政府つくりの邁進したのは、前者が多い。一人旅は変わっていく景色を見ながら、
独りブツブツ呟きながら思いにふけるもの。
 ・・・・・・
3507, ユダヤ人の頭脳活性法
2010年11月01日(月)
              「ユダヤ人の頭脳活性法 」手島 佑郎 (著)
 図書館で借りてきて目を通したが、なかなかである。ピアノとか、吹奏をやる人は勉強の成績がよい人が多い。
それは長年の間、繰り返し集中し、続けないと身に付かない。教科書を理解し、暗記するなど、それに比べれば、
取るに足らないから成績も良くなると思っていたが・・・ ユダヤだけでなく、優秀な人間?の特性、頭脳活性法が
書かれている。
  * アマゾンの ー内容紹介ーより
 マルクス、フロイト、アインシュタイン、ドラッカー、スピルバーグ…… 彼らはみなユダヤ人。
もちろんユダヤ人全てが優秀なわけでは無いが、優秀な人間が多いのも事実。それには何か理由があるのだろうか―。
 実はそのヒントは彼らのささいな日常にあった! 五感を目一杯に使い、日々を楽しく過ごすユダヤ人たちの文化。
子どものころから全身を使って本を読み、聖典の名言を吸収していく。そして創造することのみに自分の価値を見出す。
そんな生活の積み重ねによってユダヤ人の発想力が生まれるのだ。 そんなユダヤの世界からヒントを得た、
頭脳活性のための様々なトレーニング方法。ほんの少しの工夫でユダヤ人のすごい発想力が手に入る! ユダヤ本と
いうと、怪しさのようなものを感じてしまうが、この本には、それがない。ヘブライ大学卒業後、企業コンサルタント
など、学者ではなく「実学」の世界で生きてきた著者自らの人生観を通して、ユダヤの箴言、格言などから学ぶべき
ことを的確に表現している。
 〜「まえがき」より〜
「ユダヤ人だから特別に優秀である」と強調するつもりはありません。 それは人種の優劣をつけることであり、
私の本意ではありません。けれども、彼らから学ぶべき点が大いにあることも事実。 確かに、世界にこれだけ
有能なユダヤ人がいるということは、どこか秘密があるに違いない。 そう思ってこの本を読むと、彼らが勤勉で
自らを高めるために努力を惜しまない、ということが見えてくる。 そして「何かに感動する素直な心」こそ
ユダヤ人共通の特性!と。
 *ユダヤの格言やユダヤ人の名言として   ・人の目は前にある。後ろにはない。
  ・考えるのをやめることは、私にとって生きるのをやめることだ。
  ・話す前に、あなたの言葉を選べ。……etc
  ―
 基本は「五感を研ぎすます」こと。 見る、聴く、触れる…そういった感覚を養うことで、人間は心の豊かさを
手に入れ、頭脳も活性化していくのだ、と。心の豊かさが持てれば「何かに感動する素直な心」になれる。
彼らはユダヤ教の基本構造として選民意識を持ち、それを実行していくことである。そこに、生まれつきの天才的
頭脳が重なれば優秀な人材が輩出するのは当然。金融世界で支配しているユダヤ人も、こういう背景があると知ると、
納得がいく。アラブ人やインド人が、彼らに敵うわかがない。 
 ・・・・・・・・
3132, 生きる幻想 死ぬ幻想  ー6
 2009年11月01日(日)
 「生きる幻想 死ぬ幻想 」 岸田 秀 (著), 小滝 透 (著)     ー読書日記
   近代イデオロギーの罪
 * 理性主義の恐怖 p−99
科学の発展や、大航海以来の欧州世界の拡大で、それまで宗教が欧州人に一つの統一的説明を与えていた世界が
崩れていく。そこで登場したのが「理性」という理念である。これが「神」の代わりになった。1789年のフランス
革命では、「理性」が至高の価値として掲げられ「神の死」が宣言された。「唯一の神の信仰」が「唯一の神としての
理性への信仰」にすり替わった。そうすると、理性からはずれるものが出てくる。それが子供であり、未開人であり、
精神病者である。近代は理性というものを発見し、そこから逆噴射する形で、子供、未開人、精神病者を発見した。
その三者の共通点は理性の欠落である。子供には理性を持つように教育をしなかればならない、未開人には、教え
導かなければならないということで、植民地主義が正当化され、精神病者は回復するまで隔離されるようになった。 
 フランス革命もロシア革命も、理性によって理想社会を作ることができるという考えから起こった。
反計画経済の大御所のハイエクは、社会主義や共産主義は、社会は人間の理性で設計できるという思想だが、
それは「致命的な思いあがり」だと。 共産主義というのが理性の理想的社会だとすると、これに反対するヤツは
みんな殺されなけばならないことになってしまう。で、中国やソ連やカンボジアで大虐殺が生まれてきたのである。
社会主義がなぜに間違えていたかと言うと、経済が下部構造になっていて、それを計画経済でやっている。
あれは要するに意識が全てを決定するということ。 ところが基本的に経済の流動的動きは無意識が決めている。
 ーー
 この辺を考えると、知性、理性的にあろうとしてきた現代人の方向そのものを根底的に考え直さなければ。
最近、年齢のためか根底から今までの生きかたに対して疑念を感じるようになっている。毛沢東は何を国民に
したのだろう。スターリンも毛沢東も、理想社会を目指して数千万人も虐殺をしてきたのである。
また、アメリカも、この金融恐慌を引き起こしたのも、理性主義の行き着いた先であった。 
時代は丁度良く欧州大陸からアメリカ大陸へ重心を移していたのが、今世紀はアジアに移行する。
アジア的な考え方が見直されなければならないが、動乱を通してか、それともソフトにいくのか? 
・・・・・・・・・
2767, こころと脳の対話 −3
2008年11月01日(土)

 < 過去  INDEX  未来 >


horii86 [HOMEPAGE]