堀井On-Line



4947,閑話小題 ー中古車価格は、格付け項目のチェックで決められる

2014年09月30日(火)

   * 中古車価格は、格付け項目のチェックで決められている
 22年前のトヨタの「ソアラ」が大当たりで、大した故障もなく、これまで満足をして乗ってきた。
さすがに、この型のソアラを殆ど見かけなくなっていた。その前も、やはり前の型のソアラを
5年近く、その前はコロナを三年ほど乗っていた。 ところが、この5月の車検で、修理に50万
かかるといわれ、乗り換えることにした。そこで、急遽、車探しになった。新車への拘りはなく、
まず中古センターを一週間にわたって探し出したのが、ワゴン車『トヨタ・マークXジオ』。 
ソアラに比べ出足しが弱いのが少し気になる以外は、満足している。 それにしても中古車の
車種と、その在庫量の多いこと。 一週間探し回って知ったのが、「全国共通の格付けがあり、
それでに比例して値段が決められている」こと。 まず、価格と年式が、基本で、次に走行距離、
車検時期があり、それに付属品、タイヤ、人気が、加味された値段は、交渉で値切る余地が
少ない。中越地区の膨大の中古車から、個人の事情で探し出すのだから、大変だが面白い!
  ー私の事情は、
・自宅駐車場の家具としての家屋敷とのバランス。
・事故も考えて、中型以上。 セダンか、ワゴンには拘らない。
・まだ、何から三年の立場?を考慮して、あまり目立たない、人に知られてない車種。
・人生の最後の車として、数年後に後悔をしない車。  
・県外への遠出はしないため、近場で、乗りやすく、燃費は程ほどのこと・・ 等々。
 以上を考慮した、車検の期限までの一週間を区切った車探しの面白いこと、この上なかった。
去年秋に生産中止で、値段は格安? 団塊の世代以降の、車好きを狙ったコンセプトカー。
燃費が月8〜9千円が4〜5千円に下がったこともあるが、家内はお気に入り、センスが好きとか。 
それにしても、車のネット販売サイトには驚いた。「販売サイト」の格付けがあるから可能なのだろう。
資金に余裕があり、世俗的謹慎の身でなかったら『トヨタ86』『スカGT』『アクセラ・スポーツ』?
・・・・・・
2013年09月30日(月)
4580, 2050年の世界 ー10
     「2050年の世界 ー英『エコノミスト』誌は予測するー」〜英『エコノミスト』編集部(著)
   第十五章 バブルと景気循環のサイクル ーのまとめ
・バブルの発生期には、かならず、それを引っ張る新興産業がある。十九世紀は運河と鉄道。
 1990年代はインターネット企業。バブルは、新産業への投資として必要だとする考えもある。
・ただし、歴史を振り返ると、結局はバブルによって新産業に投資した投資家よりも、
 消費者が得をする。 その分野がすぐに過当競争になり、価格が引き下げられるからだ。
・2008年のリーンショック以来の最新のバブル崩壊によって、各国は債務超過に苦しむように
 なっている。これは緊縮財政を呼んだが、しかし、それに耐えきれない国民が政治的な
 反乱をおこし、不安定化が促進される可能性がある。
・しかし、この景気後退においても、物の価格は上昇に転じている。これは、中国、
 インドという二大新興国がグローバル経済に組みこまれ、成長の過程で、エネルギなどの
 需要をより欲しているため とする見方がある。だとすると、現在は、長期の好景気の、
 とば口だと考えられる。
・日本型の鈍化した市場が、欧米などで長期間続く可能性がある。
・過去の実績のある株価を実績順に買っていくという成長株派のモメンタム理論。
 本来は過去の株価の推移は将来の価格決定にはまったく関係がないはずだが、
 それがおおむねうまくいくことの理由は、そうした 投資家が増えることによる割安株派の
 バンドワゴン効果がある。
・しかし、このモメンタム理論は、バブルの崩壊など、経済に断層が生じると、
 巨額の損失を被ることがある。
・株式市場の投資家には企業に成長要因を見つけて投資する「成長株」派と、過小評価
 されている株を買う 「割安株」派のふたつがある。成長株派は、1990年代後半の
 ITバブルのように、強気市場の最も勢いのある段階に関わることが多く、割安株派は、
 経済が景気後退を抜け出すときに実力を発簿することが多い
▼ 40年先のバブルと景気循環のサイクルを論じること自体が、土台無理。20世紀前半の
 第一次大戦、世界恐慌、第二次大戦、の一連の変動期と、現在を重ね合わせると、1933年
辺りになる。とすると、第二次世界大戦が始まることになる。時代はバブルと崩壊、そして精算の
ための戦争が、大小生じて流れていく。20世紀前半は、欧米の中で、欧州から米国への
エネルギーの移動であったが、今度は、アメリカから中国、インドなどアジアへの移動になる。
・・・・・・
2012年09月30日(日)
4205, 異郷日記 ー日本人の人生は、ツアーに似ている
   * 日本人の人生は、ツアーに似ている         「異郷日記」西江雅之著
 数年前に、この人の書いた旅行記を何冊か読んだことがあった。
早大の教授で、世界の言語の研究のため、アフリカなど世界の僻地で直接、原住民と触れ合う
機会が多く、その体験談は非常に奥行が深い。 この本は4年前に出版されたものだが、既に
早大を退職し、気ままに国内外を講演などでまわっているという。その著者の体験談の
一言一言はツアーでしか、秘境に行く機会のない者にとって、参考になることばかり。 
まず、「観光、旅、旅行、ツアー」の言葉の定義から・・
≪"観光" "旅" "旅行""ツアー"などの類の語には、幾つかの側面で"異郷〃との
重なり合いが見出される。目的地の異文化度が高ければ、当然、その重なり合いは大きくなる。
◎‘観光’とは、現代の用法では、「わずかばかりの異郷感を、一時的に味わうために
 金を支払う行為」と言えそうだ。一般的には、その行為は多かれ少なかれ、地理上の身体
移動が伴う。観光は、貨幣経済の中に身を置き、余暇という時間を持つ社会に属す人々にのみ
許された行為である。目的地で一時的な異郷感を味わわせてくれる事物は、土地の人々から
見て、必ずしも本物である必要はない。それどころか、もし訪問地で見るものが全くの本物で
あったならば、訪れる人々にとっては受け入れ難い事物の方が多くなり、観光は成り立たなく
なるだろう。それは、観光地で売られている土産品や観光ショーを思い浮かべれば明らかだ。 
観光には"……らしさ"が重要なのである。観光に参加する側と、それを主催する側とを含めた、
全体としての観光というものを話題の対象とすれば、そこには、企画、経営などという側面が
大きな役割を果たすことは言うまでもない。しかし、その場合でも
‘・・・らしさ’は見過ごせない要素となる。
◎‘旅’は何よりも「道中」が主役である。古典文学を見ても、旅の話を支えているのは、
目的地に至るまでの道中で出くわすことになる数々の予期せぬ出来事だ。道中で何が
起こるか分からない。それを乗り越えて到着した目的地で、一段落となる。道中にいる間、
旅人は異郷の人である。人生は常に旅路にあると自覚する者は、本物の異郷の人である。
◎‘旅行’の場合は目的地までの行程は保証されている。旅行者は目的地までは交通手段を
利用して安全に運ばれる。目的地に到着してから、旅行者は思い思いの活動を各自の興味に
応じて開始する。結果として手に入れたいと望むのは、個人的な楽しみであり、良き思い出である。
◎‘ツアー’では、出発点と目的地との往復が予め保証されている。それのみか、道中、
宿泊地、目的地での行動内容の一つひとつが、あらかじめ他人によって計画に組み込まれて、
それなりの効果を狙った演出も準備されている。参加客は、それらの催し物を個々にこなして
ゆくことで移動を終える。多くの場合、自分の気に入った場所でも時間的な制約を受ける。
物足りなさも残される。しかし、全行程が保証されていて、何を見て、何をすべきかを考えなくても
安心できるという利点もある。 昔、「人生は旅である」と言った。しかし、現代の日本人の
人生は、ツアーに似ているとも思えてくる。≫
▼ あと三回で世界旅行(主にツアー)50回に達成する。一応、来年中と考えていたが、
 年金生活者、家内の鞄持ちとして年一度が限界か、それも無理? しかし30年近くかけて、
小刻みに安いパックを探して行っていたので、充分満足しており悔いはない。 
著者の「現代の日本人の人生は、ツアーに似ている」は、言いえて妙である。 
ツアーより、むしろ観光に思える。そこでは"…らしさ"が重要と信じられているからだ。
それらは受け止め方の違い。やはり実感は旅である。
 ・・・・・・
2011年09月30日(金)
3840, iPadと、アプリ、あれこれ ー2
 雑誌や本などの電子化で、出版物の概念そのものが根底から変わることになる。
要は無料である。デジタル化は著作権の有名無実化を意味する。 青空文庫というアプリは、
数百冊のフリーの本がある。学生時代に読んだ、芥川龍之介、有島武郎、夏目漱石、森鴎外
などの懐かしい本が無料で何時でも読める。 雑誌以外で初めて買ったのが
『松岡正剛の書棚』というデジタル本。全体の書棚のレイアウトと、それぞれの棚が写真に
載っており、それに沿って松岡の文章が書いている。 面白いのは、完成したばかりの
東京駅直ぐ隣にある丸善ビル(書店)に、同じ書棚のスペース(60坪)が公開されている。 
そこの写真が、この本のベースになっている。 松岡正剛といえば、「千夜千冊ブログ」という
読書感想専門のブログがある。5〜6年前から、この書評を読んでいるが非常にわかりやすい。
 その辺をネットで調べると
【「千夜千冊」は、2000年2月から執筆を開始、2004年の『良寛全集』で1000に達したが、
それ以降から現在までも続いている。・・ 2009年10月に、丸善丸の内本店に、松岡正剛
プロデュースによる松丸本舗をオープン。ショップ・イン・ショップという形態で、松岡をはじめと
する著名人の書斎を再現した本棚など、その斬新な店舗づくりが話題を呼んでいる。 
2010年7月には、『松岡正剛の書棚―松丸本舗の挑戦』(中央公論新社)が発売された。】とある。 
上京のおりに是非とも行ってみたいが、書店のあり方も大きく変わろうとしている。ネット書店は、
こういう考え方をベースにレイアウトが構築されるのが理想。
iPodが根こそぎ、音楽配信のあり方を変化させたが、その波が今度は出版界にも、
やってきている。去年からiPadなどタブレットPC端末の爆発的普及から始った。 
パソコンは、その場で書評や解らない単語を調べることが可能である。それと指先を開いたり
縮めたりで字の大小を変えることが出来る。これが読む方からしたら非常に良い。
雑誌などは、パラパラと全体を俯瞰出来るところが良いが、下の欄にページを次々と
スクロールできるので遜色ない。近い将来、検索で、あらゆる本の中の情報に辿りつける
時代が来ることは間違いない。そうなると著作権の問題が出てくるが、それがニーズなら、
その問題はクリアされるしかない。 
  ・・・・・・・
2010年09月30日(木
3475, 迫るハイパーインフレの危機 ー2
 この時期に社会主義者の管首相と仙谷に政権を与えていることは最悪の事態と見るべきである。
彼らは大きな政府と称し、収入減少を甘くみて財政赤字を積み増している。それ以前に、この借金体質を
作り上げてきたこれまでの日本は、もう後がなくなってきている。著者の藤巻健史だけがハイパーインフレを
警告してきたのではない。多くの経済学者と評論家が10年以上も前から、警告を発しつつけている。
それでもハイパーについては大っぴらには書けないようで、大新聞では殆ど論評されてない。 
以下は、藤巻健史の前回の続きである!
  * 市場主義に背を向けてきた日本
  * 自分の財産は自分で守る
 ( 字数の関係でカット12年09月30日 )
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2009年09月30日(水)
3100,強請りの類
 この商売をしていると、数年に一度は、その手の専門職が強請りをしてくる。
小さなのを入れれば毎年である。 ( 字数の関係でカット11年09月30日 ) 
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2008年09月30日(火)
2735, 学校 
山田洋次の「男はつらいよ」シリーズが好きだが、他には「学校」シリーズもよい。
それぞれに味があるが、この後20年近く撮られてない。
 その中で特に、?が良い。
横浜郊外に住む中学3年生の少年が、学校に行かなくなって半年経った或る日、その少年は
『冒険の旅に出る』との書き置きだけを残して一人家を出る。目標は九州・屋久島の縄文杉という設定。
彼がそこにヒッチハイクで乗り継いでいくプロセスで多くの経験をしていく。初めから最後まで観客に
ハラハラさせられる場面がつづくが、その少年は、その経験を通して成長していく。
そして最後は、登校拒否を乗り越えて学校に行くことになる。 一番感動的な場面をあげてみる。
≪ ヒッチハイクを何度した後、九州まで行く女性ドライバーの長距離トラックに乗せて貰う。
 彼女が、その少年の事情を聞き、自分の自宅に少年を連れて行く。そこには彼女の自閉症の青年がいた。
一晩泊めてもらい話すうちに心が通じる。翌朝、女性ドライバーの車で鹿児島港まで送ってもらうことに
なった大介は、別れ際に、その青年から侍の絵とともに次の詩を書いた手紙をもらう。『 大介君へ/ 
草原のど真ん中の一本道を/あてもなく浪人が歩いている/ほとんどの奴が馬に乗っても/浪人は歩いて
草原を突っ切る/早く着くことなんか目的じゃないんだ/雲より遅くてじゅうぶんさ/この星が浪人に
くれるものを見落としたくないんだ/はっぱに残る朝露/流れる雲/小鳥の小さなつぶやきを聞きのが
したくない/だから浪人は立ち止まる/そしてまた歩きはじめる/   日向国浪人 大庭登』。
 母はそれを、その少年から読んでもらい「あの子、そげなこと考えとったの。おばさん、ちっとも
気づかんかった」と、号泣する。別れ際、彼女はフェリーのチケットを大介に渡し、彼の肩を
強く抱きしめた。屋久島に行かなくてもよくなっていたが、フェリーのチケット買って貰ったこともあり
屋久島に渡る。その少年は島で出会った登山客の金井真知子に同行を頼んで縄文杉までの登山に挑む。 
険しい山道を真知子に励まされながら一歩一歩進み、ついに縄文杉に到達する。 
その夜、縄文杉側の山小屋に泊まった少年は真知子に勧められて家に電話を入れる。出たのは妹だった。
彼女は兄の快挙を喜ぶと共に母が毎日泣いていることを伝えてくれた。 妹のことを真知子に問われる
まま話す少年に、真知子は「一人前になるというのは、ありのまま自分を受け入れることから
始まるんじゃないかな」と話す。≫
 −−
 恐らく、この映画を観て、登校拒否の少年が何人も癒されたのではないか。
少年期には、誰も大きな傷を受ける。それは一生の傷になる。しかし、それを抱えて一人道を歩くのが人生。
自閉症の青年の詩の一節、「この星が浪人にくれるものを見落としたくないんだ」がドキッとさせられる。
何度も観たが、その都度、考えさせてくれ、後味のよい気持ちを残してくれた映画である。
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2007年09月30日(日)
2371, え? なに! 何で?      才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*) オハァァァァァァ♪
新潟駅内の「ヨドバシカメラ」のカードをファイナンス付のカードに切り替えてほしい!
切り替えれば大きい特典があるというので書類一式を書いて送った。
  (字数の関係でカット08年09月30日)
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006年09月30日(土)
2006, 私の酒の自主規制とは
   おはよ〜!(*^ワ^*)i(~O~)ふぁ・・
たしか以前にも書いたことがあるが、
酒の失敗の積み重ねから長年かけて作りあげてきた「自己規制」を書き出してみた。
驚いたのは、多くのルールを積み重ねてあったことだ。
そりゃそうだ、酒の失敗がなければ、私の人生はもっともっと豊かであったはずである。
キチガイ水を脳に送り込むのだから、自主規制をしなければならない。
・自宅で日本酒は飲まない              ・外で一人酒は飲まない(特に散会の後・・)
・自棄酒飲まない(不味い酒は飲まない)        ・女性と二人で酒を飲まない
・2日続けての飲み会は断る(飲み会は集中するが・・  ・午前様でも、歩いて帰る
・酒の肴は肉類(焼き鳥は除く)を食べない      ・午前様は避ける(最近になって加えた)
・一期一会のつもりで徹底的に楽しむ         ・地方名士様が集まる店には行かない
・客単価5000円以上の店には行かない       ・他の客の固有名詞の名前を出す店には行かない
・ボトルは絶対に置かない              ・ヤクザ系の店(ピンク系)には行かない。
・マイナス系の人間集まる飲み会は避ける
 大体は守っているが、一昨日は午前様で幾つかを違反・・(散会以後の一人酒、午前様、タクシーで帰宅、
 イチゲンの店が御名士様の来る店、等々) 酒は注意すべし! 十年、いや二十年は命を縮めたか? 
 緩慢なる自殺の手段ということ!「酒たばこ飲まずに100まで生きた馬鹿がいる」というが・・
 ーー
 書いた後に「100まで生きた馬鹿がいる」で検索をしたところ、自分のHPの文章が出てきた。
 そして、内容といえばこの文に類似であった。まったく・・ボケ! この程度の者かお前は!
 しめの文章[[酒の飲まず100まで・・・」というとこまで、 同じときている!
 さらに4年以上前の文章の方が出来が良いときているから・・


4946,閑話小題 ー「なんでも鑑定団」の面白さ −3

2014年09月29日(月)

    * 骨董の世界は、魑魅魍魎の世界 ー②
 番組に出てくるプロが判断する値段、果たして本当だろうか?  
当然、プロも見ているので、いい加減な値もつけられないが・・500万、800万を何の基準で
判断するのだろう? 一般の買値と売値には大きな開きがある。 出演している鑑定士?の
立場上、実売価格より高めに言っておけば、無難。逆に骨董店主からすれば、高値で売った
ものを、安く根付け去れれば、詐欺呼ばわりされてしまう。贋物と知らないまま、死んで
しまえば、それこそ「知らぬが仏」である。
 武士の家系から出てくる刀や槍・茶道具に、けっこう贋物が多い。金が無い殿様が、時には
贋物専門の刀鍛冶や陶芸工場を持っていて、名刀名品として勿体をつけて家臣に与えていた
ケースが見られる。拝領する家来にとって、半ば勲章。 真偽は二の次だから、問題はない。
地域内では地域貨幣のようなもの。
 鑑定士も、その辺はわきまえて、「たいへん素晴らしい品です。値段は、そこそこですが、
良いものです。大事なお宝として保存して置いて下さい。」と言葉を濁すのが常のようだ。
絶対に、本当のことは言ってはならないのが、骨董の世界の掟。 子供の頃、何度か骨董
仲間のセリの現場に父に連れられいかれたことがある。
 大きな座敷で20人位が円座を組んで。その中央にセリの骨董品が出される。
仕切人が、提出された骨董の提出者の提示の最低値をいう。そこから、今でいうオークションが
始まり、最高値で次々と競り落されていく。 これを仲間取引といい、それだけを商って全国を
渡り歩く人がいる。 これも、目利でないと、即座の判断を要するので、深く広い経験と知識が
必要になる。「なんでも鑑定団」は、あくまでバラエティショー。
しかし、これを真剣に見続ければ、かなりの知識を得ることが出来る。
しかし、素人は、他山の石として、ゆめゆめ手を出すべきでない世界である。 
それにしても、一流の茶器は、見ているだけで癒される!
・・・・・・
4579, 2050年の世界 ー9
2013年09月29日(日)
     「2050年の世界 ー英『エコノミスト』誌は予測するー」〜英『エコノミスト』編集部 (著)
 情報機器とインターネットの進歩が、情報公開を促し、科学を飛躍的に発展させることになる。
そのキーワードは、生物学とナノ科学、情報科学、天文学。それらが互いに結びついていき、
水平思考的な科学が出てくることになる。
   ー第十六章 次なる科学ー のまとめ
・次なる科学のフロンティアは、化学でも物理学でもなく生物学にある。
・生物学とナノ科学、情報科学、天文学などが結びつき、さまざまな発見と人類に
とっての進歩をもたらす。
・2030年ごろまでには、わたしたちの知る生物のほとんどが遺伝子のサンプル化を終え、
またサンプリング過程そのものが、多くの未知の生物の存在を明らかにする。
その過程で、最近、生物の原初形態として、古細菌、真正細菌、真核生物以外に四つめの
ドメインがあるらしいことがわかったように、生命の歴史の未知の部分が解明されていく。
・宇宙も、制覇の対象というよりも探索の対象、特に生命の起源を知る意味でさまざまな
研究や発見がなされるだろう。太陽系以外の恒星の惑星の研究などが進み、生命が地球に
特異の現象なのか否かということも解明されていくだろう。
・生命誕生の仕組みの解明は、われわれの細胞を研究していくことで開けていく道もある。
・物理学は、未知の物質の探索の時代に終わりを告げ、現在あるものへの分析に
向かうだろう。 なかでもその最大のターゲットは宇宙を覆う暗黒物質の正体だ。
・経済成長により東アジアの国々は、科学分野でもさまざまに進出しているが、真に独創的な
研究は権威を根こそぎひっくり返す革新性を必要とする。その意味で、東アジアの儒教的な
上下関係、あるいは中国の専制的な政治体制はマイナスに働く。
・非西洋では随一の技術大国である日本でさえ本格的な基礎科学の研究は立ち後れている。
 日本人研究者で科学部門のノーベル賞を受賞したのはわずか十五人。それは例えば
オーストリアの受賞者数よりひとり多いだけーオーストリアの人口は日本の人口の
七パーセント以下で、その理由の一つとして、日本の若手科学者が先達の理論に
迎合しがちなことが挙げられる。これに対して欧米では、旧来の理論を否定することで
キャリアが築かれる。
・その意味で、政治体制が専制的な中国よりも、民主的なインドにおいて科学は発展するだろう
▼ 情報の共有化が進み、それが想像を絶するほどの科学は進化するはず。
その一つが暗黒物質の研究。そして生物学。一年一年単位で静かに科学の進化は進むので、
その先の予測は不可能に近い。 また、それがもたらす社会的変化も大きくなる。
そうこう考えると、やはり少しでも長生きをして時代の先を見ていたい欲が出てくる。
いや、未来でなくても、現在の世界で知らないことだらけ!
それを自覚するだけで、見えてない世界が見えるはず。全く、この厚いバイアスには!
・・・・・・
4204, 閑話小題 ー阿部が次期首相というが
2012年09月29日(土)
   * 阿部が次期首相とは驚き!
 自民党の総裁選挙、リアルタイムのTV放送だったため、ドラマ的で非常に面白い内容。
選挙の数日前から、安倍有利の予測があったようだが、安倍自身も周囲も勝てるとは思って
なかっただろう。中国との尖閣列島紛争が追い風になったことになる。維新の会の橋下に
党首を依頼され断った際に、衆院選挙後の自民との連合の可能性を話をしていたようだ。 
政権をとった際には、維新の会のメンバーを行革と自治大臣に置けば、この時期に丁度良い
超強権内閣になる。 石破が勝利し党首になっても、安倍が副総理になっただろうから
似たような。これで次の体制が見えてきた。とはいえ5年前に病気としても、総理大臣を
投げ出した人。一部の疑念が残るが、この緊急事態の中、もう一度、やらせのも良いかも。
対中国政策は強行姿勢になる可能性が高く、厳しい局面が出てくるが、この位の人が
丁度良いとみるべき。基本的に私の考えも安倍に近いが、国家の均衡縮小の方針は
無いのが気がかり。(有っても言えないか?) 
前の谷垣と石原幹事長は野党の立場もあり「座りの悪いコンビ」だった。
それに比べて数段良くなった。 これで復古でなく新しい日本をつくり変えて欲しいが、
これで年内解散の可能性が高まった。 
   * つれづれに ーリタイア生活について
 リタイアの生活に入って一年半になる。単調な平々凡々とした日々だが、これがこれで
私に合っている。事業生活を40年近く続けてきて、それまでと違った隠遁生活の平坦さに
飽き飽きすると思いきや、それは全くない。何だろう、これは?と、自身で驚いている。
時代が激動になってしまった実感があるからだ。 この随想日記を一日一文書き上げ、
毎日三時間の早朝のサイクリング、午後のスポーツジム通いが、一日のリズムになる
からである。それと、40年近くの事業生活は両肩に大きく覆いかぶさっていた。
それからの解放感が、気持ちを自由にしてくれる。前倒しの思い切った決断が、銀行
担当者も慌てるほど事業物件の売却を早くしたこともある。何か、何時も同じことを
繰り返しているが、実際に、そうだからである。
主婦も亭主さえ、コントロールが出来ていれば、これほど楽で面白いものはない。
ヒモに徹すればよいだけ。男も仕事が順調なら、それで良いが。
 ・・・・・・・
3839, iPadと、アプリ、あれこれ ー1
2011年09月29日(木)
 iPadの便利さと多様性と、そのアプリの豊富さと内容に、驚きの毎日を過ごしている。
* その一例としてメモを残すための「黒板」や「ボード」のアプリが面白い。 黒板に赤、白、黄色の
 チョークと、黒板消しが、下の溝に置いてあり、それを取り出しメモを書きこめる。凄いのは、それから。
 上段にあるカメラのアイコンを押すと撮影され、iPadの写真ロールに自動的に記憶される。 
 これは電子黒板(自動的に記憶して、再現したり、コピーを打ち出してくれる 機能の応用である。
 これは非常に便利。 黒板はチョークで書くが、ボードに直接、指で書き込むものもある。
 要は手書きのメモを、写真と録音と共に簡単に記録し残せる。 
* メモ専用のアプリものには、iPad内臓カメラで撮った写真を、そこに添付することも出来る。 
 またマイクのアイコンを押すと、録音も添付される。モバイル携帯を使い込んでいる人なら何を今更だが・・ 
 同じ類のもので、スケッチ専用のものがある。カラーペンが豊富に用意されていてスケッチ用になっている。 
 黒板とか、スケッチ用のアプリは、アナログとデジタルの融合。
* 面白いところでは、iPadの現在位置を自動ナビをし、その近くのコンビニや、
 飲食店を表示してくれるものがある。
* Googleで、直接、音声で入力をし、検索するものがある。 既に使っているが、何か奇妙な感覚だが、
 この上なく便利である。
*「ちら読み」出来る本や雑誌だけを集めているアプリもあり、その幾つかを現在、毎日のように立ち読み
 をしている。前書きとか、目次、そして、冒頭の内容を載せていて「興味ある人は購入してください」
 と、誘うもの。 ゲームのアプリのフリーのものは殆どこれだが、多種の切口の断面が見ることができる。
  初めてiPadからネットで買ったのが、「最新iPadアプリ特選700」。 これを連日見ながら新たな
 アプリ探しをしている。この雑誌で、紙の本・雑誌より、iBookの方が読みやすいことが確信できた。 
 紙は紙で、リアリティがあって読みやすが。これでは数年で新聞社や雑誌が消滅するのも納得できる。
 アメリカでは去年暮れから今年にかけて、電子書店の売り上げが店頭書店の売り上げをこえた。
 これは、あくまで販売経路の売り上げだが。 本といえば・・・・ それは次回。書店まで行って買う
手間や、本棚まで行って本を取り出し、読むまでの手間が、デジタル機能で省ける便利さは何よりである。 
・・・・・・・
3474, 迫るハイパーインフレの危機 ー1
2010年09月29日(水)
 中央公論8月号の《迫るハイパーインフレの危機*現金・預金は一番のリスク資産 ー藤巻健史》が、
  ハイパーインフレを考える上で分かりやすい。その要旨の一部を抜粋する・・
 * 日本とギリシャは、どっちが健全か?
「債務不履行を起こした場合、ギリシャはその国債の7割をドイツ、フランスをはじめとする他国が
保有している。したがって大きな損失を被るの他国。だから騒ぐのである。それに対して、日本国債の
95パーセントを保有するのは日本国民だが、被害者は自国民になる。だから、その方が問題は深刻と
認識しておかなければ。」
△ 自国民が被害者の方が性質が悪いという見解は驚きである。しかし、被害者は何らかの形で、
 日本の資産を確保するはず。
 * 日本の財政再建は時すでに遅し
「国の累積赤字は来年3月末には975兆円に膨れあがる計算になっています。約1000兆円の借金は、
毎年10兆円ずつ返しても100年かかる計算。日本の税収は昨年度37兆円に落ち込み、その10兆円に
しても捻出は難しい状況です」
  △ 戦争という非常手段で清算が無理なら、ハイパーインフレでやるしかない! 
 * ハイパーインフレへ、そして、それは実質《徳政令》になる。
「財政悪化はおできがぱんぱんに膨れあがり、膿が飛び出しそうな状態です。
 (字数制限のためカット2012年9月29日)
 ・・・・・・・
3099,政府の借金など返済の必要なし? ー2
2009年09月29日(火)
  =著者は日本国家を一家に譬えている。 〜その部分から
・世界一の金持ちの家庭(=日本国家)では、旦那(日本政府)が974兆円もの大金を借りている。
 しかし、外部の金融機関ではなく、奥様(家計)から借りている。
 しかも、467兆円のお金をヘソクリをしている。
・この家の奥様、個人としては世界最大の金持ちで、純資産が1058億円もある。
 この結果、この家族は純資産が243兆円もあり、世界最大の金持ちである。
・一家の中の、最大の稼ぎ手である長男(非金融法人)が、最近、いま一つ金を稼げないので
(法人税が減少)仕方なく旦那は資金の工面をしている。といって、奥さんから借りているだけだが。
 旦那から貰った金を預金をしたり、国債という紙切れ(借用書)、税金として再び旦那に渡している。
 要は家の中でキャッチボールをしているだけ。
・ここで家が破産するとしたら、どういう場合か?「利益や収入が足りなくて、借金が返せないとき」
 というが、家の中でのキャッチボールをしているので、絶対に破産はない。
  〜以上だが、
「財政的に破綻するのは、どういうときか」というと、「借金返済のための現金が最終的に入手できなかった
 時に破綻する」 すなわち手持ちの資金が尽き果て、預金残高がゼロになり、現金収入が途絶え、
 現金化可能な資産を全て売り払い、金融機関はもちろん、家族からの借金も不可能になった結果、
 ついに、債務不履行、破綻する。 企業も、家庭も破綻するのは、返済のための流れが途絶えた時である。
 しかし、国家の場合は、世界の国が財政が破綻しないのは、営業キャッシュフローのマイナスを、
 財務キャッシュフローで補充しているからである。日本の政府は世界の中で最も金を借り易い環境にある。
 その証拠に日本国の国債は世界で一番金利が低いことで理解できる。世界は、大不況のため、日本の金融機関が
 溢れかえっている。その国債も中央銀行が買っているのだから、政府そのものは、痛くもかゆくも無い。
 増税をして、政府の借金を返済している国など何処にもない。なぜなら、ゴーイング・コンサーン、すなわち
 継続することが前提になっている政府が永遠に債務の繰り延べができるから。その点、自国政府の国債残高を
 槍玉に上げる日本のマスコミは本当に稀有な存在である。なら、ロシアとアルゼンチンが債務不履行をしたのは?
 オカシイと思うだろう。国家両国が外国からドル建てで借りていた債務、すなわち対外公的債務が借りられ
 なくなったため。
  *政府の借金は、世界中の国と比較して、それほど突出していない
  *政府の借金の債権者は、実は日本国民である。
  *政府の借金総額は大きいが資産も大きい。あのアメリ力政府の二倍の金融資産を持っている。
  * 国家の純資産総額世界最大で、国家としては世界一番の金持ち
  *政府の借金を、税金で返済している国など一切ない。
  *政府は自国通貨建て借金に対して、永久に繰り延べをしてもかまわない
  *4番目のキャッシュフォロー(中央銀行による国債の買い入れ)を持つ政府が
   債務不履行になることなど、ありえない。
 何度も著者が繰り返していることは、「政府は借金を完済する必要が無いこと。
 しかし、それも全てが日本政府の借金が、自国通貨建てだからこそ、言える話である」 ーつづく
 ・・・・・・・・・
2734, 米国金融恐慌の深層 −2
2008年09月29日(月)
前回につづき朝日新聞「論壇時評」の社会経済学者・松原隆一郎氏の論評《金融危機の深層》を考えてみる。
  ー まずは、続き の部分から ー
【 日本が経常収支黒字で米国債を購入、米国から流出したドルを還流させる「新・帝国循環」を支えたと
 喝破したのは吉川元忠の「マネー敗戦」(文春新書)だが、サププライムショックがついにその矛盾を爆破した
 というわけだ。円高は当然、輸出頼みの日本を不況に陥れる。楽観論から悲観論に至るこの違いを、
 どう理解すべきか。それは、資産の流動性(他者に受け取ってもらえる可能性)を信じるか否かによっている。
 楽観論も帝国循環も、国際通貨としてのドルの流動性に対する信頼の上に成り立っている。またサププライム
 ローンが安全な資産と信じられたとき、複雑に組み合わせて証券化がなされ、世界に受容された。
 ところが暗転して安全性に対する不安が広まると流動性は低下した。それが信用不安からドルに対する
 信認の低下に及んだのが、今回の危機である。問題は、資金や貨幣の流動性に対する信頼が、何らかの
 確固とした根拠にもとづくものではない点だ。バブルは資産に対する強気の集団心理が引き起こし、
 不況は不安に起因する。どう対処すれぱ人々の信頼が回復されるのか、断言できないのである。
  * 処方箋、どれも不完全*
 危機への処方鰍としてJ・E・スティグリッツは、銀行経営者の個人的報酬と社会的影響に均衡を図る政策の
 必要を挙げている。金子勝はより具体的に公的資金の強制注入と、銀行経営者の法的責任の検討を提唱する。
 益田安良は正反対に、注入先の再建が進まないときの国民負担を考慮し、救済に疑義を呈している。
 筆者は金子案に共感するが、根本的にはどの案も絶対の策とはいえない。
 日本では、03年のりそな銀行への公的資金注入が外資に「日本政府は銀行は潰さない」
 というアナウンスと受け取られ、株価が上昇した。 しかしそれとて社会心理の機微にすぎない。
 資産に対する信頼は、工学的に管理できるものではないのである。】
 ▼ 評)以上だが、ドルの国際通貨は流動性に対する信頼の上に成り立っているシステムを
 米国自らが壊してしまった。    (字数制限のためカット2010年9月29日)
 ・・・・・・・・
2007年09月29日(土)
2370, 喫茶店の話
先日、コーヒーの由来と喫茶店について書いた。もう二十年、いや三十年以上前から日本では
喫茶店という業種そのものが成りゆかなくなってきているとも書いた。
   (字数制限のためカット2010年9月29日)


4945,閑話小題 ー「なんでも鑑定団」の面白さ −2

2014年09月28日(日)

   * 骨董の世界は、魑魅魍魎の世界 ー①
 私には、骨董品や美術品の保有欲が全くない。一流品などは美術館で見ればよいし、
何ゆえに手元に置かなければならないか不思議である。両親を見ていると、隠れた
名品を探し、さり気なく、格安でハンター、倉庫に収めることが趣味のようだ。
これは骨董収集家の全てにいえるが。それなら、名だたる名品を、世界の美術館で
見ればよい!というのが、私の持論。21歳の時に、ルーブル美術館、大英博物館
などで、世界的名品を見た経験が、更に裏づけになった。
 鑑定団を見ている共通点は、「骨董店の主が、アマチュア気取りの素人に、
太鼓持ち話術で売りつけているのが殆ど。だから、出てくる当人、いやに識別感に
自信を持っている。 が、それは店主の刷りこみ。株や骨董は、素人が手を出す
ものではない。「買いで騙され、売りも騙され」が、素人の悲しさ。
数代前の先祖が大事にしていたお宝にも多くある。両親の場合は元プロで、
特殊ケースだが、骨董世界は、「俺おれ詐欺」より、タチが悪い側面がある。
そこは特定少数の愛好家の世界。特定少数の本物の骨董品の周囲には、
その数十、数百倍の贋物と、詐欺紛い人たちが存在する。もし、金に窮したら、
どこかの骨董市などで、高そうな骨董を探して、金を持っている友人等に、
「これは我が家の蔵にあったもの。何時でも引取りますから、買ってもらえますか」
と、売りつけ、そ知らぬ顔か、ドロンをすればよい。
大体が、素人が一度買った骨董品を、逆に骨董店に持って売ることはほぼない。
太鼓持ちの大臣扱いで偉くなった幻想で満足した段階で、半分以上の買いの
目的を果たしている。 だから、素人衆の倉庫は、騙された骨董品の山。
で、騙す方は、買取の誓約書を平気で書く。ばれた時は、そのまま引き取れば、
詐欺ではないからだ。適当に「時代が変わりました」「この品の相場が現時点で
暴落しました」「自分も実際のところ騙されていました!」で済ますことも可能。
                            ーつづく
・・・・・・
4578, そして、人生はつづく
2013年09月28日(土)
                『そして、人生はつづく』 川本三郎著
  図書館で手に取ってみて、「まえがき」の文章が現在の私の心境に似ていたので驚いた。
 還暦過ぎれば、誰も似たような現実が待っている。 まずは介護が平均10年が人生の終りに控えている。
 私など、「そして、・・」より「それでも、人生はつづく」が合っている。まずは ー「まえがき」の全文ー  
《 2008年の6月に35年連れ添った家内を癌で亡くした。子供がいないのでそれから一人暮しが始まった。
その「独り居」を毎月一回、日記の形で書いていった。物書きという仕事柄、幸い一人でいることに慣れている。
というか、物書きとは一人でいることが仕事のようなもの。 本を読む、映画を見る、音楽を聴く、町を歩く。
一人ですることばかりだ。旅も大半は一人旅。これに、家事という新しい仕事が加わった。
愛読しているアメリカ人の詩人、作家メイ・サートンの『独り居の日記』(武田尚子訳、みすず書房、1991年)は、
ニューイングランドにある緑豊かな田舎家での一人暮らしの日々を綴ったものだが、こんな言葉がある。
「私にできることといえば、瞬間瞬間を、一時間一時間を、生き続けることだけだ――小鳥に餌をやり、
部屋を片づけ、たとえ私の内部には築きえなくとも、せめて私の身の周りに、秩序と平和を創造することだ」。
一人暮し、もうじき七十歳になろうとする人間にとっても「秩序と平和を創造すること」がいかに大事であるか。
自己管理をきちんとし、静かに暮すこと。一人暮しになって静かな一日を送る困難と、幸福を知るようになった。
 家事をし、仕事をし、散歩をし、一日の終わりに酒を飲みながら、昔の映画をビデオで見る。
無論、そんな平穏な一日が毎日あるわけではないが、それだからこそ「秩序と平和」が大事なものに思えてくる。
 もうあまり大きな声でものを言いたくない。「独り居」のなかにささやかな喜びを見つけてゆきたい。
3・11のあともそんな思いで書き続けた。あれはフェリーニの映画だったか、「私は生きることより思い出すことの
ほうが好きだ。結局は、同じことなんだけど」という意味の言葉があった。日記を書くとは、まさにその日その日を
思い出にしてゆくこと。》
 アマゾンの ーBy FANTASMA UCCIDENDO MECCANISMOレビュアーが、よい!〜編者か著者のどちらかの投稿?〜
{評論家・川本三郎は2008年に妻・ファッション評論の川本恵子を亡くし、以来独りの物書き生活が始まった。
 読書、映画鑑賞、音楽鑑賞・・でも独りだ。たまには旅にも出る。一見、悠々と見えても、心は独りさびしき、
時の旅人である。面倒な“家事”も自分でしなくてはならない。そんな老境に入った著者の日々が綴られている。
著者は当たり前に生きてきたつもりだが、妻の死、そして3・11で変わった・・・ 著者は、震災後に東北を応援
しようと小さな鉄道の旅にでる。 3・11と世の中のこと・・・。 淡々と静かに自分の日々を綴る・・・ 
そして彼自身独りの人生の時は流れてゆく・・・。たった数歳しか違わないのに、私とはまるで異なる時をゆく。
それでいいのだと思う。そして、人生はつづく・・・。ターミナルは一つであっても、そこに至る道は人それぞれに
異なるのだ。独りという寂しさの重圧は、若き時には跳ね返せても、老齢に至れば、そのエナジーも枯れつつある
ことを自ら認識、体験中のトロイGKMです。余韻が残った久しぶりの大人の文章。}
▼「本を読む、映画を見る、音楽を聴く、町を歩く。一人ですることばかりだ。旅も大半は一人旅。
 ・・もうじき七十歳になろうとする人間にとっても、秩序と平和を創造すること、がいかに大事であるか。」が、
言い得て妙。私は二年半前に、その半年前までは思いもしなかった事業整理をせざるを得なくなったが、それでも、
人生はつづいている。そこでのコツは 「独り」の世界の中で、秩序正しい静かな生活を守ること。 
一応、準備を含めた45年かけた独りの世界があるが・・・
・・・・・・
4203, 呪いの時代 ー17
2012年09月28日(金)
    * あとは呪詛の効果を搾制し、贈与を活性化するしかない!      「呪いの時代」内田樹著
 呪詛を抑えるに、贈与でお返しをするのが一番良い方法になる。が、放置しておけば、さらに憎悪が増す。呪い
に対し、贈与で返すのが贈与の贈与たる由縁になる。メディアは記事を売らんがために呪いの対象をつくり上げる。
手っ取り早いのが、政治家の失政と芸能人のスキャンダル。関係もないのに、いつの間に扇動され呪詛の集団に
される、俗に言う世間様レベル、B層である。呪詛は、これからも強くなるが、知恵で自分を守らねばならない。 
 ーその辺りからー
≪ 世の中はバカばかりで、システムは全部ダメであるという宣告はかなりの部分まで真実を衝いているのかも。
 私が問いたいのは、その指摘が正しいとすれば、そのような世の中を少しでも住みやすいものにするために、
あなたは何をする気なのかということである。完膚なきまでに批判し抜くことが、個人に対しても制度に対しても、
もっとも効果的な「改善」実践であるという左翼的な批評性の定型から私たちは抜け出すべきときです。
「私がこのシステムの責任者です」と名乗り、それに対するすべての批判を粛々と受け容れ、批判されればされる
ほどパフォーマンスが向上するような「責任者」が存在するなら、そのような定型的批判も有効かも知れない。
だが、実際には、そのような責任者はどこにもいないのである。 私たちはもう「壊す」時代から抜け出し、
「作る」時代に踏み入るべきだろう。命旦夕に迫る病人に向かって「生き方を根本的に変えろ」と叱りつける
人間はいない。それよりは残されたわずかな生きる時間の質を維持するためにどうするかを考えるだろう。・・・
(・・中略)私たちの意識を批判することから提言することへ、壊すことから創り出すことへ、復讐することから
受け容れることへ、傷つけることから癒やすことへ、社会全体で力を合わせて、ゆっくりと、後戻りすることなく
シフトしてゆくべき時期が来た。そのときに指南力を発揮すべきなのはメディアである。けれど、メディアは
まだ「呪い」の語法を手放すことができずにいる。この本の中で私は別に目新しい知見を語っているわけではない。
皆なが知っていることをもう一度繰り返し確認しているだけである。呪誼も贈与も人類と同じだけ古い制度であり、
それがどう機能するものかは誰でも知っている。けれども、多くの人びとはそれは神話や物語の中のことであっで、
私たちの日々の生活には何のかかわりもないと思っている。そうでない。呪誼は今人びとを苦しめ、分断しているし、
贈与は今も人びとを励まし、結びつけている。呪認の効果を搾制し、贈与を活性化すること。
私が本書を通じて提言しているのは、それだけのことである。 ≫
▼ 西アフリカ横断のバスツアーで、単調な奴隷通りという道をひた走っていた時、突然、道路の脇道にそれた。
 そこは、小さな市場になっていて、5〜6軒の店があった。呪詛の為の小物だけを売っている市場という。
アフリカの地域の多くでは、今だに呪詛の習慣があり、その効果が信じられている。そこで突然、生々しい人間の
サガを突きつけれたようだった。昔、アフリカの奴隷は、地元の部族が近くの部族を襲い、捕虜にして奴隷商人に
売ったもの。警察力など希弱な土地柄だと、近辺の争いに弱者は黙って呪詛に訴えるしかない。日本は近代国家
とはいえ、断絶の、それも20数年も落ち目の時節にあって、その鬱憤を誰かを呪うしかない。アフリカの呪詛の
小道具が、メディアによる、誰かへの集団リンチのような槍玉=記事に取って代っただけ。私たちは、ますます、
周囲の、そして政府の呪詛が強くなる。しかし、それが故に、国家の舵取りが大きく狂っていることさえ、
気づかないとしたら、命取りになりかねない事態である。
・・・・・・
3838, ツール(道具)について考えてみる ー4
2011年09月28日(水)
 20万年前に、動物は初めて言葉というツールを持った。 そして、以前から使用していた物理的道具と共に
他の動物を狩猟し勢力圏を拡大していった。 ところが一万年前に地球上に異変が生じ、それまでの果実などの
植物採取と狩猟では生きていくことが出来なくなって、牧農が始まった。 その時に、それまで培われてきた
言葉と道具が農業と牧畜の進化に役立つことになった。経験は本能で動物も植物も蓄積は可能だが、場所や時間を
越えて言葉や絵に置き換えて情報を伝えることが出来るのは人間だけ。現在の情報化革命が20万年来の人類の
革命といわれる。デジタル化とネットで情報が瞬時に地球上の個々人に行き渡るようになり、人間と社会の
有りようを根底から変えてしまった。 ツールが時代に大断層を生じさせてしまったのである。 
新たにネット世界が出来て、それが現実世界の上位になりつつある。 これが今後どのように時代を変えていくのか
想像さえ不可能。連日のようにiPadを取り上げているが、この御蔭で目的とするブログに到達するまで、
初期立ち上げを含めて数十分の一の時間で辿りつけるようになってしまった。 おまけに体積も十分の一以下で、
コードから解放され、ボードからも解放された。タッチ式のため、ネットサーフィンが非常に楽になり、
本やアプリも簡単にネットから購入可能になっている。 丁度、購入して一月経つが、それまでの情報の質量が
一桁は増えた感がする。ツールを弄るのが面白くなったら、しめたもの。アプリについては次回に書くが、
調べれば調べるほど次々と面白いものが出てくる。 目につくアプリは、ベストのものしかない。
それが時と共に改善され続けているため、使いかってが良いものが多いのは当然である。
 ところで、10年前の今日にあたる日に「目的と手段」というテーマで書いていた。 面白い偶然である。
「ツールは手段だが、目的と手段は融合するか?」という問いかけ。 前回、「畑仕事と釣がいいか、
iPadがいいか?」という問いかけになったが、それからすると、「iPadをしながら釣をすればよい」
ことになる。トイレの読書と同じ? どんどん使いかってのよいツールは、使えばよい。 
ただし、振り回されるな!ということになる。
 ・・・・・・・
3473, 幻滅論
2010年09月28日(火)         
  ーまずは背表紙より        「幻滅論」北山修著 
【「これは何のための本かを一言で言うなら、私自身の悩ましくも楽しい旅の記録であり、それに公共性を付与
するべく、人生におけるいくつかの不幸に強くなるためという思いでまとめた本だ」 文化畑から医学の世界に
入って30年、著者は臨床の日々の中で、ウィーンで生まれ欧米で発展してきた精神分析を、文化の役割を強く意識
して、日本語による日本の臨床に生かす道を考えつづけてきた。そのために、「語られた過去」の総和としての
神話や昔話に注目しながら、「イザナキ・イザナミ神話」や異類婚姻説話などの悲劇の意味を考え、「甘えの構造」
を深め、言語の研究をすすめてきた。 とくにこの数年は、浮世絵の中に夥しい数の母子像を発見して、その構図を
分析してきた。そこに読みとれるのは、人と人とのつながりであり、つながりがありつづけている
という幻想であり、つながりが断ち切られることから生じる幻滅であった。 本書にはこのような考察のすべてが
収められている。『幻滅論』は、自分と他人と環境とのつながりを知るための本でもある。子が母から切り離される
とき、抱える環境から自分が切り離されるときに生じる幻滅は、けっしてマイナスの体験ではない。
「あの素晴らしい愛をもう一度」と嘆きながらも現実と触れあうチャンスとなるのだ。
類のない日本文化精神分析の本が、ここに誕生。】
 ▼ 図書館で「幻滅論」という本を見つけ借りてきた。共同幻想があれば、当然のことながら幻滅論があってよい。
幻想論といえば、吉本隆明の共同幻想論がある。共同幻想とは、ネット辞書によると
【 血縁・氏族的共同体(家族)が、地縁・部族的共同体(原始的な国家)に転化する結節点として、兄妹・姉弟の
対幻想に着目している。兄妹・姉弟の対幻想は、夫婦の対幻想とは違って、肉体的な性交渉を伴わない対幻想なので、
いくらでも無傷に空間的に拡大できる。兄妹・姉弟の対幻想が、他家との婚姻と言う形で空間的に拡大しているため、
国民は心理的な一体感を共有し、幻想としての国家が成立する。逆に言えば、原始的な国家の成立は、兄妹・姉弟の
近親相姦が自覚的に禁止されたときに求められる。中上健次の「国家は白昼に突発する幻想化された性なのだ」
と言う言葉は、このことを指している】とある。
 ー幻想論は、ここで書いたことがある。それに対応して論理を組みたてていると思い込んでいたが、違っていた。
母子のつながりが何時までも続くという幻想が潰された時に生じる幻滅である。 親離れは動物としての本能的行為。
その辺の切口が共同幻想と違う。 一般的に幻滅するとは、対象に抱いていたイメージが地に落ちた時に出てくる言葉。 
それが親から引き離された時に起きる心理といわれても戸惑ってしまう。初めて共同幻想論を読み、改めてそれまでの
自分を振り返ると大部分が幻想に引きずりまわされていたことに気づいた。現象と実態、恋愛と幻滅、理想と現実の
ギャップなど経験があったが。そ時の心理が幻滅とすると納得する。勝手に思い込んでいたイメージが壊れるケースと、
対象にはイメージ通りとしても、その背後には自分の知らない要素があり、それが表出するケースもある。 
一番身近な結婚でも、現在では3割が離婚、残り7割の半分が実質破綻というデータがある。 幻想が、幻滅に
変わった身近な事例である。誤解で結婚し、理解して離婚である。歳を重ねると幻想も幻滅も消滅する。
・・・・・・・
3098, 政府の借金など返済の必要なし? ー1
2009年09月28日(月)
  * ほんとうかいな?
 「高校生でもわかる 日本経済のすごさ!」 三橋貴明著を図書館で手にとって、目が点になってしまった。 
  ーまずは、その概略をまとめてみると・・・ー
「国の借金が大変だ」「これ以上の国の借金を増やし続けることなどできない」 テレビや新聞その他のメディアで、
有名タレントから経済学の博士号を持った「専門家」まで多種多様な人々が、「日本の国家財政が破綻に瀕している!」
と毎日のように繰り返し繰えしています。 しかし、国債金利の最低水準にある日本国の借金は世界の中で一番
余裕ある水準であること、世界中の政府が長期的に借金を増やし続けていること、政府であろうと企業であろうと
経済規模を大きくするに借金が増えるのは当たり前であるから「国の借金をこれ以上増やせない」ということが
真っ赤なウソである。 国の借金とは何だろうか? 公的債務、すなわち政府の借金は返す必要がない、と聞いたら、
あなたはどう思いますか。 恐らくそんなはずがない。 借金は.自分たちの税金で返すか、あるいは子孫に負担を
押し付けるしかないと、反駁するかもしれません。しかし現実の世界では自国の借金を返している国など一つもない。
なぜ一つもないと断言できるのかと言えば、そもそも政府の借金を返済している国など世界に一つも無いからなのです。
一時的に「政府の借金が減ってしまった国こそあるものの、政府が自らの意志をもって節約に努め返済に勤しんでいる
国など本当に一つもありません。ましてや、国の税金で借金を返すなどと、本末転倒なことをしている国など皆無です。
 ポイントを言うと
●日本政府の借金は、世界中の国と比較して、それほど突出しているわけではない
●日本政府の借金の債権者は、実は日本国民である。
●日本政府の借金総額は大きいが資産も大きい。 あのアメリ力政府の二倍の金融資産を持っている。
●日本国家の純資産総額世界最大で、国家としては世界一番の金持ち国家
 〜〜
 どうも、この本の論法は落とし穴があるような気がする。金融資産の500兆円分はアメリカの国債を買わされて
しまって紙くずでしかないし、いつか爆発的なハイパーインフレになり、国家破綻になるのは目に見えている。
しかし、だから如何した。国民の資産が壊滅するが、国家としては何ものも失われない。それでは、国民の金融資産、
不動産資産の価値の暴落があっても、その縮小した中では同じではないか、ともいえるのである。
次回は、日本国家を家庭に例えて、説明をしている部分を紹介してみる。           ー つづく
・・・・・・・・・・
2733, 米国金融恐慌の深層 −1
 2008年09月28日(日)
朝日新聞の昨日の「論壇時評」で社会経済学者の松原隆一郎が《金融危機の深層》として、アメリカ発金融危機
の本を評論していた。
  (字数制限の関係でカット2010年9月28日)


4944,閑話小題 ー「なんでも鑑定団」の面白さ ー1

2014年09月27日(土)

* 「なんでも鑑定団」
 熱狂的ファンでもないが、好きな番組である。骨董の世界は奥行きは深く、広く、
果てしない。私の実家が江戸末期からの骨董商の分家で、父は、その分家の二代目。
当時の地元名士様に的を絞った、上客を多く持っていたが、太平洋戦争で骨董販売
では生活が成り立たず、父が戦中、戦後にかけて、転業した後、終戦後、衣料量販店
で大当て、骨董を趣味として、買い手としての収集家になっていた。 
それもあって、幼児の頃から父に連れられ、昔の仲間だった骨董店などに連れて
いかれていた。そのお陰で、知らずと骨董の真贋を見分ける目がついていた。 
良いものを見続けると、贋物が感覚的に分かってくる。 (これ人間にもいえるが) 
更に20数年、世界中の美術館を見てまわったことも目を養ていった。
美術館は古今東西の超一流の骨董品の展示場である。 ーネットによるとー
《 1994年4月19日放送開始。テレビ東京系から放送中。元々は、島田紳助が
過去に司会をしていた深夜番組「EXテレビ」として放送した「家宝鑑定ショー」がルーツ。
・・・ 様々な人が持っている「お宝」を、専門家(主に古美術品やアンティーク
ショップの経営者が中心)が鑑定し、値段付けを行う。意外なものが高価な鑑定結果を
得たり、高価だと思われていたものが偽物などで安価になってしまうという意外性や、
鑑定物に対する蘊蓄が堪能できるのが特徴。 
鑑定の結果、埋もれていた芸術家や芸術作品が発見されたこともあった。
・・ 本番組からいわゆる鑑定ブーム、骨董品ブームが起きたが、何でも金銭で
換算してしまう点や、美術品をパフォーマンスで見せる点などを苦々しく感じている
美術関係者もいる。
 しかし、依頼品にまつわる人々の熱かったり切なかったりする思い入れや、
鑑定結果に一喜一憂する依頼人の表情などは人間味にあふれ、鑑定を単なる金銭的
評価に終わらせていない。また、鑑定結果が出る前には、これから鑑定する
依頼品に対する予備知識の解説が入る。そこでは、製作者の生い立ち、歴史的背景
などのほか、作風、作品の見方、味わい方などが紹介される。このために文化史、
美術史などにおける教養番組としての側面も持ち、その観点から当番組を楽しむ
視聴者も多いと言われる。・・・》
▼ 子供の頃から、両親の日常の会話の中心が、何時も骨董の話。
 そこで購入した骨董品を二人で楽しそうに眺めていた。部屋の中では、常に骨董品が
季節ごとに変わる。その環境が当たり前の世界であった。母親が亡くなった時の相続で、
兄が倉庫に溢れていた骨董品。私は現在住んでいる自宅だった。で、あの骨董の山、
どうなったか?不動産も実売になると半値だから、他人事ではない。実際、事業も・・ 
売り家と唐様で書く三代目!『 努力して築き上げた家産も孫の代になると遊び暮らして
使い果たし、ついに家まで売りに出す。しかも「売り家」札は その道楽ぶりを物語って
しゃれた唐様の書体で書いてある」ということ。『この随想日記そのものが、唐様
そのもの?どの道、宇宙のゴミ、同じこと』と、バカがいう。 
『同じバカなら、踊りゃなソン』と、更にいう。
その目で「何でも鑑定団」を見ると、同類憐れむで面白い!
・・・・・・
4577, 2050年の世界 ー8
2013年09月27日(金)
        「2050年の世界ー英『エコノミスト』誌は予測するー」〜英『エコノミスト』編集部 (著)
 2003年のビッグバン理論が観測で認定され、大きな境い目になった。 宇宙衛星などの観測から
宇宙が拡大しているにかかわらず、膨張が加速していることが分かった。膨張のためには他の宇宙
から何かのエネルギーが、注ぎ込まれなければ成り立たない。それが暗黒物質と暗黒エネルギー
である。現在、その発見に世界中の科学者が躍起になっている。
   第十七章 苦難を越え宇宙に進路を  ーのまとめ
・冷戦時代に予想されたフロンティアとしての有人飛行競争は終わりを告げ、宇宙の商業利用
の時代が来ている。 アメリカの全地球位置発見システム(GPS)など人工衛星群の商業的
価値は、2009年には1609億ドルにのぼり、前年比11パーセント増の成長を達成。
・アメリカが宇宙へ独自に有人飛行をすることをやめた反面、中国の台頭が目立っている。
中国は、2025年をめどに月着陸をめざしている。しかし、これは米国が月着陸を果たしたときの
世界的興奮と比べれば、はるかに小さなニュースとなるだろ。
・NASAは、小惑星への有人飛行を計画しているが、火星への有人飛行のほうがはるかに、
世界的インパクトが見込める。
・軍事的な宇宙利用の主眼は、引き続き情報収集という機能に集約されるだろう。
・民間会社による宇宙飛行はすでに実現しており、アメリカは宇宙探索の、部分をそれらの
会社にアウトソースしている。ヴァージン航空を率いるリチャード・ブランソンは、ヤーキェリー
計画のような弾道飛行によって宇宙に出るサービスを提供する会社を始めているが、
まだ一回あたりの費用が二〇万ドルと高すぎる。民間会社による観光目的の宇宙飛行は、
 今後費用が下がっていき、金持ちの娯楽の一部となるだろう。
・銀河の動きを説明するために、暗黒物質なるものが宇宙の五分の一を占めなければ
ならないことになっている。 その正体を知ることは、当面の大きな宇宙探索の目的のひとつ。
宇宙の膨張が速度を増していることが近年観測されたが、それを説明するための
暗黒エネルギーの正体も解明が待たれる。
・太陽系以外に生命の可能性のある惑星はいくつもあり、観測技術の発達によって
地球以外の生命の発見が今後なされるかも。
▼ ひと時代前には、他の宇宙などSF小説さえ取り上げなかった。それが、10の500乗の
別宇宙の存在の可能性が、実しやかに語られている。宇宙の知識も、天文科学の進化で
飛躍的に伸びている。40年前では、想像すらできなかった別宇宙の存在に匹敵する新たな
事実が発見されているのだろうが・・・ 「人間を一の単位とすると、我々が住む宇宙が
 10の27乗の世界で、ミクロではマイナス35乗の世界が我々の世界」という。
言葉として、マイナス35乗のミクロ物質が、どのように考えても私の頭では理解できない。
現在、暇を見つけては、そのイメージを持とうとするが、無理。
 もしか、持てたとしたら、どうだろう?お釈迦様より、遥かに超えた何かを実感できるのでは? 
 137億光年の宇宙の果てが27乗の外の世界で、逆にマイナス35乗の物質世界の合計
62乗が私の世界? 理解不能!
・・・・・・
4202, 閑話小題 ー危所に遊ぶ
2012年09月27日(木)
   * 危所に遊ぶ
 芭蕉の『俳諧問答』に「危所に遊ぶ」という言葉がある。 危所は字のとおり危ない所だが、
「名人は定跡から外れ、未知の分野にも冒険心を持って飛び込み、そこで楽しむ」という意味がある。が、他にも、
「危ない所で遊ぶぐらいの心の余裕を忘れないこと」と、「危ない所の先に宝が隠されている」という解釈もある。
事業の創業も、自分を一度、絶壁に追い詰め、そこから湧き出るエネルギーを動力にする。 危所を見極め、そこに隠された
キーを見つけることがポイント。ゲームとは危所(難関)を設定し、知恵で乗り越える遊び。難度の高い危所を合理的に
乗り越える域に達した人が名人になる。これは人生にもいえる。生まれ、死ぬまでの間に難関が次々と立ち塞がってくる。
人生を充実させるには、その難関を最大のエネルギーを使い知恵にかえ乗り越えることにある。これも「危所に遊ぶ」である。
   * 最近の私の言説は「悲観的すぎ?」
 この数年来、世界恐慌に突入直前という論調で書き続けている。10年前に同じ位の悲観論で書いていても、今から振り返れば、
その数倍も酷い惨状になっている。まさか、地元の越後で大地震が二回も起き刈羽原発が破損。上越新幹線もトンネル内で脱線。
世界を見れば、アフガン、イラクにアメリカが攻撃し、政権を転覆。それに百年〜四百年に一度の経済震災のリーマンショック。
更に東北大震災で二万人の死者と、津波による福島原発の最高7レベルの破損。そして近将来には、リーマンショックによる
世界恐慌が覆い尽くそうとしている。この10年間の惨状の数倍規模の変動が起きるとすると、私が書いている内容など、まだ甘い。
 東北大災害が起こるまでは、心の何処かに首都圏か東海地区の温和なところに終の住み家の憬れがあったが、今では考えられない。
更に、この秋口から年末にかけての恐慌への不安定材料が、あまりに多い。これに中国が権力移譲期の混乱の隠れ蓑にするため、
尖閣列島の領土問題を大々的キャンペインを始めた。日本の政治の混乱を見抜いてのこと。ドラッガーではないが、「断絶の時代」に
本格的に入ったということ。何事もなく、凡々とした時代より、断面が見れるだけ良いと思うしかないが・・・
・・・・・
3837, 『 ライフ ―いのちをつなぐ物語― 』
2011年09月27日(火)
 二週間以上も前の話題になるが・・・ 急に思い立ってシネマ 『ライフ ―いのちをつなぐ物語―』を見てきた。
金曜日の少し早めの9時開始だったので数人しかいないのではと思いきや、20人は入っていた。ツアーでアフリカや南米、
北極圏などに行っているので、実感として身近に感じ取る感受性は人一倍あるはずである。 とはいえ、映像は映像。
手付かずの野生動物の世界は激しい弱肉強食の闘いの中である。そこにはギリギリの生死の狭間で生存の知恵が生まれてくる。
TVのシリーズで放送した総集編だったが、大画面でみる画像は迫力がある。 こういうドキュメント映画をみるにつけ、
人間が地球の主役ではないことを思い知らされる。  ところでiPadのアプリをみていたら、
「Memory of coiors presented by Fotopedia」(色彩の記憶)の写真集のアプリがあった。 
てっきり秘境系の写真集と思って、250円ならとダウンロードした。 しかし景色は一切なく、秘境の住人の上半身か全身の写真集だった。
しまったと思ったのは、初めの20分だけ。見ているうちに、彼らの自然の面構えと、顔と全身に塗られたペイントと服装の素晴らしさに、
引き込まれてしまった。 祭りか、祝いのための取って置きの晴れ姿や顔などのペイントが、素朴で美しいのである。
日本も江戸時代までは、こんな素朴な顔をしていたはず。 カメラマンのRangelの説明文が、また良い。
≪ この人々のまなざしに向き合い、見えてくるのは・・・自分自身の人間性の反映です。彼らは「私たち自身」です。≫ と。
 ネットは、確かに最先端のテクノだが、こういう世界の美しさを一般に知らしめる力がある。 地球の素晴らしい秘境の大自然や、
そこの住人が昔からの生活と伝統を守り、いま現在も変わらない生活を続けている姿を、リアルに記録してくれる。 それだけでない、
手付かずの大自然の中には野生の動物や、数多の植物が生きている。 この東北大震災と福島原発の汚染は、その正反対の近代科学が
もたらした問題。 科学は両刃の刃である。 顔には、全身には、文化が、そのまま現れる。 あらすじ を検索すると次のようにあった。
  『 ライフ ―いのちをつなぐ物語― 』
【 カメラは地球上の全大陸に足を踏み入れ、あらゆる技術を駆使して、多様な生き物たちの生態を世界で初めて捉えた。
 肉眼では見えない細部の撮影を可能にしたハイビジョンマクロカメラによるハエジゴクの捕食と受粉。ジャイロ式ステディカムによる
 グンカンドリ対アカハシネッタイチョウの空中戦やバンドウイルカの泥を利用した餌の捕獲。超ハイスピードカメラも、数々の生き物の
 珍しい生態を捉える。フサオマキザルのヤシの実割り、ハネジネズミのスピード移動、バシリスクの水面走行、トビウオの海上飛行。
 特製ボックスを使用したスーパーハイビジョンカメラでバショウカジキの小魚の群れ追撃を撮影。彼らの行動は早すぎて通常のカメラでは
 捉えられないので、これまで前例がなかったが、超ハイスピード撮影による80倍のスローモーションでその生態を追うことが可能になった。
 この他にも、数多くの姿がカメラに収められた。アイベックスに襲い掛かるキツネ。三匹のチーターが協力して行なうダチョウ狩り。
 コモドオオトカゲによる水牛への攻撃。ロライマ山に生息するオリオフリネラがタランチュラの攻撃を受けて岩場を転がり落ち逃げる様子。
 木の枝の上で戦うチリクワガタ同士の愛の戦い。ザトウクジラの求愛コンテスト“ヒートラン”の完全撮影。だが、本作が伝えるのは、
 こういった映像の珍しさではなく、それらを通じて表現される生き物たちの生きるための知恵、勇気、愛なのである。】
・・・・・・・
3472, 人生、よもやま話
2010年09月27日(月)
 子供の頃の想い出は魂の故郷というが、最近いやにフラッシュのように断片が頭によぎる。歳のせいだろう。 
現在、思い出してみても小説になるような世界だった。長岡の駅前は戦災にあって焼け野原から復興の過程にあった。
終戦直後に産まれ、街の真っ只中の店が幼児期の世界であった。両親、兄姉、店の従業員、出入りの業者、御客が慌しく
犇いていた。そして、多くのドラマを子供なりに見ていた。華やかな集団生活で、誰もが笑顔で頭を撫ぜてくれていた。 
一歳前から記憶が始っている。人は一般には3歳ごろから始まるとは青年期になって初めて知った。
這い這いしていたことも、初めて歩いたことも、そして、鉄筋コンクリートのビルが立ち上がっていく過程も鮮明に残っている。
夢のような日々であった。ラジオから美空ひばりや、笠置しず子の歌声が聞こえていた。 幼稚園に入り、初めての友達ができた。
そして家庭内のゴタゴタが色いろあった。 忠実に当時のことを書き出せば、面白い小説が数冊は書ける。何時の世も、
人間の赤裸々な人生が展開されている。 まだ憶えているが、店に尾長猿を肩に乗せた男が店に入ってきた。そして、
この猿を買ってくれないかという。傍にいて、初めて見る猿に驚き見入っているうちに、その猿が愛おしくなり、買って欲しいと
父に頼むと、アッサリと買ってくれた。そして、店頭のペットとして、直ぐに人だかりになった。 昼は店のペット、夜は三階の
家庭のペットとして皆に可愛がられる存在になっていた。 その頃、家には白黒のコロという愛嬌があるが、少し抜けている犬がいた。
今までは、その犬が人気者だった。 しかし猿に人気が移ると、犬が猿に嫉妬をして大喧嘩をする。それが子供心に面白い。
そうこうしていると、今度は猿の攻撃相手が家庭内では兄と私になる。足や尻を思い切って噛むのである。
そして歯形がつく程度から、出血をするまでになった時、父は直ぐにハク製屋に売ってしまった。 残酷なものである。
 そのうち次は自分がペット屋で同じ種類の猿を見つけきて、父に買って欲しいというと、また、アッサリと買ってくれた。
二代目のタロウである。これも、直ぐに慣れたが、一年もしないうちに狂暴になってしまった。メス猿を買いまして
ツガイとして店のマスコットにした。しかし、ある時期が来ると、今度は店の前で平気でペアリングを始める始末。
これも二年もしないうちに剥製屋いき。過ぎてしまえば、全て夢幻か〜 哲学に過去は存在するかどうかの考察がある。
 ・・・・・・・
3097,返済猶予法案の成立から見えてくること!
2009年09月27日(日)
ーまずは産経新聞の記事からー
 金融界が「亀井ショック」に揺れている。郵政改革・金融相に就いた国民新党の亀井静香代表が、
中小企業向け融資や個人向け住宅ローンの返済を一時猶予する「モラトリアム法案」を今秋の臨時国会に提出し、
早期成立を目指す考えを打ち上げたため。銀行への猶予の強制が法制上可能かという問題に加え、不良債権の増大や
モラルハザードなど副作用を指摘する声もあるが、銀行への不信感を募らせる亀井氏の勢いはとまりそうにない。
   {字数制限のためカット2011年9月27日}
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2732, 恐慌前夜 −3
2008年09月27日(土)
「恐慌前夜」副島 隆彦 (著)  ー読書日記
 「現在の世界の経済は、世界恐慌と煽り立てていれば、近い将来必ず大当たりになるのは当然じゃないか」
  と言ってしまえば、それまでだが。この金融パニックはは2年や5年で問題の解決するほど浅いはない。
   ー以下、面白そうな部分を抜粋して考えてみる。
  *恐慌前夜、何に投資すればよいかー
  *すべての金融商品は「保険」から始ったー
 (字数制限の関係でカット09年09月27日)
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2007年09月27日(木)
2368, 閑話小題
  *安部居抜き内閣*
福田内閣の組閣が終わったが、「安部居ぬき内閣」とは、よく言ったものだ。店舗を内装・食器そのまま売却することを「居抜き」
というが、今回は安部が組閣直後に投げ出した内閣だから、それが自然だろう。ママつきで売却という話も聞いたことがある。
もちろん買い手の愛人に、そのままなるのだろう?が、水商売は何でもありの世界である。
  *時津風部屋一家殺人事件*
この6月に、新潟県出身の入門したての力士が稽古の途中に倒れ、そのまま死んだとTVのニュースに出ていた。
親は傷からみて殺されたと主張していたが、その場所は時津風親方は仮病?で本場所には出てないとか。
今朝のニュースで「リンチで殺人容疑で立件へ」と報じていた。
相撲部屋は、リンチは日常で、その苛酷さは周知の事実である。これではますます日本人は相撲のなりてはいなくなる。
殺された本人は何度も実家に逃げ帰り、その都度連れ戻されたというから、親にも問題があった。
リンチと「あんま」の境界上でないと、強くなれないのがプロの世界だが。朝青龍も本場所で負けた力士の部屋に乗り込んで、
復讐をするのが仁義だったというが。あまりに露骨なので現在間接的に親方衆からリンチになっているのが、一連の朝青龍の問題。
それにしても、入門して三ヶ月の17歳の子供を何度も実家から連れ戻し、集団で叩き殺すとは信じがたいことである。
   {字数制限のためカット2011年9月27日}
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2006年09月27日(水)
2003, 具体的にみるWeb2・0社会とは −2
  Good☆':.*^ヾ('c_'ヽ,,)*.:'☆Morning (~O~)ふぁ・・
 「グーグル Google」 の著者の佐々木俊尚氏の講演でのキーワードは、ネット社会の先行きを象徴している。
  その中で一番印象に深いのが「Buyma」である。一昔前までは考えられなかったことが、現出してきたのだ。
(字数の関係でカット2008年09月27日)           つづく    (。・ω・)ノ☆゚+.バイ!
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2005年09月27日(火)
1638, 巨大スーパー販売前線の男達
一昨日のNHKスペシャル『巨大スーパーの販売前線の男達』が日本の流通業の現状を、そのまま映しだしていた。
デフレ不況などの影響で大手スーパーマーケット各社の売り上げが伸び悩んでいる。
業界第2位の売上高を維持しているイトーヨーカドーの戦略に迫っていた。
 (字数制限の関係でカット09年09月27日)


4943,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー51(余禄)

2014年09月26日(金)

   * 「倒産が悪い」は、思い込み?
 倒産など、実際のところ、その数ヶ月前までは思ってもいなかった。繁華街のど真中の商家で
10歳まで住んでいたため、両親の話題は周辺の倒産話。その生々しい具体例を多く聞かされた。
さらに姉夫婦と、兄の会社の倒産の相談も受けていた。それが、まさか自分も!とは。 
それもあり、新潟駅前の事業設計には、万一の備えを長年にかけしていた。
 以前にも書いたが、《 家内とは通帳を別にして、家内名義の給与を与え、そこから厚生年金と
社会保険をかけ。事業には家内も含め家族・親戚は入れない。地元にはホテルをつくらない。
御名士様の集まる会は同級会以外は避ける・・等々を守っていた。それが最悪の事態から
自分を守ってくれた。 身近の姉と兄の倒産の実態を見ていたが、高利貸しなど街金融に
手を出さなかった以外、備えはなかったようだ。
 「倒産=悪」と思うのは仕方がないが、見込みのない経営を続けるより、深手になる以前の、
体力のあるうちの整理は、むしろ良いはず。そのためには、長年かけた備えが必要。 
最後は、こうなり少しはガッカリはしたが、学生時代に決心した創業人生を生きなかったら、
確実に絶望か大きな後悔を持ったはず。 45年の人生は、それを最小にしてくれているが、
自分で気づいてないが、愚痴を書いていたかも?。
『不安、挫折、絶望などのマイナス100のことは、エネルギー面では、プラス100と、同じ」と、
脳科学者・茂木健一郎の言葉にあったが・・ 最後の節目と、現在も含め、自分と周囲の上面の
視点が面白い! そうこう経験してみて、この結果も決して悪くはない!
私には丁度よい塩梅だったと思うしかないが  |ω・`)
・・・・・・
4576, ほめことば練習帳 ー3
2013年09月26日(木)                     
   * 第二歩目は関心を持つということ。   「ほめことば練習帳」山下景子著  
  ー要約の箇所からー
《 日本語には、風景や季節を愛で、讃える言葉がたくさんあります。それだけ、この国の風土を愛し、
 関心を寄せてきた証。人間が好きな人は、自ずと褒めることが多くなる。旺盛な人は気づくことも多いので、
ほめる材料にこと欠かないでしょう。自分の価値観や思い込みに縛られている人はほめることができません。
粗探しばかりしてしまうとしたら、要注意です。それは、相手に関心があるのではなく、つまるところ、相手を
否定しているのですから。ひとりひとり違う人の能力。それを敬う気持ちが、ほめ言葉につながるのでしょう。》
  ☆ 第二歩の(能力に敬意を表するほめ言葉)
 多才/三舟の才/詠雪の才/七歩の才/十八番/立て板に水/達筆折り/紙付き/圧巻/ハ面六膏/鬼才/鍾々たる/
 賢い/利口/造詣が深い/知的/優れている/上手/腕が立つ/ハ丁(八挺)/器用/妙/巧み/堪能/秀でる
▼ それぞれの個性を認めて、絶対肯定する言葉が「ほめ言葉」になる。ほめることは、相手だけでなく、
 自分を肯定することになる。このことを自ら分かっているか?というと、分かってない。 
肯定は意志。それが分からない。
    * 第三歩は、円滑油となるほめ言葉
《 ほめ言葉は、潤滑油としての役割も果たします。これらを第三歩としてまとめました。
 特に日本人は、この使い方を大切にしてきたようです。しかし、それゆえの弊害もあります。
よく「心にもないお世辞」などといいますが、実際、ほめ言葉とお世辞の境い目は限りなく曖昧です。
下心がなくても、相手がそう感じれば、お世辞になってしまいますし、反対に下心があっても相手が感じなければ、
 ほめ言葉です。ですが、人を傷つけないための潤滑油は、必要だと思います。それよりもむしろ、ほめることに
よる効果を期待することの方が、問題ではないかと思うのです。 たとえば、やる気を出すためにほめるなどと
いうことも、見返りを求めているといえないでしょうか。ほめ言葉は、言葉の贈り物。義理で贈り物をすることは
あっても、はじめから見返りを求めて贈り物をすることは、気持ちのいい行為ではありませんね。》
  ☆ 第三歩 ー潤滑油となるほめ言葉
 結構/重宝/面白い/珍しい/初めて/筆舌に尽くし難い/そこはか/微妙/雰囲気があるいい/気が利く/
 卒が無い/機知に富む/打てば響く/才覚がある/成る程/頼りになる/愛想がいい/いみじくも
▼ ほめ言葉は言葉の贈り物。贈り物には繊細の注意とタイミングと、綺麗な包装紙で包む必要がある。
まずは身近な家族から、ほめる訓練をしてみようか。家内が服装に迷ったとき、何時も私に選択を委ねる。
その時がチャンスである。(逆の場合は、無視されるが) そういえば、母親が子供の頃から常に褒めてくれていた。
  ほめ言葉は、愛情の自然表現になる。ほめていれば自然と愛情が入る。逆に貶すことは、憎悪の念が入る。
・・・・・・
4201, 呪いの時代 ー16
2012年09月26日(水)                              
   * 「ほんとうの私」という幻想からの脱却 ー2     「呪いの時代」内田樹著 
「ほんとうの私」という幻想、考えてみると実に奥行が深く面白い。ある種の人間、それも比較的軽い人間が陥り
やすい心理トリック。その幻想に本人が気づかないから始末が悪い。会社が倒産したり定年の節目にハッとする。
「本来の自分はこんな会社にいるべき人間でなかった!自分の人生、失敗した」と。これが実は「ほんとうの私」と
いう幻想のなせるワザに気づかない。 結婚相手の選定の失敗と思う夫婦の確率95パーセントと酷似している。 
結婚も職業選択も振り返れば似ていることが分かる。それ以前に人生は幻想そのものだが。で、結婚相手と、
選定した職業を呪うのが必然となると、大方の人は人生を呪う宿命?になる。だから老人の顔は肉体の衰いと
病気が重なり暗くよどんでいる。しかし、このことを知っていれば、自分だけでないことで諦めがつくというもの。
誤解をして結婚、理解して離婚というが、その上、大部分が「誤解して結婚、我慢して老年!」になる。
幸せそうな夫婦と、幸せな夫婦は違う。 ありもしない「ほんとうの私」さがしが高じるとルーツを知りたくなる。
ルーツなどアフリカのサルぐらいを知っていれば充分。平家の落人だったか、源氏の末裔だろうが、それが何だと
いうのだろう。その間に嫁の血が入っているため、血筋などあってないに等しい。頭の体操で、私にとっての
「ほんとうの私」とは何か考えてみた。そう、HP内に10年以上もかけ、いろいろアップしてきた、これ?。 
で、どうした? どうでもない! ただ、それだけ。これは「ほんとうの私」というより、「正味の私」に近い、
この程度のもの。 その「正味の私」も、怪しげなもの。あとは文章と同じように、最後はひねりをいれ自嘲する
しかない。「ほんとうの私」は、いつの間にか肥大化し、現在の「正味の私」を何とかフォローしようとする。
それが性格の歪みになり、その病的性格が、成熟を止め、無知で無能を正当化して呪いの塊になる。
そのため停滞の世では、国民全体に蓄積されるため自分より弱い者と、政府に攻撃することになる。だから首相は
一年も持たない。権力闘争で批判勢力は、「ほんとうの私」の「私」を「政治」に取り替える。 あるべき
「ほんとうの政治」を掲げれば、呪いの時代では、権力奪取に有効に働くからだ。それで民主党が政権奪取をしたが、
このザマ。そして、今度は「維新の党」である。しかし結果は火を見るより明らか。とはいえ、自公民の延長は困る。
そうなると連立で強権政府を時限立法で、大鉈をふるうしかない。要は、日本は思い切ったダウンサイズをして、
正味の日本になるしかないと割り切ることだ。原爆を持ち、アメリカと手を切り、自主憲法を作り直し、国民全体の
生活を数段落とし(消費時アップ)、地勢を生かした真の独立国家を建て替えるしかない。現実に、そうなる。
アメリカか中国の属国より、その方が余程よい。 この10年、いや20年は大荒れになる!
・・・・・・・
3836, ツール(道具)について考えてみる ー3
2011年09月26日(月)
 どんな優秀なツールを持っていても、目的が定まらないと宝の持ち腐れになる。 現在はデジタルの時代。
情報の大部分はデジタルに置き換えられる。デジタルは限りなくコピーが可能。 完成時から、それらは無料の
方向に限りなく下がっていく。完成と同時に、それを叩き台とした次の革新が始まり、その連鎖は止まらない。
知的ツールも同じことで、止め処もなく優秀になっていく。それが一般に浸透すると知的底辺の底上げが生じる。
それが先端の能力を押し上げ、情報が核爆発的に拡大を始めている。その結果、どうなるかは北アフリカの独裁
国家の現象。知的ツールの集約されたモデルが現在のところiPhoeとiPadと、それに付随してくるアプリ(ソフト)。
また家電と電気自動車、そして住宅にも、その流れが更に進んでいる。 iPadを例にとれば、一枚のタブレットに、
あらゆる機能が組み込まれている。 本・雑誌、本棚、本屋、ゲームセンター、スポーツジムのインストラクター
(ビデオ)、映画館、ファッション店、スーパー、レコード店など、あげればきりがない。重要なことは、一枚の
タブレットに集約されたこと。音楽がiPodeに数千、数万曲が収まってしまって数年もしないうちに、本に雑誌も
同じ流れが生じてきた。本棚の数千、数万冊の雑誌、本がタブレットに収まるのである。レンタル本まで出ている。
(ある時期が過ぎると自動的に消える)iPad/iPhoneのアプリだけで、既に10万種もあり、現在も果てしなく
増え続けている。フリーの子供のゲームや、カーレースものをダウンロード、遊んでいるが、これが面白い。 
数年前までゲーセンに行って遊んでいたものが、タブレットPCで遊ぶことができる。対戦相手が必要な場合、
ネット上から呼び出し遊ぶことができる。 私たちの年代からすればSFの世界に近い感がする。 
 ネット世界に入り込み、その住人になったら、現実世界の中で生きることに違和感が生じて当然。 一枚の
ICチップに80億個以上のトランジスターが入ったものが出ているという。トランジスターは私が十歳代前半
の頃に普及を始めた。父が仕入れの出張先で買ってきたトランジスター・ラジオを見て驚いたことを覚えている。 
あれから50数年といえば、この時代では大昔になるが、トランジスターが80億もICに入っているなら、
iPhoneに数千、数万の曲が入るのも納得する。デジタル化とネットが情報機器のカタチになって、世界を根底から
変えている。 それを利用しない手はないことは言うまでもない。 が、それら全てを放棄し、畑仕事や釣に没頭
する生き方こそ求められる時代でもある。 ツールに振り回されるより一歩、二歩、それから離れることも必要。 
ツールはツールである。午前、午後に分けるとか、週末は釣と畑仕事、平日はツールで遊ぶとか。
逆に中途半端か。こんなに面白いもの、私は使う方をとる。
 ・・・・・・・
3471, 久々のジョーク -9
2010年09月26日(日)
  * 呼び方
  * 男女の差
  * 動物愛護
  * 祈り
  * 離婚の理由
 ( 以下、字数の関係でカット2012年9月26日 )
・・・
2731, 恐慌前夜 −2
2008年09月26日(金)
「恐慌前夜」副島 隆彦 (著)  ー読書日記
  *焦げついた住宅公社債《530兆円》その内訳
 P−34 ことの始まりは、7月に入って米大手証券のリーマン・ブラザーズが「GSE社)は、会計基準が厳格化
されれば750憶ドル(8兆円)の増資が必要だ」と記したレポートを発表したからだ。このリーマン自身の破綻の日も近い。
人(他人)のことを分析している暇はない。 7月10日にウィリアム・プール前セントルイス連銀総裁が「GSEはすでに
実質超過(破綻している)である。 {字数の関係で一部カット(2009年9月26日)}
 *シティー、メリルリンチ、さらにモルガンも消える
 P−178 アメリカでこれか30社ぐらいの大銀行、大証券会社、生命保険会社、侵害保険会社が潰れるだろう。
ヨーロッパでも20社ぐらいが今からまだまだ潰れていくだろう。 {字数の関係で一部カット(2009年9月26日)}
・・・・・・・・
2007年09月26日(水)
2367, エーゲ 永遠回帰の海 −3
               ー読書日記
 今回のギリシャ旅行の目玉の一つのデルフィの神殿について、立花隆の「エーゲ 永遠回帰の海」の中に、
解りやすい記述があった。具体的で解りやすい興味を引かれる箇所である。ギリシャはギリシャ神話と、哲学ができた
ところであり、その原点がデルフィでもある。最近、哲学がますます面白くなってきたことも、このギリシャ旅行への
動機になった。 世界は深いし、人生ではその一端しか触れることしかできない。少しでも多く触れて、世界を知る
ことが人生である。実際のところ、その場に行ってこそ、その一端が見えてくる。ツアーとはいえ世界の光の場に
多く立てたのは大きな心の財産になっている。プラトンの「饗宴」でも読もうか。 ーP・166よりー 
 (以下、字数の関係でカット2009年9月26日)
・・・・・・・・・・
2006年09月26日(火)
2002, 具体的にみるWeb2・0社会とは −1   おはよ〜!(*^ワ^*)i(~O~)ふぁ・・
長岡商工会議所(9月24日13時半)でおこなわれた「グーグル Google」 の著者の佐々木俊尚氏の講演をまとめる。
テーマは「グーグルが拓く、『Web2・0』マーケティングセミナー」である。著書の説明程度だろうと期待して
いなかったが、一時間半で最近のネット社会の現状を面白くまとめた内容であった。   
 {字数の関係で一部カット(2007年9月26日)               \(^▽^*)バイ!


4942,野口秀世だけが、何故?

2014年09月25日(木)

   * 偉人といわれる人も           〜「お金の正体」日下公人著より
 どこかで聞いた内容だが、偉人といわれる人も光の当て方を変えると、そんなものかも。 
 戦後教育、いや明治以来の国家づくりも、西欧文明の価値観の世界の仲間入りをするため。 
 開国をして国際社会に、うって出なければ世界列強の餌食になっていたのは明らかである。
   ーその辺りからー
≪ 幕末、イギリスと戦争したり、四ヶ国連合艦隊と戦争したりして、いち早く欧化にめざめ
 文明開化した。だから、それを追い越すためには旧旗本も薩長の下につくのでなく欧米と
直結しなくては、というわけだ。産地直結運動である。そこで、留学生になって欧米に行き、
欧化すると自分は薩長より上だという意識になる。だから新渡戸稲造はクリスチャンになったり、
向こうの現地人と結婚したりした。
 野口英世についても、昔「文藝春秋」に書いてあったが、ちょうど同じ時期に東北出身の
お医者さんで、ツツガムシ病の研究と治療法に一生を捧げた人がいた。なぜこっちを褒めないか。
日本人ならツツガムシ病を治してくれた人のほうがよほどありがたいのに、野口英世ばかり
褒めるとは、文部省は常識がないと書いてあった。そのとおりである。ヨーロッパをぐるっと回って、
なぜこんなに熱帯病、熱帯植物、熱帯動物の研究所や博物館がたくさんあるのかと思った。
考えてみれば、ヨーロッパはアジアや南米やシベリアを侵略して、何かをかっぱらってきて
豊かになったのだから、それをもっと盛んにするための研究をしている。アメリカも同じである。
そもそも寒冷地のロンドンやベルギーに熱帯植物研究所とか熱帯病研究所があるのはおかしい。
その淵源は、たとえばタンザニアを植民地にしてコーヒーか何かを栽培すれば儲かるのでは
ないかと、大挙して白人が行ったら、風土病で半分以上死んだことがある。ここでまず風土病の
治療法を研究するが、研究も危険な仕事である。それを日本人がやってくれるから、
大変ありがたい。ともあれ熱帯病の研究所は白人により資源奪略のためのもの。
それを野口英世が学問の最先端と思って、身を投じた。フォード研究所の庭を探すと小さな
銅像が一つあるらしい。それを日本は国家的名誉としている。
医学は西洋伝来だからそうなるのも無理はないが・・・ ≫
▼ 日本は、明治維新まで、中国文明の価値観に大きく影響されていた。ところが、
 その中国を侵略をしていた当時の実態を見て、欧米の思想、価値観、を国家一丸として
導入し、現在に至っている。世界は、肌色の他に、地域別でみると、「アジア人 57%、
ヨーロッパ人 21%、南北アメリカ人 14%、アフリカ人 8%となっている。その黄色人種多くを
占めるアジアに、重心が、移動している。 しかし、世界にはカースト的構造があって、白、赤、
黄色、黒の肌の順に階層化された世界が厳然と存在する。
野口英世も、その価値観からみた偉人?の一人でしかない
。「人はすべて一時的世界内存在でしかない」ことを自覚すれば楽である。
・・・・・・
4575, ほめことば練習帳 ー2
2013年09月25日(水)                    
    第1歩 感動を伝えるほめ言葉     「ほめことば練習帳」山下景子著
「感動を多くすることが可能か?」といえば、もちろん可能である。そのためには、積極的に
大自然、芸術作品、小説、一流の人の講演会などに接することである。 今ではTV、インター
ネットで、接する機会が多くある。まずは、機会を増やして感動量を多く経験するしかない。
そうすると、その面積、体積の接触面が大きくなり、大きくなるにつれ、感動対象が増えてくる。
感動の総量が、その人そのものである。感動は、それまでの自分の「分」の際(極限)を、
破壊することになる。破壊しただけ「分」が広がることになる。
  ーまずは、その辺りの要点をコピーして考えてみるー
【 ほめることは、結局、自己表現。感じ入ったときは、手放しでほめることです。
 わだかまりなく、人をほめることができる人は、幸せな人だといいます。
ということは、「ほめるから、幸せになれる」ともいえるのではないでしょうか。
その第一歩は、自分が感じた心地よさを、素直に伝えること。つまるところ、ほめるとは、
「快」の気持ちを表現することにほかならないと思うからです。
ところで、心や身体が健やかな状態のときは、自然と気持ちのいい言葉が出てくるものです。
羨ましい気持ちをほめ言葉に託したり、ほめてほしくてわざと卑下したりするのは、ちょっぴり
心が病んでいる状態。そういう意味では爽やかにほめられるかどうかは、心の健康のバロ
メイターといえるかもしれません。だからこそ、幸せな人ほど、よくほめるということでしょう。
その逆手をとって、ほめることによって、幸せになることもできるのではないでしょうか。】
   第一歩の感動を伝えるほめ言葉
{凄い/素晴らしい/兜を脱ぐ/目覚ましい/見事/立派/目の肥やし/流石/快挙/天晴れ
/溜息が漏れる/拍手/喝采/ 感心/美味しい/甘露/行ける/頬っぺたが落ちる/
昧わいがある/こくがある/芳醇/口当たりがいい/口果報}
▼ 感激するような美味しい料理や、音楽や、大自然に出会ったとき、そのまま、言葉で表現
出来ることが重要になる。記憶として残すためである。 そのためには健康な心が必要となる。
対象の波動に共振し反応した言葉の蓄積こそ、その人そのもの。 感動、感激、感謝は、
心が純真で、張り詰めてこそ大きく振動する。と同時に、それを感じるとる素養が無ければ。
人生は如何に多く、感動し、感激し、それに感謝するかである。苦しみの先に、その機会が
多くある。産みの苦しみがあるから、母親は子供に対する喜びの感動がある。
感動を伝えることも、与えてくれた対象に対し言葉として、表現することで、対象も、自分の
心にも残ることになる。ロッキーの大自然の光景に接した時、「これを見た『前』と『後』と
いえるほどの感動だ」という言葉が自然と出てきた。一級品、一流の人、絶景に接すれば、
素養に比例して言葉が自然と出てくる。それには全力で自分から近づくしかない。
・・・・・・
4200, 閑話小題 −スマート家電
2012年09月25日(火)
   * スマート家電
 「パナソニック」がスマートフォンと連動した「スマート家電」シリーズを発表したが、「変?」と
思ったのは私だけでないはず。外出先からの遠隔操作でエアコンや、炊飯器のスイッチを
いれたりするのが、果たして便利な生活なのだろうか?それも付加価値と称して値段が何割、
いや何倍も高いのは、消費者ニーズとは大きくかけ離れる。
発表された「スマート家電」はエアコン、ドラム式洗濯乾燥機、冷蔵庫、炊飯器、電子レンジ、
体組成バランス計、活動量計、手くび血圧計の八製品という。洗濯機や炊飯器、電子レンジは、
スマホは主に外出先からの「リモコン」として使われるもの。 スマホの専用アプリでメニュー
選択し、製品にかざし、設定内容が転送される仕組みのもの。近く発売のドラム式洗濯乾燥機は、
洗剤や柔軟剤の分量や洗濯の目的に合わせたコースの設定をスマホに入力し、これを
洗濯乾燥機に「タッチ」するしろもの。こんなものを誰が必要とするのか。スマホが家電の
コントローラーとしても使うのは、それで良いが、値段が問題。その辺を間違うと、
致命傷になる。これではサムスンに負ける訳だ。
   * 母の命日
 昨日は母親の17回目の命日。亡くなって、16年経つ。やはり、その年月は長い。
今でも2〜3ヶ月に一度は、母の夢をみる。先日、倉庫で母親のアルバムを見つけた。
四人姉妹の末娘の姉と、旅行先で当時の映画俳優と記念写真を撮っていた。戦後、戦中、
戦後という激動の中に生きてきた逞しさがあった。当時の男も女も皆そうだったが、
平時の数倍の人生を生きてきた。私の知恵は、こと何かあると両親に語りかけることから
生まれることが多い。夜半に問題を語りかけると、思いもよらない答えが出てくる。
読書は著者との対話でもある。愛読書を読み返すとは、最も信頼する著者の魂と対話している
ことになる。両親は、自分の限界であり、かつ土台である。両親は、私にとって限りなく純粋で
愛情の塊のような人だった。独り何かを求め続ける、これが両親から学んだこと。
・・・・・・
3835, ツール(道具)について考えてみる ー2
2011年09月25日(日)
  ー 道具とは 何かを「日本大百科全書(小学館)」でみると ー
【 道具に限らず、われわれの身の周りにある機械や器具は、人間の器官の働きを外の世界に
置き換え、さらにその働きを拡大したり延長したものといえる。たとえばカメラは目の働きを外化し、
その映像の記録を保存できるようにしたものであり、コンピュータは大脳の働きを機械に置き換え
たものである。ドイツの技術哲学者カップ(1808―96)は、これを器官射影ということばで表現し、
器官射影とは内なる機構の外の世界への置換である、としている。また哲学者ノワレ
(1829―89)は、道具はある働きを遂行するための手段であり、創造してゆく原理に相応している、
と述べている。いいかえれば、道具にしても機械にしても、物をつくりだすために人間の器官の
働きを助けるためのものである。】とあった。
 道具は目的に対する手段の意味に使われるが、前にも書いた手段が目的を変えることもある。 
自分の目的に最適なツールに出会えるかどうかが、その人の範囲を決めてしまうことになる。 
学生時代を振り返ると、努力のわり成績が良くなかったのは、どうも大学ノートのマトメ方が
上手くなかったことにある。 試験直前になってから何時も慌てていたが、成績の良い人は、
授業中と、その直後にノートを整理していたようだ。少し考えれば分かりそうなことだが、
兄や姉は、そういうことを教えてはくれなかった。
 ところで、毎日のように、lPadの便利さに驚いているが、アプリ(ソフト)は、まさに人間の最適な
機能を外に置きかえたもの。どれ一つとっても、人間の叡智の塊。 それが無料か、無料同然
(価値からみて)で入手でき、手軽に使えるのだから驚異的である。銀行の支店の一つや二つの
全機能が小さなチップスに幾つでも入ってしまう御時世。 これらがネットで世界中に瞬時に
コピーされ普及していくのだから、世界の体制が混乱するのは当たり前。「目的遂行の
ための内なる機構の外の世界への置き換え」されたベストのツールを使わない手はない。
それもホボ無料で入手できるのだから。現時点で最良のツールが、私にはiPadと、そのアプリ。
 ・・・・・・・・
3470, 昨日は母の15回忌
 2010年09月25日(土)
 母が亡くなって10年あまりと思っていたが、昨日(9月24日)で、まる14年になる。 
両親の家の寝室を寝床にしているので、現在でも月に一度は夢に出てくる。それがリアルな内容、夢から醒めても
暫くはその境に漂っている。亡くなる前の5年半は痴呆症になり正気と痴呆の間を行ったりきたりしていた。
亡くなって暫くしてフト日常を振り返り、「痴呆症の身内を抱えてない家庭は、こんなに楽な生活をしているのか」
と驚いてみた。家族総がかりで24時間、気が休まることがない。本人のエネルギーは、自由に出歩けないので
溜まっており、その捌け口で徘徊を始める。本人にとって、部屋や家に閉じ込めらるのは監獄に入っているよう。
それでも週二回のデー・サービスと、二ヶ月に一度の10日間ほどのショート・スティーで、どれくらい助かったか。
したがって、その時分は年に2〜3回の家内との秘・異郷旅行にショート・スティーにあずけて、出ていた。
亡くなった後も、その習慣が最近まで持続していた。(さすが60歳を過ぎて年一回になったが)
50歳まで働きづめで家庭内の問題から悩みぬいて心筋梗塞になり死線を漂った後、そのエネルギーを趣味に切り替え、
茶道に、舞踊に、華道に、俳句に、アマチュア写真に、次々と自分のモノにしていった。一つ目標を見つけ、それに
向かって全力を注いでいる姿は、それを見ているだけで勉強になる。まずは、その世界を見つけ、純粋に、集中をし、
設定したライバルに対する競争心をエンジンとし、邁進する。 その対象が違えてしまえば、道筋は同じである。
両親が42、38歳の8人兄姉の末っ子で育ったため、人一倍、両親に愛されたのが、一番の私の財産だったことが、
現在になって分かった。冬期間を除いて庭には母が植た花が年中咲いている。この家は両親の墓場で、天国である。
 ・・・・・・・・
3095,久々にジョーク −3
2009年09月25日(金)
 ジョーク・ハンターからいうと、面白いと思えるのは滅多にない。
 その時の自分の心情とレベルもあるから尚のことである。 
 ネットで調べても、ジョーク全集を探してもである。 その中で、やっと次のを見つけた。
  ージョークあれこれー
* ある熱心なユダヤ教徒が神に祈った。
 「神様、うちの息子がキリスト教に改宗してしまいました。 どうしたらいいでしょう?」
  神様、答えていわく。 「うちの息子もじゃ」             解)好きだね、こういうの!
*「 知ってるかい? ナポレオンが赤いマントを着ていたのはな、
  自分が流血しても部下にショックを与えないためだったんだとさ」
 「 それでわかったよ。 ヒトラーが何故褐色のズボンを穿いているのかが 」     解)これも!
* ありふれた一般家庭、そこに言い争いをする兄と妹がいた。 それを父親が目撃し止めに入る。
 父 『コラコラどうしたんだお前たち』
 兄 『どっちがパパを愛してるのかって言い争ってたんだ』
 父 『お前たち……』 うっすらと涙をうかべ子供たちの頭をやさしくなでて 部屋をあとにした父親。
   すると、また言い争いが始まる
 兄 『お前のほうだよ!』 妹『お兄ちゃんよ!』 解)これも!親父が聞いていた方が面白いと思うが!
* 愛のVIP戦士
  故郷を遠く離れて大学生活を謳歌していた弟から久しぶりに電話があった。
 「あ、姉さん。ぼくだよ。それよりキティは元気かい?」 家に残してきた愛猫の様子が知りたかったらしい。
 「あ、あんたの猫ね。こないだ死んじゃったわ。近所の酔っ払いの車に轢かれてね」
  受話器の向こうで弟は絶句し、やがて「思いやりがない」と非難した。 「そういう時は…姉さんだって
  ぼくがキティを可愛がっていたの、知ってたんだから。嘘でもいいからこう言うんだよ。
 『キティは昨日、木に登ったのよ』って」「なによそれ。人の話、聞いてる?。あんたの猫は酔っ払いの…」
 「黙っててよ。そしたらぼくが、『え、それでどうしたの』とたずねるだろ。
  そしたら『みんなで助けようとしたけど、自分でどんどん上の方に登ったのよ』って言うんだよ」「…」
 「そう聞いたら僕にだって心の準備ができるだろ。 で『それからどうなったの』と聞かれたら
 『かわいそうだったけど、木から落ちてしまったんだよ』って言うんだ。
  そしたら僕だってひどいショックを受けなくて済むじゃないか」「…わかったわよ。これからは気をつけるわよ…」
 「…いいよ、もう。…それより、母さんは元気?」 「母さん? ああ、母さんは昨日、木に登ったのよ」
                        解)私なら、最後の捻りは「猫と木に登っていたよ」にする
 ・・・・・・・・・・
2730, 恐慌前夜 −1
2008年09月25日(木)
「恐慌前夜」副島 隆彦 (著)  ー読書日記
再び副島隆彦の本である。
発効日が今月の15日というから、8月末に書き上げた本だが、その半月後に予告どおりに
リーマンブラザーズが倒産した。そして、恐慌前夜というより世界恐慌そのものの様相になってきた。
「世界恐慌が今日、突入しました」と誰も言わない。あとで、あの日(9月15日)が・・、といわれるのである。
ーアマゾンの、この本の紹介文からー
アメリカの住宅市場危機(サブプライムショック)に発する金融不安は底なし沼の様相を呈している。
7月13日、米政府系住宅公社2社の経営危機が表面化。 NYダウは下落の一途をたどった。
アメリカでは今年8月末時点で10の銀行が破綻、取りつけ騒ぎが起きている。
現在のアメリカは、まるで「住専」処理に追われ血を流した10年前の日本のようだ。
しかし金融危機は米国内だけの問題にとどまらない。農林中金など日本の大手金融機関が、
信用毀損した米住宅公社債を大量に買い込んでいたことまで判明したのである。
かねてから「アメリカ帝国の崩壊と没落」を政治・経済の両面から唱えつづけてきた著者は、本書でこう断言する。
  「やがて米国経済は恐慌状態に陥る。米ドルはさらに暴落してゆく」
  それは1929年「暗黒の木曜日」の再来なのか。そのとき、日本はどうなるのか。
 ーー
9月15日以来の一週間の大激震は、この本の次の箇所に集約されている。
「ついに私たちは生き延びた。惨めに撤退するナポレオン軍を、じっと見つめるロシアの英雄のような気持ちだった。
 アメリカの金融侵略軍は、今静かに日本から撤退を開始した。戦後62年目で、アメリカはついに崩れ始めた。」
 ーまずは「はじめに」の書き出しの部分であるー
 (字数数限のため、カット12年09月25日)
・・・・・・・・
2007年09月25日(火)
 2366, わたしと仕事、どっちが大事? はなぜ間違いか
「わたしと仕事、どっちが大事?」はなぜ間違いか  ー読書日記ー
    ―弁護士が教える論理的な話し方の技術   谷原 誠 (著)
図書館の返却コーナーで数日前に見つけて借りてきた本である。弁護士の論理の立て方の内容だが、一般人の考え方、
対話の曖昧さを指摘。いま一度、その一つ一つを見直して世間様レベルの思考法からの脱却を勧めている。
考え方、言葉の組み立て方を冷静に見つめなおすのに適している本である。この本のタイトルの「わたしと仕事、
どっちが大事?」を、論理の落とし穴の1つ「誤った二分法」の例として挙げている。「わたし(恋人・妻)」と
「仕事」は同類のものではない。同じ基準でこそ比較が可能であり、この質問自体が間違っていると指摘。
この質問に対する答えを考えてみると、
・「比べる対象ではない」ことを相手に主張する
 相撲取りと、砲丸投げの選手とドッチが力が強いの?と、 同じような質問と 理解させる。
・「もちろん君の方だよ」と、相手の求める返事をする 。
 求めている答え(相手のニーズ)は、そう言ってほしいだけ。
・「それは何と何を比べてるの? どっちかと言えば貴女を選ぶけど、ネバならない仕事なら、それをするのが
 会社勤めの最低条件。その兼ね合いは注意するけど」と答える。などが考えられるが、私の実感としては、
 「収入が入らなくなったり、転職をしたらゼロからやり直しになる。 収入が激減することを考えてみろよ。
 そうすれば、今より貴女との関係が悪くなる。  (字数数限のため、カット09年09月25日)
ーーーーーー
内容の概要)
(字数数限のため、カット09年09月25日)


4941,閑話小題 ー夜半にみた恐ろしい夢

2014年09月24日(水)

* 夜半にみた恐ろしい夢
 昨日の朝方2時半頃だったか、恐ろしく生々しい夢をみた。ーそのショートショートとは
《 居間でウトウトしていると、突然、立派な袈裟を着た僧侶が部屋に入ってきた。
 ハッとし夢から覚め、何だと思った次の瞬間、全身ねずみ色の姿が現れ出た。
そこで、恐怖でパニック、悲鳴と共に思いきり蹴飛ばした、と同時に目覚めた。その時、実際に
上布団を蹴っていた。隣に寝ていた家内は、気づかなかった。 時どき家内に、「夢か何かで
魘されていて煩い!」と、文句を言われていたが、成るほど!
坊様と、ねずみ色の影の二重構造の夢とは面白い! お迎えが近いのか? 何だろう! 
 その前日の小学校の同期会で、同級の悪ガキだった男が、「数ヶ月前に切腹をした。
片足、いや両足が棺桶に入っている。80歳までは生きれると思っていたが・・」と、死の恐怖に
怯えていたことを思い出した直後の夢。「他人事でないぞ」という想いが、この物語として
夢になった、か。 三年前の節目から、同級会の度に嫌味を言われたが、三度目に
「この男、危ない事態になる!(私の節目の傷口に触れたため)」と直感したが、案の定、
こういうカタチになった?。意味ある偶然だが、「危ない何かが起きる!」と思ったのは確か。 
更に辛辣なのが何人もいるが、いまだ元気だから、これ、起こってしまった現実の、あと講釈。 
 夜半にみた夢は、それを注意にきた坊様と解釈すると、筋が通るが・・
 「自分の傷口を、傷ついた他人の血で洗うと、毒がまわるから気をつけろ!」という注意か。
この年齢になれば、「どの道、直ぐに死ぬのだから!」 少し早いか遅いかの差でしかない。
 ところが、この下書きを終え居間に戻った昨日の夕方、家内が、
『明日、お母さんの命日、知っているの』  さて母の墓参り、般若心経をあげにいくとする。 
そういえば、二日前のこの随日で、母のことを書いていた。 この二つの文が、そのまま、
母親への供養である。 私にとって両親はベストの親と感謝している!
・・・・・・
4574,  二代目のスポーツ自転車 ースポーツ自転車の勧めー5
2013年09月24日(火)
   * 二代(台)目のスポーツ自転車
 注文していた電動アシストのクロスバイク(自転車)が、一昨日、自転車専門チェーンの
「あさひ」に届いたと連絡があった。4年間乗ったマウンテンバイクについで二台目のスポーツ
自転車になる。まずスピードがマウンテンより2倍近く出るのがよい。これで何が変わるか
楽しみだったが、単純だが、一時間のポタリングの周遊範囲が自動的にスピードに比例し
二倍になった。 なるほど人間と同じで、機能に制約されていたのである。
人間も知識と情報により左右されるのと同じ。もっとも乗る前から、コースをどこにしようか
考えてはいたが、実際に走ってみると見えてくる。信濃川の土手の二つの大橋一周から、
土手の下にある河川敷のコースも見つけ走ることにした。当面は、秋という季節柄、
一時間から一時間半から二時間とすると三倍の距離、走ることになる。
連休と物珍しさもあるが、朝夕、買った当日と昨日、二時間走ってきた。乗り心地はMTB
(マウンテンバイク)は、小回りがきいて、軽く、目線が地面に近いローラースケートという
感じだが、クロスバイクは、ズッシリとして、目線が高く、スピード感がある。
今までレースタイプにスイスイ追い越されていったが、今度は、追い越す方に移行するが、
4年間、MTBを乗ってきた者にとって、大きな違いになる。欠点は、一時停車の時、
つま先立ちになること。 しかし、スポーツ自転車の基本は、つま先立ちになるまでサドルを
上げることというから、一週間位の訓練で身に付きそう。こぎ出す前は、男またぎでなく、
女またぎがスポーツ自転車の基本。停車の時は、一度、サドルから前に腰を外し、両脚を
地面につけるのが基本。そう言われればTVで見ていると、そうである。
 これで二種類のスポーツ自転車を持ったことで、ポタリストか、ペダリスト?の仲間入り。
一応、自転車愛好家と自認できる。ところで、買う気になって、スポーツ専門店の売り場に
入ったのと、冷やかしとでは違って見えてくる。 自転車初心者コースの本を読んだこともあるが、
それにしても種類が豊富である。
 店舗だと、大たいの店が、メーカー品だと一割引、ネットでは二割引になる。 
ネットで買うのと、店舗で説明を受けた一割の差は何か?というと、自転車にまつわる
情報の差であった。そこで、店舗で一割のサービスを受けることにしたが、それだけの情報と
サービスはあった。旧来の自転車屋は、パンクやブレーキの修理を必要とする、土着の商売。
地元の長岡では、20〜30年前まで100軒あった店が20軒に激減したという。
自転車本体が、スーパーや、HCの攻勢で、売れなくなったため。「あさひ」の店頭は、殆どが
見本陳列で取り寄せがベース。 その分、多くの見本がある。 あと冬季間まで二ヶ月、
まずは距離を走らなくては! 元気のうちである。
・・・・・・
4199, 呪いの時代 ー15
2012年09月24日(月)                          
   * 「ほんとうの私」という幻想からの脱却      「呪いの時代」内田樹著
<実は私たちは「ほんとうの私」という幻想に縛られている>というドキッ!とする説が、
ここで書かれている。誰の心の奧にも理想と現実のギャップが潜んでいる。それが何時の間にか、
理想の自分が「ほんとうの自分」という幻想になり、それが「正味の自分」にとって替わっていた
としたら・・ 何だろう何時も独り呟いている  「本当の自分とは?」 ーその辺からー
≪ ・・その「幻想的なオレ」が、ある日、何かを呪ったのである。呪いの標的となったものは、
 具体的なものや、誰かでなく、妄想し、『本当の自分』が所有するべきもの、占めているべき
地位を不当に簒奪している誰かである。その呪いは、何時の間にか現実の力を持ってしまい、
破壊の塊になってしまう。破壊の力は現実の身体に根拠を持つ限りそれほど害にはならない。
攻撃が破壊的になるには、それが身体を離脱して「幻想」レベルに達したときなのです。だから、
私たちにとって喫緊の問題は、妄想的に構築された「ほんとうの私」に主体の座を明け渡さず、
生身の、具体的な生活に捉えられた、あまりぱっとしない「正味の自分」こそ主体としてあくまで
維持することです。しかし、そのぱっとしない「正味の自分」を現代日本のメディアは全力を
挙げて拒否し、それを幻想的な「ほんとうの自分」に置き換えようと私たちに促しつつけている。≫
 ▼ この文章から思いたってくるのは、 <「ほんとうの私」は実は幻想。
 周辺に見られていると思っていた 「正味の自分」が、自分の実像でないか?>である。
社会に出て、それぞれの世界で生きてきて、常に「ほんとうの私」という幻想が「正味の自分」を
見ていた覚えがある。それが私を突き動かしてきた。しかし、このようにコペルニクス的な
ドンデン返しの真理を突きつけられると、根こそぎ人生を考え直さなければならない。
そのため、神は老後の期間を与えたのだろう。話は少し変わるが、土曜の午前中に家族の
外見変身をテーマにした番組がある。家内が見ているので、自然と見るようになった。
変身願望の家族、特に主婦に、番組が美容とブランド品の服飾で変身させ、あたかも、
本当の貴女は少し手を加えれば美しいのですよ!と幻想的セレブの家族を演出する。
見る方も、本人たちも、その着せ替え幻想を楽しむバレエティ。それはそれで良いが、
少し豊かになり背伸びをすると、 その幻想世界と現実世界が入れ替わってしまう。
森林(現役)に住んでいる内は良いが、一歩サバンナに踏み入れると正味の自分に向き
合わざるをえなくなる。その時、私たちは「ほんとうの私」という幻想に縛られていた自分に気づく。
(それさえ気づかない人が多い)それと同じことが、総中流社会から総下流に幻想が移行しつつ
ある日本である。バブル崩壊後、国民の過半数が実質、預金ゼロになるなど総下流化の様相。
その怒りが呪いになっている。「ほんとうの私」という幻想こそが、悪魔の正体。
呪いは、自滅につながる。なる程、呪い呪われの時代である。これが当分続くとしたら、
正味の自分の心のシェルターを用意すべきか。その正味の自分も幻想?
 ・・・・・・
3834, ツール(道具)について考えてみる ー1
2011年09月24日(土)
 電動アシスト自転車を使い始めて二年になるが、その日から日常が変わってしまった。
足馴しに自転車で自宅から20分ほどの信濃川の長岡大橋から大手大橋を一時間ほど一周
したが、自動アシストのためペダルのストレスが半減。そのためか信濃川一周のポタリングが
快適であることに気づいた。 空気が新鮮で、野鳥が多く飛び交い、川幅が広く、流れが緩やか。
そこから見る360度の視界がまた良い。川向こうから街中に向かう長岡大橋の上からの
パノラマはライン川の風景に決して劣らない。それと何より、自宅の生活圏から一歩外に出た
開放感が良い。自宅近くの栖吉川を30年近くウォーキングをしてていたが、丁度その頃に
工事で遠回りをしないと何時ものコースを行けないこともあり、切り替え時だった。 
以来、12月から3月を除いた連日、信濃川周辺のポタリングは日常生活の大きな柱。
新たな手段が生活を変えてしまった。10年前にパソコンをものにする最後のチャンスと必死の
思いでパソコン教室に通いだし、このHPを立ち上げた。それ以来、パソコンとネットが生活の核に
なっている。 過去を振り返ってみて学生時代に残した日記が、当時のままを記憶として
残してくれている。「書くこと、書き残すことの秘儀」というか、その価値を数十年後になって
読み返して気づいたこともあって、一日一文をHPに書き残すことにし、それが現在も続いている。
事業のためとか、自己顕示欲のためでなく、「いま、ここ」を書き出すこと、書き残すことの価値を
知っているからこそ続いている。日々の痕跡を残すために、ブログほど便利なツールはない。
そのためには開き直りと、公開の結果のマイナスの危険を承知した上に、それ以上の何かの
利点を直感しているから書き続けている。 要は、道具が逆に行動、習慣を決めてしまうのである。 
道具というと聞こえは悪いが「ツール」というと、納得する。
 ・・・・・・・
3469, 基本的信頼
2010年09月24日(金)
 人間には二種類ある。 基本的信頼が強い人と、基本的不信の強い人である。
それは「自分だけは大丈夫」という原初的な感覚につながっている。 何時も言っているが、
身近に幼児期に両親の愛情がタップリ入っている人がいる。
その過剰は自分は特別の存在という感覚が強い反面、非常に精神的に強い側面がある。
乳幼児は非常に無力で、助けてくれる人を必要としており、基本的信頼が満たされていると
「世界は自分を大切に扱ってくれる人がいる」という感覚を得ることが出来る。 
この感覚は人格の一番奥底に存在する安心感、自己信頼感を形成をする。
この感覚が強ければ強いほど何かが起こっても何とかなると考えられ、自分の希望は
叶えられるという全能感を得ることが出来る。基本的信頼を与える存在は、母親か母親的存在で、
子供を自分のように愛せるかどうかで、この感覚が左右する。E.エリクソンによると、
「基本的信頼感の獲得」という乳児期の発達課題は、良質な母性的養育関係を通して達成される。
「自分は見捨てられていない」「ここにいていいんだ」「自分には価値がある、受け入れられている」
という基本的な信頼感を、乳幼児は求めているのである。片親の子供は就職に不利というが、
企業も経験的に組織人として基本的信頼がベースにある人を選択するのも、こういう事情がある。
それは人間的な温かみとして表出している。これだけは、隠そうとして隠せない。
その意味で両親の素質と相性は大きく子供に影響している。とはいえ、兄・姉を見ていると
同じ環境で育っても大きく違う。それは、両親との相性が大きく左右している。そうこう考えると、
多人数の姉・兄の末っ子で両親に特に愛された実感があるだけで充分に恵まれていた。
過剰の愛情は「我がまま」という副産物もついてくるが。
今日は母の命日で亡くなって14年になる。
・・・・・・・・
3094,久々にジョーク −2
2009年09月24日(木)
 * 三つの願い
 愛猫と二人暮らしの八十歳の老婆。天気がいいのでベランダで椅子を揺り動かしていると、足もとにランプが落ちて
いるのに気づいた。それを拾い上げ、ほこりを払っていると、ランプのの口から煙がふき出して魔法使いが現われた。
魔法使いは老婆に向かって語りかけた。「わたしをこの世に出してくれたお礼に、あなたに三つの願いを叶て差し
上げましょう」 言われるまま老婆は願いことを口にした。「若い娘に戻りたい」魔法使いが呪文を唱えると、
老婆は見る見うちに若い女性に変身した。 魔法使いにうながされて老婆は答えた。「大金持ちになりたい。
使いきれないくらいの金のある大金持ちになりたい」老婆はたちまち宮殿の前にたたずむうら若い女性になっていた。
三⊃目の願いをうながされて、老婆は告げた。「この猫を八ンサムな王子に仕立てて欲しい」魔法使いが呪文を
唱えると、宮殿を背にしたうら若い女性の横に八ンサムな王子がにこやかにたたずんでいるではないか。
その夜、宮殿の寝室から老婆のため息がもれてきた。 「ああ、おまえさんに去勢なんかしなければよかった」
  〜〜
  「三つの願い ジョーク」で検索をしたら、多く出てきた。面白いのをコピーしてみる。
《 ある男が、森で妖精に出会った。妖精は言った。「どんな願いでも、3つだけ叶えてあげましょう。
 願いを言ってごらんなさい」 男は表情も変えずに答えた。「…私は、叶えてもらう願い事は一つだけでいい」
妖精は、これほどまでに心の綺麗な人間は今まで見たことがない、と驚いて答えた。「よろしい。あなたのたった
一つの願い事を言ってごらんなさい」 男は答えた。「何回でも願い事を叶えられるようにしてくれ」 》
(字数の関係で中間カット、2012年09月24日)
・・・・・・・・・・・
2729, 議論に絶対負けない法 −物語の力- 4
2008年09月24日(水)
 「議論に絶対負けない法」 −4      ー読書日記
   ー物語の力ー
 物語を作るとは、争点に対して依頼者側の有利になるストーリーの筋書をつくることだ。その筋たての準備に、
可能な限りエネルギーを入れなければならない。それを著者は全米で一番忠実に実行してきたので、全米一位の
弁護士になったのである。これは全てのことに言えることだ。言葉の力は恐ろしい、言葉の中から光ってくるのは
真実である。以下の部分も、短い文章の中に、人生の要点が書いてある。議論の方法などではない、人生の生き方、
人生の筋書つくりと、それに対する努力の重要性が解りやすく書いてある。
 p−172 法廷内でも法廷外でも、夕食を食べながらでもコーヒーを飲みながらでも、どんな場合であっても、
議論は一つのストーリーに変えることができる。議論には、そう、三匹の子ぶたへの家の同じように骨組みがある。
 (字数の関係で中間カット、2009年09月24日)
・・・・・・・・・・
2007年09月24日(月)
2365, ウィーン・コンサート、それが何!              ヾ(´∀`o)+。 オハヨウ    
 ウィーンに在住の哲学者などというと、えらく格好良く聞こえるが、この哲学者にかかれば、何てことはない。
 (字数制限のためカット 2014年9月24日)


4940,閑話小題 〜昭和33年卒の小学校の同期会

2014年09月23日(火)

   * 56年前の坂之上小学校の同期会
 一昨日は、昭和33年卒の坂の上小学校の同期会。 会場は長岡の奥座敷といわる
蓬平温泉の「よもやま館」。 前倒しの『古希』の祝いでもある。出席者が西澤先生をふくめ25名。 
前回より数人少なかったが・・ 18時から始まり、21時からは、近くの部屋に移動して二次会が
開かれ、22時に日帰りの数人と、送迎バスで長岡駅東口近くに無事帰ってきた。
その間の4時間は、タイムマシーンが昭和33年に戻って、大いに盛り上がった会であった。
南は九州、広島、佐渡などから、この会に出席のため、わざわざ帰ってきた人たちがいた。
小学、中学校の集まりは魂の故郷でもある。 10年に一回あるかなしかの会、やはり出席をして
良かった。私のクラスの担任の西澤先生は、来年の9月の27日で米寿というが、健康そのもの。
幾つかの小学校の校長を歴任し、長岡の教育長にもなられた人。奥さんを10年前に亡くされ、
独り暮らし。炊事、洗濯、掃除を全て一人でこなしている。近くに近くの川崎小学校の校長を
している長男が、住んでいるため、一人暮らしの心配は無いという。そろそろ、ガタがきている
私たちとは、出来が違うようだ。 小学校、中学校、高校、大学の同級会も、
今では同期会にぢしないと、人数が集まらなくなってきた。
  
・・・・・・
4573, 2050年の世界 ー7
2013年09月23日(月)       
       「2050年の世界 ー英『エコノミスト』誌は予測するー」〜英『エコノミスト』編集部(著)
 10年前にスマートフォン、タブレットPCが、ここまで普及すると誰が想像できただろうか。 
まして40年先、10年先の端末や、アプリの進化の姿の予測など不可能である。せめて10年先の
情報技術の成果の一端を見てみたいもの。現在でも充分に満足しているが・・・現在、コンタクトを
目の中に埋め込むのが普及しているが、情報端末の埋め込みもあるだろう。
それよりも、それぞれの持っている脳機能にパソコンが連動するような機能も出てくる。
 * 「第十八章 情報技術はどこまで進歩するか」のまとめ ーより
 インターネットはきわめて短期間に社会を変容させた。生み出され処理されるデーター量は
指数関数的な割で 増えているので、経済、社会ともに今後の変化を加速する。
・今後の開発は、ハード的なスペックそのものよりも、人間の思考、発見、知識の共有を
 拡大するものに重点が置かれていく。
・技術そのものよりも、その使われ方に開発の重点は移っていく。
・記憶媒体に記憶できる容量が、指数関数的に大きくなっている今、情報過多がわたしたちの
時代のごく本質的な現象である。情報の蓄積量は世界経済の成長率の四倍、コンピェーターの
演算能力は九倍の速さで増大している。
・電話会社を通じた国際電話の通話量は、一九九〇年以降年間一三パーセントの伸びで
成長していたが、二〇〇五年を境にネット上で通話のやりとりができるスカイプの登場で
減少に転じた。一九八○年代に民営化された電話会社が各国の通信市場を独占していたが、
技術革新によってその地位はより相対化されていく。
・マイクロチップの小型化と高性能化は、あらゆるものをネットワークコンピューター化する
ユビキタスネットワークを推進する。
・ウェブ技術の革新によって以前は集めることのできなかったデータが集められるようになり、
社会、経済ともに変容する。たとえば、すべての自動車がどの道路をどのように何時間かけて
通ってきたかを捕捉できるソフトが完成すれば、保険算定、経費精算などに応用ができる。
・企業は上意下達型から、ウェブを使った知識共有型の組織に変わっていく。
・アメリカの人口の四分の一に普及することを「大衆化」と定義すれば、それにかかる時間は
どんどん短くなっている。電話は一八七六年に導入さ れて大衆化するまでに三五年かかった。 
 一九九一年のウェブの誕生からアメリカの人口の四分の一に普及するまでは、
わずか七年を要しただけだった。
・とはいえ、コンピューターの情報量、情報処理力はまだ、生体の足元にも及ばない。
二〇一〇年の時点の世界中のコンピューターをつなぎ、処理可能な命令数で演算能力を計測
すると、人間の脳がおよそ五分間に発生させる神経インパルスの最大数ほどにしかならない。
▼ シネマなどのバーチャルの空間が情報技術で大きく変わっている。その魅力に惹かれて、
毎週、シネマのバーチャル世界を訪れている。これも情報技術の進化の現象の一つ。
TVも、スマホと連動する情報端末(スマートTV)になりつつある。大衆と一部エリートの
二極化は、ますます進み、その矛盾のため、世界が存続しているかどうか疑わしい。
・・・・・・
4198, 閑話小題 ーとある話
2012年09月23日(日)
    * ランチの席で漏れ聞こえてきた、とある話
 一昨日の長岡駅裏の居酒屋で、一人でランチを食べている時に聞こえてきた話。
 至近距離の六階にあるスポーツジムの帰りらしい6人連れの中年女性。 ある女性Aから・・・
A:「ねえ最近聞いた話だけど、都会のチョットした家には2千万も預金があるというけど、どうなの?」
B:「そんなに持っているの? うちなど遥かに及ばないわ!」
A:「Cさんは、ご主人がお医者さんだから、あるわよね?」
C:「そんなにあるわけないでしょ! 家のローンが残っていて、あれば、そっちに向けてるわよ!」
A:「Dさんはどう?」  少し考え込んでいた彼女
D:「それって一人あたりの金額のこと?」 その一言で、その場がシラーと白けてしまった。
その強力なボケをかましてしまった本人、悪気はなかったようだが横で聞いていて、その場に
飲み込まれてしまった。一年ほど前に、この随想日記で一世帯あたりの預金高について書いたが、
平均預金残高1150万を何故か鮮明に記憶している。
    ーそこでHP内検索で改めて調べてみると・・
≪・一世帯平均平均1150万。人々の実感に近い中央値(答えた世帯の中間の値)は
  前年500万より80万円少ない420万円。
 ・一億以上の預金を持つ人は108万人(総世帯4700万ですから全体の2.3%)。
ー40世帯に一世帯になる。
 ・都会サラリーマンの65歳の年金者の平均値は2500万の貯金を持ち、夫婦で月額30万円の
年金収入があり、30%を預金にまわす。貯蓄残高が1年前に比べて「減った」世帯は40%で、
「増えた」世帯(21%)の2倍近い。
 ・預金ゼロ世帯が何と28・6%と約3割近い。ローン残高を差し引いたら0の人を加えたら、
過半数を超える。 【 金融広報中央委員会が22日発表した2011年の
「家計の金融行動に関する世論調査」による】 ≫
 ▼ 実家で親と同居し、それを引き継いだサラリーマン以外なら、子供を育てあげ家の
ローンを払い続ければ、貯金と借金で、差し引きゼロだろう。 平日にスポーツセンターに行き、
ランチをするというだけで、収入が中の上以上クラス。更に言葉のニュアンスと服装からして、
地方では上クラス。推測すると三人が預金が一千万辺りで、ボケをかました奥様は5千万以上。
日替わりランチを食べながら耳を逆立て聞いている私は、シャーロックきどりの馬鹿そのもの。
ところで少ない私の知人の中で、数人は一億以上を持っている。 (本人から聞いてみた) 
それが身体全体から滲み出ている。それ以上に、使い方が実に巧い。だから金の方から
  近づいてくる。 使い方は巧いが貯め方イマイチの人なら幾らでもいる。いや逆が多い?
  あれと何は使える時に使うもの!森林から出て世界を振り返ると違ってみえてくる。
サバンナには味がある。  
・・・・
3833, 閑話小題
2011年09月23日(金)
   * 病上手の、死に下手
「病い上手に、死に下手」とは良くいったもの。 ただ長生きしても、それで良いのかどうか?
用が済んだら、さっさと消えるのも必要かもしれない。 そう言っていられるだけ、まだいいのか。
 ネット辞書で、【“よく病気をする人はなかなか死な ない”という諺で、江戸から大衆の間で
言われてきた 】病を乗り越え長生きしすぎると「死に損ない」と陰口を言われる。 
それぞれの人に、それぞれの死に時がある、「病上手」のかわりに、「生き上手の、死に下手」
に置き換える場合もある。前の「長生きの死に損ない」という意味と同時に、「人生を上手く生きて
きた人ほど死に際は良くない」ということ。身近の人の死に際は須らく苦悶の末に亡くなっていく。
これも人生のうち。 銀座のクラブのママのブログに「遊び上手の本気下手」があった。 
なるほど!言いえて妙。逆に「本気上手の、遊びベタ」と捻って考えてみると、その方が頷ける?
「料理上手の、床上手」もあるが、これはチョット違う。
   * パソコン・ゲーム
 iPadの有料のゲームソフトを先日からネットでダウンロードして使っている。 
無料のものは多く試みたが有料のものは少し違う。その一つがカーレース。 車の運転席に
座って走る設定だが、iPadそのものがハンドルになってフロントからみえる道路を疾走する。
左右に傾けると左右にハンドルが回る。 設定をしておくと、ある程度の運転をフォローもする。
(大事故にならない設定)終了後にカメラで運転した車をリプレーした映像を写し出してくれ
奇妙な気持ちになってしまう。より面白いものは幾らでもあるはず・・・ 
フリー(無料)のカーレースは元々、後ろ上から運転をしている車をハンドルとアクセルと
ブレーキでコントロール。これも面白い。他にも幾つかフリーのゲームを使っている。
とにかく始めたら止められないで2時間3時間など直ぐに経つ。ゲームに熱中している
子供をみて、心の底で羨ましくさえあった。しかし周囲を見渡してパソコン・ゲームに
熱中している知人は皆無。 ネット世界には、まだ半歩しか足を踏み入れてないが、
底知れぬ面白い渦がトグロを巻いている。 やはり節目は必要。 空即是色である。
 ・・・・・・・
3468. 閑話小題
2010年09月23日(木)
  * 検察の特捜主任検事を逮捕
 検察不信に関して何度か書いてきたが、ついに特捜主任検事が逮捕された。
ウヤムヤに葬りされなかったことが不思議なぐらい。押収資料を改ざんしたというから、
何を言わんかである。強引に逮捕され起訴された何人かの手記を読んだことがある。
彼らは自分で筋書きをつくり、その物語どおりの材料を強引に集め起訴をする。
そこには検察の手前かってな理屈が罷り通るというのが共通項である。 その一端が、
今回の事件に現われている。これまで、国家権力を使い好き勝手に事件を捻じ曲げた所業が
多くあったとが窺える。検察上層部に上るほど、出世のための手練手管の手法を持った輩に
なるから想像を絶する世界?? 今回、逮捕された検事もまさか自分が逮捕されるとは夢に
だに思ってなかっただろう。 これまで手記を書いてきた被害者?が、雑誌などで、多くの
コメントや手記を出すことになる。検察もたまったものでない。情報化で国家権力を持った者でも、
以前のように抑えることが出来なくなってきたのである。手記からすると暴力装置を持った官僚、
それが検察、末端が警察。
    * 尖閣漁船衝突問題について
  ー産経新聞の産経抄が面白い。まずは、その内容からー
 【 加瀬英明氏と「元中国人」石平氏との対談集『ここまで違う日本と中国』を読むと「目から鱗」
の話ばかりだ。 例えば「公」を大切にする日本と「私」しかない中国だ。お二人は「論語」にある
 「父親が羊を盗む話」をあげ説明する。
 ▼ある人が孔子に「友人は正直者で、父親が隣の人の羊を盗んだことを知ると、
父親を告発しました」と語る。すると孔子は怒る。「何よりも、孝が大事だ。父親がどんなに
悪いことをやっても、外に言ってはいけない」。  石平氏は「孔子は公を無視している」という。
 ▼これに対し中国とは別の儒教を作り上げた日本人は「孝」よりも「公」に尽くす「忠」を重視して
きたそうだ。何事か起きると、日本人が「相手に悪い」と思うのに対し中国人は「相手が悪い」と思う。
  明らかに「公」と「私」の精神の違いだろう。
 ▼そう考えると、沖縄・尖閣諸島沖での中国漁船衝突事件での中国側の対応はよくわかる。
現場が日本領海であるとか、国際社会の秩序に従うとかいった「公」の気持ちはさらさらない。
ただ自国の船を守り、日本への恨みを晴らす「私」の基準で騒ぎ、日本を恫喝しているのである。
 ▼その漁船衝突事件で、こんどは日本の大学生ら約1千人の上海訪問まで延期になった。
温家宝首相の招待で予定されていたが、中国側が「今はふさわしくない」と断ってきたのだそうだ。
報復のつもりだろう。楽しみにしていた若者たちには気の毒だ。
 ▼容易に理解し合えそうもない精神構造の違いを覆い隠して交流してみても、あまり意味が
あるとは思えない。事件を通じ違いを知ったとすれば、その方が真の友好につながる。
断られたことを感謝してもいいぐらいだ。】
―以上だが、中国頼みの日本は、アメリカと中国の狭間にたって翻弄され、結局は資産とノウハウを
奪い去られる運命か。「第二次世界大戦で、日本が中国でしてきた所業を、今度は日本にして何が
悪い」という論も成立する。中国とアメリカの間の「独り紙相撲の日本」という様相をおびてきた。 
  ・・・・・・・・
3093,久々にジョーク −1
2009年09月23日(水)
 一時期にジョークに興味を持って100以上を収集した。どれもこれも面白いものばかり。
ところが、ある時期から、これはという面白いものが無くなってしまった。ハッキリいうと、
ジョークは聞くほうに、それなりの素養が無いと笑いが生じない。周囲には、その捻りの妙の
可笑しさが解る人は極少?で、何時の間にか、酒席でも話すのを止めてしまった。
先日、借りた「続・ジョーク世界一」に、面白いものがあった。下ネタの、聖(ひじり)ものと、
老婆もの。最後の一言で落とすのが、ブラックものの面白さである。それにしても久々にニヤリ。
  * 神の思し召し
 医師と密会していた女性、やがて妊娠することに。困り果てた二人はいろいろ対策を考えたが、
名案が浮かばない。出産がどんどん近づいてくる。丁度そのころ、一人の神父が腸の手術をする
ため入院してきた。医師はひらめいた。 「神父の手術を終えたところで、赤ん坊が誕生したと
言って神父に押しつけよう」医師に計画を打ち明けられたが、女性は懐疑的だった。
「それしか道はないんだ。やってみよう」 医師は女性の出産と神父の手術を同時におこない、
神父に向かって言った。「神父さま、こう言っても信じられないでしょうけど・・・」「何だったね、
何があったんだね?」問い返す神父に耳元に「神父様のお腹に赤ちゃんが宿ってました。
幸い赤ちゃんは元気です」「そんなバカな。ありえない」「そのありえないことが起きたんです。
わたしがこの手で取り上げたんですから、間違いありません」「奇跡だ!」「ええ、奇跡です」 
奇跡の言葉に弱い神父は`すべては神の思し召し′と、結果を受け入れ、赤ん坊を連れて
修道院へ戻った。それから十五年経ったある日、神父は息子を呼んで語り始めた。
「おまえも十五歳になったんだから、わたしは真実を語らなければならない。
実は・・わたしは、おまえの父親ではなく…」「何なんですか?」「母親なんだ」驚いた少年は
問い返した。「じゃあ、お父さんは誰なんですか?」「これは絶対に内緒だぞ。おまえの父さんは
となり町のあの大きな教会の司教さま・・・」  (字数制限のためカット 2012年9月23日)
・・・・・・・
2728,  議論に絶対負けない法 −3
 2008年09月23日(火)
  議論に絶対負けない法」−3   ー読書日記
物語になるまで、筋書きに対する準備に徹する、それも楽しんでやれるかどうかである。
以下は、この本の一番好きな部分である。成功のノウハウが、この部分に全て含まれている!と、
いってよいほど。この天才的な弁護士が百戦百勝している最大の秘訣である。
好きこそ、ものの上手けれというが、何事も好きになり、その準備を楽しまなければならない。
  Pー195
  *私が百戦百勝している最大の秘訣
 準備!そこから魔法がはじまる! だが私がそう言うと、若い弁護士は当てが外れたような顔をする。
彼らは労働と呼ばれる退屈なものを迂回できるような、楽な方法を知りたいのだ。
本当の準備は労働などではないと彼らに説明できればいいのだが…。準備とは、創造する喜びだ。 
  (字数制限のためカット 2011年9月23日)
・・・・・・・・・
2007年09月23日(日)
2364, 哲学とは何か、考えてみようか?
          Good☆Morning (p≧w≦q)オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪
池田晶子から、再び中島義道に戻るのも良いだろう。脳の筋肉を使わないと独りよがりの理屈の捏ね回しに
なってしまう。色いろな本を手がかりに、自分で脳の筋肉を使うしかない。その手っ取り早いのが哲学。
それも、同じことを同じように、何度も繰り返しながら、一人ブツブツと独り言を呟きながら・・・
私の場合特に、自分の経験を照らし合わせて理解することが多い。何ごとも初めは心と頭を空にして
(空即是色から始めないと)新しいことは出来ない。解ったふりとか、それまでの些細な知識や経験は、
全て邪魔になる。それが創造である。 哲学は何ごとも一度横において、原点を見つめることである。
 「狂人三歩手前」 ー中島義道著
ー夏には哲学がよく似合うー  P-51
メルローーポンティは言う。「真の哲学とは世界を見ることを学びなおすことである」脳髄の中はクルクル
思考が回っている。この「私」とは何者なのか?太陽が眩しい「いま」という時、それは何なのか?太陽から
私の身体までのこの空間とは何なのか?このごろとくに考えること。それは、「見えるもの」は「見えないもの」
に支えられて初めて見えるということだ。他人の心も見えない…膨大な数の「見えないもの」に支えられて、
特定の風景がいま眼前に広がっている。ここにメルローポンティとカントを繋ぐ線があるのではないか。
カントの言う「経験を可能にする条件」とは、「見えるもの」を見えるようにする「見えないもの」なのだ。
フムフムいいそ、いいそ…。哲学者とは夏の海岸でも、こういうことを絶えず考えている変な奴。
メルローポンテイは次のようにも言う。「哲学者とは、目覚めそして話す人間のことである」(『眼と精神』)。
「目覚めている」とは、絶えず周囲世界を見ているということである。そして「話す」とは、それを絶えず
言語化しているということ。この条件さえ満たせば、誰でも哲学者になれる。というより、すでに哲学者。
いや・もう一つの条件を加えておこう。 (以下、字数の関係でカット2013年9月23日)


4939,「あなたの家の宝物は何ですか」

2014年09月22日(月)

* 我家の宝物は私です!      〜『お金の正体』日下公人著より
 「あなたの家の宝物は何ですか?」に、「わたしです!」の答えが良い。 
何度も書いてきたが、多くの兄姉の末っ子として生まれ、両親、とりわけ父親に孫のように
扱われて、幼児の頃から、法事や外出時には、私を連れ歩くことが多かった。また、母親も、
忙しい商売の最中でも、時々だが、寝しなに、「世界で一番大好き」と抱きしめてくれていた。
その温もりが、人生の修羅場で、自分を大きな支えになっていた。
親に愛された温もりこそ、お宝になる。 ーその辺りからー
≪ 昔、伊藤忠商事の人事部長から、こんな話を聞いたことがあった。
 若い女性を採用するとき面接をするが、あらかじめ渡した質問状に
「あなたの家の宝物は何ですか」というのを入れた。そうするとたいていは
「なんでも鑑定団」に出てくるようなものを答えるが、「子供」と書いた女性がいたという。
「子供って何ですか? あなたの子供のはずはないでしょう」と聞と、彼女は「そりゃあそうです、
わたしのことです。わたしがわが家の宝です」と答えた。父親が工場で働いているので、
夜遅くまで残業して、疲れて帰ってくるが、ときどきは酒を飲んで、酔っ払ってから寝る。 
そのときはわたしの頭をなでて、『わが家の宝は子供だよなあ』と言う。
父さんがそう言ってたから、わたしは家が宝だと思っています、と答えた。
 人事部長は感激して採用したが、「はたせるかな、いい女性でした」と語っていた。
つまり、かつての日本では、家族のため、が働く動機の第一で、お金のありがたさは、
子供が育つことにあったのだが、そういう日本がなくなってきて、お金はいったい
何をするためのものですか、ということになってしまった。だがふたたび、お金の背後に
ある人間の気持ちとか社会とかを考える時代がやってきたと思う。・・・ ≫
▼ やはり基本は夫婦仲の温もり。温かい人の根っこが、そこから生まれてくる。
 その割には、温みが少ないのは何だろう? 終戦直後に生まれて、ドサクサの生活環境も
あったのか? 20〜30人に一人の割合で、その温もりが、そのまま出ている人がいる。
それが品位と重なった時、内なる優しさが熟成される。 「あなたの(家の)お宝は何?」
の質問そのものが、お宝。そして、「わたし」こそが、お宝である。 その「わたし」とは、
外界との触媒の中で、「こころざし」「行蔵」「温もり」「知識」「品性」などから成り立っている。
ということは、子供に、一流の芸術作品、一流の人物、大自然の景観などにシャワーのように
浴びさせるのが、親としての勤めになる。それ以前に、まず自分に対しての勤め。
それこそがお宝である。  とすると、やはり家系と、温もりが大事?  
・・・・・・
4572, ほめことば練習帳
2013年09月22日(日)
  * ほめることは、それだけで立派な行為!    「ほめことば練習帳」山下景子著
 これは良い本である。テクニック書でなく、幸福への玉手箱と言っていい。
 ーまずは、「はじめに」の冒頭部分からー
《「ほめる」は「秀(ほ)」を活用した「ほむ」が語源だといいます。「秀」は「穂」と同じで、
高く秀でているものや、目立つもの、優れたもののこと。古くは、祝ったり、祝福したりするという
意味で使われていた。「ほめる」というと、どうしても、よい評価を与えることと思いがちですが、
そうではなかったのですね。素晴らしいことを共に喜び合うという方が、本来の「ほめる」に近い。
古代、日本人は、言霊を信じていました。
 言葉には、魂がある。 そして言葉に出すことによって、事柄として表現する。
そういう思想もあって、素晴らしいと思ったことは、どんどん口に出して伝えようとしたのでしょう。
良いのものは、相手に良いと伝える。優れたものに感動した時は、それを周囲に伝える。・・・・
 一方、ほめられるということは、嬉しいこと。これは、ご褒美にもなります。
特に上位者や権力者からのお言葉は、ありがたいご褒美となります。
そこから次第に、高い評価を与えるという意味に使われるようになる。
 ここでは、祝福し、共感し合う、そんな「ほめ言葉」を原点に、さまざまな言葉が収集されている。
題名は、ほめことば練習帳だが、練習して上手になりましょう、といったテクニック的内容でない。
 ほめ言葉という贈り物を、6つの引き出しに分類して収集している。  それを6つステップとして
   第1歩 感動を伝えるほめ言葉    第2歩 能力に敬意を表するほめ言葉
   第3歩 潤滑油となるほめ言葉    第4歩 魅力を引き出すほめ言葉
   第5歩 人生を応援するほめ言葉   第6歩 幸せになるほめ言葉 がある。  》
▼「感動を伝え、能力に敬意し、潤滑油にすれば、相手の魅力を引き出せて、人生を応援し、
幸せにする」のがほめ言葉。訓練のステップを踏めば、ほめ言葉は、素晴らしい「贈り物」
「褒美」になる。褒美とは、美しさを褒めること。そのためには褒め言葉の語彙を多く知って
置かなければならない。人生を振り返って、もっと、褒める訓練をしておけば良かったと深く後悔。
贈り物というより、チップとして気楽に与えれば良いことは分かっているが、実践となると難しい。
それにしては、営業関係者のそれは、まずは枕言葉として自然と出てくる。
女性の職場いた頃に気づいたことは、美人ほど、「美人だね」、「可愛いいね」と言われないこと。
だから、三回、間接的表現で言うことにしていた。元気がないとき、「どうした?」に、
「色いろあって落ち込んでいるの」に対して、「美人は大変だ!周りと同じことをしても、
それだけで何か言われるからね」とか。「美人は性格が良いのが多いから、それだけで好き」とか。
「服装のセンスがいいね。姉から、女性の見分け方は、化粧を服装のセンスを見なさいと
教わったけど・・」とか。殺し文句を言ってきた割に持てなかったが。 美人でも、優秀な人でも、
直接に「認証」してもらいたいのが人間。だが、なかなか言って貰えない。
そのため、優秀な人、美人ほど、大金を払う。ブランド物を身につけるのも、そのひとつ。
母の口癖「相手を認めてあげなさい!誰もが、認めて欲しいのだから」があった。
その割に実行しなかった。「ほめること、感謝すること、それは既に行為である」が基本。
・・・・・・
4197, 呪いの時代 ー14
2012年09月22日(土)
                 「呪いの時代」内田樹著 
  * 「リスク」と「デインジャー」の二種類の危機 ー第10章 荒ぶる神を鎮めるー
東北大震災は想定を超えた千年に一度の事故。それでも東北は地震対策を最大限していたので、
最大規模の地震と津波にしては、これでも最小の被害で済んだ。 しかい太平洋沿岸で近い将来、
必ず大震災が起こるというから、大変な事態である。恐らく、日本経済を先導してきた東海地区も
工場の移転が始まることになる。
日本は、ますます疲弊することになる。
 ー以下の、「リスク」と「デインジャー」が分かりやすいー
≪ リスクレというのはコントロールしたり、ヘッジしたり、マネージしたりできる危険のこと。
「デインジャー」というのは、そういう手立てが使えない危険のことである。喩えていえば、
W杯のファイナルを戦っているときに、残り時間1分で、1点のビハインドは「リスク」である。
このリスクは監督の采配や、ファンタジックなパスによって回避できる可能性が辛うじてある。
一方、試合の最中に、ゴジラが襲ってきてスタジアムを踏みつぶすというのは「デインジャー」である。
対処法は「サッカー必勝法」のどこにも書かれていない。だが、そういう場合でも、周囲の状況を
見回して「ここは危ない、あっちへ逃げた方が安全だ」というような判断ができる人間がいる。
こういう人はパニックに陥って腰を抜かす人間よりは生き延びる確寧が高い。でも、いちばん
生き延びる確率が高いのは、「今日はなんだかスタジアムに行くと厭なことが起こりそうな
気がするから行かない」と言って、予定をキャンセルして布団をかぶって寝ていた人である。
9・11テロの日も、「なんだか『厭なこと』が起こりそうな気分がした」のでビルを離れた人が
何人もいた。彼らがなぜ危機を回避できたのかをエビデンス.ベースで示すことは誰にもできない。
 ・・・東北大震災で、助かった人は、それが単なる偶然であり、生き延びたことに『理由』を
求めるのは愚かなことである」と言うような発言をしてはならない。それは死者を二重に穢す
ことになるからである。
私たちがもし幸運にも破局的事態を生き延びることがあったとしたら、私たちはその都度
「なぜ私は生き残ったのか」と自問しなければならない。「他ならぬ私が生き残ったことには
理由がなければ済まされない」という断定は誇大妄想でもオカルトでもなく、人間的意味を
「これから」構築するための必須条件なのである。だから、WTCをテロの直前に離れた人が
「なんだか『厭なこと』が起こりそうな気がして」というふうに事後的に自分の「異能」を
発見するようになるのは当然のことなのである。そうすべきなのである。
私が生き残ったことに意味があると思わなくては、死んだ人は浮かばれないからである。
誰かがそう思わなければ、被害者たちは殺人者の恣意に全面的に屈服したことになる。
そして、その断定を基礎づけるためには、自らの責任で、長い時間をかけて、ほんとうに
「デインジャーを回避する力が人間には潜在的に備わっている」ということを身を以て証明
しなければならない。だが、私たちの社会は戦後66年間あまりに安全で豊かであったせいで、
危険をすべて「リスク」としてしか考察しない習慣が定着してしまった。「デインジャー」に対処
できる能力はどうすれば開発できるのかについての「まじめな議論」を私はかって聴いたことがない≫
▼ 去年春の事業の帰結は、9・11テロと、9・15リーマンショックと、3・11東北大震災の
「デインジャー」によるが、「リスク」レベルの要素が無かった、とはいえない。 それでも、
当初からの事業設計に万一の「デインジャー」対策を組み込んでいたので、九死に一生を
得ることができたが? 「家族経営はしない(妻子を事業に入れない)」「家内の通帳は別だて」。
「予備資金の積立」は、9・11による売上減で青くなり、始めたばかり。
これを一部でも使いざるを得なくなった時は、迷わず廃業と決めていた。御陰で事業をたたみ裏山に
辿り着いたが、下を見るとノンビリとした世界が見える。外海の超大津波が見えない!のである。
・・・・・・
3832, 毒を溜めない! 日々 ー2
2011年09月22日(木)
  * 言葉の毒は、人も自分も殺す魔物
 脳に毒が溜まる原因となる「毒のある言葉」を平気で話す人がいる。という私も、その手になるか。
怒りは感情の動物、それは仕方ない。しかし、その場限りにすればよい毒言葉を、何度も何度も繰り返す。
そのうち、その言葉がヘドロとして心に溜まり支配されたときに、「怒り」が「怨念」に変わる。それは本人に
とって猛毒になる。 怨念は相手を殺すが、自分も同時にやられる。「人を恨めば穴二つ」である。 
 9・15のリーマンショック以来、会社の売上の激減が続いてから、身近に中村天風の「箴言集」をトイレと、
書斎の机近くの本棚に置き、ことあるごとに読んでいる。状況が状況、どうしてもマイナーの気持ちになるが、
天風の言葉は、それを半減させる効用がある。何ども読み返すと、その味わいが深くなるのが天風の言葉。 
天風の本は20数年前から読んでいるが、歳を重ねるほど心に響いてくる。老化は人の心を冷やす働きがある。
人間の肉体も生(なま)もの、古くなれば傷んでくる。 長く生きた分、娑婆の家賃は高くなって当然と痛みを
受け入れるしかない。マイナス言葉が特に人間の精神を蝕んでしまう。しかし精神が傷むからマイナーの言葉に
支配される側面もある。人間で一番大事なのは健康だが、それに劣らずに大事なことは「驚く心」。 
何にでも興味をもって、その存在に驚くこと。「存在」と「認識」への原初的な問いかけである。
「あれは、こう、それは、こう」と、何を見ても分かったと思い込んでしまうのが老い。若いのに老化してしまって
いるのが大部分? 無知は老化に極似している。 家族や身近な人などの刷り込みで壁をつくりあげられている。 
それを一つ壊している間に、他の壁が、さらに立ってくる。 その壁が人間の脳には毒になる。 言葉は恐ろしい
魔物の側面がある。特に他者への侮蔑の言葉は、その人間の限界を明確に浮きだたす。 相手を傷つける数倍も
自分を傷つける。それは弱者の武器になるが、
自分自身に対して返り矢になる。 特に老醜は心しなければならない。愚痴と怨念がそれだ。それにしても毒が
底から沸々湧いて出る。それを常に浄化しておかないと顔に出る。 やはり宗教しかないのか、
人間は! 明るい天国か浄土のイメージが毒を消してくれるのか?
・・・・・・・
3467, 秘・異郷ツアー、よもやま話 ー11
2010年09月22日(水)
  * アフリカに魅せられて ー5
 アフリカは、ケニア・タンザニアに4回。 南アフリカ、西アフリカ、モロッコ、エジプト、それぞれ一回、
そしてイスラエルのコースでシナイ半島に立ち寄った一回を含めて9回行ったことになる。あとエチオピアか、
マダカスカル島に行きたいと思っている。アフリカの魅力は手付かずの大草原と、そこに住む野生動物と原住民。
それぞれの部落で社会形成が成されていて、彼らと我われの社会と何が違うのだろうか考えさせられる。 
父親がいて、母親がいて、子供がいて、それぞれの家庭がある。そして集落があって、酋長がいて一族を束ねている。
その視点で現在の自分が住んでいる社会と何が違うというのだろう。ポストモダン主義は、それを指摘した。
現象の背後にある構造から、これまでの欧米=先進国という思い込みを根こそぎ疑問を持ち、未開発地域の
人たちにも同じような文化が存在している事実に注目した。戦国時代、そして江戸時代の日本に日本を訪れた
宣教師や商人が、日本の文化レベルの高さに驚愕した手紙などが記録で残っている。それがアフリカのマサイ族の
部落などから感じ取ることが出来るのである。それはアフリカだけでないが。初めてアフリカに足を入れる前までは、
恐ろしく未開発で、文化程度の低い地域と思い込んでいた。しかしサバンナで出会うマサイ族の衣装と野生動物から
身を守るために持っている槍の取り合わせは、決してパリの美しい女性のセンスにひけをとらない。
サバンナの背景にピッタリで様になっている。彼らは彼らで何処かの街の市場で、自分に似合った柄の羽織?
を買い求め着ている。それを上から視線で見る輩もいるが、現地でみれば自分の無知を知ることになる。 
その視線で自分に流れている日常を見直すと、小さな自分の世界を見直すことができるのである。
 ・・・・・・・
3092,つれづれに ー閑話小題ー
2009年09月22日(火)
  * 自民党総裁選挙だと!
 民主党が政権を取り、自民党が新たに建て直しのための総裁選挙が始った。早くいえば敗戦処理のための一期だけの総裁である。
三人がTVで議論をしていたが、民主党の閣僚の斬新さと比べたら明らかに見劣りがする。勝てば官軍、負ければ賊軍で、まともなのは
河野太郎だけで、二人はボケ。派閥領袖達が談合の結果、谷垣禎一を総裁にするために西村康稔をワザワザ擁立したのはミエミエ。
その筋書きを国民が見ていることを老害連中には理解できないのである。 恐らく谷垣になるのだろうが、その方が日本にとってよい。 
それだけ自民党が嫌われ、立ち直りが遅れるからである。今のところ政権交代は現在のところ、それを選択した国民の方が、驚いているはず。
数年間は自民党の、これまでの悪臭が際立ってくる。 官僚に牛耳られてきた結果の腐りが、である。
  * 図書館にて
 昨日の午後に自宅近くの図書館に入ったところ、入口近くカウンターの7〜8人の館員が一斉に私を見ている。
それも全員が立ち上がっていて氷ついている。 一瞬何ごとか竦んでしまった。 次の瞬間、一人の男が怒鳴りだした。 私が入って来たので、
中断したようだ。 ホームレスのようで目が据わっている。何かの欝憤を晴らしているようだった。 対応が悪かったのか?館内でトラブルを
起こして追い出され悪態をついたのか? ところが「俺は長岡高校が大嫌い」だとか、要領を得ないことをいっている。二メートルほどだったが、
強盗でもないので無視をして本の返却をした。あの館員達の顔からしたら、かなりの剣幕だったのだろう。館員が受付の外で対応していたが、
ああいうのは相手との間隔をつめて身体を逆に密着すると、相手も気が飲まれる。 それにしても、銀行強盗に出くわしたような雰囲気だった。 
ホテル業は1〜2年に一度、流しのヤクザが因縁を創作してトラブルの演技で金を強請にくる。
また酒に飲まれた機嫌の悪い客が怒りをぶつけてくる。現場は、本当に大変である。 
  * 5連休か〜
 (以下、字数の関係でカット2008年09月22日)
・・・・・・・・・・
2727, ザ・オオズモウ
 2008年09月22日(月)
  *大相撲が面白い!
 ロシア人力士の麻薬事件と理事長辞任の異常事態の中で大相撲が始った。一場所を中止をする位の大事件なのに、
それ以上は騒ぎ立てなかった。ロシア人が不服を申し立て、そこに注目させた戦術が良かったようだ。 所詮は、その程度。
これからも次々に同じような問題が起こるだろう。大相撲の始まりは、神社の神事で力自慢の余興から始った。 
歌舞伎と類推すると、その本質が見えてくる。その意味では、外国人に開放したことで割り切るべきは割るきるべき。
歌舞伎に外国人開放したと同時に、それは「ザ・カブキ」に変質してしまう。柔道が「ジュウドウ」に変わってしまったのと同じである。
大相撲は、「ザ・オオズモウ」になってしまったのである。それが不可能なら、システムそのものを変えるべきである。
それと「国技」とかいう名前も返上すべきである。外国人の総量規制を一部屋一人ではなく、一国一人とし、20人以内にすべきだろう。
一年に2度位、それぞれの部屋単位でドーピング検査をするようにして、問題が発覚する前に処分するべき。
もちろん、抜き打ちは当然に徹底すべきである。日本人と外国人のマリファナに対する罪悪感が違うから、尚のこと徹底すべきである。
  *立ちあいの厳格化で、朝青龍が引退?
 最近になって気力が衰えていた朝青龍が、両手を確実についての立ちあいのため不調である。この力士の特技が立ちあいの張り手である。
下位の力士が横綱に張り手は出来ないのを逆に利用して張り手を武器にしていた。地位を利用した戦術と感心していたが、両手の手つきでは、
張り手がやりづらくなった。これで、力が半減してしまう!数場所以内の引退もあるだろう。新たな戦術をつくりだして再出発するには
気力が衰えている。しかし、ヒール役としての彼の役割は、あまりに大きい。前の理事長が擁護していたから、あれだけの不祥事の中、
引退をしないで済んでいたのだから、これまでの所業の積み重ねからして、新理事長の下では早々の引退だろう。
元もと芸能的色彩の強い業界だから、麻薬あり、リンチ殺人あり、八百長あり、それはそれで結構じゃないか! その辺が結論。 
 後記)2002年〜4年にかけて大相撲を取り上げていたが、成るほど時代は大きく変わっている。


4938,閑話小題 ー節目年齢の呼称と、厄年

2014年09月21日(日)

   * 長寿年齢の呼称と、厄年    〜還暦は満年齢、その他は数え年〜
 先年、還暦が終わったと思ったら、あと半年で古希になる。色いろあったが、アッという間である。
ここまで生きてこられたことに我ながら驚いている。 同期の男の4人に1人の割合で亡くなっている。
これが10年後には2人に1人の割りになる。もう、何時お迎えがきても、死に時と割切るしかない。
  ーそこで長寿年齢の呼称を調べると
60才 還暦(かんれき) 60年で十二支の組み合わせが一回りすることから。
70才 古稀(こき)  唐の詩人、杜甫の詩「人生七十古来稀なり」にちなんで。
77才 喜寿(きじゅ)  喜の草体が七十七と読まれるから。
80才 傘寿(さんじゅ) 傘の略字が八十と読まれるから。
88才 米寿(べいじゅ) 米の字を分解すると八、十、八。
90才 卒寿      卒の通用異体字が卆だから。
99才 白寿(はくじゅ)  百の字から一を引くと99になるから。
100才 百寿(ももじゅ) 白の字に一を足すと100になるから。
108才 茶寿    草冠を二十 その下が米に見立てて88を足すと108になる。
111才 皇寿   皇の字を白、一、十、一に分解して99を表す白にに足すと111になる。
112才 珍寿    112歳以上は珍しいため。
 ところで、人には「厄年」がある。人生の中で不幸や災難が降りかかりやすい年のこと。
厄年は、中国の陰陽道・思想からもたらされたもので、これが一般に広まったのが江戸時代のこと。
 江戸時代には、厄年は数えで男性が25歳、42歳、61歳。女性が19歳、33歳、37歳だったが、
現在では、男性が25歳、42歳、女性が、19歳、33歳とするのが一般的である。
その中で、男性は42歳、女性は33歳が「大厄」と呼び、その前後を「前厄」「後厄」といって、
恐れる風潮がある。
 自分を振り返ると、その辺りが絶頂期であると同時に、大きな落し穴があり、節目時でもあった。
家長制度のあった時代から、核家族、弧族の時代へ変化している現在、果たして長寿が幸せか
疑問である。 まずは、父の亡くなった歳まで二年が目安。 次の目安が喜寿が7年数ヶ月。
傘寿まで11年ヶ月。 健康年齢(介護を受けないで済む年齢)を3年先と想定して、人生の余白を
埋めていくことが当面の判断基準になる。老いても3S(チャレンジ、チェンジ、コンペティション)
の開発と、フラッシュで浮かんだ記憶を捉えて、遡ることにヒントがありそうだ。
 「いい年をして」の「何をするにもいい年」とプラスに解釈して、ソロで、彼方此方を
渡り歩くことが良いのは分かってはいるが、老いからくる面倒くさい!が先に立つ。
・・・・・・
4571,閑話小題 ー火事に遭遇   
2013年09月21日(土)
   * 火事に遭遇
 何時ものポタリングで、長岡大橋から川西にわたり、大手大橋から再び、長岡大橋に戻って
水道町公園前に来たとき、長岡大橋の道路を隔てた向こう側から煙が立っていた。
工場の煙のような、火事のようでもみえる。まずはカメラで写真を撮り、次に近づいて撮ったが、
まだ警察も消防もきていない。写真を撮ったのは長岡大橋のバイパスの上からで、現場まで
150m先、駆付けるか、帰ろうか迷ったが、帰ることにした。少しバイパスを走るとパトカーと
消防が追い越していった。シャッターチャンスにタイミングよく撮れたが・・・(9・19記)
  ー9・20日、追記ー 
 昨日の火事。今朝の新聞によると、72歳のご主人が亡くなったとある。
18歳の孫と老夫婦の三人暮らしで、6時40分に台所からの出火、孫と連れそいは逃げて無事。
あのまま近くまでいっていたら、修羅場に立ち会ったことになる。まさか、死者まで出ているとは! 
改めて、写真をみると凄い煙。通行人は、まさかと関心なさそうに見向きもしないし、
車も止まらずいくし・・ 死者が出た火災の写真とは!新聞社に送ろうか?いや止めておく! 
朝のポタリングには必ずカメラを持って出るが、こういう日に限って忘れることが多いが・・・
 ところで火事といえば長岡駅前の商家に住んでいた頃に、4軒ほど先の「監物ビル」の大火災が
あった。近所の二人の少年の火遊びが原因だったが、自宅のある店のビルが、その熱で熱くなった
ことと、近くで遊んでいたため、警察に呼ばれ事情聴取をされたことも記憶に残っている。
更に斜め前の丸大という衣料品店が全焼したのも見ている。
   * 来春、購入予定の自転車を前倒しで発注
 来春の三月に購入予定をしていた電動アシスト自転車を、前倒しで注文をした。
現在の電動アシストのマウンテンバイクのブレーキが前後の車輪とも不調で、やむなく注文。
ブレーキの不調を運転で逆に楽しんでいる自分が怖くなったため。我ながら変な性格である。
今度のものはパナソニックの電動アシストで、タイプはクロスバイク。来週早そうの入荷予定。
・・・・・・
4196, 呪いの時代 ー13
2012年09月21日(金)                                
    * 原発供養           「呪いの時代」内田樹著    
 この東北大震災に際し皇室一族が最大限のお見舞いをしていた。国家の元首として、
歴史的大惨事に現地に真っ先に行かれ、見舞うことが役割として最優先されることだが、
その行為に呪鎮の意味が入っているとみることができる。 ー以下も納得できるがー
≪ 一神教文化圏の人々は荒ぶる神を巨大な神殿に祀り、それを畏れ、隔離することで
 いっときの安心を買い、日本人は荒ぶる神を金儲けの道具にまで堕落させ、その在所を
ずっぽりとベニヤの書き割りで囲って、「あんなもん、怖くも何ともないよ」と言い募ることで
いっときの安心を買った。 どちらの安心が長持ちするものだったかは今回の事故があらわにした。
 福島原発のふざけた書き割りを見たヨーロッパやアメリカの原発関係者はかなり衝撃を
受けたのではないかと思う。その施設の老朽ぶりや、コストの安さや、安全設備の手抜きに
心底驚愕したのではないかと思う。どうして原子力のような危険なものを、こんなふうに「雑に」
扱ったのだろう… と海外の原子力研究者は頭を抱えたはず。そこまでして「コストカット」
したかったのか? 日本人は命より金が大事なのか? もちろんそうではない。
話は逆なのだ。 あまりに怖かったので、「原子力は所詮金儲けの道具にすぎないという嘘」
を採用した。原発の設備をあれほど粗雑に作ったのは、原子力に対する恐怖心をそうやって
ごまかそうとしたからなのである。「こんなものいくら粗雑に扱っても抵抗しやしねんだよ」
と蹴ったり、唾を吐きかけたりして、「強がって」みた、 (・・・中略)
・・原子力についても、そもそもその設営のときに、伝来の古法に則って、呪鎮の儀を執り
行うべきだったと思う。盛り土をして、原子炉を土中に置くのである。塚に草が茂り、桜が咲き、
鳥がさえずるような広々とした場の下に原発を安置する。そこに神社仏閣を勧請する。
「原発神社」。荒ぶる神がとりあえずは「よきこと」だけをなし、恐るべき力の暴発を抑制して
くれていることを感謝するのである。 そして、桜が咲く頃には地域の人を集めて、「原発祭り」
を挙行する。荒ぶる神がとりあえずは「よきこと」だけをなし、恐るべき力の暴発を抑制してくれて
いることを感謝するのである。(・・・中略)
 ・・・ 福島原発の設概工事のときにも、間違いなく地鎮祭は行われたはずである(地鎮祭を
執行しなければ、建築現場には誰も入らない)。なぜ地鎮祭の執行を禁止しなかったのか。
地鎮祭をしないと、日本人の作業員が現場に入ってくれないのなら、中国からでもフィリピン
からでも建築労働者を連れてきて断行すればよいではないか。
なぜ地鎮祭を行うのか。それは平屋の家を建てる工事においてでさえ、行われる。
「恐るべきもの」の不意の現場での警戒を怠れば、思いがけない事故が起こることを現場の
働く人は経験知として知っているからである。地鎮祭は地祇を鎮めるためのではなく、
人間の緊張を亢進させるための心的装置なのである。・・・≫
▼ 「原発供養をすべし」とは、思いもよらぬ切り口。供養すれば済む問題でもなかろうが。
ビル建設で地鎮祭を何度か経験したが、それはそれで大事な神事。しかし世界中のビル
工事で行われるかといえば、そうでもなく、日本的心的装置。施工業者と、施主と、
土地・建物を一つの魂にする儀式ということか。最後は祈るしかないという、ブラックジョークか。
 ・・・・・・
3831, 閑話小題
2011年09月21日(水)
  * 学生時代に経験した、都会人と地方出身者の差
 東京の学生時代は寮暮らしだったが、そこは地方出身者の巣窟。それに比べ大学は
ミッション系で比較的裕福な人たちが集った学校。クラブに入って驚いたことは、都会人の会話の
センス。常にジョークか駄洒落を飛ばし会話を楽しんでいる。友人も教養課程のクラスでは席が
固定されている。そこで二分されるのが、都会出身者と地方出身者。服装からセンスが違う。
しかし都会出身者は、地方人の素朴さに惹かれるが、反面、どこか田舎者と見下げている。 
地方出身者は更に言葉にコンプレックスを持つ。が、それ以前に、日常の三食の食事など
生活のハンデがある。友人を見ていてキツイそうなのがアパート生活者。地方出身者は、
孤独な都会の一人暮らしに辟易としてしまう。 入学早々に彼女をつくるなど、まだ純真な
身にとって考えられない。チャンスは幾らでもあるが、どの辺が自分に妥当かどうか判断できない。
やっと声がかかってくるのが学生生活に慣れた二年の後半から三年にかけてになる。
とはいえ、女性の方は二段階上の人が対象。(これは40歳を過ぎて初めて知ったこと) 
その中で4人の姉たちを比較し、その上というとナカナカ適正な相手が見つからない。
現在振り返ると私も1〜2ランク上の相手を求めていたということ?それからして、ギャップは、
あまりに大きい。という訳で私は学生時代に結婚相手を見つけないまま終わってしまった。
友人をみると、学生時代の相手と結婚したのは三分の一ぐらい。結婚相手を決めることは
互いに、人生を大きく左右するほどの決断。目先の熱にうなされ、一生の大惨事になる
可能性があるのが結婚。 更に驚いたのは都会人の読書の絶対量が違うこと。
25人の地方出身者の寮に入っていて、確かに何時も酒を飲み騒いでいた。 
しかし、必死に本を読んでいたことも確か。それでも、都会育ちに人たちは、その絶対量が違う。
それでも、色いろの大学の学生が入り交じっていた寮、クラブ、ゼミ、一ヶ月の欧州旅行、
アルバイトでの多種の人との接点が非常に恵まれていた。小学校から大学時代を通して、
大学が最も恵まれていた。卒業直後、就職で地方にいったこともあり、もう一皮ぬけなかった
のが、良かったのか悪かったのか。 それもこれも、同じだが・・ しかし、話が合うのは
今でも都会の人たち、というより揉まれた人たち!  
・・・・・・・・
3466, 秘・異郷ツアー、よもやま話 ー10
2010年09月21日(火)
 * アフリカに魅せられて ー4
  ー奇跡の自然動物園のクレーター「ンゴロンゴロ」ー
 初めて足を踏み入れたときに、自然が創り上げた自然動物園に奇跡を目の当たりに見た
ような気がした。 ここは数百万年前に出来た火山のカルデラに広がる平野である。 
もとはセレンゲティ国立公園の一部だったが、遊牧民マサイ族の生活保護のため国立公園から
分離、ンゴロンゴロ然保護区となった。ンゴロンゴロとはマサイ語で「大きな穴」。
野生保護区は、直径約16キロメートルの火口跡があり、クレーター内では多くの野生動物
(キリンやインパラ以外)の象、ライオン、バッファロー、クロサイ、カバなどが見られる。 
外輪は2,400mの高さがあり、カルデラ内部の平野(1,800m)と比べ標高が高い。
このためカルデラ内部はカルデラ外部と遮断されており、ここで生息する大型動物のほとんどは
カルデラの外にでることはない。(象とか一部は出入りの道がある)  そこは周囲と隔離された
生態系が形成されるに至った。そこでは東アフリカのサバンナに生息する動物はほぼ観察する
ことができる。植物にはじまる食物連鎖は一つの大きな生態系のシステムをつくっている。
上から下に下りて見渡すと本当に小さく感じる。僅か16×14キロの平原に2万5千頭もの
野生動物たちが暮らす「最後の楽園」。それぞれの動物のテリトリーがあり、ジープを少し
走っただけで、色いろな動物に遭遇する。
実際に地球上にアフリカ大陸がそのまま圧縮されたような自然界である。
そのこと自体が信じがたく奇跡的である。 クレーターから約50キロメートルに数百万年前の
初期人類が発見されたオルドバイ渓谷がある。ここから人類がアフリカ大陸全体に、世界に
向け進出していったと言われる。 だから、人は本能的に惹かれるのである。
 ・・・・・・・・
3091,猫背の話
 2009年09月21日(月)
 数ヶ月前に、何気なく全身鏡の自分の猫背姿をみて愕然とした。腰を痛めていたこともあるが、首が少し前に出た
猫背の初老の男の姿が、そこにあった。毎日、散歩をして軽いストレッチをしていたのだが。しかしストレッチを
一年ぐらい気を抜いていたのは事実。 意識して背筋を伸ばすように心がけてはいたが。そこで、さっそく朝起きる
直前に布団の中で全身を伸ばし、背筋を伸ばすマシーンを探して取り寄せ矯正を始めた。 朝晩に使っているが、
これでかなり矯正はした。 ところで先日、TVのワイドショーで「猫背」をテーマにしていた。
・猫背には「首猫背」と「腰猫背」がある。
 首猫背は首が前に出た猫背で、腰猫背は腰が少し引けて上半身が前に傾いている姿勢。
・壁を背に密着して立って、脚から頭までピッタリとくっ付けば猫背ではない。
 首が壁につかないのが首猫背、背中もつかないのが、腰猫背。 
・静止して立っているときに、片方に重心を置く人や、脚を開いて立つ癖のある人には、猫背の可能性がある。
・姿勢にしても、歩行にしても、座っている姿も、理想的なカタチを自覚して、常に意識すること。
・中年女性のモデルが姿勢矯正のポイントして「モデルは壁の御友達」という言葉と方法を紹介していた。
  ー以下字数の関係で中間をカットー (2010年09月21日)ー
 ・・・・・・・・・
2726, 議論に絶対負けない法 −2
 2008年09月21日(日)
ランダムに面白そうなところから選んで考えてみる。「力の議論」の十大要素が纏めてあったが、
この本の要点である。よく読むと気がつくが、議論というより人生を前向きに活き活きいきるコツでもある。
孫氏の兵法にも通じる。 この本から多くのことを教えられる。
 ー「力の議論」の十大要素ー (12章、どんな議論でも「絶対負けない」十の法則より)
1、まず十分に準備しなさい -自分が議論そのものになるまで、準備しなさい。
  -適切な準備には、ストーリーを話すことと、関係者に役を割り当てることが必要だ。
2、あなたの議論を受け取ってもらえるよう相手の心を開かせなさい
  −ただただ真実を語りなさい。自分自身になりなさい。それで十分だ。
3、ストーリーの形で議論しなさい −おとぎ話、たとえ話は皆、成功する議論に欠かせない道具だ。
4、真実を語りなさい−力の議論は、真実を語ることに始り、真実を語ることに終わる、真実は言葉だ。
5、相手に自分の望んでいることを話しなさい −人間とは、どんな種類のどんな性格の苦しみも耐えれる種なのだー
   ―ただ一つ不正という苦しみを除いては―
6、皮肉を言ったり馬鹿げたことを言うのを避けることー ユーモアを使う時に注意しなさい。
  相手を侮辱する言動に注意しなさい。皮肉屋、馬鹿にする人、卑怯な人を尊敬する人はいない。
  相手に敬意を払うことによって私達は高い次元に上がる。忘れてはならない敬意とは相互に働くものだ。
7、論理は力だ −サミュエル・バトラーが言ったように、「論理は剣に似ている。
  論理に訴える人は、論理に滅ぼされるだろう」
8、行動と勝利とは兄弟だ−もっとも緻密な防御をするより、最悪のものでも真正面から攻撃をした方がよい。
   絶対に相手に主導権を握らせてはいけない。攻撃する時には防御をしてはいけない。
9、最初に自分の議論の弱点を認めなさい
  ー自分から弱点をさらけ出した方が良いだろう、そうしないと相手は可能な限り陰険なやり方でそれを暴くだろう。
  それを先に認めれば信頼を得ることが出来るし、認めたことに何も言うべきことがなくなる。
10、自分の力を理解しなさい −自分自身に許可ー勝つ許可だけーを与えなさい。
   だが放漫と横柄と愚かさは近い親戚であることを忘れないことだ。
▼ 以上だが、物語にするための準備を積み上げること、それも真実の、ということか!
 次は、その準備について述べている部分を抜粋して考えてみる。日本の検察の手法に、これがあるという。
告訴する時に、荒筋をつくって強引に容疑者を当てはめようとする。そのストーリーを書いてしまえば、真実は二
の次になってしまう。これが、恐ろしいという。マスコミも、しかりである。それだけ物語の力があるということだ。 
共同幻想は、物語から沸いてくる。そういえば、ここで「物語のつくり方」みたいな本を取り上げたことがあった。
・・・・・・・・
2007年09月21日(金)
2362, コーヒーの由来
 ー以下字数の関係で中間をカットしました。 (2008年09月21日)ー


4937,閑話小題 ー娑婆は苦しいと思うが・・・

2014年09月20日(土)

   * つれづれに 〜厳しさを増す娑婆
 土地を含めた2億の資本で創業、30数億の箱物事業を楽しめた実感があるため、それぞれを
立ち上げ、軌道に乗せた段階で元を取っていた実感がある。これは、実際に経験しないと、理解
できないだろうが。『それにしても面白かった!』という感覚は、後味を良くする。
それと、「立つ鳥、後を濁さず」もある。傍から見れば濁していたのだろう。 最初の依頼時に
「綺麗に事業を終えたい」に対し、弁護士が言ったのが、「綺麗汚いは有得ない。あるのは、
良い倒産、悪い倒産だけ!」 終えて振返ると、まさに、そのとおり。
 前もって最悪の事態に整えていれば、目先は好調だが、備えのない事業体より、遥かに
良いと思うが?危機管理のある中小は、私の知る限りで一割もないのでは。今さら遅いのか。
としても、『事前の一策は、事後の100策より勝る』で、やれることは、しておくべきでないか。
ここで、円安になってきたのは、日本の政治体制の甘さが表立ってきた要因もある。
更なる消費税2%アップが、消費低迷で、怪しくなってきた。 以前の事業で、この3%の消費税
アップと、灯油等の値上りは、厳しいはず。 会社も、家庭も、支出を更に絞めてくるためだ。
アベノミクスで、公共事業は潤っているようだが、この不況下、甘い仕事は少なくなっている。
この三年半の間、経営に疎い家内の口癖は「事業を早々、断念して良かった!」。
SC内の店の転廃業や、スーパーの店頭に値動きから、その厳しさが分かるという。分かった
ようなことを書いているが、実際、ソフトランディング出来たのは、紙一重。 事業など、まして
創業など、すべきでない!
『元手の2億を地道に5億にするより、30数億に膨らまして楽しみ、使い果した人生も悪くない』と、
独り嘯いている私も、バカそのもの・・ そう思うしかないし、その甘塩っぱい感覚の日々。 箱物
事業には、有余ったオマケ(時間)があった! そのオマケを最大限に楽しんだ収穫が、
『ま、これでもいいか!』である。
・・・・・・
4570, 変えてみよう! 記憶とのつきあいかた ー5
2013年09月20日(金)         
 * 万能薬としての「語り直し」   『変えてみよう! 記憶とのつきあいかた』高橋 雅延(著)  
 実際に、その立場にならないと見えてこないことが殆どである。だから、上に立つものほど
多くの経験を要する。一線から退いてみて、事業目線からみた社会と、そのバイアスから解き
放されてみえてくる社会とは大違い。人それぞれが自分に都合の良い物語を作っている。
「盗人にも三分の理」と、最初から見切ればよい。「記憶は嘘をつく」というが、元々、記憶する
以前の事象を都合良く解釈している。その記憶を変えるためには、語り直しをするしかない。
早稲田に二部(夜間)があった学生時代に、寮の隣部屋の友人に彼女が出来たところ、
急にアルバイトを始めて苦学生に変身したのである。 彼女に二部在学の言い訳のため、
これも、語り直し?  まずは ー次の箇所から
≪ 自分が親になって初めて親の苦労がわかるとか、教える立場になって初めて教える者の
大変さがわかる、などと言われることがある。どちらも、親となり教える立場にいる私自身に
とっては、心の底から納得できることだ。つまり、その人の立ち位置によつて、同じできごとでも
ちがって解釈できるのである。そのため、過去のどんなできごとも、必ずちがってみることができる
ことを、肝に銘じておくことが必要だ。その上で、ある過去のできごとについて、その意味づけを
変えるためには、そのできごとを、それまでとは違うことばで語り直さなければならない。
 世間には「時間が癒す」という言いまわしがある。そこで、見過ごされがちなことだが、
「時間が癒す」のは、単に時間が過ぎ去るからではない。時間が過ぎ去る間に、人はそのできごと
について何度も考え、悩み、さらには新しいことをする。このことによって、元のできごとの意味づけ、
語りかたが変わるからなのだ。 私は、くも膜下出血で倒れる二年前に、アキレス腱断裂により、
ニカ月間、松葉杖の生活を送ったことがある。どこに行くにも、何をするにも、苦労ばかりの辛い
日々だった。しかし同時に、あのとき数々の苦労を重ねる中で、障害をもつ人の気持ちが少しは
実感できた。その意味で、後からは「よい経験だった」と語り直している。
もちろん、くも膜下出血の体験も同じだ。あのできごとがなければ、それ以前の私と同じように、
命や人生について深く考えることもなく、生きていただろう。そう思うことで、今となっては
「あの体験こそ、自分にとってかけがえない宝物だ」と、胸を張って語り直すことができる。 
 最後に、フランシス・マクナブという臨床心理学者の言葉を引用しておく。できれば、何度も
繰返し味わってほしい。「記憶をつくり変えたり、それを遠ざけたりするのは無理なことである。 
略)…しかし、つねに私たちは、自分の苦悩、自分自身の内的経験、自分自身の精神の経過を
処理しているわけである。それは過去とよばれる客観体ではなく、現在とよばれる主観的経験。
変える必要があるのは、誰か他の人間ではない。最も大きく影響されるのは、私たち自身。
記憶をぬぐい去ることはできないが、記憶の有りようを変えることは可能であることを、
私たちは知っている。」 》
▼ 私も色いろあって、思いもよらない結果、オセロの白が、全て黒になったようなもの。
 そこで現在、過去の要素を元に、物語を語り直しを独りしてきた。これこそ、「日々是好日」
から、「ヒビ、これ口実」の辻褄合わせ。その辺りの自分の心の浅ましさがいじましい。
それも、自覚をしていれば良いが、全く自覚なしでやるのが人間。 
・・・・・・
4195, 呪いの時代 ー12
2012年09月20日(木)                     
   * 「片づかなさ」の人間性     ー第8章 これからを生き延びる智恵
 贈り物を貰った場合、何かを返さない限り気持ちの中に、「片づかなさ」が残る。
これが人間社会とサル社会との差。私はビジネスの場面で、それを徹底してカットしてきたが、
私的場面でも何時の間に持ち込んでいたようだ。これが、つくづく間違いだったと反省していること。
結局、人との付き合いは贈り贈られで成り立っている。 それにしても「贈り物」とそれに対する
「反対給付(お返し)」が、人間たる由縁とは。 以下は ーその辺の抜粋ー
≪ 人類学者マルセル・モースはその著書『贈与論』のなかで、贈与論の主題を端的にこう
 まとめています。「受け取った贈り物に対して、その返礼を義務づける法的経済的規則は何で
あるか。贈られた物に潜むどんな力が、受け取った人にその返礼をさせるのか」
 モースも、マリノフスキーも、レヴィ=ストロースも、「贈り物」とそれに対する「反対給付」が
人間集団を形成する本質的なカだとみなしている点では共通しています。贈り物をされると
「お返し」をしないと気持ちが片づかない。人間性とは、すべての装飾を剥ぎ取って言えば
「贈り物をもらうと、お返しをしないと『悪いこと』が起きそうな気がする」という「負積感」のこと。
いや、ほんとに。だから、この「負債感」を持たないものは人間ではない。そう言い切っていいと
思います。「贈り物」というと、僕たちはふつうお中元お歳暮のようなかたちのあるもの、価値の
あるもの、実用性のあるものを思い浮かべます。でも贈り物はそれには尽くされません。
というか、贈り物というのは「価値あるもの」を贈ることではないからです。そうではなくて、
「これは贈り物だ」と思った人がそう思った瞬間に価値は生成する。そういうふうに順逆の狂った
かたちで贈与という儀礼はつくられる。例えば、挨拶というのはある種の贈り物。
「おはよう」と誰かに呼びかけられる。僕たちはそれを聴くとこちらも「おはよう」と言わなければ
ならないという強い返礼義務を感じます。負債感と言ってもいい。同じ言葉を返さないと
気持ちが片づかない。挨拶した方もそうです。挨拶したけど返礼がないということになると、
気持ちが片づかない。片づかないどころか、心に傷を負います。どうしてでしょう。たしかに、
「おはよう」というのは「今日一日があなたにとってよき日でありますように」という
『予祝』の意味をもつ言葉です。 ≫
▼ 家のインコ、餌を与えると、取って置きの「枝の連続回転芸」をする。それも食べている
 合間に思いついたように挟んで芸をする。これも餌という贈り物に対する「お返し」に思えるが、
動物的直感ということか。 朝の恒例のサイクリングで、すれ違いざまに「おはようございます」
と言われ、返事を、しそこなった後に残る気まずさは、何時までも残る。与えるは、アンドという
意味がある。与え与えられることで、アンドという結びつきが積み重なっていく。
「負債感」が少ない人が、あまりに多いが、自分はどうだろう。
・・・・・
3830, 毒を溜めない! 日々
2011年09月20日(火)
 30年ほど前から腰痛対策のため早朝のウォーキングを始め、20年前からは平日一時間、
日祭日二時間を目標にしていた。しかし二年前に、電動アシスト自転車に切り替え、信濃川の
長岡大橋〜大手大橋一周に切り替えた。 続けていると自分の全身から毒素が抜けていくのが
実感できる。 たまに休んだ翌日に歩いた後、二日分の毒素が抜けたの分かる。 その毒は
活性酸素だろう。近年、肉体的に毒素を体内に入れない、溜めないことを目指す女性誌で
馴染みになっている「デトックス」がある。 そこで、ー「デトックス」をネット辞書でみるとー
【 デトックスは「解毒」や「浄化」という意味で、人間の体内にたまった重金属や、余分な
 ミネラルなどを取り除く健康法。体調がよくなる、肌が若返る、生活習慣病の予防となる、
などの効果があるといわれている。従来の健康法はサプリメントなどによって足りない栄養素を
補うという足し算方式だったが、これは余分なものを取り除く引き算方式。人間の体内には、
食品や水道水などを通じて鉛やアルミニウム、ヒ素などが細胞のタンパク質などとくっついて蓄積
されており、これらはわずかな量でも体に悪影響を及ぼすことが、最近の研究でわかっている。
脂肪を分解する酵素の働きを妨げるため、ダイエットがしにくくなることも指摘されており、これらを
体内にためないためには、効率よく排出する食事に心がける必要があるという。
ゴボウやコンニャクなどに含まれる食物繊維は、余分なミネラルが体内に取り込まれるのを
防ぐ働きがある。タマネギやリンゴ、コリアンダー、ニラ、ニンニクなどは、重金属をとらえて
体外に排出する。】
▼ 早朝の運動で体内に溜まった毒素を出すと、ストレスの半分は軽減する。 それとは別に
 肉体に溜まった重金属や、余分なミネラルを取り除くことも大事なことも分かる。白砂糖と
缶コーヒーは毒と聞いていたので、この10数年間は殆ど口にいれてない。それからして
缶ビールも良くないはず。半年前の転換期から一番気をつけたのが、ストレスによる精神的毒素。
一つ間違えば命取り。その為に運動量を二倍と考えて、「スポーツジム」通いで、二時間の
運動をプラスすることにした。週二日のジムの休みは、市営の施設内のジムに通い、休みは
月1〜2回にしている。 毒は精神統合失調症とか、ガン、糖尿、女性はリュウマチを誘発する。
さらに毒は老化と病を前倒しにする。 スポーツジムの八割は、未病より、既病の人の方が多い。 
むしろレジャーランドと割り切って、未病対策で来たほうがよいようだ。 人は自分では気づかない
毒が精神も肉体も歪めている。 ストレッチを続けていると、つくづく腰の(全身の重圧で)
歪みが分かる。老化は足腰から弱るようだ。 歳をとるにつれ全身が黒ずんでくるが、
これ老化? 既に毒の塊?
・・・・・・・・
3465, 純粋持続 −3
 2010年09月20日(月)
 私が行った47回の旅行は、それぞれが今だ終わってない気がする。それぞれが続いている
から、旅先をTVで放送をみる時、その延長として見ることができる。記憶の中で現在も鮮明に
残っていて、TVの旅番組で再び見る新たな記憶がプラスされていく。それはロマンチックな
感傷で語るのでない。それぞれの旅が心の奥底に「純粋持続」している実感がある。
その意味で「純粋持続」の意味がよく分かる。初めての一ヶ月間の欧州旅行の同行の友人の二人
と先日、東京で会い、43年前の思い出話になった。そして、それが昨日の出来事のように思える。 
この43年間で同じ旅行先に立ち寄ったり、旅番組の放送でみたりして、その間も私の旅は続いて
いたのである。 ほぼ毎日、これまで47回の旅先をBS/TVで放送している。それを見る度に
純粋持続の純粋記憶に、それが重なる。 それらは空間化された日常時間とは別口の
〈趣味の世界〉の引き出しに加えられる。だから、ベルクソンのいう〈純粋持続〉が実感として
受け止められるのである。純粋記憶として鮮明に残すため、写真の整理と、感想文にして
《随想日記》や、ブログに載せる。それは記憶、記録というだけでなく、
【魂に記録される純粋記憶】になる。それも余白の多い、現在も持続し書き込みをいる瞬間像の
記憶である。そこを見入ると空間化された日常が消え去り、純粋持続の時間に入ってしまう。
趣味に没頭している時間こそ純粋持続である。好きな仕事に没頭している時間も純粋持続。
だから仕事を好きになるまで追求すべし、という論がたつ。そのためには孤独を愛し、
自己の確立をしておかないと心奥の純粋持続は維持できない。
 ・・・・・・・・
3090,「官僚内閣制」が終焉
 2009年09月20日(日)
  * 明治以来の政治形態の実態は「官僚内閣制度」
「日本の統治構造―官僚内閣制から議院内閣制へ」飯尾潤著に刺激の強い内容が書かれている。
菅直人のブログにも「2重の政権交代」(2009年9月15日)と題して「今の政権交代は自民党から
民主党への政権交代と官僚主導の官僚内閣から国民に選ばれた政治家主導の国会内閣への
2重の政権交代。明治時代に内閣制度が生まれて初めての大改革。この実現に全力を挙げたい。」
と書いている。これまでの実態は議院内閣制度ではなくて官僚内閣制度であった。
 9月17日の産経新聞の正論のコーナーで屋山太郎が、その辺の実態と弊害を述べている。
《 その官僚政治の元凶は財務省、その中の主計局である。官僚政治は省の中の省である
財務省に仕切られてきた。  (字数の関係でカット2012年9月20日)
  ・・・・・・・・・
2725, サブプライム・ローン販売の現場
 2008年09月20日(土)
 「金融偽装」ー米国発金融テクニックの崩壊 伊藤博敏著 
 以前にサブプライム・ローンを扱っていたNHKのドキュメントで、ローン販売していた人の
証言を映していた。以前に図書館で見つけた、この著書の以下の場面と、ほぼ同じ内容。
このように世界中に、証券会社の契約社員達により販売されたのである。
P−18
販売プロセスは、綿密に仕組まれた詐欺のようなものである。しかも米国の住宅ローンビジネスは
分業化しているから責任者不在で、詐欺を働いていても、誰も罪の意識を感じなくてすむ。例えば
住宅ローンを組む際に、購入者が接するのは住宅ローンブローカー。こうしたブローカーは歩合で
セールスを雇い複数の住宅ローン会社の商品を斡旋、セールスにはローン残高のー%を報酬として
支払う。それだけにセールスは必死だ。審査が緩いのをいいことに、自己申告で収入と仕事を
記載させ、借り手に不利な重要事項は教えず、最初の金利は安くして支払い可能なローンと
思わせて売りまくった。サブプライムローンが好調な時には、年収100万ドルのセールスがざらにいた
という。こうして、最初の2年は金利が6%で残り十数年が十数%といった無茶なローンを組ませた
住宅ローン会社は証券化で「貸し手責任」から解放され、証券化した金融機関は格付け会社や
債券保証会社の信用供与で責任を逃れる。この「負の連鎖」の特徴は、誰にも責任が及ばない
ことだった。この実体経済を揺るがす金融商品は住宅ブームを演出したいという金融当局の
思惑によって生まれていた。そこには「マエストロ(名指揮者)」とまで呼ばれて尊敬を
集めた米国FRB(連邦準備制度理事会)のアラン・グリーンスパン前議長もいたという。
P−24   (字数の関係でカット2009年9月20日)


4936,コトの本質 ー6

2014年09月19日(金)

  * 戦後、エリートが育たなかった    『コトの本質』 松井孝典著
 「戦後、エリートが育たなかった」というのは、先進各国との比率の問題をいっている。
それは秀才教育はしてきたが、天才、エリート教育はしてこなかったことになる。
≪ いまの我が国は、この意味では限りなくアマチュアの国になりつつあると思います。
ここでいうアマチュアとは、その主張の根拠がほとんどマスコミに出ている程度のことにある人の
ことです。自分の知っている範囲のことをすべてだと思い込み、あたかもそれが正論であるかの
ように、堂々としゃべる。そんな風潮が目につきすぎます。結局、そういう人たちには謙虚さがない
ということです。実際のところは―よく知りませんが、私の知っている範囲ではこうだ―という
いい方をするのが当然なのに、そうではありません。これっぽっちの経験しかないのに、
それを拡大し、人類一般な話としてどうのこうのというような議論までするわけ。
こういう状態を見ていると、この国はどうしようもない国になったなという感じがします。 
 プロフェッショナルがいないということは、いいかえれば、エリートがいなくなったという
ことかもしれません。いい大学に入って、いい会社に入って、というのがエリートという意味では
ありません。自分の頭できちっと考えることができる、しかもその座標軸は古今東西の歴史から、
芸術、哲学に通じ、科学に通じる、それがエリートです。このような広い時空スケールの中に
自分の尺度を持ち、すべてのことが判断でき、行動できるのがエリートです。
 秀才と呼ばれ、大学に残って学者になる人間はいっぱいいます。しかし、現在のいわゆ秀才と
いうのは所詮、与えられた問題が解けるだけの人間です。解くべき問題がつくれない人が、多い。
問題がつくれない人はエリートではありません。戦後教育は、あえてエリートをつくろうと
しなかったともいえます。すべての子どもに、最初から我がある、などという誤った前提に立った
ために、教育と呼べるような教育をしてこなかったのでは? だから、当然のことながらエリートは
育たなかったのです。我は初めからあるものではありません。 我の形成途上にある人間には、
我なんてないのです。しかし、いまの教育では前提として我があるかのように扱う。
それが個人の尊厳だと誤解しているーすべての間違いの元はそこにあると思います。
我とは何なのか、そもそもそれを考えたことのないような人たちが、平気で我を語り、我を
主張しています。我という概念ができる過程こそ重要だ、ということが忘れられています。
それは、他との関わりの中でなければ形成できないものです。
それなのに、我というものが最初からあると思い込んでいる・・・ ≫
 ▼「ゆとり教育」の失敗の根本が、この辺りにあったのでは? 「ゆとり教育」は、まともな
両親がいる家庭の元でこそ有効で、それがない場合はマイナスに大きくぶれるのは周辺を
見れば分かること。プロフェッショナルは、激しい競争社会の中で勝ち抜いた結果、一強多弱
から生まれ出るもの? 著者の説によれば、全ての人がアマチュアになる。問題は自分が
アマチュアと自覚できるかどうか。 キリスト教の下地がないのに、取ってつけたような戦後教育
を押し付けられた結果が、この様になった。私のレベルで40数年間、一日、2〜4時間の
独学では、広い時空スケールの尺度を持ちえるはずがない。哲学に興味を持ったのが
40歳代後半では、あまりに遅すぎた。別に、エリートになりたいとは思わないが、我とは何か? 
自分の問題とは何か? 等を、考えられる内部モデルを確立することが、まず必要ということ。
・・・・・
4569, 世界恐慌の結果、どうなる? ー2
2013年09月19日(木)
ー5年前のリーマンショック直後に書いた内容ー 
{2724、世界恐慌の結果、どうなる?ー2008年09月19日(金)ー}
《 恐慌になると過去の事例から、平均30%売り上げが減り、それに耐えられないところから
消滅を始めるという。毎日毎日、アメリカの発の金融危機のニュースが入ってくる。100年に
一度の恐慌が始った。アメリカが風邪をひくと日本は肺炎になる、という言葉が可愛らしくて
思え懐かしい。アメリカで震度6強の経済大地震が起こったのである。そして、大きなウネリが
起こってしまった。それは大津波になり日本のみならず世界中に押し寄せ始めた。 津波と違う
のは何年にもわたることである。ところが日本は政治的空白の事態で頭がないのが現状である。
これは2001年の9・11事件に匹敵するか、それ以上の出来事。100年に一度の世界恐慌が、
まず直撃するのは日本。これがアメリカの隷属国家の運命である。 次は、アメリカの証券会社
二位のモルガン・スタンレー。緊急に銀行との合併で凌ごうとしているようだが。
シティーバンクが次のターゲット。数年前まで日本を買いあさっていた米国金融機関の惨状。
そのツケは日本が払わざるを得ないからだ。他人ごとでない、果たして会社はどうなるのだろう?
逃げも隠れも出来ないが、生存に全てをかけるしかない。生き残りをかけた生存競争レベルに
なってきたということだ。 それが会社だけでなく、年金生活者も含まれるから、ことは重大である。
国家破綻の現象としては、ハイパーインフレになる。そして、次に来るのは中間層が総下層になる。
社会の不安が増大し、犯罪は増加する。ソ連の崩壊時と同じような現象になる。年末から100円
以下の株価の会社は銀行のしめつけで、次々と倒産が始る。日本型社会主義の完全崩壊である。
第二の敗戦が表面化してきたということだ。これだけ劇的な世界恐慌に「現役」で経験するとは
思ってもいなかった。 私は、2008年9月16日14時をもって「世界恐慌」と判断。
そう判断すると恐ろしい。みる目が全く違ってくる。みる目が違うと判断も違ってくる。
人生で、過って経験をしたことのない最大のイベントが展開を始めた。 それにしては、
まだ実感が少ない。茹で蛙になってしまったのだろうか。現実に信じられような大混乱が直ぐに
始るだろうから・・ ゴールドや、資源を持っている国は、それを担保になるから、立ち直りが早い。 
しかし、体力のない日本の行く末は・・・ 何度でも言う、「恐ろしいことだ!」 》
▼ これを書いた二年半後には、私の事業の売上が半減、2001年9月の9・11テロから
 三分の一まで激減し、事業断念に至った。この直後から、G20が始まり、何とか表立った
恐慌は抑えているに過ぎない。 米国の証券会社は全滅、米国のGM、クライスラーは国家管理。
EUも、中国も、これから変になっている。 ただ、何処かの株式市場からの暴落を切欠に
世界恐慌になるのは間違いない。ただ、引き伸ばしているだけ。 そこで、2020年に
「東京オリンピック」を開催するというから、他国から見たらお笑い以前だろう。
それだけ、リーマンショックの影響は大きい。でも、これで自分の事業が崩壊するとは! で、
「インフレターゲット3%目標」というから、素人の私でも、間違いは判断できる。その上に、
オリンピックとは! 大津波が襲来する直前の浜辺で酒盛りの用意である。不思議なのは、
地方の金融機関が、そのまま存続していること。時限爆弾の山だろうが・・・ 
最後はハイパーインフレで、銀行閉鎖になるのだろう。現状は、「恐ろしいことだ!
になっているはずなのに、リンゲルを無制限に射っているため??
・・・・・・
4194, 呪いの時代 ー11
2012年09月19日(水)                           
   * 交換経済から贈与経済へ     「呪いの時代」内田樹著  
 何か奇異に思える贈与経済とは、お金でも、物でも、情報・知識でも、留めないで次に回せ
ということ。情報に限って考えると納得できる。ブログなどで自分の持っているベストの情報を
公開(贈与)することで、世界中の情報を共有できるようになった。情報化社会では、贈与という
言葉がキーワードになる。銀行預金は、その正反対になる。現在の世界的不況は、一部
勝ち組が得た利益を独り占めをして回さなくなったことにある。
ボランティアは慈善の贈与と解釈出来る。 ーその辺りからー
≪ 贈与経済というのは、要するに自分のところに来たものは退蔵しないで、次に「パス」
 するということです。それだけ。「自分のところに来たもの」というのは貨幣でもいいし、
商品でもいいし、情報や知識や技術でもいい。とにかく自分のところで止めないで、次に回す。
自分で食べたり飲んだりして使う限り、保有できる貨幣に限界がある。先ほども言いました
けれど、ある限界を超えたら、お金をいくら持っていてもそれではもう「金で金を買う」以外の
ことはできなくなる。それで「金を買う」以外に使い道のないようなお金は「なくてもいい」お金だと
僕は思います。それは周りの貧しい人たちに「パス」してあげて、彼らの身体的要求を満たす
ことに使えばいい。ご飯や服や家や学校や病院のような、直接人間の日常的欲求をみたすものに
使えばいい。タックスヘイブンの銀行口座の磁気的な数字になっているよりは、具体的に手で
触れる「もの」に姿を変える方がいい。・・・
 ・・・その人がエンドユーザーであるような人間には贈与は届かない。贈り物を受け取ったときに、
目にも止まらぬ速さで次の贈り先にそれがパスされるような人のところにしか贈り物は届かない。
そういうものです。贈与経済が成り立つための要件は、ある意味きわめてシンプル。
市民的に成熟していること。それだけです。自分より立場の弱い人たちを含む相互扶助的な
ネットワークをすでに作り上げており、その中で自分が「もっぱら持ち出し」役である
ことを愉しむようなマインドをもつ人であること。そういう人のところに選択的にリソースが
集中するシステムが贈与経済システムです。 ≫
▼ 経済は商品と情報が回り進化することで向上する。その意味では、日本が一時期そうで
あったように、国民が総中流が理想的である。しかし、情報化社会は一部の勝ち組が総取り
になってしまう。その辺が難しい。
・・・・・・
3829, 閑話小題
2011年09月19日(月)
  * 絶え間ない変化と変身
 変化のない日々が、相変わらず続いている。それはそれで一日単位では小さい事象が
次々と起こっている。人生を、あらためて振り返ってみると色々あったことに驚いている。 
それらは絶え間ない変化の連続線にある。 生まれた0〜9歳までを考えても、新生児、幼児、
児童、少年期と変わっていく。10歳から19歳でも、小学校、中学校、高校、大学と、次々に
節目がある。20歳から29歳といえば、学生から社会人、結婚、父親である。そ
の中で絶え間なく変化と変身が要求される。30歳を過ぎると、青年期から成年期、
中年期と家庭でも社会でも、大きな柱としての責任が覆いかぶさってくる。 
そうこうしている間に40,50,60歳の壮年期から老年期に移行している。
何処かで自分で、「人生は、こんなもの」と決め付けたと同時に変身のダイナミックがなくなり、
人生の要求と合わなくなって肉体と精神の変調をきたす。こうみると世界も、社会も、自分も
常に時の流れの中で、変身し、最期は「プッツン」で終わる。生き、老い、病になり、最後は
死ぬしかない。「いま、ここ」でしか、留まることは出来ないのである。
とはいえ、あまり神経質になっても結果は同じ。なら、自然体で変化を受け入れ、従うしかない。   
  * iPad 初心者の呟き
 iPadを購入をして三週間をすぎたが、御蔭で数ヶ月も過ぎたような気がする。
これは、私にとって非常にインパクトが大きい。この10年間、ネット、ネットといっている割に、
ネットを使いこなしてなかったこともある。この間に、便利で使い勝手のよいアプリと、
ネット環境が劇的に進歩していたのである。ゲームに面白そうなのを画サイトで見ていたが、
「自分には縁のないもの」と思い込んでいた。それが、このiPadのお陰で私にも使える。
ゲームとビュー専門の端末と割り切ってしまうのが良い。まず7つの画面に切り替えられ分類
出来ることで、使いかってが格段に良くなった。ゲーム・ソフトも、アプリも毎日が発見の連続。
一日一日が面白くて仕方がない。これでは新聞や雑誌、TV局などマスコミは大きな転換を
余儀なくされる。タブレットPCは、あとは軽さの問題。 これも、時間が解決するだろう。
 テレビの地デジ化と大型化、モバイル携帯、そして、タブレットPCが情報を、さらに膨大に
世界に流しこみ、政治も社会がミスマッチが拡大、収拾がきかないカオスの時代になる。 
これは中高年PC難民を救う。
 ・・・・・・・ 
3464, 秘・異郷ツアー、よもやま話 ー9
2010年09月19日(日)
  * アフリカに魅せられて ー3
 ータンザニア・セレンゲッティ国立公園ー
 ケニアと比べてワイルドなのがタンザニア。フランス領だったため開発が遅れていて、
その分アフリカ的である。まずセレンゲッティの広大な草原。 360度の視界が全て草原、
それ以外何も目に入らないのは、ここだである。 その広大な草原はケニアのマサイマラと
地続きであり、ケニア側をマサイマラ、タンザニア側をセレンゲッティという。 
その広大な草原をヌーとシマウマが楕円形のコースで終わることのない旅を大昔から続けている。
その群れにライオン、ハイエナなど肉食系動物がついてまわる。かってケニアはイギリス領、
タンザニアはフランス領だった。ケニアもタンザニアも、サファリが大きな観光資源になっていて、
国立公園内には現住民を除いて観光客以外に入ることができない。サバンナで時おり現地の
鮮やかな布をまとったマサイ族などが、護身用の槍を持って歩いているのを見かける。
草原に彼方此方にいるのではなく、車で20〜30分走って、時に見かける程度。
ヌーとシマウマの群れから少し間をおいてライオンや、ハイエナの群れがいる。 
群れがいないところで、ウサギやジャッカルなどの定住動物の姿を見かける。
大らかに見えるが、そこは野生動物にとって生と死をかけた緊迫した戦場。そのサバンナに
6メートル位の土の道路が何処までも続く。走行中に他のサファリカーは、ほぼ見かけない。
そこを同行のジープ数台で激走するのである。車の上は開け閉めが出来、走行中でも座席に
立って胸から上を外部に出せる。そこで外を眺めていると、たった一人でサバンナで走って
いるような錯覚になる。車に乗っているとライオンやヒョウなどは襲ってこない。
自分より強いという認識があるという。だから平気でライオンやハイエナの群れに近づける。
しかし、時おり像のボスが襲うことがある。ボツナワのサファリで、その現場を直接見たが、
乗客は恐怖で真っ青な顔をしていた。 下手をすると命に関わる。特に危ないのが、
離れバッファロー。 人を見ると追いかけまわす傾向が強い。ケニアで、早朝に10人位の
マサイ族が逃げてきたところに出くわしたことがある。我われのジープを間に入れて、
クラクションを鳴らして防いだが迫力満点である。 そういえば先日Youtubeで、白人が
ライオンの群れを撮影をしていて、つい車外に出て後ろからライオンに襲われ、群れに
生きたまま食べられる映像を見てしまった。 何でもありである。
 ・・・・・・・・
3089,つれづれに-閑話小題
 2009年09月19日(土)
・民主党政権が発足したが、問題は、公約が守られるかどうかだ。
100年以上の官僚内閣制度を打破できるかだ。  検察と国税と土建の国土省の狡猾な
宦官をコントロール出きるかどうかだ。戦略局が次官会議に取って代える ところがミソ。
自民党も政権を下りてしまえば、官僚内閣の小間使いでしかなかったのが露出したことになった。
 今度は、民主党が、彼等にどう取り込まれるのか、それとも首輪をはめられるのか?
 そのバトルが生々しく劇場化してくる。 国民による自民、官僚パージが、この選挙だったのである。
・中小企業と個人の返済3年猶予というが、実際に行われるのかどうかだ見ものである。
 徳政令ということだろうが、そうでもしないと、来年早々、日本経済は大きな転換期になる。
 中小・零細企業の倒産ラッシュである。 せざるを得ないということだ。 銀行も、反対するが、
 逆に政府も間接救済になる。 自民党政権も、大手銀行の使い走りだったので、このような
 発想そのものが出ないのだろう。自民党よりの読売新聞が「自民党よ、堂々たる与党に」
 だと、更に破壊しないと無理。
・一週間後の国体に向けて、新潟市も慌しくなってきた。 当方のホテルもである。
 宿泊は、選手よりマスコミとか、運営関係の役員とかが中心のようだが、色いろ細かいようで
 現場は大変のようだ。身障者の大会も含めると半月の間は新潟市は満杯になる。
 問題は、終了後のことだが、それは、その時に考えるしかない。 しかし、来年になると新潟に
 ある火力発電の増設工事が始るようだ。柏崎刈羽の原発が当分フル稼働が出来ないので、
 新潟の火力発電を増やすしかないとか。 景気の落ち込みで、柏崎刈羽のマイナスを吸収した
 と思っていたが、そうでもなさそうだ。いずれにしても大変である。
 どの程度か分からないしし、当てには出来ない話だが。
・・・・・・
2724、世界恐慌の結果、どうなる?
2008年09月19日(金)
・・・・・・・・・・
2007年09月19日(水)
2360, ギリシャとエーゲ海の旅 −6
  ーギリシャ旅行の総括ー (1)
この旅行で言いたかったことはホボ書きつくした。去年のケニアを除けば、北イタリア、
オーストリア、スイスと欧州が続いている。やはり何処にいっても、欧州は数千年の間に
積み重ねられた豊かさと文化の深を実感する。
 (字数制限のためカット 2014年9月19日)


4935,コトの本質 ー5

2014年09月18日(木)

  * 世間とは、リアルの社会を内部モデル化した様相   『コトの本質』 松井孝典著
 これまでの『世間』の解釈で一番、納得できた言葉が、
「社会=リアル、世間=社会を内部モデル化したバーチャル」である。
社会との関わりあいで、世間という内部モデルが、バーチャルにつくり上げられる。
たかがバーチャル、されどバーチャル。リアルとは、ほど遠いが気にかかる虚構世界である。
  ーその辺りから
≪ 社会という言葉と、世間という言葉があります。我々が人としてその集団の中で生きて
いくうえの、その集団のあるがままの外界を、たとえば社会と呼ぶとします。社会は現に
存在する外界です。社会と世間は同列ではありません。私にとって、世間とは、脳の中に
つくられる社会を投影した内部モデルです。世間というのは、したがってリアルなものではなく、
バーチャルなものです。世間をどのように見ているかは、私の内部モデルとして、社会を
どう投影して考えているかということに関わってます。世間というものは、私の言葉でいえば
人間圏そのものともいえます。それは概念化された世界です。人の営みの、しきたり化されて
いるようなところから、価値観から何から、全部ひっくるめての世間でしょう。
だから、あるがままのリアルな社会とは、少し違います。人間圏のリアルの側面としての
社会については、絶えず観察をして、世間という私の内部モデルを更新してます。・・・ 
社会と交わるたびに、人間圏の諸々の情報が膨らんでいきます。すなわち、内部モデルの細部
が、どんどんできてくるのです。社会と関わるたびに、世間というモデルが作り変えられるのです。≫
▼ 日本人、とりわけ地方の地域社会は、世間という長年積み重ねられた地域偏見が一種の
宗教のように、それぞれを縛り付けている。そして、それがバーチャルであることさえ気づかず
人生を終える。だから、ライフワークを持っていないと、自分を見失ってしまう。バーチャルの
世間に埋没すると、ライフワークの価値が見えなくなる。だから、城下町は、文化度が高い人と、
低俗の人との二極分化が明確になってしまう。一般的に、低俗の人を世間というが、誰もが、
どこかに兼備えているから始末が悪い。それが年をとるにつれ老醜として露出する。
老いることは、恐しい! さらに、老いた群れは、醜く恐しい!
・・・・・・
4568,変えてみよう! 記憶とのつきあいかた ー4
2013年09月18日(水)
         「変えてみよう! 記憶とのつきあいかた」高橋 雅延 (著)       
* 幸せな人生とは、本人が決めること! 幸福感は、それぞれの人の核となる魂の問題で、
他人がとやかくいう問題でない。「不幸の極みと思っていたことが、実は幸運の仮面を被っている
にすぎない」と思えば、そう思えてくる。 実際に経験してみると、そこに多くの視点が見えてくる。
本当の幸福感は不幸の真只中にこそ、現れ出てくるのは人生経験を積むほど分かるはず。 
ー以下の箇所はなかなか含蓄があるー
≪『サザエさん』の原作者の長谷川町子のマンガで、小学四年生のときに読み、今なお
覚えている作品がある。 それは、一人の男の人生をめぐる、良い神様と悪い神様の話だ。 
何の不自由もない家に、玉のような男の子が生まれた。これを知った悪い神様は、どうも
これがおもしろくなく、この男の子の人生を惨憺たるものにしようとシナリオを練る。
そして、「男の子の身に次々と不幸が起こり、紆余曲折をへて船乗りとなった挙句に猛烈な
嵐に遭遇して、最後は絶海の孤島に流れ着き、そこで人生を終える」いうシナリオをつくりあげた。 
はたして、男の子の身には次々に不幸が襲いかかる。しかし、良い神様がそれに気づいて
彼を何度も助けたために、彼は幸せな人生を送ることになる。ところがその臨終の場で
彼は自分の人生を振り返って、本当に不幸な一生だったと言い出す。そして、自分の
夢は船乗りになって、どこかの島で人生を終えることだったと述懐して息を引きとるのだ。
二人の神様は、人間 とはよくわからないと言いながら、去っていく。こんな話だ。
このマンガが私の人生の原点。幸せな人生とは、あくまでも本人が決めることであり、
まわりがとやかく言うべきものではない。もとより、記憶のさまざまな性質や、
その生かしかたを知ったからといって、幸せになれるわけではない。
ただ、何も知らないよりは、知っておいたほうが、みすみす損をしないだろうと思われるだけだ。
この本に書かれている「ヒント」をもとに、どのような人生を生きるかは、最終的には、
みなさんが決めることである。》
 ▼ 以前に取り上げた「幸福の4階建」に、当てはめると分かりやすい。
  4階:克服できない苦難や悲しみの中に、幸福がある。
  3階:苦難や悲しみを経験し、それを克服する中に幸福感が生まれる。
そこに自己実現の要素が入っている。
  2階:獲得した「快」を永続させる。 そこに時間的要素を入れ、
いかに長続きさせる中に幸せがある。
  1階:人間の本能的な「快」(恋、富、名誉など)を得て、増やす。
 苦労に苦労を重ねて得た幸せこそ、その最たるものだが、得てしまった幸せより、
不幸に見えた苦労の中にこそ、真の幸福の含量が多くある。 
私のケースは、『サザエさん』の作者の物語とは真逆である。 思いもしない3つの
大津波に飲み込まれて、この結果に終わった。しかし、これこそベストでは?の、
 心の奥からの声に我ながら驚いた。この「幸福の4階建」の意味が、いやでも実感を
 せざるを得ない。現在の私は、この建物の3階辺りで、日々を過ごしているが、
 いつ何どき、4階に駆け上がり、幸福感を味わうのだろう。 その屋上のテラスからの
 景色は、どんなものか? それもこれも、生きているうち!今日一日を楽しむしかないか。
・・・・・・
4193, 呪いの時代 ー10
2012年09月18日(火)                                 
* ペルソナ(仮面)の品不足     「呪いの時代」内田樹著
 結局、人は、それぞれの場面に色いろな仮面を被ることで生きている。
ところが一つの理想的な仮面に限定すると、それに対して真逆なペルソナが現れ出る。
「弱くかわいい僕」以外のペルソナの品ぞろいがないと、危機的状況になった時に、
思いもよらない凶暴なエゴの男が顔を出してくる。人間は面白く、哀しく、弱いもの。
我が内なる他者とは、よくいったもの。秋葉原の無差別殺戮などは、その典型である。
仮面の品不足だったのである。   ーその辺の記述からー
≪ 人間の攻撃性のコントロールは容易ではありません。完全抑圧してしまうと、かえって
 思いが違ったかたちで暴発する。ひとりの人間が抱え込んでいる攻撃性の絶対量は、
変わらないあるところで抑え込めば、違うところからかたちを変えて噴き出してくる。だから、
攻撃性はいろいろなかたちで管理して、「小出し」にするしかない。小出しにしておけば
破局的事態は避けることができます。だだし、そのためには、「攻撃的なペルソナ」にしても
「防衛的なペルソナ」にしても何種類か品ぞろえしておく必要があります。そして、状況に応じて、
その場にもっともふさわしい仮面をかぶる。・・
 ・・・ 草食系男子が採用している「弱くてかわいい」ペルソナというのはたしかに多くの場合に
有効だと思います。とりわけ、今の日本のように「弱者であることの利益」がつよく意識されている
社会では。でも、当たり前ながら「弱くてかわいい」だけで対応できる状況は限られています。
対応できないとき、彼らは一気にしばしばまったく似ても似つかない別のペルソナ
(凶暴で攻撃的)に切り替わってしまう。この二極のペルソナがあまりに隔絶しているので、
人格が統合できないまま、まるで別人のようになる。卑屈なほど恋人に尽くしてきた男が、
結婚と同時にいきなり荒れ狂うDV男に変わってしまったという事例は実際に僕も知っています
けれど、このような人格解離現象はペルソナの「数不足」で起きてしまうのではないか。・・・
 ・・・「他者との共生能力の劣化」ということを問題にしたが、他者との共生の基礎となるのは、
実は「我がうちなる他者たち」との共生の経験なのだと思います。僕自身にも「さもしい私」
「邪悪な私」「卑劣な私」がいる。それらもまた僕の正規の「ペルソナ」の一つであり、
それなしでは僕は僕ではない。自分自身の中にある
さまざまな人格特性を許容できる人間は他者を許容できる。僕はそうだと思います。
世間で言われる道徳訓とは言葉がずいぶん違いますが、僕は自分を許すことのできる
人間だけが他人を許せると考えます。≫
▼ ー「他者との共生能力」をつくるには、他者を構成する複数の人格特性のうちに幾つか
 「私と同じもの」を見出して、この他者は私自身と同じであることを認めるべきである。
その共通部分をどうすれば増やせるか、とりあえずは、人格特性を「切り出す」ユニット数を
増やすしかない。ーという。要は、その切り方である。可能な限り、自分を割っていく、割れば
割るほど他者との共有部分が増えていくことになる。人生の経験とは、そんなものである。
 ・・・・・・・
3828、 もう、あれから半年
2011年09月18日(日)
 3月30日から、あと二週間足らずで半年になる。そろそろ30年、いや仕事人生の40年余りの
毒気も抜けてきた。そこで、「何だったのだろうか、これまでの日々は?」と、定石通りの思いが
浮かんでくる。「男なら、条件が揃えば事業を興すのは当然」と信じてきた。 ふと気づくと
9・11、9・15に直撃、その大波が地方経済を直撃。更に情報化の進展も加わり売り上げが激減。 
ここまで、経済状況が悪化するとは、実のところ思いもよらなかった。ここまでリアルに売上減に
なると、諦めるしかないと納得する。 で、一歩、娑婆から身をひいた半年後の実感は
「世の中で揉まれているうち、大きな歪みの塊になっていたのでは?」という疑問である。
それが気づくのは、娑婆気から抜けた時。特に家庭の柱としての働き手の男の場合、
その歪みが大きい。その断面を大きな節目になって気づくことになる。誰もが、社会や会社の
柵に捉われたくないが、競争社会では肩肘も張らないと・・ とはいえ、それだけに目がいき過ぎて、
他の大事なことに目がいかなくなり、最終章に近づいて、慌ててしまうのが大半。 
半年で、この40年の歪みを改めて振り返っている日々でもある。 もしかしたら、一生、
気づかないで終わる人もいる。それに気づいて悶々とする人もいる。 先日、近じか定年になる
友人に、この話しをしたら、全く同感という。小さな、しかし、かたい勤め先を、こともなく
48年間勤めあげた実直な男が、自分の人生の歪みを認識していたのである。
私なら自分で納得するが・・ でも、その歪みも後悔は全くない。 ここで、「良い人生、悪い
人生でなく、充実していたか、してなかったか?」という言葉で、自己納得するしかない。 
状況が状況だったので、苦悶はあるのは仕方がないが、充実感が、何とか支えになっている
というのが正直のところ。 準備、15年も含めた事業人生の45年の終わりは、三連発の
経済・自然大災害の直撃で終わってしまった。そして半年たった現在、静かな心境でいられる
のが、救いである。少なくとも、自分の人生の歪みに後悔はしていない。
この歪みが自分でもあるから。 その歪みに七転八倒しているのがいるが・・・
それも人生。 穏やか過ぎる人生より、遥かにましである。 それも歪みか。
 偶然、この内容に滞欧する文章が以下の去年の同月同日に書いてあった
   ー 面白いもの。 いや、数年分が関連している。
・・・・・・・・
3463, 9・15より二年
 2010年09月18日(土)
 リーマンショックから、二年経過し三年目に入った。100年とも、250年に一度の激震と言われる。
アメリカでは、証券大手の殆どが瞬時に消滅、シティーバンクなど幾つかが大手銀行も政府管理会社になり、
ビッグのGM、クライスラーも政府管理の事態になっている。日本のバブル崩壊で、大手銀行が20社から
三社に集約されるまで10年も要したことからみれば、迅速である。日本では今のところ目だった大手では
日本航空ぐらいなのは不思議と言えば不思議である。まだ表面化はしてないが、まずは関東・東海ベルトラインを
除いた地域経済は惨憺たるもの。悪いことに政権が民主党に移行し、人間に例えれば脳がマヒ状態で、この難局に
国の方向が定まらない無政府状態。このまま、この激震のクライマックスに入る2012年を迎えることになる。
デフレから悪性のハイパーインフレへの転換である。現在は円高だが、さらに恐ろしい円安が日本経済を襲う。
まだ表面化してないが、ある日、株と国債の暴落から始る激しい恐慌の本番は、激しく我われの生活を襲ってくる。
悲観的だが、それが事実なら認めざるをえない。
 これに情報化社会の進展によるグローバル化が、世界をフラットにしていけば、これまで東西冷戦の狭間で、
大きな恩恵を受けてきた日本が、普通の国並みに豊かさが損なわれるのは当然である。それが、現在の日本の衰退。
情報化、グローバル化、フラット化の流れは、もう止めることは不可能である。これまでの常識は根底から破壊され、
全く違った価値観が通用する時代に既に入ってしまった。情報、軍事、金融を支配しているアメリカは、当面は勢力を
保つだろうが、中期的にみれば衰退は免れない。それに対し、中国・インド・ブラジルなどに覇権の重心が移動する
のは避けれないこと。その中で、日本はアメリカの更なる植民地化が進む。毒素が脳までやられてしまったのである。
その一つの現象が、現政権のトップ達に、そのまま現出しているとみると、ニヒルな笑いが出てきざるをえない。
 ・・・・・・・・
3088,挫折を考えてみようか −3
2009年09月18日(金)
 ある人に「あなたの『挫折を考えてみようか ー1』を読んだが、貴方には挫折経験がないのでは?」と言われた。
そこで改めて考えてみた。 大学浪人は、そこで進学を断念したのなら話しは別だが、挫折ではない? 金沢時代も
挫折とは違う。目的もしっかりあったし、絶好の体験をしているという実感はあった。創業を目指して彷徨いながら
準備をしていたという明確な絵図があった。そう考えると「挫折体験はないのでは?」という指摘も正しいことになる。 
先が見えないで暗い心情になっていた時期で挫折とはいわない。そうこう考えると、挫折と軽々しく言わない方がよい!
ということ。 ネット辞書によると「挫折とは計画が達成できないで心が折れてヤル気を失うこと」とあった。
挫折は、それまでの自分を一度破壊して新たな自分の創造を促すチャンスになり、竹の節目に譬えることが出来る。 
そこに大きな鍵が隠されている。超越者の声に敏感になることもある。それまでが横の時間なら挫折の時節は縦の時間。
「節目を打て!」というが、そこで超越者に試されことでもある。 物語なら、そこを節目としての転換期になり、
「起承転結」の「転」の時になる。挫折の状態は、追い詰められた状況ほど芸術作品や本などを通した超越者の語り
かけに鋭敏になる。「予定挫折」という言葉がある。 挫折を意図的に入れて置いて、人生の踊り場にするのである。 
そこは枝葉を切って根を養う時節であり、超越の時節になる。「そうか〜挫折と思い込んでいただけか〜」と思ったが、
それでは、挫折が無かったかというと、勿論ある。実は見落していたのである。大学浪人や創業時の準備は勘違い? 
しかし深傷だったが。最近になって「自分は中学浪人だった」と何人かの知人から聞いて驚いたが一番傷つきやすい
時期の、それから見れば、当時の大学は半分近くが浪人経験者で、挫折でない。また私の姉夫婦と実兄夫婦の倒産劇で、
大きく挫折をしたのを間近で見たが、壮年、老年近い挫折は厳しい。最近はリストラで日常が挫折だらけになっている。 
他人事ではない。 予定挫折ともいかないし。幸福というビルの最上階の4Fならいいが、屋上から何は? 
挫折を茶化すこともないが・・・「挫折とは計画が達成できないで心が折れてヤル気を失うこと」か〜! 
なら日々挫折である。計画が甘いだけ?。        「日々是挫折」 =「日々是口実(好日)」
 ・・・・・・・・・・
2723, アメリカ発、金融危機の始まり!
 2008年09月18日(木)
AIGが一昨日、1ドル台まで下落したが、アメリカのFRBが昨日になって9兆円の融資を決めたことで、
当面の倒産を回避した。FRBがリーマンと同じスタンスをとれば、倒産になるところだった。世界中が一瞬、
息を呑んで見守っていた決定であった。NHK海外衛星TVで、ジョージ・ソロスにインタビューをしていた。
「これで問題が解決をしたのではなく、小さな目先の問題が先送りをされただけ、次次と同じような問題が出てくる!」
と、大恐慌の到来を匂わせていた。アメリカ政府が80?の株式を持ち、切り売りなどしてソフト・ランディングを
させる方針だ。アメリカの上位数社の壊滅と、AIGの政府の倒産の危機は9・11事件に匹敵する金融の大事件。
一つ間違えれば世界の金融は崩壊の危機に立っている。これが序曲でしかないのは、誰の目にも明らか。
ボロボロ世界中から、大問題が次々と発生してくるのだろう。恐慌が始ったようだ。ある日、手に負えないような
ハイパーインフレが発生、スタグフレーションになる。考えただけで恐ろしい日々になるのである。
メルリリンチが、もしBOAのリーマンを買収が決定すれば、次にターゲットが自社に来ることを察知。
恐らく財務関係者から救済がないことを知らされて、急遽BOAに売却を申し込んだのだろう。
メルリチンチの倒産の方が更に衝撃が大きかっただろう。 映画のような非常に緊迫したヤリトリがあったのだろう。
リーマンでも負債総額が64兆円というから。日本でも各金融機関は大きな損失を被るだろう。この混乱は、今後
大きな尾を引く。これまでとは全く違った金融環境になることは自明。 日本でもあったように、資金の貸し渋り、
貸し剥がしが、アメリカのみならず、世界中で起こる。 やはり世界恐慌が始ったのである。欧米各紙は、
「ブラック・サンデー」と命名したという。それか翌日の15日の荒れた月曜日ということで、「ワイルド・マンデー」
ともあったが、ドチラが定着をするだろうか?
  (字数制限のためカット 2014年、9月18日)


4934,コトの本質 −4

2014年09月17日(水)

   * 二十世紀の共同幻想は破綻した      『コトの本質』 松井孝典著
 二十世紀の共同幻想の一つに経済成長がある。その幻想が崩壊を始め、現在は、恐慌前夜の
様相である。この潮流は、今後とも続くことになる。何故なら、世界の中枢の脳は20世紀の共同
幻想そのもの。だから、崩壊は今後も続くのは自然の流れ。ネット社会の到来で この共同幻想は
違ったカタチになってきている。新たなネット社会の内部モデルは、瞬時に世界中に日々更新され、
進化と、深化の速度は早まった。 ーその辺りから抜粋ー
≪ 二十世紀以前からの共同幻想のひとつに、右肩上がりという共同幻想があります。
それを前提にした社会システムが非難されていますが、百年後といわず、十年後を考えても、
いまのような社会システムや、それが人間を規定するというようなことに関する共同幻想が本当に
破れないのか問題です。 現実には、どんなに大変な問題が山積していようと、ほとんどの人は
共同幻想に閉じて生きていますから、その中に埋没しているかぎりは問題が顕在化することはなく、
そのままでも生きられてしまいます。その間は、その人にとって問題は存在しないのです。
共同幻想を幻想とは考えず、人間を外から見ることができず、その中に埋没して生きている
人たちにとっては、共同幻想ではなく、それは真理であり、人間とはそのようなものだという
定義であり、そのために生きているという価値であり、すべてなのです。神しかり、宗教しかり、
愛しかりです。たとえ宗教に関わる者であっても、突き抜けた人は、その意味(共同幻想)を
きちんと理解しています。そういうレベルの人とは議論できるし、互いの意図を理解し合うことも
可能です。それぞれの分野で突き抜けた人、それをプロと呼ぶとすると、その人たちには
共同幻想ということの意味が理解できるからです。
 人間圏をその外側から見ることができなくても、共同幻想を、真理だとか、現実だとか、すべての
人はそうあらねばならないとか、その価値の正当性を主張するのは、やめることが必要です。
共同幻想というものは、正しいとか正しくないとか、わかるわからないではなくて、当人がただ
そう思い込んで納得しているにすぎないことなのです。しかし、逆説的ですが私は共同幻想を
抱いて生きることが、逆に現在生きている我々の人生を肯定すると思います。≫
▼ 己の人生を否定してでも、共同幻想を見据える視線は失いたくないもの。
リアルな外界を可能な限り見据えて内部モデルを更新し続けることしか、生きることが
出来ないのが人間である。 自分を振り返ると、終戦直後に生れ、高度経済成長の中バブル
の波に乗って流され、その崩壊が右下りのターニングポイントだった。そして、おおよそ10年後、
2001年の9・11テロ、2008年の9・15のリーマンショック、2011年の3・11震災を経て、
現在に至っている。20世紀の時代と共に、その共同幻想を疑いもなく信じ、右上りと、右下りと、
その崩壊過程を生きたことになる。21世紀の姿が見え始めたが、面白そうだが、
右上がりの明るい時代ではなさそうだ。
・・・・・・
4567, 変えてみよう! 記憶とのつきあいかた ー3
2013年09月17日(火)
            「変えてみよう! 記憶とのつきあいかた」高橋 雅延 (著)
 最近、老いてきたためか、「突然死は、本人にとって決して悲劇ではなく、平均10年近くの
介護にならず済むため、むしろ幸運だった」と思うようになってきた。しかし、いざ「余命半年!」
と言われれば、生きたいと思うのが人情。あと一年半で私も古希をむかえるが、気持ちは
今だ50歳半ば。そのギャップは埋めようがない。ある日、余命半年か、一年と宣言されるか、
悟り、それまでの一生分の濃厚に圧縮された時間を過ごして、消えていくのだろが、
くも膜下で一瞬、消えていく可能性もある。  
 ー以下は、くも膜下で救急車で運ばれる当事者の生々しい場面の記述であるー
   * 空白の五日間
《 くも膜下出血で私が倒れたのは二〇〇六矢月一九日のことだ。
あの日はー生涯忘れられないとともに、その後の「記憶のない」日々の始りであった。
その日は、翌日から、学生を引率してイギリスへの語学研修が予定されていた。
翌朝が早いため、私は成田空港の近くに宿泊することにした。例年とかわらぬ猛暑の中、
その日は夕方の五時頃、翌日から大阪に帰省する妻とともにホテルに、チェックインした。
その後・六時をほんの少し過ぎたとき、キーンという耳鳴りとともに、私は突然激しい頭痛に
おそわれた(妻の話によると、ごく短時間だが意識を失っていたという)。 仕事柄、少しは
脳のことを知っている私は、この異常な激痛からするとたぶん、脳の血管が切れて出血が起こった
と思った。そして同時に、右足の小指がしびれてきたから、出血は脳の左半分のどこかで起こった
のではないか、と推測した。脳は左脳と右脳に分かれ、それぞれ反対側の身体の動きを
つかさどっている。だから、身体の右側に麻痺が起こるのは、反対側の左脳にダメージを
受けたからだと考えられるのだ。左脳といえば、ことばをつかさどる部分がある。
これはへたをすると、ことばに障害が残り、二度と教壇に立てないかもしれない…
そんな不安さえ頭をよぎった。あまりの激しい痛みに、横たわったまま身動きのできない
私の姿をみて、妻が救急車を呼ぶと言い出した。私は翌日からの引率が気になっていたのだが、
とにかく医者に診てもらうべきだという妻の意見に最終的には従うことにした。
そして、壁に掛けていたズボンの後ろポケットからパスポートやクレジットカードを取り出してもらい、
ベッド脇に置いていたカバンの中にある大学の緊急連絡先に電話するように頼んだ。
そうこうしている間も、激しい頭痛は止まらない。その後ようやく、二人の救急救命士が到着し
(・・略)救急車の寝台に横たわると、身体の大きい私には思いのほか窮屈で、しかも、走行中の
振動が頭にひびいた。救急救命士は、何度も私の名前を呼ぶと同時に、血圧を測っていた。
横たわっている私からも血圧計の数字が読み取れたので、それをみていると、血圧は一五〇、
一七〇、……と、どんどん上昇していく。私はこのまま死ぬことを考え、つき添っていた妻に
かろうじて感謝のことばを言って、そのまま、意識を失ったのだった。
 これは当日のほんの一部のできごとを書いたが、おそらく多くの方は、極めて鮮明な
私の記憶に驚くのではないだろうか。実際、私は今もなお、あの場面を、まるで自分が主役の
映画を観るかのように、心の中に鮮明に思い浮かべることができる。しかし私には、その後、
つまり救急車の中で意識を失った後の、五日間の記憶がないのである。この五日間に、
月並な表現だが、私は生死分境をさまよっていた。・・ 》
▼ 二年ほど前に、知人が突然、TVの朝ドラを見ている最中に脳梗塞で倒れ、救急車で病院に
運ばれたが、意識が戻らないまま亡くなってしまった。状況は似ているが、著者は生還して状況を
こと細かく生々しく書きのこしている。 知人は長年、糖尿病に悩まされていたというが、突然、
脳溢血で死ぬとは思ってもいなかっただろう。 この年齢では、「マサカの坂」はない。
・・・・・・
4192, 呪いの時代 ー9
2012年09月17日(月)                        
  *「今、付き合っている人いる?」の意味 ー草食系男子とは何?  「呪いの時代」内田樹著  
 最近は合コンとかいうのがあり、気楽に結婚相手を探すシステムが出来ている。それと、
ネットの交流サイトで知り合い結婚に至るのも多い。何気なく「今、付き合っている人いる?」
と声をかけるのも、実は巧妙な意味がある。 
  ーその辺を抜粋ー
≪とりあえずは恋愛の局面において「傷つかないこと」があります。20年ほど前から「ロ説く」人が
少なくなりました。それどころか「口説く」という動詞自体がもう今の学生たちくらいの年齢では日常
彙に含まれてないかもしれません。じゃあ、学生諸君は、交際を求めて何というか。
「今、付き合っている人いる?」です。これは、きわめて巧妙に構築された「口説き文句」と思います。「今、付き合っている人いる?」という問いは、一見すると客観的な事態についての価値中立的な
問いのように見えます。まるで、「今、雨降ってる?」とか「今、6時過ぎた?」と訊いているように
誰でも口にできるし、誰でもイエス・ノーで即答できるように作文されている。まだ知り合った
ばかりでお互いをよく知ないもの同士が、色いろあたりさわりのないことを話しているうちに話題も
尽きてしまい、ふっと訊いてみた。そういうふうなカジュアルな問いのようにみえる。
あたかもその問いに対する相手からの返答に自分はとりわけ関心があるわでがないけど、
ちょっと聞いてみただけなんだけどと言わんばかりである。「今、付き合っている人いる?」の問いに、
仮に、「うん、いるよ」と即答されても、「ああ、そうなんだ。ふ〜ん、でさ、キミ、音楽聴く?」
というふうに、そんなことオレ的に関係ないけどさ」的に修羅場から逃走できます。「いないよ」と
いえば、「それなら自分と付き合わない?」と、いきなり具体的性行動レベルに切り替えられる。
「今、付き合っている人いる?」という問いを発する人は、その言葉が性的アプローチであるか
どうかの決定権を自分の側に留保しています。だから、「いるよ」という答られた場合は
「この問いはただの社交的問いである」と言い抜け、「いないよ」という答えが得た場合は
「この答えは私に対する性的関心の表明である」という解釈ににじり寄る。
「キミが好きだ」という告白に対しては、言われた側には無数の答え方があります。
言葉で答えてもいいし、鼻で笑ってもいいし、背中を向けて歩き去ってもいいし、何も聞えなかったふりを
してもいい(これはよくあるリアクション)。・・・ ≫
▼ スナックやキャバクラなどで日常、会話されているポピュラーな言葉だろうが、直ぐに思い
浮かぶのは、「あんた美人だね!」「最近、シネマで何か見た?」「オーラが漂っているね」
「あなたの為に、この場があるような存在だね」とかがある。以前、女性の職場にいたときは、
浅知恵で「三度褒め」を心掛けていた。意外と異性は直接褒めないためか、三度目がポイント。 
少し軽いが誰にも言っていれば変な誤解は受けない。言葉は相手を有頂天にも激怒もさせる。
最近は、褒めたことがない。 
・・・・・・
3827,  集団爆笑 ー木曜五限の地理公民ー
2011年09月17日(土)                   ( 『ザ・万歩計』万城目学著 )
 人生では思わないハプニングで爆笑の渦に巻き込まれることがある。
   以下は、ある随想にあったもの、思わず噴出した。
【 高見は一風変わった授業を進める教師だった。とにかく生徒を当てまくる。次回までに解いてこい、
 と指定した範囲の問題を徹底し当てまくる。彼は中学生の本質を、的確に見極めていた。甘い顔をして、放って
 おいたらどこまでも勉強せず、授業中、昼寝するだけ、という性悪説を信奉していた。そして、その考えは
 おおむね正しかった。・・・・答えが間違っていると床に正座。次に後ろの席の生徒が立つ。答えられない。 
 正座。はい、次、また、正座。こんな調子なので、クラスの九割が床に正座させられ、正規のイスに座る者が
 ほとんどいなかったこともある。おかげで、高見の授業は常に異様な緊張感が漂っていた。事件は、この高見の
 授業で起こった。主役は三井。三井は強度のビビリ。人前で怒られることに、極端な差恥を覚える性質の正直者。
 あの日、高見に当てられ、問題文の朗読および解答を求められた三井は、傍目にも哀れなほどビビっていた。
 斜め後ろの私の席からも、問題集を持つ手が、緊張に震えているのが、はっきり見えたほどだ。 
 三井は途中しきりに噛みながら問題文を読み上げる。「アラビア半島の一角を占める、人口二百二十万人の
 オマーンの首都マスカットはアラア海とオマーン…」問題文は「首都マスカットはアラビア海とオマーン湾に面し、
 漁業と交易の中心地となっている」という何でもないものだった。だが、三井はこのとき緊張からくる混乱の
 極みに達していた。普段から冗談も言わない、根っから真面目な奴。ただ、男なら誰もが通る、ちょっとした
 思春期の懊悩に、運悪く足元をすくわれてしまったのだ。「アラビア海とオマーン……」で途切れ、数秒の
 ブランクののち、三井はぽつりと、「湖……」と続けてしまつたのである。その瞬間、大阪の片田舎の男子校に
 笑いの爆弾が落ちた。教室に破裂した笑い声で本当に床が揺れていた。いったん笑いが収まっても、誰かが
 ふたたび笑いだすと、波となって全員をまきこんだ。 十分経っても、男どもはひたすら笑い続け、もはや授業
 どころではない。教壇の高見も笑っていた。「誰にでも間違いはある」とフォローさえしていた。あれほど些細な
 間違いを見逃さず、なべて正座を命じていた男の言葉とは思えなかった。もちろん、三井に正座命令はなし。
 三井の導いた笑いは「鬼」と陰口された教師の心すら溶かしたのである。その日より三井の名前は学校中に轟いた。
 あんなに笑った経験は、二度とない。 とことん生真面目な男が、私の人生最高のスマッシュ・ヒットを飛ばす。
 「人間には無限の可能性がある」この言葉を聞くたび、思い出すのは、あの木曜五限の地理公民と三井のこと。 
 私が笑いの偉大さについて身をもって知った、十四歳の夏の午後。】
 ▼ 以前に、ここでも書いたことがあるが、学生時代のドイツ語の授業で、誰かがドイツ語の訳をしていた。
「・・・ その時、遠くから犬の鳴声が聞こえてきた!」と、同時に遠くから、それを待っていたかのように、
「ウ〜 ワンワンワン」と犬の鳴声。その瞬間、かたい授業の最中、部屋中が爆笑の嵐。
 あれだけ集団で腹の底から笑った経験はなかった。
・・・・・・・
3462, 純粋持続 −2
2010年09月17日(金)
 * 純粋持続と自由
 ベルクソンによれば、この純粋持続こそが自由の源泉である。 通常、自由といえば、選択の自由を意味する。
たとえば、ひとつの道を進んでいると、その先が二つに枝分かれしている。その分岐点において、どちらかの道を進むか
自分の意志に基づいて選択できる。 そこに自由があるとされる。 しかし、ベルクソンにいわせれば、そのような分岐路を
思い浮かべること自体が、空間化された時間による発想であり、生命の自由な持続に即したものではない。
 生命にとっての未来というのは、分岐路のようにあらかじめ存在するものではなく、現在において不断かつ連続的に
創造されるものであるからだ。したがって、自由とはこの純粋持続への帰一であり、その発現としての純粋自我による行為。
他方、物質界は一瞬前の過去を惰性的に反復するだけであり、すなわち持続の弛緩の極であるとされる。 物質は自らを
破壊するのに対して、生命は自らを形成する。つまり生命には、物質が降りていく坂を登ろうとする努力をみることができる。 
宇宙の万象は、この持続の種々の緊張による多様な創造的進化の展開である。そして緊張の極にあるのが、「生の躍動」である。
▼ 以上だが、まず好きなことをして我を忘れている時間が「純粋持続」である。その時は空間時間は消え、没頭している時、
 そこに「したいことを、しているという自由」がある。純心になって対象に打ち込んでいる時、時間も空間も超越している。
しかし我われは日常の煩わしい空間に縛られ、日常の反復を繰り返すだけになっている。 それらをカサブタと仮定すると、
その奥に隠れている真の時間が「純粋持続」である。 哲学は、固定、静止、実在するもの、定着したものを探究するのが常。
しかし、ベルクソンは「流動性」つまり「流れ」に注目する。一人の人間存在について考えても、その細胞は日々刻々と変化
しており、昨日と今日は、同じでない。生命の場合、同一状態が永遠に続くことはありえず、流れの只中に「ある」という
ことが保証されているに過ぎない。ベルクソンは、この「流れがある」こと、ならびに「流れの中で生きている」こと、
この両者に「自由」を見出す。あえて言えば、生命体が生きているだけで、どのような状態であっても、死んでいなければ
「自由」である。我われは、強力な束縛はないが、小さな細かい束縛の中で生きている。もう一つ、現在はある程度自由だが、
もっと多量な、もっと高貴な、深遠な自由に到達してないと考える場合である。どっちにしても、ある程度自由だが、自由
でもない、のが多くの人たちの現実。 気の持ちようである。だが、この「気」こそ、ベルクソンの呈示したものである。
 ・・・・・・
3087,挫折を考えてみようか −2
 2009年09月17日(木)
 哲学者のヤスパーの「限界状況」と「包括者」は、なかなか含蓄がある。ヤスパーは第二次世界大戦でナチへの協力を
拒否したため、大学教授を剥奪され、身の危険を感じスイスに亡命せざるを得なくなった体験がある。そこから「限界状況」
という考えが、色濃く反映している。『限界状況』とは、突き当たり、そこで挫折するしかない壁、具体的には、死、闘争、
悩み、歴史による規定などをいう。それらの乗り越え難い厳しい壁を目の前にして、逃避するなら人間は自分を失ってしまう。
反対に、その試練を真摯に受け止めることよって初めて、我われは自分の生きる姿を知ることになる。
 しかし受け止めたところで、限界状況では挫折は避けられない。しかし、この挫折が私たちを超越者(=包括者)
の世界に導いてくれる。 もちろん、ヤスパーが考えたのは、挫折(無力感)から神のような超越的なものへ目が見開かれる
という宗教的なことではない。 包括者を認知するとは、この世の中に決して合理的に理解できないものがあることを
知るということ、理性の限界を知るということである。 理性の限界を認識してこそ、私たちは理性的に思索できる。
それをヤスパーは包括者の認知と提示したのである。 20世紀から、このかた原爆、世界大戦、ナチ、毛沢東などが、
大量殺戮を繰り返してきた。 それは徹底した合理主義の下である。 理性そのものの疑問が生じるのは当然である。 
 我われの挫折も、それを逆バネにすれば自分の無力感を、超越者(作家や芸術家など)から救ってもらう切っ掛けとなる。
挫折は、それから学びプラスに出来れば、これほど効果的なことはない。 その限界状況が芸術、思想、自然、歴史などの
暗号を解いて、包括者を受け入れやすい環境として最適な状態となるのである。挫折は、自分の壁が破壊することでもある。
その壁は、自分を守ってもくれるが、反面、殻にもなってくる。養老孟は、それを馬鹿の壁と表現した。そうこう考えると、
人間にとって(特に若いときの)挫折は必要欠くべからざる経験ということになる。 ところで先日・・・・  〜つづき    
・・・・・・・・・
2722, どうも世界恐慌に入ったようだ!
2008年09月17日(水)
 * アリコが危ない?
   (字数の関係でカット、2011年09月17日)
・・・・・・・・・
2007年09月17日(月)
 2358, ギリシャとエーゲ海の旅 −4
(字数制限のためカット 2012年9月17日)


4933,コトの本質 −3

2014年09月16日(火)

   * 地球システムと、人間圏     『コトの本質』 松井孝典著
 10年ほど前、著者の本で、「地球をシステムとして捉る」の新鮮な切口は、今でも憶えている。
人間圏から宇宙、地球、自然をみるだけでなく、宇宙の彼方から逆照射で地球を見直し、
その中の一部としての人間圏、社会、文化文明を捉える考え方は、秘境ツアーから得た感覚と
似ていた。 それまで、そういう見方が、無かったことになる。仏教では、阿弥陀如来の視線が、
似ている。グーグルアースで、ネットで気楽に地球の彼方から星座や、銀河、惑星、
ブラックホールなど、宇宙の彼方まで見ることが可能である。また、彼方から太陽や
地球を見ることができる。  ーその辺りからー
≪ 地球とは何ぞやの本質はシステムにあると思ったときに、人間まで含めて考えなければ
 いけないことに気づきました。いまの地球システムを考えてみれば、人間もその構成要素の
ひとつに入るはずですから。 というわけで、この頃から、人間や文明について、学生の頃の
ように観念的にではなく、私自身の独自の視点から考えることが始まりました。
地球をシステムとして考える視点から、その中で人間をどうとらえるか発想でき、「人間圏」という
概念が生まれてきました。人間圏という概念を導入すれば、文明論から環境論から人間論まで
何でも語れるじゃないか、ということ。人間圏を思いついた時、まったく新しい人間論も語れるように
なりました。人間圏という概念は、これまで誰も指摘していません。 これも、衝突脱ガス、
水蒸気大気とかと同様、私のオリジナルなアイデアです。それは文明論や地球環境問題を語る
うえで、なくてはならない概念です。 ≫
▼ 人間圏をつくりあげ、絶対と考えてきた人類が、ここで、大きな曲り角にきている。
 20世紀まえからの右上がり経済の共同幻想や、西洋文明的進化が絶対だ、という考えである。
今だに〔新成長戦略〕など戯言を政策目標にしているアベノミクスが、その典型。しかし、アメリカの
実質的占領国の日本は、アメリカとの共同幻想を共にするしかない事情もある。 私見になるが、
人間圏には、上から? 白人圏、アラブ人圏、東洋人圏、黒人圏があって、白人が、富の多くを
支配している。それ以前に、動物圏も、同じ。それが、あからさまに残っているのがインドであり、
その根が差別を公認するカースト制。
・・・・・・
4566, 変えてみよう! 記憶とのつきあいかた ー2
2013年09月16日(月)
                「変えてみよう! 記憶とのつきあいかた」高橋 雅延 (著)
   * 経験も、その記憶も、受け止め方ひとつ
 どうも、家庭に引っ込むと単調な日々になる。 好きなことだけが出来るため充実感はあるが
刺激がない。 で、週一のシネマと、TVの映画、ドラマの再放送、プロ野球、録画のボクシング、
インターネットとブログの日々になる。これもいいが、平穏のため、フラッシュバックが多く出てくる。
現役なら、現実の刺激がそんな記憶を瞬時に飛ばしてしまう。が、現在はそれがないこともあって、
振り回される。それも一瞬だが。 人生の後半になるほど、思い出されてくるのが、20歳代の
フラッシュバック。封印していた記憶が次々と出てくる。そんな折、図書館で見つけたのが、この本。
「実は、私たちは不確かな記憶に振り回されている」とある。 20歳代は自立の時節で、卒業、
就職、結婚など人生の大きな決断時、そのため記憶が鮮明になる。30〜40歳代も密度は
濃厚だったが、社会的な基盤が出来ていた。それもあり不安定の20歳代の方が新鮮になる。
 「社会背景と、時代背景、そして家庭に恵まれていたこともあって、私には良い記憶が多く、
良い人生だった」と信じていた。しかし「人間は、嫌な記憶より良い記憶が残すように出来ている」
とすると「私だけが特に良い思い出、良い経験を多く積んできたわけでない」ことになる。
「良いこと一つに、嫌なこと一つ」を、「良いこと二つに、嫌なこと一つ」に、記憶を修正してきた。
これは意識をすれば可能。やけ酒を飲まないで、祝い酒や楽しい酒なら飲む習慣も、その一つ。
「悲観は感情、楽観は意志」という言葉もある。これも意志で可能である。 
それより、普段から上機嫌でいられる環境をつくっておくことである。 その点、御隠居は良い。
ご隠居の強みに、「嫌なことはしない、好きなことだけをする」がある。趣味、道楽の生活を日々
心掛けることが御隠居の勤めと割り切ればよい。しかし年齢を重ねると、病気や老人性鬱など、
過去からの色いろな返り矢が、次から次へと飛んでくる。その結果、何時の間にか、暗い捻れた
老人になっている。「ご覧の通り、そのまま結構」で、まずは自分を納得させるしかない。
・・・・・
4191, 閑話小題 ーカテゴリーキラー
2012年09月16日(日)
   * カテゴリーキラー
 自民・民主の対立軸の間に、地方の首長が平成の維新と名うって「日本維新の会」を立ててきた。
既存の党に新しい時代の改革が不可能と見た堺屋太一などの識者などが、大阪市政、大阪府政を建て直した
松井府知事、橋下市長を中央政治の改革に担ぎだしてきたもの。この良さは、既存政治のしがらみがないこと。
流通業界は、こういうのをカテゴリーキラーという。既存の流通経路とは全く違うバイパスをつくってしまう
やり方で、既存の百貨店と一般小売店という流通経路に対し、スーパー、量販店、コンビニなどを、これまでと
違った立地に新たに出店する方法。さらに最近では、その流通経路に対し全く新しいカテゴリーキラーが出現。
ネット販売である。 先日、歯ブラシを見に電器チェーン店に行ってきたが、ネットで買えば25パーは安いことを
知ってのこと。そこには若い子連れの家族がいた。私と同じで、そこで商品の品定めをしているだけ、買うのは
ネットの様子。今では、多くがスマートフォンを持ち、その場でネット価格を調べることが可能になっている。
店は現物をみるショーウインドウとして割り切っている。恐ろしい時代である。それと、酷似しているのが、
日本維新の会である。それにしても自民、民主? 
  * 近所の人の突然死
 一昨日のこと。朝の10時前に自宅の数軒先に救急車がきた。一軒おいた所は5軒の小さなフクロ小路に
なっていて、家内が言うに、「殆どが80歳以上の老人の独居暮し」とか。10年前にも誰かが救急車で運ばれて
いったことがある。「この暑さ、熱中症で誰かが倒れたのだろう」と気に留めなかった。 その直後に家内は
スポーツジムに出かけていった。今年は私の家が班長の番もあり、その家の隣家の人が、その報告に来た。
その話によると「 一人暮らしの89歳の老女で、一キロ先に娘夫婦が住んでいて、その娘が亡くなっていた
母親を見つけて救急車をよんだが、故人はTVを見ていた状況で、梗塞だった。昔からいうポックリ病死である。
静かな住宅地で比較的住みやすいところ。その中で、振り返ると、けっこう、それぞれの家庭事情が垣間見れる。 
数年前の三条の洪水で東北電力の御主人が流され亡くなったとか、病気を苦にした自殺をしたとか、
旦那が女をつくり出ていったとか、あげればキリがない。そういう私も去年の春、何で!
 ・・・・・・
3826, 閑話小題
2011年09月16日(金)
  * 血圧か〜
 スポーツジムで血圧を測りだしてから一月ほどたつ。130前後から150後半が、このとこの数値。 
以前から、この位だった。気にすれば気になるし、気にしなければ別に問題はない。 体重は、二十年、標準を
保っているし、食事も気をつけている。ただ酒量が多いことが問題。親戚で脳卒中で寝たきりだった人は少ない。 
ほぼガンか老衰で亡くなっている。でも、そろそろ血圧も、血糖値も気にしなければ! ところで、一昨日の運動
を終えた直後で158、昨日はリクライニング室のマッサージの直後のためか128。高いのか?こんなものか? 
先日、公営の小さなジムにある測定器では120だった。状況により大きく左右するようだ。脳卒中で半身不随は
辛いだろう。頭は全く変わらないというし。 大学時代の少しメタボ気味が二人、半身不随になってしまった。
  * パソコンゲーム
 これまでゲーム歴は、ソニーのPSPと、学生時代のパチンコ(数ヶ月に一度位)以外、ほぼない。
ここでiPadを購入したおかげで、さっそくフリー(無料)のゲームを幾つかダウンロードして使いだしたら、
これが面白い。午前中はスケジュールに追われているが、午後は時間がタップリある。 それでも仮眠をしたり
読書やネットで時間をとられるため、夕食後からTVを見ながらゲームに嵌っている。2〜3時間は時間がたつのを
忘れてしまうほど。止めようと思っても、もう一回、もう一回と延々と続けてしまう。これを幼児の頃から
楽しんでいたら、現実で自分をゲームの主人公にした夢の追及とか、目標のため目先の苦労をすることなど避け、
ゲームで達成感などを味わった方が遥かに楽に思えるのだろ。 なるほどバカになるわけだ。
  * ど忘れ
 数日前に、以前に一度『哲学人』を、この随想日記に書いていたことに後になって気づいたばかり。
ところ再び昨日の朝、三年前の同月同日に、全米NO1の弁護士の著書『議論に絶対負けない法』の感想文がある
のに気づいたしだい。これまでも、せっかく書き上げた後、何か書いていたような気がしブログ内検索で書いて
いたことが判明し、没にしたことは何回もあった。しかし二回もたて続きに気づくとは、やはり少し変か? 
やはり年齢のなせること? 書いたと同時に、ハッキリいって内容は一年後に、ここで再読する以外は皆無。
その分、後で読むと面白いが・・・ 
 ・・・・・・・・
3461, 純粋持続 −1
2010年09月16日(木)
 ベルクソンの「純粋持続」の考察が面白い。 まずは、ウィキペディアで、「純粋持続」を検索した。
 * 粋持続と真の時間
【たとえば、音楽の旋律にゆだねた意識内容は、それを逆向きにしたり、こま切れにしたりすることはできない。
このように概念や言葉から離れて内省に専念すると、そこに意識の直接与件として、ひとつの流れを感じる。
その流れは、計量不可能性、不可逆性、連続性、異種混交性を特徴としており、止めようなき自発、能動によるもの。
これをベルクソンは「純粋持続」と呼んだ。この純粋持続は、空間的に表現できるものではない。というのも、
空間化とは数学的な抽象であり、測定可能、可逆的、均質的、受動的なものとなって、それはもはや流れの連続
ではなく、点の継起となってしまうからだ。したがって古典物理学の(線形的)時間は、真の時間ではない。】
 〜〜 以上が、純粋時間の要点だが、
 我われのいう時間は、あくまでも決め事でしかない。日常生活でアナログ時計や、手帳やカレンダーなど空間に
時間帯が印刷され、それを見て日程をたて、お互い、そして自分自身、その約束事に従っている。それを真の時間と
勘違いしている。 しかし、人間の意識に流れる時間とは、それとは違うのは誰も直感で知っている。
日常生活の便利さに惑わされて、意識の時間が持つ性質を忘れている。人間が作った約束事の「空間的かさぶた」を
剥がしてみると、そこには本当の時間が姿を現すかのようである。その「本当の時間」を「眠った時間」の状態から
分かりやすく説明するためベルクソンは「純粋持続」と呼んだのである。 豊かさとは、そのような「純粋持続」を
如何に確保できるかにある。たしかに、私が秘・異郷旅行にはまるのは、その時間を濃度深く確保できるからである。
空間移動で、その色濃く感じる空間から感じ取ることが果たしてベルクソンの、それと「純粋持続」と言えるかだが。
 人間は定期的季節の変化から、一年という周期を経験的に知り、それを、それぞれ季節3ケ月、さらに三等分して
一月、そして一日、という単位を作っていった。農耕にとって、それが大きく役立った。しかし、それは人間が
作った約束事でしかない。人間の心の時間は、それ以前から現在に至るまであった。
その時間こそ真の時間と看破したのである。    ー つづく
  ・・・・・・・・・
3086, つれづれにー 閑話小題
 2009年09月16日(水)
  * 9・11から8年が経った
 このHPを開いて4ヶ月後に9・11テロが起こった。先日で丸8年になる。昔といえば昔だが、
8年で時代は大きく変わった。アフガン戦争、イラク戦争、そしてインドネシア沖の地震、ミャンマーの
サイクロンに、中国・深釧の大地震、地元では中越地震、柏崎・刈羽地震、去年の9・15金融恐慌と、
世界は大きく変わってしまった。直近では、衆院選挙での自民党の壊滅的敗北である。これが21世紀のようだ。
更に情報化の進展が我われの生活を根本から変えている。5〜6年前からブログが飛躍的に普及、個人がそれぞれの
情報を発信し始めた。 これに携帯電話にデジタルカメラやビデオが取り込まれ、現場から瞬時に情報発信が可能に
なったのである。 地球上にネットという別世界が新たにできて、それが現実世界に大きく影響を始めてきたのである。 
この想像を絶した情報化はSF作家の小松左京をして、「SF作家の我われさえ追いつけない事態」と言わせるほど。 
日本は冷戦終了後、それまでの冷戦の恩寵と、その結果としての世界第二位の経済大国の立場はもろくも瓦解した。
人口の本格的縮小も重なり年々、経済などのダウンサイズが始ったのが、この不況である。
  * 民主党が政権を取るとどうなる?
 民主党が鳩山政権として発足するが、どうなることか? 面白いといえば、面白い。
闘う相手は自民党ではなく官僚というから尚のこと。 検察を使おうにも、彼等こそ一番の悪巣。ここで日本も
大きく変化するのは間違いはないが危うさも出てくる。民社党も批判しているうちはよいが、今度は責任政党に
立場が変わってしまう。二大政党は、交互に政権交代すること自体がよいのだから、目先を心配することはない。
  * 9・15リーマンショックから一年
 昨日で、リーマンショックから一年が経った。見るところ三割の経済規模がダウン。緊急輸血で何とか恐慌一歩
手前で踏みとどまっているが、現場段階では上っ面な回復としか感じられない。メーカー段階では、3分に1に
ダウンしたのが、2分の1になった位でしかない。これも、何時まで続くか分からない。元に戻ることはない
という上で、経営戦略を根本から練り直さなければなるまい。超大型地震は起きてしまったのである。
津波の本体がくるのは、これからである。それが分かってないのでは? 日本は長期停滞で神経が麻痺している。
 ・・・・・・・・
2721, BOAが、メルリ・リンチを買収!
 2008年09月16日(火)
バンク・オブ・アメリカが、メリル・リンチを買収!というニュースが入ってきた。シティバンクが倒産レべルの
ニュースより大きい。(シティは倒産してないが)それも、リーマン・ブラザーズと天秤にかけて、メルリ・リンチを
買い取ったというから驚きである。しかも選択されなかったリーマンの方が倒産というから、なお衝撃が大きい。
しかし、そのツケの支払いは日本国民にも覆いかぶさってくることは明白。アメリカの、というより世界の金融の
再編成に入ったということになる。1929年の大恐慌より、深刻な事態というが、その大きなウネリが姿を現した。
ニュースで100年に一度の金融のニュースといっていたが、その通り。日本では、三菱・UFJ銀行が、野村證券を
買収したような出来事である。リーマンは野村證券の2・6倍というから、世界に及ぼす影響は計り知れない。
サブ・プライム問題の深刻度からして、おこるべくして起こったことである。 5年から10数年前まで、日本を
買い叩いていたアメリカ金融機関が、脳梗塞・脳血栓で半身不随になったと例えられる。もちろん日本の十数年前
よりも根は深い。崩壊という表現も過激ではない。アメリカの三大自動車メーカーが、ほぼ死に体状態から考えて、
世界的な混迷期に入ってしまった。先週受けた経営セミナーの先生が言うとおりである。証券会社の一位・ゴールド
マンサックス、二位・モルガン・スタンレー、三位・メルリチンチ、四位・リーマンブラザーズ、五位の
ベアーズ・スターンズ(この春にモルガンに救済合併)。この三位から五位が異変をきたしたのである。
どうなっているのだろう。今年に入って、三位から五位が消滅したということになる。ここにきてアメリカの
航空会社、自動車、そして金融と、異常事態に入ったということになる。アメリカ経済の崩壊というと、ドル安圧力が
当面は強まるだろう。その行き着く値段が60円。それが近日か3年先かは分からないが。そして一度下げておいてから、
再び回復するだろう。何故なら、ドルはアメリカが輪転機で刷っただけの偽札もどき紙切れでしかないからだ。
一番影響を受けるのは、資源のない、紙切れを掴まされた日本、中国、インドである。いずれにしても、大恐慌への
テンポが速すぎるようだ。世界中が震撼としていることは事実である。今日からの為替と株価がどうなるのだろうか。
それにしても、あの首相候補の5人の漫画的なパフォーマンス、何をしているのだろうか、この国は! 
そういえば私の学生時代の友人がBOAにいたが、どうしてだろうか。クールなハッタリの大きな男だったが。
・・・・・・・・
2007年09月16日(日)
2357, ギリシャとエーゲ海の旅 −3  Good☆':.*^ヾ('c_'ヽ,,)*.:'☆Morning
  ー旅行の雑感ー
  (字数制限のためカット2014年9月16日)


4932,コトの本質 −2

2014年09月15日(月)

   * 未知の外界に接し、子供のように興奮する!    『コトの本質』 松井孝典著
現在の毎日が、まさに〔未知の外界に接し、子供のように興奮する日々〕である。45年間の事業も、
その日々だったし、秘境ツアーも同じ。 現在も、その延長にあるためか、毎日が充実をしている。
  ーその辺りからー
≪ 大学という環境で、私はいつもエネルギーが高い状態を保てます。歳をとると、普通は、
だんだんその状態から落ちていくわけです。安定した軌道上に落ちてしまって、変化がなくなってくる。
引退するときに、よく、刺激を受けなくなったとか、燃えなくなったとか、モチベーションがなくなった
とかいいますが、同じこと。
 私は、脳の内部モデルを更新していくということが、無性に楽しいわけ。毎日のように、
生命や地球、太陽系、銀河系、宇宙について、次々といろんな新しいことがわかるわけでしょう。
タイタンに探査機が軟着陸して、探査するとか、どんどん未知の現象が眼前に飛び込んできます。
それについてどう思うか、考えさせられているわけ。夢中になります。わくわくします。
子どもみたいなものです。
 未知の外界に接して、興奮する日々を送る。本当は、そのような機会をより多く与えることが
子どもの教育にとって必要なことなのです。他と接することによっておのれを知る。
これが教育の基本です。いまの教育に欠けているのは、まさにその点です。
それが欠けているから、自分を持たず自分の頭で考えられない、ろくでもない子どもが育って
しまうわけで、ほんとは、子どもというのはそういう環境下におくべきなのです。
 外界と接し、境界を拡大することによって、自らを知るわけです。それが、おのれとはなんぞや
を認識することでしょう。そのような経験を通じて自己ができてくると、初めて自分の頭で考える、
あるいは自分の意見というものがいえるようになる。さらに、どこまでこの意見は通用するのか。
それはここまでしか通用しないとか、いろいろなことを経験して、普遍性、あるいは世間を
知ったうえで、さらに深いレベルで自分の判断ができるようになるわけです。
 成長するということは、ここまではわかっているという、外側の境界を、いつでも広げ続けていく
ことですから、毎日が楽しくてしようがないはずです。新しい事象に接することで、その境界が
広がっていくわけです。ここだけの領域でしか通用しないことが、あ、ここでもそうなんだ。
さらにここでもそうなんだ。 ・・・≫
▼ 著者の本を何冊か読んで、ここでも、紹介したことがあった。宇宙の彼方から逆照射の視点で
見直し、 地球をシステムとして捉える。そして、その一つとしての人間圏を改めてみると、
気がつかなかったことが、見えてくる。まさに、地球を支配しているサルが、その自然圏の資源を
使い放題で、破壊をしている。綺麗ごとを言っている私も、その恩恵を受けているサルにすぎない。
未知の外界は漆黒だが、光を当てると?
・・・・・・
4565, 2050年の世界 ー6
2013年09月15日(日)
     「2050年の世界 ー英『エコノミスト』誌は予測するー」〜英『エコノミスト』編集部 (著)
   * 第十九章 距離が死に、位置が重要になる
《 テクノロジーが距離を葬った。通信費は限りなく無料に近づき、様々なソフトウェアーでこれまで
以上につながるようになり、‘どこにいるか’がかってない程重要になる。》 これは10年前から
現在に遡って言えること。その何処かにいるのかさえ、重要で無くなる可能性がある。
大相撲やプロ野球の観戦も、現場より居間の大型TVの方が面白くなりつつある。
その意味でグーグルアースは、ますます重要な位置を占めてくる。
   ー第十九章のまとめーより
・『エコノミスト』誌編集主任だったフランセス・ケアンクロスは一九九七年に『距離の死』という
本を書き、そのなかで通信費が技術革新で安くなり、距離は障害ではなくなると予言したが、
二〇一一年現在の時点でそれは現実になりつつある。
・一九九七年には、アメリカと欧州の電話料金は、一分あたり平均で八一セント、
 二〇一一年には、スカイプを使えば2セントですむようになった。
・国際間のテレビ電話会議とも言える「テレプレゼンス」はすでに商業化されているが、
 今後はそれが家庭に安価に進出していくだろう。
・携帯電話に搭載されるさまざまなソフトで、距離はさまざまな分野で意味をなさなくなっている。
 テキストメッセージで現金を移動させるモバイルマネーもそのひとつ。 そういうサービスで
 最も成功した一例が、二〇〇七年にケニアで始まったM-PESAだ。
〔 *(M-pesa、エムペサ)とは、ケニアにおいて人口の約3割(1,300万人)が登録
 するほど普及しており、銀行口座を持たない貧困層の金融システムへのアクセスを可能
 にしたとして名高いSafaricom社のモバイルバンキング〕
・典型的な発展途上国で百人あたりの携帯電話台数が一〇台増えれば、
 GDP成長率を○・八ポイント押し上げる効果がある。
・ウェブ空間上で、人の集えるソフトは、専制的な政府が集会の自由を圧迫しているときも、
 それを迂回できる道を提供した。
・距離が意味をなさなくなったことを利用し、各地域、各文化圏の労働力、技術力の特長を生かした
 国際分業がやりやすくなった。そのぶん、どこで何をする、という位置が重要になってきた。
 開発の得意なシリコンバレー、スペックをもとにプログラミングをするのが得意なインドの
 バンガロール、厳格な運用システムを創ることが得意なドイツ、といった具合である。
・常時接続の世界により人々は互いに話すことに興味を失ったように見える。市場調査会社
 二ールセンによると、アメリカでは携帯電話の加入者が自分の端末で話す時間は、
 二〇〇七年からの四年間で、一カ月あたり一〇〇分以上短縮され、七〇〇分になった。
▼ネット社会が世界を覆い尽くし、それが全てを変え始めているが、その行方は誰も知る由がない。
 それが距離より、それぞれの立ち位置を重要にさせていく。家族や隣人より、ネットで継った
 友人の方が優先されるネット社会が現にきている。 そうこう考えると、「自分」「私」の
 哲学的問題も出てくる。  「ネットで継った私は何者だろうか?」「ネット社会とは何?」
・・・・・・
4190, 呪いの時代 ー8
2012年09月15日(土)                   
   * 草食系男子とは何だったのか 「呪いの時代」内田樹著
 団塊世代の下の年代に草食系男子が多くなったようだ。今に限らず、私たちの年代にも
肉食系と草食系男子は別れていた。しかし中流階層が下流階層に移行している現在、
その比率が高くなってきた。この暗い世相の中では、男子も下を向いて草を食べているしか
ないのだろう。50歳以下の男たちをみると、本当に多い。しかし自分が、この世代にいたら、
草食系になりざるをえないのも確か。長期的右下がりは、いかんともしようがない。 
 ー 以下の部分が面白い! ー
≪ 僕のゼミで、このところ年に二回も「草食系男子」を自由研究発表のテーマが取り上げる。
 学生たちは、草食系男子と現にかかわり深い当事者のみなさんですから、その報告には
「現場を見抜いたもの」にしか語れない生々しいリアリティがある。ー以下、僕が彼女たちから
聴き取った情報の一部を開示したいと思います。
 草食系男子の特徴は、とにかく「弱い」ということです。きわだった特徴は「すぐ泣く」、それから
物を決めるのが苦手。「どこに行く?」とか。「何を食べる?」とか訊いても答えられない。
できることなら女の子に全部決めてもらいたがる。身体的には細身・お洒落で・髪の毛の手入れと
美肌に関心が高い。かわいいしぐさ(胸の前で両手を組んで、口をとがらすとか、外見的には
哺乳類の幼生、なかんずくげっ歯類に通じる風貌をしている。 
 では、このような「草食的ふるまい」がもたらす生存戦略上の利点とは何でしょうか。
ある特異な社会的態度が集団的に採用される場合に、それは「生存戦略上有利である」という
無意識的な判断が下されたためと考えるのが合理的です。実際に有利であるかどうかはともかく、
有利であるという判断は下された。とりあえず誰でも思いつくのは、それが「弱い立場」にあることを
強くアピールすることによって、これ以上攻撃されることを抑止する機能を持つという仮説です。
僕も、この仮説には妥当性があると思います。 弱い犬が股間に尻尾を挟むのと同じように、
あるいはマウンティングをされるのを尻を向けて待つ弱いサルのように、「弱い」ポーズを
取ることで、これ以上の攻撃を予防することが出来ます。一種の「安全保障」として機能する。・・・
こういうことが可能になったのは、公的な「強いシステム」と、それに収奪され抑圧され管理
されている「弱い個人」という二元的な対立図式に置いて、常に「弱い個人」の個に正義があると
いうチープでシンプルな物語を国民が選好したからである。草食系男子は、おもに性的関係の
局面で発揮されるが、とにかく傷つくことを恐れる。・・・≫
▼ バラエテー・ショーに出てくる若いタレントを、ほぼ、こんなのばかり。私たちの年代から見れば
 「女の腐ったような男」「人畜無害のヤサ男」。 疑似ホモ化である。逆に司会とか、キャスターは
 肉食系を思わせる逞しそうな女が目立っている。これもグローバル化・情報化によるのだろう。
・・・・・・
3825, 生命保険について
2011年09月15日(木)
 一昨日のNHKの連続ドラマで「生命保険」をテーマにした連続ドラマが始った。後で録画を見るつもりだが
シビアな内容だろう。生命保険は名前のとおり命をかけた博打。 当たった時には、当人は娑婆にいないが、
残された人に保険金が支払われる。そのため胡散臭さが漂う。母親が生前、「自分には八百万の保険がかけてあり、
死ねば支払われる」と遺言書にあった。しかし、契約書では80歳で切れていた。母の勘違いというより、
保険屋が、そのことを言ってなかったようだ。私は「保険は体の良い組織的詐欺の要素を持ったシステム」
という持論があり、保険などかけたことはない。  ーある本に、その辺のことが分かりやすい説明があった。
【 生命保険の保険料は、男性の場合、十万人が一斉に生まれ、順次死亡して、百七歳で全員が死亡するという
前提で、毎年の死亡確率を出し、これを元に算出される。 四十歳の男性の場合、生き残っている九万七千
三百九十人中、年間に死亡するのは百四十四人。つまり、九万七千三百九十一人が払った死亡保障の保険料は、
不幸にも亡くなった百四十四人がもらい、その年は終わりということになります。十万人生まれた男性が、
半分の五万人を切るのは八十二歳。死なない限り払った保険料の元は取れない。】
「自分が死んだ後の身内のことを考え、保険に入っておく」という理屈は分からないでもないが、それをネタに
利益を得ようとする保険の仕組まれたシステムは、契約書に業者に有利に作られているのは、当然のこと。 
火災保険は、万一を考えると必要だが、それで「も利益団体の言いなり」ということを考えておくべきである。 
古来から金融の本質は、保険のあるという。だから、そこは、専門家でさえ知りえないほどの騙しが隠されている。
私が保険嫌いのため、家内は心配で、家内名義の給料を38年間預金をしていたことを、一年前に知った。
それが、この事態(倒産)の命綱になっている。 保険は、生々しい世界だが、この情報化のため、保険のオバサンの
多くが淘汰されつつあるという。 それと零細の業者も、ほぼ大手によって淘汰。 再編成もすざましいという。
 何処も同じということだ。 
 ・・・・・・・
3460, つれづれにー政治談議  −2
2010年09月15日(水)
 * 管首相の大勝利
 民主党党首選挙、ここまでの大差で管首相が勝利するとは驚いた。これは日本経済にとって深刻な問題。
ある意味で致命的である。目先は分裂することはないが、半年、一年スパンでは再編に動きざるをえなくなる。
この結果、景気は円高、株安にシビアにふれてくる。 管内閣三ヶ月間で、彼が経済、外交音痴であることが判明。
当分の間、政権を担うとなると考えただけで鬱々たる気分になる。まず雪崩をうって景気が悪化、二番底、三番底
に向けて容赦なくふれてくる。円は80円、株は8千円割れが、当面の目安になる。我われに商売は直接、景気が
直接反映するから敏感になる。結果からみれば小沢の政界再編は現職与党の国会議員にとって、何時、解散があるか
分からないし、次の選挙の資金確保という大問題に直面する。 この歴史的危機でも国家天下より、御身大事を
優先するしかないのか。地方議員や、サポーターなどの票は、どうしても世論に左右されるのは仕方がないのか。
一番、怖いのは、小沢が政界から引退すること。しかし、直ぐに自分の出番が来ることを彼が一番知っている。
二人の演説を聞いていて、管首相の内容が国家のトップとして内容が乏しいのが渦中にいると分からないようだ。
過去と内側のことばかりで、方向性が乏しい。あれで、大きく小沢に振れないのだから、民主党の議員レベルの
質を問われて然るべきである。 無政府状態が当分続く。そして景気はますます悪化する。
 これでは瀕死の日本経済のリンゲルも効かなくなる?
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3085,時間リッチと時間貧乏
 2009年09月15日(火)
 新聞広告の雑誌の見出しに「時間リッチと時間貧乏」があった。
図書館で立ち読みをしたら、「TodoリストよりNotTodoリストつくり」。
「何をするかより、何をしないかをリストアップして実行せよ 云々」である。私事になるが、時間リッチを
自認している。月に数回の飲み会以外は一切の付き合いが無いに等しい。自分を育ててくれた学校の同級会、同期会
以外は、商工会、町内会、ライオンズなど、誘いもないし、行く気も無い。都合の良いことに、職場と住宅が新潟と
長岡に分かれているので新幹線の乗れば、そこで遮断できる。おまけに事業が装置産業ときているので、目先の判断は
人任せでも大きな支障がない。そのために20年あまりで、40回近い秘境ツアーに参加することも出来た。
おまけに早朝5時に起床、散歩や、読書、そして、この随想日記を書いたりもできた。 
「戦略とは、何々をすることを決めるのではない! 何々をしないかを決めること」という言葉を著名な
コンサルタントの先生の講義で、30歳そこそこで聴いたこともあり、時間に関してはリッチであった。
「で、時間リッチというわりに全然、人間的にリッチじゃないじゃないかい」と言われれば、返す言葉が無い。
しかし可能な限り世界の果てを見てきたという満足感はある。 そこで検索に「時間リッチ」と入れたら
面白いリストがあった。 その幾つかを抜粋してみた。
 〜 時間リッチになる 〜
・一週間は金曜日から。 金曜日に翌週の準備、月火水でmustを済ませ、木に検証反省。
・やる気が出ないときはとりあえず動く! 動くからやる気が出る!
・楽する方法を考える       ・自分の時間価値を意識する。「2735円」
・スタートから完璧を目指さない。走りながら完璧を目指す。挑戦すると案外簡単、成果が出るもの。
・失敗しても経験が残る。「武器を手に入れてから走るのでは遅い。走りながら武器を拾え」
・今動かないとそのチャンスを他の人に持って行かれると考える。 ・時間はお金で買える。(セミナーは有料を)
・お金を殖やすため、モチベーションを維持するための先行投資を恐れるな
・時間をケチらない。「ながら作業」は「ケチ」。 一つの行為に2つ以上の意味を見いだす、
 一つの行為をいくつかの目的のために利用するのが時間密度を濃くするということ。
・忙しいときこそ勉強する。自分のために時間を使うという行為が安心感を生む。
・仕事のできる人は仕事に遊びを取り入れ余裕がある。・そうねではなく魅力的ねと言われるように。
・かきくけこ(簡単・興味・グレー時間・決断・行動)・嫌なことは朝一で片付ける ・隙間時間にやることリスト  
・捜し物は時間の無駄              ・携帯時計よりアナログ腕時計。時間の量的感覚を身につける。
  ー 以下は字数制限の関係でカット(2007年9月15日)
・・・・・・・
2720,議論に絶対負けない法 −1
 2008年09月15日(月)
「議論に絶対負けない法」
  ―全米ナンバーワン弁護士が書いた人生勝ち抜きのセオリー    ゲーリー スペンス 著
 ある知人が訪ねてきて話しをしていたら、現在、トラブルに巻き込まれて裁判中という。
「500万〜1000万規模か、億単位なのか?」と聞くと「億単位」という。その人は30年来の付き合いがあって、
地元では大手クラスのトップ。大きな分岐点の経営判断のときは必ず相談に来て、何気ない応答にヒントを
得るようだ。その場ではヒントを得たふりを見せないが、後年になってヒントになったという。
 今回は、裁判の係争の真っ只中、具体的な生々しい相談。「議論に絶対負けない法」という本を紹介した。
アメリカのナンバーワンの弁護士が書いた本で、拗れたトラブルであるほど、彼の一言一言が全て、問題を
ヒント与えてくれるはずと、助言をした。私が、この本を読んだのは十年以上前。 問題を抱えていた時で、
本そのものがコンサルタントの先生のような役割を与えてくれ、非常に参考になった。
詳細は憶えてなかったが、スラスラ出てきた言葉は
・準備、準備、準備、それが全てである。 準備以外の秘訣など何もない。
・それと構えである。 構えの構築を一つずつしていくこと。それが準備。
・問題の中心点に向かって、自分の心を無にして集中すること。
 そのためには、心の底から正しい!と信念が持てるかどうか自分の心に問うこと、そこが一番重要。
・戦いを始めたからには、絶対に強気、攻撃的で攻めること。等々、それを言えるのは、10年前に貪り
 読んだため。「その知人の相談は、再び目を通せ」というメッセージだろうと本を探したが無い、誰かに
 貸したのだ。そこで早速アマゾンで中古本を買った。 10円+送料340円=350円。新書なら750円である。
そして再び目を通すと、なかなか内容があり、味がある。著者が魂を込めて書いてあるのが解る。
 ー 次回から、面白そうな所を書いてみる。ー
十年前は、どうなった?かですか。構えを知ってか、相手が手を引いてきました!   −つづく
 ・・・・・・
2007年09月15日(土)
 2356, ギリシャとエーゲ海の旅 −2               o○[ォハヨ]○o。(>ε<☆)ノ


4931,コトの本質 −1

2014年09月14日(日)

   * 喜びの根源とは  ー魂の響き!      『コトの本質』 松井孝典著
〈 我を絶えず外界と衝突照合させ、そこで内部モデルが一新されるときの快感はたとえようもない 〉
という著者の切り口が新鮮である。それが人生では、挫折とか転進などの節目に生じる
アップスケール(脱皮)の時に生じる喜びになる。それと、壮大な自然の出会いの感動や、
芸術の強振の感激も同じである。
「この感動は人生の大きな節目になる!」という感動が、まさに新しい内部モデルである。    
秘境先のリアルな光景に感動して、魂に刻みつけ、バーチャルになる一連が、私のライフワークの
秘境ツアー。 そのバーチャルと、TV番組の行先のバーチャルが重なって感動が蘇える。 
ーその辺りからー
≪ リアルとバーチャルとか言いますが、とりあえずリアルと呼んでいるものが外界と考えて
いいでしょう。 意識に拘らず在るもの、といってもいいでしょう。 内部モデル的に整理され
ものが、バーチャルです。それは、リアルとは違います。それはモデルですから。 
リアルというものをどう整理するか、というのは、内部モデルの在り方に関わります。
すっきり整理された内部モデルでは、背後にあるものがすべて見えます。
「ことが見える」という表現の中に、内部モデルのすっきり感があるわけです。
外界を投影した内部モデルの中で、めいりようで、リアルな外界の構造が、明瞭に位置
づけられるということです。
 生きていくということは、交わるということです。我というもの、これは大脳皮質の中に
内部モデルとしてつくられるのですが、それは、外界と関わることによってつくられることになります。
外界と関わることで、内部モデルがつくられるわけですから、我という概念すらも他と交わらなければ
つくられません。我、あるいは自分というものは、最初からあるものではないのです。 
人間の生においては「我とはなんぞや」というところの我の概念が生まれてこなければ、
何も始まりません。外界、他と交わって、最初に生まれるのが、我という概念です。
他という認識があり、我という認識が生まれる。他と我。これはペアになっている概念です。
 三歳くらいの幼児の脳の中で、外界という他を認識することが起きる、と考えられています。
他を認識したその瞬間に、それを認識している自分というものができます。
そういう段階から、絶えず外界を認識する作業を経て、その瞬時、瞬時につくられているのが、
脳の中にできている内部モデルなのです。我ができたあとは、まさに他と時々刻々関わる
ことによって、内部モデルを構築していく作業が、生きるということになります。その瞬間、
その瞬間は、それまでに構築された内部モデルとその瞬間毎に入力される情報を照合させ、
修正したりしながら、内部モデルを変えているわけです。 そうやって内部モデルができ、
変容していく過程すべてが、生きるということです。私は、考えることを仕事としたいと思い
それを続けているようなものですから、学生時代からずっと考えるということとは何なのか、
それを考え続けています。自分という対象を、外から見て分析すると、これまでに構築された
内部モデル、それが私の人生だと考えています。私というものをいいかえると、私の内部
モデルがそれであり、あなたというものをいいかえると、あなたの内部モデルがそれです。≫
▼「外界がリアルで、それが、内部モデルに整理されたものがバーチャル」は、分かりやすい!
 毎日書いている、この随想日記は、リアルをバーチャルにかえていることになる。 
過去の文章を振り返ると、実感として納得する。リアルは消えるが、バーチャルは映像、
言葉としてリアルの一端を残す。だから、バーチャルを侮ってはいけない。
リアルとバーチャルは裏表。そのバーチャルは、書換え可能ときているから複雑になる。
  ー偶然だが、以下の文章に続くー
・・・・・・
4564,変えてみよう! 記憶とのつきあいかた ー1
2013年09月14日(土) 『変えてみよう! 記憶とのつきあいかた』高橋 雅延 (著)
 * 豊富な知識、旺盛な好奇心の必要性   
‘無意味なものを意味づけるために必要なものは何か。それは知識だ’が納得出来る。
≪意味づけこそが記憶の秘訣であるということは、並外れた「記憶力」を示す工夫からも
うかがい知ることができる。たとえば、どこかできいたことがあるかもしれないが、円周率を
何万桁も覚えているという日本人がいる。円周率は、小数点以下、無限に続く意味のない
数字の羅列だ。この円周率を一〇万桁以上も暗記しているのが、原口謹さんだ。 
かつて私は、この原口さんと、五四歳のときに円周率四万桁の暗唱記録を打ち立てた
友寄英哲さんの記憶能力について調べたことがある。その結果、二人の基本的な記憶能力は、
同年代の人たちとそれほどちがいはなく、特殊な才能は何一つみられないことがわかった。
しかし、その代わり二人とも、日本人にはおなじみの、「語呂合わせ」を使う技能に長けていた。
つまり、何万桁もの円周率も語呂合わせで覚えていたのだ。語呂合わせは、端的に言えば、
数字の羅列のような意味のないものに意味づけすることだ。原口さんも友寄さんも、けっして
若いとは言えない年齢であるにもかかわらず、並外れた「記憶力」を示すのは、
二人が意味づけという記憶の秘訣を使っているからにほかならないのだ。
もちろん、何万桁もの数字の語呂合わせをつくり、それを完壁に覚えるまで繰り返した
努力を忘れてはならないのだが。では、無意味なものを意味づけるために必要なものは何だろう。
それは知識だ。知識が貧弱だと、深い理解はできない。逆に豊富な知識をもっていると、
まったく理解できないような事柄であっても、自分の知っていることとの類似点をみつけるなどして、
意味づけが可能になる。たとえば、難解小説を読むときに、作者の生育環境や交友関係などを
知っているとよく理解できることがあるが、これが知識による意味づけの一例だ・・
 ここで重要なことは、知識が増えれば、その後新しい事柄に出くわしてもその意味づけが
可能となり、記憶に残る。ひいては、新たな知識として頭の中に加わるということだ。
つまり知識が増えるほど、新たな事柄の意味づけがより多面的にできるようになり、
知識に加わりやすくなる。よい循環が生まれるわけだ。逆に知識が乏しければ、新しい
事柄も記憶に残らず、いつまでも知識は貧弱なままという悪循環に陥ってしまう。
一六世紀から一七世紀にかけて活躍したベーコンは「知は力なり」と言ったが、まさに記憶に
とって、知識は力なり」なのだ。原口さんも友寄さんも、会って話をしたときに一番強く感じたのは、
もっと新しいことを知って、知識を増やしたいという、旺盛な好奇心をもち続けているということだった。
つまるところ、彼らの記憶力の秘訣である多面的な「意味づけ」は、旺盛な好奇心あっての
ものだということなのだろう。 》
▼ 12年以上も随想日記を書き続けて、これにエネルギーを費やしていることに疑問を
持たないことはない。反面、この御陰で人一倍の旺盛な好奇心を持ち続けている利点がある。
さらに記憶媒体になる上に、公開することで、情報と知識のギブ・エンド・ギブにもなる。
印象に残った読書内容を感想と共に「起承転結」でパックにすることで、自分の知識として
残すことが出来る。 知識が増えた分、新しい事柄や知識に出くわした時、その意味づけが
深くなり、記憶に残る。少しキツイが、私にとってベストの習慣になっている。
続ければ続けるほど、自分の底の浅さに愕然とする。
 ・・・・・
4189, 呪いの時代 ー7
2012年09月14日(金)
               「呪いの時代」内田樹著
  * 婚活も、「適職イデオロギーの刷り込み」の一種  ー第5章「婚活」と他者との共生ー
 ここで著者は、「ほぼ全ての結婚は、最後は『失敗だったな』と思うもの!」と断言する。
家庭内離婚を含め過半数が破綻しているのは知っていたが、ここで殆んど全部というから驚きである。
知人などから、こっそりと、『失敗だった』という愚痴を聞くと、禁断の秘密を知ってしまったと思ったが、
全部が、そういうことなら話は別。 実際に暮らして分かる相性もある・・  ーその辺からー 
≪ 婚活もイデオロギー的洗脳によってエンドレスの願客を作り出すというビジネスモデるにおいては就活と同じ。
 就活における「適職イヂオロギー」にあたるのが、「運命の赤い糸で結ばれた宿命の配偶者幻想」です。世界の
どこかに私だけに宿命づけられた一人の配遇者がいる。その人に出会わなければならない。出会いさえすれば
永遠の幸福が約束される… この赤い糸イデオロギーは幼児期からさまざまな物語を経由して、子どもたちに
植え付けられます。この幻想から自由であることはきわめて難しい。そのイデオロギーに悼さすかたちで
結婚情報産業が呼びかけます。
≪「この世の中に、あなたにだけ約束された人がいます。あなたはまだその人に出会っていません。何故でしょう? 
 それは『出会い』が足りないからです。私たちが、その出会いを提供しましょう。もちろん有償」・・・ ≫
「あらゆる結婚は(と申してよいでしょう)「これは失敗だったな」という後悔を当事者たちにもたらします。必ず。
 だから、ご心配には及びません。 僕たちは配属者の選択において、必ず間違いを犯します。
 そして、後になって「なんで、こんな人と結婚しちゃうたんだろう……」と空を仰ぐことになる。・・・ 
 そうですよね。頭に血が上ると「この人こそ世界でたった一人の私だけのための人だ」というような夢想に酔うが、
 普通はあまり継続しない。「では、結婚しましょう」ということになり、両家の親族に挨拶に行き、新居の家具を
 買いに行き、式の段取りをしているうち、「ほんとにこの人でいいのかなあ」という懐疑の念が兆してくる。 
「赤い糸イデオロギー」は平たく言えばただの夢想ですから、現実の「やすり」でこすられるとポロポロと
 剥落してくることは避けがたい。何となく「マリッジ・プルー」になっているうちに新婚旅行に行き、そこで
 いびきをかいて寝る夫や、トラブルが起きるたび「あなた、なんとかしてよ」ときいきい叫ぶ妻にうんざりし、
 婦りの飛行機の中では口もきかないというようなことが起こる。 いや、これは「あなたの場合」じゃなくて、
 ほとんど全て(95%くらいの)夫婦についてなさていることなんですから、ほんとうは少しも心配するには及ぱない≫
▼ これを読むと、社会の見方と人生観が一変する人もいるはず。とはいえ、やはり夫婦というシステムは、
 一部動物と人類が作りあげてきたもの。やはり、結婚と、その後の我慢はしておくべき。 
 身も蓋も無い話だが、そういうこと。
 ・・・・・・
3824, 閑話小題
2011年09月14日(水)
   * スポーツジムに通って半年、その効果は?
 月に一〜二度位しか休むだけで半年間ほぼ皆勤でスポーツジムに通っている。スポーツジムの休日の金曜日と
日曜日は市の公民館の中のスポーツ施設に行くが、変化があって、これはこれでよい。お陰で体調は、非常に
良くなった。足腰が、この数年来、重くなってきたが半分以上は元に戻ってきた。健康ジムの「イージーライン」
というプログラムに参加しているのが良い。12人一チームで、若い女性のインストラクターの掛け声で、
全員が互いを意識しながらやるため、手抜きは最小になる。特に初めと終わりのストレッチが、非常に良い。
ここが要と、入念に足腰の関節部分に気持ちを入れる。このストレッチを早朝のミニ・サイクリングの途中の
土手のベンチの横で休憩の合間にもやるが、いま一つ気合が入らない。 あの場でやるから良いのである。
 二年前に、酷い腰痛になってから、居間や書斎の椅子に、低反発クッションを、寝床には低反発枕と低反発
クッション、居間には腰痛用の健康機器を入れたため、腰痛は最小に収まっていた。そこに更に、健康ジム通い、
体には良いはずである。また健康ジムそのものが持つ明るい雰囲気が良い。ここで痛感したことは、足腰に大きな
重圧がかかっていること。それを一日に数度、丹念に揉み解す習慣は最重要事項になる。 歳を重ねると
足腰の弱体化から自然に猫背になっていく。これが、良くない。前かがみの老人は不健康に見える。
「老化すると、人は老人になる」というが、老齢期に人生のそれまでのツケが一挙に老い被さってくる。
そこで、まずは足腰と、頭の老化は人一倍、気をつけないと・・・  成るほど、老いるとは、辛いことだ。
  * 老老介護
 先日、近くのチャンコ鍋チェーン店に久々に食事に行ったところ、案内された小座敷の隣に80歳過ぎの
老夫婦の先客がいた。少し妙な直感がしたが、別に気にはとめてなかった。 しかし私たちが入店した時には
食事が終わっていたのに、私たちが帰る直前まで、そのまま御茶を飲みながら周りの客の話を聞いている
雰囲気が伝わってきた。それは別に問題ないが、家内がセルフ・サービスのコーヒーを取りに行ったところ、
帰りかけで入り口にいた御婆さんが、家内に「足が痛くて歩けないんだけど、どうしたらよいですか?」
と話しかけてきたので、家内は戸惑い「私には、どうにもならないんで、店の人に御願いしたらどうですか」と、
少し冷たく答えたという。連れもいるのに見知らずの人に訴えること自体が変で、明らかに痴呆症が半分
入っている風とか。私も腰痛を持っているので、その酷いときの辛さは痛感するので(痴呆が入ってなくとも)
誰彼なく言いたいのも分かる・・・ 長生きは有難いが、そこに精神的、肉体的苦痛の代償を自然は与える。 
老いただけ、無念が増す、ということか。 本気で「来年は存在ない」という思いで、一日一日を生きる
時節になってきた。 あの人は誰かに愚痴を聞いて欲しかった?のか。長生きはしたいが、老いたくはない。 
この矛盾が老いの問題になってくる。
・・・・・・
3459, 今日の民主党党首選は?
2010年09月14日(火)
昨日のヤフーの私のブログに
《小沢と管の民主党党首選が明日に行われるが、順当なら小沢だろう。選挙は水物だが、連中が真っ当ならでの話。 
真っ当でないのが、衆院選で当選している可能性があるから、外れるかもしれないが・・ そこまで程度が低くない?
政治には、それほど期待してないが、この数年間は無政府状態。 国しか我われの身を守ってくれない。
だから恐慌の現在、特に注目せざるを得ない。 小沢も、確かに変である。当選したら、バッシングの嵐。 
短命でも良いから、政界再編成を早く実現し、出来たら病気で倒れた方がよい。》 と書いた。
 今日、その民主党の党首選が行われる。小沢からみたら、むしろ負けた方が良い。
その方が首相の立場で再編するより、やりやすいはず。 だから党首選に立候補して、接戦をすること自体が目的。
その圧力が選挙後の力関係にも影響してくる。そうこう考えると勝敗に関係なく、接戦に持ち込んだことで既に
勝負があったことになる。 それより民主党の代議士が真っ当かどうかの方に興味がある。 何でマスコミが、
その予測で管首相に一方的に傾くのか?不思議である。アメリカの間接的圧力がある?と、穿った見方もある。
ネットでは8割が小沢を支持しているというが、その乖離は何故起きるのか。 
(字数の関係上、カット11年09月14日)
・・・・・・
3084,挫折を考えてみようか
 2009年09月14日(月)
 「挫折」については誰かが考えているはず、と調べたら、ヤスパーがいた。
ヤスパーは、挫折を「自己に目覚めるきっかけ」として捉え、自分自身を乗り越える機会とみる。
人間は日常の生活に明け暮れで生きているが、それでは真に生きていることにはならない。
なぜ己が世界に生きているかを問い、自分のあり方を求めることが生きる出発点になる。ところが、それを
真正直に守ると最後には挫折が待っている。人は最期は死ぬ。 それを考えると生きている根拠がなくなり、
行き着く先の挫折を「限界状況」とヤスパーはいう。色いろの挫折を重ね、最後に「死」が厳然と待っているのは、
身近な死が我われに教えてくれる。 しかし死を含めた多くの苦悩を通して、人間は真の自己である実存を自覚し、
そこから苦悩を乗り越える「超越」への基盤となる。しかし人間は死の戦いや苦悩を、実存の最終的なあり方と
受けとめることが出来ない。 本来は、愛、永遠、無垢に惹かれる存在だからである。  
 ヤスパーは、《 実存は苦悩のうちに挫折しつつ、指し示す絶対者=包括者へと超越することが要求される。
その超越が促すのが「暗号解読」である。それは一種の象徴で、有限な現実の存在が自らを越えて絶対なる超越を
指し示すのである。芸術、思想、自然、歴史など、そうした暗号によって、それを包括者へと超越せよ、という
指示として受け取るのが暗号解読である。》と、挫折=限界状況の先のアップスケールとして、
自己に目覚めるきっかけとする。人間が生まれ存在しているから挫折をする。そして最後の挫折としての死を受け
入れるプロセスが超越だったり、真に生きることであると指摘する。人間は誰かに人生を代ってもらうことはできない。
 限界状況をひとりで背負う、本質的に孤独な存在である。だからこそ独りに閉じこもらず、自分の実存を他者に
開示すべきとヤスパーはいう。他者との交わりを通して、自分を振り返ることが、更に自分に近づくことになる。
実存に目覚めた人間同士の交わりを、「愛しながらの戦い」と呼んでいる。人生を振り返ると、挫折から多くの
ことを得た。その時に、新約聖書や、大本教の本に救われた経験がある。超越者から救われていたのである。
40,50歳代の峠越えは秘境旅行で大自然に出会うことで超越していた。私にとって、大自然の懐が「暗号解読」
の場所であった。 更に、多くの都市の美術館の名画などの作品がである。「限界状況」の中に、そして、
その向うの「超越」こそ、人間の生きている意味が隠されている。挫折、そして苦悩こそ、人間を超越に運んでくれる。 
そこで出会う感激・感動こそ超越状態である。
・・・・・・・・
2719, 嘘について
 2008年09月14日(日)
社会に生きていくうえで、嘘をつかなければならない場面も往々にしてある。その場その場で、ころころ変化する人物は
直ぐに見抜かれて信用を失う。「約束の時間を守るかどうか」で、まず評価されるのは、そこに言い訳と嘘が鮮明に出やすい。
後ろ向きの人は、言い訳から始る。そして小さな嘘を重ねる。過去に何人かの長年行き来していた人と断交をしてきた。 
その共通点が嘘が多い人である。開いた口が塞がらないというほど、純朴に嘘をつく。純朴を表面に見せて、次から次へと嘘を重ねる。
ある人を例に取ると「本人は嘘を言っていることに気づいてないだけ。 三歩ほど歩いたら全てを忘れる、嘘など更々言っていない」
のが真実。「私を信じて下さい」が、ある人物の口癖だが、そのことさえ自覚をしてない。 話を都合のよいように変えるのも、
嘘の一歩手前の行為である。営業口で、きれいごとを並び立てているうちに嘘の構築のプロセスを踏んでいることになる。考えてみたら、
誰もが大同小異ではないか。
     (字数の関係でカット2014年9月14日)
 


4930,パワレルな知性 ー8

2014年09月13日(土)

  * たけしの品格      『パワレルな知性』鷲田清一著
  北野たけしの品格について、が面白い! たけしは、「この男はダメ!」がキャラ。
人間はすべからく、ダメな人間だが、それを良い人間、有能な人間のコスプレをしているだけ。
コスプレが、コスプレを笑っているのが娑婆。 これが分かってないから、世の中、他人が、
歪んでみえる。
「歪んだのが歪んだのを歪んでいる」と今さら言うのが間違いの元。 「たけしは、それを剥いだ
有りのままを笑いで剥き出すことで、己の品格を表現している」は、褒めすぎ? ーその辺りからー
≪ 最後は言語学者らしくこう締める。 「『品格のある日本語』というのは、借り物ではなく、
 じぶんが一番よく知っている言葉で語られるものですよね。方言なんかはとても品格がある」。
つまり「品格」について語るその地声に言い及ぶところに、金田一の衿持が現われでているとおもう。
じぶんについて語る言葉が信用できるかどうかは、語られるじぶんに対してどれほどの距離が
とれているかにかかっている。「離見の見」などと高尚なことを言わなくてもよい。何かについて
語るとき、そのように語っているじぶんがどこから語りだしているのか、それについての明確な
意識をもっているかどうかに、その言葉の真はかかっている。何かについて語るとき、
いつもどこか断片的であって、語りつくさない。語りだすのは否応もなくつねに地上のどこか
からであって、語りつくすというのは、じぶんがこの地上のどこでもないある特権的な場所に
いると錯覚することである。 それこそ品格に欠けることである。
 これに対して、北野武は、品格から外れることに自己の品格を賭けるという、それこそ
綱渡りをしてきた。いきなり北野はいう。「どうしようもない人」、これがじぷんにとっての
最高の誉め言葉だと。「人から、『あこがられている』と言われると、失望させないように自らを
律したりするじゃない? そういうのが大嫌いで、頼むからあきらめてくれって。
『この人はだめだ』って言わせるためにわざわざ変なことをやる。『どうしてそういうことをするの』
って言われるのが一番好き」。北野もまた、この世の価値序列から外れるところに「品格」を見る。
「みんな社会的立場上、言えない部分があるけれど、俺の場合、お笑いというジャンルが
隠れみのになっていて、意外に好きなことを言っちゃっている」。
たしかに、「トツプには立ちたい」けれど、そしてそれは「すごく下品」なことだけれど、同時に、
「何をやっても勝てない相手がいる」ことは身に沁みている。だからちゃらんぽらんと見えるほど、
いろんなものに手を染めてきた…。 首尾一貫していないこと、立派な「先輩」と見られたらすぐに
それを裏切ること、つまりじぶんを模倣しないこと、そういう囚われのなさに肩肘張らない自由を見る。
ここにもなるほど、みずからへのクールな距たりがある。その距たりを構えずにほのめかして、
北野は最後にこうつぶやく。「いつも何か考えているけれど努力して考えているわけじゃない。
魚に『アンタ、いつも泳いで偉いね』とは言わないじゃない?」 じぶんが壊れる…。 
そういうあぶない場所にじぶんをもってゆきながら、かろうじて身を持す、ぎりぎりのところで
みずからを揺さぶることのない人に、「品」はぜったいに訪れない。… ≫
▼「まあ、お笑いの、たけし、だから!」という免罪符を取ってしまっているから、今さら誰も
非難できない。 こうなれば、好き放題、言い放題である。週刊誌も、『たけしに愛人!』など、
今さら誰も興味を示さない。昔の芸人は、こういう人が多かったというが・・・ 
いつも、あぶないところに、自分を置いてきたので、いやに、同感する。じぶんが壊れる直前に、
常に身を翻してきたが、実際のところ、既に壊れていたのでは?
〜ところで、三年前の一連のイベントからこの方、ギリギリ生きてこなかった人格に?
あまりに多く出会った!                   
・・・・・・
4563, 2050年の世界 ー5
2013年09月13日(金)
       「2050年の世界 ー英『エコノミスト』誌は予測するー」英『エコノミスト』編集部 (著)
   * 予言はなぜ当たらないのか (第二十章)
  ー まずは要約部分よりー
・今から四〇年前になされた予言をみると、悲観的なものばかりで、その殆どが外れている、
・なぜ、そうした予言が外れるかと言えば、理由はふたつある。良いニュースは目立たず、人々の記憶に
 残りにくいからだ。 悪いニュースだけが残り相互に連関する認知のバイアスが人間にあるので、
 そういう予言をすることが受け入れられる。
・もう一つは人間が対策を講じることを無視するからだ。
・資源が枯渇する、食料が枯渇するというのは終末予言の典型的だが、「技術革新」よる「低価格化」を無視している。
・グローパル化による国際分業により、人々は、かってより遥かに安い値段で必要なものが手に入るようになった。
・1950年代には、平均賃金の人がハンパーガー1個の代金を稼ぐのに三〇分かかったが、今では三分だ。
・技術が人間の生活水準に作用するのは、技術が発明されたときではなく、
 何十年ものちに手ごろな価格の技術になったとき。
・バイオテクノロジーの発展によりその応用物が低価格化する。たとえば幹細胞をさまざまな臓器に発展させる
 技術は、移植医寮そのものを、低価恪化させる。また、癌治療もバイオテクノロジー技術の発見によって、
 癌ワクチンや遺伝子組み換えウイルスを体の必要な場所に送るという治療を大衆化させる。
・第二次大戦以来、全世界のGDP成長率がゼロを下回ったのはたった一年。
 それは2009年で、マイナス0・6%の成長率だった。
・先進国ではさまざまな形で実際に、森林面積が増えるなど環境は良化している。いまの新興国が
 先進国なみの経済水準になる二〇五〇年までに、これまで損なわれた環境が腹興するようになるだろ。
▼ 予言はなぜ当たらないのか? その状況で対応する「技術革新」が出てくるからだ。その中で情報機器と、
 バイオテクノの革新は、予測不能である。現に過去40年をみると肯けること。 人間には、長期楽観、短期悲観が
 経験を通して認知バイアスとしてある。それが目先、悲観的な見方が受け入れられる。 40年前の予測が悲観的
 過ぎたというのも大いに疑問である。ソ連は崩壊、米国も、衰退の坂を転げ落ちている。そして日本は、
 20数年前のバブル崩壊から現在にわたって惨憺たる事態。40年後を考えると、さらに酷くなるのは現在の状況を
 みれば分かること。「現時点で予言不能の未来が待っている」ことだけは確か・・ 
 バーチャルと現実が混合した世界だろう! 今もそうか?
・・・・・・
4188, 呪いの時代 ー6
2012年09月13日(木)
                         「呪いの時代」内田樹著
   *「適職イデオロギー」の刷り込み   ー第5章「婚活」と他者との共生ー
「適職イデオロギーの洗脳」の切り口は面白い。そのため?まず3年もしないうちに3分の1が夢やぶれ辞めていく。
それだけでない、その後も、その影に追われることになる。歌の文句ではないが「自分を待っている職があるはず」と。
そんなものは、あるはずはない。現実は、そんな軽い若者を拒否をする職場だけ。
そのため転々と幻影を求めてサマヨウしかない。私たちはコマーシャルで、知らないうちに無防備に不安と劣等感と
無知を煽られ多くの洗脳を受けている。 ーその辺りからー
≪ 就職活動を始めるに当たって最初に叩き込まれるのが「適職イデオロギー」です。就職情報産業の営業マンが
 やってきて、大学2年生を購堂に集めて「空気を入れる」ときに彼らはこう言います。「ひとりひとりには、
この広い世界のどこかに、ただひとつだけ適性に合致した天職がある。この一年余りで、諸君は自分に適正に合致した
この職業にであわなくてはならない。そのために捧げうる就活に全エネルギーを当時なければならない」と。
学生たちは驚きますけれど、だいたい根が素直な子たち、たちまち、この「適職イディオロギー」に染め上げられる。
△ そして、「自分が適職に出会えないのは、自分の何であるか知らないからだ」ということと、
△「世の中にどのような職業があるのかについてまだ十分に知らないからだ」
 という2種類の「情報」不足によって説明されるということに、うっかり頷いてしまう。 そうして適性試験を
受けたり、目を赤くして就職情報誌に見入ることになるわけですが、もちろんこれらの情報は無償ではありません。
かの「適職イデオロギー」を宣布してまわった営業マンの会社が課金して販売しているまわるのですから、
この段階で、「なんとなく家業継ぐか」とかいう「ゆるい」就職観はきびしく排斥されます。
そして、私たちは「ほんとうに『こんな仕事』に就いていいのだろうか」という不安から逃れられなくなります。
就活中ももちろんですが、実際に内定をもらったあとも不安が鎮まらず、さらに就活を続ける学生がたくさんいます。
最初に内定をくれたところはそれだけ「ご縁」があるということなんだから、そこでいいじゃないかと僕は学生に
相談されると答えるのですが、僕のそういう場当たり的な就職観に説得される学生はほとんどいません。
・・・就職情報産業にとって、「適職イデオロギー」を深く内面化した若者はエンドレスの顧客です。
「この職場に骨を埋めよう」と覚悟をしているわけでないのだとしたら、「いつか出ていきたいが、今は出て
いけないので我慢してここにいる」という「腰掛け」的な就労態度をありありと示すことになる。
「はやく出ていって『ほんとうに私の適正に合った仕事』がしたい」という切ない思いは更につのる・・・ 
仕掛けになっている。就職情報産業は、このビジネスの洗脳によって決して自由になれない人々を量産することで
利益をあげることを自覚しておいた方がいいと思います。・・・≫
▼ 幻影を求めてさ迷う若者に、更に就職産業屋は顧客として利益を貪ることになる。気が付いた時には、
 立派なフリーター。社会は、彼らを便利な部品として使いまわす。グローバル化で人件費が抑えられる中で、
ひ弱な若者は火の目を見ることはない。 これと酷似しているのが婚活である。結婚相手と、就職先も幻影で
しかないことが自覚できない若者。 それは次回に。
 ・・・・・・
3823, 閑話小題 
2011年09月13日(火)
   * 『哲学人』の感想文を連載は、二年前に一度書いていた。
 驚いたことに昨日に気づいたことだが、二年前に、この下巻のー小説の作り方ーについて取り上げていた。 
難しかったのだろう、それっきりで終わっていたが、それ自体を忘れていたのは迂闊だった。無意識のリベンジ
だったことになる。分類に検索で調べたが見落としたようだ。それにしても、思いもよらなかったので驚いた。 
成るほど、さすが哲学者が実践した小説作法は実に分かりやすい。(下にコピー) それにしても、
ブライアン・マギーの教養のレベルに驚かされる。さすが英国である。  
   * 初めての書くテーマのネタ切れ
 この10年間、ここで一応、起承転結を成している?文章を書き続けてきた。
最低でも2つの仕込み文はあったが、今回、初めてゼロになってしまい、それ自体をネタに書いている。
現在の読書感想文の『哲学人』が、私にとって難しい。しかし、何とかギリギリで理解出来るから、なお疲れる。
さらに、iPadにエネルギーを大部分取られていることも重なっている。 ひとつテーマを書いても、ウェブ上では、
それより遥かに素晴らしい情報が満ち溢れている。そこをネットサーフィンしていた方がより広く深く世界を
みることが可能である。それでも自分が10年間エネルギーを入れたサイトをiPadで何時でも見れるのは悪くは
ないと、何とか気持ちを保っている。有料、無料を含めて、iPhone・ipadのアプリは10万以上あるというが、
その一端を次々にダウンロードして使ってみるが、その都度驚きの連続になる。別に、声高に、これは凄い!
という必要もないし、これに近いモバイル携帯電話で既に普及している。何を今さらといえば、それまでのこと。 
話を戻すが、書くネタが無くなるほど本音で書くので、読む方は面白いというが・・ 何も書けない焦りは
何とも言い難い。この辺が限界の際が見えてくる。書き続けるのは大変だが、その分、張り合いにもなる。
 ・・・・・・
3458, 9・11から9年
2010年09月13日(月)
 あれから9年になる。こと自社からみたら、この日をもって右下がりになり、現在も続いている。2004年から
少し持ち直してきた矢先に今度は2008年9月15日のリーマンショックを契機にした100年、250年に一度の世界恐慌。
あの日から世界も日本も変わってしまった。まことしやかなアメリカ陰謀説がある。時間の経過と同時に信じる
ようになってきている。為替と株式で大儲けをした輩がいた現実がある。更に、この事件をキッカケに兵器業界は
大儲けをした。アメリカでは戦争は公共事業といわれ、不況にとって手っ取り早い毒薬と同時に、回復剤になる。 
第二次世界大戦は1929年から世界恐慌から立ち直る大きな契機になった。 アメリカの誘導によって日本が
ハワイ急襲をしてしまった。そうこう考えると、アメリカは恐ろしい国。イラクの攻撃のキッカケとなった
大量破壊武器所持疑惑も、実際には存在してなかった。戦争を仕掛けるためにCIAが捏造したことが後になって
判明した。日本のバブルもアメリカによる日本国内の内需拡大の強制による。その結果の日本のバブルのピークを
待って株式の暴落を誘導を図った。そして下がりきった株と不動産を買い捲ったファンドが、大儲けをした。 
好き放題に日本の資産をいじくりまわし、収奪を繰り返しているアメリカに日本は成す術がない。歴史的にみて、
その後の2008年9月15日のリーマンショックと同じレベルで、2001年9月11日の事件は語られるはず。
アメリカ崩壊への二つの大事件として。 これを必然的事件とみると、何か底知れない深いウネリを垣間見れる。
20世紀的なものの崩壊の必然の事件としてである。そして、この火の手が10年20年かけて世界を焼き尽くす。
日本のバブル崩壊後、山一證券が倒産したのが、7年後。大手銀行が3つになったのが10年後である。
この世界恐慌も、10年20年の時間で世界を大きく変えていく。現在はデフレ、ハイパーインフレが襲ってくる。
グローバル化は、世界をフラット化する。日米欧は、その他の国と変わらないレベルになりざるを得なくなる。
9年でネットも、携帯電話も、テレビも、劇的進化をしてきた。それが、世界をフラット化を進めている。
これから10年、世界は、その動きを更に大きくするだろう。 面白いと同時に、恐ろしい10年になる。
・・・・・・・・
3083, 哲学人 −1
2009年09月13日(日)
 * 小説の作り方
哲学研究者の、ブライアン・マギー著『哲学人』を、半年がかりで読んでいる。
なかなか難しいが、時どき解りやすい部分もある。分野の違う人の「小説の作り方」も、
小説作法の全くの素人からみると新鮮で解りやすい。 自分の欠けていた部分を満たす作業としての小説も、
読んでいる方も、書いている方も、リアルに感じるだろう。 自分の体験を補充するなら事実に近い
深みのある内容になって当然である。 まずは、その内容から〜
《 私の希望は、相思相愛の果てしない追求だったが、そうした愛を経験したことは一度もなかった。
経験できなかった理由は、私が愛されなかったからではなく、愛さなかったからである。行き場のない強烈な
感情の内海は私のなかでせき止められ、誰かが愛してくれたときでさえ、表に現れることはかなわず、自由に
流れることもできなかった。そのため大きな不満が募り、激しい感情に支えられた衝動が蓄積され、私はその
はけ口を求めた。 そこで思いついたのが、小説を書いてこの衝動をつぎこむことだった。その小説のなかでは、
大海のごとき感情があふれ出ると同時に癒され、私に欠けていたことが、ある意味で達成される。
それも想像のなかだけではなく、現実のもの、自分の外に存在するもののなかで、である。
私はこれを『ラブ.ストーリー』と名づけようと思った。驚くべきことに、このタイトルはその時点では
まだ使われたことがなく、少なくとも私の知りあいに過去の例を覚えている者はひとりもいなかったのである。
私の構想では、中心人物は最低でもふたり必要だった。 女と男がひとりずつ、これは当然である。
では、このふたりをどうするか? 単純に、彼らは恋愛中という設定にして、その愛を表現してみるのか?
それだけを2~3百ページにわたって情熱的に語っていくのか? これをうまくやってのけることが想像できなかった
わけではない。 私が、本来の私とは違う作家になれば、それも可能だったろう。壮大な散文詩、淡々とした、
それでいて、たゆまぬ愛の賛歌というわけである。ただし作品自体がだれることなく飛翔しつづけるためには、
その勢いは単に力強いだけでなく、本質的に詩的でなければならない。そしてこの場合、私の勢いに力はあるが、
詩情はないとわかっていた。 この本の背後にある衝動は、何よりもまず心理的、感情的なものだった。
私が探していたのはリピドーのはけ口だったのである。それに、私にとって自然なはけ口とは、叙情的であるより
むしろ劇的であるべきだろうと感じてもいた。波乱に富んでいて、望むらくは力強いものでなければいけないのだと。 
しかし、だとすれば本のなかで何かたいへんなことが起こらなくてはならない。 そして、このたいへんなことが
本の内容に大きくかかわるのだとしたら、恋愛関係に影響を及ぼすものでなければならないだろう。 
さらに、それがささいなことでないとしたら、重要なことでなくてはなるまい。いずれにしても、劇的な効果を
あげるにはそうである必要がある。考えれば考えるほど主人公たちの恋路を邪魔するもの、なんらかの障害で
なければならないという思いが強くなっていった。いわゆる三角関係についても、思いつくかぎりの可能性を検討
してみた。だが、そのうちのどれかが読者の心をつかんだとしても、本来無条件であるはずの主感情に制限を設ける
ことになってしまう。それは避けたかったので、別の登場入物を巻きこまずとも、彼らの恋愛にとって大きな
現実の脅威となるものを考えてみた。浮かんできたのは、重大な病気や事故というアイデアだった。 》
 ーーー
ここで、著者は「相思相愛」の経験が無かったと正直に告白している。そのリピドーのはけ口を『ラブ・ストーリー』
にしたのだと。相思相愛?の恋愛結婚をした人は、そのまま、脚色をすれば小説になる。が、本当に面白いのは、
著者の方だろう。所詮は共同幻想、いや自己幻想、いや他幻想だから、『達成したことに何かを付け加えるより、
達成できなかった幻想の方が、むしろ新鮮味がある』と言える。 哲学人の書いた小説作用の切口もリアルである。
・・・・・・・・・
 2008年09月13日(土)
一昨日、「清水洋の経済セミナー・全3講ー有事に勝ち残る」を受講してきた。
4年前からのシリーズで、これで三回目である。30数名の参加者だが、行くたびに、講師の言うとおり、
経済が世界的にも国内的にも深刻度を増している。何時も暗い気持ちになって帰ってくる。 
 *印象に残っている順に書くと、
(字数制限のためカット 2014年9月13日)


4929,パワレルな知性 ー7

2014年09月12日(金)

     * 多文化共生社会の礎を築く力、とは      『パワレルな知性』鷲田清一著
 討議をし、物ごとの両義性をわきまえた対話(ダイアローグ)の中から、考えを変えていくことこそ、
多文化共生社会に必要となる。そのためには、「聴く力」と、人の気づきを「待つ力」が必要という。
自分の殻を自覚し、それを壊しつづけるため対話を続けること! ただし真当の対象と! 
ーその辺りからー
≪ 「多文化共生」とは、外国人との共生にかぎったことではない。たとえば、現代においては、
さまざまな専門家の知見はきわめて先進化し、細分化されているため、専門家と一般市民の
間には「異文化」といってよいほどの間隔がある。医療、地域環境、食の安全の問題など、
どれをとっても、最先端の専門家の知見は、素人が聞きかじっただけではわからないほど
高度化している。 だからこそ、専門家と非専門家のコミュニケも、じつは「多文化共生」の課題の
一つなのである。 そのために不可欠なのは、対話である。
ただし、それは「ディベート」ではなく「ダイアローグ」としての対話。
ディベートとダイアローグの違いについて、平田オリザが、次のようにわかりやすく教えてくださった。
< ディベート(討論)においては、対話の前と後でじぶんの考えが変わったら負けだ。
逆にダイアローグでは、対話の前と後でじぶんの考え方・感じ方が少しも変わっていなかったら、
対話をした意味がない> と。すべてを白と黒で割りきり、正しいことと間違ったことを峻別
しなければ気が済まない思考スタイルの持ち主は、異なる文化や思想をもつ相手とディベートは
できても、ダイアローグはできないだろう。
 ただし、ここでいう「ダイアローグを通じて考えを変える」とは、無節操に自説を曲げることではない。
じぷんの考えを絶対視せず、別の視点、他者の視点からも考える複眼的な柔軟さをもつこと、
ひいては、物ごとの「両義性」をわきまえ、一つの単純な見方に凝り固まらないことである。
 そして、これからの多文化共生社会を生きてゆくうえで、ダイアローグとしての対話をする能力は
必須のカになってゆくだろう。その能力をそなえた人こそ、唯一これからの時代の「熟成した市民」
なのである。 では、真の対話力を鍛えるために何をすればよいか。抽象的な言い方になるが、
「聴くカ」と「待つカ」を鍛えることから始めるべきだとわたしは考えている。いまの社会の評価制度に
おいては、人の話を聴くこと、人の気づきを待つことは、能力として評価されない。
しかし本来、「聴く」ことも「待つ」ことも、広義のホスピタリティ(人をもてなす)の中核をなす
大切な営みであるはず。それは一言でいえぱ(他者に)「時間をあげる」ということ。》
▼ ゼミの教授がそうだった。まず、自分で考えること、人の意見を聞くこと、気づきを待つこと。
 真なる知恵は、内側から涌き出るまで、それに気づくまで、考えて考えて、悶絶をした後でこそ
出るもの。決断の前にしなければならないことと同じ。「聴く力」は、人だけでなく、読書を通して
著者のいわんとする意を聴く力もある。更に心の奥底の声を聴く力も、それにあたる。
知恵は、パワレルの知性の礎から生まれ出る。
・・・・・・
4562, ポタリ、ポタリ、ポタリかな!
2013年09月12日(木)
 4月〜11月の8ヶ月間、毎朝一時間、4年続けて雨の日以外、合計一万キロ以上も
乗り続ければ、自らをポタリスト(ポタリング=自転車散歩)と宣言してよいだろう。 
4年前になるが、「電動アシストのMTB(マウンテンバイク)が、格安で、スポーツチェーン店から
通販サイトで売り出される」という新聞記事を読み買うことにした。 そして乗って仰天! 
ママチャリを年に1〜2度しか乗ったことのない私が、その日を境に、冬季間と雨天以外は、
ほぼ毎日12キロは乗っている。 自転車で15分の距離に信濃川があり、二つの大橋を
一周して帰ってくると丁度一時間、早朝の運動に最適である。ある本に、「江戸時代に舟に
車輪をつけた陸舟車というのが試作されたのが第一号」とあった。
さしづめ電動アシスト自転車を舟とすると、エンジン付きカヌー。
手で漕ぐか、脚でペダルを踏むかの違いになる。 この自転車に出会うまでは、
自宅から300M先にある栖吉川の土手を30年近くウォーキングをしてきた。
ところが、道路拡張工事で散歩道が数年間も交通ドメになったタイミングに、電動アシストの
MTBを購入。一気に、4キロ程先の信濃川まで行動パターンが広がった。 
電動アシストのうえ、MTBの車種が良かった。 軽くて、小さくて、小回りがきいて、6段変速ギア。 
変速ギアのついたスポーツ自転車も一度も乗ってないうえに電動アシストである。驚くのは当然である。 
 東京在住の学生時代のゼミの後輩がカヌーの愛好家で、数年前、車にカヌーを積んで新潟にきて、阿賀野川
河口と、寺泊の浜辺で同乗させてもらったことがある。それもヨットカヌー。彼の別荘が川口湖にあり、長年、
乗りこなしていた。羨ましいと思ったが、今さら私には無理。 そこで、スポーツ自転車を陸のカヌーとみたて、
電動アシストにすればよい。早朝、電動アシストの力を借りて、信濃川の土手を飛ばすのも快感。 
乗っていると、自分がいかに軽く小さい存在で、空中遊泳をしているような感覚になる。現在のものも限界に
近づいてきたので、消費税のアップ直前の来春2〜3月に、もう一台を買う予定にしている。クロスか、
折りたたみのMTBか、電動のついてない10数万の高級車か? それまで半年間の選定が楽しめる。
これを購入すると胸を張って、「古いMTBと、クロスバイクの二台を持っているポタリスト」と宣言ができる。
車やオートバイで高級車といえば数百万だが、自転車では、30〜50万も出せば超高級車、十数万なら
高級車になる。ーブログ内の検索で、以下のような文章があったが、時間の経過とともに内容が濃くなっている。
一つのキーワードで検索で過去分を拾うと、書き遺した価値が味わえる。
肌で風を切ると、頭が冴えてくるのも良い。 低空の飛行艇のようにも・・・ 少しオーバーか!
・・・・・・
2013/07/29
スポーツ自転車の勧め! ー4               
   * マウンテンバイク     「自転車で痩せた人」高千穂 遙 (著)
 私が現在乗っているのがマウンテンバイク。 舗装されてない山道などを走るため、特徴は丈夫かつ軽快さである。
ただ値段の安さに惹かれ買ったが、私の毎朝のコースからみて、これがベスト。小さく軽いのがよい。
  ーそこで、ウィキペディアで調べると、以下のとおりー
《 1970年代後半にアメリカ合衆国カリフォルニア州サンフランシスコ郊外のマリン郡で、ヒッピー達がビーチ
 クルーザーや実用車などに太いタイヤをつけ、急勾配の山を下りタイムを競った遊びが始まりと言われている。
同時期に北カリフォルニアでも同じ遊びが発生していた。初めは手作りだったが、一つのジャンルの大量生産で
一般に広がっていった。 マウンテンバイクの定義は、【 荒野、山岳地帯等での高速走行、急坂登降、段差越え
などを含む広範囲の乗用に対応して、軽量化並びに耐衝撃性、走行性能および乗車姿勢の自由度等の向上を図った
構造の自転車のこと。舗装路でも広く利用されており、用途によって様々な形態が存在する。】である 》
▼ 以上だが、MTBはポタリングに手軽な自転車で、軽快さが良い。それとママチャリと同じく、普段の生活でも
 使えるマルチのところがよい。親が、このタイプを少年用に買うことが多いこともあり、HCの自転車売場では、
丈夫でない見た目だけMTB風のチャリが並んでいる。そのため愛好家は「モドキ」とか「ルック車」などと呼んでいて、
良いイメージはない。その見分けはデザインで直ぐ分かる。また「悪路走行禁止」と書いてあるのもある。
私のようなスポーツ車初心者に向き。 まずは軽く小回りがきき、乗りこなしがスムースが入口になる。
 次は、クロスバイクにするつもりだが、折畳み式も捨てがたい。 スポーツジムと、家でパソコンか、TVか、
読書になりがちな生活の中で、これはソロで出来る手軽な趣味になる。 早朝に加えて午後からのポタリングの
習性も悪くはない。それと現在、ジムや、図書館への移動に使うことも考えてよい。趣味としてポタリングにすると
なると、違った切り口が出来てくる。それより、まず事故に気をつけなくては。これまで色々なマウンテンバイクを
見て、デザインが違うとしか思ってなかったが、実は、使用目的が違っていたのである。
――
スポーツ自転車の勧め! ー3 ー2 ー1は、
字数制限でカット(バードウォッチにコピー)          
・・・・・・
2013/06/25
電動アシスト自転車に乗って、はや4年
 電動アシスト自転車を乗って3年8ヶ月になる。ーまずは、その時の文章より 
   ー3131,期待どおりの電動自転車 2009年10月31日(土) 
≪ 注文をしていた電動自転車が一昨日届き、昨日の朝、さっそく試乗した。自宅は長岡駅裏から徒歩10分にあるが、
 長岡駅前から歩いて20分のところにある大手大橋まで12分で着いた。信濃川を渡ったところのジャスコに15分、
ユニ系SCのアピタまでは20分。そして、その先にある長岡大橋から駅前近くまで戻って、家に着いたのが50分後。
万歩計をみると2500歩になっていた。50分というと5500歩になるから、半分近くになる。
疲れは、ウォーキングと同じぐらい。 これまでは月に一〜二度ママチャリに乗るぐらい。一日一万歩を目指している
ので、自転車にはほとんど乗ることはなかった。そのためスポーツタイプで、6段切り替えで、かつ一対二のアシストの
自転車を乗った驚きは大きい。一対二のアシストというと、人が一の動力をかけると二倍の加速がかかる。 
自転車は発進時の加速と、登り坂に力を要するが、その時にペダルに力が二倍加わるのは、何か異様な感がする。
コースは線路の下をくぐる地下道の登りとか、信号待ちの後の加速とか、大きな橋までの登り坂とか、起伏がある。
そのストレスがゼロで、平らの道路でペダルをまわす時の加速も三分の一で済むのだから、非常に楽である。
 ところで、通販で注文して送られてきた電動自転車を組み立ててくれた長男が「すぐに、盗まれるよ!」という
のも分かる。小型のためボックスカーに、簡単に乗せる事が可能だからである。一年ほど前に、家内に電動自転車を
買おうかどうか相談したら、「友達が買って直ぐに盗まれてしまった。あと数年先がよいと思うよ」といって、
買うのを止めた経緯もあった。スーパーや、駅前などは当分は置けないが、その時はその時。≫
▼ これを書いた翌日から25年続けていた早朝ウォーキングを、ポタリング(ミニサイクリング)に切り替えた。
 同じ一時間で、コースは東バイパスから、長岡大橋を渡って、日赤前の土手を通って、大手大橋から、土手を走り、
長岡大橋に戻り、同じコースを逆コースで帰ってくる。 冬期間(12〜3月)と雨天を除くと、ほぼ毎日、乗っている。
大よそ、年に200日として7百回以上、一日、14キロで1万キロ、地球を半周も走ったことになる。
 スポーツチェーンのネット販売で59800円で買ったが、中国産だが私にとって大当たり。現在は値下げで49800円。 
もうボロボロだが、何とかあと一年使って買換えるつもり。まず故障するのはブレーキと、蓄電池周りの固定器具。
 パンクは三月に一度ぐらい。来年には、一ランク上のナショナルのものを買うつもりだが・・  
自転車には、シティ、クロス、ロード、マウンテンタイプなどがある。 私のは車輪の小さなマウンテンタイプ。
来年の購入予定はナショナルのクロスタイプのもの、どうなることやら。iPodで音楽を聴きながらの早朝
サイクリングは良い。雨が降ると溜息が出るほど。最近の週末は天気の具合をみて、昼も同じコースを走っている。
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2013/03/27
閑話小題 −つれづれに
 * 先週から早朝の信濃川一周のポタリングを始めたが、ほとんど散歩する姿はないのは寒いためだろう。
分厚い手袋と耳あてをし何とか寒さを凌いでいるが、日々暖かくなっている。慣れてしまえば最上の習慣である。
毎日15キロ、一年200日として三千キロ。三年間で9千キロ走ったことになるが、自転車はボロボロになって当然。
リチウム電池は、当初一回の充電で二日持ったが、劣化で一日が限度。この買換は一年後の予定?だが、持つか?
あと一年で4年で一万二千キロ、地球の4分の1周を走ったことになるのだから良しとするか。
 * 一昨日、カラスの交尾をみた。ポタリングの何時ものコースの通りの脇の花壇にいたカラスに、
小さなカラスが舞い降りてきて尾っぽを向けて羽根をそば立てて小さくうずくまった。そこにオスが・・ 
メスからの求愛である。これで春の訪れを知るとは・・・
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2012/08/21
つれづれに
   * 大手大橋にて
 先週土曜日の早朝、何時ものようにポタリング(ミニ・サイクリング)の大手大橋で、ヒキチャリをしながら
歩いていると、後ろから声をかけたれた。車椅子に乗った隻手の男性で、恐らく交通事故で右腕を根元から切断、
下半身麻痺で自走式車椅子である。私の電動アシスト自転車に興味を持ち声をかけてきた。電動アシスト自転車が
如何に良いか説明すると、自分の車椅子が電動切替え式で、背後に電動モーターがついていて時速6キロという。
何度か薄暗い中、かなりのスピードで走っているのを見たことがあった。人それぞれの運命と人生がある。 
ところが昨日の朝、いつものコースの信濃川の土手を走行していると、屋根つきの休憩所で30歳前後の男女二人が、
その電動の車椅子を畳んでいた。本人は不在で、まさか聞く訳もいかないし、そのまま遣りすごしたが。
その前に何か(熱中症とか?) あったのだろう。ポタリングを始めて4年目になるが、続けていると色いろある。
そういえば、雀が少なくなった。去年の大雨で河川敷の雑草地に水が使ったせいだろうか。
燕も少なくなった。多いのはカラスだけ。 
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2012/06/15
閑話小題 
  * 自転車のパンク
 4〜11月まで八ヶ月間、毎朝一時間もポタリングをしていると、年に二回はパンクをする。
たまたま土砂降りの時にパンクをし、ズブ濡れで自転車を引いて帰って来たこともある。それも付きものと
割り切っている。一回のパンクの修理代が千〜千二百円で、店によって違う。 昨日もパンクをしたので
近くの自転車屋で修理をした。世間話に、市内の自転車屋の数を聞いたところ、「百軒あった店が今では
三十軒になってしまった。4kのため次世代が店を継ぎたがらない」という。店売りの自転車はHCや、
スーパーが大量販売するため、価格競争に負け、修理だけとか。 パンクの修理時間は平均、20分。
それで千二百円は悪くないが、私の見立てでは一日4〜5人。奥さんがパートなら兼業商家なら何とか?
・・・・・・
2012/04/14
閑話小題
  * ポタリングを再開
 早朝のミニ・サイクリング(ポタリング)を再開した。冬期間を除いた4月〜11月の間、一時間かけ
信濃川の二つの大橋を一周する。6時過ぎから7時過ぎにかけての時間帯だが、何とも清々しい。電動アシスト
自転車の効能で、午後の二時間のスポーツジムを加えると、三時間も運動している。 平坦な習慣の組み合わせ
のためかアッという間に一週間が経ってしまう。 電動アシスト自転車の使用目安を5年と決めているので、
半分使え終えたことになる。電動自転車は、お薦めである。手段(自転車)が、目的(朝の運動)を変えてしまう
(ウォーキングからポタリングへ)典型的事例になる。これからはスマートフォンとタブレットPCの普及が、
ビジネスや生活パターンを根こそぎ変え始めているが、手段の進化は、人間生活を間違いなく良くしてくれる。
・・・・・・
2011/11/08
閑話小題 ー自転車からの風景
  * 焼鳥屋、鳥梅
 私の幼稚園の頃の、一番初めの友達が、近くの焼き鳥屋の息子であった。
幼稚園の一年間と、小学校の二年の三年間である。ある日の午後、そこに遊びに行くと、今から思うと
焼鳥の串さしの仕込みを、御父さんがしていた。子供なりに、仕事の場には近づいてはならないことは知っていた。
ところが手招きをして、その一本の焼き鳥を差し出してくれた。 そして、食べて驚いた。その美味いこと。
ガムのようで噛んでも噛んでも、噛み切れないが、その味わいと香りは、今でも強烈な記憶として残っている。
その後、成人になって長岡にUターンをしてから1〜2度、飲みにいったことがある。私の幼馴染は何があったか
分からないが、店から引退し、姉さんと、奥さんが店に出ていた。その店の前を二月ほど前に早朝のポタリングの
帰りに通ったら、店の看板が無くなっていた。そこで、姉さんらしき女性が、店の前で掃き掃除をしていた。 
そこで、長岡の夜の博士と自認している?人に、聞いてみたところ、「この春に閉店したが、その閉店の日に
行ってきた。姉さんも高齢と不景気で止め時と言っていた」という。
それにしても、幼稚園時代の記憶の原点の一つの店が閉店とは、時代の変わり目である。
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3777, ポタリング
2011年07月29日(金)
  最近、面白い言葉ーポタリングを知った。 −ネット辞書によるとー
【 ポタリングとは、自転車でぶらつくことを意味する和製英語で、観光名所などに自転車を用いる「
 散歩」的なサイクリングをいう。 散走とも言う。サイクリングの一種で、散歩程度に軽く走ることをいう。】
中高年のオジサンが、行く当てない風にママチャリに乗っているのとは、チト違うようだ。毎朝、ウォーキング
代わりに、信濃川まで一時間、自転車で散走をしているが、サイクリングというには違和感があったが、適切な
ポタリングという言葉があった。「ちょっとポタリングしてくる!」なら、丁度よい。自転車は野球帽を少し
深めに被っていれば目だたないし、人は気に留めない。また電動アシストなら、エネルギーは普通の自転車の
三分一か、五分の一で済む。 近くのSCや図書館に気楽にいけるのも良い。この御陰で生活が一変した。 
イメージとして、サイクリングは、中・長距離の場合に使い、目的は自転車に乗る方のニュアンスが強い。
またツーリングは、長距離で、自転車で旅行をする場合につかう。
 東京など密度の濃い都会の二時間の散策なら、かなりの場所に行くことが出来る。 現在、早朝の信濃川の
ポタリングが主だが、今度は午後などに折りたたみ自転車を車に乗せて日本海沿岸をポタリングするのも面白そう。
そうこう考えると、周囲に面白いことは、山ほどある。ただ気づいていないだけである。ベストの敵はベターというが、
その通り。それにしても「ポタリング」という語感がよい。 これから少し与太るで、「ヨタリング」という
言葉も浮かんでくる。陰鬱の時、少し与太らないとやってられない。 でも、自重の時期である。 
で、自転車でヨタルしかないか。 少し離れた場所のポタリング用に、もう一台、安い折りたたみでも買うか? 
でも、車で一時間で何処かあるのか考えると?


4928,パワレルな知性 ー6

2014年09月11日(木)

     * 人間の持つ二重性         『パワレルな知性』鷲田清一著
 「ひとりの人を理解するまでには、少なくとも1トンの塩をいっしょに舐めなければならない。」と、
須賀敦子に諭したイタリア人の姑の言葉が、古典や人とのつき合い方についての根本を示している。
人間は、40億年の生命の進化の歴史を背景に持つ複雑怪奇な生きもの。
自分の中にあるグレーソーンに多くの何かが隠されている。 ーその辺りからー
≪ ・・白黒つけられないこと、グレイゾーンにあることこそ、じつは大きな意味をもっているのでは
ないかとおもってきた。「噛みきれない想い」を抹消しないこと、それが思考の次のステップの火床に
なるのではないか、と。そのことを日常のさまざまな局面で確かめてみたかった。 
わたしは子どもの頃から、物ごとを見るとき、表面上の意味とは反対の意味を背後に透かし見る
癖があった。その癖の源となったのは、幼少期のある体験である。
 わたしは、京都の下京区という下町の生まれである。お寺が多く。そこを通り抜けると島原という
花街があるという土地柄で、わたしは子どものころ、若い修行僧や芸妓さんとよく道ですれ違った。 
修行僧は冬でも裸足に草履履で、服装もきわめて簡素で、逆に、芸妓さんはきらびやかなきもので
着飾っていた。子どものころのわたしは、「お坊さんは寒いのに可哀相やなあ」とおもい、
「芸妓さんは優雅やなあ。おいしいもの食べて、きれいなきもの着て」とおもったものだ。
 しかしその後、そうした表面的な印象とは逆の面が見えた出来事があった。
・一つは、祖母から「お寺さんは貧相な格好に見えるけど、わたしらが知らん『浄土』という、
 この世にはない幸福を知ってはるんよ」と言われたこと。
・もう一つは、芸妓さんがお座敷に出る前に地味な洋服姿で銭湯に行き、帰り道にお宮に参って
 「早う故郷に帰れますように」と祈っている姿を見たことである。
貧相の極みに見えた修行僧の心にはこの世ならぬ幸福があり、豪奢の極みに見えた芸妓さんの心
には寂しく哀しい想いがあった。わたしはそのことを知って、「物ごとって、見た目だけやないんやなあ。
わからんもんやなあ」と、世の中に対する見方が少し変わった気がした。
わたしが哲学の道に進んだのも、子どものころから身についた‘物ごとの裏側を見透かす
癖'が遠因となったのかもしれない。・・・ ≫
▼ 実家が衣料小売商をしていて、4階建ビルの3Fに4〜10歳まで育ったため、日常が戦場真只中!
 その上に両親を含めた10人家族と、住込み従業員が4Fと2Fに同居していた。更に猫と、猿と、
犬が、同居とくれば、まさしく小説の世界。そこで、子供ながらに、様々な不条理の場面を見てきた。
子供でも、裏と表が分かるのである。そこでは、まずは自分を自分自身で守るしかなかった。
その中で、姉たちは、成績優良だったから、いま考えると不思議である。その末っ子となれば、
「沈黙こそが金」を身につけざるを得なかった。全てがグレーゾーンで、裏も表も、斜めも、底もある
生々しい世界で、娑婆そのもの。それが、その後の社会経験の中で、危険な場面を乗越える
ノウハウになっていた。 直感的リスク管理が、幼児時代に身についていたことになる。
人間科学を学び続けて知ったことは、『人間の持つ多重性』である。 幼児、少年時代の、
この体験の上に、学生時代の寮生活と、武澤ゼミの「ケーススタディ」が加わっていた。
今回の節目の一連の構えを備えていたのも、それらの蓄積があればこそ。人間の持つ多重性の
奥底を知ればこそ。 で、この結果、この様だから、何を言わんか。
それにしても、見え過ぎるのも、面白い反面…?奇妙なもの!
後記)ところで、読み返してみたところ、私の内容の方が中味が濃い? いや、丁度よい? 悪い?
・・・・・・
4561, 2050年の世界 ー4
2013年09月11日(水)
         「2050年の世界 ー英『エコノミスト』誌は予測するー」 英『エコノミスト』編集部 (著) 
  本書は(第一部:人間とその相互作用)(第二部:環境、信仰、政府)(第三部:経済とビジネス)
 (第四部:知識と科学)それぞれ5章の合計20章から成る。人間、宗教と政治、経済、知識と科学の、4つ括り。
 次回からは後半ほど面白いため、20項目の一番最後から⑳⑲⑱⑰と逆向きに取り上げる。ーまず目次からー
  (第一部:人間とその相互作用) 
① 人口の配当を受ける成長地域はここだ    ② 人間の病気の将来
③ 経済成長がもたらす女性の機会       ④ ソーシャル・ネットワークの可能性
⑤ 言語と文化の未来
 (第二部:環境、信仰、政府)
⑥ 宗教はゆっくりと後退する         ⑦ 地球は本当に温暖化するか
⑧ 弱者が強者となる戦争の未来        ⑨ おぼつかない自由の足取り
⑩ 高齢化社会による国家財政の悪化をどうするか
 (第三部:経済とビジネス)
⑪ 新興市場の時代              ⑫ グローバリゼーションとアジアの世紀
⑬ 貧富の格差は収斂していく         ⑭ 現実となるシュンペンターの理論
⑮ バブルと景気循環のサイクル
 (第四部:知識と科学)
⑯ 次なる科学                ⑰ 苦難を越え宇宙に進路を
⑱ 情報技術はどこまで進歩するか       ⑲ 距離は死に、位置が重要になる
⑳ 予言はなぜ当たらないのか
 ▼ これを見ていると、人口の推計以外、どれもこれも、この程度ではない?と・・
 日本一つ取り上げてみても、40年前の1973年は高度経済成長の真っ只中で、
石油ショックで茫然自失。12年後にバブルが発生、5年後にバブル崩壊。そして、失われた
20年を経て、リーマンショックと東北大震災。 現在は1000兆円の借金を抱えている。
明らかに10年後は国家破綻国の可能性が大。まして、40年後は・・・ 
それでも、叩き台として想定するのは必要である。最終章の「予言はなぜ当たらないのか?」
の答えは、 「土台無理のテーマ」。情報化によるグローバル化で、世界が平準化していく
結果は、誰も想定出来ないだろう。
・・・・・・
4186, 閑話小題 ーヨーカ堂の正社員削減
2012年09月11日(火)
   * オスプレーを一番必要としているのは日本じゃないかい?
 政府がトラフ地震の被害情報を発表してから、次の大震災に対しての被害想定が表立ってきた。
道路が寸断された災害地に対する緊急の救済にヘリコプターが一番有効に働くが、短距離しか有効に働かない。
問題は中距離からの輸送である。そうオスプレーのような中距離の大量空輸が可能な緊急輸送手段こそ必要になる。
被害地の近くに飛行場は無いのである。問題は数千、数万の命に関わる問題、危ないとかいっている場合でない。
尖閣列島などの領土問題でもしかり。もし戦闘になった時に最も必要になるのは中距離輸送。 オスプレーの着陸は、
別に住宅密集地にする必要がない、問題はコース。ヘリ機能はコースを如何ようにも変えられる。
こういう意見は、この国では口に出せない。出せば袋叩きになる。何かがおかしい!
   * ヨーカ堂の正社員削減
 ヨーカ堂が現在の正社員8600人を4,000以上削減すると発表し、パート比率を90%に引き上げるという。
それだけ、経営状況が悪化しているということだ。 ヨーカ堂グループは、セブンイレブンを持っているので、
グループとしての経営体質は良いが、その発生の元のGMSの業態のヨーカ堂店舗を多く抱えている。
それが正社員比率を一割まで減らすというから驚き。 店舗も一割削減するため均衡縮小になる。
情報機器が高度化しているため、それほど店舗レベルの質の低下は避けられるのだろう。
地元の長岡駅前のヨーカ堂は、私と家内の目からみて死に体の店。ファッション、雑貨に買いたくなる商品が皆無。
 ・・・・・・
3821, 哲学人 ー�
2011年09月11日(日)
 * ウィトゲンシュタインの『論理哲学考』   ー「哲学人」ブライアン・マギー著より
   ー まずは、以下の箇所である。
【 オックスフォードでは、しきりとこの本「論理哲学考」が参照されいたけれど、学生は読むように
勧められていなかった。これを理解するには、論理学の技術に習熟する必要があったからである。・・・ 
私はこの本に取り組む準備はできていると感じた。 おそらく、このような本だと知ったときほど驚いたことは、
あとにも先にもないのではないだろうか。オックスフォードでは『論理哲学論考』は常に論理実証主義の基礎をなす
文献として挙げられていた。ところがきちんと読んでみると、その中心テーマは論理実証主義のほぽ対極にあった。
 論理実証主義者は、世界に関するあらゆる真理探究を科学に同化させる傾向があり、その結果、科学を律する基準
によってすべての真理探究活動を判断し、科学的発言に適用されるルールによってすべての発言の妥当性を判断した。 
観察か経験により立証されるものしか、世界について知ることはできないのであり、確実な論拠を提出できるものしか、
有効に、もしくは正当に語ることはできない。だが重要な事柄はすべて、少なくとも原理上は語ることができるはず。
そして曲がりなりにも語ることができるものは、明確に語りうるだろう。『論理哲学論考』は、こうしたこととは
正反対に、きわめて重要なもののほとんどはまったく語ることができず、言葉を使ってもせいぜい示すことができる
だけと言いきっていた。それは示されうるとしても、語ることはできないのだ、と。 また、「論理哲学諭考』は
科学をあまり評価していなかった。命題言語が有効なのは、経験や分析に基づく真実、すなわち事実と論理にかわる
事柄を表現する場合にかぎられる。それ以外の分野では、役に立つというよりむしろ誤解を招きやすいので、
有益というよりむしろ有害となりやすい。このため、私たちにとってきわめて重大な意味をもつ問題はどれも
その範囲の外にあることになる。倫理・道徳・価値観に関する疑問・人生の意味に関する疑問、自我や死の本質に
関する疑問、全体としての世界の存在に関する疑問は、観察にも論理にも解決できない。したがって命題言語が
扱えるものではなく、強引に命題言語で処理しようとすれば、行き詰る結果となる。】
▼《『論理哲学論考』は、きわめて重要なもののほとんどはまったく語ることができず、言葉を使ってもせいぜい
 示すことができるだけだと言いきっていた。それは示されうるとしても、語ることはできないのだ、と。
また『論理哲学諭考』は科学をあまり評価していなかった。命題言語が有効なのは、経験や分析に基づく真実、
すなわち事実と論理にかわる事柄を表現する場合にかぎられる。それ以外の分野では、役に立つというより
むしろ誤解を招きやすいので、有益というよりむしろ有害となりやすい。》 上記の中で、この部分は非常にシビアで、
したり顔で小理屈を述べている学者風の人を一言で切り捨てている。これは哲学の否定でもある。語りえないことを、
哲学は求めていることになる。論理実証主義者と言語哲学者たちが、この『論理哲学考』を全く誤解していたことになる。
*「論理は考えられるもの」の範囲を定める。 * 語りえないものには沈黙を * 言語は「写像形式」によって
世界につながっている。 言語はものや出来事を写し取って名前をつけたもの * 言語が対象に意味を持たせる
=言語ゲームの始まり、である。「言語が語れることだけが思考できる範囲」と言うが、私として、
「解釈できる範囲が思考できる範囲」であって欲しいが。
 ・・・・・・・・
3456, 渥美俊一氏死去 −2
 2010年09月11日(土)
 一回の追悼文で終わる予定だったが、何か言い足りないので更に書く。
7月21日に亡くなったが、どういう訳か死亡記事を見過ごしてしまった。知人に聞くと日経新聞に小さ
載っていたという。氏の業績から言えば、より大きく取り扱われてよいのだが、既に時代が変ってしまったか? 
所詮はスーパーの神様でしかないのか。早くいえば、流通先進国アメリカをウォッチング、そっくり真似をし、
日本の遅れている流通経路に新しいバイパスを創りなさい、ということである。「大量生産、大量消費の間に、
大量流通の仕組みつくりを、それぞれの立場で、新業態をつくること、それをロマンとして志すべし」は、
高度成長期には正しいことであった。その時期、ジャスコ、いとはん(その後、北陸ジャスコ)に勤ていたので、
濁流の渦で色いろな現象を目の当たりに見てきた。そしてバブル崩壊。以降、今度は激しい生存競争に晒される。
その中で、長崎屋、マイカル、ダイエー、西武流通グループなどが次々と姿を消していった。 
大手で残ったのがジャスコ=イオン、ヨーカ堂だけになってしまった。その二社も最近、変調をきたしてきている。
(字数制限のためカット 2011年9月11日)
 ・・・・・・・
3081, 第三の場所
 2009年09月11日(金)
 我われは家と職場だけでは息がつけないので、行きつけの居酒屋やスナックをつくり、学生時代の校友会や、
気の合った飲み友達の会などの自分の世界を広げる。その他にもスポーツクラブやゴルフの会にも参加したりする。
 それがレイ・オルデンバーグがいう「サードプレイス(第三の場所)」である。
「サードプレイス」とは 家(必要不可欠な第一の場所)と 職場(必要不可欠な第二の場所)に加え、都市に
暮らす人々にとっての「必要不可欠な第三の場所」を意味する。オルデンバーグは「サードプレイス」の代表例と
して、イギリスのパブ、フランスのカフェ等を挙げ、それらが自由でリラックスした雰囲気の対話を促進し、
都市生活における良好な人間関係を産み出す重要な空間であるとする。 
その特徴を「インフォーマルでパブリックな営み」を促進する場としている。
インフォーマルとは社会的立場を脇に置くことであり、パブリックとは仲間がいて協調する場をいう。 
第三の場は、年齢とか趣味で個々の組み合わせが変わってくる。
 私のベースは、居酒屋・スナック+秘・異郷旅行+図書館・読書+早朝のウォーキング+新幹線通勤の車中など。
誰もそうだろうが、私も学生時代から現在まで、第三の場所を直ぐに創る習性があった。 家が商売をしていて
大家族だったこともあり、自分の世界を創るしかなかったのである。但し中高校時は、その余裕は全く無かったが、
その分、大学時代に一挙に爆発したようだ。ところで8年前にパソコンを始めて、HPを開いてからネットが
第三の場所の一つに加えられた。 もしかしたら第四の場所? いや、第三の場所か??。 
サルトルは、その一つとしてパリのカフェの一角で多くの友人とサークルを作り、オープンな議論をした。
そうこう考えていたら、人生でみると学生時代が第三の場所だったような気がする。第一の場が両親の影響下の家庭、
第二の場が自立後、そして第三の場が中間の学生時代である。だから現在でも学生時代の友人と会いたくなる。
学生という身分でスポーツやゼミなどで日本中から集まった人たちと、酒を飲み、議論をし、旅行などをした。
第三の場所に父親に頭を押さえつけられた二世・三世が逃避しているケースが多く見られる。青年会議所、
ライオンズなどである。こういう時期に人間関係を形成する機会という見方もあるから否定は出来ないが、
要は第一・第二・第三のバランス。 場所といえば、時間にも「第三の時間」という言葉が成り立つ。
「第三の場所で過ごす時間」である。 時間と空間と具体的な内容ーTPOの問題と、それを受け止める心(立場)
の問題が出てくる。で、「第四の場所」を想定すると? 「絶対孤独の場」
それとも「何かに夢中になっている場」か「忘我の読書」?
 ・・・・・・・・・
2716, 東京について
 2008年09月11日(木)
家内は東京大好き人間。私は好きではないし住みたいとは思わない。大都会は確かに情報が集まり、面白いかも
しれないが、何か豊かさの方向を間違ってしまったように思える。私は日本の中央の東京の反対側の日本海の都市で、
職は新潟市、住いが長岡市である。のんびりしているが四季の変化が激しく、地方特有の時間がユックリ流れている。
そこには色いろな人生を、活き活きと生きている人が多い。  (字数制限のためカット 2010年9月11日)
 ・・・・・・・・・・
2007年09月11日(火)
 2352.ベナレス・・・8
  6、輪廻と解脱の思想
 輪廻と解脱という考えは、ウパニシヤッド聖典(奥義書)の中に最初に現れた思想である。
過去の善悪の業(もともとの意味は行為)が現在の果報を生じ、現在の業が未来の果報を招くというように、
われわれの生死は繰り返し続いていく。古代の思想家の大半は、このような輪廻の世界に存在すること自体を
苦であると考え、いかにして輪廻の束縛から解放されるか、すなわち解脱できるかを最大の問題とした。
彼らにとつて解脱とは、自我の本質とされるアートマン(我)が宇宙を成り立たせている根本原理すなわち
万有に遍在する力であるブラフマン(梵)に合一することである。しかし、庶民一般にとつてはこのような
思想はいささか難しく、普通は死後天界におもむくことと考えられている。
現在の生が過去の生の結果であるという考え方は一見宿命論的に思えるが、輪廻の大海で生死を繰り返すのも、
またその連鎖を断ち切つて解脱を獲得するのもすべては自己の行為にもとついている。いわば執看を離れた
努力主義精進主義こそが、ヒンドゥー教徒にとっての理想的な行動原理となつている。解脱は日々の正しい
行いの蓄積によつてこそ達成さる。
ーー
輪廻と解脱。まあ、解りやすい因果応報の内容である。この位の制約をつけておかないと、
征服者の支配はインド大陸の中では不可能なのだろう。宗教による縛りとは考えたものである。
これで3000年支配してきたのだから、奇跡といえば奇跡である。 
・・・・・・・
2006年09月11日(月)
1987, デジタル一眼レフカメラ−1           おはよ〜!(*^ワ^*)i(~O~)ふぁ・・
 ー字数制限のためカット09年09月11日ー
・・・・・・・・
2005年09月11日(日)
1622, 戦略的思考について
「戦略」については、書いたことがあったが。不況の真只中に、それに対して戦略的な手をうってきたかというと、
問題がある現在?あまり偉そうなことも書けないが。まあ、いいだろう!理屈は理屈である。 
戦略的思考とは、「自分に対する質問と、その答え」であり、その飽くなき繰り返しの中での練り上げの
プロセスをいう。質問に、その大きな要素が含まれている。
(字数制限のためカット 2014年9月11日)


4927,パワレルな知性 ー5

2014年09月10日(水)

    * 専門主義と、教養       『パワレルな知性』鷲田清一著
 人生を振返ると、あらためて教養の必要性を感じる。仕事や、目先の事象に影響する
経験や知識でない純粋に知っておくべきことがある。古典文学、芸術、音楽、大自然の
景観に感動することや、世界の果てから、あらためて現在の自分を振返ることも、
教養である。その積み重ねが、複眼で問題を見ることを可能にする。
 見識が狭いと、その枠内でしか考えることが出来ない。  ーその辺りからー
≪ 学者や、専門家は、ながらく、みずからの知的努力を一つの専門領域に絞り、
専門外の領域に対しては、越権行為としてみずから禁じてきた。逆に、専門外の意見は、
受け入れようとしなかった。しかし情報化の時代に、そんな態度はとれなくなってきた。 
・・・協同するプロたちにとって、組む相手はいずれも、じぶんの専門領域からすれば
アマチュアだということだ。とすれば、ほんとうのプロというのは他のプロとうまく共同作業が
できる人のことであり、彼らにじぶんがやろうとしていることの大事さを、そしておもしろさを、
きちんと伝えられる人であり、そのために他のプロの発言にもきちんと耳を傾けることの
できる人だということになる。一つのことしかできないというのは、プロフエッショナルではなく、
スペシャリストであるにすぎない。
 このことが意味しているのは、ある分野の専門研究者が真のプロフエッショナルで
ありうるためには、つねに同時に「教養人」でなければいけないということ。「教養」とは、
一つの問題に対して必要ないくつもの思考の補助線を立てることができるということ。
いいかえると問題を複眼で見ること、いくつもの異なる視点から問題を照射することが
できるということである。このことによって一つの知性はより客観的なものになる。
そのためには常日頃から、じぶんの関心とはさしあたって接点ない思考や表現にふれるよう、
心懸けていなければならない。じぶんの専門外のことがらに対しいつも感度のいいアンテナを
張っていること、そう、専門外のことがらに対して狩猟民族がもっている感度の良さが必要である・・≫
▼ 穴を深く掘ろうとしたら、間口を広くしなければならない。その間口の広さが、知識の幅になる。
ここで、スペシャリストとプロフェッショナルとの違いが分かりやすい。そのために、人の話を聞くこと、
本を読む、何事にも興味を持つ、一流のものに接する、とにかく変化する、など長年かけた習慣が
必要になる。情報化の時代、専門主義では大波に一瞬で流されてしまう。それにしても
我が教養の少なさを実感する。これも自覚できるか、出来ないかの違いでしかないが! 
高学歴ほど、それが分からないから始末が悪い! 知れば知るほど、知らないことが
多いことに気づくはずなのに、である。知れば知るほど、膨大な未知の世界の存在に
気づくはずなのに、である。 専門分野も、掘り下げれば下げるほど、専門外の知識が
必要になって然るべきだが? 掘り下げが中途半端だから、視野狭窄になる?
・・・・・・
4560・横尾 忠則の老人論 ー3
2013年09月10日(火)
 「猫背の目線」横尾 忠則 (著)
    * コスプレの公開制作が面白い!
 コスプレとはアニメやゲームなどの登場人物やキャラクターに扮する行為を指す。
画家が、自分の描く風景の登場人物のコスプレで公開制作とは面白い。これまで色いろな
職種を経験してきたが、制服を着た当初はコスプレのような感がした。それも数日で
同化するから不思議。それは事業も同じで、無我夢中で取り組んでいるうち、
その機能になってしまうもの。人生もコスプレのように、服装も心も身体も全身仮面で
時節ごと付け替えているに過ぎないのではないか。化粧と服装も、自分が主役のTPOSに
合わせたコスプレ? ギャルとか、キャバクラ嬢の見なりは、その典型・・
  ーその辺りの箇所からー
《 1980年代にさしかかった頃、グラフィクデザインから画家に転向したが、当初アトリエが
なかったため美術館のスペースで絵を書く事が多かった。それもただで場所を提供してくれる
ところはなく、「貸してあげるが公開制作にしてくれないか」という条件が出された。
絵は本来アトリに独り籠ってかく孤独な作業なのに人前で描くということは考えても
いなかったので、果たして描けるかどうかに頭を痛めたが、やってみると意外と抵抗なく、
むしろスイスイ描けることに我ながら驚いたものだ。
 それ以来アトリエができるまであちこちの美術館で公開制作を行ってきた。
人前で描くことは確かにプレッシャーになったり、ストレスの原因を生むが慣れてしまえぱ平気。
背後の観客から、集中する僕に突き刺さってくるのがヒシヒシとわかる。こんな想念がぼくの
中でエネルギーに変換されてより創造的になることを発見した。
この場合の創造というのは無私になること。不思議なことに雑念が去来しなくなるのである。
そう言う意味で座禅に近いのかもしれないが、座禅とて雑念に振り回される場合が多い。
その点、公開創作の方が「私」意識が薄れるのである。それはは考えるということと描く
ということが一体化されるからだ。おまけに描くスピードが早くなり、手と心が同化して
いくのがよくわかる。だから時には一日で150号大の作品が描き上がることさえある。
観客がこちらの一挙手一投足を固唾を飲んで見ているのが体に伝わるので、思わず
手を休めるのを忘れ描き続けてしまう。このことが描きてであるぼくを解放する。
公開制作の味を占めたぽくは最近また続づけるようになった。しかもコスプレによって制作する。
公面制作で描く絵は、ぼくが近年描き続けている「Y字路」である。
そこで道路で作業している現場の人たちと同じ格好で絵を描くことにした。街でよく見かける
ー幅の広いズボンにベスト着用、頭にはタオルを巻いてーとこんな風景をよく見かけるでしょう。
つまり鳶職スタイルである。他の学芸員も道路工事の関係者の役回りになってもらう。
最初は観客は度肝を抜かれ、ギョッとした顔になって、次はケラケラ笑う。それも一瞬、
こちらが真剣に絵を描くものだから、あとは会場は水を打ったようになる。
 よく仮面効用というが、コスプレはまさに全身仮面になり、人格も他者になるわけだから
不思議な解放感に襲われ、その結果、実に自由な気分になるのである。
そして描く行為そのものも絵と同じように作品化されてしまう。だから観客はパフォーマンスを
鑑賞することになる。制作の休憩時間に美術館のレストランにこの格好で入っていくと、
まずお客は場違いなものを目にしたわけだから、なんとも当惑した顔をする。
われわれに向ける視線には明らかな拒否反応の色が見える。「作業着のままでよく、
ソフィスティケイトされた美術館のレストランに入ってくるわね」という視線を投げてくると同時に
「レストランの人たちは何もいわないのか」と。ぽくがコスプレしていることがわからないのだけど。
そんな反応をぼくは実は楽しんでいるのである。これも仮面の効用で、普段体験できない
経験にほくは悦に入っているというわけだ。》
▼ それは、自分自身にも人間そのものにも当てはまる。両親合作の心身を「魂らしい自分の芯」
が、コスプレ? としての自分を見つめ続けている。さすがに横尾忠則である。描き手の目線を、
その環境の一人として、まず服装から当事者になってしまう。そして観客も、
その場の一人として引き込んで、作家のイメージの世界に誘導する。
・・・・・・・・
4185, 呪いの時代 ー4
2012年09月10日(月)
             「呪いの時代」内田樹著
  * 脊髄反射的その場のつくろい       ー 第3章 「後手」に回る日本 ーより
 島国の閉鎖的社会では、問題を荒立てないために「その場のつくろい」も必要である。
しかし、情報化社会では、それは許されるものではない。現在の日本の政治は、毎年、首相を交換させることで、
その場のつくろいをしているに過ぎない。それを国民が求めているから首相は、問題解決の痛みを敢えて
強いることをしない。そして一年もしないうちに引きずり下ろされる。ー以下の部分は、その理由を端的についている。
≪ 日本の政治家とアメリカの政治家の違いというのは、武道で言うと、アメリカは基本的に「先手」の人であり、
「日本は後手」の人ということ。欧米では、とりあえず国家が行くべき道というか、実現すべき国家像という
ビジョンがあり、それが国民的規模で共有されている。日本には、そんなものはありません。終戦時に、それがなかった。
とりあえず「アメリカ人が日本がかくあるべしと考えていること」をもって国是とした。「自分で与えた憲法の理念と
背馳する命令が出せるほどの強大な国家には従属するしかない」という経験則が存在したということです。
それが日本の国是です。アメリカに従属する。 ・・相手が次に打ってくる一手に最適対応すべく全神経を集中すること。
どれを武道では「居着き」と言います。物理的には足の裏が地面に張りついて身動きならない状態ですが、構造的に
「負ける」ことです。日本の政治が三流であるということはそういうことです。政治家個々人の資質がどうこうでなく、
構造的に負けているのです。国家像が描けない、統治原理が語れない、外交戦略が起案できないというのは個別的な
知性の問題でなく、日本人全員が罹患している国民的な病です。・・・ ≫
▼ 現在、日本が直面している問題は、まさに上記のことによる。数十年に渡って、間接的米国隷属国家として、
 当然、と言えば当然で、これしか出来なかった。上司と部下の関係である。アメリカには建国の精神がある。
独立宣言書である。何かあると、ここに立ち戻って、立て直す。問題があるのは、それから軌道がそれたと理屈づけ
軌道修正をしてきた。明治維新も、太平洋戦争の敗戦も、アメリカの圧力で変化を余儀なくされた。それに日本人の
特質もあり、後手という守りしか手が打てなかった。
現在の領土問題も、これから起因して周辺各国から遊ばれている状態。  つづく
・・・・・
3820, 哲学人 ー�
2011年09月10日(土)
   * 現実と経験と言語は一緒ではない       ー「哲学人」ブライアン・マギー著より
  ー まずは、「現実把握は、言語的分類次第で決まる」という部分から ー
【 言語が経験を構成するというのである。この見解についてジョーン・サールが、明快に述べている。
≪ 私は言語が現実をつくると言っているのではありません。とんでもない。むしろ、私が言おうとしている
 のはこういうことです。何を現実とみなすか ーどういうものをグラス一杯の水として、一冊の本として、
一脚のテープルとしてみなすか、どういうものを同じグラスとか違う本とか二脚のテープルとみなすかー は、
私たちが世界に押しつけるカテゴリーしだいなのです。そして、こうしたカテゴリーはたいてい言語的なものです。
それだけではありません。世界を経験するとき、私たちは経験そのものを形成する際に役立つ、言語的なカテゴリーを
通じて世界を経験しているのです。 世界はもとから物体と経験に分かれて存在しているわけではありません。
何を物体とみなすかは、もともと私たちの表象体系の一機能の結果であり、経験のなかから世界をどう知覚するかは、
その表象体系に影響を受けているのです。 言語を世界に適用することを、いわばみずから独立自存する物体に
ラベルをつけることだと想定するのは間違いです。私の考えでは、世界は私たちが分類するとおりに分類される
のであり、事物を分類する主な方法は言語によるものなのです。現実の把握は、言語的なカテゴリーしだいなのです。≫
 この考え方はいまなお、哲学者ばかりか、文学や言語学をはじめとする他分野の専門家たちによって、さらには、
一部の社会学者や人類学者たちによって唱えられている。「何を物体とみなすかは、もともと私たちの表象体系の
一機能の結果であり、経験のなかから世界をどう知覚するかは、その表象体系に影響を受けている」という点について、
私もサールに賛成したいし、誰もが同意しなくてはならないだろうが、私としてはこれをカント哲学的な意昧に
解釈したいと思う。 ただし、その表象体系に含まれるカテゴリーが基本的に、もしくは第一に言語という性質を
もつとする点は認められない。考え方としてはわかる。 わからないのは、そしてこれまで一度として理解できた
ためしがないのは、どうしてそんな考えを抱けるのかということだ。というのも、それは私の直接の経験によって
真っ向から否定されるように感じるからである(この点に関して私が特殊であるとは思えない)。】
▼ 事業が、この結果(倒産)で終わった。総括は頭を冷やした来年早々にするつもりだが、それが、この30年の
 構成の提示になる。創業10年、中間期10年、最後の10年、そして最後に、どのような終わり方をしたか?、
その時の断面は、どうだったか。それを、どういう切口で分類し、評価するかである。30年、人生の事業生活の
大部分を注ぎ込んだ、この結果は? 要は、倒産で終わったということ。その視点を失うと、総括は不可能になる。 
炎上している世界経済と、ネット社会の移行の中で日常が音を立てて変化している。その中で、言語的分類の
枠組みを立て直すことが、まず求められる。「3つの震災が何もかも飲み込んだように見えるが、実は情報化の
潮流に飲み込まれたのが真の理由だったのか?」これも言語的分類。分類は分析の第一歩。そのプロセスが総括。
そこで価値(意味)を自ら下げることもない。今までの価値観のコペルニクス的転換の時。ここの小テーマが
「現実と経験と言語は一緒ではない」である。 当然、この小テーマが問題になる。「言語は、それを構成する」だけ。
消滅してしまった事業の総括。ただ、それだけだが・・あと講釈でしかない、だから冷静に見つめないと。
意思決定から45年である。
・・・・・・・
3455, 渥美俊一氏死去
 2010年09月10日(金)
 ペガサスクラブの主催者で、日本リテイリングセンターの渥美俊一氏が亡くなった。チャーンストア時代の大きな
転換期の目安になる。そこには、桜井たえ子という渥美先生の片腕の女史がいるが、彼女がペガサスを支えることが
できるかどうか?  昭和30年半ば大手スーパーや専門チェーンの創業経営者のほとんどが渥美先生の元に終結、
成長・拡大し、そして消えていった。現在でも流通界におけるカリスマ的指導者、亡くなる直前まで講義を続けていた。
氏が主宰していた「ペガサスクラブ」の指導は厳しいのは衆知のこと。日本の高度成長を流通面から支えた貢献は多大。 
バブル崩壊後は、ダイエー・マイカル・西武流通グループの倒産が象徴するように、チェーンストア理論が必ずしも
有効に機能しない側面が表面化し、これまでの勢い失っていった。最近ではユニクロのように、ペガサスに創業当初
から属さない成長チェーンも出現してきている。 学生時代、大学の近くの書店で月刊誌の「販売革新」を手に取り、
渥美俊一が「ペガサスクラブ」を立上げ、ダイエー、ヨーカ堂などのチェーンのコンサルタントをしていることを知る。
そして「チェーンストアへの道」という10巻シリーズのチェーンストアつくりの戦略、手法が書かれている理論を
貪り読んだ。そして、それをベースに卒論「流通革命」を書いた。それもあってジャスコの創業一期生として入社。
そうこうあって渥美先生には、大きな影響を受けた。そして現事業の立ち上げでは、その裏づけとしての理論的
背景にチェーン理論があった。 セミナーだけで、50〜60回は出続けた。 その費用は、長岡市郊外の二つの
土地転がしで直ぐに元は取れた。立地論から、バイパス沿いの若い土地の短期転売で利益を得て、その正しさを確認した。 
しかし20年前にバブルが弾けた彼の理論は、時代とはかけ離れたものとなってしまった。
「バランスシートの右と左を拡大しながら店数を増やしなさい。それも町のバイパス沿いのヘソ(要所)を見つけ、
自店舗を建てることで価値をあげ、それを担保に拡大出店を続けなさい」という理屈である。
 またアメリカの流通事例を見せるため店舗見学ツアーを組んで、2、300人と連れて行くのである。
私も二度、参加したことがある。大量生産、大量消費の時代、流通システムが全く旧態だった日本に、新しい
バイパスとして、スーパーや、総合量販店、専門店を、チェーン化で、販売経路の拡大戦略を指導してきたのである。
彼は死ぬ直前まで、「日本の流通は未完である」と、その指導の手を緩めることがなかったのは、
やはり経営コンサルタントとしては、超一級だった証である。 ご苦労様。 ご冥福を! 
 ・・・・・・・
3080,再び死について考えてみる
 2009年09月10日(木)
 一昨日、従姉妹の通夜に参列をしてきた。地元の米屋に嫁に行ったが、小姑が多く難儀をしていると聞いていた。
「この世に、今時にこんな厳しい嫁の環境があるのだろうか」と思われるほどの重荷を背負っていたようだ。その
10日ほど前に、長岡のグリーン・ホテルの先代社長が先月27日に亡くなったと死亡広告にあった。
一度、当方の事務所に来たことがあったが、創業時にホテル業についての話を聞きに行った事があった。
暗い顔をした気難しそうな人だった。「自分の兄弟二人が、新潟駅前でホテルをしているのを知らないね」と言われ、
それさえ知らない無知を恥じた記憶がある。 三条、柏崎、長岡三棟、東京の上野近くで6棟を建て、子供たちに
一棟ずつ与えるのが夢だったというから、それはそれで・・。ところで、身近な知り合いと第三者の中間の立ち位置の
「二・五人称の人」が死を考えるに最適という。第三者と第二者=知人と中間の立場の立場の死から多くのことが
見えてくる。知っている程度の人である。「死ぬ=無になる」、という論理の矛盾(無になる〜無には成りようがない
ー無いものに何故なる?)という池田晶子の言葉の通りに、死という言葉のイメージが刷り込まれる立ち位置にある
のが2・5人称の人。10歳の頃、親戚の葬式に親と出席した時に思った「何で人は周囲の眼を気にして好き放題
生きないのだろうか?」と。子供ながら凄い疑問を持ったのである。そのうちに、その疑問を忘れてしまったが、
次の疑問は父親の死に接した時である。 
 死の瀬戸際から、逆に「生きる輝き」を逆噴射して見つめた視点である。死に際で「あと、せめて三年、生きたい」
という生への渇望の言葉を聞いた。それが日々強くなっていった。その時に「人間は生きているそのことだけで
ベストである」ことを肌で感じ取った。そのためか、父親が亡くなってから人生観が変わってしまった。
「一日一日を生ききること」が人生から与えられた責務と!知人の死だけでなく、身近な人の死も多く教える。
生老病死 苦集滅道 とは よくいったものだ。 般若心経をパソコン画面に貼り付けておこうか! 
・・・・・・・・・・
2715, 「要素還元論」と「二元論」
2008年09月10日(水)
 島田雅彦・対談集「無敵の一般教養」の松井孝典の対談で
松井孝典が、考える方法として「要素還元論」と「二元論」を解りやすく手短にまとめていた。
  ーまずは、その箇所である。
  (字数の関係でカット14年09月10日 


4926,パワレルな知性 ー4

2014年09月09日(火)

   * カフェという集い −③    『パワレルな知性』鷲田清一著
 カフェといえば、TV番組の中にカフェ方式をとったのを幾つか見かけることがある。
特に日曜日に多いのは、休日の居間をカフェに見立て、気楽に一週間分のニュースを異種の
人たちの対話を通して楽しませるため。関西系の『そこまで言って委員会』や、
『サンデーモーニング』や、『笑点』が、それである。知らないうちに、視聴者が、その場に居るような
感覚になってしまう。 そこでは、テーマを提示して、異種の業界の人たちに議論を面白おかしく
進行させ、楽しませるキャスターの役割が大きな要になる。 レギュラーには、それぞれ
役割があって、本人も、それをわきまえ対話に参加する。バラエティ番組も、その傾向があるが。
視聴者の多くが、非専門家を前提に、各種専門家の議論を楽しませるのだから、出演者たちは
大変のはず。グローバル化とは、「多文化共生」になること。
 カフェに似た文化に、イギリスならパブ、スペインならバールになる。バールは、イタリア、
スペインなどの南ヨーロッパで軽食喫茶店、酒場のことをいうが、一日、一回は立寄り、誰かと
話す文化が深く根付いている。特に大都会は「異文化、多文化共生」の傾向が強くなる。
しかし、情報化の時代、世界中がネットで結ばれ、異種の価値観が交差する中、逆に、
自国の文化を知っていなくてはならない。情報化だからこそ、カフェや、酒場などで直接、
異質の人との対話の中から、知見を得ることが重要になっていく。
フィリピンパブとか、ロシアンパブの痴的会話?でなく、あくまで知的対話が前提になるが・・ 
 最近、喫茶店が見直されてきたが・・ 
・・・・・・
4559, グレートジャーニーから見えてきたことは ? ー3
2013年09月09日(月)
     * 平等こそが生き延びてきた知恵! しかし欲望が人間を変えた
 実験によると、チンパンジーは平等に非常に敏感。これに仲間内の力関係が絡むので、
集団は非常に複雑でデリケートで、その研究から人間の本質が垣間見ることが出来る。
平等原理はアマゾンなどでは生きていくために必要なこと。極限の生活で生きていく上で、
常に分かち合うのが合理的であるからだ。しかし、文明の進化?が、社会的階級と富の独占を
生み出し、さらにグローバル化が、それに拍車をかけている。 
≪ たけし〕 関野さんはいろんな未開地に行っていますが、人食いとかカニバリズムは
 見たことがありますか。
 関野〕 うーん、少なくとも、僕は見たことがないですね。
たけし〕 「人食い人種」とか言うじゃないですか。アマゾンやニューギニアで、
そうした風習はなかったのかな。
関野〕 例えばマヤとかアステカで生贄の人間から心臓を取ったりしたことはあったけれど、
それを食べたかどうかは分からない。生贄にする人間は、誰でもいいわけではなく、
強い戦士でないといけない。 勇気をもらうとか、そういう意味があるんです。しかし、アマゾンで
生き延びるために相手を殺して食べるということは、過去にも僕はなかったと思っています。
 理由は、アマゾンの奥地で僕たち日本人はすぐに餓死するかもしれないが、彼らは餓死する
ことはあり得ない。・・・
たけし〕 パリ・ダカールで日本人ドライバーが地元の子どもを撥ねてしまい、慰謝科として
何十万円か払ったら、次のレースから子どもを放り投げようとして侍つている奴がいたらしい。
そういうバカなことが起きてしまう。
関野〕 結局、欲望が人を変えてしまう。食料や資源は40年以上も前にローマクラブが声明を
出しているのに、経済が絶対的に右上がりでなければいけないと思ってしまうのは、やはり
欲望のせいでずよね。欲望が膨れ止がることによって、一部の人たちたけが富を独占しようと
しているのが現代の社会です。アマゾンの人たちと暮らすと、すごく平等なんです。
僕は人間が誕生した時に平等でないと滅ぴていたと考えています。 なぜかというと、
まず弱かったということが挙げられます。太古の人類は採取・狩猟で生きていたと思われて
いたんですけれども、最近は二本足で立って歩くようになった時は、
狩猟なんかできなかったと見ている。】
▼ レヴィ=ストロースの構造主義などがある。アフリカや南米で残っている「未開人」の地に
何千年も変わらない社会がある。そこは彼らにとって意味のある極めて合理的な社会である。
決して、西欧が文明の最先端にいるのではないのである。その社会の特徴は平等。
文明社会は変化の積み重ねの結果の産物たが、未開社会は一切変わらぬ「静かな世界」が
続いてきた。そこは冷めた日常があり、美しさがある。変化はエネルギーを要する。
その熱い社会の方が優れているという進歩史観に促われてきたが、それを根こそぎ覆す説こそ
見直す時である。特に地球資源の枯渇でエネルギー問題が出ているからだ。
 私も含めて戦後から、このかた、欧米に追いつき、追い越せで必死に生きてきた。
そしてバブルの崩壊から、失われた20年から、30年に入りつつある。ここで、考えるべきは、
未開社会にある「冷たい社会」のシステム。 ここに至って何が「東京オリンピック」である。
あれは、追いつき、追い越せの、高度成長期の残物でしかない。
「最後の止めが、これ!」ということが、見えてきた。とんでもない劇薬であり最後のトドメ。
年寄の冷水(酒)か? 「いいじゃないか、いいじゃないか、ヨイヨイヨイヨイ」ということ。
先がない私たちには、これでよいが? 「それでは、落選した方が良かったのか?」と、
問われれば、どうだろう? どのみち、大して変わらない?なら、踊るか!
・・・・・・
4184, 閑話小題 ーつれづれに
2012年09月09日(日)
  * 元IBM社長が・・・
ネット以外は、あまりマスコミでは流れなかったが、元IBM社長がiPhoneで
女性の下着の盗撮をしたとか。男は50歳までは多かれ少なかれ異常性欲者?たまたま
超エリートが少し変わった趣味だったに過ぎない、という同情もある。前科があったかどうかだが、
その後、マスコミが騒がないのは悪質で無かったためか。超エリートが、その危険をかえりみず
盗撮をするスリルの快感は本人しか解らない。私など、最近、時どき深酒で、ある時間から記憶が
無くなることがある。「ハッとして起きてみたら留置場の中」なんてことがあっても不思議はない。
ネットの写真じゃ、満足できないのは分かるが。 それにしても・・ これだから娑婆は面白い。
常にデジカメを持って歩いているが、気をつけないと!
  * 「あと20年以上生きそうな感じがする!」には驚いた
 中学校の同級会で隣に座った男の言葉。私など不摂生もあり、あと5〜10年が限度と
思い込んでいたので、実のところ驚いた。飄々とた何か仙人を思わせる雰囲気を漂わせているが、
この感じなら、さもありなんである。節制をしているから言える言葉。そこで自分を振り返ると、
どうみても十年以上は無理、せいぜい75歳あたり。 まず、そこを目標とすると、あと8年4ヶ月。
2021年1月15日である。何とか節制をすれば? しかし、現在の酒量からみて明らかに無理。
毎日の晩酌が美味いのである。 最近、20歳位の人を見ると、「私より50年以上も長く生きるんだ」
という思いが先に立つ。去年春の一連の出来事、人生の側面からすれば、人生の整理に入るために
フリーハンドになるため。それにしても、その自覚は薄い。で、幾つまで生きたいのか、自分に
問うてみた。80歳である。そこまで生きるべく節制するか、一年一年、二倍濃厚に生きるかである。
それとも、80歳を目標に節制しながら二倍以上濃厚に生きるか? 濃厚に生きなくても、
実際に濃厚だから、このまま?
 ・・・・・・
3819, つれづれに
2011年09月09日(金)
* ドル安がジワジワと景気に影響をしてくる時節に入った。 それと新米の問題が出てくる。
 もし県内の何処かで汚染米が出たら、全ての県内米に影響を与えることになる。
 ヒヤヒヤだろう、農業関係者は。 それと輸出業関係者もギリギリのはず。
* ドル安と同時に、ユーロも110円を割ってきた。
 ECもピッグス=PIGS(ポルトガル、イタリア、ギリシャ、スペインなど)を抱え、足元が揺らいで
 いる 昨今、100円を割る可能性がある。これも数年前から、破綻すると言われていたことが。
 そのため、金(ゴールド)が一年で5割以上も値上りをした。 金が上がったというより、
 欧米を中心とした紙幣の価値が下がったため。 これは株式と国債が暴落につながってくる。 
* 9月、10月のある日、欧州か、アメリカ発の株式大暴落の可能性が大。
 日本国民は東北大震災で大打撃の現在、世界経済の変調の動きに鈍感。
 三年前の9・15、そして、十年前の9・11ダブルの津波の波が、いかに甚大なものか、
 イメージが出てこないのか。 大震災の直後、識者も今更騒ぎ立てることもできない。
* 恐らく現在も事業を続けていたら、売り上げは更に3~5割減の筈。
 資金ショートで、業者や給与も払えず倒産の頃。悪い倒産の惨状は地獄。 地方経済は、
 その一歩手前。 世界の何処から火の手が上がるか、木、金曜日は要注意。
 ギリシャ国債の金利が20パー、ということは実質破綻である。欧州経済は、導火線に火がついた。
{ 何か極度に悲観的のようだが、まだまだ言葉が足りない。最悪に備えているかである。}
 ・・・・・・・・
3454,  つれづれに −政治談議 
 2010年09月09日(木)
* 民主党党首選挙について
前にも書いたが中長期的にみたら、やはり小沢がなるしかない。 管首相は選挙管理内閣で終わるべき。
まず、その器でない。それが役割以上のことをすれば、それは国害になる。左翼運動家上がりが、さらに過激派
だった男を官房長官に据えれば、舵取りを間違えることは誰の目に見ても明らか。実質オーナーの小沢を首班指名を
された途端に手の裏を返すとは、あまりに露骨で稚拙である。まだしも愚衆の目を欺く演劇なら分かるが、本気で
やるとは思いもよらないこと。それが、あの官房長官と財務長官の指名である。ところ、あの世論調査ってのは何。 
現在の政治と内閣は「世論調査内閣」といってよい。 世論調査で政治の行方を左右するなど、亡国の極まりである。
100・250・500年スパンの世界的激変の時代に世論に動かされる舵取りなど、とんでもないこと。
タイタニックの船内の連中に海原の向こうの大波が見えるわけがない。それを彼等の顔色に従って舵取りをするなど、
最悪。船内で揚げ足を取りの経験しかない彼らに船の舵取りを任せた国民も問題あり。 間違いに気づいたなら、
早く政界再編をして、体制を作り変えないと国家破滅になる。それはアメリカにとっても、中国にとっても
望ましいこと?自民も駄目、民主党も駄目なら、それを解体して新しい枠決めをしなければならない。
また政治家の二代目、三代目しか、政治の表舞台に出れないシステムも、変である。明治維新後、学歴を自力で
上り詰めれば、誰でも出世のチャンスが、日本を短時間に飛躍的に国力アップにつながった。どうも、こうも、
日本は気がつけば戦後65年で、頭から尻尾まで、腑抜けにさせられてしまった。それでもネットでは小沢の支持が
八割という。世論調査とかいうのは、どうも誘導されたマヤカシでしかないと考えた方がよい。 蓋をあければ、
小沢が間違いなく勝つだろうが、それでも、この国の民度が異常な低下からみると、管首相の続投も有りえる。
その時は、間違いなく政界再編成しかない。いずれにしても、あと数日で大きく政治も動き出す。
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3079,不況景色 −12
 2009年09月09日(水)
 この御題目で書くのは6月1日以来で3ヶ月あまりになる。その前に「世界恐慌に入って、まる7ヶ月」
というテーマ名で二回書いている。「不況景気などを今さら書くことでもないだろう」だが、そこが生き物、
ジワジワときている。9月に入って落ち込みが始った。こういう先ぶれが居酒屋とホテルに最初に来る。 
現場段階は十数兆のバラマキで何とか小康を保っているが、何が起きても不思議でない。重体患者を緊急の
大量輸血で持たせているようなもので、集中治療室にいる事態は変わりない。衆院選挙が8月末まで延びたため、
株の暴落や経済の大混乱が来年2月まで延期しただけのこと。まだ東海地区の輸出産業は、この数年間の好況の
蓄積があるが、他の地方は体力を使い果たし、大きく弱体化している。これに悪質のパンデミックでもなれば、
大きな波乱が起きるのは必定である。週に数回は、通勤の帰りや、家内のお供にスーパーや駅の専門店街によるが、
実際に売れてない。TVのワイド・ショーで、「はしっこ食品」や「訳あり商品」の特売などを特集をしていた。
ハム、カステラ、魚などのスミの切り落としが半額から三分の一になるのだから客は殺到する。そういえば最近、
生ハムや鳥肉の燻製の『切り落とし』を、安さにつられて買ってしまうことが多い。新潟駅前周辺の飲食街では、
潰れた店の後に出来るのは「ホルモン焼き肉屋」が目立つ。「安く、小じゃれて、腹が一杯になる」のが
必要条件だが、時代が変わったもの。当社も、長期のミニ団体が何組かが途切れずに入っていたが、
それが少なくなっている。 夏場の稼ぎ時は別腹と期待していたが、この冷夏で結果は芳しくはない。 
それでも9月下旬から10月にかけて国体があるので、数字は何とか例年に近い数字は作れそうだが、
甘くないことは事実。  町内会の役員の人から聞いた話だが、新潟市内の町内連合会が、急激な売り上げの悪化に、
駅再開発計画を改めて説明会を開いて聞いたという。 今さらであるが。(10年遅れである)これに北陸新幹線開通
という2014年問題がある。新潟県にとって大打撃になるが、それを誰も真剣に考えない。20年前に既に新幹線を
新潟空港まで延長、その沿線に環日本海都市としての機能をコツコツと造っておくべきだったことすら、誰も気づかない。 
飛行場の直接乗り入れも大きい要素だが、「日本海に東京駅直結の新幹線の乗り入れ」が良いのである。 
僅か5〜10キロの延長で済むのにである。そこに新幹線駅沿線のサッカー場と野球場をつくり、野外スポーツなどの
レジャー施設を長年かけて造るべきべきだったのである。更に夢のある高齢者向けの施設と、本格的中国人街もである。
金沢が関西と関東を後背に新日本海都市創りを始めるのは目にみえている。 不況景色から少し話が逸れたが。
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2714, 大相撲が面白い! −2
2008年09月09日(火)
 せっかく、面白くなってきたところで、北の湖は辞任。三重の海の武蔵川が理事長に選ばれた。
そしてロシア人二人は解雇。 当然のことである。起訴猶予になった若の鵬を含めた三人をロシア政府は
急遽帰国させるだろう。  (以下、字数制限のためカット09年9月9日)
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2007年09月09日(日)
 2350.ベナレス・・・6
 2,ヒンドゥー教とは
ヒンドゥー教は紀元前一五〇〇年頃に西方からインド亜大陸に移住してきたアーリヤ人が
信仰していた祭祀中心の宗教を核にして、先住民のもつさまざまな民間信仰を融合して発展してきた。
それ故・この宗教には開祖が存在しないが、そのかわり『バガヴァッド・ギーター』(神の歌)など、
人びとを宗教的な道に導く数多くの聖典が編纂された。 ヒンドゥー教は基本的には多神教であるが、
それらのうち主要な神のどれもが最高神と考えられるという独特な神観念を持っている。
   (以下、字数制限のためカット09年9月9日)
・・・・・・・
2006年09月09日(土)
1985, ハイデッガー
       (。^0^。)ノオッ*^○^*)ハ〜 ヨウ             
10年来、トイレに常に哲学書が置いてある。そして一年に一度位の間隔で、入れ替えをする。
そして、普段も必ず哲学書のいずれかは私の鞄か机の横にある。歳を重ねた経験の裏づけが哲学の言葉を噛み砕いて
くれるようになった。哲学的大問題の「死」に向き合わなくてはならない歳になったこともある・・・
「首切り役人の日記」とか、このHPの随想日記で辛辣に死について書いている。哲学にしても宗教にしても結局は、
 ー人間いかに生きるべきか? そして最後の最後は、いかに死ぬべきか?ー ということだ。 あと何があるのか?
 もし知っていたら教えて欲しいもの! 『面白がって死ぬことだ!』という黒鉄ヒロシの言葉位か、面白かったのは!
「ヒーヒー悲鳴を上げてジタバタしている最後の自分の姿をみるのが何で悲しいの? 
こんな面白いことが何で?」彼ならでの言葉だ。冷静に自分を見ていなくては笑えない!
ハイデッガーは、「その死を意識的に見ないようにして日常をすごしている我われの姿を、そのまま直視。 
見ないようにしている死が、我われにマトワリついていて、それが不安という漠然とした心理になっている」と看破している。
彼は不安とは現存在として最も根本的な気分であるとし、現存在は世界内存在として理由もなくこの世界に投げ出され、
そのつど、何らかの気分に規定されていると・・ 日常性の中に埋没されて生きている非本来的あり方から、
本来的自己を呼び覚ますきっかけとなるのが不安であると・・とりわけ「死」の可能性の前にしての不安において、
現存在としての根源的開示がはじめて生起する。我われはいつか死ななくてはならない。「この私」の死を誰も変わって
はくれない。その死を痛感する時、人は日常から引き離され、単純化し、自分自身と対面せざるを得ない。
   (以下、字数制限のためカット14年9月9日)
 


4925,パワレルな知性 ー3

2014年09月08日(月)

   * カフェという集い −②    『パワレルな知性』鷲田清一著
 カフェといえば、30年も経つが、『致知』という月刊雑誌を知って購読するうちに、
全国に愛読者の同好会があるのを知り、新潟支部を立ち上げた。今では年に一回参加しているが、
30年も続くとは驚き。全く知らない新潟で、肩書きを横にした同年代の人たちとの出会いの場、
一種のカフェのような集いの場を求めたため。とはいえ、当初は半分が営業ネタを探して
参加する人が過半数はいたが、それも良しだった。
 ところで、学生時代の寮がまさにカフェのようなものであった。今でいうシェアハウス。
大きな屋敷の一角に、平屋で、4畳半と6畳の和室が25室、「く」の字に並んでいて、
角が炊事場と洗濯場で、両端がトイレ。廊下は土間で、あたかも馬小屋のようだった。
各部屋には鍵が付いているが、私生活があってないような。それが寮というものだが。 
炊事場やトイレの行き帰りなどに、どこかの部屋の前にサンダルが幾つか並んでいると、
つい顔を出し、お茶などを飲んでいる輪に入る。そこでは、読んだ本や、政治経済、
現在進行形の恋愛の話題が中心になる。寮生は全国各地の出身者で、早大の学生が
半数を占めていた。
 雰囲気は、まるで「住込みカフェ」のようで、なにもかも参考になることばかり! 
その上に、それぞれの大学の親友が遊びにくるため、その輪は更に大きくなる。
そこで、軽井沢の山荘でのアルバイトとか、留学や、海外旅行の情報が、ごく当り前に
交されていた。それに加えて、大学では、クラブ、ゼミ、欧州旅行の仲間と、クラスの友人の
網目が出来ていて、広いコモンルームや、中庭、学食で誰かと話をしているかであった。
学生だからこそ、自由に様々の人と邂逅しえたのである。
 現実社会に入ると、組織や、地域の社会の、それぞれの立場があって、自ずと人間関係に
制約があるが、学生時代は、それぞれの思惑は最小で済む。それと、高度成長期真っ只中の
恵まれた環境があった。
『カフェの集い』の視点で、人生を振返ると、やはり最終の学生時代が最も良かったことになる。
プライベートの時間が持てなかった『青雲寮』に、当時、不満もあったが、この環境が最良だったことに、
これを書いていて気づくことになった。 この寮生活で、それぞれの私生活で垣間見た姿から、
 <人間には、教養とは別に、想像を超えた、善良と邪悪が混在した人が存在する>
ということを、知ることになる。そして、実社会に出てから、その多くを己の中で見ることになる。
 秘境ツアーなども、これに似たところがある。全国から集まった見も知らない人たちと1〜2週間、
親密な時空を共有する。その多くは、ツアー慣れをしているので、直ぐ胸襟を開くが、それぞれが
様々な情報の宝庫のため、そこはツアー・カフェそのもの。かって長屋の御隠居は、横丁カフェの主。
 私の友人に、喫茶店に入浸って?半世紀以上、その人自身が、カフェみたいな人がいる。
いや、居酒屋? 問題は、そこが教養ある知的会話?であるかどうか! 
共通した価値観と、それぞれの全く違った価値観を備えた人との出会いこそ、カフェの集いの
面白さになる。 とすると、このブログ、『居間の一人カフェ』になる。 時々、塩昆布茶もあるが。
・・・・・・
4558, 東京が、2020年の開催地に決定!
2013年09月08日(日)
 5時20分に、次次回のオリンピック開催地が発表された。
その2時間前の3時に何時ものように目が醒めたため、布団の中で瞑想モードに意識を持っていき、
「私が神としたら、3都市の何処を選ぶだろうか?」と考えた。 その結果はイスタンブール。
5時からのTVの特別番組の選定会場で、まずマドリッドの落選。あとの残ったイスタンブールと
東京の二者択一の中で、東京が決定された。 「そんなことをしている場合じゃないだろう!」
が、気持ちにあったが、いざ発表となると「東京」と願うのが人情。
以前から、「2020年の75歳が死に時」と思っていた。その年が、これで東京オリンピック開催の
年になったのである。一回目は昭和39年、18歳の年。 二回目は生きていれば75歳。
現実は、世界も日本も2020年までは、大きな試練が山のように待ち構えている。
福島第一原発の汚染処理、世界恐慌の対応、国家財政の破綻、国境問題等々がある。
 トルコか日本?の二者択一というと、選ぶ方は、原発汚染への不安より、中東の政治的不安定と、
欧州危機を考えると、安全、安定面から、今回は極東の安定した都市の「東京」を選んだ。 
これで、「2020」と「東京オリンピック」が、キーワードとして浮上、国家として明るい目標が出来た。
オバマがシリア攻撃を示唆したのもトルコにとってマイナスになった。タイミングをみていた?
日本のような島国では、一つ明確な目標があれば元気が出るが、大きな問題が残っている。
南海トラフ地震と、東京直下地震、富士山噴火の可能性である。 福島第一の汚染に
目を向けさせたのは戦術としては良かった。実際問題は、これらを考えると二つの都市の危険さと
遜色はない。 国内の政治面では、予想される混乱の中で、国民の目をオリンピックに向けさせる
ことが出来る。今日を境に大きく空気が変わるだろう。今日は目出度い日になる!
 ・・・・・・
4183, 呪いの時代 ー3
2012年09月08日(土)
                      「呪いの時代」内田樹著
  * 記号の過剰化    ー第2章 「祝福」の言葉についてーより
 呪いは怒りや羨望、嫉妬などの要素が相まって内面に作りあげられた一種の記号と著者が指摘している。
しかし怒りの感情を言葉にし繰り返すうちに、その毒が己の脳を侵してしまう。鬱である。そこで医者から
貰ったハッピードラッグで目先、散らしている内はよいが、いつの間に、呪いの感情を更に強く苛んでいく。
呪文は記号のため、反復するうち、その人そのものになってしまい、自滅の道をひた走ることになる。
 次の箇所は、悲劇と喜劇の境い目としてみると、うなずける。
≪ なぜ、このようなニヒリズムが社会を覆うようになったのか。それについて考えてみようと思います。
 僕はそれを「記号の過剰」あるいは「過記号化」という枠組みで説明できるのではないかと思っています。
「呪い」は、その本質からして、記号的なものです。藁人形に五寸釘を打ち込む「丑の刻参 り」という
古典的な呪いの儀式がありますが、これ自体、きわめて記号的な行為です。生身の人間の心臓にではなく、
代替物の藁人形に五寸釘を打ち込むわけですから。メタファーとして行われる殺人が生身の人間の生き死に
影響を与えるという信憑が共有されていないとこの種の類感呪術は有効性を持ちません。つまり、藁人形が
生身の人聞でないように、殺意や嫉妬、羨望や憎悪も記号化されない限り呪いとして機能しない。
忘れられやすいことですが、呪いが機能するのは、それが記号的に媒介された抽象物だからです。
具体的、個別的、一回的な呪いというようなものは存在しません。あらゆる呪いは、抽象的で、
一般的で、反復的です。それが記号的ということです。
 なまの現実が記号化されて、「情報」になるプロセスを「情報化」と呼びます。情報とは「なまもの」
が加工され、分類され、ラベリングされ、パッケージされたもののことです。「高度情報化社会」とは
情報だけが行き交い、「なまもの」に触る機会が失われた社会のことです。生きた動物が殺され、皮を剥がれ、
血を抜かれれ、骨が切り離されて、細切れになってパッケージされるという工程については誰も考えず、
清潔な商品だけが売り買いされている。医療でも過情報化の問題は深刻なものです。当今の医師たちは、
なまものとしての身体ではなく、「記号としての身体」を診療している。『医療崩壊』の著者である
小松秀樹さんが指摘されていましたが、今の診療室では、机上のパソコンのディスプレィに患者のカルテや
検査数値が表示されます。患者が診察室に入ってくると、医師は患者を診るより先に、まずディスプレイに
表示されたさまざまの数値を見る。うっかりすると診療時間のうち、患者の顔を見ている時間よりも
ディスプレイを見ている時間の方が長いのです。 ≫
▼ TVのワイドショーは情報を提供するところ、情報化は「なまもの」とは違うため、それを扱う解説者は、
記号としての言葉にして発信するするため、呪詛的な言葉になっていく。それを受け止める視聴者は、いつの間に、
呪いとして、なまものを呪ってしまう。これが端的に出のが政治であり、政治家は手軽な呪いの対象になる。
だから、島国日本の首相は、一年しかもたないのは、何ら不思議ではない。そして、その行き先は? 
 ・・・・・・
3818, 哲学人 ー�
2011年09月08日(木)                     
  * 精神と肉体ー 二元論       ー「哲学人」ブライアン・マギー著より 
 ー まずは二元論についてのデカルトの誤りを、ライルが指摘している部分からー
【 ライルは二元論について『心の概念』で、私たちの誤用に的を絞って書いている。
ライルの攻撃対象はデカルトである。・・・ 二元論の生みの親をデカルトと特定したが、実際には二元論、
もしくはそれに似たものは、原始時代から人間についての通説となっていた。常にと言っていいほど、
人は自分を、肉体と、肉体に宿る非肉体的な要素から出来ているとみなしてきた。そして常に時代によって霊、
魂、心と様々な呼ばれ方をしてきた、この非肉体的要素を、ある程度独立した存在として、また、そうなる
可能性があると見てきたと言っていい。私がかつて、この事実を挙げて異議を申し立てると、ライルはこう答えた。
「この間違いを最初に犯したのがデカルトだと思っている人はいないでしょう。要はデカルトがこの考え方を
とても明確に打ち出したので、デカルトの時代以降、これが教義もしくは定説なったということです。
シェイクスピアも聖書も言っていませんが、デカルトは実際にこう言いました。『私の心はひとつの実体であり、
私の身体はそれとは別の実体である』と、それが事実であるかのような言い方なら、それまでもされたことは
ありました。が、デカルトは確かに事実であると言ったのです」 実を言うと私はそうは思わないのだが、
それはさておき、精神という実体などないのだから二元論は誤りというのがライルの主旨。
  その著書で述べられている詳細な分析をもとに、ライルはこう書ている。 
≪ われわれ人間が行なっているのは、自分の行動と経験のある部分を精神的なものとして分類し、
その他の部分とは異なる、主体に帰属させること、そしてその主体を精神として物象化することである。 
精神に関連する概念の使用法を入念に調査すれば、そのようなことをする正当な理由はないということがわかり、
さらには人間は単一の存在であり、行動と経験のただひとつの主体で、アイデンティティも歴史もひとつしか
ないことが明かになる。 われわれはふたつの実体が神秘的に結びついたものではない。
これまでわれわれは、「カテゴリー錯誤」(ライルが哲学の世界に広く普及させた用語)を犯してきた。
われわれは精神という概念を一種類のものを意味するとみなしているが、実際は多種多様なものを意味している。 
精神とは、独立して存在する実体であって、なんらかのことをして経験をもつものと考えているが、通常は
さまざまな行動形式のうちのいくつか(行為、気分、経験など)を総括する言葉にすぎず、またこうした行動様式は
どれも、正しくはひとつの主体に帰属させるべきなのだ。このカテゴリー錯誤がもととなって、われわれが
自分自身を想定する上で、そして考えたり語ったりする上で数多くの誤りが生まれている。
これは哲学的誤謬の好例であり、我われの思考の広大な領域はこの誤謬に犯されている。≫
 ライルの本は、いかにして言語分析派がこうした問題を解決するかを示す範例である。 P・106  】
▼「肉体が消滅した後、私(精神)はどうなるのだろう」という疑問そのものが、二元論である。
デカルトが言わなくとも、大昔から天国か地獄に召されると言われている。肉体と精神と、あらためて
デカルトが述べただけ。肉体が無くなれば、当然、精神とやらも消滅するのは、当たり前である。
精神を指している一つに『言葉』がある。「生きているときに発した言葉。それは現在でも生きている」
というが、それは、生前に発した言葉。死んだ後に、言葉は発せられない。
 ・・・・・・・
3453,, ニューカレドニアの休暇 −3
 2010年09月08日(水)
 夕飯でいったフランス料理、ベトナム料理、中華料理が、それぞれ美味しい。フランス領のためだろう。
特に天使の贈りものといわれる「海老」が美味い。 ベトナム料理、中華料理は日本的味付け。
それより新鮮な貝魚がふんだんに入っているからである。値段も、日本の居酒屋に少しプラスした程度である。
 ところで、オプションツアーで行った「天国にもっとも近い島」のニックネームで親しまれている
イル・デ・バン島が良かった。日本では、その称号は森村桂の著『天国にいちばん近い島』から、ロワイヨテ諸島の
ウベア島がそう呼ばれているが、実際はここ。数多くの種類の熱帯魚や珊瑚礁を、透明度の高い海水の中に
見ることができた。この島は南北15キロ、東西13キロの大きさで、島人口は約2,000人である。 
珠玉のような島で、ニューカレドニアで是非とも行ってみたかったところ。
双発のプロペラ機で首都ヌメアから30分ほどのところにある。 行く先々の小さな湾の海岸線と海と空が美しい。
いまだ観光づれしてないハワイと考えればよい。ここに宿泊するツアーもあるが、値段は非常に高くなる。
 ニューカレドニアは日本人に特に好まれているようで、親しみやすい。 中国、韓国人の姿は、ここで一人も
見かけなかった。まずはハワイ、東京、欧州、オーストラリアなのだろう。この島を通して、日本の現状を現地の
ポリネシア人を通してみてしまう。小さな島国で、フランスの占領に甘んじているが、日本も同じ被占領国。
ドルとアメリカ国債という紙切れと小麦・大豆と、汗水たらして作った商品と交換。 その紙切れは、
20年〜30年単位で価値を数分の一に一方的に下げさせられている。アメリカ、オーストラリアも、欧州人が
現地人を虐殺して建国したところ。 現在も、その構図は同じである。マスコミを背後で操り、教育システムで
骨抜きにし、官僚を洗脳、コントロールすることで、間接占領をしている。
フランス領の観光地で、気楽に避暑。それだけで、深く考えることもないが・・・・
・・・・・
3078,富豪と金の使い道
 2009年09月08日(火)
 一昨日の日経新聞の最後の紙面(「私の履歴書」の隣コーナー)に「富豪と世捨て」というテーマで、
作家で法大教授の島田雅彦が書いていた。昔の富豪の身の処し方と使い方で、西行や千利休などを取上げていた。
井原西鶴の作品の中の‘世之介’は、現在では500億円位の資産で、生涯をかけて色事に追求し、
花魁を次々に身請けをしたが、それでも使い切ることが出来なかった。
 また日本人の昔の粋な生き方として、世捨てを紹介している。死を前にして身軽になることが含意されているが、
不祥事で失脚した時のリセットで、政治家などが清貧を気取る場合がある。その辺が人間の面白さである。
富豪は、その富のために悩みが多いが、人のためにそれを使うのが、一番の悩みを消す効果があるとする。
資本主義の覇者は資本主義によって滅びた物を復活させて、その罪を償う義務がある。失われた神仏を買い戻し、
廃れた神社仏閣を復活させたことなどである。 それが「歴史からの使命」と結論づける。何代か続いてきた
金持ちは、その使い道さえ無頓着で淡々としている人が多い。金を使っての快楽など知れたもの? 金を気に
しないで済む生活こそ豊かさ。 で、金を気にしないで済む生活は、幾らか。 そう考えると、人様々である。 
平均すると、家一軒があって、蓄えが一人あたり1000万で、夫婦で年間収入400万ぐらい?  ところで、直接、
両親の生き方をみてきて、合理的散在?を学んだ。定額を見定めて、平均して使うことである。 
持って彼岸にはいけないことを世間を見て得た知恵である。 所詮は、蓄財は不安の裏返しの行為でしかない。 
私の親戚に「清貧を自認した生きかた」をした人がいた。90歳後半で亡くなった時には3千万近くの蓄財があった。
その人の収入からみたら奇跡的ですらある。もし、年間300万を65〜75歳の10年間を使っていたら、面白かった
だろうに思うのだが。私は、それを40〜50歳代後半の二十年間で使ったから、わかる。 といって、年間、
150万なら散在ではない? 貯めるのも難しいが、それを後悔しないで散在するのは、もっと難しい。
貯めるは努力、使うは芸術というが。 
 ところで、100億を10年で浪費で必ず使うことを約束して神様から貰ったと仮定して考えると面白い。
浪費というところがポイントだが、50億の船を買って世界中をまわったとして、年間5億×10年=50億の
コストとみると大したことではない。 それなら世界の豪華クルージングの最高級クラスの部屋でサービスを
受けた方が良いか? まあ、それも2〜3年。でも、面白そうだ。しかし「それが如何した」という内なる声も湧く。 
そうこう考えると、一日を真剣に遊ぶ能力こそ重要ということか。問題が山積みの中、ストレス解消のために
遊びに使う散在こそ、価値があるということ?しかし、富豪はそれを超えた世界があるのだろう。 
経験しないものには分からないだけ?
 ・・・・・・・・
2008年09月08日(月)
 2713, コピペ
 先週のNHKの「クローズアップ日本」で、コピペを取り上げていた。「コピペ」とは
パソコンのコピーと、ペースト(貼り付け)の略語である。 なかなか考えさせられる内容であった。
  ーまずはNHKの番組紹介を、コピペしてみよう。
 * コピペ 〜 「ネットの知」とどう向き合うか〜
インターネットで見つけた文章をコピー&ペーストして、自分の文章にしてしまう"コピペ"。
ある大学では提出されたレポートの半数近くがコピペで作成されていたという事実が明らかになった。
夏休みには小中学生向けに開設された「コピペで書ける読書感想文」のサイトがアクセス数を伸ばし、
大人の世界でも、役所が募集したパブリックコメントに大量のコピペの「組織票」が提出されるなど、
コピペは今、社会全体に広がりつつある。 「コピペは人間の考える力を弱める」と批判の声が上がる一方、
「新たな知の技法」として肯定的に捉えるべきだとの意見もある中、私たちはネット上に広がる膨大な情報と
どう向き合っていくべきか考える。 (NO.2623) スタジオゲスト : 茂木 健一郎さん (脳科学者)
 〜〜
以上が概要だが、コピーと、貼り付けは、デジタル社会では当たり前になっている。私も、随想日記
で書くネタがないときは、キーワードの検索で情報を集め、要点をコピーして、張りあわせもする。
そのプロセスで思い浮かんだことを書き込み文章の体裁を作り上げることもある。
 (字数制限のためカット 2014年9月8日)


4924,パワレルな知性 ー2

2014年09月07日(日)

   * カフェという集い −①    『パワレルな知性』鷲田清一著
 『カフェ』について、が面白い!ー 学生時代は、このフリーの立場での交わりが良い!
≪ このところ市中では「カフェ」という催しが盛んである。「カフェ」といっても喫茶店のことではない。
「サイエンス・カフェ」とか「アート・カフェ」といった類の、小人数でおこなうディスカッションの会である。
市民が三々五々集まり世情について自由に論議し、その議諭を活字化するあのジャーナリズムの
原型ともいうべきものを生んだ、英国の「コーヒーハウス」にちなんで、そう名づけられたらしい。
じつはわたしも15年ほど前から「哲学カフェ」なるものを、町なかの集会所で、あるいはお寺の一室を
借りて、そしてときにじっさいに喫茶店でもやってきた。何について議論するかは、集まった顔ぶれで
その場で決める。そしてテーマに即して、だれかがまずじぶんの経験を、そしてその解釈を語り
だしたあとは、それを糸口に延々三時間から五時間、あれこれ話しあう。 ルールはかんたんで、
 :たがいに名を名乗るだけで所属も居住地も明らかにしない、
 :人の話は最初から最後まできちんと聴く、
 :他人の著書や意見を引きあいに出して長々と演説をしない、この3つである。
わたしはもう籍を離れているが、大阪大学の臨床哲学研究室では、かつての同僚や大学院生
たちが個々にそれを拡げ、通算すると、もう数百回になると聞く。ある日、もっとも年配の参加者が
最後にぽつりと話したことばが忘れられない。司会をしていた大学院生がまとめに窮しているときに、
その、老人が口をはさんだ。「まとめんでいい、知り合いでもない孫のような歳の子とこんなに
『家族とは何か』ということをまともに話しあったというだけで満足や」。・・・ ≫
▼ 人生を振り返ると、20歳代の経験がベースになっている。視点が固まる、それまでが分かれ目!
それに10歳までの実家の店舗での生活もある。 今から考えると、様々な人間が集まり、その生態が、
あからさまに露出していた。『花子とアン』の主人公ではないが、「朱に交われば赤くなる」である。
そこで、如何にオープン状態で、書籍と、様々な人と触れ合うか、その質と量で、人生は決まってくる。
そこで大きな知的劣等感を得たのが、私にとって、最大の収穫。以来、半世紀近く独学をしてきたが、
私には器の大きさが足りなかった。更に『酒量』『一言』が多過ぎた!
・・・・・・
4557, グレートジャーニーから見えてきたことは ?  ー2
2013年09月07日(土)
  * 携帯電話が、世界を変えている  「新潮45ー6月号」 ーたけしvs・関野吉晴の対談ーより
 旅番組などで、ケニアなどの僻地でマサイなどが携帯電話をしているのを見かけて驚いたことが
何度かあった。 携帯電話の電波環境が出来ているためだが、さほどインフラに資金がかからない
のだろう。考えてみれば、僻地ほど濃密な繋がりと日々の生活情報が必要である。
苦労して僻地についた先で、携帯電話をしている姿を見たらガックとするはず。 
ーその辺りが具体的に書かれているー
【 たけし〕ところで、そういう極限の地域で暮らしている人たちの生活って今も昔と変わって
いないのですか。
関野〕昔は自分たちが食べていくために自給的生活とか狩猟採集で暮らしていた人々が、
換金可能な作物を作っている。 現金収入を得ないと生活ができなくなっている。
特に最近はグローバリゼーションがアマゾン、シペリア、 アフリカとか、どこまでも進行しています。
特にすごいのは携帯電話ですね。携帯で全てが変わります。たけし〕 それはどういう意味でですか。
関野〕携帯電話は世界を変えていますよ。アマゾンには、僕が四十年前からつき合っている
先住民の部族がいます。 最初会った時は、大人たちは腰巻きだけつけて、子どもは素っ裸でした。
そんな村でも三十年前に学校ができた。 それは小学佼しかないから、中学校に行くようになると
町の寄宿舎に人る。高校生にもなると、皆な携帯を持ってる。村に帰ってくると電波は通ってませんが、
携帯でダウンロードした音楽は聴ける。そうなると若者は伝統音楽ではなく、 ロックを携帯で
聴くようになる。文明人に近いほうがステータスが高いと思うと伝統音楽に目を向けなくなり、
 どんどん文化が変わっていく。アマゾンの奥地でさえそうなるのですよ。」
たけし〕 あっという間の変化ですね。
関野〕 ここ数年、フィリピン、マレーシア、インドネシアの海域で淘賊がいっばい出る
ところがあるんですけど、 そこにパジョという家船生活をしている漁民がいるんです。
たけし〕 確か百万人ぐらいいるとか。
関野〕それは海岸縁に杭を打ち込んで家屋をつくって住んでいる人たちも含めての数字です。
わずかに家船で陸に家を持たない人たちがいて、その人たちのところに僕は「泊めてください」
と言って、一緒に暮らしていた。ちょうど僕が訪ねた頃に彼らの生活にも携帯電話が入ってきたんです。
たけし〕 2004年から、日本人の祖先が日本列島に到達するルートを辿る「新グレートジャーニー」
(〜2011年)を始めていますが、それに挑戦していた時のことですね。
関野〕 はい。南方から船で海上を渡ってきた日本人の祖先のルートを辿ろうとしたんです。
 風の関係で航海で暫なくなると、パジョの人たちのところに通っていました。彼らにとっても
携帯はすごい役に立っている。 家船が十数隻あって、夜は集まってくるんですが、昼間は別々に
魚を穫りに行ったりして行動している。その時に、海賊がいるかいないか、携帯があれば安全か
どうか確認できたりするわけです。
たけし〕 海の上で電波が届くわけですか。
関野〕 沿岸から五キロまではアンテナがあれば届きます。
たけし〕海の漂流民がそうならば、砂漠のペドウィンはどうなんだろうね。】
▼ これは、僻地だけでない。都会の社会的弱者にも携帯が普及。弱者が結びつけば、強者に変身する。
 中国など多くの社会的矛盾を抱えた国家は、ある日突然、この矛盾への暴発が起こることになる。
そこにパソコン機能が入ったスマートフォンの普及は、世界を根底から変えようとしている。
貧富の格差は、情報の格差から生じるが、それが均質化されていくとしたら、格差は一部を除いて
是正されていく。ただし、それは世界平準に近づくため、G8は、G20の国々の平均値に、
G20は、世界200ヶ国の平均レベルになっていく。日本にとって、それは貧乏への茨道!
・・・・・・・
4182, 呪いの時代 ー2
2012年09月07日(金)
          「呪いの時代」内田樹著
 呪いに対する言葉は祝福である。含めて世の中が右上がりの時は、何事もハッピー。
しかし、世の中全体が右下がりになり、暗い世相の中では一部の勝ち組を傍で祝福する人は少ない。
羨望と嫉妬が、そこに生じてくる。特にこの情報化で、そのの事態が生で伝わるから呪いが社会全体を覆ってくる。
その中でハッピーにいるには、「にもかかわらず祝う」しかない。現に生きている、そのことを祝う諦念である。
最後は生きている感謝しかないのである。今さら世を呪っても致し方がない。
  * 「このようなもの」でしかない自己の承認   ー 第2章 「祝福」の言葉について ーより
≪「生身の、具体的な生活のうちに捉えられた、あまりパッとしないこの「正味の自分」をこそ、真の主体として
あくまで維持することです。「このようなもの」であり、「このようなものでしかない」自分を受け入れ、承認し、
けなげに生きている姿を可憐と思い、一掬の涙をそそぐこと。それが「祝福する」ということの本義だと思います。
呪いを解除する方法は祝福しかありません。自分の弱さや愚かさや邪悪さを含めて、自分を受け容れ、自分をだきしめ、
自分を愛すること。多くの人が誤解していることですが、私たちの時代にこれほど攻撃的なふるまいが増えたのは、
人々が「自分をあまりに愛している」からではありません。逆です。自分を愛することがどういうことかを
忘れてしまったせいです。私たちはまず「自分を愛する」というのがどういうことかを思い出すことから、
もう一度始めるしかないと思います。≫
▼ 第二次大戦後、経済成長という僥倖に恵まれ「自由」が容易く転がり込んで来て、安手の「近代」を掴んだ。
 しかし、それが崩壊する中で、「全て他人が悪い、自分は悪くない」という他責的で未成熟な言説がメディアにより
拡がった。豊かさが急速に萎み、大多数がプアーになりつつある中、呪いの時代と思われるほど惨めな社会になってきた。
「このようなものでしかない」自分を受け入れず、承認せず、祝福せず、自分探しという自分でない突っかい棒を求めて
彷徨っている社会。わが国は平城平安の時代から呪いを基軸にして変転してきた。ここで急に「呪いの時代」が
キーワードになったのではない。呪いがあればこそ古事記、日本書紀、源氏物語、平家物語、太平記、法隆寺、
北野天満宮も正史に登場しなかった。日本の文化文明の本源は、この呪いにある。だから一時でもよいから祝うしかない。
お祭りは、そのためにあったといえる。社会に出てからの読書習慣がなかったら、現在、世を呪い、過去を後悔し、
人生そのものを否定しているはず。 娑婆娑婆!
 ・・・・・・
3817, 松下政経塾の野田が首相に
2011年09月07日(水)
   まずは松下政経とは何か? −知恵蔵2011ーによると
【 松下電器産業(パナソニック)の創業者・松下幸之助が、1979年に約70億円の私財を投じ、政治家育成塾として
 設立した財団法人。神奈川県茅ヶ崎市の6千353坪の敷地には、寮棟・食堂・体育館の他、茶室やテニスコートも
付設されている。入塾の応募資格は22〜35歳。全寮制で3年間の研修を原則としているが、期間中に選挙に出馬する
ことは半ば容認。ただし、最低2年間を修了しないと退塾扱いになる。授業料などの費用はゼロで、逆に研修資金
・活動資金が提供される。研修は人間学・哲学・近代政治学などの講座と茶道・書道・剣道などによる精神修練が中心。
また、現地現場主義の下、自治体訪問、松下関連工場での実地作業、自衛隊体験入隊といったカリキュラムも用意
されている。過去30年間の卒塾生は237人で、このうち69人が政治家の道を歩んでいる。開塾後の10年間で当選した
国会議員は、1期生の逢沢一郎(自民党)だけだったが、新党ブームが吹き荒れた93年の衆議院選挙で、一気に15名の
当選を果たした。政経塾出身議員の評価は分かれるが、世襲議員が増える中、選挙に必要な3バン「地盤(地元支援組織)
・看板(知名度)・カバン(資金)」を持たない若者に政治家への道を開いている点で、政経塾の存在は評価されている。 
現職の松下政経塾出身の国会議員は、衆議院議員が27名、参議院議員が3名。
*自民党では前述の逢沢一郎の他、元金融担当大臣の伊藤達也(5期生)、高市早苗(5期生)ら、*民主党では
元代表の前原誠司(8期生)や野田佳彦(1期生)、原口一博(4期生)ら、次代のリーダー候補が名を連ねる。
この他、神奈川県知事の松沢成文や横浜市長の中田宏など、自治体の長も輩出している(2009年7月時点)。 】
▼ 現在の日本に丁度良さそうな人物が、首相に選出された。それも、松下幸之助が憂国にかられ、つくりあげた
 人材育成機関出身。存在そのものは知っていたが、まさか34名も国会議員になっていたとは驚き。
巷では、「人工栽培の頭でっかちのエリートの育成機関と」批判的だが、それでも公明党に次ぐ出身母体になっている。
どうも、二、三代目が目に付く中で、こういう機関も必要?卒塾生の43パーセントが、政治の道を歩いているという。
 政治家は、一国を未来に導く仕事。「クールな頭脳と、暖かい心」を必要とする。それを3年か、4年の期間で
ベースをつくり上げることが良いことかどうか? 二代目政治家と、どちらが良いというと考えてしまう。 
やはり二代目より、まだましレベルか。現在議員は、貴族院化している。
 ・・・・・・・
3452, ニューカレドニアの休暇 −2
2010年09月07日(火)
 * ホェール・ウォッチング 
 オプション・ツアーの「ホェール・ウォッチング」に参加してみた。家内はヨットに12時間も無理ということで、
私一人の参加。20人乗りの2Fのヨット(1Fにトイレとベッド)に、日本人が私の他に中年ペアー。他は白人系15人
を加えた18人。もう少し大きなヨットのつもりだったが意外と小さい。外海に出たと同時に、船は二Mの波で大ゆれ。 
案の定、気分が悪くなってきたが後の祭り。乗員も分っていて海水を入れたのを持ってきて、「あげろ!」という。
そして胃を空にした。その直後に睡魔が襲ってくる。 ロビーの椅子に座ったまま二時間ほど寝たら気分は元に戻る。 
船酔いを心配していたが、その時はその時と覚悟はしていたが、何とかなるものである。そうこうして鯨の出産場に
三時間後に到着。そこを40分ほどかけて通過している間に、5分位の間隔で、鯨が空気を吸うために海面に出てくる姿を
ウォッチングすることができた。そこでテレビの撮影を過って見たことを思い出した。今回は10匹近く見ることができた。 
鯨は、まず潮を噴き上げるので見逃すことはないが、潮を吹いて7〜8秒しか浮いてないので、目を凝らしてないと見逃す。 
海も天気で大きく左右するが、天候に恵まれたこともあり今回のウォッチングは大当たり。また12時間も小型ヨットに
乗船するのもワイルドな感覚で、南太平洋を堪能することができた。甲板から海に向かって足を突き出して座って
海を眺めボットするのも、気分は爽快である。また10秒ぐらいだったがイルカが二頭、ボートと同じスピードで泳いで
いったのも印象的。さらに帰港前の20分ほど、タイミングよくサンセットにゆきあったが、南太平洋に浮かぶヨットと、
赤い色合いのマッチが印象に残った。一期一会、迷ったら直感を信じ躊躇をしないことだ。
・・・・・・・
3077,SCが工期半年で完成とは、驚き
 2009年09月07日(月)
 長岡の自宅から500m先に、オープンモールの25店舗のSCが9月1日に着工、来年の3月8日に
オープンと現場の立て看板にあった。 それにしても半年とは驚いた。これから冬場の中で駐車場も含めてである。 
新造成地の更地で全てが平屋だから可能なのだろう。突貫工事になるのだろうが、見ものである。先月、近くで
説明会があった。折込の通知によると、大和ハウスの総合企画で、三菱東京銀行系が資金調達とあった。 住宅地も 
数ヶ所売り出されているが、坪27〜8万円、少し高いが環境からして悪くはない。 場所は長岡駅裏から直線道路
一キロほど、自宅からは5分の場所。 自宅の100m先にSCがある上に、長岡駅(12分)には一万坪の専門店街が
あるので生活環境は、ますます良くなる。そのSCから車で数分(一キロ)のところに家具のニトリ、家電のジョウシン、
ホームセンターのコメリ、ディスカウント、紳士服のアオキなど20店舗近い川崎のオープンモールのSCがある。
店舗構成をみるとバッテングをさけて補完してある。店舗が重なるのは、原信と、蔦や。業種では中古ショップである。 
二つのSCを買い回ると丁度良い店舗構成になっている。これまでは長岡の信濃川の西に比べて、川崎のSCだけでは、
魅力が薄かったが、この二つを合わせて対抗拠点として、周辺に店舗が自然発生的に出来ていく過程をみることになる。 
長岡駅中専門店街は、年々、弱体化していくが、駅前再開発も含めて大きく一変する。これも見もの。
間違いなく大きく縮小していく市場の中で、再開発だけは止まらない。 
・・・・・・・・
2712, 大相撲が面白い!
2008年09月07日(日)
 若貴あたりから違う面で大相撲が面白くなってきている。マスコミを巻き込んで、北朝鮮のような瀬戸際のブラック
ジョーク的な展開を示してきた。グローバルの流れと、人材不足をカバーするため、いち早く外国人に開放をした。 
しかし国技とかいうが、法的に根拠の無い曖昧な協会が実態だが、税金を払わない宗教法人と同じ扱いを受けている。
相撲部屋はヤクザ世界に酷似、縄ばり社会が寄り合っているだけ。部屋がそれぞれボクシングジムのように独立し、
それが集まって大相撲協会をつくっている。だから,北の湖が言い訳をするのも一理ある。ボクシング協会が、
個々の選手の薬物まで責任はないのと同じである。そんなことは、どうでもよいが。 今回の土俵外の物語は、
ロシアの三人の麻薬事件である。一月前までは、朝青龍を中心としたモンゴル人がトラブルメーカーだった。
それが一転してロシアの(麻薬)文化?への話題が移ってしまった。朝青龍かたなしである。
今回の物語は北の湖理事長の辞任のプロセスである。今回は、もう無理だろう?しかし・・
 昨日のニュースでは、期待をしていたとおり相撲協会が尿をすりかえたり、自民党の??あたりが天皇家への
尻尾振りで、政治的な圧力をかけてくるか、などなど漫画的な動きである。しかし、幾ら程度が低い彼らも、
世界的にも注目を浴びているので、腰が引けたのだろう。 日本のマスコミのロシア人兄弟に対する質問が甘い!
「ロシア国家に対する代表として、宣誓できますか」の質問をすればよい。もし、「もちろん、します!」と答えたら、
帰国をして数ヶ月以内に行方不明になるだろう。大相撲を国技としている限り、今後、中国、モンゴル、ロシア、
東欧の国家戦略として日本バッシング戦略的対象になる。大相撲協会は、あまりに、軽く甘い。私が敵対国の政治家なら、
対日の攻撃対象にする。自国の強い力士に女とか薬を与え、マスコミに騒ぎ立てるか、日本の力士を徹底的に怪我を
させるようにもって行く。それかモンゴルのように、三役力士を自国の力士で占有する。その意味で、外国人に開放を
したと同時に、旧来の国技という名を返上すればよかった。せめて日本の相撲のルーツのあるモンゴルと朝鮮だけに
限定すべきだったろう。それともモンゴリアンだけに。 しかし、現実は現実である。 国技とかいう名を返上、
払うべき税金は払い、横綱審議会など解散することだ。 天皇家も閲覧席などに座らないで、しかるべき警備をして
一般席に座るべきだ。こういう不祥事も、人気取りの前座と考え、割り切っているのもよい。
あくまで、格闘技の見世物でしかないのだから。
・・・・・・・・・・
2007年09月07日(金)
 2348.ベナレス・・・4


4923,パワレルな知性 ー1

2014年09月06日(土)

   * 価値の遠近法      『パワレルな知性』鷲田清一著
 鷲田清一の「価値の遠近法」が面白い!
  ーネットによるとー
≪ 「価値の遠近法」は、あらゆる事象・物事を次の四つに分けること。
 ① 絶対に必要なもの、失ってはならぬもの
 ② あってもいいけどなくてもいいもの
 ③ なくてもいいもの
 ④ 絶対に不要なもの、あってはならないもの
彼は、これが上手に仕分けられる能力を「教養」と呼び、その重要性をいろいろ示す。
「価値の遠近法」は、それぞれ自身の価値観を明示的にする効果がある。
四つに仕分けることで、「何を大切にしたいのか」を自らに問い掛けることになるからだ。
自らの価値観を知ることは、自己理解の最も重要な要素。当然、人によって仕分け方は違うため、
自らの仕分け方と他者のそれを比較し、違いが起きた理由を探ることで、他者を理解する
きっかけになる。
「価値の遠近法」を実践していくと、ある「真理」に気づくという。
「大事なものほど、仕分けづらい」「重要なものほど、答えがない」という真理である。
いま大きな社会問題になっている原発推進の是非を問う論争が、まさにこれ。
推進派と即時廃止派、さらには漸減派、一旦凍結派等々、議論が百出する。
「何を大切にしたいのか」を巡る論争には、唯一絶対の正解などない。
さらにこの問題を突き詰めてみると、わたしたちは、正解が見えないものに、とりあえずの解を
出さないと前に進めないことにも気づく。
私たちは、不確定要素に満ち、偶然に左右され、先行き不透明な問題に囲まれ生きている。
わからないもの取り囲まれて、わからないままベストの解を出すことを迫られている。
国の経済政策も、企業の経営戦略も、個人のキャリアも、構造は同じなのだ。 
こういう問題に直面して、「価値の遠近法」を使って、よくわからない問題を仕分けていく時に
必要なポイントについて、「ようわからんけども大事!という勘がはたらくか」
「わからんことに囲まれていても、なんとか切り抜けていく」野性的な思考が必要という。≫
▼ <「右下がりの時代」は、社会が‘まとも’になっていくためには悪いことではない。
 右上がりの時代には次に何を手に入れようかと考えていたわけだが、下がっていく時代には
「何をまずあきらめるか」を考えざるをえない。私のいう「価値の遠近法」を、嫌でも頭に入れて
おかなければならない>とあるが、老いていくことは、不要なものを捨てていくこと。
「価値の遠近法」の④、③、②と、一つずつ捨てて、①に絞ること。そのために教養が必要になる。
今さら遅いかどうかは、その人によるが・・ 「お金は、②、いや、①?」
――――
4556, グレートジャーニーから見えてきたことは ? ー1
2013年09月06日(金)           
  * 追われ追われて南米最南端   「新潮45ー6月号」ーたけしvs・関野吉晴の対談ーより
 冒険家が人類の移動の跡を辿って見えてきたのは、「人類の弱者が、より悪い環境の地に
追い込まれて、その繰り返しの究極の地が南米最南端パタゴニアであった」ということ。
アフリカから追われ、その移動先で落ち着くと、その中の弱者はまた弾き出される。その積み重ねが、
アフリカから南米の最南端までの人類の軌跡であった。その過程で生き延びる知恵こそ、
弱者の知恵になる。その過程で彼らは進化したかというと、そうではない。北アフリカと欧州に留まり
闘い続けた人間が、文明の基礎を作りあげていった。逆に、エスキモーとか、南米インディアンは、
逃げることで、生き延びていった。弱者には逃げるしかない。 
この切り口で人類の歴史を鳥瞰してみると面白い! 僻地の人間は、そのためか優しい。
  ーその辺りから抜粋ー
《 たけし〕しかし、六万年前に人類がアフリカから移動していって、世界中に広がったルートを
 逆に辿る発想は面白いけど、ずいぶん無茶なことをしましたね(笑)。
関野〕 確かに逆ルートは無理があります。やっぱり人類は逆ルートで移動しないことが、
やってみると分かります。 全部、逆風なんですよ。例えばべーリング海峡を渡るときに、
風速5〜10Mのいい風というのは西から吹く。 僕はアラスカからシベリアに行くわけですから、
東風が欲しい。しかし、東風は風速15M以上になることが多い。  
たけし〕どうしてアフリカで生まれた人類が全世界に移動したと言われているんですか?
関野〕研究者によって意見が違っていて、僕は最初、「あの山を越えたら何かあるんだろうか」
という好奇心、あるいは「あの山を越えたらもっと獲物がいて、いい暮らしが出来るんじゃないか」
という向上心で心で動いていたと思っていました。もしそういう好奇心とか向上心とか、いわゆる
進取の気性に富んでいたなら、一番遠くまで行った人たちの末裔のはずです。
たけし〕そういうことになります。
関野〕ところが行ってみたら逆でした。南米最先端に行った人は一番弱い人なんです。
 そこでは狩猟生活もできない。ホタテとかカニをとって生活をせざるを得ないんです。
どうしてそんなところに移住してきたのだろうと考えてみると、弱いからじゃないか。
 例えば、あるところが住みよいとなれば人ロが増えていきますよね。
たけし〕 そうなると誰かがふき飛ばされる人が出てくる。
関野〕ええ、誰が出ていくかが問題になる。強い人出ていきません。そこで、はじき出された人が
 フロンテアに行くわけです。滅びてしまう人も多いと思いますが、そこでバイオニアになれた人が
生き残れる。
 創意工夫を働かせて適応した人が「住めば都」に変えてしまう。そこでも人口が増えると、
また弾き出される人たらが出てくる。だから、日本は弱い人の吹だまりだと思う。それ以上、
東に行けないわけですから。
たけし〕日本人がもともと弱い人間の吹だまりだというのは面白いね。
関野〕それはイギリスも同じですね。もっと西に行けない。ところが、いいか悪いかけ別にして、
 日本はアジアを制圧しようとしたし、イギリスは世界を制覇しようとした。だから、もともと
弱いといって、いつまでも弱いわけしでない。弱いから逆にいろんな知恵を使うわけです。
元もと人類はその誕生のときから、弱いから知恵を使って生きてきた。 》
▼ 強みは、弱者の苦労から湧き出る知恵から生まれる。決して野心を持って挑んだ訳ではない。
 弱者の知恵こそ、力になる。弾き出した方はといえば、変化適応能力が無くなり弱者になっていく。
 何処かの国か、地域そのもの。脱皮できない蛇は死ぬ。
・・・・・・
4181, 呪いの時代 ー1
2012年09月06日(木)
                     「呪いの時代」内田樹著
 なかなか時代の特質を捉えた面白い本である。バブルと、バブル崩壊を経た後、日本は
20年以上も下降曲線をたどっている。経済大国と言われたのも遠い過去になりつつある中、
人々は、その環境の中で互いに呪い、怒りをぶつけあっている。そして中流社会が崩壊を始め、
総下流化社会になりつつある。そこでは互いに呪い、一部勝ち組を呪う時代になっている。
呪いは人間としての悪い意志、否定的な情動であるが、その核心部分には他者の全面否定と
破壊と殺意が内蔵されている。自己崩壊は他者への憎悪となり自他とも傷つけるだけでない、
未来へ希望と友愛を損傷する。「呪いの時代」は、言い得て妙である。
  * まずは、第一章 呪いの時代より
≪「呪い」は今や僕たちの社会で批評的な言葉づかいをするときの公用語になりつつあります。
「弱者」たちは救済を求めて呪いの言葉を吐き、「被害者」たちは償いを求めて呪いの言葉を吐き、
「正義の人」たちは公正な社会の実現を求めて呪いの言葉を吐く。けれども彼らはそれらの言葉が
他者のみならず、おのれ自身へ向かう呪いとしても機能していることにあまりに無自覚のように
思われます。20年ほど前、まだ僕が学会というところに顔を出していた頃までは、学会発表後の
質疑応答で、「あなたは…の論文を読んでいないのではないか」とか「周知の…についての言及が
ないのはなぜか」といった、「そこで論じられていないこと」を持ち出して、「こんなことも知らない
人間に、この論件について語る資格はない」と切り捨てる態度に出る学者が沢山いました。
僕はそういう「突っ込み」を見るたびに、どうして彼らは「自分の知っている情報」の価値を
高く格付けする一方、「自分の知らない情報」が知るに値しないものだとあれほど無邪気に
信じていられるのか、その理由がよくわかりませんでした。僕たちは誰でも自分の知っている
ことの価値を過大評価し、自分の知らないことの価値を過小評価する傾向にあります。
だから、学者にとっていちばん最初の仕事は、自分の所有する学術情報を適切に評価する
ことであるはずです。でも、「君は『こんなこと』も知らんのか」と気色ばむ学者たちは「こんんなこと」
が議論の始点でなければならない理由について、ほとんど説明責任を持ていないようでした。・・・・ 
学者というのは「知識を持つ人間」ではなく、「自分のもつ知識についての知識を持っている人間」
のことだと思います。ですから自分の知っていることは「知るに値すること」であり、自分が知らない
ことは「知るに値しないこと」だと無反省的に信じ込める学者のことを僕は端的に「学者の腐った
ようなやつ」と呼んでいました。しかし、学界だけの固有種であったこのタイプの人々が今ネット上
では異常増殖しているように僕には思われます。ディスプレイに向かって、グーグルで
キーワード検索をしながら、個別的なトピックについてのトリヴィアルな情報を入手すること
それ自体は愉快なことですし、誰の迷惑になるわけでもありません(僕だって大好きです)。
けれども、そうやって自分が仕入れた知識の価値を「知識についての知識」という
メタレベルから吟味する習慣を持たない人にとっては、どれほどトリヴィアルな情報を
収集しても、それは学的には無価値だということは忘れない方がいいと思います。≫
▼「呪い」が、恐ろしい結果をもたらす事例を、あまりに多くみてきた。
特に、人生に恵まれてない人のそれは酷い。 起こった現象しか見えないため、
その背後の原因を突き詰める能力が無いのである。呪いは、羨望が含まれている。
そのため周囲の全ての人が対象になるから始末が悪い。国会の有様は、正に呪いの政争である。
 呪いの政治は破壊しかない。
・・・・・・
3816, iPadを買った ー3
2011年09月06日(火)
 手元にきてから二週間、iPadにますます虜。パソコンが大好きだが、イマイチ使いこなせかった。
このお陰で?アプリを比較的簡単にダウンロードして気楽に使えるようになったことが大きい。 
更にゲームをパソコンで遊んだ経験が殆どなかった。そこで、まず無料のゲームで子供心に
立ち返って遊んでいる。「自分の人生がゲームそのもの、敢えてする必要もない」と決めつけ、
受け付けなかったこともある。このところ一日2時間は熱中している。まずは無料の小学校低学年?
レベルのもの数種類だが、始めると止まらない。 まあ、いい歳をして幸せなことだが、面白いのは
面白い! 先日、初めてデジタル雑誌をAplleから購入をしてみた。
『 最新 iPadアプリ 特選700』である。「成るほどiPadを買ったことで、iBookが購入出来た」
と一人感心。 そこで気づいたのは、目次から一瞬で項目のトップに切り替わること。
それとitunesの音楽とは逆に、ページの下に次々と、各ページのイメージがスクロールをすると
現れてくる。 雑誌をパラパラと捲るのと同じことが可能である。 また、最後に読んだところが、
次回にiBookを開いた時に自動的に開く。 最近の録画は、最後にみたビデオの部分が自動的
出てくるのと同じ。 さらに字の大きさが親指と人差し指二本で拡大・縮小できるのも便利である。
 何よりも何時でも、何処でも、気楽に見れるのがよい。Podに数千曲入力してある感覚と同じ。
「アプリあってのiPad」が、この本の副題にあるが、PCでアプリを充分に活用できない者にとって、
「iPadあってのアプリ」になる。それぞれの有り難さは違って当然。 私には「iPad 様様」のよう。 
初めて携帯電話を手にしたのに匹敵する。 問題は自分にピッタリのアプリを如何に探し出し
活用できるかである。 無線で、平面で、本の大きさのため、画面にピアノや太鼓の画面を表示し、
作曲したり、演奏をしたり、車の運転席で道路を疾走するする画面のゲームも現れている。
それもネット上で誰かと競技も可能。
・・・・・・・
3451, ニューカレドニアの休暇 −1
 2010年09月06日(月)
 去年はブタインフルエンザ騒ぎで予約をしていたクロアチア・ツアーを急遽キャンセルをした。
その後、あの騒ぎは薬品メーカー(WHOに入りこませた役員)が薬品を売るための詐欺紛いの
扇動と後になって気づいたが後の祭り。恐慌二年目も加わり、25年間、毎年行き続けた
海外旅行が途切れてしまった。そして今年は恐慌三年目、経済的状況は二番底に向け動き出した。
さて、どうするか迷った。毎年9月以降に大きな事件が起こる傾向があるので、最終タイムリミットは
9月初旬まで。 近くで、安く、目だないツアーを絞って盆明けになって探した。
グァム島はありきたり、バリ島は家内が嫌。 オーストラリアはイマイチ。そうこう調べてると
南太平洋の中で「7日間で8万弱のニューカレドニア」を探しあてた。 ワンフライト8時間で、
滞在型で、エネルギーが最小で済むところとあいなった。しかしホテルの一ランク上に上げたり、
現地で4回のオプションツアーに参加したりで、二倍近くになってしまった。それでも15万である。 
振り返ってみて、オプションは2回で十分で、あとはホテル近くの海岸線の木陰で日干しをしたりして、
のんびりするのが正解。 二度と来ないと思うと可能な限り動きたい気持ちに勝てなかったのである。
私の基準の採点では80点。 フィジーが90〜95点とすると少し低いが、私の避暑的時間の
過ごし方になれてなかったこともある。 フィジーと違って、ここはフランス領ニューカレドニア。 
四国ほどの面積に25万弱の人口が住んでおり、小さな多くの島が点在している。 
ニッケルを主とした鉱山資源が豊富。フィジー、タヒチなど年中、常夏な気候に対し、5度ほど寒い
冬がある。この時期は丁度冬と夏の境目。冬で20度、夏でも25度というから、やはり常夏である。 
大まかにポリネシア系の現地人が4割、フランスなど白人系が3割、アジアの移民が3割の比率で、
フランス支配感が強い国で、地中海のフランス領の小島にいるようである。 
その点、フィジーは小さいながらもポリネシアの独立国でありポリネシアの人間的特性が
前面に出ている。料金はフィジーが5割高くなる。 南太平洋に行くなら、何処の国の領地か、
独立国か調べた方がよい。 植民地は白人支配が前面に出ている。
現在、世界は一部の白人が支配している厳然たる事実がある。 インドのカースト制度は、
三千年かけたアーリア人による身分制度で、裏づけにヒンズー教で心まで支配する
システムになっている。一神教のユダヤ、キリスト教も、ほぼ同じ手法で、侵略の尖兵として、
キリスト教で洗脳しながら乗り込んでいく。 そして世界を牛耳っている。 ここで、日本が
アメリカの金融被支配国が表面化してきた。それだけでない、軍事も支配されている現実がある。 
バカではないかというほどの人の良さが小さな島国の運命である。
・・・・・・・・
3076,120年の物指し
 2009年09月06日(日)
 週刊朝日の記事ー 平成維新「次の100年が始った」が面白い。
  ーまずは民主党の大勝の長短の4つの物指しを要約
一、麻生の一年足らず政権、永田町の政治記者レベルの内容。今後、民主党が、
  そのレベルとして参院選挙まで、いかに実績を積み重ねることができるか。
二、次は、四年前の小泉劇場の大勝で、今度の選挙のように逆ぶれで民主党に政権が転がり込んできた。
  4年後の衆院選挙も同じ道をたどることになるかどうか。
三、小選挙区制度ができて15年で、ここでようやく政権交代が実現した。1993年の国会は、「政治改革国会」
  と呼ばれ、翌年には小選挙区比例代表制を含む政治改革関連4法が成立。今後15年で二大政党の
  交代システムが出来るかどうか。
四、120年という物指しで、これが最も本質的な物ざし。明治憲法ができて120年になるが、この間の政治は
  実は官僚に従属してきた。今度の政権は120年の「中央集権国家」を廃絶して新たに「地域主権国家」
  を樹立しようというのである。 自民党も「地方分権」といい、その具体策として「道州制度」を
  導入しようとしているが、あくまで「中央集権国家」が今後とも続くという前提である。
  その官僚主導体制とその中核である財務省による徴税・国債管理・予算分配の「財政中央集権」も続く
  ということであり分権といっても、うやむやにされることは目に見えている。これに対して民主党は、
  国民生活に密接な権限と財源を基礎自治体に渡してしまうもの。
▼ 以上だが、その15年間、延命を繰りかいした自民政権があまりに狡猾であった。それも120年続いた流れで、
 国民が騙されていたことが露出してしまったのである。二度とあの威信は戻ることはない。 
 あとは民主党の自滅を待つしかない。
 ・・・・・・・・・
2711, 臨死体験を経験できるヘルメット
 2008年09月06日(土)
何の知識無しで初めて幽体離脱を経験したときの驚きを今でもリアルに憶えている。
それを契機に、キュープラ・ロスや、立花隆の臨死体験などの本を読み、その経験の意味を知った。
ところが最近になり、アメリカでパーシンガー博士の開発したゴッドヘルメットと呼ばれるものがあり、
これ装着すると万人が体外離脱できるという。博士はてんかんの治療で、脳を電極で刺激する手術を400例以上
やっていて、その手術の際に側頭葉のシルビウス溝と呼ばれる、右耳の上を電極で刺激すると、体外離脱が
おこることを発見した。これで体外離脱した意識が、遠くのものを見てきて、現実と一致したり、霊が他人の体を
ジャックしたイメージも起こるという。 これまでのように脳を開いて直接電極を押しあてたりせず、電磁気で脳を
刺激して、反応を見る研究が盛んのようだ。体外離脱とは、脳の中の幻覚ではなく、アストラル体のような意識が、
抜け出している状態ともいわれる。実際に体外離脱の経験者に装着したところ、同じような経験をしたという。
それまで一部霊能者とか、そういう体質を持った人だけしか経験できなかったことを、科学者は誰にでも体験
できるようにする。 何年もしないうちに、家電の店頭で並ぶかもしれない。 これを被って気が向いたら
幽体離脱をするのも面白いだろう。そういえばアルファー波を発生させる器械を買ったことがあった。
またマリファナを吸ったと同じ気分になるCDのセットも買ったことがあったが、少し酔ったような気分になる。
私は酒に酔いの方が好きだが。他のTPOSが面白いだけであるが・・・恐らく、これを被っても、私の経験した
幽体離脱の緊迫した感覚とは違うだろう。色いろな状況の中で独りで、誰にも言えない奇妙な体験だから
神秘的なのであって、ヘッドギアの器械で幽体離脱をしても、味も素っ気もないだろう。しかし、面白そうである。
 (字数制限のためカット 2014年9月6日)


4922,音楽を愛でるサル

2014年09月05日(金)

 『音楽を愛でるサルーなぜヒトだけが愉しめるのか』正高 信男 (著)
   * 「孤人」の誕生  
 これは「ウォークマンやiPodが、グーテンベルグの印刷に匹敵するインパクトを世界に与えた」
という説。読書は目からの視覚情報手段になるが、ウォークマンは手軽な音楽の手段になった。
それまでは、ラジオ、レコードや、公共の場で集団で聞いていた音楽を、コンパクトな情報端末として
個々が持ち運び可能になった。それが、一般大衆の「孤人」化の傾向を劇的に進むことになる。
それが今ではPCの携帯化とネット化である。  ー内容をまとめると、以下のようになる。
≪:何気なく音楽を聴いているが、実は音楽に喜びを見出せるのは人類だけ。
他の霊長類には音楽への感性が備わってない。なぜこのような違いが生じたのか。
人類出現とともに社会的なコミュニのツールとして誕生した音楽が、言語と分化し、
ウォークマンやiPod、「ひとりカラオケ」など個人で愉しむものに変わるまでの音楽の
起源と歴史、機能から、人類の進化の謎を解き明かしている。・・・
:グーテンベルク以前は、書物という代物はたいへん重いもので、移動するのはほとんど困難。
手書きのオリジナル版が僧院や図書館に保管されていて、読むためにはそこに出かけるしかない。
借り出すことはできないので、気になる記述に遭遇すると筆写するのが常だったが、活版印刷で
状況は一変する。薄い紙にぎっしりと文字をつめ込み、大量に製作することで、安価でハンディな
活字本ができあがった。時期を同じくして、ヨーロヅパ世界では英国を皮切りにして
(乗り合い馬車という世界初の公共交通機関が出現。乗客たちが、この使い慣れないシステムを
活用するにあたり、活字本を持参して移動中の所在ない時間をつぶすという行為を思いつき、
それが普及したとき読書という習慣が社会に流布した。 まず最初は貴族が始めた。
彼らがとりたてて知的欲求が高かったと考えるのは、やや早計だろう。乗り合い馬車のなかの
狭い空間で、身分の異なる見知らぬ者同士が顔をつき合わす、その気まずさに平民よりも貴族が
耐えられなかったことが、大きく影響したのかもしれない。しかし本を持ち込んで、読書をすれば
(または読んでいるふりをすれば)、良い。
:グーテンベルクに遅れることと五百年で、かつて中世で起こったのと同じことが音楽でも
見られるようになった。 ポータブル・オーディ・プレーヤーの最大の特徴は、いつでもどこでも、
セットをすれば一人で音楽と向き合えるという点に尽きるだろう。なるほど当人の視線は拘束を
受けていない。だが本人の注意が視線の先にないことは、誰にも見てとれる。耳から伝わつてくる、
その源に行っているのだ。結果として、「私の今の関心は、目の前にはありません。
文字通り、「心ここに在らず」の状態ですよ」というメッセージを強烈に発信する機能を果たす。
しかも機能的には書籍より格段にすぐれている。手をふさぐこともないし、電車に乗っているとき
ばかりか、通りを歩いていようと、あるいは走っているときでさ、彼らは公共の場にいないことに
されてしまうのである・・ ≫
▼ 視覚だけでなく、音楽を手軽に楽しめる視覚活用に、大衆がウォークマンで気づく。
 数年前から、更にパソコンが手の平サイズの携帯に収まって世界的に普及を始めた。
それで、ネットで孤人が結ばれたのだから、孤人は、それまでと違った「?人」に
変わろうとしている。「?」は「弧」「拠」「壺」?
 現実世界の上にネット社会が出来て、世界を激変させている。
グローバル・ネット社会の住人の呼称は?孤独の群集、孤独の流離い人が、
気楽に、それぞれ結ばれる面白い社会になってきた。
・・・・・・
4555,横尾 忠則の老人論 ー2
2013年09月05日(木)                    
   * 人生の目的 ―バルザックの場合         「猫背の目線」横尾 忠則 (著)  
 ー良く遊び、良く学び、良く働く。その他に、「空白=虚」の領域を持つことー 
これが私の人生の目的。その虚の領域が、バルザックの人生の目的の「休息」になるのか?
生前、死後に取り囲まれた『自分』の外(虚空)を常に意識をするため、休息が必要ということか? 
欧州のバカンスで1〜2ヶ月も休暇をとり、生活圏から離れ、ただボッとする。それが彼らの休息。
日本にも湯治というシステムが昔からあった。軽井沢や那須などの別荘地は、娑婆から隠れる
ためにある。  ーまずは、その部分からー
《 彼は「芸術家にとって暇が労働なのだ」と言う。つまり芸術家は常に規則に従うことを拒絶し、
自らが自らの規則に生きることを本懐としているのである。世の中の潮流や流行は意に介さず、
無頓着でいなければならない。社会や他人の支配に従うのではなく、その時の気分
(そう、この気分が大事である)に従うのを第一義にしなければならない。
バルザックも「芸術家は自分の好きなように、またはやれるように生きる」と語っている。
 「人生の日的は休息にある」というバルザックは、芸術家は例外としてもこの彼の目的は
万人に通じる。先に彼は「芸術家にとって閑暇が労働であり、労働が休息なのだ」と言ったが
芸術家は何もしないでボーッしている瞬間にも、作品の構想を頭の中で練っている。
だか休息中でも働いているのだと言っているのである。働くといえど肉体労働ではない。
知的というか創造的労働を体を休ませると同時に行っている。「芸術家は休む時がないですね」
と言われそうだが、確かにそうだ。でも画家の立場からすれば描いている時は結構休んでいる。
考ているようで考えてない状態、三昧世界に入っているのである。バルザックが
「人生の目的は睡眠にある」と言ったらヤバイが「休息」と言うところがさすがである。
つまり休息こそわれわれが無意識になれる最もベストの状感だからである。
またこの無意識の状態こそ最も健康な状態といえるのではないだろうか。常に頭を使ったり
過度な肉体労働をすることは健康を害することに結ぴつくことがある。バルザックが
人生の目的を「休息」と言ってのけたところには人間の究極の幸せがあるように思う。
大半の日本人は人生の目的を手に入れるためには多忙を極めなければならないと考えている
のではないだろうか。「休息」を目的にしたらきっと落ちつかないに決まっている。
「休息」の背後には芸術家バルザックの優雅な生活というのが存在しているのである。
貴族趣味で家中を金目の物で飾り付けるという優雅さでなく、自由に心の向くままに
生きることこそ優雅な人生の目的であるということを「休息」を通して学び直す必要があると
ぽくは思うのです。》
▼「休息は死後にすればよい」というが、「激しく生きた後の死こそ人生の目的」と言いたいのか?
 先日、新しいCDを出すと、ツアーで同行したミュージシャンから販促を兼ねた手紙がきた。
西アフリカのバスツアーでひたすら海岸線を南下する日程だったが、そこで、「この旅行は、
私にとって仕事。異国のツアーが私に創造を喚起する。しかし税務署は、これを経費と
認めてくれない」と言っていた。芸術家にとって休んでいる時が、創造状態にあり、それを
カタチに移行する状態が、むしろ休んでいる、遊んでいる状態というのは、納得できる。
・・・・・・・
4180, 復讐するは我にあり
2012年09月05日(水)
『復讐するは我にあり』は、キリスト教の言葉で、‘我’というのが神様(イエス)のこと。復讐はまた新たな復讐を
呼び”憎悪の連鎖”が生まれてしまう、それを断ち切るために復讐は神に預けて神の裁きにまかせると言う意味。
この言葉を知らしめたのは、第74回直木賞を受賞した佐木隆三の小説で、5人を殺害した西口彰事件を題材にした
作品【復讐するは我にあり】。1979年に映画化したストーリーとは、≪ 昭和38年。当時の日本はたった一人の男、
榎津巌に恐怖していた。 敬虔なクリスチャンでありながら「俺は千一屋だ。千に一つしか本当のことは言わない」
と豪語する詐欺師にして、女性や老人を含む5人の人間を殺した連続殺人犯。延べ12万人に及ぶ警察の捜査網を
かいくぐり、78日間逃亡したが、昭和39年に熊本で逮捕され、43歳で処刑された。≫ である。
 この「復讐は神に預けて神の裁きにまかせること」の意味を知って以来、怒り心頭になると、この言葉を呪文の
ように唱え、気持ちを収めてきた。逆に、私の逆鱗で多くの人の心を傷をつけてきたが、それ故に何倍も返り矢で
傷ついてきた。その時も、この言葉の意味を痛いほど実感した。年齢を重ねるにつれ、この言葉の重みを感じている。 
要は因果応報で、報いは一番、当人が受けているから、あえて怒りの感情に支配されることもない。怒りの感情は、
相手を毒する以上に自分を害する。復讐となれば更に毒が自分に向かう。とはいえ、家族が殺されたり、致命的な
裏切りの怒りは癒しのしようがない。この言葉を唱えるしかないことになる。逆に祝福を積み続けた人に神は
幸運を与える。「積善の家に福来る」である。しかし、この言葉こそ、ニーチェは弱者の怨念の原因となるという。
領土を奪われた国民が『復讐するは我にあり』と信じ、他力に頼ろうというしたら、国は滅びる。人を恨めば穴二つ、
という格言があるが、復讐は長期的潮漬けにするしかない。「江戸の仇を長崎で討つ」ということ。
グローバル化は弱肉強食の世界になっていく。怨念が世界に満ちることになる。
 ・・・・・・
3815, 哲学人 ー��
2011年09月05日(月)
                     ー「哲学人」ブライアン・マギー著より
  * ー経験の裏側には、常識ではまったく感知できない真理と現実が数多くあるー
 人生の比較的前半で、経験、そして現象の裏側に一般では感知できない真理と現実があることを、垣間見てきたつもり。
私たちは表側の一部だけの事象を見て判断している。知りえる範囲でしか見えない。旧約聖書の世界の創世の物語は
7千~8千年前。当時は、そこまでしか想像が出来なかったのである。それも我々が住む地球が球形で、宇宙に無限に
近い星があることも分るはずがない。現在の我々は、現象の中にある真実を知ろうともしないで日常を流れている。 
その範囲のイメージ内でしか生きるしかないのである。 ー以下の部分が、その辺のことを明快に表現している。
【 現代科学によって明らかにされつつあるように、日常の世界における、そのときどきの経験の裏側には、常識では
まったく感知できない真理と現実が数多くある。 それはしばしば人を愕然とさせるうえに、直観に反したものである
ことが少なくなく、真実であるとわかったところで、とうてい納得できない場合もある。  例を挙げると、
・私たちの周囲にあるどの物体も、分子と原子から成立しており、その原子を構成する素粒子の一部は不規則に
 運動している。これらはすべてエネルギーに変換可能なのだが(あらゆる物体は力に満ちた空間である)、
 こうしたことは常識的なものの見方とは全く相容れない。
・私たちのまわりの空気は、テレビやラジオの微量の電波など、情報を運ぷ見えない波動に溢れており、
 そのほかにも数々の分析可能の属性を有している、という事実にしても同様である。 
・私たちは巨大な球体の表面で暮らしており、その球が表面上では時速千六百キロで自転していると同時に、
 空間を驀進しているといった、ごく基本的な事柄でさえ、(私としてはどうしても言っておきたいのだが、猛烈に)
 直観に反しており、真理であるとわかっていても見たり触れたりすることはできない。この事実はあまりに
 常識はずれであるため、これを最初に発表した人々は、いまからほんの数百年前のことだというのに、ふざけた
 空想家か危険な嘘つきとして糾弾され、そんな途方もない嘘を人々が信じたとしたら、あらゆる真の宗教と
 (それゆえ)真の道徳にとって害になると非難されたほどである。
このように、常識は私たちの置かれている状況を適切に解き明かすどころか忠実に説明してくれそうもないという
ことを、私たちは事実として知っている。さらに、特殊および一般相対性理論によって明らかになったもろもろの
ことや、量子物理学によって明らかになったもろもろのことが示しているように、私たちがじかに触れている物理的
環境は、近年まで人間には想像もつかなかったほど奇怪であり、あまりに常識とかけ離れているため、どれだけ聡明な
研究者だろうと、こうした問題を理解するのは至難のわざ。このような状況のなかで常識的な世界観の擁護を試みても、
やる前から結果はわかっている。この試みはきわめて想像力を欠いたアナクロニズムと蒙昧主義にほかならない。
それは最も粗悪な時代錯誤なのである。 なるべく失礼にならないよう控えめに述べるなら、常識的な世界観は思慮の
浅い人々の形而上学にはなりうるだろう。ラッセルは、それを「野蛮人の形而上学」と呼んだ。ラッセルの言葉で私が
何よりも頻繁に引用してきたものは、つぎに挙げる『哲学の諸問題』(『哲学入門』社会思想社)の一節の最後の文である。
「・・そうなると常識はも、もう役に立たなくなり、私たちは物理的対象の本性について、五里霧中におちいりざるを
えない。そこで物理的対象を正当な理由で心的なものとみなせるとしたら、ただ奇妙に思われるというだけでそういう
説を否定することは正しいはずがない。物理的対象に関する真理は、奇妙であらざるをえない」 】
▼ 歳を重ねると、軽くなっていくか、重くなっていくかである。私の知る限り、教養を積んできた人ほど
 軽くなっていく。生きてきた月日の出来事が所詮は粟粒、チリの様に消え去っていく事象でしかなかったことを
知っているからである。
 ・・・・・・・
3450 秘・異郷の旅、よもやま話 -7
2010年09月05日(日)
 * アフリカに魅せられて
 私がアフリカに興味を持ったのは、私の高校時代の友人がケニアのサファリから帰ってきて、その写真を
見せてもらったことに始る。100枚以上の、ライオンや象、ヌー、そしてチーターの写真が数多くあった。
それだけの写真が、その男が実際に写真に撮ってきた事実が受け止められないのである。そこには、
バルーンから動物を撮った写真もあった。なんで一回のツアーで、これだけ多くの写真が撮れるのだろか?
実際に彼が撮った写真だろうか? 狐に摘まれる感覚であった。 どれもこれも、これまで見たことのない
活き活きした野生動物のエネルギーが写真から溢れ出ていた。丁度、カナダのロッキーに行って、大自然に
魅せられたばかり。なら、アフリカの大地と、野生動物が次のターゲットとして良いだろうと考えた。 
しかし、17〜8年前にケニアのサファリというと、大きな抵抗感がある。
とはいえ、あの写真を見せられた上には、行かない訳にはいかない。そして、初めてケニアのマサイマラの
平原にサファリカーで乗り入れたのである。 平原をしばらく走っていると、遥か彼方に、動物が走っているのが
見えてきた。事前知識は全くないので、期間中にせいぜい数匹のライオンか、シマウマを見れれば儲けもので、
テレビで撮影された動物は、普通は見れないものと、信じきっていた。それが、シマウマが走っているのである。
そして、その後は、次々と、ヌー、ガゼルの姿を見ることができるのである。現地のドライバーが、無線とか、
行きあう仲間同士で、何処にライオンの群れがいるとか、チーターがいるかを連絡しあっている。
そして、夕刻に象の20頭位の群れが一列になり寝ぐらに帰っていくのに出くわした。 夕陽の中に、黙々と
隊列を組んで進む姿が何とも絵になっている。そして、翌朝は、早朝サファリである。この時の参加者が4名に
添乗員が一人。我われ夫婦に40歳ぐらいの中年の男の一人参加が、二人のため、ペースは我われ夫婦になる。 
これほど、都合の良いサファリのツアーは今だかってない。どの場面をとっても、強烈な印象が残っている。 
最初のサファリは、誰にとっても、そうらしい。
 ・・・・・・・・
075, 父は疲れてしまったのです!
 2009年09月05日(土)
 * 民主308議席の衝撃 ー朝日新聞ーオピニオン高橋源一郎 9月4日
 朝日新聞のオピニオンのコーナーの高橋源一郎の「父は疲れてしまった」の例えが言い得て妙。
  ー概略とは
《 今回の政権交代は、自民党が古いタイプの家父長で、国民がその「妻」、民主党が自民党から生まれた「子」
と考えとわかりやすい。要するに「熟年離婚」なんですね。「妻」である国民は「夫」の自民党に何度も裏切られても、
なかなか別れることができない。離婚など出来ないと思い込んでいたからです。「夫」も、浮気をしても喧嘩をしても
「妻」は自分のいうことを聞く、過半数は取れると思い込んでいた。両者とも「離婚」という発想がなかった。
でも、05年の選挙で、投票で政治が変えられると気づいてしまった。それなのに定年に近づいた「夫」がまだ
威張っている。そこで「妻」は離婚届を突きつけた。 一方で自民党も、実は離婚を無意識で望んでいた?。 
一種の自殺願望。小泉が自民をぶっ壊すといい、安部、福田の二代の総理が政権を投げ出した。 もう死にたいという
自殺願望である。半世紀以上も政権にいたことで金属疲労を起こし、当人たちは、もうやめたいと思うようになった。
国民は「戦後」的な関心を失っているのに、自民党だけが旧言語で話している。
彼等はそのことを体感としてわかっていても、あまりにずれていて、自分ではどうしようもない。
「子」である民主党は、自民党から脱皮した形で生まれた政党。だから、いち早く「戦後」から脱皮できたのです。
自民党の大物議員に「小沢チルドレン」の女性をぶつけたのは、「家父長的な老人と若い自立した女性の戦い」
という構図を見せつけたかったからです。 民主党は、この選挙が過去と現在の戦いということを知っていた。
「いま」や「変化」を掲げて、「現在」という時空間に適応したからこそ、大勝できたのです。
自民と民主党は、いわば違う時空間に存在している、だから、「現在」の中での価値の争いとはなりにくい。
恐らく、自民はこのまま自壊していくんじゃないか。 民主党は、自民党という「父」を敵にすることで結束してきた。 
一度「父殺し」が成功してしまえば、兄弟げんかが始まり、分裂しかけない。それをどう防ぐかが大きな課題になる。》
 = 作家とはいえ、全く上手い例えを思いつくもの。ギリシャ神話のオディプスの父殺しを、持ち出すとは。
このように一度、殺されてしまえば、父への思いは何だったのか?、ということになる。
森、安部、福田、山崎拓などの権威が元に戻ることは無い。 「自民党パージ」である。
社会党の残党が隠れ住んでいるが、これらも森、山崎拓と同じ穴の狢。 
一度、分裂した後に再編成のプロセスが必定だが、少し勝ちすぎたのが時期を遅らせてしまう。
 自民党という父は疲れただけでない、殺されてしまったのである。困ったのは、本人たちが解ってないこと。
 ・・・・・・・・・・
2710, 今東光の話題
 2008年09月05日(金)
 以前に、今東光の毒舌の味と凄みについて書いてある本を紹介したが、インターネット上の検索で見つけた
「極道辻説法」の一部抜粋してみる。自分の年齢が、この人物の年齢に近づき、若い人に対する視点が似てきたのに
驚いているが、今東光の足元すら届いていない己との距離も見えてくる。今の時代が、この馬鹿な質問者よりも
レベルが下になっているのか?。彼が現代の日本に対して曰うとしたら、こんなものだろう!
「この馬鹿野郎!手前ら、ここまで成り下がったのか、エエ〜! アメ公の毒饅頭をまだ食べてんのかよ〜!
ブチ殺すぞ、この野郎。 
  (字数制限のためカット 2013年9月5日)


4921,一度、死んでみましたが −3

2014年09月04日(木)

     * 死の淵からのルポの凄み 〜②
 ー淡々とした文章だが、内容が内容だけに凄みがあるー
  ● 細やかな喜び ーp48
 いま寝ているベッドは、"オリ"のようだ。 気を緩めて、身体を狭めると、柵の範囲がすかさず
小さくなってくる。 一度、詰められると、迫ってきた柵は、もう動かない。
身体全体が、不自由な位置で止まる。あらゆる方向へ、もう一回、自分の手足を伸ばす必要がある。
右手で左の柵を持って、右半身を持ち上げる。または、その逆。
目の前に、柵が迫る。 柵のなかで、のたうちまわる。 トドみたいだなあ、といつも思う。
思うようになかなか動けないのだが、ベッドの柵を持って、バタンバタン、ドタンドタン。
ほんの少し、右に寄れた。それでも、‘身体’を感じて、ボクは嬉しいのだ、
自分で、自分の身体を、動かせたことを。 だけど、いつもできるわけでもない。≫
  ● 書くことが、生きること ーp222
 自動体位交換機能付きのエア蓄ベッド。それに助けられて、ボクは寝ている。
1時間おきにガーガーと音をさせて、エアーが入る。そして、ボクの身体は右に傾いた緊左に傾いたりする
家族が1〜2時間おきに椅子に座らぜてくれたりもする。自分では動けないからだ。
 こんなに身体が変わってしまったのが、いまでも信じられない。つらかった。けれど、どうだろう?
そうなってしまった身体を嘆いていても、しかたがないじゃないか!
 このつたない文章が、いまのボクにできることなのだ。
どうしても書かなくてはならなかった。ボクには唯一、書くという機能を神さまが残してくれていた。
書くことが生きていてよいと唯一、言ってくれている気がするから、ボクは書き続ける。
脳のほうはさっぱりだけど、書くことができる。
その機会を与えてくれた友人や仕事仲間に、感謝しても感謝しても、足りないくらいだ。
本当に、ありがとう。
 これからもボクはつまらなくても、忘れても、書き続けると思う。
これからもずいぶん、おもしろい人生を送ることができそうだ。
迷惑をかけてしまうかもしれないが、これからが楽しみだ。
書くことが、生きることなのだ。 書いて、書いて、書きまくるぞ。  ー2013年12月 神足裕司
 ▼ 著者は、家族が身近に世話をしてくれているが、介護重度5の老人は生きていること自体が拷問。
 これは、病院の利益、家族の無知のため、拷問のため生かしておくのと同じようなもの。
安楽死も最近になって正面から取り上げられるようになったが、まだまだである。 現在の私は、 
「知ること、書くこと、何気ない日常を味わい楽しむこと」が、生きることになっている。
そうこう考えると、まだまだ日常生活を色濃く、その間の「ぼんやり」時間を大事にすべきだが・・
――――
4554, 横尾忠則の老人論
2013年09月04日(水)
                      「猫背の目線」横尾 忠則 (著)
  横尾の戒老録だからこそ、風がわりで面白い。「猫背の目線」とは「老人のものの見方」という
意味である。 私より10歳年上で3年前の初版で、古希越えの経験が書いてある。 再来年に古希
越えの私に丁度良い老人論。   
    ーアマゾン内容紹介ーより
 ☆ 体の声を無視した結果がストレスを起こす。老年を迎えた猫好きのアーティストは、
嫌なことはせず、好きなことだけをして生きる。少し日常の目線をずらしてみれば、あなたも今日から
できること。最新エッセイ集!
 ☆ 古稀を迎えた猫好きの芸術家は考えた。「忙しいのは他人の時間に振り回されるから」
「病気自慢が体を浄化する」「努力は運命の付録のようなもの」―老年が人生を仕上げる
時期ならば、ひとつ人生を遊んでやろう、遅ればせながら
  隠居を実行しよう。自然に、創造的に生きたい老若男女必読。
 ー アマゾンのレビューの内容がよい! 出版社か、筆者自身?の
書き込みと疑いたくなるほど、である。
《 「今まで芸術と生活を二つに分けて、芸術に集中さえしていれば生活を疎かにしたって
どうってことないと考え、全てを芸術論でかためてしまう人生観を送ってしまったところがあった。
芸術は芸術の中でのみ完結するという錯覚は、完全に幻想だったことが理解できた気がする」
 この言葉が核心といっていいだろう。 若い頃から、ナルシシストで自意識過剰の横尾は、
75歳になる今年も、そこから抜けるために未だ苦労している。自意識過剰から抜けるための
試みの一つが、全国あちこちでやっている公開制作である。 公開制作について横尾は
「(公開制作を行っていると)無私になる。不思議なことに雑念が去来しなくなる。
『私』の意識が薄れる」と語る。この公開制作時のテーマは「T字路」である。なぜT字路なのか?
それは62〜63歳の頃に10年ぶりに帰った故郷の西脇で、子供の頃に良く通った、
T字路に建つ模型屋が奥の壁を残して、あとは見る影もなくなっている姿に、膝が崩れ落ちる
ような衝撃を感じ、そのT字路を描くことでノスタルジーをもった「個人」から自由になり
「普遍的な個」と感じるからだ。横尾は幼児の頃に叔父の家に養子に入り、溺愛され育った。
彼にとって過去の記憶はすべてよきものと言っていいだろう。決して忘れたい過去に苦しむ
人間ではないのである。芸術と生活は別、と考えて60代にまで至ったこと自体にに驚くが、
同じくナルシシストで、「芸術と日常生活は別」と同じことを言っていた三島由紀夫に傾倒し
多大な感化を受けていたことを考えると、不思議ではないのかも知れない。》
▼ 横尾は、「隠居は、嫌なことをしない、好きなことだけをする生き方らしい」と、述べている。
それからすれば、昔から隠居ということになる。目先、不自由でない位の金と、有り余る時間が
人生を通してあった。足らなかったのは、それを使うほどの能力。 事業人生の結果は、
自己精算に近い事業整理で終わったが、充実感が残った。それは、有り余る自由な時間に
恵まれていて、事業も生活も趣味も楽しんだ手応えが残っているから。そう思うしかないが・・
・・・・・・
4179, プライドと自尊心と虚栄心
2012年09月04日(火)
 * 「プライドが高い」「誇り高い」「自尊心が高い」の違いは?
言葉のイメージとしては良い順に ・自尊心がある ・誇り高い ・プライドが高い になる
 ー 哲学者の池田昌子は、このへんのことを解りやすく説いている。 (ー14歳からの哲学ーより)
≪「自尊心がある」はプラスを含んだ言葉で、「プライドが高い」は自分の弱さをカバーするための防御する気持ち。
自分がしていることを自覚できるのは、それについて考えられる精神を所有している人間だけ。精神は自分を自覚する。
精神としての自分を自覚する。そこで精神にとって精神よりも大事なものはないと知る。なぜなら、精神としての自分に
とって何が大事かを考えることを知ることができるのが、まさに精神だからだ。自分を大事にするとは、つまり精神を
大事にすることである。「自尊心」とは、自分を尊ぶ、自分を愛するということの、本当の意味がこれだ。
自尊心を持つことと、プライドがあるということは、間違いやすい。誰も自分が大事で、プライドがあると思っていれば、
他人に侮辱されても腹が立たないはずだ。なぜなら自分で自分の価値を知っているなら、他人の評価は気にならないはず。
もし腹が立つなら、自分の価値より他人評価を価値としているからだ。それは自尊心でなく、虚栄心ということになる。≫
▼ 自尊心は『本当に自分を尊く思える心』。プライドとは全く違う。人から否定的な事を言われたり、弱い自分が
さらけ出されても自尊心が高ければ、心は揺らがない。自尊心が低いと、他人の評価を気にしてプライドと言う
虚勢で弱い自分をカバーする。プライドの高さは虚勢の高さに他ならない。自分を尊び、価値ある存在と信じる
自尊心とは違う。そのため自尊心の低い人ほどプライドが高くなる。年齢をかさねるにつれ、それが小さくはなるが、
女子と小人は、その壁がますます高くなっていく。誇り高いというのはプライドと意味は似ているが、虚勢の高さは
プライドほど高くはない。自尊心とは自分に自信があって生まれる。プライドは、自信がないための防御の柵をいう。
無知蒙昧のカラ元気。 居るよ、こういう人!地頭が悪いというか、底がない? 何か、自分のこと?と思い知る。
プライドも自尊心もズタズタ?が現在の私だが、ことの本質(世界恐慌)をみれば極当然のこと??
と、プライドの心が囁き出す。そして、そのプライドの壁の上から、そこに来ている恐慌の大津波を眺めている日々。 
 ・・・・・・
3814, リタイヤの生活は退屈か?
2011年09月04日(日)
 良かったのか悪かったのか、10代半ばから常に受験、就職、事業などで、常に追い立てられて生きてきた。 
しかし思いもよらずに? ここで追い立てられてきた人生から50数年ぶりに解放された! のが、現在である。 
その前のイメージは、本音でいえば味も素っ気もないのでは? と思っていた。
しかし、その立場になって分かったことは、「それはそれなりに充実している」ことである。
 10年かけてネットに重心を移動していたこともあって、気持ちに余裕がなければ、こうはいかないのだろう。
事業の結果がこうとしても、これだけ世界規模の経済震災や自然災害が次々と生じれば、諦めもつくもの。
現在の状態を抵抗なく受け入れている自分に驚いている。逆に、何だったのか、この10年は?と、疑問も生じる。
止めようもない右下がりの落ち込みに、対処療法しか手の打ちようがない日々も辛いもの。6年前に銀行からの
会社売却の話があったが、これは「生きたまま銀行系列のホテルに、ただ同然に持っていかれるレベル」の案件。
あれから6年間も持続した分、実質な回収とも解釈ができる。 反面、倒産は避けられたかもしれない。
それに関しても後悔は全くない。 目先の資金繰りの綱渡りは、事業人生で一度も経験したことはなかった。 
半年後には給料、退職金の大部分も、取引先の支払いも、(資金繰表から逆算して)不能になるのが明確であった。
そのため目先資金の余裕のあるうちにと、会計事務所、弁護士、私と役員で相談の上に、少し早目の整理に入った。
それが打撃を最小限で終わらせたことになる。 そうはいっても会社の死は、そう生易しくはない。 
 当分はiPadに集中。 最適なアプリを画面上に配置することと、新しい何かにチャレンジすることである。 
10数年前に亡くなった母親の老後の様々なチャレンジを身近にみていた。その辺にヒントが隠されているようだ。 
「良い人生、悪い人生ではなく、充実している人生」がキーワードになる。
 ・・・・・・・・
3449 秘・異郷の旅、よもやま話 -6
2010年09月04日(土)
  *初めて経験した大自然の懐
 広大な大自然に初めて唖然としたのが、カナダのロッキーの懐に入って時である。
トロントと、ナイアガラの滝をみた後にロッキーを巡るコースのため、その途上のバスの中で寝入ってしまった。
そして目を開けると、何かこれまで見たことのない山々と渓谷が続いている。「これは、まだ夢の中。
それにしても、リアルな夢じゃないか」と思っていた。しばらくして、これが夢ではない現実に気づいた。
これは何処かの星の異次元の世界としか考えられなった。(その後、これと同じような異次元の世界を数多く見る
ことになった) そして、次から次へと想像を遥かに超えた光景が、これでもか、というほど現われてきたのである。 
「これまでの人生と、これからの人生という境になるほど、この感動は大きい」という言葉が、溢れ出てきた。
これをキッカケに大自然に魅せられ、世界の秘境・異郷の大自然の世界に引き寄せられるようになった。
 大自然には、
・「山脈」「湖」「滝」「川」「氷河」「密林」といった山脈系
・「海・海岸線・島」「クルージング」という海系
・そして「平原・草原」「サファリ」「砂漠」の平原系がある。
 目的別に分けると、リゾート、探検、遺跡探索などの知識収集、そして祭りなど、分かれる。
 どれが一番というのは一概にはいえない。どれもこれも、素晴らしいとしかいえない。
 ・・・・・・・
3074,立花隆の緊急寄稿ー「自民党の破滅」
 2009年09月04日(金)
 週刊誌は図書館か昼飯時の喫茶店以外は読まないが、週刊文春の新聞広告が面白そうなので買って読んでみた。
 特に立花隆の緊急寄稿「自民党の破滅」に興味があった。 
 副題が「小選挙区制度の罠」で、民主308議席、自民党119議席の結果について書いている。 
  ーその概要といえばー
「日本はいつから「政権交代」を叫ぶだけのドブ板選挙で大勝できる、貧しい政治文化の国になってしまったのか。
 ぶっ壊されたつつあるのは自民党だけでない。日本国そのものなのだ。」というのが主旨である。 
小選挙区制度にしたことと、派閥を無くしたことが大きい。そのために都(県)議会並みの小さな選挙区では
ドブ板選挙活動を基礎にするかどうかで勝負が決まる。その結果、そこで育つ政治家のスケールが小さくなってしまう。
小選挙区制度になってから出てくる国会議員の人間的スケールが都議会議員並み。 国会議員レベルで、
国政を安心して任せる人格識見の持ち主が殆ど見られない。 これまでの中選挙区制度では、派閥があり、
そこで政治家を大きく育てるパドックの役割があった。 そこで政策力、リーダーシップ、そして政治家として
の日常のふるまい方を学んだ。自民党の中で、派閥の領袖は自派には総理総裁候補が多くいると自慢できた。
それが自民だけでなく民主党も、人材が払拭してしまった。
 自民党が「責任力」をスローガンにしたのは呆れるしかない。 せっかく総理大臣になったのに、その職責を
充分に果たせずに任期途中で政権を放り出すことを二度三度も続けた政党は、無責任の極地にあるというべきだ。
こういう中で、GDPの170パーセントの長期債務をいったいどうするのか。 両党とも、これをどうするか、
一回も真剣な議論が聞こえてこない。 小泉は「自民党をぶっこわす」と宣言して、伝統的な集票システムなど様々な
システムを壊したが、それが遠因で自民党の大敗につながった。選挙の当座だけ尤もらしいことを並べ立てて、あとは
TVを通じてプロパガンスを並び立ててしまえば、大勝を博すことが可能というのを05年の小泉郵政選挙が示した。
今回の選挙も大して変わらないのではないか。最大の心配なことは、自民党の「ぶっこわれる過程」に巻き込まれる
形で、「日本のぶっこわれ過程」がはじまってしまったのではないか、ということだ。民主党を含む日本の野党には、
口先だけの尤もらしいことの経験があっても、責任政党として国政を担ったことはない。その経験が無いことを
自覚して、一歩一歩を薄氷を踏む思いでいかないと、日本を本当に破滅させてしまう可能性がある。
−−
以上だが、自民党も一度政権を離れてしまえば「何で、こんな党に政権を預けていた愚かさ」に国民は心底から
気づくことになった。そうこう考えると、政界再編成は近い将来必ず起こる。もちろん自民党は解党をしてだが。
民主が政権を取ったところで、800兆の借金が消えるわけでない。ますます、借金が増えるのではなかろうか!
・・・・・・・・・
2709, アメリカのコーヒー戦争
 2008年09月04日(木)
不景気が外食産業を直撃している。アメリカではスターバックスが苦戦している一方、マクドナルドが好調という。
数年前までは、マクドナルドのコーヒーは不味くて飲めたものではなかったが、最近は格段と美味しくなった。
スターバックスのコーヒーが4杯ドルに対して、マクドナルドが1ドルと4倍も違う。そのため不景気とガソリンの
高騰で、コーヒー好きのアメリカ人は低価格のMcにながれているようだ。二年前の株価を見ると両者とも35ドルと
拮抗していたが、現在ではスターバックスは、その半値、Mcは2倍になり、4倍の開きが出来てしまった。
皮肉なことに、売価が逆の倍率になってしまった。4倍といえば、味が大して変わらなければ、Mcに流れるのは当然。
そこでMcは低プライスのコーヒー専門店チェーンにも乗り出した。日本国内でも、不況の煽りで、スターバックスと
ドトールも売り上げが前年割れをしており、それに対しMcは売り上げを伸ばしている。通勤途中の長岡駅周辺に
スターバックス、Mc、Uccコーヒー、ドトールがあるが、 最近、Mcとドトールには客が多く、コーヒーの値段が
400円以上のUccと、スターバックスは客が少ない。また新潟駅と長岡駅にパンとコーヒーに絞ったカフェテラスが
あるが、両者とも好調。この20年来、個人経営の喫茶店がほぼ消滅した。ところが新潟の事務所の真前にコーヒー
専門店が二年前にできた。それ以来、週に1〜2度はランチを食べに行くが、基本に忠実なコーヒーを出してくれる。
コーヒーは、良い豆を使って、基本に忠実に出し続けることが要求される。その維持がなかなか難しい。
この不景気の中、身近なランチや、コーヒーから節約をするもの、安いコーヒーに流れるのも仕方ない。
自動のコーヒー販売機のコーヒーがプロ並みに美味しいのに行き当たった。コインを入れてから、コーヒーを
炒って出す?ので、時間が4分ほどかかる。月に一度新潟駅の至近距離にある専門店ビルの地下のイオン内にある
カフェテラスの自動販売のカプチーノが美味い。月に一度は行きパンとコーヒーを飲んでいるが、目当てはカプチーノ。
Sサイズで150円、Lサイズで200円だが、充分満足できる昨夜のニュースで、昼飯に弁当持参が復活していると
報じていた。何か、身につまされる思いである。でも、暗い感じでないのが救いであるが・・・
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2007年09月04日 
「エーゲ 永遠回帰の海」 −1          −読書日記
  * 作者: 須田 慎太郎, 立花 隆 情報社
ポルトガルか、秋の紅葉のカナダか迷っていた時に、この本を読み、今年の旅はギリシャ・エーゲ海の旅を思いたつ。
(字数制限のためカット 2013年9月4日)


4920,閑話小題 ー女社会のカースト制度

2014年09月03日(水)

   * お笑い、女社会のカースト制度
 以前、目白の高級?住宅街の住人の、「渡り僧侶」の奥さんが、このカースト制度社会で虐められて、
相手の子供を殺してしまう痛ましい事件があった。 今朝のTVで、そのカーストの実態を放送していた。
「巷の社会学」を40数年、独学を続けてきたため、その扱いが面白おかしく一人ニヤニヤしながら
見ていた。それによると、階層が、セレブ、中間層、最下層の三階層あって、大部分を占める中間層が、
セレブもどきの小金持と、普通のサラリーマンに分かれている。そして最下層は、その中に入れずに
除外されている人たち。 その色分けは、セレブは高級マンションからアパートの住まいと、
子供の学校のレベルと、夫の年収と社会的地位などでされる。セレブもどきは、中級のマンションか
一般住宅の住人で、一億前後の資産? 最下層はアパートか、中間層から排除された人。
それをわきまえてないと、露骨な嫌がらせか、村八分にあうという。 
高層マンションの住民にも、上層階ほど値段が高いので、自然と上ほどランクが高くなるとか。
男社会の仕事の現場も似ている。 それは面白いが、一切に触れないように、アウトサイダーに
徹し、ガードを張って生きてきたが、この事態に、差別?の露骨な嫌がらせに何度か受けたが、
20年近く前から、森の住人から、サバンナに軸足を移動していたため、動揺は少なかった? 
というより、コミカルな蔑視の対象にしてきた。
 ところで数年前、家内のところに、見知らぬ人から一枚の手紙が来た。 その内容が
「近くの高齢者向マンションの住人で、人伝に貴女が共立女子大出身と聞きました、何かの御縁、
お茶でも飲みませんか」の誘い。 断る理由もないので、早速、ホテルのレストランでコーヒーを
飲んできたが、時々、同窓の集まりがあるので、参加しませんかの誘いであった。あとで知ったが、
この会の新潟支部長の長男と、私の長男が高校の同級生で、恐らく、その人からの指示があった
のでは?と推測された。 で、何時の間にか、その世界にドップリ浸かり、今では支部長の妹分?
のようだ。 人から見たら、カースト制のセレブ?か、セレブもどきの世界。
その顔ぶれは?? 慶応出の女子部会も、あると聞いたことがある。この視点でみれば、
家内はセレブ社会の住人に入り込んだ「セレブもどき」で、私は最下層の住人になる。
いや、最下層からも弾けだされた人非人。元もと触れなければ、一切関係ない世界。
これに拘り視界狭さくをしているのが世間様。娑婆娑婆である。
 ーまた偶然だが、以下の文章は、子供時代の目線の中に、その存在が、モロに現れている。
・・・・・・
4553, 51年前の小学校の写真にタイムスリップ ー2
2013年09月03日(火)
 写真を見ながら、当時の20人の男子同級生のフルネームと実家が何をしていたか思い出してみた。
私を除いた男19人中15人の8割近くのフルネームと、各々の実家の職業は全員、憶えていた。
半分以上は幼稚園から同窓で何処かで同クラスだったためだろう。 焼鳥屋、自転車屋、ペンキ屋、
乾物雑貨屋、美容院、衣料卸、床屋2人、和装店、電気店、青果卸業など、駅前もあって商店主の
子供が多い。実家を継いだのは3人。 青果卸業(兄が継いで現在、社長をしている)と
土田塗装以外は、消滅?している。51年も経てば当然のこと。中学校は全員、東中学校に進み、
2、3年時での同クラスは男は私を含めて7人。女は3人。その後の人生をみると、高校と、大学に
進むにつれ分別され、そこで大部分が決まってしまう。それ以前から血筋で決まっていた? 
当時、4Fの鉄筋の商店ビル3Fの住居を、この頃に駅裏に引っ越していた。やっと商店内の
生活から解放された。 と同時に、勉強に遅ばせながら目覚め始めていた。目の前のライバルが
ハッキリしたこともある。実家の力関係と、相撲の強さと、学業の成績で、微妙な力関係が
出来ようとしていた。 その頃、ある姉に成績の良くなるコツを教わった。「一つでも良いから一度、
テストで百点をとってみな! そうすると、他も自然に良くなるから!」 その時、「これだ!」と思い、
実践したのが勉強の目覚めの第一歩。他に店から自宅と生活環境が変わったことが成績に大きく
左右をした。 また中学二年時に兄と同室だが、勉強部屋と机を与えられたこともある。
勉強の出来不出来は勉強空間の親の配慮が大きく影響するもの。 
当時は隣家に遊び好きな一歳年上の子と遊びまくっていた。その上、居間にTVが入って
夢中になっていた中ニの後半に、それをみた同じ姉に、「慶応高校に挑戦してみな!」と言われた。
そこでガムシャラな勉強を始めた。 一年の即席では無理だったが、その挑戦がなかったら
地元の受験校さえ入れたかどうか? そのことから具体的に目標を定め無我夢中になる
重要性を学んだ。大した玉でないことは確か。だから水面下の独学は必要だった。
 話は逸れたが、写真を通し当時にタイムスリップすると、同級生と自分がディズニーのキャラの
ように見える。頭でっかちで、親が、そのまま縮小したような姿で、未来の人生に向かって精一杯
生きていた。 この切り口は、人生の全ての場面に当てはめることが可能。自分とは過去の
積み重ねから成り立っている。記憶を失うとは、自分を失うことになる。この文章を書いていて
気づいたことだが、80歳まで、あと12年の現在、生から生前(無)に逆照射すれば、同年代になる。
その意味で、団塊の世代にとって、昭和三十年前半は意味がある。
里帰りということか。 やはり「人生は生きているうち」。
・・・・・・・
4178, 事実と真実と真理について
2012年09月03日(月)
  * 「真実」と「事実」の違い
 事実の中にある真実とは、そもそも何かという素朴な問いかけがある。 
以前、自宅に電話の苦情があった。「さっき、お宅の犬に突然に飛びかかられた。
子供のヒモが外れたのは分かるが、危険過ぎないか。腹の虫が収まらないので、電話をした」
と御立腹の様子。ところが家には子供も犬もいないので、「何かの間違いではないですか?」
というと、「御宅の前のアパートに住人で、駐車場から突然、飛びつかれた」という。
そこで「電話番号を間違えたのでは?」というと「間違いない」と、押し問答。
後で分かったことだが、自宅奧の貸家の住人が、何時の間に犬を飼っていたのである。
それなら、勘違いをするのは分かる。アパートの住人は裏に、もう一軒、家が存在しているなど
知るよしがない。事実は、我家の駐車場から飛び出してきた犬が突然、飛びかかったのである。
その現象の事実は、そうだが、真実はこうである。今回の倒産劇で、B層、C層レベルの創作話が
多く流れたようだが、誰も好意的解釈などするはずがない。
 ー 以下は、、ネットで、「事実と真実」を検索してみた内容である ー
≪●「実際に起こった事象『事実』に対して、それを個人、または集団の心理、または理解を通して
  視られるものが『真実』である」
 ● 事実と真実の違いは、5Wのうち「いつ、どこで、だれが、何を」について言うのが事実です。
  表面には現れない「なぜ?」を見つけるのが真実を見つけるということ。
 真実を追求するというのは、 事件や問題の背後にある何故そうなのか、を見つけること。
 ● 真実・・・嘘のないこと、本当のこと
   事実・・・現実に起きたこと 本来なら「真実」=「事実」にならなければならないが、
うはならないことが多く「多くの人間は見たい現実しか見ない」。 真実とは「見た人が見たい
現実をみているもの」、 事実は一つだが真実は人の数ほどある。 真実はそれを口にする人の
価値観と切っても切り離せない。 「事実」は人間の外部にあるものだが、「真実」は人間の内部に
あるもの。「客観的事実」という言葉はあっても「客観的真実」という言葉を聞かない。
問題は、人の認識がそういうものである以上、はたして、「事実」を「事実」として認識できるのか?
という問題が生じる。そうなると、「真実」というのは本当にあるのか?という疑問も生じる。≫
▼ 寺山修司の言葉に「真実の最大の敵は事実である」がある。真実は、事実の中にある、
それぞれの解釈でしかない場合が多いからである。世間では「事実の最大の敵はウワサである」
になる。それがウワサがB級層では事実になってしまう。教養とは、そのへんを見分ける知識の
蓄積をいうが、とにもかくにも考えない人が多い。ひと事ではないが。そういえば、学生時代のゼミで、
ケーススタディを一年間してみた。次回分のケースのプリントを渡された内容を10人ずつ
二グループに分かれて議論して、それを持寄り20人の円座を組んで再び議論する。
提出された問題の中の答えとの誤差を、更に議論する。半年も月4回もしているうち、
その誤差が無くなっている。事実=現象の中の真実、真理を見通す能力の訓練だった。
 ・・・・・・
3813, 無知の涙
2011年09月03日(土)
 * 問題は悪意より無知から生じる――ハンロンの剃刀
  ー「ハンロンの剃刀」とはー
「無能で説明できる現象に悪意を見出すな(愚かさによって充分に説明できることを悪意のせいにすな。)」
頭にきた行為が愚かさで説明できれば、必要以上に悪意を想定するな!ということ。この定理を知ると、不満や
トラブルに遭遇した時に、相手が本当に悪意に基づくものか、無知や愚かさからくるものか、を間をもって判断できる。 
そうすれば、その大部分が無知からきていることを知る。 しかし現実に厄介なのは、悪意より無知からくる方で、
無知の自覚がないから始末が悪い。 「知らぬが仏の恐ろしさ」を、他者に、あまりに多く見てきた。
いや、それ以上に過っての自分を振り返ると無知の涙を経験してきた。今もか。 人生は無知から生じる問題を
解決するプロセス。大体のことが、この法則で(少なくとも他人への)怒りをなだめることができる。それで問題は半減。 
「本来、人を理解するのは至難のわざ」である。 自分さえ分からないのに、他人のことなど分かるわけがない。
その他者に悪意を見出しても何にもならない、という道理は納得できる。 一番怖いのは、無知の善意。あとで、
悪意がついてくる。 ー「ハンロンの剃刀」をネット検索で調べるとー
【 ハンロンの剃刀とは、オッカムの剃刀の代用品である。あくまで代用品なので、切れ味はそれなりである。 
しかし、その切れ味の悪さは単に研磨屋の腕が悪かったり、粗悪な鋼を使ったりしているためであって、別に悪気が
あった訳ではない。もちろん穿った見方をすれば「腕を磨いておかないのは研磨屋の怠慢すなわち悪意である」とか 
「素材に良質な鋼を用いないのは商業倫理に悖る卑劣な行為」とか言えないこともないが、そう何でもかんでも
バッサリと切り捨てないのが優しさと言うもの。要するに「無能な(≒悪意はない)んだから、許してよ」という言い訳。
「無能で説明できるなら、それに悪意は存在しない。】
 何かドッキとする言葉。 無知蒙昧を、一々取り合わない、腹を立てるだけロスということ。
出来たら、孤高でありたいが・・無理。
  ・・・・・・・
3448・秘・異郷の旅、よもやま話・・5
2010年09月03日(金)
 * ツアーあれこれ ー4
・パック・ツアーに参加するか。・旅行代理店に行って窓口の担当に旅行の目的をいい、行程を組んでホテルや
飛行機の手配をしてもらうか。
・旅行先の現地のパックを探してもらい飛行機の搭乗券と組み合わせるか。
・それらをネット上で、全て予約を組むか。
・それとも、飛行機だけを予約して、現地に行って出たとこ勝負で、ホテルとか行き先を決めるとか、
 旅行にも色いろな方法がある。 
人見知りをする私にとって、パック旅行は最適なシステムである。 旅行パックシステムは欧米から発展してきたもの。 
全国から同じ目的を持った者がチームを組んで旅の目的を達成する。その最適パッケージを代理店が企画販売するのが
パックツアー。激しい競争の中で、パッケージの商品は年々、改良されていく。 その進化したシステムを如何に
合理的に使うかである。インテリと称す何?が時々、パッケージ・ツアーを罵倒している文章に出くわすが、彼等は
そのシステムの合理性を知らない。これがなければ「ケニアでヌーの河渡り」や、タンザニアのセレンゲッティー草原で、
チーターの狩りなど見れる訳がない。それを可能にするには、10倍近い金額と期間が必要になる。 
それ以前に、そんな気持ちになれない。南米のべネゼイラのテーブルマウンテンに、地元のインディアンが先導する
ボートに乗って奥地にいき、キャンプをし、飛行機で上空を旋回し、エンゼルフォールの滝の下から1千Mの滝を
見上げることなど出来るわけがない。 南アフリカで、ボツナワとザンビアの国境の橋の上から100mの高さからの
バンジージャンプなど出きようがない。代理店は普通のパック商品では生き残れないから、各種のパッケージを開発する。
特に中小は、自社の強みが何かを探し出して、それを売りにする。ケニア・タンザニアを専門にしたり、イスラエル
だったり、アマゾンだったり。それをパッケージにして、可能な限り格安に売りに出してくる。面白いところでは、
ツアーのベテランを狙って、秘境・異郷のツアーに、かなり厳しい教育の入った自前社員を組み合わせた一ランク
値段の高いパッケージを売っている代理店もある。それも、ランクがあって特Aの客層狙いだったり、A狙いだった。
特Aの団体を時どき見かけるが、人相からして違う?一度、パタゴニアのツアーで参加したことがあるが、成程である。
 ・・・・・・・・・
3073,飲み屋横丁考
 2009年09月03日(木)
 このところ重い内容が続いたので、飲み屋横丁考でも・・・
飲食街は幾つかの飲み屋横丁と、飲食ビルの組み合わせから構成されている。飲食街そのものは50年〜60年の長年の
歴史の上に成り立つ。その飲食街も、この不景気と生活様式の変化で存続そのものが揺らいでいる。東京は銀座、新橋、
六本木、新宿など地区で、客層が分けられるが、一般的には、年齢、客単価、一次会、二次会など目的などで大まかに
分かれている。 この数年は地元・長岡で飲む時は、殿町の一角にある3メートル通路両側に8軒が並んでいる
横丁の二軒で飲む機会が多い。 ところが先日、行きつけの隣の店に新たに入ってみた。
 これで8軒のうちに6軒目に入ったことになる。
・先日開拓した「笑いキャラ」の店である。30〜40歳代の客層の店という。
(そこで、その横丁の各店の話題をしていたら、5軒の店が年代別の客層で分かれているのに気づいた)
・私が通っている店は、50代後半から60代後半のカラオケを売りにしていた名物店。
・もう一軒の行きつけは医者や夫婦が何組が常連の店で50〜65歳前後の店。 
・極めつけは70歳後半から80歳代の店がある。 ママは当然80歳前後。知らない人が入ったら驚く。
・それにフィリッピン人と、韓国人がママの店が一軒ずつある。
・残りの二軒は入ってないが、何かの違いがあるのだろう。
自然に店舗構成がそうなったところが絶妙である。基本として高い店は行かないので少し離れた横丁である。
そこだけで店を替えていれば十年間は持つことになる。 吉田類の「酒場放浪記」という番組があるが、店の中より、
最寄駅から周辺の商店街などを歩くことから始る。背景から客を知るのである。大きな飲食店ビルは、オーナーが
意識的にテンポ構成をするのだろう。そういえば数年前に、地元で最高級?のスナックビルが倒産した。 
この御時勢、そうだろう。
・・・・・・・・・
2708, 政局の話
 2008年09月03日(水)
福田首相の辞任表明で、政局が動き出した。私は政治に対しては関心が薄く、なるようにしかならないというスタンス。
どれもこれも、大した人物はいない。 ただし、ここまで国が行き詰まると、無関心ではいられない。
これまでの日本人は、どういう訳か自民党の仕掛けに弱い。麻生を目先立て、何とか政権を維持しようとするが、負けるだろう。
もしそう判断すれば、小池百合子を首班に立て、小泉を行政改革大臣担当副首相として、捨て身の作戦の可能性がある。
しかし参院との捩れを解消するためにも、一度は野党に政権を譲って国民の声を聞くのが筋。民主党も、直ぐにボロが出て、
政界の再編成になること必定。本来はアメリカ大統領選挙の結果を待って、アメリカが民主党なら日本も民主党、共和党なら
自民党にすべき。現状は自民党政権が政権を持ち続けること自体に問題。見ている分には面白いが、日本の置かれた現状が
あまりに厳しい状態。民主党が政権をとって、日本を一度解体して日本合衆国を作り変える位の改革が必要である。
日本に巣くっている官僚を解体して、権限を8州に委譲することだ。*北海道、*東北6県、*新潟、群馬、長野、石川、
富山、福井の中部州、*東京、埼玉、千葉、神奈川の関東州*静岡、愛知、山梨、紀州の何県かに飛騨と、岐阜県など
名古屋州、*大阪、京都、兵庫の関西州、四国と広島、岡山などの中国・四国州、そして*九州・沖縄州である。
そして政治形態はアメリカをソックリに真似ればよい。 現在の日本には無理だろうが・・
しかし、待ったなしのところまで来ているのに、日本人そのものがアメリカの実質統治の戦略で、骨抜き。
日本の政治家で気骨のある男がいないものか。小泉は批判はあるとしても世界のグローバル化に対応する方向づけをした。
現在は「アメリカ一極から、中国・インド・ロシアと多極化する世界に対応する方向付け」をしなければならない。
その意味では日本は歴史的に見ても大きな転換期にある。その点で麻生は選挙管理内閣レベルの繋ぎ役。阿部、福田と、
麻生と、二代目。 それも、一人として選挙で洗礼されてない。麻生は衆院解散後に否認されるのは当然の成り行きである。
「御前に何が出来るのか?前任者と比べてみればドングリか、それ以下!」の、一言で終わり。
「御前様、直ぐにバラマキを始めただろう! 哀れなものだ。」は追加。
 政治談議を、このように書いてみると面白いものだ。   それにしても危ない!
・・・・・・・・・・
2007年09月03日(月)
 2344, 糖尿病について    オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァ踊♪
  (字数制限のためカット 2013年9月3日)   


4919,一度、死んでみましたが −2

2014年09月02日(火)

    * 死の淵からのルポの凄み 〜①    『一度、死んでみましたが』神足 裕司著
 介護度5の筆者の、たどたどしい文から、その日常と心情が直に伝わってくる。
それでも生きなければならない、そして、書き残さなければ直ぐに忘れてしまう恐ろしさ、
そして、ベッドで、のたうちまわる日常を淡々と、たどたどしく、生々しく書いている。
 倒産の葛藤の日々に似てないこともない?が、状況のレベルが違う。 ーその辺りからー
≪ ● 死の入り口 ーp21
忘れていたが、思い出したことがあった。また忘れるので、書いておく。
 たぶん、意識がなかったときのことだと思う。 ボクはのんびりとした毎日を過ごしていた。
あたたかい、やわらかい空間で、取材をしたり、原稿を書いたりしていたのだ。
「そうだ、家に帰らないといけない」「心配しているかもしれない」 そう思っていると、
遠くから息子や娘の声が聞こえてくる。
「そろそろ帰ろう」 そう思っていたが、何度も原稿の締め切りがあって、たくさん原稿を書いていた。
 そして、もう一回書かないと、とゆっくり書いていた。
死の入り口の人間は痛みもない、あのあたたかい、やわらかい空間にいるのだと思う。
死の入り口は、痛くも怖くもないのだ。”
  ● 忘れていた ーp25
 思い出したことがあった。眠っているとき、白い服を着た白い鳥のようなものがボクの頭の上あたりを
ぐるぐる回って飛んでいる。僕は仕事で忙しかったので、その白いものを見て見ぬふりをして、仕事を
続けていた。忙しい、忙しいと、締め切りに間に合いそうもないと、原稿を一生懸命書いている。
気分は良好。そこで娘の叫び声がする。「パパ!」僕は娘のところ行かなくてはとふと顔を上げると、
白いそれは消えてなくなった。喉が渇いていた。そうだこれは喉が乾き過ぎたからだ。
だが僕は何を知らせたいのか、わからなかった。「パパ、お茶飲む?」 そう娘に聞かれて、
喉が渇いたのをはじめて思い出した。本当に喉はからからで、お茶をごくごく飲んだ。
もっと、もっと、飲みたい……。だが、僕は喉が乾いていたのを、忘れていた。 ≫
▼ 何気ない文章だが、死の淵の意識は、こういうものだろう。なまあたたかい、やわらかい空間にいて、
 痛くも怖くもないようだ。 それぞれの章ごとに、介護度5の筆者の写真があるが、その虚ろな表情が、
そのまま、その状況を伝えている。 介護度5の重症患者の自分を、そのままルポをしているのだから、
これ以上のルポはない。 誰もが、訪れる『死』の前での凄惨な日々は避けられない。「死んでしまえば、
それまでよ」だが、その直前の凄惨な格闘、その時は、その時に受け入れ闘うしかないが!全てが夢幻。
・・・・・・
4552, 2050年の世界 ー3
2013年09月02日(月)
         「2050年の世界 ー英『エコノミスト』誌は予測するー」 英『エコノミスト』編集部 (著) 
  * 米国の衰退の予感と、勝ち組になる国の姿は?  
 日米欧のうちG7の中で残るのは米国だけと予測。人口衰退の国に明日はないことになる。その中で、日本の影は
一層、薄くなるのは、現在の日本を見ていても分かる。米国の実質支配下の隷属国家、親が転ければ子も転けて当然。
    〜まずは、その辺りから抜粋〜
《 米国民は、つねに競争、解雇、収奪、殺害のリスクにさらされている故に脆弱感を持ち続けている、だから
 宗教にすがる、と分析する。 次に・高齢化に伴う医療費・年金の財政圧迫であり、投票率も高く献金も多い
高齢者の仕様の老害政治である。高齢者に有利な財政・優遇策ではなく、若者の勤労意欲を引き出し、結果として
高齢者をよりよく支えさせる賢明な政治に切り替えよ、と主張する。 エコノミスト誌の予測を読んで、私なりに
導いた結論は、次の点である。 
 これからの「国々の興亡」は、中産階級を育て、維持し、大いに嫁がぜる中産階級大国と、若年層の勤労意故、
社会・政治参加、高齢者を支えるコミットメントを上手に引き出すスマート・カントリーが勝ち組になる。
それはグローバル化を活用しながら、可能にしなければならない。グローバル化の波頭でサーフィンするのではなく、
海面からは見えない潮流をとらえ帆を張ること。それには黒潮をつかまえることだ。そのひとつは、シュンペーター的
起業家精神。  ローレンス・サマーズは「21Cは、シューペンターがもっとも重要なエコノミストになるだろう」
と看破したが、グローバル化により創造的破壊がグローバルに解き放たれている。その怒涛に渦から湧き上げる
プランクトンを貧ること。もう一つはグローバル・リテラシーである。いま、それは英語である
  * 二〇五〇年の日本の影は一層、薄い。
 2010年に1億2600万人を打った人口は減少し続ける。人口減少は毎年1%GDPを押し下げる。GDPは世界全体の1.9%、
(2010年は5・8%)。人口一人あたりのGDPも、米国を100とすると、韓国の105に比べて日本は58へと沈んでいく。
しかし、日本の真の問題は人口とGDPではない。 日本の科学関係のノーベル賞受賞者は15人しかいない、
オーストリアは日本の人口の7%に過ざないが、受賞者は14人と日本より一人少ないだけだ。なぜなのか。 
エコノミスト誌は、権威に挑戦することを目己規制するからだ、と見る。 「欧米に追いつき追い越せ」の後に
何を生み出すのか、それが見えない点では日本も中国も同じである、というのである。向こう40年間、日本に
とっての最大の挑戦は、シュンペーターと英語ということかもしれない。
{ *参考  20世紀の経済学者ヨーゼフ・シュンペーター(1883〜1950年)は、イノベーションと改善を求める
 起業家の意欲が、いかに大きな変動と変革をもたらすか注目し、起業家精神を「創造的破壊」をもたらす力と考えた。
 彼によれば、起業家は「新結合」を遂行し、古い産業の衰退を促す。確立されたビジネス手法が、より優れた
 新たな手法により破壊される。} 》
▼ 現在の日本がシューペンター的起業家精神を持って創造的破壊が可能だろうか?といえば、疑問である。
それより国家の概念が、情報端末とネットの進化で破壊される可能性が高い。ますます個人化が進み、個人が国家や、
地域社会の垣根を超えて行き来する。10年前、誰がPCが、タブレット、スマートフォンの大きさになると想像した?
・・・・・・
4177, 哲学で自分をつくる ー6 (デカルトー②)
2012年09月02日(日)            
 第二章 まだ自分をさがしているのか?(ーデカルト―②)「哲学で自分をつくる」瀧本往人 (著)  
   * まずは、「感覚」「現実」「数学」を疑うことから
 確かに間違いなくある五感と、現実。デカルトは、まず、それを疑った。現実と思っているのが実は夢でないかと。
確かに感覚で捉えても、錯覚ということもある。 まず、感覚と現実をデカルトは疑った。なる程、デカルトは
近代哲学の祖。ここから、まず疑うのが知性、理性の出発点。 膨大の情報化の真っただ中で、このへんの事を、
よく分かってないと、その洪水に流されしまう。いわゆるB層の人々になってしまう。割り切ってしまえば、
それも良いが。哲学で自分をつくろうとしているのだから、現実も、感覚も、まず疑うことから出発しないと・・ 
あの人たち?のようになる     ー その辺の記述を抜粋してみる
【◎ 最初に疑ったのは、「感覚」である。一般的には、自分が見たもの感じとったものは絶対に正しいと考えたく
なるが、デカルトはこれに依存してはならないとした。 なぜなら、見えているもの、感じているものは、しばしば
「錯覚」を起こすからである。 ・・・要するに自分からの確信は世界を正確にとらえているとはかぎらない、
ということである。逆に、この錯覚にさえ気をつければ自分の感覚もあてになる、とも言えるが、デカルトは、
どんな場合も間違いなく依拠できるもの、条件なしのものを追求しているので、感覚には依拠できないとする。
◎ 次に疑いにかけたのは「現実」である。実は第一の疑いである「感覚」とこの「現実」とは重複した部分がある。
 実際に見ているものは、「感覚」でもあり、「現実」でもあるからだ。だが、自分が今、経験していること、つまり
感覚も含めて把握していることが「リアル」だ、というイメージならば「現実」を疑うデカルトの意図は少し明確になる。
この「現実」に対してデカルトは、もしかすると、今現実と自分が思っているものも夢なのではないか、と疑ってみた。 
夢なのか現実なのか、その見定めができない、ということである。こでもやはり、自分が夢を見ていないということが
証明されれば問題はなくなるのだが、むしろデカルトは、その根拠を必要としているので、確かなことではないとみなした。
◎ そして第三に、デカルトは数学を疑う。彼は最も擁護したいものを一度懐疑にさらしたことになる。数学的な真理は
確かに、その体系においては真理が成立しているかのように見えるが、新たな真理が発見されてしまうと、今まで
信じてきたものもあっけなく崩れることがある。デカルトはここで、数学を特権視せず世の中に多々ある約束事と
同様のものとして、不確かなものとみなす。このようにしてデカルトは、用心く、私たちが最も依拠するであろう
「感覚」「現実」「数学」にそれぞれ落し穴があると強調する。つまり、特に確からしいと思われているものさえ
不確かなのだから、「すべてのものごとは不確かなものなのだ」ど判断するのだ。】
▼ 般若心経の「色即是空」の、色が現象であり、受想行織が感覚になる。それらの全てが、即、空であり、
 あてにならないとデカルトは看破したのである。まず常識を疑うことが第一歩だが、それを疑っている自分の感覚を
疑ってかかることこそ必要である。緑の原野からサバンナに出てみて、「あの原野での出来事は何だったのだろう?」
と、振り返ると、何も疑問を持たないで同じ行動パターンを繰り返していた自分が見えてくる。そして、
現在も同じようなことをしている。根こそぎ、否定すべきことが出来ない。
 それをするには常に死を意識しなくてはならない。しかし、目を背けている弱い自分が、ここにいる。
 ・・・・・・
3812, 世の中、すべからく代理・代行  −2
2011年09月02日(金)
  国会議員、地方議員も間接民主主義による、国民や地域社会の代理・代行業になる。
・セブンイレブンなどのコンビニは、車や徒歩で10分以内の住民が、買ってから10分以内に消費するニーズを
 満たす代行の店。土地持ちのオーナーに全国区レベルの情報とシステムの提供で、互いの利点を生かしあっている。
・配送業が供給過剰のため熾烈な競争に入ったが、その中で一部業者は逆に成績を伸ばしていった。 家電なら、
 TVやDVD、冷蔵庫、洗濯機などの配達先の取り付け作業を家電店に代わって請負うのである。パソコンもしかり。
 運送業者が電器の取り扱い経験者を運転手として雇えばよいのである。
・スーパーの流通センターから各店の配達も、最終店出し直前まで請負う。
・先日、寿司の宅配専門で伸びている業者が、東京の山の手の有名店の宅配だけを専門に請負う会社運営を
 TVで放映していた。売り上げの4割を店から分けぶんとして貰う。 それでも有名店の店舗運営の経費からみても、
 採算がとれるという。
・代理出産もあるが、ここではやめておこう。
・その中で面白いのが結婚相談所である。これは昔からあったが、最近はネット時代。一番、微妙な部分を考慮に
 入れた仕組みづくりがポイントのようだ。料亭などが、最近では料理教室をつくり、そこに男女を集めて
 出会いの機会を提供する。中高年や、エリートだけに絞り込んだコースとか、外国人との結婚を求めている男女とか
・面白いのでは、ゴーストライターがある。有名人や成功した社長に代わり一代記や、人生訓などを書く。
 ケネディ、オバマ大統領にも名ライターがいたが、あくまで影の身である。
・戦国時代、江戸時代の大名にも名筆の書き手がいた。 それは、それで専門職は必要である。 
 激しく時代が変わる中で、一人で何もかもは不可能、その中で、いち早く、変化のニーズを察知して、
 その代理・代行のシステムを提供する必要性がある。デジタル化とネットによる情報化が別世界を新たに
 出来つつある中で、代理・代行がキーワードになる。
・・・・・・・
3447.秘・異郷の旅、よもやま話・・4
 2010年09月02日(木)
* 初めての21歳の欧州旅行 ー3
 初回の欧州旅行で、帰国して半年間は自失呆然状態であった。 自分の心が粉々に粉砕されてしまったようだ。
カルチャーショックである。今から思うと、これが良かった。両親から受け継がれていた小さな世界の価値観が
根こそぎ壊れたのである。それと「自分は東洋の小さな島国・日本の黄色人種」という目線を得たことである。
これをキッカケとして、根こそぎ自分を変えなければ学生時代の4年の自由時間を与えられた価値がないと気づいた。
それと社会、世界は不平等で格差であること。世界には豊かな人種と国家があり、逆に貧しい人種と国が満ちている。
その中で生きていく自分を作る基礎を学生時代に培わなければと、気づいた。とにかく世界は広く、深い一端をみた。
 話は戻るが、ロマンチック街道から見た、川添に展開するお城と、景色。それと、早朝にスイスに霧の中から見えた
レマン湖とスイスの渓谷の美しさに言葉を失ったことを思い出す。 毎日にように、これまで、想像すらできない光景を、
これでもか、と見せられるのだから・・ 当時、中高年の人で、あまりのカルチャーショックで精神の異常をきたす
人が多いと聞いた。現在のように、写真、テレビ旅番組、ニュースに、映画の背景として過剰に入る時代ではない。 
私のように、中高校の白黒の小さな写真でしか見たことがないものを、次から次へと見れば、感動の蓄積で、脳が変に
なって当然である。 幕末の獅子たちで、当時、欧米渡航経験があるかないかで、動乱の中で大きく、その後を左右した
というが、当時の彼らは欧米の社会を驚愕の目で見てきて近代国家の絵図を描いたのである。時代も、スケールも、
全く違うが、それでも21歳での経験として、大きな財産になっている。
 ・・・・・・・・・
3072,コカコーラのビン
 2009年09月02日(水)
最近、歴代のコカコーラのコマーシャルをまとめたDVDが発売され話題をよんでいる。
それぞれのCMに出演しているタレントと、その時代背景が織成すミニ物語が、そこにある。
目隠しをして、ファンタとコークの飲み比べをすると、ファンタのほうが美味しいと答える人が多い
という実験結果がある。 CMと、ビンのカタチのイメージの洗脳が、そうさせているのだ。
「コークのビンはグラマー女性の全身を模ったもので、理想的なスタイル」という。
 ーその創製の逸話を偶然ネットで見つけた
【 1923年、アメリカのある町にケップマン・J・ルートという青年がガラスビンを作っていた。 
かっこよく、しかも中身が多く入っているように見えるビンはないものかと考えていたある日、恋人がふらり、
仕事場へ入ってきた。 いつもより色気がある。タイトスカートをはいていた。 このスカートは膝のところが
細くなって歩きにくいのが欠点だが、ヒップの線が美しく出る。彼は、それを元にしてコカコーラ用のビンを作って、
社長のところに出かけていった。「スタイルがよく、握り心地も良い。すべらないビンのプランができました。」 
社長は気に入ったが素知らぬ顔をした。3日目、ルートはビンとコップをもってまた出かけていった。
「社長、このコップとこのビンでは、どっちが容量が多いと思いますか」「そりゃ、ビンに決まっているさ」 
青年はコップの水をビンに注ぎはじめた。コップの水が入りきらないうちにビンは、一杯になった。(う〜ん) 
契約は即座に成立した。 ケップマン青年の得た金は300万ドルから600万ドルだといわれている。】
 以上だが、米国でグラマー女性がコーラと供に看板に書かれた絵を見たことがある。
「何でグラマーな女性にセクシーさを感じるか?」というと、「騎馬で攻めた男が片手で女を持ち上げやすいのが、
腰が括れていた女」 だから、という。 本当のような嘘のような話だが。 コーラも、括れていて持ちやすい。
ところでコーラの原料のコークは麻薬のコークじゃないのか? 薄けりゃ害にならない?
 何か飲みたくなるのは、そのせいか? それに刷り込みでもされれば・・・水に麻薬を混ぜて数十倍の利益を
だしているのだから、ドエリャイ儲けになる。 あの地元の超大物(故人)がコーラの日本の販売許可の見返りに
数パーセントの利権を得ていた、とかいう噂があったが、本当かウソか? 
「ありゃ、コークを原料とするから駄目」と言われりゃ、出すしかないのは分かる。
 ・・・・・・・・・
2707, うつ病について
 2008年09月02日(火)
 精神病や精神症について、何度か書いてきた。 誰もが、何らかの精神症は持っているし、
その一歩手前の経験をしているはずだ。(まともであればだが)言うか言わないかの差だろうが、家系や、
性格もあるから極々軽い人もいるのだろう。青年期と、老年期は誰もが躁鬱気質を持っており、乗り越え方は、
それぞれある。私も神経症など多くありすぎて説明するのも大変だが、それを気にしなくなったのは、
50歳過ぎた頃だろうか。私を知っている人は想像すらできない神経症を一人静かに?乗り越えてきた。
青年期のうつ病的な体質も、神経過敏症も、視線恐怖症も、現在では殆ど消滅をした。
誰もが、何らかの深刻な神経症を持っているのを実感したのは、40歳を過ぎてからである。
60歳ー還暦頃から、少し鬱っぽい日々が多くなっている。もしかしたら、この時期になる初老性鬱病の触り?
しかし、私の場合は、絶対に?重症にはならない確信がある。 まあ、明日のことは分からないが。
北欧には白夜の反対の黒夜があり、一日の日照時間が数時間しかない。その冬の時期に起こるうつ病が深刻と
旅先で聞いた。「季節性感情障害」といい、大半は女性がなり、家系もあるという。
治療には、特殊の明るい光線を一日三十分当てると症状がかるくなる場合が多いとか。
元々、エデンの園はアフリカと古人類学者の説があるが、その反対の冬の黒夜は病気を誘発するのだろう。
日本で最も自殺の多いのは秋田県。北欧と同じく冬の時期が長いのが自殺を誘発するというのも肯ける。
ハワイやフロリダで波の音を聞き、パイナップルやオレンジでも食べ、踊って歌っていれば鬱などなりようもない。
私は一月生まれもあり、冬の時期が嫌いではない。むしろ好きであるが、美味い餅を食べ、熱燗で鍋をつつき、
コタツでDVDの面白い映画を見て、熱い風呂にユックリ入っていればマイナスな気分になろう筈がない。
しかし鬱病の恐ろしさを周辺で見聞きしている。無線のチューニングのように、周囲のマイナス、
過去のマイナスを拾い上げ自分の中に蓄積していく。人生の様さまな後悔のネタが次々と思い浮かんできて、
その海に溺れ、もがくようになる。そして深い深い鬱の闇に己が沈没してしまう。 それが鬱病である。
  (字数制限のためカット 2013年9月2日)


4918,閑話小題 〜ドルの不思議

2014年09月01日(月)

   * ドルの供給量が三倍
 リーマンショック以来、ドルが三倍、ユーロが二倍の資金供給量の増加になったが、円は二割の増加。
それからして、ドルは40円になって然るべきだが、不思議なことに100円辺りにとどまっている。
米国債を発行したりしてドルを回収しているが、そこにシェールガスの供給量が爆発的増加の要素が
加わる。 やはりドルが全世界の基軸通貨の絶対的強みがあるが、何かマジックがあるような。
で、安部・黒田コンビが、過ってなかったほど、無制限に円の資金供給量を増やし、それが株式に
まわって株価を上げている。 その崩壊も、時間の問題で、ある日、突然・・・
   * つれづれに 
 先日、TVで「幽霊や、虫の知らせ」について、色いろなケースを取上げていた。そして、学者が
、「それら全てを、勝手な物語化しているに過ぎないだけ!」と否定をしていた。これは各自の感覚の
問題であり、断定出来る問題でない。私も、ある時期、変な感覚が身についたことがあった。
今は全く無くなったが、これは経験してみないと理解できない。「激怒した相手は、本人か家族が
数年以内に病気か不幸が起こる」と信じている。家庭内は何こも多くの問題を抱えていて、数年
以内に必ずトラブルは起こる。特に熟年家庭には・・ 自分より年上には「いずれ直ぐ死ぬ!」で済む!
そういう年齢になったということ! 死んで三日もたてば、三百年前と死んだと同じこと!
で、日々暮らすしかない。
   * 「LUCY/ルーシー」〜シネマ評
 まあ面白い! 95点である。ここでは、人間は脳の10%しか機能してないというが、3〜5%も
使ってないのが大部分だろう。私自身の過去を振り返ってみた実感は5%である。 ーレビューよりー
≪ 脳が100パーセント機能してしまったヒロインの戦いを描くアクション「LUCY/ルーシー」。
ごく平凡なルーシーは、台北で、マフィアの闇取引に巻き込まれ、密輸のため新種ドラッグを体内に
埋め込まれる。だが、袋に入ったそのドラッグが体内で漏れ出し、ルーシーの脳はみるみる覚醒。
驚異的スピードで変化する彼女は、脳科学者ノーマン博士が見守る中で、人知を超えた能力に
目覚めていく…。 しかし一方で次第に人間性を失っていく彼女は、 自分自身でさえも制御不能な
状態へと陥っていく。果たして100%に覚醒したルーシーは、人類を救う存在なのか? 
それとも破滅へ導いてしまうのか?
 通常は10パーセントしか機能していない脳が100パーセント機能してしまったら?
わずか数分で外国語をマスターし、傷みも感じない身体はスーパーパワーを身につけ、
肉体的な格闘を超越して超能力の域に達する。
気弱な女の子から、人間性を失いつつも超人に激変を楽しみたいファンにはおすすめだ。≫
 ▼ 火事場の馬鹿力は確かに存在するが、それを薬物を使って引出すのは、アスリートや
 音楽家の世界では広く応用?されている。 これを拡大したアイデア一発だけで勝負をした
 内容が、何とも面白い!
・・・・・・
4551, 2050年の世界 ー2
2013年09月01日(日)
           「2050年の世界 ー英『エコノミスト』誌は予測するー」 英『エコノミスト』編集部 (著) 
   * 船橋洋一の解説 〜1
 最後の船橋洋一の解説が簡潔に大筋をまとめてあり、これだけでも読みごたえがある。四十年間の最も意外の黒鳥は
インターネットには全く同調する。まずは、その辺りを抜粋してみる。
  ーその部分を抜粋してみるー
≪ 四十年先の世界を予測しようと言うメガチェンジならぬメガチャレンジをエコノミクス誌が試みた。
 これがいかに無謀かは、過去四十年間に世界で起こったことがどれほど不可測的であったかを振り返れば足りる。 
 例えば、一九七二年の時点で、次のような地政学的新世界を誰が予測しただろうか。
○ ソ連が崩壊する。 
○ 中国が世界第二の経済大国にのし上がる。
○ 新興国パワーのインド、ブラジル、南アフリカがサミットを開催する。
○ 日本が二十年間の「失なわれた時代」の揚句、没落する。
○ 米国と欧州連合)が深刻な債務危機に喘いでいる。
○ インターネットが世界を覆い、フェイスブックが、インド、中国に次ぐ十億人の大国になると誰が予測しただろうか。
 過去四十年間の最も意外の黒鳥は、インターネッ卜だったかもしれない。これ一つとっても未来予測に謙虚であるべき。
もっとも、英エコノミスト誌は、この種のメガチェンジの調査予測をこれまでたびたび特集してきた。有名な例の一つが、
一九六二年、ノーマン・マクレー副編集長が執筆した「驚くべき日本」の大特集である。日本が戦後の復活の過程を終了、
世界の経済大国へとのし上がっていくだろうとの日本像を鮮明に打ち出し、世界の日本観を一変させた記事だった。
同記者の日本調査予測モノは、その後、一九六五、一九六七、一九八一年と続いた。 
 今回のエコノミスト誌の予測は世界をまるごと予側している。さらに野心的である。
 ○ 絶滅種が再生技術で復活するだろう。マンモスが一番乗りするかもしれない。(恐竜は雛しいのだろうか?)
 ○ イエメンでは、二〇一五年までに自然水が完全になくなる。
 ○ インドは、文盲人口と大学卒人口がほぼ同数という世界で最初の国になるだろう。
 ○ インドとパキスタンが競争の可能性がある。それが起これば、核保有国同士の最初の戦争となり、もしか核戦争?。
 ○ 中国の繁栄は長続きしない。最大の要因は、人口減のの重圧である。中国の出生率は2.1に落ちる。
  四十年後、日本、欧州と並んで最大の人口負け組となるだろう。
二〇五〇年。最大の人ロを擁する国は17億人のインドである。中国がそれに次ぎ、米国を抜いて、ナイジェリアが
その後を追う。インドネシアも向こう四十年間、人ロポーナス国である。二〇五〇年、アジアは世界経済の半分の規模。
この時点でのG7は、インド・ブラジル・ロシア、インドネシア、メキシコ。現在のG7で残るのは米国だけになる。・・≫
 ▼ 過去40年より、今後40年の方が遥かに大きな変化が次々と生じてくる。理由は簡単、スマートフォンなどの
  情報端末が止まることなく進化し、世界中の人たちが瞬時に繋がる流れが加速し、それが一部の特権階級の富、
 情報、権力の独占を破壊することになるからだ。未来学者が、現在の事態は自分たちの予測を遥かに超えていると
 述べていた。こと知識、情報、娯楽面で充分に恩恵を受けている実感がする。
・・・・・・
4176, グローバル化の真実
2012年09月01日(土)
     『 終わりなき危機 君はグローバリゼーションの真実を見たか 』水野 和夫 (著)
 なかなか面白い本である。  ーアマゾンの書評の中で解りやすいのをコピーしてみたー
≪「自由とはドルとエネルギーの消費である」と言われたアメリカが覇権国である時代はもう終わった。しかるに
 アメリカはグローバリゼイションという名の〈米による世界経済征服計画)方策で、その命を永らえさせている。
(そこには様々なきしみとともに大きな亀裂も生じる)成長を至上命題とする近代資本主義は限界に来ている。
 今行われようとしている景気回復は誰のための景気回復か立ち止まって考える必要がある。それはいわゆる株主
〈言い換えれば上位1%の富裕層)のための景気回復ではないのか。働くものを幸福にはしない。このままでは景気は
 回復しても労働者の賃金は下落する。(一億総中流というほんの少しの間の日本のキラメキは戻ってこない)
 アメリカは金融化で世界経済を支配しようとしている。しかしそれがうまくいかないことはもう証明されている。≫
≪ 水野氏の議論の核心は昨今の世界経済危機が、16世紀以降近代資本主義の構造を前提に反復された景気循環の
 一環ではなく、こうした構造自体の終焉を示すより根源的事態であるという視点に他ならない。これに匹敵する歴史の
根源的危機として水野氏が参照するのが、中世封建制経済から近世資本主義経済への過渡期に当たる16世紀である。
 16世紀と21世紀は、氏によれば、数々の点で相似的関係に立つ時代である。 こうした相似性は
1.それぞれの構造において経済が極限を迎えてしまった結果、投資効率が極端に落ち類を見ない低金利に陥ってしまったこと、
2.こうした危機的状況の打開のため前者においては「陸から海へ」、後者においては「海から陸へ」という
 世界軸の大転換が生じたこと、
3.かかる転換の途上で前者においては地理的空間の拡張、後者においては仮想的空間の拡張とそれに伴う
 超法規的収奪が、それぞれスペイン/アメリカという旧体制維持の世界帝国建設のため実行されること、
4.こうした世界帝国はその反動制故に解体を余儀なくされ、その残骸の上に新世界が現出されること等々に
 確認されるという。 21世紀における'1.から'3.への過程は天然資源の希少化に由来する大量生産/大量消費型
 経済モデルの失速とそれに代わる情報・金融革命に基づく仮想空間への資本主義の突出により可能となるが、
 帝国を支えるかかる空間上の高収益は人件費の流動化、即ち〈搾取〉により初めて実現する。だがこのことこそ、
 近代という時代を構成した資本主義と民主主義の幸福なる結婚という神話のおわりを明らかにする。
「ルールを破ることを許される者と、それが許されない者との徹底的不平等」に基づく
 新自由主義を通じ国家は、前者の後者に対する「搾取」を「規制緩和」を通じ実現する手段に過ぎなくなった。
「労働は、資本にすり寄った国家に裏切られたのである」。グローバリゼーションの本質を、16世紀に起きた
 同質の変化と 対比させることによって明らかにしようとする。≫
▼ ここで著者は、「グローバル化の真実を、「アメリカ金融帝国システムを中心と、その周辺を結びつける
イディオロギー」と、看破している。グローバリゼーションの事実とは「ヒト、モノ、カネの国境を越える自由な移動」
である。そして、帝国主義国=アメリカ金融帝国は世界中の従者から「規制緩和」を強要し、「搾取」をする、これが
実態であると。その手始めが1985年のプラザ合意である。日本は、ここからバブルとバブル崩壊のプロセスを歩み、
アメリカに搾取された。
・・・・・・
3811, 閑話小題 ー老いと病について −1
2011年09月01日(木)
   ▼ 血圧について
 酒好きの私が、これまで血圧を意識したことは全くなかった。年に一度の半日検査では、「少し高めで高血圧の
入り口にある。出来たら酒は止めた方がよい」と、いわれ続けてきた。それでも、「毎日の運動を意識的にして続けて
いるので大丈夫」と、判断していた。 最近、二箇所の運動ジムに通いだしたが、両方とも血圧測定器が置いてあるので
自然に、毎日のように検査をしている。だいたい145〜155である。そこでネットで調べてみたところ140からが
高血圧の三段階の初段階とあった。医者にいわれ続けてきた通り。両親とも高血圧体質で数値をいつも気にしていたので、
年齢プラス80〜90が高血圧の境目、という記憶がある。 65歳として、やはり145〜155が境目になる。 
ということは年齢からして、少しは考えなければならない。晩酌で少し飲みすぎが原因は分かっている。 
食事は20年以上前から、肉食を避け魚料理にし、御菓子など甘いものは、ほぼ口にしない。また塩分も最小と心がけてた。 
運動も30年近く、早朝に散歩か、最近はサイクリング。 5ヶ月前からは、ほぼ毎日のように運動ジムに通っている。 
反面、晩酌に酒一合から二合と、350mlのノンアルコールの缶ビール1本を欠かさず飲んでいる。
死ぬならガンと思っていたので、血圧に対して少し認識が甘かったようだ。 昨夜のNHK番組の「ためして合点」で、
高血圧と認知症対策のマッサージを紹介していたが、そろそろ一歩踏み込んだ血圧対策をしなくてはならない時期にきた。 
今さら遅いか? まだ遅くないか? ネットや、社会、世界の断層の狭間を目の当たりにし、健康で長生きをしたい
欲が出てきている。 まだ娑婆に未練? が残っているか。 やはり、振り返ると、60歳までが人生の良いところ。 
 ーべき時に、べき事を、べく、すべきーとは、良くいったもの。
「 若気のいたり、とは若気のいたりが、むしろ無かったこと!」と今東光が、いみじくも言ったが、その通り。
「 チョットチョット、あの老人、現実に溺れすぎて、恋もしたことが無いんだって! 」というのも、ある。 
血圧と何の脈絡がある? かというと、血圧など気にする時節に「人生を充実して活きてこなかったことに、後悔する」
からからだ。 チロリ・チロリ・チンチロリか〜
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 3446.秘・異郷の旅、よもやま話・・3
 2010年09月01日(水)
*初めての21歳の欧州旅行 ー2
 デンマークの初めての夜はレストランのバイキング料理である。当時の日本にはセルフ形式は全くなかった。
それより、自分が食べたいだけ皿にとってよい、とうのが珍しく、不思議な感覚であった。
 そして、スウェーデン。夏のせいか、金髪の若い女性が裸足で、超ミニスカートで、街を闊歩している。
その美しさが街並みにマッチしているのに驚いた。 また郊外にある古城の絵に出てくるようは美しさ。
それと高台からみた高原の輝く景色。それが次々と続いて出てくるのである。
 そしてロンドンに。中学校の教科書の小さな写真でしか見たことのないバッキンガム宮殿、ロンドン市内には、
シルクハットをかぶって歩く風格ある紳士。パブに入って飲んだビールの美味さ。重厚なパブの雰囲気も異次元世界へ
タイムスリップをしたような感覚であった。そこで仲間数人酔ってしまい、子供時代以来、腹の底から笑った経験を
してみた。 こんな楽しく高揚をしたことは今だかってなかった。もう、その世界に入ってしまったのである。
これを何度か経験すると、チョッとしたキッカケで同じ気分になれる。これが人生を楽しさの面で非常に豊かにした。
 元もと実家で商売をしていて、年に一回、家族、従業員、取引先など5〜60人が、年末に飲めや歌えやのドンチャン
騒ぎをしていた回路があったが、ロンドンで仲間と騒げば面白みが格段と上がる。それで酒席が好きになり、
ハメがきかなくなってなっていった?
 パリのシャンゼリゼ通りと、凱旋門、エッフェル塔。歴史的な積み重ねが、そのまま、街並みに出ている。
そのシャンゼリゼを、独りで歩いたことが今でも記憶に鮮明に残っている。歩行者の、ほぼ全員が白人。
その中で、東洋人の自分に違和感を初めて覚えたということ。
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3071,衆院選挙の各新聞の論評から
2009年09月01日(火)
  各新聞の衆院選挙の結果の論評をみたが、なるほど要点を突いている。
 ーまずは印象に残った箇所から
・麻生首相は保守本流を強調し過去の実績を訴えたが、戦後の日本を作ってきた自民党は「腐ってもタイ」でなく、
「腐ったタイ」としか見られなくなった。(毎日新聞)
・麻生が任期満了まで解散できなかったのは、郵政民営化などの構造改革の総括ができない自民党が
 国民に顔向けができないという方が正確だ。(毎日新聞)
・小泉を引き継いだ浮世ばなれした三代目が三人が「売り家と唐様で書く三代目」の巻き添えに
 されるのではという危機感を国民が感じ取ったのでは。(日経新聞)
・タダ、今回の結果も、ローマ帝国時代の「パンとサーカス」を庶民に与えて手なずけたのと、
 似ている。パンは子供の手当ての支給とか年金の値上げや、高速道路の原則無料化。
 サーカスは、政権交代という危機のスリル。 (産経新聞)
  以上だが、今回の選挙は、あくまで自民党の自壊の要素が大きい。
    (次数制限のためカット 2011年9月1日)
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2706, 現代とはいかなる時代か
2008年09月01日(月)
人類の現時点を俯瞰してみると、人間圏が限界に達してしまったことと、
インターネットという人類文明史にとって大きな情報手段を手に入れた、という大きな分岐点に立っている。
著者はアポロの月面着陸が地球史・生命史という時間スケールでも、特記すべきことと見ている。
4億年前に、生命が初めて海から陸に進出した事件に匹敵するという。現代は宇宙から地球をみなければ
ならない時代になってしまったのである。グーグルアースも地球だけでなく天体飛行のできる機能がついている。
我々は何時の間にか、その立ち位置に置かれてしまったのである。
 ー以下、要点を抜粋したー
「地球システムの崩壊」 松井孝典著         −読書日記   −2
  *現代とはいかなるじだいか
1969年、人類は地球上の生命としては初めて、地球の重力圏を突破し、月面にその足跡を印した。
人類としての記念すぺき最初の一歩を印したアームストロング船長は、 その歴史的瞬間に立ち会った気持ちを、
次のように述べている。「これは一人の人間としてはほんの小さな一歩だが、人類にとっては大きな飛躍である」。
この言葉ほど、現代という時代の特徴を、簡潔にして明瞭に伝えるものはない。
 アメリカの文豪ノーマン・メイラーもまた、この高揚した時代の気分を次のように残している。
「二〇世紀はアポロー1号の打上げをもって終った」。それは地球史、生命史という時間スケールでも、特記すべき事件。
今から四億年前、生命が初めて海から陸に進出した事件に匹敵するからだ。 地球の重力圏を突破することの哲学的意味は、
宇宙から地球を見る視点を獲得することにある。それは地球が、他の太陽系天体と同じくひとつの天体にすぎないことを、
一般の人にも、画像としてはっきりと確認させてくれるが、しかし一方で、地球が他の太陽系天体と、異なる天体である
ことも認識させてくれる。 その雲の変化や、季節による大陸の地表変化は、大気と海との複雑な相互作胆あるいは
生物圏の存在を示唆し、地表が、その領域を構成するいくつかの構成要素間の、相互作用による動的な平衡状態に
あることを語っている。専門的な言い方をすれば、それは地球がひとつのシステムであるということだ。
 また、夜になると地表を覆う光の海は、この天体に、高度に発達した知的生命体、あるいは文明が存在することを、
灯台からのシグナルのように宇宙に向かって発信している。従って、「現代とはいかなる時代か」と問われれば、
「我々の存在が宇宙から見える時代、あるいは我々が宇宙を認識しはじめた時代」といっていいだろう。
それはまた、我々が大脳皮質に外界を投影し、内部モデルを構築するーそれが認識ということだが、
その認識の時空を拡大することで、ギリシャ以来の学問のゴールである普遍性について、具体的に語りはじめた
時代といってもよい。宇宙からの視点を得るとは、俯瞰的、相対的、普遍的視点をもつということと同じである。 
その結果、「我々は初めて、我々とは何か、どこから来てどこへ行くのか」という根源的な問いに真正面から
向き合うことができる。その詳細を議論するには、宇宙や地球や文明について、いくつか基本的な認識を
確認しておかなくてはならない。
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何度も書くが、これはコペルニクス的な人間観の転換でもある。また、その視点が最重要になる。
月面着陸が地球史的にみて、これほど大きな出来事だったとは知らなかった。そして宇宙の彼方から地球を改めて
みた時に地球システムの中に、自然の中に人間という知的生物がいて、生物を支配しているのである。
それだけでなく、自らを創りあげた地球システムを破壊始めたのである。それが自滅とわかっていても
自分自身どうすることも出来ない事態に入ってしまっている。この知的生物とやらは、知を得たがゆえに
消滅していくのである。正しく「アダムとイブが禁断のりんご食べたこと」が、これに当たるのだろう。

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