堀井On-Line



4917,「個人から分人へ」 ですか!

2014年08月31日(日)

   * 永遠の問い、「私とは何か」
  平野啓一郎「私とは何か ―個人から分人へ」の久垣啓一氏の書評が解りやすい!
≪ この本の主張は、人間の単位を考え直すことだ。個人という意味で使っているindividualは、
これ以上分けられないという意味であるが、本当にそうか。そして本当の自分なるものがあるという
考え方が間違いのもとではないか、というのがこの本の問題意識である。平野は、人間は分けること
が可能な存在であり、人間は対人関係ごとに複数の顔を持っており、一人の人間は複数の分人の
ネットワークによって成り立っているという。
そして個性とは、その複数の分人の構成比率によって決定されるというのだ。
・誰とどうつきあっているかで、分人の構成比率は変化する。その総体が個性となる。
・自己の変化とは、分人の構成比率を変えるしかない。それはつきあう人間を変えることだ。
・自分という人間は、複数の分人の同時進行のプロジェクトと考えよう。
・自分探しの旅とは、欠落している新しい分人を手に入れて、新たな個性を創出しようとする行為だ。
・私たちは、複数の分人を生きているからこそ、精神のバランスを保っている。
・自分が気に入る分人を少しづつ増やしていくことができれば、自分に肯定的になっていける。
・片思いとは、お互いの分人の構成比率が、非対称な状態である。
それが許せずに自分向けの分人を大きくしようと、異常な行動にでるのがストーカーだ。
・分人主義は、人間を個々に分断させず、単位を小さくすることで、きめ細かなつながりを
発見させる思想である。
・帰属するコミュニティが一つであることがアイデンティティであったが、今後重要なのは
複数の分人を使って複数のコミュニティに参加することだ。むしろ矛盾する複数のコミュイティに
参加することが大事なのだ。個人を複数の分人のネットワークとしてとらえると新しい視界が
開けてくる気もする。分けるというより複数のレイヤー(層)によって重層的に個人が形成されている
と考えることもできる。ヨコに分けられているのではなく、タテにつながっているのではないか。≫
▼ 「わたし」は、わ(我)の最小単位が、たし(足し)で加わって私になっている。だから、
人生を振り返ると、その時々の出会いとか、経験で、分人を増やしている自分が存在する。
創業には、その分人たる主体たる自分が、厳然と、そこに存在している。秘境旅行で、各地に
旅をしている自分も、旅行先に溶け込んでいる分人である。旅行を続けることは、旅先に溶け込んで
いる分人を増やす行為である。個性とは、過去の経験の総体の構成比率とは、言いえて妙である。
自己の変化とは、付き合う人間を入替えることだ。それも、森の生活のうちである。
・・・・・・
2007年08月31日(金)
2341, 「私」とは何か?        〔● ォ'`ョゥ○〕ヽ(・д・`●)
  「狂人三歩手前」−中島 義道 (著)       −読書日記
   ー「私」とは何か?ー
「私」について、その構造について、過ってこの読書日記で書いたことがある。成る程と合点が
いったが・・ 常に考える時、「私」は何々・・と一日、数百回も自問自答しているのに、その「私」とは
何ぞや?と考えたことがない。それを知っていると、いないとでは、思考の根本が違ってくる。
 ー「私」が無になることーのコーナーの「私」についての説明が解りやすい。
  ある哲学書で「私」についての説明があった。
{「いま・ここ」の主観を私とは言わない。 土手を歩いていて振り返った時、さっきの橋を歩いていた
主観が「私」として飛び出してくる。云々}と。成る程と思いつつ、解ったようで理解できない
モヤモヤが残っていた。過去を振り返った時に「私」が初めて発生するということ?垂直に縦にある
「いま・ここ」の主観は、まだ私になってないということ? ところが彼は、この本の中で、その「私」を
み砕いて解りやすく説明をしている。
  −p.86
「いま・ここ」に存在するものを「私」だと思い込んでいるのだ。だが、そうであろうか? 
いま両肩から下に頭部を欠いた独特の身体が広がっているが、なぜこれが「私の」身体なのだろうか?
そこに独特の感じがするから? だが、なぜその独特の感じが「私の」感じなのだろうか? 
こう問いつめていくと、この方向に答えは見いだせないことがわかる。「私」とは知覚とは別の独特の
作用によって端的にとらえられるものではないか? いや、そんな独特の作用など見いだせない。
「私」とは知覚しているときに、同時にそこに感じられるものではないか? いや、胃がきりきり痛い時に
それと並んで独特の「私」という感じなどない。そもそも「私」とは作用の対象ではなく、作用の絶対的
主体なのではないのか?多くの哲学者はそう考えた。そして、それを「純粋自我」とか「超越論的統覚」
とか名付けた。だが人間としての「私」がそんな抽象的な発光点のようなものであるはずがない。
あれもこれも否定して、振り出しに戻ったわけである。ここで、別の視点から反省してみるに、
「私」とははじめから異なった時間における同一なものと了解されている。「私」とは過去のあの時も
同一の「私であった」者である。しかも、その同一性は二つの対象を見比べて判定するのではなく、
現在の側から一方的に過去のあの者を「私であった」者と判定するのである。
「私」は、過去と現在との関係において登場してくるのだから、現在の世界を隈なく探しても
見いだせないのは当然。過去自体はすでに消えている。過去の記憶だけが残っている。
現在の知覚される世界ではなく、過去の想起される世界を探究することによってはじめて
「私」は身を現わす。ここにきわめて重要なことは、過去のあの時に私が不在であっても
「私」の同一性は保たれるということだ。夢の場合で考えてみよう。夢を見ているあいだ「私」は
自覚されていない。「私」は、夢から覚め「私は夢を見た」と過去形で語る時にはじめて自覚される。
まさにその時、あれが「私の」夢であったことが忽然と了解され、遡ってあの時「私が」夢を
見ていたことになるのである。夢ばかりではない。この構造は広く普遍化できる。
「私」は仕事に没頭している時や、夢中でボールを追いかけている時や、ぼんやりもの思いに
耽っている時など、いわば消えている。しかし、あとから「私は〜していた」と語れる限り、
その時「私」は存在していたことになるのだ。夢中で小説を読んでいた。
ふと気がつくとあたりが薄暗く、電気をつけてみるともう三時間も経っている。
私は小説の内容を細部に至るまでありありと覚えている。
一体誰が読んでいたのか?ほかならぬこの「私」である。
ーーー
夢を例にした説明が、理解しやすい。夢見ているうちは「私」は成立してない。
じゃあ、夢の中で私は何々、云々といっているのは何だろうか?ただ夢の中で過去のことを
考えただけで何の問題は無いか!まだ夢の中で成立してない純粋何とかいう未成立の?が、
夢の中で成立した「私」として過去からの流れの何かを考えていた!
 ということになる、ただそれだけだ。 そういえば、また夜半にリアルな夢をみた  
・・・・・
2013年08月31日(土)
550, 51年前の小学校の写真にタイムスリップ
  『長岡市の昭和』という写真集の広告の折り込みが、今月だけで二度も朝刊に入っていた。
それも、一枚目は表面トップに実家の商店ビルの写真で、二度目は、裏側に、何故か小学校五年時の
クラスの集合写真。出版社に誰か同級生でもいるのかとネットで調べてみたが??7名の小さな
長岡市内の出版会社で、県内だけでなく全国の各市の昭和の街の写真集を出している会社。
団塊の世代以上を狙ったものだが、旧長岡市内の人たちに限定2000冊としても9990円で
売れるのだろうか?その方が心配になる。しかし他は、HPを見ると完売となっていた。
その小・中・高校時のアルバムが、引越しなどで紛失、同級会などで誰かが持ち込んだのを
見るしかなかった。で、51年の時空を超え、このチラシの集合写真を何度か見ているうちに、
当時のことが、次次と思い出してきた。
 11〜12歳は、人間としての最終の熾烈な闘いがあって、そこで、ほぼ性格も能力も決まるという。
クラス内の力関係などで、誰かが常にターゲットにされる、あまり気持ちの良くない年頃。そのため
心の傷は深く残るもの。その最たるのが、まあ、書くのは止めておく・・ 自分も似たようなもの
だったろう。手取り早く学歴からみると、慶応一人に、立教三人、あとは大学名は不明だが、数名、
卒業しているから、街中の小学校として並みというところ。学校の先生の子弟は新大付属小学校が
ある。ここで目立つのは長岡青果市場の社長の息子で慶応と明治の教授をしたが既に故人に
なっている人とか、土田塗装とか、何処かの中学校の先生とか、多種多彩。
女性の方は皆目分からないが、少し目立っていた三人が三人とも離婚? 
死亡数は男20人中に4人。女性は分からない。 
 主任は非常に厳しいので有名な西沢先生。その後、多くの小学校校長を歴任し、
最後は何処か教育長をされた人で、定年時に400人が祝いに集まったという。20年近く前に、
私が経営していた新潟駅前ホテルに泊まって、古町を数軒、飲み歩いたことがあった。
せっかくなので、この数日、当時の記憶をたどっているが、51年の時空を超えて嫌な記憶を
中心だが幾らでも出てくる。太平洋戦争と長岡空襲の影響も色濃く残っていて、口に出さなかったが、
戦争孤児とか様々な問題を各家庭が抱えていたようだ。 そうこう振り返ってみると、子供の頃の
記憶から、繁華街で、父親の大きな影響下で、負けん気が強い遊び好きの生意気な子供だった。
今だ続いているが・・ 当時、家庭内で多くの問題があり、母親が倒れてしまい、住居が商業ビル
3Fから、歩いて7分ほどの駅裏に移転していた。その辺りから、やっと学業に目覚め始めてきた。
生活環境は本当に大事である。
・・・・・・
2012年08月31日(金 
4175, 閑話小題 ー恐ろしい近未来がまっている
   * 恐ろしい近未来
 南海トラフ地震の最悪の死者予測が32万人と政府が発表、マスコミが騒ぎ出したが、
もう一年以上も前から週刊誌で騒がれた記事と同じ内容。政府発表となれば違ってくる。
大手ゼネコンの含み笑いが聞こえてきそうだ。これは太平洋沿岸沿いには住めないということになる。
その地区の住宅地や商業地が暴落というより、ほぼゼロになってしまったことになる。 
当事者は、まだピンとこないはず。 千年前の大地震の後に二回、17年内周期で大地震と大津波が
起こっている痕跡があるという。活断層が不自然に捩れていて、何らか次の大地震が起きる可能性が
大きい。決して非現実的予測ではない。これに関東直下型地震の可能性がある。
更に世界恐慌も遅かれ早かれ起こる。いや、すでに起きている? これでは、夢も希望も持てやしない。
この数年来、大卒の正規社員就職率が63パーセントで、三分の二も就職ができてない。
これが恐慌が吹き荒れる前で、この有様。数年先は、こんなものでないはず。 
40数年前の私の卒業の時とはえらく違う。金の卵で、会社は選び放題。私の同期の男たちは、
殆どが一部上場の有名企業で、ハッピーリタイアをした。時代は大きく変わった。
  * 田中真紀子が民主党党首に立候補 ?
 久々に面白い話に驚いた。途中で立ち消えになるかどうか?だが、真紀子様が民主党党首の
候補の可能性が出たという。思わず失笑したが、それほど民主党は困っているということになる。
 あの外相時の相応しくない姿を忘れてしまったのか。あの人物から誠意の何も感じられない。
一国を束ねる力量があるとは到底思えない。何が今さらだが立場が野党なら、最適の逸材か。
あの辛辣な口撃は溜まったガス抜きになる。国が衰えると、こうなる。 政治は、何でもありである。
床屋レベルの政治談義からみると、この世界的危機の中での、日本、米国、韓国、中国のトップ
交代による政治変動は非常に興味をそそられる。なるほど2012年問題は危ない要素に満ちている。
安倍自民党総裁、田中真紀子民主党党首、それに安倍に担がれた橋元首相。面白いがどうだろう? 
それと何時起こるかしれない南海トラフ地震と、関東直下型地震。
それと世界恐慌の可能性がある。20世紀前半に世界恐慌を挟んで二つの世界大戦があった。
このドサクサで一億以上の人たちが犠牲になった。それより大きな変動が、始まってしまった。 
これから壮大なシネマのような世界が展開される。
・・・・・・
3810, 世の中の商売、すべからく代理・代行 
2011年08月31日(水)
 旅行代理店、保険代理店、会計事務所などのサービス業があるが、すべからく世の多くは
代理サービスの変形。家電商品も、その多くの製品は代理システム品。洗濯機、炊飯器、扇風機、
暖房機も、人間の労働の代理品である。20年前に「一世代前の人が、現在の生活をするには
200人の従者を必要とする」と聞いたことがあった。現在では数万人でも無理だろう。 
車は馬車の代行であり、カメラは専属カメラマンの代行。 夕食の宅配は、主婦の仕事の
一部代行である。旅行代理店のパック・ツアー。その大ファンにとって、その恩恵は大きい。
アフリカのタンザニアや、ケニアのヌーの河渡りなど素人では絶対に無理だが、ツアーに参加
すれば誰にでも気楽にいける。スナックや、居酒屋も家庭内で満たされない料理や、お愛想、
気などの代行である。 この事業整理の一連も、弁護士事務所が会社が300万プラス個人が
50万、合計350万で、一括業務?委託。 一連の委託契約をすると、全ては弁護士の管理下に
入り、良くいえば債権者から守られる。逆に、一切の社会的信用はゼロ、前科者に近い後ろ指、
陰口の絶好の対象になる。また、最近通いだしたスポーツジムも、各種のエアロビがあり、運動の
指導をパッケージにしてある。それに従っていれば体質改善が合理的に出来る。その指導を多くの
会員を集めることで、パックにして、場の提供をしている。これも各自で行っていた個別運動の
パッケージ化。
 ところで、これまでの蔵書ベストの100〜200冊をデジタル化して、iPadに気楽に入れられたら、
よいだろうにと思っていたら、一万冊を入力してiPadに入れて持ち歩いているという人の本があった。
それは面倒と思っていたら、一冊100円で入力をしてくれるサービスがあった。とりあえず100冊を?
と考えているが・・。 また、アマゾンに注文した本を、そのまま業者に本が直送し、スキャン
してくれるサービス業者もあるという。デジタル本が、まだまだ普及してない中、これは良い
代行システムになる。情報化とデジタル化の時代、代理・代行システムは重要なキーワードになる。
それにしても、面白い時代である。各種代理システムをiPadを端末として、
如何に使いこなせるかが、これからのポイントのようだ。
 ・・・・・・・
2010年08月31日(火)
 3445・秘・異郷の旅、よもやま話・・2
  *初めての21歳の欧州旅行 ー1
 どの旅行が一番良かった?と聞かれても、答えられない。半分、いや三分の二以上が、
それに当たるからである。ショックの段差が大きかったのは、初体験の学生時代の一ヶ月間の
欧州旅行。見るもの、聞くもの全てが驚き。当時は、やっとカラーテレビが普及し始めたばかりで、
欧州の映像など殆んど目にしたことはなかった。モナリザや、ミロのビーナス像、パリの凱旋門
などは中学か高校の教科書の小さな白黒の写真でしか見てなかった。
それが突然、目の前に本物が次々に現われるのだから、驚き唖然とするのは当然である。
 まず飛行機乗って、夕飯にヒレのステーキが出てきた。まだ憶えているが、牛肉に細い糸が
巻き付いていた。生まれて初めてのヒレステーキである。 次に初めての海外に降り立った地は
デンマーク。そこは、私が今だ見たことがなかった明るい空と緑の中に街がある御伽の国の世界。
人種が違うのである。金髪の大柄な男女。空の色からして違うのである。そして、林や森の
グリーンが、違うのである。考えてみたら、日本全国の自然さえ見てなかったのである。
それが、いきなりデンマークの空とグリーンと、北欧人を目の当たりにするのだから。
一挙に御伽の国の真っ只中に降り立った時の驚きは新鮮であった。自分の精神を正常に
保つだけで精一杯であった。 当時、海外旅行に出る人は、まだ20万人でしかなかった。
現在の100分の一である。 だから、出発前から気持ちが高揚していた。
 ・・・・・・・・
3070, 衆院選挙の結果をみる
 2009年08月31日(月)
 終わってみれば、マスコミが発表をした最終の予測調査の通り。
週間朝日の最終予測の307が一票差で、完璧に近い予測。森元総理が落選するかに
注目をしていたが、残念ながら?当選、その反面、太田公明党首が落選。
今回の特徴は元総理など多くの実力者が落選したことだが、これは歴史的転換への時代の
要請である。色いろな意味で歴史に残る選挙になった。 自民が国民から大きく離反した結果の
オウンゴール(自滅点)。民主党は私の事前の予測の325には及ばなかった。 私の周辺では
殆ど自民党を支持する人はいなかった。 あと講釈で言えば、自民の三代の首相が解散の
タイミングを何回も逸し、自民党を粉々に崩壊させたことになる。もう二度と元の自民党に戻る
ことはない。 海部元首相や派閥の領袖などの大物が消えたことは最大の収穫。 
権力も失ってしまえば、磐石に見えた彼らも虚構でしかなかったということ。
アメリカの政治体制の変革に続いて日本も大きく舵を切ることになった。当然といえば
当然の流れである。自民党も振りかえると決してマイナスだけではない。プラスの面も多かったが
一度、旧態依然の官僚支配の体質の根本的な改革をしろ、という天の声である。
それにしても自公の大物等がよくも雁首を揃えて落選したもの。 これで経済に続いて
政治も動乱に入った。 面白くなったと他人事のように言っていられないのが、現在の日本の
危機状態である。幸福党の教祖様は、この結果を予測もできなかったのか?
元もとは布教活動の宣伝活動だったのか? 我が区の真紀子様、大恥の結果だったが、
これが地元感情である。それにしても素朴な人が多く残っているもの。
次は、新政権の組閣の顔ぶれに興味が移る。 法務大臣が誰になるか面白い。
検察のゴミ掃除をどうするかだ。 これで日本も良きにつけ悪きにつけ大きく変わる。 
あまり期待はしてないが、期待できない自民よりは良い。
 ・・・・・・・・・
2008年08月31日(日)
 2705, 酒の話
ここでも、何度か酒の失敗について書いてきた。しかし楽しい酒はこれまた格別よい。
致命的な大失敗をしても仕方が無いと割り切れるほど、酒は日常の制約や退屈さから解放を
してくれる。「酒はモラルの休暇」とは、よく言った。世界の人たちは酒の少々の失敗は認めてくれる。
歴史を振り返っても、どの社会でも飲めや歌えの大騒ぎを許容する祭りや行事があり、
その日のことは、大目にみられてきた。ただ酒で抑制が解放されてしまい、殺人や、思っても
いない浮気や、失態も起こる。「しらふの人間が心の中で思っていることを、酔っ払いは
ベラベラと話してしまう」ことが、酒の一番の欠点だろう。そういう不節制にも教育的?
価値もあるという。 少し無理はあるが、直接跳ね返ってくる身近な事件?になるからだ。
あまりに真面目くさった人生も、これまた面白くも可笑しくもない。 下戸の人は、酒を飲んで
大騒ぎをしている高揚した楽しさ、至福を知らないまま生涯を終えるのである。 
  (以下、字数の関係でカット14年8月31日)


4916,一度、死んでみましたが

2014年08月30日(土)

             『一度、死んでみましたが』神足 裕司著
   * 重介護5のスーパー闘病記
 平々凡々の日々を当たり前のように過ごしているが、実は、これが最上であることに気づくのは、
失ってから! あと一年余りで、平均すると同年齢の男の過半数は介護生活、5年後には寝たきりに、
10年は死んでしまう。 TVや、西原の漫画に度たび出ていた神足裕司を、この数年見かけなかった。
実は三年前にくも膜下出血で倒れ、重介護度5でリハビリ生活の中、去年の12月に、不自由な
ベッドで書いた『一度、死んでみましたが』というスーパー闘病エッセーを出していた。 
コラムニスト復帰の第一弾の本を、偶然、図書館で見つけ、借りてきた。 
脳の大手術で、現在も殆ど動くことができず、寝たきり。ここで、介護、寝たきりとか、言っているが、
この書を読むと、さほど遠くない未来に似たような事態になる可能性が十分にある。50歳半ばから
還暦辺りにかけて、友人、知人が次々と、半身不随になったり、癌で死んでいるが、どれもこれも、
最期は壮絶な状態。これは、その実況中継のような闘病エッセーで、ベッドの中の苦闘が、
そのまま伝わってくる。 本の題名が『スーパー闘病エッセー! 一度、死んで見ましたが』 
HONZ http://honz.jp/36901 の書評が、要点の7〜8割は押さえている。
「その時から、それまで生きてきた一生分を生きることになる」と言うが、そう信じさせられる内容。
  ーアマゾンのレビューの、息子さんのレビューより
≪ はじめに、家族という立場にあるものからのレビューであることをお許しいただきたい。
 本が手元に届いてからも、私はなかなか本を開く気になれなかった。怖かったのだ。
父の、つまりはこの本の筆者の状態はもちろん百%ではない。ページを繰っていけば、
彼がこれまで積み上げてきたものが、私の前に立ちはだかる者としての彼が、崩れ去ってしまう
のではないか、そんな恐れを抱いていた。杞憂だった。そこにあったのは、私にはとても紡ぎ
出せない「凄み」のある言葉の数々。いや、もしかしたらこれは、以前の筆者にも書けなかった
のかもしれない。薀蓄をちりばめ、変幻自在の修飾語を用いながら、ページを埋め尽くす
のが豊穣な表現だとするならば、この本はそれには当たらないかもしれない。
むしろ、そのような表現は全てが余白へと沈み、筆者にとっての瞬間の全てがこめられている。
少なくとも筆者の生きる「世界」において、その瞬間、それ以外の表現はあり得なかったのだろう。
切り詰められた音の数。他の人が弾いたら、ミスタッチだと思われかねないフレーズ。
彼の憧れたジャズピアニストを思い出す、なんていったら笑われるだろうか。
・・・ 病気は誰にでも訪れうることだ。「病気」とはなんなのか、「家族」とは「友人」とは、
そして「生きること」とは何か。誰しも考えたことのあるテーマについて、文章を書いている
その瞬間の筆者にとっての虚飾のない、研ぎ澄まされた言葉が胸に迫ってくる。深刻なテーマに
思われながら、どこかにおかしみを含んでいるのは筆者のコラムニスト魂だろうか。
くも膜下出血、高次脳機能障害の患者・家族の方はもちろん、今立ち止まって
「これから」について考えたい方には、ぜひお勧めしたい一冊です。 ≫
▼ こうなるか、癌で壮絶死をむかえるか、今の私に出来ることは、日々を味わうしかない。
どのみち、少し早いか遅いだけ。それでも奥さんが優しい人のようだが・・ 本人は、このスーパー
闘病記を、自分の愛読者に読んでもらうことが、慰めのようだ。 
私のエッセイ『事業人生を決心して・・』の続編として「その後、脳溢血で倒れてと、
この事態になった」と吾が身に例えて読むと、他人事でない内容である。
・・・・・・
4549, 六韜三略
2013年08月30日(金)
 学生時代に、守屋 洋著『六韜三略』と海音寺潮五郎著『孫子』を読んだ時の面白さと驚きは
今でも憶えている。純朴で、欲と欲の争いに立たされる前の学生時代に読んでいたため、社会に
出てから丁度良い手引き書になっていた。この思想を通して人間をみると、その心底が透き通って
見えるようで、世俗が幼稚に思えてくる。ー当時の感想はー
《人間は欲で動いているが、それを隠して綺麗ごとを並びたてる社会的動物。それを前提に一切を
無にして諸現象を一度、疑ってみること。そして冷静に本質を捉えること。利害対立の場に立った
場合は、よりシリアスに徹すべし》。
そう割り切ると、誠意の外面の奧に隠された心底が手に取るように見て取れた。 これに学生時代の
ゼミの(現象の)事例研究が叩き込まれていれば、アウトサイダーになるのは自然。
人生に戦略的である必要性を、この書で実感。人生への鳥瞰の視線でもある。 
ーネットで、『六韜三略』を検索するとー
《「六韜」は文韜、武韜、竜韜、虎韜、豹韜、犬韜の六篇からなることによる。「韜」は弓袋( 秘訣)。
 「略」は機略の意味。「三略」は、上略、中略、下略の三篇からなることによる。 二つとも
「太公望の兵法」であるから、主張を統一して判断すべしというスタンス。もう一 つは内容である。
 『六韜』が兵法のうち戦略・謀略を担っているのに対し、『三略』が政治思想、軍事思想を担っている。『三略』はリーダーの書、 『六韜』はマネージャー の書 ... 》
《 劉邦の軍師となって漢の国の柱石となる張良が、若い頃、行きずりの老人から「明朝5時、
ここに来い」と命じられた。言われたとおりその場所に行くと老人はもう来ていて、「年寄りを
待たせおって。また明日だ」と言って去った。 翌朝、今度は3時に行ってみると、また老人は
待っていて「まだまだだ」と同じように去る。 張良は意地になって「今度は絶対に待たせない」
と徹夜して老人を待った。すると老人はニコニコと笑って六冊の書物を渡し、「よく勉強して
世のためになれ」と肩を叩いた。『六韜』は「虎」「竜」を始めとした六巻の兵法書で、
 「虎の巻」の語源。『三略』は、前・中・後の三巻からなる兵法書で、『六韜三略』は中国は
もちろん日本の戦国大名の兵法書としても親しまれた。》
《 中国の兵書、六韜と三略の2書。前者は太公望呂尚、後者は黄石公の撰述と伝え、
併称して韜略の書という。 いずれも後世の偽書であるが、宋代、『武経七書』のうちに
組み入れられ、中国古兵法の教科書として広く読まれてきた。・六韜は周の文王・武王の
問いに対し、呂尚が経世済民の術、富国強兵の策を説くもの 》
▼ これを参考に黙し対処したら、これほど難しい相手はいない・・ この書を通すと、面白いように
物事が透けてくる。心静かに、これを読み続ければ、その中の原理原則が己を導いてくれる・・ 
学生時代に、この二書を読んでいたので、いざこざの真只中で、対峙した人の言葉を一度、
突き放し、疑い、静かに自問自答する余裕が出来ていた。問題は、その都度
「正中心一点無の心境で道理は何かを考える」しか解決は出来ない。
・・・・・・
4174, 閑話小題 ー電機メーカーの苦境
2012年08月30日(木)
   * 電機メーカーの苦境
 日本の電機各社が苦境に陥っていると、マスコミを騒ぎ出している。
この原因が、あのエコポイント。電機メーカーにとって、神風になり大きな利益を確保したが、
その間に韓国などのメーカーが主力商品に力をつけ日本が太刀打ち出来なくなっていた。
数年前まで、薄型TVで勝ち組だったシャープが死に体で倒産の危機になり、同じく恩恵を受けた
ソニーとパナソニック、東芝、日立の各社が数千億の赤字というから尋常ではない。
世界に名立たる日本のブランドが、今や苦境に立っている。 耳を疑うが、これが現実である。
 現在、同じことが自動車で行われている。 どうしたというのだろうか。 中小企業救済法も
今となれば、良かったのか悪かったのか? しかし、産業の不振は日本に限ったことでない
世界的な流れ。 スマートフォンとタブレットPC、この中に、電話、テレビ、パソコン、デジカメ、
ビデオ、全ての機能が入って同じ位の値段なら電子機器が売れなくなるのは当然。
日本のメーカーが、専用機種に目を奪われている間に、マックや韓国メーカーが、ここに集中して
いたのである。日本のメーカーは決定的なミスを犯してしまった。10年前、5年前なら
考えられない事態が、目の前に起こっている。 グローバル化は恐ろしい。
   * 地元経済は、ますます悪化
 先日、3ヶ月ぶりに自宅に送付されてきた一連の書類を持って弁護事務所に行き弁護士と
30分位、世情話になった。中越地区の景気状況は、来春の「中小企業特別救済立法」の
打ち切りに向けての動きが顕著になっており、その上に刈羽原発の休止にともない関連の
5千人の従業者のうち3千人が、この秋に整理される。更に小千谷にある
大手の工場も雲行きが怪しい。それらから景気は一段と悪化しているという。一線から退くと
生の情報は殆んど入ってこなくなる。必要がないからもあるが。この9月から12月にかけて、
リーマンショック並みの一大イベントが発生する可能性が大と見ているが、その前兆の波か、
それとも思い過しなのか? 景気は一段と悪化の道をたどっているようだ。
 ・・・・・・
3809, つれづれに
2011年08月30日(火)
  ▼ 収まる所に収まった民主党党首
 最後の最後まで、誰が民主党党首に選出されるのか分からないギリギリの選挙だった。
しかし、海江田と野田の二人の決戦となれば、どちらが相応しいかはTV画面が正直に語っている。 
しかし小沢一郎と鳩山が後盾の海江田が勝つのではと予測されたが、党員も、その歴然とした差に、
野田に雪崩をうっていったようだ(立候補者の一人が最後の最後に野田支持に回ったのが
勝因ともいうが)。その前にも、彼の立候補の政策を聞いたが、至極自然なもので、他が悪すぎた
こともあり、一人光っていた。 
【 二年前に政権についたが、国民からみて期待はずれの結果しか出せなかった。
次の選挙まで残された期間は二年。それまでに捨て身で、この国難とマニフェストを達成しなくては
ならない。大震災の国難を乗り切るためには、 野党との大連合を考え、かつ党内融和も必要。
また赤字の国家財政と、大震災を乗り切るためには増税もやむをえない】 
  この当たり前のことを当たり前に述べているに過ぎないが、現在の与野党も含めて、
これをいうと世論受けしないとか何とかのジレンマに陥っていた。 小泉も含めて、この数代の
首相の中で、一番真っ当であってほしいものである。 菅首相の直後では、やりやすいだろうが、
この日本の政治と経済の惨状下では、それもどうか?まさか、海江田とか、あれ、ではね。 
これで当分は、少しは政治不信は小さくなるだろうが(いつも最初は期待感でそうだが)・・ 
 この国の体質は、この20年で、あまりに劣化した。
  ▼ あれから5ヶ月
 あれから5ヶ月になる。 事業期間三十年のうち、初めの10年が登り。次の10年間は
バブル崩壊の日本経済の混乱の最中、逆に積極策に出て客室を増やした(これが、今回の倒産の
間接原因になる)。 最後の10年の始まりが9・11で、二度の中越大地震、三年前のリーマン
ショックの直撃、とどめが半年前の東北大地震。その中で一番の打撃が、リーマンショック。
この影響は、まだまだ序盤で本格的津波=大恐慌は、この秋口からアメリカから世界、そして
日本に吹き荒れること必定。この二十年、日本の政治は混乱を極め国家の態をなさないほど
疲弊してした。それと比例して、この今回の倒産である。事業がビジネスホテル。
ネットなどの情報化と、長期不況による新幹線日帰り二時間圏と、客室在庫の過剰もあり、
その対応不能に陥り、この結果である。逆に、ここまで次々の大波で悪化すると諦めがつくもの。
後悔とか未練は少なくなる。事業として荒波に飲み込まれたと同時に、業態の老衰ということもある。 
しかし全体として、面白い経験をさせて貰ったと感謝している。それにしても、日本経済、どうなる
のだろう。 この三年間は大暴風雨になる。 特に地方経済は、来るところまで来ているから、なお。
・・・・・・・・
3444・秘・異郷の旅、よもやま話・・1
2010年08月30日(月)
  * 海外旅行に見せられて
 これまで47回の海外旅行で、フラッシュ的に記憶から飛び出したことを思いのまま書いてみる。
その方がむしろ、これまで書けなかった生の体験をリアルに表現できそうだ。 痕跡として残るのは、
現場で撮った写真と言葉。人生を旅に喩えることがあるが、素晴らしい経験と同時にトラブルを
如何に少なくし有意義な旅に仕上げるかがポイント。そのために、行き先の選定、日々の過ごし方、
対処の仕方などのコツが大切になる。 また日本の遥か彼方から、逆照射してみた自分の人生の
卑小さが何とも滑稽に感じることがある。それが気持ちに余裕を持てるのが収穫。まずは、
思いもよらない経済恐慌に出くわした為に、人生の仕上げに入った計画に狂いが生じてきた。
それも、なるがままの人生。旅先で、絶対に行きたかったが行けなかったところはない。
ガラパゴス諸島ぐらいだが、それほど行きたいと思わない。秘・異郷旅行での最大の収穫は、
想像を遥かに超えた自然が与えてくれる感動。 自然そのものが何か波動を発している。
その波動に、飲み込まれにいくのである。 この感動は、山好きの人が国内の色いろな名山で
経験しているものと同じだろう。世界の異郷の地で、違う形で経験をするのである。 
学生時代の多感な頃に北海道、九州、そして紀州と一人旅をしたことがあるが、
あの時の下地と、21歳時の一ヶ月の欧州旅行でのカルチャーショックが下地にあったから、
ここまでノメリ込んだのだろう。その結果、ほぼ毎晩、BS/衛生TVの何処かのチャンネルで、
これまで行った先を放送しているが、見ていると旅の延長のようになる。
「一回の旅は、帰ってきても、そのまま続いていく」が、そこで実現してくる。
一点豪華主義としても、贅沢。
 ・・・・・・・
3069,新インフルエンザの恐怖
2009年08月30日(日)
 新インフルエンザが全国的に流行期入りをし、拡大はもう止まらないという。
どうせ感染するなら、早くなって直った方がよいと割り切った方が良いようだ。
先日のTVのモーニングショーで、新インフルエンザ(=A)と、これまでのインフルエンザ(=B)との
違いを説明をしていた。その内容とは、
 ・Aの方が、症状として重い。 身体がだるく、下痢や、発熱になり、気管支がやられ
呼吸などが困難になる。
 ・Bに比べて感染力が圧倒的に強く、かかる比率は比較にならないほど。
 ・5〜19歳までが患者の7割で、青少年が罹りやすい。
 ・予防でタミフルを飲んでも、48時間しか持たない。
 ・外出後の手洗いと、ウガイ以外に、これといった予防方法はない。
 ・感染者の接触した箇所の菌は48時間は死滅しない。
  だから、人の集まるところは何処もかしこも菌だらけ。
(次数制限のためカット 2011年8月30日)
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2704、共同幻想を抱いていただけ?
 2008年08月30日(土)
 松井孝典の「レンタルの思想」の中のキーワードの一つが「共同幻想」である。
一万年前に農耕牧畜を始めて、「人間圏」を作り上げてきた。そして右肩上がり人間圏の拡大が
共同幻想だったことを、人類は宇宙に出て地球を俯瞰して初めて知った。資源が有限であり、
農耕以来、環境破壊を続けてきたことも、これ以上の人間の欲望を拡大できないことも知った。
 ー著者の松井孝典は、次のように人間圏の危機を述べている。
≪欲望のカタチは所有であり、人間は地球という大地を「所有」すると、錯覚していたのである。
これが人類の「共同幻想」というのである。共同幻想は、これだけでなく、貨幣は未来永劫に
交換可能とか、神様の存在とか、人間の命は地球より重いとか、民主主義、市場主義経済とか、
自由平等とか、人間を規定する概念すべてといってよい。21世紀の人間圏にとって、その崩壊の
引き金になる最も高いシナリオは、これらの共同幻想が多くの人に幻想と認識されたときである。
 その一つがインターネットとという。インターネット社会は、個々人を主体化し、情報が個人に
拡散する。 情報が拡散するということは、社会が均質化していくことになるが、共同幻想という
面では理想的かもしれないが、宇宙からの視点から見れば、人間圏のビッグバンになる。
それは秩序も構造も、情報もあってない、混沌とした社会になる。》
 そこで、共同幻想とは何かを知るためにネットで調べてみた。
 ー以下は共同幻想についてのウィキペディアのコピーであるー
共同幻想(きょうどうげんそう)とは、複数の人間で共有される幻想である。
日本の思想家である吉本隆明が用い、有名になった言葉。吉本は、自分の共同幻想とは、
マルクスの用語である上部構造と同じ意味であり、ただ手垢がついているから使いたくなかった
と述べている。吉本隆明は、著書「共同幻想論」で人間関係は3種類に分類されると提唱。
▼ 自己幻想 = 個人と個人の関係。 ー芸術がこれに当たる。他者には影響を及ぼさないため、無制約に自由である。
▼ 対幻想  = 個人と他者とのプライベートな関係。 ?家族・友人・恋人がこれに当たる。
▼ 共同幻想 = 個人と他者との公的な関係。 ?国家・法律・企業・組合がこれに当たる。
 宗教は、個人の内面に収まっている限りは自己幻想に当たるが、教団を結成し、
布教を開始すれば、共同幻想に当たる。 この分類は効果的であり、世界を正しく見るうえで
この3つの幻想領域を混乱、混同させないことが大事であると主張する。
これらはそれぞれ独自の法則で動いているのである。  例えば、吉本は心理学者のフロイトは
リビドーと言う対幻想性を、社会領域まで無条件に拡大して採用しようとしたところに誤りがあると
批判する。また、1人の人間もこの3つの領域でそれぞれ違う顔を持っている。
 *職場にいる顔と、*家庭にいる顔、*1人でいるときの顔や行動は、それぞれ違うのである。
外弁慶、内弁慶という言葉があるように、冷酷な独裁者や軍人が家庭内では優しいよき父親で
あったり、逆に職場では物静かな男が家庭内では暴力的な暴君として振舞うなどということは、
充分ありえる。吉本隆明は、共同幻想の世界では、個人が幽霊としてしか存在できないと主張。
 例えば、「今は企業の危機だから、粉骨砕身働け」との企業幹部の檄は、 労働力を売りに
来ているに過ぎない個人としての労働者の立場と矛盾する。 
 〜〜〜 以上だが、
 松井孝典の二冊の本は、大きな衝撃であった。
地球学という視点で、自分を振り返ると、大いなる共同幻想の中で蠢いていた小さな生命でしか
ないことだ。 太陽の惑星の一つの地球、その大気圏の中の、物質圏の、生物圏の、人間圏の、
極東圏?の中の小さな島国の、北陸圏の、新潟圏の中の、何でしかない私。地球の外から
俯瞰すれば、そういうことである。そして共同幻想を何の疑問を持たないで抱いていた存在である
自分を振り返り、「何?何だったのか?」と根こそぎ、人生観がぐらついている。
恐らく身近に死を感じ取った時に、直感的に感じる恐怖心の向こうに見える宇宙的な俯瞰の
視線は、織田信長が舞ったという敦盛の「人生50年、下天の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり。
一度生を得て、滅せぬ者のあるべきか」を彷彿させる。
・・・・・・・・・・
2007年08月30日(木)
 2340, さっきみた幻想的、かつリアルな夢
(字数の関係でカット14年08月30日)


4915,閑話小題  ー宝塚歌劇団「ブスの25か条」

2014年08月29日(金)

   宝塚歌劇団には「ブスの25か条」なる教訓が舞台裏に貼ってあるという。 
 右側の⇒は、私が真逆にした「美人の25か条」。これはスターの内的要素の骨格である。
 「ブスの25か条」              「美人の25か条」
1.笑顔がない                ⇒ 常に笑顔で
2.お礼を言わない              ⇒ 前回のお礼の挨拶から
3.美味しいと言わない            ⇒ 美味しい、嬉しい、楽しい、幸せを口癖に
4.精気がない                ⇒ 精気を満たす
5.自信がない                ⇒ 自信を持てる何かを持つ
6.愚痴をこぼす               ⇒ 愚痴は言わない
7.希望や信念がない             ⇒ 希望と信念を持つ
8.いつも周囲が悪いと思っている       ⇒ 周囲のお陰様に気づく
9.自分がブスであることを知らない      ⇒ 自分の程度をわきまえる
10.声が小さくイジケている         ⇒ 声が大きく溌剌としている
11.なんでもないことに傷つく        ⇒ 何ごともケセラセラと楽天に
12.他人に嫉妬する             ⇒ 他人の美点を凝視する
13.目が輝いていない            ⇒ 何ごとにも興味をもつ
14.いつも口がへの字の形をしている     ⇒ 笑顔を心がけて、口元を上げる
15.責任転嫁がうまい            ⇒ 元は此方、そのまま結構の心がけ
16.他人をうらやむ             ⇒ 人を賛美する
17.悲観的に物事を考える          ⇒ 楽観的に、そのためには教養を
18.問題意識を持っていない         ⇒ 常に問題意識を持つことを心掛ける
19.他人に尽くさない            ⇒ 人の役にたつ生き方を
20.他人を信じない             ⇒ 信じられるだけの知識を持つ
21.人生においても仕事においても意欲がない ⇒ 積極一貫の心かけ
22.謙虚さがなく傲慢である         ⇒ 謙虚に、注意を常にもつ
23.他人のアドバイスや忠告を受け入れない  ⇒ アドバイス、忠告を聞き、受け入れる
24.自分が最も正しいと信じ込んでいる    ⇒ 唯我独尊の人から学ぶこと
25.存在自体が周囲を暗くする        ⇒ 光り輝くよう、自分を磨き続けること
▼ 老いるとは、人間としてブスになっていくプロセス? 無知で我ままなら、誰もがブスの要素が
多くなる。とすると、これは戒老録にもなる。タカラジェンヌが光り輝いて見えるのは、内側からの
輝きを心掛けるため。物理的貧困と精神的貧困は「貧すれば鈍す」で、『ブス』になりがちになる。 
それと無知!これを常に自覚していないと、左側の要素が増えていく。タカラジェンヌのミニスターを、
まず彼女たちは演じることから始まる。そして大スターの道をめざし、日々、努力をする。 
幸せへの道しるべ!である。
・・・・・・
4548, 2050年の世界 ー1
2013年08月29日(木)
         「2050年の世界 ー英『エコノミスト』誌は予測するー」 英『エコノミスト』編集部 (著) 
   * 2050年までを見通すことで現在を理解できる
 何気なく図書館の返却コーナーで手にとった本だが、英『エコノミスト』誌の各ジャーナリストが
20の分野で予測。これが面白いが限界も見て取れる。この激動の時代に、40年先の予測など
所詮は無理な分野もあるが、人口趨勢など予測可能な分野もある。だから面白い。
5〜10年先を予測したければ、40年先を考えてみればよい。
 ーアマゾンの内容説明ー 〈 2050年日本のGNPは韓国の半分になる。グローバルな一流誌
英エコノミスト誌が、総力をあげ、科学、政治、人口、経済、女性、などの20の分野で2050年までの
世界を予想 〉まずは‘はじめにー「2050年までを見通すことで現在を理解できる」’の冒頭より
≪ 世界人口が10億人になったのは、18OO年ごろのことだが、それまでに人類は20数万年の
歳月を費やしている。ところが、 60億人から2011年の70億人に違するまで要した時間はわずか
10数年。このような変化に驚くほどの速さで展開する大規模な変化は―メガチェンジーと呼ぷに
ふさわしいもの。実際、わたしたちはメガチェンジに囲まれている。技術は信じられないほどの
スピードで拡散しており、ネットや携帯電話の進歩は言うに及ばず、現在ではコンピューターから
大量の情報を入手したり、フェイスプックやツイッターなどのソーシャル・ネットワークを通じて、
大量情報を受信したり、発信することが可能である。また、世界経済は私たちの目の前で着々と
アジアへ重心を移している。このような変化はどれも、人々の生活と、企業の戦略と、国家の政策と、
地球の将来展望に深遠な影響を与える。 
ー本書は2の重要な目的を持っているー
 ☆ 第一の目的は、人々の健康から財産まで、あらゆる側面から世界を変革するトレンドを特定し
探求することだ。本書では、身の周りの話題をひとつひとつ論じてみたい。この手法を採用すれば、
わたしたちは、ヘリコプターから地上を見下ろすように、俯瞰図を掌握することができるだろう。
 ☆ 第二の目的は、第一の目的で確認したトレンドにより、2050年の世界がどのように形作られるか
を予測することだ。一見すると、これは非常識なほど大きな野望かもしれない。ダン・ガードナーが
自著「専門家の予測はサルにも劣る」で論じた、人類の歴史には百パーセントデタラメな予言が
のらべられている。1914年、英国人ジャーナリストのブレールスフォードは、「近代国家間の国境の
線引きが最終決定されたことは、政治的にはこれ以上ないというほど確実である。
私見を述べると、今後、既存の六大国間で戦争は勃発しないだろう」と記した。第一次世界大戦が
始まったのはその直後。米国経済学者のフィッシヤーが「わたしの予想では、これから数カ月の間に
株式市場は大幅に上昇する」と予言したのも、1929年の株価大暴落が起きる1週間前。
果たして人間が未来を知ることは可能なのか? あすの天気を予想するのさえ難かしいのに
40年後の世界をどうして描き出せるのか? おそらくこの四十年のあいだに、わたしたちは
ブラック・スワンの詳れを絶えず目撃させられるはずだとはいえ、未来を予測してみる価値はある。
奇妙だが、2050年を予測することは、来週や来年を予想することよりも簡単。
実際、ナシム・タレブも一世代以上先の予測を好んでいる。 長い年月で「今日において
脆弱なものが壊れて消える」からだ。》
▼ 次回から、めぼしい部分を抜粋しながら考えてみる。40年前といえば、文化大革命が終盤を
迎えていた頃。そこで、現在の中国を予測できただろうか? その十数年後にソ連の崩壊、東欧の
共産圏の消滅。日本のバブルと崩壊。その10年後の9・11テロ、7年後のリーマンショック、
その3年後の東北大震災。それより、世界中の人々が形態パソコンを持ち、ネットで繋がるとは
誰が予測できただろう。40年後に私は存在していなくとも、どんな時代か考えるだけで面白い!
・・・・・・
4173, 木を見る西洋人 森を見る東洋人 ー2
2012年08月29日(水)
  * 二つの違った未来観 !        「木を見る西洋人 森を見る東洋人」 ニスベッド著
 ー 西洋と東洋の認知の違いはなくなるか ー
 フクヤマとハンチントンの二人の政治学者の未来観こそ、西洋と東洋の違いである。
20世紀に入ってから、哲学が、決して西洋が文明的に優れているのではないという構造主義の
考え方が主流になってきている。しかし時代は木も森も、そして、地球環境も同時に見ていかなければ
ならない時代になってきている。3・11震災がもたらした原発事故が、それを我々に突きつけた。
この対立は、避けることは出来ないが、何とか、それを抱えて未来に向うしかない。  
  ー まずは、その部分から
≪ 今、二つの非常に異なった未来観が、多くの領域の社会科学者たちの間で戦わされている。
 ひとつは政治学者のフランシス・フクヤマが唱えた未来観で、世界の政治経済システムが一極に
収束し、それに伴って価値も一極化していくことを予測するもの。もうひとつは今後とも多極化が続く
ことを予測するものである。フクヤマは著書『歴史の終わり』のなかで、資本主義と民主主義が勝利を
おさめた今、面白い出来事を生み出すような切迫した力はもはや存在しないと述べている。
片や政治学者のサミュエル・ハンチントンは、世の中が今度とも多極化を続けると予測している。
社会が収束に向かうというフクヤマの視点とは大きく異なり、ハンチントンは世界がまさに
『文明の衝突』を迎えようとしていると断言する。東アジア、イスラム、西洋といった主要な文化集団に
おける価値観や世界観の違いは調整不可能であり、したがって対立は避けられない。
「民族の対立と文明の衝突が生じつつある中にあって、西洋文化の普遍性を信じる西洋人たちの
信念には、3つの問題点がある。その信念が誤りだということ、道徳に反するということ、
そして危険だということである」 言うまでもなく、経済や政府のかたちがどこでもみな同じならば、
人の心の中はどこへ行っても同じだろう。逆に、文明の衝突が避けられないならば、思考の習慣は
多極化を続けるだろう。 ・・・・
 フクヤマの未来観は、多くの西洋人、特にアメリカ人の視点を代弁している。アメリカ人は、誰もが
根はアメリカ人か、そうでなければ、これからアメリカ人になると思っている。
・・今やどの国の人たちも、ジーンズとTシャツを着て、ナイキの靴を履き、コーラを飲み、アメリカ音楽を
聴いて、アメリカ映画とTVを見ている。 逆にハンチントンによれば、世界の文化が西洋の文化に
同化しつつあるという考えは、近視眼的かつ自民族中心主義な発想にもとずく幻想である。
社会は互いに違っており、今後の国際紛争は、過去に見られた経済的あるいは政治的な
対立よりむしろ、文化的対立を発端にしていると考えられる。・・・≫
▼「東洋と西洋の混血が現時点の日本」と仮説を立てると、日本の混乱が見えてくる。
和魂洋才という言葉が、それをあらわしている。情報化の進展で世界がグローバル化された現在、
決して否定出来ないこと。要は和魂を常に意識すべき。これは日本だけでない。
トルコがイスラム教国に関わらず欧州よりの国家体制を作っている。矛盾があっても乗り越えて
である。いずれにしても、あらゆる人種をかかた世界がネットで情報が共有された現実がある。
それゆえの混乱は激しくなるのは当然。
・・・・・・
3808, 哲学人 ー⑧
2011年08月29日(月)
  ● 社会主義〜 妄想的理想社会への逃避       ー「哲学人」ブライアン・マギー著より
 残念ながら、学生時代から社会主義・共産主義に対して本能的に、その虚偽を見抜いていたつもりだった。
経済も社会も、国家単位の計画で成立するはずがない。「経済は個々の競争原理の弱肉強食の戦いの中から優勝劣敗で
進化する。その歪を国家がコントロールすべきで、役人がたてた計画経済で、ことが上手く進むなどありえない」という
単純な考えから抜け出れなかったのが本当だったが。 ここで、マギーは、学生時代に「資本論」に大きな影響を
うけたと述べている。人生で夢中になった一ダースに満たない本の一冊に「資本論」を上げている。 
しかし、社会主義国家が本当に成立するかどうか、疑問を持ったとも、述べている。
【 * ー 資本論を、二週間ひたすら読む ー
 二学年めの復活祭の休暇中、私はオックスフォードに見つけた下宿屋にこもり、二週間は朝も昼も晩もひたすら
『資本論』を読みつづけた。じっくりと読み進め、書いてある内容について考えたくなったら、いつでも本を置いて
好きなだけ黙想し、散歩をしながら重要な一節について思索したり、夜にはべッドのなかでもこの書物について思いを
めぐらせたりする。そんなふうに夢中になった本はそれが初めてだったし、生涯を通じてもその数は一ダースに満たない。
プラトンの『対話編』、『新約聖書』、ヒュームの『人性論』、カントの『純粋理性批判』、ショーペンハウワーの
『意志と表象としての世界』、『ウパニシャッド』、力ール・ポパーの『開かれた社会とその敵』、アインシュタインの
『一般相対性理論』ぐらいだろう。こういった本が私を変えてくれた。これはつまり、こうした書物に感化された
考え方をするほど夢中になったということであり、もし読んでいなかったとしたら、いまのような人間になっていた
とは思えないということである。誰であれ、そんなふうに言える本はめったにあるものではない。 私の場合、戯曲家、
で同じことがあてはまるのは、少なめに見積もるとシェイクスピアひとり、作曲家は七、八人といったところだろう。
もちろん、読書や観劇や音楽鑑賞の蓄積が、その人の考え方や人格にじわじわと影響を及ぽし、自覚できる変化を自我に
生じさせた張本人と特定できる作家は、少数である。ここに挙げた書物の半分はドイツ語圏の作家によるものだが、
この事実(作曲家の大半もその地域の出身であり、時代も同じであるという事実を加えてもいいのは、私の精神生活が
どんなものであるかを示唆している。『資本論』の大半を占めているのは、英国の産業革命の歴史である。
にもかかわらず、私の考え方はマルクスに多大な影響を受けている。その影響は、彼の著作を吟味するにつれて薄れて
いったけれども、けっして消えはしない。私はそうなることを望まないし、マルクスの提示する洞察には不変の価値が
あると思っている。彼は偉大な作家であり、大人物でもある。その怒りと裁断は厳しすぎ、エホバめいたところが
あるとしても、である。『資本論』は退屈でわかりにくい大冊だなどという考えがどうして出てくるのか。
私には、その厚さにうんざりした人たちがこしらえた、読まないための口実としか思えない。『資本論』は名著である。
 世界史上、指折りの影響力をもつ書物であるのは確かである。 】
▼ ソ連の崩壊と、中国の実質、社会主義的計画経済の放棄は、それは理想であって、現実にはそぐわないことを
 立証した結果になった。そこに起こったのは、役人の特権化と汚職の氾濫であり、狂った独裁者の誕生であり、
国家経済の疲弊である。熾烈な競争経済の中でしか経済は発展しないことが、数千万の餓死などの犠牲者を出し
証明された。まだ残存は残っているが。
  ・・・・・・・
 3443, 最近の昼飯事情
2010年08月29日(日)
  * まさか昼飯がパン食になるとは!
 最近の昼飯は外食から事務所内で駅のベーカリーで買ってくるパン食に切かえた。 時どき弁当もあるが、どうも
冷えた弁当は部屋で食べるにはそぐわない。レンジでもあれば別なのだろうが。それもインドのナンのようなもので
パセリと海老か、唐揚げを包んだものがラップに巻かれている。若い女性が好みそうなやつで、それだけのコーナーがある。 
以前は、他にカレーパンなど二個だったが現在では一個にバナナ。この歳になると、味は美味しく、サッパリして、
腹に持たないものを求める。とすると女性向きにつくられたものが丁度良い。30年近くのランチャーも卒業で、
お部屋でヒッソリとパン食。 なれると外食が馬鹿馬鹿しくなる。 駅内にあるスーパーの弁当コーナーを見ると、
300円弱から400円辺りが中心プライス。月に3〜4回は買うが、何かイマイチ。駅のベーカリーにイートインの
コーナーがあり、コーヒー付きで400円位である。近くのマクドナルドなどと競合しているが、殆どが女性客。
早い時間から客席は半数以上は埋まっている。最近、長岡駅内にも出展したが山崎パンの直営店という。 
最近、ほぼ同じものが地元のスーパーに見かけられるようになった。スーパー原信が、地元のベーカリーチェーンを
買収して、自社店舗内に出店している。土日のどちらか一日の早朝7時に毎週行って、焼き上がりのパンとコーヒーを
飲むのが楽しみの一つ。昼にパン食に切り替えてから体重が1〜2キロほど痩せたが、これで20歳半ばの体重に戻った。
歳相応になったということか。 それより、ランチを食べに行くのが面倒になったということ。
・・・・・・・・
3068,衆院選後のマスコミ社説を先取りすると!
2009年08月29日(土)
 衆院選挙の自民党の壊滅は、ほぼ決定的である。バナナを使って捕獲されたサルと自民党の姿そのものが重なり見える。
サルを捕獲するに、箱にバナナを入れておき、サルの手が入る穴からバナナを掴むと手が抜けない。そこを捕獲すると
いう逸話がある(本当かどうかは確かではない)。それと、自民党の300議席からくる権力の執着に似ている。 
誰かがこの喩えを使うかどうか。  翌日のマスコミの解説の内容は以下の通りだろう。
  * 民主党の大勝に意味すること 
《 民主党が歴史的大勝をしたが、これは自民党の4年間の政策に対する国民の失意の結果。  
  (字数制限のためカット 2011年8月29日)
 ・・・・・・・・
2703, 「レンタルの思想」−7
 2008年08月29日(金)
 地球は太陽の周りの隕石が何度も何度も衝突を繰り返しながら拡大し、生成されたもの。
 聖地が石で出来ているというのも、その辺に秘密があるのだろう。 趣味の究極は石になるというが、
 それもまた同じ理由なのかもしれない。いま気が付いたが、植嶋啓司の本を取り上げたことがあった。
  全く忘れていたが、聖地の共通点を取り上げた内容だった。
 〜〜
「宗教の隕石学」への挑戦   松井孝典×植島啓司
 *聖地の岩石学
松井: 植島さんの本を読んで、なるほどと思ったのが「聖地というのは、みんな石切り場だ」ということです。
植島: 石を切り出したところ、あるいは特殊の石組みですね。
松井: 自然が宇宙の歴史を記した古文書なら、石切り場も古文書です。
植島: 20年間、世界中の40数箇所の宗教の聖地をおとずれたが、共通して出会ったものは「石」であった。
    エルサレムの黄金のドームは「岩のドーム」と言われているとおり巨大な一枚岩が置いてあるだけ。
    聖墳墓教会のあるゴルゴダの丘もかっては巨大な石切り場だった。 ストーンサークル(環状列石)、 
    岩石刻文の宝庫であり、 パルテノン神殿が建てられたアテネの小高い丘は巨大な石の塊、エジプトの
    ピラミッドは元々は石灰岩の山で、崩して平らにして組みなおしたもの。これらは偶然だけではないだろう。
植島: 聖地の条件として、ある樹木があるとか、洞窟があるとかではなく、なぜ石なのか、石には何か特殊の
    力があったのか。・・・ 古文書として石を読む上で、分析は非常に大事だと思います。
    ただ石の成分を読むのではなく、石が置かれた文化的環境を読む。
    石ということでは、隕石や地球のマグマとの関係も重要です。・・・
松井: 実は1980年以前はそういう認識はなかった。というのも地質学では、巨大隕石の衝突と地球史・生命史を
    結びつける考え方は、科学では退けられていた。 しかし天から降る石があって、それが人間の存在や
    考え方に影響を及ぼすという認識は、自然科学の登場前からあったかもしれない。
松井: 今こそ地球上に多くの人が住むようになって、絶えず隕石の落下が報告されているが、これが人間が
    少ない時に大空から大音響とともに火の玉が降ってくるというのは、すごいインパクトがありますよね。
▼ 解) 聖地は、どれもこれも、石切り場の跡にあるという。 私も多くの聖地を見てきたが、全てが石組みであった。
(字数制限のためカット 2014年8月29日)


4914,閑話小題 ー代々木ゼミナールの7割の校舎が閉鎖

2014年08月28日(木)

    * 代々木ゼミナの7割の校舎が閉鎖
「代々木ゼミは、三大予備校の1つとして浪人生を中心に多数の生徒を集め、全国に校舎を展開して
きたが、 少子化に伴う受験生の減少などで、29の校舎のうち7割以上に当たる22の校舎を閉鎖
する方針を決めた」 というニュースが数日前に一斉に流れたが、 隔世の感がする。 
ーネットによるとー
《 ・ピーク時には41万人の予備校生が、今では6万人。近年は大学全入時代に入り、浪人生の数も
減少している。 不況が続いた中で家庭でかけられる教育費が非常に少なくなって、浪人をすることに
ブレーキがかかっている。
・大学入学者の浪人生の割合は1985年の約4割から約1割に減少。その上に、1990年の85%が
予備校依率存が、現在では30%まで下落している。
・1980年代の半ば頃から生徒数が減少し,90年代以降,その速度がさらに高まった。
1990年では14万2千人だったのが,2000年には4万9千人になり,2011年の2万4千人に
至っている。ピークの1977年を基準とすると, 予備校生の数はおよそ10分の1にまで減った。 
・大学進学率は1966年に16.1%だったが76年には38.6%、今では50%と大幅に上昇、
受験戦争という言葉も登場するほど大学進学は当り前になり、予備校は急成長を遂げた。
中でも代々木ゼミナール・駿台予備校・河合塾は 三大予備校と呼ばれた。
◎河合塾は理系の国公立、◎駿台予備校は特に難関国公立大学、◎代々木ゼミナールは
私立文系の大学受験を中心に浪人生向けの大学受験指導をしてきたが、そこに市場の規模が
大幅に縮小したことが大きな要因である。》
▼ 今では私立大学の45%が定員割れ、浪人をする必要が無くなった。ネット活用で自宅浪人も
可能なことや、東進ゼミのような『衛星放送ゼミ』で、地方各地でも一流講師の授業が聞けるのも
大きなマイナス要因である。私の事業で、売上が3分1に驚いた現象より劇的である。20年前に、
新潟に代ゼミが進出した直後に、新潟予備校が倒産したが、今度は、その代ゼミが時代の潮流に
直撃したことになる。 校舎は転用可能のようだが、不動産業として生き残れるか、どうかである。 
次にくるのは専門学校の類。崩壊過程が既に始まっている?・・ グローバル化、情報化による
「隠れた大恐慌」が引き起こしている「中産階級総崩壊」の、一象徴である!
・・・・・・
4547, 閑話小題 ー海外ツアー48回のフラッシュ
2013年08月28日(水)
   * 秘異境ツアーからのフラッシュ
 突然、思いもよらない過去の記憶が飛び出すことを「フラッシュ」という。
アメリカのTVドラマ『LOST』で、陸の孤島に墜落した登場人物の素性を表現するのに各人の
「フラッシュ」を利用していたが、巧い技法と感心した。
秘異郷ツアーの中では、次次と思いもよらない経験をする。しかし、その都度、それを解釈をしている
余裕がない。それが長い年月を経て、フラッシュとして記憶の奥底から飛び出てくる。それはツアー
だけではないが。還暦を過ぎた頃から、バイアス(固定観念)が溶けてきたこともある。
家内とは40回近くともに旅行をしてきて、旅先の記憶が共有している。BS/TVなどで毎日のよう
に行先の何処かが放映されていて、それを録画で夕食時に見ているが、そこで多くの記憶が
蘇ってくるため、番組が行き先の追体験になる。出来る時に、出来たことに感謝している。
『秘境旅行ーフラッシュバック』をテーマに書くつもり。
  * 消費税の増税の是非
 消費税を上げれば、その分、国民にとって実質所得ダウンになる。
それに2%のインフレターゲットとすれば、年金生活者など低所得者に大きな負担が被ってくる。
それも生活消費財から上がるから深刻な問題である。しかし現在の財政事情からみたら、
消費税は上げざるを得ない事態。上げるも地獄、上げないも地獄なら上げるしかない。
現在の年金の収入では、月に10万円持ち出しだが、今月から家内の年金が数万円アップで
持ち出しは少しは減るが。当初の予定は、敷地内の貸家の家賃収入で収支ゼロの予定だったが、
古屋は敬遠されて、2年間も空家状態。で、この二年半で、大きな買物はiPadを買っただけ。
自転車も、パソコンも、自動車も限界に近づいているが、それでも充分に使える。
家の中は要らない物のゴミの山。実際のところ、欲しいものは殆どないから不思議。
で、消費税増税の是非の話に戻すと、株式と国債の暴落を待って、一度、根本から精算するしか
ないのは、誰の目にも明らか。今の日本では改革の断行は無理の中、外国へのポーズとしても、
増税は99%は、やってくる!
・・・・・・
4172, 木を見る西洋人 森を見る東洋人
2012年08月28日(火)
   * 認知科学者は間違っていた?   「木を見る西洋人 森を見る東洋人」 ニスベッド著
 最近になり、「自分が理解していることは、言葉で説明すれば相手は理解してくれているはず!」が、
私の思い込みに気づいた。人間は知りうる範囲で理解しているだけだが、自分が理解している
範囲とは違うのである。 「自分が真実と思っていることと、真実は違う」のである。真実と思って
いても、思い込みのことがあまりに多い。今まで国や文化や肌の色や宗教によって世界観が
変わっても、人間がものを考えるために用いる道具は同じと誰も疑わなかった。
「ものごとを知覚したり、推論するために用いている道具は同じである。論理的に正しい文章は、
日本語も英語も中国語であれ、正しいことに変わりはない。だが、もし、それら全てが間違っていた
としたら、認知科学の大前提を覆ることになる。」と、いう。
緑の原野で、何を見て、何を信じてきたのだろう。 
 ー以下の部分は、その部分ー
 ≪ ヨーロッパ人の思考は「対象の動きは(それが物体であれ、動物であれ、人間であれ) 
単純な規則によって理解可能である」との前提の上に成り立っている。西洋人は物事をカテゴリー
に分類することに強い関心をもっている。 なぜなら、分類することによって、今問題となってい
る対象にどの規則を適用すればよいかがわかるからである。また、問題解決に当たっては形式的な
論理規則を適用することが有効だと信じている。これに対して、東アジア人は対象を広い文脈の
なかで捉える。 アジア人にとって、世界は西洋人が思うよりも複雑であり、出来事を理解するため
には常に複雑に絡み合った多くの要因に思いを馳せる必要がある。形式論理学はほとんど
問題解決の役には立たない。実際、論理にこだわりすぎる人間は未熟だとみなされることもある。
私は心理学者として、これらの主張が革命的な意味をもっていると感じた。
もし彼らが正しければ認知科学者は間違っていたことになる。つまり、「人間の認知はどこでも
みな同じ、ではない」のだ。人文・社会科学諸分野の研究者たちは、明確にそれと言わなかったが、
実は思考の本質について非常に重要な主張を行っていた。
 第一に異なる文化の人々は、世界の本質についてそれぞれの根本的メタフィジックスな信念、
  彼らなりの「形而上学」を有している。
 第二に、それぞれの人々に特徴的な思考のプロセスには大きな違いがあること。
 第三に、そうした思考プロセスは、世界の本質についての信念に合致したものであること。
  言い換えれば、人は自らの世界観に合致した方法で世界を認知するということである。 
注目すべきことに、社会の構造や人間観というものは、それぞれの社会に生きる人々がもつ
信念体系や認知プロセスと非常によく合致しているように思われる。アジア社会は、集団や周囲の
他者との協調を重んじる傾向があると言われる。こうした特質は、アジア人が文脈を重視して広い
視野で世界を眺める傾向をもっていることや「出来事は極めて複雑なもので、その生起には多くの
要因が関係している」と信じていることと合致。これに対して西洋社会は、個人主義的でお互いの
独立性を重んじる傾向があるとされる。こうした西洋人が特定の事物を周囲の文脈から切擁して
観察する傾向をもっている。≫
▼ 「アジア人が文脈を重視して広い視野で世界を眺める傾向をもっていることに対して、
西洋社会は、個人主義的でお互いの独立性を重んじる傾向があるとされ、西洋人が特定の事物を
周囲の文脈から切り離して観察する傾向をもっている。」ことより、「気を見る西洋人、森を見る
東洋人」という本の題名になっている。同じ森林を見ても、これだけ思考の仕方が違ってくる。
また一神教の欧米と多神教の東洋人とは、同じ現象でも受け止め方が違って当然である。
それと、好き嫌いという感情で違ってくる。「世界についての考え方は根本的にひとつである」
大前提が違うとすると、文明の相克はあって当然。争いは永遠に続くことになる。
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3807, iPadを買った ー2
2011年08月28日(日)
 iPadを買って六日になる。これはブログ、電子書籍、ネット新聞、メールなど「閲覧用と割り切って使う」のと
「ゲーム」に適している。ゲームやアプリを取り入れ「自分の面白空間を創造する手みじかで持ち運び可能な電子基地」
になる。これまでのPCを固定電話に喩えると、これは携帯電話、それもモバイル携帯に一挙に進化したもの。
もし迷っているようだったら、買うことを勧めます。モバイル携帯のiPhoneは私には合わなった。これは、それが
大型化しただけ?と躊躇したが、実際に手にして私にも使えるシロモノ。まずよいのは画面を横にスクロールすると、
ページが次々と切り替わる。 これがアイコンの分類に非常によい。一ページ目に、元もとiPadについていたアイコン。
二ページ目には、気に入ったブログ。三ページ目には、ダウンロードしたソフト。4ページ目は、ゲーム等々に分ける
ことができる。これが使う立場からすると扱い易い。そしてゲームやアプリなどを、それぞれのページに溜め込む
ことができる。現在のパソコンのセカンドとして、閲覧とゲーム専用に割り切るとネットに繋がる時間が圧倒的に増える。
ノートと同じ薄型で、無線のため、持ち運びが手軽で、これまでと格段にネット世界が広がる。 パソコンのある机に
縛られていたのが、そこから開放されるのは大きい。先ほど述べた携帯電話が固定電話から人々を解放したと同じで、
一度開放されたものは元に戻ることはない。その意味で、これは革命的進化といえる。モバイルPCはあったが、
キーボードで操作であった。しかし、これは直感的に画面上のタッチ操作になっている。iPhoneと、どこが違うかのか?
というと、まず画面の大きさである。手帳とノートの差といえば、分かりやすいだろう。講習会や授業で手帳に
書き込む人はいない。誰もがノートである。電子ノートと思えばよい。iPhoneは携帯電話にパソコン機能をいれたもの。
これは電子ノートパソコンであり、画面の大きいわりに移動時に嵩張らない。 週刊誌や新聞も、あと数年も
しないうちに大部分が、これを通してみることになる。もうひとつ、Youtubeがワンタッチで直にみれる。
こうなると、文字情報の伝達から画像、映像に手段が移動していくことになる。ということは、情報が圧倒的に
個人間で増加していく。年内は私に最適なアプリ探しがテーマになるのだろうが、それにしても面白いものが出てきた。
これにツイッターの映像公開となり、これにネットTVときたからには、政治も、経済も、一般消費者の変化に
対応出来なって当然だろう。ネット世界が我われを覆ってきた。
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3442, 我が家に新しいTVが  −3
 2010年08月28日(土)
 新しいTVに切り替えて二週間になる。 画面の鮮明さは説明するのが難しいほど。時間が経過しても驚きは
消えない。ボクシング、プロ野球、歌謡番組、演奏会、大自然などの旅番組などの現場の臨場感がこれまでと違う。
剥き出しのエネルギーが、これらから直に伝わってくるからである。
その結果、それ以外のワイドショー、バラエティー、中途半端なドラマなどを、ほぼ見なくなった。
マシーンが逆に視聴者の選択を変えてしまう現象である。それと対象をリアルに変えてしまうのである。
米国の本格的な映画も、これまでと違った迫力が画面に出るので面白みが倍増してきた。そうこう考えると、
やはり大したしろもの。現場で人間が見える対象より、デジタル加工した方が、より鮮明になる領域に入ってしまった。
これに3Dの立体化された映像が加わったり、スーパーハイビジョンが本格的に放送されたとしたら、世界各地に
実際に行ってみるよりTVで見た方が良く見えるということになる。(現に、ある領域では達しているが)その一端を
垣間見ているのである。 実際には現地でみる360度の視界で、五感で体感するものにかなうはずはないが、視覚
・聴覚の世界で数倍鮮明に映し出される世界は違う。 まだ地デジがアンテナの関係でまだ映らないが、これが入ると
本来の多くの機能が加わる。それが凄い。(8画面を同画面で見たり、地デジ8チャンネルを26時間録画したり・・) 
高機能TVというより、未来の先取りのTVという感である。 テレビなどバカが見るもの!は間違いない事実。 
しかし自分が行った旅先の映像が、より鮮明に画面に映し出され、そこに深く浸かることが可能になった。
面白い機能のひとつが、テレビのセンサーが室内の照明や室外からの陽光を読んで、画面を修正する
「おまかせ」がある。 テレビは、それぞれの家庭の居間で毎日、顔を突き合わせるもの。そのため、メーカーは、
そのシェアが即、会社の力をあらわす。そのため、いずれも総力をあげ商品作りをしてくる。 
一歩出遅れた東芝がプライドをかけたエネルギーが伝わってくる。
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3067,私の世界からみえた衆院選の予測
 2009年08月28日(金)
 私の世界から垣間見た、この衆院選挙の直感的予測は、民主ー325 自民ー95である。飲み会、同級会、
会社、取引先などで自民党に同情的な人は皆無という事実からみても、自民党の惨敗は間違いし、80議席以下
の可能性もある。輸出産業関連の大手企業の支配下にあった自民党政権の一番の被害者の地方の中小・零細企業や
農水産関連の人たちの怨念は深い。小泉劇場での郵政民営化の争点だけに国民の目を向けて、旧守派潰しの芝居を
つくりあげて大勝をした。 そして、自分も含めた4人の元総理などの二代目、三代目に政権のタライマワシをして
自分たちの権益を守ってきた。日本国家の戦略の布石を試みたが、実力不足で出来なかった。 最後は麻生の質の
悪さの露呈である。これでは、国民は怒りを通りこし侮蔑の感を持つのは当然のこと。 小泉が薄ら笑いを浮かべて、
《私の手法のワンフレーズの「郵政民営化・自民党を叩き壊す」を、今度は民主党が「政権交代・官僚支配の打破」
の切り替えに成功している》とのたまっていた。 当の本人だから、その辺のことが鮮明に見えるのである。
冷静に考えれば、民主党が270議席辺りが政治的に妥当だが、自民党の4年の醜態を見れば、壊滅的破壊を
求めるのは国民感情である。 民主党の鳩山も所詮は鳩山一郎の孫で、同じ穴の狢。
政治家業の老舗の一員でしかない。 手垢のついてない日本のオバマが出る懐の深さがないのが現在の日本の現状。 
民主大勝で、日本も遅ばせながら大きく政治が変わる。 あの元首相などの顔が消えるだけで、非常に喜ばしい。 
あれこれ考えると、やはり民主ー325でよい。 創価学会などの政治介入を断ち切るためにもである。
その隙をついて怪しげな宗教家業屋が政界進出?だと、ったく!
 ・・・・・・・
2702, 閑話小題
 2008年08月28日(木)
  *首都圏の不動産の本格的倒産が始った
アメリカのサブプライムローンの影響で、外資が一斉に引きはじめた影響が出始めた。
一昨日も「旭ホームズ」が780億の負債を抱えて倒産。先日はアーバンコーポレーションが2500億円、
旧興和不動産が1700億、ゼファーが1000億弱、セボンが700億、スルガコーポレーションが
600億と、たて続きに倒産してきた。周辺をみると長岡市内も、新潟市内も、過剰なマンション建設が
おこなわれている。誰が見ても不況の中にあって無謀に見える。 土地の仕入れから完成まで3〜5年は
最低かかるので、急な景気停滞に対処できないのが、彼らの宿命である。完成時には、時代が様変わり、
というのが現在の経済状態である。数日前のTVで、売れ残ったマンションを買い叩いて再販する業者の
特集をしていた。だいたい仕入れ値が、当初の6割。2割が経費と利益として、8割の売値が相場。
新潟市内も売り出す前から、既に値くずれが生じているという。これが今後5〜10年間つづく大変動の始まりか。 
あくまでも始まりであるところが、恐ろしい。
  *星野野球のバッシングが手厳しい
  (字数制限のためカット 2010年8月28日)
・・・・・・・・・・
2007年08月28日(火)
2338, ホッファー −4   (*'▽'*)/☆゜  ほっふぁー ようさん〜〜〜〜♪ (;-""-);'↑
 ー更にHPにあったホファー「波止場日記」の中から言葉を拾ってみるー 『ー 〜〜 ー は感想』
<たびたび感銘を受けるのだが、すぐれた人々、性格がやさしく内面的にも
 優雅さをもった人々が、波止場にたくさんいる。この前の仕事でアーニーとマックとしばらく一緒になったが、
 ふと気付くと、この二人はなんと立派な、寛大で、有能で、聡明な人間だろうと考えていた。 
 じっと見ていると、彼らは賢明なばかりではなく 驚くほど独創的なやり方で仕事にとりくんでいた。
 しかも、いつもまるで遊んでいるように仕事をするのである>
   (以下、字数の関係でカット 09年8月28日)       ○´・ω・]ノ ヂャァネッ !


4913,世界の美しさをひとつでも多く見つけたい ー5

2014年08月27日(水)

                
                  『世界の美しさをひとつでも多く見つけたい』石井光太著
  この著書を読んでいて思い出したのが、以前に取上げた、
 <京大工学部の新宮教授の「幸福の4階建て論」説。(古今東西の幸福論を読み漁った結果)
 4階:克服できない苦難や悲しみの中に、幸福がある。
 3階:苦難や悲しみを経験し、それを克服する。
 2階:獲得した「快」を永続させる。
 1階:人間の本能的な「快」(恋、富、名誉など)を得て、増やす。>  
『世界の美しさを一つでも・・・』の著者・石井浩太は、それが壮絶であるほど余計なものが剥ぎ取られた
人間の泣きたくなるほど、その美しさが浮上るという説に重なる。このルポも、時代の要請なのだろう。
  ーまずは、その辺りを抜粋ー
≪ なぜ過酷で壮絶だったりする現場に赴くのか。それは過酷な現場であればあるほど、
「人間の美しさ」が見やすいからです。良心、善意、優しさ、強さといったものです。暗い場所であれば
あるほど、光はより明るく輝きます。それと同じで、悲しくてつらい世界だからこそ、人の優しさや
たくましさがより鮮明に浮き上がる。 たとえば、マドウと薬草売りの関係が、ニューヨークの高価な
私立病院の個室でくり広げられるお金持ちの病人と専属看護師のそれだうたらどうでしょうか。
高級病院の専属看護師は、コルカタの薬草売り同様にお金持ちの病人を必死に励まそうとしている
かもしれません。しかし「高額なお給料をもらっている」「最新の医療を受けている」という事実が
あることで、専属看護師の善意は見えにくくなります。 コルカタの路上で人間が裸同然でうごめく
ように生きています。良し悪しは別にして、余計なものが一切ないからこそ、薬草売りのマドウに
対する善意がはっきりと目に見えるし、それが泣きたくなるほど温かな行為として感じられる。
そして、薬草売りとしての美しさが鮮明に浮き上がるのです。私は先ほど「人生観が変化するような
感動を見つけ出したい」というようなことを書きました。過酷な現場へ向かうのは、そのためなのです。
厳しい状況の方が人間の美しさがより輝いて見えるのであれば、必然的に向かう先もそこになります。
過酷な現場を見たいから行くのではなく、より多くの人間の輝きを発見できるからこそ赴くのです。・・・≫
▼ 幸福の4階建て論に疑問が残っていたが、これを読んで、成るほど合点がいった。著者が、この論を
 知っていたかどうかは知らないが、克服できない不幸も、見方を少し変えると、こうも違って見えてくる。
3年前の節目も、実際に経験をしてみて、それまでとは社会と人間が違って見えてきたのに驚いている。
死を悟った時とか、克服できない苦難や悲しみの中にこそ見える様ざまな感動が、人生観を変える。
逆に、ただ、思い込みの壁で、物事が全く見えてない人と、過っての自分の姿が見えてくる。 
漆黒の闇の中こそ光は輝く!
ふと気づいたが、4F説の、1階が壮年までの生、2階が老年、3階が病気、4階が死ぬまでの葛藤?
で、屋上は死、自分から解放された無限世界!  (一言多いが)平屋もマンションもある・・・
・・・・・・
4546,閑話小題 ー小学、中学校の同級会で、どうしてるの?
2013年08月27日(火)
   * 小学、中学校の同級会で、どうしてる?
 数ヶ月前になるが、家内が真剣な顔で、「中学の同級の女子会に初めて出席するけど、会社を興し、ワンマンで
好き放題のアナタが、話題が合わないはずなのに、何時もどうして時間を過ごしているの?」と、聞いてきた。
それに対し「殆ど毎年、出席して30数年、慣れがある。相性の悪いのは近くに来ないし、最初の30分さえ過ぎれば
『場』が出来るので、それまでの我慢。 早めに酔ってしまうのがコツだが、気を許さないで悪意の話に乗らないで、
ただ黙々と酒を飲む。話題が合わないのは当り前と割り切っている」と。「それにしては、毎回、いそいそ行くじゃない」
というので、「小中高校の集まりは魂の故郷。合う合わないでない。魂の故郷の温もりを味わうだけで充分良いもの」と。
地元受験高校から、1・2流?の女子短大を卒業して、実家の取引先である上場メーカーのオフィスで、丸の内勤め二年を
した後、結婚先は実家同様、お手伝いがいて(10年前まで)、今だTVドラマと、現実の境目が分からない人が、40年、
柏崎の世界で地道に生活している人と、この年齢で出席してかみ合う訳がない。 で、家内が柏崎から帰ってきて、
「どうだった?」に 「・・・・・」。 何があったか黙して語らず。 時間が経つと出たくなるのが同級会、
それが魂の領域であるため、が分からないようだ! で、暫くしてから「二度と行かない!」 
   * ビデオカメラから覗いたロス市警警官の日常
 先週の金曜日に上映時間が変わっていたため見れなかった『エンド・オブ・ウォッチ』を、昨日の午前に見てくる。
(番外は、年に2〜3回はある)ロス市警のコンビの警官の勤務をリアルに浮かび上がらせている。その手法が、車の
中のビデオカメラと二人の警官が胸に遊び心で付けた?小さなビデオカメラで映し出す手法。それが臨場感があり、
ロス警官の日常勤務に観客を引きずりこむ。更にギャングにも、グループの一人が悪ふざけでビデオカメラで撮影
している設定をしてあり、その目線も重なっている。それがリアルで、次の瞬間何が起きるか恐怖が先にたつ。 
観客目線より、主役と脇役それぞれの役割目線のアングルが良い。ロスのサウス・セントラルでは、年間10万件、
5分に一度の割に事件が起こっている全米最悪の地域。 特にメキシコ系と黒人系のギャング争いをリアルに映し
出しているが、それが恐ろしい限り。その中で、二人の警官の生々しい、ビデオレポート風の映画とすれば・・
Googleが、眼鏡フレームにビデオカメラを付けたものを実験販売をしたが、映画も、個人目線の映像が交差する
物語が多く出てくることになる。これは、そのハシリということか。 Youtubeのようなサイトから、
面白映像が溢れかえる流れが激しくなる。次にどのような端末が出てくるか、楽しみである。 
・・・・・・
4171, 閑話小題 ーつれづれに
2012年08月27日(月)
   * つれづれに
 このところ尖閣諸島、竹島や北方領土に、中国、韓国、ロシアが意図的に仕掛けてきている。現在の首相がレイムダック
状態で、組みやすいタイミングとみてだ。しかし日本にとって、沖縄米軍基地問題の中、その存在を考えるに丁度良い問題。
関連している各国全てが良い上に、国民の目をそこに引きつけてくれる。もう直ぐに、中東で決定的な何かが起こすための
目先の意図的な小競り合いの要素がある。 中国は権力の移行期における軋轢が起こっている上に、景気は減速。 
韓国は、現大統領の側近が収賄などで次の選挙に立候補さえ出来ず、失職後に恒例の暗殺か、自殺?か、逮捕劇が待っている。 
極東も不安定状況になってきた。 アメリカの穀物が異常気象で干ばつというニュース。 深刻なら経済が一挙に際どくなる。 
一昨晩のBS/TVで、欧州の経済不況の現場を特集していた。スペイン移民が住宅ローンの破綻で、家の明け渡しのトラブル
とか、アルゼンチンにUターンをしている事例とか、深刻な内容。 5年、10年後の日本の状況である。
   * iPad導入、一年
 去年の8月25日にiPadを購入して一年になる。当初の熱は冷めたが、使い勝手が良いこともあり、今では必需品である。
居間と書斎に卓上型のiMacを置いているが、居間のPCは家内が専ら使っており、そこで私はiPadを使っている。
TVに飽きたり、コマーシャルの間、ネット・サーフィンをしたり、本のチョイ読みが専らである。
気楽に自由空間を飛びまわっている感覚が良い。 電動アシスト自転車が三年、未来型TVが二年、iPadが一年。
それぞれ大きく日常の生活を変えてくれた。 新しいツールが、日常を大きく変えている。 馬鹿になっているだけだが!
・・・・・・
3806, 哲学人 ー
2011年08月27日(土)
  * 歴史の知識が、物事の理解の仕方に及ほす影響       ー「哲学人」ブライアン・マギー著より
【 歴史の専攻に費やした五年間(パブリック・スクールでの二年間と大学での三年間)は、一般的な遺産をひとつと、
個別的な遺産をいくつか残してくれた。一般的な遺産として私の頭のなかには、古代ギリシャかち現在までつづく
西洋の歴史に関する概略的な知識が残った。こうした知識は習得に数年間の研究を要するので、当然たいていの人は、
いや、かなり高学歴の人でさえもっていない。物事の理解の仕方へのこの知識の影響は根深いらしく、私の考え方には、
対象が音楽であれ、演劇であれ、政治であれ、哲学であれ、ともかく決まって歴史的な側面が認められる。
私にはあらゆるものを、その成り立ちや今後の展開といった観点から眺める傾向がある。また、過去の人物をより
広い文脈に置く傾向もある。そうやって、その人々が住んでいた社会の様子や、彼らが活動していた当時の状況、
その時代にはまだ起きていなかったこと、彼らが知リえなかったことなどを認識するのである。さらに私は、現実が
絶えず変化しつづけることを踏まえ、‘現在には特別扱いすべきところなどない’とわきまえている。いま起きている
ことには特別な重要性がある、そう思いこんでいる人が大勢いるようだが、私はそうではない。過去全体がいまへと
つながっているのであって、かつてのどのいまとも同じように現在は一時的なものであり、ときに総体としての過去の
なかの一瞬にすぎなくなることを私は知っている。過去、現在、未来を問わず人は誰しも、複雑で途絶えることのない
大きな歴史の流れのなかの任意の時点に人生をはめこまれるのであり、その歴史の流れは絶えず変化し、各個人の死後も
つづいていく。その流れのなかに、ほかと比べて特権的な時点などなく、ほかより多少なりとも絶対的な時点もない。
こうした思いが私の骨の髄まで染みこみ、芸術と知的生活のどちらに対する態度にも行き渡っている。】
▼ ついつい我々は、「自分の生きてきた時代を特権的かつ絶対的な時点」と思い込んでしまう。それが自分が
 生きてきた時代という理由だけで・・ しかし過去を振り返れば、長い歴史の中の一コマでしかないは明白である。
従って、日本史や、世界史を何度でも読み返し、自分の置かれた時代を冷静に見つめるため、
地球儀と世界史の本を身近に置いておくべきである。グーグルアースとは別に。
 ・・・・・・・
3441, 政治談議
2010年08月27日(金)
  * 小沢一郎が、民主党党首に立候補
 日本の歴史始って以来の危機の時期に、小沢が立候補を決断をした。
この恐慌を乗り越えるには、自民党、民主党という枠を超えた大連合しかない。その断行は待ったなし。
管首相以下の三人が政権運営維持、難局に対処出来るなど考えられない。面白いもので、小沢が立候補の
ニュースをみた直後、近くあった月刊誌の「現代・プレミアムーノンフィクションと教養」を手に取ると、
週刊文春などの編集長などをいていた花田紀凱が小沢一郎批判をしている文に行き当たった。 
田中角栄直伝の集金システムの手法は、そのまま続いている。ここで、1993年、小沢が新生党を結成した時に
立花隆が朝日新聞に痛烈な批判の文章を取上げていた。  (字数の関係でカット09年8月27)
 ・・・・・・・・
3066,ウワサを考えてみる −2
2009年08月27日(木)
「うわさ」をもう一歩掘り下げて考えるために「オレルアンのうわさ」と「和服美人局のうわさ」を対比してみる。
似ているところは、バックにある犯罪組織の臭いと、性的な危うさ、そして「ユダヤ人経営者」=「女好き経営者」
への虐め。違うところはオレルアンが若い女性の間の噂だったのが、長岡は街の酔い客である。前者は根も葉もない
デマだったと後で判明したが、後者はファジーのままで終焉したこと。「うわさは愚者に始って、賢者で終わる」
というが、冷静になれば風評ということが分かるはず。 人は「事実より、信じたいことを信じる」傾向があり、
心の闇に符号することには更に強くなる。 「悟りとは、平気で死ぬことでなく平気で生きること」というが、
うわさなど一々気にしていたら自分の世界を小さくするだけである。特に地方では小さい世界を更に小さくして
しまうことになり、生き辛くなる。 女性週刊誌は芸能人の「うわさ」(とくに下ネタ)を商売のネタにしている。
逆に芸能人も売名のため、自分の方からネタを売り込む場合もある。「火のないところに煙がたたない」というが、
うわさをたてられた当人が火ではなくて、うわさを好んでする「劣化した連中の口が火元」になるから、複雑になる。
 中世の頃にあった「魔女狩り」や、第二次大戦の東京大空襲直後の「朝鮮人狩り」とか、デマが真実と信じられ
殺害にまで至る。 今では「2チャンネル」のサイトが、その機能を果たしている。人間の心の弱点には
「自分の心の不安を言葉に言い換えた物語を信じてしまう傾向」がある。それをついたのが新興宗教、占い師である。 
週刊誌の記事は売らんがために、不安のネタを見出しにし、あらゆる手法を使う。それを額面どおりに受け止めるのも
問題だが。この選挙のキャンペーンにも、不安を煽って物語をつくり、自分を解決の主役にしている輩を多くみかける。 
それを選挙民が求めているいるのだから、虚像でもよいから演じるのは当然のこと、といえば、その通りだが。
・・・・・・・・・
2701, 地球史における革命的事件
2008年08月27日(水)
  6500万年前に巨大な隕石が衝突し、恐竜が絶滅したというドキュメントをTVでみた記憶はある。
  この本で知ったことだ、米ソの核の爆発のエネルギーの1万倍の規模とは驚いた。
  当時、「もし核戦争で起こって核が全て使われたら人類を数万回は殺戮できる」と聞いていた。
  その一万倍の破壊が6500万年前に実際あったのである。 それが現代に来たとした物語の映画が幾つかみたが...
  その御陰で、恐竜が絶滅して人類の祖先が生まれる環境が出来たのである。
  1000万年遅れれば、我々人類の祖先さえ、まだ地球上に存在してないのである。
 以下は「レンタルの思想」を読んで、さっそく取り寄せた本にあった地球にとっての革命的事件の内容を抜粋した。
               「地球システムの崩壊」松井孝典著  −読書日記
 *地球史における革命的事件
K/T境界層と略称される地層がある。絶対年代では、6500万年前の地質のことである。この年代を境に、
生物の絶滅が起こっている。それぞれの地層にふくまれる化石に基づいてその年代が決められる地質年代では、
その前後の年代を、白亜紀、第三紀と命名して区分。それぞれの年代の、外国語表記の頭文字がKとTなので、
その境界の地層は、K/T境界層と呼ばれる。この地層は世界中至る所に分布する。もちろんわが国にもある。
・・・・ カリフォルニア大学の、アルパレスという地質学者を中心とするチームが、そのK/丁境界層で、
イリジウムという元素が濃集している事を発見し、それが巨大な隕石の衡突によってもたらされた、とする
学説をサイエンス誌に発表したのである。 それが地球史観においてなぜ革命的なのかといえぱ、従来、
地質学の根本原理といわれていた    (字数の関係でカット08年8月27日)
・・・・・・・・・
2007年08月27日(月)
2337, 郵便配達夫シュバルの理想宮  −1
   (字数の関係でカット08年8月27日)
ーーーーーーー
2006年08月27日(日)
1972、事業百訓ー1996年(10) 
  (字数の関係でカット08年8月27日)


4912,世界の美しいさを一つでも多く見つけたい ー4

2014年08月26日(火)

     * 現場の壮絶! 
 内容は 題名とは程遠く、映画や小説でさえ描写できない現実の凄みがある。
デジタル機器の進化で、生首を刎ねる写真や映像などがネットで流される。臨検など今では無理。
それにしても、このルポは、凄惨であり、これが現実である。 ーその辺りからー
≪ 話を聞いてわかったのは、LRAの兵士たちのあまりに残忍な行動でした。彼らはまず戦力を
増やすために村を襲い、食糧や金品を略奪します。そして村人の中から子供を選び出し、彼らに銃を
突きつけて自分の親や兄弟を殺害させる。「この場で親の首を切れ。そうしなければ、おまえを殺すぞ」 
そう脅して無理やりやらせるのです。家族を殺した子供は、村で生きていくことができません。
兵士はそんな子供たちを連れ去り、部隊の兵士にするのです。家族を殺させるのは、子供を村と
決別させ、殺人マシーンにするべき通過儀礼のようなものなのです。
 子供たちは部隊に入った後、全員が従順に兵士として生きるわけでありません。嫌になって途中で
逃げ出したり、命令に従わなかったりすることもあります。そんな時、ゲリラ兵は見せしめのために
裏切った子供たちの鼻や耳、それに唇を切り取ったりします。人間には見えないような容貌にする
ことで恐怖心を植え付けるのです。おそらくこうした事実だけ見れば、私はLRAのゲリラ兵を
「鬼南のような兵士」として描き、彼らにつかまって兵上にさせられた子たちを「悲劇の被害者」
として描いたはずです。でも、さらに調べていくにつれ、違う側面があることもわかってきました。
LRAの子供兵の中には、誘拐されて兵士になった子以外に、自分の意思で自ら兵士になった子も
いるのです。貧しい農村で一生暮らすことが嫌になり、銃を持って略奪をして暮らしをしたいと
思っている子供、銃で人を殺して出世することがカッコイイと思って参加する子、もともと反社会的な
人格を持っていて、それがエスカレートして、兵士になることを望んだ子供がいるのです。・・・ ≫
▼ これに匹敵する残虐行為に、ドイツのナチと、カンボジアのポルポトによる数百万単位の
 大量殺戮がある。 北朝鮮も一歩内部に入れば、このような弾圧が現在進行で行われている。
中国文化大革命では1千万〜5千万人が虐殺されたが、詳細は隠されている。25年前に桂林に
行った時の現地添乗員が『文化大革命時には、この辺りは死体の山だった。
それが全国の各村で同じように・・・』と、何気なく話したのを聞き耳を疑った。当時は、日本国内では
タブーで、現地であればこそ聞けた話。 島国で、海で外界から守られ、平和ボケの日本。
グローバル化は、その平和を儚くも砕いてしまう。 憲法を変えるのは当然のことだが・・・ 
この国では無理?  〜 また偶然だが、以下の二年前の随想日記に続く! 〜
・・・・・・・・・・・
4170, 金正日の料理人
2012年08月26日(日)
   * 若きドン様の親の敵討ちは残酷!
 何気なくTVをみていたら、北朝鮮の金正日の元料理人が出ていた。これが漫画的ドラマ仕立。 
その男が、「金正恩に招待され北朝鮮に行ってきた内容」で、金正恩や、そののファミリーと食事を
した写真があった。父・金正日を裏切り逃げ帰った過去全てを水に流してくれた温情深い現在の
ドン様に感激している、という筋書き。その日本人は現地に妻と二人の子供を残してきたが、正恩の
計らいで残留家族と対面した。ところが、「料理人の長男が、再会した二週間前の夜半に苦しみだし、
両手を三回突き上げ絶叫し、亡くなった」という。心臓発作だった。
『 呼び出しに応じたのを確認したと同時に、長男を毒殺し、家族に会わせて、その事実を知らしめ、
今度は長女を殺す、という脅しをかけ、北朝鮮のメッセンジャーを暗に強要している』のは誰の目にも
明らか。 その後、妻と娘を残して帰国し、TVに出演したのだが、その筋書きをキャスターに指摘
されると、「そうであっても、それでよいと思っている」という返事。
北朝鮮に愚弄されている姿が、そのまま出ていたが、陰湿で残酷な仕打ちのドラマ仕立。 
リアルで現在進行中のため、料理人が翻弄されている姿が痛々しい。 独裁国家のドン様を裏切り
愚弄すると、このザマになるという残酷ショー。これは北朝鮮が茶の間に直接日本愚弄のメッセージ
をしてきたことになる。逆にみれば、この程度の連中でしかない。
マスコミが、この料理人を抹殺するか、パンダとして利用するか、パンダ利用になるのだろう。
現地の家族が本当に存在していたのか、そう持ちかけられたのか、本人の作り上げた物語なのか、
色いろの仮説がたつ。 コミック漫画の悲劇か、喜劇か?  くさい話だけは確かだが。
・・・・・
4545, 閑話小題 ー夏対策
2013年08月26日(月)
   * 暑さ対策!
 居間、寝室では扇風機で冷をとるのが基本。しかし30度を超えるとクーラーを付けるが、今年は、その頻度が多い。
扇風機の場合は、補助として保冷剤の入った首巻きを三つ冷凍庫で冷やし一時間ごとに入れ替える。これが効果がある。
更に先日、寝室用に保冷枕を購入し使い始めたが、これも良い。冬生まれもあって夏の暑さには特に弱いが、それでも、
いざとなればクーラーがあるという余裕があるから出来るのだろう。
   * 業種店が、新規出店?
 車で二分ほどの三沢のSCの運動ジムに週五日間通っているが、道路一つ隔てた敷地に2Fの建物の鉄骨が立ち上がってきた。
3〜4ヶ月前に「地元のスポーツ店が、東バイパス出口に出店!」という新聞記事を見ていたので、着工と同時に、これでは?、
と思っていたが、先日に家内から、それが地元スポーツ店と知らされた。地元のスポーツ店も典型的な業種店。自然消滅は
時間の問題と見ていたが、それが新規の出店とは意外! 家内が言うには、「近くに高校や中学が多いので、運動着や
スポーツ用品が学校単位の需要があるのでは?」という。 家内の方が、よほど世情に詳しい。
 全国チェーン店が捨てた(地元しか手に入らない)インサイダー営業が存在している、ということ? 
としても、私には疑問が残るのは、私がアウトサイダーのため? それとも、幾つかのSCの重なっている郊外の一等地で、
大手のスポーツチェーンに囲まれ苦戦。その原因が業種店の限界と知らず、スポーツ店の無店地帯の東バイパス地区に移転で
起死回生を図るためなのか?としたら・・ 最悪のケース。 常識的にみれば破滅行為!しかし、街中から移転して20年?近く、
ブランド物に的を絞り、営業では学校関係に地道な営業努力の結果、二店目の出店に至った?と、考えるしかない。 
立地センスは最適だが、黒鳥の舞降りる中で、どうなる? 毎日のように、窓から見えているので書いたが・・ 
更に最悪のケースは、順調な数字を上げていて、移転でなく拡大としての二店目の場合。恐ろしいのは二店目の甘い計画。
・・・・・・
3805, 哲学人 ー�
2011年08月26日(金)
 * 学生時代の恩恵 
 学生時代の恩恵は、現在でも大いに実感している。 もしも学生時代に一度、頭を粉々にしてなかったらと思うと・・・
マギーは、ここでイギリスのエリート学生の内面を正直に書いている。 哲学と芸術の長い歴史が大学にあり、
そこのプログラムを学生はこなしているのである。都市には、美術館があって歴史的名画を身近に見ることができる上に、
コンサートも子供時代から親から連れて行ってもらっている。 教養のベースが、風土の中に染み付いているのである。
  ー「哲学人」ブライアン・マギー著よりー
【 結局、大学が知性という面で私にしてくれたことの中で一番肝心なことは、知的価値が芸術的価値とは独立して存在しているという
こと、そして、知的価値に関心を持つように仕向けてくれたことである。 一年目には、理知的で気の合う仲間の中に、他にもまして
知的な価値に傾倒している人がいることを知ってカルチャーショックをうけたことである。彼らとの交流のかなで、そうした価値を
自分なりに受け入れられるようになるに三年目まで待たなければならなかった。
そのおかげで、知的価値は私にとって欠かせないものとなり、私の人生と考え方に色褪せることのない彩を添えてくれた。
 ちなみに、私はこのような経験をしたおかげで、一部の聡明な人々に対する理解を深めることができたのではないかと思っている。
それは、さまざまな理由から大学教育を受けたことがなく、そのためにこういだ経験をしていない人々についてである。
そういった人々がどんなものの見方をするか私はわかるつもりだし、彼らの身になってみることもできる。 ひょっとしたら自分も
同じ立場になっていたかもしれないからだ。 正式な教育は、世界というものが個人の見解や意識や関心や想定の単なる拡張ではない
という考えを育むよう仕向けてくれる。これは正式な教育が授けてくれる最大の恩恵である。当然のことながら、こうした教育は
他者の助けなしにできない。 他者は私たち個人をしばっている拘束をまぬがれているからである。
けれども、ここから導かれるのは、独学の者は生半可な教育を受けた程度にしかなりえないという、残念だが逃れようのない事実である。
 オックスフ・オード入学当時の私の考え方にはっきりいって欠けていたもののうち、最も重要だったのは、その後の経過を考えると、
哲学ということになる。 人間の関心事の中で最も価値があって大切なものとして、哲学は確かに偉大な芸術に近い水準に達しているし、
その理由も似通っているように思う。どちらも、人間が到達しうる最も高いレペルで真理を探究する活動である。どちらも物事の本質を、
つまり存在の根源的な神秘を探ろうとしている。 それを果たせないとしても、人間の理解に限界があるせいにすぎない。
ショーペンハウアーが述ベているように「芸術家が具体的に行なっていることを、哲学者は抽象的に行なっている。」
哲学者は自分の意見を概念で表現するよりほかなく、そして概念というものにはどうしても一般性がつきまとうため、哲学は芸術ほどの
深みには到達できないかもしれない。 だがその一方で、哲学にはできても芸術にできないことがある。 アイリス・マーギックは
「よきにつけ悪しきにつけ、芸術は哲学より深いところに達する」と語ったが、哲学には芸術よりすぐれた面がいくらかはある
という意味ではそのとおりであるし、全体としては芸術に及ばないという意味でもそのとおりである。】
 ▼ 芸術と哲学が教養のベースであるのは今さらだが、マギーの、このような文章を読むと、より芸術に触れておくべきだったと実感する。
  芸術作品は、作者の魂そのもの。それぞれの時代が生み出した人物が全霊を捧げて、作品の中に魂を入れ込んだ名作である。
  それに直接触れ、感動するのが一番、人間の魂を高めることになる。そのためには時間をかけて対象と向き合うしかない。
・・・・・・・
3440, 再び、死について考えてみる ー4
2010年08月26日(木)
  * 死を喩えると
 死を喩えると、旅と、眠り、とされる。 「死ぬ」が旅と、眠り、に喩えとされることは、プラトン『ソクラテスの弁明』の一節にある。
ー「つまり死ぬということは、次の二つのうちの一なのです。あるいは全く何もない.無」といったようなもので、死んでしまえば
何も少しも感じないといったものなのか、あるいはまた言い伝えにあるように、それはたましいにとって、ここの場所から他の場所へと、
ちょうど場所をとりかえて、住居を移すようなことになるかなのです。そしてもしそれが、何の感覚もなくなることであって、ひとが寝て、
夢ひとつ見ないような場所の、眠りのごときものであるとしたならば、死とは、びっくりするほどの儲けものであるということになるでしょう。
・・・・また他方、死というものが、ここから他の場所へ、旅に出るようなものであって、人が死ねば、誰でもかしこへ行くという、
あの言伝えがが本当とすると、これより大きい、どんな善いことがあるのでしょうか、裁判長諸君。」ー
 葬式で、「故人は旅立たれました」というが、夢なら醒め、旅なら帰ってくるのが前提にある。
永遠の眠りというと、そこで夢を見る可能性がある。無に帰した者が夢の見ようがない。あくまで心象風景でしかないのが、
これでわかる。 最近、ブラックホールに喩えることがある。その人の全てが、その中に吸い込まれ、再び戻ってくることはない、
という意味で、喩えとして科学的風である。 ブラックホールは生命を終えた星が爆発をして、その重圧で空間の歪が生まれ、
穴が開いて異次元?の時空に周辺のものを吸い込んでいく。これを死に喩えることは、これはこれで、説得力がある。
最近、ホワイトホールも、存在も云われるようになってきた。何処かの歪から何が噴出している空間の存在。それは生命ということになる。 
面白いのが、死の喩えを、生そのものにしている説がある。 これまでの死の喩えのは、生のうちで経験される現象=旅、眠る、去る、
失う、等々である。それらは再び我われの元に帰ってくる可能性がある。死は絶対性であるから、「死ぬ」に永遠性が現われてくる。
そうすると、永遠に眠る存在になる。こんなそんなで、結局、死は喩えると分かりやすそうだが、生きている人間の論理というのが
露出するだけ。 同じ動物の牛に喩えると、先ほどの喩えは不自然である。死も、生きていることも、幻想でしかないなら
喩えでイメージするのも良いではないか。 少し、眠たくなってきた。
 ・・・・・・・・・
3065,ウワサを考えてみる
2009年08月26日(水)
   * オルレアンのうわさ
『オルレアンのうわさ』とは、1969年5月、フランスのオルレアンに流れた女性誘拐の噂。
 オルレアンは、パリの南方100kmほどのところの人口十数万人の地方都市。この街のブティックで、女性が消えると言う噂が
流れたのは、1969年5月。若い女性がブティックの試着室に入ると、催眠性の薬品を嗅がされたり薬物を注射されたりして、
前後不覚になったところを誘拐され、地下道から外国の売春宿に売り飛ばされていく、というもの。 
  (字数制限のためカット2011年8月26日)
・・・・・・・・
2700, 「レンタルの思想」−6
2008年08月26日(火)                 ー 読書日記
 進化生物学者の長谷川真理子との対談が面白い。
ネアンデルタール人と、現生人類が重なってた時期があるが、何故に 現生人類が生き残ったのか?
脳の大きさよりコネクションが違っていて、そのことが多くの道具を使うことを促して生き延びたこと、
言語能力が格段と上だったこと、更に病気に対する抵抗力の差があったという。
そして「おばあさん」の誕生が現生人類の特徴という。 それまでの色いろな人類のメスは排卵が終わると
直ぐに死んだ。 しかし現生人類の女性はその後も生き延び、お産のノウハウを娘に伝授したので人口が増えたという。
人骨から「おばあさん」の骨が多く発見されたことから分かったという。 面白い節である。
ーおばあさんの誕生ー 長谷川真理子×松井孝典
  *おばあさんの不思議
長谷川: いまある限りの現生人類の骨から年齢を測ると、おばあさんの骨が含まれているから、長生きしたのだと思います。
松井: それは現生人類が繁栄するという意味で、非常に本質的な点ですね。なぜそうなのかについて何かアイデアはあるのですか。
長谷川: 「グランドマザー仮説」というのがありまして、祖母の知恵が、娘が母親になるときの孫の
 生存率を上げたのではないかと言っています。
松井: それはそう思いますね。出産の経験がまったく蓄積されないで単なる生物として初めて出産を経験するのと、
 出産とはこういうものだということをあらかじめ意識として持っているのとではすごく違いますよね。
長谷川: 全然違いますね。
松井: それで人口が増えることに加えて、寿命も長くなるわけで、環境には二重の負荷がかかる。
長谷川: そうですね。でも流行病とかが時々ありますから、長いこと人間の人口はそんなに増えませんでした。
 だけどまず一万年前に増えて、それから産業革命から増えて・・。でもそれから豊かになると出生率が減るでしょう。
 進化的に生物として考えると、 自らの繁殖率を減らそうとする生き物はいないわけです。
 豊かになるということは条件がよくなるわけで、条件がよくなると普通はもっと産むので、
 だから人間がどうして豊かな暮らしになればなるほど持ちたい子供の数が減るのかなと。
松井: おばあさんが存在するという不思議と、もう一つは豊かさがあるところに達すると産まなくなるという不思議と。
長谷川: 全世界的にそうです。それがどうしてそういう心理状態になるのか。
松井: やはり出産が大変じゃないのかな。本当は産みたくないんじゃないのかな。
長谷川: それもあるかもしれませんが、進化生物学的に考えれば、そんな心理を持つこと自体が 不思議なことですから、
いろいろモデルをたてて研究している人がいます。そこから見えてきたのは、べつにこういう先進国だけではなく、
牧畜民の社会とか、農耕社会とか、少しでも富の蓄積ができたあとには、 子供だけではなくてー子供も富と数えてー
持っている富全体を最大化しようとするみたいなのです。・・・・・
  〜〜
 (−対談を終えて) 松井孝典
これまでの人間論には、生物学的人間論と哲学的人間論があった。今回は生物学的人間論とはいかなるものか、
ということで長谷川さんと対談した。現生人類の起源には、多地域進化説と出アフリカ説とがあり、後者が有力になりつつある。
 (字数制限のためカット2011年8月26日)
・・・・・・・・・・
2007年08月26日(日)
2336, ホッファー  −3       (★>з<)。o○[ォハヨ]○o。
一昨日、アマゾンで注文をしていた中古本の、ホッファーの自伝が送って来た。
一昨夜半、二時間かけて読破したが期待したどおりの内容であった。 ミス・フィットや港湾労働者の立場で、
何故独学であらゆる分野の知的好奇心を持ち続けることが出来たのだろうか、まず疑問を持った。
それは7〜15歳までの盲目体験である。そして、彼の父親がやはり働者に係わらず、読書好きの教養人だったことが
彼の勤勉性を培ったようだ。さすらいのホームレスから見た、ミス・フィットの人たちの生態も克明に書かれていて、
時空を越えた当時の生身の生活が垣間見れ、彼と一緒に20世紀前半のアメリカを彷徨っているような気持ちになってしまった。 
ホッファーの言葉を幾つかのHPから拾ってみた。  なかなか含蓄の深い言葉ばかりである。    
 (ー 〜〜 ー は私の内語である。)
  ーーーー
<世界で生じている問題の根源は自己愛にではなく、自己嫌悪にある。>
 ー自己嫌悪を無くすには、他人への愛が必要ということ!
  自己愛は、人への慈愛から育てるのが近道。それが出来ないのが人間か〜
  でも、半々と割り切ってしまうしかないか、自己愛と自己嫌悪!
  他人が嫌ってくれているのに、自分まで同調することもないだろうにー  
(字数の関係でカット14年8月26日)


4911,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー50

2014年08月25日(月)

   * 総括の総括 ー小さな物語のまとめー
 HP内検索で調べてみたら、2年半前の春先に『事業生活39年の総括』『シングルイン、
31年間の総括』と、二つ似たようなテーマで7〜10回シリーズで書いていた。しかし、それを全く
忘れて、これを書き続けた。45年と、6年〜14年間延びた分、今回は準備期間の15年間を
重点的に書いてある。(重なりが多いが)  無事、ハッピーエンドで事業が終わっていたら、
在り来りの成功物語でしかないし、この3つのシリーズは書くことはなかっただろう。
この結果なればこそ物語を再編成をしなければ、45年間を受け入れることが出来なくなるためだ。
創めるまで、こんな準備をし、半狂乱?になって全てを注ぎ生きてきた。それぞれの場面には、
それぞれ多面性があり、重く、複雑な問題が、次々と生じてくる。 時には、直ぐにでも投げ出し、
逃げたくなるような、ドロドロしたものが覆いかぶさる。しかし、重みに耐えているうちに、
それは何時の間に解消していることが多い。そこに必死に立向かっていた自分が間違いなく、いた。
この物語を語らずには、死ぬに死ねない思いがある。これは誰の人生でも同じ。 書き残すか、
残こさないかである。 書き残せば、遺言にない、かつ自分への弔辞にもなる。 
『ご覧の通り、そのまま結構!』で、これ以上でも以下でもない自分の姿が、そのまま現れ出ている。
私生活では、読書、ウォーキングかポタリング、事業、秘境ツアーが大きく占めている。 素晴らしい
仲間に恵まれ、何とか、ここまで辿り着いたが、結果は?? それでも、悔いは少ない。
10数年前のつくった辞世の句?『有難う 面白かった 悔いは無し』がある。
 「遊び、学び、働き、ぼんやり(中空)」と分け自己満足度を総括をすると、遊びー80点、
学びー80点、働きー40点、ぼんやりー80点。平均で70点。甘いのは分かってはいるが! 
バブルと、その崩壊に対する認識の甘さが、働きの自己評価を大きく下げてしまった。 
それもひとつの小さな小さな物語。 手がけたホテルを一つの生命体とすると、
「新しい経営陣と、前オーナーと管理者の総入れ替えと、借金の6割カットのリストラ」になる。 
新潟駅再開発で、二つのホテル棟が買収が予定されているため、何とか、それまで持ちこたえれば
採算に合う?という思惑があればこそ、新オーナーは、決断したのだろう。問題は、経営母体の体力に
なる。私は、20年かけて、衰弱をしたが。このシリーズ、今回が、一つの区切り。
あとは、「つれずれに」で、書き加えていくつもりである。 結局は『珍獣』止まりだったが、こんなもの!
 別記)『分類』の中の「行蔵ーこんな経験をしてみた」の中に、3つの総括シリーズが収めてある!
一番、楽しんで読んでいるのが私とすれば、幸せなこと。癒し、というより何だろう、これ。
ムンクの『叫び』?
・・・・・
4544, ヨガの瞑想と死者のポーズ
2013年08月25日(日)
   * ヨガに参加して一年半、経過したが
 スポーツジムのスタジオでのヨガ教室に週2回、1回につき50分間、参加をして一年半になる。
ジムの盆暮の特別休暇以外で休んだのは7〜8回位とすると、140回は参加したことになる。 
毎回、50人の定員はほぼ満席で、30分前までに行き、参加の予約チップを確保しなければ
ならない。で、二回は遅れて不参加の事があった。
 火曜と木曜日の午後で、30代半ば?の女性インストラクターは、それぞれ別。私の見立てで能力、
人気も同程度? 2人ともヨガが大好き人間で、それに負けないほど、教えること自体が楽しくて
仕方がないようだ。40坪位のスタジオに50人が一同でヨガをする様は異様の光景。 
正面には全面カガミがあり、見た目には100人の姿が視界に入るから、なお迫力がある。 
横60センチ、縦120センチ位のフィットネスマットの上で百種類のポーズのうち、一回につき
10数種類はする。そこで言うのは、「周りの人の視線は無視してください。
マットの上は、それぞれの全宇宙。独りの世界の入って下さい。他人と向き合うのではなく、
自分と向き合って下さい。」と。 スタジオはカーテンで外の光が遮られ、照明を落とした薄暗い中、
チャンドラなどヨガの空気にピッタリの音楽が流れ、数分もしないうちにヨガ世界に引き込まれる。
そこで、直ぐに家で取り入れたのが、瞑想と、死者のポーズである。死者のポーズは、
仰向けの瞑想と思えばよい。仰向けになって。両目を閉じ、両腕と両足は少し大の字気味に開き、
全身の力を抜いて、チャンドラの音に気持ちを向け、戦場の死者のように横たわるイメージを持つ。
毎回、最後の5〜10分は仕上げに行うが、これが疲れを取ってくれる。
ここで感じるのが「大人数の中の、ひとり」。気持ちの集中で、殆ど他人を気にすることがなく
半睡状態になる。それは、一時間の睡眠の効果に当たるという。 仏壇前の、早朝の瞑想は30分、
死者のポーズは、やはり午前9時から20分間、行う。夜半に目が覚めた時に、大の字になって、
気持ちをヨガをしていると思えば、それをしていることになる。問題は、呼吸を小波、中波、大波が
岸辺に打ち寄せるイメージですること。何事もそうだが、続けること。この二つだけでなく、
他にもヨガのポーズがチョットした仕種の中に入っている。居間でTVを見ている合間に大の字の
姿勢で、両手、両足を目一杯伸すとか、歩いている時に背筋を伸すとか・・・ 
・・・・・・
4169, 老年行動学 ー5
2012年08月25日(土)             
   * 老生自覚       「ご老人は謎だらけ 老年行動学が解き明かす 」佐藤 眞一 (著)  
≪自らの老いを自覚することを「老性自覚」と呼び、老性自覚には「内からの自覚」と「外からの自覚」あります。
△ 内からの自覚には、物が見えにくくなったり耳が遠くなったりする「五感の能力低下」、しわや白髪が増える、
 歯が抜けるなどの「身体的徴候」、もの忘れが増えたり、計算が遅くなったり、根気がなくなったりする
 「精神的な減退」などがあります。
△ 一方、外からの自覚には、子どもの成長や孫の誕生、配偶者や友人の死、定年退職、他者からの老人扱いなど、
 「社会的なできごとや経験」があります。
このような老性自覚は、「老い」にネガティブな意味だけでなく、ポジティブな意味も感じていた時代には、
当たり前のこととして、自然に受け入れられていたのかもしれません。しかし今は、そうではありません。
第1章で述べたとおり、現代人は老いを感じると、暦年齢を主観年齢に合わせるべく、アンチエイジングに励みます。
また、身体の状態も75 歳〜80歳ぐらいまであまり下がらずにきて、最後の数年でガックと落ちるのが今の老人です。
日本人の場合、介護が必要になるのは平均して寿命の1割、7年間か8年間程度なのです。 つまり現代の日本人には、
極端にいえば老年期がなく、壮年期のあと直ぐに死と向かい合う時期がやってくるのです。
このことは、「死に対する準備ができない」ことを意味します。老性自覚を自然に受け入れ、心も体も徐々に
老いていった時代には、自身が老人になることや死ぬことを、自然に受け入られたのだと思います。≫
▼ 人は脳卒中や心臓発作などで病院に運び込まれたり、死に直面する病気に直面し逃げ場のない状態に追い
込まれた時や、自信を失ったときにガックと老いるのである。老人は自分が失敗したことで自信を失うのではなく、
周囲が、それを繰り返し指摘することで生きる気力を失うことが多い。だから周囲は、これに気づく必要があるが、
現実は甘くはない。少くとも服装と言葉と運動量は注意しておく必要がある。「一年後は無いかもしれない!」
を常に意識しているが・・それでも一期一会の気持が甘くなる。仏壇に祖父の遺影があるが、私より10歳若い
57歳時だが、80歳近くに見える。目先を精一杯生きるしかないが、果たして死に際、冷静でいられるのだろうか? 
充分生きたので静かに逝きたいが、所詮、無理。
・・・・・・
3804, iPadを買った
2011年08月25日(木)
 タブレットPC、来年春のiPad3が出てから買おうかどうか迷っていたが、思いたったが吉日で、三日前に購入。
去年から八月に買うと決めていたが、この春先の騒動で、それどころではなかった。ここで気持ちも落ち着いて
きたことと、「iPadバカ」というタイトルの本を読んだのがキッカケとなった。 そこで実際に手に取ると、
成るほど面白い。感想として、これはモバイル携帯が大きくなったというより、無線のタッチ式タブレットパソコン。
パソコンでゲームをしたことは皆無だが、今度はゲームなどソフトをダウンロードして、使いこなしてみたい。
タブレット(バインダー)で持ち運びが簡単で、無線であることが、これまでと違った感覚。ベッドや車内などで、
気楽にウェブ上の新聞やニュース、ブログなどを見ることができる。 パソコンの前に座り、電源をオン、ヤフーの
HPにアクセス・・ 等々を、タッチだけで出来るので手軽にネット世界に入れる。しかも板状で、何処へでも
持っていける。 まだ使い始めて数日なので、門前から一歩を踏み込んだばかりだが、これは日常の必需品になる。 
初期投資がゼロ円、ランニング・コストが5千円が高いか安いかは、その人によるだろうが、新聞を止めて少し
生活を切り詰めれば何とかなる?少し重いのが気がかり。あとは本を自動的にめくり、スキャンしてくれる器械でも
出現すれば良いが。 新聞・雑誌がタブレット式パソコンなどの端末の出現で淘汰されるといわれているが、実際に
手元に使ってみて、その流れになると確信。先日、近くのステーキチェーンでランチの写真を撮っていたら、
フロアーの女性が来て、「写真を何に使うのですか?」と、聞かれた。( HPに写真が多く掲載されているので、
競合店の視察とも思ってもいないはず)「ブログに、気に入ったランチを時々載せているので、これも」と答ると、
暫くして再びやって来て、「店長がブログを見たいので、ブログ名を教えてもらえますか」という。 
少し躊躇したが、教えたところ、厨房の辺りから、「出てきた出てきた」と小さな声。モバイル携帯で早速、
何人かで見ているようだった。そういう時代になったのだ。 薄型タブレット、無線、ツイッターなどで、誰でも
直ぐに情報が繋がると、現実社会の上にネット社会が覆いかぶさる時代が現実に、こういうカタチでやってきた。 
面白い時代である。
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3439, 「うち」と「そと」という、考え方
2010年08月25日(水)
 日本人の考え方として、「うち」と「そと」を区別する。  「そとの人」に対し「うちの人」の話をするときには、
その人に敬称をつけないのが一般である。元もと「家」の単位をベースにして、その内側を「うち」といい、一歩出ると、
「そと」とする。 家の玄関は鍵をしめて用のある人以外は、あけない。節分には、「鬼はそと、福はうち」と、豆をまく。 
江戸時代の藩制度の名残で、属している組織の帰属を第一にする考え方は現在も続いているといってよい。 
朝礼、社員旅行などは、うちを固める儀式。日本的な名残。それが人間関係の中でも、考え方として色濃く残っている。 
「この人は、うち側の人で、友人。うち側でない人は、そとの人で、知人」とする。 裏切られたり、騙されると、
あっさりと、心の中で、そとの人に分別してしまう。 面白といえば面白いが。一般的に、家族と、信頼している友人、
そして会社の同僚が「うち」になる。それ以外は「そと」と単純明瞭。これが個人主義の欧米人からしたら不思議なようだ。
欧米は一神教。 ビック鶸と「私」の関係が「うち」で、その神の前で永遠の愛を誓った連れ添い、そして、二人の間の
子供と「うち」が拡大して、「家庭」が存在する。 しかし、日本の「うち」は、多神教をベースにして「家」に、
まず帰属して、その内側が「うち」で、外側が「そと」になる。 私自身を振り返ると、この二分法で知人、友人、
同僚を振り分けていた。一度、信頼を失った相手は、そとの人と、二度と、心を開くことはない。特に、卑しさを
見せつけられると我慢が出来ない。
 そういえば、「タテ社会の人間関係」で、中根千枝が《日本社会の人間関係は、個人主義・契約精神の根づいた
欧米とは、大きな相違をみせていて、まず「場」を強調し「ウチ」「ソト」を強く意識する日本的社会構造に、
どのような条件が考えられるか》を論じ、タコツボ社会が日本的特質と指摘している。 
その考え方そのものが、私の造語になるが「タコツボ思考」ということか。自分を省みると成る程、いやに納得できる。
ウツボが徘徊している中でタコはタコツボに入って、最後は人間に食べられてしまう。「うち」と「そと」の間の
「にわ」か「うちにわ」を日本人は昔から取り入れて自然を取り入れていた。
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3064,階級社会だと! −3
2009年08月25日(火)
 こういう話は大好きである。「石ころがね、その大きさやカタチを競ったって、少し離れてみれば砂利じゃないかい」
ということだ。だから、名刺に多くの肩書きを書いたり、ロータリー・クラブなどに入って特別な人間と思い込んで
いる可愛い人の優越感も、人間の性と割り切れば良いのだが。その生臭い人間が何とも愛おしいのである。これも揶揄か? 
「幼い頃より一流作品の絵画や音楽や大自然を可能な限り、シャワーのように浴びせることが、親の子供に対する
最大の勤めである」というが、これがハビトォスの骨格づくりになる。クラシックの演奏会や美術館に家族で行くことは、
家系としての文化資本が無ければ無理。私など父親からは大相撲の地方巡業かプロレスに連れて行ってもらったことしか
記憶がない。下町の魚屋一家で演奏会に連れ立っていくイメージが全くわかないのと同じである。 演奏会は山の手の
家庭のイメージである。家屋敷の佇まいでもハビトォスの匂いを嗅ぎ分けることができる。 家柄とか学歴の良し悪しで
全て決まるわけではない。自分で意識して美術館に行って一流の絵画や彫刻をみてまわり、音楽会に行って良い音楽を
聴く習慣をつければ、その習慣行動(プラティーク)の積み重ねから、それをつくり出すハビトォスがつくられていく。
片方はハビトォスが崩壊し、片方はハビトォスがカタチつくられてのを身近で見てきたからいえることだが。 
習慣とは、第二の天性。良い習慣を幾つか積み重ねていけば、それが、その人の天性になる。出世とやらを考えるなら、
目指すポジションの習慣行動とハビトォスを作ることが近道になる。したがって偉人(例えばフランクリンなど)
の伝記や、三国志や孫子の兵法などで学び、良い習慣行動身に付ければ、その背後にあるハビトォスの構築になっていく。 
「力、愛、知」が、人間力の構成要素なら、その一つの力は、男にとって必要欠くべからざる要素。階級社会では、
全身全霊で習慣行動をつくり上げるのは男として当然のこと。しかし、一つの側面として割り切っていないと、
そこで挫折をした時にハビトォス全体が破壊される。考えてみたら46回の秘・異郷ツアーの中には、ハビトォス構築の
全てが含まれていた。世界中の大自然の景観に魂の振動を経験し、美術館では世界的名画や彫刻に感動し、アルゼンチン
タンゴやスペインの闘牛や、フラメンコに呆然として見入り、アフリカの手づかずの動物に触れ、・・・等々、  
文化資本の蓄積は何にも変えがたい財産である。そのわりに、自分自身に文化資本の蓄積が感じられないのは如何してか?
  幼少時の文化シャワーが足りなかったということ?! でも、父親に骨董店に幼時から多くを見てきたが・・・
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2699, 「レンタルの思想」−5
 2008年08月25日(月)
「宇宙の発展と文化の論理 」ー  鷲田清一×松井孝典
  *ここにないものと関わる能力
松井:  前回は、生物学者の長谷川真理子さんと対談しました。
 そのときの話では、現生人類には抽象概念が生まれた契機の一つが、喉の構造の変化です。
 逸れによって、文節性の高い言語を獲得できたということです。その御蔭で目の前に起こってない現象でも、
 抽象化して相手に伝えることができ、知恵の伝達が可能になるということでした。
 つまり人類がいまのような生き方をするうえで重要な要素として、言語の機能というものがある。
 それを哲学がどう考えてきたかというところから、話を始めましょう。
鷲田:  人間とはなにかということは、思想史の中でいろんな語られ方をしてきました。いまおっしゃった、
 話す人(ホモ.ロクエンス)という思想はもちろん根本的なものです。また、遊ぶ人(ホモ・ルーデンス)というのもある。
「遊び」ということができることを人間の本質としてみる。ホモ・サピエンスとか、ほかにもいろんな捉え方はあるが、
 これらの共通点をみれば、ここにないものに関わっていくということ、つまり不在なものに自分を関係づける力を
 もつということなんです。いま目の前に現れているものを、取り換えられない必然のものと捉えるのでなく、
 それをさまざまな可能性のひとつとして了解しなおすということなんですね。
 人間以外の動物は、生物としてのシステム沼に、別のあり方がないような形で組み込まれている。
▼ 解) 「ここにないものと関わる能力」、これは言葉の持つ最大の効力だろう。カラスは500の鳴き声の
サインがあるというし、ケニアではシマウマが鳴き声で多くのサインを出しているのを知った。それでは、鳴声と
言葉の違いは何だろうか? それは、正に「ここにないものと関わる能力」が言葉の中にあるということである。 
亡くなった親族や恩師や友人とは、生きていた時より、むしろ深く関わること出来るようになる。 教養とは、多くの
「ここにいないものと関わってきた」蓄積である。過去を振り返ると、自分の読書量と経験量が、ここにいない
ものとの関わる能力の質を決めることが解る。予習能力も復習能力も、そのうちの一つになる。それと、更にすすむと
予知能力もある。言葉は考えれば考えるほど、奥行きが深い世界に我々を誘い込む。ファンタジーも、妄想もある。
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2007年08月25日(土)
 2335, どうせ死んでしまう         ノヽ∋―_φ(≧ω≦*)♪


4910,ホントに大事なお金の話 −6

2014年08月24日(日)

   * つれづれに ーあと二割の収入が足りない
 あらゆる年収の人に「収入は足りてますか」と質問すると、ほぼ全ての人が「足りてない」と答え、
そこで、「あと、どれ位」と聞くと、どの人も決まって「あと、二割は欲しい」と答えるという。
私も、年金暮らしに入り、あと二割が足りてないため、この実感が強い。これには意味がある。
その収入ごとに、全額を使う消費構造が出来上がっていて、常に不足感が出る仕組みになっている。 
老後?のため、逆に二割を預金をするというから、日本人は悲しい貧乏性である。 
地球上には一日一ドルで生活をする最貧民が二割、12億人も存在する。 数日前、TVのニュース
番組内で、知的障害のある夫婦の収入が合計10万円で、時々の、ご飯と味噌汁だけの食事場面が
映し出されていた。驚いたのは「生活保護を受けいれ条件を満たしているが、自立をして生きたいため、
頑張っている」という。 知的障害があっても、人間の価値としては、ハイレベルである。
2食にして、卵、御飯、味噌汁だけとしても? 家内には、年金生活者の自覚が足ない!
と言われるので、最近、机上のダイアリーに、毎日の出金メモとレシートの貼り付けを始めたが、
これはコントロールには良い。それでも、やはり切迫感が乏しい。御隠居生活に入って気づいたのは、
知識としてのお金に興味があっても、金欲は格段に少なくなったこと。一通りの経験をしてきたので、
何かが欲しいとか、したい渇望は少ないため。としても、やはり「あと、二割は欲しい」もの。 
たかがお金、されどお金、である。 お金が自由の塊とすると、全ての人が、二割の自由が足りて
ないことになるが、その自由を縛っているのは、個々の固い先入観と思い込み。
それに気づいてないから始末が悪い!「何時までもあると思うな親と金」である。
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4543, 「ひとり」には、覚悟から生まれた強さがある ー4
2013年08月24日(土)
   * アルコール依存症のケア        「ひとり達人のススメ」山折哲雄著 
 私は軽いアルコール依存症?、いや軽くないのかもしれない。医者通いはないが、酒の上での
失敗は多々ある。今では缶ビール一本と、缶のウィスキーの水割一本が晩酌の定番。そのうちの
一本がノンアルコールビールだったが、何時の間にか、ウィスキーの水割に変わってしまった。
最近、ガラスの御猪口でビールを飲み始めた。少しでも胃の負担を少なくしたいため。
その話を酒友に話すと、「酒で身体を壊した知人が、舐めるように飲んでいる」という。
 ここに依存症ケアで、成るほどと感心させられた内容があった。 ーその箇所を、抜粋してみるー
≪さきほどの鈴木先生は、心療内科に通ってくる患者の中にアルコール依存症の患者がおおかった。
先生は、定年で退職すると、アルコール依存症の会の人々のケアを始めたのです。彼は使命感
みたいなものを持っている人だった思います。私より2〜3歳年上で、戦時中は海軍に入っていた。
若い頃より軍人経験があり、それから僧堂にも通っていたと聞きました。座禅の修行をかなり
積み重ね、その延長線上に、断食というブラクティスもあったのでしょう。 
・・・アルコール依存症の会とは月に一回の食事会で、参加者は十人ぐらいと聞いています。 
食事会には約束事があって、それぞれが自分の夕食として駅弁を買ってくる、そして一合の
カップ酒も準備する、ということでした。アルコール依存症だから全く酒を飲ませないというのは、
本当の治療に繋がらないそうです。 重要なのは、一合のカップを二時間、三時間かけ、
ちびりちびりやること。時間をかけて一合飲むと、酔いませんが、体にアルコールはわずかずつ入る。
みんなで語り合いつつ、ゆっくり酒を飲むんですね。 当然、駅弁の中身もゆっくり食べざるをえない
でしょう。そうして飲み食いに時間をかけ、カップ酒も弁当も空っぽになると散会する。
なかなか趣きのある集会ではありませんか。この食事会、十人集まってはいても、ひとりひとりが
自分と向き合う時間になっているように私は思いました。みんなとし喋りつつ、一合の酒の飲み方、
駅弁の食べ方を自分で考えで、調整しながら、自分と向きあっているんですね 》
▼これはアル中患者のリハビリには最適だろう。 まずは晩酌の飲み方から始めるべし!ということ。
ところで、晩酌を御猪口用のミニグラスで飲み始めたところ、ビールと、缶の水割の味わいが深くなり、
更に美味く感じるようになってしまい、少しでも量を減らそうという魂胆は消滅してしまった。
書物や映画などで、アル中の重症患者の症状を垣間見るが、それは酷いもの。
自分のこととなると分からないが! アルコールは、薬物が水分になっているだけの気違い水。
一時でも、狂いたいのは分かるが・・ 当面は、一本はノンアルコール厳守にすべきか! 
緩慢なる自殺のための薬物であるのは分かっているが、どうも、適度の良い心地の誘惑には・・ 
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4168, あなたが大金持ちではない10の理由
2012年08月24日(金)
          「あなたが大金持ちではない10の理由」ドナルド・トランプの著 
 アマゾンのネットサーフィンで見つけた不動産王ドナルド・トランプの著
「あなたが大金持ちではない10の理由」が面白い。耳が痛いが・・ まず基本的な考えは
「お金持ちになりたいなら、お金を持つ前からお金持ちのように思考しなくてはならない」である。
まず金持ちであるかのように考え振舞うことから始めよ、である。 そう振舞ってもダメなのは
ダメだが・・・  ー「あなたが大金持ちではない10の理由」ーとは
① 休みをとらなくちゃいけない・・・と思っている
「休みをとりたいなぁ」と思ったらその仕事はあなたに合っていない。
まず自分が好きになる仕事を選ばなくては!
② 睡眠とらなくちゃ・・・と思っている
 著者は一日4時間しか寝ない(午前1時〜午前5時)。
寝る間を惜しむほど仕事に打ち込むことが基本。
③ 集中力に欠けている
 「私は相手が二、三語話しただけで次に何を話すかがわかる。
それが出来れば会話をリードできる」 相手に集中する能力。
④ テクノロジーに頼り過ぎ
 メールでは感情を伝えられない。電話したり、直接相手に会うこと。
⑤ 相手の期待値を考慮していない
 賞賛や驚きは相手の期待値により変わる。 相手の期待を知って初めて効果があがる。
⑥ 仲間に頼りすぎている
 最後は一人。「どんなことでも自分でできる!」と思い、自分でやるべきことをやらなくては何も進まない。
 人に頼りすぎると仕事の遂行が遅くなってしまう。
⑦ 成功グセをつけていない
 一つの成功は次の成功を呼び込む。まず実際に行動を起こし何かを成し遂げる。
 著者は「彼の触ったものは黄金に変わる」評判がある。
⑧ 意思決定がいいかげん
「意思決定は恋人を決めるときと同じように」。多くの人が意思決定を「一目ぼれ」
のように扱っていることを嘆く。会議で他人の意見を聞くのは「あの子のことをどう思う?」
と聞いているのと同じ。 意見を聞きつつ、注意深く意思決定を進めること。
⑨ 家族とうまくいっていない。
 家族はもっとも重要。 家族と良い関係が、基本中の基本。
⑩ 好奇心をもっていない
 成功者は何にでも興味を持つ。興味はイノベーションにつながり、成功の鍵。
 起きていることすべてに興味を持つこと。
▼ 今さら金持ち云々など、関係ないが、それでも道理は面白い。
上手くいっている人は上記はクリアーしている。会社を創業し軌道に乗せるに、ほぼ上記を
カバーしないと不可能だが、それも震災ひとつで、パーである。 お金は、お金を意識しないで
済む程度が一番よいという。 年齢にもよるが、一般的に100万ドルか、一億円が目安。
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3803, 哲学人 ー⑤
2011年08月24日(水)
 ここでもテーマにした吉本隆明の「共同幻想」という言葉がある。その典型が国家である。
その元になっているのが、ウパニシャッドといわれる。
 また信長が好んで舞ったといわれる部分の敦盛の歌詞
《 思へばこの世は常の住み家にあらず  草葉に置く白露、水に宿る月よりなほあやし 
金谷に花を詠じ、栄花は先立つて無常の風に誘はるる  南楼の月を弄ぶ輩も 月に先立つて
有為の雲にかくれり人間五十年、下天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり 一度生を享け、
滅せぬもののあるべきか これを菩提の種と思ひ定めざらんは、口惜しかりき次第ぞ・・・》
 所詮は、幻想のようは儚い一生を鳥瞰した歌詞。
   マギーは、ウパニシャッドを簡潔にまとめてあり、分かりやすい。
  * ウパニシャッドとは   ー「哲学人」ブライアン・マギー著より
【15、6歳のころ、世界の偉大な宗教の経典を集めた「世界の聖典]という本を学校の図書館で
見つけ、読んでみた。この本の中で、唯一、私の想像力を心底かき立てたのが『ウパニシャッド』。
 驚いたことに次のような記述があった。「ー人間の知識と経験の全領域はイメージだけで
成り立っており、そのイメージは流動的であって、永遠不変の存在を持たないのだが、それに対して
実在する現実は、永遠に存在するものであるけれども、我々は直接それを知ることができず、
それを明確に把握することもできないー」。 
私は自分の考えが目の前のページに、それも数千年前の昔の書物に載っているのを見て愕然とした。
そこには、さらに、私の思いもつかない説明まで書かれていた。それによれば、「私たちの心には
無数の多様なイメージが浮かぶが、そのイメージを去来させているのは、個々とのイメージと
同数の、直接触れることのできない対応物ではなく、あるひとつの大きなものである。
 私たちは個人として生まれたときから分化し、死ぬと再びそこにとけこむ。突きつめると、
実際には、その大きなものしかない。互いに相容れることなく個々に分離しているのは、
イメージだけである。また、イメージはあくまでイメージであって、主観的ではかないものである以上、
そしてとくに、人間には生来、イメージを独立して存在する事物と混同する傾向がある以上、
イメージを幻想とみなすのは、しかるべき理由があることになる。分離した個々の事物、
人間を含む個々のあらゆる事物は、してみると現像ということになる。現実には万物はひとつ」 
・・・私には、この見解は確認できないように感じられたのである。たとえこれが真理であった
としても、そのことを知るすべが見当たらなかった。 とはいえ、この見解は、ある重大な事実を
痛感させてくれた。私は自分でも気づかぬうちに、ー存在しているものは基本的に私たちの
考えていることに「似ている」、すなわち多種多様なものが存在していると想定していたー
のだが、この想定には根拠がないことが明らかになった。考えてみれば確かに、
現実の本当の姿はどういうものかをめぐるいかなる意見にも根拠がないように思われる。】
▼ 過去を振り返ると、実際あの時の経験は記憶とていて残っている。その対象も物理的に
残っているものもある。しかし時間は、記憶も、物理的残存しているものも、容赦なく変えてしまう。
そうすると、残っているのはイメージ。 そうこう考えると、ブラフマンの存在こそ、そこから発生し、
そこに戻っていくという考えに、ついつい・・・ 夢幻でしか!と。恋愛など、性欲がつくりあげた
イメージのダンスでしかない。ダンスが終わったら・・・ 類推は、いくらでも出てくる。
  ・・・・・・・
3438, 腰痛について
2010年08月24日(火)
 腰痛について何度か書いたことがある。《下にコピー》去年にも二回書いている。
そういえばこの一年、日常的な腰の重みはあっても、顔をしかめるほどの腰痛はない。
一年間何もないのは近年には記憶がない。 低反発マットと、海老反りマシーンによる背筋伸ばしと、
立振動のバイブレーション・マシーン効果がでているようだ。四足だったサルの祖先を持つ人間が、
両足で立って歩くようになったのが、腰痛の原因。特にディスクワークで椅子に座る時間が
長い人とか、立ち仕事の過剰が腰に負担をかけるのが原因。  日常的に心がけることは、
・なるべく歩くように心がけること(一日1万歩を目安にする)、
・普段の姿勢で胸を広げアゴをひいて頭を背骨に上に置くようにし、
・前かがみの時は、屈まないようにして膝を曲げるように心がけ、拾うときは腰から上は立てたまま膝を曲げる。
・右手でものを拾うときは、反対の左足を必ず前にだすこと
・電車の座席や、喫茶店、居酒屋で座席に座る時に、足を組まないこと
・腰の冷えに充分気をつけること、また夏の冷い飲物の過剰摂取による内臓の冷えも危険
・常に自分は腰痛持ちであることを意識をし、腰痛を目覚めさせないように、注意をすること
・季節の変わり目には、腰痛になる前から腰痛ベルトを事前にすること などなど、ある。
腰痛と、嫁姑問題は、人類の永遠のテーマのようだが、予防の習慣で、ある程度は押さえ込む
ことは可能。腰痛の御かげで、早朝の散歩の習慣を25年間も続けることも出来たし、姿勢は
良くなった。その結果、全身の血の巡りは良くなった。 まずは嫌わないで腰痛と仲良くすること。
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3063,閑話小題 
2009年08月24日(月)
  * 日本文理高校が決勝だと 
 日本文理高校が、あれよあれよという間に決勝戦まできた。国体開催の一月前ということもあり
是非とも優勝をしてほしいもの。今日は県内は大きな盛り上がりになるはず。昨日は県岐阜には
勝てないと踏んでいたが、まさか勝つとは。過去に準々決勝が最高だったから、新潟県にとっては
大快挙である。地元の予選では対戦相手とは段違いの力だったが、ここまで来るとは思っても
いなかった。彼らナインも監督も同じだろう。 新潟県は、このところ二度の大地震が続き、景気も
最悪の事態の上に、この天候で稲作も期待できない。 優勝でもしたら国体までのつなぎになる。
たまたま今日は飲み会が入っているので、酒の味が美味くなる。
  * 新インフルエンザの恐怖
 商売が商売だけに、この新インフルエンザで日本中に蔓延した最悪の事態も考えなくてはならない。
半年も客が誰も泊まらないこともありうること。そうすると「  」考えても仕方がないことだが、現実に
有りえることである。 この恐慌?の中で、更に日本経済は壊滅状態。特に地方経済は体力が
消耗しているので深刻の事態になる。ビジネスホテルは直撃を受ける。新潟国体の特需を計算に
入れていたので、もし大幅の縮小となると大問題になる。 困ったものである。
支配人の近所の親しくしている家の子息が新インフルエンザになったとか。
タミフルを飲んでホボ直ったというが、現実に身近に感染者が出てきたのである。
 お盆で海外旅行から持ち帰った菌と、帰省などの国内旅行でばら撒かれた菌が、10日の潜伏後
で表面化する。更に来週から学校が始ると、密室の教室内で大蔓延するのは火を見るよりあきらか。
一ヵ月後には、日本中が新インフルエンザで大問題になっている可能性が大である。
新潟国体の縮小も充分に有りうること。 これからは一日一日が、スリルとサスペンスの日々になる!  
そうこう考えると、恐慌も重なった大津波の本体が押し寄せてきたというのか。 
数ヶ月先も読めなくなってきたが、それが日本の現実か。 高校野球の優勝かどうかより、
直撃を受ける本体の方が大問題である。 不安と不機嫌の日々がつづく。 
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2698, 閑話小題
2008年08月24日(日)
 *大曲の花火
 *日本野球がオリンピックで敗れた訳
(字数制限のためカット、2013年8月24日)
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2007年08月24日(金)
2334, 離人症体験       オハ…YΘ!!。_゜ヽ(*´∀`)ノ゜.:。+
ある本の中の「離人症」の経験者の話に目が釘付けになった。
私の最も好きな内容だからである。そこでネット辞書で調べてみた。
 ーー
「離人症とは、自分が自分の精神過程または身体から離れて外部の観察者になった
かのような自己の知覚または体験の変化」と定義される。
・離人感は深刻な感覚の歪みがあらわれる。例えば、世界が霧か煙を通すようにぼやけて見えるとか、
 声が遠方からのように聞こえます。ガラスの檻に閉じ込められ、それにより「現実の」世界から
 切り離されている感覚。 具体的には、自分が存在する実感がない、
 自分が見知らぬ人間であるように感じる、 自分が生きている感じがしない、などがある。
・身体に関する訴えとして、自分の体が死体・ロボットのように感じる、
 自分の体の実感がない、自分の体が大きく・小さく感じる、などがある。
・また、行動する自我とそれを観察する自我の分離があり、自分の行動を離れたところから自分が
観察するという感覚がしばしば起きる。このような分離は、心の中での果てしない自問自答、堂々
めぐりと体験されたり、 自分の体から自分が抜け出す経験(体外離脱体験)と感じられることもある。 
トランス状態にあるような様相を呈することもある。
・自分以外の人間は自分の体験を真剣に取り上げてくれないと嘆き、これらは心的外傷に
深い関連があり、自傷行為や自殺企図もある。
ーー
以上だが、その中で体外離脱体験もあるようだ。私自身、色いろな体外離脱やパニックに
陥ったことが度々。この「離人症経験」とは違うプロセスで体外離脱体験になったのである。 
人生の大きな変わり目とか、厳しい秘境旅行の帰りの飛行機の中とか、大きなストレス状態の時
などに生じるところが似ている。過去の随想日記に、そのことを幾つか書いてきたが、離人体験とは
少し違う。
(後記の数年前の文章を貼り付けた中に、偶然に夢について書いてあった。)
一番近いのが、ある旅行からの帰りの飛行機の中での恐怖パニック体験。
(何度か書いたことがあるが・・・)秘境旅行の帰り、ホッとして眠っていたところ夢をみた。
自分が地上からフワフワと風船のように浮遊して、空に舞い上がっていく。
みるみる電信柱を越え、空に上がっていく。「これは危ない、地上に戻らないと!」と、
本能的に夢から我に帰ったところ、そこは地上ではなく空中を飛行中。
戻るはずの地べたがないのである。空中から地上に帰ったはずの自分が、逆に更に高い空中を
飛んでいるのである。それも自分が1000キロの速度で飛んでいる実感がしたのである。飛行機も、
周囲の人も消えて、独り空を超高速で飛んでいるのである。恐怖で失神?なんてものではない! 
このような特異の恐怖体験をした人は世界広といえ、殆どいないだろうと、パニックが収まった時に
頭に浮かんだ。(実際は多くいるだろうが、特異という意味で・・・) バンジージャンプで
二回飛び降りているが、落下時の恐怖より恐ろしい?瞬間であった。その落下としても垂直に
空中を飛んだ経験があるから、その時に実感できたのだろう。数分は続いただろうから、
よく心臓が止まらなかったものである。離人体験の恐怖を語っているブログがあったが。
その類の知識のない子供が、自分が自分から抜け出た感覚は本当に恐ろしいのは解るような
気がする。 離人症という病があるとは、知らなかったが、欝になり、落ち込んでいる心理状態は、
正にこれじゃないか?「ものみのとう」とかいう、あのカルト集団、あれも集団離人症候群じゃないかい?
{娑婆を「物見の塔」から見下して、あの集団で修行すれば、千年後に奇跡があらわれ、
キリスト様と出会い・・} 


4909,世界の美しさをひとつでも多く見つけたい ー3

2014年08月23日(土)

                   『世界の美しいさを一つでも多く見つけたい』石井光太著
   * 「小さな神様から、小さな物語へ」 
 著者は、東北震災の被災の地で、苦しんでいる被災民それぞれの「小さな物語」を見つけ出す。
起こってしまった現実に対し、自分を納得させる物語でしか救われないのである。
ーその辺から(P222)よりー
≪ 「私は、夫が家にいた私を心配してもどってこようとして被災したのだと思っでいます。
夫は私を助けようと命を落としたのだと考えたいのです。 消防団員からすれば、「町のために死んだ」
と考えた方が死を受け入れやすいはずです。しかし、奥さんからすればそう考えるより、「自分を助け
ようと死んだのだ」と思った方がどこか納得できる。「小さな物語」が落としどころとなって前を向くことが
できるようになるのです。 ―夫は町のために死んだのではない。自分を助けるために家に帰ろうとしし
流されてしまったんだ。私は彼女がそう自分に言い聞かせながら生きていこうとする姿を見て、
こみ上げる感情を抑えきれなくなった。彼女にとってこの物語がどれだけ大切なものであるか。
それは闇に閉ざされた海に灯る灯台のようなものです。この光があるからこそ、彼女は闇の中を
進んでいけるのです。≫
▼ 数ヶ月かけ書いてきたー「事業人生を決心して45年の」の語り直しーが、これに近い。
 書くべきことでないが、自らを保つため書いてきた。いや、このブログが、毎日の「小さな物語」。
「死んで3日も経てば、300年前に死んだと同じこと」というが、書き残こしておけば、痕跡になる。
成るほど、ブログは墓場。 毎朝、過去の10年以上の同月同日の文章に目を通すが、
これは過去の自分自身への墓参りでもある。
・・・・・・
4542, 閑話小題 ー種銭の話 ー3
2013年08月23日(金)
   * 種銭は、まず一億が目安
 日経新聞の『私の履歴書』で、誰かは忘れたが、「事業の種銭は一億円。そして次は三億。
何はともあれ、その金額を用意すること。」と語っていた言葉が記憶に残っている。20数年前のこと
だが、その間にデフレもあり現在でも通じる金額。「富裕層=ミリオネア」が金融資産1億以上と
いうから、これがロットしての目安のラインとみてよい。 ミリオネアが、世界では1千万。 
日本で190万人が存在するというから、一世帯あたり2・46人とすると、467万人、総人口
1億2600人として、37世帯に一軒が1億円の現金を持っていることになる。
「40軒弱の世帯が一億の現金を、その70倍の2700世帯に一軒が10億の現金を持っている」と、
家内の反応をみたら、「そんなにいるはずがない!」と取り合わない。
 地方の最もマイナーの経済地域にいることもあるが、大学の友人を見ると、有り得ること・・ 
 33年前の私の創業時の手持ち金額が1億。手持ちの土地が1億で、合計2億。
それに1億8千の借入で、総計3億8千が、最初のホテルの投資額。これが創業としてのロットと
すると、こんなもの。 ホテルは創業は華々しいが、一度、投資をすると20年〜30年かけ回収する
地味な装置産業。結果からして、10年を節目で売却、転身すべきであった。
その辺りが私の限界である。事業年齢からみて30年経過後の老衰死。 残ったのは、家内名義
の自宅と、家内名義の幾ばくかの預金と、何とか人並みに過ごせる?二人分の厚生年金分。
子供が本気で事業を望めば、自宅を売却して何とか・・ だが、子供も家内にも、「家のために」
「自主独立のため独立」とかいう気が全くない。それより世界恐慌の本番に向け、下手に事業など
しない方が得策。 ところで、100億、いや10億の現金があったら、何をしたいか? 
今さら、何もない! 50歳代までに遣り尽くした感があるので、今さらハワイかシンガポールへの
移住するのも面倒。京都か、軽井沢近辺に住みたいとも思わない。 あとは人生をスキップしながら、
適当に生きていければ充分。世界恐慌の最中、衰退する地方も面白いと思えばよい。
・・・・・・
4167, 老年行動学 ー4
2012年08月23日(木)
              「ご老人は謎だらけ 老年行動学が解き明かす 」佐藤 眞一 (著)
  * 「長寿者は少食」という、間違った思い込み
 両親をはじめ、若い時から老齢の人との接点が多く、人生を充分に生きた人たちのエキスを
得ることができた。最期は脳梗塞やガンなどで亡くなっていった。それぞれが壮絶で、生きた
人生のとおり死んでいったが、死んでしまえば、それまで。 身近で知る限り、80歳辺りから
一年一年、急激に体力が落ちていく。中年まではメタボにならず、老齢期に入ったら、
逆に痩せ過ぎない方が良いようだ。長寿の人は、小食というより肉にしろ魚にしろ何でも
食べる人が多く、食事を楽しみにしている。愚痴は少なく、明るく何事にも興味を持つ性格が共通。
 それと孤独の人は認知症になりやすいという。人の接点が少なくなり、それが存在理由を小さくし、
内に篭もる。それが認知症を進める。 一般的に男の方が定年後、横の関係が出来てないため
孤立傾向になりやすい。妻に先立たれると、孤立する傾向が強くなる。そこで個食が孤食になり、
その寂しさからアルコール依存症になっていく。 一度、アルコール依存症になると、倒れるまで
飲まないと気が済まない状態になる。その結果、孤独死。孤立する原因に、時どき新聞ネタになる
「ゴミ屋敷の住人」の主がいる。老人の判断基準で分別が出来なくなり、苦情などでゴミを
捨て辛くなり、その結果、家はゴミの山になり近所との軋轢が出てしまう。この傾向は全国的に
エスカレートしている。 私の場合も、家内に先立たれたら直面する可能性がある。
自分の年齢と、その自覚の差異が7歳もあるのが問題の一つ。精神の老いに生活が追いつけなく
なる問題である。 もう一つ70歳を過ぎると免許証の返納を勧められる。しかし本人にとって
最後の砦を失うことになる。危ないという自覚がないから、尚のこと。歳をとり日常生活で
イライラすることが多くなるほど、車の運転は自己効力感が強くなり、貴重な楽しみになっている。
それを取り上げると、気力も何も無くしてしまう。いずれに、直面することになると思うと暗くなるが、
今日一日を精一杯生きていくしかない。老人化も、冷静にみれば面白いもの。
生きているだけ儲けもの?
・・・・・・
3802, 哲学人 ー�
2011年08月23日(火)
   * 驚きを忘れた人々  (P/29より)
【 あらゆる意味とあらゆる目的がこの世界のなかにあリ、価値と道徳は人間によってつくられる、
つまり、価値と道徳は社会的・歴史的に形成されるのである。真実はミステリアスであるとの意見を
『彼ら』は理解できず、それゆえ人間の経験の意味するところは私たちの理解を超えているのかも
しれなといった意見を、まわりくどい戯れ言(その正体はやはり宗教的なもの)とみなした。
私にとってこの態度のどこがいちばんなじみにくく、理解しがたかったというと、それは私たちが
存在していることに、というより、なんらかのものが存在していることに驚異(あらゆるものが奇跡に
ほかならないということ)を感じる感覚が欠けているという点である。 結局のところ、深く考えなくても、
子どもくらいの思考力さえあれば、私たちの経験のきわめて一般的かつ基本的な特徴すら私たちは
自分では気づいて当然なのに、私がいま述べているような人々はその点を見抜けなかったらしい。
ある種の常識的なものの見方がほぼ正しいということを自明だととらえているようだが、私にとって
自明だったのは「常識は正しくない」ということだった。
 あっという間に不可解さと自己矛盾の泥沼に嵌ってしまうからである。さらに正直に言うと、
「『彼ら』は常識的な世界観を否定することをばかげているとみなしたけれども、私からすれば、
それを容認することこそばかげていた。彼らの見解は、その基盤を顧みないあいだしかもちこたえ
代物だった。はなはだ浅薄であったばかりか、支えとなるものはなく、ぽっかりと宙に浮いて
いたのである。『彼ら』の見解の根本を問いただしても、そうした疑問はことごとく退屈で的はずれ
なものとして退けられた。世界や経験のさまざまな基本的特徴は、人間の推理力ではとうてい
理解できそうにないという事実に注意を向けようとすると、彼らはこの事実を逆手にとって、
問題を提起することを封じこめた。彼らの望みは、理解できる事物の領域に自分の人生を
閉じこめることだった。最初に挙げたクルーブと比べると、わずかながら深遠で批判的でもあったが、
結局、両者の態度には多くの共通点があったのである。大人になるにつれて、世界にまつわる
驚異の念にひたり、世界が差し出す解決できそうにない問題(とくに、時間、空間、物体の知覚、
物体の本質などに関する問題)にのめりこんでいったおかげで、私はまわりの人たちからやや
孤立することになった。こうした問題を語りあえる相手が見つからなかっただけではない。
そんな問題をもち出せば変人扱いされかねないことを思い知らされたのである。
人づきあいをしなかったわけではなく、人生のほかの局面ではとても社交的な人間だった。
昔から友人はいたし、17歳になって恋愛もした。 パーティが大好きで、熱烈な音楽愛好家にして、
芝居通でもあった。それでも、経験のきわめて形而上学的な次元に心を奪われていることは、
たとえ日々そうした問題に取リ岨んでいたとしても伏せておくべきだと知った。そんなふうに
孤独感を覚えながらも、この問題に取り組んだのは、なんといってもこの問題が圧倒的に重要で
あったからだ。私たちの本質や、私たちが暮らしている世界の本質にとって根本的であるのに、
こうした問題に何故誰も魅了されないのか理解できなかった。 頭の良い人なのに、何よりも
重大な問題に暗黙のうちに禁じられているには、何とも奇妙に思われた。 】
▼ ここで、マギーは「 私にとって自明だったのは、常識は正しくないということだった。
あっという間に不可解さと自己矛盾の泥沼に嵌ってしまうからである。さらに正直に言うと、
彼らは常識的な世界観を否定することをばかげているとみなしたけれども、私からすれば、
それを容認することこそばかげていた。彼らの見解は、その基盤を顧みないあいだしかもちこたえ
代物だった。」と、述べている。常識は、殆ど正しくないことは、今さらだが、あえて事を荒立てる
こともない。私も常識とやらは、ほぼ間違えていると、この年齢で実感する。
考えてみれば「あの人は常識人」ほど侮蔑の言葉はない。大部分である常識人のいうことを、
まともに聞いてきた人生、何だったのだろう。
 ・・・・・・・
3437, 64歳の現時点で、感じること! ー2
2010年08月23日(月)
 * あと5ヶ月で65歳になるが
 65年の人生を振り返ると、月並みだが長いような短いような感じだが、決して長くはない。アッという間である。
家庭に恵まれていたし、時代背景にも恵まれていた。 満足度は70、いや80点である。
明日の金が無くて呆然としたことも無かったし、人間関係で悩むことも比較的少なかった。
また事業を四十年近く、やれたことが良かった。また装置産業を選択したため、自由時間に恵まれたのが良かった。
好きな秘境ツアーも、私の環境=条件内では最大限に楽しむことができた。 好きな本も充分に読むことができた。 
好きな箱物(ビル)造りも、小規模だが増築を含めると8棟を立ち上げることができた。 
もっと事業を大きくできたチャンスがあったが、恐慌になった現在、それが良かったかどうか。
 第二次世界大戦の終了から、米ソの対立、朝鮮戦争、ベトナム戦争、中国の文化革命、そして、ソ連と東欧の崩壊、
日本の高度成長、バブルと、崩壊、そして失われた20年という長期の停滞。アメリカのニューヨークの9・11テロと、
アフガン・イラク戦争。そして、極めつけがアメリカ発の大恐慌である。それが今後、10〜20年と色いろなカタチで、
20世紀的なものや、文化の破壊がすすむ。65年の人生で、半分以上は成長期の時代を味わってきた。特に20代、
30歳代は、高度成長期にあたっていた。もう日本が、これだけの右上がりに成長を謳歌する時代は二度とこない。
そうこう考えると本当に良い時代背景だった。 情報化社会の到来で、劇的変化を始めた時代の入り口を生きている。
その変化は想像を遥かに超えている。 毎日が驚きと、感動と、おののきの日々である。
それにしても知らないことが多すぎる。
 ・・・・・・・
3062,階級社会だと! −2
2009年08月23日(日)
 上流階級?の人が落ちぶれた時に、階級の存在をシビアに知ることになる。
その時のハビトゥス(その人の習慣をつくりあげている文化構造)の崩壊のプロセスを身近で何人か見てきた。
その崩壊は人間性の崩壊になる。階級社会にとって必要なことは、その入れ替えの弾力性である。弾力性が無くなれば
階級社会が自滅することを経験的に知っているからである。 時間軸の長短から考えれば誰もが成上がりでしかない。
イギリスは階級制度のハッキリした国であるが、その入れ替わりには長年の経験上、当然のように受け入れるシステムに
なっている。新しい価値をつくりあげれば、その価値の創造者として認める。日本でも明治時代の伝統で、
家柄より学歴を優先する社会的システムができている。日本の最も優れた文化資産である。 
 (字数制限のためカット 2011年8月23日)
・・・・・・・・・
2697, 散歩について
 2008年08月23日(土)
散歩の習慣と効用については何度か書いてきた。1月から3月半ばを除けば毎朝、豪雨でない限り歩いている。
もう25年ほどになる。年々少しずつだが歩数は減っているが、それでも毎朝一時間弱は歩く。
日本人の歩行は、この三十年で激減しているという。30年前で7000歩が現在では6000歩弱に、車通勤では、
4000歩も歩かない。江戸時代には日本には散歩という概念がなかった。車がないので、何処に行くのにも歩いて
いたから、敢えて歩く必要も無かったようだ。それでも、現代人と比べると3倍から5倍は歩いていたという。
西欧人のように、「楽しみのための目的なしの歩き」に名前を散歩と名をつけたのは、勝海舟であった。
氷川清話には、散歩の話がところどころ出てくる。散歩の語源は、漢方の言葉で、漢方の内服薬を飲んだあと、
その薬を早く吸収させるため歩くことを意味していた。勝海舟は、外国人が生活の中に散歩を取り入れているのを見て、
心身の健康の効用を看破した。私にとって、散歩のない日々は考えられないほど、日常の生活の一部になっている。
大雨で歩かなかった翌日など、身体から毒素(恐らく活性酸素だろう)が抜けていくのがわかる。それと、脳の活動が
活発になるのも分かる。これを続けていると鬱病などなる訳がない。早朝に、陽光にあたりながら、鳥の声と、川の
せせらぎの音を聞きながら、深呼吸をして歩いていれば、マイナス思考など出ようがない。最近はiPodでアルファー波の
タップリ入った音楽を聴く習慣も取り入れた。哲学の小道が京都になるというが、決まった道を、他のことを意識しない
ですむ道という。ソクラテスではないが、プラトンなどと問答しながら歩いたのは、脳が活性化するためである。
散歩を健康のためとか、考えるため、というのでは長続きはしない。あくまで楽しい日課の一つとして取り入れて、
スキップするような気持ちで歩くことだ。最近80歳過ぎの少し痴呆症の入った年配の人が散歩をしている。
道に立って、来る人来る人に手を上げて親しそうに話しかけている。
 (字数制限のためカット 2012年8月23日)
・・・・・・・・・・
2007年08月23日(木)
2333, ホッファー  −2        *ヾ(´∀`o)+。才ノヽ…YΘ!


4908,世界の美しさをひとつでも多く見つけたい ー2  

2014年08月22日(金)

                   『世界の美しいさを一つでも多く見つけたい』石井光太著
   * 小さな神様見つけ方 〜② 相手の文脈で大切にしている神様を見出す!  
 人生は妄想によって生み出した「小さな神様」に頼って生きるしかない過酷の旅でもある。
それが過酷であるほど、しがみつくしかない。宗教の原点が、そこにある。 ーその辺りから抜粋ー
《 ムンバイの売られたレンタルチャイルドでさえ、マフィアを心の拠り所としている。
これまでの旅で出会った人たちも同じでした。たとえば、ヨルダンのナイトクラブで会ったイラク人
売春婦は男性客を不安に怯える自分を支えてくれる大切な人と見なしていたし、バングラデシュの
公園で暮らしていた少女は変質者の男性を一緒にいてやさしくしてくれる大人と見なしていた。
みんなそれぞれ闇の中で何かしら心の拠り所をつくり上げ、それにすがりつきながらがむしゃらに
生きていたのです。 人間は絶望の底につき落された時、懸命に光を見出そうとします。
それは、救いを求める人が神にすがる行為に通じるものがあります。「貧困に生きる人々が
苦しみの果てで生み出すのは神様のようなものだ」といえるはずです。
もちろん、ここでいうのはキリストやお釈迦様のような存在ではありません。教義を有する宗教に
おける神ではない。ただ、個入にとっての救い主という意味では、同じような存在であり、私は
それを「小さな神様」と呼ぶ。 マレーシアであった兄妹の彼女は、誕を垂れ流し、会話もできない
ほどに精神を病んでしまっていた。そこで兄は妹を連れて祖国のスーダンを離れ、知り合いを
頼ってマレーシアに辿り着いた。コタキナバルで、兄は妹にリハビリを施していました。
心の闇を吐き出すために絵を描かせ、静かな公園へ連れて行って気晴らしをさせたりしていた。 
私はそんな二人と何度か話をしたのですが、妹が妙なことをいいだしたことがありました。
こんな話でした。「スーダンの故郷には、私のことを待ってくれているやさしい人がいるの。
兵隊さんなの。私は彼と結婚するつもり。だから、国に帰りたい」どうやら彼女を拉致監禁した
武装組織の兵士と婚約をしているということでした。なぜ自分をつかまえてレイプをした側の
男性とそんな関係になったのでしょうか。兄はその話題について詳しく説明しようとしませんでした。
ことの真相を知ったのは、しばらく経った日のこと。その日、私たち三人が暮らしている安宿へ
赴きました、そこで兄から妹が語る「婚約者」について・・・
 それは彼女が作り上げた妄想でした。(略)・・・そうやって生み出された個人のごく小さな希望や
幸福が「小さな神様」となる。私は他者を見つめる際に大切なのは、相手がどんな小さな神様を
抱いているかを知ることだと思います。その人にとっての希望だとか幸せだとかいったものは
「小さな神様」に集約されます。それを発見することが、その人の価値観に寄り添って物事を
考えることにつながる。・・・それでは、小さな神様を見つけるにはどうすればいいのでしょうか。
決して難しいことではありません。 一言で表せば、「自分の文脈で勝手な価値観を押し付ける
のではなく、相手の文脈で大切にしている物を探すこと」その人が何を小さな神様と見立てるかには、
きちんとした理由があります。何かしらの文脈で小さな神様ができ上がっているのです。
従って、その文脈で考えさえすれば、ちゃんと小さな神様が何であるか、
つまり何を幸せとしているかが見えてくるはずなのです。》
▼ いかなる惨状の中でも、必ず希望を見出して生き抜く人間の生命力、そこには、惨状だからこそ、
 浮かび上がってくる小さな神がいる。そこでは、世界がひっくり返るほどの感動、美しさが見えてくる。
それが、著者が伝えたいこと。 ところで、私の小さな神様は何だろう?
・・・・・・
4541, 「ひとり」には、覚悟から生まれた強さがある ー3
2013年08月22日(
   * 宗教の伝統的な実践による心の治瞭      「ひとり達人のススメ」山折哲雄著 
 私が学生の頃、親戚が末期ガンと知らされ、その苦しみ恐怖から逃れるため『写経』に
没頭し亡くなっていった。この本で、死の恐怖を克服する実践に『写経』と『散歩』を上げている。
『散歩』には遍路や巡礼が含まれる。早朝の散歩で、吐く息に身体の毒を、吸う息は大自然の
霊気を入れ込むイメージすれば、身体に良いはずである。  
  ーまず、その辺りを抜粋してみるー
《 三十代で、絶食によってわが身体とは何かを考えるようになった私は、体と心の関係に強い
関心を持ち始めていました。そして四十代に入ると、さらに興昧深い出会いが待っていたのです。
さまざまな経緯があり、私は母校である東北大学の文学部に宗教学の助教授として迎えられる
ことになり、東京から東北に戻りました。当時の母校の医学部には、最近亡くなられた
鈴木仁一先生という心療内科の助教授がいらしゃった。心の病がからんで、どの科でも回復の
望めない患者が、心療内科の鈴木先生のもとへ送られていました。彼は患音の心の病を治療する、
今でいう心身医療の専門家でした。その鈴木先生がやっていたのが絶食療法でした。
もともと戦前の東北大医学部では、女性のヒステリを治す治療法として絶食療法が行われ、
基礎が出来上がっていた。その診療法で女性のヒステリーの60%近くが治ったという結果もある。
先生は、その絶食療法を中心に治療している。ただ、絶食療法は、誰でも有効というわけでない。
どういう人が効くかというと、意志の強い人だと、いっておられる。そこで思い浮かんだのが山頭火。
山頭火のような修行ができる人間というのは意志も意地も強かったはずです。 意志の弱い、
普通の人は、なかなか絶食療法ができない。 私が「死ぬきは断食で死ぬよ」と言ったら、
賛成する人もいるが、「それは思った以上に大変なことだよ」と、反対する人もけっこういます。
やはり食を断つということは並大抵の覚悟ではできないのです。 それでは意志の弱い人には、
どういう治療をほどこすのかを尋ねると、「写経」という方法あると先生言下に言われた。 
それから「散歩」とも。俗世の欲望を捨てるための修行のひとつに「とそう」というものがあります。
「行脚とそう」ともいいます。これは徒歩で修行のために諸国を遷ることです。お遍路も含めて
巡礼というものは、みんなこれに入るでしょう。けれども写経や散歩はいろんなレベルのものが
あって誰にでもできるので、人それぞれに応じたことを薦めます。》
▼ もうダメと悟ったら、断食を考える。無理なら、四国のお遍路に出るか、身体が動ける範囲で
近くを歩き回る。 天候の具合で、疲れて家に居るときは、写経を書いて過ごす。それも終わりに
近づいたら、点滴などを拒否し、可能な限り、食を絶って、自然死を待つ。そのぐらいしか出来ないが、
身内に今のうちに伝えておくこと。 死に時には死ぬ覚悟が必要!以下の、去年の文章が丁度
よい内容である。老いの準備から、死に準備の移行である。あと一年数ヶ月で「古希」になる。
・・・・・・
4166, 老年行動学 ー3
2012年08月22日(水)
              「ご老人は謎だらけ 老年行動学が解き明かす 」佐藤 眞一 (著)
   * 長寿の人の共通点 ーわがままに生きる
「憎まれもの世にはばかる」ではないが、歳をとると因業になる。先がないので抑えていた
我がままが表だつ。 長寿の共通点が「わがまま」。わがままと因業は紙一重。  
ー その辺りをまとめてみた。
【 日本には100歳をこえる人は4万8千人いる。50年前には153人しかいなかったというから
 300倍以上。10年前で1万人をこえたというから、僅か10年で5倍である。人間の寿命の限界は、
フランス女性の122歳。100歳以上の人に対し医学や遺伝子の様々な研究が行われていて、
心理学研究では、ある程度共通した性格ががわかっている。男性の場合は、性格が几帳面で、
自分を曲げないで、日課がほぼ決まっていて、生活がきちんとした人。女性の場合は、明るくて
わがまま。ちょっと強引だが、周囲の人を幸せにしてくれる‘大阪のオバチャン’みたいの人。
男女とも「わがまま」の人が長寿である。「自分勝手」とは、少し違うが、我が強い人である。
「わがまま」の意味は、「自分が決めたことを、自分の思うようにできている」で、誰かが元気が
ない時に、その人が喜びそうなことを、積極的に動く人。それは「自律できている」ことである。
自律を保つことで幸福度を高く保っている人ということになる。アメリカの心理学者が、面白い
実験をした結果がある。 
≪ 三匹の犬を一緒につなぎ、電気ショックを与える。 一匹目は、電気ショックを与えたら、
 鼻でパネルを押すと電気ショックを押すと止むようにし、二匹目は、一匹目が押した時に、
電気ショックが止むが、自分では何をしない。三匹目には何もしない。これを繰り返した後に、
それぞれを仕切に分けたボックスに入れて、電気ショックを与えると、二匹目の犬は、すぐに
飛び越えられる低い仕切りでも、うずくまっただけで、逃げようとしなかった。
 この犬の状態を「学習性無力感」と呼ぶ ≫ 】
▼ 何か勤め人根性が染み付いて、退職後に誰も指示しないため無気力になる大方が
 二匹目の犬に近い? 身につまされる人が多いだろう。身近な人に似たような人がいるが、
人生は誰も同じようなもの? わがままな二代目か、婿取り娘が果たして長生き?かというと、
そうでもない。それぞれ気苦労がある。ライフワークを続けること自体が、わがままになるが、
10年20年が必要。 今からでも遅くはない。
 ・・・・・・・
3801, 哲学人 ー③
2011年08月22日(月)
           『哲学人』 ブライアン・マギー著 ー読書日記
 ー 第一章 子供のころの記憶  〜時間に始まりと、終わりはあったのだろうか?〜 鵺
【 何かが存在するためには、その何かは「ほかのものとは違うなんらかの個性」を備えていなければならない。
つまり、その何かは「異なるもの」も存在していなければならないのであり、その「何かに限界がなければならない」
のである。したがって、いまあるものに終わりがないということはありえず、いまあるものに始まりがないという
こともありえない。私は始まりのない時間も終わりのない時間も不可能であると確信するようになった。 
かといって、始まりや終わりがあるという可能性をつかめそうにないわけでもなかったが。 さらに、似たような
問題が空間に関して存在することにも、私はすぐに気づいた。いまでも覚えているが、ロンドンからイングランド
中部のマーケット・ハーボロに疎開していたころ(確か十歳か十二歳の頃だった)。
公園の芝生に横になって雲ひとつない青空をずっと奥まで見通そうとしながら、こんなふうに考えたことがある。
『 もし僕が空のなかにまっすぐ、昇ってそのまま突進んでいってたら、どこまでも進んでいけたっていいはずだ。
でも、そんなことはできない。どうしてできないのか? きっと最後には終わりみたいなものに突きあたるからだろう。
だけど、どうして?最後に何かにぶつかるのだとすると、その何かは空間のなかにないといけないんじゃないだろうか。
そして、その何かが空間にあって、空間ももっとあるとすると、その向こう側にも何かがあることになるんじゃないか。
ただ、そうすると限界がないことになるけれど、終わりのない空間なんかあるはずない。終わりのない時間がありえない
のと同じである。』
 こうした問題にしきりと頭を悩ませた末、私はこう考えるようになった。最大の間違いは、自分に想像できない
ものがあるはずはないという仮定にあるのだろう。 考えられることと、実際にありうることとは違うのかもしれない。
結局のところ「つぎはどうなる? そのつぎは? そのつぎは? そのつぎは? 」と、ずっと問いつづけていれば、
確かにある意味では、永遠につづいていくものがあると考えることはできる。しかし、その永遠につづくものは
考えられるだけで、実際には存在しないということも、当たり前のような気がする。 無限というものは、考える
ことはできても、存在することはありえない。たとえば星の敗が無限であることなど実際にはありえないように・・。
それとも、自分は落とし穴かち抜け出そうとしているのに、いままた落ちつつあるのだろうか? ともかく、
真相がなんであれ(考えられるものが存在できず、考えられないものが存在できるとしても)、それは自分が現に
抱えている問題を解決する役には立たないだろう。 時間に始まりがあるのかないのかについて、
それは真相を教えてくれないからである。いったい、このふたつのうちどちらが本当なのだろう? 】
▼ 私が、年齢を重ねて実感していることを、既に10歳前後から考えていたのだから文化の背景が違う。
 欧州では中学校の頃から哲学の授業が取り入れられている。 考える基礎を感受性の強い中学の時期に教える
必要性をギリシャから続いている哲学の歴史から学んでいたのである。「何かが存在するためには、その何か、
他のものと違う何らかの個性を備えてなければならない」という考え方は、西欧の考え方のベースにある。 
島国の日本では、個性を押しつぶした右倣いが必然になる。欧州は多民族のため、常に隣国から虐殺される
危険があり、万一の場合、それぞれが違った個性で生きのびる必要性があった。そのため自分の頭で考える
ことが最重要になる。 やはり、考えて生きるべきである。そのことは周辺、いや自分を省みて了解できる。
 ・・・・・・・・
3436, 人生で後悔することとは? 満足していることは?
2010年08月22日(日)
  * 私の人生で後悔することを、まず3つ挙げるとしたら
 先日、「死ぬときに後悔すること」を取りあげた。そこで私の場合はどうか、考えてみた。
 ● 人生で後悔すること
・酒の飲みすぎと、それからくる失敗の連続
・身近の人たちへの配慮の不足
・NTT株やカラオケ事業など中途半端な準備で大失敗したこと
・100年、250年に一度の世界的変動期に遭遇してしまったこと
・大学ノートに絞って生情報・知識を整理したおくべきだった。 記録のパターンの統一の不徹底
 ● 人生で、本当に良かったと思えること
・幼児期・少年期に、両親の創業を家族として体験できたこと(両親が必死に働いている姿を身近でみたこと)
・大学時代に多種の経験ができたこと。 最も充実した学生生活を送れたと言えること
 《ゼミ、一ヶ月間の欧州旅行、寮生活、クラブなどなど》
・30歳までに、問題の大部分を吐き出し、乗り越えたこと。
・26歳から、四十年近く独立独歩で事業ができたこと。
・55歳からHPを開設、公開し、一日一テーマで9年3ヶ月、休むことなく書き続けたこと。
 その結果、ネット世界に乗り遅れなかったこと。 まる『10年』に9ケ月になったこと 
  その結果、情報化社会の一端を垣間見れたこと
・好きな秘境・異境ツアーを中心に海外ツアーなど47回、続けて旅行できたこと
・両親などの家庭環境に恵まれ、時代背景が歴史的にみて日本がベストの時代に20、30、
 40歳代を過ごせたこと
・人生で致命的な場面に遭遇しなかったこと(今までは、だが)
 〜〜
 実際は後悔することだらけなのだろうが、やりたいことは、やった実感がする。「人と比較をしない」のがポイント。
何度も書いてきたが、「上を見ればきりがない。下を見れば底がない。横を見れば情けない」の最後を「ありがたい」
にすればよい。 後悔か〜  やはり、感謝が足りない分、後悔することになる。 
一日、一回でも心を込めて「ありがとう」というか。
 ・・・・・・・・
3061,階級社会だと! −1
2009年08月22日(土)
 世の中には露出されてないが、階級社会が歴然と形成されている。地方などでは、あまり表面化してないが、
都会などでは住む街からして歴然としている。千葉・総武線沿線界隈などの下町と、自由が丘などの山の手界隈と
街並みからして違うのは今さら。世の中に平等など考えてみたら有得ないのは当然で、有るとしたら選挙権と
チャンスの平等位のもの。 ところで、仏の社会学者のブリデューが、「プラティーク」と「ハビトゥス」
という概念で社会階層のあり方を分析している。
・「プラティーク」とは、習慣行動と訳されるもので、我われが何を好み、色いろな場面でどのように振舞うかである。
・「ハビトゥス」とは、その習慣行動を派生させている規範システムをいう。 高校受験で、まず分類され、
高校のクラスも成績順に分類され、大学でふるい分けられ、次は就職、そして、それぞれの組織の出世競争で
ランクつけられる。ブリデューは「それぞれの階層の含まれる人間は、全てでないにしても、同じ習慣行動をとる」
このような構造を発生するものとして「文化資本」という概念を示している。
 そういえば父が私を道具屋に幼児の頃から連れて行き、色いろな茶碗や仏像を意識的に見せていた。
母は、ことあるごとに倫理的な話や、商売の原理原則の話をしてくれた。 第二次大戦前まで、何代か続いた
古美術店を営んでいて、戦中、戦後に色いろな商売の立ち上げなどの経験を具体的に聞かされていた。 
また、山本五十六や、地元の「ツガミ」の津上退助や、野本互尊との親交の中で学んだことなど聞かされて育った。 
それが、「ハビトゥス」のベースだったことになる。 それがあったから、どの場面でも偉そうな何を見ても、
それがどうしたで、相手から威圧を感じたり、仰ぎみることはなかった。文化資本の一部分の引継いだのだろうか。
その文化資本は決して親だけでなく、自分で長年かけて形成しなければならないことも両親の生き様をみて分っていた。 
毎日の早起き、読書、下世話な話をしないこと、日常の贅沢をしないこと、死に金を使わないことである。 
「で、御前さんは、その程度か?」と言われれば、それまでよである。ただ、私たちは、その文化資本の匂いは
嗅ぎ分ける。その文化資本は、倒産などで一瞬に崩壊してしまうケースを、あまりに多く見てきた。
それぞれの階層は、その匂いには敏感である。特に腐った匂いには。 「習慣は第二の天性」である。 
だから自分で良い習慣を一つずつ作り上げれば、ある日、突然違う自分を見出すことも可能である。その反対もある。
・・・・・・
2696, 「レンタルの思想」−4
2008年08月22日(金)
  ー人類を救う「レンタルの思想」松井孝典対談集ー
どの対談を読んでも、なかなか難しいが、何度か読むと解かってくるから不思議である。
 (字数の関係でカット 2014年8月22日)


4907,ホントに大事なお金の話 −5

2014年08月21日(木)

* 真のお金持ちは紙袋を持つ
 元ネタは、プレジデントオンラインー2010年8月頃の記事『なぜお金持ちは紙袋を持つのか?』
  ー面白いと思った部分の要約をするとー
◎ お金持ちはなぜ紙袋を好むのか? 彼らは紙袋で移動してもOKだからだ。
 運転手付きの車、タクシー移動とドアtoドアで雨にも濡れない。だから紙袋でも平気。
 必要なくなれば折りたたむことも、処分することもできる紙袋が、一番使い勝手がいい。
◎「海外ではいい時計や靴がセレブの証だ」というが、本当のお金持ちにとって、それも無意味。
 なぜなら予約の際すでに彼らの身分は割れている。お金持ちは決して粗雑に扱われないルートで
予約するし、定宿は決まっている。一流ホテルとなれば、常連の顧客の顔を覚えていないわけがない。 
 安い時計にスーパーで買ったシャツでも、彼が歓待されるのはそういうわけがある。
◎ ブランドショップにもいない。ものを買うなら知り合いから少しでも安いものを買うのが基本。
◎ さらにお金持ちは「ブラックカード」や「プラチナカード」も持たない。「ゴールド」ですら必要ない。
 「年会費がバカ高くてもったいない、普通のカードで十分」。必要な局面ではコネがあるので優遇
されるし、不必要な場所で自分がお金持ちであることを、ことさら触れまわるのはリスクが大きい。
◎ また彼らは絶対に見栄を張らない。元もと、「お金持ち」であることを人に知らせる必要がない。
 ランチは1円まで割り勘。でも慈善事業に多額の寄付をしている。使い切れないお金を持てる人は、
それに振りまわされない独自の価値観をしっかり持っている。見栄を張ると無駄な出費も多くなります。
 本当のお金持ちは絶対に見栄を張らない
▼ ここで著者がいう本当の金持ちは、上の上の人たち。百億以上の資産を持つ人たち。
 上の中といえば、純資産が10億以上。上の下が1〜2億。 上の下から上の中ギリギリが、
その嫌らしさが現れ出てくる。知識同様、その辺りの「似非」が金持ちを演じたがる! 金持ちの
ラインは10億の現金か、純資産である。47年前の学生時代に、一ヶ月間の大名旅行をした時、
ここでいう大金持ち?の子弟が多くいた。 身なりからして違う人種。しかしお金には、非常に
敏感で細かい。何気ないオシャレでブランド品をさり気なく着こなしていた。見栄を張るのは一部の
人たちのみで、開放的でフレンドリー。漂う空気からして、それまでの友人とは違っていた。 
周囲の思惑など気にしないで、紙袋などを平気で、何処にでも持って行く。
その紙袋が実にセンスが良いが。こういう存在を身近で見る初めての機会だった。 
 当時、その段差を、さほど意識はしなかったが、現在、考えると、上記の通り。
時おり海外ツアーで、
それらしき人を見かけるが、まずユニクロを着ていることを隠さない。アンダーとして割切っている。
元もと隠す必要がない。ブランド品を着ること自体、自分のセンスに自信がないため、ブランドで、
それを覆い隠すしかない。 TVドラマで、セレブ世界のドロドロした社会が出てくるが、その世界を
知らない人が演出したものとしか思えない。実際は、あんなものではない。それぞれ独自の
価値観を持って、振り回されない人が殆ど。この一連の経験から見えたのは、それぞれ独自の
価値観の質の格差。 その視点の質は、隠せないようだ。 
・・・・・・
4540, 「ひとり」には、覚悟から生まれた強さがある ー2
2013年08月21日(水)
   * TVが比較地獄をつくった     「ひとり達人のススメ」山折哲雄著
 まずは、ひとりになれない人たち、B層の人たちの比較地獄の話。 自分の頭で考えることが
出来ず、マスコミに流されていること自体、気づかない人たち。ファッション、化粧、車、スマートフォン
などメーカーの比較戦略の術中に嵌ってしまう。人間の性としてのコンプレックスこそが狙い目で
刺激をする。ファッションのプロと称するオカマが、街頭で女性に声をかけ、服装のセンスをチェック
するお笑いコーナーとか、健康チェック、英会話など番組が続く。そのTVの弊害の結果、「ひとり」
になれない比較、嫉妬地獄の罪人のような群衆のひとりにされている。ーその辺りを、抜粋するー
《 戦後の変化といえぽ、テレビ文化の波及もそのひとつ。家庭の娯楽の主役がラジからテレビ
へと移り変わり、 映像が強大な影響力を持つようになりました。テレビというのは視覚を重規した
メディアです。そして、現代人は視覚を重要視し、視覚に振りまわされるようになった。もちろん、
人は基本的に、朝起さてから夜寝るまで、目を開けています。たえず視覚を使い眼前にある
何ものかを見て、さまざま判断をしている。もし、ひとりが嫌いで、常に誰かと一緒にいるとすると、
どういうことが起きるのか。視覚は人間を比較に誘います。この人は(自分よりも)いい服を
着ている、あの人は(自分よりも)容姿が整っている… 視覚で判断すると、要望や才能、
環境などの違いが歴然とします。そのこと耐えられない人が多いはず。人間は平等だ、平等だと
教えられてきたにもかかわらず、現実を見ると、何から何まで違う。だからひとりになれない人間、
結局は比較地獄に陥る。たえず他人と自分を比鮫せずにはいられない。比鮫して、自分が
劣っていても、現実はどうすることもでません。すると恨みがつのって、「嫉妬地獄」に移行して
しまいます。さらに批難や中傷、陰口などの井戸端会議で、自分より優れていると判断した人を
引きずり下ろそうとする。このような、群れの関係がしばしば陥りがちな「嫉妬地献」から
身を守るためにも、ひとりの時間は大切だと思うのです。  》
▼ 私が地元に帰ってきて、まず決めたことは、学校関係以外の人間関係を最小にすること。
 商業界とか、ライオンズとか銀行が主催する「何何会」とかは、まさに比較地獄の世界。
町内、お寺の檀家衆、商店会とかには「ひとり」になれないB層がC層を中心にした輪があって、
住みやすい絆がある。そう、NHK連続TV小説のコメディの東北の、あの街の人たち。実態は、
あれは地獄の針のむしろに座っているようなもの。都会人が思い抱いた地方の理想郷、妄想である。
地方経済は疲労困憊の結果、若者は都会に出ていくしかなくなっている。絆は、一人一人が
確立されて出来るもの。その逆の弊害をTVが数十年かけて作り上げてしまった。
それから逃れるためには、ライフワークを持つしかない! それがA層とB層の境目の目安である。
それさえ持っていれば、比較とか嫉妬に陥ることが少なく済む。TVも、シネマも、ネット、面白く
なっている。これでは、比較材料の垂れ流しで「ひとり」になれない人たちの嫉妬地獄の修羅場が、
ますます拡大していく! 「和して同ぜず」なら良いが、「同じて、和せず」になる。 
アウトサイダーは、「和せず同ぜず」になるが、インサイダーとして、何処かの高校の校是に
「和して同ぜず」があるが、「ひとり」が鍵になる。
・・・・・・
4165, 閑話小題 ー今年の熱さ対策
2012年08月21日(火)
   * 今年の熱さ対策
 今年は当初は熱暑だった。しかし7月末辺りから暑さも収まってきたが再び盆からぶり返してきた。
ひと月前にミニサイズの扇風機二台を買ってきて、居間と書斎に一台ずつ置き、これまでの古い
扇風機と併用して使っている。それにスーパーで売っていた「冷却ジェルパック首もとベルト」を
3つを冷凍庫で冷やし交互に使っている。これは冷たさが一時間しかもたないが、冷却時間が
三時間のため複数必要になる。 ところで今年の電力不足騒ぎ、今のところ起きてない。
問題は残暑のこれからになるが。クーラーは寝室の就寝時間だけ入れて、居間では夕方の
一時間ぐらい入れている。夏場の電気料金が月に三万円、一日千円になる。
   * 大手大橋にて
 先週土曜日の早朝、何時ものようにポタリング(ミニ・サイクリング)の大手大橋で、ヒキチャリを
しながら歩いていると、後ろから声をかけたれた。車椅子に乗った隻手の男性で、恐らく交通事故で
右腕を根元から切断、下半身麻痺で自走式車椅子である。私の電動アシスト自転車に興味を
持ち声をかけてきた。電動アシスト自転車が如何に良いか説明すると、自分の車椅子が電動
切替え式で、背後に電動モーターがついていて時速6キロという。何度か薄暗い中、かなりの
スピードで走っているのを見たことがあった。人それぞれの運命と人生がある。 
 ところが昨日の朝、いつものコースの信濃川の土手を走行していると、屋根つきの休憩所で、
30歳前後の男女二人が、その電動の車椅子を畳んでいた。本人は不在で、まさか聞く訳も
いかないで、遣りすごしたが。その前に何か(熱中症とか?)あったのだろう。ポタリングを始めて
4年目になるが、続けていると色いろある。そういえば、雀が少なくなった。去年の大雨で
河川敷の雑草地に水が使ったせいだろうか。燕も少なくなった。
多いのはカラスだけ。   
 ・・・・・・
3800, 人間の五感が認知できる範囲を世界という
2011年08月21日(日)
                「知的余生の方法」渡部昇一著 〜2
  * 人間は世界内存在である
 第二の人生は、その世界内存在の隅に足を入れたことでもある。隅から逆視線で世界内を見直すと、
これまで見えてこなかった世界内存在の皺と虫が不思議に思えるぐらいに奇妙に見えてくる。なるほど悲劇と喜劇は
裏表とか、善悪の基準のいい加減さとかが。学生時代あたりから、この辺のこと、「現象に現れていることと、
本当のことは、違う」ことをゼミなどで少しだが分かっていた。だから、「学び続けていないと、大きな転換期に
対応できなくなってしまう」危機感が人一倍あったが、最期は、このザマ。それでも、最悪の事態の備え、家族を
事業に入れないとか、家内と私の通帳管理は全く別にしておくとか、家内にも厚生年金を別口でかけておくとか
(退職金や、倒産時の失業保険はないため)一般の勤め人とは違ったリスク管理をしてあった。
それをもって勤め人の立場からすると、計画倒産というらしい。
【「人間は世界内存在である」という場合の「世界」というのは、人間の五感が認知できる世界ということになる。
縦、横、深さの他に時間をいれてもせいぜい四次元の世界である。五次元、六次元の世界がどのようなもので
あるかは想像すらできない。音も光も人間が五感で認識できる周波数の範囲は限られている。それは、象の皮膚の
襞の中の寄生虫には星が存在せず、梅の香が存在しないようなものではないか。人間は五官世界に閉じ込められて
いて、これから逃れる方法はない。 この状況を「人間の世界内脱出不可能性」というらしい。
人間は象の皮膚の嫉につく寄生虫とは違う。人間は自分が五官の世界内に存在していることを知りながら、そこから
脱出しようという努力をしたり、脱出することを、祈ったりするからである。そしてそれに成功している人もあると
主張する人もいる。それがオカルトである。オカルトとは、つまり五官と時間の囲い込みを超越しているという意味。
どの宗教の神様も人間の世界内に閉じ込められてはいない存在だ。だから有難いのである。神様とはいかないまでも、
超能力があるという人もある。ある宗教家には私の前世がわかるという。私の霊魂は在原業平とベンジャミン・
フランクリンのそれだったという。二人とも私が好きな人であり尊敬する人でもあるから悪い気はしないので、
それを信ずるわけでないが、有難く承っている。こういう認識の仕方は、人間の世界内存在の状況を完全に
超越しているわけである。普通の人間は解剖学的制限の下にある。これを哲学的に言えば「世界内存在」の実体である。
だから解剖学者はオカルトの世界を認めない人が多い。霊魂だとか超能力などは、人間をいくら解剖し、いかに
すぐれた顕微鏡や検査法を用いても存在をつきとめられるわけではないからだ。】
▼ ビックバンが起こって宇宙ができたというが、それは世界内というのか、それを人間の知識が感知した範囲で
 しかないから、人間は世界内存在というのか、どうか。インドのカースト制度。それぞれの身分に世界があり、
最下位にも、チャンとした目下がいる。世界は、それぞれの視界内のことになる。この情報化、世界中の寄生虫が、
他の寄生虫と瞬時に情報交換が可能になってきた。
・・・・・・・
3435, 再び、死について考えてみる ー3
2010年08月21日(土)
 新聞広告に「死ぬときに後悔すること」の幾つかが載っていた。直接、死とは関係ないが
死際の後悔は事前に準備で少なくできる。 面白そうなのでネットを調べてみた。
  ーアマゾンの「死ぬときに後悔すること25」の紹介文よりー
《 ほとんどの人は死を前にすると後悔するという― では、人生の最期を前に、どのようなことに後悔するか。
 本書は、終末期医療の専門家である著者が、千人を越す患者たちの吐露した「やり残したこと」を25に
集約して紹介。この本の著者は1000人の死を見届けた終末期医療の専門家。死に直面した時でも充実した
生き方をして生ききったら、『この世に未練はない!』の境地になれそうである。》
   =「死ぬときに後悔すること25」のうち20に絞って記した。
▲1 健康を大切にしなかった ●病気になる前にお金を使うか、なってから使うか ●健康のうちから健康を大切にする
○3 生前の意思を示さなかったこと   ●大切なのは遠慮なく話し合うこと   ●平素から意思疎通をしておく
◎5 自分のやりたいことをやらなかったこと ●自分の気持ちに嘘をつかない   ●自由に生きるか、忍耐に生きるか
○6 夢をかなえられなかったこと       ●一つのことを続けると良いことがある   
○8 感情に振り回された一生を過ごしたこと    ●小事に心を揺るがせないことが大事
?9 他人に優しくなれなかったこと        ●優しさを行う難しさ  心の優しい人は後悔が少ない
?11 遺産をどうするかを決めなかったこと    ●遺産と介護の問題    ●遺産分与の話し合いは元気なうちに
?12 自分の葬儀を考えなかったこと      ●自分の望む葬式とはどういうものか ●自らの葬儀を準備した女性
◎14 美味しいものを食べておかなかったこと   ●好きなものを楽しく食べる
◎15 仕事ばかりで趣味に時間を割かなかったこと ●「仕事命」の人生を後悔しないために ●病気をきっかけに散歩の喜びを知った
◎16 行きたい場所に旅行しなかったこと   ●旅行は出来るうちにしておくほうが良い ●最期の旅で人生を完結させた人たち
◎17 会いたい人に会っておかなかったこと  ●人は終わりまで他者を求めるもの   ●人との出会いは一期一会の精神で
?18 記憶に残る恋愛をしなかったこと  ●恋愛の記憶は最後の日々を豊饒にする  ●スローラブのすすめ
○19 結婚をしなかったこと    ●結婚という「形」がもたらす安心感     ●夫婦の深い結びつきが苦しみを和らげる
○20 子供を育てなかったこと  ●多くの家族に囲まれた患者には笑顔が多い  ●自由と孤独はいつも隣り合わせ
?21 子供を結婚させなかったこと  ●子供が結婚していないという心残り  ●まず子供を独り立ちさせるところから
◎22 自分の生きた証を残さなかった ●人生の総括は早めにしておくほうがいい●生きた証として何を残すか●手紙に思いの託して
◎23 生と死の問題を乗り越えられなかったこと ●生の意味、死の意味を考える ●「マイ哲学」を確立する
○24 神仏の教えをしらなかったこと ●世界で一番死を恐れる現代日本人●「来世」の持つ癒しの力●健康なうち宗教について考える
○25 愛する人に「ありがとう」と伝えなかったこと  ●家族愛が問われる時代
 〜〜
 ×▲○◎は、私自身の評価である。第三者の評価は違っているのだろうが、死ぬときの心の問題としての自己評価。
    ×と▲が少ないのに驚いているが、普通に生きていれば?、こんなものか! 唯一の▲は酒の飲みすぎ!
・・・・・・
3060,逆説思考 ー4
2009年08月21日(金)
  逆説思考で思い出したことがある。
 武澤ゼミの武澤信一先生に中根千恵著「縦社会の人間関係」の読書と、その感想を述べる課題が与えられた。
 その前年の昭和42年に出版されて注目された本で、日本社会の特性をズバリついた内容。
  現在でも日本社会を知る名著として知られている。 ーその概要をネットで調べてみると
 《今では、常識になっている縦社会(日本)、横社会(西欧)という概念を最初に提示した古典的な本。
 初版本は昭和42年であるが、今でも現代の日本社会に当てはまる内容である。逆にいうと、それほど日本社会における
 普遍的な構造を捉えた本と言う事ができる。 本書によると、社会集団の構成の要因を、資格(構成員に共通したもの、
 例えば、氏、素性、学歴:出身大学、地位、職業、資本家、労働者、など)によるものと 場(一定の職業集団、
 所属機関、地域)によるものに分類し、どちらの要因で社会構造が構成されているかで、社会が特徴づけられている。
 日本は場により構成される社会であり、その中での順序:通常は年功序列、が重要な縦社会である。
 日本のような縦社会は、分業が成り立たない社会(競合メーカーはフルセット戦略をとりがち)、能力平等という
 非現実的な事柄を前提とした悪平等社会、中央集権の政治構造を持つ社会、派閥の功罪の生じる社会、である。
 一見すると縦社会であるということとの因果関係がわかりにくいような現象についても、縦社会という社会構造が
 原因であると、分かりやすく説明されている。また、契約精神の欠如のために、共通の目的・仕事の達成に責任感が
 乏しく、往々にして、それ以上に感情的な人間関係が重要視される社会である。》
▼ 以上だが、年功序列・終身雇用を前提とした日本社会の人間関係について社会人類学の観点から論じている。
日本社会はタコツボ社会とも喩えられ、現在の中央省庁の官僚機構も、それぞれ独立性が強すぎて国家運営の
障害になっている。  (字数の関係でカット11年8月21日)
 ・・・・・・・・・
2695, 「レンタルの思想」−3
2008年08月21日(木)
「レンタルの思想」を、私の理解したレベルで、まとめてみよう。
ー以下は、思いのまま書いた内容で修正を敢えてしなかったー
《地球システムを構成しているのは、大気圏、その中の物質圏、その中の生物圏、更に一万年前に出来た人間圏である。
それまでの生物圏で採取、狩猟で生きてきた人間が、牧畜・農業を始めたことで、爆発的な人口増加を可能にした。
そして5000年前から始る各地の文明は一万年前の牧蓄・農業への転換と、その結果としての人口の爆発的増加
から始っている。人間が狩猟に留まっていれば、せいぜい5〜600万の人口が限度であった。
  (字数の関係でカット14年8月21日)


4906,世界の美しさをひとつでも多く見つけたい ー1

2014年08月20日(水)

                   『世界の美しいさを一つでも多く見つけたい』石井光太著
    * 小さな神様見つけ方  〜 仝犬離廛躄亮蠅悗量粥 
  前回取り上げたー『レンタルチャイルド』の著者、石井光太の最近の著書を図書館から借りてきた。
『世界の美しいさを一つでも多く見つけたい』である。 その中にあった‘小さな神様の発見’が良い。
  まずは、インドネシアのストリートチルドレンの「小さな神様」の話である。
≪ストリートチルドレンたちは常に飢餓や伝染病の危険に瀕していますが、決して意気消沈している
わけでない。街角で友達と追いかけっこをしたり、肩を組んで流行の歌をうたったりしています。
私はそんな姿を見て、彼らの精神力の根本には何があるのかと不思議に思っていました。ある日、
私は理由を知ることになります。何人かの子供たちと話をしていたら、共通する逸話があることに
気づいたのです。 それは彼らの希望ともいうべき話。次のようなものです。
 『この国は貧しいから、ストリートチルドレンとして育った子供は多いだろ。だけど、歌さえう
まくなればお金持ちになって楽しい暮らしができるようになるんだ。昔、この町のストリートチルドレンに
毎日歌をうたって上手になった人がいた。彼は路上で歌をうたって施しを求めていたところ、
音楽プロデューサーにスカウトされてプロの歌手に。瞬く間に有名になり大金持ちになった。
僕もそうなるんだ。毎日路上でうたいつづけているのは、これが僕にとって成功する方法だからだ。
僕は先ぱいのようにプロ歌手になって大金持ちになるんだ』  似たようなことを多くのストリート
チルドレンが喜々として語っていました。彼らによれば、ストリートチルドレン上がりの歌手は
何人もいるそうです。ストリートチルドレンにとってこういう歌手は目標になっている。
彼らは学校教育を受けていないため大きくなってもまともな仕事に就けることはほとんどありません。
だからこそ、プロの歌手になることを目指して毎日歌をうたいつづけている。私は何人もの子供たち
からこの話を聞くにつれ、「プロの歌手」というのが誰だか気になりました。
ある日、レコード販売店を訪れ、その歌について尋ねてみたら、店長はきっぱりと、
『そんな歌手はいないよ。ストリートチルドレンたちの妄想だろ。路上で育った子供は
社会的な常識もなければ、麻薬で体はボロボロになってしまっている。』 ≫
▼ チャップリンが似た状況から、歴史的喜劇役者になった事例がある。しかし、そこは欧州の話。
 インドネシアでは不可能だろう。その中で、小さな神様という共同幻想をつくり、信じることも
必要だろう。ムンバイのギャングに売られたり浚われた子供たちは、その中で、マフィアたちを慕って
いる。彼らは、やさしくしてくれるからである。そして、それぞれが、それぞれの「小さな神様」を
見出している。 ところで私の小さな神様は何だろう。ありきたりだが、私は両親である。 
母親が常日頃の口癖、『私には、幼い頃に亡くなった父親の背後霊がいて、子供の頃から
私を守っていてくれていた!』 幸せな人と思っていたが、68年の人生を振り返ると、極限に
なると両親から受継いだ体質が自分を守っていた。 ただ末っ子のファザコン、マザコンで
しかないが・・ 有難いことである!     ーつづく
・・・・・・
4539, 閑話小題 ー新富裕層の出現と移住
2013年08月20日(火)
 一昨夜のNHKスペシャルで、日本やアメリカなど新富裕層が節税のため税率の低い国への
移住する人々を取り上げていた。株式の利益に対しては税金ゼロ。所得税も、日本の4割未満とか。 
日本はシンガポール、アメリカはプエルトリコ。   ーNHK・HPの番組内容の説明によるとー 
《 世界中で巨額の資産をもつ新富裕層が増えている。経済のグローバル化や金融の高度化により、
短期間で富を築くことができるようになったためだ。こうした新富裕層を自国に移住させて経済を
活性化させようという国も増えている。 所得や金融取引にかかる税金を安くすることで、やり手の
起業家を呼び込んでいる。日本人新富裕層が向かうのが、シンガポール。新富裕層の実態や
各国の思惑を取材し、世界経済に与える影響を探っていく。》
とある。 そこでネット検索で調べると、
《 調査会社キャップジェミニとロイヤル・バンク・オブ・カナダが共同で調査した。
 富裕層は、居住用不動産を除く金融資産を100万ドル(約9700万円)以上持つ人と定義した。
国別では米国が前年比12%増の343万人と圧倒的な首位をキープした。米国のS&P500種
株価指数は昨年、13%上昇。米住宅市場の回復もあり、富裕層の持つ資産がかさ上げされた。
米国では富裕層の金融資産のうち4割弱を株式が占める。リスク資産への投資比率が高い
ことが伸びに寄与した。2位は同4%増の190万人となった日本。3位のドイツ(101万人)を含め、
上位3カ国で 世界の5割強を占めている。アジアでは中国(64万人)と韓国(16万人)が
それぞれ14%、11%伸びた。 一方で、低迷 したのが中南米。景気の鈍化が深刻な
ブラジルは16万人と前年のほぼ横ばいにとどまった。富裕層人口は世界に1090万人存在し、
その保有資産も約42兆7000億米ドル(同9.7%増)と増加中。・・・ 》とあった。
▼ NHKのレポートで、シンガポールで「フェラーリを持っているのが参加資格のクラブ」の一人の
日本人を取り上げていた。殆どが真っ赤なフェラーリでスポーツシャツも同色で10数人が集っていた。
可愛いいが、そこには金の情報が集まる。国籍をシンガポールなど税金の安い国に移すのは、
財政危機の日本では、自然の流れ。「富裕層=ミリオネア」(金融資産1億以上)の中に、
金融資産10億円を超す「超富裕層=ビリオネア」が存在、ビリオネアは日本に2万6千人
存在している。  現在のところ表立った株式や国債の暴落は無いが、ある日、何かの切っ掛けで
爆発するのは時間の問題。私が審査基準の5億?以上の金融資産があれば、シンガポール辺りに。
・・・・・・・・
4164, 老年行動学 ー2
2012年08月20日(月)           
   * 自伝的記憶       「ご老人は謎だらけ 老年行動学が解き明かす 」佐藤 眞一 (著)  
 最近、思い出す頻度が高いのは20〜25歳の頃のことが多い。当時の日記が残っているためと
思っていたが、その年頃は強い感情が満ち、自由で未来への旅たちの時節。少しの決断が、
人生を大きく左右に分けてしまい後悔も大きい。多くの自伝的記憶は、この頃がピークになる。
あの極度の緊迫感のあった日々は過酷だが懐かしさが残る。  ー次の部分は、理解しやすいー
≪ 日常のできごとの記憶である「エピソード記憶」のうち、自分の人生に関する「自伝的記憶」
だけは、20代をピークに、10歳後半から30代前半までの青春時代のできごとを、たくさん
思い出すのです。なぜか青春時代よりも今に近い、30代後半以降のことは、青春時代ほどには
思い出しません。この、青春時代の記憶を突出してたくさん思い出す現象を、「レミニッセンス・バンプ」
と呼びます。レミニッセンス・バンプは、老人に限ったことではありません。中年以降の人ならば、
誰にでも起こります。 では、いったいなぜ、青春時代の記憶だけが突出しているのでしょうか? 
その理由の一つには、「強い感情を伴うできごとは、記憶しやすく思い出しやすい」という、
記憶の特徴が挙げられます。10代後半から30代前半にかけては、進学したり就職したり、
親元を離れたり、友と出会って友情を育んだり、けんかをしたり、恋愛をしたり結婚をしたりと、
強い感情を伴うできごとが多くあります。そのため、それらのできごとが、ことごとく心にしっかりと
刻み込まれるのです。また、親の監視下から離れ、なおかつ重要な仕事を任されることも、
養うべき家族もないといった、社会的責任のない青春時代は、人生でいちばん自由かつ可能性に
満ちたた時代です。親や地域の抑圧から解放され、社会からの抑圧はまだない。ほんのひととき。
その、今は失ってしまった自由と可能性に満ちた時代に、人はノスタルジアという感情を喚起され、
好んで思い出すのです。≫
▼ 自伝的記憶は、その時どきで再編成される。あらゆる可能性に満ちた青春時代は、
老いれば老いるほど懐かしいものとなる。俗世の縛りから解放され、そこはかとなく楽しい気分で
いられる時間がある老人は、楽しいことを思い出しやすい。人間は楽しい気分の時は楽しいことを、
悲しい気分の時は悲しいことを思い出す傾向にあるためである。人生のピークは、青春の真っ只中
にあるため、その辺の記憶が鮮明に戻ってくる。 老年は、自分の人生という物語の記憶を
校正している。過去の日々を思い出し、「日々是好日」というより、過去の「日々是口実」を
都合良くすることになる。自伝的記憶の再構成である。
 ・・・・・・・
3799, タブレット式パソコン
2011年08月20日(土)
 そろそろタブレット式パソコンを、と思っていた矢先に、この一連の騒動。 
ここで、少し落ち着いたので、家電メーカーのタブレットPCのコーナーに行ってみて驚いた。
それより隣のモバイル携帯電話コーナーに驚いた。その内容は今度にして、タブレット、
ここで買うと二年間は縛られてしまうので慎重になる。  売り場で感じたことは
・ソニーかアマゾンの読書用専用の機種か、
・ドコモの多機能のものか、
・MacのiPadか、
・家のパソコンに無線ランをつけ、電波を飛ばして、家庭内の第二の携帯パソコンとして
割り切ったものに、大方分類される。その中で、どれを選ぶかである。 私の知人のように、
両方選ぶというのもあるが・・ 年金生活者として殆ど家にいる身として別に買わない選択もある。 
電話機能が付いているかどうかは機種によるが、モバイル携帯が大きくなっただけ。
各メーカーが数年後の主力商品を目指し機能の競争が始ったため、少しでも後の方が
良いものが出てくるはず。しかしデジタリアンとして、ここで我慢するのも辛い。
 外的世界から、内的世界に気持ちの重心を移動したので焦る必要もない。ところで最近、
モバイル携帯電話やタブレット式PC用の直感的なブログが出始めてきた。写真と、映像が
直感的に表現でき、かつ見やすく、面白い。 数年後には、これにデジタルTVかパソコンに
連動するのだろう。 最近、目にする丸めることが可能なシート式モニターにモバイル携帯を
連動するものが出てくるはず。こと、デジタル機器に関しては、想像を遥かにこえたものが
 次々と出てくることになる。手段=道具の方が、人間の進化を超えてきている現実は、
プラスにもマイナスにもなる。 ますます、面白、怖い時代になっていく。 
とにかく、モバイル売り場へ遊びにいってみたら、今と未来の一部が垣間見れるはず。
ランニングコストは、モバイル携帯が6千円、タブレットが7千円。その中間的大きさの商品が
 初期投資0円になっていた。その境目の基準が、大きさだけだと!  今日、明日、他の家電
メーカーの店頭で、説明を聞きにいくつもりだが、今のところ、あと数ヶ月は待つ方になるのでは? 
 ところで一年前に買いかえた多機能TV、面白過ぎてバカが増している。 今さらか・・・
・・・・・・・
3434, 再び、死について考えてみる ー2
2010年08月20日(金)
 * 死に際の恐ろしさ
 家内が、近所に住む友人の通夜で聞いてきた話。 肺が溶けていく病気で(肺結核)、
息の出来ない苦しさと痛みの果てに、最後には「オトウサン、助けて!」と叫んでいたという。
断末魔の苦しみは、近親者に一番辛いもの。同級生の葬式で、衰弱しきった遺体を見て
驚いたばかり。 死に際の苦痛は避けることが出来ないのだろうか。最後は独りで苦悩と
苦痛の中で死を向かえると思うと、何ともやりきれない。といって考えても考えなくとも結果は同じ。
なら考えない方がよい。年寄りは、そういう事例を多く見聞きしているから「ぴんぴん・ころり」
と死にたいと、願うのである。死を悲劇と考えるか、生の成就と考えるかは難しい。
最近、亡くなった友人の大部分は、苦痛と苦悩の果てに亡くなっていった? 
最期は、リンゲル(麻薬)の濃度を高め、苦痛を緩和し、その果てに死を早めるしかない。
そこではリンゲルによる極楽と、肉体の苦痛の地獄が混濁する。父親も、手術後の数日間は
苦痛の極みにあり、「あんなに苦しむなら、手術などしなければ良かった!」と死ぬ数ヶ月前に
言っていた。 手術の一年後に亡くなったが、最期は病室で独りで頭を掻き毟っている姿をみた。
「死んでいいから、どんどんリンゲルを打ってくれ」と、延命より、安楽死を望んだ。 
また、私の4番目の姉の旦那が亡くなった時の、断末魔の苦しみの状況も、姉からリアルに聞いた。
最期は苦痛で暴れるのを、何人かで抑えて・・ 亡くなった。 数年に一度は、訳のわからない
新聞記者とか、検察が、断末魔の苦しみの末に、強いリンゲルとか何かで死期を早めたのを
聞き込んで、逮捕や刑事告発をするケースがある。ガンだけではないが死に際には苦しむ
患者の息を止めてやるのが、医師の役割。誰が苦痛の際で生きているより、早く解放された方が
良いのは当たり前のこと。死は誰にも平等に、思わぬ苦痛を伴いやってくる。人生は生きているうち!
美味い酒を飲んで、好きなことをして、後悔の残さないように生き、そして最期は、のたうちまわって
死ぬしかない。上手く死ぬのも芸のうち、など言っていられない。ホテルのバスにナミナミと水を張り、
睡眠薬をタップリ飲み、美味い日本酒を一升も飲めば楽に逝けそうだが。  
まだまだあるが、こういうジョークは止めておこう。 
 ・・・・・・・・
3059,逆説思考 −3
 2009年08月20日(木)
 * 「逆説思考」を逆説で思考してみよう。
まずは逆説思考の典型的事例は、フランクルの心理学である。フランクルが「夜と霧」で、
死と隣り合わせの日々で、コペルニクス的転換の心理転換が起こる。「人生に何かを求める
のではなく、人生が私に何を求めているか。生き抜いて愛する人と再会をし、自分の残してある
仕事をやり遂げること」である。人生が何を人に求めているか? 
・創造価値(何かを創造することによって実現される価値)
・態度価値(人生でどうしようもならない究極の場面で態度を変えることで実現される価値)
・体験価値(何かを体験することで実現される価値。美しい夕日や景観を見て実現される価値)
 これらを知るために、「本当にしたいことは何か」「夢は何か」「人生の目標は何か」をまず
追求すべきである。しかし、自分の人生は無意味という観念にとらわれた人にとって、その価値を
受け容れることが難しい。 それでは、どうするか! 「闘う」ことしか、自分の価値を創りあげる
ことができないのである。 人生に押しつぶされいる人は、「生きるのが辛くなっている」のである。
その「つらさ」については仏の哲学者ドゥルーズが原因を追究している。彼は「器官なき身体」
という生きることの実相を明らかにしている。我われは「欲望」と「欲求」によって動いている。
喉が渇けば水を飲むことによって欲求を満たそうとする。性欲も、食欲も、睡眠欲も、排泄欲もである。
しかし、それだけで人間は行動するわけではない。自動車がガソリンの補給と、ラジエーターの
水の交換だけで動くものではない。それは自動車が人間の目的のための道具であるのと同じく、
人間も、身体の生理的欲求だけでなく、「器官の欲求」を超えたところに存在する何かのありさまを
「器官なき身体」とドゥルーズはいう。
 ー彼は以下のようにいう。 (*参考 「現代思想の使い方ー生きるのがつらいと感じた時ードゥルーズ」P176)
「闘いとは、反対に、力と力で補完し、自からの捕らえるものを豊かにするあの『器官なき身体』の生命力のこと。
赤ん坊が呈示しているこの生命力、すなわち、執拗で頑で飼い馴らしがたく、あらゆる器官組織的な生とは異なる、
そんな生きるー意志である。」それは、私たちの「存在そのもの」に由来する力であり、「存在そのもの」が
指し示し、進んでいこうとする方向性である。「存在そのもの」とは「生そのもの」と置き換えることが出来ます。
辛いというのは、その「生そのもの」の発露が何かで阻止された状態である。 
この辛さを克服するには、「器官なき身体」の目指す方向を見据え、その方向に努力することである。
それは、別の存在と衝突し、その価値観を取り込んでいくことにより次第に達成されるのである。
その闘いを、ドゥルーズは『あいだにおけるー闘い』と呼ぶのである。「あいだにおける闘い」によって、私たちは、
「存在そのもの」へと近づいていくことが出来ます。たとえば自然と闘うとき、「対抗する闘い」ではなく、
「あいだにおけるー闘い」を行うことによって、「自然」と融合し、新たな何かなることができます。
「裁きによって、人は成長しない」と彼はいう。「裁き」は既存の枠組みによる準拠して何らかの価値判断を
行うことであり、それでは、それから一歩も抜け出せない。 我われが、その裁きから抜け出て闘いを
選択しなければならない。その闘いが我われの生命を輝かせるのである。
 ーーー 以上だが、
生きていくうえで、3C(チャレンジ、チェンジ、コンペティテーション)が必要である。
世界は常に変化しているなら、己も変化しない限り、不自然状態になり、「つらさ」という圧力が押しかかって
くるからだ。フランクルの人生の意味を見出していける人なら、価値を求めることも出来ようが、意味や価値を
どのようにして見出していくかという、更なる根源的な問いが必要になる。そこにあるのは、闘いしかない。
先ほど書いたように「つらさ」は、その闘いの回避に原因があるのである。常に自問自答している「正中心一点無」
の気持ちで問題から目を背けないで立ち向かうしかないということになる。最後の最後は「見方を変えるのではなく、
宇宙の中で自分は独りと自覚し、己の価値を闘い取るべし」ということだ。
 アウシュビッツ収容所内では無理だろうが! 部屋の中からなら良い、ということ?
・・・・・・・・
2694, 「レンタルの思想」−2
 2008年08月20日(水)
 二十年ほど前か、「人生は神様からの借り物、何を焦っているのか! 借金も資産のうち、その資産も
借りでしかない。自分自身も大自然からの借り物でしかない。借りの世界と言う人生では、何事も真正面から
目を離さなければ、それだけでよい!」と、視点を見据えたら気持ちの重みが半減した。 
所詮、娑婆は生きているうちの幻想でしかない。「色即是空、空即是色」ということだが、それもこれも
レンタルと思えば、それでよい。宇宙からの俯瞰からみる宇宙的人間論も必要な時代に差し掛かったのである。
 ーネットにあった「レンタルの思想」の松井教授の‘インタビュー’の部分をコピーしたー
・夜半球の地球を宇宙から眺めると煌々と輝く光の海が見えます。
 この光の海を "地球システムを構成する人間圏という構成要素"としている。
・大気が見えるとか、海が見えるとか、大陸地殻が見えるとか、森林が見えるとかと同様に森林は生物圏です。
・我々が一万年前か農耕牧畜という生き方をしている。狩猟採集"と"農耕牧畜"という生き方を宇宙から
 見るということと同じですが、地球システムという見方で比較すると、この二つはまったく違う。
 "狩猟採集"というのは、"生物圏"という地球システムのサブシステムに閉じて生きる生き方です。
 動物がやってる生き方なんです。我々人類が700万年ぐらい前に類人猿から分かれたといっても、
 狩猟採集をしているうちは基本的にほかの動物と変わらない
 ー人間は、生き物の一種にすぎなかったー
  (字数の関係でカット2013年08月20日) 


4905,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー49

2014年08月19日(火)

   * 総括の総括 ー①
 このテーマのシリーズも、目安だった50回に近づいてきた。しかし、思いついた時々に
‘つれづれに’加えていくことにした。 ホテル事業の準備段階までのことは、今まで、深く
振り返ったことが無かったので、書き出してみると面白い。 しかし肝心のホテルは転売時期を逸し、
後半の15年間は、2001年の9・11テロと、2004、2007年の中越地震と、刈羽沖地震が発生。 
2008年のリーマンショックを経て、2011年の3・15の東北大震災を向かえ、その直後の3月30日に
倒産に至った。 経営的には、2001年の9・11以来、右下がりの坂を駆け降りていた。
 1985年から始まったバブルは、1989年の株式の納会で最高値をつけた翌年11月に、
半値の20000円まで下げた。更に、数年かけ、最高値の5分1の8000円以下まで下げた。
「バブルの崩壊」は、あるとき一瞬に起きた現象ではない。崩壊は、開始から数年間をかけて
徐々に生じた過渡的現象で、その進行は地域や指標の取り方で異なる。
 崩壊は1991年10月ごろ始まったが、その頃、ソ連、東欧の共産圏の社会主義圏が崩壊をした。
中国は実質的に社会主義を放棄、資本主義に変わり始めていた。バブルとバブル崩壊が日本の
大転換期で、欧米に先立って、崩壊過程に入っていた。 事業は改革を続けないと、「へ」の字の
ように右下がりの結果、消滅をしていく。時期的に3分1が上り坂で、3分2が下り坂になる。
これは店も同じ。 開業以降、バブルを含めて10年が利益の面からみて上り坂で、後の10年は
ナダラカな下りで、最期の10年は、急激な下りになっていた。リーマンショックで地方経済は大打撃。
 しかし、新潟駅前に留まっていたのが、撤退には都合が良かった。
 現在も、4棟のうち3棟が、同じ名前でホテル営業が続いている。 買い手が、名前を引き継ぎたい
というから、快諾をした。 同じホテル名なら、表向きオーナーが変更しただけで、事業体の生命が
続いていることになる。拒否も真剣に考えたが・・ まあ、いいだろう! と。
・・・・・・
・・・・・・
4538, 「ひとり」には、覚悟から生まれた強さがある
 2013年08月19日(月)
             「ひとり達人のススメ」山折哲雄著
 孤独の必要性を今さら、哲学者の書で読み直すこともないが、図書館で手にとった時に、
「ひとりとは思考すること」と「考えるとは心を震わすこと」を目次の中で見つけ借りることにした。 
会社から離れ、日常生活で「ひとり」でいる時間が圧倒的に多くなったが、さほど誰かに会いたいとか、
話をしたいとかの渇望は少ない。 家内以外と私的会話を一月もしないことも度々。
これだけ、ここで色いろ主張していれば充分だが・・ 創業を20歳時に決心した第一歩が
「ひとりに成りきる」ことと、『ひとりの世界』のつくり方が、人生のテーマ。それ以来、早朝の読書を
中心にした独学が芯になった。振り返ってみると、独学の「独」が、重要だったことになる。
学のためには、独(ひとり)になること。 スポーツクラブのヨガなどで、図書館、ランチの店、
シネマで、まず自分が独り座る位置を決めておくと、その辺りが精神的なテリトリーになる。
慣れてしまえば「ひとり」ほど自由で気楽なものはない。  まずはアマゾンのー内容紹介ーより
《 散るさくら 残るさくらも 散るさくら―良寛の作と言われていますが、はっきりしません。
ただ、この句をじっくり味わうと実に奥深いものが感じられます。それは、私たち日本人の感性に
訴えかける「無常観」や「死生観」が込められているからです。2011年3月11日。
そこから意識され始めたのが「絆」でした。確かに、人は誰かと繋がって生きています。
しかし「孤」があって初めて人との繋がりを意識できるのではないでしょうか。
精神的なよりどころを見失っているかのような現代人に向けて「ひとり達人」になることで得られる
充実感をこの本は説いてくれます。「いじめ」や「孤独死」の問題を解決するために、果ては充実した
死を迎えるためにも、いま最も求められているのが「ひとり」であることの美しさ、強さなのです。
どう生きていくか、どう死んでいくか、どう人と関わっていくか……すべての答えが「ひとり」の中にあります。
どうやったら「ひとり達人」になれるのか? 》
▼《「ひとり」には、覚悟から生まれた強さがある》というが、「覚悟が出来ているから、ひとりになれる」。
 アイヌ語の「ヤイコシラムスイェ」が「考えることは心を震わすこと」という語源からきているという。
感激、感動で心が揺れることが考える、とは驚いた。秘境などの大自然に接し感動すること自体で、
既に考えていたことになる。驚きは自分の世界から外側に一歩出たことである。それは、その外側
から自分の世界の限界を知り、思考していることになる。 還暦は、独りで生まれてきた以前の無に
還る折り返しをいうが、誰もかも最初から最期まで、実は「独り」。 さて瞑想だ!
・・・・・・
4163, 老年行動学 ー1
2012年08月19日(日)
            「ご老人は謎だらけ 老年行動学が解き明かす 」佐藤 眞一 (著)
 還暦から65歳までは自分が老人と意識したことがなかった。しかし会社から離れ、家庭中心の生活に入ると、
急に老いを目前に突きつけられた感がする。 思いもしなかった過去の記憶が突然に蘇る頻度が多くなり、
それぞれの時節に袋に閉じ込めていた遠い記憶がフラッシュバックしてくる。 図書館で借りてきた本だが、
なかなか老人の本質をついていて身につまされる。改めて老人学を調べると、面白い本がある。要は、人生を
通して学び続けてきたかどうかだろうが。  ーアマゾンの内容紹介ーより  
【   =わけがわからないご老人の行動には、理由がある!=
 あなたはご老人を見たときに「なぜ、あんなことをするのかな?」と、思うことがありませんか?
たとえば、もう先が長くないのに、気にもかけず、毎日楽しく暮らしている人。誰が見ても反射神経や判断力が
低下しているのに頑なに車の運転をやめない人。些細なことでキレ、頭から湯気を出して怒っている人....。
ご老人たちの行動は、謎だらけです。しかし彼らのこのような行動には、実はそれなりの理由があります。 
その理由を探り、高齢者の行動と心の謎を、老年行動学によって解き明かしたのが本書です。】
▼ 冒頭の、「なぜ老人は都合のよいことしか覚えていないのか?」の問い、が面白い。
「どうやら老人は自分の都合の良いことや楽しいことしか覚えてないらしい。」の問いを立て次のように答えている。
≪ 老人に限らず、もともと人の気分は、ネガとポジの真ん中ではありません。うつの人などはネガ寄りですが、
 通常は真ん中よりもポジ寄りなのです。なぜかというと、人はみな、自分が死ぬことを知りながら生きているから。
いつか必ず死ぬとわかっていながら生き続けるには、「自分には生きている意味がある」という自己肯定感や、
「自分は生きる価値のある存在だ」という自尊感情が必要で、それがないと人は生きていけないのです。
そのため人は、自分という存在を肯定し、自分の価値を高めてくれる情報を、無意識のうちに集め、記憶し、
脳に蓄積していきます。そして、気分をポジ寄りに保つことによって、生き続けるのです。
 この基本的なしくみは若者も老人も同じなのですが、若者の方がネガティブな事に目が向きやすく老人は
ポジティブな事の方により向きやすいのです。実際に、悲惨な写真と楽しい写真を見せると若者は悲惨な写真を
見る時間が長く、老人は楽しい写真を見る時間が長いという実験結果があります。理由の一つとして、
生きていく上で必要な学習機能として、若いうちはネガティブに目が向くと考えられています。
人生の端緒を開いたばかりの若者にとって、長い時間を生き抜くに、他人はどのようなとき自分を攻撃し、自分は
どのような状況で傷つき、どのように苦しむのかといったネガティブなことに目が向くのではないかと考えられている。
それに対して老人は、散々ネガティブなことを経験してきていますから、もうそのようなそのようなことを学習する
必要はありません。しかも、高齢になって残された時間が短いことを認識するようになると、気分をポジティブに
保つことが、今後の人生を生きる上で重要になります。経験上、ポジティブなことに目を向けた方が
生きやすいため、注意力や記憶力という‘限られた資源’を、ポジティブなことに当てるようになるのです。≫
 ー 老いはポジ寄りに意識的に向けないとネガティブに陥る傾向にある。なる程、この年齢になって
気づいたことは、年齢に気持ちが追ていけないこと。実際のところ、心の精神年齢の調査では50、60歳代で
6歳の差があるという。アメリカでは、男が15〜6歳、女が22〜23歳もあるという。私は10歳近くは若い。
というより、年齢に気持ちがついて行けない。
・・・・・・・
2011年08月19日(金)
3798, まずは「自分の世界の自覚」から!
  * 世界内と世界外
 40歳の頃から20年間にわたり世界の秘境・異郷に熱中したのも、その世界の凄みに引き付けられたことがある。
それぞれの世界は、それぞれ他から隔絶され、それぞれの時間が流れているのを実感させられる。その世界を対比
することで、いかに自分の世界が小さく、脆い現象世界に存在していることに気づかされる。ここで世界を象に喩えて
いるところが面白い。その皮膚の襞が、それぞれの社会。そこの寄生虫が我われと見ると、わかりやすい。 
問題は、それぞれの寄生虫は、そこが全世界と思っていること。それを知るには、世界外に出てみないと分からない。 
人間は世界内存在とハイデッガーが述べたのは、そのことである。
  ーまずは、渡辺昇一著 「知的余生の方法」の ≪自分の世界の自覚≫ よりー
【 ここでは人間の「世界内」と「世界外」について述べてみたい。 
  こんな句がある。< 虫けらは やはり自分の世と思い 阿部佳保蘭 >
毛虫は、住む木の種類が決まっているという。Aという毛虫はKという木の葉しか食べない。その毛虫にとっては
その木の傍に美しい花咲く種の木があろうが、おいしい葉を持つσ種の木があろうが関係がない。Kという自分の木
だけが全世界だと思っている。 この応用はいくらでも応用できる。「象の皮膚の襞につく寄生虫は、自分が
くっついているその襞だけが自分の全世界で、象がどのような形をしている動物かも知らない」というようなことを
言ったのは仏の哲学者ルコン・デュ・ニュイであったろうか。このように虫の立場から見る世界とか、鳥の立場から
見る世界とか、人間以外の動物の目から見る世界の「視点の転換」を教えたのはユクスキュウルという独の動物学者。
哲学史でどう取り扱われているかは詳しくは知らないが、人間の思考法を大転換させる業績だと思う。
 木田元さんは近代西洋哲学の、特にドイツの哲学者ハイデガーの権威である。・・・木田さんはハイデガーの
『存在と時間』の訳を読んで発奮されて東北大学の哲学科に入学され、哲学者になられた。ハイデガーを本当に
理解したいと思ったからだと言う。当時の私は中学の教科書のほかには、佐々木邦の『珍太郎日記』とか、
吉川英治の『三国志』を耽読していたのだから、暦日年齢的には三、四歳ぐらいの違いなのに、精神年齢としては
十歳以上も違っている。そう言えば、同じ中学の五年先輩の丸谷才一氏の読書歴を見ても、私とは確実に十五歳以上の
精神年齢差がある。その木田さんは比較的早い頃からハイデガーについての著述をなされていたが、ハイデガーを
本当に理解できるようになったのは、ずっと後年で、ハイデガーがユクスキュウルの動物学の影響を受けているのが
わかったからであるという。象の寄生虫の存在を「象の皮膚の皺という世界内存在」ということになる。」・・・ 】
▼ この辺は、カントの論に似ている。カントは五感の能力内でしか世界を認識できないと初めて論じた人。
 寄生虫と、人間の違いは、自分が象の皺の中にいることを実感しているかどうか。それを知るには、長年かけた
教養を積むか、その地を遥か離れなければならない。そういえば、力・愛・知の追求の他に、それらから一歩離れた
価値の追求をしてきたのは、五感の外の(世界外)存在も念頭に入れていたため。
 ・・・・・・・
3433, 電子書籍の衝撃 ー2
2010年08月19日(木)
    「電子書籍の衝撃」佐々木 俊尚 著
 *iPadの有利な理由と、不利な理由
  ◎ まず優れている点は、
・汎用機としての魅力。パソコン、携帯電話に次ぐ三番目のデバイスとして生活の中の確固として存在になる。
大きな画面を近距離からリラックスした姿勢で見ることができる。書籍、ちょっとした動画の鑑賞、映像つき
音楽などが気楽にみれる。マニアを除けば一人一台になると、キンドルのような専用機は不利で、本も動画も見れ、
ウェブも 楽しめる汎用機を皆が見れるようになるか。
・次に、iPadはiPhoneをベースにしているため、そのアプリ(ソフト)を、そのまま使える。
 既に数万点もある。既に一年前で3000万台を持ったユーザーが、そのまま横滑りをしやすい。
  ◎ 不利な部分は、
・サイズと重量、バッテリーの持続時間などのスペック。キンドルに比べ面積も重量も、大きく重い。
 持続時間は、バッテリーの10時間に対して、キンドルは7日から10日。
・第二に、キンドルはバックライト付きの液晶画面で、見た目が紙に近く、液晶より文字が読みやすく、
 目が疲れにくい。
・第三に、値段がキンドルの二倍もする。      それらから、結局何を選ぶかになる。
▼ 以上から、決め手は、そのプラットフォームになってくる。プラットフォームとは、購入システムのことをいう。
 キンドルなら、アマゾンという書籍専門のネット販売サイトがある。それに対しiPadは、iTunesストアが
あり、そこから音楽や映像も購入できる。その何を選択するかになる。流行している本は、なかなか入手しづらいが、
ネットなら、そういうことはない。これにグーグルがソニーと組んで参入してくるというから、その有利なプラット
フォームを前面に打ち出してくる。それが何かまだ分からないが、二社に対して強烈なものになるだろう。 
他にもマイクロソフトも何かを出してくる。その激闘の中で、今までの紙の新聞・書籍が壊滅過程に入る。
 ・・・・・・・
3058,逆説思考 −2
2009年08月19日(水)
 逆説思考といえば、ここでも取り上げた京都大学工学部の新宮教授が、
古今東西の幸福論を読み漁った成果としての「幸福の4階建て論」説が面白い。
《「幸福ということ」−エネルギー社会工学の視点からー新宮秀夫著 》
  4階:克服できない苦難や悲しみの中に、幸福がある。
  3階:苦難や悲しみを経験し、それを克服する。
  2階:獲得した「快」を永続させる。
  1階:人間の本能的な「快」(恋、富、名誉など)を得て、増やす。
この論に関しては釈然と出来ないので何度も考えてみた。それでも疑問が残ったが、考えるという面では
良い問題提起である。これを逆説思考と考えると違った見方になる。挫折、失恋、倒産、などで失意のどん底で
もがいている、そこに幸福があるのだろうか? 金沢時代を振り返ると、そこには何ともいえない酒の味とか、
友情とか、仲間の邂逅があった。節目となる失意の底ほど、無駄なようでいて一番大事なことをしているのである。
「窮すれば変じる、変じれば通じる」である。竹の節目と同じ。哲学的にみれば横の時が平常とすれば、
窮した時は垂直の時ということになる。垂直で立ちっぱなしも問題だが、ここは志が試されている時である。
 ーネットで逆説思考を調べてみたところ《逆説思考 ー自分の「頭」をどう疑うか 森下 伸也著》が、あった。
   ーその概要とはー
逆説こそ「思考力」「洞察力」の根本とし、通常の価値観の一面性を暴露し、それを反転させてしまう思考の
スタイルを、「逆説思考」と定義している。 転倒思考(常識の命題を逆にする)、逆因果思考(常識の因果関係の
結果を逆にする)、因果反転思考(常識の因果関係を因果反対にする)という3つの類例を設定する。
ことわざや文豪の例でその3パターンを具体的に観察し、オイディプスの予言では逆説が与える心理的効果を考察、
さらに逆説は欠陥動物である人間に本質的なものであり、それゆえ人類の文明は週末が来ると広げていく。
 「ロミオとジュリエット効果、カリギュラ効果(禁止されるとやりたくなる)」
 「ハンディキャップ進化論(人類は記憶力や体毛が退化したことで言語や火を発明した)」
 「エラー進化論(人類は失敗を成功の元にして発展してきた)」 「エゴイズム的自殺(自由が空虚を生む)」
 「アノミー的自殺(規範がなくなって不安になる)」など、逆説的なトピックを紹介している。
エジソンやアインシュタインそしてダ・ヴィンチ は、脳に障害があった。しかし、その傷害のおかげで、
天才になった。その人に とって負の面が、逆に、その人を形成している重要なファクターになっている。
天才の殆どが梅毒という説もある。
 ー
以上だが、通説とか常識を根こそぎ疑うことこそ、時代の大変動期には特に必要である。 
次回は、この逆説思考を逆説してみる! 
・・・・・
2693, 「レンタルの思想」−1
2008年08月19日(火)
 松井孝典の対談集の ー人類を救う「レンタルの思想」ーが面白い。
  あるブログに松井教授の「レンタルの思想」を簡略した内容があった。
▽ まずは、その思想の概略から、
・一万年の人間圏の歴史でみると、現代を人類の歴史上相対的な意味で、飢えから解放されて豊かになった時代。
 この豊かさはなぜ実現できたのか。 未来はこのまま豊かになり続けるのか。
・地球の歴史は、環境問題として考えれば汚染の歴史である。 
・地球システムの構成要素が変化すれば、地球システムのモノやエネルギーの流れが変化し、
環境が変わることは当たり前である。 問題は人間が、この時間変化を速めている事にある。 
・では我々はこの問題になぜ危機感を抱いているか? それは100年という非常に短い時間に環境が変化し、
 我々がそれに適応できないからである。人間圏がここまで大きくなってくると、時間変化をこのままずっと
 速めていくという事はできない。
・我々が右肩上がりという共同幻想を維持したいとしても、それは達成できなくなりつある。
 そのひとつが、インターネットによるサイバーワールド。 情報という仮想的な世界、地球という
 リアルワールドでなくて、情報社会というサイバーワールドをつくって、その中の時間を速める事によって
 サイバーな豊かさを追求しようとしているのが、現代の人間圏のもう一つの特徴である。
 サイバーワールドは飛躍的に拡大していけるが、リアルワールドはもう拡大できない。これまでの右肩上がりが
 継続し、時間変化もいくらでも速められるという幻想を、あたかも現実であるかの様に見せる世界だけが
 発達しているのが現在の人間圈である。そのサイバーワールドに、右肩上がりという共同幻想を押しつけて、
 あたかも未来も豊かになっていくかの様な幻想の中に生きているのが現在の我々である。
・人間圏の未来を考えた時、この様な右肩上がりで均質化をめざす事で良いのだろうか。 
 又、人間圏の現状をどう認識する上で宇宙から見た視点が必要だと言う事である。
・我々は20世紀を振り返って21世紀を考えるという発想をするが、もっと長いスパンで現在を認識しないと、
 人間圏をつくって生きるという、我々が地球上で行なっている生き方の是非は論じられないことを指摘しておきたい。
     (字数制限のためカット 2013年8月19日)


4904,閑話小題 ーバンコクの奇怪な事件の背景は?

2014年08月18日(月)

   * レンタルチャイルド
 今回のタイ・バンコクの日本人男性が所有するマンションの部屋で、9人の乳幼児が保護された
件で、タイ警察はDNA鑑定を行った結果、同一男性と発表、それが日本人のタネかは今だ不明。
 これで直ぐに思い出したのが『レンタルチャイルド』石井光太著である。 
ーまずは、この本のレビューからー
《 2002年から数年かけて著者はインドの貧民街で取材する。人づてにマフィアにインタビューまで。
 目をつぶされた子供にも話しかける。不潔で臭くて底なし沼みたいな暗い話。浮浪者との会話の
間に挟まれる街の描写がえげつない。だいたい貧民街自体がゴミ溜か下水道みたいなものだし。
黄ばんだ砂埃、どぶ川の異臭、ゴキブリと鼠が路地を這い回り、散乱したゴミや死骸に蛆が蠢き、
虫の群れが飛交い、体臭や口臭、血と垢と泥、小便の匂いが漂う。
文面からジメジメしたまとわりつくような匂いが感じられる。実際には鼻の粘膜が痛くなるほどの
激臭だろう。 インドの浮浪児は数万とも数十万いるとも言われている。中にはイモムシみたいに
這いつくばって物乞いをしている子供もいる。憐憫を誘う為にマフィアに手足を切断され無理矢理
障害児にされたのだ。時にはレンタル品として女乞食に貸し出される。浮浪児はそのマフィアを
父と呼び、慕い、庇う。浮浪児は青年になると追い出される。
自らマフィアになり、子供を食い物にしようとする。女の子は売春させられ、子供を産み、
その子供がまたレンタルとして貸し出される。奪われる側から奪う側へ。どうしようもない不幸の連鎖。
彼らは教育も受けておらず身体にも障害があるので職につけない。だから自分より弱者を見つけて
奪うしかない。中には哀れみを誘うために自分で目を潰す青年もいる。稼いだ金でドラッグや
売春婦を買う。売春婦にも相手にされない時は強姦するか獣交する。騙しあい、犯しあい、
弱い者は死んでいく。生きていくために他に方法がないのだ。日本ではどんなに貧しくても
努力で這い上がれるチャンスは多いし、たいていは自分で人生を選択できる。
しかしここにいる人達は運に流されるしかない。全く選択肢がなく貧困から抜け出せない。
しかも大量にいる。どうすればこんな貧困がなくなるのか、全然わからない。
結局誰にも救えない。絶望的で本当に救いのない話だった。》
 ▼ インドのベナレスの街では、色々の物乞いが観光客にまとわりつく。
そこで見たのが、マフィアなどにより人工的につくられた子供たちの地獄絵のような姿。 
今回の事件の背景には、決してハッピーでない人身売買の実態が炙り出されるか、この事件、
表向き自殺でウヤムヤになる可能性も十分にある。そこには、非情な世界が垣間見れる。
欧州系の刑事モノで、内臓売買の対象の人身売買もあった。 まず、日本人男性のタネか
どうかである。それ以前に、生きて出てくるかどうか? マフィアにより? 
世界の深い闇が、次々と表立ってくる。 今回の母体の腹貸し料金が100万円。すごい世界である!
一部マスコミ以外は、深くは追求しないうち、次々出てくる大事件で忘れ去られることになる。
・・・・・・
4537, 閑話小題 ー種銭の話 ー2
2013年08月18日(日)
   * 33年前の新潟駅前シリーズの種銭は、ニ億
 私の創業の野心をみた父親が亡くなる前に、陰に陽に相続に不利にならないように条件づくりをしていてくれた。
末っ子という不利な立場でも何とか自分の相続分を確保できたのは、99%父のお陰。亡くなる数年前に、殆どの
事業資産を兄と、私と、姉と、母親の4分割の均等贈与をしていた。これが我家の御家騒動の元。強引に我田引水を
しようとした姉夫婦が自爆してしまったのは生前贈与のためである。こっそり父に「お前のためにしたことだ、
憶えておけ」と言われた。で、軋轢の結果、姉夫婦が『主だった従業員全て私についた、会社をそのまま引き渡すか、
渡さなければ、手持分の株式は悪質業者に売り渡す!』と迫ってきた。耳を疑ったが、母と兄は激怒、
『即刻、千葉の事業を引き払い、帰って来い』という。 大学を出て6年以上、極限状況の中で過ごしていたため、
「この程度の案件など朝飯前!」という思いがあった。
 そして建直しに5年近く注ぎ込んだ後に、34歳から新潟駅前のホテル事業を始めることになった。
結果として、当時の物件の時価評価と現金で、兄、私、姉夫婦、母が、ほぼ均等の持分になった。
 新潟駅前シリーズの当時の持金が1億、更地が時価1億、合計2億。 しかし最期はこれ、悪銭?身に付かずである。 
しかし、後悔は一切ない! 長岡の大手通シリーズも、新潟駅前シリーズも面白かった手応えが残っているためである。
ホテルは完成した段階で、立ち上げの面白さで気持ちの上で償却済み。決して詭弁ではない。それが言えるほど面白い。
 父の、「長い事業の中では、何が起きるか分からない。万一の備えは充分にすべし」という教えで、手掛けたビルは、
壁面側の鉄骨を太くして、内側の柱は無しか、最小が基本。売りに出したとき、買い手にとって潰しが効く
(スケルトンが可能)構造になるためだ。 そのため、どれも売りに出すと同時に即売。 それは事業設計も同じ。
 ・支払いは実質現金払い(20日閉めの月末払い)・親戚家族は事業経営に資本も含て一切入れない(資本は私名義)
 ・借入は地銀最大手と、都銀と政府系銀行で9割 ・妻子の連帯保証はなし。 ・家内の銀行口座は別。
 等々がセフィテーネットになり、何とか今まで通りの生活は出来ている。 年齢を重ねるたびに、事業と、
お金の恐ろしさを感じ入っている。上手く乗りこなしている内は良いが、一つ間違うと食い殺される獰猛な虎は、
長年かけ飼い慣らすしかない。「リーマンショック以来、既に世界は深刻な恐慌に入っている」この現実を認めるか
認めないかである。大恐慌前提で言動をしてきたので、読む人にとっては大きな違和感があるはず。
2億で30数億の投資をして、最後に残ったのが虎の革?いや、尻尾!
・・・・・・
4162, 節目時に何をしていたか ー2
2012年08月18日(土)
・30年前=36歳。新潟のホテルの立ち上げ二年目で営業は順調で、一息ついた時。二つ目のホテルの土地を
  近くに見つけ、買収交渉に入りつつあった。時代は右上がり。ホテルの1Fで学生ショップを兼業しており、
  ホテル名も学生服メーカーの名前をつけていた。月〜金曜日はビジネスホテルが満室で、土日は学生服の
  売上を稼ぎと当初の思惑が当たり、ピークの時。この頃、東北・上越新幹線が開通し、新しい波が東北と
  裏日本といわれた日本海側にも打ち寄せてきた。
・25年前=41歳。1987年といえば、プラザ合意から三年目。バブルで日本中が湧き上がっていた。
  ホテルも280室になり、利益体質が完成していた時期。この時、郊外型ホテルを考えていたが、結局は新潟駅前で
  500室を目指すことにした。これも、バブルの影響である。こうして振り返ると、戦後の日本経済と命運が全く
  同じだったことが見て取れる。
・20年前=46歳。それまでの無理もあって病気で打ちのめされた。日本経済もバブル崩壊で大不況に突入。
  それでも、バブルの予熱が日本を覆っていた。客室数は280室から500室に舵を切る決断をしてしまった。
  この時期、20の都銀が近い将来、次々に倒産や、吸収合併されていくとは、夢にだに思ってなかった。
・15年前=51歳。母親が亡くなった翌年。 人生を俯瞰して、「やり残したことを還暦まで圧縮して生きる。
  30年分を9年間に押し込む」と考え、決断。今から考えてみて、これは正解で。 
  バブル崩壊で金融機関の再編成、真っ只中。
・10年前=56歳。「人生の良いところ還暦まで!」と、年数回の秘・異郷旅行など無我夢中。
  個人のHPも立ち上げ、生活の中心をネットに移動して二年目。 意味・人生を謳歌していた時期。
  しかし、売上はジワジワと下降曲線に入っていた。
・5年前=61歳。リストラ効果も出始めて、新潟駅前再開発事業も進み、何とか目安がたちホッとしていた。
  二つのホテルが道路拡張工事で買収が近い将来あるまでと・・ まさか翌年、リーマンショックが起こるとは、
  夢にだに思ってなかった。
・そして現在である。 やはり、この10年も激動期。 二つの中越地区の大地震、そしてリーマンショック、
  東北大震災で、近い領来には間違いなくリーマン・ショックによる大津波が襲ってくる。
  そうこう考え自分の人を振り返ってみると、日本経済の光と陰が、ほぼ重ねっていた。 
  経済大震災と東北大震災からして、やはり去年三月が引き時。
▼ 5〜10年スパンの節目で振返ってみて、目先の日常にとらわれ、長期的視野で決断できない姿が見えてくる。
  振り返るってみて、私の人生の折り返しの時節は34歳。独立の一歩を踏み出した時である。とにもかくにも
  無我夢中。そして、人生の後半に入った。 11年前の9・11テロの翌月から、売上減がジワジワと三年続き、
  その後に中越地震である。この時は震災復興関連景気で何とか持ったが、何とか目安がたってきた2008年9月の
  リーマン・ショック。この日を境に、毎年20%半ばの売上減が続き、三年目に入っても同じ下降曲線。
  10年前の売上減を加えると、売上が三分の一まで激減。そして、決断。「年内に、大津波の本体の一波が
  押し寄せる」という仮説を立て現実を見ると、末恐ろしいが・・
  ・・・・・・
3797, 知的余生の方法
2011年08月18日(木)
 4月から、これまでの30年の新潟の事業の終焉で、新しい生活に変わった。サンデー毎日(毎日が日曜日)
の生活も思いの他、抵抗なく馴染んでいる。 定時に家を出て、新幹線で新潟に行き、事務所で時間を過ごし、
帰ってくる生活を「外的時間」とすると、家を中心に気ままに過ごす時間を「内的時間」というのか?。 
早朝に、この随想日記を書き上げたり、独り自転車で信濃川の川辺をサイクリングをしたり、スポーツジムで
運動をする時間が私にとっての「内的時間」。社会に出てからは、ひたすら未来へ進むことに関心が向いていた。
それは世界の動向と変化を察知することであった。そこに気持ちが集中している時は、「外的時間」を過ごしている
時である。その中で、ふとした瞬間、過去の思い出や経験がフラッシュバックし、過去から呼び出される事がある。
良いことだけでなく悪いこともである。過去は自分を形作った日々であり、これからの人生のベースでもある。 
これからは、外的時間から内的時間の絶対量が逆転する。
  渡辺昇一著「知的余生の方法」に次のような一節がある。 ≪「内なる時間」を使う≫
【 カレルは、時間には2つあるという。1つは物理的な時間。例えば、地球の自転を24時間と決めたりするといった
 ようなことだ。もう1つは「内なる時間」。これを彼は、抜群の比喩で説明している。物理的時間は世界中同じだが、
彼はこの時間を川の流れに例えるとどうなるかと問う。そして、同じ速さで流れる川に沿って歩く人間を考える。 
朝早く起きて元気に満ちて川沿いを歩くと、川の流れが遅いのに気づく。ところが、どんどん歩いていって夕方に
なって疲れてくると、川の流れが速くなっていると感ずる、というのだ。川の流れは同じ速さなのに、人間が元気な
時は遅く見え、疲れてくると速く感じる。どうしてなのか。「内なる時間」のせいと、カレルは言う。
 若い頃の時間はゆっくり流れる。しかし、年を重ねるとだんだん速く流れるようになる。だから老化というのは、
実は、時間の流れを速く感じるようになることなのだ。年とともに時間の質が変わってくる、そして、シニアは
この質の変化に戸惑う。比喩でいえば、20歳の時は時速20キロで流れ、60歳の時は時速60キロ流れると
考えればよい。あまりの速さについて行けず、結局は無為に時間を過ごしてしまうことにもなりかねない。】
▼ ここで、これまでの人生の価値観を大転換し、未来中心に向けていた目を、過去にも向け、過去を修正する
 作業が人生の仕上げになる。人生を逆照射し、前向きで時どき見ていた過去を、しっかりと後ろに向き直し、
見つめ直す時間も「内なる時間」ということ。これまで読んだ本や、読みかけの本に再チャレンジしたり、
やり残したことなど幾らでもある。それを坦々とこなすことも内なる時間といえる。そうこう考えると
「人生が自分に余白を埋めて欲しいことは何かを聞き出すこと」が必要である。私の場合、この随想日記がある。
 毎朝、これを書き上げた後に、字数制限のため、書いた分だけ過去分の一部をカットする作業がある。これは、
過去のエネルギーのカットのように思えて辛いが、しかし、その時にしっかりと読み返し、再考することになる。
これこそ私の内なる時間になる。
  ・・・・・・・
3432, 再び、死について考えてみる ー1
2010年08月18日(水)
 数日前に近所の家内の友人が急逝した。 最近、「60歳過ぎれば今日明日亡くなっても不思議でない。
今年しか人生が残されていないと一日一生の思いで生きなければ。だからチャンスがあれば、何ごとも可能な
限りやらなくては。」と話したばかり。 哲学でも、死について多く考えられている。
 以下は、「現代哲学の冒険シリーズ」の中の【「死」 細川亮一「恐れと驚きー死と生の問いー」】
を参考にして書き上げた。
≪ そこで「死の人称性」は、死を語る上で分かりやすい説明になる。
・まず三人称の死は、「彼らが死んだという過去形」か、「彼は死ぬだろうという未来形」で語られる。
・一人称の死(私の死)は、過去でも現在ではない。将来自分は死ぬだろう、死ぬ運命にある未来形である。
・二人称の死は、「あなたが死んだ」と過去形ではいえない。「あなたは死ぬかもしれない」とはいいえるが、
あまり馴染まない。弔辞でいう「あなたは死んだ」というのは過ぎ去った過去のことでなく、葬儀の現在のこと。
したがって、あくまで現在の範疇。人の死の人称性の、一人称、二人称、三人称が、 過去・現在・未来の
時間性を有しているのである。≫
 ー以上だが、今回のような亡くなる前日に電話をしたが不在といわれた友人が、翌日、そ連れ添いから
「実は死に病で最近になり入院していたが、朝方亡くなった」と電話があり、家内がショックを受けた、という
死に話は、間接にしか知らない二人称の死であり、もっとも死について考えさせるケースである。
そこから逆に、死から生への逆照射をすると、【生きるとは何か】のヒントが、みえてくる。
【私は生まれた】と、逆に私の誕生を過去形でしかいい得ない。未来の死と、過去の誕生、
「現在、生きている私こそ、この世の存在」ということになる。だから、現在、四苦八苦としても、
それを生きる証として受け止めるのが自然。私の死と誕生の、死の時点は、私にとって特異点。 
この2つの特異点の間が「私が生きている」現在形として語ってよい。自分の過去も、現在、そして未来を
思い浮かべている現在も含め、全てが現在と言いうるのではないか。そこにベルクソンの時間論の意味が、
ある。時間など人間の主観?の捉え方でしかないと。 で、二人称の死から考えられるのが、
自分の死と生のイメージの絵の書き加え、修正作用となる。
 ・・・・・・・・

3057,逆説思考
 2009年08月18日(火)
 「逆説思考」というのがある。哲学は、常識をまずは疑ってかかる。
「逆ではないかい?」と、まずは逆説をたてることから始める。私が学生時代に学んだことは、これだった。 
まずは、否定してみる、そして、次に立ち戻って肯定してみる。その間に、第三の案が出るのを待つ。
それが考える第一歩となった。この繰り返しの中から自己の客観化すなわち「自己距離化」が生じる。 
もし自分が大きなミスをして追い詰められた時に「この大きな問題を解決する能力を神によって与えられた
試練である。問題の中心に向けて集中していると自ずから解決の糸口が現われる。」
と考える。これも逆説思考でプラスへの切り替え。 看取り学のキュープラ・ロスも人生は問題の連続と看破。
その解決のプロセスを学びと捉え、最終のレッスンが死であるとした。これもまた逆説思考である。オーストリアの
心理学者のフランクルはナチスの死の収容所の生死の淵で、数年後の自分の姿を思い浮かべ辛さを乗り越えた。
「その時に私は、あるトリックにすがりました。1945年のそんな中で想像してみたのです。 私は、講演用の
見台の前に立って、講演をしているんだ。たとえば、『一心理学者の強制収容所体験』というような題で講演して、
大きく、綺麗で、明るい照明の、なによりも暖房の効いたホールで」というように。これも逆説思考である。
金沢で落ち込んでいた時に、夜半に同じような気持ちの切替えの経験があった。いや、ずっとこの連続が人生のよう。
『自分は事業を立ち上げる修行にきている。最悪の状態こそ最良なのに何が苦しいというのか。 この現実を
受け入れること、そして経験を味わうことだ』と。そう考えてから、気持ちが楽になって冷笑していた自分と環境が
違う視点で見ることができた。 人生、還暦を過ぎた今こそ、逆説思考が必要なのだろう。生老病死が現実として
目の前に突きつけられる。今さらジタバタしても遅いが、生老病死のレッスンを面白いと思えるかどうかだが・・・
山田風太郎の世界? 果たして人生の完成などあるのだろうか?あるわけない、迷ったままで充分!これ逆転思考。
 ・・・・・・・・
2692、「誠実であるということ」とは、どういうことか?
 2008年08月18日(月)
私の好きな哲学者の中島義道が『哲学者というならず者がいる』の中のカント哲学「実践理性批判」で、
誠実性について次のように述べている。「誠実性が実現されてない限り、いかに外形的な善が実現されても
厳密な意味で『善』は実現されていない。」 誠実性とは何か?とは「善い行為」を実現するさいに、
僅かでも自己利益が混入してはならないということ。(取引を求めない、という仮言命法、ということか)
 中島はカントが実際言ってないとしても、言いそうなこととして次の4つをあげている。
・自分をわずかでも実際より善く見せようとしないこと。
・自分が不利益を蒙るとわかっていても、それが真実だから「そうだ」と語ること。
・他人が不利益を蒙るとわかっていても、それが真実だから「そうだ」と語ること。
・いかに優位に立っていようと、たとえそれがいかに理由のあるものであろうと、
 いささかも放漫であってはならない。-誠実な人は決して放漫ではない。いささかも誠実を誇ることはない、
ということである。以上のことを実際に実行すると社会は成立しないだろうから、ある程度は不誠実でなければ
生きていけない。 そういえば以前に、誠実であるとは如何いうことか? 考えたことがある。
「誠心誠意、無心に対象にエネルギーを注ぎ込むこと」が、結論であった。
それと、「自分を騙さない。それが人を騙さないことになる。」「約束を守る」ことである。
「あの人は誠実な人」というと、それからどんなイメージが連想されるだろうか?
・自分の言った言葉に対して責任を持てる人。
・自分を信じてくれる人である。
・「良心」を大切にして、人を利用しない人である。(心の綺麗な人) 
 誠実そうな人はいても、誠実な人は、ナカナカいないものだ。「論語の会」にでも入って、
鼻声で斉唱しようか? 私の姉の名前は、正子、恭子、優子、そして礼子。正しく、恭しく、やさしく、礼儀か〜 
誠実そのもなじゃないかい! 父親の名前は誠作だから、潜在意識が、そうさせたのか?それとも、親しくして
もらっていた野本互尊翁から命名して貰ったか?
・・・・・・・・・
2007年08月18日(土)
 2328, 近視矯正手術       'Good☆Morning 。っω-)..。


4903,閑話小題 ー自転車乗りは危険に満ちている!

2014年08月17日(日)

   * ポタリングは、危険! だから面白いのだが
 電動アシスト自転車を乗り始めて5年、一万数千キロは走ったことになる。急なドシャ降利の中、
赤信号になる前に強引にかけ抜けた直後、スリップをし転倒、自転車共々、数メートルも投げ出された。
心臓が固まり、息が止まりそうになったが、何とか骨折も無く、立ち上がることが出来た。
それ以来、雨と、スピードには充分に注意をするようになった。乗り続ければ、大事故の可能性が
自転車にはある。近くに住む従兄は、ポタリングを数年間続けたが、電信柱に衝突して、その危険な
ことを察知して、一切、乗らなくなった。特に交差点での左折車の出会いがしらの接触事故には
注意をし、数回は右後ろを振り返っている。
 半月ほど前に、ある交差点で右後ろを二度振り返ったとき、50歳絡みの農家風の夫婦が話に
夢中になっているのが見えたので、車道に入る直前に念のため、一度、急ブレーキをかけたところ、
旦那らしき運転手が、左を見ないまま、左折をした。 その瞬間、私に気づいて慌てて急ブレーキ、
臨席の奥さんらしき人はフロントに激しく突っ込んでいた。 常日頃から十二分に注意してなかったら
大事故! 恐ろしい限りである。毎日の1〜2回のポタリングでは、危険を最小にするため、
車の少ない土手とバイパスの沿道が95%のコースにしている。 それでも長年の間には人身事故
の可能性は大。土手とバイパス沿道は、加害者のになる可能性がある! 
それにしても、乗っている開放感は格別である。
   * 晩酌に、毎晩、5本以上の缶ビールでは
 私の中学校の同級生が急逝をして2ヶ月が経つが、ショックが今でも大きく残っている。
故人は7〜8年前に転んで腰骨を骨折したが、何とか半身不随にならずに、少しだが足をひいて
歩いていた。去年の同級会の三次会に二人でスナックで飲んだ時に、『晩酌が楽しみで一日、
缶ビールを5本以上は飲んでいる』という話を聞いて、驚いた。その上、運動不足なら! 
発見された時には、末期の膵臓ガンで、苦しみ抜いた末に亡くなったという。 
ツアーの旅先や周囲で、缶ビール5本以上を毎晩、晩酌をする話を、何人からも聞いていたが・・ 
私は缶ビール一本に、ノンアルコール一本を目指しているが、どうしても、ウィスキーの
オンザロックか、焼酎のお湯割りが加わる。これでも、何か危ない領域の感がする。

・・・・・・
4536, 閑話小題 ー種銭の話
2013年08月17日(土)
   * 山種証券の創業者の種銭
 自分が汗水たらし働いた金を種銭にしてこそ強い資金になる。
 山種証券の創始者山崎種三の逸話がある。
《 米屋の小僧をしていて思いつく、米屋だからネズミが多くいる。それを保健所に持っていくと、
一匹あたり僅かな報奨金が貰えることを知り、ネズミを捕まえてコツコツと小銭を貯めて、親方の
許可を得てヒヨコを飼って雑米を与え育て、卵を産ませて、それを売って投資資金の種銭をつくり
投資を始めた。》 
 これからして株式投資も、その延長で手堅かったのだろう。そういえば、父が子供達に似たような
実践的な金銭哲学の教育をしていた。幼児の頃から、年末にお年玉を子供達全員が貰う。
それが楽しみで嬉しいが、正月が明けると、父が他からも貰った、お年玉袋を全て回収、
それぞれの預金通帳に入金する。そして、それぞれを金庫の中に保管しておく。年に一回だが、
その通帳の残高を見せてもらう。それが十数年すると、それなりの金額になる。
子供の頃から自分の通帳を持たせることと、使わないで預金する生活習慣を持たせることが
父の狙いであった。目先の欲望を抑えて種銭をコツコツ積み上げる重要さを時間をかけ教えていた。
家風は一見派手だが、生活は質実剛健。 地方都市の商家なら、何処も似たようなもの。
そして高校の入学時に、10数万円の預金の通帳を渡されて、売買の手続きをするから
何か値上がりしそうな株を選べという。それから、毎日、日経新聞の経済欄を真剣に
見るようになってしまった。数ヶ月かけて、ある医薬品メーカーを見つけた。
当時、鼻風邪から慢性鼻炎になっていたが、特効薬が売り出すニュースを見ため。
それを5年ほど持ったが、期待ほどの値上がりはなかったが、それでも数割の値上になった。
 ところが、その種銭が人生を変えることになった。 二十歳の時、軽井沢のアルバイト先の山荘で、
学生仲間4人と話していた時のこと。 その中で外国に行く予定が無いのが私だけ。 他の三人は、
さほど豊かそうで無かったが、それでも行けるのである。要は意志であることを、その時に知った。
当時は、まだ年間20万人しか渡航してない時代。 私も決心をすれば行ける? との思いが
出てきた。その時、考えたのが、自分の種銭。 
 丁度、その頃、ある友人に『大学の、あるサークルの海外旅行研究会があって、
一ヶ月の欧州旅行の企画で参加者を募集しているが、一緒に行かないか』と誘われていた。
しかし、当時の私にとって、まさか自分がと、取り合わなかった。当時で40万、現在なら
300万〜350万。 その晩の軽井沢で『そうだ、私には20万円があった!
あと25〜30万、都合をつければ私でも行ける!」と、思い立った。アルバイト期間が終わって
向かったのは、東京の寮ではなく、実家のある長岡である。そこで列車の中で「頭の固い父に、
そのまま頼めば断られる、なら母親に相談すれば良い」と。で、母に相談すると『私が反対すると
必ず逆を言うから、夕飯時に、その話を切り出しなさい』と、賛同を得て、作戦を実行した。
父親は知ってか知らずか、この共同作戦に乗ってしまった。数日後に気づいたようだが、
後悔した様子はなかった。 その欧州旅行が、私の人生を変えてしまった。あの一ヶ月間の
経験のカルチャーショックで半年間は、ただ呆然自失状態。頭が変になる一歩手前。
当時は現在ほど情報も手軽に得ることが出来ない。それも決心して一ヶ月で、予備知識はゼロ。
それがわたしには良かった。見るもの触れるもの全てが新鮮で、驚きの連続。エッフェル塔や、
凱旋門、ローマのコロセウム、スイスアルプス・・ その中で、遊び慣れた今まで知らなかった
人種との接触。 何よりも小さな固定観念が粉々になったことが、タイミングとしてベストだった。
 まとまった種銭は、まずお金を資金に変えるという意味で、それ自身が準備になってしまう。
問題は用途のTPOSである。「夢を持つことと、長年の準備こそが、人生を決める」と、両親と、
学生時代の様々な経験から骨の髄から学んだことである。今回の最悪の事態でも、
長年かけた万一に備えていたシェルターが、我身を救ってくれた。
・・・・・・
4161, 節目時に何をしていたか ー1
2012年08月17日(金)
 ここで人生を5年スパンに区切り、振り返ってみる。ミニ自分史である。自分の姿が浮き上がってくるようで、
面白い。何度も書くが両親と時代に恵まれていたことが見て取れる。歴史的にみて、終戦後40年間ほど豊か
だった時期はないという。 その中で、その豊かさを充分味わった実感は、何ものにも代え難い財産である。   
  ー まずは前半から ー
・60年前=6歳、長岡市立阪之上小学校一年生だった。担任は女性の茨城先生。
20歳後半のヒステリックの先生で、優しい反面、厳しい先生だった。当時の住まいは長岡一番の
繁華街の4階建てのビルの3Fに住んでいた。家は、そこで衣料店を経営していて、まさに小説の
ような異様な家庭環境にあった。  成績は普通で、とにかく毎日が面白く刺激的だった。
・55年前=11歳、阪之上小学校6年。勉強に少し目覚め、虐めの要素もあったが級長にされていた。
  街中もあり、生徒の質は決して悪くはなかったが、異様な緊張した雰囲気が漂っていた。
  この辺で、その人の素質が決まってしまうという。
・50年前=長岡高校二年生で、試験試験の日々。何時もギリギリの成績だったが
  追試は受けたことがなかった。勉強をすれど、どうしたら成績が上るかの術が分からない辛く
  暗い日々。受験校のため成績で人間が区分される。
・45年前=21歳、立教大學三年。欧州の30日間旅行で、それまでの自分が粉々に
  壊れてしまった時期。人生で一番、光っていた。見るもの触るもの全てが新鮮で、明るく
  光ってみえていた。時代は1967年、山頂に近づいていた。
・40年前=金沢の‘いとはん’(衣料スーパーのチェーン)を辞めて実家に帰ってきて、
  千葉の千城台ビルの計画に入っていた。父は末期ガンで東京女子医大で手術後、退院した
  父親と、計画を進めていた。 父は、医者の宣言通りに手術の一年後に亡くなった。
  死期が分かっている父と事業経験の伝達を一年がかりで始めて二ヶ月目に入っていた。
  将来に向けた明るさと、死に直面した父親の苦悩の狭間で、真近で人生と
  事業の原点を学んでいた。翌年、石油ショックが起き、最悪の出だしになった。
・35年前=長岡の大手通の四角にある実家の衣料量販店の店長で、4歳の頃のできた
  古ビルの建て替え工事の計画に没頭していた。引き継いだ店も順調に推移、商売が面白く、
  身体が浮いているように動いていた。 一種の躁状態で、怖いものなし、目は血走り、
  何かに取り付かれているようだった。衣料は一シーズンごとに完結する博打的要素が強い。
  そのコツを掴むと、これが面白い。
 30年前からは次回にするが、振り返ると刺激的で、恵まれていた背景があった。
・・・・・・・
3796, 「役に立つ」とは?
2011年08月17日(水)
 * 「役に立つ、立たない」を判断基準にしてないか?
 私たちは、何時の間にか、役に立つか、役に立たないか、で物事を判断してしまう。
その是非は色いろあるが・・しかし経験則で、我われは役に立つ立たないは結果でしかないことに
気づいている。教養は、その最たるもの。教養を役立てるために身につける人はいない。
これは目的でも手段でもなく、人間性の素養として積み上げること、そのことに意味(価値)がある。
哲学などは、目先、役に立たない。しかし自分の頭で考え、判断し、その結果を積み上げていくのが
人生である。 それを放棄し、目先の利益になるかどうかで判断したり、直ぐに手軽な身近な
人の意見に従って判断、決断をしてしまい、重大なミスをする。その辺のところを、今回の変動の中で、
しっかりと見せてもらった。(実は、その最たるものが自分?)
〜 哲学者の池田昌子は、著書の中で、鋭く指摘している。(「メタフィジカル・パンチ」)〜
【「学者」というと、役にたたないことをする人という自嘲気味な言葉が風潮になっている。
「学問をするところ」であったはずの大学という場所が、レジャーランドか、就職予備校に変わった
世の流れに呼応しているのだろう。「学問」すなわち「役に立たないこと」、「学者」すなわち
「役に立たないことをする人」、そういう等式が、人々の頭の中に、しっかりとできあがっているように
みえる。 ・・・(中略) ところでこの「役に立つ」ということの意味なのだが、科学理論に対する
科学技術の関係に明らかなように、生活と生存に直接に関係するもののことを人は
「役に立つ」と言う。相対性理論は役に立たないが宇宙開発は役に立つ。
解剖学は役に立たないが、医療技術は役に立つ。とはいえ、それぞれ前者あっての後者なのだから、
この御時世、総じて理科は文科よりは旗色がいい。文科、この無用の長物、経済学者が金持でない
ことが学者が無用であることの最たる証拠だと、妙な理屈を言った友人がいるが、それなら中世の
英文法に基づくシェークスピア解釈を一生の仕事にしている学者はどうなる。 
古代バビロニアの懊形文字の読解に全生涯を賭けている学者の立場はどうなるのだ。
 ましてや哲学、哲学科。外国語に事寄せることもできない、この学科を選ぶことは就職を
捨てることだ、と私の頃でも聞いていた。が、そういったことがどういったこととかを考えることこそ
先決であるはずだ、という理屈は、私にとってあまりに自明なことだったので、考えるために
哲学科を選ぶことに迷いを覚えるはずもなかった。まあこのあたりが、どうも普通の人の感覚から
ずれてきてしまうその核心部ではあるのだけれど。その生活と生存に直接に関係するという意味で、
「最も役に立たない」と思われている哲学という学問を、学問の府から追放せよという動きが
文部省内にあると最近聞いた。こんな時代、実学以外に余計な金は出せないと。
そういえば、「総合人間学部」とか、よくわけのわからない学部の一分科として
哲学科があるのを目にしてはいた。あれは、そういうことだったのか。】
▼この随想日記の長期講読の皆様も、今回の倒産劇で「偉そうに言っているが、何だい、
この様は」と思ったに違いない。 私自身が「偉そうに書いてきたが、所詮は、こんなもの。
自分の脳内を、そのまま公開した結果である。止めるなら今回がチャンス。」と少し、動揺をした。
が、しかし、「目的は、自分の『弧』の中の内側をネット上で世界を公開することで、ネット世界を
身近にすること、そして、現象世界を、冷静に見つめる直すことが出来ることである。
役に立つ立たないは現象社会の波間の判断でしかないのは、今さら。」と、気持ちを持ち直し
続けている。ある意味、断層で自分の支えでもある。役に立つ以前の問題。振り返ると、
役に立たないと思っていたことが逆に役立った方が多いのに気づかされる。目標地点が
明確でないから、それが分からないのである。所詮、死んでしまえば同じだが。
 ・・・・・・・
3431, 我が家に新しいテレビが ー2
2010年08月17日(火)
 * 新しいTVについて ーとにかく画面が抜群に綺麗ー
(以下、字数の関係でカット2012年08月17日)
Yahooのバードウォッチのコピーしておきます。
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3056,人生は旅である
 2009年08月17日(月)
 『人生は旅である』の喩えは昔から多く言われてきたことで今さらだが、
 沢木耕太郎著『旅する力』に含蓄の言葉があったので、その幾つかを紹介してみる。
・「旅する力」それは広く云えば「偶然に対して柔らかく対応できる力」
・「人生を過ごしていく人を旅人に喩えると、人生の目標は旅の目的地になる」
・人生で起こるトラブルは旅で起こる困難性。 その解決プロセスが人生も旅を豊かにする。
・人生の大きな区切りは、旅の日程や、立ち寄った街であり、泊まったところになる。その街での偶然と奇遇などの
 出会いがあり、それにより次の展開が違ってくる。そこは人生の交差点であり、人と人との交差が人生も旅を作る。
・お金と知識は、人生でも旅でも大きな要素。 それは歩く旅ならバックの中の食料に喩えられる。
・旅に無性に出たくなる動機は、「感動」と「非日常」を求めること。人生でも、それが大きな要素になる。
・年齢を重ねると新しい出会いが面倒になるが、自分で乗り越えなければならない。
▼ 旅の方から人生を照射してみると、人は常に新しい出来事を求めて何事にもチャレンジする必要性が分かってくる。
そこで出会う感動と、未知との遭遇こそが人生を豊かにしてくれる。人類が数千年かけて創りあげてきた文化も文明も
我われは殆ど知らないが、旅の多くの経験を通して様々な邂逅が可能になる。地球に知的生物として生まれてきた
からには、大自然も、文明も、文化も可能な限り見聞し、感動することで世界を広めた分が自分の世界になる。
旅に出る前の、あのワクワクした高まりが青春であり、晩年に差し掛かった時の満足が人生の充実感である。
そうこう考えると、まだまだ人生の旅路から多くのことを経験し続けるべきと、書きながら内省をしている。
まだ与えられた人生の有り難みが足りないような気がする。旅路の果て。パタゴニアの果ての街で夕日を見ながら
老齢の残り日とはこんなものか、アレが人生の全てを照らしたイメージか、と思ったが。そう新幹線からみえる
弥彦山の日没にも。あと12年で後期高齢者。一つの目安と考えると、一クルーをこなすに時間は充分にある。
さて何をするか、何をしないかを真剣に考えないと。  
 ・・・・・・・・・
2691, 強者同士相互扶助婚姻 
2008年08月17日(日)
  希望格差社会 −2    ー読書日記ー
「構造改革」とか「市場淘汰」という社会では、基礎的な能力が高く、かつプライヴェートな相互扶助組織を
自己創造していく。「人脈、学閥、閨閥など」に支援されていて、かつ「戦略的に考えることのできる人間」は
巧みにリスクヘッジすることができる。彼らはリスクヘッジをさらに確実化するために、「強者同士の相互扶助組織」
を強化する方向に向かう。その端的な表れが、「強者同士の婚姻」である。 これまでの家族社会学の常識では
「夫が高収入の場合は妻が専業主婦となり、夫が低収入の場合は妻が就労して家計を補完する」。
この常識はもう覆えされつつある。 話は逆になっているのである。「夫が高収入の場合ほど、妻の就労率が高く、
夫が低収入であるほど、妻の就労率が低い」という傾向が顕著になってきている。高度専門職についている「強者」
の男女が婚姻し、さらに豪奢な生活を享受する一方で、不安定就労者同士が結婚した生活能力のないカップルに
「できちゃった婚」で子どもが生まれて一層困窮化する。不安定就労者の若年男性は、事実上、自分と同程度に
社会的弱者である不安定就労者の女性の中からしか配偶者を選べない。(高度専門職に就いている女性強者が
男性弱者を配偶者に選ぶ可能性はほとんどない)。だが、弱者同士の結婚は、「共倒れ」のリスクをむしろ増大
させるだけ。不安定就労の若年女性が、男性強者の配偶者に選ばれる(「玉の輿」)確率はそれよりはずっと高い。
しかし、リスク社会では、かりに女性が不安定就労者であっても、男性強者は配偶者に相当の学歴や教養や
人脈などの文化資本を要求する。言い換えれば、男性強者の専業主婦たりうる条件は「文化資本を備えた
強者の家庭のご令嬢」であるというかたちで、予め限定されている。未婚率の急上昇、少子化の進行の背景には、
この勢いづく「強者連合」によって蹴散らされた「結婚したくてもできない弱者」の急増という事実がある。
リスク社会は「勝つ人間は勝ち続け、負ける人間は負け続ける」というフィードバックを繰り返し短期的に
二極に分化。その結果はどうなるのか。強者はより強く、弱者は一度落ちたら二度と這い上がれない。
「夢に向かって努力すればその夢は必ず実現するというのは『ウソ』である。 全ての人が希望通りの職に
就けることはあり得ない。 (以下、字数の関係でカット2011年08月17日)
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2007年08月17日(金)
2327, ベナレス −2                 。っω-)..。oо○(゚+。ぉレ£∋ぅ゚+。)
  (字数の関係でカット 2014年8月17日)


4902,閑話小題 ーロボットエアコン

2014年08月16日(土)

   * つれづれに 〜ロボットエアコン?
先日、25年以上使っていたエアコンの取替え工事。そこで驚いたのが、エアコン機能。 
人認識をして、そこだけに冷暖房の風を放射する機能は売り場で聞いていたが、設置作業の人の
説明で、「認知した人の周囲を感知して丁度良く調整した温度の風を放射する」という。
説明書には「温度カメラと画像カメラが二台あって、まず人を認知し、温度カメラが人の周囲の
温度を認知して送風」とあった。
 扇風機を見ながら「これに冷房機能をつければ良いのに」と思っていたが、逆にエアコンに
調整した温度の冷房の扇風機能を付ける着想である。これでは電気料金が激減する。 
部屋全体を冷やす今までの常識を放棄?部分放射の結果として部屋を冷たくする方式。
更にメンテの掃除機能と除湿機能も付いていて、何か面白い一種のロボットエアコンのようなもの。 
電化製品の進化は止まらない。 このところ、電気製品や車が寿命時期にきて、入替えるたびに、
家内が「私の預金はジリ減!」と悲鳴?で、八つ当たり? 
毎日、チャリで信濃川の新鮮な空気を吸い、週一のシネマでストレス解消。
唯一の慰みは懐いたインコの呼びかけ?「男はつらいよ」の日々。 ほぼ、これで大きいのは
無くなったが・・ いや、あとは屋上の床のビニールの交換が控えている。 大きな屋敷は、
22年間、乗っていたソアラのようで、メンテとランニングの経費が、重くかかってくる。  
居心地は確かに良いが!
  * 高校野球も、サッカーのワールドカップも、面白くなった
 森の生活(現役)から、ご隠居の生活に入って、こういう高校野球や、サッカーのワールドカップ
などのイベントが、以前よい面白く感じるようになってきた。視線がピュアーになったこともある。
現役の時には、常に万一の事態に対して緊張していたが、今では、まったく解放された日々。
プラスとマイナスの両面があるが、これはこれで毎日が面白い! 
ところで、高校野球は長年、西高東低だったが、今年は、今のところ東高西低である。
特に弱者だった北陸甲信越は全勝!山形まで含めた裏日本側も強い。あくまで、ここまでだが!
・・・・・
4535, 閑話小題 ーつまらん男 ー2
2013年08月16日(金)
 * つまらん男とは、どういう人か哲学してみようか!
  そこで、その「つまらん男」とは、どういう人か、少し考えみる。
 頭に浮かんだ‘あの人たち’(我が内なる)の顔を思い出して羅列すると・・・
・親など身近な人や地域社会から与えられた価値観を疑いもせず、ただひたすら追求している人。
・挫折をした経験が少なく、小さなお山の大将で、その世界の価値観に合わないヨソ者を
 目の敵にする人。
・夢や目標を持つことなく、ただ現実に溺れ、埋没した人生しか生きてない人。
・傷つくことを極端に恐れ、それ故に何事も決心できず、その憂さを他人の批難で晴らすしかない人。
・烏合の衆で、群れることしかしらず、孤独、孤立を恐れ、仲間の顔色をうかがうしかない人。
 群れた思考ゼロの老人・中年・青年、サラリーマン・・ で、群れは何人以上か?の答えに
 5人以上があるが、 「一匹狼以外、すべて群れだよ」というのもある。これからフット思いついた
 のが「自分以外、すべて、つまらない男よ!」 これ、言い得て妙。 
・それでは、「つまらなくない人はいるのか?」というと、幾らでもいる。自分が、つまらない男と
 少しでも思ったら、少しは「つまらなくない男」。
何回か書いたが、先年に亡くなった中学校の担任の先生が定年退職時の同級会の二次会の対話。
《「堀井よ、悩みを聞いてくれ!俺には俺の人生が無かった。両親とも教師で、当たり前のように
 教員になった。 現在、両親とも90歳近くでカクシャクとしているが、定年をむかえた今でも監視
されているようで自立できない。私自身の人生は無かったのでは? あるのは二人への憎しみ。
この苦しみは並大抵でない・・》
 初老性鬱症の典型事例。赤ら顔をして、一人合点で自分の成功物語を信じて疑わない
「あの方たち」こそ、 「つまらない人」。自分の姿が見えてないため。欝になるには、それなりの
多くの原因がある。先生にとって両親は、哲学でいう「影」。人生には、それぞれの現象、節目がある。
それは、多面体であり、 光の当て方で、白にも黒にも、黄金にも変わりうる。
中学の担任は、その光のあて方で初老性鬱症もあって、 影(両親)の価値の刷り込みされた
自分に気づいたのである。二人の牢獄から逃れるためには、自分で作り上げたライフワークを
持つべきであった。そのことに気づく教養が足りなかった? それでも、気づいただけでも、
 良かったことになる。少くとも「あれらより」。先生の両親への憎しみは、ポンティーと、その師の
フッサールがいう <考えないでしまったこと>が問題になる。 自分の人生の節目での選択、
それも極限での選択が無かったが故の苦しみである。避けて通っていたのである。
ある意味、万人が抱えている深刻な根源的悩みである。 それすら分からず紋付袴の紋章を
競っている、あの方々こそが、「つまらない人」。その意味、老舗を潰した男は、それに気づいて
感謝をしたのである。「つまらなくない男」に脱皮したから、人生の完成になった。 
 もう一人の男というより、私は、これで半人前?になれたのである。あれらって自分のこと? 
大丈夫、9割以上が、つまらない人だから!しかし自分を真当と思っていたら、間違いなく「あれら」。
 誰かのように、「つまらない男」で何処が悪い!と開き直るのも、一つの手。いや、それしかないか!
・・・・・・
4160, ペルシャ湾危機 ー2
2012年08月16日(木)
   * 鍵はシリア!      (第三次「油断!」イラン危機ー文芸春秋4月号ー参照)
 現在、シリアでの内戦が激化しており、アサド政権の崩壊も視野に入ってきた。
もし早めにアサドが崩壊すれば、イランもこれまでの強気な政策を変えざるを得ない。
首都・ダマスカス中心部で一月ほど前に爆弾テロがあった。国防相や、国防副大臣を務める
アサド大統領の義理の兄が死亡、他の閣僚もケガをした。 イスラエルを先頭に欧米各国は、
まずはアサド政権の崩壊に全力を向けているが、イランへの制裁効果をみて9〜11月辺りに
核施設攻撃の判断をする可能性がある。しかしイランが裏交渉で引き下がることも考えられる。
もし、何事もなければイランが核開発の全面的撤退を飲んだとみてよい。
その前に、少くともシリアがイランに援助を与える余裕がなくなるまで内戦を激化させている。
その前にアサド暗殺か軍部の寝返りが起きるのか。しかし、イランはイスラエルに届く数百の
ミサイルを持っており、その他にレバノンのヒスボラが5万発のロケットと、ガザ地区のハマスを使い
イスラエル攻撃も可能で、世界同時テロもある。それを踏まえてもイスラエルは攻撃を仕掛ける
しかない。それほどイランの原爆保持は重大問題。イラン・イスラエル戦争ともなれば、世界情勢は
一挙に緊迫する。イランも原油生産国の資金で軍事力は豊富。ただならぬ戦争になるが、
それでも世界相手では3ヶ月が限界。アメリカも積年の恨みがある。もし戦争になり、ホルムズ
海峡が閉鎖ともなれば世界恐慌の起爆の危険性もある。いずれにしても、ユーロ圏の金融危機と、
中東は一段と緊迫した事態になる。国内政治も解散が目前に控えていて、政治的混迷が起きてくる。
今度の起爆は乾いた藁が世界中に積み上がっているため一瞬で燃え上がる可能性大。
シリア、トルコ、イラン、イスラエルの一連の動きから、目が離せない領域に入ったと見るべきである。
だから、国内では解散と総選挙を急いでいる。保守連立内閣の体制を早急につくらなければならない。
年内は何でもありの歴史的スペクタルショーが始まる。アメリカ大統領選、盛り上がりがないのも当然。
 ・・・・・・・
3795, 哲学人 ー�
2011年08月16日(火)
          『哲学人』 ブライアン・マギー著 ー読書日記
ー 第一章 子供のころの記憶  〜時間に始まりと、終わりはあったのだろうか?〜 �
 私が5歳、9歳の時など、ものごとを深く考えることはなかった。10歳頃に親戚の葬式で、故人が焼却場で
骨になったのを目の当たりにしたときに「、何故、人は生きている間に好き放題に生きないのだろうか?」と思った。
死を目前にすると年齢に関係なく、人生を鳥瞰する視線が顔をだす。子供の頃から時間の始まりと終わりを突き詰め
考えていたマギーの頭脳には驚かされる。
【 時間に始まりはあったのだろうか? 終わりはあるのだろうか? 9〜12歳くらいまでの2~3年の間、
 私は時間をめぐる謎の虜だった。夜の闇のなか、ペッドに横たわったまま、よくこんなことを思ったものだ。
きのうという日に前の日があるし、その前日、そのまた前日と、覚えているかぎり日にちをさかのぼつていく
ことができる。でも私が覚えている最初の日にも、やっぱり前日はあったはず。自分の誕生日にも前日はあったに
ちがいない。そして、その前日の前の日も。・・・ どこまでも、どこまでも・・ いや、そうだろうか? 
 この、どこまでもどこまでも溯っていくということが、私にはうまく飲みこめなかった。そんなことは不可能に
思えたのであった。たぶん、きっとどこかに始まりはあったはずだ。でも、始まりがあったとすると、その前は
どんな状態だったのだろう? もちろん、何もなかった(まったくの無だった)のは明らかなわけで、そうでなければ
始まりなどありえない。けれども、もし何もなかったのだとすると、どうして何かがはじまることがでできたのか? 
その何かはどこから生じたというのか? 時間がひょっこりと( なんとも不思議なことに! )
 無から現れ、ひとりでに動きはじめたわけがない。無は無であって、何かではないのだから。とすると、始まり
ということ自体が思いも寄らないことであり、始まりがあるということもやはり不可能であるように思える。
こうして結局、時間に始まりがあったとは考えられず、始まりがなかったとも考えられないということになって
しまった。きっと何かを見落としているにちがいない、私はそう考えてみた。選択肢はこのふたつしかないのたから、
どちらかが正しいはずだ。 ふたつとも不可能ということはありえない。そこで私は、まず一方を集中的に検討して
から他方に移り、集中力が尽きたら、またもとに戻るという作業をつづけて、どこで間違ったのか突さ止めようとした。
 けれども、なんの手がかりもつかめなかった。私はこの問題に取りつかれベッドのなかだけでなく、しだいに日中も
考えこむようになった。初めのうちはカになってくれそうな大人たちに相談もしてみたが、彼らの反応に私の混乱は
かえって増すばかりだった。自分にはわからないと認めたかと言うと、そんな疑間を話題にしてもおもしろくない
といわんばかりに別のことを話しだけでなく、あからさまに見下し、「おやおや、そんなことに気をまわして時間を
無駄にしないほうがいいよ」とせせら笑うかのどちらかだった、私にはわけがわからなかった。】
▼ 神様が、ここで早めに現役からの退去(倒産)を命じたのは何故だろうか?と考えると、
 「ここで、娑婆気から一たん大きく離れ、哲学書にしろ、トルストイなどの古典的小説を腹を据えて読みなさい。
そして、自分の過去を振り返り、そして、現在の己を見つめなおし、人生の総括をすべし」という事だろう。
そのために、やはり哲学書を?み締める必要がある! その点、「自己を見つめる 」渡邊二郎 (著) を、
その直後、選択をし、その時の事象を噛み締めながら読んだことは正解であった。そして次は、この書である。
それと、この随想日記の過去分を再思考すること。
 ・・・・・・
3430, 我が家に新しいテレビが
2010年08月16日(月)
* 運送会社のサービス化とは
  ーまずは、商品搬入で垣間見た「運送会社のサービス」の話しからー
「運送会社でも、ただ運ぶだけでなくサービスを付加したところが、不況の中で検討している」という話しは
度々聞いていた。具体的には何かと考えてなかったが、一昨日の新しいTVの納品を見ていて、「これが運送会社の
サービスではないか?」と、感じ、「運送会社の設置サービスですか?」と聞くと、「そうです!」という。
チームで幾つかの搬入現場を同時に動いているのが分かった。少し分からないことがあると携帯電話で現場同士が
頻繁に連絡しあっている。 設置終了まで、予測どおり2時間半を要した。その間、延べ6人が出入りしていたが、
激務のようで全員が目が釣りあがっていた。色いろなメーカーの電器商品を納入を家庭にするから、大変な仕事である。 
それに対する知識がないとやれないが、それらをチームで携帯電話のやりとりでフォローしていた。
8年前のテレビの購入時は、運送業者関係者ではなかったようだ?。そうすると家具店も同じようなものか。
スーパーの宅配も始ったが、これも運送業者の受け持ちか。 これらは運送サービスの典型的事例。運送といえば、
宅配便と、引越しセンターが、運送のサービス化としての市場を形成している。それが直接に消費者に対する
サービスの付加なら、家電や家具店などの業者の配送部分の委託である。物流の一場面だから、当然、納品サービス
(家電の家庭内のセットなど)付配送も、当然あっておかしくない。しかし店サイドとの軋轢が、電話のやり取りから
手に取るように分かった。これからは農家や漁業関係の産直がネット販売の出てきている。 ヤマト運輸の宅配便は、
サービス化で先行しているので、潜在需要を作るに有利。ネット社会では運送業者のキメ細かいサービスが求められる。
これまでの旧来の運送業務だけでは、生存競争が激しい時代には生き残れないのが現実。 時代の変化に合わせて
企業も変化し続けていかなければならない事例。 それにしても、生々しい世界を垣間見てしまった。
・・・・・・・
3055, 功利主義者の読書術
2009年08月16日(日)
 「功利主義者の読書術 」佐藤 優 (著)  ー読書日記
 佐藤優の読書術本なら、買わないわけにはいかない。
ビジネス書、世界文学の名作、哲学書、宗教書まで「役に立てる」という観点から本を紹介しているが、
この人の本は決して期待を裏切らないからよい。 私にとって「如何いう本を読むべきか」という先生役が、
立花隆から佐藤優に重心が移動したといってよい本でもある。 この本の中に私も過って読んだ本も何冊かある
 ー高橋和己著『邪宗門』 副島隆彦著『恐慌前夜』ソルジェニーツィン著『イワン・デニーソヴィッチの一日』
池田晶子著『死と生きる』ーなど、佐藤の解説を読むと己の浅さを思い知らされる。
それが、ここでいう自分の立ち位置を知るということ。  ここで著者は、
「実用書やビジネス書は、初めから役に立つようにつくってある。そこで功利主義的な考えからいえば解説をしても、
読者にとって追加的利益は殆どない。そういう観点から『新約聖書』や『資本論』『カラマーゾフの兄弟』のような
古典が、21世紀の現下日本と世界を読み解くのに、いかに役立つかをを、あえて取り上げている。更に、
実用主義は何か軽佻浮薄に見えるかもしれないが、そうではない。目に見えるものだけが現実と考える傾向が強いが。
(字数制限のためカット 2012年8月16日)
 ・・・・・・・・
2690, 若者が危ない!
 2008年08月16日(土)
希望格差社会 −1
           ー希望格差社会ー山田昌弘著・筑摩書房
著者は「若者が危ない」という。そして「若者が社会的弱者になりつつある」
「やがてこの弱者たちが社会に危険をもたらすであろう」と。統計をみると、
・親と同居している未婚成人(その過半がいわゆる「パラサイト・シングル」)は1200万人。
・離婚数は年間29万組(結婚75万に対する数値だから結婚したカップルの40%が離婚)
・結婚75万のうち、「できちゃった婚」(婚姻届提出後10ヶ月以内に出産)は15万。
・フリーター(未婚若年アルバイト雇用者)は200万人。失業中、未婚派遣社員を入れると
 未婚若年不安定雇用者数は400万。
・「引きこもり」については正確な数値がないが、推定50万人。
・義務教育期の不登校は13万。
・児童虐待は児童相談所が把握しているだけで年間2万件。
・「将来、自分の生活がよくなる」と考えている若者(25−34歳)は15%。
・中学生の70%が「将来、日本は今以上豊かにならない」と考えている。
どうして、こうなったか? 著者は、その理由を「リスク社会」の出現という。
 ー「リスク社会」とは何か、
「リスクをとることを強制される社会」、「選択を強制される社会」のことである。
「自分のことに対しては、自分が決定する。  (字数制限のためカット 2010年8月16日)
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 2007年08月16日(木)
2326, 被災地・柏崎の現在の事情          才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*)
今日で「柏崎沖地震」から丁度一月になる。昨日、家内の実家の墓参りに柏崎に行ってきたが、中心地ほど
倒壊している家が目立った。ダウンタウンの本町辺りの商店街の通りを中心として倒壊した民家と商店が生々しく
現れてきた。そして(住んではいけない)赤紙と、(住居注意の)青紙が半数以上の家に張られていた。
地方局のアナウンサーのTVのクルーが撮影している姿が更にリアルさを増していた。家内の実家の近所は
特に酷い状態であった。家内の両親(故人)の住んでいた住宅は傾き隣の倉庫の壁を突き破っていた。
特に内部は目茶目茶という。そこは無人だったので人災は無かったが。義弟の話によると「始めの揺れで立って
いられず腰を落とした瞬間、次の揺れで身体が横に吹っ飛んでしまった」という。車で商店街を通っていると、
自衛隊とパトカーが次々とすれ違い、次々と倒壊の家をみるにつけ、映画のロケ地にいるようで現実感がなかった。
義弟に「この地震は、即死するかもしれない事態だった!」といっても、キョトンとしていた。
そんなことを考えている余裕が無いのだろう。「柏崎刈羽原発の再開は無い!と思いませんか?
そうなれば柏崎経済は壊滅的になるので、目先の復興景気を勘違いしないように!」と忠告したが、
私が感じた角栄への怒りなど、ほど遠い話のようだ。一月経ったためか、道路等思ったより傷んではいなかったが、
やはり東電の原発の爆発まで至らなかったことが救いであった。以上が私の柏崎市の現状レポートでした。


4901,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー48

2014年08月15日(金)

  * 反省なら猿でもできる! ーご覧のとおり、そのまま結構
 最期は倒産というカタチの整理で終わったが、これも因果応報と諦めもついている。 結婚以来、実家からの慣わしで、家内に給料を与え、健康保険と厚生年金をかけるのは当然と考えて実行をしてきた。家内は家内で、実家の会社名義の株式を家内
名義に分与されていたのを清算。それに預金を加えると、この事態でも何とか路頭に
迷うこともなく、生活をしている。また家内の両親も、私の両親も、実生活は
質素であったことが、そのまま私たちにも引継がれ? 結果として、破滅から逃れる
ことが出来ている。 第三者からみたら、10億の借財を残して倒産したのに、このままの状態でいるのが疑問のはず。 
世の中、甘くないのに。そこで計画倒産になる。 創業時の計画から、
長期スパンのリスクを織り込んだ創業設計が可能。 三条や燕の土地柄は、倒産には
慣れていて驚か少ない。平気で倒れ、何時の間に再起するケースを多い、とか。
元もと、リスク分散のポートフォーリオのノウハウが染み付いている。 私の場合、家内へのリスク分散と、家族を社内に入れない原則を守っていた。 
そのことが結果として、守ってくれていた。末期に近づくにつれ、必ず銀行は、
まずは連れ合いの連帯保証を求めてくる。 振り返ってみて、「もし、あの時の
判断を実行していたら破滅をしていたはず!」というケースが、幾つかあった。
 逆に「何で、馬鹿の決断をしてしまったのか?」も、数限りある。その結果の
一つでもあるが。 「ご覧のとおり、そのまま結構!」と、まず自分で認めること。 そうすると、見えなかった要因が、浮び上がってくる。 
・箱物などの長期投資は、有り余る資金が無い限り、すべきでないこと。
・やるなら早々に転売をすること。
・時代の潮目を読み、果敢に決断すること。
・世の中の99%は、目先の現象しか見えてない。現象の大もとを見る目を養うこと。
そのために、長期、中期、短期の目を持つこと。「10.10.10の原則」=10年、10ヶ月、
10日先の3つのスパンで考える視点を持つこと。その何れも甘かったため、この結果に
終わった自分が浮き彫りなってくる。 反省ならサルでも出来るのだが・・

・・・・・・
4534, 今日、我が家に新しいテレビが ー2
2013年08月15日(木)
 現在のスマートTVの先がけの東芝の多機能TVについて、三年前の14日にテーマとして
取り上げていた。あれから居間はこれを、寝室で普通の薄型TVを見ているため、その差が歴然と
見えてくる。三年使った実感として、ドラマとか野球をジックリ見る場合、寝室の方がTV環境に良い。
しかし寝室の液晶TVには録画機能が無いことと、W0WOWが見れないこともあり、不満が残る。
19〜24時までの地上波=5時間×6日分の中には必ず面白い内容がある。
当初は、この機能は不必要と思っていたが、使い出すと、これが一番有効。ゴールデンの
一週間分が自動録画され、一週間後には当初分から自動的に消されていく。
その中から番組表から選んでみることが出来る価値に気づくのに、一月もかからなかった。
ツールが、生活の面白さを決めてしまう一例である。電動駆動の自転車、iPad、シネマ館、
スポーツジムと同じ。この2〜4年で、これらのシステム導入で生活パターンが全く変り、
段違いに面白い日々。 まず、三年前の ー3428, 今日、我が家に新しいテレビが
ー2010年08月14日(土)ー の一部をコピーする。
《 八年近く使ったテレビを、「地デジの切り替え時期」と「エコポイント」もあって、思い切って
買い替えた。 そのため今年に入って、どれを買おうか、何時買うか、をゲーム感覚で、家電店と
ネットサイトで集中した。 昨年からバックライトのLed方式のTVが、家電売り場で目立っており、
買うならこれと決めていた。ところが、この春のエコポイントの終了間近か辺りから3Dテレビが
急に脚光を浴びてきた。
既存のTVを売り切った後に、これである(略)》
▼ 現在、慣れてしまうと、これが当たり前になっている。 パソコンでYoutubeをみているが、
 家内は居間にパソコンがあるが、それをTV映像で見ると格段と面白いとか。 TVもバカ製造の
側面が大きいが、割り切ってしまえば、これほど面白く、便利なシステムはない。パソコンと
ネット機能が、タブレットとスマートフォンに繰り込まれた現在、次は居間のTV。
まあ、暇人?には、特に面白い時代になっている。居間、書斎、寝室の小さな内周世界と、
スポーツジム、信濃川一周、図書館、シネマと、週3度のランチ、平均して月一度の飲み会と、
年一度?の旅行が、外周世界。 これが残された私の人生の世界。 このように己を冷笑して
みると、これまた面白い。あとは人と比較しないこと。 好きなことをしてきた強みが、これ。
・・・・・・
4159, ペルシャ湾危機
2012年08月15日(水)
 * 既に水面下で戦争は始まっている! (第三次「油断!」イラン危機ー文芸春秋4月号ー参照)
 オリンピックが終わると、次は中東危機とEUのメルトダウン危機が始まる。EUのメルトダウンは前に
取り上げたので、ペルシャ湾危機について考えてみる。「ホルムズ海峡閉鎖はアメリカにとっては
軍事問題だが、日本にとっては死活問題」と、いわれる。アメリカなどは安全保障上の理由から
中東原油を減らしてアフリカやロシアから輸入を増やしているし、欧州は北海ブレンド原油があり、
中国も国内産原油がある。しかし日本は中東から90%、ホルムズを通過する原油が85%もある。
もしイランによる閉鎖で原油を止められたら深刻な影響を受けるのは日本である。
原油備蓄が半年分あるとしても、閉鎖をされると原油価格が50%は軽く高騰するといわれる。
現在、毎日のようにシリアの内乱のニュースが流れているが、アサド政権が倒れると、イランに
とっても大打撃になる。反政府勢力にはイスラエルの援助があるとみられ、イランとイスラエルの
代理戦争でもある。もしイランが核開発を進め、核爆弾を持てば、サウジなどの湾岸諸国も対抗上、
核抑止力として核とミサイルを購入するという。それらを考えるとイスラエルが、このまま見逃す
ことは考えにくい。イスラエルがイランの核開発を阻止するのは、イランの神権政治が
イデオロギー的にイスラエルの存在を否定しているため。最高指導者ハメニイや現大統領が
頻繁にイスラエルを崩壊させると言っているからだ。とにかくイスラエルの領土は小さい。
そこに原発を一発、打ち込めば、それだけで大打撃になる。 世界的金融危機、中東危機の、
いずれにしても、際どい状況が表立ってくると見たほうがよい。昨年11月、イラン革命防衛
隊基地で大爆発がおきて、基地は完全に消滅し、ミサイル開発責任者ら30人が暗殺された。
また、この数年来、核科学者が暗殺されている。これに対しイランも、今年一月にバンコクの
イスラエル大使館爆破未遂事件があった。昨年10月にアメリカでサウジアラビア大使を
暗殺しようとした事件もあった。 最近では、シリアで国防大臣などが会議で集まったところに
テロがあり、国防大臣をはじめ要人が暗殺された。一連の暗殺事件や未遂事件を見ると、
水面下では戦争突入状態が分かる。 日本はあいも変わらない政治的混迷が続いており、
中国、韓国、ロシアなどに足元をみられ領土問題で攻勢にあっている。 国家的大危機にあるに
かかわらず、いまだ微温湯的体質が、そのまま残っている。
しかし現実は、ますます混迷に向かっている。直近の年内だけ考えても、非常に危険である。
 ・・・・・・・
3794, 哲学人 ー�
2011年08月15日(月)
           『哲学人』 ブライアン・マギー著 ー読書日記
 この哲学書が私の前に大きく立ちはだかっている。10年前に読んだブライアン・マギー著
「知の歴史ービジュアル 哲学入門」は、マーカーで真っ赤になっている。一度読み終わった後に
トイレに5年以上は置いて、ことあるごとに読み返していた。大型本で半分は絵と図が書かれており、
重要な部分は大文字で書かれていて、難しい内容に対し、ページを開く抵抗感を最小にしてある本である。 
数年前に、たまたま借りてきた本が、マギーの「哲学人」だった。今度は、そう簡単に読み進むことが
出来なかったが、一年ほど前に読みおえたが、実際は、あまり噛み砕いてなかった。350ページの分厚い、
上下の二巻である。しかし、哲学評論家という立場で自分の哲学遍歴方式で書かれているので、何とか最後まで
読み終えることができた。ここで、棒線をひいた部分を中心に書き写したり、コピーしたり、デジタル化して、
私の小さなデジタル・バンクに入れるため、まず上下24章のうち、6章の要所を挑戦したい。
著者のレベルの哲学書を読み解くに、以前に彼の「知の歴史」を何年かけて読んだため、続けそうな気がする。
  ーまずは、この本の上巻表紙の背裏に書いてある抜粋の部分からー
《 眠りに落ちる瞬間がわからないのはなぜ? 少年時代の疑問に大人は答えてくれなかったが、それこそが
 哲学だった。「オックスフォード哲学」全盛期の学生時代。言語の明晰化に終始し、哲学を「思考についての思考」
とする潮流は、現実世界の理解を深めたいと考えていた著者に何も与えてくれなかった。 知覚論、経験論、論理学、
科学哲学… 多くの思想を吸収しながら、ついにカント哲学に出会ったとき、著者はみずからの方向性を確信する。
 学外での人生を選択し、政治哲学の実践である国会議員と、哲学番組の企画制作の仕事を両立、第一線の哲学者と
 交流を深めながら、自身の疑問に答えるため哲学を探究していく。》
▼ この本を読んでいて、自分の子供の頃とは次元の違う世界にいて、哲学的に考えていた著者に驚愕をした。
 知的風土の違いは子供に、そのまま現れ出てくる。ところで以前にも少し書いたことがあるが、私には眠る瞬間が
分かったことがある。「スゥ〜」と意識が失われる瞬間が分かったのだ。だから、私には、どんな偉い哲学者が、
それを意識出来る訳がない、と論じても、 私には、それが間違いと断言できる。プッツ〜という感覚で、
管が細くなっていく先に落ちていく、という感じである。
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3429, 電子書籍の衝撃
2010年08月15日(日)
   「電子書籍の衝撃」 佐々木 俊尚著
「iPad 対 キンドル」と、合わせて読むに丁度よい内容、その詳細というところ。
書籍が電子化されていく世界が、「本を読む」「本を買う」「本を書く」という行為に、
どのような影響をもたらし、どのような新しい世界を作り出すのか? を、探り出す内容。
  まずー著者後書きよりー
【 私は年に数百冊も本を購入し、たぶん百冊以上はちゃんと読んでいる活字中毒者です。そして同時に、年に
四~五冊も本を出している書き手のひとりでもあります。その意味でキンドルやiPadのような電子ブックリーダーが
出てくることによって、本の世界がどう変わっていくのかは自分にとっても切実な問題としてとらえています。
本文中で何度も書いていますが、間違えてはならないのは、「電子ブックの出現は、出版文化の破壊ではない」
ということです。何千年も同じような活字形式で人々に愛されてきた本は、そう簡単には崩壊はしません。
そこがたかだか数百年の歴史しかない新聞や、あるいは登場してから数十年しか経っていないテレビとは違うところ。
でも活版印刷が十五世紀に発明されて本の流通と読まれ方が劇的に変わったように、電子ブックも本の流通と
読まれ方を大きく変えるでしょう 】
 電子書籍の拡大によりコンテンツ自体が著者や発行年にかかわりなく平準化し、
よりセルフパブリッシングが拡大する。音楽の世界がデジタル化で起こったことが、ほぼ同じように
書籍の世界でも起こるのである。その結果、既存の出版モデルは立ちいかなくなるということだ。
・キンドル、iPadというタブレット式パソコンが一躍脚光を浴びてきた
・そこには優れたプラットフォームがあり、
・電子書籍化でセルフパブリッシングが可能になり、フラット化する
・さらにツイッターなどのコミュニティなどでコンテクスト消費的な動きになる。
本屋もCD・レコード店、出版社、音楽出版社もiTunesやアマゾンの淘汰されていく運命にあるということ。
kindle・iPadが、iPhone・iPodと同じように、それぞれの世界を淘汰していくプロセスを踏んでいくのである。
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3054,渡辺淳一の不良講座
 2009年08月15日(土)
 渡辺淳一著『反常識講座』 
 ー第六章 軽率になって恋をしよう
渡辺淳一の恋愛感が面白い。この本の三分の一近くが、その内容である。恋愛感とテクニックは、著名な作家は品位を
疑われる?とかで正面きって書こうとしない。恐ろしい女評論家が「女性蔑視!」と攻撃されかねないこともある。
渡辺淳一は、それが売りだから攻撃する方も腰がひけるのだろう。
 ー彼の云わんとすることはー
・ 男と女は体の構造が違う。 真面目くさらないで、どんどん女性に声をかけろ。
 そのためには、心など込めないで気楽に褒めまくれ。 それも一人の女性に的を絞らないで、二人、三人を
 同時に追いかけろ。一人を追いかけるより、その方が同時に上手くいく確率が遥かに高い。
(字数制限のためカット 2012年8月15日)
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2689, 他山の石のことながら
 2008年08月15日(金)
 ー大手ファミレス・チェーンが大きく揺れ動きだした
他山の石のことながら、「ファミレス」が石油高と不景気の直撃を受けているだろうと思っていたが、
 案の定「外食産業の不振」の記事が毎日新聞に載っていた。(8月13日経済蘭)
ファミレスのトップの「すかいらーく」の創業社長が97?の株式を握る投資会社二社による解任である。
 07年12月期に二年連続赤字で、130億の赤字というから大変なことだ。
(字数制限のためカット 2010年8月15日)
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2007年08月15日(水)
 2325, ベナレス −1          ー読書日記ー
図書館から何げなく借りてきた本だが、一時間もしないうちに読んでしまった。
写真が半分以上だったこともあるが、死の世界が剥き出しになっている。
この本はTVの放送内容を本にしたもので、TVの映像を切り取った写真と文章を中心に構成されている。
実は数年前に、この番組をみていたのである。本を読み終わってから思い出したのだから自分でも呆れてしまった。
早く読めたのも、その下地があったからである。
ー著書もTVも、「NHKスペシャル アジア古都物語」―ベナレス 生と死の聖地 ーである。
  <その内容の一部を抜粋してみる>
インド各地から遺体が運ばれてくるガンジス河中流域、ヒンドゥーの聖都ベナレスのレポートである。
その中で、ガンジス川で沐浴をする誰もが言う。「ベナレスで荼毘に付されれば必ず天界に行ける…」と。
全国から車やトラクターで運ばれてきた遺体は、路地を抜けるために屋根から降ろされ、人びとの手によって
担がれ火葬場へと向かう。「ラーム・ナーム・サティヤ・へー、ラーム・ナーム・サティヤ・ヘー」
(神様だけが真実である、神様だけが真実である…)担ぎ手たちはこの言葉を繰り返し口にする。 
こうして冥福を祈られながら、やがて遺体はマニカルニカー・ガートと呼ばれる火葬場に到着する。
聖地ベナレスで最も聖なる場所の一つであるマニカルニカー・ガートはガンジス河をのぞみ、街の中心部に位置する。
その歴史は数千年におよぶと伝えられている。  (字数の関係で中間カット 09年08月15日)


4900,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー47

2014年08月14日(木)

   * マイホーム購入ローンの落し穴からから見えたホテル倒産原因!
 3千万円の住宅で、純資産(自己資本)5百万の場合、2千5百万が銀行ローンになる。
バランスシートの右側の資金欄からみると、契約をした瞬間、自己資本の5百万が消滅する
現実を殆どの人は自覚してない。住宅メーカーの利益分の上乗せてあるのが消えるだけで、
元もと、その価値でしかない。 その程度ならマシで、もっと損をしているケースが殆どと見てよい。
要は、買った瞬間に、新規住宅は‘中古住宅’になり、市場的には当然、3〜5割引になって
当然である。22年間のっていた、ソアラが、そうである。中古車フェアの目玉で、入口近くに
展示していたのを衝動買いをしたが、二千キロ乗っていたが、親とのトラブルで返品されたもの。
値段は三分の二以下。  その上に、デフレなら、年々の値下がり額がローンの支払い額を大きく
上回る。バブル崩壊時期に、それが日本中に多くの悲劇をもたらした。資産の急激な減少に対し、
返済の負債の減少額が追いつかず、資産バランスが崩れてしまい、資産のすべてを売っても
借金を返せない事態になる。 
 私の事業の最期では、ホテル債権資産売却後の残債が20%も残ってしまった。
30億の投資が、僅か4億円の売却額である。その間に、20億の返済は済んでいたのに、である。 
元もと、その中の6億がゼネコン・シンジケートの撥ねられ、あとは、金利と、実態とかけ離れた
税制の矛盾などもある。 最期の年度前まで、全ての年度が営業黒字で、この結果である。
更に激しい資産デフレとくれば・・ これからしても、10年〜15年目での事業転売こそが、
正しかったことになる。
 住宅ローンに話が戻るが、「30年近くローンを払い続けて、完済。定年になって残るのは、
上物は査定ゼロのボロ家(廃棄だけで200万は掛かる)と、土地。 
そこで、「私の人生は何だった?」と、唖然とする。「だったら、新しい貸家を渡り歩いた方が、
遥かに良かった」という思いになる。これが比較的恵まれていた中産階級としたら、大不況に
なるのは当然。これがデフレの恐ろしさ! 住宅メーカーは、『家賃分の支払いを、そのまま、
住宅ローンに転用すれば』の甘言で勧誘するが、実は、大きな落し穴があることに気づかない。
逆に、ハイパーインフレの場合、それは逆に働くため、この見方は一概に正しいとは、言えない。 
この上に、資産デフレと、物価デフレが直撃をし、この有様になった我が身だが、今さら後悔も
何もない! ポートフォリオの考え方を、資産だけでなく、夫婦間にも取入れておくのが
長期投資のポイントになる。たとえば、「土地は妻名義、建物は夫名義」とか、まあ、離婚も
ありうるから、その方が危険? で、失業や転職などで住宅ローンを支払えなくなった場合? 
ローンの返済をストップをして、一度、不良債権にすると、競売にかかる直前に、半値か、
半値八掛の値で、交渉が必ず来る。そこで、子供か親戚などに買ってもらえばよい。
それで借財が半分以下になる。私の抵当に入っていた住宅は、家内に、買って貰ったが、
今では居候の身。 割切れば、娑婆は面白い!
・・・・・・
4533, 閑話小題 ー花火が途中で中止、残った花火はどうなる?
2013年08月14日(水)
   * 花火が途中で中止、残った花火はどうなる?
 「隅田川花火大会」が7月27日にあり、2020年の東京五輪招致を祈願してオリンピックを
イメージした花火などが打ち上げられたが、雷雨のため開始から約30分後に中止になった。
同大会が中止となったのは初めて。 三分一も上げないうちに中止ということで、貧乏人の
私たちは気になるところ。その疑問を朝日新聞で取り上げていた。隅田川の花火の場合、
保険が80万円がかけてあり、実損はない。 筒に花火を入れて置くため雨で湿気てしまい
再利用は不可能。化学薬品で処理した後に水で流すという。隅田川の場合、6千数百万の
実損は保険屋が受ける。火師も当日は冷ひやだろう。
   * お盆か〜
 お盆については毎年のように書いているが、早朝の三つのお寺の墓参りと、夕方の改めて
家内との菩提寺への墓参り。盆・暮の実家帰りの大移動も日本の風物になっている。 中国も
旧正月前後の40日間で延べ31億人が鉄道、バス、飛行機などの交通機関を利用するそうだ。 
日本も時代は変わって、墓参りも以前ほど重きをおかなくなってきている。 私など、仏間の一角に
パソコンデスクを置いて、一日4時間以上もいるので、今さら墓参りの必要もない。 墓参りを
何故するか?の哲学的質問に、「故人を偲ぶとき、他に行くところが無いため」というのがある。 
実家に仏壇があり、盆暮は昔からの長期休暇で帰省も東洋的である。 寺への挨拶も、
家族形態が家から個人に重心が移っており、以前ほどの重さがなくなった。時間的には
一年の3分2だが、気持ちの上では折り返しになる。我家は、正月には一家が集まるが、
盆は兄夫婦がくるだけ。年寄のレジャーの趣むきということか。その中で、寺院経営も年々、
厳しさを増しているだろう。私自身、このHPが墓とみなし、死後の墓参りより生存中の墓参りを
してもらっているので、今さらお盆という気持ちが強い。しかし、先祖供養も必要である。
・・・・・・
4158, 閑話小題 ーアイスキャンディー
2012年08月14日(火)
    * 今日は御盆二日目
 先日から御盆のため民族大移動が国内外に向け始まった。13日は早朝、三つの寺、
夜は菩提寺に二度目の墓参り。盆暮れは日本特有の恒例の里帰りも良い風習である。
不景気で世相が暗くなるほど、こういう行事は大事にされる。しかし家族主義から個人主義へと
考え方が変わる中で、こういう風習も廃れるのは避けられない。
 ところで墓とは何だろうか? 多宗教の日本人にとっての心の拠りどころ。
最後は、あそこに入るという共同幻想があり、祖先の霊が眠っていてイメージがある。
私は自分のHPを墓場とみたて、死んだ後より生前供養に毎日来てもらうイメージがある。
ところで百年、二百年先には、家の墓が残っているかというと、旧家意外は、ほとんど残っていない。
本家の墓があるが、一人息子は独身で、やはり百年? 昨日も、両親に因縁があった無縁墓に
花一輪をたてお参りをしてきたが、これも百年。  ところで御盆の13日の早朝、オリンピックの
閉会式のためか人も疎ら。こんなことは初めてである。閉会式の方が優先ということ。
お寺も不況業種の典型である。
* アイスキャンディー
 子供の頃、街中の「行楽」というラーメン屋のアイスキャンディが夏の名物で、
アズキアイスとミルクアイスの二種類があった。今は店も無くなり、私が知る限り一軒だけ
昔のスタイルのキャンディ屋が残っている。10年位前になるが、たまたま、熱暑の中、
雁木通りを歩いていて見つけ、10本買って帰ったことがあった。 
ところで一昨日、近くのスポーツジムの帰りにスーパーに寄ったところ、オバサンが
美味しそうにキャンディーを頬張りながら出てきた。 買い物を終え出口近くに行くと、
サービスカウンターでキャンディーを売っていた。オバサンを見なければ見逃していたが、
5本買って家に帰って食べてみたが、思ったより小ぶりで味は今イチ。 
それにしても、子供の頃に食べた行楽のアイスキャンディーは美味しかった!
・・・・・・
3793, スポーツジムの景色 −3
2011年08月14日(日)
 4ヶ月でのジムの運動効果はどうか?というと、体重は元もと早朝のウォーキングと、
サイクリングの効果で、適正体重を20年以上は保っていた。そのため、減増はないが、
頬の弛みは無くなり体調は非常によい。二年前に3〜4年に一度の重い腰痛になってから、
色々の腰痛対策の工夫をしたプラス効果は出ていた。 しかし4月からの午前中のサイクリングを
含めた三時間の運動は、これまでの足腰の関節を鍛えなおすに効果的。この数年来、足腰の
関節が固まった感じが、このジム通いで半分はとれたようだ。 あと4ヶ月後の年内には、
さらに一絞りした身体が出来ているはず。 ジムでは、常に各種エアロビックと、イージーライン
(インストラクターの指導下、6つの器械とステップ台で運動を繰りかえし一周する)など
プログラムが開かれている。 別にマッサージルームか、ランニングマシーンか、
筋トレマシーンで独自に過ごせる。時に昼をマタイダときは、外出も可能。 謹慎の身?にとって、
昼間に息抜きできる場所が存在しているのが有難い。喫茶店替わりである。 
これはアメリカで出来上がったサービス業態だろう。  ースポーツクラブをウィキペディアで検索すると
【 スポーツクラブは、各種の運動施設と専門の指導員を有する施設。フィットネスクラブとも呼ばれる。 
 定義は明確ではないが、たとえば日本の経済産業省の特定サービス産業実態調査における
フィットネスクラブの定義は、「室内プール、トレーニングジム、スタジオなど室内の運動施設を有し、
インストラクター、トレーナーなどの指導員を配置し、会員にスポーツ、体力向上などのトレーニング
方法などを教授する事業所」とされ、室内プールの他に室内運動施設を有しない事業所は
除外するとされている。】
▼ 私の通っている「ホリデイ」は、これにサウナ、風呂、マッサージルームが加わっている。
 またランニングマシーンはTVつきである。ポイントは施設に多くの種類の施設を備え会員数を
集めること。今月から極端に会員数が減ったため?、値段を平均一割程度下げてきた。この施設も
半年以上もかけて完成した。しかし完成して僅かで東北大震災の直撃である。大型設備投資の
難しさを他山の石として見ていることになる。 漫画喫茶はモバイル携帯電話と、iPadなどの
タブレット型パソコンが直撃している。いずれにしても恐慌である。
 ・・・・・・・
3428, 今日、我が家に新しいテレビが
2010年08月14日(土)
 八年近く使ったテレビを、地デジの切り替えとエコポイントもあり、ここで切り替えることにした。 
そのため今年に入ってから「どの機種を買おうか、何時買うか」をゲーム感覚で、家電店、そして
ネットで集中した。 昨年からはバックライトのLed方式のTVが最近、家電売り場で目立っていて、
買うならこれと決めていた。 ところが、この春のエコポイント制限期限が終了間じかになると、
3Dテレビが脚光を浴びてきた。既存のTVを売り切った後に、これ。 そうすると今度は
3Dテレビに気持ちが移った。(字数制限のためカット2012年8月14日) 
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3053,人を殺すということはどういうことか −2
2009年08月14日(金)
 「人を殺すとはどういうことか ―長期LB級刑務所・殺人犯の告白」  [著]美達大和
 現役無期懲役受刑者の言葉だけに、一言一言が重く深く響いてくる。受刑者の大部分が
罪など悔いてないのである。犬や獣のような連中が殆どで、自分の欲望のためなら他者の生命は
全く価値も尊厳も感じないと暴露する。照魔境で照らすと、多くの悪魔の姿が映っているに違いない
人たち。 著者は、ここで罪の深さを知り、カントなどの哲学書から「天上の輝く星、そして内なる
良心」の重要性を語る。 
「内なる良心に目覚めることこそ殺人の罪を償う道」であることを獣のような仲間をみて実感する。
 P−10ー 生命を奪うということは、生命だけでなく過去の記憶や未来の希望も全て破壊し
尽すということ。それ以外にも、さまざまな負の感情を植え付け、歳月の経過と共に風化させる
どころか、増殖させてしまうことに気がつき愕然としました。・・・・私は殺人には償う術はないと
思っていますが、それではどのように生きればいいのかについて、懊悩してきました。 
・・考え続けるほど、人間の原初的な善の心の発掘が必要だと知りました。・・・「獄」という字は、
獣や犬がものを言うと書きますが、実際に生活してみると、そのとおりでした。
正常な感覚を持っている者は本当に少ないのです。
 P−250ー 私はここで服役するまで、人はもっと自省し学習すると思っていましたが、
現実は違いました。  (字数制限のためカット2010年8月14日) 
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2688, 「エリック・ホッファーの 人間とは何か」
2008年08月14日(木)                  
  ー遊びをせんと生まれけむー    −読書日記−
亡き佐治敬三氏がサントリーの会長だった頃(1995年頃)、
口ぐせのように言っていた言葉に「美感遊創」がある。
・「美」は、羊が大きいが語源。大きく艶やかな羊の美しさを表わしている。美に感応する心である。
・「感」は、 感性、感動、共感。 旅に出て自分の世界の外に出会って感動したり、絵画、音楽、映画、
 演劇などに感動することが人生を豊かにしてくれる。
・「遊」は、神代の昔から人間にとって一番大事なこと。 「遊びをせんとや生まれけむ」と「梁塵秘抄」
  にあるように、人間は「ホモ・ルーデンス」。 遊ぶことで人間性を回復し、活力を得る。遊び心。
・「創」は、新しい断面、局面を切り開いて、個性のある創造をすること。一瞬の新しいものへのシュンパツ力。
 以上だが、この4つが人間の心の豊かさの要素である。 確かに、人生はこれを磨くプロセスであった。
  この中でも、「遊び」が、人間にとって最も有用な行為になる。
「エリック・ホッファーの 人間とは何か」という著書に、遊びについて次のように述べている。
《実用的な道具はほとんどすべて非実用的な関心の追求や暇つぶしにその起源がある。
最初に家畜化された動物ー小犬は、もつとも役に立つ動物ではなく、もつとも遊び好きな動物であった。
猟犬が出現したのはかなり後のことである。最初に家畜化された動物は子供たちのぺットであった。
おそらく,植物栽培と灌漑も、初めは遊びとして行なわれたのである。 車輪・帆、煉瓦なども遊びの中で
発明された可能性が強い。 たとえば、南アメリカのアステカ人は車輪を使わなかったが、
足の代りにローラーをつけた動物の玩具をもっていた。装飾が衣服に先行した。
  (字数制限のためカット2010年8月14日)
・・・・・・・・・
2007年08月14日(火)
2324, 嘘でしか語れない真実もある!       (。・・)ノぉはょぅ♪
芥川龍之介に「人生には嘘でしか語れない真実がある」という言葉がある。その典型的なものが旧訳・新訳聖書。
あのような奇跡などあるわけがないが、あの話を通して事実では語りえない真実を語っている。末期がんの患者に、
「あなたは助かりませんよ」と知らしめることが、いいのか? 死ぬ直前まで嘘で固めて、気づかないようにして
やる方がいいのか? これは誰も判断の出来ないことである。日本には「嘘も方便」「嘘からでたマコト」という
言葉があるが、時には嘘も大事なこともある。女性の化粧など、嘘で固めた外形?ではないか。いや、真実を
引き出す行為か? プロの物書きは、まずは真実を伝えるためなら平気で嘘を書きなさい!と教える。
読み手は些細なことが事実かどうかより、真実を伝えてくれることを望んでいる。
「正直に拘ると、人生あまりに窮屈で面白くなくなります」という言葉が浮かんできた。 
何処かの小説で誰かが言っていそうである。詐欺師など、嘘のプロが普通の人を如何みているのだろうか?
少なくとも、言葉の効用を知り尽くしている。 嘘にも色いろある。相手を陥れる嘘や自利のための嘘は結局は
自分に跳ね返ってくる。相手のためになる嘘は、それがプラスになり生きてくるものである。
嘘でしか語れない真実?    ー以下は字数の関係上、カット。(09年08月14日)-


4899,ホントに大事なお金の話 −4

2014年08月13日(水)

* 金の持つ力ー魅力・魔力・暴力とは
 世の中の8割は?金の力で自由になる。だから魅力と魔力と暴力性を備えた金を持つ人間に
惹かれるのである。今の世界は資本主義社会であり、資本=金が価値基準の元になっている。
 金とは、自由であり、力そのもの。金さえあれば、世の中の8〜9割が自由に出来る。 
逆に、金を失うと、不自由この上なくなる。 そして、裸の自分と向きあう事になる。
それが、逆に効用になるのは、皮肉といえば皮肉。。
 ーお金の持つ力について、以下で、ずばり指摘している!
≪ お金とは何か、を考える際のキーワードは、金の持つ「力」である。
 お金は、3つの力(魅力、魔力、暴力)を、兼ねそなえている。
1、お金は、価値がコンパクトに保存されていて、必要なときに必要なものと交換できる(お金の魅力)
2、お金は、人々の欲をどんどん大きくする (お金の魔力)
3、お金は、そのカで人々を操ったり傷つけたりももできる (お金の暴力)≫
▼ この3つの力は、人生を生きていく上で大きな働きをする。100万なら100万の、1億なら1億の、
10億なら10億の、100億なら100億の力を発揮するし、それを動かすだけで世界も、視野も開ける。
・小学、中学と、高校、大学の友人を見ていると、学力だけでなく、家系からくる貧富格差が
明らかに見て取れる。
・お金の魅力については、その交換価値にある。 世界旅行に出たければ、旅行代理店の
旅行パックを選び、金を振り込めば、世界各国に気楽に行ける。こんな便利で、都合の良いものは
ないが、これを稼ぐとなると、それなりの知恵と努力が必要になる。 剥き出しの真実の塊は、
そう簡単に得ることは出来ない。
・その金には、魔力が潜んでいる。金の魅力に対し、欲が無制限に広がっていく。
それが逆に命取りにもなる。
・お金は、その力ゆえに、人を支配した上に傷つける「暴力」性が出る。お金で何事も解決できる
という錯誤を持ってしまう。しかし、解決のための一番の力でもある。人間の持つ自由への無限の
願望の、手段そのものになる。
・お金は、知識、情報に非常に似ている。知識、情報は、自由と力をもたらす点である。
持った分、使った分、自由を得ることが可能になる。 全てが、終わってしまえば夢幻! 
それを金で買えるのか?買えるのである!だから、魅力と、魔力があり、暴力性が伴うのである。
恐ろしいかな幻覚。 で、饅頭欲しい!  で、いやに去年の同月同日の文章が微妙に響いてくる。

・・・・・・
4532, 閑話小題 ーつまらん男
2013年08月13日(火)
  * つまらん男は私じゃないか
 今さらだが、最近、人生を振り返って、つくづく自分が「つまらない男」「嫌な奴」と自覚するように
なった。色いろの経緯もあって、自己否定と、それを打ち消そうとする自己肯定が、せめぎ合う日々。
老年は誰も似たかよったり? 相手を指摘するときの人差し指の下の3本は自分の方を向いている。
親指は上を指しているが、親指が天の道理で、人先指は相手の指摘、他の三本の指が自分のこと、
になる。 相手の指摘は、自分に三倍も身に覚えのあること。
 前回の同級会で、社長まで上り詰め、順調に定年をむかえようとしていた矢先、不条理の返り矢に
当たった実直な人物に、励まそうと思って使った枕詞で、大失言をしてしまった。
「つまらない男と思っていたが、良かったじゃないか。この試練でアンタも半人前になれたんだから!」
と。これ、自分に対する自問自答の末に出した、その時点の自分への結論。
「つまらない男」は自分のこと。しかし発した言葉は帰らない。恐ろしいことである。
その直前に横の席に実家の老舗を倒産させてしまった人が、「倒産した現状を考えれば考えるほど、
心から感謝させられる!」と、語りかけていた。この心の経緯が、私の自問自答の中でも多くあった。
「事業が順調で、息子の一人を継がせるのが、果たしてベストだったか。もう一人の息子に恨まれるし、
継いだ方は上手くいって当り前で、頓挫すれば恨まれるだけ。三羽の震災クラスの黒鳥の到来で、
思い切った事業撤収の決断こそ、ベストではないか。下手な未練はないし、オセロじゃないが、
それまでの白コマを逆に黒コマとして考える機会にもなる。しかし、これは口外してはならないし、
第三者からみれば自己詭弁でしかない。このクラスの震災と経済震災の出あいは必ず意味がある。」
と思っていたので、それが手に取るように理解できたのである。 で、その返事が偉そうに、
「以前の不幸を加えると、あんたも、これで一人前!人生の完成じゃないか。」である。 
哲学で言う「承認」の言葉。 それに対し、もう一人には、あまりに無神経な言葉である。
でも、その結果は当人にとって大きな意味(価値)があるはず。そのぐらいのことは葛藤の中で
十二分に自覚はしているはずだが・・ それにしても、常日頃、自覚し始めた「嫌な奴」
「上から目線のヤワな奴」の、自己「承認」になった。老いは恐ろしい!
【*哲学でいう承認とは? =ホネットの研究テーマは、相互主体間関係の倫理的な再構成
(ハーバーマスと同様、個々人の関係における道徳性の再構築)にある。つまり、倫理的(道徳的)
発展は、相互主体的関係を前提とし、その中心は、承認関係に置かれている。】
ー究極状態の主体たる相手を認めなさい!これ人間関係の基礎ー ご先祖様、歪んだ私を助けて!
・・・・・・・ 
4157, 老後は夫婦の壁のぼり
2012年08月13日(月)            
  ーまずは、内容紹介よりー      「老後は夫婦の壁のぼり」ねじめ 正一著
 すべての団塊世代に捧げる老後のヒント。団塊世代の作家・ねじめ正一が、人類永遠のテーマ「夫婦、男女のすれ違い」を
縦軸に、今、団塊世代が直面する「老後の問題」を横軸に、ユーモラスに、時に真摯に縦横無尽に紡ぐエッセイ集。
 ーー
 図書館で、この本を手にして早速よんでみたが、身につまされる話が次々と出てくる。人生は坂を上ったり、下ったり、
マサカの坂に出会ったりするが、老いは、そんな生易しいものでなく、ロック・クライミングの室内用壁のぼり、のようなもの。
とにかく一日一日が、下に落ちまいとニジリ登っていく壁である。亭主が外で働き稼いでいるうちは、奥さんも一歩下がってきた。
しかし稼ぎを無くして年金暮しで収入も激減し、家でゴロゴロしていると、それだけで腹がたつのは道理。そのため、すれ違いと
溝は深まるばかり。 ここで、ー夫婦喧嘩‘健康法’ーを紹介している。NHKの健康に関するTV番組に出演した時の、鈴木清順の
ー夫婦喧嘩‘健康法’ーである。 番組が始まり、「ねじめさんの健康法は何ですか」と、著者に話を振ってきた。
著者は草野球をしていたので、「年間25試合の草野球が楽しい。身体を動かす喜び、仲間との交流の嬉しさ、そして、
試合が終わってから家へ40〜50分歩いて帰ること・・・」と上ずって話した。次に、清純さんに、その質問が移った。
≪「うん、そうですね。夫婦喧嘩ですかね。ばあさんと喧嘩していると、腹が立ってきてぼけないし、脳みそが活性化し、
どなると大声が出て肺に良い。毎日欠かさず喧嘩しています」 いやはや凄い。隣に座っていた私は目から鱗が落ちた。
私の草野球健康法は海の藻屑、いやスタジオのゴミになった。≫ 
 以上だが、それにしても大変なエネルギーだが、それなりの信頼感がないと大声で喧嘩もしていられない。
家内とも大喧嘩は日常茶飯事だが、どうもこうも、精神的にも肉体的にも健康法とはいえない。それよりも、
家に入ってからは、互いの壁のぼりが言いえて妙である。「神様は連れ添いに世界一相性の悪い人を選ぶ!」という
格言がある。若いときは、自分にない部分を持っている人に惹かれるもの。それは逆に、自分と重なる部分が少ない人。
それが長年かけて鬱積として蓄積されている。それでも昼は、すれ違いで何とか耐えてきたのが、年金暮らしで昼も夜も
一緒なら叩き合いになって当然である。特に男は、縦社会に生きてきたので、日常という横社会中心の場での生活に
慣れてないため、どうしても妻一人に気持ちがいってしまう。小さな家の中での啀み合いが、
「老後は夫婦の壁のぼり」になるのである。もしか、これ、ロック・クライミング? 酸素切れ?
・・・・・・・・
3792, つれづれに ー 今日は御盆
2011年08月13日(土)
  今年の御盆は格別の思いである。 姉、兄に続いて、私もこの三月末で会社を倒産させてしまった。
「亡き両親と兄たちに、どう報告すべきか?」という気持ちは、何処かにある。急激な悪化は、あと数年は大丈夫という見通しも、
数ヶ月もしないうちに、少し前倒しの決断をせざるを得なかった。この事態の中でも事業を継続発展させるのが私の務めだったはず。
経営は結果責任、言い訳は一切無用である。20年前のバブル崩壊、10年前の9・11テロ、そしてトドメが三年前のリーマンショック、
その上に更に東北大震災。 この20年と、これから10年の異変は、明治維新と第二次世界大戦に匹敵するか上回る規模になる。
問題は、それが今だ進行中であること。 父親が、第二次世界大戦の敗戦時には42歳であった。私は現在、65歳で、年齢からみて
再チャレンジ出来る年齢ではない。 また情報化とグローバル化の時代背景がある。 特に、情報のネット化が数千年、
いや数十万年に一度の人類にとって想像を絶するツールで、人類のあり方そのものを根底から変え始めてきている。
 情報化、デジタル化は、多くのものを無料化させる力が働く。これはプラスにもマイナスにも働く。携帯電話にパソコン機能が入り、
個々人の間の情報が瞬時にやり取りが可能になった。 そのため世界中の既存体制が、そのコントロール不能になっている。
この中での事業経営は、非常に難しくなってしまった。 日本も世界も、この混沌とした中にあって、大きな岐路にたたされている。
この時期、リーマンショックで疲弊した日本に千年に一度の東北大震災が襲った。この布置は、世界規模では戦争か、災害が起こる
可能性がある。 それが我々の前にどのような事態で現れ出るのだろうか。 幸いといって良いのか、世界に先立って、日本は20年前に
バブル崩壊を経験し、国家も、会社も、個人もダウンサイズをしてきた。その点では、体質が既に変わってしまっている。
 第二次世界大戦の半年後に、日本で生を得て、そして、それに匹敵する変動を、ここで経験している自分が、そして日本がある。
その三分の二が右上がり、三分の一が右下がりであった。人生の丁度良い時節が、歴史的繁栄の右上がりだったことを感謝している。
日本の浮き沈みに自分の人生が、ほぼ同じように重ねっていた。 所詮は国家と盛衰のウネリの中で、浮き沈みをするしかない人生か!
 目出度し目出度し!より、この方が、よほど良い人生かもしれない。 そう思うしかないが! でも、やはり恵まれていたことになる。
 ・・・・・・・                        
3427, iPad 対 キンドル ー4
2010年08月13日(金)
『iPad 対 キンドル ー日本を巻き込む電子書籍戦争の舞台裏』 西田宗千佳著
   * タブレット式パソコンのブレイクの意味することは
 日進月歩にパソコンが形を七変化をして便利な道具として提示されてきている。その一番ホットなのがモバイル携帯電話。
代表的なのがiPhone。それが今やiPadにとって代わろうとしている。早くいえば4倍の大きさのiPhoneである。
これをキッカケに多くが参入を始めてきた。 その競争が激しくなればなるほど、消費者は使い勝手が良くなる。
その結果、マスコミと出版業者の大部分が淘汰される。これにツイッターのようなミニ・ブログを個々人が持って、
情報の受発信を始める。 空間を越えて、それぞれがキーワードで繋がるのだから、これまでとは全く違った社会になっていく。
これからの社会の変容は誰も予測はつかないし、これまでとは違った価値観が出てくる。 
 考えてみればパソコンが卓上と、ノート型パソコンしかなかった方がオカシイ、ということになる。最近になって携帯に
パソコンが付いたばかり。 これが板状の平面のパソコンになった。 とすると、次の何かが出てくるはず。
ヘルメット式とか、メガネに画面が映し出されるものとか、投射式とか、想像を遥かに超えたものが、早晩に出てくる。
(字数の関係でカット 12年08月13日))
 ・・・・・・・・
3052,都会暮らしが良いか、それとも田舎が良い?
2009年08月13日(木)
 生きていくに都会が良いのか、地方が良いのか。 その人によって違うし、その判断は出来ない。
私自身は、成行きで人生の大部分を地方で過ごすことになった。 それに対して、良かったとも悪かったとも思っていない。 
どっちにしても同じでしかないのは分かっている。それぞれの性格もあるし、体質もある。 また歩んできた道もある。
ところで、地方で自然に囲まれた老荘的な生き方を自慢げにいう人はいるが、逆に都会の方が良いと声高に主張する人は少ない。 
が、あったのである。 渡辺淳一著『反常識講座』のー第三章 住むなら猥雑な都会ーの中に、堂々と書いてある。
 反常識の御題目だから、堂々と書けるのである。  
  その概要といえば
【 齢をとって田舎住まいというなら解らないでもないが、若いうちは都会の方が良い。
田舎は社会的制約が多すぎる。東京に多くの人が住み、離れたがらないのは、都会が周囲に対して
無関心で余計な干渉をしないからだ。それだけ自由になれるからである。具体的に言えば、未婚でも、ホモでも、
レズでも、どんなカタチでもそれなりに容認してくれる寛容さがある。もし地方なら白い目で見られ
逃げ出しざるを得ない雰囲気がある。それと圧倒的な刺激に満ちていて面白い。むろんその裏には悪が満ちている、
その分面白いのである。そのチョッとやばいのが若者にとって魅力なのである。若者にとって、緑や空気が
美味いなど二の次である。生臭いのが地方では露出できないのである。だから齢をとってからなら、地方は良い。
若者は、表の顔とは別に、我がまま勝手に利己的で、性的欲望を満たし暴力もある、それを誰も咎めようしない
緊迫した都会で刺激を受けた方が良いに決まっている。 また、都会の良いところは、人材の上限と下限の
幅が広いことだ。上も下も果てが無い。】   まったく、その通りである。
 私の場合は三十年近く、新潟と長岡を住と職が分かれていた。 だから地元で我慢?出来たと思っている。
どちらにも属しているようで実は、何処も属していないで済む環境が良かった。 その通勤で感じたことは、
地方の若者の緊張感の希薄性である。 希薄だから都会に出て行かなかったとも言えるが、都会のあの猥雑な
緊迫感が全く感じられない。 それはそれで、良い部分もあるが。 しかし・・・
 先日、大学の同級生と四十年ぶりに一期一会の対話をしたことを書いた。 彼は資生堂のキャリアとして、
大都市の転勤暮らしを34年間してきた。そして、奥さんが病で倒れ、最後の住まいを二度目の赴任の地の
仙台の郊外の河口の漁村に決めた。 そこは大好きな釣りの魚場。その彼に都会派?、田舎派?など問う方が野暮。 
この問いの対象は、何も分かってない若者向きの問いである。 才能と金があって、もっと若ければ、都会の
猥雑の雰囲気の新宿の近くに住んで、川口湖あたりにセカンドハウスを持った生活も良いだろう。
そう一度、【新幹線を新潟駅から飛行場まで延ばそう会】で、太鼓を叩かれて踊らされかかった松下さんは、
当にそれじゃないかい! と言って、取って代りたいとは全く思わないのは、どうしてか。
 それぞれ! ということを知っているから。
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2687, 閑話小題 
2008年08月13日(水)
 *お盆か〜
お盆は、早朝に因縁ある3つの墓参りをし、夕方に実家の墓を参りをして、坊様に顔出しをするぐらいである。
もちろん休むことなく、誰も居ない事務所で本とパソコンいじりをしている。これも普段と変わらないが。
盆・暮・ゴールデンウィークのような民族大移動の時期はジッとしているのが習慣になっている。
(字数の関係でカット 12年08月13日))
 *北京オリンピック
 *最近の車事情
(字数の関係でカット 2010年8月13日)
・・・・・・・・・
2007年08月13日(月)
2323, 面構え       ゜+.(ノ*・ω・)ノ*.オハヨオォォ☆
つらだましい『面魂』 ーとは、強くはげしい性格や精神が表れている顔つきをいう。
先日の葬式で同級生の何人かに会って、それぞれの顔をみると昔の面影をのこしているが、
やはり人生の風雪に鍛えられた経験が顔ににじみ出ていた。私が見るところ、その人の顔が
出来てくるのは50代に入ってからである。『面魂』に似た言葉に「面構え」がある。「面構え」とは、
むしろ長い年月をかけて出来上がった顔のこと。片岡球子という画家が「面構」をテーマとして、
色んな人の肖像画を書き続けている大作シリーズがある。その中の第1作「足利尊氏」など、
あまりにも味のある漫画的顔で、頭に描いていたイメージとはまるで違う。
(字数の関係でカット 2011年8月13日)


4898,ホントに大事なお金の話  −3

2014年08月12日(火)

                『知っておきたい ホントに大事なお金の話』佐伯 良隆 (著)
  * お金と「幸せ」について ー幸せは金で買えるか?
 幸せは金で買えるかは古代哲学からの大問題。 ー以下で、その辺りを取り上げている。
≪・2002年に、ノーベル経済学賞を受賞したダニエル・カネーマンが『年収7万5千ドル以上になると、
 それ以上の所得の増加は「生活満足度」は高めても「幸福度」は殆ど変わらない』と結論づけた。
・2013年、ミシガン大学のスティーブンソンとウォルファーズは、各国の詳細なデータ分析から、
一人当たりGDPと「生活満足度」には明確な相関があり、「幸福度」とも一定の関係がある、とした。
・それでは日本人の幸福度はどうでしょう。国の豊かさを示すGDPは50年前には4000ドルでしたが、
現在は43000ドルと、10倍以上になりましたが。一人当たりの経済活動費は飛躍的に増加し、
私たちが手にするお金も増えました。それが連動するなら、日本人は10倍も幸せになったはず。
・ある調査で、世界各国で自分の幸福度を10段階で自己評価したものを集計した結果、
2012年時点で、日本は6・5で、1960年度から50年で、ほとんど変化をしてなかった。
一方、北欧諸国は8・0前後と高く、他の欧米諸国の多くも7・0〜7・5、深刻な経済危機をかかえて
いる失業率が20%のギリシャさえ6・4%。 日本は主要先進国中、最低レベルなのです。
OECDの幸福度指数でも、経済力の割りに高くない。一人当たりGDPが14位にかかわらず、
幸福度指数が34ヶ国中21位でした。・・・ ≫
▼ バブルの崩壊以降、右下がりの経済環境の中、戦前世代、団塊世代、団塊ジュニアは、
 右上がりの時代と比べてしまうのが要因の一つ。 私の場合、終戦から40年近くの右上がりの
時代に生きて、それまでの40年は日本の歴史的繁栄時代に生きることが出来て、非常に
良かったことは確かである。 で、現在は? というと、バブル崩壊までに、その恩恵を充分に
受けていたこともあり、当時の温もりがあってか、それなりに良いし、満足をしている。
 森の生活の30数年間は、7百万〜千5百万の収入だったが、年金生活の現在、3分1から
4割の収入になったが、収入なりに楽しみがあって、当時が良かったと思いは皆無。
7万5千ドル(750万円)といえば、一般の家庭生活で、生活をしていくに気にしないで済むレベル。
御隠居生活なら400万もあれば、充分。父親の質実剛健の教えが、年金暮らしで再度、生きてくる。
 預金が10億もあれば、やはりハワイに夏場と冬場の数ヶ月は滞在しているのだろうが!
饅頭嫌いは建前で、饅頭大好きが、やはり本音である! 小さな中古マンションに引越し、
半分はハワイに行くことは可能だが、そこまでは出来ない!のは・・ この考えも、バブル期の残物?
・・・・・・
4531, 生きる悪知恵  ー9
2013年08月12日(月)              
   * 最近、涙もろくて困るんです・・      「生きる悪知恵」西原 理恵子 (著)  
A: 「男は人前で涙を見せてはいけない」と教えられて育った昭和の男です。
ところが、不惑を過ぎた頃から、どうも涙腺が弱くなってきました。いや、近しい人のお葬式とか
娘の結婚式とかで泣くのならいいんですが、本当にちょっとしたことで泣いてしまうんです。
特にヤバイのが映画。昔だったら絶対泣かないどころか、半分バカにして笑ってたような
べタベタな泣かせ映画で泣いてしまって、周りに気づかれないようにするのが大変。
 「おっぱいバレー」や「ルーキーズ」で涙があふれてきたときには、我ながら呆れました。
 一人のときならいいですが、人前ではみっともなくて困ります。 どうすれば、つまらちいことで
 泣かずに済むようになるでしょうか。(51歳・男・自営)
B:  昭和の男だって、泣いていいんですよ。星飛雄馬だって父ちゃんだって、よく泣いてたじゃ
 ないですか。「少年兵は簡単に人を殺す」って(戦場カメラマンだった)鴨ちゃんに聞いた括だけど、
それは子供は生きていくうえでのいろんなことを知らないから。子供はすぐ虫を殺すけど、大人は
「かわいそうだから、やめておこう」ってなるのと一緒。大人の涙は色んなことを経験したから出る涙な。
「いろんな人生にお疲れ様」という涙。私の周りの大人もよく泣く。もう泣きまくり。男の人も女の人も。
この年になるとみんなもう背負っているものが一杯になって。ちょっとしたことで「ああ……」って
溢れてくる。私もホントに、世界中いろんなとこに旅行に行っても、本を読んでいても、
子供のチョッとしたこととか、猫が寝てるのとかを見ても、過去の何かとすり合わせようとする
みたいで、自分の中でこみあげてくるものがある。 ヘミングウェイの「何を見ても何かを思いだす」
じゃないけど、もう走馬燈が回り始めてるのかも。「人前でみっともない」って、そんなことない。
もし「泣いてる父さんが嫌だ」なんて言う人が周りにいたら、そんな人とはつき合わないね。 
 やっばり今まで我慢してきたことかたくさんあるわけで、そろそろ体の中の我慢のツボが
いっぱいなんですよ。だから溢れてるわけで、それを無理に止めるとホントに心の病気になって
しまう。だから、よく泣き、よく笑い、よく飲んで、よく食べて、外に出て、体を動かして日の光に
あたること。その年で精神を壊すと大変ですから、我慢することなどしないで。
遠慮せず、泣いてください。だって、あと少ししたらもうチンコも立たなくなって病気になって
死ぬだけですから。歌にもあるでしょう、「泣きなさい、笑いなさい」って。
 すべて自然のままに垂れ流しでいきましょう。 結論、 自然のままに垂れ流せぱよし。
 ▼ 20歳代によく布団の中で泣いたものである(但し人前では泣かなかった)。
 それが30歳過ぎた頃から 泣かなくなった。泣いていられるほど置かれた立ち位置が崖っぷち
だっただけだが。 布団でも人前でも、涙を流すと何か踏ん切りができる。さめざめ泣くことと、
腹から笑うことの中に、心の深い傷に対して人類の
 長年かけ作りあげた自浄作用があるようだ。自浄作用といえば、先日、信濃川の長岡大橋を
ポタリングの途中、初老の男が、川に向かい背中を反らした後、前を屈むようにしながら数度、
ワォーッ」と喚いていた。 何かがあったのだろう。今度、誰もいないとき、やってみようと思ったが、
これ、気持ちがいいはず。今度、シネマで、ストーリーに感情移譲をして、泣く練習をしてみようか。
・・・・・・・
4156, EUメルトダウン
2012年08月12日(日)
           「EUメルトダウン 欧州発 世界がなくなる日」 浜 矩子 (著)
 オリンピックも終わろうとしているが、これから年末までの4ヶ月半の日々が、緊迫した日々になる。
この本の題材のとおり、「EUメルトダウン」と、イスラエルによるイラン核施設への可能性である。
ズバリ8割だろう。この書籍は書店では目にして立ち読みをしていたが、数日前に図書館で見つけた。
去年暮れに出版された本で、その後の推移は、ほぼ当たっている。しかし、その都度EUは何とか緊急融資を
決定して、乗り切ってきた。しかし、どれもこれもギリギリの決断。
  ーまずは、アマゾンの内容紹介よりー
≪ ギリシャに端を発した、欧州の財政危機問題はポルトガル、イタリア、スペインといったいわゆる
 PIIGS諸国に連鎖し、遂にEUの屋台骨の一つであるフランスまでにも飛び火して、金融危機が勃発しようとしている。
さらに、もう一つの屋台骨であるドイツも改革疲弊・限界支援で今後の動きが読めない。EUは、まさにメルトダウン
寸前の状態にある。ギリシャの破たんが、すぐそこまで来ている今、ユーロは暴落し、諸外国の株価も急落している。
EU発の世界経済大崩壊″第二のリーマン・ショック″は日に日に現実味を帯びてきているのである。果たして
世界最大の国家″EUは生き延びられるのかー。そして、この欧州危機は世界に伝播し、大恐慌に陥ってしまうのか―? 
‘ユーロという通貨の統合の果実が毒’に変わりつつある今、世界経済は大変革のターニング・ポイントを迎えている。
欧州危機を乗り越えるにはどんな方策があるのか? そして、日本は今後EU諸国とどの様に関わっていくべきなのか?
エコノミスト・浜矩子氏が、EUの経済危機を、EMS(欧州通貨制度)の崩壊、マーストリヒト条約締結から現在に
到るまでの歴史的事実から、EU、そして欧州各国がとるべき政策を考察、解説する。≫
▼ 1979年に発足した欧州通貨制度は、その縛りを各国が守ることから始まったが、その足並みが揃わず、
 大きな壁に突き当たったが、最後に妙案が出てきた。事実上のドイツ・マルク本位制に見立てて、各国が、
ドイツの経済実態に自国経済のパフォーマンスに摺り寄せることだった。インフレ率も、成長率も、失業率も、
金利も、目指すはドイツだった。要するに「ベスト・プラクティス」を各国がすることだった。ところが
1990年代に入って、安定するはずのドイツが、東ドイツを吸収したため、西ドイツ・マルクが消滅、統一マルクに
なって、価値の定まらない通貨になってしまった。西ドイツの人々は、東ドイツの人々のために「連帯税」を
取られ、その力を失っていった。そして、問題であった、南欧の人たちの仕事に対する甘さが、そのまま、
ドイツに重く圧し掛かって、その将来に暗い影を落としてきているのが現状。ドイツ国民も、どこまで、この重圧に
耐えられるか、もし、反対政党が、離脱でも言い出し、勝利を収めれば、このEUのメルトダウンが大爆発を起こし
消滅することにもなりかねない。その前にPIIGSの一つがデフォルトの可能性が大である。
時の権力者は自分の代での爆発は避けたいもの。それが積もり積もって、限界点に到達したか?
 ・・・・・・・
3791, スポーツジムの景色 −2
2011年08月12日(金)
 このところジムが何か変である。4月初旬に入会したが、当時は平日の午前中に関わらず会員で満タンで、
「ここは不景気とは別世界、私の知らないうちに社会は変わってしまった」と、思い知らされた。 
まずは値段の安さである。昼間の空いている時間帯(主婦と定年後の団塊世代を狙いをつけた時間帯=金曜ー定休、
日祭日を除く10時から17時)のコースが、月に5980円である。 私は、ほぼ皆勤で10〜12時の二時間は通っている。
20日で割ると一日300円でしかない。 しかし私が入会後、一月もしない5月のゴールデン・ウィーク後から、
ジム内の会員数が激減をしている。まずは三割、そして五割、最近では三分の一ほどになってしまった。
嘘のようだが本当である。僅か4ヶ月のうちである。平日昼の時間帯からみて、景気に敏感な主婦層が多い
こともあるが、東北大震災の影響が直撃したようだ。会費が二月分前払いのため、連休明けから激減したようだ。
また場所柄、農家関係も多いこともある。考えてみれば新潟は福島の隣県。イメージからして、農作物は
中長期的にみて大打撃は避けられない。農業関係者なら敏感なはず。 連休後から御友達紹介キャンペインを
始めたが、新規の見学者が、このところ少なくなった。 スポーツジムはレジャーの範疇に入る施設である。 
10年前の9.11テロと、3年前の9.15−リーマンショックは、数百年に一度の文明と政治経済の大激震。
その影響が、まずは日本に直撃。 それで今回、私の事業も倒産に至った。 その上に、1000年に一度の
地震・津波の自然大災害と福島原発事故である。 そして先週末からの世界同時株安が襲ってきている。 
ジムが劇的に会員が激減していくのも当然といえば当然。 家内は10年前から信濃川の川辺のイオン内の
スポーツジムに通っている。 そこで家内に、会員数が減っているかどうか聞いたところ、「元もと少ないので、
減った感じはない」という。 とすると、ジム愛好者が居酒屋が新規開店に殺到するように、新しいジムに
様子見に来たのが一巡し、前のジムに舞い戻った要素もあるのだろうか?と考えてみたが、新しく大きい方が、
より多くの種類の設備が付加されているので、大方が元に戻るというのも考えにくい。やはり大震災の影響である。
それと私自身の見方が、時が時だけに、悲観的にみてしまうことも考慮してもである。休日は、市営の公共施設の
サンライフにいくが、そこで一通りジム設備が揃っていて、我慢すれば出来ないことはない。
公共のジムを二つ兼ねれば、それなりの満足感を得ることも可能である。スポーツジムからみる、景気も、
そう甘いものではない。 それにしてもジムは、ゴルフをしない者にとっては健康にとって、非常によい。 
 ・・・・・・・・
3426, iPad 対 キンドル ー3
2010年08月12日(木)
   『iPad 対 キンドル ー日本を巻き込む電子書籍戦争の舞台裏』 西田宗千佳著
 * iPadは「eBook」ではない?!
 初めの発表会でiPadが画面に出たとき、会場は単に大型のiPhoneに、がっかりしたようだった。
しかし途中から、会場の雰囲気は変わっていった。「10インチ」の意味が、デモを通して来場者に分かってきた。
アップルの狙いは「eBook」ではなく「リビング」ということが、ジョブスの紹介からみえてきた。
モバイルデバイス、要は「屋外に毎日持ち出して使う機器」だけでなく、リビングにシーンを移動したのである。
この数年、小型モバイルパソコンが爆発的なブームだったが、これは、台湾などでつくられた低価格のモバイル
小型ノートパソコンが、その原点にあった。 使用者は、そこに本や書類を入れて、リビングやカフェなどで
見ていたのである。そこに目をつけ考えられたのが、このタブレット式パソコン。そのためiPadやキンドルとは
似て非なるものとなったのである。大型のiPhoneというだけでなく、大きさをソファーやチェアやベッドで
寝そべって見れるところが、ポイントとなっている。 我家の居間のテレビ前の座り机の横にパソコンを置いている。
その台は回転が効いて、私が使ってないときは、家内が向きを反転させ使っている。
だから、iPadをデモで見たときに驚いてしまった。居間で時間を遊ぶ面白さがよく分かるからである。 
次にiPadの価値はiPhoneに使われている「アプリ」にある。既に多くのものがiPhone用に開発され、普及している。
それが、使えるとなると、その顧客を取り込める。そのためkindleがeBookの「単機能」に対して、iPadは「汎用」が
特徴になる。 またeBookに関していうと、手軽な「文庫本」的なキンドル、それに対し「雑誌」的なiPadといえる。
現在iPadが月に100万台の大ブレークの販売に、一挙にタブレット式パソコンに火がついてしまった。
これは、これまでの出版業界だけでなく、マスコミそのものの根本からの崩壊に繋がる。紙の出版物は
10年後には半減どころか、10分の一になる可能性すらある。傍目には面白が、恐ろしい時代である。
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3051,人を殺すとはどういうことか
2009年08月12日(水)
「人を殺すとはどういうことか
   ―長期LB級刑務所・殺人犯の告白」  [著]美達大和
 図書館で何気なく題名に引き寄せられて立ち読みをしたが、その生々しさに立ちすくんでしまい、借りてきた本である。
LB級刑務所は長期の重犯罪者達の檻、その大部分は良心のカケラもない人たち。これは獄中でつづった特異な半生記・観察記で、
今年になって出版されたもの。著者自身が2件の殺人を犯し、無期懲役刑に服しながら獄中でつづった手記で、前半が自分の半生。
後半が刑務所の他の受刑囚たちの観察記である。 本人は今も無期懲役に服している。
高い知能と冷徹さを生かして社会的な成功を収めた後、自らの価値観に従ってふたりの人間の命を奪う。 
逮捕後や公判中も罪の意識はまったく感じなかったが、検察の論告を聞いているときに突然、情動のスイッチが入り、
後悔や反省の念がわき起こる体験をする。最初の殺人は26歳のとき、金融業で成功を収め、ヤクザの組織に在籍していたときに
起こした。用意周到な犯行ですぐに発覚することはなかった。 2件目の殺人はその数年後。その動機について
「私から見て誠実と感じられなかった被害者の言動などが主因になりました」という。2件目の犯行で逮捕され、1件目の犯行が発覚。 
 その後、償いの日々を送りながら他の受刑囚を観察し、犯罪の動機や今の感情についてインタビューを試みる。
そこでみえてくるのは、フィクションでは描ききれない矛盾に満ちた人間の生々しい姿。
強盗殺人を犯したある男は、被害者に「全くざまあみろだ」と言い放つほど冷酷な人間が、TVのご対面番組には涙を流す。
ヤクザ同士の抗争で殺害した被害者の強さを畏敬し「ヤクザとしての自分の生き方がしっかり決まった」と出所していった男。
(以下、字数の関係でカット 11年08月12日)
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2686, 人生のハレとケ
 2008年08月12日(火)
以前に何度か取り上げたことがあるが、再びハレとケについて考えてみる。人生にはハレのときもあれば、ケのときもある。
ハレは、田舎の祭りや、稲刈りのとき、(晴れ晴れの時)ケはそれ以外の地道な日々の生活である(ケチケチ、倹約の時)。
 我々は、この二つのリズムの中で生きている。過去を振り返った時を考えれば、華やかの出来事に目が行くが、
しかし何気ない出来事の方が深い味わいがある。書いたことすらも忘れていた学生時代の日記が半年分、倉庫の奥にあった。
そして、その日々を此処で連日書いた。それを読み返すと何気ない日々が、何と面白いかがわかる。ハレもケも書いてあったことで
面白かった。私のハレを振り返ってみると、それが秘境・異境ツアーであり、事業のの立ち上げの時であった。
写真にも旅行記も残っているし、立ち上げは辛い反面、華やかだった。そして記憶が鮮明に残っている。そのために背景のケの日々が、
その光によってかき消されてしまいがちになる。家内が(というより女性は)、そのケの楽しみ方を知っている。 
とにかく日々の平凡を楽しんでいる。これは天性なのだろう。 私も日々の生活を楽しむ術を知っている方だが、女性には敵わない。
生活を楽しむ!ということだろう。 隣に人がいてもいなくとも、ただ目先のことを楽しむ!ということを。
だから、面白くないことを我慢するなど勿体ない、とつくづく教えられる。白(ハレ)と黒(ケ)があるから互いが成り立つのであって
白だけだったら白色の白が理解できない。現在の我々を見渡すと、ハレだけを追いかけている。 しかしケ=普段の平凡な日々を、
如何に充実させることこそ人生の価値。話しは変わるが、ユニクロが狙っているのは、普段着を如何に充実させるか、ハレ(外着)の他
メーカーの商品を引き立たせる裏方に割り切っている。「隠れユニクロ」と言われようとも、普段着を如何に良くし楽しむことに
徹していれば、大多数の人が支持をしてくれる。ケの文化こそ今一度見直す必要な時のような気がする。
『日々、是好日』これこそ、知恵さえ使えばできること。 現実の日本は正にケの時である。
   さて、今日の昼飯何にするかな! 鼻歌を歌ってスキップか〜


4897,閑話小題 ーシャバシャバ

2014年08月11日(月)

   * 娑婆とは
 「娑婆」の定義を知りたいとネットで検索したところ、次の内容があった。
≪ 娑婆とは仏法では人が生きる世界を指し、世界四苦八苦に耐える自由のない世界としている。
 しかし、俗語的に娑婆は刑務所に入っている人にとっての外の自由な世界を意味する。これは
江戸時代、遊郭を娑婆に対する極楽安堵の地と例えていたが、遊郭で働く女郎からは
「娑婆(外の世界)こそ自由の世界」になるためで、意味は逆だがどちらも人が普通に暮らす
世界をさす意味では変わっていない。俗語的意味で娑婆がよく聞かれるのはドラマなどの
出所シーンで「シャバの空気はうめえ」というセリフ。また、日常生活でも合宿中の生徒や
新入社員、人里離れた地で勤務する人など自由のきかない生活をしている人が
「早くシャバに戻りたい」といった形で使用する。≫ 
≪「彼岸」は「此岸」に対する言葉で、ともに仏教から出た言葉。「此岸」(こちらの岸)とは、
私たちの住む世界のことで、仏教では娑婆(しゃば)世界ともいいます。「娑婆」とは昔の
インドの言葉で、堪忍土とも訳され、耐え忍ぶ世界という意味です。≫ とあった。
▼ 父の口癖が娑婆。日常的に世間を娑婆と言換えて使っていたため、たびたび聞いていた言葉。
 商家は、日常が戦の場の真只中で四苦八苦世界の側面があった。 終戦直前に、空襲の焼夷弾で
街が焼かれた直後に物心がつき、一家は転業をしながら日々を過ごす娑婆世界の環境であった。
 若者言葉に「やばい」と「シャバ」をかけ「シャバイ」があるとか。今の私の日々は、シャバイになる?
この言葉から「ショバイ」が連想される。 ショバイ日々、商売に熱中する日々。ショバショバである。
現在の私は「ショボショボ」になるのか!
・・・・・・
4530, 閑話小題 ー他人に金を貸したことがあるか?
2013年08月11日(日)
   * 他人に金を貸したことがあるか?
 父親の教えが、「他人との金の貸し借りをするな、特に保証人の受け判や甘言の出資は
絶対にするな!」。ある姉が事業悪化に陥り、手形の受け判を持ってきたが、当然、断った。 
二ヶ月に一人、その対象を探していて、その番が私にまわってきたようだ。 しかし、実兄が
抵当に入っている自宅確保のため3百万を貸してくれの申し出に、さすがに迷った挙句、
百万を見舞金として出すことにした。それ以外、一切、他人との貸し借りはない。 
私の事業悪化時も、予備金があったので、銀行の追加借入れや、縁者などからの借入など、
考える以前の問題。20年前の最後のホテル投資以来、長期資金の追加借入はない。 
ただ愚直に、「予備資金に手をつけた段階で事業撤退をする」と決めておき、実際に断行した。
それを計画倒産というなら、その通り。「他人の不幸は蜜の味」の輩が興味本位で物語を
つくっているのだろうが、所詮は世間とかいう輩の戯言、共同幻覚。TVのバラエティに
『開運!なんでも鑑定団』があるが、そこに持込まれる骨董に借金のカタか、温情買取があるが、
ほぼ贋作。それと知って持込んだのか、本人も贋作と知らなかったか? これだけは当人の
動機の問題になる。バレたとき、自分も騙されていたと言い張ることが出来る。
骨董など美術館で一級品を見るだけで充分。既に亡くなったが知人に、あわよくばと
「億クラスの受け判」の話を持ち込もうとしたのがいた。「貧すれば鈍する」行為の典型が
「倒産直前の悪あがき」。私の場合は父親の教えと普段から言っていたので、断る手取り早い
言い訳になったが、断りきれない場合は、言い値の一割を返済期限ゼロという条件で貸し付けるか、
与えればよい。姉の場合は、事業整理のコンサルタントの費用の一部と、手伝いで、その不義理は
解消したつもりだったが・・ その折の知人縁者の借金一覧表が手元にあるが、よくぞ、これだけ?
 これらを見れば、貧する前に事業整理に早々と手順に入るしかなかった、ということ。
中学校、高校、大学の頃、自宅に何人かの地元の事業家が、借金の申込みに来ていた。
子供の頃から父に倒産、夜逃げの具体的内容を子守唄のように聞かされていた。
そして、借金と金融機関の恐ろしさも。それから身を守るのは長年かけた事業体質というか、
生活習慣しかないことも。 二年前に、直後に聞かれたことは「計画倒産?」である。
今どき計画倒産など有り得ない事ぐらい知ってか知らずか。 常日頃、万一の備えの話を
していたが、これである。 でもまさか、3羽の黒鳥(震災型変動)が、私の目前に舞い降りるとは。
 今では、多くの仲間の鳴声が聞こえている。その中の東京オリンピック、どうなのか?この時節、
普段から「親の遺言が、出資、金の貸し借りはしてはならない」と、周囲に言い続けましょう。 
ある日、突然、何が起きることか、実体験して、初めて分かること。裏山から外海を毎日、
眺める日々も、これまた複雑怪奇な気分。 Aのa層と、一部Aのb層は、数年前に避難完了。
やられるのが、それ以外の、もう失うのもないC層を除く9割の人々。 
海岸線で、日々の生活を何の疑いなく続けている。危ないのに! 
 ・・・・・・
4155, 閑話小題 ーオリンピックも後半に
2012年08月11日(土)
     * オリンピックも終盤に入った
 ロンドンオリンピックも終盤になってきた。今回のオリンピックは日本としてはメダル数が多い。外国にならいメダルが
取れそうな種目に集中してきた効果が、ここで出てきたようだ。特に女子選手の活躍が目立っている。国が衰えるとオリンピックや
サッカーのワールドカップの成績が良くなるというが。 そういえば以前ほどオリンピックに大騒ぎをしなくなった。不景気で、
浮かれていられないということか。 そろそろ国内外の政治も動き出してきた。9月から年末にかけ、中東のシリア、イランか、
ユーロ圏の経済危機で焦臭い動きがで始めるだろう。 今のところオリンピックへのテロは起きてないが、無事終了して欲しいもの。
テロリストも国を背負っているので躊躇するのが道理だが、それが通らないのが彼ら。
  * 地平線の距離は?
 地平線という言葉は、何か私たちを惹きつける。「どの位?」というと、20キロか、30キロと思うが、実は4キロ強。
一番身近では海原と空の境目がある。海岸線に100Mの展望台をつくったら、36キロ先とか。タンザニアのセレンゲッテーの
草原で、360度の草原の地平線を見たが、これは感動もの。 私たちが数十キロ先の山や海原が見えるのは段差があるため。
  * つれづれに
 この時節、早朝のポタリング(自転車散歩)の帰り道、子供のラジオ体操の帰り姿と出くわす。その姿を見て、「この子供たちは
60年、70年先も生きているのか!」という思いが出ている。つい最近までは、そんなことは無かったのに。一線を退いたことも
あるのだろう。羨ましいとか、気の毒にとかいう気持ちは無いが、これが昔からの年寄の気持ちだったのだろう。最近、隣家が
取り壊され更地になって3ヶ月経つが、幼児二人を連れた父親が、日曜日に空き地の中で楽しそうに佇んでいた。
恐らく近く着工が決まっていて、近い将来、家族で住むのを楽しみにしている姿が良い。人生で一番、幸せな時である。
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3790, この世界株安、リーマンショック激震の津波!
2011年08月11日(木)
 先週末からニューヨークで始った世界株安、アメリカ、欧州で数日で一割近く下げたが、昨日は日米の株式市場で、
反発をして終わった。 ただ今週、いや今月一杯がどうなるかだ。 あのリーマンショックから、あと一ヶ月で三年になる。
そろそろ津波の本体が到来時期になる。この世界同時株安が、それである。 この津波は今後数年間は次次と押し寄せることになる。
リーマンショックから三年で、日・米・欧の政府は、その対策の投入などで破綻寸前、国債もデフォルト寸前の事態に陥っている。
その結果として世界同時株安に本格的突入とみてよい。 そして、その次に来る大津波がハイパーインフレである。 
これが世界を覆うのは二年後から三年後。 これで世界は大恐慌の真っ只中に入る。 三年前のリーマンショックは、数百年に
一度の歴史的経済的大変動の事象であるのは、今さら言うまでもない。それを何とか世界各国が緊急対策で抑え込んでいたが、
対策を出し切り限界にきてしまったのが、この世界株安。ドルとユーロは瀕死の状態で、その崩壊も世界株安と同時に崩壊の危機。
80円代前半で推移していた円も、ここで76円代に入ってきており、年内に60円代もある。この事態は体力を使い果たした
日本にとって大打撃。そうこう考えると世界恐慌が現実の脅威として姿を現してきた。
日本の地方経済は20年前のバブル崩壊、10年前の9・11テロ、そして3年前の9・15のリーマンショックで致命的打撃をうけた。
そして、この東北大震災である。この直撃をうけた一現象が、当方の倒産だった。 ビジネスホテルは景気の変動に敏感に左右する。 
だいたい30年の経験則からみて当方の売り上げ減は、その半年後から他の事業にも現れ出てくる。直線的に右下がりになるのではなく、
波状に上下を繰り返しながら、右下がり続いてくる。 東北大震災は布置(最悪の時に不思議と、最悪の事象が重なって起こる)である。
そして元社会党左派が、この時期に権力を握ってしまったのも布置。
 今回の恐慌は、1930年代の恐慌とは規模が遥かに大きくなるのはいうまでもない。結果からすれば、中国が破壊と再生を繰り返し、
世界のエネルギーの中心になっていく。これから起こる大恐慌も、その布置のひとつである。
世界的にみても、前半は東北大震災。後半は、世界的経済混乱(世界的株安、ドル:ユーロ安、穀物などの高騰)、その序曲がこれ!
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3425, iPad 対 キンドル ー2
2010年08月11日(水)
『iPad 対 キンドル ー日本を巻き込む電子書籍戦争の舞台裏』 西田宗千佳著
  * ソニーは、ハードの強みを狙う 【 以下は、要約である 】
 2008年、2009年に、eBookリーダー市場で売れたのはキンドルだけではない。二番手として活況を呈したのはソニーである。
アマゾンが、これまでの電子書店のネット窓口から直接、端末のキンドルに送信するシステムを強みにしたのに対し、
ソニーは、版権を持っている出版社に目をつけ、契約することした。 契約社会のアメリカでは、著者と出版時に契約を交わす。
契約に際しては、「出版だけに限らずオールライトを取りにいくのが基本」だから、デジタル化に関しても、許諾を出すのは
出版会社だけでいい。 出版会社との交渉だけで、一気に大量の書籍のデジタル版について、販売権を確保できる。 この原理は、
出版だけではなく、音楽、映画に関しても同じことがいえる。そのためアメリカでは、音楽・映画配信が、日本より格段に進んでいる。
ソニーの強みは「ハード開発」である。キンドルとの最大の違いは、通信機能を使って、新聞や雑誌を講読できる点である。
更にアマゾンと敵対関係にある大手小売店チェーンと組んで、一番売れそうなコーナーなどで売ることも強みになる。
アマゾンのキンドルは大手流通の店頭では売られてない。 何故ならアマゾンのネットで販売されるからである。
その盲点をソニーがついたのである。 キンドルがブームになり、その商品を見たくなり店頭に行っても、そこにはない。
そこにあるのはブランド力のあるソニーの商品とあれば、それを手に取ることになる。さらに他のコンテンツが利用できるとあれば、
顧客は、それに惹かれるのは当然のこと。アマゾンが「オンライン」で攻め、ソニーは「店舗」で攻める戦略である。
2009年までに累計100万台以上を売ったという。去年までに、キンドルは200〜300万台を売ったと推測されるという。 
そこにマックがiPadで割り込んできた。何と一ヶ月で100万台を売ったというから、その凄さには驚かされる!それは次回になるが・・・
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3050,4時間半熟睡法
 2009年08月11日(火)
 新聞で最近『4時間半熟睡法』という本の広告を見かける。買うほどでもないので、ネットで書評を読んでみた。
 ・一番良いのが6時間半〜7時間半である。
 ・就眠の三時間前に食事、一時間前に風呂かシャワーを浴び、熟睡タイムは0〜6時におく。
 ・布団に入ったら、とにかく早く寝入るように工夫すること。等々、今さらのことばかりで書いてある大方は実行済みである。
「3時間では短すぎる。が、習慣化すれば4時間半でよい。一番良いのは7時間前後で、床についたら早く寝入る工夫をしなさい」 
ということ。私は、「ベッドに7時間横になる。 寝れないときは気にしないでiPodを聴くなど工夫する」が基本。
寝れないことを気にしないように務める。だから寝不足気味ということはない。工夫として耳栓をするのが熟睡の効果となっている。
100円ショップに売っているが、寝入ってから4時間は爆睡できる。 これで8割の音が遮断される。更にゲルマニュウム入りアイマスク。
これは眼の周辺を暖めてくれる。(耳栓の半分位の効果がある) 睡眠は、それぞれの人の体質もあるから自分にあったを工夫するしかない。
昼寝が10分位は出来る環境にある人は、5時間を目安に訓練するのも良いのでは? 熟睡時間は無に近い状態だから、
要はそれ以外の中途半端な睡眠状態の時間帯を如何に工夫するかである。熟睡時間を4時間半とすれば、「残りの二時間をカットしてもよい」
と言うことになる。「習慣化すれば、4時間半の熟睡が深くなる」というのも道理である。睡眠は、食事と同じく人間にとって大きい要素。
だから軍隊や研究機関で研究される重要事項になる。その最低熟睡時間が4時間半というなら、その前提で自分の習慣つくりを
すればよいことになる。 組織のキャリア(エリート)が睡眠時間が口を揃えて4〜5時間というのにも一致する。
 私は、敢えて現在の7時間を5〜6時間に短縮する気は今のところ無い・・・  
   時間が無いとかいうのを言い訳にしている人は、是非チャレンジすべきである。
   こういう人に限って8〜9時間寝ている?か、 4時間睡眠で頑張っている?? 小○カ!
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2685, iPhoneは、超小型パソコンだった! −4
 2008年08月11日(月)
朝日新聞の経済欄『補助線』ーiPHONEを読み解くー が面白い!   
ーまずは、その内容からー
 *使いやすさ競う時代に*
最近、中国に出張したソフトバンクの孫正義社長は一度もノートパソコンを開かなかったという。
米アップルの携帯電話「iPhone(アイフォーン)」でメールをチェック。孫氏の感想である。
 7月11日にソフトバンクモバイルが国内で発売。初日は店頭に長い列ができた。 従来の携帯電謡のようなキー(ボタン)はない。
すべての操作はタッチパネルをさわる。 画面をつまむようにさわると画像が小さくなり、指を広げると拡大する。確かに面白い。
iPhone効果がでたのか、7月の契約増加数はソフトパンクモバイルが15カ月連続でトップに立った。だが、発売からーカ月がたち、
ライバルの通信会社や日本メーカーからはiPhone脅威論はあまり聞かれない。店頭には在庫があり、当初の混乱はなくなった。
   (字数の関係でカット2011年8月11日)
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2007年08月11日(土)
2321, デジカメを使った文字スキャナー
              o(*'▽'*)/☆゜’おはよう〜♪
毎日、随想日記を書くのは、かなりのエネルギーを要する。 ネタぎれになるので、どうしても「読書日記」が多くなる。
そこで、面白そうな箇所の紹介や、引用するのが一番手っ取りはやいが、本を書き写すエネルギーが膨大になる。
中途半端なブラインドタッチしかできないこともあるが・・・
5年ほど前にハンド式のスキャナーを買ったが、読み取るのが難しく何度か使ったが、途中で諦めてしまった。
しかし、このハイテクの時代に、よいスキャナーが必ずあるはず。そこで本気になって検索で調べてみた。
(字数の関係でカット2009年8月11日)


4896,ホントに大事なお金の話  −2

2014年08月10日(日)

         『知っておきたい ホントに大事なお金の話』佐伯 良隆 (著)
   * 医療保険と、生命保険に入る馬鹿!
 少し考えてみれば分かることだが、生命保険など、もっての他。あれだけの約定を誰も読まないし、
読んでも解りようがない。そこには、あらゆる保険会社に都合の良いことが書いてあるのは当然の話。
私たちが、30、40歳で死ぬ確率は1千人に1人でしかない。社会人になると同時に、保険屋からの
軽やかな勧誘。それが、実は家と同じ位の大きな買物であることさえ知らず、契約をしてしまう。
 そんな甘い時代も終わったと保険屋はいうが・・
 ーまずは、以下の部分からー
≪厚生省のデータによると、死亡率は35歳男性で1000人中0.8人、40歳では1・28人となってます。
 文字とおり万一ではないが、千が一ぐらいの低確率。とはいえ、不幸が起きてしまうと家族に対する
経済損失は大きく、人生最大のリスクになる。生命保険文化センターの試算では、40歳男性で、
妻38歳・長女10歳、長男8歳の4人家族の場合、会社員で約750万円。自営業者で約2400万円を、
民間の保険でまかなうのが望ましいと、されます。
 データによると30代男性は平均2200万円、40代男性は平均2800万円で多くが会社員で
あるとを考えると充分に用意できていますね。それでも、生命保険文化センターによれば、足りてない
と感じている人が6割にのぼる。月々払う保険料は、何も起こらなければそのまま消えていきます。
いわゆる「掛け捨て」という言葉にあるように、お金を捨てている気にさえなるかもしれません。
そこで、保険料の一部が将来戻ってくる商品があります。「積み立て」「貯蓄型」と呼ばれるタイブ。
払ったお金が利息とともに戻ってくると聞けば得した気分なる。万が一の備えと将来への貯蓄
がひとつの保険で、できるので、一挙両得な気がしますね。実際、貯蓄好きの日本人気質に
合ったのか、このタイプは人気のようです。ところがこのタイプ、よくよく見ると、掛け捨て型の
保険に「積み立て部分を編込んだ商品」なのです。将来の教育費に備える学費保険も同様です。≫
▼ 39歳までにガンになる人は、その累積でも100人に1人。そして、その死亡率は500人に
1人しかいない。統計から見ると、ガンは高齢者であり長生きをした代償。その漠然とした不安と、
こういう事実を知らない素人を言葉巧みに誘うのが保険の本質である。平均入院日数は35日で、
入院の自己負担は平均約20万。これに対し、保険会社から給付される保険金は、平均一万。
一生に1〜2度のイベントのため、保険に入っている。30歳の人が給付金1万を受け取るための
保険料は、月に約3千年。合計10年で36万。預金にすれば金利がついて40数万になる。
そこからも、保険のカラクリが見えてくる。支払保険の半分は、保険屋の餌食とみればよい。
 私の主義として、銀行借り入れの前提条件のホテルへの火災保険以外は、保険には入ってない。
そのため、家内は不安になって、結婚以来、家内名義の給与から、健康保険と厚生年金を
差引いた分の10万を40年間、預金をしていた。それが、3年前の窮地のタネ銭になったことは
何度か書いてきた。保険屋の餌食になっていれば、半分は?? この一連で言われた、
計画倒産など元もとする必要など無いこと。世の中には下衆の類が、あまりに多いが、
保険屋の一番おいし層な人たちでもある。
・・・・・・
4529, 生きる悪知恵  ー8
2013年08月10日(土)
              「生きる悪知恵 ー正しくないけど役に立つ60のヒント」西原 理恵子 (著)
    * 親の面倒は金で解決と割り切ること
Q: いい年して恥ずかしいのですが、親と仲良くできません。中学の頃って、誰も口も利かなくなる
じゃないですか。  大学で家を離れ、正月もほとんど帰らないまま30年か過ぎ、もはや何を喋って
いいかも分からなくなりました。 とはいえ、ある年齢以降は「たまには親孝行を」と思って食事に
連れていったりもしたのですが、
 「ひとつも旨くなかったな」などと人の好意を無にするようなことを平気で言います。・・・
 そんなことが積み重なって、親との間に微妙な食い違いが生じるようになってしまいました。・・・ 
 どうすれば心穏やかに親と接することができるでしょうか。
A: 親の面倒は、それこそお金で解決しなきゃいけない問題なんです。だって、24時間も
 介護してたら、仕事はどうするの? 自分や奥さんや、子どもの生活はどうするの? 
 医師も介護のプロもみんな言ってます。
 「素人じゃできないよ」って。寝たきりでウンコを投げてくる人を、素人が面倒見れる訳がない。
 共倒れになるだけ。介護はプロしかやっちゃいけない。だから、そのためにもお金を貯めて
 おかないけない。 親孝行もいいけど、そのへんをはき違えて優先順位を間違う人が多い。
 家族のことを考えたら、姥捨て山に捨てなきゃならないときがあるんです。だから、本気で
 介護のことを考えるなら、早めにそういう施設を見つけておくこと。あとは金銭面でのバックアップ。
 家族がやるべは金銭面のバックアップ。週イチでもいいから、 お花を持っていって「大好きだよ」
 とか言ってあげる。そして、お金を出してあげる。だからもう、仲よくするとか親孝行など
 考えなくていいんです。無理なものはもう無理。というわけで、そもそも親と仲よくできないと
 悩むこと自体がムダ。【親子仲よくなくてヨシ。】 困ったときは力ネで解決。
 そのためにしっかり働きましょう。
▼ 8人兄姉の末っ子だったこともあり、両親から孫のように扱われてきたこともあり、至って良好。
 そうこうあって、実家に住むことになって現在に至っている。 母は亡くなる前の5年半の間、
軽い痴呆症になっていた。息子二人を含めた家族総がかりで何とか持ちこたえたが、傍目と
現場の違いは、あまりに大きい。金だけで解決できるほど甘くない。しかし、金で割りきった方が
良い部分が多くあることも事実。昔から、老人の蔑称に、「死にそこない」というが、長生きはよいが、
死に損なうのは問題だ。人生、そう甘くない! 特に最期は。明るくプッツンと逝きたいもの。
・・・・・・
4154, 中小企業の延命は、すでに限界 
2012年08月10日(金)
  * 金融円滑化法、来春廃止(返済猶予後の倒産が増加)
 昨日の朝日新聞の経済欄のトップに、「中小企業延命策、すでに限界」の見出しで、この活用後も
経営難が悪化し、倒産が増えている実情をレポートしていた。 ーまずは、その概要をまとめるとー
≪ 金融危機で資金ぐりが苦しくなった中小企業の借金返済を先延ばしの金融円滑化法が、来年3月末で
 期限切れになる。一時的延命も、経営立て直しも出来ず、倒産する企業が増えてきた。大方の会社は、
その延命期間も市場環境が悪化して、借金が増え続けてしている。 地銀の支店長によると、正常な貸出先に
戻れるのは全体の15%。計画通りにいかないのが85%を占める」。金融庁によると、返済猶予をした
中小企業は全国で30〜40万社の前途。この通りだと、25〜35万社がこの秋以降、かなり厳しい
事態になり、倒産が大幅に増える。≫
 私の事業も金融法で延命したが、売上減が止まらず先行きの見通しはゼロもあり見切りざるを得なかった。
恐らく無理をし続けていたら今は地獄。 おまけに、この秋口に欧州発世界的株式の暴落か、中東戦争が
起きそうな状況で、多くの倒産が続出することになる可能性が強い。これに再来年の消費税の増税を考えると
経済パニックは避けられない。この9月以降は日本も世界も非常に厳しい緊迫した状態になる。
何らかの延命策も取られても、このままでは済まない。実際に私自身が、その渦中にあったから、近未来が
手に取るように分かる。 平成を装っているのか、この静けさは何だろう。大手家電メーカー各社が軒並みに
大赤字でリストラが行われている。東北大震災から一般の消費動向が一変、ショッピングに楽しみを
見出さなくなってきているという。震災の経済に与える影響は、これからという上に、リーマンショックと
欧州発の金融危機とくれば、誰もが財布を締めて当然。 
どうも話はマイナスばかりだが。
 ・・・・・・・
3789, 天才だもの
2011年08月10日(水)
  { 「天才だもの。」ーわたしたちは異常な存在をどう見てきたかー 春日武彦著 }
 天才に関する本に何故我われは引き付けられるのだろう? それぞれの専門の切り口が違っているところが面白い。 
天才と気違いは紙一重というが、気違いの部分が重なっているだけ。 天才と気違いは凡人の世界から遥か彼方から
違った視線で、逆照射している部分は同じである。何処が違うかというと、目指した対象の創造されたものが
卓越した結果を出しているかどうか。気違い?は、そこまで完成させる執念がない。そのへんが凡人と重なっている。 
凡人も一度は狂い逆照射すべきだ!そうでないと?
ーまずは、序文の中からー
【 P/16 ー天才について語る時、多くは凡庸な語り口になってしまう。ここで語られるのは、
「天才」そのものよりも、私たちがどのような人物を「天才」と見なしてきたかについて語られている、といってよい。
・・・ さて天才の定義である。あたかも天から授かったかのような傑出した才能に恵まれた「選ぼれし人」
といったところだが、世間のイメージとしては、天才にはいくつかの条件が求められる。早熟といった点は
どうであろうか。天才は彗星のごとく登場する、しかも少年や青年のうちに・・ 。 
またランボーが不細工で貧相な中年男なら、あれほどの評価は得られなかったのではないか。画家のビュッフェも
画壇への登場は若干十九歳であり、ローティーンにして大学の数学科を総代で卒業したとか、天才以前に紳童である
天才伝説には必要なのかもしれない。・・・天才は日常生活においては無能ないし常識外れであることも、
世間は期待する。グレン・グールドは夏でも手袋をしていたとか、三島由紀夫は寿司屋でトロしか頼まなかったとか、
ディケンズは青い紙に青インクで原稿を書いたとか、ペン・ジョンソンは立ったままの姿で埋葬してほしいと
言い残したとか、その類の逸話を求められる。大いなる才能へ脳が機能の大部分を捧げてしまったため、
ごく当たり前のことが余力を割り当てられなくなってしまった、さもなければ形而下の出来事など関心の外へ追い
やられてしまっているのだと理解することによって、やっと我々は彼らを怪物と見なさずに済ませられるわけである。 
そして天才は幸福であってはならない。少なくとも世間一般で言うところの幸福に甘んじては困る。
いい歳をして電車の切符集めが趣味とか、五〇を過ぎても童貞で平気とか、金銭にまったく無頓着とか、
食事のメニューが一年三六五日同じとか、そういった非現実的なところがないと困る。あまりにも卑俗な欲望を
刹き出しにされると、我ら凡人たちのライバルとなりかねない。それは承服しかねるということになる。
妄想の持ち主、つまり精神を病んだ人たちは、ときに自らを天才と称す。つまり誇大妄想である。 統合失調症では、
当初は被害妄想に脳まされているうちに、狙われる自分ー>自分は狙われる価値ある存在ー>自分は天才だから
狙われる、という具合に変化を遂げるに至る。】
▼ 軽いタッチの天才に関する随想といった内容である。別に、御堅い天才論は別の本で読んで、
 これは我われが日常感じているレベルで読者と共に楽しめる内容である。この情報化の時代に、あまりに多くの
天才の才能が花開いてしまうため、逆に天才が見逃されるのではないだろうか。時どきブログで、「私は現在、
精神を病んで、一歩学術の世界から身を引いて・・云々」のプロフィールに正直に書いてあるのに出会うことがある。
むしろ、その方が、我われを引き付ける。特に、哲学とか論理学で行き詰まり精神に異常をきたし格闘をしている
人の文章こそ真実にみちている。以前なら絶対に目にすることのできなかった人たちの血と汗が、直接伝わってくる。
 ・・・・・・・
3424, iPad 対 キンドル ー1
2010年08月10日(火)
『iPad 対 キンドルー日本を巻き込む電子書籍戦争の舞台裏』 西田宗千佳著
 *「ウィスパーネット」が、kindleの秘密
アマゾンが発売した電子ペーパー本といったようなキンドル。「ウィスパーネット」といわれる通信機能が特徴。
ユーザーは通信をなにも意識しなくてもよい、何故なら通信料は書籍の代金にふくまれているので、別に支払う
必要がない。現在ではアメリカ?だけで41万冊の種類が用意されており、電子書籍の価格はハードカバーが
25〜30ドルくらいに対して9・99ドル。新刊も同時に発売されるものが多く、紙の6割ぐらいで売られている。
この威力は使った人にしか分からないという。まだ日本では馴染みが少ないが、要は「アマゾンのネットで
本を注文すると紙の本の替わりに電子ペーパーがキンドルに直接、着信する」のが特徴。 決済は、これまでの
ようにネット上でおこなわれる。iPod に似ているが、違うところは、直接端末に着信するところ。
一番のポイントは端末から直接、発注も可能であること。 【ネットに比べ、見にくいというが】
これまでのアマゾンの顧客を、そのまま取り込めるのがミソ。 更に新聞や雑誌も普及始めているという。
アマゾンは、kindleそのもので儲けることでなく、あくまで電子ブックを売ることが目的。ライバルは
現在のところ、ソニーとアップル。 アメリカ国内では、キンドル200万台に対してソニーは100万台。 
ソニーは、日本よりも出版が自由な米国で先行。一方、iPadは、電子書籍端末専用ではないノートPCと
携帯の中間の、他の機能を多くそろえた汎用機を目指しており、リビングでつかわれるシーンを想定している。
またiPhonむけの専用OSをつかえることで、その顧客の取り込みが有利。 それにしても、端末に
パソコンで注文した書籍が、直接、振り込まれるのには驚いた。iPodは、一度音楽をパソコンに振り込むのに対し、
端末の先の通信代を考えないで済む「ウィスパーネット」には、驚いてしまった。音楽も、近い将来、
機能としてつく可能性すらある。 他にも、それぞれの特徴を生かした端末が多く出てきている。 
次回は、ソニーの戦略 
 ・・・・・・・
3049,ハリネズミのジレンマ
2009年08月10日(月)
哲学者、ショーペンハウエルの逸話に「ハリネズミのジレンマ」がある。
 (哲学書では度々取りあげられる逸話である・・・) 少し取りあげたような、無いような?
《 針のような鋭い毛を全身に生やしたハリネズミが二匹,巣穴の底で震えている。外は吹雪で巣穴の中は寒い。
 そこでハリネズミは,寄り添い暖めあおうとするが、互いの針で相手を傷つけあうことになる。痛さで体を離すが
 今度は寒くてたまらない。一晩中くっついたり離れたりを繰り返した結果、そこまで痛くも無く相手のぬくもりを
 感じられるような距離を見つけて夜の寒さをしのいだ。》
▼ 若い時に、ある距離を越えて友人が近づいてくると、全身から針が出て相手を拒否する自分に驚いたことがある。 
 それでいて、逆に孤独感から知らない間に相手に近づき過ぎて相手の針を感じたこともある。8人きょうだいの末っ子で、
 家が商売をしていたこともあり、それぞれの独立性は幼稚園時代ら訓練されていた。私の家庭では付かず離れず、
 自分のプライバシーは披瀝しないことが、まず要求された。 だからハリネズミの逸話が痛いというほど分かる。
 大人数の家族では、むしろハリネズミであることが、自然態なのである。大家族は、それだけで空気が暖かくなっている。
 だから人混みの中の孤独には慣れている。他者と関わる時に(友人関係、親子、夫婦、会社などの人間関係)
 自我が露出してしまい、一人よがりになりがちになる。  成田離婚は、ハリネズミのジレンマの典型事由である。 
 また孤独の大切さを実感しながら、それぞれが寄り添う都会の群衆の群れの生き方がハリネズミのジレンマになる。
  ハリネズミ同士ならよいが、一方がネズミなら、ただ傷をつけるだけになる。 独居老人のジレンマでもある。
 ・・・・・・・・・・
2684, 己の地平の地を耕す
 2008年08月10日(日)
知人が二人、最近になって(10年前から)素人菜園に凝っている。たまたま事務所で二人が出会ったとき、
嬉々として話が弾んだ。何か奥深く面白いらしいが、私には向いていないようだ。 下地に10年はかかるらしい。
『心身にとって、これほど良いことは無い』と二人は口をそろえて言う。それを聞いていて畑での一連作業が
何か自分の心を耕しているに感じた。人生は畑を耕すのに似ている。長い人生の道のりも計画通りに楽しみ生きるより、
苦しみ努力をして歩むことが多いもの。スキップだけでは面白く可笑しくもない。たどたどしく泥まみれが人生である。 
イソップの寓話に、面白いのがある。
《 葡萄畑を持っている家族がありました。あるとき父が病に倒れた。病床の中で父はニ人の息子に言いました。
 「実はおまえたちに財産を遺してある。金貨を壷の中に入れて、葡萄畑に埋めておいたのだ。
 私が死んだら、その壷を掘り起こして二人で分けなさい」。父が死んだ後、二人の息子は葡萄畑を一坐懸命に掘り起こした。
 しかし壷はとうとう出てこなかった。 二人は落胆しました。ところがその翌年、何と葡萄がこれまでになく見事に実った。
 畑の土を掘り起こしたことで葡萄がたくさん採れるようになり、こ人の息子はとても裕福になりました。》
父の遺言は、息子に努力を教えるためのウソ。自分に与えられた人生の畑を懸命に耕してみること。
そこには必ず金貨以上の幸福があるはず。イソップの、こういう寓話を幾つか遺しているが、下手な人生論より良い。
(そういえば本屋で、そんな題名の本があった。今度借りて読んでみようか)「ところで御前さん、人生の畑を
耕したの?それも真剣に?」と問われれば「う〜ん、耕してきました!これでも」そして、「上を見れば限がない、
横を見れば情けない、下を見れば底がない!」と言うところか。
このように毎日、随想日記を書き続けるのも、ある意味で、畑を耕しているようなもの。
テーマ一つずつが、畑の一部分を掘り返しているようである。しかしね〜、それで、この様だから・・・・
畑の土は、雑草や動物が腐って積み重なって出来ている。 「人生を耕せなど、何をぬかす、御前さん! 
土が既に決まっているのだろうが。」という心の奥の声が聞こえてくる。
「いや、違う。その土を見分けて肥料を自分で探して、時間をかけて自分の野菜を作るのが耕すことだろうが・・」
ということがを、畑から学ぶのだろう。土といえば、アイスランドに行った時に、驚いたことがある。国土に土が
殆ど無いのである。岩石の上に辛うじて藻が覆ってあるだけ。植物が元々生えないので土が出来ないのである。
藻は菌で出来ているので土は必要としない。しかし、それは堆積はしない。その時になって、成るほど我々は
生物の屍の累積の上に生かされていることを実感した。
人生を耕す前に、畑を耕して、植物を育てると、その意味が実感できるのだろう。


4895,ホントに大事なお金の話  ー1

2014年08月09日(土)

          『知っておきたい ホントに大事なお金の話』佐伯 良隆 (著)
 お金に関する本を多く読んできたが、この本は、なかなか面白い。 実は昨日の
「事業人生のを決心して45年」の語り直し」ーホテル事業と、マイホームの購入ーは、
この本からの引用である。「住宅ローンに潜む危険な落し穴」については、「住宅ローン」を
「ホテルローン」に置換え可能と気づいた。それが、そのまま、三年前の結果になってしまった。
世の住宅ローンを組んだ殆どの人が、右上がりのインフレの時代なら帳尻はあったが、
デフレに転換した現在、バランスシートでみる限り、契約をした瞬間、不良在庫になり、年々、
価値が下がり続け、定年になって、ふと気づくと、不良在庫のマイホームと、手元には余命のための
資金すら残ってない厳しい現実を知ることになる。他人事でない。
その事業版が、私の現在?σ( ̄、 ̄=)ンー
   ーまずはアマゾンの内容説明からー               ┐('〜`;)┌  ( ̄~ ̄;) ウッ
≪ 預金、投資、ローン、家、保険、仕事、将来、経済、時間、幸せ、お金の儲け方、守り方、
殖やし方、 稼ぎ方、使い方、考え方……今まで誰も教えてくれなかったお金のこと、ハーバードMBAが
ゼロから教えます。
○【お金の判断、そして人生の決断には、確かな知恵が必要だ】=「残念なことに日本では、
まともな金融教育が長らく行われてきませんでした。お金の話は品がないとして、学校や家庭では
金融教育をさける傾向にあります。それで日本人の多くは、お金についての大事な話を誰からも
教わらないまま、大人になるのです。しかしいったん社会に出ると、お金と正面から向き合わねば
なりません。就職、仕事、結婚、ローン、住宅、保険、投資、貯蓄、老後、……さまざまな局面で、
お金についての判断を迫られます。さながら、装備のないまま社会という荒波の航海に
出るようなもの…(はじめにより)
○【ハタチの自分に読ませたい】= お金の「殖やし方」「守り方」「稼ぎ方」「使い方」「力」から、
  ・・・お金と「経済」「幸せ」「時間」…まで、ぜんぶ教えます!
○【お金のことが、ぜんぶ自分で決断できるようになる! 】=「給料が上がらず、この先心配……」
「投資を始めたいけれど、何がいいですか」「保険には入ったほうがいいの?」
「貯金はいくらあれば足りる?」「どうしたら、お金に苦労せずにすむのか……」 生きていくうえでの
お金の悩み、不安、すべて自分で答えを出せるようになる!
○【身近な話題にこそお金の本質が隠れている】=「今すぐ100万円もらうのと、1年後に105万円
もらうのではどちらがいい?」「100万円が半々の確率で、150万円か50万円になるのと、同じく
110万円か90万円になるのではどちらが得?」「宝くじはハイリスクマイナスリター!?」・・
答えられそうで、答えられない質問から、お金の本質に迫ります ・・答えられそうで、
答えられない質問から、お金の本質に迫る。
▼ <「事業人生を決心して45年」の語りなおし>の、第一歩の20才の、いや34才の自分に、
是非とも教えてやりたい内容である。当時、お金の本質に関し多くを知らなかったし、現在も
同じようなもの。シンプルに考えれば、生命保険には入らない方が良いに決まっている。
で、私は掛けなかった。投資信託も同じこと。 次回から何回か、幾つかをピックアップをする。 
今さら遅いが、これに関する無知が悲しい!
・・・・・・
4528, 生きる悪知恵  ー7
2013年08月09日(金)
                 「 ー正しくないけど役に立つ60のヒント」西原 理恵子 (著)
   * しっかり治して、しっかり舐めろ
Q: 知り合って三年、やっとものにした彼女のあそこが、くさいんです
A: こういうのを「すそワキガ」というらしい。傷つけないように知らせて、治してから、しっかり舐めろ!
   * さっさと当たって砕けましょう
Q: 職場の22歳も年下の彼女が好きになりました
A: 7〜8割は、「好意は持っていますけど、お父さんみたいな感じで、そんな風に考えてませんでした」
  と思いますけど、最後の恋かもしれませんので、「さっさと当たって砕けましょう」(ただしシラフで)
   * 小6の娘が好きな男の子の家に入リびたりで心配です。
A: 小学校6年の娘が好きな男子の家に行くようになり夕方まで3時間は二人きりで過ごしています。
  両親は共働きで留守。娘に注意すると「何がいけないのよ」と逆ギレされますし、向うの家では
「うちは放任主義です」と取り合ってくれません。12歳で肉体関係はないと思いますが、もしもの
ことがないか心配です。
Q: これはダメです。ヤリマン階段を上ってます。いや、別に男女間でどうこうじゃなく、
親のいない家に子供がいるのは、遊びで火事になったりとか、事故があるんで危険。
あと、大人がいない家に上り込むのは泥棒のすること、って私は教わりました。セックスとか
心配する前に泥棒。めちゃ罪重。何かなくなって「アンタんちの娘が盗んだ」と言われても
  対応のしようがないし。人の家に勝手に上がっちゃいけません。それは基本的な問題です。
とりあえず、大人がいない家に上げさせる向こうの親とあなたが悪い。
どうしても娘がの男の子と遊びたいなら、私だったら男の子を自分の家に呼ぶなあ。
向こうが「ウチは放任主義なので」って言うんだったら、あなたの家で一緒に晩ご飯を食べれば
いいし。  しかも、娘にそんな好き放題させておいて、「まさか肉体関係は」って被害妄想だけ
膨くらませてどうするの。 「娘に注意すると逆ギレされる」って、それで引きさがるあなたが悪い。
ウチの田舎の高知県なんて、もっと親が強いですよ。東京とかで見てると、子供にすぐ折れるんで
ぴっくりしたもの。子供に逆ギレされて、そのまま何も言わないということ自体が、まったく
わからない。子供がキレたら倍に返しでキレるというのが私ら高知のやり方。
これはもう、奥さんもキレまくってください。張り倒してポコポコにしてでも連れて帰ってきてください。
  こないだ息子が反抗期でウソついて塾サボってて、私がキレ、「めえみたいウソつきは
親父みたいな気違いアル中になって道端でクソもらして死んじゃうんだよ。死ねクソ野郎。」
って怒鳴ったら、息子と娘に「いくら何でも、その言い方はよくない」と叱られましたが、激しく
キレないと、相手はバカなので伝わりません。
▼ 振りかえってみて、小学校6年生ぐらいが一番、男女とも魅力的な空気が漂い、しっかりした
オスメスになっている。それも誰も居ない家で二人きりなど、黙認する方がおかしい。息子二人
なので、娘を持った父親の気持ちは分からないが、直接、相手の父親と話合う。
「うちは自由放任は、女子の親の言い分なら分かるが、男子の親の言い分にはならない」と。
・・・・・・
4153, 人間には限界がある
2012年08月09日(木)
 人間、それぞれの能力があるが、当然ながら限界がある。その一つに自分で勝手に
決め込んでしまう心理的限界がある。30歳・40歳までは、その限界を壊し続け、アップスケール
する成長期である。自己能力の限界の設定と、その達成。そして破壊になり、限界の挑戦の
繰り返しになる。機会を見出し、挑戦、変身していく、これが成長である。
これは仕事だけでなく、趣味の分野でも同じ。40歳代に入ってからは、秘境・異郷旅行を趣味にし、
カナダのロッキーから、アフリカのケニア、タンザニア、南アフリカ、北アフリカ・中東、そして南米、
シルクロードへと、行き先を広げていった。 未知の世界に初めて行くときは、まず心理的限界を
乗り越えなければならない。直前に大きな心の揺れが出て、計画断念まで考える。
しかし一歩、家から出れば、あとは成り行きに任せる。限界は誰にもある、要は、その先に
踏み出すかどうか。 口では軽く言えるが、いざ実行となると、そう甘くはない。
挫折は、その限界に跳ね返された時に生じるが、自分の再構築する機会になる。 
諦念とは、限界を知り、そのまま素直に受け入れることをいうが、実に辛い。 
世界的カーレーサーの言葉に、「限界は誰もいける、問題は、それから先に、どれだけいけるか
である」という名言がある。 野球の野村元監督の講演で印象に残った言葉がある。
《 自分は二流の能力しかなかった。その事実を認め、戦い勝つためには「考えること」しかない。
一流選手の中で勝ち残るために、その間にプラスの要素を加える工夫しかない。
それが考えること、データー野球・・・云々》 
凡人は、一に準備、二に準備、それを常に楽しみ工夫してやるしかない。
あまりに、考えない人が多い。そう思ってきたが、一番考えないのは、この私。これは全ての人に
当てはまるが。 実際に、あと10年間は考える時間が欲しいが・・。 
ところで、モバイル携帯端末が普及してネットで世界が繋がってしまった現在、能力の限界も
今までとは違ってきている。脳がネットで世界中に繋がったのである。面白く、かつ恐ろしいことで、
ここに時代の大きな断層が出来てきた。20年、30年前だったら、数百億もするコンピューターが、
ただ同然に世界中の人々が持てるようになり、現実世界をネット世界が覆いだしたのである。
これが断層となって既存のシステムを根底から破壊はじめてきている。 
ところで人間を不幸にしている要素に、その限界を認知できないことがある。
そこに不幸の種が出来てくる。として、限界を遥かに超えたところで、砂利の大きさと形の
差異でしかない。面白可笑しく楽しむしかないか、最後は!
・・・・・・・
3788, 閑話小題
2011年08月09日(火)
  * 水戸黄門が放送終了という
 水戸黄門が、今年の12月で放送を終えるという。放映開始が私が社会に出た年1969年で、42年になる。 
1979年には視聴率は43.7パーセントというから、信じられない人気だった。それも現在10パーセント前後まで
落ちていた。勧善懲悪がハッキリしていて、印籠を出す時間が分単位で分かるという。 初代が東野英治郎で現在の
黄門様は5代目。最後は黄門様のお上の力を披瀝することで、各藩の下々や家老などの悪事を暴く筋書き、40年以上も
経てば飽きられて当然。当初の頃、年に数度みた記憶があるが、最近は全くみてなかった。 由美かおるの入浴シーンも
売りだっが、数年前に彼女も還暦を向かえとこともあり、なくなってしまった。 当初のころ、芥川龍之介の逆視線の
「桃太郎」の物語と、水戸黄門の勧善懲悪が重なりを感じてつまらなくなった。桃太郎が勝手に鬼が島に鬼を征伐に
行って、宝物を奪略してきたという筋書き。立場変われば善悪は逆転するという捻れた物語。鬼にとって桃太郎こそ、
勝手な侵略者。そういえば姉の一人が大好きで、脳の構造までが、印籠を出すタイミングを常に計っていたようだったが・・
地方都市の世界は家紋〜 城下町小唄は今も続いている。全ての世界も同じ? そこしか知らないものにとっては
  * 無言の圧力
「毎日のように、貴方の随想日記を読んでいると、無言の圧力を感じる」と、ある人にいわれた。成る程、そうかもしれない。
ここでは思いの一部分も書ききれてないが・・ 毎日続けることで、書いた言葉の背後にある無言のエネルギーを感じるのか。
理路整然と筋道を書き上げることは、それなりにエネルギーを要する。とはいえ、書き、修正を加え完成させると、それを
第三者として、それを見つめている自分がいる。それも毎日10年分の同月同日の文章もコピーし読み返していると
奇妙な感覚になる。同化しているような。一文章 2時間×10年=20時間の集中したエネルギーもある。(テーマ探しは別) 
書いた瞬間に全て忘れているためか、書いた本人が一番、エネルギーの痕跡を感じる。書いてしまった文章は
過去のエネルギーであり、時間がたってしまい再度読んでいる時、現在の自分のエネルギーと混同する。
それが読み続けることで「無言の圧力」のように感じるのか。 それを感じさせるだけ稚拙ということ。    
 ・・・・・・
3423, 5つの「あ」
2010年08月09日(月)
中国奥地で国際援助の植林活動をしている日本人が、「5つの‘あ’」で現地で頑張っているといっていた。
「 あせらず、あわてず、あきらめず、あてにせず、あなどらず 」である。
「中国人の反感の視線の中で、こういう地味の国際活動は、この5つの精神でないと持続できない」という言葉が重い。 
人生訓でもある。 そこで、≪5つの「あ」≫と検索で調べてみると、他にもあった。
* 『あせらず』 不安、焦燥があってもゆとりを持つことが必要です。
  『あわてず』 現時点で急な展開を求めるべきでなく、少し時間的猶予を…
  『あきらめず』まだ自分には使っていないものがあるから、それを使えば安全・自由です。
  『あるがまま』現実をありのままに見つめ、目の前のことを、感謝・喜びとして感じると、あるがまま行動できますよ!
  『ありがとう』今日、一日の無事に感謝し喜びをこめて“ありがとう”と表現しよう
* あんしん. あんぜん. あたたかさ. あいじょう. あかるさ
* 挨拶、ありがとう、謝る、頭を下げる、新しいこと  などがあった。
 しかし、中国での植林事業では「「あせらず、あわてず、あきらめず、あてにせず、あなどらず 」が良い。
 自然体の具体的な心の持ち方ということ。逆に「焦り、慌て、直ぐに諦め、誰か・何かを当てにして、あなどる」が、
 日々の自分たち?   それにしても、中国でボランティアで長年、植林にたずさわっている姿に頭が下がる。
 ・・・・・・・・
3048,閑話小題 
2009年08月09日(日)
   * 印税は定価の一割
  作家の一冊あたりの手取りは大まかにいうと、定価の一割という。 といって、一万冊売れると思って出版はしたが、
 半分も売れなければ、その一割が入るかどうかだ。本を出版して一万冊売れるかどうかが目安(現在は7〜8000冊)
 1500円の本が、まあ売れたとして150万円でしかない。だから作家にしても、ノンフィクションのライターが
 物書きで生活するには並大抵のことではない。 現在は、出版不況で総合月刊誌の休刊が相次いでいる。
   * モノを知らないから困るのではない
 「我われは、モノを知らないから困るのではない。知っていると勝手に思い込んでいるから困る。」の名言がある。
 その上に、知っていることが、実は間違っていることもある。
 「人は、それぞれが知っている範囲の中でしか、理解しえない」ということも最近つくづくと思うこと。
 結局は何にも知らないも同然だったということだ。特に他人に対して、それがいえるのでは。
 知っていたつもりの人が、全く知らない一面というより、多面を持っているのを知り度肝を抜かれることがある。
 我われがインドのカースト制度の差別社会を見るとき、それは実は気づかないだけで、日本でも歴然としてあること。
 自由、平等、そして思いやりのある博愛、等々は全部ウソ。 それを知っているつもりで、実態は不自由で、
 身分社会が厳然としてあり、大方が金で左右される取引社会の真っ只中にある事実が見えてないだけ??。
   * 昨夜は高校の同級会
  昨夜は、高校の同級会。 幹事だったので気を使ったが例年通り盛況に終わった。出席が15名。 
 ドタキャンが一人と、連絡なしの欠席が一人。 二次会は6人出席。 ドタキャンもあろうと会費を千円を上乗せを
 していたので何とか凌いだが、問題の二人は、これまで一度も出席をしたことのない男。 亡くなった山田君の
 奥さんに三回忌という名目で出席して貰ったが、故人も喜んでいただろう。 それより故人の奥さんが、その場に
 馴染んでいたので安心をした。驚いたのは、奥さんも含めて無職が一人だけのことだった。 
 自営業が半分以上ということもある
 ・・・・・・・・・
2683, iPhoneは、超小型パソコンだった! −3
2008年08月09日(土)
  −Phnoe の経過報告
これが気に入っているのは携帯電話に馴染めなかったことが大きい。
ボタン入力が苦手なこともあり、気楽に弄りまわせないでいた。それより気楽に電話をかけたりメールを出す相手が
いないこともある。家内が昨年の春に初めて自分の携帯電話を持ったとき、嬉々として使い出した。妹とメールの
遣り取りを遊び感覚でしはじめた。土日の暇なときに、「いま、暇。何してる?」とかをメールで入れたり、
私がTvを見ている前で、ワンセグで他のTvを見たりしている。   (字数制限のためカット 2010年8月9日)
・・・・・・・
2007年08月09日(木)
 2319, 5次元世界が存在する?   ヽ(★>з<)。o○[ォハヨ]○o。(>ε<☆)ノ
何かSF的な話か、新興宗教の本に出てくる異次元の話が、たまたま見ていたNHK・TVで放送していた。
「エッ、何?」と注目してみた。あと数年もしないうちに「『5次元の世界』が発見される可能性がある」という。
来日中の理論物理学者のリサ・ランドールがNHKのアナウンサーと、朝から異次元を語っていれば、
私でなくても誰でも驚くであろう。    (字数の関係でカット2011年08月09日) 
・・・・・・
2006年08月09日(水)
1954, ある首斬り役人の日記 −1
 「ある首切り役人の日記」 フランツ・シュミット著
 −そろそろ、お盆! 少し背筋が凍りつく内容もよいだろう!ー
 (字数の関係でカット2011年08月09日)   ・・・・・・・・・
2005年08月09日(火)
1589,自民郵政解散の攻防−3


4894,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー46

2014年08月08日(金)

   * ホテル事業と、マイホームの購入
 ホテル事業も、個人のマイホームの投資も、長期ローン物件は大きなリスクを抱え込むことになる。
ホテル建設には、まず銀行の同意が絶対条件で、完成後には会社所有になると同時にオーナーと
錯覚をする。それが実は間違いの元。10億投資のホテルで、2億円を自己資本としても、
8億円は銀行で、実質的オーナーで、あくまで間借り人。
 住宅ローンで例えると、3千万のうち自己資本が600万、2400万をローンで組んだとして、実質、
その分は銀行が所有で、実質オーナーは、あくまで間借りということになる。そこが間違いの元。
「お金は、自身が固定されることを極めて嫌うため、買ったと同時に暴落する性格を持っている。
買ったと同時に3分2とみればよい。 そこで自己資本分600万は、ゼロになる。 
夢のマイホームとは、サラリーマンが長年かけた預金を一瞬にして蒸発させてしまう現実を、
99%の凡人は、その現実に気づかない。 売り手の住宅メーカーも、利益団体であり経費がかかる。
そこに3〜5割の掛け値を上乗せをするのは当然。 商談が済み、契約をした途端、長年かけた
自己資本の預金が消失してしまう。そのことを99%は理解できない。 
 資産=負債+純資産というバランスシートが会社も、個人にもある。契約をした瞬間に、
この純資産が消滅してしまうだけでなく、マイナスになっている現実に気づかない。そのため、
自宅は不良在庫になる。バランスシートで考える限り、貧乏サラリーマンは、自宅を購入しては
ならないことになる。だから、親が無借金の持家かどうかが大きく人生を左右する。
 住宅ローンの3千万円を、ホテル事業でも同じことが言える。 私の場合、二桁上の30億。
自己資本が、当初、2億、その後の利益で5〜6億円まで増加したとして、ホテル建設費で、
ゼネコンの談合システムで2〜3割は撥ねられしまう。実質営利犯罪システムが、存在していた。
更に、金利の上下変動と、
税制のカラクリで多くの税金を払うことになる。 最後は、時流の変化のリスクが待っている。
そこに資産デフレとなれば、まさに倒産になる。三年前、私の身に起こったことは、まさに、これ。 
金利変動、収入減少、それと欠陥や火災問題などがある。現に、私は、会社と個人補償で丸裸。
当時の役員二人は、この住宅ローンに直面している。私を含めた三人は、30年も長期投資物件に
たずさわった経験者。それからして、この有様になる。 西武鉄道グループは解体、東武鉄道
グループにしろ、日本の大手ホテルチェーンは、都心以外は経営状態は良くない。
 弱小資本は、長期ホテル投資などしてはならない!が、結論である。 やるなら早々の
事業転売が前提で、資産デフレの転換期の1990年代まで。 面白かったのは、準備期間と、
立ち上げ。 しかし面白かったは、感情面の話でしかない!この結果で、思いの外、喪失感が
少ないのは、自分も、借り物でしかないことを少しでも知っているため?
 凡人は、何であれ、搾取される対象でしかないとは、これも自然の摂理ということ?
グローバル化とは、そういうこと。一強多弱は、どの世界でも、露骨にたち表れてくることになる。
・・・・・・
4527, 生きる悪知恵  ー6
2013年08月08日(木)
                「生きる悪知恵 ー正しくないけど役に立つ60のヒント」西原 理恵子 (著)
   * 娘が、漫画家になりたいと言い出しました
Q:高2の娘が、漫画家になりたいから、大学に行かずマンガを描くと言い出しました。昔からお絵かきが好きな子で
 マンカもよく読んでいましたが、まさかそんなことを考えているとは思わず、驚いています。特に成績がいいわけでもなく、
 この就職難の時代に中途半端な大学に行くより、なれるならなってくれたほうがいいという気もします。でも、プロの
 漫画家になるなんて簡単なことではないでしょうし、娘の描きかけのマンガを見ましたが才能があるかどうかわかりません。
 娘に才能があるかどうか、どうやって判断すればいいのでしょう? 今は大学もマンガ学科みたいなところがあるようですし、
  そういうところやマンガ専門学校に行かせたほうがいいのでしょうか? アドバイスいただればと思います。 
A:私が美術予備校に行って勉強になったのは、自分の作品と他者の作品を冷静に見比べることができるようになったこと。
 300人の絵を並べて、その中で最下位だということがわからなかったの、最初は。「なぜ、自分が最下位で、この人が一番?」
 なのか自分が見えてなかったの。 ・・すごい不細工なのに自分のことを可愛いと思い込んでるコがいるでしょ。あれと同じ。
  でも、予備校で本当に上手な人の絵を見て、大学に行ったらもっとみんな上手かった。 で、「ダメだ、こりゃ」って、
 自分の実力がいかにないかとわかって、「じゃあどうするのか」って、そこからですよね。そういう意味で、専門学校みたいに
 人が集まっているところに行くのも自分の位置を知るにいいかも。・・才能があるかどうかなんてやってみないとわからんし、
 親が判断することでなく、それは世間様が判断すること。
  ・・まあ、別に漫画家じゃなくても、高校生にもなった娘が進路について「これをやりたい」というのに
 反対することはない。ひとつだけアドバイスするなら、「アルバイトはさせたほうがいい」ってことかなあ。
 お金をもらって、他人に怒ってもらえるという経験は貴重です。私もアルバイトでいろんな経験させてもらったのが
 財産になってる。 いるだけで「可愛いね」って言われる時代から、いるだけで「邪魔、パパア!」って言われる時代まで、
 女の人の方が描くことの引き出しが多いんですよ。だから、やっばりいろんな場所でいろんな経験してほしいですね。
▼ 早期退職のサラリーマンの蕎麦屋をしたいという話と同じ。遊びや趣味でやるのと、それで生活していくのは別問題。
 17〜8年前になるが、甥っ子が京セラに勤めて10年、何かで社長賞を貰ったのを契機に漫画家に転身したと聞いた。
 当初は、そこそこ売れっ子だったと聞いていたが・・ 漫画家の名は、自分の名前を逆読みにした「きもと○○」という。
 次々と若い漫画家が出てくる中で若い人の感覚を取り入れ続けて生き抜くのは大変のはず。この娘の場合は、専門学校に
 入れるのがベスト。その世界で仕事が出来るだけでも、本人に馴染むからである。
・・・・・・
4152, 「B層」の害毒
2012年08月08日(水)
          【 ニーチェの警鐘 日本を蝕む「B層」の害毒 】ー適菜収著 より
 哲学者の適菜収のー日本を蝕む「B層」の害毒ー論が面白い。B層といえば(何度か取り上げたが)、小泉元総理が
「ワンフレーズ」で、「マスコミに扇動されやすい大衆に名付けた層」をいう。2005年の郵政選挙の際に選挙戦略として
国民をIQと構造改革への姿勢からA層、B層、C層、D層に分類し、B層を選挙のターゲットとしたことに由来する。
これで当時の自民党に圧倒的大勝利を収めた。この層について、著者は以下のように分析している。
≪ 「B層」とは何かというと、
◎〈マスコミ報道に流されやすい『比較的』IQ(知能指数)が低い人たち〉とあり、
〈B層は絶対に反省することがありません。無制限に拡大した権利意識と被害者意識がB層の行動を規定します。
 郵政選挙で騙され憤慨し、再び民主党のマニフェスト詐欺に騙され失望し、将来にわたり「騙された!」
 と喚き続ける存在がB層です。〉とある。
◎〈今の世の中が肌に合わない人。今の世の中のどこかがおかしいと感じている人。今の世の中を深く軽蔑している人。
 そういう人はニーチェの言葉に耳を傾けてみるべきでしょう〉という
◎〈B層の問題とは、すなわちキリスト教の問題なのです。〉 〈B層が無知を自慢し、偉大な人物が死んでも
 「アタシ知らなーい」「誰それ?」などとわざわざネットに書き込むのは、彼らがキリスト教の影響下にあるから。〉 
◎〈まともな哲学者・思想家は、例外なく民主主義を否定しています。人類の知性は、民主主義と
 戦い続けてきたのです。 民主主義は、十八世紀に発生したキリスト教カルトです。〉
(わが国にも「民主主義には寛容の精神がある」「民主主義は少数意見を尊重する」などと言う人がいます。
 バカなんでしょうか? 民主主義に一番たりないのは寛容の精神と少数意見の尊重です。) ≫
▼ 問題は、B層が悪いのではなく、彼らは、どの様にも操作されやすいということである。これまで、マスコミは、
 大衆として、彼らを捉えて、その操作を駆使しトップダウンを役割にしてきた。 ところが、そのB層に超小型
パソコン=モバイル携帯が普及して、これが情報のコンテンツになってしまった。B層には、自分がB層の自覚がないため、
そのレベルの判断が体勢を占めてしまう。これが「B層の害悪」になるのである。B層はA層にコントロールされてこそ、
社会は保たれるのに、B層が主導権をとったら、そこには混乱があるだけである。現在の民主党の混乱は、これである。
A層を自認してきた自民党も、あのざまで、C層化している自覚が全くない。この超小型パソコンが、今後もたらす
影響はモンスターのように、世界を混乱に陥れることになる。タブレットPCも含めた端末情報機器が、
プラスにもマイナスにも社会を激変させている。
 ・・・・・・・
3787, 閑話小題
2011年08月08日(月)
  * アメリカ国債の格下げ
 ここでアメリカ国債が、アメリカ議会での共和・民主党の対立で危うくデフォルト(債務不履行)になりかけた。
このため70年維持してきた格付けがトリプルAからダブルAに下げと発表になった。これはアメリカ国家の格付け
と同じである。3年前のリーマンショックは世界経済システムの崩壊だったが、それに対してアメリカ政府は、
やれることは全てやり尽した。それが限界にきた結果がデフォルトの危機である。 このことは、円高、ドル安は
当分の間は続くことを意味する。その結果として世界にとって、とりわけ日本にとって最悪の事態になる。 
まず世界同時株安、そして世界恐慌の具体的現象化とみてよい。それが今年の後半から来年に始ることは
リーマンショック直後からいわれていた。欧州経済も右倣いで崩壊寸前の事態で、その歪が何時爆発しても
おかしくない異常事態。 まず今週から来週にかけて世界の株価がどうなるか見ものである。
  * 原発事故、これから始る影響
 原発事故による放射能汚染の実態が一つずつ表面化している。まず、この秋の新米がどうなるのか。最悪の場合、
東北・関東甲信越の新米が全滅ということもありえる。その対策として消費者は既に古米の購入に走っている。 
特に子供がいる世帯は他人事ではない。汚染が、どの程度で収まるのか今のところ誰も分からない。 それは時間と
共に現われ出てくる。悲観楽観論は、この事態では失せてしまう。放射能は水の循環の中で動植物の生態の循環の中に
静かに入り込み我々に影響してくる。昨日、チェルノブイリの事故の、その後の現地民の汚染による影響のTV番組の
再放送を見た。あそこまで酷くはないとしても、日本人は放射能に敏感である。それが水と農作物、畜産物から体内
汚染とくれば、壊滅的打撃になる。 本州崩壊と原発事故直後に風評が聞こえてきたが、それが現れ出てきているのか。
  * 私は特別の人間! だもの
 若い女性は、いや人間そのものは、心の何処かに「自分は特別な存在」と思っている。しかし少し考えれば、
それぞれが特別の存在であり、今さらいうことではない。しかし世界の広さと深さを知り、自分の卑小さ知るにつけ、
特別の存在という思いなど吹っ飛んでしまう。 最近、身近の人が正直に「私は特別の存在なの」と面といわれて
驚いてしまった。その言葉の中に、特別選ばれしものという思いあがりを感じたが、そう心の底に、思える純真は
大事なのかもしれない。ただ見方によれば、ただ無知なだけだが・・ 今、此処にある存在の不思議からみれば、
私は特別の存在と思うのも仕方がないのか? たまため去年の同日に取りあげたテーマの通じていた。
 ・・・・・・・・
3422, 哲学者の言葉 100 ー2
2010年08月08日(日)
 * 第一章、哲学と人間
  ≪ すべての人は、われわれのようなものである。<ヤスパース> ≫
 これまで生きてきて、どの世界にも同じような人がいて、同じことを考えていた。ただ違うのは、地方性と、
レベルの差。そこで差異をみると同時に、同じところをみることが、早く同化するポイントになる。年齢差、男女、
地域性、学歴差、などあるが、まずは、同一性が問題になる。 まず P−21の以下の部分を、抜粋してみる。
【 そもそも人間とは何であるかについて、ヤスパースは次のように考えました。「人間は一つの点のように
存在しているのではなく、いつも何かの状況の中に拘束されて生きている、そのような"状況内存在"である。
さまざまな状況と関わりをもち、いろいろな予測や判断によって危険を回避しながら事を運んでいくが、最後には
乗り越えることのできない壁にぶち当たる。それは、争い事や、責め苦や、死によってもたらされる」 ヤスパースに
とっては、人間は言葉をもち思考する生物であり、行為によって国家(都市国家)を法律のもとに共同体としてつくった
生物であり、道具を製作し仕事をし、経済によって生計を営む生物なのであるが決定的なことはそういう事柄にはない。 
人間の本質は運動の中にあるという。人間は現状のままにとどまってはいられず、他の動物のように平穏無事に
世代から世代へと同じことを繰り返す存在ではない。人間は、袋小路、退化、転倒を繰り返し、自己疎外に陥ること
すらある……。・・・ ヤスパースは、このような意味で「すべての人は、われわれのようなものである」と言いました。
そして、人間が、やがてどこかで、いつの日か、限界状況にあるのを知ったときに、人間はこれまでと違うことを始める。
知識欲や、航海の冒険、とどめがたい好奇心等々いろいろありますが、それは勇気を伴なう。
この勇気こそが限界状況でも人間に自由への希望を与え、勇敢に終局へと向かわせるもの、とヤスパースは考えた。
人間が何であり得るかは、やはり彼の自由の希求の中に秘められています。人間が生きていく限り、絶えず努力して
獲得しなければならないのは、人間として品位であり、人間が人間であるのは、その品位をまた他人の中にも認めること、
それが、「すべての人は、われわれのようなものである」というヤスパースの言葉の内実(内なる事実)でもありました。】
《人間が生きていく限り、絶えず努力して獲得しなければならないのは、人間として品位であり、人間が人間であるのは、
 その品位をまた他人の中にも認めること、それが、「すべての人は、われわれのようなものである」》は、究極の真理。
そうありたいが、そうはいかないのが人間様である。人間としての品位のないのが、人の中にあるわけのない品位を
求めてしまうから、ことが拗れてしまう。勇気こそが限界状況の中で自由への希望を与える、というのも道理である。
老いは勇気の喪失からくる。
 ・・・・・・・
3047,自信過剰な人
2009年08月08日(土)
 異常なくらい自信過剰な人を最近、身近で見かけた。その位でないと、この時代では前進できないが、
それが自分の実力を超えた思い込みでは、自滅する確率は高くなる。 やはり身近で自信喪失の人もいるから、
その両者の断層から多くのことが見えてくる。 世の中は自信過剰な人と自信喪失の人で成り立っているし、
人生はその交互作用でもある。この不況の中では「私」は少々自信喪失気味だが、そのぐらいの方が良いのだろう。 
特に若いときなどは自信過剰と、その結果としての無残な失敗の繰り返しがある。失敗に対して、繰り返し立ち上がって
チャレンジできるかで人生が決まってくる。大学を卒業し数年、大きな挫折体験の中で、「自己能力の限界の設定」
という言葉に出会ったが・・   ーまずは、ある本の説明部分を抜粋してみるー
《 英語では(overconfidence)という。 自己の能力や知識を過信すること。悪い事態が起きる確率を過小評価し
 (「過度の楽観主義」という)、いま目の前に起こっていることがコントロール可能だと思い、成功の確率を主観的に
 高く評価する(「支配の錯覚」ないしは「マジカル・シンキング」という)。まだ、いくつもの可能性を残しているにも
 かかわらず(「狭すぎる予想範囲」という)、そのまま突き進んでしまう。 そこへ追加的な情報が与えられても、
 自分の予測を補完するものだと確信を強めてしまい、予測の範囲がそれほど広がらない。
 たとえば、投資家の心理として、情報の正確性を誤認し、過度の取引をしてしまう(予測が外れるのは
 数%と判断しても、 実際は20-30%外れていることは多々ある)。また、「後知恵」的解釈の原因でもある。 》
  こういう実験がある。
 質問=あなたは幾ら賭けますか?
Aーコインを投げる前に、表と裏と幾ら賭けますか?
Bーコインは既に投げられたけれど、どちらが出たか分からないが、幾ら賭けますか?
  この実験の結果は、後者の方が掛け金が少なくなる、という。
 そこには、本人の意志は通らないが、何か心理トリックで意志が通るような錯覚に陥ってしまう結果が出てしまう。 
 それが事業でも全てにいえるのである。 自信も同じで、自分で気づかない心理トリックが潜んでいる。
 新規に何かをする方からしたら、考えつくした上で発狂するしかない。 何もしない人間の壁を見ているからだ。
 しかし心理トリックを実験で導き出す面白い事例である。 この心理トリックで女も男も、相手をどんどん
 換えていくのである。  許されるのは若いうちだけだが。
 ・・・・・・・・・
2682, マネーの未来、あるいは恐慌という錬金術 −2
2008年08月08日(金)
 この本は、特に目次が面白い。
結局は、金融のエリートと称する詐欺師に素人が騙されたいる図式しか見えてこない。 しかし時代は、
断層の時である。自分がその真只中に居るから、その大きさに気づかないだけ。いや、目を逸らしているのである。
この本の目次を見ているだけで、この本の概要がわかる。間違いなく、アメリカの崩壊が始った。
アメリカはイギリス連邦と、日本と組んでブロック化をしていくだろう。
それが早まるか、遅くなるかは大統領選挙の結果で決まる。その意味で、この選挙の結果は大きい。
 ー目次ー   (字数の関係でカット 09年08日)


4893,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー45

2014年08月07日(木)

   * 面白かったという手応えが残った有難さ! 
 改めて45年を振返ると、これは人生そのものの総括であり、自分の限界の再認識にもなる。 
経済雑誌『財界』を発行する財界研究所の創設者・三鬼陽之助の弁『経営者たるものは、その行蔵を
表立てないこと、秘しておくこと』がある。 経営者失格の私が、こんな行蔵を書くべきでないのが、
本当だが、今さらである。先日、ここで取上げた『意味としての心』の中で《「意味」の『意』は「気持」。
『味』は、ミ。満るのミ、記号で言う、身、実、につながる。その時々の節目で、何が満ち、何が実として、
あったか? 逆に、何が足りなかったか、の棚卸は、ある意味、内省になる。》と書いた。
 生きてきた中で、その時々に空虚な心を少しでも満たそうと、エネルギーをひたすら注ぎ込んできた。
それが、そのまま自分の姿であり、その凝視が内省になっている。 逆境時にも、ひたすら読書三昧を
重ね、1日、2〜4時間の読書を続けてきた。 最近ではネットサーフィンを含め、現在も続いている。
それでも、一番肝心なところを理解し得なかった。知らないこと、知らない知識へのチャレンジが
少なかったことになる。 「得意淡然/失意泰然」は勝海舟のことばだが、私には、逆の
「得意泰然/失意沈然」が悲しいかな、見て取れる。最期に、この結果が当然である。 
逆の結果としても、私には大して変わらない? ご覧のとおりの結果を、現実に経験をしてみて、
事前で考えていたことと、大きく違う! 事前の見方をしていた自分が薄っぺらに見えている。 
まず<倒産が悪い!という一連の思い込みの間違い>がある。
<倒産には、悪い倒産と、良い倒産があり、良い倒産は、むしろ勧めるべき決断であって、
ワーストでなく、ベターでもなく、ベスト>という経験から得た実感である。もちろん、ケースによるが。
激動の時代ほど、事業サイクルが短くなる。だから、見極めをつけたら、銀行などに植付けられた
<倒産は悪い>という先入観をかなぐり捨て、見切りをつけるのが「良い倒産」に繋がる。
『倒産に良いも悪いもあるものか!』が間違い。<従業員の生活を破綻させる>
<取引先を連鎖倒産させる><家庭が破綻する><生活の目処が立たない>等々、
多くの問題があるが、決断しなければならない時節には、決断しなければならないことがある!
 結果からすれば、戦争などで大家族が生き抜くなどの事情がない限り、起業家などすべきでない!
しかし、後悔が少ないのは、日本の歴史上に過って無かった高度成長期で、良い思い味わったり、
起業の面白さを充分経験できたことがある。『面白かった!』という実感が、間違いなく残っているのは、
有難いことである。意味のミが満(ミ)ちていたため。 装置産業のプラス面の「時間持ち」と、
マイナスのブラックスワンとの遭遇の経験も、振り返ってみれば、光の中での夢幻でしかない。
・・・・・・
4526, 生きる悪知恵  ー5
2013年08月07日(水)             
  * 中ニの娘が父親と、今だ風呂に入っているのですが  「生きる悪知恵 」西原 理恵子 (著)
Q :  中2の娘が父親とお風呂に入っているのですが
A :  ・・ここは日本のお母さんたちの合言葉は「毛が生えるまで」。
 毛が生えたら自然と恥ずかしがり入らなくなります。吉田戦車のマンガにあったけど、
お父さんにとっては毎日がカウントでしょ。娘が一緒にお風呂に入ってくれなくなるまで
「あと何日」っていう、その時が来るまでじっくり味わわせてあげてくださいよ。
娘が「パパ大好き」って、すごくいいいこと。 私も女子高だったんで、パパ大好き派の子
いっばいいて、もう夜、パパの布団に潜り込んで寝てたぞという子、結構多かった。
そこまでいかなくても、腕組んで歩いたり、それはもう、パパ嫌いで、「臭いんだよ、オヤジ」
という家庭に比ぺたら天図みたい。ましてや「オヤジ死ね」って言ってる息子がいるのに比べたら、
どれだけいいか(笑)。 ある意味、ぜいたくな悩みですよ、好きなだけパパっ子にさせて
あげてください。心配しなくても大丈夫。毛が生えたら娘のほうから人らなくなりますから。
中2だから、そろそろでしょう。まさにカウントダウン。 
・・アメリカなら父娘が一緒に風呂に入ると逮捕されるとか。
▼ 数年前に、次男とツイッターでやり取りしたことがあったが、直ぐに、
「父と息子がツイッターをするとは 前代未聞」とのツブヤキが入って、やめたことがある。
「だからこそ面白い」と今から考えれば良かったが・・ 
   * 60歳代の父が30歳代の女性と同棲。妙にやつれてきました
Q :数年前に母を亡くしてから、一人暮らしをしていた60歳代の父が30歳代の女性と同棲。
 妙にやつれてきました
A :「体が心配」って言うけど、腹上死したらそれはそれで最高に幸せな死に方じゃないですか。
 いがみ合ったり、寝たきりになったり、見たくないようなものばっかり見せて死ぬんですよ、普通。
そんな嫌な死に方するのに比べたら、もう万々歳。どうせいつかは死ぬんだし、これが最後の
恋なんだから、好きにさせてあげましょうよ。 何の問題もありません。
放っときゃいいんです、ハイ。  結論、腹上死したらラッキーと思え!
▼ やつれた理由を下ネタと決め付けるのも何だが、やつれるほどの精力が残っているなら、
 最上の幸せ!」
・・・・・・
4151, 虎穴問答
2012年08月07日(火)
 以前に少し取り上げた「虎穴問答」について。 金沢の「いとはん」という衣料チェーンにいた時の話。
同期10数人で勉強会をつくって、そこに石川県知事を呼んで話を聞いたことがあった。それが社長の逆鱗にふれ、
「預りの身?」の立場上、抜き差しのならない事態になった時に、書店で見つけた本にあった問答。
そして自から、その会を潰すことになった。去年の倒産劇の時も、この問答を思い出していた。死に体の会社を
一歩早く潰すか、ぎりぎりまで踏んばるべきかの決断の際に、この問答を何度も類推し、考えてみた。  
 ーそこでネットで「虎穴問答」を調べてみたが、その部分からー
≪ 大阪控訴院でのこと、ある日、審理の最中に王仁三郎は裁判長に向い、「人虎孔裡に墜つ」という禅問答を
 いどんだことがある。これはひとりの人間が虎の穴へ落ちこんだ場合どうしたらよいか、という問答だ。 
王仁三郎が、「裁判長、あなたはどうお考えになりますか」というと、裁判長は自分は法律家だからわからないが、
どういうことかと逆に問う。そこで王仁三郎の説法がはじまった。人間より虎のほうがつよいから逃げようと
すると殺される。刃むかっていっても同じことだ。ジッとしていても虎が腹がへってくると殺しにくる。
どっちにしても助からない。けれどひとつだけ生きるみちがある。それは食われてはだめだ。
こちらから食わしてやるのだ。食われたらあとにはなにも残らんが、自分のほうから食わしてやればあとに
愛と誇りとが残るのだ。 王仁三郎はこの問答で大本事件を語ったのである。裁判長はさすがにうたれるものが
あったとみえ、うーんと嘆声を漏らしたという。 また、粛然とした空気が法廷に流れ、敵味方の区別なく一同
思わず襟を正したそうだ。さて、この虎穴問答はもうひとつ深い意味をもっている。というのは、虎に身を与えた
愛と誇りの犠牲が、現実の事件全般の進行に一大転機をもたらしたからだ。奇跡的に死地に生を得たもので、
九分九厘だめだったものがあと一厘で逆転にむかうのである。これこそ一厘の仕組みとかいうものだろう。≫
▼ 戦前戦中の時代に、破竹の勢いで信者を増やしていった大本教が、軍部や政治家から目をつけられ、
 大弾圧にあった。その過程の裁判での、この虎穴問答は人生に色々な示唆を与えている。虎を、生老病死と
しての四苦八苦と例えることができる。それぞれの苦に、自ら受け入れ苦しむことこそ解決の最短の道になる、
と考えることができる。事業断念も決意も、虎を3つの断層=9・11テロ、9・15のリーマンショック、
3・11大災害の三つの震災とみなし、その重なりから、虎穴に落ち込んでしまったと想定。逃げ回るより、
先んじて喰われてしまおうという最後に思い出したのが、この問答。
 その時に、当時の大本教を題材にしたー『邪宗門』高橋和巳著ーを読んだが、これが面白い。
 ・・・・・・・
3786, ユング −17
2011年08月07日(日)
   * ユングについての総括
・ 父親の死の時の不思議な体験をキッカケに奇妙な感覚が10年余りの間、身についておたこともあり、
 ユングの理論には非常に興味をひかれた。ユング本人に元もと通常以上のシックス・センスがあったため、
それを、そのまま発達すればよかった。大本教の出口なお、天理教教祖の中山みきは、そのセンスが強力だった。 
また日蓮には身体全体にオーラが包み込んでいたという記述が残っている。 27歳時の父の死亡時での実体験が
無ければ、シックス・センスに対して信じることはなかっただろう。現に幽体離脱のような体験をしたのだから、
これは信じるしかない。 ユングがフロイトと対立・離別をしてまで、この方面の研究を続けた内容は侮れない。
・ ユングが取り上げた中で、「共時性」と「布置」に、まず興味をひかされる。 奇妙な偶然の一致の不思議さである。
 これは多くの人が経験しているはずだが、それを話すと、何か軽薄と誤解されるのを恐れてか、あまり口外をしない。
 子供の頃に親戚の人が、その類の話しをするのを聞いて、「いい大人が、他愛無い話をしている」と心底で感じていた。
 しかし人生経験を積み重ねるうちに、親戚の人たちの言っていることは、決して他愛無い話でなかったことを知った。
 幽霊の話しも、その一つになるが、これも、あり得ることである。共時性、布置とは少しズレルが・・
・ またオカルト現象も、ユングを読んで、実際のところ驚いてしまった。これも個人が持っている、ある能力が何かに
 感応した働きだろう。そうこう考えれば、哲学の存在論に関わってくる。現在、自分が、現に此処にいる不思議から
 みれば、オカルトなど、他愛にないもの。エスキモーで5キロ先にいる白兎を見つけることが出来る人がいるとか、
 犬が数千キロ先の親の鳴声に反応するとかを疑問に思うこと自体が、小さな限界の範囲内で決めているからである。
 脳には20億年の生物進化の記憶がある。
・ 最近、特に感じるのが、それぞれが持っている経験と能力の深さと広がりである。特に、ブログなどで、
 それが比較的簡単に覗き見ることが可能になったこともある。デジタル化で人間の五感を遥かにしのぐ機器が
 不朽はじめると、逆に人間の持つ不思議さが一つずつ解明されることになる。ブログ、ツイッターなどの普及は
 ユングの世界を超える可能性がある。ネット世界の出現こそカルト?
・・・・・・・
3421, 日本の幸せ度
2010年08月07日(土)
 昨日、ランチを食べていた店の週刊誌に「日本人の幸せ」について、特集をしていた。
といっても、ある本の内容を、そのまま要約した内容、許可を得ているのだろうが・・・
メモを持ってなかったので、頭のメモに書き付けてきた。如何いうわけか、全部スラスラ?と、出てきた。
 日本人の幸せー9
* 流動資産一人あたり700万、一世帯で1500万、金融・土地など資産2千万が、幸福の飽和点。
* 幸福度は、学歴に正比例する。    【中学校、高校、大学の同級・同期会を見ると、歴然としている】
* 女性より男性の方が不幸の割合が高い。【家内と私を比較すれば分かること。男は社会の消耗品】
* 都会は、そうじて幸福である。    【これも残念ながら、本当。新潟市、長岡市は都会かどうか?】
* 幸福の80パーセントが、遺伝する。 【選択前の最終学歴の同級生の、その後をみると、正比例している】
* 経験・体験は、幸せには左右されない。【これは、難しい問題だが?】
* 世界的にみて、税金の高さは幸せに関係しない。 【高いところほど、豊かだからか?】
* 幸福度は加齢とともに下がっていく。【そう、一番幸せだったのは、0〜9歳、20〜29、30〜39、
  50〜59歳の順】
* 失業の不安は、幸福度に関係してくる。【最近、実感している】  以上だが、間違いがない。
 ▽ その他に、* タバコを吸う人は不幸になる。* 月一度以上、ギャンブルする人は不幸になる。
   * 気短、心配性、は不幸な人が多い。 * 社民党は不幸な人が多く、内閣支持者に幸福な人が多い。
  この辺が、私の記憶である。よくぞ憶えていたものだが・・・ 幸福論が好きだからだ。
  ラッセルは、「幸福な人を特徴づけるのは、まずは人生への熱意であると言う。人や物に敵意をもつような
  ことをせず、熱意をもって生きれば、外界への興味も湧き、人生も楽しくなる。 男性も女性もほんものの
  愛情をもち得る。家族、家庭での生活も楽しくなりプラスに転じる。」といっている。  
 ・・・・・・・・
3046,卒業40年周年か〜 −5
 2009年08月07日(金)
 40年前に奥野君と何を話したのかを知りたくなって、「分類のコーナー」の中の検索で『奥野君』を入れたら、
その当時の文章が出てきた。 これは一度書き込んでしまえば、直ぐに出てくるから便利である。
この3000の随想日記は私の人工頭脳?のストックの役割を果たしている。当然、みすぼらしいのは自覚している。 
いや、自覚せざるをえない、というのが本当のところ。ところで4時間も何を話したのだろうか? 当時の日記を
読んでみて、書き残しておく重要性をつくづく思う。言葉として残しておくと、それを糸口として40年の時空を超えて、
当時の光景が昨日のように蘇ってくる。現在、日記を「10年日記」など何種類か書いているが、このような心情を、
そのまま書くものはない。いや、もう書けなくなったのかもしれない。 20歳半ばからも日記を書き続けておけばと
後悔をしている。 この随想日記は良いメルクマールになっているが、心情ではない。                  
ー11月19日ー 1968年      2003/11/22
・11時起床。 13時半に同級の奥野君が私の部屋に突然に訪ねてくる。
 1〜2年の時、席が隣のこともあって親しかった人だが、専門課程になってから疎遠になっていた。
 話をしたかったのだろう。人生について、倫理観について、その後読んだ本で感銘したことを必死に話をしていった。
 特にケネディの自伝に感銘を受けた、というのが印象的であった。 見違えるように自信を持ったように見えた。 
 男っぽくなったという言葉がピッタシ。4時間ばかりして帰っていった。もう彼と話し合うことは無いだろう。
 アパートから一時間以上かけてきたというから、自分のメッセジーを伝えたかったのだ。
・それにしても最近多くの人が吹き付けるように来るのに驚く。聞き役に徹していることと、大学最後の時が来ている。
・武沢先生にいわれて急こしらえに親しい女性をつくろうとしても無理。といってチャンスは幾らでもあるが。
 理想と現実の乖離か大きすぎるのだ。妥協はしたくない。
▼ 最近になって知ったことだが、女性は同じレベルの学校ではなく、一〜二ランク上の男を狙う。
 だから当時は妥協できなかったのである。それと姉達のレベルより下げることができないシスターコンプレックス
 もあった。 四人の姉は、地方では、それなりのレベルの美形?だったので、その眼もある。 一つの判断が
 人生を大きく左右する時期で、ふりかえってみると非常に緊迫した日々だった。この齢になったためか、一年前も
 二十年前も、四十年前も大して変わらない感覚になってきている。過去という一つの袋の中味が一年前も五十年前も
 大して問題ではなくなったというイメージである。死期を悟った時に、これがもっと強くなるのだろう。 
 この時期の日記を読み返すと、当時は人生の使用前。今は使用後。
 という感? 使用後というには早いか? 学生時代は、社会に出る前の予備訓練期というのが、みてとれる。
・・・・・・
2681, マネーの未来、あるいは恐慌という錬金術 −1
 2008年08月07日(木)
  「マネーの未来、あるいは恐慌という錬金術」 松藤民輔著    -読書日記
この数ヶ月以来、この人の本は三冊目になる。「無法バブルマネー終わりの始まり」「世界バブル経済の始まり」
を読んで、世界と日本の先ゆきに唖然としたが、更にこの本はショッキングな内容である。
金山を買って、大もうけして、更に金のブームを起こしたいのだから、力が入っている。
 世界経済の危うさは誰の目にもハッキリしている。金鉱山の投資家の切口から社会の潮流を見ると違ってくる。
   まずは ーはじめにー の以下の部分から
さて、いまが本当に金融恐慌の入り口なのであれば、身をすくめてこの「嵐」が通りすぎるのを待つしかないのか?
けっしてそんなことはない。ものは考えようである。いつの時代も、運の女神は前向きに創意工夫する人間をサポー
トしてくれる。恐慌とは、あらゆる「プロ」が負ける時代を意味する。従来の投資法が通用しない時代を意味するのだ。
恐慌が本格化する前に、この恐慌を逆手にとってひと財産築いてしまえばいい。 そのためのポジションを早急に
準備すればいいではないか。金融恐慌を前に、わたしたちがとるべきポジションは「金」と「金鉱山株」しかないと
思うが、どうだろう。これは、過去の大恐慌の歴史のレッスンでもある。 投資で勝つ鉄則は、「真似る」「学ぶ」
「待つ」という3Mにこそある。十五年間、わたしはこの恐慌を待っていた。 それは、いまかいまかと「恋人」
の登場を待っている気分に似ている。いま、金は、一九八○年の最高値一トロイオンス1875ドルをあっさり超えて、
1000ドルを挟んで上下しているけれども、金融恐慌が本格的に始まれば、あっという間に二〇〇〇ドルの壁を
超えていくにちがいない。わたしは一九九三年、ソロモン・ブラザーズ証券で当時得ていた二億円の年収を捨て、
ペーパーマネーの世界から実物経済(金鉱山事業)の世界へと身を投じた。いまや北米をはじめ、世界のあちこちで
鉱山を経営している。普段はヘルメットをかぶって地下二千の鉱山で金を採掘している。
つまり、パソコンの前で金や金鉱株の動きに一喜一憂している「投資家」ではない。自らリスクを負った経営者として、
現在のこの金融恐慌に向き合っている。いずれにせよ、もしもこの恐慌が最大級のものならば、リターンも最大級の
ものになる。そのとき、恐慌は、わたしたちにとって「恋人」から「恩人」に変わっていることだろう。
 〜以上だが、更になぜ、私たちが恐慌のトバ口に立っているかを次ぎの5つをあげている。
  ーサブプライム問題は、まだ片付いてない。
  ー金融機関の倒産は、これからが本番
  ードルの転落
  ー原油高、資源高、食料高の三重苦が始る
  ー「有事のドル」の伝説崩壊
〜次回は、この本の目次を俯瞰しながら考えてみる。


4892,定年後の4年目のリアル −2

2014年08月06日(水)

           「定年後のリアル」勢古 浩爾 (著)
  面白そうな要点が抜粋されてないかと、アマゾンのレビューを見ると、幾つかあった。
≪ ・「この先わたしたちはどうすればいいのだ、・・・というように具体的な方策を他人や本に
 求める根性がすでにだめである、・・・「自分のリアル」は自分にしかわからない」(6~7頁)。
・「わたしのこころは基本的に幼少年期からずっとおなじものである。中年になってもこころはひとつ。
 ・・・わたしはこれを自分年齢だと考えるが、その中核は、多くの人にとっては少年期や思春期の
 ときのこころのままではないのだろうか」(67頁)
・「社会的年齢と生理的年齢と自分年齢は絡み合い、相互に反発しあって一致することはあまりない。
 そのときは一も二もなく、自分年齢を優先すればいいと思う。いいも悪いもない。そうするしかない。
 基本的には自分の「こころのリアル」に従って生きていくのが一番である」(70頁)。
・「どんな立場もなくなるということが、これほどまで自由だとは知らなかった」(104頁)。
・「さみしいなあ、でもそれがどうした」と思うことである。これは「ありのままの自分でいいんだよ」
 ではない。これが自分の現況である、というだけのことである」(153頁)。
・「つまらないことだが、三日間絶食をしてみた。結果、食は生活の句読点であり、
 それが失われると一日はのっぺらぼうの時間になる。それが失われると生活の楽しさの
 大半が失われる、ということに気づいた」(169頁)
・「わたしたちは自分なりのしかたで自分の生を生きるほかはない」(208頁)。
・「さて、ここでわたしは、「定年後、残りの人生をベストに過ごすにはどうしたらいいのだろう?」
 という問いに対しては、たった一言でもって完璧無比に答えることができる。
 「あなたの好きなように生きてください」である。 ・・・「好きに生きよう」である。
 「好きでなくても、今の生活しかないのなら、それで生きよう、である」(213~4頁)
・「私が死んでも、・・世界にとってはまったく大したことはない。
  この世はつねに生きている者たちのもの」(235頁)
 食って、寝て、本(新聞・週刊誌・小説を含む)読んで、勉強(歴史、思想史、数学、等々)
 して、AV観て、何か執筆でもし、たまには小料理屋で一杯やって、あるいは散歩や
 旅行にでも行って・・・そういう生活に私は入りたい。≫
▼ 私が一番、実感したことは、「どんな立場もなくなることが、これほどまで自由だとは知らなかった」
 である。確かに、少し寂しいし、肩書き無しの自分に向合うと、今まで如何に、その土台の上で
好い気になっていたかを、思い知ることになる。しかし、それも時間が解決してくれる。
ただ、突きつけられるのは収入が激減してしまう現実。仕事上を含め付合いなどの経費は殆ど
無くなるが、可処分所得も皆無になり、ヘソクリをしてない自分に後悔する。この辺りが、一番の
「定年後のリアル」の問題。次が、「自由の不自由」の問題。 何もかも自分で計画をたて、判断を
しなくてはならない。が、更に厄介なのが、今までの仕事の拘束に換わって家庭内の、それが
待っている。  で、偶然だが、去年の同月同日の以下の文に続く!
・・・・・・
4525, 生きる悪知恵  ー4
2013年08月06日(火)
              「生きる悪知恵 ー正しくないけど役に立つ60のヒント」西原 理恵子 (著)
 歯車の一つとしてのサラリーマンが、自分で商売をしてみたい気持ちも分からないでない。私が、ここで度々
取り上げる飼い犬、野良犬、狼、の例えがある。飼い犬がサラリーマン、野良犬は商売人、狼は一つの判断ミスで
餓え死ぬ作家・芸術家・政治家・創業実業家あたり。 その最もひ弱な飼い犬が、「定年間近に僅かな退職金元手で
何か商売」というストーリーに無理がある。それも小さいながらも創業など、土台無理。野良犬にも野生剥き出しで、
餌をあさる逞しさが必要だが、とっくの昔に去勢されている自分が見えない。そして出来もしない夢に憧れている。 
それが、「あっぶね〜」のである。
《  * 夫が脱サラして田舎暮らしをしたいと言い出した
Q:夫が脱サラして田舎暮らしをしたいと言い出した。早期退職の退職金元手に田舎でそば屋をやりたいと言うんです。
  そば打ちは趣味でやっていて、確かにおいしいことはおいしいのですが、商売の経験もなく成切すとは思えません。 
A:あっぷねー。 商売は雪山と一緒なんで、うりかり一緒に登ったら夫婦で遭難しまうで〜 だいたい「田舎でそば屋」
 って、水商売上がりの女が「お花屋さんやりたい」って言うようなもんで、あまりにも夢見すぎ。田舎ってどのへんを
 考えてるのかわからないけど、田舎ってそんなに客来ないよ。人いないから。こういうパターン、今すごく多いみたい
 だけどね。ダンナは会社の人間関係に疲れて「田舎で暮らしたい」、奥さんは「デパートのあるとこじゃないと嫌」
 っていうんで定年退職後にケンカになちゃうっていう。これ、半々にすればいいと思うんだ。都会に小さなアパート
 借りて、奥さんはそこで暮らして、たまにダンナさんのいる田舎に会いに行くとか。だって今までダンナが生活支えて
 いたわけでしょ。だったら、奥さんも今から働けばいいじゃない。老舗のそば屋で働いてノウハウを盗めば一石こ鳥(笑)。 
 とにかく上手くいっている人と、いってない人の話を聞けばより。そうすれば、旦那さんも勘違いに気づくかもしれないし。
 でも、このダンナさんも今まで頑張ってきたんだから、一度失敗させてあげてもいいんじゃない? やらずに後悔するより、
 やって後悔したほうが絶対いいし、あんまりお金をかけずに小さく失敗してみるといい。退職金を突っ込んで田舎に家を
 買うんじゃなくて、古い民家をちっと改造したようなお店とかあるじゃない。田舎じゃなくて埼玉ぐらいにしておくとか。
 それだったら、失敗しても取り返しがつくって、失敗すると決めつけちゃってますけど、だいたい失敗しますから。》
▼ こういう質問自体が愚問そのもの。サラリーマンに成りきった人が、創業、それも田舎でそば屋など、何年も
 蕎麦屋を続けきた主人に失礼である。彼らでさえ、大方が冷凍やインスタント麺の普及で危機の瀬戸際。趣味と職業は
全くの別問題。20年前に、近くのバイパス沿いに趣味がこうじて蕎麦屋を出した人がいた。そこの主人が、蕎麦の奥行の
深さを滔々と講じたが、好きでない私は、ポケッとして聞くしかない。そして1〜2年後に、その店は閉店していた。
凝った店構えだったが! 本当のソバ通など少数派で、金にはならない。早く言えば、月末の材料と電気光熱費を
支払うために働いているようなもの。それが殆ど。厨房と、店内の一つ壁とカウンターの内外では異次元の世界。 
これは創業者と、二代、三代目にも言える。本能剥き出しを必要とする創業者を狼とすれば、中途半端な二代目、
三代目は野良犬、いや宅上犬。宅上犬ほど、野良犬や、狼を笑い見下す。家を出て、ゴミ漁りや、荒地で野生生物の
捕獲の経験がないためである。
・・・・・・
4150, 5年前に、現在の状況を予測できたか?
2012年08月06日(月)
 今から5年前といえば、2007年8月である。それから13ヶ月と10日後にリーマンショックが生じた。
当時は以前に経営していた会社のリストラ効果で、何とか目途が立ったところで、米国の住宅ローンの債権証券が
危険水域にあると新聞が書き始めていた。そして2008年9月15日にリーマンショックが現実に起きてしまった。
それから売上は激減、二年半後に倒産に至った。あの時と現在の状況を比較すると、現在の方が格段悪い。
今後5年後を考えると、早ければ年内に、遅くとも数年内にリーマンショックなど比べようもない激震が世界中に
駆け巡る。それからして、かなり厳しい想定を現実としてしなければならない。私自身も年齢からみて、これまでの
不摂生を考えると、今さらなので腹を据えているが。 実際のところ5年後、どうだろう?この5年の激変より
遥かにマイナスの状況と見るのが自然。今から5年後に、「現在の状況を予測できたか」という問いに対して、
やはり想定外であるという答えが帰ってくるだろう。目に前に迫っている経済大津波は分かっているが、実際に
起きてみないと実感できないのが人間。想定外のことは考えられないが、万一の備えを作っておくことは可能である。
家族経営をしているところは、�身内を外に出すか、それとも自分が出るか。�身内の債務保証を無くすこと。
�売上が半減した時の想定をしておくこと。�運転資金がマイナスに転じた時の対処の想定。
(見切り千両のタイミングの想定)�予備資金の準備、などが考えられる。私の場合、7年がかりで予備資金を準備、
万一、これを一時的にも流用した時が見切り時とし、そして実際に実行した。ところで5年前に、現在の状況は
想定外だったのだろうか? その頃、危機管理セミナーに立て続けて参加していた。予測通りの部分と、まだ予測に
至ってない部分があるが潮流は大方、予測通り。しきりに金の購入を勧めていたが、当時より金価格は2〜3倍。
恐らくハイパーインフレが5年内で吹き荒れるが、その状況が予測不能ということか。中国が一度、国内外で動乱が
起こる可能性があるが、いずれにしても立ち直りは早いはず。ユーロ圏、アメリカ、ロシア、中国、日本と、
いずれも激変するはず。 大変とみるか、面白いとみるかだが、前者だろう。 
まず経営者は5年後の仮説をたてないと!
・・・・・・
3785, 世界でひとつだけの幸せ ー�
2011年08月06日(土)
 * 「世界でひとつだけの幸せ」 マーティン・セリグマン著
   ー この本の概要からー
【 「楽観的で前向きな人は、幸せで、長生きで、成功する!!」 と、
    楽観主義を身につける方法が具体的に紹介されている。
   ● 心から幸せを感じるにはどうすべきか
 ・ パート1では、過去、現在、未来において、どのようにすればよいか(*過去は感謝、容認、忘却、 
   *未来は希望と楽観、 *現在は快楽と充足感、との違いを理解し、充足感を満たす生き方をする)。
 ・ パート2では、6つの美徳を紹介、それを基に24種類の強みを示し、どのような強みを持っているかを
   知り生かすことを提言。
 ・ パート3では、人生の大きな3つの局面である仕事、愛情、子育ての状況において同じ強みを
   発揮するかという実践的な内容。
* 楽観主義の「永続性」については、「悪いことは一時的、良いことは永続的と考える」ことや、
       「普遍性」については、「悪いことは一部の面に限られていて、よいことは普遍的だと考える」
* 今回の震災に直面しては、「これは一時的なことだから、もうすぐ解決する」とある。
*「学習性無力感」についてや、「まったく同じショックを受けても、それを制御できる、つまり自分が行動すれば
 ショックをくい止められるような場合には、動物も人間も活動的になり、情動が落ち着き、健康になるという結果が得た」
*「行動することに効果があり、結果を制御できると知ることが重要である」という「随伴性」についてがわかりやすい。
*「ただ苦悩を和らげるだけでは、苦しみ、自暴自棄になっている人を、本当の意味で救うことはできない。
  人はどん底にあっても、美徳や誠実さ、さらには生きる目的や価値を必死になって求めている。
 本当に必要なのは、『苦しみを理解して和らげることではなく、幸せを理解し築き上げることである』」
* 人間の心はいつでも変えられる。今までの説をくつがえし、人々の願いをかなえるもの、
  それが著者の提唱する「ポジティブ心理学」」
 1.お金持ちは幸せか?  = 著者は、「アメリカ、日本、フランスなど先進国はこの50年で購買力が倍以上に
  なったが全般的な生活に対する満足感は少しも変化していない」と。
  必要な生活できる収入と購買力が得られた後は富が増えても幸福は増えない。
  幸福感を決めるのは、お金をどのくらい大切なものと考えるか、という価値観であると。
 2.強みを生かせば幸せになれる  = 「弱みを克服することに人生を費やすのは間違い。
  むしろ、人生最大の成功と真の満足感は強みを伸ばした時に現れる」と。
 3.過去が未来の幸福を決めるのか?  =「そんなもので決まるわけ無い!」と! これまでの心理学
  (ex.フロイト派)のマジョリティーは「過去が決める」だった。実際の調査結果の一例として、11歳になる前に
  母親と死別した子どもは、鬱病になる確率が若干高いが、女児に限るとそのリスクはごく稀。
  むしろ「幼児期の経験が現在の不幸の原因だと思いこんだり、そのために未来に対して臆病になったり
  すれば人生をむだにすることになる。」という。 】
 ▼「ネガティブ志向の人が、自らの短所や悩みを解消するのではなく、それぞれに備わっている「強み」を
  さらに伸ばすことで今よりもっと幸せになる」は、この本の要諦。「得手に帆を上げ」前に進む生き方を勧めている。
  ・・・・・・・
3420, その後の、我が家のインコ
2010年08月06日(金)
 去年の秋口にコガネインコが、我が家に来てから10ヶ月、ペットショップの店内で従業員や客に可愛がられ人に
懐いていたインコ。あまりに人懐こいので数回、店で頭を撫ぜていた。ところが三ヶ月も経っても、いつもの籠で
人から頭を撫ぜてもらっている。 何か愛おしくなったが、値段が6万8千円もするし、家内が生きものが大嫌い。
もしか買った大騒動が起こる。しかし衝動的に、そのインコが買いたくなって、「このインコ、1万円を引いて
くれたら買うけど、どうですか」と女店員に言うと、大人しそうな女店員が、「このインコは、従業員みんなで
大事に育てた素直なインコ。値引きなど、とんでもない」と、怒りだした。「じゃあ、責任者にお客が三ヶ月も
売れないインコは、それだけで商品価値が下がっている。6万円なら、買うといっていると、聞いてきて」というと、
しばらくして、戻ってきて「店長がオッケーをだしました」という。 という訳で商談成立。
それはよいが、家内の怒りを考えると、冷や汗が出てきた。そして家に帰ってから、一ヶ月間は毎日のように
罵声を浴びせられた。それに耐え切れずに新潟のホテルの長期滞在の棟に、ペットして持って行くことにした。 
しかし、持っていこうと、車に乗せる直前を図って、「暫くの間、置いておいてよい」との、許可を得た。
本人もしたたかだ。居間のベランダに鳥篭を
置いていたため、部屋そのものにも寄り付かなかった。 それが今では毎日数回は籠の前にある椅子に座って
インコの相手になっている。とにかく人恋しく、相手にして欲しいと鳴き叫ぶのである。あらゆる鳴き声で、
自分の気持ちを伝えようというのが分かるから、生きもの大嫌いな家内も、情にほだされたのである。 
女店員がいうに「気が優しく、籠の蓋を開けておいても外に出ようとしない。しかし人好きで、頭を撫ぜて
もらうのが大好きでペットしては最高です」と、いったとおりである。人間も鳥も当たり外れがある?。
小桜インコを5代続けて飼ってきたが、子供2人が高校を卒業してからは、飼ってなかった。小桜インコと比べると、
鳥というより、犬という感である。とにかく人好きで、あらゆる鳴き声で気持ちを伝えてくる。
個々の足音や車音で誰かの判別が可能。また犬が尻尾を振ったり股に入れたりで、喜びや恐怖を表現するが、
このインコ、羽ばたきで表現する。鳥の形をした愛犬という風。要は自分を相手にして欲しいと全身をつかう。
今でも居間の私の定位置のガラス戸一枚先のベランダで時々、鳴声で呼びかけてくる。家から遠ざかるときは
「行かないで」という鳴声、帰ってきたときは嬉しそうな鳴声。これは、むしろ犬。小桜の10倍の値段のわけだ。
 ・・・・・・・・
3045,会津八一の 学規
2009年08月06日(木)
  会津八一は「学規」を作成し、 自ら及び教え子達の範とした。   
 ふかくこの生を愛すへし かへりみて己を知るへし  学芸を以て性を養うへし  日々新面目あるへし
  ー 十四ヶ条 ー
1 感情を以ってうたふこと。
2 真に内心から湧き上がる感情無きときは、漫然として歌を作らんと思わざるべきこと。
3 世才・文才・常識、そんなものでは、自分も感動してをるにあらず。それを以て他人を動かし得ざること当然なり。
4 感情を単純化してうたふべし。
5 表現も単純にして直裁なるを尚ぶ。徒に曲折せるは、真情の流露をさまたぐ。
6 詞句の曲折は初学の能くなし得るところにあらざるも、老熟してこれを自在になし得るとも
  真情の枯渇し居らば、かへりて厭うべきなり。
7 用語は常人の耳に遠からざるものをよしとす。ろくろく学問を精しからぬ者が専門家振りて、古語歌謡といふ
  ようなるものを襲用するは、最も厭うべきことなり。 古語を用ふるは、やむを得ざる時にのみ限りて許さるべし。
8 散文にていふに如かざることを歌として歌ふは、根本的に心得ちがいなり。
9 和歌は我国のみにあれども、詩歌は如何なる民族にもあり。和歌はその一種なりと知るべし。我国の歌人なかまに
  あらざれば解しがたき如きことを、詩歌の本道とも本質とも認めがたし。外国語に翻訳しても、その国の人々に
  よりてたやすく解せらるるやうにてありたし。
10 従って、その辺の歌集をのみひもどき居りて、それで勉強したりとおもふは不心得なり。
  ひろく世界古今の詩歌を味ひみるべし。
11 いやしくも歌を作るは容易にあらず。うかうかと濫作して、よき歌の出来んことを希ふは無理なり。
  一方心境を練り詩歌を弘むるとともに、真に感興の内に催すをまちて、精細を傾けて歌ひ出すべし。
12 要するに作歌は、天才と人力とをまちて、しかも精進して初めて為し得るのみ、
  漫然たる態度にてたづさはるべきにあらず。
14 書外は工夫をつみて悟得せらるべし。
  〜〜
 八一は新潟の人で名前は以前より知っていたが、これだけ含蓄のある学規があったことを知らなかった。
(字数の関係でカット11年08月11日)
・・・・・・・・・
2680, 漠たる不安
 2008年08月06日(水)
アメリカのサブプライム問題や、中国の動乱の予感や、イラン・イラク問題など世界は漠たる不安に覆われている。 
 それに対して二つの取り得る態度がある。
・それから目をそらさずに色いろ対策を練って対処をするか、
・将来に対してあまり深く考えずに、ただ目の前のことだけに対処をして将来に対しては自己逃避をするかだ。
(字数の関係でカット09年08月11日)


4891,定年後の4年目のリアル −1

2014年08月05日(火)

           「定年後のリアル」勢古 浩爾 (著)
 朝日新聞の新刊広告に『定年後の7年目のリアル』があった。3年間、私が、ここで書いてきた
内容と同じような見出しにあった。 そこで、アマゾンで内容紹介を見たところ、前著の
『定年後のリアル』があり、『・・7年目のリアル』の内容は続刊。 内容紹介だけだが、生々しいだけ
私の内容の方がシリアスの筈だが・・  ーまずは、内容紹介よりー
《 ◇ お金、仕事、健康、生きがい……退職したら、どんな毎日が待っている?
 不況のいま、いかにして生きていくかという問題がクローズアップされている。
とくに定年退職が迫った人に対してメディアは、定年後は「6,000万円の貯えが必要」
「孤独死にご用心」を語る。著者は、さまざまな定年本、定年者たちの生き方を引き合いに
出しながら、メディアが煽る「不安」など、実際にはそれほど思いわずらう必要もないことが
ほとんどという。いまの日本人は、過剰な情報に振り回され、不必要なほど不安になってしまって
いるというのだ。たとえば貯蓄や健康状態の「平均」がどの程度かといった話が盛んに語られ、
自らを引き比べて不全感を増している人も多いが、現実には「平均」は自分の生き方とは
あまり関係のない情報であり、気にしすぎる意味はない。またアンチエイジングや若さを保つ
方法が日々声高に喧伝されているが、本来、人は年を取ったら取ったなりの自分を認めていくのが
自然であり、若さを過度に持ち上げる価値観自体がいびつだともいえる。 
・・人は死ぬ、年を取ったら衰えるのが当たり前であり、そうした事実を正面から受け入れて、
初めて本当の人生に出会える。そのうえで一日一日から得られる人生の喜びを享受して
生きていくのが、定年後の理想的な生き方だという。さまざまな不安の正体を解き明かし、
心をほっとラクにしてくれる。》
▼ 私の喩えで、「森の生活からサバンナへ!」がある。 森の中でイメージをしていた
サバンナの生活は、そこはそこで面白く、生きがいもあり充実をしている。森の住人には、
それが理解できない。そのことを、森の住人に問いかけている内容のようである。しかし、これは
森の生活で、準備をしてきたかで大きく違う。私の場合は、ハードランディングだったとしても、
万一の備えを長年にかけしていた為、何とか着陸をした。そして、リアルな毎日が待っていた。
そして4年目に入って、そんなことより、老いそのものの方が現実として迫ってきている。
この紹介の中で「老いの一日一日から得られる人生の喜びを享受して生きていくのが、定年後の
理想的な生き方だ」というが、享受するのは、喜びと楽しみだけでなく、怒り、哀しみが伴なう。
老いは確実に精神も肉体も衰えさせている。哀しみに覆われた日を何とか過ごすのも
リアルの一日になる。逆に、有余る時間で、思いのままに一日を過ごす楽しみもある。
夕暮れの残照の中での、最後の宴も良いもの!
・・・・・
4524, 生きる悪知恵  ー3
2013年08月05日(月)
           「生きる悪知恵 ー正しくないけど役に立つ60のヒント」西原 理恵子 (著)
 60の人生相談が収録されていて、仕事編、家庭編、男と女編、性格編、トラブル編とカテゴリー
分けされている。その中から、印象の強い面白い順といえば、「男と女編ーヤリたいときがヤレるとき」。    
   * 妻子ある男と交際を続けるべきかに →3チンポもて!
《 Q: 8年付合っている妻子持ちとの交際をやめるべきか? に対して
 A:オーケストラの人としゃべっていたら、「いやあ、ウチは不倫率が高くて」と言っていたけど、
音を合わせてるんだから、しょうがねえよなっていう。だってやったほうが早いもんね。
フィギアスケートのペアとか社交ダンスとか、「アンタらヤってないほうが不自然じゃっん」みたいな。
しかも、そういうクリエーターは、従来の決まりやモラルを破るのが仕事だから、「この人いいな」と
思ったら、さっさとヤっちゃう。そりぁ、たまに会ってデートずるだけの拘束しない相手って楽に
決まってるよ。女の人が自立してたりすると、よけいにね。そのまんまの関係でダラダラしてるのが
好きなんじゃない? 別にやめる必要もないと思うし。今の相手より好きな人が見つからないというか、
見つける努力をしてないだけ? あなたの場合、次を見つける努力はしたほうがいいですね。
スぺアていうかバックアップはとっておいたほうがいいですから。私の周りのモノノフの女たちは
「3チンポを持て」と言います。「いいですか、1チンポではいけません。
それがなくなったらどうするんでか。 必ず2本はバックアップを持っておくように」って泳かせて
おいてもいい、年に1回くわえるだけでもいい。必ずバックアップを持っておいてください。
そうじゃないと、相手が「やっぱり奥さんにバレちゃったし、となった時に、路頭に迷うじゃ
ないですか。30過ぎて路頭に迷うとキツイですよ。 》
▼「3マンコ」など、中村うさぎか、西原でなければ書けない。水商売ならともかく、普通の女性が、
そのまま実行でもしたら? この章の「男と女編」の副題ーヤリたいときがヤレるときーが良い。
「後悔、先に立たず」でなく「後悔、後に立たず」? 何事も硬い壁を壊し、もう一歩踏み込むこと。
人生を通して必至に壊してきたが、この程度。 壊した分だけ変形しただけ? あらためて
周囲を見渡してみて、壊さなかったら、これほどツマラナイ人生もない!
と、実感。ところで、男の相談者だったら「3マンコを持て」と回答はしない。
そんなのはザラにいて面白みがない。
「やりマンになれ」より「3チンポを持て」は、漫画家でなくては表現できない言葉。 
漫画家は一つの絵の中に、捻った笑いを含めるため、自然と言葉もこうなる。
・・・・・
4149, 強迫性障害
2012年08月05日(日)
 オリンピック開会式で久しぶりにサッカーのベッカム選手の姿があったが、
彼は強迫性障害であることを最近、告白した。「何でもまっすぐに並んでいないと気が済まないし、
何でもペアになってないと気が済まない」という。自宅の冷蔵庫や、宿泊先の部屋でもすべてを
「左右対象でまっすぐ」に並べ直す作業に長時間を費やす。 ディカプリオ主演、『アビエイター』の
モデルになった大富豪のハワード・ヒューズも、この病。この映画をみたが、
「すべてのものが汚染されている」という考えにとりつかれ、人との接触を避けるようになり、
自分が買い取ったホテルで20年間も暮らして、最後は孤独死を遂げた。
 ーそこで、ネット辞書で検索してみるとー
≪ 強迫性障害とは、簡単にいうと「わかっちゃいるけどやめられない症候群」。
自分でも不合理だと思いながら何回も繰り返すので、本人にとっては大変つらい病気です。
よくみられるものは、トイレに入った後何回も手を洗う、ドアのカギをかけたかどうか、ガス栓を
しめたかどうか何回も確認するというもの。 本来これらの行為は安全を確保するために誰でも
行うが、それが何回も何十回も確認しないと気がすまない状態になると社会的に支障をきたす
ことになり、何らかの治療が必要となります≫ とあった。 
 これは、心の病と、脳の病の原因があり、それぞれの治療がおこなわれているという。
心の病の場合、過去の「喪失と悲しみ」が、原因になっていることが多い。病気に至るのは、
喪失の悲しみを乗り越えられないため。人生は、考えてみれば喪失と悲しみがつきもの。
そんなことをいったら現在の私は、重症の強迫性障害に陥っていて当然である。
定年も転職も失業も同じ。「喪失と悲しみ」の中で、最も辛い一つは、連れ合いとの死別。
傷が癒えるに最低二年は要するという。 亡くなった姉が晩年、合唱の先生をしていたが、
未亡人だけのグループをつくって(歌で互いに癒しを隠れテーマにして)いた。その姉が私に
「誰も平静を装っているが、死別の傷のためか尋常でない何かを感じる!」という。
 躁鬱症も、分裂症も、この強迫障害も、誰もが多かれ少なかれ持っている。
それをコントロールしようとしてできるものでない。私も当然、それに思い当たる強迫障害に
近い症状が幾つかある。多人数の兄姉の末っ子で、両親が終戦直後で、家業の再創業期にあり、
異常な生活環境にあった影響が、心の奧底に大きく存在していた。人生を通して、
その脱皮が人生のテーマだった。それぞれが、それを抱え生涯を生きている。
私の場合、心の底から笑える性格があったのと、両親の温もりが地熱としてあったのとが、
症状を軽くしてくれた。分裂、躁鬱、強迫障害症の三つを束ねるのが自己になる。
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3784, ツール・ド・フランス
2011年08月05日(金)
 昨夜もツール・ド・フランスの総集編の録画が再放送されていた。これで三度目になる。
   ーまずは、ウィキペディアより、ツール・ド・フランスの概要よりー
【 毎年7月に23日間の日程で行われるステージレースで距離にして3300km前後、高低差2000m以上という起伏に
富んだコースを走りぬく。フランス国内でのレースが中心だがイギリス、イタリア、スペイン、ベルギー、モナコなど
周辺国が舞台になるステージもある。ステージ数は1993年以降「プロローグ」を含め全21ステージが定着しているが、
それ以前はもっと多いステージ数で争われることもあった。 平坦ステージ、山岳ステージ、タイムトライアルステージ
(個人、チーム)と多彩なステージ設定がされているが、山岳の比重が大きくなることの多いジロ・デ・イタリアや
ブエルタ・ア・エスパーニャに比べて平地ステージと山岳ステージのバランスとれた構成となっている。
一社ないし数社のスポンサーの名を冠した9人編成(最低6人)のチームが、20〜22チーム参加する。
出場する選手の国籍はヨーロッパだけに限らずアメリカやオーストラリア、カザフスタン、コロンビアなど多様である。
総合成績1位の選手には黄色のジャージ「マイヨ・ジョーヌ」が与えられるほかスプリント賞、山岳賞、新人賞といった
各賞の対象者も特別なジャージを着用する。 賞金総額は2009年の場合で約320万ユーロ、うち総合優勝者に
45万ユーロとなっているほか、各ステージ優勝やスプリント賞・山岳賞などに細かく賞金が設定されている。
●特徴として、例年、前半は平坦基調のステージが続き、スピードマンの逃げやスプリンターによる迫力ある
ゴールスプリントが見られる。そして中盤に一度山岳を通過し優勝候補が絞り込まれ、その後はまた
平坦ステージが続き、今度はポイント賞争いが絞り込まれる。後半にかけてはラルプ・デュエズ、ガリビエ、
モン・ヴァントゥなどの峠を舞台にした山岳ステージで総合優勝や山岳賞をかけたオールラウンダーやクライマーたちの
戦いが繰り広げられる。2度の山岳コースはそれぞれ3日ほど繰り広げられ、それぞれピレネー山脈とアルプス山脈を
使う事が多いため、ピレネーラウンド、アルプスラウンドと呼ばれる。間の平坦基調ステージは主にこの2つの山脈の間を
 移動するために設定されているが、この緩急つけたレイアウトと平坦ステージの多さ、ポイント賞のシステム(後述)
などもあり、スプリンターが一番ポイント賞を獲得しやすいグランツールとなっている。レースが非常に大規模、かつ
露出度が高いため専門の本部が置かれおよそ500名のスタッフが運営に関わる。また交通規制やレース中の警備、極端な
不正行為の取締りはジャンダルマリ(フランス国家憲兵隊)とポリスナシオナル(フランス国家警察)の2系統の
警察が担当しており、これに動員される人数が約2万5000人。さらにボランティアで警備などを担当する人は数十万人に
のぼると推察されている。】
★ この数年、7月になると、この自転車レースを見るのが楽しみになっている。色いろな賞があるが、個人総合が
 最も価値ある賞。これを目指して3300kの熾烈な争いになる。距離が距離だけに、多くのアクシデントが生じる。
もちろん、万一の故障に備えて、自転車を数台のせた車が伴走している。その沿道は熱狂的ファンが詰めかけ応援をする。
もちろん、TVの実況がある。フランス的なのは、最後の区間は、パリ近くに場所を変え、凱旋レースになる。
ここでは区間賞だけで、総合賞は別になる。そのため、選手もギャラリーもお祭り気分になる。
ただし、完走しなければ、総合優勝を失うため、同じチームの選手がヒーローをアシストする。
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3419, 新たなる金融危機に向かう世界
2010年08月05日(木)
「新たなる金融危機に向かう世界 」副島隆彦 (著)
  ーまずは、アマゾンの内容紹介からー
ギリシャの財政危機に端を発したユーロ暴落の裏側にはアメリカの仕掛けがあった。
アメリカは米国債に世界の資金を環流させなければもうもたないからだ。そして5月6日にダウが一時998ドル
急落する過程で、ゴールドマン・サックスのロボット・トレーディング・システムが壊された。このあと、金が崩される。
そして、金(ゴールド)の大きな下落のあとにドル(米国債)が暴落させられるだろう。 ―サブプライム崩れを始め、
これまでことごとく経済予測を当ててきた著者が、2010年末の恐慌突入に向けてさらに下落を繰り返す世界の
金融経済を読む。 〜〜 面白そうなので、ネットで買ったが、☆4つ、というところか。
*現在、世界のゴールドは、16万トンといわれているが、それは表の話で、バチカン、イギリス、スイスに、
 それぞれ10万トン、合計30万トンある。したがって、16+30=46万トンあり、1600兆円あるとか。
 だから、いつでも金本位制度へ戻ることは可能である。ただし、 先ほどの国に覇権が戻るということか?
*ゴールドの大きな値下がりと、大きく新聞広告に書かれていたが、グラム3000円で、最大2500円でしかない。
 現在ユーロが狙われているが、それが終わると、次はゴールドが、狙われる可能性があるという。
 そして、その次にはドル(米国債)が下げられる。 ゴールドが値上がりをすると騒いでいた副島が、
 舌の根の乾かないうちに?
*秋以降には、アメリカの株価が6500ドルに向かって動き出す。
*アメリカは、不良債権4000兆円の実損処理をしなければならない。これは血をみるおもいで、やらなければならない。
〜〜 以上が印象に残ったところだが、今年、来年、再来年と、大きな危機が次々と襲ってくる。
 それは株価や、国債の暴落とか、実物経済でも不動産とかの暴落として現われてくる。恐ろしい限りである。
100年か、500年に一度の変動期に入ったが、まずは徹底的破壊から始る。それが日ごと現象に現れてきているが、
再来年には、非常に厳しい局面を世界も、日本もむかえる事になる。10年、20年スパンに渡ることになるから、
想像を絶した場面が次々と現れる。  背後にあるのは、情報化社会のウェーブ。
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3044、罪深き新自由主義
2009年08月05日(水)
 「罪深き新自由主義」  高杉 良 (著), 佐高 信 (著)
 対談・高杉良×佐高信である。二人は「小泉・竹中路線」の深層構造を取り上げ批判、
小泉・竹中路線の罪でもある「かんぽの宿」問題と、マスメディアの劣化を鋭く問うている。
「現在の日本にリーダーはいなくなった」ことに二人は共鳴し、今の不景気は小泉・竹中不況と言い切る。
小泉・竹中虚構改革で得をしたのは米国だけで、ライブドアを太らせたのも小泉の「改革」を悪用しただけという。
 新自由主義を標榜していたアメリカがこけたのだから、日本は重症になって当然。
去年の9・15による世界的な金融恐慌が無ければ、これだけ早くアメリカの国家的犯罪も露出はしなかった。
 数年前に、アメリカの投資会社のトップがインタビューで、耳を疑うようなことを平然と言っていた。
《 日本の1985年のバブル発端のプラザ合意で、日本銀行は金融緩和を大胆に進めた。あれは我われが意図的に
 仕掛けた政治的な戦略。その結果としてのバブル崩壊と、その後の失われた10年で、我われは日本を徹底的に
買い叩いた。》と・・。  (以下、字数制限のためカット 2,011年8月5日)
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2679, ソルジェニーツィンが亡くなった
 2008年08月05日(火)
ロシアの作家のソルジェニーツィン が亡くなったと報じていた。 享年89歳だった。
私が20代前半の頃に、『イワン・デニーソヴィチの一日』『煉獄のなかで』『ガン病棟』を読んで、
大きな衝撃を受けた記憶が鮮明に残っている。 当時のソ連は一番勢いがあった時期。
反体制は秘密警察に捕まり、収容所に入れられるなどの弾圧を受けた。
その経験を書いたものだが、彼の文からソ連の共産党支配の弾圧の中の重苦しさが作品から滲み出ていた。
    (字数の関係でカット 09年08月5日)
 ーこのWeb辞書の中に次ぎの一節がある
【 1991年12月31日深夜、ソ連は消滅してしまった。代わりにロシア共和国が消滅して再生したロシア連邦は、
ソルジェニーツィンの提言どおりのロシアではなかった。 ロシア連邦の中で再び民族が捕われている。
彼の地元のチェチェン共和国はかつてエリツィンに、今はプーチンに独立を妨げられたままである。
彼は書いた。「それぞれの民族は、たとえ最も小さなものであっても、神の意志によってこの世に生まれてきて、
それぞれ独自性をもっているのである。ウラジミール・ソロヴィヨフは、キリスト教の戒めをもじって、
こう書いている。『自分の民族と同様に、他の民族を愛せよ』
ロシア人の民族自決権を認めるなら、他の民族の自決権も認めるロシア連邦になるように願うものである。】
 40年前といえば、ブレジネフが第一書記で、コスイギンが首相だった。二十年近くがソ連の絶頂期だった。
この小説を読んだ感想は、「歴史的にみてー百年単位でみたらソルジェ二ーツェンは大作家、この二人の権力者は
歴史的汚点」と、直感したことを憶えている。現在、ブッシュとかいうアメリカ大統領は、話題を出すこと自体が
小汚い気がする。それだけ現在のアメリカは狂乱状態と言ってよい。現在の日本のエリートとかいう政・財・官の連中! 
このアメリカの隷属に尻尾の振り方で選抜されているに過ぎない。何かうら悲しい気がするが、自分のコンプレックスが
根こそぎ解消できることも事実。「この隷属の御陰で、物理的に恵まれた時代を過ごせてのは我々の世代だろう!」
の、心の奥の声、これも事実。
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2007年08月05日(日)
2315, 風評で県外観光客が10分の1!ですと    ・。*ヾ(´∀`o)+。才ノヽ…YΘ!!
 先日の読売新聞によると、
「・・県によると、7月16日の地震発生以降、県内での旅館やホテルのキャンセルは、約5万件に上り、
県外からの観光客は例年の10分の1以下にとどまっている。地震の被害がほとんどなかった佐渡や妙高高原、
越後湯沢温泉でも観光客が激減し、原発の被災などによる風評被害が深刻化している。」(2007年8月2日 読売新聞)
当社にとって、あまり関係ないと思っていた風評も、日ごと影響が出始めている。今のところ10?ほどだが、
県外の観光客が10分の1とは尋常ではない。   (以下、字数制限のためカット 2,011年8月5日)


4890,閑話小題 −人型ロボットの現在と未来 〜2

2014年08月04日(月)

   * 自分のアンドロイドを講演会場に!
  自分のアンドロイドをつくる着想が非常に面白い!分身そのものである。奇妙な感覚ではないか?
 そのアンドロイドの目(カメラ)から映る周辺の景色と、人々との交流の感覚はどんなだろうか?
 ーその箇所のコピーからー
≪ 私は、自身をモデルにした瓜二つのアンドロイドを海外での講演にしばしば使っています。
 数年前にはアンドロイドに自らを合わせようと、私は美容整形も試みました。アンドロイドを
講演会場に送り込み、聴衆から質問を受けるときだけ、インターネットを介して遠隔操作で私が
答えます。最近では、私よりもアンドロイドへの講演依頼のほうが多いくらいです。
私が直接出向くと、ホテル代やら飛行機代がかかるので高くつくんです(笑)。 
人間国宝の桂米朝師匠のアンドロイドも作りました。見た目はもちろん、身振り手振りまで
師匠そっくりで、落語を演じさせると非常に迫力があります。このアンドロイドによって初めて、
無形文化財が有形文化財になったと言えるでしょう(笑)。将来は多くの人がアンドロイドを所有して、
自分の分身として活用する日がくるかもしれません。 人間は、機械にあらゆる行為を代行させたい
という欲求を詩っています。たとえば、食洗機、掃除ロボットなどは家事を代行してくれます。
このような機械は今後も発展を続け、肉体労働をますます減らしてくれる。しかし、いくら技術が
進歩しても、機械には代行できない何かが残る。それこそが人間らしさの源泉ではないか。
私がアンドロイドを作るのは、人間の人間たるゆえんに迫りたいからです。
 私は抱き枕型通信ロポット「バグビー」も作っています。携帯電話をクッションに入れ、
本体を抱きしめながら会話をすると、相手の存在がより近くに感じられます。・・・≫
▼ この下書きの後にTVを見ると、将来のロボットの姿を研究者が実物を目の前にして解説していた。
 ゴミ箱が、ユラユラと歩いて人の傍にいく。あるいはゴミと判定した傍による。それを見た人は、ゴミを
入れたくなるゴミ箱ロボット。あとは、手だけ付いていて散歩を一緒にしてくれるロボットも面白い。
ただ合理的ではなく癒し系のところがミソ。玩具とは癒しの要素が多いから、玩具メーカーにとって、
ロボット系玩具は宝の山だろう。メガネ型PCや、チョッキ型PCや、帽子型PCなど着装式情報端末も、
ある意味、ロボットと捉えることが出来る。これらが進化していくと、思いもよらない端末が現れ出てくる。
・・・・・
4523, 生きる悪知恵  ー2
2013年08月04日(日)
           「生きる悪知恵 ー正しくないけど役に立つ60のヒント」西原 理恵子 (著)
   * 働いて金稼げ、子つくれ、いい嘘つけ、枠を外せ!
 今東光の身の上相談のように歯に衣をきせない回答がよい。 ーアマゾンのレビューに
【昔読んだ山本直樹のマンガに「悩み事は自分の目の前にある壁に描かれた、ただの絵の窓。
押しても引いてもびくともしない。でも、振り向いてみるとその先には開け放たれた窓がある。
振り向きさえすればいいのだ。回答の数々はその「振り向き方」。ちょっと思いつかない方向から
答えが飛んでくるような感覚すら覚えますが、全ての質問を冷静に分析し、かなり真面目に、
しかも的確に答えています。意外ですが、現実的に実行できる解決策ばかりです。】
というのがあった・・・  もう一つは、【相談から「問題の本質」を発見し、「問題を設定し直し」
て、それが正鵠を射ているのに感心した。「悩んでいる人」というのは「悩み方」からして間違って
いることが多い。サイバラはその「悩み方」をいっぺん解体し再構築します。
その結果、説得力があり、かつ実行可能な解決策が提示されている。ちょっとした名人芸です。】 
これも分かりやすい。学生時代の人事管理の武澤ゼミのケース・スタディによる問題解決法と同じ。 
何事も、自分一人の知識と経験で考えても限界がある。問題を把握し、考え続ければ、思いも
よらない解決法があることを知っておくべきである。ー目についたものを書き写しただけでも、
これだけある
・就職できない。            →横入りしろ。
・向いてない部署に異動になった。    →仕事のインナーマッスルを鍛えろ。
・妻の飯がマズい。           →焼いてポン酢をかければ何でもうまし。
・義母から「早く子供を」という圧力が。 →そのうち死ぬから放っておけ。
・妻子ある人との関係をやめるべきか。  →バックアップ(3チンポ)の用意を。
・元彼と結婚した友達を祝福できない。  →敵は己の中にあり。
・空気が読めない。           →空気読めなくても許される人間になれ。
・隣に騒音おばさんが。         →外に働きに出れば一石二鳥。
・部下が使えません。          →使い方が悪い。人と思うな、ネジだと思え。 
・苦手な英語が社内で必須になりました。 →フィリピンパブへ通って彼女を作れ。楽しく覚えろ。
・一言多い性格を直したい。       →関西に引っ越せば解決。
・浮気を疑う妻に      →携帯を見たあんたが悪い。勝手に携帯見てる時点で夫婦終わってるだろ。
 ▼「働いて金稼げ、子供作れ、いい嘘つけ、自分を顧みろ」の範囲だが、それでも説得力がある。
  次回から幾つかを取り上げる。
・・・・・・
4148、男性不遇社会へ
2012年08月04日(土)
 団塊世代が定年をむかえ、会社から家庭中心の生活に入りつつある。
しかし、そこに妻という海千山千の難敵が控えている。そして丁度良い捌け口の対象として
鬼婆化して団塊粗大ゴミに襲いかかってくる。 団塊粗大ゴミの妻たちも、女社会では、
目のつく嫌われ者として君臨しているから、陰湿な闘いの勇者として力は蓄えている。
ところが、その団塊ジュニアの男も、厳しい立場にある。対象になる女性の7割近くが結婚相手に
年収400万以上を求めているが、それを満たすのは僅かに25%しか存在してない。
そこに45%の絶対的開きがある。そのため未婚の男女が増えている。去年の男性の自殺率は
女性の二倍。3万数千のうち、二万以上が男である。 女性は9割以上が、
「今度生まれてくるときも女が良い」という。先日も中学の同期会があったが元気が良いのは
女性だけ、男は片隅で大人しい。 家内と私の関係を見ていても、同じ流れ。 
色いろあって自宅は家内名義になった途端に・・連日、サンドバック代り。 
外国人の目からみて、中年女性連れがデパートやレストランに多く見かけるのに驚くという。
旦那が会社で必死に働いている間に、長年かけてTVやネットで文化的教養が蓄積され、
コンサートホールや、世界的名画の展覧会などに大挙してオバサンが押し寄せる。
そこに添え物のように連れてきてもらっているのが亭主という図式。
家内を見ていて気づいたが、自分の行先に合わせて相手を選別している。
行動パターンは単独行動が基本。年に一度は、4日間乗り放題の特別割引を使い、
4日連続の日帰りの東京通いである。 曰く、「ツアーと思えばよい。単独行動は気ままでよい。
問題は一人でランチがとれるかどうか。これを身に付ければ東京は面白さが数倍になる」とか。
世界中を旅行した蓄積は、そんなことは朝飯前。 要はオバサン化いや、オバアサン化した
ということ。とにもかくにも、男と違い、消耗していない。「国滅びても山河あり」というが、
国が衰えると女が表立ってくる。リーマンショックと東北大震災で、明らかに世界も日本も
激変の嵐になってしまった。その背景には、情報化社会の本格的到来がある。 
激変現象の一つが、女の優位社会の到来がある。
子供の頃から、姉が4人もいて鍛えられていた素養が、ここで活きてくるのか? ったく。
・・・・・・
3783, ユング ー16
2011年08月04日(木)
  * ユング心理学、3つの流れ ー � 発達派
 ☆ 発達派ー人間の精神的成熟と対人関係
【 ユング派の第三の流れは発達派と呼ばれており、主にロンドンを中心に活躍しているユング派の人たち。
 ロンドンというユング派とフロイト派の両方が交流しながら発展している地域柄もあって、フロイト派の精神分析に
近い考え方を持っている。この派の特徴の一つに、「成人の人格の発達における幼児期の重要性を強調」している。 
その人が幼児期にどのような親子関係で育ってきたかが、その人の現在の人格のあり方にとって大きな影響力を
持っているという考え方。その頃の親子関係が、対人関係と感情や衝動のコントロールに関して、非常に重要になる。
その頃、あまり親に愛されてないと感じた子供は大人になってからも、「自分は(親に愛されてなかったから)
もっと愛されたい」とか、「自分は、いつも良い子でないと受け入れてもらえなかったから、この人にも良い人と
思われないと、見捨てられる」とか、歪んでいきやすい性格になってしまう。
 ー発達派の治療態度ー
 治療場面で、治療者と患者(あるいは相談者)にわきおこる転移、逆転移を取り扱うことを主な作業とするのも
発達派の特徴である。転移とは、治療の過程で相談者がそれまでの人生において重要だった人物(親・養育者)との
関係を、治療者との間で再現することをいう。つまり、治療過程で、患者(相談者)が、両親や、それに類する人に
感じられる人になるということである。これと逆に、治療者が相談者に抱く特別の感情を逆転移という。
この転移、逆転移を「対人関係におけるファンタジー・幻想」といった方が分かりやすい。
そこに、集合的・普遍的な父親像、母親像も表現されるので、それが重要な分析材料になる。】
▼ いかに、幼児への親の対し方が難しいか、その辺のところが人間の精神の成熟の鍵が隠されている。
 10歳までに人間の性格、能力の殆どが決定されてしまうことは、自分と、至近の人たちを見渡せば分かる。
そこまで、立ち戻って治療をしていくのが発達派の治療態度。これを血筋と昔から日本人は言っていた。
(哲学的にいえばハビタス)。 もちろん、それぞれ例外はあるが・・ 両親との関係から、
 現在の自分に至ったプロセスを見つめ、その歪みを自覚させるように導き出す。 
多かれ少なかれ歪みの集合体が自分ということになる。
  ・・・・・・・
3418, 哲学者の言葉 100
2010年08月04日(水)
    「最高の人生を送るための哲学者の言葉100」稲垣真美著
 何気なく借りてきた本だが、軽いタッチで読みやすいが、唸るような言葉が次々と出てくる。
10項目に100の言葉が書かれ、解説してある。10項目の中から幾つか書き出して考えてみる。
  * 第一章、哲学と人間
≪ 心(ハート)をあらゆる努力で守りなさい。あの血(生命)の泉もそこから流れ出るのだから ≫(ハイデッガー)
【 ハイデガーの学説を、一言で解釈し、具体的に説明するのは容易ではありませんが、古代ギリシャのアリストテレス
以来、種々に考えられてきた「存在」の問題について、人間存在とは「私が在る」ということであり、したがって
人間とは「現存在」である、と規定しました。「現存在」存在の仕方を「世界内存在」とも呼びました。 
この場合、「現存在」の言葉の中には、すでに「今」という時間が入ってきます。 すなわち「存在」とは、常に
「時間の問題」に突き当たり、一心同体なのです。そうだとすると、「今(現在)」とは何でしょうか。
「私がこれこれのことを意図している今」「12時である今」「光が消えている今」等で確定される「今」には
「私」「私自身」、あるいはほかの誰でもがそのまま時間ということになります。 「現存在」は時間なのです。
「私」は本来的に時間であり、「私」は時間をもっているのです。
 このように考えて、ハイデガーは、私たち一人一人の時間としての営みの大切さに思いに至った。
南ドイッのフライブルク市の郊外にあったハイデガーの自宅の扉には、文字を刻み込んだ一枚の板がぶら下げられていた。 
その文字はハイデガーが大切な誓いの言葉とした。「旧約聖書」の箴言でした。
「君の心をあらゆる努力で守りなさい。あの血(生命)の泉もそこから流れ出るのだから」 ハイデッガーは、
この言葉を「現存在」である自らに対しても、訪れてくる客人たちにも、誓いの言葉として掲げたのです。】
    (字数の関係でカット12年08月04日)
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3043,閑話小題
2009年08月04日(火)
  * 今年の長岡花火
 今年の長岡花火、初日(8月2日)は天気予報が雨。 空を見あげると雨が降りそうな雲模様。
それなら降り出したら帰ってくればよいと、行くことにした。 夏の雨は濡れてもしれたものと家内と出かけた。
ところが信濃川の土手に着く少し前からポツリポツリ、それでも花火の誘惑には勝てず最後まで見てきた。
ところが最後の『フェニックス』が始る直前には花火の音と間違う音(雷)と共に雨が降ってきて、
せっかくの花火も興ざめになってしまった。 それでも『天地人』をモチーフにした花火が印象に残った。
二日目の昨日は、前日とうって変わった晴れ。その中での花火は、どれもこれも良かった。
 特に最後のフェニックスが感動的であった。河原の人混みの中で歓声と共に一体化して見るのも風情があるもの。
  * 失業率、実態は8・8%(助成金にひそむ隠れ失業238万人)
 以前にも取り上げたことだが、先日の産経新聞に「6月の完全失業率が5・4%と発表されたが、
助成金申請が238万人に達しているので、それを加えると単純計算で8・8%になる」という記事が載っていた。 
欧州が9・4%、アメリカが9・5%というから、この数字が実態といってよい。過去最悪時は、5・5%だから、
僅か一年足らずで1・5倍の失業率になってしまったということだ。 日米欧の失業者が3300万人となり、
昨年の3月から15月で1200万人も増えてしまった。 私たちの年齢が還暦を過ぎたので、深刻な話は聞かないが、
5〜10歳下あたりの年代では深刻な話が多い。 事業が景気に敏感な商売なので、その深刻さが直に伝わってくる。 
* 「フランクリンの罫線表」
 話が込み入ってくると、(アメリカ元大統領)フランクリンは白い紙を出して、真ん中に線を一本引く。
右にプラスを左にマイナスの印を付ける。そして、相手の言い分を聞きながら、「その点につていは、あなたの得で、
それはコレコレ」とプラスの方へ書き込み、そしてまた「この点につていは、あなたの方が損でそれはコレコレ」と
マイナスの方へ書き込む。こじれた話が、それで一目瞭然、利害得失が、表の上にはっきり出されてくるので、
みんな重宝した。これが「フランクリンの罫線表」と云われる表である。
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2678, 長岡の花火 −2
 2008年08月04日(月)
 −三大花火大会とはー
花火大会といえば秋田の大曲と、隅田川と、長岡の花火と、思っていた。そこで三大花火で調べると、
色々地域によって違うようだ。大阪の花火も、豊田市の花火も、素晴らしいようだ。花火は、それぞれの川辺の
情緒を背景に見るから良いので本来比べるものではない。川辺で各家庭が、空を見上げて団欒するのも花火見学と
桜見物ぐらいである。長岡の花火は、フェニックスの花火が中越地震の翌年の2005年から加わり、段違いによくなった。
正三尺玉が、ワイドスタマインと比べてミスボラシクなって、フェニックスが無ければベスト10からも除外されても
仕方がなかった。最近は同色の花火を同じ場所に重ねて打ち上げるので、三尺玉の数倍の大きさになる。
二年に一度のわりで、初日だけ行っていたが、フェニックスが加わってからは、二日とも行くようになった。
この数年、大曲の花火を部屋の電気を消してTVでみている。これがハイビジョンで、現場にいるようで臨場感がある。
ところで昨夜も二日目の花火見物に行ってきた。初日が良かったので、止めておこうか迷ったが・・・・
それでも〔 天地人花火 「愛と雪」〕という花火が、来年のNHKドラマに因んで特別に打ち上げられる
というので、もしかしたらと行くことにした。やはり期待通り、豪華であった。しかし人でも花火も初日に比べ
劣っていた。仕方が無いだろうが。桜と花火とスキーと海水浴と紅葉と足元をみれば屋外で四季折々に楽しめる
ことが幾らでもある。 少しパソコンとTVから離れることも必要である。でもWowowやレンタルDVDで映画を
観るのも面白い! 後記)二年前の同日も、同じテーマで書いていた。完全に忘れているから、改めて読むのも奇妙。
 ・・・・・・・・・
007年08月04日(土)
2314, 今日が今までの人生で一番幸せな日      (p≧w≦q)オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪
 「今日が今まで一番幸せな日」と思って生きることが出来たら、これほど素晴らしいことはないだろう。
ある人がインタビューで話していた言葉である。 この意味を考えれば考えるほど深い。「一日、一生」
「今、ここ」「一期一会」にも通じていく言葉である。これを自分の「人生の言葉」にして、常に意識をしていたら、
「ありがとうございました」に匹敵する。幸せの選択基準がハッキリと見えてくるからだ。一日を疎かにできないし、
何が大事で何が大事でないか見えてくるはず。「今日一日は、人生で一番大事な日であるし幸せな日である」ことは、
紛れもない事実。気がつかないのは日常に慣れてしまった自分。その視線で周囲を見れば素晴らしいことが多くあるのに
気づくはず。心の底から今日が一番素晴らしい思えるようになれば、過去の一番幸せだった日々を常に意識し、それが
蘇ることになる。その気持ちは、周囲の幸せを引き寄せる磁石になってくる。そうは言っていても、それは暗示でしか
ないじゃないか?と思うようならば、「今日が人生で一番幸せな日に‘なりますように!’」という‘願い’にすればよい。 
願えば叶うからである。もし本心に、そう思えるようになってしまえば、後は簡単。
「昨日と同じか、それより少し今日が幸せ!」と思えればよい。 「もしも身内や親しい人が亡くなって
『今日が人生で一番不幸の日』の場合は? そうは思えないだろう? 如何なものか?」そういう時は、
そういうことを考えないの! ただ、最悪の日を最悪に過ごせばよいだけ。今日が人生で一番幸せ!と思える日が
きっと来る!と、思えたら思えばよい。『幸せ』の言葉の替わりに『素晴らしい』でも、『最高』でもよい。
日々の中の何気ないことの中にこそ、多くの幸せのタネが含まれているということだ。
そして、それが開花しているのが「いま・ここ」であり、「今日」である。


4889,閑話小題 −人型ロボットの現在と未来 −1

2014年08月03日(日)

    * 人型ロボットの現在と未来
 このところ、ロボットがマスコミに多く取り扱われだしてきた。特に労働現場に・・
ロボットにも無人戦闘飛行機、宅配ヘリ、自動運転自動車などの、非人間型ロボットと、
人間のカタチをしたものがある。人間型ロボットの研究者で、マスコミで見かけるのが、
石黒浩(大阪大学大学院教授)。  ー彼のロボットのリアルな内容が、面白い!ー
 ≪ 将来のロポットに必要なのは、アトムのように空を飛ぶ能力や走る能力ではなく、真の意味で
 人間と関わる能力ではないか。そう考え、私はこれまでロポット硯究に取り組んできました。
 たとえば、接客をロポットに任せたらどうなるか? 昨年10月末〜11月中旬まで、高島屋大飯店で、
20代女性をモデルにしたアンドロイド(人間酷似型ロボット)の「ミナミ」が衣料品の販売員として
「接客」しました。ミナミがお客さんと対話しながら「この色はいかがですか?」と商品を薦めるのです。
高島屋のスタッフは当初「1枚も売れないはず」と悲観的でしたが、結果的にはイベント期間中、一万円
程度のカシミアのセーターを40枚も売りました。人間が一日当たり10〜20枚売るのに対し、ミナミは
3〜10枚しか売れないので、決して有能な販売員とは書えません。しかし、人間が接客する場合、
一日20人が限界ですが、ミナミは毎日40人以上接客して働き続けることができた。アンドロイドは
疲れないからです。20年後は、ミナミのようなアンドロイドが社会のそこら中に進出しているでしょう。
ニュースキャスターや警備員、喫茶店店員も、アンドロイドに任せて全くかまわないと思います。ーつづく ≫
▼ 20数年前のセミナーで、「現代人の生活は一時代前の2百人の召使を使った王侯貴族と同じ」と聞いたが、
 今では、数千・数万人以上だろう。 居間のTVで演劇をみ、iPhoeで音楽を楽しみ、飯炊きは
炊飯器、掃除は今やロボット掃除機がしてくれる。回転寿司もベルトコンベアで客席まで運ぶのは、
一種のロボット機能。電子レンジ、扇風機、エアコンなど白物の大部分も一種のロボット。
アトムが時空を実際に飛びまわるのに対し、グーグルアースが、パソコン内で飛びまわる。 
 ところで、ソフトバンクが、6月5日に、世界初の感情認識パーソナルロボット「Pepper」の一般販売を発表。
社長の孫正義氏が記者会見で《 この発表会が「100年後、200年後、300年後に、あの日が歴史的な日だったと
言われるようになる。ロボット史上初めて、感情や心を与えることになった」》とし、その意義を説明した。
一般家庭向けに19万8000円(税別)の価格で、来年2月から、ソフトバンクショップや、ソフトバンクの
オンラインストアで購入できるようになるとか。感情認識ロボットとは驚き! ペット型ロボットのソニーの
aiboをあった。目先の利益にならないと、販売中止になったが、ソニーにとって戦略的に大失敗と、
誰の目にも明らかだった。これだけでも、ソニーの存在価値が充分にあった。
 これからはロボット玩具主導の感情認識パーソナルロボットと、ペットが、世界に満ち溢れるのだろう。
・・・・・
4522, 生きる悪知恵  ー1
2013年08月03日(土)
         「生きる悪知恵 ー正しくないけど役に立つ60のヒント」西原 理恵子 (著)
 図書館の返却コーナーで見つけた本で、面白そうなので借りてきたが、これが面白い! 著者は、このところ
売れっ子で、岩井志麻子、中村うさぎなどと女無頼を売りにしている。しかし答えは至ってまともで、的を得て、
簡単。「被害者面するな。世間体やプライドとか言ってる暇あったら、あの手この手を使って状況を打開しろ」
で、「人生、生き延びてナンボ」が一貫している。
  ーアマゾンの内容紹介ー
=『ぼくんち』『毎日かあさん』で知られる人気漫画家・西原理恵子が、波瀾万丈な人生経験をふまえて、恋愛、
 家族関係から仕事、おカネの問題まで、あらゆる悩みに答える「人生相談」エッセイ。 主な項目は以下の通り。
「70社受けてもダメ。出口の見えない就活に疲れ果てました」「苦手な上司に毎日のように飲みに誘われます」
「結婚して5年。妻がブクブク太っています」    「夫が浮気しているようです。追及すべきでしょうか」
「息子の部屋からロリコン漫画が出てきました」   「60代の父が30代の女性を同棲。妙にやつれてきました」
「頼まれるとイヤと言えない性格を何とかしたい」  「夫が痴漢で逮捕されました。無実を信じたいのですが」
「小銭を借りて返さない同僚に困っています」など。=
  ー「はじめに」の冒頭からして、これ(以下)であるー
≪ ・・私の故郷の高知県なんか、すごいですよ。高知で一番大きな会社はどこかっていうと、「生活保護」。
「あれだけお金払える会杜、ほかにない」って。で、生活保護をもらえる人は貯金しない人だから、きっちり毎月全額を
飲み食い、遊興費で使ってくれる。それで高知県の経済が回っている。 それはまあ半分冗談ですけど、実際ケース
ワーカーさんに話を聞いたら、「確かに腹の立つヤツもおる。こいつはインチキやろ、というのもおる」と。
だけど、「具合悪くて働けんゆうたらそうかもしれんし、そんなに悪ないゆうたら悪ないかもしれんし、人間なんだから
玉虫色なんです。ただ、それで生活を立て直す人たちも確実にいることを覚えてお いてください」と言うてました。
日本人って「正直であれ」とかよく言うけど、真面目すぎるのも生きづらい。もっとウソつきでいいんじゃないかと。
 私がこれまで漫画家として生きてこれたのは、正直じゃなかったから。ウソをつくのを悪いと思うてない。
一番最初のお客さんである編集者を、いかにダマすかというところから始まりています。締め切りがギリギリで絶対OK
もらえなさそうな人には、最初にくだらないA案を見せて、あとにもうちょっとマシなB案をもってくるとか、目くらまし
的なことをやって。あと、10万円欲しいときには、最初に「100万円くれ」って言ってみるとか。火事場泥棒みたいな
ことは我ながらうまいかな、と思いますね。もうひとつよかったのは、プライドがなかったこと。私の仕事は客を笑かして
ナンボなので、自分の表現がどうとか関係ない。もらえる仕事は何でもやってきた。身もフタもないことを平気でできる
というのは大事です。プライドでご飯は食べられません。誰だって働けなくなる日は来るんだから、とにかく働けるうちは
働いてお金を貯めておけ、と。だから、今でも仕事はどんどん入れてる。国とか会社をアテにしてたら酷い目に遭いますよ。》
▼ 西原は「借金を重ねながらも夫を看取り、子供を育て、誰に頼らないで大量の仕事をこなしながら、ここまで至った。
 人生・体験に基づいた回答だから、「生き延びたもの勝ち! 横から攻めたり、一旦逃げたり、ダメな時の解決は人任せ」
 でも嫌に説得力がある。男には書けない開き直りが面白みを増している。
・・・・・・
2012-08-03
ある老女の遺書ー 3  
 10年前に取り上げた、随想集『心に残るとっておきの話』第五集、に載っていた内容である。
10年か20年もしないうちに、生きていれば次のステージで待っている。人は、それぞれ来し方の人生という行蔵がある。
その行蔵に他人は入ってみることは出来ない。しかし本人には蔵があり、それぞれの棚には多くの経験というお宝がある。
外見はボンヤリしていても、一歩藏に入ればお宝の山である。だから元気なうちに、ここで書き残すべきことを書いている。
 ところで遺書を書いた老女は80歳後半辺り。看護婦の叱責に怒りと哀しみが蓄積されている。 老人同士の愚痴は、
その解消のためにある。しかし老人ホームでは、それも限られる。 老化は、それだけでウツになる要素が十分にある。
だから元気なうち、動けるうちに、やるべきことは、全てしておくことだ。老いるということは、過去のしてしまった失敗と、
しなかった後悔にうち震えることだ。 (字数制限のため、カット)
・・・・・
3782, ユング ー15
2011年08月03日(水)
  * ユング心理学、3つの流れ ー ? 元型派  
 ☆ 元型派ーひたすらイメージと対話し、遊ぶ   
 < 元型派= 古典派が自己の元型の象徴と、その変容に重点を置くのに対して、『元型派』は変容や自己実現は
 フィクション・幻想であるとする。そして常に変容を目指すという古典派の態度そのものが、かえって人間を傷つけるとして、
 変容や統合を目指さないでひたすら「イメージそのものを大切にする」という態度をとる。それはたとえば「オルフェウス」の
 神話の解釈に表れている。{ギリシャ神話の音楽と詩の神オルフェウスは、蛇にかまれて死んだ妻を地下の世界、つまり黄泉の国に行き、
 連れ帰る途中に、決して後ろを振り向いてはいけない約束を破ってしまったため、妻は洞窟の奥に吸い込まれて消えてしまった。
 そして、彼の使っていた竪琴だけが天に昇って琴座の星座になってしまう。その後、オルフェウスは放浪の旅先で殺されてしまう。}
 この神話は古典派的視点から見れば、女性像=アニマを獲得しそこなって男性性を確立しそこなった失敗例として扱われる。
  しかし、イメージそのものを大切にする元型派は、この神話の各登場人物やアイテムが「生き生きしていることが大切」である。
 竪琴が星座になってキラキラしているのであれば、自己実現しているのだと理解できる。患者が統合や発達の失敗、男性性や
 女性性の確立の失敗などの夢を見ても、失敗例と見ない。その夢の中のイメージや登場人物・アイテムについて、じっくりと
 話し合い、そのイメージと遊ぶように接していくのが元型派の特徴である。
   ー元型派の治療態度とはー
  元型派は、患者の夢のイメージそのものを何よりも大切にし、イメージと遊ぶ。古典派の患者の変容や治癒だけを目指すのではなく、
 患者のイメージにいかに寄り添えるかを大事にし、夢そのものを色いろな角度から味わい、深めることを目的とする。
 時には、治療者と夢に関連させて共に空想を膨らませたり、昔みた映画やドラマの話しをしたり、突拍子もない話をする態度である。
 それは、あくまで治療者の「癒し」につながる遊びである。それらの対談の中で、その夢は単に、その人だけのものでなく、
 人類に普遍的なものだったり、時空をこえた昔話だったり、神話につながることに気づくことで、孤独が癒されることになる。
 このように、イメージに忠実に寄り添い、深めることで、結果的に治療や変容が生じてくるのであり、変容を起こそうと思っては
 いけないのが、元型派の基本的態度である。 >         (『ユング心理学』福島哲夫著ーP・200)
  ▼ 患者の夢について、色いろな角度から深く語りあううちに、患者の悩みが特殊なものでなく普遍的なものと気づくことから
   孤独感が薄らいでいく。何ごとも肯定的に受けとめることが重要になる。 〔 イメージそのものを大切にする元型派は、
   この神話の各登場人物やアイテムが「生き生きしていることが大切」 〕とあるが、考えさせられる。そのイメージと遊ぶように
   接していれば生き生きしてくるはず。神話は民族の元型である。その登場人物はキラキラ輝いていなければ!
・・・・・
3417, 64歳の現時点で、感じること!
2010年08月03日(火)
 最近、首相や、県知事、市長などをみていると、「何、これは!」と、心の底から思うようになった。
青年期にみた老人の捩れた言葉?が何だったのか分かりかけてきた。 当時は、「自分が、何も出来ないのに他人に対し
何故に背後から刺す言葉しか吐けないのか?」と、嫌悪感を持ったもの! 特に一生を無為に過ごしてきた人ほど、強くなる。
ベルクソンが「人生の歩みを進めれば進めるほど、私はわれわれがあまりに貧しいものであるのに気づく。
偉人と呼ばれる人と、他の人々との間にはほとんど差はない。特にいわれもなく与えられたものと、その時々の状況、
あるいは人生の運というものを除外するなら、差は少しもない」という言葉に深く納得する。特に情報化がリアルに表出させる。
 ところで、ベルクソンは「時間と自由意志」でアリストテレス以来の時間論に対して、画期的な反対論をとなえ一気に名前を高めた。 
ベルクソンはまず、人間の意識によって時間を考えなおそうとした。普段、我われが考えている時間とは、現在の一点を中心に過去へ
未来へと空間化され、直線のように考えられ、測れるものとされている。現に私も、同じである。アリストテレスもカントも、
伝統的な時間論に従っていた。アリストテレスは「以前と以後に関しての運動の数」、カントは「時間は人間主観に備わった形式」。
ベルクソンは、時間は、本来数えることのできない、はっきりした輪郭を持たず、外在化する傾向も持たず、数との間にいささかの
類縁性ももたない、継起(数えることの出来ない感覚や感情の持続)であると、考えた。彼は、人間の生を純粋に持続するものと
とらえた上で、その純粋持続こそ時間だと考えた。純粋持続は意識に直接与えられる時間、内側から生きられた時間であり、時間は、
音楽のメロディを聞いているようにときのように、空間や世界から切り離されて、徹底的に主観化され、内面化されている、とする。
演劇を観ていて時間を超越している感覚である。 話は少し脇道にそれたが、人生など結局は独りでしかない。偉人とかいうのも、
所詮は、その時代の尺度の評価でしかない。 それも時代時代に評価が変わっていく。
「人間は<よく生きること>ただ、それだけで充分」と思うようになっただけ、歳をとった。
 ・・・・・・・・
3042,上杉謙信の家訓
2009年08月03日(月)
NHKの日曜日の大河ドラマは、この数十年来ほぼ見てこなかったが前回のシリーズから転換した。
今年の「天地人」の視聴率も良いと聞くが、上杉謙信の精神が直江兼継を通して我われに伝わってくる。 
それが何かというと、あまり知られてない。数日前もTVで上杉神社などを紹介していた。
そこで検索に「上杉謙信の家訓」といれたら、やはりあった。 米沢の上杉神社に石碑にもなっている。
 【 上杉謙信公家訓16ヶ条 「宝在心」 】
一、心に物なき時は、心広く體泰なり   ー心を見失わせるような物がない時は心が広々として、体がゆたかである
一、心に我儘なき時は、愛敬失わず   ーわがままに振舞うことがない時は、全てを愛し、慈しむことを 忘れないものだ
一、心に慾なき時は、義理を行ふ    ー惜むようなことがない時は、他人への義理や思いやりを 忘れないものだ
一、心に私なき時は、疑ふことなし   ー自分勝手な心がない時は物事に対しても疑うことはない
一、心に驕(おご)りなき時は、人を敬ふ  ー思いあがった心がない時は他人を尊び敬う気持ちになる
一、心に誤(あやま)りなき時は、人を畏(おそ)れず  ーやましい心がない時は他人を恐れることがない
一、心に邪見なき時は、人を育つる           ー心に偏見がない時は人を立派に育てられる
一、心に貪りなき時は、人にへつらうことなし ー心に欲が深くない時は他人におべっかを使いへつらうこともない
一、心に怒りなき時は、言葉和かなり         ー心に怒りがない時は言葉は柔らかく和やかになる
一、心に堪忍ある時は、事を調ふ          ー心に耐え忍ぶ努力がある時は物事は順調にすすむ
一、心に曇りなき時は、心静かなり        ー心が曇りなく晴々とした時は、また心も穏やかである
一、心に勇ある時は、悔やむことなし     ー心に勇気がある時は後悔することはない   
一、心賤(いや)しからざる時は、願い好まず  ー心が卑(いや)しくない時は無理な願いを好まず努力して掴める
一、心に孝行ある時は、忠節厚し     ー心から尽くそう心がける時は真に仕えようとする気持ちが深い
一、心に自慢なき時は、人の善を知り ー心に自惚れ(うぬぼれ)がない時は、他人の優れた素晴らしさを知ることができる
一、心に迷なき時は、人を咎(とが)めず  ー心にしっかりとした信念がある時は他人を責めないものだ
  〜〜〜
 日本人、特に越後県人の生真面目さが、そのまま現われている。
戦国の世だからこそ、これを実行してきた謙信の誠実さが、他国の武人に評価され、それが、信玄に
塩を送ったことなどに現れたのだろう。天地人の隠れ主役は謙信の上記の精神ということが理解できる。
・・・・・
2677, 閑話小題
2008年08月03日(日)
 *長岡祭か〜
8月1日〜3日は長岡祭。
一昨夜は、恒例どおり第一金曜日で長岡の殿町で飲み会。やはり人出は金曜日ということもあり例年より多いようだ。
居酒屋もスナックも、何処も満席に近い状態、それでも午前様に近い時間まで飲んでしまった。
昨日は、次男夫婦が花火見物のため日帰りで帰省。花火の観覧席を含めた新幹線指定席こみで、二人で3万2千円という。
フェニックスという大スタマインには感激しただろう。ただ天気は快晴というわけではなかったが、
それでもフェニックスは良かった。写真を多く撮ったので、ブログの「バードウォッチング」に、明日でも載せるつもり。
不景気なので、地元の人にとって手近なレジャーとして、見直されているようだ。
一番良かったがフェニックス、次が100連発スタマイン、三番目は取引先のワタナベのスタマイン。
 (字数の関係でカット 09年08月03日)
・・・・・・・・・
2007年08月03日(金)
2313, 政治家の家族とは・・ −2
  ー焼き尽くす季節にー  ー2    〜(前日のつつき・・) ますいさくら
 でも、わたしは、いつか、自分が叫びだしてしまうことを知っていて、その前になんとかしなくては、と思いながらも、
周りに理解されたいとは、全然思わなくて、逆に、自分のことなんて易々と他人にわかられてたまるものかと思っていました。
一方で、わたしは、この家から逃げ出そとしていたのです。理由は、ゆるやかにやってきた体の変化でした。
思春期の体は成長していき、どす黒い癒と傷をいくつも背負う醜いさなぎも動けない羽を持ちあわせた蝶へと変身していったのです。
「兄さんの、わたしの体を見る目が怖い」何度も相談したのに、両親は耳を貸しません。わたしは、ついに、父の選挙期間中に、
通っていた中学校に火を放ちます。どこか、わからない、どこかへ行きたかったのかもしれません。いえ、実際は、わざわざ
放火しなくても、よかったのかもしれないのです。しなくてもよいことばかりしてしまう。だけど、なにかしていないと、
いてもたってもいられない、やっかいな季節を迎えていたのです。 校庭の裏庭から火は回り、火の粉は空中を這う,煙道'を作り、
天空に立ち昇る陽炎となりました。なのに大船という土地柄、松竹撮影所の映画ロケかと思ったみたいで、消火活動が大幅に遅れた。
そして、わたしは、だらしなく、酸欠で倒れているところを発見されました。まるで、自分の激しさが、わたし自身を、
焼き尽くしてしまうかのように。 事件後-両親は、わたしを引取りに警察へ来てはくれませんでした。
選挙期聞中だったからかもしれないし、私という存在自体をなくしてしまいたかったのかもしれません。
結局、わたしを守ってくれたのは、少年法という法律だけでした。暴力を受けること、口を封印されること、
   (字数の関係でカット 09年08月03日)


4888,閑話小題 ー温暖化と氷河

2014年08月02日(土)

   * 温暖化と水資源問題
 世界の淡水の8割が氷河という。せいぜい数パーセントもあるかなしかと思っていた。
考えてみれば、北極も南極も氷で覆われており、アルプスや、ロッキーも、ヒマラヤも氷河がある。
シベリアには永久氷土がある。としても、ナイル川やアマゾン川や、湖など水量の数倍もあるとは。
ということは、氷河は地球の水のダム。世界各地の氷河に行くと温暖化による消失が、
必ず話題に挙がる。  ーネットによるとー
《 地球全体の水資源の約97.5パーセントは海水が占め、残り2.5パーセントの淡水の8割が
氷山・氷河。その中で飲み水、工業用水は残り3割。その約9割は地下に眠っている地下水。
その部分を差し引くと残りは0.075パーセントになる。しかし、人間が直接その水を採取できる
湖・河川はさらに限られるので、ここからまた目減りして、結局「0.01パーセント」。
その貴重な水を巡っての紛争が世界中で起きている。
 ヨルダン川(イスラエル、ヨルダン、レバノン)、ナイル川(エジプト、スーダン、エチオピア)、
チグリス・ユーフラテス川(トルコ、シリア、イラク)、ガンジス川(インド、バングラデシュ)など。
2009年のスイス・ダボス会議では、「いずれ水はオイル(石油)よりも投資価値が出てくる」
と指摘されていたが、まさに的を射たコメントである。》
《 日本は世界有数の多雨国で,単位面積当たりの平均年間降水量は世界平均の約2倍。
しかし人口密度が高く,平均年間降水量を人口一人当たりにすると世界平均のわずか1/5になる。
一見,日本は,水資源に恵まれているように見えるが,降水の多くは梅雨時や台風の時期に
集中するうえに,多くの河川は規模が小さく,勾配が急で,距離も短いため,雨が降っても水は
短時間で海に流出してしまう。多雨国なのに資源としての「水」には恵まれていない水資源“小”国。
さらに言えば,日本の食料の自給率は約40%で,大量の農作物を輸入に頼っているが,
仮に日本国内で栽培しようとすると大量の水が必要。 日本は,実質的に大量の水=
バーチャルウォーター(仮想水)を輸入していることになる。生活水準が向上するにつれて
水の需要は増え続けるが,世界の約2割の人たちは安全な飲み水すら利用できずにいる。》
《 世界の哺乳類の4分の1、鳥類の8分の1、両生類の3分の1、植物の7割の種が危機に
瀕している」。・・タンザニアの「キリマンジャロ国立公園」では1万年以上 維持されてきた
万年雪が20世紀だけで8割失われ、このままだと15年以内にすべて なくなる。》
▼ 上記の現実は、我われ日本人にあまり知られてない。現に、私も知らなかったこと。
水資源小国とは! それでも大雨や積雪などの地下水がダム代わりなっている上に、
7割が森林などの自然に恵まれている。いざとなれば、井戸を掘ればよい!これらから考えると、
やはり森林・農業保護は必要ということ。 それにしても、総水量の0.01%とは! 
・・・・・・
4521, がんで死なない生き方 ー2
2013年08月02日(金)
           「専門医が教える がんで死なない生き方」中川恵一著
   ー更に、印象に残った箇所を抜粋するとー 
・何より重要なのが早期発見。すい臓がんのように発見が難しく進行が早いものもあるが、
 早期に発見すれば約9割が治る。例えば乳がんの場合、1cmの腫瘍が2cmになるまで
1年半かかるので、その間に見つけることが大切(それより小さいと発見が難い)
予防が可能になりピロリ菌感染者が減っているので胃がんは減少傾向にある。
元々ウイルス感染が引き金になるガンもある。 
・治療の中心は、いわゆる三大治療。手術、放射線治療、科学治療。ただし、抗がん剤について、
 それだけの完治は難しい。サプリメントなどの代替医療の効果は医学的に証明されていない。
 ウイルス療法など新しい手法もいろいろ出てきてはいるが、まだ検証中という段階を出ていない。
 総じて、実態としては26年前から大きく進歩しているとはいえない。また、治るものはともかく、
 末期のものについては必ずしも無理な治療をしないという選択肢もありうる。
 ‘ガンは死期を迎える2〜3週間前くらいまで日常生活を営めるピンコロ型に近い病気’である。
・福島原発の事故を受けて、がんへの影響も解説している。被爆しない方が好ましいが、
一般の人たちへの影響という点で見れば生活習慣やたばこといった要因に比べて、
その一つの程度でしかない。 最近話題になっている内部被爆について、実際は内部被爆と
外部被爆の影響を明確に分離して考えることは難しい。そして、現時点で空気や食べ物より
土壌の汚染に一番気をつけるべき。
・野菜嫌いの人の発がん性リスクは、放射能被爆の100ミリシーベルトに相当する。
 また、受動喫煙も100ミリシーベルトに近い。
・現在、日本人の2人に1人ががんになるが、男性は6割弱、女性は4割強。
がんの死亡者数は、男性が女性の1.5倍だが、20歳から55歳では、女性の方が
がんの発症者数が多い。30代のがん発症は、女性は男性の3倍。
▼ 青壮年時期の20〜55歳は、女性の方が発症者数が多いとは知らなかった。
とすると、55歳を過ぎると、遥かに男の方が、多いことになる。この年齢になってみて、
「生老病死」の問題に直面すると、生易しい問題でないことが分かる。皆で老いれば
怖くなさそうに思うが、生老病死に関しては、それぞれ孤立した問題。
それぞれ独自で直面するしかない。著者の同僚7人の医師全員がタバコを吸わないという、
その結果を見ているからだ。そのうちの一人が、「最近の事情が変わったようで、
医学部百人の授業で聞いたら、一人もタバコを吸っていない」という。
・・・・・
4147, 閑話小題 ー8年ぶりの歯医者
2012年08月02日(木)
   * 8年ぶりの歯医者
 昨日、朝飯を食べていると口の中で小さな砂利みたいなのが引っかかった。何だろうと見ると、
奧歯の虫歯に埋めたツメモノ。8年前に、やはり取れてしまい新潟駅前の歯科で入れ直したもの。
その時も被せた下が虫歯になり取れてしまった。今回の原因も、当時と同じであった。さっそく家内から
聞いた歯医者に行くと、間接的だが、「この夏休み時期に飛び込みは困ります」という。
家内に初診でも電話予約をしていくべきと言われたが、私の判断ミス。 そこで二軒目に切り替えて
大型のレストラン風の歯医者に行ってみた。ここは、顧客サービスの視点から、待合室や診療を現代的に
組み替えたシステムで、一度入って見たかったところ。ロビー兼待合室にはパソコン、マッサージ、
何台もの小型TVありで、マンガ喫茶のようである。歯科医が4人も居る。
 歯医者といえば、個人医院が多く唯我独尊の前近代的スペース。誰も語らないが、
行きたがらないところが多い。そこは近代的歯科医を目指す徳真会グループで、新潟県内では
松村歯科医が数店舗を出店している。10年位前に自宅から車で5分ほどのところに出店していたが、
私の散歩コースにあった。 実際に患者になった感想は、「ここを知ったら一般歯科医には、
二度と入りたくなくなるだろう」というのが感想。一度だけなので、感想は、その位にしておくが、
直ぐにレントゲンを取られ、それが診療台の前のモニターに映し出されて、こことこことが
虫歯になっており、15回位の治療回数になります。一回の治療の時間を長くし回数を減らすことも
可能という。8年間も歯医者にいってないため、あちこちに小さな虫歯があるようだ。
周囲の人の話だと、年に一回歯垢を取ったり、小さな虫歯を直してもらうとか。
朝晩、マウスウォッシュでウガイを丹念にして、電波歯ブラシで磨いているので大丈夫と、
八年も行ってなければ、それも仕方がないが。初回もあり、一時間も治療に要した。
   * スポーツジムは夏枯れ
 会員制度だから、ジムサイドとしての経営上の問題はないが、夏休みに入ると、
昼コースもあるが館内はガラガラ。去年も全く同じ状況で、大地震の影響と勝手に思い込んで
いたが、夏休みで主婦が家に縛られているようだ。冷房がきいているので快適だが、
家から出るのも億劫のこともある。「とにかく休まない!」をテーマの一つにしているが、
人が多いより少ない方が良い。日が経つにつれ、その場の空気に馴染んでいっている。
 ・・・・・・
3781, ユング ー14
2011年08月02日(火)
  * ユング心理学、3つの流れ ー � 古典派 (『ユング心理学』福島哲夫著ーP196より)
【 ユングが亡くなって現在に至るまで、ユング心理学の考え方や心理療法派、
 主に3つ流れ、古典派、原型派、発達派として続いている。
☆ 古典派= ユングの考え方を、そのまま受け継いでいる。彼らは「心の深層の象徴的イメージの変容に
 重点が置かれる。たとえば、個人の中で男性イメージと女性イメージがどのように発展し、一つのまとまり
あるものとして機能していくか、ということに 注目する態度に代表される。そして、このような様々な
イメージを一つのまとまりあるものとしていく自己の元型の働きが夢や空想の中にどのように表現されるて
いるかを読み取り、その働きが活発になるように関わっていく。男性、女性イメージのほかにも、英雄が龍と
戦って勝利するイメージが、母親的なものからの精神的な自立の象徴と考えられて肯定的に扱われる。
また、それまでの古い自分が死んで、新しい自分が生まれ変わる「死と再生」、あるいは、それが儀式化されて
成人式や結婚式、葬式の儀礼となった「通過儀礼」などの、イメージを個人が内面で、どのように体験するか
ということも大事にされる。これは、内面のイメージの変容をどのように体験して、それまでの自分と、
どう違った自分になるかに大きな関心が向いている。
  ー古典派の治療態度とはー
  ここで、グリム童話の「かえるの王様」を例にして自己表現を、取り上げている。
<姫が気に入りの金の鞠を泉に落として、悲しんでいるところ、蛙が現れ、条件をつきで鞠をとってもらう。
 しかし、蛙を気持ち悪く思う姫は約束を破り、叩きつけてしまう。すると蛙は王子に変身し、二人は結婚をする> 
 古典派では、金の鞠を「自己」、蛙を、未知なる男性、他者。結婚を自己実現と解釈する。彼女は他者と初めは
 嫌々ながら密接に関わりながら、正面から対決することで大人になり、自己実現(結婚)をしていく。
 古典派は、このような変容過程が、実際の個人に起こることを期待するのが、立場になる。】
▼ ひとつ夢でも、ユングの各派で解釈が色いろ違ってくる。古典派は統合と発達を大事にする。
 結婚=自己実現するために、他者を叩きつけてしまう、という部分が象徴的。叩きつけられた他者は、
そこで王子=理想的相手に変身するというのも意味深長。これでは、結婚してからの蛙はたまったものでない。
しかし、そういうものと心の奥で、割り切るしかないのか? いずれにしても、親からの自立は、人類の永遠の
テーマとなる。成人式も、結婚式も、ひとつの通過儀礼である。そこで、二世代、三世代家族は多くの課題を持って
しまうのは当然の結果である。一生、小さな岩場の中に閉じ込められた山椒魚になる。気がつかないのは自分だけ。
  ・・・・・・
3416, 「憎国心のすすめ」 ー2
2010年08月02日(月)
■ 知性の定義
 知性を電子辞書で調べると、
「知性とは、『知覚を認識に作り上げる精神機能。感覚によって得られた素材を、整理・統一し、
認識に至る精神機能』とある。ここで日本人には知性が足りないと繰り返しているが、その「知性とは何か」
と言われるといま一つ曖昧である。そこで著者は知性について一章をさいて書いている。
 ー知性について書いている印象に残った部分を書き出してみるー
* 私は「知性とは何をしたらよいかわからないときに用いるものだ」というジャン・ピアジェの明快な表現が好き。
 つまり「正しい答え」がないときや、通常の対処で十分とは思えないときに必要となる。 柔軟に対処したり
手探りしたりする能力で、いわば知的な即興の能力である。 モーッァルトやバッハのコンチェルトのように
高度に磨き上げられた作品ではなく、ジャズの即興演奏を思い浮かべるとわかりやすい。知性とは、即興で作られ、
思考と行動によって磨かれる「過程」のことである。』 (『知性はいつ生まれたか』ウィリアム・カルヴイン著)
*『 新しい情況に当面したとき、盲目的にもがくというような、本能的方法(例えば運動暴発)によらずに適応
する仕方または課題を解決する方法をいう。過去の経験を利用することが多いので、この能力(記憶)をも〈知性〉
のうちに入れるのが普通であって、これを〈再生的知性〉という。また、人の知性のうちには抽象的思考力があるが、
これだけを〈知性〉と呼ぽうとするものもある。 なお、《英知》というコトバは精神の知的側面、とくに高級な
思考作用をいう。〈概念をつかう能力〉のような高級なものをさすことが多い。』
*『ー 困難な状況に直面して生来的なまたは習慣的な少数の反応しか持ち合わせていない動物は、
その反応が成功するか、環境の偶然の変化によって条件が好転するまで、その力と衝動の持続する限り、
その持ち合わせの反応を無駄に繰返すに止まる。 (字数の関係でカット、2012年8月2日)
 ・・・・・・・
3041,自宅近くの再開発地区のSCの概要
 2009年08月02日(日)
 自宅から歩いて7〜8分のところの再開発地区に、25店舗のオープンモールのショッピングセンターが出来る。
来年3月から徐々にオープンする予定で、その説明会が来週あると折込チラシにあった。長岡駅裏側から直線で
歩いて15分で、・・・・ (字数の関係でカット、2008年8月2日) 
・・・・・・・・・
2676, ルソーの思想
 2008年08月02日(土)
学生時代に戻った気分でルソーについて、考えてみる
 まずは
ーフリー百科事典『ウィキペディア』からー
フランスにおいては早くからボダンなどにより君主に主権(政治についての決定権)が存するとの思想が
表明されていた。この君主主権の観念はフランスなどを中心に当時の絶対王制を支える強力な根拠となっていたが、
ルソーはこの観念を転用し、人民にこそ主権が存すると言う人民主権の観念を打ち立てた。
一定以上の財産を有するなどの特別の資格を持つ国民ではなく、その国の国籍を有するもの全てを意味する
人民にこそ主権があると宣言したことは、その後の普通選挙制の確立や民主主義の進展に大きく貢献した。
一方、ルソーらのフランス啓蒙思想に触発されて始まったフランス革命で、自由や法の支配は全く無視され、
反革命派と名指しされた者への言われなき迫害、虐殺、裁判なしでの処刑などといった恐怖政治が行われた。
 〜〜
こんなところだが、ルソーは、「社会の人々に(殺せる権利)と(殺されない権利)の両方を認めるとする。
そうすると、お前の(殺せる権利)と隣人の(殺されない権利)は両立しない。お前は(殺せる権利)と
(殺されない権利)のどちらが欲しい?と言われたら(殺されない権利)だろう。だから、社会の皆はお互いを
(殺せる権利)を返上し、(殺されない権利)を優先して『社会契約』を自然に結んでるんだ。
  (字数の関係でカット、2008年8月2日) 
・・・・
2007年08月02日(木)
2312, 政治家の家族とは・・ −1
       *ヾ(´∀`o)+。才ノヽ…YΘ!!
 あの双子の銀座ママの妹の‘ますいさくら’が、ある雑誌に寄稿していた文章である。図書館で借りた
「銀座ママが教える『できる男』『できない男』の見分け方」を読んでいた。 それによると、彼女は
シングルマザーで、そのことで子供が虐めにあわないようにアメリカに留学させていることと、銀座で合理的
システムで値段を思い切って格安にしたことも。「ああ、例のママが書いているのか」と気楽に読み始めたら、
内容は「政治家の家族の火宅の実情」である。政治家の火宅の例としては山村新二郎がいる。
よど号ハイジャック事件で 人質交換で、よど号に乗りこんだ政治家だが、最後は自分の娘に殺された。
その家庭を彷彿させる内容である。政治家は「井戸塀」(政治家は最後は井戸と塀しか残らない)
といわれるほど、家(庭)を犠牲にしないと成り立たない世界である。
(字数の関係でカット、2011年8月2日)  
 ・・・・・・・・・
2006年08月02日(水)
 1947, ローマから日本が見えるー18  (≧∇≦)オハヨウ~ゴザイマス! ー読書日記ー
第八章 「パクス・ロマーナ」への道 −1
  ーローマ史最大の名優オクタヴィアヌス登場
 (字数の関係でカット、2008年8月2日)   


4887,閑話小題 〜ベトナムのシシャモ

2014年08月01日(金)

   * 先日、あわや買おうとしたシシャモが・・
 近くのSC内のドラッグストア「アオキ」で、美味そうなシシャモのパッケージ、一度はカゴに
入れたが、色が青白く光っているのが気になり、元に戻した。ところが、その翌日のニュースで、
「山口県内の業者がベトナムから輸入した冷凍シシャモで、 殺そ剤と人のふん便とみられる
異物が混入」。 あわやである。 以前も、冷凍の中国産唐揚を買ったが、まだ食べてない段階で
ニュースで知り、事なきをえた。家内は絶対に中国産を買わないが、私は、あまり気にしない。
中国・上海市の会社による期限切れ食肉使用問題が国内にも衝撃を与える中、
今度はベトナムの食品をめぐる新たな問題が発覚。それにしても恐ろしい!
   * 佐世保の女子高生殺人事件
 これは異常性格者の犯罪で、一般的常識では語れない事件。「子猫を解剖し、今度は
人間を解剖したくなり、準備をした上で、親友を誘い、首を絞め殺し、首と手首を切断。下腹部を
切り開いた」と・・ その後のニュースで
《 医師が6月10日、県の「佐世保こども・女性・障害者支援センター」の窓口に電話。 
少女が小学生の頃に給食に異物を混入させたことや、父親を殴打してけがをさせたことを挙げ
「人を殺しかねない」など相談。窓口側は医師に対応を助言した。医師は少女が高校1年女子で
あることは伝えたが、名前は伏せた。相談内容について窓口側は当時、県警に連絡をして
いなかった(2014/07/31)》とある。
 家庭環境の激変の中で、元もとあった異常性が表立ったのだろうが、猟奇・ホラー映画、
顔負けである。ネットや映画で、無制限に猟奇殺人などが無制限に流されている結果だろうが。
   * 新発田の女性遺体 ー31歳男、複数の殺人に関与の疑い
 以前、全国版ニュースで流れた地裁から必死に逃げる若い男の姿が脳裏に残っているが、
その男が新発田の若い女性の殺害犯人で、他の殺人事件にも関与している可能性がある、という。 
  ーまず、そのニュースから
≪ 6月、新潟地裁から一時逃走した男。新潟県内で女性を殺害した疑いなどで、7月31日、
 逮捕された。 さらに、この男には、ほかの複数の殺人事件にも関与した疑いが浮上している。
6月27日、新潟地方裁判所から逃走を図った喜納尚吾容疑者(31)の姿をとらえた映像には、
全力で逃げる喜納容疑者と、後を追いかける警察官の姿があった。強姦など3つの事件で、
逮捕・起訴されている。31日、殺人事件にも関与していたとして逮捕された。喜納容疑者は、
自分が所有する乗用車で、徳永 希さん(当時22)を自宅と友人宅の間で連れ去り、当日か
その翌日、殺害した疑いが持たれている。2014年4月、新潟・新発田市のやぶの中から、
その遺体で発見された事件。徳永さんは2013年11月、「友達の家に行く」と言って家を出たあと、
行方不明となり、2014年4月、自宅から5km離れたやぶの中から、白骨化した遺体となって
発見された。喜納容疑者は「身に覚えがない」と、容疑を否認。警察は、喜納容疑者が複数の
殺人事件に関与したとみている。市内では、若い女性が次々と不審死を遂げている。
2013年9月には、住宅街で乗用車4台が燃え、車内から20代の女性の遺体が発見され、
さらに、徳永さんの遺体が発見された同じ4月に、20代の女性が遺体で発見されている。≫
▼ ところで、2009年11月に新潟駅南で乗せた若い男の客にタクシー運転手が金を奪われた上に
殺害された事件。駅の監視カメラに映っていた姿が似ているような? 
若くて、キャシャの風体だけで、いうのは何だが・・ 
ーーーー
4520, がんで死なない生き方 ー1
2013年08月01日(木)
                     「専門医が教える がんで死なない生き方」中川恵一著
 ーどうせ死ぬなら「がん」がいいー の内容に対し、正当派の医師の見方も必要と図書館で見つけたのが、
この本。誰もがんで早死にはしたくはない。少し注意した生活を数十年も続ければ大きく変わってくる。
特にタバコと飲酒の習慣。二人に一人がなる病なら、特に若いうちは定期検査と早期発見で治すしかない。
   ーアマゾンの内容よりー
《「日本人が目をそむけてきた"究極の病"。本書を読めば心構えと希望が持てる」 2人に1人がかかる時代、
予習と対策ができる人生のテキスト。がんはもはや他人事ではない国民病。東大病院の中川先生が、"がんは遺伝"
"がん家系"といった誤解を解き、予防法から治療、お金の問題まで徹底解説。 一方、専門医自身はどんな生活を
送っているのか、予防のために何か特別なことをしているのか、一般の私たちが気になる疑問に中川先生が答え。
また同僚の医師たちにもインタビュー。コラムでは、原発事故以降の放射線に対処するための知識をQ&A式で掲載 》
 ー概要の部分を抜粋するとー
≪ 肺がんや大腸がんにおいては、野菜や果物の摂取によって発症リスクが低くなるという証拠はない。
2人に1人がんになり,3人に1人ががんで亡くなっています。誰だって、がんになりたくないし、がんで死にたくは
ありません。がんで死なないため一番‘確実な方法’はがんにらないことです。しかし、どんな聖人君子でもがんに
なり得るのです。おおざっぱに言えば、がんの3分のーがタバコ、3分のーがお酒や食事や運動といった
「タバコ以の生活習慣」です。そして、残りの3分の1は「運」と言ってよいでしょう。どんなに理想的な生活を
送りても、がんを完全に防ぐことはできません。ですから、がんを防ぐ生活習慣を心がけるとともに、‘運悪く’
がんになっても、早期に発見して完治させる必要があります。この生活習慣《一次予防》十早期発見《二次予防》
の2段構えが、がんで命を落とさないための特効薬なのです。実際、がん全体の「5年生存率」(医学的には、
治療によって、がんが消失して5年経過後に再発がない場合を「治癒」とみなす)は5割を超えていますので、
がん「不死の病」ではありませんし、早期がんで発見されれば、ほとんどの臓器のがんで治癒は9割以上になる。
早期に見つけられれば、がんは怖くありません。 早期がんを発見するには、定期的な検診が不可欠です。
早期がんでは目立った症状が出ないからです。そして、症状が表れると、進行・末期がんの場合が多く手遅れです。≫
▼ 父や義兄、そして高校の同級生のガン死をみて、早期発見していたら、どうだったか?と考えると、どうだろう?
 あまりかわらなかったのでは? 悪性なら早期でも助からなかったのでは? しかし生活習慣病なら、注意すると
 しないとでは大きく変わる。しかし50歳を過ぎれば、検査をして見つけても、逝くのは少し早いか遅いかだろう。
  今だ男の喫煙率が4割。これほど危険なものはない。法的に麻薬並みに禁止すべき数値。これに酒とストレスを
 加えると、男の場合、半分以上は複合効果でやられている。「酒飲んで、タバコを吸って バカ騒ぎ」娑婆娑婆!
・・・・・・
2012-08-01
閑話小題 ーベッドから転げ落ちる 編集
   * これも老いの現象か?
 二日前の夜半に初めてベッドからモンドリ落ちた。床がピータイルで硬いこともあり、右手と右頭が同時に床に
直撃をした。瞬間、腕が折れてしまったと勘違いするほどで、怖々と触ってみたが折れてなかったが、痛いこと、
この上ない。腕が一瞬早かったので頭には瘤は出来てなかった。直ぐに氷で冷やしたが、何とか最小の事態で済んだ。
翌日には何とかスポーツジムの定番コースをこなしてきたが、腕の痛さは残っていた。ひと月前にも居間で滑って、
やはり右手と右頭を打撲して、その腫れが落ち着いてきた矢先である。最近、シネマやTV映画の刑事モノの映画を
連続してみているが、リアルな恐ろしい夢をみて、逃げようとしてベッドから滑り落ちたのである。
   * オリンピックが始まったが
 ロンドン・オリンピックが始まった。以前は、それほど関心が無かったが、今では時間があるため楽しむ余裕がある。
見る方も、選手も、以前ほど結果に対し大げさなリアクションが無くなった。オリンピックもアナザーワンでしか
なくなった、ということか。この大不況下に関心が半減していることは間違いない。もう一つは、金メダル獲得
という物語に、人々はさほど価値を見出さなくなっている。 情報社会の効用ということか。「ヒーロー? 
それがどうした、それより私の夢の実現の方が、よほど良いに決まっている」と、各々がミニ物語の完成を求める
「個人主義」が行き渡ってきている。それが良いのか悪いのか? 競技の審判に対する抗議に、ビデオを取り入れる
制度が出来た。これに対して物議があるが、私は素晴らしい決断だと思っている。世界中の目がテレビを通して
審判のミスを繰り返し見せつけられ、後味が悪い思いがしている現在、思い切った英断である。
 大相撲も、際どい勝負の結果にはビデオ室の結果を確認する。オリンピックという世界一を決める勝負に、
ビデオ確認は当然である。審判の依怙贔屓や、経験不足による好い加減の判定があまりに多く、それを映像が
リアルに世界中に発信してしまう情報化が根底にある。プロ野球も、ビデオ判定を取り入れ始めてきた。
・・・・・・・
2011-08-01 
閑話小題
  * 3Dシネマの凄み
 「アバター」でシネマの3D映像の体験をして、その迫力に想像を絶する思いだったが、ここで、
「ハリー・ポッター」と「トランスフォーマー」をみて、更に進化した映像の異世界に入りこんでしまった。 
ストーリーより、その異世界の世界を楽しもうと期待していたが、次から次への息をつかせない立体空間の
ド迫力の世界に、我ながら驚いてしまった。供騙しのようなロボットのような姿の宇宙からの飛来者が繰り
広げる勧善懲悪的闘いが圧巻。 巨大なロボット風の無機質の風体が、人間の想像を遥かにこえた映像に抵抗感を
少なくするように計算してある。 要は、デジタルを使い、私たちが経験したことがない世界を3Dで引き込んで
くれるのである。薬や音楽で脳を麻痺をさせ、普段味わえないサイケの世界にトリップさせるのと似ている。 
それはそれで、その世界を垣間見るのも悪くはない。 天才という人種は、トリップしたあちら側の視線で、
芸術作品を通して表現した人をいうのである。それと3Dのシネマと結びつけるのに、少し無理は無くはないが、
実際のところ、当たらずとも遠からじである。せっかく、平均滞在80年の娑婆への宇宙旅行を与えられた人として、
やはり、既成概念内の現象だけを見て、宇宙の彼方に帰還するには勿体ない。これもデジタル化のなせる技。
実際にTVもデジタル化と大型化で変わってきた。数年前までは、面白そうなTV番組は週に数本しかなかったが、
現在では一日に数本はある。その上に録画が数百本はブルーレイデスクに入っている。なるほどTVは人をバカにする。
  * ここの円高は厳しい
 あれよあれよと円高が進んでいる。リーマンショックの津波の一波だろうが、東北大震災に、
この円高は日本経済にとって大打撃。アメリカが国債の発行限度の引き上げで議会が対立が起因だが、万一、
アメリカが国債のデフォルトを宣言でもしたら、世界経済は大混乱に陥ること必定。その中で、特に日本は
アメリカの国債を大量に持たされているため国家破綻になる可能性がある。
・・・・・・・
3415, 売国者たちの末路
2010年08月01日(日)
 「売国者たちの末路 」副島 隆彦 , 植草 一秀 (著)
   ーまずは、アマゾン・内容紹介ー
 リーマン・ショックを的中させた副島隆彦と植草一秀の対面が実現。国民を不幸にする国家権力に対し
「共闘宣言」を叩きつける。植草は1990年代、日本を代表するエコノミストとして華々しく活躍していた。
しかし2001年4月の小泉純一郎政権誕生後、その経済政策(すなわち竹中平蔵氏主導の『構造改革』路線)に
異を唱えつづけたところ2度にわたって「痴漢事件」の犯人となり、公的な職を失った。 2004年の事件は
罰金刑が確定したが、2006年の事件は最高裁で係争中である。現在はブログで政治・経済分析を中心とする言論を発信。 
副島は早くから「植草氏は冤罪。売国者・小泉=竹中政治の謀略に嵌められた」と指摘。 同時に植草氏の言論活動を
高く評価してきた。 両氏が相見える本書では、小泉=竹中政策の糾弾はもとより、民主党・小沢代表への国策捜査、
「かんぽの宿」問題に象徴される郵政民営化の闇、世界金融危機の行方まで、新聞やテレビでは触れることのできない
「真実の言論」を展開する。
▼ このところ読み続けている林秀彦氏の著書の叫びと相通じるところが多い。官僚、政治家、マスコミがアメリカの
隠れたコントロールに入っており、それに歯向かう者たちを謀略に嵌めてしまう。アメリカの新自由主義の誤りを
今さらではないが、それに踊った小泉、竹中は万死に値することは事実。私も数年前に、やっと気づいたのだから遅い。
しかし大手銀行の財務内容が改善されたことも事実。 冷戦では西側として、アメリカの傘の中で共産主義から
国を守らなければならなかったが、それが終わった現在では、その構造が変わるのが当然のはず。
それを自民と官僚が売国的行為を続けてきた結果と二人は主張。 植草は【一般国民の大多数は、観念的に
「警察、検察、裁判所は中立公正であって、正義の味方」という考え方しか持ってなかった。しかし一部の人たちから
「いや、そうではない」という考え方が広がってきた。】という。 高橋洋一の万引き事件は、明らかに検察官僚の
捏造事件と疑ってきたが、植草の痴漢事件も冷静に考えると、やはり冤罪と見ると、辻褄があう。一度、解体的混乱を
通ってしか日本は改革できないのか。 頭と尻尾をみると、つくづく絶望的になる!
・・・・・・・・・
3040,卒業40年周年か〜 −4
2009年08月01日(土)
 昨日届いた、この手紙を本人の了解無しに公開すべきかどうか一日かけて考えた上で判断をした。
私の40年ぶりの問いかけに充分に答えてくれた手紙で、自分の人生を心を込めたダイジェストとして書かれた
手紙を貰うのは初めて。私一人の心におくより、ここに記しておく方が良いだろうと勝手に判断させて貰った。
‘学生時代の卒業間近に真剣に対話した延長線上’の手紙上の対話だから魂が入ったのだろう。それとキャリアの
転勤生活で鍛えられた人生の極みの経験の積重ねがある。学生時代の友人との対話というより、高潔な精神と魂の
対話をさせて貰ったような気持ちである。私にとって一期一会の対話になった。 
それだけ良い学生時代を過ごしてきた証明にもなる。  
  ーー
 * 奥野君からの手紙
お懐かしい堀井さんのお便りを頂戴し学生時代の記憶が一気に甦りました、本当にお久しぶりでございます。
合気道の道場、同志社や学習院への合同稽古、合宿打上げ時の泥酔・不味い学食・ご自宅に泊めていただいての
佐渡旅行等々、四十年前の皆さんのお顔と行状のあれこれが懐かしく浮かんで来ました。
 堀井さんは当時から将来は事業家の道を目指して行くのだろうなと私なりに思っていました。
どうして?と問われれば・同僚に比べて社会経済の出来事への関心が強かったとお答えします。
その方向に真直ぐに進まれたのですね。しかも大成功されて本当にすばらしいですね。
プログも拝見させていただき堀井さんの人生の一端を垣間見ました。暖かな生活が伝わってきました。
 その後の小生ですが資生堂に入社し最初の赴任地名古屋をスダートし所沢、福岡、東京、札幌、仙台、
名古屋、広島、東京、仙台と転勤族の暮らしを送り、56歳時に早期退職をして現在地に居を構えました。
最終の役職は支店の責任者でした。50歳台に入ると親しかった先輩、同僚、後輩等が次々と鬼籍に入られるように
なりその方々の浬繋のお顔を拝む都度、 一度の人生を思うように生きられましたか、満足されていますか 
という思考が強くなってきました。仕事は化粧品の製造、販売業務なので二十歳前後の若い女性が多く気持は若く、
楽しく送れた自負しています、が人生の残り時間があとわずかになってきたと感じ始めると、時が無性に愛おしく
なり、100%の自分の自由時間をはやく手に入れ、日ごろより感じていた、生物として本来の姿、自然の中で自然と
共に暮らそうと決めた次第です。 日常生活は太平洋の日の出をワンちゃんと一緒に拝み作った野菜を食し
蔵王連峰に沈む夕陽に1日の健康を感謝する毎日です。趣味は海釣りとゴルフです。自宅のすぐ目の前が海です。
阿武隈川の下流域にて魚影が濃く、黒鯛、サヨリ、ヒラメ、カレイ、海タナゴ、アイナメ、スズキ、ハゼ、
イシモチ、アナゴ等々を釣ってきては命をいただく感謝をしながら食しています。季節とともに変わり行く
波と風と海水の濃淡をみて釣り時をきめます。時の刻みが止まっているように思える一時です。
ゴルフはシーズン30-40回といったところ。自己目標が年1回以上30台のスコアーをだすということでやってます。
ちなみに今季は5月に38が出て満足しています。家族状況ですが29歳の時妻を娶り子供は息子が一人です。 
妻は若かりし時準ミス瀬戸で容姿はそれなりだったのですが 6年前に○○○○を発症し・・・。
最新治療を受診しているのですが○○疾患の為大変厄介な病気です。 現在私のサポートが少々必要な状態です。
 そんな事情で立教会や同窓会といった宿泊のともなう集いは参加を断念しています。息子は堀井さんの八と
同じように名を新八といいます。丸の内の○○生命国際投資部で海外債権の売買業務に携わっています。
平均睡眠時間は4・5時間との事。親より出来がよかったのはカミサンの弟が岐阜大の教授をやっているので
そのようなDNAをすこしばかりひきついでくれたのかなとおもってしまう親馬鹿です。ざっとした近況ですが
一献傾けながら積もる話をしたいと思いつつ先の事情でそれもかなわず拙文とあいなりました。
状況が好転したらぜひお会いしたいですね。  堀井さんとご家族のご健康をお祈りいたします。
              7月28日       奥野和男
・・・・・・
* 奥野君への手紙        
                                2009年07月22日 
                   (今日、本人の手元に届く)
 学卒40周年記念に参加をしてクラスの名簿に貴君の名前をみて懐かしく、手紙を書いています。 
  《字数制限のためカット、 2010年8月1日》
・・・・・・・
2675, 東西が逆転を始めた! だと
2008年08月01日(金)
 《字数制限のためカット、 2010年8月1日》
・・・・・・・
2007年08月01日(水)
2311, カント ー世界の限界は経験可能か?−1  (*´・ω・)ノはよー  
        『カントー世界の限界を経験することは可能かー」熊野純彦著  ー読書日記ー

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