堀井On-Line



4855,閑話小題 ー完全自動運転の車が

2014年06月30日(月)

   * ロボットカーが現実に?
 最近、グーグルとか日産が、ロボットカーの公開を始めた。それも、2020年までに販売?とか。 
初めてニュースで見たときには、思わず目を疑った。SFの世界でも、自動運転車など聞いたことが
なかったが、今では、実際に試作車が走り始め、販売時期まで明示している。 
ネット辞書には、『ロボットカーとは、人間の運転なしで自動で走行できる自動車。日本語では
「自動運転車」』とある。それが現実に現れ出るとは・・ ウェアラブル・パソコンや、ロボット掃除機に
しても、一時代前には考えられなかった商品が次々と、現れ出てきている。
デジタルによるユビキタスの限りない進化のため。 面白い時代である。
   * つれづれに ースズメとエールの交換
 夕方、庭で一匹のスズメがピイピイと呼びかけてくる。これまで、ベランダからのペットのインコが
呼びかけに、口笛で答えていたが、今度は庭のスズメの呼びかけに、口笛で答えている。実際は
インコに興味があるようだが。エール交換も20分経った後、ドアを開けると、一直線で飛んできて、
2Mのところで、慌ててトンボ返り。可愛いものである。で、連日、同じ時間帯に鳴きかけてきている。
 よく観察すると、他の仲間もいるようだ。インコが、家人を求めて鳴いているのがスズメを引き
寄せるようだ。御隠居は御隠居で、日々、面白い発見がある。
   * 考えてみたら、今年も折り返し、ですか!
 明日から、7月。今日で、今年も半分、過ぎてしまった。
例年、前半は比較的、落ち着いているが、後半に、大きな事件が起きている。今年は、現在、
行われているワールドカップが、メインで、それが今年の境目。再び、アルゼンチンの債務不履行が、
出てきている。これまで、ロシアのクリミア半島の奪取が起きている。韓国も、多くの民度レベルが
問題として表立ってきている。北朝鮮や、経済等の問題から、あの大統領では、ますます、脆弱に
なっていく。ある意味で、近未来の日本の姿である。 問題は、中国を筆頭にした後進国と、
欧米の経済問題。それに加え、日本の6年後の東京オリンピック開催の決定が、後で禍根を
大きく残すはず。大震災クラスの経済のクラッシュが、いつ何時、起きても不思議でない綱渡りの
日々が続くことになる。『前半は、経済クラッシュが無かった』が、隠れ大ニュースかもしれない。 
私は、とにかくも、半年、無事!
・・・・・
2013年06月30日(日
4488, 閑話小題 ー今年も、はや半年
   * 今年も、はや半年
 今年も半分が過ぎてしまった。経済は円安、株高で少し微風が吹いているが何時、
破裂するのか予断が許せない。先日、読書日記の『静かなる大恐慌』で、既に世界は恐慌に
入っているというが、現在の日本には、その認識が少ない。表面は静かだが、水面下は一日
一日と深刻化している。何時、何処で、歴史的大事件が勃発するのか。これは発生するまで、
誰も知るすべがないが、間違いなく起こるのは確か。 株式の暴落は大方が9月か10月に起こるが、
年例行事にように、何とか翌年に引き伸ばしているのが現状。「数年来、恐慌だ、戦争だ、と
騒ぎだてているが、何にもないじゃないか?」というかもしれないが、表て立った時には、
国家非常事態。 とはいえ、膨大は不良債権も、国家間の決め事なら、静かに沈殿させて先延ばし
をしておけば、それはそれで罷り通る。個人的には、これだけ平穏で落ち着けたのは希。
早朝から就寝するまで、ほぼ同じ日程を繰り返している。
   * 今年に入ってシネマ、28回
 リタイアから三年目に入って気が緩み始める現在が、ストレスからくるウツ症が来そうな時期。 
刺激的?人生を過ごしてきたので、反動は大きいはず。 何とか早朝から、ネットや、ポタリング、
読書に、スポーツジムにと、スケジュールを組み何とか落ち込みを防いでいる。現在はストレスの無い
のが一番のストレス状態? 週に一度の映画鑑賞は、費用対効果という面でも非常に効果がある。
これまでシネマにいった回数を数えてみたが、26週で28回。 行かなかった週が二回。
週二回が4回もある。これまで一度も70点以下が無いのが良い。私の評価として、邦画の
平均80点に対し、ハリウッドは90点。デジタル技術の大画面の迫力は圧倒的である。
邦画の見劣りはあるが、3〜4回に一度位が丁度良いバランスである。卓上型手帳の週単位の
ページに入場券を貼り付けているが、内容は殆んど憶えてない。これだけはネットの評価そのまま。
もちろん、それを確認していく。家のTVで、シアターで、「デジタルが創り出した仮想空間の世界に
浸かる日々」になる。
・・・・・・
2012年6月30日(土)
4114、財政恐慌
        「 財政恐慌 ーついに金融と財政の死に至る無限ループに突入した 」浜矩子 (著)
  昨日、たまたま図書館で見つけた本だが、丁度良いタイミングに知りたい内容が書いてあった。
 「これまでは序曲に過ぎない。2012年からが財政恐慌本番の年である!」と、欧州の金融恐慌の
最後の死に至る無限ループが手に取るように分かりやすく書いてある。「本来の経済の火消し役で
あるべき財政政策、金融政策がなぜ現在の金融危機につながってしまっているのか?」 
金融危機をお金を刷ってばらまくことで解決しようとする(漏洩金融)財政政策により、グローバル
経済における金融と財政の死に至る無限のループを以下の述べている。
≪グローバル経済において、ヒト・モノ・カネは容易に国境を超え、その飛躍と拡散が行く先々で
様々な問題を引き起こす。 ところがそれら諸問題の火消し役を果たすべき国々の財政は、国境を
越えられない。このミスマッチが国々の財政政策にかつてない負担をかけ、金融政策をかつてなく
無力化する。そして、重みに耐えられなくなった時、起こってはいけない 財政恐慌が発生する。≫
≪ リーマン・ショックそのものは金融恐慌だった。国境を越えて暴走がもたらした恐慌である。
かってなく巨大で、迅速で、複雑で、公域に広がりをもつカネが、金融の大河に溢れて超弩級の
洪水を引き起した。それがリーマン・シックに他ならなかった。この空前のスケールのグローバル
恐慌に、国境を越えられない国々の財政が立ち向かったのである。
 勝敗は目に見えていた。しかも、国境を越えて大きな過ちを犯した。彼らは、なにはともあれ、
経済活動をリーマン ・ショックによる落ち込み前の段階に押し戻そうと躍起になった。そのために、
空前の財政大盤振る舞いに乗り出した。 あの時、アメリカの財務長官だったポールソンが何と
言ったかをご記憶だろう。金融恐慌をせき止めるために、彼は「バズーカ砲を用意した」と。
借しげもな火薬をつぎ込んで、銀行の不良権を買い取る。傷ついた金融機関は、どんどん重荷を
軽くしてあげる。負担は連邦政府が全部肩代わりしてやろう。迫力はあったが、そのおかげで
 金融機関の痛みが財政の痛みに転化することとなった。他の諸国においても、同じことが起こった。
その道に踏み込むとする国々もあったが、結局は、金融の痛みを財政が肩代わりする流れに
誰もが巻き込まれていってしまった。
 そもそも、リーマン・ショック発生前夜において、国々の経済は明らかに危険すぎる経済的な
高みに上りつめすぎていた。 だからこそ金融恐慌という名の大洪水力発生した。それなのに、
リーマン・ショック後における国々の財政は、あの高すぎ危険な山の上に、経済活動の水準を
押し上げようと必死になった。≫
▼「日本は既に輸出主導、円高対応、成長戦略を目論む局面から、成熟戦略へ入っているのでは
ないだろうか」と、今後の日本の進む方向の転換の必要性を説いている。今だ「成長なくして生存なし」
という言葉が支配しているが、無理な道理を通そうとするため、財政出動の繰り返しになる。
結果として金融恐慌の原因を作り、そして世界恐慌へ 向かっている。その限界が年内、
2012年問題である。
  ・・・・・・
2011年06月30日(木)
3748, ジャズについて(�) ー「ジャズ完全入門!」�  −18
                      ー 「ジャズ完全入門!」 後藤雅洋著 ー �
【  聴き手のほうから音楽に寄り添わなければわからない、という理由は、もう一つある。それは、ジャズが異文化に
属しているという事実である。いまとなってはポピュラーミュージック、ロック、それにクラシック音楽も含めて、我々を
取り囲む音楽環境はほとんどすべてと言ってよいほどに外来種のものとなってしまったので、ことさらジャズの異文化性を
取り上げても、ピンとこないかもしれない。しかしアメリカの黒人音楽として誕生したジャズは、その文化的な背景が
我々とはかなり違っているので、私たちの素地のままの感性で判断しても、その狙いがわかりにくいということがあるのだ。
たとえばカウント・ベイシーのバンドなどは、よく演奏のエンディングを一度終わったように思わせておき、また繰り返す
というような芸を見せるが、その回数はお茶漬文化の僕らの感覚から言ったら、少々「くどい」と思わせるほどなのだが、
これは黒人音楽の特徴の一つなのである。...  (以下、字数の関係上カット12年6月30日)
・・・・・・・                           
2010年06月30日(水)
3383, 「だまし」の心理学 ー1
 二ヶ月前にも、この著者・安斎 育郎 (著)の「不思議現象の正体を見破る」を、ここで書いたことがある。
その中で「だまし」に絞って書いた書である。重なっている部分が多いが、これはこれで面白い事例が次々と出てくる。
固定観念を巧く利用した手法は、なるほどと感心するが、騙していることすら、意識をしないツワモノに出くわしてきた。
倒産で資金繰りのため、我を忘れて身近なものから借金のために「だまし」を仕掛け、その結果、詐欺師のウワテをいく手法で
親戚・友人を騙していくのを身近で見たことがある。浅ましいというか、見事というか、身が凍るようだった。
 ―超能力や心霊現象に、人はなぜ騙されるのかー  「だまし」の心理学ー 安斎 育郎 (著)
  =まずは、アマゾンの内容の紹介より=
≪ 世の中には、さまざまな「だまし」があふれています。 最近問題になった、マンション強度偽装、食品の消費期限偽装、
 振り込め詐欺、盗作、必修科目履修漏れ、テレビ番組の捏造などなど、どれも広い意味での「だまし」です。
また、推理小説や手品、トリックアートなど、人を楽しませるエンタテインメントとしての、罪のない「だまし」というものも
存在します。本書では、古今東西、さまざまな事例をとりあげながら、人はなぜだまそうとするのか、なぜだまされてしまうのか
という疑問を、図説を使いながら解明していきます。 自称霊媒師による詐欺行為や、UFOやネッシーのニセ写真などの
トリックを暴きつつ、霊やたたり、超能力は存在するのかを科学的に分析。また、なぜ人々はスピリチュアルなものに
惹かれ、カルト宗教に心を奪われるのか、心理的、社会的な面からもアプローチします。≫ 
  ー その幾つかを紹介してみる ー
* かって虹の観察で、どこでどんな地震が起こるかがわかると自称していた人がいた。その人M氏は、虹の色の濃さや持続時間に
 基づいて地震の予知をしていた。 その予知はハガキで知らされていた。たとえば、8月2日の午前2時に某地方で震度4の地震が
 あったとする。近所の人が8月2日に郵便受けを見ると、二日前の消印の付いたハガキがあり、差出人がM氏になっている。
 その文面には「8月2日の午前2時に某地で地震が起きる」と書いてある。それで、予知が本当と信じ込んでしまう。 
 ところが、これが騙しだった。M氏は自分宛によく「文面や宛名などをエンピツで書いたハガキ」を出していた。このハガキこそが、
 虹による地震予知のトリックだった。 これをどこかで、地震が起こると、自分宛に送られたハガキに書かれたエンピツの文面を
 消しゴムで消して、近所の人の名前と、地震の起こった日時と、場所を書き込んでいた。そのハガキを、自分で入れにいっただけ。
 知らない近所の人は驚くわけである。稚拙なトリックだが、騙すに充分である。
 ・・・・・・・・
 2009年06月30日(火)
  3008,今年も半分が過ぎた
・新インフルエンザが発生し、パンデミックになったが、弱毒性のためかまだ落ち着いている。問題は第二波のくる秋口。 
・去年の9月15日に起きた金融危機の直撃の影響が身辺にも影響を始めてきた。アメリカのGMとクライスラーが倒産。
 シティなどのアメリカの金融機関が実質国家管理になった。
・1月末にオバマが正式に大統領に就任、その政策転換が具体的に見え出してきた。 
・北朝鮮で、原爆の実験が行われたが国内的に不穏な動きが出てきているようだ。 
 毎年の傾向だが、今年も大きな事件は後半に先送りになった。
 去年が、世界的な金融恐慌発生がキーワードなら、今年は新インフルエンザのパンデミック。
要は秋口からの二波で猛毒になるかどうかだが、後進国で猛威をふるった時の医療体制の不備が最大の問題。
この新インフルエンザが、世界的に数百万、数千万の死者が出るパンデミックの初期とみるかどうか。
さらにアメリカ発の金融恐慌を、世界恐慌の初期段階と見るかどうか。 この辺の見極めがポイント。
 歴史的から見ると、悲観的にみる方が正しいようだ。去年の9・15が起きた時に、アメリカの恐慌を専門に
研究している経済学者が、「今回の恐慌は、20世紀前半の恐慌とは比べようもないほど規模が大きく、かつ質も悪質である」
とコメントしていたのが印象的であった。 それが雰囲気として、底をついたような楽観的な空気が一部あるが?
まだまだ初期の初期段階でしかない。明日からの後半は、更に大荒れの歴史的日々が待っている。 近くに自民党が衆院選挙で
解党的な敗北が決定的。民主党が政権を取った後に、本格的な政界の再編成があり、その過程で終戦後の60年の膿が出てくる。
そして、気づいた時には日本は、更に経済的にも、政治的にも大きく縮小している。
 (以下、字数の関係上カット12年6月30日) 
 ・・・・・・・・・
2644, 「無法バブルマネー終わりの始まり」 ー2
2008年06月30日(月)
 まず第一章の中の小項目
 ーゴーストタウン化が始まった!ー P/56を、そのままコピーしてみる。
≪ いま、金融機関ばサププライムローンによる融資どころか、プライムローン(なんの延滞もない健全顧客向けのローン)
にまで融資をストップしている。 年収五〇〇〇万円を超えるリッチな顧客向けのジャンボローンですら、新規融資は止まったまま。
   (以下、字数の関係上カット10年6月30日)
・・・・・・・・・
2007年06月30日(土)
2279, 今年の半年の総括 (2)            ☆^(*・ω・)ノ~~~オハヨウ!
 もう半年が過ぎてしまった。比較的、穏やかな前半といってよい。それでも振り返ってみると色いろなことがあった。
*プライベートでは
 ・次男がめでたく結婚(3月3日)    ・実家にあたる兄の会社が倒産(5月15)
 ・両親を含めて最後の叔母堀内リツさんと、母の従兄弟の元市長の内山由蔵さんが死去(1月下旬)
 ・ゴールデンウィークに大學の友人の川崎整治さんを静岡に訪ねる  ・高校の同級生二人が癌で入院、手術
*会社では
 ・新潟駅立体工事が正式に着工  ・会社のホテル業の底打ちと、右上がりが始まった
*政治・経済・社会面では
 海外も国内も大きな変動はなく、比較的穏やかな半年であった。地方統一選挙も大きな波乱はなかった。
 社会面では、相変わらず陰惨な殺人事件が毎日のように続いている。
 経済面では、少し経済が持ち直しているようだが、あくまでも一時的なもの。大嵐の前の微風が吹いているに過ぎない。
*本で印象的だったのは
 カズオ・イシグロの 「日の名残り」  中村うさぎの 一連の本
 藤田東吾の 「耐震偽装」  佐藤優の 「獄中記」
 高橋敏夫 「人生のことは、小説が教えてくれた」
 野口悠紀雄 「日本経済は本当に復活したのか」あたりが印象に残っている。
*健康面では「半日人間ドック」で、全く問題なし。
 後半は、かなり政治も経済も含めて大荒れの予兆がしている。   ☆ァディオス☆(`・ω・´)ノ


4854,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー24

2014年06月29日(日)

   * 転進の決断と、次への構想
 そこで、新潟駅前の更地と、現在のアクロスプラザ近くの角地の更地を有効に生かすことが急務と
考えた。その角地は兄名義、新潟駅前は私名義。背に腹は変えられないと、考えに考えた結論が、
兄名義の更地を売却し、新潟駅前に、ビジネスホテルにした遊休資産の活用である。
その一角に当時の稼ぎ頭の学生服を入れる構想。結論からいうと、鉛筆ビルの衣料量販店の
建替えは、時代の要請ではなかったことに逸早く気づいていた。
 但し転用可能のビルでもある。兄は、当初に打ち上げたファッション衣料チェーン化に集中すべきと
主張!私と意見が分かれた。「もし、やりたいなら、出ていってやれ!」と。そこで思い出したのが、
ここに戻った時点で、「実兄との問題もあり、5年間が目安!」と公言していたこと。
「今が身の引き時!30歳代前半からみて、ここで決断をしないと、姉夫婦と同じトラブルを、
実兄とすることになる。同じエネルギーなら、新規事業に集中する方が遥かに有利」と、直感が
働いていた。あのままでは、間違いなく相打ちになった。  
 2〜3ヶ月に一度の名古屋、岐阜、大阪、岡山などの仕入れで、各地のビジネスホテルに
泊まっていた。その仕入れ後に、同行した同僚との現地の料理屋での一杯が楽しみになっていたが、
食事代は限られている。そこで、安いホテルを探し、その差額を加えるしかない。その出張が、
宿泊客のニーズを知る立場になっていた。 産地の岐阜駅周辺にも、客室主体のビジネスホテルが
あって、そこを定宿にしていた。立地は二等地だが、ユニットバスのある格安ホテルである。
さらに現在は無くなったが、倉敷に大学校庭をイメージした、レンガをモチーフにしたスケェア
ガーデンホテルがあった。そのイメージをレンガ外装に、客室主体にしたホテルと、学生服ショップを
併設させれば、間違いなく大当たりをする!と。で、何度か実兄と衝突をするうち、半年後を期限にと、
思い切った次の創業の決断をする。 あの兄に本当に、本店が? その後、20期、全て赤字で消滅。
他人事ではない! 激変の時代、利益を出すのは本当に大変である。 これを書き出していて
見えてくることは、私も、実力相当の結果に終わったこと。
それと、引き時のタイミングの見極めの難しさ、である。
・・・・・・
4487, 怒らないって本当は恐い! ー3
2013年06月29日(土)                 
   * 怒るとは哲学することである     『怒りの作法』小川仁志 著
 考えるきっかけのひとつに「感動すること」がある。ところが、ここで「怒るとは哲学をすること」と、いう。
突然、死に直面すると、「まだ遣り残したことが多い自分が何ゆえ死ななければならないのか?」という怒りが沸くという。
そして当然、「死とは何?」に行きつく。 怒りは対象を根こそぎ否定し、一歩踏み込むことになる。 ーその辺りからー
 ≪ 哲学の端緒としての疑う行為とは、「何かおかしい」という、現実に対する怒りなしには生じえないのです。
 その意味で、哲学はその出自においてすでに怒りと密接に絡みあった営みであるということができます。
哲学の父とされるソクラテスよりも、さらに前の時代の哲学者たちは皆、自然現象のメカニズムに疑いを投げかけ、
これは決して神の仕業などではなく、世の中を構成するもっと理屈の通った原因によるものにほかならないと考えた。
現代社会とは異なり、容赦ない自然の猛威に為すすべもない時代、彼らはさ苛立ったことでしょう。
 自然は何からできているのか、世界は何でできているのか、いったいこの世の本質とは何なのかと。
その精神を受け継ぎ、哲学は西洋社会で鍛え上げられてきたのです。世の中を説明するための原理として耐えうるように。
そしてデカルトを生み、カントを生み、へーゲルを生み、二ーチェを生み、今なお多くの哲学者たちが西洋社会で怒りを
露わにしています。それは現実に迎合したり、諦めを隠ぺいするために「真理」を妄信したりするような行為とは正反対の、
いわば現実に対する知的抗議ともいえる営みなのです。 怒りは言葉を生み出します。
怒ることを「黙ってはいられない」などと表現することがあるように、怒りは人に対して言葉を発するよう仕向けるのです。
それはまさに哲学の営みにとって不可欠の要素であるといえます。
 ・・・当たり前のことに怒る、わからないことに怒る、権力に怒る、従順なだけの民に怒る、自分自身の人生に怒る。
怒るとは、生きるうえでの情熱の尺度であり、それは悩み続ける人生を引き受ける営みにほかなりません。  
まさに怒るとは哲学することである。 ≫
▼ 問題解決には、粘り強い思考が要求される。単に感情をぶつけ合うのでなく、エネルギーを出し合って、ベストの
 道筋を考え出すのに怒りを利用すればよい。創業は、正に怒りの連続になる。目に見えないものを独り信じ、一つずつ
 積み上げていく。そこに計画通りにいかない苛立ちと不安と怒りが、自分の行為のエネルギーになる。また考える
 ヒントになる。哲学者の中島義道の著書の中で、彼が怒りっぽいことを具体的に書いていたが、この本を読んで、納得。
 この一連の出来事の中で、多くの怒りに直面してきた。その都度、目を背けないで、怒りの本質を凝視してきたが、
 成るほど、そこに経験者しか知りえない道理を見ることが出来た。手の裏を返してきた彼等。 ああ、そうだったのか!
 という気づき。それもあって、「怒るとは哲学することである」という言葉は、実体験で非常に理解できた。
 結局、人間は色いろな究極の場面で、品性が出てくるもの。それも、マイナーの方が表立って噴出してくる。
 年齢を重ねるほど、哲学(考えること)する必要性がある。何故、あの時、あの人は、あれだけ怒ったのだろう?
 何故、私は、あの時怒ったのだろう? あの時の感動で何が変わったのだろう? 感情の最たるものは怒りと感動?
・・・・・・・
4113, 世界は動き出したようだ!
2012年6月29日(金)
   * イスラエルのイラン攻撃の時期
 イスラエルのイラン核施設への攻撃が、現実味を帯びてきた。それに備えてイスラエルは与野党の大連立政権を樹立した。
時期は米・韓大統領選挙の前か、直後の辺りか。シリアの内戦は、その上空をイスラエルがイラン攻撃をするに丁度良い。
反政府軍への武器の供与は、イスラエルと西側がしているはず。 イランを援護するシリアに対し、西側寄りのトルコが攻撃する
機会を伺っている。イランは半年以内に原爆製造の最重要部分が完成する。それが攻撃の根拠。11月の米・韓大統領選挙は、
現政権にとって、最も有効にはたらく。それとギリシャ・スペイン発の世界恐慌発生が何故か重なる。 中国も日本も、
この時期に政権交代期である。 オリンピックが終わる八月半ばから政治も経済も世界情勢から目がはなせない。既に世界は
カオスの入っているが、これから具体的な世界恐慌、中東戦争というカタチが現れてくる。イランはペルシャ湾閉鎖で対抗すると、
アメリカとNATOの参戦に口実を与える。その結果、イランは大打撃を受けるが、キリスト教圏とイスラム教圏の文明の戦いでもある。 
これを機会に世界各国はハイパーインフレになる可能性があり、金融システムは大きく揺らぐ。世界の金融システム炎上である。
オーバ―かもしれないが、これが現実味を帯びてきた。6京円の不良債権は膿みを出さない限り消すことは出来ない。
それにはイランとシリアでの戦争が狙い目で、一石二鳥になる。ロシアも中国も、それが分かってシリアの現政権を後ろで支えようとする。
小沢も、野田首相も、自民党幹部も、そのことを熟知?しているはず。 日本もイスラエル同様に、戦争と恐慌に備えた連立政権樹立が
必要条件になる。民主主義も、目先の正義も、世界恐慌と、大規模のカオスの中では必要が無い。それを前提に世界は動き出したのである。
小沢の離党も、民主と自民党の妥協も、その大きな渦の中から見れば小さなこと。恐慌と戦争に、平時の常識は全て捨て去ることだ。 
これは仮説ではない。いや仮説として世界の動きを注意してみると、全てが当てはまる。 世界は本格的に動き出したのである。
 ー 以上は、あくまで私の独り言である! 半年後に、振り返ってみたら? それを考えると原発の全面廃棄など、とんでもない! 
  必要悪だが、この時世、再稼働すべきである。日本も世界も危機である。
・・・・・・・
3747, ジャズについて(�) ー「ジャズ完全入門!」�  −17 
2011年06月29日(水)
       ー 「ジャズ完全入門!」 後藤雅洋著 ー �
【 ジャスは「曲目ではなく演奏を聴く」と、もう一つ大切なポイント。それは「ジャズは、聴き手が音楽に寄り添わなければ楽しめない」
ということ。音楽を二通りに分けてみると、ポピュラーミュージックや歌謡曲のように、音楽のほうから「ね、聴いて聴いて」とばかり
優しく聴き手に寄り添ってきてくれるものと、クラシックやジャズのように、ある程度受け手の側が積極的に音楽を理解するよう努める
姿勢がないと、そのよさがわかりにくいものとがある。これは、聞いてもらってなんぼの商業音楽と、ちょっと嫌味なコトバだけど、
「芸術性」を持ってしまった音楽の違いであるといってもいいだろう。厳密に言えばジャズは大衆芸能から生まれたものなので、
その昔は「ゲイジュツ」というようなご大層なものではなかったのだが、ある時期から、やっているミュージシャンの思惑とは
関係なく(もちろん自覚していた人もいるけれども)、否応もなく芸術性を持ってしまったのだ。
 これは・国宝に指定された仏像のことなどを例にすると、わかりやすいだろう。 はるか昔、お寺の仏像は信仰の対象であり、
その作り手は自分が芸術家であるなんて思ってみなかったろう。しかし後世に、いつしか博物館に飾られるような美術的価値を
持ってしまうことがあるように、大衆芸能であったジャズが芸術性というややこしいものを背負ってしまったと考えていただきたい。
 そしてこの芸術性というようなものは、とうてい一口で説明できないけれど、少なくとも、世間に流通している商品のように
口当たりのよいものばかりでもなさそうだということは、ご理解いただけるだろう。有り体に言って、芸術とは、商業音楽のように
誰もが喜んで購入するような多数決の世界とは別の原理で出来ているものだし、結果としてTVのワイドショーのように「万人が理解できる」
といったものでもない。
 (字数制限のためカット2012年6月29日)
・・・・・・・
3382, 考えない・日本人
2010年06月29日(火)
「911・考えない・日本人 」林 秀彦 (著)
  * 家畜人間ジャップ       ーアマゾン、内容紹介、よりー
≪ まだ信じているのですか? あの事件が真実だなんて。911の以前と以後では人間の歴史は完全に代わり、人間の条件も全く変わった。
これだけは確かなことである。911は、人間が最後にたどり着いた最大の愚かさと、最大の悪の結晶だった。 これだけは確かである。
911は、ある一部の人間たち、私風に命名すれば「ファイナル・パワー・エリート」たちが仕組んだものである。これだけは確かである。 
私は「911同時多発テロ」と呼ばれている事件は、すべて《彼ら》の自作自演であり、ヤラセであり、捏造であり、その他どんな言葉を
使ってもいいが、ブッシュ政府が公式に発表している内容とはまったく違うものであるということを、確信している。 なぜか? 
まず疑ったからである。疑わしい要因、要素が多すぎると感じたからである。次に考えたからである。知る努力をしたからである。
そのときに私の持った精神状態は、「情熱」と呼べるものとほとんど同じものだった ≫
ー 以下の箇所は、家畜化された日本人への強烈な批判だが、言いえて妙である。ー (P/86)
 給費留学生など、日本の若い頭脳がアメリカに召集された。 江藤淳などもその中の一人だったが、あのようなろくでもない
日本人のクズが、モルモット代わりに研究されたのかもしれない。 確かにあのような男を典型的日本人モデルとして研究すれば、
その洗脳のたやすさ、誘導のやさしさ、また、一般的な人聞家畜化の手引き材料としては理想的だったに違いない。
 (字数制限のためカット2012年6月29日)
・・・・・・・・
007,誰が電気自動車を殺したか?
 2009年06月29日(月)
 昨日の午前、何気なくWOWOWに回すと、「誰が電気自動車を殺したか?」というドキュメント映画を放映していたが、
時が時だけに、その内容に引き込まれてしまった。GMの倒産を暗示している内容で、映画の題名が良い。
19年前に画期的な電気自動車をGMが発表し、レンタルで貸し出した。 しかし電力モーターの普及に不利になる多くの
業界の圧力の中で、何時の間にか消えていった。その犯人を追及する内容。 犯人を自動車メーカーGM、石油メジャー、
アメリカ政府、消費者、マスコミ、州環境保存局、などと設定して、具体的に探っていく。 
  ーその映画内容の紹介のHPからー
「誰が電気自動車を殺したか?」(クリス・ペイン監督)。2006年 舞台はロスを中心としたカリフォルニア州。米自動車大手の
GMが1990年に発表した画期的な電気自動車「EV1」がさまざまな理由で、この世から葬り去られるまでを克明に描いている。
当初、高性能で環境にも優しいEV1は羨望の的だった。「とにかくスピードが速いから、反則切符切られるよ!」
(俳優トム・ハンクス)も大絶賛。ところが石油業界から「石炭火力発電だって大気汚染の原因」との声が上がって風向きが変わってくる。
低公害車の販売を義務づける法律も骨抜きに。トラブルも重なり、GMはリース中のEV1を回収し始める。もともと販売はなく
リースだけで市場に出回ったEV1は2005年3月、同州から完全に姿を消した。そのころGMが大々的に販売していた車の一つが
大排気量の装甲車のハマーが皮肉だ。ちなみに、そのハマーで環境問題を訴える催しに颯爽と登場するのがシュワルツェネッガー州知事。
まるで笑い。 そのEV1自体にもトラブルがあったり、技術的に未熟な面があったが、作品は地球温暖化の恐ろしさを訴えた
「不都合な真実」(2006年)に勝るとも劣らぬ衝撃的な内容。
 ▼ 現在のアメリカの恐慌の原因を、その事例として、急遽つくられた錯覚するようなアメリカの社会の歪みを炙りだした内容で、
三年前に作られていたというのが救い。現在、車一台あたりの部品が3万だが、電気自動車になると一万で済むという。
ということは、部品メーカーが半分から3分の一に減り、組み立ても同じことになる。
既存のメーカーは規模が大きいところほど、今後の転換が難しくなるのである。
・・・・・・・・・・
2643, 戦略+夢・ノート
 2008年06月29日(日)
大学ノートサイズのノートを、文庫本版と、バイブル版のサイズに変えた。文庫版に統一するのが本当なのだろうが、
あと一月で結論を出すつもりだ。サイズを小さくすることで、携帯に便利ということで、これだけ変えるとは思わなかった。
文庫版の薄いものなら常に持ち運びが出来る。 常に携帯できるのが、私にとってのポイントだった。
早速、日常の思いを書く「随想日記」「哲学ノート」と、5年?10年先を考える「戦略+夢ノート」を作った。
特に「戦略+夢ノート」が面白い。 5年を基点とした中期長期ノートとしたら、どんどん書きこめるのである。
そこに「7つの習慣」の「ベストの敵はベターである」を、副題として書き込んでみた。5年後(?10年後)を考えるということは、
5年前(-10年前)を振り返ることになる。ノートを開き5年先を想定することは、「潮流とは何か」を考えることになる。
長期の装置投資を事業するものにとって、この程度の専用ノートを書き続けるべきであった。一度気がつくと、前から、
こういうノートを専用に作っておかなかったことが悔やまれる。ただし、これが何時まで続くか自分でも楽しみである。
(数ヶ月で自然消滅の可能性もある)「モーニングページ」(毎日思いのまま書き込むノート)は、会社にきてからの
「ランチページ」として続いている。朝はこの随想日記を完成し、アップすることと、ウォーキングを優先している。
  (字数制限のためカット2011年6月29日)
・・・・・・・・・・
2007年06月29日(金)
2278, あと半年の命!と告げられた人の言葉  ー2      才ノヽ∋?_φ(゚▽゚*)♪
 ガン告知と、末期がんの死期の告知とは違う。 その辺が曖昧になっているから、医療現場では残酷な問題が生じる。
「あと半年!」と言われて、果たして抗しきるというのだろうか。この女性は、正直にその辺の気持ちを吐露している。
その瞬間から、砂漠の真っ只中の炎天の中に置かれたようになるという。それまで生きてきた分の人生を、
その期間の僅かの間に生きるのである。だから死ぬ時は、その人が生きてきたように死んでいくのである。
 ー以下は昨日の、続きー
我がことながら、いまもってその行為(祈り)の意味、内容を言葉で説くことはできません。最初は確かにわかりやすかった。
「助けて」「治して」といった懇願でした。が、いつの間にか意味不明、質、量もつかめぬまま曖昧な時間に変わってしまう。
いわば、からっぽ。・・・・中略  私の住む京都は数え切れぬほどの宗派が密集しています。そこで多くの宗教的なる行事、
儀式に参集し、指導されるまま念じたり、動いたりしてきた。そこで何となしにつかめたのが、炎、音、匂い、金銀極彩色、
像、言葉、残酷な修行のいずれも、からっぽになる為の巧みな装置であるということでした。それらを駆使して何処かに導くのが、
僧侶、宗派の教祖であるようで、彼らは演出家といっていい。人の祈りにさらされ、磨かれた回数、機会が多い宗派ほど、
その演出、導きの巧みさが際立っているのは言うまでもありません。それを理解してなお、告知されて後の恐怖のリアルを
とりあえず騙す、目くらまし剤は今考えても、どうさぐってもあの、からっぽへと導く行為の蓄積以外にはなかったと思います。
それにしてもテレビなどで紹介されると必ず数十通の手紙が局に届き、数人がわが家を訪れます。ほとんどが健康食品と
宗派への勧誘です。そこで語られ、展開される論旨、勧誘の説得法、術はどれもきわめて似ています。訪間者の全員が
確信を瞳に浮かべ、強引に部屋に進入し、笑顔を湛えています。これで貴女は救われますと断じます。 彼らの確信する
「やさしさと善良さ」を如何拒めばよいのか? 形も効果もない空っぽだけが私を支えうる、と善男善女に伝える術を
今だ見つけられず、戸惑うばかりです。          ーおわり
 ▼ ー死は誰にとっても永遠なる闇の空洞。その空洞はその大きさ、質感、彩など具体的に知るうる
 捉えきれないゆえに言いしれぬ恐怖を誘います。想像力のなかに位置するブラックホール。
  (字数制限のためカット2010年6月29日)


4853,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー23

2014年06月28日(土)

    * 仮店舗と、本店ビルの建設
 設計も終わって、ゼネコンへの見積もり。長岡駅前の一等地もあって、小さな規模きかかわらず、
多くのゼネコンの見積もり依頼があった。そして最後に、大手の大成建設と、準大手の淺沼組に
絞られた。しかし、500万の金額の差で、浅沼組になった。 準大手の淺沼組社長が、山本五十六
元帥の元直属の部下で、何もあっても取れとの厳命があったと、後で聞いた。
しかし、500万の差が、実はアーケードの見積もり落ちと、後で判明し、請求してきたが、話が違う!と、
トラブルになりかけたが、最後は相手側のミスと、決着。 今から考えると、建設は、一割以内の
差なら、最大手を選ぶのが順当だった。 ただし、浅沼組も、悪くはなかったが。見積もり過程で、
得体の知れない建設業界の不気味さを感じ取っていた。談合で、殆どが決められる建設業界の
(マフィアのような)シンジケートであるる。それも10数年前に社会的大問題になって大きく
変わったが、現在でも、それは厳然と残っている?はず。
 ところで、ビル完成まで、どうするか?で、駅前に、たまたま撤退したばかりの専門店街があった。
その権利を、母の従兄弟の元市長がが持っていた関係で、入店することにした。そして7ヶ月後、
11月に新規オープンになる。新店舗の開店も順調にいったが、直ぐに気づいたのが、売場面積を
三倍にした割に、売上げが、思いのほか伸びない。順調に伸びたのが、学生服の売上だけ。
既に、時代が車社会に入っていて、郊外店舗への流れが本格的になっていた。
 その頃、仕入先の産地も、繊維不況で大きな曲がり角に立っていた。それと大型店の影響で、
駅前立地も本格的衰退の兆候を現していた。その頃、チェーン店を目ざすクラブのセミナーの
講習に三ヶ月に一度の割合に聴講にいっていた。
 そこでは『早く、新業態の店舗を開発し、現業を潰すべし』と、繰返し、聞いていた。 
現に、この10年間、各地で、それを目の当りにしてきた。一息を入れたとき、全エネルギーを、
店舗運営と、仕入と販売に縛られる日々に、自分の限界を感じるようになっていた。 
その頃、ヨーカ堂に出入りしている紳士ファッションメーカーが訪ねてきて、取引をしたいという。
ヨーカ堂に入れている商品の一部をブランドを変えるので、取引させて欲しいという。
ところが、その商品が嘘のように売れるのである。要するに全国的ホット商品ばかり。
内心、「これは!」の声。新興の大手チェーンには、短期的には闘えても、長期的消耗戦では、
勝てないのではないか? である。
 本店の建替えも落ち着いた頃、ペガサスの教えのチェーン化に、実兄は、やる気満々!
私は、逆に自信が喪失。考えてみれば、私に会社の資産はないし、縛られるものはない。
引き時では?と。
 話は変わるが、本店を開店した後に、その成功の祝いに、30人を連れて、ハワイ旅行に
行くことになった。それが、長岡での花。山場であった。これが、それまでの疲れ全てを
取り払ってくれた。そういえば、同じことを新潟駅前シリーズでも、やっていた。
その時々を仕事の合間でレジャーも楽しんでいた!
・・・・・・
4486, 静かなる大恐慌 ー3
2013年06月28日(金)             「静かなる大恐慌 」柴山 桂太 (著)
   * 第二次グローバル化のゆくえは?
 この地球規模の混迷の行きつく先は、どうなるのか? そう楽観的ではないだろう。ーその辺りから
≪ 第一次大戦後には各国間の貿易が再開され、金本位制への復帰が進むなど、戦前世界への
回帰が模索された。しかし29年に始まる世界恐慌から、各国は保護主義やブロック化へと雪崩を
うって、保護主義やブロック化へと突入していった。世界経済を統合するグローバル化の動きは、
世界経済を分断する脱グローバル化の動きに急速に切り替わり、貿易をめぐる国家の
「経済戦争」が激しくなった。それが第二次世界大戦へつながっていった。そして、それは
第二次世界大戦で終わりをとげた。 それでは第二次グローバル化は、どのような結末を迎えるのか。
まず、当時と現在とでは状況が違う。第一次当時は、予期せぬ経済変動に対し、各国経済は
あまりに弱かった。しかし、現在は先進国を中心にした労働者を保護する制度や、銀行や預金者を
保護する制度が幾重にも張り巡らされている。・・・加えて、当時の金本位制度という国際金融
システムに問題があったといえる。多くの点から考えても、現在のほうが遥かにショックに強いといえる。しかし、それがいえるのは先進国だけ、新興国は遥かに弱い。
二度のグローバル化に共通しているのは、輸出を中心に成長する新興国が急激に台頭してくること、
そして一たびショックが起きると大きな打撃を受けるのも新興国であること。
世界はいつも、弱い鎖から切れていく。アメリカで始まった現在の危機は、欧州に飛び火をした。
それも経済力の弱いギリシャに火がついた。これが別の地域、特に輸出を伸ばして急成長を
してきたBRICsなどの新興国へと波及したとき、危機の複雑さは一挙に深まっていく。≫
▼ 著者は、100年前のような二つの大戦が起こるかどうかまでは言及してない。
しかし、中国や北朝鮮のような新興国が現に存在している。内部の基盤が危うい国は、それを
カバーするために世界大戦やむなしと考える危険がある。 それだけでない、スマートフォン
(小型パソコン)が一般大衆に普及したときの危険性は計り知れない。政府より大衆の方が、
 情報を知り抜いてしまうからだ。 20、30年前なら数億、十億円もしたコンピューターが、
誰もが持ち活用した時の社会的影響は想像を超えるだろう。大きな政府をつくったとして、
ネットで結びついた力の終結は誰も予測不能だろう。  静かに恐慌は進んでいき、混沌は
当分の間、続く。 隠れた正体は、「情報化社会の本格的到来」である。
・・・・・・
4112、閑話小題 ー血圧
2012年6月28日(木)
   * 血圧
 血圧が高めのことは知っていた。しかし毎日これだけ運動をしていれば大丈夫のはずと、たかをくくっていた。ところが、家内が
先週末、ドラッグストアにある血圧計ではかったところ、思いのほか高かったと聞き、一昨日、スポーツジムにある血圧計ではかったら、
何と165もあった。ヨガを終えた直後なので血流が良過ぎたのか、それとも・・・ そして昨日、一時間半の運動の後、怖々と
はかってみたところ、130だったので、ホッとした。しかし、これでも高いようだ。ジムに通い始めた頃には月に一度は見ていたが、
だいたい130代だった。ネットによると、≪ 日を変えて何回か血圧を測定し、いつも拡張期血圧が90mmHg以上、あるいは収縮期血圧が
140mmHg以上であるのが高血圧の診断目安≫という。これからすると、私の場合、ぎりぎりセーフになる。 塩分と糖分に関しては、
意識的に最小にするようにしてきた。体重も30年間、体重も増えることもない上に、身体が重いと思ったことはない。
  * 欧州発世界恐慌の瀬戸際 (同じことを繰り返して書いているが)
 ギリシャのやり直し選挙で緊縮派の勝利で、目先の世界恐慌の火種を何とか消した。しかし、スペイン国債金利が7%を超えた。
UCBなどが融資を決定をし何とか、これも乗り越えつつあるが、何時までも続くわけでない。 一度、火がつけば、世界の6京
(6千億ドルの10倍)の不良債権が表立ち、世界中の企業と銀行の連鎖倒産が出ることになる。これはリーマンショックなど
比べようのない事態。そのため何があっても目先、乗り越えざるを得ない。次の目標はロンドンオリンピックの終了だが、微妙である。
先日も、スペインの銀行28行の格付け引き下げがあった。ドンヨリした暗雲が世界中を覆っている中、国内政治は大混迷。
消費税を上げないと日本はもたないが、引き上げれば経済は大打撃。 これほど酷い政治と経済の惨状をみるとは! 
それも、まだ本格的世界恐慌は始まっていないのに、である。 悪いことに内税のため、増税は実質は経費アップになる。その上、
売上減は必至になり、中小・零細企業は大打撃。もう私にとって影響は少ないが、一歩、ひいた目でみても恐ろしい。 ある朝、
何処かの株式市場で暴落が発生、その日を境に世界経済は大混乱に陥る。解っていても手立てが無いから、ことは深刻。 
・・・・・・
3746, 閑話小題
2011年06月28日(火)
    ◆ エイズ並みの、恐ろしい性病
 人間、ギリギリに立つと、本性が出てくるもの。 その中で最もリアルに出るのが「他人(ひと)のせい」にする悲しいサガ(性)。
人間には、「あなた群」というのがあって、色いろな気持ちや体験を通して培った感覚や、体の細胞たちからの記憶が、人の中に
蠢いている。 過去の色いろな感情や感覚が、塊になって、その時々の感情や感覚を仲間として同居していて出番を待っている。
その一つが「他人(あのひと)のせい」病である。 さしずめ、今回の倒産劇の「三つの震災」を倒産理由にしている我が内なる、
それである。そう書きながら、これらの八割が原因と脳の奥からの声が聞こえてくるが・・。原因や責任転嫁は動揺から生じることが多い。
「他人のせい」は、メビウスの輪で、「原因は自分にもある」ことに気づかなくしてしまう。東北大震災も、あれは数百年に一度の天災が
原因である。そこまで、想定できないのは自明である。それを政治は言明できないという恐ろしい事態である。
    ◆ 3D仕立の靴下とスポーツシャツ
 「父の日」に、次男からプレゼントが送ってきた。ネット・ショップからだが、包装を開けてみると、靴下二足。
 白系と黒系の無地もので、よく見ると、立体的な足の形をしたモノで、足の部分ごとに縫い方が違っている。
 それも、縫い目がない。足にピッタリ密着するようになっている。 分かりやすくいえば、足袋風ハイソックで、指先、
 踵、そして土踏まずの箇所が、それぞれに合わせた織り方になっている。一度、TVで、その製造マシーンを見たことがあった。
 スポーツジムで、それを履いてみたが、脚が全体が適度の締め付けで軽快な感じがする。一度履いたら、運動に
 欠かせなくなる。これなら2〜3千円を出してでも買いたくなる。 ところで昨日、ジム用の着替えのスポーツシャツをと専門店に
 いったところ、何と「3Dシャツ」のコーナーがあった。やはり立体的に上半身の形になっているシャツが並んでいた。
 それも乾燥が早いシロモノである。それが千円というので、さっそく買ってみたが、これも良い。元々あったのだろうが、
 ベトナムで、トレード・オフをし価格ダウンしたのが店頭に並んだので、目に入ったのだが。これも、デフレの一現象。
・・・・・・・
3381, 今年、半年の出来事
 2010年06月28日(月)
  今年も半年が過ぎ去ってしまった。速いものである。
 * 世界からみると、天変地異でチリとハイチで大地震が発生し、ハイチでは30万人の死者がでた。
一昨年に中国の四川で7万人、2006年12月末にはスマトラ島沖地震・インド洋大津波で20万人が亡くなったが、
今年は前半だけで二つの大震災が発生した。地殻そのものが変動期に入ったようだ。
景気も、欧州に金融恐慌が表面化してきた。 ギリシャ、そしてスペインと・・。 経済危機は当分の間、世界中で続く。
北朝鮮問題も、再び動き出してきた。 破綻国家が何時、暴発するのか? アメリカの石油流出も大きな問題。
まだ流出が止まってないから、ことは深刻である。
 * 国内では、鳩山から管首相へ政権が移行。景気は、エコポイント給付で何とか最悪の事態を避けているが、
実態は二番底に向かってまっしぐら。 社会現象では、ツイッター(ミニブログ)が爆発的に普及始めている。
またタッチパネル式パソコンのiPadが発売された。 これが新聞・週刊誌・書籍などを近い将来、淘汰することになる。
大相撲で朝青龍が暴行事件で追放。 その興奮が冷めないうちに、今度は野球賭博が発覚、大相撲協会始って以来の
大不祥事に発展した。 身辺では叔父叔母など既に死に絶えたこともあるが幸・不幸は無かった。
 大きな事件は、年の後半に多く発生する傾向にあるが、大地震が既に二つが発生、アメリカの原油流出も発生した。
後半も、何か大きな事件が続きそうな感がする。 日本経済も土壇場に来ており、先は暗雲が漂っている。
 ・・・・・・・・・
3006,戒名を自分で付けてみた ー2
2009年06月28日(日)
 「戒名は自分で付けよう」 高林院釈俊信居士著    ー読書日記
 歳が歳だけに戒名を自分で考えると、何か神妙な気持ちになる。 思い立ったが吉日、軽い気持ちで考えると良い。 
あの世の名前を、自分が生きてきた生き様を元にネーミングする作業だから、これほど面白いことはない。
当時は坊様以外に、その能力を持った人が少なかったこともあるが、今は違う。家の仏壇には回出位牌が二つある。
回転式の祖先の過去帳である。 明治半ばからの当家の祖先の戒名と俗名と亡くなった日が記録してある。
八角形の筒状になった書き込み式位牌で、中が回転する。私が実家に住んでいるので、仏壇を守っていることになる。 
この仏壇の中に祖先の魂が入っていると考えてもよい。 この文を書くにあたりメモをとったが、一人ひとりの人生が
何かを語りかけているようである。 俗名も法名も、一人の人間のミニ物語である。 そして亡くなった年齢も命日も、
その人だけの物語の記念日。嘆き悲しむ親や親族がいて、坊様も、それを踏まえて法名を捻り出したのである。 
本人も死に怯えたかもしれない。 それさえ無かったのかもしれない。戒名も、位牌も決しておろそかにしてはならないのである。 
だから、自分の戒名を自分で作るのも、永遠の自分を残すという意味で大事な作業かもしれない。坊様から命名してもらうも、
それはそれで良い。自分で命名するのが邪道なら、自称戒名、として別につくっておくのも良いだろう。
俗名は親が作るなら、あの世の名前は自作でつくるのも理屈である。
 ところで、家の回出位牌に書かれていた法名とは、以下の通りである。
   父、堀井誠作 の法名は 池行院釈誠道 72歳没 昭和48年6月30日没
   母   志摩      報寿院釈尼信華 88歳没 平成4年9月23日   
    一番上の兄、運一 の法名は 釈足心 23歳没     昭和27年3月15日
    二番目の兄、進 の法名は、釈証盆  24歳没       29年8月11日
    三番目の兄 誠 の法名は、釈淨誠   5歳没       11年6月4日
   祖父の多吉は、釈淨信         62歳没        2年7月22日
   祖母のツルは 釈尼妙証        55歳没     大正12年10月
   父には幼児の頃に亡くなった兄がいて 修作 5歳没     明治31年8月29日
 明治29年に亡くなった父の姉のヒサ 42年に亡くなったフミの名前がある。
 そうこう考えると仏壇を守る立場として、自分の戒名を勝手に付けて良いものか、疑問もある。
 下手をすると罰当たりになるか?  それぞれの命日には、心を込めて般若心経をあげないと・・・。
 ところで両親を除くと、誰も彼も私より年齢が下である。父親は「先祖供養だけは、しっかりしておけ」が口癖だった。
 ところで自分で考えるのが面倒? なら、 俗名を○と×のところに入れておけばよい。
 たとえば、著者のように。 面白みはないが。 あの世の名前も、事前につけておくのもオツである。   合掌!
・・・・・・・・・
2642, 郵便ポストが赤いのも、みんな娑婆が悪いのよ!
2008年06月28日(土)
昨日の産経新聞の一面のコラム、
 曽野綾子の「小さな親切、大きなお世話」
   ー弱点を武器にする弱者たちー  が、的を得た論評であった。
ー要旨といえばー
秋葉の男を通した、現代の腑抜けの若者と負け組みと称して何もしない人たちへの批判である。
戦後教育の最悪の集大成が秋葉無差別殺人である。曽野綾子は、彼は弱点を武器にする弱者でしかない、と批判。
短大を出た環境に育ったこと、派遣会社でも勤めることができること、五体満足の体と健康があること、
それだけで充分という。 アフリカや南米の貧困層と比べれば、全く恵まれている。
それを「負け組」意識、弱者の僻みで根が歪んでしまっていると指摘する。
彼らは「弱者は弱い」のだから、援助しろ、イタワルのが当然という、開き直りを武器にしている、と。
 − 以上だが、
 団塊ジュニアの弱者の事例が周辺に幾らでも転がっている。彼らは、それなりの間接的な脅しをしてくる。
「死ぬしかない!」とか、「弱者になっていまったのは親や社会の責任だ」とか。時代が下降すると、頭と尻尾が腐るというが。 
 何が平和憲法か、笑わせる。アメリカの去勢をモクロンダ枠組をそのまま大事にして、この様である。 
 この事件は序曲でしかない。 彼女の最後の閉めの言葉
「戦後の日本は心身を強くすることは軍事力の象徴で平和の敵とみなしてきたが、それは間違いだ。
 強くなって耐える力を持ち、自発的に不運な人のために金か労力か、心か時間を差し出せる人を
 目的に教育すべきである」が、教育の背骨になければならない。
「郵便ポストが赤いのも、電信柱が高いのも、みんなアナタが悪いのよ!娑婆娑婆 」ではね?。
・・・・・・・・・
2007年06月28日(木)
 2277, あと半年の命!と告げられた人の言葉  ー1   
何げなく読んだ言葉の重みに、すくんでしまった。その一言一言の重みと、末期ガンと宣告された経験者しか知らない、
虚空を目の前にした不思議な体験の言葉。 ノンフィクション作家の柳原和子の「からっぽの演出と装置」の文章。
ーー
三年半前、医療から末期を告げられました。なぜか今も生存しています。告知された私が三年半かけて自覚したのは、
告知人が医師であれ、占い師であれ、裁判官であれ、死の期限を切られると人は(わたしは)
「その言葉にとことん支配されてしまう、修正がきかない、」という他人からみれば愚かしいまでの単純な事実でした。
実のところ死は虚構です。誰ひとり体験し、蘇り、それを聞かせたり、した人は一人もいません。
 (字数制限のためカット2010年6月28日)


4852,「事業人生を決心して45年」の語り直しー22

2014年06月27日(金)

* 本店ビルの建替えへ
 そうこうするうちに、地元百貨店の二社が大手チェーンのニチイと、ヨーカ堂の傘下になっていた。
そのニチイ傘下に入った隣地の百貨店と数軒の店舗の共同開発ビル計画が立ち上がっていた。
当地は、その四角にあり、要になるため、当然、参加の打診があった。私が生まれ育った旧ビルも
30年も経って寿命もきていた。 私は当初、共同ビルに参加には賛成だったが、共同ビルの設計は
当然、大型店に都合よいレイアウト。即刻、参加取りやめになったが、この機会に新ビルを建替える
ことになった。私には千葉・千城台ビル立上げの経験がある。
この設計過程と、ビル建設の二度目のチャレンジになった。設計会社は千葉と同じ設計事務所と、
担当を同じにした。30年前に、そこで、父が木造店舗から、新ビルの立上げを、身近に見ていた
幼児体験もあった。これに、千葉でのビルの経験を加えての設計の立案、この建物は、その後の
建物でのベストの傑作の設計になった。 扇状の四つ角のビル。柱は最小に、ビル売却を前提に
おいて、テナントビルなどに転用可能に、考え抜かれたレイアウトになっている。
二階以上のフロアーと地下をメインの1Fと分離できるテナントビルへの転用可能である。
この建替プロセスほど、人生で面白かったことはなかった。 父の魂が私に乗りうつって建てた
ような建物。現在は予備校として稼動しているが、実兄が、通り相場の3〜5割高で売却が出来た。
その買った人物が、その後に取組んだホテル創業のスタッフだった因縁があった。
ニヶ月でコンビ解消をしたが・・ その人も、私から傑作作品と聞いていた 面白いものである。
10年後には、異種のブラックスワンの出現で・・ ?
 話は戻るが、新規ビル建設で旧ビルを壊すことになったが、私の手で壊すのも大きな因縁。
仮店舗への移動のため、閉店売出しで一切を整理をした最終の夜、二階で全員で冷酒で乾杯。
旧ビルへの御別れで、飲みほした茶碗を一斉に床に叩き付けた。ところが、全ての茶碗が割れない。
長年の熱湯で強固になっていたため。茶碗にも年季が入っていることを教えられていた。 
 ところで、敷地ギリギリの鉄筋ビルの解体を、どうするかに非常に興味があった。
何と各フロアの真中に5m程の穴を開け、上層から壊したコンクリートと鉄筋を1Fに落とし、
運び出す。5Fの後は、4,3,2Fと。
・・・・・・
4485, 怒らないって本当は恐い! ー2
2013年06月27日(木)
                 『怒りの作法』小川仁志 著
    * 日本人はなぜここまで怒らないのか
  何故に日本人は怒らなくなったのか、その理由を幾つか取り上げている。ーその部分を抜粋ー
・ 三木清は『人生論ノート』の中で、「他の感情から比べ、否定的にとらえられるのは、怒りが
憎しみと混同している点にあるとしている。三木は憎しみは負の感情しかないが、怒りはそれとは
違う正のエネルギーを秘めた感情。  したがって、まず怒りに課せられた誤解を解くことから始める
必要がある。感情とは内側から生じてくる一種のエネルギーであって、それをうまく放出することに
よって、人間は人間らしくふるまえるのである。
・ なぜ怒りだけが抑圧されるかというと、そのイメージは、ほとんど常に暴力的言動に結びついている
ため。 怒っている人の原因を聞くと、理解が出来る。しかし、その言動は否定することになる。
互いの主観をみとめ、話し合い、理解するのが人間たる由縁だが、暴言や暴力に頼り、他者から
理解してもらうことを諦めてしまうため現代人は動物化しているといわれる。
・ 権力者は、怒る人間より従順な人間を好みます。自らの保身のためである。
長年かけて教育を始めとした啓蒙活動で人間の怒りを去勢し、従順な国民を作り上げてきた。・・・ 
怒りという正常な感覚の一部を奪われてしまった人間は、他の感情ー喜と哀と楽も歪なものに
なっていく。笑えない子供、泣けない大人、楽しめない人間。極端までに怒りを嫌悪する現代社会は、
こうした「異常現象」が顕著になっている。人間は、怒りそのものを抑圧されることによって、
喜怒哀楽という自然を失い、不自然な存在に歪められていく。
・「風土」論にみる日本人とは?といえば、 和辻哲郎の風土論がまっさきに上げられる。
 彼は世界の気候をモンスーン型、砂漠型、牧場型の三つに分けた。モンスーン型は、
温暖湿潤なため温厚と同時に忍従的であるため従順な人間になる。これに対し砂漠型は、
厳しい自然に抵抗するため攻撃的になる。また牧場型は、自然を囲い込んで征服しようとするため、
合理的に物事を考えるようになる。日本はモンスーン型、 アメリカと欧州は牧場型。
砂漠型はアフリカやモンゴル。中国はアジアに属するが服従しないという点では特殊。
 農村的なるもののエートスは、共同体を重視するため近所と波風を立てないことが、まず求められる。
 あの人は、どう思うかということばかりが気になり、常に頭の中に、自分を睥睨する他者の視線が
紛れ込んでいる。 現在の日本の社会制度はほぼ農村出身者によって作られたもの。 
たとえば、学校。あれは目立たないことを教え、人と違う意見や行動を封じ込める場所。
まさに教室という名の農村。もう一つ、気候と関連するものに地形がある。
 小さな島国の日本人は、外部に対して、まず慌て動揺する。
・ 個人主義化が、歪んで怒れなくなったことも注目すべきである。30年前の1982年頃は
丁度個人主義が満開に達し、日本中が浮かれ出した。思想界では、ポストモダンというバラバラの
個人を前提とした考え方が隆盛を極めていた。 もう一緒に共通の夢、「大きな物語」を追いかける
時代は終わったと・・・ それ以降、個人主義が拍車をかけていった。 そして誰も怒らなくなった。
権利意識だけ高まった人を怒って面倒になるなら、自分の夢を追求した方がましだからです。
▼ 怒れなくなった若者、切れる老人が多くなったのは、正しい怒り方が出来ないからである。
デフレ時代の恵まれない時代背景に、どう怒ってよいのか、ただ呆然として立ち竦み、怒りの
沈殿が、個々人の中で憎しみに変わろうとしている。そういえば、北朝鮮の女アナウンサーの
コメントは常に怒った内容。そして威嚇したもの。内向きの統制が目的のためも あるが、
明らかに支離滅裂。とはいえ、その対極にあるような日本も間違いなく変。
何のポチは怒りを悪と洗脳されたか。
・・・・・・
4111、閑話小題 ー民主党
2012年6月27日(水)
   * つれづれに
 民主党は一度、解党するしかない。欧州発の世界恐慌が迫っている中、日本は数年限定の
大連合を結集するしかない事態。欧州も刻一刻と危機が迫っている。国債と株式の暴落は、
一度暴落が始まると、あとは歯止めが利かなくなる。その時が世界恐慌である。
その影響を一番受けるのが弱体化している日本になる。 その上、アメリカも中国も、
非常に危険な事態である。その結果、際どい金融政策もありえる。それを隠すために、
戦争を中東で仕掛けてくる可能性が強い。イスラエルによるイラン攻撃か、シリア攻撃か、
北朝鮮の暴発にみせかけた挑発か、中国の内乱も十分考えられる。
80年前の世界恐慌は第二次大戦で、それまでの世界の仕組みを叩き壊し、その再建を
新たなエネルギーとして利用した。 ソ連と、共産中国の台頭、そして欧米の西側世界の制覇である。
今度の、それは、新資本主義中国と、インドの台頭になる。 要は、資源である。その先導は
電気自動車と、新エネルギーと、食料の確保。 原発は危険としても残すだろう。 
想像を絶した世界の混乱と、創造に向けての動きが始まったようだ。私も不摂生のため、長くて十年。
 混乱の中で新しい創造の芽を見ることができるかどうか。スマートフォンとタブレットPCが、
更に時代を大きく動かすことになる。
   * 民主党の分裂茶番劇  (上記の文を書いて気づいたこと)
ー 民主党の分裂劇は要するに、こういうことだろう。
【 反自民党連合の民主党が政権を取ったが、政索公約はを殆んど空約束に終わった。
このままでは自民党か、維新の会とかいう関西系弁護士の新興勢力に取ってかわってしまう。
近々、総選挙になれば惨敗は明らか。特に、小沢チルドレンは、殆ど落選する。
ならば、原発再開反対、消費税増税反対を公約に掲げ、民主党の隠れ分党をし、出来れば
過半数か、三分の二を残したい。さあ、芝居の始まり始まり。恐慌と大災害の中では消費税の
増税など当たり前のこと。その前のすべき国家的リストラなど、この国の体質では無理なのは
自明のこと。宗主国のアメリカの間接占領を再びしてもらわなけば不可能なのが現実。
自民党だけには、二度と権力を与えてはならない。】が、筋立てである。 
政治はマツリゴトである。国民全体のレベル以上の政策は無理ということ。
・・・・・・
3745, ジャズについて(�) ー「ジャズ完全入門!」�  −16
2011年06月27日(月)
                 ー 「ジャズ完全入門!」 後藤雅洋著 ー �
 三枝成彰の「音楽の本」でのジャズの章の記述は、非常に分かりやすい内容で、15回に渡り書き出し繰り返し読んでいる。
しかし、それは熱狂的な長年のファンの記述と実感ではない。 そこで図書館から数冊、ジャズ関係の文庫本を借りてきた。
その中で聴手の立場の知りたいポイントが書いてあったのが、この本である。
 その「はじめの」の中の次の部分は、聴き手として知りたいと思っていた部分が要約してある。
【  *「ジャズは、それぞれが個性的なミュージシャンたちの‘演奏’を聴く音楽である」
 これは、音楽ファンにとっては当然のことのように思えるけれど、枝葉をはしょって突き詰めてしまえば、これはかなり
ジャズの本質に追った鋭い答だし、他のジヤンルの音楽は、実は必ずしもこの言い方には収まり切らない要素を少しずつ含んでいる。
 たとえば、ジャズと同じように熱心なファンに支えられているクラシック音楽は、バッハやベートーベン、モーツァルトといった
昔の作曲家たちの作品を、カラヤンとかグールドといった現代の演奏家たちの手によって再現されたものを聴くことが一般的なので、
演奏を聴くことは、同時に作曲された作品を聴くことでもある。 別の言い方をすれば、クラシック音楽の演奏は過去の作品の解釈、
再現でもあり、ちょっと図式的な理解ではあるけれど、紙に書かれた楽譜を実際の音として人に聴かせる、目的のための手段、
といった側面もある。つまりクラシック音楽では、どんなに個性的な演奏をしたとしても、「演奏者だけが音楽の主人公ではない」
というところが、ジャズとは大きく異なっているのだ。 
 また常日ごろおなじみのポップスや歌謡曲は、親しみやすい、あるいは心に染みわたるメロディの美しさが音楽の魅力になっている
ことが多く、お気に入りのミユージシャンが歌い、あるいは演奏する好みの楽曲を聴くというのが普通の楽しみ方だろう。・・・・
要約すれば、ポピュラー・ミュージックの世界では演奏能力や歌唱力に加え、人々にアビールする曲想、歌詞の力が、とりわけ
現代では、アーティストの人的魅力が備わっていなければ、ファンに対して通用しないところを思い出してもらいたい。
 それらに対してジャズは、多くの人たちが誤解しているように「曲」を聴かせることだけが演奏の目的ではない。
またその演奏している曲目にしても、メロディがよくわからない(この部分を「アドリブ」という)ものを延々と吹きまくるばかりで、
いったい何をどう聴いていいやら見当もつかない、というのが一般の印象ではないだろうか。ところが、この何をやっているのか
よくわからない「演奏」部分こそが、ジャズの本質とも言うぺき肝であり、聴きどころなのだ。 だから多くのジャズマンたちは、
いかに人と違ったやり方で、この「演奏」をカッコよく仕立てあげるかに、それこそ全身全霊を傾けているのである。・・・ 】
▼ ジャズマンは、「曲」は、自分の「演奏」の素材として、自分の個性の表出として、オリジナリティを証明するための
 利用対象にしている。曲にメロディがあっても、何処かがずれているが、それでよいのである。その個性的演奏がジャズの
 持ち味である。従って、聴手の方から、理解しない限り何が何だか分からないという。もちろん演奏者には、個性を売りにできる
 内容がない限り、ジャズのファンはのっけから相手にしない。ジャズを聴きながら、これを読んでいると、この世界が、こんなに
 深く面白いとは、知らなんだ。
・・・・・・・
3380, 閑話小題
2010年06月27日(日)
  * 新潟市の自殺率が政令指定都市でトップ
 先日、新潟市が去年の自殺率が政令指定都市の中で新潟市がトップと発表された。10万人あたり30・4人という。
ということは80万人として240人が自殺で亡くなっていることになる。3日に2人になる。
(2012年6月28日字数制限の為カット)
  * 詐欺師が教える「タダで手紙を出す方法」
「だまし」の心理学 という本にタダで手紙を出す方法があるそうな。
手口といえば、「宛先のところに、差出人の自分の名前を書く。それでは、相手の名前は? というと、
本来、差出人の名前を書く部分、つまり封書なら裏に書く。それで、ポストに投函すればよい。切手が貼られてないので、
差出人のところに届けられる」という訳。 それが詐欺師の本質を突いた事例という。 なるほど! 
(2012年6月28日字数制限の為カット)
 ・・・・・・・・
3005,戒名を自分で付けてみた
2009年06月27日(土)
 「戒名は自分で付けよう」 高林院釈俊信居士著    ー読書日記
以前から「戒名は自分で生前に付けられないものか」と、思っていたら図書館で「戒名は自分で付けよう」という本を見つけた。 
早速、借りて読んでみたが、面白い。戒名は一字10万、9字で90万あたりが相場という。坊様が葬式のドサクサに故人の
苗字と名前を元に名前を捻りだすので、まあいい加減で噴出すモノでしかない。
それなら自分でルールを踏まえたうえで考え出した方が、遺族としても心の深くに響くというもの。
ネットで調べると、自分で付けるのは「邪道」と坊様はのたまっているが、口から出まかせレベル。 
 宗派により、それぞれルールは違うが、 
浄土真宗(私の家の宗派)は、 ○○院釈△△居士(女性は○○院尼△△大姉)が基本 
 ○○は仕事とか(会計士なら懐慶院とか)、精神的・宗教的な言葉を入れるケースが多い。
精神の本籍的な位置づけになる。それに対して△△の部分は本人の名前に一字を入れるケースが多い。
それに本人が好きな言葉、例えば誠、信、真、愛、とかを入れればよいのである。
(最終決定でないとしても、こういうのが後で振り返っても良いことが多い)
この本を一通り目を通して10分間で、自分と、家内と、二人の息子の戒名を即興でつくってみた。これも縁である。
私 =堀井八郎    志誠院釈八楽居士  (志は母の名前の一字、誠は父の名前の一字)
家内=堀井恵子    慈愛院釈尼恵光
長男 =堀井大    霊覚院釈大道居士   次男=堀井崇史    自然院釈崇駿居士
 まあ、決して悪くはない出来栄?である  80ー90点?。
訳もわからない戒名を坊様にドサクサでつくって貰うよりは良いはず。
 浄土宗なら、○○院×誉△△居士 (×は自分の一生の誉れ、例えば絵、歌など・・・)
 臨済宗は、基本として浄土真宗と同じ。 
だから、亡くなる前に自分で付けて紙に書いて仏壇に置いておけば、後は仏具屋か葬式屋にお願いすればよい。
「本人の希望で、戒名は故人が自分で決めてあります」といえば、欲深でも「邪道」など言わないだろう。
ところで、改めて両親の位牌を仏壇から持ってきて見てみた
父=堀井誠作   池行院釈誠道    母=  志麻   報寿院釈尼信華
 合格点だが、父の池行の行を蓮にして 池蓮院釈誠道 にする。
ネットでも1万9千で戒名を付けくれるのがあったが、私は居酒屋で一杯で結構。
丁度良い酒の肴になる。  酒楽院釈酩酊居士 の戒名か?
・・・・・・・・・
2641, 今年前半の総括
 2008年06月27日(金)
毎年、大事件は後半に起きる傾向にあるが、今年は前半に続いた。
  ー海外では
・アメリカのサブ・プライム問題で、株の暴落と、ドル安  ・石油が暴騰、さらに穀物など世界同時インフレが始った
・ミャンマーのサイクロンで十数万人が死亡        ・中国のチベットで暴動、全国的にも波及
・中国の四川省で大地震で9万人近くが死亡・行方不明   
ー国内では
・岩手・宮城大地震                    ・秋葉原などで、無差別殺人事件がつづいた
・アメリカのサブ・プライムによる余波で日本も株価の暴落  ・石油や穀物が一挙に暴騰、インフレ状況になった
・この半年で更に景気が冷え込んでしまい、特に地方は最悪といってよい状況
 特に秋葉原の無差別殺人は、戦後教育の集大成といってよいような最悪の事件だった。
これで日本中が否が応でも、若者達の冷え切った心の奥の一端を見せ付けらてしまった。
ー個人的にみると、
・長男がUターンをして職さがし。仕事が落ちつくまでは、自分まで落ちつかず。
・両親の兄弟(姉妹)の最後の一人の叔父が亡くなる。(連合いも全て亡くなった)これで親戚関係の付合いが大きく変わる。
・パソコンをMacのデスク型に変えた為に、パソコン環境が劇的に良くなった。
 iPodを購入し、常に携帯するようになったのも大きい。
・酒を飲んでフラフラ歩いていて車にも跳ねられたし、呼び込み二人強引にピンクに引き込まれそうになり警察騒動もあった。 
・本は、何冊か面白いものに行き当たった。こんど書くつもり。
  ー会社は、
・昨年の10月半ばより長期の団体が5月末まで入っていたので、2月末の決算は好調。
 今期の見通しの数字はたったが、不景気の影は迫っている。後半も大きな波乱要素が多くある。
 山より大きな猪はいない、というから、その中で面白おかしく日々を過ごすしかない。
・・・・・・・・
2007年06月27日(水)
2276, 天才論 ー1  ヽ(★>з<)。o○[ォハヨ]  ー読書日記
「天才論」
ーダ・ヴィンチに学ぶ「総合力」の秘訣ー 茂木健一郎著を読んだが、成る程と思う箇所が多くあった。
この本はダ・ヴィンチの作品を通して、「天才」について論じている。
ダ・ヴィンチの絵については、「モナリザの微笑み」が有名だが、「モナリザ」はダ・ヴィンチの自画像だった
とも言われてきた。ダ・ヴィンチの芸術家としての根幹に「正式に結婚していない両親から生まれた婚外子ということも含め、
自分のアイデンティティに深い懐疑を抱いていた印象がある。・・誰にでもある、ある種のコンプレックスをダ・ヴィンチも
持っており彼の作品に少なからず影響を及ぼしているように思えた」というところが印象的である。
「万能の天才」が誰も持っている「でこぼこ」(プラス・マイナス面)を、ダヴィンチに当てはめるとしたら何なんだろう?
モーツアルトが、あれだけ素晴らしい音楽が作れるのに、字がへたであったことと同様に、ダ・ヴィンチにもいくつかの
「でこぼこ」があるはずとの著者の指摘。ダ・ヴィンチは絵については評価は高いが、彫刻にしても、手稿として残された
ものに書かれてある「機械」についても疑問点をあげている。その辺に「でこぼこ」のマイナスのヒントを見ている。
  レオナルドは「脳」における視覚の成り立ちが二つあるとして、
 ・外から入る刺激が徐々に処理されていく「ボトムアップ」と
 ・部屋のようすを目を閉じて想像する「トップダウン」と分類。
 (2010年6月28日字数制限の為カット)


4851,「事業人生を決心して45年」の語り直しー21

2014年06月26日(木)

 * 旧社員の入替と、パート化
 数ヶ月で冬物を大成功させ、その勢いで、翌年の春、夏物まで勢いよく商品が回転した。
しかし、次の秋物が、2期目に入ったにも関らず不調に終わって、その影響で、次の冬物の不調に
つながった。一シーズン失敗すると、あとの2期に大きく影響を及ぼす恐さを肌身で知る。 
その時、何であれシーズン単位の成功が、翌シーズンの成果の絶対条件!そのため仕入の成功と、
良質な知識と情報が営業成績を左右することを知った。
「利は元(仕入れ・情報)にあり」である。 仕入れには、『10、4、2、1の原理』がある。
導入期に10の商品を幅広に展開。最盛期は、それを売れ筋を4を、次に2、最後は1に集中させていく。
見切り時期には、導入期と最盛期の売残り品に、メーカ処分品が加えて格安で処分。
 それを円滑にするには、担当者の仕入、販売、在庫調整の即断が可能な権限を現場に
落とさなければならない。スーパーの生鮮食品と同じで、売りきって何ぼである。
それは、月単位か一日単位か、の違いだけ。そこで数値責任を明確にした部門別管理が必要となる。
最初の一年間は、日々、そのため互いの対話が続いていた。熱くなる反面、冷静な客観性が
求められる。そこには、商品、数値、担当、顧客を鳥瞰する目線が必要になる。 
だから、難しいといえば非常に難しい。その道10年、20年の経験の前任が、未経験者な私には
絶対無理!と断言するのは当然のこと。その中で、数ヶ月で、以前より客足が増えたのには、
彼らも驚いたはず。店は繁盛して何ぼの生き物。 ところが、数ヶ月もしないうちに、残留の社員が
次々と辞めはじめた。 全く素人の私が仕入れた商品に呆れ、新しい伝票システム、マニュアル、
日報、朝礼など、次々と変る中、過って辞めていった社員達の中傷があった。
辞めていった穴埋めに、パート・アルバイトでカバーするしかなかったが、皮肉なことに、それが
プラスになっていた。 新規のパートで応募してくるのは、結婚をして、子供が小中学生になり
手が離れ始めた、過っての販売経験者が主。筋金入りで、生活費の補填という目的を持っていて、
去っていく人達より遥かに良質。新しいマニュアルや、部門別管理の徹底は、入替わった人が
即日、戦力にする仕組みでもある。新システムは、人件費などの経費などの激減効果になっていた。
その頃、石油ショックの影響もあって、就職事情が大きく変わり、翌年の新卒に上質の人材が
多く含まれていた。 新システムに直ぐに馴染んだ彼らが、1〜2年で、即戦力になっていた。 
事業人生を決心して10年間で得た経験と知識が、瀬戸際の中で、完全燃焼をしていた。
・・・・・・
4484, 怒らないって本当は恐い!
2013年06月26日(水)
                 『怒りの作法』小川仁志 著
 生家が大家族で商売をしていたこともあり、自分の感情を顕わにすることは絶対タブーの中で育った。
それもあって『情念の話術』ーヒトラーの魔力 ーを学生時代に読んだ時、私の常識と全く逆の内容に
驚いた。この本でナチスの大衆誘導の手法を教えていた。「大衆は女子供のようなもの。
喜怒哀楽を込めた情念で煽って集団催眠にかける手法。右手を胸につけ右上にあげる。
演説で大声を振り上げ怒りの感情を大衆に訴え扇動する。それらの手法を日常の話術や、
行動のエネルギーの源泉にせよ。喜怒哀楽をエンジンとみたてフル回転し行動のアクセルにせよ」
というのだから・・ 当時の私にとって、これは性格を変えてしまうほどのインパクト。
私が怒りっぽくなったのは、これ。これを人知れずノウハウにしたら、突然狂ったと思われる。
 喜怒哀楽の中で一番疎んじられている怒りこそ日本人に欠けている。(仏教の影響もある)
これを、コミニケーションの扉を開くための道具とすべしというのも納得できる。コミニケで怒りの
訴える強度が一番高い。 もし人種差別の場合、笑って抗議しても、泣いて抗議しても、怒りほどの
インパクトはない。問題は、その表現の仕方である。これが『怒りの作法』の中で貫かれている
主旨である。 怒りこそ感情の主。逆に人間関係を一瞬に破壊してしまう薬にも毒になるしろもの。 
そこに作法が必要になる。
 ここで、アリストテレスの「怒りは、しばしば道徳と勇気の武器なり」という言葉を紹介している。
《 それはまさに「正しく怒る」ことである。「怒らないこと」でなく、「正しく怒ること」が大事ということ。
 アリストテレスの「中庸」という思想を見ると、このことがわかる。中庸とは最も望ましい状態のこと。
怒りに対する「穏和」を意味する。つまり、然るべき事柄に対し、然るべき人に、然るべき仕方で、然るべき時に、
然るべき間だけ怒る。これが賞賛すべき怒り方であって、こうした怒り方の出来る人を穏和の人という。 
怒ることは、必ずしも悪いことではない。しかし、現代人は怒ることを出来るだけ避けようとする。
もっと怒るべきなのに。(p3)》
 以前は、今に比べれば、穏和に怒ってくれる人が多かった。でも現代は違う。怒りを抑えることが
良いとされ、それが沈殿してしまう。そして爆発し全てが破壊する。 怒らないって、本当は恐い。
・・・・・・
4110は、私が "日本の自殺"ー10完全な本を作った
2012年6月26日(火)
 「極端な平等主義を自殺のイデオロギー」とするなら、情報化が正に平等意識をもたらす働きをする。
日本の民主主義は戦い勝ち取ったのでないため、公平と平等の見境がつかないのが実情。
社会主義は、理念として極端に求めた結果、集団自殺の道をまっしぐらに歩む結果となった。
社会主義圏の崩壊である。競争による優勝劣敗のシステムは組み込まれていなけらば進歩は
無くなってしまい、その結果として悪貨が良貨を駆逐することになる。その辺の没落の歴史は、
正直に歴史の中に現れ出ている。 
   * 自殺のイデオロギー     
 ー次の部分は、現時点の惨状を予測した「自殺のイデオロギー」である。
【 諸文明の没落の歴史を辿っていくと、我々は没落の過程で必ずといってよいほど不可避的に
発生してくる文明の「自殺のイデオロギー」とでも呼ぶべきものに遭遇する。それは文明の「種」
により、また時代によってさまざまな形をとってはいるが、それらに一貫して共通するものは極端な
平等主義のイデオロギーである。この平等主義のイデオロギーは、共同体を解体、社会秩序を
崩壊させ、大衆社会化状況を生み出しつつ全社会を恐るべき力で風化し、砂漠化していくのである。
まずわれわれは、戦後「民主教育」のなかにひそむ「自殺のイデオロギー」を平等主義の観点から
吟味することにしよう。日教組イデオロギーに代表される戦後「民主教育」は、差別反対、人間平等
の名の元に、実は画一主義と均質化を教育の世界にもたらした。 生徒の成績表に「オール3」を
つけたり、「オール5」をつけたりする教師や、成績をつけるという行為自体が人間差別に
つらなるとして学籍簿への記入を拒否した「民主的」教師たちの行動は、ある意味、戦後
「民主化教育」のイデオロギーを最も単純な形で表現したもの。「オール3」教師や「オール5」
教師は、臆面もなくこう言ってのけたものだ。「人間は全て平等である。 出来の悪い生徒が
できるのは社会に責任があり、社会が悪いからで子供には何の責任もない。
子供は皆同じように努力したのだから、全部同じ点をつけるのが正義である」と。
 人間の能力は決して規格品のロボットのように平等にできているものではない。
人間はその顔形と同じようにまさしく千差万別の多様な才能、資質を持っており、それこそが、
人間社会の素晴らしい魅力と活力を生み出しているのである。最も人間的な教育とは、
このそれぞれの子供が持っている多様な個性を思う存分伸ばしてやることを大前提と
しなければならないはずである。・・・ 】
▼ アメリカによって与えられた日本憲法と、民主主義の矛盾が、現在の日本の自滅の原因に
なっている。 フランス革命が掲げた自由、平等、友愛の近代市民主義の諸原理で、自由を優先に
すれば平等が無視されるし、平等を優先にすれば自由を制約せざるをえなくなる。
「日本の自殺」は、潔癖といえるまでの平等主義がもたらしたもの。エリート教育を差別として
否定する。これでは優秀な子供の才能の発育が抑えられてしまう。結果がどうであれ、自主独立で
生きてきて良かった! 子供たちだけでなく、社会そのものが極端な平等主義、平凡主義に
毒されていた。その社会常識より己の主観を育て、それで判断することが毒されない道だった。
  ・・・・・・・
3744, 閑話小題
2011年06月26日(日)
  ◆ 長寿の秘訣 ー�
 NHKが放送していた「長寿の秘訣について」を、以前書いた。しかし、何か疑問が残ったのは、
「飢餓状態の方が良いのなら、アフリカや中東などの慢性?飢餓国家の平均年齢が高いはずでは?」である。
問題は少な目ということである。考えてみたら、充分に餌を与えられた実験用の猿はメタボ気味で7分目の方は、
溌剌としていたのは、その3割減だったからである。本当の飢餓状態では、当然ながら早死にする。 
以前、モロッコの片田舎で80歳位の老人に年齢を聞いたら、40歳という。 聞き違いかと聞き直したところ、
「生活が貧しく、まともな食事が出来ないので、この年齢で、老いた風貌になってしまった」と、
泣き出しそうに話していた。腹7分目ならよいが、栄養失調は良くないのである。
  ◆ エアロビックス ー�
 昨日は、スポーツジムで、エアロビックスの「ZUNBA」に初参加したみた。40坪位のスタジオに
100人以上が集まり、要は、「洋風の阿波踊り」。中高年も含め、奇声を発してジュリアナ東京?のタコ踊りを、
エアロビックスの場をかりてドンチャン騒ぎをするのである。変わった衣装を着た男のインストラクターに乗せられ、
その「追いかけ」7〜8人の若い? 女性たちが先導する中、場は最高潮に盛り上がる。 カーテンで真っ暗な
中で電気が点滅する中、若い女性から主婦、そして中高年まで、狂ったように踊って?いや、エアロビをしている。 
隣の人とブツカリそうな密度の中でストレスを晴らすように。・・これは健全な欲求不満解消のランチキ騒ぎ。
まあ、考えたもので、健全といえば健全。熱気に呆気にとられ 一番後ろで壁フラワー・・・・ 
健全な共同発狂の場も、ニーズなのだろう。 新興宗教は、そのへんのニーズを知り尽くしている。 
昔、踊る宗教というのがあった。とにかく三回参加をしてから判断?と思ったが、これは無理だ。 
今度、独りカラオケでも行ってくるか。 
 ・・・・・・・・
3379, 改めて、現時点を考えてみると
2010年06月26日(土)
  現在の恐慌的様相は、ただ事ではないのは今さらだが、歴史的にみて如何いうことだろか、改めて整理してみる。
 これは百年に一度、いや二百五十年、それとも五百年に一度の歴史的大転換期。 
・世界史的にみれば、五百年前にコロンブスがアメリカ大陸を発見し、欧州がアメリカ大陸に進出をし、
 自分たちの文明を世界に押しつけた時代からの延長の終焉とみるか、
・二百五十年前に英国から始った近代資本主義が行き詰まりとみるか、
・80年前にアメリカで発生した大恐慌以来の、第二次の大恐慌とみるか、
・37年前にニクソンがドルの金兌換制度を止め、紙切れを無制限に刷りまくった結果の行き詰まりとみるか、
・20年前のソ連・東欧の崩壊の帰結と見るべきか、 
・9・11とリーマンショックの結果と見るべきか、  等々の見方がある。
 その6つの潮流が重なっているとみるべきだが、そう考えると、この経済と社会の変調は簡単に収まる代物ではない。
ここにきてネット社会という情報化が世界中に波及、一部の特権階級が独占していた情報を誰もが入手可能になった。
アトムという原子の世界から、ビットの世界へ重心が移動を始めた。 ビットはコピーが可能であり無料化を促す。
それが進化を止まらなくしている。 21世紀の視点からみれば、恐慌は今だ体制を占めている20世紀的体制の
本格的破壊である。 哲学的にみればポスト・モダン主義が現象として姿を現してきたことになる。
 日本にとっては、
・65年前の第二次世界大戦の敗戦、・140年前の明治維新、・1467年の戦国・応仁の乱 以来の大変革期にあたる。
 目に見えないが、日本炎上とみればよい。この年齢で大激動を目の当たり出来たことが幸運か不運か? 結局、
アメリカの属国で、完全骨抜きにされてしまった日本が「現時点の日本」である。その去勢された姿を象徴するのが、
社民党の主張であり、自民党の残存保守勢力の姿。 北朝鮮の金一族がアメリカ、支配層が自民党と高級官僚と
自認している輩、とみれば分かりやすい。 一時期は、国民全体が恩恵にあずかったこともあったが、これからは・・・
 ・・・・・・・・・
3004,そう考えない人はどうかしている
2009年06月26日(金)
 「世界は感情で動く」 ー5         読書日記
 ー 行動経済学からみる脳のトラップー
21章 「そう考えない人はどうかしている−フォールス・コンセンサス効果」
  まずはーフォールス・コンセンサス効果ーとは、
【 自分と他者の間に共有されている「合意性(コンセンサス)」を過度に見積もる認知的バイアスをいう。
  つまり、人はある状況における自分の判断や行動は一般的なものであり、適切であるとみているので、
  他者も普通なら自分と同じように判断し、行動すると考えるのである。そして、もしそれを逸脱した
 他者に出会うと、 その他者が特別なのか、あるいは変わった存在だとみなしてしまう。】
 このトラップも陥りやすい思い込みである。 自分の考えが周囲の皆の考えと同じものであることは、
ごく当たり前のことであると思い、そのことに疑いを持つようなことはしない。 しかし一たびその前提が崩れ、
「自分と違う」人が現れると、その人に何か欠陥があるのではというレッテルをはり、自らの「常識」に固執するようになる。 
その辺の町内に居るオバちゃん達の噂話が典型。世間の目線で少しの差異を見つけ出して非難する「あれ」である。
これは世界一般のことだが。しかし「あれ」と同じ思考形態をしている自分を見逃している。考えてみると我われの
思考形態は、それに縛られていることに気づかされる。思い込みの強すぎる私など、全くの偏見の塊と自認する。
おかしな新興宗教に教祖様が羊タイプの人を集めて洗脳するに、教義を「そう考えない人はどうかしている」まで叩き込む。
自分の偏見を定説と喚きたてていた変な教祖様が話題になったことがあった。これを自分に向けると、良くいうと信念。  
悪くいうと独断・偏狭になってしまう。松下教も、紙一重の社内では似たようなようなもの。 共同幻想もハサミも
使いようということ。それもこれも、人間は何時の間にか偏見の塊になっている。で、その偏見で、偏見を解釈している
のだから、ますます、歪んでいくのである。 まあ、それが自分という壁を作っているとすると、私は何?この随想日記も、
「私の偏見日記」ということになる。他人の偏見は鮮明に見えて、自分のそれは見えないから、唯我独尊になる。
まあ、それが人間か〜。 (後記 その視線で下の文章を読んでみると、なるほど!「偏見日記」である。
下手に説得力があるから面白いのだろうが、偏見も自覚が必要ということ)
 ・・・・・・・・・・
2640, ブランド品 ー2
 2008年06月26日(木)
ブランドものに、何故も女性や若者は執着するのだろうか。哲学者にとっても社会学者にとっても、
これは面白い対象である。もともとブランドが一般の人に言われだしたのは1960年代という。それまでは
嗜好品としてマニアへの専門メーカーでしかなかった。それがブランドといわれて世界中に知れ渡ったのは
40〜50年前からでしかない。特に日本人が、その旅行ブームで貢献したのである。
   (字数制限のためカット 2011年6月26日)
 ―――
2001/12/19 261,ブランド品 ー1
 2001年12月06日(木)
ブランド品の定義ー
1、アフリカの土人の酋長と一族が身に着けたがるもの。それも不釣合いのノーコーデネート。 
 一品豪華主義の典型
2、それなりの金持ちが、社会的体裁の為に飾り立てる小道具。
  (字数制限のためカット 2010年6月26日)
・・・・・・・・・
2007年06月26日(火)
2275, 希望格差        (p≧w≦q)オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪
 本屋に「希望格差」という本があったので、概要を知りたいと「検索」をした。
会社を安易に辞めていく若い人を見ていて、「この方々は下流格差を自ら希望の人たちでは?」
と思っていたので、彼らの下流志向のことを書いていると思っていた。 しかし、その意味は
・将来に希望を持って取り組める人たちと、
・将来に希望を持てない人たち、 との格差であった。 
そうすると、当社は将来に希望を持てないと思われたのだろうか?
 (以下は字数の関係でカット2008年06月26日)


4850,閑話小題 ー自動車ウォッチングで見えてきたのは

2014年06月25日(水)

   * 閑話小題 ー自動車ウォッチから見えてきたことは
 22年乗ってきたソアラの寿命も果て、中古の『マークXジオ』を入替えたが、後悔を最小にするため、一週間かけ、
地元の中古車センターを10軒以上を見て回った。そのため、私にとっては、一応ベストに近い選択であった。
 これはホンダの多機能車の『オデッセイ』を意識したワゴン車。その差異は、ターゲットを団塊の定年層にしたもの。 
座席が三列で、二列、三列目は座席を倒すと荷台になる。展示場で、隣にあった『マークX』と、ギリギリ迷ったが、
昨秋に製造中止になり値崩れをした、Xジオの方にしたが、気持ちのどこかに「セダンの方が良かったのではないか?」
と、引っかかりが残っていた。 一週間、気持ちを集中して中古車を見て回った結果、あることが見えてきた。
車を選定するに、まず予算。次は何年乗るか? 年齢からみて、7〜8年。それなら中古車で充分。次は、安全を考え、
中型車のセダン、スポーツタイプ、ワゴン。次は、ひと目で車種が分かりにくく、「屋敷との地くらい」のバランスが
とれた外形のものを基準にして、最終的に、これに決めた。 ソアラに比べ少し重いが、半月後の現在、殆ど後悔はない。 
 毎日の信濃川までのポタリングで、信号待ちや、大手大橋で引きチャリをしながら、通過する自動車ウォッチグが、
最近、面白くなっている。その車の選定には、様々な要因が重なっている。それがボンヤリ眺めていると、面白くて
飽きないのである。 そこで気づいたのが、6割が軽自動車と小型車。地方で雪国もあるが、中型車以上のセダンが
意外と少ないこと。7割がワゴン、SUVか、それに類するもの。それも、ミニバンと、ワゴン車が目立っている。
セダンは、車種全体からみたら大よそ15%で7台に1台。中型車以上で4台に1台の割合。ワゴン、ミニバン、
ハッチバックなどの比率も、3対1には驚いた。 何か「いい年をワゴンタイプは、いかがなものか」という
引っかかりがあったが、これはこれで?と、納得。 それにしても、22年で、時代も車も、変わったもの。
この程度のことさえ、知らないのである。人は、それぞれ違った色のサングラスをかけているが、その自覚がない!
・・・・・・
4483, 電動アシスト自転車に乗って、はや4年
2013年06月25日(火)
 電動アシスト自転車を乗って3年8ヶ月になる。 まずは、その時の文章より 
   ー3131,期待どおりの電動自転車 2009年10月31日(土) 
≪ 注文をしていた電動自転車が一昨日届き、昨日の朝、さっそく試乗したきた。自宅は長岡駅裏から徒歩10分にあるが、
 長岡駅前から歩いて20分のところにある大手大橋まで12分で着いた。信濃川を渡ったところのジャスコには15分、
ユニ系のSCのアピタまでは20分。そして、その先にある長岡大橋から駅前近くまで戻って、家に着いたのが50分後。
万歩計をみると、2500歩になっていた。50分というと5500歩になるから半分近くになる。疲れは、ウォーキングと
同じぐらい。 これまでは月に一〜二度ママチャリに乗るぐらい。一日一万歩を目指しているので、自転車にはほとんど
乗ることはなかった。そのためスポーツタイプで、6段切り替えで、かつ一対二のアシストの自転車を乗った驚きは大きい。
一対二のアシストというと、人が一の動力をかけると二倍の加速がかかる。自転車は発進時の加速と、登り坂に力を要するが、
その時にペダルに力が二倍加わるのは、何か異様な感がする。コースは線路の下をくぐる地下道の登りとか、信号待ちの後の
加速とか、大きな橋までの登り坂とか、起伏がある。そのストレスがゼロで、平らの道路でペダルをまわす時の加速も
三分の一で済むのだから、非常に楽である。ところで、通販で注文して送られてきた電動自転車を組み立ててくれた長男が、
「すぐに、盗まれるよ!」というのも分かる。小型のためボックスカーに、簡単に乗せる事が可能だからである。 
 一年ほど前に、家内に電動自転車を買おうかどうか相談したら、「友達が買って直ぐに盗まれてしまった。あと数年先が
よいと思うよ」といって、買うのを止めた経緯もあった。スーパーや、駅前などは当分は置けないが、その時はその時。≫
▼ これを書いた翌日から25年続けていた早朝ウォーキングを、ポタリング(ミニサイクリング)に切り替えた。
 同じ一時間で、コースは東バイパスから、長岡大橋を渡って、日赤前の土手を通って、大手大橋から、土手を走り、
長岡大橋に戻り、同じコースを逆に帰ってくる。 冬期間(12〜3月)と雨天を除くと、ほぼ毎日、乗っている。
大よそ、年に200日として7百回以上、一日、14キロで1万キロ、地球を半周、チリ辺りまで走ったことになる。
スポーツチェーンのネット販売で59800円で買ったが、中国産だが私にとって大当たり。現在は値下げで49800円。 
もうボロボロだが、何とかあと一年使って買換えるつもりである。まず故障するのはブレーキと、蓄電池周りの
固定器具。パンクは三月に一度ぐらい。来年には、一ランク上のナショナルのものを買うつもりだが・・  
自転車には、シティ、クロス、ロード、マウンテンタイプなどがある。 私のは車輪の小さなマウンテンタイプ。
来年の購入予定はナショナルのクロスタイプのもの、どうなることやら。iPodで音楽を聴きながらの
早朝サイクリングは良い。雨が降ると溜息が出るほど。最近の週末は天気の具合をみて、昼も同じコースを走っている。
・・・・・・
4109, 閑話小題  ーつれづれに
2012年6月25日(月)
   * タクシー運転手の「声」の投書内容
 昨日の朝日新聞の『声』に、タクシー運転手の投書が気になった。「連休明けから景気がおかしいとか、
野田政権の改革なき増税とか、原発再稼動への批判ばかり。実際にタクシーの売り上げも悪い」という内容。
もともと5月の連休明けに売り上げの一段落ちは恒例だった。としても、今年の落ちは厳しいだろう。 
実際に事業を無理をして続けていたら、今ごろには深手で力尽きていたはず。 一年先までの資金繰りが読めた
事業だったので、早々に見切りをつけたが、本当に決断をして良かったと実感している。ホテルの買い手が直ぐにつき、
5つの新潟駅前物件が処分出来たが、現時点では無理だろう。消費税が内税ということもあり、経費の5パーの負担は
限界を超える。その上に、値上げによる売上げダウンは避けられない。とはいえ、増税以外に収入を増やす手立てが
ないのも事実。 民主党も自壊段階に入った上、小沢も完全に終わり。あの自民党の面々を見ると、石原か橋下しか
いないのだろう。現場の先端は震撼としているのだろう。
   * 原監督の件で、マスコミはダンマリ
 土日のワイドショーで原監督の下ネタで大騒ぎをするかどうかみていたが、殆ど扱いは無かった。
読売の渡辺恒夫が恐ろしいのか、影の話し合いがあったのか? 一局を除いて、どのTV局も扱い無し。
誰がみても後ろに暴力団が関係しているのは分りきったこと。ということは早かれ遅かれ原監督はプロ野球から
追放になるのが自然の流れ。巨人のスター選手なら、下ネタの2〜3はあって当然だが、警察に相談しなかったのが致命的。
 うやむやに闇の中に葬り去られるか、恐喝犯が逮捕されるか、見もの。 恐喝の二人のうち一人が交通事故?数年前に
死亡しているという・・ 事件が事件だけに、それも事故かどうか? おまけに、リークしたのが元球団代表の清武なら、
これ以上面白い筋立てはない。 やはり当分は、これが槍玉に上げられ、その間に、消費税が可決される。現役の巨人監督の
スキャンダルなど、これまで聞いたことがない。それも輝かしい功績があり大スターである。
・・・・・・・
3743, 閑話小題
2011年06月25日(土)
   * エアロビックス
 スポーツジムで週二回は「エアロビ」に参加する。だいたい30〜50人が、スタジオで色々なプログラムをこなしている。 
15〜20分の休憩をおいて何かが30〜50分の間行われている。けっこうメニューがきつく、年代が高くなるほど参加者が少ない。
男の参加者は数名で、片隅で小さくなっている。いい歳をして恥ずかしいが、それでも気を入れて何とかついていっている。
 年代が高い人やメタボの人は、スタジオ外のランニングマシーンや、サイクリング・マシーンの間の空間で、インストラクターの指導で、
12人がステップ台とマシーンを交互に使うイージーラインというプログラムをこなす。それをエアロビックの参加者が冷たい?視線で、
行列に並びながら見ている構図になっている。このところイージーラインの25分のプログラムを5分の休憩をおいて続けて参加してきたが、
この梅雨の湿気で一回限りにしている。 
 ところで、一昨日は、スローヨガに初めて参加をしてみた。キツイと覚悟をして参加したが、意外と楽であった。 これまで
「らくらくエアロ」「バランスボール」「シェイプボクシング」「ステップ30」「スローヨガ」など10回以上は参加した。 
最後の、「スローヨガ」を除いて、他は、ついていくのにやっとだが、3回をこなすと力の抜き方が分かる。それにしても、あの熱気は凄い。
時どき、それに参加している自分が可笑しくなって笑いを堪えている。今日は、「ZUMBA」というプログラムに参加するつもりだが、
ドンチャン騒ぎをエアロビに取り入れたものと、説明書にあった。面白そうだが、65歳の男が昼間からドンチャン・エアロに参加して
よいものだろうか?  ここまで、くれば同じか! そういえば、6月に入ってから、どうも私のいる時間帯では、2〜3割位は
減ったような気がする。不景気が影響しているのだろうか。
 ・・・・・・・
3378, 生涯に直面する四つの不条理 −2
2010年06月25日(金)
    「生き方の不平等」 白波瀬佐和子著
 まずは、家柄などで絶対的な差がつき、就職時の時代背景が良し悪しが大きく一生を左右し、男社会の中、男か女かでハンデがつき、
老歴期までの準備の蓄積の格差がつく不条理を著者は述べている。何度か書いたが、選りすぐり前の最終の中学校の同級生を見ると、
その時の成績順が、そのまま人生の生き方を決めている。一番が慶応大の教授、二番がレコード協会の専務理事、三番が・・・ 
そんなことは、この齢になると、どうでもよい。冷静に考えてみると、元もと格差があったのが、街中の学校区ということで集まっていただけ。 
地元には新潟大学の付属の小中学校もある。 学校、医者、弁護士などの先生の子供や、大手企業勤務の子供が行く学校。 
子供なりに、腑抜けたイメージと嫌悪感を持っていた。最近になって知ったことだが、私の卒業した中学校にわざわざ越境していたと
数人から聞いた。それほどの学校ではないが、振り返ると、それなりの素材がいたようだ。
 次に、社会人への転換期の時代背景も大きい。私の学生時代は東京オリンピックが終わり、高度成長期の真っ只中であり、夢さえ持てば
チャンスが幾らでも転がっていた時代だった。歴史的にみて黄金の時代。もう、あのような急激な右上がりの時代はない。歌謡曲は時代を
表すというが、次から次へヒット曲が生まれた。 ところが現在は卒業の学生の四分の一が就職できない時代の巡り合わせ。不条理である。
 そうこう考えると、両親の質と良好の関係と、時代背景と、男女差で、大方が決まるという不条理がある。
その不条理を撥ね退けて成長するには並大抵の努力と幸運が必要。秋葉原と、先日の広島のマツダの無差別殺人は、
これらの不条理が本人に覆いかぶさった結果である。 一つ間違えると、二度と日の目に会えないのが現実である。
結局、教育は自分が教師と生徒の役割をバランスを持って果たすことだが。 現在ネットという世界ができた。
これが果たして、不条理を乗り越える役割とチャンスを与えることになるだろうか? 運命と宿命が人生を決定する。
 ・・・・・・・・
3003、アルコール依存症
2009年06月25日(木)
  これまで何度か酒の失敗について書いてきた。飲む、打つ、買うのうち、一つは癖の悪さがあるというが、私は酒。
 といって私から酒の癖の悪さを取ったら、これほどツマラナイ人間はいないだろう?と、一人うそぶき飲み続けている。 
 少なくとも10年は命を削っている。 人間関係も10倍、いや100倍は広がっていただろう。
 1年間に次の7項目のうちの3つ以上あれば、アルコール依存症という。(但し国際基準)
・1番目は、アルコールに対する「耐性」。 切り上げのタイミングの意志が弱くなってきて、
 1杯や2杯で十分満足していたのが満足できない。 つまり、耐性が形成されたということです。   ー適応
・2番目は、酒を飲むのを急にやめたり量を減らしたりすると、離脱症状(禁断症状)が出るかどうかです。 ー不適応
 手が震える、幻聴がある、幻視がある、発熱をする、落ち着かない、イライラする、不安感が出てくるなど、幅が広い。
・3番目は、「8時でやめるつもり」「3杯でやめるつもり」「ビールだけにしとくつもり」    ー適応
 「帰る前に家族に電話をするつもり」などさまざまな「つもり」で飲みはじめるが、結果的にこのつもりが守れない。
・4番目は、何度か酒をやめよう、減らそうと試みるがうまくいかない。  ー半適応
・5番目に、酒を手に入れるための努力や、酔いから覚めるためにかかる時間が長くなってきた。 ー不適応
・6番目が、飲酒のために遊びや仕事など、他のことをやらなくなってきた。     ー不適応
・7番目が、酒に酔っていろいろ不利なことが起きているにもかかわらず、まだ飲んでいる。 ー適応
  これからすると私は、軽いアルコール依存症ということになる。特に三番目が、問題である。少し厳しい?ようだが、
 半分の3・5が適応するから、軽いアルコール依存症というところか。 また国際基準というから。
  少し話は変わるが、日本の自殺数は先進国でトップで、44歳までの男性の死因でも自殺がトップ。
 年間3万3000人の自殺者が出ているが、その15%がアルコール依存だから、5千人が死んでいる。
 過度の酒は緩慢な自殺の一つである。 多くの失敗もしたが、面白かったことは、その100倍だから止められない。
 しかし軽度とはいえ、アルコール依存症とは自覚していなかった?が、身に覚えはある。 私の場合は切り上げの意志である。 
 財布の金を二軒分にすれば良いだけ。 酒が不味そうだが、慣れれば同じか!。
  解ってか、父の日の息子二人のプレゼントは紹興酒二本と、ワインであった。
・・・・・・
2639, 世界の原子力発電の実情はどうか?
 2008年06月25日(水)
このところの原油高で、世界の原子力発電所の建設計画は活発になっている。
更に、石油が環境に与える影響の大きさから、原子炉のエネルギーが見直されている。
地震のリスクを大きく抱えている日本も、綺麗ごとをいってはいられない事態である
今後、アメリカ、中国が大量に原子力発電所の建設に入るようだ。一時、知識人の原発反対が一つのコンセンサスだったが、
今では殆ど影を潜めている。 そこで、世界の原子力発電はどうなっているか?を調べてみた。
 ーー
世界の原子力発電所の数は、2006年12月末の時点で、 運転中が429基(約3億8705万kW)、建設中が35基(約2940万kW)、
計画中が47基(約5217万kW)とされる(日本原子力産業協会の発表資料による)。国別の設備容量ではアメリカ合衆国が最大で、
06年12月末では約1億476万kW、103基となっており、フランス(約6602万kW、59基)、 日本(約4958万kW、55基)、 
ロシア連邦(約2319万kW、27基)、ドイツ(約2137万kW、17基)、 韓国(約1772万kW、20基)の順につづく。
 ーーー
情勢とは面白いものである、世界の大きな流れであった原発反対の気運が一挙に消えた。
それでも、この石油高の中で比較的冷静であるのは、代替エネルギーの比率を大きくしてきたから。
それでも、日本は危機状態といってよいから、必要悪としてもなくてはならない。
・・・・・・
2007/08/06
 2316, 日本の原発依存度って、どうなっている?     ファァ(*つ●-*)*.;'Good☆Morning
 今回の地震による柏崎刈羽原発の火災などで、殆ど意識してなかった原発に対する依存度に少し関心が向いた。
 ーインターネットで早速しらべてみた。  
(字数制限のためカット2010年6月25日)
・・・・・・・・・
007年06月25日(月)
2274, 現在とは何か         (o´・ェ・`o)♪。o.+゜。*ぉはょぅ
 「現在」とは何だろうか? 
歳を重ねれば重ねるほど、その意味の深さを直感する。その意味の奥に一歩でも立ち入ってみたいと思っていた。
ところが面白いもので、そう思っていると丁度知りたいと思った分の知識が、目の前に現れるから不思議である。 
決して哲学的に難しい理屈ではない。何時も直面している「いま、ここ」、「現在」の意味である。
文芸春秋の特別版「一冊の本が人生を変える」の中で、 ーハインペル『人間とその現在』訳者である阿部謹也氏(一橋大学名誉教授)の
「ハインペルとの出会い」という文章の中で、この本をあげている。難しい本を優しくまとめてあるため、中味の濃い内容になっていた。
  ーその内容の一部を抜粋してみるー
ー私が大学三年のとき、歴史というものを自分の外の世界で起こっている出来事の流れだと思っていた。
その出来事が確固とした流れをなしており、その過去から現在までの流れを観察することが歴史学と思っていた。
しかし本書を読んで私のそのような印象は全く崩れ去ってしまったハインベルによると「現在」は4つの層から成り立っている。
一、まず、そのときそのときの現在が問題になる。
 私が子供の時のある日の出来事に刻まれている現在。 それは過ぎ去ったものとして過去に属するが、
 そのときの「今」という意識は生き残っている。青年期にも中年期にも老年期にも、その時その時の現在がある。
 その時の現在はいつから始まるかといえば幸せな結婚生活を送っている人にとっては結婚以後が現在になる。・・・
 かってはロシア(ソ連)の現在は1917年のロシア革命に始まっていた。しかし、現在のロシアはソ連邦の崩壊以後
 ということになる。破局と大革命、強制力のある理念などが現在を現出していることになる。
二、次に、持続する現在がある。
 私たちの意識の下層は過去を残している。
 言葉と習慣と食べ物などは正にそのような過去のものが現在に生きている姿である。ひとたび創りだされたものが
 生きつづける姿もまた持続する現在の姿である。 秘蹟の中にキリストが現在する形でミサも営まれている。
三、一回限りの現在がある。
(字数の関係でカット2013年6月25日)


4849,閑話小題 ー最後は、金目でしょ!

2014年06月24日(火)

   * つい本音が出てしまう!
 時と場合によるが、やはり拙い発言である。 実際ところ、そうだが・・ 
普通の子女史が売春する値段が、世界共通で、その地区の平均給与の一週間分という。
それなりの事情で「最後は、お金でしょ!」が、この値。リーマンショック直前の2007年暮れから
6年余りで、ドルの発行量が三倍になったが、為替値が112円。一割しかドル安になってない。
常識的にみれば、三分の一の40円以下になって然るべきなのに。その差額は?
アメリカが刷った分、何もしないで手にいれたことになる。これ某国の偽ドル札と、
どこが違うのだろうか? 当時の650〜700ドル金価格が、現在は2倍。
これも3倍になっておらず、不自然。 大元が、コントロールしているため。 
最後は、お金だが、その価値も当てにはならないことが、これから垣間見れる。 
金の本質は所詮幻想! としても生活には必需品である。 歴史的に見ると、意図的に
戦争を起こし、ドサクサでハイパーインフレになり、一度、国家の借金を清算するのが常だったが、
世界大戦は無理。そこで、国債と株式の暴落で清算するしかなくなった。元々、貧乏な中国、
ロシアが、元に戻り、欧米と日本の大半が、負組みの貧乏になる図式が近い将来の姿。 
で「最後は、金目でしょ!」が、更なる本音になっていく。 当地の住民のインタビューが
的を得ている。 『最後は金だろうが、それを担当大臣の口からは言われたくない!』が、よい。
本当のことは言わないことだが、本当のことは、つい口に出てしまう。
   * 都議会の女性差別?発言
 この程度の野次は、都議会、国会では当り前だろうが、たまたま、マイクに拾われ、大騒ぎに
なってしまった。当然、バッシングで政治生命が完全に絶たれるが。少子問題を取り上げる
当人が独身で、『それなら、自分から、結婚して、子づくりをして、その範を示せ!』というのも
一理はあるが、あの場では、絶対に禁句。阿部首相が、「この難局には、更なる女性の
社会進出が必要」と政策を掲げている中での、身内からの、この発言はいただけない。世界的に、
女性蔑視発言と、嘘をつき逃れようとするプチ権力者の哀れな姿が蔑まれて報道される? 
 当人は、これが世界的に注目をされて時の人になるとは、思ってなかっただろうに、言葉は恐ろしい。
・・・・・
4482, 静かなる大恐慌 ー2
2013年06月24日(月)
          「静かなる大恐慌 」柴山 桂太 (著)
 グローバル化は多くの問題を世界中に撒き散らすが、情報化社会では今さら止めることは出来ない。
それは弱肉強食を推し進める。 痛みを伴なっても、乗り越えなければならない現実がある。
 ー グローバル化についての部分を更に抜粋すると
 ◎「過去の行きすぎたグローバル化は、最終的には二度の戦争によって終わりを迎えた。それを繰り返さないために
  何が必要かを考えることこそ、この危機の時代における思想と行動の、真の指針となるべき課題です。」(219頁)
 ◎「グローバル化と国家主権と民主政治の組み合わせを比較し、行き過ぎたグローバリゼーションへのバックラッシュの
  なかで、いかにグローバル化路線を各国レベルで修正していくか、そこが問われる局面が始まろうとしている。
  それは、グローバル化の進展による国内対立の激化とそのための「大きな政府」の必要性になる。
 ◎「大きな政府」が主導する経済を「国家資本主義」という言葉で言い表せば、「自由資本主義」とはいえ、一皮剥けば
  国家資本主義的な側面をかなりもったものになる。それは一握りの勝者に力が集中することを意味する。
  ネットで世界が繋がった、これまでなかった情報社会でのグローバル化を今さら変えることも否定も出来ない。
  この事態は何事も事前に対策をとることが不可能である。リーマンショック後にアメリカが行った財政出動で、
  何とか世界は巨大な崩壊を避けたが、実体経済が正常化したとは到底思えない。
 これらから、以下の問題点が見えてくる。
・グローバル化は大きな政府をつれてくる。(格差や失業は福祉でカバーしなければならない)
・グローバル化は単なる新自由主義者の自己救済でしかない。
・グローバル化した資本主義は戦争に行き着かざるを得ない。
・グローバル化は新興国の足かせになる。
・グローバル化は地方を疲弊させる。
▼ 今度の、グローバル化は、以前より遥かに大きな断層になっている。パソコン、携帯電話が地球の隅々まで
 行渡りネット社会が現実社会の上を覆いかぶさった。これをコントロールするのは至難の業である。否が応でも
 民が主になってしまったのである。これに対する新しい政治経済の新システムが全く確立出来てない。
 その経済的側面が恐慌であり、独裁国家が次々と崩壊している「アラブの春」といわれる現象である。
 したがって、政治経済の混乱は、あと20年、30年は続くとみてよい。だから、現在起こって問題は数百年、数千年に
 一度の大変動のウネリということになり、変化を拒否するのではなく、可能な限り静かに順応していくしかない。
・・・・・・・
4108、パニック!
2012年6月24日(日)
 * 大恐慌、実体験談!           「大恐慌! 」スタッズ・ターケ著
 日本人の近い未来を予測させられる本である。80年前の大恐慌の経験を、30年後の1960年後半にシカゴを中心に
金持ちから貧乏人、白人、黒人、日本人などが大恐慌時代の生々しい現実をインタビュー形式で答えている。実体験なので、
これからの暗い現実を垣間見ているようだ。直撃を受けて生活に困った人、運良く、乗り越えた人などいろいろある。ここでは
生きのびることが、その世界の掟だった。世間知らずだった人々に、突然世界が押し寄せてきた当時のアメリカの生々しい
現実がリアルである。大恐慌は、バスタブの栓が抜けるように始まったとある。それが年内に始まる可能性が大という。
他人事でない、私の場合、現実に一年前に先駆けて起こってしまった。そのため、それが始まった時の混乱がリアルに見えるのだ。
 鼻声で他人事で嘲笑している顔が、海岸線にいた津波の犠牲者に二重写しになって見えるのである。
  ーアマゾンの内容紹介ー
80年前、人びとはあの“つらい時代”をいかに生き抜いたのか? そして今、われわれはどう生き抜けばいいのか!  
『仕事!』『「よい戦争」』等でインタビューの名手と謳われたスタッズ・ターケルが、ローズヴェルト政権の中枢部から失業者、
役者、犯罪者にいたるまでさまざまな階層・職業の人びと132人にも及ぶ声を赤裸に再現、あの“つらい時代=大恐慌時代”を
なまなましく蘇らせる。
* 「恐慌(デプレッション)」って言葉は聞いたことがないよ。つらい時代(ハード.タイムズ)だって、みんなは言ってた。今も。
                               ーロジャー、十四歳アパラチア地方の少年、シカゴ在住
* 大恐慌っての、今なら面白いかも。ホント、すごいことじゃないかな。 路上生活をしたって、「ほら、家に帰って学校に
 行ってくれさえすれぽ一万ドルあげるから」なんて誰にも言われないんだもの。今のぼくらには選択の余地がある。もし選ぶことが
 できなかったら、どんな感じかな?               ートム、二十歳
* このことをおたしは記憶にとどめています。人によっては頭のなかから追い払ってしまうことですが。わたしは忘れたくない。
 自分の最高の思い出をそれで汚したいわけではなくて、それはそこに存在していてほしいんだ、なにしろ実際に起こったことだから。
 これが真実、歴史でしょ。                   ーシーザー.チャペス
* 彼らが愛したのは、死んでしまったわたしたち。
  彼らはわたしたちの誤りをすべて忘れた。わたしたちの名前はごたまぜにされた。
  物語は長かった。
  若者たちは踊った。焚き火にくべる新たな大枝を切ってきた。そして言った、さあ話の続きを聞かせてよ。それからどうなったの?
   わたしたちには沈黙があった……              ージェネヴィーヴ・タガード、婦九四〇年
 ▼ 黒人のインタビューで、「貧しい俺たちにとって、大して変わりはないね」という言葉が印象的だった。誰かが
  アフリカの難民を呼びよせて福島の惨状をみせたが、何も言わないで帰った。彼らにとって、それが日常でしかなかった。
・・・・・・ 
3742, 世界でひとつだけの幸せ
2011年06月24日(金)
      * 「世界でひとつだけの幸せ」 マーティン・セリグマン著
 学生時代にポジティブ心理を知り、多くを実践し、矛盾を感じ、最近では考え方の一つとして割り切ってみている。
その最たるものが、中村天風の「積極的ものの考え方」である。 少しスランプ気味になると、トイレに二冊、置く習性になっている。
現在も数ヶ月前から、しっかりと置いてある。その辺のタイミングは心得ている。
 あまりポジティブ思考に固執すると、嫌なこと、マイナーなことから目を背けてしまい、重大なミスに気づかなくなる。
ポジティブ的思考には、かならず逆照射のマイナー思考を重ねる必要がある。当然、両者の要素が濃くなるほど混乱、
葛藤が大きくなる。しかし、そのプロセスを踏まないと落とし穴に落ちるリスクが増す。ところで、この本、読み始めたが面白い。
 ここで著者は、ネガティブ志向の人が、自らの短所や悩みを解消するのではなく、それぞれにもともと備わっている「強み」を
さらに伸ばすことで今よりもっと幸せになると説いている。
 人間も動物も、細胞から進化して現在に至ってきた。現在まで生き抜いてきた生物は、それぞれの場面で必ず、それぞれが持つ強みを
発揮したから、ここまで到達してきたのである。「自分の中にある強みの遺伝子は己の中で出番を待っている」という考え方は説得力がある。 
 そこで私の強みとは何か?を、人生を振り返って考えてみた。そこで気づいたことは、どの場面でも、「学び続けていたこと」であった。
初めは実利的なことだったが、途中で変化していった。当然といえば当然のことだが。「僅かな地球の滞在期間を、せっかく与えられた人生、
可能な限り多くを知り、経験をし、楽しまないと」そのための学びになっていった。その一つが、10年前にHPをネットで公開し、
因縁のある人に学んだことを晒すことを思いついた。 そして、その習慣が現在のエネルギーになっている。 で、このザマ? 
それでも全くかまわない。その通りである。 この習慣そのものが、自分を支え、現象に振り回されながらも冷静でいられる。 
 それと、良いと決めつけたことを習慣化してしまうこと、これを重ねていくことも強みである。反面、悪い習慣を、そのままに
してあるが、治そうとしない、だらしなさがある。 弱点の克服も、重要という自覚がない。「強み」を生かせは、ドラッガーが
強調していたことだが! 人間の強みの最大の一つは、形而下(現象など)を、形而上に変換し、考えることだが・・・
 ・・・・・・・
3377, 人は風呂に何を求めるのか
2010年06月24日(木)
 我われは、毎日、熱い風呂につかり、汗をながし、疲れをとる。そして疲れていればいるほど「極楽、極楽!」という気分になる。
世界中で、汗をかくほどの湯につかる「熱湯浴」に入るのは、ごくごく一部。ホテルの浴槽に湯を溜め浸かるのも日本人だけ。
だいたいが、シャワーで済ませる。北・中米のインディアンのシャーマンが「トランス状態に入る手段としての装置として
半地下の小屋で火を焚き、裸になって汗をかく「熱気浴」がある。 これが、焼き石を持ち込むことに替わり、焼き石に水をかけて
蒸気を発生する「蒸気浴」が生まれた。 古代ローマも、各地から多くの資源を持ち込み、娯楽施設としての温泉施設をつくった。
ローマ劇場、温泉は、町をつくるにあたって、大きな設備になっていた。 日本の風呂は、むしろ古代ローマのものに近い。 
日本の風呂は仏教寺院の蒸気浴から始り、これが風呂を開放する「施浴」などで、一般に広がり、公衆風呂になっていく。
「風呂に入って、フアーっという浮揚感が、極楽のようだ」となり、現在でも極楽極楽という。世界中の人は、働き、遊び、
汗をかいた後に、汗や垢を流すことで、爽快感を感じてきた。その一瞬が、しあわせ!という、一瞬の気持ちになっていた。 
刹那の風呂の幸福感は強烈なものである。 だから、日本人は昔から温泉浴を楽しんだのである。湯治といい、病になると
温泉に長時間の療養をしてきたのである。  国によっては、風呂に入る習慣もないところもあるようだ。 中学校の同級会で
「当時風呂に、月に3〜4度位しか入らなかった」という話題になったことがある。現在は入らない日は数ヶ月に一度あるかないか。
ある女優が、「風呂に二時間も入っていることがある」と言っていた。ぬるま湯にして、半分寝た状態が貯まった疲れをとり
美容によいという。 一種のサウナとしてホテルなどバスタブを使うことが多いという。
 私は平日、寝る直前に熱い風呂に15分ほど入る。 また土日は朝の9時位に30分ほどつかる。
その辺りが、私の週単位の一番リラックスする時間帯である。5時前に起床。この随想日記を書き上げた後に、
信濃川岸のサイクリングかウォーキング、そしてSC内のベーカリーで焼きたてのパンとコーヒーを飲んで、帰って新聞を読んで、
風呂に入るのが9時になる。 前夜に酒を飲んで、気分が高揚していれば尚のこと爽快。 金のかからないプチ・ブル気分。
 ・・・・・・・・
3002、新潟駅前・闇金女子事務員殺害事件
 2009年06月24日(水)
 昨日の昼前に事務所に訪ねてきた知人が興奮した面持ちで、「闇金の事務所の至近距離にあるホテルの美容室に勤務している
娘が昨夜帰ってきて泣きながら、殺された女性が二年前から担当になり、二日前の土曜日に美容室でセットした」という。
特異な事件だけに思わず身を乗り出して聞き入ってしまった。新聞では金は置いてなかったとあったが、昨日のTVのニュース
では100万円以上が盗まれたと報じていた。闇金なので金は無かったとしか言えなかったのだろう。 それにしても、事務所内は
血の海で、血の足跡が外まで続いていたというから、凄惨な殺し方のようだ。 月曜日の朝一の9時前に危なそうな闇金からみて、
極道系の人間と推察される。 監視カメラの無い逃走道路を前もって決めておいて逃げたのだろう。
犯人逮捕は簡単ではないだろうが、リピーターの可能性もあるから、どうだろう。女子事務員は、両親と三人住まいで48歳の独身、
黒崎の寿司屋の夜は勤めていたというから、大した給料ではなかったようだ。 
 (字数制限のためカット 2012年6月24日)
・・・・・・・・・
2638, 娘に贈る12の言葉  ー5
 2008年06月24日(火)
投資家ジム・ロジャーズの言葉  ー読書日記
 ー8、汝自らを知ること。ー
・自分自身をよく知ってほしい
 ソクラテスは「自分の無知を自覚して自分の魂を育んでいくよう」という 倫理的要求として、自らの行動上の標語としたと
言われている。もともとはスパルタのキロンの言葉といわれ「身の程を知れ」という意味だった。 投資で成功するには
何をさておき、自分というものを解っていなくてはならない。 どんな時にも、冷静な判断をしなくてはならない。
そういう状況に自分がパニックになるかを知っていることが重要。人は自分の好きなことについてはうまくやることができる。
 自分が最も好きなことを続けなさい。そうすれば成功をすることが出来る。
・人は群集心理にかられやすい  群衆から離れて冷静に状況を判断すべきである。
・パニックを起こしてはならない。心理学を学ぶべき。マーケットで起こりやしヒステリック状況を冷静に判断すべきである。
解)命と同じぐらい大事な金を賭けるのだから、顕わな自分と直面する。命を摩り減らすのは自明である。
 投機と投資を間違わないことだ。幾ら投機で損をしたことか!中国のバブル崩壊のパニックが何時起こるかである。
 ヘッジもしておかなければならないことも確かだが。
  ーー
 ー9、変化を捉え、そして受け入れなさい。ー
・すべては変化していく。
 世界は時とともに変化をしていき、それが重なったのが歴史である。 あるものにとっては開かれていくプロセスであり、
 あるものにとって閉ざされていくプロセスになる。変化は触媒になりうる。大きな変化こそ大事なのである。
 大きな変化は十年単位、百年単位でおこるもの。
・需給の原理を覆したものはいない。共産主義は需給に頑強に逆らってきた。
 需給の原理は経済の教科書の一ページにかいてある。これに逆らったからソ連は崩壊した。
解)現在の変化は、地球上の半数を占めるアジア人、その中でも中国に火がついたことと、情報化の大波が世界を揺るがしている!
  と言ってよいだろう。ナチ、ソ連など独裁国家がオリンピックを開催すると何年後に体制が崩壊する。
  中国も、一度解体するのだろうか。 見ものである。


4848、「事業人生を決心して45年」の語り直しー20

2014年06月23日(月)

    * 衣料品の季節物は投機商品
 秋物の後は、冬物、春物、夏物と一日一日が全く新しい経験。新シーズンの商品に出会うのは、一周りする一年間は、
何もかも初めて。セーターを例にとると、その素材はウール100%とアクリルがあり、その混毛もある。その裏を見ると、
生産メーカーや、素材などが表示してあることすら知らない。それを地元問屋の専務から一つずつ教授して貰う日々。
ひたすら、その場、その場で憶えていくしかない。しかし、過去の勤務先では、毎日が、高速配転という名の現場教育で、
連日が未知との出合いは経験済み。キャリアとは、各部所への配転で、多くの仕事をこなした職歴を持った総合職。 
仕事を身体で憶えるには、現場配転しかない。20歳の頃、「父のような創業者を目指す」と決意したとき、それは、
新規事業を立上げるキャリアを身につけるため、留まることない自己配転の人生を選択したことで、常に、その圧を
自分にかけ続けることになった。 新潟駅前のビジネスホテル事業シリーズが、この結果に終わったのは、10年目か、
少なくとも15年目で、その事業から身を引くか、違う事業に転身出しなかったため! その善し悪しは別として、創業を
繰返す人生を、社会の出発点の構想が、ここでブレていた。 雪国の壁の中、茹で蛙になってしまい、バブル崩壊と
ネット社会の到来がもたらす激変を読めなかった。 「まさか、ここまでの激変が?」では、事業者は許されない!こと。
最後の結果は、時代の激変だけが原因でなく、私の時代感覚の鈍さであり、「元は私、そのまま、結構」と、諦めがつく。
 話は戻る。現場に飛び込んでみて、季節物衣料が投機商品ということを、直ぐに思い知った。一年を、春夏秋冬に分け、
それぞれを、導入、最盛、見切り期に、1ヶ月に分ける。とすると、季節ものは月単位の、思いきった判断が求められる。
それが商品毎に違うため、年中、切った、貼ったの、投機商品の只中に身を置くことになる。ヤクザなら「切った(殺傷)、
張った(博打)」。衣料品なら、正札の「切った(値下)、はった(正札上に値下値を貼ると、売れ筋に商品を集中)」
になる。これには、経験と、直感と、場数が必要になる。義兄にすれば、私が、出来よう筈がないと確信するのも分かる。
しかし幸運も重なり、店として一シーズンを大当てをすると、その勢いが次に続く。 逆に外れると、逆回転をする。
これに、エネルギーが加味され、結果がそのまま露呈する。生まれ育った10年間の生活環境と、創業を決意しての
10年間の自己配転の全てが、極限の中で、プラスに働いていた。
・・・・・・
4481, 静かなる大恐慌 ー1
2013年06月23日(日)
          「静かなる大恐慌 」柴山 桂太 (著)
 リーマンショック以降、現在も静かに大恐慌は続いていると何度も述べているが、マスコミはテーマにしない。
タブーかどうか分からないが? 地方もあってか周囲の状況は惨憺たるもの。私の年代がリタイアの時節もあるが、
私を含めて過半数以上が直撃を受けている。ただ、あまり表立って話題にしないというより、明日は我身で黙るしかない。
 その現状そのままを、ズバリ書いてある本があった。100年近く前の恐慌と二つの世界大戦を、現在の状況と重ね合わせ、
世界も日本も、静かだが既に世界恐慌に入っていると分析している。
   ー まずは、プロローグより ー
《 世界は「静かなる大恐慌」に突入した。危機的なのは経済だけではない。
 国際政治は一九二九年の世界大恐慌をはさんだ、ふたつの世界大戦の時代と同じコースを歩み始めた。
グローバル化が必然的に招く、社会の不安定化と経済の脆弱化。それによって国内でも世代間、産業間、都市対地方
などの対立が激化している。この不安定性に耐えうるシステムは、通説とは逆に「大きな政府」の復活しかない。
この歴史の趨勢に我々は逆らうことができないのだ。グローバル化の行きづまり、そして「脱グローバル化」への
急反転というショックを日本はいかに生き抜くかを問うている。》
  ーその幾つかを抜粋してみたー
☆ 20世紀を代表する歴史学者、フェルナン・ブローデルは「資本主義は、それが国家と一体化するとき、それが国家で
 あるときにのみ、栄えると(『歴史入門』)で述べた。この含意するところは大きい。資本主義というシステムは、一見、
 アナーキーなものに見えるが、実は「国家」なしでは機能し得ない。それを「国家資本主義」という言葉で言い表せば、
 「自由資本主義とはいえ、一皮剥けば国家資本主義的な側面をかなりもっている」(p.95)
☆ 100年前も現代と同じくらいグローバル化(金融は除く)が進んでいた。資本主義は人々の欲望の塊が原動力。
 それを野放しにすれば必ず反動という自然の調整で大恐慌が生まれる。それが、1929年の大恐慌と、2回の大戦争。
 現在の世界経済を1920年代の世界大恐慌になぞらえ、その類似性を説明していく。20世紀初頭の第一次グローバル化と、
 その結果とも言える二度の大戦と大恐慌。そして、並行して進む脱グローバル化への揺り戻し。
 今は、その後1970年代のブレトンウッズ体制の崩壊から続く第二次グローバル化の中にあると説く。
☆ グローバル化と民主主義と国家主権の3つは全部が成立することは不可能で、このうちどれか2つしか同時に成立しない。
 グローバル化と民主主義が成立すれば、EUのように国家が抑えられ、グローバル化と国家主権が強くなれば、日米のように
 国内の貧富の格差が大きくなる。日本は、グローバル化を抑えた国家主権と民主化を重点とした政策が必要。
▼ グローバル化が100年前もあって、その反動で恐慌が起こっていた。そして、現在も、酷似しているという。
 現在のネットが、当時としては電話の普及に当たるとする。現在は、20ヶ国が一同に介して、恐慌が表立つのを
 抑えているが、現実は既に恐慌が静かに進んでいるというのは正しい。特に日本は、その先頭に立っている。
 著者は、日本にとって、3つの内、国家主義と民主主義に重点を置くべきというが、国家主義とグローバル化しか
 選択の余地はないのではと考えざるを得ない。アメリカの属国しか生きれない体質になっているからだ。
 恐慌は、それほど生易しくはない。10年後もしないうちに、東北大震災が消し飛ぶほどの何か、
 例えれば、1923年の関東大震災に対する世界恐慌と太平洋戦争のような。    −つづく
・・・・・・
4107, 哲学で自分をつくる ー5 (デカルト)
2012年6月23日(土)
 第二章 まだ自分をさがしているの?  ーデカルト ―� 
  * 我狂う、ゆえに我なし!        「哲学で自分をつくるー 19人の哲学者の方法 」瀧本 往人 (著)
 デカルトの「方法序説」の『省察』で、狂気についての指摘が考えさせられた。
≪「思う」もしくは「我思う」主体が狂気を携えていることはありえない、としている。「Aという定理は間違っている」
ということを新たな「Bという定理」から指摘することはできるが、「私は狂っている」ということを「狂っている主体」が
言うことはできない。もし言うとすると、それは「正しい」ことを言っているのであって、狂っていないことになる。
私は先ほど狂っていたが、今は正常です、と言うことも基本的にはできない。そうすると錯覚や夢とは次元が異なるもの
としてデカルトは狂気を提示していることになる。 そうであるがゆえに、「私が考えるということは、狂ってない人間」
の特権と化すのである。 ・・つまり、「我思う、ゆえに我在り」を成立させることによって、「我狂う」場合は「我狂う」
という言明もできないし、「我在り」も成立しないと言っているに等しいのである。狂気は「懐疑する主体」によって
最初から排除されているわけである。≫
≪・・・デカルトは、本当に確かなものはこの世にあるのだろうかと考え、考え尽くした上で、疑えないものなぞない、
 という結論に至った。この世に何も頼れるものがないとは、きっと途方に暮れただろう。しかし彼はこの問いをさらに
突ぎ詰める。そして、まぎれもなく確かなものを発見した。それは、「すべてを疑った」、そのこと自体は確かだ、
ということである。つまリ、疑い尽くした「我」が「在る」ということだけは、動かしがたい「真実」であるということ。
懐疑の果ての確信。考えれば考えるほど、「自分」以外に確かなものはない。だからあなたのように、「自分らしさ」や
「本当の自分」を探るということは、至極当然のことであって、そこにリアリティを感じるのは自然なことだ。
ここまではよい。しかし、ここからが大問題だ。あなたは、いつか「本当の自分」を見つけることができると思っている。
だが、それは本当に可能なのだろうか。 もしかすると、前章でふれたソクラテスが導念した「自分の魂を磨くこと」とは、
今でいう「私らしさ」の追求ではないのか。そう思う人がいるかもしれない。だが、ソクラテスが目指したのは
【魂の鍛錬】であって、「私らしさ」ではなかった。彼には「私」とか「主体」いうものの考え方がなかった。
「ソクラテス」はいたが「私」ではなかった。 この「私」を発見したのは、今から四百年前、日本でいえば
江戸時代初期に生きたデカルトによってである。では、デカルトこそ「私探し」の元祖なのだろうか。
実はこれも正しいとは言えない。デカルトの目的に、世の中に確実なことがあるのかを見極めることであった。
探していたのは確実性であり、「真理」である。その真理が実は、「私」を拠点としていたのである。
確実なものとして「私」は登場してくるのであって、探さねばならないものではなかったのだ。 ≫
▼ <「私は狂っている」ということを「狂っている主体」が言うことはできない。> は、「嘘つきのパラドックス」
 に似ている。エピメニデスという哲学者が「クレタ人は嘘つき だ」と言った、話である。困ったことにエピメニデス
自身がクレタ島の出身。だとするとクレタ人が嘘付きだというのならエピメニデスも嘘つきなのだろうか。だとすると
「クレタ人は嘘つきだ」という言葉自体も嘘なのだろうか。だとするとクレタ人は嘘つきではないのだろうか。
ではエピメニデスの言ったことは正しいのだろうか?ではクレタ人は嘘つきなのだろうか? という哲学問答である。
人生を振り返ると、「私は狂っていた、ゆえに私の人生、ないがごとき」が、実は人生の実相と思い悩んでいる。
狂っていたなずと、狂っていれば言えない。悩みなど、そんなもの!ちっぽけな人生、何を悩む? 
しかし振り返れば狂っているとしか思えない。 これは私だけではなく万人にいえるが・・・
  ・・・・・・・
3741, パチンコ店が何故、廃止にならないのか ?
2011年06月23日(木)
 指摘されて気づいたことだが、日本でのパチンコの容認である。その存在を誰も不思議に思わない日本の戦後体質と世論。
この疑問に至ったのは、新聞広告で「なぜ韓国は、パチンコを全廃できたのか」若宮 健 (著)  を知り、アマゾンで概要を
読んで、驚き同調したため。この国は、政界、警察、広告、メディアがパチンコ業界と癒着?関係になっている実態がある。
  ーまずは、アマゾンの著者からの内容紹介ー
 パチンコによる被害が叫ばれて久しい。依存症でサラ金、闇金の借金まみれになった末に家庭崩壊、自殺という例は
跡を絶たず、炎暑下の赤ちゃんの車中置き去り死亡事故も相変わらずである。著者は長年、パチンコ依存症の問題を
取材してきたが、2006年暮れ、旅行した韓国で、パチンコが全廃され、すべての店舗が姿を消しているのを目にした。
ところが驚いたことは、日本に帰ってきて新聞雑誌をみても、そのことを報じている新聞は皆無で、
そのことを知っている識者も誰もいなかったことである。(字数制限のためカット 2012年6月23日)
  ・・・・・・・
3376, 生涯に直面する四つの不条理
2010年06月23日(水) 
 「生き方の不平等」 白波瀬佐和子著
* 生き方は個人の選択だが、そもそも最初から立つ位置が異なるー
 毎日新聞の書評で読んで、ネットで詳細を調べたが、考えさせられる内容である。
  ー 以下はネットで調べた概要 ー
 著者は、人の一生を四つの段階に分け、それぞれの中心問題をとりあげている。
一、どんな家に生れるか。人は人生のはじめに大きな不条理を背負っている。これは厳然たる事実である。
 市場主義者は機会の均等を前提として社会のあり方を考える。だが現実は、その出発点が不平等なのである。
 子供の幸せは親の幸せ。せめて子供だけにはましな暮らしをさせたいと、親は教育に力を注いだもの。
 世代を超えた人生の帳尻の合わせ方である。 高度経済成長期には熱心な教育ブームが広がって、1970年代の
 出産率は2.13で、夫婦に子供二人が典型的な家庭であった。総中流生活といわれたものの、実はじわじわと階層化が
 進行していた。日本の母子家庭の貧困率は2/3ときわめて高い者たちが直面する不条理である。
二、次は、若者たちが直面する不条理。 社会に出るときの背景に恵まれたかどうかである。
 青少年から大人へ、学校から社会へ、扶養される者から職業人へ、人生への新しいステージへの移行期が恵まれているかどうか。 
 そこに、例えば九〇年代のような長期不況がぶつかると、正規雇用者になれない人がふえる。深刻なのはそれが長く、
 時に一生その人につきまとうことである。それが、たまたまの負け組、たまたまの勝ち組をつくっていく。
 著者はこの「たまたま」の中に、自己責任を強調した小泉的発想を批判する。
三、三番目の働く場の不条理は、男女の差が中心である。 高度経済成長の時代には生活の場を女性が一手に引き受けて、
 生産の場を稼ぎ主の男性が担うという役割分担論でやってきた。 不況時代でも性的役割分担は本質的に変わっていない。
 女性には子育ての時期に労働参加率が低下するM字型労働参加曲線が特徴的である。男女の働き方が欧米に較べ大きく
 異なっているのは、労働市場が男女で分断され、女性の賃金と昇進機会が制約されてていること、家庭と職場を結ぶ
 社会的支援が不十分である事があげられる。就労形態で見ると女性は事務、男性は生産とはっきりした差異があることである。 
 医師は男性、看護師は女性が多いという風に断絶している。
四、最後に高齢者たちの不平等である。 高齢期は経済的のみならず、社会的な蓄えがものをいう人生の終盤期であり、
 蓄積された不平等がより顕著に現れる時期。「お一人様の老後」で述べられているように、ひとりで生活する高齢者は
 同居する家族がいない分、深刻な貧困リスクに向き合わなければならない。そのためには周到な老後設計が求められる。 
 高齢者の所得格差が大きいのは、他の国に較べて高齢者の就労率が高いからである。 OECDの平均は12%ほどなのに、
 日本の高齢者就労率は20%を超えている。欧米では悠々自適の(年金)生活を謳歌するが、日本では年金だけで生活できないので
 老後の心配から、いつまでも働くのである。 過去30年の高齢者がいる世帯の変化を見ると、3世代世帯数が60%から20%へと
 急速に減少し、反面高齢者のみの世帯数が15%から45%へ増加した。単独世帯や夫婦のみの世帯も10%から25%に増えている。
 大世帯という集団が解体していることが如実に示される。そこに不平等が生まれてくる。
 ▼ 人生を振り返ると、ここまでは恵まれていたようだ。 老後のセフティ・ネットをつくってあるし、
 老後の不安は最小にしてあるが、この恐慌である。それら全てを破壊される可能性がある。 つくづく思うのは、恵まれた
 両親の元に生まれた幸運、そして青年期に高度成長期に当たったこと。成年・壮年期は世界二位の経済大国であったこと。 
 老後は、それほど為残したこともないし・・・。しかし40代半ばから下の人は、時代背景が悪い。その段差が世代間格差か。
  ・・・・・・・・
 3001、ハロー効果
2009年06月23日(火)
「世界は感情で動く」 ー4                読書日記
ー 行動経済学からみる脳のトラップー
 * ハロー効果の意味とは?
ーネットの百科事典『ウィキペディア』によると、
【 ハロー効果とは心理的効果の一つ。 ある対象を評価をするときに顕著な特徴に引きずられて他の特徴についての評価が歪められる
現象のこと。認知バイアス(偏見)の一種である。一般にポジティブな方向への歪みを指すことが多いが、ネガティブな方向への
ハロー効果も存在する。ハローとは、「後光が差す」というときの後光、聖像の光背や光輪のことで、後光効果、光背効果とも呼ばれる。 
例として、ある人が難関大学卒であった場合、その人が学力においてだけでなく、人格的にも優れてると思い込んでしまうケースがある。
また、有名人やタレントを通じたCMや広告がその商品やサービスを実際に使ったりしたことがないにもかかわらず良いイメージを与える。
それによって購入意欲を刺激したり、購入したりする。 経験則として古くから気づかれていた現象であるが、
実証的な研究は心理学者のソーンダイクによるものとされている。】
▼ 世の中は「ハロー効果」だらけといっても良い。スターや大相撲の横綱が、その典型。周囲を弟子に囲まれ、これから大一番に
向かう時など熱気が冬の冷気と相まってオーラのようにとり囲むことがあるという。といって、それと品格とは違う問題。馬鹿な大男に
「品格が良さそうに振舞え」というだけのこと。ハロー効果は何時の間に自惚れもたらす。目隠しをしてペプシとコカコーラを飲むと、
7割はペプシが美味いと答えるという。宣伝による洗脳効果の「スカッと爽やかコカコーラ」が刷り込まれていて、味まで変わってくる。
そうそう、日本の代議士が、典型である。立候補の時のイメージ作戦。彼らは当選するために理想的人物を演じるのである。 
そして、そのギャップがスキャンダルとして、白日にさらけ出された時に段差に唖然とする。
世の中、元もと集団幻想であり、個々は、他幻想に、自己幻想でしかないのだから、ハロー効果を狙うのは当然のこと。
そうこう見ると、人生を何をアクセク生きてきたのか、馬鹿馬鹿しくなってきている日々であります。
‘ 達磨さん こちら向かんせ 世の中は 月雪花に 酒と三味線 ’ で、良いんじゃないかい。 で、少しアル中気味!
 後記) 足利免罪事件、あれは初期のDNA鑑定がハロー効果になり、誰も疑わなかったことによる。
・・・・・・・・
2637, ロードサービス、初体験!
2008年06月23日(月)            ○( ̄ ̄ ̄ ̄o ̄ ̄ ̄ ̄)○ おっは!
  ー半ドアでバッテリーが上がるー
昨日、車を乗ろうとしたら車が半ドア。そしてエンジンを入れようとしたところ反応がない。
バッテリーが上がっていた。二週間、車に乗らないので気がつかなかった。そこで、その対応策として。 
・まずは兄に電話をしたら、前日に義姉が車の事故で大破。もう使えない状態という。前なら行きつけのガソリンスタンドの電話を
して来てもらうが、こういうご時勢、一円でも安いガソリンスタンドを、そのつど見つけて行っているので、気楽に頼めない。 
 (字数制限のためカット 2012年6月23日)          
・・・・・・
2007年06月23日(土)
2272, 漢字は、一字で、詩やねん   (p≧w≦q)オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪ ヨ♯
 ー 榊莫山 の名言ー
 (字数制限のためカット 2014年6月23日)  


4847,閑話小題 ー75歳が死の目安が、級友と一致

2014年06月22日(日)

   * 75歳が死の目安が級友と一致して
 前回、葬式で連合いを亡くしたばかりの同級生のことを書いた。私が「75歳を死亡年齢に目安に、
歯医者以外、病院に行かないことにしている」と他の級友から聞き、曰く、「数年前に、ある病院で
検査をしたところ、肝臓に、オデキがあると言われ、肝臓ガンと覚悟を決め、親戚を集めた家族会議を
して、生前葬の案も出たが、その前に、別の病院で検査を勧められ、再検査をしたところ何もなかった。
それから、一切の検査をしないことにした。母親と父親の死亡年齢を合計し、半分にすると75歳。
その年齢の目安と、病院に行かない方針が同じことに、驚いた」と。 しかし、死や、生についての
知識を持っている様子がなく、漠然とした不安が全体を覆っていた。
少しでも、その類の知識を持ったと持たないとでは雲泥の差になるが・・ 
 私の平均余命11年。そのうち介護年齢9年、寝たきり6年とすると、決して長寿は、私らしくない。
下手に治療で死にそこなうと、薬の逆効果で、拷問のようは束縛の寝たきりか、痴呆症が出てくる。
ならば出たとこ勝負。75歳を目標、目安にした。その分、運動量を多くし、食生活を気をつけているが、
いざ、余命を告げられ、目先は後悔をして逝くことになっても・・ 死に方、自分の選択も有りである。
   * つれづれに
 ー「事業人生を決心して45年」の語り直しーをテーマに、回を重ねて書いているが、
思いもよらない当時の記憶、40数年前の出来事が、昨日のように、次々に連動してフラッシュ
バックしてくる。それだけ、激しい日々だったが、封印しておいた記憶を見つめ直すのは、当時の
自分を慰め、癒すと同時に、多くの過ちを知り、後悔も出ることになる。
それは、それぞれの行蔵から、自省をすることにもなる。私は何をしてきたのだろう? 
「面白かった!」だけでは済まない、未熟な己が、厳然と、そこにいる。
神様は、人生を自省させるため、老後という余白を人生に与えたようだ。 
 私を含めた大部分には、基礎教養の絶対量が足りてない。だから「死ぬまで勉強」が必要になる。
周辺を見わたすと、それが分かるが、自分自身になると分からないのが人間の性。
 「羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶」=「往ける者よ 往ける者よ 彼岸に
往ける者よ さとりよ 幸いあれ 」。 「往ける者よ」を「過ぎ去りし日の自分」に置換えて、
「青き者よ、幸いあれ!と、祈り直すしかない。 成るほど、私は、こんな人間だったのか!と・・ 
 南無阿弥陀仏の念仏は、そのためある! 私もお近い ようで?  「では、皆様、さようなら!」
・・・・・・
4480, 宇宙に外側はあるか
2013年06月22日(土)
   ー内容紹介ー        「宇宙に外側はあるか」松原隆彦 (著)
◎ 私たちの住んでいるこの宇宙がここに確固として存在している、つまり唯一絶対の存在である、ということは
 疑いようもなく当たり前のことだと思われるでしょうか。実は、現代の物理学の知識をもってこの宇宙を眺めてみると、
 そんな基本的なことさえも疑わしくなってきます。いま、人類の宇宙を見る目は大きく開かれつつある。
 宇宙の何がわかっていて、何がわかっていないのか? 宇宙の全体像とは?  宇宙の「外側」とは? 
 人類はどこまで宇宙のことを知ることができるのか? 現代宇宙論のフロンティアへと旅立つ一冊。
◎ 目 次 第 1 章 初期の宇宙はどこまで解明されているか
    第 2 章 宇宙の始まりに何が起きたのか
    第 3 章 宇宙の形はどうなっているのだろうか
    第 4 章 宇宙を満たす未知なるものと宇宙の未来
    第 5 章 宇宙に外側はあるか
▼ 宇宙論を分かりやすく解説してあって、私のように最近、興味を持ち始めた素人向けの本。
  村山斉著「宇宙は何でできているのか」と「宇宙は本当にひとつなのか」のフォローに丁度良い内容。
 村山斉の著書は、明快で分かりやすいが、それでも一歩も二歩も踏み込んだ内容だが、この本の第1章から第4章までは、
 宇宙論の優しい入門のあらまし。第5章で、マルチバースがあるかないかに触れているが、ハッキリした説明が無い。
 私のような入門者にとって第1〜第4章の方が、噛み砕いてあって、分かりやすい。
  村山斉の二冊を含めた三冊が私にとっての宇宙入門書になるが、としても何がなにやらである。 プロローグに 
≪ 現代宇宙論が明らかにしたことの中で最も大きな驚きのひとつは、「宇宙は永遠不変のものではない」という事実です。
 約137億年前に宇宙の始まりがあるという「ビッグバン理論」が確立したことで、このことが明らかになった。
 この宇宙に「始まり」があることがわかると、根源的な疑問がたくさん湧いてきます。≫ がある。
 ーその疑問とは、
「宇宙はどうして始まったのか」
「宇宙が始まる前は何だったのか、宇宙が始まる前の宇宙は宇宙ではないのか」
「宇宙に始まりがあるなら、宇宙に終わりもあるのか」
「宇宙に終わりがあるとすると、宇宙の終わりの後には何があるのか。次の宇宙が始まるのか」
「そもそも、始まったり終わったりするような宇宙はどこに存在するのか。この宇宙よりももっと大きな、
 何か得体の知れないものの中にこの宇宙があるのか」 等々である。
  マルチバース、それも10の5百乗の宇宙の存在の可能性には驚いた。村山斉著「宇宙は本当にひとつなのか」に
 詳しく書いてあるが、コペルニクスの地動説と同じ位の驚きを与えた根源的な問題である。そうこう考えると、
 再び、人間原理の問題の戻ってきざるを得なくなる。 宇宙は面白い! 宇宙お宅のブログにはビックリ。
・・・・・・
4106、私は完全な本 "日本の自殺 'ー9を作った
2012年6月22日(金)
   * 情報の洪水が人間を劣化させる
  これが書かれた37年前にはパソコンとインターネットが世界中にこれほど普及するとは思ってもいなかっただろうが、正に現在、
 情報の洪水が世界を覆い、個々人の判断を狂わせ地球規模の集団自殺の様相になっている。その大混乱の一つが、この金融恐慌であり、
 世界経済は溺死状態?にある。今後10〜20年は、このカオスは続き、その行く末は誰も分からない。下記の部分が、日本だけでなく、
 地球規模のカオスになっているから、ことは深刻。 情報機器とネットの進化が、文化、文明レベルで世の中を変えてきた。
【◎ 第一に、われわれは人間経験全体のなかに占める直接経験の比重が相対的に低下し、それに代わって、マス・コミュニケーションの
 提供する情報を中心とする間接経験の比重が飛躍的に増大したことに伴うさまざまなマイナスの副作用について検討しておかねばならない。
 一般に情報量の増大といわれているものは、人間経験との関連でみるならば、このように各個人の経験世界というものが、ますます大きく
 他人の経験に依存するようになるということにほかならない。 マスコミを通じて与えられる間接経験の世界は、一方ではあまりにも
 混沌として脈絡がなく精神分裂症の様相をすら呈している。他方でマスコミの提供する膨大な情報によって見せつけられている世界の、
 安直なトータル・イメージは、情報の質が悪いと現実世界とは似ても似つかない虚構の世界となる危険がある。知力を高めるために
 作られたはずのマス・コミによって人間がだまされ、知力を低下させられ、真実の視界が妨げられるという皮肉な現象が生ずる結果となる。
◎ 情報化の代償の第二は、情報過多に伴う各種の不適応症状の問題である。高速度に流れる大量情報が、人間の脳の情報処理能力を大幅に
 上まわった場合、人間はしばしば情報過多の神経症状に陥る。 短絡型、自閉症型、分裂症型という三つのタイプのものがある
◎ 情報化の代償は第三に、情報の同時性、一時性と関連している。 社会の変化のスピードが早くなると、人間と情報との関係が極めて
 一時的なものになってくる。このような現在(1975年当時)の情報環境の下では、新奇な情報を極端に求める傾向が強まっている。
 膨大な現在進行型の情報の氾濫なかで情報のライフ・サイクルは短縮化し情報は消耗品化し、情報使い捨ての傾向が極端になってくる。 
 大量高速情報から自己を防衛するひとつの安易な適応方法は、忘れぽっくなること、つまり健忘症になることであり、歴史的な連続性の
 感覚を喪失して刹那主義的な生き方を採用することである。
◎ 情報化の代償の第四は、以上のようなマイナスの副作用とも密接に結びついているところの、情報受信と発信との極端なアンバランス。 
 本来、人間の思考能力や創造性は受信と発信の反復を通じてはじめて可能となるものであるのに、この思考のプロセスをじっくりと
 通過させないために、短絡型の、論理的思考力のない人間が量産されてくることにもなる。
◎ 情報化のマイナスの副作用は、第五に、マス・メディアによる異常情報、粗悪情報の過度拡散傾向となって影響を与えている。
 情報化の代償、弊害について累々と述べているが、これは情報過多の問題なのか、質の悪い情報を発信し、それも何も考えずに受信する
 ことの 問題なのか、それとも膨大な粗悪情報がマス・メディアを媒介として流され続けることが問題なのか、いろいろと考えさせられる。】
 ▼ 情報の洪水は、それに対処可能な人と、そうでない人との情報格差を生み出している。それは脳力と貧富の差に直結することになる。
  それは劣化だけでなく、悪用で社会をいとも簡単に騙せすことが可能になった。反面、電子知能は飛躍的に進化している。
  世界中の身知らずの個々人がネットで結ばれ知恵と情報の共有が可能になってきた。それは一時代前からみたら、SFの世界の様相である。
 ・・・・・・・
3740, 閑話小題
2011年06月22日(水)
 ◆ 長寿の秘訣
 先日のNHKで 腹7分目の猿と 腹いっぱい食わせた猿を20年実験した映像があった。腹一杯の猿の半分が死んでいるのに対し、
空腹の方の猿は八割が生存するという。それにしても、隣り合わせの檻に入れられた二匹の猿の姿の差に愕然としてしまった。
全ての生き物に、ある遺伝子のスイッチがあり 飢餓状態の方が健康にいいという内容であった。 101歳のアメリカ人男性は
二十歳の頃から食事制限していて外見は70〜80歳ぐらいに見えた。 小食粗食は、身体に良いとは頭では知ってはいたが・・・ 
TVでも、実際にモニターが数人、三割カットした食事を7週間で試みた結果、遺伝子のスイッチが入った結果を出ていた。
これを健康食品で可能かを取り上げていた。レスベラトロールという物質が、遺伝子にスイッチを入れるという。最近、コマーシャルで
目にする「ブルーベリー」などに含まれているという。 これを飲み続けると長生き出来るというなら、小食を心がけた上に、
これさえ飲んでいれば長寿になるようだ。私のように食事に、ある程度の満腹感がないと食べた気がしないのは、長生きは出来ないか。
 ◆ 一メートルと、一kgの基準の割り出し方
 やはりTVの番組で知ったことだが、「一メートルは北極から赤道までの1万、その延長上の南極までで、2万。
一周で4万分の一が一(キロ)メートルの基準値になっている。 また一キロは一リットルの水の重さが原点という。これも初めて知ったこと。
といことは、私の重さは、1・8Lのボトル32本分になる。そんなものなのか。
 ◆ 65歳以上の人口比は?
 2010年度の65歳以上の高齢者は前年より46万人多い2944万人(総人口比23.1%)と過去最高を更新した。
40年前の1970年度で、7・1パー、1980年度で9・1、90年度で12パー、2000年度で17パー、そして、去年で23・1パーセントになった。
何と、40年で3倍以上になったことになる。大よそ14人に一人から、4人に一人になってしまった。65歳になった現在、私より若い人は
4分の三になってしまった。これは、欧米の16パーセントを遥かに超えた数字である。 2020年には、30パーセントに近づくと言われており、
その年金だけで国家の財政は成り立たなくなる。恐ろしいことに、これは欧米社会も、今まで経験をしたことのない事態。
日本経済の不振も、この辺にある。とはいえ、アジアなどから、どんどん外国人を移住させるのも、問題が出てくる。
・・・・・・・
3375, 大相撲の野球賭博について
2010年06月22日(火)
 大相撲が野球賭博で再び大問題を引き起こした。 不祥事が年中行事になっている。野球賭博、覚醒剤とか、
一般の世界では有りえない事件が続くと、芸能ごとの別世界と思わざるをえない。大相撲は元もと神事の余興で、
神社で力自慢が祭りに競ったのが始まり。そこには当然、ヤクザまがいの連中が多かった。 
 (次数制限のためカット 2012年6月22日)
・・・・・・・・
3000、3000回か〜
2009年06月22日(月)
この随想日記が3000回になった。1000回、2000回の時ほどの感慨がない。
書き続けることに慣れてきたのだろう。 誰に頼まれたわけじゃなし、ただ習慣だから続けているだけ。
(次数制限のためカット 2012年6月22日)
・・・・・
1000, \(~o~)/千日の随想日記!
 2003年12月30日(火)
 一昨年の5月2日から今日の12月30日までは973日である。更に旅行をして休んだ一日分を加えると約35〜40が合わない。
  (次数制限のためカット 2012年6月22日)
・・・・・・・
2636, ミラクルターキー
2008年06月22日(日)
 wowowで放映しているユーロサッカー(欧州サッカー選手権)が面白い。ヨーロッパのナンバーワンを決めるもので、
四年に一回開かれている。昨夜は準々決勝で、クロアチアとトルコ戦があった。私は、あまりサッカーには馴染めてないが、
サッカーにかかわらず準々決勝からは、みることにしている。 どの競技も順々決勝が一番面白い内容になるといわれている。
やはり期待したとおりに、面白い内容であった。 トルコは、このシリーズで、逆転劇で奇跡的に勝ち上がってきたという。
昨日たまたま終了の30分前にチャネルを回したら、0対0で熱狂的な場面。もちろんライブである。延長戦の最後の一分にクロアチアが
一点を入れた。 誰もが流れからみてもクロアチアの勝利と信じていた。終了時間を明らかに超えていたが、たまたまトルコの攻撃だった為、
試合がそのまま行われていた。そしてトルコの放ったシュートが入ってしまった。ミラクルシュートとは、こういうのをいう。
実のところ、時間終了間際のミラクルシュートを見たのは始めて。0対0の試合の最後の一分で互いに点数を入れるのをライブでみるのも初めて。
それも互いに際どいシュートが何度も入りそうになった試合であった。そして、最後はPK戦でトルコの勝ちであった。クロアチアにとって
99�勝っていた試合、何人もの選手が悔し涙を流していた。ユーロサッカーはワールドサッカーの合間の、オリンピックの年に開かれる。
欧州にとっては、ワールドサッカーや、オリンピックとは違うプロ筋の中味の濃い試合が多い。その後、巨人対ソフトバンク戦と、
女子バレーの日本対トルコ戦を観ても面白くない。当然だろうが。 会場の熱気が違うこともある。現在、準々決勝のロシア対オランダ戦を
現在見ながら、この文章を書いているが、圧倒的におしていたロシアがたて続きに二点を入れ三対一になって勝ったところである。
ちなみにオランダは、今年の優勝候補で、圧倒的な強さで勝ちあがってきた。終了時間は6時12分である。 
それにしても国内リーグとはパスやシュート鋭さが全く違う。ライブのサッカーの試合を見ながら、書くのも面白い!
・・・・・・・・・
2007年06月22日(金)
2271, 腕時計
 最近、ネットで腕時計を買った。メーカーはカシオで、型落ちの58�OFFの2万円前後のもの。前の腕時計のベルトが壊れたので
自分で修理をしたが、それも限界になったので買い換えることにした。(それは、たまたま帰省してきた息子にプレゼントした・・・)
10万位と思ったが、やはり高い?ものを買う気にもならない。時計については、基本的に機能を優先して、他人が見て安物に見えなければ、
それでよしという主義。 その分、家内がブランドものを買ってくれる。(もちろん家内自身のものだが)
学生時代に「男たるもの、ブランド物など、人の上に立つものは身に付けるべきでない。 特に時計は、注意すべし!」と経営学者の
野田一夫教授の授業中のお言葉が、いまだに頭に残っていることもある・・・といって、一日数十回は見るもの、良いにこしたことはない。
前回の腕時計はカシオの「電波修正機能」と「ワールドタイム機能」が付いたものだったが、非常に便利であった。特に電波修正機能は
正確な時間に絶対的に信頼でき、ギリギリの列車時刻の数秒単位の際どい時など非常に有効だった。「ワールドタイム機能」も海外の先々で、
数秒で時間修正できたのも良かった。最近のものは、さらに太陽光エネルギーのソーラーや、幾つかの時刻アラーム、高度計、温度計に、
万歩計も付いたものもある。私が買ったものには、前の機能にソーラーと、幾つかの時刻アラームが付いたもの。三十歳代にハワイに行った時
「ロンジン」の二十万位の時計を買って、10数年間使っていたことがあったが、高いものを身につける気持ちが理解できた。 
しかし何度か修理をしたが、その値段が高い。それなら機能的なものを数年単位で買えかえる方が私には合っていると、
カシオのデジタル時計に切り替えた。それ以来、カシオのファンになって5〜6年ごとに買え替えて、4代目になる。
今までで、一番気に入ったのが、二代前のカシオの「秘書?機能付きデジタル時計」である。録音しておいた内容を、設定した時間に話す
機能の付いたもの。これは非常に便利で面白い時計であったが、今はもう廃盤になっていた。
  (次数制限のためカット 2012年6月22日)


4846,閑話小題 ー同級生の急逝の式場で

2014年06月21日(土)

   * 同級生の急逝の式場で
 一昨夜の三条での通夜が500人、本葬が100人の参列。 
通夜を含めて中学校の同級生が6人?が出席した。膵臓がんが発見されて二ヶ月!
七転八倒の苦しみの中で、亡くなったという。御焼香で手を合わせると同時に、
『おれ、こんなに早く、死にたくなかった!』という、彼の声が聞こえたような? 
その後の親族の挨拶でも、故人が同じようなことを言っていたというから・・ 
故人は晩酌が楽しみで、その過多が原因? 7〜8歳の孫が二人、別れの顔見と、
出棺時に、大泣きをしていたのが涙をさそっていた。去年の同級会の三次会に故人と、二人飲んだのが最期。
 「俺の最後の仕事は、家族に一億を残すとと!」と真顔で話していた。
自宅に帰って一時間後に、シネマに行く予定だったが、グッタリ!急遽、中止。
 ところで、参列した同級生の一人の奥さんが一月前の20日に亡くなって、
今日が同月命日。『絶対にカミさんより、早く死んだ方が良い!連れの死は、
こたえる。生まれてこの方、一度も炊事の経験無しが、長男と自分の炊事と、j
家事は、非常にきつい!』の言葉が、重い。まだ、同居の長男がいるだけよいが。
入院して二週間で17年前の乳ガンの腰骨への転移での急逝というが、連れは
死ぬつもりがなかったため、何処に幾らの金があるか、全く分からず、
大変だったとか。 亡くなると本人名義の貸金庫、預金は凍結され、葬式の
金さえ工面がつかない中で、何とか葬式を終えた等の話は非常に深刻。
 私が家内より先に逝くつもりだが、これだけは? 自炊経験はあるし、
スーパーの買物は好き。宅配弁当もあるので、大丈夫と思うが。「早いもの勝ち」
は、夫婦の死期にも当てはまる。老いの辛酸は、身近な人から、聞こえてくる。
 これで中学校の同級男子で、7人も亡くなった。
不明を除くと、3〜4人に1人が、御先に逝ったことになる。 
・・・・・・
4479, 歌舞伎町 写真集
2013年06月21日(金)
 6年前、新潟駅前近くの図書館で、『歌舞伎町事変』(写真集)を見つけたが、その生々しさに驚いた。
日本一の繁華街で、ヤクザや中国マフィアや警察などが入り乱れているのが日常の歌舞伎町。
 その続編が、この『歌舞伎町』権徹著で、数ヶ月前に出版されたばかり。 
一冊目の『歌舞伎町事変(1996〜2006)』文ー李小牧、写真ー権徹
の毒々しさは少し薄れたが、迫力は充分。ページを捲るたびに、いつの間に歌舞伎町の緊迫した
世界にタイムスリップしてしまう。生々しい現場写真のため、その迫真が直接迫りくる。 
新潟駅前の飲食繁華街で事業をしていたので、その猥雑さと恐ろしさを垣間見てきた。 
歌舞伎町といえば、学生時代に数回、怖いものみたさに行ったことがあるが、女装したオカマを
はじめて見た。 2003年の頃から取締りが強化。また監視カメラが設置されて状況は一変した。
今ではガラス張りで明るい猥雑さになったようだ。写真家の韓国人の権徹が、歌舞伎町
「人間劇場」との出会いについて、以下のように書いている。
《 1996年春、歌舞伎町を撮り始めた。写真専門学校の1年目のことだ。
当時、四谷3丁目に住み、渋谷の学校へ通っていた。 ゼミの撮影テーマが「新宿」だったことも
あって、通学途中に新宿駅まで歩き、この街を注意深く観察した。あるとき、歌舞伎町交番前で
鉄パイプを持ったヤクザ20〜30人がケンカをしている場面に出くわした。
あまりの怖さに膝が震え、カバンの中からカメラを取り出して撮影することさえできなかった。
このエキサイティングな街は、いったい何なんだ。 韓国ではありえない交番前の乱闘に
強い衝撃を受けた。このときボクは歌舞伎町を写真撮影の「主戦場」のひとつに選んだ。 
歌舞伎町は、人間の生臭さや欲薦むきだしの街だ。苦労して撮った分、写真はおもしろくなる。
東洋一の「眠らない街」は取材のたび、ボクを刺激し続けてくれる。
ここは撮影テーマの尽きない「人間劇場」なのだ。》
 ▼ 彼の場合、歌舞伎町写真家として、警察にもヤクザにも顔が知られ、妨害や嫌がらせが
少ないようだが、 それでも危険の真っ只中である。 夜の世界の猥雑といば、5月の連休明けに
みた「探偵はBARにいる2」が、 夜の世界を何気なく描き出している。 二年前に‘その一’を見たが、
なかなか面白い。 そこは、カウンター 一枚で普通の世界とは別世界が広がっている。
その辺を知らないと大怪我をする魔界。その最たるのが歌舞伎町だろう。
 写真は、数千秒の一の瞬間を切り取る。そこに多くの人間模様が見えてくる。 
・・・・・・
4105、私は完全な本 "日本の自殺 'ー8を作った
2012年6月21日(木)
  * 現代文明がもたらす幼稚化
 これが書かれた37年前からスーパーなどのチェーン店などが多く現れてきて手軽に何でも
手に入る、一億総中産階級社会になった。 それは幼稚な愚民の群れであり、大量生産
・大量消費の結果である。 ー以下はその辺りを指摘しているー
≪ 現代人にみられるこの思考力、判断力の全般的衰弱と幼稚化傾向は、一体なにによって
もたらされたのであろうか。
 ◎ 第一に実に憂慮すべきことに、驚くべき技術の発達、物質的豊かさの増大、都市化、
情報化の進展と教育の普及など高度現代文明が もたらした恩恵それ自体が、このような
精神的状態を副作用として惹き起こしていたのである。 思考力、判断力の衰弱と幼稚化傾向は、
 高度現代文明それ自体の産物である。・・・インプットとアウトプットとを結びつける複雑な
仕組みについて思考や判断を働かせるのは馬鹿げてたことだ。そんなものはブラックボックス化
してしまえ、「賃金は大幅に上げろ、物価は大幅に下げろ」「税金は減らせ、しかし 社会福祉は
大幅に増やせ」こういう種類の要求を駄々っ子のように叫びながら、この要求を実現するような
便利なおもちゃを作れと言う。 そういうインプットとアウトプットとを結びつけるような調子のよい
ブラック・ボックスは到底作製不能だと言っても、
「そんなことを考えるのはわれわれの仕事ではない、われわれの仕事はとにかくボタンを押して
このおもちゃで遊び続けることなのだ」と足をばたばたさえ、挙げ句の果てに癇癪を起こして
手当たり次第にまわりのおもちゃを放り投げ、ぶちこわし始めるという始末なのである。
 やがてかれらは群をなして群衆心理の陶酔を楽しみ始める。思考力、判断力の全般的衰弱と
幼稚化は、第二に情報化の代償、つまり マスコミの発達と教育の普及の代償として生じている。
エンゲル係数で現代の消費生活の構造を知ることができないのと同様、文盲率の減少や
進学率の増大などで現代文化の内容を判断はできない。「学歴ある文盲とでも呼ぶべき現代人」
のあいだに見受けられる恐るべき知力の低下、倫理能力の喪失、判断力の全般的衰弱の
秘密が、いまこそ本格的に解明されなかればならないであろう。 
  かっての時代の農民、漁民あるいは職人たちは完全に自分自身の生活体験を通じて
テストした知識の枠内で図式を作り、それでもって人生や世界を測っていた。
かれらの持っている知識や情報は確かに限定されたものであったかも知れないが、
しかし少なくともかれらの生きている生活空間に関しては現代人の到底及び得ない賢明さと
生活の知恵を持っていた。それに引きかえ、現代人は自分の直接体験をしっかりと見つめる
時間を失い、自分の頭でものを考えることを停止したまま中途半端で、皮相な知識の受け売りで
世界中のできごとに偉そうに口をはさんでいらいらと生きているのである。
こうした思考力、判断力の衰弱がもたらした品質の悪い情報は、我々の情報環境に満ちあふれ、
恐るべき情報汚染を惹き起している。 情報汚染の濃厚凝縮を受けた人間はやがて幼稚な
狂信者となり、暗殺をしたり、ハイジャックをしたりする犯罪者と化していく。
われわれはこうした現代文明にひそむ恐るべき幼稚化と野蛮化のメカニズムを直視し、
これを克服するための新しい努力を全力を挙げて開始せねばならない。マスコミの発達と
教育の普及の代償として捉えている点が、 すばらしくもある。少なくとも教育の普及があれば、
思考力、判断力の全般的衰弱と幼稚化を回避できると思ったが、そうでなかった。≫
▼ 当時書かれた、この警告は、さらに深刻な社会現象になって現れ出ている。
国家収入の二倍の国家予算を組んでも国民の要求を答えざるを得ないのが現状の日本。
国家そのものが判断も決断も出来ない幼児化をしている。情報化の影の部分である 
 ・・・・・・・
3739, 自分の居場所のみつけかた ー�
2011年06月21日(火)
   * 愛は根っこ、その愛をふくらませるのが知性  ーP・150     「自分の居場所のみつけかた」 ー 斉藤学著 
【 私たちは通り過ぎる人々の群れの中に自分の居場所を見ることはできません。その中の何者かと出会い、
 互いに相手に飼いならされ、相手を飼いならし、それによっで、その関係の中に居場所を見つけるのです。
  本来、知性というものは優しさを増す効用があるものだと思います。他の民族、年齢や性別の差など、自分と違う立場というものを
 理解し行くのには知性が必要です。けれど、それは根っこにちゃんと優しさがあればこそです。その優しさが、その知性によって
 増していくのであって、根っこが悪すぎると知性が悪用されてしまいます。
  それでは、その根っこはどこから生えてくるのかとよく考えるのですが、やはり子ども時代にイヤというほど愛された人というのは、
 どこか人間の善意というものを当たり前と思い、その存在を信じています。善意が当たり前だということは、感謝が足りないと
 見えることもあるかもしれませんが、本人も他人に当たり前に善意を示して、感謝を求める気がないのです。
  逆に他人からはっきりと悪意を示されると、びっくりします。けれども少々意地悪をされていても、そんなことがあるわけないと
 思うから気がつかない。なんだかいじめられていても、ちっとも感じない。そのうちに、いくらいじめても面白くないから仲間に
 入れてしまえ、ということになって、人間関係がうまくいきやすい。
  これと正反対に、子どもの頃からいじめられるのが当たり前だった人は、世の中の人は当たり前に自分をいじめるものと信じています。
 他人の物腰や表情の中に悪意を読み取ろう読み取ろうとしていますから、いくらでも読み収にてしまう。 時にはニュートラルなことや、
 善意そのものさえ、「私を利用されている」「最初に喜ばせておいて、後でひっくり返そうとしている」と勘ぐったり、
 誰かにほめられたら、「後でひっくり返そうとしているのでないか」など素直に喜べない。 】
  ▼ 子供の頃の経験は大きい。良いにつけ悪いつけ、自分の根底が、それに左右されるということを意識して修正するしかない。
   それに役立つのが知性である。だから自分で知性を磨くしかない。そのために、他人の話を聞き、本を読み続けること。
   その結果、教養が培われる。 私のように多くの姉や兄の末っ子で育った者は、善意も悪意も読み取る習性がある。
   常に人の間で緊張しているのは、そのためである。ただ、何をしても最後は許されてきたため、何処か甘さが付きまとってきた。
   私の場合、許される場が自分の居場所ということになる。だから、長女系の優しそうな人に惹かれる。スナックや、行きつけの
   喫茶店に通うのは、母なる癒やしを心の奥に求めているケースが多い。
・・・・・・
3374, しあわせを感じるには「技術」がいる ー2
2010年06月21日(月)
 ーしあわせを感じる「技術」ー 東洋経済新潮社・しあわせ研究プロジェクト編
「しあわせ」を感じとる技術を、これだけ明確に書いている文章は珍しい。
  ー以下は、同志社大の遠藤徹助教授のレポーの中の一文である。なるほど、この通りであるー
≪ しあわせとはイメージである。イメージは断片の積み重ねによって、より実質に近づいていく。
ジグソーパズルのピースを多く集めれば集めるほど、全体像がクリアにいくのと同じである。しかし、時代は急速な変化を遂げ、
情報というピースがあふれ出し、ピースを『ピースである』と自覚できない人々が徐々に増えていく傾向にある。・・・ 
戦後、TVや教育などを通じて、『西欧社会のイメージ』が真似をするべきモデルとして入ってきた。あなたはひとりの人間である。
男も女も平等である。 個人はすべからず自己実現すべきだ、と。 イメージが、伝統的な日本の社会のあり方と矛盾を持ちはじめた。・・
輸入された西欧的なしあわせのイメージのなかに留まろうとするその一方で、日本の伝統社会での役割を演じることを要求される。 
その狭間である仮想の世界、『バーチャル・リアリティ』のなかで、我われはもがき苦しむ。では、そこから脱する方法があるのだろうか。
「自分はいったいどういう人間なのか、何をしたいのか、そういうことをもう一度自分に問い直してみなければならない。
こういう幸福なイメージがありますよ、と言われて安易に飛ぶつこうしているだけだと、たとえそれをかたちの上で実現できたとしても
本当に満たされない。 まず自己が持っている『しあわせ』というイメージに対するジグソーパズルのピースのひとつひとつを
クリアに認識して、自分の等身大の『しあわせ』というものを目指すことが重要なのではないでしょうか」しあわせを感じるには
「技術」がいる。それは観念でなく具体である。モノ、視界、思想、気分。あらゆるレベルのしあわせの「仮想空間」から抜け出していく。 
それが自己の存在に気づいていく真の意味の自立なのである。≫
 ▼ しあわせとはイメージというのは、今さらのことだが、そのイメージをジグソーパゾルのピースで組み立てる、
 というのも面白いといえば面白い。 人間は言葉を持ったためにイメージを持つことが出来るようになった。
 それは仮想とも言えるが、自己ステートメントとして文章化しておくことも大事だろう。若い女性が小さな
 ノートに書くような夢日記もおなじようなもの。 しあわせの正体は簡単そうだが、意外とむずかしい・・・。
 しかし、好きなことをしているか、好きな場所にいるか、好きな人と一緒にいられるか、でしかない。それと比べないこと!
 ・・・・・・・・・
2999,百貨店の衰退について
 2009年06月21日(日)
今さらの話になるが、百貨店の衰退が激しい。先日の昼休みのランチ時に読んだ喫茶店の週刊誌の大前研一のレポートによると
・12年連続マイナスで、売上高が22年前の水準になっており
(字数制限のためカット 12年06月21日)
・・・・・・・・・・
2635, 娘に贈る12の言葉  ~4
 投資家ジム・ロジャーズの言葉 ー読書日記
ー 5、哲学を、つまり「考える」ということを学びなさい。ー
  ・通念や慣習が人々の思考能力を奪っている。哲学とは「自分の頭で、どのように考えるか」という技術。
   「考える力をつける方法は何か」→ひとつの方法は通念や慣習からして「絶対にそうだ」と考えられていて
   間違っていたことを、振り返ることである。その時、多数に従わない少数者は何を考えていたかをシッカリ調べて欲しい。
  ・誰も考えないことを探す。
   →多くの投資家が考えないことは何だろうか。
   →「どこが弱気(ベア)か」を探している。ほとんどの投資家は強気(ブル)を探す。
   →弱気相場は誰も気にかけないが、素晴らしい投資先であることもある。
  ・こんなふうに考えてごらん
   歴史的にみて、あと十年は商品の時代が続く。 商品と株の価格は逆に動く
  解)この数年、哲学に関しての本を読み続けている。経験の裏づけができた為だろうが、それにしても面白い。
    特にカントを多くの入門書レベルの本の中で、少しずつ学び続けている。先日から「子どものためのカント」
   (フィリートレンダー)を読んでいるが、それが難しい。
    哲学語を殆ど使わないで書いている。こんど、ここでも取り上げてみるが。
ー 6、中国の時代・中国語を身に付けてください。ー
(字数制限のためカット 12年06月21日)


4845,「事業人生を決心して45年」の語り直しー19

2014年06月20日(金)

  * ペガサスクラブの加入と、システムの改革
 衣料量販店は、天候と相場を敏感に読み、時間差で勝負するのが要。
それには情報を多角から取り、後は直感に頼るしかない。その感覚を、僅か数ヶ月で知ることになる。
そのため、産地の大問屋の太いパイプが絶対に欠かせない。 その冬のシーズンも大成功のうち
終わり、事務所で円座をして、ストーブで温めた日本酒を乾杯した時の旨さが格別。
毎日、毎日が、全てが新鮮で、知らないことだらけ。その経験そのものが面白く、次々と知恵が
湧き出ていた。
 その年の暮に、チェーン店展開を指導する『ペガサスクラブ」に入会し、衣料チェーンの展開を
錦の美旗にする。そして、大御所の渥美俊一のセミナーに隔月ごとに聴講することになる。
このカリスマ、当時の新興チェーンの拡大に大きく影響していた。卒論に、その著書をネタ本に
したこともあり、そのセミナーの面白さは、この上ない。おまけに、聴講者は大手チェーンの幹部。 
チョットした会話でも充分に元がとれた。現場でも、セミナーでも、全てが学びの場になっていた。
 振り返ってみて、当時の自分自身は、父親の秘蔵っ子で、20歳代でジャスコ、いとはん勤務。
そして、貸ビル建設と、その中で、養老乃滝、ベーカリーをオープンさせていたのだから、
凄いエネルギー。姉夫婦が焦るのは肯ける。
 ところで、改革で直ぐに手をつけたのが、ジャスコ、いとはんで取り入れていたチェーンストア
統一伝票システム。これは、5枚綴りの複写で、・仕入先別、仕入伝票1[青] ・仕入伝票2[緑]
 ・仕入伝票3[灰色] ・物品受領書4[茶色]・納品書5(控)[紫]になっていて、
大口の仕入先に持ってもらい、仕入れ商品の内容を書いて、同封してもらう。
そのうち一枚が先方に、残りの4枚が、そのまま、商品管理、仕入管理、経理の支払管理に
使えるシステム。これは部門別管理にも大きは働きをする。 また、部門別内の小項目が、
そのまま、商品管理にもなる。 数値責任が明確になれば、仕入れや、販売を担当者に
大幅に権限委譲が可能になる。そのベースをつくるに、2〜3年はかかるが、旧来の社員も
何の抵抗もなく、あっさりと導入出来たのは、システムが、シンプルで、便利であるため。
もちろん、大手のメーカー、問屋が多くが、このシステムを取り入れていた。
 次に、仕入れと販売の担当責任制度である。現場の情報を、仕入れに直結するには、
仕入れ権限を現場に与えること!
帰って一月も経たないうちに、翌年の新入社員の採用の時期になった。
さて、何人にしようかと、考えていると、長年、勤務の内幕情報屋的存在の総務の女史が、
「思いきって多く入れた方が良いですよ!」と、助言?してくれた。 要は「殆どが辞意を持った
社員が、多いですよ!」ということを察知し、当初の予定の二倍の13名を、採用する。 
ところが、翌年の年次を含め、新しいシステム導入に、丁度良い教育対象になっていた。
 次は、TKCの伝票システムの導入である。これも、思い切って判断した。そして、接客などの
マニュアルの作成と、売上日報の解りやすくしたカジュアル化。 不信感の強い既存社員
からの情報は皆無の中、それならば、欲しい情報を日報に書かせればよいと、次々と、
項目を増やしていった。こういった現場での知恵は、立ち上げの経験から、身についていた。
創業は、瀬戸際に自らを追込み、ことに直接触れ、エネルギーと知恵を融合しカタチ創ること!
・・・・・・
4478, うつ病 ー高島忠夫の場合
2013年06月20日(木)
  ー カスペ! 真実の高島ファミリー「忠夫さん、死ぬまで一緒やで」〜寿美花代・献身愛で闘う夫の病〜 ー
 が感動的であった。 一昨日のゴールデンタイムに放映されたが、二時間がアッという間であった。
「うつ病」については、何度も書いてきたが、高島一家の底なし沼のような状況そのままがドラマになる。
芸能界きってのおしどり夫婦と言われた高島と寿美。 高島は98年頃からうつ病、糖尿病、パーキンソン症候群、
さらに、3年前には不整脈で心臓にペースメーカーを付ける15時間にも及ぶ手術を受けていた。
   ーまずはTV局のブログよりー
【“日本一有名な芸能一家”高島ファミリー。一家の主、高島忠夫がテレビの表舞台から姿を消して5年…
 その自宅にカメラが入った。いったい何があったのか。献身的に夫を支える元宝塚歌劇団のトップスターである妻、
 寿美花代の思いを通じて、いますべてが明らかになる! そして、夫婦として「死ぬまでにやりたかったこと」…
 それは忠夫の夢の実現。寿美花代は、ある賭けに出た。“最後になるかもしれない”家族旅行へ…。】
▼ 高島の妻で女優の寿美花代が、自らの口で明かした悲劇。夫妻の第1子の長男・道夫が生後5カ月で殺害されたのは、
 1964年(昭和38年)8月。住み込みで働いていたお手伝いの 少女(当時17歳)が風呂に沈めて殺害したもの。
 寿美はこの時を振り返り、「夜中に、道夫がいないと、探し回り、最後にお風呂を…フタを明けたら、道夫がいた…。
 夜中2時すぎぐらいに、あちこち病院行ったが、どこも受け入れてくれなく、やっと1軒 受けてくれた時には…」。
  家政婦は殺人罪で起訴され、懲役3〜5年の不定期刑となった。 事件後に、赤ちゃんの泣き声や、「ママー、苦しいよ」
 という泣声のいたずら電話が頻繁にかかってきていた。 高島忠夫も既に82歳。寿美花代は81歳。
 その夫を懸命に支えてきた寿美は「介護うつ」も経験。「介護で一番大事なのは 完璧にやろうと思わないこと」、
 「忠夫は私を本当に姫のように優しくしてくれた人。いまはその恩返し」という。
 番組では俳優として活躍していた頃の若き日の高島の姿や、バラエティー番組の様子など懐かしい映像も出ていた。
  この隠れた“主役”は寿美。妻の目線、2人の息子の母親の視線で番組は進んでいく。番組では、うつ病患者の家庭の
 危機状況が、多く語られて無かったが、実際は壮絶。ただ事実を語り映し出すだけで、物語になっていた。
  二年前の倒産劇で気をつけたことは、脳をやられない(うつ病に陥らない)こと。そのためには、運動と、
 マイナーの毒?から身を守ることであった。ゾンビは自分の傷口の膿を擦りつけてくるから、性質が悪い。
 その中で、堕ちこまないように作り上げた生活習慣こそ、最大の成果だが、それでも時々、傷口が痛む。
  それにしても、寿美の開き直りは凄みがある。少し性質の悪い連合いだったら、病院の中で亡くなっていただろうに。
・・・・・・
4104、私は完全な本 "日本の自殺 'ー7を作った
2012年6月20日(水)
  * 豊かさの代償       ー読書日記
 37年前はアメリカのアジア戦略上の重要な位置にある日本は、特別待遇を待遇を受けていた。その結果、豊かさを
享受出来た反面、その甘えの体質が日本人についてしまった。それが、豊かさの代償という現象でもある。
  以下の部分は、その辺りをついている。
【 日本を第二のローマ帝国としてしまいかねない日本社会内部の自壊作用のメカニズムを、まず豊かさの代償という
 角度から順次解剖していくことにしたい。 豊かさの代償として、次の三点を理解する必要がある。
◎ 第一は、資源の枯渇と環境破壊という代償である。
 豊かになればなるほど、一方で資源消費量が増大して資源不足や資源価格の高騰を招き、他方で生産、消費の過程での
 廃棄物が増大して環境の質の悪化をもたらす。 豊かさの代償としての資源不足と環境悪化による欲求不満、イライラの
 増大が日本社会の内部に自壊作用のメカニズムを発生させるひとつの原因となっていったのである。
◎ 第二は、使い捨て的な、大量生産、大量消費の生活様式が人間精神に与えるマイナスの諸影響という代償である。
 使い捨ての生活様式は、単に資源の浪費、廃棄物の増大による環境破壊をもたらすのみならず、その生活の質の点で大きな
 マイナスの副作用を内包する。 使い捨て的な生活は一時性、新奇性に高い価値を与えるが、人間とものとの関係がかり
そめの一時的な関係になり、絶えず新しいものを追い求める結果、その生活は心理的に極めて安定を欠いたものとなる。
 欲望は絶えず刺激されて肥大化し、いつになっても充足感が得られない状態になってしまう。
◎第三は、便利さという代償である。
 便利さの代償として、日本の青少年の体力や知力の低下が進行していった。自制心、克己心、忍耐力、持続力のない
青少年が大量生産され、さらには、強靱なる意志力、論理的思考能力、創造性、豊かなる感受性、責任感などを欠いた
過保護に甘えた欠陥青少年が大量に発生した。戦後日本の繁栄は、他方でひとびとの欲求不満とストレスを増大させ、
日本人の精神状態を非常に不安定で無気力、無感動、無責任なものに変質させてしまった。それはまた伝統文化を破壊
することを通じて日本人のコア・パーソナリティを崩壊させ、倫理観を麻痺させ、日本人の精神生活を解体してしまった。
この生活様式の崩壊と日本人の内的世界の荒廃は、日本社会の自壊作用のメカニズムの基盤をなしていった。】
▼ 66年の人生の中で物質的貧困から豊かさになっていき、それが失われていくプロセスの登りと下りを国家と個人で、
実体験してみた。まだ下りは道半ばだが、あと10年で日本は貧困国家に間違いなくなる。30〜40年前の、
あの豊かさは何だったのか。あの経験はしないより、してみて良かった。笑うべき時に笑えばよい、いずれ泣くとき
後悔が無くなる。腹の底から笑っておいて本当に良かった。 あとは自嘲か。
 ・・・・・・・
3738, 自分の居場所のみつけかた ー�
2011年06月20日(月)
【  * 勝ち負け社会のカラクリ P−100     「自分の居場所のみつけかた」 ー 斉藤学著  
 だいたい、社会の価値システムなどというものはその時代がつくる幻想に過ぎない。今は市場社会ですから金儲けが
価値観の基底にある。金を儲けようとする企業家は市民大衆を導いて「消費者大衆」へと変身させることを考える。
その際に用いられるのは「不安」です。ヒットラーのナチズムからオウム真理教まで、大衆動員の手段は不安の醸成ですが、
消費者大衆の動員も不安を動力として行われます。まず市民たちの中に「無能力」や「醜悪」への不安を流す。たとえば
「英語を巧みに操ることの能力が現代社会にとっていかに必要かを宣伝する。それによってその能力が乏しい人の不安を
かきたてれば、英語の教材屋や英語学校が繁盛する。言葉なんてその必要が出てくればいくらでも使いこなせるように
なるものですから、英語能力に関する不安などは将来という幻想の一つに過ぎない。将来なんて、あるかないかわからない
ものですから、それを実在と考えることそのものが幻想なのです。株で儲けたという人の話題は株ブームに乗り遅れる
不安をかきたてています。将来の不安というものがアチコチに散蒔かれているのが「勝ち負け社会」の特徴です。
幻想に乗らない人は最初から勝ち負けゲームに乗りません。世の中を地位、名誉、金の勝ち負けゲームと見なすと、
このゲームにはゲームにつきものの公平のルールというものが決定的に欠けています。 だいたい人生ゲームの参加者で
ある子どもは自分に配分される親を選べない。この点ではトランプのカード配りに似ています。ゲームの最初から勝つに
決まっているようなよいカードが配られている参加者もいれば、勝ちようのない持ち札の人もいる。
親の金力、人脈、知的資産、美貌に恵まれない人は人生ゲームの負けが決まっている。しかし人生ゲームはトランプと
違って、勝者だけが参加できる第二次、第三次、第四次のゲームが用意されているから、ひとまずの勝者だって、
いずれ敗者になるというカラクリになっている。 要するに世の中をこの種のゲームと見なすとすれば勝者はひと握り、
敗者は圧倒的多数となります。ところで、この大衆社会の中で力を持っているのは少数派ですか多数派ですか? 
衣装やダンスの流行からお笑い芸人のハヤリスタリまで、カギを握っているのは一般大衆と呼ばれる「貧乏で無責任で
無教養で悪趣味な多数派」じゃありませんか。 世の中は彼ら向きにできているから、地位・名誉・金に恵まれた
人々へのジェラシー(嫉妬)やエンヴィー(羨望)に身を焼かれる必要などないのです。そこを間違えるから
「敗者の恨み」にのたうつテロリストになってしまうのです。 】
▼それでも、負けるより勝つほうが良いに決まっている。要は、いずれ巡ってくる負けの時に、どのように対処するか。
  現在の自分の現状は、まさに、人生も勝ち負けゲームと割り切ってしまえば楽である。
「全米N0・1弁護士の勝ちセオリー」を書いて、日の経たないうちに、これだもの、支離滅裂か・・・ 勝ち負けに
囚われないということか! 不安を利用し巧みに大衆を誘導するのが、ビジネスの背景といえば、これから10年は
健康ビジネスが良くなる。<一般大衆と呼ばれる「貧乏で無責任で無教養で悪趣味な多数派」が世の中をほぼ占めて
いるなら、あえて「敗者の恨み」にのたうつテロリストに自らなることもないか!>  我が内なる沼は清潔に!
・・・・・・
3373, 凄い時代
2010年06月20日(日)
 *「凄い時代ー勝負は2011年ー」堺屋太一著
  「はじめに」の前半に、この本の要約がズバリ書いてある。まずは、その部分から。
ー 「凄い時代」である。一年前は「大昔」、二年先はまったく新しい世の中になるだろう。二年前の2008年の洞爺湖畔で
8ケ国のサミットが開かれた。それが一年後にはイタリアで、たった半日だけで、他は13ケ国の拡大会合や17ヶ国の会合に
当てられたのは、国際金融の建て直しと世界大不況の対策である。たった一年で、世界会議の枠組みも、語り合う議題も、
変わってしまったのである。・・
2009年の世界経済は政策支援の「集中治療室」状態。各国とも生命維持装置のカテールが何本もつけてある。
しかし、やがて抜きはじめる。その時こそ、本当の衝撃が始る革命的改革期だ。それが2011年になるだろう。
本当の「凄い時代」である。なぜそうなのか。   (字数制限のためカット 2012年6月20日)
・・・・・・・・
2998,他人に厳しく、自分に甘く
 2009年06月20日(土)
 「世界は感情で動く」 ー3           読書日記
 ー 行動経済学からみる脳のトラップー
* 他人に厳しく、自分に甘く
 我われは「感情のトラップ」にはまっていることは自覚をしていたが、それを一つずつ解明している本である。
 前に「ピーク・エンドの法則」を取り上げてみたが、今回は「帰属のエラー」について取り上げてみる。
 17章の「他人には辛く、自分には甘い?帰属のエラー」である。
   ーまずは帰属のエラーとはー
 まわりに起きる社会的事象や、自分や他人の行動の原因を推理・推論することを「帰属」あるいは「原因の帰属」という。
 それを理論化したものが「帰属理論」。下記のような、色いろなエラー、ゆがみなどを「帰属のエラー」という。
1. 知覚的に目立った情報・刺激に左右されること。
2. 他者の行動に対しては性格・個性などの内面的要因を重視する。
3. 自分の行動に対しては極めてポピュラーで普通の反応であり、普通とは違ったとすれば状況、
 すなわち外的要因が異なったと思い込むこと。
4. 自分が成功すると、自分の内面に理由があり、失敗すると外部に要因を求めること。
 こうしたバランスの取れない判断は、とても奇妙な結果を生むこともある。
 2,3に関しては誰でも身に覚えがあるだろうし、他人の失敗は、元々あいつは、そういう奴だと非難するが、
  自分が失敗をするとタマタマ失敗しただけと、自分に言い含めてしまう傾向がある。
 「期限を守る」ということにかけては、自分の能力に信頼を置いているし、「期限を守る」他人の能力は高く評価する。
 でも、自分が期限が守れなかった場合は、「めったにないほど大変な事情があったからだ」と言い訳をしたりする。
 しかしながらその事情とやらは、距離を置いて眺めたり、他の人に当てはめたりしてみれば、少しも例外的なものでなく、
 どこにでもあることだとわかる。 かくして「期限を常習的に守らない人の言うことは信用するなかれ」
 という帰属のエラーにひっかかる。
▼「世界は感情で動く」というより、「世界は気分で動く」という題名の方が適切ではないかと読み込むほど思ってしまう。
  気分で90パーセントは動いているのだろう、人間は。だから、それを如何に隠すか、目立たないように勤めなければ
  ならないのである。 人生をふり返ってみた時に、そのことが鮮明に見えてくる。それほど人間は理性的ではない。
  特に人間は他人に厳しく、自分に甘くなる。そういう人は、評論家に向いている。特に引退した野球の選手に、
  それが露出して見える。 思わず、「それほどの選手だったの?」と言いたくなる評論が度々である。
・・・・・・・・・・
2634, 娘に贈る12の言葉  ー3
 2008年06月20日(金)
 ー2、大好きなことに情熱の全てを注ぎなさい。ー
・何かを始めるのに年齢なんて関係ない。好きな道を歩みなさい。
・素晴らしい人生を歩むためには「お金をもらえなくても、やりたいことをやるべきだ」。
・細部に注意を払えるかどうかが成功と失敗を分ける。
 →大半の人が成功できないのは、限られた範囲の、不十分な調査しかしていないからだ。
 →徹底的に調べる。それによって初めて他人よりも多くの知識を得ることが出来る。
 →大変な労力を要するが、そのステップこそが人に差をつけられるところだ。
 →情熱を傾けられることに打ち込みなさい。
 私は中国に価値があると「思っている」のではなく、中国に価値があることを「知っている」のだ。
  I thinkではなく I know なのだ。
解)「好きこそモノの上手けれ」「好きと嫌いじゃ どれほど違う 命ただやる ほど違う」 
 自分が好きなことを早めに見つけること。
ー 3、常識はそれほど常識ではない。 ー
・ほとんどの常識は間違っている。 危険な場所には誰も行きたがらないし、投資もしない。
 →だから全てのものが非常に安い。
・新聞だって、そのまま信じてはいけない。
 →時にはジャーナリズムが大衆をミスリードすることもある。人口の半数以上の知性は平均以下だ
 ということを覚えておきなさい
 解)そのことをどれだけ知っているかどうかである。大衆と違った視点で投資先を探せ! ということ。
   ことあるごとに「定説」を連発していた教祖様がいたが。
ー 4、世界を自分で見ておいで。 ー
・「イギリスだけしか知らないものに、イギリスが本当に理解できるはずがない。」
 →他を知ることで、他から眺めてみることで観察は深まる。 世界を視野に入れなさい 世界市民になってくれ。
・BRICsの重要性を理解するんだ。ブラジル、ロシア、印度、中国などだ。その中で、特に中国が重要。
 解)知れば知るほど、自分が何も知らないことを知るからだ。  それと自分の世界の小ささを。
・・・・・・・・・
2007年06月20日(水)
 2269, 家は大事である        *ヾ(´∀`o)+。才ノヽ…YΘ!
隣家が4年ほど前に新築に建てかえたが、日毎に家庭が明るくなっているのが、手に取るようにわかる。
「家は大事」とつくづく感じる。何か家によって家族のあり方が変化するようだ。「人間の器は育った家の器に
大きく左右される」と聞いたことがあるが。家はその天井の高さと、居間の広さがポイントになる。更に大事なのが、
「風通し」と「太陽」と「湿気」の三つである。   (字数制限のためカット 2011年6月20日)


4844,「事業人生を決心して45年」の語り直しー18

2014年06月19日(木)

   * 衣料量販店のコツ
 肩書きは取締役本店店長。通称、「店長」。母が社長で、兄が専務。家業そのもののパパママストア。
出社日から、多くの判断が次々と求められたが、衣料量販店の経営など全く知らない白紙からの出発。
ところが、その白紙状態が、結果としてベストに働くことになる。心だけでなく、何事も、空即是色である。
四日市、神戸、桑名、金沢、千葉と渡り歩いてきたが、いずれも、駅前は競争激化と、新興のチェーン店
の進出で、劇的な変化の過程であった。ところが、当時の豪雪は、現在と比べようもないほど多く、
冬期間は、雪の壁が、町を遮断する特殊の商圏でもあった。そのため、地元百貨店が二店。
金沢の百貨店と、寄合専門店ビルと、実家である衣料量販店と、その支店のファッション衣料店が、
そして駅に隣接した一等地に大型チェーン店が、駅前のメイン通りに並んでいた。
しかし、豪雪地区のため、他県からみれば、その波の強さは、穏やか。この本店、規模の割には、
「超繁盛店」で全国で知られていた。その中での、御家騒動は、世間話の絶好のネタ。
 本店の過去のデーターは、全てを前任者が持ち出し、その上に、前任者達の意をくんだ残留者は
無言の抵抗。一週間、二週間経つうちに店内の商品が底をついてくる。その中、地元の問屋の一社が、
当面、全面協力をしていた。そうこうするうち、私の知らぬ間に、秋物衣料相場が、値崩れを起こして
きた。普通なら、導入期に一通り、秋物を並べ、次の最盛期に値崩れの仕入れをして、稼ぐ。
しかし、導入期の商品が無い中の、絶妙なタイミングに、東京、大阪へと、現金を持って初めての
仕入れ。何も知らないのに知ったふりの緊張感の中での仕入れは、今でも忘れられない。
そして、何とか値崩れの仕入れが終わった。そして次回は、名古屋、大阪、岐阜へ現金問屋や、
メーカーへの飛び込み仕入れ。その時、思い浮かんだのが、父と中、高校時代に一緒にまわった記憶。
まずは、一回り目は情報を取り、そのシーズンの流行と、相場を把握。その後、商品を選び出し
仕入れていく。それも現金で。右上りの時代の中で、誰も忘れていた商売の原点を、動物的直感で
綱渡りの瀬戸際で、始めていた。 何とか一月が過ぎた頃、店に高崎の有力衣料問屋の部長が、
訪ねてきた。 店頭の立話しだったが、現在の経緯と、自分の経歴と、現状を手短に話したところ、
『当社として、全面的に協力します!』という。 暫くしてから、その意味を知った。
それは『その窮状を、産地問屋として、当分の間、原価ギリギリで商品を提供します!』であった。
これが、大きかった。それに現金を持って、産地を歩く、基本的原理を、父から教わっていたことも大きい。 
これで、地元の問屋、メーカー、百貨店の相場を根こそぎ叩き壊す、本来の姿に戻ったことになる。 
その中、その年末は、思いもよらない暖冬で、冬物衣料の相場が大崩れをした。
他の大型店は、事前予約の冬物の在庫の山だが、当方の店の中は、予約など無しのカラ。
その中での、大阪、岐阜、岡山、に現金を持っての仕入れ。多くの筋ものが、半値以下の大量仕入れ。
それを、そのまま、小利で売りに出せば、大当たりになって当然。 時代の流れもあって、
全てが、プラスに働いていた。激変の中、むしろ既存の常識無視の方が、プラスに働く。
・・・・・・
4477, アベノミクスへの疑問
2013年06月19日(水)
 日本経済の危なさは、二年前の事業断念に至るプロセスで直接、肌で感じ取っていた。ここでバブル経済とは、
とんでもない誤りを犯そうとしている。 「10年後に一人あたりのGDPを150万増加」など、方向は逆。
それも以前に放り出した元首相二人が恥ずかしげも無くである。何人かの経済学者がアベノミクスに批判をしているが、
円安、株高の現象の前に表立っていない。 先日、図書館で借りてきた「文藝春秋4月号に神谷秀樹のレポート
ーアベノミクス「危険な熱狂」ーがあった。ネットで調べたところ、これを簡略にまとめたブログの内容があった。
 ★ ーブログにゃんと〜 ー神谷秀樹『アベノミクス「危険な熱狂」』文藝春秋4月号の一部を抜粋ー
≪◎ アベノミクスを冷静に分析し「A=アセット(資産)、B=バブル、E=エコノミクス」と揶揄している人々がいるが、
 彼らのほうが正しいことは、いずれ歴史が証明する。いま喜んでいるのは、バブルに乗って一儲けしたい投機家ばかりだ。
「持続可能な経済基盤」を構築するものには、人口、中産階級の収益力、イノベーション(技術革新)、エネルギー価格、
 政府の健全な財政等々があるが、中央銀行はここに述べた経済成長の大きな要因のうち、何一つコントロールできない。
◎ 安倍政権は「市場にお金が不足している」と考えているようだ。だが、これは完璧に間違った認識、市場にはお金が
 あり余っている。企業はもてあますほど現金を持っており、日銀の当座にも銀行が使い切れない「ブタ積」が山ほどある。 
◎ 株価が上がって投機家は喜んでいるが、何も企業の競争力が回復したわけではない。企業の持つ外貨資産の評価額が
 上がっているだけの話だ。(中略) 外貨建ての資産が評価益を出すということは、裏返せば円建て資産が、国際通貨の
 バスケットで見れば価値が目減りしていることになる。
◎2000年代初めから民主党に政権を譲るまで、自民党政権時に彼らが行なった不況対策は、
 �「円安麻薬」で輸出ドライブをかけること、
 �「契約社員化」で賃金を切り下げ、国際競争力を維持することだった。 しかし、この政策は完璧に破綻。
 「インフレを起こせば賃金が上がる、雇用が増える」というのは、全くのイリュージョン(妄想)で、
 「国際的に価格競争力を失ったのは円高のせいだ」というのもイリュージョンだ。 競争力を失った理由は、
 同じ質の労働に対する賃金が海外に比べ高い、製品の質の面でも優位に立っていないことだ。
◎「バブル崩壊の対策は新たなバブルの演出で」が正しい処方箋でないのは「失われた二十年」で学んだ筈だったが、
 実際には学んでいなかったようだ。ABEがバブルを大きく膨らませれば膨らますほど大きな破綻を日本にもたらし、
 その時はもう復活不可能なほどの致命傷となるだろう。≫
▼ グローバル化の中では、日本一国の金融緩和でコントロールが出来ようはずがない。アベノミクスは、
 一部の輸出産業と大手の金融機関がプラスになるだけ。逆にマイナスのエネルギーは、弱者を直撃する。
 二ヶ月前の地元の高校の同級会の当初からのメンバー20名をみると(5人が死亡)、この1〜2年で私を含めて6人が
 倒産、廃業、自殺、経営責任での辞任などで(半数近く)やられたことになる。 そう遠くないある日、中国かアメリカの
 投機筋から、売りを浴びせられ株価が暴落するだろう。参院選前にもう一度、そして、参院選挙の後の秋あたり。
・・・・・・
4103, 閑話小題 ースローヨガ
2012年6月19日(火)
   * スローヨガ
 スポーツジムで週二回ヨガに参加して三ヶ月間、殆んど休まず26回参加している。
ところが一月程前からオウム教の元信者の逮捕が相次いでいる。オウムはヨガ教室を隠れ蓑に信者を引き込んでいた。
それ以来、ヨガ教室のイメージが悪くなり何処もピンチに見舞われていたが、時間と共に愛好者も増えてきているという。
私の参加しているのは50人定員で、平均40人位が参加している。これだけの数がエアロビの教室内で一同に会して暗闇の中で、
ヨガのポーズをとっていると不思議な感覚になる。 ヨガは回数を重ねるごとに、その空気に馴染んでくる上、終了前の10分位の間、
仰向けで大の字になって意識を身体から出すイメージを持つ時間が良い。マントラの音楽を聞きながら、全身から力を抜いて宙游した
気持ちが何時までも続いて欲しいと思ってしまう。それを利用してマインドコントロールをしたのがオウム教。俗世の汚濁に戻りたく
なくなるのも分かる。 毎朝、自転車で信濃川の二つの大橋を一周するのを習慣化して三年目になるが、ヨガの世界に似ている。 
大手大橋で弥彦山から米山までの100キロ近い展望の中、引きチャリをしながら半眼で、深呼吸をして「地球の中心点を擬人化したX」
と対話を10分近くしている。それが、ヨガの最後の仰向けの瞑想?と似た感覚である。 精神的・肉体的にもベストの経験を、
毎朝のポタリングと、週二回のヨガで体験している。早朝の農作業も、似たような気持ちになるのだろう。
「ヨガは肉体も精神も宇宙の一部とみなし、同化させる業」というところからみて、当然のことだろう。魂が現れ出るということか。
   * 日本の初めての流行歌は?
 近代的な流行歌第一号は「宮さん宮さん」だそうだ。 明治元年・一八六八年三月に薩長土肥の官軍が錦の御旗を押し立てて、
東海・東山両道から江戸に向かって進撃する道々うたったもの。したがって日本軍歌の第一号でのある。 現代の流行歌第一号は、
大正三年、島村抱月の芸術座が帝劇で上演した『復活』の劇中歌「カチューシャの唄」。松井須磨子が舞台でうたって大ヒット、
翌年レコードに吹き込んだ。女優松井須磨子はまた流行歌手の第一号でもある。流行歌のスタンダード・ナンパーとして、
現在も広く演奏され、うたわれている「船頭小唄」は大正一〇年ごろからはやったが、歌の大ヒットに目をつけた松竹が、
当時新人女優の栗島すみ子で映画化し、これも大ヒットし「小唄映画」と呼ばれる流行歌の映画化第一号となった。
他にの説が多くあるが。
 ・・・・・・・
3737, 自分の居場所のみつけかた ー�
2011年06月19日(日)
                    「自分の居場所のみつけかた」 ー 斉藤学著
  この�を書き上げた当日(一昨日)、偶然に録画をしていた話題作の「告白」を見た。これが、この本からヒントを得たのでは?
 と思われる異常教育ママ(モンスターママ)の犠牲者・少年の殺人が引き起こしたストーリー。 奇妙な偶然である。
   ーこの映画の概要をHPから、まずコピーから。
【 2009年本屋大賞に輝いた湊かなえの同名ベストセラー小説を原作に、教え子にまな娘を殺された中学校教師の復讐を描くミステリー。
 事件にかかわった関係者たちの告白によって真相が明らかになっていく緊張感あふれるドラマを作り上げた。
ストーリー: とある中学校の1年B組、終業式後の雑然としたホームルームで、教壇に立つ担任の森口悠子(松たか子)が静かに語り出す。
「わたしの娘が死にました。警察は事故死と判断しましたが、娘は事故で死んだのではなくこのクラスの生徒に殺されたのです」
教室内は一瞬にして静まりかえり、この衝撃的な告白から物語は始まっていく……。その一人の犯人の少年は、モンスターママによる
幼児の頃の執拗な教育で、歪んだ手のつけられない少年になっていた。】
▼ なかなか面白いストーリーである。 現在の小中学校の学級崩壊も背景にある。どこの家庭にも、多かれ少なかれある問題。
 両親の関係が、そのまま子供形成に影響するのは親なら身に憶えがあるはず。その極端なケースから、極端に歪んだ子供が育ってくる。
子供を殺された松たか子役の恨みと怨念は、危機迫るものがある。 この競争社会の時代、子供の基礎能力は必要だが、ついて行けず、
心の中で大きな歪みが出てくる。そこに自分の若かりし頃を振り返れば見えてくる。 常に黒い影に終われ、何処にいても落ち着かず、
他に行けば何かがあるはずと焦っていた自己不一致の日々。それが若さというものだが、それが家庭崩壊や、自己崩壊を生むことになる。
 特に「ゆとり教育」が実施された時代に育った世代が親になっている現在、その子供たちの荒廃は、社会問題になってくる。
更に携帯電話などの情報端末が子供たち間に普及した中で、親も含めた大人たちは、その対応が分からない。 親からして、
「自分の居場所」が見つからないのだから、子供たちは情報の洪水の中で、得体のしれない化け物になっていく。
現在問題になっている、ニート世代(20〜40歳)は、家庭からも、会社からも、社会的訓練がなされてないため、居場所がない。
ある意味で、アメリカによる日本属国化政策の完成が現在の日本である。 我々は、その恐ろしい現状を目撃していることになる。
他人ごとでない、自分自身が、その集約化した人生だったと言えなくはない。そこまで悲観的に見ることもないが、現在の日本の
政治の有り様を見ていると、その集約が、もしか自分に当てはまるのでは?と、思ってしまう。最後はリーマンショックでトドメか!
 ・・・・・・・
3372, 「めんどうくさい」が不幸のはじまり!
2010年06月19日(土)
 しあわせを感じるには「技術」がいる ー2
  ーしあわせを感じる「技術」ー 東洋経済新潮社・しあわせ研究プロジェクト編 
   * 不幸になりたがる人たちからのヒント
どうも年齢のせいか何かやろうとすると「めんどうくさい」が先に立ってきた。先日ーしあわせを感じる「技術」ーを図書館から借りてきた。
多くの人が「しあわせ」について書いている中に、精神科医の春日武彦が、「不幸になりたがる人たちからのヒント」で「めんどうくさい、
が不幸のはじまり!」に、ハッとした。そこで「人は基本的に現状を大きく変化させることを望まない傾向にある。 
たとえ不幸が持続することが火を見るよりも明らかであったとしても、現状維持を選ぶ人の方が多数派」という。 その根底にあるのが
「めんどうくささ」だとしたら、何とも人間は情けなく哀しい存在である。これは、人間は「低位安定」を心奥で求めている結果ではないかと。
「低位安定」から、どうすれば抜け出すことができるか? これからの脱却は「めんどうくさい」との戦でもある。
著者は陳腐な結論と断わって、結局「早寝早起きと整理整頓」に、つきると・・ まずは暮らしを整え、生活を律していくこと。
それができない者には、現状を変えようといこうとする力など生まれない。不幸を願うものはいないが、不幸へと続くレールから外れようと
しないものは多い。現状維持の方が楽に思えるからだ。その「めんどうくさい」を突き詰めていくと、満たされてない何かが逆に新しい事態に
直面するのを避けているのである。 私は不幸系の人は身辺には寄せない。 何ともいえない匂いがある。「めんどうくさい病」の一つに
「自律神経失調症」という病がある。 問題にぶつかると後ろ向きになる。 常に周囲の欠点を探し自分を改造しようとしない。 
その積み重ねの結果「めんどうくさい病」に陥ってしまうのである。 常に夢見る男(おのこ)で、フワフワし同じタイプの人間と群れたがる。
他人事ではない、年齢からくる老いが「めんどうくさい」病に知らないうちに陥っているのである。 秘境ツアーにしても、事業にしても、
ブログも、自分が幸せと思えた瞬間は、それを乗り越えた結果であった。 しかし「めんどうくさい」も、すべて否定はできない。
自然体という生き方でもあるからだ。 低位安定で満足する層も世の中には必要。世の中は、それぞれの層の構成で成り立っている。
老齢になったら、否が応でも低位安定になってしまう。  面倒を克服するには、習慣化がよい。 それを積み重ねていけば良いが、
 それ自体が面倒か〜   さて、棚の整理だ!  それと人生の整理整頓の時期にも入ってきたか!
 ・・・・・・・
2997、定年か〜  ー2
2009年06月19日(金)
  「うれしい定年 さびしい定年」ー 55歳からの賢い生き方ー   北 連一 (著)  
 私が会社から離れて家庭だけの生活になったとしたら、まず「家内との日中の折り合い」が大問題になるのは解る。
定年直前に「定年後は、私の管轄下よ!」と、旦那に一括を入れていたのをドラマで見たことがあったが、
深い男の悲哀を感じ取ったことがある。 実際の似た場面も立ち会ったことがあったが・・・ 
私など三連休になると、家内に顔をまじまじと見られ大きく溜息をつかれ嫌味が始るのが常。 
「妻への詫び状」という、妻に白旗を揚げた、だらしのない男たちの見本帳のような本を取り上げている。
人口問題研究所の統計だと、離婚した夫婦の男の平均寿命は、死別した人や配属者のある人に比べて10年ほど短いとか。
だから離婚も耐えなければならないのである。 ある生保の調査によると、女性の1割以上が
「夫と同じ墓には入りたくない」と答えている。 更に、ここで取り上げている30年前の『定年後』の内容が凄い。 
その著者は妻のことを「古猛妻」と命名している。 その妻に定年前に、「五箇条の御誓文」の提出を求められている。
一、午前中は一歩も書斎を出ないこと          二、小遣は現在の2万5千円
三、食事の内容には一切要求をつきつけない       四、仕事の上でやむを得ないと認める以外は外出を禁じる
五、これらを不服として大声を発することをしない
 これは実録小説といっているが、大筋は事実だろう。ここで著者は「定年に先立って、その後に来るものを詳細周到に
予測していたが、女房の支配権の無差別な拡大という致命的な問題をぬかしていた」と、予期せぬ事態に戸惑う。
「定年で自由の身になったと思ったのは春の日の蜻蛉に過ぎない。時間単位で公私を区切る近代的雇用とは比べようもない、
運命共同体的な四六時中の関係に女房がいた」と。まあ、大変なことである。離婚をして独り暮らしをしている同年輩の人が
実際に何人かいる。 やはり10歳は老け込んでしまっている。
 ここで一句 「 うれしくも 悲しくもあり 独り味 」 「 笑えるうち 笑っておけと 涙目で 」 
そう遠くない日が待っているが、その時は、その時であるとしか、いいようがない。 死んでしまえば同じこと!
・・・・・・・・・・
2633, 娘に贈る12の言葉  ー2
2008年06月19日(木)
 第一の言葉から要点を抜粋してみる。一言一言が、肯ける内容ばかりである。過去に上手くいったことを省みると、そのとおりである。
 考え抜き、調べつくして確信できたこと以外は失敗した。オリジナルはなく、周りの流れに従ったときである。
  ーー
1、他者に流されてはいけない ー他者に流されず、自分の頭で考えることー
・君には「君」という優秀なブレーンがいる。自分自身で調べ、考え、確信できることを見つけなさい。 他人に、
 たいていの問題に関しては、自分のうちに問題を解決する能力をもっているものだ。自分の考えに従って行動することだ。
・君のアイデアが笑われたら、それは成功へのサインだ。→大勢に従って、成功した人間は誰一人いない。
 以前、中国は投資するに値しない国だ、と言われていた。しかし、1990年代に投資対象と気づいたのだ。
 実際の中国を調べると、13億の人たちが懸命に働いていた。その上に、貯蓄率が35?もあり、それを投資に向けていた。
 そんな国が成長しないわけがない。ところがアメリカはどうだろう。、1990年頃の貯蓄率を4パーで、今ではたったの2パー。
 しかも深刻な借金を抱えている。他の人が常識に従っているうちに、中国に投資をした。 おかげで、700?のリターンを
 得ることが出来た。 世間の常識を疑ってきたからこそ儲けられた。 →世間の常識は疑うこと。
 (字数制限のため、カット2014年06月


4843,「事業人生を決心して45年」の語り直しー17

2014年06月18日(水)

    * 二店を、経営委託に! そして、実家に
 『出たいというなら、出ていけばよい!』と、私も、母と兄の意見も同じだったが、
それでも妥協策を探したが、 事態は深刻になっていた。そして、母、姉、兄と、私が最後の
話合いをしたが、姉は頑なに出ていく、という。姉夫婦が最後は折れてくると思っていたことを、
しばらく後に、姉夫婦と行動を伴にした社員が、「どの道、直ぐに必ず帰ってくる」と、話していた
ことから知る。 姉夫婦のピークは、僅か二年で終わった!
 Uターンが決まると、問題は、開店したばかりの二店の問題。そこは大手チェーン店の利点が
出てくる。養老乃滝も、ベーカリーも、「金が無いが独立した店舗運営の希望者」は幾らでもいる筈。
そこで、まず、蝶理のベーカリーの担当に、「二店で80万で経営受託する人がいないですか?」
とぶつけた。 すると、「自分が間接的だが受託する!」と、話は簡単に決まってしまった。 
彼が受けなくとも、両方の本部は、希望者を直ぐに探し出した筈だが。私には渡りに舟。
その後、二年もしない内に、他の空きスペースが埋まって、ビル経営としては上出来の結果と
なって、五千万投資の貸ビルが、年の家賃が千七百万までになっていた。
その五年後には、銀行を通して一億で売り抜けていた。ビル経営の視点でも、この事態が、
プラスに働らいた。 そして、九月初旬に千葉から長岡に戻ってきた。
まず、実兄と「本店か、支店か、どっちを受け持つ」かと、相談すると、兄が「自分は、
そのまま支店を、本店を御前に任せる」という。 本来は、兄が本店に乗り込むのが筋だが、
本店に自ら乗り込むのは気が引けたようだ。 入って直ぐ、成るほど!尻込みをするのが分かった。
そこは既存社員の冷やかな空気が色濃く残っていた。さっそく、一人ずつ、別室に呼び出しての
話合いからの出発。そこに、私への不信感が大きく根付いていることを知る。
彼らには、私は悪役の張本人。それでも残ってくれただけで、充分であった。 
さて、どれから手をつけるかである。
 地元銀行の北銀と大光相互は、兄に感化され、倒産寸前と判断していた中、
メインを北銀から、当時の都銀の「太陽銀行」に変更。これは、私と実兄の仲人をした営業担当で、
この一連で相談にのってもらった因縁から。 会計事務所も、税理事務所から、会計事務所に変更。 
 実感は、生まれ育った商家の真っ只中に、20年ぶりに落下傘で舞い降りたような不思議な感覚。
数ヶ月もしないうち、全てが面白くなり、水を得た魚のようになっていた。
そこは10歳まで生活をしていた生家。 火がつくのは当然といえば当然。 
4年半後、役割が終えての自らの総括は、達成感では、120点。 
ジャスコ、千葉、長岡、新潟も、「引き(時)」であった。(新潟は、最後の最後で、引きが、遅かった?)
・・・・・・
4476, 閑話小題 ーオノマトペ
2013年06月18日(火)
 6月11日のNHKの情報番組「クローズアップ現代」で、「にっこり」「ドキッ」などのオノマトペの魅力を
取り上げていた。擬声、擬音語には、その背後の豊かな情報を伝達する力があるという。 ーNHKのHPによるとー
≪ 「ぐにゃり」に「ほっこり」。「ぱみゅぱみゅ」に「じぇじぇじぇ」。
 今、私たちの身の回りでオノマトぺ=擬音語、擬態語が、 急速に増えている。 放送では、
* トップスポーツの現場から。「“べちょべちょ”」「“ぬめぬめ”」
* 新製品の開発を模索する企業でも。「“ガシガシ”」
* ロボットの人工知能の研究現場まで、“どどどどっ”と熱い視線を集めているのです。
 人を引き付ける理由は、オノマトペが持つ音の爆弾とも言われる、“ドキッ”とする力。
オノマトペは、普通の言葉とは比べものにならないほどの豊かな情報量を持っていることが明らかになってきた。
言語学者は、「普通の言語では、そぎ落されてしまったものが全部、オノマトペの中に引きずり込まれて凝縮する。」
 大手コンビニチェーン 広報「“もちっと”ホットケーキや、“もちもち”くるみパンが、人気があります。」
商品名に、“もちもち”と付けると、売り上げが5倍に増える。そんな都市伝説のようなうわさが、駆け巡っているという。
大手コンビニチェーンの広報では、「“ふんわり”とか、“サクッ”としていない商品は、比較的“もちっと”。」
おいしいを感じる言葉のアンケート調査でも、“もちもち”や、“もっちり”がどんどん急上昇する一方で、“コシのある”や
“舌ざわりのよい”は、“ひゅるひゅるっと”急降下。 短く直感的に伝わるオノマトぺがランキングを席けん。
オノマトペは、“パキッと”堅いイメージのある国会でも増殖しています。・・・≫
 ▼ 小泉元首相が、一言コメントで、国民の‘考えない層’の取り込みで世論を巧く誘導したが、
  「一言実感売り手コメント」とも言える。ツイッターの発信は、現場感覚のオノマトペのようなもの。
  スマートフォン、タブレットの情報端末も、現場感覚のオノマトペを親しみやすくしている。
  早朝の信濃川の土手の、ある場所で「あ〜あ、清清するな!」と独り呟いているが、これも、それか。
  変わったスナックの名前に、‘ひとり静か’‘それから’‘そこ’‘どん底’などあるが、オノマトペのニュアンスの
  店名が増えてくるだろう。で、「面白スナック名」と検索したら、「まぬけ」「あくびちゃん」「夜光虫」「団地妻」
  「あんたが大統領」「スナックとしま」(池袋にある)「いい娘(こ)銀行」「メロメロ」「居酒屋どんぶり勘定」。
  そこで考えついた面白いスナック名・・{化け猫、寄生虫、からおけ音痴、娑婆娑婆、ここそこあそこ、ノミスケべイ}。
  とっておきは、「ま、いいか!」以前、新潟駅前にあった? 「へっくしょん」「ずぼずぼ」「プッツン」も? 
・・・・・・
4102、私は完全な本 "日本の自殺"ー6を作った
2012年6月18日(月)
   * 危機は日本人の内部にある
  日本人内部の危機は、敗戦後のアメリカによる日本隷属化政策によってつくられた精神が生み出したもの。
 戦後民主主義は自由、民主、平等主義の上面だけを咀嚼した代物。そのため、時間と共に矛盾が大きく出ているのである。
 バブル崩壊、9・11テロ、9・15のリーマンショック、そして東北大震災の影響をモロに受けてしまった日本は、
 ここで大きな試練に立たされている。そして、世界恐慌に入ろうとしている現在、更なる崩壊が進んでいる。
【 ローマ帝国に関して言えば、社会内部からの自壊は、
 ◎世界国家の心臓部の繁栄 ↓ ◎豊かさの代償としての放縦と堕落 ↓ ◎共同体の崩壊と大衆社会化状況の出現 ↓
 ◎「パンとサーカス」という「シビル・ミニマム」 ↓ ◎増大する福祉コストとインフレとローマ市民の活力の喪失 ↓
 ◎エゴと悪平等主義の氾濫 ↓ ◎社会解体   というプロセスで進行したのである。
この自壊のプロセスは驚くほど現在の日本(1975年当時)の社会過程と類似している。日本の没落の危険は資源問題や
輸出市場などの客観的、外部的、物質的制約条件のなかに存するのではなく、日本社会の内部的、主体的、精神的、社会的
条件のなかにこそひそんでいるのである。
 没落の真の危険は、日本人がこの危機や試練を正確に認識する能力を失いつつあることのなかに、この危機や試練に挑戦しようという
創造性と建設的思考を衰弱させつつあることのなかに、 日本人が部分を見て全体をみることができなくなり、短期のことしか考えず、
長期の未来を考えることができなくなり、エゴと放縦と全体主義の蔓延のなかに自壊していく危険のなかに、存するというべきなのである。
 豊かさも便利さも、そして情報化、都市化、大衆化、福祉、自由、民主主義、平和なども、現代文明が高く掲げてきたプラスの諸価値を
含んでいたが、人間社会の出来事になんらのマイナスを伴わない絶対的プラスは存在しえない。自然科学と同様である。
節度を越え、調和を喪失したとき、それは突如としてマイナスに変わる。それは、資源問題、公害問題を通じて少しずつ理解されている。
 豊かさ、福祉、自由、平和、平等などに実は恐るべきマイナスの副作用が現れることについて、自覚を欠くとき、福祉国家は人間と
社会を堕落させ、自由は無秩序と放縦に転化し、民主主義は全体主義と衆愚社会をもたらすであろう。没落の原因は、外的要因ではなく、
むしろ内的要因にあることを繰り返し述べている。外的要因については、それをはっきりと捉えることができるので、意思さえあれば
対処可能なのかも知れないが、内的要因については、まずもって自覚できない、このため要因をはっきりと捉えることができない、
そのため対処することが非常に難しい、ということなのか。】
▼ ローマ帝国の自壊は、37年前の日本というより現在の日本の自壊の姿である。ここで、「この問題は決して克服できない問題でない」
  とあるが、結果として果たして克服してきたか疑問である。問題は、ここに書いてあるとおり「日本人がこの危機や試練を正確に
  認識する能力を失いつつある」ことである。その上にグローバル化による価値観の多様化もある。日本の自滅は文明の自滅でもある。
 ・・・・・・・
3736, 全米N0・1弁護士の勝ち抜きセオリー  〜10
2011年06月18日(土)
   * 具体的な弁論は? ー ミロのビーナスの腕       『議論に絶対に負けない法』ー ゲーリー・スペンス著
【 それから私は、開発業者の利益のために美しいジャクソン・ボー・バレーの木々を伐採して醜い宅地にしてしまうことに対する
反対論を述べた。「はじめにお話をさせてください。ミロのビーナスはパリのルーブル美術館に所蔵される前、ベネチア芸術の
美術商の手に入りました。この時すでに、この像は人々の注目の的でした。そのポーズと着衣の優美なひだがこのビーナスに非常な
気品を与え、完壁な芸術作品から発せられる力をすべて持ち合わせた傑作でした。人々はこの像を見るために遠くからやって来ました。
そして時がたつにつれ、像の人気が高まるにつれ、像には手を触れたすべての女性を美しくする力があると考えられるようになりました。
 美術商は、このビーナスの小さなかけらがほしいという大衆の要求を利用すれば、大もうけできることに気づきました。
ビーナスを見ようとたくさんの女牲がはるばる長旅をしてやって来て、小さなかけらだけでもぜひ手に入れたいと願いました。
持っていれぽ美しくなれると信じていたのです。美術商はある計画を立てました。石膏でビーナスのコピーを作って、そのあと本物の
ビーナスを粉々に壊してしまおうと考えたのです。粉々にしてそのかけらを売れば、この芸術作品をまるごと売るよりも、はるかに巨額の
お金が転がり込むほずだと思ったからでした。そこで彼は、大金槌を持っている職人たちをビーナスが飾ってある自分の店に呼び出しました。
「粉々に壊せ。壊して、千個のかけらにしろ」。彼は命令しました。彼がはじめという合図をしようと腕を上げ、それを振り下ろそうとした
ちょうどその時、目に見えない剣に切られたかのように、彼の腕が体から切り落とされました。それと同時に、ミロのビーナスの反対側の
手も切り落とされました。肉の腕と石の腕、二本の腕が床に落ちて十宇の形を作りました。それはビーナスは決して壊されてはならない
という神のお告げだ、と職人たちは思いました。それから間もなく、ミロのビーナスはルーブル美術館のものになり、今日にいたるまで、
美しいものを愛するすべての人のために大切に保存されているのです」 私は少しのあいだ黙った。部屋はしいんとしている。 
 人々の顔はビーナスの顔のように無表情だ。私は続けた。「この谷は、単なる人間の彫刻家が創造したものではありません。この谷は、
神様がお創りになった芸術作品なのです。事実を把握しているであろう世界的な旅行家の多くは、そびえ立つ孤峰と汚されていない湖が
いくつもあるこの谷は、世界で最も美しい谷だと宣言しています。かつてミロのビーナスが私欲のために彼女を破壊しようとした強欲な
美術商の手にあったのと同じように、この谷も皆さんの手のなかにあるのです」 私は演壇を降りた。・・・・ 】
 ▼ 自然破壊の是非の裁判で、こんな逸話を出されたら開発業者は、勝てるはずがない。ミロのビーナスのこの逸話、
  聞いたことがあるような、ないような? ネットで調べても、この話は出てこない。片方の腕に林檎を持っていたという説がある。
・・・・・・・・
3371, 込み込み六千八百円のホテル
2010年06月18日(金)
 先日、久しぶりに取引先の業者が事務所に遊びに来て言うに
「湯沢の手前にある大湯温泉に行ってきたが、料理に飲み放題、カラオケで歌い放題で全部で六千八百円だった。
仲間10人で土日の高速代金の千円を利用し分乗したのでドライブがてら二日間で一万円でお釣りがきた」という。
 (字数の関係でカット2014年6月18日)
 ・・・・・・・・
2996,定年か〜  ー1
2009年06月18日(木)
           「うれしい定年 さびしい定年」ー 55歳からの賢い生き方ー 北 連一 (著)    読書日記
 還暦を過ぎてからの年賀葉書に、「無事定年を向かえ、悠々自適の毎日を過ごしています」とか、
地元のスナックなどで偶然あった高校時代の顔見知りに「いや〜サンデー毎日も疲れるよ」と言われ、その意味も最初は分からず、
解釈してもらって分かる次第。特にサラリーマンを無事平穏に過ごしてきた人は定年後の日々を切り替えるのは大変だろうと察する。 
私の知人は、殆どが現役なので、深刻な話はまだ聞こえては来ないが、従兄弟などの親戚からは戸惑いが伝わってくる。
群れから離れて奥さん1人相手か、独りで生活せざるを得ない厳しい現実が起こる。そして、まずは「老人性うつ病」が襲ってくる。
これは抉らすと危ない。現在の私も少し「うつ病」気味である?、とにかくムカツクのである。いや、恐慌下の売上不振なだけか。 
そんな折、先日図書館で、この本を見つけたが、切実さが直に伝わってくる内容。具体的に定年後の人間関係、それも一番の難敵の
奥さんとの力関係を取り上げている。ヤット、会社の人間関係から解放されたと同時に、新たに小さな家での息の詰まるような関係。
「定年退職後初めて人間になった」「毎日が正月」と喜ぶ人がいる一方。「定年葬」と悲観に暮れる人もいる。 
この本は「定年退職前後はこういうもの」と、飲み屋でグチを聞いているようで、いやに納得する。 
【 定年前に‘やっておいてよかったことは’、料理ができるようになっていた,遊び仲間がいる,ローンが終わっていた,
書斎と書庫を持っていた,娘たちを追い出したことだと吐露する。‘やっておけばよかったことは’,会社離れをする前に,定年後の
シミュレーションをやっておく,妻とのコミュニケーションをとっておく,熱中できる趣味を持つこと、だという 】
こういう人生もあるのかというような内容だが「定年の敵は女房だ!」という人のケースなど、深刻な内容も赤裸々に取り上げている。  
8人兄姉の末っ子だったことや、親戚に多くの従兄弟たちの生き様がみえる立ち位置に居たことから、「人生の敵(ミカタ)は女房」
というのは深く肯けるが。その辺は、受け止め方の問題ということ。 孤独に対する訓練を長年かけて訓練をしてきたかどうかが、
最大の問題ということ。 それと、家庭菜園や読書などの独り遊びが出来るかどうかである。
 それと「ハッピーエンドなど、妄想でしかないと、割り切ること」である。
・・・・・・・
2632, 娘に贈る12の言葉
2008年06月18日(水)
「人生と投資で成功するために  娘に贈る12の言葉」 ジム ロジャーズ (著)   b(’0’)d おっ w(゜Д゜)w ハァ?
 ある本に紹介されていたジム・ロジャーズの「中国の時代」「娘に贈る12の言葉」を
アマゾンで取りよせて、読んでいる。成るほど面白い。二年ほど前に、ロジャーズの本を二冊読んだが、なかなか面白かった。 
それに劣らない力作である。「ビジネスマンの父から息子へ送る手紙」を彷彿する題目だが、内容は全く違う。
ー まずは、その12の言葉
・他人に流されてはいけない             ・大好きな事には情熱のすべてを注ぎなさい
・常識はそれほど常識でない             ・世界は自分で見ておいで
・哲学を、つまり「考える」ということを学びなさい  ・中国の時代 中国語を身につけて欲しい
・歴史を勉強しなさい                ・汝自らを知ること
・変化をとらえ、そして受け入れなさい        ・未来を見つめなさい
・大衆に逆らいなさい                ・幸運の女神は努力を続けたものに微笑む
 ジム・ロジャーは一貫して、他人に流されないこと、好きで情熱を傾けられることをすること、
徹底的に歴史、哲学、経済を学ぶことを推奨している。 (字数の関係でカット2012年6月18日)


4842,「事業人生を決心して45年」の語り直しー16

2014年06月17日(火)

   * 姉夫婦が、今度は創業の立場に!
 私が身を引いた直後から、実兄への圧力が強まり、義兄と暴力沙汰の危険な
場面があったと、
実兄からの電話。実兄の『窮鼠、猫を噛む』には、姉夫婦の思わぬ誤算?それも計算通り?
両方である。私を出して条件が揃ったとみた、姉夫婦が、実兄と母親に『これでは経営が出来ない。
兄が出ていくか、さもなくば、主な従業員を連れ独立する。その際には、自分達の株式と不動産は、
その筋?に売却する』と通告してきた。 母と実兄が、その案を飲むと、計画通りになる筈だった。
しかし、それを聞いた母が激怒! 姑の立場もあり姉夫婦寄りだった母が、姉夫婦の『排除』を
決断をしてしまった。老いても創業者の片割れ。姉にとって実母の決断は軽くはない。
その上に半数を持った株主で、社長解任権がある。その豹変に、私も、周辺も驚いてしまった。
 二人の計画『まず社長という名を取り、その立場を利用した父の遺留分の有利な確保し、
次に三人の株式と本店の不動産の確保の筋書き』を当初から母に伝えていたが、その筋書
通りの動きに、二人を見限ったのが姉夫婦の大誤算。
私は、父の遺産の手前勝手の配分で、二人の手の内を読んでいたが、実兄と母は、二人の実行
段階で初めて、二人の計画に気づたことになる。 姉夫婦が出て行く!と聞いた時、『エッ、何?』と、
耳を疑った。 私には『この程度の会社の引継ぎは朝飯前。これは次のステップ!』でしかなかった。
しかし、義兄にとって、20年以上もかけ父と築き上げた会社の運営は、私たちには絶対無理!と
確信し、銀行、問屋、メーカーに告げていた。義兄と、伴に出て行った5人に、自分たちの
ノウハウと実績への自信があったが、それはワーカーのそれである。
 小さな世界の第三者と、行動を伴にした社員にとって、愚弟二人のヒール役が、
ヒーロー・ヒロイン役の姉夫婦へのクーデター! それも三文小説のような御家騒動でしかなかった。
 しかし裏の筋書きは、実は父親? イザとなると、ひ弱な姉夫婦の性格を知っていて、最後は、
株の配分と、筋金の強い方が勝ち残る!という、影の脚本があって、母も聞いていたはず。
「木に竹を継ごうとしても、それは所詮は無理」。結果として、残った方が木になるとしても・・ 
で、最後は、姉、実兄、私の全て消滅!が、更なるオチが、何とも妙。私の筋書きは、私だけが? 
だが、そうは甘くはない! ;´Д )
 この結果は、姉夫婦と私の立場との逆転を意味していた。 今度は、二人の創業の実力と、
私の実力が試される。互いに相手をヒール役に仕立て、見下したため、互が見えなくなっていた。 
創業など、出来たらやらないがよい。 やるなら、緻密な下準備と、長い時間と、身近な理解者と、
幸運など全て必要。しかし、二人の準備は、別にあった。その上、給料の高い5人と、私生活、月に百万円
以上のコスト問題のハンデがあった。 それでも、当時は、高度成長期。
 次の問題は、千城台の立上げたばかりの二店をどうするか?  
・・・・・・
4475, 宝くじが当たる確率(何倍?)は?
2013年06月17日(月)
 宝くじには全く興味がなかった。一度、一枚だけ話の種に買ったことがある。
SCなどの店先の宝くじ売場で買っている人を見かける度、「夢を買っているんだ!」と思っていた。
   ー 教えて!Goo 、によると ー
【 問い=  例えば、以下のような宝くじは当選確率はどのくらいのものなのでしょうか。
  1等 1億円  20名  2等 1千万円 20名
  3等 百万円 200名  4等 5万円 30000名  例えば、1億円当たる確立は百万人に一人とか…
【 答え=
 ○ あなたが、宝くじの1等に当る確率は、1等の当選番号が、「11組111111番」になるのと同じです
 ○ 一般的な宝くじは、100kgの米の中からある1粒の米粒を探し出すのと同じくらいの確率だそうです。
 ○ 売り上げ枚数を調べれば簡単に分かりますよ 7億6千万枚ほど売れているようですから、完全ランダムで
   3800万枚に1枚ほど入っているかと
 ○ 年末ジャンボの場合、1ユニットで1000万枚発売されているそうです。
  1等は1ユニットあたり1本ですから、単純に1000万分の1ということになります。
 ○ 当選番号が 123456番だとした場合 最初のくらいの1番はどのくじにも着いているわけで,
  あとは1の位から万の位までの5つの数字の組み合わせは 10×10×10×10×10で10万分の1となりますよね
  ただし,これは一枚 買った場合で 連番で10枚買ってると 確率は その10分の1で 1万分の1ですね
  一等は宝くじでは この組の数が二桁あるので、その10×10の100倍 つまり、一枚 買って一等に当たるのは 
  千万分の1となりますよね
 ○ ちなみに東京ドームの敷地に新聞紙を敷き詰め、天井から針を落として新聞の一番小さい1文字に当たる確率と
  同じくらいとか聞きました。
▼ 一等、二等で合計500万分1の確率で、当たる分けがない。買う当人にとっては千分一の気持ち。
 アメリカなどで数十億円が当たるケースがあるが、それが元で不幸のどん底に落ちるケースが殆どという。
悪銭身につかずである。それなら毎日、何とか5百円預金をすれば一年で18万円、10年で180万円、30年で金利を
含め1千万になり、遥かに効率が良い。 が、そうはいかないのが人間。生を受け、今、存在していること自体が
奇跡なのに、それを生き切らなくて何が宝くじ。せめて、当たった夢をみたいのは分かるが。1億当たったところで、
したいこと、買いたい物など、何も無いのも面白くないが。シャボン玉飛んだ、屋根まで飛んだ・・
・・・・・・
4101、私は完全な本 "日本の自殺 'ー5を作った
2012年6月17日(日)
   * 日本が直面する困難
 ここで書かれていた直面する困難の延長上に、現在がある。 現在の危機は文明がもたらしたもの。 
人間は歴史から何も学んでいないのである。その知恵の浅さに驚きざるをえない。自分を振り返れば分かることだが。
   ーまずは、要点の抜粋からー
【 まさに巨大化した世界国家(ローマ帝国)がその心臓部(ローマ)の繁栄をもたらし、そして実に皮肉なことに、
 この繁栄こそがめぐりめぐってやがては、世界国家(ローマ帝国)の心臓部(ローマ)を衰弱させることになっているのである。
 この意味では、没落は繁栄の代償であり、滅亡は巨大化の代償であったのだ。 現在(1975年)、日本経済はその処理を
 ひとつ誤ると日本を没落に追いやりかねないいくつかの重大な困難に直面しているといわれている。
◇ その第一は、資源・エネルギーのきびしい制約である。
 海外依存度の高いわが国にとって資源問題は明治維新以降の近代日本のアキレス腱であり、第二次世界大戦そのものが
 資源をめぐる国家間の衝突であったはずだが、 七〇年代の日本はこの歴史的経験から中途半端な教訓しか学ばなかった。 
 資源・エネルギーの長期安定供給の確保はすでに困難となってきており、抜本的な総合対策が講じられない限り、
 この面から日本経済はフィジカルな破局を迎える瀬戸際に立っている。
◇ その第二は、環境コストの急上昇である。
 環境コストの増加は他の諸条件との均衡を失することなく、長期的、総合的視野に立って進められるべきであった。なぜなら、
 環境コストの上昇は、企業収益の低下と価格上昇をもたらす可能性があり、まず輸出競争力の低下を通じて貿易にも影響をもたらす。 
 公害防止の大義名分のもとに長期的、総合的配慮を欠いたきびしい規制のごり押しを続けることにより、日本の企業がつぶれ、
 経済が破滅に陥るようでは、それこそ環境改善コストの源泉そのものが失われてしまうことになることは明らか。
◇ 第三は、労働力需要のひっ迫と賃金コストの急上昇である。・・・生産性を上回る大幅な賃金上昇は、物価に転嫁されるしかなく、
 かくして賃金・物価の悪循環によるインフレ要因は、前述の資源コストなかんずく石油価格の高騰によるインフレ要因と結びついて
 事態を深刻なものにしている。】
 ▼ 上記の3つの問題 �資源問題、�環境問題、�賃金と物価の悪環境問題は、日本にとっても、世界にとっても待った無し。
  これは文明規模の問題になっている。20年前のソ連・東欧・中国の計画経済の放棄により自由主義圏が拡大、更に問題が
  大きくなっている。その意味では21世紀は、世界的混迷が拡大していくが、その先端にあるのが日本。 情報化による
  知識の平準化が進む半面、その最先端の情報を握ったグループの独裁も懸念される。直面する問題の肥大化は避けられない。
 ・・・・・・・
3735, 自分の居場所のみつけかた
2011年06月17日(金)
                    「自分の居場所のみつけかた」 ー 斉藤学著
 ‘まえがき’の『 私の毎日は診察室という穴蔵にこもって、「生きていてしょうがない」「死にたいというより消えたい」
 などという人々の声に耳を傾けることですが、それらの訴えが母との居場所を求める仔の叫び声に聞こえることがあります。
 他人にそれを求めなくても、自分の心の中ですでに母がいることに気づけば楽だろうと思うのですが、それがうまくいってない。
 彼らが意識している心の中の母はほとんどの場合、彼らを責め、叱咤激励する母だからです。
  どうしたらこの「心の中の母子関係」を改善できるのかと迷う毎日なのです。が、その中から突然元気になる人々が少なからずいて、
 びっくりさせられます。どこがどう変わったというのでもなく、「まあ、このままの自分でいいや」と言い出すのです。
 居直るというか、「人として生きるのは苦しいが、その苦しいところが楽しい」といった心境のようです。 
 こうした人々についていつか書いてみたいと思っていました。』が、この本のアラスジになる。 どうも人は自分の安心できる
 居場所がないのが悩みのようだ。 過って、「自分の居場所」のテーマで書いたことがあった。
  9年前に<2002年06月07日(金) 430,自分の居場所 >を書いていた。  まず、その内容から・・
【 誰もが自分の居場所を持っている。逆に居場所がないということは、非常に厳しい状態の時である。
 自宅の自分の場所、会社の自分の場所、通勤の自分の場所、日祭日の自分の居場所、全て時間と同時に変わっていく。
 20代のある時、ある姉にいわれた。「あなたはすぐ自分の居場所を作り始める。まず部屋に椅子と机に本棚に本と手帳を配置する。
 それで、あなたの居場所ができあがる。あなたが座ると何気なく自分の物を机の上などに配置し、いつの間にあなたの場所ができている。」
 犬のマーキングのようなものか。 私だけでなく人間は同じようことをしているはずだが、少し過剰?
 《居場所とは、・自分が一人でいても寂しくないところ ・何かをしていて自分が生き生きしてるところ ・すわり心地の良いところ》
 そうすると趣味に没頭している時と場所が心の居場所だ。 毎朝あげるお経もそうかもしれない。 引っ越したら、別に住まいだけでなく、
 まずは居酒屋、そして昼飯を食べる店と自分の座る席。 猫もそれを本能的にしているはずだ、テリトリーとして。 】
 ▼ 私の場合、大人数の家族の末っ子ということで、あまり母は叱咤激励をしなかった。目が行き届かなかったのだろう。
  著者は精神的に心の奥底で母親の影響が大きく、目の前に居なくとも自分の安心できる場所を確保できない人を患者にした先生だ。。
  現在、会社を倒産で失った事態である。 会社は当然、居場所の大きな部分を占めていた。 が、あまり喪失感はない。
  つきつめると、生前の両親との関係が良好だったことにあるのか?。喪失に伴う痛みが、心の奥では何とか吸収してくれるのも、
  自分との折り合いが比較的うまくいっているためなのか。 会社の事務所に座っていた居場所が、ほぼ同じ感覚で、仏間の一角の
  書斎コーナーに移動できたこともある。そこに座っていると、本当に落ち着く。毎日が日曜日になった現在、家内と居間で対峙していて、
  互いにイライラしてくると、家内が寝室のTVの前に行くか、私が仏間に行くかで、住み分けが可能である。 その意味で、本拠地が
  出来てホッとしている。それとも、このHPが自分の居場所? 毎朝、10年分を読み返している時が、居場所に居る! 感がする。
 ・・・・・
3370, デジカメを買えかえた!
 2010年06月17日(木)
 私はパソコン、デジカメ、iPod、iPhone、デジタル一眼レフ、デジタル・ビデオ、そしてフォトストレージ(デジカメ写真の蓄積端末)
などの情報端末を持っている。 ベジタリアンを捩ってデジタリアンを自称しているが、今では大部分の人が、この程度なら持っているか?。 
毎日のブログの書き込みや、ウォーキング、サイクリングの際の必需品である。(TVとビデオ機器とステレオもあるが・・・) 
その中でデジカメとiPodとiPhoneは肌身はなさず常時持ち歩いている。ブログの読書日記を書くさい本の文章の取り込みにも、
デジカメを使っている。
  ( 字数制限のためカット 2011年6月17日 )
 ・・・・・・・・・
2995、ピーク・エンドの法則
2009年06月17日(水)
 ピーク・エンドの法則とは、ダニエル・カーネマンが1999年に発表した、「あらゆる経験の快苦の記憶は、ほぼ完全にピーク時と
終了時の快苦の度合いで決まる」という法則である。映画で、強く記憶に残るのは、最高の見せ場のシーンと最後のラストシーンになる。 
「終わりよければすべてよし」 というのも当てはまる。経験の記憶は主観によって変えられ、その出来事の長さには関係ない特徴がある。
人間の記憶は、自分で都合の良いように捏造するところがある。人間は全てを逐一記憶できないので、ピーク時と最後あたりの記憶が、
その経験の快苦を決めてしまう性格を持っているのである。家内と30数回の秘境を中心にして旅行に出ているが、後半になるほどに、
この旅行は良かったと互いに阿吽の呼吸で言うことにしている。 間違っても良くない話はしない。帰ってきてからも、同じこと。
せっかく行ったのだから、楽しい思い出にしてしまう。どちらにしても、それがよいのである。自分の人生のあらゆる場面でも、
そうすればよい。学生時代、色いろな事業の立ち上げ、そして人間関係もである。エンドも同じこと。人生も晩節を汚さずで、最後が重要。
しかし、その最後が難しいのである。人生では死に際になる。情けない姿を身近で多く見せつけられてきたが、他人事ではない。
人間は歳をとると、肉体だけでなく、精神も老いて晩節を汚してしまうのである。大手の代理店のツアーで、最後の宿泊日には、
その中では一番良いホテルに泊めるケースが多い。また、文章でも同じことである。最後の一行が肝心。で、いつも落ちに気を使う。
 落ちがつかないと、何か落ちつかない? 短いほど起承転結、そして落ちが必要となるが・・・。
・・・・・・・・・・
2631, 無法バブルマネー終わりの始まり −1
2008年06月17日(火)
                 「無法バブルマネー終わりの始まり」 松藤民輔:著
この本は「世界バブル経済終わりの始まり」の続編である。これによると、「日本の金融機関は労せずして、欧米の金融機関に《不戦勝》
してしまったに等しい。」という。なるほど、そういう見方ができる。どこもかしこも、毒饅頭をタップリ抱え込んでいるが、日本は、
その余裕がなかったことが幸いして、最小の傷で済んだのである。さらに、資源のない国だから、1974年、1978年のオイルショックを
経験してきた御蔭で、日本は世界で一番エネルギー効率の良い国になっていたのである。 それは、政治家ではなく、国民一人ひとりが、
そして企業が生き残りをかけて闘ってきた結果である。この本には、エネルギー効率国際比較表がある。弱みを克服しているうちに
強みをつくってしまったのである。それによると、EUの1・7倍、アメリカの2倍、韓国の3・2倍、中国の8.7倍、ロシアの18倍である。
ロシアや中東のような、資源大国が使い放題の浪費経済から抜け出れないうちに、とうの昔に省エネルギー、「省資源型経済」を
実現していたのである。 また東京から大阪までの新幹線の二時間半の間に、本社が8割も集中した国を創りあげてしまったのである。
( 字数制限のためカット 2012年6月17日 )
・・・・・・・・
2007年06月17日 
2266, 欧米のビール圏とワイン圏      * ̄0 ̄)ノ[才八∃一]     
 ヨーロッパの国々や、その植民地に行って気づいたことは、ビール圏とワイン圏が大まかだが分かれていることである。 
ドイツやベルギー、イギリスはビール圏。^_^)/q□☆□p\(^_^ ) フランスやスペイン、イタリアはワイン圏。 
ドイツでも南はワインで、北はビール圏になるが・・・ビール圏は工業国が多く、勤勉で真面目なタイプで食事の時間が早い。
ワイン圏は農業国が多く、人生は楽しむものという国民性で、自分のプライベート・タイムや家族との交流を大切にし
飲食の時間が長い。料理はワイン圏の方が圧倒的に美味しいものが多く、ビール圏はそこに比べるとかなり落ちるようである。
日本はドイツの教育制度を取り入れたことと、武家社会だったこともあり、ビール圏に近いが、最近になってワイン圏の考え方が
急速に入ってきている。アメリカもイギリス系植民地だったこともあり、ビール圏である。アル中はワイン圏の方が多く、
人生は楽しむものという考え方が、酒量を多くさせてしまうようだ。 ∪ヽ(●-`Д´-)ノ彡☆ 酒持ッテコーヽ(#`Д´)ノ┌┛〃
とはいえ、日本のサラリーマンのように仕事仲間内で飲む習慣は少ない。□p\(^_^ ) カンパァーイ (  ゜Д゜もう一杯酒飲め !
美味しい世界各地の酒と肴を飲んできた。 中国には紹興酒、ロシアにはウォッカ、メキシコにはテキーラ、イギリスには
スコッチなど、世界にはその風土から生まれてきた酒があり、酒の肴を合せて飲むのが楽しみだ。その中でやはり日本人のためか
日本酒が一番好きである。 その中でも新潟の吟醸酒が最上である。それも駅のメーカー直販の店で、ワンカップで
280~500円位で売っているのが美味い。酒メーカーは戦略上、駅への酒の出荷は車内販売も含めて良い酒を出すからだ。
ビールは最近になって、好みもあるが日本のものが一番といってよいほど美味しい。40年前に初めて欧州に行ったときの
ビールとワインの美味しさをハッキリ憶えている。ワインなどポートワイン以外飲んだことも無かったこともあるが・・             


4841,「事業人生を決心して45年」の語り直しー15

2014年06月16日(月)

   * 40年前の御家騒動の顛末
 父は全てを知って、自分亡き後は、<私と、実兄と、姉夫婦が、平等の立場で闘え!>と、条件を整えてくれた。
当時の姉夫婦との経験差が歴然としていることを憂慮、姉夫婦にハンデを与えるため、生前贈与をしてくれていた。
姉夫婦にとって、二人分の権利をアテにしていたが、姉一人分だけだった。それが大きは不満だったのを見てとった。
父にしてみれば、年に当時の、一千万近い社交費を数年来、使っていた姉夫婦に怒りが蓄積をしていた。
父は親戚など幾つかの遺産争いの仲介を頼まれ、その実態を熟知していたため、生前贈与をすることで、姉夫婦の
独占を防いでくれた。 私には『これは御前の為!』と、こっそり教えていた。 『専務は補佐としての運営能力があるが、
経営能力はない!』とも。それに私は、『以前から商売の本質が解ってないことを、自分も見抜いていた!』と、答えていた。
 争いが起きた時点で、ジャスコ、いとはん、の勤務と、千城台ビルと、養老乃滝とベーカリーの立上げを含めた6年で、
創業のベース(無心で全てのエネルギーを計画に叩きつけるベース)が出来始めていた。さらに、目標に対する
自己能力の限界の設定と、不足部分の見極めと、その補充手順を身に付けていた。 更に、それを楽しむことも。 
 「いとはん」でドルショック、「千葉の千城台」で石油ショックを経験。震災クラスの歴史的事件が長期投資には、
必ず起こる前提で計画をたてておく必要性を肌で感じ取っていた。 そのため長期投資のビル建設では、
「建物は売り前提に、(建設単価が高くても)買い手の用途変更を前提にした設計をすべく、柱を壁側に置くか、極力
少ない、スケルトン可能な鉄骨鉄筋にすべし」が、父の極意。 これを書いて気づいたのが、千城台ビルは父が私を
通して造った最後の仕事だったこと。 父は、太平洋戦争で長岡空襲(ブラックスワン)で、ほぼ全ての財産を失った
経験から、常に時代の激変を前提に計画を立ることを知っていた。それがスケルトン可能なビルの設計と、
建設になっていた。それもあって、三年前の物件など、私の手がけたビルは、売りに出すと即売になった。
それもこれも、父の魂が宿っていたからである。 それでも三羽のスワンの到来で一瞬のうちに飲まれたのだから、
諦めもつくというもの。  この先、スワンが何羽も先に控えての『東京オリンピック』。 幸あれ!である。
主要各国は、それを知って、何処も手を上げなかった中での、これ。 絶対的ミスを、石原、阿部コンビがしてしまった。
 話を戻すと、次は実兄と義兄の衝突!それも姉夫婦にとって計算の上!が見て取れた。 その渦中、急遽、母親から
長岡に呼び出される。
『私の持分の株式と、本店の私名義の不動産を私に譲れ! その見返りに、千城台ビルと新潟駅前の更地を与える』と・・ 
何の事か、直ぐに理解できなかったが、姉夫婦の次の戦術に母が乗せられたことを悟る。戦中戦後と父親と苦労を共にした
母が身を引けというし、悪くない条件。 その場で即断。直後に、名義変更になった。 が、それでは話が収まらない。
・・・・・・
4474,最悪の結果に隠された、お宝は?  ー2
2013年06月16日(日)
   * 「時代と事業からの引き時のサインと、決断!」が、奥の正体
 先回、「最悪の結果云々」と書いたが、私の人生から見れば、最善の結果とも解釈出来る。 
まる三十年の最終日の記念日に、偶然としても事業を終え、一年もしないうちに六つの抵当物件が売れ、金融負債以外は、
ほぼ負債ゼロ。 「早々に隠遁の生活に入り、老いと死に準備に本気に入るように!」と、65歳を区切りにするため
三羽の黒鳥を遣わせた。これが人生からの私への贈物。 勝手に隠れたお宝の正体と正当化と見てとれるが・・・ 
 創業時点から(万一を考えて)親戚や家族には一切、事業には入れなかった。長期装置産業のため、大きな変動を
幾つか乗り越えなければならない。そこに、家族を入れると共倒れのリスクが出る。その時が身の引き時と思っていた。 
結果として順調の状態で息子に事業継続するより、この方が良かった。(そう思うしかないが)
 私の知人や周辺を見ていて、思うことは、「世界も、身近の事業環境が激変をしている。無理と思ったら、早々に
事業継続の断念をすべき」ということ。 私の場合、事業整理には五千万を要して、何とか清算?に近い状況だった。
 この激変の正体は、20世紀前半の第一次世界大戦から世界恐慌を経て第二次大戦に渡る30年以上の混沌に匹敵するか、
それ以上の歴史的スケールの変動で、あと20年は続くとみてよい。
 今度の件の結果に隠されたサインとは、《 現在は歴史的激変の真只中にあり、日本は世界に先立った変動の事態にある。
これから世界が本格的激動に入りつつある。それもあって中途半端な規模では事業は成り立たないことに早く気づくこと。》
それと機をいつにして、私自身がリタイアの年齢になった。「時代と事業からの引き時のサインと、決断!」が、お宝の正体。
 この一連の中で感じたことは、「日本の危機感が少なすぎる」こと。裏山の天辺から、外海と内海への津波を見ている気分。
裏山に避難した私を、多くの人が笑ってる姿が見えてくる。その彼らに政府が泡踊りを勧めているのだから、これエログロ。
・・・・・・
4100, ポジティブとネガティブの黄金比率、3:1
2012年6月16日(土)
 アマゾン内のネットサーフィンをしていたら、「ポジティブとネガティブの黄金比率、3:1」という言葉が目に入ってきた。
一般的には2:1だそうだが、ポジティブであろうと意識することで3:1に引き上げることが出来るという。
不自然に4:1、5:1に引き上げようとする無理が出る。マイナス部分から目をそむけることになる。
「ポジティブ」という概念は、精神論で語られることが多かったが、21世紀の心理学と言われ欧米では教育界、ビジネス界
などでもその成果が応用されている。100%のポジティブを求めるのではなく、ネガティブを3:1の比率で最初から
割り切ってしまうのも良い。秘境ツアーなどに参加すると、旅行中に一通りのトラブルを経験する。それも慣れてくると
起きて当然と割切りが出来てくる。僻地という圧縮された時空の中で日常には無いトラブルに遭遇する機会が多くなる。
しかし、それさえ楽しむ心構えが経験の積みから、自然と出来てくる。そして、その数倍の感動の場面に出会うことになる。 
旅行もネガティブの比率を経験を重ねることで四分の一にすることが可能になるということ。最初の数回はネガティブな
方に気持ちが動くが、慣れてくると、ポジティブに気持ちを集中できるようになる。
 人生も似たようなもの。 私の見立てでは八割の人はネガティブ感情に支配されていて人生全体を暗く平凡にしている。
少しの訓練と習慣で変えることが出来ることを知らない。 人間に宗教が必要なのは、神を信じることでネガティブな感情を
ポジティブな感情に押し上げる効果があるからである。 日本では中村天風の教えがある。「積極一貫」を常に心がけ、肯定的
言語を意識的に使うことで己を御す教えである。それと呼吸法と瞑想を取り入れてあり、なかなか奥行が深い。
最近、心掛けていることは、マイナスの言葉が出たときに、意識してプラス用語を使うようにしている。
オウゴン比率3:1は、頭に浮かぶ内語にも、映画、本、行動選択にも当てはまる。暗いより明るい気持ちでいた方が良い。
 ・・・・・・・
3734, 全米N0・1弁護士の勝ち抜きセオリー  〜�
2011年06月16日(木)
                       『議論に絶対に負けない法』ー ゲーリー・スペンス著
【 * 人生は「自己中心」の法則が握っている
 私が部屋に入っていくと、そこにいる人は私が来たのが感じでわかると言うのを聞くと、私は今でも驚く。それは彼らの認識だ。
だが私にとっても、その部屋、その領域は自分のものであって、自分はその中心にいる。私にとって、宇宙のすべてのものは自分から
はじまる。これを「自己中心」の法則と呼ぼう。この法則はあなたにも当てはまる。 これは子供じみた見方ではないだろうか。
幼稚な性格を暴露しているのではないだろうか。 こういう自己中心的な見方で世界を見るのは、子供だけだからだ。だが、
私は自分の幼稚な世界観を大切にしている。私はセラピストが要求する大人らしさと戦う。成熟と死は、似た者同士だ。
私は精神科学者の冷淡で断定的な見方に抵抗する。彼らは私たちにレッテルを張るが理解はせず、私たちを分析するが愛さず、
私たちに関して黒か白かと割り切った冷淡なレポートを書くことはできるが、私たちの喜びや愛情、悲しみなどの感情について、
そして自分自身の感情についてはたった数行すらも書くことはできないのだ。
 私は絶対に大人にならないことを誓う。子供らしい見方を絶対に失わないこと、喜びを感じる子供の部分を絶対に捨てないと、
子供のすばらしい自発性、魔法のような創造性、純真な心を絶対に投げ捨てないことを誓う。 私は自分のなかの子供らしさの
最後のかけらにしがみつきながら(死ぬことがあるなら)死んでいくだろう。子供の持つ畏怖の念と純真さがあってはじめて、
死を体験することができると思うからだ。 空の星を見てごらんなさい。三百六十度、ぐるりと回って眺めてごらんなさい。
 あなたは宇宙の中心にいるのではないだろうか。部屋のなかにあるものを見てごらんなさい。あなたが回転すれば、あなたから見て、
部屋のなかのものもあなたを軸としてぐるりと回転しているではないか。それを認めなさい。あなたはあなたという宇宙の中心に
いるのではないか。もしわれこそ自分の宇宙の中心を占める王様だと思わなければ、他の誰かか他の力がその場所を占めることになる。
他人が自分の中心を占めているということは、自分が他人にそうすることを許可しているからに他ならない。だが、すでに学んだとおり、
他の人や力をそこに置いているのは「自分の力」だ。王位に就かせたり、宇宙の中心に置いたりする力を自分が持っているならば、
私たちは自分自身にもっと敬意を払うべきではないだろうか。 
 これについて、さらによく考えてみよう。私の許可なくしては、どんな人もどんなカも私の宇宙の中心部を奪い取ることはできない。
だとすると、許可という言葉は、力を意味する言葉だということになる。私はどんな人でも私の中心を占める許可を与える。
私は自分の宇宙の中心を占める許可を自分自身に与える。あなたに、私の師に、神に与える。だが、許可を与えるのは私自身だ。】
 ▼ 仏教的教えが建前上、根づいている日本で、ー人生は「自己中心」の法則が握っているー などという本音はなかなか書けない。
 最近になって、遺伝子学者ドーソンが、「すべての動植物の遺伝子には、遺伝子自身の繁栄を優先するような メッセージが
 組み込まれている」という‘「個の利己主義」「種の利己主義」=「遺伝子自身の利己主義」’の研究発表をした。
 だから自己御都合主義が良いと言っているわけでない。それが、生物、人間の原点であり、社会は、それで成り立っている前提を
 認めるべし、ということ。そのエゴのぶつかり合いが裁判で議論になる。 その渦中の弁護士が言うから、言葉が重い。
 ・・・・・・・
3369, Youtubeでみる津波の映像
2010年06月16日(水)
 何度もYoutubeでスマトラ沖地震の津波映像を見ているが、百年か五百年に一度の経済恐慌のイメージとして見ると、
現在の置かれている立ち位置が見えてくる。マスコミで放映するものは、生きている人が逃げまどって姿や、人々が
流されていく映像を全国放送では流せないが、Youtubeでは次から次へと生々しいのが出てくる。
津波が押し寄せてくる直前まで人々は何が起きているか理解できないのである。そして、気づいた時には大波に流されていく。 
映像は、あどけない子供が大波に浚われるリアルのものもある。20万とか30万人が亡くなったというが・・・
 この映像から現在の経済恐慌を類推すると、アメリカの金融恐慌という大地震を震源とした大津波が日本に押し寄せている。
「輸出産業の拠点として名古屋が、金融の拠点として東京に原爆が二発落ちた」と形容する評論家もいる。
その結果として派遣切りが生じてホームレスが関東・東海ベルトラインに溢れることになったが、もっと酷いのが地方経済。 
現在、政府が中小企業への緊急金融救済法で何とか急場を凌いでいるが、それも目先の対処療法でしかない。
 何度か、津波の映像を見ているが、20〜30波の津波のうち、まだ2〜3波でしかない。それでも、この惨状。
そうこう考えると悲観的になりざるをえない。 悪いことに日本は少子化による人口減少に転じている。
 二年後にはハイパーインフレに転じ世界的に通貨の切り替えの可能性がある。その時に日本では消費税の値上げも・・・。
もし5パーセントのアップとすると、脆弱の企業はコスト増で立ち行かなくなる。どうなるのだろ? とはいえ国家も大幅な税収減で、
それ以外に手立てがない。 何もかも濁流は奪い去っていく。Youtubeに一日20億回のアクセスがあるというが、成程である。
・・・・・・・・
2994、筆談ホステス
 2009年06月16日(火)
「スナック」という写真集を借りてきて、ママの姿と顔をジックリとみていて気づいたことは、ママには「美人系」と、
「癒し系」があることに気づいた。 それに「笑い系」もあるが。先週の日曜日に朝の番組で、銀座のナンバーワン?
と言われている「筆談ホステス」を取り上げていた。本人が本を出版したところ良く売れた為にマスコミの目に
とまったのだろう。聴覚障害で喋れないので筆談で御客とヤリトリするのが、心に響いて売れっ子になったという。 
私も毎日、この随想日記を書いているので書くことの魔力の一端を知っている。
    ≪字数制限のためカット 2010年6月16日≫
・・・・・・・・・・
2630, 閑話小題 
2008年06月16日(月)
  * 台風と地震が何で土.日曜日に多い?
統計的にみれば、違うのだろうが災害の起こるのが土日に多いのは何故だろう。特に台風は決まったように週末である。  
最近では地震まで御付き合いのようだ。中越地震が土曜日、去年の能登地震と中越沖地震が日曜日、そして今回の地震が土曜日。
(中国の四川地震とミャンマーのサイクロンは月曜日だったが、外国である)偶然なのだろうが、不思議といえば不思議である。
  * ワーキング・プアのテロ?
  * 「ヤミ金に元本返済不要」と最高裁が判断
≪字数制限のためカット 2011年6月16日≫
・・・・・・・・・
2007年06月16日(土)
2265, 動物が家畜化されると、どうなる?          *´・ω・)ノはよー!
  動物学者・小原秀雄によると ー人間は、代を重ねて自分で自分を飼育し、家畜化して、文化(檻ーおり)を発展させてきた
 不思議な生き物という。  ー家畜化した動物の特徴は
・体毛が部分的に長くなる傾向があり、毛深かった体毛が部分的に残って、しかも長くなる。
 人間をチンパンジーと比べると、頭髪、眉毛、髭、陰毛・・など、明かに人間は部分的に長毛化している。
・もう一つの家畜化した特徴は、発情期間が長くなる。  >(^┰^;)ゞ
 例えば、野生の羊は年に一回しか発情しないが、ウール用に飼育されたメリノ種は、ほぼ一年中発情する。
 人間も、コンクリート・ジャングルの‘うさぎ小屋’に住んで、会社という‘イヌ小屋'に通いながら、
 胃潰瘍、糖尿、自律神経障害などの数々のストレスと闘いながら、一年中発情している。
・また、うまく飼育されると、一部の動物は寿命が延びる。
 野生のネズミなど、広い場所に飼われると、寿命が4倍も延びた例がある。
・家畜には、幼児的な形質が長く残る傾向がある。その分、寿命も延びていく。
・人が失った最大の能力は、体温の温もり、なめる感触、匂い、声の響き・・・
 言葉以外のコミュニケーションである。 人間は、言葉に頼りすぎている。 ーという。
 ▼ 成る程、肯けることだが、人間は自分を家畜化する動物とは言いえて妙である。動物は自然環境の変化に対して、
  自分を変えて生き延びてきた。それに対して人間は、自然を人工の物に置き換えて、文化(檻)を発展してきた。
 自然を切り開き、人工の家を建て、村をつくり、町をつくり、都市化し、その中に自分を押し込んで家畜化してきた。
 その結果、頭髪や陰毛がのび、年中発情をし、幼児化して、長生きをするようになったが、言葉のお陰で、五感が退化して
 頭がおかしくなってしまったのである。そして、文化という檻をますます、堅固につくって、最後はそれで滅びていく憐れな
 生き物ということになる。 全くその通りだから、恐ろしい。 論語を読んで、つくづく不自然な何かを感じていた。
 あれって、王侯貴族のための大衆の家畜化のマニュアルじゃないのかい?と!
「互いの立場に立って互いを思いやりましょう」ということは、いいが。 一つの大きな基準は必要だろうが・・
  ところで、私は家内の家畜化された哀れな亭主!!じゃないかい?
・・・・・・・・・
2006年06月16日(金)
 1900, グーグルアースが凄い!        おはよ?!(*^ワ^*)i
数日前にグーグルアースがバージョンアップした。
・画面鮮度が3~4倍のアップ、
・さらに飛行機ゲームの操縦装置が付き、水平の角度も簡単に変えることができる。
 そのため、地球上を簡単に移動できる上に、街の上空150mを自由に操縦して飛びまわれるようになった。
 実際に入り込んでしまうと、異次元にタイムスリップしたような気分になってしまう。
 二ヶ月間、何度か使っているうちに、「画面がより鮮明になり、移動もスムースになれば面白いだろう」
 と思っていたら、バージョンアップ版がタイミングよく目の前に差し出されたようだ。
 5~6年前、ある本に、インターネットは奈良時代に下りてきたジェット・ヘリコプターのようなもの。
使うか、遠から眺めるか、どちらかである。」とあった。グーグルアースは、それをそのまま実感させてくれる。
最近、自分と同年代の人を見分ける規準が、インターネットを使いこなしているか、いないかである。
「麻呂や、今日の気分はいかがじゃ」と言っている奈良時代も楽しいが! ジェット・ヘリコプターに乗ってみるのもよい。
別に知らなくてもよいが・・ インドのカースト制度の下層階級の子供達に中古のパソコンを与え教えようという運動がある。
知らしめることが幸せか不幸せなのかは別問題だろうが。 「麻呂よ、どうじゃ!」      (。・ω・)ノバイ         
  以前、グーグルアース書いたものをコピーしました。   (字数の関係でカット二〇〇八年六月一六日)


4840,閑話小題 ーワールドサッカーのジンクス

2014年06月15日(日)

   * 3964の法則なら、今年のW杯優勝はウルグアイ!? 
 ワールドサッカーにも多々、ジンクスがある。先日、TVで“3964の法則”を紹介していた。
 そこで、ワールドサッカーのジンクスをネットで調べてみた。
●《 “3964の法則”では、優勝はウルグアイ
 4年に1度のサッカーの祭典には、2回以上優勝した国の優勝年度を足すと「3964」という
数字になる都市伝説が存在する。この「ワールドカップ 3964の法則」
サッカーワールドカップには3964のジンクスというものがある。
ワールドカップで過去に優勝した国は、過去の優勝年の年度と
現在の年度を合計すると3964のジンクスになるという有名な法則である。
アルゼンチン:1978+1986=3964     ブラジル:1970+1994=3964 
ドイツ :1974+1990=3964         :1962+2002=3964
                         :1958+2006=3964
 さらに「2002年日韓共催ワールドカップ」の決勝戦が開催れた日産スタジアムの
ブラジル代表の控え室に使われた部屋のホワイトボートにはそこに戦術がかかれたとともに
3964−1962=2002 と残されていて ブラジルの優勝年が、その年。
2002年ワールドカップは3964の法則により自分達が勝つという事である。
この控え室とホワイトボードは現在でも大切に保管されている。
さて2014年はワールドカップ開催の年だが 法則に従うと 3964−2014=1950。 
1950年のワールドカップは 1位 ウルグアイ 2位 ブラジル 3位スウェーデン 
4位スペイン。 このチームのどれかが優勝となるのでは?と予想されております。》
●《 数々あると言われているワールドカップのジンクス。前回大会で、スペインが優勝し
 歴史的快挙ともいえるほどのジンクスを打ち破ってくれた。例えば有名どころでいうと…
・欧州以外で開催されたW杯は南米勢が優勝する
・1962年以来、欧州勢と南米勢が交互に優勝している
・圧倒的な優勝候補は優勝できない        などなど。
 しかし、それでもいまだ破られていないジンクスは多数あります。それは…
・欧州勢と南米製以外でW杯の決勝に進出した国はない
・北中米・南米のW杯で欧州勢が優勝したことはない
・前年度バロンドールを排出した国は優勝できない
・コンフェデ優勝国は翌年のW杯で優勝したことはない  》
▼ 面白いが、昨日は、スペイン対オランダ。一昨日は、ブラジル対クロアチアを観戦。
 今日はイタリア対イングランド戦と、日本対コートジボワール戦をTV観戦予定。
日本は、FIFAランク46位。、コートジボワールは23位で、決して甘い相手ではない。
・・・・・
4473, 閑話小題 ースポーツジム、500回
2013年06月15日(土)
   * スポーツジム、500回
 スポーツジムに通い始めて2年2ヶ月あまり経つ。数日前に、フロントで「今日で5百回になります」
と言われ、幾かの選択制のサービス券を貰った。上京などの小旅行以外と公休日の金曜以外は、
ほぼ毎日通ってきた結果である。噂話に余念のない‘砒素の塊のような口煩そうな御婆さん
’を数人見かけるが、「平日昼の5日間コース}ということもあり、中年主婦と、スナックなど
夜間の商売とみられる人が中心。ランニングマシーンとサイクリングマシーン50台と、エアロビ、
それと円座でインストラクターのもと12名が各種マシーンとステップ台を交互にこなす
イージーラインと、30種類位のマシーンのコーナーと、プールと、サウナと風呂、マッサージルーム、
ロビーが組み合わされている。
地元では、私が通っているホリデイが最新の施設で、一番の人気。月20日、年間240日弱
位として、二年二ヶ月で500回。若い女性のインストラクターの明るい声の中でのイージーラインや、
ヨガに参加しているだけで、気持ちが明るくなる。近くに丁度よい施設がタイミング良く出来たもの。
一回のヨガだけで千五百円の価値を実感、月に9回としても、充分に元を取っている。 
月に六千円、日にすると三百円は充分価値がある。午後に、人に干渉されることなく、
一人で行って、幾つかをこなして、気ままに帰ってこれるのが良い。
私にとって理想的システムといってよい。
 スポーツジム、土日と夜に会員が集中するので、平日の昼は老人と主婦にとって、
楽々と長時間滞在しても問題ない。アメリカから来たシステムだろう。家内の新潟の友人は、
10時にオニギリを持って出かけ、16時まで滞在する。光熱費は節約できるし、毎日リゾート地に
いるようだと。私は平均二時間が目安。軽く会釈する人が数人だけ。
 地元にはスポーツジムは、ホリデイ、カーブス、ルネッサンス、NASなどがある。
駅前のヨーカ堂のスポーツジムは、女性用のイージーラインだけを絞ったのもあるようだ。
家内は週二日、イオン内のSJにバスで通っている。一度、生活圏から出れるのが、
良いという。砒素の嫌な視線を何度か感じ川西のジムにと、見学に行ったことがあった。
ガソリンだけでも一万はかかるので、決心出来なかったが。
・・・・・・・
閑話小題 ー自転車のパンク
2012年6月15日(金)
  * 自転車のパンク
 4〜11月まで八ヶ月間、毎朝一時間もポタリングをしていると、年に二回はパンクをする。
たまたま土砂降りの時にパンクをし、ズブ濡れで自転車を引いて帰って来たこともある。
それも付きものと割り切っている。一回のパンクの修理代が千〜千二百円で、店によって違う。 
昨日もパンクをしたので近くの自転車屋で修理をした。世間話に、市内の自転車屋の数を
聞いたところ、「百軒あった店が今では三十軒になってしまった。4kのため次世代が店を
継ぎたがらない」という。店売りの自転車はHCや、スーパーが大量販売するため、価格競争に負け、
修理だけとか。 パンクの修理時間は平均、20分。それで千二百円は悪くないが、
私の見立てでは一日4〜5人。 奥さんがパートをする兼業商家なら何とかなるのだろう。
  * 書見台
 iPadタテがあるなら本立て(=書見台)があってよい筈と、調べたら、あるある。
江戸時代の学者が正座をし書見台に向かい読書をしている絵を見かけるが、その卓上版があった。 
元もと在ったのだろうが、この歳で初めて書見台の存在に気づくとは。 隠れたブームになっている
というから、一般的ではなかったようだ。 それにしても楽で良い。 机上では両手で支えるか、
下に置いて斜め上から読んでいた。 現代書見台は、小さな衝立に立て、下の両側をバネで
抑える仕組みで、両手を使わないで済む。
メモをとる時とか、デジカメに記録に残す時などに便利である。これにiPadを立てて使えるため、
既に必需品になっている。
  * ギリシャがどうなるのか?
 17日から数日間はギリシャから目が離せない。ギリシャ国民がユーロ圏から離脱するか
どうかの再度の国民投票になる。もし離脱になれば、世界恐慌のキッカケになる可能性が出る。
予測は5分5分だが、悪いことにスペインの三段階の格下げ発表だ。
いまやPIIGSのモグラ叩きの様相であう。 何時まで持つかだが、一度火がついてしまえば、
世界恐慌が吹き荒れる。その惨状は、想像すらできないほど深刻という。後は野となれ山となれ、
だが、衰弱化しきった日本は外国から狙われること必定。どうも世界の動乱期での日本の小選挙
制度の仕組みが適正でなかったようだ。その意味で、ここで日本も一度、現在の枠組みを変える
しかなく、政治動乱の過程を踏む必要がある。 まずは、この一週間は国内外の政治経済から
目が離せない。
・・・・・・・
3733, 閑話小題   
2011年06月15日(水)
  * 衣替えのアイロンがけ
 この時期になると、半袖のポロやTシャツなどを箪笥から出して、アイロンかけをする。(家内は一切無視? ったく!)
風呂敷から出して、新鮮な空気に触れさせ、霧吹きで水分を含ませアイロンを軽くかけると、見る見るうちにシャツが姿を変える。
無機物のシャツが、あたかも生き物のように変わるから面白い。人の手を入れると元気になるのは植物やペットなら、尚のこと。
新鮮な空気、水分、熱など自分自身に我々は入れているだろうか?。 それだけではない、知識も入れ替えをしないと。
「新婚さんいらっしゃい」というバラエティーで、夫はアイロンがけが趣味というのがいた・・ それって、奥さんがするんじゃ?
  * ハイボールの語源
 日本では、ウイスキーのソーダ割りだけをこう呼ぶのが一般的。 もともと、あらゆる酒がベースで、ソーダやトニックウォーター
などの炭酸飲料や、水、フレッシュジュースなどアルコールの含まれていない飲料で割ったものをハイボールと言う。語源について諸説ある。
<1> 開拓時代のアメリカで、蒸気機関車による長距離移動のときに、途中で水の補給のための停車の際、
  棒の先にボールをつけたものを掲げて合図した。そのときに、ウイスキーのソーダ割りのサービスがあったことが、語源という。
<2> 同じく開拓時代のアメリカにて。当時鉄道ではアドバルーンのボール信号が一般的に使用され、ボールがあがっていれば go、
  あがっていなければ don't go 。 当時は、インディアンの襲撃が頻繁にあり、そこまで行ってよいかどうかの判断もあった。
  その無事に感謝をして水で割ったウィスキーを飲んだのが語源とか、他に炭酸の泡が揚がっていく様から「ボール信号」という説もある。
<3> イギリスのゴルフ場のカウンターでウイスキーを飲んでいた人が、急に自分の打つ順が来たことを知らされ、そばにあった
 ソーダにウイスキーをあけ飲んだところ非常においしかった。そこに、たまたまハイ・ボールが飛んできた、それが語源だという説。
  早くいえば、ハイボールは 「飲みやすいカクテルの代名詞」。サントリーが数年前から角瓶との組み合わせの「角ハイボール」を
 大々的に宣伝を始めた。 人気の背景には飲みやすさに加え、老舗企業の戦略もある。それにしても、イメージ広告に人は弱い。
 ・・・・・・・
3368, ユーストリームの世界
 2010年06月15日(火)
 ツイッターに驚き、Youtubeに驚き、とどめはユーストリームである。実はツイッターを始めた頃に、「生中継サイト」があってよいし、
できるのも時間の問題と考えたが、既にあったのである。ツブヤキだけでなく、映像の生流しもと・・・ フクロウや鷹の巣に設置された
カメラの生中継にまず驚いた。他にも漫画家の制作中の漫画や、ある街角の道路や、ボクシングだったり、色いろある。
 若い女性が自分のパソコンのカメラで語りかけているのに対して、チャットで数秒単位で複数の男?が書き込んでくる。
その両方を生中継をしているのである。何か異様な世界に紛れ込んでしまったようである。 恐らくアダルト系も?。
iPadなどのタブレット式パソコンが普及したら、街角に溢れて、「こんな面白い画面が・・・」となる。 
ツイッターが140文字のツブヤキの垂れ流しに対して、これは映像の垂れ流しである。国会中継も、野球中継も、個人から発信可能になる。 
飲食店やスポーツジムなどが販売促進として、店内を生中継をするには良い。またメガネやサングラスに極小のカメラをつけた生中継も可能。 
そういえば、以前に隼の頭にカメラを据えつけて飛ばした映像を見たことがある。時速200キロ前後で林の間を飛んでいる映像は
自分が飛んでいるような錯覚になる。独り住まいの老人の家庭の監視にも応用できる。 中高年のネット難民と若者の差は大きくなるが、
iPadで何とかなるか? この十年の時代の変化は激しい。その根は情報革命。これでは小松左京でないが、SF作家もついてはいけない。
しかしツイッター、Youtube、ユーストリームは面白い! 恐らく近い将来スーパーが店内のコーナーがことに、カメラを据えて
中継するネットスーパーが本格化するだろう。 面白い時代である。   ≪偶然の一致だが、以下は、この文章に関連している≫
・・・・・・・・
2993,アトムの七つの力
 2009年06月15日(月)
 鉄腕アトムは1951年に登場したというから私が5歳の時。美空ひばりの歌が聞こえてきたのと同じ頃である。
最近、アトムが再び見直されてきている。 その手塚治も現在のIT化をみたら、驚くはずである。
 ー ウィキペディアによると・・・ ー
 電子頭脳(CPU)の記憶容量は15兆8千億ビット(約1844ギガバイト)。
身長135センチ、体重30キログラム。ちなみに電子頭脳は頭部ではなく胴体内上部に設置されていて、
頭部は単なる飾りとされた(透視図では頭部にセンサー類が集中しているようだが、作中では頭部が外れてしまったり、
無しでも活動可能な描写があり、胴体にもセンサー類は搭載されているようだ。 彼が登場した時代は、2003年。
まさに現在である。 最近、色いろのロボットが出始めてきているが、自分で考えたり、心も持つまでには至っていない。 
しかし、彼には、七つの特別な能力があり、1963年、1980年、2003年と、その能力は変わっている。
  * 1963年アニメ第1作(モノクロ版)
1、どんな計算も1秒でできる電子頭脳。 2、60か国語を話せる人工声帯。
3、普通の1000倍も聞こえる耳。2000万ヘルツの超音波を聞き取りが可能。
4、サーチライトの目。      5、10万馬力の原子力モーター。
6、足のジェットエンジン。    7、お尻からマシンガン。1秒間に500発撃てる。
  * 次の1980年アニメ第2作になると
1、胸の中に電子頭脳セット。60か国語を同時通訳ができる。  2、耳は音を1000倍に聞ける。
3、サーチライトの目。   4、10万馬力の力。重水素燃料による核融合エネルギー。
5、腕と足はジェットで空を飛べる。 6、腰の中にマシンガン。1分間に600発撃てる。7、レーザーブラストの手。
  * 2003年ASTROBOY版
1、高度な人工頭脳。  2、人間の1万倍の聴力。  3、透視能力を持つ目。  4、10万馬力の力。
5、足のジェットで空を飛べる。  6、指にフィンガービーム。  7、腕にアームキャノン砲。
 ▼ 以上だが、個々を分解をすれば60ヶ国を話せる人工声帯以外、現在では実現をされている。ロボットとして飛べないが、
グーグル・アースで世界の空を何処へでも飛ぶことも可能になった。 
 ≪字数制限のためカット2012年6月15日≫
・・・・・・・・
2629, 世界バブル経済終わりの始まり ー3
 2008年06月15日(日)
第二章は、投資の最近の基本的な常識が項目ごとに書いてある。まずは第一章のように、項目の言葉をつなげてみた。
「大金持ちの投資家以外は、何かに集中しなければならない。それもまだ脚光を浴びてない将来性のあるものを探し出すこと。
ただし焦っての駆け込み投資はさけること。独り自分の確信を持てたものを長期的に保持し、儲けることである。 
ヘッジファンドは、投資先をブロイラーとしてしかみない。 太らせて目先利潤を得ればよい。
アナリストの予測は、ホボ当たらないもの、自分の目で調べ探し出すこと。」
 目次に感想を入れてみた。    ≪字数制限のためカット2011年6月15日≫
・・・・・・・・・・
2007年06月15日(金)
2264, 閑話小題          (*´・ω・)ノはよー
 * ー都銀の地方攻勢が始まったー
 都銀が数年前から地方に本格的攻勢をかけてきて、その玉突き現象が地銀以下の銀行に起きている。
 ≪字数制限のためカット2012年6月15日≫
 ーまた、中学校の同級会ー
 * 一昨日、長岡のホテルのビア・ガーデンで中学校の同期の面々の同期会に出席した。
 ≪字数制限のためカット2012年6月15日≫
 * ーサプリメント依存症ー
 ≪字数制限のためカット2010年6月15日≫
・・・・・・・・
2006年06月15日(木)
1899, 結婚の三条件ー2         ォ'`ョ━━(。・∀・)ノ゙━━ゥ★
反対に結婚してはいけない三高条件と三低条件を体験から考えてみる。
こういう場合は、ごく身近な人のマイナス面を観察すればよい。 ドキッ! 私の主観が入りすぎているが?
 ーまずは三高とは?
・高コスト   ー金のかかる女 (稼いでくれれば、まだよいが)
・高プライド  ープライドのみ高い女(中味の薄さを、身近の人の批判でカバーしようとする)
・高依存症の人 ー常に判断を相手に求め結果のマイナスを攻撃する人(高コストと重なるが、高ブランド依存症である)
 早くいうと教養のない人?
 ー三低とは?
・低い品性       ?親の躾と生活情報が入っているかどうか・・
・低い夢しか持てない人 ?現実に溺れすぎている人
・低い趣味       ?本当に好きなことを求めてきたか・・    
  さらに低い知能もあるが・・・
誰も?大部分が当てはまるから、これ以上書くと問題になるか?いや、それよりも自分の姿が重なる?
人生は、選択した職業と、連れ添いと、ライフワークとしての趣味の質量、で決まってくる。
職業は生活の為とか、工夫によって何とか適応できるが、結婚だけは10年20年経ってみないと、分からない。
だから、せめて前提条件を見定める必要がある。両親をみれば半分は分かるが、あとは神のみぞ知るである。
神は一番相性の悪い相手を与えて、人生のレッスンをさせるらしい!毎日、よいレッスンをさせて頂いてます。


4839,「事業人生を決心して45年」の語り直しー14

2014年06月14日(土)

    * 父の亡くなった直後の夢で起こった魂の融合!
  ここで何度も書いてきた、父との魂の融合の経験の内容から
《 ー平成04/07 霊的体験 ー <社内報のレポート>より
 二十年近く前になるが、父の死後49日法要が終わるまで、何度か不思議な体験をした。死の数日後に妙な夢で、
私自身が父の気持になり“死にたくない、もっと生きたい、生きたい”という“念”になった夢。そして夢よりさめた時の
妙な気持。 私自身が父になってしまった。いや私自身(父自身)生きている!という妙な不思議な感覚である。
 夢の“念”は父そのものであるし、父と一年身近で苦しみが伝わっていた為に“念”が自身実感できた。
夢よりさめた自分の魂が“父の魂”と融合した不思議な実感。この感覚は経験しなければわからないはず。
更に数日後の夢も強烈な夢であった。夢で強烈な恐怖感がおそってきた。その時は、父のベットで寝ていたが、
“おやじ助けて!”と言ってしまった。と同時に廊下の向こうにある仏間より強烈な“引力”が全身をひっぱった。
その瞬間、ベットにしがみついたが、隣のベッドに寝ていた母がスクッと立ちあがりトイレに行った。全身汗びっしょり。
まだまだ不思議な事が多くあった… あれ以来(最近は少なくなったが)幽体離脱とか、妙な霊的体験が多くなった・・》
 何故、これを取り上げたかというと、姉夫婦との対立は、父と姉夫婦に根があった。父親は、典型的明治生まれの、
質素倹約が基本にあるが、派手で湯水のように社交費を使う姉夫婦と深い溝があった。絶対的な父のサブとしては
義兄の能力があっても、トップとして疑問を感じていた。 父は、中学と高校時に私を二度、仕入れに同行させていた。
将来のための実学のため。それと、子供時代より実家の転業と、商売の現場を体感していた。これが急遽、本店を任され、
何も知らない仕入れや、経営に大きく役に立つことになる。父の魂が現場に再起して私に成り代わったようでもあった。
 まず産地を歩き、情報を集めること!が、コツ。 父が特別教育と、千葉の千城台ビルの土地購入から、立ち上げの
過程を見れば、姉夫婦が不安になって当然。
 ところで、養老乃滝の開店のドサクサに、姉夫婦が父の遺留分の財産を、母と実兄と私の相談なしに勝手に処分、
その上、白紙委任状を送りつけてきた。父の遺言状が何時の間に蒸発。その上、母に、義兄を(遺言に反して)社長に
するよう執拗に依願。それを受けてしまった母に私が激怒の電話。と同時に姉夫婦への対決を決意する。千葉での
相方(親戚筋)から、気を許して話した本心が姉夫婦に筒抜け。それが拍車になってもいた。地元では実兄に対する
陰湿な追い出しが本格的に開始していた。 のんびりした兄に、従業員の総スカン!露骨の針のムシロの中、怒りの
電話を何度も私にしてきた。 父が生前贈与をしていた私たちの資産の実質乗取り劇の、開始である。 
・・・・・・
4472, 余命半年 ー6
2013年06月14日(金)
   *「余命半年」の前に待ち構える、10年間の介護か寝たきり! 
「もう治療の余地がありません。あとは内科か、ホスピスに行って下さい」という三行半の後、「余命半年」と宣告されるのは。
死刑宣告に匹敵する最も恐ろしい宣告である。 最期はホスピスで5%、自宅10%、それ以外は病院で亡くなるという。
その宣言を受けて恐怖に身を悶えながら死んでいく人が数人に一人というから他人事ではない。 幸運にも、そうでない場合、
「男性が9年、女性が12年間も、病院か、介護を受け亡くなっていく」現実が待っている。 
 80歳過ぎなら分かるが、平均としても70歳過ぎで、半数が介護か寝たきりとは、驚き。それからして余命を告げられ早々、
亡くなるのも一つの道。 女性は男より生死に対して現実的で、未練は少ないという。 死ぬのも大変だが、生き続けるのも大変。
更に大変なのは、「90歳過ぎても心身がシッカリしている方が大変」と、親戚から聞いたことがある。 
 団塊世代が、あと数年で古希(70歳)になるが、大きな社会問題になる。 植物人間になり管につながれ生きているより、
死ぬ権利もあってもよいが、意図的に死なせるのは現在のところ禁じられている。
 ところで「余命半年」と宣言された時、冷静でいられるだろうか。直ぐに実感として受け入れられなくとも、少し経てば、
その恐怖に愕然とするはず。 家内とは互いに余命を知らせないと前もって約束をしているが、直ぐに直感で知ることになる。
 哲学的に考えれば、自分の死は存在しない。 とはいえ、心身とも日々、弱っていくのは実感すれば、夜半に独り、死の恐怖に
震え慄くことになる。 全ての人は死ぬが、交通事故やガンや脳溢血はキッカケで、死因は生まれてきたこと。
それでは自分にとっての仮定で、余命何年が良いのだろうか? 半年では末期で、心身とも余裕が無くなるというから、
一年が現実的目安となる。還暦過ぎれば、老後の心配などすることはない。さほど先が無いのだから。
 厳しい近未来を見つめ、その上で楽観的、積極的に一日一日を楽しむしかない。自分の身は自分で守るしかないが・・・

・・・・・・
4098、私は完全な本 "日本の自殺 'ー4を作った
2012年6月14日(木)
     * ローマ帝国衰亡との類似
  予言の書で、日本とローマ帝国衰退と類似点として、エゴの氾濫と悪平等主義の流行を上げている。極端に現れ出ているのが
 日本で、これは世界中の各国の共通問題でもある。その中で、情報化による情報の氾濫。情報は平準を求めるもの。
 ローマ帝国のサーカスは現代ではTVになる。それと都市、とくに首都圏への集中化も同じである。
≪ 諸文明の没落の原因を探り求めて、われわれの到達した結論は、あらゆる文明が外からの攻撃によってではなく、内部からの
 社会的崩壊によって破滅するという基本的命題。 過去のほとんどすべての没落した文明は、外敵の侵入、征服、支配などの前に
 自分自身の行為によって挫折してしまっていた。ほとんどすべての事例において、文明の没落は社会の衰弱と内部崩壊を通じての
 ”自殺” だったのである。 いかにローマは滅亡したのかについては以下の5つの理由を挙げている。
・第一に、巨大な富を集中し繁栄を謳歌したローマ市民は、次第にその欲望を肥大化させ、労働を忘れて消費と娯楽レジャーに明け暮れる
 ようになり、節度を失って放縦と堕落への衰弱の道を歩み始めた。それはまさに繁栄の代償、豊かさの代償とでも呼ぶべきものであった。
・第二に、ローマ帝国各地から繁栄を求めて流入する人口によってローマ市の人口は適正規模を越えて膨張に膨張を続け、
 遂にあの強固な結束をもつ小さくまとまった市民団のコミュニティを崩壊させてしまった。
・第三に、これらローマ市民の一部は一世紀以上にわたるポエニ戦争その他の理由で土地を失い経済的に没落し、事実上無産者と化して、
 市民権の名において救済と保障を、つまり「シビル・ミニマム」を要求するようになった。よく知られる「パンとサーカス」の要求。
 無料の「パン」が保障されると、退屈しのぎのためにマス・レジャー対策が必要となる。ここに「サーカス」が登場することになる。
・第四に、市民大衆が際限なく無償の「パンとサーカス」を要求し続けるとき、経済はインフレからスタグフレーションへと進んで
 いくほかはない。過去の諸文明が、その挫折と解体の過程でいずれもインフレに悩まされているのは誠に興味深い歴史的事実である。
・第五に、文明の没落過程では必ずといってよいほどエゴの氾濫と悪平等主義の流行が起こる。こうして民主主義はその活力を失って、
 一方で放縦に走り、無秩序と解体をもたらし、他方で悪平等主義に走って画一化と全体主義の泥沼のなかに腐敗していく。” ≫
 ▼ 現代の戦争は経済戦争になる。ソ連・東欧は経済戦争でアメリカと西欧に負け、勝者の欧米も、その奢りで自壊しつつある。
  「日本の自殺」が書かれた時は、既に崩壊に入っていたのである。それを冷静に歴史の中で予知し、予言として警告していたのだ。
  その結果が現時点である。市民権の名において救済と保証を第一優先にしている日本とギリシャ、救いようがないというしかない。
 ・・・・・・・・
3732, 全米N0・1弁護士の勝ち抜きセオリー  〜�
2011年06月14日(火)
  * ジャンプのために 《恐怖の「目」をにらみつけよ、そうすれば自分から「解放」される》『議論に負けない法』スペンス著
 さて私たちは今、聴衆の前に立っている。どうすれば話せるだろうか。どうすれば手を離すことができるだろうか。
その経験は、近所のプールの高さ四メートルの飛び込み台から、初めて飛び込むのに似ている。飛び込み台の上に立って下を見下ろすと、
胃は硬直し、膝はがくがくしはじめる。さりげなくくるりと向きを変えて、引き返したい気持ちになる。だが心のなかのかすかな声は、
飛べ、と急き立てる。 「魔術的な議論」のため手を離すこと、メモに縛られずに自分自身を解放すること、裸でたつこと。
頭からではなく心から話すこと。読むのではなく、話すこと、それはこういうものだ。「魔術的議論とは、自分自身の中に飛び込むことだ」
 私は若い弁護士たちに、まず近所のプールに行って飛び込み台から飛び込むことによって「魔術的な議論」に飛び込むことを、実際に
体験してみることを勧めている。実際に泳げなかった私の生徒の一人は、飛び込み方を学んだばかりか、泳ぎ方も、そうこうするあいだに
身につけた。 議論もそういうものだ。彼は陪審員の前に歩み出た時に自分が飛び込み台に立って飛び込もうとしているところを想像した。 
激しい恐怖が襲ってきた。 私が忠告したとおりに、彼は陪審員に自分の恐怖について話した。
 なぜこの裁判が自分にとって重要なのか、なぜ勝ちたいのか、なぜ負けるのが怖いのかを説明した。彼が恐怖を感じたのは、自分の依頼人の
ためだった。が、自分自身のためでもあった。依頼人のことを心配していたからこそ、怖かった。負けたらつらい思いをすることも怖かった。
だが、彼は飛び込んだ。そのあと「魔術的な議論」は一気に湧き出てきた、と彼は私に話してくれた。 もう一人の生徒は、大学時代に
飛び込みの選手だったため、飛び込みはお手のものだった。「それなら、肉体的に何か怖いと思うことをやってみなさい」と私は提案した。
次に彼に会った時、彼はこの経験で輝いていた。 彼はなんと飛行機から飛び降りたのだ。 パラシュートを開くのをこらえながら、
地上数百メートルまで落下していく時の気分は最高だったと彼は言った。 】
▼ ニュージーランドで、南アフリカのザンベジ川の鉄橋で、43M、100Mのバンジージャンプで、飛び込みの恐怖の経験をしてみた。
 あの恐怖は、筆舌であらわすことは無理だが、この二回の経験で、今でも躊躇する場面(=倒産時の銀行への侘び挨拶など・・)で、
冷静でいられる。 もっとも、これまで、幾つかの事業を経験してきたが、その度、胸試しに似ていた。
<事業を立ち上げるとは自由を得ることであった。その事業は失われても、その自由を充分味わった後味は、身体と心に染み付いている。>
  ・・・・・・・
3367, 大不況で世界はこう変わる!  −2
 2010年06月14日(月)
 * ネットワーク型資本主義
 ここで、榊原は、キーワードとして、「ネットワーク型資本主義」と表現をしている。
アマゾン、ヤフー、楽天、マックなどの出現から知ることができる。私の最近の買い物の半分はネット購入である。 
アマゾンン、価格ドットコム、楽天、ヤフーなどを通し購入、週に二日は宅配便が来ている。
ネット販売は既に百貨店業界や、コンビニの売り上げを越えている。 これにiPadなどのタブレット型情報端末が普及すれば、
ネットワーク型資本主義の時代の姿は鮮明になる。それは、もうアメリカ型資本主義の象徴である大量生産・大量販売の時代から、
ネットワークによるモノの交換の時代になっていくのである。 ネットで市場で農家の奥さんが直接、お客に売る時代に
逆戻りをすることが可能になる。この著で一つの事例を上げている。 オイシックスという企業は農家1000軒あまりと契約をし、
ネット販売している。ここは注文があってから収穫し、新鮮な野菜を三日以内に届ける他、カタチの不ぞろいな野菜を扱う等、
オイシイということを基準に価格を三割程度低くして販売している。こうした新しい試みは、野菜の色と形を基準に仕入れをする
スーパーマーケットの方式に対する挑戦でもあり、いわゆるスーパーマーケット文明を壊していくポテンシャルを持っている。 
スーパーマーケットは、その効率と低価格で八百屋や魚屋、肉屋などに取って代わっていったが、オイシックス等は
新しいインターネットという技術を使って、二十一世紀型の八百屋をつくるという試みだということができるのでしょう。 
家内が最近、米を近くのスーパーや米穀店からネットの米屋に注文をかえた。 この方が価値があると判断したからである。 
そういえば最近、ヨーカ堂のネット注文の配達の車を見かけるようになったが、この傾向が更に強くなるだろう。 
 情報化が世界を根底から変えようとしている。その一つが、この恐慌である。 21世紀世界の創造の前の破壊である。
 ・・・・・・・・
2992,転機を迎えた受験ビジネス
2009年06月14日(日)
 * 先日の産経新聞のトップ記事に時代の変化をみた。
早稲田大学が、関西に中・高校一貫校を開校しようと新規に募集したところ、245人の高校に対して35人に留まり合格者が28人。
中学も140人に対して170人の受験者しかなかったという。中学では三次の募集を賭けたが、結局は合格者は定員の半分に満たない63人。
私立の中・高一貫校は加熱する中学校受験ブームの中核だったのに、早稲田の不人気ぶりに受験の環境の一端を示すことになった。 
(字数制限のためカット2012年6月14日)
・・・・・・・・・・
2628, 日本経済、どん底への転落
 2008年06月14日(土)
 連日、日本経済の悲観論の本。本屋で見かけたが、買うほどではないが読んでみたいとおもっていた。
それが、長岡の図書館で先日借りて読んだ。 まずは、この本の紹介文と、目次からー
 ー「日本経済、どん底への転落」 著者・水谷研治/著   ー読書日記
いますぐ借金経営と訣別しないと、日本は「もの不足」=悪性インフレに突入する!
日本経済の実態を明らかにし、痛みを伴なう本格的な改革の断行を提言する。
これまで日本経済は世界に卓越した「ものづくり」による強力な供給力に基づく経済力で、敗戦後の焼け野原から奇跡の成長を遂げ、
黒字を蓄えてきた。しかし、財政赤字の放置と、成長後の日本人の国民性の変質は、この国の経済を「赤字体質」へと変えてしまい、
かつてあった勤勉な国民性を失った今、「ものづくり」ができない「品質の劣化」した経済に至らせた。
このあとに待ち受けるのは、悪性インフレの到来による「もの不足」の世の中であると著者は言う。
そこまでに残されている時間も5ー10年と、次の世代にとっては大変過酷な状況にある。
本書は、今こそ、増税を含む社会の大改革なくして、この危機は乗り切れないとする警世の経済書。
 (目次)   (字数制限のためカット2010年6月14日)
・・・・・・・・
2007年06月14日(木)
2263, 人生の真価の問われる10年とは     ・д・)ノ〔● ォ'`ョゥ○〕ヽ(・д・`●)
 人生の真価が問われる時期といえば、50歳代の10年間である。
30歳代までは、仕事や家庭の問題にただガムシャラの時期であり
40歳代は、ある程度の余裕ができ、基礎が確立できる時期。
50歳代が、その全てが熟成された結果ができて、自在に出来る時期になる。
自分の過去を振り返ってみて、充実という意味では一番安定していた時期であった。
 そういえば、父親も亡くなる前に、50代が一番良かったと回顧していた!
私の場合、
20歳代までの三十年は、がむしゃら
30歳代は、自分の力の出し方がわかりかけてきた時期
40歳代は、多く部分で矛盾や失敗の揺り戻しがあり
50歳代は、もう一度、それまでの人生を見直しをしながら自己修正の時期
60歳代は、徹底的に足元を見つめなおす時期   というのが、現在の心境である
 ところで人生は全て過去に覆われていて、その窓は「いま、ここ」だけである。過去は打ち消すことが出来ない。
過去の構造が「いま、ここ」をベースにする。未来への意思は「いま、ここ」の中で頑丈なものにする。
真価を問われた50代を過ぎた、60歳から80歳すぎは、無防備に過ごしてきた人にとっては大変な時期。
性欲も、食欲も減退し、体力は落ちる一方で、分ひとりで切り開いていかなければならない時期に、それまでの生き方が問われる。
その為、何十年かけて、その準備をしなくてはならない。ただ生きている人生ほどつまらないものはないからである。 準備。
この成果が重要というより、前向きに生きる姿勢こそ、真価といえる。  50歳代か?!  面白かった!   ヾ(´Д`、)マタネ


4838,Quirt <内向型人間の時代> ー5

2014年06月13日(金)

                <内向型人間の時代> スーザン・ケイン著
   * ソフトパワー
 国にも、個人にも、内向型、外交型がある。さしずめ、江戸時代は内向型国家の典型。そのため、鎖国の時代は、
江戸文化という円熟した時代でもあった。そこに外交型国家・米国の到来で大きは節目を迎え、近代国家へと歩み始める。
アメリカのカレッジで、白人系と東洋系の学生の差異に、そのまま見てとれる、と。東洋系の持っている内なるパワーを
「ソフトパワー」と、捉えている。  ーそこで、「ソフトパワー」をネットで検索するとー
《 ソフト・パワーとは、国家が軍事力や経済力などの対外的な強制力によらず、その国の有する文化や政治的価値観、
政策の魅力などに対する支持や理解、共感を得ることにより、国際社会からの信頼や、発言力を獲得し得る力。
対義語はハード・パワー。 ・・・ジョセフ・ナイはこのソフト・パワーによる対外政策の重要性を説く上でブッシュ
政権や、その中枢を占めたネオコンという勢力に対し、客観的に評価または批判をし、軍事力や経済力など強制力の
伴うハード・パワーにのみ依存するのではなく、アメリカの有するソフト・パワーを活かすことの重要性を唱えた。 
 ・・ナイは、ソフト・パワーを構成する要素を掲げている。ひとつは、その国の有する文化である。その具体的な
例として文学や美術、高等教育などのエリートを対象とする高級文化や大衆の娯楽などの大衆文化が挙げられる。
ナイはその国が有する文化の価値観に世界共通の普遍性があり、その国が他国と共通する利益や価値を追求する政策を
とれば、自国が望む結果を獲得することが容易となるとし、一方で偏狭な価値観に基づく文化では、ソフト・パワーが
生まれにくいとする。・・・ 》
  ーこの著書のソフトパワーの説明箇所から抜粋ー
《「ソフトパワー」、教授はそれを「火ではなく水によるリーダシップ」と呼んだ・・ 
「アジア文化では、自分が欲しいものを得るために、しばしば微妙な方法を使います。それはつねに攻撃的とは
かぎらないが、けっしてぶれない巧みな方法です。 最終的には、それによって多くを達成します。アグレッシップ
パワーは相手を打ちのめすけれど、ソフトパワーは相手を納得させて味方にしまいます」・・ ソフトパワーの実例とは
どんなものかと尋ねると、彼は目を輝かせて、アイデアと心をパネにしている人々のことを話しだした。たとえば、
各種の雇用者団体のまとめ役をしている人々―彼らを達成するために、力学ではなく信念によって人々を結集してきた。
また、飲酒運転根絶をめさす母親の会は、カリスマ性ではなく思いやりのパワーで世の中を変えようとする人々の集まりー 
そうした人々は自分のメッセージを伝えるのに十分なコミニケーションスキルを備えているが、本当の強さは
メッセージの内容にある。 》
 ▼ この図式は、都会と、地方の関係と同じ。しかし、アメリカを例にとれば、そのソフトパワーは、ハードパワーと
  同じぐらいに、充実していることは、インターネット先進国ということからも垣間見ることが出来る。現役の時代は、
 パワーソフトの占める割合が高く、御隠居は、ソフトパワーに比重が移動する。そのソフトは、長年の蓄積が必要。
 そのためにはハードパワーも必要である。私のソフトパワーの蓄積は、数十年続けてきた、一日2〜5時間の読書。
 最近は、読書からネットとパソコンに比重が移動しているが・・ この二年間、スポーツジムのヨガに週二回、
 参加しているが、これは、ソフトパワーそのもの。
・・・・・
4471, 一日5分「簡単ヨーガ」健康法 ー6
2013年06月13日(木)                      
                     『一日5分「簡単ヨーガ」健康法』ー番場浩之著
   * 3日目 身体の前後両面と、手指を開く ー?
A・ 胸と背中を開き、膝裏を伸ばす体位 ーP66  
 基本体位= 金剛座(足を重ねない正座)をして、尻を浮かすようにつま先だって、脚の前で手の平をつく(四つんばい)。
1、「静かな呼吸」→「軽い呼吸」→「深い呼吸」を入れながら、「天のプラーナ気」を引き入れ、天井を見上げるように
 顎を上げ、舌を巻き上げて胸を開き、背骨を反らして腰を入れる。
2、手の位置を動かさないで、肘を伸ばして息を出しながら、両膝を合わせたまま、かかとを床につけるようにして背中を開き、
 「大地のアパーナ」を引き上げるようにして、背中を充分に開く。
3、緩めて、少し息を入れながら、基本体位に戻す。そこで、「軽く一息」。
4、もう一度、1〜2を繰り返す。そして軽い一息を入れながら、膝裏を伸ばして、手に体重をかけるようにして、
  尻を持ち上げてつま先で立ち上がる。膝裏は充分に伸ばす。
5、息を出しきりながら、かかとに体重をかけ、肘と膝を伸ばした状態で腰を入れ、眉間を見上げるようにして顎を上げる。
 「軽く一息」入れていったん緩め、さらに出息とともに、かかとに体重をかけて「膝裏→腰→胸→顎」の順で背骨を反らせ、
 「大地のアパーナ気」を引き上げる。
6、「軽く一息」入れて緩めたら、ゆっくりと息を出しながら、膝をつき、[基本体位]に戻す。
  最後に、「軽く一息」→「静かな一息」→f各自の呼吸」で、息を調えて金剛座に戻す。
 ▼ 犬猫が時々行う、横から見たら腰を頂点とした三角形の姿勢。前者は、座ったまま、後者は、後ろ脚を立てた姿。
  これもSJのヨガ教室で、必ず毎回、行っているポーズ。 
B・ 手の指を開く体位 ー P72
 [基本体位] 金剛座(P・69)になり・親指と人差し指をつけて手印を結び、肘を直角に曲げて前腕は床と水平に、
 手のひらを上向きにする。  ★立位でも、椅子に座った姿勢でもかまわない。
1,「静かな一息」→「軽く一息」の後、「深く一息」で息を満たしながら、手指が反るくらい充分に開き(パアの状態)、
 息を止めて少し保つ。ここで、肩に力が入らないよう注意。
2,ゆっくり息を出しながら[基本体位]に戻って「息」したら、もう1回??を行う。
3,さらに、?を行った後手指を開いたまま、息を止めて少し静止。息を止めたまま、ゆっくり親指から順に小指まで一本ずつ、
 指のつけ根から手前側に引き寄せるように折り込んでいく。このとき、指の緊張を緩めないように注意。最後に、親指を握り
 込むように「グー」でしっかり握る。★指を折り込むとき、開いているほうの指の関節が綾まないように、伸ばした状慧を保つ。
4,さらに、息を止めたまま、小指から親指まで順に指関節を伸ばした状態で開いていく。
 最後にしっかり開ききり、ゆっくり息を出しながら[基本体位]の手印に戻って「軽く・一息」。
5,再度、?、?、?を行う。計2回。
  [ポイント] どの姿勢の場合でも、背筋をピンと伸ばして行ってください。
 自分で開いたと思った状態から、さらにあと少し努力して・表面が「ジーン」と感じるくらい開きます。
 手のひらのみの実修と思わず、腕、肩、首、胸など上半身全体にかかわるものと思って、呼吸とともに全身的に行う。
 ▼ スローヨガでは、片方の手を上向きに開いて、もう一方の手で深呼吸をしながら反り返す。
・・・・・・・
4097, 予言の書「日本の自殺」 ー3
2012年06月13日(水)
  * 日本没落の予感 
【 ”小松左京氏の小説「日本沈没」では地殻変動で陸地の殆どが海面下に沈降するとう設定で、地質学的レベルでの日本沈没について
 扱っているが、日本沈没の可能性については、単に地質学的レベルだけではなく、政治学的、経済学的、社会学的、心理学的レベルでも
 存在しているのではないか、という思いに駆られ、現代日本社会のなかに観察される没落の諸徴候群と思われるものを、諸文明の没落、
 とりわけギリシア・ローマの没落の研究と比較しつつ検討を加えるという手間のかかる作業を進めたであった。” ・・・
 ”例えば、プラトンによれば、ギリシアの没落の原因は、欲望の肥大化と悪平等主義とエゴイズムの氾濫にある。道徳的自制を欠いた
 野放図な「自由」の主張と大衆迎合主義とが、無責任と放埒とを通じて社会秩序を崩壊させていったというのである。”
 現在のギリシア危機をみると、まさにプラトンが生きていた時代と同じ状況にある。これって歴史は繰りかえすということなのか。
 こうした歴史的資料の断片を通じて、ギリシア・ローマの没落過程に足を踏み入れていけばいくほど、われわれは日本の政治的、
 経済的、 社会的、文化的没落の危機の大きさをいまさらのように痛感させられるのであった。】
▼ 現在の日本は、37年前の予言のとおり沈没一歩手前にある。プラトンが当時のギリシャを批判した≪没落の原因は、欲望の肥大化と
 悪平等主義とエゴイズムの氾濫にある。道徳的自制を欠いた野放図な「自由」の主張と大衆迎合主義とが、無責任と放埒とを通じて
 社会秩序を崩壊させていった≫が、現在の日本そのもの。2千数百年前のギリシャと何ら変わらない姿が、日本だけでなく、
 欧米の現在の惨状である。この世界の激動期に日本没落の予感がするのは当然で、転げ落ちる速度は時間とともに加速する。
・・・・・・
3731, 温泉旅館の苦悩
2011年06月13日(月)
 先週末の金曜日にTVで「ある旅館経営者の苦闘〜」を放送していた。 妙高・赤倉温泉の旅館の苦闘が、その内容。
  ーまずNHKのHPの番組説明からー
≪ 東日本大震災から3ヶ月。自粛ムードが広がる中、観光産業が大きな打撃を受けている。
 県内有数の観光地・赤倉温泉も4月の宿泊客が例年に比べ大幅に減少した。旅館を経営する荻野光貴さんは、かつてない経営難に直面。
 悩んだ末、給料をカットしたところ会社を辞める従業員が続出する事態に陥った。 観光客を呼び戻そうと、首都圏での売り込みや
 仲間の経営者と新たな旅行プラン作りに動き出した荻野さん。 その苦闘の日々を見つめる。≫
■ 地方の駅前ホテルは、この10年間で大きく宿泊が減った上に、東北大震災である。 私のケースもシュミレーションの結果、
 成り立たないと判断、そうそう事業をたたんだ。 そのプロセスで、リゾート・ホテル、旅館の惨状が聞こえてきた。
 温泉地の宿泊は、ほぼゼロで人影も疎ら。この冬の大雪で東北・北陸地区は最悪。やっと春になり、取り戻そうとしていた矢先のこれ。
  赤倉の38歳の店主の苦悩の姿が痛いたしい。 長期衰退の上に、売り上げが前年の5分の1以下で、温泉街に人影は殆ど見かけられない。
 それは本州の何処のリゾート地でも同じ事態。このホテルでも何人か辞めていった。更に残った人たちの給与は半額にし何とか凌いでいる。
 色いろの対策のイベントを考え出していたが、「山火事に一杯のバケツの水の対策レベル」としか思えない。 現在も放射能が大気に
 拡散を続けており、それが雨などの循環で大地に水が沁みこんでいる。 この事態で、温泉など恐ろしくて・・・。
 一年か二年の急場として乗り切れば何とかという事態ではないため、深刻である。これは、全国の居酒屋でも同じである。
 何とか、凌いできた駅前の居酒屋も壊滅的な事態である。自分の身に先駆けて起こったことが、これから全国で起き始めている。
 当方は、日本経済の3〜6ヶ月早く敏感に数字として出る。それからして、今月から来月にかけ経済恐慌として、事象として表れる。
  温泉など、浸かってはいられないのは当然である。  私に起きていた10年近くの事象と苦悩をダイジェストで見ているようであった。
・・・・・・・
3366, 大不況で世界はこう変わる!  −1
 2010年06月13日(日)
 「大不況で世界はこう変わる! 」 榊原 英資 (著)
 ーアマゾンの内容紹介からー
「この世界同時不況の本質は、大量生産・大量消費を成長モデルにした20世紀型資本主義の終焉である。全く“新しい経済”が始まる」
と著者はいう。 製造業破たんの危機は?  新興国は失速するのか?  そしてドル暴落の危険は?
「ネットワーク型資本主義」「日本回帰」「真の構造改革」等をキーワードに、世界経済のパラダイムシフトを読み解き、
日本に不可欠な経済政策等を提言する。 軽いタッチだが、面白い本である。その概要をまとめてみる。
≪ 現在の事態は深く長く続く世界同時不況である。アメリカの金融システム崩壊と国内の消費バブルの破裂が世界に大激震を
起こしてしまった。 その被害の大きいのが特に東アジアの輸出国。アメリカ発の世界同時不況だがドルはそれほど暴落しない。 
米経済が最も早く回復するのはネズミ講の親だから。 この恐慌は二〇世紀型資本主義が終ったことを意味する。 
それは大量生産・大量消費の終焉であり、自動車・スーパー・ファストフード文明の終焉である。戦後からアメリカを追い続けたのが
日本だったが、最もマイナスの影響を受けている。21世紀はITが「アメリカ型資本主義」から「ネットワーク型資本主義」へ変える
役割を果たすことになる。この恐慌で製造業の落ち込みは激しい。モノは先進国ではあふれており、経済の成熟でモノが売れないのである。
そこで消費として新興市場国の台頭が求められる。環境問題と農林水産業が、オバマのグリーン・ニューディールもあり注目される。
世界は温暖化・フラット化・人口過密化が、ますます問題になっており、これが21世紀は環境・自然・健康・安全認識などへ
パラダイムシフトしていくことになる。 ここで先進国と新興市場国の環境をめぐる対立が起きはじめている。文明の相克である。
その1つに一神教から多神教的価値観へ、がある。 アメリカの隷属国家の日本は果たして変われるのだろうか? 
必要なのは「日本回帰」である。ユニークな歴史を持つ日本は21世紀への先頭に立てる要素がある。江戸時代は一つの完成型であり、
道州制より「廃県置藩」が望ましいのではないか。≫ 
 ネットワークが人間社会を根底から変えているが、経済も政治も、それに対処できないでいる。それが、この恐慌の根本理由。
この10年は、その意味で混沌とした時代になり、ドラッガーではないが20C的なものから21C的への断絶の時代になる。
その具体的なものとして、モバイル携帯電話、iPadやパソコンなどの情報端末。そしてツイッターやユーチューブや
ユーストリームである。 情報化が人間のあり方を根本から変えていく世紀が21C。 「情報化で世界はこう変わる」である。
 ・・・・・・・・
2991,スナック・ママ の写真集
2009年06月13日(土)
          スナック・ママ の写真集『スナック』 山田なおこ
 写真集! の日本のスナック 、164店177人のママを収録したもの。スナックといえば、ちょっと話を聞いてくれる場所であり、
男にとってはグチをこぼしたり、仕事帰りに立ち寄ると、いつものママが迎えてくれる。10年の歳月をかけ、北は札幌から南は
石垣島まで、列島中のスナックを訪ね歩いて撮影した写真家・山田なおこ、のデビュー作という写真集である。
近くの図書館で見つけたが、去年の暮れに出たばかりのもの。さっそく借りてきたが、ジックリとみると、ナカナカ一人一人の
上半身のカラー写真が味がある。スナックといえば40数年間、彼方此方で通ったものとして興味がひかれる。
 アルバイトでスナックに勤めながら、北海道から沖縄まで10年かけて、ママの顔だけ写してきたエネルギーが、
この写真集にタップリと入っている。 時間を巻き戻せるなら、飲みにいく時にカメラ片手に、このような写真を撮っておけば
良かったと、この写真集をみて後悔している。ほぼ全てが忘却の彼方。この写真集は、女性が女性を写しているので表情がリアルで、
気取りがないところが良い。何処かの駅前の繁華街の裏手のスナックのドアを開けると、この中の一人にソックリなママがチラリと
品定めをして、愛想よく迎えてくれる。そして何気なく身元を聞きながらお愛想を言って、共通の話題をさぐるのである。 
 全国色いろな地域のママの土着的雰囲気が何とも良い。 土地が顔を作っているのが、読み取れる。
それぞれ地区で、それぞれに人生を背負い、色いろな御客を相手に生き抜いてきた一国一城の主である。
優しさの向こうに、生きる逞しさを蓄え、店のコンセプトを大事にして、自分の城を大事に守っている顔である。
居酒屋、小料理屋、そしてスナックには、ありあまるほどの思い出がある。 
ここでも何度も取り上げてきたが、スナックについては、あまり書いてなかった。
 「うちのママより、店のママ」というが・・・ ドチラも、ママならぬ、というところ!             
・・・・・・・・・
2627, 世界バブル経済終わりの始まり ー2
2008年06月13日(金)
 第一章の小項目をコピーして、その文をつなげるだけで、
その言わんとする大筋になる。その合間に私の言葉をつなげて文脈を作ってみた。
≪ 真のNYダウ暴落への序曲が始った。 これは世界的なバブル崩壊へと続いていく。悲惨なサブプライムローン債券が次に出てくる。
これは今度波状的に世界経済を破壊する。その原因として1996年〜2006年までゼロ金利で世界にバブルを輸出した日本の存在がある。
しかし、それが終わりつつある現在、アメリカから資金の大移動が始まった。アメリカの低所得者までサブプライムローンで
住宅を担保に極限まで借金を重ねてきた。不動産バブル張本人の退職金が何と六〇億円という。本人はさっさと逃げてしまっている。
サブプライムローンの差し押さえで、新しいゴーストタウンがアメリカ中に急増、そこは差し押さえ物件の街と化しているのである。
FRBが金利を下げるとき、NYダウは暴落する。アメリカ国民はNYダウと一蓮托生だから、アメリカの消費は一挙に冷え込むのは必然である。
骨の髄まで借金体質で、日本とは全く違うのである。そこで各国はアメリカから距離を置き始めた。その中で日本の生きる道は
技術大国として、その特徴を活かすしかない。NYダウの適正値は七〇〇〇?八000ドルであるが、アメリカは株価急落防止チームを
発足させ維持に懸命。しかし、それは乱高下を重ねながら落ちていくだろう。それと同時にアメリカ国債も暴落する。
日本は500兆円も持たされているから、日本経済は大打撃を受ける。しかし、アメリカは紙切れでしかない。≫
    (以下字数の関係でカット09年06月13日)


4837,「事業人生を決心して45年」の語り直しー13

2014年06月12日(木)

   * センチュリー・ベーカリー
 千城台ビルの一角でオープンさせた養老乃滝1122号店も、色いろあって一年も経つと落ち着いてきた。
しかし、石油ショックの影響でテナントは一軒も埋まらない。それなら、再び、自ら新たな店のオープンと、
何が新しい商売がないかと探しあてたのが、焼きたてのベーカリー。 日経新聞の記事に『東レ系の商社・蝶理が
冷凍生地を主にした焼きたてのベーカリーのフランチャイズを本格展開』とあった。名前はセンチュリー・ベーカリー。
再び、怖いもの知らずで、何とかやれる!と、取り込むことにした。早朝、4時に起床。一時間以上先の東十条店に
数ヶ月、研修をした後に、開店になった。居酒屋、ベーカリーなど業種は違っても、立ち上げ手順は同じ。
それでも二年前時での、ビルの立上げが重なってないだけ、居酒屋のオープンより、遥かに楽だったが、しかし、
開店前後のパニックは、同じ。 店一軒の立上げは、全身全霊で、持っている全精力を叩きつけるしかない。
産みの七転八倒の苦しみは何ごとも同じ?その都度、地獄。今度は居酒屋と違って、家内がバックアップをしてくれ、
本部の担当と同郷もあって呼吸が合って、何とか乗越えた。とはいえ、冷凍生地のパンだけでは、店内の商品構成が
成り立たないため、粉からミキサーで練り上げ、発酵させ、焼き上げる。パン職人が一ヶ月ほど泊まり込みで手伝いに
きていてくれたが、早朝4時前に起床、パンの仕込みを開始! 全てを自分一人がする重労働である。しかし焼鳥屋の
開店からみれば、楽。 まず、店を賑わさなければならないため、牛乳の1・8Lパックを、原価の10円安の売価で、
売りに出し、表立っては繁盛店だが、その実情は、採算すれすれ。それを知らない姉夫婦が、それを見て、焦った
ことを見てとった。そして、実兄に対する既存社員と組んだ嫌がらせがピークに達し、実兄とトラブルが起きていた。
兄からは怒りの電話が連日続くが、二店の運営で手一杯。それをチャンスと見ていたのは分かっていた。その話合いに、
早朝の3時に起床をし、仕込みと焼き上げを終えて、開店を家内に頼み、帰省をしていた。ノンビリしている家内でさえ、
「姉夫婦は基本がなってない!」という始末。(当の本人が一番なってない?) 私の視点も、真逆の環境の6年間を
過ごしてきたため、呆れ返って『何を姑息なことを、やってるんだ!』である。しかし、二人の周到に計算された
手順の御家騒動の序曲。 
 その極限の状況の中で、思いもよらない底知れぬ力、得体の知れない力が、己を支配し勝手に動き出していた。
極限を超えると、そこに原始的、動物的な、得体の知れない力が湧き出てくる。火事場の馬鹿力より、戦場の馬鹿力? 
これは極限では出てこない! 極限を遥かに超えた場面でしか、この力は出ない。そのためには断崖に立つしかない。
それも捨て身で。 小心な私など、その上に、怒り主体の喜怒哀楽をエネルギー源にした狂人に徹するしかなかった!
 この辺りから、創業の感覚が身に付いてきた。 事業は常時戦場で、闘い続けること。一日を、48時間のつもりで、
働き詰めなければならないこと。 それが出来ないなら、その下で、働くしかない。 しかし、時間の経過とともに、
何時の間に忘れるのが、人間の常。何時の間に、あの茹で蛙に自分?が・・ 
・・・・・・
4470, 最悪の結果に隠された、お宝は?
2013年06月12日(水)
   * この結果に意味があるとすると、それは何?
 「三羽の黒鳥(9・11テロ、リーマンショック、3、11震災)の到来で、この結果に終ったのに何か意味(価値)があるか?」が、
 問いかけとして残っている。これまでの人生の節目で、最悪の状況こそチャンスが隠されていた。今回も下手に切り抜けるより、
早々に止めた方がベストだった。 この一連の三羽の黒鳥の到来前に、日本は支配国アメリカによる意図的なバブル経済の生成と、
崩壊があった。機を同じくソ連の崩壊と、中国の共産党支配化での資本主義経済の導入で、世界を二分していた垣根が無くなった。
更に欧州の経済統合による大混乱と、アメリカの衰退が重なり、ここにきて一挙に混迷を深めている。 
 さて、私にとっての今回の一連の隠されたベストの意味=価値は何だろう? の問いかけ。
《 森の生活からキレイサッパリと決別し、サバンナの生活というより、死に支度をすべし! そして、森の生活で、
切り捨て目を背けてきたことに対する再考。さらに、せっかく奇跡の星に人間として生まれたのだから、もっと世界の
広さと深さを知り、経験し、味わうこと 》が、結論。「早々に隠遁生活に入り、老いと死に準備に本気に入れ」ということ。
 昨日の随想日記に書いたが、日本人男性の健康年齢(寝たきりや介護を受けず日常生活ができる年齢)が70歳。
死亡平均が79歳からして、9年の介護が必要になる。80歳を過ぎなら分かるが平均としても、「70歳から10年間も、介護など
誰かの世話になる生活が待っている」とは思いもしなかった。「好きなことが出来るのも、そう長くない」ことになる。
 9年間の不自由な介護状態なら長生きも考えもの。 還暦を過ぎた辺りから生老病死の問題が、真正面からやってくる。
60歳までに、やりたい事をやり尽くした感があるので、焦りは少ないが、甘くない近い将来が待っているのが現実である。
そこで、「一日一日を、面白おかしく生きる」しかない。また自分の「知識の球」「経験の球」の外側を少しでも広げることだ。
もっと人生の少なさに焦るべきは、身近な人の死をみれば分かる。そういう年齢に入った自覚をより持つべきである。
 前期高齢者に入った65歳が、森の樹上の生活も早々止めて、一度、森から離れて、世界を見直す時節だった。
「今さら、そんな小さな己の世界を広げてみたとて、何になる」というが、そうとしても、前向きに倒れた方が良い。
知ること、行動すること、愛することを、死ぬ瞬間まで少しでも広げることである。 人生には多くの意味があって面白い!
・・・・・・
4096、私は完全な本 "日本フル自殺 'ー2を作った
2012年6月12日(火)
  * 21の文明の「種」と、現在残っている7+3の「種」
 この冒頭の文明の記述が、現時点の文明の立ち位置を知るによい。5大文明の起源だけでは現代を捉えるに無理がある。
情報化社会の到来が、この文明の地域割り、民族割り、国家割りを、根こそぎ変え、現在は大断層の真只中にある。
中学校の教科書では5〜6千年前に五大文明が生まれ、その延長上の文明が現在に至っているとある。学生時代にトインビーを知り、
文明の発展史の解釈に驚いたことを憶えている。  ー この本の冒頭から惹きつけられる。
【 われわれの知っている最古の文明の出現は、現代から六千年以上さかのぼることはできない。しかし、この六千年の歳月の間に、
 ミノス、シュメル、マヤ、インド、シナ、シりア、ヒッタイト、バビロニァ、アンデス、メキシコ、ユカタン、エジプト、ヒンズー、
イラン、アラビア、ヘレニック、西欧、正教キリスト教、極東など、二十一の文明の「種」が発生し、成長し、あるものはやがて没落し、
消滅していった。二十世紀の現在なおこの地球上に生き残っている文明の「種」は、西欧文明、近東における正教キリスト教世界の本体、
ロシアにおける正教キりスト教世界の分枝、イスラム社会、ヒンズー社会、シナにおける極東社会の本体、日本における極東社会の分枝、
の七つの「種」と、ポリネシア、エスキモー、遊牧民の三つの「種」の発育停止文明であるとトインビーは分類している。
過去六干年間におけるこの二十一の文明の「種」の栄枯盛衰の歴史のドラマとその比較研究は、文明の発生、成長、挫折、解体の原因や
その一般的パターンについて、われわれになんらかの示唆を与えてくれるものなのであろうか。そしてまたこの歴史の教訓は、現代文明の
進路選択、日本社会の進路選択にもなんらかの寄与をしてくれるものなのであろうか。こうしてわれわれは、特に文明の没落過程の
共同研究に着手したのであった。】
 ▼ 中年期を終え老年期に差し掛かると、哲学、歴史に、より興味が増す。人生を振り返ると、そこに人類の歴史と重ねてみたくなる。
  シナが極東社会の本体なら、日本は極東社会の分枝の中の己を歴史的位置から逆照射して、個々の卑小さを確認することで、
  砂利同士の大きさや、変形の比較を気にしない心理作用に効果的である。人生を実際に60数年間、生きてみて思う5千年の実感は、
  学生時代のそれとは全く違うもの。この情報化は人類のあり方を根本から変えている。悲観的にも楽観的にもなるが・・・面白い!
・・・・・・
3730, 全米N0・1弁護士の勝ち抜きセオリー   〜�
2011年06月12日(日)
  * 人生を自由に生きるためには?       『議論に絶対に負けない法』ー ゲーリー・スペンス著
 【 「なぜカエルがジャンプするのか」ではなく、「どうすればこの小さな生きものをジャンプさせられるか」である。
 もちろん、カエルには栄養分が与えられなければならない。次に、カエルは自由にさせられなければならない。群集の前に立った時、
あるいは上司の部屋に座った時、私たちはカエルになり、すでに見てきたように、あまりの恐怖心からジャンプすることなど到底できず、
ただ小さく気弱な声で泣言を発することしかできない。 カエルを自由にさせるというのは、私たちが人生を生きることのたとえである。
ほとんどの人にとって、自由になることは怖い。 私は人生のある時期、過去という不健全な場所にしがみついていた。 
自分を解き放すことができなかったのだ。 計り知れない深淵に落ちてしまうのではないかという恐怖をどうすることもできず、
そうしていたら身の破滅につながることが分かってはいても、過去にしがみつくしかなかった。
 この恐ろしい時期のある晩、たった一本の枝につかまって崖っぷちからぶら下がっている夢を見た。私は何百メートルも下の谷底を
見下ろした。そこで、自分が絶対に助からないことを悟った。手は疲れ果てて、ついに滑り出した。結局は手を離さざるを得なかったが。
だが、落ちながら、突然自由になったのを感じた。リラックスをしながら落ちていくのを楽しむこともできれば、落ちていながら
叫ぶこともできた。 落ちながら、何とも言えない高揚した気分、完全な自由な気分を味わった。 私たちカエルは崖から飛び降りよう、
経験を信頼をして旅を楽しもう、と私は提案をしているのだ。  やってみなさい。 手を離しなさい。 ジャンプをしなさい。 】
 ▼ 海鳥の雛が、最初に断崖から海に向かって飛び出す時の映像を何度か見たことがある。本能に従い健気に恐怖に打ち勝ち飛びたつ。
  人間は、恐怖のイメージがあるから、なかなかジャンプが出来ない。 実際に、今回の3つの震災で、会社が倒産してしまった。  
  どちらにせよ年齢からして、このままの状態は維持出来ないなら早めに清算した方がよいことは、数字が雄弁に物語っていた。
  決断をしてみると、自らの手から離れ、一人歩きをしていく。これも、ジャンプか。 「べき時に、べく事を、べきすべき」だった。
  私の場合、これに似た絶対言明がある。「正中心一点無」である。問題の中心を直感で見つけ、気持ちを集中すること。
  「恐怖の目をにらめつける」も良い。イスラム圏に行くと、目玉の飾りの魔除がある。玄関で目の力で、厄を守る飾りである。
  動物は視線に非常に敏感である。考えてみれば視線恐怖症は誰にも少しはある。日本は、それが世間の目になる。
  恐怖は、ジャンプのエネルギーそのものになる。  にらみ返すことが出来ればだが!
・・・・・・・・
3365, 「世逃げ」のすすめ
 2010年06月12日(土)
 『「世逃げ」のすすめ 』ひろさちや著
 ー概要といえばー
 世間はおかしな物差しで人の価値を計ります。その「狂った」世間の物差しを捨てられないならば、世間から逃げるしかない。
世逃げとは、どこか別のところに逃げるのではなく、精神的に逃げることです。 禅の洞山の無寒暑を思い浮かべればいい。
目盛りがないのだから測れません。だから、測れない物差しが仏の物差しです。 測れないのではなくて、測らないのです。
仏の物差しは、物を測らない物差しなんです。 仏様は苦しみの世と言われました。その苦とは、思い通りにならないことです。 
世逃げとは、思い通りにならないことを、思い通りにしようとしないことです。つまり、あきらめの思想でもあります。
このあきらめとは、努力をするなということではなく、無駄な努力をするなということです。
無駄な努力とは、思い通りにならないものを思い通りにしようとすることです。仏教は「出世間の教え」。煩悩にまみれた
俗世間を厭い離れることが、仏教の姿勢である。ならー「世逃げ」しなさいーと!「世逃げ」とは、世間の物指しの他に、
神の、仏の物指し(目盛りのない物指し)を持ちなさい、ということである。
 ▼ 以上が概要だが・・ 二年前に、この本の中の「ある一文」を紹介したことがあったが・・ ひろさちや、といえば仏教的視線で、
 世間から一歩も二歩も超越しなさいという論だろうと、思っていたが、「『狂い』のすすめ」の続編の内容である。 
学生時代に社会学を専攻、人事管理のゼミ入って、人間の管理という生々しい問題を冷静に捉えて、客観的?に見つめる「訓練の場」の
ゼミの真っ只中に入った。そこでは哲学的にいえば、現象世界(感性、悟性)を、思考、訓練で理性に昇華する訓練の場。
教授は分かっていたのだろうが、その先は、それぞれ選択した社会分野で目指す世界を自分で創造しなさい、それが「自由世界」だった。 
教養とは一枚一枚、束縛された固定観念を脱ぎ捨てることと思い知らされた。 とはいえ自由は甘くはない。 サルトルがいう
「自由という牢獄」での独りの闘いを必要とする。 ここでは、仏教だけでなく哲学的思考も隠されている。
 狂い、失敗の繰り返しを40年以上やってきて? その結果、アウトサイダー、珍獣として冷笑されている。
しかし、その経験と哲学や宗教を学び続けてなかったら、とっくの昔に胡散臭い常識人になっていた。
 ここで「世間は人間を商品価値で測っている」というが、世間とは、そういうもの。少し考えてみれば商品価値だけが人間の価値でない。
女性の容貌が衰えようとも、エリートコースを歩んだ人が失墜しようが、エリートコースの肩書きや職業がすべてではない。
それとは別の変わらない価値がある。その変わらない価値を、初めから人生に求めなさい!ということ。結局それは、社会的なものとは
無関係な自分の好きな世界を構築しておくことだ。フワフワした名声など、所詮は瞬時の現象。 しかし、それでは自分は商品価値で人を
判断していたのでは?というと、ない!といったら嘘になる。品性、教養、無心の人の傾向の強い人を認めてきたつもりだったが。
振り返ると、そうでもなさそうだ。商品価値の高い人ほど、それにともない、無価値の価値を身に付けている人が多いのも事実。 
いや、その数倍も逆のがいるか? あれ等をみると!その、あれ等の一面しか見てないのだろうが。
商品価値ね〜 モーツアルトも、ダビンチも、あの才能より、隣の善良な人が? 良いとでも言うのか?
・・・・・・・
2990、1ドルを競りにかけると
2009年06月12日(金)
 「世界は感情で動く」 マッテオ・モッテルリーニ著   ー読書日記
* 一ドル競りゲームから見えてくること
 ゲームで、「1ドルの競りゲーム」がある。 小人数のパーティの余興に面白いというが、そのゲームの中に、深い示唆が含まれている。 
もちろん、三人以上が参加するようにしておいて、1人に50セントまで値段がつくまで買いにまわってもらえばなお良い。このゲームでは、
最後に競り負けた人が、その金額を払わなければならないルールを前もって言っておく。5、10セントから始って、15、20、そして
30セントと。そして50セントで、頼んでいた人は降りてもらってよい。競り人は、そこで二人から50セントずつ貰えるから元は取れる。 
しかし1ドルを越えたところで、二人とも1ドルを失いたくないため、1ドルを越えても、どんどん競りあがっていく。
3倍の3ドルとか4ドルに。 そしてどちらも競ってせり上げた分の損をする。最後に勝ったほうも、大損をしてしまう。 
少し酒が入っていたほうが、冷静さを失うので効果がある。実のところ、これと同じことを我われはしているのである。 
事業や商売でも、株でも同じである。コンコルドという超高速旅客機が、そうだった。 完成させたがよいが、
どこからみても採算が合わない上に、大きな危険が伴うことが分かったが、それまで開発してきたエネルギーと資金からみて、
中断できなくなった。しかし、その結果として、事故があり、大赤字を重ねた上に止めざるを得なくなったのである。
株で見切りが出来ないのと同じである。 このゲームは、剥き出しの一ドルを、競っても理性を失うのである。
株屋の本質は、これである。 巧妙に仕掛けて競り上げる。 
 ところで、百戦錬磨の女が自分を売りつける時も似たようなものか? 相手を多く集めて競って売りつける。
買わされた方は、一生棒をふる。 何か何処かで見たような? 誰かが似たような経験をしている?ような!
 ・・・・・・・・・
2626, 世界バブル経済終わりの始まり ー1
2008年06月12日(木)             (。・∀・)ノ゛おっは?   
  「世界バブル経済終わりの始まり」 松藤民輔著     ー読書日記ー   
一年前に発刊された本だが、現在の状況を、見事当てている。 バブル時期には著者は日興証券、メルリリンチ、ソロモン・ブラザーズ
などで年収2億円の凄腕セールスで知られていた。ソロモン・ブラザーズの時代に日本のバブル崩壊を読みきって、投資商品の主役が
「ペーパーマネー」から「金実物」の時代に以降すると予見し、独立。1995年に株式会社ジパングを設立。
2005年にアメリカ・ネバダ州の金鉱山を買収、日本第三位の金鉱オーナーになる。
この本の出版の少し前に、『アメリカ経済の終わりの始まり』を書いた。
  ー今回は印象に残ったポイントをマトメテみた。 次回は、この目次をコピーして、考えてみる。
*この本では、アメリカの現在は日本のバブル崩壊の前後に酷似していると指摘している。ブルの塔」を、
ここまで高めたのは日本にある。長期にわたるゼロ金利政策こそ、全ての元凶だった。 
 (字数の関係でカット11年06月12日)
・・・・・・・・・・
2007年06月12日(火)
2261, 「アンラーン」について    (。・ω´・)っノ 【才ノヽ∋?】
「アンラーン」という面白い言葉に出会った。味と深みのある言葉である早速、検索で調べてみると次のようにあった。
≪ 鶴見俊輔の言葉の中で ー戦前、私はニューヨークでヘレン・ケラーに会った。 私が大学生であると知ると、
「私は大学でたくさんのことをまなんだが、そのあとたくさん、まなびほぐさなければならなかった」といった。
まなび(ラーン)後に まなびほぐす(アンラーン)。「アンラーン」ということばは初めて聞いたが、意味はわかった。 
型通りにセーターを編み、ほどいて元の毛糸に戻して、再び自分の体に合わせて編みなおすという情景が想像された。≫
 (字数の関係でカット12年06月12日)


4836,「事業人生を決心して45年」の語り直しー12

2014年06月11日(水)

   * 閑話小題 ー事業人生を振返って、あらため気づいたことは
 人生を鳥瞰すると、その時々に直面する問題に無心で取組んでいると、違うチャンスが生まれている
のが見て取れる。これは、課題に対する「正中心一点無」の奥底から自然に生まれ出る不思議な因縁。
前向きに正面から中心点に無心で取り組み続けると、自然と機会が生まれてくる。 
過去・現在・未来とも、その正中心一点は、時代のウネリ。 この数年来では、2008年9月15日の
リーマンショックと、2011年3月11日の東北大震災と、津波による福島第二原発事故。 
このリーマンショック対策で、今でも世界主要20ヶ国のトップが一年に一度の会合を開いているが。
実は未解決案件!
 金沢にいた時は、『ドルショック』。千葉の創業時には、『石油ショック』が直撃をした。 
その直後の数年は、その重大さが理解できない。が、数年後に現象として現れ出てくる。 
千葉での石油ショックは、創業初戦の私を直撃をした。あてにしていた道路一本前の空地の
5百室のマンション計画が緊急中止。周囲の空気が一変してしまった。
ビル内のテナントは全く入る気配がなし。軽い気持ちで始めた養老乃瀧のオペレーションは、
手こずるし、本部から手伝いの開店指導員は、店の乗取りをはかってくるし、その上に、お嬢様育ちの
家内は戦力に全くならない。また凶暴化した酔っぱらいの店内での喧嘩や、因縁に対処が出来ない
ため、なすがまま。あたかも西部劇の酒場の場面のようで、一日一日が瀬戸際のドラマである。 
これが創業の苦しみと、つくづく思い知った日々。
〈背中に、重い荷物を担いで、足には鉄の下駄を履いて歩いているよう〉という実感があった。
その時、戦中、終戦の最なか、両親は、この数倍、数十倍の苦労した苦労話と、幼児期の両親の
苦労姿を、改めて思い知る。両親には戦災の中、一家の生活がかかっていた。 そして、父親の死。
これが、自分への父からの贈物と、実感する。今度こそ、頼れるのは、自分と、取り組んだ事業のみと!
 しかし、それも三ヶ月、半年と経つ内に、仕込み、仕入れなど、一日15時間の勤務時間が、12時間、
10時間、8時間と減っていった。そこで、養老の滝を一緒に取り組んだ相方に任せ、自分は焼きたて
のテイクオフのベーカリーに取組む。とにかく、このミニビルを何とか「カタチ」にしなくては! と。
 ー偶然、12年前の同月同日に「創業のすすめ??」をテーマとして書いていたー
・・・・・・・・
2002年06月11日(火)
434,創業の勧め??
過去に創業を何回か繰り返してきた。
好きで自分で望んだ事だから、そう苦ではなかった。
しかしそう甘くもなかった。
その時は、のるか反るかの大勝負を賭けている。
やはり脳は全開、見えない相手を考え尽くした上で
判断していかなくてはならない。ゼロからの出発である。
表面には出してないが、しかし色で出ているだろうが、キーワードは「発狂」である。
まったく存在してない自分の主張を、実際のカタチに創り上げていく
工程を踏んでいるのだから。
部外者の人は狂っているという。そうでなくては実際新しい創造は不可能だ。
基本に忠実にゼロから一人で、一日一日孤独の行為の積み重ねである。
その時、見えるのは人間の浅ましさと嫌らしさである。
これは自分の事でもある、人間の底である。
・人間はエゴであるー生命の発展はそれぞれのエゴイズムが原点である。
・それがどうしたというのかーその当然の行為を始めたのだ。
・その積み重ねが事業の出発点である。
・馬鹿二代目が冷笑している、結構である。
 むしろそれが正しい事を証明してくれている。
・赤裸々な莚旗を立てた赤裸々な姿、それが創業である。
・事業に関していえば、まずは金そして金そして金・・・・・・・・・
  ・・・・・・・・・・・金である。
 それを命を賭けて投資するのである。
なけなしの金と銀行から借りた資金を合わせて、
その「思い込みの対象」に対する命を賭けた博打である。 
それが面白いといえば面白いが、それは結果がよければの話しである。  
 いま世の中の風潮で創業の勧めがあるが、そう甘いものではない。
コツがあるとすれば、時間をかけた準備、準備、準備、計画の練り上げしかない。
500�の成功確立の見通しになるまで練り上げるしかない。
それで実際のところ50�しかうまくいかないだろう。
 実際のところ事業を始める時、自分の心に約束した全て失っても後悔はしないと。
創業は勉強になる!! それでこの程度!

・・・・・・
4469, 余命半年 −5
2013年06月11日(火)
                 「余命半年  満ち足りた人生の終わり方」大津 秀一著
   * 生物の最大寿命は生物の性成熟年齢×五
「生物の最大寿命は生物の性成熟年齢×五」説によると、人間は75歳。その辺りが大きな目安になる。
去年、知人が75歳で亡くなったが、70歳前後から急激に衰えていった。特に男は75歳、女性は80歳辺り。
成るほど後期高齢者の区切りである。この辺の健康状態で、あと何年かが決まってくるようだ。ーその辺りからー
≪ 川上嘉明氏の著書『自然死を創る終末期ケア』を読んで、私は生物の生命過程の事を知った。
 生物には成長期・生殖期・後生殖期の三つの時期があるという。そして人間は後生殖期が長いのが特徴であるとのことだ。
なるほどと思った。確かに昆虫など、生殖期を終えればすぐに死んでしまう種の数は多い。 
ほ乳類の場合は、最大寿命と性成熟年齢が性の相関関係にあるとされ、生物の最大寿命は生物の性成熟年齢×五であるらしい。
最大寿命と言うのは、限界の寿命である。人ならば性成熟年齢の十五歳×五の七十五歳が本来限界となるはずだ。
しかし、周囲を見回せば明らかなように、今や限界超えが当たり前になっている。図をみると、実際にヒトだけが逸脱して
限界を超えてしまった。人類がなぜ後生殖期が終わったのちに、これほどまでに生きられるようになったのか。 
それは「医療」の発展ゆえである。ついぞ五十年くらい前までは、「人生五十年」の世界であった。
しかし、人類にとってかなりの強敵であった感染症に対して、西洋医学が優位に立つと、寿命はぐっと延びるようになった。
もちろん栄養状態の改善も影響しているだろう。あるいは衛生環境の改善等も。体格が世代を重ねるごとに良くなっていることは、
清潔で栄養に満ちた生活が提供されている一つの証明でもあると考えられる。≫
 ▼ ちなみに類人猿のチンパンジーは50歳、ゴリラは40歳後半で、50年前までは、人間と変わらなかった。 
  病気を治す術を得た分、長生きが出来るようになった。その最大寿命の75歳に近づいてきた。70を過ぎると、
  摂生してきた人と、不摂生してきた差が鮮明になる。 私も酒の飲み過ぎもあり、その辺りが大きな関門だろう。
   ところで、介護を受けたり病気で寝たきりになったりせず、自立して健康に生活できる期間を示す「 健康寿命」を2010年に
  男性70・4歳(10年の平均寿命79・5歳)、女性73・6歳(同86・3歳)と厚生省が初めて算出し、発表した。
  大体10年間が、介護か寝たきりなる。 あと3年で平均で達するので、現在、介護を受けても不思議でない。
  そうすると、まだ元気な現在、好きなことが出来る時間的余裕が少ないことになる。10年間の介護を考えると、
  末期ガンになってもジタバタしないで、悄然と従うのが良いのかもしれない。そうこう考えると、老いの現実は厳しい!
  介護、寝たきりまで平均3年、死まで12年? 男が平均70歳で、寝たきりか介護? 周囲を見渡しても、そうだろうか?
  自分を考えると3〜4年先に倒れ、その2〜3年先とすると不思議でない。とすると二年前の会社整理は正解? ものは考えよう。
・・・・・・
4095、古代の皇帝の最後は
2012年6月11日(月)
 先月、ローマ人が現代日本にタイムスリップし2000年の時空を行ったり来たりする「テルマエ・ロマエ」という映画をみてきた。
当時のローマ皇帝は体制を維持するため、何処の街にも劇場とローマ風呂をつくり住民を懐柔する政策をとっていた。 
そこで歴代のローマ皇帝の最期が如何なるものかを調べてみたところ、その最期は壮絶なものが多い。 ーネット調べてみると
≪ 初代オクタヴィアヌス・アウグスツ帝(BC27)から、最後のアウグスツス(AC476年)まで、503年間に、皇帝は81を数えた
 (名前だけの神聖ローマ帝国は、1806年までも続いていたが、ここでは省く)81人という数も見方によって違いが出る。 
 時どき、数人併立したりしたからである。とりあえず81人として、 平均在位年数は六年四ヵ月、あまり長くはない。
 奇妙な偶然だが、古代ローマの継承者を次々と自ら任じた歴代ローマ教皇の平均在位年数が、やはり六年四カ月になる。 
  その諸帝の最期は、暗殺、毒殺、強制された自殺、反対派に捕まって処刑などが34、戦死9、事故死1、計44人が非業の死。
 死因すらもはっきりしないのが17帝で、ローマ式ベッドの上で死ねたのはわずかに20帝、四人に一人でしかない。
 平均の六年四カ月以上在位できた皇帝は22人、これも四人に一人にすぎないが、その中に、強制自殺させられたネロや、
 親衛隊に殺されたコモドゥスなど非業死を合んでいる。残る12帝も暗殺未遂などあったはず。≫ とあった。
▼ これだけ絶大で安定していた古代ローマ帝国のトップの地位は、逆に非常に不安定であった。そこから人間的な権力闘争が
 垣間見るることが出来る。人間の権力欲と闘争本能は決して変わることがない人間の業。 未来永劫、この業による争いは
 変わらず続くのだろう。人類は歴史から何も学ばないのである。日本の首相は仕組みからみて一年間袋叩きでズタズタにする。
 実はズタズタは国そのものであるのに、鬱憤をトップ攻撃に向ける。目先の安易を求め、国が破綻しようが構わないギリシャと同じ。
・・・・・・
3729, 全米N0・1弁護士の勝ち抜きセオリー  〜�
2011年06月11日(土)
                『議論に絶対に負けない法』ー ゲーリー・スペンス著
【  * 常に主導権を確保せよ −そのためにー
 「スペンスさん、あなたは私たち陪審員を信用していなかったんですか」「もちろん、信用していました。どうしてですか」。
 私はあわてて答えた。「あたは大変苦労して、私たちが人格の優劣によって、この評決を下すのではないかと、心配している」
とばかり話していたからです。私たちは事実に基づいて評決を下したんです。どちらが魅力ある弁護士か、で決めたのではありません」
 突然、私は「自分」に魅力がないことを証明してしまったのだと気づいた。手遅れだった。私は自分の言い分の正当性を陪審員に
主張するよりも、相手の弁護士を非難することに時間を使ってしまったのだ。 私が相手にあまりに多くの力を与えたために、
彼の主張は私自身の主張よりも正しいことになってしまったのだ。私は自分の敵が誰なのか、まったくわかっていなかった。
 私は自分が作り出した絶対に勝ち目のない巨人に立ち向かっていたのだ。私は自滅したのである。私はこの巨人に、私を打ち負かすのに
十分な力をそっくり与えてしまったのだ。 あのころは、今私がここで教えたいと思っていることをまだ学んでいなかった。
それは学ぶのも覚えるのも大変な勉強だ。私たちはしばしば、自分が得意としていない分野を得意とする相手に出会う。
ほとんどの相手は自分より聡明で、博識で、頭の回転が速く、外見もいい。相手のカを心配することに時間とエネルギー、
全ての力を浪費し、相手に自分の力を与えてしまう。 どんな議論をどんなにうまくやってのけても、相手を変えることはできない。
自分の力で変えることができるのは、自分自身だけだ。 それ以来、相手に自分の力をこれっぽっちも渡すまいと私は思っている。
私は自分の力を自分の手元にしっかりと置いておく。そして自分の主張の準備をするため、自分の主張に気を配るため、
そして自分の依頼人の心配をするために使う。 私は自分に話しかけてくる、かすかな声に耳を傾けることを覚えた。
「大丈夫。君なら十分できる。もし自分自身を見つけ、ありのままの自分でいることに力を使えば、もしできるだけ誠実に
自分自身を表現すれば、もし子供らしさの最後のかけらが残っているところ、つまり何の邪心もない心の奥底から話をすれば、
そこからすべての本当の力が生まれてくる。それで十分だ」。 】
 ▼ 相手に気を奪われ、自分の内なる知恵に耳を傾けなかった大失敗を通して、主導権を取るとは如何いうことか学んだのである。
  相手に気を取られ、それが自滅を誘ったのである。それより準備をし、自分の内なる声に従って対峙して主導権を取る方が近道。
  その辺のことが分からないから自滅をすることになる。ようするに自分のペースで議論を運ぶこと。そのためにシナリオつくりの準備を
  充分にすることである。これは議論だけでない、人生も同じ。人生のシナリオと、その準備を数十年かけ作ること。シナリオが狂った?
 ・・・・・・・
3364, 人みな骨になるならば ー14
 2010年06月11日(金)
 * どうということはない地位と財産  P-126
≪ 財産や地位などというものは、「あるに越したことはない」のである。
ただし、「あるからといって、あるいは、ないからといってどうということはない」という点を忘れるのは問題である。
現実に財産や社会的地位のあるものの殆んどは、「あるからといってどうということはない」点に気づきにくい。
また恵まれない者ほど、「あるからといってどうということがない」と信じたがりすぎる。
もし「あるからといってどうということはない」のなら「ないからといってもどうということはない」のだ。古来の聖賢たちが、
財産や地位を警戒してきたのは、ひとつには、いったん得てしまうと今度はそれを失わないために汲々としてしまいがちなこと、
あるいはさらなる欲望にとらわれがちなるとによる。なぜ、これらが警戒しなければならないことかというと、それによって
人生が空費されてしまうからである。財や名声を追い続けていると百年に満たない生涯はたちまち尽きてしまう。
 ・・・ 財産や地位の空しさを論証するのはたやすい。「あの世まで持っていけるものではない」からである。
一生かかっても使い切れない資産というのは食べきれない料理と同じである。歴史に残るほどの偉業をなしても人類の歴史そのものが
永遠ではない。世界一の金持ちもいずれ死んで財産はそのうち四散する。世界の帝王になったとしても跡目は誰かに譲るか簒奪される。≫
▼ 以上だが、分かっていても囚われるのが人間。「死んで三日もすれば三百年前に死んだと同じこと」とハッキリと自覚すれば、
 何も目先のことに気持ちが大きく揺れることもないだろうに。生きていること自体が最も大事なことに気づく時は、死を自覚した時など
 切羽詰らないと、なかなか無い。ここで、著者が最後に指摘しているように、「好きなことをして自然に転がり込んでくるような
 名利でないかぎり、我が身や時間を切り売りしてまで欲しがるべきではない。百億の資産、大臣の椅子といったところで、
 所詮はサルが食べきれないほどのエサを掻き集め、あるいは、ひとつのサル山での順位を目一杯あげただけだ」ということ。 
 われわれにはもっと他に大事なことがあるはずだが。 無いよりも、有ったほうがと、言うのが本音になるが・・・
・・・・・・・・
2989,歩く木
2009年06月11日(木)
 歩く樹木があるという、その名は”ウォークパーム”。
アマゾンに生息しており、太陽の光を求めたり、成長するための空間を確保するために、根をタコ足のように伸ばして年に
10数センチも移動する。アマゾンの中でも樹木の争いがある。光の当たる方に根を伸ばし陰になったほうが腐ってくのだそうだ。
50年で5〜6メートルも移動するのだから大変なものだ。 
(字数制限のためカット 2012年6月11日)
・・・・・・・・
2008年06月11日(水)
『いのち楽しみ給え』吉川英明編  (講談社)
  ーまずは、 第二章 人間の本質 から抜粋してみる
 理想のない漂泊者、感謝のない孤独、それは乞食の生涯だ。
*西行法師と乞食とのちがいは、心にそれがあるかないかの違いでしかない。
   評)理想ある漂流者、感謝のある孤独か? 詩は心だからである。 (『宮本武蔵』火の巻) 
*今の足の向き方ひとつで生涯大きな違いが生じるのだ。必然こうなるものだと決定された人生などが
 あろうとは考えられない。偶然にまかせて歩くよりほか仕方がない。
   評)必然と偶然、哲学の話になる。               (『宮本武蔵』火の蓋)
*一個の人生にしたところで、余り気まま暮しな人間や、物に困らないものが、却って、
 幸福でない例を見ても、総括した民心というものにも、艱難する時代と、共栄謳歌する時代と、
 こもごもの起伏があっていい。なければ却って、民心は倦む。    「新誉太閤記」
*生きようとすれば、あがきの爪が、何かをつかむ。         (『「本太平記」みなかみ帖)
   評)最近の若者の大多数?は、あがきもしない。
*どんな大難も、一過を待てば、おのずから雲間に晴天を見せてくれる。(『「本太平記」帝獄帖)
*「なべて眼のあたりのことは、うこかし難い、また、変るなき鉄則に見えますが、
 どんな現実というものも、じつは間断なく変っています、変るなと願っても、
 推移せずにはおりませぬ。人の境遇も、人お互いの心も」(麻鳥)  (「新・平家物語』静の巻)
*人と人との応接は、要するに鏡のようなものである。 驕慢は驕慢を映し、謙遜は謙遜を映す。
 人の無礼に怒るのは、自分の反映へ怒っているようなものといえよう。(「三国志」 望蜀の巻)
   評)人を恨めば穴二つ、ということか。
*はたらいた俺にはあるぞ夕涼み 「書簡・詩歌集」     評)はたらかぬ俺にはあるぞ閑の味
  老けて行く春を化粧の瓶の数  「書簡・詩歌集」     評)老けていく春をサプリの空の瓶
  どん底の人に不思議な顔の光沢(つや)「書簡・詩歌集」  評)去年、癌で亡くなった人の顔
 ▼ 評)は無かった方が良かったが、これを書かぬと味気ない。
    後で読み返した時の(いま・ここ)の自分のマーキングである。    ーつづく


4835,「出羽の守」の功罪

2014年06月10日(火)

  ー(耕論)「出羽の守」の功罪ーより 
 新鮮な海の魚貝などの港で、レポーターが、軽いのりで、『これって、東京では、高くて・・』などを聞くと、
またか〜 何様じゃ御前は。 東京は東京、産地は産地だろうに!と。 高校を卒業し上京した時、注意されたのが、
私の口癖、『いわゆる○○』。 無意識で、『私の言葉では○○』の置換え。小さな厚い殻の中から、社会や知識を
置換えていた、自身の出羽の守を指摘されたのである。 朝日新聞の文化欄のー「耕論」「出羽の守」の功罪ーが面白い。
  ーまずは、その一つからー
《 あなたの周りにもいませんか。「アメリカでは」「ネットでは」を連発する「出羽の守(かみ)」。
 うんざりすることもあるけれど、聞けばもっともなこともある。その弊害と効用とは。
   * ペンギンに飛べと言うな   野島博之さん(予備校講師)
「出羽の守」を抜きにして、日本史は語れません。「中国では」という形で、実に多様なものを取り入れてきた。
古代なら律令と仏教、中世は禅宗、近世は朱子学がその代表例です。日本の「出羽の守」には二つの特徴があります。
・一つは、「出羽の守」ならではの吸収力を生かして、ときどきの文明を高次化してきたこと。
・もう一つは、最初は「出羽の守」で始まったものの多くが、やがて日本化・独自化したことです。
日本のものすごい模倣力を示す好例が古代の都です。7世紀の終わり、日本は中国の古典に学んで、宮城が都の中央に
位置する藤原京という壮大な都を築いた。ただこれは、当時の唐の都とは異なっていました。8世紀初頭の遣唐使が唐の
最新情報をもたらすと、日本は藤原京をあっさり捨て、今度は長安城にならって宮城を都の北端におく平城京の建設開始。
東京スカイツリーを3基も建てた国家的プロジェクトの直後に、「あれ、ちょっと違うぞ」ということになって、
また3基、別の場所に建て直した感じです。 日本化・独自化という点では、茶の湯や枯山水がわかりやすい。
いずれも禅宗に起源をもち、やがて、追随しがたい小宇宙とでもいうべき日本独特の様式を作りだしていきました。
 よく知られているように、幕末以降、西洋文明の導入にも日本社会は異常なエネルギーを発揮しています。
この過程で、帝国主義的な態度や行動も身につけました。欧米諸国は第1次世界大戦のもたらした悲劇を背景にして、
そうした行動様式を転換していくのですが、大国意識を強めた日本は、第1次大戦の教訓を真剣に学ぼうとはしなかった。
そこには仕方のない面もありましたが、ただこの「出羽の守」精神の決定的な欠如は、後に日本がみじめな敗北を喫する。
 現在の日本は、キャッチアップ型の社会を終え、あらゆるところで「今度は自分で飛べ」とけしかけられています。
でも、日本は飛んだことのないペンギンのようなもの。突然変異は容易じゃない。夢をあきらめる必要はないけれど、
ペンギンはペンギンらしく、まずは自分の得意技を、とことん磨くべきです。・・(中略) 
イノベーションと「模倣の果て」はほとんど同義です。ぶれずに考えて考えて、また考える。細部にこだわって
工夫して工夫して、また工夫する。この精神が必ずブレークスルーをもたらしてくれます。 ペンギンは空は
飛べないけれど、水中なら自在に動ける鳥類ですから。 (聞き手・尾沢智史) 》
 ▼ 高校を卒業後10年あまり経った後、Uターンで地元に帰って驚いたのが、「長岡出羽守」の世界。
  実は現在も驚きは同時進行。 その違和感が強く、同窓関係と、一部の人以外、殆ど付合いがない。それぞれの
 地区の出羽守には、プラス・マイナスの両面がある。 私自身は、さしずめ「堀井誠作(父の名)出羽守八郎」。
 流通先進国の米国出羽守で、何時の間にか、流通で米国に追いついたら、こんどはネットで、アメリカに先をこされた。
 ネットは、デジタルの世界。果てることのない『出羽の守』が出現してきて、その功罪は大きくなっていく。
・・・・・・
4468, 99・9%は仮説、ですか〜 −6
2013年06月10日(月)
            「99・9%は仮説 ー思いこみで判断しないための考え方」竹内 薫著
   * 第5章 「大仮説ー知的設計説」はありえる世界
 宇宙・世界・人間の存在を考えるほど不思議なものはない。特に自然界には驚くようなことばかり。
極楽鳥や孔雀の美しい姿が、デザイン無くして、進化だけで表現出来るのだろうか。 地球という惑星もしかり。
これらは知的設計者が存在すると考えると一挙に解決する。進化論だけでは解決できない疑問があり過ぎ。
そこで神様を、そこに持ち出しても埋めることができない。所詮は、人間が創り出した絶対者の主役でしかない。
我々の住む宇宙以外に10の5百乗の数も存在し、ループ状の管で繋がっている可能性があるというのだから、何があっても
不思議ではない。いや10の5百乗の宇宙の存在の方が、この大仮説より遥かに衝撃的である。ーその辺りを抜粋してみるー   
≪ もしかしたら、この宇宙は、どこかの実験室で創られたものなのかもしれない……。 こういった突飛な考え方を、
 頭ごなしに否定してはいけません。科学では、どんな発想もアリなのです。前例がないから、常識からはずれている
からといって否定するのは、まったく科学的な態度ではないのです。 ・・・ 「大仮説」と呼ばれる仮説があります。
現在の常識から考えると、ちょっと疑わしい仮説のことです。でも、そんな「黒い(まちがっているように思える)仮説」
であっても、頭ごなしに否定することではできません。もしかしたら近い将来、大発見てこれまでの常識がひっくりかえって、
大仮説こそが「白い(正しいと思える)仮説になっているかもしれない。現在、進化論を信じている人が、たった37%。
 いまのアメリカで物議をかもしだしている科学論争に、「インテリジェント・デザイン説」というものがあります。
直訳すると「知的設計説」ですね。人類の起源の話です。むかしは、聖書の記述通り、約6千年前に人類は神によって創られた
という「創造者説」が一般的でした。それに対して、すごく原始的な生物から40億年という時間をかけて少しずつ進化して
いったものが人類であるとしたのが、ダーウィン(1809〜1882)です。
 ひとことでいうなら、知的設計者説というのは、このダーウィンの「進化論」に対する対立仮説なんです。
これは、カリフォルニアサンディエゴ校で1999年に作られた仮説です。宇宙のどこかに知的設計者がいて、
その知的設計者がDNAを設計して、生物を創りだしたという説なんですね。だからこれは、形を変えた創造説といえなくない。
ただし、聖書に書かれているような神様ではなく、あくまで知的設計者という言い方をします。
 さて、この説を高校や大学で教えていいのかどうかという議論が、いまアメリカで盛んに行われているのです。
「進化論は正しい、検証された仮説なんです」というように教えるべきか、あるいは「進化論はたくさんある仮説のうちにすぎず、
対立する仮説としてはたとえば知的設計者説というものがありますよ」というように教えるべきか。 そういう論争なんです。 
日本では、まだこの問題は論じられていませんが。 それでブッシュ大統領が、この問題に関して、後者(知的設計者説)の
ようにしたほうがいいだろうみたいなことを公の場でいって、一気に大騒ぎになっているんです。
 ・・・13歳から17歳までのアメリカの若者に、ダーウィンの進化論についてアンケートをとった結果があります
それによると、ダーウィンの進化論は証拠によって支持された、検証済みの科学理論であると思っている人は37%。
たくさんある仮説のうちのひとつにすぎず、それなりに検証されているが確定的ではないと思っている人は30%。
残り33%の人は「わからない」という結果です。これから、若者のあいだでは進化論が揺らいでいることがわかります。・・ ≫
 ▼ 実際に我われは三次元の世界しか知ることが出来ないが、4次元〜10次元の世界があるという。その次元の存在が三次元の
 我々の世界を操作しているとしても、我々には認識しようもない。一神教はアッラーの神が、それにあたると主張するだろう。
 最後は宗教問題に行き当たる。宇宙や世界の存在の不思議が深まるにつれ、認識と判断は困難になっていく。 知的設計者か!
・・・・・・
4094, 嫌老社会
2012年06月10日(日)
             「嫌老社会 老いを拒絶する時代 」長沼 行太郎 (著)
   * 歴史的一回限りの、新種の階級問題
 10数回にわたり、「老いへの不安 歳を取りそこねる人たち 」春日 武彦 (著) を取り上げて老いを暗黒面から考えてみた。
昔から老いは嫌われ片隅に追いやられてきた。ところが戦後の中核をなしてきた団塊世代が熟年をむかえ、大量に溢れ出してきた現在、
彼らを軸とした世代内の格差と、他の世代との格差が、大きな問題になってきた。周囲に元気な人が多いため自分たちが老人の意識が
今ひとつ持てないのである。彼ら自身が老いを嫌い、その下の世代からも目の上の瘤として厭われている。それが年金格差であり、
貯金格差などを起因とするから問題は複雑である。それは親子、嫁姑関係にも微妙に関係してくる。
   まずは、内容ーアマゾンから
【 「老い」を嫌悪する時代そのものを問う! 今後、ますます高齢社会を迎える中、「老い」をどのように捉えればいいのか。
 「老い」を拒絶し嫌悪する時代に、歴史的な背景から団塊世代の問題までを多角的な視点から論じ抜く。
 高齢社会・日本において、いま考えるべきは「老い」の技術と思想だ。団塊の世代の問題、老人は過去にどのように処遇されてきたか、
 老化を忌避する社会の今後の展望 …誰もが避けられない「老い」をテーマとして、歴史的な経緯から今後の展望まで多面的に捉えている。】
   ー世代内格差についてー
≪ 一般的に老いは、現役時代の収入・資産状況の結論が出て、それが固定化される現象であるから、老後には、現役時代に拡大した格差は
 固定されたままで、リベンジがきかない。とくに、老後の生活水準では、企業年金を積み、退職金の高い企業に勤めていたひとと、
そうでないひととの間での格差が歴然とする。 ・・・ 団塊世代では蓄えも退職金も世代内格差が大きいという団塊世代を対象とした
アンケート調査もある(『日経新聞』2006年1月8日)。金融資産が500万円未満が34・4%、500万〜1000万未満が19・2%、これでほぼ半数を超える。
退職一時金も、「なし」が25・6%、500万円未満が22・8%で、半数近い。 言うまでもなく、団塊世代の多くのひとが、退職後も生活のために
働かなければならないと答えるのはこの事情があるからだ。つまり、日本社会全体の「希望格差社会」(山田昌弘)、希望の持てる階層と希望を
喪失した階層とへの分裂社会への移行を、膨大な高齢層が集中的に表現することになるわけで、団塊世代の場合、シニアデバイドは、世代問題、
人口問題、収入階層問題、という3つの次元の交点に現れる、歴史的に一回限りの、新種の階級問題なのである。また、この団塊世代に始まる
世代内格差は、団塊世代のあとにくる世代にも継承拡大されていくことが予想される。≫
 ▼ 団塊世代の「金融資産が500万が三分の一の、過半数が1000万未満。退職金無しが四分の一、500万未満が半数。」という現実も厳しい。
  これで20万そこそこの年金では、ギリギリの生活になる。この年代はバブル期に良い思いをしたため、その段差は大きい。それでも半数は
  一千万以上の金融資産があるし企業年金も入る。そのため現役時代の格差が、そのまま延長される。 国家衰退は、個々人に直撃する。
・・・・・・
3728, 全米N0・1弁護士の勝ち抜きセオリー  〜�
2011年06月10日(金)
 * 「必勝の議論」を組み立てる ー 物語にして話しなさい    『議論に絶対に負けない法』ー ゲーリー・スペンス著
【  ● 説得力を増強する議論構築法と表現の魔術
 法廷内でも法廷外でも、夕食を食べながらでもコーヒーを飲みながらでも、どんな場合でも、議論は一つの物語に変えることができる。
議論には、そう、三匹の子ぶたの家と同じように、骨組みがある。オオカミに激しく息を吹きかけられて家が崩れ落ちるかどうか、
吹き飛ばされるかどうかは、その家がどんなふうに建てられたかにかかっている。全ての議論にとって最も強い骨組は「ストーリー」である。
 「さあ、お話をしましょう」 
 ストーリーを話すというのは、大昔からお互いに教え合う大事な手段だった。たとえば焚き火を囲む集まり、一族が皆、焚き火を囲み、
目をまん丸にした子供たちが大人の後ろから覗き込んで一心に耳を傾けている。過ぎた日の物語を語る長老の乾いた声が聞こえてくるだろうか。
人々は物語から何かを学んだ。サーベルタイガー(剣歯トラ)を取り囲んで殺す方法、はるか遠くの森でマストドンの王を仕留めた話、
そして長老がいかにして嵐を生き抜いたか。 愛の物語もあれば、特別な秘薬の発見の物語、隣の種族との恐ろしい戦いの物語もある。
人間の知識はすべて太古にはストーリーの形で伝えられてきた。ストーリーを話す生きものは、私たち人間だけ。 ストーリーを話し、
それを聞くという行為は、人間という種と他の生物との最も大きな違いだ。子供のころ聞いた物語は大切な経験として心のなかに残り、
大人になった時に物事を判断したり決定したりする際の拠り所になる。意識の中にも無意識の中にも永遠に植え付けられる。
私たちが楽しむ映画やテレビドラマ、芝居、これらは高度に進化した形のストーリーだ。 一番効果的なテレピコマーシャルは、
三十秒あまりの小さなストーリーだ。 ジョークも小さなストーリーだ。 世に名を残した偉大な教師はストーリーを使って教えた。
キリストの壁え話もストーリーだ。 ・・・工場の工場長が機械が故障したのを知った時、修理しようと集まっている工員たちに
まずする質問は「どういう話になってるんだ〜」 だろう。 警官が私たちの車を止めてボクサーみたいな顔を前の座席に突っ込み、
まずつっけんどんに言う言葉は「さあ、話を聞かせてもらおう」だろう。 】
 ▼ この10年間の随想日記で、一日一話の物語を作っていたことになる。身近な縁者と、未来の自分が読んで納得できるように
  加工することで、自分の情報整理と管理をしてきた。初めの数年は大変だったが、何時の間にか、それが面白くなっていた。
  物語化すると頭に残るのである。後年に再び読んでも新鮮さが失われていない。それにしても、実践から得たこの物語化は面白い!
 ・・・・・・・
3363, すでに世界は恐慌に突入した ー4
2010年06月10日(木)
  * ロボット・トレーダーとは!
 「怪しげな超高速取引のロボット・トレーダーの優劣の戦いが始っている」と、この本で紹介している。
現在、ゴールドマン・サックスや大手ヘッジファンドは、膨大の資金を投じて超高速超高速コンピユーターを導入し、
取引に使っており、今やニューヨーク証券取引所における、この高速取引のシェアは七割に達しようかという勢い。
その中で問題とされているのは、フラッシュ・オーダーという取引執行形態である。このフラッシュ・オーダーとは一般投資家の
注文状況を、一〇〇分の三秒ほど早く見ることができる。一方、超高速コンピューターは○.○○〇四秒で、注文を処理することができる。
一〇〇〇分の一秒の間に何百という注文が執行できる。 これで、どういうことが起こるかというと、一足先に一〇〇分の三秒早く
一般投資家の売買動向がわかるので、その状況を的確に判断して儲けにつなげるというわけである。 たとえば、A社の株価は
現在四九四円とすると、この株価の売りと買いの注文状況が出たとする。この場合、成り行きで一万株買ってくれという注文であれば、
通常なら四九四円で買うことができる。場にある四九四円の売りものを拾う形となるからです。ところが、ここにフラッシュオーダーの
機械がセットされていれば、一〇〇分の三秒早くこの成り行き注文を感知することができる。すると一足先回りして、この四九四円の
売りものを買い付け、その後○・○○〇四秒の速さ、一万分の四秒のスピードで、四九五円に売り注文を出すことができるのです。
(字数の関係でカット2012年6月10日)
・・・・・
2988、「平均」顔は美しい
2009年06月10日(水)
                    「世界は感情で動く」 マッテオ・モッテルリーニ著   読書日記
 * 面白い実験 ー「平均」顔は美しいー
 世の中には面白い実験をする研究があるものだ。目・鼻・口・額などの部分を、それぞれ平均して合成した顔が、
その中の誰よりも美しい顔になったという。考えさせられる結果である。国民の裁判制度が始った現在、特に考えさせられること?。
アメリカで長年にわたって取り入れられてきた裁判員制度だから、裁判長の1人の判断より公平かつ、信頼度の結果があるからだ。
それと平均顔の方が美しいと同じと考えるのも何だが、裁判員制度も悪くはないような気がする。 
秋葉原のワシントン・ホテルで若い女性の幽霊の顔が浮かんでいるのを見たことがあるが、
これを読んでいて、あれは数千人、いや数万人の平均顔に思えてきた。ノッペラした何の特徴もない顔だった。
 ー まず、その部分を書き写してみる ー  P-185
 テキサス大学の心理学者ラングロイスとログマンは一九九〇年、「平均的な」男女の顔は、その「平均的な」顔をつくるのに使った
個々の人びとの顔の誰よりも美しいと判断される、という結論に達した。二人はこの実験のために、336人の男子学生と214人の
女子学生の顔写真を集めることからはじめた。その後、男女それぞれのグループから無作為に96枚を選び、そこからさらに32枚から成る
部分集合をつくった(男子の集合が3つと女子の集合が3つ)。これをもとにして「平均的な」顔をつくるのは簡単だった。
リタッチのプログラムを呼び出し、いくつかの写真をクリックし、それぞれのピクセルに数値を与え、さまざまな写真から
詳細部分の平均を引き出す。二人の研究者はおおよそこのようなやり方で、女性の平均的な顔を3つ、男性を3つ作りあげた。
それから80人ばかりの人に、「平均的」人相を作るのに使ったほかの写真と比較してもらった。
すると男性の「平均的な」顔も女性のそれも、合成するのに使ったほとんどすべての本物の顔より美しいと
判断されたのである。なんともうるわしい結果であろうか。しかし、これは「合成した顔がすべて個々の顔より美しいのは、
多数の人の平均的顔には、一つ一つの表情を傷つける様々の欠点が見えてこないからである」と結論づけている。
集団の「平均的」判断としてまとめられるてしまうと、個々の間違いや偏見がチャラにされるからである。
▼ 以上だが、美はバランスである。 目や鼻や口の形もバランスー均整がとれているのが良いということ。
バランスか〜、 バランスでしかないのか〜、 服装、化粧は、そのバランスを直すことこと。
人間の持つ幻想は、そのバランスに惑わされやすい、ただ、それだけのことなのか? 
クレオパトラは、大した美人ではないが、幻想を活用することを知っていただけ!と言うが。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2624, いのち楽しみ給え ー1
2008年06月10日(火)
 図書館で借りてきて、直ぐにアマゾンで注文をした本である。長男が吉川英治の本の中から、人生の言葉を選んだもの。
(字数の関係でカット2012年6月10日)


4834,つれづれに ーミニ物語の効用

2014年06月09日(月)

   * ミニ物語の効用
 毎日、随想日記を13年も書いてきた効用で、頭の中で、気楽に何かの考え事を楽しめるようになった。
人は誰もしているのだろうが、ミニテーマを決め、サブテーマと、キーワードを幾つか思い浮かべ、
その言葉の羅列を繰返す。一種の黙想だが、これが頭と心の整理に良い。
 ここでライブで、その実例をしてみる。
【 テーマは ー今朝方の夢ー 夜半、というより朝方になるが、寝床で目を醒ますと、
そこは学生時代の寮の部屋。まさか!と思い、ジッと部屋を観察すると、やはり当時の部屋。
これは、間違いなく夢。しかし、どうも、現実のような感じもする。とすると、私は、誰かの居住部分に
無断で寝ていることになる。まずいとしても、これは夢?それにしても懐かしい!と思っていると、
何時の間にか、そこの学生が、近くに寝ている。そうこうして、夢からさめ、ウトウトした後、覚醒した。
 現在の随日のテーマ「事業人生を決心して45年の、語り直し」を書いているが、過去の折折を
思い出すに、当時の具体的イメージの細部を引っ張り出し、糸口にすれば、色いろ思い出される
のでは!と思い至った。これは、過去の思い出だけでなく、近未来の計画も、可能のはず・・】と。
 そんな暇があったら、TVでドラマか、旅番組を見ていた方が良いと思うだろうが、
目の前の現象を言語化するのも、面白いもの。 NHK朝ドラの『花子とアン』のハナが、
想像の翼を広げて、その文章化を楽しんでいる場面が度々、出てくるが、それを自分でも
身に着ければ、より心が豊かになる。度が過ぎると、私のような変人、奇人になる?
   * マークX・ジオ
 先週末の土曜の午後、中古だが、マークX・ジオがとどく。家内がオーナーだが、
22年ぶりの車・・ 「車好きの55歳以上向けの多機能が、売り」だが、実際には、その層には、
受けなかったようだ。去年の秋に生産中止になって、殆ど見かけないことと、荷台にスポーツ
自転車を乗せ、近隣の山や海辺でミニサイクリングが可能なことが決めてになった。 
納車後に、初めて乗ったが、やはり試乗してみるのが筋。 果たして、自転車を乗せて何処かに
行って乗りまわす?どうだろう。燃費がリッター12キロというから、ソアラの1・5倍の距離を走るが・・
 年齢もあって、もう近くしか乗ることもない。 もう一つ選定で、自宅と車のバランスもあった。
その辺の陰口?まで吟味すると、こんなところ?  やはり、スポーツ車だったか?
・・・・・
4467,ガン闘病と刑務所暮らし、どっちがきついか
2013年06月09日(日)
 昨日の午後のタカジンのバラエティで、ホリエモンが特別出演した、「タカジンのガン入院とホリエモンの刑務所暮らしの、
どちらがきついか」の質問に対して笑い飛ばす内容。1年2ケ月の闘病と、1年9ヶ月の獄房生活の厳しさ、さてどちらか?
前者は多くの人が通る道だが、生命危機の瀬戸際。後者は、期限付きだが、普通の人にとって特殊な経験で、興味という面で、
ホリエモンの体験談の方が圧倒的に面白い。まあ、関西系のTV番組としても、各質問が下ネタなどエゲツナイ。
 −要点をまとめると
・体重がホリエモンが30キロ減に対し、タカジンは10キロあまり。 それは入院と獄内の規則正しい食事と運動量の差。
・現在、ブログの会員がいて、会費840円で、会員1万(有料会員6千)人。 これだけで既に月五百万が入ってくる。
・2年半の実刑に対して1年9ヶ月で出所したが、入獄後半年の頃、この生活が、あと二年も続くと思った時と、夜半に
 死を考えた時が辛かったという。
・地獄の沙汰も金次第。獄内の楽しみは読書、それが買えるかどうかが、大きい。
・楽しみは大相撲のTV観戦と、慰問のショー、それと知人などの面会。何がしたいかというと、気心のしれた人との雑談。
 何か分かるような気がする。
・「お金は道具」と過って言っていたが、その考えは変わりませんか?の質門には、「基本は変わらない」。
・「先のことを考えず、過去の良かったことを思い出し日々を過ごす方が良いと聞いていたので、そのようにしていた」とも。
・「極限の中で、何か自分に気づいたことは?」の質問に、「忍耐強い自分に驚いた」と。
・獄内で、幾つかの事業プランをたててある。やはり、その衝動は大きい。
 ▼ 私も倒産という特異体験をして、2年3ヵ月経った。二人ほどではないが、やはり白眼の中、甘くない日々。
  失意平然としているつもりだが、頼れるのは、自分の気持ちだけ。まずは「ウツ」対策。早朝のミニサイクリングと
  スポーツジムで三時間の運動と、この随想日記と、幾つかの習慣を淡々とコナスことで、むしろ健康的であるが、
  やはり特異体験である。それにしても、堂々と、自分を曝け出せるホリエモンには驚かされる。
  ホリエモンのブログ、一ヶ月無料というから、会員に入ってみようか・・・
・・・・・・
4093、私は完全な本 "日本の自殺"ー1を作った
2012年6月9日(土)
 先日、何気なく文芸春秋3月号を借りてきた。この号は二月に図書館内で田中慎弥の芥川賞受賞作品を読んだ。しかし、、
トップに取り上げていた論文を見逃してしまった。 最初は最近書かれた内容と思っていた。 その内容が的を得ているので
冒頭に戻って見直すと、何と37年前に文芸春秋で掲載された論文と知り衝撃を受けてしまった。 
今年一月の朝日新聞の一面で、これを取り上げた主筆が瞠目したという内容。 著者は「共同執筆・グループ1984年」とある。 
そこに添えられていた要約=「1975年、小誌にある論文が掲載された、それは高度経済成長を遂げ、繁栄を謳歌する日本に迫る
内部崩壊の危機に警鐘をならすものだった。それから37年、朝日新聞の若宮啓文主筆が1月10日付朝刊の一面で、この論文に注目し、
「『日本の自殺』がかってなく現実味を帯びて感じられる」と、今なお「予言」の響きを失わない論文を再考していた。
 ーまずは、小見出しを拾ってみる
1 日本没落の予感      
2 ローマ帝国滅亡との類似点  
3 日本が直面する困難    
4 危機は日本人の内部にある 
5 豊かさの代償       
6 現代文明がもたらす幼稚化  
7 デマによる集団ヒステリー 
8 情報の洪水が人間を劣化させる
9 自殺のイデオロギー    
10 戦後民主主義の弊害
11 没落を阻止するために、
 この見出しだけでも、現在の日本の現状分析の項目そのもの。 敗戦後、日本は物質的に歴史的な復興をしてきたが、
 精神的には、ほとんど敗者のまま。現在の日本はギリシャ並み?か、それ以下に荒廃した魂で、茫然自失の状態である。
 次回から、見出しごとに、要点を書き出してみる。 「日本の自殺」を、「我々(私)の自滅」と置き換えて読むと、
 身に覚えのあることばかり。我々は、私は緑の原野で何をしてきたのだろうか。欧米が主導してきた文明とは何だったのか。
・・・・・・
3727, 全米N0・1弁護士の勝ち抜きセオリー  〜�
2011年06月09日(木)
             『議論に絶対に負けない法』ー ゲーリー・スペンス著
 ただ好きなことをすればよいのではなく、シナリオにそった周到な準備があることは、言うまでもない。
以下の部分は、この本の中の一番の要の部分である。 よく調べ、勉強し、実践し、準備をした上で何事にものぞめ、
準備を遊びになるまで熱中しろ、ということ。そこまで集中した相手に勝つには、並大抵でない。
【  * 私が百戦百勝している最大の秘訣
  準備! そこから魔法がはじまる!だが、私がそう言うと、若い弁護士は当てが外れたような顔をする。彼らは労働と呼ばれる
 退屈なものを迂回できるような、楽な方法を知りたがるが、本当の準備は労働ではないと彼らに説明できればいいのだが・・・。 
 準備とは、創造する喜びだ。準備とは人生を苦労して前進すること、悩みながら生きていくこと、波に揉まれながら生きていくこと、
 人生を喜んで引き受けること、人生を自分自身に塗りつけること、人生を生きることである。
  モーツアルトに労働したことがあるかと尋ねてみたとしたら、おそらくノーと答えたのではないだろうか。だが彼の人生、
 彼の呼吸が、彼の音楽だった。 不朽の音譜という形でなされた彼の議論は、人生のすべてを費やした周到な準備の成果だった。
 並はずれたIQを持っているが準備をするほど賢明ではない人よりも、力強い議論の準備を整えているふつうの人になりたい。
 準備とは、あくまでも「心の底」の栄養だ。 結局、天才とは脳細胞の幸運な並び方を言うのではない。天才とは、エネルギー、
 単に何かに向けられたエネルギーにすぎない。 天才とは準備なのだ。 議論の準備をしている時、私は労働をしていない。
 この本を書く時も労働をしていない。遊んでいるのだ。準備をしている時の私は子供。子供だから遊びに飽きることはない。
 子供だから自分本位で、熱中していて、ひたすら遊びを楽しもうとしている。子供だから、遊ぶという仕事に忙しい蜂や蝶や鳥と
 同じように、夢中になり、大いに喜び、好奇心にあふれ、胸を躍らせる。 ネズパース族のスモーホール酋長が言ったように、
 「子供は決して労働をしてはならない。労働するものは夢を見ることできない。そして知恵は夢のなかで得られるものなのだ」 
 あなたは共同経営者に会社の方針を変えることを納得させ、そして勝ちたいのだろうか。 配偶者に話をして転職に同意させ、
 そして勝ちたいのだろうか。暗審員に自分の主張は正いことを納得させたいのだろうか。 それなら、よく調ぺ、勉強し、実践し、
 準備しなさい。遊びなさい。議論の準備をしなさい。自分の考えをくわしく書きなさい。 新しいアイディアが魔法の穴から
 飛び出してくるのを注意して見ていなさい。議論に関して知っておかなけばならないことが何かだけではなく、人類の歴史上、
 最も興味深い人物 ーつまり、あなについて知らなければならないことは何かを発見した時の気分を味わいなさい。 
 私はいまだに他の弁護士から「スペンスさん、あなたは法廷でどんな魔法を使うんですかと聞かれる。
 以前、私は暗審員に催眠術をかけたということで被告側のリーダー的な人から訴えられた。
 私は裁判所からこの計略に加わるよう命令されたに違いない、と彼は陪審員に論じた。】
▼ まず第一歩は、何ごとも準備から始る。サエゼリアには、あれだけの客席があるのに、ホールには一人、厨房に一人か二人。
 あれは、セントラルキッチンで、ほぼ店の厨房で加工しなくてもよいまで、準備がされているためだ。スーパーより、ある意味で
 合理的なのかもしれない。飲食店は、開店前に大方の仕込をして、更に開店した後の暇の時間に、ピーク時の為の準備をしている。
 居酒屋チェーン店の強いところは、チェーン全体の力で、その仕掛け作りがしてあるから強いのである。 人間も同じ。
 ・・・・・・・
3362, すでに世界は恐慌に突入した ー3
2010年06月09日(水)
  * アメリカの公共事業は、戦争!
 ここで著者は、「アメリカの公共事業は戦争だ」という。 これまではイラクとアフガンで、これからはイランか北朝鮮か、
それとも中国あたり? 兵器の在庫処分が必要になるからである。軍事産業という公共事業は、常に戦争をしておかないと
世界各国の需要が喚起出来ない。 第二次世界大戦時の日本の真珠湾攻撃は、あきらかにアメリカによって追い込まれたもの。
彼等にとって願ったり叶ったり。そこで日本人の一般人までが数百万人も虐殺された。度重なる東京大空襲、広島・長崎の
原子爆弾による殺りく。その大部分が一般人を狙った非道の攻撃である。そして朝鮮戦争、ベトナム戦争、冷戦による軍事力の
強化等の需要。その間に、アフガン、イラク戦争、今度ねらうは、北朝鮮かイラン。民族紛争のタネなら世界中に満ちている。
まずは北朝鮮で仕掛けてくる可能性が充分にある。これまでは世界はアメリカよりの情報にコントロールされていたが、
情報化で色いろな情報が入手可能になってしまった。 アメリカはニクソンがドルの金への交換を止めたと宣言した辺りから、
金融を戦争の武器にすることに気づいた。
 (字数制限のためカット 2012年6月9日)
 ・・・・・・・・
2987,縁は異なもの ー4
 2009年06月09日(火)
 河合隼雄が取り上げている次の青山二郎の言葉が熾烈である。「魂というものが本当にあるものなら、陶器に外形の形の上に
現われずにはおかない」とは、これは美術全般に言えることである。いや、商売にしても、演劇にしても何事にもいえること。
さらに、「精神は認めたが、精神的なものは認めない」とは、グサリと来る言葉である。
  ーその河合の語っている部分をコピーしてみるー
【憶憬や心酔、それは一面的な「主観」の世界なのである。そんなのは、没個性的客観と同様に「何物も生みはしないのである」。
主観と客観、現実と虚妄などと、一般に区別されるものの皮膜の間に、確かな「存在」がある。それを私は「たましい」
と呼んでいる。私は「美」とは無縁と言っていいほどの生き方をしてきたが、心理療法という仕事をしていると、たましいの
真実に触れる体験をする。あるいは、そうせざるを得ないことになる。そのようなところから、白洲さんの作品のなかの「美」への
理解が、少しずつひろがってきたと思っている。 たましいと言えば、白洲さんの『いまなぜ青山ニ郎なのか』には次のような
印象的な言葉がある。青山二郎は陶器の鑑定においては天才的と言っていい人であった。その青山ニ郎について白洲さんは
「青山さんが偉いのは、『写真で見れば解る』鑑賞陶器から、『写真で見ても解らない』陶器の真髄、いわば形の中にある
魂を求めたことにある」と言う。そして、「人間でも、陶器でも、たしかに魂は見えないところにかくれているが、
もし本当に存在するものならば、それは外側の形の上に現われずにはおかない。それが青山ニ郎の信仰であった。」 
これに続いて、青山二郎は「精神は尊重したが、『精神的』なものは認めなかった。 意味も、精神も、すべて形に現われる。
現われなければそんなものは空な言葉に過ぎないと信じていたからだ。」という烈しい言葉が語られる。
『精神的』なもの言いが「精神」そのものを覆い隠してしまうのである。 我われ心理学者はなどといわれる人間は、
「心理的」や「心」そのものを見えなくしているのではないか、と反省させられる。】
 〜〜以上だが、
 世界の主だった美術館で有名な作品の前で思わず竦むことがある。作家の魂が直に伝わってくるからである。
直近では、ロンドンの美術館でゴッホの「ひまわり」の前で、独りで5分位、立ちすくんでしまった。
絵を通して、ゴッホの燃え上がるようなエネルギー(魂)が直接伝わってくるのである。
だから世界の名だたる美術館に人は押し寄せるのである。 「お宝鑑定団」で、陶器の鑑定で映像を通しても
本物と偽者は一目で大体わかる。(そっくり真似た‘写し’は無理だが)これは子供の頃より父と古物商で
数限りの陶器を見てきたからである。 色・形に品格が出ていて、見た瞬間に分かるのである。
・・・・・・・・・
2623, 『12の口癖』 成功者たちの幸運を呼び込む言葉。 ?2
 2008年06月09日(月)      ー読書日記
 それでは ?「失敗者たちの不幸を呼び込む言葉ー『12の口癖』」?を書いてみよう
   ー私をマイナスにする『12の口癖』ー
* 第1の口癖 「そんなこと出来っこないよ」「とりあえず、後で」
* 第2の口癖 「自分は駄目だから」「馬鹿だから」「どうせ自分なんか」
* 第3の口癖 「神経症だから」
* 第4の口癖 「もし失敗したら、どうなんだろう」
* 第5の口癖 「全然やる気が起きない」「面倒くさい」
* 第6の口癖 「世の中がマイナーだから、何をしても上手くはいかないよ」
* 第7の口癖 「自分は悪くはない、たまたま今まで出会った相手や会社が悪かっただけ」
* 第8の口癖 「自分はツイテナイ、不運だ」」「何で自分ばかり良いことがないのだろう」
* 第9の口癖 「大学を出てないから」「二流大学だから」
* 第10の口癖 「時間がないから」「忙しいから出来ない」「定年後にしよう」
* 第11の口癖 「あの時、逆のことをしておけば。大失敗だった」
* 第12の口癖 「あの馬鹿め」「死ね」「きもい」「あれほど酷い奴はいないよ」
  (字数制限のためカット 2010年6月9日)
ーーーー
2007年06月09日(土)
2258, 今日、ホームレスになった -1              
「今日、ホームレスになった」増田明利著 新風舎   ー読書日記
 自らの身に置き換えて考えざるを得ないようなリアリティな内容で、13人のホームレスの過去と現状が綴られている。  
 (字数の関係でカット2009年6月9日)
 ーーー
2006年06月09日(金)
1893, 不良のための読書術ー1   おはよー!(*^ワ^*)i      
     「不良のための読書術」永江朗著    ー 読書日記ー
「不良のための文章術」を図書館から借りてきて、あまりの面白さのためネットで買うことにした。
ところが送料無料の1500円には少し足りない。そこで、同じ読者が書いた「不良(プロ)のための読書術」を買うことにした。
既に文庫本になっているので半額である。「20対80の法則を、違う言葉で言い替えたのだろう」と思っていたが、
正にその通りのものであった。ゴダール式読書法と言い替えていた。 ゴタールという作家の映画の見方がユニークという。
三十分観るとさっさと次の映画館に行ってしまうという。原作を読んでいれば、それで充分なのだろう。
著者はその言葉からピンと来てゴダール式読書法と名づけたという。 それでも面白いのである。若い人向けの本だが、
基本中の基本が書いてある。老練の詐欺師が「女は見た目だよ!」と、ある本に書いてあったが、当たらずとも遠からず?である。
数十年本屋に通っていて、見てくれを意識したことは無かった。本は見てくれではない!と思うのが常識である。
しかし、良くないものに出版社が「見てくれ」を良くして売ろうとはしないのも事実である。見てくれだけを良くして売ろうと
するのは、若い娘か、薄っぺらの教養のない男である。本人は見てくれを良くしているつもりが、どこかバランスがとれてない。
銀座で闊歩する夜の蝶ー蛾を見れば、一目瞭然である。  (字数制限のためカット 2011年6月9日)


4833,「事業人生を決心して45年」の語り直しー11

2014年06月08日(日)

    * 創業? 実は、そんな格好いいものでなく、半狂乱!
 もし、あなたが転機に立たされて何か新事業の創業の課題を与えられたとして、
何が考えられるだろう? 具体的には、何も思いつかないのが実際だろう。そこで、幼児から、
その時点までの自分が経験してきた中で、大きは時流に対し、何か材料を探し、新たな装いをする
しかない。それまで、顧客として何を経験してきただろうか? 
そう、学生時代に池袋駅の居酒屋と、その後の勤務先のスーパーの経験と、その近くの飲食店と
居酒屋くらい。対象の物件の道路を隔てた膨大の空地に、近々に5百世帯の団地が計画されている。
それなら、その小判鮫の商店が必要。とすると、テナントビルと、その一角での手堅い商売。 
しかし、ノウハウは無い。ならば、それを買えば良い。そのためには、フランチャイズに加盟すれば良い。
で、問題は、その選定。失敗は、状況から許されない。それも、父の余命が一年での、調査になった。
「第一の協力者の連添いを、真剣に探しておくべきだった!」という後悔も、先に立たず。
とにもかくにも、適切なフランチャイズの本部巡り。で、見つけたのが、当時、国内最大レベルの
居酒屋チェーンの『養老乃滝』。さっそく、説明会に参加したが、「駅前立地が基本。郊外型立地は
皆無だが、これからは郊外化の時代、非常に面白いシュチュエーション、是非とも組みたい!」と、
乗り気。考えあぐねた末に、思い切って参加することにした。その具体的内容を13年前に書いたのを、
昨日、コピペをしたが、今でも、あのパニックを鮮明に憶えている。 人間、何事も忘れるから、
勇敢になれる。知らないからこそ出来ることがある。二ヶ月前まで、全く知らなかった家内との結婚。
商業ビルの完成。そして、二ヶ月も経験してない、チェーンの居酒屋の立ち上げ。 その直前には、
最大の後楯だった父の死の中の創業は、極限の事態に自分を置くことになる。
顔は平静だが、気持ちは半狂乱。創業とは、半狂乱というより、狂乱状態でなければ、出来はしない。
それも血だらけで。その傷口が、その人にとっての事業。それも1〜2年もすれば、その状況を自ら
受け入れ、それに見合うようになっている。 当時の飲食業界も、逆境の人たちが集まる、
気違い水を飲ませる異様な世界。千葉といえば、首都圏をアメリカに喩えると、未開の荒野の西部。
江戸っ子にとっては、地方出身者の田舎者も吹き溜りの地と、一段下に見られていた。
そこは、土木作業員や、ヤクザが屯する底知れぬ世界があった。それなら、狂うしかなかったのが、
実情。その後の人生も、狂いっぱなしだったが、致し方ない。 自分が選んだ道だから! 
だから、面白いのである。
・・・・・・
4466, 余命半年 −4
2013年06月08日(土)
  * 末期から死ぬまで   「余命半年  満ち足りた人生の終わり方」大津 秀一著 
 ー末期の現象をまとめてみると、
≪ 「末期」の一つの定義は、余命六ヶ月以内、である。しかし、その状態の悪化は右下がりの
直線ではない。 要するに、調子がズッと良かったのが、急に悪化するケースや、凸凹であったりする。
・緩和治療を行っている患者の場合、死の1〜2週間前まではそれなりに元気だが、その辺りから
身の置き所がないような全身倦怠感が強くなる。また点滴の量が増えることもあり、むくみが酷く
なったりする。この時期が一番、患者にとってきつい症状。そして歩行が困難になり、トイレに行くのも
困難になる。特に、きれい好き、清潔好きの人にとって辛い。 他にも食べものや水分を飲み込むのも
難しくなる。喋り辛くなり、耳鳴りがして、口はカラカラに渇くなど様々な苦痛症状が出てくる。
だから、1〜2週間前辺りまでに、できることは早めにしておくべき。 
・そして、余命日単位になると、患者の苦痛も限界に近づき、家族の心労も募ってくる。
この時期に家族を苦しめるのは、患者のせん妄(混乱、錯乱)である。「つじつまの合わないことを
いったり」「周囲の状況が全く理解できなかったり」「幻覚がみえたり」するなど、大声を上げたり、
暴れたりするなど、患者を見守る家族の苦痛は大きい。 そうだとしても、家族は身近にいることが大事。
無くなる24時間前が、そのピークなる。それが「最後の山」という。
・余命数時間単位になると、痰がつまってゴロゴロ音がずっと続いたり、呼吸が荒くなったりするが、
患者の苦痛はない。 しかし聴覚は最後まで保たれるので、発言には十分に注意が必要。その中で、
家族も辛いだろうが、傍に付き添うこと。最後は、お医者さんも、教えるだろうから、大声を出すのでは
なく、静かに耳元で囁きかけ、手を握ってやったり、身体を擦るのが、死出への旅立ちにふさわしい。
・最後は、まず呼吸の仕方が変化をし、下あごを突き出すような医学語でいう下顎呼吸になり、
数分から数十分で呼吸が停止する。呼吸停止後、数分で心臓も停止。その時が、死亡時刻になる ≫
 ▼ 実際の臨終に立ち会ったのは、近くに住んでいた伯母と、母親である。
父の臨終は、私が当時、立ち上げていた千葉のビル現場の打ち合わせで立ち合えなかった。
臨終の場面は人生が終わるのだから荘厳だが、厳しく生々しい。 家族も疲労困憊する。幻覚、
幻聴、錯乱、暴れなどは付きものと割るきるしかない。母親の子宮から、管につながれ、のたうち
回って産まれ出て、それぞれの一生を生き、最後は管に巻かれ苦痛の中で死んでいく。
せめて、その間、精一杯生き、悔い無い終わりを遂げたいもの。末期を具体的に想定することは、
高齢者の生き方を考える糧になる。   で、以下文に続く。
  ・・・・・・
4092, 老いの見本帳ーダークサイト −12
2012年6月8日(金)
  * 老いについて ーつれづれに  「老いへの不安 歳を取りそこねる人たち 」春日 武彦 (著)
 定年とかで現役を退き御隠居暮らしになるのが第二ステージとすると、寝たきりとか痴呆症になって
病院などで誰かの世話になる時期が、第三ステージになる。第二ステージが60歳辺りなら、80歳
辺りだろう。 それまで大よそ半数が亡くなるので生き延びた者には厳しい現実が待っている。
寝たきりなら、一日一生のような日々を過ごすしかない。人間は生きてきたように老いていくのである。 
 第二人称の人の死を身近でみる限り大往生は少ない。あるのは不幸にしか思えない死。
そのため私たちの社会は嫌老が基本になっており、老化を遅れさせるか、隠すことが善と捉えられて
いる。 老いの肯定など、あまり聞かない。 その死に現実問題として日々近づいている老人の心も
肉体も歪まない訳がないと割り切った方がよい。 この本は、その歪んだ老人を真正面から光?を
照射している。そうこうみると最後は自分だけの孤独に慣れておく必要がある。 
人間、「人は人、我は我、されど仲良く」が基本。相手に何かを求めないで、独りで趣味を楽しむのが
理想的。 古来から社会は老いを嫌い、可能な限り社会の隅に置いてきた。しかし医学の進歩により
平均年齢が日本では80歳をゆうに超えてきた。定年後、平均20年以上も生きていかなければ
ならない。それは有難い反面、社会的弱者としての長い人生が待ち受けていることになる。
世の中は青年と壮年を中心に回っている。老兵は静かに去らなければならない。 
引き時を見失うと憎まれもの世にはばかるになる。それを自覚出来ないから始末が悪い。 
老いることは、絶望に近い意味を含んでいることを忘れないこと。引くべき時には引かなければ。
人生も見切り千両である。歳を取りそこねる人たちは、その逆の漫然と生きている人たちをいう。
人生は最期は独り静かに逝くしかない。歳を得たが故の楽しみを見つけ独り楽しむ、それが良い
老い方になっていく。この本と「嫌老社会」長沼行太郎著ーを読んで、ジックリ?と老いを見つめると、
背筋が凍る思いになる。やはり一日一生、一期一会で、日々、瞬間瞬間を生きるしかないということか。
 娑婆から早々、一歩身をひいて鮮明に見えてきたことは、世界が大きな断層の真っただ中に
あることと、自分の年齢の微妙な立ち位置である。地球見学の最期は、こんな風景だった。
ネット社会など情報化社会の劇的進化と、それに伴なう社会的激変、そして、地震などの地殻変動、
どれもこれも、想像を遥かに超えたことばかりである。そうこう考えると、長く人生を生きてきたのである。
あと10年が、更に・・
・・・・・・
3726, 全米N0・1弁護士の勝ち抜きセオリー  〜�
2011年06月08日(水)
     『議論に絶対に負けない法』ー ゲーリー・スペンス著
 ここの12章に《 どんな議論でも「絶対に負けない」十の鉄則 》がある。
* 何ごとも十分に準備をする。ー適切な準備には、物語・シナリオをつくることと、
  関係者に役割を当てることが必要。
* 相手に聞いてもらえるように、心を開かせる。 ーウソをつかない。
* 議論にストーリー性を持たせる。 ー私たちは遺伝子による物語の話し手であり、聞き手である。
                   審番員、上司、家族、相手は物語を聞くように条件付けられている。 
* 真実を語る。  ー力の議論は、真実を語ることに始まり、真実を語ることで終わる。
* 相手に自分の望んでいることを話すー正義の力を忘れないこと、どんな議論にも備わる
  正義を見出し、求め、要求しなさい。
* 皮肉や冗談を避ける。ー相手に敬意を払うことで、私たちは高い次元にたつ。
  相手を軽蔑する人は、その次元に留まる。
* 論理を見方にする。 ー論理は力だ。「論理は剣に似ている。論理にうったえる人は、
  論理に滅ぼされる。」
* 行動と勝利は兄弟  ー緻密な防御をするより、最悪でも真正面から攻撃をした方がよい。相手に主導権を握らせない。
* 自分の議論の弱点を認めなさい(自分の弱点を曝け出しなさい)
* 自分の力を理解しなさい(自分自身に勝つ許可を与え、そして恐怖を乗り越える)。 これらが、この著書の柱。
≪ 主体的であること、主導権を持つこと、準備を充分すること、シナリオを練上げること、自分の力を信じること。 それが、勝利のコツになる。≫ 周辺をみて、事業も、家庭も、うまくいっている人を観察する
と、大体がクリアー。十人に一人か、二人位だろう。 それらの人は、同じような人と群れるから、それが
相乗効果として、ますますプラスが膨らんでくる。逆に、まったく無頓着に、目先のこと、現象しか
見ることが出来なくて、現象の底にある本質など考えることすら出来ない人は八〜九割。
その色濃い人に、不幸の種が八〜九割、集中する。 そして、それが自虐、他虐へとマイナス回転を
始めることになる。さらに似たのが集うから、不幸に箔がついてくる。要は、永年かけた教養を積んで
こなかった結果である。自分だけにマイナスの事態が積み重なってしまうか理解出来ないため、
自虐のドブ沼に嵌まり込む。「勝のセオリー」を、実際に身につけることは、そう生易しくない。
だから時間をかけ準備をし、積み上げていくしかない。 ところで日本の検察、この本の読みすぎ?
検察が権力をつかったシナリオとは? 
・・・・・・・
3361, すでに世界は恐慌に突入した ー2
2010年06月08日(火)
「すでに世界は恐慌に突入した ーデリバティブとドルは あと数年で崩壊する」ー朝倉慶 著
    P/129の 「デフォルト宣言するオバマ大統領」は注目に値する!
・過去を振り返るとニクソンはお馴染みニクソン・ショックで金本位体制を破壊し、ドル垂れ流しという
 アメリカの覇権取りに向けた基礎を作った。
・レーガンは新自由主義と言って、規制緩和、財政支出拡大、スター.ウォーズ計画など冷戦勝利のために軍拡に努めた。
・クリントンの役割はドル高の演出で、世界からお金を無尽蔵に集めてくること。
・次にブッシュに引き継がれますが、消費バブルや戦争バブルを拡張させるためにインフラ整備、要するにドルに魅力を
 持たせること、ドルを集めることを至上命題としてきたのです。その後、集まったドルがレバレッジでさらに氾濫して、
 今回の危機を起こしたのは承知のとおり。これもクリントンのやった世界中からの資金導入がなければできないこと。
・そして今回オバマ大統領の影の役割、一番大事な、すでに大統領になる前から決まっている最大の仕事は何かと言えば、
〈借金踏み倒し〉スワットいわゆる米国債のデフォルト、それに伴う新秩序の形成なのです。いずれ〈オバマショック〉と
 命名されるかもしれませんが、ドル暴落後の世界をいかに収めるか、それもアメリカの国益を最重点にして、これが焦点。
 これまで書いてきた今の世界中で繰り広げられている国債発行、借金頼みはどう考えても持続不能。どこかで大整理が必要。
 ドル暴落は見事にこれから仕掛けられることであって、オバマ大統領の役目はその状態がいかに自然に起こってきたこと
 なのかとふるまうことです。世界やアメリカ国民がこの状態では止むを得ないと思う形で、米国債の無価値化、借金踏み
 倒しをするか、酷ければ戦争に走るかということでしょう。 これらの行為はアメリカの復権を目指すもので、
 そのプロセスを自然にやったように演出することが大事なのです。オバマ大統領は、就任前は中国を為替操作国と呼び、
 大変強硬な態度でした。それは今は中国に媚びて、米国債を買ってもらうように懇願しているようにみえます。
 これは演技なのです。もうすでに財政破綻から、ドル暴落に陥っていくのは日程に入っている状態ですから、自分達は
 ドルの価値を維持するため、全力を尽くしましたという演技が必要なのです。一生懸命ドルを支えるため、超大国
 アメリカの大統領であるのにもかかわらず、頭を下げたという演技が重要なのです。
   〜以上だが、ほぼ上記のことは間違いないだろう。
 このまま世界各国が札を刷りまくるしか手立てがないのだから、早かれ遅かれハイパーインフレは、発生する。
 だから金(ゴールド)が、まず買われ、次に食料品、石油などの資源株が買われることになる。そして極めつけが戦争。
 ネタはイランと北朝鮮あたりになる。アメリカにとっての公共事業は戦争であるから、もっともらしい火種に火をつける。
 ・・・・・・・・・
2986,友愛思想
 2009年06月08日(月)
民主党党首の鳩山が「友愛」の必要性について語ったところ、自民党などに失笑をかってしまった。
隣に「北朝鮮」というテロ国家があるのに、何が「友愛」だと等々・・・。
私が学生時代に住んでいた寮の先輩が軽井沢の「友愛山荘」のペアレント(管理人)をしていたこともあり、
何度かホステラーのアルバイトに行っていた。 そこが鳩山一族の政治団体「友愛の会」の経営する山荘で、
友愛思想について、何度か聞いたことがある。クーデンホフ・カレルギーの友愛思想は現在のEC(欧州連合共同体)
の根本思想で、自由と平等と博愛を目指す考え方である。フランス革命の自由・平等・博愛思想がバックにある。
 ーネット辞書のウィキペデアによるとー
【『自由と人生』著者 クーデンホフ・カレルギー 1938 年刊 訳者 鳩山一郎 】に 友愛とは、上記「自由と人生」に
記されている友愛思想、友愛革命、友愛社会に則る考え方であるが、要は、自由と平等との対立を解消し、
克服するのが友愛主義であると記し、友愛の基本をフランス革命の友愛に依拠していると説明している。 
 (字数の関係でカット2011年6月8日)
・・・・・・・・・
2622, 『12の口癖』 成功者たちの幸運を呼び込む言葉
 2008年06月08日(日)               ー読書日記
ーまずは、「まえがき?人は言葉で評価される」よりー
銀座ママが見た日本のエリート1万人の秘密!!
「銀座という場所柄、お店にはいわゆる成功者」といわれる方々が数多くいらっしゃいます。
経営者、政治家、スポーツ選手、作家…その数は一万人を優に超え、どなたも溢れる魅力をお持ちです。
そして、その魅力が一番輝きを放つのは、口をついて出てくる言葉でした。 (中略)とくに、
何気なく話しているときに耳に残る口癖は、私を励まし、支えになってくれました。
そして、私はこの口癖こそが成功の秘密だと気づいたのです。」            
ー次に、その『12の口癖』
* 第1の口癖「とりあえず、やってみよう」* 第2の口癖「あなたに任せるよ」  * 第3の口癖「大丈夫だよ」         
* 第4の口癖「あせっちゃダメだよ」   * 第5の口癖「気にしない気にしない」* 第6の口癖「幸せだなあ」
* 第7の口癖「一から教えてください」  * 第8の口癖「ツイてるなあ」    * 第9の口癖「一緒にやろうよ」       
* 第10の口癖「それ、おもしろいね」    * 第11の口癖「明日のために負けよう」* 第12の口癖「信じているよ」
   あとがき  成功する前は誰でも普通の人
 (字数の関係でカット2009年6月8日)
・・・・・・・・・
2007年06月08日(金)
2257, ビョーキな人々探訪記 ー4               |* ̄o ̄|お|* ̄O ̄|は
   最近エステが大流行だが、いまいちその理由が解らなかった。
 しかし、エステ依存症の横森理香と、同じ経験者の中村うさぎの対談で、その意味の一端が解ったような気がした。
 奇麗になりたい!という心理は解るのだが、それが度を越して罠にハマってしまうのは、少々理解しがたかったが・・
 綺麗はバランス。 バランスを直すのがエステなら、やはりインプットとアウトプットのバランスをとることである。
 エステ依存症の横森が行き着いたのは、地味飯の玄米食である。 外形を治すのに、逆に依存症という病気を抱え込んで
 しまうのは、本末顛倒ということになる。外形は内側の歪みが大きな原因であり、それを治すのがエステの目的で
 あるなら精神科が範疇でもよい。 サプリメントもエステに似たようなところもある。
「私のサプリメント」でも書こうか! 結論はわかっている。玄米食と自然食品がベスト。それが出来ないから、
 サプリを飲んでるんだよ!という内面の声。 (字数の関係でカット2008年6月8日)


4832,「事業人生を決心して45年」の語り直しー10

2014年06月07日(土)

   * 千葉・千城台ビル建設計画の着手
 懐かしの金沢から地元長岡に帰って、余命一年の父と千葉の千城台ビルの建設計画に入る。
当時、父親は義兄に、会社経営の大方の権限委譲をしていたが社長のままだった。 右上がりの
時代に、長岡も高度成長の恩恵で活況。その中で、華やかな地元社交界の花形の姉夫婦に、父は
幻滅をしていた。まず、出を制して入りを図る生活基本がない上に、城下町の虚構世界が全てと
信じているようだった。 実家の同じ屋敷の前に自宅、その裏に姉夫婦が移り住んで8年ほど
経っていた。現在、私が住んでいる家は、50年前に父が最期の住み家と、贅をこらしたもの。
 父は、現・預金を除いた、会社の株式、本店ビルなど不動産の生前贈与をして、死後の相続を
姉夫婦に独占されない手はずをうっていた。当時で月に百万円の散財をしていたから、現在にすれば
月に5〜6百万。父が怒り、警戒するのも頷けた。 逆に、生前贈与に対して、姉夫婦には、母、
実兄、私、姉、の4分の1だけの配分に怒り心頭だったのもみてとれた。それが、父の死後の
御家騒動の根になっていた。3歳年上の実兄は、性格が大人しいく、人を疑うこともなく、私が
計画に入った時点で、対立軸が、私対姉夫婦に移っていた。
 創業を目指していた私には、具体的実践課題を与えられたことになり、その成果が試されることに
なった。 これが大変だが、創業の第一歩として、命懸けのコーチ役の父親が指導する小説のような
日々になっていた。 
千葉の新興住宅地の商業地で、商業ビル建設と、その一角での商売のたちあげて、
成功させるのが、当面の課題。  まず考えたのが、この千城台のような団地の商業ビルの
転がしである。都心からの新しい電車の線路沿いに、千葉県住宅供給公社などが開発する安い
商業地を先行投資をして、ミニ商業ビルを建てて、テナントを埋めた段階で、資産家に転売する
事業を、思い立てた。まず千城台ビルをモデルケースとして、これが第一歩と位置づけ、
踏み出すことにした。 学生時代に、創業人生を踏み出そうと決心したとき、創業と、軌道に
乗せての転売が、事業として面白そうと、イメージをしていた。 これなら、合致をする。 
 その計画と、ビル建設をしていた最中、父親が亡くなってしまった。その間に父と兄夫婦の
軋轢が出始めていた。しかし、千城台ビルの立ち上げと、ビルをテナントで埋まることと、
その一角の自らの商売の起業が、当面の大きな課題になっていた。 
ー以下も、偶然だが、13年前の同月同日の内容。これを見て、奇妙な偶然に驚いている。
・・・・・
2001年06月07日(木)
[45] 創業の話
27歳、千葉の千城台で千城ビル建設と養老の滝1122号店の立上げをやった。
準備1年4カ月かかった。その間に一緒に計画に携わった父も亡くなった。
今も忘れられない1973年5月30日であった。
11月07日、店の立上げとビルの完成でパニックの頂点をむかえた。 地獄!・・・・・
その頃写真を撮っているいる余裕などない、写真日記のそれは千城台を引き揚げたあと、
懐かしく行った時に撮った写真である。全く知らない千葉で我ながらよくやったと思う。
この地獄の中で創業のノウハウしっかり身につけることができたと思う。
自らを空にして、おきて来た問題を一つずつ解決していくしかない。
その時本能的に相手に両手で拝んでいた。
どういうわけか拝まれると人間引き受けてくれるものだと感じた事を憶えている。
軽い気持ちで拝むポーズを時々みると,張りたおしたくなるのそのせいだ。
当時のことを記した文章があるのでコピーをしておく。
また写真も写真日記にコピーしておきます。
ーーーーーーー
H0907 養老の瀧1122号店、店長の日々

 両親の創業を幼児の時みていて、その厳しさを知っていたつもりであったが、
いざ自分がその立場に立って、その認識の甘さをつくづく思い知らされた。
千葉の新興住宅地(五万人)の十字路に“貸ビルの建築”と“養老の瀧オ−プン”と
“結婚”という、人生の初体験を同時に始めた。
丁度石油ショックにより高度成長期が弾け、
ビルの前の数千世帯のマンション計画が中止となり、最悪の出発となってしまたった。
そしてオ−プン...!完全にパニック状態!オ−プン人気も含めお客の列!
しかし、こちらは全くの素人である。ビル建築等、他に諸々が重なり、
地獄のような日になってしまった。辛くて、恐ろしくて、一日一日が精一杯、
今考えても、よく持ちこたえたと思う。当初の、2〜3ヶ月は朝8時より
夜半の1時までの激務であった。指導員と私とアシスタントの3人の激しい日々であった。
“勤め人”と自営業の立場の大転換がその時おこった。
それまでは8時間プラス2〜3時間、という立場が、“24時間(休んでいても仕事のう
ちという)仕事”という立場になった。
サラリ−マンが事業をおこして大部分失敗するのは前者より脱皮できない為である。
大手ス−パ−の創業期に入社、異常に近い厳しい世界に3年近くいたが...。
その厳しさが全く違うのだ。はじめの数ヶ月は、今日辞めるか明日辞めるかという
位、厳しいものであった。
あの空ビルをテナントで埋めなければ、私の立場が無くなる!という
前提があった為乗り越えられたと思うが。
でも不思議なもので、真っ正面より立ち向かっていると、
いつの間にか辛さが辛さでなくなってくる、適応能力が自然についてくるのだ。
ヤクザ、土方、得体の知れない人間に“気違い水=酒”を飲ませているのだ。
それと兎にも角にも全くの無警察状態に近いのだ。
そこで自分1人で店を衛らなくてはならない。
酒を飲んだ人間の本当の恐ろしさをそれまで、ほとんど知らなかったためだろう、
命が幾つあっても足らない位の事件が月に一度はおきた。
恐怖の中で1人トイレの中で(他の人にはわからないように)震えた事があった。
そこで、大きく唸った。そしてお客に対処したところ腹が据わったのだろう、
お客が逆に竦んでしまった。“これだ!”と直感した。
また店の従業員に前もって、うちあわせをしておき、
お客に怒鳴る変わりに従業員を怒鳴りつけ竦ませたり、
土壇場に立つと知恵がついてくる。
ただフランチャイズのシステムは今でも素晴らしいものであったと思う。
標準化、単純化、マニュアル化がきっちりできあがっていた。
創業時の勉強という点で、このシステムは自らに非常に有効に働いたと
振り返って思えるようになった。
             創業は辛い! 1973.11.07〜 ・
4465, 余命半年 −3
2013年06月07日(金)              
   * モルヒネか、プチッか     「余命半年  満ち足りた人生の終わり方」大津 秀一著
 父や、義兄などの末期ガンで悶絶しながら死んでいく姿を垣間見ると、プチッ(安楽死)と早々に
最期を向かいたいと思うのは、私だけでないだろう。ガンが進行するにつれ、その痛みが強くなり、
それにつれモルヒネも強くするしかない。中毒の心配など、先のない末期患者には関係ない。
著者は、進行度に合わせてモルヒネを調整すれば、問題はないという。
ガン患者の7割が痛みを訴え、その半分がモルヒネでないと痛みが取れない。
一般的にモルヒネを使うと、死期を早めるが、専門医が適切に使えば苦痛を減らせる。
死因はあくまでガンの進行。傍からみれば、モルヒネが死期を早めている、と思われるが、
ガンの進行に合わ強くしているための誤解。末期患者は3年、5年先まで生きるわけでない。
ここで知ったのが、「鎮痛補助剤」。坑うつ剤、坑痙攣剤、坑不整脈薬など、本来の効果とは別に、
痛みが伝播する回路に働いて痛みを緩和する。 で、プチッ=安楽死はどうか? 
これは現在の日本では禁止されている。ただし、死ぬ前から、その意思表示をしておけば、
医師は、それを元にモルヒネなどの加減で、延命をしない判断も出来る。
 現在、日本人の二人に一人がガンになり、三人に一人がガンで死んでいく。
何らかのカタチで、余命を言い渡されるか、自分で悟ることになる。その時から死ぬまでの
数ヶ月間は、生存への渇望と肉体と精神の苦痛の中で、独り悶絶する。
生きることは大変だが、死ぬのも大仕事である。 父も最期の最期は、モルヒネを大量に
投与をして亡くなっていった。「苦しみを最小にするに、それはそれで良い」と著者もいう。
 ある映画の一場面に、ガンになって入院してきた男に、古手のガン患者が、こっそり、
のた打ち回る患者を数人掛りで押さえ縛りつけている現場に案内、隠れ見る場面があった。
 義兄のガン末期の似たような場面を聞いた。父が亡くなる数日前、病院の一室で、頭を
掻き毟っている姿もみた。三人に一人は、このような状態で亡くなっていくのが現実。 
元気なうち、出来るうちにすべきことを成すべき。 アル中や薬中には、モルヒネは普通の
人の数分の一しか効かない。 酒の絶対量を飲んできた私も、その報いが出る可能性が高い。
「プチッ!」とは、どうも逝けそうもない。モルヒネで恍惚状態も悪くないが。
高校の同級会のメンバーと、中学の男の同級生の四分の一が既に亡くなった。
生きている限り「他人は先、我は後」だが。
・・・・・・
4091, 老いの見本帳ーダークサイト −11
2012年6月7日(木)
   * 幸福とは          「老いへの不安 歳を取りそこねる人たち 」春日 武彦 (著)
 「老いを考えることは、それぞれの幸福を考えることである」、というのが、この老人奇譚集の
目的である。晩年になると、来し方の人生を悔むこととなる。それは中古品の若者としての哀れな
姿でしかない。晩年の両親の姿を間近で見ていたので、タジロギが少ないが、決して甘い世界では
ない。 それでも、生きていれば老いていく。人は生きてきたように老いていくしかない。  
 ーあとがきー の文章が、老いについての締めくくりになっている。 
≪ 老いへの不安を覚えている人は、決して幸福な状態にあるとは言えない。
老いを目前にしているという事実の前にたじろぎ、老人ないしは年寄りとしての自分の姿を想像し
きれぬまま、自分自身に違和感を覚えつつ心許ない日々を送るのは、まことに居心地の悪いことで
ある。老いについて語り論じることは、結局のところ幸福について考えを巡らせることと重なってくるに
違いない。 近頃のわたしは、幸福が二つの文脈から成り立っていると実感するようになっている。
* ひとつは日常における安寧とか安定とか平和とか、つまり波風の立たない平穏な毎日である。
それは往々にし退屈に感じられたり、無価値に映る(殊に若者にとっては)。 
だが大病を患ったり危機的な状況に追い込まれると、「当たり前の日常」の有り難さが身に沁みる。
ある雑誌に「人生の意味について」を特集をしている。「人生に意味はあるでしょうか」という
質問をさまざまな分野で文章を綴っている人々にぶつけ、二十一名からの回答を載せている。
 詩人の谷川俊太郎氏の回答の一部を紹介すると、「人生にあるのは意味ではなく味わいだと
私は思っているのですが、言葉で言うとどうも据わりが悪い。禅問答ではありませんが、答えは
「……とでも言うしかありません」となっていて、なるほど味わいという言い方があったなあと
感心させられた。老いることには、当たり前の日常に備わった微妙な味わいを理解できるように
なるといった効用があるのではないかと漠然と考えていた。
* 幸福におけるもうひとつの文脈は、それこそラッキーなこと、嬉しいこと、楽しいこと、
満足感を得ることーそのような躍動的で高揚感をもたらす事象との出会いであろう。
こちらは個人差が大きく、ある人にとっては十分に喜ばしく感じられる出来事が別な人に
はむしろ物足らなさや悔しさを惹起することなどいくらでもある(たとえば優勝ではなくて二等賞に
甘んじたとき)。こうしたことも、歳を重ねて肩の力が抜けてくれば、それこそ春の訪れを告げる
日差しの変化とか、隣人から土産にもらった鯵の干物の美味さとか、窓の向こうに見える教会の
屋根の赤い色と自宅で飼っている金魚の赤色とがまったく同じ赤であったことに今さらながら
気付いた軽い驚きであるとか、学生時代に読んだ小説を再読してやっとその素晴らしさを
悟った喜びとか、そういったもので十分に幸福の文脈を形成し得るに違いない。
ガッツポーズをしたくなるような晴々しい出来事に遭遇しなくとも、さりげなく幸福の滴を
感じ取ることができる。  ・・・だがどうもわたしの世代に近いほど、歳を取っても貧欲というか
大人げないというか、若さの尻尾を引きずっているというか、往生際が悪い。年寄りではなく、
中古品の若者や古ぼけた中年としか見えない。 歳を経たがゆえの味わいを楽しめずにいる。
それがために、不満や不全感ばかりが募る。≫
▼ 老人の殆どが老人性鬱症であり、20人に一人が鬱病患者。また80歳を超えると
4人に一人が認知症になる厳しい現実がある。それより、私の年代で、既に4〜5人に
一人が亡くなっている。おうおうに早死した人は、「人生として恵まれてない人」として思われる。
とはいえ、生き残った人に待ち受けているのは煉獄の中のような日々。
 それが必要な人がいる。地獄は娑婆にある。
・・・・・・
3725, 全米N0・1弁護士の勝ち抜きセオリー  〜�
2011年06月07日(火)
  ■ 今回の事態に、準備はあったか?    『議論に絶対に負けない法』ー ゲーリー・スペンス著
 二つの経済震災と、一つの自然震災で、あれよあれよの間に、倒産をしてしまった。
これは、たまたま立ち居地が悪かったと、自分でも納得せざるを得ない。倒産時の最悪の構えの
準備は? 私と家内の厚生年金を40年続けてきたので、生活はしていける。 しかし自宅は借り
入れの担保に入っているので今後、どうなるか。 何とかクリアー? 出来なくても、それも定め。 
ホテルなどの長期設備投資は何があるかわからない前提で数十年かけてシェルターを準備をして
おくのは、セオリー。
 あっさり倒産をしたのをみて、計画倒産?と数人に疑われたが、そんな『子供の寝小便』
のようなことはしない。
「シェルター完備倒産」と評した人もいる。しかし徹底してなかった甘さを後悔している。
倒産は倒産であり、私は一度破産者に?
まさか自分が・・・である。 冷笑している貴君、「まさか自分が!と思っているけど、他人事でないんじゃ?どっちにしても、
『まさか』の何かが待っている。老化は、それまでの前提が、次々と破壊されていくことに気づいてないんじゃ?」と、
醒めた目でみえる。言い訳になってしまったが、反省も込めて、この本を何回かにわたり辿ってみる。
 ところで一般的に言われている「計画倒産」とは、私が知っている限りでは、「手形を振り出している会社が、破綻末期になって
倒産を覚悟した時、意図的に商品仕入れを膨らませ、それを現金化をし、債権者の目の届かないところに隠した後に倒産する」こと。
弁護士が言うには、「『計画倒産』と『計画的倒産』とは、似て非なるもの。 一般の人は、これを混同している。 計画的倒産は、
駄目と判断したら、倒産の日にちを設定して、粛々と手順を踏むこと。 その意味では、このケースは2週間前に決定したので、
計画的倒産にもならない。父さん(倒産)に『良い父さん(倒産)』『悪い父さん(倒産)』があるが、貴方のケースは前者の典型」
とか。その立場にたってみると、色いろの知識が入ってくる。20年ほど前に、既に亡くなったが、倒産・整理の専門の
コンサルタントの先生に姉夫婦の整理を依頼したことがあった。その時に「倒産を覚悟した時は、最低、半年の準備期間が必要」
と聞いたのが印象に残っている。今年に入るまでは、あと1〜2年は大丈夫だろうと、思っていた。しかし、売り上げ減の角度が
三年目に入っても殆ど変わらないのは、想定を超えていた。その上に東北震災なら、何の未練もない。 で、どうした? か
というと、最悪の事態への準備の大切さが本当は分かってはいなかった、というのが、結論。 日本が、ここまで疲弊するとは。 
特に、地方経済は、惨憺たる状態! 更に悪化するとなると、この数年は大荒れになる。少し本論からそれた内容になってしまった。 
まあ、言い訳と正当化、半分か!
 ・・・・・・
3360, 京都! 無双の別荘群
 2010年06月07日(月)
 NHKのワンダーワンダーで「京都!無双の別荘群」を放送していた。
明治・大正に財をなした財閥が、その贅をつくした別荘群が京都南禅寺の周辺に現在も存在している。
7000坪の邸宅に庭師だけで10人が365日、手入れをしている碧雲荘。野村證券の創業者の野村徳七がつくった邸宅である。
それらは借景という自然の景色と庭を組み合わせた庭造りをしている。 また庭屋一如という、
庭と屋敷が一体化したつくり。清流亭、瓢亭など、そうそうたる屋敷が次から次へ紹介されていた。
 ーまずはNHKのブログの紹介からー
(以下、字数の関係でカット2011年6月7日)
 ・・・・・・・・
2985,腰痛持ちの皆さんに
 2009年06月07日(日)
 家内も、ついに腰痛もちになってしまった。
私の腰痛は昭和38年度の豪雪の時に高校の屋根の除雪作業でギックリ腰になって以来、45年間の付き合いである。
表日本に住んでいた8年間には腰痛はホボでなかったので、地域の湿気の問題などもある。
現在でも年に平均3〜4回は軽い腰痛になる。5月と11月初旬の連休辺りの気候の変わり目に出ることが多いが、
一度も医者に行ったことは無い。 以前のような脂汗が出るような重症の腰痛は無くなった半面、いつも腰に重い疲労感と
少しの痛みが残っている。 
(以下、字数の関係でカット2011年6月7日)
・・・・・・・・・・
2621, 消費社会から格差社会へ ー4
2008年06月07日(土)
ー「負け犬女」対「下流男」ー
「負け犬女」というキーワードは、数年前からTVのドラマで何度か聞いたことがある。
それに対して、男は負け犬という言葉自体が負けを認めることになり、言葉として抑圧されている。
そのこと自体は、自分の挫折経験からして痛いほど解る。 社会学者は、その辺の造語は適格である。
現在の男女の結婚年齢が32歳と29歳なら過半数に近い比率で当てはまってしまう。
それほど、当人は気にしてないから、流行語になるという面白い現象である。
 ーその部分を抜粋してみる。
三浦: 彼らはパソコンの前に座っているんじゃないですか。 ある住宅メーカーが調査したら一日五時間ぐらい
 一人暮らしの男性は、パソコンの前に座っているんです。
上野: この人たちが、ネットのヘビーユーザーですね。あなたの「下流社会』でよくわかったのは、
 下流の人たちにパソコンのヘビーユーザーが多いということ。今パソコンは一番安直で低価格の娯楽だから。
 その反対にアウトドア系は著しく少ないとあったので、なるほどと思いました。
三浦: 自転車みたいにおカネがかからないアウトドアでも、「上」の人の方が多いんです。
 下流の人はまったく体を動かさない。女性もそうなんです。「おうち」でじつとしている(笑)。
上野: それを支えている強力なインフラが、コンビニなんですね、男女ともにね。
(以下、字数の関係でカット2012年6月7日)


4831,「事業人生を決心して45年」の語り直しー9

2014年06月06日(金)

   * ドン底の気分の最中、父親が末期癌に! 
 金沢の「いとはん」に1年3ヶ月ほど経ったある日、実家の一番上の姉から電話が入った。
「父が検査で悪性の胃ガンが発見され、緊急手術のため東京女子医大に入院することになった。
手術は、ガンの権威の、中山医師が執刀するが、かなり厳しい事態」という。その瞬間、頭は真っ白。
父あればこその自分。20歳辺りから、ほぼ私の希望を聞き入れ賛同をしてくれて、当時も、自らの
育成プログラムの一貫として金沢で学んでいた。その父が、もしものことがあれば、現在の実家の
事業の力関係は根本から崩れる。 父親も、万一のことを考えて、実兄と私のために、主だった
財産の生前贈与をしてあるが、当時の自分は、経験不足。
父が亡くなれば、根本的に地盤が大きく傾いてしまう。ただ、手術が成功することを祈るしかなかった。
そして、手術の一週間後、東京女子医大に休暇をとって見舞いに行くと、母は洗濯物を干すと言って
私を屋上に連れ出すが、躊躇をして何も言わない。その雰囲気からみて、長くはない事を悟る。
後で知ったが、多くの臓器を取り除いたが余命一年。 そして、一月もしないうち、父親が退院、
私も、父の指示で、実家に戻ることになる。
 色いろあったが、金沢は、あまり良い思い出はないが、それでも、綱渡りの日々の中、
面白い日々が続いていた。 何処の世界にいっても、独り、美味い居酒屋と面白いスナックを
見つけ出し遊ぶ術は学生時代から身につけていた。 これで大いに助かったが・・ 
何故か女性に関しては、縛られることが大嫌いで、適当に漂っているのが好き。
 幼児の頃から実家の女子社員とか、姉たちの盛りを過ぎた変容を多く見ているため、
今は綺麗だが、その後の・・ それなら、浅く広く、ふわふわと、適当に、を保っていた方が面白い。
しかし金沢も、あの辺りが限界。  彼氏持ちの同僚が、急に誘ってくる?と、その2ヶ月後、結婚で
辞めていった。最近になって、それがマリンブルーのなせる業というのが解ったが、当時は、女は
恐ろしい!と、思っていた。 女の職場では、同僚と浮いた話は絶対タブーのため、フワフワする
しかなかった。 一人、2〜3回のお茶とか居酒屋が、少し危険だが、適当な距離があればこそ、
良かったことになる。その辺りは、誰も熟知している? 長岡藩と加賀藩とは、歴史の深さが全く違う!
それが、そのまま女性の魅力に、そのまま出ている。派手だが、堅実で、保守的で、他所ものには
親切だが、地元には、その承認を得ると徹底的にいたわるが、細かいタブーで縛られている点は、
似ているが、より厳しい。
 そして、急遽実家に! 父親の余命一年の事態と、私のUターンで、静かな小さな池が大きく
揺れることになる。 どこにもある御家騒動の始まり。争いの種は、それぞれの立場にとっての
理不尽が、怒りと争いの発端になる。
ーこれも偶然だが9年前の同月同日に、金沢のことを書いていた。ー
  やはり、何かがあるのだろうか? 偶然とは面白いもの。 
  その前年も、同じ偶然があった。
・・・・・・
2005年06月06日(月)
1525, わたしの酒中日記−4
金沢編−2
1972年2月某日

武蔵が辻の職場からバスで、20分位のところに寮がある。
その中間点にある繁華街の香林坊で降りて、老舗風の飲み屋を探す。
今夜は片町の大和百貨店の裏にある飲食店のおでん屋に飛込みで入る。
人品の良い美人の母娘がいた。聞いたら、三代も続いている店だという。
隣の客が話しかけてくる。「言葉が違うようだが、観光客か?」
「いや、勤めの関係で、一年います」地元の人からすると微妙な立場のようだ。
とにかく金沢の人は人なつこいのが特徴だ。それと金沢べんの言葉が心を優しくする。
言葉の最後に(〜じ)をつける。「〜だよね~」という意味である。
それと「〜しまっし」という言葉もよい。「~しなさい」という意味である。
そのアクセントが何ともよいのだ。特に女性がいうと「あ~金沢」になる。
それとおいしい店が多い。ここの土手焼きが美味い。
それと次に頼んだスジ肉の煮込みも絶品である。おでん屋のおいしい店を彼方
此方で食べたが、この店はまた格別である。立て込んできたので、その店を出る。
このまま帰るのは、惜しいので大和百貨店の隣の飲食ビルに入る。
安そうなスナックに入って、カウンターに座る。まだ8時なので、お客は誰もいない。
素人っぽい20代半ばの店の女性が話しかけてきた。まだ金沢に来て2ヶ月で、
一〜二年いたら、また何処かに流れていくとか。若いうちに、彼方此方にいって
転々としたいのだという。こういう生き方もあるのか、驚いてしまった。
「この仕事の接客のポイントは何か?」と聞いたところ、「期待を持たせること」とか。
まさか「何の期待?」とも聞けないし。「それじゃ〜、何か期待してよいか?」と聞くと、
「今度、兼六園を案内してくれる?」というから、「今度ね!」と、空約束をし?店を出る。
バスの定期あるが、歩いて帰ることにした。浅野川の橋を渡って、20分ぐらいは
かかったが酔いを冷ますのに丁度よい。まあ、一人で飲むのも悪くはないが、
それにしても金沢には美人が多い。それと金沢の文化と風情がよい。
金沢には、3年間が目安だ。能登半島や、金沢の街を貪欲に知っておかなくては。
もっと一人旅をしなくては。
加賀100万石の城下町の歴史が観光だけではなく、飲み屋や喫茶店などに色濃く残っている。
ここは地元の人には非常に厳しいコントロールがある。反面、部外者には優しいのだ。
この文化的な特徴は数年住んでみなくては知りようがないが。
明日は同期入社の連中との飲み会だ!
ーー
また偶然の一致、
去年の今日も金沢関連のことが書いてあった。
・・・・・
2004年06月06日(日)
1160, 「武士の家計簿」−2
いまの時代にタイミングよく出版された、時の書といってよい。
現在の日本は、第二次大戦の終戦時や、江戸末期から明治維新の時期より大きい
大転換期にある。
この時期に江戸末期の武士がどのような暮らし向きをしていたのか、
どう対処していったかが、彼らの家計簿から大きなヒントを得ることができる。
彼ら猪山家の人たちが語りかけてくる言葉から「過去の人との対話」が可能になる。
「あとがき」の最後の文章が印象的である。
ー大きな社会変動期には「いまある組織の外に出ても、必要な技術や能力をもっているか」
が死活を分ける。家柄を誇った士族達の大部分は、その時点で社会から外れていったのだ。
現状を嘆くより、自分の現行を嘆いて、社会に役立つ技術を身につけようとした士族には、
未来が来たのである。私は歴史家として、激動を生きたこの家族の物語を書き終えて、
自分にも、このことだけは確信をもって静かにいえる。
まっとうなことをすれば、よいのである・・・・・。
ーー
転換期にある日本人にとって、いや自分にとって、この作家の努力によって
彼ら猪山家の人たちより「深いメッセージ」を与えられたといってよい。
「まっとうなことは、一日一日の努力の積み重ねしかない。」
いま問題になっているのは、
個人的にも国家的にも、過去のまっとうでなかった(バブル狂奔)シワ寄せである。
それを一つずつ引っ張り上げて、将来の姿を想定して、まっとうな姿に変えていくしか
方法はない。
 ーーーーーーー
「武士の家計簿」磯田道史著  新潮社
      長岡中央図書館  2004年05月29日
 目次
第1章 加賀百万石の算盤係
第2章 猪山家の経済状態
第3章 武士の子ども時代
第4章 葬儀、結婚、そして幕末の動乱へ
第5章 文明開化のなかの「士族」
第6章 猪山家の経済的選択

4464,余命半年 −2
2013年06月06日(木)
             「余命半年  満ち足りた人生の終わり方」大津 秀一著
  * 遺伝子からみれば、古い個体は新しい個体のため消え去るのが運命
 人生なら良いが、何時までも会社にへばり付き、新しい目を摘み取る人、それを、自分で気づいて
ないからタチが悪い。「老兵は、ただ黙って去るのみ」である。死も時節がある。 ただ悄然と消えて
いきたいもの。 ーその辺りからー
≪ 科学の発展は、おそらく一つの答えを用意したと思われる。つまり人間は生物であり、
だからこそ本能が、 正確に言えば遺伝子が、「生きるように」「殖やすように」そして「死ぬように」
命じているという考えである。生物は遺伝子によってマッピングされて出来上がっている。
遺伝子は自らが生き残るために様々な戦略を取る。別の遺伝子と組み合わさって、さらに優れた
遺伝子となるのもその一つの戦略である。そのためには、生物に交配してもらわねばならない。
だから遺伝子によって形作られた本能に従い、生物は交配し、子孫を残し、種を繁栄・存続する
ように「なっている」のである。 要するに、生きるとは、遺伝子の命じるままに従い、
結果として「その種の繁栄のために動く」あるいは「その種の繁栄のために動かされること」なのである。
遺伝子を残し、遺伝子をより良いものにして、その遺伝子が長く存続できるようにすることが遺伝子の
欲求であり、それが本能に刷り込まれている。 だから皆、相手を求め、おまけとして快楽が付いて
来る交配を行い、危険を冒して子供を産み、子供が一人で生きられるまでは惜しみない愛情を注ぐ。
それはすべて、「人類という種を生き長らえさせる(人類の遺伝子を残し続ける)」ためなのである。
 この考えによると、死が到来するのも理解できる。まず交配が行われて新しい個体ができれば、
親の遺伝子は子に受け継がれる。しかも遺伝子の容れ物(肉体)も新しくなっているし、遺伝子の
組み合わせによってより優秀な個体が生まれているかもしれない。
そうすれば少なくとも「自分の遺伝子を残す」という目的を、遺伝子は果たしたことになる。
つまり古い遺伝子や容れ物は要らなくなる。だから、多くの動物は生殖期後、長い時間を生きずに
死んでしまう。生殖という非常に大事な役目を終えてしまった以上、もう他に大きな役割はないので
ある。次に、もし「死」が訪れなければ、限られた空間に、個体は限度を超えて殖えてしまうであろう。
そうすれば、結局その生物の相当数は淘汰されなければならない。 ≫
 ▼ 死ぬのは自然の摂理、それに従うしかない。その時になり慌てふためくが、諦めきれないのが
知識を持った私たち。「余命半年!」と宣言された時の衝撃は、計り知れない。昼の間は、まだよいが、
独り夜半に目が覚めて、その恐怖との 闘いは生き地獄だろう。死ぬのが怖いが、余命半年と
悟った時から死ぬまでの苦痛が恐ろしい。だから準備が必要になる。
・・・・・・
4090, 老いの見本帳ーダークサイト −10
2012年6月6日(水)
   * 老いを受け入れる     「老いへの不安 歳を取りそこねる人たち 」春日 武彦 (著)
 60歳前後に初老性鬱病の人になる人が多い。人生に充実感が無く、未練や不満が渦巻いて恨みの気持ちが、世の中から落伍した
感情として被害者意識が生まれる。それが定年などで独りで判断しなければならなくなると、異様な自己中心的いじましい行為が現れ出る。
それは「尊厳を保った肯定的老人」とは程遠い姿である。次の文章は、高度成長期を竜宮城と見立てた団塊世代を浦島とみるとよい。
≪ 【浜辺の煙】 浦島太郎の昔話は、なかなか不気味な物語である。竜宮城における快楽の日々はともかくとして、浜辺に戻ってきたら
様子がおかしい。家々の停まいも景色も微妙に変わり、知っている人は誰もいない。わずか数日を竜宮城で過ごしただけだった筈なのに、
驚くほどの年月が故郷では経過していた。太郎はすっかり世の流れに取り残され、強烈な違和感と孤独感とを味わうことになる。
さらに二段構えの不幸として、玉手箱の煙で太郎は老いさらばえてしまうわけである。 故郷へ帰った浦島太郎を、現代における「老い」の
アナロジーとしてみるとどうであろうか。孤独死だとか家族の崩壊、地縁血縁の希薄化といった問題はあるいっぽう、今や「老い方」を
知らない世代が雪崩を打って老いに突入しようとしている。エレガントな、ナチュラルな、さりげない老いの作法や見当すらつかないものの、
それこそ数を頼んでどさくさまぎれに「これが今どきの老人だ!」とばかりに、賑やかに事態を乗り切ってしまえそうな気もするのである。
ストーンズだってとっくに六十歳を過ぎてるぜ、といった調子で。つまり老いに孤独や寂蓼感はつきものだけれども、考えようによっては、
結構アナーキーなノリで老年期に身を投じられるのではないか。そんな妙に楽観的な気分もどこか心の中に居座っているのである。だから
独りで浜辺に停む浦島太郎のイメージに我々自身は重ならずに済むかもしれない。その一方、玉手箱の恐怖の方が我々にはリアルではないか。
玉手箱なんか開けなければいいだけといった話ではあるまい。生理的な老化のみならず、諦めや気落ちや悲しみや絶望が、玉手箱の煙となって
我々を老け込ませる。アンチ・エイジングなどと称して誤魔化そうとしても、玉手箱の煙は我々の心の中にまで染み込んでくるだろう。 ≫
 ▼ 浦島太郎の教訓は、時代の現象に浮かれ、飲めや歌えで生きてきた人が、何かのキッカケで自分の老いに気づかされ、
  周囲を見渡すと若いときの友人は亡くなっていて、独り残されていた現実に呆然とする、ということ。あの玉手箱と、ケムリは
  何の例えだろうか。玉手箱は、それまで生きてきた時空での行蔵、煙は時間?だろうか。 
  ・・・・・・・
3724, 全米N0・1弁護士の勝ち抜きセオリー  〜�
2011年06月06日(月)
                    『議論に絶対に負けない法』ー ゲーリー・スペンス著
 10数年ほど前に読んだ本だが強烈な印象が残っている。 軽そうな題名だが、内容は重厚で味がある。
全米1の弁護士が書いた「議論の勝ち方というより人生の勝ち方のセオリー」の本。アメリカ的プラグマチズムとして読めばよい。
しかし、生の法廷の中で勝ち抜いてきた人生のセオリーの凄みも見逃せない。とにかく、面白い本である。 4〜5年に一度の割りに
三十数年来の友人が、人生の大きな分岐点の決断の問題や、経営上の深刻な悩みを持ち込んでくる。私の場合、自分のこととなると何?だが、
ひと様の事となると、冷静な答えを出すことが出来る?と自負をしている。学生時代の武澤ゼミの特訓と百数十回以上のセミナーの蓄積もある。 
数年前も、「実は現在、属している会社が吸収合併した会社のことで裁判沙汰になる。 自分は現在、その専任になっているが、
どうしたらよいか助言して欲しい」とのこと。「2〜3千万レベルか、数億レベルか、それによって私の聞き方と答えが違ってくる?」と言うと、
「もちろん後者で、前回、そこを買収するときに相談をしてもらったが、その買収後に派生した問題」とのこと。これ以上は書けないが、
直ぐに、この本を思い出し紹介をした。 内容は、ほぼ忘れていたが、残っていた記憶で「一に準備、二に準備、三、四がなくて、五に準備。 
それも戦いの構えを時間をかけて作っていく準備を説いている。それと正攻法を第一にして、問題の中心点に全エネルギーをそそぐこと。
それと自分のサイドの勝ちの物語を作ること」が書いてある等、自然にスラスラと言葉が出てきた。その意味で、この本を消化していた。 
考えてみると、この本、孫子の兵法そのもの。「勝つための構えを充分に備えておけば、勝利は自ずと決まってくる」のは道理である。
分かりやすくいえば勝ちの陣形をコツコツ作ること。アメリカの現代哲学的な考えの枝葉の一例とみると、法廷闘争の中で勝ち抜いてきた
弁護士の自信に満ちた論理が見えてくる。
・・・・・・・
3359, ギリシャ問題の深層
 2010年06月06日(日)
 現在、欧州ではギリシャを発端にしてPIIGS(豚ども)といわれるラテン系を中心にした国々の金融破綻が問題になっている。
アメリカ発の金融恐慌が欧州に飛び火をし危険な状態になっている。 ギリシャがユーロ通貨圏に入りたかった理由は防衛面
(イスラム教諸国に隣接)と、(万年金融破の)金融面があった。 02年ユーロ通貨加盟を検討していた際、
「財政赤字をGDPの3%に抑えなければならない」というハードルがあった。 そこにゴールドマン・サックスが
「とにかく財政赤字の帳尻を合わせる施策を」と、エサを差し出した。 追い詰められたギリシャ政府はその誘いにのってしまった
(当時の政権は現政権と同じパソック、首相はシミティス。現首相パパンドレウは当時の外務大臣)。財政赤字を3%以下に抑える
“魔法”(虚偽)と引き換えに、GSは観光国としては大きな収入源に目をつけた。ギリシャが空港税の30年分の収益と
将来の宝くじなどの収入を差し出すなどの契約を交わした。 ギリシャにとっては加盟さえすれば当時のギリシャの外国からの
借入金利が13〜4パーセントから、3〜4パーセントに引き下げることが可能になる。
加盟の結果、さらにお金を低金利で借りまくった結果が深刻な財政危機である。 加盟のための粉飾決算をしていたのである。
そのことを国民はなんの説明も受けていない。 その上に、ある日突然の「財政破綻寸前宣言」である。ゴールドマン・サックスは
このような誘いを他にも、複数国に持ちかけていた。 ギリシャの公務員は4人に1人もいて、国民も納税意識が非常に低い。
    (字数制限のためカット 2011年6月6日)
 ・・・・・・・・
2008年06月06日(金)
2620, あわや大事故!
 まったく、この男、よく変な事件を起こすよ!というのが、起きざまの実感! 昨夜、長岡で飲み会。 
普通は第一金曜日だが、上さんの都合で一日早めた。長岡の飲食街、道路には人っ子一人も居ない。 それだけでない、
タクシーも一台も並んでいない。平日のためだろう。 丁度0時頃、タクシーを拾うとして旧八号線にいっても車自体走ってない。
そこで信号を超えて川沿いの道を歩いていたら、左折をしてきた乗用車と出会いがしら撥ねられる。ガソリンスタンドの角で
見通しがよい筈。 かなりの衝撃であった。 ところが、左に担いでいた革鞄が振り向きざまで身体を防御してくれた。
右腕と左足の脛の右を痛打しただけで済んだ。運転手は若い男で、青い顔をして平謝り。大きい衝撃の為、かなりの人身事故と
勘違いをしたようだ。車に乗って病院に向かったが、触ってみたがそれほどではない。しかし、後遺症が出る可能性がある。
事故届けに長岡駅前交番に進路を変える。 しかし、交番は電気が消えて誰も居ない。そこで、電話をして本署からか来てもらう。 
そして現場で事故の詳しい聴取。それも運転手のみ。駅でパトカーが来るまで、「私は、問題を大きくするつもりはない、ただ、
事実を正直に言ってください。下手に自分の都合のよいことを言うと、貴方は不利になりますよ。私は後遺症の時に、
保険の問題などで公にしておきたいだけです。」と言い含めていた。 そのためか、処理は20分ほどで済んだ。
やはり、これを書いている現在、足の脛が痛み出した。 しかし病院にいくほどではないようだ。全く何が起きるか分からないものだ! 
九死に一生とは。 それが突然に自分にとは!やはり人生、したいことをして、悔いのないように生きなければ、それにしても
警察沙汰が二度も続けて起きるとは! (二ヶ月前に呼び込みに強引に店に連れ込まれそうになり、大騒動になった。)
これまで、個人として警察沙汰は一度もなかったが・・(普通なら当たり前だが)
 その運転手に、「こんな時間に、何してるの?」と聞いたら、 「スナックをしています!」という。 
生きているうち、健康のうち、元気なうち、そして若いうち! 人生は!


4830,「事業人生を決心して45年」の語り直しー8

2014年06月05日(木)

   * 「語り直し」を始めて驚いたことは
 3年前の結末で、オセロゲームの駒が、白から黒に変わったと思い込んでいた。ところが、変わったのは
細部の記憶が次々と最近のことのように思い出すこと。嫌な出来事と思っていた中に、自分自身の姿が垣間みる
ことが出来ることだ。むしろ、不遇の渦中こそ、人生の醍醐味がある。ただ、気づくか気づかないかである。
不遇であればあるほど、周囲の人に親切になる。だから、多くの邂逅が生まれ、味のある日々になっている。
成るほど、人生は面白いものである。生きてきた課程で、日々、世界が変化している。そして、自分自身も、大きく
変化している。特に、20歳代の変化は激しく、留まることはない。金沢にいた頃の会社は、最後は吸収合併をされて、
今は、何一つ残ってない。あるのは、抽象画のような記憶だけ。しかし、これが自分の基礎に大きく根を張っている。
 金沢に来たのだからと、能登一周の観光バスで一日一人旅をしたり、同僚との東尋坊へのドライブに行ったり、
早朝の金沢港でのキス釣とか、金沢駅前の居酒屋で騒いだりとか、入社前の研修での永平寺の座禅とか・・・ 
 ところで、東尋坊は北陸随一の景勝であり、自殺の名所としても知られている。同僚から聞いたのが、自殺者の
霊が管理事務所に尋ねて来たとか、断崖から下を見たところ、多くの手が伸びてきたとかは日常茶飯事という。 
 せっかくの金沢なら、茶道でもと思いたち、同僚の女性の紹介で、寮の近くの家に習いにいっていた。異様な緊張感が
漂う中、来ている女性は、なかなかの若い美人ばかり。週の火・木曜日の週二回のどちらかに行くが、これが心落ち着く。
それぞれの日で、来ている人が違うが、そこでの美人を見るのが楽しみになっていた。ただ、それだけだが、金沢を急遽、
去るにあたって、その事情を師匠に話すと、「ところで結婚相手が決まっているの?」と聞いてきた。
「職場の女性以外に、チャンスもないし、同僚は付合わない主義で・・」と答えると、「どっちの娘がいいの?」と!
結婚相手など微塵だに考えてなかったので、「別に!」と答えたが、悪くはないが今さら時間が無い。
考えてみたら金沢での伴侶の選定も考えられた。 浅く広い、いちゃつきレベルでは、多くの思い出はある。
一番、惨めで、嫌なことばかりの日々の中にこそ、多くの心の痕跡がある。それが青春ということか。 
人生は多くの出来事と、その記憶の重なりで出来ていて、「自分」は、その蓄積そのもの。 
そうこう振返ると、創業準備期間の15年の方が、創業以降の30年より、遥かにエネルギーが入っていたことになる。 
結果が、どうであれ、野心を持って、ひたすら日々を過ごしていた20歳代が、人生の醍醐味があったようだ。
 結果としてみて、20歳代は、非常に合理的配転を自らしていたことになる。今だから言えるが、面白い日々だった。
・・・・・・
4463, 余命半年 −1
2013年06月05日(水)
             「余命半年  満ち足りた人生の終わり方」大津 秀一著
 老いるにも準備が必要であるが、死ぬことにも準備が必要のようだ。「あと余命半年」と悟った時に何をするか?
その時には、苦悩と苦痛が頭を占めて殆ど何もできない。あと半年と悟った時、「準備をしてきて良かった」と言えるよう、
普段から一歩ずつ足を踏みしめて生きなければならない。それにしても、それほど遠くない未来に、余命半年+−数ヶ月の
余命を宣言されるか、自分で悟る時がくる。これが脳溢血、心不全、交通事故など瞬間死の数倍の確率というのが現実である。
その瞬間から悟りすまして生きるなど、無理。それまで積み重ねた知識と経験と覚悟を持って、心を平静に保つしかない。
  ーまずは、「はじめに」より抜粋---- (要約でもある)
≪ 「あなたの余命は半年です」突然そう宣告されたら、あなたはどうするだろうか?
 とりあえず遺産をどうするか、そこから手をつけるだろうか。
あるいは、かねてより行きたいと思っていた海外の国に旅行に出かけるだろうか。
いずれにせよ、ぼやぼやしていたらあっという間に半年など過ぎてしまうだろう。
半年・・・たった六ヶ月である。「命はそれまでですよ」と告げられたあなたは、その半年の間に
やるべきことをすべてやり、心にも折り合いをつけて最後を向かえることが出来る自信はあるだろうか?
 ・・・まさに人の数だけ物語があり、バッドエンドもハッピーエンドもある。
ある時から、私は何がこの二つを分けるのか、あるいは、ある人の終末期に光が包まれるのに、ある人の終末期に色濃い
闇に閉ざされるのか疑問に思った。 結論から言うと、老いる前から老いることを、病気になる前から病気になることを、
死ぬ前から死ぬことを考え、そこで悲観的になるのではなく、だからこそ一足一足を踏みしめて生きようと、そう思った
人間にはそれ相応の最期が約束されるということがわかった。
 老いること、病気になること、死ぬこと、それを事前に考えるのは、ものすごく精神力を使い、大変な作業である。
ともすれば抑うつ的になってしまうこともあるだろう。しかし、その差は必ずいつか出る。ひょっとすると、最期ばかりか、
明日からも大きな差となって現れるかもしれない。・・・ ≫
 ▼ このところ、老い、病気、死についての本を読むことが多い。 読んでいると安らぐのである。どっちにしろ、
  そう遠くない先に直面するのである。その時になって、急ごしらえの準備は、それでしかない。しかし、この本も、
  健康時からの心得、病初期・病中の心得、病末期の心得、死の心得と、段階をおってるから、シビアで引き込まれる。
  緩和医療のお医者さんもあり、著者は、その実態を紹介することで不安を少なくしたいのが、この本の主旨である。
 「精一杯生きました。悔いはありません」そういって誇らしげに言えるための準備、それは「今を幸せに生きる」こと。
・・・・・・
4089, 老いの見本帳ーダークサイト −9
2012年6月5日(火)
   * 役割としての「年寄り」    「老いへの不安 歳を取りそこねる人たち 」春日 武彦 (著)
 ここで、「老人と年寄の意味合いの差は、喧嘩の仲裁ができるかどうか」という。村の長老は、争い事の仲介者としての
役割が最も似合っている。若づくりをした粋な老人も良いが、何もかもしりつくした重みのある長老も良いものである。
≪ 【老人と年寄り】 老人という言葉には、老化現象の起きた人間とか老衰間近の人間といった印象を覚えてしまって、好きになれない。
老人ホームとか、老人病院といった具合に。それよりは「年寄り」といった呼称のほうが、経験や年輪を重んじている気配が感じられる。
相撲界でも年寄株は必ずしも高齢者が持つわけではないし、江戸時代の武家では役員待遇的な意味合いではなかったか。
長老、なんて尊称も最高齢者というよりは「年寄り」に近いニュアンスであろう。
 わたし個人の勝手なイメージでは、年寄りとは喧嘩の仲裁ができる人である。「ここはひとつ、年寄りの顔に免じて堪えてくれんかのう」
と言えば、それで喧嘩している同士はしぶしぶ矛先を納める。立腹しつつも、どこか安堵した表情を浮かべながら。そんなふうに心の機微を
読み取り、また最後の最後に腰を上げる状況判断の確かさと、人生経験を重ねてきていることへの万人の敬意とかが、その場を収めるのである。
 ・・・ 六十歳を超えると急に「余りにも下世話な」妄想が突出するケースが散見されることは、既に第5章で触れた。その背景には、
若さから遠ざかったことへの無念さとともに、年寄りであることを受け入れるに足る価値感が高齢者に与えられていないことがあるだろう。
暴走老人などというものが出現したのも、老人であるという無力感や孤独感のみならず、年を重ねたという事実を劣化といった文脈でしか
認識しない世間への恨みが大きかったからだろう。 年長だからとそのことだけで威張るのも、あるいは落胆するのも問題だけれど、
年長者の顔を立てるといった世の中の「知恵」が通用しなくなっている。その辺りの軋みを是正するには、もはや老人が年寄りであることを
意識的に「演じる」ことから再スタートするしかないのではないか。
 世の中が認めてくれるかどうかはさて置き、年寄りというキャラクターを、役割を、もっと意識してみてはどうなのか。そのキャラクターが
現今においては「カッコ悪い」といった了解があるから、年寄りであることを皆が演じたがらない。若く見える意外性ばかりを狙いたがる。
 団塊の世代がこれから老人へと突入していく。どのような老人像を頭の隅に思い描きつつ年寄りになっていくのか。ジーンズやTシャツが
少なくとも外見的に旧来の老人とは違ったイメージをもたらすだろうし、家族のあり方も変化してきているのだから、過去の年寄りの姿が
そのまま手本にはなるまい。還暦に赤烏帽子と赤いちゃんちゃんこを贈られていた頃とは時代が違う。≫
 ▼「あえて自分らしい年寄りを演じてみることで、配役として全うしてみることを楽しんでみればベスト、人生など所詮は
  座興に過ぎないのだから」という著者の言葉が説得力がある。清濁併せ飲む老人を演じるのも面白いが・・・どうも、クソ真面目は?
  年寄りは、目立たないことだ。団塊の世代の年寄が、目立ち始めてきた。だから海外旅行者の数が不景気にかかわらず減らない。
  彼らは「皆んなで渡れば怖くない世代」である。兄弟、友人も皆んな年寄りになっていくため、無力感や孤独感は少なくて済む。
 ・・・・・・・
3723, ジャズについて −15
2011年06月05日(日)
   * 日本のジャズはどうなっている ?  ー 「音楽の本」三枝成彰著 より 
【 二十世紀初頭にアメリカに生まれたジャズが日本に入ってきたのは、明治から大正に入り、第一次世界大戦が勃発した頃だ。
 当時は社交ダンスが華やかなりし時期で、ダンス音楽として輸入されたのである。 一九三〇年代にもなると、東京を中心に
 ダンス・ホールがお目見えし、日本人によるバンド演奏も行なわれるなど、第一次ジャズ・ブームが起こる。わが国最初の本格的な
 ジャズメンとの評価を得るトランペッター南里文雄が活躍を始めたのも、そんな時代である。しかし、ジャズが本当に日本に
 もたらされたのは、第二次世界大戦後の進駐軍占領時代といっていいだろう。それというのも、戦争が激しくなる一九四〇年前後には、
 ジャズメンの主な活躍の場であったダンス・ホールは閉鎖され、やがては「敵性音楽」との理由から演奏そのものが禁止されるなど、
 ジャズの空白期間に入るからである。戦後のジャズ。それは、進駐軍として駐留する兵隊の娯楽として、NHKがジャズなどアメリカの
 ポピュラー音楽を放送したことを直接のきっかけとする。やがては慰安のため進駐軍のキャンプを巡ってジャズを演奏する日本人も出現。
  同時に、日本人の心もとらえ、五〇年代に入ってルイ・アームストロングやベニー・グッドマン、デューク・エリントンなど本場の
 巨匠たちが来日するにいたって、第二次ブームとも呼ぶべき様相を呈したのである。もちろん・進駐軍とともにもたらされたジャズは、
 アメリカと同じようなスタイルの変遷を経ながらも日本にすっかり定着していき、一方、日本の流行歌にも大きな影響力を及ぼすのである。
  そんな日本のジャズで活躍した多くのプレイヤーの代表をあげるとすれば、サックスの松本英彦や渡辺貞夫、トランペットの日野皓正、
 ピアノの秋吉敏子、菊池雅章、山下洋輔らになるだろう。なかでも日野晧正や菊池雅章、秋吉敏子といった面々は、ジャズの本場
 アメリカを拠点に活躍。日本におけるジャズも、本場がそうであるように、八○年代以降やや沈滞気味だが、そもそもは輸入された
 音楽であるジャズの世界でも、世界に通用するアーティストを輩出していることだけは忘れてはならない。 】
  ▼ 私が学生時代に、TV番組でジャズが多く流れていた。それだけでない、カントリーにウエスタン、ブルースにロックと、
   当時はアメリカに如何に同化するかが、大きなバロメーターのところがあった。現在も、その傾向が残ってはいるが。
   地方出身の学生であった私も、何の抵抗もなく、アメリカナイズされていった。それから考えれば今さら何がジャズか、になる。
   とはいえ、当時の刷り込みのあるジャズに、興味を持つのは当然といえば当然で、むしろ抵抗なく、その世界を楽しめばよい。
 ・・・・・・・
3358.すでに世界は恐慌に突入した ー1
 2010年06月05日(土)
「 すでに世界は恐慌に突入した ーデリバティブとドルはあと数年で崩壊する 」 ー船井幸雄 朝倉慶 著
  ーまず、アマゾンの 内容紹介 よりー
いよいよ、資本主義が音を立てて、崩れていきそうな気配。今の我々のシステムはデフレという状態では崩れません。
貨幣への信頼があるからです。ところが、世界的に始まってきた、石油や食糧をはじめとした、今の商品高が止まらなくなり、
酷いインフレ状態に陥ると、やがて貨幣に関する信用が失墜して、経済活動、その他も収集がつかなくなってしまいます。
そうなれば、資本主義の崩壊です。そのきっかけを作るのがドルの暴落です。ドル暴落という引き金が引かれれば、国債大量発行
という借金漬けの日本の状態もそうですが、中国の体制の問題、イラン、イスラエルに見る中東問題、インド、パキスタンの紛争、
さらにはロシアや東欧、書きだしたらきりがないほどの世界を取り巻く矛盾が一気に噴き出てしまう。 ・・・・ (中略)
 恐らく今回の混乱は、経済的な破壊に留まらず、天変地異や、鳥インフルエンザなどの破壊的な疫病も伴うこととなる。 
まさに人類史上最大の困難が幕明けようとしています。しかし、この事態を決して悲劇的なことと捉えないでほしいのです。
豊かになった我々は、実は、多くのものを失ってきているのです。親殺し、子殺し、無差別殺人、振り込め詐欺、こんなことは
なかったことです。豊かさとともに何かが変わったのです。家族や隣人への愛情、屈託のない笑顔、世の中には、お金では
買えないものが山のようにあって、そのものすべてを取り戻す旅が始まるのです。お金や人の地位などは目で見ることができます、
しかし愛情や信頼などは、目では見えませんし、計ることもできません。一番大事なのは、この目に見えないもので、これから、
我々はこの目に見えない、今まで失った一番大事なものを取り返しにいくのです。
 ▼ しかし朝倉慶の「大恐慌入門」は、たとえ話を多く取り入れながら分かりやすい内容で、非常に多く売れたよう。
 その続編といった内容で、6京という信用取引の残高のマイナーは、まだ世界中の企業、金融機関、政府系機関の金庫の中で
 ジッと眠っているだけ、必ず、その損失処理をしなければならない時期がくる。それが今や刻々と近づいているのは
 誰の目にも明らかである。対処処理で札を刷りまくった結果は、札の価値の下落、ハイパーインフレである。
 今年の暮れから2012年には、発生するのは間違いないこと。
・・・・・・・
2983,超円高社会ー 6
2009年06月05日(金)
 現在の年金問題の大きな問題は誰が起こしたのか、そして、その問題点とは何かを簡潔に書いてあった。
これによると、田中角栄である。考える方も考える方だが。 彼の功と罪は、あまりに大きい。最後は消費税とは別に、
「年金税」という直接税で賄うしかないのだろう。
  ーまずは、その部分を要約して書いてみたー
  * 孫代にツケを回す年金制度の犯人は角栄
【 自分が積み立て、増やしたお金を老後に受け取るという制度は、当初のように続いていたら、これは公平な制度である。
「制度を越えた支え合い」などという政府のマヤカシで洗脳される余地はなかった。では何時、世代間で極端に不公平な賦課方式に
替わったのだろうか。実は、あの詐欺師のような男、角栄である。田中角栄時代に、日本はハイパーインフレに襲われた。
当然年金は目減りをする。年金を引き上げれば喜ばれる。しかし、下げれば嫌われる。そこで角栄は考えたのである。
日本の制度は大福帳会計である。個人個人の会計の口座の中味を把握できる仕組みになっていない。そこで、年金制度を賦課方式に
切り替えれば、年金を掛け金を値上げすることなく、当面の年金額だけを大幅に増やせるぞ、と。この決定こそ、身勝手に国民の財産を
奪い取る、悪魔の決定であった。 それを解りやすく説明をすると、若いXさんの積み立てた財産を勝手に奪い取り、老後期にある
Yさんに勝手にばら撒くという案なのだ。自分の積み立てた金は現在の老人に支払われてしまい、老後は、その時の若い人から支払えばよい、
という考えである。負担を後世代に回すことで票を買うという背信的な政策だったのである。当時、角栄の熱狂的に支持した層が、現在、
老後の世代になっており、この歪んだ制度の最大の受益者になっている。彼等こそ角栄超円高社会ー 5の共犯者なのである。
積み立て方式を賦課方式に替え、そして自ら払った金額より大幅に超える年金を受給し、今の若者に尻拭いを押し付けたのである。
角栄は「今太閤」と呼ばれ人気者になって、票を取り、私腹を肥やして、あの世に逃げていったが、残された国民はいい面の皮である。
こうして角栄の手で年金はネズミ講のシステムに切り替えられたのである。このネズミ講の破綻を避けるには、より多くの金を集め、
被害者の数を多く集めて、誰かが尻拭いをしなければならないのである。そのためには人口が増え続けなければならない。】
▼ 以上だが、私たちの年代は、その恩恵を受けるが、その後を考えると大変な負担になる。
 これと同じようなことを、自民党が大量国債発行を続けてきた。
 更に、この金融恐慌をキッカケに大量に積み増している。 もう手が付けられない手負い獅子。
 この総選挙で抹殺されるか、生き延びるか? 自民党を選択してきた国民の民度が一番の問題。
・・・・・・・・・
2008年06月05日(木)
2619, 消費社会から格差社会へ ー3           ー読書日記ー
ー若い人の一人旅は流行らないー
 この本によると、10年ぐらい前までは、「深夜特急」とかいう本に啓発されて若者がパックを背負って世界を旅するのが
流行っていた。 が、今では全くといってよいほど見られないという。 いつの間にか時代は変化していたのである。
  ◎ まずは、その部分を抜粋してみる。
以前、ある研究会で旅行関係の仕事をしたんです。聞くところによると最近の若い子が海外旅行に行かなくなったと。
まあお金もないし、頻繁に海外旅行しなくなったと。でもお金の問題だけじゃなくて、どうもコミュニケーションカが
非常に低くなっているんじゃないか、と。 七〇年代初期に 「団体旅行なんてカッコ悪いぜ、デイパック背負って行く
旅がいいじゃん」っていう、「地球の歩き直的なムーブメントがあったけれど、今は「若者だから一人で旅をしろ」って
言っても、もう行かないんです。  (字数制限のためカット 2012年6月5日)
・・・・・・・・・
2007年06月05日(火)
2254, ビョーキな人々探訪記 ー3     o(゜∀゜)o オッハヨウ
*鬱病について
依存症とは違うが、これも大変な病である。作家の原田宗典と中村うさぎの対談も絶妙である。
原田宗典は数冊読んだことがあったが、彼が鬱病とは驚きだ!
 (字数の関係でカット09年06月05日)


4829,「事業人生を決心して45年」の語り直しー7

2014年06月04日(水)

   * 出口王仁三郎の虎穴問答
 ここで大きな問題を起こしてしまった。実質ナンバーツだった取締役人事部長と社長と対立の真中に立たされてしまった。
新入社員教育以来、私に目をかけてくれ、自宅に招かれたり食事をしていた部長と接しているうちに、私主導で同期生会を
つくることになった。今から考えてみるとA部長の誘導があったが、それは後になって気づいたこと。 何度か会を重ねて
いる内に、「県知事でも招待するか」という話になって、A部長に相談に行くと「県知事とは懇意にしている」という。
その辺から配送センターの所長が、そんな会を作らせてしまった責任問題も加わり、明らかに社長直の、会潰しが始まった。
組合の温床になる恐れと、明らかに部長派閥の一つと見たのだろう。 県知事からOKの返事を貰っていたので途中で、
今さら止めるわけにいかず。何人かが会そのものを止める動きが出てきた。 私の立場が、東レの所長と人事部長の関係で、
預かりの中途半端な立場で、非常に弱い。いつ、首になるかもしれない中、その人事部長が辞めてしまった。その中で、
何とか県知事招待の会が開かれたが、その後、知ったことが、県知事招待の献金の相場が当時の100万(現在では
7〜8百)など、当時の私に知る由がない。それらのストレスで、大酒を飲んだ末に、寮内で、人をはばかることなく、
一晩中、号泣をした。泣いても泣いても涙が湧き出ることを初めて知った。後年、映画で知ったが、刑務所入所の初日に、
囚人が、一晩中、号泣するのが恒例という。 泣き終わって割り切れたのか、まず自から、その会を止めることにした。
 その頃、たまたま近くの書店で手にしたのが、大本教の出口王仁三郎の特集の雑誌。そこに、大本教の弾劾裁判での、
王仁三郎の「虎穴問答」があった。あまりに大くなった大本教に、当時の政府が徹底した弾圧をし、裁判にかけられた
王仁三郎が、戦時体制を虎に喩えた虎穴問答である。 虎穴に落ちてしまった人が、助かるために、どうすればよいか?
を裁判長に問いかけをする。 ーネットからの抜粋ー
《 ▽ 大阪控訴院での裁判長との虎穴問答−「人虎孔裡に墜つ」という禅問答
・王仁:「一人の人間が虎の穴へ落ち込んだ場合どうしたらよいか。裁判長、あなたはどうお考えになりますか?」
・裁判長:「自分は法律家だからわからないが、どういうことなのか?」
・王仁:「人間より虎のほうがつよいから逃げようとすると殺される。刃向かっていっても同じことだ。ジッとしていても虎が
 腹がへってくると殺しにくる。どっちにしても助からない。けれどひとつだけ生きるみちがある。それは食われてはだめだ。
 こちらから食わしてやるのだ。食われたらあとにはなにも残らんが、自から食わしてやればあとに愛と誇りとが残る。
・裁判長:「うーん」 と嘆声を漏らした。
王仁三郎は、この問答で大本事件を語ったのである。そして、この問答が事件の一大転機をもたらした。》
 この逸話を、自分の立場になぞらえて、その会を止めたが、この経験から多くのことを学んだ。当時の私は、良くいえば、
純粋、悪くいえば無知蒙昧でしかない。 が、その後の人生で、節目時の決断に、この経験が、大きく影響をしていた。
「駄目だと思ったら、自ら喰われてやること!  三年前も、最後の最後に、『自分から喰われてしまえ!』という内語が、
後押しをした。「逆境には根を、順境には枝をはれ」というが、逆境こそ、力が蓄える! でも・・傷だらけの上で、だが。
・・・・・・
4462, 99・9%は仮説、ですか〜 −4
2013年06月04日(火)
        「99・9%は仮説 ー思いこみで判断しないための考え方」竹内 薫著
   * 第3章 仮説は一八○度くつがえる
 東北大震災による大津波で、原発安全神話が一瞬にして崩れ去った。絶対安全は仮説でしかなかったのである。
その事実の前で社会は直ぐに手の平を返す。私も、あり得ない震災クラスの9・11テロ、リーマンショック、3・15震災で
呆気なく会社が倒産。その辺りは実感している。‘まさか!’が現実に有得ることを父と自分の経験から学んでいたので、
幾つかのシェルターを組み込んでいたので何とかなった。現在の「現在の健康が目先続いていくだろう」という前提も仮説。
 全てが一瞬で崩れ去ってしまう。ただ少し早いか遅いかである。  ーその辺りを抜粋してみるー
≪ ひとくちに仮説といっても、みんなが正しいと信じているものから、ほとんどの人がまちがいだと決めつけているものまで、
 実にさまざまな種類があります。仮説には、白から黒までの幅広いグラデーションがあるのです。この章では、そういった
仮説の信じがたい大逆転劇をみていきましょう。・・・
「医学界の負の遺産、ロボトミー」。エガス・モニス(1874〜1955)というポルトガルの医者が、1949年度の
ノーベル生理学医学賞を「ある精神病において、ロボトミー手術の治療的価値を発見したことに対して」受賞した。
(この年に湯川秀樹博士が「中間子論」でノーベル物理学賞を得た。)
 ロボトミー手術とは、一口に言って脳の前頭葉の切除手術である。モニスは、1935年に人間に対して、この手術を始めた。
そのきっかけは、1935年のロンドンでの神経医学会でカーライル・ヤコブセンとジョン・フルトンという人が、
「チンパンジーに対してロボトミー手術を行ったら凶暴性がなくなった」という報告を行ったのだが、それを聞いていた
モニスがロボトミー手術を精神病患者に応用することを思いつき、すぐ自分の患者に対し手術をしたのである。
 これは、現代から考えると、まったくありえないこと。モニスは「この前頭葉切除は、非常に簡単な手術である」といって
いきなり数十人の手術をした。当時は、たとえば統合失調症や躁うつ病に対し、効果的な治療法がなかったから」という。
1952年のクロルプロマジンに始まった薬物療法の進歩によりロボトミー手術の評価は一変した。
 結果的には、ロボトミー手術というのはとりかえしのつかない治療法だった。世論が180度変わってしまったわけ。
1946年までに一万人が、この手術を受けている。・・・≫
 ▼ 時の政権の政策も仮説の典型。政権が変われば一八〇度覆ってしまう。イラク戦争のフセインの科学兵器疑惑に、
  CIAの間違った調査でイラクに攻撃を仕掛けた。これも、持っているという仮説の上で、調べた結果である。
 人生を振る変えると、当てにならない仮設を信じて生きてきた。私だけでなく、すべての人に言えるから、諦めがつくが、
 それにしても、である。逆に過去の色いろな場面で、違った仮説で判断していたら、如何だったか?という仮説も立つ。
 考えて仕方がないが、なるようにしか、ならなかった、ということ。それにしても、大半の人の仮説は楽観的過ぎる!
・・・・・・
4088, 老いの見本帳ーダークサイト −8
2012年6月4日(4月)
   * 老いと鬱屈           「老いへの不安 歳を取りそこねる人たち 」春日 武彦 (著)
 私の嫌いな言葉に「世間」がある。日本の社会は、「世間」という言葉と視線に常に怯えて暮らしている。属している社会が
固定化されているほど、そこには難儀なものを抱えたグロテスクな世界ができている。それで、一生何も出来ないで死を間近に
したときに、その正体に初めて気づくのである。 その不快な毒を体内に蓄積して、ただれている世間という虫。シラミである。
老化は、否が応でも毒が蓄積されている。そう、世間の一員に陥っていく。だから、熟年になったら群れてはならない。 
 ー次の箇所は、老いの屈託を巧妙に表現している。
≪ 老いることは、人生経験を積むことによって「ちょっとやそっとでは動じない」人間になっていくこととは違うのだろうか。
 難儀なこと、つまり鬱陶しかったり面倒だったり厄介だったり気を滅入らせたり鼻白む気分にさせたりするようなことへの
免疫を獲得していく過程ではないのか。 難儀なことを解決するのか、避けるのか、無視するのか、笑い飛ばすのか、それは
人によって違うだろうが、とにかく次第にうろたえなくなり頼もしくなっていくことこそが、老いの喜ばしい側面ではないかと
わたしは思っていたのだった。 だが、世の中にはまことに嫌な法則がある。嬉しいことや楽しいことに我々の感覚はすぐに
麻痺してしまうのに、不快なことや苦しいことにはちっとも馴れが生じない、という法則である。不快なことや苦しい事象は、
砒素や重金属のように体内へ蓄積して害を及ぼすことはあっても耐性はできないものらしい。 だから老人は欝屈していく。
歳を取るほど裏口や楽屋が見えてしまい、なおさら難儀なものを背負い込んでいく。世間はどんどんグロテスクになっていき、
鈍感な者のみが我が世を謳歌できるシステムとなりつつある。・・・老いても鬱屈や煩悩は蓄積していくばかり、難儀なことには
事欠かない。しかし遅かれ早かれ、この世界のほうを、さながら迷子みたいに置き去りにしてやれるのである。・・・ ≫
▼ 「嫌な法則がある。嬉しいことや楽しいことに我々の感覚はすぐに麻痺するのに、不快なことや苦しいことにはちっとも
 馴れが生じない、という法則である。」は、正に人間の不幸の起因である。それを打ち消す方法は数多あるが、その毒は
体内に蓄積し、さらに体外に放出する。そして、マイナスの循環で、体内の毒は、ますます濃くなっていく。
この本は、その見本帳でもあるため面白いのである。これまで見てきた身近な老人に、酷似しているため妙に馴染むのである。
そして本格的に一歩ずつ仲間入をしていく。 それならば老いは鬱屈するものと初めから割り切って孤立していた方が良い?
 ・・・・・・
3722, ジャズについて −14
2011年06月04日(土)
          ー 「音楽の本」三枝成彰著 より
  * ージャズ・ボーカリストー 《 ビリー・ホリデイからカサンドラ・ウィルソンまで 》
【 ジャズの歴史とジャズマンについて、その流れを追ってきたが、ジャズ・ボーカリストを簡単に触れておこう。 
・ジャズ・ボーカリストといえば、誰もがまず思い浮かべるのは、ルイ・アームストロングと、「暗い日曜日」「奇妙な果実」が
 よく知られているビリー・ホりデイ(一九一五〜一九五九)であろう。三〇年代の小コンボをバックにした珠玉のような名唱、
 スターダムにのぼりつめた四〇年代、酒と麻薬で声をつぶしながら深い感動を誘う五〇年代の円熟。 
 「ビリー・ホリデイは、それが自分の人生のように歌った」といわれ、その技巧以上に、ひとつひとつの歌詞に込められた
 万感の思いを、じんわりと聴き手の魂の奥底まで響かせたポーカリストである。
・歌も人生も劇的だったビリー・ホリデイと対照的に、エラ・フィッツジェラルド(一九一ハ〜一九九六)は、抜群の
 リズム感とまるで楽器を思わせるボーカルが特徴で、ジャズ・ポーカリストのトップとして長くその地位を維持した。 
 大作「ソングブック」(五九)など、どれをとってもほれぼれする美しさである。
・サラ・ヴォーン(一九二四〜一九九〇)も、エラ・フィッツジェラルドと双壁をなすモダン・ジャズ時代の女性ジャズ・
 ボーカリスト。四五年にソロシンガーとして独立。五十年代には、トランペットのクリフォード・ブラウンと組んで
 名作を発表し、七十〜八十年代にかけては、ピアノのオスカー・ピーターソンらをバックに名唱を残している。
・カーメン.マクレイ(「九二二年〜九四)、アニタ・オデイ(一九一九〜)といったシンガーたちの名前も忘れられない。
 サラ・ヴォーンも含めて、彼女たちのスタイルには、多かれ少なかれ・ビリー・ホレデイの影響がうかがえるのはもとより、
 ルイ・アームストロングが完成させた‘スキャット’というジャズならではの歌唱法も受け継いでいる。
・ほかにも取り上げなければならないジャズ・ボーカリストは多いが、最後に、カサンドラ・ウィルソンである。ちょっとドスの
 利いた声は好みが分かれが、『ニュー・ムーン・ドーター』(九五)は、サウンドもボーカルもじっくりと聴き惚れる
 しかない傑作。まさしくブラック・ミュージックの新しい帰結として、カサンドラ・ウィルソンに耳を傾けることを勧める。】
  ▼ ジャズについては、他の音楽と同列に聴いていたが、この本で取り上げているジャズマンの名前は、知っていた。
   私のような、音楽に疎い者でも知っているのだから、ジャズは、TVなどを通して私たちの生活に入り込んでいる。
   学生時代に、暇を持ちあませて、ジャズ喫茶などで屯しているうち、知らないうちに接していたのである。
  ・・・・・・・
3357, つれづれに ー閑話小題
2010年06月04日(金)
  * 日銀短観 新潟県の景況感が四半期、ニケ月連続全国最低
 新潟県の日銀短観で、新潟県といえばだいたい中位の上であった。しかしリーマンショック以来、右下がりに転じ、
ついに二期連続で全国最低になったと地元紙が報じていた。 私が地元経済が異常に悪いといい続けてきたが、
過剰反応でないことが実証された。 まずは公共事業天国だったのが、「鉄から人へ」とへ国家政策が変わった。
農業も、輸出産業関連も最悪、日本で一番早く、恐慌の影響をモロに受けているのが実情である。
元もと新潟県人は質素倹約をモットーである。不景気となれば、その本領が直ぐに出てくる。
  * 県立近代美術館には、驚いた!
 一昨日、「奈良の古寺と仏像」展が長岡の県立近代美術館で開催されているので、行ってみた。
期待には反しなかったが、それより初めて入った県立近代美術館の豪華というより、豪奢な建物には驚いた。
半年以上前から、冬と春先を除いて、早朝、電動アシスト自転車で二つの大橋を一周するのが日課になっている。
そのコースの土手にそれがあるが、空気が違うのである。 肯定的にみれば、これ位は市の格からいって当然?、
しかし程度を遥かに超えている。ゼネコンの税金収奪の姿といって過言ではない。戦後バブルの饗宴の建物である
  * 鳩山から管に
 鳩山と小沢が辞任、次は管副総理が首相に決定する。 当初の予定通り。 これで、小沢も選挙に専念できるし、
新しい体制で選挙に向うのはベストの判断である。 管も、果たして一国の首相に相応しいかというと、これまた不安が残る。
(字数制限のためカット 2012年6月4日)
・・・・・・・・・
2982,超円高社会ー 5
2009年06月04日(木)
* 食料自給率40%は本当か?
 第7章 市場を毛嫌いする官僚システムの罪と罰 ー『食料自給率40%の世論誘導』には驚きである。
 ーその概要をまとめると・・・
著者は、食料自給率40%は農水省が都合よく作りあげたマヤカシの数字という。
農水省の言い分だと自動車の自給率は1%ということになる。 自動車は原料の重量比によって計算をしない。
自動車は出荷額や付加価値で考える。それと全く同じように食料も出荷金額ベースで自給率を計算することこそが、
世界で広く通用している食料自給率なのである。その世界通用自給率で計算すると何と66%なのである。 
日本国内では、カロリーが低く、しかし付加価値の高い商品作物を多く造っている。だが、カロリーベースで計算すると、
故意に無視していることになる。カロリーベースで自給率を算出しているのは世界で韓国と日本だけである。
例えばキノコはカロリーゼロである。『自給率が低いー>これは大変ー>自給率を上げよう』のパターンである。
しかし、この三段論法の二段目が抜け落ちている。自給率が何故高くなければならないか、が抜けているのである。
去年7月の漁船のストは、魚価を上げることが目的ではなく、補助金だったのである。ある業界だけが何故、
特定の補助金が出たのか、不思議な現象である。GDPとは『付加価値』の合計額のことなのである。豚の子どもを親に育てて、
豚の付加価値を与えたものが農業の仕事の筈が、そのところは一切考慮に入れない計算方式である。 
国内で生まれ、大きくなるまで育てた豚の肉でも「エサの90%以上が輸入品だ」という理由で国産にカウントされない。
そのために9・7%になってしまう。それに輸入豚47%を加えると僅かに5%にカウントされる。そうこうあらゆる手段で、
役人が66%の自給率を40%にするために、あらゆるところで数字の改竄を行っている。米の自給率は、実際は108%
なのに、この8年連続でジャスト100%ということになっている。8パーセントは、元々なかったとして切り捨てている。
 ▼ こんなことを知らされると、読む前まで信じていた「グローバルの時代の自国の食料戦略」とやらも、
  何か役人に世論誘導されている実態に、侘しくなってくる。この方式だと、自動車の原材料自給率は1%という。
 ーーー
2618, 消費社会から格差社会へ ー2
2008年06月04日(水)                  ー読書日記ー
ークルマが社会に与えた影響ー
 車が社会に与えた影響について書いてあるが、若い女性が新幹線や電車の中で鏡を出し化粧をしている理由が、車の中と
混同していることが解った。 新幹線といえば毎年の4月の恒例の姿がある。新社会人の女性が平気で待ち行列で
「うんち座り」をしている姿である。学校の校内の習慣を続けているに過ぎないが、若い女性はひときわ目立つ。
半年で流石に止めるが、それでも半年は続けるのである。これとは関係ないが。乗用車に電子レンジと冷蔵庫が付く
時代になったということである。内と外の境目が曖昧になっている。そのこと自体がホームレス化ということではないか。
   ーー
上野 もう30年も前のことですが、滋賀県の大津の西武百貨店の駐車場で、車から降りてくる人の調査をしてことがある。
 履物の大部分が{つっかけサンダル}ということがわかった。夏ということではなかった。
 私領域の顔で降りてくる。車は長距離を移動しても私空間を出前する乗り物だということがわかった。
三浦 クルマが人々の潜在心理に与えた影響はすごく大きいですよ。あまりそれを指摘する人はいませんが、
 クルマで育ってしまうと、電車に乗っても化粧をする。「クルマに乗ってると、なんで電車でやっちゃいけないの?」って
 いうことだと思うんですね。 僕もクルマの調査したら、若い男の子がカップラーメンを食いながら 運転していたし(笑)。
 あと信号待ちでマンガ読んでいるんですけど、信号が青になると、読みながらそのままブーンって出すんで驚いてしまいました。
上野 怖え?(笑)。
三浦 もう、なんでもやってますよ。実際、ロサンゼルスの通勤サラリーマンは、朝ご飯を食べる暇がなくて、
 クルマに電子レンジ積んで、テレビディナーを食べながら通勤するらしいですよ(笑)。
 トヨタの「エスティマハイブリッド」っていう車種も、コンセントがついていて電子レンジを搭載できるらしいですから。
三浦 電子レンジと冷蔵庫をクルマに完備してあげれば、今の若い子はもう大喜び。コンビニが走っているようなものですから(笑)。
上野 "ゴーイング・マイホーム"、つまり「走るわが家」ね。
三浦 そのうち仕事がなくなって、トレーラーハウスに住むようになってね。
 最近、犯罪を起こして人を新聞で見ていると、住所不定・無職でクルマにズットすんでいる人がけっこいる。
 ▼ アメリカが、既にトレーラー・カーに住み込むプアーが多く見られるという。日本の地方は車がないと生活が非常に不便で、
  一家に一台から、一人の一台の時代に入っている。  これは車がモバイル・ルーム化したともいえる。
  携帯電話にワンセグの機能と、ステレオ機能が付いていれば、充分満足のいく空間になる。
  さらに、コンセントまでついていれば・・・ 家庭など消滅するのは当然のことである。      ーつづく


4828,「事業人生を決心して45年」の語り直しー6

2014年06月03日(火)

  金沢の16ヶ月でも多くを学んだ。特に印象的だったのが、新入社員教育のST訓練(センシビリティ・トレイニング)。  
 社員教育の厳しさは、まずここから始まった。 まる3日間、同期の男子17〜8名が、トレーナーの人事部長の元、
円座に座り、担当の人事部長に指名された二人が、聞き手と、答え手になり何かの質問をする。逆質問は、一切禁止で、
質問の中心に向かい掘り下げていく。曖昧になると、トレーナーが叱咤する。その逆に質問者と聞手の立場を変える。
ランダムに二人を取替え対話をさせる。他の人たちは、二人の対話から、グループ全体が共通の無意識の内に入ってしまう。 
 ーそれについて以前書いた内容が以下である。  ー359, ST訓練 <2002年03月28日(木) >よりー
【 毎年この時期、新入社員に私が直接する訓練である。もう2〜3回の入社ゼロの年を除いて、前にいた会社も含めて
 26年間行っている年中行事である。初めの頃は二泊三日で行っていたのがいたが、一泊二日になり、今では一日だけ。
研修所や旅館を使って密室状態であったのも、現在は事務所で行っている。センシビリテー・トレーニングを、
途中から独自に変えた内容である。当初の頃は感性訓練を目的としていたが。密室に新入社員を閉じ込め、それぞれ
二人に問いかけと、答える立場を決める。そして彼らにテーマを出させ、そのテーマについてどことん聞き出させる。
脇道にそれたり、いいかげんな事を言った時大声で叱咤する。あるところまで来たら、立場を逆にする。
それを密室の中で、繰り返しそれぞれの相手を変えてやっていく。その中で自分のいい加減さ曖昧さを互い気づかせ、
表面的会話から、本音の会話へ、更に対話に深めていく。その中で感性を磨く。あるいはお互いの気心を理解させ、
仲間意識や帰属意識をつくる。組織は人間どうしの意思や情報伝達が基本にある。聞いたことを、はっきりと他の人に
正確に伝える事が前提になる。時間をかけて、叩かれていく過程で身に付けるものだが。それを初めに、きっちり訓練を
入れることを目的とする。それとリクルートの能力適正試験の内容と、実際の本人の内容の誤差を見る。ほとんどないが、
それでもそれだけで見えない部分がある。ある意味で一生もう決まっている、その人のソフトのベースもある。
この訓練を通して、自分で把握した事がある。日記を書くこと、本を読む事、人の話を聞くこと、自分で考える事、
理想も持つ事、良い習慣を多く身に付けること、変化する事、初心を持ちそれを大事にする事である。 】
 金沢でも有効な自己鍛錬をしていた。特に、会社は強くあらねば!ということを。人生に無駄なことなど何もない。
   * ST訓練とは? ーネットで検索ー
《 ・・この訓練は、通常10人〜15人の小グループに、1人〜2人のトレーナーがついて、一週間前後の合宿で行われる。
メンバーは、時間を決めて繰り返し行われる「Tグループ」に参加することを義務づけられますが、グループ内では
「自由」に振る舞うことが出来ます。討議課題や話合いのルールは示されません。すべてそれぞれのメンバーの関わりの
中で決定していくことになる。つまり「グループの中で起こるすべてのこと」が学習の教材となるのです。
従って、対人関係の感受性、社会的感受性を高め、同時に、状況に適合した行動を柔軟にとれるような能力を
開発するのがこのトレーニングの狙いとなります。 一般的な効果としては次のような点があげられます。
(1) いままで気づかなかった自分に気がつきます。     (2) 自分と集団の相互作用を体験的に理解します。
(3) 対人コミュニケーションのあり方を原理的に体得します。(4) リーダーシップを体験的に学びます。
(5) 新しい建設的な動きや創造性が発揮できます。 》   実はトレナー本人が、一番、学ぶことがあった。
・・・・・・
4461, 99・9%は仮説、ですか〜 −3
2013年06月03日(月)
          「99・9%は仮説 ー思いこみで判断しないための考え方」竹内 薫著
   * 第2章 自分の頭のなかの仮説に気づく
 自分の頭にあること全てが仮設(思い込み)とすると、「自分とは何か」という根源的問いかけになる。
しかし、自分の思い込みに気づかない限り、それから一歩も外に出ることは出来ない。そして、他人のフィルターを通した
思い込みに惑わされてしまう。 現象の背後にある事実、真実について考えようがない。とはいえ、その事実、真実も、
思い込みとすると、その立つ場がなくなる。  ーまずは、その自分の中の仮説」についての箇所よりー
≪ 頭の柔らかい人は、常識がただの仮説にすぎないことを知っています。逆に、頭の固い人は、先入観や固定観念にしばられて、
思いこみでものをいいます。では、天才ではないわたしたちは、どうして自分の頭にこびりついた仮説をはがせばよいのでしょう
 ・・・世界の見え方自体が、あなたの頭にある仮説によって決まる。ということは、人は自分の都合の良いように解釈する。
われわれはよく事実、事実というけれど、事実はすべて、実は仮説の上になりたっている。「裸の事実」などない。
データーを集める場合も、やっぱりその仮説―最初に決めた枠組みがあって、その枠組みの中でデーターを解釈するわけです。
ガリレオの例でいえば、名だたる教授たちは、宇宙は完璧な世界だと思い込んでいるから、実際に望遠鏡で月のクリエーターを
目撃しても、「望遠鏡はデタラメだ!」という結論に達する。いまある枠組みに都合の良いほうに、事実の方が捻じ曲げられる。
でも本人には意図的に事実を捻じ曲げたという意識はない。自覚がないから、自分が特定の仮説に縛られていることに気づかない。
天才でない普通の人が、どうすれば頭の中にこびりついている仮説に気づくことができるか? 「タブーに挑戦し、あらゆる
仮説に触れてみよ」と、ある科学者がアドバイスをする。あえてタブーに挑戦し、あらゆる仮説に触れることで、知的な
「免疫力」をつけろ、ということです。たとえば、われわれは自由な民主国家に住んでいますが、あえて専制国家や共産国家の
「思想」にも、触れてみよ、ということです。・・・ 「仮説の呪縛から逃れる万能薬などありません」 ですが、できるだけ
みなさんの仮説を見比べることにより、支配的な仮説を疑うことができるのです。≫
 ▼ 自分の仮説(思い込み)に自分で気づくのは非常に難しい。気づくようでは、思い込みではないからだ。
  20数年前のバブルと、崩壊と、その後遺症が今だに続いている。「土地が限られている日本では土地価格の崩壊は
  絶対にない」という土地神話、この仮説が前提にあった。それが仮説=思い込みということに気づかなかった。
  だから突然、それが崩壊すると、日本全体がひっくり返ってしまった。商家に生まれ育って、身に沁みていたことは、
  「人生も、事業も舟板一枚下は地獄」ということ。舟(=店)が沈めば、全てを失うという恐怖。だから、常に万一に備え、
  万一の備えをしておくこと。その手っ取り早いのが、普段の生活を合理的にしておくこと。それさえさえあれば、
  如何なる事態にも対応できる。現在、比較的気持ちの落ち込みが少ないのも、「で、どうした!」というのが幼心から、
  あったから。周囲の視線が可笑しくさえ思えるのは無知が見えているから。それも私の仮説でしかない。
・・・・・・
4087, 老いの見本帳ーダークサイト −7
2012年6月3日(日)
  * 中年と老年の境目         「老いへの不安 歳を取りそこねる人たち 」 春日 武彦 (著)  
 「森林からサバンナへ」という文章を、ここで書いたが、森林=青年・中年、サバンナが老年と捉えることができる。
 私の場合、60歳を大きな目安にして50歳代を全力で駆け抜けた。そして5年の節目期間を置き65歳で会社を整理倒産、
 年金生活に入った。(結果論だが)一年前が、その境目になる。 ことがことだっただけ、ハッキリしている。
≪ 【人生の総決算】
 六十歳あたりで突如として警察に捕まるようなことをしでかしたり、妄想に囚われとしたとなると、ある意味でそれが差し当たっての
人生の総決算といった性格を帯びているのではないかと考えたくなる。 だがそれにしては、たとえ象徴的なものであろうと、あまりにも
下らなかったり安っぽく情けなくなってしまう。人生そんなもんだと言われれば首肯せざるを得ないにせよ、天を仰ぎたくなってしまう。
歳を重ねていくうちに、人は体力も知力も衰えていく。 少なくとも瞬発力は失われていくだろう。しかしそれを補うかのよう、
経験に根差した判断力や理解力は豊かになり、酸いも甘いも噛み分けた人格者となっていくものと思いたい。 にもかかわらず、
老いの訪れを待っていたかのようにして愚かな言動に走りがちなことが少なくないのはどうしたわけか。もともとの性格だとか生き方が、
老いを迎えるに当たって問い直されるのだといった言説は、もっともなようでいて疑問符を付けたくなる。暴走老人という言葉が流行り、
それは老いがあるまじき暴力的で非常識で自己中心的で、頑固老人とか我儘老人とはニュアンスを異にし、むしろ幼稚なチンピラのような
暴発性を秘めた迷惑老人なのであった。彼らの多くは老人であることによって敬意を払われることなどなく、精神的に孤立し、世の中に
居場所を見出せず、不本意な毎日を送っている人たちだったようである。それなりに「まっとうな」人生を送ってきても、六十歳が
「人生には、奇妙に歩調をゆるめて、前進をためらっているのではないか、それとも方向を転じようとしているのではないか、
と思われるような一時期がある。このような時期に人は不幸におちいりがちなものらしい」といった一節に重なるとしたら、
むしろ偶然としか言いようのない要素の関与のほうが当人への影響力は大きいのではないか。 老年を迎えるということは、
あらためて運命のサイコロを振ることを強いられるということではないのか。 ≫
 ▼ 心当たりのある考えさせられる一節。 太平洋戦争の敗戦直後に生を受け、45年間右上がりの経済成長の中、順調にきたが、
  バブル崩壊からの「失われた20年間」で、それまでの蓄えを全て無くし、最後は、落城。私の人生は日本国家の縮図である。
  リスク管理をしていたので、生活は何とかなっているが。それにしては、あまりに境目が、はっきりしている。肉体的衰えが、
  精神をも蝕むのだろう。「百里の道も九十九里をもって 半ばとせよ」というが、難しいのが老年。味わい深いが難しい!
・・・・・・
3721, ジャズについて −13
2011年06月03日(金)
   * 現代ジャズの新しい動きは?    ー 「音楽の本」三枝成彰著 より 
  ー ジャズのロック化ー 「フュージョン」はこうして生まれた
【 ディキシーランド・スクイルから発し、フリー・スタイルにいたったジャズは、その後、マイルスの前述したアルバム
 「ピッチェズ・ブリュー」が予感させたとおり、ロックや他のジャンルと融合・拡散していくことになる。
 その結果、レコードショップの棚には「フュージョン」という新しい分類もできた。 フュージョンとは、一言でいえば、
 ジャズのロック化を進めたもので、ロックはもとより、ソウルやラテンなど、他の音楽のエッセンスを吸収した音楽だ。
 だが、七〇年代以降のジャズは、もはや五〇〜六〇年代にそうであったようには、のちに影響を及ぼす斬新なスタイルを生み出す
 勢いを失ったといっていいだろう。 なお、八〇〜九〇年代にかけてジャズの周辺で起こったことで、いくらか注自すべき点もある。
 ロンドンのクラブに端を発した、踊るためのジャズの再発堀の動きである。 クラブのDJが特に注目したのが、六〇〜七〇年代のジャズ。
 レコードを素材のとして扱うクラブのDJの腕は、ジャズだろうがソウルだろうがラテンだろうが、自分が選ぶ曲がフロアの客を
 気持ちよく踊らせることができるかどうかにかかっている。もともとジャズのルーツが、「踊るための音楽」だったことを思い起こせぱ、
 これは面白い現象といえるのではないだろうか。 もちろんクラシック音楽でも古典派やロマン派がいまなお愛されているように、
 ハード・パップを中心としてジャズは聴かれているし、過去のスタイルに回帰しているジャズマンもいる。
 その意味では、ジャズは現在もこれからも生き続ける音楽といえるだろう。 】
  ▼ロックとは、電気楽器の使用に特徴があるポプュラー音楽の一種で、誕生から時間を経て、ロックンロールを略してロックと
   呼ばれるようになった。黒人音楽のリズム&ブルースと白人音楽のカントリー&ウエスタンが、異種混合して出来たもの。
   そのロックと、ジャズが混合してフュージョンが生まれた。アメリカ社会の混合が、そのまま音楽で象徴的に現れ出てきた。
   それだけ、アメリカ社会は複雑怪奇ということになる。それが、そのままフュージョンとなったといえる。
  ・・・・・・・
3356, 風の画家・中島潔
2010年06月03日(木)
 「風の画家・中島潔“いのち”を描く」   ー NHK クローズアップ現代(5月31日19時半〜)
 ーNHKのHPよりー
 日本画壇で異彩を放つ“風の画家”中島潔(67)。NHKみんなの歌などで親しまれたノスタルジーあふれる童画にはじまり、
源氏物語や詩人・金子みすゞの世界を描いた絵などで、国内だけでなく、海外でも高い評価・人気を誇る。
その中島が「生涯で最高の仕事」として取り組んできた46枚のふすま絵が完成。京都・清水寺の成就院で4月末、公開された。
日本画の伝統とは無縁の画家が、1200年の歴史を誇る名刹でふすま絵を描くのは極めて異例。 
中島は、ここで、終生のテーマでもある「いのちの無常と輝き」を表現するため、過去何度も描いてきた
金子みすずの代表的な詩「大漁」を4たびテーマに選んだ。中島が5年をかけてひたすら描き続けた
イワシの大群の絵は、圧倒的な存在感を放つ。「風の画家」が現代に発する「いのち」のメッセージに迫る。
 ▼ 先日、「クローズアップ現代」で、中島潔の清水寺の成就院の46枚の襖絵をみて、息を飲んだ。
日本画とは無縁の漫画的な絵だが、その存在感と溢れ出るエネルギーに圧倒され、その絵について語る画家・中島潔の
言葉の一言一言の思いの深さに引きこまれてしまった。雑誌などで何度か見たことがある画風。その絵の暖かい風を感じていた。
本人の終生のテーマが「いのちの無常と輝き」と、番組で知ったが、それぞれの絵から湧き出してくる明るい暖かさは,
母に対する慕情という。 さらにいえば仏さまの世界とも言える。 それにしても生命感の溢れた絵である。
清水寺が、童画的絵画を襖絵に取り入れる大らかさに恐れ入る。中島潔が、「金子みすず」の詩を幾つか絵にしていることを初めて知った。
金子みすずの悲しみと、母への思いが、重なっているようだ。 この人の画集は、多くは出版されてないようだ。 
 ・・・・・・・
2981,超円高社会 ー4
 2009年06月03日(水)
日本国家の財政が破綻しているのは「短式簿記方式のため」、という論は知ってはいたが、この書に明快に表現してある。  
  ーまずは、その辺の部分をコピーしてみたー  
 * 日本国家が借金漬けの元凶は単式簿記のため
今の政権=自民党+公明党に多額の借金を貸し込んでいるのが、我われ国民である。この政府が抱える本質的な欠陥は、
会計に単式簿記を採用していることである。大福町会計あるいは家計簿方式といってよい。この元では、税収と借り入れを
区別することなく【歳入】と一括りに計上する。国債の利子支払いを、元金の償還と区別も出来ず、国民に対する
社会保障の支払いや公共事業などと一括して【歳出】の一言でまとめてしまう。そういう把握しか出来ない法人なのである。
何故今でも行われているか。理由は簡単。明治政府が発足した時には、日本では複式簿記を知らなかっただけ。
何故に、それを改定しようとしないのか。その方が政権を持っているほうが都合がよいからである。
社会保険庁の帳簿の改竄も、原理的に見抜くことが出来なかったのは、それゆえである。中部国際空港を作ったのは、
トヨタである。 これまでは巨大公共事業は、予算も目標期日もオーバーするのは当然と思われていた。
今の大福帳会計の政権法人が行う限り、ほぼ全ての公共事業が、必ず予算も期日もオーバーする。ところが、
トヨタが引き受けた中部国際空港は、驚くべきことに、目標よりも実際の開港が一ヶ月も早く前倒しされた。
しかも予算は7680億円に対して、実に1000億円も下回り、国民の負担を節約されたのである。 
関西国際空港の惨状を見れば、トヨタの凄腕はいっそう明らかである。関西空港は当初予算1兆676億円に対して、
1兆4582億円と、実に37パーセントもオーバーしていた。理由は他にも多くあるだろが、最大の理由は、
民間企業が複式簿記を採用しており、赤字と黒字の理由を把握する能力が備わったいた点に求められるのではないか。 
(字数の関係でカット2012年06月03日)
.........
2617, 消費社会から格差社会へ −1
 2008年06月03日(火)
  「消費社会から格差社会へ―中流団塊と下流ジュニアの未来」   三浦 展 (著), 上野 千鶴子 (著)
 とにかく面白い本である。社会学部出身ということもあり、その系統の本を40数年読み続けてきたこともあるが 
 最近の格差社会については、非常に興味があった。「下流社会」の著者が対談の一人で、かつ上野千鶴子は私が20代の頃から、
 本を目にしていた。この二人の対談なら面白くないわけがない。 面白そうなところを抜粋して、感想を書いてみる。
・上野が(今の「下流」と言われるコミュニケーション能力の低い、ノイズに弱い若者が出てきたことに対して)
「『日本の保守本流が望んだとおりの国民形成を、あなたたちは3世代に渡って達成したじゃありませんか。
 これこそあなたたちが望んだ結果ですよ』って、『教育基本法改正』なんて言っている自民党のオジサンたちに
 言ってやりたい気分ですよ」
  〜感想ー強烈な皮肉が政治家と現代の若者、それも下流社会の若者に対して言いあてている。
 反面、ノイズの向こう側には彼らの好む音楽などの世界もある。
 これで対人恐怖症とか、トラウマとかいって、社会の面倒な世界を拒否する。
・団塊が中流で、団塊ジュニアは下流。
  〜感想ー これもまた、大方三分の二が団塊世代が中流、そのジュニアが下流である。
 何故、そうなったか、時代がそうさせただけである。
・三浦 「堤清二が破滅型経営者で、西武破綻は起こるべくして起こった。
  〜感想  堤義明は、どうだったか? 似たようなものか。
(字数の関係でカット2014年06月03日)


4827,金持ちとは、10億以上の純資産を持つ人

2014年06月02日(月)

   * お金持ちの定義とは!
 お金の話題は、何か知らねど面白い!猛獣使いと同じで、危険な野獣を飼い慣らしている内はよいが、
 一つ間違えれば喰い殺されてしまう。金から自由になるには、自由になりたい分、確保しておく必要がある。
   ーこの随想日記内検索と、ネット上から「お金持ち」について調べてみるとー
< ある統計によると65歳のアメリカ人100人のうち金持ち1人、快適な暮らしを送る人4人、まだ働く人は5人しか居ない。
 あとの56人は政府か家族の援助を必要とし、残りの34人は亡くなったそうだ。よく「引退すれば、生活費が減る。だから
 お金はそんなに必要ない」という人がいるが、それは間違い。なぜなら生活費は下がるが、医療費は大幅に上がるからだ。
 多くの保険機関は高齢者を制度から締め出そうとしている。これから高齢者はお金を持っていれば生きられるのに、
 お金がないために死ぬということも起きる。>
<金を気にしないで済む生活こそ豊かさ。で、金を気にしないで済む生活は、幾らか。 そう考えると、人様々である。 
 平均すると、家一軒があって、蓄えが一人あたり1000万で、夫婦で年間収入400万?ところで直接、両親の生き方をみて、
 合理的散在?を学んだ。定額を見定めて、平均して使うこと。持って彼岸にはいけないことを世間を見て得た知恵である。 
 所詮は、蓄財は不安の裏返しの行為でしかない。> (随想日記内)
<【富裕層の定義】ここでは、船井総研の小林氏が独自の方法で算出した5億〜10億以上の金融資産を持つと推定できる
 3万4879人を「超富裕層」、1億〜5億未満の金融資産を持つ166万1844人を「プチ富裕層」と定義する。小林氏によれば、
 金融資産を1億円以上保有する個人は全国に169万6723人。医師や税理士などのほか、大企業の役員・従業員、さらには
 公務員でもそれくらいの金融資産を持つ人は少なくないと。たしかに、民間の給与所得は1997年をピークに漸減傾向。
 しかし「給与の高い会社員同士の共稼ぎ家庭では、当人たちも気がつかないうちに1億円以上の金融資産を持っている
 ということはよくある」(小林氏)。実はさほど珍しくないお金持ちがこの層なのだ。わかりやすくするために、
 「プチ富裕層」と呼ぶ。一方、雲の上の存在ともいえる本当のお金持ちは、それに比べればぐっと少なくなる。
 こちらは「超富裕層」と表現しよう。小林氏は、金融資産1億円超の約170万人のなかから、職業や住居の特性、そして
 「馬主である」「高級外車を保有している」などの属性を独自にポイント化し、合計してある点数以上に達した人を
 超富裕層と定義づけた。「この方々はおおむね、金融資産を5億から10億円以上保有していると思われます」(小林氏)>
▼ 日本のミニオンダラー(1億以上の現金)が170万人。一家族×2・3人で、390万人として、3%。 ビリオンダラー
(10億以上)が、3万人×2・3人=7万人として、2000世帯に一軒になる。一般的に小金持ちは、地方で金持ちの部類だが、
全国レベルでは金持ちに入らない。しかし彼らは、自分が金持ちと誤解しているのが、田舎者ということ。
私見では、「不動産を時価評価の四割にし、借入を差引いた金額に現金など流動資産をプラスした総額が一億」か、
「自由に使える流動資産が一億円以上」か、のどちらかが小金持ちになるが、俗にいう『金持ち』には入らない。
この一桁上のビリオンダラー(一千万ドル以上)が、俗にいう金持ライン。これは国内外、同じ。 バブル期の一時期に、
そのライン上に入ったことがあった?が、今では、家内が小金持ち、私は居候の小間使。「金持ち」も、相対的な言葉。
今ではラーメン屋でチャーシューにすると、家内に「ワッ、金持ち!」と、曰われる。
 <最後のオチの言葉。味付けで、書いているのであって、殆ど創作? 念のため!> でも、実態は、こんなものか?
・・・・・・
4460, 99・9%は仮説、ですか〜 −2
2013年06月02日(日)
          「99・9%は仮説 ー思いこみで判断しないための考え方」竹内 薫著
 何事も99・9%が仮説と思えば楽だが、99%の人は深く考えず、現象が事実と信じ、仮説の意味すら理解できない。
それでも生きていけるのが娑婆。 常識を疑ってみないし、親や周辺、TVなどの常識の殆どが仮説。そういう私も、
考えている殆どは他の人の仮説を読み、聞いて、自分の仮説を立て修正しているに過ぎない。
  第一章 世界は仮説でできている
≪ 科学にはじまって、歴史も芸術も政治も経済も、いや、人生のあらゆる場面も、実は仮説に塗り固められている。
そして、そういった実態に気づくか気づかないかによって、世界の見え方はガラリと変わる。世界の見え方が変われば
人生も変わります。・・・
 科学だけではなく、わたしたちをとりまく世界も、実は仮説に満ちあふれています。親から教わることも、教科書に
載っていることも、いずれもがあたりまえだと思っている常識や習慣や定説も、ぜんぶがぜんぶ、ただの仮説にすぎない。
そして、仮説であるからこそ、覆がえすことも可能なのです。・・・
 ・・・ ケプラーは、ティコが遺した膨大かつ精密な天体の観測データをもとに、新たな軌道を計算し直しました。
すると、コペルニクスの地動説では説明しきれない微妙な誤差があることがわかったのです。 その誤差がなぜ生じるのか? 
ケプラーは、そのデータをあらためて詳しく分析し、星の軌道が完全な円ではなく楕円であることをみつけたのです。
この発見は、まさに最後の一撃でした。地球はもはや宇宙の中心でもなければ、その軌道は完全な円を描くわけでもない。
 つまり、「神が棲む世界」をコナゴナにしてしまったわけです。楕円の発見は、地動説とともに世の中の宇宙観を
一八○度ひっくりかえした、まさにエポックメイキングなできごとだったのです。・・・
問題は、ガリレオをあざ笑った教授たちにしても、プトレマイオスにしてもである。コペルニクスでさえも、
後の時代からみるとまちがった常識にとらわれていた、ということです。
 それは、現代に生きるわれわれでも同じです。今日、常識だと思っているものが、明日、
天才科学者の出現によってまちがいであると判明するかもしれないのです。
 つまり、常識というやつは意外にもろいのです。常識はくつがえるものなのです。ですから、この本では、そういった
常識のことも「仮説」と呼ぶことにしたいと思います。常識は仮説にすぎないのです。プロローグの飛行機の例をみても
わかるように、「科学的根拠」があると思われているものも、案外なにもわかっていなかったりします。
われわれの世界観、われわれが親から教わること、学校で教わること、そういったものは、すべて仮説にすぎません。≫
 ▼ 「自分が考えてきたこと、信じてきたこと、全てが仮説(思い込み)でしかなかった」とは、ショックだが、
  哲学に興味を持ってから、常識をのっけから疑うようにしてきた。それが哲学の第一歩だったが、自分の思っていた
  99・9%が思い込みとは驚き。その観点で改めて人生を振り返えると、「手前勝手の思い込みダンス」が見えてくる。
・・・・・・
4086, 本格的に始まった? 世界恐慌!
2012年6月2日(土)
   ギりシャのユーロ離脱だけではなく、スペイン、イタリア、フランスなども世界恐慌を引き起こす火種となってきた。
 これら各国で「反緊縮」に国民が熱狂、財政再建が機能していない。それは国債暴階の危機が高まっていることをいう。
 要は、マイナスに向かって本格的に動き出したということだ。ただ、各国のトップが密に連絡をとっているので、
 何とか目先を乗り切っている。彼らは、その結果が如何に悲惨な事態になることを知っているので、必死なのである。
 学者やエコノミストのコメントを中心に、この記事の内容を幾つか紹介してみる。ある日、突然、国債、株価の暴落が遅くて
 年内、早ければ今月中に起こる可能性が強い。 せめて年末までは、持って欲しいが・・・ ー以下の内容は、シビアである。
●「これから世界経済、日本経済がどうなっていくか。それはひとえに、ギリシャの債務不履行がどのような形で起こるかに
 かかっている。もしギリシャでコントロールされないデフォルトが起これば、世界経済は不況に入り、日本経済にも巨大な
 インパクトとなる。(リーマン・ショックのあった)2008年後と同じくらい経済が悪くなるかもしれない。そんな最悪の
 シナリオがありえる状況になってきた」(ニューヨーク州立大教授などを歴任した知日派のリチャード・カッツ氏)
●「いま我々はグレイト・デプレッション(大恐慌)に入ってしまった。世界が繁栄していると思っていたのは実はバブルに過ぎず、
 過剰になった負債がクラッシュしたことで恐慌へ突入してしまった。最悪のシナリオは1930年代の大恐慌の完全な繰り返し。
 ファシズムが台頭、政治対立が生まれる状態だ。不況が10年も20年も続くことになるだろう」(キーン教授) 
● ノーペル経済学賞受賞歴のあるプリンストン大学教授ポール・クルーグマン。氏が5月中旬に書いたニューヨーク・
 タイムズのプログに、6月からヨーロヅパで起こるであろうシナリオが書かれている。実際に見ると、その内容は衝撃的だ。
 「何人かで謡し合っていて、次のような結論に落ち着いた」として、クルーグマン氏はこう綴る。 
 「ギリシャはユーロから離説、おそらく来月だろう」「スペインの銀行とイタリアの銀行から巨額の資金が引嚢}出される。
 銀行はドイツに資金を移動させようとするだろう」「銀行は国外への資金の移動を禁じられ、現金引出しが制限される
 可能性もある。あるいは同時になるかもしれないが、銀行を磁綻から救うためにECB(欧州中央銀行)が巨額融資をする」
 「ドイツがイタリアとスベインに対する巨大な債権を受け入れるのに加え、戦略を大幅に変更するか、あるいは
 ユー口の終わりがやってくる」
●「ザ・エコノミスト誌東京支局長のヘンリー・トリックス氏は、「ギリシャがユーロを離脱することになれば、
 ‘第二のリーマン・ショック’のような事態が起きてもおかしくない。しかもリーマンのときは成長著しい中国が
 世界経済の救世主となったが、いまの中国は韓国サムスン 幹部が「中国での売り上げが予想以上のスピードで下落
 している」と言うほど景気が失速しているから、同じような役割は期待できない。世界の中央銀行もすでに大量の
 お札を刷り過ぎているから、前のように大きくは動けないだろう一と今回の危機の深さを指摘する。
● ニューヨーク大学ビジネススクール教授のジョゼフ・ファウディー氏は、「アメリカでは、ギリシャがユーロから
 離脱したらリーマン・ショックのような出来事が起きると懸念されてる。スペイン、ポルトガルが次の標的になり、
 さらにイタリアがユーロを離脱することになれば、世界経済に巨大な衝撃を与えることになる。もちろん日本経済は
 影響を避けられない。まずトヨタやSONYの収益が減少する。
▼ 裏山の高台(事業から撤収)から、見える大津波は、どえらい規模。 まだ海辺で内海を眺めている集団が目に入る。
 グローバル化した社会の恐ろしさが、まだまだ理解できない。こうは言っているが、実際は想像を遥かに絶するだろう。
 ・・・・・・・
3720,ジャズについて −12
2011年06月02日(木)
  * 革命か目茶苦茶か −評価が二分された「フリー・ジャズ」    ー 「音楽の本」三枝成彰著 より
   ■ オーネット・コールマンからジョン・コルトレーンまで   ー P/203
【一九五九年から翌年にかけ、アルトサックス奏者オーネット・コールマン(一九三〇〜?)は、『ジャズ来るべきもの』
『フリージャズ』というタイトルのアルバムを発表していくことになる。これらはジャズ・ファンのみならず、アーティストの
間でさえ、「ジャズの革命だ」「滅茶苦茶をやってるだけだ」と評価を二分した。大方のリスナーには調子はずれのちんぷん
かんぷんな音楽にしか聴こえない彼の演奏は、当然ながら大衆的な支持は得られなかった。しかし、六〇年代の"反体制気運"
とあいまって、いっさいの音楽的規則や形式にとらわれず、なんでも自由に演奏するフリー・ジャズ・スタイルを生み出す。
 このフリー・ジャズ・スタイルは、コード(和音)による進行がないばかりか、小節の制約すら取り払われたものだ。
結果、メロディーやスウィング感も失われていく。 古典派からロマン派と続く中で美しいメロディーとハーモニーを奏でた
クラシックが、近代.現代に入って失われていったが、あえていえば、ジャズでも同じことが起こったといっていいだろう。
オーネット・コールマン以外では、テナーサックスのアルバート・アイラー(一九三六〜一九七〇)やアーチー・シェップ
(一九三七年〜)、ピアニストのセシル・テイラー(一九三〇〜)などが、こうしたプリー・ジャズの流れの中で語られる
アーティストである。「ジャイアント・ステップス一(五九年)、「マイ・フェバリット・シングス」(六〇)、
「至上の愛」(六四)というアルバムにより、ジャズ史上もっとも偉大なサックス奏者として、多大な影響を及ぼした
ジョン・コルトレーン(一九二六〜一九六七》も忘れてはならない。  「字数制限のためカット2012年6月2日」
 ・・・・・・・
3355, 人みな骨になるならば ー13
 2010年06月02日(水)
  * なぜドラマみたいでないのか
 これがシビアで面白い。 自分はいうに及ばず兄姉などの人生を覗くと、決してドラマのような人生などない。
そこにあるのは夢も希望もないリアルの人生である。時にドラマみたいなのもあるが、それは喜劇か滑稽な悲劇である。
  ー まずは Pー27から抜粋してみる ー
≪ 前から不思議に思っていることだが、われわれの実人生はどうしてこうもドラマみたいでないのだろう。
なぜ次々に恋愛や心ときめく出会いがないのだろう。これは容姿がいまひとつといった大多数の平均的な人にとって、
そうしたラヴ.アフェアエアは青年期にそれらしいものが二、三あれば御の字で平凡でみすぼらしいものである。
かりに大恋愛の末に大団円を迎えたにしても、そのあとに退屈な毎日がだらだら続くであろう。そのうちヒーローは歯周炎を病み、
ヒロインは亭王の前で平気で放屁をするようになる。もし現実の男女が数奇で劇的な大恋愛に陥っても、かれらの日常をずっと
カメラで追っていけば映画として最悪の作品になること必定である。洗顔歯磨きに十分もかけるし、風呂には二十分も入る。
くちゃくちゃ咀噌し、いきんで排泄する。最悪なのが睡眠で、数時間も横になったままである。絶世の美男美女が演じたとしても、
観客としてとても半時間以上はつきあいきれるものではない。そこで編集が必要になる。 だらだら続く日常性の部分をカットし、
しかも肝心のストーリーがつながるように見せ場だけは拾い上げていく。これを工夫すれば、われわれ凡人の一生であっても
一作や二作ぐらいはドラマ化できないものではない。 映画なら二時間前後にまとめないと観客の集中力を保てない。
ということは七十年の時間から二時間だけをピックアップするのである。しかし、実人生とかリアリティというのは
七十年のほうにあって二時間のほうにはないのである。 だから二時間にまとめられたドラマは作りものであり、退屈な散文的な
七十年のほうがリアリズムなのだ。 活劇や冒険となると、そもそも凡人が経験できないもの、いや経験したくもないものである。
現実の警部補だと担当できる殺人事件は数件か、せいぜい二、三十件どまりで、そのほとんどが単純な激情犯ゆえすぐつかまる。
しかるに小説やドラマの名探偵名刑事たちは数十から数百の殺人事件にでくわし、そのいずれもが奇々怪々な難事件なのである。
しかも、どういうわけか解決する。SFの宇宙船で事故や怪物にでくわさないものはない。フィクションだからしかたがないと言えば
そうなのだが、ノンフィクションやドキュメンタリーであっても編集してあるからには、実人生から遠いこと恋愛物と大同小異。≫
 ▼ 逆に「なぜドラマみたいでなければならないか」という問いが立つ。自分の人生を脚色して自分を納得したいのが人間の弱さ。
 すべて仮想でしかないと冷めた目で周囲を振り返れば、ドラマも何もあったものではない。ドラマはつくりものだが、そっちの方が
現実と思いたいのである。 実際にカントは、対象を認識するのではなく、自分の認識が対象を決めると看破した。
ドラマはつくりもので、ストーリーを主にした抽象画のようなもの。 敢えて言えば主体的に生きていることがドラマみたいに
してくれるのである。だから主体的に生きなけれならない。人生を振り返ると、緩慢だがドラマのようにも思えるのは記憶が
ドラマ仕立てに都合よく変えてくれるから。それでもヘロヘロ・・。精一杯生きていれば、それだけでドラマになると信じたいが。
  ・・・・・・・・
2980,超円高社会  ー3
 2009年06月02日(火)
* 危篤状態の日本の実態            「超円高社会」 水澤潤著 ー読書日記
《第5章 政府が破綻しても日本は生き残る》の ー危篤状態に陥った日本政府ーが現在の実態を捉えるに解りやすい例え話。
 国民もマスコミも、その深刻な事態の実感が薄いようである。NHKが毎週のように土曜日などのゴールデンタイムに、
特番を組んで報道しているが・・・。頭の軽い、その辺の人が?「マスコミは騒ぎすぎだから消費が冷え込む」とかいうが、
そんな事態とは違う。 明治維新で幕藩体制が終わり、日本という国家ができた、あの節目より大きな変わり目である。
現在の日本は危篤状態の重病人。 そこに急に大嵐が来た中で重病人に、火事場の馬鹿力を出せという。
そうしないと死にますよという。しかし、この20年近く、もう力を使い尽くして、重体になっている身。その辺を、上手い
例え話で説明しているのである。(P-112)【 ブライマリーバランスという意味不明の言葉を、おそらく多くの人が
耳にしたことがあると思う。日本政府が「2011年度に回復する」ことを公約として掲げてきていたこの言葉だが、いったい
それが回復すれば、どんな良いことがあるのだろうか。   「字数制限のためカット2011年6月2日」
・・・・・・・・
2616, サルトルを考えてみる  ー3
 2008年06月02日(月)
ーまずは、あるサルトル入門書に書いてあった、
 サルトル批判と人気衰退の理由の箇所を抜粋してみよう。
 *サルトルへの批判と、忘却の原因とは
サルトルの影響力は、サルトルの死後急速に低下したが、それは「構造主葉」という新しい思想が現れたことが大きい。
構造主義は、スイスの言語学者ソシュールの言語学と文化人類学などが結びつき、1960年代に作られた新しい思想である。
レヴィ・ストロース、ジャック・ラカン、ミシェル・フーコー、アルチュセールらがその代表者とされた。
(字数制限のためカット 2014年06月02日)


4826,「事業人生を決心して45年」の語り直しー5

2014年06月01日(日)

   * 金沢百万石での経験
 千葉の新興住宅地のド真ん中の交差点で何か事業を立ち上げるに、実社会の経験不足は
まだまだ。 それと建設期限まで二年間半の期間があった。そこで、何処かで厳しい修行の場に
探し出したのが、当時、厳しい社員教育で知られていた「いとはん」という衣料チェーン店で、
北陸三県に10数軒を出店していた。
入社して知ったのが、西友との資本提携。そのため会社は大きく動揺している最中。
資本提携は、強者が弱者を生きたまま飲み込む残酷な実情であることを、当時の社長を含めた
役員はあまり理解してなかったようだった。
その上に、入社半年後にドルショックが起き、既存店の売上高が、大きく右下がりに落ちていき、
会社内は暗い空気に満ちていた。 ジャスコ在職の時は、合併先への新兵で乗り込む立場から、
今度は逆の立場の占領される側の一兵卒である。2〜3年後は辞めると分かっていても、プライドが
ボロボロ。その惨めさを、世のサラリーマンが、多く経験しているはず。貧すれば鈍するとは、よく
言ったもの。何がどうであれ、弱者の立場には立たないこと。
 三年前の決断は、こういう経験があればこそ出来たこと。前向きで自ら崖っ淵に立つのは
構わないが、後ろ向きの踏んばりは、避けるべき!という体験を、早そうに知ることになった。
社内は役員の対立などあり、疑心暗鬼のルツボ。当時の「いとはん」にとってのブラックスワン
(思いもよらいない震災クラスの事件)が、入社半年後に起きた、ドルショックと、大手スーパーの進出。
私が去った一年後に西友との提携解除、その一年後に、ジャスコと提携し、北陸ジャスコに会社名が
変わり、その後、本体に吸収合併をされていった。
金沢は加賀百万石の城下町。その歴史の深い文化は、何ともいえないミニ京都風の味わいがある。
特に、目を見張るような加賀美人が多く、表向きは男社会。いっけん厳しそうな男女間は、大らか。
私の出身地の長岡藩では、幕末の「お妾禁止令」があって、二号を持つのは、長岡では後ろ指を
指される。しかし、金沢では、勲章を意味していた。 また居酒屋やスナックも、何ともいえない
味わいのある店が多く、料理の味付けは京都風。 鬱屈した会社内の空気から開放されるに丁度
良い環境でもあり、青春?真っ只中。しかし、一日、二時間の読書習慣は何とか維持をしていた。
 入社後4ヶ月間の配送センターを経験後、、武蔵ヶ辻店の靴下売場のあと、子供服売場へと
配置された。 ジャスコも含めて、多くの売場配転から学んだことは、業種は、メーカー、問屋の
販売経路別の店先でしかないこと。それを業態別の再編成するのが、時の「流通革命」。
靴も、洋服も、卵の販売も、商品の一つでしかなく、とらわれる必要がないこと。
ここで、親しくさせて貰った取締役部長の何気ない一言「自己能力の限界の設定」が、
その後の事業立ち上げの教訓になっていた。  しかし、丁度なれてきた金沢の生活も、
入社の一年4ヶ月後に、突然、家からの一本の電話が入った。  ーつづく
・・・・・・
4459, 99・9%は仮説、ですか〜 ー1
2013年06月01日(土)
        「99・9%は仮説 ー思いこみで判断しないための考え方」竹内 薫著
 今さらだが、全てが夢幻で、思いこみでしかない。現に、事業を色いろ立ち上げ、40年近く経営。そして三羽の黒鳥の到来で、
この結末。思い込みを実行し、初めは上手くいったが、途中から、「思いの判断」が、「思い込みの判断」に変化、当然ながら
幕切れがあっ気なかった。しかも、その幕切れも、思っていたのと実際は違っていた。万一の備えを整えてあったこともあり、
何とか乗り越えた?が。創業と準備の苦しみからみれば、数分の一としか思えなかった。一つ間違えれば自殺に追い込まれる
イベントだが、腹を括り手順さえ踏めば全ては奪わないし、傍で見ていたほどではない。考えてみれば、‘99・9%が仮説’も
仮説である。世の中、すべて仮説の上に成り立っていると割り切っていた方が、面白い。
  ーアマゾンの内容紹介ー
「最近どうも頭が固くなってきたなぁ」そんなあなたにつける薬は“科学”です。文系理系を問わず、科学のホントの基本を
知るだけで、たったそれだけで、あなたの頭はグニャグニャに柔らかくなるかもしれないのです。 科学の基本……それは、
「世の中ぜんぶ仮説にすぎない」ということです。思いこみ、常識、前例、先入観、固定観念…… そういったものにしばられ
身動きがとれなくなっている人っていますよね? 「なんでこんな簡単な話が通じないんだ!」ってイライラしますよね? 
そんなときは、気休めにこの本を読んでみてください。きっと、ものの考え方から世界の見え方まで、すべてがガラリと音を
立てて変わるはずですから。 
 プロローグ 飛行機はなぜ飛ぶのか? 実はよくわかっていない
第1章 世界は仮説でできている        第2章 自分のなかの仮説に気づく
第3章 仮説は180度くつがえる         第4章 仮説と真理は切ない関係
第5章 「大仮説」はありえる世界       第6章 仮説をはずして考える
第7章 相対的にものごとをみる        第8章 すべては仮説にはじまり,仮説におわる
 ▼ 科学ですべてが解明されていると思われていることも、突き詰めていくと、実は何もわかっていないことが多い。
  試行錯誤と経験によって「うまくいくこと」と、その科学的根拠が完璧にわかっていることとは別だ、と指摘している。
アベノミクスも、安部首相が方針を示したのが、今現在、市場が思惑通りの反応を一時的にしただけ。
  そうこう考えると、全てのシステムも「取り敢えずの認識」に基づいての存在であり、決して安定的・決定的・絶対的な
  存在ではない。仮説が証明されのが定理。しかし、それさえも殆どが怪しい。まして、常識とかいうやつのいい加減さ。
  ここで書いていること自体、ほぼ仮説か、仮説の紹介。ただ、面白いから、暇つぶしと割り切っているから続いている。
  考える大部分は仮説を立て、その証明を探している過程。これで世人が動いていると思えば、深刻になることはない。
・・・・・・
4085, 閑話小題
2012年6月1日(金)
  * つれづれに ー地方都市の街中の空気
 今日から6月に入った。 何とか世界恐慌になってないが、再び火種がチラホラしてきた。何時もの話題になるがギリシャ再選挙が、
どうなるか? それとスペインとイタリアの危機も再燃してきた。4年前には北京オリンピック終了後に、リーマンショックが起こった。 
今度はロンドンオリンピックと、米・韓の大統領選挙待ちになる?のか、早くなるのか。 リーマンショックの次が欧州ということ。
今度の大津波は、かなり激しくなるはず。 それが中国とアメリカに連鎖し、日本にも当然、大きなクラッシュがやってくる。 
絵空事でなく、現実問題だから恐ろしい。 何処かから「危ない危ないというが、何にも起きないじゃないか!」と聞こえてきそうだが。
実際には彼方此方で現象で出ているが表に出ないだけ。それだけ、深刻。 今年度で「中小企業金融円滑化法」の延期は終わり、
来年度はないのは決定済み。そのため、銀行が急激に融資先の選別を始めた影響が出始めてきたとか。
 自宅敷地内の貸家が去年の10月から空き家になったが、殆んど引き合いがない。昨日、不動産屋に行ったところ、去年の暮れから、
まともな?借り手が消滅。 たまに来るのはアジア系外国人と、生活保護の受給者の転居希望者だけ、とか。
 週間現代の今週号で、「ギリシャ発世界恐慌特集の発火一歩手前の各国の相関図」を分かりやすく書き出していた。
こういう暗い世相を話題を、斜に構えて敢えてするのは私自身が既に前ぶれの波を直撃を受けたためである。。
この世相の中で明る話題も見つけにくいことも事実である。しかし、これだけ心が安定し、穏やかな日々も、あまり記憶がない。
新潟でホテルを立ち上げ、5年ほどして一息ついた時以来である。 こういう時は、何か不意をつかれた危ない出来事が忍び込むから、
気をつけないと・・・ この状況下、弱り目に、祟り目で一番打撃を受けるのが日本である。しかし一般的に、のんびりしたものだ。
・・・・・・
3719, ジャズについて −11
2011年06月01日(水)
  * アート・ブレーキー −何故あの時にドラム奏者に注目が?  ー「音楽の本」三枝成彰著 より
【 ハード・バップ時代は、パワフルな演奏を支えたパートとして、ドラム奏者に注目が集まった時代でもある。
ジャズ・メッセンジャーズを率いたアート・ブレイキー(一九一九〜一九九〇)はその代表である。まさに雪崩を打つような連打。
徐々に音が大きくなって、最後は怒濤のようにはじける彼のドラムは、いやが上にもバンドの演奏をホットにうねらせた。
『モーニン』(五八年)のヒットで一世を風靡したほか、バンドからは多くの有望な新人を輩出したことでも知られる。
そしてもう一人、マックス・ローチ(一九二四〜)も忘れられない。四〇年代にはパーカーやマイルスと共演。
その後は、トランペット奏者クリフォード・ブラウンらとクインテットを結成し、数々の名演奏を残している。
もちろん、このハード・パップ時代には、他の楽器演奏者にも多くの逸材を出した。名前だけをあげておこう。
・トランペットではリー・モーガン、フレディ・ハバード、ウィントン・マルサリス。
・サックスではキャノンボール・アダレイ、ジャッキー・マクリーン、ウェイン・ショーター、ブランフォード・マルサリス。
・ピアニストでは、ホレス・シルヴァー、レッド・ガーランド、レイ・ブライアント、フィニアス・ニューボーン、
 ソニー・クラーク、ボビー・ティモンズ、ウィントン・ケリー。
ジャズファンならずとも、名前を耳にする面々が含まれているだろう。それだけ、ハードパップ時代はジャズが
もっともジャズらしく光り輝いた時代でもあったのだ。】
 ▼ 知った上で聴いているのと、何となく聴いているのとでは、やはり大きな差がある。
  ジャズはアメリカが世界の中心になる、まさに右上がりの世相の中で、底辺の黒人や、黒人と白人のハーフの人たちの
  間から、酒場の演奏の即興として生まれてきた。それも、時代の動きに合わせて変化をしてきた歴史がある。
  それらを考えると、私のような俄かファンがシタリ顔で分かったようなことは言えない。 年内はパソコンとiPodに
  入っている曲を可能な限り聴いて、それぞれのアルバムや曲が、どの時代の流れを含んでいるのか知りたい。
 ・・・・・・・
3354, 高校生でもわかる日本経済のすごさ  ー2
2010年06月01日(火)
          「高校生でもわかる 日本経済のすごさ」三橋 貴明 (著)
 ー P−22 に、国民の家計を例にして、その辺を分かりやすく書いてある! ー
 話に現実感を持たせるために、現在の日本の状況を、ある一家に讐えてみましょう。世界一のお金持ちの家庭(日本国家)では、
旦那さん(日本政府)が974兆円もの大金を借りています。しかし、別に外部の金融機関などから借りているわけではなく奥様(家計)
から借りているのです。しかも、旦那さんはちゃっかり467兆円ものお金を、へそくりとして蓄えています。 この家の奥様は、
個人としては世界最大の金持ちで、純資産額が1058兆円にも達しています。 結果、この家庭は「家族としての純資産額が
243兆円もの規模に及び、この金額は家庭の純資産としては世界最大となっているのです。家の中で、最大の稼ぎ手である長男
(非金融法人企業)が最近、今一お金を稼いでこないため(法人税が減少している)、仕方なく旦那は自ら一家の支出を工面している。
とは言え、実際には奥様からお金を借りて、やりくりしているだけなのですが。しかも、その支出は基本的には旦那さんの家族のために
使っている(定額給付金や公共事業など)のです。 家族みんなが旦那さんからお金を受け取り、それを税金といった形式で再び旦那さんに
渡したり、またまた国債という形で貸し付けたり・・ と、家庭内で、お金のキャッチボールを延々と繰り返している仕組みなのです。
家庭内で様々な形でお金の受け渡しを繰り返してはいるものの、家としては世界一のお金持ち。これが現実の日本の姿なのです。
 ▼ 何度か、この例え話は聞いたことがあるが、「スナックに金持ちが入ってきたとして、それでスナックが豊かになることはない」
 とか、「大借金を持った人がいたところで、スナックの借財が増える訳でない」というのもわかる。 要は国民が金とか現物の投資、
そして外国の国債や株に逃げないことが前提である。飽きれた子供や奥さんが何時の間にか預金を下ろして、他に移動する
可能性がある。この家は、他に二百数十兆の預金が外国にあるという。但し、この家の親父は暴力団に脅されて500兆ほど
大事そうな借用書と交換に貸し付けているという。  普通の家庭の」平均総資産が3500万あるが、借金は半分ほどある。それを、
どう見るかである。ただし、預金も、ある日(二年後)価値が半減する可能性がある。「氾濫する川辺の家の家族」かい。
・・・・・・・・
2979、不況景色 ー11
 2009年06月01日(月)
  * 今日、GMが倒産というが
・日ごと不景気が深まっている。今日、世界最大の売り上げを70年以上続けてきたGMが倒産する。GMといえばスローンである。 
 GMの社長として、20世紀において最も大きな影響力を発揮した経営者の一人。経営者としての在任期間で、最大の競争相手である
 フォードを打ち負かし、GMを世界最大の自動車会社に育て上げた。 この辺のことはスローンの「GMとともに」に書いてある。
 学生時代に読んだが、ドラッガーの著書の中でも彼は何度も取り上げられている。そのGMが瞬く間に倒産というから感慨無量。
   (字数制限のためカット2011年6月1日))
・・・・・・・・・・
2615, 東京湾 漂流死体は語る ー2
 2008年06月01日(日)
  「東京湾 漂流死体は語る」ー読書日記   海上保安庁 岸善朗著
 漂流死体の身元や、死因を調べていくうちに、あまりに悲しい気の毒な理由を知る。
世の中は、一度道を踏み外すと過酷な人生が待っている。その中で最も悲惨なケースを抜粋してみた。
アルコールとギャンブルで狂った男の犠牲者の母娘のケースである。正視できないとは、こういうことか。
▼ 巡視艇が死体で揚収した女性は生前、荒川の上流にある土木工事現場の飯場で働いていた。
 粗末なプレハブの寮で、十九歳になる娘と共に住み込みの賄い婦をしていた。亭主がどうしようもなギャンブル狂で、
競輪にうつつを抜かし、当時山谷と呼ばれたというところに寝泊まりをして、ほとんど妻や娘のもとに寄りつかない。 
しかも、競輪で金をすっては、すってんてんになりにっちもさっちもいかなくなると決まって妻のところに舞い戻って来た。 
そして、駄々っ子のように金を無心。酒に酔っては妻と娘は、そんな男から逃げ回るように関東近辺の飯場を転々と渡り歩いていた。
そして、幾多の流浪の果てに、辿り着いたのがこの飯場だった。二人にとってここは束の間の安住の地であった。
しかし、二人はすぐに男に居場所を突き止められ、探し当てられてしまう。そのたびに男は妻と娘に金を無心し、それが叶えられないと
容赦なく暴力をふるった。 娘は十九歳で精神障害者。母親が飯場の賄いの仕事だけで稼ぐ金はたかが知れている。
 (字数制限のためカット2011年6月1日))
・・・・・・・・・・
2007年06月01日(金)
2250, 耐震偽装 ?6
            (@⌒ー⌒@)ノおはよ?         
検察の権力への傾斜は仕方がないが、「見せ金」で逮捕は異常である。
それも権力者擁護の露骨な尻尾振りの姿は、自らの存在意義を忘れた憐れな哀愁さえも感じとれる。
税務署員が自らの成績を上げるための、あの醜悪な行為に酷似している。
この一連の常軌を逸した行為は、歴史に残るスキャンダルである。 安部は間違いなく短期で消滅する! 
   (字数制限のためカット2010年6月1日))
・・・・・・・・
2006年06月01日(木)
1885, 友、遠方より来る            おっ w(゚Д゚)w ハァョ?  
 一昨日、静岡の島田市から学生時代の友人が遊びに来て一泊していった。
37年ぶりにジックリとそれまでの人生を話あったが学生時代の友人はよいものだ。
午後は新津のフラワーガーデンと、北方博物館、福島潟を案内、夜は新潟駅前と古町で一時過ぎまで飲む。
昨日は車で弥彦まわりで長岡までドライブをしたが、親会社の重役が亡くなったと電話が入り、早々帰っていった。
来年のゴールデンウィークに、今度は私が島田に遊びに行く約束をした。あの辺りは、東海道53次の幾つかがあり見所が
あるようだ。39年前に欧州に同じグループで行って知り合った友人。一ヶ月の共同生活は、数年間の下宿生活と同じ位の
親しみをおぼえる。トヨタ系の部品の関連会社の子会社の社長をしている。やはり欧州友達の深井氏が10年前に
亡くなったことを知らなかった。彼が言うには、東京から名古屋までの東海ベルトラインは好景気という。
その地域を除いた地方は酷い状態ということが一つピンとこないようだった。実際に飲み歩いた店に殆んど客が入ってないのをみて
少しは理解したようだ。現在考えてみても、多彩な友人に恵まれていた学生時代だった。丁度、昭和40年代前半で高度経済成長期の
真っ只中であった。「学生時代の自由な時間の中で何をどれだけ学んだか、そして多くの人と議論できたかどうかで、人生は決まる」。
人生を振り返って高度成長期に青春真っ只中に重なったことは幸運であった。島田の友人と会ってみて、つくづくそのことを実感する。
この再会も一期一会である。50歳を過ぎてから何ごとも、そのの気持ちできたが・・ 彼を見ていて、「人生にはつきがあり、
ついている人はどこまでもついてまわるもの」と思った。何代も続いた環境から身についた人間性と、情報と、生活環境が、運をつくる。
できうることなら、つきのある人間とだけ付きあうべきだ。ツキのある人間になれるか?般若心教を暗記するとよい!というが
・・それか「自分はついている!」を口癖にするとよいというが・・ 親は子供の鋳型というが、鋳型の悪いのはどうしようもない?

 < 過去  INDEX  未来 >


horii86 [HOMEPAGE]