堀井On-Line



4733,心を上手に誘導する方! ー2

2014年02月28日(金)

             「心を上手に透視する方法 」トルステン・ハーフェナー (著)
   * 「思い込み」だけでも減量(何でも)できる!
 「思い込み(バイアス)に縛られ、何も考えないで一生をおくってしまう」マイナス面もある。が、その思い込み
「世界は、あなたが考える通りにある」を、プラスに転用すればよい。人間の思いには膨大な可能性を含んでいる。
その思い込みを科学的にやろうというプログラムの本が数多、販売されている。 ーその辺りを抜粋するー
《 ある調査によって、こういった現象の結果が身体にも影響して出てくると証明された。
 その調査では、ホテル勤務の肥満ぎみの部屋係の人々が二つのグループに分けられた。
肥満方のグループには、部屋の掃除をするとスポーツをしたときと同等の負荷が身体にかかり、客室を掃除する
だけで痩せる効果があるという調査結果を伝えておいた。もう一つのグループには、そのことを伝えなかった。
結果はどうだろう。「スポーツ」効果を伝えたグループの被験者ほぼ全員が、それまでの生活を変えることなく三週間後に
減量に成功したのだ。もう一つのグループは、体重が減らなかった。この調査結果にもとづけば、「被験者は自分が痩せると
期待していた。だからその効果が表れた」という研究者の主張は正しいだろう。我々のもつ期待は、ほかの人のことをどう
思うかにも影響する。初対面の人を紹介されるとき、非常に成功した重要人物として紹介された場合と、どんな人なのか
説明なしに紹介された場合とでは、相手に対する私たちの反応はまったく違うだろう。私たちは無意識のうちに相手の
イメージを自分の期待に合うようにつくり上げてしまうのだ。この現象は、研究によって裏づけられている。・・・
 また、ある学校の教師たちに、あるクラスから無作為に選んだ生徒のグループに、ほかの生徒と比べ、成績が平均以上
だったという情報が与えられた。すると年度末になって、ある結果が出た。成績がよいとされたグルーブの生徒は、ほかの
生徒より格段によい成績をとった。ほかの生徒よりもよい成績が期待されたグループの生徒は、より好意的に評価された!
もしかすると、教師はこのグループの生徒に甘くなっていたのかもしれない。そして、ほかの生徒に対するのとは異なる
口調で話しかけていたかもしれない。とにかく教師の期待だけで、そのグループの生徒が変化したことは事実である。
つまりこういうことが言える。私たちが受け取る情報がどんなものであれ、それを受け敬ったことの結果がいつでも表れる!
 私たちの文化、経験、五感、期待が、私たちを取り巻く世界を唯}無二のものにしている。 だから、世界は誰にとっても
同じというわけではない。先に触れたように、世界は私たちがとらえるままにある。》
▼ リタイアをして、つくづく気づいてことは、「思い込み」にガンジガラメに縛れれていた、それまでの自分。
 それはプラスにもマイナスにもある。「人間は、思い込みの中でしか生きられない」ことも確か。思い込みを、一度、
 離れるために、読書、瞑想が必要になる。思い込みを、冷静に見つめるために、「良く遊び、良く学び、良く働く」
 を基準にしているが、もう一つ、空をイメージしている。前者をドーナツとすれば、真ん中の穴が、空と例えると、
 少しは理解できる? で、「思い込み」をドーナツとすると、穴は内的無意識で、ドーナツの外側の周辺が、がユング
 心理学のいうところの「集合的無意識」。他のドーナツも、コーヒーもある。
・・・・・・
2013年02月28日(木)
閑話小題 ー熱気球事故
   * 熱気球事故
 一昨日、エジプトで熱気球が墜落して日本人4人を含む19人が死亡した。ルクソールといえば、屋外博物館といわれるほど
多くの遺跡群がある。そこは、古代エジプトの都テーベがあった場所で、市域はナイル川によって分断されている。日が昇る
方角であるナイル川の東岸には、カルナック神殿やルクソール神殿など生を象徴する建物が、日が沈む方向のナイル川西岸には
死を象徴する、王家の谷や王妃の谷などがある。王家の谷にあるツタンカーメン王墓は有名。 先週、シネマで「ヒンデンブルグ」
をみてきたが、これも超大型の熱気球である。 熱気球は、初めて行ったケニアのマサイマラで、乗ったことがあった。
7〜8人の定員で、カナダ人のペアのカップルが船長と副船長だった。オプションで、草原での朝食付きで2万5千円。
早朝も真っ暗な中、迎えのジープに乗って気球のところまで行く。ジープは、我われを置いて直ぐに気球の到着する場所へ直行し
我われを待つ。出発基地の広場にある気球に、ボンベの熱風を吹きつけ、膨らます。 温風が空気より軽い原理で風船は上昇する。
吊らされるバスケットは垂直になっていて、その手すりの内側にしがみ付く。そして、飛び立つと垂直のバスケットは水平になる。
一度浮いてしまうと、安定をして乗りこごちは良い。それもマサイマラの草原の日の出が見れるように時間に設定しているため、
景色はこの上ない。着陸地まで一時間近くの御来光と大草原を見る空の散歩である。シマウマやヌーの群れが眼下にみえる。
目をこらすとライオンが二匹、気球に驚いたのか走っている。 改めて感動がよみかえってくる。
 ルクソールに一歩、足を踏み入れた時の衝撃は今でも鮮明に残っている。5千年の歴史が、そのまま伝わってきたからだ。 
この気球からの景色も絶景だろう。私が行った時は時間的に余裕がなく、乗らなかったが、一万円なら安いし、価値は十分ある。 
今回の事故は、着陸時にガスバーナーの管が折れて3Mの地点から300Mまで上昇して爆発し墜落。船長は、飛び降り命に別状は
なかったが、他の19人は亡くなった。300Mの上空では助かるわけがない。
 旅先で、セスナやヘリの遊覧飛行のオプションがあるが、これが絶品である。 他にマッキンレー、イグアスの滝、アスカの地上絵、
テーブルマウンテンなどで乗ったが、人生の絶頂のトキである。残念なのは、エベレストの飛行が天候が荒れて中止になったこと。
あまり書かないが、かなり際どいことが何度もあった。だから面白い。「喉もと過ぎれば熱さ忘れる」である。 不運は仕方ない!
・・・・・・
3991, パチンコ店が何故、廃止にならないのか ? −2
2012年02月28日(火)
* パチンコ屋の仕掛け
 パチンコの売り上げ、10年前に30兆円、現在では20兆円という。ギャンブル総額が30兆というから、大部分がパチンコ・スロットの
売上げが占めている。子供を含めて一人あたり15万円にもなる。これは明らかに賭博であるが、どういう訳か廃止論が出て来ない。
この国は、政界、警察、広告、メディアがパチンコ業界と癒着?の実態がある。それがあって当然というのも異常。 チョットした
市の郊外には必ずパチンコ屋がある。 ギャンブルと見なされてない遊びの文化のようで何の規制もない。 受験が終わって、友人と
初めて行ったのがスロットマシーンとパチンコ屋。 やっと大人を感じる時である。 人がギャンブルに嵌りこむのは、大損しても、
稀に勝った快感の記憶が残り、その味を求めて繰り返す仕掛けがある。 業者の方は、勝った際の高揚感や恍惚感を高める工夫をする。
パチンコ店の音楽やパチンコの光と音などである。 そして勝つための技術が必要と錯覚させる仕掛けをつくる。 負けたのは、
勝つための技術料金と錯覚させる。 もう一つ巧妙なのは、ニアミスの仕掛け。スロットの場合、AAAが当たりの場合、ABAや、
AABが出ると、「当たり損ねた」と考える。 しかし、外れは外れでしかない。その辺の気持ちを逆用するようゲームは出来ている。
 ギャンブル依存症の人は、脳内に勝った時に出るドパーミンが長年の間に多くなっている。 それは麻薬中毒の似ている。 
iPadを購入して以来、パソコンゲームに嵌っている。 あるゲームの場合、達成すると、音楽と金色の星が三つでる。失敗すると、
グフフ!とバカにしたような笑い声と軽蔑の絵が出てくる。 それも、あと一歩のところで達成できないようになっている。 
金を賭けている訳でもないのに、やり始めたら、止めるタイミングが無くなりトイレさえ行けないほど熱中する。
難しい本を読んだ直後には非常に効果的である。 私の周辺の人でパチンコが趣味というのは一人もいないため、20〜30兆円が
ピンとこないが、この金額は国民の何割の人は中毒に近いと伺わせる。 韓国は、悲惨な悲劇の続出で禁止されてしまった。
 この不景気で、業界は壊滅的打撃を受けているはずだが、何故か倒産の話は聞こえてこない。
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2011年02月28日(月)
3626, デトックス
  ーまず「デトックス」を、ネット辞書で調べるとー
【 「解毒」や「浄化」という意味で、人間の体内にたまった重金属や、余分なミネラルなどを取り除く健康法。
 体調がよくなる、肌が若返る、生活習慣病の予防となる、などの効果があるといわれている。
従来の健康法はサプリメントなどによって足りない栄養素を補うという足し算方式だったが、これは余分なものを取り除く引き算方式。
人間の体内には、食品や水道水などを通じて鉛やアルミニウム、ヒ素などが細胞のタンパク質などとくっついて蓄積されており、
これらはわずかな量でも体に悪影響を及ぼすことが、最近の研究でわかっている。 脂肪を分解する酵素の働きを妨げるため、
ダイエットがしにくくなることも指摘されており、これらを体内にためないためには、効率よく排出する食事に心がける必要があるという。
ゴボウやコンニャクなどに含まれる食物繊維は、余分なミネラルが体内に取り込まれるのを防ぐ働きがある。
タマネギやリンゴ、コリアンダー、ニラ、ニンニクなどは、重金属をとらえて体外に排出する。
肝臓の解毒力を高める亜鉛やセレンを含む緑黄色野菜などを組み合わせて、取り込まれた毒素を排出するのが効果的である。
また、不要な成分を取り除く「デトックスサプリメント」も発売されている。 】
 ー以上だが、これとは別の話になるが、活性酸素が人間に溜まると、これが病気を誘発する。冬を除いて毎日散歩を続けているが、
 雨などで数日休んだ後に、久々に歩くと身体全体に溜まった毒素が体外に排出していく感じがする。
 これが身体に溜まった活性酸素の排出か?と思ったことしばしば。 身体に新鮮な酸素を入れると血液が洗われる。
 またストレスも毒素になる。知らないうちに溜め込むと病気を誘導する。毒を入れないことと、溜めないことである。
 インスタントや冷凍食品の防腐剤、そして米や野菜にふりかけられた防虫剤などが長年にかけ我々の身体に蓄積されている。
 体内の毒素のデットストックをデトックスするということ。私もデトックスサブリメントとして二種類の酵素を飲み続けている。
 とはいえ、毒はたっぷり溜まっているのだろう。子供時代はインスタント食品や、防虫剤がふりかけられた米・野菜は無かったので
 良かったが、団塊世代の後の世代の人たちは、これから後遺症が出てくるはず。だから、この言葉が注目されているのである。
・・・・・・・
2010年02月28日(日)
 3261, 日本の将来が暗いのは?
現在の日本が目先に直面している問題は大よそ
 ・二番底は回避できるか ・財政破綻は防げるか ・米国と中国のどちらに頼るか
 ・企業経営は長期低迷を脱するか ・民主党に期待できるか ・政界再編成が、どうなるか
 ・当面の少子化をどうするか  ・消費税を早急にアップできるか
日本人の平均生存年齢が80歳以上で、世界で一番高いのは知っていたが、
年齢の中央値が44歳とは驚いた。
 各国の年齢の中央値は
  日本 43.9歳    米  36.7歳    中国 35.2歳    ベトナム 27.5歳
  メキシコ 26.7歳    ブラジル 28.8歳   ロシア 38.5歳
日本だけが異常に高い数字となっている。 これは国民の年齢と捉えることができる。
これでは日本の将来に対して不安が生じるわけである。
この恐慌の中で、結婚適齢期の人たちの結婚時期が遅くなり、結婚しても、せいぜい一人っ子。
当分は平均値が上がるだろう。 それは、即、国家税収の減少につながる。 暗くなるのは当然である。
 ・・・・・・・・
009年02月28日(土)
2886, ハリウッド映画のような「アメリカ物語」
2009年02月28日(土)
 今回の金融危機は、歴史の残る大事件であることは言うまでもない。そして、この金融クラッラシュは、起こるべくして起こった出来事。
史上最低?のブッシュ大統領を8年間に渡って我われは毎日のように見せつけられた。そして最後の置き土産として、これまで無かった
世界恐慌を遺してくれた。 何か安物のハリウッド映画を見せられているようだ。その悪役ブッシュに替わり、善人を演出して颯爽と
オバマという史上初の黒人大統領がデビューしてきた。出演のスターは悪党のブッシュ元大統領、その補佐としてポールソン商務大臣、
ラムス元国防大臣、黒人女の国務大臣のライス、前大統領のクリントン、その奥様のヒラリー、ブッシュの親父の大ブッシュ元大統領。
更に、その前のレーガン大統領と役者が登場。 彼らにとっての悪役は、アルカイーダのオサマ・ビン、イラクのフセイン大統領、
北朝鮮の金日生に金正日、ロシアのプーチン。脇役は日本の小泉、イギリスの歴代首相、などなど、書けば限がない。
30年をかけて完成したアメリカ金融帝国(大統領ブッシュ)に、アルカイーダのオサマ・ビンが2001年9月11日、乗取った旅客機三機で
ニューヨークの金融ビルと国防省に突入。アラブ対ユダヤの対立項をつくる。それに激怒したアメリカは、その本拠地のアフガンと、
疑惑の深いイラクに戦争を仕掛ける。イラクに関しては、その実、油田狙いと、原油決済のユーロへの転換を阻止することが後で判明。
その戦費捻出のためアメリカを牛耳ってきたユダヤ人を中心に、秘策を考え出す。 さらなるアメリカ需要拡大のために黒人や中南米から
流入してきた貧しい人たちに住宅と自動車を売りつけ、それを証券化して(格付け機関の偽ラベル張りをして)世界にばら撒く。
その上に世界中から輸入をして、見返りに、紙切れのドルをドンドン刷って交換する。 一度支払ったドルを、今度はアメリカ国債と
交換させて回収すれば、戦費を稼ぐことが出来ると・・・国家謀略である。そこで目をつけたのが、日本と中国である。まずは日本に
円安を誘導して日本の輸出産業にとって優遇を与えて、紙切れと交換する計略を練りあげ、間接誘導。そして中国には自由主義経済圏への
参加費として、外貨準備金としてのドルの備蓄を誘導。 ドルの替わりに中国製商品を輸入することに、まんまと成功。
しかし、それにも問題が発生してきた。 右上がりに上がりするはずの住宅価格が値下がりを始めたのである。 そこをキッカケに、
そのシステムが根こそぎから崩壊が始る。 そして、この金融危機である。そこで対立党の民主党に黒人大統領を選出させて
「チェンジ、ウィ・キャン」とか言わせて、その影で国債を強引に、これまでのように押し付けようとする。
 特に日本は丁度良い隷属国家...
・・・・・・・・・
2008年02月28日(木) 2521, つれづれに
  *新大学生の同棲率が6割だと!
 先日、長岡の知人が事務所に訪ねてきたときの話
「来るときの車の(地元局の)BSNラジオで、新潟大学の150人の学生のアンケートの結果、友人を見ていて同棲率が、6割という。
筑波大学に続いて日本で二番目というから驚いた。自分は早稲田だが、殆どいなかった。それにしても地方大学とはいえ
一期校だった新大の学生がね〜。信じられない」と、憤っていた!  
 (字数制限のためカット 2012年2月28日)
  *新潟の景気が底抜けした?
 (字数制限のためカット 201年2月28日)
  *新潟空港までのアクセスについて
 (字数制限のためカット 2012年2月28日)
・・・・・・・・・
2007年2月28日(水)
2157, ワンセグ携帯・二つ!
   オッ(*^○^*)ハ〜ヨウサン!
夕飯後の団欒で 家内が買ったばかりのauと、私が買ったばかりのNTTドコモの携帯のワンセグなどの機能を
試しながら、互いに「凄い・凄い!」と連発。昨日はドコモの方がよい!ということだったが・・・
(字数制限のためカット 2010年2月28日)
ーーーーーーーー
2006年02月28日(火)
1792, 冒険投資家ジム・ロジャーズ
   世界バイク紀行−2             才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*)
一度きりの人生、極限に生きてこそ人生の面白みが出てくるのだろう。アメリカの現代的なエリートの人生の一つの
カタチを見せられたようだ。徹底的な自由主義者である。履歴からみて、間違いなくエリートコースを歩んでおり、
人生の設計図も緻密にたてている。 ー印象的な部分をランダムに抜粋した。  +。゚φ(ゝω・`○)+。゚
・「まず第一に殺されないようにすることです。 二番目には人生を楽しむこと。 三番目には世界を知ること」
 「人生は短い、遠くまで行け!そして深く考えよ!」 人生を勝手に難しくしているのは、我われ自身である。 
   解)深く考えつくした上でシンプルにすること。
 「殺されないようにする」は、旅だけを言っているのではない。 生活レベルの生存の確保もある。
・「大きな変化」
 −これがキーワードである。大きな変化とは、100年に一度の変化である。
 それを読み取るには徹した研究と調査と分析が必要である。そのベースとして、「歴史」と「哲学」が大切である。
   解)その潮流は情報社会の到来である。
・歴史のひとつの教訓は、真に虐げられた人間は立ち上がらないが、抑圧された人間が期待を目覚めさせられたときほど
 恐ろしいものはないということだ。そして共産圏の人々は期待を裏切られ、憤怒はその標的を探さなくてはならなかった。
 それぞれの地域を悩ませた民族や国家や宗教の対抗意識は再び噴出するだろう。もともと国境は合理的なものでなかった。
・政府はゲームのルールを変えることなど何とも思っていない。政府のおこなったことを個人がおこなえば監獄いきだ。
 たとえば投資家たちと契約を結び、後でルールを変えれば、一般的には詐欺と呼ばれる。S&Lの危機は記憶に新しい。
 S&Lはせいふに泣きついて 「大問題を抱えている。利益は吹っ飛んで、深刻な資金不足になっている」といえば、
 政府は、「では、会計規則を変えよう。本当におきていることは口外しないこと」と言った。
 政府は会計報告を操作できるようにしたのである。もし、私人が同じようなことをしたら、監獄いきになる。
 政府は「詐欺行為をしたのは少数の貪欲な奴らが起こしたことだ」と言った。政府はその貪欲な奴らの一部である。ヾ(´_`ノヾィ♪


4732,閑話小題 ー年金生活者になって垣間みえてくる貧困問題? 

2014年02月27日(木)

 年金生活に入って、事業人生の気の張りも緩み、かわり映えのない日々が続いている。年金生活になれば、娑婆ッケも抜け、
今さら欲しいモノも、してみたいコトも然程ない。還暦までが人生の面白いところ。あとは、自然の流れに身を委ねて、日々、
面白、可笑しく生きることを心掛けるしかない。生活に心配ない収入があるかないかだが、自然に適応するから不思議。 
同世代が、二ヶ月後から古希になる。 残された人生の期間が、あと平均10年になる。そのうち9年間が介護を必要とする、
というから、そう甘くはない。比較的恵まれた環境の生涯だったが、ここにきて、周辺が寒々とした空気になってきた。
貧困問題である。以前も書いたが、世界と比較した相対的貧困問題である。この東北震災の影響が今後、さらに深刻になり、
日本は貧乏国になることは避けられない。 以前にも少し取り上げたが、ーその辺りをネットでみるとー
《 日本の貧困率についての最新のデータ、OECDの2009年の統計によれば、日本の相対的貧困率は16.0%で、この年に調査
 された中では、イスラエル20.9%、トルコ19.3%、チリ18.5%に次いで4番目に相対的貧困が高い。同年調査された韓国
(15.3%)よりも高い率である。2009年には調査されなかったが、かねて貧困率が高いアメリカ合衆国が17.3%(2010年)、
メキシコが20.4%(2010年)である。 日本より貧困率が高いメキシコ、トルコ、チリはいずれもOECDには加盟しているが、
先進国と言える経済力ではないため、日本は先進国の中でイスラエル、アメリカに次いで3番目に貧困率が高い国になる。
逆に西欧諸国は大半が10%以下、全調査国中最も低いスウェーデンとデンマークの5.3%を筆頭に、北欧の貧困率が低い。
 厚生労働省の調査では、日本の相対的貧困は2009年の時点で16.0%は、データが存在する1985年以降で最も高い数値。
2007年の国民生活基礎調査で、日本の2006年の可処分所得の中央値(254万円)の半分(127万円)未満が、相対的貧困率
の対象となる。これは、単身者では手取り所得が127万円、2人世帯で180万円、3人世帯で224万円、4人世帯で254万円に相当。
日本は、かっての調査では北欧諸国並みの水準で「一億総中流」と言われたが、1980年代半ばから2000年にかけて貧富格差が
拡大し相対的貧困が増大した。なお、ジニ係数と相対的貧困率は定義が異るので一概に比較は出来ないが、単身世帯を含めた
すべての世帯における年間可処分所得(等価可処分所得)のジニ係数で国内格差をみると日本はアメリカ・イギリス・カナダ
・オーストラリアの英語圏諸国より格差が小さく、フランス・ドイツとほぼ同程度の格差であった。
 相対的貧困率は、1980年代半ばから上昇している。この上昇には、預貯金や不動産を所有しつつも収入は年金しかない
「高齢化」や「単身世帯の増加」、1990年代からの「勤労者層の格差拡大」が影響を与えている。「勤労者層の格差拡大」
を詳しくみると、正規労働者における格差が拡大していない一方で、正規労働者に比べ賃金が低い非正規労働者が増加、
また非正規労働者間の格差が拡大しており、これが「勤労者層の格差拡大」の主要因といえる。》と、やはり深刻である。
▼ 年金生活に入って、家にいるケースが多い上に、見栄など、どうでも良い年齢だが、それでも思わぬ出費が次々かさむ。
 リーマンショックによる静かな恐慌と、大震災による影響で、マイナスの影響を受けるのは、貧困層。 我われ世代は
「良い時代」を生きてきたが、これからは「悪い時代」に生きることになる。 良い時代を知らないから、それが当り前?
・・・・・・
4365, セックスがあいさつ代わりの類人猿
2013年02月27日(水)
              『あなたのなかのサル』 フランス・ドゥ ヴァール
 読書の合間に、Youtubeの他に、最近、アマゾンのネットサーフィンをしている。で、見つけたのが、この本である。
ボノボの、この習性を知ってはいたが、立ち読みでも面白い! これが人間の隠された本質かもしれない。
  ーまずは、ともあれ、この中の一節からー
≪ セックスがあいさつ代わりの類人猿ボノボは、発見が遅かったにせよ人間のタブーに接触のためか、あまり知られていない。
何と一時間半に一回セックスする。体格的にもずん胴なチンパンジーよりスマートで、より人間に近いと思われるこの類人猿は、
そのため動物園にもTVのお茶の間にも登場しない。このフリーセックスというか、挨拶代わりのセックスは、子殺しを防ぐことから
起こったのかもしれない。 父親がわからなければ、外から来たオスに殺されることが防げる。セックス相手のオスから庇護を
与えられるからお得である。ボノボでは若いメスは相手にされない。熟女が歓迎される。若いメスは性皮の腫れをパスポートにして、
新しい集団におちつくのである。 ボノボはメスのほうが権力をもつ。メスはほかの集団のオスともセックスすることによって、
オスの縄張りの意味をなくして、ボノボは平和な社会の可能性を開くのである。
 人間はセックスを社会生活から隠す。あいさつ代わりのボノボと違って、セックス相手をひとりのオスに絞ることによって、
育児の支援を受けるのである。ために家が必要になった。チンパンジーなら劣位のオスはセックスをとがめられる。
 人間はチンパンジーのように縄張り意識や外集団に対する攻撃心をもち、メスを囲い込む。子孫や経済の共有がないから外集団との
争いが絶えないと思われるのである。ボノボのように子孫と食物の共有が広くおこなわれる必要があるのではないかとヴァールはいう。
人間はチンパンジーのように縄張り意識や外集団に対する攻撃心をもち、メスを囲い込む。子孫や経済の共有がないから、外集団との
争いが絶えないと思われるのである。ボノボのように子孫と食物の共有が広くおこなわれる必要があるのではないかとヴァールはいう。
 チンパンジーには集団での権力闘争や序列関係があり、観察記録には如実にそれが現れる。人間はそれがあたかも存在しないか
のように暮らすから、動物たちの観察記録が参考になる。
 動物たちは序列を明確にする。それをボティランゲージではっきりとわかるように表わす。劣位の者は腰を低くしたり、腹を見せる。
人間には序列があるはずだが、それを明確に表わさないし、ときには無意識に行っているのに意識の底に潜りこませるのである。
それを明確に意識の昇らせるために、このようなチンパンジーの観察記が役に立つのである。≫
 ▼ Youtubeに、この映像がある。(今日のバードウォッチに掲載) これをTVで放映は出来ないのは当然。
  人間に最も近い類人猿の永年かけた知恵というから考えさせられる。食肉系女子を重ねると、いやに納得する。近親間では
  どうかは、分からないが、恐らくないのだろう。考えてみれば、これが桃源郷の世界ということ? 一時間半に一回ですか!
・・・・・
3990, 日本の、今そこにある危機
2012年02月27日(月)
  産経新聞一面に世界協力銀行の企画部長の論説、【日本の、今そこにある危機】の論説が現在の日本の
 実態を分かりやすくまとめてある。 これが現在の日本である。
* 日本のGDP(一人あたり)2000年には世界第3位だったものが2008年には23位に低下
* 国際競争力は1990年には世界1位だったものが2008年には22位に低下
* プラント(生産設備)輸出では2006年に韓国に抜かれ、今や成約実績で3倍以上引き離されている
* 貿易収支は31年ぶりに赤字転落
* イギリスエコノミストは『自動車の海外生産比率が2003年の49%から2014年には76%まで上昇する』と予測。
* 日本の国と地方の債務の対GDP比率は213%でイタリアの129%を大きく上回っている。
* サマーズ元財務長官(オバマ政権経済顧問)は『日本はもう終わっている』
▼ 莫大な借金を政府部門が抱えているのに金利が上昇せず、円高が続くのは、債務の95%を国内で保有しているため。
 このマイナス・スパイラルも、ますます加速しているが、これに対し政治が混迷をして思い切った対策が出来ない。
 もう「日本は終わった」のか? 更に東北大震災と、首都直下型地震と、東海、東南海、南海地震が待ち受けている。
 これから10年間は、日本は激しく衰退するしかないのか。 首相は一年しか持たないで交代するパターンを繰り返し、
 ある日突然、国家破綻の道をひた走り、国内は空洞化。国民は今そこにある危機にさえ鈍感で、ゆで蛙状態。
 国が滅びるとは、こういう姿か。充てがわれた民主主義の行き着いた結果が、これ。少し早めの?会社整理は、正解だった。
 ・・・・・・・
3625, 人は人生に何を求めるのか
2011年02月27日(日)
 人生の終盤に差し掛かり、ふと「人間は一生を何のために生きているのか?」という学生時からの問いが再び俄然と立ち現れてくる。
何度も問いかけ、問いかけられてきた問題だが、この年齢の、その問いかけは自分の人生の奥から沸きあがってくるから学生時代の
それとは違ってくる。 「己の魂を磨くため、高めるため」というのが、現在のアリキタリな答えになる。キュープラー・ロスのいう
レッスンとは魂を磨き高めるためである。 それは社会的に成功したとか、何かを残したとかいうことより、内側に一歩踏みこんだ
自分独りだけの醒めた問いかけと、その答えになる。 そこで、何度も問かけてきた、「魂とは、そもそも何ぞや?」という
根源的な話になる。 魂とは= 物理的には、大宇宙の中の微細な最大100年間与えられた肉体。それに対し、魂は、己の心の
背後に広がる内的宇宙と、そこに繋がっている己をいう。 それは「いま、ここ」から過去・未来に広がり宇宙に通じている。 
それを人間は一生をかけ心を通して広げ、高め、開放していくことが、人生が求めること。 自分の人生が半年、三ヶ月と、区切られたときに、
己は果たして何を求めていたのか、問題が立ち上がる。 「人生は魂の研磨を通して己を高めること」とすると、そこに知識と経験が必要になる。
求める対象にエネルギーを集中していく過程で己を高めることそのことが人生である。 よく遊び、よく学び、よく働く、こと。
その3つを心がければ、自動的に求めているところに近づくはずだが。人生が何を求めているかというフランクルの哲学になっていくが。
 そんな難しいことを考えることもない。 今ここ、を大事にすればよいのだが!
 ・・・・・・・
3260, 日米「振り込め詐欺」大恐慌    ー2
 2010年02月27日(土)
  ーこの本の論旨というと
「アメリカ発の世界恐慌」がこれから始まるが日本はアメリカに洗脳されたままなら、アメリカと一緒に崖から落ちて行くだけ。
オバマは2年で大統領を辞任し、ヒラリー大統領が登場する。 現在のままでは「日米振り込め詐欺構造」では日本が潰される。
既に「日米振り込め詐欺」で私たちの年金が吹き飛ばされたも同然で。日本の年金が国債などで吹き飛んで、近い将来には、
3分の1しかもらえない事態になる。しかし、これからはアメリカ処分案が実行される。アメリカが処理しなければならない
金額は4千兆円。 巨大バブル崩壊で失われた世界の富は総額6〜8京円。 その10分の1の処理が必要になる。 
その中で、日本はアメリカの洗脳から脱却しなくてはならない。ここで更に日本から60兆円を貢がせようと策動する。
これからアメリカは横柄な態度で次から次へと日本に政治謀略を仕掛ける。
 ▼ 以上だが、隷属国家の日本は、民主党への政権移管でアメリカと日本の官僚たちからの呪縛から解放される時である。
日本が稼いできた金は、ドル本位制度とかいうシステムで殆んど絞りとられてきた。 この著書は一年前に書かれたが、
著者の言うとおり、鳩山の脱税、小沢の政治資金疑惑など、明らかに日本の官僚がアメリカに策動された動きになっている。
そして、今度はトヨタバッシングである。 現在が日本にとって大きな節目。思い切ってアメリカと間を置くチャンス。
アメリカは露骨に日本の貯蓄を狙っている。 この数年が経済危機に見舞われるが、大元のアメリカの傷は最小で済む。 
「振り込め詐欺」というより、「抱き込み詐欺」に戦術を変えようとしている。 ドルを大幅に刷って、
世界中のドルの価値を一方的に下げればよいだけ。 それがドル本位制の正体である。アメリカは軍事だけではない、
小麦、トウモロコシなど、食物の生産国である。軍事と食料で日本など簡単にコントロールできる。
だから、いざとなると日本は腰が引けるのである。 人口減少と、戦後教育、とりわけ「ゆとり教育」で日本人は、
確実に骨抜きになってしまった現実がある。 頭と尻尾に、その傾向が大きく現れている。 
 ここで、政界再編成を早く実施して、新しい時代に向けた体制をつくらなければならない節目にきている。
今さら鎖国もできないだろうし。 欧州、アメリカが駄目ときたら、紆余曲折はあっても、中国、インドの時代か!
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2885,「思い出婚」というが!
2009年02月27日(金)
芸能関係の話も、たまには良いだろう。
ーまずは昨日の芸能界でのサプライズニュースの内容から
《 歌手玉置浩二(50)と女優石原真理子(45)が復縁し、東京近郊で同居生活を始めていることが24日、分かった。
 2人は85年に不倫愛が発覚したが、紆余(うよ)曲折があり翌86年には破局。 06年は石原が自伝で玉置の暴力癖
 などを暴露し絶縁したと思われていたが、2人は自伝の出版後も連絡を取り合っており、再び恋に発展したという。
 今月に入って同居を始め、玉置の自宅周辺では、買い物に出掛ける姿も数多く目撃されていた。
 80年代後半には泥沼の不倫騒動を起こし、06年には石原が自伝「ふぞろいな秘密」の中で「(玉置の)暴力が原因で別れた」
 と衝撃の告白をした。2度と顔を合わせるはずもないと思われていたカップルが、20年以上の時を経て再び愛をはぐくんでいた。》  
  (字数制限のためカット 2010年2月27日)
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2008年02月27日(水)
2520, ライバルはディズニーランド!     ゚+.(ノ*・ω・)ノ*.オハヨオォォ☆゚・:*☆
*IKEAの日本進出
 欧州を旅行をすると、首都の郊外で「IKEA」の店を見かける。
 何度か入ったことがあるが、組み立て家具の店でゴチャゴチャと雑然としているが面白い店である。
 本社はスェーデンにあるが、とにかくセンスがよくて、その割りに(欧州としては)値段が安い。
 北欧は家に招待しあい家具のセンスを競い合うのが互いの楽しみという。
 そのインテリアはシンプル&スタイリッシュで洗練されて、手頃な価格になり、日本の消費者にも
 支持されるのではないか。それか店としてのエンターティ-メンか!100円ショップも似たようなことを言っていた!
 そのIKEAが数年前に船橋に開店したことは知っていた。その後のニュースは聞いてなかったが、
 数日前の産経新聞の生活欄に記事が出ていた。日本でも本格的に出展を始めるようだ。 
 ーーーー
 ーIKEAの日本進出ー
*ライバルはディズニーランド
 それはIKEA日本進出の記者発表会でのことでした。競合はどこですか、という質問に対して、
 イケア・ジャパン代表取締役はきっぱりとひとこと。「ディズニーランドです」
 (字数の関係で中間カット2009年02月27日)
 ーー
 日本では、ニトリ、大塚家具、東京家具あたりが、当面の大きなライバルになる。
 日本人に組み立て家具が受け入れられるかどうかだが、私は大丈夫と思うが・・・。
  まさか、日本でIKEAの店が見られるとはね!               (。´_`)ノホンジャ!
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2007年02月27日(火)
2156, 幸福に驚く力 −3               (o_△_)oゴロン(o_ _)o.。o○グー オハヨ〜
*「物語」の持つ力*           ー読書日記ー
  ーまずは、この本の中の「物語」の持つ力と不思議についての面白いところを抜粋してみようー
河合隼雄の「物語とふしぎ」の中で、「〇〇にとって納得のいく答えが物語になるのだ」
「正しい知識を供給しても人は納得できない場合がある」「人間の体験した不思議とか驚きを心に収めるために物語はある」
といっている。人は科学的、客観的にはおかしくても、それでも納得できる方を選ぶということを遠い昔からしてきたのである。
河合さんは、それを、「その人と世界との関わりを示すものとして物語はある」といっている。
「物語とは何か」を根源に立ち返って考えさせてくれる、あるエピソードがある。ある人が、南フランスに出かけていって、
一面のヒマワリ畑の中にたったそうです。ところが、彼はヒマワリに圧倒されて、ほとんど気が狂いそうになったといいます。
その時彼は何をしたか。ゴッホのヒマワリの絵を必死になって思い浮かべたというのです。
そしてその目の前のヒマワリと自分の間にゴッホのヒマワリおいて、そうすることで初めて精神の均衡を保つことだできた。
そう話してくれました。つまり、私たちは本当に対象となるものに直に触れているように見えるけれど、いつもそこに何か借りてきて、
それを通して対象と触れ合うことを無意識のうちにやっているんじゃないか。 自分と世界と直接結ぶということは物凄く大変なこと。
だから、こうだよという物語、それを借りてくるんじゃないか。 いま私がいう物語には絵も音楽も入っています。
つまり自分は世界とどう関わったかに答え、それを一つの形にしたもの。それを聞いた時に物語とは何か、ふっとつかめたような気がします。
ある波頭を見ていると、「あっ、北斎の波頭だ」と思わずつぶやく。もし、北斎のあの版画を見ていなかったら、本当にあの波頭を
捉えることができたか? ある人がこうつかんで、物語にした。その物語を借りてくることによって、対象と向き合う。
  (字数の関係で中間カット2009年02月27日)
・・・・・・・・・
2006年02月27日(月)
1791, 全日本ラグビー選手権が面白い!      (☆-v-)。o○《Gооd Мояйiиg》○     
昨日の全日本選手権の「NEC]と「東芝府中」が面白い試合であった。 最後の瞬間まで攻防が続き、6対6の同点引き分けで両者の優勝。
後半は東芝が一方的な攻撃になったが、終了間際のワンプレーが届かず、NECが守りきり同点優勝になった。
目の前のボールを拾えばゴールで東芝の勝ちだったが、するりとボールが前に滑ってしまった。(p>□<q*))          
去年がNECの優勝の為、宦官びいきで東芝を応援していたが,近年まれなる好試合であった。
表彰式では、お互いに笑顔が多かったのは、持てる力を存分出したからだろう。 (^―^) (*^-^*)
ラグビーは延長戦は無く、両者の優勝になった。これでNECにとって昨年に続いて連続優勝ということになり、
東芝はマイクロソフトカップと、トップリーグの合せて三冠をとった。 観ていて両者が全力を出し合った
後味の良い試合であった。今年は学生の優勝チームの早稲田大学がトヨタに勝つハプニング?もあった。
ラグビーは集団格闘技(乱闘)といってよい。よく観ていると激しい殴り合いを審番の見えないとこでしているのがみる。
体力勝負のところが面白いが、闘っている選手は恐ろしいという。まあ、観るぶんにはよいが!     


4731,閑話小題 ー結婚生活は、忍耐、努力、諦め!

2014年02月26日(水)

    * 結婚生活は、忍耐、努力、諦め!
  朝日新聞の土曜版に、美輪明宏の人生相談‘悩みのるつぼ’があるが、
これが面白い!先週は、結婚歴33年の57歳男性の「妻に振り回されているのですが・・」の相談。
《・質問 <私はマイペースの行動して個人の時間を大事にしているが、妻は何時も他人のことを気にし、
  何か不安があると、口にし、私に共感を求めます。総合的に私は、その妻に振り回されています。> に対して、
 ・答は <いい歳をして何もわかってない。男女は精神的にも、生理的にも違っていて考え方が根本的に違うもの。
 結婚生活とは、忍耐、努力、諦め以外のなにものでもない。これが、その正体であり、本質。現在、日本の若者たちの
 間で「シェアハウス」が流行している。言わば共同下宿で、一人で生活するのが経済的、精神的に難しかったりする若者が
 暮らしている。他人を必要としない時には、離れた部屋にいて、人の息づかいを感じたい時には、共有スペースに出て
 いって話をしたりする。結婚とは、そういうものでは? 還暦過ぎて、家に一緒にいるケースが多くなると、この姿勢が
 必要になる。妻を亡くしたことをシュミレーションしてみて、そのプラスマイナスを考えれば、自ずと答えが出るはず。
 妻のマイナスだけを見ずに、プラスもを考えて、感謝をしてみれば!> 》と、ギレがよい。
  家に入って3年近くになるが、互いに我が強いため大変だが。その間に、いや40年以上の結婚生活で至った結論が、
 上記の「シェアハウスと思えばよい!」 この三年間では、互いの居間の滞在時間を半々にすること。私がいる時間帯は、
 家内は食事の支度など家事をして、私が書斎で読書とパソコンや、寝室でドラマなどを見る時間帯は、家内が居間と、
 棲み分けている。 就寝時間も私が20時過ぎ、家内が0時。起床時間は私が冬場4時半、夏場が4時。家内は7時過ぎ。
 結婚以来だが、互いに自分のスケジュールを淡々とこなすが、2〜3ヶ月に一度は恒例の喧嘩になるが、数日で元に戻る。
 そこに自然と「忍耐、努力、諦め」が滲み出る。 色いろ見てきて「独り暮しの厳しさ」が分かるため、まず我慢、忍耐!
 だから、互いに違ったライフワークと、共通の趣味が必要になる。定年期を向えた日本中の団塊世代が、家庭内では、
 忍耐、努力、諦めの鍛錬の諍いが生じている。私のように、立場が180度も逆転した者にとっては、この実感が強い!
 m(。・ε・。)mスイマ-m(*- -*)mス・スイマセーン (≧◯≦)(-゛-;)~(TmT)ウゥ・・
   :/   u\;   コノヤロ(☆_@;)☆\(`-´メ)  
 ;/   ノル(<)\;   / ;u  ノ \   
 ;|  (>)  _)  \;/   ⌒   \    
 ;|::: ⌒(__ノェソ   /       、   
 ;.\ u ´   ソ /   ^     |
    ;\     ,  |             
   ,ヾ \_ n^^- \     j; __/
  ;/  ∠_;i  ̄丶/ ̄      \  ´          
・・・・
4364, 嘘と真実 −3  
2013年02月26日(火)            
               ー『「残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法」橘玲著』よりー
  嘘といえば、超能力と霊媒である。少しは本物もあるのだろが、99%はタネがある。所詮は、思い込みでしかない。
 世の中の現象、嘘と真実が丁度よい塩梅で混合している。営業活動は9割方は、これを知り尽くしたもの。絶対量と
 質を持ったものが、知らないものへ都合良く誘導する。政治など、まさにこれである。
   * サイキックマフィア
≪ 50年前の1961年の頃、世界心霊主義者協会の理事で、世界で最も金を取る霊媒師の一人だったラマー・キーンは、
全米各地で交霊会を催し、神秘体験を求める人たちの前で霊視能力や念動作用、心霊療法などさまざまな奇跡を演じてみせる。
スター霊媒ともなれば湯水のごとくカネが流れ込み、王侯貴族のような豪邸に暮らし、美女をはべらせて最高級のレストランで
食事をし、一流のナイトクラブで札束をばら撒く夢のような生活が待っている。彼がほかの霊媒とちがっていたのは、虚飾の
生活に倦んで正直な生活に戻ろうと思い直したことだ。彼は『サイキックマフィア』(太田出版)という本を書き、‘幽霊ビジネス’
のカラクリを暴露した。 交霊会では、さまざまな"奇跡"が演じられる。物体移動の実演も、そのひとつで、こんな感じだ。
会場から指名され壇上に上げられた男に、霊媒が訊く。「免許証をなくされたんじゃない」怪訴そうな顔で、男は反論する。
「そんなはずはないよ。免許証はいつも財布に入れていたんだ」 「だったら、確認されたらどうですか?」
男が財布を開けると免許証はどこにもない。「お捜し物はこれですか?」霊媒は、胸ポケットから男の免許証を取り出してみせる。
もう少し手の込んだものがある。交霊会で、年配の女性に霊媒が尋ねる。「最近、大切なものを無くされたのではないですか?」
そして、それを出してみせる。何ということはない。スリを雇って予め抜き取っていたのだ。交霊会の前に、広告などで参加者を
募る。霊媒は、その中から適当な人を選んで、人を雇って花を届けさせ、家の中の様子をうかがい、情報を取る。そして、
あたかも霊感があたったように、その詳細を全員の前でいう。 ≫
 ▼ 要は事前に情報をとっていて、手品のように効果的に使えばよいだけ。どんな社会にも、神秘体験に惹かれる人たちがいて、
 ‘本物の神秘体験’を求めてオカルト世界を放浪する。そんな彼らのために、‘超能力’を演じ、効率的に搾取する仕掛けが
  できている。そしてサイキックマフィアが、そういう連中の情報を互いに流している。キーンが、活躍したのは1960年代。
  あれから半世紀が過ぎ、科学は進歩してが、そのテクニックは更に進歩した。手品師が、こぞって霊媒師に変身していった。
・・・・・・
3989, カーネーション
2012年02月26日(日)
 朝の連ドラの「カーネーション」、初めから見続けてきたが、なかなか面白い。デザイナーのコシノ三姉妹の母親と実家の商家を
題材にしたドラマ。初めの触れ込みは、「NHKの朝ドラで、一番がらの悪いヒロイン役」だった。 これを見るにつけ、私が育った
実家が思い出される。このドラマの数十倍の濃さと激しいドラマがあった。父が亡くなった後の私の代も次々と問題が起きていた。 
商家の家族には、あらゆる問題が全て現れ出る。この連ドラには、ヒロインの三姉妹の母親の業が、赤裸々に表現されている。 
和装店から洋装店への業種の転換と、親娘の商売上などの葛藤などの実話が背景にあるため非常にリアル。また主役のタレントも
役に憑依したような熱演。ヒロインの思い込みの強さと、目の前の障害に身体ごとぶつかっていく姿は、私の20歳、30歳の頃の
姿を見ているようである。 あの赤裸々の柄の悪さ?は、時代の変化に対応するに自然に出てくる姿。 時代は商売に関係なく先に
動いていく。その変化対応には捨て身で取り掛からないと難しい。 その辺を、このドラマは上手に脚色をしてある。 
 実在のコシノ三姉妹の子供の頃からの取っ組み合いの喧嘩も、リアル。 私が事業を始め気づいたことは、事業に家族や親戚を
入れてはならないのが鉄則。 事業は極限の限界の連続。そこで相打ちになる。コシノ三姉妹は、そのことに気づいていたようだ。 
三姉妹の母親の子育ては、殆ど祖母が担っていた。 浮き役としてのオバアサンの役割が、そこにある。人類の進化にオバアサンの
存在の役割があったという説がある。経験の知恵伝達をオバアサンを通して、子孫に教えを伝える役割である。 
その役割を、とぼけたオバアサン二代が、巧妙に果たしている。 それぞれが主体的に生きてこそ人生ということか。 
いずれにしても同じことだが・・・
 ・・・・・・・
3624, 自己の探究 ー1
2011年02月26日(土)
 「 自己の探究 ―自己とつきあうということ 」 和田 渡 (著)
    ーアマゾンの内容
 悩む人にも、悩まない人にも。偉大な思想家たちの思索をたどりながら、他者や世界と繋がる自己発見への旅。
 モンテーニュら偉大な思想家たちの思索を辿りながら、誰もがそこから逃れられない厄介な「自己」とのよりよい関係の構築を模索する。
   ーー
  哲学史から、世界との関係より、自分自身との関係を重視した思想家たち、ソクラテス、モンテーニュ、パスカル、アミエルなど、
  を取り上げている。「自己」の哲学的意味を知りたい人が、その思想家を見つけるための「カタログ」でもある。
  どのページを開いて、4〜5行を読むと自己に対する意味が自己完結しているように書いてあるのが良い。 
 ≪ 自己への問いは、いわば、われわれに課せられてくる問いなのである。日常に亀裂がはいり、自己の存在そのものがひとつの問題で
  あることに気づかされる時が、われわれに訪れるのである。ひとたびこの問題に遭遇すると、自己は一種の棘となってわれわれを
  苦しめることにもなる。----- しかし、その歩みを通じて、自己がどのような存在であり、自己として生きることがいかなることかが
  少しずつ見えてくるであろう。 自己への旅は、われわれが自己の多様な側面を解きあかしていく思考の経験であり、自分との対話や
  反省の試みを介して自己を掘りさげていく経験である。 ≫
 ≪ 自己探究という冒険には、終わりがない。それというのも、自己は不断に変化することをやめないからであり、自己を探究する
  視線にも変化が伴うからである。 それゆえ、この冒険は、変化するものをめざす視線と、それ自身が変化する視線とが交錯するなかで
  くりひろげられる絶え間ない自問自答の過程である。 そこでは、見えていなかった側面が見えてくる、自分に疑いなく見えていたと
  思っていた側面が疑わしくなる、自分の見方の狭さ、窮屈さが見えてくる、もうひとつ先を読む見方が自分に求められてくる、
  というようにして自分を軸にした思考がくりかえされる。 この思考は・柔軟性を欠けば、こり固まって偏狭な自閉的世界へと
  入り込んでしまうのかもしれない。 ≫
▼ 60歳を過ぎてから、自分では見えていたと思っていた側面が疑わしくなってきた。 老化とは偏狭な自閉的世界に入るプロセスでも。 
 最近、自分の中に以前から下町などで見てきた歪んだ顔の老人の姿が合せ鏡になってきた。 自分の老いを見つめることも自己探究。
・・・・・・・
3259, 世界の深さは、世界を読む人の深さにかかってくる
 2010年02月26日(金)
  *蒟蒻問答
八五郎。昔の伝で上州は安中で蒟蒻屋を営む六兵衛を頼ってやって来た。 六兵衛さん曰く「丁度村の寺に住職が居なくて困っていた所だから、
そこの住職になれ」と勧められた八五郎、気楽に過ごしていたが、ある日、諸国の僧侶が問答をしたいとやって来たから、大変。
当時は、問答をして負けた方が、寺を明け渡して出て行かなくてはならない決まりがある。八五郎は、仕方なく、その日は住職は留守だとして
旅の僧を引き取らせますが、また来ると言われ、困った八五郎六兵衛に相談、六兵衛は自分が住職になって適当に追い返すと言うので八五郎は
代わってもらう。次の日、早速旅の僧がやってくると、住職になりすました六兵衛。 僧の前に座ったきり口をきかない。
旅の僧は住職が無言の行をしているのだと勝手に思い込んで、身振り手振りで問答をしようする。自分の胸の前に、指で小さな丸を作って
前に突き出すと、住職に成りすました六兵衛、若い僧を睨み付け、両手を大きく動かして円を書く。
(字数制限のためカット 2012年2月26日)
・・・・・・・・
2884, 被膜で隔てられて
2009年02月26日(木)
          「ことばの顔」ー鷲田清一    中公新社
  被膜に隔てられてー ミッシェル・セールの哲学
    ーもし君が身を救いたいと思うのなら、君の皮膚を危険にさらしなさいー
 何気なく読んでいたら鋭い指摘に、深く納得。
   ーその一部をまとめてみるー
 私たちは傷つくことを深く恐れているらしい。いつも被膜越しに、防禦壁ごしにものに、出来事に関わろうとする。
 関心がないわけではない。強く惹かれるけれど、それにふれて、ぶれてしまうことを恐れるのだ。そう、火遊びをこわがるのだ。 
 とりかえしのきかない痕跡が残ることを怖がるのだ。TV、ビデオをまるでマジックミラーをのぞくかのように、まるで透明人間のように、
 他人のプライベートな空間に入って行きたいと思う。あるいは殺人事件の現場、他人のセックスを身近でみたいと思う。
 それも自分がその場に身体をもつことなく。
 ・ホラーや怪奇のビデオは今も人気がある。 バラエティ・ショーも、この場合は、自分も実は観たいし
  参加したいが、画像を通せば簡単に参加した気分になれる。
 ・TV、インターネット、携帯電話、など全てが被膜を通している。
 ・透明ラップ ー> スーパーの魚や肉も同じである。 調理済みにしてパックされている。
 私たちは、自分の皮膚をさらさない、避難所に立てこもったままで、しかし他者に、異物に関わりあいたいと願う。 
 いや、現代ではその被膜こそが、唯一の対象なのかもしれない。物ではなくて媒体そのものが最初の、異物と思われない
 異物なのかもしれない。そうすると、他人でも物でもなく、媒体という遮蔽膜が私の環境になっているかもしれない。
  セールは、(内部)を皮膚という表層の効果としてとらえた人だ。皮膚と皮膚とが接触するところに〈魂〉が生まれると考えた。 
 唇を噛みしめる、額に手を当てる、手を合わせる、括約筋を締める、そうすると〈魂〉が生まれる、と。そう〈魂〉をさらした
 ゲームの中で、ひとはじぶんの存在に触れる。そう、傷の中で、時間がなにかのきっかけで思い出したように疼かせるあの傷の中で、
 そう、負った傷だけ、たしかに〈わたし〉は存在する。少なくとも「美には傷以外の起源はない」。そういったのはジャン・ジュネである。
  ーー
 以上だが、中高年になって人生を振り返ると、この言葉の深さが思い知らされる。 最近になって、傷の痛みが深く疼く。
 忘れていた嫌な記憶がフラッシュのように蘇る。しかし、その痛みの分だけ〈わたし〉は存在してきたのである。
〈魂〉をさらした分だけ、自分は生きてきた。 そして、その痛みに疼くこと、それが生きていることになる。
 情報機器で私たちは何時の間にか囲まれてしまい、我が身を危険にさらすことが少なくなっている。それが、
 自分自身の真の危機であることをしらないで・・・  そういう私も年齢を重ねるごとに(皮)膜が厚くなる。 
 それが老いるということなのだろうか?  この恐慌で世界中が情報機器の便利さも重なり、内籠り傾向になってきた。 
 それが実は恐ろしいことである。 充分に皮膚をさらした後なら、まだ良いが。 中年クライシスや、初老性鬱病は、
 その過剰や過小を起因とする。 充分すぎるぐらい曝してきたか? こんなものか? 傷の疼きに聞いてみよう!
 ・・・・・・・・・
2008年02月26日(火)
2519, ジム・ロジャーズの講演 −1
2年ほど前にジム・ロジャーズの本を二冊読んだが、なかなか面白い内容であった。
その彼が日経新聞の主催の講演会で述べた内容が、この日曜日に載っていた。
 大まかの内容をまとめてみた。
 世界の大きな流れとして、
*21世紀は中国の時代。= 中国で何か問題が起きたときは投資のチャンス。20世紀はアメリカの、21世紀は中国の世紀である。
 私の娘は完璧な中国語を話せる。2003年生まれの娘にとって一番身に付けさせたいスキルだったので覚えさせた。
*アメリカ離れ進む= 私の娘はアメリカドル預金を持っていないし、私も資産をドルから撤退させるつもり。
 株式もアメリカ及びアジアで現在株価は下がっている。 配当利回りなどいかなる指標を使ってもアメリカの株式は割高。
 3〜4年周期で上がったり下がったりするだろう。短期売買で儲ける人々もいるだろうがすすめはしない。
*日本株= アメリカ株に投資するよりは良いので多少持っているが、アメリカの影響を受けない会社に投資したほうがいい。
 アジアの 水・農業関連また中国人の観光に関する会社ならアメリカの影響を受けないので有力。私は日本では高齢化関連の会社、
 幼児関連の会社などをもっている。 日本の商品のブローカーはこれからリターンが楽しみだ。
 日本は現在少子化対策をあまりしていないが、やがて少子化対策に動くと信じ幼児関連の会社に投資している。
*通貨= 私は10から20ぐらいの通貨をもっているが、最近は、人民元・日本円・スイスフランに投資している。
 人民元は交易量がどんどん上がってきている。人民元は非常に割安で安全な投資先。 日本円やスイスフランは何かがきっかけで
 キャリートレードの巻き戻しがおこり上昇するだろう。オーストラリアドルやニュージーランドドルに投資している人は
 日本の低い利率が変わるときに注意すべき。利率が変わると他の国の人が円を買い戻す動きが起こる可能性がある。
 利率だけにこだわってアメリカドルに投資するな。長期ではアメリカドルの価値は下がる。それをふまえたならもっていてもよいだろう。 
 商品の時代に1999年からはじめった商品の上昇相場はおそらく2020年まで続くだろう。企業を分析して株式に投資するより商品は簡単な投資。
 需要と供給をみればいい。オイルをみると、供給はここ25年間減っている。40年間、大きな油田の発見がなく、アラスカ・メキシコ
 ・北海など既存の油田も産出量が減っている。 国別で見ればイギリス・マレーシアは10年以内に輸入国になる。
 中国・インドネシアはすでに輸出国から輸入国になってしまった。またどのオイル会社も埋蔵量が減っているというデータもある。
 一方需要は、世界全体が成長し続け増え続けている。一人当たりのオイルの使用量を国別で見ると中国は日本の約10分の1、
 インドは約20分の1。 中国・インドの人達はいま日本のような暮らしがしたいと思い働き・投資をしている。
 特に現在30年〜50年来割安な農産物への投資がおすすめする。最高値より砂糖は85%・コーヒーは60%・小麦は50%安い。
(字数の関係で中間カット11年02月26日)
・・・・・・・・・
2007年02月26日(月)
 2155, 格差社会        (~Q~;)  おはよう〜〜ファ〜
先日TVを見ていたら格差社会について報じていた。事業者の立場の実感として、その拡大をヒシヒシと感じているが、
さらに加速しているようだ。自由競争が情報化やグローバル化により、激しさを増した結果である。「20対80」の法則が、
「5対95」の法則に変化したということだ。(20の要素に80が集中する法則が、5に95が集中)
  ー以下の数値は「格差社会」で検索した結果であるー
就業者の33%が200万以下の収入で、30佑非正社員。その雇用形態による所得格差は、リクルートワークス研究所の
04年7月の調査によると、正社員の平均年収は532万円、派遣社員は227万円、定職に就かないフリーターは167万円。
派遣社員やフリーターがこの三年で更に増えてきて、それが格差拡大につながっている。
 −−
先日の新聞によると、「生活保護世帯の補助金に満たない就業者が25%になった!」と報じていた。
その影響は結婚にも表れている。大学を卒業して1年後に正社員だった男性は10年後に71%が結婚しているが、フリーターは
35%しか結婚していない。背景にはフリーター期間の長期化による現在や将来の経済的不安がある。
  (字数の関係で中間カット14年02月26日)    


4730,近代化が進むほど、幸福感が少なくなるのは何故? ー4

2014年02月25日(火)

   * 口ーマ帝国の繁栄と共通する国際巨大資本 〜   ー「経済予測脳で人生が変わる!」中原圭介著
  少しテーマと違う内容だが、国際巨大資本が、ますます肥大化をしている反面、その恩恵を受けてきた新興国も
 変調の兆しが出てきた。巨大資本とローマ帝国の繁栄と衰退を類推して、その将来を見通すと・・ ーその辺りからー
《 ローマ帝国が衰退した第一義的な原因は、ゲルマン人の侵攻とされています。しかし、その背景をより深く洞察すれば、
 .殴襯泪鷽佑帽颪鮗茲螳呂泙譴董⊃靴燭蔑療擇粒容世困難となったこと、△修侶覯漫∪鐐菘枸譴魍容世任なくなり、
ローマ帝国の経済基盤であった農業が衰退したことーのふたつが、実質的な衰退の原因となったことがわかります。
欧州から小アジア、北アフリカまでを制覇した巨大帝国は、ゲルマン人の武力ではなく、自らの経済力の弱体化によって
歴史から姿を消したのです。 この構図は、現代の国際巨大資本が、新興国や途上国で資本主義の領上を拡大している姿と
似ています。欧米の巨大資本は、労働力の安い新興国や途上国に工場を設け、安価な製品を先進国に送り出すことによって
巨額の利益を上げてきました。
 ローマ帝国が領土を拡大できなくなってから衰退したのと同じように、労働力が安価な国を追い求めるフロンティア
開拓式の資本主義は、いずれ限界にぶつかります。実際に中国では、急激な経済成長によって沿岸部では人件費が高騰して
おり、価格を武器に輸出を拡大することが難しくなりつつあります。
 また、「リーマンショック」による世界不況で、欧米の消費は冷え込み、先進国への輸出によって高成長を実現してきた
新興国や途上国は、かつての高成長を保てなくなってきました。これらの国々に工場を建設して製品を輸出していた欧米の
巨大資本も、同様に成長を保つに四苦八苦しています。農産物の生産が立ち行かなくなって崩壊に追い込まれたローマ帝国と
同じように、国際巨大資本も"国際分業体制"というビジネスモデルの限界にあと10年か20年で到達しようとしている。
 時代や場所が違っても、同じ状況と条件がそろえば歴史は繰り返すのである。・・・ 》
▼ 世界はアメリカによって実質支配されており、グローバル化などは、アメリカ規格の基準の順守を前提としている。
 情報化によるネット世界も、その大元はアメリカが握っており、おお方がコントロールされている。近代化=西欧化だが、
 それが果たして幸福を意味するか?というと、どうもおぼつかない。金=神では、幸せになれる訳がない。
  私自身を振り返ると、一日の三分の一以上は、テレビかパソコン生活。確かに面白く、便利だが、少し不自然。
 スポーツジムや、電動アシスト自転車にしても、これまで無かったマシーンを使った文明のリキ。せっかくだから、
 使わない手はないが、それに比例して幸せになったかというと疑問である。 しかし、私自身、毎日が面白く、楽しく、
 時間が足りないほどで、一日がアッという間に過ぎ去るのも確かで、近代化の恩恵を充分に受けている。 
 幸不幸は、近代化が云々の問題ではなく、生き方の姿勢の問題である。 現代のローマ劇場が情報機器ということか。
・・・・・
4363, 書くことが思いつかない人のための文章教室  ー7
2013年02月25日(月)
           「書くことが思いつかない人のための文章教室」近藤 勝重 (著)
   * 情景描写の効果 ー鱒寿司の話
 伝える効果の「人プラス物」の他に情景がある。その中でとりわけ生活情景のワンシーンは抜群。
その幾つかが紹介されているが、むしろ私の子供時代の思い出になっている「鱒寿司の話」を書いてみた。
≪ 子供の頃、父が店の仕入れの御土産に、北陸まわりの車内販売で、鱒寿司を買ってきてくれた。
 笹の葉に包まれた鱒寿司は、当時の家族にとって最上の食べ物だった。それを家族が集まり八等分の一切れが分配される。
その大きさが微妙に違っているのを固唾をのんでみているが、末っ子のため、最後の一切れが私に配られる。それに醤油を
一タリつけて食べると、それが美味いのである。ケーキを切って食べるのと似ている。 それから何年後に、義兄が、車内で
思いついて土産に買ってきた。その時の話が印象に残っている。隣席の人が、車内販売の鱒寿司を幾つか買う義兄に連られて
買い求めて、早速、食べた。ところが期待したほど美味いと思わなかったのか、不思議そうに、「それほど美味くないが、
どうして、こんなに買うのですか?」と尋ねたので、義兄は、「これは家族が集まり、幾つか切った一切れを団欒しながら
食べるから美味しいので、一人で列車内で食べるものでないですよ!」と教えたところ、その人も納得していたという。≫
 ▼ これを書いていて、鱒寿司を兄姉と分かちあって食べた当時の情景が、鮮明に思い出てくるから不思議。
 ウィキペデアによると、【鱒寿司は、富山県の郷土料理。駅弁としても知られ、鱒(サクラマス)を用いて発酵させずに
 酢で味付けした押し寿司の一種。】とある。 今では、スーパーなどで催事で時々、見かけるが買う気になれない。
 小学校の5年から高校を卒業するまで、長岡駅裏に8年住んでいた。そのため、そこの生活が、いやに懐かしい。
 母親が極度の「うつ病」になり、心筋梗塞を誘発し、あわや死にそうになったり、近隣の遊び友達と遊んだり、十姉妹や
 文鳥、カナリヤを飼ったり・・ あの受験勉強さえなければ、良いことずくめ。 読書を薦めてくれる人はいなかった。
・・・・・
3988, 閑話小題 
2012年02月25日(土)
   * アマゾンの「なか見!」が良い
 ネットの立ち読みとして最近、アマゾンのサイトの「なか見!」を覗いているが、これで本一冊の半分以上の情報を得ることが可能。
その上に類似本が自動的に紹介されるので次々とチラ読みができる。さらに、読者からの感想投稿文の要約が幾つかある。
iPadで、月々450円を払うと多くの週刊誌や月刊誌を立ち読みでき、毎日の楽しみの一つである。 その何冊かはバックナンバーを
ダウンロードすることが出来る。バックナンバーでも、コラムとか、趣味のコーナーに面白いのが多くある。去年の春にリタイアーし、
気持ちに余裕ができ、腰を据えてネットや書籍を読む環境が出来たのと、40数年の縛りから外れたのが大きい。
アマゾンのチラミの「なか見!」も、慣れてくると濃厚な読書タイムになる。 あらためて「本はすごい!」「ネットはすごい!」と、
実感する。本屋の立ち読みをネットで可能になるのである。図書館と、近くのSCにある蔦屋の書籍コーナーと、アマゾン内の書籍検索が、
現在の私の情報収集のネットになっている。 ネット上に、まだ知らない有効なサイトが溢れているのだろうが、私のレベルでしか、
有っても、理解できないことも確か。その人の経験と知識の範囲でしか、物事は理解できない。だから好奇心と実行力が必要になる。
  * 生涯単身者
 私の従兄弟と私の兄を含めた17人のうち、早死にした私の兄三人を除いて14人が結婚している。
兄三人は既婚年齢を超えないで亡くなったので、全てが既婚といえる。しかし私の息子を含めた甥っ子が9人にうち未婚が4人。
これから一人が結婚しても、三分一が生涯未婚の可能性がある。50歳まで未婚の人の割合を「生涯未婚率」というが、1985年までは
1〜3%で推移していたのが、5年後の1990年に二倍の5・6%、2005年には16%で6人に一人の割合に、現在30歳が
50歳になる2030年には男30%が、女22%と予測されている。今までの家族単位に重きを置く社会通念が、個人単位になり、
生活もコンビやスーパーで調理品や日用品を手軽に買うことが出きる。目先、結婚する必要性がないのも大きな要因になっている。
ペットの犬は、子犬から飼わないと飼い主とはシックリいかない。人間も同じで、適齢期を超えた者同士は、丁度良い相手と出会う確率は
歳を重ねるごとに低くなる。 30歳前後の男女と、40歳を超えた男女とは、相性が年々悪くなっていく。
 ・・・・・・
3623, 日本人発明の食べ物
2011年02月25日(金)
 カレーはインドのものだが、ライスの上に乗せてカレーライスたるものを作ったのが日本人である。
日本人は西欧の香りのするカレーを、ハイカラ、肉食、手軽というカレーライスに仕上げた。明治の頃に明治政府が肉食を勧めるために
天皇が肉を食べてみせた。そして、仮名垣魯文がカレーのレシピを作ったのが始まり。カレーといえば新宿の中村屋の純印度式カリーは
有名で、香りが何ともいえない。これは、東京帝大前のパン屋のハイカラ文化の経由。そして、極めつけが、インスタントカレールー。 
これで誰もが手軽に夕飯にカレーをつくれるようになった。これは、同じ頃に「すき焼き」が日本特有のものとして大衆に浸透していった。
更に、『きむらや』は明治七年に銀座に進出し、やがてパンにアンを入れたものを売り出したのが始まり。これもカレー、すき焼きと共に
日本文化の一つになっている。これは饅頭の皮をパンに思いついたのだろう。
 そして戦後になって、『チキンラーメン』と『カップラーメン』である。日本というより世界屈指の発明である。
これは日清食品の、創業者の安藤百福がつくりあげたもので、今や年間一千億食も食べられている。世界の一人当たりにつき、
15食以上も食べられていることになる。 宇宙食として、災害や紛争の救援食として、世界中の津々浦々まで浸透している。
最近では、回転寿司である。酢飯と魚が丁度、健康ブームとあいまって、爆発的に進出をしている。古来からあるもの食文化を、
外来のものとアレンジをして新たに日本人好みに変えてしまったもの。最近では米粉を材料としたパンや麺なるものが出てきている。
 ところで、話しは違うが、日本の夜の世界のクラブ。着飾った女性が客にサービス(踊ったり、歌ったり、話し相手になったり)
する業種は日本だけという。外国は、何?の前段階の品定めならあるが、ただ、接客や、雰囲気を楽しむのは日本だけ。
これは昔からある芸者遊びを現代版にしてものだが、何か、上記の日本特有の食べ物と、進化過程が似ている。
 ・・・・・・・
3258、日米「振り込め詐欺」大恐慌 −1
 2010年02月25日(木)
  日米「振り込め詐欺」大恐慌 
    ー 私たちの年金・保険は3分の1に削られる  副島隆彦/著
[要旨]オバマ大統領は2年で辞任し、世界は緊急の金融統制体制(預金封鎖)に突入する。日経平均は4500円を割り込んで
  最安値を更新。金(ゴールド)も買えなくなるから、今のうちに金にしがみつけ。これから2012年までに何が起きるのか?
  「9.15のリーマン(破綻)ショック」を事前に言い当てた著者の提言。 年金などもらえると思ってはいけない。
  ドルは大暴落し、日本もアメリカと一緒に沈む。暗黒の世界に突入して以後の3年を予測。
 ーカバー裏
・ 米国債とドルの大暴落でこれから「アメリカ発の世界恐慌」が始まる
・ オバマ大統領は2010年にドルを半値まで切り下げて辞任する(後はヒラリー)
・ FRBと米国務省は今から2000兆円のドルを刷り散らす
・ アメリカの「振り込め詐欺」(ネズミ講)で日本の700兆円が奪われた
・ 日本の年金資金の半分が吹き飛んで、もう年金は3分の1になる
・ NYダウ平均は3000ドル台へ、日経平均は4500円を割り込む    
・ 大銀行、大証券といえども潰れないという保証はなくなる
・ 日本も緊急の金融統制体制(「預金封鎖」)に追い込まれる   
・ 金(ゴールド)もいずれ買えなくなる
  〜〜
 この本は、去年の4月30日に発刊されている。アメリカの執拗な日本に対する謀略は、著者が言うとおりになっている。
鳩山の脱税容疑、小沢の政治資金問題で、元秘書の逮捕など、あまりに露骨な日本攻撃である。ここで、さらにトヨタの狙い打ち。
そして、裏ではアメリカ国債の押し付けが行われている。そのアメリカは、何処も買う余力がないので、日本にアメリカ国債を
買うように執拗に迫っている。それが、アメリカ「振り込め詐欺」である。実際のところ、何処が違うのか? 同じである。
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2883, 現在のクラッシュは全面事故そのもの
 2009年02月25日(水)
 「現代思想」ー金融恐慌特集ー の中で、
都市学の研究家が、スリーマイル島や、チェルノブイユ原発事故などを取り上げている仏国のジャーナリストが、
今回の金融危機を一連の原発事故と同じ視線で捉えているところが新鮮である。「歴史」の加速現象が、これらの重大事故の
主要な原動力として捉える。 これらは偶然ではない。「歴史の加速」より、現実的なものへの加速への移行ではないかと。 
このことを「進歩」という。我われは、「現実主義」の時代を生きているが、一歩ふみこんで「瞬間の時代」に入ってしまった。
このような「できごと」を、切断という特異《唯一無二》の出来事の分析をすることを勧めたい。《事故》は一つの発明であり、
創出された作品である。「金融活動」は一つの仮想世界を創出した。しかし、これも現実の一部。 この仮想世界は、
植民地に喩えることが出来る異邦性の一形態である。 移住可能な遊星の神話である。今回の金融クラッシュの被害者は、
サブプライム・ローンをかけた人々である。彼らは住拠を失いつつある人々である。金融クラッシュは、国家そのものを
不安定にしつつあり、株価や土地などの価値を落としていく。我われは未来の生きられなくなってきている。 
そこで、現在しか生きられないが、現在にさえも生きられなくなっている。それが我われが現在経験していることである。 
これは、原発事故が現に起こったときと同じこと。人は「起きていること」を見抜かなければならない。無理解は恐れを大きくする。
私たちには恐れている暇など与えられていない。最も恐れるべきは、生活の全領域まで及ぶ、
個人的で内密的やる気無さです。あれやこれや、個人として行うことに及び腰になることである。
ーーー
解)解ったような解らないような内容だが、要は地球全体に大きな影響を及ぼす大災害と捉え、
 割り切って手を打つべきということ! とにかく次の爆発を最小限にし、多くの教訓を吸収すべきである。
 従って、チュルノブイユ原発事故と同じく二度と起きないように原因を展覧すべきである。
 ところで、昨日の昼飯で寄った喫茶店にあった「週刊ポスト」の中で‘たけし’が「今回の大不況は災害だから、
 派遣切りにあったホームレスに仮設住宅を与えろ、っちゅうの!」と、のたまっていた。もしかしたら、
 誰かが知恵を与えたのでは?と思ってしまった。世界を覆った大惨事と捉えれば、 日本中に一人当たり1万2千円を
 ばら撒くより、緊急宿泊施設こそ優先すべきことである。 そこで、麻生のズレタ感覚を面白おかしく茶化していた。
 職安で、仕事を探しに来た若者を相手に「自分の目的を持って仕事を探しなさい」と言った世間知らずは、あまりに御坊ちゃまと! 
 今さらだが、シェルターぐらいは作った方がよい。アメリカは教会が、その役割を果たしているというが。
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2008年02月25日(月) 2518, 閑話小題 
 *アース
 一昨日、最近出来たばかりの長岡の映画館で「アース」を観てきた。一人で映画を観るなど数年ぶりである。
新潟では、よく観たが・・・画面が小さいのがきになったが、それぞれ大きさが違うようだ。
この映画の中のカジキマグロが魚の群れを襲っているところと、鯨の親子の南極への数千キロの
長い旅路が印象的であった。二時間近い上映が半分近くに感じたのだから、内容があったのだろう。
還暦を過ぎると1000円というのがよい。1〜2ヶ月に一度はいくか?
 *何で今になって三浦?
 27年ぶりに。「ロス疑惑」の三浦和義がアメリカで逮捕された。誰の目にも彼が犯人というのは明らかだったが。
あれから27年とは! 今の若い人なら「誰?」ということだろう。米国の連続ものTVドラマに「コールド、ケース」
が面白いので見ている。 この紹介文に日本とアメリカとの司法制度の違いが紹介されている。
 −“コールドケース”とは未解決凶悪犯罪のこと。
アメリカでは原則的に殺人罪に時効がなく、未解決事件がいきなり再捜査されることもある。何十年も前の事件も、
当時まだ無かったDNA鑑定など、現在の最新テクノロジーを駆使すれば、解決の糸口が見つかる可能性は大きい。
また当時の関係者が重い口を開き、意外な真相を語り出すことも……!「コールドケース」が「CSI」シリーズと異なるのは、
回想場面で事件発生当時の時代背景を細かなディテールに至るまで再現する点。 よって普通の犯罪ミステリーを超えた、
濃密なヒューマン・ドラマがそこに浮かび上がるのだ。 −− とあった。 本人(三浦)も「青天の霹靂」であろう。
三浦の殺人の無罪判決は検察とマスコミの敗北だった。今回もアメリカが何時、無罪放免するかもしれない。
その結果、三浦が告訴による生活費確保の餌食を恐れて、報道の腰が引けているのが面白い。
この時期の逮捕は沖縄の暴行事件に対するアメリカの政治的な思惑と考えるとタイミングとして辻褄があう。 
また三浦騒動の始まりである。それより日本の司法の問題点が大きくクローズアップするだろう。
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2007年02月25日(日)
 2154, 立川談志             (~Q~;) おはよう〜〜 ファ〜
先日のハイビジョン特集 「立川談志 71歳の反逆児 」( 2月20日(火)後8:00〜)が面白い。
  まずはNHKのHPにあった ー内容ーから、
立川談志といえば早くから「天才」と賛辞を浴び、鼻っ柱の強さで落語界、落語だけでなく政界でも大暴れ。
落語協会に公然と反旗を翻し、脱退して立川流を立ち上げ、まさに「破天荒」を絵に描いたような人生を送ってきた。
  (以下、字数の関係でカット 2011年02月25日)
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2006年02月25日(土)
 1789, おやじ、ありがとう ヽ(★>з<)。o○[ォハヨ]      ー 読書日記
 母親は家を象徴しているが、父親は社会の象徴になる。母親に対する思いの本は数多あるが父親に対する思いの本は数少ない。
男にとって父親は煙たく、恐い存在であリ、人生の乗り越えなくてはならない大きな壁でもある。私にとって父親は最大の恩人であり、
教師であった。この世で私を誰よりも愛してくれたのは、間違いなく父親であリ、次に母親である。
故人も含めて一人だけお礼の言葉を残すとしたら、「おやじ、ありがとう」である。     ´Д`*)ありがとぉ☆            
母親の夢は見ても、父親の夢はその数十分の一しかみない。でも、この世に生まれて一番恵まれたのは「父親」であると確信をもって
いえるのが幸せある。男が父親を語るとは、自分自身を語ることにもなる。父親を否定するほど惨めなことはない。自己否定になるからだ。
親元を離れて初めて両親の愛情を感じるものである。私の父親に関しての思いは、この随想日記で何回か書いてきた。
「商売が好きで好きでたまらない」が、父の姿であった。仕事が好きかどうかがプロとして一流化どうかの分岐点だろう。
父は、戦前、戦中、戦後と時代の変化に従って事業を変えていった。父親の姿を見ていて仕事の厳しさと人生を学んだ。
特にお金の哲学は家訓的に叩き込まれた。それにしては  ??
・仕事を楽しむべし!       ・人間を選んで付き合え!
・質実剛健の生活を忘れるな    ・小金をつかうな!大金を使え
・肩書きを求めるな、実利でいけ  ・変化をみて、思い切った変身をすべし その為に情報に敏感であれ!
・人間は、まず疑ってかかれ!
 以下は、検索で調べた内容の紹介である。
  (以下、字数の関係でカット 2012年02月25日)


4729,近代化が進むほど、幸福感が少なくなるのは何故? ー3

2014年02月24日(月)

    * クラインの壺と、パラノ型、スキゾ型人間 〜◆   次峽从冤渋脳で人生が変わる!」中原圭介著
  自分の節目を書いているような? 男女の組み合わせも、このようなペアが多い? 私が?パラノで、家内が?
 「パラノ」と「スキゾ」について、浅田氏は『逃走論』で、次のように解説しています。
《・「パラノ型というのは偏執型(パラノイァ)の略で、過去のすべてを微分統合化して背負いこみ、それにしがみついている
  ようなのを言う。パラノ人間は《追いつき追いこせ》競走の熱心なランナーであり、一歩でも先に進もう、少しでも多く
  蓄積しようと、目を血走らせて頑張り続ける」(『逃走論』)、それを読んでわかるとおり、これは前項で説明した
 「脱コード化」(近代資本制)社会における典型的な人間の姿を言い表しています。
 ・それに対し、「スキゾ型というのは分裂症(スキゾフレニー)の略で、そのつど時点ゼロにおいて微分ー差異化
  しているようなのを言う。スキゾ人間は、「追いつき追いこせ競走に追いこまれたとしても、すぐにキョロキョロ
  あたりを見回して、とんでもない方向に走り去ってしまうだろう」要するに、お金を求めてクラインの壺をぐるぐる回り
  続けるパラノ人間に対し、その行為を全く拒絶して、自分の思うままに生きるのがスキゾ人間であるということです。
  浅田氏は『逃走論』のなかで、パラノ人間は成長社会においてのみ肯定されるという本質を見事に探り当てています。
  頑張れば、それなりに結果(地位、報酬など)が得られる社会だからこそ、《追いつき追いこせ》の運動が活発化する
  のであり、それを否定するスキゾ人間は社会から異常者としてつまはじきにされます。いわゆる「おちこぼれ」です。
  しかし、高度成長期ならいざ知らず、このデフレの時代には、パラノ的価値観の方が、むしろ異常と捉えられる。》
   ーネットで、この説明を解りやすい例えの内容があったー
【 1980年代、浅田彰氏を中心に、人間にはパラノ型とスキゾ型の二つがある、と説。
 ・パラノは偏執型(パラノイア)のことで、十億円もってる吝嗇家が、あと十万、あと五万、と血眼になってるみたいな。
 ・スキゾってのは、つねに《今》の状況を鋭敏に探りながら一瞬一瞬にすべてを賭けるギャンブラーなんかが、その典型だ。
 もっとも基本的なパラノ型の行動といえば、《住む》ってこと。一家をかまえ、そこをセンターとしてテリトリーの拡大を
 図ると同時に、家財をうずたかく蓄積する。妻を性的に独占し、産ませた子供の尻をたたいて、一家の発展をめざす。
 このゲームは途中でおりたら負け。《やめられない、とまらない》で、パラノ型になってしまう。これビョーキだが、
 近代文明はまさしくこうしたパラノ・ドライヴによってここまで成長してきた。成長が続いている限りは、それなりに
 安定していられるが、事態が急変したりすると、パラノ型は弱い。砦にたてこもって奮戦したあげく玉砕になりかねない。
 ここで《住むヒト》にかわって登場するのが《逃げるヒト》。何かあったら逃げる。ふみとどまらず、とにかく逃げる。
 そのため身軽じゃないといけない。家というセンターをもたず、たえずボーダーに身をおく。家財をためこんだり、
 家長として妻子に君臨したりはしないから、そのつどありあわせのもので用を足し、子種も適当にバラまいておいて
 あとは運まかせ。頼れるのは、事態の変化をとらえるセンス、偶然に対する勘、それだけだ。】
▼ 家庭内をみれば、旦那がパラノ型で、妻がスキゾ型。定年前の男なら、定年までは、パラノ型で、その後は、スギゾ型。 
 私自身は、50歳まではパラノ型で、それ以降は、スキゾ型に比重が移動。そして65歳からは、完全移行になった。 
 こう振り返ると、15年間の準備期間があったことになる。クラインの壺の渦中だと、自分自身が見えなくなっていた? 
・・・・・・
4362, 残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法 ー4
2013年02月24日(日)           
   * 親しい友人は何もしてくれない理由    「残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法」橘玲 著
 生きてきて感じることに、「親しい友人は何もしてくれない」という厳然たる事実がある。当たり前のことだが、
親しい友人に物事を頼ること自体が間違っている。 が、全く違う理由がある。 ーその辺を著者は次にように述べている
≪ 親しい友人同士は、長い付き合いのうちに、頼りあった友人関係は責任が伴うため淘汰されることを経験上知っている。
 また強い親しい友人は似たような仕事か環境であるため、助け合うに不向きである。 知人の方が弱い絆で責任も伴わないし、
違う分野の世界だけ広い世界を持っている。そのため貨幣世界の人の方が割り切って紹介しやすい。 貨幣空間の成功者は、
人と人を結ぶことに喜びを見出している。優秀な人材を紹介することで人間関係の貸借対照表に資産を加えることが出来ることを
経験上、彼らは知っている。 紹介された方は心理的負債は負うが、これは金銭と違って返済義務はない。世界中のすべての人と
6次以内でつながるスモールワールドの貨幣空間では、たくさんの弱い絆の向こう側に大きな鉱脈が眠っている。グローバル
時代のビジネスでは、その‘真理’を本能的に知っている人が、成功を確実に手に入れることが出来る。・・・ ≫
 ▼ ビジネス社会をみると、有能の人の人間関係の貸借対照表の資産が本当に多い。私など人間関係論を専門にしてきた割に
  全くというほど資産がなく、逆に負債もない。独りの世界も良いが、それにしてもである。ビジネスの世界を離れれば、
  その資産もアテにならない。そこでネットで検索すると《 友情は、共感や信頼の情をもって互いを肯定し合う人間関係、
  もしくはそういった感情のこと。友達同士の間に生まれる情愛のこと。しかし、それはすべての友達にあるものではなく、
  自己犠牲ができるほどの友達関係の中に存在する。》とあった。 基本は、「人は人 我は我 されど親しく」である。
  群れた老人ほど(若者もか)、不釣合いのものはない。最近、暴力団にかわって「半グレ」が話題になっているが、
  自立できない半ガキの群れそのもの。半子供だから群れるしかないのも分かるが・・ やはり法律で締め上げるしかない。
  何かしてもらう目的で、セッセと人と人を結びつけ、人間関係の資産を増やす貨幣空間も、これまた面白いようだ。
  逆に、それとは全く違った資産勘定も必要だが、歴史上の偉人とか、小説上の人物でも親しい人は作ることが可能である。
・・・・・
3987, 宇宙論のコペルニクス以上の大転換 (宇宙は本当にひとつなのか)
2012年02月24日(金)
      宇宙は本当にひとつなのか ー1
 * 我々の宇宙は10の500乗分の1個でしかない!
 2003年を境に宇宙論は、コペルニクス的大転換に匹敵する以上に大きく変わった。
コペルニクスが地球が宇宙の中心と思っていたところに、実は太陽が中心で、その周りを地球が周っているに過ぎないと
主張した以上の大きな衝撃的進展という。 それは、観測の結果から宇宙全体のエネルギーの内訳が明らかになった。
星や銀河、それを形作るすべての元素のエネルギーは宇宙全体の4・4%で、目に見える星や銀河は、宇宙の中のほんの
一部分でしかないものだった。 ここで、残る96%は何か? というと23%が暗黒物質で、約73%が暗黒エネルギー。
それを合わせると、残りの96%になり、元素のエネルギーを合わせると100%。しかし、その正体は殆ど分かってなかった。
つまり、宇宙の殆どが分かっていなかった。 ところが、その暗黒物質が分かる一歩手前まで来たのである。
この暗黒物質の研究から出てきた考えが、宇宙はもっと沢山、もしかしたら10の500乗個もあるかもしれないという宇宙多元論。
たくさんある宇宙の「たまたま」真空のエネルギーが十分小さかったものがわずかあり、私たちの宇宙は、その一つだったという説。
殆んど宇宙のことが分かってなかった事実と、我々の宇宙は、気の遠くなるような多くの宇宙の一つでしかない裏ずけがで始めてきた。
 学生時代にビッグバンとブラックホールの理論を知ったときの新鮮な驚きを今でも憶えている。その後の科学の飛躍的進展で、
宇宙のことが格段に知られるようになった。その一つにブラックホールの先が違う宇宙への入り口ではないかという説。
それが2003年を境にコペルニクス的大転換以上に変わったというのを最近、知ることになった。
哲学が宇宙の外があるかどうかを論じているが、科学は、宇宙はもっと多くあり、10の500乗もある可能性を論じている。 
科学が哲学を遥かに超えたことになる。 永遠の中の有限の存在を知った人間が、その苦しみを緩和するためつくり上げた神も、
多元宇宙論を知ると、所詮は、そこまでということが分かる。 私にとっても、衝撃的大転換である。137億年前のビッグバンで
我々の(今度から、我々の、を付ける)宇宙が出現し、その広がりには千から2千億の星からなる銀河が、100億もある。
そこには星の消滅の時に生じる空間の歪みが、ブラックホールになり、周辺の星を吸い込んでいる。それは、どうも他の宇宙に通じる
通路と思われる。これが、私の知っていた宇宙である。それが、気の遠くなる数の多くの宇宙の一つというと、根本が変わってくる。
  ・・・・・・・
3622, お姥捨てるか裏山へ
2011年02月24日(木)
            「日本の名著名言事典」より ー1
* お姥捨てるか裏山へ    「楢山節考」 深沢七郎著
  ーまずウィキペディアの「あらすじ」からー
 山に囲まれた信州のある村。今年も楢山の歌が歌いだされる季節になった。村の年寄りは七十になると楢山まいりに行くのが習わし。
 六十九のおりんはそれを待っていた。息子の後妻も無事見つかって安心したし、山へ行く時の支度はととのえてある。
 済ませることはあともう一つ …。
 −塩屋のおとりさん運がよい 山へ行く日にゃ雪が降る−
 自分が行く時もきっと雪が降る…おりんはその日を待ち望む。孝行息子の辰平は、お供で一緒に行くのだが、気が進まず元気がない。
しかし家計を考えて年明けも近い冬の夜、誰にも見られてはいけないという決まりで背中に母を背負って楢山まいりへと出かけていく。
辛くてもそれが貧しい村の掟なのであった。
  ー以下の部分が凍りつくようである              ―「日本の名著名言事典」紀田順一郎著より
「 お姥捨てるか裏山へ  裏じゃ蟹でも這って来る  這って来たとて戸で入れぬ  蟹は夜泣くとりじゃない 」
 山深い村で昔、年寄りを裏山に捨てた因習がある。或る時、老婆を捨てたところが這って帰ってきてしまったので、
家の者たちは「這って来た、這って来た、蟹のようだ」と騒いで戸をぴったりと締めて中へ入れなかった。
家の中では小さい子が蟹が本当に這つて来たのだと思い込んでしまった。 老婆は一晩中、戸の外で泣いていた。
その泣き声を聞いて子供が「蟹が泣いている」と云ったのである。家の者が「蟹じゃないよ。蟹は夜泣いたりしないなよ、
あれはとりが哺いているのだ」と子供などに話してもわけがわからないので、そう云ってごまかしてしまったのである。
この村では、白米は年に一度の楢山祭の時や、重病人でなければ食べられない。 早くに嫁を貰うことは愚かなことで、
それは少ない食料が減るからである。「曾孫が生まれる」のは多産や早熟の者が続いているということで、嘲笑の対象。
老いても丈夫な歯を持っているのも恥ずべきで、食い意地が張っていて、浅ましいと見做される。この村は七十になった老人は、
裏の山へ捨てられる。 息子が背板に老いた親を乗せ楢山に登っていく時に一言も喋らず、後ろを振り返らないが山の掟である。
 ▼ それほど遠くない時代に日本の山間部には、こういう風習があったようだ。現在の日本は不況不況と騒いでいるが、実際に、
  こういう時代が来ないとはいえないことを知らない。隣国の北朝鮮が、これに近い惨状といっても、現実としては考えられない。
  それにしてもリアルである。都会などの餓死などの孤独死があるが、楢山考と何処が違うのだろう。
 ・・・・・・・
3257, 閑話小題
2010年02月24日(水)
 * つれづれに
  半年に一度ぐらい、この随想日記、書くネタも何も尽きて呆然とすることがある。
  この数日が、それだろう。 そういう直後に多くのネタが湧き出てくることも経験的に知っている。
  書き続けることの効果を実感しているから維持できているが、書く気力が萎えるのは如何しようもない。
 * 消費税のアップ
  今年度の国家の税収が、予算より2割のダウン。 90兆の支出に対して37兆の収入しかないという異常事態。 
  こうなれば、消費税のアップしかない。 ということで、緊急に「来月から議論に入る」という。
  それしか目先の増収の手立てはない。それにしても、あれだけの綺麗ごとで支出をしておいて、何おかいわんである。
  パーセントのアップは、我われの収入が5パーセントダウンと同じことである。これでは、ますます消費意欲が減る。
  消費税分を値上げはできないところが大部分だろうから、恐慌にますます拍車をかけることになる。
  5年先は、いや3年先の景気を考えると背筋が寒くなる思いである。
 *政界の再編成が動き出した
  民主、国民新党の自民党切り崩しで、二人が移動し、参院の過半数を確保した。これで社民党の連立からの
  離反が時間の問題になってきた。次の仕掛けは、公明党との連立か、自民党の若手をゴッソリと狙うかである。
 *保険業界の現状
  昨日、取引先の保険会社の社長が来社、少し早いが長岡まで車でおくってもらう。保険業も3〜4社の大手の寡占化が始り、
  弱肉強食が鮮明になりつつあり、保険のオバサンや、中小の保険会社の淘汰が激しくなるという。
  5年で200万人が40万人に激減し、保険屋難民が彼方此方で溢れるとか。 何処も同じである。 
・・・・・・・
2009年02月24日(火)
 納棺師ーおくりびと
米ロサンゼルスで行われていた「第81回米アカデミー賞」の外国語映画賞部門にノミネートされた「おくりびと」が
外国部門賞に決定した。 この映画の概要といえば、ひょんなことから遺体を棺に納める“納棺師”となった男が、
仕事を通して触れた人間模様や上司の影響を受けながら成長していく姿を描いた作品である。
 10年ほど前に長岡市内の叔母が亡くなった。分家でもあるので葬式の主催者として準備を手伝うことになった。 
たまたま喪主の弟の知り合いが葬儀場の担当者で納棺師であった。 納棺師という職業に興味をもって、
色いろたずねたところ、転職の経緯から、納棺師からみた色いろの人生模様を詳しく聞くことができた。 
以前に火葬場の火夫の手記を読んだことがあるが、納棺師の話は初めてである。
 印象に残ったまま書いてみると
・小さな子どもが亡くなった葬儀は、正視できないほどの哀しみが満ちている。
(字数制限のためカット 2012年2月24日)
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2008年02月24日(日)
 2517, カキクケコの精神
 何気なく本棚に塩月弥栄子の「冠婚葬祭入門」を手に取ったら
「カキクケコの精神」があったが、それが面白い。  「カ」は 感謝することに照れない。
  「キ」は 緊張感を楽しむ。          「ク」は くつろぐ。
  「ケ」は 決断力。              「コ」は 好奇心を持ち続けること。
  美空ひばりも、この言葉気にいっていたというが、他にもカキクケコの精神として
 「カ」感動、感激。神の心 。           「キ」聞く、気配り、協力。
 「ク」クエスチョン(疑問をもつ)。クリエーティブ 「ケ」健康。ケセラセラ(なるようになる)
 「コ」行動。向上心。
(字数制限のためカット 2012年2月24日)
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2007年02月24日(土)
2153, 幸福に驚く力 −2
     オッ(*^○^*)ハ〜ヨウ!         ー 読書日記
幸福に驚く力とは、日常の中にある見落としている幸せに気づくことです。
それは大自然の中で己の小ささを自覚すること、その小さな自分の中の、小さな幸せに気づくことが第一歩である。
まずは、その抜粋から ー自分の小ささを知るということー
 *世界の広さと深さを感じとる
子どもって小学校も高学年になれば、大人たちを冷徹な目でみますよね。
卑しいなとか、えげつないとか・・・・。でも本の中にはもっと卑しい、えげつない人がいっぱい登場してきますし、
周りに素敵な人だなと思う人がいても、物語の中にはもっと素敵な大人がいっぱい出てくる。イメージできる
人間の幅がぐっと広がってくるわけです。これは今にして思えば本当によかった思います。何故そう思えるかというと、
今の学生は人間を殆ど知らないと思うからです。生の人間に会っていないのではないかと思う位です。
すべてあるのに、何もないって感じ。学生たちは「どうせ大人なんて」とか、「どうせ社会なんて」とよく言うんですね。
「そんなことはない。大人の中には凄い人はいる。人間ってそう簡単にタカをくくれるものではないぞ」と知らせたいのです。
人間の素晴らしさを知り、世界の広さを知ることで、自分が限りなく小さい存在だということがわかってくる。
でも、小ささを知ることが、喜びにもなる。そういう体験を、無意識だったかも知れないが、私は子どもの頃より
ずいぶんしてきたような気がします。学生たちに、「自分がうんと小さいことが、喜びになるような体験をしたいね」
というと、「そんなことをしたら、生きられなくなる」と言いますが、それは、言いかえると、人間というものは
こんなに素敵なんだ、世界はこんなに奥行きあって広いんだと知っていくことなんですね。
苦しみや悲しみは生きているかぎりあって当たり前。それらと闘うことは、その時は苦しいが、でも面白い体験なんだ
ということを、本を読めば徐々に知ってくることができる。自分と周りのわずかな世界しか知らないと分らないんですね。
学生たちは情報が大切というが、でもいくら情報を集めても生きたことにはならない。
しかし物語は読み方によっては疑似体験ができるし、体験を積み重ねることができる。
 解)ライフワークの秘境旅行に惹かれる理由の一つは大自然との一体感の感動の中で「自分の小ささを思い知らされる」
  ことである。その実感が歓喜に変わる瞬間、この一ポイントが永遠への窓である。
  求めなければ何度でも永遠を感じとることが可能なのが、人生の面白いところである。人間はアナザー・ワンで
  あると同時に、オンリー・ワンであることを知らされるということです。
 *「傷つく権利」と「怪我する自由」
若い人たちは、愛することを知らないで、愛されることばかり願っている。悩む力、悲しむ力、あるいは苦しむ力が最近
非常に弱っているように感じられます。現実的に難しいなら、せめて文学を読んでこういう力を少しでも養わなければ。
 (字数制限のためカット 2011年2月24日)
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2006年02月24日(金)
1788, 愛のアフォリズム−3     ≪( \(・ω・)/ )≫オハヨゥ☆  −読書日記
ー情熱
情熱はさめると氷より冷たくなります。  (ジャ・シャガール)
情熱を癒すことができるのは分別ではない。 別の情熱だけである。(ルートヴィッヒ・ベルネ)
私たちが情熱から解放されるのは、その情熱をとことん味わいつくした場合だけである。(マルセル・ブルースト)
                    ーそりゃそうだ!でも、そうでもない場合もあるが!
(字数制限のためカット 2014年02月24日)


4728,近代化が進むほど、幸福感が少なくなるのは何故? ー2

2014年02月23日(日)

   * クラインの壺と、パラノ型、スキゾ型人間 〜    次峽从冤渋脳で人生が変わる!」中原圭介著
  時代はバブル崩壊辺りから変わってしまった。と共に人間の生き方も、ここで大きく変化を始めてきた。
 資本主義の論理の限界もみえた中で、貨幣に縛られ振り回されている枠を見直そうという動きも出てきている。
 先進国といわれてきた人たちと、後進国といわれる未開の地の人たちの文化と、果たしてどちらが優れているか? 
 それが構造主義である。  ー以下の解釈が、明快であり、納得できるー
《 「脱コード化」社会においては、貨幣が王に代わって社会の頂点に君臨するわけではありません。
 貨幣は、頂点と底辺の間(言いかえれば「王座」と「世俗」の間を行ったり来たりと、めまぐるしく回転運動します。
 人々は貨幣を追い求めるため、それを資本として活用することで商品やサービスに換え、より多くの貨幣を手に入れる
 という生産活動を繰り返します。「もっと豊かに」「他人より幸福に」という人々の思いに突き動かされて、貨幣は資本と
 なり、資本はさらに貨幣を生み出し、それが資本として再投下されます。貨幣はそのような無限の運動を 繰り返すのです。
 このように、貨幣が「王座」と「世俗」の間をぐるぐると回り続ける様子を、浅田彰氏は『構造と力』の中で、
 「クラインの壺」をモデルに使って解説しています。「クラインの壼」とは、境界も表裏もない壺のことです。 
 実際の三次元世界では存在しえない形状ですが、円錐形である「超コード化」社会との対比として、動的な「脱コード化」
 社会のイメージを明確化するために、このモデルを採用した。 ここで注目したいのは、「脱コード化」社会においては、
 「貨幣が、人間の欲動をクラインの壷における反復運動のエネルギーに転換させることによって、秩序を維持するための
 装置として機能している」ということです。・・・
  ここの狙いは、哲学的な「ものの考え方」や「もののとらえ方」を身につけ「経済予測」に生かす方法を説明することに
 あります。 ・・現代の資本主義社会は、人間がお金によって動かされ、生かされる社会であり、人間が幸福になれない
 理由はそこにある、という話をしました。では、どうすれば人間は幸福になれるのでしょうか。そのひとつの答えとして、
 浅田彰氏が『構造と力』に続く著書『逃走論』で提示しているのが、「パラノ」人間から「スキゾ」人間への転換です》
▼ 最近、シルクロードの一つの村々の人たちの姿と、アメリカの都会の人たちの姿を比較すると、果たして、彼らが
 先進をしているのか疑問に思わざるをえない。フンザの老人と子供たちの澄んだ姿と、あのファッションの姿を比べれば
 一目瞭然。アメリカの主軸通貨のドルと、米国債を、貨幣と資本に当てはめると面白い。アメリカ資本が二種類の紙切れで
 世界を牛耳ってきたことが見えてくる。その循環の大元を握っていれば、紙切れの発行をするだけでモノが手に入る。
 パラノ人間が、スキゾ人間から、ものを収奪してきたのが人類の歴史といっても過言ではない。ブータンのように、
 地政学的に隔離されていれば、それはそれで良いが。だから、生き方として、実社会人の時は、パラノ型で、50歳を
 過ぎた辺りから、スキゾ型になる、そのために定年がある。森からサバンナである。  ーつづく
・・・・・・
4361, 嘘と真実 −2
2013年02月23日(土)          
   * うそつき        「うそつきーうそと自己欺瞞の心理学」チャールズ・V・フォード著
 この本は、「嘘と真実−1」を書いた後で、図書館で見つけた本である。この年齢になり人生を振り返ると、鮮明に己の
行蔵がみえてくる。そこには、自分に対する都合の良い言い訳や、無意識の浅ましい自分の嘘が浮かび上がってくる。
特に青少年期にまず身につくのは自分を騙すこと。自分の未熟さを認めたくないため、ウソで自身に対する「日々是口実」になる。
身勝手の本性に小理屈をつけ、まず自分に対する言い訳を考え、それを信じてしまう。だから生きていられることもある。
  ー以下は、この本の訳者の‘あとがき’中で語られている至言といわれるフレーズ。 これだけで、要約になる。
「人は自分にうそをつくために他人にうそをつく」 《まず人は自負心を保つために自分にうそをつく》
「人間は、自分のいうことを自分で『信じている』ときに、より効果的にうそをつく」《犯罪者の起点は、ここから始まる》
「うそをつく人間とつかれる人間の両者が共謀して事実をわい曲する」《基本的技法は相手の聞きたがっているウソを語ること》
「うそのつき手あるいは聞き手のいずれか一方が主犯というわけではない。うそは双方向通行の人間関係による力学的作用である」 
 《 落ち目の会社にある不信の構造に見られる? 》
「優秀なセールスマン同様に政治家もまた、選挙民を相手に、選挙民の聞きたがっていることを語る。この関係は双方的なもので、
 政治家が有権者の自己欺まんを代弁することもある」《権力を求める政治家に自己愛的な人が多く、その特性がうそを助長する。
 これ、恋愛もいえること。 人が真実のなかに求めているのは『いいニュース』だけ」
 《集団内で相互に強化される自己欺瞞が、恐ろしい問題をひきおこす。 現在の国内政治にも心当たりあり! 》
「正真正銘の真実を聞かされてがまんのできる人間はそうはいないものである」《逆にゴマすりも、熟練にまで高まると・・》
「幸福というものは、その希少性からして一つの精神障害として分類されるべきもの」《病的嘘つきは、脳機能不全と関連が多い》
「男が女に、また女が男に自分を見せる際には、隠れた本能的な力がある種のうそを助長する」《だから恋愛が成り立つ》
「うそを語る特権なしには、文学をはじめとして芸術の世界は存在しえない」
「人間の語る身の上話などというものは、いかに筋が通り、もっともらしいように思われるものであっても、
 その人の過去の歴史的事実とはあまり関係のないものだ…」《過去は、書き直され再編成され全く違ったものになる》
「…自分の人生に首尾一貫したものや意味を見いだそうというときには、正確な歴史的事実など重要ではないということもある」
「真実やうそというものは、それ自体では道徳的なものでも非道徳的なものでもなく、単なるコミュニケーションの形態にすぎない。
 その道徳的価値が判断されるのは、他者との関係においてそれがいかに用いられるかによってである」《リアルのウソが効果ある》
「自分にうそをつくのが下手な人は、うつ病になりやすい」とあるが、人間は自分の真実の実像を見ていたら
 耐えられないのは自明である。そして、「人はうそをつく能力は高いが、うそを見破る能力は低い」という欠点がある。
「うそは人間関係の調整、不安や苦痛への対処、種としての存続、個人として栄えるために不可欠の要素」がある。
 自分が「不完全である」という事実を受け入れられないために、他者を批判し、他者を犠牲にすることにより、
 自分への批判をまぬがれようとしている(自己愛)人間が存在する。
  ▼ 性悪説の上で、性善説を説けば良いのか? それは他者だけでなく、自分を見つめれば分かること。本当のことって
   あるのだろうか? 本当と思っているだけではないか? 時間の経過で、うそも本当になり、本当もうそになる。
   利口者の自己欺瞞と、馬鹿の正直者、その間に揺れているのが心。利口者の正直者もあるし、馬鹿の自己欺瞞もある。
 ・・・・・・・
3986, 生保に入るバカ、入らないバカ ー3
2012年02月23日(木)
  ここで、著者は、保険会社の危なさを次のように書いている。
 ≪ 「生保」という商品は不思議で、ふだん買い物をして、商品を持って帰る段になって、買ったものが買い物袋に入っていない
   (しかも10万〜15万円分足りない!)のに気がつかないのは、変だろう。(p.144)≫と・・・
  セールスは顧客のためにというのは嘘で、会社のために、顧客の無知に付込んで契約をする。それも弱者の不安を掻き立てて。
  最近は、成人病でポックリというのが多いが、40歳後半までに死ぬ確率は非常に低い。65歳まで亡くなる確立は2割である。
  それを死ぬか死なないかの5割の確率で命をかけた博打をするのだから、保険屋が儲かるのは自明。 (詐欺的)要素を
  持った商品をセールスが言葉巧みに、貧しく無知の主婦を狙い撃ちにさせる。保険会社のビルが立派なのは、顧客を信用させる
  小道具のため。国家予算と保険の売上が同額というのだから呆れる以前に、むしろ感銘を受ける。
   ー それでも生命保険に入りたい人に「生命保険のカラクリ」著者の岩瀬 大輔は次のような心掛けを勧める
  ◎ 生命保険にかしこく入るための7か条
 一、死亡・医療・貯金の三つに分けて考えよう      二、加入は必要最小限、を心がけよう
 三、まずは中核の死亡保障を、安い定期保険で確保する  四、医療保障はコスト・リターンを冷静に把握し、好みに合ったのを選ぶ
 五、貯蓄は金利が上がるまで、生保で長期の資金を塩漬けにしてしまうのは避けよう
 六、すでに入っていても「解約したら損」とは限らない。見直そう  七、必ず複数の商品(営業マンではない)を比較して選ぼう 
  ◆ 数年前のことだが、家内が街中で見知らない女性にスカウトをされたという。それが保険勧誘員。
  「何か保険セールスに御似合いのようで、如何ですか」と勧誘されたと嬉しそうにいう。 「典型的な保険セールスの
  キャッチじゃないか。カモがネギをしょっているように見くびられただけ。まさか乗ってしまったんじゃなだろうな」と、私。
  もちろん断ったというが、なる程!幾らでも手があるもの。保険のブラックボックスは、あの契約書。好き放題、手前勝手でも
  法律の限界を守って、全国レベルの経験則が入っている。相手は単独の無知の大衆。マスコミも広告もあるので、それに触れない。
  私の両親は、数千万はゆうに払ったがバックの話は聞いたことがない。Oとかいう関西系の保険屋の男に食い物にされていた。

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2881,アメリカの住宅金融の惨状とは −2
2009年02月23日(月)
 ーサブプライム金融恐慌の構造と意義ー 伊藤 誠  −2
                        (現代思想ー金融恐慌特集)

ここで著者は二階の建物で、このサブプライムローンを分かりやすく説明している。
1Fが、借りてと貸しての間の第一次住宅金融市場をめぐる問題
2F が、一階部分で形成された住宅抵当権を集めて抵当担保証券として束ね、
 販売し取引する第二次市場の問題としている。
ここでは書かれてないが、隣のビルに格付け会社があり、隠れ通路でつながっている。
格付け会社の直ぐ上の階には保険会社があって、そこが保険をかけることで格付けを上げる仕組みになっている。
そして、それを世界の金融機関にばら撒いていったのである。
本人たちはプロの金融マンという自覚だったが、その実態は態の良い詐欺でしかなかった。
本人達の何割かは気づいていたが、とにかく歩合を稼ぐことしか頭にない連中であった。
特に世界を壊滅的にまでしたのは2Fにおいて重層的証券化をしたことに関わっていたことである。
 −−
このように視覚化して、この問題を考えると分かりやすい。
この問題の性質の悪いのは、2Fの連中が、一階に御客を選ばず住宅を売りつけることを推奨したことである。
1Fのものにとって、誰でも良いといえばホームレスでさえ住宅を売りつけていった。
更に、住宅の値上がりを前提として、車のローンまでつけていたのである。
その毒に変わる可能性のあるサブプライム・ローンを、他の債権に一割の割合で混ぜて束ねて売ってしまったから、
他の9割の債権まで、腐った債権になってしまったことは、何度も書かれてきたことだ。
その債権は、世界中の金融機関、そして資産家、中産階級の資産運用として売られ不良債権化しつつある。
この金融恐慌は、世界恐慌に発展・転化するだろうが、「世界恐慌」を専門とする学者は、1929年の世界恐慌より
遥かに大きい者になるという。この恐慌は三年にわたり深化して、株価の暴落に続き、銀行恐慌の三次にわたる
波状的な大波に見舞われ、アメリカの全銀行の四割の倒産、失業率25パーセント、デフレスパイラル、
世界農業恐慌、再建金本位制による国際通貨体制の崩壊、国際貿易の収縮、経済生活の崩壊をもたらした。
今回は、これに近い、いや、それ以上ではないかという恐怖が広がり始めている。
しかし、日本の巨大なバブルの破裂、アジアの経済危機、ITバブルの破裂に加えて、今回の経済危機でも
何とか大崩壊が現在でも免れているのは何故だろうか? 諸説あるが、今度考えてみる。

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2008年02月23日(土)
2516, 人は何年先に標準を合わせるべきか?
                     (。´_`)ノおはぁ。
以前、経営セミナーに通っていたとき、
ー経営とは短期目標は5年先に焦点を合わせて現在の戦略を立てるべきである。ー
という言葉が印象的であった。しかし、それを実行しただろうか?というと非常に疑問である。 
9・11事件など思いもよらない事件が起きるご時勢であるが、逆に5年というと、読めるのではないだろうか。
現在の世界情勢と日本情勢からみて、この5年間は間違いなく大乱である。
根っ子は情報化を起因としたグローバル化からくる、民族、国家などの既存の体制の崩壊と、
創造が始まるからである。 その意味で、それぞれが選択と集中をした生き残りを
しなければならないのである。 まずはアメリカと中国が大きなポイント。

人間にとっても5年先を読んで現在は何をすべきか考えるべきである。
大方の人は7年と、10年か、どちらかがサイクルである。
それは、その人によって違ってくるが、7年をサイクルとするとき3年、5年を中で切るとよい。
「へ」を7年とみると、三年が右上がりで、4年が下がりになる。これは商売を始めたときの目安となる。 
だから、売り上げや利益を維持しようとしたら翌年から新たに「へ」の字の初年目を始めていなければ
三年目のピークを維持が出来ない。毎年、創業を始めるような革新をしなけらばならないということだ。
「日々新たに」革新してないと現状維持が出来ないということである。
その辺を、しっかりと見極めてないと、右下がりから逃れることが出来ない。これが意外と出来ないのである。
50歳の人だったら57歳の自分を想定して、現在何をすべきかを考えなければならない。
60歳でもよいが・・・私の場合は+7年=69歳の自分、そこから逆算して現在は何をしたらよいか考えるべし!
ということになる。 それもこれも、どうでもよいか?という声が、聞こえてくるが!
                         (●´Å`)ノ ホナ ・・・・・・・
2007年02月23日(金)
2152, スピリチュアル・ブームを考える −3
     b(^o^)dおっ W(^O^)Wはようー♪
 
香山リカ(精神科医)も現場の様々なケースを見ているから説得力がある。
生まれかわりを前提に生のリセットを真面目に考える人がいるというから、来世などを
吹き込むと間接自殺幇助になってしまう。騙すほうも騙される方も命がけである。
スピリチュアルだけでなく、判断をすべて人に委ねる人を見かける。
本当に多いのだ。携帯電話がそれを助長する道具となっているから、ますます他人志向的になる。
その連中が安直に求めるのがこのブームの背景にある。
ーー
現在の風潮に「これって本当?」とすべてを疑うのは野暮!という価値観の広まりは、
TVの捏造問題とも強く関係している。精神医療の現場では最近、「死後の生」を前提とした上での子供や
若者の自殺を企てる者をみる。彼らがこういった番組の影響を受けてないと、考えにくい。いま売れている、
こういった類の本に「すべてのものはあなたの意志を超えたところで決まっている必然なのだ」
というメッセージが溢れている。

この意志を超えたものは「前世」であったり、「宇宙の大いなる力」であったりするが、
これらの中に重大なメッセージがある。ひとつは「だから、今が不本意なのはあなたの努力不足ではない」
いまひとつは「だから、いくら頑張っても何も変わらない」ということだ。
つまり、「あなたは悪くない」と個人を免責しておいて、「少々頑張っても何も変わらない」と、
努力の放棄や不満の受容を勧めている。少しでも状況を改善したければ、「守護霊」や「宇宙の果て」からの
メッセージを媒介してくれる霊媒師や超能力者の声に耳を傾け、それに従うしかない。

何とかして欲しい」と願う個人が霊や宇宙といった超越世界と直接、つながって
救われようというしておきている、いまのブームは
「組織は世の中を自分たちの力で変えることで何とかなるかもしれない」
といった社会的な視点がまるっきり抜けている。もちろん人生のかなりの部分は理不尽で
不本意なものであり、怒りや悲しみを乗り越えるためには「目に見えないもの」の力も時として。
必要なこともある。しかし、それは苦から身を守る最終手段であって、
日常的に安易に「死後の世界」や「宇宙の力」を持ち出して解決しようというのは、
決して社会の進歩ではなく、むしろ退化と考えた方がよい。

 ーーー
 なるほど、そりゃそうだ。運命論ほど馬鹿馬鹿しいものはないが、
 スピリチャル・ブームの批判につかうとは、さすがである。
 神社のお土産品の「お守り」も、古典的なグッズである。
 お賽銭って、神様への賄賂というが、100円?というのが可愛い!
・・・・・・・
2005年02月23日(水)
1422, 新型MPUについて

最近よく新型MPUの記事を目にする。MPUといえば、超小型演算処理装置をいう。
  (字数制限のためカット2014年02月23日)
・・・・・・・
2004年02月23日(月)
1055, TVが面白いー上海建築家コンテスト
  (字数制限のためカット2014年02月23日)
・・・・・・・
2003年02月23日(日)
690,「わたしを認めよ!」
・・・・・・・
002年02月23日(土)
340,ある時間の断片ー3 
1968年9月2日  六日町 雲頓庵

朝6時に目が覚める。6時半に顔をあらい掃除をする。
食事の後、「流通革命」を後半100頁を読み終える。
そして昼飯。小千谷の根本医院の長男がやってくる。二浪とか「つらいだろう!」
13時から17時半まで「流通機構の話し」を読む。
中央公論の流通の切り取りも読む。 何か集中が足りない。
21時半に禅堂にいって座禅をくむが、何かごそごそという音がする。
こわごわ見ると猫みたいなのがいる。一瞬凍りつく!
よく見ると小さなイタチみたいだ。皆を呼びにいく。全員でそれを追いかけまわす。
逆に歯をむいてくる。とりあえず戸締りをして、次の日にする。


4727,閑話小題 ー「受け継ぐ〜京都 老舗料亭の代替わり〜」

2014年02月22日(土)

   * 受け継ぐ〜京都 老舗料亭の代替わり  <プレミアムアーカイブス 2/19 (水) 9:00〜11:05 >
 最近の日常生活に、午前中のNHK・BSの過去の名作番組を見ることが多い。これが未知の世界を垣間みることができ、
 下手な読書より遥かに良いことに気づいた。 今回は7年前の番組。 ーその番組内容によるとー
《400年の歴史を持つ京都の老舗料亭「瓢亭」が、転機を迎えようとしている。14代目主人で日本料理を代表する
 重鎮・高橋英一から、15代目となる息子・義弘への代替わりである。 挑戦することで新鮮な魅力を生み出し続けてきた
 京料理の魅力の神髄を、新しい和食を捉えようと格闘する15代目と、彼を励まし育てていく周りの老舗料亭の主たちの姿を
 通して描き、京都の伝統文化の奥行きと幅の広さを浮かび上がらせる》
▽「京都の老舗料亭の代替わり」となれば、静かな寝室で二時間かけジックリと、その世界に入ってみた。
 京都の歴史が作りあげてきた独特の京料理の世界は、奥行が深い。ライバル店の主が競合店の調理場に、平気で入って、
 料理場の様子をみる。お互いにフリーの長年の京都独特の慣習という。また、先代が亡くなった場合、その知りあいが、
 他店の後継者の面倒をみる。京料理の世界が共同体のようになっている。また100店以上の料理店が互いに腕前を競い
 合う展示会が年一回は開かれ、それぞれの新商品を展示する。これぞ京都の古くからの原風景の世界が映し出されていた。
   * 記憶のモザイク
 以前行った旅行先の写真をネットで探し、気に入った何枚かをファイルに入れ、改めて見ていると、タイムスリップを
したように、当時の光景が蘇ってくる。 その先が異郷・秘境のため、強力に脳に焼きつき残っているが、撮ってある写真は、
さほど良くない上に、記憶が年々薄れていく。しかし、その時の感動を思い出しながら、画像検索にキーワードを入れると、
忘れていた記憶が鮮明に戻ってくる。その写真が磁石の役割を果たしてくれる。情報機器の進化が、同じような体験をしてきた
人たちの画像がネット上に溢れ、次々と新鮮なそれぞれの瞬間が現れ出てくる。現地で実際に見ていた光景が、きめ細かく、
広範囲に、新たに追体験が可能になる。例えば長岡花火のフェニックス。自分が撮った写真よりネット上の写真の方が遥かに
臨場感がある。「パンプローナの牛追い祭り」や、「リオのカーニバル」のなどの熱狂は、現場に実地に行かないと味わえない。
しかし、当時の感動を思い浮かべながら、検索で現れ出てきた写真を見ていると、当時と同じような追体験が可能である
当時の朧げながらの記憶も、ネット上の写真から生々しい記憶に置き換えることができる。 ケニアの丘で見た夕景。
そこに足の骨折で取り残されたヌーが印象に残っている。いつ猛獣に襲われるかもしれない恐怖で立ちすくんでいる姿が、
痛々しいが、何とも美しい。それらの記憶が脳の染み込んでいるためか、ネット上のアフリカの夕景が違って見えてくる。

・・・・・・
4360, 閑話小題 ー久々の百均ショップ
2013年02月22日(金)
   * 久々の百均ショップ
  仏壇用のライターと、チャックが壊れたのため、衣服用の両面マジックテープを探しに『百円ショップ』にいってきた。
半年ぶりである。「日本の主婦は世界で一番、頭が良い」というテーマのTV番組があった。 百均ショップの商品を、
材料にし、組み合わせて新たなインテリアを作ることを趣味にしていた主婦を紹介していた。恐らくネット世界で情報が
流れているのだろう。 私の周りには、この数年来、買い集めた百均の小物が100はくだらない。100円だから欲しく
なるものは数多ある。 以前より、針に糸を通す道具があれば、と思っていた。子供の頃、市場で針通しの小物を売って
いたのを見たことがあった。で、探すとあった。極細の針金が二つ折りになっていて、それを針の間に入れて、出た先で
糸が通る位の空間ができ、そこから引き出すことで糸を通すというもの。成るほどである。 家内が目が悪いので、ボタンの
縫いつけや、ほつれ等は私がすることが多い。 これも慣れると面白い。 あと、iPadのスタンドがあった。ネットで
買ったものがあるが、かさ張る。 単行本用の書見台にも使えるので衝動買いをしたが、実際使ってみてなかなか良い。
30分、5百円のディズニーランドと思えば良い。で、要らない物が、溢れかえっている。
   * 久々の夢の中の母
 そういえば、最近あまり母親の夢をみてなかったが、一昨日の朝方、母が出てきた。それもリアルに。 ふと眠りから
覚めると、居間の炬燵で母が隣に寝ていた。夜半に私も転寝をしていて、母親に声をかけた。80歳代半ばの年令で、夢では
呆けてはなかった。夢は現実との境が無くなっている。毎晩、寝ている場所が母親が寝ていた同じ位置にあるためである。
末っ子ということもあり両親から特別愛され育った。また、その後姿から多くのことを学んだ。父親の死亡年齢に、あと4年
足らずになった。本当に良い両親に恵まれて良かったと年齢を重ねるたびに思いが深まる。 父親との差はあまりに大きい。
両親とも、常に何かテーマを見つけて追い求める人だった。意識として両親から出発して、最期は、そこに戻っていくのか。
・・・・・・
3985, 生保に入るバカ、入らないバカ ー2
2012年02月22日(水)
 生命保険は生命を賭け対象にした博打。 保険屋が騙すのも悪いが、騙される方も問題。確率論を背景に不安心情につけこんだ
悪質?商法が生命保険の本質。 彼らは必要悪と嘯くが、それも程度の問題。 欧米の二倍の9割の世帯が、3倍〜8倍の額の契約、
というと10倍以上の額を生保に支払っている異常さに誰も気づいていない。 国家予算と同額が生保の餌食とは、日本沈没も当然。
愚かさという点では、他人にいえた柄でないが・・・ 私が生命保険嫌いのため、家内は、こっそりと家内名義の給料の全額を
40年近く預金をしていたことを、後で知った。ある意味、それが正解だった。死ななかったこともあるが、塵も積もれば山。 
それが現在の命綱になっているが、それを生命保険に注ぎ込んでいたら、数分の一も手元に残っていなかったはず。
  その辺の詳しい内容は、≪生命保険のカラクリ (文春新書)  岩瀬 大輔 (著)≫に詳しく書いてある。 その一部を抜粋する
【 ▼ この仕事を始めてわかったのだが、生命保険を理解できていない人は、決して少数派ではない。ビジネスパーソンも主婦も、
   若者も年配の方も、そして金融のプロでさえも、同じように生保の仕組みについては理解できていない。(p.70)
   * 多くが巧妙に近づいてくる女性セールスとの「付き合い」で契約し、「月々いくら」という状況で気楽に契約しているが、
    1,500万円近い商品に関して理解していない。
  ▼ 日本の生保業界の現状といえば、専属のセールスの人海作戦のネットを張り巡らせがビジネスモデルのために、組織として
   高収益の保障性の商品を販売してきた(p.43)
  ▼ 生保業界では長きにわたり、「顧客のニーズに合った商品は何か」でなく、「既存の販売組織を維持するために必要な商品は何か」
   という観点から、高収益を確保できる商品開発がおこなわれてきた。(p.46)
  ▼ 売り手である保険会社と買い手である国民との間に、大きな情報格差があることを前提とした既存のビジネスモデル(p.189)
  ▼ 生命保険商品の3つの機能(p.81) 1. いざというときに、残された家族のための所得保障→遺族保障(死亡保障)
   2. 病気・ケガによる入院・手術のための保障→医療保障  3. 将来に備えるため→生存保障(貯蓄・年金) 】
* 家庭の大黒柱が死んでも生活に支障のないのに保険に入っている人をバカという。 それを積立にしたほうが、二倍も得になる。。
 その本質は「弱者救済を建前としたタカリの類」で、貧困ビジネスそのもの。豊かな人は、そんな不安は本来、全くないのと、
 保険のいかがわしさの情報を持っている。いずれにしても情報格差で搾取を業にしていることは事実。千五百万の買物の中身はカス。
  ・・・・・・・・                                           ーつづく
3620, ちょいとした 小話
2011年02月22日(火)
  経済学会にて、ある重大な定理について、多くの質問があった。
 イギリス人: 「その定理は経験によって裏付けられているだろうか?」
 ドイツ人 : 「その定理はいかなる基本定理から演繹されたものであるか?」
 フランス人: 「その定理をフランス語で言ってください」
 日本人  : 「あなたの先生は有名ですか?」
   ――
 ・賢い男 + 賢い女     = ロマンス       ・賢い男 + アホな女    = 妊娠
 ・アホな男 + 賢い女    = 不倫         ・アホな男 + アホな女   = 結婚
 ・賢い上司 + 賢い部下   = 業績順調       ・賢い上司 + アホな部下  = 余剰人員即削減
 ・アホな上司 + 賢い部下  = 能力主義昇進     ・アホな上司 + アホな部下 = 長時間残業
   ――
  なんでもゲームにしてしまう夫婦がいた。何事につけ勝負を競い、たがいに掛けあうのだ。その結果、夫は常に欲求不満だった。
 というのも、結婚して以来彼は妻に一度も勝つことができなかったからだ。だが夫は自分が負ける心配のないゲームを思いついた。
 子供の頃よくやったオシッコ飛ばしだ。壁に向かって、どちらが高くまで飛ばせるかというあのゲーム。
 構造上からいって、自分が勝つことは確実だった。 「さあ、ごらん」彼が言った。
「あの壁に向かってオシッコをするんだ。高くまで飛ばしたほうが勝ちだ」
「分ったわ。面白いゲームね。私に先にやらせて」妻は足を広げ、スカートをまくりあげて狙いをつけた。
 壁の約二十センチの高さの所に彼女の痕がしるされた。「よし」男が言った「今度は俺の番だ」
 彼がジッパーを引き下ろし、モノを取り出して準備を整えたとたん妻が声をかけた。「ちょっと待って。手を使うのはナシよ」
 ・・・・・・・
3255, 「都市主義」の限界  −1
2010年02月22日(月)
   「都市主義」の限界 養老 孟司 著    〜読書日記
 ーまずは、概要となるポイントの文章を書き出してみたー
*仮想社会とは、ネットやTVなどのバーチャルなものではなく、我々の脳内に作られた社会(=都市)であり、
 脳による判断のみで社会を構築していくことへの恐怖が伝わってくる。
「戦後社会の変革を、私は『都市化』と定義してきた。・・・ 戦後の日本がいかに都市化されたか、それがいかに行き過ぎたか、
 それはもはや歴然としている」 『都市化』を脳化ともいう。 都市の全ての物は脳が作り出した意識の産物であり、
 それと対局にあるのが都市生活者が全く意識の及ばなくなった自然である。 日本もヨーロッパもアメリカもその状態にあり、
 現代社会に起きるありとあらゆる問題はそのことに帰結するという。 少子化に決定的な解決がないのは、子供は「自然」である、
 と著者は主張。 自然は都会で排除されるものである(子供も然り)という。
 また、都市で起こる(悪い)ことはすべて「他人の所為」という視点があるからだ。
*文化大革命では「批林批孔」を行っていた。このとき、中国の二大思潮は儒教と老荘思想であり、「文化大革命=老荘思想」
「中国旧体制=儒教」なのだとおぼろげに感じた。「都市主義」対「田舎主義」として、儒教対老荘思想、文化大革命も説明している。
*日本で学園紛争がおきたが、同時に中国では文化大革命が、フランスでも「ラテン区」の騒動がおきている。これらの学生の動きが
 世界で同時におきたのはなぜか? それを氏は「都会と田舎の対立」だったと規定する。都会化するためにはエネルギー供給が
 不可欠である。そのころ石油が安価に供給できる体制が整ったことにより、世界中で都市化が急速に進展した。
*急激に進展する「都市化への反応」が世界各地でおきた学生の反乱だった。 当時の運動は、反体制を標榜した。 体制」とは、
「人間が意識的に作り出したもの」である。しかし、当時の若者自身が「田舎」を引きずっており、大学は「封建的」で「田舎」的。
 当時の若者は「都会」的であることを志向して「田舎」的である大学に反発、同時に彼らは「都会」主義に反発もして、文化大革命の
「田舎」主義にも共鳴した。
▼ なかなか、面白い切り口である。多くの国ではの人口の三分の二が大都会の周辺に住んでおり、その半分〜三分の一が首都圏に住む。
東京都民の増加が止まらないで、何時の間にか1300万人を超えてしまった。首都圏には大よそ三分の一が住んでいる。
彼等は、異常な位にそれ以外に住む人を「田舎もの」と差別をする。 自分たちは文明の最先端で文化的な生活をしている。
彼方此方で催事があり、それに触れる機会が多いのは事実だが、不自然な生活環境である。 「都会人が優位という感情が、
目くそ鼻くそを笑うレベルでないことは学生時代から認識をしていた。そこで産まれ育った人の固定観念は想像を絶したことを知った。
機能を優先させて不自然な環境に住んでいることが自覚できない。
偶然に、下記の同月同日の上海のターミナルの文章が間接的だが、同じ問題を提起している。    ー つづく
  ・・・・・・・
2880, 上海のバスターミナルにて
2009年02月22日(日)
19日の「NHK・BSの世界のドキュメンタリー」が、迫真に迫っていた。
今年の中国の正月にあたる「春節」に、上海で撮られたもので、中国の出稼ぎ労働者の現状を生々しく追ったもの。
  ーまずは、その部分NHKのHPの番組紹介からコピーしてみた。
 《 再訪・上海バスターミナル 〜不況下の帰省ラッシュ〜 》
 中国の人々が年に一度、故郷の家族と水入らずで旧正月を祝う「春節」。NHKが2年前に取材した、
好景気に沸く上海の長距離バスターミナルは、春節の直前90万人もの帰省客が押し寄せ大混乱に陥っていた。
人々は貧しいながらも明日への期待を膨らませていた。しかし今年のバスターミナルは、打って変わり閑散としていた。
世界経済危機の荒波を被り、出稼ぎ者の多くが仕事や生活の基盤を根こそぎ奪われ、すでに帰郷していたのだ。
それでも大晦日のバスターミナルには、追いつめられながらも故郷で春節を迎えたいと願ってやまない人々の姿があった。
バス代を工面するのがせいいっぱいで、土産も買えず身一つで帰省する農民工。給料が支払われず、妻子だけを帰省させて
一人上海に残る工員。故郷に残した我が子に会いたくて、リストラされた夫の反対を振り切って来た母親。
(字数の関係でカット2012年02月22日) 
・・・・・・・
2008年02月22日(金)
 2515,  iMacの感想! −2              オッ ヽ(゚∀゚)ノ ハー
Macを買ってから一月ほど経つ。
これを入れてから2週間もしないうちに4棟のホテルのロビーに6台、事務所に二台、自宅も含めて9台を導入した。 
とにかく画面が綺麗なことと大きいことでパソコン環境が一変した。そのキッカケが年に数回事務所に訪ねてくる知人が
三年前のパソコンを見て、「そんな古いパソコンなぞ使っているのは如何なものですか?」といわれたことである。
何かピンとくるものがあり、直ぐ近くある「ヨドバシカメラ」に、パソコンを見に行ったところ、最新のオール・インワンの
「iMac」を見て気に入り、即座に事務所に一台入れた。旧来のノートパソコンの隣で比較をしてみて驚いてしまった。
   (字数の関係でカット2010年02月22日) 
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2007年02月22日(木)
2151, スピリチュアル・ブームを考える −2    オッ(*^○^*) ハ〜ヨウサン
溝口敦の批判も当然ながら鋭い。最近は著書「細木数子ー魔女の履歴書」で、怪しげな女占い師を切り捨てている。
(字数の関係でカット2010年02月22日)             
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2006年02月22日(水)
1786, 誰も知らなかった英国流ウォーキングの秘密
       才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*)  ー 読書日記
 図書館で借りてきたが内容が深いので、中古本だが、ネットのアマゾンで取り寄せた。
それぞれが味わい深い内容で満ちている。ヨーロッパの郊外にある公園に行くと、必ずといってよいほど、
ウオーキングやジョギングやサイクリングをしている人を見かける。その度に生活の豊かさを感じ取っていた。
ウォーキングの本は数多あるが、これだけ詳しく書いてあるのは珍しい。
  ーこの本の概要をまとめてみた。    _φ[・ω・`*]メモメモ♪
 英国では1800年代にフットパスと呼ばれるウオーキングのための小径が誕生し、現在では20万キロも整備されていて
生活の一部となっているという。イングランドとウェールズ地方だけでも、なんと16万キロメートルの歩くための道が、
公道だけでなく、私有地の農園、庭先、工場の敷地内をも繋ぎ、そこで人々は自由に通行ができる権利を有している。
国民の45%がウォーキングをスポーツとして実行し、何処かへ着くということよりも歩く過程そのものを楽しんでいる。
「フットパス(footpaths)」とは、「人の足によって踏み固められた歩行路」のことで、人だけが通れる道のこと。 
他には「ブライドルウェイ(bridleway)」があり、これは手綱(bridle)のとおり 人、馬、自転車が通れる道のことをいう。
この本では、英国のランブリング(逍遥)と、日本における散歩の歴史を紹介している一級の内容である。
人は‘歩くこと’という肉体の運動としてだけでなく、精神を様々な様式で駆け合せてきた。
 その枠組みを以下のように提示している。
(1)思索のウォーキング 歩きながら考える、アリストテレスからルソーなど思索を深めるために歩く
(2)宗教的ウォーキング 悟りへの歩行、空海の山野行、修験道、八十八個所巡礼、富士山登山講など
(3)自然観照のウォーキング 静かな心で自然に向かい、その本質を見ようとする態度、
   芭蕉、ベートーベン、ワーズワース、国木田独歩などロマンチックな歩行の原点
(4)達成へのウォーキング  アルピニズム、長距離を踏破する
(5)訓練のウォーキング 歩行のなかで体や根性や団体行動の技能の訓練をするための歩行、
   ワンダーフォーゲルや軍隊などの教練、鍛練など「やらせる側の意図」による歩き
(6)余暇活動としてのウォーキング 暇な時に目的もなくぶらつく歩き、無為という行為を楽しむ、
        夏目漱石の散歩、長井荷風の夜歩き
(7)コミュニケイションのためのウォーキング 友人、恋人、家族がコミュニケイションのために歩く
(8)教育のためのウォーキング   自然学習、社会学習のための歩き
(9)見せるウォーキング   繁華街を見せるために歩く
(10)健康のためのウォーキング  フィットネスウォーキング
 −−
 20年近く近くの土手をウオーキングをしてきたが、散歩をしている人が少ないのが不思議である。
生活に取り入れている人は5�にも満たないようだ。 初めは腰痛対策と運動のため歩いていたが、現在では
「歩くために歩く」に、目的が変化してしまった。この本を読むかぎり、英国は生活天国の国のようだ。 -,_っ-)ゥンゥン
ーー
山と渓谷社    市村 操一【著】      =☆(((((((((・ω・。)バイバイ!


4726,シェールガス革命 ー3

2014年02月21日(金)

    * シェールガス革命の拡大で日本経済も大復活?
「石油危機で原油150ドルに!」という見出しを、あまり耳にしなくなったのは、世界的不況に加えて、次のエネルギー源の
シェールガス開発が進んでいるためだが、その技術を日本が大きく担っていることは、あまり知られてない。 
  ーまずは、その辺りからー
《 米国では、急速にシェールガス社会へとシフトが進み投資ブームになっているが、それを技術的な面で支ているのが日本。
 もっと言えば、日本の技術力がなければ、アメリカのシェールガス社会へのシフトは実現できないと言ってもよい。
大阪ガスはアメリカのテキサス州で開発権益を取得。現時点で、シェールガスの本格的採掘は米国やカナダに限られているが、
今後、急速に世界的規模で拡大していくことになれば、日本がもつ圧倒的な技術力が世界市場で席巻することになるのは確実。
さらには、シェールガス革命のメリットは、製造業の世界だけでなく、日本の社会全体が享受できるようになる。
石油よりはるかに安いシェールガスが手に入って、シェールガスを燃料とする火力発電が増えれば、電力の供給価格は下がる。
そうなれば、アメリカと同じように、日本の製造業の競争力が高まるとともに、工場の国内回帰にもつながる。
その結果、雇用も増え、経済成長にも貢献することになるだろう。》
▼ アメリカ経済の復活は、日本にとっても大きなプラス要素だが、アメリカへの属国化が、更に強くなる。
 タイミングが良かったのか悪かったのか、東北大震災で原発安全神話が根こそぎ壊れてしまった。同じ危険なら、
まだ危険度の低い自然化石エネルギーへの選択に流れに変わろうとしている。ということは、地球温暖化と、自然破壊が
ますます進むことになる。人間は、自ら作りあげた文明で、自らを破壊する運命にある。最近、パキスタンのフンザの住民の
写真を何枚か見たが、何とも純粋で綺麗な目をしているが、それに比べ日本も含めた先進国の人たちの人相の悪いこと!
「シェールガス革命の拡大で日本と世界経済も大復活」というより、それが人類の未来にとって、最悪の結果になるのでは?
・・・・・・
4359, 残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法 ー3
2013年02月21日(木)            
   * 貨幣空間は、友達のいない世界    「残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法」 橘玲 著
 40年以上も事業の世界にいたため、貨幣世界にドップリと浸かっていた。何はさておき事業を最優先にしないと、
競争社会では生きていけない。事業の性格上(装置産業)、人間関係の貸借表の資産を増やす必要がなく楽だった側面がある。
 ー以下は、政治的空間と、貨幣空間の違いを明確に述べているー。
≪ 友人や知人の政治空間の基本は、敵を殺して権力を獲得する冷酷なパワーゲームだ。それに対して貨幣空間は、競争しつつ
契約を尊重し、相手を信頼するまったく別のゲームが行われている。人間社会には富を獲得する手段として、�相手から奪う
(権力ゲーム)�交易する(お金ゲーム)という二つの方法がある。権力ゲームは複雑だが、お金ゲームはシンプルだ。
誰だってシンプルの方が良い。だから必然的に貨幣空間が政治空間を侵食していく。また中間共同体では、それが顕著になる。
それはPTAや自冶会、会社の同期会のような「他人以上、友達未満」の人間関係の総称だ。しかし日本や欧米社会では、
貨幣空間の膨張により、共同体が急速に消滅しつつある。そんな活動は、お金を払ってサービスを受ければよいというわけ。
貨幣空間があれば、それだけで十分という人が増えてきたのである。それは、「友だちのいない世界」の出現で、愛情空間が
ダイレクトに貨幣空間(市場)と向き合う新しい世界に生きるようになってきた。友人のいない世界は、愛情空間は夫婦や親子、
恋人単位に最小化し、人間関係はますます濃密で複雑になっていく。かっての人間関係は村的な共同体に分散していたが、
いまでは極限られた一人か二人にすべての感情が集中している。・・・ ≫
 ▼ 現在、団かいの世代が定年になり、子供たちが巣立った家庭内では老夫婦の権力闘争で大変だろう。他人事でないが・・
  これらからして、教養と、ちょっとした小金を持って貨幣世界を独り生きるのがベストに思える。特に歳を重ねると、
 残忍の愛憎空間は残酷である。とはいえ、弧族も辛いもの。どちらも辛いなら、あとは選択の問題になる。貨幣空間も
 リッチかプアーかで、全く違ってくる。「金に換えないものもあるんだって?そりゃ金額によるだけさ!」という小話がある。
 「数百億の資産を残して死んでいくのと、それを全てを面白可笑しく使い果たして死んでいくのと、どちらを選ぶ?」の
 の問いの答えは、その人による。私は後者を選ぶ。しかし愛憎空間、いや愛情空間に生きてきた人は前者になる?
 現に、一桁下げると自分自身の問題になる。 で、「この結果!」という、落ちになる。父親は面白楽しく生き、資産を残し、
 それら全てを生前贈与をして死んでいった。お陰で人生を面白可笑しく生きられた。 一度限りの人生。三度、万歳と感謝!
・・・・・・
3984, つれづれに ー地震
2012年02月21日(火)
   * 大地震後の数年は非常事態である
 地震学者によると「大地震後の数年間は非常事態という歴史的事実がある」という。それも500年に一度の大地震は特に非常事態。
噴火も厳重注意という。週刊誌の見出しが決して過激でないようだ。 歴史的大地震で日本の全体が大きく歪んでしまい、その連動が
起る前提で対策を取るべき事態である。 特に東海、東南海、南海トラフ地震と関東直下地震が起こる可能性が高く、今回の
東北地震の規模に匹敵するという。その沿岸にある浜岡原発の休止もやむを得ない。知れば知るほど、この東北大震災が大規模だった
ことが分かってくる。それも津波による原子炉の破壊も加わったことも深刻。 奇しくもリーマンショックで、500年にわたった
欧米中心主義の終焉も重なり恐慌前夜。その上に首都圏周辺で小さな地震が頻発し、5年で5割前後の確率?で直下型地震が起こる
可能性があるというから・・ 首都圏在住の人は東海・東南海・南海地震か、直下地震が5年で5割の確率を前提とし対処するのが筋。 
ということは、福島第一原子炉による放射能の影響を加えると、幼児のいる家族は移住を考えるべきだが・・ あとは、その人の勘?
   * 今の政治はやるやる詐欺か
 日本の二大政党政治というと聞こえが良いが、野党は政権を奪取するため政権与党のマイナス面をとらえ綺麗事の政策を並べ立て、
政権を取った時は、よりよい政策を実行しますと約束をする。 が、いざ政権を取リ実行段階になると、それは野党時代の綺麗事。
その妄想実現のため予算の散蒔きで凌ごうとし借金の上乗せをする。その結果、国家収入の二倍の予算をたてざるを得なくなり、
現在は国家破綻一歩手前。 それでいて、その数分の一も実行できない「やるやる詐欺」。 もう限界に来ているが、野党側は、
同じスタンスをとるしか方策はない。しかし一番悪いのは騙される国民。 ところで小沢一郎が「消費税の増税をしたら日本が危ない」
と反対をしたが、冷えきった景気の上に、企業もギリギリの経費節減の上の5%アップは実際に危ないコストアップになる。
その上に、電気、ガスなどコストアップになれば民主党そのものが危ないのではなく、日本が危ないのは本当だろう。 とはいえ、
上げないと国家予算が成り立たなくなる。要は、袋小路にドンドン追い込まれてしまった。そのツケは弱者に集中してくる。
 ・・・・・・・
3619, 忘却の整理学 −4
2011年02月21日(月)
                  「 忘却の整理学 」外山滋比著
  * 忘却はゴミ出しに似ている
 忘却は、ゴミ出しに似ている。この情報化の時代に必要としない情報は、どんどん捨てた方がよい。
そのままに放置しておくと神経に良くない。「忘却不全症」は、大変なことになる。
アメリカに過去の記憶を殆ど憶えている女性がいるという。何歳の頃の日付をいうと、殆ど思い出す。
これは本人にとって非常に苦痛である。 自分のことを考えただけで、ゾッとする。忘れるから生きていられる。
忘却は不純、不要、よけいなことを洗い落として、昇華、純化させる作用がある。
 フロイトは「人間には、嫌なことを忘れさせ、良かったことを憶えている癖がある」といっている。
海外旅行中は普段の数倍の質量の経験をする。良いこと三分の二、嫌なこと三分の一の思いをする。
そこで嫌な思いを意識的に捨てることにしている。 帰路の飛行機や列車で、連れ合いと良いことだけを少しオーバーに話し、
マイナーの話は絶対にしない。それを復習すれば記憶に残ることを経験上、知っているから記憶の調整をしてしまう。
その記憶のコントロールは非常に重要になる。人生でも、これが出来るかどうか。人の悪口・陰口を趣味にしている人を見かける。
他者批判は自分の影を言っている過ぎないことを知らないのだ。そのゴミが記憶に溜まって悪臭を放っている自分のことを。
その辺に教養が出てくる。忘却のノウハウも教養ということになる。 
ところで痴呆症の現象では、明るいヘラヘラした人の方が多い。何割かは、怒りの比重の大きい人がいる。
性格もあるが、脳は最期は苦痛を与えないように出来ているようだ。ボケたが勝ちか! 天然ボケもいるが。
 若かりし頃に、脳が加熱をしすぎて変になりかけた時、加熱で浮き上がってきた思いを、ノートに書き出し、
乗りこえたことがあった。これもゴミ出しの一つか。比較的、文章を抵抗なく書けるのも、こういう経験がある。
 書く行為も、ゴミ出し? かいな。 自分では宝のつもりだが・・
 ・・・・・・・
3254, 大恐慌 入門  −2
2010年02月21日(日)
 ここで考えさせられる一文がある。P241)
< 古今東西、99%までの人が最終的に投資では儲かりません。1〜2年、仮に10年間儲けたにせよ予期せぬ
 変動やトレンドの変化に対応できず、全て吐き出すのです。 
*1980代には生保をはじめとする金融機関は大量の米国債を保有していたものの、急激な円高で損失を出した。
*1990年から始ったバブル崩壊では、大手銀行が持ち合いの株の大幅評価損で業績悪化もあいまって、
 公的資金の導入を余儀なくされた。2003年までの株式の暴落で年金基金の存続が危ぶまれ、数多くの年金が解散、
 やはり国民の財産だった株式を売却をした。これらは、外国人投資家が買い捲った。
【投資で儲けることができないのは、投資家が大きなトレンドの変化に対応できないということ】です。
 投資の世界では、トレンドが一方向、特に上げの時は比較的簡単なのです。 日本の1945年から1990年までの日本、
 または2003年から2008年までの世界の株式市場などです。 基本的に買って持っていればよいのです。
(字数制限のためカット 2012年 2月21日)
・・・・・・・・・
2879, アメリカの住宅金融の惨状とは
 2009年02月21日(土)
 ーサブプライム金融恐慌の構造と意義ー 伊藤 誠 −1(現代思想ー金融恐慌特集)
これまで金融恐慌系の本を20冊近く読んだが、実際の数字をみることがなかった。ところが先日読んだ本の中に、
非常に分かりやすくあった。この数字からみても、アメリカ崩壊という言葉は、決してオーバーではない。
  ーその内容とは、
・住宅金融は2002年から2006年までの景気回復と住宅ブームを圧倒的にリードする役割りを果たした。
 この時期の米国経済の四割は住宅市場に依存するもので、結果として住宅金融の残高は2006年には13兆ドル
 (ドルを当時、120円とすると15000兆円)になり、当時の米国GDPと同額になっていた。
 このうちサブプライム・ローンが13パーセントを占めていた。
・サブプライム・ローンの一戸当たりが20万ドルとされており、850万世帯(一家が三人として)2500万人がこのローンを
 背負っていたことになる。住宅ローンが13兆ドルとして、平均40万ドルとすると何と3250万世帯、 三人家族とすれば
 人口の三分の一が、この時期に住宅ローンによって住宅を得たことになる。−日本のバブル直後の住宅ローンの残高が
 140兆円というから、約十倍になる。それだけでも米国のサブプライム・ローンの方が大きいことになる。
 人口は2・5倍だから、一世帯あたりとすると日本の4倍の大きさで、いかに莫大で深刻かがわかる。
・10年間で米国の住宅価格が2倍当たりになっていたというから、半減することになれば、米国人の三分の一が
 深刻な経済状況に陥るのは明白である。特に値上がりを前提で買っていたサブプライム層にとって深刻である。
・昨年の6月に米国の住宅ローンの8・8パーセント、480万世帯が返済未納か、差し押さえになり人口規模では
 千五百万人近くが、住居を失う脅威に曝されている。
  一昨日にオバマが米国住宅市場の再生策を発表したが、そう簡単に解決できるレベルではない。
 7兆円の900万世帯を対象にする再生策だが、一世帯当たり単純にわっても80万弱でしかない。
 自動車と住宅は、向う5年分の先取りしているというから、最低でも景気回復に5^6年はかかることになる。
 あの「金持ち父さん」が10年近く前に、本屋に平積みしてあったが、
 アメリカでは、この本に従った多くの人が、「貧乏人父さん」になっていったのである。 実をいうと私も読んだが・・・
・・・・・・・・・・
2008年02月21日(木)
 2514, 賢人の知恵 −              +.(ノ*・ω・)ノ*.オハヨオォォ☆゜・:*☆
 ーまずは、この本の「はじめに」をコピーしてみる。
著者のバルタザール・グラシアンは、17世紀のスペインで活躍した著述家であり。イエズス会の修道士です。
神学者アルトゥール・ショーペンハウエルはグラシアンの著作のドイツ語訳を手がけ、日本では森鴎外が部分的な
日本語訳を発表しました。哲学者フリードリッヒ・ニーチェは「ヨーロッパはいまだかつて、これほど精妙にして
複雑な人生の道徳律を生んだことはなかった」と記して、またショーペンハウエルも「人生のよき手引書である」
という言葉を残しています。そして現代においても、高名なテノール歌手であるルチアーノ・パバロッティが
愛読書としてグラシアンの書を挙げているなど、欧米では今もマキヤベリ『君主論』と並ぶ不朽の名著として
読み継がれているそうです。 
   (字数制限のためカット 2011年 2月21日)
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2007年02月21日(水)
2150, スピリチュアル・ブームを考える −1    才八∋ウ_〆(∀`●)
 毎日新聞の2月19日の「論点」に「スピリチュアル・ブームを考える」をテーマに島田裕己、溝口敦、香山リカの三人の
ジャーナリストが、それぞれの視点で鋭く、そのブームについて分析をしていた。 なるほど非常に面白い内容であった。
 現在の日本は、一部の強者以外は全体として行き詰まりの様相を呈している。その中で人間は内側にエネルギーをもとめてしまう。
「霊的エネルギーへの欲求が社会に満ちている」といってよいだろう。心の中に何かが起きているのだろうか? 私自身も父の死を
キッカケに十数年間も霊感がついた。何をもって霊感というと難しいが、とにかく変な感覚がついてしまった。最近は無くなったが、
あれだけは実際に「その感覚」がつかないとわからない。 だから、興味を持っている人以外に話さないことにしていた。
生来の盲目の人に、視覚の話をしても理解できないのと同じである。といって極端なスピリチュアル・ブームもおかしなものだ。
細木数子の批判文の中でも書いたが、物語を人は求めているのである。それを安直にイメージ化できるのが、霊とかいうヤツだ。
まあ、この三人の切口から、その本質を考えてみよう!  ー島田裕己ーの分析から考えてみよう。
 まず要約すると、
「バブル以降、霊観念の個人化が進展、カウンセラー型の霊能者がはやる」ということだ。今日現在のブームは伝統的な霊観念の衰退、
希薄化ということと関係している。前は宜保愛子の先祖の霊が適切に祀られていないと、その祟りで病や不幸がもたらされると考えられ、
それを取り除くには先祖の霊を正しく供養しなければならないと説かれた。 ところが、核家族化が進行して、家の解体が指摘される今、
家の比重が低くなり、先祖の霊の祟りはリアリティーが無くなってしまった。多くの人は家のしがらみに苦しんではいない。
少子化で、家の存続も危なくなっている。そこで今は「個人化」の傾向が強くなり、家の影響は小さくなり、対象が家の霊ではなく、
個人になっている。それは、個人の前世の霊ーすなわち生まれかわりの霊ーに変化したのである。
もし出てきたとしても、それは祖父母など近しい存在に限られるのである。
 解)まあ、これから考えてみると、これだけいい加減なことはない! 霊など心の迷いの時に頼る無知な人間の玩具やマジナイと同じ。
  彼はそういいたいのだろう。父が「墓は本家より大きなものにしてはならない!」と言っていたが、
  それも明治生まれの[家]制度を背景に持った論でしかなかった。家そのものより、個人化の方が重んじられる現在、
  あの父の言葉は何だったのか?墓は「家の抽象的な心のカタチ」だったのか?人は、心の何処かにそれが必要なのか?
  だから レジャーを兼ねた盆帰りをしてお墓に参るのだろう。         バイ  (σД≦)ネムゥ〜


4725,近代化が進むほど、幸福感が少なくなるのは何故? ー1

2014年02月20日(木)

   * 王様の代わりに貨幣が君臨するのが近代資本主義?   ー「経済予測脳で人生が変わる!」中原圭介著
 事業の結果が、この有様だったが、何かさばさばして心身とも空を浮いているようで、「ほどほどで、後継者に引継ぐより、
これがベスト?の感覚は、何だろう?」と考えていたが、そのヒントが、この本にあった。 森林でこそ事業経営も面白いが、
そこを出てしまえば、充実していたかの満足感の違いだけ。問題は、その後の準備をしていたかどうか。 ライフワークが
あったかどうか。 脱コード化の次への準備こそが、必要だったことになる。
王様の支配から資本支配にかわった体制が近代資本主義であり、金の力が、国も、個人の価値基準になっている。
しかし、この近代資本主義も、一部に力が集中する弊害があって矛盾が出始めてきた。 ーその辺りを抜粋ー
《 ドォルーズとガタリは、人間の欲動が制御され、文化が形成されていく過程を次のように発展段階的に説明する。
 .魁璽媛(原始共同体)    =個人個人の平面的ぶつかり合いで秩序形成が出来る
 超コード化(古代専制国家)  =王様が秩序形成
 CΕ魁璽媛(近代資本制)   =王様に代わり貨幣が君臨する
・「コード化」とは、拡散する人間の欲動を一定方向に導くこと、つまり「秩序形成」と考えればいいでしょう。
 『構造と力』では、「コード化」から「超コード化」までの過程が描き出されています。
・「個人対個人」を原点とする平面的なぶつかり合いによって「秩序形成」(コード化)が進行し、
 やがて王を頂点とする「垂直的な秩序形成」(超コード化)に発展するという流れです。
・「超コード化」に続く流れとして、いままさにわれわれが生きている「近代資本制」(脱コード化)社会の構造と、
 それを乗り越えた先にある、新たな世界の姿を描き出そうとしています。
 そしてこの部分が、「現代人が幸福になれない理由」と、その突破口を示しているのです。
・「超コード化」(古代専制国家)された社会では、王を頂点とする秩序によって社会の安定が保たれます。
 この「安定化の仕組み」こそが、ドゥルーズとガタリらの構造主義者が説く「構造」にほかなりません。
・しかし、われわれが生きる「脱コード化」(近代資本制)された社会においては、すでに王は存在しません。
 英国やオランダ、スペイン、タイなど、いまでも「王国」は存在しますが、そのほとんどは、日本の天皇と同じように
 象徴的存在と化しています。ドゥルーズーーガタリによれば、「脱コード化」社会において、王の代わりに秩序を
 生み出す存在とは「貨幣」になります。 「超コード化」社会における「安定化の構造」(秩序の枠組み)は、
 王を頂点とする円錐形を形成しています。》
▼ 「脱コード社会では、人はお金への欲動に突き動かされるが、お金を得ると、さらなるお金を求めて資本として
 再投下し、もっと多くのお金を得ようとする。際限なく人は、これを繰り返す」これが、現代資本主義の正体である。
 だから幸せにはなれない。それも情報化、グローバル化が、一部の強者に力が集中させてしまう。しかし貨幣の正体は、
 情報そのもの。人間の持つ潜在の自然の大きな力が、プラスにも働くのでは?という楽観論を信じたいが・・
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4358, 残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法 −1
2013年02月20日(水)
           「残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法」 橘玲 著
   * 「藍を捨ててバザールに向かえ。恐竜の尻尾のなかに頭を探せ。」
「藍を捨ててバザールに向かえ。恐竜の尻尾のなかに頭を探せ。」 分かりやすく言うと、「大それた成功を求めず、
自分にあった生きる領域で一番を目指し、上手くやれ!」ということ。この本には新鮮な切り口の事例が多く面白い。
次回から幾つか紹介する。特徴は弱者の戦法というところか。これから長く続く乱世に生き延びるには、大成功など
求めず、自分の強みを最大限生かし地道に勝ち抜くしかないという著者の論も一理ある。
   ー内容紹介・アマゾンよりー
 伽藍(がらん)を捨ててバザールに向かえ!(恐竜の尻尾のなかに頭を探せ!)ワーキングプア、無縁社会、孤独死、
引きこもり、自殺者年間3万人超など、気がつけば世界はとてつもなく残酷。 だが、「やればできる」という自己啓発では、
この残酷な世界を生き延びることはできない。必要なのは、「やってもできない」という事実を受け入れ、それでも幸福を
手に入れる、新しい成功哲学である。自己啓発の伝道師たちは、「やればできる」とぼくたちを鼓舞する。でもこの本で
ぼくは、能力は開発できないと主張している。なぜなら、やってもできないから。 人格改造のさまざまなセミナーや
プログラムが宣伝されている。でも、これらはたいてい役には立たない。なぜなら、「わたし」は変えられないから。
でも、奇跡が起きないからといって絶望することはない。ありのままの「わたし」でも成功を手にする方法(哲学)がある。
残酷な世界を生き延びるための成功哲学は、次のたった二文に要約できる。
「藍を捨ててバザールに向かえ。恐竜の尻尾のなかに頭を探せ。」なんのことかわからない? そのヒミツを知りたいのなら、
これからぼくといっしょに進化と幸福をめぐる風変わりな旅に出発しよう。(本書「はじめに」より)
 ▼ここで、≪人間は知能、性格、肉体など遺伝による初期能力の違いにより、現代社会において成功できるかどうか決まる。
 努力や訓練や方法論によって、「よりよい=より豊かな」自分になることは大方の人はできない。「人間の能力は平等。
努力すれば皆幸せになれる。」という建前を否定し、人間は生まれながらに「不平等」であるという 前提に立ちながら、
「それでも幸せに生きる」ための方法を提案する。「より認められる」には、大きな成功を求めず、「自分が好きな分野で
いちばん」になるまで対象を細分化し、集中しろ」。そのための仕組みを“自分で設計”すれば、幸福の新しい可能性が
見出せる。≫と説く。 伽藍の世界でも同じ戦法で生き抜くしかないが、普通の人は尻尾の中の勝ち組になるしかない。
自分の強みを生かし、小さなテリトリーの一番を探し、追求しろということ。それより、「世界は残酷」をまず知ることだ。
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3983, 生保に入るバカ、入らないバカ ー1
2012年02月20日(月)
 私は保険に入らないバカだが、それぞれの考えがあるので一方的に決めつけられない。
日本の生命保険の世帯加入率は90%で、共済と生保を合わせた年間保険料が40兆にのぼる。
一世帯が年間に支払う額が平均45万円で、22年で1千万、33年で千五百万になる。人生で生保が住宅に
次ぐ高い買い物になる。 しかし加入者の方は、その意識がない。欧米の加入率をみると、フランスが6割、
アメリカが5割、ドイツが4割、イギリスが3割6分と、日本の大よそ半分。 いかに日本が高いかである。
死亡保険の保険高は突出して高く、2000年だが、日本が1600万、アメリカが600万、イギリスが
260万、ドイツが200万だった。生命保険の加入経路の7割が保険のセールスで、親戚や友人の紹介をされ、
加入するケースが圧倒的に多い。生保の営業方法は義理(G)、人情(N)、プレゼント(P)の頭文字をとった
GNP営業の典型といわれている。 バブル崩壊後に、その営業職員の膨大の経費を維持するため、収益の高い
死亡保険を大型にした保険会社に有利な、複雑化した、顧客無視の営業をするようになった。 その頃、保険会社は、
それまでの顧客にとって有利の商品を解約させ、セールスを使い利回りの悪い商品に切り替えさせていった。
その辺(01〜05年)から保険会社は悪質な営業説明で本来加入できない病歴のある顧客に加入させ、その後、
契約不備を理由に保険金拒否をして社会的大問題になった。 何と37社で130万件に至ったという。
 早くいえば、セールスレディーというオバサンを集めて、GNPで、その人脈を食い尽くす。それは巧妙なテクニック、
何も知らない素人を、ほぼ騙しで契約をさせる悪質集団という側面を持つ。フレンドリーに長年かけ知人・親戚に入り込む。 
合理的の欧米人の二倍の加入率は、組織的意図がないと無理。 生保で、まともなのは学資保険ぐらいのもの。
22歳まで死んだときに子供の学資を保証するのは、一応、理に合っている。 それ以外の商品の多くは、客単価を
上げるための巧妙な商品。読みも理解もできない契約書に巧妙に生保にとって有利な条文が入れてある。 
見方によれば合法的組織犯罪に近い集団。それなら預金の方が良いが、相手はフレンドリーのプロ。
その辺の理屈が理解できない人たちの不安に付け込むのが営業センス。
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3618,  忘却の整理学 ー3
2011年02月20日(日)
   「 忘却の整理学 」外山滋比著
 ここで、著者は早朝に目をつける。どうも、夜の間に忘却が起こることはたしかであると。
忘却が頭を働かせやすく、きれいに整理をしてくれるとすると、一夜明けた朝がモノゴトを考えるに適しているのは当然である。
昔から、それに気づいていた人は少なくなかった。イギリスの詩人のウィリアム・ブレイクに次のようなを紹介してある。
   朝、考える   ひるは はたらき   夕がた 食し   夜は 眠れ
 まず 朝いちばんに思考せよ である。 他の仕事は、そのあとでよい。
昔、中国の役所は、朝、日が昇ると同時に開始されたという。それで、「朝」廷で、効率的であることを知っていたのである。
 日本の諺に、簡単の仕事を「朝飯前の仕事」というのがある。 本来は朝飯前に手がければ、簡単な仕事でなくても、
頭は整理されていて、仕事の判断、手順がたしかで処理が早くなるということから来ている。
もう一つ、思考に向いているのは夕食前である。その時間は早朝と同じで、働いた後で、空腹も加えて脳が活性化している。
更に勧めているのが昼休みの短時間の昼寝。 そこに僅かな時間でも睡眠をとることで、忘却の要素を入れることになる。
 最近、再開をした「モーニング・ペイジ」がある。 白紙の大学ノートに30分位、思いのままを書き付ける。
早朝だから、自然に出てくる言葉は、外部情報に染まってないサラの内部?から声を掬い取ることになる。
ところで以前に、過去の全てを忘却した男の映画をみたことがある。その時に過去の記憶こそ、人間形成をしていると思い知った。
ということは記憶と忘却の形が、その人物形成をしていることになる。忘却の、いま一つの方法は、より刺激の強い経験を
挟むことだ。忘れようとしても忘れられないなら、より刺激の強い何かを探し、そこに気持ちを切り替えることだ。
それは前向きということになる。後ろを向いて記憶を強化ばかりしてないで、目先を変えることが忘却の一番の方法。 ーつづく
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3253, 置き引き?
 2010年02月20日(土)
一昨日、新潟の万代シティの近くのマクドナルドで海老バーガーを食べて、最後にポテトフライをつまんでいた。
半分ほど食べたところ腹は一杯。 持って帰るか、食べて帰ろうかと。 で、そこからである。60歳後半の暗い顔をした男が
やってきて、私が一番奥に座っている隣席をみて、そのまま店頭にある売店の方に戻っていった。 
自分の席でも確認して注文した商品を取りにいったと、ポテトフライを摘みながら思っていた。 
ところが女性の一人客がきてバックを置いて店頭のほうに戻っていった。その直後に男が戻ってきて、その席をジッと見ている。 
自分の座ろうとしていた席を取られて他の席を探しているのだろうと思っていた。 ところが、もう一人の女性客が目前の席に
バックを置いて店頭に行った。その男、再び戻ってきて、後に来た客のバックを見ている。その時は、その男、自分で座ろう
としていた席を二度まで取られて、それを見ていたのだろうと思っていた。しかし私の一つ置いた席の女性が何か不審そうな感じで、
その男を見ている。 
(字数制限のためカット 2012年2月20日)
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2878, 閑話小題
 2009年02月20日(金)
  *大型店の出店の目玉商品を検証してみた
 新潟駅構内に「ビッグカメラ」が今日オープンする。昨日はプレオープンというので昼休みに行ってみたが、
県内最大規模の一万?というだけあって広い。三層の店舗になっており、四階から八階までが駐車場で駐車台数が
800というから本格的である。新幹線、在来線、バスのターミナルが集結しているので駅中ショッピングセンターとしては、
これ以上ない場所である。至近距離に大型書店があるので、既存の専門店を含めると大ショッピングセンターになる。。
これで駅中の100メートルほどにある「ヨドバシカメラ」が、最終的には撤退をせざるを得なくなるかどうかだ?
これに大型のファッションのH&Mとユニクロでも出て来れば更に面白くなる。配っていたチラシの毎日の超目玉商品の中から、
「コンパクト・デジタルカメラ」を選んで、価格ドット・コムで7〜8点調べてみた。しかし半分は同じ位、半分は、
その7割の値段であった。バイヤーも調べての値段設定だろうが。イメージとして安いのを優先しているようだ。
2GBのSDカードを特価台で囃してしたが、780円など廉くも何でもない。PCデポでは三枚で980円。
新聞の4面の大きさのチラシに9日分の日替わり特価品を出していたが、買うほうからしたら何処かに欲しい商品があるだろうから、
見ていて面白い。店舗と同じである。この大恐慌?の中、家電の売り上げが激減しているというから、経営のサイドも大変だろう。
  *県民所得差 
 先週になるが県民所得の2006年度が発表された。(以前も少し書いたが) 
 この数年は、それほど変わってないが今年度は様変わりするだろうが・・・
 1〜7位までは前年と変わらず。    東京が480万でとトップ。
 沖縄が209万で最下位。       丁度中間の23位が福島で278万。
 新潟県が273万で25位。      全国の平均が307万円。
 (字数制限のためカット 2012年2月20日)
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2008年02月20日(水)
2513, 思い込み
 *緊張と深呼吸
この歳になって、思いもよらない思い込みや、間違いに気づくことがある。
先日のTVで「受験の際、緊張しない方法」について、オヤッと思わず考え込んだことがあった。
「受験場では、深呼吸をしないこと! ほとんどの人は逆と思い違いをしている。深呼吸はすればするほど、
緊張度が高まります。なるべく深呼吸をしないように、小さく息をするように心かけて下さい」という。
こんなことを聞いたのは始めてである。私の場合は、緊張する場面は、人知れず深呼吸をしていた。
心を落ちつける要点は、深呼吸であるのは自明のことである。しかし、それが過ぎると緊張を柔らげるところか、
逆の効果になるという。改めて振り返ると、多々、思い当たることがある。その人により、緊張する場面が違っても、
それぞれ極度に緊張する場面があるという。色々の人を見てきたが、驚くほど多様である。その時の体調によったり、
温度差の大きい部屋に入ったり、食後など、自律神経などの狂いにより、何でもないことに赤面したり、極度の緊張でパニックに
なったりすることは多くありすぎて、書ききれないほど。そして誰もが自分だけではないか?と、それぞれが思い込んでいる。
自分は、緊張症だ、赤面症だ、精神質症だ、・・それぞれが思っていることを知らないのである。そんなことを言っていたら、
生きていけないから乗り越えているだけである。それはよいとして深呼吸が緊張を高めるとは、この歳になるまで気づかなかった。
「リラックスするには、深呼吸をしなさい。ただ、一度だけにしておきなさいよ。し過ぎると、逆に過呼吸になり緊張は高くなり
逆効果になりますよ。 呼吸は、小さく整えて気持ちを息に持っていきなさい」ということ。
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2007年02月20日(火)
2149, へべれけに酔っ払いてえなあ。
       v(=゚ω゚)ノおはょぅ   −読書日記
この文章を読み終わったとき、その衝撃で暫く茫然としていた。短い文章の中に労働者の生活と哀歓が
よく表現されている。内側にしか破壊衝動を向けざるを得ない者たちの深い哀しみと諦観をみごとに語っている。
この諦観は中年期の男の誰もが何度も味あう屈折した心情でもある。「電信柱が高いのも、郵便ポストが赤いのも、
皆な私が悪いのよ!」でなく、「お酒が悪いのよ!」と、オダをあげなくては生きていけないのが人生。
知人が先日亡くなったが、連れ合いが父親の葬式の晩に自死したという。へべれけに酔っ払っても、何もかも壊しても、
その傷は癒えるわけがない。食道ガンだったというから、毎晩飲みつづけるしかなかったのだろう。                      
【人生のことは、小説が教えてくれた】より −2
  葉山嘉樹「セメント樽の中の手紙」高橋敏夫 中経出版
 松戸与三は恵那山の麓で発電所の建築現場で働いていた。一日中顔をセメント粉にまみれながら樽から
コンクリートミキサーに移す仕事に就いていた。仕事にヘトヘトになつた頃、樽の中から小さな箱が出てきた。
しかし、作業は彼にはこの中身を確かめる時間を許さなかった。彼は腹掛けの丼(ポケット)にほうりこんだ。
「軽いところを見ると、金も入ってねえようだ」ミキサーがからになり、終業時間になった。「なんでセメント樽から
木の箱が!?」思わせぶりに頑丈に釘付けしてあった。石にぶつけ何度も踏みつけた小箱のなかからボロに包んだ
紙切れが出て来た。 それにはこんなことが書かれてあった。
ーーー
私はNセメント会社の、セメント袋を縫う女工です。私の恋人は破砕器へ石を入れる事を仕事にしていました。
(字数制限のためカット 2011年2月20日)


4724,シェールガス革命 ー2

2014年02月19日(水)

   * 資源大国の地位を失いかけている中東やロシア
 そういえば、以前ほど原油価格に対し敏感でなくなっているのは、静かな恐慌?で原油需要が減っているのに加え、
アメリカのシェールガス革命が進んで自前でまかなえるようになったため。 この数十年来のエネルギーの高騰で、
この世の春を謳歌した中東、ロシアも、その恩恵が少なくなってきた。ロシアのプーチンが北方領土問題で、軟化して
きたのも、そのため。 公害問題もあるが、間違いなく新しいエネルギーに重心が移ろうとしている。ーその辺りからー
《 シェールガス革命が進めば進むほど、エネルギー価格は下落していく。とりわけ、これまでエネルギーの中心にあった
 石油ほどその影響を大きく受けざるを得ない。今後、原油価格はどんどん下がり続け、世界のエネルギー市場の構造は
一変することが予想される。周知のように、冷戦崩壊後、経済的に貧窮していたロシア経済を救ったのは石油や天然ガス
などの資源である。一般に、原油価格が1バレル80ドルを割り込むと、ロシア経済は苦しくなる。
 ロシアは国内産業が未成熟なため、多くの製品を海外から輸入する必要がある。意外に知られていないが、ロシア最大の
弱点は農業。ロシアは多くの農産物を海外からの輸入に頼っているが、資源が高値で売れないと、外貨を稼ぐことが
できなくなってしまうのである。そこでロシアのプーチン大統領は、天然ガスをはじめとする資源をアジアに売り込もうと、
日本にも積極的にアプローチしてきている。北方領土問題でのやや軟化姿勢はその苦悩の表れなのである。
 同じように、経済的に厳しい状況に追い込まれるのが中東の産油国である。1973年に石油危機が生じて以降、中東は現在
まで40年もの間、大きな政治力を発揮してきた。それはひとえに石油の賜物と言ってよい。しかしながら、今後は中東の
産油国に頭を下げなくとも、エネルギーが手に入るようになる。今後、石油は単なるエネルギー商品の一つにすぎなくなる。
中東諸国の凋落に合わせて苦境に陥ることが予想されるのは、英国ロンドンのシティである。これまで中東のオイルマネーを
一手に集めてきたシティは、中東の地位低下と一蓮托生になる。シェールガス革命後、欧州の中心は、金融においても
実体経済においても、急速にドイツへと移ることになるだろう。》
▼ 日本も脱原発問題を踏まえ、国内の資源開発に乗り出すだしかない。しかし、その海域は地震発生と津波のリスクが
 存在する。それよりも、全体の需要が減っていくため、さほど面白みのない分野なのかもしれない。これもあって、
 アメリカが当分の間は、力を取り戻すことになる。何があってもアメリカには、ドルという主軸通貨が健在だ。
 中東の原油の決済通貨を盾にドルの裏付けにしていたものをシェールガスが加わるのだから。
・・・・・・
4357, 残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法 −2
2013年02月19日(火)
          「残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法」 橘玲 著
  * 愛情空間、友情空間、貨幣空間
 私たちは、まず家族、そして友人を第一に考える。そして職場の仲間、定年になれば趣味仲間になる。
しかし貨幣を媒体とする買い物やサービスを受ける付き合いもある。それらの空間を、愛情空間、友情空間、貨幣空間という。
家庭、職場、お店という空間である。その中で、いざとなると金である。その魔力に、その隠された本性が現れ出る。
貨幣で世の中の9割以上を買うことが出来る実感がする。その本質は交換手段だが欲望を満たす手段になる。金は自由そのもの。
勤め人が我慢して働くのは、自分の自由を労働という不自由と交換するため。しかし得た賃金は、自由そのものになる。
その交換の場を貨幣空間という絶妙な表現が良い。お金ほどグローバル価値のものはない。空気と同じで、それが無くなれば
今日の食事もままならなくなる。 ーその辺りの要約すると
 ≪ 私たちにとって、一番大事なのは、家族や恋人などの関係である。これが八割ほどとみてよい。
 そして残りの19%が友人関係。ここには会社などの人間関係も含めて「政治空間」という。そして残りが貨幣関係。
 この関係は商品などを通して世界中ともつながる。中国製のユニクロのシャツなどは、その典型である。
 その関係は空間にある。
・愛情空間は2〜10人ぐらいの小さな人間関係で、半径10Mぐらい。ところが、この小さな世界が、人生の大半を占める。
 人間は太古より、愛情空間の出来事の中で、愛情を作ってきた。人間社会は親族のネットワークで構成されていて、
 それを最優先をしても、誰も咎めをしない。愛の至上主義は、生命の進化の過程で人類の遺伝子に組み込まれてきた。 
 だから、愛が無くなるなどありえない。
・友情空間は、最大でも20〜30人ぐらい(普通は10人前後)、半径100Mほどの人間関係。政治空間まで広げても
 100人ぐらいでしかない。友情空間が大事なのも、人間が社会的動物だからだ。狩猟採集の時代、過酷な自然環境のなかで
 人類の祖先は群れをつくって身を守ってきた。群れから追放されることは死を意味していた。
・貨幣空間は、人間関係においては、わずかに1%だが、実際の範囲は、90%、いや99%を占めているといってよい。
 貨幣空間は、農耕と取引によって成立してから僅かに一万数千年しかない。ここに私たちが、貨幣空間に極めて少ない
 価値しか認めない理由がある。進化の歴史の重さによって、愛情や友情という人間関係に比べ、貨幣を介するつながりの
 重要性を正しく理解できないのだ。≫
▼ その貨幣価値は、一歩、愛情空間と友情空間を出ると、ほぼ全てが貨幣空間になる。新幹線に乗り、東京で同級会に
 出席してみれば分かる。その会も、友情空間と貨幣空間のミックス。家を出て、帰るまで、全てが貨幣空間になる。
 現実のシビアさと、家庭の温度はあまりに大きい。とはいえ、愛情空間と友情空間も、残酷で残忍の一面がある。
 愛憎空間というか。 ところが、これにネット空間が別に出来て、現実社会を覆ってきたのだから・・・  ーつづく
・・・・・・・
3982, スポーツジムに10ヶ月
2012年02月19日(日)
   スポーツジム(SJ)に通い始め、あと50日で一年になる。金曜と日曜が公営のミニSJで、それ以外が近くの大型の民営のSJに通う。
一挙に緊張感から解放された反面、ストレスによるウツ予防対策として身体を動かすことと、セカンドルームとしての場所の確保には、
スポーツジムがうってつけ。 身近の人の倒産劇で、ストレスが暴発したり、酒浸りになり廃人同様になったのを見ているので、
とにかく運動でストレス解消と、二つスポーツジムに通いだした。 元々、二年前からの早朝のサイクリング一時間を習慣化していた
(4〜11月)。 それを加えて一日三時間は運動をすれば、目先の辛い一年を乗り越えるだろうと始めた。 気分転換には良い反面、
地元のため知れ渡ったのだろう、冷たい視線や聞こえるような陰口もあったが、内語の「シロアリ」の10回の繰返しで、実際に
そう思えるため、丁度良い呪文になっている。シロアリは弱音に敏感、何とも思わなければ直ぐに消えていくのは世界共通の道理。 
 一年近く真面目に通った結果、数年来の足腰の重さが五分の一か、十分の一になり、腰痛もほぼ解消。 それも時間が経つにつれ
良くなるのが分かる。 6つの運動マシーンと、その間にステップ台が交互に円環に並んだ中央に、若い女性のインストラクターが
ポップ系の音楽に乗って指導する踊るようなイージーラインがよい。この歳で、ただ踊れといっても無理だが、運動ならできる。
立ち話で、「今日は、まだ一回目」というから、一日何度も来ている人がいるようだ。温泉プールに、風呂に、サウナに、ロビーが
あれば、格安の娯楽施設でもある。 フリーの世界=御隠居の世界も入ってみれば、楽しいもの。 昨日フロントで、
「今日で200回目です」と言われた。10ヶ月と10日になるので、祝祭日と定休日を除くと、ほぼ皆勤。 現職を含め、お薦め。
 ・・・・・・・
3617, 一連のアラブ世界の騒動は
2011年02月19日(土)
 今年に入って早々から始ったネットで触発されたデモで、アラブ諸国が次々と政変に至る事態に陥っている。
これは、当分の間は続くだろうし、事態は思わぬ方に発展していく可能性がある。 ネット社会に移行しつつある現在、
日本では、まだ地位と肩書きが高ければ偉いと思っている人が多い。 しかし情報が優先されるネット世界では、そんなものは
何の価値も持たなってきた。 アラブ諸国のような旧態依然の権力構造国家が、ネット人間によって、当然のごとく軒並みに崩壊過程に
入ってしまった。 年寄り優先、性差別、情実、肩書き故に威張っていた絶対権力者は、若いネット社会人には、無能な漫画的老人として、
ある日、突然、追い落とされてしまう。 それでは、彼らの中の優秀な人材が、急にとって代われるかというと、そうはいかない。 
情報ネットはフラット化で平等社会にする良い動きもある。 が反面、真の実力が求められる競争社会でもある。
情報社会と知識社会とは違う。 情報社会は、情報が優先されるが、それが知識にまで到達してないレベル。
これまで権力構造の上層部しか持てない情報が共有されるから、否が応でも過去人間は早々に淘汰される。 
 ここで知識と情報の違いは何だろうか?という問いがたってくる。 情報は、本やネット、マスコミ媒体、そして人など、
外部から入ってくるもの。 知識は、一度自分の中で消化され血肉になって内側から出てくるもの。 だから情報社会は恐ろしい。 
事実は一瞬で流れるが、真実は伝わりにくい。 しかし、一部に偏っていた情報がフラット化をする作用がある。
日本では、現在アラブで起こった問題は、この10年間、いや20年かけて起きて、権力構造を変えてきた。
その辺が、アラブとの知識構造が違うのだろう。 この毎日の随想日記は、情報の知識への転換プロセスと、書きながら気づいた。
私の触覚が捉えた情報を、起承転結の文章のパッケージ化してしまう。 そして忘却して、翌年から、毎年読み返すことで、
情報から知識への転換をしていたのである。 鈍くても、5年、10年も繰り返して読めば、知識に転換する。 
 努力の割りに蓄積効果が自覚できないのは、基礎教養の土台に問題ありか・・・。 話しがそれた。
もう一つのネット世界が、旧来の現実世界を破壊を開始した一例である。 間違いなく、近い将来に中国でも共産党を
破壊するか、大改革を迫ることになる。 ここで、モバイル携帯や、タブレット式パソコンが爆発的に普及しだしてきた。
 これが更に、ネット世界の力を急激に増すことになる。 その結果は、誰も想像すら出来ない世界に突き進むことになる。
 ・・・・・・・
3252, 大恐慌 入門 −1
 2010年02月19日(金)
* 「大恐慌 入門」朝倉慶著
 一昨年の9.15のリーマンショック以来、多くの恐慌関連の本を読んで事態の大きさに呆然としたが、ここにきて少し
小康状態を保っている。冬季オリンピックが終わる頃から本格的な波が押し寄せてくる。 既に恐慌は起こったのである。
現在は、緊急措置で平静を保っているだけ。そこで数日前から数年前から去年にかけて読んだ金融恐慌関連の本を重ねて読み返している。
当時は読み過ごしてしまった内容にハッとすることしばしば。その一冊の「大恐慌入門」朝倉慶著がある。読んだ時は、
「色いろな学者の論をダイジェスト的に纏めたもの」と気に留めてなかったが、一年後になって読み返すと簡明だからこそ納得する。 
表紙裏に < これまでは「春の散歩道」。これからデバティブ6京円というスーパーバブルが破裂する。 
世界を覆う「百年に一度の津波」にどう備えるか。> とある。9.15から一年半経つが、アメリカの投資銀行は瞬間的にホボ消滅、
GMとクライスラー、シティバンク、日本では日本航空が破綻した。それ以外は、あまり目立った動きはなかったが、
これからCDSの破綻が表面化してくる。これに比べたらサブプライム問題は公園の散歩みたいなもの。一昨年の大晦日に発刊されたが、
著者の予告していた通り世界各国に国家破綻が現実に問題になってきている。アイスランド、ギリシャと深刻な問題が表面化してきた。
・このスーパーバブルの崩壊は誰も止めることが出来ないし、アチコチで火山の噴火のように吹き出るのは時間の問題。
・オバマは、処理など出来ないで、その責任を問われる悲劇の大統領になる。置き土産は、新ドルへのデノミか、大幅なドル安誘導。
・資本主義の崩壊は、これから始まりCDSを抱えた金融機関や、企業の淘汰が表面化する。 CDOは、まだ300兆円だが、
 これから5400兆円のCDSの問題が出てきざるをえない。それを解決するのは、世界各国が現在の貨幣量を果てしなく増加して、
 ハイパーインフレにし、その結果、新たな貨幣への切り替えを世界中が一斉に実施、CDSをチャラにするしか方法は残されてない。
 まず、ハイパーインフレに転じるに、あと一年はかかるから来年から再来年の2012年末辺りに標準を絞っているようだ。
・失業は欧米で9パーセントを超えているが、日本は救済処置で5パーを維持しているが10パーは時間の問題。 
 〜 まあ、そういうこと!  これらを読む限り楽観論は、この数年は考えられない。    〜 つづく
・・・・・・・
2877, 自分らしくあれ!
2009年02月19日(木)
 クリントン女史が慌ただしく日本を駆け抜けていった。大学生との対話の中で、ある女子大生の質問 
「女性なのに、どうして、そんなに強くなれるのですか」に、「自分らしくあることよ」と、答えたのが印象的だった。 
 ーそこで「自分らしくある」ことを、哲学的に考えてみる。 まずその「自己」を考えると「他者」の問題にぶつかる。
他者の中の「これ=自分」は時間の経過と同時に発生?する。 さっき向こうから歩いていた「これ」が現在、橋に立っている。
その時に、さっきの「これ」が「自分」になる。生まれて今まで他者の間で生きてきた。その他者との境界線の内側が「私」である。
「自分らしさ」とは、それまでの人生で他者との接点の「あり方」、あるいはその内側の蓄積である。その時点時点で、
何かを追求している在りようが「自分らしさ」である。何かに没頭していて我を忘れている姿に「自分らしさ」が生まれてくる。
初めから「自分らしくあろうと振舞ってはならない」ということである。役者が仮に信長を演じていたとすると、
役者が自分の個性を意識した時、大根役者に陥ってしまう。我を忘れて信長を演じた時に出てくる味が「自分らしい」のである。
クリントン女史は、民主党の大統領候補、クリントン元大統領夫人、弁護士、上院議員等々の顔がある。その役をこなしている
プロセスで出来上がった個性が「自分らしい」ということである。彼女の場合、どの役をこなしていても、肩書きより
クリントン女史そのものが前面に出ている。これこそ、名優の証拠である。言葉づらだけを捉えると「自分らしさ」を、
多くの人は誤解する可能性がある。自分らしくとは、取り組んでいる役割りや、目標、そして遊びに自分を忘れること。
小林秀雄の「無私の精神」に達することこそ、「自分らしく」なることである。
「何ごとも、魂をこめてすること」で、自分らしさが生まれ出てくる。
・・・・・・・・・
2008年02月19日(火)
 2512, iPod nanoを買ってみた!   おっはぁ〜。:.+.:*w(′┏▽┓`●)w
先日、長男が帰省のおりに、ソニーのウォークマンを見せてもらってビックリした。
そこでiMacのパソコンを導入したので、iPodを買ってみようと思い立った。
iPodの機種にはtouch、classic,nano,syaffleがあるが、その中で何を選定するか、
迷った末に、一番小型のnanoに決めた。アマゾンから注文したが、2時間ほど夢中になって時間を忘れるほどであった。
選定の最後の決め手は小ささであった。直ぐに分かったことはタッチとプッシュで簡単に操作でき、何よりシンプルなのが良い。
Macのパソコン同様に、売り場を何気なく遠くからみるだけで、難しそうで近づきがたかった。
どのように数千曲もの音楽を、小さな器械に入力できるのかが、まず不思議であったが、iMacを入れたおかげで、
CDを差し込むだけで入力できることが分かった。まずはミュージック、そしてライブラリーと開いて、iPodとコードを
つなぐだけで、自動的に入力をしてくれる。 だから若者を中心に多くの人が飛びついたのである。
 (字数制限のためカット2011年02月19日)
.........
2007年02月19日(月)
2148, 幸福に驚く力 −1
 オッ(*^○^*)ハ〜ヨウサン!
大雑把に言ってしまえば{人は子供の本と物語の力によって、日常の中にある幸福に驚き、
人生を肯定的に生きることができる}が柱である。 幼児期、少年期の生活環境の重要なポイントが
見えてくる内容である。今回はテーマそのものの[幸福に驚く力]についての、要点を抜粋してみる。                
ー幸福に目を凝らすー
 大人の文学は、よくもまあ、これだけ不幸に目を凝らすものだと思われるほどに、重箱をつつくようにして
 不幸をえぐり出しますね。それはそれで面白いんです。では児童文学は何をやっているかというと、幸福に目をこらしているな〜
 と思うんです。一見不幸と見えるなかに、よく目を凝らすといっぱい喜びが潜んでいることを、ちゃんと取り出して書いている。 
 不幸に驚くことは放っていても誰でもする。 不幸に目を凝らすことは放っておいてもみんなする。
 でも、子供の文学はずっと幸福に目を凝らしたり、幸福に驚いたりする心を持った人によって、書かれてきたんじゃないか
 と思うようになりました。だから幼いときに昔話や優れた児童文学に出会うことは、非常に大事です。 
 「昔話を聞いたり読んだりして育った人は、それだけで人生に対する抵抗力がつく」 とはよく聞くが、
 そのことをやっと最近になってわかるようになった気がします。まあ昔話は人生のイメージ・トレーニングをすることである。
 ー人生を肯定する生き方
「昔話を聞いたり読んだりして育った人は、それだけで人生に対する抵抗力がつく」とはよく聞くことですが、
そのことが最近やっとわかってきたような気がします。昔話はだいたい、主人公が一人いて、いつも前進し続けていて、
最後には幸福になるという筋書きですね。これが繰り返し繰り返し、いろんな物語に出てくる。
これらに出会うことによって、なるほど人はひとつのイメージ・トレーニングができてくるのだろうなと思います。
   (字数制限のためカット2010年02月19日)


4723,哲学はなぜ必要か?

2014年02月18日(火)

    * なぜ人生に、哲学が必要なのか? (今更だが、あえて!)   もう少し おまえσ(=゚ω゚=;)考えろよ!?
 40歳を過ぎた頃から、哲学に興味を持ち始め、初心者用の本を中心に読み続けてきた。知れば知るほど、奥行は深い。
知人の叩き上げ?で一財を築いた?男が、茶器造くりを趣味にしていると聞き、自宅に行き、一つ貰ってきたことがあった。
その少し前に「スランプ気味」と話していたので、お礼にと初心者向けの池田晶子の哲学書を贈呈した。そこまでは良いが、
私の一連の件で会う度に、それを逆手に『俺は哲学書など読まないが、上手くいっている』と嬉しそうに嫌味をいう。
これは、イギリスの哲学者で経済学者でもあるジョン・スチュアート・ミルが、著書「功利主義」で唱えた
【満足した豚よりも不満足な人間である方が、また満足した愚か者よりも不満足なソクラテスである方がよい】という
言葉を知っていたら絶対に言えないのである。「ものを考えず現状に満足して動物のように生きるな。
やせてもかれても思考する人間らしく生きよ」ということ。その男に何度か言われるうち、酒も入っていたこともあって
『茶器造くりでスランプというから哲学の入門書をやった。茶器とは作者の魂そのままが、表出する。スランプを乗越える
ためには、魂とは何か?魂を入れるとは何か?を知らなければなるまい。作品に打込んだ魂とは全身全霊を作品に叩きつけて
こそ入るもの!それなくしてスランプを乗り越えることなど出来ないはず!』と、怒り気味に話したが、この人には? 
近くの社長をしている二人も、その男の嫌味もあってか、私の理屈に同調?したようだったが・・┃¨━(σ-`д・´)━╋┓
 魂といえば、ゴッホの「ひまわり」や、ピカソの「ゲルニカ」を前にし、その波動が伝わって立ち竦んだことがある。
茶器づくりも、茶道も、花道も、コンピユータにたとえれば「エクセル」「ワード」などの「アプリケーションソフト」に
過ぎない。「ウィンドウズ」や「リナックス」といった「OS(基本ソフト)」がなければパソコンのアプリが動かない。
何事も、そのOSとなる「ものの考え方」や「もののとらえ方」の基礎を学ぶ必要がある。行詰ったら、「知のOS」を、
グレードアップした上で、茶碗造りなどのアプリを作り替える必要がある。その「知のOS」が "哲学"などの教養にあたる。 
 これからすると、正解のない人生の課題に対処するにも哲学が必要になる。人生の難問は生きている限り次々と生じてくる。
対処するには自頭で考えて乗り越えるしかない。その自頭のベースは教養から生じてくる知恵、すなわち哲学になる。
「哲学」(フィロソフィー)という言葉は、古代ギリシャ語「フィロソフィア」(知恵を愛する)が語源。 この言葉は、
哲学が「いかに知るか」「いかに学ぶか」を学ぶための学問であることを教えている。知恵を愛するから、知恵が生まれる。
反面教師なら幾らでもいるが、相手から見れば、自分が最たる反面教師だろうに・・ 人は己が知っていることしか知らない!
  (゚∀゚). (ノ・人・`)??はて…? ドォスル?? (*´・д・)ノ(・д・`*)ドォシヨッヵ・・; …  o( ̄ー ̄;)ゞううむ
  o(´^`)o  ウーr(-◎ω◎-) 考え中..... σ( ̄、 ̄=)ンート・・・σ(゚・゚*)ンート・・・ウーン  (Θ_Θうーん・・(〃 ̄ω ̄〃ゞ
・・・・・
4356, 閑話小題 ー因果一如
2013年02月18日(月)
   * 因果一如
 白隠禅師の坐禅和讃の中に、「因果一如の門ひらけ」と云う一節がある。 「因果一如」は、因果応報に近い言葉。
原因と結果は一緒という意味で、原因を作ったときには、結果も同時に生まれるということ。結果はいつも原因の中にある。
原因から出て行って、また原因へ帰る。 過去と未来にとらわれることなく今のその瞬間を大事に生きることにつながる。
なぜ人は死ぬか? 生まれてきたからだ。病気は、きっかけでしかない。善悪、それは誰かが決めた基準で裏表同じこと。
事業の倒産、それは創業したため。きっかけは、事業年齢がきて寿命が尽きたため。そうこう考えると納得できる。 
現在のアベノミクス、これを因果一如で考えると、ハイパーインフレへの最終到達点。一度、清算した方が良いのかも。
   * ヨガ・エアロの場にて
 週に二回、スポーツセンターの「ヨガ」に参加しているが、あと一月で一年。欠席は4〜5回で、ほぼ皆勤に近い。
週に三回、行われているが、火曜日と木曜日に参加している。50人定員だが、毎回、ほぼ満員。幅60センチ、
縦120センチのヨガマットを縦にして、その中で先生の指導の下、50分の間、マントラなどの音楽を聴きながら、
色いろなポーズをとる。室内はカーテンで暗く、大人数のヨガは何とも不思議な気持ちになる。「マット内は、自分の宇宙で、
周囲を無視してください。」と何度も何度も繰り返す。9割は女性で、時間からして主婦が大部分。一年近く続けていたため、
関節の硬さは、かなり取れてきた。「スローヨガ」と名うっているが、だんだんハードになっていく。私にとって、医院での
腰痛治療のようで、背骨、足腰の骨の矯正をしていることになる。ヨガは、元もと座禅など瞑想をしている合間に、足腰の
矯正をするためのもの。とはいえ、これで腰痛が良くなったというより、悪化防止という感覚。終わると、脳と身体がスッキリ
した感覚になる。で、先日、私の近くでプッという音。 ガス抜きのポーズで、誰かが思わず・・ そこに、男は私ひとり。
誰がみても・・ まあ、いいかで時間が過ぎていった。 
・・・・
3981, 閑話小題
2012年02月18日(土)
   * 総下流の時代って言葉は変じゃない?
 最近よく「総下流の時代」という言葉を見かけるが、少し考えれば分かるが言葉自体が変じゃないか。その意味は、総貧乏。
総下流とは今までの下流レベルに大部分の人がなると、いっているのだろうが。下流とは平均所得半分以下の収入の人をいうが、
そのレベルに大部分がなった時、それは下流ではなく、それが中流になる。 終戦直後、大部分が貧困に喘いでいた時に、
総下流など誰もいわなかった。 戦争に負け占領され目先を如何にして食いつなぐかで精一杯で勝ち組もいなかった。
現在は一部が総勝ちで、大部分は敗者になるのはグローバル化時代では、仕方がない。その一部の勝ち組の収益を、どう調整するか。 
一時代前まで、総中流と大部分が信じていた良き時代があった。 言葉に矛盾があるが、総下流、皆でなれば怖くない? のか。
  * スポーツジムに10ヶ月
 スポーツジム(SJ)に通い始め、あと50日で一年になる。金曜と日曜が公営のミニSJで、それ以外が近くの大型の民営のSJに通う。
一挙に緊張感から解放された反面、ストレスによるウツ症対策として、身体を動かすことにした。身近の倒産で、ストレスが暴発したり、
酒浸りになり廃人同様になったのを見ているので、とにかく運動でストレス解消と、二つスポーツジムに通いだした。 
元々、二年前からの早朝のサイクリング一時間を習慣化していた(4〜11月)。それを加えて一日三時間は運動をすれば、
目先の辛い一年を乗り越えるだろうと始めた。 気分転換には良い反面、地元のため知れ渡ったのだろう、冷たい視線や
聞こえるような陰口もあったが、内声の「シロアリ」の10回の繰り返しで、そう見えてくるから。 シロアリは弱音の
気持ちに敏感、何とも思わなければ直ぐに消えていくのは世界共通の道理。 真面目に通った結果、数年来の足腰の重さが
五分の一か、十分の一になり、腰痛もほぼ解消。 それも時間が経つにつれ良くなるのが分かる。
 6つの運動マシーンと、その間にステップ台が交互に円環に並んだ中央に、若い女性のインストラクターが
ポップ系の音楽に乗って指導する踊るようなイージーラインがよい。それと、各種のエアロビも気持ちを高めてくれる。
 ・・・・・・・
3617, 一連のアラブ世界の騒動は
2011年02月19日(土)
 今年に入って早々から始ったネットで触発されたデモで、アラブ諸国が次々と政変に至る事態に陥っている。
これは、当分の間は続くだろうし、事態は思わぬ方に発展していく可能性がある。 ネット社会に移行しつつある現在、
日本では、まだ地位と肩書きが高ければ偉いと思っている人が多い。 しかし情報が優先されるネット世界では、そんなものは
何の価値も持たなってきた。 アラブ諸国のような旧態依然の権力構造国家が、ネット人間によって、当然のごとく軒並みに崩壊過程に
入ってしまった。 年寄り優先、性差別、情実、肩書き故に威張っていた絶対権力者は、若いネット社会人には、無能な漫画的老人として、
ある日、突然、追い落とされてしまう。 それでは、彼らの中の優秀な人材が、急にとって代われるかというと、そうはいかない。 
情報ネットはフラット化で平等社会にする良い動きもある。 が反面、真の実力が求められる競争社会でもある。
情報社会と知識社会とは違う。 情報社会は、情報が優先されるが、それが知識にまで到達してないレベル。
これまで権力構造の上層部しか持てない情報が共有されるから、否が応でも過去人間は早々に淘汰される。 
 ここで知識と情報の違いは何だろうか?という問いがたってくる。 情報は、本やネット、マスコミ媒体、そして人など、
外部から入ってくるもの。 知識は、一度自分の中で消化され血肉になって内側から出てくるもの。 だから情報社会は恐ろしい。 
事実は一瞬で流れるが、真実は伝わりにくい。 しかし、一部に偏っていた情報がフラット化をする作用がある。
日本では、現在アラブで起こった問題は、この10年間、いや20年かけて起きて、権力構造を変えてきた。
その辺が、アラブとの知識構造が違うのだろう。 この毎日の随想日記は、情報の知識への転換プロセスと、書きながら気づいた。
私の触覚が捉えた情報を、起承転結の文章のパッケージ化してしまう。 そして忘却して、翌年から、毎年読み返すことで、
情報から知識への転換をしていたのである。 鈍くても、5年、10年も繰り返して読めば、知識に転換する。 
 努力の割りに蓄積効果が自覚できないのは、基礎教養の土台に問題ありか・・・。 話しがそれた。
もう一つのネット世界が、旧来の現実世界を破壊を開始した一例である。 間違いなく、近い将来に中国でも共産党を
破壊するか、大改革を迫ることになる。 ここで、モバイル携帯や、タブレット式パソコンが爆発的に普及しだしてきた。
 これが更に、ネット世界の力を急激に増すことになる。 その結果は、誰も想像すら出来ない世界に突き進むことになる。
 ・・・・・・・
3252, 大恐慌 入門 −1
 2010年02月19日(金)
* 「大恐慌 入門」朝倉慶著
 一昨年の9.15のリーマンショック以来、多くの恐慌関連の本を読んで事態の大きさに呆然としたが、ここにきて少し
小康状態を保っている。冬季オリンピックが終わる頃から本格的な波が押し寄せてくる。 既に恐慌は起こったのである。
現在は、緊急措置で平静を保っているだけ。そこで数日前から数年前から去年にかけて読んだ金融恐慌関連の本を重ねて読み返している。
当時は読み過ごしてしまった内容にハッとすることしばしば。その一冊の「大恐慌入門」朝倉慶著がある。読んだ時は、
「色いろな学者の論をダイジェスト的に纏めたもの」と気に留めてなかったが、一年後になって読み返すと簡明だからこそ納得する。 
表紙裏に < これまでは「春の散歩道」。これからデバティブ6京円というスーパーバブルが破裂する。 
世界を覆う「百年に一度の津波」にどう備えるか。> とある。9.15から一年半経つが、アメリカの投資銀行は瞬間的にホボ消滅、
GMとクライスラー、シティバンク、日本では日本航空が破綻した。それ以外は、あまり目立った動きはなかったが、
これからCDSの破綻が表面化してくる。これに比べたらサブプライム問題は公園の散歩みたいなもの。一昨年の大晦日に発刊されたが、
著者の予告していた通り世界各国に国家破綻が現実に問題になってきている。アイスランド、ギリシャと深刻な問題が表面化してきた。
・このスーパーバブルの崩壊は誰も止めることが出来ないし、アチコチで火山の噴火のように吹き出るのは時間の問題。
・オバマは、処理など出来ないで、その責任を問われる悲劇の大統領になる。置き土産は、新ドルへのデノミか、大幅なドル安誘導。
・資本主義の崩壊は、これから始まりCDSを抱えた金融機関や、企業の淘汰が表面化する。 CDOは、まだ300兆円だが、
 これから5400兆円のCDSの問題が出てきざるをえない。それを解決するのは、世界各国が現在の貨幣量を果てしなく増加して、
 ハイパーインフレにし、その結果、新たな貨幣への切り替えを世界中が一斉に実施、CDSをチャラにするしか方法は残されてない。
 まず、ハイパーインフレに転じるに、あと一年はかかるから来年から再来年の2012年末辺りに標準を絞っているようだ。
・失業は欧米で9パーセントを超えているが、日本は救済処置で5パーを維持しているが10パーは時間の問題。 
 〜 まあ、そういうこと!  これらを読む限り楽観論は、この数年は考えられない。    〜 つづく                   
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2877, 自分らしくあれ!
2009年02月19日(木)
 クリントン女史が慌ただしく日本を駆け抜けていった。大学生との対話の中で、ある女子大生の質問 
「女性なのに、どうして、そんなに強くなれるのですか」に、「自分らしくあることよ」と、答えたのが印象的だった。 
 ーそこで「自分らしくある」ことを、哲学的に考えてみる。 まずその「自己」を考えると「他者」の問題にぶつかる。
他者の中の「これ=自分」は時間の経過と同時に発生?する。 さっき向こうから歩いていた「これ」が現在、橋に立っている。
その時に、さっきの「これ」が「自分」になる。生まれて今まで他者の間で生きてきた。その他者との境界線の内側が「私」である。
「自分らしさ」とは、それまでの人生で他者との接点の「あり方」、あるいはその内側の蓄積である。その時点時点で、
何かを追求している在りようが「自分らしさ」である。何かに没頭していて我を忘れている姿に「自分らしさ」が生まれてくる。
初めから「自分らしくあろうと振舞ってはならない」ということである。役者が仮に信長を演じていたとすると、
役者が自分の個性を意識した時、大根役者に陥ってしまう。我を忘れて信長を演じた時に出てくる味が「自分らしい」のである。
(字数制限のためカット 2012年2月19日)
・・・・・・・・・
2008年02月19日(火)
 2512, iPod nanoを買ってみた!   おっはぁ〜。:.+.:*w(′┏▽┓`●)w
先日、長男が帰省のおりに、ソニーのウォークマンを見せてもらってビックリした。
そこでiMacのパソコンを導入したので、iPodを買ってみようと思い立った。
iPodの機種にはtouch、classic,nano,syaffleがあるが、その中で何を選定するか、
迷った末に、一番小型のnanoに決めた。アマゾンから注文したが、2時間ほど夢中になって時間を忘れるほどであった。
選定の最後の決め手は小ささであった。直ぐに分かったことはタッチとプッシュで簡単に操作でき、何よりシンプルなのが良い。
Macのパソコン同様に、売り場を何気なく遠くからみるだけで、難しそうで近づきがたかった。
どのように数千曲もの音楽を、小さな器械に入力できるのかが、まず不思議であったが、iMacを入れたおかげで、
CDを差し込むだけで入力できることが分かった。まずはミュージック、そしてライブラリーと開いて、iPodとコードを
つなぐだけで、自動的に入力をしてくれる。 だから若者を中心に多くの人が飛びついたのである。
iMac(パソコン)のライブラリーのコーナーにCDや、インターネットで購入した曲を記憶させる手間が少しかかるが、
これはいたし方がない。驚いたのは、CDで入力した曲の情報を自動的にテーマや、作曲者、入力順、聞いた順に分類し、
羅列してくれることだ。さらに流れている音楽の広告も出てくる。これはアマゾンやグーグルと同じである。
 (字数制限のためカット2011年02月19日)
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2007年02月19日(月)
2148, 幸福に驚く力 −1
 オッ(*^○^*)ハ〜ヨウサン!
大雑把に言ってしまえば{人は子供の本と物語の力によって、日常の中にある幸福に驚き、
人生を肯定的に生きることができる}が柱である。 幼児期、少年期の生活環境の重要なポイントが
見えてくる内容である。今回はテーマそのものの[幸福に驚く力]についての、要点を抜粋してみる。                
ー幸福に目を凝らすー
 大人の文学は、よくもまあ、これだけ不幸に目を凝らすものだと思われるほどに、重箱をつつくようにして
 不幸をえぐり出しますね。それはそれで面白いんです。では児童文学は何をやっているかというと、幸福に目をこらしているな〜
 と思うんです。一見不幸と見えるなかに、よく目を凝らすといっぱい喜びが潜んでいることを、ちゃんと取り出して書いている。 
 不幸に驚くことは放っていても誰でもする。 不幸に目を凝らすことは放っておいてもみんなする。
 でも、子供の文学はずっと幸福に目を凝らしたり、幸福に驚いたりする心を持った人によって、書かれてきたんじゃないか
 と思うようになりました。だから幼いときに昔話や優れた児童文学に出会うことは、非常に大事です。 
 「昔話を聞いたり読んだりして育った人は、それだけで人生に対する抵抗力がつく」 とはよく聞くが、
 そのことをやっと最近になってわかるようになった気がします。まあ昔話は人生のイメージ・トレーニングをすることである。
 ー人生を肯定する生き方
「昔話を聞いたり読んだりして育った人は、それだけで人生に対する抵抗力がつく」とはよく聞くことですが、
そのことが最近やっとわかってきたような気がします。昔話はだいたい、主人公が一人いて、いつも前進し続けていて、
最後には幸福になるという筋書きですね。これが繰り返し繰り返し、いろんな物語に出てくる。
これらに出会うことによって、なるほど人はひとつのイメージ・トレーニングができてくるのだろうなと思います。
 それから、必ず善が勝つのも昔話の特徴でしょう。善が勝つ、善が生きのびるということは、とにかく小さい時にはこれでもか、
これでもかと伝えてやらなくちゃいけないんでしょうか。そうやって生きるということを徹底的に肯定的に肯定してやること。
   (字数制限のためカット2010年02月19日)


4722,心を上手に誘導する方!

2014年02月17日(月)

             「心を上手に透視する方法 」トルステン・ハーフェナー (著)
  *「自分は運がいい」と思っている人ほど、幸運に恵まれるのはなぜ                                  
「マインド・リーディング」のテクニック&メソッドを紹介した本だが、これは他人だけでなく、まず自分の
マインド・リーディングに使えばよい。それだけ、心は未知で、扱いにくいもの。ランダムに、面白そうな部分を
テーマにするが、運、不運は、その最たるもの。運は判断の結果をいうが、その為に必要なのが「観察力」である。
このところ長年信じてきたバイアスに気づくことが多い。 『私はもの覚えが悪い!』と、数十年思い込んできた。
そのため、対象を観察さえしようとしないため、さらに、もの覚えが悪くなっていたことに、最近、気づいた次第。
私は「運が強い」と思ってはいるが、その運を呼び寄せるのは、長年かけた努力の集積の結果ということを経験上、
分っていた。 運がいい、という思い込みなら、良いが。 ーまずは、そのあたりからー
 《 自動車メーカーの創設者ヘンリー.フォードはこう述べている。「あなたは、自分は何かがとても上手にできると
思おうが、全然できないと思おうが、どちらも正しい」 あなたの思考パターンが、目標を達成する妨げになっていないか
どうかをよく考えてほしい。 なぜなら、それがあなたの人生の運に大きな影響を及ぼすからだ。イギリスの心理学者、
リチャード・ワイズマンも、大規模な調査によってそのことを証明している。ワイズマンは、人生における幸運と不運は
本当に偶然によるものなのか、それとも運のいい人と悪い人がいることを心理学的に説明できるものなのか、ということに
興味をもった。そこで、ワイズマンは、自分が幸運に恵まれていると思っている人と、ついていないと思っている人を
探し出した。調査の対象になった人たちは「新聞に載っている写真の枚数を数えるように」と言われた。
その後、ワイズマンは被験者に、写真が何枚載っていたかを尋ねた。しかし、被験者には知らされていないもっと
重要なことがあったのだ。その紙面の中央に、ワイズマンはある文章をかくしていた。その文章とは、紙面の半分
くらいの大きさで、「実験の担当者に、これ見たと言えば、あなたは百ポンドを獲得します」と書かれていたのだ。
自分には運がないと思っている被験者たちは写真を数えるのに必死で、その文章に気づかなかった。一方で運が良い
人たちはリラックスしており、もっと全体を見渡すことができ、ほぼ全員が百ポンド手に入れた。
 ワイズマンはこのことから、運の良い人は、運がない人よりもチャンスに気づくということを導き出した。
私たちの思考は私たちの行動に影響を及ぼし、不思議なことに、幸運か不運のどちらかを引き寄せるのだ。
ワイズマンは、こう書いている。「楽観的な人は前向きでエネルギッシュで、新たな機会や経験にオープンである。
一方運の悪い人は、控えめで、頼りなく心配そうな反応をし、目前にある機会を見つけて活かす気がないようだった」》
▼ 運とは、判断の結果であり、判断には対象の観察力が必要になる。過去の行蔵を見ると、失敗の場合は、観察を
 する詰めが甘かったケースである。運を良くするには充分なる準備が必要で、浮ついて取り組めば、当然、そこには
 失敗が待っていた。そう簡単に成功など出来る程、甘くはない。貧しい家には、貧乏神が住んでいる。
 今回の一連でも多くのことを学んだが、それも捉え方一つ。この結果が、『あ〜、運が良かった』と思えば思えるし、
 『あ〜、何て運が悪かった!』と思えば、そうである。運が良った!と捉えれば、長年かけたリスク管理を幾つかして
 いたこと。運が悪いと思えば『長年の努力の結果が、このザマ!神も仏もあるものか!』になる。モノは考えよう。
・・・・・
4355, 閑話小題 ー常日ごろがあるということ
2013年02月17日(日)
   *「今日という日は、残された日々の最初の日」
 還暦を過ぎた頃より、「今日という日は、残された日々の最初の日」の言葉のとおりになってきた。
44年前の学生時代の終わりの頃の日記のコピーを、毎年この時期に読んでいるが、当時から現在に至る年数が
長いような短かいような。60歳を過ぎると「時間軸が横になる」というが、一年前も40、50年前も同じ感覚なる。
残された日々だけでなく、過去の時間軸も横になってきた。50歳を過ぎた頃に、それ以降の残された20年、30年分の
人生を捨て身で10年に圧縮し、前倒しに実行したのは、時間軸を横にしたのと同じことだった。横にして見えるのは、
「死」である。また、その裏にある「生」。どちらにしても、人は死ぬ。そして数ヶ月もしないうちに、ほぼ忘却。
それなら、今日という一日を目いっぱい生きるしかない。人生は50歳を過ぎれば、人間は「残された日々」になり、
毎日が、その最初の日になる。それにしては、まあ、いい加減な日々を過ごしている。 ポイントは、「時間もお金も、
‘いましかできないこと’のために使う」ことになる。面白い映画を見て、良い音楽を聴き、腰をすえて本を読み、新たな
世界にチャレンジし、より孤独に徹し、日々を過ごすことである。その意味では自己評価は70点だが・・いや、50点か?
   * 常日ごろがあるということ
 一線を離れ、毎日が日曜日のような平凡な常日ごろの日々が続く。しかし、この「常ごろがあること」が実は素晴らしい。
中学、高校、大学の日々で懐かしいのは、当時の「常日ごろの生活」であるため。その年齢ごとの常日ごろこそが価値があり、
光輝いている。時代を背景にした、その時節の自分が、そこにいる。だから現在も時代背景と、「常日ごろ」を味あうことが
必要になる。ところで真に味わっているだろうか? 
・・・・・・
3980, よかまん ー3
2012年02月17日(金)
   * よかまん節を女子芸大生に素裸で踊らせた
 よくぞ引き受け踊った女子大生も凄いし、それをビデオで自分の個展で流した会田誠にも恐れ入る。 ー 前回の続きから ー
≪ 最近非常勤講師として美大に呼ばれた折など、学生に「よかちん」について聞いてみると、ほとんどが知らない」と答えるのです。
 せいぜいが「ああ、ラグビーの連中がやってるアレですね。見たことはないけど、話だけは聞いたことがあります」程度。どうやら
絶滅寸前の状態にあるようです。僕は「ざまあみろ」と「こりゃいかん」という、まったく相反する感慨を同時に受けました。・・・
 芸大も近年ご多分に漏れずグローバル化の波が押し寄せてきており、和洋の相克に揺れた先人たちが必要に駆られ作った、ユニークな
ジャパン・オリジナルの枠組みが、次々と使命を終えつつあります。それは決しておめでたいニュースとは感じられない、複雑に屈した
自分がいます。また「よかちん」絶滅の直接的な原因が、近年の美大における女子学生の驚くべき増加であることも分っています。
僕の学生時代は少数派だった女子が、今ではどこの美大でも完全な多数派に転じています。女性全般に芸術の才能がないなんて
よもや思いませんが、それでもこの極端な変化には不安を禁じ得ません。同時に、少数派となった男子学生の全体的な覇気のなさ、
いわゆる「草食」化も気になるところでした。日本の美大と美術界は今後どうなっちゃうんでしょうか。そんなことを諸々考えた上で、
最近「よかまん」という新しい芸を作ってみました。 といっても「よかちん」の歌詞を少し変えただけなんですが。
  "数え歌"の部分が以下のようになります。 一つ 開けば、二つ 触れれば、三つ 見せれば、四つ 悦べば、五つ 入れれば、
 六つ ムズ.ムズすれば、七つ 舐めさせれば、八つ 破れば、九つ 擦れば。 小道具の一升瓶は小さなザルに変更しました。
これを現在東京藝大で油絵を学んでいる、知り合いの女子学生二人にやってもらいました。二人とも肝の据わった「肉食系」なので、
進んで全裸になってくれました。そしてそれを収めたビヂオを自分の個展会場で流してみました。それで何かが解決するとは思いませんが、
問題提起くらいにはならないかと思って。というか本当はこの「よかまん」が実際に芸大で流行して定着し、新しい伝統が生まれるのを
夢想してるんですが…… やっぱり無理ですかね。≫
 ▼ 女と男は違うので、これが定着するとは思えない。あくまで、一人の芸術家のお遊びだろうが、これに類したのは、
  芸者遊びの中では多くあるはず、あくまで男を楽しませるもの。そういえば、以前の会社の忘年会で、メイクさんの
  ツワモノが男の人に座布団を女性の何に見立て、自分が箒を男の何にして・・・という面白い芸があった。ご愛嬌の範囲だが。
 ・・・・・・・
3615, 忘却の整理学 ー1
2011年02月17日(木)
  「忘却の整理学」外山滋比著
 内容= 頭を働かせるにはまず忘れること。情報・知識でメタボになった頭脳を整理し、
     創造・思考の手助けをするのは忘却なのだから。『思考の整理学』の続篇
 * なかなかオシロイ本である。 忘れること・忘却を中心に据えた本は私が知る限り過ってなかった。
 呼吸は、まず息を吐き出さないと新しい空気は吸えないと同じで、忘却によって整理され、きれいに片付いた頭で
新しい知識や情報などを取り入れられるために積極的に忘れろという。一度書いた文章をまず寝かせたり、
気分転換すると思いもよらぬ着想が得られたりするのは、忘却による効果。 忘却が知識を選択的に頭の中で熟成させ、
時間の風化作用で別次元の高みに体系化する働きがある。 忘却はランダムに起こるが、それが個性を形作る。
   ー‘まえがき’の以下の部分が、アラスジにもなっているー
 ・・どうして知識が独自の思考に結びつかないのか。両者の間に忘却を考えないと、説明がつかない。 知識をいったん
かなりの部分を忘れたあとで、もとの知識から離れてオリジナルな思考の生まれる余地が生じる。忘却がないと、知識は途方にくれる。
知識は利用されることを待っているのであって、それだけで、思考、創造をおこす力をもっていない、 むしろ、そのままでは自由な
思考の妨げになるおそれは十分である。そんなことをあれこれ考えていて、忘却論に思い及んだ。記憶と表裏をなす忘却があるという考え。
ナマの知識は使いものにならない。忘却をくぐらせて枯れた知識のみが新しい知見を生み出す。大工は生木で家を建てないのと同じ。
忘却のアポロギア、弁明を思い立ったのは数年前のことだが、どうして忘却がこれほど長い間きらわれ、怖れられ、卑しめられてきたのか。
忘却を称えたことばはないものかとそれとなく心がけてきたが、日本には見当らない。 おしなべて忘却性悪説である、
 ・・ことにコンピューターが異常なほどの発達をとげて人間の記憶力の価値を暴落させている。知識人ほどその衝撃を強く受けている。
コンピェーターを念頭において人間の知的活動を考えたならば、創造的思考がもっとも人間らしい活動であることは明らかになるはずで、
その独創の土壌になるのが忘却である…… そういう考えのもとに、この本に収められた諸エッセイは書かれている。
忘却論ではなく、忘却をめぐるエ・セイを集めたものである。                   
 ーここに書いた内容は、アップした瞬間、ほぼ完全に忘却の彼方になる。「いま、ここ」に集中すれば、忘却の後々に残る。それがよい!
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3250, 新・マネー敗戦 −1
2010年02月17日(水)
 以前、NHKスペシャルで「シリーズ  マネー資本主義」を放送していた。
■第1回 “暴走”はなぜ止められなかったのか 〜アメリカ投資銀行の興亡〜 2009年4月19日(日)午後9時00分〜 
■第2回 “超金余り”はなぜ起きたのか? 〜カリスマ指導者たちの誤算〜  2009年5月17日(日)午後9時00分〜 
■第3回 年金マネーの“熱狂”はなぜ起きたのか              2009年6月14日(日)午後9時00分〜 
■第4回 ウォール街の“モンスター” 金融工学はなぜ暴走したのか     2009年7月19日(日)午後9時00分〜 
■最終回 危機を繰り返さないために                   2009年7月20日(月)午後7時30分〜 
■ウォール街の“モンスター” バブルは再び起きるのか          2009年12月20日(日)午後9時45分〜 
  再放送も含めて食い入るようにみた。 紙切れ(ドルとアメリカ国債)を刷って、再びアメリカに還流するシステムを
 追う番組である。そこには、紙切れで世界中のものを手に入れる仕組みをインタビューや解説で解明していた。
 それは正にアメリカが親のネズミ溝。それがアメリカ資本主義というらしい。その最大の被害者は、もちろん日本。
ところで先日、知人から、「新・マネー敗戦」を一時間ほど借りて、速読をしてみた。 
大筋は、このアメリカ・ドル本位主義の構造の分析である。 
  * 「新・マネー敗戦」 岩本沙弓著   
 ーこの本の概要といえばー《 ネット参照 》
 19世紀から20世紀にかけて繁栄した英国は、絶頂期でデフレに見舞われた。しかし金本位制を廃止せず緩やかな没落の道を辿った。
その英国に替わった米国は、ドルを世界中に流通させ金本位制を廃止した。 実物資産の裏付けのないマネーの誕生である。
バブルが起きるたび、その対策として投入された膨大なペーパーマネーはさらなるバブルの原因となった。 
自国通貨を基軸通貨として世界に流通させ、ペーパーマネーを溢れさせた米国はさらに原油を用いて、ドルの価値の維持と
産油国経由の米国への還流を図る。 原油決済をユーロで行う機運が出てきた際には、原油決済通貨をユーロに変更したイラクに対し
戦争を仕掛けてまで自国の繁栄を図ってきた。 それでも原油決済通貨の変更がなされる現在では米ドル需要の減退は時間の問題。
字数の関係でカット(2012年02月17日)
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2875, ポルトガル人のみた信長と秀吉
2009年02月17日(火)
  「日記をのぞく」ー日経新聞編の一編 ールイス・フロイス「日本史」ー
の中で、ポルトガル人フロイスの見た信長と秀吉の姿が新鮮に写し出されている。
現在、「天と地」をNHKで放映しているが、直江兼継の見た秀吉と信長の姿と重ねると面白い。
 ーその部分を要約すると・・・
1569年4月に、信長と京都の二条城の建築現場で引見、信長はフロイスを気にいったようだ。フロイスは1581年3月、再び会うが、
安土城を自慢したかったようだ。彼の見た信長は「中ぐらいの背丈で、華奢な体躯であり、髭は少なくはなはだ声は快調で、
極端に戦いを好み、軍事修練にいそしみ、名誉心に富み、正義において厳格であった」「酒を飲まず、食を節し、人の扱いには
きわめて率直で、自らの見識に尊大であった」「その鋭い観察眼で捉えたこの武将の人物は、他の追随を許さぬ迫力と
真実性が感じられる」その信長が亡くなった後に、今度は秀吉を大阪城に訪問する。フロイスの「日本史」の中の秀吉像は、
信長像に比べておおらかではない。「彼は優秀な騎士であり、戦闘に熟練していたが気品に欠けていた」
「身長は低くまた醜悪な容貌の持ち主」「抜け目なく狡猾」「極度な淫蕩で、悪徳に汚れ、獣欲に耽溺」・・・
生理的は反発がうかがえる。1587年に九州に遠征中に伴天連追放令を発した。秀吉の漁色乱交に、
 ▼ キリスタンの女性たちが抵抗したので、暴君の秀吉が怒り狂った、とうのが彼の解釈だ。この「日本史」では、
外国人ジャーナリスト?の目で当時の日本と日本人が体系だって観察されている。その点では信長と秀吉を現代人の感覚で
観察している目に近いと言えるのである。更に、信長の最期の姿が仲間の宣教師から九州にいたフロイスに詳細な報告が入る。 
 それによると、ー 1582年、6月21日、本能寺の変が起きる。明智方は本能寺を襲い、「手と顔を洗い終えて身体をふいている
信長」を見つけて、背中を射た。信長はその矢を引き抜き、長刀を手に戦ったが、「腕に銃弾を受けると、自らの部屋に入り、
戸を閉じて、そこで切腹をしたと言われ、また他の者は、彼はただちに御殿に放火して、生きながら焼死したと言った」更に、
「我らが知っていることは、その声だけでなく、その名前だけで万人を戦慄せしめていた人間が、毛髪といわず骨といわず
灰燼に帰さざるものは一つもなくなり、彼のものとしては地上に何ら残存しなかったことである」と・・・
 ー  生々しい信長が直に伝わってくるようだ。 
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2008年02月17日(日)
 2510, 黒柳徹子
子供の頃から、いつも彼女の声や姿をみてきた。美空ひばりと黒柳徹子は私の生きてきた時代の中で何時もラジオかTVで見かけてきた。
現在もTVの『徹子の部屋』などで毎日のように見かけるが、殆ど彼女の番組はみてない。しかし芸能界の一線で55年も活躍している
のだから、それなりの信条があるのだろう。どちらかというと、女性の好みとして苦手のタイプ。彼女は子供の頃からの異端児で、
学校では劣等生だったという。ある本に、彼女の手記があったが、なかなか面白い。 その概要といえば、
 −−
仕事をはじめて5年目に過労で一ヶ月の入院をした。 当時のTVは殆ど生番組で、出ていた番組では私抜きでもドラマは進行した。
その時に、二度と病気をしたくない、と思った。だから退院をするときに院長に、「死ぬまで病気をしたくないですけで、
どうすればよいか?」と聞いたら、先生はおっしゃった。「長いこと医者をしているが、そういう質問は初めてだ」。
でも、と先生はおっしゃった。この先生は名医だった。「一つだけ方法がある。でもたいがいは、出来ないんだよね」
私は必死に食い下がった。「やります、どんなことでも」「じゃあ、好きなことだけをして生きなさい」
「え?じゃ、明日は芝居を見て、あさってはピクニックをして、しあさってはショッピング。そんなお金はないな〜」。
「誰が遊んでなさいといいました。自分が進んでやる仕事をやること。身体の疲れは、寝れば直る。でも、嫌だなと思ってする仕事は、
少しずつ身体に溜まっていく。それが繰り返されると病気になるんだと思うんだ。だから、進んでやる仕事はやっていれば、
病気にはならないんだと思うんだ」。私はそうしようと決めた。だからマネジャーと相談してよく寝ることは勿論だけど、極力、
自分が進んでする仕事をするように生きてきた。もちろん、若いときは難しかったけど、どんな金儲けの仕事が来ても、気が進まないと、
やめた。その代わり、自分が引き受けた仕事は、すべて、これは自分がやりたくて引き受けた仕事だから、と全力でやった。
そんな風にして、50年間、病気なしでやってきた。   ーつづく
字数の関係でカット(2012年02月17日)
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2007年02月17日(土)
 駅前専門学校の時代の終焉!
         才八∋ウ_〆(∀`●)サン
十数年来、長岡や新潟駅前の建設やビルの買収といえば専門学校であった。
字数の関係でカット(2010年02月17日)


4721,末期がん、その日のための予習を ー5

2014年02月16日(日)

            ー「末期がん、その不安と怖れがなくなる日」樋野 興夫 (著)
 死にいく者を見送るのは辛いが、最も重要なこと! 見送る方も、その経験が自分自身の末期の予習になる。
父が余命一年と身内に宣言され、それを察知した父親の死への不安と恐怖を身近で感じ取った。そして現在、ほぼ同じ年齢に
なり、自分にも、同じような事態が、さほど遠くない近未来にやってくる。御陰で、長年かけてその時に対し、多くの知識を
入れてきた。その時は、その時だが、長年かけて積み上げた知識は生きる意味を学ぶことであった。
 最後は何もかも失ってしまう人生の残酷さ。これを前提に生きれば、何事も捨身で立向かうことが可能だったが?
  * 第四章 だいじな人との貴重な時間
・患者は病気のことを話したがっている ーだから、患者の集まりがにぎわう。(患者を人間、病気を自分に置き換えられる)
・親しいからこそ話せないことがある  ー「がん哲学外来」も、そのためにある。(だからがん患者の体験談の本が売れる)
・患者の日常を支えるのは家族     ー死を前にした生への欲求の乾きを満たすのは家族でも無理!
・30分間黙ったままいっしょにいられる関係 ー傍にいるだけで、来てくれるだけで充分。孤独地獄の中、藁をもすがる思い。
・「する」ことより「いる」ことのやさしさ ー御隠居生活の移行は、「何かをする」から「世に存在する味わい」へ。
・家族にも見えにくい患者さんの本心 ー当人と、周辺の人との理解は至難の業!割り切るしかない?
・愛しているなら心配するな    ー心配と愛情は違う。家族は、愛情で包むしかない!
・正論が正しいとはかぎらない、  ー家に帰りたい!に対し、同じ無理でも、言い方一つで、傷つけない注意を!
・「がんばれ」が患者さんの負担になることも ー「がんばっているのに、がんばれも、変」
・家族の「交替要員」はいない   ーだから、最期まで見送る覚悟を立てるしかない。
・患者を「第一」に考える     ーそのためには、当人にとっての優先順位を考える。
・家族の思いより患者の思い    ーだが、その立場の違いは無限大。
・がんを誰に知らせるかは状況次第 ー患者の立場になって。
・病院への遠慮はいらない     
・病気になる前にしておくことがある ーこの「その日のための予習」は、その最たるもの。
▼ 末期がんのための予習も、変なものだが。とはいえ、その時になってからでは無理。死刑宣告と、ほぼ同じ。
 自分一人が、突然、奈落の底に落とされ、絶望と、恐怖に、恐れおののくのである。そこで、人間は神を創作し、
 常に共にいてくれ、最後は天国に召されるという物語の刷り込みを数千年にわたり、してきた。
 最後は、神様にすがるしかない弱い存在が、知識を持ってしまった人間である。
・・・・・
4354, 書くことが思いつかない人のための文章教室  ー6
2013年02月16日(土)
           「書くことが思いつかない人のための文章教室」近藤 勝重 (著)
   * 感動体験を書く
 「言葉にならないほどの感動」は数限りしてきた。言葉にしてないが、感動の場面は脳にシッカリと刻まれているので、
それを言葉に替えて文章にすると、当然よい文章になる。人生を振り返ってみて、自主独立に過ごせたことと、感動を
目いっぱい経験できたことが、何よりも変えがたい。 ー以下は、そのあたりを纏めたものー
≪ 感動したことを思い出し書きなさい、感動したことは忘れない。高校時代の同窓に小学校の先生をしていた女性がいます。
彼女はやはり「作文は感動したことを書かせることよ」と話していました。子どもならずとも感動した話というのは、人に
話したいという思いが強いものです。感動とは心を動かされること。自分の心が動いたということは、とりもなおさず
「そこに自分がいる」ということです。作文が主として自分自身の表現であることを考えても、感動体験は最上の題材になる。 
感動には二つある。 外からの感動と内から感動です。外からの感動は、映画をみたりTVでドラマをみたり、本を読んだり、
人の話を聞いたりして経験する。もう一つの内からの感動は、何かに挑戦して得られる感動です。山登りや受験に合格したとか、
達成感にかかわるもの。
 そこで感動と感激の違いというと、「感動」は大自然の美や映画、絵画など価値のある他者に向けられたもの。
「感激」は入試に合格したとかの自分にかかわること。というと、感激も感動の範疇に重なる。 何かに「あっ!」と、
思ったら、そこに自分があると思えばよい。女性初の国会議員の故加藤シズエさんは、一日10回の感動をモットーにしていた
感動人間でした。彼女の対談集に興味深い話が次々と出てくる。「脳というのは不思議なもので、普段はいちいち覚えたつもり
がないことでも、感動して思ったことはどこかの引き出しに入っている。誰が整理するのか、その脳が整理して必要に応じて
出てくる。なまじ、記憶で試験勉強で覚えたより、感動で覚えることの方が、自分の身につくということ」という。 ≫
 ▼ 「感動した時に、そこに自分がいる」には、納得する。この在庫を多く持っていると、色いろな引き出しから、必要に応じ
  あらゆる思い出が引き出せる。感動体験を意識して文章化をしておくことは最重要のことになる。感動体験の総体が、その
 人そのものといえる。感動は求めれば得られること。特に大自然の懐で体験できる。それも、内なる経験は、そこへの
 旅路の行程を乗り越えて、そこに至った喜び、そして、そこにしかない大自然の美しさの感動が相重なり、至高体験になる。
 そうこう考えると、まだまだ文章化をしてないことになる。書くことが無いとは、書く能力が足りないということになる。
・・・・・・
3979, よかまん ー2
2012年02月16日(木)
      「‘11年版ベストエッセイ集’人間はすごいな」 会田誠(美術家)
  ーよかちん節の由来ー
 これが??大学の大根踊りレベルだったら別に、そんなものだが、東京芸大の宴芸というから中和される。
それも自分の個展の入口に堂々と、というのも良い。品のないこと?この上ないので人には話すことでないが、面白さは格別。
卑猥な芸?も、書き方一つで抵抗なく読むことが出来る。若い時節の男の性欲は男なら分かるが異常に強い。 それを酒宴で、
露骨に踊ってみせるのも一興。 お神楽のヒョットコ踊りに、巨根の棒を振舞わして、オカメと踊るのを見たことがある。
その亜流だろうが、品はないが罪がない。 顔をしかめる人も多いだろうが、よくぞ・・である。 ー前回の続きからー
≪ 美術大学に代々伝承されてきた宴会芸に「よかちん」というものがあります。僕は今から四半世紀以上昔のこと、
 美大の新入生歓迎コンパか何かの席で初めて見たように記憶しています。どんなものかというと、宴もたけなわな頃、
やおら全裸の男が登場し、一升瓶を股間に挟んだまま(だから一応性器は隠している)、手拍子をとりつつ"数え歌"を歌い始めます。
「一つよかちん、なんじゃいな。ひねれば、ひねればひねるほど、よかちんちん。あ〜あよかよか、よかちんちん」
この「ひねれば、ひねればひねるほど」のところで、一升瓶を男根に見立てたアドリブによる(この場合"ひねる")ゼスチャーが入ります。
口述的に受け継がれる芸なので、歌詞のバリエーションは様々なようですが、僕が知っているところでは、数え歌は以下のように続きます。
二つー振れば、三つー見れぱ、四つーよじれば、五つーいじれば、六つー剥けば、七つー舐めれば、八つーやれば、九つー擦れば。
そして十でとうとうよかちんちんー と結ばれます。つまりこのような色々な体験をさせれば、良いチンポ(よかちん)に成長するという、
まったくもって脳味噌パーな、でも憎めない庶民的下ネタ芸なわけです。あと、どうやらルーツが九州ということもあって、九州男児的
マッチイズムの匂いもぷんぷんと漂っています。 学徒出陣で出征する美大生を「よかちル」で送ったという、泣き笑いの昔話を
ネットで見つけたので、おそらく戦前からあったものでしょう。浪漫主義華やかなりし明治後期、青木繁など九州出身者が東京美術学校
(現・東京藝術大学)の乱痴気騒ぎの飲み会で、郷里のお馬鹿芸を披露して喝采を浴びたーそんな空想を僕はしてしまいますが、もちろん
定かではありません。いずれにせ、少なくとも僕が美大生だった1980年代後半まで、油絵科を中心に脈々と受け継がれてきました。≫
 ▼ この後の文章に、よかちん節があるなら、よかまん節があってよいだろうと、創作したのが面白い。私も、品位が邪魔をして?
  そこまで思いもよらなかった。一升瓶の代わりに、ザルとは・・ とは。 Youtubeで調べたが、さすがに無かった。  ーつづき
 ・・・・・・・
3614, 哲学は死の練習になるか
2011年02月16日(水)
 * 哲学は死の練習になるか   ー木田元
死についての特集の中に、木田元の文があった。なかなか考えさせられる
  ーまずは、その抜粋からー
≪ 哲学者ハイデガーは『存在と時間』で「自己の死」についてこう述べている。 自己の死は「誰にも替わってもらうことができないし、
誰の助けを借りることもできず、それがくることは確実だが、いつくるのかは決まっておらず、その先にまわってみることなど決して
できない、自己の究極の可能性」なのだ、と。 そしてハイデッガーは、人間にとって「本来的な生き方」とは、この自己の死を
不断に見据え、それに覚悟を定めて生きる生き方、つまり「死に臨む存在」なのだと主張するのだ。
・・・ 自己の死についてのハイデッガーのこの見方はまことにユニークだが、まるで『はがくれ葉隠』のように、つねにおのれの死を
見据えて生きるというのが、いったいどういう生き方なのか、私にはうまくのみこめない。自己の死についてのハイデガーの
こうした主張に対しては、少し年少のフランスの哲学者サルトルも『存在と無』で異論を唱えている。
彼にとって死は私のすべての可能性を無にし、私の人生からすべての意味を除き去ってしまう、まったく不条理な偶発事なのである。
彼に言わせると、私の誕生が選ぶことも理解することもできない不条理な事実であるのと同様に、私の死も、理解したり対処したりする
ことのできない不条理な事実なのだ。ここで面倒な議論をする気はないが「自己の死」に関してだけは、私もサルトルに一票を投じたい。
こちらの方が私の感じ方に近いからだ。 ハイデガー自身、『存在と時間』で持ち出した死生観の根にあるのは自分の個人的信念で
あることを認め、どんな哲学的思索も、結局こうした個人的信念を出発点にせざるをえないのだと主張していたそうである。
・・・つまり、私たちは生命の大きな流れの中から飛び散った一滴のしずくのようなもので、しばらくはそうした個体とし生きているが、
やがてまた元の大きな流れに引きもどされ、蕩々と流れてゆく。それが個体にとっての死なのだ、とそんなふうに思うようになってから
体調が落ちて、あまり永くは生きられそうもないなという気分になったときも、それほどジタバタしなくなったような気がする。
こうした一種アニミステイックな死生観を整理し体系化すると神道のようなものになるのではないかと思うのだが、あまり体系化など
しない方がよいのかもしれない。 本当に死が間近にせまったとき、肉体的苦蒲のなかでこんなとりすましたことを
言っていられるかどうか自信がないが、これが今のところ私の死をめぐる想いである。≫
ー以上だが、言葉を持ってしまった人間は、他者の死を身近にみて、自分の死を思い抱くようになった。
 死んだ人は、その瞬間に何もないが遺体が残る。それが死と勘違いするから、妄想が起こるのだが、その妄想を理性で
 乗り越えようとしても、それも無理の話である。木田元は、滔々と流れていく大河に引き戻されて一滴が固体の死のイメージを
 述べているが、毎年同じ木に咲く桜の花とも、それぞれのイメージがあるもの。
 ・・・・・・
3249, 最近のベーカリー事情
 2010年02月16日(火)
  * ベーカリーのファーストフード化
 数ヶ月前から週に2〜3回は新幹線の改札口に近いベーカリーで通勤途上、昼飯用のパンを買っている。
サンドイッチや、ナンで惣菜を包んだものや、カレーパンなど種類が多くあり、値段の割りに美味しい。中でも食べられる。
300円から500円で済み、外食の半値で済む。他に構内スーパーにある弁当とか、専門店街の菓子屋が売っているオニギリを買っている。 
その御蔭か週一も外食に出なくなった。要は気晴らしに出ていた外食が面倒になったのだ。
 ところで、知人が「カテゴリーキラーの外食が新潟郊外の青山に去年の暮れにオープンした」と話してくれた。
・テイクアウトも、イートイン(店内でも食べられる)も出来るベーカリーで、レストランのような外観と、
 イートインのできる客席はレストラン風
・ポイントは、コーヒーが無料で、二杯目が20円
・家族3~4人で、1500~1800円で食事のできる店というのが受けている・・・
 その話を聞いて、「ラブラ万代の地下にあるベーカリーが、コーヒー無料にして、その脇にある自由食事スペースの
 テーブルと椅子をレストラン風にした感じ?」というと、その通りという。 成るほど、親子三人でパンやミニピザを
 2〜3個ほど食べても、コーヒーが無料なら2000円以下で済む。 長岡と新潟の新幹線構内にあるベーカリーで、パンを買った
 (字数の関係でカット12年02月16日)
・・・・・・・・・
2009年02月16日(月)
2874, 成長モデルから 脱成長モデルへ  −2
「規制されたモデル」といえば、戦後日本の20数年の日本経済のモデルが理想であるが、これは成長モデルそのもの。
 結局は資本主義経済はバブルの繰り返すしかないのである。その本質はネズミ溝であるからだ。
 その繰り返しの中で、自由と平等を如何に両立させるかという難しい問題は人類の永遠のテーマと重ねる。
 突き詰めると、どれもこれも共同幻想でしかない。 共同幻想でしか人類はコントロールできないとすれば、
 共同幻想の「正・反・合」を繰り返すしかない。 更に前回に続いてポイントの部分を抜粋する。
 〜〜 
 *『自由放任的競争』から『規制された競争』
「ケインズが終生説いたのは、実は、グローバリズムへの警戒なのである。
『頽廃的で国際的で個人主義的な資本主義が世界をかけめぐり、国内経済を破壊することこそ、彼は恐れたのである。
『それは、知的でなく、美的でなく、公正ではなく、有徳ではない。われわれは、それを嫌っている。
いまやそれを軽蔑し始めている』とさえ彼は書いている。この『資本の気まぐれな浮動』から、一国の経済を守らなければならない。
(字数の関係でカット11年02月16日)
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2008年02月16日(土) 2
 509, 新・知的生産の技術 −2
好感の持てる人である。東京の知人が言うには「最近、東京では健康を兼ねてスポーツタイプの自転車でチョットした移動に
活用している人が多くなっている。」という話を聞いたばかりなので、成るほどと感心した。この人の場合は、
携帯用のナビまでつけている。ナビは個人の行動まで自由にしているようだ。ここまで電子機器が発達し、ソフトも高度化したなら、
己を空しくして逆に無駄取りをして合理化に徹したほうが良いに決まっている。その意味で、この本は批判が多いかもしれないが、
見習うべきことがあまりに多い。ここまでグーグルが世界の人たちに支持をされるには、それなりの内容があるはず。
なら、限度のある自分を徹底的に排除をして、己を空しくして圧倒的なベストに従ったほうが良いという
彼女の問いかけが、シンプルで訴える力がある。
・補助脳としてのパソコン
・フォトリーディング、親指シフト、マインドマップなど、じぶんなりのOSを整え
・アナログとデジタル入力のバランスを使い分け
・マスメディア情報を減らし、実体験、他者体験、良書を三大情報源とする。
・自分以外の感覚器、特に耳をもっと活用する
・そして睡眠はよくとり、運動をよくする
だいたい、これにブログや日記、メモをよく取ること、これが言いたいことである。
大部分が進学にエネルギーの大部分の人が取られているとき、このような合理性で自己研鑽に
勤めれば、そこそこのことが出来ることだ。
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2007年02月16日(金)
2145, 「狂い」のすすめ −2        才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*)                              
 この本は「世間」に対する私の鳥瞰視と同じトマリ木の目線である。第一章の「狂い」のすすめは、
「世間を幻覚と割り切ること。その為に自分を狂者と割り切ってしまえばよい。世間は狂っているのだから、
そんなものを元々相手にしなければよい。」私自身の人生を振り返ると、「狂」が一つのキーワードであった。
狂を演じてないと、事業など立ち上げることができない。現状否定が事業の立ち上げの切り口であるからだ。
その辺の二代目が、その「狂」を冷笑しているのをお笑い芸人の目で、その反応を計算している自分の様も面白かったが。
現在もそうである・・。いや、狂いが目立たなくなったということか!定年を迎えようとしている男が急ごしらえの定年後の準備を
始めている様はコミックといえばコミックである。「狂」になって一度自分を破壊しないと、定年後の第二の人生の構築はできない!
その意味で、この本は彼ら向きなのだろうが、はたして理解できるか?この本では「狂者の自覚」という表現をつかっているが・・・
それまでの人生観を根こそぎ疑って、新しい人生観を構築しないと!それが第二の人生である。
この無自覚な連中を集めて商売にしようと目論んでいる人がいるが、その悪臭は自分では分からないだろ。
でも、その人たちに目先の安らぎを与えるどこが悪いか! という論法も成り立つが! どうでもよいことか。
 この本の中で一番気に入ったのは、ーカタツムリからナメクジへー というところである。
*そこを抜粋すると*
「カタツムリが旅に出て、ナメクジになって帰ってくる」私たちは常識や既成概念、世間の物差しを持っています。
そういう殻を背負ったカタツムリが旅をするのは、そうした殻を捨てるためです。殻を捨ててナメクジになって帰ってくる。
そうした気持ちでする旅こそ、最高の旅である。たとえば、インドの貧困だって、貧困を悪いものだとみるカタツムリでなく、
貧困もよいものじゃないかというナメクジの目でみることができれば、素晴らしい旅になるはずです。
 インドの子供の裸足を見て「かわいそうに・・」と思うかもしれませんが、「裸足のどこが悪いんだ、上等の靴を履かされて、
重い鞄を持って塾通いと、裸足でのびのびと遊んでいるインドの子供と、どちらが幸福なんだ・・・?」とね。
もう一つは ーついでに生きているー である。「‘人生なんぞ無意味である'と言うのであれば、なんでお前は生きているのか?
それなら、生きている価値がないじゃないか」と言うが、その反論として「人生に意味がないなら、自殺さえ必要ないじゃないか」
と反論していた。そのうちにうまい言い方を考案しました。それは、人間は、−ついでに生きているーという言葉です。
人間に生まれてきて、生まれたついでに生きているだけだ。 別段、それ以上の意味はない。
人生に意味があり、目的があるとしたら、私たちはその目的に向かって邁進したくなります。
そうすると、競走馬的な人生になってしまいませんか。
 −−
まあ、一日一日を切断して、その一日を「日々是好日」と楽しめということだ。
二度とない人生、そして一日である。著者こそ、実際は逆に生きてきたし、現在もそうだろう。
(字数の関係でカット14年02月16日)


4720,シェールガス革命 ー1

2014年02月15日(土)

 数年来、アメリカのシェールガス革命がマスコミで取り上げられた。アメリカ国内で格安のシェールガスが生産され、
エネルギー確保のための原油輸入から解き放された。その反面、恩恵を受けていた中東やロシアが、原油価格は下がり
続けることになり、世界のエネルギー市場の構造は一変すると予想される。しかし、地下水などの環境汚染問題が出て
きている。何事も負の側面は付いてくる。 ーあるレポートが、その辺りを詳しく述べている
   * シェールガス革命がもたらす、5つの大変化  ー泉谷渉
《 現在、アメリカを中心に起こっている「シェールガス革命」は100年に一度の大変化と言われている。
 それはこの変化が単なるエネルギー分野における変化にとどまらず、産業、社会、政治・外交など
あらゆる分野に及んでいくことが予想されているからである。それゆえに「革命」と言われるのだ。
では、今後、シェールガス革命が本格的に進行していくことで、具体的にどのような変化が起こるのだろうか。
次の5つの点を中心に、この大変化の行方を読み解いていきたい。
 シェールガス革命で起きる「5つの大変化」
1)アメリカ経済は金融、製造業ともに復活し、世界経済をリードし続ける
2)シェールガス革命に伴う大規模投資で、日本の技術力が必要不可欠に
3)資源価格の下落によって、国際関係のパワーバランスに大変化が生じる
4)エネルギーコストの大幅下落で、航空産業が飛躍的に成長する
5)エネルギーコストの下落は製品価格を押し下げ、デフレが深化する 
 まず、安価なエネルギーを手に入れたアメリカは、急速に経済を復活させるに違いない。
現在、アメリカはいくつもの大型のガス火力発電所を建設し、電力会社の統合を進めるなど、
シェールガス社会へ向けての産業シフトを急ピッチで進めている。 》
▼ 以前ほど原油価格にマスコミが敏感でなくなったのは、このため。また急遽、ロシアのプーチンが北方領土などで
 軟化をしたのは、日本にガスを売りたいため。日本の近海にも世界有数のメタンハイドレート埋蔵量を持つとされる。
本州、四国、九州といった西日本地方の南海トラフに最大の推定埋蔵域を持ち、北海道周辺と新潟県沖、南西諸島沖にも
存在する。日本海の尖閣・竹島を始めとする領土問題は日本海側のメタンハイドレートが目的とされている。
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4353, 書くことが思いつかない人のための文章教室  ー5
2013年02月15日(金)
            
   * 「人プラス物」で書こう!    「書くことが思いつかない人のための文章教室」近藤 勝重 (著)
≪ 描写力の持つ伝える力やイメージを喚起する力を、さらに高める手立てとして、「人プラス物」で書くのがあります。
 具体的な描写の大切さはすでに説明しましたが、その描写の中に人と物をうまく取り入れるだけで、その場面はさらに
くっきりと浮かび上がります。物は広く考えてください。事物ととらえていただいてもけっこうです。
より伝わる文章表現は「人プラス物」です。 ・・・ こんな川柳があります。
   歯ブラシはそっと寄り添うケンカ後も
 夫に先立たれた奥さんはこんな句を詠んでいます。
   夫逝きなかなか減らぬ歯磨き粉
 ぼくは津村節子さんの短編『遍路みち』のこんな場面を思い浮かべていました。
洗面所のコップの中の二本の歯ブラシを見ると、一本も虫歯のないことを自慢していたことを思い出した。
夫の母親が、おまえは口もとがいいね、と言っていたという話をからかいながらロにすると、かれはふざけて
ロ角を少し上げて笑ってみせた。育子はその笑顔を思い出して鳴咽した。「夫」は四年前に亡くなった吉村昭さん、
「育子」は著者自身でしょう。身近な人の死は新たな形を持ってやってくると言いますが、それは物と一緒の場合が
けっこう多いんですね。  こんな川柳もあります。
   亡夫の靴へふと足入れてみたくなり
靴底に足を入れていく感覚から悲しみの深さが伝わってきます。「人プラス物」は伝える力をいかんなく発揮する。
その靴ですが、奥さんをガンで亡くされた国立がんセンター名誉総長である垣添忠生は著書『妻を看取る日』の中で、
ありし日の一日をこんなふうに描いています。
 【病室では妻に少しでも明るい気分で過ごしてもらおうと気を張っていたが、病院から一歩外に出た途端、動き続けている
世界に一人でいることになるのだという言いきれない孤独感に襲われた。師走を迎え、買い物客でにぎわう銀座通りを一人歩く。
まわりの人はみな幸福そうに見えた。私のように、心の中に嵐が渦巻いている人もいるというのに……。雑踏の中に身を置くと、
自分のまわりにだけ冷たい風がまとわりついているような気がした。そんなとき、よく立ち寄った病院近くにある帝国ホテルだ。
その地下には靴磨きコーナーがある。そのベテランの職人さんの仕事ぷりを見ながら、たわいのない会話を交わすと心が和んだ。
靴革は見違えるようなツヤを取り戻した。】
 ▼ 文章に、その時々の物を意識し持ち込むと心の状況が鮮明に浮かび上がってくる事例である。納得である。
  金沢のどん底時代の気持ちを表現するに、「私の供は学生時代から使用していた布団と、20冊ほどの愛読書と、
  木製の組立本棚と、机と蛍光灯だけ。二人部屋の同室の男は二つ年下の同窓の大学の男だが、何か軽く生活観がない。
  同期生は12名。」と表現すれば当時の状況が現れ出てくる。 ただ、「気持ちはどん底」の一言より、文章に幅が出る。
  物と状況の描写は、それだけ重要になる。12年も書き続けてきて、この程度のことすら知らなかったが、量を書いてきた
  からこそ気づくこと。毎日が気づきと驚きの日々である。すべからく人は無知で涙を流す。「人プラス物」に、僅かな金か〜 
・・・・・・
2012年02月15日(水)
3978, よかまん
   * よかちん節
 学生時代に早大を中心にした学生寮にいたこともあり、三ヶ月に一度の割合で、何処かの部屋で
数人が集まり飲み会が開かれていた。 そこで興に乗ると出てくるのが、よかちん節か、数え歌、そして終は肩を組んで、
「琵琶湖周航の歌」か「知床旅情」で終る。 よかちん節を初めて聞いたというか、見た時には、ただ驚いた。 
私が一番親しくしていた早稲田の男が、やおら下着になって一升瓶を股間に挟んで、奇妙な振りで数え歌を歌い踊り始めた。
実家が商家だったこともあり、年に二回は宴会が行われ宴会芸の際どいのを見てきたが、これほど露骨で面白いのは初めて。
そんな遥か彼方の記憶が浮かんだのは、先日、図書館で借りてきた「‘11年版ベストエッセイ集’人間はすごいな」の中の
『よかまん』の文である。「よかちん」芸は東京芸大の宴会芸が出どころとか。 その、さらに元は九州らしいが。
「よかちん」でなく何故か「よかまん」とあったので不思議と思いつつ読んで、仰天である。 
次回から、少し長いので数回に分けて紹介するが、ベストエッセイに選ばるに、ここまでやらないと無理。
 そのまえに、ネットで調べた「よかちん節」から・・  下品で、猥雑なのは勘弁を!(二段目から参加者全員がはやす)
ひとつ 一つひねってよかチンチン     よか よか よかよかよかよか よかチンチン
ふたつ 二つ振ってもよかチンチン     よか よか よかよかよかよか よかチンチン
みっつ 三つ見つめてよかチンチン     よか よか よかよかよかよか よかチンチン
よっつ 四つ よっぽどよかチンチン    よか よか よかよかよかよか よかチンチン
いつつ 五つ いつでもよかチンチン    よか よか よかよかよかよか よかチンチン
むっつ 六つ むしってよかチンチン    よか よか よかよかよかよか よかチンチン
ななつ 七つ なめてもよかチンチン    よか よか よかよかよかよか よかチンチン
やっつ 八つ やっぱりよかチンチン    よか よか よかよかよかよか よかチンチン
ここのつ 九つ こすってよかチンチン   よか よか よかよかよかよか よかチンチン
とお  十で とってもよかチンチン    よか よか よかよかよかよか よかチンチン
 ▼ 書き手は芸大出身の美術家で、その個展に、これを・・ とにかく面白いエッセイ。次回を楽しみに!
  ・・・・・
3613, 旅ばなし 小題
2011年02月15日(火)
  * マッターホルンの登山ツアー
 先日、BS/TVでマッターホルン山頂の登山ツアーを放映していた。それもNHKの女性ディレクターが、それにチャレンジをする内容。
ここはアルプスの中で最後まで登山を許さなかった標高は4478メールの魔の山。140年前に初めて英国の7人の登山家によって征服された。
しかし下山の途中に4人が足を滑らせて死んでしまった。その山頂へ地元のプロ登山家のガイドが先導して登る内容を克明に記録した内容。
もちろんクライマーは経験者で、登山前に近くの山頂へのロッククライミングで、その人の能力がガイドによって試され、合格者のみが
登山が許される。コースは決まっているので何組も同じコース登っていたことには驚いてしまった。もちろん、一つ間違えば滑落して
死んでしまう。頂上には、登って休んでいる先着者が何組かいて、そのパラダイスを眺めていた。そのガイドは70回以上登っているという。 
その頂上から見るパノラマの素晴らしいこと、この上ない。スイスには三回行っているが、学生時代の車窓からみた景色の美しさは
今でも忘れることが出来ない。スイスツアーにトレッキングのコースもあるが、山は、その時の天候で大きく左右される。 
外れたら、山頂からの景色は霧一色で覆われて何も見えないリスクが伴なう。近くの丘のビューポイントからのマッターホルンは絶品。
天候に恵まれた場合になるが、スイス山岳ツアーはお勧めである。ここと、カナダのロッキー、ヒマラヤ、
北スペインのピレーネの絶景は、深く心に刻みついている。  一度行ったところは、TV放送で再び楽しめるからよい。
 ・・・・・・・
3248,  閑話小題 
 2010年02月15日(月)
 * 力量と品格
朝青龍の引退について、少し前になるがNHKで特別番組を組んでいた。その中で「強さが抜群だが、品格に問題だが、
その品格というのが、いま一つ分からない」と、解説の元横綱の北の富士が話していた。「国家の品格」という本もあり、
それについて書いたことがある。「知識とか経験の裏づけから滲み出る人間性」と、私は理解している。その番組で、
北の富士氏は「一般にいう常識を守ること」と述べていた。一般でいう常識とやらも何だか分からないが、知識の裏づけのない
常識ほど己を抹殺してしまうものはない。大相撲は品があっても、強くなければ誰も認めない。強い上に、神秘的な綺麗なオーラ
みたいなのが出ているイメージを品格というのだろうか。 相撲は、神事に後に余興で力比べをしたことから始った。 
儀式の一つだから、歌舞伎みたいな神秘を保っていなければならない。
それも、その最高の位にいる横綱は神秘的イメージも必要というのも理屈である。
  * その人物を知るには
その人物を知ろうとしたら、
・子供時代に、どんな環境に居たか ー家族構成と自分の立ち位置(長男、次男・・・・)
・学生時代など、青春時代に何を求めていたのか? 更に人生に何を求めたか、
・何を恐れ、何に笑い、何に怒り、何を喜び、何を悲しんだのか、
・何の仕事をしてきたか、
・仕事以外のときに何をしているのか、
・誰を愛してきたか、
・それぞれの時代の友人は、どんな人だったか、  
・奥さんが、どういう人か、子供がどのような人物に育っているか、
・本棚には、どの本が並んでいるか、
  人生を振り返れば自分の外枠が見えてくる。
・・・・・・
2873, 成長モデルから 脱成長モデルへ  −1
 2009年02月15日(日)
 「もはや成長という幻想を捨てよう」ー佐伯啓思  
 中央公論 08年12月号が、なかなか説得力のある内容であった。   
  ーまずは、そのいくつかを抜粋してみる。                    
「今回の経済危機の原因は長期的に見ると、20世紀を通じて続けてきたアメリカ型資本主義による経済発展の行き詰まりである。 
資本主義の本質は、物的生産力を無限に拡張していくことにある。だが先進国では70〜80年代に社会が成熟段階に達してしまい、
人々がさほどモノを欲しがらなくなった。その結果、製造業に投資しても大きな利潤が出ないので、余ったカネを金融市場に集めて
バブルを常に起こすことで、経済発展をしてきた。人々が高いお金を払ってまでも手に入れたいと思う『モノ』がもはや亡くなりつつある、
ということであろう。だからそ、製造業は、過酷なまでの価格競争によって、価格を下げるほか無いのである。・・・
今日、『経済活動の過剰』という問題に真っ正面から取り組むべきではなかろうか。確かに、今日、資源はますます希少となり、
食糧も希少化しつつある。食糧の奪い合いが始まろうとしているし、アメリカ人は借金をしてまで貪欲にモノを買い続けている。
人間の欲望は無限であり、モノは有限である。」
  ーー
「グローバル化の第2の波である帝国主義の真相を、英国の経済学者でえあるボブソンは恒久的な消費の低下にあると見ていた。
・・・ ケインズこそ、現代資本主義の最大の問題を消費の低迷に見ていたのである。かくも豊かな社会が到来すれば、人々はもはや
その関心を『モノ』には向けなくなるであろう。その結果、消費は低迷し、それが資本主義の長期的停滞をもたらすだろう、というのが
ケインズの予想であった。『豊かさの中の停滞』である。豊かさのまっただ中でこそ資本主義は深刻な問題を生み出す、というのである。」
  ーー
「『貧困への恐怖』と『豊さへの渇望』がもはや経済活力の源とならない。・・・もしそうだとすれば、規制緩和や
市場競争促進政策は、いっそうの生産能力過剰をもたらすだけのことであり、それに伴う有効な需要の伸長がないとすれば、
よほど無理なコスト競争、価格競争をしなければ企業は存続できないであろう。
(以下字数の関係でカット 12年02月15日)
・・・・・・・
2008年02月15日(金)
2508, 世界をだました男
 「世界をだました男」 (新潮文庫)    ー読書日記
             フランク アバネイル (著), スタン レディング (著),
以前にビデオレンタルで借りてみたが、あまり印象に残っていない。先日たまたま図書館で借りてきた後に、
アマゾンの中古本を買って読んだが、なるほど面白い!殆どが実話というが、さかりのついた男の
あの手この手の必死さが面白い。色いろな示唆のある内容で満ちている。
この内容の概略をまとめるだけの価値はある。生粋の詐欺師の話として割り切って読むと面白い。
政治家は、この手の詐欺師まがいが多いのは見ているとわかる!
ーー
6歳から21歳までアメリカやヨーロッパで詐欺を繰り返して二百五十万ドルを荒稼ぎだした。
連邦刑務所で服役後、数々の職業を経て、その手法を逆手にとって詐欺対策コンサルタントに。
 (以下字数の関係でカット 09年02月15日)
・・・・・・・・・
2007年02月15日(木)
2144, 「狂い」のすすめ −1        (~Q~;)  おはよう〜〜ファ〜  サム!
 閑吟抄の中の、「ちろリ ちろり ちんちろり ・・・・一期は夢 ただ狂え」
 を切り口に、世間に縛られないで 自由に生きなさい!と論じている。
 まさに何時も、ここで書いていることである。私にとって、今ひとつ物足りないところがあるが、
 団塊の世代のマニュアル人間が定年を迎えようとしている現在、丁度良い内容である。人生に意味など無い、
 生まれ、飯を喰って、くそをして、死ぬだけだ。 あるのは「いま ここ」だけ! 
   ーまずは、その概要からー                    ー読書日記
                   著者:ひろさちや :集英社
 世間や常識の奴隷になるよりも「ただ狂え」。狂者の自覚を持つことで見えてくることとは…。
 人生に意味を求めず、現在の自分をしっかりと肯定し、自分を楽しく生きようと呼びかける。
   ー表紙裏の内容紹介ー
 今の世の中、狂っていると思うことはありませんか。世間の常識を信用したばかりに悔しい思いをすることもあるでしょう。
 そうです、今は社会のほうがちょっとおかしいのです。当代きっての仏教思想家である著者は、だからこそ「ただ狂え」、
 狂者の自覚をもって生きなさい、と言います。そうすれば、かえってまともになれるからです。
 人生に意味を求めず、現在の自分をしっかりと肯定し、自分を楽しく生きましょう。
 「狂い」と「遊び」、今を生きていくうえで必要な術はここにあるのです。
−面白そうな所を何箇所か抜粋してみた-
*『人生に意味なんてありません。「生き甲斐」なんてペテンです。』
*「日本人は人生を知りません。人間らしく生きることができず、エコノミック・アニマル、
  すなわち畜生の生き方をしています。日本人は狂っているのです。」
*「上等の靴を履いてぶくぶく太った日本の子どもと、裸足でやせたインドの子どもと、どっちがまともなんでしょうか!?
  そして、どちらが幸せでしょうか!?  わたしたちの『常識』『物差し』は狂っていませんか!?」
*「ともあれ、遊牧民族は、敵と味方をはっきり分けて考えることができます。 だから楽なんです。 ところが
  われわれ農耕民族の末裔である日本人は、敵か味方かわからない世間を相手にせねばなりません。それがしんどいのです。」
*「浄土経典である『大無量寿経』においては、《人、世間の愛欲の中に在りて、独り生れ、独り死し、独り去り、独り来る》
  と言われています。 この「独生・独死・独去・独来」が人間の本質なんです。」


4719,「余命3カ月」のウソ  ー3

2014年02月14日(金)

   * 苦しみ抜いて死に至るがん治療       ー「余命3カ月」のウソー近藤 誠 (著) 
  著者は、現在のがん治療は拷問するために生かしておくようなもので、角を矯めて牛を殺す喩えそのもの。がんを
治そうとして本体を痛めつけ、死に至らしめる危険が大きい。 ー以下は、その典型。知り尽くしているのに、であるー
《 名誉総長はこう語っています。{妻は抗がん剤のつらい治療も受けてくれました。1回目はマーカーが下り、喜びました。
しかし、2回目からは効果がなく、副作用ばかりが出てきた。薬を代えたのですが、今度は口内炎、食道炎がひどく、食べる
のもつらそうで、かわいそうでした。医師も転移したリンパ節1個は治せると思っていたはずで、前向きに治療していました。
しかし、最後は敗戦処理のような感じにもなりました。抗がん剤の効果を本当は信じていなくても、前向きに闘いたいという
気持ちでした}。妻が余命3ヶ月と思われる時期を迎えても、「緩和ケアのことは考えませんでした。迷うことなく再入院し
治療を」と、玉砕しか考えていない。ふともらした「敗戦処理」「抗がん剤の効果を本当は信じていなくても」という言葉に、
がん治療の恐ろしさが集約されています。医者はこのように「がんと闘う」の一点張りで、効果を信じてもいない残酷な治療を
患者に次次へと平気で押しつけるのです。患者がどれほど苦しみ、弱っていようと。がんセンター名誉総長の妻は一度だけ
「こんなつらい治療を受けたのは、あなたのためですよ」とつぶやいたそうです。・・・ 》\ |(○.○) )/ |: | すぐ..
▼ 老人ホームの専門医の中村仁一が、「ホームでの放置患者は、ほとんど苦しまず亡くなっている」という事実が、
 上記の名誉総長の妻の悲惨さの逆を物語る。私の父がスキルス性胃がんになって、余命半年〜一年と身内に宣告された。
そこで当時名医といわれた東京女子医大の中山教授に執刀してもらったが、一年で亡くなった。 父は亡くなる直前、
「あれほど苦しむなら、死んだ方がまし、同じならしない方が良かった!」と、こっそり私に打ち明けた。
死ぬ間際の肉体的苦痛は、それは酷く、「結果はどうであれ、モルヒネをうって苦痛を止めてくれ」になっていた。
 がん死か、痴呆老人になって紐に繋がれ死んでいくか、どうするか?と言われたら、私は前者の選択になる。゚ ρ ゚ )ポカ〜
酒の飲みすぎの罰として、モルヒネの効きは飲んだ量に比例して悪くなる。 神は生きていたくなるほどの苦痛を与え、
天に召されるようだ。だから生きている内、五感と肉体がしっかりしている内、楽しめる内に、積極一貫に生きるしかない。
 成るほど、後ろに感じた死神が、そろそろ横並びになり、数年後は正面から? 死ぬべき時には死ぬが良い!ということ。
・・・・・・
4352, 書くことが思いつかない人のための文章教室  ー4
2013年02月14日(木)
          「書くことが思いつかない人のための文章教室」近藤 勝重 (著)
   * 独自の視点の手立て ー納得/共感/驚き・不思議
 以下は、著者が新聞や雑誌の切り抜きを、「なるほど、納得したり、そう、そのとおりだ、と感じ入って共感したり、
そんなことができるんだ、と驚いたことなど」を、納得/共感/驚き・不思議三つのファイルにした中から選んだ抜粋。
分かりやすく納得する。
≪  ’柴澄 写_莢函黒鉄ヒロシー  たとえば酒場で男女が別れ話をしていて、どっちの話を聞いても真実がわからない。
 そこにバーテンダーが、「2人ともバカなんですよ」と言われて問題がす〜と氷解することがある。
 取り入れなければならないのは、このバーテンダーの視座でしょう。
  ◆ゞΥ供  璽曠好團弘紂ζ善平福次 ‘常生活ほど幸せを作るものはない。 勤務医のころ、
「死の前にしたいことは何ですか」と聞いたら、「道を歩いてみたい」と言った女性がいたんです。きっと素晴らしい道に
違いない、とついていったら、ありふれたアスファルト道路。右に曲がると、スーパーがある。いつもの買い物をして
ご主人の酒のつまみを作る。日常が命を支えてるんです。
    ーエッセイスト・岸本葉子ー  覚えている景色があります。手術して一年もたたない夏の日、マンションの
猫の額ほどの庭に下り、草むしりをしました。汗をかき、終わってきれいな庭を見たらとても満足感がありました。
草むしりとがんは直接関係ありません。しかし、その時「ストレスの原因を取り除けなくても、スーレスを軽減することは
できるのではないかと思いました。」
  驚き・不思議  ー明治大学教授・諸富祥彦ー (若いころ、ドン底の気分で、電車にび込みそっになった。
どうして思いとどまることができたを自ら語って)心理学を勉強していてよかった。脱同一化という手法です。
一歩下がって自分を眺める。 例えば、「死にたい自分はそこ、私はここ」と、大きな声に出して言うのです。≫
▼ 「独自の見方」も3つに分類しておくと、自然とテーマが浮き上がってくる。 驚き・不思議の意識を持ち世界や、
 ネットを見れば、数限りない情報が広がっている。そして、共感し、納得する。 驚き、感動する心こそ最重要になる。
 「納得/共感/不思議・驚き」のキーワードを頭の棚につくっておき、目にふれた情報を、メモするか、切り取り、
 ファイルすれば、テーマのネタ探しのベストの習慣づけになる。
・・・・・
3977, 人生を振り返る時節に
2012年02月14日(火)
 還暦を過ぎて60代の中半を越えて、そろそろ人生の整理に入る時節になってきた。
一年近く前に会社も倒産し、いやが上でも事業も終えてしまった。後悔も、未練も全くないのが自分でも不思議である。
しかし時間に余裕が出来、気持ちも落ち着いてきた現在、人間は時代の波に漂う存在でしかないことに思いやられる。
 出身の長岡市が生まれる直前に戦災にあい、両親も含めた我家の全て焼け出された。 子供の頃の記憶は3歳位から
始まるというが、私は生後三ヶ月あたりから始まっている。 大人数の中で育ったこともあるのだろう。
長岡の商店街の真っ只中で何時も独りで遊んでいた。その習性が、そのまま現在に至っている。 
幼児の頃から住み込み従業員と10人の家族の中で、常に周辺の人の顔色を窺っていたが、それが刺激的であった。
そして年齢を重ねるのと同時に、経済が成長していく右上がり社会で、その豊かさを享受してきた人生だった。
それも20年前のバブル崩壊で、一挙に右下がり経済になり、それと正比例した引き潮に私の事業も浚われてしまった。
それでも66年を振り返れば、ベストの時代に生きることが出来たと両親に国家に天(運命)に感謝している。
 人生の満足度では90点以上である。しかし振り返るとフラッシュのように恥ずかしい場面が次々に思い出される。
それでも嫌なことより、良いことが数倍あった実感が気休めになる。 時代と家庭に恵まれて、社会に出てからも
独学を続けてきたこともある。 で、これだが問題はこれから。 老齢は、おのずから病気、老い、死の問題が
背後から追い越し目前に突きつけられる。 自然と気持ちが暗くなり、慢性老人性鬱症が付きまとう。
初老の心象風景とはこんなものかと思っているうちに、中老になっていく。人生それぞれの年齢の心象風景は、
それなりに微妙な味がして面白い。 やはり、読書と芸術と自然に深く触れることが晩年の味。人生万歳である。
・・・・・・・
3612, 無縁社会
2011年02月14日(月)
       「無縁社会 〜新たな“つながり”を求めて」 NHKスペシャル 2月11日
  =内容=
‘社会に居場所がない’―― ‘無縁’となる人たちは高齢者だけでなく、すさまじい勢いで低年齢化し、
日本列島に無縁社会が広がっている・・・。「未婚で高齢の親と同居しています。私も無縁死するかもしれません」
「介護で仕事をやめざるをえなくなりました。日々、自分は無縁だと感じます」。無縁社会の放送を見てNHKに寄せられた
一万件を超える声。 多くは20代から50代の働き盛りの世代からだ。未婚、離婚、失業、職場での人間関係の希薄化。
若い世代を無縁社会に引きずり込むきっかけはあらゆるところに転がっている。 この世代に広がる自殺や心中。
無縁化した若者たちが社会での居場所も、自分の存在意義も見失い「無縁死せざるをえない、無縁死してもかまわない」
と考えるようになっている深刻な現状が浮き彫りになる。 ‘心の居場所’を作りたい――無縁化した人たちが再び、
社会とつながるための様々な試みを通じて、無縁社会を乗り越えるための処方箋は何か、解決の道筋を模索していく。
 ▼ この金・土曜日の二日間にわたり、ゴールデンタイムにNHKで放送されたが、考えさせらる内容だった。
 知人に孤独死で亡くなった人がいたが、これは誰もが今後起こりえる問題。 ここでは、正社員をやめさせられ、
非正規社員をしながら食い繋いでいる中年に差し掛かった人たちの姿を追っていた。 また自分が社会から
必要とされてないのでは?という挫折感が心底の重しになっている。 「縁」という言葉は日本特有の言葉。
一神教の世界では、絶対神 X を発明し、常に祈ることで神様と共に生きている。 聖書が常に傍らにあり、
休日には教会に行けば、そこには信者仲間がいる。しかし日本には身近な周辺の因縁社会が、その役割を果たしてきた。
しかし最近ではプライベート的には、会社も、近所の人たちとの関わりあいが希薄なってきている。 一度、正社員から
非正規社員になると、社会との関わりが更に希薄になる。その中で縁を作るのも並大抵でない。
一神教徒からすれば、その辺がリアルに見えてくる。 しかし、彼らの切実な叫びから聞こえてくるのは凍り付く孤独感。
ふと孤独死をした知人の魂が「御前さん分かるか、この気持ち?」と語りかけてきた気がした。が、最期は誰もが独り死ぬ。
仏様の像の小指と死にいく者の小指に赤い糸を結んで見送る風習があるが、やはり最後は神様しかないのか。
 そういえば無縁墓を両親に頼まれて、毎年、ひとつお参りしているが・・・ 
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3247, 時事放談
 2010年02月14日(日)
  アメリカの露骨な日本タタキが始った。小沢、鳩山の次はトヨタのバッシング。国内でも時を待ったように
 プリウスが槍玉に上げられた。アメリカにとって丁度良いネタ。次はドル安、円高圧力の再開である。 日本を揺さぶるなど朝飯前、
 次は年度末にかけて株式あたりの揺さぶり。アメリカの海外に向けての揺さぶりは北朝鮮かイラン。中国も上海万博までは景気を
 維持するだろうが、その後の反動期に狙われる。中国人は「流砂の民」。まとめようとしても 指の間からサラサラと落ちてしまう。 
 大きな権力で枠組をつくっておかないと体制は崩れてしまう。しかし20数年続けてきた「一人っ子政策」のプラス面もある。
 下々は底から這い上がりたい一心に両親が二人がかりで全エネルギーを注ぎ込む。 本人は堪ったものではないが、エネルギーが
 集中されるから教育効果は大になる。日本は、その間にアメリカの骨抜き政策の効果で「ユトリ教育??」が完成。 
(字数の関係でカット2012年02月14日)
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2872, 貧困率 
2009年02月14日(土)
 最近になって、「貧困率」という言葉が話題になることが多い。
 −そこでウィキペディアで調べてみた
  貧困率は、「絶対的貧困率」と「相対的貧困率」とに大別される。
・絶対的貧困率
 当該国や地域で生活していける最低水準を下回る収入しか得られない国民が全国民に占める割合の事。
 相対的貧困率よりも実状を反映しやすいという特徴があるが、逆に言えば、「生活していける水準」を
 どのように設定するかによってさまざまな基準があり、設定者の主観が入りやすいという危険を持つ。
・相対的貧困率
 国民の経済格差を表す指標で、「年収が全国民の年収の中央値の半分に満たない国民の割合」の事。
 絶対的貧困率と違い数学的な指標なので主観が入りにくい。しかし絶対的貧困率と異なり国によって
「貧困」のレベルが大きく異ってしまうという特徴を持つ。この為裕福な国Aにすむ人が
 相対的貧困率の意味で「貧困」であっても、貧しい国Bにすむ人々よりもずっと豊かな暮らしをしている、
 という事もありうる。よって相対的貧困率は「貧困率」という名前であるが、貧困を表す指標と
 とらえるよりも国民の経済格差を表す指標ととらえたほうが正しい。
 −−以上だが、貧困率がアメリカは17パーセントに次いで、日本は15パーセントの二位。
 アメリカでは黒人・ヒスパニック系が25〜30パーセントに対して白人は10パーセント。
2000年には日米ともに13・5パーセントだったことから、その数字はジワジワと上がっている。
社会保障の行き届いている北欧はわずか5〜6パーセントからみれば、異常な数字と見てよい。
現在の日本の平均収入が307万円だから、大よそ150万がラインだが、実際には月15万×12ケ月=180万辺り。
総中流時代という言葉が懐かしい時代になってしまった。「ゆとり教育」の世代が社会の中核になってきたが、
ますます貧富の差が大きくなる要素が増えてしまった。 とはいえ社会主義政策の結果の総貧困社会も困る。
社会主義者は現在でも、やり方が間違っていただけと言ってはいるが・・貧困の恐怖が人間のエネルギーの元になってきたが、
それさえ感じられない世代を「ゆとり教育」が作りあげてしまった。結果として、能力カースト制度を子供時代から
作り上げてしまった罪は大きい。国が衰える背景には、マイナスの重なりがある。情報社会は、格差の実態をアカラサマに
露出するから鬱積が溜まり爆発するのである。自由主義の拡大は、結果として豊かになる自由もあるが、貧困になる自由もある。 
「自由、平等、博愛」は人類の永遠のテーマである。 これも動物である限り共同幻想ということ?
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2008年02月14日(木)
2507, 地頭が良い人       b(’0’)d おっ w(゚Д゚)w ハァ?
 私の知人に何人か、地頭の良い人がいる。本人も自身の地頭の良いことを自認している。これは学歴の高低ではなく、
彼は常に何かを目標を立てて、ポイントを把握して、最重要順に実行する手順に入る習性が身についている。
人生の節目を知っており、その時節には自然と変身を始めている。こういう人は、人の話を良く聞く。そして、その話(情報)を、
己の言葉に置き換え行動の手順に置き換える。小林秀雄の「無私の精神」という文章に行動家の精神パターンを書いていた。
行動家は無私の精神構造になっていて、全てを知った上で、己を抑え目標を達成する。ある意味で、それをゲーム化をして楽しむことの
できる人である。ところで、昨日の日経新聞の新聞広告に「地頭を鍛えるー問題解決に活かす『フェルミ推定』」−という本があった。
気になったので、アマゾンで内容を調べてみた。買うほどの内容ではないが、一応、概略を私なりにまとめてみた。
 ==
地頭力とは「未知の領域で問題を解決していく能力の事で、環境変化が激しい過去の経験が未来の成功を保証するとは限らない
現在において重要な 能力と定義される。まずは、IT化によって手軽な情報を安易に利用してコピーする『コピペ族』が
増加しているが、真に頭を使いこなす者は減少していると前書きで述べている。地頭力の本質は、「結論から」「全体から」
「単純に」考える3つの思考力である。すなわち「結論から」考える仮説思考力、「全体から」考えるフレームワーク思考力、
「単純に」考える抽象化思考力だ。地頭が良い人とは この3つの思考力は鍛えることができるものであり、地頭力を鍛える
強力なツールとなるのが「フェルミ推定」である。「シカゴにピアノ調律師は何人いるか?」。
こうした荒唐無稽とも思える問いへの解答を導き出す考え方のプロセスを問うのが、「フェルミ推定」だ。
「フェルミ推定」と呼ばれるのは、「原子力の父」として知られ、ノーベル物理学賞受賞者でもある、
エンリコ・フェルミ(1901~1954)に由来する。本書では、「日本全国に電柱は何本あるか?」といった例題や
その解答例から「フェルミ推定」のプロセスを紹介しつつ、「好奇心」「論理的思考力」「直感力」
という地頭力のベースとそれらのベースの上に重なる仮説思考力、フレームワーク思考力、抽象化思考力の3つの構成要素と
その鍛え方を解説している。」未知のテーマに向かうとき圧倒的に効率よく対処する方法、思考力を 鍛えるための方法、
仕事のアウトプットを増やす方法として大変参考 になる。特に「完璧主義」的傾向のある人はこういう現実的なやり方 もあるのだ
ということをインプットしておくことはきっと自分の能力 をさらに高めるきっかけとなるのではないかと。
地頭力とは「未知の領域で問題を解決していく能力の事で、環境変化が激しい過去の経験が未来の成功を保証するとは
限らない現在において重要な 能力と定義される。「フェルミ推定」とは 把握する事が難しく、ある意味荒唐無稽とも
いえる 数量について何らかの推定ロジックによって短時間で概数を求める方法です。
(字数の関係でカット2012年02月14日)
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2007年02月14日(水)
2143, さおだけ屋はなぜ潰れないのか?        オッ(*^○^*)ハ〜ヨウサン!
いつも本屋の平台にあったが、初心者用の会計本と何度か手にとってみたが、それ以上には興味の無い本だった。
ところが図書館でこの本を見つけたので早速借りてきて目をとおした。月に一度は土日に『毎度お騒がせのチリ紙交換です』という
替わりに『さおやー、さおだけー、たけやーさおだけ、二本で1000円のサオです。』とあいも変わらず聞こえてくる声がある。
何をしているのだろうか?と誰もが思うのが当然である。この種明かしは簡単である。金物屋が、副業で暇な時間を
見つけてテリトリーの中を、在庫原価をゼロに落としたサオをアタカも専門店のようにしてマイクで走るのである。
そのサオ屋は情報収集をしているのである。
  (字数の関係でカット2009年02月14日) ホンジャ  ヾ(*´▽`)ノ=з=з=з  バイバイ!


4718,「余命3カ月」のウソ  ー2

2014年02月13日(木)

   * 5年生存率と、20年目の転移・再発       ー「余命3カ月」のウソー近藤 誠 (著) 
 近藤誠と中村仁一の主張、知れば知るほど納得する。【 悪性ガンは治らない。ならば手術も抗癌剤治療は不要。
いい加減な余命期間は聞かないこと。健康診断などしない、どのみち結果は同じである。現代医療を盲信するな。
そういわれれば思い当たることばかり。  ーその辺りをまとめてみるー
・スーちゃんこと、タレントの田中好子が、最初の手術から19年目に再発し、アッという間に亡くなったが、
 これは数百人に一人の特殊なケース。「5年生存率」とよくいうが、本物のがんでは、治療して残ったがんは
 2〜3年以内に検査で見つかり、亡くなるケースが多い。そのため、年で見つからなければ、大丈夫と言われる。
 がん細胞も冬眠するケースがあり、眠りからさめると性格が変わるケースがある。
・がんが消えたというのは、検査がズサンで、勘違いしたケースでしかない。
・食道がんは、手術による死亡が3〜10%もあり、鬼でも5年死亡率が50〜60%。この生存率は手術をしないのと
 同じで、手術は無意味。ということは、鬼以上なら手術をしない方がよいことになる。食道がんの死因は肺や肝臓など
 への転移によるものがほとんど。食道がんの全摘は、後遺症・合併症の多い手術で、術後ののダメージは非常に大きい。
・食道がん、胃がん、肝臓がん、乳がんのような固形がんのすべてに、抗がん剤はすすめられない。延命につながる
 実証がないのに毒性が強く、副作用に苦しむことになる。その毒性は老いるほど、喫煙経験があるほど、強くなる。
・転移が見つかった場合の術後の生存率は12%。なら、その時の手術はすべきでない。抗がん剤も同じである。
 以前、治療法が無かった時代には、どんな臓器のがんでも、死は穏やかなものだった。がんが恐ろしいと思われるのは、
 その治療のせいで、無意味な手術や抗がん剤治療がもたらす生き地獄が恐ろしいのである。
・リード・タイム・バイアスという言葉がある。例えば、6ヶ月の大腸などの悪性がんの生存が、CTスキャンなどで、
 早めに発見され、24ヶ月に延びたが、1センチのがんが8センチになるに18ヶ月かかるとすると、延命の新薬の
 効果に関係ないことが分る。医師は、見掛け倒しの延命を知っているが、誰も口に出さない。薬で売上を上げたいため。
・余命は、聞かないこと。当てずっぽうでしかなく、聞いた患者は、それに引き込まれ、その範囲で死んでいく。
 医師は患者と身内に短めに言っておけば、延びた分、喜ばれるため。
▼ 10数年来、中学、高校の同級生が数名、がんで死んでいるが、発見されて一年以内に亡くなっている。
 胃がん、食道がんは、白血病によるが、悪性は2年以内、1年が目処になる。原因は、ストレスによる飲酒とタバコ。
 還暦過ぎれば、この二人の説に従うのも一つの道である。色いろのケースがあるので、最後は自分の選択になる!
 良く生きるか、長く生きるか? 良く、長く生きたい!が、振り返れば、みな同じ。「ひとは先、我はあと!」
・・・・・・
4351, 書くことが思いつかない人のための文章教室  ー3
2013年02月13日(水)
              「書くことが思いつかない人のための文章教室」近藤 勝重 (著)
   * いい文章とは? そもそも文章を書くとは何?
 そう簡単に、いい文章など書けるわけがない。「自分が納得した文章を書き上げる」ことを心掛けた結果として、
時にまともな内容と思うことがある程度。 まずは何事も継続し量を書くしかない。そうすると本音が自然と出てくる。
一々飾らなくなるためだが、長年続けると建前で生きている人の心根の浅さが見えるようになる。本音を隠していると、
その本音が枯れ果てて、何時の間に「ゾンビ」になっている。ただの世間話しか出来ない夢も希望も知性のない人種。 
  ー次の内容が、文章の書き方について解りやすく述べているー
≪ いい文章とは? と問われても、そもそも文章って何なんだろう、文と文章とは違うのだろうか。・・
 文というのは一つのまとまった内容をひと続きの言葉で表したものです。多くは最後に句点(マル)がついています。
その文を、意味がわかるぎりぎりのところで短く区切ったものを文節と言います。文の間に「ネ」を入れてみればわかります。
 「的確な(ネ)表現の(ネ)文章を(ネ)書きたい」 これは四文節から成り立ちます。この文節でつながる文を二つ
三つと重ねて、自らがとらえた事象を考え、意見などを筋立てて書いたのが文章です。 
全体をたとえると、「いくつかも節のある一本の竹が文で、何本も集まって形を成している竹林が文章です」。
 その「いい文章はとは?」ですが、内容が的確に表現されているです。文章は、その人自身のものでなくてはならない。・・・
体験は単に身の上に起きた出来事ではありません。人間の意識が強く働いた結果なのです。そのときに思ったこと、考えたこと、
さらには織り成す感情とともに、大脳皮質の側頭葉というところに長期記憶として保存されます。文章を書く上でその記憶が
必要になると、やはり大脳皮質にある前頭葉が「こういう記憶を」とリクエストします。ですから、自分というパーソナリティを
形成している体験こそが文章の最も大きな源泉、おおもとでして、作文というのはそのおおもとから記憶化された自分自身を
引き上げて言葉にする作業にほかなりません。といってそれらはそのまま言葉になるというものではありません。第一、記憶自体、
大喜びしたとか大泣きしたとか、特別な出来事を除けばそれほど鮮明ではないでしょう。なかには部分的にしか浮かんでこない
ものもあると思われます。しかし体験も言葉もすべては自分の中にあるわけです。それを投げ出さないかぎり文章化は不可能です。
また文章は、自分にしか書けないことを、誰が読んでもわかるように書き直すことです。 ・・・ ≫
 ▼ 側頭葉残された「思い出」は、その人にとって意味があるから長期保存として残っている。だから、書き出せば、
  その意味の解明になるし読み手も面白い。記憶に残っているだけで意味があり、その人の本質が隠れている。
  文章を書くのは恐ろしく面白いのは、そのため。脳は物語にすると記憶に残るのは、筋書きを求めているため。
  で、こうして毎日、「あれこれ」を起承転結にして纏めている。 記憶にガラクタしか残ってないのは、どうして?
・・・・・・
3976, 閑話小題
2012年02月13日(月)
  * 冬は濁り酒と辛口の酒のミックスに限る
 二年ほど前から10月から3月にかけて、濁り酒と辛口の酒を一対一の混ぜ合わせて飲んでいる。
濁り酒だけだと甘過ぎ、かつ癖が強いので、何気なく紙パックの酒を混ぜてみたところ、これが良い。 
濁り酒は菊水酒造の「五郎八」(1980円)。辛口は全国ブランドの普通酒を混ぜ、燗にする。
これに水代わりでノンアルコールビールを一本飲む。 これで、かなりの酔いが襲ってくる。 
濁り酒も色いろ飲んでみたが、値段の割りに「五郎八」が美味い。 混ぜ合わせると水割りにしたように和らぐ。
慣れると麹の深みを感じる。 一挙に酔いが回るため、つい飲み過ぎることもない。3千円と千円の酒のミックスと、
二千円の酒は、どちらが美味いのだろうか? 以前、事務所の飲み残しの酒、何種類かを一本の瓶に入れて冷蔵庫で
寝かせて飲んだことがあるが、それが極上の味。「吉田類の酒場放浪記」という番組で、京都の居酒屋の女将が
色々の種類の酒をカメに入れて当店ブランドにしていた。 自分ブランドは一合パック二つを混ぜれば可能である。 
濁り酒と辛口酒のミックスは自分ブランド酒をつくっていたのである。 混ぜないで二つを交互に飲んでみたが、
辛口が負けてしまう。 ケチ臭い話だが、話題としては面白い? ホットビールとか、焼酎のビール割とか。
 ・・・・・・・
3611, 大相撲八百長事件 ー3
2011年02月13日(日)
 二人が勝ち負けを決する個人競技である限り、そして個人の意思が携帯電話やパソコンで簡単に行き来できる現在、
「八百長をするな!」という方に無理ある。 お互いに四つに組んだ時に互いの耳と口が至近距離になる。
そこで、20、30万と仲間同士の符丁を決めておけば、阻止など出来るわけがない。「自動車事故死が数千人もあるので、
自動車を廃止してしまえ」と主張するようなもの。まずは交通違反を止めろと言っても、これも無理の話。
八百長に関して、今回のように発覚したら厳罰を科せばよい。「八百長が絶えないから大相撲を公益団体を外してしまえ」
という論理に無理がある。この怪しげな興行世界が日本伝統のマイナーの側面である。これを解説者では一部の人しか主張してない。
だから、今回も、4人は追放、疑問のある10数名を三場所の出場停止をして幕引きをするだけでよい。
 日曜日の夕刻のお笑い番組の「大切り」は、作家がいて、そのストーリーにそって、落語家が珍妙なやりとりをする。
一時、週刊誌が、このことを槍玉に上げたが、メンバー全員それを否定したコメントをしていた。それは当然である。
160キロ平均もある鍛えぬかれた大男が、全力で15日間も続けてぶつかりあったら、どうなるか分かりきったこと。
幕内・数十人の閉鎖社会の中で勝ち星の貸し借りがあるのは当然で、それを含めて楽しむのが大相撲の面白味である。
だから、私は初日と千秋楽は幕下から見る。初日は貸し借りのない真剣勝負が見られ、千秋楽は出てくる互いの力士の
勝ち星を見て、暗黙のうちにドチラが勝つかを予測しながら見るのである。見る方も分っていて見ている。
私が知る限り、ほぼ100パーセント、貸し借りをしている。日本文化は談合世界の中で育ってきたのである。
 麻薬などで追放になった元外国人力士などから、多くの実話が出てくるのだろうが、交通事故に気をつけた方がよい。
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3246, 新・欝の時代  −2
 2010年02月13日(土)
  * 「うつ」9つの症状
 うつ病について何度か書いてきた。私は、うつ病は、普通の風邪や胃腸病などと同じで、精神も発熱したり、
傷口が化膿するのは自然であり、手当てをすれば治ると思ってきた。 知人に、重い躁鬱の人がいたが、
医者より私の見立てに信頼を置かれ、20年近く相談にのってきた。 数年前に癌で亡くなったが、
それは見ていても気の毒であった。「精神の束の大元が制御不能になってしまう」というのが、私の捉え方。
その時は病院に入るか静養をとって回復を待つしかない。 うつ病はれっきとした病気。
 うつ病は「気分がひどく落ち込んだり何事にも興味を持てなくなったり、おっくうだったり、なんとなくだるかったりして
強い苦痛を感じ、日常の生活に支障が現れるまでになった状態」。
この状態は、日常的な軽度の落ち込みから、重いものまであり、原因については諸々ある。
「 悲しくて苦しくて涙がこぼれ落ちそうになり、胸が強く締めつけられるような状態が何日も、時には何ヶ月も続くという。 
うつ病は、内因性うつ病と、心因性うつ病とに分けて考えられていた。しかし、内因性うつ病でも発症の
きっかけとなる心因があることが多いことから、症状の形で分類されるようになった。
 *うつ病の基本的な症状は以下のようなもの(○は大丈夫、 ×はその傾向あり、 △は少し)
1.強いうつ気分    ○          2.興味や喜びの喪失    ○
3.食欲の障害     ○          4.睡眠の障害       ○
5。精神運動の障害(制止または焦燥)○    6.疲れやすさ、気力の減退 ○
7.強い罪責感     ○          8.思考力や集中力の低下  ○ 
9、死への思い     ○ 
  このうち、5つ以上が、二週間以上続いた場合に「うつ」と診断される。
 私は最近、少し欝っぽいと思っていたが、全部○、全くの思い込みだった。
(1、の強いうつ気分)が、(少しうつ気分ぎみ)だけのこと。 何かガックリ?ときた。
4つが△なら、軽いウツとってもよいが。 高島忠雄や、小川宏の「うつ」の症状を聞くと凄惨である。
 恐慌の時代、ある日突然に株と国債の暴落、それからくる経済麻痺が何時起きても不思議でない。
 大部分の人にとって、生活環境が激変する可能性がある。
 数年前の調査では、国内のうつ患者は250万〜300万人とされ、今では500万人の可能性も。
  高齢者の大部分は、老人性鬱症という。 生老病死の問題が身近になれば仕方がないが・・人生の秋か!
  ・・・・・・・・
 2871、 構造改革路線の罪
 2009年02月13日(金)
最近買った「文藝春秋・三月号」や、昨日の読売新聞に、構造改革推進派だった
三菱UFJリサーチ&コンサルティング理事長の中谷巌氏が、新自由主義からの「転向」宣言を寄稿している。
*まずは三菱UFJリサーチ&コンサルティングのブログに、彼のコラムが載っていたので、
   要所をコピーしてみる。
「なんでも市場に任せるべき」「国がどうなるかは市場に聞いてくれ」という新自由主義的な発想に基づく「改革」は無責任だし、
危ないのではないかということを強調したいのである。実際、グローバル資本主義は巨大なバブル崩壊を招来し、世界経済に
多大の損害を与えたし、平等社会を誇っていた日本もいつの間にかアメリカに次ぐ世界第2位の「貧困大国」になってしまった。
そのほかにも医療難民の発生、異常犯罪の頻発、食品偽装など、日本の「安心・安全」が損なわれ、人の心も荒んできたように見える。
これを放っておいてよいのかという問題意識である。 新自由主義的改革においては、「個人の自由」を「公共の利益」に優先させ、
あとは小さな政府の下「市場にお任せ」すれば経済活性化が可能になるという考え方をとるが、それが上記のようなさまざまな副作用を
生んでしまった。したがって、「改革」は必要だが、それはなんでも市場に任せておけばうまくいくといった新自由主義的な発想に基づく
「改革」ではなく日本のよき文化的伝統や社会の温かさ、「安心・安全」社会を維持し、それらにさらに磨きをかけることができるような、
日本人が「幸せ」になれる「改革」こそ必要であると考えたわけである。そのための方向性はもっと勉強しなければならないが、
とりあえずは、「貧困大国」の汚名を返上する改革が必要だろう。底辺を底上げし、貧困層が社会から脱落していくのを防ぐこと。 
このことが重要なのは、「日本の奇跡的成長の原動力であった中間層の活力を回復しないと日本の将来はない」と考えるからである。
日本が富裕層と貧困層に2分されてしまえば、社会は荒み、日本の良さが失われるだろう。
 (字数の関係でカット2011年02月13日)
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2008年02月13日(水)
2506, 新・知的生産術 −1     ≪( \(・ω・)/ )≫オハヨゥ☆
 効率が10倍アップする 新・知的生産術 ―自分をグーグル化する方法 ー
                  勝間 和代 (著) ダイヤモンド社
本屋で何度か立ち読みをしたが、「自分をグーグル化する方法」という言葉が気になって思い切って買った。
買うほどの内容かどうかは人によるが、参考になる部分は多くあった。経済評論家・公認会計士として
活躍している著者自身が実践する効率的情報収集術だから、人脈形成術、読書術など説得力はある。
・IT機器を自身の脳の補助に使い効率を上げ、
・フレームワーク化・簡略化・階層化を駆使して絞込み、
・原理原則を組み立てて、
・GIVEの5乗で情報を共有し人脈作りに役立てるのは、情報化社会の流れを、そのまま実践した中で得た習慣であろう。
私自身、このHPを開いて、確実に10倍は知識のインプットと、アウトプットは増えた。だからどうなったということはない! 
ただ面白く、やりがいがあり、充実感があるから、現在もつづけている。その結果、この卑小な人間性を曝け出してしまった反面、
公開することで(私のレベルの)質を落とさないように維持をすることができた。その結果、「考えざるを得ない日々」
を作り上げたつもりが??・・で、この程度。私が著者から学んだことは、ともかく月に15万円の本を買い続けて、
1ヶ月に100冊の本を読み?、そして、それから得たことをギブの5乗の気持ちで与える姿勢である。
良質な情報源(実体験、他者体験、良書)から効率よくインプットし、各種手法(ピラミッド・ストラクチャー、MECE、
ブログ)にてアウトプットする。それを繰り返すことにより、自分の読み書き能力、情報処理能力が高める手法である。
「1%の本質の見極め」そこから「具体的な目標設定と目標達成のための 無駄の徹底的排除」の見逃せない習慣である。
勝間流1%の本質を見極める6つの技術
  ・フレームワーク力をつける ・ディープスマート力で経験値を重ねる
  ・失敗力をつける      ・ベストプラクティスの共有で学びを分けてもらう
  ・自分の価値を出せないところはバッサリ捨てる ・本代をケチらず良書を読む
 『ノートパソコンがある・なしでは、カーレースを車で走るのか、徒歩で参戦するかの違いがある』は、
  全くそのとおりである。奈良時代に、ジェットヘリの喩えと、同じである。     ーつづく
・・・・・・・・・
2007年02月13日(火)
 2142, 世界で一番短い物語ーそれは名前      オッ(*^○^*)ハ〜ヨウ!
「世界で一番短い物語ーそれは名前」、ある本を読んでいたら飛び込んできた言葉である。ん〜んそうっか〜と、唸ってしまった。
その人にもよるが苗字は何十代も渡って受け継がれ、名前は両親が愛する子供のために名づけた愛の結晶。その二つが相まって、
その人のブランドになっている。ただし、そのことに気づかないのは当の本人!そのブランドを一生をかけてつくり上げていくのが
人生である。その二つの重りで充分に物語である。何度も苗字が変わる人もいるが! 多くの物語があるのだから、それはそれで、
その人の人生である。 ジョン・F・ケネディー。この言葉だけで物語である。ジョンという名前が、そこでもう物語を含んでいる。
ケネディー家の父親がつけたジョン・F君という名付けに思いがあり、本人のジョンが一生かけて、自分の人生をつくりあげたのが
「ジョン・F・ケネディー」である。それは人の名前だけでなく、ファッションのブランドも、レストランの名前も、その名前の中に
ある意味が物語をつくり上げていることになる。 子供の頃、自分の名前が嫌であった。しかし、歳を重ねるごとに自分の名前が
好きになってきた。自分の人生を気に入ってきたのと比例して好きになってきている。父親の名前が、堀井誠作である。
その名前が父の名前だけでなく私の物語の原点になる名前である。誠を人生をかけて作り上げた自分の原点である。私は人の名前を
直ぐに忘れる癖がある。フルネームを憶えるのは人間関係の基本である!はず。名前負けしている人もいるが、本人にとって重要な言霊。
人生で何十万回、いやもっと多く呼ばれる言葉である。それは自分の魂そのものと言ってもよい。子供の頃「ハッちゃん」と、
多くの人に笑顔で頭を撫でられたのが、人生の原点にあるようだ。それと同じぐらい殴られもしたが、武器は泣くことだった。
母が亡くなって、財産分与の話をしているときに姉に言われた「あの可愛いハッチャン、何処に行ってしまったの」と!
弟の分際なので心の中で、「あの優しい姉さんは何処に行ったの」人は変わるのです、しかし魂は変わらない心の芯の部分。
変わってはいないのだ。変わったのは魂の外側の部分。今日を機会に名前をしっかり憶えようか!(゚∇^*)ホンジャ、バイ! ♪〜


4717,閑話小題 ー45年前の自分

2014年02月12日(水)

   * ゴーストライターの報酬は?
 一般的にゴーストライターの報酬の相場は幾らほどか? 書籍、音楽の印税は一般に1割が昔からの通り相場。
2千円として、一万部売れて、200万が作家や作曲家の取り分になる。だから、ミリオンセーラーには、億以上の
報酬になる。「現代のベートーベン」のゴーストライターの場合、20曲で700万。一曲35万円は決して安くはないとか。
コマーシャルソングで、40〜50万。フォークとかは100万が相場。 時と場合で、ゴーストに印税10%のうち、
2〜3%が支払われることもある。物書きの場合、200Pで100万前後(50〜130万)で、雑誌のコラムの
場合は2〜3万。有名作家や作曲家は、ゴーストライターから出版社や、レコード会社に認められ世に出てきた人が
多いようだ。で、今回、本当か嘘か、男同士の愛情関係の縺れ?と誰かタレントが話していたが、話題としては
面白い! ゴーストライターの存在は、この世界においては暗黙の了解事項。前提の絶対の秘密事項の約束事からみて、
何故、この時期に、発表するのか疑問であり、愛憎関係?と考えると、成るほど? 笑点の「大喜利」の巧妙な
落語どうしの遣り取りも、放送作家のつくったもの。 子供のゴーストライターは、両親?父、母?それとも先生?
   * 45年前の自分と向き合って
 毎年、この時節になると、学生時代の社会に飛び出す直前の日記を読み返えすことになる。
当時の逼迫した不安と期待が相まった緊迫感が懐かしい。それも年々、リアルに記憶が鮮明に蘇る。
「遠き日は年とるごとに近くなり」であり、書き残す重要さを改めて思い知る。書いてない期間の記憶は、
空白に近く、具体的記憶は蘇えらない。書いたそこには、息づいている当時の私が存在している。
当時の友人と何十年ぶりに会ったところ、『堀井は、用心深かったからな。今回の件を聞いても、手立ては必ず
うっていると思っていた! 汗かきも、顔色がツヤツヤしているのも変わってない』という。当時から心配性で、
何事にも用心深く逃げ口を用意をしていた。それを40数年ぶりに会った友人に指摘されると、本質は何にも変わって
ないことになる。「真面目な路線上を、面白可笑しく」は、当時も今も同じ? しかし45年間の激動は、思いのほか。
それと、情報化社会も想像を絶するSF世界。毎日が、刺激的で、面白く、夢のようでもある。
当時の自分に言いたい!『その気持ちを忘れずに、学び続けなさい! 相手と自分を思いやる気持ちを忘れずに!』 
・・・・・
4350, 書くことが思いつかない人のための文章教室  ー2
2013年02月12日(火)
  *「思う」と「思い出す」の違いは?    「書くことが思いつかない人のための文章教室」近藤 勝重 (著)
   ー この違いを具体的に述べている箇所を抜粋してみる。
≪  ◎ まずは「思う」を列記してみると
 ・さびしい  ・孤独感  ・人間の幸、不幸  ・忙しいとか慌ただしさ
 ・一年の反省 ・街のあかり ・年末行事のこと
   ◎ 次に「思い出す」の列挙である
 ・暮れも押し詰まったころの祖父の卦報
 ・船上でのメリークリスマス体験。遠く見えるみなとみらいの夜景
 ・祖父母の家に帰省する時の父の革ジャン ・パーの匂い  ・親戚一同でやる暮れのそば打ち
 ・ラグビー早明戦前の一週間に、一年生みんなで夜通しでやったグラウンドの落ち葉拾い
 ・所属していた吹奏楽部の厳しい練習の日々。コンクールが一月にあったので
 ・野球部恩師の死(もうすぐ一周忌  ・センター試験に向けての勉強  ・年賀状作り
など「思う」ことと「思い出す」ことではこんなにも違うのです。原稿用紙に向かって何も浮かんでこないとき、
いかに乗り切るか。その手立てとしては具体的に描写しやすく、かつ書き進めやすい題材が並んでいる。それには「思う」こと
より「思い出す」こと。 これはぜひ覚えておいてください。「師走」というテーマで「さびしい」「孤独感」といったことを
いくら文章にしようと思っても、それらは心の中のことですから目に定かでない。五感も働かないから描写もできない。
最悪、一行すら書けないということになりかねません。ちなみに司馬遼太郎の『関ヶ原』は、こう書き出されています。
 「いま、憶いだしている」 作品は大小、長短を問わず、「思い出す」ことをおいては始まらないのです。・・
・・ たとえば「つらい」というのは心に抱く思いです。皆さんは「つらい」はつらいと表現すればいいのでは、と言うかも
しれませんが、「つらい」というだけの言葉なら、A君の「つらい」もB君の「つらい」もみな一緒だということになります。
でも、同じつらい体験と言っても、人が違えば体験そのものも異なるはず。心に抱く感情も人それぞれでしょう。それをみんな
同じ「つらい」という形容詞で表現していいものかどうか。つまりどうつらいのかが具体的に書かれていないと、自分の心に
ある思いをちゃんと表現したことにはならないのです。そうだとすると、自分がつらいと思った出来事(体験)を細かく描写して、
読んだ人に追体験してもらい、そのときの胸中を察してもらう表現法を心がけるべきなんですね。
 ▼「思い出す」は、状況の具体的再現ということになる。果たして詳細に記憶が残っているかどうか? を、自分の幼稚園時代
  を具体的に思い出すと、意外と記憶が戻ってくる。更に小学校、中学、高校、大学時代に焦点をあてると、記憶が戻ってくる。
 その機会は同級会か同窓会でしか焦点を合わせることがない。 ガンなどの病気で、「あと半年」と宣言されると、急に過去の
 記憶が溢れかえって出てくる。あと僅かと思うと、自分の人生を具体的に思い出し、味わい懐かしみ、物語として編成する。
 これを訓練するには、普段から日記や随想を書く習慣が必要になる。
・・・・・・・
3975, iPad購入半年、経過報告
2012年02月12日(日)
 再びiPad購入半年の途中経過報告である。居間と書斎の二台の卓上型パソコンのiMacに、iPadが新たに加わり、生活パターンが
変わったことは何度か書いた。 先日、新たに書籍を70冊を電子化のため業者に送ったが、愛蔵書の電子化は合計120冊。
蔵書の電子化は一応終了だが、これで何処にいても書斎にいる気持ちになれる。それにネットで購入した電子本が入っている。
タブレット一枚を持ち歩けば、何処にいても自分の居場所にいるような不思議な感覚になれる。タブレットの読書は抵抗がないか?
と問われれば、まったくない。 三台のパソコンの画面のファイルに入れておき、ことあるごとに開けるのがよい。
 タブレットPCの柱として、◎読書 ◎ゲーム ◎お気に入りブログの閲覧 ◎電子新聞、雑誌の閲覧 ◎メモ である。 
便利なのは、常に手元におき、気楽に立ち上げ、直ぐ目的のウィンドウにたどり付けること。そのためチョットした隙間時間を
有効に面白く使うことができる。 卓上パソコンの場合、電源を入れ、スタートボタンをクリック・・・ などの時間がかかる。
それに対しタブレットは極めて短時間で済む。 それと自分の気に入った蔵書を入れたのが良かった。 一度読んだ本は自分の
一部のように感じるもの。 読書の効用に何ども繰り返し読むことがある。 繰り返す間に、知識が熟成されていく。
それがタブレットに入れておくと気楽に繰り返しが可能になる。ノートパソコンを自分の鞄、書斎とみたて使っている人がいるが、
タブレットPCで、その感覚になってきた。 購入時に半年を導入期としてきたが、一応、及第。iPhonより私には相性が良い。
「事業も終え5ヶ月後、気持ちが落ち着いた頃にiPadを購入、気持ちを紛らわせてきた。 そして、半年を経過した現在、
それに同化を始めてきた」ということ。 現在、タブレットPCが、スマートフォンの陰に隠れているようだが、
そろそろ、タブレットPCにエネルギーが向かい始めた。 ところで有機Elの画面がタブレットに向いているようだ。
画面の鮮度と薄さと軽さが次のメーカーの争いのポイントになる。 これに居間の大型液晶TVとの連動もポイント。
  ・・・・・・・・
3610, 大相撲八百長事件 ー2
2011年02月12日(土)
  八百長事件は昔から深い闇に包まれてきた。 ウキィペディアに、その一端が書かれている。
 あの名解説の北の富士に以下の恐ろしい?過去があった。初場所では八百長に関しては歯切れの悪いコメントをしていた。
≪橋本 成一郎(1940年 - 1996年4月14日)は、元大相撲力士で、元横綱・北の富士の現役時代の名古屋後援会副会長、
元関脇・高鐵山の大鳴戸親方が経営した大鳴戸部屋の後援会会長。 元力士で力士時代は幕下まで昇進したことがある。
廃業後はバーやキャバレーを経営し、昭和40年代には北の富士の名古屋後援会の副会長を務めた。元大鳴戸親方の著書によれば、
第52代横綱・北の富士の横綱昇進・優勝では八百長資金面などをバックアップ。 黒幕として暗躍したとされ、
多大な尽力があったとされている。北の富士と決裂してからは、独立した元高鐵山の大鳴戸部屋の後援会会長として大鳴戸部屋の
最大のタニマチとして存在した。 週刊ポスト誌上では、元大鳴戸親方とともに角界の八百長体質などの裏事情を暴露。
しかし、1996年に元大鳴戸親方と同じ日・同じ病院・同じ病気(肺炎)で死亡(同時刻とされることも多いがこれは誤りであり、
元大鳴戸は午前4時45分、橋本は午後7時48分に死亡している。≫
 この事件は報道規制のためか? あまりマスコミは騒ぐことはなかった。しかし誰もが、この事件は不可解であり、
何?がらみと思っても、声を高くいえない不気味さが付きまとっていた。先日、地元紙の新潟日報で取上げていた。そこで、
優勝のかかった勝負は230万円で、橋本は、これまでいくら使ったか数知れずという。何で橋本が告発に踏み切った理由は
感情のもつれである。北の富士は潔く早々、弟子の千代の富士に親方の座を譲った背景に、こういう事件があったのである。
 興行世界の一端が垣間見れる。
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3245, アメリカ一極は終了したのか?
 2010年02月12日(金)
 欧州のユーロが、ここにきてジワリと下げてきて、1ユーロ120円割れ直前で数年前の三分の二である。
PIIGS(ポルトガル、イングランド、イタリア、ギリシャ、スペイン)といわれている国も破綻懸念。
その上に、中東欧のルーマニア、ハンガリーなどの危機もある。ドバイのバブル破裂の今後も、どうなるか先が見えてない。
日本も異常な財政赤字で、国家も経済も疲弊しきっており、いつ経済の底割れが起こるか分からない事態である。
 今年は欧州か日本が発火点になる可能性がある。 ところが発火点のアメリカは大きな変動がみられないのもおかしな話。 
彼等は不良債権を発行し世界中から過剰輸入をしたが、その見返りはドル札とアメリカ国債、それと怪しげな債権を発行しただけ。 
発行残高の数字が増えただけで、いざとなれば踏み倒せばよい。支払ったドルも、行き場が無いのでアメリカに戻ってくる仕組み。
 リーマンショックからの金融恐慌で「アメリカの一極体制が終焉した」と思っていたが、経済雑誌に欧米の数人の学者が、
≪経済の寡占化には、歴史的にみても必ず軍事的な圧倒的な優位が必要で、アメリカが、いまや圧倒的な軍事力を有している。
 特に海軍の戦力の影響が大きく、地勢的に見てアメリカは大西洋と、太平洋に面しており、その海軍力は世界で圧倒的に強い。
 中国はもちろん、ロシアも、欧州も、どこも、その力は無い。 その力を背景に、今後ともアメリカは世界一極の中心で
 ありつつける」≫ というのだ。 大英帝国をつくった英国も、当時は大艦隊で世界を圧していた。スペインも同様である。
世界が不安定になるほど海軍力がものをいう。 海軍力の上に、さらに圧倒的な空軍も、核弾頭もある。中国と2G体制など、
おこがましいというのが、アメリカの本音。 日本など、隷属国でしかないのは自明のこと。その暗黙の上で、世界が成り立ってきた。
ところが、この世界恐慌でアメリカ一極体制が本当に終わってしまったのだろうか。それとも圧倒的な軍事力と情報産業で、
その主導権を持っている強者の立場が、これから続くかどうかの見極めである。残念ながら、続くのではという論に一理あるようだ。 
アメリカ一極支配は、まだ始ったばかりか?それとも飛躍的情報革命の進行は、それさえ呑み込んでいくか?その辺が面白いところ。
 この数年が見ものなど、いっていられないか。  
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2870, 北半球のミツバチの四分の一が失踪
 2009年02月12日(木)
この日曜日の毎日新聞「今週の本棚」の書評
「ハチはなぜ大量死したのか」ローワン・ジェイコブセン著-に驚いてしまった。
(内容はYahooにコピー)これによると、
2007年の春までに北半球のミツバチの実に四分の一が失踪したという。
 結論からいうと
 ー この「蜂群(ほうぐん)崩壊症候群」の原因は単一でないが最大の背景は工業化された農業。
不自然な管理がハチたちに強いストレスを与え、免疫抵抗性を弱め、ダニやウィルスに対する防御を弱めたのである。
そこに農薬の複合汚染が重なり、精密な社会生活を営む巣全体の活動をいわばアルツハイマー状態に陥れた。
病み疲れた働き蜂たちは、採餌の出先で倒れ、巣には戻れず、ただ死んでいった?・・・ ー
 それは「もう一つの人間社会を見る思い」と著者は人間の姿に重ね合わせている。管理され、同一の花畑だけを移動されて、
蜜を取らされて、毒(農薬)まで摂取していれば、当然の結果。自宅で十年ほど前から、ハエと蚊を見ることが少なくなった。
夏になると町内単位で各家の庭に毎年薬の散布をしているのが影響しているのだろう。それと近くの河の中に堆積した土砂を
徹底的の運び出したこともある。散歩していて虫の数が激減してしまったのである。ハチの姿は都会で働いている人を
冷静に見れば、酷似している。管理され、会社と自宅という箱の間をラッシュの電車で移動する毎日。
それが都会人のカッコよさと共同幻想をもって生きて、定年で初めて働きバチだった己に気づく。
一年間、気温良好なオーストラリアで蜂蜜業を初めたが、大失敗をした内容を書いたことがあった。
四季の変化のストレスが無いことと、冬のために蜜を蓄える必要がないため蜜を採らなくなったのである。
都会でノイローゼ、自殺が問題になっているが、自然に触れる機会が少ないのも原因だろう。
この大恐慌も、あまりに不自然な現状を考えるチャンスを「大自然」が与えたのである。
・・・・・・・・・・
2008年02月12日(火)
 2505,  将来の不安−5        ゚+.(ノ*・ω・)ノ*.オハヨオォォ☆゚・:*☆
現代をマイナスの視点で照射すると、「不安の時代」といえるだろう。修羅場を幾つも乗り越えてきたものにとって、
「何が不安?」と笑ってしまうだろう。 イスラエル人が日本にやってきて、「この国が不安の時代」と聞いたらフキ出すだろう。
十年ほど前、イスラエルに旅行中に「アメリカの高校で乱射事件」があった。その時の現地に住む年配の日本人ガイドが、
「イスラエルでは間違っても、ああいう事件は起きません!常に敵に囲まれていて内輪もめなどの余裕などない。
兵役中の家族の一員が家に小銃を持ってきたり、町やバスの中には機関銃を持った兵士が乗っている。
アラブ人との殺戮が日常化しているイスラエルにとっては、あのような事件は呆れる以前である」と語っていた。
社会の不安感が、蔓延しているのは逆に言えば平和ボケの結果。アメリカの心理学者のシーベリーは「不安は、否定的な
結果にすべての注意を向けること。 不安を持つと、思考や感情の流れを建設的にコントロールすることができなくなる」
「不安は、あらゆる不幸を背負った自分が本当の自分であると、間違って否定的に考えることである」という。
あらゆる不幸を背負うなど思ってしまう。不安に取り付かれるのは、無知そのものを起因している。そのためには知ることである。
だいたい、不安とは世間様に対しての意識が起こしている不安定な気持ちでしかない。その世間とは何か?と考えると、
身辺の7〜8人だろう。それも程度の低い。その辺から見据えないと、自分の生きかたが歪んでしまう。夢を常に持ち、
一人で遊ぶ術を身につけていれば、不安感は最小になる。それもこれも、やはり読書の積み重ねのベースを必要とする。
自分を心の底から信じられなければ、そして自分の夢を持ち続けなければ「最後は死ぬ?」という人生の一大事を知ってしまった
人間の不安を麻痺させることは出来ない。逆に、根源的な問題から目を逸らすためには、群れて笑っているしかないのか?
それで解消できるなら、それはそれで良い生き方である。笑えるうちに笑っておけばいい!感動できるうちに感動しておけばいい!
直ぐに泣くときが来るのだから。その時はそれを受け入れるしかない。あとは野となれ花となれ!しかないだろう。
不安など恐れることもない!宇宙の微細の微細が何をしても、考えても同じ。ヾ(´∀`o)+。 ホナ!それじゃ、
一人不安にさい悩まされている。         ‘一人プアー チャン’  バイバイ
  (1〜4は、2005年6月3日、7月1,3,6、7日記)
 ーーーーーーー
 2007年02月12日 
 2141, 中年の心象風景 −2    (~Q~;) おはよう〜〜 ファ〜 サム
藤沢周一の『海鳴り』を4~5年前に読んだとき、中年から晩年にかけてのある初老の男の心情が切々と語られている世界に
ドップリと引き込まれてしまった。そこには、この時期に忍び寄る老いと死の影が最後の輝きの背後に描き出されていた。
そこで感じ取ったのはピカピカではなく、人生の落雷のズッシとした閃光の光である。  
 ーまずは、その中の一節を幾つか書き出してみる。
{40の坂を越えたころから、新兵衛の胸にある不思議な感覚が生まれた。ある時期を境にして、自分が老いの方に身を
置いてしまったような感覚である。これまでも考えもしなった、老いとその先にある死が、いやに明瞭にみえた。
その見えて来た老いと死に、いくらかうろたえていた。まだ、し残してことがある、と思った。その漠然とした焦りと、
ひとの一生を見てしまった空しさに取り付かれ、酒と女をもとめてしきりに夜の町に駕籠を走らせた。新兵衛は47歳である。} 
さらに次の一節 {汚いことけがらわしいことは避けては、生きていけない世界に、大人は住んでいる。
商い、女、世間との付き合い・・。そういうものの間を大人は時に人を出し抜いたり、だましたり、本心を偽ったりして
辛うじて泳ぎぬくんだ。そこには大人の喜びがないとは言わないが、その喜びは時には罪の意識にいろどられ、
大方は正視に耐えない姿で現れてくるのである。そういう不純の部分を抱え込むことで、大人の世界は成り立っているのである。}
 {一家を背負うというものは、家の中に多少の不満があってもじっとこらえ、
こわれればとりあえず繕って、何度でもそうして辛抱強く家を保ちつづけるものなのだろう。} 
(字数制限のためカット 2012年2月12日)


4716,「余命3カ月」のウソ  ー1

2014年02月11日(火)

      
                  ー「余命3カ月」のウソー近藤 誠 (著)          
                       
   ーアマゾン・内容紹介ー
☆「進行性胃がんで、余命3カ月です。今すぐ手術を」 医者にこう言われたら、あなたなら、どうしますか?
 本書を読めば、余命宣告のカラクリと、がん治療の真実がわかること間違いなし! 医者のすすめる「がん治療」で、
 あなたの余命が削られないように、話題沸騰の近藤誠医師が余命宣告のウソにメスを入れた1冊です。
☆ 歩いて通院できるほど体力のある人間が、ある日突然「余命3カ月」と診断され、手術や抗がん剤治療の挙句、
 本当にあっけなく死んでしまう―このような悲劇を身の周りでも見聞きされていないだろうか。実は、余命宣告の多くは
 いいかげんである。治療が命綱の医者にとって、余命は短く言うほど「うまみ」が増すのだ。余命を告知される病気は、
 圧倒的に「がん」が多い。がんの本質に迫り、余命宣告のウソを暴くことで、患者本位の治療を提言する。
  ーアマゾンのカスタマー・レビューよりー 
・ガンには「本物のがん」と「がんもどき」の二種類あり、本物のがんの殆どは治療では治らならない
(見つかるころには転移してる)。治るのは「がんもどき」の方だが、それはほっておいても問題のなかったもの。
つまり、がん治療はいずれの場合にも無意味なものであり、むしろ副作用や感染症や合併症などのリスクがあるぶん
有害であるというのがこの本の根幹に流れる主張です。無駄にあがいて苦しむより残りの人生をいかに楽しむか
というのは価値観の一つとしてありだと思います。私は共感しませんが。
・例えば、固形がんにたいして抗がん剤が延命に役立つと証明する臨床データはないなど、全体的に引用や紹介されている
情報は偏っていて、都合のいいものだけを持ってきている印象はぬぐえません。がん治療なんてまだまだ未知の分野で
様々な主張があると思いますが、それについては全く触れられてない。でも結局何が正しいかなんて私のような素人には
分からない。私はこの本読むまで何もしないという選択肢があることを考えもしませんでした。自分や身内がガン宣告され、
今後の選択肢を模索してる人にとってこの本は選択肢を一つ広げるヒントになる。この通りにするかどうかはおいて置いて。
▼ この数年来『どうせ死ぬなら「がん」がいい』(中村仁一・近藤誠対談)『大往生したけりゃ医療とかかわるな』
(中村仁一)『末期がん、その不安と怖れがなくなる日』(樋野興夫)など、怖しい本を敢て、取り上げてきた。
 それに加え、この本である。書店では見かけていたが、図書館にいつの間にか並んでいたので借りてきたが、これも、
 早速買うことにした。その時になった時に、慌てないための予習である。 これらの本などに影響され、4年前から、
 20年続けてきた年一回の,一日人間ドックを中止にした。上記のレビューのとおり「どのみち助かるのは助かる! 
 助からないのは助からない!」と、判断した。 が、もう一つは平均看護期間が男9年と知ったこともある。 
 男は平均70歳で介護が必要になり、79歳で亡くなる。 介護で9年間を薬つけで生きるより、余命数ヶ月で死ぬのも
 悪くない。平均からみて、元気でいられるのは、あと2年?だが、実感が無いのは何故? 老人性鬱症状が日々強くなり、
 他人の粗探しで人相まで年々歪んでいくのが老人。気持ちは、50歳前半! 実際のところ、そのギャップが大きい!
・・・・・・
4349, 雑談ネタ、酒の肴ネタ ー15
2013年02月11日(月)
   * 床の間は、本来、仏の座る場所だった
 日本家屋の様式を取り入れている家には大抵、床の間が存在する。そこには掛け軸、生け花、木彫りの熊などが飾ってあるものだ。
床の間は室町時代の書院造りに由来する。書院造りとは禅の思想にもとついて設計された建築様式であり、書院とは幽玄を悟るための
部屋とされる。床の間は書院の中にあって仏を祀る場所、つまり仏が座る場所であった。そのため床の間は部屋の中でもっとも上等な
場所とされる。人間が座る場所よりも一段高く設置されたり、板張りの床が普通であった時代でも床の間だけは畳を敷いたりした。
宴会の席などでいう上座は床の間の前に設けられるが、これは仏に近い場所が上座にあたるという昔の慣習の名残である。
もともとは仏を祀る場所であった床の間だが、時代とともに形式が省略されていく。仏像は仏画となり、またすぐれた僧侶の筆跡や
経の一部となった。そしてしだいに美術品が飾られる場所となったのである。このように床の間は聖なる場所であるから、けっして
テレビを置いたり、物置にしてはならない。仏壇の横には床の間があるのは、そこに仏様が座るためと、今になって気づいた次第。
   * どこまでが宇宙か
 どこからが宇宙か、その前に何時から宇宙が始まったか?という問題が、これまで世界中の昔より科学者を悩ませてきた。
天体観測の進歩で、星が遠くに離れていくのが解り、それでは、逆に時間を遡って、その始まりを計算した結果、137億年前に
ラグビーボウル大の素粒子が爆発したビッグバン説が、現在知られているところ。しかし、観測結果から、宇宙全体のエネルギーの
内訳は星や銀河、それを形作るすべての元素のエネルギーは、宇宙全体の4・4%しかないことがわかった。それでは何か?
実は23%の暗黒物質と、約73%の暗黒物質を占めていたことである。膨張している先の宇宙の物質が希薄化している筈だが、
それが同じということは、他の宇宙から、そのエネルギーが、流れ込んでいるのではという仮説が出てきた。この宇宙の他に、
10の50乗分の宇宙があるかもしれないという。 ところで、一般でいう宇宙は、どこから設定するというのか。
1967年の『宇宙条約』でも明確にされてない。地球の空気が無くなる辺りとか、宇宙船が燃え尽きない、90〜110キロ辺りとか、
議論がされている。アメリカは、その辺に対して消極的になる。上空の領有権の問題が絡んで宇宙船を自由に飛ばせないからだ。
・・・・・・
3974, 超円高というが
2012年02月11日(土)
 現在の円高を考える相対的基準に、「ビッグマック価格」がある。アメリカで4ドル、日本が320円で、
一ドル80円で日米が同じ値段になる。現在のドルは77円だから、ほぼ同じ値段になる。ちなみに中国は半額、スイスは二倍。
2000年には円が107〜108円だった。11年間でデフレの日本は物価値上がりはゼロだったのに対し、アメリカの
消費者物価指数が30パーセント上がっているので、円高で相殺され調整されたことになる。日本はバブル崩壊から現在に至るまで、
物価の上昇率がほぼゼロなので、日本の円高は当然のこと。 20年前の円は125円で4割ほど上がっている。
 円高は、さらにデフレ要因になる。海外から3〜4割も安い商品が輸入されれば、その分、国内の企業は値下げ圧力が加わり
弱体化していく。特に体力のない地方の中小企業は、この20年間で消耗、弱体してしまった。 その結果として国の信任を失い、
株式や、近い将来の国債の暴落要因になってくる。 日本の国債発行が何と一千兆円になろうとしており、国内の1400兆に
のぼる預金のうち、300兆円の個人債務を除く1100兆の額に近づいており、あと数年で、毎年40兆円の国債の発行も限界。
その時が国債の暴落である。 国債の暴落は、即金利の上昇になり、4%も上がれば40兆円という実質国家予算と同額になる。
 そうこう考えると、ドルの信用の失墜で円高は、この数年は続いた後に、円安という地獄が待っている。 
それはハイパーインフレという形で、国民の預金の価値を下げ、中産階級の大部分が貧困層になることを意味する。
更に当分の間、大地震リスクが伴うので、国内企業も外資も、海外への逃避が本格化する。 恐ろしい限りだが、ここに至っても、
アメリカに充てがわれた憲法を大事に温存し、自死に向かう道を修正できない。いずれにしても、10年は茨の道になる。
 超円高と思い込んでいるが、実は円高でない。円高は50円あたりで、一度、いってから、150円か200円まで円安になる。
そのプロセスで、日本は貧乏国になる。アメリカは、紙切れの価値が下がっただけで、傷つくのは威信である。
・・・・・・・
3609,  閑話小題  
2011年02月11日(金)
  * 多数人数の末っ子は・・
 新幹線の帰路の車内で、少し離れた席からビールを飲んで話しているグループの一人の言葉にハッとした。
「自分は大人数の兄弟の末っ子のため何時も許されてきた。だから、この歳になっても、失敗しても、
争いごとが起きても、許されるのが前提と何処かで思っている。自分には末っ子の甘さが付きまとっている」という。
これは何か自分が常日頃思い続けてきたことを、誰かが代弁しているようだった。三つ子の魂は現在でも付きまとっている。
だから女性は親分肌の長女で、包み込んでくれるような人に惹かれる。ちなみに家内は長女で生意気だが、最後は赦してくれる?
常日頃、赦していただいて有難うございます。エッ、赦してない!我慢しているだけですか。よく見ると、長女と多人数の下の方の
次男、三男の組み合わせが多いのは自然のなせる業。逆に長男は次女、三女がよい?その辺を間違うと離婚が待っている。
  * 日本の政府は巨大か、それとも普通か?
 以前より日本の政府は巨大か、それとも普通か?の議論がある。ここで民主党が政権をとったはいいが、
何の間違いで極左が政権の真ん中にきてしまった。学生のころの都知事だった美濃部の国政版が現在進行中。
3月か6月に自滅するしかないが、これを立て直すに時間がかかるだろう。そこで、果たして日本は世界の中で、
政府として普通サイズか、巨大なのだろうか? 二重構造で、実は世界で一番の水脹れの国家になっている。
そのため国家財政破綻直前のところに社会主義者が政権の中枢になってしまったから、何をかいわんである。
一般会計では決して大きくないが、特別会計という母屋の隣の離れが、母屋の5倍以上はゆうにある。
官僚と保守政権が数十年かけて国民の目に母屋しか見えないようにして、離れで使い放題。 早くいうと構造詐欺。
この財政破綻状態に陥っても何も変られない事態。 ここを捻って浮かした分を福祉にまわすと極左政権が公約をしたが、
離れの住人と官僚は、それを軽く明け渡すほど柔ではない。 その結果、財政赤字が更に悪化、最後のダメ押しをしてくれた。
その結果、それが大きな圧力として我われに襲い掛かってくる。IMFの元で再生を図らないと駄目になるのだろうか?
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3244, 真の価値に添う生き方
 2010年02月11日(木)
 私たちは、中年以降のある時期を過ぎると「真の価値に添った生き方に転換する時期」がくる。
死に直面したり、身近の人の死で深い悲しみを経験したりして、永遠の中の自分の一生の短さを目の当たりにし、世間的な成功、
名声、欲望、快楽、豊かさなどの有限性など取るに足らないと思い、内向的になり、芸術、大自然の無限性、人間の心温まる邂逅、
真理への傾倒、思いやりなど、全く違う価値観に転換する機会を得る。 それまで、宗教や、倫理系の団体などが述べてきたことに
気づくといってもよい。仏教の経典にしろ、バイブルも、世間から離れた永遠の道理を説いている。 世間の認める属性に
ガンジガラメの人にとって、その転換は仙人の様に見えるのだろうが、属性は永遠の中では虚飾であり、何の価値も無いことなど、
義理で参列した葬式でさえも気づくことである。人間の命そのものより大事なものがあるとすると、相手に無条件で与える愛であり、
犠牲になる勇気であり、誠実性そのもの。 それに気づくかどうかが、中年期に、大きな危機を経験し、永遠の存在、
宇宙から一歩踏み出し、その外から自分の意識を冷徹にみるイメージを瞬間でも経験できたかどうかである。
私も人生の危機を何度か経験してきたが、その時に、以上のような、何が大事で何が重要でないかを、見極めて、
敢えて世間的な価値を求める視点を持ったこともあると、いえば嘘になるが、そこまで考えつくして魂を入れないと事業など
立ち上げることなど出来ないことも事実。 だから、ある時期から秘境・異郷ツアーに嵌ってしまったのは、そこでの見聞は、
普通の時間の中から一歩外に出て、世界の大自然と、遺跡、芸術、風俗に接することで、日常の価値観が砂粒でしかないことに
気づくことである。 些細な世間は必滅であり、大自然や、芸術、愛、誠実性は、不滅であるということが、短時間としても、
錯覚?としても見て取れるからである。 だから、中年以降は、読書といえば、自然と哲学書に惹かれていくのである。 
また、好きな音楽に没頭する時間とか、映画鑑賞も、永遠を直感する契機になるのである。
日常という世間の中で我われは生活をするために、必死に同じ行為をアクセク繰り返す。 それは、何故だろうか。
その繰り返すことが、目的になってしまっているからである。 そして、その日常に質が小さな世界の中で少し良いことに満足し、
少し下の人を卑下し、上の人に嫉妬をしているに過ぎないのである。 その中でも、永遠に接することの出来る時間は幾らでもある。
一歩外に出て、近くの森に早朝行ってみるとか、自転車で川のほとりで日の出を見るとか、週末に畑いじりをしたり、
数えればきりがない。 してないのは、日常にドップリと浸かりすぎということに気づいてないからである。
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2869, 閑話小題
2009年02月11日(水)
 * 内閣不支持が14パーセント
朝日新聞の全国世論調査で、内閣の不支持が14パーセントという。居座れば居座るほど支持が下がる理由を本人は分からないのだろう。
比例投票先は自民が42パーセント、自民が22パーセントの結果は当然のこと。解散をすれば惨敗だが解散を引き伸ばすと不支持が
拡大していくから、小泉でも担ぎ出して、半分近くが党を割って出て、その後連携する位しか手が無いが、それさえ出来ないのが現状。
地に落ちた自民党が利権を守るためには、その位のことをするだろうか? そんな玉など、居るわけな?
 * インフレエンザ予防で「家族の帰国指示」
見捨てて置けない記事があった。
昨日の朝刊に「パナソニックが鳥インフレエンザの世界的流行の危険が増したため、欧米とオーストラリアなどを除く駐在員家族の
9月末までの帰国命令を出した」と報じていた。私らの知らない情報があるのだろうが、何か危なくなってきたことは間違いない。
爆発的流行の一歩手前ということは、間違いなさそうだ。どうなるのだろうか?
 * 野村證券の株価が5百円割れ
野村證券の株価が5百円割れと新聞にあったので、ネットでチャートをみてみた。10年前の7分の1、2年前の6分の1、
リーマンショックから3分の1になっていた。日本がバブル時代には、アメリカの投資銀行と類似したことをしていた報いである。
アメリカの債権も売りさばいていない訳がない。 最近は日本国債を売っているというから・・・ 彼等の手は、担当が替わったという
誠実そうな手書きの文を送ってきて営業にやってくる。ネット証券と、過去の悪行?のため、信用はゼロに等しい。
存在そのものが、必要悪。 なら、近寄らないことである。 アメリカの消滅した投資銀行と何処が違うというのだろう!
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2008年02月11日(月)
 2504, まっ、いいか!      (。・∀・)ノ゛おっは〜
 最近、独りで「まっ、いいか!」と呟くことが多くなっている。年齢の為だろうと思っていた。
 そこで検索で「まっ、いいか」と入れたら、 「まっ、いいか」と言える子を育てよう
   協調性のある、柔軟な心の育て方    諏訪耕一/著 という本が出てきた。
[要旨]
本書では、子どもに柔軟な心を育てるための心の成長段階に応じた接し方のポイントを、幼稚園・保育園や家庭での27の事例を
通して具体的に紹介します。子どもの理解に必要な、子どもの心の成長の段階や環境との関わりについてもくわしく説明します。
[目次]
第1章 子どもの「心」の成長と環境(心は育てられる?
;子育ての移り変わり―子どもの育ちをうながす環境;心の成長表
;心の成長に応じた「柔軟な心」を育てる接し方)
;第2章 子どもに「柔軟な心」を育てる具体的な接し方
(乳児期―誕生から十二〜十八カ月ごろまで
;幼児期(前)―十二〜十八カ月ごろから三〜四歳(第一反抗期)ごろまで
;幼児期(後)―三〜四歳ごろから六歳ごろまで
;児童期(前・後)―六歳ごろから十四〜十五歳ごろまで)
これを読むと決して、マイナスの言葉ではなく、むしろプラスの言葉のようだ。決して良い状況ではないが、何とかなるさ!
という陽気さ、目の前の事態を、そして運命を受け入るよう諦めと明るさを感じる。上記をみると柔軟な心と
いうことになるが、好い加減な言葉にも思える。好い加減な心」が良いのかどうかわからないが・・・・
 ^^^^^^^
この文章には、大きなドンデンカエシがある。実は、同じテーマで八ヶ月前に書いていたのである。全く忘れていたが、
何か書いたことがあるような?気がしてHP内の検索を入れたら、次の文章が出てきた。その文の類似に我ながら驚いている。
(あたり前だろう!)それにしても、なんじゃい!これで同じテーマを忘れて書いてしまったのは、3回目? 
 2500も書けばな〜  まあ、いいか!
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2007/06/06
2255, まあ、いいか!       ヽ(★>з<)。o○ オ〜ハヨ 
(字数制限のためカット 2012年2月11日)
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2007年02月11日(日)
2140, 幸福はキラキラと輝く瞬間
 「藤沢周平に学ぶ」月刊『望星』・編         −読書日記ー
    ー人間の成熟にかかわる『人生の充足感』ー
 山田洋次監督の映画は「男はつらいよ」の48本と、その他の映画の最近のものは殆ど観ている。彼が「男はつらいよ」
についてのTV特集などで渥美清を語る座談で、多く聞いてきた。 しかし、どういうわけか彼が書いた文章は殆んど
読んだことはなかった。 ー字数の関係でカット(2009年02月11日)  (⌒▽⌒)/"”さいなら!
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2006年02月11日(土)
 1775, おひとりさまー2  ゜・。*ヾ(´∀`o)+。才ノヽ…YΘ!!。_
米国はペア社会で、週末などの一人の食事は異様にみられ「誰にも相手にされない女性」と受け取けとられる。 
「おひとりさま」は、最近出来た日本特有の言葉である。いい歳をした女性がホテルのバイキングランチなどで群れているのも異様。
一人での観劇や食事や旅行など慣れてしまえば行動範囲が増える。また思考(自己対話)の範囲が広まる。
  (字数制限のためカット 2012年2月11日)  


4715,閑話小題 ー時どき、10年前から現在を振り返えり

2014年02月10日(月)

   * 時どき、10年前から現在を振り返えって 見えてくるのは!
 株式のチャート見るように、その時どきから、5、10年間を振り返えると思いもよらない事件に遭遇していることが分る。
では2004年の2月から2014年2月まで、何が起きたか?を調べると想像を絶することばかり。先の10年間は、これらより遥かに
大きな自然災害と経済震災に間違いなく遭遇することになるが、これだけは起きてから分かること。 時系列であげると!
・2004年に、中越地震とスマトラ沖地震、
・2007年に、中越沖地震、
・2008年には、ミャンマーでサイクロンで死者・行方不明は13万4千人以上。
 5月12日- 中国で四川大地震発生。M8.0、累計で4千万人以上が被災し、6万9千人が死亡。米国でリーマンショックが発生。
・2009年1月20日 - バラク・オバマがアメリカ合衆国建国以来、初の黒人大統領とし第44代米国合衆国大統領に就任。
・2010年には、チリとハイチで大地震。ハイチでは30万以上が死亡。
・2011年に、東北大地震で2万人近くが亡くなり、福島第二原子炉が破壊された。チュニジアのジャスミン革命が各国に波及し、
 アラブ各国で独裁政権に対するデモに発展。エジプトでムバーラク政権が崩壊、リビアでNATOが軍事介入し半年間の内戦の
 末にカダフィ政権が崩壊した。(アラブの春)アルカーイダの最高指導者とされるウサーマ・ビン・ラーディンが、
 パキスタン・アボッターバードにて米国の特殊部隊との銃撃戦の末に殺害される。
▽ 東北大地震の直後、私の事業もあっけなく消滅。 時系列でみると、10年前に、こんな予測をしても誰も信じない。
 が、現実には次々に起きている。 とすると、2014/02〜2024/02年は、これより大きな自然災害、経済災害があるはず。
 それを前提に対策を立てておく必要がある。まさか地元の中越地区に二度も、大地震があるなど思いもよらなかった。 
 いま考えられるのは、首都直下型地震、南海トラフ地震、富士山の噴火の可能性が高い。また静かな世界恐慌?が表立って
 くるのも自然の成りゆき。その中で、情報革命が劇的に進んでいる。 パソコンがスマートフォンや、タブレット型に
 収まるとは、当時は考えられないこと。次の10年は、メガネ型、腕時計、ジャケットなどの身体の一部になる装着式。
 危険な大震災の可能性と、反面、面白い時代になる。ブラックスワンがいるが、大部分はホワイトスワン。
  私個人としてのブラックスワンは、「死」。5分5分、いや6分が到来? で、その日のための予習を楽しんでいる。
 一応、やりたいことは、やり終えた実感は、小さい範囲としても、気が楽である。 それも吹っ飛ぶのだろうが。
・・・・・
4348, 書くことが思いつかない人のための文章教室
2013年02月10日(日)
             「書くことが思いつかない人のための文章教室」近藤 勝重 (著)
  * 「思い出」を簡素に書き出せば、それで立派な文になる!
    まずは ー内容よりー
 ≪「文章を書く」とは、長い間の記憶から体験を引き出し描写することだ。自分にはそんな特別な経験はないと考える人でも、
・うまい引き出し方さえわかれば書ける。また、伝わる文章にしたいなら、くどくどと説明してはいけない。とにかく描写せよ。
・細部に目をこらして書けば、真に迫る。たとえばさびしい気持ちなら、「さびしい」と書くな。さびしさを表わす「物」を
 描写してそれを伝えよ ―ベテラン記者で名コラムニストが、ありきたりにならない表現法から、書く前の構成メモ術まで
 使えるコツをやさしく伝授。≫
 ▼《「文章を書く」とは、長い間の記憶から体験を引き出して描写することだ。》この本の要点は、この一文に要約されている。
  12年近く、一日に2時間以上かけて、この随想日記を書き続けているが、膨大なエネルギーを入れ続けても、この程度。
  今の私にとって、これがベストの習慣。そこで一番の難しいのがテーマの設定。そうそう毎日、ネタは出ては来ない。
  全く浮かんで来ないときは、気まま、思いのままに書いた些細なテーマの「閑話小題」が逆に面白いと言われる。その日常の
  ことは、もう一つのブログ「バードウォッチ」に書いているので、更に見つからない。数度に一度は、そこの文章をカットし、
  閑話小題として随想日記に書き直している。兎にも角にもテーマのネタ切れに毎日のように直面している。そこに図書館で
  この本を発見した。そこで、たまたま手元にあった随筆集を目を通したら、全てが体験の思い出。フッと浮かんだ体験を
  意識し書き出せば良かった。これまではキーワード探しに気持ちが向っていたが、「思い出」でよかったのである。
   随想は、その人特有の「思い」を書くものだが、「思い」を書こうとするとテーマなかなか出てこない。「思い出」なら、
  誰にでも生きてきただけある。それを気楽に書けばよい。体験談は、自分にとって当り前の記憶でも、第三者からみれば、
  これほど面白いものはない。 著者は、「良い文章とは?」に対し、「内容があること、そして、それが的確に表現されて
  いること。この二つが借ものでなく、その人自身のものであること」という。そのため、思い出を素直に具体的に書けばよい。
  経験を書くことを「ひけらかす」と思い、躊躇していたら良い文章は書けない。 たったこれだけの事を、12年間も書き
  続けてきて、殆ど意識しなかった。それぞれの人生は、唯一無二の体験の蓄積。それをそのまま表現すれば、これほど面白く、
  興味深いものはない。だから、ツイッターなどの何気ない呟きの公開が爆発的に世界中に受け入れられた。 ということは、
  これは、メモ的雑記帳を総称して「随想日記」と言っているにすぎないことになる。 随想と、他と分ければよいのである。 
  それも12年も書き続けると、お分かりのとおり、同じ事を、見方を変えて繰り返することになる。 続けることは大変!
・・・・・・
3973, 被爆と喫煙リスク
2012年02月10日(金)
   * 改めて知る、喫煙の恐ろしさ!
 現在、放射線被爆が問題になっているが、100ミリシーベルトの被爆でがん死亡率が0・5%増加し、これ以上増えると
直線的にリスクが上昇することが分かっている。 しかし喫煙では、ガンによるリスクは1・6倍に上昇するが、
それに匹敵する被爆量は2000ミリシーベルト。受動喫煙でも100ミリシーベルトになる。飲酒、野菜嫌い、運動不足、
塩分のとりすぎなど「巨大リスク群」からみたら100ミリシーベルトなど僅かな誤差レベル。 但し、幼児を除いての話だが。 
そうこう考えると、幼子のいる家庭以外は、それほど心配することもないことになる。 「正しく怖れよ」といえる範疇。 
ある資料によると、内部で働いていた東電社員の最高値が678というから、それでも喫煙者の危険度の三分の一でしかない。
 私は毎年人間ドッグでCTスキャンを20年近くも受けているので、かなりの被爆を受けたことを最近知った。
原発事故の被爆が恐るに足らずと言うのではなく、幼児と成人を同じレベルで考えることはない、ということ。
一般的には、放射能が大気に放出して、地面、海、川に降り注いで、それが農作物や家畜を通して人間の体内に蓄積される。
その内部被爆の危険性は確かに大きい。問題は、その影響が出てくるのは数年後、数十年後である。そのため子供を持つ親としては、
万一を考えて、その地を離れるケースが多い。 現に東北、関東に在住の子息を帰国させるケースが多い。煙草の喫煙のリスクには
慣れてしまい平然としているが、被爆リスクには神経質過ぎるのも問題である。 被爆リスクの問題から、喫煙の恐ろしさを確認した。
危険率1・6倍は、あまりに大きなリスク。3000ミリシーベルトの死亡率が5割とすると、喫煙者が酒を飲み歩き、珈琲を何杯か
飲むと同じレベル? 分かっていてか、自制不能か、破壊された原発内の作業員の10倍のリスクを負っている認識がないだけ。
 緩慢なる自殺というより、トリカブトの自殺に近いか。 これも、タバコを痛飲に置き換えると、自分にも当てはまる。
 ーーー
3608, 人生には3つの坂があるというが
 2011年02月10日(木)
  以前にも書いたことがあるが、人生には上り坂、下り坂、そして「まさか」3つの坂がある。
この言葉は大河ドラマの毛利元就の中でも言っていた。 この十年を振り返ると「まさか」の連続であった。
2001年の9・11テロから始まり、地元では大地震が二つ、世界では数万人以上の死者が出た地震が相次いだ。
その間に携帯電話がスマートフォンに進化、ノートパソコンから板状のタブレットパソコンに重心を移行始めた。
政治ではアメリカで最初の黒人大統領が選出された。そして現実社会とは別に、いま一つネット社会が出来てしまった。
そしてHPからブログに進化し、さらにミニブログのツイッターや動画サイトのYoutubeが出現してきた。
 今年に入ってネット普及の結果、一瞬にしてチュニジア、エジプト、イエメンなどの独裁政治がドミノ倒しになっている。。
その飛び火が、アルジェリア、シリア、リビアに及ぼうとしている。 経済面では、2008年のリーマンショックで、
世界恐慌に陥る寸前の様相。 次の「まさか」が何かを知りえないから「まさか」になるのだが、その背景にあるのは、
半導体の「ムーアの法則」といわれる日進月歩の進化である。 この法則は、1965年にインテル社のムーアが
「LSIのチップ上に集積されるトランジスターの量は、18〜24ヶ月ごとに二倍になる」という法則で、
45年経過した現在でも続いている。これは微細加工の技術よるもので、現在では一センチ角にトランジスターが
地球上の人間数を遥かに上回るほど乗る集積度というから驚きである。 私が中学生の時に初めてみた、あのトランジスターが
一センチ角に100億以上も乗るのである。10年に一度位に、もう限界に来たと騒がれるが、何時も、それを乗り越える技術が出来る。
それとネットが結びつき、それぞれの情報基地を結びつけるのだから、情報は一瞬のうちに世界中を飛び回る。
10年前に、現在の姿を誰が予測できただろうか。それ以上に、今後10年の変化は加速度的に進むとしたら、どのような姿であろう。
 この十年の変化以上のことは間違いないとすると・・・
 ・・・・・・・・
3243, 新・欝の時代
 2010年02月10日(水)
去年暮れの週刊朝日に、作家の五木寛之と在日韓国人の政治家カン・サンジュンとの対話‘まだ続く「鬱の時代」’が考えさせられた。
「これからはすべての分野が鬱の方向に進んでいく」と、前回の2008年の二人の対談で、そう語った。そしてリーマンショックが起こり、
世界、そして日本は先の見えない不安に覆われている。 ここで二人の対談の要旨を纏めてみると、
・グリーンスパンが100年に一度の危機といったが、そんなものではない、今起きているのは300年〜500年に一度の恐慌である。
 現在の世界を支配しているのはキリスト教的文化圏。その基盤にある人間至上主義からぬけださないと・・・ ー五木寛之
・我われの社会は、自由であって人は固定化されないのが大原則のはずなのに、現実は格差社会。 この問題は、格差がある
 ことが問題ではなくて、格差が固定化されていることが問題である。  ー五木
・2010年を予感してみると、一瞬、小康状態の年になる。嵐の前の静けさです。 でも、その後、暮れから11年にかけて、
 二番、三番の、大恐慌、大不安がやってくる。 平安末期から鎌倉への変動のような大変な時代がくるだろう。
 戦後の預金封鎖や円の切り替えなどを思い出す。  ー五木
・こういう不安の時代、人間は「個人」を再発見することになる。 平安期から鎌倉にかけての飢饉のとき、
 人々は身分に関係なく、こころの闇を見つめた。 それが一連の現在の宗派の教祖をうんだ。
・2010年の明るい兆しといえば、いろんな関心の中心点が変わってくる。
 これまで医学の辺縁にあった精神科、免疫学、公衆衛生などが中心におかれて、新しい光を浴びることになる。
・そういう時代の中、「諦める」ことからスタートしなければ。 諦めるは、「明らかに究める」という読み方をする。
 今の日本の有り様や自分自身の心や地位を「諦める」ことで、新しいスタートをきる。
・「人生とは荒涼たるものだ。人間が生きていることは凄惨なものだし、死ぬことは荒涼たるものだ」と
 五木は『人間の運命』で書いている。 ただ、そこを超えると、光が見えてくると!
 ==  以上だが、二人とも暗い性格でマイナーになるが、こういう鬱の時代だからこそ彼等の見方も必要になる。 
 どうみても、現象面では21世紀に入ってから変であるのは周知のこと。最後の打撃だった9・11テロと、リーマンショックで、
 これまでの価値観を根底から破壊してしまった。ソ連が破壊した時は、700年来のロシアそのものが崩壊したとの見方があった。
 それに続いた欧米資本主義の崩壊は、世界にとっても日本にとっても、近代資本主義=欧米主義の 終焉と五木は言うのである。
 その辺のところを押さえてないと、目先の楽観論に惑わされる。
 ・・・・・・・・
2009年02月10日(火)
「強欲資本主義ウォール街の自爆」神谷英樹著            ー読書日記
投資銀行家として24年間、ウォール街の現場で「アメリカ型資本主義」の有り様を見た批判の書。
内幕暴露モノ的で面白い内容である。 アメリカの金融街、特に巨大投資銀行の貪欲な人たちの、
異常な資本主義の実態を暴いている。 そして米国民の過剰消費という「悲しさ」「欲深さ」を指摘している。
アメリカの金融が収益全体の4割を占めてしまった。 その先頭を走り続けたウォール街の暴走と自爆が、
今回の恐慌を生み出したのである。アメリカの社会と人間の劣化をどう立て直すかを問いかけられたのが金融危機。 
暴走を食い止めるためにルールの根本的修正が必要である。
 ーまずは印象に残った部分を抜粋するー
・「悪いのはアメリカンスタンダード、ウォール街の強欲である」
・「今日の儲けは僕のもの、明日の損は君のもの」 ハイリスク・ハイリターンのビジネスを行い、成功報酬はしっかり
 もらうが、巨額の損失がでたら無関心。失敗したら、尻拭いは国民の税金任せというモラルの無いのがウォール街の実態。
・「モノ作り」ができなくなったアメリカが「金融立国」を目指し、成功したかに見えたが、行き着いた先は、顧客に目を向けず、
 数字と戦う強欲な人間たちが金を集めるだけの世界。 その結果、1929年の大恐慌以来といわれる悪夢が金融界を襲っている。
・「世界一極支配のアメリカ中心世界感」が崩壊し始めた。
・ 市民の消費三昧主義、今借金して楽しんで(消費して)、負債は先延ばしの生き方に走る市民。
・「金融マンは実業を営む方たちの脇役に徹するべき」。
 「主役である実業を営む方たちの事業構築を助けるのが金融本来の仕事のあり方であり、それこそが身分相応。」
 しかしファンド・マネージャーに興味があるのは、『株主の利益』と『自分の収入』だけである。
・トップラインとボトムラインの間にある項目をいかに圧縮するか熱心に取り組むだけである。
 「給料を減らす。社員を減らす。仕入先を泣かす。最大限に借り入れてレバレッジを効かし、
 支払い金利を膨らませ、税金は極力圧縮する。かれらにとっては、これこそが経営の神髄となる」
・アメリカをはじめとする先進諸国、そして世界。借金と消費ならず浪費社会、浪費に頼った成長政策。
 「借りた金で今日を愉しむ」「借りた金で投機する」
 「ノンリコースで借りた金は、返せなくなったら担保物権の鍵を渡せば終わり」それを法律で認めてしまった。
・資本主義の行き着いた先が金融市場の国有化とは何たる皮肉であろうか
・日本もアメリカも、経済社会がバブルにまみれ、強欲と拝金に席捲されたときに、人の心から大事なものが
 失われてしまった。 何でもデジタル志向で、「0か1」しかない。その中間が配慮できない。
 ▼ 以上が、印象に残ったところである。「『自由も、放任すると、こうなる』という歴史的汚点として、
  ブッシュから遡ってレーガンまでの大統領の各々がたが、残る」と思うと何とも不思議な気持ちになる。
  特にブッシュ親子は歴史上最低の 指導者として数千年も弾劾される。 哀れといえば哀れ。
 ・・・・・・・・・・
2008年02月10日(日)
2503, 閑話小題 
 *長岡の呑み助から見た夜の世界
毎週のように不景気の実態の話をしているが、地方経済の衰弱ぶりは生々しい。一昨夜は、中学の同期の女性のスナックに入ったら、
今月で27年間の店を閉店するとか。スナックの中では名前は知れわたっている店で、2年に一度位、合計7〜8回はいっていた。
 *大相撲の国技の意味
(字数の関係でカット 2010年02月10日)
・・・・・・・・・
2007年02月10日(土)
 2139, 白い雲に乗って  
夜半に幻想的な夢をみた。 小さな白い雲があった。それに乗ると、ふかふか浮いて異次元の世界に引き込まれてしまった。
そこは4歳の頃の世界におりたようだ。すべてが鮮明な蘇った当時の世界が浮かび上がってきた。両親がいて、兄達と姉達、
そして多くの従業員がいた。そこは越後長岡の十字路のど真ん中にある当時の私にとって大きなビルの中。  
  一階が店、二階に事務所と倉庫があり、三階に家族の住まいと台所、
  四階には従業員と姉達の部屋があった。白銀に輝くファンタジーの中に包まれていた。
三階の住まいに猿のタロー、そしてタマという茶色の猫がいて、そこでラジオから童謡とか歌謡曲が聞こえていた。
店には若い女店員が多くいて、ぼくを「ハッちゃん」と頭を撫ぜてくれている、正に当時の真っ只中にいた。
コロという生まれたばかりの白黒の小犬を運一・兄が拾ってきた。そして三毛猫のタマとコロがジャレている。
その空間には何時も緊張感がただよっていた。燕が飛んできて窓に当たって死んでしまった。初めて死をみた瞬間だ。
いやに首の下の赤い色が印象的だ。そこを出たところには大きな通りがあり、多くの人が歩いている。小さな三輪車で駅の方に
行くと右手に小さな公園があり、その脇に池があり小さなスイッカスが水上を泳いでいた。そうだ、ここは公会堂の裏にある小さな
山の上に神社が祭ってある公園である。周りを見渡すと植木の展示会が開かれていた、多く鉢がところ狭しと並んでいる。
その先に大きい広場があった。それは阪之上学校の運動場。何時も遊んでいる近所の子がいたので声をかけると、スーと消えた。 
夢をみているのだろうか?いや夢のはずがない。ぼくは間違いなく、ここにいる! ズットここにいるのだ。何で、ぼくは、
ズ~ットここにいるのだろうか? 忘れたが何か遠い遠い旅をしてきたようだ。何の旅だったのだろうか、僕はどこにいってきたのだろう?
そこで、無性に悲しくなり大声で泣いてしまった。泣いても泣いても、あの遠くのズット向こうの世界は戻れない!
ぼくはもう、あの遠い世界には返れないのだろうか?ふと脇をみると小さなコロが悲しそうな顔をして、ぼくをみていた。
でも、コロがいたので安心をして三輪車を引っ張りながら家路についた。両親は忙しそうに働いている。
その横で姉達は今度法事で着る洋服を試着して笑っている。その後に夕飯の時間がきて、丁度みんなで食べようとしていた。
父チャンがいて、ぼくもふくめて子供達が8人が勢揃いをしてご飯を食べた。外がいやに賑わしいのでみると、
長岡祭りの山車が次々と通っている。三階の窓から手を振ると、屋台の上から男の人が笑いながら手を振り返した。
何かそれをみていたら、嬉しくてケラケラ笑ってしまった。しばらくすると父親が今日の売り上げを持って下にある店から上がってきた。
(字数の関係でカット 2014年02月10日)


4714,現代のベートヴェン 〜2

2014年02月09日(日)

‘現代のベートヴェン’のゴーストライターのライブの記者会見は、「事実は小説より奇なり」を、そのまま地でいく内容。 
物語風に、現代のベートヴェンの経緯をまとめてみるとー   <私もミーちゃんハーちゃんになったもの(元からか!)>
《 18年前に(仮に彼をAとする)Aが作曲家で一旗上げようと思い立った。が、才能がない。そこでA自身をタレントにして、
 作曲はゴーストライターに任せることを思いつく。親が被爆者であるのを利用し広島被爆二世の作曲家として売り出した。
しかし、それだけでは、いま一つインパクトが足りない。そこで全聾の悲劇を加えることを思い立ったところ、これが
大当たりになり、NHKスペシャルで放映される。ところが、あまりに売れたため、ゴーストライターが恐ろしくなり、
止めたいと言い出したが、Aにとっては引き下がれない。そこで自殺を仄めかして、作曲を強要。とこが、オリンピックの
フィギアスケートのテーマ音楽に取り上げられ、その重圧にゴーストライターは、自滅。週刊誌に、ことの真相を告白。
そこで共同会見が行われ、全聾もバラされてしまった・・・》
 ▼ これに殺人を絡めれば、刑事シリーズの『相棒』物語になる。現に似たストーリーがあった。
  また、その謝礼金額の安さにおどろいた! 現代のベートベン・Aの後ろ盾に、誰か企画立案者などがいるはず?
  問題は、この件が刑事事件になるかどうか? 会見の記者の質問の鋭さは流石。 著名なシンガーソングライターに、
 こういう類の話が多いだろう。「たけし」には週刊誌の連載や書籍があるが、彼に公然としたゴーストライターがいる。
 しかし誰も咎めはしない。「たけし」だからだ。 ゴーストライターが本人と対話しながら、内容をまとめるのだから、
 別に問題はない。 以前、ここで取り上げたプレーボーイの元編集長の島地勝彦は、有名作家のゴーストライターを自認、
 堂々と『乗り移り人生相談』を出版している。 二年前に、そのものズバリの『ゴーストライダー』というハリウッド映画を
 見たことがあった。『戦場のピアニスト』などのポランスキー監督が、ロバート・ハリスの小説を映画化したサスペンス。
 <元イギリス首相のゴーストライターとして雇われた平凡な男が、ある秘密に吸い寄せられていくさま>が描いてあったが、
 これが面白かった! これを題材にした小説をゴーストライダーと組んで出版すれば、面白いものが出来ること受けあい!
・・・・・・
4347, 暴力団  ー3
2013年02月09日(土)                        
   * 実際にホテル現場であった手口とは        「暴力団 」溝口 敦 (著)
 現場の苦情処理はチーフとマネジャーが対応していたが、ホテルが4棟に分かれているため支配人と副支配人も直接受け持つ。
最後は支配人に来るが、私のところに来ない。私が出れば浮き役が無くなり引っ込みが効かなくなる。脅す方も、社長が出た時は、
警察に直結するため口先で出せと言っても本気ではない。彼らは、常日ごろ刑事が宿泊者チェックに来ていることを知らない。
だから脅すのだろう。 しかし常に夜半に刑事が警察にいるわけでない。刑事とて公務員。基本は自助努力しかない。
普段から指名手配書をフロント内に貼り付けておき積極的に通報するようにしているので、好意的に対応してくれるが、
脅しと分かっていても民事である。そう簡単に表立った口出しはしない。
 ところで、現場での手口である。開業2年目頃の、初めての脅しを鮮明に憶えている。明らかに暴力団風の男に電話を
受け継いだところ、切れてしまった。そこで、「数百万の商談が壊れてしまった。弁償しろ!」と凄んできた。 明らかに脅しだが、
電話の取り次ぎのミスも仲間と仕組んだのは明らか。さてどうするか・・ ただ謝るしかしかないが、彼らは、そう簡単に脅しで
金が取れないこと知っているので執拗。 最後は、諦めたが! 似たようなケースで副支配人が二人組にナイフを突きつけられ、
数万、強奪されたが、逃走中に警察に逮捕された。ナイフが逃走の車中にあったので立件が出来たが、もし無かったら、そのまま
釈放されたという。4〜5年前には水商売風のアベックの女性が、風呂の石鹸を使ったら肌が荒れたと病院に行き、その診断書を
見せて何とかしろ!と凄んできた。これも刑事に相談しても、難しいという。「示談はしない、裁判所を通して下さい」と突っ張ると、
「10万円で手を打とう」と言ってきた。具体的金額を言うと脅しになり警察は介入すると聞いていたので、連絡。 
警察もチンピラの脅しの対応など御手のもの。 二人が外出をするのを待って、後から歩きながら、「私は刑事だが、地元の組に
挨拶をしてやっているのか?やっているとしたら組の責任もあり大問題。挨拶無しでは、ただで済まないぞ、どっちなのだ!」と、
気合をかけたら、逃げるように二人は消えた。事務所に、恐喝をしてきた宿泊の二人組が執拗に電話で脅してきたので、録音を
して警察に提出したところ、これまた逃げるように消えたこともあった。要は、ケチなチンピラだが、持って生れた天性があるが、
簡単に屈しない相手を見分ける嗅覚もある。間違って直接電話に出てしまった時は、瞬間、電話を切る。2〜3回繰り返せば、
二度と来ない。脅しようがないからだ。直接、事務所に乗り込んできたことは、一度も無い。それをすると強盗になるからだ。
何度か、彼らの脅しの現場を至近で見たことがあるが、当事者でないとしても、恐怖のどん底に突き落とされる。
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3972, 閑話小題
2012年02月09日(木)
  * 大地震が夜半に起きないのは何故
 関東大震災、神戸淡路大震災、中越地震、柏崎刈羽地震、この東北大震災、そして海外ではスマトラ沖大地震、
四川大地震、ペルー地震と、小さいのは別として、最近の大地震は何故か殆どが日が明るいうちに起こっている。
太陽系の引力にも関係しているのだろうか? もし東北大震災が、夜半だったら、数倍の死者が出ていたはず。
日の入りの時間は約半分として、上記の最近の地震全てが日が明るいうち、というのも偶然にしては? 
台風も、不思議に週末に集中する。
  * 単身女性の3割がワーキングプアー?
 先日、TVで単身女性の3割がワーキングプアーと報じていた。個々人の事例を紹介していたが、男性のような暗さがない。
その生活も決して不満でなく、それなりに満足している? 心のどこかに「白馬の騎士が迎えに来てくれるかも?」の願望が
あるのだろうか? 女が一人で生きていくのは甘くないが、今さら元に戻れない。 まだ社会に余裕があるから明るくいられる?
時代が、さらに厳しくなった時に、その明るさはなくなる。母子家庭の過半数以上がワーキングプアーというが、単身女性も加え、
女性の時代という掛け声と現実の違いはあまりに大きい。 国民の平均所得の半額以下の収入の人をプアーというが、その規定を
見直すことも必要の時期にきている。プアーの言葉が世に出てきたため、意識をするようになっただけか?
右上がりの時代から右下がりの時代の対比からみて、明らかにプアーの時代になったことは確かである。
この言葉の規定からすると、国民年金生活者は全員プアーになってしまう。プアーだが、情報だけはリッチの時代。
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3607、絵になりますね
 2011年02月09日(水)
「この風景、何処から撮っても絵になりますね」など、風景、場面の美しさを表現するのに「絵になる」という。
「アート画転換ソフト」は、その言葉のとおりにデジタル化した写真を絵画やアート画などに転換してくれる。
絵を描くのはプロでも大きなエネルギーを要するが、気楽に一瞬のうちに転換してしまうから驚きである。
デジタル写真を絵に転換すると、何故、気持ちが響くのだろうか? そもそも絵とは何か?
  ーそこで「絵」とは何かをウキィペディアで調べてみたー
≪絵画は、板や布、紙、壁といった支持体と、絵具などの描画材料による特定の支持体に対する描画で成立したもの。
板や布に描かれた油彩画やテンペラ画、フレスコなどで描かれた壁画を指す。紙に描かれた水彩画などは含めるが、
木炭や鉛筆で描かれたものは含めない。≫ 
 この説明では、書かれた絵の意味することの説明にはならない。絵は描く人の直接手描きの主観と気持ちが入っている。
対象に集中した魂が絵画の絵画たる由縁である。それからして、この転換されたデジタル絵画写真は、果たして絵画と言えるのだろうか。 
先ほどの「板や布、紙、壁といった支持体をパソコン画面かネット上に替え、絵具などの描写材料がデジタル写真による支持体とした
描画で成立したもの」とすると、デジタル絵画としての立派な絵になる。手描きはデジカメで現場で撮ったことに置き換えられる。
そう、これはバーチャルペインターという絵画ロボットが描いた立派な芸術である。それは、誰もが過って見たことのない
新しいバーチャルの世界であり、これまでは一部の専門家しか出来なかったアート画を、気楽に絵画ロボットが変幻自在に描き上げてくれる。 
そこに現れ出るのは、今までは絵としては表現出来なかった、異次元のデジタル芸術の世界が創造される。 
実際に、過去のアナログの写真をデジカメで取り直し、ロボットで絵画転換をする度に過去が新たによみ返ってくるようである。
その現場で写した写真がアート画になるとは、数年前までは、誰も想像すら出来なかったことである。
IT化の凄みの一例を垣間見ている。成るほど、20、200万年に一度の境目で見えてくる現象はこんなものか。
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3242, 葬式は、要らない
2010年02月09日(火)
「葬式は、要らない」 島田 裕巳 (著)
 ーアマゾンの内容紹介よりー
 日本人の葬儀費用は平均231万円。これはイギリスの12万円、韓国の37万円と比較して格段に高い。
浪費の国アメリカでさえ44万円だ。実際、欧米の映画等で見る葬式はシンプルで、金をかけているように見えない。
対して我が国といえば巨大な祭壇、生花そして高額の戒名だが、いつからかくも豪華になったのか。どんな意味があるのか。
古代から現代に至る葬儀様式を鑑みて日本人の死生観の変遷をたどりつつ、今激しく変わる最新事情から、葬式無用の効用までを考察。
葬式に金をかけられない時代の画期的な1冊。 〜この一冊を読んでいるといないとでは、葬式費用は大きく違ってくるはず。
先日の新聞広告に、この本の見出しをみて、以前にあまりに高い葬式費用について書いたことを思い出した。図書館の本棚に、
「葬式僧侶と、葬式業者のボッタクリ」の内情が書いてある本が数冊ならんでいる。それを宗教学者の島田裕己が書いたのだから、
説得力も増す。最近、不景気も重なりジミ葬の流れが出来始めてきた。さらにGMSのイオンが葬式に参入するという。 
これは葬式業者にとって大きな脅威である。身内の死で慌てふためいている人の隙を突いて、世間様並みにというキーワードで、
タカルのがナリワイ。 戒名など、自分でつくれるし、そのほうが葬式坊様につくってもらうよい、ず〜〜〜とよい。
ネットで「戒名のつくり方」とでも入力をすれば、幾らでも基本が書いてある。直葬でけっこうと、いいづらいのが日本!〜
 * 直葬とは
 葬式をせず火葬だけすることを「直葬(ちょくそう)」という。これまで我が国では、人が亡くなってからは
死亡→通夜→葬儀・告別式→火葬というステップを経るのが一般的でした。
これに対し、死亡→火葬と、途中の儀礼・イベントを取り払ってしまうのが直葬です。
※ 直葬に対応してくれる葬儀会社をネットで探すには、「直葬+プラン+(地域名)」で検索するか、
 葬儀会社特有の呼び名である「火葬式+(地域名)」で検索するのが、おすすめです。
 * 直葬をどのくらいの人がしているか?
正確な統計はありませんが、専門家の推定では、2008年時点で東京都下の20〜30%、地方の5〜10%が直葬だと見られます。
直葬そのものは生活困窮者や天涯孤独者については昔から行われてきたが、それが一般に広まり始めているのが、最近の特徴。
 * なぜ直葬が増えているのでしょう。
 あくまで仮説に過ぎませんが、次のような要因が考えられます。 平均寿命の伸長(つまり死亡年齢の上昇)により、
社会的儀礼としての葬式の必要性が薄れた。 格差社会の進展で、生活困窮者そのものが増えている。宗教、とりわけ仏教離れ。 
葬式を金銭や時間、手間の点で「ムダ」と考える人が増えているメディアでの報道により、直葬が「市民権」を得つつある。 http://www.yuigon.info/keywords/chokuso.html ー遺言情報局
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2867, 「ほめる」言葉  − 4
2009年02月09日(月)
人は9割がたが褒められた事がキッカケで成長するという。子どもの頃を振り返ると納得する。
母親が38歳時の子どもだったこともあり、母はことあるごとに褒めていてくれた。
また4人の姉の存在が女性心理からみた褒める以前の知職を経験的に教えられた。
・下手に女性を褒めないこと ・嫌らしくしないこと ・媚びないこと 
・心を開いているようで開かないこと ・優しくすること ・何気なく褒めること 
・噂話は絶対にしないこと、などである。 
褒める以前に、その人の品性の裏づけがないのは、相手の心に響かない。 話しは変わるが、十年ほど前のこと。
同級生が300人ほどの何かの講演会の締めの挨拶に立った。その会の後に。同級生が十人ほどいたので急遽、親睦会を開くことになった。
和気藹藹と飲んだ後に、その男が隣に来た。「挨拶は如何だった?」と聞かれたので、「御前さんも、やっと面(ツラ)が出来てきたな」
と言うと、すかさず「どういう面だ?」と一歩つ込んできた。そこで思ったまま「我われに笑されている自分を、笑っている面だ。
それが何とも味があった」と、その時の本人の嬉しそうな顔は、まだ忘れられない。 上手く褒めた時は、褒めた方も嬉しいのである。
 このところ「褒め言葉」系の本を数冊読んだためか、無意識で相手を褒めている自分が、そこにいた。
何時の間にか、それが無くならないように習慣の核にしないと。 先生は幾らでもいるのだから!
 
第三章 相手の成長をうながす「ほめ言葉」 ー相手の小さな進歩を見逃さない-精神対話士 Mさん
   −以下は字数の関係でカット(2010年02月09日
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2008年02月09日(土)
 2502, 「体験と偏見による養生の実技100」
「体験と偏見による養生の実技100」の例が、主観的だが面白い。
  その中で6項目を書き出し、考えてみた。
13、中心は辺境に支えられる。心臓や脳を気遣うなら、手足の末端を大切に。指先、掌、足裏など。
  解)フランスの、あの「成り上がり大統領」に聞かせてやりたいものだ。
35、人生50年というのは正しい。それ以降はオマケと考えて感謝の日々を送る。
  朝、目が覚めたときには、胸の上で手を合わせて、「きょう一日の命を、ありがとうございます」と言う。
  眠りにつく前には、同じく「きょう一日の命を、ありがとうございました」と言う。
  解)もともと、おまけと考えればよい。 死を悟ったときに気づくことだが。
50、仏教では「われありて、かれあり」という。笑うことは心身によいが、泣くことも同じ。涙は魂を浄化する。
  解)泣き笑いか、人生は!
 (字数の関係でカット2010年02月09日)
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2007年02月09日(金)
 2138, 中年の心象風景   オッ(*^○^*) ハ〜ヨウサン!       −読書日記
【人生のことは、小説が教えてくれた】 高橋敏夫著 中経出版
この本の中に、中年期の心象風景を見事に書き出した文章を見つけた。よくぞこれだけ巧く表現できるのか感心する。
中年期も終わり、そろそろ熟年ー初老期に入りかけてきて、人生を振り返ることが多くなってきた。
今まで振り返らないように意識的に前向きに生きてきたが、最近は、「ここまで来れば、振り返るのもよし、一日一日を一期一会
として生き、日々・現在を充実するもよし」の心境になりかけている。ここには、中年期の人間の心象風景がズバリ語られていた。
私は(いや誰もが?)現在でも、この心象風景はつづいている。いずれにしても、夢と現実の段差と隔離を心の中に抱えて日々を、
ただ精一杯生きるしかない、色で例えれば紫色かダークブルーの時期である。青年期に抱いたあるべき理想の自分とはかけ離れた自分を、
青年期の残像としての自分がつめる屈折した時期である。(大部分がと!あえて言っておこう)
 ー まずは、その一文を書き写してみよう!
青春が夢みる時代であるとすれば、つづく中年は夢の実現の時代ではない。わたしたちのほとんどにとってそれは、夢の不可能を知り、
夢という言葉さえ忘れて生きる苛酷な時代である。夢みることが、「現状の否定」に発するとすれば、その不可能の自覚は屈折した
「現状の肯定」になりざるを得ない。楽天的な「現状肯定」ではなく、「現状の否定」が不可能であることを知った者の「現状の肯定」
になるからだ。しかし、このときわたしたちは、はじめて「現状」というものと直面している、といってよいだろう。
それは否定しようもなく、わたしたち個々人の思いを越えて、たしかにここにある。現状のおもさをうけとめたとき、わたしたちは
ようやく性急さから解放される。現状とむきあい、性急な夢に逃避することなく、ねばりつよく生きることを選ぶしかないのである。
そして、性急な夢から解放されたとき、わたしたちは、ねばりつよく生きることに見合う、ながく、しずかな「夢」をいだきうるのだろう。
夢みる青春からみれば、それは夢でないかもしれない。たしかに、この「夢」は青春の夢の廃墟からはじまるがゆえに夢をこえた夢なのだ。
 現状否定から現状肯定へと移行するように見えて、その逃れえぬ環境でねばりづよく生きることで、わたしたちはしずかに、
だが着実に現状を変更し、わたしたちじしんを変更していく。ここには、現実の大きな力によって押され退きつづけながら、
ここからはもう退けないという思いがあり、生きつづけることでいっそうふくれあがる破壊衝動があり、家庭の中の男と女の従来の
あり方への不満があり、見方を変えることで生にあらたな実感を導きいれようとする試みがあり、生活の細部でつながる、切れそうで
切れない人と人の関係があり、そして、情痴のさらにその奥のさらにその奥の情痴へとつきすすむ紛れのない生の暗い輝きがある。          
 ーー
 〜 以上だが、何とも中年の風景をそのまま見事に描き出している。
この内容は、決して中年期だけでなく、人生の最晩年でも味あう深い諦念でもある。


4713,<つまずき>の事典 〜「男神話」   ー3

2014年02月08日(土)

                    <つまずき>の事典> 中村邦生編著
   * 「男神話」のバイアス
 森林(俗世間)から、サバンナ(御隠居)に移り住んでみて、森林生活の思い込みが如何に主観的過ぎたかを思い知る。
「男神話」のバイアス(思い込み)への疑問はサバンナに出て初めて気づいたこと。
 ー以下の文章は、その辺りを、鋭くついている。 
《 私はいつも男であることを嫌悪してきた。男らしさに対するアメリカでの全般的な考え方は、憐れむべきもので、
 一生涯のあいだ寸法の合わない上着を着ていなければならないことに、ちょっと似ている。(対照的に、女性らしさとは
 裸身を意識する耐えがたい抑圧感ではないかと私は想像している)。「男らしくしろ」という言い方にしても、侮辱的で、
 人を罵倒するような感じを受ける。その意味は、ばかになれ、非情になれ、従順で軍人のようになれ、頭を使うな、
 といったことなのである。ーポール・セルー「男神話」
 エッセイ「男神話」のなかでセルーがこだわっているのは、アメリカ社会の中で「男らしさ」の追求がいかに男たちに
抑圧的な役割を強いるものであるかという点である。何しろアメリカの元大統領の例に示されるように、週末の休暇に
カウボーイの格好をしてみせて、常に強い男の演出をしなければ自らの政治生命に支障をきたす社会なのだ。
物を書くという仕事に関しても、男らしい職業と言い難いが故に、アメリカ作家の多くは自らの「男」を証明するために、
大酒飲みであることを自慢したり、金銭的成功をめざしたり(富は男らしさの象徴)、ヘミングウェイのようにライオン狩りを
したり、といったように、これまで「血のにじむような努力を重ねてきた」のだ。
ついにはセルーが「男であることは、特権的であるどころか、むしろ無慈悲で懲罰的、重荷である」と嘆くまでに至るのを
聞けば、もう他人ごとに思えず、意気消沈する男たちも少なからずいるにちがいない。》
▼ 「男は男らしく、女は女らしく」は疑問の余地がないはずと信じてきた。しかし、振り返ると、実際に男らしかった
 だろうか?どうだろう? 「男神話」を信じて、男らしくあろうと必死だった姿が、滑稽で可笑しく、漫画的に思えるは、
熟女?が、よい年をして、「女神話」に乗せられ、高価の化粧品を買って、必死に化粧台に向かっている滑稽さと同じ。
昨日も、ハリウッド映画をみてきたが、「男神話」そのもの。いま問題になっている「現代のベートベン」も、その虚像を
演じた男の終末劇である。そういう私も、「男神話」を信じて疑わなかった一人である。 信じて演じているが、コスプレ?
その視点で世の中を見ると、全てコスプレ?そうみれば、逆にコスプレを楽しんだ方が面白い?「男」をコスプレしてきた?
・・・・・
4346, 暴力団  ー2
2013年02月08日(金)
                    「暴力団 」溝口 敦 (著)
 世界で不法集団が街の真ん中に堂々と事務所を開いているのは日本だけ。それを一般国民も認めているから最後進国並み。
10数年前になるが、個人経営の居酒屋に営業時間、堂々と組員が営業をするのだから驚いた。それも暴対法が出来てからは、
無くなったようだ。悪しき民主主義が、こういう人たちの権利も擁護をしていることも事実。
  ーアマゾンのレビュー(感想)にあった次の要約は、分かりやすいー
≪・序盤には、日本の暴力団の概略とその活動内容について書かれています。シノギについても、いろんなシノギがそれぞれ
 どういう活動で、どういう歴史を持ち、どういう風に行われていて、時勢にはどういう傾向が有るのか、どれくらいの収益を
 上げているのかが、具体的に書かれています。また、暴力団だけではなく、隣接する業界(風俗や解体、産廃業界等)が
 どういうふうに関わっているのか(たとえば、ソープやパチンコホール等の暴力団へのみかじめ料の基準)などが書かれている。
・中盤では、暴力団員的気質や構成員間の人間関係、刺青の意味・種類や入れる動機、アメリカやイタリア、チャイナや
 タイワンのマフィア、香港の三合会、などとの比較を通じて、暴力団とカタギの社会とのかかわりについても言及してあります。
 また、暴対法や暴排条例をはじめ、警察や行政組織、刑事法とのかかわり(ウィークポイント)について言及してあります。
・終盤では、従来の暴力団という性格の組織は維持できなくなりつつあること、また、それと関連して統制されなくなった
 アウトローが暴力団にかわる勢力(わかりやすく言えばオレオレ詐欺をやっている連中や、海老蔵の事件を起こした暴走族
 上がりのハングレ集団)として台頭の記述があります。≫
≪ 暴力団に会わずにすめば、それがベストだが、会うことになってしまった場合の対応などはとても参考になる。
 ICレコーダーなどの録音機をテーブルに置き、「録音させて頂きます」など相手の了解を得る。会っても暴力をふるまわれる
 可能性はほぼゼロ、警察に引っ張られるので暴力は振るってこないと安心していい。相手が脅してきた時は、「私たちでは
 対応できないので警察官に立ち会って貰います」と対応、正面からぶつかることを恐れない、妥協しない相手と思わせること。
 「誰が、どの様な権利と名目を持って、主張しているのか」という点を見失わない様に努め、毅然と対応することが重要と。 ≫
▼ 不況の上に暴力団対策法、暴力団排除条例が次々に施行され、警察の取り締まりも厳しさを増す中、下っ端の生活は厳しく、
 高齢化が進んでいる。 台湾の「流氓」は20代前後が中心なのに、日本の広域団体の直系組長クラスは高齢化が進み、六代目
山口組の「若頭補佐」で40代はゼロ、五代目時代は数名いるという。 台湾は若年化、日本は高齢化である。
イタリアの「マフィア」は、「3名以上で構成され、危害を加える恐れのある者の集団」と人数まで、設定されているのに対して、
日本の法律では人数などは言及がない。「半グレ」は暴力団とも対決できる新集団で、盛り場を変えている。暴走族上がりの
半グレ集団の関東連合。かつては暴力団員の予備軍だったが、半グレは暴力団になろうとはしない。なっても稼げないからだ。
新潟駅前には、得体の知れない若いグループが屯をし、酔い客や、若い女性に声をかけ、店やホステスの勧誘をしている。
駅構内の新幹線のコンコースで5〜6人が横に並んで声をかけている姿は、もはや司法国家とは思えない。警察の動きを携帯で
連絡をし合って神出鬼没に姿を現す。逆に4〜5人が若い警官二人を無言で取り囲み凄んでいる。荒んだ時代背景がある。
・・・・・・
3971, 閑話小題 
2012年02月08日(水)
   * 携帯とスマートフォン、複数所持7割
 TVの街頭アンケートで、携帯とスマートフォンの複数所持が7割とあった。
私自身、iPhoneのタッチ式の文字が小さくて相性が悪いこともあり、普通の携帯に逆戻りをした経緯がある。 
しかし、流れはスマートフォンに雪崩をうったように切り替わったようだ。街頭インタビューでは、携帯を電話専用に、
スマートフォンをパソコン代わりの情報収集に、使い分けているケースが多かった。 他に、会社用と個人用とか、
二台にして使い分けた方がスマートフォン一台より格安になるとか、色いろな使い分けがあるようだ。 私の場合、
iPadを簡易型パソコンと割り切って、使いこなしているので、携帯に変えたのが逆に良かったことになる。
 若者達は、ネットゲームで互いに遊んだり、仲間同士、ナビを使って現在いる位置を共有したり、テレビ電話をネットで
繋げたりして遊んでいる。 何度も書いているが、iPadで日常生活が変わってしまった。暇さえあればiPadである。
 他にも多機能TVも、居間生活を変えた。 数百の録画か、過去一週間の地上波のゴールデンタイムの面白そうな番組か、
WOWOWの中から選択できる為、面白いものばかり。家内がTVを見ている時は、パソコンかiPad。
横になってiPadで新聞、書籍が見れるのが、カウチポテト族には有難い。
   * 三丁目の夕陽
 少し前になるが、「三丁目の夕陽・掘廚鬚澆討た。これで3回続けてのシネマ通いになった。こと話題になった映画に関して、
外れと後悔したことは殆どない。 所詮は、すべて夢幻。 現実も、映画も、小説も、全てが虚構。そう割り切って楽しめばよい。
世の流れを、そのまま受け入れればよい。 ミーちゃん、ハーちゃんを楽しむ。これが家内から学んだこと。 それも人生経験を
積んだ後でこそ、その味わいが深くなる。 思い込み、先入観が、世界を狭くする。 高度成長期に向かって動き始めた
昭和三十年代半ばから後半が、この映画の時代背景。 団塊の世代向けにつくられた映画だが、当時は夢に向かって誰も必死に
学び働いていた、その頃の仄々とした空気が上手く映し出されていた。そしてバブルと、バブル崩壊、そして右下がりの20年を
経て現在に至っている。暗く淀んだ不景気の中で、明るい未来の予兆が国全体に漂っていた時代を懐かしむのも何とも複雑。
 ・・・・・・
3606, 大相撲八百長事件
2011年02月08日(火)
 結局、これも携帯電話から致命的な証拠を残してしまった。 去年7月に野球賭博で力士の携帯電話が押収された時から、
一部親方衆から八百長の記録が表沙汰になるのでは?と危惧されていた。力士は携帯の内容を消去をしてしまえば大丈夫!
と思っていたようだ。 しかし携帯の記録は専門業者を使えば直ぐに現われてくる。 ここで分かったことは、
十両の一勝の相場が20万円。そして互いの前後の場所の貸し借りで清算されるか、違う力士との貸し借りにも融通されていたことである。
「関取の互助会組織」が暗黙のうちに出来ていて、大関や、十両などからの陥落の際にやり取りされていた。勝ち星の貸し借りの
噂は私が子供の頃からあった。その辺を暗黙のうちに了承し見ると千秋楽の取組みは面白く、幕下から幕内の大部分を見てきた。
本来、相撲取りに道徳など求める方がおかしい。それらのイカガワシサを含めたスポーツ兼芸能世界を楽しむのが好角家であり、
目くじらを立てる方がおかしい。 ここで、何故に警察が野球賭博で携帯電話から得た八百長の決定的証拠を表沙汰にしたのか?
誰もがエッと思ったはず。そんなに警察も野暮ではないはず。そこには一部報道されている相撲賭博疑惑があるからでは?
暴力団が仕切っている賭博組織の摘発のためでは?と思うのは私だけではない。その前に尻尾切りで、ウヤムヤになるのか?
その辺の筋たてを見ている方が面白い。もう一つ政変の前には意図的に「目くらまし」の事件を立て国民の目を、逸らす力が働く。
3月政変への御膳とみると、成るほど合点する。 相撲を長年みてきた者として、過去の関取の大部分は、何らかの形で
八百長をしてきていると確信している。最近、怪我の相撲取りが多いのは、八百長がやり辛くなってきたためともいう。
力自慢の見世物という興行世界なら、暴力団や花柳界との出入りがあって当然のこと。芸者遊びをTVを通し楽しむ世界でしかない。
その異質の世界を、一般の常識で縛ろうという方が不自然。 「相撲取り、関取落ちれば、ただの馬鹿(デブ)」 
チョンマゲをつけ、褌姿で、裸でぶつかりあう神事を割り切って楽しめば良いだけ。やはり日本的ウヤムヤの延長しかないのか?
 たまたま二年前に、大相撲について書いてあった。
・・・・・・
2866, 大相撲が神事? 
 2009年02月08日(日)
大相撲が日本人力士の大麻吸引で、ますます面白くなってきているが「大相撲って実のところ何だ」というと、
いかに曖昧である。「国技」?法的には何もない。ただ税金は全面的に免除されていて、理事以上の利権のネタでしかない。
  (字数制限のためカット 2012年2月日)
 ・・・・・・・・・
 3241, 中学同期会にて
 2010年02月08日(月)
 中学校の同級・同期生は「選りすぐり前の色いろな社会の原型」を見ることができる。地方・城下町の駅周辺とくれば尚のこと。 
サラリーマンの家族より、商売人の長男・長女で、家を継いでいる人が多いのが特徴。ここにきて地方都市の衰退の影響を直接受けて、
全体的に沈んだ雰囲気である。200年近い老舗を廃業した人が「廃業させてしまったプレッシャーが大きく心に圧し掛かっている」と、
語っていた。新潟県は公共事業王国だった反動は大きく、農工業も中国などの輸入品に押され県全体が悪化している。
それに従い、高齢化も含めて元気が無くなってきている。同年齢の姿を見て、自分の年齢にハッとする。
たまたま、4年前の昨日の随想日記にあった「老いのキー概念」が、同じ年代の置かれた状況から見えてくる。
(1)居場所がない  (2)社会的役割の喪失  (3) 貧困と孤独  (4)生と死の間のさまよい
(5)青春への希求ー自分に青春がなかったという疑問等 (6)老年危機ー生きる意味の喪失 (7)枯れへの悶え
(8)矛盾する心性(自分の人生の肯定・否定の自問自答)(9)ボケと過敏  (10)成熟と衰え   
 その一歩手前というところ? どれもこれも、これから誰も直面する問題が羅列されている。還暦を過ぎてから 
(8)矛盾する心性(自分の人生の肯定・否定の自問自答)が覆いはじめている。それ以外は、まだだが、いずれじわじわと
、くるのだろう。  人生60、いや70歳代が一番良いというが、準備をしてきたかどうか?で、その質が左右する。
 中学校、そして高校と30年近く同期会が毎年のように開かれているが、地方だからこそ可能なこと。
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2008年02月08日(金)
 2501, 無くてはならぬもの −8
 おはよ〜(>ω<。)!!
人生を振り返ると全く、恥ずかしきことのみ多かりき!である。自分の輪郭がハッキリして、その卑小性に独り嫌悪感に
陥る瞬間が多くなる。これが人生の秋口の心の風景。 早くいえば基礎教養は足りなかったのである。
俄然と読み始めたのが20歳位だったのが遅かったためだろうか。40年以上は、一日2〜4時間は読み続けてきた。
しかし思春期の読書量が足りなかった。それも、家庭文化のレベルということもあるが。しかし子供のころから葬式などで
法話を聞き続けてきたし、書画骨董の一流品を見続けてきたし、それでも両親や兄姉から色々な教えを受けてきたし、
生き様を見てきて、このレベルである。 独り溜息をつく日々である。 後は、どう自分と折り合いをつけるしかない!
ただ面白かったが・・・この一点が救いである!若き時の自分の声のように当時の沁みた言葉が、本を通して語りかけてくる。
 P−37 アンドレ・ジイドの『狭き門』という小説は諸君のなかにも読んだ人が多いだろうと思うが、あの狭き門という題は
聖書の有名な言葉からとったものである。イエスの言葉である。「狭き門からはいれ。滅びにいたる門は大きく、その道は広い。
そして、そこからはいって行く者が多い。命にいたる門は狭く、その道は細い。そして、それを見いだす者が少ない」
(マタイによる福音書七の13−14)この「命にいたる門」ということも、ほんとうの自己を見いだす門という意味である。
私たちはすぐにあの夏目漱石の『門』という小説を思い起こすであろう。あの漱石の『門』の主人公は、友人の妻を奪って
自分の妻にするのであるが、そのエゴイズムのなかで苦しんだあげく、鎌倉の円覚寺に行って坐禅をして悟りをひらこうとするが、
どうしても救われないでまた門をあとにして舞いもどってしまう。諸君は、ほんとうの自己を見いだすために、どのような門から
はいろうとされるだろうか門はたくさんあるようだけれども、他に道はないのかもしれない。「求めよ、されば、与えられるであろう。
捜せ、されば、見いだすであろう。門をたたけ、さればあけてもらえるであろう」(マタイにょる福音書七の七)とまた
イエスはいうのであるが、道を求めるという心を起こすことが先決問題であるだろう。
 P−38 「何事でも人からしてほしいと望むことを、人々にもそのとおりにせよ」多くの人が、この黄金律を人生のモットーにして
生きてきたことを告白している。自分が幸福になるために、人から多くのことをしてほしいという思いである。それなら、
人々に対してもそのことをしてやるべきである。人から親切にしてもらって嬉しかったら、人にも親切にしてあげるべきである。
 (字数制限のためカット 2012年2月日)
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2007年02月08日(木)
2137, 占いと、細木数子について −2  b(^o^)dおっ W(^O^)Wはようー♪
 *細木数子には、驚いた!        
細木といえば、週刊誌やTVに30年位前より出ては消えを繰り返していた。ところが、ここに来て復活。
歯に衣着せぬ物言いで、芸能人を斬りすて、バラエティ番組に引っ張りだこの女性占い師ということになっている。
 (字数の関係で中間カット2009年02月08日)  
まあ読んでいるだけで、悪臭がプンプンとしてくる女ヤクザの経歴を持つ。人間の本質を知る上で、女ヤクザとしての
熟成されたテクニックを使った、竿の先の針の餌としての占いとしてみると即興劇を楽しめる。
何で、こんな女をバラエティー番組に出すのだろうか?そこまで日本が病んでいるということだ!  
でも、この履歴は面白い!履歴をみるかぎり、塀の向こうには落ちてないから強かだ。 ーまだつづく¥(*^_^*)\バイバイ
・・・・・・・
2006年02月08日(水)
 1772, “サラ川"入選100作品  おはよ〜(>ω<。)!!
この時期に毎年の恒例になっている「サラ川」が発表された。 私が選んだベストファイブは
・48  セキュリティ 一番手薄な 妻の口    無給警備員    ・57  散髪代 俺は千円 犬 一万   下流の夫
・59   鬼嫁も 居るだけいいよと 励まされ   物は考えよう  ・64  人生の 第二職場は 妻の部下  世の常人の常
・81   マイブログ 立ち上げたけど 話題なし   磯仁
 私の場合48は 「セキュリティー 一番手薄な 俺の口」になるが、どれも切ない話題ばかりだ!
  ーまずは読売新聞の記事をー     ~~旦_(^O^ )お茶!どうぞ〜
“サラ川”入選100作品、家庭などの“悲哀”映す「刺客だと 言われ遠くへ 飛ばされた」――。
第一生命保険は6日、昨年11〜12月に募集したサラリーマン川柳コンクールの入選100作品を発表した。
今年も、サラリーマンの家庭や職場での“悲哀”を世相とともに映し出した秀作がそろった。
中でも、「小泉劇場」の流行語を生んだ昨夏の衆院解散・総選挙をテーマにした作品が目立った。
ー「チルドレン 昔『かすがい』 今『刺客』」と、子どもの心をつかみかねる父親の心情から、
ー「総選挙 家では妻が 総占拠」と家庭での孤立を描いた作品もあった。
 また、「熟年離婚」も人ごとではないようで、
ー「離婚劇 昔成田で 今熟年(シニア)」
ー「年金の 出る頃妻は 家を出る」との不安を抱いており、
(字数制限のためカット 2011年2月8日)


4712,閑話小題  ー現代のベートヴェン

2014年02月07日(金)

   * 「現代のベートーベン」のゴーストライターの会見!
 昨日の午後、スポーツジムから帰って居間でお茶飲みTVを見ると、ゴーストライター・新垣氏の記者会見が始まった。
家内は朝から待っていたようだ。それはTVドラマの一場面のようなシリアスな内容。 ーまずは週刊文春 の概要よりー
《 広島生まれの被爆二世で「全聾の作曲家」、佐村河内守氏(50)が、実際は自分で作曲をしていなかったことがわかった。
 桐朋学園大学作曲専攻で非常勤講師を務める新垣隆氏(43)が取材に応じ、佐村河内氏のゴーストライターをしていたことを
明かした。 氏の代表作とされる『交響曲第一番HIROSHIMA』や、フィギュアスケートの?橋大輔選手がソチ五輪のショート
プログラムで使用する曲『ヴァイオリンのためのソナチネ』も、新垣氏が作った楽曲だった。
 新垣氏はこう語った。「公表するべきか逡巡しましたが、事実を明らかにして自分も詫びなければならないと思い至りました。
このまま事実を伏せ続ければ、五輪という大きな舞台までもが氏の虚構を強化する材料にされてしまうのではないか、と」
 また、昨年3月に放送されたNHKスペシャル『魂の旋律〜音を失った作曲家』で、佐村河内氏が東日本大震災の被災地を訪ね、
津波で母親を失った少女のために『ピアノのためのレクイエム』を作曲する様子を密着取材したが、この曲も氏の指示で
新垣氏が作曲したものだった。番組では、氏は「全聾」ながらも「絶対音感」を持つ「現代のベートーベン」と紹介された。》
  ーネットで会見の要所を抜粋するとー
・佐村河内氏は聴力を失っているとされているが、「私の感覚では耳が聞こえないと感じたことは一度もありません」。
 「彼とは普通のやり取りをしていた。(耳が聞こえないというのは)違うのではないかと思います」。
 作曲をする段階でも「私が録音したものを彼が聴いて(その場で)彼がそれに対しコメントするということもありました」
 と具体的な例を挙げ「耳が聞こえないことを装っていたと思うのか」との問いにも「はい」としっかりと答えた。
・障害者手帳は「1度だけ見せられたことがある」。その時期は「彼が自分が耳が聞こえないんだというスタンスを取った、
 ゲーム音楽が発表された後(彼が35歳)あたり」「これからはそういう形で行くという話を聞いた記憶はあります」と、
 その時を境に、外に向けて“耳が聞こえない”ということを売りに音楽制作活動をするようになった。
・「最初は私にも耳が悪いことを示していたが、やり取りをしているうちに装うこともなくなっていった」。
・「私は佐村河内さんの共犯者です」。「最初に、耳が聞こえないのだと言い出した時は戸惑いました。その必要があるのか
 疑問だった。でも、それはこのような環境に立つための方法なんだと了承した。彼は自分のキャラクターを作り、世に出した。
 彼のイメージを作るために、私が協力をしたということだと思う。私にとってもゴーストとしての役割を果たすためには、
 それ(実は聞こえるという事実)が知られてはならないので、なるべくそれがやりやすいような状況を望んでいたのは否めない」
 と自らも「共犯者」として偽りの片棒を担いだことへの思いを語った。
▼ これだけ派手にマスコミを賑わし「現代のベートーベン」と言われた「全聾の作曲家」が、ゴーストライターに、
 記者会見で、暴露される前代未聞の内容。本当か嘘か、18年間に20曲で700万は、安すぎる。せめて7000万なら分かるが。
 其の辺がネックのように思えるが、どうだろう。それにしても、高橋選手が出場する直前のタイミングを狙ったのは何故?
 という疑問がたつ。自作自演の現代のベートベンを演じた佐村河内も、バレなければ、それはそれで?  これで、
 オリンピックも、都知事選も、半分は、この方に目が向けられる。 細川が全聾の作家とすると、ゴーストライターが誰?
 アメリカのシェール会社あたり? 彼が勝てば、原子炉全廃に一気に世論が変わる!で、・・・それより、株価の暴落が?
・・・・・
4345, 暴力団  ー1
2013年02月07日(木)
                          「暴力団 」溝口 敦 (著)
 暴力団といえば、ホテル業など狙われやすい仕事。植木鉢や門松などの名目で一度、払えば当然の権利?として付込んでくる。
開業当初は執拗に迫ってきたが、30年間、一度も屈したことは無かった。流しの半グレが客の立場を利用しタカリってきたが、
一度も払わなかった。些細なことでも警察の相談するのが鉄則。「あそこは警察に直ぐに電話をする」「絶対に払わない」という
情報は、その筋では周知になる。脅された担当は「命が幾つあっても足らないほどの恐怖」とこぼす。
   まずは ーアマゾンの内容紹介ーより
【 島田紳助、衝撃の引退! 人気タレントの社会的生命を閉ざすほど、 よくスキャンダルになる「暴力団」とは、 そもそも
何なのでしょうか? 芸能界だけではなく、あなたの会社や家庭にも秘かに忍び寄っているのかも……。 社会の裏にに巣食う
「わるいやつら」の正体とは?  [こんな情報が本書でとてもよくわかります]  ・暴力団はどこにいるのか? 
・暴力団のリクルート活動とは? ・学歴、年収、出世の条件とは? ・芸能人となぜ親交するのか? ・覚醒剤や野球賭博で
 どのように儲けるのか?・女はヤクザになれるのか?・なぜヒモが多いのか?・刺青や指詰めのワケは?・警察との癒着は?        
・ヤクザが 恐れる集団とは何か? ・もし出会ったしまった時の対処法は? 無法な「わるいやつら」にペンで対峙し、日本最大の
 山口組も、暴対の強面警察官も唸らせたノンフィクション作家が、「現代極道の基礎知識」を世界一やさしく解説しています。】
   ー要約するとー
≪・暴力団が儲からない商売になっており、絶滅危惧種になっている。
 ・暴力団に代わり、半グレ集団と呼ばれる元暴走族のような犯罪集団が勢力を伸ばしている。
 ・暴力団対策法が余り有効ではない一方で、昨年から全都道府県で制定されている暴力団排除条例は絶大な効力を発揮している。
読むと、いい女を連れて高級車を乗り回すかつてのイメージは完全に払拭される。 組の若い衆が問題を起こすと組長にまで、
警察の手が及ぶ現状の組長は哀れ。暴力団は斜陽にあり、高齢化が進み、新人のリクルートが進まず、組織が硬直化し活力を
失いつつある。バブルの時は地上げや株式相場で儲けたものもあったが、今や彼らも風前の灯。失われた20年の直撃をもろに受け、
財布は限りなく軽くなり、派手な生活は出来なくなった。かわって出てきた半ぐれ集団も置かれた状況は同じ。彼らが持て囃された
30年前は遠い過去で、暴走族そのものが全国的に「絶滅危惧種」状態。最近六本木のクラブで起きた金属バットで殴り殺す事件も、
半グレの関東連合が絡んでいたが、特定の被害者をグループで襲うという行為自体が女々しいと・・ 
本書に「政治家には悪い政治家もいれば良い政治家もいる。警察官にも悪い警察官もいれば良い警察官もいる。
しかし暴力団だけは悪い暴力団だけで、良い暴力団はいません」とある。そこで求められる資質は、他の職業にも言えるが、
空気を読むこと、相手の顔色をうかがい、少しでも怯んだ様子を見せれば、たちどころに居丈高になり、弱みを突いてくる。≫
 ▼ ネットで結ばれた緩やかな半グレ集団が、暴力団にとってかわりつつあるが、これとて絶滅倶種。現役のころ、こういう
  得体の知れない人種が常時7〜8人は宿泊していた。それを常に刑事が調べ、後をつけたり、職務質問をしたりし逮捕する。
  五年、十年のホテル難民も常時、宿泊していた。その強請りも暴対法が出来てから激減していった。
・・・・・・・
3970, 大型クルーズ船長のオソマツ!と、私
2012年02月07日(火)
  イタリアの大型クルーズ船長の言動に対して日本のマスコミは、あまり騒がない。世界の航空会社で最低といえばイタリアとインド。
海外ツアーで旅行代理店はイタリア航空を組みこんだものは少ない。 良くいえばラテン系の大らかさ、悪く言えば大雑把で好い加減。
その結果トラブルが非常に多い。 近隣にサービスとは無縁のイスラム系の国があるので目立たないが、先進国といわれる国の中では
ルーズさに関しては最悪の国。 5千数百人の乗客の船長が我先に救命ボートに乗って逃げ出す失態は、国家そのものの恥でもある。 
呆れる以前の問題で、誰も馬鹿馬鹿しく批評すらしないのが笑いを誘う。 その言い訳が二転三転し、イタリア人らしい。 
  ー ネットのニュースーより
【 イタリア中部ジリオ島沖で起きた大型クルーズ船「コスタ・コンコルディア号」の座礁事故で、英BBC放送は18日、伊主要メディアの
報道として、過失致死などの疑い同じルートを通ったことがあるとし、「今回は転進を指示するのが遅れた」と語った。スケッティーノ船長の
捜査当局に対する供述調書の内容を伝えた。 それによると、船長は、乗客を船上に置き去りにして先に船を離れたことを認めたうえで、
自らの意思に反して岸へ運ばれてしまったと供述。 座礁した船の上で転び、偶然、救命ボートの中に落ちたと主張しているという。 
船長はまた、船を島に接近させすぎたことが事故の原因と認めたうえで、以前にも3、4回、 接近させたと話している。 】
▼ ここで、今回の沈みゆく倒産劇の私が、この船長に重なるところがあったのでは? という思いが出ている。
 私の場合、何とか二人の年金で生活をしていけるが、従業員たちは、この時代に生活していくのが至難。 事業を始める時、
 「始めたからにはリスクが伴う。全てを失っても後悔はしない」と最悪の想定をしていたので割り切りは早い。
 しかし社員の立場は覚悟が違う上に、生活がかかっている。生活が確保されている私をみて、あの船長と同じようにみえて当然。
 そのブザマな姿が自分に重なる! これも事業の起承転結の結。 リーマンショックからの売上激減の日々が大変だったので、
 この厳しさには平然としていられるが、夜半に独り、あれこれ考えると凍りつく思いがする。これも覚悟の上で始めたこと。 
 45年の総括は2ヶ月後に行うが、創業準備の15年間の方が、この事業の30年の数倍の厳しさとエネルギーを要した。
 準備を十分にして、時流の風に乗せてしまえば、あとは自動的に流れていく。 準備期15年の満足度80点、30年スパンは60点、
 45年間で均して70点。最悪の結果としてもである。 惨劇を身近で多く見てきて、電光石火で終えたのは、不幸中の幸。 
  全ての人の人生は本来、無様・・・ 私も、その一人と思えば気持ちが楽。 あの船長、天国から地獄。マフィアからも狙われる!
・・・・・・
3605, 大行進〜中国“小皇帝
 2011年02月07日(月)
 BShi で2月5日(土)午後8:00の「大行進〜中国“小皇帝”たちの孤独〜」が濃い内容であった。 まずは、紹介文から
≪ 急激な経済発展で増加した中国の新富裕層。たった一人の子どもが大事にされ、何不自由ない環境とモノや金が与えられる。
“小皇帝”と呼ばれるその子たちの中には、親に暴力を振るうなど、問題行動を起こす子どもたちが増加している。
そんな手に負えない「悪童」らを更生させようという、型破りな民間学校が10年前に開校した。名物授業は2週間以上も歩き続ける
400キロの「大行進」。10tトラックで寝起きして毎日およそ8時間、平均40キロを歩き、精神的な達成感と自信をつけさせること、
そして農村にホームステイさせてもらい、社会体験を積むことが目的だ。番組では大行進する子どもたちに密着。
家庭の問題や将来への不安など、彼らの本音に耳を傾け、歩き続ける中で自分を見つめ、成長し、あるいは葛藤する姿を追う。≫
 ▼ 深く考えさせられる内容である。日本で似ているのに「戸塚ヨットスクール」がある。これほど厳しくはない。
ここで収容されている何人かの小皇帝を通して、それぞれの親子関係と本人の抱えている問題が浮き出てくる。
何らかの問題は家族の中にある。 集団生活の中で、日記を書くことや、掃除、互いへの思いやりが出来ていくプロセスを
淡々と映し出されている。 家庭生活を通して父親、母親、そして兄弟から多くを学んで育っていくが、両親が共働きで
一人っ子にはモデルがない。その結果、親も子供も戸惑っている。10歳までの教育、躾で人生は大方決まってしまう。
それを10代後半に修正するのは並大抵ではない。 考えてみたら大人数の家族の中で色々の葛藤と、教えがあった。
身近に、色々な人生を見るのは刺激が非常に強い。ある意味では、この訓練校の中のようである。 中国の一人っ子政策の歪みは
マクロ的にも必ず出てくる。「流砂の民」の傾向が強くなり、エゴ丸出し国家の要員になる。 日本人の無気力より良いか?
・・・・・・・
3240, 一日、一回でよい
2010年02月07日(日)
「一日、一回でよい!」が、一ヶ月間の諺の‘日捲り’にあった。ツイッターを始めようかどうか迷っていた時、
「まず一日一回書き込むことから始めた」という勝間和代の言葉に触発され、まず一ヶ月間続けてみようと実施してみた。 
成るほど続けていて「広い異世界を垣間見る面白さ」に気づかされた。 一日には、朝、昼、晩、夜半と一つのリズムがある。 
これに沿って一つずつの習慣を積み上げ、第二の天性を作りあげることでプラスの変化をもたらすことが可能になる。 
ウォーキング、随想日記、起床直後の仏前の祈り、新幹線車中の読書など、一日単位の習慣の重なりがある。 
その一日単位の習慣の組み合わせが、その人そのものとなる。さらに週一度の習慣、そして、月、年に一度の習慣を付け加えていく。 
特に朝晩にベストの習慣を身につけることがポイント。洗面、トイレ、風呂、三度の食事も、子供の頃から習慣付けられてきたものがある。
 秀才とは、予習、復習の習慣のある人。天才とは得意を遊びにした人。 一日千回、せめて百回「ありがとう」を繰り返すとか、
般若心経を唱えるとか、考え方の意図的なカタチつくりも必要である。 『まずは一日、一回の厳守から』習慣づくりは始る。
しかし、これがなかなか難しい! 年に、月に、週に一度といえば、色いろある。それを自分の絶対言明にして、
その実行をしていくことが自分つくりということだ。この随想日記も、出始めは同じだった。 あと一年三ヶ月で十年になる。
 ーたまたま去年の同日に、同じようなことを書いてきた。
・・・・・・・・・
2865, 一つのことに一万時間没頭
 2009年02月07日(土)
昨日の日経で、三菱UFJリサーチ&コンサルティング理事長の中谷巌氏が全面を使った広告で
「今、若者たちへ」という次世代に贈るメッセージを語っていた。
その中に「一つのことに一万時間没頭しよう リベラルアーツ修め、『志』を打ち立てよ」がよい。
 ーそれを要約すると
・若者は「とんがる」のが20代の仕事! 自分の能力の限界に本気に挑戦する数年を過ごすべき。
・そのために何か一つのことに一万時間を費やすべきだという『一万時間説』を唱えている。
・そうするとヒトカドの人物になれる。プロとして認められれば同じような集まりである『鉱脈クラブ』に入会できる。
・大事なことは、一万時間も費やして獲得した人脈、知識、スキルをその後人生にどう生かすかである。 
・そこで求められるのが「志」、30代に志磨きをすることが必要となる。
 志を磨くには、まず、自分が何のために生まれてきたか、社会のために何をなすべきかという『自己認識』が必要。
・そこでは、国際社会で通用する高い教養が必要になる。 その第一歩が自国の日本のことを深く知ることである。
   人間性を磨く、要は教養を深め、専門性を磨き、人を説得する努力が求められるということ。
 −−
 これは決して若者だけではない。我われにも当てはまることだ。一万時間という言葉で気づいたことは、この随想日記、
8年弱続けてきたが、8年×365日×3時間=8760時間で、あと二年で一万時間になる。なるほど、と自分で納得している。 
あくまでアマチュアだが、一日も欠かさず続けた効果は絶大であった。 あと2年で10年が大きな節目である。 
書き続けることの深さを体感できたのが最大の収穫である。塵も積もれば山である。20人位の人が見続けていたようだが、
いや30人か? その人たちとは、ここでいう鉱脈クラブでつながっているのだろう。8年間で自分が大きく変化してしまった。 
 ー効果の一部を思いのまま書いてみると 
・一番の収穫は、書くことが面白くなったことだ。 ・それと自分に自信が持てるようになったこと。 
・自分の限界がはっきりと見えるようになったこと。・プロのモノ書きの凄みが見えるようになったこと。 
・本の速読が飛躍的についたこと。 ・ものごとの本質の把握力がついたこと。  などなど、あげると限がない。
 もっと分かりやすくいうと、以上の文章を三十分で書けるようになったことである。 で、どうした?どうもしないが!
 定年後に何をすべきか? これまで出来なかった何かを見つけて一日十時間、三年間集中してみたら!群れてないで。
・・・・・・・・・
2008年02月07日(木)
2500, 県民所得格差
 ある新聞社のHPの記事をまずコピーしてみてから、地域格差の問題を考えてみよう。
 −−
 地域間の所得格差を計る代表的な指標は、人口1人当たりの県民所得。この県民所得は個人所得の他、
法人所得も含まれており、個人の所得水準というより地域全体の経済力を示している。
 2005年の上位1〜5位は、東京都、愛知県、静岡県、滋賀県、神奈川県の順である。上位5県の平均は、362万5千円である。
事業所が集中しており、昼間人口の割に夜間人口がない東京都は478万円とやや特別な高さとなっている。下位1〜5位は、
沖縄県、高知県、青森県、宮崎県、長崎県と南北の遠地で構成されている。下位5県の平均は215万7千円であり、
上位5県の平均はこれの1.68倍となっている。 高所得5県と低所得5県の間の所得格差は1961年の2.32倍から
高度成長の時期における工場の地方分散などにより1975年の1.58倍へと縮小した。
 その後、地域間格差はほぼ横ばいの状況となったが、1980年代後半のバブル経済の時期には
やや格差が拡大した。その後の景気低迷の中で、景気対策としての地方への公共事業の
重点配分などの結果、さらに地域間格差は低下し、2001年には1.55倍と過去最低となった。
 ところが、その過程で、公共事業抑制、行財政改革、地方分権改革など、「改革なくして成長なし」を合い言葉とした
改革路線が本格化し、それに伴って、地域間格差も4年連続上昇し、2005年には1.68倍へと上昇している。それでも
高度成長期以前の地域間格差と比べるとなお格差のレベルは低く、諸外国と比べても地域間格差の水準は低くなっている。
ーー
以上だが、数年前に長岡は東京のの6割、新潟は7割の所得と聞いていた。
しかし、2005年度で、新潟県平均で6割というから、中越地震と、中越沖地震の影響で5〜10?は落ちたので50?を
割った水準だろう。物価とか、家賃とか他に諸々を考えると20~30?は低いので、都会との生活水準は八割位であろうとは、
感じてはいた。去年、静岡県の島田市に学生時代の友人のところに遊びに行った。彼はトヨタ系の自動車部品メーカーの
下請けの社長だが、静岡県を案内してもらっているうちに、新潟県との空気の違いを感じ取った。
車は中型車の新車が目に付き、家は新しい上に、道路や公園が整理されているのである。
ここはアメリカ?という感覚になってしまった。角栄が政治的に健在だった時の新潟県の豊かさを見ているような・・。
   (字数制限のためカット 2011年2月7日)


4711,閑話小題 ー最近、記憶術を少しずつ身につけている

2014年02月06日(木)

   * 夢に気づいた私は
 一昨夜になるが、夢の中で、これは夢?と気づいた。数年に一度はあるが、何時も直ぐ夢から醒めてしまうが今回は違った。
その物語こうだ。新潟駅前の何処かの店に入って何か頼むが、忙しいのか取り合ってくれない。 何か変だと、店外に出ると、
そこは目的先ではなく、別の店。 仕方がないと、他の店に入るが、そこには誰もいない。そこで駅に向かうが、ポケットに
長岡への帰りの切符がない。もしかしたら車で来たのかと引き返し見渡すが自動車がない。また再び駅前の広場に戻りながら、
これは夢では?と気づくが現実感が強い。そこで、駅前の広場を改めて見るが、嫌にリアルの光景。よく見ると、最近できた
再開発ビルが、見あたらない。これは、20〜30年前の駅前の光景! そう改めて見直すと、鮮明な光景が急に曖昧になる。
よくあるケース。 せっかく夢なら、駅内の店で美味しいものを食べてやれと階段を上がりかけたところで、目が醒めた。
  * 最近、記憶術を少しずつ身につけている
 このところ遊び気分で、長年、苦手にしていた記憶法を試している。図書館から何回も『一年で全米記憶力チャンピオンに』
を借りてきて、読み返しながら記憶訓練をしているが、これが段々、面白くなっている。 基本は位置法で、まず10ヶ所の
家の中や、街中のイメージを焼き付け、そこに記憶すべきものを置いていく。 もう一つが、数字を4桁に区切り、身近な
モノの値段にしてしまう。9桁や13桁の最後の端数は、一円を+として、それに付け加える。7桁の場合は、マイナス一円。
39885269なら、3980円+8円の、いま着ているジャケットに。ズボンが5260円+9円にする。問題は、
値札にその値段をすり込んでイメージすること。意味付けをしていることになる。もう一つは、よく通販のコマーシャルで
数字をメロデーですること。「三九八八♯の、五二六九♭〜〜」これを何度か繰り返すと良い。遊びとしては手軽で面白い!
 次に思いついた7893の4251、確か憶えたと思ったが・・ で、二回目に間違いなく憶えてしまった。
で、上記の二つは当然、脳に焼きついてしまった。
・・・・・・
4344, 感動すると疲れない
2013年02月06日(水)
「感動すると疲れない」 何気なくネットサーフィンで見つけた写真にあった言葉。
疲れないというより、疲れがとれる、という方が本当だろう? 事業の立ち上げと清算を幾つか経験してきたが、創業を達成した
感動は疲れの全てを取りのぞいてくれた。希望を目的に即し目標をたて、具体的計画にして実行する。自分の持っている全てを
叩きつけたからこそ得ることが出来る心の奥の達成感。成功すればこそだが何事にも変えがたい感動がある。それは創業だけでない。
今回の清算?も、淡々と終えることが出来たこともあり、厳しいが感動もの。準備15年、創業以来30年の会社を潰すのも、
事業の一環。愛した会社の最期の看取りも、雲の上から見ている自分がいた。 謹慎期間の二年が近づいたが、一連の疲れが
取れたかというと、実感として半分。まだ45年分の疲れが残っているようだ。ただ緊張感の蓄積からくる軽い神経失調症的な、
症状は、ほぼ無くなった。これをとるには感動体験を更に積み上げること。秘境旅行で大きな感動に出会うと、旅路の疲れが逆に、
心地よいものに転換する。 事業も同じ。立ち上げが上首尾に終わりホッとした時に起こる心の奥の感動で、既に元を取っている。
そのため事業清算をしても、後悔の念は全く生じようがなかった。それは経験してみないと分からないこと。
その辺の人が想像する挫折感とは違う創業者の強みがある。感動と、その蓄積は、魂の財産になる。 私の人生で、「感動」の
場面には恵まれていた。 感動は、求めれば与えられる。絶望も感動も、多く味わった者が豊かな収穫を得ることが出来る。
 ーところで、感激と感動の違いを検索してみると、
【「感動」は、心が物事を受けとめて深く動かされること。多数の人が一度に感じるときに、「感動の名演技」のようにも使う。
 「感激」は、物事に触れて激しく心が動かされ、なんらかの形で外に表われ出るような場合に多くいう。かなり感情的で個人的な
 場面が多い。】とあった。 私は、心が動かされることを感激、魂が動かされることを感動と解釈していた。
 「感謝、感激、感動」 体験には、人生の大きな秘儀がある。 同じ人生なら、可能な限り、これを味わなければ生きている意味
(価値)がない。味わった価値は、あの世に持っていける唯一のもの。それも三日も経てば、全て同じこと。生きているうち感動を
 積み味わうことしかない。手っ取り早いのが「シネマ」。そしてTVの映画などだが、実際の経験には当然、劣る。が、それでも・・
・・・・・・
3969, 首都圏崩壊の可能性、7割 ー3
2012年02月06日(月)
    * 情報(言葉)の恐ろしさ
「7割の確率で首都圏直下型地震が4年以内に起こる」とうニュースが衝撃的だったが、先日の土曜日の朝、
BS朝日で例の東大地震研究所の教授が、その首都直下型地震について話をしていた。
「首都直下に7割起こるとはいっていない。 南関東全域で7割の確率で、震源が首都直下の場合、死者1万1千人、
建物消失が85万棟になると算出したのであって、マスコミがそれを編集する上で、南関東と都心直下の言葉が入れ替わった
情報が一人歩きをした」。 それも研究員個人の見解であって、東大地震研究所が発表したのではない、という。 
記事の内容をよく読めば決して嘘ではない。見出しが誤解を生む内容で、記事の内容も「都心が震源の場合」と書いてある。 
情報とは、こんなもの。 言葉の組み合わせで、受け止め方で、意味合いが全く違ってくる典型的事例である。
 見出しをそのまま、信じてしまう甘さに自分でも呆れている。 マグネチュード7の地震は、3・11直後、何度も起こっている。 
それが南関東で起こって当然で、実際その地域で小さな地震が多く続いていることから、4年で7割の可能性が出てきたようだ。
東北の沖合で500年に一度の大地震が起こったため、周辺で大地震が起こる可能性が10倍になっていることからして、数年間は
特に厳重な注意が必要。 ニュースで早速、スーパーなどで、避難・災害用グッズ売り場を二倍にしたと報じていた。
多くの家庭で準備が始まったようだ。世界的金融不安の上に、足元の地震の心配。ますます殺伐とした空気になってきた。
 とはいえ、首都圏崩壊の可能性?の備えは、充分にしておくべきである。 
・・・・・・
3604, 旅ばなし 小題 
2011年02月06日(日)
    * カナダ・ロッキー山脈の感動
 カナダのロッキーの懐に初めて入った時の感動で世界観が一変した。 これが地球上に存在しているのか? と。
バスの中で眠り込んでフッと眼を覚ましたときに、「これは夢で現実とは違う」と思ってしまったほど。 
しかし現実と気づいてからは、見る一景色ごとに息を飲んでしまった。「ロッキーの、この景色を見た前と後の間に一本の
線がひかれたようだ!」という言葉が、次々と展開していく景色を見るたびに浮かんできた。タイミングとして初めて広大な
大自然を見たのが良かった。グランドキャニオンやスイスアルプスを先に見れば、同じように感じただろう。 
私にとってロッキーが秘境・異郷にのめり込むキッカケになった。大自然の壮大なパノラマに対する感動が、
自分の心に深い何かを与えられた初めての経験であった。  
  * 秘境ほどトラブルが大きくなる
 あまり人が行かない秘境ほど、問題が次から次へと生じてくる。それも慣れてくると、こういうものと腹が据わってくる。
それを逆に楽しむのが通というもの。トラブルと思わなければ、それはトラブルではない。人生も同じで、受け止め方の問題になる。
波乱万丈の人生とは、トラブルが多くて浮き沈みが激しい人生をいう。しかし一つ間違えば破滅を何とか乗り切ってきたに過ぎない。
トラブルを旅行でこなしながら、秘境の自然から何かを頂くのが、その妙味になる。 良い旅行には、必ず同行者に恵まれる。
(例外もあるが?)そして、遠く離れた大自然の神秘の懐の中で、感動の響きを頂く。
神とは宇宙の織り成している力の総称というが、ロッキーを見ていると次々に現れてくるパノラマが神の姿に思えてくる。
  * 323,ある時間の断片-1  2002年02月06日(水)
 モロッコのマラケシュで、夜半ホテルより馬車に乗り中心街の「ジャマ・エル・フナ広場」に行った時の話。
4人のりの馬車に一緒にのったのが、同じグループの母娘であった。母親は少し初老性のボケ?が入っていたか、
もしくは「元お姫様」ではという感じの品のよい人で、一人興奮してか話しまくっていた。その話しが面白い!といって
今回の観光のピークの場面。その街の景色が素晴らしいのに、どっちに気持ちを集中してよいのか本当に迷ってしまった。
世界的に知られている「マラケシュの街並み」も素晴らしいが、その人の話しも面白いのだ!私はマラケシュの街並みの方をとる。
それは座る場所で決まるのだ。家内はその話の聞き役をとった為、街並みは殆ど見れなかったという。
 その内容とは
ー自分の亭主は日航の機長であった。以前羽田で精神症で大事故をおこした?機長と同期。実を言うと自分の亭主が高所恐怖症。
誰も知らない秘密を私だけがしっていた。「屋根の修理で震えていた」のを見てしまった。本人に聞いたら「実をいうとそうだ!」
と答えた。こういう話がそのベストタイムに続くのだ、よりにもよってその時間に!そのTPOSで聞くから、その話が更に面白い!
家内は笑いっぱなし!それに劣らず、その夜景が素晴らしい。まさしく小説の世界、いや映画の世界といってよかった。
同行の娘が傍でハラハラしているのが、手に取るようにわかる。母の世話に全神経を帰国するまで使っていた。
  ネタはツキマセン! このての話しなら!
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3239, 閑話小題
 2010年02月06日(土)
 * 朝青龍の引退
 朝青龍が引退をした。限界を遥かに超えた所業の数々、同情する向きは少ない。「一人横綱を4年続けたプレッシャーは
想像を遥かに超える。それを一年経験しただけでも押しつぶされそうだった」と、元横綱の曙が新聞で述べていた。 
解らないでもないが、それでも次から次へと問題を起こしてきた。優勝パレードでモンゴル国旗をかざすのを何回か見たが、
「あれは変だ」とマスコミは口を噤んでいたのは肯けなかった。私が見てきた歴代の横綱の中では、ずば抜けて一番強い力士。
あの全身から出ている気合も、これまで見てきた力士には無かった。 来場所から、彼の姿を見ることが出来ないが、
もし残留しても同じような問題を起こし続けるはず。引退をしてしまえば、ただの??な大男でしかない。その段差に、
数年は自分でも如何したらよいか悩むだろう。
  * ツイッター、その後
 ツイッターを初めて、一月以上になる。ブログが社会に与えた影響は計りしれないが、それ以上に、この社会に与える
インパクトは大きくなる。要はモバイル用ブログだが、知れば知るほど奥行きの深さには驚かされる。
 (字数の関係でカット 2012年02月06日)
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2864, 「要約力」を要約する
2009年02月06日(金)
  「要約力」         ー読書日記
 あらためて「要約力」という視点でみると、この随想日記は要約日記と言い換えることも出来る。
 毎日の学びや読書や思いなどの痕跡を文章で「要約」して遺すことである。
 8年間、欠かさず書き続けたために「要約力」がついたことは間違いない。
 この「要約」の力を一般の人は持っていないようだ。 決断の場面が少ないのだろう。
 決断をする時に、何度も、対象を要約して冷静に見つめる作業の繰り返しが必要だからだ。
  ここで「情報の要点をつかんで手短に集約し、かつ全体像をしっかり理解すること」
 「要約」という作業を「正しく効率的にできる能力」と「要約力」と定義した上で、
 「要約力とは情報を論理的に把握する能力であり、自分の考えや意見を論理的に構成し、表現する能力」としている。
 −要約には1.ストックと2.フローと分け、
 1.は情報の圧縮。 2.が目的に応じて整理・統合され強化されたものと分類し、要約カプセルと名づけている。
  −要約力強化には要約メモの習慣を勧めている。
  「要約」のポイントとして 要約すべきところを箇条書きにして(50字以下.箇条書 10項目以下)
  前後の因果関係・相互関係から全体の文脈が見えるようにするのが良いようだ。
  更に印象に残った部分を抜粋すると
 ・要点という「点」を、論理という「線」でつないで全体像を理解すること
 ・記録力には感想力と要約力があるが、どちらもバランスのとれた人間形成のために必要
  感想力は、自分の思いや情緒を表現する「個性を感情面で育てる力」です。
 ・真の意味で要約力の高い人とは、必要なものを瞬時に抜き出し、統合することができる
 ・要約情報とは、連想や関連づけなど同時並行的な思考から生み出される情報のエッセンスとし
 ・要約思考を呼び起こすきっかけワードとは「なぜだろう?」「そういえば…」「とどのつまりは…」
  「でも、本当にそうなの?」「なるほど」
 ・ビジネスでは「起承転結」が「起結承転」になる
 ・共感意識は、要約に欠かせない「もう1つの視点」をつくる
 ・自分自身の感情にネーミングしてみる。 5分位の要点読みをして概略を把握、仮説要約をした上で、
  各論に入るのが速読法にあるが、これは訓練と習慣で身につけることが出来る。要約は「20対80の法則」ということ。
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2008年02月06日(水)
 2499, 無くてはならぬもの −7
  − 一度だけの人生  ―どこに根を張るか−  〜2
 P−197  私たちは子供に向かって、「大きくなったら何になるか」と聞くが、それはよくない。
 「何をするか」ということを問題にすべきである。自分の職業を選ぶかということは、つまり自分の人生で何をするかを選ぶこと。
 自分は何をするかを選んでから、どういう学問をするかを選ぶべきである。 一流大学でなければいいところに就職できない、
 など寒々しい気持ちで進学をしてほしくない。自分が何かをしたいと決めて、そして、あの先生を決め、そして大学を決めてほしい。
 あなたの人生で何をするかということは、世間や親が決めてくれることではない。どこまでも貴方が決めることである。
  解)ここで著者は、意志、志をまず持ってから学問を目指すべきと言っている。学問は、その意志ー目指すべき人生を
 学ぶことでもあるから、一概には言えない!それでも、目指すべき人生は何か?を学びたいという意志も、学問の効果になる。
 P−206
 *人生に意味をもて 
生きることに希望を持ってない現代人は、また人生に意味を感じられなくなっているように思われる。意味がないから、
生きることがたいくつなんだ。これほど忙しさを売物にしながら、これほど人間が生きることに退屈している時代はなかった。
人間が人間であるゆえんは意味のない生活には耐えることができないことにあるのではないか。耐えることができなくなると、
それから逃げ出したいという欲求にかりたてられるのである。・・・私もまたしばしば現実のさまざまな苦しみにうちひしがれる
ことがある。しかし、私はもはや人生に絶望しないであろう。「生きよ」と私をうながしてやまない声があるのだ。
祈りを通して、答えてくれる声である。祈るとき私はイエス・キリストの前に立つ。祈るときキリストは私の前に立ちたまう。
私は独りではない。人生に意味を失っている友のうち、キリストが私に与えてくれるひとりの友のそばによって、
「生きよ」という力強い声を伝いたいのである。解)「生きよ」という言葉! それは知識を持ってしまった人間に対し、
神を信じろという言葉に等しい。その人によるのだろうが、やはり神しかないのだろうか?
40年近く前の文章だが、現在の社会に対する警告が深く含まれている。
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2007年02月06日(火)
 2135, 時間についての一考察 −2  b(^o^)dおっ W(^O^)Wはようー♪
前回につづき「今ここ」について、「哲学はこんなふうに」(スポン)の中の
『第10章 時間』から更に書き出しながら考えてみよう。時間は「自分」を考える上で意味が深い。
直感としての瞬間としての、「今ここ」の垂直に立ち上がる、永遠を考えると奥行が深い!
  ーーーーー
 在がすべてだというのに、我々は現在の外に出ることが出来るのだろうか?精神でさえも現在に属しているというのに、
どうして我々がそんなことを望むのだろう? 人生は、我われを脅かす運命や猛獣のように、未来の中に潜んでいるわけではない。
天国や約束のように天空の中に隠されているわけでなく、牢や檻の中にあるような過去の中に閉じ込められているわけではない。
我われの人生はいまここにあるのであり、いま現にあなたが生き、おこなっている当のものであり、存在のただ中にー現実として
生きていることの果てしない嵐の中にーあるのだ。 セネカによれば、「生きることにとっての最大の障害は、期待を持つことだ。
・・将来のことすべては、不確実の領分に属している。いますぐに生きるべきだ」今日を楽しめ!ということなのだろうか?
それだけでは足りない。日々は過ぎていき、一日たりとも残りはしないのだから。 むしろ現在を楽しむことだ。 
  (字数制限のためカット 2011年2月6日)


4710,閑話小題 ー遺体の生ゴミ化 

2014年02月05日(水)

   * 献体という死体処理      ー日経新聞2011 〜「上手な逝き方」嵐山光三郎ーより
 現在、遺体の生ゴミ化が問題になっている。20年以上前だが、姉の一人が、「私が死んだら、自分の遺体を大学病院に
献体する手続きをとった。葬式は無しだから悪しからず」と宣言。何か呆気にとられた思いだった。75歳で健在だが、
その後、撤回したかどうかは分からない。当時、思い切った決断だったのだろうが、時代は、大きく変わったようだ。
先日、借りてきた随想集に最近の献体事情があった。
《 いま、大学病院への献体が増えて、病院が困っているという。献体は医学生が解剖実習に利用するものだが、
解剖したあと、遺族に連絡すると「お骨はいりません」といって引きとりにこない。献体という名の遺体処理である。 
斎場でも「遺骨はいりません」という遺族が増え、火葬場が合同の収納施設へ入れる。遺体は生ゴミ化した。
墓場も火葬場も足りない。東京では夢の島へ散骨する計画が申し込まれている。海への散骨、樹木葬は骨をパウダーにする。
骨壷に骨をいっぱいつめるのは時代おくれだ。高齢化社会で死亡者が増えると火葬場の能力を超えた遺体数となり、遺体を
保存する冷凍庫も足りない。さあ、どうするか。この半年間で五回の葬儀へ行ったが、火葬場でお経もあげずにすます直葬が
二回あった。火葬のみの遺体処理である。ただ、棺の中には花が埋められ、遺体の顔には美しい化粧がほどこされている。
大村さん(関西学院大学教授、僧侶)は、いまの死に化粧はアメリカ流儀のエンバーミングで、ベトナム戦争で死んだ兵士を
ドライアイスに詰めて本圃へ帰すころから流行した。死人を生きている人のように化粧するエンバーマーという職業かある。
真宗では死体を化粧をせずに、頭を剃り、遺体から色も欲もみな抜け出して、この世の未練をすべて捨てて浄土へ行かせる。
生きているような化粧をしたら、この世への執着が残る。 大村さんにそういわれると、たしかにそうで、「はよ向うへ
行きなさい」と成仏させるために、エンバーミングなんてしない。・・・》
 ▼ ネットで遺体についての日本人感を調べると、以下のような考え方に出会った。
【精神と肉体の混同、未分離の日本人の死生観が最も露骨に出る。冬山で遭難死しても、キリスト教なら「霊は去っている。
 遺体自体はそっとその場に眠らせておけばいい」・・というのが日本人には「罰当たり」になるのだ。 精神、霊と肉体、
 遺体との混同、未分離の考えが習俗の建前となるとき、極度の遺体自体の重視となる。】
 葬式は、遺体を火葬にする前の家族による当人を見送る儀式。一神教の場合、天国の神のみもとへ召されるが、無神教に
 近い日本人は、それぞれの心の中で生きるという思いがある。そのため、焼かれる直前まで、生ゴミと分かっていても
 美しい姿であることが、必要になる。結局、残るのは写真と言葉と三代残る?資産だけ。
・・・・・・
4343,閑話小題  ーテレビの現状と未来 
2013年02月05日(火)
 先週金曜日のNHK・60周年記念「テレビの未来」について千人アンケートをしながらパネラーが討論する番組が面白かった。
NHK以外の各局のディレクターも参加していたが、内容は冒頭からシビア。「現在のテレビはツマラナイ、面白くない」と、
街頭インタビューが辛口のものばかり。その上にTVを持たない人や、不満の多さに各局のディレクターは言葉を失っていた。
無くて困るものの第一がパソコンで47%、携帯が24%で、テレビが22%には驚いた。これではテレビがパソコンに凌駕
された結果になる。 私の場合、「未来型のTV」を買い替えて二年半になるが、見るのは殆どが録画したものか、再放送のもの。
「テレビが面白くなくなった」「無くても困らない」という街頭での意見が多いが、私は逆で、「スマートテレビ」に買換えて、
バカみたいだが、俄然に面白くなった。 地デジの全番組を30時間分を自動的に録画してしまう。ゴールデンタイム19時から
24時までを設定すると、6日間分の全チャンネルが自動的に録画される。それを週間のテレビ欄をみて、面白そうな順に見る。 
2〜3日に一本の割合で面白いのが必ずある。 設定無しだと、全地デジの30時間分が自動録画され、時間が過ぎたものは
自動的に消去される。これに面白そうなBSの旅番組やWoWoWを録画しておけば見切れないぐらいの面白い番組がストックされる。
どんどん録画をし、どんどん除去する。だから、「面白くない番組がない」というのは、面白い番組を見逃していることに
彼らは気づいていないだけ。 実際、テレビに嵌るのは良くないのは分かるが、面白いものは面白い。その上に、パソコンでも、
TVでも、Youtubeなどの投稿録画を見ることが出来る・・ ネットゲームを知らない人と気ままに遊びたくなってきた。
 で、再びパソコン教室に通う時期が来たようだ。居間では横にiPadを置き、TVドラマの合間にネット・サーフィンかゲーム。
ますます馬鹿になっている。 大馬鹿ならよいが、中馬鹿のようだから、どうもこうも! 最近の話題はTVの内容が多いか。
 ・・・・・・
3968, 民主主義への疑問 ー2
2012年02月05日(日)             
  * 明治元年の五箇条の御誓文    「民主主義とは何なのか」長谷川三千子著
【 たとえば自国が経済危機に陥っているからといって、若者たちがデモをし、店や車を壊して為ばれるという海外ニュースを、
 われわれはよく目にする。愚かしいかぎりの行動であるが、民主主義イデオロギーに即していえば、彼らは正しいふるまいを
 しているのである。指導者に対する不信と敵意を破壊的な行動によって示すのは、近代民主主義の出発点をかざるフランス革命以来の
 偉大なる伝統だからである。民主主義が本質的にかかえ込んでいるこうした愚しさを克服して、かくも厄介な民主主義をなんとか
うまく使いこなす方法はないものだろうか? 考えてみれば、「国民の、国民による」政治という形それ自体は、活気にみちた
健康的な国家をっくり上げてゆくうえで不可欠なものともいえる。国民自身が意欲を失い、やる気をなくした国家に、「国民のための政治」
が実現するはずはない。 ・・・明治元年の五箇条の御誓文には、そのエッセンスともいうべきものが簡明に表現さきじている。
 一、広ク会議ヲ興シ万機公論二決スヘシ
 一、上下心ヲ一ニシテ盛二経編ヲ行フヘシ
 一、官武一途庶民二至ル迄各其志ヲ遂ケ人心ヲシテ倦マサラシメンコトヲ要ス
 一、旧来ノ随習ヲ破リ天地ノ公道二基クヘシ
 一、智識ヲ世界二求メ大二皇基ヲ振起スヘシ
  ここでまず注目すべきところは第二条である。 この「経論」という言葉は、もともとは政治を指して使われる言葉であったが、
 ここではむしろ経済活動に重点を置いて使われている。つまり指導者も国民も、すべて心を合わせて、政治・経済の活動に
 積極的にかかわろう、ということである。あたり前の呼びかけとも思える。政治であれ経済であれその他何であれ、上も下も心を
 一つに合わせておこなわなければ、よい仕事はできないのである。しかし今みてきたとおり、この「上下心ヲ一ニシテ」ということは、
 まさに民主主義が捨ててしまった心構えである。その意味で、実はこれは極めて根本的な民主主義批判ともなっている。】
▼ 日本の近代の始まりの明治元年に立ち返り日本の誇りを取り戻すことが必要である。一条の「公論」の心構えこそ、この非常時に
 求められること。相手の論を叩き潰すのでなく、危機を乗り越えるための論でなくては。目標が明確であれば、公論が可能になる。
 声をだして、何度も読んでみたが、なる程、そのとおり。現在の日本は壊滅状態、これを第二の敗戦とみるなら、近代日本の精神を、
 この御誓文として新たな第一歩とすべき、という著者の論も納得する。 
  ・・・・・・・・
3603, 閑話小題
2011年02月05日(土)
  * ほんの5年前までは
 5〜6年前までは、「自分の生活は中の中」と答えた人が53パーセント、中の下が27パー、合計八割が中流と思っていた。
現在はどうだろう? 中流といえば350万〜650万、上流に近いのが700万以上あたりか。 2005年に下流社会という言葉が
流行語になって格差社会を象徴する言葉になった。この時の下流は、食うや食わずの状態ではなく、中の下くらいに位置する人を
対象にした言葉だったが、この数年では下の人を対象にするようになっている。 貧困に「相対的貧困率」という数字がある。
平均世帯所得の半分以下の世帯の数が、全世帯に占める割合をいうが、1984年〜1994年の7〜8パーセントが、2000年には一挙に倍近い
15パーに増えてしまった。 最近では、20パーを遥かに超えているのだろう。 下流とは、ウィキペディアによると
≪2007年の国民生活基礎調査では、日本の2006年の等価可処分所得の中央値(254万円)の半分(127万円)未満が、相対的貧困率の対象。
これは、単身者では手取り所得が127万円、2人世帯では180万円、3人世帯では224万円、4人世帯では254万円に相当する。≫ 
リーマンショック以来、この数字は急激に悪化しているから、2割は、貧困層。ところで、世界の相対的貧困率は、いくらだろうか? 
感覚的にみて、日本の半分以下だろう。とすると、10年、20年かけフラット化していくプロセスに入ったということか。
  * 百円ショップの楽しみ
 2〜3ヶ月に一度は百円ショップに行っている。 新潟では昼休みの運動に歩いて10分ほどの駅南の「セリア」に。
通勤の帰りには元ダイエーが撤退したあとの越後交通ビルの2Fに「ダイソー」がある。 一回に千円程度を買うのが楽しみ。
殆どが衝動買いだが、外れは2割位?。 鞄の中と、机の周りは百円ショップの商品で溢れている。ノート、電子機器などを
入れる袋もの、小物を一時的に置くカゴ、などなど。 数日前に買ったのが、自転車のカバー。 電動アシスト自転車を
千円位のカバーをかけていたが、強風で何処かに飛んでしまっていた。 そこで、HCで買おうとしたら、家内が曰く
「百円ショップで、一度見てからにしたら!」といわれ先日、セリアに行ったら、材質は落ちるが、留め金付のものがあった。
百円ショップの商品は機能だけに絞ってあって百円に押し込んである考え方は非常に良い。
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2010年02月05日(金)
 * 狂ってしまった猿
 ニューヨークのブロンクス動物園のアフリカゾーンに近い大型類人猿舎に「鏡の間」という場所があり、
そこに立つと当人の姿が、鉄柵越しの鏡に映る。その看板に「The most dangerous animal in the world.」と書いてある。
世界で最も危険な動物が「人間」とは痛烈な皮肉である。「象」「ライオン」などの野獣とは比較にならないほど危険な動物が、
生存を賭けた人間世界形成している。鏡の下には、「24時間ごとに19万万匹の割合で増えているこの動物は、
他の動物を絶滅させたことのある唯一の動物です。この動物は、今では地上の動物の全てを絶滅させてしまう力を手に入れました」
と付記されていた。これは1963年に、自然保護の分野で著名なウィリアム・コ
(字数の関係でカット2012年2月05日)
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2863, アメリカ発 世界自動車危機 −2
 2009年02月05日(木)
この番組で、電気自動車を取り上げていたが、脱化石燃料の流れ加速しそうだ。
自動車の心臓部分はガソリン・エンジンだが、それが電気モーターに変わると、これまでの自動車の概念が変る。
・「自動車が電気商品になってしまう」のである。 現在一台あたり3万点の部品が、2万点で済むという。
・前部のエンジン・スペースが、大幅に減ってしまうのである。
(字数の関係でカット2009年2月05日)
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2008年02月05日(火)
2498, 無くてはならぬもの −6
 ー 一度だけの人生 ― どこに根を張るかー
P−196 他人とばかり比べないで世界中に、私はたった一人しかいないんだ、とかけがいのない自分という存在ということを、
もういちど、しっかり見出してほしい、と。あなた方の人生は誰にも代わってもらうことはできないし、しかもそれは二度と
繰り返すことができない一度限りの人生なのだ。それが本当にわかってないと、人生をどう生きるか、という問題は、
真剣に考えていくことができない。
 p−199  たとえどんな小さな仕事でも、自分が一生をかけてやりとげる、そういう人生の目的を見出してほしい。
そうして二度と戻ってこない一日一日を、そのことに打ち込んでゆく。それは無限の希望なのである。
天才とは、努力をする人間なのである、といった人がいる。私たちの個性というのは、何かに生涯を通して
何かに打ち込んでいく、そういう努力を通して形成されていくもの。あなたは社会的に成功しなくてもよい。
自分がやりたい事を一度かぎりの人生に打ち込んで努力してみたらよいではないか。そのことに10年打ち込んでみたらどうか。
その道ではエキスパートになるだろう。一流大学を出ているなど、誰も問題にはしない。どんな小さなことでも、これが自分が
したいことを生涯を通して行えば、世界のために何か貢献することができるのである。それで途中で倒れることがあっても、
一日一日を、そういう仕事にうちこんでいれば、人生はそれで良いのではないだろうか。
P−202 亡くなった和辻哲郎が若いときに書いた「樹の根」というエッセーを思い出す。「偶然再興」の中に収められた文章だが、
「・・・ある時、砂に食い込んだ松の木の複雑な根を見守ることができた。地上と地下姿があまりにも違っていたのである。
楽しそうに葉先をそろえた針葉と、それに比べて地下の根は。戦い、もがき、苦しみ、精一杯の努力をしつくしたように、
枝から枝と分かれて、乱れた女の髪のごとく、地上の枝幹の総量より多いと思われる太い根、細い根を無数にもって、
いっせいに大地に抱きついている。私は、こういう根があることを知っていた。
しかしそれを、目の前にまざまざと見たときに、思わず驚異の情に打たれぬわけには行かなかった。
ーーー
「順境には枝を張れ、逆境には根を張れ」という言葉があるが、当時、この「樹の根」のエッセーの言葉が心の支えであった。
個性とは、自分が人生をかけて打ち込んだ中でこそ生まれるもので、むしろ逆境の中でこそ形成される。
38年ぶりに読み返してみたが、私にとって「人生を支えてくれた三冊の本」の一冊であった。実は読み返して今、気づいた。
それでは他の二冊は何か? 近々に取り上げてみようか。大本教の出口王仁三郎の本と、新約聖書である。
・・・・・・・・・
2007年02月05日(月)
2134, 時間についての一考察 −1
    b(^o^)dおっ W(^O^)Wはー♪
最近ますます哲学づいている。今日は「時間」について考えてみる。その中で「いま、ここ」−現在ーの意味が深い。
考えてみても解ったような解らないような難しい問題である。「いま、ここ」という永遠への控えの間?には
非常に深遠な光と陰を感じる。 感動した瞬間、感激した瞬間、そして心の奥底から感謝した瞬間、怒り心頭に達した瞬間、
人を殺してやりたい位に憎んだ瞬間、そのどれも自分を構成している骨組みである。その時々のことは、
ほぼリアルに記憶に残っている。その瞬間・瞬間は、過去・未来ではなく「その時点での今・現在」に経験したことである。
(字数制限のためカット 2010年2月5日)


4709, 閑話小題  ー三毒

2014年02月04日(火)

   * 三毒
 「妬む」「怒る」「愚痴る」を三毒。特に女性の職場などで、その毒が猛威をふるう。
女の職場は一見、花園だが、一歩立ち入ると、この毒素が満ち溢れている。だから、そういうものと割り切るしかない。
 その毒の塊のような元ファーストレディ(デビ?)が、時どきマスコミを賑わしているが、自分をコミックの悪女?
と割り切り、演じているところが面白い。 三毒の逆、「敬意」「喜び」「賛美」をすればよいが、それには訓練がいる。
そのために、心身とも豊かでいることが前提になる。  
   * 母ちゃんこわい!
 最近、どうも図書館で借りてくる本が、<「余命三ヶ月」のウソ>とか、<末期がん、その不安と怖れがなくなる日>
とか、<妻と夫の定年>とか、マイナーの本が多い。ポジティブも良いが、こういうのを読むと心休まるのは年齢のためか。 
 先日借りてきた <妻と夫の定年熟ー西田小夜子著>は、どのページを開けても、全てが定年夫婦の『諍い』ばかり。
それまでの生活が一変して、妻の支配下に夫は置かれる。それまで上司の顔色を伺っていたのが、今度は、妻である。
 夫は、「なにかする人」と「何もしないで家でゴロゴロしている蓑虫」に分かれ、その八割が蓑虫夫という。 
ところが妻は、数十年かけて進化していて、その格差が膨大。妻からしたら、そんなバカが鬱陶しいのである。
著者は「定年よろずもめ事仲裁」を生業にしているが、その実態の事例を文章にしている。 構図は、「進化妻」と、
その配下の「蓑虫夫」の揉め事の具体例と、解決方法などのコメント。どの事例も、身につまされるものばかり。
   * 我が内なる獣性
 ふと見ると、去年の今日、<トラと漂流した227日 ーシネマ評>があった。最後の最後の落ちには驚かされた!
創業は、この獣性をオブラートにつつみ、新しい業態をつくること。トラに食べられたハイエナ、キリン、コックが、
旧業態と喩えると、納得する。としても、あの荒れ狂う海で助かればこそ。その獣性も、もって10年。いつの間に、
現象に因われ歯抜けになっていた。最期に、少し獣性が目覚めたが、それでも、子猫? 
・・・・・・
4342, トラと漂流した227日 ーシネマ評
2013年02月04日(月)                   
  * すごい落ち!ーファンタジーに隠された人肉嗜食?  「ライフ・オブ・パイ/ トラと漂流した227日」−シネマ評
 ー まずは、ネットで見つけた「ライフ・オブ・パイ」の評論である。
≪ 獰猛なベンガル虎と16歳の少年が小さな救命ボートで太平洋を漂流する……。え?どういうこと?……。
「ライフ・オブ・パイ」の奇想天外な設定を聞けば、こんな絶体絶命の状況から一体どんな物語が展開するのかと、好奇心を
そそられずにはいられない。そして、喰うか喰われるかの緊張関係の中でパイが見つけた究極のサバイバル方法に、この物語が
示唆する命の不思議なパワーを感じて感動するはずだ。
 最初、虎から逃げることばかり考えていたパイは、やがて、虎を生かすことが自分を生かすことに繋がると気づく。
そして、一緒にサバイバルするという不思議な共闘感を感じるようになる。敵の存在に、自分を生かしてくれる力をみつけたのだ。
この物語には、こんな東洋的な調和の精神が随所に出てきて、単なる冒険物語を超えて、生きることの素晴らしさを教えてくれる。
敵がいるからこそ、最後まで生き抜こうと願う。そんなパイの想いに、自分と考えの違う人たちを肯定する意志が込められている。
宗教の違い、民族の違いが多くの紛争の火種になっている今の世界で、すべての命を肯定しようとする意志は希望の光だ。
この映画には、その光をあなたの胸に送り届けてくれる力がみなぎっている。≫
 ▼ 終わりに近づき、ああ面白かったと思っていたところに、最後に「落ち」があった。 助けられた後に、遭難した船舶の
  所有会社の二人が事情を聞きに、救助され入院しているメキシコまで来る。 一通り少年の、この物語を聞いた二人は、
  「こんな物語は、誰も信じてくれない。もっと信じられるような物語が聞きたい!」という。そこで少年が話した物語は、
  当初、救命艇に乗っていて、トラに食べられたハイエナやキリンなどは、船のコックなどの船員の置き換えたもの。
  トラは少年の中の野獣?で、殺しあい相手を食べ?生き延びたという筋書き。どちらが本当かは、ハッキリさせてなかった。 
  それまでのファンタジーのストーリーが、そこで一変。 この落ちが無かったら、奇抜なファンタジーもので終わったが・・
  映画の導入部分で少年が幾つかの宗教に興味を持って入信していたことや、動物園で育ち、調教や猛獣の恐ろしさを父親から
  教えられていた背景を組み込んであった。ファンタジーとしても、それなりの筋たてがある。特撮とはいえ、満天の星空の中、
  鯨が近くで飛び跳ねる場面は圧巻。ベンガルドラとの行き詰るような生死をかけた攻防も見ごたえがあった。 95点評。
 ・・・・・・・
3967, 民主主義への疑問
2012年02月04日(土)           
   * 近代日本の出発点に立ち返れ!     「民主主義とは何なのか」長谷川三千子著
 最近の世界各国の紛争や、国内の政治を見ていて、信じて疑ってもみなかった民主主義そのものに疑問を持つようになった。
中国も、ロシアも体裁は独裁国家ではないが、実情は独裁国家。 欧米は、隠れた独裁者はいたとしても、
国家のトップは選挙で選ばれた首長が政治を司っている。民主主義は時代が安定の時には有効だが、大きな時代の変わり目には
厄介な代物になり、その使いこなす技は非常に難しくなる。 その民主主義について、分かりやすく書いてある書籍がある。
 長谷川三千子著「民主主義とは何なのか」である。 印象的な部分を要約して書き出すと、
・ 民主主義とは「国民による国民のための政治」が、その基本形である。だが、政治という道が、本当に最良だろうか、という疑問。
 この原理に従えば従うほど、実は「国民のための政治」は遠ざかって行くという、逆説がひそんでいる。
・ それは、人間という動物がイワシのようにリーダーなしに群れとしての行動をとりえない生物で、町内の自治会ですらリーダーを要する。
 指導者なしには政治は成り立たないが、「国民の、国民による」政治という原理は、首相であり大統領であれ、全ての指導者は不順な
 夾雑物であり必要悪である。そのため常に、そこには指導者に対する不満がくすぶっている。国家が平穏の時は、それでも、ちょうど
 水平飛行を自動操縦で飛行して何とか乗り越えるが、ひとたび荒天が国家を襲うと、指導者がその能力を最大に発揮しなければならない時、
 深刻な危機にさらされる。飛行機が揺れているとうだけで、操縦室になだれ込んで、操縦を妨げれば、どんな飛行機も墜落する。
・ 民主主義はバイキンに似ている。それは強い伝染力を持ち、またたく間に国境をこえて広まり、あちこちで出血性の発熱をともなう。
 しかし、このバイキンを駆除すると、完全無欠状態で育てられて子供がひ弱になってしまい、国の健康を害してしまう。独裁国家がそれ。
▼ 日本の政治の混迷が、正に上記の弱点を曝け出している。一年で首相交代が生じるのは、トップは民主主義では夾雑物になるため。
 その期限が、日本の政治システムでは一年。それに情報化で、トップの威厳もあったものでない。しかし、世界的動乱に入ってしまった
 現在、何とか切り抜けなければ国家破綻が待っている。著者は、ここで明治元年の五箇条の御誓文に、民主主義のバイキンの毒素を
 取り除き、それを最上の活性化酵素として活かすヒントがあるとしている。  ーつづく
・・・・・・・
3602, 閑話小題
2011年02月04日(金)
  * 日本の政府は巨大か、それとも普通か?
 民主党になって政府の肥大化が止まることがなくなってきた。社会主義者が政権をとっているから仕方がないとも言っていられない。
あの東京都知事だった美濃部の国政版が現在進行中。 4月か6月に自滅するだろうが、これを立て直すに時間がかかるだろう。
で、果たして日本は世界の中で政府として普通なのか、巨大なのか?の議論がある。 実は世界で一番の水脹れの国家になっている。
それも国家財政破綻直前で悪いことに社会主義者が政権の中枢になってしまったから、何をかいわんである。
一般会計では決して大きくないが、特別会計という母屋の隣の離れの大きさが母屋の5倍以上はゆうにある。
国民の目は母屋しか見えないように官僚と自民党が組んで、使いほうだいをしてきた。そして、この財政破綻状態に陥っても
何も手がつけられない事態である。10年前でも国内総生産に対する一般政府総支出は世界一だが、現在では更に大幅に悪化している。 
日本も、この極左政権が最後のダメ押しをしてくれた。その結果は、来年から大きな圧力として我われに襲い掛かってくる。
  * パン屋の恵方巻き
 昨日、新潟駅のパン屋でパンの恵方巻きを買ってみた。恵方巻などというのを、今年のスーパーのチラシで初めて意識をした。
一週間前から、そのパン屋で恵方巻のポップがあった。そして昨朝、昼飯のサンドイッチを買おうと思い入ったが、
サンドイッチのコーナーに恵方巻があった。面白そうなのでサンドイッチ替わりに買ってみた。で、中味といえば、
カツとレタスにパンを巻いた上に海苔がかかっている。要は御飯替わりにパンが巻いたもの。何と海苔とパンが意外と合う。
節分の日には、豆まきをしないかわりに、これを食べるのも良いのかもしれない。よく思い立ったものだ!
  ーところでウィキペディアで「恵方巻き」を検索をしてみた
《 最近では、恵方巻(えほうまき)といって、節分に食べる太巻きがブームになっています。節分の夜にその年の恵方→歳徳神の
住む方角で、その年に吉となる方角)に向かって、目を閉じて願い事を思い浮かべながら、無言で太巻きをまるかじりするそうです。》
・・・・・・・・
3237, 白川義員
 2010年02月04日(木)
*「われわれが住んでいる世界っていうのは、何億光年という悠久無限の宇宙の中にあって、たかが知れた粟粒ですよ。
 その粟粒が、鮮烈荘厳で神秘に満ちて、こんなに素晴らしい粟粒ってことを知っている人間が、この世界に何人いるだろうか、
 と思い始めたわけです。それならば、このスゴイ風景を自分が撮影して、それを知らない全世界の人間に知らしめてやったら
 どうだろうと。そしてこの粟粒が全人類を乗せた運命共同体で1点の命と知ったら、人間いかに生きるべきか、生きる方向も
 限られ連帯感も生まれるだろうと、そう考えた。それが私の写真のメッセージ」
*「要するにフィルムであろうと印刷であろうと、つまらない写真を一発で凄い写真にするウルトラCなどないということ。 
  小手先の技術だけで凄い写真が出来るわけがない。」
*「世界は『使われなかった人生』であふれている」
*「ネパールの人にとっての山が信仰の対象になるのは当たり前。
  神々しいご来光が有るかと思えば地獄のような天候に日々出会うから祈るしかないのだ…… 」
*「神々しい山を見ると自分が清められ透明になって行きます。」
〜 白川義員はヒマラヤや南極など世界の大自然を撮りつけている写真家。「世界の100名山」のDVDを持っているが、
素晴らしい映像が次から次へと映し出される。 20数年前、ある雑誌で彼がプロとしての写真家になる切っ掛けになった
スイスの幻影的な光景の出会いの文章を読んだ。天国とは、このことをいうのかと写真を撮るのを忘れ見とれていたという。
その場面が、言葉の中から浮かび出てくるようであった。 私が世界中の秘境・異郷ツアーに行くのも、スゴイ景色との
出会いをするからだ。「こんな世界が地球にあったんだ、知らなかった!」という瞬間に百回以上は出会っている。
それは、別に海外の秘境まで行かなくても、日本の名山などでも経験可能だろう。大自然は、我われを通して自分の姿を見る。 
その経験をしてきたから、何ごとがあっても、自分の中の不安が最小に押しとどめてくれている。
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2862, アメリカ発 世界自動車危機
2009年02月04日(水)
 一昨日の22時・Nスペ「アメリカ発 世界自動車危機」には、驚いた。
   ーまずは、NHKの・HPの番組紹介ー
《 20世紀の世界経済を牽引してきたアメリカの自動車産業が、メルトダウンともいうべき崩壊の危機に直面している。
2008年、金融危機の炎はまたたく間に自動車業界に延焼。 旺盛だった自動車の需要は一気にしぼんた。
GMを始めとするビッグスリーは経営危機に陥り、トヨタなどアメリカでの販売で利益を上げてきた日本のメーカーも
深刻な打撃を受けている。 なぜこんなことになったのか。関係者への取材で浮かび上がってきたのは。長年のビジネスモデルを
延命させるために作り出された「架空の消費」である。売り上げをのばすため自動車ローンの審査が極限まで甘くされ、ウォール街が
推し進めた証券化ビジネスと手を結んだ車販売のシステムが広がった。 それが今回の金融危機で一気に瓦解したのである。
時代は次のビジネスモデルへ向かって急展開を始めている。大物投資家なども参入し、業界再編後を見据えた電気自動車など
環境対応車の時代への模索が加速している。 自動車業界の歴史的な大転換を、現場の動きから明らかにしていく。》
 ▼ 以上だが、これを録画にとって朝晩と二度見たが、アメリカ金融崩壊のモデルを目の当たり見せられたようだ。
GMのローン会社GMAC・元ナンバー2の人の語る内容がすざましい。GMと、販売会社と、GM子会社のGMACの三社の
システムの構図は住宅のサブプライムの自動車版。販売会社はGMACから、ほぼ無審査で買い手にローンを組むように
依頼されており、ホームレスにもローン付きでクルマを販売していたという。そのローンはGMACで各種債権と混ぜて、
格付けがAAAになるように加工され世界中にばら撒いていた。    (字数の関係でカット 12年02月04日)
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2008年02月04日(月)
2497, 無くてはならぬもの −5          YΘ!!。_゜ヽ(*´∀`)ノ
  佐古純一郎著 「無くてはならぬもの」
* 何を信じて生きるのか   ー不信の中の絆ー
 この本の中で著者佐古純一郎はー「理解しあうことがあってはじめて信じることができるのではなく、
 信じることができてはじめて、理解しあうことできるのである」と述べている。
  P−164で、 人間が、犬と猫と根本的に違うのは、人間が人格的存在としてつくられたためである。
そのことに、どこまで人間はめざめているのだろうか。本能とか、社会における地位や身分とか、
その他いろいろな点で人は千差万別といえよう。しかしそんな差別は、実は何でもないことであり、
人は神様からつくられていることにおいて、まったく平等である。ー と述べている。
ところで、ここからは私の論になるが、信用を逆手にとって言葉を巧妙に操り、人間の良心を悪用する輩が巷に闊歩している。
それは巧妙であるが、所詮は中・長期的に馬脚を現しているのである。 自分が騙していること自体に気づかないから始末が悪い。
その手法を一番してはいけない相手に対し巧妙に仕掛けるのである。 それも、己の行為が騙しという意識がないから、
尚のこと始末が悪い。カントではないが、人間には良心が必要である。宗教と倫理こそ信じるべき道標である。
他人ごとでない自分自身のことでないか。「これこそ愛である」などと思いは、すべてが勝手な思い込みでしかないのである。
人を愛するなど簡単には出来はしないのである!だから親の愛こそ必要となる。 しかし愛は心だけではなく、力と知恵が必要となる。
以下は、当時の自分の気持ちの中で最も突き刺さった部分である。  
  P−183  じっさいは、私たちは善をしようと思う気持ちが切実であっても、そういう自分の意思をそむいて悪をしてしまう。
パウロはそのことを次のように告白している、「自分は善をしようとする意志はあるが、それを行う力がない。
・・・私はなんと惨めな存在なのだろう。だれか、この死の体から、わたしを救ってくれるだろう、」ほんとうに自分の善をなす力の
ないみじめさを、このパウロのように、苦悶にまで深く掘り下げないのでないと、宗教の世界にふれるということはできないかもしれない。
宗教などいらないという人は毎日の生活のなかで、自分をごまかしているのではないか。
自分には他人を愛する力がないのだということに、みじめさを感じるほど、私たちは、真剣に他人を愛しようとしただろうか。
 ▼ こういうことを先に気づくか、後で気づくか? 人生は、口先だけでは後で後悔の日々になる!
   青春時代の苦悶は、いや人生は、パウロの言葉に収れんする。
・・・・・・・・・・
2007年02月04日(日)
 2133, 閑話小題           オッ(*^○^*)ハ〜ヨウサン!
  * 顔筋マッサージ
先日、「顔筋マッサージ」について書いた。TVで映し出される代議士の加藤紘一氏が顔が横に広がってきていた。
ところが顔筋マッサージをしたら、たちまちスッキリした云々と文藝春秋に書いていた。
その時に「参院幹事長の片山虎之助がすればより効果があるだろうに」と、面白おかしく書いていた。
縦より横の方が広くみえるほど頬の肉が張っている。それが数日前のニュースで片山の顔が映し出されたが、
見事なぐらいにスッキリと以前とは見違えるように変わっていた。あれぐらいスッキリするのだから、
丹念に時間と回数をかけたのだろう。しかし、今朝のモーニングショーに片山虎之助が出ていたが、元に戻っていた!
マッサージをしていなかったのか? 私の面白そうなので毎日10分ほど始めたが、まだ効果はでていない?
  * 一連のバラバラ殺人事件について
(字数の関係でカット 10年02月04日)
・・・・・・・・
2006年02月04日(土)
1768, セブン・イレブン     (o゚▽゚)o オハョ〜 (朝´∀`){♪Good Morning♪}(´∀`朝)
ここで取り上げるのは、コンビニではない。バブル期の旧住友銀行の行員の猛烈社員ぶりを端的に顕す言葉である。
(行員は朝の7時から夜の11時まで仕事をしているという)あくまでも誇張した流布と思っていた。
ところが、「新婚さんいらっしゃい」のTv番組で、三井住友の行員が出てきて、奥さんが旦那の猛烈ぶりに欲求不満?
と嘆いていた。その旦那の一日の日程とは!  4時 起床、 ノ□ヾ)ネムー 4時半 家を出発6時前に会社近くにある
ロイヤルホストで朝食を兼ねて仕事の準備、7時出社、〜 23時に帰路、0時過ぎに帰宅、1時就眠・・・ 
土曜日は一日寝て、 日曜日に家族サービスという。聞いて耳を疑ったが、噂は本当だった?若いうちは、
ここまでしなくては仕事をこなせないのだろう。生々しい金融の世界で、このような生活をしていたら世の中の人間、
全て馬鹿にみえてくるだろう。これに高速配転で鍛えられるのだから、能力は蓄積されて当然である。地方などにきたら、
いるだけで腹が立って当然だろう。地銀に出向になってきた都銀の行員と地銀の行員の意識と能力の段差は
埋められないという。 どちらが良いかは、 全く違う問題になるが!   


4708,末期がん、その日のための予習を ー4

2014年02月03日(月)

                ー「末期がん、その不安と怖れがなくなる日」樋野 興夫 (著)
   * 第三章 がん細胞が教えてくれること
 ・顕微鏡の下のがん細胞
 ・がんは「身の内のもの」
 ・見た目は悪いが生命力は旺盛
 ・コピーミスは細胞分裂につきもの 
 ・がんは「不良息子」
 ・ギブ・アンド・テイクで水車のように生きる
 ・コントロールからはずれて自由に
 ・がん細胞の驚くべき柔軟性
 ・「尺取虫運動」の着実な歩み
 がん細胞は、みずから生まれ育った場所から、新しい場所位に移動する能力を持っている。転移である。
   転移は、播種と、血行性・リンパ行性の二つに分けられる。
  ☆ 播種は、種が飛ぶようにして、広がっていく。
  ☆ 血行性・リンパ行性は、血管やリンパ菅を通って運ばれる転移。
 転移は何故起こるかは分かってないが、それが、彼らの生存理由になっている。がんは転移がなければ、さほど恐くはない。
 ▼「がんは不良息子」は、言い得て妙。その扱いは、まず理解し、なだめすかし、暴れないよう扱うしかない。
  不良になるには長年の生活習慣が起因していて、頑固で、性格が歪んでしまっている。だから、早めに歪みを取り除く
  ことが重要。生活習慣による身から出た錆の要素が大きい。不良息子には、多方が良性と悪性の二種類がいること。
  悪性は、どのみち助からない。反面、良性はがんもどきである。がんの成長は、意外とゆっくりしている。
  1センチのがんは、まず治るサイズだが、その大きさになるに30回の細胞分裂が必要で数年〜十年はかかる「尺取虫運動」。
・・・・・・
4341, イタリア人と日本人、どっちがバカ?
2013年02月03日(日)
        「イタリア人と日本人、どっちがバカ? 」 ファブリツィオ グラッセッリ (著)
   * 「南イタリア人と、日本の地方人、どっちがバカ?」
 日本在住のイタリア人が書いた本だが、なかなか面白い。イタリアは、北と南では民度が大きく違っていて、
著者も、その一人だが、北イタリアはドイツをしのぐといも言われる。 南イタリアは北の植民地的存在で・・・ 首都圏と、
その他の地方とかいう日本の感覚に似ている。最近の日本は欧州のPIIGSと同じレベルか、その下にまで成り下がってきた。
  まずは、 ーアマゾン〜内容紹介ーより
《 アメリカ型経済を真似て、私の国はメチャクチャです」。在日20年以上のイタリア人建築家ファブリツィオ・グラッセッリは、
こう語ります。 敗戦後の奇跡的な復興から、近年の政治・経済・社会の劣化、教育制度の危機、アメリカ主導のグローバリ
ゼーションまで長い歴史を誇りながらも、今では「立派な」借金大国である日伊両国には多くの共通点が存在します。
国家破産に向かう今日のイタリアは、明日の日本の姿なのでしょうか。 架空のイタリア人一家(ビアンキ一家)。
ミラノの工場で働き、賃金カットの危機にあるビアンキ氏と憧れの国日本にやって来るニートでオタクの息子。
彼らを主人公にストーリーが展開し、かの国で今、何が起きているかを描くとともに、日本を少しでも良い国にするための、
ウィットに富んだ提言を行っている。》   ー 要所を抜粋してみる ー
・「北イタリアだけを取り出してみれば、その経済の成長力や生産性の高さは、ドイツよりも上で、事実上「ヨーロッパ随一」
  であるということが、よく言われます」(30頁)。
・「お互いがギブ・アンド・テイクの関係で成り立つこうした縁故関係を、イタリアでは「クリエンテリズモ」と言います。
 そしてイタリア人の社会は、この縁故関係をもとにした、無数のいわば「利権集団」の集まりから成り立っています」(38頁)。
・「イタリアは、近代国家建設の時点で、南イタリアを「絶対に」必要としていました。・・・ それは、一種の「コロニアリズム」
 =植民地主義だったと言って良いでしょう」(70頁)。
・「今もなお、イタリア人が「あまり働かない」国民であるというイメージが根強く残っているのは、はっきり言って「偏見」
 でしかありません。それは、ヨーロッパの労働者について調べた具体的な統計にも、はっきり表れています」(116〜7頁)。
・「ベルルスコーニは ・・・ イタリアの政治の仕組みを、アメリカ型の「新自由主義」に変えること、そして、イタリアの経済を
 本格的に「グローバル化」するという使命を帯びて首相官邸に乗り込んで行ったわけです。 
 ・・ にもかかわらず、その政策遂行に当たっては、古いローマ政界の政治システムに頼らざるを得なかったのです。
 ・・ 結果、ベルルスコーニは。彼のバックについていた勢力から見限られ、首相の座を降りることになったのです」(178頁)。
・「彼らにとって、プライオリティーの最上位にあるのは、「国際金融システムを、健全に保つこと」です」(189頁)。
・「バブル経済の興隆と崩壊、そしてその後の「空白の20年」と言われる時代に、一番大きく変わってしまったものは、
 日本人のメンタリティーだと私は思います」(207〜8頁)。
 ▼ 青の洞窟内でイタリアの船頭が、カンツォーネの歌の合間に、「がんばれ日本」と言っているのをTVでみた。
  北が南を植民地化しているのを、この本で初めて知った。 その視点からみると、日本も首都圏が日本を支配している。
  ということは「地方は首都圏の御荷物」であり、「南イタリア人と、日本の地方人、どっちがバカ?」の質問になる。
  その首都圏も8年以内に100%、直下型地震がある・・・「人からコンクリート」は、埼玉周辺の副都心造りが最重要になる。
   何がオリンピックか! まだ高度成長期のバイアスが罹っている石原。 戦後日本のバイアス(偏見)そのもの。
・・・・・・
3966, 首都圏崩壊の可能性、7割 ー2
2012年02月03日(金)
  京都大の地震研究機関の発表では「5年以内に3割の確率」と東大より緩めの発表をしている。
二つを合わせると、「4〜5年以内に5割前後の確率で直下型地震が起こる」ことになる。 災害の場合は、厳しい東大の確率に
標準を合わせるべきである。それに東海・東南海・南海地震の可能性は含まれてない。 それに3・11直後の3月15日に起きた
富士山の地震による噴火の可能性もある。それらを考え合わせると関東・東海地区は何時、何が起きても不思議でない事態。
 前回、「一年以内に9割の確率」に時間を短縮し、確率を高めた仮説を立てた。 まず何をすべきかの対策が見えてくるからだ。
大企業は、その情報は数ヶ月前から入っていたはず。 スマトラ沖地震に、中国・四川の地震、ペルー地震、ニュージーランド地震、
そして東北大地震は、太平洋を挟んだ地球規模の地殻変動であり、東北大震災は、東北から千葉にかけての沿岸ぞいに幅200キロ、
長さ500キロにわたる震度7、M9の400〜500年に一度の歴史的大地震である。 この規模の地震は、近くの地震帯や火山に
大きな影響を与え、数年以内に新たな大地震や噴火を誘発する。 3・11以降に関東の地震帯に異常な動きが見られ、直下型地震の
可能性が7割という予測。ことの重大さは分かっても、職を辞して、一家で地方に移住できる人は限られる。 座して地震を
待つしかないのが殆どである。しかし、東北大震災の惨状を連日ニュースなどで見ているため、出来る範囲の準備に取り掛かるから、
それぞれの静かな疎開が始まる? 新潟などは移住に、もってこい?である。米と、水と、魚があれば何とかなる。それに酒?
 首都圏崩壊の事態にでもなったら、バブル崩壊、そして経済震災二つ、東北大震災に引き続いて大打撃。国家破綻となり非常事態。
第二次世界大戦の敗戦直後の日本に逆戻り。 銀行閉鎖や通貨切替で、国民は丸裸にされる。 それが7割の確率としたら・・・
外国への疎開も資産家にとって現実問題になる。 他人事ではない、現に私が3つの震災を受け、一歩先んじた状態。 
 布置という言葉がある。 大きな変わり目に、思いもよらない大きな出来事が次々に引き寄せられ重なる、という意味。
表向きは違う体裁をとった非常事態政府が出来るはず。首都圏の問題であり石原都知事が首班になるのが自然。 まともならだが!
 ・・・・・・・
3601,  旅ばなし 小題
2011年02月03日(木)
  * カラコルムハイウェーの旅が一番過酷
 トルコ旅行とかイスラエルとか、あらたまって構えてしまうと書くのが億劫になる。しかし頭にはフラッシュのように
色いろのことがよぎってくる。「閑話小題」を書く時は手抜きか、テーマが浮かばない時の苦し紛れで、小題として幾つか書いていた。
しかし、その方が面白いと指摘され、読み返してみて成程と思った。 何も浮かばない時に書く文章ほど本音がでるから、 
読み手は共感する。そこで、これを旅行雑記としてフラッシュを気楽に書けば、せっかく脳が呼び出してくる面白い逸話が
残せる。この小題を幾つか書き続ければ、あとで一冊の面白いコラム集になるのでは?と、思いたった。 
47回の旅行には感動の他にも多くの材料がいくらでもある。  現在、「お絵かき転換ソフト」を使かって過去の写真をブログに
思いのまま乗っけているが、ネタは当分?は尽きない。これのコラム版ということになる。
 まずの口切は、一番に肉体的に厳しかったカラコルム・ハイウェー。
  5年前に書いた私のベスト・ランキングで、一番にあげてあった。  ー まずは、その箇所をコピーしてみる。
 【 《 2005/11/26  辺境へ −2 》 ー 私が行った辺境を印象深い順にあげてみる。 
1、やはり一番は中国ウィグル地区のタクマカラン沙漠のホータン〜カジュカル〜パキスタン国境のクンジュラフ峠
 〜カラコルムハイウエー〜フンザ〜アフガン国境のペシャワール〜イスラマバードである。
2、アルゼンチンとチリーパタゴニア地方  3、南米のベネゼイラのギアナ高地 4、タンザニア 5、イスラエル 6、北インド
7、アイスランド 8、ケニアのヌーの河渡り 9、ネパール 10、シリア・レバノン・ヨルダン 11、エジプト・・・・   】
 カラコルムハイウェーに入ってから、その苛酷さに、添乗員と現地のガイドが、倒れてしまった。 カラコルム・ハイウェーの
土砂崩れと、その手配と、難問が地祇次と襲ってきたからである。同行の人たちもベテラン揃いで、それを責める人は誰も居なかった。
ある箇所で、大きい土砂崩れで中型バスが、その先に行けなくなり、土砂崩れの向こう側に急遽、地元の10数人乗りのマイクロバスに
乗り換えた。 そして土砂崩れの場所を、地元の人を急遽雇い一人ずつ手をつないで、数百メートル走って渡った。
上から落ちてくる小さな石が鉄砲の弾と同じ原理で、数百メートルの勢いで、帽子の上からでも負傷してしまう。 
その現場ではなかったが同行の一人が、小さな石に係わらず、頭から血を流してしまった。
 しかし、面白いといえば面白い15日間であった。また同行のメンバーが得体の知れないほど教養のある人ばかりである。
・・・・・・・・
3236, マックファン
 2010年02月03日(水)
 二年前にパソコンを、その半年後に携帯電話を、思い切ってMacにかえた。どうも以前から携帯電話を使うのが苦手で
iPhoneも同じ。しかしパソコンは非常に気に入っている。しかしTwitterに、iPhoneが端末として最適というから、
これを機会に慣れるようにする。とにかく、電話以外に使うに小さいのが欠点。 ところが、これの4倍の大きさのタブレット式
のパソコンがMacより発表された。 これは、Twitter同様に、大きな社会的変化をもたらす可能性がある。
 * iPadについて 
マックが発表したタブレットの端末機のiPadは、iPhone,iPod,のようにブレイクをするだろうか?
私の結論は、ブレイクするである。 オプションにキーボードがあり、二台目の小型パソコン代わりに使われるか、これまでパソコンに
挫折した中高年に受け容れられる可能性がある。画面が4倍になればゲームも使い勝手がよいし、ビデオも、アルバムも、書籍も、
新聞も、これを通してみることになる。ノートにもコピーも可能にもなる。で、モバイルパソコンと何処が違うか? 
ノートや書籍と同じように一面というところ。さらにタッチパネルで、モバイル携帯電話の数倍の画面のところである。 
仰向けでタッチ方式で見れるのが良い。更にiPhoeを使っていたソフトが横滑りに使えることが大きい。
iPhone,iPodと同列に位置づけられるはず。 考えてみたら、これはツイッターにもブログにも使える。 
リビングにも寝室用にもなる。更に外出先でも使える。 これにはオプションのキーボードあり、それを付けると普通のパソコンになる。 
iPhoneが、いま一つ使いづらいのは、携帯電話の縛りがあり小さいからである。それから開放されるのが、一番である。 
まずはゲームや、読書に、映画鑑賞などの映像を見ることから始る。何処でも気楽に持っていけるのが大きな要素になる。
ツイッターやブログの写真や録画を、場所を選ばす大きな画面で見れるのも魅力である。 等々、考えると1〜2年後には、
大ブレークする。 その前に、iPhoneがブレイク始めたようだが。
・・・・・・・・
2861, 不況景色  −9
 2009年02月03日(火)
 果たして「世界恐慌の一丁目一番地」に入ったのだろうか? 1929年より数段大きな恐慌とはいっているが・・・。
で、どうか?といえば、既に「世界恐慌の一丁目一番地」に入ってしまっている。それは想像を絶する規模であり、
10年近い期間は続くことになる。それも歴史上最大の規模であり、人類のありようも変える転換期である。
世界GDPの八割を占める20Gサミットの国が世界非常事態宣言をして、銀行閉鎖、全ての資産を差し押さえなど、
国家管理をする位の可能性もある。新たな新札に切り替えて裏づけは金と原油と幾つかの穀物などにして、それに応じて国家が
為替を決める方法などが考えられる。 しかし現実に可能かというと疑問だが、非常事態には非常手段もあり?。
この月末・月初の大きな倒産は無かったが、今年からは数年にわたり本格的な倒産が起こる。
失業率は十数パーセント、失業者が数百万〜一千万人という数字が踊る日々になると覚悟をしていた方がよい。
他人事ではない、全ての人が、ホボ全員が何らかの形で影響する異常事態である。昨年の10・11・12月の三ヶ月の日本の
GDPが昨年対比が11・4パーセント減とあったが、これは世界恐慌に入ったというサインである。
日曜日の夜にTVで派遣社員の厳しい現状をレポートしていた。人間にとって自分の仕事があることが基本。
それが無くなり、収入とストックが無くなると、気持ちが荒んでくる。 一度、ルートから離れると、二度と元には戻れないのが現実。 
先週の月曜日に録画をしていたNHKスペシャルの派遣の現状のレポートを昨日見たが、一つの派遣の仕事を椅子取りゲーム的に
狙う現実は、あまりに寒々しい。今週の週末の土・日のNHKの夜のゴールデンタイムに二日続けて、不況と失業の問題を放映するようだ。 
毎日暗い話しばかりで少しは楽しい話?をしろよ!だって? それなら・・  アメリカの金融崩壊と、日本の勝ち組と称してきた
連中の惨状を見ているだけで楽しくて楽しくて!大雪崩に巻き込まれて全てを失う可能性があるのは分かっていても、楽しい! 
(字数制限のためカット2012年2月3日)
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2008年02月03日(日)
2496,  無くてはならぬもの ー?       YΘ!!。_゜ヽ(*´∀`)ノ
「無くてはならぬもの」 佐古純一郎著
  孤独に対峙する自己 −自分と他者との支柱ー
 P−114 人と人との間柄のなかで生きるという存在のありかたがこわれてくると、人間は人間でなくなるのである。
人と人との真実なる間柄、それを私は交わりと呼ぶが、交わりのなかで生きることこそが、実は人間の条件。人間形成とは、
この私が自己の内に自我を追求することではなくて、真実が形成されることである。それが人間の形がなるという意味である。
P−119  現代を生きる人間の悲劇は、孤独に耐えられなくなっていることではあるまいか。たとえば、読書という身近な
ことがらについて考えてみよう。 深夜、自分の部屋で、その静けさのなかで、独りしんみりと古典を読みながら人生を
思索するような生活の喜びを本当に見出しているだろうか。むしろ、そういう静かさの孤独の時間が、なにか恐ろしい、耐えられない
といった苛立ちがあなた方を捉えていないだろうか。デモに参加したり音楽喫茶で歌って解放感にひたる、そういう孤独からの脱出が、
大きな誘惑になる。孤独のなかの自分をほんとうにいとおしみ愛することができるような、人生を生きてほしい。
 P−126  私たちは極めて重要な問いの前に立たされているのである。人は孤独な存在であることを知るゆえに、
孤独を大切にしなければならない。が、孤独を大切にしながらも、孤立しないで、人と人との力強い連帯を
創造するというようなことが果たして可能かどうかである。・・・・
ドフトエスキーの「地下生活者の手記」に考察されたような、全世界が崩壊しようが、自分がいっぱいのお茶をすすめられたらいい、
というような、そういう個の尊厳が、私たちの実存の深みにひそんでいるのである。自分は自分であって、
絶対に代用品は使えないのだという、個の尊厳を一方において大切にしながら、しかも、私たちは他者との間に、
生き生きとした連帯をつくり出していかなければならないのだとしたら、それは極めて困難な課題の前に立たされることになる。
 ・・・・〜〜孤独に耐えられない自己が、群集の雑踏のなかに自己からの逃避をこころみて、しかもそこにも生の孤立化が厳しく
横たわっているとしたら、そして、そのような群集のざわめきに耐えられない生が、もう一度孤独の世界に帰っていこうとしたら、
それは徹底的な人間嫌いの底に沈んでいくしかあるまい。それは、やがて生そのものからの逃避として、私たちの生を自滅に追い込んで
いくかもしれない。そのような状況では、私生活の尊重というようなことすら、もはや意味を失ってしまうであろう。
人生の危機に立つということは、そのような状況のことである。 
(字数制限のためカット2011年2月3日)・・
・・・・・・
2007年02月03日(土)
 2132, ああ〜勝ち組か〜         才八∋ウ_〆(∀`●)


4707,<つまずき>の事典 〜分別  ー2

2014年02月02日(日)

                        <つまずき>の事典> 中村邦生編著
   * 何ゆえに神はノアの方舟に人間を選んだのだろう?
『ノアの箱舟の上で俺たちは絶えず不可解な気持ちで頭を悩ましていたんだ、どうして神は他の明らかにもっと優れている
 候補をさしおいて、人類を被保護者として選ぶことになったのかって。神がもし他の種を選んでいたら、そのほとんどは
人間なんかよりずっと忠実なことに気づいただろうさ。もしもゴリラを支持していたら、神への不服従にしたって人間の半分も
犯さなかったんじゃないかと思うよ。そうなけりゃ第一、洪水だって起こす必要はなかっただろうね。一ジュリアン・バーンズー
 箱舟の密航者であるキクイムシが語っている一節。{神が「人類を被保護者として選ぶ」ことにしたのは、地球環境から言えば
取り返しのつかぬ〈過失〉であったのは間違いない。したがって、あるフランスの皮肉屋の次の言葉は、紛れもない真実なのだ。
「人間は祖先が猿であることを自慢している。しかし猿は祖先が人間であると決して自慢などしないだろう」。
したがって、あるフランスの皮肉屋の次の言葉は、紛れもない真実なのだ。「人間は祖先が猿であることを自慢している。
しかし猿は祖先が人間であると決して自慢などしないだろう」。』
 ▽ 人間こそ、地球の大気圏の生物にとって、ガンそのもの。
   * 分別
 『どんな愚者でも真実は言えるが、嘘の上手のつきかたには、分別のある人間である必要がある』 ーサミュエル・バトラー
 ▽ 今まで平気で真実を誰かまうことなく公言してきた。それも常に上から目線で! 時と場合で、嘘と真実を混ぜ合わせて
 語ることこそ、分別ある人間のすること。そうこう考えると、この随想日記の公開は非常に危険。 真理と真実を直感したまま、
書き続けると、分別がついたように錯覚に陥るが、愚者の真実は気違いに刃物? 相手を思いやる嘘こと必要である。 
   * 失敗には安らぎがある
 『それは前に数学の試験に失敗して、かえったほっとし、解放感があった時に似ていた。失敗というのは明快で、そして
 確実なものだ。そして確実なものの中には、いつも安らぎがあるのだ。』 ートルーマン・カポーティ「最後の扉をしめよ」
 ▽ 強がりか、居直りかもしれないが、<つまずき>の半年辺りから、奇妙な心の安らぎが出てきた。不確実な日常の45年間の
 緊張が切れたこともあるが、この安らぎは思いの他。私自身が招いた因果応報と認めれば、人の思惑など考える必要もない。
実際に経験してこそ分ること。「会社を綺麗に後継者に引渡すより、全て失い独り佇んでいる方が良いのでは?」と思ったのは、
確実なものの中に心の安らぎを感じたため。前者は解放はされなく不安が常にまとわりつく。 道理は何処も同じ!である。
・・・・・・
4340, 自己とつきあうということ −6
2013年02月02日(土)
    * ソクラテスと自己の問題     
 「自己の探究―自己とつきあうということ」和田 渡 (著)   
  「人間は無知であり、無知であることに対しても無知である」というソクラテスの言葉が広く知られているが、それを
 本当に我われは理解しているかというと疑問である。無知を自覚した上で、良く生きること、己の心と魂に配慮することと
 2500年も前に、ソクラテスは気づいた。 ーその辺りを抜粋してみる 
 ≪ ー汝自身を知れー  吟味することのない生は生きるに値しないと見なし、よく生きることこそ人間のつとめだと
考えたギリシアの哲学者、ソクラテス(前470〜399)も、自己へ配慮することの重要性を力説した。 神殿の壁に記された
「汝自身を知れ」は、神から人間にくだされたメッセージであり、永遠の存住としての神と異なり、つかの間の生を生きて死ぬ
ほかはない人間に与えられた「身の程を知れ」という意味のこめられたものとされる。その言葉は、神殿に訪れる者たちに
「神に過剰なことを望んではならぬ」という自戒を促すものとみなされる。・・ 。それゆえ彼が強調したのは、おのれの
無知に気づき、すこしでも無知でない状態へと自己を導くことであった。 そのために、自己は配慮されなければならない。
無知な状態に脱して、真の知を得るためには、よく生きる努力、自己の魂への配慮を欠いてはならない。
そうしたソクラテスの信念は、『ソクラテスの弁明』のなかのアテナイ人への呼びかけに明らか。
 【 世にもすぐれた人よ、君はアテーナイという、知力においても、武力においても、最も評判の高い、
   偉大な国都の人でありながら、ただ金銭を、できるだけ多く自分のものにしたいというようなことにだけ
   気をつかっていて、恥ずかしくはないのか。評判や地位のことは気にしても、思慮や真実は気にかけず、
   精神をできるだけすぐれたものにするということにも、気もつかわず、心配もしていないというのは。】
金銭欲や名誉欲といった誰もがとらわれやすいものから、真実をめざして精神を配慮する方向への転換を
説くソクラテスは、当時、嫌味な老人として嘲笑と反発を買ったかもしれないが、自己に向かう態度を
頑固なまでに強調している。彼は、自己が金銭や他人の思惑などにひつばられやすいものであり、それゆえに、
そうした方向を制御して、ひたすら「自己自身をよくすること」につとめなければならない。≫
  ー「よく生きる」という実践ー  しかし、自分自身をよくするとは、いった.いどうすることなのか。
「大切にしなければならないのは、ただ生きるということではなくて、よく生きるということなのだ」というソクラテスの
周知の言葉は、どのように理解されるべきか。彼は、よく生きるの「よく」を「美しく」とか「正しく」と同じ意味で
理解すべきと主張しているが、そのために必要なことは、ブッダの主張と同様に、もっぱら自己の心、魂に配慮することである。≫
 ▼ 一生かけて自分を覆っていた固定観念を叩き壊してきたつもりだったが、振り返えれば、あまり壊れていなかったようだ。
  壊すほど、その奥には、さらに頑強なバイアス(偏見)の岩盤が表出してくる。 周辺を見渡すと、ゾンビの群れが、
  彷徨っているのを見かける。己を忘れ、現実に溺れ死に、墓に埋められたミイラが死に切れず徘徊しているのが、ゾンビ。 
・・・・・・
3965, 首都圏崩壊の可能性、7割
2012年02月02日(木)
  数日前に突然、東京大学地震研究所が「首都圏でマグニチュード7クラスの直下型地震が4年以内に70%の確率で発生する」
という研究結果を発表した。(政府発表は30年で70%だったが)「死者が1万一千、負傷者が数十万、倒壊・延焼が85万世帯」。
東北大震災で10倍以上も、その確率が高くなったという。85万世帯といえば建物の二割近くになる。「死者が万分の一のなら、
それも仕方がない」と安穏としてはいられない。 私が都内在住で幼い子持ちなら移住を考えざるをえない事態である。。
外国人なら大挙の帰国も不思議でない。 直下型地震は過密ビル群の都市ではなす術がない。 ビルは津波には避難場所になるが、
問題は古い建物の倒壊。 それにしても、これだけの衝撃的ニュースが、あっさりと出てくるもの。あとは各自の勘になるが、
それぞれ生活事情がある。 これまでは福島原発の放射能汚染に対して上から目線?で見ていた都民が、そこより遥かに危険地区に
住んでいる現実を突きつけられたことになる。 神戸淡路震災の死者が6400人以上、負傷者がその7倍も出ていることから、
神戸市の人口が150万人の8倍の人口の東京からみて、十倍以上は出るとして6〜7万以上が亡くなる可能性がある。 
その上、首都の一極集中の機能が壊滅をしてしまう事態でもある。 20年前のバブル崩壊から始まり、9・11、9・15、
3・11震災と経済・自然災害が立て続きに襲われている日本にとって、首都圏壊滅が4年以内で70%とは、ただならぬこと。
  * ここで、仮説を立ててみる。
≪より現実的に考えるため3年早めて、「首都圏でM7クラスの直下型地震が年以内に90%の確率で発生する」という仮説。
 東京はパニック、現実問題として企業も政府も、その機能の移転の具体的作業になる。第二次大戦時の、あの疎開が始まることになる。
今まで小さな地震に対して気にしてなかった都民は、かって無かった恐怖に襲われ、夜も眠れない日々を過ごすことになる。
富裕層は我先に海外か北陸か北海道あたりに家族を疎開させ、外国人は我先に家族を帰国させ、働き手だけが残務整理のため一部が残る。≫
 実は、これと同じような現象が現在の首都圏では目立ってないが、原発事故以降に起きている。それが更に徹底して始まる。
現に私の会社が3つの災害で、あっさりと壊滅してしまった。そして、今度は、首都圏? まだ信じられないのが本当である。
まだ東北大地震が継続していて、東北大震災をパート気箸垢襦崚賈夢愿貘臙録未離僉璽鉢供廚動き出した、という見方をすべき?
 あの地震と津波は、東北関東大地震パート気任靴ないとすると? パート靴東海・南海・東南海地震の可能性もある。
しかも、景気に対する悪影響は大きい。 誰が、この事態で家を建て替えるか、自動車や、大型家電を、家具を買うだろうか?
・・・・・・・
3600, 誰も書かなかったアメリカ人の深層心理  −3
 2011年02月02日(水)
 読んでいて、エッと驚く普通のアメリカ人の考え方や生活が次々と出てくる。
そのアメリカを通して、日本人のマイナーなアメリカナイズされた歪んだ日本の一面が見えてくる。
日本では家族の崩壊が問題になっているが、アメリカでは想像以上に「家族」を大事にしている。
その一つとして、子供と一緒に過ごす時間を大切にしている。アメリカ人の97〜8パーセントが神の存在を信じている。
それに対し日本人は35パー。あの世の存在は大よそ7割が信じているが、日本人は16パーである。8割の人が
「天国に行くか地獄に行くかを神が判断する日が来る」と信じているのに、日本人は1パーセントのキリスト教徒ならいざしらず、
殆どの人は信じてない。彼等の日常は神が見ているのである。その辺が日本とは違う。女子中高生の売春などは、日本人に比べ
非常に低い。競争主義、成果主義もプロテスタントの倫理があってこそ、成り立つのである。彼等の日常は常に聖書が傍らにあり、
教会が心の拠りどころとしてある。もう一つ著者が指摘しているのは、都会の背景にアメリカには広大な土地での雄大な自然である。
そこには「農村の豊かさ」がある。これが日本ほど格差に敏感にならないで済んでいる。広大な土地に大自然があり、
豊かな農業があり、聖書を日常の心の拠りどころにして、ペットと住める環境が全土にあるから、他人の成功に一々目くじらを
立てないで済むのである。 英国人も日本人もアメリカ人の陽気さと楽観性に比べると非常に劣っている。
それは、国土の広さと豊饒性がなせることである。 
 日本青少年研究所が2002年に発表した「中学生の生活意識に対する調査」によると
・「私には人並みの能力がある」          日本人  15・6パー     アメリカ人 56・5パーセント
・「私は他の人々に劣らず価値がある人間である」  日本人   8・8パー     アメリカ人 51・8パー
  私は他の人より価値がないと考えていれば、これほど自分を制限する心理はない。
・「自分に起こったことは、すべて自分の責任だ」  日本人 25・2パー      アメリカ人59・7パー
 起こったすべてが自分の責任と思えればエネルギーが生じてくる。他のせいという日本人とは大きな差が出て当然。
 薩摩芋なら薩摩芋のままで良かったか? バナナ(外が黄色で、内が白)は、バナナで良かったか? 我々は日本産バナナ? 
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3235, 女性だけの健康ジム
 2010年02月02日(火)
 ・入会金7500円、・月会員費3500円で、・一日30分だけ ・何度でもOK ・女性だけをうたい文句に世界中に
ジムを多く出している女性専用の健康ジムがある。初め聞いたのが去年の夏の頃に、長岡のスナックのママさんが
「駅前のヨーカ堂の中にあるジムに週二回ほど買い物ついでに通っている。会費が3500円で週に2〜3回行く。
計算すると一回あたり400円位。 コースになっていて30分で終わる。喫茶店のコーヒー代と思えば安い。
買い物ついでに丁度良い気分転換になり、色いろな人と話ができるのもよい」と、言っていた。「成るほど、面白いシステム」
と世間話をしていた。 ところが先日、私の知人が新潟の郊外でイタメシ屋に店舗を貸しているが、不景気で芳しくないので
家賃の値下げに応じたと聞いていた。ところが、そこを経営している会社が、、同じ店舗で最小の改装で、フランチャイズの
主婦向けの健康ジムにするという。店舗と健康機器には経費をかけず、女性のイラストレーターをつけて、次々とプログラムを
こなすシステムという。 ネットで調べたら、長岡と同じ系統のフランチャイズ。HPの写真を見ると円を囲うように健康機器が
置いてあり、真ん中のイラストレターが音楽に合わせて次々と健康機器をこなすシステム。 鏡はわざと置かないそうだ。
置くと????。 家内は、駅から車で20分ほどのイオンのSCのスポーツジムに週一回通っているが、具体的内容は一切話さない。 
ここは週一回で、月に4000円位?のようだが。 自宅の居間には4種類の小さな健康機器を置いているが、朝晩10分ずつ
使用している。腰痛対策なのだが、非常に効果がある。だから女性専用の30分のプログラムが身体によいのは理解できる。
音楽にあわせ、一台あたり2〜3分運動させ、隣に移動させていけば、合理的で楽しいはず。しかし男は無理。
大元はアメリカのフランチャイズというが、なるほど合理的である。 10分100円というのも在るそうだ!
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2860, 若者たちは今
2009年02月02日(月)
 *若者の○○離れ、というが
ある雑誌の中に「若者の○○離れ」という現象のレポートがあった。若者は明らかに旧世代とは違った消費行動をとっている。
まずは○○とは《 ・クルマ離れ ・酒離れ ・活字離れ ・新聞離れ ・洋画離れ 
         ・海外旅行離れ ・ギャンブル離れ(マージャン、パチンコ、競馬) etc》
  (字数の関係でカット2012・2・02)
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2008年02月02日(土)
 2495, ー自宅にも iMacー
 昨日、会社の事務所に引き続いて、自宅にiMacを導入した。これで一年以内に熱狂的とはいわないが、圧倒的なファンになるような
気がしている。とにかく画面の明るさと、WindowsVistaとMac両方が使えるのが良い。これまでノートパソコンに何故
拘っていたのか? 居間の座卓の上のスペースの問題と、Macをよく知らなかったことである。WindowsXPとノートパソコンの束縛から、
やっと解放された感覚がよい!。Macには熱狂的なファンがいて、使っているだけで優越感を持っているという。
ここ三年位は、出遅れて損をした感覚である。いや、今が時節ということか。パソコンン、インターネット世界への知識経験の浅さを、
そのまま書いているようだが。導入を手伝ってもらったHさんの話だと「Windowsより音楽などの音質が良く、映像も数段良い」という。
デジタル・ラジオをBGMとして聞けるのもよい。とにかくパソコンに向かっているだけで楽しい!という気持ちになるだけで充分である。
ワンセグを外付けで入れて、地上波のTVを見れるようにした。イヤホーンをつけたので、チャンネル争いのときに、
敗者は?これを見ればよい。一人で地上波の番組を見る場合は、パソコンを見れば電気代が節約できる。 もともとWindows Xpの機能の
数分の一しか使ってなかったのが、より使いやすくなったため、もう一歩踏み込んで使う気になったということである。
これが国内のメーカーより安く買えるのに、あまりシェアが伸びないのは、やはり既存のソフトが転用できないからである。
私のように元々持ってないものは、それが強みになる。ただ、なれるまでは戸惑うことを我慢しないと!
ところで、値段は20インチiMacで、山田デンキでポイント割引で129000円、他に色々入れると+2〜5万円は必要である。
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2007年02月02日(金)
 2131, 葬式よもやま話 −2   オッ(*^○^*)ハ〜ヨウサン!
 故・内山由蔵さんの長男の喪主の挨拶の中の一節に興味をひかれた。
ー 危篤になったが持ち直し、‘しばらくは大丈夫だろう’と、住居のある仙台に帰ろうと新潟あたりに来たとき、今まで
見たことのないような奇麗な虹が出た。「父に急変が起きたのでは」と思ったとき携帯電話が鳴り再び危険状態になったという
連絡が入った。そして急遽Uターンをして長岡に近づいた時、燃えるような夕陽が輝いていた。この時、「ああもう駄目だ」と思った。
そして着くのを待つようにして、間もなく亡くなってしまった。という内容であった。私自身も何度も親戚の葬式の後に、奇麗な
虹と遭遇している。とくに義父の亡くなった時のこと、葬式帰りの峠で7回も虹が次から次へと出て、その下を車で通り抜けた経験がある。
何か異次元の不思議な感覚であった。涙雨とか雷鳴とか、その人により色々な自然現象がおこるようだ。霊魂が死後35日から49日の間に、
次の世に通じる六本の道路の内の一本を選ぶ最も大切な宗教的儀式の日を「七七日」という。よく、葬式の読経のあと「七七日法要」
を引き続きやりますと言って、さらに有難そうな読経をあげるが・・。死者は七色に輝く一番まぶしい光の出ている道路が極楽に通じていて、
そこを通って浄土にいく。虹が人の死後によく現れる現象は、「故人がこの道路の近くにいますよ、というサインを身近の人に
見せようとしているのではないか?」と、思えば、ファンタジーな気持ちになる。ところで十年位前のことになるが、
会社に勤めていた人の両親が一日違いでたて続きに亡くなり、二人一緒の葬式に参列したことがあった。事故とか心中ではなく、
母親が夫の死を待つようにして亡くなった。正視できない!とは、こういうこと。 葬式にまつわるドラマは色いろある。
「お葬式」という映画もあった。伊丹十三が妻・宮本信子の父親の葬式で喪主となった実体験をもとに、わずか一週間でシナリオを
書き上げ、日本アカデミー賞をとったもので、赤裸々な人間関係を面白おかしく表現していた。葬式という一見暗いタイトルにも
かかわらず作中には笑いが溢れており、そのギャップが何とも印象に残っている。それと、どぎつい性描写も。(o ・д・)ツ  バイ!
・・・・・・・
2006年02月02日(木)
1766, こころの羅針盤(コンパス) −1    才ノヽヨーφ(・ω・`)  −読書日記
三十篇の文章を、どれを読んでも深い心の世界に引き込まれる。
「私たちは羅針盤の針にしたがって航海しているわけではない。行くべき場所へむかうために羅針盤を用いるだけだ。」
という言葉一つ捉えても、ハッとする内容が次から次へと出てくる。その幾つかを抜粋してみる。^ー^)/C□~コーヒーいかが?
 まずは「こころの震えを感じるとき ─まえがきに代えて─   五木寛之
▼ 「人生いろいろ」という歌があったが、こころ模様もいろいろである。「こころの羅針盤」というタイトルヘの感想もまた、各人各様。
  (字数制限のためカット 2010年02月02日)


4706,<つまずき>の事典   ー1

2014年02月01日(土)

                      
                         <つまずき>の事典> 中村邦生編著
 図書館内を彷徨っていると、そこに住む天使が、その時どきの最適な本に導いてくれる。 今回は、これ。
そろそろ節目も終わり、切り替え時期。 冷静に<つまずき>を見つめ直すに丁度よい本である。新たな創造前には、
崩壊が必要。この挫折経験から、傍からみえた現象はワーストだが、私の人生にはベストと仮説をたてると、そう思える。
「これまで信じていたことが、ほぼ全てが間違っていたのでは?」という視点が、大きな収穫。実際に経験すればこそである。
  ーアマゾンの内容紹介ー
【 世の中楽しいことばかりじゃない!様々な挫折があればこそ生まれた名言・名句の数々。"つまずき"の中に人生をみつめ、
 自分の失敗を笑う勇気がでてくることばのアンソロジー。英米・日の文学作品・映画・芝居やヒットソング・広告コピーから
 選んだ237句にスパイスの利いたコメントと原文を添えた。小さな文学事典を兼ねた作家・作品案内でもある。】
   * 新たなチャレンジに迷っている時に
「君はこれまで何度も失敗した、覚えてはいないかもしれないが。
 はじめて歩こうとしたとき 君は転んでしまった。
 はじめて泳ごうとしたとき 君は溺れそうになってしまった、そうだったろう?」
▼ 転ぶことも人生の一部。自分の手と足で立ち上がり、新しい人生に歩き出すチャンスでもある。つくづく実感したのは、
 私にはこれがベスト!ということ。で、次のチャレンジは? そう、あれ? いや、まだまだ、楽しみが足りない?
   * 世界の涙の総量は一定なのさ
《『世界の涙の総量は一定なのさ。だから、誰か一人が泣きだすたびに、どこかで別の誰かが泣き止むんだ。同じことは笑いにも
 あてはまるよ』と、サミュエル・ベケット(二十世紀を代表するアイルランドの文学者)は、ある登場人物に言わせています。
 もし自分が悲しみに沈んでいる状態にあるとすれば、この世界の誰かのところにあった涙がたまたま自分のところに集まって
 いるのに過ぎず、そのことによってその人の悲しみや苦しみを密かに和らげていることになるからだ。もちろん逆の喜びの総量に
 関しても同じことが言えるだろう。涙も笑いも実は私たちすべての者が分かち持っているのである。》
▼「泣いても笑っても同じ空」 (ノ∀`)っても(;_;)ても、同じなら、笑っていた方が良いが、時に悲しみも必要。
 「人生、あざなえる縄のごとし」で、哀しみも、笑いも、同じ束の藁。それが人生。そう思えば、冷静でいられる。
 喜怒哀楽のどれもこれも、人類の一定量の共有物と思えば、バランスをもって、引き出せばよい。
  ところで、私の人生には哀しみが足りなかった! 実感として、「喜3、怒2、哀1、楽4」の割合。楽の4を2にし、
 哀を3で丁度良い?で、神様は、この結果を与えた! が、今で2? いや1のまま? σ@(゚∀ ゚) クルクルパー! 実は(ノД`)・゚・
・・・・・・
4339, 自己とつきあうということ −5
2013年02月01日(金)
                 「自己の探究―自己とつきあうということ」和田 渡 (著)
ー 人間が壊れやすく、制御が容易でないことについて、ヘラクレスと同じ頃にブッダは以下のように述べている。
 まずは、その辺りを抜粋してみる。
   * ブッダが説く「自己制御」の必要性!
▽「自己こそ自分の主である。他人がどうして(自分の)主であろうか?  自己をよくよくととのえたならば、得難き主を得る。」
   おそらく、ブッダほどに自己の危険性、脆さ、悪への傾向を意識していた人はいない。彼は、自分が自分の主になることの
  むずかしさ、自分をよく整えることの困難さを知りぬいていたがために、ことあるたびに自己制御の必要性を説いたのである。 
▽「善からぬこと、己れのためにならぬことは、なし易い。ためになること、善いことは、実に極めてなし難い。」
   ブッダは、不要なことに心傾けて、必要なことをしない人間、自分を制御することから遠い人間の現実を直感していた。
  ブッダはまた、ヘラクレイトスの強調する「思慮を健全にたもつこと」から、人間がいかに遠い存在であるかを繰返して述べた。 
▽「避けねばならぬことを避けなくてもよいと思い、避けてはならぬ(=必らず為さねばならぬ)ことを避けてもよいと考える人々は、
  邪な見解をいだいて、悪いところ(地獄)におもむく。」
   ブッダによれば、真に必寝なことを考えることよりも、邪悪な思いにかられ、嘘をつき、愚かしいことをたくらむことに忙しく、
  汚れ、滅びていくのが人聞であると。
▽ 「人間が生れたときには、実に口の中に斧が生じている。ひとは悪口を言って、その斧によって自分自身を斬るのである。」
   ブッダは、自分のことは棚にあげて、他人のことをけなじたり、悪く言わずにいられない人間の傾向を巧みな比喩でいいう。
   * 自己を乱す力!
▽「この身体は水瓶のように脆いものだと知って、この心を城郭のように堅固に安立してー知恵の武器をもって、悪魔と戦え。
  克ち得たものを守れ。――しかもそれに執着することなく。」
   ブッダは、身体が愛欲や欲情、妄執の源泉であり、心を汚れたものにする不浄なものであると見なし、身体の誘惑から身を守る
  ことの必要性を強調した。心は不断に身体によって汚染される危険にさらされており、制御されなければならないものであった。
▽「心は、捉え難く、軽々とざわめき、欲するがままにおもむく。その心をおさめることは善いことである。
  心をおさめたならば、安楽をもたらす。」
   へラクレイトスと同様に、ブッダも欲情や危険を身体の内に見ていたことは否定できない。ブッダは、先にも述べたように、
 自己を、自己の主となるべきものであると見なしていたが、それはまた、自分の心に一定の方向を与え、乱れやすい自分の心を
 制御するという課題を担うことを意味しでいた。ブッダにとっての自己とは、自己によって注意深く配慮し、支配、制御すべきもの
 だったのである。ブッダが身体をネガティブに捉える観点には賛同しかねるとしても、注意を促している点は共感できる。
  ▼ 釈迦は弟子たちに向かい「修行僧たちよ、 すべては移ろいゆく。怠りなく努め励めよ」 と言い残され入滅された。
   世の変化に対し、己も変化すること。そのために己の中の動物性をコントロールし、心を整えることが目指すところである。
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3964, ゲーミフィケーション ー2
2012年02月01日(水)
        【 ゲームが未来を救う!?〜広がるゲーミフィケーション〜 25日NHK・クローズアップ現代 】
  * 結構、面白いゲーム化
 私の趣味の一つが「秘境・異郷ツアー」だが、いや、だったが? 回数を重ねるにつれ、いつの間にかゲーム化になった。
旅行中の楽しみの一つにツアー仲間の情報交換があるが、ベテランほど旅先をゲーム感覚で構成している。パリ、ロンドン、ローマとか
都会文化を楽しむ都会派。 アフリカ大陸専門のサファリ派、南米派、インド派、シルクロード派、秘境・異郷派など、それぞれの
趣味に合わせて行き先を組み立てていく。 そして、まず予算と行き先の選定、旅行代理店のツアーの選定、そして、旅行準備。
それが面白く楽しい。 それで一ヶ月は楽しめる。そして旅行中の10日間、帰ってから、写真や資料の整理の一ヶ月で、大よそ
三ヶ月近く楽しめる。その上、行った先は、毎日何処かのTV局で放送している。見るたびに、その旅行の延長にいるような気持ちになる。
何ごともゲーム化をして楽しめば、それが記憶をパッケーをする効用になる。
「面白くなき世を面白く」は、自分の経験を、上から目線でゲーム化することと同じである。その意味で、ゲーム化は日常生活を
面白可笑しく活きるノウハウでもある。 ゲーム機メーカーや、ゲームソフトメーカーには、大きな事業チャンスが限りなく広がっている。
ゲーム機メーカーが、ブルーレイ録画を売り出したが、これなど、その典型。ゲームは、簡単に知恵が発揮できる場面を提示してくれる。
面白いとは知恵を発揮し生じる感情である。 ゲームといえば、最近は聞かなくなったが、「マネジメント・ゲーム」があった。
社員教育のソフトで、各自が会社を設立して、戦略をたて、市場の想定をした基盤の中で競争するゲーム。企業とは何かを知るに、
もってこいだが、麻雀や将棋を多くこなしたものが有利なる。 私は経験ないが、「人生ゲーム」というのもある。
これも若いうちにやっておけば、人生を鳥瞰でき、目先にとらわれない生き方が出来よう。男女の遊びをゲーム化しているのもいるが。
 「準備のゲーム化を手順に入れる習慣」に、人生の秘儀があるようだ。 平凡な一日をゲームと生きるとしたら・・・・
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3599, 誰も書かなかったアメリカ人の深層心理  −2
2011年02月01日(火)
  ーアマゾンー〈レビュー2〉
  150年に亘る交流(良いも悪いも)を重ねてもなお違和感を残す日米関係の底流に何があるのかを的確に指摘。
 最大の楽天主義国米国と最大の悲観主義国日本が同じ規範を持ち行動する事はできない。確かにレビューアーの経験でも80%できれば
 成功とする米国流positiveさに対し20%できなければ失敗とする日本流negative思想の差は大きく、常に確執と挫折を経験してきた。
 その原因に筆者は米国(の本流たる人たち)に特徴的な宗教観、価値観、家庭観等を挙げる。 同時に現在の金融資本主義者は
 米国の一部の「深刻なノイローゼ患者」であり、それを米国の真の姿と誤解したまま日本に導入し、そうでなくとも 破壊されつつある
「心」を失わせた者と日本社会も糾弾している。(著者近著「非社会性の心理学」にも関連) 余談だが、日米のpositive/negativeさは
 ある特定遺伝子の長さ(米国人は長く日本人は短い者が特に管理者レベルで顕著)が影響しているとの説もあるようだ。
 こうなると最早理解しても埋めきれない差異というべきかもしれない。  米国の姿を通じて日本を知るための必読書 
   〜はしがき〜に、要約が分かりやすくまとめてある。
 要するにアメリカは、「家族」と「宗教」と「権威」を非常に大切にする国民である。 これがアメリカ理解の基礎である。
このアメリカの本質を間違えると、アメリカ理解はとんでもない間違ったものになる。さらに私たち日本人は、我がままと無責任を
個人主義とはき違えるというおまけまでついてアメリカを理解してしまい、それを受け継いだ結果、日本人の心は崩れてしまった。
簡単に日米基軸というが、世界一楽観主義の国であるアメリカと世界一悲観王義の国である日本との相互理解がいかに難しいものかを
分かっている人は、日本の政治家の中にいる。アメリカはスーパー楽観主義の国であり、日本はスーパー悲観主義の国。
このことは本文中に詳しくデータを示しながら説明してある。残念ながら、日本の歴代首相は誰としてこのことを分かっていない。
さらに世界一楽観主義の国でかつ戦勝国が世界一悲観主義でかつ無条件降伏をした敗戦国に押しつけた憲法が、これまた世界一理想主義で
世界一楽観的である。アメリカを間違って理解することの中には、いろいろと理由はあるが、そのうちのひとつは次のことである。
アメリカは基本的には今もなおプロテスタンティズムの倫理が支配している国であるが、アメリカについての情報発信地は偏った
局部の地域になっている。1970年版のギャラップ世論調査で見ると、プロテスタントが六五%である。ユダヤ教徒が三%であるが、
所得の最も高い層の人たちでは倍の六%。東部の所得の高い人たちの層では、なんと一四%にもなる。東部の大都市では住民の一七%である。
 ▼ 一神教のシステムを多神教の日本に入れたマイナスの矛盾が、ここにきて一挙に吹き出てきた。とはいえ、それを乗り越えるしかない。
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3234, 閑話小題
2010年02月01日(月)
  * 何か変である
 民主党が政権をとって動き出したのはよいが、どうも変である。党是の官僚主導の打破は良いが、検察と元大蔵省査察が
官僚の権益を守るため、権力闘争の尖兵として露骨に動き出した。前より現在の検事総長が??と思っていたら、八月が交換時期。
その先手と思えば合点する。民主党は民主党で、「次官制度の廃止」の構えである。これは官僚にとって致命傷になる。
官僚の自己保身で行政が混乱させるのは当然の成り行き。 国が壊れていく時は、こんなもの?。
「現在の検察はボロボロの汚れ雑巾。これが社会を掃除をすれば逆に汚すだけ」と、誰かがのたまっていた。
今年は日本も世界も恐慌三年目の土壇場の一年になるのに、この様である。 隠されているプライムローンなどの債権が
表面化してくるのが今年辺り。 カンフル剤効果も、何時までも射ち続けることは出来ない。
ホテル宿泊からみる景気状況は、明らかに深刻な恐慌の様相を呈している。今のところまだ失業率が5パーセント
そこそこに抑えられているが、ある日、欧米並みに10パーセントに向け動くはず。 結果、社会不安が増大する。
何とも重い雰囲気が増大している。 まず現象として出るのが疲弊しきった地方経済。 
地元の最大規模の会社の悪化の問題が、今週に表面化するという噂がある? どうなるのだろうか。
  * 新インフルエンザを、誰も騒がなくなったのは何故?
 最近、如何いうわけかマスコミで新インフルエンザを取り扱わなくなった。そう、どうもパンデミック騒ぎは、WHOに入り込んだ
製薬会社の連中の、その薬を売らんがためのパフォーマンス?と囁かれ始めた時からマスコミは製薬会社の謀略説すら報じない。 
不思議なことに、毎年起こるインフルエンザが、ほぼ消えたという。 新インフルエンザと、とって代わった!というの変である。
成田で、あれだけ水際作戦とかいったのも何だったのだろう。私も、9月末に東欧旅行をキャンセルをした。世界は、どうなっている?
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2859, 「教員社会」の 金とコネの闇
 2009年02月01日(日)
昨日のニュースで、大分で採用取り消しになった教員が採用取り消しの訴訟を報じていた。たまたま図書館で借りた半年前の雑誌に、
大分県教員採用や昇進の絡む汚職事件についての元小学校教諭のジャーナリストの手記があった。「大分だけじゃなく、
何処でもやっているんじゃないか?」と疑問は持ってはいたが、疑問のとおりの告発内容である。
 黒に近い?コネで採用された現職の大分の教員は、この訴訟で再び針のムシロになる。 
 ー大筋といえば
・新聞社や文部省が全国調査をした結果、どこも歯切れが悪いという。
 いずれの調査も校長や教頭の昇進試験の情報が開示されておらず、不透明の部分があまりに多かった。
 大阪市にいたっては「複数の教員の悪意があれば、不正は絶対に不可能とは言い切れない」とあった。
・不正は、受験者の親ー>議員ー>教育委員会のルート
     現職校長ー>教育委員会幹部のルートなどがある。
 大分の件はたまたまやりすぎただけで、その位のことは、何処でもありえることが実情のようだ。
 内部を深く知っている関係者からいうと、「何をいまさら!大分県だけじゃない」が結論だった。
「教員社会」は旧態依然の「金とコネがまかり通っている」、という。
  −論旨は、こんなところだが、大分の場合、逮捕されたり退職に追い込まれたのは一部だけで、
 以前から長年の慣例のコネの合格者がいて、現在も??というのが実情?。
  字数の関係でカット(2012年02月01日)
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2008年02月01日(金)
2494, 閑話小題           ( *´_⊃`)ノ゜【gOOd morning】
 * 危ない!我が家に毒入り餃子だと
我が家にも、例の話題の中国産餃子があったのである。普段は買わないが、たまたま割引セールで安いので買ったという。
食べてなかったので被害を受けなかったが、食べたところで数千分の一の確率でしか被害を受けないのだから、
敢えて騒ぎ立てることはない。「食べた何分の一が死んだ!」というなら別だが。何処の家庭でも起こりえる話だからニュースは
拡大するだろう。それより日本の濃厚の農薬フリカケ米や生野菜は大丈夫なんですか?。「何割?かの農家は一般に出荷する米は
絶対に口にしない」という話を聞いたことがある。こうなるとエログロの世界だが、これが現実なのか?
この件で無農薬野菜を生産している農家は、喜んでいるだろう。
 * マックのパソコンに入れ替え
会社のWindowsXP未満のパソコンを5台を、決算期を機会に入れ替えることに決定。
いろいろ迷ったが、全てをiMacにすることにした。そのうち4台は各棟ロビーの顧客サービス用である。
先日、先行して入れた事務所用のiMac、やはり別次元の世界である。今日は自宅も、それに入れ替え予定である。
 * いたずらの書き込み
 *嘘のような話
 字数の関係でカット(2012年02月01日)
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2007年02月01日(木)
2130, 葬式よもやま話 −1     <(_ _)>   おはようございます!   
 葬式の「葬」の字は、草冠りの草の字に「死」の字が挟まれている。
以前は「野辺の送り」といって、草の上に遺体を横たえて花を飾ったのが、葬式の原点といわれていた。
今では棺の中のご遺体に花を入れて飾る儀礼が葬式のハイライトになっている。750年前までは葬式の習慣はなく、
無造作に捨てていたという。鎌倉幕府が「親の遺体を道ばたに捨てないように」と触れを出しても誰も守ろうとしなかった。
そこで法然・親鸞・道元などが、親孝行の実践として推奨したのが葬式の始まりであった。
 中国の奥地で、今も捨て場に放置する習慣が残っている。たまたま、その映像を見たことがあった。
それも以前TVに出てレポーターと親しく話していた人の遺体が、凍り付いまま捨てられいる生々しいものを。
ある調査によると、お葬式にかかる費用の平均は240万円。内訳を見ると100万円以下から600万円までバラバラ。
  字数の関係でカット(2010年02月01日)
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2006年02月01日(水) 1765, 移民漂流
        (*´・ω・)ノはよー
1月29日(日)のNHKの総合(後9・00〜9・52)の第2回 「移民漂流 10日間の記憶」が考えさせられた。
少子化の問題は、日本だけかと思っていたが、欧州・イスラエルなど先進国で大問題になっている。
特に、知的労働者の数が圧倒的に少ない半面、未開発国の肉体労働者が圧倒的に多いのが現実。
世界で年間、何と2億人が移住しているという。 30人に1人の割合である。
このドキュメントのダイジェストをNHKのHPよりコピーしてみる。  ∵ゞ(>д<)ハックシュン!(
 ーー
今回は、エチオピア、イスラエル、ドイツなど、三地点の問題を炙りだしていた。
国家の戦略と留まるところを知らない移民願望潮流の現場を追い、揺らぐ国家像と人々の新しい生き方を探る。
   字数の関係でカット(2010年02月01日)

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