堀井On-Line



4705,末期がん、その日のための予習を ー3

2014年01月31日(金)

                ー「末期がん、その不安と怖れがなくなる日」樋野 興夫 (著)
 がんをポジティブに捉える提言である。この「がん」を『挫折』か、『苦難』に置き換えると、人生訓になる。
その時から、残された貴重な時間をどのように過ごすかは切実な問題。最期の大仕事、それは淡々と死ぬこと!
  * 第二章がんになって見えてくるもの
がんとの闘い・自分自身との闘い  ー自分と闘い、支えるのは、自分自身。それに気づくのは自分
がんは人を哲学者にする      ー「人生とは何か」「より良い人生は何か」を考え直す機会にする
ムダを捨てれば頭も心もクリアに  ー死を前にして、虚飾、名誉も無駄 クリアになって人生を見つめ直すこと
がんだからこそ手に入るものがある ーがんで疎外され、孤独、孤立をするが、それが自由に繋がる。まず自由な時間が
命よりたいせつなものを見つける  ーこれは人によって違う。自分で探すもの。それが最後の仕事になる。何だろうか?
がんは生きる「WHY」を見つけるきっかけ ー「HOW」から「WHY]へ重心を移動する機会。それが哲学
ほんとうの自分を見つける旅    ー社会的役割が削ぎ落とされた時、自分の本質が見えてくる
使命感があれば充実した日々    ー自分が何か必要とされているといないとでは、大きく違ってくる
自分が「なすべきこと」は何か   ー「やらなければならないこと」と「なすべきこと」は違う。その見直しから
暇を怖れず、暇を楽しむ      ー「何もしない」時間の必要性に気づく機会。暇を楽しむ、遊ぶ、心の切り替え時
                  (ノ≧∀)ノわぁ〜 _| ̄|○ ⇒ _|\○_ ⇒ _/\○_ ⇒ ____○_      
自分を変えることは感動のドラマ  ー外へのネガティブな反応を自分の内面へ切り替えると、大きな変化がでる
がんは「人間力」を高めるチャンス ー急激な石段を登った先には、全く違った視界が見えてくる。辛いが
がんは親しい人たちを大きく育てる ー家族など集団は、困難になるほど結束するもの・・
がんになっても「与える喜び」はある ー感謝の念は、深いほど相手に伝わるもの。感謝、感謝、感謝
最高のプレゼントは笑顔      ー「笑顔」は、最大の言葉!      ドキドキ((〃゚艸゚))ドキドキ
本との出会いで自分が変わる    ー膨大な時間と不安の中で、良い出会いがあった本と、読みたかった本を手に取ること
許し許されることが最大の癒し   ー「死ぬ前にしておきたいことは何」に、「人に会うこと」と答える人が一番多い  
「黄金の藁」に頼りすぎない    ーほぼ効果のない「藁(健康食品等)」にすがりたい患者がいるが、あるわけがない?
死もまた「ありがたくいただく」  ー死も生と同じく、自然からいただくもの。なら有り難く頂けばよい|ョ゚Д゚ll))怖ァ・・
死は敗北ではない         ー死は万人の通る道、それが何ゆえ敗北だろうか?これは何故生きる?の問いと同じ
人生の目的は「品性の完成」    ー成功したか、より、如何に誠実に生きたかを自分に問うてみるほうが先決。
死というだいじな仕事が残っている ー人生の最後の大仕事! 死を悟ってから、それまでの一生分を生きることになる!
「ありがとう」のひとことを家族に ーたった、この一言で、残されて人の悲しみが、喜びに変わる。最期は感謝!になる。
▼ 「より良い人生は何か?」 死を前にして、初めて考える人が多い。その人によって様々だろうが・・ 
 今回、倒産という死の疑似体験に近い体験をした。そして「事(自)業自得!これが自分。それでも面白かったから、これで良し。」
これが、そのまま、その時の答え! 「本当に、これで良かったのだろうか?」の疑念の海での筏の言葉でしかない?((;◔ᴗ◔;))
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2013年01月31日(木)
4338, 嘘と真実
    * 嘘は真実の糸を織り込んである
 最近、耳に残った言葉に「嘘には真実の糸を織り込んである」がある。私も真実を伝えたいために少しオーバーにいう癖がある。 
嘘と穿った噂は、その辺りから生じてくる。自分自身の思いもよらない噂話を聞いて驚いたことがある。伝達の過程で脚色された
のだろうが・・ この一連の件で、面白おかしく脚色したのが流れたはずだろうが、元より承知で、深入りをしなかった。 
 象(地球、宇宙)の皮膚(世界)の襞(国)に巣くう虱(会社などの社会)に、更に寄生するダニ(個人)と割り切ればよい。 
もちろん自分も含まれるが、それを常に忘れないで、一日一日を楽しむしかない。 で、嘘の話に戻る。何かの喩えで考えると、
詐欺がある。相手を信用させ嘘で固めて金を騙し取るのが仕事。そのために真実を、丁度よい割合に混ぜ込む。噂も同じこと。
ーそこで、嘘と真実についての格言を調べてみた。
 ・ いちばん嫌らしい嘘は、いちばん真実に近い嘘だ ージイド
 ・ 嘘とは何か、それは変装した真実に過ぎない   ーバイロン
 ・ 嘘つきの受ける罰は、誰も信じなくなるというだけでなく、誰も信じられなくなることである。 ーバーナードショウ
 ・ 嘘つきの名人でないならば、真実を語るのがつねに最良策だ   ージェローム
 ・ 嘘とは、私がつくったものでなく、階級に分かれた社会に生れたものである。だから私は生まれながらに嘘を相続している。  
                                            ーサルトル
 ・ 人生において最も難しいことは、嘘をつかずに生きること。そして、自分自身の嘘を信じないことだ。 ードストエフスキー 
 ・ 誰かが嘘をついていると思ったら、信じているふりをすればよい。そうすれば、もっと嘘をついて正体を暴露する。
                                                ーショウペンハウェル
 ・ 半分の真実は嘘より恐い            ーフォイヒタースレーベン     
 ・ 我われの肉体が衣服で包まれているように、我われの精神は虚偽に包まれている。     ーショウペンハウェル
 それでは真実とは何か? 主観的な思い込みを真実と解釈しているだけではないか?という疑問が残る。
あるブログに、次のようにあった。『 自分が信じる事実、それがその当事者にとっての真実。しかし、それはその当事者に
とっての真実であり、別の当事者にとっては別の真実があっても、何の不思議もない。なぜなら、それぞれ違った自分勝手な
思惑で物事は起こるからです。事実は一つでも、それぞれの当事者の勝手な思惑がそこに加われば、真実は一つではなく、
いくつもの真実が発生してしまう。このような状況の中、人の世で、真実を見極め、物事の本質を見極めるには、心で物事を見、
心で聞き、感じるしかない。』 カントの「認識は対象に従うのでなく、主観に対象が従う」ということか。深入りしないこと!
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2012年01月31日(火)
3963, 貧乏ばあさん
      「 女一生の働き方 」―貧乏ばあさん(BB)から働くハッピーばあさん(HB)へ  樋口 恵子 (著)
  * 核家族の果ての貧乏ばあさん
 長寿社会も豊かさがあってこそ明るいのであって、多くは決してハッピーではない。私が見る限り、そこそこの蓄えがないと
楽しくはないようだ。 が、その中でドッコイ世のため働いて幸せなオバアサンが多く存在しているようだ。 そこそこ蓄えと、
知恵さえあれば、現在の娑婆には面白いことは山ほどある。 その辺をバランスをとりながら老後を如何に過ごすかにある。
 ー内容紹介ー
≪ 日本という国では「女の老後」が貧乏になるようにできているのを知っていますか? そう、日本の高齢女性は、
実は「BB」=「貧乏ばあさん」ばかりです。 日本は他の先進国に比べて女性の就業率が低く、就労しても、結婚・出産、
夫の転勤、親の介護などの事情で、途 切れ途切れの細切れになりがち。 さらに、多くの場合、男性よりも低賃金でパートなど
雇用が不安定なため、年金をはじめとする社会保障につなが りにくいことが、「BB」を大量発生させている原因です。
 しかし、どっこい、女はめげない、へこたれない! 今こそ「BB」(貧乏ばあさん)に甘んじていないで、自らの手で
幸せをつかみとる「HB」(働くハッピーばあ さん)になるべきです。高齢女性には男性や若い人たちにはないスキルがいっぱい。
老いてこそいきいきと働き、人様のお役に立ち、そして見合った収入を得る。 これこそがこれからの日本女性が目指す道です。
本書では、人生100年時代を迎えるにあたって、「BB」「HB」の実情に迫り、元気いっぱいの女の働き方を 多数紹介。
また、複雑でよくわからない年金システムや、それにまつわる矛盾も本書を読めばよくわかります。≫
 ▼ 世界一の長寿国になった日本。 平均寿命は女性が86.39歳、男性が79.64歳という。その中でリッチの年寄りは僅かであり、
  男より7歳も長生きする女性は、収入は僅かになる。そこで今まで、あまり聞いたことがない「貧乏ばあさん」という言葉が
  生まれてくる。旦那に先立たれ独居のオバアサンは公営住宅でギリギリの6〜8万の年金で生活せざるを得ないのが実情。
  しかし、その中にあって人生の過去のスキルを使って、人のため働いているハッピーばあさんが、多く見られるという。
  本格的恐慌に入ろうとしている現在、弱者に皺寄せが来ることになるが、その大きな塊が「貧乏ばあさん」である。
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 2011年01月31日(月)
 3598、 閑話小題
  * 日本の自殺率は、世界で何番目 ?
 日本の自殺者が十数年間、三万人を超えている。では、世界の中で日本は自殺率はどの位かと調べてみた。
以前にも書いたことがあるが、一位から四位が旧ソ連・東欧圏で、それについで五位が日本である。
ちなみに韓国が日本の八割で八位、中国が六割で27位、アメリカが四割で41位、イギリスが三割で52位である。
イタリア、スペインなどは日本の二割でしかない。 日本のGDPは中国に抜かれたとしても世界第三位。
旧共産圏の生活の貧しさとは違うようだ。北欧の自殺率が大きいのは老齢化と、冬の期間が長いこと、逆に生活の苦しさに
直面してないことが重なっているため。 日本の自殺率の多さは北欧病に似ているためか? 日本の都道府県では
秋田県の自殺率が日本で一番多いという。 政令都市では新潟市が一番。分かるような気もしないではないが。
 * 中国にエジプト全土デモが飛び火?
 チェニジアについでのエジプトの全土デモ。 これから想定できるのが、飛び火が中国全土に全土デモが広がり、
(紅衛兵運動で当時の体制の権力者など2〜3千万人が虐殺された事態が)今度は共産党党員へ同じ事態起こるのでは?
という連想が出てくる。 あの国には共産党という特権階級への乾いた藁(不満)が山のように積み上がっている。
それがネットで瞬く間に突然、火を噴く可能性がある。「この程度のことも20~200万年以来の断層の小さな一現象でしかない。
それも入り口の数ミリの出来事でしかないと考えると、現在起っている現象が理解できる。この見方も決してオーバーでない。」
という脳の奥からの言葉が不気味に湧き出てくる。ネット社会は、もう既成の体制の価値観を根こそぎ消滅を始めてきた。
20万年前に道具を、200万年前に言葉を使い始めてから、人間は他の動物から違う歩みを始めた。これから人類に数百年先が
存在しているかどうかだが、その時点から現在が、人類の断層の割れ目の時期になる。 激変は辛いが、しかし ? ? !
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2010年01月31日(日)
 3233, 死は‘別れ’のとき ー2
 * あなたと出会って良かった !
 昨日は高校の同級生の葬儀。 150人位の参列者で、同級生は15〜6人位。通夜は11名で、通夜と重なっている人をならすと
 22〜3名。 それぞれが背負って生きてきた人生の全体が垣間見えるのが葬式である。 高校の同級生の葬式といえば、
 次は誰かと互いに詮索し押し付けあうのが恒例。ところで葬式で、火葬場の最後の別れの場面が人生模様の圧縮が表出する。 
 実は、この場面の立会いが好きである。悲しみと同時に故人と家族の愛が全体を包むからである。故人の奥さんの絶叫が涙を誘った。 
 御棺の顔部分の蓋を閉めるとき、奥さんの声が聞こえてきた。「あなたの奥さんで良かった! 幸せな人生でした。 
 ありがとう。ありがとう。ありがとうございました。 ありがとう。ありがとうございました。」と。同時に家族全員が号泣。
 そして娘さんが遺体を焼却炉に入れる直前に、「いや、入れないで!」と絶叫。 これまで、数かぞえ切れないほど、
 その場面に立ち会ってきたが、 これほどの感動的な悲しい場面は初めて。 会場の殆どの人が涙を流し、立ちすくんでいた。
 奥さんと家族の感情が自然に堰を切ったように出たのである。火葬場からの帰りのバスの中でも涙が止まらなかった。
 自分の家族に、果たしてこんなことを言ってもらえるだろうか。 無いだろう!
  ところで、本人の死に顔は気の毒なほどやつれていた。 すざましい苦痛との死闘があったのだろう。  ご冥福を! 
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2009年01月31日(土)
 2858, 人生を振り返り、俯瞰してみると −2
63年を振り返ってみると、人生は自分しか歩けない一本道ということがわかる。その時節ごとに、それぞれの時代背景があり、
その度に色いろな人との出会いがあった。その時どきには、それが全てに思え、またそれしか見えなかった。
前回書いたように、それぞれの年代を上から下へと断層面として眺めると面白い。断層面としてみると俯瞰がしやすいのである。 
「父が現在の私の年齢の時には私が22歳。そうか父は私を大きな期待と不安を持って見ていたのか!」とか等々。
十年単位の断層を見ていたら、「私の周期は9年」ということが見えてきた。9,18、27、36、45、54、63歳である。 
この時期に大きな節目になっている。これからすると、次は72歳になる。もしかしたら、あの世への御門が待っているか? 
それとも今年?  ーところで、人生をビルに例えて階層を重ねてみたら解りやすい!
 屋上ー     なるほど上は空
8階ー80歳代以降は、一日一生で、毎日を味あう時期。
7階ー70歳代は、人生の整理の時期に入り、全てをシンプルに変えていく時期。
6階ー60歳代は、人生の豊穣の時で、それまで出来なかったことを新たに始める時になる。
5階ー50歳代は、大きな人生の回り角、競馬でいうと第三コーナーを回って直線に差し掛かる時期。
4階ー40歳代は、人生の八割がたが決まり、一息つけるが胸突き八丁でもある。
3階ー30歳代は、それまで蓄積した全てを創造に向けて吐き出す時期。
2階ー20歳代は、泥まみれになりながら、社会人としての基礎を身に付ける時期。
1階ー10歳代は、スポーツと勉強を通して、選別されていく時期。とにかく、学ぶ時期。
 それぞれにフロアーは一年一年ごとの10の回り階段になっているとイメージすればよい。地下は母親の胎内?、それとも姉・兄?  
基礎構造は家庭、そして祖先。 だから家庭は大事になる。 しかし相方との長期の相性は、実際のところ5分5分だから難しい。
 相手の家庭を見れば、絶対に止めておいた方が良い人は分かるが。
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2008年01月31日(木)
2493, 読書の腕前 −1         [ォハヨ]○o。(>ε<☆)ノ
「読書の腕前」 岡崎武志著 ー 読書日記
面白そうなところを何箇所、書き写してみた。なかなか含蓄のある読書論であり、何度も肯いた。
 ーー
 川面に多くの舟が漂っている、私たちはひとりひとりが違う舟に乗って流されている。中には錨を下ろしている舟がある。
川の流れを時の流れ、舟を人生にたとえたらいいだろうか。そして、本を読んでいる時間は、動かぬ舟の中で、
川の流れを感じるようなものだ。川は永遠に流れていく。水がある限り、流れることをやめようとしない。そんな悠久の流れを、
ひととき止めたりを舟の中で感じる。本を読むということは、そういうものだと思っている。
 ▼ 飯島耕一が「何もつよい興味をもたないことは /不幸なことだ /ただ自らの内部を /目を閉じてのぞきこんでいる。/ 
 何にも興味をもたなかったきみが / ある日/ ゴヤ のファーストネームが知りたくて / 隣の部屋まで駈けていた。」
 「生きるとは / ゴヤ のファーストネームを/ 知りたいと思うことだ」
 ▼ 読書に費やしたこれまでの膨大な時間を、もっと別の有意義なものに置き換えられなかったのか。
 そんなふうに悔やんだことは一度もない。一度もない、といま気づいたことに驚いている。
 ほんとうに、一度もないのだ。そうして生きてきたのだ。だから、明日からも同じように生きていく。
 ▼「本を読むことで得る大切な収穫の一つは、他者を知ることだと思います。」色川武大
 「読書の楽しみの一つは、私にとってこの他人を生きること、他人になれる喜びかもしれない」遠藤周作
 「僕は本を読む労働のための忍耐力をつちかったのである」大江健三郎
 本は膨大な人間のモデルを提供してくれ、しかも、相手の忖度を気にせず、思うまま、自由にそのモデルと触れ合うことができる。
 ▼ 田辺聖子が読書論の中で、「もし出世と引き換えに何をとるか、ということになったら、それは何か」と、
 同年代の友人たちと、あるとき話題になった。さまざまな意見が飛び出した。いい女房を持つ、硬骨に生きる、
 世間を捨てて山頭火になる・・。しばらくして、誰かがしみじみ言ったことに、みんながうなる。
 「出世せんでもええ、毎日読みたい本を読んでたのしく暮らせたらええなあ・・」
□ 以上だが、今のところ読書が人間にとって、一番良い習慣である。最近はインターネットというトンデモナイ手段が出てきたが、
それでもジックリと他者と対話が出来るのは本である。この本も、直ぐにアマゾンの中古本を発注したが、まだ面白い箇所が多数ある。
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2007年01月31日(水)
2129, 熟年離婚とセックス           Σ(≧д≦)LOVE   オハヨウ!
 図書館で借りてきた昨年の「文藝春秋・11月号」に、「熟年離婚とセックス(千人調査)」という特集があった。
55歳あたりから急激な精力減退を実感し、歳を重ねるほどに後退?当初は自己存在の喪失の感覚になりかけて
焦燥感になったが、今はバイアグラの力を借りて・・何とか?        (●?∀?))ヾ☆*。
こういう話は、気心が知れている人に酒を飲んだ勢いの時にしか聞けない。といって、下ネタは具体的な話をしてはいけないという
男の暗黙のルールがある。「実際のところ同年代は?」と思ってところ、千人調査のアンケートというから
丁度良いタイミングであった。少し際どい?が、男にとって切実の問題である。このレポートの概要を主観をこめてまとめてみた。
ー調査対象が1947~1951年生まれの男女500人ずつを対象に調査ー                   
    (字数制限のためカット2011年1月31日)


4704,「考える」と、「思う」の違い

2014年01月30日(木)

   *「考える」と、「思う」の違い          ー『散文』谷川俊太郎著より
 何気なく書いている文章に、「・・・と考える」と、「・・・と思う」がある。「思う」は、感覚的、無意識的という
ニュアンスがあり、これを受けて論理を組み立てるのが「考える」。この読書日記で、同感したり、感激、感動、感謝した
内容を取上げ、自分の考えに論理だてるプロセスが「考える」ことになる。 ーその辺りから
《 思うという行為は、考えるという行為に比べて、より感情的であり、より不正確である。物思いという言葉にも
 表われているように、それは時には余りにも漠然としていて、まるで自分を甘やかしているようにもとれることがある。
けれどまたそれ故にこそ、思うことは考えるという行為に比ぺて、いっそう未分化であり、人間のより多く部分をその中に
まきこむ。考えるのが主として理性の働きであるとすれば、思うのはおそらくまず感ずるということにその基礎を置いている。
考えることは時に現実を離れて抽象的な理性の遊びに堕するが、思うことの堕落はもっと肉体的な自己陶酔に向かう。
こういう風に、思うと考えるとを分けてみても、実際にはこのふたつの心の働きは、つねに亙いに補いあってひとつである。
思ったことを考えることでより精密化し、考えたことをもういちど思ってみることで、より全体的にすることを、無意識のうちに
私たちはくり返している。 ・・・ 》                           ヽ(゚ロ゚(-_-;)ゝ アッ!
 ▼ 上記の《 》が、同感、同調した部分になる。 それを受け「▼」部分が、「思い」「考える」ことになる。
◎「考える」は、「言語を用いて」「意識的に」「論理的・合理的プロセスを踏んで」のに対し、    [(ーヘー;)え〜と..  
◎「思う」は、「言語を用いずに」「半無意識に」「思い浮かぶに任せ(必ずしも、論理的・合理的とは限らない)」
「悔しいと思った。」「悔しいと考えた。」と、すると、後の方が少し違和感がある? 「思う」がどちらかと言えば受動的、
「考える」が能動的な感覚のために、少し違った感覚になる。英語では「考える」は「Think」。「思う」は「Feel」に近い。
 何かを考えるキッカケは感謝、感動、感激など、感じ入った場合が多い。だから一流の芸術作品を多く見たり、大自然の
 神秘に触れたり、書物を通したりして一流の人物に接して日々、新面目を見出すことが必要である。「思う」を受けて
「考える」ことは、受動から能動の切替ポイントになる。積極一貫で人生に立ち向かう中で考えるしかない! /(@゚ペ@)ウーン
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4337, 閑話小題 ー「私には友人が一人もいません」
2013年01月30日(水)
   * 「私には友人が一人もいません」
 ある政治ネタを中心にした関西系のバラエティー番組のゲストの一人が何気なく発した一言が印象的であった。
「私には友人が一人もいません。だから、携帯電話には時おりくる仕事関係以外に電話は入りません!」 一瞬、その場が
白けるほどのインパクトがあった。事業創業と独立独歩を人生のコンセプトにし、また専攻が社会学だったこともあり、
あまり人に好かれるタイプでないと自認している。しかし、どの場面でも、気心が知れた人はいた。大方が飲み友達だが・・
しかし、堂々とTVの前で、「私には友人がいません!」と言えるだけの強さは私にはない。 映画で、一匹狼の殺し屋が、
独り部屋の中で拳銃を弄っている場面が頭に残っているが、あの感覚なのだろう。別に友人など求めず、単独に徹すれば、
これほど自由なものは無いはず。一人旅をたとえれば分かること。 知人に、一切、人を寄せ付けない人がいた。
仕事の能力はあるが、趣味は一切持たず、酒もタバコもやらず、奥さんと年に数回、外食をする位とか。せいぜい家でTVを
見るぐらい。情報化の時代に逆に、こういうタイプが増えているのだろう。中学校の同級会で久々に会った旧友。糖尿で
片目が失明、仕事はリタイアし、ゴミ出し以外、一切外出をいないという。ただ終日ボ〜っとテレビを見ているだけと涙目・・ 
家内が先に亡くなれば、似たような状態になるのだろうが、どうみても私が先。
時代の変り目もあるが、社会的・金銭的にも恵まれているのにウツっぽいのが目だってきた。
   * アップル株が
 アップルの株価下落が止まらず、ここ数日で時価総額で6兆円以上下落。 時価総額世界一から転落、アメリカの石油大手の
エクソンモービルが返り咲きをした。「アップル」株の時価総額は、昨年9月には60兆円と世界一の時価総額になったが、
週末には、38兆円に減少、昨年9月から現在までに22兆円、率で38%が減少した。カリスマ的創業者ジョブスが亡くなった影響が、
ここで表面化してきたのだろうか。 問題はiMac,iPod,iPhone,iPadに次ぐ新商品が打ち出せるかどうか。「あれは、ジョブスの
強烈な個性が生み出したものだった」に終わる可能性が出てきた。 彼が元気だったら次に何を打ち出したのだろう。やはり、
居間のテレビになるのか。家内が言うに、「知人間で情報ギャップが大きくなった。検索が出来ない上に、それ以前に無気力な
人が目だってきた。」とか。それも、iPhoneが解決する。 
・・・・・・
3962, ゲーミフィケーション
2012年01月30日(月)
 【 ゲームが未来を救う!?〜広がるゲーミフィケーション〜 25日NHK・クローズアップ現代 】
   * ビジネス、日常生活にゲームを持ち込む
 最近クローズアップ現代が面白い。先回はビジネスや科学の分野などにゲームの手法を取り入れ活用している事例を紹介している。
私も以前より事業や人生に「ゲーム化」を取り入れてきたこともあり、非常に興味を持って番組をみた。 ここでも、
ゲーム化について何度か取上げてきた。 ネットが世界的に普及してきた中で、ゲーム感覚で多くの人が協力する時代でもある。
 驚いたのは、この番組の中で、コンビニの監視カメラを公開し、万引き監視をゲーム感覚で察知し、店に知らせるシステム。
ポイント制にして最高で月3万円が貰える。先に見つけ連絡したものが勝ち、ポイントがつく。
  −まずは、クローズアップ現代のHPより
≪人々を楽しませ、夢中にさせるゲームの手法やノウハウを“ゲーム以外”の分野に活用していこうという動きが、急速に拡がっている。
 その名も“ゲーミフィケーション”。若者の車離れにあえぐ自動車業界では、運転技術を採点し、ドライバー同士で競わせる機能を
搭載した新型車が登場。ゲーム的な手法の導入は、外食・旅行・小売りなど他の業種にも拡大し、2014年には世界のグローバル企業の
70%以上にのぼるという予測もある。更に、米国ではタンパク質の構造解析をゲーム化することで、科学者が10年以上解けなかった
エイズ治療のカギを握る酵素の構造を3週間で解明。食糧危機やエネルギー問題などを解決するアイデアを競わせるゲームを通じて、
人類が直面する課題の克服に役立てていこうという試みも始まっている。広がる“ゲーミフィケーション”の世界を検証する。≫
 ■ 人生のゲーム化といえば、目を剥いて怒る人もいようが、人生は、その人にとっての物語を生きることである。
  最期には死が待っているが、生老病死の人生のサイクルとして、それぞれの障害を乗り越えるゲームが人生。そう思えば、
 難関も、乗り越えるための壁として対処を想定ができるもの。 何ごとも準備が重要だが、その準備をゲーム化するのがミソ。
 何事も楽しまなくては続かない。 楽しむには過程の難関をゲーム化し乗り越えることである。ゲーム化すれば苦難は数分の一になる。
 航空会社が販促として「乗った距離をポイント制にして恩典をつける「マイ・レージ」というサービスがあるが、
 顧客の「私は、これだけポイントを集めている!」という自尊心と、特典で旅行できる恩典がヒットし、今では、当たり前の
 ように使われている。 これもゲーム感覚で、ポイント集めを楽しんでいる。 私も早朝から就寝まで、日程を組んで習慣化し、
 そのチェックとして手帳に書き込んでいるが、実は一種のゲーム感覚で実行している。 倒産劇も、途中から手順に落として
 実行しているうちに、ゲーム感覚になってしまい、自分で驚いた。他人から見たら、変じゃないかと思われて当然。
 とにもかくも長期にわたり一つずつ壁を乗り越えなければならないのだから、ゲーム感覚で冷静でなければ神経衰弱になる。
  毎日書いているこれも、まずテーマ探し、材料集め、それを起承転結に仕上げ、何ども修正、完成するゲームである。
・・・・・・
3597, 誤訳口臭論
2011年01月30日(日)
 仏文学者の鹿島茂のコラムに「誤訳と口臭」論があった。なかなか面白い切り口である。
≪ その昔、手がけた翻訳書における誤訳の指摘がされると、気が気ではなかった。
最初の翻訳書が出された時、誤訳の指摘に関する記事が専門の学会誌に掲載された。
読んでみるといちいちもっともな指摘で批判を甘んじて受けるしかないわけだが、実際に指摘した人物の試訳を見ると、
むしろそちらの方が誤訳だらけだ。この程度のレベルかと、少し安心する一方で、無性に怒りが込み上げてきて、
その人間の過去の翻訳文章における誤訳の指摘を、今度は対抗して学会誌に掲載すべく、原稿を書き始めたが途中で
馬鹿らしくなって、結局やめてしまった。このように、人の誤訳というのは見つけやすいものの、自分の誤訳は他人から
指摘されるまで分からないことが多い。 誤訳というのは「口臭」に似ていると思われ、自分口臭に気がつかないまま
「おまえの口は臭いぞ」と言うことに似ているという。「だから、非常に攻撃的に他人の誤訳を指摘している人を見ると、
 この人は、たぶん自分の口臭には気がつかないタイプの人なんだろうなと思う」。
「口臭のない人がいないのと同様に誤訳のない翻訳はない。これだけは真実である」と、思いやられる。≫
 〜 だいたい、こんなことだが、政治家の足の引っ張りあいの国会答弁、これって口臭でなく・・・
  これから思いつくのが「陰口口臭論」「悪口口臭論」がある。これは、世間とかいう現象社会にドップリ漬かっている
  基礎教養の欠落している人たちの放つ毒。放っている連中は面白いが、その毒をまかれた方は・・・ 毒には毒をもって
  制するというが、それ以前に、毒婦、毒男には近づかない方がよい! 彼らには、それが全世界でしかない。これも口臭か!
 このブログをネットを通した口とすると、口臭を放ち放題ということか。 凄い口臭なのだろう!自分では気づかないが!
  だから誰も、ブログなど書かないのだろう! 素裸で、大通りに大の字で寝る覚悟が無ければ、もの書きになれないと、
  瀬戸内寂聴が書いていたが。  私など無理無理! 絶対に無理!
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3232、「黒字亡国」から抜け出そう ー1
 2010年01月30日(土)
  * アメリカの持つ魔法の財布
 文藝春秋の2月号の三国陽夫(三国事務所代表)の ー「黒字亡国」から抜け出そうーが、考えさせられた。
【 円安で、輸出黒字でドル資産226兆は帰ってこない。今こそ「ドル支配」を脱せよ! 】という論旨である。
アメリカは輪転機でドルを刷り、日本は汗水を流して製品をつくり、アメリカに輸出する。その支払金のドルは、
支払われるが、再び本国に還流される。何時か、そのシステムが崩壊しても、損害を被るのはドルを持たされた国。
 効率からいえばアメリカの方が効率的。これからみると、日本はアメリカの奴隷国家でしかないのである。
≪ 日本メーカーが、自動車をアメリカに輸出すると、アメリカの消費者はドルで代金を払います。
日本のメーカーは国内で従業員の賃金を払ったり、仕入れ代金を決済しなければならないので、円が必要となる。
そこで日本の銀行にドルを売って、円を手に入れます。この段階でメーカーの帳簿上では輸出代金の決済が
出来たことになりますが、じつは国全体で考えると、決済の実態は完了していないのです。
 本来であれば、ドルを買った日本の金融機関は、為替市場でドルを売って円に替えます。
ところが、日本は一九七0年代から恒常的に輸出が輸入を上回るようになったため、市場では輸入のために払った円より、
輸出して受け取ったドルの方が多く出回っています。  
   (字数の関係でカット2012年01月30日) 
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2857, 人生を振り返り、俯瞰してみると −1
 2009年01月30日(金)
 人生を振り返り、俯瞰してみると (似たようなことは何回か書いてきたが再び・・)
0〜9歳は、家庭では躾、学校では集団生活の決まり事を刷り込まれる時期。遊びと学びの基本を学ぶ。
10歳代は、スポーツと勉強を通して、選別されていく時期。とにかく、学ぶ時期。
20歳代は、泥まみれになりながら、社会人としての基礎を身に付ける時期。
30歳代は、それまで蓄積した全てをそれぞれの創造に向けて吐き出す時期。家庭づくりも、創造になる。
40歳代は、人生の八割がたが決まり、一息つけるが胸突き八丁でもある。
50歳代は、大きな人生の回り角、競馬でいうと第三コーナーを回って直線に差し掛かる時期。ゴールを意識する。
60歳代は、人生の豊穣の時で、それまで出来なかったことを新たに始める時になる。余白を埋め始める時期。
70歳代は、人生の整理の時期に入り、全てをシンプルに変えていく時期。
80歳代以降は、一日一生で、毎日を味あう時期。
 大まかに10年ごとに意味づけをすれば、こんなものだろう。(私の場合は9年だが、それは次回に書く。)
大きな分岐点は、それぞれの人によって違うから、あくまで目安である。この中で一番大事な10年間は、50歳代ではないか。 
時期的には42歳の厄年だが、社会的、精神的な要素を含めると「50歳の時点が、人生の折り返し」だろう。
平均寿命の80歳を大きな目安とすると、そこまでの30年の最初の10年が最も大事になる。 50歳頃に読んだ曽野綾子の書に
「人生の美味しいところは60歳まで」というのを読んで焦った。「エッ、あと十年しかないのか、人生の美味しいところは!」と。
「それでは十年で何をすべきか?」 ここを充実させておかないと、人生を後悔することになる。 要は何を捨て何を取るかである。
もともと捨てていた世間様の付き合いを更に一歩踏み込んで捨て、好きなことを徹すること。そして新しい世界を開拓すること。 
捨てるのはマイナーな人間関係。新しい世界はパソコン、インターネット、色いろ違った分野の読書。徹するのは、異郷、秘境ツアー。
結果からすると50代前半が異・秘境ツアーに集中。 後半が読書とインターネットと載せる文章書きである。 
結果として正解だった。 50歳までに人生の元を取り、60歳までの上乗せが充実感で残った。
せいぜいプチ・ブルレベルとしてもだが。 人生を全体からすると20歳までが大事だが、全てが人生である。 
 「一日一生」「一期一会」「べきことを、べきときに、べくすべき」とは、良くいったものだ。
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2008年01月30日(水)
2492, 無くてはならぬもの −3
 *  惜しみなく愛の悦び!                   ヽ(★>з<)。o○[ォハヨ]
 P−72
他者を愛するといいながら,けっきょく私たちはいつでも自分を愛しているのではないだろうか。
もっときびしく言うならば、人間はけっきょく自分を愛することしかできないのではないだろうか。
人間にとって愛は多かれ少なかれ悲劇的性格をおびているが、それは私たちが自分しか愛することができないからだろうか。
そこで私は、あの、イエスの決定的言葉に立たされる。「自分を愛するようにあなたの隣人を愛せよ」
イエスは決して、「自分愛さないで」隣の人を愛せよとはいわなかった。
「自分を愛するように」隣人を愛せよといったのである。そんなことが私たちにできるだろうか。
   (字数の関係でカット2010年01月30日)  
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2007年01月30日(火)
2128, マンションについて考えてみる (~Q~;) おはよう〜〜 ファ〜
 建売にしても、マンションにしても、買う場合の最低の知識が必要である。
といって、それが解れば苦労はない!自分の頭で考えるしかないが、それでも少しは知っていれば、
誰かのように「アパ」から三室も買わないで済んだろう。そこで私の経験から更に「アパ・マンション」と
「マンションの買い方」について更に考えてみる! 何事でも商品である限り荒利を得るのが企業活動である。
当たり前のことだが、まずそこが問題である。それは悪いことではない、商品価値を買うのが顧客だからだ。
   (字数の関係でカット2007年01月30日)      さようならm(__)m ごきげんよう
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2006年01月30日(月)
1763, 人の心は金で買えるか?      o(*'▽'*)/☆゜おはよう〜♪
ライブドアの堀江もんが、著書で「人の心は金で買える」と言っていたというが、これについて考えてみる。
「買収されるかされないかは、その額による」という強烈な格言があるが、実際のところそうだろう?
これを捩れば「人の心が買えるかどうかは、その金額による」になる。お金の力は絶大である。
金に貧した人の露わな姿を多く見てきた。他人事ではないが。お金は扱い方によって魔力にもなる。
一般的にみると誰もが貧すれば鈍する。金が無くなると人間性まで卑しくなるのが人間の性である。 (#`ε´#ゞ  
試しに破産すれば解ることだろうが。「落ちぶれて袖に涙のかかるころ 人の心の奧ぞ知らるる」
心の奥の奥を、冷たさ・優しさ、醜さ、浅さ、深さなどを置き換えてみると解りやすい。 
例として「落ちぶれて袖に涙がかかるころ 人の冷たさ初めて知らるる」」というのが現実であろうが。
「人の気持ちを金で買える!」を、単純に否定も肯定も出来ない。TPOSー時と場所と場合とケースーによるが、
それぞれの価値観もある。人によるだろうが、・女性が身体を売るのからみれば、気持ちなど売るのは如何ということは
ないともいえるし、身体は売っても心は売らないというケースもあるだろう。  茶 (@゜▽゜)_且~~どうぞ w
ところで「袖に涙のかかるころ・・」という言葉の検索をしたところ現実の生死の境界線上の人を慰め奮い立たせるHPがあった。
これを明日取り上げてみる。        ゚+.(・∀・).+゚.。oO(おまけ!) 
【堀江社長語録】をコピーしておきます。   【2006/01/24 東京朝刊から】
     (字数の関係でカット2007年01月30日)    ̄Д ̄)y─┛~~~ホンジャ! 


4703,閑話小題 ー若年女性の貧困問題

2014年01月29日(水)

* 若年女性”の貧困問題
 一昨夜のNHKTVの「クローズアップ現代」で「あしたが見えない〜深刻化する“若年女性”の貧困〜」を放送していた。
隠れた恐慌は、ジワジワと社会的弱者より影響を与えてきた。成るほど、社会の仕組みは、強者のために作られているのを
日々、実感する。  (まずは、NHKのHPの番組趣旨より)
《 貧困状態に苦しむ若い女性が増えている。親の生活苦の影響を受け、早朝と夜間のバイトを掛け持ちしながら家計を
支える10代の女性。困窮を抜け出そうと苦学して専門学校に通ったものの、正社員になれない20代の女性。中でも、
先の見えない生活を強いられているのが若くして子どもを産んだシングルマザー。国の成長戦略で「女性が輝く」ことが
うたわれる中、深刻化していく若い女性の貧困。 現場のルポから現代社会の新たな課題を浮き彫りにしていく。     
  ーあるプレビュー              \(;$д$@)\ カ.金-\\\   
 働く女性は全国で2770万人いるうち、不安定な非正規雇用で働く女性の割合は、57.5%と男性の2倍以上。
そして、単身女性の3分の1が、年収114万円未満といわれており、深刻化しているのが、10代、20代の若年女性の貧困です。
朝から晩まで、アルバイトをいくつも掛け持ちする若い女性たち。コンビニやファミレス、スナックなど、いずれも時給650円
前後の仕事です。別の女性は、周囲の男性も非正規で働く人が多く、結婚して出産することは考えられないといいます。
 さらに深刻な状況に陥っているのが、10代20代のシングルマザー。20代のシングルマザーのうち、およそ80%が年収114万円
未満の貧困状態に置かれているといいます。そんな中で、VTRで紹介されていた風俗店の話が衝撃的でした。
風俗店で働く女性の中には、店側が提供する住まいや託児所などに惹かれて、やむなく風俗店で働くケースが多いというのです。
公的なセーフティネットではなく、風俗店が提供する住居や託児所に頼るというのは、皮肉な現実と言わざるを得ません。
 ▼ ゴールデンタイムや、NHKのモーニングショーで、生活のため主婦がやむを得ず風俗で働いている実態を放映するまで、
  困窮者の数が増えている。実際、新潟駅前で30年近くの事業で、風俗嬢の長期宿泊などから、そのの実態を垣間見てきた。
 地元??が営業する風俗店で、泣き叫ぶ赤ちゃんを客室に置いて働く姿は、阿修羅そのもの。見て見ぬふりしか手立てはない。
 それにしても単身女子の3分の1が10万以下というから、深刻。 20年前に「3つ掛け持ちのパートで、子供三人を育てて
 いる人がいる」という話を聞いて、驚いたが、今では話題にすらならない! 静かな恐慌が、現象として現れてきている。
 「うどん一つを親子で、つゆを多めにして食べること、しばしば」には・・ あと数年後は、更に深刻になるという!
・・・・・・
4336, 自己とつきあうということ −4
2013年01月29日(火)
                 「自己の探究―自己とつきあうということ」和田 渡 (著)
 ギリシャ哲学の初めのころから、己について考えていた哲学者がいた。この文明の世でも、「自分」について考えようと
しない人が多い中、2500年も前に、このやっかいな自分について考えていた。 そのギリシャは、現在、国家危機の崖っぷち。
   * 古代の人間たちと自己の問題(ヘラクレイトスの驚きと戒め)
≪ 自己を問う試みは、ソクラテス以前の哲学者たちによってなされている。なかでも、その試みを自覚的に遂行したと考えられる
人物の一人は、初期ギリシアの哲学者ヘラクレイトス(前五〇〇頃)である。彼が残したとされる、「わたしはわたし自身を探究した」
(断片一〇一)という言葉の背後には、探究の視線を外部の自然から自己自身へと移し、自己の内に広大な探究の次元を見いだした
ヘラクレイトスの、自己への驚きが見てとれる。彼にとって、自己は問われるべきものとなった。
 彼は次のようにも述べた。「自己を認識すること、健全な思慮を持つことは、万人に許されている」。(断片二六)
その短い言葉を通じて、われわれが自己への関心、配慮をばねにして自己への探究を開始する存在であることが端的に示されている。
しかし、それを裏返せば、われわれは通常、自己を問題として受けとめることは少ないし、思慮を健全に保つことからも遠い存在だ、
ということである。よきことを考えて生きることよりも欲情にかられてよからぬ方向へとひっぱられていきやすいのが人間である。
それゆえ、彼は自戒の言葉を口にしている。「欲情と戦うのは困難である。なぜなら、それを欲する者を魂[命]をかけて購うから。
 放漫を消すことは火災を消す以上に急務である」(断片四三)
ヘラクレスは、人間がしばしば欲情の虜になり、とりかえしのつかぬことをしでかしたり、放漫、不遜になって、他人に不快感を
与える存在であることを見抜いた。人間は思わぬ仕方で壊れやすく、健全を失いやすいがゆえに、それに抗するためにも、よく
認識し、思慮を健全なものに保つようにしなければならないと考えたようにみえる。彼が認識したことは、自己を壊すものから、
自己を防御し、自己をよく整えるための自己認識であった。・・・≫
 ▼ 古代に、「わたしはわたし自身を探求した」とは、驚き。その頃から現在に至るまで、その問いが繰り返されてきた。
  まずは、他者と私、そして、自己対話をする内なる私と、分裂した私。それより、今過ぎ去ったばかりの己と、現在の己。
  欲望に支配されている私と、それを見ている私。ギリシャ哲学を知るにつけて、人間は二千五百年も考え続けてきたわりに、
  殆ど進歩していないというより、後退しているとも思える。いや、西洋的進歩という言葉自体が疑問である。それが構造主義
  につながっている。大きな節目には、それまでの自己が破壊される。その中で、破壊されてはならない核心は守らなければ
  ならない。そのために、この随想日記で、「節目どきに」「自己をみつめる」「自分の居場所のみつけ方」とかをテーマに、
  していた。このテーマも、その一連だが、哲学の具体的入り口は、「自分」と「死」と「神」と「自然」についてである。
  「私の事業」が崩壊して、残ったのは「自分」である。それも傷物としての自分。しかし、核心まで傷ついた訳でなし、
  問題は自己認識だが、どうもこうも、考えるほど、滑稽な行蔵しか残ってない。これも気づくかどうかの問題だが・・
  「欲する者を魂[命]をかけて購う」、その自分も、それぞれの他己から、自分の核心を守ることは至難の技になる。
・・・・・・
3961, 家族の崩壊は団塊世代の母親のせいか
2012年01月29日(日)
 あるレポートに、「家族の崩壊は団塊世代の母親のせいか」というテーマがあった。私たち世代の連れ合いが団塊世代のため、
身につまされるテーマである。その子供たちが「ゆとり教育」の犠牲者で、無気力世代として現在の社会の中核を占めている。
そして現在、団塊世代の退職期を向かえて世代交代が完了しつつあるが、良質の人材の比率が少ないことが深刻な問題になっている。
その中で団塊世代の母親は核家族化の中枢にあって家庭に対する価値観が失われていった。それが家庭内離婚を含めて過半数以上が
家族崩壊をしているのが現状である。  ー 次の部分は考えさせられる内容である。
≪ 数年前、行政企画の「団塊世代」をテーマにしたシンポジウムで、男性のことばかりが語られるので、団塊女性の老後の生き方に
提案はあるか、と質問した。ある男性の大学教員がこう答えた。「団塊世代の女性は、子育てに失敗した世代なので、その贖罪のために
孫育てに励んで、働く次世代の女性を支え、家族崩壊を食い止めなさい」と。 不登校や引きこもり、児童虐待、少年犯罪、DVなど、
家族を巡る現代の問題は、戦後の核家族を専業主婦として支えた団塊世代の母親に起因すると考えられているらしい。
 確かに、戦後の急速な核家族化は、人々が当たり前と思って担ってきた日本の伝統的な家族の機能を次々と失わせてきた。
これまでは、自然に生まれていた地縁による共同体を都会の核家族は作り出せなかったし、むしろ、家族は社会の荒波から
個人を守る防波堤、いや、高度経済成長期には産業戦士である男性たちを企業に送り出すための最小単位の基地と化していった。
それは日本社会独特の家族機能とし賞賛さて、某大手企業では妻に会社からプレゼントが届いたりした。
今も「あなたにとって家庭とは?」と問えば、中年以降の日本の男性たちは声をそろえて答えるだろう。「家庭とは安らぎの場」です、と。
だから、日本の夫たちが、もっとも恐れているのは、「妻の不機嫌」なのである。そもそも、一組の男女によって作られる家族の最大の機能は、
子育てである。 なぜ、人は家族をなさねばならないか、と言えば、今や、「子育てのため」に集約されると言ってもいいかもしれない。
そして、その子育ての目標は、すべての生物がそうであるように、子どもの自立。巣から子どもを社会の荒波へと押し出す役割である。
けれど、「安らぎの場」として求められた核家族は、この重要な役割で躓いた。子どもを抱き込み、社会の荒波から守る役割をこなすことと、
子供を突き放し、荒波の中に押し出す真逆なことを母親だけに担わそうとしたのは、結局、無謀な話だったのだ。 そして、親の介護。
 長寿社会では、介護もまた、重要な家族の機能として浮上した。けれど、家族はそれを結局は、担いきれなかった。・・・
目下、少子化もあってその夫婦と子の世帯の核家族まで下落していて、単身者世帯ばかりが上昇を続けている。・・・
 「一人家族」という言葉まで生まれ、2020年には約33パーセントが「一人家族」を形成するすることになる。家族の変容を
家族の進化と考え、知恵をもって、その進化に適応可能な社会システムを整えていく責務こそが、本気で求められいると考えるべきだ。≫
 ▼ アメリカのシリーズTV番組に「デスパラートの妻たち」がある。一見リッチだが、実は崖っぷちに立っている中年女性たちの危ない
  男女関係を含んだエピソードを描いたものだが、日本を含めた家族の崩壊を示唆をしている。あまりに価値観が多様化したこともあるが。
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3596, お絵かきロボット
2011年01月29日(土)                                
   * 画像転換ソフト
 最近、これまで撮った秘境・異郷先の写真を、「画像転換ソフト」で加工するのに凝っている。
カシオなどのHPにアクセスし、デジカメの映像を一度アップすれば、画像が水彩画や水彩画、スケッチ画、透明感イラストなど、
百位の転換ソフトで瞬時に書き換えられる。色いろの過去の映像を転換すればするほど、その出来栄えに驚いている。
これは人間のカタチはしてなくても、「お絵かきロボット」である。面白いのは実際の写真は平凡に見えても、絵にすると、
別ものになること。フリー(無料)のソフトで、これだけ素晴らしい加工をするのだから、有料のものを使えば・・
特にカシオの転換ソフトは素晴らしい。下手なイラストレターが描いたものより、既製品のソフトの方が遥かに上質な絵や、
イラストに転換してくれる。旅先で、水彩画や、スケッチを楽しんでいる人を見て、いつも羨ましいと思っていたのが、
そこの写真さえあれば、現在でも書き換えることが出来る。 何故に、この画像転換ソフトに、ここまで驚き惹きつけられるか?
というと、秘境の一番のポイントを自分の手で、書き残したいと思っていたのが、そこで撮った写真が、数年を経った現在でも水彩画や、
クレヨン画に変換出来るのが不思議で、奇妙な感覚になるためだ。 そのためデジカメの映像を絵画に換えていると、
当時の生々しい現場に引き戻される思いである。それと当時の画面の色彩の美しさを改めて意識させてくれる。
 気楽に使っている転換ソフトには限りないノウハウが入っているはず。こういうユビキタスが止めどなく我われの生活の中に
流れ込んでいる一例である。ソフトに美人修正とか、重ねがある。現在のネットと、電子機器の進化には日々驚きである。
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3231, フリー  −6
2010年01月29日(金)
  * フリーミアム
 この本は大きな波紋を示している。 新聞や月刊誌などで「デジタルのものは、遅かれ早かれ無料になる」という
 指摘が多くの議論を起こしている。 前に取上げた家の不用品をネット上で欲しい人に着払いでタダであげれば、
 両者とも良いことになる。 これはビットだけでなく、アトムの無料化の事例である。 贈与社会化である。
・同書のキーワードの概念は「フリー(無料)」と、プレミアム(割増料金)」を組み合わせた「フリーミアム」という造語。 
 無料で基本版を配布して広く顧客を集め、その中の一部が有料・高性能なプリミアム版に移行することで
 利益をあがるという、デジタル時代のビジネスモデルをさす。
・試供品配布などに代表される従来型の無料サービスが、5パーセントを無料で提供し、95パーセントを
 買ってもらうとう形に対して、「フリーミアム」の新しさは、95パーセントを無料で配布して、
 5パーセントから利益を上げるという点にある。 大量に複製配布するコストがほぼゼロになるデジタル化が、
 それを可能にしたとする。 その上で同書は「デジタルのものは、遅かれ早かれ無料になる」と、
 「フリーミアム」化の流れが不可逆であると述べている。 同書は昨年7月に、二週間の予定で全文を無料公開。
 30万ダウンロードされたにかかわらず、ニューヨークタイムスのベストセラーにランクインするなど好調だった。
 日本も一万限定で無料配布を始めたところ、ツィッターなどを中心に反響が大きく、二日で定員をオーバー。
 販売も好調だった。 自分で、それを自己証明したカタチになった。
 若い世代は当然という反応に対して、メディア関係者からは反発が多かったという。
▼ ブログなどは、取っておきの自分の情報を無料開放することで、それに反応してきた数パーセントの、専門の人との出会いがある。 
(字数の関係でカット2012年01月29日)
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 2856, つれづれなるままに
2009年01月29日(木)
  ー 当てごとは向こうから外れるー
「当てごとは向こうから外れる」とは「期待事は、自分の都合だけを考えてしまうので外れることが多い」ということ。
投機をしている人は、この意味の深さを十分に知っている。それから逃れるためには、「当てごと」をしないことだ。
事業も全く同じである。ついつい、自分の都合だけを考えて市場をみてしまい外してしまう。
実際の諺は「当て事と(越中)ふんどしは向こうから外れる」である。成るほどよく言ったもの。 
 今回のサブプライム問題で世界中の金融機関が破壊的な大打撃を被った。それもアメリカの金融機関が格付け機関で
太鼓判を押した債権が紙切れになるのだから、詐欺そのものである。彼らは決して「当てごと」を外したつもりはなかった。
間違いないと信じていたのである。日経金融新聞の08年1月4日号が手元にある。その去年の予測は、日経新聞のプロの予測が
「米景気後半から回復」「事業法人の買い期待」である。「今年の株式相場」の専門家69人の予測は、年末に一万八千円超えが大多数。
一番低いのが一万二千円である。いかに予測が難しいかを示している。 
    ( 字数の関係でカット2010年01月29日 )
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 2008年01月29日(火)
 2491, 無くてはならぬもの −2              YΘ!!。_゜ヽ(*´∀`)ノ
                「無くてはならぬもの」 佐古純一郎著        
 まずは?の 生きる意味の創造 −から考えてみよう。「人生に目的があるかどうかではなく、
 自分はどのような目的をめあてに生きているか、というふうに問うべきである。」これを考えてみよう。
  ▼ 生きる意味の創造 ー本当の生きかたー
 人生に意味があるかではなく、いま我われひとりひとりが、生きることの中に、どういう問題を見出しているか、
 感じているか、ということが大事なことである。ここでは二つの生きかたを示して、その一つの生きかたを勧めている。
・人生にもともと意味などないという自覚に徹して生きるということである。この宇宙に、そして地球上に、
 一定条件の一つの結果として、たまたま生物なるものが生まれた・・  人間もその生物の一つでしかない以上、創造のの頂点として
 生まれたものでもない。その人間に人生の意味など、あろうわけがない。われわれが生まれようが生まれてきまいが、死のうが、
 一切なんの影響もない、生も無意味、死もまた無意味!という生きかた。
・いま一つは 人生の意味は先験的に私たちの中にあるのではない。虚無の中からの創造である。 私たちがつくり出していくからこそ
 人生に意味が生じるのである。どのような条件の中で、意味を見出しうるのか、を考え生きるべきであるということである。
 人生の意味とは、他者との力強い連帯がいきいきと成り立っているときのみ、生まれてくるのでないか、という。
 ー この二つの生きかたを通して、プロテスタントの佐古は、後者の生きかたを肯定している。
 私に問われれば、両者をコインの裏表として冷静に己の中に整理しておくべきと、現在では言うことができる。
 しかし当時の私には、「生きることの中に、意味を 創造していくべき」を当然のことと受けとめていた。
 また、その生きかたを良しとしてきた。当時の何人かの友人は、この二つを冷静に見ていたようだった。
 前者の生きかたも、この歳になると理解できる。上を見れば、きりがない。横を見れば情けない。下を見れば底がない。
 宇宙を見れば果てしない。こういう心境になっていくのである。後者は若者、前者は老年の心境といえるのではなかろうか。
  意味とは価値という意味もあるからだ。 そういえば心理学者のフランクルは、3つの価値を上げている。
1・創造価値: 創造行為を通して得られる意味=仕事・子育て・芸術を創造する
2・体験価値: 体験を通して得られる価値・意味=自然にふれあう・芸術にふれる・愛する
3・態度価値: 状況・運命に対し【自分としての態度】を取ることで得られる価値・意味
 当時は日本ではフランクルは殆ど知られていなかったが、こういうこと!生きる意味とは。


4702,漂流者たち

2014年01月28日(火)

  * 漂流者たち ー若者には未来など無い!あるのは現在のみ     ー『散文』谷川俊太郎著より
    ーこれは全文であるー  【若者を『私』、夢を『思い出』に置き換えると、現在の私(同年代)の心境に似ている?】
《 若者には未来がある、とはいいふるされたことばである。これは若者のことばではなく、感傷的なおとなのことばであろう。
 若者には現在がある。むしろ、若者には現在しかない。そのことはだれよりも若者自身がよく知っている。過去をふりかえる
ひまがないのと同じように、若者には未来を考えるゆとりがない。彼らはいまの一瞬々々を、手づかみしようとする。
それはこっけいで、そのくせ悲劇的だ。 若者は、生活しようとはしない、生きようとするのだ。
「仕事?つまんないなあ」
 深い吐息のように、ある自動車工場の工員はいった。自分にも、いったい自動車のどの部分を造っているのか、
よくわからないのだそうである。昼休みの、日だまりで、牛乳を飲みながら彼は、ほんとうは、新車のテスト・ドライバーに
なりたいんだと、はにかみながら話した。
「いかすもん、なあ」活宇にすると、こんなにも無力で、使いふるされたことばが、若者の口の上では、この上なく生き生きと
するのである。若者は夢見る。夢に夢中になる。恋の夢、金の夢、正義の夢、純粋の夢。未来に向かう夢ではない。時のない夢、
広漠とした情念の世界にひろがる夢だ。だぷん夢が深ければ深いほど、彼らは現実に目ざめている。きのうもあすも、後らに
とっては観念にすぎない。唯一の現実、それは今日である。いまである。土曜日の晩のダンスホールの芋を洗うような混雑の中で、
若者はちっとも陶酔せずにツイストを踊っている。踊ることで、やっとあの若さのもつ、底ぬけの無為のひとときをつぶしている。
彼らはまるで漂流者のように見える。家庭という岸辺からも、仕事という港からも遠く離れて、むなしく何かを求めている。
 おとなから見て、頼もしい若者、すなわち余りに早くおとなの秩序の継承者たることを自らに課した若者に、おとなは奇妙な
不信をおぼえる。そんな若者は、どこか痛ましい、さらにいけないことにはどこか病的にすら思えるのである。若者の健康は、
獣の健康であっていい。エネルギーという、便利なことばがある。若者にも、しばしばこのことばがむすびつけられる。
だがこのことばのもっている危険の味わいには、わざと目をつむっているのではあるまいか。エネルギーの源は、いのちである。
そしていのちそのものは、善にも向かうかわりに、悪にも両かう。エネルギーはいのちを自己否定する可能性すらはらんでいる。
 若者はいつの世にも、おとなにとっては、危険な存在なのだし、またそうあるべきなのだ。
 いつかは君らにも金ができるさ、といったところで、若者はなっとくしないだろう。若者はいま、金が欲しい。若者はいま、
楽しみがいる。若者は正義を求める。なぜなら、若者はいまを、生きている。
 労働の場で、時には恋愛の場で、若者はおとなたちと時代をわかちあっている。だが、おとなの現在に、若者が自分の未来を
見るようになる時、ひとつの時代の成長はとまる。おとなは若者に未来を用意してやるべきでない。現在をこそ与えるべきだ。》
▼ 1970年に書かれた谷川俊太郎の『漂流者たち』である。当時、この文章を読んでいたら、どれほど慰められたかと思うのは
 私だけでないはず。仕事は辛く、金は無く、自信も、先の見通しも無い。あるのは、心の奥の野望と他人からの視線の恐怖。
そこに「果たして、私に何が出来るのだろうか」の絶望がまとわりつき、心は焦りと虚無感が渦巻いていた。若い時は良かった!
など、振り返ればこそ言えること。これは当時の心象風景そのもの。そして、今は家の中の漂流者? (>_<)ゞ (ノ_<。)うっ
・・・・・・
4335, 閑話小題 − ドラマ メイドインジャパン
2013年01月28日(月)
    * ドラマ メイドインジャパン
 一昨夜土曜21時、NHKのゴールデンタイムのドラマ「メイドインジャパン(1)」が面白い。 三回シリーズの一回目。
粗筋といえば ≪ タクミ電機営業部長・矢作(唐沢寿明)は、譲原会長(岸部一徳)の特命で余命3か月の会社倒産の危機を
回避するため再建戦略室を立ち上げる。財務課長・柿沼(吉岡秀隆)、工場長・西山(國村隼)など7人の社員が秘密裏に集められ、
リチウムイオン電池市場で勝負をかけることに。だが中国企業がタクミの技術を盗用し、契約も奪われる。矢作は柿沼たちと中国に
渡るが、現れたのはかつての同僚の技術者・迫田(高橋克実)だった。≫
 戦後世界を制していた日本の家電メーカーのパナソニック、ソニー、シャープなどが大赤字になり、その存続さえ危ぶまれている。
10年前、世界のテレビの日本メーカーのシェアが62%だったが、現在では28%まで落ち込んでいる。そして、株価は暴落。
パナソニックとシャープとサンヨーとソニーをプラスして四で割ったようなタクミ電機を題材に、倒産直前の会社の建て直しを
物語にしている。現在のメーカー全てに関わる問題だが、時期が時期だけにリアルで深刻である。シャープは現在、その真っ只中。
それも土曜日のゴールデンタイムに、辛辣に日本の現状を集約した物語だから恐れ入る。
 ところで、パナソニックは明らかに間違った戦略をうち出したのは私でも分かる。スマートフォンと家電を結びつけた商品戦略。
方向は正しいが、付加価値をつけて値段を上げようというなら間違い。二割以上高くすれば、ニーズから外れるが、5割も高そう。
この間違いは数年後のパナソニックの破綻を暗示している。中流の人たちの収入は、セキを切ったように減っているのに、
何が高付加価値か。 目指すべきなのは、ノートパソコンのカテゴリーキラーになったタブレットPCやスマートフォンのような、
商品開発。 1〜2人用の電気自動車とか、書斎型電気ワゴン車、ペットロボット、電子眼鏡情報機器、水上電気スクーターとか、
電気ボート、ミニ菜園、それも電子化でコンパクトで発育を早めるものとか、傘型かテント型のワンタッチでミニシアターなどの
別世界になるものなど、発想の転換(カテゴリーキラー)が必要。 それにしても、中国の広大な工場と工員の群れには驚いた。
眠れる獅子が眼を覚まし、暴れだした。制御が利くうちはよいが、コントロール不能になったら、手がつけられないだろう。
・・・・・・
3960,ファイナル・クラッシュ ー7
2012年01月28日(土)
  * 日本をいかに安楽死させるか ー  「ファイナル・クラッシュ 世界経済は大破局に向かっている!」石角完爾
【 2011年5月下旬、アメリカの下院の外交委員会で、「ジャパンリスクレという名の小姿員会が開かれ、そこに日本の大使が呼ばれた。
アメリカ議会では、日本国債はいつ暴落するか、そのときにアメリカとしてどう対応すぺきかという問題を公式に研究しているのである。
誰がどう見ても、日本政府の財政破綻は防ぎようがない。それは日本経済全体に波及する。日本にとって大震災以上の津波が押し寄せてくる。
その時、どうやってアメリカ経済を日本政府の破綻から切り離し、日本を安楽死させるか、そのためのメソッドを研究している。
 彼らは、どうせ型通りの発言しかしない日本の大使から何か意味のある話を聞けるなど思ってはいない。 日本経済の先行きについて、
アメリカ政府ではすでに彼らなりの崩壊のシナリオを描いているはずだ。その内容を再確認する一環として日本の大使を呼んだのだろう。
 日本を単独で安楽死させる方法として、どのような形が考えられるだろうか。一つは日本の国債の格付けを一気に一〜二段階下げてしまう
やり方がある。寝耳に水のデフォルトでは世界経済が混乱する。しかし「投資不適格」レベルにまで格下げをした後でなら、日本国債が
デフォルトしても「やっぱりね」ということになり、市場の動揺も抑えやすい。・・・ 
 現在1・1%ほどの国債発行金利が1.6、2.0%近くに達する可能性がある。市場の国債の価格がそれだけ下がると、長期金利が上がってくる。
5%になったら何が起こるか。 この金利は、世界的に見ればごく普通の金利である。既に1000兆円野金利が4%上がれば40兆円の
アップである。・・・ それは国債と同額の金額になる。 】 
 ▼ 危機管理が不在の日本は、今や瀬戸際に立っているが、それにお構いなく政争に明け暮れるしかない日本。
  偶然だが、去年の今日(下記)に「危機感が無さ過ぎる日本」の小テーマで書いていた。当時、そんなことより、自分の会社が
  大きな危機にあることに、まだ気づいて無かった馬鹿加減が出ている内容でもある。「国家天下より、自分のことを考えろ!」だが、
  どっちにしても同じ結果でしかなかったことも事実である。 もう今さら国家天下でもないが・・ 小高い中腹の山から大津波が
  よく見えるから、同じようなことを書いている。金融関係のトップクラスの人たちは、一番よく分かっているが。何も言えない。
  ・・・・・・・
3595, 閑話小題
2011年01月28日(金)
  * 危機感が無さ過ぎる日本
 この商売をしていると、数ヶ月先の先行指数が数字に出てくる。 2001年の9・15テロでは、翌日から客数が三年に渡り
右下がりが続いた。その対策として政府は円安に誘導し、輸出を柱に景気対策を図り、関東・東海地区では景気が一時的に持ち直し、
不動産のミニバブルが東京の好立地では起きた。そして2008年の9・15のリーマンショック。その翌週から急角度の右下がりになり、
現在も続いている。私の触覚からしたら、二月か三月の株の大暴落があっても不思議でない事態。 マスコミの情報コントロールのためか、
政治的思惑か、表面化をしない。 コールドは去年で2割上がり、今年も、この情勢では2割は上がるだろう。現在の体制では、
この難局を乗り越えることは不可能。ということは、やはり株暴落のプロセスからしかない?                     
 * 10人を11人の年金で賄う?
 先日の新聞記事を見て、目を疑った。
「年金受給者5988万人、加入者6874万人」とあった。10人を11人の加入者が背負う割合になる。10年か20年後なら分かるが、
あと数年で、その数は逆転するだろう。二人で一人でも重いのに、一人が一人を背負うなど、考えられない。
去年で年金支給総額が50兆円。気が遠くなる数字。これで支給時期の延長も考えないと国家が持たない。自民党と役人が組んで
悪さをしてきた結果だが、さらに悪いことに左翼が政権を乗っ取りやりたい放題。いつ爆発をするかの秒読みに入った。
 * チュニジアの政変について
 地中海のアラブ圏のチュニジアで学生デモの拡大で、比較的安定していたと見られていたチュニジアで政変がおきた。
これは携帯電話やツイッターなどの情報化が背景にある。その影響がアルジェリア・リビア・エジプトにも波及、暴動が多発、
この動きがサウジアラビア、クエート・カタール・アラブ首長国連邦、更に欧州、中国にも波及する可能性もある。
それだけ、この世界的金融恐慌は直接・間接的に仕事にあぶれた人達に影響を与えている。その大元は、情報化。
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3230, 死は‘別れ’のとき
 2010年01月28日(木)
 昨日30年間近く毎年、行われている高校の同級会のメンバーの一人の近藤さんの訃報が入ってきた。 癌である。
これで5人目で、2割強が亡くなった。 ところで、癌から死に至る恐怖心を克明の記録を残した学者がいる。
岸本英夫である。もと東京大学の教授で宗教学の学者だった。彼は彼自身の臨終の最後まで、死という問題を直視し続け、
現実の死という問題に真向うから取り組んだ人。癌でも最も恐ろしい悪性黒色腫という転移性の早いことでは致命的な癌。
 あと半年しか命の保証ができないと診断された岸本教授のショックを、こう書いている。
「私の内心は、絶えず血みどろの闘いだった。 昼はまだ良い。 夜が問題だった、夜、一人自分の部屋に入ると、
 激しい緊迫感が襲ってくる。癌の宣告を受けた私は、もはや絶望という意識で心が一杯になってしまった。
 そしてその時、私は生れて初めて、生きていたいという生命欲が猛然と頭をもたげてきたことを知った。
 腹の底からわき起る凄じい生命欲は、死にたくないという強烈な欲求と、死に対する物凄い恐怖となって現われてきた。
 生命が直接の危機に陥ると、心はどれ程たぎり立ち、猛り狂うものであるか、そして全身が手足の細胞の末々に至るまで
 必死で死に抵抗するものであるか、私は身をもって知らされた。」 
  岸本英夫が死との苦闘の末に行きつい た境地は、  ・「与えられた人生を、よく生きる」ということと、
  ・もう一つは「死は、人生によくある″別れのとき″の一つなのだ」ということ。
≪ 人間は一生の間に何度も別れを経験する。 それには悲しみも伴うが、人はそれを耐えて、乗り越えてゆく。
 死はつらく悲しいことだが、それは人生にいろいろある‘別れ’の一種に過ぎない。ただ最後の大仕掛けのことでしかない。
 今までの様々の ″別れ″と本質的に異ったものではないのではないか。 普通の別れに対しても人は準備をする。それと同じように、
 死に対しても心の 準備をしておけばいい。そうなりきれた時「癌のおかげで、本当の生活ができると感じがする」≫ という。
  〜〜
 亡くなった同級生にも死の恐怖との激しい苦闘と肉体的苦痛があっただろう。もの静かな誠実の塊みたいな人だった!ご冥福を!
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2855, ある喩え話 -自由と平等 どっち
 2009年01月28日(水)
*自由主義と社会主義的体制を解りやすく喩えると自由主義と、格差を嫌い管理を優先する社会主義的体制のどちらがよいかが、
今後の大問題として浮上してきた。新自由主義をあくまで優先するか、平等を優先して規制強化かは、人類の永遠のテーマである。 
それが堺屋太一の寄稿文に分かりやすい喩え話で掲載されていた。 これは、酒飲話の余興にでも使える。
【 あるとき、慈悲深い神様が、子羊が狼に食べられるのを見て哀れに思い、狼の牙を抜いて羊に変えられた。羊たちは平和に
暮らせるようになった。ところが数年経つと羊の数が増えて、一部の強い羊が草原を占拠。弱い羊は飢えだした。
神様は飢える羊を不憫に思い羊たちに等しい広さの草原を割り当てた。その結果、争いはなくなったが、どの羊も飢えて死んでしまった。 
神様は草原を増やすことは出来なかった。 この神様はカール・マルクスか毛沢東とかいった。やがて神様は交代して、
前の神様の失敗に懲りて逆のことをやりだした。狼たちに羊を捕る自由を与え、いっそう強力な牙と知恵を与えた。
地上は弱肉強食の場になり羊は食い尽くされた。その上に狼同士の共食いが始まり、数年後にはただ一頭の巨大な狼が
荒野を彷徨っていた。この神様をリカードとか小平ともいう】 まあ、面白い例え話である。
 次のような即興の物語が思いついた。
【 羊の群れに紛れ込んだ狼どもが、知恵を使って眠り薬入りの美味しそうな藁をまいた。しかし薬は実は羊にとって毒であった。
その結果、羊の全てを殺してしまった。しかし、その狼は、その前に羊の毛を騙して刈り取って、高い金で売り、
羊の肉を塩づけにして自分の生きている間は楽しくおかしく遊んで暮らしましたとさ! になる。しかし、それを見ていた神様は、
狼の住んでいる森を焼き尽くしました。焼け跡には、ただ風が吹いていました。但し罰として狼を生かして草原に追放しました。
それがハイエナとして今も生きている・・・とさ 】
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2008年01月28日(月)
2490, 閑話小題         才ノヽ∋―_φ(≧ω≦*)♪
 *高校の同級会
 昨夜は、高校の同級会があった。15人が集まったが、何か会うたびに病気と年金の話が中心になる。
二次会、三次会などで帰ったのが1時過ぎ。ここまでくると、肩書きとか、収入とか、どうでもよくなる。
だから良いのだろう。高校の同級会は20年ほど前から毎年のように開いていたが、
発起人の4人の中の中心人物が亡くなって、この数年開かれてなかった。これから毎年開かれるようだが・・
 *大相撲も終わってしまえば
大相撲も終わってしまえば、予測どおり白鵬と朝青龍の決定戦なり、白鵬の優勝で終わったが、やはり朝青龍の存在は現在の
大相撲には欠くことのできない存在ということになったが・・。
(字数の関係でカット11年01月28日)
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2007年01月28日(日)
2126, タクシー運転手残酷体験記      オッ(*^○^*)ハ〜ヨウサン!
デフレ経済と過当競争の狭間の中で、苛酷労働と低賃金の象徴的な職業のタクシードライバーの現状について、
ここで何度か書いてきた。借りてきた雑誌の中にノンフェクション作家の体当たり「運転手体験記」のレポートがあった。
仕事の関係で彼らの生態の情報が入るが、実際に運転手をした生のレポートは、具体的で生々しい。
レポートの現場は京都だが、地方の現場の平均とみてもよい。観光シーズンがあるから楽そうに思えるが、実際はそうでもない。
レポーターは(学生時代に学校に通いながら)運転手を1973年から77年までの4年間、最初が9万位で、辞めるころは15万円を
稼いだ経験がある。当時の学生としての収入として悪くなかった。それから30年、タクシー運転手を巡る状況は悪化の一途。
特に5年前の2002年の規制緩和の「改正道路運送法」が施行されてから、増車と運賃値下げなどで過当競争に陥り、デフレも重なり
劇的に収入が激減したという。大阪の運転手事情はTVで何度かみたが、札幌・仙台などでは、平均240万を切ったという。
このレポーターの現場の京都では、2000年の354万円の平均年収が、2004年には20%減の287万に激減した。これを手取りの月収に直すと
月17万円になる。この17万円を稼ぐには、40万に売り上げが必要だという。タクシーの売り上げ=荒利になるので人件費率からみたら、
妥当だろう。朝7時から16時までの勤務だが、その売り上げを上げるためには、19時まで働かないと到底無理!ほとんど毎日
12時間以上働いても15~6万円になるかどうか。レポーターの勤めたK社の平均一人当たり売り上げは36万なので、一人の手取りは
13~4万円。これでは一家の主の収入で家族を養っていけるわけがない。そこで会社に入ってくるのは年金生活者になる構図になる。
このレポートでは、17万円を稼ぐ厳しさを生々しくレポートしていたが、読んていて、そのリアル感には驚かされた。
タクシーの事故率は普通の車の9倍もある、それだけ乗車時間が長いこともあるが、その苛酷な労働条件がベースにある。
売り上げ累進歩合制度は原則的には禁止されているが、この過当競争の中では有名無実になっている。
私自身はタクシーだけは健康と、自分の経済観念のベースを維持するため可能な限り乗らないことをモットーとしている。
(ただケチだけか?)新潟を例えにすると、最近は旧市街にある古町という飲食街には行かない!
タクシー代が馬鹿馬鹿しいからだ。この春から、地元の新潟も完全歩合制に移行と聞いている。
こうなると、会社は車と名義を貸せるだけの商売になってしまう。個人タクシーと大してかわりはしない。
通勤で駅前を歩いていると、お客に見えるのかタクシー・ドライバーの鋭い視線が痛い。


4701,閑話小題 ー夕方がいちばん楽しめるとき!

2014年01月27日(月)

  * 残照の中で! 「日の名残り」カズオイシグロ
<2167, 「日の名残り」読書日記 2007/03/10 >の、老執事が旅先の最後の日、桟橋で見知らずの老人と話す場面がよい!
「なあ、あんた、わしはあんたの言うことが全部理解できているかどうかわからん。 だが、わしに言わせれば、
あんたの態度は間違っているよ。いいかい、いつも後ろを振り返っていちゃいかんのだ。後ろばかり向いているから、
気が滅入るんだよ。何だって?昔ほど仕事ができない? みんな同じさ。いつかは休むときくるんだよ。わしを見てごらん。
引退してから、楽しくて仕方がない。そりゃ、あんたもわしも、必ずしも若いといえんが、それでも前をみなくちゃいかん」
 その時だったと存じます。男がこう言ったのはー
「人生、楽しまなくちゃ。夕方が一日でいちばんいい時間なんだ。足を伸ばして、のんびりするさ。夕方がいちばんいい。
わしはそう思う。みんなにも尋ねてごらんよ。夕方がいちばん一日でいい時間だって言うよ」 男が立ち去ってから
20分ほどになります。私はここに残り、いまの瞬間を ー桟橋のあかりが点燈するのをー 待ってました。~~(-。-;)y-~~.
さきほど申し上げましたが、楽しみを求めてこの桟橋に集まってきた人たちが、点燈の瞬間に大きな歓声をあげました。
その様子をみていると、先ほどの男の言葉の正しさが実感されます。たしかに、多くの人々にとりまして、夕方は一日で
いちばん楽しめる時間なのかもしれません。では、後ろを振り返ってばかりいるのをやめ、もっと前向きになって、
残された時間を最大限楽しめという男の忠告にも、同様の真実が含まれているのでしょうか。  
 ――                              
「品格の有無を決定するものは、みずからの職業的あり方を貫き、それに耐える能力だと言えるのではありますまいか。
並みの執事は、ほんの少し挑発されただけで職業的あり方を投げ捨て、個人的なあり方に逃げ込みます。そのような人にとって
執事であることはパントマイムを演じているのと変わりません。ちょっと動揺する。ちょっとつまずく。すると、たちまち
うわべが剥がれ落ち、中の演技者がむき出しになるのです。偉大な執事が偉大なるゆえんは、みずからの職業的あり方に常住し、
最後の最後までそこに踏みとどまれることでしょう。外部の出来事には ーそれがどれほど意外でも、おそろしくとも、
腹立たしくとも、動じません。偉大な執事は、紳士がスーツを着るようにー 執事職を身にまといます。公衆の面前でそれを
脱ぎ捨てるようなことは、たとえごろつき相手でも、どんな苦境に陥ったときでも、絶対にしません。それを脱ぐのは、
自ら脱ごうと思ったとき意外にはなく、それは自分が完全に一人のときに限られます。まさに『品格』の問題なのです。」
 ▼ これを書いた7年前と、色いろあった現在では、味わいが違っている。 御隠居生活という夕方では、前向きな気持ちで、
  残された時間を最大限楽しむことだ。私のように、最後は、この様な終り方で、うわべが剥げ落ち、中の演技者の生の私が
 むき出しになった状態でも、楽しみだけは充分ある。 自分に誠実にあることしか頼るすべなく、独り立ち竦み、残照で世界を
 眺め直し、湧き出てきたきた言葉は?  肯定、肯定、絶対肯定。そして、人生万歳! である。 ヾ( ̄∇ ̄=ノ バンザーイ♪ 
                       ヾ(_ _)ノ モヒトツ ヾ= ̄∇ ̄)ノ バンザーイ♪   <ー kryaΣ(´д ` メ)アホダー!!
・・・・・・
4334, 自殺者増加の意外な要因
2013年01月27日(日)
 昨日の朝日新聞に「自殺者増加の意外な要因」のレポートがあった。
去年11月に高校の同級会メンバーが自殺の知らせが入った。 何か身につまされる思いであった。
自殺については何度か、ここで書いてきた。 これから年々、歳を重ねるに従い身も心も弱り、重くなっていき、眠るように
消滅したいという隠れた願望が膨らむのだろう。世界保健機構によると、日本の自殺率は先進国で、ロシア、韓国についで、
世界三位という。豊かさからいっても多すぎる。 
自殺者の9割が該当するうつ病、アルコール依存症、統合失調症などの精神疾患、身体的障害、過去のトラウマ、
失業や経済的損失、親しい人の死亡などへの介入が、その防止につながる。
   ーこの記事をまとめるとー
 ○ 女性より男性、既婚者より未婚・離別者、有職者より無職者の方が自殺志望が高い。
 ○ 中高年で離別した無職男性と、同年代の既婚有職者とでは、約100倍の差。
 ○ 男性より女性の方が、自殺者が低いのは、世界共通。
 ○ 男女とも自殺手段で多いのは首つり。だが女性は、薬物や自傷行為などが多く、首つりは男性の三分の一。
   自殺未遂は女性の方が多く、躊躇がみられる。
 ○ 都道府県別にみると、ワースト1位が秋田、2位が岩手、3位が新潟と宮崎、5位が沖縄。少ないのが1位が奈良、
   2位が福井、3位が徳島。これらの共通点は大都会でないことと、飲酒量も関係している。飲むと衝動が高くなる。 
   また県民性もある。
 ○ 意外なのは、急傾斜地の地区の自殺率が高いこと。これは、上り下りの労力と不安定な立地が関係している?
  ここで、5つの自殺予防因子をあげている。 ゆるやかな繋がりをもった、▽排他傾向が小さい、▽援助を求めることに
  抵抗の少ない、▽「どうせ自分なんて」と思わないですむ、▽本質を見て人を評価するー住民気質が、必要。
▼ 私の身近でも自殺者が何人かいた。私も青年期に、スーッと梁に紐をかけて首を吊りそうになったことがあった。
 さほど死にたいとは思ってではない。目の前の挫折が、そうさせたというより、死神に数秒、頭が占領された感である。
 後にも先にも、こんな経験は無かった。人生は生きていればこそ、こんなに多くの面白い体験が出来るのである。
 5つの自殺予防因子といえば、この5つを兼ね備えている人が8割に思えるのは、どうしてだろう。
≪ 目先の現象に全てのエネルギーを奪われ、生きる本質を忘れ、同類の排他傾向の小さな階級社会で、「どうせ自分なんて」と
 思い悩んで、その世界から一歩外れた世界に出て交流の出来ない人 ≫ といえば・・ 全ての人? 要は、自立の問題!
 こんなに地球は面白いところなのに、何もしている、この人たち! まて、自分も? なら、「一日一生」で生きるしかない。
 ・・・・・・
3959, 閑話小題
2012年01月27日(金)
   * マイウェイ
 マイウェイのHPの内容を見ると、韓国映画で、日本に対する偏見が強いが面白そうだったので、ダメ元と見ることにした。
それが面白い。自分が、あたかも戦場にいるような錯覚をしてしまうほど臨場感がある。その上、日中戦線、独ソ戦線、
ノルマンディ上陸の場面も圧倒的な戦闘場面の連続。またシベリアの抑留の凄惨な実態をシニカルに表現していた。
この映画を本当に韓国がつくったのか、ハリウッド映画ではないかと調べたら、やはり韓国産。ただ驚きである。 
ノルマンディのドイツ捕虜の中に一人の東洋人がいた。その男は朝鮮人で、日本兵、ソ連兵、ドイツ兵として闘い、最後に
奇跡的に連合軍の捕虜として捕まった経過の設定である。
 それにしても、凄惨で、リアルで、目を背けたくなる物語だが、何故か奇跡的に助かる。 当時の日本兵の朝鮮人に対する蔑視は、
彼らからみて現在でも忘れることが出来ない屈辱感は、この映画から垣間見ることができる。戦場での人間の露な動物的な生存に対する
希求と友情が滲み出ていた。 戦争は避けるべきである。 何時も思うが、シネマがデジタル技術で格段に面白くなった。
あれだけの場面を次々と壮大かつリアルに表現できるものと感心する。そうこう考えると丁度良い時代に日本に生まれたと、ただ感謝。
  * ペルシャ湾が危ない ーイスラエルにとって原子炉攻撃の絶好のチャンス
 この時期に、イランから欧州の原油禁止に対してペルシャ湾のホルムス海峡閉鎖を警告していたが、もし実際に閉鎖の事態で一番、
影響を受けるのが日本である。 原油の輸入総量の82パーセントが、ストップするという。その場合、米英、欧州が即座に
攻撃を仕掛け一ヶ月で決着が目安。 国内には半年の備蓄があるので大丈夫だろうという楽観論もあるが、短期間に決着しないで
原油の不足と高騰が続くと日本経済は大打撃を受けることになる。それも原発の大部分が停止している現在、非常に際どい事態になる。
 とはいえ、アメリカも金融恐慌のさなか、これ以上の出費は出来ない事情もある。しかしホルムズ海峡の閉鎖は別次元である。
イスラエルにとっては原子力施設の攻撃の絶好の機会。 逆に先手爆撃の絶好のチャンスである。 この数百年に一度の大断層の時期に
何が起きても不思議ではない。 アラブにとっても、吹き荒れている動乱の目をペルシャ湾に向け、その間に、弾圧する機会になる。
そうこう考えると、ユーロ危機も重ね合わせて日々、際どくなっている。それに対し、日本の政局は内輪もめで、低次元。
・・・・・・・・
3594, 教養とは何か?
2011年01月27日(木)
  これまで、何回か教養について書いてきた。一番に納得したのは「18歳までに洗脳された思い込みから自由になるための
知識と経験の蓄積」である。 塩野七生著の「生き方の演習」の中に次のような一節があった。これも面白い。
  「生き方の演習」 塩野七生著 P−45
≪ 立花隆さんが東大で「東大法学部の学生は教養がない」と言ったら、法学部の学生たちが、「先生、教養とは何ですか」
と問い返したそうで、それに怒って、彼の考える教養とは何かを『文藝春秋』にかいたんです。立花隆さんは私の友人でもあり、
たいへんに尊敬しておりますが、やはり考えが違う時は違う。彼は「教養はまず役に立たないものである」と言っていますが、
これは、私に言わせると十九世紀的な教養の概念だと思うんです。 十九世紀というのは、ヨーロッパの有産階級ができ上がった時期。
その人たちは有産階級ですから、お金があって、家もあった。働く働かないにかかわらず裕福だったわけです。そういう人たちが、
「教養は役に立たないものである。しかし、教養は大切である」っていうことを言っていたわけです。けれど、私の関心の的である、
それよりも以前のヨーロッパへ行きますと、そうではないんです。たとえば、ルネサンス時代には、教養というものは役ところが、
ルネサンス時代は、専門の技術だけではだめだったんです。当時、フィレンツェでとくに盛んだったのが工房でした。
ミケランジェロもそこで修業しているし、レオナルド・ダ・ヴィンチも工房の出身です。だけど、その工房では、ひとつだけを
専門にやっていたのではだめなんです。そういう人は助手の助手の助手ぐらいの地位に甘んじるしかなかった。彫刻家であっても、
画家などの仕事にも通じていることが要求されたんです。というのも、彫刻でも、画家的な視点で人間を見れば、また別の見方が
できると考えたわけ。・・つまり彫刻では、建築家は、彫金家ではどんなふうにするか、とすべてを押さえると、今度、絵を描く時、
それまでと違った絵か描けると、彼らは思ったわけです。そういうルネッサンス時代の教養が、教養の原点だろうと考えるのです。
▼ 一つ穴を深く掘ろうとしたら、穴そのものを大きくするか、それなりの技術と道具が必要になる。
ダ・ヴィンチが、あらゆる分野に精通していたのは有名だが・・ 地球に何をするため生まれてきたか?の問いに、
「世界を知るため、その人しか創れないものを創ること、そして子孫を残すこと」と答えが出るが、
「その人しか残せないものを残したとしても、千年、一万年単位でみれば、泡でしかない。それを悟ることが教養」が、今日の落ち!
 ―――
3229, つれづれに ー閑話小題
 2010年01月27日(水)
  * 情報化の進展が社会を変えている
ツイッターには驚いた!と何度も取上げてきた。「これで更に情報化が進む」と、先日の朝のNHK番組「生活ホット」で取上げていた。
また、ニュースでも「最近、米や魚や酒が生産現地から直接ネットでの注文が増えていると報じていた。
我が家でも、時々「福島産コシヒカリ」などをネットで買っている。(メールの受付で知ったが)なぜ100m先のスーパーで
買わないのか? 値段と味には厳しいはずだから、「何か価値がある」のだろう。ちなみにメールによると、10キロ3400円
−ポイント400円=3000円。もう百貨店の売上げをネット売り上げが超えたが、百貨店の役割は情報基地としての商品提供。
それをネットが替わってしまったということになる。 書籍、健康食品、化粧品、ファッション品、健康機器と、我が家には
週に1〜2回は宅配が来る。 最近では宅配の人に「何時も有難うございます」と、挨拶をされる。
  * 日本航空の破綻
「日本航空」が破綻したが、10年前など考えられなかった。それが、簡単に破綻してしまったのだから、驚きである。
政治的思惑で地方の赤字路線でも運航しなければならなかったことや、日の丸日本的な体質や、職種ごとの組合など、
複雑な内部事情もあったようだ。 更に欧米のような過酷な競争が少なかったこともある。
米国の航空会社が触手を出しているが、日本政府が主導権を持って立て直すようだが?
航空会社の世界的不振は、情報化により人的移動が劇的に少なくなったこともある。大小に関わらず、何処も同じか。
  * 次世代TVの驚き
 三日前の、NHKスペシャルで、東芝が生き残りをかけた次世代TVの開発のドキュメントをみた。
 55インチの「CELLレグザ」である。開発しているメンバーが、自分でも笑ってしまうほど面白いTV。
 100万近くの値段だが、それだけの録画と、操作性と、サウンドのよさと、画面の鮮明さがある。
・8画面マルチ表示でメイン画面と、周りに7画面が同時表示が可能で、一画面で多くの情報を得ることが可能。
 (10数年前のシャープのハイビジョンTVでは三チャンネルを同時に見ることが可能だったが)
・一日分のテレ地・8チャンネルを同時録画が可能で、画像が鮮明で、音響が自動最適化をする。
 駅中のビックカメラのTV売り場の入り口近くに置いてあった。成るほど、これは今までのTVとは違う。
  で、それどうした、といえば、それでしかないが。 
・・・・・・・・
2854, 格差世襲  −2
2009年01月27日(火)
リッチ層・貧乏層アンケートの質問と、結果がシビアである。
・特に教育方針に違いが表れている。
「教育費に関しては負担を惜しむつもりはない」と高いレベルの教育を望むリッチ層に対して
 貧乏父さんは、「人に迷惑をかけない子なら成績は二の次でよい」「進路は本人の希望を優先したい」という。
 自分の5年先も見えないのに、子どもに十年先のため、勉強しろといえないから、こういう答えになる。
・ギャンブルに関する回答も興味深い。事業ではリスクを負うことを辞さないリッチ層がギャンブルには興味を示さない。
 それに対して貧乏層は一攫千金を夢みて、各種のギャンブルの体験を持つ傾向が強い。
 事業というリスクにさらされている者にとって賭け事に興味がなくなるのは当たり前。 日常がギャンブルだから。
 事業などのリスクの少ない人は、スリルをギャンブルで経験をしたくなるのも人情。
・好きなTV番組では、お笑い番組が好きな非正規ジュニア、スポーツ好きな貧乏父さんの姿が炙り出される。
・現在の階層・格差社会に対する見方は、貧乏層は「階層化しつつある」という方で、格差逆転の機会の平等も
 機能してないと答えているが、リッチ層の三分の一が機会平等が存在していると見ている。
 今度の恐慌は、格差も含めて勝ち組とかも淘汰することになる。社会主義経済の実験で現れた「総下層社会」である。
 インドのカースト制度では下流とはいわないで、下層という。固定化して、それに対して問題意識も無い社会。
 ところで堺屋太一の寄稿 ー「健全な格差」とは何かーで、日本を覆う三つの格差を取り上げていた。
・1つ目は、親の顔 ー人脈格差
・2つ目は、正規社員と非正規社員、つまり大企業や官公庁の組織に入り込んだ「職縁人」と、そうでない「無縁人」職縁情報格差。
・3つ目は、東京圏と、その他の地方の間の差別。今や日本は、東京の千代田区と港区に集中した「出島」からしか情報が入らなくなった
不便な社会になってしまった。  (字数制限のためカット 2012年1月27日)
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2008年01月27日(日)
 2489, 無くてはならぬもの          ぉl£ょうヽ【・ω・】ノ
  佐古純一郎著 「無くてはならぬもの」
二十代半ばに挫折感に陥り、魂が放浪していた時に貪るように読んだ本を38年ぶりに手に取ったみた。
そして、その内容が現在でも自分の心の底に焼きついていることに驚いている。著者はプロテスタントの牧師で、
キリスト教の教えが底に流れているが、人生を如何に生きるべきかを理路整然と書いてある。
現在読んでも、そのまま通ずる内容である。それぞれの章ごとに印象的なところを書き出しながら、
昔に舞い戻ってみたい。 まずは当時、傍線をひいてある箇所をうつしてみる。
  P−19 近代の思想は、ほとんど独白という姿勢からなされてきた。ようするにひとり言である。
みんながめいめいに、自分勝手にひとり言をいっている。そこでは、本当の意味で、交わりの生活を
作り出さなければならない。独白は創造しない。対話の中からのみ創造ということがはじまるのである。
対話とは何か。それは、人格と人格との出会いの姿である。人格と人格との出会いのないところに、
対話の成り立ちようがないのである。自己を主張する前に、他者の言葉に耳を傾けることである。
私たちの生活では、家庭においても、職場においても、あまりにも、対話の生活がなさすぎるのではないか。
  P−23 サマーセット・モームのような人生をおもしろおかしく生きる道を選ぶか、意味のない現実をつくりかえて、
人生の意味を創造していく道を選ぶか、人生には二つの生き方がある。あなたはどちらの人生を選ぶのであろうか。
私は、意味の創造に自分のまずしい人生を捧げていきたいと思う。意味のない人生に意味を創造していくことこそ、
私にとって生きることの意味だとはっきり自分に向かって言いきかせたいと思うのである。
  P−112 私は人格としてつくられている。それが、人間の条件の最も大切な要素なのである。私の人生は
私のほかには誰も代わって生きることは不可能なのである。だからこそ私はひとりなのである。孤独な存在なのである。
  P−196 世界に何億という人がいようともこの「私」はたったひとりしかいないのであり、それは絶対に誰かに
代わってもらうことはできない、つまり「私」という人間に、代用品はきかないのだ、ということなのである。
(字数制限のためカット 2012年1月27日)
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2007年01月27日(土)
 2125, 顔筋マッサージ      (~Q~;) おはよう〜〜ファ〜        
先日の中学校の同期会の二次会の写真を見て驚いてしまった。飲みっぱなしと、久々に同級生に会って気が緩んでいたのも含めて、
弛みきった初老の顔が、そこにあった。ところで、ある雑誌に代議士の加藤紘一の手記に「顔筋マッサージ」があった。
 −その概要といえばー
   (字数制限のためカット 2011年1月27日)


4700,閑話小題 ーシネマの観客は、私一人!

2014年01月26日(日)

   *  映画館貸切?の念願成就!
映画館を、一人貸切ってみたいと思っていたところ、奇しくも、その思いが成就した。 
一度、上映の直前まで一人だったが、数分前に5〜6人が入って来てガッカリしたことがあったが・・
一昨日は、4〜5百人の会場に私が一人だけ。 その感想は、映画に集中できるのがベスト。
内容は、宇宙もの『エンダーのゲーム』で、期待してない分だけ、面白かった。若者のゲームの物語に
参加して、手軽に自分の枠を超えて宇宙に開放される感覚がよい。一晩、飲みに出歩いたと同じぐらい?
とすると、一割以下のコストは価値がある! 
   * 近所の喫茶店
 二度目になるが、一昨日の午前中、近くのチェーン店の喫茶店『米田コーヒー』に行く。
一〇時過ぎから一時間半いたが、11時まではトーストと卵がサービスでつくためか、広い店内は満席。
何か落ち着くのは何だろう? ほぼ老夫婦か、中年女性づれ。それが昼飯かわりになって夕方まで腹持ちがした。
 100席+別席で150席。値段は400円なら、価値がある。コーヒー・パンレストランという風。
   * ウィリアム・ブレイク の以下の詩が良い!   ー『無垢の予示』より         
 人の定めとしての喜びと傷心、希望と絶望、幸と不幸・・
 まさしく、これらを「正しく知ったとき」、私たちはこの世を無事に進んでいけ⬅️る。             
  ――                             
 一粒の砂に世界を見/ 一輪の花に天国を見る/ 
 手のひらに無限を/ ひとときに永遠をつかむ

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4333, 自己とつきあうということ −3
2013年01月26日(土)
                   「自己の探究―自己とつきあうということ」和田 渡 (著)
   * 自己の主題化とは、変化する自分を距離を置いてみる自分を見つめること!
≪ われわれは万年筆や鉛筆といった事物と異なり、不断に生成し続ける存在であり、同時にその途上にあって、
しばしば自己へのかかわりを課せられるような存在である。われわれは、事物や植物や多くの動物のように自己の存在を
意識することなく生きることはできず、自己や自己の生にかかわりをもちつつ存在することを余儀なくさせられるのである。
年齢的な変化とそれに伴う生成の途上で、自己に関連することで言えば、自分がどのように変化しているのかを問うこと、
自分がどのような位置にいるのかを確認すること、自分がどのような方向に進めぱよいのかを探ることなどは、誰にも
避けられないであろう。
 自己が自己を問うということは、自己をひとつの問題として意識することであり、自己のなかに問うに値するものを見いだす
ということである。それはまた、自己といった課せられた問いとして積極的にひき受けることでもある。そして、その問いを
実りあるものにするためには、自己のおかれている状況や変化に対して注意深く見つめていなければならない。
 自己の主題化とは、状況のなかで変化した、あるいは変化しつつある自己の姿を一定の距離を置いて何度も眺め変す試みである。
しかし、それにとどまらず自己の変化を観察する自分自身をも距離をおいて捉えなおす試みでもある。自己が生成の途上にある
かぎり、この試みは何度もくりかえされ、そのつど異なった自己の姿があらわれてくるであろう。・・・ ≫
 ▼ この随想日記の楽しみは露悪的、自虐的に自分を曝け出すことである。それは、自分を上から目線で見つめることになる。
  それを続けていると、書いた数年後に、上から目線の自分を、さらに上から見ることが出来るようになる。 だから、
 自虐をしている自分を見下している己もまた、自動的に見ている自分が出来ている。毎年の同月同日に、10数年分の、
 これを毎朝、読み返している。その時々の視線と視点が、デズニーのキャラを見ているようで、それがまた面白い。
 それは自分自身だけでなく、その対象にした人、出来事をも上から目線でみることが出来る。だから、極限の喜怒哀楽の
 現象も、冷静に再体験することが出来る。 晩年に、多くの人が自分史を書くのは、自分の人生を主題とした物語として、
 書き残すため。他からみたら大したことでないが、本人からしたら人生は自分がヒーローである。 変化する自分を予め
 物語としての粗筋と、生きる指標を決めておくとおかないで大きく違ってくる。最期は、‘面白かった!’と実感できるかだ。
・・・・・・
3958, 他人を責める「新型うつ」について ー4
2012年01月26日(木)
    * 「他責的」な新型うつの病理
 ー 次の部分が、「新型うつ」の病理を解明しているー
≪ 大衆にある「よりよく機能したい」という欲望を満たしてくれるかのような幻想を覚える「ハッピードラッグ」を求めて、
医師のもとを訪れる消費者、いわば「抗うつ薬信者」ともいうべ患者が増えたのである。なぜ、この欲望はこんなに強くなったか?  
まず、消費社会が購買意欲をかき立てるために「あきらめるな」「すべて可能である」といったメッセージを送り続けた結果、
あきらめきれない人が増えた。断念せずにすむ手っ取り早い方法が開発されたことが宣伝されればされるほど、以前であれば
あきらめを受け人れざるをえなかった人も、あきらめきれなくなった。 とりわけ、「こうありたい」という自己愛的イメージに
とらわれている人ほど、「自分はこんなもんじゃない」という思いが強いので、自分を「底上げ」してくれる手段にすがって、
あきらめを何とか回避しようとする。当然、自己愛の強い人ほどあきらめきれないが、現在、こういうタイブが増えている。
 少子化の影響もあって、子育ての失敗が許されなくなり、親の期待がもろに子供の肩にのしかかるようになったからである。
親の期待とは親の自己愛の再生にほかならず、敗北感や不全感にさい悩まれている親ほど、自分自身が放棄せざるをえなかった自己愛を、
よりいっそうわが子に投影する。 子供は、親の期待に応えなければ愛してもらえないと肌で知っているので、親から投影された
自己愛を引きずったまま成長していくわけである。子供が多くの時間を過ごす学校という場で、自己愛的イメージを徐々に断念させて
現実の自分を受け人れさせる、つまり「身の程を知る」ようにさせるシステムが機能しているかというと、現状は正反対。
何しろ、「やれぱできる」「誰にも無限の可能性がある」といった類の幻想を盛んに吹き込んでいるのだから。
こういう幻想を吹さ込まれ続けて「なりたい自分」のイメージだけが肥大していくと、現実の壁にぶつかって自己愛的イメージと
現実の自分のギャップに直面したとき、ふくらむだけふくらんだ自己愛の風船をどうやってしぼぽせたらいいかわからず、
落ち込んでうつになる。おまけに、現実の自分が「これだけでしかない」のは、オ能、努力、意欲が足りなかったせいなどとは
決し思えない、いや思いたくないので、他人にせいにして責める。これが「他責的」な新型うつの病理である。≫
 ▼ 私も八人兄姉の末っ子で、両親から特に大事にされ育ったため、心のどこかで常に親の期待に答えようと意識していた。  
  青年期は、その葛藤の中で常に、「自分はこんなものじゃない」と、自分の「底上げ」を心掛けていた。27歳で父が亡くなった時、
 創業の激務もあったが、何かから解き放たれたような気持ちがあった。 当時は高度成長期、誰もが坂の上の雲を目指していた。
 先日、青年期に読んだ「精神論」について書いたが、「誰も無限の可能性がある」の刷り込みだったか、右上がりに必要だったのか?
 偶然だが、下記の去年の文章が関連している。 アメリカそのものが、深刻なノイローゼである。
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3593, 誰も書かなかったアメリカ人の深層心理  −1
2011年01月26日(水)
  「誰も書かなかったアメリカ人の深層心理 」 加藤 諦三 (著)
 普段、マスコミなどから受けるアメリカと、著者が、ここで述べている内容とは大きな隔たりがある。
 度々、アメリカに滞在した普通の目線で平均的なアメリカ人を描写し、合せ鏡で日本人を見ている。
 日本人が誤解しているアメリカ像が、現在の日本社会を疲弊させているという論には納得する。
  ーアマゾンの内容紹介よりー
 なぜリーマンショック後、平気で多額の報酬を受け取ろうとするのか?  アメリカ人は、本当は何かを考えているのか。
 経済格差の国・アメリカと、幸福格差の国・日本。 世界一楽観主義の国・アメリカと、悲観主義の国・日本……
 長年、アメリカ・ハーバード大学で准研究員として活動を行ってきた心理学の第一人者の著者が、
 そのベースにある彼らの宗教観や家庭観などから紐解いて、初めて綴った目からうろこのアメリカ人論。
 〈レビュー1〉 この本ではマスコミなどで流布されている米国像とは異なる、米国の一般の人々の社会における価値観、
  その元になる宗教、特にプロテスタンティズムについての考察を通じて、日米社会の違い、さらには現代の日本が抱える最重要課題、
 日本における人々の社会への不信感について論じている。そうした不信感が人々のきずなを失わせ、米国とは大きく違う日本社会に
 米国流の競争システムを導入する問題を指摘している。実際、この10年で大きく日本社会は壊れてしまったのではないか。
 では日本における心の問題を社会レベルでどのように解決していけばいいのだろうか。著者は宗教の重要性について述べているが、
 日本では宗教は儀式化しており、生きる知恵を授ける存在になっていない〉 
▼ 著者は、ここで哲学者のアドラーの言葉を借りて、アメリカの金融資本主義者の殆どが深刻なノイローゼ患者という。
 そのほんの少しの患者を、一般のアメリカ人と解釈するのは間違っていると。 彼等は子供のときからスポイルされ、
幼児の頃から他人のなしとげたものを如何に搾取するかの訓練が出来ている。そして、そのノイローゼ患者は、大衆に影響を与える。
この人たちが、心の基準のない日本人に与えた影響は深刻である。日本人が経済的豊かさにあるに係わらず、幸福と感じないのは
「心の基準」を見失っているからでないかと指摘する。人が社会性を生み出すのは、カレン・ホルティのいう「積極的感情」である。
それが日本になくなっているのが、現在の日本であるという。日本の少子化と高齢化もあるが。      ーつづく
・・・・・・・
3228, フリー −5
 2010年01月26日(火)
 「フリー <「無料」からお金を生みだす新戦略>」 クリス・アンダーソン著  
 * フリーワールド ー誘発された陳腐化ー  (p271)
≪中国では、不正コピーが音楽消費の95パーセント占めているといわれる。といって、ミュージシャンは動じない。
 彼等は多くの人が聞いてもらえるほど、そのコンサートツアーのギャラが高くなるから、別に困らない。
 困るのは音楽会社だけ。経済学には「海賊版パラドック」という用語がある。ファッション業界を下支えする
 根本的なジレンマから生まれている。 つまり、「消費者は今年のデザインを気に入らなければならない。
 そのうえに、直ぐにそれに不満を持ち、翌年のデザインを買いたいと思う必要がある。技術商品と違って、
 アパレルメーカは翌年の製品が優れているとは主張できない。 見た目が違うだけである。
 そこで、消費者に熱を冷まさせる理由が必要となる。その解決策は偽物が多く出回ることで、高級だったデザインが大衆向けの
 コモディティになることなのだ。そうすると、そのデザインの神秘性が失われ、目の肥えた消費者は
 何か特権的で新しいものを 探さなければならなくなる。これが「誘発された陳腐化」と呼ぶものである。
 コピー商品の登場で、そのファッションが流行に敏感な人のものから大衆のものへとすばやく移り、
 敏感な人は何か新しいものを見つけなければならない。中国では敏感の人とは。新興の富裕層と、中流階級で、
 10億の大衆はまだ、その偽物を持つことで高級品の市場に足を踏み入れたばかりである。
 本物と偽物の異なるセグメントをターゲットにし、互いに相手の役に立っている。≫
▼ 偽ブランド品はメーカーにとって不可欠な存在だったのだ。「偽ものが出回るほど、 
 一般の人が憧れる商品としての価値の 証明になる」上に、更に「誘発した陳腐化をうながしてくれる」。
 悪役が善玉を引き立ててくれる上に、善玉の次なる善行を引き出す役割になっている。
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2853, 格差世襲  −1
2009年01月26日(月)
 ー 貧困とは溜めのない状態 ー
格差について、一昨年の今時分に(2007年01月25日(木)階級社会ー不平等社会を考える)で取り上げたことがある。
他にも読書日記で幾つかの本を取り上げた。ところが先日、図書館で半年前の08年8月30日号「週間ダイヤモンド」を見つけた。
 ー「下流」の子は下流? 格差世襲 ー の特集である。
普段の会話ではタブーに近い内容が次々と出てくる。格差といえば差別である。自分が上位に立っているときは何とも感じないが、
下位にたたされて差別で屈辱を経験した時に格差社会の実態を知ることになる。 差別からくる屈辱は傷になり、
恨みは何時までもまとわりつく。般若の面は差別の屈辱に対する怒りの顔。この特集では、いろいろな視点から格差を調査しているが、
・「育った家庭によって、機会の不平等が生じている」という「格差世襲」の残酷な調査結果を示している。
・「まるで溜めのない貧困層」、それに対して「溜めに包まれた富裕層」「貧困とは‘溜め’のない状態」と現実は教えてくれる。
その典型が何も考えない若い人の成り行きの「??婚」。何の経済的な裏づけのない人たちの結婚である。
ここに夫婦格差が生まれる。 その子どもには両親以上の教育が施すことなど、出来ようがないのである。
その結果、下流の子は下流になるしかない。「溜めのない貧困層」といえば、大阪・堺市の生活保護受給者の四分の一が、
親の世代も生活保護を受けていた。母子家庭にいたっては、四割が‘生活保護二世’。また母子家庭の26・4パーセントが
十代の出産を経験。まさに貧困の連鎖の構図がここにある。 逆に溜めのある人は、溜めのある人と群れるケースが多くなる。
一例として最近、医者同士の結婚が多い。 女性が医学部に多く進学するようになった結果である。
また医者社会での結婚のチャンスも多く、二人の給料の総額は莫大になる。1995年以降に自分でのし上がってきた
ベンチャー経営者や、専門職を中心にした新世代の富裕層は、お金より自分の知恵や経験を子どもに相続させたいと考えている。
多額のお金を相続させるより、子どもの教育に金の糸目をつけないのが特徴。無形の財産を与えることで、子どもにも自分の力で
成功を勝ち取るように教えている。「地位獲得競争ゲーム」に、無形の「出来レース」を与えていることになる。世界の億万長者の
トップのビル・ゲイツ、ウォレン・バフェットとも、資産は子どもに残すことをせず、大半を寄付をすると公言。 − つづく
ーーーーーーー
2008年01月26日(土)
2488,  iMacの感想!         ○( ̄ ̄ ̄ ̄o ̄ ̄ ̄ ̄)○ おっ W( ̄ ̄ ̄ ̄∇ ̄ ̄ ̄ ̄)W は〜♪
 Mac製品の売り場を何度か通って、何時かは使ってみたいが何か壁があった。 それは外国メーカーと、少数派の壁だったろうか、
それとも周囲に一人も使っている人がいなかったため? だったのだろうか。しかし、今度思い切って買ってみた。  
   (字数制限のためカット 2012年1月26日)      
ーーーーーーー
2007年01月26日(金)
2124, 死んだ人に、もう会えない?               <(_ _)> おはようございます!
 義母が昨年の12月01日に亡くなって、もう49日以上が過ぎ去った。家内を慰める言葉として、哲学者のエピクロスの
「<われわれ>が生きているとき、死はそこになく、死がそこにあるとき、<われわれ>は生きてはいない。だから死はわれわれに
何のかかわりもない・・」の意味を説明し、補足として、「一人称の本人の死は存在しないし、三人称の死は他人ごとでしかない。
二人称の死も実際のところ本人じゃない。死に慌てている、そして死に対し無知な自分がいるだけ。死はあくまでも他人の昇天と
周囲の悲しみを見て感じつくりあげた観念でしかない。 実際は死んではいない」といったところ、家内「でも、会うことが
出来ないじゃないか」と素直な気持ちを吐露した。 それに対し、スラスラ出た言葉が、「でも、それはこれからのこと。
唯心論じゃないけれど、思い出の中で会える。自分の大部分は過去で出来ているし、過去は都合の良いように変えることも出来るが、
間違いなく存在していた。その存在こそ絶対であるし、消すことも無くなることもない。 もし死んだとしても、実は死んではいないし、
もう会えないということより、母親その人と会えたことの方が奇跡だし、その方を考えた方が良い。悲しいのは解るが、死とは何かじっくり
見つめ学ぶ機会と考えた方が良いんじゃないか」悟ったような答えであったが、考えてみたら哲学者の池田晶子の言葉のうけ売り言葉。
 しかしスラスラと出たのは事実。『死』は人生の最大の関心事である。それも自分の母親の死は自分の死を考える機会になる。
両親が亡くなって、その直後の数ヶ月を過ぎてからは寂しい思いはなかった。亡くなることによって心の中心に深く住むようになった。
そして心の底から感謝ができるようになった。しかし、これは義母−二人称の死の話だが、実は自分のことでもある。
まさに死そのものより、「現在、いまここ、にある自分の存在」の意味と同じことをいっているのである。死を考えるということは、
自分が「いま・ここ」に、そして生きてきたことの不思議を考えることである。 亡くなる=無になるということは有り得ない。
「無にどうしてなるのか? 無いものに成るなど、ありえないこと!」全くそのとおりで疑う余地は全くない。
それが存在することの不思議につながる。「何故いま・ここに、自分がこうして存在しているのだろうか?」不思議で不思議で、
まずそこから出発しないと・・存在とは何か?そして、その消滅とは?       ☆~~ヾ・ェ・)o尸~ マタネ~♪
  ・・・・・・・・・・・
2006年01月26日(木)
1759, 閑話小題       (●′∀`)σ )Д`○)★Ohayou☆
  ー新手のおれおれ詐欺?ー
  ーうそー
(字数制限のためカット 2012年1月26日)   


4699,末期がん、その日のための予習を ー2

2014年01月25日(土)

                ー「末期がん、その不安と怖れがなくなる日」樋野 興夫 (著)
  余命の期間を宣言された瞬間から奈落の底に突き落とされ、独り悶えることになる。そこで医師による患者に対する
「心の処方箋」が、この第一章にある。人は言葉によって救われる存在。 その目次の小テーマそのものが、要約された
救いの言葉。知っているかどうかが大違い・・ 三冊の愛読書と、iPodと、好きなDVDの用意か?  シリアス過ぎる? 
   第一章 がんとの賢い暮らし方 の目次より
・日本人の2人に1人がかかる国民病  ー「よりによって自分だけが!」でなく、丁か反の確率と割り切るしかない!
・がんになっても天寿はまっとうできる ー「ガンで死なない時代」。遅らせ、天寿を全うすると割り切るべし!
・がんの不安とともに暮らす時間が増えていく ー長生きの負の部分と割り切るしかない!
・人間関係の悩みは病人も健康な人も同じ ー病気の悩み、家庭内・職場での偏見は、健康体でも同じと割り切るべし!
・10の悩みを0ではなく7に減らす ー所詮ゼロにするのは無理なら、少しでも減らす算段を!その差は大きい
・不安解消には「がんを忘れる」こと、「がん」の優先順位を下げる ー好きな音楽を聴く、iPodなど準備をしておく
・柔軟性は強さ、頑固は脆さ ー泣いても笑っても同じ空と、心を柔軟に
・「目下の急務」がわかれば不安はなくなる ー言残すことなど、書き上げるなど・・
・未来でも過去でもなく「いま」を生きる ー分からない未来より、目の前にある「いま」を大事に生きる
・いい思い出は、いまの活力 ー原点に帰ることで、今を整理する
・「今日が人生最後の日」と思えばいい ー健康人も、毎日を最後と生きれば、怖れは減る
・死ぬのは確実、いつ死ぬかは確率 あいまいなことは、あいまいに 罰が当たったと思う必要はない
                                       !!(ノll゚Д゚llヽ)  (ノД\lll)コワ!
・罰は荷物として背負っていけばいい ー意外な落とし穴が、過去の後悔と自責の念・・ 
・発症するとはかぎらない「遺伝性のがん」 ー40歳前半で家系が全て死んでしまう人の話、ところが当人は!60過ぎ
・「がんの家系」にまつわる誤解 ー食事など環境要因のガンが7割、その他が3割
・がんも「個性」のひとつ ー 一律に考えないこと 自分自身の内と割り切る    (人 *) 南無阿弥陀仏!
・不安や怒りは他人との比較から生まれる ー自分一人の問題 
・「看板かじり」は精神的に脆い ー勤め先の肩書きだけに生きないこと。 別のライフワークを持つべし
・衣食住が足りればそれで良し ー勤めていたら閑職に甘んじるべし 割り切るしかない
・顔を変えれば世界が変わる ー悲観した顔は他人に見せない。感謝の気持ちで第三者に接すれば顔は変わる
・「大好き」の気持ちは強い武器 ー医者や患者に、まず大好きという気持ちを持つこと、その前に現状の肯定を
・人間関係は鏡のようなもの ゴールまでが見通せないこともある
・ふまじめも、きまじめも「ほどほど」がいい                ぁゎゎヽ(ω゜`;ヽ))((ノ;´・ω)ノぁゎゎ
・ネガティブな状態からいつ抜け出すか ー良かった思い出の領域にいるよう意図的にコントロールする
・人生いばらの道、にもかかわらず宴会 八方塞がりでも天は開いている ー地球見学に来て、そろそろ元に帰還するだけ!
▼ いずれ誰にも訪れる死神、上記を心がけて、独り静かにプッツンと逝く。そして、生ゴミ。 さほど遠くない近未来に
 これを真剣に読み返す時期が来ると思うと凍りつくが、とはいえ、最優先すべき知識である。 ((((;゚;Д;゚;))))カタカ㋟
・・・・・・
4332, 自己とつきあうということ −2
2013年01月25日(金)
                 「自己の探究―自己とつきあうということ」和田 渡 (著)
  定年退職や失業などの節目で、戦略的引きこもり、良くいえば自己に沈潜することが重要になる。現在の私が、そうである。
 枝葉を切って根を養う時である。特に老木は必要としない枝葉を思い切って落とさなければならない。戦略的退却と判断したら、
 果敢に決断、実行すべきなのが人生である。そして、人生を振り返り、己に沈潜すべきで、それから逃げては、人生を狂わせる。
   * 自己への引きこもり ー人生の戦術的退却と沈潜ー
≪ スペインの哲学者オルテガ(1883〜1955)は、自己へと向かう姿勢を重視した。「自分自身への戦術的退却や慎重な思索なしに、
 人間的生は不可能である」。彼は、人間は、しばしば自分から疎外されて、自分が信じているもの、忌み嫌っているもの、大切な
ものがなにかを見失ってしまう危険にさらされていることを指摘した。 われわれひとりひとりは、唯一にして他に譲り渡すことの
できないところの自分自身でなくなるという危険につねにさらされている。オルテガは、そうした自己喪失から人間を救うのは
戦略的に自己へと撤退すことだと見なし、それを「注意力の転換」、「内部への注目」、「自己の内部に引きこもること」といった
言い方で示した。 しかし、彼が、「自己疎外」との対比でくりかえし言及したのが「自己沈潜」である。
 それは「自己に沈潜する能力、われわれの朽ちることなき深みに静かにひきこもる能力」を意味する。とはいえ、自己の内部への
沈潜、撤退によって、他人や外界とのつながりを断ち切ってひきこもってしまうという姿勢が強調されているわけではない。
 ひきこもるのは、「周囲についてのわれわれの考えを検討し、そして戦術を練るために一時行動を中止」するためである。
われを忘れ、自己を疎外された人間のふるまいは、しばしば「ばかげた態度」や「愚行」を招きやすく、「理にあわない別の態度」
へと波及するがゆえに、その連鎖を断ち切るためにこそ、沈潜が必要とされるのである。 ・・・オルテガの言う、「自分自身の
孤独の深みにひんぱんにひきこもらなければならないという義務」はほとんどはたされていないであろう。戦略として内部に向かう
態度、自己に沈潜する態度を保持する人より、自分以外のものに拘束され、外部へと結びつけられた態度の内で生きる人が圧倒的に
多い現実のなかで、両者の見解は時代錯誤的なものに見えないではない。 しかし、生のさなかで、生を感受し、生を考えて生きる
ことの楽しさを味わうことを求めるとすれば、この考え方から学ぶべきことは多いであろう。 ≫
▼ オルテガが、「自己疎外」と「自己沈潜」と対比しているところが分かりやすい。自己疎外は自分と折り合いがつかない
 状態で、自己沈潜は自己疎外による愚行を避けるために、戦略的に一時期に自分を閉じてしまうことである。そういえば、
 私の午前中の時間の使い方がそうだ。明らかに独りになり自分の世界に沈潜している。午後からは、シネマやTVで映画をみたり、
 スポーツジムに行ったり、SCで買い物をしたり、図書館で本を読んだりして、外界に触れるようにしている。砂時間沈潜でしか
 ないが・・ 社会という森林の中の、一本の木(事業)から離れ、自分自身に撤退し、自己沈潜をすることは、人生の義務である、
 とすると、身に沁みて理解できる。成るほど、独り部屋で、音楽を聴いたり、ネットサーフィンをしたり、随想日記の下書きを
 している時間が至福に思えるのは、その義務を楽しんでいるため。 社会から自分独りの世界への撤収、そして沈潜だが、浅い。
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3957, 他人を責める「新型うつ」について ー3
2012年01月25日(水)
   * うつ病患者と自殺の異常増加の原因とは    ー日本の論点2012ー 他人を責める「新型うつ」片田珠美
 このレポートで「増加の一途のうつ病患者」について、次のようにある。
≪ 国内のうつ病の患者数は、1996年には43万人程度だったのが、2008年には100万人を超え、いまや15人に1人が、
生涯に一度はうつ病を経験するという。うつ病の増加は、日本だけでなく世界的な傾向である。1970〜80年にかけて
おこなわれたコロンビア大学による世界各地の疫学調査では、北米.西ヨーロッパ、中東、アジアなどの各国すべてで、
うつ病が増えているとの結果がでている。アメリカでは年間2000万人がうつ病にかかり、全米保健統計センターの調査で、
1994年には2万人程度だった子どものうつ病が、03年には80万人と、なんと40倍に増加したと報告されている。 ・・・≫
 ▼この異常の増加には、製薬会社の陰謀?があるようだ。DSMという米国流診断基準が大きく影響しているという。
「うつ病とは何か」を考えることをいったん止めて、「うつ病とは、これこれといういうもののこと」と勝手に定義をして、
その基準にあわせて、それまで病気でないものを、どんどん、「うつ病」に仕立て上げていった。要するに、うつ病の基準を広げて
裾野が広まったための増加である。 それと時を同じくしてSSRIという抗鬱剤の新薬が販売された。 ちょっとした落ち込みでも
「うつ」でないかと、直ぐに受診する人が増え、この薬を飲む人が急増していった。「うつは心の風邪」というキャッチフレーズは、
この新薬の発売にあわせて広められたもの。 しかし、この薬が普及するにつれ、自殺者の数が爆発的に増えていった。
実は、この薬は自殺念慮を惹起させる副作用があるという。また、イライラや攻撃性が強くなる作用があるという。ある温和な人が、
突然、狂ったように人の陰口をいっている現場を見たことがあるが、あれは薬の作用だった?とすると、納得する。
ハッピードラッグの副作用も、一つ間違うと大きな挫折を伴うことになる。 私も何人もの身近の人に、気楽に通院を勧めていたが、
ハッピードラッグの副作用までは知らなかった。合法的とはいえ、ドラッグはドラッグ。 考えてみれば酒も一種の麻薬の類。
これもハッピーウォーターになる。 疲れや心を癒すが、一つ間違えればアル中。 うつを和らげるが、身体に蓄積していく。
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3592,  閑話小題 
2011年01月25日(火)
  * ワールドカップとオリンピックの差
「日本人は、ワールドサッカーとオリンピックの差がわかってないのでは?」と、塩野七生。
オリンピックは建前としても、素人の戦い。それに対してワールドサッカーは、選ばれし金稼ぎのプロが国の名誉と、
自分の商品価値を上げるために死力を尽す。勝ち上がらなければ、何の価値もない。この辺のところが日本人には
分かってないので、マスコミの報道に首を傾げるという。見ている方は、それを肴に盛り上がりゲームを楽しむ。
しかし日本のマスコミも国民もオリンピックの延長上で論じていているから、奇妙なことになる。
勝てば官軍、負ければ敗軍になって当然である。オリンピックも銀銅をなくし金一個にしたら盛り上がりは違ってくる。
それが出来ないところが、ワールドカップとの差。 今夜は日韓戦があるが、何?は覚悟が違う。
  * ところ変われば、意味が違う
(字数制限のためカット 2012年1月25日)
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3227, フリー −4
2010年01月25日(月)
「 フリー <「無料」からお金を生みだす新戦略> 」クリス・アンダーソン著  
 * 数百万点の中古品をタダで提供
  ー以下は、この本でフリーサイクルを紹介してある文章であるー (p249)
≪ すべては1台のベッドから始った。2003年の春にアリゾナ州トォーソンに住むデロン・ビールは、地元の慈善団体にベッドを寄付を
 しようとしたが、衛生面で問題があるということで拒否をされた。 そこで、彼はゴミを減らすために、フリーサイクルを立ち上げた。 
・不用品を売ったり・ゴミ捨場まで持っていくのがいやの人と、
・物を欲しい人を結びつけるサイトである。このフリーサイクルのサイトは非営利で、グーグルによるスポンサーバーを僅か
 置いているだけの広告収入から、ささやかな予算で運営されている。(14万ドル)
 地元のヤフーグループの仲介者に自主的に組織されたヤフーグループによって運営されている。
 会員になりたい者は、200文字以内の会員になりたい動機を記さないと会員になれない。
 一たび会員になると、沢山の無料のモノがまっている。 革製のソファーとか、テレビ、バイクなど。
 贈与経済は以前からあったが、それを広めるためにウエブほど効果的なプラットフォームはない。
 2008年には590万の会員が一日2万点を寄付して、合計800万点になっている。 ≫
(字数制限のためカット 2012年1月25日)
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2852, チベット旅行記 −3
 2009年01月25日(日)
  この旅行記の中では、仏教の真髄を説いている部分がある。
  究極のところで仏の教えを試される場面が何回も出てくる。宗教は生きていく上で必要条件である。
 * 白巌窟尊者との大問答
尊者「いろいろな困難をしてまで何でラサにいかれるのですか」
 慧海「仏道の修行をして一切衆生を済度しようというため来たのです」と
  実際的な問いをはずして形而上の仏教的な答えをした。すると
尊者「あなたは何の原因で済度するのですか」
 慧海「何も私には原因はない。衆生がいろいろ苦しみを受けているからです」
尊者「それではおまえは世の中の衆生というものを見ているのか」と言って、非常に理想的な問いを
  発したので、私も理想的なオウム返しをしてやった。
 慧海「我に我なくして、どうしてこの衆生を見ましょうか」と答えた。
  次に尊者はあの賊に会った時の私の気持ちを尋ねて、
尊者「盗人を憎いと思ったか・・・・、盗人が去った後で彼等を憎み、呪法でも唱えて仇を帰すようなことをやったか」
 慧海「私に取られるべき原因があってあの盗人に取られたのですから、彼等を憎む必要はありません。
  私がこのような不幸な目に会う原因を持っていることこそ、むしろ憎むべきです。私は借金返しを出来たことを喜んでいます。
  だから呪術をかける必要はありません。どうかあの男も私のものを取ったのを因縁として、この世で出来ないとしても、
  あの世で真の道に入って、立派な人間とも菩薩ともなるように祈ったのです」と言うと、
尊者「それはもっともだが、これから賊に会うかもしれないから、ラサに行くのは止めておいた方がよい』と、言ったので、
 慧海「私はそんな曖昧なことはできません。目的のためにはどんな方法を執るべしという事には、同意しかねます。
   大日経には方便すなち究境なりといいます。誠実なる方法を実行することで、目的そのものとして
   一切万事誠実なる事のみを行う。その結果として目的が達せられるということになるのです。」
尊者「どうも妙じゃ、必死の恐れがある道を選ぶより、安全なネパールへ帰るがよい。お前が必ず死ぬことが見えている」
 慧海「しかし私は死ぬことを知りません。生まれてくることも知りません。ただ誠実な方法を行うことを知っているだけです。」
   と答えると、尊者は俯いて考えていたが、たちまち話を変えた。・・・・・・・
 ▼ 出立の時に、十分すぎるほどのお金と食料を尊者は慧海に与える。この問答で尊者と慧海の底知れない
  大きさを感じ取ることが出来る。 事上練磨で仏の教えが深まっていく一例である。 
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2008年01月25日(金)
2487, 不動産は値下がりする!            オハ*ヨΘ!!。_゜ヽ(*´∀`)ノ゜.:。  ー読書日記
 『不動産は値下がりする!』 江副浩正著(中公新書)
知人に借りて目を通して、直ぐにアマゾンで(中古本だが)発注した本である。地方にいると都会の不動産の生の情報は
殆ど入ってこないので、山の手線沿線の超高層ビル群の実情を興味深く読むことが出来た。それもリクルートの創始者の
江副浩正なら、一言一言が響いてくるのは当然のこと。東京の不動産事情を江副というブランドの目を通した講義録とみれば、
これほど面白いものはない。私自身は、新築不動産を購入するならマンションより一戸建てを選ぶ。それぞれ価値観があるから、
一概にどっちらがよいか括れないが、買った瞬間に、その価値は6〜7掛になる。3〜4割が業者の荒利になるからだ。
(ちなみに、ファッションや貴金属は三分の一、10分の一もある?)一戸建ての場合は、ベースの土地は相場の値段として
計算?されるので、売価対原価の比率として、購入と同時の減額は少ないはずである。それだけではない。今後、総人口が減少に転じ、
総世帯数が減少する国で、不動産が高騰する訳がない。家は既に余り始めているのである。この失われた10年で低迷がつづき、
その対策として金利が長期間、史上最低にあり、土地、戸建、分譲マンションの値上がりが続いてきた。 首都圏の分譲マンションの
年間適正供給量は4万5千戸と言われてきたのが、10年以上も8万戸前後の供給が続き、それが順調に売れてきたというから、
その反動が来るのは至極当然のことである。アメリカのサブプライム問題が発生、世界の金融機関をパニックにしているが、
日本版サブプライム問題になるのは時間の問題。 この本の「まえがき」と内容が、少し違っている。「まえがき」では、
不動産は値下がり間違いないと言いながら、「これからは都心、中でも港区、千代田区、渋谷区に人口が集中し、都心のマンションは
益々値上がりする」と述べている。利上げが供給過剰なバブルを破綻させるというが、他の理由は殆ど書いてない。
需給のバランスの供給を大きな理由にあげているが。土地も関東・東海の一部地区を除けば、更に値下がりするのは、自然の流れである。     
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2007年01月25日(木)
 2123, 階級社会ー不平等社会を考える   オハ☆:*:・ ★(o≧□≦)o☆・*:..。o○☆*゚ オオォォーーー!!
世界は不平等社会で成立している。今さらのことだが、これは何度も振り返って考える必要がある。
戦後日本は実質的には社会主義的な平等社会であったというが、本当だろうか?「自由、平等、博愛」
はEUの基本理念であるが、世界はその正反対から成り立っている。だからこそ、理想として基本理念に掲げている。
インドでは3000年前に白人系アーリア人がインド全土を支配。ヒンズー教をつくり上げて500以上の階級を詳細につくりあげて、
白、赤、黄色、土色の肌色をベースとして、その混血を防止するため、この宗教をつくり上げた。それが宗教的効果も加わり
現在まで全く変わることなく続いてきた。インドでは交通事故で最下層の人を轢いても犬を轢いたのと同じように扱われる。
地方では最下層の村の襲撃事件が彼方此方にあり、虐殺は日常的であるが、警察は全く取りあわない。
去年の暮れにニューデリー近郊で起きた二十人以上の幼児や若い女性の猟奇殺人の容疑で二人が逮捕されたが、
これも下層階級の牛以下とみられた階級に対するアーリア系?による差別行為の一端とマスコミは報じていた。
我々が「娑婆を知る」「世間を知る」というと、「奇麗事の民主主義の中にある階級社会の不平等の現実を受け入れ、
それぞれの立場で、自分を見つめること」をいう。「何で皇族を養わなければならないのか?」と誰もが思うのは当然であり、
何で朝鮮系の彼らを象徴としなければならないのか?という根本的な疑問は誰も持っている。
この疑問の拡大は、押し戻すことはできない。考えてみたら、実家にはお手伝いがいて、店には50~60人の従業員がいた。
それが当然のことであり、何も考えたことはなかった。ところが上京して、根こそぎ不平等社会に曝された。
大都会の中で、初めて自分の存在の小ささに直面した。皇居に出入りする車の列をみて、「何でアイツラが税金で
特別待遇を受けなければならないの?」という原始的な疑問を持った。東大の安田講堂立て籠もり事件の頃のこともある。
(字数制限のためカット 2013年1月25日)


4698, シニアの人生設計は三年の中期計画を

2014年01月24日(金)

   * シニアは「何事も予防に勝る良薬なし」でいく   ー人生は65歳からがおもしろいー河村 幹夫 (著)
 シニアは3年の中期計画で、一年経ったら、その先一年をプラスする方式は納得できる。 ーその辺りを抜粋
《 現在、自分が65歳と仮にすると、乎均寿命へ男79・5歳ー65歳=14・5歳、女86.3歳ー65歳=21.3歳)が人生の残り時間の
目安となります(この男女間の6年間余の時間差は夫婦の人生設計図を描くうえで重要な意味を持ちます)。さらに健康寿命で
考えると、男70・4歳ー65歳=5.4歳、女73.6歳ー65歳=8.6歳となります。平均寿命-健康寿命"不健康期間と考えると、
男性は9.1年、女性は12・7年という長い時間になります。これらの基礎的な数字を踏まえたうえで人生設計図を描くとしても、
10年以上にわたる長期プランは、不確定要素の大きさからみて現実的とは思えません。そこで3年間の中期計画でローリングで
(1年目が終わったら4年目を入れて)常にこれからの3年間を計画対象とするのは如何か。10先を見通すのは困難でも、これから
3年間だけを視野に入れて計画を毎年修正していくのならある程度・具体的な数字を書き込むことができるはずです。》
 ▼ 二年前のOECD加盟各国の平均寿命は、日本が82.6歳で34ヵ国中トップだったが、死ぬまでの不健康期間が、その分、
  増えたことになる。で、私は平均健康寿命年齢まで2年半しかない? とすると元気な現在、何をすべきかを、より真摯に
 考えなければならない。しかし50代までに個人として、やりたい事を終え、65歳で会社関係が・・ さほど焦りはない。
 男70・4歳の平均不健康年齢からみて、寝たきりや入院などの介護を受けている人が、身辺の3分1は存在している筈だが、
 知人にさほど見当たらない。 元気な人しか会などに出てこないため? 
 シニアは、病気に関して予防が第一。お金に関しては、まず手堅く、専守防衛が基本。3年の中期計画として、
 身辺の物理的整理(処分)ぐらいだが、こうなると、私個人の資産が何も無いのがプラスに感じる。言い残したいことは、
 この随想日記に、13年近くかけて、ほぼ書き出してある。 で、振り返ってみて、この詩を思い出した!
   *  生きてゐる事は滑稽な事だぞ 馬鹿者共
      生きてゐる事は滑稽な事だぞ 馬鹿者共
      生きてゐる事は滑稽な事だぞ 馬鹿者共
      生きてゐる事は滑稽な事だ          「滑稽」   高橋新吉
   * 「何もないのだ/わかったか/わかるということもないのだ」   高橋新吉
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4331, 自己とつきあうということ ー1
2013年01月24日(木)               
   * 自己への思考の旅    「自己の探究―自己とつきあうということ」和田 渡 (著)
 哲学者のソクラテス、モンテーニュ、パスカルなどを取り上げながら「自己とつきあうということ」を考える書である。
アマゾンの紹介には、【 悩む人も、悩まない人にも。モンテーニュら偉大な思想家たちの思索をたどりながら、他者や世界と
繋がる自己発見への旅。そして、誰もがそこから逃れられない厄介な「自己」とのよりよい関係の構築を模索する。】とある。
 6年前に買って目を通したが、熟読はしてなかった。しかし、節目時に改めて読んでみると、思わない発見がある。
バイアスが薄れ、ゆとりを持って過去を振り返ると、前だけを見ていた時には気づかなかった自分が見えてくる。
一昨年の節目時には「自己を見つめる 」渡邊二郎 (著) を読んでいた。そこでは、「自己」「仕事」「孤独」「世間」「運命」
「不幸」など15章のテーマの人生の真髄を、傷ついた心に語りかけてくれた。そして現在、今度は古今東西の哲学者の引用で、
自己の行蔵に対し語りかけてくれる。  ー プロローグの「自己の旅」の、次の言葉が良い!ー
 《 終わりなき旅 = そこから自己への旅が始まる。その旅は、いまだ知られていない自己をめざす思考の冒険である。
 はっきりしたルートも道しるべもなければ、方向指示器もない。目的地がどこにあるか分からないし、目的地がどこか定かでない。 
その旅の途上では、われわれひとりひとりが、手さぐりで一歩一歩進まなければならない。 しかしその歩みを通じて、自己が
どのような存在であり、自己として生きることがいかなることか少しずつ見えてくるであろう。
 自己の旅は、われわれが自己の多様な側面を説き明かしていく思考の経験であり、自分との対話や反省や試みを介して自己を
掘り下げていく経験である。しかし、その経験は自己に収束して閉じてしまうものではない。それとは逆に、自己への旅は、
自己の生を可能にしている他者や、世界へとつながるものである。自己への旅には、あらかじめ定められた出発の時があるわけでも、
終わりの時があるわけでもない。それはどこに行きつくか分からない。その旅の途中で、自分が、他者が、世界が、どのように
違って見えてくるのかも分からない。それを身をもって知ること、それこそが自己への旅の醍醐味であろう。》
 ▼ 自分の立居位置で、確かに物事は違って見えてくる。特に人の滅多にない経験?後なので私の自己の旅路は複雑である。
  事業を目指すと決心してからの45年間の自分の行蔵を省みるだけで、自分を身を持って知ることになる。非力な、無知な、
  しかし理想だけは高い自分がいる。その時々に全力を出していたので、その時々の自分に後悔は一切無い。出来ない人ほど、
  辛辣に、実践するものを非難する。同じ後悔なら、実践者の方が良いことを一番知っているためだ。この経験で実感したことは、
 「人生はハッピーエンドより、後悔の無いアンハッピーエンドの方が良いのでは?」ということ。 後悔の無いアンハッピーなど
  あるのかどうかの疑問もあるが、実際に私の経験が、そうである。実際のところアンハッピーではない、といえば、その通り。
  要は、これも自分との付き合い方。どっちにしても大方はアンハッピーの悶絶の死が待っている。 この内なる旅、面白くなる。
・・・・・・
3956, 他人を責める「新型うつ」について ー2
2012年01月24日(火)
 数ヶ月前に、閑話小題で「(他人の)せい病」について書いたが、その時は、それが現代型「新型うつ」とは知らなかった。
たまたま周辺の何人かの異様な言動の「うつ病」現象が耳に入ってきた。共通点は、自分の内側に向かうのでなく、周辺に
怒りをぶつけることである。 秋葉原の大量殺人犯のは、この拡大版。 自分に自信を持てない反面、その防波堤として
プライドが異常に高いのが特徴である。 現在の日本の国そのものが「新型総うつ」であるが、怒りを国政のトップに叩きつけ
潰していく異常性は、国の末期現象といえる。自分より他人を責めるのは、情報化社会の特徴である。自分より社会に、他人に、
怒りの原因を探しやすいためである。そういう私も、この一連の出来事の八割は、二つの経済震災と自然災害と現在でも信じている。
借入総額の七割を返済しても、残り三割の総額が十億もあり、売上が三分の一、四分の一に激減すれば無理というのも
言い訳にならない。出来ることは、瀬戸際の一歩手前で見切ることぐらい。 以前書いた、文章をコピーしてみる。
 ≪ 2011/06/28 閑話小題   ◎ エイズ並みの、恐ろしい性病
 人間、ギリギリに立つと、本性が出てくるもの。 その中で最もリアルに出るのが「他人(ひと)のせい」にする悲しいサガ(性)。
人間には「あなた群」というのがあって、色いろな気持ちや体験を通して培った感覚や、体の細胞たちからの記憶が、人の中に蠢いている。 
過去の色いろな感情や感覚が、塊になって、その時々の感情や感覚を仲間として同居していて出番を待っている。 その一つが
「他人(あのひと)のせい」病である。 さしずめ、今回の倒産劇の「三つの震災」を倒産理由にしている我が内なる、それである。
そう書きながら、これらの八割が原因と脳の奥からの声が聞こえてくるが・・。原因や責任転嫁は動揺から生じることが多い。
「他人のせい」は、メビウスの輪で、「原因は自分にもある」ことに気づかなくしてしまう。東北大震災も、あれは数百年に一度の天災が
原因である。そこまで、想定できないのは自明である。それを政治は言明できないという恐ろしい事態である。≫
 ▼ 医者に行くとハッピードラッグをくれるが、これが攻撃対象に怒りをブツケル劇薬になる代物。秋葉原の集団殺人犯、どうだったか?
 ・・・・・・
3591,10分ルールと、30、60、90秒ルール ー2
2011年01月24日(月)
 * 「3分、90秒、30秒ルール」とは、
  ー3分ルールー
 ボクシングの一ラウンド、即席ラーメンの待ち時間、公衆電話は以前3分10円などある。
これは目先、集中していられる時間で心の小さなリズムでもある。読みかけの本を読むときに、いま一度、前書き、
後書き、そして、これから読もうとするページに目を通すと、読まなかった時に比べて二倍は効率がよくなる。
これもポイントに集中して一度、本を鳥瞰してから読めば、理解度も高めることになる。
  ー90秒ルールー
 これは感情的な反応は90秒でいったん収束することを基にしている。驚きや、不安感、恐怖といった感情的な反応が脳に起きると、
その興奮が収束するまでに90秒かかる。その90秒間、慌てふためいたり、パニックを深めるような行動をせず、じっと脳の興奮が
収まるのを待てば、理性的な対応が出切る。 非理性的な対応を90秒以上に引き延ばすことを抑制する利点もある。
私の場合、それより10秒ルールが必要だ。まず、10秒、そして30秒である。
 他に60秒ルールというのがあり、学習成果を維持したり、特定の行動を良い習慣として身につけたい時に、
学習や行動の後、60秒以内にそれに良い評価を与えてやればよい。褒めたりする時は、60秒以内に実施したほうが良い。
  ー30秒ルールー
 コマーシャルが、これである。対象に強力なメッセージを与えたい時の適正の時間である。これ以上になると、
間延びをしてしまうし、それ以下では情報量が少なすぎる。首相や大臣のブラサガリの一言コメントも大よそ、これ位。
 〜以上、取り上げてきたルールの組み合わせで世の中の動きが決まっていて、知らないうちに慣らされている面もあるが。
 そういえば、人と人間と、時と時間の関係は非常に似ている。「間は、ルールの構築から成り立つ」ということか。
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3226, フリー −3
2010年01月24日(日)
  ー以下は、印象的な部分をランダムに抜粋してみたー
* 世界中のビジネスがアトム経済からビット経済圏へ大きく変化している潮流を説いている。
 「ウェブの世界には、貨幣経済以外に、評判(トラフィック)経済と注目(リンク)経済がある」と、核心をついている。 
* googleは、多くの人から評価・注目されているページを検索結果の上位に表示している。知りたいのは、評判経済・注目経済が
  あることを、googleは見抜いて、その検索を無料で提供することでアクセスを独占し、そこに広告を出すことで収益を上げた。
*「市場に参入するもっとも破壊的な方法は、既存ビジネスが収益源としている商品をタダにすること。
  すると、その市場の顧客はいっせいに押しかけてくる」 無料で使ってくれる顧客をたくさん獲得すれば、
  その中の顧客が有料の商品を買ってくれる可能性が高くなる。 無料には顧客を爆発的に増やすパワーがある。
  したがって全ての情報はフリーになりたがる。 今の情報化社会が次の世代に変わろうとしている。
 「人々が欲するものをタダであげて、 彼らがどうしても必要とするときにだけ有料で売るビジネスモデルをつくる」
*<新たなる価値インターネットの出現によって、製造コスト、仕入コスト、オペレーションコストが 劇的に下がり、
  これによって収益モデルがかわったことを例をあげて紹介している。 中国をはじめとした不正コピーの問題に対し
  防ごうとするのではなく 逆にどういかすか、も示唆してくれている。 >
   〜以上だが、ビットは、コピーが可能であり、圧縮などによりコストが劇的に下がり続ける。
  それが、アトム経済の価格も影響をし始めてきた。これは経済だけでなく思想的領域まで影響している。
 そこまで掘り下げて考えないと、このフリーの潮流を理解できない。それだけこの情報革命は世界の有りかたを変えようとしている。
  ーここで紹介されているビジネスモデルとして、以下の4つを上げているー
(1) 直接的内部相互補助 ・・・ 消費者の気を「無料」で引き、その他のものを販売する。
       ex)一枚スーツを買えば2枚目はタダ。オンラインゲーム(ゲームは「無料」だが、アイテムは「有料」)
(2)三者間取引 ・・・ コンテンツを「無料」で提供し消費者を集め、その後広告を乗せるなど第三者から収益を生む。
       ex)google、Mixi、TV等
(3)フリーミアム ・・・ 「無料」版サービスと機能追加した「有料」プレミアム版サービスを販売する。
       ex) MixiとMixiプレミアム
(4)非貨幣市場 ・・・ 対価を期待しない市場 ここでは対価として評判と人気
       ex ) Wikipedia 等
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2851, チベット旅行記 −2
2009年01月24日(土)
 100年前に、死を覚悟に、よくぞ・・・。江戸時代に外国人が日本に潜入したようなもの、それもヒマラヤを越えて。
 仏を心の底から信じなければ乗り越えることが不可能なことが次々と続く。信じるとは何かを、
 この旅行記を通して少しは理解できたようだ。 
* 断事観三昧
 テントが二つ三つみえる。そこに行くと怪しい者と思われる。他を見ると間道がありそうなところが、ちょいと見える。
とにかくどうにか極まりをつけなければならんと思って、そこに座り込んだ。私は理論上で決められぬことがあると断事観三昧に
入って事を決めるのである。そもそも断事観三昧とは、およそ道理で決めれる事は道理によるけれども、理論上決められない
将来のことなどは仏陀に従って座禅により無我の観に入り、そこで発見された観念に傾くのをもって、その取るべき方法を決定する事。
深い意識の中に入っていき自分も何もないところで問うてみるとは、次元の違う世界へのつながりを求めてどうあるべきか、
どうするべきか判断するということである。 この方法を仮に断事観三昧と名づけた。
 解)窮地に追い込まれて独りで決断しなければならない時に座禅の無我の観に入り、自分を超越した深い意識の中で判断をする、
  すなわち仏の心境で判断すれば、仮に上手くいかないとしても、次の知恵が湧き出てくる。人間は最後の最後は自分の心奥の無
 (正中心一点無)で、判断しなければならない。 そのためには、孤独の世界を、孤独の時間と場所を確保しなければ。
*積雪中の座禅
 羊を追い立てますと、余ほど疲れたとみえて少しも動かない。無理もない。相当の荷物を背負っている上に今日昼までは
草を喰っておりましたけれども、その後は高山に登って来たのですから草も得られなかった。サア進むことができないといって
進まずにはいられないから、可哀そうではございますけれども、押し強く後から叩きつけてみたりいろいろなことをしたが、
羊は動かない。ようやくのことで首にかけてある綱を引っ張って二間ばかり進むと、また立ち往生する。
芯まで冷え込んだ身体や衣服、荷物を十分に乾かすこともできない中、なんと今度は大雪が降ってきた。
岩も隠れ場所も見つからず、とうとう荷物を背負わせていた二頭の羊が雪中に座り込んでしまって一歩も動かなくなった。
「こりゃどうしても羊と一緒に死なねばならんのか。何とか方法がないものか。この前聞いたところでは14〜5日も人に会うまい。
どこで羊の荷を下ろし、夜着を出してかぶり、さらに頭の上にカッパをかぶって、羊の寝転んで居る間にはいって「積雪中の座禅」
ときめこんだ。羊もその方が良いと見えてジッと私に寄り添っている。その羊も余程私に慣れているものですから、まるで私の子の
ような具合に二つが左右に寄り添うて寝て居った。「だんだんと寒さを感じて非常に感覚が鈍くなって、こりゃどうも危ない。
しかし今更気を揉んだところで仕方がないからこのまま死ぬより外はあるまい」と覚悟を決めたのであった。
雪中の中を夢うつつにいると、突然に自分のそばで動く者がある。ふと目をさますと、二匹の羊が身震いをしている。 
それから身体を動かそうとするが思うように動かない。よこで雪を解かして麦焦しの粉をバターを入れて1杯ばかり食べた。・・・
 解)ヒマラヤでの窮地の雪中座禅は、100年の時空を超えて読む者の心に伝わる迫力がある。
  「現代の生き仏」と呼ばれる天台宗大阿闍梨、酒井雄 師は仕事にことごとく失敗し、妻を自殺で ...
  しかし、出家後、厳しい修行に耐えて、千日回峯行に二回も挑み、二回とも達成した。それに通じるところがある。
  深い決意が無ければ決して達成できないことである。それが深いほど仏の心に深く通じるのである。  
  信仰の力とは何か、必死とは何かが教えられる究極の場面である。ただただ、感動してしまった。
・・・・・・・・・
2008年01月24日(木)
 2486, 閑話小題
 * 片岡球子
 この人の「面魂・シリーズ」の絵を初めて見たときには驚いた。たまたまインターネットで見つけたが、写楽の現代版というか、
奇をてらった何ともいえない味わいがあった。画壇からは、ゲテモノといわれ不遇だったが、小林古径に「ゲテモノと秀作は紙一重、
それを大事にしなさい」という言葉に励まされたという逸話が良い。それにしても味わい深い絵である。
先日、103歳で亡くなったとマスコミで報じていた・・  http://www.shibayama-co-ltd.co.jp/tamakoyuki.htm  
 * 昨夜の夢
 昨夜は、奇妙な夢をみた。 夢の世界の中で、2〜3歳の自分が、60年近く前の実家の商店の入り口を凝視して、
その詳細をこと細かく見ている。ところが気持ちを集中したためか呼吸を何分か?忘れ、息が出来なくなり目が覚めてしまった。 
夢の世界に没頭しすぎて呼吸するのを忘れ、独りパニック状態に陥ってしまい三十分ほど激しい動悸と動揺が続いた。
久々に深夜の漆黒の恐ろしさを味わってみた。「睡眠時無呼吸症」だが、よほど夢の中で神経を集中していたことになる。
一〜二度、睡眠時無呼吸の経験はあったが、これほどの経験は初めてである。霊日記の先祖霊・四四太郎様は、次に何を言ってくるやら?
寝る前に、霊様と会話したのも影響したのだろうが。あの時の夢の中の「凝視の集中力」は、目が覚めた後でも持続していた。
 * YKって何?!
(字数制限のためカット 2012年01月24日)
・・・・・・
2007年01月24日(水)
2122, 下流喰い −6   (~Q~;) おはよう〜〜ファ〜
「日掛け金融」の存在は、この本を読むまで全く知らなかった。「超高利貸し」が法律で認められ、現に存在していた。
スナックの開店直後などに時たま見かけた得体の知らない人が、『日掛け金融』の人達だったようだ・・。 
飲食ビル経営の人が、サイドビジネスで店子などに金貸をしている話は聞いたことがあったが、
夜の深い世界の一端なのだろう。 まずは、その部分を抜粋してみよう。
 ー日掛け金融の世界ー
九州などの西日本一円に今も数多く存在する日掛け金融(日腑貸金業者)も、その歴史は古いという。
もともと市中の鮮魚商や八百屋といった現金商売、水商売などを対象に、日掛けで金を貸す業者をさし、毎日、店先に顔を出しては
仕入れ金などを用立てたり、日賦などを集金する業態で成り立っている。
  (字数制限のためカット 2010年01月24日)


4697,末期がん、その日のための予習を ー1 

2014年01月23日(木)

                ー「末期がん、その不安と怖れがなくなる日」樋野 興夫 (著)
 怖しい本だが、いつ何時、「余命?ヶ月」を宣言される可能性のある年齢。父の余命一年間の精神的、肉体的苦痛を
目の当たりにしたが、この世から消え去る恐怖と、生への渇望は、砂漠の中の彷徨い人のよう。 いずれは通る道。
 その時、父に聞きかじりの哲学の『死についての一考察』を話したことは、何度か、ここで書いてきた。
【 本人にとって死は存在しない、あるのは自分以外の死だけ。何故なら、死んだ瞬間、自分は無くなる。
その当人が考えている死は、他人の死のイメージで、亡くなった人にとって、死んだ瞬間、その自分は、消滅している。
だから、全て死は、それぞれの当人に存在をしていない云々』と、話したところ、ハッとして急に顔が輝いたことがあった。
 死は何か? 死の恐怖の克服を如何にすべきか? 何故、自分が死ななくてはならないか?等の問いは、哲学の究極的問い。 
いざ余命を告げられ、絶望に陥ってから、この類の本を探し当てるのは至難のこと。 哲学として死について考えること、
身近な人を見送った手記や、医師と末期患者との哲学問答などの本を読むことが出来るのは、今のうち。
『死ぬための生きかた』と『生きるための死にかた』という具体例に取上げた本を読んだことがあるが・・それは生々しい!
   まずは ーアマゾン〜内容紹介ー
《 一人の病理医師が‘期間限定’で開いた「がん哲学外来」。評判が評判を呼び、全国に広がった。
 人は「死」を前にしたとき、「生」の意味を考え始める。ここに生きるヒントがある。
日本人の2人に1人はがんで死ぬ時代、一人の病理医師が開設した「がん哲学外来」。医療が手放した末期の患者に対し、
生きる意味、死ぬ意味などを問うこの外来が大きな評判を呼んだ。余命を宣言されたとき、あなたは何を思うだろうか、
何をしたいのだろうか… 多くの患者が抱える悩みは、人間関係にあるという。それらを克服し、どう死ぬかに至るための
道筋がこの本にある。いま、がんで苦しむ本人はもとより、その家族ばかりではなく、現在、健康な人へも「なぜ生きる」
「死をどう迎える」という命題をつきつける。●人生いばらの道、にもかかわらず宴会●八方ふさがりでも天は開いている
 ●命より大切なものはないと思っている人ほど、悩みは深い●死ぬという大事な仕事が残っている●勇ましく高尚なる生涯
 〜死んだあとに何を残すか●がん細胞は人間社会と同じ●がんになっても天寿は全うできる●愛しているなら、心配するな
 ●「する」ことより「いる」ことがやさしさ●暇げな風貌と偉大なるお節介・・・ 》 
▼ まずプロローグをまとめてみる。《「がん哲学外来」の言葉は著者が、初めてつくった造語。 2008年に3ヶ月にわたり、
 5回、特別外来を開いた。宣伝をしたわけでないので不安だったが、何と80組の予約。 予測を遥かに超えてしまった。
 患者は、不安を少しでも解消したいと思っていたようだ。これだけでなく、この「がん哲学」の動きは全国的に広がり、
 講演やシンポジウムに呼ばれるという。2001年の学術雑誌に『がん哲学への道』というテーマで寄稿していた。
  末期がん患者の悩みに医師や最新医療が何も答えることが出来ない。がん医療は、患者の「心」を支える部分で不十分。
 著者が患者に語りかけた内容は、それまでの患者から教わったこと。》次回から、章ごとにおって、テーマにする。
・・・・・
4330, 弧族の人たち
2013年01月23日(水)
             「 孤族の国 ーひとりがつながる時代へ 」朝日新聞「孤族の国」取材班 (著)
 NHKスペシャルが取り扱った「無縁社会」の朝日新聞版というところ。 全国53の事例でつづった渾身のルポ。
太平洋戦争以降、若い人口を都市に流入させた結果、やせ衰えた地方。帰る田舎を失い都会で独り生活している孤独の人たち。
繋がることで弧族とはいうが、繋がれないで孤立をしている個々の人たちが大部分。65歳以上のみの高齢者世帯数が962万世帯と
過去最高を記録 し、全世帯に占める割合が初めて2割台となった。90年代後半の信用不安で倒産・失業が増えた時に自殺率が
急増したことも、これと関係している。かつて都会に出てきたが、定年や失業で職を失った中高年には行先の縁がない。
   ー内容紹介(amazon)ー
 急増する「単身世帯」。いま、恐るべき勢いで社会のかたちが変わっている。高齢になったら、病気になったら、
職を失ったら―その先には孤立という罠が待ち受けている。駐車場に止められた車の後部座席で発見された55歳の男性、
39歳の餓死、中国で婚活・結婚したものの破綻し蓄えを失った男性、震災後に離散した集落、独身無職女性の苦悩など
多数の事例から変容する家族と社会のあり方を追ったルポ。 団塊世代の高齢化、単身者の急増、相次ぐ孤立死 …
他人とつながることで、とえ少数だとしても納得できる人生の「力」になる。 朝日新聞連載のヒューマンストーリー。 
  ーここで53のケースが紹介されているが、生々しい。
【(CASE1) 神奈川県逗子市。公園の一角にある駐車場に止められた軽自動車の後部座席から遺体で発見された
 佐藤正彦さん、享年55。 DNA型鑑定で身元は特定できたものの、遺体の引き取り手がなく市が火葬、遺骨を保管。
司法解剖の結果は病死。4人きょうだいの末っ子だった佐藤さんは、なぜ「行旅死亡人」として生涯を閉じたか。取材班が
その足取りを追い、浮かび上がってきた生前の姿。】等々ある。
▼ 独居老人や孤独死は、憐れむ存在だろうか。死ぬ時は誰も独り。高齢者の自殺率 で、最も多いのが3世代同居、
 いちばん低いのが独り暮らしという。独りの寂しさやつらさより、家族関係の中の寂しさの方が辛いのだろう。
 ある幼馴染が倒産をした。そして離婚、アパートの独り暮らし。寂しさを紛らわせる痛飲、そしてアル中のパターン。 
 最後は県外にいる娘の近くのアパートに引っ越していった。が、他人事ではない。弧族は、核家族化と高齢化社会の中で、
 大方が待っている現実。 高齢化社会の大きな問題である。 麻生副総理の、「サッサと死なせろ!」は、名言である。
・・・・・
3955, 他人を責める「新型うつ」について
2012年01月23日(月)
   * 生存適応戦略だった「ユウウツ」
 「新型うつ」についてNHKのクローズアップ現代や、新聞や、週刊誌で何度か見て、ここでも書いてきた。
ある本に、次のような記述があったが、なかなか面白い。 まずは、その内容から・・・
【 うつ病は現代病の代表のようにいわれるが、もちろん太古の昔から存在していた。うつ病の歴史について詳述された、
防衛医大・野村総一郎教授の著書『うつ病の真実』(日本評諭社)によると、進化生物学的には、うつ病の主症状である
「ユウウツ」はもともと、ぽ乳類以上の高等動物が、生存に適応するために獲得した感情だという。たとえばサル社会では、
ボスの座を追われたサルは、うつ病のように元気がなくなる。このユウウツは、新ボスに反抗しないという無意識の屈従信号であり、
これにより攻撃されないという利点があると考えられる。また一〇〇万年前の人類が、仲間同士でマンモス狩りをしていたとする。
ある人が果敢に正面からアタックしたが、簡単にマンモスにつぶされる。その死を悲しんだ仲間たちは、ふたたびマンモス狩りを
する気力もなくなるが、あまり悲しまなかった仲間はまた同じ方法でアタックして死んでしまう。 生き残った悲しみの人たちは、
もっと安全なマンモス狩りの方法を考える …。このように、本来は生存適応してきたユウウツが、人類の発達とともに、かえって
不利に働く場面がでてくる。たとえば、人類に言語が発達すると、マンモス狩りの方法は行動より言葉で伝達したほうが効率的であり、
悲しみによって行動が停止してしまうデメリットのほうが大きくなる。人間社会が複雑になると、ボスザルの世代交代のように円滑に
いかなくなり、ボスの座を追われてもウツ状態になってはいられず、巻き返しをはからざるを得ないケースもでてくる。
このようにして、遺伝子に囲い込まれユウウツに関する内部的なルールと外部環境がかならずしも適合せず、行働に無理が生じる。
野村教授それがうつ病に発症につながるかもしれないと述べる。】ー日本の論点2012ー他人を責める「新型うつ」片田珠美 より
▼ 「ユウウツ」は本来、ぽ乳類以上の高等動物が生存に適応するために獲得した感情で、適者生存のため必要な病とは、
 面白い見方である。 人生の節目は、大方が挫折、絶望のカタチで、表立った心の病としてウツが押し寄せてくる。それは、
 本人にとって内面の切り替えどきであり、竹の分厚い節と同じで、独りで耐えるか、病院通いになるか、自死に至るかの
 瀬戸際になる。しかし断崖絶壁の危機を独り耐えないと、それまでとの切替えは不可能である。これは、ボスの座を追われた
 ボスザルの屈従信号のサインと同じ。それは当事者としても、ギアの切り替えになる。 現在の日本が、その立場にある。
 「一億二千数百総うつ病」状態である。その怒りの攻撃対象が、首相と政府に集中するため、一年で引きずり下ろされる。
 その背後にいるアメリカも間接攻撃をする。そのため、奪略対象として冷静に操作が出来る。 振り返れば節目時は鬱だった!
 ・・・・・・・
3590, 戦略ネット会議システム −2
2011年01月23日(日)
 K氏の話. そのメンバーの人物像が面白い。大手企業、官僚と渡り、大手銀行に応募をして入社した人物の面接での
応答に驚いた。「貴方は我社に対し何が出来るか?」に対し、「貴社が潜在的にやりたいと望んでいたことを、掘り起こして
達成しててみせます!」という。 実際にやってのけるだろうし、その新しい実績が本人にとって、さらにキャリアになる。
その本人も凄いが、探して採用する会社も、時代のなせるわざ。ネットのY社のキャリア女性の感覚が初めて見る人種とか。
東北の電鉄会社の開発の人が、線路に直接バスを乗り入れる開発のチームを組んで・・・とか。 中国、インドなど新興国向けの
ネット上のセキュリティー・ソフトに絞り開発している会社とか、聞いているだけで面白い! それらの事業戦略のコア部分に、
互いに知恵を出しあえば、多くの切口から多くの事業ヒントを得ることが出来る。 秘密漏洩の問題もあるだろうが、互いに戦略を
マナイタに上げて、複数の脳で練りこみをした方が、内容はアップする。そこにはある種の独特のアルファー波が出ているのだろう。
その現場の空気を一度吸ってみたいもの。 「潜在的に、やりたいことを掘り起こし、新たに顕在化すること」こそ、企業にしても、
個人としても革新ポイントのコアになる。 この事業戦略の互いのケース・スタディーは、その辺に焦点を合わせているはず。
 ところで、「現時点で、会社にしろ個人の、潜在的にやりたいと望んでいることは何? それを練り上げあげているのか? 
この恐慌の一番底が来年に到達しようとする中で、どうする?」 そう簡単に答えはない。考えつくし、身を委ねるしかない。
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3225, 死もまた愉し
2010年01月23日(土)
  孤高の文士・結城昌治が死の直前に語った「死とどう向かいあったか」の言葉がよい。50代には、ハッキリした絶対言明があった。
 「60歳までに、それ以降の人生の全てを成し遂げること」。そして、還暦をむかえて一人「もとをとった!」と、ほくそ笑んだ。
 今となって本当に良かったと思っている。ところが還暦を過ぎてから、次の絶対言明が見つからないのである。 
 しかし「死もまた愉し」の中の、次の言葉が、 これからの私の指標に最適に思えたのである。
≪ 余生だから、とにかくあくせくしない。5年先、10年先まで考えて計画を立てたりすると、どうしても張りきりすぎる。
 とりあえずは1年だけ考える。あと1年だと思えば、その間の人生を目いっぱい生きることができる。1年が無事に過ぎたら、よし、
 もう1年生きよう、と……。 新しい目標を定めてもいいし、前のつづきをやってもいい。また1年たったら、つぎの1年を考える。
 こうすれば、1年ごとに新鮮な人生をくり返すことができる。これはうぬぼれをなくすコツでもあるし、人生最後の志として
 大事なことではないかと思うんです。 ≫
  若い時に肺結核を患い、肋骨を12本も切るという大手術をうけ、長い療養生活をおくった結城の人生は死と隣り合わせ。
 ーそのような境遇で、会得したことは、
【死を大袈裟に怖がるのではなく、生きている最後に来る愉しみと思えば、寧ろ、日々の人生がずっと気楽なものになる】ということ。
 私には、どうも無理のようだが・・。 彼は毎年、誕生日ごとに遺言書を書いていた。 内容は毎年同じで、原稿用紙。
 「通夜、葬式、告別式、無用のこと」
  結核療養所で石田波郷、福永武彦と出会ったことが、彼の生涯を決定付けた 
・春惜しむ いのち惜しむ 酒惜しむ         ・耀きて 驟雨に落つる 蝶見たり
・風船の まぎれむ雲も なかりけり         ・緑陰に 置かれて空の 乳母車
・降る雪や 余生といふも やすからず        ・來し方の 見わたすかぎり おぼろかな
・花あんず 母と旅せし 記憶なく          ・ぼうふらも 生きるいとなみ 死ぬなかれ
・ゆゑ知らぬ 疲れ金魚を 憎みけり         ・秋風や 逢ひたきひとは みな故人
・いわし雲 どこへゆくにも 手ぶらにて       ・夕虹や 夢はかなはぬ ままがよし
・いくたびも 死にそこなひし ゆかたかな
    ≪ 一句一句が、何とも格調高く、見にしみる ≫
 ・・・・・・・・
2850、チベット旅行記 −1
 2009年01月23日(金)
ある人に強く勧められて読み始めた、これ面白い。 6年にもわたるチベット旅行の記録が本になっている。 
内容が臨場感があり、生々しいから自分が経験しているような気持ちになってしまう。
勧めてくれた人が山の手線の東京駅を(内容に引きこまれて)三回も行ったりきたりしたというのも頷ける。
 ー要約をすると
{ 日本に伝わっていない未伝経典を知りたいという思いから、サンスクリット原典が唯一残っているチベット国に行くことを思い立つ。 
鎖 国状態のチベットに、ヒマラヤを越えをして入国する大旅行。 唐の玄奘三蔵のインドへの旅に似ているが、河口慧海の場合は
 個人の意志によるもの。 三蔵とは事情が違う。 明治30年(1897)31歳の時の密入国である。 当然に死を覚悟を
 しなければならない。抜け道の間道を通ってヒマラヤ山脈を逆回りのコース。 僧衣で平均高度4500mのヒマラヤを走破する。
 若い娘に結婚を迫られたり、強盗に出会いながら山中で野宿。 凍りつくような川を裸で渡ったり、雪中で進退きわまる時や、
 右に行くか左かの道を選択しようかという時は、座禅をして知恵を得る。食事は麦こがしをお湯とバターで練ったものを1日に一食。 
 想像を絶した苦難を次から次へ乗り越えた末にチベットのラサ府に到達。そこで知遇を得、日本から持参した薬と医学知識で
 病人を治し、現地の人たちに経を唱えて糧を得る。そして大学に入る。その旅で、チベットの生活、習慣、風俗などを細かに観察、
 貴重な記録になっている。目的と動機を以下のように書いている。「私は世の冒険家にならって、探検の功をあげることを
 目的にしてはいない。 我が国未伝の経典を得たいがために出かけたのだ。したがって探検家の資格は私にはない。
 ……ただ、今回の旅行では、宗教に関すること以外にも、社会学、経済学、歴史学、地理学、動植物分布などに
 関する様々なことを観察することができた。」 その観察眼の客観的で冷静な見方に、ただただ驚かされた。
 ▼ 河口慧海「チベット旅行記」:1866年大阪堺生まれの僧侶。チベットに仏教の原典を求めるために僧籍を離れ、
  1897年に船でインドに渡り、ダージリンやムスタンでチベット語の勉強などの周到な準備を整えた末、
 1900年にヒマラヤ山脈を越えて西チベットに入る。マナサロワール湖やカイラスを巡礼した後、 日本人として初めてラサに入り、
 セラ寺に入門。漢方薬の知識を生かして人望を集め、ダライ・ラマ13世に謁見するまでになるが、日本人であることが露見したために
 急遽ダージリンに脱出。 その後も中国、インド、ネパール、チベットを訪れ、在家仏教を起こすなど、日本のチベット学の
 始祖として知られる。         1945年、「チベット語辞典」の編纂半ばにして没。享年80歳――。  ーつづく
  ・・・・・・・・・・
 2008年01月23日(水)
2485,「恐慌」が待ち構える黄昏の米国 −2      オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪
  今週に入ってからも、更に日本の株価は下がり続けている。当面は1万2千円辺りが底値か、それとも更に下がり続けるのか?
 世界的に広がってきたのが気がかりである。余りにも悪材料が揃い過ぎている。下手をすると、恐慌の可能性がある! 
  ー前回の「記者の目」ー毎日新聞の、つづき
ローンを担保に次の金融商品を作り、それを担保にまた商品化(証券化)と何度も繰り返されていることがサブプライムの特徴で、
どの商品が焦げ付くのかが見えにくいから始末が悪い。しかも、住宅価格が上がることで借金が可能となり消費を膨らませるという
アメリカ人の消費行動も狂わせた。減速どころではなく、アメリカのリセッション(景気後退)が現実味を帯び始めている。
原油高騰などからインフレ懸念を引きずっての景気後退となれば、なおやっかいである。1月7日、経済3団体などの賀詞交換会。
「アメリカはスクラップ・アンド・ビルドの国。うみを出し切れば、あらゆる手を打ってでも、経済を立て直してくる」。
年後半の相場反転を期待する企業トップもいたが、多くは「アメリカ・プロブレム」を気にかけていた。
 90年代以降、同時多発テロで一時揺らいだものの、世界経済を主導し、自らもその果実を満喫してきたアメリカの黄昏。
一方で、ユーロ高を導いているEU(欧州連合)、今夏、北京五輪を開催する中国、資源外交を強めるロシア、
成長力は中国以上といわれるインド、オイルマネーが勢いづく中東諸国、資源大陸アフリカ等々、08年経済の担い手は多士済々だ。
基軸通貨(ドル)の信頼感からアメリカに還流していた資金は今、原油に向かい、金を買い、非鉄金属などをめざしている。
資源バブルである。バイオエタノール需要を見込んで、穀物にも向かっている。どれも投機色が強いが、新興国の経済急成長という
需要増が背景にあり、世界経済の主役の座がすでに、アメリカからこうした国々に移っていることも確か。
 (字数制限のためカット 2012年1月23日)
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2007年01月23日(火)
2121, 銀行も本格的な競合状態に!     (^^)/ おはようよっ!
地元の銀行の担当の話によると、「地方銀行も本格的な競合状態に入ってしまった。都銀や大手信託銀行が、
中小企業への本格的な開拓を始めてきた上に、地銀同士がこれまでのテリトリーを越えて顧客の奪いあいを始めた。
 (字数制限のためカット 2010年1月23日)


4696, 悲観のプロセス12の段階

2014年01月22日(水)

                       心を癒やす言葉の花束』アルフォンス・デーケン著 
    * 悲観のプロセス12の段階
  ここで、死を覚悟するまでの悲観のプロセスを紹介している。挫折を一つの小さな死とすれば、この3年近くで、
 ほぼ同じ悲観のプロセスを経験したため、以前読んだ時より深い実感がある。本物の死への予習? ーまずはその辺りからー
《 デーケンは「この辛い12の段階を誰かが代わることはできない、自分の中で時間をかけ消化するより仕方がない 」と力説。
この階段は個人差があり、順番に経験することもあれば入れ替わることも同時に経験することも 順番を飛び越えることもある。
 1段階:精神的打撃と麻痺状態:  愛する人の死という衝撃によって、一時的に現実感覚が麻痺状態になる。
    心身のショックを少しでも和らげようとする本能的な働き、 つまり、防衛規制。
 2段階:否認 :感情、理性ともに相手の死という事実を否定する。
 3段階:パニック :身近な死に直面した恐怖による極度のパニックを起こす。
 4段階:怒りと不当感 :不当な苦しみを負わされたという感情から、強い怒りを感じる。
    「私だけがなぜ?」「神様はなぜ、ひどい運命を科すの?」
 5段階:敵意とルサンチマン(妬み):  周囲の人々や個人に対して、敵意という形で、やり場のない感情をぶつける
 6段階:罪意識 :悲嘆の行為を代表する反応で、過去の行いを悔やみ自分を責める
 7段階:空想形成 :幻想ー空想の中で、故人がまだ生きているかのように思い込み、実生活でもそのように振る舞う
 8段階:孤独感と抑鬱 :健全な悲嘆のプロセスの一部分、早く乗り越えようとする努力と周囲の援助が重要
 9段階:精神的混乱とアパシー(無関心) :日々の生活目標を見失った空虚さから、どうしていいかわからなくなる
10段階:あきらめ 受容 :自分の置かれた状況を「明らか」にみつめ、現実に勇気を持って直面しようとする
11段階:新しい希望 :ユーモアと笑いの再発見 :ユーモアと笑いは健康的な生活に欠かせない要素で、その復活は、
    悲嘆プロセスを乗り切りつつあるしるし
12段階:立ち直りの段階 :新しいアイデンティティの誕生: 以前の自分に戻るのではなく、
    苦悩に満ちた悲嘆のプロセスを経て、より成熟した人格者として生まれ変わる 》
▼ 以前にも、ここで死の受容のプロセスーキューブラー=ロスが『死ぬ瞬間』の中で発表したものを取り扱った。
・否認: 自分が死ぬということは嘘ではないのかと疑う段階である。
・怒り: なぜ自分が死ななければならないのかという怒りを周囲に向ける段階である。
・取引: なんとか死なずにすむように取引をしようと試みる段階である。何かにすがろうという心理状態である。
・抑うつ:なにもできなくなる段階である。
・受容: 最終的に自分が死に行くことを受け入れる段階である。
 これをベースに、書き加えたもののようだが、諦めから自分の状況を「明らか」にして、受容することで心安らかに
なることが最終の段階。その過程の心は暴風を突き抜けた中で、諦め、感謝に変わっていく。 それを果たして楽しめる?
・・・・・・
4329, 財政恐慌 −5
2013年01月22日(火)                    
    * 死に至る無限ループ      『財政恐慌』浜矩子著 
  以下の抜粋部分は近未来の財政破綻と恐慌を明確に分析している。 これは日本だけでなく、アメリカ、
 欧州も同じこと。 最後のリンゲルをうち終わった後の近未来の日本の惨状を考えると惨憺たる思いである。 
   ーまずは、その辺からー
≪ 恐慌とは何か。それは、要するに経済活動のシック死現象だ。劇的な形で、あっという間に経済活動がマヒ状態に陥る。
 そうなれば、人々は恐れ慌てる。だから、恐慌という。このとてつもなく怖い現象を、財政が引き起こす。 そのような
とんでもないことが起こる世の中になった。それは、なぜか。グローバル時代においては、ヒト・モノ・カネが国境を越える。
ところが、財政は国境を越えられない。国境を越えられない財政が、国境を越えたヒト・モノ・カネの動きが引き起こす様々な
大問題に対処しなければならない。そのことが、いまだかってなく重い負担になっている。その重みに耐えられなくなった時、
起こってはならない財政恐慌が発生する。
 ご承知の通り、財政政策というものは、景気変動による経済活動の浮沈をならす機能を果たす。財政にそのような役割を
付与すべしと唱えたのが、かのケインズ。 経済活動が大膨張と大縮小の間を行ったり来たりし、その度ごとに人々の生活を
痛めつける。この極端な循環現象から経済社会を解放しよう。そこに、財政政策のそもそもの眼目がある。
 その意味で、極めて雑駁に言えぱ、要するに財政政策というものは恐慌逃避のために存在するということになる。
恐慌は経済活動のショック死現象だが、見方を変えれば洪水のようなもの。大河が溢れれば洪水になる。洪水はすべてを流し、
その過ぎ去りし後に新たな生命の循環が始まる。新たなスタートを切るのは結構だが、その前に、あまりに悲惨な大清算の
場面をどうしても経なければならないのか。その衝撃をなんとか緩和できないものか。そのような発想の中から、政策の関与に
よって経済的変動を微調整しよう、というケインズ的考え方が生まれた。
 かくして、ケインズ後の経済の世界は、恐慌というショック死現象に陥ることを免れることになった。ただし、そのための
代償として、常にインフレに陥りやすい体質が世界的に根づくことになった。それはそうだろう。経済活動のショック死を
防ぐべく、政策が早め早めにカンフル剤を打つ。その状態が続けば、経済活動は常にとってもハイになりやすい。欝状態に陥る
ことを避けるために、どうしても躁状態を慢性化する方向にバイアスがかかる。要するに人類は慢性インフレという代償を
払うことによって、繰り返し襲う恐慌の洪水から解放された。それが従来型の基本認識だった。ところが、いまやその認識とは
あまりにも違う構図が我々の目の前に出現している。いまや、内と外との関係は実に曖昧だ。国内から外に出て行き、外から
内に流れ込む。数多くの工場が丸ごと国境を超えて移転する。それに伴って雇用機会もかつてない勢いで内から外へ流れ出す。≫
 ▼ 問題は、大清算の国民の痛み。ギリシャが、いざ予算削減で国民の痛みに直面すると同時に拒否するパターンと同じことが、
  今までも、これからも日本に起こる。目先の痛みを恐れ問題の先送りを続けてきたが、もう許されない。しかし茹で蛙状態の
  日本人も同じこと。最後は金持ちは国外に移住。 国内残留組は貧乏になるしかない。それを、国民は選んだ結果である。
 ・・・・・・
3954, ファイナル・クラッシュ ー6
2012年01月22日(日)
  * 日本経済の行方       「ファイナル・クラッシュ 世界経済は大破局に向かっている!」
≪ 著者ヒューゴはファイナル・クラッシの主因を大西洋両岸のイギリス、アメリカの浪費型経済システムと見ている。
 まずアメリカ、そしてイギリスを含むヨーロヅパが完全な機能不全に陥って、日本を含むアジアも経済的な破局に巻き込まれる見通し。
しかし、日本経済を振り返れば、アメリカ以上に借金頼みのいびつな形となっていることは疑いない。「アジアの成長が止まることも、
あるいは崖っぷちで踏みとどまっているアメリカとヨーロッパの経済が足を滑らせて恐慌状態に転がり落ちることも世界経済全体が
ファイナル・クラッシュを迎える引き金となるだろう。そして世界にはもう一つ大きな危険要因が存在する。 日本である。 
私の予想では日本政府はもう一段階の格下げにあい、アメリカ政府に先駆けて財政破綻する。そしてその後、日本に引きずられて
アメリカとヨーロッパ諸国も同じ道をたどることになる。アメリカ先行ではなく、日本がアメリカを引きずり下ろすのだ。
この点が著者ヒューゴと私の見解の相違である。もっとも違いといってもシナリオが違うだけで、最終的な結末は大差はない。
日本経済の抱える問題を、世界では「ジャパン・プロブレム」と呼んでいる。懸念されているのは、日本政府の財政状況。
日本政府の負債は、財務省の発表によれば二〇一〇年度末で九二四兆円。 OECD(経済協力開発機構)の推計では、二〇一一年にも
国内総生産比で二〇〇%を突破し、さらに今回の震災の復興費用により二三五%になると言われている。また、政府の歳出が税収の二倍を
上回っている。そういう国は長くは続かない。しかも日本政府はこれから震災復興を理由として、今以上に支出を増やそうとしているのだ。
日本では報道されていないが、海外では今や日本政府の財政破綻こそ、世界経済の最大の懸念事項なのである。IMFの発表を見ていても、
東日本大震災は世界経済の撹乱要因、危険要因とみなしている。ただでさえ弱っていた日本経済を震災が破錠させ、それがさらに
世界経済のメルトダウン(溶融)の引き金を引くことを、欧米先進諸国は恐れている。震災後に行われたG20の会合でも、その方向で
ミーティングが進行していた。ジャパン・プロブレムの根本原因は、二〇年間にもわたる日本の民間経済の不振を、政府が財政支出の増加で
カパーしようとしたことだ。これはコインの裏と表という両面がある。「失われ20年」と言いながら、日本が生き残ってきたこと。
それは政府の財政支出の拡大によって支えられていた。これがコインの表面である。コインの裏面は、その財政支出の拡大が
日本経済を破綻させ、世界経済のクラッシュの原因となりかねないという問題だ。 なぜ日本経済は二〇年にもわたる不振に陥ったのか。
これについては世上、金融システム問題、中国の工業化などさまざま理由があげられている、私見では少子高齢化である。
日本は人口が減少している。とくに労働人口が減り、老齢者が急速に増加、ものづくり人力も喪失している。大震災、原発事故というのは
想定外の問題なのだが、日本経済衰退の根本には少子高齢化があり、これは変えられない。人口増を前提とした高度成長期型の経済モデルは、
もはや維持不可能なのだ。この根本的な問題がここ二〇年間、それほど表面化せずにやってこれたのは、アジアの経済成長とアメリカの
過剰消費という外部要因のおかげである。だが、日本経済を支えていたこの二つのエンジンが今、まさに止まろうとしている。 ≫
 ▼ 東北大震災も、国家財政からみたら大きな問題になってくる。前の事業を継続していたらと考えると背筋が寒くなる。
  それも電気料金の値上げ、ボイラーの灯油の値上げ、客数の減少など、実際に成り立たない事態である。時流が先行して現れ出る
  仕事なので、沖合の津波の襲来が見えてしまうから、毎日のように、ここで声高に喚いている。一年前の今時分になって、やっと
  事の重大さを認識し、現実問題として事業の存続を考え出した。そして、その僅か二ヶ月後に整理、倒産を決断をせざるを得なかった。
  結局は、誰も助けてはくれない! 自分で見据え、判断し、決断するしかない。 この国とギリシャ、イタリアと、どこが違うのだろう。
  ・・・・・・・
 3589, ユダヤ人 魔法のコトバ
2011年01月22日(土)
   「ユダヤ人 魔法のコトバ」 ースティーブ・モリヤマ著
 ユダヤ人の格言は、数千年の歴史に裏付けられているので、奥行きが深い。
 世界の権力構造にはユダヤ人が深く関わっている。下手な人生論など足元にも及ばない説得力を持つ。
  ー この本の中で、印象に残った箇所を幾つか書き出してみる ー
* 成程!
 「私は決して歳をとらない。私にとって、老齢とはいつも自分より15歳年上のことだから」ー米国投資家・ベルナルド・バル−ナ
   解) 逆に自分より15歳年下からみれば、老齢ということになる。 40歳位までは55歳以上の人は皆、老齢に見えた。
* 笑うしか術がない時
  人生の中で、本当に深刻な時と問題がある。その時は、独り笑うしかない。 
   解)その笑いが、振り返ると何ともいえない思い出になる。ところで、笑えるのは本当に深刻だろうか? 愚問か!
* 物忘れ
 「まずは名前、そして顔が思い出せなくなる。次にズボンのジッパーを上げるのを忘れるようになる。
  そして最後には、ジッパーを下ろすのを忘れるようになる」  コメディアン ージョージ・ハーンズ
   解)これ、笑っていられない年齢になってきた!
* 口の軽い奴
 「手癖、女癖の悪い奴より、口の軽いやつのほうが始末が悪い」    ータルムード
 「噂話はかならず三人を殺す。噂をばら撒くやつ、疑問も抱かずに噂話を聞く人、そして対象になっている人」
   解)教養のないオバチャン。それと、そのトジブタの割れ鍋の男。酒が入ると、他人事ではないか・・
* 夢も悪夢もあったけど
 「夢も悪夢もあったけど、夢があったこそ悪夢を乗り切れた」 ージョナス・ソーク
   解)悪夢を乗り越えた時点で、それは志に変ってしまう。乗り越えないと挫折が待っている。
    「夢も悪夢もあったけど、(悪夢)があったこそ(夢)がかなったのだ」も、道理。
・・・・・・・
3224, 地球を通り過ぎる
 2010年01月22日(金)
 2000年前後、6年間、朝日新聞に連載されていた「一語一会」の随想集の中にあったもの。なかなか、含蓄のある随想である。 
 地球環境破壊に対する問題提議にもなっている。 この人の写真集を持っているが、なかなかよい。
  * ー地球を通り過ぎるー  長倉洋海 写真家
「鳥のように静かに地上に降り立ち、やがて静かに飛び去っていく。 それが私たちインディオの生き方。
 人は地球を傷つけることなく、通り過ぎることができる」。 ブラジルを共に旅したアユトンの言葉だ。
 アマゾン先住民を取材しようと訪れたブラジルで、出会ったのがクレナック族のアユトン。  
 (字数制限のためカット、2012年1月22日)
・・・・・・・・
2849, 「ほめる」言葉  − 3
 2009年01月22日(木)
  ネットで「褒め言葉」で検索をしたところー「二段ぼめ」が基本ーとあった。 
 一段目が、外見や仕事などに対する一般的なほめ方。二段目は、その長所から連想される内面をほめること。
 ただネクタイの色柄をほめられるよりも、それを選んだ感性がステキと言われるほうが数段も嬉しい。
 女性??が、ファッション服を買う時、彼女の頭には誰か友達に見せて褒められる場面を想定している。
 何気なく着ていて『素敵!』と言われる場面である。 外国のブランドショップで買うときなど、そこで日本より安く、
 いち早く買ったことを自慢したいのである。ほめて欲しい方も、二段構造になっているのである。それなら二段ぼめをしないと。
 「いいわね〜私も、その国に一度は言ってみたいの!」とか。人間は優位に立ちたいのである。嬉しそうに家内が言うには、
 「ある店に行ったら偶然なのだろうが、女店員が持ってくる服が全て似合っているの。 女店員も調子に乗り次から次へと、
 試着させてくれた。外れは一着もなく至福の時間だった。」 幸せな人には幸せなことが起こるのである。
 買ってきたのを着てみせてくれたが似合っていた。褒めるとは、互いに呼吸を合わせるということである。
 ーーー
第二章 相手の言動に関心を持つ「ほめ言葉」
 ー相手をよく観察すれば、とっかかりの言葉は見つかるー
「さすがー」その場でほめる 56     「やるじゃないか」相手に関心を持って接する 58
「笑顔がいいね」観察していればほめる言葉は見つかる 60
「誰よりも早く出社するね」事実を伝えるだけでも「ほめ効果」は期待できる 62
「創業1OO年だそうですね。さすがに老舗の風格がありますね」 事実にプラスの評価を付け加える 63
「慎重なタイプだから安心だよ」 個性をほめる          「よく知つているね.感心させられるよ」
   (字数制限のため中間カット、2011年1月22日)
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2008年01月22日(火)
2484, 「世間体」の構造 −2           ('-'*)オハヨ♪
 ーあるブログに、この本の要約があった。
以下は、それを更に簡略をした内容であるー これで、ほぼ概要を網羅している。
 ”世間”とは個人からみれば、”準拠集団”=自分の行為・行動・態度・意見、価値観にもっとも強く影響を与える集団と
捉える著者は、 語源から”世間”の”世”は「時間」を意味し”間”は「空間」を意味するとして、人々の”世間”
に準拠して人々が行動するようになった世間観の原型を江戸期時代として、井原西鶴『世間胸算用』がその象徴とみた。
 村の「オキテ」、武士の「イエ」をその背景として、明治期に家族生活を統括する基準となる家制度(共同体社会における
和合価値と、武家社会における献身価値の融合)を明治民法で国策化し、『「せまい世間」は「イエ」と対峙しながら、
それに優先し、「ひろい世間」は「せまい世間」と対峙しながら、それに優先した。「ひろい世間」はより「ひろい世間」と
対峙しながら、それに優先する。このように、同心円的に幾重にも重層化「世間」が国家を頂点に整序づけられた』と述べる。
(字数制限のためカット、2010年1月22日)
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2007年01月22日(月)
2120, 一度はやってみたかった!    オッ(*^○^*) ハ〜ヨウサン!
 ー下品な人は誰のこと?ー
「品格のない男とはどういう品種」かと先日書いたが、酒を飲むと、その人間の品性が出るという悪い事例を「自分にみた!」 
男なら一度女性の和服を脱がしてみたいものである!が、その願いが何と叶えたのである。先日の中学校同期会の二次会で、
午前の一時過ぎの帰る間じかに女性二人が、着物から洋服に着替えるので席で帯を解くという。「私に解かせて!」と頼むと、
「OK!」の返事。スナックのボックスだが二人の着物を脱がせてもらった。    (^^*)
初めてで最後の経験だろうが、何か淫靡な面白い疑似体験?になった。二人が「着物の似合う上品な艶かし女性」だから、
リアルで切迫感があった。着物用の下着を着ていたが・・少し気があった人?だから、それを加味すれば差引ゼロか。     
「芸者ワルツ」と、「温泉芸者」のカラオケを聴きながら無言で、帯を外し、着物を一枚一枚脱がしていくのだから!
妙な気持になる。『何もしてないのに、何か?しているような・・』 長いボックスの一番奥だったので、
他の人はあまり気づかなかったようだが。いい歳をして何をしているのだろうか? こういうのを下品というのだろう。
  (字数制限のためカット、2014年1月22日)


4695, 霊気(スピリット)には、3種類ある

2014年01月21日(火)

               ー人生は65歳からがおもしろいー河村 幹夫 (著)
  * 企業家と経営者との違い! 
 企業家は「真性不確実性」の中に「利潤の源泉」をリスクを持って主観的判断をしなくてはならない。
そのために自分自身に絶対的な信念を持った楽観的アニマルスピリットが必要となる。
  ここで、「スピリット(霊気)」には3種類あると記されている。 ーその辺りを抜粋して考えてみる
《 /澗,ら生まれるとされる生命精気、 肝臓から生まれる自然精気、 G召ら発する動物精気です。
 哲学者ジョージ・サンタヤナは「動物信念」の中心性をもとに哲学体系を構築したが、彼のいう動物信念とは
「純粋で絶対的な精気、知覚不能な認知エネルギーであり、その本質は直感である」と記されており、ここまで説明されると、
私たちにもナイトやケインズの主張も理解しやすくなります。たとえばナイトはアントレプレヌアー(企業家)とマネージャー
(経営者)を明確に区別し、後者はナイトの唱える数値計算が可能な不確実性、すなわちリスクを保険付保するなどして、
分散しながら通常的に経営者としての業務を行い、報酬を受け取る立場にあります。しかし想定外の数値的な表現が不可能な
不確実な事象(真性不確実性)が発生すると、それに対応すべく経営機能も質的な変化をとげなければならないし、その時には
マネージャーはアントレプレヌアーに変身して、きわめて重要な予測とか判断を主観的に行うチャレンジングな役割を果たす
ということになります。一方、ケインズも、限られた知識に基づいて、不確実な将来に向かって、例えば設備投資のような
長期的なコミットをしていくためには、自分自身に対して絶対的な信念を持ち、楽観的なアニマルスピリットを持つ人材が
必要であると説明しています。そして投資.投機に関して、最も重要なナイトの指摘は、「利潤の源泉」は保険付保が可能な
(彼の言葉では)リスクの中には、それによってリスクがコスト化されるということですから、利潤の源泉とは言えません。
彼の言う「真性不確実性」の中にこそ発見されるものだ、という点にあります。これは、まだ海のものとも山のものとも
わからないベンチャー企業に敢えて投資する態度につながります。・・・ 》
 ▼ 3年前の決断と、その後の対処が本能に根ざして淡々と、後処理が出来たのは、歴史的テロによる断層と、数百年に
  一度の経済的震災(リーマンショック)と、二万人の死者を出した東北大震災と津波のため。これらの現象で、アニマル
 スピリッツが目覚め、思いきった決断と、行動が出来たことになる。そこに悪い霊気が向うと、返り矢になるのは、当然?
  創業者を気取って、10年で転身をしないで経営者に甘んじたのが、この結果の真の理由になる。 上手くいった創業来の
 10年分の蓄積を、20年かけて食べ尽くしてしまった! 微温湯で動物的直感が茹で上がってしまったのである。
 企業家の状態でリタイアが、良かったか、茹で蛙が良かったか? もちろん、前者だが、その辺りの自覚が足りなすぎる! 
 のは、ご覧の通り。  「ご覧のとおり、そのまま、結構」である。
 「/澗,ら生まれる生命精気、 肝臓から生まれる自然精気、 G召ら発する動物精気です。
  .疋ドキ胸がときめき、⊆鬚魄むと開放される、あの霊気、2燭を直感する認知エネルギーこそ、人生の礎である。
・・・・・・
4328, 財政恐慌 −4
2013年01月21日(月)                 
   ー次の質問群よりー        『財政恐慌』浜矩子著   
● 我々はなぜ元いたところから立ち去ったのか 
● 我々はここで立ち止まりたいのか
● それとも、我々は元に戻って最初からやり直したいのか
   * 我々はなぜ元いたところから立ち去った。
 それは簡単だ。元いた場所が、我々に不相応な場所になったからであ。日本経済は成熟した。大人の経済になった。
 だから、育ち盛りだった高度成長期に場所を立ち去った。
   * 我々はここで立ち止まりたいのか
 それは、「ここ」を我々が居心地のいい場所に仕立て上げられるか否かにかかっわっている。
「ここ」を嫌がってばかりいたのでは、「ここ」はいつまで経っても立ち止まっていたい場所にはならない。
 成熟した経済社会が、居心地の悪い場所であるはずはない。この場所のよさをどう引き出していくかが課題だ。
   * それとも、我々は元に戻って最初からやり直したいのか
 プラザ合意の時まで戻ってやり直す。それができれば、そうすべきだろう。しかしタイムスリップができないのなら、
 出直しを考えることには意味がない。 それよりも今、どこにいるのかを確認し、ここを新たな出発点にすればいい。
 ▼ これらの質問群を読んでいると絶望的になる。その元凶はアメリカに与えられ忠実に従ってきたことに行き着く。
  一度ハイパーインフレを受け入れ国民の財産を清算し、憲法を改革すべき時に来ている。新潟駅前シリーズの事業、
  これは日本経済の縮小版だった。 リーマンショックの直撃で清算に追い込まれた。 しかし日本経済は今だに、
  借金を増やし続け、国家財政破綻に向けて暴走している。 自民党に政権が戻ったのは、明治維新に例えれば、
  旧幕府に権力が戻ったようなもの。幕府に明治維新が出来ようはずと思うのは当然である。憲法改正はグローバル化の
  中では絶対条件。 安部・麻生の二人は分かっているだろうが、最後は「維新の会」の石原と橋下のコンビが仕上げる
  のだろうか。見渡す限り他には存在しない。いずれにしても、経済成長の幻想は捨てるべき、という著者の主張は正しい。
 ・・・・・・
3953, ファイナル・クラッシュ ー5
2012年01月21日(土)  
   * 迫り来るメルトダウン      「ファイナル・クラッシュ 世界経済は大破局に向かっている!」
【 結論からいうと、世界恐慌は避けることができない。ドル還流のポンプ役が日本から中国にバトンタッチしたのは、
 日中の経済規模が逆転し、中国が世界第二の経済規模になった2010年でなく、日本がバブル崩壊をしたときである。
 その段階で中国の元が変動相場性になっていれば、実体経済からかけ離れた還流システムが早い段階で正常に戻ることになり、
 世界中に過剰なドルがばら蒔かれることなく、ファイナルクラッシュは妨げられただろう。しかし、実際には中国は、著者が
 予測するように、今のままを続けようとするだろう。アメリカは国債を、それに甘んじ増発する。原著で予測されていることが
 現実に起こっている。もう、遅い。クラッシュは避けられない。 ドルがクラッシュを起こすと、元もユーロも大損害を受ける。
 ユーロは今やドイツのことになっている。ドイツだけで支えている状態が、ドルのクラッシュで、ドイツはユーロの犠牲者に
 なってしまうと思っているから、この辺が限界である。原著では、「全て共倒れになるだろう」と悲観的に述べている。】
▼ この本が書かれたのが去年の8月として、原著が、その一年前として考えると、その後の動きは、この通りに動いている。
 それも連日の欧州危機のニュースは、その緊迫度が増していると報じている。 何時、何処かの国がデフォルトするか、何時、
 株式市場に異変が起きるかだが、そのメルトダウンが始まった?ようだ。ファイナル・クラッシュが起きると実際どうなるか?は、
 今のところ誰も分からない。世界戦争になるのか、国家非常事態宣言後に、食料の一部が配給性になるのか、銀行閉鎖になるのか、 
 これまでの延長線上でないことだけは確かである。起きるのは、既存の企業の倒産と、それによる社会不安と犯罪増加。そして、
 IMFの管理下に置かれて、徹底的な合理化を一般家庭にも求められることになる。アメリカによる完全支配下になる可能性がある。
 この年齢になれば、何が起きても割り切ることが出来る。 3、6、9月、年末と、ギアが動く。 来年の今ごろ、どういう気持ちで、
 この文章を読んでいるのだろう。少し悲観的だったと思うか?現実の方が激しかったかと思うか? この一年は、後者だったが・・・
  ・・・・・・・
3588, 戦略ネット会議システム
2011年01月21日(金)
 先日、30数年来の友人が事務所に訪ねてきた。来社は年に三度位で、酒を飲むのは年に1〜2度。
節目ごとに変身していくから、会っていて面白い。地頭が良いというに相応しい人。先日の彼の話が久々の重厚の内容。
 ー 二時間の談話?を要約する ー (その人をk氏とする)
≪ K氏、最近、二週間に一度、上京、 あるコンサルタント会社の会合に出ている。
 メンバーは全国の異業種の人たち(5〜6名)で、現在直面している経営の戦略課題を全員で知恵を絞り出す。
 学生時代のゼミで一年間みっちり仕込まれたケース・スタディーに酷似している。K氏のそれは二日に渡って話しあうが、
 その後、家に帰った後に、時間を調整して互いにチャットをする。そして月二回の割で一同に会し、その内容を深めていく。
 そのメンバーの具体的な職種と、テーマの内容を聞いたが、戦略のコアそのもの。 全国レベル、いや世界レベル?で、
 それらが、異種業の視点の照射で、互いに刺激をしあうのだから、そこで戦略のスパークが起きてくるのは当然。≫
  ー 以上だが、会合が月に二回と、それ以外にも互いにチャットをするところが面白い。
 それぞれの自己が確立されてないと、マイナスにも働くことになるが、その辺は選ばれ者達、十分認識しているはず?
 現在、我々は時代の断層の狭間にある。今までの勝者は時代の波の中、どんどん敗者に振り落とされていく。
 その中で、戦略の練りこみ深さが生死を決める。 地方では地銀が、顧客に対するサービスとして、顧客の囲いみを含め、
 例会を開いてきた。それは地元企業の井戸内の知恵の範囲になる。グローバル化の時代は、逆にマイナスになることもある。
 このシステムは「戦略の深化」を本気で(ネットで)練る効果がある。電脳化で経営戦略の練りこみに活用する事例である。
  Aクラスの脳を集め、知恵を搾り出す中で、超Aの脳に互いに持ち上げていく効果は測りしれない! 
   カルチャーショックだが、面白い時代である。  このような時代に入ったのである。
・・・・・・・・
3223, メタ認知とは
 2010年01月21日(木)
 フリー百科事典『ウィキペディア』によると、
【 メタ認知とは、認知を認知すること。人間が自分自身を認識する場合において、自分の思考や行動そのものを対象として
客観的に把握し認識すること。それをおこなう能力をメタ認知能力という。 現在進行中の自分の思考や行動そのものを対象化して
認識することにより、自分自身の認知行動を把握することができる能力を言う。 自分の認知行動を正しく知る上で必要な心理的能力。
Knowledge Monitoring AbilityKnowing about knowing.(知っているということを知っている)、
Cognition about congnition.(認知していることを認知している)、
Understanding what I understand.(私は理解しているということを理解している)
現代において、メタ認知能力の育成は、教育、とくに学校教育において特定の教科教育を越えた重要な課題の一となっている。
 * メタ認知能力を測る9項目  ≪以下の質問に「はい」と答える数が多いほど、メタ認知能力が高いことになる。≫
・自分が用いる方法がどのような問題解決のときに、最も効果的なのかを知っている
・このようなやり方が有効か、十分考えてから課題に取り組む
・問題の中の重要な部分に意識的に注意を向けている
・自分がどの程度よく理解できているかについてうまく判断できる
・問題が解けたとき、自分がどういう方法を用いたかわかっている
・問題に取り組んでいるときに、うまくいっているかどうか、定期的に自分でチェックしている
・勉強するときは、その目的に合わせてやり方を変える
・勉強したり課題を行うときには、計画を立てる
・考えが混乱したときには、立ち止まり、もとに戻って考えてみる 】
 ー以上だが、メタ認知が出来るのは人間だけである。いつも目にはしたが、その意味を見逃してきた。
  (字数制限のためカット 2012年1月21日)
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2848, 「ほめる」言葉  −2
2009年01月21日(水)
 どの本でも、前書き、目次、そして後書きに8割の情報の要約が入っている。この本は、章ごとに違う人が書いているので、
それぞれ個性があって面白い。「ほめ言葉」は、奥が深いので、章の目次ごとに、取り上げてみる。
褒めることは心をケアすることになる。 「相手の立場に立って理解しようと努めること」である。
誰もが「一日一日を納得して生きている」。 そのことを認めない限り、相手も心を開かない。
まず相手の話をジックリと聞くことである、それから始るが・・・ 
 第一章の 相手の存在を認める「ほめ言葉」 
   ー相手の存在を認めることからすべてがはじまる −精神対話士 Sさんーから
「あなたの気持ちは〜ですね」    まず感情を共有する
「○○さん、こんにちは」      挨拶は相手の存在を認めているというサイン
「最近、どう?」           頻繁に声をかけることで親密度が増す
「今日はいい天気だね」       視線やしぐさでアビールする「ほめしぐさ」 P28
「お元気でしたか?」         相手との距離を縮める魯葉  P30
「お会いするたびに、若くなりますね」 できるだけポジティブな表現を使う P32
「OOさん、ありがとう」       人間関係を親しみあるものにする言葉 34
「いつもありがとう」        感謝の言葉はできるだけ頻繁にかける 36
「大変だったろうな」        仕事の苦労を理解していることを示す 38
「本当によくやつてくれた」     仕事の成果を寛と表情でねぎらう   40
「そうか、そんなことがあったのか」 相手の話にじつくりと耳を傾ける 42
「ああ、そうだね」         相手に同調することで波長を合わせる 
「つまり、こういうことだね」    相手を尊重しているという姿勢を見せる 
「私もそうしたでしょう」     「1OO%あなたの昧方である」という態度で接する
 ーー
解)女性には「私は美人が好き、ただそれだけのことだけど!」と思わせぶりをし、 
 「美人は美人というだけで、特別視されてしまい可哀想だよ!」と捻って、取っておきは 
 「美人は美人というだけで、周りを明るくするもんね、特に貴女は!」と、最後は
 「あなたは私のタイプ。でも手が届かないもんね」 で際どく! ほぼ口説きになるか。
 ・褒められるとエネルギーが出てくるもの。それをホメルギー(造語)という。
 ・しかしスーダラ節じゃないけれど「分かっちゃいるけど、褒められない!」のが、褒めること。
 それにしても、営業系の腕の良いのは、本当に褒めが上手い。割り切れば割り切るほど
 言えるのだろう。 枕言葉にするぐらいじゃないと、営業はできないのだろうが・・・  ーつづく
    ・・・・・・・・・・・
2008年01月21日(月)
2483, 四四太郎の霊日記 −18        ~~~ヾ(^∇^)おはよー♪
 さてと、一週間抜けたようだな。
何度も言うが、ワシは宇宙外の存在?なのだから、呼ぶのは御主の心次第。ワシも御主の心底の霊感を入り口として、
吸い寄せられて来るだけ。御主も先日で62歳になったが、もうそろそろ、年齢を意識して生き方を見つめなおす時期じゃな。
御主も、ワシと同じように宇宙外に出なくてはならない時期が迫っている。一度出たら二度と戻れないのが、また良いのである。
ワシの話す「永遠の言葉」は、それ自体が独りごとを言っていると言い換えることが出来るのじゃ。後で読み返してみるがよい。
そこには御主とは違う、永遠の何かを感じ取るはずじゃ。ところでワシが連れてきたダ・ジーダとの対話が進んでないみたいだな。
前にも言ったが、誰か身近で亡くなった人を呼び出して三者で話すことじゃ。もしな、迷ったことなどを相談しようとしたら、
最適な故人の身近な人と、ダ・ジーダかワシか、三人の対話方式をとればよい。思わない言葉が、知恵が鋭く出てくるはず。
部屋は真っ白な壁に囲まれたイメージを持ってじゃ、後は自然に任せるのじゃ。宇宙の外に一度出て、再び娑婆に帰ってくると、
娑婆の全てが輝いているのが見えるものだ。ワシの存在など御主の言葉の中しか存在し得ないが。といってワシの言葉は、
新しい世界の創造を促進させていくんじゃ。娑婆はな、ワシの目から見ても、今年から本格的な動乱に入る。それは日米にとって、
惨状に近い事態になる。明治時代からの今までのバブルが弾けたということ。ロシアも中国も然りで、ロシアも
700年のバブルが弾け混乱が拡大しているだけのこと。その辺は冷静にみれば分ることだ。鳥瞰していると、娑婆は面白い。 
ワシなど偉そうに喋っているが、所詮は500〜1000年のスパンの話。現在の変化はな!これを遥かに越えた段階に踏み込んでしまった。
御主は、全く娑婆にまだまだ囚われている。無理は無いのは分かっているが、娑婆はな!娑婆でしかない。
その中に住んでいると見えないのだろう。 何時も言っているが、そこで娑婆を冷静に見ようとしたら、
独りになりきるしかないのじゃ。だから、4つの視点、力、愛、知と、超越の時間(孤独の時間)のバランスが
重要になるのだ。ワシという存在対話をしている、これは超越の時間である。
ワシはな、御主の中の超越の時空を与えていることにもなるんじゃ。ワシの価値=意味はな、御主の中の純正意識を語ること。
それをな、先祖霊としてな偽霊化して語らしめることにある。    またな!     βyё βyё...φ(・ω・ )
・・・・・・・
2007年01月21日(日)
 2119, 家族について          (o_△_)oゴロン(o_ _)o.。o○グー   オハヨ〜
最近、家庭崩壊による悲惨な事件が続いている。この歳になってつくづく思うことは、「家庭」の重要性である。
その人を判断するときに一番簡単の判断基準が育った家庭環境である。といって、それぞれ当たり外れがあるが・・・
神という存在があるなら、神は何と酷いことをするのであろうか!「連れ添いの当たり外れを五分五分にするのだから!」
そして外れた場合、その子供は明らかに大きなハンデを背負わされる。子供にとって親の仲で運命が大きく左右される。
その上に両親との相性の問題もあるから、十歳までに能力・運命が決定されているというのも、肯ける。
人の幸福の第一は家庭内の平和である。家内の平和とは、夫婦が互いに深く理解しあうことの他はない。
 (字数制限のためカット 2011年1月21日)


4694, 知恵と、教養と、知性の違い

2014年01月20日(月)

ー人生は65歳からがおもしろいー河村 幹夫 (著)
    * 知恵と、教養と、知性の違い
   この本には、なかなか含蓄ある内容がある。 ーその幾つかを書き出してみるー (【 】内は、私の意見)
・ シニアこそ、教養と教育が必要! 教養とは「今日、用がある」 教育とは「今日行くところがある」
 【 これは、面白い。40年少し前になるが、以前勤めていた会社の人事課長を揶揄して「今日行くか」が来たぞと
  誰かが言った言葉を思い出した。「教養が無い」は「今日用が無い」と、学問を疎かにすること」
  と定義づけていた。「シニアは特に、自分から何かを探して実行をしなくてはならない!」ということ。
・ ー知恵と、教養と、知性の違いとはー
  知恵とはー「(知識・情報+経験)×思考 =知恵」 
  教養とはー「人間の生き方のもっとも深い部分に存在し、人間の原点になり、人間性を律する基本となるべきもので、
       すぐれて個別的なもの」
  知性とはー「教養を感性でくるんだもので、教養×感性=知性と表現できる、なお一層個別的なものであり、
       何人も簡単に到達できない高次元の精神性」
 ▼ 著者は、この3つをを意識的に区別して自分のレベルを知ろうと努めている、という。
  ☆ 知恵は、自らを土壇場に置かないと出てこない、ある意味、神の領域から出てくる偶然、霊感的要素がある。
  ☆ 教養は、「学問、幅広い知識、精神の修養などを通して得られる創造的活力や心の豊かさ、物事に対する理解力。
   また、その手段としての学問・芸術・宗教などの精神活動」とある(ネット辞書)。これは長年かけて積み上げた
   結果の精神状態。良い文学を読み、より美術品に触れ、崇高な音楽を聞き、大自然に触れて精神を高める結果にある。
  ☆ 知性は、「(1)物事を考え、理解し、判断する能力。人間の知的能力。 「豊かな―の 持ち主」「現代を代表する―」
   (2)感覚によって得られた素材を整理・統一して、新しい 認識を形成する精神のはたらき」とある。(ネット辞書)
  これらは、人間の深い精神レベルの核の部分のもの。その点、これらは年齢とともに熟成していくため、人生を楽しむに、
  必要条件の大きなベースになる。だから、ライフワークを若い時から持っておくべきである。ライフワークは、それらを
  具体的に求める趣味である。この3つの区分は、自分の程度を図るに明確にしておくべき『知識』になる。
    ゎ㋟4σ@( ゚∀ ゚) パー!?   ( ;゚;ё;゚;) は〜!?  σ(^_^;)アセアセ...   (゚_゚i)タラー・・・
 ・・・・・・
4327, 10年日記も最終年
2013年01月20日(日)
  十年日記を書き始めて10年目になる。1ページに上から4行分に仕切られて、10年分書けるようになっている。
 10年分が一目で俯瞰できるので、なかなか面白い。具体的な内容を書き込んでいるので、その時々の状況が分かる。
2004年1月20日(火) 万代のダイエーと紀伊国屋とソフマップに、第三の長期滞在用の部屋の備品探しにいく。
         第三の二つを一つにした部屋の一つの出来上がりが不満。
2005年1月20日(木) 昨夜半に、独り布団の中で、一日の出来事をイメージで再現してみる。意外と憶えていないもの。
         その後眠ってしまったが、多くの夢をみる。 脳は複雑で繊細である。
2006年1月20日(金) 昨夜、長男から、お返しの贈り物と相手の私に関する感想の電話報告が入った・・ 
         学生時代の合気道の師範の生活救済の以来の10万円を振り込む。私らしくないが必要なことだ。
2007年1月20日(土) 昨夜は午前二時まで飲む。朝は8時過ぎまで寝てしまった。騒ぎすぎた為、まだ疲れが残っているが、
         随想日記に気持ちを集中する。 外は天気だが、一歩も外出はなかった。
2008年1月20日(日) 昨夜、パソコンが不調。しかし朝になると元に戻る。積雪のため昼、長岡駅セゾンの一周ウォーキング。
2009年1月20日(火) 昨夜は新潟駅前の大橋で「一六会」。8名出席。その後、駅南6Fのスナックと沼垂のスナック街へ。
         新館に泊まる。 今週の宿泊予約を見ると、良くない。 オバマが新大統領に。
2010年1月20日(水) 家内は義妹と東京へ。8時過ぎに家を出る。通勤途中の長岡駅で文芸春秋を買う。学生時代の友人の
         鈴木さんから電話。合気道の黒岩先生が亡くなった。21日に通夜、22日に本葬。  私は、欠席にする。
2011年1月20日(木) 9時半に免許証書換え。眼の検査、辛じて合格。山田電器に立ち寄り12時半〜16時半、防火管理者講習。
2012年1月20日(金) 回転寿司で昼食後、シネマ「マイウェイ」(12時5分〜14時半)をみる。これが大当たり。
         その後、サンライフのジムで50分運動後、帰宅。
 ▼ 書き写していて、この全ての日が浮かび上がってくる。書いた範囲だけだが、具体的に書き残しておく価値を実感する。
  全く書き残してなかった空白の時期が、あまりに勿体ない。千葉・千城ビルの立ち上げの日々とか、実家の店を死に物
  狂いで立ち向かっていた日常を書いていたら・・ 忘れることも大事だが。2011年までは事務所に、これを置いていた。
  土日分は月曜日に事務所で書いたもの。 今日も家内が毎年恒例の割引セールの新幹線で義妹と東京へ。三年前と同じだ。
  9年前の2004年には売上減対策で、第三・シングルインを長期滞在用ホテルにする様子が窺われる。記録は記憶!である。
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3952, 閑話小題
2012年01月20日(金)
    * ロボジー ーシネマ感想
 この映画、爆発的当たりという。現在売れっ子の矢口史靖監督の最新作。 軽い乗りのコメディだが、何か老人問題も含め
近未来の私たち世代の姿として、考えさせられた。 科学の最先端のロボットに、窮余の一策として老人を中に入れて
ロボット博に出展させたが、その中の老人が思惑を超えたパフォーマンスで日本中の話題になるが、だんだん怪しまれて・・・。 
独り暮らしの少し不機嫌な哀愁のある老人を、往年のロカビリー歌手のミッキー・カーチスが演じているが、それが当たり役。 
無機化したロボットと孤独な老人の組み合わせの妙が物語を面白くしている。一つ間違えば詐欺になってしまう瀬戸際で、
最後は何とか落ちがついている。 私の評価は80〜85点。 年末年始の映画は私の見たいものは少なかったが、
また面白そうなのが目白押しである。 千円だから気楽に行ける。これもサバンナの世界か ○ ストーリー 
【「ウォーターボーイズ」「ハッピーフライト」の矢口史靖監督がロボットを題材に描くオリジナルのコメディドラマ。
 弱小家電メーカー・木村電器で働く小林、太田、長井の3人は、企業広告を目的に二足歩行のロボット「ニュー潮風」を
開発していたが、発表直前に不慮の事故でロボットが大破。その場しのぎで、一人暮らしの頑固老人・鈴木にロボットの中に
入ってもらうことにする。しかし、鈴木の勝手な活躍によりニュー潮風は大評判になり、たちまち世界中から注目を浴びてしまう。
ミッキー・カーチスが「五十嵐信次」名義で主演し、ロボットおたくの女子大生役で吉高由里子が共演。
ロボット開発を担当する3人組に濱田岳、川合正悟(チャンカワイ)、川島潤哉。】 評価 ★★★★☆
   * 大相撲初場所
 大相撲の初場所が始まったが、この数年、賭博事件や、八百長事件などで大相撲も人気が落ちるところまで落ちていた。
その中で、幕下、十両に日本人の若手の面白い力士が出てき始めてきた。恐らく、この中に大関、横綱が出てくるはず。
これは久々のことである。学生相撲出身で入門以来、4場所負け知らずの27連勝で、あと一勝をすれば、一敗もしないで
関取になる初めての力士がいる。もし勝てば100年来、初めてという。また18歳〜23歳にも何人か相撲力の強いのがいる。
しかし有望力士が怪我のため、何時の間に並みの力士で終わってのを多く見てきた。しかし今年から数年は新旧入れ替えで面白くなる。
それと分からないように外国人力士の数を制限すべきである。 ハングリーの、骨格が違うモンゴル、東欧出身者に日本人が
勝てるわけがない。今さら、外国人を締め出すことは不可能なら、入門制限をするしかない。 とはいえ日本人になり手がいない。 
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3587, 東京ウォーク
2011年01月20日(木)
 * 無料カフェ
 JR東の三日間乗り放題は主婦の間に好評のようだ。 家内は「三日間乗り放題1万2千円」で、三日連続の東京通い。
二日間は妹と、三日目は一人で銀座と六本木の名所とか。まず行くところは銀座に去年10月にできた御煎餅屋の無料カフェ。
家内曰く「去年に行った時は煎餅もタダだったが、今回は煎餅が100円と200円。しかし客はコーヒーだけの人が多い。
去年はホームレス風が多く、店に貼紙に『不潔な服装の人、お断り』とあったが、煎餅の有料化のためか、少なくなっていた。」
 最近、鰹節屋がコーヒー、オニギリ無料のカフェを出したとニュースにあった・・  
煎餅にしろ、鰹節などで話題になれば、下手な広告を出すより効果は出る。 現に家内は、まず、そこでコーヒーと
煎餅を食べてから銀ブラに出ている。 昼は、丸ビルの上階で2千円のランチを食べ、16時の新幹線で帰路につく。
こういう話を私の知人に話すと、「実を言うと家内も・・ 」となる。 その割引に合わせて首都圏に住む子供や孫に
会いにいくとか、歌舞伎、美術館廻りにいくプランを立てている。「ウォークプラス」というブログがあり、
「おでかけニュースランキング」まである。 地元の温泉でノンビリするより、一歩外に出る方が疲れがとれるはず。
帰ってきた時の活き活きした顔を見ると、非難もできない。「あなたの飲み代は、何よ」の殺し文句もあるが!
飲み屋ウォークより健全のことは確かである。 昼は上野の博物館や出光美術館などを廻り、夕方は浅草あたりの
居酒屋ウォークをして最終の新幹線で帰ってくるのも面白そうである。
 新幹線は、地方経済と社会の活性化を狙って出来たが、地方の思惑と違って、東京の一極集中に拍車をかける
結果になっている。これをストロー効果というが、ますます、この傾向はすすむ。全国銘酒・試飲居酒屋ができないものか!
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3222, フリー −2
2010年01月20日(水)
「 フリー <「無料」からお金を生みだす新戦略> 」 クリス・アンダーソン著  
 著者がいう「アトムはビットに比べれば、フリーへの速度が遅いだけ」としたら、大変なことになる。
一つデジタルカメラを例にとると、カメラの本体は、大して変わらないとしても、その機能は無制限にアップしていく。
三年もしたら、数倍の機能が良くなる。更にビデオ機能もつくものも出てくる。 デジタルのため圧縮をすれば幾らでも
付け加えることが可能になり、カメラ機能は限りなく向上可能になる。ということは時間の経過と同時に、それまでのカメラの
値段は値下がりを続けることになる。 デジタル化はネット社会を更に推し進める力が働く。ネット社会は地球上に別世界が
出現したと見ると分かりやすい。 その上に、これまでの世界に優先し始めたのである。 
先ほどのカメラを例のようにビットの世界で、無料化が始まり、それが加速しだしたというのである。 
それは、これまでの現実社会の無料化への方向化を推し進めることになる。最安値に平均価格が押しやられる圧力が加わる。 
現在の世界経済の混乱や、貨幣制度の根本的問題は、この辺が原因になる。私の買う本の過半数以上はアマゾンの古本。 
アマゾンのネットを通して売り主から直接、送られてくる。その中で一円というものがある。送料340円の手数料が利益になる。
 アメリカで書籍専門の端末機器が発売され爆発的に売れ出した。 最後の聖域の紙というアトムに印刷された書籍がビットに
移行が始ったのである。 したがって書籍の無料化の方向(値崩れ)は時間の問題になった。今の若い人は、新聞を読まなくなった。
ネット新聞を見ていれば読む必要はないのである。映画も、版権の過ぎたものがDVDで80枚1万円で通販で販売されている。 
ほぼ無料である。それらは図書館に行けば、その殆んどを無料で借りることが出来る。さらに大型パソコンでみれるコーナーもある。
 面白いのが、中古品の無料提供のサービス。 アメリカで始ったものだが・・・・    ーつづく
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2847, 不況景色 −8
 2009年01月20日(火)
*どうもこうも、アメリカの金融株の下落が止まらない。シティが3・5ドル、バンカメが7.2ドルと今年に入って50%も値下がりした。 
 先週末にはシティが解体プロセスに入ったというニュースが流れ、バンカメが200億ドルの資本注入、そして1000億ドルの与信枠を
 政府から与えられた、という。投資銀行の消滅の後は、アメリカのトップクラスの規模の二社が崩壊寸前というから、ことは重大である。
 更にビッグスリーを救済するというから、アメリカは何をやらかすのだろう。
*この円高と金融恐慌の結果、昨年の一人当たりの名目GDPが、・日本 19位から9位 ・英国 10位から18位 ・アイスランド 
 3位から19位 に下がったという。 といって、何も変わっていないのである。金融立国が自滅しただけのこと。
 あと数年もしないうちに日本は20位以下になるだろうし。 ちなみに、一位はルクセンブルグ、
 二位はノルウェーで一昨年と変わらない。それにしても、僅か4ヶ月で世界は一変してしまった。 
*17日の土曜日の日経の朝刊で、デビット・スミック(ジョンソン・スミス・インターナショナル会長)は、
バブル崩壊について、「いくつものバブルが相次いで破裂しつつある。あえていえばサブプライムはたった1兆5000億だ。
クレジットカードが2兆5000億ドル、新興国向け与信は4兆から5兆億ドル。外国為替デリバティブと破綻リスクを保証する
クレジット・デフォルト・スワップは各50兆ドル以上などを合わせればバブルは全世界で200兆ドル以上になる。
10%が吹きとんだとしても20兆ドルだ。」と語っている。 更に欧州のユーロはどうかというと、
「ユーロ自体が非常に過大評価を受けている。欧州の金融機関の新興国向け与信が、関心の的になっている。
とりわけ中東欧諸国の債務不履行が時限爆弾になっている。また中南米向けにはスペインの与信が積みあがっている」
「中国についても、社会と政治へのバブル破裂の懸念がある。中国は経済が落ち込むたびに、社会が混乱に陥る。
1950年代の大躍進後に、60年代の文化大革命とその後の混乱があり、89年には天安門事件が起きた。
 (字数制限のためカット 2012年1月20日)
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2008年01月20日
2482, イプセンの「人形の家」
   |* ̄o ̄|お|* ̄O ̄|は|* ̄。 ̄|よ
「考えないのは人形でしかない!」グサリと胸に突き刺さる言葉である。目の前の相手に、そして信頼している人に、
判断を委ねるしかない人は人形でしかない! これをイプセンが「人形の家」で、言いたかったことである。 
人間は何故、考えることから逃げるのだろうか。それは責任を負いたくないからである。責任を負うということは判断をするため
考えなくてはならないのである。それを放棄した人間は人形でしかない。ノルウェーの作家のイプセンの「人形の家」で、
主人公のノラは、夫のヘルメルに、次のような言葉を語る。 (この言葉が婦人解放運動の原点になる)
 ー「あなたはわたしに対して、いつも大変親切にしてくださいました。でもわたしの家庭はほんの遊戯室にすぎませんでした。
私は実家で父の人形っ子だったように、この家ではあなたの人形妻でした。そしてあたしが子供たちのお相手をして遊んでやりますと、
みんなが嬉しがるように、あなたがあたしの相手になって遊んでくささると、あたしも嬉しがったものです。 これがあたしたちの
結婚生活だったんですよ、あなた。」 この言葉の前に、夫に「お前は、この家に来て幸福じゃなかったのか?」と聞かれて、
「ちっとも幸福ではありませんでした」と女主人公のノラは答えます。「ただ面白かっただけです」と言う。ー誰も自分の頭で
考えることは責任を伴うことを知っている。だから、責任から回避するために考えないことを選択するのだ。それが目先だけを
生きる知恵として、自分の首を絞めていることと分かっていても、判断から逃げようとする。だたただロボットのように同じことを
繰返すことに、二十日ネズミのように、輪の中で走ることに全エネルギーを注ぐ。これが人間の真の姿といってよい。
そして人生の終わりになって初めて己のその無駄な姿に気がつくのである。ところで広田三枝子の「人形の家」という流行歌があった。
なかにし礼の作詞だが、考えない馬鹿(愛らしい)な女の悲哀を歌ったのである。「大衆は考えない人間」を総称した言葉?。 
だから、こういう歌ができるのだ。ノラの正反対の生き方、考えない、責任から逃げ回っている人間の。 ・ω・】ノ  ホナ!
・・・・・・・・・
2007年01月20日(土)
2118, 品格について −2     才八∋ウ_〆(∀`●)              
  福田和夫著「成熟への名作案内」の 一節で取りあげている次の文がよい。
 ≪ 英国在住の日本人作家カズオ・イシグロ(石黒一雄)は「日の名残り」の中で、語り手たる執事スティーブンスに
 ー偉大さの条件は、品格にあるーと言わせている。ではその「品格とは何か」という問いに、偉大な執事であった父を想起しながら、
 以下のように考える場面がある。【品格の有無を決定するものは、みずからの職業的あり方を貫き、それに耐える能力だと
 言えるのではありますまいか。並みの執事は、ほんの少し挑発されただけで職業的あり方を投げ捨て、個人的なあり方に逃げ込みます。
 そのような人にとって執事であることはパントマイムを演じているのと変わりません。ちょっと動揺する。ちょっとつまずく。
 すると、たちまちうわべが剥がれ落ち、中の演技者がむき出しになるのです。偉大な執事が偉大なるゆえんは、みずからの
 職業的あり方に常住し、最後の最後までそこに踏みとどまれることでしょう。
 外部の出来事にはーそれがどれほど意外でも、おそろしくとも、腹立たしくともー動じません。
 偉大な執事は、紳士がスーツを着るように執事職を身にまといます。公衆の面前でそれを脱ぎ捨てるようなことは、たとえ
 ごろつき相手でも、どんな苦境に陥ったときでも、絶対にしません。それを脱ぐのは、自ら脱ごうと思ったとき以外にはなく、
 それは自分が完全に一人のときに限られます。 まさに『品格』の問題なのです。】
▼ これは品格と同時に、プロフェッショナルの問題でもある。一流のプロは品格を伴うのは、行きつくところが同じということ。
一流は、役割を知りつくしているから、役割から一歩も出るはずがない。どんなプロ選手でもプレーヤーとして洗練されて初めて
品格が出来てくる。成績が一流になればこそ、品格と実績からくる自信が相まって風格ができる。仮面もそれが一流にものであれば、
仮面を被りつつけた本人も一流になる。いや仮面が仮面でなくなり、本当の顔になってしまう。 能の世界に入りこむと、演じ手の
自分と役と解らなくなることがあるという。 そこに人間としての円熟味が加わった時、上品になる。その時に個人のブランドが
出来るのである。名優は、何を演じても個人の個性が現れる。その個性が、その役を演じているのではなく、風格が役を演じている
という感覚になる。その役より本人そのものの味ー品格が勝り、そこに不自然さが残らない。これを上品(じょうほん)という。  


4693, 閑話小題 ーがん哲学外来 

2014年01月19日(日)

  * がん哲学外来科なるもの 
 病気の死因が95%、自殺が3%、その他が2%という。その他の2%は交通事故、転倒事故、災害、犯罪の被害など。
自殺の3%で、その2倍の予備軍が存在するので、人生は苦海を四苦八苦で泳いでいることが見てとれる。私も、あと一年で
古希になる。父が亡くなった歳まで、あと2年。亡くなる父親の姿から多くを学ぶことができた。「所詮、人生は夢幻、何事も
その時どきを精一杯生き、楽しむしかない。それも正道で・・」というところ。
 で、先日、図書館で『末期がん、その不安と怖れがなくなる日ー樋野興夫著』なる本を見つけ、借りてきた。
副題は ーがん哲学外来から見えてきたものー である。がん患者の苦悩を真正面から取り組むもので、なかなかの内容。
近日中の随想日記で取り上げるつちもり?だが、心は重い! もし、余命半年と宣言されたら、何も考えずに生きてきた多くは、
大混乱になるはず。 従容と死に立ち向かうなど土台無理。そこで「がん哲学外来」が出来たのだろう。 哲学の一番の問題は、
知識を持ってしまった人間が、限られた生と、その終りを予め知ってしまった。 そこで苦悶をし、考えるしかない。
それが哲学の大問題になる。それを具体的に受け止めようというから、凄い!といえば凄いが、あって当然の専門部門。
そこは極限の生々しい哲学的問答の場である。100%の解決でなくとも、70%にすることが出来るが、その差は、当人にとって
膨大である。生への希求の砂漠の中での水を与えるという喩えが言い得て妙になる。 死んでしまえばゴミ?死ななくともゴミ?
   * パソコン売り場にて
 iPadを購入して2年半近く、今では身体の一部のようになっている。しかし、ネットで、この文章を書いたり、
検索したりするのはディスクトップパソコン。それも以前の会社の事務所にあった6年以上も使ったもので、iMacに
WindowsのVISTAを乗せたもの。それが書斎と、居間にあり、これにiPadがあればPCとネット環境としては十分。
それも6年もたてば、この世界は激変している(はず)。それとVISTAのサポートも三月で終了もあり入替え時期。 
そこで暇をみては家電のパソコン・コーナーで見ると、なかなか面白い! 春先の新機種の発売が始まるので待つか、
昨年の秋の型落ちにするか? あと一年、現状のまま? その世界に詳しいSEの知人は「机上型も、ノート型でもタッチ方式が
良い」という。しかしiPadがあるため迷いが出る。次がディスクトップか、ノート型。 現在使っているパソコンをWindowsから
iMacの方に切り替え使うとするとノート型が良いが、iPadに重なり迷いが出る。やはりギリギリまで待つのがベストのようだ。
もしかして最後?のパソコンの可能性がある。また、現役と違い、年金暮しも躊躇の要因になる。消費税前の狂乱騒ぎの後の
4月末が買い時だが・・それまで待つのが理になる。これを機会にiMacの画面にするのがベスト? まずは、画面切り替えか! 
・・・・・・
4326, つれづれに ー歯医者
2013年01月19日(土)
  * 歯医者
 歯医者通いも終わった。7〜8年間行かなかったためか4本が傷んでいた。通院は15回位だろうか。
今度からは年二〜三回は歯垢をとりに行くことにする。現在のところ無傷は7〜8割。 虫歯は60歳なら6割、
80歳なら8割は、やられているとか。ところで読書歯磨きというのがあるそうな。 少し歯磨き粉をつけて、一日、
2〜3回、20分ぐらい、読書をしながらするのがよいとか。それでも去年の秋口に二本目の電波歯ブラシを交換してから、
歯のクスミが無くなってきた。
  * 血圧計
 ホリデイという近くのスポーツジムと、日祭日と休館の金曜日に市営の小さなジムに通っている。ほぼ皆勤もあり、
私営の方は一回につき300円、市営は100円の計算になる。ところで、この二つのスポーツジムの血圧計の結果が、
えらく違う。受付に言っても「うちは狂ってません」と両者。135がラインというがホリデイでは、完全に高血圧の
135〜165。市営は120〜130の間でクリアー。今もどちらが正しいか分からない。 もちろん左右でも同じ。
運動をする前と、したあとでは20は下る・・ 食事と運動量は注意しているが、晩酌が血圧を高くしているのだろうか。 
  * 大相撲ーつれづれに
 大相撲が面白くなっている。阿吽の呼吸の手抜き?が出来なくなったため。 そのため怪我が増えている。賭博問題で
多くの力士が角界ら追放されこともあって、若手に個性的力士が出てきた。 ところで一昨日、大関4人が二日にわたって
6連敗をした。7人目に、やっと勝ったが「場内は大関が勝ったことに逆に驚いている始末」(解説/北の富士)というほど、
だらしがない。横綱と、その他の差は歴然とついているが、大関との差が無くなっている。10勝が最低ラインだが、
8〜9勝を最後の二日でとるのに苦労している。ということは、今でも暗黙で勝負を配分している? どんどん大関にして、
どんどん落とせば、これまた面白いか? 
・・・・・・
3951, 閑話小題
2012年01月19日(木)
   * 熱川温泉の惨状は、全国の温泉地の象徴
 あれから10ヶ月が経つが、その後の大きな流れはTVや新聞で分かるが、細部の情報は限られ少ない。
特にホテル・飲食業業などは一歩離れてみていても、本当に大変だろうが、悲鳴すらも聞こえてこない。 
首都圏から新幹線で二時間以内の駅前ホテルと、全国のリゾート・ホテル、旅館は3・11以降は倒産ラッシュのはずだが、
どういう訳か静まり返っている。 ところが先の日曜日に伊豆の熱川温泉街の苦境についてのリポートがあった。
温泉街の殆どの商店のシャッターが閉まっていて、「最盛期の人通りの100分の一」と、商店主が嘆く。
バブル期に完成したホテルも客数がピーク時の40パーセント。その上に割引セール。 殆どのホテルが倒産か、倒産直前。
リゾート・マンションも入り手がなく・・・。残っているのが老人ばかりで、町長がインタビューで「予算の多くが、
老人福祉費に費やされ、他に予算が回せない。リゾート・マンションに老人が移転してくると、町が破綻してしまう」と嘆く。
 長岡の奥座敷と言われている「蓬平温泉」には、昔から三軒の老舗のホテルがあり、何度か同級会を泊り込みで開かれた。
料理も美味いし、施設も素晴らしいが、その三軒とも今では銀行管理か、何処かの資本の管理下。そこに詳しい人が言うに、
「去年の大雪で客が皆無だった上に、3・11災害で大打撃。どうして潰れないのか不思議でならない。」 全国の有名旅館街は、
どこも似た状態である。 不況で個々人の収入は激減すれば、温泉街でのんびりと温泉に浸かる気分になれない。
おまけに超円高となれば、海外に行きたくなるのは当然である。農業も、公共事業も、観光も、輸出もダメとしたら・・・
   * 日本に再び大地震があるか?
 去年になるが、週刊誌が東海・東南海・南海連動型地震の可能性について仰々しく報じていた。 震災直後で神経質になっている
国民感情を刺激する内容だろうと思い殆ど気に留めなかった。 しかし考えてみると、中越地震があった直後、「この地区が
全国で一番安全な地区で当分は安心していられる」と実しやかに語られていた。 ところが三年後に柏崎沖地震である。 
それから考えると、震度7、マグネチュード9の三連動型地震の後に、その並びにある東海・東南海・南海連動型地震の可能性が
充分に有りうることで、それ想定するのは当然である。それに連動したのか、富士山の近くで起きた地震。これも噴火の可能性もある。
東北大地震の三年、六年、八年前に東北地区に地震続いていた。そうこう考えると、これからは東北大震災クラスの規模の地震を
現実として想定しなければならない。この10年間に世界中に巨大地震が立て続けに起きおり、世界の地震の活動期に入ったようだ。
・・・・・・・
3586,  閑話小題 
2011年01月19日(水)
   * 何故、ここでタブレット式パソコンか
 昨年、マックがタブレット式パソコンで大ブレーク。今年からは他のメーカーが、それぞれの特性を持った商品を出してくる。 
何故ここで薄い板状のタブレット式PCがノート・ブック式に、とって代わろうとするのか?を考えてみた。 
まず無線であり、薄くて嵩張らない。鞄に書類やノートと重ねて何処にでも気楽に持っていける。
そして書籍もネットを通して購入でき、かつ読める。 更に、ゲームにもってこい。先日、ソーシャルネットの
「フェースブック」の創業の映画をみた。 今年はタブレット式パソコンと、ソーシャルネットがセットでブレイクする。 
それにツイッターである。それらがノート型からタブレット型にパソコンを変える大元となる。
無線・値ごろ・薄い・ソフトが豊富、等の要素がノートの大きさに収まったということ。新聞、そして出版業界は大転換をむかえる。
   * 迷ったら、やる!
 私の知人に面白い人がいる。3〜4ヶ月に一度位、景気の定点観測?で私のところに来ているようだ。
30数年以上、年に1〜2度は酒を飲んでいるが、とにかく行動的で、相手の話を聞き分ける能力がある。
そして会う度に一皮二皮、脱皮をしている。人生の節目になる重大な問題が起こると、神妙な顔をして相談に来る。
ノートを開いて二時間ほど私と対話をして、その数ヶ月後に、ほぼ取り入れて問題解決の報告に来る。
ところが今では、逆に私の方が教えられている。数年前に重大な判断ミスをしようとした時に、「本当に、それで、いいんですか!」
の一言で、助けられたことがあった。 年齢は私より4歳下。 先日聞いた話が面白かったので、それは今度書く。その時に
「そろそろ哲学書をジックリ読んだ方が良いのでは?」と話を向けた。 しかし哲学の意味を「自己哲学=信念」と、勘違いして、
「自分には哲学がある、何か迷った時は、とにかく実行に移し、その中で判断を変えていくのが自分の哲学で、これで十分」という。 
「なるほど!」と、合点をした。 60歳を過ぎると一段と肉体的に下降になると、どうしても行動面で一歩下がってしまう。
そのため、迷ったら兎に角やってみる判断で、丁度よい。「とりあえず5年、やりたいこと全て前倒し」の為に、
「迷ったら一歩前に踏み出す」信念が必要のようだ。 炬燵の中でTVも良いが。
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3221, フリー
2010年01月19日(火)
  「 フリー <「無料」からお金を生みだす新戦略> 」 クリス・アンダーソン著 
 非常に刺激的な考えさせられた内容であり、ビジネスマンや経営者なら読んでおくべきである。 
読後感は、かなりショック。 ビット《情報》の世界では、今後95%をFreeにして5%から利を得るモデルが
世界を方向づけるカタチとしての流れを止められないという。 フリーとは無料のこと。 無料=利他を理解できた者が
ネット社会では利する世界になる。 フリーでやれるのはネットという膨大な世界があるから。
 無料といえば、民放のラジオやTVは広告を見せられる反面に無料。駅前で配られるテッシュも無料である。 
図書館で借りてくた音楽のCDをパソコンに落とすが、それも無料。 気がつかないうちに多くのフリーに恩恵を受けている。
この随想日記も考えてみたらフリー。私にとって全てのエネルギーを注ぎ込んで、HPを覗いてくれる縁ある人に情報を公開している。 
ただ、それが利他になるかどうかは別だが。この本は「ビジネスモデルの理解」という表層的なことだけでなく、
「ビジネスを考えるマインドセットの仕切り直し」というところまで、考えを深めてくれる。 ひとたび自分のマインドセットを
仕切り直すことができれば、自社や競合や新規参入が取り得る価格破壊戦略のみならず、
そのトレンドが業界構造をどのように変えるか考えることができる。
・タダでモノを与える「経済」は今さら新しいものではない。モノが充足された文明で、自己実現を満たす行為としてあった。
 この「贈与経済」は貨幣ではなく、「評価」「注目」という非貨幣的価値を対価としてきた。
 ネット以前の時代では「評価」「注目」は地域限定で「量」が小さく、しかも計量が難しかった。
 しかし、ネットでは「評判」「注目」が広範囲で「量」が大きく、かつ計量可能であるため、貨幣との交換が可能である。
 したがってこの計量可能な非貨幣的価値を貨幣的価値に換える「やりよう」こそが、ネット時代の新ビジネルモデルである。
・無料ということについて、心理面からアプローチしているのが面白い。 取るに足らない値段を請求することで
 圧倒的多数の消費者の手を止める。チョコを使った実験やフランスアマゾンの送料などを例に紹介している。
  《 0と1 の差は、1と99の差より大きい。》            ー つづく
 ・・・・・・・・
2846, 金融大崩壊 −2
2009年01月19日(月)           −読書日記
 この著書の結論は、「16世紀に資本主義が始って以来の地殻変動がいま起きている。 キッカケはサプライムローン問題、
20,30年と激動の時代が続く」である。16世紀からの近代(資本主義化)が‘変わり目’に来ている。
これは著者が言い出したことではなく、他の学者の論を租借しただけだが、キッカケはリーマンブラザーの倒産である。 
更にいえば、松井孝典がいう「地球システムが、拡大し続ける人間システムを維持できなくなったサインの一つ」とみると、解りやすい!  
第一次大戦、金融恐慌、第二次大戦と続く一連の破壊よりも数倍大きい エネルギーが世界を覆い、一度、西欧中心主義の世界を
破壊しつくすのは必然の流れである。この著書で、1995年から2008年9月まで、ーアメリカ「投資銀行」帝国ーが存在した、という。
それが、去年の9月で、その帝国の象徴的存在だった5つの米投資銀行が全て破綻してしまった。1995年以降、アメリカ「投資銀行」
帝国は、「すべてのお金がウォール街に通じる」システムを築き上げて、資本家達は1995年以来、100兆ドルの金融資産を増やした。 
元来、貯蓄が少ないアメリカにとって、「投資銀行」帝国化することで、まさに「無から有」のお金を手にしたのである。
その最終局面で起こったのがサブプライムローン問題。アメリカの資本主義帝国化に一番に対応したのが、日本である。
いや、させられたのである。金利を下げて円安を誘導し、輸出主導でバブル崩壊後の日本を立ち直らせようとした、
米国「投資銀行」帝国に対応した「日本輸出株式会社」が完成したのである。 この二つは、コインの裏表一体。 
したがって、アメリカ「資本銀行」帝国の崩壊は「日本輸出株式会社」の崩壊でもある。悪いことにECも同じくアメリカの
モデルを真似たシステムをとってしまった。更に、アメリカの毒入り債権を大量に抱え込んでしまったから、
アメリカ同用に崩壊状態に陥ってしまった。 中国も、アメリカ「資本銀行帝国のシステムに組み込まれ、米国ドルと国債を
大量に持たされている。世界中が、すべて同時に金融恐慌に陥ってしまったのは、やはり16世紀以来の地殻変動である。
CDO(債権担保証券)で、300兆円だが、これにCDSがある。CDSは、CDOなどのリスク担保をする保険であり、
4000とも6000兆円ともいわれる。これが今年から表面化することは必定。 とすると世界恐慌は避けて通ることは出来ない。
世界の大手企業が社債や不動産債権などを出しており、実物経済の悪化と同時に倒産が続発する。
その結果、その社債などの債権にかけた保険=CDSの不良債権化が表立ってくる。 銀行の倒産、企業の倒産、不良債権の発生、
とマイナス循環が果てなく続くことになる。したがって、20年、30年の激動の時代が続くのは必然のことである。
クリントン女史が、昨日のTVの画面をみると一挙に老け込んだ顔をしていた。
中国からの献金疑惑もあろうが、アメリカの立たされている重大局面を深く知ったため??。
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2008年01月19日(土)
2481, 9・11事件について       ー ヾ(´∀`o)+。才ノヽ…
2001年の9・11事件が、大きく時代の流れを変えてしまったが、その意味について、日本人の視点で解りやすく、
納得した言説に初めて出くわした。なるほど、知らないうちにアメリカよりの立場で、テロを糾弾する内容の記事や
解説ばかり聞いていたことに、これを読んで気づかされた。アメリカの日本に対する露骨な植民地的な対応に、
そろそろ一歩も二歩も離れなければならない時節に来たのである。敗戦から60年以上経ったのである。
サブプライム問題で世界にアメリカの正体が露呈してしまった、この機会こそ距離を置くチャンスにもなる。
−以下は、説得力のある論で    ー「存在の大地」ー高史明+芹沢俊介+上田紀行著 
P−12 
 *上田紀行
ハワイもアメリカの領土とはいい、本土からは遠く離れている。 それでも、アメリカ人はハワイを日本が攻めた
ということを今でも忘れない位にショックを受けたわけですが、とにかくアメリカの本土が攻められ中核が射抜かれる
ことはこれまでなかったわけです。私はそのアメリカが、それもニューヨークのど真ん中に攻撃を受けたことに関して、
これは文明的な意味があるな、と思ったわけです。というのは、アメリカ自体は自分が攻められた痛みを知らないということが、
ありますし、何よりもアメリカの現在の資本主義体制に関わる問題を突きつけていると思ったからです。
アメリカの資本義体制というのは、世界をどこでも等価にしていくという性格があります。つまり資本主義の成り立ちを見てみれば、
かつての産業資本主義の時代、実際にモノが動いていた時代の資本主義というのは例えば中近東で石油が採れ、その石油を運ぶのに
何カ月かかかるといった、大地とのつながりがまだしもあるわけ。 もちろん農産物も大地から生まれてくる。
しかし、いまのアメリカの好景気を支えているITに関していえば、情報がお金を生み出すわけですね。株などを見ても
コンピユーターの画面上でワンクリックすればロンドンに置いておいたお金が瞬時にニューヨークに移り、ニューヨークが
駄目となれば東京に移り、第三世界が有利だということになれば、どこかの第三世界の市場に投資できるというような性格がある。 
つまり、アメリカを中心とする資本主義が、まさに大地というか私たちの故郷性といったものから切り離されている。 
私たちはどこから来てどこへ行くのか、どこに出自があり、死んだ後はどこに行くかというようなことから全く切り離されている。
世界中はどこでも等価であり、儲かる所であればどこにでも行くように、大地とは切り離された形でお金が回っている。
そこでいくら儲ければ勝ちだ、儲かった者が勝利者だというような価値観が主導してきた資本主義がニューヨークを中心に築き上げられ、
繁栄を謳歌してきたわけです。私はテロリストを擁護するわけではありませんが、そうしたニューヨークに突っ込んだ飛行機というのは、
我々には我々の土地があり、民族があり宗教があり、アイデンティティがあるのだという主張でしょう。世界は等価ではなく、
国なり民族なり宗教なり共同体なりといった土地の論理に対して、等価の論理が侵犯してくることは許せないのだという主張が、
テロという形で打ち込まれたと私は考えたわけです。   (以下、字数の関係でカット2012年01月19日)


4692, 中年期の8つの危機

2014年01月18日(土)

                  『心を癒やす言葉の花束』アルフォンス・デーケン著 
 この中で「中年期の8つの危機」を紹介しているが、曖昧に生きてくると、晩年の老年の危機になる。
以下は老人への要素であり、乗り越えられないと、老醜として現れ出ることになる。。
  ーまずは、その8つの危機から
 〇間意識の危機(残された時間が少なくなってきた感覚に目覚める)
◆ー分の役割意識の危機(多くの人は中年期までに社会的に一つの役割をはたす)
 対人関係における危機(協調性や柔軟性が失われ対人関係がスムーズにいかなくなる)
ぁ_礎祐僂隆躓 兵磴ず△硫礎祐僂揺らぎ始める)
ァ〇廚い錣困蕕Υ躓 雰鮃や将来に対して無用な不安や思いわずらいが増える)
Α(針泙平誉犬隆躓 併纏も家庭も平凡な繰り返しが多くなりがち)
А〇爐膨礁未垢覺躓 蔽福垢隼爐妨かっていることを意識させられる)
─/震面椶砲覆蠅垢る危機
 ▼ これが濃厚になったのが、熟年の危機。中年以降の読書の何割かは、この問いかけの内容と言ってよい。
  還暦後の問題は、まさに、この問題である。
「\茲少ない ∩涜腑乾濂宗´B梢佑煩わしいが、寂しい た誉犬悗糧歡蠹鳥瞰(後悔)
 ゾ来への不安 κ針泙米々 Щ爐龍寡檗別誼痢法´┸震面椶砲覆蠅垢 」とすると、私のこと?かと、
 心の中を見透かされたような内容だが、これは自分でしか解決できない問題。その手っ取り早い解決方法は読書習慣。
 長年の早朝の読書もあって、これらの危機は乗越えてきた?が、これは100%解決できない問題。その何割かを解消する
 だけでも、数倍は楽に暮らすことができる。特に、老年は「夫婦が改めて向き合う時期」。多方が「うまくいっていない?」
 8割以上の既婚カップルが、「相方の考えたり欲したことを自分に話して欲しい」と望んでいる。しかし配偶者の75%が、
「それを聞くのをためらう」という。ここで著者は、より良い関係を維持するためには、否定的瞬間の5倍の肯定的瞬間が
 必要という。そのため、一緒に笑う、一緒に遊ぶ、特別な祝いごとなど、夫婦で楽しい時間を共有性を説いている。
 そういえば、┐凌震面椶砲覆蠅垢る危機、禅僧のような生活?をしている現在、何かドッキとする要素である。
 残された僅か?な人生、これまで生きてきた、生きている世界を貪欲に求めると、 銑Г鬟リアーするしかない。
 それも自分との格闘の中で。 そうすると、┐砲覆辰討靴泙Α△箸いΔ海函それも、これも森林から、サバンナへの
 移行時の危機。Δ諒針泙米々でも、読書生活の質もある。そうこう考えると、老年は孤老が似合うのは、当然である。
・・・・・
4325, 財政恐慌 −3
2013年01月18日(金)
    ー次の質問群であるー         『財政恐慌』浜矩子著 
 ● どれくらい遠くまで行かないと、行きたいところに行けないのか
 ● 行きたいところに行けた時、そこが行きたかったところであることを、我々はどうすればわかるのか、
 ● 我々は地図を持っているのか
  ▽ まずは、「どれくらい遠くまで行かないと、行きたいところに行けないのか 」より
* さほど遠くまで行く必要はないと思う。実は、もうかなり行きたいところ、行くべきところに近づいている。
 現象的には、すでにもう随分遠くまできている。日本の国際構造は変わった。もはや、輸出立国型の経済ではない。
 経常収支の黒字を稼ぎ出しているのは、モノの貿易ではない。 所得収支である。 日本の資本が海外で稼ぎ出した
 利子や配当や収益。それらの項目が稼ぎがしらになっている。資本輸出大国であり、債権大国の姿が既にでき上がっている。
 問題は、そのような姿にふさわしい経済社会の運行システムをどう構築するかだ。最近の流行り言葉が「絆」であることは、
 決して偶然ではないだろう。日本資本が稼ぎ出す所得を、どのような絆を通じて どう分かち合うか。
 国内においても、対外的にも。それを考える時がきている。
  ▽ 「行きたいところに行けた時、そこが行きたかったところであることを、我々はどうすればわかるのか」
* これはなかなか難問だ。少々禅問答めいている。よく考えれば重要なことだ。自分にとって最適な場所に着いているのに、
 それに気づかない。これは怖いことである。今の日本に、それを感じる。成長よ再び。円高よ去れ。そう願う思いのあまり、
 対応のしようによっては、せっかく行きたかったはずのところに着いているのに、その場所を忌避しているのじゃないか。
 昨日の答えで、明日の質問に答えようとする。そうなっている面があるように思う。  
  ▽ 「我々は地図を持っているのか」
 我われが持っている地図は古い地図でなかろうか。昔いたところに戻る地図。それが「成長戦略」や、輸出立国回帰や、
「ハングリー精神」の復活を夢見る思いである。
 ▼ 「行きたいところ」とは何処か? 日本にとっての頂上。成熟だろう。そして既に下り坂に入っている。したがって、
   経済成長という言葉は方向を間違える。均衡縮小しかないのである。 安部と麻生が首相と副首相になったのは、
  憲法改正という目標地と、手段として国債の大量発行による公共事業である。 あくまで憲法改正の最後の機会のため。
  著者の立場からみれば、成長を再びと願う古い地図を持った二人の暴挙が始まったことになる。 ただ、最終目的は、
  憲法改正のはず。 この憲法が古い地図かどうか?「あと20年以上は続く動乱には適してない」のが、私の見方。
・・・・・・
3950, 未婚時代の婚活 ー2
2012年01月18日(水)
  * 女性は二ランク上を狙う
「キレイで素敵な女性がアラサー、アラフォーで独身のまま。何故あの人が?って何時も話題になります」という。
それに対して男女共いえるが、自分をワンランク上の自己評価をするのが年頃の特徴。その上、相手に一、二ランク上を
求めるから、さらに段差が大きくなる。そうこう迷っているうちに婚期を逸してしまう。 若い時から周囲の男から
チヤホヤされているうちに一番の女性の売りの「若さ」が失われ、商品価値が下がってしまう。逆に内面は熟し素敵である。
そのためギャップが大きくなって、キレイで素敵な女性が売れ残ってしまう。 その対象になる男は昔のうちに刈り取られている。
収入もそこそこあり仕事はベテランであれば、今更、妥協する必要もないが、その焦りを見せられない。 
そのうち昔は見向きもしなかったレベルの男にも相手にされなくなる。周囲は、あの人は結婚の意思がないと思い込んでいる。
 学生の頃だが、結婚して五年以上も経った姉の話に驚いたことがある。「女というのはシンデレラ・コンプレックスは強い。
結婚した今でも、王子様が現れて私を連れに来てくれる期待が心の底にある」という。 誰がみても、義兄は姉と遜色ない人である。
人間は、そんなものかもしれない。1970年、1980年の頃は年頃になれば結婚するのが自然であり、誰ひとりも、そのことを
疑ってもなかった。しかし家庭というシステムが、以前ほど大事にされなくなった現在、それほど結婚の希求は多くない。
女性といえば自分から積極的になれないため待ちになり、チャンスは少ない厳しい現実がある。婚期を逸した男女の気持ちは、
焦りで満ちているが、誰も手助けはしてくれない。その頃が、男にとって仕事が土壇場であり、どうしても婚活は二の次になる。
 逆に、婚活をするなら、自分で条件=原因を良くしなくてはならない。男なら優しさと強さ。ないのなら、フリをするしかない。
女性なら性的魅力と、母親的穏やかさをディスプレーすればよい。 とはいえ結婚に至っても三割が離婚する時代、結婚は難しい。
まずは、自分のレベルを冷静に自覚すること。 チャンスを多くつくること。 妥協すること。 自信のある何かを持つこと。
 ・・・・・・・
3585, 「とりあえず、5年」の生き方
2011年01月18日(火)
「とりあえず、5年」の生き方  ―諸富祥彦 (著)
  ーアマゾンの内容紹介ー
 あなたは満足感とともに最期を迎える人ですか?
 それとも、人生に悔いを残しながら旅立つ人ですか?
以下の項目に1つでも該当する場合は、もしかしたら後悔とともに人生を終えるかもしれません。
□自分の大好物を最後までとっておく人          □「将来のために今日はガマン」と考える人
□「いつか」「そのうち」としたいことを先延ばしする人  □「自分は80歳まで生きる」と思い込んでいる人
□30代で1000万円以上貯金がある人
 人生の軌道修正をはかることは、何歳からでも始められます。たとえ明日死ぬとしても悔いが残らない充実した人生をつくるのは、
ほんの少しだけ考え方と行動を変えれば可能なのです。 そのヒントを「仕事」「お金」「恋愛や家族」「あたなだけの大切なこと」
といった分野ごとにまとめてある。
▼ 50歳を過ぎ、母が亡くなり、二人の子供は家から巣立っていった。 人生の区切りの時とジックリと考えた。
そして「とりあえず、還暦までに残りの人生を押し込んで一年一年を過ごす」と決め、実際の行動に落とすことにした。
まずは秘境ツアー50回を目標にした。これは、2001年の9・15テロでスローダウン、達成できなかったが、43回までは達成した。
更に50歳半ばで個人のHPをつくり思いを書き尽くすことと、来し方の写真などを整理して載せることに集中。
反面、社会的なことは思い切って割り切ることにした。そして還暦を向かえたとき、心の中で独り万歳をした。
その直後は、何をしてよいか分からなくなった。そこで出てきた言葉が、「とりあえず5年間、やり残したことを追加する」とした。
そして先日、その5年が経過した。これも2008年のリーマンショックの大波で中途半端の状態になってしまった。 で、後半。
「来年は無い。今年中にやるべきことは全てやるよう心掛ける」そして「とりあえず5年、70歳」が次の峠の到達地点とした。
ところが先日、新聞広告で、この言葉をみて同じことが書いてあったので驚いてしまった。
 ここまできたら、人生の喜劇化もよいだろう。いや、人生そのものは、喜劇そのものか、振り返ると!
 ・・・・・・・・
3210, デフレ時代の商売 −2
2010年01月18日(月)
 * 鯛焼き屋
 この数年、駅周辺などで多く見かけるようになり、ニュースなどで話題になっていて、この数年で倍倍に増加していると報じている。 
投資金額が格安で済み、資金回収が早く済むという。「100万円で開業できます! 加盟料金40万、指導料20万、その他・・
(店舗内装、取得は別)《たいランド》」と、ネットにあった。 先日の朝のTVで「二日の研修で、開業資金が500万」というから、
内装・店舗敷金込み?か。鯛焼きは、ネリモノ商売の典型である。ネリモノといえば、ドーナツがある。原価率10パーセント以下だから、
当たると、これほど面白い商売はない。パン屋、ケーキ屋、蕎麦屋、うどん屋が、それである。手間はかかるが、原価が安い。
鯛焼きにも、最近は餡の替わりにクリーム、カボチャ、芋を入れたり、ピザそのものを鯛焼きの型したものや、お好み焼きを鯛焼き風に
売るものもある。 たこ焼きも可能?? 「白鯛焼き」の名前で、パリッとした外皮、モチモチの生地、中味は餡の、これまでは無かった
鯛焼きチェーンもある。これもブームで飽きられれば、そこまでの商売だが、当たれば半年か一年で資金回収が可能。これは世界にも
通用する可能性がある。誰もが手軽に出来るということは、直ぐに過剰になり、飽きられる。だから工夫が必要になる。 
10前にで長岡で地元大手の会社が倒産したが、若い二代目の社長は仙台に行き、鯛焼きと御焼きを始めたと聞いた。 
誰も知らない地で、ゼロから再出発するのだから、尊敬に値する。
 * アウトレット専門のショッピングセンター
 (字数制限のためカット 2012年01月18日)
・・・・・・・・・
2845, 金融大崩壊 −1
2009年01月18日(日)
  「金融大崩壊」 − 水野和夫著
 昨日、半日で一挙に読んでしまったが、歴史的な視点を入れて解りやすい内容である。
5年前から「世界は激変するー資産防衛セミナー」に何度か出て、重大局面にあることを認識。
それをキッカケで多くの金融危機関係の本を読んできた。 現象として現れてきたのが一昨年の夏の大きなウネリ、
そして去年の9月の大激震となったのである。 この本は、その辺の潮流を解りやすく書いてある。
  ー要約するとー
・現在の金融危機は「100年に一度の危機」ではなく、16世紀に資本主義が始まって以来最大の危機。
 *16世紀からの「近代資本主義」と、 *1968年からの「新自由主義」と、
 *1995年からの「アメリカ金融資本主義帝国」の終焉が、この金融恐慌、と看破。 
 考えてみれば、その資本そのものは傷をついてない。深手を負ったのは国家と国民である。
・16世紀以来の近代資本主義がつくりあげてきた中産階級ー国民を、資本が破壊した。
 近代資本主義下で「大きな物語」を信じて多くの人が中産階級になることが出来た。
 それが2008年9月15日に終わってしまった可能性がある。それは同時に「主権国家の時代の終焉」でもある。
・サブプライムローンと新自由主義が、資本・国家・国民の三位一体を断ち切ってしまったことで、この金融崩壊は後世に名を残す。
・1995年以降、国際資本の完全移動性が実現したことで、資本は国家と国民に対して優位に立った。
 そして資本がぬけがけし地球規模で暴走した。グリンスパン前議長こそ資本の側に立ち、それを容認した。
 その結果、1995年から増えた世界の金融資産は1京円(=10000兆円)。
・1970年以前は「大きな物語」が成り立っていたので「大きな政府」が成り立っていた。新興国が大型の積極的財政に転じても、
今後、果たして財政赤字を解消できるのか、先進国が同じく積極財政をとっても、期待した通りには効果は得られない。
・ポスト・アメリカの世界の象徴がG7の終焉と20Gの始まりであり、これは無極化への流れになる。
 そして日本の輸出型経済モデルは新興国の中産階級を相手に据えるべきだとする。
 中小企業はこれまでの下請けだけではなく、独自に積極的に海外に出ていくべきだ、と。
  ー 以上であるが、結論からいうと・・・・    次回に続く!
 ・・・・・・・・・
2008年01月18日(金)
2480, 「世間体」の構造 −1          (´∀`σ)σ オハYO!
 『「世間体」の構造 −社会心理史への試み』   ー読書日記
   専門が社会学のため、そして長年、その系統の本を読み続けてきたため、
  「世間」とか、「世間体」という言葉の虚偽と、日本社会(特に地方の後進性)
   の中に潜む泥沼の悪臭を感じ取り、その泥沼には近づかないようにしてきた。
   私の場合、職住が新潟と長岡と分かれていたため、最小の接点で済んだのが幸運だった。
   こういう人種は巧妙に近づいてくる。しかし直に臭い嗅ぎ取り、距離を取るように?してきた。
    そこで、「世間体」を辞書でひいてみたがところ・・・
  1. 社会的な視点からの自己のみなされ方。
  2. 社会的地位や名誉、学歴、家柄による判断基準。分かり易い肩書きが最優先され人間性は含まれてない。
  3. ワイドショーに準ずるモラルやマナー。 とある。 社会的地位も内面的な教養の区別すらも知識にない人達。
    これが殆どだから、仕方がないが・・・ 少なくとも、それを鳥瞰する目と時間は持たないと。 
 ー「世間体」に関する、ことわざに関して、要約している部分を抜粋してみるとー
 P−50
故事ことわざの類いには、「好きこそ物の上手なれ」という反面、「下手の横好き」ともいうように、もともと両義的な
意味あいがこめられているものである。 矛盾したいいまわしが対になっているのは、ことわざの常であろう。
「世間」をめぐることわざのたぐいとて、けっして例外ではない。本質からいえば、矛盾し、相反する意味内容を、
状況によってたくみにつかいわけるところにこそ、ことわざの生命があり、おもしろさがあるのだ。にもかかわらず
「世間」にかぎっていえば「世間」をめぐる慣用句がことごとく「世間なみ」に収斂していることに、私はことのほか
注目したいのである。そのことがとりもなおさず、「世間」の特徴である、と断ぜざるをえないからである。 
思えば、わが国の人びとの多くは、「世間なみ」に生きることを、人生のモットーとしてきたのではなかったか。 
それが積極的にはたらいた場合には、「世間なみレベルの生活水準がたもて「世間なみ」の知識をもたないと恥ずかしい、
ということで、彼らは頑張って生きてきた。この「世間なみ」に生きようとがんばるエネルギーが、わが国の近代化の
ひとつの精神的な原動力となってきたといっても、けっして過言ではあるまい。その反面、異端のもつ大胆なエネルギーが
発揮されることは、きわめてまれであった。ことの善悪をとわず、自分だけがとびぬけて目立つということは、
「世間」の手前、極めて気はずかしいことでなければならなかったからである。
 ーー
 「世間様に笑われないように」が、日本人の良くも悪くも、大きな羅針盤であった。
(字数制限のためカット 2012年01月18日)
・・・・・・・
2007年01月18日(木)
 2116, 品格について −1           <(_ _)> おはようございます!
「国家の品格」というベスト・セラーの本の影響で、「品格」という言葉を巷でよく聞くようになった。
 何をもって品性・品格というか解らないが、私の最も嫌いなのが品性のない人。じゃあ、自分は品性があるかというと、
 どうも自信がない。 そこで、「品位」「品格」を検索で調べてみたが、あるHPの中の説明がよい。
 これを読んで少しホッとした。品性のない人を嫌うには、チャンと裏づけがあった。
 人品なのだから、これだけはどうしようもないが・・いま思い当たる「人間の品格」を思いのまま書いてみると、
・知識・教養・経験で培われた人間性の質をいう。
・品を品物のシナと考えればよい。「人間としての品物が良いかどうか?」とみれば、解りやすい。
 人間を品物として自分を振り返ると、自信がなくってしまう!
ーあるHPにあった「品位と品格」についてが、ずばり要点を言い当てている。
  ーまずは、その箇所を抜粋してみるー
【品位とは人に備わっている人格的価値であり、品性は人の性格を道徳的価値として見る場合の呼称である。
一方、品格と言うのは物の善し悪しの程度、品位、気品を言い、人間のみならず社会全体や都市、
地域に対しても当てはめることができる。日本社会の原理(社会の拠ってたつ根本法則)
は侍社会の躾だと言う人が多い(司馬遼太郎他)。侍は雨が降っても走らず、道の真ん中を歩き、
曲がり角は直角に曲がるなど本当に凛々しかったという。またある行為で恥を掻いたり、人に後ろ指を差される
或いは笑い者になれば、死ぬほどの屈辱感をおぼえるなど行動規範が社会の品格を保つ要因となっていた。 
   (字数制限のためカット 2011年01月18日)


4691, 苦しみは、深いレベルの「神秘」

2014年01月17日(金)

                     『心を癒やす言葉の花束』アルフォンス・デーケン著
    * 現実を「問題」と「神秘」の二つの次元に分けるがよい
 ー苦しみは、深いレベルの「神秘」である 解決できる「問題」ではないー ガブリエル・マルセルの言葉が良い。
「神秘の典型的な愛、自由、人間、自然、出会い、存在、誕生、生、死、悪」などが解決しようとするから苦悩が生まれる。
人生は、成るほど神秘的のはずである。「生きるとは、問題解決の連続と思ってきたが、解決できない苦悩の中で、七転八倒
すること」なら、次つぎ襲ってくる苦悩も素直に向き合える。 ーその辺りを抜粋ー
《 苦しみに、簡単な解答はあり得ません。 その理由は、苦しみという現象が、「問題」ではな「神秘」の次元に
 属しているからです。ですから、私たちが苦しみを体験するとき、出口のない真っ暗なトンネルの中に迷い込んだような
不安や焦燥にかられ、無力感に打ちのめされるのでしょう。私の恩師、ガプリエル・マルセルは二十世紀のソクラテスとも
言われた偉大な仏の哲学者でしたが、彼は人間が直面する現実を「問題」と「神秘」の二つの次元で考えました。
 「問題」は、客観的にみて、知識や技術で解決することができる問いかけです。しかし世の中にはコントロールすることも、
把握することもできない、深い領域が存在しています。それが神秘です。神秘の次元のものを、神の次元のように客体化しよう
とすれば、大きな過ちを犯すことになります。たとえば、医者が患者をみて病気を診断し、薬や手術などの治療法を検討する。
これは病気を問題として解決しようとしているわけです。 一方、治る見込みのない患者に対しては、多くの医者は「もう手の
施しようがない」と匙を投げます。これは、患者の生と死を単なる技術的な「問題」の次元でのみとらえているから、何も
できないという答えになってしまうのです。けれど、たとえ病気を治すという解決ができなくても、残された時間を有意義に
過ごす手助けをすることで患者の苦しみを和らげることもできます。それが「神秘」の次元で考えるということなのです。
 典型的な神秘の次元に属するものとしては、愛、自由、人間、自然、出会い、存在、誕生、生、死、悪なども挙げられます。
今の教育は、ほとんどが問題解決のための技術的な教育に偏り、あらゆる神秘を単なる問題解決の次元で片づけようとする
傾向がありますが、そこに現代社会の大きな欠陥が隠されているように思えてなりません。
 マルセルは、神秘に属するときは、自分の限界を認めることが大切だと強調していました。人為を超えた神秘には、
「素直な驚き」「謙遜」「畏敬」「開かれた心」を持って向き含うのが望ましい姿勢と言えましょう。
どうしようもない苦しみにさらされたときも、事態をあるがままに受け入れて眺めれば、苦しみに埋没することなく、
新たな段階へと踏み出せるのではないでしょうか。 古代キリスト教の教父と言われるアウレリウス.アウグスティヌスは、
十九歳のとき親友を突然病気で亡くしました。彼は、そのときの苦しみを回顧録で、こう綴っています。
「今や自分にとって、自分自身が大きな謎となってしまった」 ここでいう「謎」とは、あきらかに神秘の次元を指します。
同じ十九歳なのに、親友は死に、自分は生きている。それまで当然だと思っていた親友との日々の生活が、実は当たり前の
ことではなかった―― この苦しい体験が、彼にとって、人生の神秘について深く考えるきっかけとなりました。
アウグスティヌスが、西欧の歴史上、最も優れた思想家の一人となったのは、この大いなる神秘に真剣に取り組んだから・・・》
 ▼【人為を超えた神秘には、「素直な驚き」「謙遜」「畏敬」「開かれた心」を持って向き含うのが望ましい姿勢】 が良い。
  色いろ、七転八倒してみて、「何だ私は、この程度の人間なんだ」と限界を割り切ることが、諦めであり、悟りになる。
 この節目時に、腹の底から笑った後に、ドッと肩の荷が下りた。そのフワフワ感が何とも良い。神秘的だが面白い人生か〜
・・・・・
4324, 財政恐慌 −2
2013年01月17日(木)
  ー まずは具体的な内容を抜粋してみる ー        『財政恐慌』浜矩子著
 ≪   ー 今回の質問の内容 −
  ● 我々は今どこにいるのか      ● いかにしてここにきたのか
  ● なぜ、ここにきたのか       ● 我々はどこに行きたいのか
  ● 行きたいところに、我々はいかにして行きたいのか
   ◎ まずは、「我々は今どこにいるのか」「いかにここにきたか」「なぜきたか」
 □ 今、我々は閉塞感のさなかにいる。 いかにしてここにきたのか・高度成長期が終わり、ニクソン・ショックがあり、
 プラザ合意があり、バブル経済を経て、失われた一〇年に見舞われ、小泉劇場に踊らされ、リーマン・ショックの衝撃を味わい、
 格差の深化におののき、衰退国家化することを恐れつつ、ここにきた。 なぜ、ここにきたのか。ここに至る変転の節目節目で、
 タイミングを逸し、時流に身を任せ過ぎ、時流に飛びつき過ぎ、変身を恐れたから、ここにきた。
  ◎ 我々はどこに行きたいのか
 □ 我々は、ほっと安心できるところに行きたがっている。デフレや失業や年金問題や
  通貨戦争や国々の財政破綻などを心配しなくていい。そのような安らぎの天地を求めている
   ◎ 行きたいところに、我々はいかにして行きたいのか
 □ 政府は、「新成長戦略」をもってそこに到達するのだと言っている。だが成長神話は古い。それに、この間を通じて
  日本経済はそれなりに成長してきた。ところが、それによって人々が安心することができるようになっているわけでない。
  今、必要なのは、成長戦略ではなくて成熟戦略だ。大きく積み上がった富をいかに上手に分かち合うか。
  そのための新しいメカニズムを考案していくことが必要だ。 ≫
▼ アメリカが日本に強いたプラザ合意。国内需要の喚起のため、ばら撒いた金が不動産投資などバブルを引き起こした。
 そして5年後のバブル崩壊。その後は歴代首相が経済成長という幻想を目指すばら撒きの繰り返し。その結果の膨大の借金。
 偶発的?に権力を握った二人の元首相がすることは決まっている。更なる膨大の国債発行。 これが最期のトドメとなる。
・・・・・・
3949, 国債暴落、円安、超インフレは何故? ー1
2012年01月17日(火)
  * ユーロとドル安が続いているが、
欧州各国の国債の格下げでユーロ安が続いている。まだ株式の暴落が起きてないが、一日一日、その緊迫度が伝わってくる。 
地震(リーマン・ショック)より、津波(世界恐慌)の方が遥かに破壊度が大きくなる。 ニュースで近じか仏大統領が
大きな決断を下すという。 ドルは50円、ユーロは60円、株価は6000円?もありえる事態。 ただし段階を踏むだろう。
日銀の白川総裁が、「欧州危機は、最大のリスク要因になっている」と述べたが、日本経済も体力が弱っているため大打撃になる。 
分かっていたことだが。 問題は、三月あたり・・・
 「日本の論点 2012」 ー円の落日ー「国債暴落、円安、超インフレは来る?」が、この辺を分かりやすく書いている。
《 デフレであるかぎり、円高は続く「歴史的な円高水準」が続いて久しい。直接的な要因として挙げられるのが、
 米国のFRBによる積極果敢な量的金融緩和政策だ。二〇〇八年九月のリーマンショックを受け、FRBは合計二兆三〇〇〇億ドル
におよぶ国債などの買い入れをおこない、金融機関に流動性を供給した。これで、FRBのバランスシートはいっきに三倍に膨らんだ。
成果については賛否両論あるが、これだけ大量のドルが市場に出回れば、その価値は相対的に下落すると考えるのがふつうだろう。
しかし、円が高い理由はそれだけではない。日本のデフレの影響も大きい。 長期的な為替レートを決める要因の一つに
「購買力評価」がある。同じモノは世界中どこでも同じ価格で売られるはずであり、それを調整するのが為替レートであるという考え方。
つまり、為替レートはインフレ率の差を相殺するように動くということである。たとえば二〇〇〇年から今日までの十一年間で、
米国の消費者物価指数は約三〇%上昇した。 いっぽう、デフレの日本の伸びは、ほぼゼロだ。また、二〇〇〇年の為替レートの水準は
一ドル一〇七円前後の日米のインフレ率の差である三〇%が為替レートによって調整されたとすると、現在は一ドル約八二円の水準である。
とすれば、今日の為替レートは、けっして「異常な円高」とはいえない。つまり、インフレ率の高い国の通貨は安くなりやすく、
デフレの国の通賀は高くなりやすい ーおよそ二〇年にわたってデフレから脱却できない日本の円が高くなるのは、必然であると
いえるだろう。さらに円高は、デフレの要因にもなる。海外から商品を安く仕入れて売れば、競合している国内の商品も価格を
下げざるを得なくなるからだ。それは、工場の海外移転や人員または給与の制限といった国内産業の合理化を促す。
さらにそれは生活基盤を失わせる雇用不安につながるから、また消費が控えられ、デフレが深まり、ますます円高が進行する。
こうしたスパイラルから抜け出さないかぎり為替介入などの円高対策も実効性は薄い。》
 ▼ ビッグマックの各国の為替換算の値段は、日米が同じ、中国は半額、スイスが二倍という。以前、欧州でビッグマックが
  日本の三倍近いのに驚いたことがある。 欧州危機をキッカケとした世界恐慌が近づいているようだ。
  それも想像を絶したものになるはず。 これから数年間は、銀行閉鎖? ハイパーインフレ? 株価が半値? 何でもありか。
 ・・・・・・・
3584,閑話小題
2011年01月17日(月)
  * 日めくりの格言
    「仕事に雑用はない!」  そうか! そうだ! これ 「人生」にも「普段の生活」にも当てはまる。
  * セレンディピティとは
  − ウィキペディアによると、
 < セレンディピティは、何かを探しているときに、探しているものとは別の価値あるものを見つける能力・才能を指す言葉である。
  何かを発見したという「現象」ではなく、何かを発見をする「能力」を指す。平たく言えば、ふとした偶然をきっかけに閃きを得、
  幸運を掴み取る能力のことである。 例えば、諺の『犬も歩けば棒に当たる』や、北原白秋作詞の童謡『待ちぼうけ』の一節
 「ころりころげた きのねっこ」の状況にちかい。>
 ー「運」が良い人は、突き詰めると、この能力が研ぎ澄まされている。それには心根が真直ぐに伸びてないと、土壌もあるが?
  * 「あげぽよ」「うけぴー」「わや」「ちゃいちゃい」
 これが女子中高生ケータイ流行語大賞の候補と!ニュースにあった。まったく理解できないが、感覚的には面白い。
  ーそこで早速ネットで調べてみたー その内容といえば、
【 流行語大賞の候補に、「あげぽよ」「アラシック」「ちゃいちゃい」「うけぴー」「うぇーい」「わや」「もふもふ」
「やっふぃ」「もいきー」「ちゃんねー」「ポイポイポイポポイポイポピー」「やびゃあ」など20があるとか。
それぞれの言葉の意味や出所だが、
・「あげぽよ」は「テンションアゲアゲな状態」を意味するギャル語。『ぽよ』は、可愛いので語尾に付けるが特に意味はない。 
・「ちゃいちゃい」は『ばいばい』『またね』を意味する」
・「アラシック」は「アイドルグループ『嵐』のファンを指す。病気になってしまうほど、嵐が好きという意味。」
・「やびゃあ」は、「『やばい』が変化した言葉で意味は同じ。
・「ポイポイポイポポイポイポピー」は、素人女性宴会芸集団『あやまんJAPAN』が『LOVE&JOY』という曲に乗せ
  歌い踊る中で使用される掛け声」などである。…
ー流行語は、その時代に反映するが、女子中高生の間だけなら良いとも言ってられない。 普段使う言葉こそ重要だが、
 「今どきの若い者は!」のレベルダウンになる。何処かの女子大生の別れ際の言葉「皆様、御機嫌よう、さようなら」もある。
  ・・・・・・・・
3209, 年金支払い総額 1400万
 2010年01月17日(日)
「年金定期便」とかいう大型の封書が日本年金機構から送付されてきた。 41年間で総額1388万円である。
(以前の年金通知の中にもあったかもしれないが、記憶に残ってなかった>)その間の金利や貨幣価値の変動などからみて3倍が妥当。 
 実質の支払額は 1400×3=4200万は積み立ててきたことになる。それも半強制的にである。
 私の年齢は63歳の去年の7月から21万円が死ぬまで年金として支払われ。
21×12ヶ月×(平均余命80−63歳=)17年 −>、4284万になる。 成るほど、こんなものになる。但し、自民党と官僚が、
これを過去に食い散らしてなければである。ところが、田中角栄様が、その年金を食い散らす算段?をしていたのである。
その掛け金の支配金は、我われに年金が支払われる時点の掛け金で賄われるシステムに換えていたのである。 
未来のために積み上げた年金を現政府が自由に使えるようにしていたのである。 酷いものである。 
腹がたつ以上に、情けない。 当時の政府も、少子化とか、国家のダウンサイジングが現実のものになるとは
思ってもいなかったのだろう。 数年前から団塊世代が年金組になって、大問題になってきた。
 こういう事態をみて、今の若い世代の人たちは年金を支払いに疑問を持つのは当然である。
いずれにしろ我われは大きな問題に直面していることだけは確かである。 年金税も現実問題として有りえる。
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2844, 「ほめる」言葉  −1
 2009年01月17日(土)
 《精神対話士》の「ほめる」言葉  ーメンタルケア協会偏 読書日記
図書館で何気なく手に取った本。人間関係を円滑にするための褒めるノウハウ書と思ったが、《精神対話士》の、
という部分が気になり借りてきた。 ところが、なるほど口先で褒める言葉ではなく、心の底から褒める言葉が
並んでいる本であった。基本は、「相手の存在を認めることから、すべてが始る」である。
 この本を編集した財団法人メンタルケア協会とは何か?がHPにあったのでコピーしてしてみる。
< 慶応大学医学部出身の医師達が中心となって設立された協会。
 「人間は病気など、さまざまな障害によって心に不安を抱え、人生をマットウするための根幹となる「生きがい」
 を見失いがちになることに着目。 それらの人々を真心の対話によって励まし、「生きることの尊さ」を共感できる
 「メンタルケア・スペシャリスト養成講座」を開催。一般に普及させるため精神対話士の育成、認定、派遣を行っている。
 この本は、精神対話士の効用の一端を「ほめる言葉」にまとめたもの。
 「温かいひと言」を相手に投げかけることで、親密な人間関係を築けることを教えている。>
 借りて少し読んだ後に、直ぐにアマゾンで注文をして取り寄せた。こういう場合、アマゾンは有り難い! 
私が人を褒めると、知人や同級生に驚かれることが何度かあった。
「おい、どうした?お前が人を褒めるなんて殆どないのに!」である。ということは、「けなしても、褒めてない」のである。 
私はけっこう褒めているつもりだが、違うのである。 「営業用の褒め言葉」を聞きなれているため?言えないのである。
全て知った上で「嫌味」を言うより、営業用でも褒めた方が良いのだが、しかし、しかし、言えないのである。
  (字数制限のためカット 2012年1月17日)
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2008年01月17日(木)
2479, 新潟県の物流の現状は              (。´_`)ノおはぁ。
 地元の大手の中越運送社長が昨日の日経新聞・新潟県内版のインタビューで語った「新潟県の物流の現状」
 が注目すべき内容だった。貨物量の動きが、そのまま景気の動きを表すが、何処も同じ秋の空である。
 ーまずは箇条書きにまとめてみるー
・足元の景気と言えば、年末でも、これまでのような活気はない。
・住宅着工の遅れで、建設資材が動かないうえに、原油高のせいか人々は買い物には行かなくなっており、百貨店も人が少ない。
・かっては9月から年末年始にかけて越冬需要でモノが大きく動いたが、今は通常の月と変わらない。
・中越沖地震の影響で消費は減り、復興需要があったのは特定の業界だけ昨年は上半期から低迷、9月以降はめっきりダメで、
 12月に入ってから目に見えて落ち込んだ。12月20日でしめた決算も非常に悪い。  年末年始もこの流れがつづく。
・いまは企業によって二極化している。大手、とくに輸出を手がける企業は世界の運賃の高騰に水準を合わせて上げているが、
 一方中小はなかなか値上げは出来ない。うちで運賃があわないのに、下請けはもっとあわないはず。
・新潟での海外の荷物のほとんどは中国からの輸入。新潟で待っていても、仕事は殆ど取れない。
 中国の仕事を入り口で取る体制を整える。  日本郵政との競合はどうなるか分らない状態だ。
 ▼ 以上だが、どの業界も厳しさという面で、ホボ同じことがいえる。ところで、運送のコスト構造は、人件費が6〜7割、燃料が2割。
(当業態のホテルは、人件費が三割、燃費は一割)2005年度になるが、その4年前の6割に貨物量が減ったという。
中越沖地震から県内の動きは更に10?は減ったから、この5〜6年で半分ということになる。これでは運送業界だけでなく、
県全体は壊滅に近い事態といってよい。今年は更に落ち込みが見込まれるから、一足先に恐慌が来ていると言って過言ではない。
しかし、事業者の数は中小がジワジワ増えているというから、悲鳴をあげるのも分かる。
何処も同じであるが、それにしても酷い状態である。
                   ヾ(@⌒ー⌒@)ノ マタ!
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2007年01月17日(水)
2115, だと!    ○┓
『    だと!』   《     》
             『  んで!』  《     》
 (字数制限のためカット 2012年1月17日)
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2006年01月17日(火)
1750, おひとりさま     (*^o^*)オ (*^O^*)ハ (*^。^*)ヨー!!
先日、TVで『おひとりさま』というテーマで女性の一人の食事や音楽会の参加について取りあげていた。
女性といえば、つねに誰かと二人以上で行動するのが常だが、最近になって、ひとりで行動するスタイルが格好よいとされている。  
 お茶どうぞ ( ^-^)_且~~~   「おひとりさま」のスタイルといえば、映画やリサイタル一人で観たあと、ぶらりと店に入り
ワインかコーヒーを飲みながら食事…。大人の女性としての一人の時間を楽しむことである。背景にはキャリアウーマンの出現がある。
時には一人で旅行に出て、ジックリと孤独の時間を味わうスタイルを身につけること。ひとりの時間を楽しめる人間こそ「おひとりさま」
であり、しっかりした個を確立してこそ他人との関係も良好になる。自然態で自分と向かい孤独を楽しめる人こそ「ひとり」の世界を
確立できる。         
ー自己の確立がしっかりしているとは
 1「個」の確立ができていること   2 他人の個を認めることができる
 3 独り遊びができること      4 知的裏付けをもっている である。
  (字数制限のためカット 2010年1月17日)


4690, 身近な貧困 ー4

2014年01月16日(木)

   * 最も貧困なのは、自分の脳! と、人生の貧困
 貧困といえば、その最たるものが己の脳、いや各々方の脳。「無知の知」ではないが、まずは、その自覚が第一歩。
脳は暗黒大陸といわれたアフリカと同じように、未開の分野。何故か一生の間に脳の2〜3%しか使わない。
あっても使えないのは、無くて使えないことより遥かに問題。自分で知恵を絞って使うしかない。
脳活動を邪魔をするのが「自分は他人とは違う」という逆上せ上がりと、逆に「自分は、この程度」という枠の設定。
まずは知らずに洗脳されたまま、脳を使いこなせてない自覚が第一歩。ソクラテスの自分は何も知らないという、
「無知の知」から出発するしかない。ところが、それが難しい。 最近、スマートフォンやタブレットPCという脳補佐
マシーンが出現し、これまで使いこなせなかった高年齢者や、女・子ども気楽に使えるようになってきた。これで世界が
一変してきている。何せ、キーワードで各々の脳が繋がり、それぞれ蓄積してきた知識・情報・知恵の公開を始めた。
そのアクセスも、記憶補佐マシーンの普及で一瞬で可能になっている。 問題は、その消化。そのためには基礎知識が
ベースに必要である。 しかし目標を定めれば、情報と知識はネットから誰でも簡単に手に入る。チャンスはスマート
機種開発に中にある。今年から数年にかけて奇想天外な面白い端末が出てくる。既にあるが、コスト面で表立ってないが、
量産に目処が立てば大幅ダウンで普及する可能を含んだものがある。「脳の貧困と何をもっていうか?」の疑問が立つ。
 もう一つの貧困といえば、人生の達成感、充実感。死を恐れる原因の最大の心理要因が、この貧困感。
私の嫌う「C」さん、に多いが、これも脳の貧困が起因している。何度も書いてきたが、秘境ツアーに来ている
初老に差し掛かった人が、けっこう正直に、『 人生、あまり深く考えずに親の価値観を信じて、ここまで生きてきた。
ところが、残された人生も後僅かと気づいた。このままでは死にきれない! 世界の果てで独りになって考えるため、
ここまで答えを求めてきた。帰ったら、直ぐに直面する問題が待っている!』と。それでも、そのことに気づいただけ良い。
 人間という無限のエネルギーが、小さな肉体と生活習慣と運命・宿命に閉じ込められ窒息しそうな一生を終える。
これが人生だが、このことに気づくか?気づかないまま、一生を終えるか? 気づかないのも、人生。 
亡くなったが、中学の担任の定年時の悩みを直接、聞いたが、それは深刻だった。「90歳を過ぎた両親に言いなりの人生。
一歩も外に出れないほど苦しいことはない!」 人生の貧困感である。決して、それが貧困ではないが、初老性ウツである。
 これも偶然だが、以下の去年の「我々がみずからに投げかけるべき質問群」に継っていく。
・・・・・・
4323, 財政恐慌 −1
2013年01月16日(水)
                    『財政恐慌』浜矩子著
  ここで紹介されている架空の人物のベンジャミンの質問が良い。
 現在の経済危機に対する軽い問答形式が問題を解りやすく浮かび上がらせている。
   * 我々は今どこにいるのか? ミスター・ビーンに聞こう 
  ー まずは、「人生の不確実性」について ー
≪ これを考えていくにあたって、皆さんに紹介申し上げたい人物が一人いる。その名はサー・ベンジャミン・フレッチャー。
 イギリスの大物政治家である。 交通大臣や社会保障大臣を歴任、下院議長も務めた。そして、彼は架空の人物である。
彼を演じて大反響を得たのが、ローワンナトキンソン。イギリスの怪物的に異様な喜劇俳優だ。物言わぬドタバタ男キャラクー、
「ミスタービーン」として、彼をご存知の皆さんは多いだろう。ミスター・ビーンは何も言わない。だが、アトキンソンは実は
極めて多芸な俳優さんなのである。七変化的な役柄の演じ分けが得意だ。そんな彼のかつての持ち役の一つが、ベンジャミンだ。
ベンジャミンは、ロンドン市長主催の晩餐会でスピーチに立つ。市長の晩餐会はイギリス恒例のビッグ・イベントである。
その栄えある舞台で、ベンジャミンは「人生の不確実性」について語る。 その中身は、あたかも今日の日本を語っている
がごとくだ。 「今日、イギリスは一三八○年以来最大の経済危機に直面している」と、サー・ベンジャミンは口火を切る。
なぜ一三八○年なのかはよくわからない。・・・ そのような危機に当面して、「我々は不滅の苦悶にさいなまれ、心配が絶えず、
憤懣が溜まり、あらゆる試練に耐えなければならない」とベンジャミンは続ける。「再び我々の生活から灯が消える時、準備万端
整っている状態を確保するつもりなら、我々はみずからに決定的重要性を持つ一連の問いかけを発してみなければならない」 
ここから、その「我々がみずからに投げかけるべき質問群」が並べ立てられていく。ーそれらを、この紙面上に再現してみようー
  ● 我々は今どこにいるのか      ● いかにしてここにきたのか
  ● なぜ、ここにきたのか       ● 我々はどこに行きたいのか
  ● 行きたいところに、我々はいかにして行きたいのか
  ● どれくらい遠くまで行かないと、行きたいところに行けないのか 
  ● 行きたいところに行けた時、そこが行きたかったところであることを、どうすればわかるのか
  ● 我々は地図を持っているのか    ● 我々はなぜ元いたところから立ち去ったのか
  ● 我々はここで立ち止まりたいのか  ● それとも我々は元に戻って最初からやり直したいのか我々はどうしたらよいのか ≫
▽ これを、私の人生に置き換えて考えてみた。 私は今どこにいるのか? いかにしてここにきたか? なぜ、ここにきたか?等々。
 人生の8〜9合目に立って、これまで登ってきた道筋を振り返り、この山で良かったのか、立ち止まっていて良いのか、などを
 考えるに良い質問群になる。最初から出直すことが出来ない、二度とないのが人生。だから人生は面白い。両親の生き様を見て、
 ある程度は、解っていたが・・  次回から著者の現在の財政危機についての問答を紹介する。
・・・・・・
3948, 未婚時代の婚活
2012年01月16日(月)              
  * 普通の男性は1パーセントしかいない!
 文藝春秋のリポートで、現代の未婚時代の分析を元戦略コンサルタントが分析をしていた。
それが、なかなかユニークな切り口で面白い。仕事が三次産業にいたため若い男女の生態を見る立ち位置にいた。
伴侶を決めるのは、女性も男性も、一生の一大事である。そうそう、満足できる相手には巡りあえることはない。
そして決めたあとでも、もっと良い人がいたのではとしゅんじゅんするもの。この歳になっても、今だ・・・
著者の目でみると彼らの結婚したくとも結婚できない女性の共通する悩みが殆ど同じことに気づいた。 たとえば、
「私は、決して高望みはしていない。普通の男性でよいのに、周りにいない」 「いい男は、なぜか皆んな早婚」
「キレイで素敵な女性がアラサー、アラフォーで独身のまま。何故あの人が?って何時も話題になります」
確かに、現象面から見れば当たっているが、著者が分析からすると、至極当然になる。
 まず「普通の男性がいない」は、普通の男性は、僅か1パーセントしかいないことになる。
普通の男性は、通常いくつもの「普通」が重なり合っている。:普通に会話できる:普通のルックス:普通の身長:普通の清潔感:
普通のファッションセンス:普通の学歴:普通の年収 などなど。「普通」というからには確率は50%、それらの全てを満たすと
すると、 :会話普通50%×ルックス50%と掛け合わせていくと×=0・8%になる。それぞれを高望みをしなくとも、全てを
満たす人は100人に一人になる。そこに社会情勢からして男女とも年収が激減している。このレポートでも取り上げているが、
グラフがある。年収の高いレベルを横軸の右側、縦軸に既婚か未婚かになっていて、それぞれの面積の広さで人数の比率が
一目でわかるもの。ここでは、30〜34歳のデータだったが800万以上が約8割が既婚。200〜400万の6割が未婚。
200万以下は7割以上が独身だった。「いい男が早婚」なのは、年収だけの条件だけでなく、性格の良い男も結婚が早い。
女性から見て結婚相手として人気の高い「誠実で、私思いの、いい男」。一見、少し地味な印象で口下手で、華やかな女性には
モテるわけでないが、それ故に、遊ぶぐせが付いたり、他の女性に目移りすることなく、若くして年貢を収めてしまう。また
女性もほっとく訳がない。彼らは誠実で真面目なため年齢を重なるたびに良い男になっていく。が、結婚相手として、とっくに
目立たないうちに刈り取られている。こうして、「いい男はみんな早婚」になるのである。     ーつづく
 ・・・・・・・
3583, アート画像転換システム
2011年01月16日(日)
 カシオが、このところ全国紙に全面広告で「アート画像転換システム」の広告記事をたて続けに出している。
そこで会員登録をして、HPのソフトを使って驚いた。アップした画像を油彩、水彩、色エンピツなどアート風に転換してくれる。
それが思いのほかに良い。デジタルで撮った風景や人物も、それぞれ簡単に転換できる。それがプロが書き換えたと
思えるほどの出来栄えで、ここまで来たのかと溜息が出るほどカルチャーショック。これではプロがカタナシである。
この絵を実際に描くには、数年は絵画教室にでも通わなければならない。それが数秒で誰でも気楽に転換が可能になった。
デジカメで撮った過去の写真を転換する度、その出来栄えに狐につまされた思いになる。 まだ、その機能が入ったデジカメを
手にとって見てないが、その場で転換可能のもの。 タブレット式パソコンで、現地で写真を撮って、その場で色を書き加えれば、
これまで一部の人しか出来なかった各種のアート画が、現地で可能になる。 他のHPにも自由に使えるソフトが幾つもある。
そこには美人、線画、版画、漫画、スケッチなど100位の写真加工転換ソフトが使える。
 私にとって、これは夢のようなソフトになる。 これまで、多くの写真がCDカードやアルバムに眠っている。
この中で、気に入ったものを画像転換すれば、私にとって素晴らしいアートが出来上がる。
おそらく、セザンヌ、ゴッホ、ピカソなど世界的な画家の筆致のソフトが出てくるはず。 それだけでない、彼らの絵画を
自分で転換して新たのアート作品に作りかえれば、違った作品が出来る。それが実際の作品より数倍良くなることもありえる。
実際にゴッホの「ひまわり」を加工してみたが、水彩画などに転換したものは、何とも味がある。
カシオは、これに膨大の開発費を投入したと思われるが、それをフリーソフトで公開し、出来上がった作品をパネルや、
装飾品に印刷、販売するサービスを始めるようだ。 再度、書くが、「この写真が、こんな風に転換してしまうのか!」の、
驚きの連続である。 iPadの次世代機種にカメラ機能が付くと噂されているが、これが発売されたら買うつもりである。
観光地に持っていって、その写真を撮り、スケッチ画に転換して、絵描きソフトで書き加えることが可能になる。
 いや、書き加える必要もないほど最良に近いソフトが、それを許さないか?   これは、凄いソフトである。
 ・・・・・・・  
3208, Twitter の意味すること! ー3
 2010年01月16日(土)
* Twitpic 
Twitterが凄いと思っていたら、その写真版が、そのサービスの中にあった。
直ぐに「写真版があってもよい」と思ったが、サービス周辺をみたら当然のようにあったのである。
そこで早速、デジカメで撮った通勤途中の福島江の桜の写真を載せてみた。なるほど、これなら雪桜を知らない人でもわかる。 
そのサイトには世界各地の人のTwitpicの写真が羅列してあった。「英語が分からない」という拒否反応が直ぐに出たが、
数言の英語なら状況から分かるし、写真そのものが語りかけてくる。雪桜という言葉なら分からなくても 写真なら世界中の
人が見ても、白の幻想的なイメージは分かる。それと同じことが、世界中のTwitpicにもいえる。それが、また面白いのが多い。 
このシャツは自分が現在作っているもの、という紹介のサイトだったり、普通の女性?二人が胸を露出した写真だったり、
黒人の男のヌードもあった。 構えてないところが良い。 当然、Twitbideoというのもある。 写真もビデオも、パソコンでも
モバイル端末で、何時でも何処でも見ることができる。ハイチの大地震の現場写真も世界中を駆け巡っている。
TVのニュースでも、かなり際どい怪我人の惨状映像が流れていた。 情報化の事例の一つである。
数年前からYoutubeというショートの映像配信の投稿サイトがある。 グーグルが千五百億円で買収したことで話題になった。
これも手軽に何処からでもビデオを配信できるからよい。 Twitterも、三年で既に九百億円の値がついているという。
 Twitterに話が戻るが、自分で、キーワードと指定した言葉の前に‘♯’をつけると、それがネットでグループ化される。
「藤の花」を知らせたい場合、‘♯藤の花’と入れると、その言葉の検索で、直近の映像から羅列して出てくる。
*長岡の花火、*福島江の桜、*ハイチの地震、*居酒屋で一人で飲んでいる、等々、幾らでも発進できる。
全国レベルだから「おれも、いま一人で飲んでいる!」とか、直ぐの反応があるはず。
初めキーワードをコンピューターが選定すると思ったが、実際は♯で、本人から指名できる。それなら同じ状況の
「つぶやき」が繋がる。 もし、「三菱UFJ銀行への怒り」の前に♯を入れると、この銀行の怒りを持った者同士が、
怒りを共有することが出来ることになる。 世界の情報の網目が小さくなり、かつ鋭敏になるのである。
更に、情報を送りたい相手のサイトの前に@をつけると、自動的に送信される。これが携帯で飛び交うから驚くのである。
ブログがマイクロ化し、互いにキーワードで結び合う、のである。 だからマイクロ・ブログともいわれる。
若い人を中心に直ぐに当たり前の機能として使われだしている。 情報格差は、無限に開くばかりになる。
 ・・・・・・・・
2843, 雲屯庵 −3
2009年01月16日(金)
 当時、雲屯庵に若い僧侶がいた。 外見は茫洋としているが、この男がなかなかの博識で、俗にいう玉。
 最近調べたら新井の姓になっていたので新井石龍禅師の養子になったか?、名前だけ継いだのか?
 この人が語った「異世界」の話しが面白い。 もう40年も前の話だがよく憶えている。
《 数年前に社会勉強と修行のために二年間ある工場に入った。 そこで僧侶の感覚で、朝6時に出社。
 他の人が出社する前に徹底的に掃除をした後に働いた。 三時間も前に来て働いているのだから、
 上司に直ぐに認められ、一〜二年もしないうちに、工場のトップクラスに登りつめてしまった。
 別に、必死に働いたのではない、ただ僧侶の感覚で仕事をしただけ 》
 この一言は当時、勤めたばかりで身体も精神も出来てない‘柔’の私にとって、激務で疲れ果て憔悴していた私にとって、
 ショックであった。何時の間にか、周りの勤め人に感化されていたのである。彼の一言一言が鋭いナイフのようであった。
   また、その時に寺社会の底知れぬ昔からの風習を聞かされた。その世界は裏表がハッキリしていて、チャンと
 「何?の方の世界」はシステム(風習)としてあるという。もし若い庵女なら、隠れ旦那の風習があり、通婚のシステムがある。
 (もちろん地域的なものもあろう。そういえば「午前様は過去に何度か女性で失敗、本来は本山のトップになれる経歴と
 能力が十分にあったが、それが原因で、この寺で終った人物」と父親から聞いていた。この歳になっても、少し綺麗な女性が
 身辺に来ると 「直ぐに手をつける?」等々、なかなか真偽は解らないが面白い話題で満ちていた。 
 更には、預金通帳には?千万(現在なら?億)あり、 非常に裕福であるとか・・云々。 
 今でも??は度々、訪ねて来るが、品が良く、綺麗な人。 問題になるから、この位にしておくが、
 40年も以前のことだとしても人間の俗社会と大して変わらない。
 名寺で京大印度哲学科出の午前様なら、昔なら御殿様クラスの存在なのだろう。
  ーー
 ー9月01日 1969年
その夜、休暇で日本に帰ってきていた慶応を出て、ハーバード大のビジネス・スクールの学生がいた。 
彼と高橋さんと、そこの雲水と話をする。ところが、その雲水が博学で、高橋さんと私はダンマリ。
ハーバードと雲水の議論に全くついていけないのだ。どうしたのだろう? 禅師に昼間真っ二つに甘さを指摘され、夜は夜で
二人の議論についていけない自分が、そこにいるのだ。 何だろう、何だろう、何だろう!実践としてスーパーに入ったが、
何にもできない中途半端な自分がいる。実際のところ濁流の中で、もう水を飲んでアップアップしているだけの自分が、
神戸で一人呆然としているだけだ。どうしたのだ、どうしたのだ。 適当に真面目に考えることもないが。
  2005年 ー1月14日記ー
 ーこの時のショックは計り知れないものがあった。身近で、これだけの知的水準の高い、同年代のハーバード大学の人と
接したのは初めて。 会話さえついていけないのだ。一言一言の言葉が宇宙語のよう。その逆の環境の真っ只中にいたから、
その段差がなおのことあったのだ。「学生時代に自分は何をしてきたのだろう?」という、疑問を持ったまま卒業をしたこともあり、
「いま一度一人になって知識の再構築したい」という気持ちが芽生えたキッカケになった。
(字数の関係でカット12年01月16日)
・・・・・・
2008年01月16日(水)
2478, 「恐慌」が待ち構える黄昏の米国 −1    b(^o^)d w(^0^)w オッハー♪
 昨日の毎日新聞の −記者の目:黄昏の米国「多元的世界経済」へー(内野雅一)が刺激的である。
 サブプライム問題の深刻化と同時に、景気の減速どころか、「恐慌」が現実化をしてきた。 
機軸通貨ドルへの信頼感からアメリカへ 還流していた資金が原油と金、そして穀物にも向かっている。
(字数の関係でカット09年01月16日)


4689, 閑話小題 ー68歳に、つれづれに〜

2014年01月15日(水)

   * 68歳に、つれづれに〜
 今日は68歳の誕生日、毎年同じような感慨を書いている。早生れなので、同期生は古希になる。
スポーツジムに通っているためか、何とか肉体は元気だが、それでも日々、老いていくのが自覚できる。
ただ知的好奇心と、頭の方はマスマス冴え渡っている。情報機器の進化もあってか、何もかもが新鮮に思える。
日々、固定観念が壊れていくこともある。それにしても、もっと早く、隠居になっておくべきと後悔が残る。
としても、まだまだ分厚いバイアスに囲まれている自分が、ここにいる。地方の良さは、のんびり出来ることだが、
反面、情報が薄れていること。これも人生だが・・ 以前なら、飲みに出るが、もう面倒の方が先に立つ。
過去分の誕生日の感想を読み返すと、面白い。他人にとって些細なことでも本人にとって一年で一番、感慨深いことが、
この日を振返ると見てとれる。その時どきの誕生日の感慨を真剣に考えている自分の心(文)を振返ると、真剣に
向き合っている、この人は何だろう? 誰だろう? と不思議な感覚になる。来年の、この日には読み返す自分が
いないかもしれない。しかし誰かが読んでいるかもしれない。その人が、自分の一部を蘇らせてくれるかもしれない。
もし、2020年まで生きていて、「75歳に、つれづれに〜」を書いていたら、どんな文章になるのだろう?
そのイメージで書くと・・〈 まさか、この年まで生きていようとは思ってなかった。そして今年の東京オリンピックを
見ることが出来ようとは、感謝である。そして、あの日から10年になる。 良きに悪きに、この7〜8年で激変した・・ 
それにしても、ここまで生きてきたもの!万歳である。〉 こんなふうか・・ 
 なるほど、「今日は、残されて人生の最初の日」であるのが、分る。「余命半年!」と宣言され、覚悟が固まれば、
この言葉の通り一日一日を過ごすことになる。何か年寄りくさい話になったが、とにもかくにも自分が滑稽で面白かった!
・・・・・・
4322, 閑話小題 ―住宅ローン破綻と、立ち退き
2013年01月15日(火)
   * ネットカフェ難民から、マック難民へ
 先日の朝日新聞の一面トップ記事で、マック難民の問題を取り上げていた。一晩千円も払えない人たちが100円のコーヒーで
閉店まで夜を過ごしている実態がある。決してセンセーショナルに書かれてはいない。 先日、図書館で「ネットカフェ難民」を
借りてきたが、5年前の出版された内容に既にマック難民の存在があった。 著者そのものが芸大大学院卒のネット難民。
≪ 六畳間からネットカフェの一畳の空間に居を移した。パソコンで日雇いバイトに登録し、日中は退屈で単純な労働に精を出し
夜は11時以降が入店条件の6時間深夜パックで体を縮めて眠り、延滞料金をとられないよう朝は早く起床。 時にファミレスや
吉野家でささやかな賛沢を楽しむ。やがて目に見えないところで次々に荒廃が始まった・・メディアが映し出さない"最底辺"の実録≫
で、これは5年前。最近はマック難民である。これは他人事ではない。 数ヶ月前まで普通に働いていた人がリストラでのパターン。
   * 住宅ローンの破綻と立ち退き
 去年の暮れ、この春の円滑法打ち切りで、中小・零細企業の他に「23万人の個人ローンの救済者の存在」について書いた。
昨日の夕方のレポートで、住宅ローンが払えなくなり自宅の立ち退きの生々しい実態を、幾つかレポートしていた。
「任意整理物件119番」と名をうった専門業者があって、差し押さえらる前に半値八掛けぐらいで取引するとか。だから、そこは、
そういう生々しい物件が集まってくる。1億7千万の自宅が数分の一以下で・・ リーマンショックで倒産、離婚、家族分散とか、
母娘がローンを払えず、アパートに移り生活保護とか、それぞれに事情がある。 私もリスク管理をしてなかったら、どうだったか。
   * 命を投げ打ち憲法改正をやる覚悟があるのか?
 自民党に政権が移り、阿部首相がアベノミクスとか何とか言い始めてから、株高と円安になっている。
それも過去に失政で追われた元首相二人が組んで、同じ焼き直しを再びやろうというのに、あまり異が聞こえてこない。
政権奪回が出来たのは民主党の自滅と、三極の分裂が原因。 憲法の改正と消費税増税を実施するため、参院で三分の二の
確保のため、アベノミクスも必要なのは理解できる。しかし、この財政赤字の惨状は世界中が周知しており、国債の売り浴びせの
危険が大きくなる。 首相任期が一年しか維持できない政治の枠組では、二人の最終目的は憲法改正に絞るしかない。財政破綻を
したとしても、必要なことだろう。 問題は命を投げ打ち阿部首相はやる覚悟があるかどうか?である。
   * 67歳
 65歳過ぎてから特に、誕生日が冥土の一里塚という感が強まっている。
最近になって、「長く生きてきた」と思うようになった。先が見えてきたためだろう。父の死の歳まであと三年少し。 
これだけ大きな時代の裂け目にいることに、自分でも驚いている。 それと、タブレットPCと、スマートフォンの存在。
これだけの機能が手の平に収まってしまったのだから。 この金融恐慌と、欧米と日本の経済惨状。世の中変わった!
・・・・・
3947, つれづれに ー66歳か
2012年01月15日(日)
  * 66歳の誕生日に
 還暦を過ぎてから年々、老いを感じるようになっている。 特に昨年春先の大きな区切りから緊張から解き放され、成る程、
リタイアとは、こういうものかと思い知った。 しかし人間とは不思議なもので、直ぐに次の生活に慣れてしまう。 それと、
これまでより腰を据えて本を読めるようになった。 また日常の平凡を味わえる余裕が出てきたようだ。 私の場合、
40年近い事業人生、丁度、去年が引き時だった。 挫折感とか後悔は、自分で驚くほど少ない。
 振り返ると、事業を始めた頃は日本が高度成長の真っ只中で右上がりの風の中で最も恵まれた環境であった。そして20年前に
バブルの崩壊。10年前の9・11、3年前のリーマンショック、去年の3・11震災の三連打で終了。丁度よい区切りでもある。
そして今年からはリーマン・ショックを大地震とすると、大津波(世界恐慌)の襲来である。 本来、去年の後半のはずだったが、
何とか今年に延命させたが、所詮は時間稼ぎ。 そのキッカケは欧州発になりそうな雲行きである。 そうこう考えると、
去年が店しまいの時期だった。66歳というと、精神的にも肉体的にも70歳に一歩近づた感がする。仏間に祖父の写真があるが、
私より10歳近く若い時写真だが、80歳以上に思えるほど年老いている。「この人より私が10歳も上か」と見るたびに感じるが、
若い人から見たら、66歳は66歳である。 最近、TVなどで15,20歳ぐらいの人を見ると、私の年齢まで40〜50年もあり、
私が死んだ後も生き続けているのか、考えるようになった。その年齢のとき、両親も同じような気持ちで私のことを見ていたのだろう。
「私にとって、年寄りは15歳、年上の人である」という。 とすると50歳以下の人から見たら立派な年寄り。「まさか、自分が
年寄りになってしまうとは、思いもよらなった」と家内の言葉。  一年一年、来年は存在しないと仮定して、年内に出来ること、
やりたいことは、可能な限りやってしまう気構えで淡々と実行していくしかない。 実際に去年は、そうしてきたが・・・ 
もともと独立独歩の人生、これからは、それが生きてくる。 それぞれに年齢の経験は、初めてになる。 それを味わうことだ。
 例年、それぞれの実感が書き連ねているが、書き残すのも悪くはない。 今年は会社からのケーキのプレゼントはない!
  ・・・・・・・
3582, 65歳か〜!
2011年01月15日(土)
 今日で、目出度く?65歳である。法的にも立派な前期高齢者である。二年前に厚生年金の支給を受けているし、
今更だが、今日から60歳後半に入ることになる。死んでも「お早いのに、残念ですね!」とは、言われなくなる。
60歳までは、10年スパンを大きな目安にしていたが、還暦を過ぎてからは5年を目途に切かえた。
で、この5年は何をテーマにしてきたかというと、50歳代に目指した「10年間で、人生の余白分を全て埋める」
のフォローをすることにしてきた。それと、一年一年を確実に埋めること、哲学を深めることである。
リーマンショックの不意打ちで、5年間の後半の2年半は混乱をしたが、それでも深まる波の中で、
数百年、数十万年の人類にとっての断層の現象化を日々、見届けている幸運を経験もしている。
 45歳から誰もが訪れる肉体的老化が、還暦を過ぎる頃から角度が一段下がってきている。
また同年代の知人が、定年で一線から身を引き始め、大病になったり、生老病死の問題に直面しつつある。
とはいえ、死ぬまでは生きていかなければならないのが人生である。父は38年前に71歳で亡くなった。
それからすると、やはり「とりあえず5年」として、一年一年を生きていくしかない。これは前半5年と同じである。
 私の伯母が、90歳過ぎに「歳をとることは無念なこと」と、話していたというが・・・
まさか、自分が65歳になるとは、自分でも驚き。 それぞれの年齢の峠を通るのは、その都度、初めての経験。
面白いといえば面白い。特に、この断層の時代である。「魂に更に何を満たしたらよいか?」この問いが答えの手がかり?
 「で、何だろう?」      それにしても、毎年、ほぼ似たようなことを書いている自分が滑稽である。
・・・・・・
3207, 64歳か〜!
2010年01月15日(金)
 昨日、これまでの誕生日の感慨を読み返してみた。現在の気持ち以上の感慨が、これまで全て書いてあり不思議な奇妙な気持ち。
毎年の時節に、何時も同じように考えているだけでしかないのである。それはそれで良いが。何か差異があるとしたら、
一年の少しばかりの経験の蓄積と環境の変化だけ。家内もケーキの一つも買ってくるわけでない。この日は新年早々ということもあり、
外で酒を飲むことが多い。 学生時代の卒業直前の誕生日の日記が下記にコピーしてあるが、社会に出る間際の緊張感が伝わってくる。
20歳の誕生日は、試験の前日で無我夢中で勉強していたが、寮の友人に寿司を御馳走して貰った記憶がある。
還暦の誕生日の日記を読むと、少し思い入りの入った文章になっていた。その日は、誰かと古町のウェスタンで赤いハットと
ベストを着せられて、ウェスタン調のハッピーバスディーを歌ってもらった。これも、また御愛嬌というところだった。 
やはり、大台を超えるのは感慨があるのは当然のこと。 昨日、中学の同級生から電話があり、来年度には65歳の区切りになるので、
小中校合同の同期会の幹事会を開くので、10人位が集合し飲もうという誘いがあった。そう来年度に入ると同級は前期老齢者になる。
ここまで辿り着くと、生きているだけ有難い!と思うようになる。加齢につれて身体も心も重くなるのは想像外だったが、それも生きて
いればこそである。 還暦も過ぎ、年金も貰い、叔父叔母と、その連れ添いも全て亡くなった。そして想像を絶する恐慌の大波。 
そして、情報化がもたらす社会の変化。現実は厳しいが、面白いのも事実。 今年の誕生日の感想は、こんなものか! 
 やはり、「 なにしょうぞ 燻んで 一期は夢 ただ狂え 」 ということか! 充分、狂ってきたが?!
・・・・・・・
2842, つれづれなるままに -63歳か〜 
 2009年01月15日(木)
* 63歳の誕生日か〜
 今日(1月15日)で63歳の誕生日になった。 が、まだ60歳を過ぎた実感すら全くない。
「歳月、人を待たず」といいうが、両親、義父、義母、そして両親の兄弟、姉妹全てが、
鬼籍に入ってしまった。 そして兄姉、いとこ達の4割が亡くなってしまった。
この歳まで生きられたことと、思いのまま生きてきたので、人生に悔いは無いが、この断絶の時代、
可能な限り生きて変化の行く末を見たいのも心情。 この誕生日からは厚生年金を満額貰える年齢でもある。
(以下、字数制限のためカット2011年1月15日)
・・・・・・・・・・
2008年01月15日(火)
2477, 62歳の誕生日に     YΘ!!。  _゜ヽ(*´∀`)ノ
 今日で62歳になった。この随想日記に誕生日の感想を書いていたが、そのこと自体を全く忘れている。だから読み返すと面白い。 
5年続けて、自分の誕生日の実感を気持ちを込めて書いてあった。さらに、39年前の誕生日の日記も書いてあった。(後記してある) 
こころから誕生日に祝ってくれる人はいない?ので、せめて自分に対して、実感としての言葉を残すしかない? 
いまさら誕生日もないが・・所詮、それも言葉でしかない。 年越しに全員でするのだから、誕生日を敢えてすることはない!
というのが、日本の昔からの習慣だから、あまり誕生日に祝うことはなかった。現在も、それはあまり変わってないようである。
 私は、両親の42歳と38歳の時に誕生したこともあり、二人の晩年の峠を一緒に過ごした。その経験から、同じ峠にさしかかった現在、
擬似体験をしているような気持ちになる。熟年は過ごし方によっては、これほど面白い時期はないのである。 
親鸞ではないが、この峠の道が同行二人、いや同行三人という気持ちになる。私の場合は仏様と同行というより、心の中の両親である。
 熟年は過去を抱えながら、だんだん峠が高く険しく空気が希薄になっていく。何故?空気が希薄になるのかを自問自答しながら
自分の過去と向かい会う。そして己と同じ年齢の両親の当時の姿が生々しく目に浮かぶ。峠が高くなるにつれ視界は大きく
開け遠景が広ろがる。それもこれも、宇宙の彼方からみれば、この62年の経験は、砂?塵?原子?でしかないが。
その時々に、その時々の気持ちを書き残した痕跡は、自分の宝物になる。全く同じ言葉でも、その時のメルクマールになるのである。
要するに時間が縦として記録されているのである。それが如何した?というが、それが如何もしようがしまいが、良いのである。
人生は生きていくだけで大事業である。どんな大事業より価値がある。その当たり前のことが解らないから平気で道を誤ってしまう。
 今日は毎月の飲み会! 外で飲む理由がたつので、丁度良い?歳月、人を待たず! か〜。 
 ただ、一日一日は充実をしている。                 
ーーーーーーー
2007年01月15日(月)
 2113, あ〜もう、誕生日か〜  61歳ですか  お陰さまで ○‖=‖_有難うございます! (; ̄ー ̄A アセアセ・・・
例年、誕生日にほぼ、誕生日の実感を書いていた。それを忘れていて、前の同日分を貼り付けようとして思い出し急遽、
これを書き出した次第である。それにしても過去分の「誕生の実感」を読み返してみるのも楽しいものだ。
他人の誕生日は『ああそうか!』ぐらいしか思わないが、自分は感慨が深い?読み返すと、それがよく解る。
61歳?自分が自分でないような,認めたくないというより信じられないのが実感だ。
この歳には、もっと老成していると思いきや、とんでもない!気持ちがドンドン若くなっていくのだ。
それに加え、脳がアップスケールしていく。この随想日記を書き続けていることと、ネットサーフィンの効果もある。
それと、数年前から人や社会の見方が根底から変わってきた。情報の質・量が圧倒的に増えて、脳の基幹が
変わったこともあるが、人生の競馬でいう直線コーナーに入ったこともある。コペルニクス的な大転換である。
元々、世間・社会の価値を根こそぎ疑っていたが、それが更に転換した。人間の見方を例にとると、人間の品性を
まず見るようになった。「国家の品格」という本がベストセラーになったが、人間の品位が年齢を重ねると、
ますます見えるようになったきた。そこで自分は品位はあるのだろうか?不安になってきた。いつも家内に『品が無い!』
と言われ続けてきた。私の両親は間違いなく品位があったが、私がどうだろうか?と。家内の両親も品位は充分あった。
じゃあ、どちらがあったかというと、まあここで書くことでないか! 明日にでも、「品位について」を書くが、
ある物指しからみて、何と信じられないことに、家内より私の方が品位が上?であった。その基準によるが、
「目先の現象や価値観に左右されない」のが品位というらしい。それも明日書くとして・・・
結局、人生はゆったりと豊かな気持ちで、感謝して生きていれば、それで充分ということだろう!
「で、どうした!」「61だと!」「で、」「今日は、のみに行こうか!」 結局、このあたりに話が収まる。                     
・・・・・・・・
2006年01月15日(日)
1748, あ~あ60歳!          オハヨ〜━ヾ(*´∀`*)ノ━☆
 今日で60歳になってしまった。(*´ェ`*)w(⌒_⌒; タラタラ  ´ヘ`;)エヘへ・              
前にも書いたが、60歳を大きな到達点として、それ以降の全て前倒してきた?
ので、感慨がことさら深い! 成人式と同じく還暦は大きな区切りになる。
昨日は兄にカウントダウン?の還暦祝いをしてもらった。明日は友人の数人にしてもらう。      
去年の中学校同期還暦の会で、定年間近の同級生が「人生60歳代が一番良いらしいな!」という言葉に『エッ!』と、
驚いてしまった。サラリーマンの傍ら、自分のライフワークを持っていた人なら、そうかもしれないが。         
何度も書いてきたが、人生を振り返ってみての実感は、
1、とにかく恵まれていた。 時代に、家庭(両親に家内に子供)に、先生に、そして事業に。
2、ついていた。 3、面白かった。 4、悔いはない!である。
 人間は考え行動した総体と、自分が生まれた両親と家族、そして自分の家庭、職業、趣味などの総体が
自分を構成していると実感する。人生の7〜8割がた生きて最後の直線コースに一歩踏みこんだ日である。     
少しは大人しくしなければ! それにしても、毎年の誕生日の日記を読むと面白い!
「自分でいて自分ではない独りの男がいる。」それにしても、考えていることは同じことの繰り返しでしかない。★:゜( ̄▽ ̄*)>*


4688, 閑話小題 ー高校サッカー決勝戦の劇的結末!

2014年01月14日(火)

   * 奇跡的逆転勝ち
 今年の高校サッカーの準決勝、準決勝、決勝が面白かった! 特に昨日の決勝は劇的。 2対0で負けていた富山が、
最後の数分で追いつき、更に延長で逆転勝ち。滅多にみられない試合である。 ーまずは、ネットの記事よりー
【 [全国高校選手権決勝 富山一3-2(延長)星稜 国立]  富山一が「国立最終章」で頂点に立つ!! 
 第92回全国高校サッカー選手権は13日、国立競技場で決勝で、ともに初優勝を懸けた富山一(富山)と星稜(石川)が激突。
2点を先取した星稜に対し、富山一は後半42分から2点を奪い返して同点に追いつく。2−2で延長戦へもつれ込んだ一戦は、
延長後半9分に交代出場のMF村井和樹(3年)が決めた決勝ゴールによって富山一が3−2で勝ち、初優勝を飾った。・・・ 
 2大会ぶりとなる決勝での延長決着。延長戦では富山一・竹澤の左足ミドルがゴールを襲い、星稜・藤田の左足ミドルが
クロスバーを叩く。再び突き放す1点を狙う星稜は延長後半6分に長谷川に代えてMF川森直威(3年)を送り出した。延長決着か、
PK戦突入か。緊張感高まる中で死闘に決着をつけたのは村井の左足。延長残り1分でこの試合初めて勝ち越した富山一は、
最後は大塚に代えてMF平寛治(3年)を投入して守り切り、初の日本一に輝いた。】
 ▼ 高校サッカーは、最後の数分の2対0に何かが起こる可能性があると、アナウンサーが何度か言っていたが、
  この大会の失点がゼロの星稜が、このまま勝つと判断、一度、書斎に行きかけたが、優勝の瞬間を見てからと
 居間に戻った。ところが、その直後に二点差を撥ね返し、延長で奇跡的逆転勝ち。高校選手権決勝として歴史に
 残る名勝負になった。それに監督の息子が終了間近の反則のPK戦で同点に追いついた、ドラマ仕立て。サッカーは、
 さほど好きでないが、全国大会の準々決勝からは毎年、見ている。そこではドラマ仕立てのような試合が次々と生じる。
 金沢に在住していたこともあるが、やはり無名の富山一を応援したいのが人情。この大会で、全て失点ゼロの星稜が、
 最後の数分で2失点で同点とは、驚きそのもの。下手な映画より遥かに面白いのが、ライブの真剣勝負である。
  あのような場面では、何かが乗り移るのだろう!
・・・・・・
4321, 病気の9割は薬なしで治る  ー2
2013年01月14日(月)           
    * 医者のマジック        「病気の9割は薬なしで治る」 高田明和 (著)
  この本の題名からして、「医者の出す薬は9割が必要ない気休めのため」ということになる。
 医者も商売の一つであることを患者も自覚すべきである。この情報化により、医者の特権意識も薄れてきたが、
 まだまだ、好き放題のところがある。  ー目に付いた箇所を抜粋してみるー
・医師が「手術の成功確率が5分5分」という場合、(万一の場合を考えてるため)8割方が大丈夫とみてよい。
・生存率も同じこと、1〜2年と思っても三年というケースが多いのは、短めに告げた方が無難のため。
・最近、よく言われる「予備軍」に対して、言われたほうは過剰に反応しすぎになる。 過剰反応する患者に
 薬を投与して半患者にするケースがある。 過剰反応に注意すること。薬は売り上げに大きく貢献する。
・「病気は気」から「病気は情報」へと化している。少し前までは、少しのノボセや目まいの症状は、
 歳をとれば当たり前と思って病院には行かなかったが、TVなどで更年期障害?と心配して病院に行くようになる。
 そして、薬を貰って安心する。また少し腰が痛くなると病院に行き、診断する。腰は人類の数十万年の永遠の課題。
 まして歳をとれば大方の人が経験する。 タミフルという風邪薬の服用で子供たちの異常行動が問題視されたが、
 インフルエンザでの異常行動は以前からあった。しかし、それをマスコミは報じない。つまりタミフルは冤罪だった。
・著者はうつ病を「脳の下痢」という。たまたま何かの原因で、脳の伝達物質の働きが悪くなっているだけ。
 ところが、脳を臓器としての脳としてでなく、頭脳としての脳と結びつけて考える人が多いため大きな誤解を生んでいる。
・「薬と毒はコインの裏表」 すべての薬には効果の裏側には副作用がついて回る。特に、うつ病や、ガン治療に使う
 薬は毒性の強いものが多い。目先を乗り越えるのが現在の医療。薬は短期的に効果はあるが長期的には毒薬の場合が多い。
・ 生活習慣病は基本的には運動と食事療法が一番効果がある。決して薬だけでは治らない。
 ▼ ジェネリック薬品が話題になっているが、これは製薬会社が開発した医薬品の特許が切れた後に、別のメーカーが
  同じ有効成分でつくる後発医薬品。最初に開発された薬は新薬や先発薬とよばれるが、この先発薬と同等の有効成分 。
  「ジェネリック薬品にして下さい」と事前に言うと言わないとでは大きな差。ドラッグストアで薬を買うのも同じ。
 ・・・・・・
3946, 終わりなき危機 君はグローバリゼーションの真実を見たか ー3
 2012年01月14日(土)
  * 陸と海のたたかい    「終わりなき危機 君はグローバリゼーションの真実を見たか」 水野和夫著  
 「 ヴァスコ・ダ・ガマとコロンブスによって海洋に進出し、近代化を始まった。これは、要するに、
「欧州における北アメリカの開発に伴う超長期のブーム」の出発と捉えることができるとウォルター・ウェップが述べたが、
19〜20世紀初頭になって、近代化は米英によるアジアの開拓史へと受け継がれ、「地理的・物的空間」を広げていった。
さらに、1970年代半ばから、米国は「電子・金融空間」を高レバレッジで無限に膨張させようと試みた。そのブームが
終わったのはベトナム戦争とドル危機が、その象徴であった。膨張を前提にする「近代史」は本来、そこで終わっていた。
その後、「大きな物語」を「電子・金融空間」をつくることで近代は延命したが、リーマン・ショックでどうやら先進国における
バブルの宴は終わったようだ。 「海の時代」の構造を前提としているポンド・ドルの基軸通貨体制が成り立っているのだから、
膨張が止まれば、その危機が起きて当然である。・・・その中で、第一次石油ショックと、第二次石油ショックを乗り越えた日本も、
バブル崩壊の後、原油の暴騰から日本の「実物投資空間」が輝きを失う一方で、「電子・金融空間」を築いた米国は一見輝いてみえ、
「金融帝国」化してゆき、日本も、それを見習えと主流をなした。しかし、本当に深刻なのは、日本がいま一度、近代化の輝きを
取り戻しさえすれば何とかなると思っていることにある。その象徴が「成長戦略」であり、デフレが景気回復の妨げになっている
という考え方である。
 ▼ 9・11のテロは、陸と海のたたかいの構図そのものである。資源を紙切れ=ドルで持っていかれて、民のほとんどは
  貧しいまま。その反撃があのテロと想定すると合点がいく。海と空を制圧したアメリカが、その上に「電子・金融空間」を
  更に付け加え世界を制圧し続けていた。その新たな空間の象徴が、あの二つのビルであった。そこに飛行機をミサイルとして
  攻撃したのだから、アラブの連中からしたら「してやったり」である。それを口実に、原油や鉱物資源の宝庫の、アフガン、
  イラクに的を絞って攻撃をしたのだから、著者の、この戦いの縮図とみることができる。
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3581, 閑話小題
2011年01月14日(金)
  * 人は知っている範囲しか、理解しようとしない!
 最近、つくづく思うことは、「人は知っている範囲でしか、ものごとが理解しようとしない」ということである。
そんなことさえ知らなかったのである。恐らく、9割、いや9分9厘の人が、そのことに気づいていないのでは?
10年間これを書き続けかつ哲学書を読み続けたため、論理的にモノゴトを捉える力が以前に比べ少しついた。
毎日、過去10年分の同月同日のこの文章を読み返していると、いやでも自分の能力の範囲がみえてくる。
そこで、その範囲でしか理解してない自分を振り返ることになる。 人間は可能な限り経験し、知識を深めておかないと、
歳を重ね己の人生を鳥瞰した時に、その浅瀬の中で苦悶することになる。 どんなに深耕したと思っていても、振り返ると、
その浅さに唖然とする。特にネット社会では、キーワードを検索に打ち込めば、それに見合った情報、知識が無限に入手可能になる。
今年からタブレット式パソコンが普及、進化を始めると更に、何処からでも、情報が入手、かつ見ることが出来る。
知っていることが財産でなくなり、即座に、知識を入手出来て、自分の頭で消化する能力が必要とされる。
しかし、それも知識の蓄積があればこそ、無ければ、情報のまま消え去ってしまう。
  * 辺野古の移設先は「原子力空母」
 産経新聞のコラムで加地伸行が、辺野古の移設先を「原子力空母」にという案を真面目にか、ふざけてか、提案をしていた。
毎年、一隻ずつ、三隻つくり、沖縄の沖に浮べておく。世界有数の造船技術があるのだから、可能なはず。 一隻一兆円で、
三年間で三隻で三兆円。沖縄南に一隻、日本海に一隻、尖閣列島に一隻。 これなら沖縄の外で、県民からも文句は出まい。
考えてみれば日本は広大な海洋国家。こと何かがあれば、三隻が船団を組んで対処できる。今迄の中で一番、良い案に思えるが。 
韓国が別に二隻をつくり、同盟でも結べば、中国に対しても大きな抑止力になる。その前に中国の圧力と国内の反対で潰されるか!
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3206, 閑話小題
2010年01月14日(木)
  * ツイッター、その後
 昨年暮れにツイッターを一月続けてみようと思い立ち現在に至っている。 ブログを維持するのが大変だが、ツイッターなら誰でも
直ぐに出来る。ツイッターはチャットとブログを足して二で割ったようなミニブログで、ブログを維持するほどのエネルギーを要さない。
ブログの文章はテーマを考え文章を書くが、ツイッターはテーマは必要なく自然のツブヤキを書く。キーワードはネット上で選んでくれる。 
 私のブログのテーマは、殆ど「つれづれに」である。したがって内容は【つぶやき】に近いもので、その時に自然に発生してきた
思いを書いている。ツイッターに写真を貼り付けは可能だが、分類の仕分けは出来ない。 世界のツブヤキが地域を越えて行き交うとは
面白い時代である。ブログから『ツイッター』へ多くの人が移行しているというが分かる。撮った映像をツイッターに載せる
サービスもある。どこからも発信できるので、現場の臨場感のある映像が瞬時に発信される。
自分のブログを常に文章に貼り付ける人が多い。連動するので親子ブログのようになる。。
  * 日本航空の破綻
 (字数の関係でカット2012年1月14日)
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2841, 雲頓庵 −2
 2009年01月14日(水)
 とにかく、この寺は何ともいえない磁力があり、新鮮だった。
勝沼という若い僧侶がいたが20年前に行ったところ新井石龍の養子?に収まり、副住職になっていた。
この坊主が面白い人物だった。次回に彼について書いてみる。まずは石龍禅師から・・・
 ーS63・07 新井石龍禅師に学んだ事 ー
夜十時頃、一人で本堂より三百m先に入った禅堂で坐禅のマネ事をしていた時の事。我慢で時おり襲ってくる恐怖感に耐え、
そろそろ本日の終了と思った矢先。誰もいるはずのない堂内に何かの気配!雲水に因縁めいた話を聞いた事も手伝い恐怖のどん底に
落とされました。私の人生で二回の超恐怖体験の一つです。大声を出し、逃げ出したいのをこらえ震える足で本堂にたどりつきた。
雲水と“医者の卵”と“弁護士の卵”と四人で、懐中電灯と棒を各々持ち、恐々禅堂にその正体をたしかめに行ったところ、
猫位の大きさの獣物だったのです。逃げられないように禅堂の戸閉まりをして翌朝に持ちこみました。再び四人で棒を持って
その獣物の正体をたしかめに行ったところ、何と“モモンガ”だった。そこで“生け取り”と追いかけ回したのですが、
途中から反対に歯をむき追いかけられる仕末。野生の獣と直接対峙したのは初めてでしたが、その殺気には驚いてしまった。
その時騒ぎを聞きつけた老師が我々の一人の棒をとりあげるや、一撃でモモンガをたたき殺してしまった。
その気合のすごさに本当に驚いてしまいました。二十才そこそこの大の男が四人逃げまわっているのに、九十近くの禅師が
何のためらいもなくただの一撃!私自身その時、合気道を三年近くやり、少し逆せていた時だけに、その迫力にショック。
結局武道も禅よりみると枝葉でしかないのか?等々。禅師の一面をみた事件でした。
 −−−
 当時の日記が残っている、書き残すということは生きた痕跡を残すことである。
写真もしかりだが、日常の何気ないことほど細かく残すと数十年後に、それが網のようになり、
多くの記憶が戻ってくる。過ぎてしまえば4年も40年も同じである。
・・・・・・・・・・・
−1968年8月31日日記帳より
今日、雲頓庵(禅寺)に来る。卒論の勉強の為だが、予想どうりのところだ。 早速座禅をくんでみる。
足が痛くなり無我の境地にさほど遠い。現在の自分が求めていたもののヒントを与えそうだ。
ここに慶応大学を卒業して弁護士の試験勉強をしている高橋さんと、立教女学院の短大生が10人位いる。
面白い人ばかりで明日帰ると言う。帳面を忘れてきた。これから当初の目標の計画立てだ。
  ー9月1日
朝5時に目が覚める。鐘の音が聞こえてくる。6時半に起き早速掃除をする。
朝食前に高橋さんと裏山に登ってみる。昼、彼女らが帰る。昼飯時にこの寺の後見人という人と話す。
午後は離れの一室で「流通革命」を100ページと「流通機構の話し」を60ページ繰り読む。
勉強の集中力が足りないのがいらだつ。明日より気を入れなおさなくては。夜は10時にうとうとしてしまった。
 後記ー独りで夜30分禅堂で座禅をくんでみる。ロマンチックな感がする。誰も見ていないので自分との闘いだ。
  ー9月2日 六日町 雲頓庵
朝6時に目が覚める。6時半に顔をあらい掃除をする。食事の後、「流通革命」を後半100頁を読み終える。
そして昼飯。小千谷の根本医院の長男がやってくる。二浪とか「つらいだろう!」13時から17時半まで
「流通機構の話し」を読む。中央公論の流通の切り取りも読む。何か集中が足りない。21時半に禅堂にいって座禅をくむが、
何かごそごそという音がする。こわごわ見ると猫みたいなのがいる。一瞬凍りつく!よく見ると小さなイタチみたいだ。
皆を呼びにいく。全員でそれを追いかけまわす。逆に歯をむいてくる。とりあえず戸締りをして、次の日にする。
  ー1968年9月3日
目が覚めるが時計が止まっていて何時かわからない。本堂に行くと6時10分、顔をあらっていると、住職が昨日の動物を退治しようと
長い棒を持ってやってくる。そして気合もろともその動物をたたき殺す!凄い気合だ。よく見るとイタチでなくモモンガであった。
顔を見ると可愛い顔をしている。少し気の毒に思った。昼飯後、住職とわれら3人組で裏山に茗荷を取りに行く。
それが結構面白い!かごで3杯とる。午後の勉強は3時になる。急に将来のことを考えると、不安が押し寄せる。
相変わらず、読書のペースが遅い。
  ーー
 40年の時空を超えてというのも、自分のことだから実感できる。書いてあるからである。
・・・・・・・・
008年01月14日(月)
2476, 閑話小題                ヽ(★>з<)。o○[ォハヨ]
 *大相撲初日の感想!
大相撲の年三回開かれる両国場所の初日が、それも初場所の初日が特に面白い。
それが昨日であった。朝青龍の復帰の場所と、時津風部屋のリンチ殺人事件が、大きく取り扱われている
タイミングもあり異様な感じが漂っていた。幕下の取り組みから、若手有望力士を見分けてやろうと見たが、
有望なのは旧ロシア圏とモンゴルの若手だけ。元アマチュア世界チャンピオンなど、
一〜二年後に三役間違いない力士が4〜5人、横綱間違いないというのが、二人もいた。そのうち、
半分は怪我で潰れるが・・幕下、十両に有望な力士の厚みが、全体のレベルにつながってくる。
 (字数の関係で、中間カット09年01月14日)
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2007年01月14日(日)
2112, 塩野七生が「日本の政治と政治家」を語る −2      才八∋ウ_〆(∀`●)
 ローマ帝国の歴史を熟知している欧米の政治家からみて、日本の政治家の演出があまりにも乏しくみえるのは解る。
 国家連合を1400年も維持してきた政治センスは一朝一夕で出切るものではないが。
 しかし、真似ることも、学ぶ事もできるはずである。また国家のために一身を投げ打つ覚悟が出来ているかどうかもある。
*民主主義の仕組みの中で、理想的な政治家は生まれるのでしょうか? 果して民主主義は絶対的な善なのだろうか?
  塩野:私は日本人に少し違和感を感じるのは「民主主義を信じすぎ」ということです。
   民主主義は万全でない、デマゴーグに左右されるのです。
*政治家の粒が小さくなったと言われますが、どうですか?
  塩野:それは政治家を使い捨ての存在だと思ってないからです。使い捨てだと思えば、その人の一番いいところが
  どこだと考えて使います。権力は「必要悪」でなくて、何かをやるために「必要」なのです。この頃の政治家は
  面白くないという議論は、20歳そこそこの若い女性が「この頃の男は面白くない」というのに似ています。
*政治家は善人には出来ませんね
  (字数制限のためカット 2010年01月14日)
・・・・・・・・・ 
2006年01月14日(土)
1747,新潟駅・駅再開発が決定!      オッハヨ〜
        (((。・-・)从(・-・。)・゜・。・゜゜・*:       
 昨日、市役所に駅再開発の経過を聞きに行ったところ「最終決定された!そして近々に公示。
(字数の関係でカット2012年1月14日)
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2005年01月14日(金)
1382, 23歳の日記ー8  ー9月01日 1969年
 (字数の関係でカット2009年1月14日)


4687, エッセイ力は人生力 ー2

2014年01月13日(月)

               「60代からのエッセイ教室」木村治美著
  * エッセイを書く目的と、日記との違い
    ーまずは、その辺りの抜粋より
《 あるエッセイ教室の作品集を読んでいたら、はからずも、エッセイを書く目的を端的にいい当てた文章に巡りあった。
その文章は創刊号であるためか、おのおの、自分の作品のあとに、小さなコラムで、なぜこの教室に入ってエッセイを
書くようになったかの動機を綴っている。ひざ思わず膝を打ちたくなったのは、つぎの一文であった。
「エッセイを書こうと思うようになったのは十年前のこと。それまでは、日記に思いを記していた。心の重荷をおろすように
書いていたが、後日、読み返すと、もっと心が重くなった。物事の見方、人の心の動きを観察することで、誰が読んでも
傷つかない文章を書きたくなった。きれいごとのとらえ方ではない。考えることで、自分を成長させたい」
 ここにはエッセイが日記と異なる点が、自分自身の体験から、明確に意識されている。感動的ともいいたい鋭い
「気づき」である。エッセイには自分自身がどこかに登場していなくてはならない。しかし難しいのは、書いている自分と、
書かれている自分との間に、距離をおくことである。自分を他人のように客観視すること、といい直してもよいだろう。
日記ではこの客観化がなされにくい。恨みも痛みもドロドロのまま流しこむ。恥も外聞もなく。どうせ自分以外に読むひと
なんていないのだから……。しかし、「後日、読み返すと、もっと心が重くな」るのはなぜだろうか。日時がたったことで、
やや他人になった自分が読むからである。おそらく、書いたのが自分であるだけに、ヘドが出そうになったであろう。
自己嫌悪である。そこで、「だれが読んでも(つまりあとから自分が読んでも)傷つかない文章を書きたくなった」のである。
それには、教室という読者のいる環境で、「物事の見方、人の心の勤きを観察」しようと思い立った。それが自分を成長させる。
そう、日記は記録とはなりえても、以上に述べたような効能は期待できない。・・・ 》
 ▼ この随想日記の「閑話小題」は、エッセイそのもの。だから読書日記のメモ的のものより面白い。これを書くときは、
  ネタ切れのケースが比較的多いため、苦し紛れで日常の身近なことを書くしかない。 それが面白みを出すようだ。
  だから、何気ない日常の現象と気持ちを書いている「バードウォッチ」の内容こそエッセイになっている。そのため、
  時どき、切り取って、「閑話小題」の転用する。何気なく思っていることを書き出すと、ハッとすることがある。
  人はそれぞれの心の中で様ざまな思いを数限りなく繰り返しているが、そこにこそ砂金が混ざっている。それを取り出し、
  書き出すのがエッセイの目的であり、日記との違いになる。 日記は他の砂も含まれるし、それも必要とする。
・・・・・
4320, 病気の9割は薬なしで治る
2013年01月13日(日)
            「病気の9割は薬なしで治る」 高田明和 (著)
 図書館で借りてきたが、成るほど面白い本である。母親の末期の入院などで、現在の医療制度と病院に不信感を持っているが、
それでも日本の医療制度は世界で一番良いというのを知り、あまり声高に批判はしなかったが、良くぞ書いてくれた内容。
大方は知ってはいたが、あくまでも病院・医院の経営体の中の医師の立場があり医師の倫理だけではやれないのも事実。
   ー内容説明(アマゾン)ー
 「五分五分です、と言われた手術は8割成功する」「余命○年の本当の意味は?」「薬は10種類知っていれば何とかなる?」
「みんな最後の医者にはなりたくない」「医者ランキングの正しい判断基準とは?」・・・、浜松医大名誉教授が名誉を捨てて?、
 患者に言えない医者の本音、実態を暴露した超問題作≫
  ーまずは概要ー
≪ この本は、医者の立場に本音が紹介されている珍しい内容。日本全国約28万人の医者が使うマジックのネタ明かしをしている。
 今や医者からみたら患者は、患者様=「お客様」である。下手に「大丈夫、安心してください」というと、何年後かに病気に
なったときに、ああ言われたから、安心していたのにと文句を言われる。だから代わりに「お若いですね」というケースが増える。
「お若いですね」とか、「心臓が実年齢より20歳は若いです」とかいうのは医学的根拠がない。少し変と思って病院に診察に来て、
何ともないと不安になり、「どうしてこうなるのですか?」と聞かれた場合は、中年女性の場合、最も良いのは「更年期障害」です。
これは卵巣の機能が衰えて閉経を迎える時期に起こる病気で、症状は、腰痛、のぼせ、動悸、間接痛、頻尿など、人によって違って
さまざま。しかし、これは重い病気でなく、ある時期が来ると治るもの。これは誰も、ある年齢にくればかかるもので、
「不摂生のためでなく、本人の責任でない」という思いが安心感につながる。
 近年、精神的な問題で身体の具合が悪くなるケースが激増しているが、病気になったのは自分の責任と思わせないことが重要。
その場合、ウツ病とか、気の病とか言うのを患者は嫌う。 一番、抵抗なく受け入れられるのが、「自律神経失調症」。
「自分の気が弱いのでなく、自律神経が弱ったため」と、いやに納得する。 しかし、実は欝病でしかないのに・・
お医者さんが、「とりあえず薬を出しておきます」という言葉にマジックがある。これは、「別に薬を飲まなくてもいいけど、
患者さんが安心するから一応出しておきます」という意味。 加齢による病気は薬では治らない。 食事療法と、運動しか
よくならない。私の知人は、「加齢による病気は時期がくれば治るって、みんな案外知らない。だから、ある薬を飲み続ける
ようにしておけば、必ず治る。そうすると、患者から勘違いをされて痛みが消えたときに感謝される」という。   ≫
 ▼ 医者といっても、少し考えれば分かるが、身体と脳の修理屋。それも経営が重視されれば、患者の思っている医師像とは
  掛離れて当然のこと。 命にかかわる仕事のため、勝手に医師も患者も聖職と思い込んでいる。命にかかわるなら、
  新幹線やタクシーの運転手も同じ。 ところが情報化で、その実態が暴かれて、以前とは違ってきた。
  とはいえ脳卒中やガンで倒れれば医師に頼るしかない。 医師は激職、よほどの使命感がなければ勤まらない。 −つづく
 ・・・・・・・
3945, ファイナル・クラッシュ ー4
2012年01月13日(金)
          「ファイナル・クラッシュ 世界経済は大破局に向かっている!」  
 以下の文章は欧米の資産家の資産運用の一部を垣間見せる内容である。彼らは、リーマンショックを大地震と例えれば、
それから発生する大津波=ファイナル・クラッシュは当然、織り込み済み。逆に、それを逆手にとって運用利益を狙っている。
その中で、日本は一部の人を除いて、この大地震に気を取られファイナル・クラッシュには、いま一つ警戒感が足りてない。
前ぶれ波の直撃で惨事を受けた立ち位置にいたため二波、三波の大津波が見えている。
  ー 以下に欧米のファンドマネジャーの世界の一部が垣間見れる ー
【 タネ本の著者ヒューゴ・ブローは、卒業後、ロンドン市立大学に進学、金融関係の仕事に就いてチャネル諸島(英仏海峡、
イギリス王室属領)やイギリスで働き、出版当時はあるプライベートバンクのファンドマネジャーとなっていた。
プライベートバンクは、日本の銀行のようないわゆる商業銀行とは業態が異なる。 基本的に株式会社ではなく、
預かり資産に対して無限責任を負うパートナーによる個人銀行である。王族や貴族を含む世界トップクラスの富裕層を顧客とし、
その資産の保全や運用を主な業務としている。 ロスチルド(日本では 「ロスチャイルド」 として知られている)メロンと
いった家系に属する、表に出ない富豪たちは、それぞれのプライベートバンクお抱えのファンドマネジャーを囲っている。 
著者はそうしたファンドマネジャーとして、「この地球上で最も裕福な人たち」の資産運用を担当しているという。
資産を運用してもらうには、最低でも一億ドル、日本円で100億円程度は必要であろうという、世界でも指折りのマネジャー。
ファンドマネジャーは、だいたいロンドンかニューヨークの近辺に住んでいる。だが、著者がタックスヘイブンであるガーンジー島に
住んでいるのは、税金を嫌ってのことだろう。 おそらく自らも巨額の報酬を得ているのだと想像する。 私はこれまでにも、
彼のようなファンドマネジャーに何人も会っている。イギリスでは一定以上の資産家には必ずファンドマネジャー、顧問弁護士、
顧問会計士、子弟教育コンサルタントがいる。かかりつけの家庭医がいるのと同じようなもの。イギリスには、ファンドマネジャーを
家族で引き継ぐ習慣もある。 ちょうど、執事を代々引き継ぐような感覚である。そのあたりの習慣は日本とは全く違う。
私はイギリス人の友人から、その人が資産運用を任せているファンドマネジャーを繹介してもらい、それを私の日本人の顧客に
紹介するようなこともしていた。私はクラブ主催者を通じて著者の本名を知ったのだが、本書ではペンネーム「ヒューゴ」で通す。】
 ▼ こういうのを見ると、力の蓄積があり、豊かな階級の人が、ますます豊かになるように出来ている。それがリーマンショックで
  一部は破綻したが、その傾向は、そのまま。資産運用のプロがいて、どのプロに任せればよいかを資産家は考えていればよい。
  それは実績と、それに裏付けられた信用である。世界の1%が富の過半数を占めているが、ファンドマネジャーが弱者から
  吸い上げるシステムは数百年かけ作り上げられている。 これが世界の現実である。
・・・・・・・・
3580, 何故、民主党が駄目か!
2011年01月13日(木)
 自民党は駄目、そして民主党に替えてみたが、これが更に駄目。 国家崩壊の下地を自民がつくり、その上を民主党が加速して
突っ走っているのが現状。これは民主党の枠組みが戦後体質を引きずったまま現在に至っているため。 
世界中がネットで覆われて、人々が世界中に行き来し、情報、金が行き来している中で内向きな福祉重視では、対応できない。 
元もと世界は長年かけ人種格差、国家格差、経済格差がつくられている。現に白人が有色人種を支配している厳然たる事実がある。
米英を頂点とした白人国家が、後進国援助という建前を立て、実は有色人種の世界を支配してきたのである。
そのことが長年の時間をかけ、民族間、国家間で、格差になっている。ところが、この10年でネット社会が世界を覆い、
様相が一変してきた。 国家間、民族間の垣根越しに情報や人間が行き交い、その結果、フラット化が始った。
それが日本にも押し寄せてきている。 明治来、自民党などの保守政党と官僚とが結託し、利権構造をつくり上げ支配してきた。
そのプロセスの中で特権階級が出来て現在の日本を支配している。その二世、三世が政界の多くを占めている。それを嫌った国民が、
平等を旨とした民主左派に政権を与えた。しかし、それで国家が動かなくなってしまったのが現在進行中の内部分裂。
これまで右上がりの経済成長の中で批判政党だった民主党は国家の舵取りは最も不得意。社会の建前は平等だが不平等が世界の現実。
そこに社会主義的政策を真正直にとれば、時代逆行に陥るのは当然。 国家という枠を超えたグローバル化は、当然弱肉強食が
激しくなり、格差が大きくなる。それをフォローをするのが政治であって、格差そのものは、止めようがない。
小泉元首相は間違った政策をとったのではなく当たり前の政策をとっただけ。 何で国内の出稼ぎのアジアの労働者より、
日本人が優遇されるのか? それは日本人だからだ。その日本人の中でも格差がつくのは、世界の格差の構図に比例してきただけ。
公平と平等は違うのである。 戦後から日本はアメリカの間接・被占領統治国の立場で憲法を与えられ、無能化教育をされてきた。
その両輪として加担したのが自民党と社会党である。自民党も社会党も、あたかも貴族院の様相。 中国とアメリカの大国の間で、
真の独立は難しいとしたら、アメリカの属国として割り切るか、スイスのように、軍備力を徹底的に補強するしかない。
原爆などの破壊兵器の保持は、最低条件である。 現在の日本の民度は、それをするに低すぎる。それならばアメリカ属国として
生き抜くしかない。地勢的に日本は丁度よいところにある。 とすれば、現在の立場が一番よいことになるが・・・
 ・・・・・・・・
3205, 古町の衰退
 2010年01月13日(水)
 大和百貨店の撤退、書店の北光社の閉店と、新潟のダウンタウン古町の衰退が問題になっており、その連載が
地元紙・新潟日報一面で「古町 揺れる灯」として連載をされている。ダウンタウンの地盤沈下を今さらの問題だが。 
郊外には大型SCが多くでき、互いに凌ぎを削っている。更に、駅には駅中専門店街が次から次へとオープンしている。 
その中での衰退は当然である。 私事になるが、年に4〜5回行っていた古町には、去年は一度も行かなかった。
タクシーの往き帰りが勿体ないのと、不況の中、飲む回数も減っている。日報の記事は10回シリーズだが、何か哀愁に満ちた内容。 
スナックが酷いとは聞いていたが、15〜6年前に450軒あった飲食店が、現在は250軒になって日ごと客数が減っているという
スナックのママさんの悲鳴がインタビューであったが、この数ヶ月でも多くの店の閉店するはず。
 (字数制限のためカット、2012・01月13日)
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2009年01月13日(火)
NHKの日曜日大河ドラマ「天地人」で、若き直江兼継が修行した「雲頓庵」が舞台になっている。
雲頓庵を思い出しながらみているが、何度か隠れ屋的に通ったことが青春時代の一ページとして残っている。
特に当時、80歳半ばの怪僧の新井石龍禅師の思い出は鮮烈に残っている。
   以前、社内報で書いた部分を紹介してみる。
ーS63・05 新井石龍禅師に学んだ事 ー?
 学生時代に、父と禅師が親交があり、実家泊りに来ていただいた事等の因縁で、 六日町の禅寺“雲頓庵”に読書を兼ね
 春・夏休みになると滞在していた。度々なので自然と禅師と話をさせていただく機会があった。無知と若さの為に生意気な
 質問をした私に、いつも笑顔で答えてもらったことが、今では懐しい思い出。 京都大学哲学科卒で、気持ちは若い。
 女性で何度か失敗して、その世界では登りつめることが出来なかったと、両親から聞いたことがある。
  まだ鮮明に憶えている対話とは、
 (私)  −禅とは一言で言うと何ですか?
 (禅師) −字の通り天地宇宙に己の単(一人)である事を示す(気づく)事。  ー 示単
   社会に出て半年あまりで気負いすぎで早くも行き詰まり、五日間の夏休みでの雲頓庵の禅師との対話。
 (私)  −世間と理屈は違う。理屈どおりに世の中いかなという事がつくづくわかりました。
 (禅師) −あなたの理屈がおかしいだけ、世の中は厳しくも甘くもない。 世間も理屈もあるものか!
 (厳しく感じたのは自分自身そのものが甘いだけ)。後者の言葉には頭を真二ツにわられてしまった!というのが実感。 
  頭で物事を考えていた私が、“自分が”前に出ていた私が、その時点でたたきこわされ、
  社会人の一員に一歩踏み入った瞬間だったことを憶えている。
 ー以下は、当時の日記であるー
  ー1968年 雲頓庵    9月10日
 7時5分起床。 掃除に食事、9時半より11時半まで勉強! その後に、長岡の明治大学の1年の田村君と話す。 
3日まえにやはり勉強の為に来た男だ。夕食後7時半より、午前様と「神」について話す。 午前様「一という数字はあるが、
一という実体はない。それを一といえば一であるが、一でないといえば一でない。 一は万物であるともいえる」
「人間は実体だけでない、魂であり、永遠的なものである。全ては生き続けている。」
デカルトの「我思う、故に我あり」の言葉を引用された。
「誰もが神の要素を持っている、磨くかどかだ」「人間の見る聞くは5感6感の働きでしかない。
それを超えた存在はいくらでも存在する。それは修行によって初めて知る事ができる。」
「神が罰を与えるのは、困らせる為でなくそれにより、間違いを知らしめる為である。」
御前様と話していると自分の無知が露出されてくる。 明日は座禅を8時にくむ予定である。
  ー9月11日
 午前様が座禅の指導をしてくれる。解ったような解らないような! 9時から夜9時まで座禅に挑戦!
計8時間休み休みだ。午前中は雑念だけだ。午後からは少し集中できる。
感想はただ疲れただけだ。当然ながら禅の事はさっぱり解らない。ここの2週間近くは、充実したものだった。
明日からは娑婆である、楽しみだ。 これから高橋さんと根本君と送別会だ。
 ▼ 恐らく日記に書いてなければ、全て忘却の彼方。書き残すことは痕跡を残すことである。  ーつづく
・・・・・・・・・
2008年01月13日(日)
 2475, 年頭の新聞の記事の総評 −2          才ノヽ∋ ー ヾ(´∀`o)+。…
産経新聞の30人の論説委員の「論説委員がもの申す」、見開きの二面全ページの寸評だが、的を得ているものばかりである。 
年頭の特集では一番、わかりやすく、今年はどのような年になるかを考えるには、これを読み返せば、ほぼ網羅している
といってよい。この中で、ある論説委員が取上げていた阿久悠の遺言のラストメッセージ、
 ー日本の社会が「湿り」と「暗がり」を失ってしまったーは、面白い見方だ。
  (字数制限のためカット、2010・01月13日)
ーーーーーーー
2007年01月13日(土)
2111, セレブ殺人事件ー普通の人が一番恐い!  才八∋ウ_〆(∀`●)
世の中どうなってるのだろうか?毎日のように凄惨な殺人事件が続いている。バラバラ事件のセレブ妻が逮捕される前の
電話のやり取りをTVで生々しく放映していたが・・。電話のやり取りは70分もわたっていたというが・・
犯人の奥様が新潟中央高校の裕福な出身で、お嬢様学校の白ゆり学園卒のセレブというから興味が倍増する。
「何処の誰か」が知れわたるから、針の筵だろう。苗字が旦那名だろうからよいが、地方は狭い社会である。
ところで年末に借りたDVDが「400万ドルを拾った三人が狂っていく物語」で、なかなか面白い内容だったが、
その最後のセリフが言いえて妙だった。「普通の人が一番恐ろしい!」この事件も、まさに普通の人である。
夫婦間のことは二人しか知りえぬことがあるが、二人とも愛人がいたという。新宿の歌舞伎町近くに、これ見よがしにバラバラの
胴体を置くとは、余程の憎しみがあったのだろう。この文章を書いている現在、TVで3人の暴力団に殴られた普段大人しい男が
逆上して、その3人を刺し殺してしまった事件を報じている。書いている内容そのもの「素人こそ恐ろしい!」である。
暴力団のチンピラが殺したならわかるが、ド素人に殺されるのだからカタナシだ。    
暴力団もオフレを出さないと、「素人衆には気をつけろ!」と・・・笑うに笑えない娑婆である。    
 (字数制限のためカット、2012・01月13日)


4686,エッセイ力は人生力

2014年01月12日(日)

               「60代からのエッセイ教室」木村治美著
   * 自分を表現できる仕合せと、自己開示
 三年前の節目から今まで、長いようで短かった。ウツにならないために、ことの本質を見つめるために様々な本を読みながら、
自分の心を整え、それそのままを、ここで書いてきた。今回の節目時の核になったのは『自己をみつめる』で、26回にわたって
書いている。その合間に『節目どきに』と『ジャズについて』が入っている。その後のテーマは、哲学とユング、そして精神力
などを取り上げている。書くことで、セルフ・カウンセリングをしていたのである。 現在も、同じ延長上にある。
思いを書き出すのは、心の傷から流れ出る血を凝縮する作用が働く。今年早そうから「何だろう?この現象は」を書いたが、
その過程で、気持ちが楽になると同時に、気づきが出てくる。文章は何度も推敲を重ねるうちに気づきで、新たな考えが出る。
他人に受けた傷は残るが、与えた傷は気づかないか、直ぐに忘れる。それが書き換えているうちに、気づいてくる。 
この文章を書くにあたって、当時の文章を読み返しているが、苦しい中で書いたためか、魂が篭っている。これは私の財産。
若い時分も、書いておけば良かった。いや、書いていたが、何を血迷ったか全て捨ててしまった。後悔あとに立たず、である。
 以下に当時の目次をコピーしたが、一つずつが心の記録である。  
2011年04月17日(日)  3674, 自己を見つめる −2         2011年05月17日(火)  3704,自己を見つめる −22
2011年04月16日(土)  3673, 自己を見つめる −1         2011年05月16日(月)  3703, ジャズについて −3
2011年04月15日(金)  3672, 節目どきに ー7           2011年05月15日(日)  3702, 自己を見つめる −21
2011年04月14日(木)  3671, 節目どきに ー6           2011年05月14日(土)  3701, ジャズについて −2  
2011年04月13日(水)  3670, 節目どきに ー5           2011年05月13日(金)  3700, ジャズについて −1
2011年04月12日(火)  3669, 節目どきに ー4           2011年05月12日(木)  3699, 自己を見つめる −20 
2011年04月11日(月)  3668, 節目どきに ー3           2011年05月11日(水)  3698, 自己を見つめる −19
2011年04月10日(日)  3667, 節目どきに ー2           2011年05月10日(火)  3697, 自己を見つめる −18 
2011年04月09日(土)  3666, 節目どきに              2011年05月09日(月)  3696, 閑話小題 
2011年04月08日(金)  3665, 関係性が問題             2011年05月08日(日)  3695, 自己を見つめる −17
2011年04月07日(木)  3664, 閑話小題               2011年05月07日(土)  3694, 自己を見つめる −16
2011年04月06日(水)  3663, 9・11、9・15、をしのぐ3・15−2    2011年05月06日(金)  3693, 自己を見つめる −15
2011年04月05日(火)  3662, 閑話小題               2011年05月05日(木)  3692, 自己を見つめる −14
2011年04月04日(月)  3661, 9・11、9・15、それをしのぐ3・11   2011年05月04日(水)  3691, 自己を見つめる −13
2011年04月03日(日)  3660,音信不通だった友人から連絡が!    2011年05月03日(火)  3690, この随想日記も、10年か〜
2011年04月02日(土)  3659, つれづれに              2011年05月02日(月)  3689, 自己を見つめる −12
2011年04月01日(金)  3658, 価値とは思い込み           2011年05月01日(日)  3688, 自己を見つめる −11
 ▼ エッセイは人生に力を与えてくれる。限りない色いろな想いが混乱した頭に浮かび上がる。一つ間違えると地獄の業火に
  焼き尽くされる。ひたすら、時間と、時空を超えた誰かの魂の声を耳を澄ませて聞くしかない。 思いもよらぬ結果から、
 何故?と考えたのが『節目どきに』であり、それから『自己を見つめ』を通し著者の進言を聞いていた。悲壮感は思いの他、
 少ない。これは心のセフティネットである。それと、毎朝の独りの時間も。
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4319, おれにつきあうのは、おれだって大変だよ!
2013年01月12日(土)
  谷川俊太郎のエッセイで、勝新太郎を書いている文章が気に入っている。これを読むと肩の荷が半分はおりるようだ。 
 挫折や、大きな決断をしなければならない時、まず直面するのは自分の限界。それも、酷い自己嫌悪に陥った自分もそうだが、
 平気で間違いをおかしてきた自分を振り返り、「何だ、お前は!」と振り返っている時の自分を見ている上から目線の視線が、
 つくづく俺って変だよ、それも大変な奴だよと実感する。それでも、結構それを容認している自分もいる。ーその辺りよりー
≪ ・・・勝新太郎さんがどこかでこんなことを言っていた。「おれっていう人間とつきあうのは、おれだって大変だよ。
 でも、おれがつきあいやすい人間になったら、まずおれがつまらない。」 私はすっかり感心した。自分とつきあうのが
大変だなんて考えたことがなかったからだ。私は勝さんよりのんきな人間で、自分とも他人とも世間ともあまり衝突せずに
生きてこられたと思っていたけれど、実はそれは自分で自分をごまかしていたにすぎないのではないか。
 ほんとは誰も自分とつきあうのは大変なんじゃないか。ただ大変なのを自分じゃなく、他人のせいにしてるだけじゃないか。
大変な自分と出会うまでは、ほんとに自分と出会ったことにならないんじゃないか。上手に自分と出会うのを避けていくのも、
ひとつの生きかたかもしれないけれど。・・・ 自分のこころだから分からない筈はないと思うのは誤り。 自分のこころは
もしかすると他人のこころよりも分かりにくい。ましてこころの奥にあるというたましいなんてものは、もっと分かりにくい。
分からないまま日々私は生きている。我ながら大胆だ。≫
 ▼ この随想日記の12年分を目を通すのも、けっこう大変である。12年間の、魂を込めた?文章に見え隠れする自分と
  毎朝付き合うのも大きはエネルギーがいる。躁うつか分裂病を抱えている人は、まさに、自分をコントロール出来ない人。
  勝新太郎は薬中だったから、言葉に含みがある。事業準備の期間を含めて45年間、前を見つめて走って来たが、リタイアで
  過去を振り返る機会が圧倒的に増えている。そこで過去がフラッシュのように湧き出てくる。面白かったことも、自己嫌悪の
  大失敗もである。それでも長年かけて培ってきた趣味の世界があるので、大変なりに、日々を楽しむことが出来ている。
死に直面した最期の自分と付き合うのが一番に大変だろう・・・ これは!
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3944, 岐路に立つ世界経済
2012年01月12日(木)
  * 今年は、一日一日何が起こるか分からない
 11日のNHKのクローズアップ現代、連休明けには刺激的な内容である。昨年から欧州の金融危機が続いているが、
そのダイジェスト版と、世界経済恐慌前夜の深刻さを伝えようとする内容。恐慌が起きる起きないでなく、何時起きるかの瀬戸際。
   ー まずは、NHKのHPの番組解説から ー クローズアップ現代 「2012年 岐路に立つ世界経済」
≪ ヨーロッパの国々を脅かす国債危機「ソブリン・クライシス」。そして野火のように広がるアメリカのデモ「ウォール街を占拠せよ」。
 そして日本はその二つの危機に挟まれて記録的な円高に見舞われている。背景にあるのは、“自由”な金融市場で広がる“マネー”。
時として制御を失い、リーマン・ショックによる金融機関の破たんのみならず、国家を揺るがす事態を引き起こすパワーを持つに至った。
世界はいま、国家の財政危機と銀行などの金融危機が同時に進行するただ中にある。経済危機が起きる度に“マネー”が引き起こす
新たな“バブル”によって乗り越えてきた世界経済。しかし、先進国をも巻き込んだ連鎖の中で格差が拡大、失業が解消されず、
不況が長引き、社会保障制度まで大きく揺らいでいる。日本も、もはや“対岸の火事”ではない。GDP国内総生産の2倍を超える
財政赤字を抱える日本では、消費税増税の議論が本格化する。世界は、実体経済を凌駕し、国家をも左右する“マネー”がもたらす
困難を乗り越えることができるのか。2012年最初のクローズアップ現代は、危機の構造を解き明かしながら、この難局にどう向き合い、
いかに解決しなければならないのかを探る。(総合テレビ:2012年1月11日 19:30〜20:43/73分拡大版)≫
 ▼ 欧州、米国の起きている金融恐慌の深刻さと、世界恐慌前夜の状況を映像と、識者の対談で構成した内容。翌日の朝も
  録画で再びみてみた。 ○ 日本国債への波及は、あと3〜5年。 ○ イタリア、フランスに国債危機が来ているが、
  次はドイツになる。 ○ ECBの準備金は20兆円だが、必要な金額は100兆円。それはECの基本理念を根本から損なう金額。
  それを考えると?? ○ 日本の国債金利が1%、いずれにしても上がっていく。消費税の値上げノリシロがあるのでまだ良いが、
  これが出来ないと、暴落の可能性も・・・ ○ 2012年は経済的にみて、世界経済の歴史的分岐点になる。・・等々である。
  先日のNHKスペシャルで「東北被災者の12万人の失業問題」を取り上げていた。NHKのメッセージは、アメリカと欧州の切迫した
  危機は、私たちの生活に深刻な影響を及ぼす現実が迫っている。 最近知ったことだが、震災直後の3月15日に関東地区の住民に
  避難命令を出すかどうか決断を官邸が迫られていたという。それだけ危ない日々だった。それが決して好転したとは思われない。
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3579, 閑話小題 −2
2011年01月12日(水)
  * ある居酒屋で
 もう10数年、長岡で飲む魚料理の店がある。その店の三軒隣に夫婦でやっている焼き鳥と小料理の店がある。
夏は戸を開けているので店頭から中がよく見え、一度は入ってみたいと思っていた。 ところが先日、前を通ったら
貸店舗の看板が出ていたので、女店主に聞くと、「去年暮れに夫婦揃って覚醒剤常用で逮捕され、店は閉鎖。
自分の店にも刑事が聞き込みに来た」という。 飲食店の店主が薬中でつぶれた話しは聞いたことが無い。
長岡駅の専門店街でトラブルを起こし、駆けつけた警官が様子が変なので調べたら、覚醒剤の服用が発覚したとの話。
  * どうでもよいことだが
 何処かの?誰か。 三日間乗り放題1万2千円で、東京に毎日、通うという。 行き先をネットで下調べをして、
10時に東京に着くように乗車、帰りは18時の新幹線に乗る。 それでも数ヶ月に一度なら、安い遊びか。
去年の暮れは二日通ったが、今回は三日に挑戦というから凄い。その人の友達は、その乗り放題の切符で、東京の子供の家に
行った帰り、急に思い立ち草津に行って温泉に浸かり帰ってきたとか。独り遊びは自由の天使の羽がつく。
  * 花の平成元年組
 今年大学を卒業するプロ(22歳)は、久々の当たり年のようだ。 高卒の4年目もプロ野球などで大活躍をしている。
そういえば早稲田大学の三人の投手が揃ってプロ野球で一巡で指名された。また全日本学生野球選手権で優勝をした。
全日本ラグビー選手権は決勝で破れて準優勝に終わったが、全日本駅伝では総合優勝をした。「花の平成元年組」とでも
命名されるのだろう。 大相撲でも花の三八トリオといわれた当たり年があって、同期が何人か横綱になった。
高校も10年に一度位、当たり年があって、東大など一流校に多く合格する。 考えてみたら人生でも当たり年があるか。
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3204, 善は悪より生まれた!
 2010年01月12日(火)
「善は、悪より生まれた」の言葉が、妙に頭に残った。「悪は、善より生まれた」なら、合点がいく。 
キリスト教倫理からすれば、イエスの教えが善なら、悪は、それに反する思いや行いになる。 人間が社会を形成する時に、
一つの規範が必要になる。 例えば、国家創りにまずは憲法、そして法律、それを守らせる内への警察という暴力装置、
そして、外に対しては軍隊である。それを統治する象徴として日本なら天皇、欧米なら大統領である。 孔子の教えは、
一つの指標を作り上げて、民を内側からコントロールする教え。古代中国から現在に至るまで、その教えは非常に有効に働いた。
それらの規範を守ることを善というなら、それに反するのを悪という。 ということは、それができる前は、その規範をもって
振り返ると悪がまかり通っていたことになるから、「善は悪より生まれた」ということになる。しかし、それも変である。
キリスト教倫理からみると、『どうして聖なる神から悪魔が生まれたのか。』という疑問が生じる。
 女性の哲学者 シモーヌ・ヴェイユは 『善は、悪からは生じない。 ところが悪はある意味で善によって生じる。
悪は神とわれわれの間にある。 愛は、そのうえを通過せねばならない。』 彼女は悪を二元論的に見ないで神様と自分との間を
裂くものとみた。 神様の愛の力を説き、愛こそが悪を征する力であると。 これは、キリスト教倫理的な見方でしかない。
悪党ほど、善の価値を知っているのだろうか。悪も善も知り尽くした善、一回転、数回転した上で善という捉えかたもある。
親鸞の、悪人が極楽浄土に行くのは当然(悪人正機説)という考え方に近くなる。キリストは、ユダヤ教の弱者(女子供、奴隷)
の立場からみた善を説いた。 善悪も立場で変わるから、ややこしい。 省みて、己の悪に気づいて改心する善ということか。 
どうも、これは答えのない永遠の問いのようである。
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2839, 不況の景色 −7
2009年01月12日(月)
  *タクシー業界の不況
一昨日の毎日新聞・社会面のトップで新潟市のタクシー業界の不況を取り上げていた。市内の老舗二社が倒産、運転手の再就職が
ままならないと・・適正の台数が1000台のところに、1700台の過剰台数。二社で280人が失業、最後は月に12万円の
手取りだったという。全国的でも新潟、長岡のタクシー業界は厳しい状況。昨年の最終金曜日の0時過ぎの2980円の割引に、
百十数人が宿泊をした。夜半の0時過ぎにホテルの前まで行列をなしていたというから、知らない人が見たら驚くだろう。
それだけ、お客はシビアになっている。 それでは、前年に比べてプラスになっているか?といえば、前年割れである。
いかに宿泊客が少なく、シビアに商品選定をしているか、この事実からも見てとれる。ホテルは装置産業の典型である。
一度設備投資をすれば、30年は潰すことが出来ない。一口に30年というが、その間は世界は激変を重ねている。だから面白い。
  *景気の山は07年10月
内閣府が、この景気の山が07年10月と発表した。同11月から景気後退の局面に入ったと認定する方針だという。
(以下、字数の関係でカット2011年01月12日) 
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2008年01月12日(土)
2474, 年頭の新聞の記事の総評 −1  ヽ(★>з<)。o○[ォハヨ]
 今年の年始の新聞を一通り目を通したが、楽観的の記事はホボ皆無。その中で、産経新聞に面白い記事が多かったようだ。
正論というコーナーの佐伯啓思京大教授の「ニヒリズムに突き進む日本」という記事が面白い。(サロンのコーナーにコピー)
ここでのニヒリズムという意味は、今まで自明と思われてきた諸価値の崩壊であり、これまでの本質を判断する基準が失われてしまう
ということである。一部勝ち組を除いて、他が負け組なら、大勢がニヒリズムになるのは当然だろう。産経の30人の論説委員が、
一言ずつ書き留めた「平成20年に思う」もなかなか鋭いコメントに満ちていた。
総じて、日本も含めて悲観論が大勢だった。これは仕方がないこと。
・中国のオリンピック  ・アメリカの大統領選挙
・アメリカのサブプライム問題の行方と、それによる原油高が及ぼす世界経済の行方とアメリカの経済の減速のもたらす影響が、
今年のグローバル化社会の大問題になる。日本もサミットの議長国として、どのように対処するかが問われ、またこの流れから
すると民主党が政権をとる可能性もある。また、特に日米の大問題になっている、格差の問題もある。それでも、アメリカが主導して
世界は比較的落着いていたが、今年からは、そのタガが外れ中国やロシアが世界の表舞台に出てくる年である。それに対して、
評論家もどうなるのか評論できないのが、今年の記事の特徴である。その背後には、やはり情報化の進展がある。
特に情報のオープンソース化が世の中を根こそぎ変え始めている。そこに「情報の格差社会」が怒涛のように起きているのだ。
権力者も下手に、その力を乱用できなくなってきている+−がでている。今年は本格的な大乱の初年度である。 ∀`)ノ゜バイバイ!
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2007年01月12日(金)
2110, クローズアップ現代「東大・論文ねつ造疑惑」  b(^o^)dおっ W(^O^)Wはー♪
一昨夜の19時半のNHKの「クローズアップ現代」には驚いてしまった。
 その内容とは「揺らぐ科学の信頼」〜東大・論文ねつ造疑惑〜
 ー概要はNHKのHPによるー
東京大学大学院の研究グループが発表した遺伝子をめぐる論文のねつ造疑惑で、大学は、去年の暮れ、論文の責任者の教授と実験を
担当した助手を懲戒解雇にした。1年9か月に及ぶ調査の結果、論文は信ぴょう性を欠いており社会の信頼を著しく損なったと断定。
東京大学を揺るがした疑惑は一応の決着を見た。しかし科学論文の危うさを印象づけた今回の疑惑。論文は、どこに問題があったのか。
疑惑を生む背景は何なのか、依然、明らかになっていない。そこには、最先端科学の研究が抱えている共通の課題が見え隠れする。
  (以下、字数の関係でカット2011年01月12日) 
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2006年01月12日(木)
1745、 心のままに生きてごらん      (o゜▽゜)o オハョ〜     ー読書日記
 イギリスで大ベストセラーとなった、人生の「天国から地獄」を体験した著者が綴った、
152のメッセージである。どのページにも、人生を豊かに生きることを教えてくれるメッセージがある。
  (以下、字数の関係でカット2014年01月12日)


4685, 10年日記

2014年01月11日(土)

 去年の暮れに10年日記が終了した。一昨日、この文章を見つけ驚いたが、これも続けるとなると根気がいる。
ただ何気ない平凡な日々も、書いてあれば、その時どきの記憶が舞い戻ってくる。折々に、その内容を書き写してみる。 
そこで昨日、蔦屋で10年、5年、3年日記か迷った結果、『5年日記』を買ってきた。 
「果たして10年先、生きているか?」を、店先で考えるのも奇妙である。
《 2004年01月09日(金) ー10年日記帳 ー
 昨日「10年日記帳」を買ってきた。通勤途中の書店に、3年日記、5年日記、その横に10年日記帳があった。
数日前から迷っていたが思い切って買うことにした。10年といえば途中で途切れる(死ぬ)可能性もあるが。10年前に
この日記帳を書きつづけていたら、毎日が面白いだろう。日記御宅になってしまうかもしれない。 買ってみて「10年先を
白紙で毎日意識してみることが出来る」のではないかと気がついた。現在はホームページの随想日記に、35年前と2年前と
一年前の日記をコピーして貼り付けている。この為、後ろ向きになってしまうが、10年分の白紙を毎日見ることで、
10年スパンで鳥瞰する目が知らないうちに身に付くのではないか。更に他にも深い意味が出てくる可能性もある。
『ポストイットで未来の日記を仮定で書き、貼っておくとか』『ありたい理想の姿を現在進行形で書いてみるとか』
年をとっていく自分を見る視線が憂鬱になる可能性もある。9年、10年経ったとき後ろ向きになってしまう可能性もある。
その時は、その時。 今日から門出の日記の開始。随想日記に、過去の当月当日を貼り続けているが、結果、毎日過去の
日記を見ることになる。そうすると、ほぼ同じことをしていることになるが、白紙を毎日見ることが決定的に違う。
こう公表してしまえば、書きざるを得ないだろう。習慣化は第二の天性というから。これも加えたいが・・・ 》
 ▼ 改めて、ジックリ同月同日の10年分を俯瞰すると、やはり書き続けている価値はあった。それぞれの日々が懐かしい。
 「遠き日は年とるごとに近くなり」であり、この習慣を数十年続けていたら、心の豊かさが全く違っていただろうに。
 忘れることも大事だが、メモだけでも、行き先(5、10年先)を決めて「ここまで生きているぞ!」と書き込んば
 張り合いにもなる。 それにしても、よく続けられたもの。これも早朝起床の御蔭! 次も10年日記でも良かった?
・・・・・・
4318, 幸せはいつうもちょっと先にある −6
2013年01月11日(金)
              「幸せはいつもちょっと先にあるー期待と妄想の心理学」ーダニエル・ギルバード著
    * 意外と知られてない事実 ーすべての人は自分を特別の存在と思い込んでいる
  心の奥を覗いてみれば、「みんなが大将」である。 但し皆が、それを隠しているので、そう思っているのが自分だけと
 思っているから始末が悪い。人より優れてないと思わないまでも、自分は他人とは違った世界を持っていると自負している。
  −その辺りの心理がリアルに書かれてある
≪ あなたがほとんどの人と同じなら、ほとんどの人と同じように、自分がほとんどの人と同じだということが分らない。
 科学は平均的な人について、たくさんの事実を明らかにしてきた。 なかでもとくに信頼できるのが、「平均的な人は
自分自身を平均的だと思っていない」という事実だ。ほとんどの学生が自分は平均的学生より頭が良いとおもっているし、
殆どの営業部長は、自分は平均的営業部長より能力があるとおもっているし、殆どのフットボールの選手は、チームの他の
選手より上と思っている。 ・・・皮肉なことに、自分を平均以上だと考える偏見は、自分を平均より偏見の少ない人間だと
考える原因にもなる。 ある研究機関は、こう結論づけた。‘ われわれはたいてい、自分が平均的な人より運動ができ、
頭がよく、きちょうめんで、道徳的で、論理的で、面白くて、公正で、健康で、(もちろん)魅力的だと思っているようだ ’ 
自分を他人に勝るものと考える傾向は、自分を他者と違うもの(ー勝るものも多いが、劣るものもあるー)と捉える傾向の
一例かもしれない。人は寛大さについては、他の人より数多く寛大な行為をしていると主張する。ところが、身勝手について
尋ねられると、他の人より数多くのしていると答える。車や自転車の運転といった簡単な課題に対し、その能力は優れていると
答えるが、ジャグリングやチェスといった難しい課題をこなす能力は、劣っていると評価する。 ≫
 ▼ 勝っている部分が少ないと、自分は他者と違った特別の存在と思い込もうとする。そのために特別な方法をとりたがる。
  この随想日記からして、まずは、そう。 「12年間近く、これを休むことなく書き続けた。凄いだろう!」という気持ちが
  何処かにある。また「48回も世界中を旅をし、それぞれの地域から見れば、私の生活圏も同じように変わったところで
  しかないことを体感してきた。それが私の大きな財産!」とか、まあ、心の奥の馬鹿くさ! 所詮は石ころは石ころとして、
  自分で自分を慰めるしかない私が、ここにいる。大津波か何か知らないが、挫折を、「外海に大津波がきているのが見えて、
  その本体の巨大津波で浚われる前に、事業整理をした」とか何とかを、恥ずかしげもなくブログに書いている有様。
  まあ、読んでいる分には面白いだろう。 ただ、面白がっている方も大して変わらないのを知ればこそ書いている・・・ 
   ある人が面と向かって、「私は特別な存在!」と確信を持って言われたことがある。 純粋か無知なのか、本当に
  その通りかマジマジと、半ば呆然と顔を見たことがあった。 これからすると、その人は、心の内を正直に述べただけ。
  どう見ても、そうには思えなかったが! 考えてみるに素直なだけ。 その人、誰も、そう思っていると知っていたら、
  言わなかっただろうに。 そこで、これからは魂を込めて一人ずつ誉めることにした。 心の奥の魂には、魂を込めないと。
   独身時代、美人が大好きで、タイミングをみて、「あんた美人だね。私は、実は美人大好き!」と軽くいっていた。
  ポイントは一回だけ、こっそりと。この感覚で人を誉めろ、ということ。人生を振り返り、もっと誉めれば良かった!ったく。 
  ところで私がやたら誉めると私らしくないのが問題。 どういう人生を生きてきたのか、この男。 母親が還暦のとき、
 「子供たちは、みんな感謝している。ただ誰も口に出さないだけ、出せないだけ」と、言ったら、「生きてきて良かった!」と。
  歳をとるにつけ、それがだんだん言えなくなる。そうそう言ってはならないが・・ 言わなければならない時もある。      
・・・・・・
3943, 閑話小題
2012年01月11日(水)
    * つれづれに ー不況景色
 このところ急に身の回りが寒々としてきた。自分の状態が状態だけに、そう見えてくることもあるが。
私の甥っ子が「メガネ・スーパー」に努めているが、先日、検索すると、株価が100円を割っており倒産の瀬戸際とあった。
また銀行の株式相場を見ていたら案の定、震災地の銀行の幾つかの株価が50円前後。あの「みずほ銀行」も100円前後。
マスコミも情報コントロールをされ、そのことを取り上げない。 20年以上、屋敷内の貸家も空家になって三ヶ月目になる。 
3月、4月の転勤時期に入居を期待しているが、どうなることか? 現在、消費税アップが問題になっているが、前の事業を
考えてみても、消費税が10%になったら借金ゼロでも存続は無理。 これは他の多くの事業でも当てはまるはず。
増税を反対をするのは分かるが、国の税収が激減し、収入が支出の半分以下なら上げざるをえない構図になっている。
現在の日本国内では金を使わない算段はいくらでもある。これでは貧乏症の日本人の消費マインドは、さらに大きく冷え込み、
長期の景気低迷になる。 世界的な経済の氷河期に入った。昨夜もNHKのクローズアップ現代を一時間延長して、欧州危機、
世界恐慌危機についての放送していた。また先日も東北被災地の失業問題の特番を組んでいた。これが数十年も続くというから・・

  * バンジージャンプの命綱が切れた
 ニュースで、南アフリカのボツナワ国境にあるザンベジ川のバンジージャンプで、飛び降りた若い女性の命綱が切れ落下、
落ちていく映像が報じられていた。それでも奇跡的に助かり、自力で川辺に泳ぎ着いたという。よく助かったものである。
人間が川に飛び込んで助かる限度が40Mというから、一度バンドした後に紐が切れた高さが、40M以下だった為に、
奇跡的に助かったことになる。打ちどころが少しでも悪かったら、もちろん即死である。 これまで、飛び降りた人が5万人、
その一人に私も入っている。これまで、紐が切れたりした事故は無かったという。それにしても私も50歳で、よくやったものだ。
・・・・・・・
3578, 10年一昔というが ー2
2011年01月11日(火)
この10年で、デジタル機器が飛躍的に進化し、パソコンや携帯電話などでネット社会が出現。
地球上の人たちのあり方を根底から変えてしまった。 この間にブログが世界的に普及、誰もが個人サイトの
発信基地を気楽に開けるようになった。更に携帯電話機能が飛躍的に性能アップ、そこにインターネットが接続され、
ミニ・ブログのツイッターが受発信と、Youtubeで世界中の動画の受発信が可能になった。これらがグローバル化を
押しすすめる結果となった。この10年の潮流を知るために、大きな出来事を重要順に選んでみた。
 ー2001年〜2010年、世界10大ニュースー
1、2008年のリーマン・ショックと世界恐慌  2、2001年の9・15テロ、そしてアフガン、イラク戦争
3、ネット社会の出現            4、デジタル機器の飛躍的進化
5、3,4の結果、世界のグローバル化、フラット化が進む
6、インド洋、中国・四川、ハイチ大地震などの大災害が相次ぐ
7、アメリカで初の黒人大統領が選出     8、中国・インド・ブラジルなどの新興国の飛躍的経済発展 
9、電気自動車がクローズアップ、今後の重要産業に目される
10、環境問題が待ったなしに! その一つとして原発開発の機運が世界中に高まる
 この主な出来事をみても、10年前では想像を絶する現象が、たて続きに起きている。
今後10年は、これより激変が起こるとみると、それは想像を絶することになる! 分かっていることは、
「この現象は百年単位の変化の現象でなく、数千年、数十万年単位の変化の入り口に入った」ということ。
それからすると、この変化は恒常的に続木、その結末として人類の歴史は、それほど長く続かないと見るべき?
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3203, 電気自動車の話
 2010年01月11日(月)
「電気自動車は、パソコン、携帯電話以上の影響を社会に与える」と、思わず疑いたくなるコメントが、NHK・TVの
レポートのインタビューから聞こえてきた。30年間電気自動車を研究してきた慶応大学教授が話していたのだから、
再びびっくり。私の知る限り、パソコンと携帯電話以上のインパクトのあるマシーンは、これまで無かったし、
今後とも当分無いだろうと思っていた。 家内に言ったら「そんな馬鹿なことはない」と、私と同じ意見。
 しかし、本当と仮説を立てると如何いうことか? 移動空間から情報空間としての見直しなら納得する。
(希望的予測として)三年後に普及車が量産され、10年後には重心が、エンジン車に取って変わっているという。
部品が10分の一から、更に少なくなるはず(三万ー>三千)。 日本にとって、リチウムとか、電気技術が進んでいるので、
プラスに働くとか。 わかず三年前までは、「電気自動車」が、ここまで注目されるとは思っていなかった。
ガソリンエンジンは熱を持ち、スペースをとり、車形などに大きな制約があった。しかし、それから解放されると思いもよらない車が、
あらゆる業界から出現する可能性が大というのも頷ける。さらに電気自転車とスクーターの融合したようなものや、オートバイと
車の融合したものが出来るだろう。車椅子のような乗り物が一般の移動に考え出される可能性もある。自動車の概念が根底から
崩されることになる。 家の一部としての移動式生活空間と見直されるかもしれない。 生活の中で電気自転車で驚いていた。
それが電気自動車としたら、更に大きなインパクトを与えることになる。さらには電気モーターの、カヌー、舟、小型ヨット、
電気ヘリとか、電気パラグライダーも。 厳しい経済環境になっていく反面、面白い時代でもある。 
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2838, アメリカが隠し続ける金融危機の真実 −2
2009年01月11日(日)
  軍産共同体が戦争をつくりあげるため、政府の中枢に深く入り込んでいる一端を明らかにしている。
 イラクの戦争も、仕掛けられた一つ。 イラクのフセインが石油のドル決済をユーロにしようとした為、
 大量破壊兵器が存在しているような工作をして戦争に導いたことが露見した。そのことをブッシュが知らない訳がない。 
 今度はイスラエルとイランか、北朝鮮だろう。 それとも金融危機で少し疲弊したから休む?
   ー次の部分こそ資本帝国主義の核心の部分だろうー
  <第三章 金融危機を起こした闇の権力者の正体 P−110〜>
この軍産複合体をひと言でいえば、戦争でひと儲けしよという思惑を持った軍需産業の大手企業や一部の金融資本家、
アメリカによる世界支配を信奉する政治家、軍人などが一体となった勢力だ。
表に見えるのはロッキード.マーチン、ボーイング、ノースロップ・グラマン、レイセオン、そしてユナイテッド.ディフェンス
といった軍需産業の李企業だが、その裏には日本の天下りがかわいらしくみえるような黒い薯の影が見えてくる。
たとえば、2期8年に渡ったブッシュ政権の高官30人以上が、以前は軍需産業の役員や株主だったという経歴の持ち主だった。 
これがどういった影響を及ぼすかというと、父ブッシュが名誉顧問を務め、ブッシュ政権の高官数名が役員を務める
投資ファンド、カーライル・グループがある。 このカーライルが、ブラッドレー戦闘車を製造する
ナイテッド・ディフェンス社を97年に買収した。 当時、多額の赤字に苦しんでいた同社だったが、
ブッシュ政権発足直後の01年に米陸軍から新型自走砲の発注を受け、株を上場。
カーライルは上場初日だけで多額の売却益を得ている。 こうした例は他にいくつもある。
その癒着の構図を裏づけるかのように、米ソ冷戦後は、一時3000億ドルを割り込む水準まで低下したアメリカの軍事予算だが、
ブッシュ政権時には6000億ドル超にまで増加している。この額にはアフガニスタン戦争やイラク戦争の戦費は含まれていない。
その裏で、いったいどれだけの金が軍産複合体へと流れ込んでいったのか。一説によると、
軍事費の一部は毎年ブラックマネーとしてプールされ、その総額は1兆ドルになっているという。
80年代までの東西冷戦中は、ソ連など共産勢力への恐怖から巨額の軍事予算が計上されることについて
多くの国民が納得し、軍需産業は潤っていた。だが、冷戦の終結とともに軍事予算は削減されていく。
このままでは自分たちの影響力が弱まってしまう。そういう思いを募らせた軍産共同体は、アメリカに対する
新たな脅威を作り出すプランを練り、その資金力と政府へとつながる人脈を駆使して、数々の工作を行っていった。
  −−−−
 ケネディの暗殺も、彼らの疑いがあると聞いたことがある。
次は、あの人?の可能性がると、この本に暗に書かれている? 第二次世界大戦で、世界恐慌が実質清算されたのだから、
世界規模の戦争を仕掛ける動きが出ても不思議でない。 日本の1000兆を超える預金を狙うのは至極当たり前のことだ。
前回の日本のバブルはアメリカの仕掛けだったのは今更のことである。 これが世界の現実である。
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2008年01月11日(金)
 2473,  生姜湯
昨年末、寒い最中に冷酒を飲んで胃腸をこわし年末年始の三日間、寝込んでしまった。そこでドラッグストアで、
身体を温める何かがないかと立ち寄ったら、タイミングよく生姜湯が広告品として割引いて売られていた。
渡りに舟と買って飲んだところ、身体がポカポカして体調は回復した。この冬は、これだと再び大量に買い込み毎朝、
起きて直に飲んでいる。「生姜湯はアルコールを多く飲む人に良い」と以前聞いたことがある。 二日酔いの時など、
翌朝に食事を抜く時に腹持ちをするので丁度良い。「身体を温め発汗を促し、血液・体液の流れを良くし、尿の出を良くして
身体の水たまりを排泄する。エネルギーの流れを良くして気力を高め、抑うつ気分をとる。血小板の凝集力を弱めて血液を
サラサラにし、血栓を予防改善する」「保温、抗炎症効果、殺菌殺虫効果」があり、 昔から薬代わりに飲まれていた。 
生姜といえば、寿司屋の消毒として添えられているから、生ものの毒消しとて余程良いのだろう。
飲むと一時的に空腹感が無くなるから、うまく使えばダイエットにもなる。
生姜湯を買った時に、ついでに「抹茶クズ湯」を買って飲んだが、これも身体が温まったまる。 
冬の友というところである。まあ、そういう歳になったということか? しょうが ないか!
 ーーー
2007年01月11日(木)
2109, 塩野七生が「日本の政治と政治家」を語る −1  (+>∀<+)ノ おぁはは〜ようさん!   
 日経新聞(1月4日)に「作家の塩野七生が日本の政治家を語る」が掲載されていた。安部首相、小泉、小沢などを語っていたが、
なかなか面白い。15年間にわたり15巻の「ローマ人の物語」を完結させた作家。カエサルを理想としている視点から、
なおのこと、三政治家には手厳しい。 その中で小泉元首相には比較的高い評価をしていた。
  ー面白いところを抜粋してみるー
 * まずは、阿部首相をどう評価しますか?
塩野:阿部は人間的にはいい人なんだろう。旦那様にするには良いタイプだが、指導者としていいかどうかは別。
  阿部首相は誠意がありますが、答えればよい10倍の量、誠心誠意答えているが、普通なら飽きてしまう。
  芥川龍之介の言葉で「ときには嘘でしか表現できない真実もある」のです。実を越えるために、虚のやり方が良い時がある。
  彼は変化球を投げない。小泉元首相は、旦那には大変じゃないか。知力はどうかなぁ。説得力に関しては、起承転結の
  「起」しか言わない。我々が彼に改革を期待して「承転結」まで考えてあげていた。マキャヴェッリは
  「民衆は抽象を問いかけられると間違える場合があるけれど、具体的に示されれば相当程度に正確に判断を下す」と言っている。
  小泉さんはそれをした。阿部首相は言っていることがだんだん分らなくなってしまう。
塩野:文章の世界では、メリハリや切り返しを芸というのですが、阿部さんは芸がおありでない。
  あの年齢では性格を変えろといっても無理だろうけど。私が振付師だったら、彼に合う戦略を考えますね。
  具体的に言うと、官房長官に彼と全く違った人間を持ってくるべきでした。国際会議では熟練の通訳が必要ですね。
  安部さんの言う半分に縮めることの可能性のある人が必要です。そうしないと国益に反する。
塩野:私たちは阿部首相が改革を続けてくれるだろうと期待したので、あの支持率が生まれたのです。
 (字数制限のためカット 2012年1月11日)


4684, 偶然からチャンスを見つけだす能力 ー2

2014年01月10日(金)

        〈ー偶然からモノを見つけだす能力―「セレンディピティ」の活かし方 ー沢泉 重一 (著) 〉 
   * 私の体験例より・・
 偶然からチャンスを見出した経験は人生を長く生きてくれば、誰もが多かれ少なかれ持っている。その偶然に出会うのは、
節目の極限状況が多い。 新潟の駅前から150Mほど離れている角地の更地70坪で、さて何か事業を始めようかと考えた。
その直前まで実家の衣料品ディスカウントの本店を任されていて、二ヶ月に一度の割で東京、高崎、名古屋、岐阜、大阪、
広島などの産地に仕入れに行ってビジネスホテルに4年半ほど宿泊をしていた。その顧客経験から、新潟駅前の格安ホテルなら
必ず成功すると思い至った。おりしも上越新幹線が部分開通が始っていた。34年も前のことである。
以前より、何かに捨身で無我夢中にエネルギーを集中すると、そのプロセスで他の何かをつかみ取れる経験をしていた。
 卒業後、ジャスコに一年勤務。考えるところがあって産能大に編入した時も同じである。その時、千葉の郊外の姉の家に
居候をして自由が丘に通っていたが、姉が家から車で20分離れた新興住宅地の一角を将来の貸家のために買っていた。
千葉県住宅供給公社が開発、販売のため、一般の半値近い。そのため何倍かの希望者があるため、公開の会場で
抽選会が行われ、その場で次々と当選が決まる。それには条件があって、二年半以内に建物を立てないと公社に強制的買戻し
条件がある。それもあって、地区ごとに、団地が住宅建設が見られる。ある朝、何気なく新聞広告をみると、その五万人ほどの
住宅地のド真ん中の商業地の販売広告が載っていた。そこで、姉に「これは買いだと思う!申し込みをして当たれば儲けもの、
どうだろう?」と話すと、「当たってからの物種。当たったら、父親に借金をすればよい。とにかく申し込んでみたら」と言う。
時は、高度成長期の真っ只中。団地の一等地である商業地の「角地と、その隣」二箇所を、早速、申し込んだ。
その物件の倍率は、角地が十五倍、その隣は三倍。抽選当日、会場の抽選会に行ったが、何となく角地の隣は抽選に当たる!
予感がしていた。そして、当選。 外れても当選者の辞退が出た場合、次点の人に権利がある方式。「これで余裕があれば、
応募しない手はない」と思ったのを憶えている。 それも隣接する二万人の隣の住宅地加えると七万人の十字路の角地の隣接地
からみて、五年で数倍になるのは誰でも分る。そこで、私に甘い父に「せっかく、当選したのだから、私の物件でなくても
よいから」と、三日間、つききりで、その価値を説き続け、その結果、実家の会社名義で買うことになった。
これも、当時の合併した直後のジャスコを思い切り辞め、大学に入り直して必死に学んでいたおかげである。
 その二年後に貸ビルを建設し、その一角で「養老の滝1122号店」と、焼きたてのパン屋「センチュリー・ベーカリー」を
立ち上げ、無我夢中で取り組んでいるうちに、実家でお家騒動が勃発、その二つを経営委託をして、長岡に帰ることになった。
これも私にとって大きはチャンスになった。千葉は5千万の総投資だったが、一億で売却。それが新潟駅前シリーズの事業資金。
まず、時流に乗った何かを見つけ、全身全霊を込めると、思いもよらないチャンスが舞い降りてくる。 
 この随想日記も、そうである。第三者からすれば「毎日、飽きもせず、この程度の文章を書き続けて!」と思うだろう。 
他人を傷つけ、銀行の担当から疑われ5百万も脅し取られ、この一連の中で「これは、計画倒産そのものじゃないか?」と
詰なれても、割り切ってしまえば、それまで。10年、50年先に残るのは、その時どきに残した言葉=魂
(全身全霊のエネルギー)だけ。 言葉とは、それだけの力があると実感するからである。 
事業40年、人生68年の総括での「遇察」は何だったか? 般若心教の悟りに近い、色即是空、空即是色の透視?
 因縁、感謝、感動!の中にある一連の現象。 人生に後悔が無い、といえば嘘だが、諦め(明め)はついてきた。
・・・・・・
4317, 幸せはいつうもちょっと先にある −5
2013年01月10日(木)
         「幸せはいつもちょっと先にあるー期待と妄想の心理学」ーダニエル・ギルバード著
   * お金の果てない追求は、なぜおこるのか? −
 お金の効用こそが、価値を決定する。今さらのことだが、その辺が曖昧になってしまう。私自身、末っ子のため、両親の傍で、
いつも金銭哲学を聞いて育った。そして、最期の死様から多くの教訓を得た。 その一つが、時節ごとに使うべき金は使うべし、
残しても、後でみると不安を具現化した残物でしかないということ。人生(特に事業)は何時何が起こるか分からない。
財産を残しても、一瞬で消え去る恐ろしさを見聞きしていた。で、給料範囲で全てを使い切ることにしてきた。 振り返ると、
それが正解。満足した行蔵が人生の晩年の宝として残っている。本を読んでも、TVを見ても、それがベースになっている。
  ーその辺りを抜粋するー
≪「ものの価値、その値段ではなく、そのものが与える効用をもとに決定しなければならない。ものの値段は、そのもの自体に
左右されるだけで、誰にとっても同じだ。しかし効用は、予測をしている人の個別の状況に左右される。そのため1000ドルの
利益は、たとえ額は同じでも、金持ちより貧乏人にとっての方が間違いなく価値が大きい」
 富そのものは幸せに関係ない。大事なのは「効用」。お金や昇進やビーチでの休暇そのものには興味ない。あるのは、こうした
形態の富がもたらす、満足や喜びである。賢い選択とは、喜びを最大にする選択であり、お金を最大にする選択ではない。
お金が増えていく場合、一ドルが与える喜びは常に前回よりわずかに少ない。人は絶対量でなく、相対量に敏感である。
しかし、効用を推定することは難しい。それをするには、そう想像だ。我われの脳は独自の構造を持っていて、心の中で自分を
未来の状況に移動させ、そこでどんな気持ちがするか自分に尋ねることができる。 効用を数学的な正確さで計算しなくとも、
明日に一歩足を踏み入れて、その感触を確かめればよい。自分を時間軸の前方に投影し、出来事が起こる前にそれを経験できる
能力のおかげで、我われは誤りをおかすことなく学ぶことができ、行動することなくそれを評価できる。
 それでも未来の自分と未来の状況をシュミレーションする能力は、完璧からほど遠い。未来の状況を想像するとき、我われは、
実現しない細部を穴埋めをし、実現する細部を放棄する。未来の状況を想像するとき、今感じていることを無視できず、あとで
起こる物事について、どう考えるようになるか気づかない。しかし、先見はもろい能力だ。そのためには、目を細め必死に目を
凝らしてみたりしなければならない。幸せを見つける公式はない。しかし、偉大なる脳は、ちょっと先にあるように見える幸せに、
かならずしも導いてくれないとしても、なぜ辿りつけないかを教えてくれる。≫
 ▼ 秘境ツアーは、その最たるもの。大体、価格の5〜10倍の価値を実感してきた。その効用(価値)は、経験と情報で
  ほぼ予測可能である。その上に、行った先をTVの旅行番組で映し出してくれる。その時の見れなかった細部をプラスして
  見せてくれる。とはいえ、それも時間と金銭と気持ちに余裕があってこそ。 亡くなった姉が派手な浪費家と思っていたが、
  振り返ると、浪費家というより‘良’費家に思えてきた。 その時々を最大限、楽しんでいた。 人生は、それでよいと、
  この歳になる身に沁みて思える。ただ、面子を捨てることが出来るかどうか。 面子は面子で、それも可愛いもの・・
 ・・・・・・
3942, 終わりなき危機 君はグローバリゼーションの真実を見たか ー2
2012年01月10日(火)
              「終わりなき危機 君はグローバリゼーションの真実を見たか」 水野和夫著
  * 事実は真実の敵である
‘はじめ’の次の言葉が、この本の全てを要約している。
≪ 我々がシュミットのいう「世界史」の終わりに近づいているに一刻一刻と近づいているにもかかわらず、その認識がなく、
グロバリゼーションを「ヒト、モノ、カネが国境を越えるプロセス」と考えて資本の反革命の片棒を担いでいる。・・・ 
「事実は真実の敵だ」といったのは、ミュージカル「ラ・マンチャの男」の脚本を書いたD・ワサーマンである。 
グロバリゼーションの「事実」とは、「ヒト、モノ、カネの国境を越える自由な移動」であり、その「真実」とは、
帝国システムをなす中心と周辺を結びつけるイディオロギーである。≫
 ▼ ここで、二つの経済震災と、一つの自然震災を著者は「近代の自己敗北」と「歴史における危機」とみる。
 近代は、過去の遺産を食い潰し、未来の利益を横取りをしたと看破している。現在の日本のy財政や年金を例にみても、
そのことが納得できる。 ヒト、モノ、カネの移動をグロバリゼーションの事実とだけみて、その真実を知らないと、
近代科学のもつ恐ろしい力に飲み込まれてしまう。 その上に、ひとりひとりの手には、高性能の情報端末を持つ時代になっきた。
情報化社会でグローバリゼーションを止めることは不可能。 グローバル化は金融や情報だけでない、細菌なども含まれる。
今回は大地震と津波、そして原子力発電の破壊が重なった大震災だったが、鳥インフルエンザや、狂牛病などの細菌汚染もあるから、
ことは重大になる。それぞれの地区、国内の問題が、一瞬のうちに世界に広がってしまう危険が増したのである。
帝国システムをなす中心だけでなく、最悪の問題にとって変わって世界の周辺各国に結びつける作用になる。
これこそ、グロバリゼーションの事実であり、真実といえるのである。 従って、この本のテーマの「終わりなき危機」が
グローバリゼーションの真実ということになる。インドや、中国のような膨大な人口を広い国内に抱えている国が、最後に
生き残ることになるのか? グローバリゼーションは、それぞれの文化を破壊する。それが一番、恐ろしいことである。
 きしくも、下にある二年前の「一〇〇年前の世界一周 ー2」の文章が、それを語っている。
・・・・・・・
3577、10年一昔というが ー1
2011年01月10日(月)
10年一昔というが、それにしても激しい変化である。 
 10年前の2001年といえば、
・前大統領のブッシュがゴアに僅差をつけて大統領になり
・9・11テロが発生、アルカイダと断定し、アメリカはアフガン攻撃をし、タリバン政権は崩壊した。
・国内では、小泉が「改革なくして成長なし」「自民党をぶっ壊す」などのフレーズで、首相に就任。
 田中真紀子が外相になったが、直ぐに能力に問題ありと失脚。
・イチローが大リーグのマリナーズに移籍、豪語したとおりにMVPを獲得した。
・この年に、アップルがiPodを発売し、携帯デジタル音楽プレーヤーが爆発的に売れ始めた。
・皇太子妃に第一子の愛子様が誕生。
 これが21世紀の幕開けであった。
 それから、ブッシュはアフガンに攻撃の後、イラクに侵攻、泥沼に入ってしまった。
 そして、リーマンショックという大事変が起きてしまった。
その結果、失われた10年をそのまま引きづり、失われた20年と日本経済と社会は疲弊してしまった。
首相は、小泉の後、一年ごとに交代し、現在に至っている。その間の失政による混乱は、あまりに悲惨である。
戦後、間接的アメリカによる統治で日本そのものが骨抜きにされたことは言うまでもない。
小泉元首相の改革で垣根が低くなったが、格差は拡大。これも仕方がないこと。
・・・・・・・・
3202, 一〇〇年前の世界一周 ー2
2010年01月10日(日)
 先日の新幹線の行き帰りの車中で、旅行記の文章を読み上げた。
8割が117枚の写真で埋められていたので、70ページぐらいの文章でしかなかった。
その半分は、この本をまとめあげたドイツの文筆家のフォローの文章であり、読みやすい。
アベクが50年後に、この写真と昔のメモを見ながら書いた文章で、旅行中はカメラに思いを込めていた。
そのため、その写真の向こうからアベクの思いが、そのまま出ているようでもある。 
この中で日本の写真は20枚あり、当時の庶民の姿が何ともリアルである。 彼は旅行を通して、
自分の住む世界に疑問を持つようになり、旅も終わりになるにつれて、考えが大きく変化したことに気づく。
「 旅を始めたとき、彼は欧州文明が正しいという確信を持ち、その一員であることに誇りを持っていた。
そして海を渡り、彼方で暮らす人々と知り合うようになった。すると、欧州の本当の姿は、安っぽい民族主義に包まれ、
まるで動物ででもあるかのように万国博覧会の見せ物になっていた世界の人とは、大きく異なることを見いだしたのだ。
彼等は貧しくとも、言葉が理解できなくとも、奇妙な風習があっても、ワルデマールは彼等と心を交わすようになった。
インディアンの青年、快活なアメリカ女性、別府で過ごした二人の芸者、日本の職人、友となったナカノ、北京で雇った
少年、バラナシにいた敬虔な信徒たち、そして、ジャワで見かけた花のような人たち・・・・ 」
「 シナ海やマラッカ海峡と比べたら、地中海には何の夢も描けない。 黄浦江から見た上海と比べたら、世界で最も
美しいといわれたナポリでさえ色あせて見える。ベスビオ山はせいぜい小さな丘で、インドネシアのセメル山を
見たときのような興奮を覚えない 」等々。 このリーマンショックは、欧米中心で周っていた世界の崩壊過程の
大きなキッカケである。 彼は旅行を通して、それまでの欧州中心の世界観が、いかに歪んでいたかに気づいた。
私の趣味が「世界異境、秘境ツアー」である。そこでみるのは、自分の世界がいかに小さいか、そして歪んでいるかを
再確認することである。それより、大自然のパノラマの魅力もあるが。100年前の、この経験は、それまでの価値観を
根底から破壊するのは当然である。近代哲学の一群が、いち早く、それに気づいている。 構造主義、脱構造主義などである。
アマゾンの原住民の風習と、欧米とどちらが優れているのか? もしかしたら、彼らの方が?という疑問が出てきた。
100年前に、アベクは、それに気づいたのである。 タダ、彼は哲学者ではなかったのである。
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2837, 「犬の時間」と「猫の時間」
 2009年01月10日(土)
図書館で何気なく手に取った本の中に「犬の時間」と「猫の時間」という言葉があった。犬は、人間に飼いならされ
忠犬ハチ公ではないが、決まった時間に決まった行動をする習性がある。これに対して猫は気の向くまま気ままに、
時の流れにまかせて一日が何となく過ぎていく。人間の生活の中にも「犬の時間」と「猫の時間」があるのではということ。
会社では「犬の時間」、自宅は「猫の時間」。会社勤めは「犬の時間」で、定年後は「猫の時間」ということも出来る。
前に、男女、夫婦のことを「化け猫と、ボケ犬」と例えたが、それに似ている。どっちの時間帯が良いということではなく、
二つの時間帯を割り切って使えば良い。それなら、「人間の時間」とは、いかなる時間を言うのだろうか。
「人間らしい時間」というと、知的であること(本を読み、文章を書き)、楽しい時間を持って笑っていること、
過去・未来を語り合っていること。そして、感謝・感激・感動している時間。酒を飲んで歌っている時間。
そうすると、「犬の時間」「猫の時間」は、それはそれで良しとして、人間らしい時間を多く持つべきことになる。
せっかく面白い視点の喩え話も、人間様を持ってきて詰らなくなってしまったか。それにしても、うちのカミサン、全く猫のようだ。
・・・・・・・・・
2008年01月10日(木)
 2472, ホテル納入業者の専務の話         ヾ(´∀`o)+。才ノヽ…
 20年近くに亘り、仕事初めに地元でホテル用品と、スナックや居酒屋に酒を収めている大手?業者の専務が来社、
 一年分の情報交換をするのが恒例になっている。県内の全般のホテル・旅館、スナック・居酒屋などの趨勢の情報と、
 駅前周辺のホテルや居酒屋などの情報交換をする。私と専務との二人の話は、地元のサービス業の生の潮流のダイジェスト。
ーその今年の県内の客商売の概要というと・・・
・柏崎沖地震以来、リゾート旅館やホテルは最悪の事態。1〜2割の落ち込みが回復しないまま続いている。
 またスナック・クラブは、ますます酷い事態になっている。 何処の業界でも当てはまるが、値段に対して
 顧客は敏感になっていて、値上げができないが、コスト圧力は強くなっており悲鳴も上がらないのが現状。
・スナックでは客が来ないので大事な固定客にボッテしまい、自分の首を自分で絞めてしまう事態が常態化してきている。 
(字数制限のためカット 2012年1月10日)
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2007年01月10日(水)
108, ゾンビの群れ     オッ(*^○^*)ハ〜ヨウサン!
 ー団塊世代の大量退職とゾンビ化について
一昨日、NHKスペシャルで「団塊の世代」の大量定年を向かえるにあたり、意識調査をしていた。 
途中からパソコンを打ち込みながら見ていたが、何かイマイチの番組であった。一年早く還暦をむかえたのでいえる。
   (字数制限のためカット 2011年1月10日)
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2006年01月10日(火)
1743, 全国高校サッカー選手権
 ー全国高校サッカー選手権決勝戦・TV観戦記ー
昨日の高校サッカーの決勝戦が面白かった!サッカーの試合でこれだけ興奮してみたのは初めてといってよい。
  〔もともとサッカーは地元のチームか、大試合の決勝戦位しかみないが〕
延長戦でのギリギリの攻防は見ていても手に汗を握る魂と魂のぶつかりあいの試合であった。
はじめは初優勝を目指している滋賀県の野州を応援していたが、途中から鹿実を含めて両者を応援してみるようになった。
最後には九州の鹿児島実業が勝つのだろうと思っていたが、野州が1―1の延長後半7分、中川からの右折り返しに
途中出場の滝川が決勝ゴールを決めた。 鹿児島実は史上9校目の2連覇を惜しくも逃した。
土俵際でウッチャリと小手投げでクルクル入れ替わる劇画のような試合内容であった。 /キック!◎ヽ(●`・v・) /○◎●
高校生というより、プロの試合のようであった。これだけの技術をフルにつかっての攻防が高校生でも可能なのだ。
これはお互いの優勝への執念の結果であろう。        ( ´・ω・`)_且~~コーヒー イカガ?
七日の準決勝の野洲と、閉校瀬戸際?の多々良学園(山口)も見たが、これも大接戦であった。
シュート計33本を打ち合う攻め合いとなり、野洲が後半5分に楠神の右クロスを滝川が頭で決めて先制。
この1点を守り切った内容であった。この決勝でも技術を前面に押し出した野州のサッカーが、連覇を狙う鹿児島実の
チームプレーとの対決に勝って滋賀県勢初優勝を成し遂げた。「タイムアップの笛は、次の試合への新しい夢への笛である」
というが、高校のサッカーを見ているかぎり、この伝統が次々とつづくだろう。 
甲子園の高校野球も含めて、純粋な少年達の心が迫ってくるからよい!    ☆~~ヾ・ェ・)o尸~  ジャ〜 マタネ~♪


4683, スマート革命 ー4

2014年01月09日(木)

              
                       「ゼロから学ぶスマート革命」山崎秀夫 (著)
  * ミクシィ、グリーはもう・・全く目立ちません
 あれだけ騒がれていたミクシィ、グリーが、もう落ち目?とは、この本を読むまでは知らなかった。
半年ぐらい前に「LINE」なるものが若者中心に流行を始めたとニュースで見てメモに書き写したが、そのままだった。
今では中高生や女性には、「LINE」に人気が移動しているようだ。 ーその辺りから
《 既存SNSのミクシィ、そして既存SNS+ソーシャルゲームのグリーが没落を開始。ミクシィは2013年4−6月期が赤字と
 なっただけではなく、通期の赤字見通しを発表しています。グリーも海外拠点の閉鎖だけではなく、大阪オフィスの閉鎖、
200人のリストラを発表。その原因はパソコン+ブラウザー重視の時代から、スマート革命(スマートフォンなど+アプリ)
への対応が後手に回ったと言う指摘がもっぱら。 日経新聞などはグリーの3年天下などと書いています。
一方で各種の「メッセージ型対話アプリ」の台頭と言うソーシャルメディアの新旧交代が進む中、日本ではLINEが台頭し、
中国では微信、韓国はカカオトーク、米国ではインスタグラム、スナップチャット、ホワッツアップ、キックなどが台頭。
筆者は電車の中で時々女性のスマートフォンの使い方を観察していますが、多くの場合、まずパズドラを楽しみ、次にLINEに
移って高速で指を動かして入力し、それからフェースブックに移って眺めるだけ・・そしてLINEに移って高速で指を動かすと
言うパタンが典型です。ミクシィ、グリーはもう・・ 全く目立ちません「LINE型の対話アプリとスマートフォンゲームの
組み合わせ」が「ミクシィ、グリーの得意なパソコン(ガラケー)+ブラウザー時代の課金型ソーシャルゲーム」を滅す原因と
なるのでしょう。さてパソコンとブラウザーに基礎をおく既存SNS離れが始まっている中、フェースブックはどうでしょうか?
筆者も「ミクシィ、フェースブックが消える日―ソーシャルメディアの新旧交代」(仮題)の書籍を書いていて驚いたのですが、
国内のフェースブックとLINEの企業ファンの数の対比です。企業マーケティングで見る限り以下のような数字になっています。
調査時点と少し変わっているかもしれませんが・・・・
 ローソン  フェースブック(いいね数) 約48万人 LINE 約1050万人
 Au  フェースブック(いいね数) 約100万人 LINE 約1000万人
 ソフトバンク フェースブック(いいね数)約100万人 LINE 約1000万人  LINEが優位であり、1桁違いますね。
大手企業はマーケティング、広告投資をフェースブックでこれからも続けるでしょうか?
また初のインターネット選挙であった参院選挙の政党別のファン数を見てもLINEの優位は明らかです。
この状況は米国の企業マーケティングでは未だ始まっておらず、これからです。明らかに日本のLINEが先行しています。
米国で対話アプリが本格的に広告を含む企業マーケティングに乗りだしたらフェースブックの収益は足元を揺さぶられます。》
 ▼ 去年の暮れに「広島LINE殺人事件」で逮捕された少女と友人の会話で注目されたが、その内容はリアルそのもの。
  先日、一年ぶりに新潟のSEをしている知人にPCとネット環境の変化を電話で聞いたところ、「中高年がフェースブック、
 若者と女子どもはLINEへと流れは変わった」と教えてくれた。この背後にはスマートフォンとタブレットPCの変化がある。
 更にメガネ型PCなどの装着式PCが普及をすれば違ったネットワークが台頭するのだろう。それにしても動きは激しい!
 ・・・・・・
4316, 幸せはいつもちょっと先にある −4
2013年01月09日(水)
            「幸せはいつもちょっと先にあるー期待と妄想の心理学」ーダニエル・ギルバード著
   * お金の果てない追求は、なぜおこるのか? ー
 私たちは、極貧から中産階級に移動した時の喜びが、中産階級から上流階級に移動した時にも正比例すると思っている。
しかし実際は少しだけ上がるだけ?だが、あまり変わりはしないことに気づかない。ーまずは、その辺を書き出し考えてみる。
≪ ・・何かを売ろうとしたことがあるなら、あなたはできるだけ高く売ろうとし、相手はできるだけ安く買おうとしただろう・・ 
 売買の当事者はみんな、最後に残るお金が少ないより多いほうが幸せだと思いこんでいる。この思いこみが経済行動の根本原理だ。
だが、これを立証する科学的な事実は、あなたが思うほど多くない。経済学者や心理学者は、何十年にもわたって富と幸せの関係を
研究している。富が人間の幸せを強めるのは、赤貧から抜けだして中産階級になる場合だけで、それ以上はほとんど幸せを強めない
という説が一般的だ。アメリカ人の場合、年収五万ドルの人は年収一万ドルの人よりずっと幸せだが、年収五〇〇万ドルの人は
年収一〇万ドルの人よりずっと幸せというわけじゃない。貧しい国の人びとにくらべると、ある程度豊かな国の人びとはずっと
幸せだが、ある程度豊かな国の人々にくらべて、非常に豊かな国の人びとがずっと幸せかというとそうじゃない。経済学者は、
富に「限界効用逓減」があると説明するが、これは、空腹、寒さ、病気、疲労、恐怖の状態にあるのはつらいが、その苦しみから
抜けだしさえすれば、それ以上のお金は増えるだけで意味のない紙の山でしかない、ということを言っているにすぎない。
ならば、自分が使いきれるだけのお金を稼いだら、あとは仕事をやめて楽しむだけだ。でしょ? いいや、はずれ。
豊かな国の人びとは、たいてい、長時聞まじめに働いて、これ以上お金が増えても喜びを引きだ芸いという限界以上に稼ごうとする。
われわれはこの事実をもっと不思議がるべきだ。なにしろ、ゴールに安物チーズをおくだけで迷路を走り抜けるラットさえ、
いったん満腹になれば、最高級のチーズを使っても動こうとしないのだ。 我われ自身、パンケーキをたっぷり食べたら、
それ以上のパンケーキはもう食べがいがないため、調達や消費の努力をやめる。だが、お金については違うらしい。
近代経済学の父、アダムスミスが一七七六年に書いたように、食べ物への欲求は、人間の胃袋の容量が小さいせいで、どの人でも
かぎられている。しかし住宅、、衣服、馬車、家具などの便利品や装飾品への欲求は、何の限界も、はっきりした境界もないようだ。
食べ物もお金も、いったん十分になるとそれ以上の喜びを与えてくれなくなるなら、なぜわれわれは、食べ物を腹に詰め込むのを
やめるのに、ポケットには際限なく詰め込み続けるのだろう。それは金銭の多さに比例して満足が増えると思い込んでいるためだ。≫
 ▼ 世界も、日本も上流階級が存在している。金銭で表現すると、1〜2億以上の純資産が上の下、10〜20億クラスが上の中、
  最上が100億以上という。 それに見合って幸せかというと、そうでないようだ。純資産がゼロというと、常にお金の残高を
  意識する生活になるため、ある程度の収入と預金が必要である。だから、極貧から脱出した時の喜びは、大きくなる。
  では中流と上流との幸福感は、どうだろう? それほど変わらないようだ。しかし中流の上流に対する希求は思いのほか大きい。
  中流は欲しい物が買えないので少し不幸で、上流は何でも買えるので少し不幸ということ。でも、これだけは、多い方が良い。
  一万円と百万円を懐に持って一万円の買い物をするとき、気持ちが全く違う。心理学者のお金に対する切口は特別に面白い。
・・・・・
3941, 終わりなき危機 君はグローバリゼーションの真実を見たか ー1
2012年01月09日(月)
     「終わりなき危機 君はグローバリゼーションの真実を見たか」 水野和夫著 (評価 ★★★★★)
   * 9・11、9・15、3.11の意味するもの =「近代の敗北」の記念碑
 私にとって10年前の9・11、3年前の9・15、去年の3・11の三連打で呆気なく事業人生を終焉をした。
それぞれの震災が起こるたびに売り上げが翌日から右下がりになってしまう。その都度、政府が打ち出す政策などで何とか
持ちこたえてきた。 しかし最後の東北大震災で止(とどめ)めをさされてしまった。売り上げの推移は正直である。 
 最近、二つの経済震災と、原発事故をともなった東北大震災の三つは関連しているのでは?と考えた。 ところが先日、
図書館で借りてきた水野和男著の『君はグローバリゼーションの真実を見たか』の中に、私が知りたいことが、そのままあった。  
  ーここで書かれていることを大雑把にまとめるとー
≪ 500年前に、ヴァスコ・ダ・ガマとコロンブスによって海洋に進出し、近代化を始まった。これは、要するに、
「欧州における北アメリカの開発に伴う超長期のブーム」の出発と捉えることができる。それは「陸の時代」から「海の時代」の
転換を示唆していた。海の時代には、アメリカ、アジア、インド大陸などに侵略をしていた。それを欧米では近代化といっていた。
そして2008年のリーマン・ショックと、去年の3・11の原発事故で、その近代化の終焉を迎えた。 9・11は、
そのアメリカに対する、弱者からの反撃でもあった。本来1970年半ばで終わっていたアメリカの時代も、金との兌換の中止を
宣言したニクソンショックで終了したはずだった。その1974年に自動車や家電製品に使われる粗鋼消費量がピークを向えていた。
これが「地理的・物理的空間」の膨張の止まりであった。近代社会とは、膨張し成長し続けることを前提とした。≫   
  ー まず、そのへんの部分を抜粋してみる ー
【 9・11(米国同時多発テロ)、9・15(リーマン・ショック)、3.11(福島原発事故)を「真の危機」と認識し、
 その原因を考えないと、これらを上回る大きな危機が襲ってくる。 
  * 9・11ではテロリストによってジット旅客機がミサイルに、
  * 9・15ではサブプライムローンが略奪的貸付として、CDSが「金融版大量破壊兵器」として、
  * 3・11では原発が「放射能兵器」へ姿を変えて、弱者に牙をむいた。米国の多くの専門家は、今回の事故で「原発テロ」
への警戒心が強まったと口をそろえる。「9・11」と「3・11」の、悪魔のような合体だ。今回の福島第一原発箏故を受け
 巨大津波に備えて万全の対策をとっても、「原発テロ」は想定外だったということは許されない。 
  また、「100年に一度」の金融危機だったリーマン・ショックを量的金融緩和で封じ込めた後、米国の財政赤字を放置していたら、
 ドル危機につながらない保証はない。・・・ シユミットのいう世界史とは「陸と海のたたかい」であり、「大地のノモス」を
 めぐるたたかいであると捉えると、資本がアメリカのグローバリゼションに期待していることに象徴されているように、
 数十年後には取得すべき空白は地球上になくなる。だから、「世界史」が終わるのである。しかし、人類史が終わるわけではない。
 終わるのは「成長の時代」(近代)であり、シュミットのいう「世界史」である。ヨーロッパ史とは「膨張」の歴史であり、
 その延長線上にあって「爆発」した近代は、「成長がすべてを解決する時代」だったのである。 近代とは、技術進歩によって
 経済成長をするということを皆が信じて疑うことがなかった時代だが、9・15や3・15以後、成長しようとすればするほど、
 一方で貧しくなる世界がある。 近代の原理に忠実であろうとすればするほど、反近代を招来させることになった。
 「歴史における危機」が生じると、最も弱い地域や最も貧しい人々にしわ寄せが集中する。ある特定の人が利潤を極大化しようと
 「努力」すると、他の人はより貧しくなることが 頻繁に起るようになった。 】
▼ この3つの震災は、大きな時代の変わり目であり、アメリカの衰退の象徴になる。この3つが「近代の敗北」の道標として
 歴史に残る。我われは、その場面に現在進行で直面しているのである。この節目(カオス)が今後数十年、続くことになる。
  ・・・・・・・
3576, 閑話小題
2011年01月09日(日)
  * ある朝のこと
 最近、夜半に目をさますと、過去の小学校や中学校時代のある場所にタイムスリップするイメージを持つ。 
宇宙の漆黒に渦をまいて巻き込まれるイメージの中、そこに移動する。そこはまさに、その頃の場所に立ったよう。
そこから記憶の探索をする。あまり集中すると気分が悪くなるので、用心をする。そこから色いろな光景と記憶が戻ってくる。
半分覚醒し、半分は当時の世界に入ってしまう。これは、はまると面白い。通勤途中の新幹線の中でも可能だが、早朝の、
半覚醒でするとリアルになる。これは一種の瞑想だろう。いや、夢想か? 小説か映画の一本は書けそうだ。
小説家は、そこで脚色をしてストーリーを作るのだろう。振り返ると一年(時間)は短いが、実際は気が遠くなるほど長い。
  * 何だろう、最近の地球の自然美の映像は
「地球絶景の旅」とか、「絶景の空撮」とか、「ローマ街道空撮」とか、最近これまで見かけなかったような
ドキュメントの映像をしばしば見かける。撮影機器が格段と良くなっていることもあるが、息を飲むほど美しい。
書店や図書館で、大型書籍を通して見ていたが、これがテレビで多く見かけられるようになってきた。
ここで世界中に大型のハイビジョンTVが普及してきたことを見越し、番組をつくり始めたため。
この20数年にわたり地球の絶景・秘境に行ったのは、あの大自然の自然美と霊気に触れる為である。
しかしTVの画面を通しても、あの大自然の美しさが茶の間に現出し、向かい合えるのだから文明の力には驚かされる。
家内は、「実際に何度も、その出会いを経験しているから、感じるのであって、その感受性は他の人より敏感なだけ。
その経験が無ければ番組さえ見ようとしないし、見ても感受性が鈍いはず」という。しかし、あの霊気は感じて当然だろう。 
現に、地元の書店で、ギアナ高地のテーブルマウンテンの空撮の写真を見て、息を飲んでしまい、その二年後には、
その懐に入り、その霊気を充分吸ってきた。 スイスの山から大きな広い山あいの風景を見た時も、思わず息を飲んで、
やはり同じ光景に出会ってきた。 ケニアも、そうだ。高校の同級生がケニアで撮った野生動物と草原の写真を見て心をうたれ、
その後、アフリカの魅力に取り付かれた。 しかし、その感受性は、その積み重ねで研ぎ澄まされてきたこともある。
 この経験と、ネット社会の現出に出会えたことは、大きな財産になっている。
 ・・・・・・・・・
3201, デフレ時代の商売
2010年01月09日(土)
 * 自動車の100円レンタルだと!
毎日、驚くことばかりである。 「自動車の100円レンタルが出現」と、TVで紹介していた。
10分100円である。それでも二時間借りても1200円、普通のレンタル店の数分の一である。
要は短時間でも借りることも出来、手軽で、かつ安い、ということ。 何故、そんなに安くできるかというと、
「中古車販売店が、副業で、中古車を貸し出すので、事務所も机一つあれば開業できる」からである。
弁当屋が配達に使ったり、遠くのスーパーに主婦が使ったりする。
面白いのはベンツを5分100円で貸し出すのもあった。2時間ドライブをして2400円なら、高くはない。
 * 中古婦人服再生品
中古ファッション服の部分を切り取り、それらを組み合わせて加工し、個性的なデザインに変え、2〜3千円代で、
売る店がある。 個性的で値段が安いので若い女性に支持されている。 デザインセンスの良い人なら、
誰でも出来そうな商売である。 中古ショップや、格安ショップから買ったものを何種類か組み合わせ、縫い込めばよい。
(以下、字数の関係でカット11年01月09日)
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2836, アメリカが隠し続ける金融危機の真実 −1
 2009年01月09日(金)
「アメリカが隠し続ける金融危機の真実」: ベンジャミン・フルフォード著   ー読書日記
ーその概要をまとめてみたー
世界を揺るがし続けている金融危機の裏には、明かされていない支配者たちの思惑があった!
欧米には世界経済を動かしている一部のエリートの存在があり、彼らは石油産業、軍需産業、金融資本を掌握しており、
現在も米国、英国政府に大きな影響を及ぼしている。彼らは「新世界秩序」と呼ばれる新しい世界の形を目指している。
今回の金融危機は、軍産複合体と金融資本家の間の方針の違いが、原因である。
軍産複合体はイラク戦争の先にさらに大きな戦争を起こし、戦争景気によってウヤムヤにする戦略をとろうとした。
著者の独自に入手した情報は、軍産複合体の目指した戦争のタイムスケジュールは2012年に設定されていた。
・まずはイスラエルによるイランへの空爆をして中東に火種をつくり出した上に
・EU、ロシア、中国、を巻き込んだ第三次世界大戦にまでなだれ込もうというものだ。
(以下、字数の関係でカット11年01月09日)
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2008年01月09日(水)
2471, 中国一人っ子政策の現状は     ッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪
  NHKスペシャルで、この日曜日に放送した ー激流中国ー小皇帝の涙ー
 「超競争社会でリストラされた親が一人っ子にかける夢と重圧」には驚ろいた。ある小学5年のクラスの生徒の数人の姿を
映し出した内容だが、爆発寸前の親と子供の姿が痛々しい。「子供の成績がよく、より良い学校に進学できれば、自分達の人生は成功。
出来が悪ければ家のお荷物!」と子供の目の前で言いのける。子供は少しでも手抜きをすると、親は手を上げるなどプレッシャーを与える。
親は競争社会で落ちこぼれ、子供に夢をかけしかないから、自然厳しくなる。見ていると中国の一人っ子政策のプラスの面も見え隠れす
両親のエネルギーが子供の教育に集中することである。自分達の将来を一人の子供に託すのだから、自然に教育に真剣になる。
少なくとも、現在の日本の教育現場とは真剣度が違ってくる。これを見ていると、日本はアジアでも二等国家に突き進んでいるのが解る。
 ー以下はNHKのHPよりコピーした内容であるー 
「一人っ子」政策を実施してきた中国。以来、一人っ子家庭で、親が子を過保護に育てる、
いわゆる「小皇帝」問題が指摘されて久しい。こうした親の過剰な期待、教育ブームの過熱ぶりがおさまることはない。
(以下、字数の関係でカット11年01月09日)
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2007年01月09日(火)
2107, ウェブ人間論 −5   (~Q~;) おはよう〜〜 ファ〜
 *「ハビトゥス」という概念*
「ウェブ人間論」の中に印象的なところがあった。
 まずはその内容から
ーフランスの社会学者のピエール・ブリュデューが、「ハビトゥス」という概念を出している。
ある社会環境の中で、上流階級の人は、子供の時からオペラを何回みているか、もっと低いクラスの人たちはオペラを何回見たか、
動物園に何回行ったことがあるか、具体的な数字を調査すると、[階級]が再生産されていく、そういう環境にまつわるハビトゥス
(習慣)が大きいー  という箇所である。 そこで辞書で「ハビトゥス」を調べてみると
*人々の日常経験において蓄積されていくが、個人にそれと自覚されない知覚・思考・行為を生み出す性向。
  (以下、字数の関係でカット09年01月09日)
 


4682, スマート革命 ー3

2014年01月08日(水)

             
  * エッ 自動運転の車が近未来に販売?    「ゼロから学ぶスマート革命」山崎秀夫 (著)
 スマートカーの現時点の究極は自動運転。それが7〜8年以内に発売予定というニュースには驚いた。
以下は著者の内容だが、この本が発刊されたのが凡そ一年前。これほど早く自動運転の車が現実的なるとは、予測していない。 
如何に科学技術が進んでいるかの証である。それもあって何か、この内容がズレてさえいる。 ーその辺りを抜粋するー
   <ドラマ「ナイトライダー」の夢の実現>
1980年代に国内でもテレビ朝日が放映したドラマ「ナイトライダー」の夢がスマート革命により実現されようとしています。
人工知能の塊であるドリームカーの「キット」(あの開発用のキットを意味する)と運転手のマイケルとが楽しく会話しながら
事件を解決すると言った筋書きでドラマは進みます。 自動車がガソリンから電気自動車へと変化する端境期に当たって、
スマートカーにもWiFiネットワークの根と茎が生えて、各種のサービスをクラウドから持って来る時代になってます。
車のナビゲーションや娯楽は外部からサービスとして提供される。両手をハンドル操作に奪われた運転者は各種サービス操作を
音声で実施する時代が来ています。そうなればまるで車は人の友達のように感じられます。日本家電が須らく負け組みに陥る中、
センスの良いトヨタは「トヨタフレンド」のサービスをPHVなどのプリウス向けに開始しています。ドライバーが「プリ君」
(プリウス)に友達申請して会話をする訳です。「プリ君」は電池切れや最適な充電時間帯をドライバーに教えてくれます。
非常に残念なのは「プリ君」が話さない点ですが、早晩、「プリ君」には会話力が付加されるでしょう。
   <マウスやキーボード、ブラウザーが不要になる?>
 音声処理やジェスチャー処理、顔認識などの擬人化インターフェースの時代には、機器が人の友達として立ち現れます。
(昔、筆者もIBMのオフィスコンピューターを大型汎用機のハネウエル機に苦労して接続した事がありましたが、その時
IBMのS32はハネウエル機を仮想IBM360として認識していました。技術的に説明するとこうなります)
擬人化インターフェースの時代はナチュラルコンピューティングの時代とか「ソーシャルロボットの時代(人が機器を
人として認識する時代)」と呼ばれていますが、いよいよ機器が「現代のピノキオ」に変身する時代がまた一歩深まった。
そうなればマウスやキーボード、ブラウザー、タッチすら時代遅れです。
 ▼ Googleがメガネ式の情報端末のモニター向け販売を始めた。これが普及すると更に世の中が一変する。
  その意味で、今年は本格的装着式スマート機器の新機種が表立ってくる年になる。ワクワクする話だが、
  これが現実の流れになる。その上に、想像を遥かに超えた知恵を絞ったアプリが次つぎと出現、情報格差が
  更に大きくなってくる。こと情報端末に関して、未来予測は、不可能である。 まさかスマートカーが現実に?
・・・・・・
4315, 考える力
2013年01月08日(火)
 人生をふり返ると、数多の経験をしてきたが、その行蔵をみると大したことはない。毎日2〜3時間の読書を
50年近く続けてきた割に、あまりの無知と軽さに我ながら驚いている。 商家の家庭環境の中で教養としてのベースを
積む機会が少なかったということか。 現在もTVやシネマで映画をみたい放題の上に、タブレットでPCゲームを一日に
1時間は遊んでいる。 26歳からの事業人生、何時も時代を読み、計画を立て、実行、フィードバックをしていた。
ということは、それなりに考えてきたことになるが、この有様。点と点を結ぶ最短の方法をさぐるのが考えることだが。
読書で心を集中し、その意図を読みとり、判断に何か役立つアイデアを探す、それが考えることに繋がっていたはず。 
それがマンネリとなると、考えも甘くなる。 私の考える力がついたのは、この随想日記を書くようになってから。 
常に何かテーマを探し出し、小文として、起承転結にまとめる。そのこと自体、考える作業になる。
また、公開することで、書きざるを得ない、手抜きが出来ない状況をつくってしまうと、考えざるを得なくなる。
それを習慣にしてしまえば、年月が経つにつれ進歩していたはずだが、そうでないようだ。 この頃から、哲学書が
面白くなっていた。哲学は考えることを考えること。そのため、考えるほど、己の底の浅さに呆れている。
 ある哲学者によると、《人間の脳は‘先読みする装置’で、未来を作ることがもっとも重要な仕事》という。
でも、まさか9・11、9・15、3・11の一連の歴史的事件の先読みは出来なかった。これに匹敵する震災レベルの大波は、
これからも、次々と襲ってくる。それは、20世紀前半に起きた第一次、第二次世界大戦と、世界恐慌の一連のカオスより
遥かに大きいはず。 その中にあって、自分の脳に自信がなければ、他人の先読み装置を利用すればよい。が、確たる
ベースが無ければ、他人の先読み装置の利用など不可能。 情報化と、この厳しい環境は、考えるにベストである。
カオスの中では、考える力、知的筋力をつけることが最優先される。手持ちの経験と知識で、瀬戸際で考えるとは、
何と恐ろしく、面白いものと、割り切っていた方がよい。 考えるとは、生易しいものでない!
・・・・・・・
3940、新年にあたり ー4
2012年01月08日(日)
  * 御先祖・四四太郎様の警告  ー
 久々にシャバに出てきたので、もう少し講釈を垂れることにする。子孫に講釈は楽しいもの。前回の復習のようだが、
この津波は世界にとっても日本にとっても、お主たちにとっても一大事である。 これは80年前の1930年代の大恐慌と同じか、
それより遥かに大きいから始末が悪い。以前は世界戦争で一度精算をしてしまう方法があった。
しかし情報化社会では、その壮大な手品もネタバレ。だから成り行きに任せるしかない。ワシが生きていた16世紀あたりから
白人が世界を征服を始めて以来、5百年にわたり支配をしてきた世界構造が現在、崩壊を始めたのだ。日本では私が亡くなった後、
300年も徳川幕府が日本を支配し、鎖国をしてきた。その鎖国を強引に開国させたのがアメリカである。その後、日本は日清、
日露戦争で勝って調子づいたが、アメリカと太平洋戦争を始めて完敗、その後66年も間接占領をされてきた。そのアメリカが、
経済恐慌の火種を世界にバラ撒いたのは周知のことである。 ここで急激に勢いを増してきた中国と、太平洋を挟んで、
覇権を争う図式になってきた。その中で日本が両者の圧力で、ますます体力を失うことが必定じゃ。この間に日本の第二次大戦の
復讐を恐れたアメリカに骨の随まで骨抜きにされてしまい、元の日本に戻ることは不可能に近い。まあ、お前さんも66歳、
今さらだが・・ せいぜいパソコンなどIT機器をフルに使って、世界を知ることだ。その点では、この情報化時代は羨ましい。
 ネットとTVをフルに活用して、この地球と人類が創りあげた文化・文明を深く知ることだ。しかし、この情報空間は実に恐ろしい
仕掛けが隠されているのを知っているのだろうか。 娑婆の道理より、ネット社会の情報の道理の方が優位に立ってしまうことだ。
これは、最優位のものが、情報により総取りが可能になるからだ。一番以外は、全てが敗者になってしまう世界になるのである。
これが中間の存在を許さなくなるから、ことは重大になる。商品も人間の階層も同じ原理になるのだ。 それを知り尽くしている
グループが実際に存在していて、情報操作をし、間接的支配を始めているのだ。彼らは情報操作で、世界をどうとでも動かせる。
まあ、この辺で話は止めておくが・・
 娑婆は御前さんの想像を絶した思惑で動いている。まずは、それを察知するしかない。これは自分の地頭で考えるしかない。
要は、それぞれが知っている世界はごく僅かで、それも殆ど好い加減ということを、いま一度じっくりと考えることじゃ。
度々、娑婆に顔を出すたびに思うのは、マスコミとかいう新聞やTVでみる評論社会のバッシングじゃ。 何だ、あれは。
 言葉狩りとかいうらしいが、目立つ人に対するバッシング、ここまでくると、病気としか思えない。
あれを、ゴミ集団化したマスゴミというらしいが・・ もう一度言う、この数年は天地が引っ繰り返るほど激しくなる。 チロリ!
・・・・・・・
3575, 閑話小題
2011年01月08日(土)
   * 帰省中の次男の話
 外資系に勤めて10年になる帰省中の次男に聞いてみた。「中国人は多いのか?」これに対し「普通の存在のように居るよ」である。
 中国人が日本の外資系に勤めるのだから信じられない位に優秀だろうが、 そこまでは聞かなかった。 彼らは一人っ子政策の中で、
 家族を背負っているから覚悟が違う。 その彼らと働くのだから大変だろう。 土曜、祭日は出勤で、週一しか休暇が取れないとか。
 平日の帰宅は22時過ぎで、常に睡眠不足とか。顔はゲッソリ、三十歳前半は誰もそうだろうが。
   * バーチャル・ビュー
  BS・TVで、最近みたのがズバリ「バーチャル・ビュー」という番組。
 その場に、あたかもいるような目線で海岸や、街中を軽快な音楽をバックグランドにして映し出している。
 何処かのリゾート地のビーチで自分が横たわったり、また泳いでいるように画面が構成されている。
 特に自分が行った先は更にリアル感が強くなる。 そういえば、以前から「世界街歩き」という番組がある。
 自分があたかも旅先で歩いているような目線で、店に入ったり、人に声をかけたり、家に入れてもらったりする。
  地デジの切り替えで、各家庭のテレビを大型液晶にかえた為か、テレビ番組も、それに従い変わってきた。
 受信機だけでなく、撮影機材も格段と良くなり、映し出される映像と内容が飛躍的にスケールアップをしている。
 これまでBS/TVで放送していた内容のものが、地デジの方に移行を始めている。それにともない、BS放送の内容も、
 バーチャルビューのように、居間の空気を和ませるような内容が出てきた。その一つがバーチャルビューということになる。
 これは録画をして、早朝に聞くにベストである。 そして現在、映像入りBGMで、これを書いている。
   * つれづれに
  4日の15時半発の帰省列車の東京方面に乗ったが、殆どが若い親子連れ。中高年の姿はほぼ見当たらない。
 (字数制限のためカット、2,011年01月8日)
  ・・・・・・・・
3200, 年末・年始の「どうなる日本」の新聞論評は?
2010年01月08日(金)
 正月の5大新聞の年末年始の社会、経済など「どうなる日本」の解説や、対談を目を通してみた。
石原慎太郎の「日本よ」の辛口の論ぐらいが、納得したぐらいで、あとは殆んど見当たらなかった。
あまりに悪いから、マイナス論調のことを書けないのだろう。 当たり前のことだが、
・現状は恐慌そのものであり、既に二番底にむかっている
・デフレ危機の瀬戸際。 デフレ・スパイラルは5,6月辺りが危ない
・アメリカから中国、インドなどに選手交代
・電気自動車などの新しい分野への転換期    等等が、問題と指摘していた。 
株価、為替は大きく揺れるのは必至である。私の商売の動きからすると、デフレ・スパイラルに去年11月から始ったと思われる。
社会的問題の、ホームレスや、失業の問題には、どの新聞も避けていた。新聞では取上げないが、リーマンショック以来16ヶ月も、
輸出入がマイナス40パーセントを続けてている。輸出主導の経済のこの国では、この有り様では景気回復など考えられない。
藤井財務相が辞めたが、この国家予算と800兆の国債総額では、予算委員会の答弁は無理。 なるほど百年に一度の恐慌とは、
こういうものか!と実感する。恐慌が二年目に入り、そのウネリがより大きく覆ってきている。情報化、グローバル化は、
世界を平準化する。その中でアメリカの従属国家として平和を謳歌し、豊かさを享受してきた日本も、世界の普通の国家並みになる
プロセスの入ったということ。 今年は政界再編成を含め、大波が次から次へと襲ってくる。 憂鬱な10年に入ったが、
割り切って身を委ねるしかないのか? 高度成長期を味わったので、その段差の溝があまりに大きく感じる。 
21世紀になって10年、その一端を経験しているが、成るほど断絶の世界である。更に、ここにきて電気自動車と、ツイッターである。
・・・・・・・・
2835,夢の中に集中しすぎて、無呼吸に 
2009年01月08日(木)
 去年の暮れになるが、危ない夢をみた。何かの夢をみている中で、空の上から下をみると砂粒位の人が数人が見える。
それを神経を集中して見ようとしたあまり、夢の中の世界に集中しすぎて、生きている生身の本体が呼吸が出来なくなったのである。 
ハッとして夢から覚めたが、何分か息をしてなかったようだ。必死に呼吸をして体に空気を入れるが、何ともいえない気分の悪さに
見舞われる。その時、「死ぬ時の感じがこんなものか? 友人はこんな気分で死んだのか!?」という死の恐怖感に襲われる。
そして数分の間、深呼吸をした後に目をつむると、その画面が再び自動的に現れ、そこに集中してしまう。 その繰り返しである。
そして呼吸が出来なくなる。よほど、集中したのであろう。 恐ろしくて目をつぶれないのである。30分ほど寝室の暗闇の中で
目を見開いていたが、恐ろしい不気味な時間であった。 無呼吸症候群ではないのだろうが、高齢現象なのだろうか。書いていて
思い出したが、子供の頃、父がイビキをかいていて急に呼吸が数分止まることがあった。再び呼吸をしないのではと、
耳を済ませたことがあった。 
(字数制限のためカット、2,011年01月8日)
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2008年01月08日(火)
2470, アメリカをWeb世界に類推する                   
  「ウェブ時代をゆく」−4  読書日記
 現在のWeb世界の現状を、人工国家アメリカの建国と同じ位置づけをして考えているところが面白い。 
また、否定的にみる傾向の強いアメリカをプラスの面から照射しているのも新鮮である。弱肉強食とはいえ、
強者であればチャンスが開かれているのもWeb世界と同じである。
これから考えると、Web社会は弱肉強食を強める可能性もある。逆に弱者でも、最低の保障も与えられる?が
 ーその一部を抜粋してみるー 
「もしこの地球上にアメリカという人工国家がなければ、私たち他の一角にすむ者も息ぐるしいのではないでしょうか」
  (字数の関係でカット09年08日)
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2007年01月08日(月)
2106, それがどうした!それでどうした!
     b(^o^)dおっ W(^O^)Wはー♪よう♭さん♯
「それがどうした!」 究極の開き直りの言葉である。そして「それでどうする」が、ギリギリのところで思考から
手順への転換点への切り替えの最後の言葉となる。「エ・アロール それがどうしたの」は渡辺淳一による小説作品に
なっている。フランスのミッテラン元大統領が、女性問題について質問した記者に対し、応えた言葉「それがどうした」
もコミック的である。人は他人の誹謗とか中傷に弱く、常に不安感に悩まされる動物である。
この中傷・誹謗や不安感のために人生の一番大事なチャンスを逃してしまう。その時の悩みに対して、「それがどうした!」
「それでどうした!」と開き直ってみると、ほとんどは何ということもない。 そうでもないか?まあ、話を逸らさないために、
そういうことにしておく。「それがどうした!」と開き直ったとき、その対象を考え始める基点とするか、思考停止にするか
大きな分かれ目になる。その対象の問題の本質の「正一点中心無」に向かって開き直って掘り下げていくか、中断するかの分岐になる。
掘り下げると、殆んど「そんなもの、何とことない!」に行き着く。関西で「何ぼのもんじゃい」という言葉もあるが・・・
事業を一つ立ち上げる時、常にこの言葉と向き合うことになる。
「それでどうした!」そして、「それが何だ?」「それでどうする?」とつづき、「それしかできないのだから、しかたない!」
となり、そしてあとは「なるようにしかならない」となる。 その繰り返しの中から手順をみつけていく。
(字数制限のためカット、2,010年01月8日)
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2006年01月08日(日)
 1741, 教養とは −1
「教養の意味」を検索で調べてみた。   (/´Д`)/Hei !!!!! ¬_¬)  sonnnamon 今日用がない monn!
・高く評価される人間性の背景となると想定される知識・経験。   勉強勉強!!((φ(◎ロ◎;)φ)))ウラウラウラー!!
・(一般には)一人前の人間が当然持っているべきと考えられる一定レベルの知識や 常識を持っていることは当然として、
  古典文学や芸術などに対する幅広い知識を備えており、かつ、それらの知識が品位や人格およびものごとに対する
  理解力・創造力に結びついている状態を指す。       
 ーギリシア語ではパイディアであり、意味は「子どもが教育係に指導されて身についたもの」のこと。
 ー英語ではcultureで「粗野な状態から耕された、人の手を経たもの」、
 ードイツ語ではBildungであって「つくられたもの」のこと。それぞれに教養の捉え方に対する文化的な温度差がある。
  学問や芸術および精神修養などの文化的活動のことを指す。
  伝統的に西欧の大学で扱われていたリベラル・アーツに相当するものとしても捉えられる。         
  大学の専門課程以前に身に着けておくべき幅広い知識。
  社交界や人付き合いの場面において、洗練された会話や身のこなしができる能力。乂(^^ )ノ (ノ^^)八(^^ )ノ
   ー以上が検索で調べた内容である。
 私が理解していたのは「教養=過去に蓄積された知識・経験で全て忘れた後でも残っている素養」という言葉である。
「高い人間性の背景になる知識・経験」というのが解りやすい。私など無教養を自認しているのは
「高い人間性とは、程遠い生き方をしてきた」からだ。 ( ゚д゚)ンマッ! 何故必死に本を読むかというと、
「せっかく人間として生まれたなら、可能な限り人類が蓄積してきた文化を知りたい」からである。
「教養は愛の別名」というのがある。 愛[*´ω`人´ω`*]愛
「既存の学問分野を縦断しながら、人生への愛を学ぶのが教養」というとなお納得できる。 
  豊かな人間性の背景になる経験・知識というのが一般的な意味である。  ~~匸Pヽ(・ω・`)コーヒーデモノモウ…  つづく
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2005年01月08日(土)
 1376, 日常最上
書店で「日常最上」という言葉に目が吸い寄せられた。日常の何げない生活の中にこそ、実は最上の時間である
という意味である。それに気がつくのに、何年かかったことか。この随想日記に「22・23歳の日記」を書き写してきたが、
三十数年ぶりに読み返してみると、当時の「日常の何げない些細な友人との会話や議論、そして感情の起伏や感動全て」
が光り輝いていたことに初めて気づく。現在でも日常の些細なことが全てが実は最上ということに気がつけば、
毎日が充実した生活を過ごせるのである。あの35年前に、そのことに気がついてはいなかった。
それを今にあてはめて考えてみればよい。逆に言えば、日常にドップリつかってる俗世間を否定するのではなく、
その俗世間そのものを味あうことがも必要である。以前読んだ本で、印象的な内容があった。
「神様に過去の、ある一日に戻してあげる」と言われた人が、昔のある日に戻ったという。
(字数制限のためカット 2014年01月08日)


4681,閑話小題 ー何だろう?この現象は ー3 

2014年01月07日(火)

  
   * この現象から考えさせられたこと
 ふと気づいた仮説、静かに激怒した相手が、事故とか病気になっているケースが多いことから、これはユングの
「意味ある偶然の一致」ではないかと思い立った。その数週間前にシネマで『キャリー』という映画も見ていた事もある。
静かに激怒した相手が、事故とか病気になっているとすると、過去のトラブルで多くの人が、事故や病気になっているはず?
 か?というと、そうでない! また、逆の立場のトラブルの相手が、静かな怒りのエネルギーを私に向けているので、私は、
今頃、とうの昔に死の病か、事故で亡くなっているはず。事業の立ち上げを幾つか経験してくれば、その分、軋轢がある。
それを避けての創業など無理。 この仮説から演繹法と帰納法が具体的ケースとみると解りやすい。演繹法は、まず仮説を立て、
その証明の要素を集める。帰納法は、節目時に因縁のあった人との軋轢で激怒した相手が、その直後から3〜4年以内に事故か
病気が生じる現象。そこから、これユングのシンクロニシティでは?と行き着く。 これを書いていて、「バカくさ!」と
思える部分と、「偶然にしては出来すぎ!」が交互して結論は出ないが、両方とも否定ができないところがある。
 現に、自分が、ここに、生きていること自体が偶然の積み重ねの結果。 大気圏を持った惑星が、宇宙に存在すること自体が
奇跡。さらに生物が存在し、知識を持ったサルが、ここに存在いていること自体、奇跡も奇跡。 このテーマ自体が無知蒙昧
丸出しの仮説である。自分に都合の良い要素を集めて、勝手に、さも不思議そうに思い込んでいるだけ。それも、一時的にしろ、
私自身が信じていたのだから。 人間は自分の言葉を持ち、物語をつくって生きていく動物。その思いを書き出すことで、
如何に好い加減な考えで日常を過ごしている己に気づかされる。それでも一応、経験も知識も、積み上げてきて、これ??
 ここで、気づいたことは、静かな怒りの相手を改めて見つめると、怒りだけでなく、むしろ感謝する対象である。
怒りと感謝が相まっていることに気づかされる。夫婦の関係と同じである。だから、犬も喰わない。まあ、未熟ということ!
以前から怒りなどマイナーの念に囚われた枠外に出る鍵として、10回、目をつぶり「ありがとう」の言葉を繰り返していた。
そうすると、そこから一歩、外に出ることが出来る。 感謝を間違いなく、互いに忘れている。
この人生の節目の意味を考えると・・ ひたすら、ひたすら祈るしかない!』
 /   _ノ  \
 |   ( ●)(●) < おっと、それ以上は言うなよ… ったく! >
. |     (__人__)____
  |     ` ⌒/ ─' 'ー\     
  |       /( ○)  (○)\    
.  ヽ     /  ⌒(n_人__)⌒ \    
   ヽ   |、    (  ヨ)Ωチーンi~   
   /    `ー─−  厂   /     
   |   、 _   __,,/     \   
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4314, 閑話小題  ー若者たちの悲哀
2013年01月07日(月)
   * 若者たちの悲哀
 現在、日本の若者の36%が離婚しているという。アメリカでは50%、ベルギーにいたっては70%というから、驚き。
元もと結婚しない人25%を加えると、一生涯を通して一人の相手と添え遂げる人は半分以下になる。この不況下では、
私たち世代の生活レベルに比べ遥かに劣り、現代の中枢をなす人たちの生活形態そのものが変化している。
姉兄6人の甥姪が息子二人を含め12名いるが、独身者が4人いる。これが身近な実態である。離婚率は、この10年、
同じ曲線で上がり続けているので、5割も遅くない将来に到達する。少子高齢化に加え、非婚、離婚の異常な増加は
日本的家族制度を解体しつつある。それは日本という国の基礎を揺るがすことになる。
  * 現代の進学事情
 隣の韓国の大学進学率は、OECD加盟国の中でも高い水準にあるが、最近少しずつ低下している。2008年に84%で
頂点に達した進学率はそれ以降下がり続け、2010年には79%まで低下しているが、まだOECD加盟国の平均(2008年、57%)を
大きく上回っている 。では、日本はどうか。2010年における日本の進学率は57%で韓国を大きく下回っているが、詳細を見ると、
韓国とほぼ変わらないことが分かる。日本の進学率57%は大学や短大への進学率だけで、ここに専門学校等を含めた
高等教育機関への進学率23%をプラスすると日本の進学率は80%。これは韓国の進学率79.0%を上回る数値。 
韓国には日本の専門学校のような教育機関が少なく、専門学校の代わりに短大に進学している学生が多い。
OECD加盟国の平均は57%というから、こんなもの。高卒就職者が二割とは時代が変わったもの。私の時代は八割だった。
右上がりと右下がりの時代では様相が激変するのは当然としても、ここまで変化するとは! そして、右下がりは更に続く。
・・・・・・
3939, iPad その後
2012年01月07日(土)
 現在でもiPadに驚きの毎日である。というより、ネット、ブログ、アプリ、パソコンを組み合わせたタブレットPCの
威力に驚き!というのが正しい。 PC世代が当り前に使っていたパソコン機能を更に進化させ、我われ世代が気楽に使えるよう
タブレット式PCで可能にさせてくれたのである。こんなアプリもある、こんなゲームも出来ると、水を得た魚のような気持ちに
させてくれている。 起動から数秒で使えることと、何処でも使えることが特に良い。 先日、ネット上のアップル・ショップで、
「Fotopedia国立公園」という北アメリカの国立公園の写真集を85円で購入した。 さっそく開いてみると、2000枚の、
素晴らしい写真が次々と出てくる。何で、これが85円と不思議だった。 が、直ぐに電子本を手元のパソコンに
ダウンロードしたのではなく、ネット上の書籍にアクセスをして見るシステムだった。 ネット辞書のウィキペディアをネットを
有料でみるようなもの。 ネット環境さえあれば、パソコンに全てをダウンロードなどする必要はない。
 もう一つビューンというのもある。月に450円を払うと、数十種類の週刊誌、月刊誌を読むことが可能になる。
更に数種類の週刊誌の数ヶ月分がダウンロードが出来、それはネット環境下でなくとも読むことが出来る。
他にも版権の切れた文庫本などの小説集を80円で購入したが、これはダウンロードをし、ネット環境外で見ることが可能。
したがって少しの時間でも退屈する事はない。 私のような暇人にとって、理想的IT端末といえる。
購入前に、iPadにするか、ドコモの携帯電話機能のついた7インチのタブレットか迷ったが、ドコモはネット環境下でなくとも
見れる利点がある。何を選択するかである。 去年はスマートフォンが爆発的ブームになったが、今年はタブレット式パソコンだろう。 
 TVにしろ、パソコンにしろ、スマートフォンにしろ、これだけ膨大の情報が隅々まで流れ出ると、既存ののシステムは対応
できなくなって当然。 これが、この大混迷の原因になっている。 誰もが数年前の自分が他人(馬鹿)に思える時代が面白い!
・・・・・・・
3574, 10分ルールと、30、60、90秒ルール ー1
2011年01月07日(金)
時間ルールに、「10分ルール」「90分ルール」、そして30、60、90秒ルールがある。
 * まず、「10分ルール」と「90分ルール」から
 ー10分ルールー
 10分ルールは、理性的に配慮して安全な状態なら、10分じっと耐えるとその環境や行動に脳が順応することをいう。
弱点だと思い込んでいた性質が、この10分ルールで変えることも可能になる。 最近、テレビのバラエティーでよくあるのは、
最初の10分間に一番面白そうな情報を流して引きとめてから、オープニングが始る場面に多く行き当たる。 
これは10分間、視聴者に予告を含め馴染ませてしまえば、チャネルを変えないという「10分ルール」を利用したもの。
 このルールを知っているといないのとでは大きな違いが出る。既に亡くなったが、ある知人に「とにかく一晩寝てから、
怒りなさい!一晩で、怒りの大部分は消えてしまう。」と諭されたことを思い出した。これは半日だが。
これは突発的なことに直面した時に、まず90秒、そして10分間、ジッと耐えることをルールと捉えた法則。
 これまで決断するまでに、計画が固まった後に時間をおき、判断し、その後に決断をする。それは計画段階のことだが、
目先の思いもよらない事態に出くわした時に、90秒ルールと、10分ルールを知っていると良い。考えて見ればヤクザの脅しは、
逆の立場で、その辺の人間の弱みを知っていて、即効がが勝負と知っていて脅しをかけてくる。だから、ある時間耐えれば良い。
 次は、ー90分ルールー
 映画は、人間の生理的なサイクルが90分ということを知っており、大よそ90分であった。最近は120分を越えるものが多いが、
90分を過ぎると実際に嫌になるが、その辺から飽きさせないようストーリーが組み立ててある。テレビの特集なども90分もの。
人間の身体は一日24時間のサイクルに合わせて出来ている。その中に、90分のサイクルがある。分かりやすいのが睡眠で、
90分周期で浅い眠りがくる。それが一晩に4〜5回繰り返している。大学の授業時間も、会議も90分が通り相場。 
 休日など終日、読書をする時は、90分で休憩を入れ、違った分野の本に切り替えると良い。
  ・・・・・・・・・
3199, 閑話小題
2010年01月07日(木)
  * 善は悪より生まれた!
 誰が言ったか忘れたが、「善は、悪より生まれた」が、妙に気になった。「悪は、善より生まれた」なら、合点がいく。 
キリスト教倫理からすれば、イエスの教えが善なら、悪は、それに反する思いや行いになる。 人間が社会を形成する時に、
一つの規範が必要になる。国家創りにまずは憲法、そして法律、それを守らせる内の警察という暴力装置、そして外に対しては軍隊。 
それを、統治する象徴としての日本なら天皇、欧米なら大統領の存在である。 孔子の教えは、一つの指標を作り上げて、
民を内側からコントロールする教えである。古代中国から現在に至るまで、その教えは非常に有効に働いた。
 それらの法律や規範を守ることを善というなら、それに反することを悪という。 ということは、それができる前は、
(その規範の視点で振り返るから)悪がまかり通っていたことになる。 で、「善は悪より生まれた」ということになる。
しかしキリスト教倫理からみると、『どうして聖なる神から悪魔が生まれたのか。』という疑問が生じる。
 女性の哲学者『シモーヌ・ヴェイユ』は
『善は、悪からは生じない。 ところが悪はある意味で善によって生じる。 悪は神とわれわれの間にある。
愛は、そのうえを通過せねばならない。』 彼女は悪を二元論的に見ないで神様と自分との間を裂くものとみた。
神様の愛の力を説き、愛こそが悪を征する力であると。 これは、キリスト教倫理的な見方でしかない。
悪党ほど善の価値を知っているのだろうか。悪も善も知り尽くした善、一回転、数回転した上で善という捉えかたもできる。
親鸞の悪人の方が極楽浄土に行くのは当然(悪人正機説)という考え方に近くなる。
 * 呉服の衰退
TVのレポートで、呉服チェーン店の「さが美」が、ポリエステルだが一万円の和服セットを紹介していた。
普通、呉服のセットは30万というから、30分の1である。 若い人が呉服を着なくなり、不景気も重なり、
5年間で呉服の売り上げが業界全体で半分に減ったという。 何処も同じである。
「さが美」は高度成長期より呉服のチェーン店として飛ぶ鳥落とす勢いで急成長し、現在300店舗あるが、
必需品以外は、こんなものだろう。 先日、静岡のトヨタ関連の部品メーカー関連の仕事をしている友人に
景気状況を電話で聞いたところ、「エコカー補助金のお陰で何とか息をついているが、二輪車を扱っている
「ヤマハ」の関連企業は、回復の兆しはない」と言っていた。オートバイは、呉服と同じで嗜好品?だからである。
・・・・・・・
2834, 不況の景色 −6
 2009年01月07日(水)
  *ウェッジウッドが倒産
ウェッジウッドが倒産した。ウェッジウッドといえば、英国王室御用達の「女王の陶器」として人気を集めていた。
ところが中国製などの安価な製品に押されて低迷、さらに金融危機を契機とする世界的な景気後退で売り上げが低迷。
そして一昨日に倒産のニュースが世界に駆け巡った。 グローバル化のウネリに押し流されたのだろう。
12月初旬のイングランド・ツアーで、本社に立ち寄って何点かのコーヒーカップを買ってきたばかりだった。
本社は近代的な建物で、多くの製品が展示されていた。まさか一ヶ月もしないうちに倒産など考えられなかった。
従業員が世界各国に8000人、負債総額が500億という。
  *トヨタ系の孫会社の友人に電話をしてみた
 学生時代の静岡の友人が実家のトヨタ系の部品メーカーを経営しており、そのサービス部門の子会社を任されている。
 家内と供に、一昨年の夏に静岡まで遊びに行って親交を暖めてきたことがある。その前年、私のところに遊びに来た。
 そこで自動車業界の不況がどうなっているか電話をしてみた。 緊張が解けたのだろう、一挙に実情を教えてくれた。
・9,10,11月は緩やかなダウンだったが、12月に入って一挙に三割ダウン。
 2年〜3年かけてダウンしたのではない、一月でダウンは呆然自失だったという。
・本体の550人の従業員のうち150人近くの季節工、アルバイトの契約解除をし、現在は正社員のみ。 
・夜間作業を全てカット、残業は一切中止、今月は二日間の工場閉鎖するが、それは国からの休業補償が出るという。
・レクサスやクラウンなどの高級車が売れなくなったようだ。
・トヨタは世界一位を目標に、この数年間は1000万台突破という拡大路線をとってきたが、リーマンブラザーの
 倒産以来の円安と、大型車の急激な売り上げ減、そしてアメリカ市場の冷え込みは、彼等の想像を遥かに超えた事態。
 (字数の関係で中間カット  11年01月07日)
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2008年01月07日(月)
2469, 四四太郎の霊日記 −17         (σ・з・)σオハYO!!
さてと、今日は七日正月だが、ワシにとって今年初めて元旦以来のお出ましである。
毎回同じことの繰り返しだが、それでも良いじゃないかい。 一度この宇宙の外に出てしまうと、宇宙そのものが、
鬱陶しい反面、この生々しい地球の大気圏の味が何とも懐かしく、居るだけで嬉しくなる。このように娑婆で話せるなど
我われからみたら有りあえないこと。有難いことじゃ! 言葉の中にしか生きれない我われは、言魂として永遠に生きている。
だから生き延びてきた古典などの本を生きているうちに読み、あらゆる経験をしてみて、その中で言葉を発し、
そして書き残すことじゃ。それ以外にないだろう! そこに御主の言葉が発生し、言霊として永遠に残るのじゃ。
その点、ブログとオープンソース化は霊界に近い働きを出し始めているじゃないか。あれは使い方次第で大きな人類の武器になる。 
世界中の魂同士が直結するということじゃ。だから以前つくったワシ専用のブログは意味があったのじゃ。 
まあ、気が向いたら、独立させれば良い。 ブログとして続けていると、信じられない展開になっていくじゃろう。
ところで御主自身の生き方も、ここで根本的に変えなくてはならない時期に来ている。そのことに気がついていないのではないか? 
御主は。 考えてみろよ!現在の世界の事態の激変を。 これは、もともと起きていたことで、今年から現象として色いろのカタチで
大雪崩として轟音を立てて変わっていく。特に日米欧の世界が激しく動くだろう。そして、中国とロシアとインドへ覇権は移動を
始める基点の年になる。まあ、世界は動乱に近くなること必定じゃ。それまでの段差が一挙に崩れて現実化することでしかないが・・
ところで、ダ・ジーダとの対話と、知恵の租借をあまりしてないようだな。割り切ることじゃ! 割り切って話をすることがコツだ。
割り切って話をする?とはな、適切な問いかけすることだ。その問いかけに対して、御主の知恵を遥かに超えた答えを持っている。
問いかけ自体を何度も突き返すはずだ、そこから御主の問いの甘さを指摘して、その問題を見つめ直させるのじゃ。
問題は、実は御主の問いの好い加減さから出ている。何かの哲学書にあったろう、対自、対他、即自という言葉。
ダ・ジーダは、その対自分に対する、対他人に対する、そしてそれをしている即・自分をコントロールする役割をする。
その意味で、この霊を御主の中で大事にすることは、自分を見つめ、コントロールするのに丁度良い存在になるはずだ。  
  またな!                    (*´∀`)」バイ!
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2007年01月07日(日)
2105, ウェブ人間論 −4    (~Q~;) おはよう〜〜 ファ〜
ネットがますます重要な位置を占めてくるとき、その中での実名か匿名か、どちらを選ぶか大きな問題になる。
匿名の場合は無責任な事も書けるが、実名は書いたことは実際に話していることと同じことになり、
当然リアル世界に直接跳ね返ってくる。 このHPを書いていて時々面白い現象にであうことがある。 
自分が忘れていた事を相手が憶えていて、読んでいる人のほうが自分のある一面だがよく知っていることがある。
これだけの量を書いていると何を書いたか、自分でも忘れてしまう。自分の体臭に気づかないのと同じで、
悪臭は敏感に感じ取られてしまう。このHPは、自分のネット上の分身であると同時に、本心そのままである。
 (字数の関係で中間カット  10年01月07日)
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 2006年01月07日(土)
1740, アウグスツヌスとローマ帝国       (σ・з・)σオハYO!!
  先日のNHKハイビジョン特集 「ローマ皇帝の歩いた道」が面白い。
   ー内容の概略といえば、
  海を制したローマ帝国の初代皇帝アウグストゥスが築いた地中海の交易ルート「海の道」を紹介。イタリアやギリシア、
  チュニジア、スペインなど地中海沿岸のローマ遺跡を日本の考古学者がガイドしながら旅する内容であった。
  ・エジプトを破り地中海の覇者となった海戦の舞台、ギリシアのアクティウム。 
  ・皇帝ゆかりの街、スペインのメリダ。(*^ー^)/C□~~コーヒーいかが?      
  ・はるか北アフリカのチュニジアにそびえ立つ巨大な円形闘技場と水道橋。       
  ・帝国内の圧倒的な遺跡群と新発見に沸く発掘現場、そして今なおローマ帝国の遺産と共に暮らす
   人々とのふれあいを通じ、多民族を束ね上げ、地中海に君臨したローマ帝国繁栄の秘密に迫っていた。
   去年北イタリアに行ってきたことも含め、ローマ帝国に対して関心がわいてきた時期なので、丁度良いタイミング。
 ーその中で印象の強い順に印象に残った内容を書いてみる。
  1、アウグスツヌス皇帝が、スペインのメリダの円形闘技場で思いたった
  「円形闘技場の座席を差別化して、階級制度をビジュアルに見せる仕掛けを考えた。
   大まかに身分ごとに三段階に席を分けて、娯楽の中で差別意識を埋め込んむシステム」
   が面白い!どこの都市にも円形劇場という娯楽を与えて、その中で、無意識の中に階級制度を埋め込んだ。 
  2、自由民といわれる最下層でも、25年の兵役を果たせば一般市民に格上げされるシステムもよい。
   自由民は自ら望んで兵役に従うシステムである。?(‘0‘@)スゲ〜!     
  3、地中海を内海としての戦略ポイントにおき、それを中心に帝国を創りあげた。
  


4680, 偶然からチャンスを見つけだす能力

2014年01月06日(月)

         ー偶然からモノを見つけだす能力―「セレンディピティ」の活かし方 ー沢泉 重一 (著)  
   * 人生は偶然を織りこむ絨毯づくり!  
 人生を振返ると、出会った人、出会った出来事が果たして偶然だったか、必然だったのか、考えさせられる。
偶然に機会を見出すためには、目指す夢と目的が必要になる。そこに機会を見出すには素養と準備が前提だから。
その偶然からチャンスを見出す能力「セレンディピティ」は、イスラムの寓話「セレンディップの三人の王子」が語源。
ドラゴンを退治する巻物を探すため、自慢の王子が送り出される旅の途中で、多くの危険と苦労を味わうが、そのつど
判断力を働かせ、それぞれ理想的な姫と知りあい、幸せに暮らしたという神話の原型が、そこにみてとれる。
英和辞典には「当てにしなかったものを偶然うまく発見する才能」とある。  ー内容紹介とレビューからー
【 偶然のチャンスをいかに生かすか、見出す秘訣がここにある。世界的発見の多くは、"偶然の所産"であった。
 古い寓話に由来する言葉<セレンディピティ>は、偶然のチャンスを生かす力を指すキーワードとして、科学者や先端的
 ビジネスマンの間で高い関心をよびつつある。】
  ー読者プレビュー 
●【「セレンディピティ」は、狭い意味では「探していたものを、他を探しているときに偶然に見つける能力」。
 この本ではより広く「偶然を見逃さずに成功につなげる能力」という意味で使っている。 著者が編み出した
 「偶察力(偶然を察知する能力)」という言葉は、しっくりくる。面白いのは、セレンディピティを高める方法論。
 世界的革命をもたらした発見の共通点をあげたり、トマス・クーンの唱えるパラダイムシフトの関係や、シンクロニシティ
 とのちがいなどを述べている。さすがセレンディピティ研究の先駆者が書いたものだけあり、これは発想に 役立つと
 思うところが多かった。とくに「7 セレンディピティの向上」の章では、意図的にセレンディピティを高めるための
 一連のシステムを紹介している。偶然という現象について述べた本はアーサー・ケストラーのなどがあるが、
 この『偶然からものを見つけだす能力』はその偶然を人間の力によってうまく引き出して利用しようというもの。
 「自分にできるかも」という期待感をもたせてくれる。また、偶然がともなうブレークスルーは、ともなわないよりも
 大きな成果をもたらしうるというから、セレンディピティを高めたい気持ちは高まる。】
●【「偶察力」という言葉に置き換えて、これを一種の「能力」として、仕事に、日常生活に、趣味に言葉遊びに、知的仕掛け
 として使っていこう、という話です。驚嘆すべきは、著者の博覧強記ぶり。 セレンディピティを巡って、起源、歴史、
 古典、映画、科学論、科学史、書籍、新聞、雑誌、ネットなど、おおよそあらゆる情報ソースを駆使し、ちょっとした
 日常の場面で、どんな場合にどう適用していくのがおもしろいのか、を、わかりやすく書いた文章です。】
▼ 必死に捨身で何かを目指していると、その何かより、プロセスでプラス・マイナスの機会に出くわす。 そこが、
 分かれ目で信念が試される。人生の節目には思いもよらない機会が隠されている。 そこで、運命を恨むか、他者の
 中傷に汚れるか、自分の信念を見つめ直し、新しい一歩にするか、その人次第。その意味で、この言葉は人生を振り返るに、
 考える糸口になる。節目は、順境のアップスケール(脱皮)より、逆境の破壊の状態の方が多い。その時、思いもよらない
 学び、チャンスが現れる。 私にとって、現在の節目はベスト?それが「セレンディビティ」の一言に凝縮。遇察力が
 飛躍的に向上、御陰で様々な見えてなかったことが鮮明に見えてきた。人生は短し!より濃厚に日々を生きろ!ということ。 
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4313, 幸せはいつうもちょっと先にある −3
2013年01月06日(日)
         「幸せはいつもちょっと先にあるー期待と妄想の心理学」ーダニエル・ギルバード著
 人間の脳は、過去の失敗に対して無意識に自動的免疫をするように出来ているようだ。私の事業が、大津波(金融恐慌)で
儚く流されても、後悔も、未練も少ない。万一の手立てをしていたことがあるが、経済的震災に遭遇した事に、後悔も愚痴も
無駄、を知っているからだ。しかし、そこには、心理的免疫システムが働いていたようだ。 ーその辺りを抜粋してみる
  * 前向きに過去をみる ー心理的免疫システム
≪ 我々は、過去に手痛い大失敗や、失恋を、「これまでの人生で最良の出来事か」か、「人生最悪の出来事か」と
 表現するかと尋ねたら、最悪より最良を支持する人のほうが多いだろう。逆に、その経験をしてない人に、この質問をしたら
誰一人として失敗や失恋を上げない。 失敗や、失恋は過去の出来事として見るとき、実際よりバラ色にみえる。人間の脳は、
それほど酷くない理由を探し始めるように出来ている。これを心理的免疫システムという。 我々は自分の脳の変化の過程を
自覚しないため、見方が変わるなど考えもしない。そのため未来の感情の予測が難しくなる。これを知らなかったために
将来にも同じことを繰り返す。ところでなぜ人は、行為より不行為を強く後悔するのだろう。それは心理的免疫システムは、
行動しなかったことには働きようがないからだ。プロポーズして振られても、そこから多くを学ぶことが出来たとしても、
何もしないと、学んだり出来ない。心理システムにとって行き過ぎた勇気の方が、行き過ぎた臆病さより正当化しやすいからだ。
それを我々は分かってない。その時、つまずきながら前に進むべきときに、両面作戦に出てしまう。≫
 ▼ 天風の積極一貫の信念で何事にも前向きに立ち向かうべきということ。手痛い失敗も、しない失敗より良い。
  事業についても同じ。 ‘ああ、面白かった!’ただ、それだけ。その辺りが、傍で不幸と決めつけている人との違い。
  ところで、日本人は幸せなど正面だって使ってなかった。明治以降に、ハピネスあたりの当て語として使われた。
  それらしき言葉で、「良いめぐりあわせ」といった程度のもの。 幸福とは個人的な心情だが、儒教的考えでは、
  そういう考え方とあわない。それに対し欧米人は、個人主義が強いこともあって、臆面なく「幸福」を論じる。
  幸せも、妄想でしかないという視点でみると、分かりやすい。幸せだったと思えば幸せ、不幸だったと思えば不幸である。
  それなら幸せだったと思えばよい。所詮、全てが妄想。それでも、幸せと思えない? それこそが貴方のバイアスである。
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3938, 閑話小題
2012年01月06日(金)
 * 車修理
 去年の暮れ車庫のブロック塀に車の後部をぶつけてしまった。 経験からみて最悪の場合10万円以上、
少なくとも7〜8万はするはず?だが、あくまで業者が判断すること。そこで三ヶ所の見積もりをとったが、5万4千、
8万5千、20万円と出た。よくぞ、これだけの差が出たものと驚いた。20万円のところは、「修理不能で、その部分の
パネル全体を取り替えないと無理」というが、他はそんなことを言ってない。 当然、5万4千円のところに決めたが、
20万とは、いい加減なもの。そこで思い出したのが以前も見積もってもらったこと。 高いので他にしたことを思い出した。
高くなる算段で修理を考えるのと、安くなるように算段して何とか注文を取ろうというでは4倍近くも違うということ。
そこはバイパス近くにある車社会では一等地。高くなるように見積もっても、客は絶えないのだろう。 今回決めたところは
川崎のカーコンビニ、高いところは? ネット上では書けない。 家電でも何でも最低、三軒の見積もりは必要である。
ところで、年末年始で修理工場が忙しいということもあり、三週間も、そのままの状態で車を走らせていたことあり、
他の車の傷が気になり見ていたが、本当に少ない。そういえば、街で車が凹んんだまま走っているのを殆どみかけない。
これまでも、たまに見かけると振り返る程だった。 無傷が当たり前と思っていたが、外国では平均的に見ても多く見かけられる。
考えてみると、その国の豊かさに比例している。 服装と同じ感覚である。 まだ修理待ちでヘコンダ車に乗っているが、
あまり気にならないのは? いや、やはり気になる?
  * 男はつらいよ
 以前も、ここで何度か「男はつらいよ」について書いたことがあった。 年末年始は必ずといってよいほど、48シリーズの
幾つかを再放送するが、今年は全シリーズの放送をしていた。その何本かを見たが、家内が大嫌いで、私が見るのも嫌がる。
しかし何度見ても、その都度、考えさせられる。 少し頭の軽い気の良い流しのテキ屋。 全国各地の祭りを追い旅をしている。
美人に惚れっぽくて、その見返りで、やたら女性にモテる。 見境なく惚れるから、女も悪い気がしない。そこで、ヤクザ者の
ペースに嵌っていくが、実は他に目星の男がいて振られるか、上手くいきかけても本人が自分の立場に気づき身を引く、という物語。
テキ屋の世界は、甘い世界ではない。 社会からは一歩食み出でた悲劇と喜劇の屏の上の際どさに味わいがある。
人間社会の悲哀を、主役の寅さんを通して表現している。その素朴な女性への憬れが、仏の温かさと二重写しをしている。
それと時々帰る親戚の家族の温もりが、今は無くなりつつある家族生活を疑似体験させてくれる。
 私が社会人になった年に映画化が始まった。 四日市、神戸、東京、金沢、そして千葉と転々としていた頃、擬似家族の温もりを、
あの映画の中に求めていたようだ。家族の絶対のベースがあればこそ、人間は正常でいられるのである。ネットの擬似家族もあるか?
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3573, デジタル進化論
2011年01月06日(木)
 日経新聞がデジタル進化論の連載を始めた。ークラウドが迫る転換ーがサブタイトルである。
iPodの登場から10年、これがiPhone、そしてiPadと、直感操作型情報機器へ広がりを始めてきた。
パソコン登場から30年が経ち、次の展開として、スマートフォンとか、タブレット式パソコンなどに軸足を移し始めてきた。
iPhoneの登場から僅か4年で、パソコンの売上げ台数の3億8千万台を、今年中に直感式情報機器が上回るというから、尋常ではない。
特にタブレット式無線パソコンが、この数年で爆発的な普及が予測される。 シャープもキーボード付パソコンから撤退を表明、
タブレット端末に集約、電子書籍サービスで稼ぐ事業モデルに転換する。「アプリ」もパソコンソフトと同じぐらい揃っており、
数十万本もあるというから、これも成功すると見てよい。 ソニーも、ドコモも、auも、それぞれの特性を生かした戦略で進出を
始めているので、数年で、市場は激変する。 昨年だけでアップルは。iPhoneを3300万台、iPadを1800万台を売ったという。
今後、世界中の大手が直感式情報機器の販売に入るため情報化は更に進むことになる。そのため情報の量と質が格段にアップする。
それと比例して世界に情報が行き渡り変化を加速させることになる。 それが、更なるグローバル化、平準化、一極化が進む。
そうこう考えると、時代は激変を止めることは不可能といえよう。デジタルといえば、数ヶ月前に入れたテレビである。
値段は、一般の二倍以上したが、テレビの画質、音質、機能等は、明らかに数倍のもの。で、何が変わったか?というと、
映像対象の内容が違って見えるようになったこと。これらデジタル化は、人間のあり方まで変えていく、良いにつけ、悪いにつけ。
 経済も含めて今後10年で世界は、日本は、どのように変化していくのだろう?10年前からみて現在は想像を遥かに超えている。
 問題先送りになってしまう大きなマイナスもある。 「心配ごとは、明日に!明日はこないのだから」で、手遅れに?か。
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3198, 句読点とは妖精のようなもの! ー2
2010年01月06日(水)
 * 検索で「句読点の打ち方」と入れたら、次のようなものが出てきた。
・文の息の切れ目に読点を打つ  ・対等に語句を並べる場合に打つ  ・難読、誤読を避けるため使う
・文の構造を分かりやすくするために打つ  ・節と節の間に打つ(彼も喜び、私も喜んだ)
・前置きの節や語句を区切る(その夜、あなたはいなかった)
・挿入された節や語句を区切る(私はそんなことは、前にも言ったように、していない)
・主語を明確にするために打つ(私は、彼はそんなことはしていないと思う)
・修飾する語とされる語の関係を明確にするために打つ  ・読点と他の符号との連続はなるべく避ける
・会話の場合は「 」の外側に句点を打たない ・会話以外の場合で、「 」や( )などで文が終わるときは句点を打つ
・「 」や( )などのなかに入る最後の文については句点を打たない
・「――」や「……」で終わる文には句点を打つ  ・箇条書きには句点を打たない
 ー以上だが、本を読み込み、自分の文章を書き続れば自然と身につくものだが、上記は、ほぼ実行している。
 (会話の場合は、どうだったか?) 上記の句読点の打ち方を見る限り「妖精のようなもの」には、疑問だが。
 チャンとしたルールがあり、別に神秘的ではないし、神のシモベには思えない。文の息使いは、それぞれあるから、
 上記のことを守っていれば、あまり意識をすることはない。 文章の(、)と(。)は、書くほうも読むほうも、
 相互の呼吸あわせになる。だから校正で一番、気を使うことになる。と同時に、書きなれてない人は、この方が最も難しくなる。
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2833, 年始のTV 討論で印象的だった世界経済の論評
 2009年01月06日(火)
 年末年始のワイドショーで経済学者等の金融危機に対する論評を可能な限り聞いた。
 一年以上かけて十数冊の関連の本や新聞の解説や論評を読んでいたこともあり、
 目新しい内容は少なかったが、それでも、「おや!」と思う部分を紹介してみる。
・岡崎元大使がアメリカで驚いたという次の内容が面白い。
 「アメリカで感じたのが、日本で感じるほどアメリカ全体として暗くない。一部の勝ち組と称す連中が
 サブプライム入り債権を買って大損をしていてのを、大多数が傍目でみて喜んでいる雰囲気がある」という。
 日本のバブルがハジケて北海道拓銀が倒産したときに、札幌に講演に行った将棋の米長邦雄がタクシーの
 運転手から意外な話を聞いたという。「北海道の道民は、本当は心の底で喜んでいるんですよ。あいつ等、
 特権意識を持って威張り散らしていたのが、あの様でしょう。確かに辛いけど、あいつ等の姿を見るのが嬉しい
 のが道民の実際の感情です」。 この直後に彼の講演で聞いたので、社会とは、こういうものかと驚いた。
 それと同じことがアメリカの多数の感情とみれば理解できる。 ビッグスリーの首脳がジェット機で議会に乗りつけ
 政府に資金援助を要請するなどは、国民感情を逆撫でることを彼等は気づいていなかったのである。
 アメリカではサブプライムローンを払えなくとも物件を手放せば、それ以上の追求を逃れることが出来る。
 借りている被害者は、日本の立場とは全く違う。 元々ほとんど資産がない連中である。本当の被害者は、その毒入り債権を
 買ってしまった中産階級以上の国民と銀行である。それが恵まれた連中と金融機関とくれば、マイナーの大多数?の心中は
 拍手喝采が人間の心情である。 これはマスコミには載らないニュースである。少しは日本にも、その感情があるのだろう。 
 数ヶ月前までは、日本はバングラデシュ並みのマイナーの国として金融立国とかで謳歌していた
 連中に蔑視されていた。しかし、これで全てが日本以下になる。但し5年後は、その下に陥るのは間違いないが。
・アメリカ国家の借金は国民一人当たり1600万、総額4600兆円という。ちなみに日本は莫大と言われても一人640万円で、
 800兆円。これでは国家経済は破綻状態である。アメリカ国民3億人のうち、飢餓?状態の200万円以下の人たちが12%
 にあたる3700万人もいる。1929年の世界恐慌が収まった原因はニューデール政策といわれいるが、実は第二次世界大戦で、
 一度世界のマイナスが清算されたためという。1929年の時のアメリカの失業者は労働人口の25%であった。
 それより、今回の恐慌は遥かに大きいというから、最低でも十数年は大混乱が続くとみてよい。
・日本はバブル崩壊後に「輸出立国」のモデルをつくりあげ、何とか経済を維持してきた。
 それが根こそぎ破壊されたのだから、日本はアメリカと同じように破綻の道を歩む運命?
  ーーー
 毎日毎日、恐慌のニュースである。 マスコミは自制しても、ネットで事実が一瞬に流れる。
 そうすると、その差を国民の方が見てしまう。そこまでネット社会がいっているのを、役人も政治家、
 もっと言えば、マスコミボケをしているマスコミの連中がネットの凄みに 気づいていないと思いざるを得ない。
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2008年01月06日(日)
2468, サブプライムとは何か −2   (゚Д゚*)ノ⌒【おはよう】
『サブプライム問題とは何か』春山昇華著    宝島社
サプライム問題はアメリカの覇権主義の正体そのもの!である。その実態は、日本がこの十数年の間に犠牲になったムーディーなどの
「格付け機関」という怪しげな格付けというマジックを使った債権詐欺?だった。まだ、あの格付け機関を日本の一部マスコミでも
信じているようだが。このマジックで、日本の企業はアメリカに買いたたかれたのである。日本企業を買い叩くために
「格付け機関」を作ったともいわれている。去年の末からサブプライム問題が問題になり、週刊誌や月刊誌に大きく取上げられた際に
随想日記にも取上げた。先日、知人からこの本を借りて読んだところ、より深く問題を掘り下げていた。TVで解説しているほど、
実態は甘くないようだ。ここで、そもそもサブプライムとはどんなローンなのか、その融資を受ける「信用力の低い個人」とはどんな人たちか、
彼らにローンを組ませるためにどんな金融業者が暗躍したかが生々しく書かれている。その露払いが、さきほどの「格付け機関」である。
屑のような債権を、格付けAやトリプルAを付けて世界中にばら撒いた。プエルトリコや、黒人などの所得が低かったり、
過去に住宅ローンの返済が滞ったことがあるという理由で、一般の住宅ローン(プライムローン)を借りることができない人向けの融資を
金融機関は積極的に債権化をしたのである。一般のローンより金利が高いが、初2年間だけは返済額が小さく抑えるなどの特徴があり、
低所得者に広がっていった。この背景は住宅価格つまり担保価値が上昇し続けることが前提になっている。しかし信用不安などで値下がりが
始ると雪崩をうって崩壊を始ったのである。この中では、住宅価格上昇の絶頂期だった2005年ごろに登場した忍者をもじった  
 (字数制限のためカット 2014年1月06日)


4679, スマート革命 ー2

2014年01月05日(日)

                                   
   * スマート革命とは?       「ゼロから学ぶスマート革命」山崎秀夫 (著)
 マックの各スマート機種は一通り使ってみたが、ただ驚きである。これは「スマート革命」を象徴したもので、
ジョブスは、まずは企業向けの大型コンピューターを個人・家庭用の宅上型に作り変えたパソコンをiMacとして世に出した。
次のiPodは、音楽業界に革命的影響を与え、更にiPhone、iPadと、次々とスマート機器を世に出し、そして現在、スマートTV
を世に出そうとしている。 アマゾンが書籍のネット販売を始めしばらく経つが、今では書籍の枠を超えた商品を扱うようになった。
その書籍も紙に印字する形態から、パソコン画面へ印字するデジタル書籍の時代が始った。私の命名だが、これスマートショップ。
この動きは、スマート自動車、スマート家電、スマートTVに広がっている。 現在、スマートフォンが劇的に普及している。
携帯電話にパソコンが融合したもの。そこに、会話式のアプリが入ると、「手のひら音声ロボット」カメラ機能がはいると
デジカメになる。 テレビ操作も、パソコンの入力も、電気製品の操作も、両手をハンドル操作に取られる自動車も、何もかも
会話式アプリ機能に従い入力をするようになる。それが「スマート革命」である。 ーアマゾンの読者レビューからー
《 ポストパソコン時代が進むと2015年には一人七台のスマート機器を使い分けるようになると予測。 それに合わせて
 1)新しいイノベーションの形(事業モデル)と 2)新しい個人コンピューティングの形が出現します。
 まず新しい個人コンピューティングの形を特徴つけるユーザーインターフェース 
従来のパソコン+ブラウザー+Webサービス時代には、生活者は「テキスト入力でパソコンと会話」していた。
しかしスマート革命時代には機器と生活者のインターフェースは、「スマート機器はユーザーの友達になる」と考えられる。
米国MITの社会心理学者シャリー・タークルは著書「Alone Together」の中で、ユーザーインターフェースのあり方を
「ソーシャルロボット」と呼びました。・・・》
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4311, 幸せはいつうもちょっと先にある ー1
2013年01月04日(金)
         「幸せはいつもちょっと先にあるー期待と妄想の心理学」ーダニエル・ギルバード著
   * 我われは何故、間違った未来の想像をするのか
 やりたいことが一杯あったのに、いざ定年になると楽しみにしていた暇の時間をもてあそぶだけとか、結婚も現実は夢みた
期待が妄想でしかなかったとかいう経験は多い。幸せは実現するちょっと手前の期待と妄想にあるようだ。 人間にとって
想像する能力は最も重要だが、それと妄想が混濁してしまう。 この期待と妄想の心理を熟知しないと、親のバイアスから
一歩も出ること出来ず、小さな岩場の中で一生を終えてしまう。前頭葉と鋏は使いようである。
 ー その辺りの箇所から抜粋してみる。
≪ 脳の業績はただ一つ、意識的な経験だ。大ピラミッドを見たり、ゴールデンゲートを思い出したり、宇宙ステーションを
想像したりするのは、そのどれを建設するよりはるかにすごい行為だ。 「思い出す」「見る」「想像する」、この三つの
中でもひときわすごい行為が一つある。「見る」とは世界を今の姿で経験することだし、「思い出す」とは世界を昔の姿で
経験することだが、「想像する」行為は、世界を今の姿でも昔の姿でもなく、こうだろうという姿で経験することに他ならない。
人間の脳の最大の業績は、現実の領域には存在しない物事や出来事を想像する能力であり、この能力があるからこそ、
われわれは未来について考えることができる。哲学者のことばを借りると、人聞の脳は‘先読みする装置’で、‘未来を作る’
ことがもっとも重要な仕事だ。 ところで‘未来を作る’とは具体的にどういう意味だろう。脳が未来を作ると言える場合が
少なくとも二つある。一つはほかの多くの動物にも共通し、もう一つは人間に特有だ。あらゆる脳は、人間の脳も、チンパンジー
の脳も、餌を埋めるごくふつうのリスの脳でさえ、私的で身近なさしせまった未来を予測できる。現在の出来事(「何かにおう」)
と過去の出来事(「前にこのにおいがしたときは、大きなやつに食べられかけたんだ」)の情報をもとに、つぎに起こる可能性が
もっとも高い出来事(「あ、やっぱり大きなやつに食べられる」)を予測する。しかし「予測」と呼ばれる行為に二つの要素が
あることを忘れてはならない。一つは、他の動物にも共通し、もう一つは人間だけの特有の予測。
前者は意識的思考の必要ないもの。これを次見という。それに対して人間の脳は、遠い将来の複雑な予見が可能なことである。≫
 ▼ 人間は、この能力で飛躍的進歩を遂げてきた。人間は本来、将来のことを考えるのが好き。旅行を例にすると、
  行き先を探し、決め、決まったら、その資料や旅の準備をする。そこに不安や楽しみの感情がまとわりつき、それも旅行の
 楽しみとなる。実際に行ってみると、この本と違うところがある。その数倍も面白く楽しいことと、嫌なことがあるのが実際。
 そして、嫌のことは帰りの飛行機内に置いてくる。そうなるまで10数回の経験が必要だったが、間違った予測が多いのは、
 経験の絶対量が少ないからである。女性遍歴は、相手を獲得するまでが幸せで、その後は幻滅の繰り返し。それが楽しいか?
 ・・・・・
3936, 新年にあたり ー3
2012年01月04日(水)
   * 御先祖・四四太郎様の警告
 最近、お呼びがかからないから、久しぶりの娑婆になる。聞くところによると、経済震災や自然震災で去年の3月に倒産したとか。
御前のような用心深い男が何ていうザマだ。こういう長期の装置産業は、ピークを見極めて早々、売り抜けるのが本筋。
それを分かっていたと思っていたが実際には出来なかったということか。お前が学生時代に事業を目指すと決めたとき、何を思った?
事業を立ち上げた後、それを第三者に売却し、全く別の面白そうな事業を立ち上げをして転売をしながら、事業を学び、自分の世界を
大きくしていくことだったのではないか。 それが何じゃ、30年も続けてしまい、その結果が、これである。この様は30年も
微温湯に浸かっていた当然の報いじゃ。とはいえ、これも事業人生の一場面。 調子に乗って羽目を外して馬鹿丸出しだったが・・・
 ワシも御前によって、400年以上も前から引き戻されたが、みるみるうちに、娑婆の変化が起きているのを知り吃驚じゃ。
それにしても面白い時代じゃないか。現時点をみると、ワシの当時の戦国時代より世界と一体している分、変化は激しい。
戦国時代は、一つ間違えると一族郎党が殺される厳しさがあった。しかし変化の大きさは比較にならないほど現代は大きい。
現代文明のは、お主達に大きなメリットを与えている。で、ワシの目で見ても、これから10年は更に大きな時代の変わり目になる。
その中にあって日本は刺激的な日々になるのは、お主は分かっているが、それでも、まだまだ甘いことを忠告する。地勢的にみて、
そのメリットを受けたのが戦後の経済成長であり、世界二位まで膨らんだが、それが20年前にバブル崩壊で破裂し現在に至っている。
そして、これから10年で、最後に残った蓄積を全てアメリカによって吐き出される運命になる。もう一度、書店かネットで情報を
とってみることだ。そこには、まだまだお主の知らないことが多く書いてある。 それを知らせるために、ワシは現れ出たのじゃ。
いいか、お主自身、現状に危機感を持っていると思っているが、まだまだ、そんなものじゃない、これは。 ならどうするかを、
ここで、もっともっと考えろと言いたいのだ。 大津波は実際に押し寄せたときは、その前のイメージを遥かに超えたもんじゃ。
そのことを考えろ、と言いたいのだ。去年の今時分に、ワシが同じことを言っても、ピンとこなかったはずだ。 が、一ヶ月後に、
ワシの今の言葉が身に沁みて分かった筈じゃ。それと同じか、それ以上に、お主たちは危ないのだ。どう身を処するか、より考えろ!
お主は去年、ギアダウンをして大丈夫と思っているが、それは、周辺の鈍い連中に囲まれた中で思っているだけ。悲観とか楽観とかいう
問題ではない、これは、そこに大津波が轟音を立てて迫っている。 まず直近の大波は今年の前半と、後半に一つずつ見えている。
・・・・・・・・・
3571, ダイヤモンドは 何故美しい?
2011年01月04日(火)
 ー地球上のダイヤモンドのうち、いくつかは現在の太陽系の一サイクル前の超新星爆発で出来たものとされている。
 この太陽系は、宇宙がビッグバンで出来上がってから何回のサイクルをえた世代に属するとされている。
 超新星爆発という「恒星の死」において、中心部に生成されるとてつもない高圧の中で、炭素の原子が押し詰められ、
 ダイヤモンドができるという。 だからこそ、地球上の硬い物質を切ることが可能になる。ー
 《「今、ここからすべての場所へ」ー茂木健一郎著》の中で、このことを最近知り、世界観が少し変わるほど驚いた。
 テッキリ地球上の物質は地球上で出来上がったものと思っていた。 しかし地球の生成は、太陽系に浮いていた物質が
 衝突を繰り返す中、だんだん大きくなって地球になっていったのだから、当時の物質が地球上にあって不思議ではない。
 超新星爆発という「恒星の死」の中で中心部に生成された高圧の中、炭素の原子が圧縮され出来上がった物質がダイヤモンド、
 といえば見方も変わってくる。 地球生成以前から、ダイヤモンドは宇宙を彷徨った後に、発見されたもの。これまでは装飾品や、
 他の物質を加工する道具の価値でしか見えなかった。しかし、このことから地球そのものや、物質に対する見方も変えなくては。
  この歳になって、本当に知らないことだらけ。いや、年齢を重ね、現世の欲が薄れ、「私」の枠が少しずつ取れてきたのか。
 とはいえ、そんなことは知らないでも全く生活に変わりはない。しかし知っていると知らないとでは、対象に対する見方が違ってくる。
 人間が持つ、それぞれの「私」は、せいぜい80〜100年でしかない。 それに対し、ダイヤモンドは50億以上の宇宙の旅をしてきた。
 その「私」など、それに比べると宇宙のチリのチリでしかない。それを知るかどうかである。 知ることの価値を知ることである。
 人間の趣味は最後には「石」に向かうというが。ダイヤモンドの美しさ、輝きには、もって生まれた理由がある、ということか。  
   石か〜  森に入り、岩山を登り、星空の輝きを眺める、これが人間の理想的な生活というが・・・。
・・・・・・・・
3196, 一〇〇年前の世界一周
2010年01月04日(月)
  「一〇〇年前の世界一周  ある青年の撮った日本と世界」     アベグ,ワルデマール著
   =アマゾンの紹介文より= 1905年、ひとりのドイツ人青年が世界を知る旅に出た。アメリカ、日本、朝鮮、
  中国、インドネシア、インド、スリランカなどを1年半かけて周遊、多くの写真を撮影した。(写真117点収録。)
  とくに日露戦争直後に滞在した日本では、まったく異なる文化に感銘を受け、すっかり日本に魅了される。
  まだ世界が広かった時代、豊かな地域性を残した社会を旅した貴重な記録。大戦前の世界が生きいきとよみがる。 
   *ベグ,ワルデマール= 【1873年、ドイツ、ベルリンの裕福な家庭に生まれる。大学で法律を学び、卒業後公務員となる。
                ナチズムに反感を抱いており、第二次世界大戦後、ドイツ国籍を放棄した。 1961年没】。
〜 昨日、図書館で見つけて早速、読んでみたが、これが面白い。ほぼ写真集といった内容で、文章は旅行記風に補佐されている。
2009年11月30日発刊とあるから、直ぐに見つけたことになる。特に日本の写真が身近に思えてよい。 
写真公表を前提としていないので自然体で旅行者の目線である。写真も、その記録も本書で初めて出版になった本という。
アベクの趣味が写真撮影のためかシャッターを素直にきっている。彼は日本を気に入り、船頭や芸者や街、富士山などを撮っている。
 公務員として33歳になった時に、研修旅行の名目で休暇を取る。 17世紀あたりから、英国の上流階級の若者たちから
流行した青春の締めくくりの旅は「グランドツアー」と呼ばれ、当時の欧米の若者たちにも広まっていた。
現在も欧米だけでなく、日本も卒業旅行で世界を旅するのは、数百年前からの英国の上流階級の子弟の流行からきているようだ。
 1905年4月、青春時代から親しんできた写真機2台を携え、地元を一人旅立ったアベクは、移民たちとともに大西洋を渡り、
ニューヨークに上陸。 当時の米国は経済・産業が発展を遂げ、ニューヨークには摩天楼がそびえ、自動車が行き交り、
地下鉄の高架路線が走る。 半年かけて大陸を横断したアベクは、ハワイから、日本に到着。 ニューヨークで知り合った
ガイドのナカノの案内で旅を始めた。  撮影した銀座や、おいらん道中、雪景色の富士山、江戸の風情が当時の世界を垣間見れる。 
日本滞在は4カ月に及んだが、別府では芸者を撮影をした。 その後、朝鮮からインド、エジプトを経て故郷に帰った。 
カラー写真が半分を占め、当時の写真としては、綺麗に撮れている。 特に、花魁が何とも艶がある。 
 ・・・・・・・・
2831, 1秒でも早く・結婚したい女たち -1
2009年01月04日(日)
  一昨日のTV「久米宏!経済SP新ニッポン人現る!ー2
“1秒でも早く・結婚したい女たち”急増中 」を興味を持ってみた。 まあ、面白い。
 ーまずはHPの番組説明からー
◇久米宏が経済の視点から新たな価値観で行動する人々に迫る第2弾は、女性たちの結婚観を探る。
 自由恋愛や核家族化、男女雇用機会均等法などライフスタイルの選択肢が広がった女性たちは結婚にとらわれなくなり、
 晩婚化が進んだ。一方で、結婚に走る20代女性が増えているという。 久米が結婚に向けて活動する女子大学生や、
 結婚相談所主催の見合いパーティー、20代カップルの挙式に密着し、彼女たちの理想の結婚の形に迫る。
 さらに20代女性たちが育った時代や社会環境、経済状況を検証し、現在の結婚観がいかにして形成されてきたかを
 解き明かす。さらに久米と写真家の梅佳代さんが女子高校生たちにインタビューし、彼女たちの結婚観に迫る。
  *解りやすく私の主観でマトメテみると・・・・
・今の男の3Kは「こぎれい こだわる 枯れてる」だと!前の三高(K)高収入、高学歴、高身長とは違うようだ。
   (字数制限のためカット 11年1月4日)
・・・・・・・・・
2008年01月04日(金)
2466, 「今日を楽しむための100の言葉2+3」より
   「今日を楽しむための100の言葉2」+「−−100の言葉3」伊藤守著 ディスカバー21   オハ*・゜゚・*:.。..。.:*・゜
「今日を楽しむ以外、他に何時楽しめるというのか?」だが、今日を明日のために捨てる時期も必要である。
 その辺のことを知らないで鵜呑みにするのも問題である。要するに人のことばかり気にしないで生きること、
 そして楽しくないことを如何に面白く転換するかである。歳を重ねれば身につくことだが、経験を幾つか乗り越えたからである。
 ということは中年以降の開き直りを言っているに過ぎないと言えば、それまでだが、しかし、それを若いうちから知っておく
 必要もあるのか? 世の中、リアル世界にドップリ漬かっているのが8割?9割である。だから敢えてこういう本が
 ニーズになるのである。『みんな、敵ができることにだけ脅えていて、味方をつくることから遠ざかっている。』
『自分を愛することと他人を愛することが同質のもののように思えるまで、本当の思いやりなんてあるわけない。
 ただ、見返りを期待した思いやりがあるだけ。腐った演技は止めましょう。』『人が何を思ったっていい。
 自由に思わせればいい。介入する必要はない。思っていることは思っていることでしかないんだから。』
『喜ぶには、理由が必要だと思っているでしょ? 喜ぶと決めて喜ぶんだよ。これが新しい生き方』
 (字数制限のためカット 11年1月4日)
・・・・・・・・・
2007年01月04日(木)
2102, バンジージャンプ −2
   ohayou_〆(∀`●)
(以前にも書いたことがあるが、同じテーマが二年後にはどうなるか、以前の文章と比べてみるのも面白いだろう)
昨日のNHK/HVで世界自然遺産の特集番組を幾つか放送していた。その中の一つ「ビクトリアの滝」(am10:00~11:00)で、
カメラをつけたカメラマンがバンジージャンプをする場面があった。ジンバブエからザンベジへの国境に架かっている
100Mの鉄橋の上から、飛び降りるのだ。世界で一番高いジャンプ台である。私も11年前に飛び降りたことがあるが、
今はもう無理だろう。「ジャンプをしてやろう!」と、いざ決断した瞬間から息ができないほど緊張をする。その数年前に、
ニュージーランドで43?の橋の上から飛び降りた時の恐怖心が、その時に立ち上がったからだ。そうなったら身体全体を
フイゴのように呼吸するしかない。そうしないと恐怖で息が止まりそうになる。恐らく銃殺か、斬首のため刑場に引き出される時は、
あんな感じなのだろう。飛び降り台に立ったとき周りが恐怖心のためか、銀色に輝いて見える。躊躇したら恐怖心が数倍になるのを
知っている。身体を前に向かって投げ出すしかないのである。そして投身! その瞬間、頭の奥から「おい、目を開けてみろよ!」
という声が聞こえてきた。そしてバウンドを数回したあと、腰につけたベルトを上に引き上げたのである。
引き上げられる時に更なる恐怖心が襲ってきた。自分が逆さの宙吊りのまま大きく左右に揺れている時の恐ろしさ。
そこに、10歳位の黒人がするすると紐に釣り下がって降りてきて、紐のついた鉤をかけて引き上げ始めた。
もうできないが、何ごとも経験である。南アフリカ旅行といえば、これが強烈過ぎて他が霞んでしまった。
   (以下字数の関係でカット2009年1月04日)


4678, スマート革命 ー1

2014年01月04日(土)

    * スマート革命とは?       「ゼロから学ぶスマート革命」山崎秀夫 (著)
 マックの各スマート機種は一通り使ってみたが、ただ驚きである。これは「スマート革命」を象徴したもので、
ジョブスは、まずは企業向けの大型コンピューターを個人・家庭用の宅上に作り変えたパソコンをiMacとして世に出した。
次のiPodは、音楽業界に革命的影響を与え、更にiPhone、iPadと、次々とスマート機器を世に出し、そして現在、スマートTV
を世に出そうとしている。 アマゾンが書籍のネット販売を始め暫く経つが、今では書籍の枠を超えた商品を扱うようになった。
その書籍も紙に印字する形態から、パソコン画面へ印字するデジタル書籍の時代が始った。私の命名だが、スマートショップ。
この動きは、スマート自動車、スマート家電、スマートTVに広がっている。 現在、スマートフォンが劇的に普及している。
携帯電話にパソコンが融合したもの。そこに、会話式のアプリが入ると、「手のひら音声ロボット」カメラ機能がはいると
デジカメになる。 テレビ操作も、パソコンの入力も、電気製品の操作も、両手をハンドル操作に取られる自動車も、何もかも
会話式アプリ機能に従い入力をするようになる。それが「スマート革命」である。 ーアマゾンの読者レビューからー
《 ポストパソコン時代が進むと2015年には一人七台のスマート機器を使い分けるようになると予測。 それに合わせて
 1)新しいイノベーションの形(事業モデル)と 2)新しい個人コンピューティングの形が出現します。
 まず新しい個人コンピューティングの形を特徴つけるユーザーインターフェース。 
従来のパソコン+ブラウザー+Webサービス時代には、生活者は「テキスト入力でパソコンと会話」していた。
しかしスマート革命時代には機器と生活者のインターフェースは、「スマート機器はユーザーの友達になる」と考えられる。
米国MITの社会心理学者シャリー・タークルは著書「Alone Together」の中で、ユーザーインターフェースのあり方を
「ソーシャルロボット」と呼びました。・・・》
▼ 私の小さなiPodの二つには、合計(二千曲×ニ)四千曲入っていて、どちらかは常にポケットに入れている。
二年前に買ったiPadには各種のアプリが入っていて、身体の機能の一部のようになっていて、居間、書斎、寝室の移動の度、
常に持ち歩いている。ちょいの間の活用には夢のようなシロモノ。そこには、愛読書をデジタルにした100冊以上の愛読書も、
各種類の週刊誌・月刊誌、古典的な小説も、世界中の秘境写真のアルバムも、ゲームも、数限りないアプリがある。
最近は、ビデオ映像が、無尽蔵に増えている。 時どき「何だこれは?」と、改めてハッとする。 ーつづく
・・・・・・
4311, 幸せはいつうもちょっと先にある ー1
2013年01月04日(金)
         「幸せはいつもちょっと先にあるー期待と妄想の心理学」ーダニエル・ギルバード著
   * 我われは何故、間違った未来の想像をするのか
 やりたいことが一杯あったのに、いざ定年になると楽しみにしていた暇の時間をもてあそぶだけとか、結婚も現実は夢みた
期待が妄想でしかなかったとかいう経験は多い。幸せは実現するちょっと手前の期待と妄想にあるようだ。 人間にとって
想像する能力は最も重要だが、それと妄想が混濁してしまう。 この期待と妄想の心理を熟知しないと、親のバイアスから
一歩も出ること出来ず、小さな岩場の中で一生を終えてしまう。前頭葉と鋏は使いようである。
 ー その辺りの箇所から抜粋してみる。
≪ 脳の業績はただ一つ、意識的な経験だ。大ピラミッドを見たり、ゴールデンゲートを思い出したり、宇宙ステーションを
想像したりするのは、そのどれを建設するよりはるかにすごい行為だ。 「思い出す」「見る」「想像する」、この三つの
中でもひときわすごい行為が一つある。「見る」とは世界を今の姿で経験することだし、「思い出す」とは世界を昔の姿で
経験することだが、「想像する」行為は、世界を今の姿でも昔の姿でもなく、こうだろうという姿で経験することに他ならない。
人間の脳の最大の業績は、現実の領域には存在しない物事や出来事を想像する能力であり、この能力があるからこそ、
われわれは未来について考えることができる。哲学者のことばを借りると、人聞の脳は‘先読みする装置’で、‘未来を作る’
ことがもっとも重要な仕事だ。 ところで‘未来を作る’とは具体的にどういう意味だろう。脳が未来を作ると言える場合が
少なくとも二つある。一つはほかの多くの動物にも共通し、もう一つは人間に特有だ。あらゆる脳は、人間の脳も、チンパンジー
の脳も、餌を埋めるごくふつうのリスの脳でさえ、私的で身近なさしせまった未来を予測できる。現在の出来事(「何かにおう」)
と過去の出来事(「前にこのにおいがしたときは、大きなやつに食べられかけたんだ」)の情報をもとに、つぎに起こる可能性が
もっとも高い出来事(「あ、やっぱり大きなやつに食べられる」)を予測する。しかし「予測」と呼ばれる行為に二つの要素が
あることを忘れてはならない。一つは、他の動物にも共通し、もう一つは人間だけの特有の予測。
前者は意識的思考の必要ないもの。これを次見という。それに対して人間の脳は、遠い将来の複雑な予見が可能なことである。≫
 ▼ 人間は、この能力で飛躍的進歩を遂げてきた。人間は本来、将来のことを考えるのが好き。旅行を例にすると、
  行き先を探し、決め、決まったら、その資料や旅の準備をする。そこに不安や楽しみの感情がまとわりつき、それも旅行の
 楽しみとなる。実際に行ってみると、この本と違うところがある。その数倍も面白く楽しいことと、嫌なことがあるのが実際。
 そして、嫌のことは帰りの飛行機内に置いてくる。そうなるまで10数回の経験が必要だったが、間違った予測が多いのは、
 経験の絶対量が少ないからである。女性遍歴は、相手を獲得するまでが幸せで、その後は幻滅の繰り返し。それが楽しいか?
 ・・・・・
3936, 新年にあたり ー3
2012年01月04日(水)
   * 御先祖・四四太郎様の警告
 最近、お呼びがかからないから、久しぶりの娑婆になる。聞くところによると、経済震災や自然震災で去年の3月に倒産したとか。
御前のような用心深い男が何ていうザマだ。こういう長期の装置産業は、ピークを見極めて早々、売り抜けるのが本筋。
それを分かっていたと思っていたが実際には出来なかったということか。お前が学生時代に事業を目指すと決めたとき、何を思った?
事業を立ち上げた後、それを第三者に売却し、全く別の面白そうな事業を立ち上げをして転売をしながら、事業を学び、自分の世界を
大きくしていくことだったのではないか。 それが何じゃ、30年も続けてしまい、その結果が、これである。この様は30年も
微温湯に浸かっていた当然の報いじゃ。とはいえ、これも事業人生の一場面。 調子に乗って羽目を外して馬鹿丸出しだったが・・・
 ワシも御前によって、400年以上も前から引き戻されたが、みるみるうちに、娑婆の変化が起きているのを知り吃驚じゃ。
それにしても面白い時代じゃないか。現時点をみると、ワシの当時の戦国時代より世界と一体している分、変化は激しい。
戦国時代は、一つ間違えると一族郎党が殺される厳しさがあった。しかし変化の大きさは比較にならないほど現代は大きい。
現代文明のは、お主達に大きなメリットを与えている。で、ワシの目で見ても、これから10年は更に大きな時代の変わり目になる。
その中にあって日本は刺激的な日々になるのは、お主は分かっているが、それでも、まだまだ甘いことを忠告する。地勢的にみて、
そのメリットを受けたのが戦後の経済成長であり、世界二位まで膨らんだが、それが20年前にバブル崩壊で破裂し現在に至っている。
そして、これから10年で、最後に残った蓄積を全てアメリカによって吐き出される運命になる。もう一度、書店かネットで情報を
とってみることだ。そこには、まだまだお主の知らないことが多く書いてある。 それを知らせるために、ワシは現れ出たのじゃ。
いいか、お主自身、現状に危機感を持っていると思っているが、まだまだ、そんなものじゃない、これは。 ならどうするかを、
ここで、もっともっと考えろと言いたいのだ。 大津波は実際に押し寄せたときは、その前のイメージを遥かに超えたもんじゃ。
そのことを考えろ、と言いたいのだ。去年の今時分に、ワシが同じことを言っても、ピンとこなかったはずだ。 が、一ヶ月後に、
ワシの今の言葉が身に沁みて分かった筈じゃ。それと同じか、それ以上に、お主たちは危ないのだ。どう身を処するか、より考えろ!
お主は去年、ギアダウンをして大丈夫と思っているが、それは、周辺の鈍い連中に囲まれた中で思っているだけ。悲観とか楽観とかいう
問題ではない、これは、そこに大津波が轟音を立てて迫っている。 まず直近の大波は今年の前半と、後半に一つずつ見えている。
・・・・・・・・・
3571, ダイヤモンドは 何故美しい?
2011年01月04日(火)
 ー地球上のダイヤモンドのうち、いくつかは現在の太陽系の一サイクル前の超新星爆発で出来たものとされている。
 この太陽系は、宇宙がビッグバンで出来上がってから何回のサイクルをえた世代に属するとされている。
 超新星爆発という「恒星の死」において、中心部に生成されるとてつもない高圧の中で、炭素の原子が押し詰められ、
 ダイヤモンドができるという。 だからこそ、地球上の硬い物質を切ることが可能になる。ー
 《「今、ここからすべての場所へ」ー茂木健一郎著》の中で、このことを最近知り、世界観が少し変わるほど驚いた。
 テッキリ地球上の物質は地球上で出来上がったものと思っていた。 しかし地球の生成は、太陽系に浮いていた物質が
 衝突を繰り返す中、だんだん大きくなって地球になっていったのだから、当時の物質が地球上にあって不思議ではない。
 超新星爆発という「恒星の死」の中で中心部に生成された高圧の中、炭素の原子が圧縮され出来上がった物質がダイヤモンド、
 といえば見方も変わってくる。 地球生成以前から、ダイヤモンドは宇宙を彷徨った後に、発見されたもの。これまでは装飾品や、
 他の物質を加工する道具の価値でしか見えなかった。しかし、このことから地球そのものや、物質に対する見方も変えなくては。
  この歳になって、本当に知らないことだらけ。いや、年齢を重ね、現世の欲が薄れ、「私」の枠が少しずつ取れてきたのか。
 とはいえ、そんなことは知らないでも全く生活に変わりはない。しかし知っていると知らないとでは、対象に対する見方が違ってくる。
 人間が持つ、それぞれの「私」は、せいぜい80〜100年でしかない。 それに対し、ダイヤモンドは50億以上の宇宙の旅をしてきた。
 その「私」など、それに比べると宇宙のチリのチリでしかない。それを知るかどうかである。 知ることの価値を知ることである。
 人間の趣味は最後には「石」に向かうというが。ダイヤモンドの美しさ、輝きには、もって生まれた理由がある、ということか。  
   石か〜  森に入り、岩山を登り、星空の輝きを眺める、これが人間の理想的な生活というが・・・。
・・・・・・・・
3196, 一〇〇年前の世界一周
2010年01月04日(月)
  「一〇〇年前の世界一周  ある青年の撮った日本と世界」     アベグ,ワルデマール著
   =アマゾンの紹介文より= 1905年、ひとりのドイツ人青年が世界を知る旅に出た。アメリカ、日本、朝鮮、
  中国、インドネシア、インド、スリランカなどを1年半かけて周遊、多くの写真を撮影した。(写真117点収録。)
  とくに日露戦争直後に滞在した日本では、まったく異なる文化に感銘を受け、すっかり日本に魅了される。
  まだ世界が広かった時代、豊かな地域性を残した社会を旅した貴重な記録。大戦前の世界が生きいきとよみがる。 
   *ベグ,ワルデマール= 【1873年、ドイツ、ベルリンの裕福な家庭に生まれる。大学で法律を学び、卒業後公務員となる。
                ナチズムに反感を抱いており、第二次世界大戦後、ドイツ国籍を放棄した。 1961年没】。
〜 昨日、図書館で見つけて早速、読んでみたが、これが面白い。ほぼ写真集といった内容で、文章は旅行記風に補佐されている。
2009年11月30日発刊とあるから、直ぐに見つけたことになる。特に日本の写真が身近に思えてよい。 
写真公表を前提としていないので自然体で旅行者の目線である。写真も、その記録も本書で初めて出版になった本という。
アベクの趣味が写真撮影のためかシャッターを素直にきっている。彼は日本を気に入り、船頭や芸者や街、富士山などを撮っている。
 公務員として33歳になった時に、研修旅行の名目で休暇を取る。 17世紀あたりから、英国の上流階級の若者たちから
流行した青春の締めくくりの旅は「グランドツアー」と呼ばれ、当時の欧米の若者たちにも広まっていた。
現在も欧米だけでなく、日本も卒業旅行で世界を旅するのは、数百年前からの英国の上流階級の子弟の流行からきているようだ。
 1905年4月、青春時代から親しんできた写真機2台を携え、地元を一人旅立ったアベクは、移民たちとともに大西洋を渡り、
ニューヨークに上陸。 当時の米国は経済・産業が発展を遂げ、ニューヨークには摩天楼がそびえ、自動車が行き交り、
地下鉄の高架路線が走る。 半年かけて大陸を横断したアベクは、ハワイから、日本に到着。 ニューヨークで知り合った
ガイドのナカノの案内で旅を始めた。  撮影した銀座や、おいらん道中、雪景色の富士山、江戸の風情が当時の世界を垣間見れる。 
日本滞在は4カ月に及んだが、別府では芸者を撮影をした。 その後、朝鮮からインド、エジプトを経て故郷に帰った。 
カラー写真が半分を占め、当時の写真としては、綺麗に撮れている。 特に、花魁が何とも艶がある。 
 ・・・・・・・・
2831, 1秒でも早く・結婚したい女たち -1
2009年01月04日(日)
  一昨日のTV「久米宏!経済SP新ニッポン人現る!ー2
“1秒でも早く・結婚したい女たち”急増中 」を興味を持ってみた。 まあ、面白い。
 ーまずはHPの番組説明からー
◇久米宏が経済の視点から新たな価値観で行動する人々に迫る第2弾は、女性たちの結婚観を探る。
 自由恋愛や核家族化、男女雇用機会均等法などライフスタイルの選択肢が広がった女性たちは結婚にとらわれなくなり、
 晩婚化が進んだ。一方で、結婚に走る20代女性が増えているという。 久米が結婚に向けて活動する女子大学生や、
 結婚相談所主催の見合いパーティー、20代カップルの挙式に密着し、彼女たちの理想の結婚の形に迫る。
 さらに20代女性たちが育った時代や社会環境、経済状況を検証し、現在の結婚観がいかにして形成されてきたかを
 解き明かす。さらに久米と写真家の梅佳代さんが女子高校生たちにインタビューし、彼女たちの結婚観に迫る。
  *解りやすく私の主観でマトメテみると・・・・
・今の男の3Kは「こぎれい こだわる 枯れてる」だと!前の三高(K)高収入、高学歴、高身長とは違うようだ。
   (字数制限のためカット 11年1月4日)
・・・・・・・・・
2008年01月04日(金)
2466, 「今日を楽しむための100の言葉2+3」より
   「今日を楽しむための100の言葉2」+「−−100の言葉3」伊藤守著 ディスカバー21   オハ*・゜゚・*:.。..。.:*・゜
「今日を楽しむ以外、他に何時楽しめるというのか?」だが、今日を明日のために捨てる時期も必要である。
 その辺のことを知らないで鵜呑みにするのも問題である。要するに人のことばかり気にしないで生きること、
 そして楽しくないことを如何に面白く転換するかである。歳を重ねれば身につくことだが、経験を幾つか乗り越えたからである。
 ということは中年以降の開き直りを言っているに過ぎないと言えば、それまでだが、しかし、それを若いうちから知っておく
 必要もあるのか? 世の中、リアル世界にドップリ漬かっているのが8割?9割である。だから敢えてこういう本が
 ニーズになるのである。『みんな、敵ができることにだけ脅えていて、味方をつくることから遠ざかっている。』
『自分を愛することと他人を愛することが同質のもののように思えるまで、本当の思いやりなんてあるわけない。
 ただ、見返りを期待した思いやりがあるだけ。腐った演技は止めましょう。』『人が何を思ったっていい。
 自由に思わせればいい。介入する必要はない。思っていることは思っていることでしかないんだから。』
『喜ぶには、理由が必要だと思っているでしょ? 喜ぶと決めて喜ぶんだよ。これが新しい生き方』
 (字数制限のためカット 11年1月4日)
・・・・・・・・・
2007年01月04日(木)
2102, バンジージャンプ −2
   ohayou_〆(∀`●)
(以前にも書いたことがあるが、同じテーマが二年後にはどうなるか、以前の文章と比べてみるのも面白いだろう)
昨日のNHK/HVで世界自然遺産の特集番組を幾つか放送していた。その中の一つ「ビクトリアの滝」(am10:00~11:00)で、
カメラをつけたカメラマンがバンジージャンプをする場面があった。ジンバブエからザンベジへの国境に架かっている
100Mの鉄橋の上から、飛び降りるのだ。世界で一番高いジャンプ台である。私も11年前に飛び降りたことがあるが、
今はもう無理だろう。「ジャンプをしてやろう!」と、いざ決断した瞬間から息ができないほど緊張をする。その数年前に、
ニュージーランドで43?の橋の上から飛び降りた時の恐怖心が、その時に立ち上がったからだ。そうなったら身体全体を
フイゴのように呼吸するしかない。そうしないと恐怖で息が止まりそうになる。恐らく銃殺か、斬首のため刑場に引き出される時は、
あんな感じなのだろう。飛び降り台に立ったとき周りが恐怖心のためか、銀色に輝いて見える。躊躇したら恐怖心が数倍になるのを
知っている。身体を前に向かって投げ出すしかないのである。そして投身! その瞬間、頭の奥から「おい、目を開けてみろよ!」
という声が聞こえてきた。そしてバウンドを数回したあと、腰につけたベルトを上に引き上げたのである。
引き上げられる時に更なる恐怖心が襲ってきた。自分が逆さの宙吊りのまま大きく左右に揺れている時の恐ろしさ。
そこに、10歳位の黒人がするすると紐に釣り下がって降りてきて、紐のついた鉤をかけて引き上げ始めた。
もうできないが、何ごとも経験である。南アフリカ旅行といえば、これが強烈過ぎて他が霞んでしまった。
   (以下字数の関係でカット2009年1月04日)
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2006年01月04日(水)
1737, 日本一短い「母」への手紙   ー 読書日記
   (朝´∀`){♪Good Morning♪}(´∀`朝)
人は誰もマザコンである。だから、嫁姑の問題は深くなる。 母親の子供に対する愛ほど深いものはない。


4675, 閑話小題 ー何だろう?この現象は ー2

2014年01月03日(金)

   
     * では、なぜ事故や大病になるのだろうか? ー私も、あなたも自業自得!
 痛々しい包帯だったが「私も手伝うから」とタイヤも交換しながら本人確認。80過ぎの好々爺の黄門様の勧善懲悪レベル!
にぎやかな見送りを受けた飛行機の中で、心の内で静かに激怒をした結果「直ぐに病気か事故で(-人-;)!それまでのこと」と
怒りを収めた。そして正に「復讐するは我(自然・神)にあり」の骨折。除雪作業中の骨折直後に、私の自転車がパンクの
修理で骨折の確認とは、奇妙な偶然の巡り合わせ。で、その半年以上も経った現在になって、これはシンクロ二シティ?
「私の静かに充満した怒りは、対象者を重症の病気か、交通事故、転倒事故で一生モノの深手になっている?」ことに気づいた。 
そこで、次の筋書き『まずは骨折だったが、80過ぎの年齢から、あと2〜3年で Ωチーンi~ 気の毒?だが・・』が思い立つ。
こういう視点でみると、この節目だけでも、あるある! 更に40〜50年スパンでみた人生の節目なら数知れず。 
 逆の立場で「私も静かな怒りの対象になって、色いろ危ない目にあっている。が、自分では気づかなった?」とすると、
これも山ほどある? 「この奇妙な現象は、その解釈、受けとめ方の一つでしかない!」というのが正論。
「静かな怒りで、対象を破壊する力?は、私だけでなく、エネルギーの特に強い何割かに備わっていて、破壊された私が、
ここにいる」という事にもなる。 『他人を恨めば穴二つ』この呪文を解くには周囲への感謝の念しかない? 
この偶然はシンクロニシティの「節目の怒りバージョン」か? 願ってなるのでなく、本人の因果応報。 
アフリカの市場で、呪いグッズだけの市場があった。 町が沈んでいくと、こうなるのか。 仕事として自主独立の事業が
通せたのが私の人生の最大の幸運。こういう人たちと距離が置けたからである。「当人が怒っているのは、本人自身の毒!
それに、私の何かが反応した!」が、私の解釈。私への毒が少ない?のは、それを経験と知識で最小にしているため? 
 シンクロニシティに関する知識のない人は、それに遭遇しても自覚できない。オカルトめいているが、自転車屋の主は
発病か事故で +_@)!の時期が早まると思えば怒りが消える。 人生の節目で、思い当たる人が10数人はいる。
3年前の節目からして・・ 40年以上も事業をすれば、トラブルや怒りが山ほどあって当然。 その対象の人たちの不幸な
事故や病を因果付ければ、こんな筋書が幾らで出来る。対象者の共通点が幾つかあるが書くのは止めた!万人が持っている?
 この現象は、以前から気づいていたが、同じようなことを聞いて、「偶然を、自分勝手の思い込み、解釈じゃないか!」
と感じ取り、その思いを打ち消した。で、今回の節目の様々な現象。来年にかけ、私の目で非常に危ない人が4〜5名いる!
といえば、どうだろう? しかし、これまでの現象を凝視すると、それも当人の自業自得。それを都合の良い解釈、物語に
しているに過ぎない? 数ヶ月前にリメイク版の『キャリー』という映画をみた。 苛め抜かれた少女が『超能力』で、
苛めた人たちを根こそぎ破壊する物語。 さて、この物語は、どうなる? それが、そのまま私自身へ向かう可能性もある。 
前回のオチ「こういう話題が山ほどある私は何? ハ?σ・Д・)お前バカ?」がやはり結論! で、どうした? 正月から
毒を吐き散らしただけ ⌒ ⌒) ぺこ<(_ _)>m(-_-)m コノトオリ それにしても我ながら酷い思い込み、内容である!
・・・・・・⌒ ⌒)
4310, 雑談ネタ、酒の肴ネタ ー14
2013年01月03日(木)
   * 正露丸はロシア征伐の征露から由来している                                        
≪ 出征兵たちが水を飲んで赤痢や下痢を起こすのを防ぐために、陸軍省が開発した薬が正露丸だったのである。
 戦争中は、陸海軍の御用薬として、欠かせない薬となった。薬の名前も日露戦争当時らしく、ロシアを征伐するという意味で
「征露丸」と名づけられた。ラッパのマークも進軍ラッパをイメージしたもので、まさに戦争色を前面に押し出した薬だった。
その効き目がよかったのか、征露丸は庶民のあいだにも広まった。ただし第二次大戦後、ロシア征伐をもとにした名前は都合が
悪いということになり、「征」の字を「正」に改めた「正露丸」となって、現在に至っている。開発から約一世紀たった現在、
正露丸の勢いはとどまるところを知らず、モンゴル、中国などのアジア地域を中心に11の国と地域に進出している。
それでも今のところ、ロシアには進出の予定はないようだ。 ≫ 
 △ 日露戦争の余韻が下痢止薬の名前で残っているのが面白い。 
  仁丹の名前の由来も面白い。これは孔子の論語の中で最高の徳=仁の心を忘れないというところから「仁」に想到し、
丸薬を 意味する「丹」とを組み合わせた造語の「仁丹」を合わせ商品名と社名にした。これも正露丸と同じ頃のもの。
* サラリーマンのサラリーは、塩のこと
≪ サラリーマンは、和製英語だが、そのサラリーの意味は、塩から由来している。古代ローマ時代の兵隊の支払いに塩が
使われており、それが貨幣代わりに流通していた。ラテン語で「サラリウム」がサラリーになり、交換手段として、
和製英語として、サラリーをもらう人という意味でサラリーマンになっていった。 ≫  
 △ オーストリアに、モーツァルトの生まれた町ザウスブルグがある。これも、塩(サウス)の取引が行われた場所として、
その名がつけられたと、当地で聞いたことがある。 日本では江戸時代には、米が貨幣として配られていたが・・    
・・・・・・
3935, 驚きの脳力に呆然
2012年01月03日(火)
   * 天才学生、二人の対決
 年末に見た「日本�1の頭脳王!大決定戦!」日本一の頭脳は誰だ? にショックを受けた。 東大医学部の天才、京大医学部の神童、
高校生クイズ最強王、8ヶ国語の達人、数学五輪金メダル、東大法学部トップ弁護士、全国模試1位、などが参戦して超難問に挑戦!
最後は東大医学部の天才と、京大医学部の神童の対決となり、最後の一問で東大医学部の亀谷航平が勝利を収めた。
亀谷は、一度見たイメージは、そのまま脳にコピーされるとか。 やはり天性というのがあるようだ。 私のような凡人が見ていて、
彼らの脳力は想像を絶する。と同時に、凡人にiPadを自由自在に使えるようにして対抗させたら、ある程度までは対抗出来るのでは?
と思いながら見ていた。それから考えるとパソコンとネットを自在に使えるか、否かでは雲泥の差が生じるということ。
    ーネット上にあった問題を幾つかコピーしてみるー
 ◎ 共和党出身の歴代アメリカ大統領を5人書く 
 ◎ 1822年9月7日に当時、ポルトガル皇太子であったその他一般人が「独立か、死か」と叫び、ブラジルの独立を宣言した事を
   起こった地名から「何の叫び」という?というクイズが出題。 正解は「イピランガの叫び」。 
 ◎ 穴の直径は通る砂の6倍以上ある砂時計の中央にあるくびれた部分を何という   正解は「オリフィス」。
 ◎ イギリスの植民地戦争やその他を批判した為、1号で発禁処分となったその他一般人が発行したアメリカ最古の新聞は?
                                         正解「パブリック・オカレンセズ」。 
 ◎ 枕草子に出てくる「はづかしき人」を現代語に訳するクイズが出題。 正解は「立派な人」。
 ◎ 複利で金利2%の銀行預金に100万円を預けて200万円以上になって帰ってくるに最低何年かかる。正解は「36年」
 ◎ 逆立ちすると1.5倍に増える物は何でしょう? 正解 6
 ◎ 東京ドームと同じ大きさのダイヤモンドは何円の価値でしょう?
   ●条件 ・東京ドームの体積=124万㎥ ・1カラットのダイヤモンドの値段=50万円 ・ダイヤモンドの密度=3.5g/㎤
     ※値段は重さに比例するものと仮定 ※答えは 有効数字4桁   正解 1.085×10の19乗円(1085京円)
 ◎ 次の漢字の読みを答えなさい 「萵苣」  正解 ちしゃ  亀谷○ ※廣海は「らっきょう」と誤答
  ーネットで二人の概略を調べてみた。
 ▼ 東大医学部・亀谷航平 = 子供の頃から、教師もあきれる程の天才ぶりを発揮。学力のみならず、その知識量はスポーツから
  漢字まで、まさに桁外れ。日本最高偏差値を誇る、東大医学部の中でも群を抜く!ドクターブレイン亀谷が初代頭脳王の座を狙う!
 ▼「京大医学部・廣海渉」= 幼い頃から神童と呼ばれ、余裕で京大医学部に合格した異色の天才。その知識量は文学から歴史まで、
  まさに無限大。 全知全能の考察力は、他の追随を許さない。奇跡のIQ戦士、廣海が強豪たちを驚異の頭脳でねじ伏せる!
 ー この問題をスタジオのTVカメラの前で、一瞬で答えるのだから驚き。私たちの知らない世界があるのだろう。
・・・・・・・
3570, チョットした小話 ー2
2011年01月03日(月)
    ー 初笑いー
 * 臨月に入った、ある奥さんが電車に乗った時の出来事。上品な紳士に席を譲られ、お礼を言って座りました。
   その紳士が下車する一瞬、紳士の着るスーツの襟に付いた、見覚えのある社章に気付きました。「主人と同じ会社だ」。
   帰宅したご主人に事の顛末を話しました。奥さんから聞いた背格好から推定し調べた結果、顔見知りの、
   別の課の課長さんである事が判りました。課長さんは「ああ、君の奥さんだったのか。こんな事もあるんだねぇ」と言い、
   この偶然について驚いていたそうです。3ヶ月後。課長さんの自宅に、奥さんの名前で一通のハガキが届きました。
   赤ちゃんの写真が印刷され、その横にはこう書き添えられていました。「その節は、ありがとうございました。
   この子は、あの時の子供です」 その日、課長さんの家は、大変な修羅場と化した。
 * 小さな島国の小さな人間がだ。 10年で国を根こそぎひっくり返し、20年で中国と戦争し、40年でロシアと戦争し、
   80年で太平洋全域で戦争し、コテンパンにのされたのに世界二位の経済国になり、アメリカの横面を札束で
   ひっぱたきそうになった。 そんな国が平和を唱えたとして、信じるバカがどこにいる。 
 * るるちゃんはいつも、ママとおふろに入っています。
   ある日の夜、るるちゃんがテレビを見ていると、おふろあがりのパパが素っ裸で出てきました。
   全裸のパパを真正面から見たるるちゃんは、驚いて声をあげました。
  「ねえママ!!パパのあれ、なあに?まんなかについてる、ほら、あれ!」「るるちゃんたら。指差したりしないの。
   あれは大事なものなのよ。もしあれがなかったら、るるちゃんは今、ここにいないのよ」 「へえ。そうなんだぁ」  
  「・・・まあその前に、ママもここにはいないでしょうけどね」    
 ・・・・・・・・
3195, 三が日、つれづれに
2010年01月03日(日)
 今年も明けた。久々に雪は積もり、風が吹き荒れる冬らしい正月である。腰痛も今のところ治まっているし、
少し鼻風邪気味以外は体調は良い。そろそろTVや新聞で、今年の予測が始るが、金融恐慌からくる世界不況は
収まる気配はない。恐慌とはいえ、戦後からの60余年のインフラ整備があるので、一見穏やかに見えるが、
普段の生活に不況感と、周辺環境から聞こえてくる話しは厳しいものが多い。
これまでは、2対6対2の割で、裕福、普通、余裕なし層というイメージが、1対4対5の割りになってきた。
更にいうと平均年収の半分以下(日本では200万円以下)の層が6人に1人の割りであり、母子家庭の過半数が、
その層になっている。 最近の貧しさの背景は、グローバル化と、情報化、ハイテク化がある。
経験でしか得られなかった個々人の能力の大部分が、ハイテク器械とか、システム化で単純労働に置き換えられた。
更に海外から安いものや人が入ってきており、グローバル化による労働賃金や物価の平準化は抑えようもない。
問題の先送りも、いつか数倍になって返ってくる。21世紀は決してばら色ではない。しかし、情報は誰にでも劇的に安く
手に入る時代でもあり、チャンスも無限に広がる。 我われは、生涯を全うするために生きる。その大きな位置を占めるのが
「知ること」である。その意味で、人類にとって非常に良いインフラが劇的に整備される時代である。携帯でミニブログ「ツイッター」
を瞬時書き込み、その場で発信できるようになってきた。先日、地震があった時に、ツイッターに「地震」と入れたら、
「今、地震の揺れで目がサメタ。まだゆれている」という生々しい書き込みが、次から次へと出ていた。 
ツイッターにビデオを貼り付けるソフトもあるから、キーワードを入れると、いつでも現場の臨場感のある情報が行きかうことになる。 
鳩山首相も、今年からツイッターを公開するとか。 去年のオバマも選挙でツイッターを、最大限使って勝利した。
 時代は厳しさを増しているが、無制限に近い状態で情報が入手可能である。 想像を遥かに超えた時代を、
我われは経験を始めた。 誰も、数年先のことは想像すらつかない。 
・・・・・・・・
2830, 新年に、つれづれなるまま! −2
2009年01月03日(土)
  * 自らの文化を大切し、誇りを持て!
 年末30日の産経新聞の一面の岡本行夫の「人界観望楼」の中の一文である。 
  そのテーマは ー歴史は「現在進行形」ー
《 今年の初め、私はある中学校を訪問して、二年生のクラスで質問をした。「君達、松尾芭蕉のことを知っていますか?」
 生徒達は当たり前だという顔で答えた。 「小学校で習ったから、みんな知っている」「えっ、みんな?」
 クラス全員の手が挙がった。「知ってます」に驚いた。これはウクライナの首都キエフの中学校のことだ。
 日本の中学校で同じ質問をしたら如何だろう興味があることだ。 ウクライナの学習指導要領には
「自然を描写して気持ちを表す日本人の国民性を学ぶことにより、ウクライナとは違った文化を持つ日本と
 日本人に対する尊敬の念を養う」とあると、前駐ウクライナ大使の馬淵睦夫氏から聞いた。
 ・・・馬淵氏は「ウクライナは自らの文化を大切し、誇りを持っているからこそ、他国の文化に対して関心を持ち、
 尊敬の念を持つことが出来るのである」と書いている。日本人が胸を張って世界に輸出できるのは、「日本人」である。
 これほど善意で真面目で勤勉な国民はいない。例えば途上国での援助活動において日本人ほど愛情をもち、かつ大きな
 成果をあげている人はいない・・・・ 》 
  以上だが、成るほど、今どきウクライナみたいな国もある。「日本人の特質こそ誇るべき」である。誇るべきことがなければ、
 他者のそれも理解できない。私の通勤途中で、ゴミが落ちているのを見ることは殆ど無い。誰も捨てないし、あっても住民が
 掃除をしている。当たり前の普段の現象が外国に行くと、そうでないのが理解できる。 欧米文化に追いつけ、追い越せが
 果たして進歩なのだろうか。 哲学の世界では、欧米文化主導の価値観に疑問を呈している。
  外を見る目で内を見つめないと! 個人として、企業として、国家として。 
  * 今年になってしまったが・・・
 今年になってしまった。目先はオバマ次期大統領の言動に注目が行くだろう。 問題は、その熱が冷めた後である。
昨年の10月の最初の二週間で、アメリカの銀行は毎日4300億?以上をFRBから借りている。
総額は二週間で5兆ドル以上。それだけお金をつぎ込んでも問題が解決されていない。
ビッグスリーだけを見ても、今後も膨大な損失が予測される。恐らく、ブッシュ政権が隠していた実態がオバマ政権に
移転したと同時に次々に公表されるだろう。その時に世界は真実を知ることになる。 いや、知らしめないか??
・・・・・・・・・・
2008年01月03日(木)
2465, 居場所を見つけたときに人間は変わる −2    ヽ(★>з<)。o○[ォハヨ]
 居場所は自分のアイディンティーと関係してくる。もし、そのアイディンティーが、寄る当ての無いものなら、
寄る当てのあるように変えていかなくてはならない。まずはボタンのかけ違いを一番初めから、かけ直さなくては。
居場所こそ、人間が持っていなくてはならない場所である。私の場合は、机と本棚である。
そこに好きな愛読書とコーヒーカップが有ればよい。 そしてステレオかラジオかTVを置く。 
誰でもが、まず始めることだが!現在なら自分のパソコンと、その中のブログと携帯電話になる。
ブログは、そういう意味で居場所の概念を変えてしまった。携帯かパソコンが身近にあれば、それが自分の居場所になる。
それもあるが、前回にも書いたが、やはり暖かい家庭こそベースになる。
*前回の続きです*
ー 芹沢
この話が告げているのは、悪いことをやる奴には「悪いことは悪い」ときっちりと教えなくてはいけない、
それを強い規律と指導と訓練で教え込もうというような方策が、実は失敗への道でしかないということです。
いまアメリカがイラクに対してやろうとしていることは、それに近いですね。でも、その女性がやったことはそうではない。
盗みでもしなければやっていられないような彼自身の、安心も安全も安定もないようなこれまでの人生を、
ーそれは過去からの歴史が作っているわけですけれども、しっかり受け止めたのです。受け止められた中で、彼が変わっていくのです。
例えば、青年はものすごくケチで、自分のことにはお金を使うけれども、人にプレゼントなんて一切しない人だった。
そんな彼が、彼女にプレゼントを初めてしたというのです。そんなふうに初めて安心、安全、安定できる場所ができ、
ここが自分の居場所なのだと初めて感じたとき、その居場所を作る支えになった人が大切な存在として見えてくるということが
起きているのです。 すごいな、と思います。彼女は母の役割をしたのです。 
母というのは「存在の大地」につながるのだ、とそのケース・カンファレンスを聞きながら実感しました。
(字数制限のためカット2012年1月3日)
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2007年01月03日(水)
2101, ウェブ人間論 −2
  b(^o^)dおっW(^O^)Wはようー♪  
この1〜2年でネットによって社会が劇的に変わりつつある。光ファイバが各家庭へ劇的に普及したことと、
ブログと、携帯電話の進化のためで、この激変はとどまることはない。私の今年のテーマは現在のHPから
「ブログ」への転進である。第一章から内容は深く核心をついた内容になっている。梅田のネット世界が窺い知れて面白い。
 第一章 ウェブ世界で生きる  −? 
  *ネットの世界に住んでいる*
梅田:今の僕は、朝4時に起きてトータルで1日8~10時間位ネットにつながっていて、「ネットの世界に住んでいる」
   という感覚である。僕の仕事は、アメリカで考え事をして、ニケ月に一度日本に戻り日本企業の顧客と議論するという
   スタイルなので、東京にいる間は、打ち合わせなどリアル世界で朝から晩まで忙しいから、ネットにすめない。
   だから僕は「アメリカに帰る」と「ネットの世界に帰る」は同義で、ネットの世界が僕にとって「リアル」なのです。
梅田:ネット上の僕の分身が僕のブログだから、まずそこに行きます。 家族が元気かどうか、
   家は家事になってないか心配する感覚で、分身が異変を起こしていないかを、確かめに行きたいんですよね。
               (以下字数の関係でカット)−2008年01月03日  ーつづく


4674, 閑話小題 ー何だろう、この現象は

2014年01月02日(木)

   * 我ながら気持ちの悪い不思議な現象と城下町小唄 ー正月にインパクトの強い話を一つ!ー
 隣の新築工事の本体が済んで、家周りの庭と駐車場の土間工事に入っているが、何故か長野県の業者が2〜3人で作業を
している。夜はビジネスホテルにでも泊まっているのだろう。ところが書斎に居ると、親方か上司が部下を怒っているのが
まる聞こえ。それが口を極めた罵声で、聞えている私も変になりそう。冬空の雨と霙の中で、あの罵声を浴びせつけられ
ながらの仕事は極限だろう! 様々な際どい場面の経験をしてきたが、冬場での、これは酷いを超え残酷に思えた。 
 2ヶ月前に、近くのSCの上新電機でデジカメを買った時のこと、これも上司が切れて、部下に口を極めた罵声の嵐。
店内のため、声を抑えている分、言葉が鋭くなる。近くの数人の客も驚いて聞き耳を立てていた。これでは言われた方は
恨み骨髄で、殺傷沙汰があって当然と思えるほど。  ーとこで、最近、思わず奇妙なことに気づいた?ー
  ーその前に、私のブログ「バードウォッチ」に書いた一節のコピーから
【 最近、フト気づいたことがある。人生の節目を振返ると、心の底から怒りを感じた相手が高い確率で、交通事故、
 人身事故、大病になっていること。30〜40年前の節目でも気づいたが、ある人が真剣な顔で、同じことを言っている
 のを聞いて「バカくさ!」と思い、その気づきを打ち消した。 再び、この視線で改めて考えると「何か危ない」 私は? 
 怒りを抑えると逆に、相手に何かが起こる? オカルトめいたが、そう考えると、次々と、色いろな現象が思い当たる。
 その思い込みが、その要素を浮かび上がらせるとしても・・・ 】
▼ 一昨年の10月になるが、旅行に出発しようと自宅を出たところ、痴呆らしき?80過ぎの爺さんに4〜5Mの背後に
 つかれ、罵声を200mの間、浴びせつけられた。しかし振返ると目をそむける。で、川端で人けが無くなると、恐ろしいのか、
間隔を広げ、更に大声を張り上げているが、何を言っているか意味不明? 数日前に旅行ケースを宅配に出すのを隣の
地銀勤めの奥さんに見られ? その噂話を爺さんとしているタイミングに、私が玄関を出たようだ。その地銀の借金はないが、
銀行員なら蟄居の立場?で旅行など悪行そのもの?(銀行員でなくても同じ?)しかしニャロメと続けるのがライフワーク! 
何の迷いも、引け目もないし、過去の旅行は全て同じような条件下。それでも行くから価値がある。その後、痴呆老人が、
パンクの修理先の自転車屋の主?と思い当たった。とすると以前から狙われていた?リピーター客を狙うとは言語道断。 
当人は落人狩りの地侍の心持ち?私が両手に鞄を持って大丈夫と思ってか、自分の激怒に酔っている風。パンク修理の間の
世間ネタの材料の仕入れ?の世間様レベルの現象が全世界の人? 色分けで戦中派の「C」さん で、旅行の見送り?
として盛大な旗振り役? 旅行先から帰って交番に届けたが「罵声では犯罪にならない」という。その半年後の昨年春先、
パンク修理のため、本人確認も含めて店に行ったところ、本人は動転。「雪道で転んで腕を骨折して修理は無理!」という。
 おあとは、次回のお楽しみ・・ それにしても、こういう手合いの話題なら山ほどある私は何? ハ? (σ・Д・)お前バカ!
                                          暇暇 娑婆娑婆 ーつづく
・・・・・・
4309, 読書界の創造とネット世界
2013年01月02日(水)
   * 活字人間の形成      「グーテンベルクの銀河系」マクルハーン著
  −この著書を、レビューの書き込みなどをベースにして要約してみるー
≪ 現在、現実世界とは別にネット社会が形成されている。ネットの普及とスマートフォンの出現が、これを更に推し進めている。
 ところで、中世の三大発明(印刷、羅針盤、火薬)の一つの活字を用いた印刷が、それまで思いもよらない新環境をもたらした。
「声から文字へ」は人間の意識にとって大きな革命である。ルター、カルヴァンによる宗教改革。彼らが掲げたプロテスタントの
教義「聖書のみ sola scriptura」を下支えするのが活版印刷。 堕落した権威の手から聖書を、あるいはイエスを解放する
この運動とて、マインツ発の偉大なる技術革命なくしては、そもそも成り立ちえなかった。グーテンベルクが刷り上げた最初の
テキストは聖書。それから一般の知識を伝えるメディアとして、「読書界」を創造されていった。 マクルーハンによれば、
アルファベットの発明と印刷技術の発明によって、西欧社会は「視覚」だけを異常に強調する文化をつくり出した。
固定された視点が捉える均質的な視覚情報 ─つまり印刷されたアルファベット─ のなかにあらゆる対象を写し取ることで、
西欧人はある意味で非常に歪曲された世界像、宇宙像を手に入れた。これをマクルーハンは「グーテンベルクの銀河系」と呼ぶ。
 西欧社会に現れた「グーテンベルクの銀河系」は、世界についての認識を単一の感覚に還元してしまい、単純な記号の直線的
配列によってすべてを表現しようとする。また、印刷されたアルファベットはそれ自体が意味を持つのではなく、あくまでも
「意味されるもの」の代理(=表象)でしかない。無文字社会の口語文化にあっては、言葉はそれ自体が豊かな「意味」を
まとったものとして人々の心に響いていたのだが、文字社会においては「意味」は形而上学的な世界へと追いやられてしまう
ことになったのである。 この「グーテンベルクの銀河系」は、西欧社会の「知」に推論の厳密さを保証する一方で、分析的理性に
偏重した視野の狭さをももたらした。 印刷技術の誕生は、単純な進歩ではなかったのである。
「どれかひとつの感覚が切り離されると他の感覚どうしの比率が必然的に狂って自己感覚が失われてしまう」のであり、
「五感どうしを切り離してしまう新技術には当然催眠効果があった」のである。
 それに対し、現代のラジオやテレビといった電波メディアは、「聴覚」を復活させ、「視覚の極端な優位」から「五感の調和」
へと人々を連れ戻す。 調和のとれた五感による世界認識のほうが、カトリックのマクルーハンにとっては、神が創造した世界を
リアルに捉えられるということのようだ。そのかわり、この五感調和的で総合的なリアリティは、単線的な論理の筋道によって
表現できるものではない。世界は「場」のようなイメージで捉えられるべきであって、マクルーハンはその「場」らしきものを、
本書の活字空間のなかに描出してみせたのである。「メディアはメッセージである」という有名なテーゼに代表されるように、
メディアの「形式」が人々の精神文化にいかに強い影響を及ぼすか、というのがマクルーハン理論の最大の要点だとされている。
だが、訳者もいうように、五感の調和によるリアルな世界認識を復興させよ!というのが本書の核心的なメッセージではないか。≫
 ▼ 口語文化から、活字文化へ。そして今は「映像文化」へ、移り、今度はネット文化が出来つつある。口授から、書物へ。
  そして現在は、電子映像、電子書籍文化に移動しようとしている。それが現在、ネットで世界中を行き交う情報革命として、
  我われの存在意義を変えようとしている。 この数年来、手の平にのるスマートフォンやタブレットPCが急速に普及している。
  文字に映像や写真が添付された情報が直接、ネットで個々の間に行き交う文化が生じてきた。これが時代を根こそぎ変えている。
  また電子書籍たるものが、読書界を大きく変えている。グーテンベルクの銀河系が、ジョブスの銀河系に移行始めた。
  その行き着くところは、未だ誰も知らない。
・・・・・・・
3934, 新年にあたり ー2
2012年01月02日(月)
 * つれづれに
 スーパーイヤーになる今年、どうしても暗くなりがちになる。
2008年9月のリーマン・ショック以来、一年ごとに世界は大きく変化をしてきた。
去年も想像を絶する大事件が相次いだが、今年は、それを遥かに上回る可能性がある。可能性として考えられるのが、
・欧州発の世界恐慌 ー世界的株式と国債の暴落、食料品の暴騰・・・
・イランによるホルムス海峡の閉鎖と、閉鎖した海軍と軍事基地への英米軍の攻撃、イスラエル軍のイランの核施設攻撃等
・中国による支那海など周辺諸国に対する侵略
・北朝鮮の政治的混迷・・
・日本の株式と国債の暴落と、円安など、多くのマイナス要素が山積である。
中国、ロシア、フランス、韓国などのトップの選挙がある。そのため現体制は人気とりの戦争をやりたがるのは、世のならい。
その意味でも今年は非常に危ない年。恐慌と戦争は、相互に影響をするため二重の危険性がある。 一兆円の70倍が7京。
その不良債権が世界各国に眠っている。それらを何時までもほうっておく訳にいかない。 日本国民の生活も、今後10年で
厳しい状況に追いやられる。それでも日本人は、それに適応するしぶとさがあると信じる。 アメリカに依存してきた日本が、
どこまで独立できるかだが、見通しはよくない。スーパーイヤーの断面をジックリと見ることになる。
ところで次の大地震、どこの国で発生するのだろうか? 
 ・・・・・・
2011年01月02日(日)
「語りえぬものからの問いかけ」 ー東大駒場〔哲学・宗教・芸術〕連続講座ー
   《「言い表せないもの」の詩学 −チュッチェフ『沈黙』の逆説 ー沼野充義 》の沈黙」
  * 究極の逆説
 ー まずは、沈黙せよと言いながら、沈黙を破り、この文章を書いている矛盾そのものが、以下に書かれている ー
【 ーそもそも「沈黙」をめぐる詩が存在するということ自体、なんだか妙なことではないか、ということなのです。
「何を言っても他人には理解されない、何かを口に出したら嘘になるのだから、沈黙せよ!」と主張している詩人がみずから
 その主張に従ったら、詩は書かれなかったはずではないか。そもそも「沈黙せよ」という主張を言葉によって行なおう
 とすることのうちに、矛盾がひそんでいます。厳密に論理的に考えると、これは「クレタ人はうそつきである、
 とあるクレタ人が言った」という、あの有名なエピメニデスのパラドックスにも似た状況でしょう。
 もっとも、私は哲学にも論理学にもまったく疎いのですが、言語芸術を多少なりとも扱う立場からあえて理屈をつけると、
 その「矛盾」とはこんなふうに説明できるのではないでしょうか。 つまり、
  ;言語とはそもそも「何かを言い表す」ために人間が獲得した道具である、
  ;しかし、その言語をもってしても「言い表すことができないもの」がこの世界には存在する……。いや、ここまでならば、
   特に妙ではありません。 どんな道具にも、どんな技術にも限界がある、それだけのこと。しかし、その先に、もう一つ、
  ;その「言い表すことができないもの」について、それでもわれわれは何かを言い表している、なぜなら少なくともそれが
 「言い表せない」ということをわれわれは言っているのだから、という段階が付け加わると、やはりこれはなんだか妙な事態、
 ここにはどうも解きほどきがたい厄介な問題が含まれているのかも知れない、という気になってきます。
  無意味な屁理屈のように聞こえるかも知れませんが、ある意味ではこの厄介さこそが言語による表現の本質ではないでしょうか。
 言語によって何かを表現しようとするものは必ず、その表現の限界に行き当たります。「言いたいことが自由に言えるから、
 それがそのまま作品になった」とのんきに言っていられる文学者は、じつはまだその限界に突き当たっていないだけでしょう。
 真の創造のプロセスは、むしろその先にあります。「言い表せない」ものに向き合ったとき、それでもなおかつそれをどうやって
 言い表すことができるのか、この観点からすれば、文学的表現だけでなく日常言語でも常に使われる直喩や隠喩、換喩といった
 比喩的表現の数々も、「言い表せないもの」をなんとかして言い表そうとする人類の古くからの努力の結晶ではないか、とさえ
 思えてきます。本来、比喩とはあるものを、それ本来の名前で呼ばずに別のものの名前を持ってくる、という手法です。
 どうしてものや現象をそれ本来の名前で呼ぶことができないのか、それは究極的に、言語が不完全なものだからです。 ー 】
  ==
  沈黙するしかない弱者にとって、「語りえない」はありがたいことなのか、それとも、この言葉に反発を持つのか?
 どうであろう。言い尽くせなくとも、限界の範囲の言葉で残しておく必要性はある。 チュッチェフの詩「沈黙」は素晴らしい!
・・・・・・・
3194, 句読点とは妖精のようなもの! ー1
 2010年01月02日(土)
毎日、文章を書き続けていると、文章作法で色いろの問題にぶつかる。といって、誰も教えてくれない。
小説(の書き方)などには、作法の習得は、多くの本を読んでの我流という。「文章の書き方」とか、「小説の書き方」とか
いう講座もあり、経験則を教えているようだが、突きつめると独学しかないようだ。 とにかく量をこなすしかない。 
まずはテーマと構想をたて、とにかく書いていく。そして起承転結の体裁を整えて、その後に、添削するしかない。 
そのプロセスで更に考えるのである。そこで一番の問題は、「 、」と「。」である。 後者は、とにかく三段論法で
「。」で締めればよい。しかし、「、」となると、難しい。 何かの本で、「ね」と入れて、ゴロが合えばよいとあった。
 「片耳の話」秋山駿著、の中に【句読点とは妖精のようなもの】という小項目があった。
ここで「泰西の画家が、裸婦のオヘソを、しかるべき位置に遅疑なく描くには、30年かかったというが、
句読点の置き方にも、それに比されるところがある。」と、あった。  句読点の打ち方に何か法則があるか調べたが、
それは、本人の息のつき方と同じで、決まりないという。 それが読むものにとって、奇異であれば問題である、等等で、
エイヤッと、これまで書いてきた。 量をこなしているうちに、自然と収まるようになってきた。 
裸婦のヘソの位置と同じで「量を書くしかない」ということ。 この文章でも、句読点の位置には違和感がないはず?。 
この随想日記を書き始める前の文章の句読点は、ところどころ変なところで、うってある。秋山駿は、そこで「句読点は、
文章の流れの裡に内在し、言葉の連続の間に出没する、何か妖精のようなものだ。自分勝手にならないし、私の要請を聞かない。
あちらが戯れに出現したり消えたりするーその音調に耳を澄ますしかない。」いうが、なるほど納得する。 
句読点とは、そういうものか。毎日、句読点と闘っているからこそ、その辺は納得できるのである。    −つづく
・・・・・・・・・
2829, 新年に、つれづれなるまま!
2009年01月02日(金)
 *年金でも貰うか
1月15日の誕生日で厚生年金が満額貰える年齢(63歳)になる。65歳かどうか迷ったが、貰うことにした。
といって、月あたり20万円の厚生年金と、家内の給料と、年金が満額まで貰えるまで減額した?万円の私の給料の総額では、
一割ほど手取りが少なくなるが、よしとした。これで会社の役員賞与を350万もカットできる。今年は更なる経費のカットが必要。 
中小企業は辛いが、スリルとサスペンスが面白い! 早く貰わないと、今後日本の年金そのものがどうなるか分からない。
「60歳までに、したいことを全てやってきた」という満足感があるので、金銭欲も、それほど無くなった。
次が家内が厚生年金を満額貰える年齢がポイントとなるが。そういう年齢になったということだ。
 *年始のTV番組
年始の一週間分のTV番組を見ると、どの局も地味なものばかりである。大不況のためスポンサーが節約したのだろう。 
あまり声高に言わないが、2009年は大恐慌突入の年になり、大荒れになるのは周知の事実。といって、どうすることも出来ない。 
大荒れの中で身を委ねるしかない。
 *新幹線がガラガラ
年末の29日・30日の新潟行きの9時前後の新幹線は、例年は座れないほどである。それを覚悟をしたが指定席も、
自由席も三分の一も乗っていない。今までなかったことである。恐らく、高速バスとか、夜行列車とかに分散したのだろう。
 *イスラエルが変
イスラエルの政情が変になってきた。イラン攻撃への一つの動きなのだろうか? そのためか原油が少し値上がりに転じた。
これも計算の上なのだろう。もちろん、攻撃を事前に知った資本が原油の先物を買い増しているはず。
こういう時期は戦争に目を向けさせて、思い切った政策を採るのが常套手段である。
 *昨夜は殿町で・・
 (字数の関係でカット2011年1月2日)
 ・・・・・・・・・
2008年01月02日(水)
2464, ロールモデル             d・д・)ノ〔● ォ'`ョゥ○〕
「ウェブ時代をゆく」−3  読書日記
  著者が見出したという「ロールモデル」という言葉が面白い。
 人間は、自然と色いろな付き合いの中で、何人かの「ロールモデル」をさがし、無意識で真似をしているうちに
自分の個性を作り上げているものだ。技術や文化に関する知識だけではなく、人間の行動パターンでも、
巨人の肩の上に立つことが可能であるという考え方である。企業では、ベンチマーキングという手法でモデルとなる
会社の優位点を真似るが、何故か人間の行動パターンについてはマネをする手法を敢えて取上げない。
子供には、偉人の伝記を勧めるが、大人になると見向きもしなくなる。「ウェブ時代をいゆく」で、「ロール・モデル」
という言葉で上手く手法として提示している。 学生時代に「ロール・プレーイング」という役割演繹をゼミで一年に
わたってしたことがあったが・・・ それは、問題が起こった当事者として解決方法を実例を元にするものだが。
 ーP−119・ 120
 著者の梅田望夫の 『ロールモデル思考法』とは、その答えを外界に求める。 直感を信じるところから始まる。
外界の膨大な情報に身をさらし、直感で「ロールモデル(お手本)」を選び続ける。たった一人の人物をロールモデルとして選び
盲信するのではなく、『ある人の生き方のある部分』『ある仕事に流れるこんな時間』『誰かの時間の使い方』『誰かの生活の場面』
など人生のありとあらゆる局面に関するたくさんの情報から、自分の合うロールモデルを丁寧に収集するのである。
自分の内から湧き出る何かが具体的に見えなくとも、「ある対象に惚れた」という直感にこだわり、その対象をロールもでるとして
外部に設定する。そしてなぜ自分が惹かれたかを考え続ける。それを繰り返していると、たくさんのロールモデルを発見することが、
すなわち自分を見つけることなのだとだんだんわかってくる。自分の志向性について曖昧だったことが、多様なロールモデルの
総体として、外部の世界からはっきりとした形で顕れてくる。そのときどきのゴールとなり「けものみち」における灯台になるのだ。
 ーー
この思考法は『大事なのは、「自分はこれをやりたい」というものを見つけること。それが人生で一番大切なようだ。
・・自分が何にむいているのか、何がすきなのか、見つけるのはやさしくない。それでも何とか見つけ出さなければいけない。』
小柴昌俊の言葉からそれを見つける方法とは何か?を著者は考えた末に外界の偉人のモデルをみつけ、その行動、
考え方を真似ることを提案した。面白いといえば面白い。無意識で誰もがしてきたことだが・・・
また偶然に、去年の同日に彼の前著の「ウェブ人間論」の読書日記を書いていた。無意識が呼ぶのだろう?( ^_^)/バイ


4673, 2050年の世界 ー24

2014年01月01日(水)

    * 人口の配当を受ける成長地区    「2050年の世界 ー英『エコノミスト』誌は予測するー」 
   第一章のまとめ 人口の配当を受ける成長地区はここだー の要点から
・人口動態はある程度確実に未来が予測ができる指標であり、すべての予測の基礎となる。
 世界的趨勢として高齢化が進み、世界の平均年齢は、二〇一〇年から二〇五〇年までに九歳上がって三八歳となる。
 富裕国では、百歳まで生きることが普通になる。
・その中でアフリカは人口が増大化し、労働年齢人口も増え続けるという入口の配当を受ける可能性が高い。
 二〇五〇年までに予想される人口増加分二三億人の半分はアフリカで増える分だ。
・中国の人口は、二〇二五年に一四億人でピークを迎え、その後減少に転じる。
・人口の都市化も大きく進む。二〇一〇年には、世界人ロの半数が都市部に居住していたが、
 二〇五〇年には七〇パーセントに近づくと予想される。
・人ロ増大にともなう、地域紛争の激化はない。
・今後四十年間、世界人口の増加のほとんどは、温室効果ガスの排出が最小水準の国々で生じると予想されるため、
 二酸化炭素や化学物質が激増する結果には必ずしもつながらない。しかし、増えた人々がどう生活するかで結果は変わる。
・出生率は世界的に低下し、二〇五〇年には二・一になると予測される。
 その結果・世界の人口増のスピードは減速し、やがて人口増加はとまる。
・出生率の低下は、ある世代のみが突出して多いという現象を生み出し、その世代が年齢層のどこにいるかで、
 その国の経済が変わってくる。この出っ張り世代が子供から労働年齢に達したとき、その国は急成長する。
 これを「人口の配当」という。さらにその世代がリタイヤし、被扶養世代になると、その配当は負に変わる。
・これから人口の配当を受ける地域は、インドとアフリカと中東である。しかし、若年層の膨らみは政治的な不安定要因になる。
・これから人口の負の配当を受けるのは、日本と欧州、中国である。ほかとは比較にならないほど人口動態の負の配当を
 受けるのは中国だ。安い労働力による世界の製造工場の役割を中国は終える。日本は世界史上未踏の高齢社会になる。
 ▼ 日本と欧州は大きく衰退、中国は、当分の間「人口の配当」を受けた後、衰退する。その間に、日、米、韓国と、
  中国との戦争も充分に有り得る。「地球上の繁栄の重心地域は地球を左手回りに移動する」という説がある。
 中国からモンゴル、欧州、そして現在はアメリカである。 これから中国・インドに当分の間(30年)、重心が移動。
 その後、インド、アフリカに移動していく。消費人口の増大が、年月をかけて質に転化していく、ということ。
 情報化による知識の均質化が、その後押しになる。「37年先の2050年の逆、1977年に遡り、現在を予測できたか?」
 というと、遥かに想像を絶した世界になっている。情報機器や、科学技術の進化の加速からみて、予測不能である。
 その証明の目安として、この予測が使われるとしたら、少し物足りない内容である。

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4308, 新年明けましておめでとうございます!
2013年01月01日(火)
    * 新年、つれづれに
  新年明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします!
新年の文章を書くにあたって、これまで書いた元旦の文章を読み返してみた。それぞれの時代背景にした
紛れのない自分と出会っているようで懐かしいが、この感覚こそ書き残す秘儀(意味)がある。
読み返してみると年々、時代背景が厳しくなっているのが分かる。一昨年から一線を退いたため、どうであれ、
直接的リスクは無いが、その厳しさは尋常でない。 悪い悪いと騒いでも、一線に立っていればこその問題。 
恐慌という名の大津波が来ようが来まいが、今のところ今日明日の生活に変わりはしない。
不安も期待も妄想でしかないが、現実の大津波(恐慌)は現に足元に浸水してきているようだ。 
去年は数年来の中で比較的安定?した年だった分、今年に持ち越された。 
 恐慌で直接的に影響を受けるのは、年金生活者と零細・個人事業者の弱者たち。その辺りの悲鳴が聞こえ始めているが、
実際のところ、本格的恐慌は起こってみないと、具体的事態か分からない。 やたら狼少年みたいに「大変だ大変だ」と、
ことさら騒ぐこともない。 騒いでいるのは、最初に直撃を受けた私ぐらい? 頭が切り替わってない以前の感覚で、
この事態をみているため、新年早々から、こうして書いているだけか。 
 暗い話は、そのぐらいとして、昨日、談志の「芝浜」を再放送でみた。今まで5〜6回はみているが、何度みても良い。
行商をしている、魚屋の主人公に談志が乗り移った演技が鬼気迫る。 本人が何かの座談で、「魚屋のオヤジが、
自分を支配し話をさせている」と言ったのを思い出しながら聞いていた。形相は、芝浜世界の魚屋行商の勝そのもの。
TVの罪悪について、ことさら言うが、こういう名人芸を茶の間で横になって聞くことができる良さもある。
独り、部屋で、本を通し芝浜世界の落語を読むのも良いが、魂の全てを投げ打った名人芸を居間で聞くのも悪くない。
ということで、今年も、さらに独り遊びを切り開いていきたい。 平日二時間、図書館での長編小説世界の沈殿?
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568、年始、つれづれに
2011年01月01日(土)
 新年明けましておめでとうございます。 今年もよろしくお願いしま
   ー 現在は、20万年、200万年に一度の変革期か?ー
 「20〜200万年に一度の変革期というのは、果たして本当か? 
もし本当なら世界に何が起き始め、更に何が起ころうとしているのか」を、このところ何度も独り考えている。
20万年前は人間が道具を使い出した時期、200万年前は言語を使い出した時期。以来、人間の脳と行動が他の動物と変わっていった。
そして気候等の大変動があった1万年前、その事態を乗り越えるため牧農を始めた。それまで自然の恵みを採取していた生活から、
人間自らの手で牧農をすることで、その変動を乗りこえた。それが村落をつくり、都市をつくり、5千年前の5大文明になっていった。
数百、数千年先からみたら、現在がその時になる。以来の大発明がネットとデジタル機器であり、大変革の開始になる。
 まず、これが「言語と道具以来の人類にとってのツールか?どうか」である。 ネットが世界中に張りめぐらされて、
キーワードを介して瞬時に情報がやりとりが可能になったことは、世界が電脳化したことになる。これは、世界を根底から変化する
力を持つことになる。 人間が言語の使用を始めてから、脳の言語脳の機能が永年かけ進化してきた。それが他の動物との絶対的な
差異になっている。その脳が、電子脳として世界中にネットで結ばれ、それが人間の意識、生活を根本から変えている。
それからみて、20万年、200万年の境目と認めてよいのではないか? こう考えると、世界が行き詰っている原因は、
20万、200万年に一度の人間社会を根底から変え始める境目であると見てよいのでは? このIT化社会の到来が、この数百年、
数千年かけてつくり上げてきた在り方を根底から変えている、とみてよいだろう。 この仮説?は、20世紀末から21世紀にかけて始った
情報化社会が始り、それをキッカケにして世界が激動を始っていたのである。それと環境問題も含めて、20万、200万年のスパンで、
人間の進化と、ありかたを考える時期に来ているのである。 現代に生きている私たちは、これを地球の有り方を考える、
ツールにし、これまでの価値観を見直すに丁度よいテーマになる。 時代は、100、500年スパンでなく、数十万、数百万単位の
変化の中に入ってしまったようだ。それが地球の環境問題であり、頻発する地震などの天変地異も関連している。これが21世紀!
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3193, 新年にあたり
2010年01月01日(金)
* 「日本は、既に恐慌に入っている!」 まず、これを前提にしないと!
  これまでの、「新年にあたり」を読み返すと、一年一年、経済の悪化がジワジワと身に迫っているのが分かる。
  今年も経済悪化の進行の中で年が明けた。 経済はデフレスパイラルに入ってしまい、企業も売上減が更に深刻になる。 
  緊急対策で何処まで持ちこたえられるかである。 失業率は10パーセントに向けアップを始め、社会的にも不安定度が増す。
  これまでと全く違った時代になったと割り切るしかない。 自民党は、政治一家の三代目を立て続けに首相につけ、
  更に、今度は民主党も三代目の鳩山、乱世のトップには相応しくない。このウネリからみて、2〜3年以内にデフレから
  ハイパーインフレに転じて、円と株と日本の国債が暴落は避けられない。その事態が現実になるまで日本のトップはなす術がない。 
  アメリカは、まだまだ政治も、経済も悪化、日本は既に世界に先駆けて恐慌に入ってしまった。それを、まず認めることである。
  その辺のことをハッキリしておかないと判断を誤る。 何で恐慌の中で株価が1万円なのか?これは緊急対策などでカンフル剤を
  うっているからで、これも目先の対策でしかない。いずれカンフル剤も続けられなくなる。 兎にも角にも、目先を、どのように
  乗り切るかである。世界恐慌に入ったのである。 今年も大変な年であるのは違いない。 恐慌も、何も、生きていればこそである。
* 今年は「閑吟集」のチロリチロリチンチロリ がピッタリか?    「一期は夢よ ただ狂へ」か〜!
   よのなかはちろりに過ぐる ちろりちろり (49)
   何ともなやのう 何ともなやのう うき世は風波の一葉よ (50)
   何ともなやのう 何ともなやのう 人生七十古来稀なり (51)
   ただ何事もかごとも 夢幻や水の泡 笹の葉に置く露の間に  あじきなき世や(52)
   夢幻や 南無三宝 (53)
   くすむ人は見られぬ 夢の夢の夢の世を うつつ顔して (54)
   何せうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂へ (55)
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2828, 新年にあたり
2009年01月01日(木)
  新年が明けた。 「新年明けましておめでとうございます」と言っていいものか?
「門松は冥土の旅の一里塚、目出度くもあり目出度くもなし」は、一休宗純が読んだ句だが、今年の正月にピッタリである。 
大暴風が本格的に吹き荒れる、何でもありの年になる。松井孝典の「共同幻想」「自己幻想」「他幻想」という言葉で、
現在起こっている問題を考えてみる。《宇宙から地球を見ると地表に何やら光を発している生物がいる。彼らは知的進歩をしている。
彼等は共同体をつくって、共同幻想を抱いている人間とかいう。何で共同幻想を抱くのか? それは自己に対する幻想と、
自分以外への幻想を抱く癖があるからだ。それは言葉という情報伝達が起因している。》これは私の解釈した要約だが・・・
 そこで「幻想」、「共同幻想」のキーワードで、この金融恐慌を解きほどいてみる。アメリカが社会主義に勝利し、
自由主義を推し進めた結果、「自由経済主義が絶対!」という共同幻想を抱いてしまった。世界の共通言語の英語、主軸通貨のドル、
世界最強の軍隊の存在の裏づけをもって、アメリカが当分の間、世界支配が続くと思い上がった。そのうえアメリカだけでなく、
世界全体が共同幻想を持ってしまった。そして内需を掘り起こすため低所得者に危険なサブプライム・ローンを貸し出し、
それを債権化して他の債権と混合し世界中にばら撒いた。 住宅が永遠に値上がりする前提だったが、住宅バブルが破裂すると同時に
債権は毒入りになってしまい、無価値化した。 2008年9月15日に、もろくも共同幻想が崩壊し、債権と、ドルへの信頼が破壊された。
 自由がいき過ぎれば、不公平になる。そこで自由が制限せざるを得なくなる分岐点が、今年である。 
災難に会うときは、災難に会うしかない。 会えば会ったで、何とかなるもの。 今年はチェンジ=変化がキーワードになる。 
チェンジするためには、過去の破壊へのチャレンジが必要になる。そこにはコンペティション(闘い)が生じる。 
今度のチェンジは数百年に一度の経済、社会変動である。21世紀への変身への壮絶な闘いと挑戦が要求される。 
目をそむけないで変化を凝視し、前向きに立ち向かうしかない。 そのうちに、気づいたら、その変化に適応しているのだろうが。 
薄笑いでいくか、今年は!巣篭も、また楽しいもの。 そういえば、昨日、家電店で46インチの液晶(PDPでない)、
98000円で売っていた。韓国製だが、画面は綺麗であった。 巣篭もりに、丁度良い? 少しは群れから離れるのも必要では? 
世界が総アウトサイダーになると、それはアウトサイダーでなくなる。 
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2008年01月01日(火) 
2463, つれづれに −元旦
  新年明けましておめでとうございます   ○┓  今年もよろしくお願いします。
昨日は腹痛と頭痛のために一日寝込んでしまった。大晦日に寝込んだのは初めての経験である。
風邪の一現象なのか、それとも飲みすぎと寒さのための腹痛なのか、まだ分かってない。重症でないの確かのようだが。
時々居間に顔を出して紅白は最後の30分しかみてないし、K-1も殆どみてない。今日は次男夫婦が里帰りで夜、
外食の予定だったが私は無理だろう。今年は、大荒れの年になるだろうし、去年の後半から、その兆候は出ていた。
世界的には、サブプライム問題、原油の暴騰、テロ、温暖化問題、インフレ兆候など地球規模で次々と問題が噴出。
その広がりがより大きくなる年である。国内では、自民党の惨敗、安部前首相の突然の辞任と混乱、石油の高騰、
そして柏崎沖地震等、これらの影響は今年になって深刻になる年である。今年は、国内では政権が民主党に移動、
それによる政治的混迷と、アメリカ大統領の選挙と民主党への政権の移動などから、思いもよらない事態が生じるだろう。
考えれば考えるほど、悲観的になってしまうが、事実であるから仕方がない。割り切って一つずつ乗り切るしかない。
ーー
四四太郎の霊日記ー16 人(_ _ )
新年になりましたか! 400年も昔の世界から来たものから見ると何とまあ、忙しない時代である。 
それでも、この物理的な豊かさがある、食べれない心配から見れば、御主の世界はあまりに恵まれすぎじゃ。
一日一日を、充分楽しめばよいじゃないか。四百数十年のスパンの視点から見ても、面白い時代になったものじゃ。
この境目に生きているだけでも、充分に恵まれている筈である。ワシが御主に言いたいのは、せっかく娑婆に生を受けたからには、
その時々の「いま、ここ」に活なければならない! ということじゃ。また、説教的になってきたか。
今年は、御主も気がついているようだが、大荒れの年になる。それも御主等が考えている範囲を超えてじゃ。といって、それが何だ
というのだ。大荒れ結構、問題など目を逸らさない限り乗り切れるものじゃ。 ただ、常に長期的な視点で先手を打つことなくして、
理屈を捏ねているだけでは、最悪の事態になるだろう。こうしてみると、文明など何だというのか思ってしまう。
集団自殺じゃないか、それも他の動物を巻き込んだ。全く。今年は、ともかく気を緩めないこと!それだけは言っておく。
 それにしても、羨ましいことじゃ、生きていること、そのことがだ。
・・・・・・・
2007年01月01日(月)
 2099, 新年にあたり   新年明けましておめでとうございます ○┓ 今年もよろしくお願いします。
 2007年から5年間は大きな転換期に入るが、時代はどの方向に向かっていくのだろうか。
情報化が人間を、社会のあり方を、根底から変えている。その中で私たちはどのように身を処してよいのだろうか。
1995年から2005年まではインターネットの時代、2006年から10年間はブログと、グーグルの時代というが、
それがはっきり見えてきたのが昨年である。今年からはより鮮明に具体的になる年であろう。
その一つがグーグルアースで、これは驚愕といってよい。しかしこれは、グーグルの料理でいう前菜でしかない。
通常の地図の他に衛星からの写真があり、建物の一つ一つが明瞭に識別できる。衛星写真で最大限にすると、
地球全体が見え、そこから高度を下げていくと、地上の状況が次第に詳細に見えてきて、車までみえてくる。
最近になって、飛行機の操縦桿みたいなものがついて、ヘリに乗って飛び回っているようになっている。
グーグルの地図ソフトは、一年前まではいくら金を出しても個人では入手できないものだった。 
それが、家の机に向かったまま無料でみることが可能になった。その他にも、図書館に存在する書籍の検索を、
グーグルが始めた。まだ始まったばかりなので初期的段階だが、これが進めば検索の対象になる情報が飛躍的に拡大する。
   (字数制限のためカット 2011年1月1日)
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2006年01月01日(日)
1734, 新年にあたり (σД≦)ネムゥ〜 ☆・゚+。*゚・.+´
                  あけましておめでとうございます 今年もよろしくおねがいします`。
  2006年元旦である。 心新たに、新年をむかえる気持ちがよい。
  雪が積もってないと墓まいりが行事になっているが、これほど積もった場合は行かない。
  あと二週間で還暦になる。「60歳を一つの大きなゴールとして、それ以後の全てを詰め込んでしまえ」
  と思って生きてきたので、この年越しは感慨が深い。「思い残すことはない!」というのが実感であるが、
  「本当に思い残すことはないのだろうか?と一年かけて考えつくすことと、これからの十年のデザインをする」のが
  今年一年の課題である。 ま!ー^)/C□~~ コーヒーいかが?今年も情報化の影響で、
  さらに大きく世の中を変えるだろう。 (字数制限のためカット 2012年1月01日)
・・・・・・
005年01月01日(土)
1369, 新年にあたり
 さて今年が始ったがまあ元旦の清々しい気分がよい。去年、世界的にも身辺でも災害が続いた。
 オリンピックに、アメリカ大統領選挙、国内では参議院選挙も重なって刺激の強い日々が続いた。今年はどうなるだろうか。
 早生まれなので、来年早々に還暦を迎えることになるが、多くの同級生が還暦を向かえることになる。 
 やはり感慨が深い。「とりあえず60歳まで!」と、人生を生きてきたのであと一年の余白を何で埋めるか、
 この一週間じっくり考えてみたい。その意味で今年は、思い切ったことをしたい。4月からは、銀行のビッグバンがある。
 特に地方銀行は、待ったなしの年になる。風評だけで倒産になる可能性が出てきた。 大きな再編成は必至だろう。
 特に地方は大きな変わり目になり、多くの倒産・再編成がおこるだろう。ますます、刺激的な日々が続く。
 それにしても大晦日と元旦では全く違う感覚が非常によい。この時代、あまりにも変化が激しい。しっかり足元を見つめていないと!
 自分を見失ってしまう。面白いといえば面白い時代でもあるが。 今年の私のキーワードは「3C]である。
 チェンジ・チャレンジ・コンペティションだ。 白紙に戻って、変化・挑戦・闘いをし続けなくてはならない。
  年始から少し硬すぎる内容になってしまった。楽しんでやっていれば良い。ー過去の元旦の文章を見ると面白い。
元旦の気持ちはいつも同じようになる。また、時代時代の背景がクッキリ見える。書くということは、気持ちをパックしてくれる。
去年の元旦の日記に「グリーンランドに行く」と書いてあったが、実際のところ忘れていた。

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