堀井On-Line



4276, 100の思考実験 ー2

2012年11月30日(金)

             「100の思考実験: あなたはどこまで考えられるか」 ジュリアン バジーニ (著),
    * ギュゲースの指輪
  次に印象的だったのは「ギュゲースの指輪」である。 ウィキペィデアには次のようにあった。
≪ カンダウレス王の治めるリュディア国に住む牧人のギュゲースはあるとき地震にあった。
 地震の後に畜群を放している山の手に洞窟が現れたのを見つけた。入ってみると中には玉座に遺体が置かれていた。
その遺体は金の指輪をしており、ギュゲースはその指輪を盗み出した。戻ってきたギュゲースは指輪を身につけてあれこれと
探るうちに指輪を内側に回すと透明になって体が見えなくなり、外側に回すとまた見えるようになることに気づき、悪だくみを
思いついた。家畜の様子を告げる伝令として宮殿に入ると、透明になって后に近づいて姦通、密謀してカンダウレース王を殺し、
位を簒奪した。豪富で知られるクロイソス王はギュゲースの子孫である、という伝説が当時行われていた。 プラトンは
「国家」の談義では兄グラウコンがこの話を引用して「人は知られなければ悪事を働くのものだ」と述べて、プラトンの
これに反対する形で「悪事は知られなければ構わないという考えは良心を腐らせ悪しき結果となる」と述べている。≫
 ▼ ギュゲースの指輪は、人間の心の奥に潜んでいる不道徳性を試す物語。人にさえ知られなければ、誰も誘惑に駆られ
  多くの悪事をするが、他人になると声高に非難をする。もし、私がギュゲースの指輪を持っていたとしたら、恐らく
  何をしでかすか分からない。見せかけの自分と、本性の自分は全く違うことは、自分の心を考えれば分かること。
  「指輪物語」は、これをヒントにつくられたという。ギリシャの哲学者プラトンが、2千数百年も昔に、
  この人間の性を物語にしていたというから恐れ入る。性善・性悪説の論争に似ている。 若い時には純粋で理想に燃えて
  社会に出るが、何年もしないうちに垢に汚れ、何時の間にか良心を腐らた世俗人になってしまう。 それを他人には
  見えるが、自身には見えないから、その矛盾が直接、自分に跳ね返ってくる。その結果、精神分裂になり、自分の壁を
  つくって篭ることになる。それからして、カントの道徳律は重要である。「仮言命法」としてではなく、「定言命法」である。
   仮言命法とは,「もし…なら…べきだ」というもの。道徳律においても、「もし人から信用されたいのならば、
  嘘をついてはいけない」とか、「早起きは三文の得」などがそれ。それに対して、条件なしに「…すべきだ」とだけ
  命ずることを定言命法(無上命法)。人間、良心に反する行為は、すべきでないということ。しかし、・・
  この「しかし」が、人間を迷わせる内語になる。 悪事は結局、回りまわって自分に帰ってくる。 で、・・! ・・?
・・・・・・・
2011年11月30日(水)
3901, 精神力ーその偉大な力  ー2
   ▼ 世界でもっとも重要なもの
 著者が言わんとすることは、「原因の世界に住んで努力を続ければ何事も必ず実現する。成すべきことを成し遂げれば、。
何事にも光がさし込む」ということ。 精神力とは信念のことをいい、確たる目標に対する継続した努力をすれば、
その努力が信念になっていく。 そこには、当然に難題が立ち塞がるが、それには必ず対策がある。そう信じることが信念。
ここで、エマソンの次の言葉を引用している。「すべての個人には共通の一つの心がある。各人は、同じものの一つ一つの、
また同じものの全部の入口である。この普遍の精神に触れた人は、実存するもの、あるいは、行われうることすべてへの
仲間入りをした人である。これこそ唯一の、そして最高の力だからである」 この辺は、中村天風の積極一貫の精神と同じ。
 精神ー信念は、自然界が全ての人に贈った要具である。それを使いさえすれば人生は美しく、光栄に満ちたものになる。
   ▼ 人が知識を得る三つの方法
 ◎ 知識を得るには、科学的方法があり、経験と実験によるわけ。 ◎ 二つ目は哲学的方法であり、それは理知による。
 ◎ 三つ目は宗教が用いる神秘的方法もあり、内心的に感知する。 
 この三つを組み合わせたときこそ、満足する結果が得られることを著者は見出した。
   ▼ 人生は胸おどる冒険 、苦難は間違った考え方の結果
 「大生命力は実在します!それを生きなさい。 人は大生命力のなかの、自覚を持つポイントです。精神は大生命力の法則、
 生命が作用する方法、創造のための大生命力の要具です。それを使いなさい!」そのためのドアは、本人が開けなければならない。
 不快、失敗、不満などの苦痛は、当然なすべきことをしていない結果に過ぎない。その苦痛は心の使い方を不健全に使っている
 ことを忠告しているに過ぎない。その反対に、幸福や裕福や健康や心の平和は、正しく考え、正しく行なっていることに報いる
 自然界一流の方法です。 ホランドの詩に次のようなものがある。
  「 天国は、ひと跳びに行けるところではない   登るはしごを建造するのだ
    低い地上から、まる天井の空まで――     はしごの横木を一つ一つ登っていくのだ 」
  いかに思うべきかを学ぶことは、いかに生きるかを知ることだ」と、皆知っている。 
 しかし信念の在り方を変えなさいと力説する人たちも、どうすれば、それができるかを教える人は、非常に少ない。
  ・・・・・・・
2010年11月30日(火)
3536、沈黙せよ!
「語りえぬものからの問いかけ」という東大駒場〔哲学・宗教・芸術〕連続講座ー
《 「言い表せないもの」の詩学 −チュッチェフ『沈黙』の逆説ー沼野充義 》の「沈黙」という詩に、
 思わず息を飲んでしまった。 何か、毎日、自分が書き続けていることを根底から否定されたようである。 
否定されるほどのものも無いことを私が一番知っているから書いているだけだが。
  ーまずは、以下の文と詩からー
【 チュッチェフには「沈黙」と題された詩がある。この詩人は、ドイツ・ロマン主義の影響の色濃い哲学的・
思弁的な作風で知られ、バラティンスキーと並んでロシアにおける思想詩の系譜の一人とみなされている。
「沈黙」も、そういった傾向を代表する彼の初期の代表するチュッチェフ初期の代表作の一つで、ロシア人なら
誰もが知っているほど有名なものです。文豪のトルストイはこの詩に感激し、「なんという驚くべき作品だろう!
これ以上の優れた詩を私は知らない」とまで言ったと伝えられていす。それほど有名で優れた詩であれば、
これまで多くの専門家によって数多くの研究や解釈がなされてきたのも、また当然のこと。 ・・・・・
翻訳で読み、解釈するという作業にはどうしても限界がありますが、そのことを肝に銘じたうえで、
しかしそれでも何かを読み取ることができるかどうか、読解を試みてみましょう。
  ー 沈黙! ー
沈黙せよ、隠れよ、そして隠せ           自分の気持ちも夢も―
魂の深みでそれらは                 夜の星のように黙々と
昇っては沈むことを繰り返しているがよい     それに見惚れ、沈黙せよ!

心はどうしたら自分を言い表すことができるのか   他人にお前のことがどうして理解できようか
お前の生きがいが他人にわかるだろうか       心に思うことも口に出せば嘘になる
泉を掘り返しても、水をかき乱すだけだろう      ただ泉の水を飲み、沈黙せよ!

自分自身の中で生きることだけができればよい    お前の魂の中にはまるまる一つの
神秘的で魔法のような思念の世界がある       その思念を外の騒音がかき消し
昼の光が追い散らしてしまう               それら思念の歌に耳を傾け、沈黙せよ! ……
 〜〜
「 ・・・・・ 」この詩について、何かを語れといっても・・ 「HP読みながら、いつも思っていた!」って言わない。
 思念公開も面白いもの。 土いじりや、趣味の世界、神への思念に没頭すると、沈黙せざるを得なくなる。 ーつづく
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2009年11月30日(月)
3161,つれづれに ー閑話小題
 * 円高 85円
為替が円高・ドル安に動き出してきた。 それにつれて金の価格もジワリと上がってきている。
年末に向かって周辺も冷え冷えとし、殺伐としてきている。 年末年始は大荒れになるのか、それとも何とか
中小企業特別救済で乗り切れるのか? 公共事業の大幅カット、そしてボーナスの減額、デフレスパイラルによる
不況の深化などで、一日一日と厳しさを感じる。 この上に円高というから、救いようがない。 
社会はますます内向きに成りざるを得ない。
 * 「坂の上の雲」がNHKドラマの初回が放送されたが
「坂之上の雲」が日曜日夜のNHKで数回シリーズのドラマとして放送が始った。 私たちの年代の多くが、
この小説に大きく感化された。 筋立ては、秋山兄弟と正岡子規の生きかたを通して、明治時代の人間像と
時代背景を書いている。 
(字数制限のためカット、11年11月30日)
 * 同じ映画を二度みたのは始めて! 
土曜日にシネマ「2012」を再び観てくる。映画を二回つづけて観るのは初めてである。 
(字数制限のためカット、11年11月30日)
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2008年11月30日(日)
 2796.ユダヤ人成功者たちに秘かに伝わる魔法の言葉・・5
ー 金を追うな、金に追われるような人間になれ ー
【第4の法則】 金を追うな、金に追われるような人間になれ
 「空気人間になれ」
(ゲットーに住むユダヤ人は隙間で生きていかなればならなかった。自分に対する誇り、自尊心が確立されているから、
仕事の体裁などにこだわることはない。チャンスとみれば偏見に囚われずに何でもやる。元手が少なくても、
わずかなチャンスを確実にっかみ、成功に近づいていく。空気のように軽く、どこにでも入っていく。それでいて、
空気のように誰もが必要とする資質を兼ね備えた人間。苦難を空気化した人間、それがルフトメンシュである。)      
                               ユダヤの知人の言葉
*「この仕事で 豊かな気分になることはない
 ただあるのは、どれだけ稼いでも、新しいレベルの 相対的貧困感に 苛まれること」 ユダヤ人の知人のコトバ
*「神がお金について どう考えているのかを 知りたいのでしたら、
 どんな人に神が お金を与えたのか を観察してみるといいでしょう」  ドロシー・パーカー
*お金は手段にすぎません。自分が行きたいところには 連れていってくれますが、
*11ポ・ドの金塊よりも、 1オンスのツキのほうが 価値がある」  東欧ユダヤ社会の諺
*「人生は、賢者にとっては 夢であり、 愚か者にとっては ゲームである。
 金持ちにとっては 喜劇であり、 貧乏人にとっては 悲劇である」 ショーレム・アレイヘム
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2007年11月30日(金)
2431, ネット君臨      ヽ(★>з<)。o○[ォハヨ]○o。
「ネット君臨」−毎日新聞取材班ー(出版・毎日新聞社)        −読書日記
この本を図書館で見つけ、読んで驚いてしまった。この春先に毎日新聞が連載したものを本にしたものだが、
この連載は大きな社会問題を提起、幾つかの規制の法案ができるキッカケになった。
私も政治や、ゼネコンなどの談合に批判を書いているが? 言い方には気をつけなければと自戒させられた。
マイナーの人?いや色いろな考えの人が見ているのである。それにしても、ネットによる虐めの陰湿さには驚いてしまう。
特に「2ちゃんねる」上における、匿名による誹謗・中傷の内容は、人を死に至らしめるほどの内容に満ちている。
毎日新聞の連載をまとめた本だが、ネットのマイナス面に絞っているのも、ネット社会の規制を考える面で、良いこと。
*まずはアマゾンの、この本の紹介文から
 ー内容紹介ー
匿名社会の恐怖、拡大するネット犯罪…。ネット社会の急速な進展は、我々の生活 に便利さや効率をもたらす一方、
さまざまな負の部分を生み出している。ネットは我々をどう変えるのだろうか。また我々はネット社会をどう築けばいいのか。
ネット社会に警鐘を鳴らした毎日新聞取材班の大反響連載「ネット君臨」の書籍化。本書では、国内最大のネット掲示板
「2ちゃんねる」に代表される匿名による誹謗・中傷が人々の暮らしに深刻な影響を与えている実態を現場から報告。
「2ちゃんねる」の管理人ひろゆき(西村博之)氏にインタビューしている。さらに国の政策がインフラ整備に偏り、
企業や個人のマネーゲームを生んでいる実態や米国、韓国、中国のネット犯罪の現場をルポ。
 ー概要ー
マスコミがこれまで殆ど触れてこなかったネットの問題点に真正面から切り込んでいる。
難病(拘束型心筋症)の上田さくらちゃん(四歳)がアメリカでの心臓移植をうける費用(約一億三六〇〇万円)
を賄うために「さくらちゃんを救う会」が結成され、ボランティアによる募金活動が開始された。
(字数制限のためカット、09年11月30日)
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2006年11月30日(木)
2067, あたりまえなことばかり −18            (+>∀<+)ノ おぁはは〜ようさん!
人生には、それぞれに相応しい時期がある。その年齢ごとに新しい経験を織り込んでいくのが人生である。
私の中学校のクラスは卒業後も非常に仲がよくて、節目ごとにクラス会を開いていた。地元にボス的な女性がいて、
その都度声を掛け合って20人は集まっていた。卒業後15年ほどしてからは1〜2年ごとにクラス会を開いていた。
担任の先生の停年の年には(18年ほど前)、湯沢に一泊した翌日、長岡に帰ってきて、延々と夜半まで
三〇数時間も一緒に飲み続けた。最近までは毎年のように理由をつけては会を開いていた。
そこで見えてくるのは、「歳をとるから老いる」ということではないことである。
経験を自分の人生の中で織り込んでしまえば、生きるということ、老いることも、むしろ面白く、味わいが深くなる。
人生など大したことがないものである。深刻に考えるだけ馬鹿馬鹿しい。気楽に考えて、その時々を真正面から
生きていさえすれば、それでいいんじゃないか! ということである。
        ( ^3)〜♪よ〜よ〜それが一番、難しいんじゃないかい!        
 ーーーーーーーーーー
 老いは個人の生を超え  −? 
 ーーーーーーーーーー
老いるほど人生は面白くなるという言い方は、確かに可能である。その歳まで、いったい何をしてきたのかと
訝りたくなるような老人が多い。おそらく、何もしてこなかった。摂食、生殖、快楽の追及以外何もしてこなかった。
刺激に反応して、反応したら忘れるといった動物的生存の日々、そういう人々は、したがって老いることを拒む。
動物的生存に価値がある限り、肉体の衰えは価値の喪失以外ではないからだ。老いた自分に価値が認められない。
「老醜」とは正確には自虐的に使われる。逆に、内省を知っている人は美しい。 鏡を内側に持っているからだ。
外に映る鏡の姿が崩れているにしても、ともに崩れる必要がない。若年からの内省の習慣、老いるほどにその姿は違って見える。
内省すること、心の姿を整えること、それが魂の世話をする意味である。歳を重ねると、内省と回顧が判然としなくなるが、
面白いのは、このとき回顧されているのが自分の人生ではなくなっているということだ。自分の人生を振り返ってその視野に、
自分の人生としての人類の人生、すなわち「歴史」が、当たり前のように入ってくるようになる。
内に鏡を所有して生きることの面白さは、その現在の鏡に過去が映っているからだ。
過去とは現在以外ではなく、歴史とは自分以外のものでなかった、と気づかされるのだ。
それが鏡が鏡であることの秘密である。「歴史は鑑である」とは、本来その意味であった。
 ーー  
 母親が80歳の時に、「私の生きた5〜6倍前に家康や秀吉が生きていたと思うと、大して昔じゃなかったのね!」
 いった言葉は、歴史が鑑であるという意味ではないが、ハッとする言葉であった。 自分の生きた時間と家康の
 生きていた時代を対比して感じ取った言葉だからだ。 田中角栄がどうした!と、今では確信を持っていえる自分がいる。
 それは自分の人生とは比べようもない実力を持った人も、過ぎ去ってしまえば、ただの悪名高き犯罪者でしかなかった政治家。
 その男が活躍していた時、私は学生で、雲の上の人とみていた。いまは、「何じゃい!戦後バブルの波に浮かんだ泡以上でも
 以下でもない男。 そしてまだ、その娘が馬鹿丸出しで恥をさらしているだけ」としか思えないのも、自分が生きてきた
 時間の中で、自虐の自分を鑑にしてみるからだろう。 (-"-;) これも長年生きた歪みが、この言葉であるということだ。
 あと十年経てば70歳、20年経てば80歳である。これは生きていればの話で、もしそこまで生きていて加齢した自分を
 自虐していたとしたら、全く何もしていなかった人生を嘆いているだけになる。それは現時点でも言えることである。 
   (ノ≧ロ)ノ< いまさら何をいってんだ、ばかやろぉ〜〜〜!!!       (*^ワ^*)i バイバイ
・・・・・・・・
2005年11月30日(水)
1702, 中学校還暦同期会 −2      nemu(ρ_-)
先日「中学校の還暦同期会とはこんなものだった」という概略を書いた。
今回は還暦から人生を振り返って、感じたことを書く。人生の60代に入り、
40数年ぶりの幼馴染に会い感じたことは「人生の成功とか、失敗は大して変わりはしない」ということだ。(いや、あるか?)
上手くいったという人はそれでよし、上手くいかなかったが、それも自分の責任、悔いはなし、というのもそれでよし。
 要は、自分の人生の受けとめかたである。人生の成功・失敗とは何だろうか?改めて考えてみる必要がある。
どういう人生であっても、明るくニコニコしていればそれで良いのではないだろうか。(≧▽≦) 本当か?
誰にでも悔いがあるのが人生である。それに対し、でも生まれてきてよかった!と、心から思えれば良いのではないか?
そうすると、笑いと感謝さえ失わなけれ、「『ありがとう』を一日、千回いって、その結果として自然の笑いが出てくればよい」
ということになる。♪〜(=^ε^= ) 出席している人は、比較的に恵まれている人?のためか、全体として、明るい人が多かった。
めでたい席で暗い顔もしていられないのだろうが。私が、彼らの気持ちを代弁していうと、
「ここまで、人生の良いところを生きてこられて良かった!」というのが、偽らざる気持ちだったろう。
年齢に気持ちがついてきてないのが本当のところだろう。 人生は短い! 成人式ということだ! (^_^)/~~baybay
 ・・・・・・
 2004年11月30日(火)
1337, 「自分を活かす極意] 」   ー読書日記 −1
  齋藤スタイル―自分を活かす極意   齋藤 孝 (著)        
( 字数の関係でカット 2010年11月30日 )
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2003年11月30日(日)
970, 「遺言川柳」
 UFJ信託銀行が11月25日に単行本「遺言川柳」を発売をした、と新聞やTVで話題になった。
以下は、字数の関係でカット 2007年11月30日
・・・・・・・・・・
2002年11月30日(土) (2)
 596, スーパー床屋は席貸業 -
最近、新潟でも目立つようになってきたスーパー床屋の実体が面白い。
 (以下は、字数の関係でカット 2010年11月30日 )


4275, この非常事態に、万一の備えがあるの? −4

2012年11月29日(木)

   * 長岡冬景色 ーある同級生の死
 昨日の朝、高校の同級生から電話が入った。20年以上、毎年開かれていた同級会のメンバーの1人が、一昨日の夜、
自殺をしたという。近郊の町で家業を継いでいる人で、明るくサッパリとした性格で皆から好かれるタイプ。 
本人が居るかどうかで、同級会の明るさが違うほどの人。その男が自殺とは、一瞬耳を疑い、息を呑んでしまった。
 「この非常事態に、万一の備えがあるの?」を、今月の15日に、ここで書いた。 その前日の地元紙に、
* 同級生の老舗会社の倒産記事が出ていた。20年前に工場が火災で全焼、しかし保険で建替え無借金経営と聞いていた。
* そして翌週には、計算サンターの社長をしている会社が、TVと新聞に大々的に、「不正に雇用調整給付金を受給。
  それも内部告発により調査の結果。不正分を全額返済のため、刑事告訴はしないが、悪質なため発表した。」と報じられた。
  全国ニュースにならなかったのが不幸中の幸いだが、銀行系もあり処分は厳しいと推察される。
* そして今週は、彼の自殺である。 親戚や近所の自殺は身近であるが、同級生は初めて。
 まさか、このテーマで書いた警告が、そのまま、ごく身近で直ぐにたて続けて現われ出るとは想定外である。
3人とも傍からみれば、これ以上の堅実経営はないかと思われた会社。そのため、ことさら驚きは大きい。
それにしても自殺とは、よほどのことがあったのだろう。 同級会のメンバー内の話としては、
去年春に私が先ぶれに破綻。そして、この11月にたて続きに3人が、続いたことになる。
 以前から、「2012年問題(時代の断層の年)」が言われてきたが、今のところ何も起きていない。
しかし極身近から、このように生々しく起こるとは思いもしなかった。 恐慌の大波は根こそぎ、全てを破壊していく。
これが地方の特殊要因でなく、世界、日本レベルの大波の地方の一現象でしかないところが恐ろしい。
まだ、経済の大津波(恐慌)の本体は外海で、到達は来年辺り。来年以降は、こういう状況は極当り前の日常になる。
・・・・・・・
3900, 精神力ーその偉大な力  ー1
2011年11月29日(火)
  * 「精神力ーその偉大な力」 ダン・カスター著
 学生時代の卒業間近から27歳までの修行時代から事業創業期の精神は緊張と不安の極限にあった。
あまりに突き当たった壁が厚く、自己確立が曖昧だった内面は粉々になりかけていた。
しかし、それを表立てることは許されない節目時。 傷つき荒れ狂った気持ちを自分で何とか立て直さなければ、
絶壁の谷底に転がり落ちる綱渡りの日々。 その中で、狂わないようにバランスをとらなければならない上に、自分を奮いたって
いなければならない。 その日々の中で、学生時代の終わりの頃に読んだ、このブリストルの「精神力を活かす」と、
ダン・カスター著「精神力、その偉大な力」が、心の支えになっていた。そこには色の違った傍線が幾つも引かれていた。
経験を重ねるうちに、この手の本は安物の精神主義の本でしかないと疑問を持つようになっていた。 40年経った現在再び、
読み返しているが、決して安物の精神論の本でないことが分かり安心をした。マーフィーの成功法則の下地になっているのではと、
思われる。 特に「精神力ーその偉大な力」は、先がさっぱり見えない不安感と挫折感の中で、何度も何度も読み返したことが懐かしい。
節目時に読んだ本は、節目時の自分の心でもある。 40年の年月は長い!そこで失ったものと得たものが私自身である。
 一月程前に、信濃川の大手大橋を歩いていたとき、地球の芯からの声が聞こえてきたことを書いた。自分の独り言であるのは
敢えて言うまでもないが、魂の芯から出ていることは違いない。 時どき、その声と対話をしたり、中心点に気持ちを収集して、
そこの蓋を開けるイメージを持つ。そして、そこからエネルギーが心に溢れ出てくる感覚を持つ。また、その蓋の向う側に
無限の宇宙の時空をイメージする。 気持ちが弱った時など非常に有効に働く。その下地が早朝の散歩の途中にしていた呼吸法。
気持ちを地球の中心点まで到達するイメージを持ち、中心点を擬人化して挨拶したり会話をしていた下地があった。
散歩をポタリングに変え、しばらく、その呼吸法をしてなかった。ところが、サイクリングの途中にウォーキングを取り入れて
大手大橋を‘引きチャリ’をしていた時、脳の底から以前独り言で話していた擬人化したイメージの声が聞こえてきたのである。
一月前の随想日記に同じことが書いてある。その芯と声が、この「精神力」と同じである。 心の底のエネルギの源泉を探し出し
元気を創造しろということ。次回から、少し書き出してみるが、過去を振り返りながら心の源泉の湯に浸かっている気分か。
 精神を哲学するのも、面白い。精神=信念=「絶対言明」+エネルギー。 意志に似ているが、少し違う。
意志の哲学といえばショーペンハウアー。 その影響を受けたのがニーチェ。
・・・・・・・
3535, つれづれに ー 閑話小題
2010年11月29日(月)
  * 自分の初めの感じたことを信じなさい!
 夏の終わりごろにニューカレドニアに行った時の話。 ホテル内の土産店で若い女性二人が土産物に迷っているところ、
60歳代半ばの日本人男性が話しかけていた。「自分の初めの感覚を信じなさい!」と。「私に、そんなことを言ったら
『アフォか、御前は!』と思うが、若い女性になら良いか?」と独り言を頭の中で呟いていた。 
その言葉は、正しくもあり、間違ってもいる。これは経験からいえること。経験の浅い人になら、自分の感覚を信じて、
まず決断をし、その結果をフィードバックする方が、躊躇して何もしないより良い、ということになる。 
それを信じて軽い気持ちで判断をして大失敗を数限り経験してきた私にとって、そんなことは若い女性にしか言えないこと。
その人に何か怪しげなバナナ的雰囲気を漂わせていたが。同じ言葉でも、受止め方は年齢、知識・経験の質量で変化する。
  * 尖閣ビデオでYoutubeが注目される
 もう古い話?になったが、海保のビデオ流出事件でYoutubeが更に注目を浴びてきた。
Youtubeは10分間の制限があるが、個々人が撮影したビデオを自由に投稿できるもの。僅か5年前に若い二人の米国人によって
つくらたサイトで、一年後にGoogleに2000億円で売却された。日本にも、その翌年2007年に上陸、瞬く間に普及した。
一日20億回のアクセスがあり、このサイトから世界的に有名になる人が続出。 数ヶ月前から面白そうなものを私のブログに
貼り付けている。過って見たことがない面白い映像が次々と見つかる。TV番組でも、世界の面白映像として毎週紹介する番組が
既に出来ているが、その多くは見たもの。 面白いビデオの右側に関連したビデオの写真が貼り付けられ、アクセス数が
書かれているので、関連したビデオにネットサーフィンできる。 そこで、思いもよらない世界を垣間見るケースが多くなる。
コスプレ、ラップ、ペットなど、知らなかった世界を知ることが可能である。ところで、あのビデオについて石原慎太郎が、
「売国奴の治世者が、英雄的行為をした人を国辱罪で訴えるという奇妙な現象が起きている」と発言。言い得てるが、
それが東京都知事ときている。訴えると脅され、「チャンと受けてたって証言をする」といったら、何も言わなくなったとか。
 面白いと笑ってられないのが、この国の現状。
・・・・・・・・
3160, ドバイが債務不履行!
 2009年11月29日(日)
 アラブ首長国連邦のドバイの資金繰り悪化が表面化した。数年前にドバイの発展する様子をNHKスペシャルで放送したが、
石油で得た資金で競って超高層ビルを中心とした新都市の様相には驚いた。 世界のクレーンの3割が、そこで動いているという
信じがたいことも報じていた。大金持ちの若い御婦人が高級ショップで「もう、買うのに飽きてしまった、ツマラナイ!」と云々。
 ( 字数制限の関係でカット 2011年11月29日 )
・・・・・・
2795.ユダヤ人成功者たちに秘かに伝わる魔法の言葉・・4
 2008年11月29日(土)
【第三の法則】 口はひとつ 耳はふたつ
「神が人間に二つの耳と一つの舌を与えたのは、話すよりも聞くことを重視したからである」 ーユダヤの諺
「口を閉じれば閉じるほど、自分の話を聞いてもらえる」
「噂はかならず三人の人を殺す。 噂をばらまく人、疑問を抱かずに噂話を聞く人、そして噂の対称になっている人だ」
「美徳と称するものは、 他人の嫉妬を刺激するものだが、控えめであることだけは例外だ」  ーユダヤの諺
「捕まえた鳥を逃しても、また捕らえることが出来るかもしれないが、一度発した言葉を 取り返すことはできない」ーユダヤの言葉
「知恵に近づくには、まず沈黙し、次に相手の話に耳を傾け、第三にそれを自分の中に吸収し、最後は人に教えてみることだ」                                                   ソロモン・カビロール 
  (字数制限のためカット09年11月29日)
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2007年11月29日(木)
 2430, <おばあちゃん> 『いのちの書』ーより
「ちくま哲学の森」シリーズの第2巻の『いのちの書』という生死の関する22人の内容が驚く内容の連続である。
死刑の立ち会いの詳細、実際に拷問にあった本人の手記、臨終のこととか。死に関しては、日常の中では、誰もが
見てみないふりをする。しかし書き手が言葉として書き連ねると、それ自体が物語になるだけの深みを持つ。
この本の冒頭の金子光晴の詩がよい。
<おばあちゃん>  金子光晴
『若葉』のおばあちゃんは   もう二十年近くもねてゐる。
 すべり台のやうな傾斜のベッドに  首にギプスをして上むいたまま。
 はじめはふしぎそうだったが  いまでは、おばあちゃんときくと すぐ<ねんね>とこたえる『若葉』。
 なんにもできないおばあちゃんを  どうやら赤ん坊と思ってゐるらしく サブレや飴玉を口にさしこみにゆく。
 むかしは、蝶々のやふにへんぺんと 香水の匂ふそらをとびまはった おばあちゃんの追憶は涯なく、ひろがる
 そしておばあちゃんは考える。 おもひのこりのない花の人生を 『若葉』の手をとって教へてやりたいと。
 ダンディズムのおばあちゃんは 若い日身につけた宝石や毛皮を みんな、『若葉』にのこしたいと。
 できるならば、老いの醜さや、病みほけたみじめなおばあちゃんを 『若葉』のおもいでにのこすまいと。
 おばあちゃんのねむっている眼頭に じんわりと涙がわき 枕にころがる。願ひがみなむりとわかってゐるからだ。
 ーー
 ある伯母が晩年に「歳をとることは、無念なこと」と言っていたとを、聞いたことがある。偶然に去年、老いを取上げていた!
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2006年11月29日(水)
 2066, あたりまえなことばかり −17        おふぁ  ファ〜
 そろそろ、死に支度モードに入らなくては、と思っていたが。チョッと待てよ!死なないのだから、
そんな準備などする必要はない。が、しかし歳相応にギアを変える必要はある。還暦を過ぎたのだから・・
両親の死に際に、二人とも同居していた。そして「老いる」姿と、肉体的終末を看取って、
決して歳をとるのも悪くはないと実感した経験がある。さらに老いた色いろな人と人生を多く語り合った。
だからこそ、老いることはまんざらでもないことを知っている。一つだけ「死は存在しない」ことを、
彼らが知らなかったのを除けば。「死は観念でしかない」ことが、解るはずはないのは当然である。
母親が、痴呆になっても学ぼうとする姿勢が見えた。これである、魂は永遠の学びをしていく。
ただし、それなりの人生を活きてこそ、だが・・
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老いは個人の生を超え
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人は、老いるという存在の現象を、なかなか素直に認めることができない。それを否定的に感じてしまうのは、
若さという経験を先にしてしまうからだ。やがて人は、例外なく順番に40,50歳と年齢を重ね、老いるという現実を
肉体の事実として知ることになる。老いることは死と違って逃れようもない現実である。生きられてしまった事柄とは、
端的にかこである。それは動かせない事実である。過去は動かせないと知るということは、自分の人生がそのようであったと、
それ以外ではあり得なかった、このとき、人は人生の一回性の秘密に触れているのだが、多くの場合それは、それぞれの
感情や感傷によって覆い隠されてしまう。記憶に苦痛の伴わない人は幸福である。過去は動かせない、しかし動かせる未来もない。
なぜ自分の人生はこのようでしかあり得なかったという、存在への問いが、溜息に等しいような老いの時間は哀しい。
生きるということを、物理的肉体の生存と定義するなら、老いていく過程として生きていくのは肉体を失っていく過程である。
しかし、我われの直感は、決してそんなふうに感じてない。老いていくことによって、得ているものはたしかにある。
何かが確実に増えていくと感じるもの、それは何か。精神というより、むしろ魂である。成熟するのは魂である。
魂は成熟する。「ソウル・メイキング」と呼ばれるもの。現代風の言い回しも、ソクラテスふうには「魂の世話」となる。
経験と時間を織り込みながら、魂であるところの人生を織り上げていくと、いった意味合いらしい。
縦糸に時間を、横糸に経験を、織り込みことで織り込まれつつ、魂が自身を織り上げていく行程は、刻々老いてゆく肉体の
老いとは反比例して豊かである。いや、肉体の老いとは、それ自体が新たな経験の他ならないのだから。それすらも、
織り込みつつ色はその深さを増すのではなかろうか。人生とは、生死の間に存在する時間である。なるほど論理的には、
人生には生と死、すなわち一とゼロしか存在しない。 したがって、時間もまた存在しない。しかし、現実には、
人生は一とゼロの間に存在するもの、すなわち無限である。有と無の間で生成する質である。質は論理でない。
論理が指示する、論理自身の影である。論理的には存在しない死を、しかし現実には存在するとして生きているという、
このこと自体が人生の不思議である。その存在しない死が近づいてくる老いの時間とは、いよいよ玄妙なものになっていくはず。
   字数の関係でカット(2011年11月29日) 
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 2005年11月29日(火)  
1701, ほめ芸王 ー2
以前、一度借りてきた「ほめ芸王」を、再び借りてきた。前に読んで、チャンスがあったら可能な限り褒める
ように勤めようと思っていたが、これが難しい。家内を対象に褒めるように勤めているが、馬鹿馬鹿しい。
  というわけで、いま一度借りてきてジックリ読んでみた。    funn~(。_。)q
 以前借りてきた時に印象的だったのは、
 ・褒めるのは芸・技であるから、自分流のノウハウを確立すべし、
 ・褒めれば、神の心になれるだった。褒められれば、舞い上がってしまうのに、
  人に対しては気楽に褒めようとはしない。ー必然性が無かったからだろうが。    
だいたい酒席で、酒を注ぐときは自分が注いで欲しい時だ。自分が褒めて欲しい時に、人を褒める。
-字数の関係でカット(2007年11月29日)
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2004年11月29日(月)
 1336, 2000年前のポンペイー5
一昨日のNHKスペシャルで「ポンペイ」を特集していた。落書きを切り口に番組みを構成していたのが、新鮮であった。
たまたまポンペイについて書いていたので、その偶然の一致が奇妙な気分である。2000年前の生々しい人間の心が、
落書きの中に出ていた。話は少し逸れるが、エジプトのルクソール神殿の遺跡の壁にあったレリーフに兵隊の絵があった。
同じ絵が多く描かれていたが、現地の日本人の女ガイドの説明が面白い。 その兵隊うちの一人だけが、ところどころ
逆向きに向いているのだ。当時の多くの職人の一人が、命をかけて?わざっと逆向きに彫ったという。いつの時代でも、
そのような遊びがあった。それよりも、数千年の時空を超えた男の生身の人間的なジョークを伝えているのがよい。
ーその番組みで紹介していためポンペイのメモには
・〔私と貴方が一緒に踊ったことを憶えていて、訪ねてきてくれてラブレターを
 置いていってくれた〕返事が壁に書かれていた。
・隣近所のお知らせー人々は回覧板かわりに壁を使ってコミュニケーションをしていた。
・現在の通りの商店看板と殆ど同じものが、当時のポンペイの街にもあった。
・ポンペイの街には400軒の店があった。 24時間営業の居酒屋があった。
 その居酒屋の奥の部屋でゲームと会話をしている絵が残されていた。
・食料品店の壁には、掛け売りのメモが書きこまれていた。家計簿的なメモもあった。
・果物屋には桃が売られていたメモがあった。  等々である。
メモから、当時の変化がうかがい知ることが出来るという。
当時のローマ帝国の政策の大きなものとして、パンと、サーカス(街には必ず円形劇場がつくられていた)を庶民に
与えることであった。AD・54に17歳で皇帝になったネロが、その政策を更にエスカレートさせていった。
そのためか、贅沢の限りをつくす考えが一般にまで浸透を始めていた。
その頃のメモに〔今を楽しめ〕というのがあった。それがエスカレートしたのかタブーのメモもあった。
・下品の言葉を慎むように
字数の関係でカット(2011年11月29日)
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2003年11月29日(土)
969, 幽霊店舗
 昨日、初めて聞いた言葉である。 それが「幽霊店舗」である。一瞬何のことか解らなかったが、
次の瞬間に直ぐに理解した。 「経営者が夜逃げか破産をした店で、店舗のオーナーか銀行が、
既存の従業員にそのまま営業をさせて、間接管理をしている店」でないかと。
 (字数制限のためカット10年11月29日)
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[242] ゼネコンー2
- 2001年11月29日(木)
同じ見積もりでも、3〜4割の値段が違ってくる。平気で目の前で2000万・3000万、いや数億の値引きをする。
普通の感覚の世界とはかなり違った世界である。今の不況の原因をつくったのは、ゼネコンの存在が大きいといってよい。
日本的特質がそのまま現代的に残っている。この30年近くはゼネコンの付合いを欠かせたことがなかった。
社会勉強をその世界を知る事で,たっぷりさせてもらった。悲劇、喜劇の渦巻く世界でもある。しかし男の世界でもある。
新しい創造に携わるからだ。よしやるか!という決断から、彼等との付合いが始まる。彼らのシステムに現場主任(現場代人)
と言う責任者が、殆どの権限を与えられる。その能力次第で完成のレベルが違ってくる。
(字数制限のため、カット 09年11月29日)


4274, 「金融円滑法の打ち切りの是非」を 世に問う

2012年11月28日(水)

  「中小企業金融政策の理念」林憲昭著
   * 初めてのアマゾンのレビューへの書き込み
 以前、金融に関してコンサルティングをしてもらっていた林さんが、新著を出された。何冊目になるだろうか。
 そこで一度、アマゾンのレビューを書いてみたいと思っていたので、投稿してみた。赤裸々な事態を曝してよいものか、
 どうか考えたが、実名を出すわけでなく、今さらと思い投稿した。 ーまずは、その内容からー
≪ 昨年の3・11直後、事業を断念して1年8ヶ月経ち、少し気持ちが落ち着いた矢先、以前、読んだことのある著者の、
この本を見つけました。9・11以来、売り上げが三分の二になり、血の滲む思いでリストラを断行し、何とか目安が
ついた矢先にリーマンショックで、さらに半分、合計で三分の一まで激減。それでも金融円滑法と、雇用調整給付金で、
何とか持ちこたえていました。しかし、あと半年〜1年で資金が底をつくのが目に見えてきた矢先に東北震災が発生。
その直後に前倒しで会社を整理した。
それでも複雑な思いがあります。 大きな肩の荷が下りて本当に良かった、という思いと、重大な経営ミスをしたわけでなく
震災ともいえる経済津波で長年培ってきたの事業が消滅した無念さがあります。大不況の中、大多数の中小企業は血の滲む
思いで踏ん張っていますが、来年の三月で金融円滑法の打ち切りになります。 著者が現場の窮状を目の当りにし、
可能な限り弱い立場に置かれた中小企業を、この非常事態に擁護すべき、という熱い思いが、伝わってきます。 
 来春このまま金融円滑法の打ち切られた場合、数千、数万の中小が大きな岐路に立たされることは、私の経験からしても
間違いありません。しかしグローバル化の時代、3年も猶予を与えられたので打ち切りも致しかたがない、のも道理です。 
悪いことに再来年には消費税の増税が控えています。 ここで1〜2年、更に引伸ばしても同じでは? というのも、
既に事業から退いたから言えること。私の事業フィールドが地方だったこともありますが、地域経済の冷え込みは、
想像を絶しています。著者の指摘で中小企業の金融政策関係者に大きく取り上げられ中小企業の助けになることを望みます。 
私が、3・11以降、あのまま事業を続けていたらと思うと背筋が寒くなります。 経済的大津波は、外海から内海に向けて
押し寄せて来ているのが、私の目には見えています。 私は償却前赤字を事業断念の目安にしました。 情報化と、
グローバル化による生産の国内から海外へのシフトによる空洞化と、物価と資産のデフレの中小企業への直撃が、
この異常事態を引き起こしています。それを割り切り諦めるか、最後の最後まで踏み止まるか、難しい問題です。
 小泉の改革は、あまりに大手銀行よりで、私の経験からしても酷いものでした。その方向に、自民党が政権を
とった時に戻るとしたら、恐ろしい結果が待っているはずです。その中で、丁度良いタイミングで世に問うている
素晴らしい中小企業擁護論です。多くに金融関係者に是非とも読まれることを勧めることが出来ます。≫
 ▼ 昨夜、TVで「来春の『金融円滑法の打ち切り』後は、弾力的に対応する」というコメントが流されていた。
  この著書が大きく影響したのか、タイミング的に同じだったのか? 世情の厳しさは、止まることはない。
 ・・・・・・
3899, 国債クラッシュ
2011年11月28日(月)
       「国債クラッシュ―震災ショックで迫り来る財政破綻 」 須田 慎一郎 (著)
  ◎ 国債金利2%で発生 ?
図書館で何気なく手にした本だが、来年暮れの具体的な国債暴落のシュミレーションが生々しい。この本の出版日が今年の6月末。
それからして4〜5月に書かれたもの。半年間の流れは、この本のシュミレーションより危機の度合いは激しい。ギリシャ危機で
世界恐慌一歩手前まで行ってしまい、イタリアがIMFの実質管理入りし、そしてスペインとハンガリーが危険水域まできた。
さらに一番安全とみられていたドイツ国債が三分の一も売れ残ってしまった。 日米より遥かに健全?と思われているドイツ国債の
売れ残りには世界中が唖然とした。それならば日本は?の連想になる。この本のシュミレーションは一年後の11月から12月の想定。
この本を読み始めた直後に、ある人からメールが入り、石角完爾『ファイナル・クラッシュ』(朝日新聞出版)が、シビアに現在の
日本の危機が書いてあると教えてくれた。また昨日の関西系TVの政治経済を話題にしたバラエティーでも、この本を取り上げていた。
 アマゾンの書評を読んでみて、こちらの方がよりシビアなので早速、購入することにした。
 ー「国債クラッシュ」のアマゾンの内容紹介からー
 2012年12月、ついに「その日」がやって来る。大震災が「財政破綻」の引き金をひく戦慄のシナリオを詳細シミュレーションで検証。
3.11大震災以降、日本の抱える「財政破綻」という"時限爆弾"のタイマーは、確実に時を刻むスピードを上げている。国債の大暴落が
円・株・債券の全面安という、空前の「日本売り」を引き起こす戦慄のシナリオを詳細シミュレーションで徹底検証。
 〜印象的な部分を、書き出してみると・・・
*「具体的には長期金利2%が、実質的な[国債クラッシュ]の目安。その数値に達成した場合、為替では、現在の様相がウソのように
 円安にぶれていき、それによる価値の目減り分を嫌った資産の海外逃避が、いっせいに進み、円安の底なし沼にはまる」」
*「マーケットには現実を正確に把握する力もなければ、結果を見通す眼力もない。マーケットには不安に駆られやすく臆病で、
 かつ利己的な心理があり、それに従った場当たり的な判断があるだけ」
*「国は国民から税金を取れないがために、国債を発行して『借りる』という形でお茶を濁してきた。国民は税金さえ取られなければ、
 国の借金体質には寛容だった。・・・そして危機が訪れるや、企業や個人は自己防衛のため、いっせいに日本売りに乗る・・・」
*「日本国債とアメリカ国債は、よく見ると連動している。アメリカの金利が上がり出すと、それにつれて国債の金利も上がる。
 と同時に、連動して日本の国債と銀行金利も上がるとすると、2%など直ぐにでも上がっても不思議でない。」
▼ 何か不気味な風が日本を覆い始めている。それも来年の今頃のシュミレーションが具体的な物語風に書かれているのをみると、
 不気味というより、恐怖を感じる。それも半年前に書かれた時は、ドイツの国債が三分の一も売れ残るなど著者も思いもよらぬこと。
 ・・・・・・
3534, エコポイントの駆込み購入の愚!
2010年11月28日(日)
 * エコポイントは目先延命の劇薬、それが切れる来年は? 
 少し考えれば分ることだが、「エコポイントの駆け込み購入」で、このところ家電チェーンが賑わっている。
しかし、この騒ぎが終われば値崩れが起きて、このポイント以上に値下がりをするのは火を見るより明らか。
元もとエコポイント制度そのものが、恐慌に対する延命のためのカンフル剤で、目先の苦痛を避けるためのもの。
しかし来年の前半には、この前倒しの反動が大きくなる。薄型TVは典型的な相場商品、大きく値崩れをするのは火を見るより明らか。
そういう批判がないのは、マスコミがメーカーから広告を貰っているため。地デジ化は来年の7月、その間に大きく値下がりは
当然のこと。その上に世界的恐慌の火の手が更に大きくなる。 他人事ではない、当方は460台のTVの買い替えがある。
来年7月の瀬戸際ほど安くなる、と仮説を立てたところ、このことに気づいたのである。エコポイントは、間接的には住宅、
家電、自動車メーカーに対する間接的援助ではないか。そのピエロが、それで買いに走っている大衆。決して穿った見方ではない。
誰も気づかないだけで、これはこれで良い。それを声高にいうこともない。国家にとって目先の失業と倒産を避けなければならない。
しかし来年は、この反動で、日本経済は大きく落ち込むことになる。 「来年、怖い!」が、キーワードか。
デフレ・スパイラルが更に大きくなる。総中流が、総下流社会に墜ちていく。しかし、総下流が大部分なら、それが普通になり、
総中流ではないか。 ブラックジョークになるが、それが社会主義の理想とするところ。格差のない清貧の社会。
  (以上、字数制限のためカット 2011年11月28日)
・・・
3159,金を通して世界を読む  −2
2009年11月28日(土)
 「金を通して世界を読む 」 豊島 逸夫 (著)
住宅価格下落を予測して、下げで大もうけをしたジョン・ポールソンが近く金《ゴールド》を中心としたファンドを始めるという。
彼が3〜5年スパンで金に「兆」単位を投資するというから、2〜3倍以上の高騰を予測しているはず。 
銀も一年前から高騰を始め、年に90パーセント以上も値上がりをしているから、金はまだ40パーセントだから、
50パーセントの値上がりと考えることができる。 そうはいかないのが相場の世界である。まあ、どうなることやら。
 ーこの本の中で、含蓄の深い部分を抜粋してみるー 
 日本で最も金が売れる地域といえば、京都である。 店舗の面積坪当たり最大の金小売店も京都にある。
京都には宗教法人が多く、資産も蓄積されている。 長年歴史の波にさらされてきたからこそ、スイス流の
「最後に頼りになるのは金」という考えも強いようだ。 ある金ディーラーが縁あって某名刹の住職と面談したときのこと。
住職曰く「金は先の大戦でもそのまま残り、資産として破損することはありませんでしたな」。 ディーラー氏答えて
「はあ、第二次大戦でも京都は空襲を免れましたしね」。 住職「なにをおっしゃる。私の申しているのは応仁の乱のことです」。
各県別に見ても、金が売れる地域というのは必ずしも県庁所在地とは限らない。 現代の経済行政の中心地より、城下町であった
都市のほうが資産のストックは多いようだ。 郡山より会津、山形市より米沢、青森市より津軽、というようなあんばいである。
 (以上、字数制限のためカット 2011年11月28日)
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2794.ユダヤ人成功者たちに秘かに伝わる魔法の言葉・・3
2008年11月28日(金)
【第二の法則】
  なんでも鵜呑みにするな!人間は鵜ではない。
「世間において 常織とみなされていることに対して、疑問を呈する勇気を忘れてはならない。
  健全な猜疑心こそ、ものごとの裏に潜む本質を見極める近道である 」    ロバート・ルービン
「誰もが同じように考えているときは、一人として真剣には考えていないものである」 ウォルター・リップマン 
「貴殿の理論が狂っている、つまり突飛であるかという点では、我々の意見は一致している。
  だが、正解になる可能性があるほど狂っているかについては、意見がわかれている。
  私の直感では、まだ十分に狂っているようには思えないのだが」       ニールス・ボーア
「二つの文化のうち、それぞれの半分だけ足しても、一つの文化は 生まれてこない」 アーサー・ケストラー
「半分の真実といえば聞こえはいいが、本当は真っ赤なウソである」     ユダヤの掟
「権力とは 究極の媚華である」                 ヘンリー・キ・ソシンジャー
「違うよ。そうじゃないんだ。君は、思考していない。ただ、論理に支配されているだけなんだ」 ニールス・ボーア
「嘘には三つの種類がある。 ウソ、 真っ赤なウソ、 そして統計である」 ベンジャミン・ディズレイリ
  ーーーーー
何事も、自分の頭で一度は精査することが必要である。それが、考えることになるのだ。考えない方が良い人が多いが。
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2007年11月28日(水)
2429, 20世紀を生き、21世紀を覗き見て    (p≧w≦q)オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪
 大よそ半世紀少しを20世紀に生き、世界の色いろな変化を見てきたが、明治・大正生まれの人は、その感慨は更に深いだろう。
この20数年間、憑かれたように秘境ツアーで地球の果て?を見てきて、自分の庭とは言わないが、デズィニーランドのように
世界の文明と自然を見ることができたのが最大の収穫である。21世紀になって、携帯電話やパソコンによる情報革命の大きな
変動を見るにつけ、何と恵まれためぐり合わせが良かったと信じられない思いである。情報化が良いか悪いかは二の次に置いて、
これだけの知識・情報が世界を駆け巡る事態はSFの世界に迷い出た思い。 20世紀と対比できるから言えるのだろうが。
恐らく数百年、いや数千年の経験を60年余りの時間の中で味わったのである。その不思議である。21世紀は、やはり違う世界である。
それも想像を遥かに超えた。その結果だろうか?、この数年から哲学が面白くなってきたのである。この地球の大自然の由来は、
宇宙の果ては、130数億年前のビッグバンは何故おきたのか、それ以前は何があったのか、人間の6千年の文明史はどのように
なっているのか、等々、疑問が噴出してからである。地球を見てまわり、少なからず人生経験を積み人類の遺産の文化や文明を見てきた。
そして、知れば知るほど、知らないことの多さと不思議の多さに呆然とする。それらを考えること(哲学をすること)で、
少しずつ理解できると哲学者は言う。「死んでしまえば、それが何だった」としてもである。少し地球に存在し、少し認識したということ? 
それが存在の不思議を問う存在論になり、認識の意味を問う認識論になる。我われは地球に、遊びに、働きに、
そして学びに来ているのである。「よく遊び、学び、学べ」とは、よく言ったものである。         (((。・-・)从ホンジャ
・・・・・・・・・
2006年11月28日(火)
2065, あたりまえなことばかり −16
  b(^o^)d おっ W(^O^)W  はよー! ー♪
この女哲学者よりも、私のほうが「心の中で生きているとは、どういう意味か」という内容に関しては、
深い経験をしているように思えたが、どうであろうか?両親が亡くなったときに、あくまで夢?であるが、
色いろな体験をしているからだ。父の場合、父の方の心理そのものになったり、母親も最近まで夢の中に出てきたからだ。
{全過去の記憶を現在として保有する「心」とは、その意味で存在そのものではなかろうか。
記憶は、「心の中」に存在するのではない。記憶こそが存在する現在である。
逆に、我われが現在生きるとは、存在の記憶を生きることである。}「記憶をなくした男」の映画を観たことがあるが、
まさに上記のとおりである。「自分が何者かわからない」ほど、恐ろしいものはないと、寒気がしたのを憶えている。
ただ、虚無が自分を取り囲んでいるだけだろう。本人がどうしてよいか解らない心理が、その映画で出いていた。
「過去を消したい」と思うのは、都合の悪い過去を消したいだけである。
「いま、ここ」は、全過去があるからこそ、垂直に立ち上がる。
ーーーーーーーーーーーー
他者の死はなぜ悲しいのかー?
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*心の中で生きているとは、どういう意味なのか? 肉体として存在しないけれど、記憶として存在する他者は、その限り「存在する」。
この存在の意味を考えてみよう。死んだ人が心の中で生きている、しかし、先に我われは、死んだ人はあの世にいると納得したのでは
なかったか。心の中にいながら、あの世にいるその人は、すると、どこにいることになるのか。彼は「今」どこにいるというのか。
  ー2009年11月28日ー字数制限のため削除ー
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2005年11月28日(月)
 1700, 人生の価値についてー2  (*´o)*ゞふぁぁ
このHPの維持も、「退屈と不安の解消が目的か?」と、問われれば、「目的ではないが、手段である」が答えになる。
退屈に対して、これだけ赤裸々に抉っているのも珍しい。「小人閑居して不善をなす」というが、閑居に対する姿勢が
小人かどうかを決めるのだろう。閑居は何か悪いように錯覚するが、逆に最も大事なことである。
アラブの遊牧民は、閑居を第三の時間ー瞑想、仕事と遊びと、そして休みの時間)として、一番大事にしている。   
第104節の「人生の退屈そして不安 」でさらに、生きるとは何かをさらに掘り下げている。
 何ヶ所か抜粋してみる。                 φ(・_・)
 ードストエフスキーはシベリアの徒刑地で、
   懲役の労働が囚人達に苛酷なのは、仕事の内容のつらさではないという。
    つらさという点では農民の方がよほど苛酷なはずだ。しかし、農民には自分のために働いているという目的がある。
      だが懲役の労働には目的も意味もない。 それが刑罰の刑罰たるゆえんである。
 ー彼は囚人達が「意味の無い労働」でない、例えば家を建てる仕事を与えられると、
    にわかに夢中になり、生き生きしてくるさまを伝えている。
     強制労働で立派な家を建てても、賞金がもらえるわけではないし、刑期が短くなるわけでもない。
       それでも囚人達は少しでも具合よく、良い家を仕上げようと一生懸命になるという彼の深い観察のうちに、
        人間の生きる目的ということの秘密が宿っているのではないだろうか。」 
    この節で、人間の日々の行動に何らかの目的があることの重要性が説かれている。
 ードストエフスキーは次のようにいう。
 「もしも囚人に、一つの手桶の水を他の手桶にあけ、それをまた逆に始めの手桶にあけたり、砂を搗いたり、あるいはまた、
   土の山を一つの場所から他の場所へ移し、それをまた元へ戻すというようなことをさせたら・・・・
     囚人はきっと四、五日も経ったら首を吊るか、でなければむしろ死んでそんな侮辱や苦痛から逃れようと思って
       どんな罪でも犯すだろうと思う」     ヽ(゜Д゜;)ノ!!
  (以上、字数制限のためカット 2010年11月28日)
・・・・・・・
2004年11月28日(日)
1335, 「おカネの発想法」 ー読書日記−2
 ー前回に続いて、印象的なところを抜粋してみるー
 ーおカネが本物かニセモノかという点は、実は本質論ではないのです。
   (以上、字数制限のためカット 2010年11月28日)
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2003年11月28日(金)
968, 「企業の人間的側面」
以下は字数の関係でカット


4273, 100の思考実験

2012年11月27日(火)

             「100の思考実験: あなたはどこまで考えられるか」 ジュリアン バジーニ (著),
   ー 内容紹介(アマゾン)
● これは「読む」本ではありません。「考える」本です。
● 「列車の暴走で40人が死にそうなとき、5人だけ死ぬほうにレバーを切り替えられるとしたらどうするか」
NHK「ハーバード白熱教室」で取り上げられた「トロッコ問題」のように、古代ギリシャの時代から哲学者たちは
「思考実験」を“考えるためのシミュレーション・ツール”として用いてきました。 身体と脳・自意識・生命倫理
・言語・宗教・芸術・環境・格差など、多岐にわたるテーマから選りすぐった簡単に“答え”の出ない、哲学・倫理学
・論理学の100の難問があなたをぐらぐらと揺さぶります。  世界19ヶ国で刊行! イギリス発ロングセラー!
★【書評から】 「読んでいて思わず引きこまれる。知的で愉快で、型破り。巧みでセンスのよい構成。
 誰かと議論したいのに、相手が見あたらないとき、繰り返し手にとりたくなる本だ」 「楽しんでできる頭の体操」
 「何度も考えることこそ、明敏で切れ味のよい本書の意図するところだ」 「この本はさながら、道徳哲学の“数独”。
 身動きできない地下鉄の中でも、“思考実験”のどれかに取り組めば、たちまち通勤地獄から抜け出せる」 
 ▼【私の書評】 考えさせられる本である。まず一番私が考えさせられたのは、「楽しみの法則」である。
 ≪ キャリア上の躍進を続けてきて、ようやく、二つのチャンスが同時に舞い込んだ。ふたつの国の大使である。
  どちらも南太平洋の小さな島国で、ひとつは、厳しい法律があり、婚外セックスも飲酒も麻薬も大衆的娯楽も、
 贅沢な食事まで禁じられている。許されているのは美術や音楽といった高尚な楽しみだけ。実際に国が、それらを
 推奨していたため、世界屈指ののオーケストラやオペラや美術館や劇場がそろっていた。もうひとつは、
 知的にも文化的にも砂漠のようだった。しかし、快楽主義者にとって天国で知られ、何もかも許されていた。≫
  このふたつの判断、自分だったら、どうするだろうか。 学生時代の四年間の過ごし方に似ている。
 学生時代の遊学で、有り余る時間の中で何をするかは、本人の自由。この問いのように、学びに中心を置くか、
 遊びに中心を置くか、大きく迷うところ。 都会での遊びも、学びも、学生時代しか出来ないことがある。
 問題は、どう考えるか。人生でも同じことがいえる。往々にして、二つの両立は、なかなか難しい。私の場合は、
 「硬派のレールの上を軟派に生きる」を意識していたが。低俗の遊びには、高い税金がかけられ、崇高な遊びには、
 推奨金が出るケースが多い。とはいえ、どちらも実際に経験してないので、本人にとって、選択した以外の方は、
 うかがい知ることはできない。この歳になり過去を振り返って、この問題がフラッシュのように思い浮かぶ。
 あの誘惑に乗っていたら??等々・・ で、私なら? 答えは明白である。高尚の方である? 何故なら、
 快楽の楽しみは、帰国した時にチャンスは無限にあるが、高尚の方は、帰国した時に雑多な日常の中では、
 じっくり浸る時間が取れないからだ。その人が、それまで苦労して手に入れた高尚な?大使職である。
 その職に相応しい時間を味わうのは当然の理である。とはいえ、大きな後悔もあるだろうが。
・・・・・・
2011年11月27日(日)
3898, つれづれに  ー景気の話ー
   * 金融株は、どうなっている?
 久々に金融株を見て驚いた。何と野村證券が230円、三井住友銀行が2000円(額面を換算すると200円)、みずほ銀行が
100円割れ。東京三菱が330円とあった。 野村證券は5年前の10分の一、みずほ、三井住友が6〜7分の一以下。
銀行株が100円を割ると危険水域を超えるというから、みずほ銀行は非常に厳しい事態。いかに、リーマンショックの影響が
大きかったかである。EU危機も何処かの国がデフォルトでもすれば、欧州だけでなく、世界中の銀行の連鎖倒産が起る。
日本国債務のGDP比が220%もあり、ユーロ圏の90%程を大幅に上回り、アメリカの100%、イギリスの80%に対しても、
あまりに多いことが分かる。その日本が、このままでいられる訳がなく世界の投機筋が日本を狙うのも時間の問題。
日本人が1400兆円の金融資産を保有しているというが、その多くがアメリカ国債に変わっている。 日本が本当に健全なら、
日本の三大メガバンクの株価が、ここまで落ち込むことはない。その中で消費税の10%へのアップを与野党がこぞって反対を
している現状は情けない。とはいえ経済の疲弊度からみて、内税のコストを中小企業が吸収するに限界を超えることになる。
  * 70インチTV
 新聞報道で70インチのTVが売り出されたとあったので家電で見てきたが、想像以上に大きい。50インチの二倍近い画面で
あれば当然だが、一般の家庭の居間に果たして収まるか疑問もある。大型TVは大きいほど良いが・・・
あれでデナーショーを見たら現場感覚に近い迫力を感じ取ることが出来るだろう。50インチのTVを見た時の驚き冷めないうちに、
二倍の大きさになっている。こういう不景気の時代、家でTVを見ているのが一番安上がり。
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3533, 竹森俊平の「漂流を始める世界経済」
2010年11月27日(土)
 経済専門雑誌「Voice」12月号に、竹森俊平「漂流を始める世界経済」があった。
彼はリーマンショックの直前に、それを予測するような著書「資本主義は嫌いですか」を出版している。
直ぐに読んだが、そこで「紙切れ通貨制度」の功罪を呈示し、そこから生じる厄介な問題がいくら抱えても、
われわれは管理通貨制度と、うまくつきあっていくしかない!と論じている。 
 「漂流を始める世界経済」の中で彼は、2011年の記憶をあらかじめ消去してしまいたいほどの経済惨状を予測する。
 【 来年には世界経済が二番底に陥る可能性が高く、その様相が悲惨になるからだ。 主要国指導者は己の判断ミスを認めず、
責任を外国に転嫁し保護貿易主義に走る。しかし保護主義によって事態が好転しないため、指導者への信頼は一層地に墜ち、
その後の操縦席に人がいない状態になり、世界経済の漂流が始まるという。
 そこで二番底は、ギリシャ危機以降、PIIGS(ポルトガル、アイルランド、イタリア、ギリシャ、スペイン)の
破綻と考えたが、それを撤回した。 ヨーロッパのエコノミストや政治家と、逆に財政刺激策の継続を説くアメリカの
カウンターパートとを比べると、景気浮揚に失敗するのはヨーロッパと思われるが、ヨーロッパの政治エリートは、
大衆の意向に反して豹変が許されている。「状況が変わった」と、今までと百八十度異なる政策をとることも可能である。
しかし選挙民の思惑にがんじがらめなのがアメリカ。失業率9%台の高止まりも、本来、緊急景気対策費65兆円のおかげで、
その程度でいられると読むべきだが、「巨額な対策費にもかかわらずそんな効果しか上げられないのか!」と受け止めるのが
アメリカ国民の実態である。 さらに今年末には前政権による所得減税が終了し11年からは増税が始まる。
「ティーパーティ運動」が声高に叫ぶ「これ以上無駄な税金を使うな」を、政治家が無視できなくなる。
ということは、二番底がどこかで発生するとみてよい。 今や二番底と保護貿易主義という暗雲がたち現われている。
ここで世界は問われているのは政治のありようである。】
ー以上だが、来年、再来年にかけてリーマン・ショックを震源とした大津波が、3年後にウネリをあげて襲ってくるのは
 避けることの出来ないこと。それ以来、何度も何度も書いてきたが、10年は続く。100年、250年に一度の大変動である。
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3158, 金を通して世界を読む  −1
 2009年11月27日(金)
  「 金を通して世界を読む 」 豊島 逸夫 (著)
  このところ、金の価格が動き始めてきた。年初からみると、4割の上げで3500円。
 銀が9割上げていることからみて、まだ上がるという強きの見方が大勢である。
 この本、半年前に買って目を通したが、あまり積極的には読んでなかった。
 しかし、ここで新聞などで金の値上がりが報じられたこともあり、再び読み始めたが面白い。 
   まずは、その一分内容を書いてみる。
・ 投機を目的とするか、投資なのかをハッキリすべし。
・ 金は一般的に「有事の買い」といわれるが、実は「平時の買い、有事の売り」である。
・ ドルは200年、金は2000年の通貨の歴史がある。
・ ドル発券国のアメリカの外貨準備に占める金の割合は70パーセント以上。  中国・日本は1パーセントに過ぎず、
  巨額のドルを保有。欧州のドイツ、フランスは50パーセント以上。中国の金の生産量が南アを抜いて世界一位。
  その日本は、金が高騰すると、貴金属のリサイクルが進んで、一転輸出国になる。これは国力衰退の象徴である。
・ 金は30年前の5千数百円をピークに停滞が続いたが、10年前の1999年から長期上昇トレンドに入っている。
  10年前の底値は250ドルである。現在は1200ドルに近いので10年で5倍近い値上がりになる。
・ 実物資産の不動産と比較すると、金には 
  *固定資産税がかからない。 *売買市場が完備されており、日々の価格も外為同様に公表される。
  *小分けが出来る。 *資産の隠匿手段として最適  *利息などキャッシュフローを生まない。
   しかし、これがアラブなど中東の金持ちにとって、アッラーの教えに反しないので金保有は都合が良い。
   〜〜
 以前にも少し「金」について取上げたが、金といえば商品取引業者の餌食になる「金の投機」が思い浮かぶ。
 目先の動きの先物で利ヤザを稼ぐ際どいもの。 著者は、その道のプロだが、長年の結果が8勝7敗だが、
 そのプロ筋では8勝の結果は評価は高い。金投機のプロは8勝7敗で生き残り、7勝8敗で消えていく世界。
 その8勝と7勝の一勝の差は、「損切り」。 問題は負けが込んでいたときに、いかに手早く見切るか、
 それが出来ないという。 今に戻ると希望的観測を持ちたがるが、よほど強い意志がないと出来ないという。
 だから、相場のプロも自分個人の資産運用に関しては純金積み立てと決めている。
 相場に魔法の杖がないことを骨身にしみているので無益なゼロサムゲームには、参加しない。
 仲間のデーラーも同様だという。 そういう世界が投機筋ということだ。 恐ろしい世界である。 ーつづく
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2793.ユダヤ人成功者たちに秘かに伝わる魔法の言葉・・2
 2008年11月27日(木)
「自分を大切にするものは、他人も大切にできる」とするなら、「自分を大切にしないものは、他人も大切にしない」ことにある。
こういう人間、本当に多いよな〜、と思っていたが、じゃあ、御前さんはどう?と言われると、酒飲みすぎて、
命を縮めているじゃないか。そして酒の勢いで他人を傷つけているじゃないかい?と言われれば、成るほど、納得する。
「自分の意志の主人となり、良心の奴隷となれ」(ユダヤの諺)は、至言である。
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「ユダヤ人成功者たちに秘かに伝わる魔法のコトバ 」−2    読書日記
【第一の法則】
▼ 自分を大切にするものは、他人も大切にできる。
「自分が ありのままの自分でいられるような人生を 謳歌するためには、音楽家なら作曲し、画家ならば絵を描き、詩人であれ
詩を書くのだ。自分の命にそった生き方を選ぶことが、人間にとって、もっとも自然な姿なのである」エイブラハム・マズロー
▼「無理して人と違う自分を演じようとする必要はない。
良い結果を出そうと頑張れば それだけでじゅうぶん人とは違う自分を演出できるのだ」 アーサー・フリード
「盲人の国では片目の男は王様だ」    ユダヤ人の友人のことば
▼「自分を信じるのだ。 自分の力は、自分が思っている以上に あるものだ」     ベンジャミン・スポック
▼「自分に対して とことん正直になること、それが心身に良い影響を与えるのである」 ジークムント・フロイト
▼「いつも自分一の外側に、カや自信の源があると信じて捜してきました。でも、本当は自分の内側から 
 にじみ出てぐるものなのです。 いつだって 自分の中にこそ、強さや自信の源はあるのです」 アンナ・フロイト
▼「世の中を敵にまわして戦う時は、世の中につけ!」        フランツ・カフカ
▼「よく、あの人はまだ自分を探し終えてない、などという人がいるが、
   そもそも自分とは 探すものではない。 みずからが創り出すものである」 ユダヤの諺
▼「みんなにイイ奴とは、誰の友達でもない」  ユダヤの諺
▼「自分の意志の主人となり、良心の奴隷となれ」   ユダヤの諺
▼「わたしのモットーは、心に生じる罪悪感を 決して疑わないこと」  フランツ・カフカ
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2007年11月27日(火)
2428, 自分を理解するため他者・コンピューター −2     才ノヽ∋―_φ(≧ω≦*)♪
 人間と動物とが共通に有している能力よりも、知的・理性的側面が、人間固有の特徴として逆照射されたが、
今度は特有の特徴を凝縮したコンピュータから人間に向けて照射したら何が浮かび出るのだろうか。 
この数日、コンピューターから人間を照射した、動物と人間の差異は何か?を自分の頭で色いろ考えてみた。 
・喜怒哀楽の激しい感情、
・欲望の過大性、
・自らの知恵で環境を変える能力、
・考えることを考えるー哲学をする能力、
・新たな他者としてのコンピューターを使い、支配する能力、
・言葉を持ち、それを書き写す能力、 
・自らの意思を持つ能力、
・自らの神を創造する能力、
 を持ち、それ故に自ら自然界を道連れに消滅する宿命を持った動物である。 まだまだ幾らでもあるが、
 私が今考えた「動物と人間の境い目」である。そうこう考えると、やはり動物とは違う存在である。
 更に人間は、この新たな他者を爆発的に発展させ、自らの周辺の環境に融合しだした。
これが良いにつけ悪いにつけ、次の大きな問題になってきた。 世界が一変しだしたのである。
  ー 前回のレポートの続きである。
 *現実感を変えるバーチャル・リアリ一アイ  ーコンピューター
                           黒崎政男(哲学者)
そして、今日では、コンピューターと哲学をめぐる聞題群はさらに広がっている。1980年代から始まったコンピューターの
パーソナル化は、予想を超えた速度で進行し、コンピューターはあっという間に個人的生活の内部にまで浸透した。
コンピューターは、もはや、われわれに脅威を与える他者という遠い距離に留まるのではなく、完全に環境として
われわれを取り巻くようになった。 そしてさらに、コンピューターとわれわれの関係はさらに密接になっていき、
〈われわれの外部としてのコンピューター〉という性格さえ危ういものとなっていく可能性が出てきた。
つまり、現在さまざまな形で間題となっている〈バーチャル・リアリティ〉である。
われわれわれは、今やそれをわれわれの身体の一部として、あるいは頭脳に一部として
組み込もうとしているわけである。その意味で、人問とコンピューターとの結びつきは、もしかしたら、
着実に進行しているのだろう。それは、脳に直接機械を埋め込むという、ミンスキー教授が言うような
原始的な方法によってではないかもしれない。われわれの環境が、電子的に媒介された映像などで満たされていくとき、
そして、人々のコミュニケーションがほとんど電子的な媒介によって営まれるようになったとき、われわれの現実感の変容
という形で、それは進行していく。コンピューターは、人間とはなにか、を逆照射してくれるあらたな他者として、
今日、きわめて意味深い存在者なのであるが、今後、人間は自己規定をどのように遂行していくのだろうか。 
あくまで、人間性にこだわっていくのか、それとも、そんな課題は放棄してしまうのか。興昧は尽きないのである。
 −−
10年先、いや5年先さえ、想像すらつかない変容が待ち受けている。
 それを見るだけでも現代に生まれた良かったと思っている。      ヽ(。・c_,・。)ノ バイ
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2006年11月27日(月)
2064, あたりまえなことばかり −15      o( `▽´ )Ψオハヨウ!           
7歳の頃、一番上の兄が死んだ時に姉に「死んで兄ちゃん、どこに行ったの?」と聞いた。
そのときの姉の答えは、「白い馬になって、空の上の昇っていたいったのよ」であった。数日後、兄が白い馬になって
空に昇って行った夢をみた。子供ながらに、その時の両親と兄・姉の悲しみは敏感に感じ取っていたのだろう。
こういう経験を重ねて、死は怖いもの悲しいものという先入観が植え付けられたのだ。
亡くなってから何度か「どこかに行っていた兄が帰ってきた夢」をみた。
空の彼方からというより、そのつど事情が変わっていた。兵隊から帰ってきたり、旅行より帰ってきたり・・・
人は元気で長生きをしなくてはならない。世界も、自分も変わっていく。それは遥かに予測や想像をこえている。
いま、ここは全てである、しかしその全ての背後に得体の知れない世界がある。
それを知りえるには、変化していく自分の世界と経験の蓄積の範囲でしかない。    
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他者の死はなぜ悲しいのかー?
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言語と論理に即して考える限り、「死は存在していない」。自分の死は言うに及ばず、他人の死すら「見つからない」。
しかし、だからこそ、「他者が死ぬ」とはいったいどういうことか悩ましいなぞとなる。死は存在しないが、死体は存在する。
他者の死体の存在によって、現実の出来事になる。死の境によって動いていた体が動かなくなる。この変化の意味、
これが理解できない。理解できないまま、死体は然るべき手順で処理され、無くなる。
(カット 09年11月27日)
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2005年11月27日(日)
 1699, 人生の価値について −1    −読書日記 
    『人生の価値について』西尾幹二著 新潮選書  (-_ゞnemu  (~O~)ふぁ
  この本では、どうしたら人生に成功するかという、いわゆる人生での成功の秘訣や、いかに生きがいを見つけるか
 といったことは書かれておらず、生きがいとは何か、成功は価値に等しいのか、が述べられている。
 成功失敗、幸福も不幸も、希望も絶望も、生も死も、結局は同じものの二面性にすぎないという。
 「人生は偶然に支配され、何が起こるか分らないからこそ、生きるに値する」という、宿命を認めているところは
  本人の人生体験を重ねて深いところを見据えている。
  104節からなる各々の文章が、どれを読んでも解りやすい文章で読者を深いところで納得。
 ー90節の「希望について 」が、心に残った。
 重病患者ばかりが入っている病棟に入院したときの著者の記述が鋭い。
 著者がそこで不思議に思えたのは、明日にも死ぬかも知れない人々にも「社会生活」があることである。
 余命幾ばくもない患者たちが、日常のささいなことに心をとらわれていることである。
 明日の命も知れぬ人が、ナイター中継に夢中になっていたり、同じ病室の人に悪く思われないように
 気をもんでいたりすることなど、「死」という大きくて困難な問題を直視しないようにしていることを知る。
    Σ(゜Д`;)ア…ア…アッハァァァァァァァァ?!!    死にたくない!    
    (カット 12年11月27日)                


4272, 閑話小題 −つれづれに

2012年11月26日(月)

* 過去の随想日記を改めて読み返すと、結構、面白く可笑しい時間をすごしている。
 恵まれていた時代に生きていたということか。 自分が経験したことや、本を読んで納得した以外のことは、
 全て想像と思い込みでしかない。それは他人にも言える。一歩退いて、きし方を振り返ると、その時には
 気づかなかったことが今になって気づくことが多いが、それも思い込みでしかない。
 「事実などない、あるのは認識だけである」という道理がある。事実が真実とは限らない。そのことを知識だけでなく、
 人生経験から理解出来る人と、理解出来ない人がいる。とはいえ、真実と思い認識していることも、怪しいもの。
* 情報化=ネット社会が世の中を根こそぎ変えている。ひと昔なら想像すら出来ない情報機器から限りなく情報が入ってくる。
 さらに一人ひとりの情報発信基地を持てるようになってきた。しかし情報が豊富になって、人間が豊かになったか?というと、
 そうではない。むしろバカになっているところが多いのは自分自身を見ればわかること。それでも年々、面白くなっている。 
 こういう時代は、落語の御隠居とか、はっつぁん、熊さんみたいな、暇人ほど良い。それに教養のベースがあれば、
 ネット社会では色いろな世界と繋がることが出来る。繋がった先の世界から逆照射して、自分の世界を見ることが出来る。
* もう、以前のような事業生活には戻りたくない。右下がりの世相もあるが、今ぐらい状態が丁度良い立ち位置である。
 専業主婦は、暇の効用を知り尽くしている。バーチャルのTVの世界と、人工頭脳空間の都会を彷徨う楽しみを知っている。 
 人生は夢幻と割り切ってしまえば、これだけ面白い時代はない。自分が幻想する前に、誰かの幻想空間が我々を魅了する。
 それは、逆に私たちの空想、幻想の力を削いでしまう。
* あと一月あまりで、今年も終わる。間違いなく、株の暴落か、イスラエルによるイラン攻撃があると見ているが、
 今のところ、静粛を保っている。この時期の衆院解散が吉となるか、凶となるか? どちらにしても、政権交代は必要。
 ここでシャープ、ナショナルに引き続いてソニーの格付けが危険水域まで下がった。2〜3年前では考えられないこと。
 戦後の日本の家電を引っ張ってきた世界に名だたるブランドの会社がである。恐慌前夜の風景といえば、その通りだが。
 まあ新幹線最終駅の、あの業態で、これほど堅い商売と思っていた私の事業が、いともあっさりと終わるのだから、
 何も不思議でないといえば、それまでだが。
 ・・・・・・・
3897, 腰痛は、脳内システムの不全が原因 ー2
2011年11月26日(土)
 先日、鎌倉の散策で起伏の激しい坂道を歩いていたら腰痛がきた。その前日、スポーツジムでツイストのマシーンをしすぎと
相まったこともある。鎌倉の坂道で頭に浮かんだのは、腰痛はストレスなどで脳内の痛みをコントロール機能が弱まるためか? の疑問。
その時、三人の間で海外旅行の話に気持ちが集中したためか、腰痛のことを忘れていた。 成る程と実感したが7ヶ月もスポーツジムで
鍛えた割に、いとも簡単に腰痛が出るとは・・ しかし帰りの駅のタクシーの乗車の間に腰痛は嘘のように消えていた。 
そして翌日起きると、ほぼ全治。やはり腰を鍛えていた効果があったようだ。 鎌倉は坂の多いところ。 
 ところで二年以上、重症の腰痛が起きてない。今回のように少しは出ても直ぐに元に戻る。しかし人生の節目の後遺症のストレスは
消えていないので、注意しなければならない。 私の場合、多くの腰痛対策の複数効果が明らかに出ている。 腰痛は完治は無理。
重症にならないように付き合うしかない。 身体全体を冷やさないこと、常にエビ反りマシーンで背筋を伸ばすこと、寝室と、
居間と書斎の椅子に低反発マットを敷くこと、冬期間は腰にホッカイロを当てること、など注意を怠らないなどである。
 脳内システムといえば、スポーツジムでインストラクターが、「ストレッチの時に、腰のストレッチだったら腰に、大腿部だったら、
大腿部に気持ちを集中してください。そうすると、効果が数倍上がります!」という。 実際に、そこに気持ちを集中すると成る程、
効果的なのが分かる。 人間の気持ち=脳は不思議である。 でも、寒くなると軽い鈍痛が、常に付きまとう。
 ・・・・・・
3532、何か哀しい北朝鮮
2010年11月26日(金)
 どちらが先に砲撃をしたか分からないが、28日の米韓の合同演習の直前というところがポイント。
その二日前に、金親子が砲撃をしてきた基地を視察した?ということからみて北朝鮮の先制と報じている。
12月4日に日米による尖角列島付近の合同演習も控えているので、中国と北朝鮮が打ち合わせを充分にした上の
攻撃と見ることも出来る。これはアメリカにとって黄海での原子力空母派遣の大儀名分を手に入れたことになる。
韓国軍の中に前回の哨戒艦の撃沈に対し沈黙をせざるを得なかった反発から、アメリカ空母からの攻撃の誘発を
狙った砲撃を北朝鮮に仕掛ける兵隊が出て、一挙に全面戦争もありえる。アメリカにとって、北の原子炉を破壊するに
丁度良い機会になる。そうあって欲しくないが、アメリカも何を考えているか分からない得体に知れない国。
あのドン様も、病気であとさき短いと考えて、自分の命と道づれに戦争の中で死を選択しても不思議でない。
と同時に、日本にテロを仕掛ける可能性もある。昨日の新潟駅には、いやに警官の姿が目立っていた。
この数日は、黄海から目を離すことは出来ない。あの「緊張感のない息子の顔」からして、瀬戸際を越えてしまう可能性は充分。
中国も、一つ判断を違えれば、動乱になるほど多くの問題を抱えている。またオバマも中間選挙の敗戦で追い詰められている。
北京万博、アジア大会、そしてアメリカ中間選挙も終わり、この辺で、朝鮮で一騒動を起こすに丁度良いタイミングである。
年末まで、あと少し。今年の後半期のイベントは、これになるのか? 欧州はアイルランド危機で、極東の小紛争でしかない。
アメリカも体力が消耗し尽くしているのを見込んだ上の、北の仕掛けで、我慢するしかないのか、ここも。
 もし、全面戦争になったとしたら、アメリカにとって一番有利な展開になる。中国と日本に対する威嚇という面でも。
ところで「何か哀しい北朝鮮」からすると、この国の現状は「何か惨めな日本」「何か哀れな日本」ということになる。
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3157,つれづれにー 閑話小題
 2009年11月26日(木)
  * 金か〜
 金の動向が気になってはいたが 一月前あたりからジワジワ動き出してきた。金が上がるのではなく、他の貨幣が下がるのだ
という理屈は言いえて妙である。住宅価格下落をよんで、下げで大もうけをしたジョン・ポールソンが近く金《ゴールド》
を中心としたファンドを始めるという。彼のことだから、3〜5年の最低のスパンで金に兆単位を投資するというのだから、
ズッシとくるのは当然である。 恐らく、2〜3倍の高騰を予測しているのだろう。銀も、一年前から高騰を始め、
年に90パーセント以上も値上がりをしているというから、銀に正比例すると、金はまだ40パーセントというから、
50パーセントの値上がりが見込めることになる。そうはいかないのが、相場の世界の恐ろしさである。どうなることやら。
 * その時、犬が吼えた ワン!
 まだ忘れることが出来ないが、ウソのような本当の話がある。
学生時代のドイツ語の授業のことである。 ドイツ語を日本語に誰かが訳していた時のこと。
「そこで犬が吼えた」と訳した時に、ハカッタように何処かから犬が「ワン!」と吼えたのである。
部屋中、教授も含めて大爆笑だった。 あれほどの面白タイミングの面白い偶然は、後にも先にもない。
あれから44年もたったか。年齢を重ねると、一年前も、50年前も同じようなものか。
 *「ランチョンテクニック」
 食事をともにした相手に心を許しやすい心理傾向を「ランチョンテクニツク」という。
我われは自律神経が午前中と午後とでは働きが違うが、これは人類がまだ狩猟生活に明け暮れていた頃の名残で、
「交感神経」が「闘争と逃走」を、「副交感神経」に、午後は「休憩と食事」のモードを司っているからである。
つまり朝から昼にかけては論理が支配する「論理モード」に、夕方以降は「感情モード」になっている。
 これをさらに応用すれば、ランチ時は「論理モード」なので、契約や提携などビジネスモードのシビアな話をしても
「ランチョンテクニック」で緩和される。 そして「感情モード」の夜に食事をする相手は、ビジネスの話はそこそこに
親密度がアップする接待モードが効果的になる。 だからロジカルにビジネスの話を進めようとする外国企業はランチを
共にすることを好み、取引先との人間関係を大事にしたい日本は夕食を共にしたがる。
 そういえば、自分をみるに、朝一番には、この随想日記の最後の仕上げをし、出社した後には前日の数字を見て、
新聞と手帳や手書きの日記帳に何やら書きつけ、それが終わると遊びモードに入ってしまう。
自由に気ままにインターネットをしたり、本を読んだり、とにかくリラックスをして考える。
・・・・・・・・・
2792.ユダヤ人成功者たちに秘かに伝わる魔法の言葉・・1
 2008年11月26日(水)
 ユダヤ人成功者たちに秘かに伝わる魔法のコトバ  −1
    「ユダヤ人成功者たちに秘かに伝わる魔法のコトバ 」 スティー ブ・モリヤマ (著)
 この本はユダヤ民族に流れる哲学や思想が151の名言・フレーズとして紹介されている。図書館で借りてきて何気なく読んでみたが、
中味の濃い内容が次から次へと出てくる。ユダヤ流「成功のヒミツ」は、ビジネスの成功者やノーベル賞受賞者は人口比でみても
多いのですが、ユダヤ人の成功哲学には「金儲方法」の類はまったく見当たらない。実践の結果として、財力や知性が身につく教えが多い。
彼らに一貫しているのは、「知識」ではなく、「知恵」に対すこだわり。彼ら成功者たちは、先人や親からのそうした教えを自分で消化し、
実践している。  ー以下は、この本の説明文と、9つの成功法則である。
  〜〜〜
この本ではユダヤ流・成功法則を以下の9項目に分け、各項目に関連するユダヤ人成功者たちの名言を付記している。
各法則を一つ一つ文字でこと細かに説明するよりも・この方がより効果的に行間に流れているユダヤ哲学を伝えられるのでは
ユダヤ人は他人と差別化することを重視しているため、多種多様の解釈がでてくるが・読者の置かれている状況も
多種多様である以上、そのほうが具体的事例に当てはめやすいかもしれない。
●ユダヤ流・成功法則 1        自分を大切にするものは、他人も大切にできる。.
●ユダヤ流・成功法則 2        なんでも鵜呑みにするな人間は鵜ではない。
●ユダヤ流・成功法則 3        口はひとつ、耳はふたつ。
■ユダヤ流・成功法則 4        カネを追うな! お金には追われるようになれ。
●ユダヤ流・成功法則 5        「学ぶ」ことは「知る」こと。「知る」ことは「変わる」こと。
●ユダヤ流・成功法則 6        失敗を恐れるな。やろうともせずに逃してしまうチャンスこそ、恐れるに値するのだ。
●ユダヤ流・成功法則 7        何もしないことこそ、最大のリスクなのだ。
●ユダヤ流・成功法則 8        無から有を生み出す喜びを知れ!それには「質問力」が大切だ。
●ユダヤ流・成功法則 9        笑ってツキと若さを引き寄せろ!
 〜〜〜
 これらの内容は、著者が過去十余年にわたってヨーロッパで働きながら集めた世界中のユダヤ人による
 名言の一部である。収集した約1万の名言の中から厳選したというだけのことはある。                         ・・・・・・・・・
2007年11月26日(月)
2427, 自分自身に「なる」こと     (。・ω´・)っノXXXXXXXXXX>C【才ノヽ∋―】
 人生を振り返ると、全てが自分自身に「なる」ためのプロセスのような気がする。先日、小学校の同期会があったが、
それぞれの生き方をしてきたとしても、突きつめてみれば「自分らしく生きてきたかどうか」である。人生の質でも濃さでもない。
そんなことは生きてきた、生きていることからみれば、些細なことである。死線を何回か乗り越えてきた人、北アフリカとフランスに
十年住んでいた人など、色いろな人生を背負った、それぞれの人生を垣間みて、「人生で何をしたかより、その人らしい生き方を
したかどうか」こそ、振り返った時に問題になる。残るのは「本人らしさ」だけである。
以下は、『哲学の教科書』・中島義道ー の中の文章である。
 −−−
 ここに、最高の自己表現、誰にでも適性があり、かつ人生の最高目標に据えるにふさわしいことが一つ残されています。
それこそ、はじめに触れました(自分自身になる」というとです。 全ての人は個人なのだから、そのまま何もしなくとも
人生の最高目標をもう達成していると考えるなら、そんな甘いものではない。マザー・テレサは、視線を絶えず苦しんでいる
人達に向けながら、このうえなく「自分自身になる」ことを実現している。あるいは自分のよい個性を伸ばす事も
「自分自身になる」である。特別世間的には偉くなくとも、その人のそばにいるとホッとするような人や安心するような人は
どこにでもいるものです。しかし「自分自身になる」ことは、必ずしも世のため人の為になることを含意してはいません。
この言葉には「よいこと・悪いこと」といった枠を越えたもっと根本的な意味があります。
それは、「生きること」そのことを目標にする「生きること」そのことを問題にすると必ず「死ぬこと」が影のようについてまわる。 
前に紹介した禅の坊さんたちの修行の目標は、例えば白隠の「いつかは生死を離るべき」のように、あるいは道元の、
「生をあきらめ死をあきらめるは仏家一大事の因縁なりのように、「生死の区別」そのものを幻と自覚するようなところにある。
最終的にはこうしたことに収斂することは認めながらも、しかし多くの若い人々は必ずしもつねに,「生」、や「死」そのものに
悩んでいるのではなくーすでに見たように一就職とか結婚、あるいは自分の肉体とか性格など目前の具体的なことに
悩んでいるのではないでしょうか。そこで、次にこうした悩みについて考えてみます。 
私はいかなる(いわゆる)些細な悩みであれ、本人がそれを悩むかぎりは、彼〔女)にとって悩む理由はあると思っております。 
(字数制限のためカット 2011年11月26日)
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2006年11月26日(日)
 2063, 親戚の交通事故
一昨日の夜20時過ぎに家内が柏崎の実家の近くに住む妹に電話をしたところ、彼女の連れ添いが交通事故にあったという。
「入院中の義母が、数日前から具合が悪い」という連絡が数日前に義妹から入り、私と見舞いに行く打ち合わせの電話をした時に、
その知らせを聞いた。 「数時間前に亭主が交通事故にあい、病院で手術中」という。昨日の朝さっそく病院に行き、集中治療室に
入っていた本人と話したが、身近の人の重傷の交通事故の人は初めてである。顔は倍近く腫れあがり脚は二箇所骨折、
来週ふたたび手術という。 首の骨も折れているという。たまたま、義妹と家族が買い物に出ていたが、頭はしっかりしていて、
見舞いのお礼をいっていたが、正視できない姿であった。オートバイで直進していたところ、交差点で右折の軽自動車と激突。
意識不明のまま、救急車で運ばれたという。タバコも吸わず、酒ものまず、「家業の自転車屋と、社会保険労務士と、貸家、
貸し駐車場を経営、真面目を絵に書いたような人。今まで事故も一切起こしたこともなく性格どおり平穏な人生であった。
(字数制限のためカット 2011年11月26日)
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2005年11月26日(土)
 1698, 辺境へ −3
 この本の内容とは、少し違うが私が行った辺境を印象深い順にあげてみる。
(辺境というよりむしろ、異境ー‘Σq|゜Д゜|p ワオォ ’という意味である。)
 1、やはり一番は中国ウィグル地区のタクマカラン沙漠のインド側のホータン〜カジュカル〜パキスタン国境の
  クンジュラフ峠 〜カラコルムハイウエー〜フンザ〜アフガン国境のペシャワール~イスラマバード。
 2、アルゼンチンとチリーパタゴニア地方    3、南米のベネゼイラのギアナ高地
 4、タンザニア      5、イスラエル   6、北インド   7、アイスランド
 8、ケ二アのヌーの河渡り  9、ネパール 10、シリア・レバノン・ヨルダン  11、エジプト       
12、モロッコ    13、桂林   14、ペルー 15、ブラジルのカーニバルと、イグアスの滝
 (以下、字数制限のためカット09年11月26日)          (◎-◎;)!!
 一番辛かったのは、生理現象である。( ̄ω ̄;)!!
 時差と食べ物の関係で2〜3日 体調を崩す。それを恐れていては、何処にもいけるものではない。
 ただどういうわけか、強盗・窃盗にはあったことはない。ツアーの良いところだろう。
 大自然や異文化から受ける大きな感動や驚きからみれば、その前に立ちふさがる壁は踏み石でしかない。
 それだけ、素晴らしい景色と感動が待ち受けていた。できる時に、できる事を、できるだけしておいて良かったのが 実感。       
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2004年11月26日(金)
 1333, 2000年前のポンペイ −4
遺跡の中でポンペイの遺跡は、奇跡に近い状態で当時の世界をそのまま閉じ込めて現在に提示してくれている。
この世界のグラビアの本を開いているだけで、気持ちが2000年の時空を飛び越えてローマの時代にはまりこんでしまう。
この小プリニウスの手紙には、大きな衝撃を受ける。この青年の知性にも、驚きざるをえない。
( 字数の関係で、カット。あとは、分類の検索に載っています。)
  (2007年11月26日)


4271, 法則は思考のショートカット −3

2012年11月25日(日)

                             「知っているようで知らない 法則のトリセツ」 水野 俊哉 (著)
   * 明日できることを今日やるな ーマニャーナの法則      
 マニャーナの法則とは、「仕事を洗い出し、明日以降でよいものはとりあえず先送りにし、今日やると決めたことだけをやる」こと。
仕事で、やるべきことをリスト化し、いつまでやるかをコミットメントするとよい。 英国のビジコンのマーク・フォスターが
提唱した法則。 明日やる仕事をリスト化すると、今日の仕事は、昨日リスト化した仕事だけをすればよい。リストを明確にして、
優先すれば、今日すべき仕事だけに集中できる。明日の仕事をリスト化できれば、一週間、一ヶ月と計画のリスト化が可能になる。
逆に、下手に明日以降の仕事をすると、今日の仕事がおろそかになる。やるとしたら、明日以降の計画を考えていた方がよい。
 的を得た法則である。今日やるべきことを確実にこなす事こそ一番重要である。我われは、今日の仕事を中途半端にして、
明日以降の仕事をしていまいがちになる。明日の仕事のリスト化は改めて考える行為である。 成るほど理に適っている。
   * ハロー効果
 学生時代に知った法則で、いやに鮮明に記憶として残っている。一つのことで顕著な特徴があると、他の評価まで歪んでしまう
心理状態をいう。人は美人というだけで性格まで良くなってみえたり、言葉遣いが丁寧というだけで誠実な人と思い込んでしまう。
その心理傾向は、背中から、まるで光がさして見えるため、背光効果=ハロー効果といわれる。一流企業の業績や人事制度に
ついての評価がいかに、このハロー効果で歪められているかが問題。 一流大学を出ているだけで優秀とは限らないのと同じ。
   * ピーターの法則
 これも学生時代に知った法則。Aさんは平社員に能力を発揮、係長になり、そこでも活躍し、課長、そして部長になる。
しかし、その能力は、それが限度。そして、そこに留まり続けると、ハツカネズミが回転の輪を何時までも回り続けるのと同じで、
ロボットのような限りない無能化に陥ってしまう。それが、すべての階級で同様なことが起こり、やがて、無能なA部長、無能な
B課長・・と、能力の限界に応じた最終段階に達したバカばかりになってしまう。いずれの会社も、よく見れば無能者の群れ。
これを「ピーターの必然」と言い、「やがてあらゆるポストは職責を果たせない無能な人間によって占められる」ことになる。
いずれの破綻の原因は、その果てか。それもあり10年転職、10年転業説が出てくる。その度、悪くなるのが殆ど?だが・・・
 ・・・・・
3896, デフレの最近事情
2011年11月25日(金)
 先日、鎌倉に日帰りで行ってきた。JRの期間限定の特別料金で、新幹線往復も含め昼飯付きで一万円。大よそ半額である。
その数日前に家内がディズニーランドに遊びに行った時、義妹と御台場のホテル日航に泊まったが、交通費と宿泊代を含めて
一万八千五百円。 割引パックの場合、景色が良くない格下の部屋になるが、「今日は特別、良い部屋にしておきました」と、
東京湾が一望できる部屋に泊まったという。デジカメで撮った東京湾の景観と部屋からして二人で三万はする部屋。
ホテルには客が少なく、家内が言うに「 サービスをしてくれたのでは?・・」とか。 これも大よそ半額割引。
それとシネマが60歳以上が千円、これも充分価値がある。また毎月の一日が、年齢に関係なく全て千円で、その日に客が殺到する。
 何度か書いているが、最近ランチを週二回は食べに行っている。(そのうち、一回は家内と一緒)家内が情報を仕入れ、ついていく。
それもあってランチとはいえ十分満足できる内容である。 牛肉も、高級魚も、不況のため、居酒屋や、回転寿司のネタになるほど、
値下がりをしているためである。 鎌倉コースは行きも帰りも新幹線の自由席は満席に近い状態。行きは旅行客と通勤客が半々。
寺から鎌倉駅までのタクシーの運転手に、「景気は、どうですか?」と聞くと、「大震災直後の売上は半分まで落ち込んだが、
現在は、それでも回復してきたが、元に戻ってない」という。 このデフレの中、事業主はギリギリの状態。その上、資産デフレも重なり、
経営資源の枯渇が激しく経営を圧迫している。 これにTPPの参加問題もある。 これは農業だけでなく輸出関係も影響してくる。
デフレに大きく関係しているのが情報化である。ここで携帯電話がスマートフォンに変わりつつある。それが、少しでも安くて、
良いものを提示してくれる。 お客にとってベストだが、売り手にとっては常にベストを維持しなくてはならない。
消費者は収入が減っている上に、情報だけは過剰に?流れ込んでくる。事業側はコストがかかる反面、お客の目は厳しくなっている。
 デフレ以上に恐ろしいのが、次にやってくるハイパーインフレ。 二年前の同日(下にある)に、偶然、デフレについて書いていた。
・・・・・・
3531, 専門家を疑ってかかれ!
2010年11月25日(木)
  * 「ローゼンハン実験」 ー専門家の先入観を疑え―
 先日の朝日新聞の勝間和代「人生を変える法則」のシリーズに、以下の実験に関する法則の紹介があった。
  医学など、こんなものだろうが、アメリカ的で何とも面白い。 まずは、その内容から・・
【  精神分析学に、「ローゼンハン実験」という有名な実験があります。
これは、1973年に米国の心理学者のデービッド・ローゼンハン博士が友人7人を募り、8人で12の病院に「幻聴が聞こえる」
と訴える偽(にせ)患者を装って診察を受けに行ったところ、診察にあたった医者がそれを詐病と見抜けず、全員入院させられて、
薬物治療を受けることになったというもの。この実験は、医学界から大変な反論と反響がありました。
ある病院は、偽患者はかならず見分けられると主張し、ローゼンハンに、好きなだけ偽患者をよこせと勝負を挑みました。
じつはこのときも、ローゼンハンの完勝でした。なぜなら、この病院は、3カ月間で診察した193人の患者のうち、
41人が偽患者だと見抜いたと発表しましたが、なんとローゼンハンはこの病院に一人も偽患者を送りこんでいなかったのです。
もちろん、当時と現在では、精神疾患に対する診断基準が違うため、いま、偽患者を装って受診しても即入院とはならないでしょう。
しかし、経験則に重きをおく医学では、医者が、短時間で患者の訴えの虚実を見分けることは大変、難しく、なんらかの病気の診断を
下そうとしてしまいがちだというのです。 現代で、同じような偽患者による追試を行うと、入院こそさせられませんが、念のため、
ということで薬が処方されることがあるでしょう。これも、医者が、患者の期待に、なんとか応えようとするためです。
この実験の教訓は、専門家たる医者の立場からみると、先入観にとらわれてはいけない、ということです。さらに、患者が嘘をつく
可能性を念頭に置き、物事を熟知していると自負するあまり、あるパターンに押しこめて理解しようとしていないか、
常にチェックすることです。また、患者の立場からみると、こちらからの情報が正確に伝わらないと、誤診を犯す可能性があると
いうことを理解しておくべきでしょう。しかし、この実験から、「専門家はあてにならない」と即断すべきではないと思います。
専門家も間違える可能性を念頭に置きながら、互いに信頼関係を築き、ベストな情報を交換し合うことが必要でしょう。
                              (勝間和代ー経済評論家・公認会計士)ー2010年11月22日 】
 ー 医者も間違えることをことを患者サイドは、常に意識しておかなければならない。要は、医者も能力の差があり、正確な
 診断を下せるとは限らない。それが精神疾患となれば、尚更である。これは、医者だけでない。社会一般にも言えること。
 専門家と称する人が言うことが、常に正しいとは言えないということだ。引退近い力士が、負けが込むと医師から、色いろな病気の
 診断書のお墨付きをもらい休場する。見ているほうからすれば、力の衰えからくる実力で負けが込んだのは一目瞭然。
 医者も阿吽の呼吸で診断書を書く。 ところで、考えてみれば、人間の認識ってのは、全てが先入観でしかないのでは? 
・・・・・・・
3156,デフレ・スパイラル
 2009年11月25日(水)
 政府が先日、三年数ヶ月ぶりにデフレ・スパイラルに入ったと宣言をした。この宣言は消費者の財布をますます閉めることになるが、
賃金・GDPも17年前の水準まで落ち込んでおり、購買が減るのは当然である。そういう当ホテルの客単価もピーク時の3分の2である。 
ネット予約の顧客が全体の四分の一になっているが、破格値である。 そういう私も本の半分以上はアマゾンで中古本を買う。 
カメラや、ブルーレイ録画機も、健康機器も、電気自転車も、何でもかんでもネットで一番買い得のものを選ぶ。 
また週初めは通勤途上の新潟駅で、週末の売れ残りのバナナか、村上の牛肉の値下がり品を買う。 
家内は初めの頃は買ってくると怒っていたが、今では逆に頼まれる始末である。 新潟駅駅ビルにビッグカメラがあるので度々、
カメラや薄型TVを見にいくが、この数年で廉くなっているのが分かる。先日、長岡のアピタの隣のシネマ館にいったが、
60歳以上は千円である。 またユニの衣料コーナーで驚いたのが紳士服。二着で一万五千円だったが、柄も生地も悪くない。 
思わず買いそうになってしまったが、踏みとどまった。 デフレ宣言を報じていた新聞をみていたら、紳士服の単価が一年で
4割以上もダウンしているとあった。家内がジーンズが好きで、微妙なカタチで購買を決めるというが、廉くても、その微妙な部分は
チャンとデザインに取り込まれていて悪くないという。  既に大手スーパーや百貨店などは、究極の消耗戦に入っているが、
こうなると弱いところに打撃は大きくなる。その山が年末年始にくるはず。ユニクロも、デフレを察知し、60週記念売り出しで
思いきった値下で先手を打った。 大盛況だったというから、他店の出鼻を挫いたことになる。それだけ、ユニクロは大きな影響を
与える存在のなってしまった。 企業にとってはデフレは厳しいが、消費者の節約にとっては良いことになる。
しかしハイパーインフレが始った訳でないのが、まだ救い。金(ゴールド)がジワジワ値上がりを始めてきた。
大荒れの一現象だが、見逃せないことである。
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2791, 新型インフルエンザ
 2008年11月25日(火)
このところ、連日のようにTVで鳥インフレエンザの脅威について報道している。 60年か70年に一度は、
必ずといってよいほど大流行が起こるが それが近々という。世界で最大、一億5千万人が死亡、日本では60万人と言われているが、
鳥インフルエンザH5N1型の場合、感染の六割が死亡するといわれる。半数が感染した場合、三割とすると????万人である。
(字数制限のためカット 2011年11月25日)
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2007年11月25日(日)
2426, 「おばあさん」初体験                   |* ̄o ̄|お|* ̄O ̄|は|* ̄。 ̄|よ
 朝日新聞の「生活」のページのーひとときーという欄に切実な投稿があった。家内が読んで「もう直ぐこういう経験をするかもね!」
と教えてくれたのである。一年ほど前に山の手線で偶然にシルバーシートの前に立ったことがあった。若い人が座っていたが、
その時に「もしかしたら、席を譲られるのでは」という不安感に陥ってしまった。結果として譲られなかったが、
次の駅が来るまで頼むから譲らないでと願った経験がある。 
(字数制限のためカット 2010年11月25日)
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2006年11月25日(土)
 2062, モーニング・ページその後!
                   (~Q~;) おはよう〜〜 ファ〜
今年の3月半ばから始めた「モーニング・ページ」を相変わらず続けている。今年に入って新たに加わった習慣である。
何も難しいことはない、ただ起きざまに大学ノートに思いのまま書く。ポイントは、毎日必ず書くことである。
(以前にもかいたが)書き始めて8ヶ月、改善を重ねた結果、曼荼羅図のように中央にハートの絵を書いて、
周辺に9つの円を描いた中に書き込んでいく。健康コーナーや、 随想日記のヒントコーナー、 読書コーナー、
つれづれにのコーナー等々、 だいたい位置が決まってきた。大学ノートを横にして上下のページを朝一番に書き、
昼や夜に思いついたことを、その上に書き込む。内容が一人歩きするのかと期待したが、脳の排水レベルで留まっている。
書き連ねているうちに、思ったままのことをスラスラかけるようになったのが一番の収穫だ。
それと毎日ほぼ同じことを書いている自分に驚いてしまう。MP(モーニング・ページ)の習慣を40年前に、
いや10年前に身につけていたら、もっともっと豊かな人生をおくれただろう。
随想日記のように蓄積されていくうちに、知らずに何かが生まれてくる可能性を秘めている。 
起きて、真っ白の状態そのままで書くのが良いのだろう。一種の座禅、瞑想である。頭に浮かんだことを文に書き出すと、
浮かんでは消えている雑事を掬い取るのと同じ。脳の排水を小まめにしていることになる。 その排水の中に時には
砂金が入っていることもあるが・・夜半みた夢と、前日読んだ本の印象に残った書き込みがよい。
  この一日一文と、モーニング・ページは私にとっての生き甲斐?になっている。
 それと( ̄▽ ̄)■]~~~ 珈琲TIME♪も                 (*^ワ^*)i バイバイ
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2005年11月25日(金)
1697, 哲学マップ              
 「哲学マップ」(貫成人 ちくま新書)が面白い。哲学とはどんなもので,他の哲学とどういう関係を持っているかの
 地図を示そうというもので、切り口を変えた哲学史ともいえよう。最近、哲学がますます面白くなっている。
 極限の自己対話の本音の部分と、過去の哲学者の自己対話との重なりに、自分の練りを今という瞬間に突きつめる。
 それが日常の足下を掘り起こし、日常の外に出ようとすることになる。だから哲学は常に日常の中でおこなわれなくてはならない。
 自分が鵜呑みをしてきたことが、どんな哲学の範疇であるか、そして、他の哲学からみたら、
 どういう関係にあるかしれば、その思い込みから自由になることができる。
ーこの本の大筋はー     φ(・ω・〃) ♪
 哲学の発想法といえば,
  1.全体を問題にする,  2.日常性から出る,
  3.形式的である,    4.方法についても慎重であるべきである、 の4つである。  
また哲学的な「問い」を次のように立てている・・
(1) 「〜とは何か」という問い (イデア:現実の二項対立でとらえる ープラトン)
(2)「わたしとは誰か、なにを知りうるのか」という問い (自我/対象、主観/客観の二項対立でとらえる  デカルト)
(3)第一と第二の問い組み合わせカテゴリーが人の認識メカニズムにアプリオリ-先天的-に組み込まれている、と考える
 (「経験に先立つ本質」 カント)
(4)「なぜそれを問うのか」という問い 価値を差異に還元して考えるニーチェである。(虚構、流動性 ニーチェ)簡単に言えば、
(一)は「真理」への希求に関する問いであり、      (二)は、人の「認識」についての問いといったところか。
(三)については、「経験に先立つ本質」についての問い
(四)は「超越的実体を否定し、すべての差異が諸力のせめぎ合いによって生まれる流動性を肯定する」
   と書かれていることから、「流動性」(不確実性?)がキーワードになる。                  
20世紀の哲学は、 現象学, 言語分析, 言説分析, 精神分析, 実存分析, 構造分析
などの道具を使って行われている。大雑把すぎるが、この本の大きな柱になっている。   (^┰^)ゞ
・・・・・・・ 
2004年11月25日(木)
1332, 23歳の日記−4
 1969年 3月29日 ー四日市にて
勤めて、まだ一ヶ月も経ってないのに、既に壁に当たっている。後方部隊の管理部は総員37名、そのうち30名が若い女性。
今年配属された男子4名の他に、課長と係長と肩書きのない古手の男子2名が男だ。それにしても肉体的の限界の激務である。 
寮で同室の堀田君は本店から離れている郊外の食品スーパーに配属されているが、話からすると、仕事の厳しさは本店の管理部は
彼よりも数倍厳しいようだ。部屋に帰ってきて、布団にバタッと倒れる状態である。それでも、既に数回同期の4人と三回も
居酒屋に行った。同期の仲間は西尾、桜井、渡辺、そして私の4人だ。酒好きというのが共通点である。
いずれも地方の大學出身のせいか純粋であり、温厚である。学生時代の寮の連中からみれば地方大学出身の為かすれてないのがよい。
上司の松又さんは九州出身の純朴な好青年である。高卒で8年目だが仕事が出来る。我われ四人に、非常に気を使っているのが解る。
今の課題は、同僚としての女性に対してどう接してよいのか解らないことだ。純朴な地方の擦れてない若い娘達の同僚としての
対応の仕方である。傷つきやすい敏感な年頃である。全く難しい。自分としても、どう気持を開いてよいのか解らない。
やはり、自分を取り払わないとわかっているが。それと、寝る時間の前に本を読む癖だけはつけておかないと。
本店には、300人ほどの女子店員がいるが、息を呑むような美人が7〜8人はいる。働く女性の姿が輝いている姿を
身近にみるのは初めて。小説を見ているようだ。それにしても良く働く、いや働かされている。
 ー4月2日
どうも、若い女性を扱うのは難しい。他の三人は結構上手く、楽しそうなのに自分は駄目なのだ。
まず彼女らを人間として認めなくてはならないのだ。何か焦りを自分に感じている。
取りあえず、問屋の名前を一つずつ憶えてみよう。 次に店内の配置図を頭に入れてしまおう。
そしてコード名を憶えよう。何か一日一日に追われているだけだ。統一伝票の合理的なシステムには驚かされる。 
4枚綴りの複写で、それが本部用、店用、取引先分類、そして最後の一枚は、受領書として相手方に送り返される。
この伝票システムが仕様書発注として内容が細かくないようが伝票にギッシリ書かれるのだ。凄いと思わざるを得ない。


4270, 法則は思考のショートカット −2

2012年11月24日(土)

                 「知っているようで知らない 法則のトリセツ」水野 俊哉 (著)
   * ほめるこつ、「条件付け」「ウィンザー効果」と、「コミットメントと一貫性」
 部下が功績をあげた時、ほめる際に食事に連れていくと、それが当り前になる。これを「連続強化」というが、
何度かに一度は、何も褒美を与えない。これを「間欠強化」という。何時も与えられている褒美を与えられないと、
部下は褒めて欲しいために尽くしたくなる心理になる。これを「条件付け」の法則という。これは、『新婚さん、いらっしゃい』
というバラエティ番組で、新夫が相手を口説く時に、毎日のように電話をしたが全く相手にしてもらえなかった。そこで当分、
連絡しない間を入れたところ、女性の方が不安になってデートに応じるようになった」という話題を思い出した。
 また「ウィンザー効果」というのもある。直接褒めるのではなく、間接的に褒めて相手に伝える方法。
褒め育てる方法もあるが、初めから徹底的にしごいて、育てる方法もある。「コミットメントと一貫性」である。
新入社員を入社前に徹底的に鍛えあげると、忠誠心が大いに高まるという。 いずれにしても、組織には必ず20%の怠け者が
存在するので、手抜きは避けることはできない。
   * エメットの法則
 「仕事を先延ばしは、その後片付け仕事の2倍の時間とエネルギーを要する」というリタ・エメットの提示した法則がある。
この法則があるとは知らなかったが、私は経験則で知っていた。私のごく身近に何事も先送りする人がいる。とにかく、後回し。
見ていると、数倍もかけて、その後始末に追われている。若いときに仕事で鍛えられなかったためだ。 事前の準備は、
時間厳守と同じく、仕事の第一原則である。 この不況で、新卒で正社員になれなかった人は、ビジネスの第一原則を
徹底的に叩き込まれてない。そのことを企業の人事担当は着目するため、まともな会社には、なかなか入社が難しい。
 同じことだが、去年春の決断時に弁護士に、「少し早い決断は、打撃が二分の一で済む。少し遅れると二倍になる。
今回の決断は少し早目だが、一瞬の差で、差し引き4分の1になる。それなら、今決断します!」と、最終結論を出した。
そして一年後、弁護士に、「今回は見切り千両いや万両でした。半年でも遅れていたら5物件は売れなかったでしょうね」と、
言われた。実際に私も、そう実感している。あの東北大震災の影響は、マスコミは大きく騒がないが、日本人の消費行動を
根こそぎ変えている。近未来に必ず起こる恐慌と、大地震をふまえ、消費マインドが更に冷え込んでしまった。
老後は太平洋側に住居を移したいという気持ちが少しあったが、今や全く消えうせてしまっている。札幌か、函館なら
考えてもよいが、それなら現在と大して変わらない。何事も「先手、必勝」、「今日すべきことは今日中に」である。
・・・・・・
3895, 「現代型うつ」とは
2011年11月24日(木)
 こしいタイプの鬱病が多く見られるようになっていると、NHKの「クローズアップ現代」で取り上げていた。
これまでの鬱病は、自分を責め、劣等感に陥って不眠になったり、閉じこもりなったりした。しかし最近では「現代型うつ」という
新その現象が以前ここで「エイズより怖い性病」として「何事も他人のせいにする若者」の性癖を取り上げた。
その結果が「現代型うつ」として社会問題になっている。20〜30代の若者を中心に増え続け、抗うつ剤など従来の治療法が
効きにくいため医療現場は混乱しているという。このタイプは幼い頃から大事に育てられ怒られた経験がなく傷つきやすい。
本人に被害者意識が強く、他人のせいにする傾向がある。他人依存の典型である。 ここでは取り上げたケースとは・・
 ≪ 東京のIT企業・信興テクノミストでは、電車にカバンを置き忘れた入社2年目の社員に上司が注意したところ、
 体の不調を理由にうつ病の診断書を提出、休職した。 ところが、社員寮を尋ねると本人は不在で、同僚と頻繁に飲みに
 外出していることが判明。その後4人の社員が会社を休む事態が続き、総務部部長は頭を抱えているという内容 ≫
 ある病院院(福岡県)では、患者同士のグループミーティングを取り入れ、自分の心の弱さに気づいてもらい、7割の患者が
復職を果たしたという。 自分で事業を幾つか起こし、全てが直接跳ね返ってきたため、他人のせいにする余裕など、あるわけがない。
その反面、色いろの場面で人のせいにしたがる大の大人を多く見てきた。一番の身近の夫婦間が、その典型。 その果てが三割の離婚率。
また会社内の仕事の場では、上下、横の関係の中で、色々の摩擦が起きてくる。ところが、内面は鍛えられてないので、落ち込んでしまう。
 欝は、その落ち込んだ気分から立ち上がれないで社会生活に支障をきたす病。 生きていくことはトラブルと壁を解決をするプロセス。
それを自分以外に原因を見つけようとする積み重ねが、欝への道程になる。自己を見つめる事がないから、自分の歪みが見えない。
「電信柱の高いのも、郵便ポストが赤いのも、みんなアナタが悪いのよ」になってしまう。 その結果、心の底に鬱憤というヘドロが
蓄積されていることに気づいてない。 情報化が、内面の芯の部分を鍛えるチャンスを潰している結果もある。 韓国は徴兵制度があり、
鍛えるべき時に徹底的に鍛え上げるシステムがある。 その上に最近では大学受験戦争が激しい。 その結果、日本は韓国に明らかに
遅れをとってしまった? 現代型うつが、現代の若者の一現象とすると、日本の将来に悲観的になりざるを得ない。
 ・・・・・・・
3530, ハーバード白熱教室 ー2
2010年11月24日(水)
 海難で生きるために三人が一人の人肉を食べてしまった事件で、多くの問題が出された。
海の遭難現場での異常事態で、どの答えが正しいとはいえないが、これをヒントに正義を論じ、考えることは可能である。
 次にサンドル教授は、「イチロウの年俸は高いか?」を問題定義をしている。 イチロウの年俸は15億円。
それに対し、日本の教師の年俸は400万、400倍。オバマは3600万だから、その40倍になる。
イチロウの年俸が高すぎるという意見と、妥当という意見を生徒から導き出して、議論を進めていく。
これも、美徳と貢献などの問題を提起し、議論を導き出していく。何でアメリカ大統領の40倍の報酬が妥当か、
逆に、それは不当すぎるほど高いと言えるのか等々を・・・・ この問題には自由と平等・公平の問題が含んでいる。
 二時間目からは「戦争責任について」である。そこで生じた道徳的義務と責任は *個人的なものと、*集合的なものと、
分けて考えられる、としている。カントは「責任は自分自身の自由意志と、選択によって生じる」という立場、
要は純粋実践理性よって生じるという。 道徳の根本原理によって、普遍原理に達することが出来る、という。
アリストテレスは、「責任は、よき生についての私たちの考えによって成立する」という立場である。
 次に「義務」について、「殺人を犯した家族を警察に突き出すべきかどうか」を事例に議論を進めていく。
家族の立場をとるか、社会を優先させるべきか、当然に意見が分かれてくる。互いの議論の中から問題を捉えていく。
彼の授業は、古代哲学者や近代哲学者などの思想を現代の問題に結びつけるやり方で、対話をしながら考え方そのものを
教えていく。 先に書いた私の学生時代のゼミの授業の進め方、すなわち「自分自身で考えること、それを進めることが、
本当の教育」であるということだ。判断、決断する前に、独りで考えを進められる能力が教養である。
 我われは、誰もが哲学をしている。そのレベル、効率化の向上は可能である。パソコンから類推すると、解りやすい。
哲学(考えることを考える)は、全ての人にとって最も重要である。何故、生きるのか、何故死ぬのか?人生に意味があるか?
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3155, 「 2012 」
2009年11月24日(火)
  * シネマ 「2012」
 その迫力の凄さの予告をみて、初日の幕開けを観てきたが、期待以上の内容であった。 
現在のCGの技術をフルに生かした映画であり、次から次へと想像を絶する破壊の画面が続く。
映画館の大画面と音響で観るから良いのである。 特に後半は次から次へと都市破壊の映像が映し出され、
思わず座席にしがみついてしまうほど。都市破壊の場面や大津波は圧巻!エベレスト山頂近くまで洪水が押し寄せ、
ワシントンのホワイトハウス、自由の女神、ハワイ、ローマのバチカン、エッフェル塔などが、
次々と破壊していく場面などは観るだけの価値はある。 これを映像で観ている自分が不思議に感じた。
「マイケル・ジャクソン」と同じく、上映中に、いま一度見たいと思えたから、お勧めである。 
  ーまずはHPの紹介文からー
 2012に世界が終わる!マヤ文明の黙示録的予言を描いたSF映画である。
天文学や数学に長け、高度に発達しながらも謎に包まれたまま消滅した古代マヤ文明。
マヤ人のカレンダーであるマヤ暦は極めて正確なものとして知られているが、その暦は西暦2012年12月21日で
突如終わっている。 いつのころからか、その理由は「2012年には地球が滅亡する」というのが西洋世界では通説となり、
多くの書物が著され、数多くの人がこの説に現実的な恐怖を抱いている。 この2012年を舞台に、その終末世界と人類が
生き残れるかどうかを描いたデ超大作が『2012』である。『ID4』『デイ・アフター・トゥモロー』など、
過去幾度も“地球的危機”を描いてきたエメリッヒ監督がついに地球の滅亡を描き出す!
 〜
 2009年。太陽の活動が活発化し、地球の核が熱せられた結果、3年後に世界は終わりを迎える。
この驚愕の事実をいち早く察知した地質学者エイドリアンは、すぐに米大統領 主席補佐官に報告。
(字数の関係でカット2011年11月24日)
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2790, 閑話小題
2008年11月24日(月)
 *金融危機 あれこれ
 AIGが8兆円を使い切り、追加支援をいれて15兆円に拡大しているが、米国政府も見切りをつけなければなるまい。
見切りをつけたと同時に本格的な恐慌になるので、手の打ちようがなく果てしなくドル投入しなければならない事態。
当方の保険は日本のアリコに入っている。 日本は大丈夫というが、日本の保険会社の何処も買収に腰が引けている。
 他にも、政府系のファニーメイが赤字2.9兆円。 更に家電チェーンのサーキットシティも倒産(負債2,300億円)。
現在は、ビッグスリーのGM、フォード、クライスラーも倒産の秒読み、全米の銀行ナンバー1のシティも重体という事態。
 その中で、十一月になってからホテル宿泊も影響が出始めてきた。 やはりタダゴトではない状況になってきている。
日々、事態は深刻度を増しているのに日本政府の機能は混乱しているというから、どうもこうもない。
 *定額給付金の愚挙
定額給付金について、全国世論調査では反対が、賛成の二倍。決定のニュースを見たときに思わず咳き込んでしまったが、
それは私だけではなかった。あの人の知能レベルが、定額給付金の愚挙になったということ。怒りより日本の行末の方が心配。
日本中は、この時期に、この程度の人物が首相と呆然状態である。 100年に一度の経済危機と言いながら、
その対処が目先の選挙対策の苦し紛れの金ばら撒きをしている姿は何だろ?。
これで、自民党政権は全くのレイムダック。【医者は社会的常識に欠けている】は、よく言ってくれたが・・・
  *散歩の光景
一年ほど前から、朝のウォーキング途上(冬場を除いて)80歳位のオジイサンが土手に立って、
通りすがりの人に親しそうに話しかけている。 軽い痴呆が入っているようだが、それでも一人で来て、帰っていく。
(字数の関係でカット2011年11月24日)
・・・・・・・・・
2007年11月24日(土)
2425, 自分を理解するための他者・コンピューター −1  ヽ(★>з<)。o○[ォハヨ] 
   ーまずは、私の感想文からー                   
  人間は自分の弱さをカバーするため、そして知識を持ったために神をつくった。
  それは他の生物から見たら、人間にとって都合の良い空想の産物でしかない。  ある雑誌に載っていたレポートを
  読んで考えさせられてしまった。19世紀に始まる進化論が人間は動物でしかないと主張、それまでの人間理解を根本から
  大混乱させてしまった。そこで人間と動物の違いが問題になった。動物の中の人間を浮き上がらせている諸特性ー例えば、
  計算合理性、言語能力、抽象化能力などが浮かび上がらせて、我われ人間の根拠となり始めたのである。
  しかし20世紀半ばから出現したコンピューターは、動物とは違う、人間を理解する新たな<他者>になったのである。
  それが人間たらしめている特性を凝縮したものときているから、問題は更に人間とは何かを考える問題提起になる。
  動物とは逆の立場のコンピューターから人間が照射されて、動物と人間の差異を見ると、浮かび上がるのは何だろう?
  さらに、人間とコンピューターが融合してきたため、人間とコンピューターとの差異も見えにくくなってきている。
  その意味で現在の人間は哲学的に見ても大きな曲がり角に来ているのである。
   さらにコンピューターは人間の能力の概念を変えようとしている。
  ーー
「人間とは何かを逆照射する新たな他者  ーコンピューター」 黒崎政男(哲学者)   
 *自分を理解するために他者が必要*
いま見てきたことからも明らかなように、現代科学技術の最先端を意味する〈コンピューター〉と、古代ギリシャ以来、
古色蒼然と続いてきた〈哲学〉との関係を論じることは、決して突飛な思いつきでも奇妙なことでもないことは明らか。
哲学者たちが長い間考えてきたことを知ることは、人工知能にとって決して無駄ではないし、現代科学技術の最先端で、
何が問題になっているかを知ることは、新たな発想のきっかけとなるだろう。
さて、それにしても、コンビューターという機械の研究と、人間の知識の研究が、かくもリンクするのはなぜだろうか。
それは、コンビューダーが、人間とは何かの問題を逆照射してくれる存在だからである。われわれは自分を理解するために、
他者を必要とする。だから、19世紀から始まる〈進化論〉の主張が、人間の自己理解に大きな混乱と変動を引き起こすことに
なったのは当然である。自分とは動物ではないものであったはずなのに、自分は動物だった、と知ったら、自己を浮かび
上がらせるべき他者(つまり、自己を確定すべき境界線)が消失することになるからだ。
 そこで、通常動物には欠けていると考えられる諸特性因たとえば、計算合理性、言語能力、抽象化能力などが、われわれ人間の
アイデンティティの根拠となりはじめたのである。そして20世紀の半ばに出現してきたコンピューターは、人間を理解するための
新たな<他者>となったのである。人間ではないものが動物だったときには、人間と動物とが共通に有している能力よりも、
知的・理性的側面が、人間固有の特徴として逆照射されていた。しかしコンピユーターは、この「論理的能力」を特化した
存在であるので、今日では、人間とは何か、を考える場合、その知的・論理的能力は、人間固有の特徴としてクローズアップ
されにくくなってきている。むしろ、動物と共通する能力のほうが、逆照射されはじめている、といえるだろう。
だが、コンピューターと動物という二つの〈他者〉から、同時に自己を隈界づけ、確定しようとすると、この両者に挟まれて
人間の自己理解は深い困難を抱えこまざるをえない。動物という<他者>によってわれわれを逆煕射しようとすると、
コンピューターと我われとの差異が見えないし、コンピューターという<他者>によって動物とわれわれとの差異が
見えにくくなるからである。     ○(´・ω・)ノ ホン ヂャァネッ
・・・・・・・
2006年11月24日(金)
2061, 虐めについて         (+>∀<+)ノ  おぁはは〜ようさん!
‘虐め問題’の解決などあるはずがない、家庭内の不和が原因にあるからである。
自分にかかった血を学校の弱者に塗りつけるのが虐める方の理由である。情報化により弱肉強食社会の傾向が強くなればなるほど、
家庭内へストレスが持ち込まれざるを得ない。総下流社会化の傾向の中で、そのストレスの捌け口が弱者に向かうのも当然である。
振り返ってみれば小学校、中学校で酷い虐めがあった。虐めっ子は家庭内が壊れていたためか、その後の人生をみると不遇の人が多い。
逆に虐められていた方が、まともになっている方が多いのは面白い現象だ。ただ潰されないことが前提だが。こういう時代になったら、
「ギブアップ・システム」をつくり、虐められっ子の転校をしやすい環境をつくってやることも必要だ。数年前のことだが、
中学校時代に殺してやりたいほど憎んだ男が、40数年ぶりの同窓会で隣の席に座った。隣に座るまで「殺してやりたいほどの憎しみ」
を忘れていたから、大したことはなかったのだろうが・・ 酔った勢いで、「お前は中学校時代に理不尽なことで頭を殴っただろう。
小中学校時代で殺してやりたいほどの男の7人のうちの一人だ」と言ったところ「あの当時、両親の不和で自分でも大荒れで、
誰見境なく喧嘩をうっていた。野球部でも、俺がいたため何人も辞めていってしまった。 ところで7人のうちの何番目?」
とのこと。「三番目!」他のクラスだったが、そのネジレの酷さは私の耳にも入ってきた。 
今さら指摘されることもないという風。集団社会に住んでいれば、何処でも相性の合わない人が一人や二人はいるもの。
四苦八苦の中にも「怨み憎む人と出会う苦しみ(怨憎会苦)」があり、娑婆にいる限り避けて通ることはできない。
だから、小中学校時の虐めも、娑婆ー社会に出たときの火の出るような虐めに対する予行演習でもあるといえるが・・・ 
袋叩きにしたいのあまりにも多い。 誰も加害者であり、被害者でもあるのが娑婆である。
  でも人生は、嫌なことの数百倍、よいことがある。探し求めればだが!
   −−
朝日新聞の一面に〈いじめられている君へ〉「すばらしい瞬間必ず来る」が連載されている、なかなかよい。
 短い人生論のようでもある。 その一つをコピーしておこう。
 ーあさのあつこ さん 2006年11月14日ー        (字数の関係でカット2008年11月24日)


4269, 閑話小題 ー虚無より傷心が上

2012年11月23日(金)

   * 人生、虚無より傷心が上?
 W・フォークナーの言葉に、「人生は虚無より傷心が上」がある。 両親が大戦の長岡空襲で財産の全てを失い、
第二の創業を幼児から少年期にわたり目の当たりにしていた。 そして自分も創業人生を過ごしたいと20歳の頃に決心し、
去年まで挑戦と挫折を繰り返した45年間だった。その心血を注いだ事業も、3つ(9・11、9・15、3・11)の歴史的震災?で、
呆気なく消滅してしまった。 口ではカラ元気なことをいっても、やはり深く傷ついている。とはいえ、「何も人生をかける
機会がない、虚無の人生」や、「上手く後継者の譲ったハッピーエンド」より、傷心している現在の方が良かったと思っている。
いや、自分にそう言い聞かせている。 節目には挫折感がともない、深く傷つき、虚無が心を覆う。 
何事もない虚無や順調な人生より、傷ついた後の虚無の方が、(ドーナツの穴のように)傷口が取り囲んで虚無を浮きだたせる。 
何度か、そこ知らないほどの虚無感に陥ったことがあった。半年位だっただろうか。何事にも自信が無くなり、虚脱状態で、、
ただ独り、極小に縮んで滅していくような妙な感覚。 現在も、ひとつ間違えると、陥る可能性があるのが解るので、
ブログを書き、スポーツジムに行き、読書をするなどで自分に隙を見せないようにしている。 ただ愚痴を言い、他人を標榜する
しかない老人を多く見てきたので、その愚だけはしたくない。しかし、知らぬ間に愚痴めいた独りごとを呟いている自分がいる。
先日も、近くの道路で大声で愚痴を喚きながら歩いている老人を見た。家内がよくスーパーで買物をしているのを見たというから、
痴呆の独居老人らしい。心の傷口が化膿しているのだろう。 男ヤモメの痴呆症は近くの親族は苦労する。
「人生、傷心、時どき虚無」か。いや、「虚無、時どき傷心、のち躁鬱」か。毎日が、心の天気模様のよう。
台風もたまに来るが。 服装と、心と、身体の管理だけは十分に気をつけてないと・・  
 ・・・・・・
3894, ギリシャの次は・・ ー2
2011年11月23日(水)
  前回、取り上げたPIIGSの国債の数値化を、改めて考えてみる。
 ・ ギリシャ    32.29%      
 ・ ポルトガル   11.52%
 ・ アイルランド   8.22%
 ・ イタリア     7.28%         
 ・ スペイン     6.43%     
ギリシャの32・29%からみる。EUが今回、国債の残高の半分を免責、
「ギリシャが現在の国家の支出を大幅にカットしても、 数年もしないうちに行き詰まるのは明らかな数字である。
あくまで延命である。それに、他のPIIGSの金利も、この数値からみて、重体である。これらの国のトップは殆ど、
ここで変わったが、それで問題は片付いた訳でなく、間違いなく破綻が近づいている数値。もしもの話をしても仕方がないが、
日本国債が今後どうなるかである。現在の10年もの国債は1・47%であるが、何時、国際的 投機筋に狙われるかである。 
現在の利払いだけでも千兆の一%としても10兆円になる。その上に返済をしているので、既に国家予算の半分が、
国債に向けられている。ある日、国債に対して不信感から売り浴びせられたら、国債金利は高騰する。考えただけでも末恐ろしい。 
首相を一年ごとに変わるので長期的政策を持てずに、無責任の垂れ流しの予算しか組めないのが現状。 その破滅的システムが、
この数年、続いている。 アメリカにとって、それがベストのため変えられないこともある。5年、いや、もっと早くIMFの
管理下に入って徹底的なリストラを行われるしか手立てはない。そのキッカケはハイパーインフレ? それでも消費税が5%で、
欧米の平均値の20%まで15%のノリシロがある。 また、国民の預金が1千兆円以上ある。 
それも、アメリカ国債を買わされている・・ ギリシャか、イタリアが破綻すると、リーマンショックの比較にならないほどの 
大混乱になるというが、その具体的な状況は誰も想像がつかない。 一線をひいてみると、なる程、より鮮明に見えてくる。
  ・・・・・・・
3529, ハーバード白熱教室 ー1
2010年11月23日(火)
 一昨日(日曜日)のNHK・TVで15時から2時間、東京大学での日本版アンコールのサンデル教授の授業をを見た。
ハーバード大の彼の講義には、毎回1000人以上の学生が出席しており、1636年に創立された同大の歴史上、
最大の履修学生数を誇り、あまりの人気ぶりに、大学側は非公開の原則を覆し、初めてメディアに講義を公開した。
その一つを以前に見たが、私でも理解できる内容であった。 日本でのアンコール版は、一般から応募した1千人の生徒との
質疑応答を中心としたもの。 元のハーバード大の授業内容は、米国のボストン公共放送局が制作し、昨年、全米ネットで
放送した放送権を買い取ったNHKが邦訳をつけ、今年4月から全12回での放送を始めたもの。
東大の大教室には一般から募った1000人以上の参加者が詰めかけた。 彼の講義の特徴は、サンデル教授が提示した
究極の事例研究を通して考えさせていく手法である。 
 始めのテーマは「正義とは何か」である。 まず正義を、彼は3つ上げてた。
* 幸福の最大化 (ベンサムの最大多数の最大幸福)
* 人間の尊厳に価値を置く (カントの主張)
* 美徳と共通善を育む (アリストテレス) 
 初めのテーマは、(18世紀に実際にあった事件=)難破した船乗りが救助を待つ間、最も衰弱した1人を残りの3人が殺し、
その肉を食べて飢えをしのいだという実話を挙げ、「道徳的に許されるか」との問いを投げかける。 まず初めの学生は、
「3人が生き延びるためには必要だった」「被害者の同意があれば許される」という立場、しかし他の学生からは
「どんな場合でも殺人は殺人」「食人は許されない」という否定論が出てくる。色いろな議論の中から、初め上げたベンサム、
カント、アリストテレスの立場の哲学を導き出し、会場の生徒たちを巻き込んでいく。サンデル教授は、学生たちの意見を
踏まえた上で、「最大多数の最大幸福を求める行為が望ましい」と主張した18〜19世紀の政治哲学者ベンサムの功利主義が、
常に正しいとは限らないことを示唆したり、カントの立場も示唆したりする。
 この授業で奇妙な既視感が浮かんできた。 そう、私が度々、ここで書いてきた、学生時代の人事管理の武澤ゼミでの
放課後の週二回のゼミである。 人事上のトラブルを、ある一管理職が書きつらねた難問の文章を渡され、次回に、
それについて15〜6人が議論する。 初めはランダムに背後にある問題を抉り出して、最善の解決策を考え出していく。
次々と、問題に対する意見を搾り出すが、そこには教授が難しそうな顔をして目たないように座っている。
したがって甘い指摘は許されない緊張感が張り詰めている。 もちろん甘い意見は、その後の誰かに指摘され潰される。
2時間の議論を終えて部屋から出たときには、太陽が黄色に見えるほどだった。そこで思い知らされたのは絶対的知識不足である。 
一年前の欧州一ヶ月の旅行で破壊された固い壁が、さらに粉々になっていた。時間をかけ考え考え考えること!人生それしかない。
 ・・・・・・・・
3154,低反発マットと腰痛
2009年11月23日(月)
 低反発マクラを使ってみて想像以上良かったので、居間用のクッションとしてマクラにバスタオルを巻いて使っているが、
その後、ベッドに低反発マットを敷いて寝ている。 使い始めて2ヶ月ほど経過するが、マクラと共に非常に良い。
腰痛も少なくなったようである。 寝返りが、これまでの半分以下になったようだ。それと横向きが少なくなった。
人は平均、左右、仰向けなど平均10回ほど寝返りをするが、それが4〜5回?ほどになった。だいたい寝返りの時に
目がさめるから、少なくなった分、良く寝れることになる。それは腰や肩の部分が身体に合わせて包み込むような感じで、
マクラと首も同じである。実感として、寝心地が二倍は楽になったようだ。 これだけは実際に数ヶ月、寝てみないと
分からない。 特に腰痛の人にはお勧めである。 この特徴は身体との接点の部分だけが沈み込むことにある。 
シートの方が身体に合わせてくれるのである。 誰もが寝入りの数時間は熟睡するが、その後、身体と布団の接点部分の
重圧で寝返りが多くなる。  ところで、ビックカメラには低反発のマクラ専門コーナーがある。 
私のはニトリで2千円だが、そこは4千〜2万以上。どこが違うのか聞いてないが、低反発の沈み具合が違うのだろう。
 他にマットの素材にゲルマニウムやセラミックが混入されているのもある。 (私は、枕の下にゲルマニウム石を置いている)
 低反発マットもニトリで6980円の値下がり品を買ったが、通販では1〜2万円が通り相場である。
ベッドには、低反発枕と、その下にゲルマニウムの鉱石、それに低反発マットをセット、目にはゲルマニウムのアイマスク、
耳には、100円ショップで買った耳栓をしている。 その積み重ねの結果は充分出ている。
 良さでは、低反発マクラ、マット、耳栓、アイマスクの順である。就寝は人生の三分の一を占める割に、人は無頓着である。
この低反発マットを使って気づいたが、ウォーターベッド、これ良いんじゃないか? もちろん、ハンモックも良いが。
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2789,人生ゲームを楽しまむため、生まれけん! −2
2008年11月23日(日)
  人生ゲームの基準を、私ならどのようにするかを考えてみる。
 昔から言われているように「良く遊び、良く学び、良く働く」を目安にすると解りやすい。
 ・どのような趣味をもって、ライフワークにしてきたか。
 ・どのような仕事に従事して、楽しんだか。
 ・長年かけて教養を積み上げてきたか。
 ・それらを達観できる視線を、自分の孤独の世界で創りあげたか、である。
 人生の価値基準は心の内の問題だから、第三者がとやかくいえることではない。この4つを、どうバランスよく拡大、
深耕したかを、自分のゲームとして楽しんだかが人生ゲームを楽しむことと、定義づけてみた。
鼻歌を歌いながらスキップするしかない場面も人生には往々にある。人生には、ある程度の長生きも必要である。
人生を楽しむには、楽観的で、能動的でなければなるまい。そのためには、常に楽しい明日をイメージして、
その実現の準備を地道にすることだ。耳には、何時も心地良い音楽を流すことは、誰でもできる。 目は、大自然の風景や、
美術館で良い絵や陶器をみたり、本やネットで良い写真や、ビデオで映像をみることができる。 鼻や口は、
季節季節の新鮮なものを食べればよい。 誰でも、身の回りに楽しめることは、幾らでも転がっている。
「おもしろきなき世を おもしろく」は、長州藩士、高杉晋作の辞世の歌である。
彼が死ぬ間際に、そばにいた野村望東尼(福岡の女流歌人)が受けて、「すみなすものは心なりけり」と下の句をつけたというが、
成るほど上手い歌である。 いずれにしても、ゲーム化した段階で、自分を客観視する冷静さを持つことになる。
何が起きても 「その時は、その時。 それも、また娑婆経験」と、魂が、自分の心に語りかける冷静さこそ
ゲーム化で身に付けることで可能になる。 人生を振り返ると、全く下手なゲーマーの自分が見えてくる。

そういえば、最近、「人生ゲーム」というゲームがマスコミで話題になっている。ウィキペディアによると、
【 原型は1860年ごろ、イギリスの印刷業の社長Milton Bradleyによって考案された「The Checkered Game of Life」。
  日本版は、1968年、株式会社タカラ(現タカラトミー)から発売された。 タカラトミーの発表によると、日本版の累計出荷数は
 1000万個を超える。 ゲームシステムは、双六の発展形。ゲーム序盤のルーレット目によって「人生の筋道」が決まり、その後の
 人生が左右されていく。プレイヤーはサイコロではなく「ルーレット」を回し、人の一生になぞらえたイベントをこなしていく。
 現在でも改良版が発売されているという、息の長いゲームである。】  面白そうなので、一度してみたいものだ。
・・・・・・・・・
2007年11月23日(金)
2424, 四四太郎の日記 −9            (ヾ(´・ω・`)ノオハヨウ(o´-ω-)o)
一年ほど前に、新しいブログ「四四太郎の日記」をつくってみた。
すぐネタが尽きたのと、幼稚に思えたことで一年間、放っておいた。 先日、バードウォッチのコーナーに
久々に悪戯の貼りつけがあったのを機会に、新しいブログに切り替えようと思いたった。
そこで多くのブログを実際に立ち上げてみた結果、去年開設したブログが(私にとって)ベストと判断、
ブログ名を「四四太郎の日記」から「バードウォッチ」に変えて、再スタートを切ることにした。
全く記憶から消えてしまった自分の書いたブログを、第三者の目で読んでみた。読後感として、それほど幼稚でもなく
400年前からみた現代の現象が書いてあり、本当に?祖先様が語りかけている感覚になってしまった。
{「私」の中の<私>の中核の《私》}とコンタクトしているからだろう。「チロリ、チロリ、チンチンチロリ」ではないが、
週に一度、曜日でも決めて、御先祖様に出てもらうのも悪くは無い。このブログの内容は記憶から全く消えていたが、
四四太郎に最近?亡くなった縁者を連れてきてもらい、実際に?話し合うのも面白い。何か神がかりになりそうだが、
恐らく面白い出会いと、意外な対話になるだろう。書くということは、 不思議なことである。
 ーー
ところで、いま、その「四四太郎」が語りかけてきた。
 *宗親(ペンネーム)
【おい、宗親よ、何で一年間も放っておいたのだ。せっかくワシという先祖のブログを立ち上げていながら!
 字数の関係でカット(2011年11月23日)
・・・・・・・
2006年11月23日(木)
2060, あたりまえなことばかり −14
            (o_△_)oゴロン(o_ _)o.。o○グーオハヨ〜           
{人が死を見るのは「死体」であって、「死」そのものではない。
「存在しないこと」であるところの死が、目に見えるわけがない。
見えるのは物質としての「死体」なのである。しかし、多くの人は、この両者を混同する。
死体を見たことによって、死を見たと思うのである。見たことで、死を理解したと思い込む。
こうして、自分の死の観念を、他者の死体という現実で、現実のものと思い込む。}
 恐らく人類の一番の思い込みが、死であろう。 無を言語化したのと、死を言語化して、
それに恐れおののいているのに酷似している。 尽きる間際の混乱を恐らく恐れているのだろうが。 
「生など一瞬の稲妻でしかない」と、思いつつ恐怖のどん底のパニックなりつつ、
ヨタヨタと消えていくのだろう。 面白そうだが・・せめて極上のモルヒネで最高の気分で         
ーーーーーーーーーーーー
他者の死はなぜ悲しいのかー?
ーーーーーーーーーーーー
死は観念である。 人が、自分の死をいう観念を、現実のものと思い込むに至る経過について考えてみたい。
死ぬことを知らない人は死なない。レトリックではない。「意識そのもの」とは、「存在すること」に
他ならないからである。「存在しないこと」としての死は、意識そのものには存在しない。
「存在しないこと」という観念が存在するのでなくては、人には、死ぬということはないのである。
言葉の抽象度が高すぎるので、いくらか具体的に考えてみたい。生まれて初めて人の死に出合うのは、誰か他者の死である。
自分の死に出合うことはありえないから、人は他者の死に出合う以外ない。
おそらく、幼少の頃、誰か身近の人の死を見る。 「死を、見る」     ( ̄▽ ̄)■]~~~ 珈琲TIME♪
しかし、ここでは細心の注意をはらって考えたい。人が死を見るのは「死体」であって、「死」そのものではない。
「存在しないこと」であるところの死が、目に見えるわけがない。 見えるのは物質としての「死体」なのである。
しかし、多くの人は、この両者を混同する。死体を見たことによって、死を見たと思うのである。  (~Q^(^┰^;)ゞ
当然である。「存在しないもの」としての死が、存在するものとして見つかるわけがない。
こう考えると、自分の死だけでなく、他者の「死」もまた「存在しない」。そもそも存在しない死に対し 
「死」と名づけたことにより、死は存在していることになったというのが真相なのである。
  字数の関係でカット(2007年11月23日)
・・・・・
2005年11月23日(水)
1695, 辺境へ −1   ー 読書日記
 素人の身として辺境へは、ツアーでしかいけないが、「辺境・秘境」をキーワードにして、この十数年近く アフリカ、南米、
シルクロードなどを家内と共に行ってきた。図書館にあった、「辺境へ」−大谷映芳著ーはもう5~6回以上借りてきて読んだ。
 そして、ついにインターネットで新・中古本だが、買ってしまった。 写真も、文章も体験をそのまま書いてあるので、
心に直に迫ってくる。この本で、著者が一番思いの深いの7ヶ所を紹介している。チベット・ヒマラヤを除いた5ヶ所
 訪れているので、私にとって非常に魅力のある内容で、何回読んでも飽きることはない。        
   まず著者の大谷映芳の「内容紹介文」をコピーしてみる。  
 ー「ニュースステーション」で、高視聴率を獲得した“秘境ドキュメント”。
  ブータン、ギアナ高地、ドルポ、アフリカ大陸グレート・リフト・バレーなど、その取材は、全世界の秘境と
 言われた地域に及ぶ。今は亡き冒険家の植村直己や夭折した写真家・星野道夫、グレートジャーニーの関野吉晴氏ら
 その旅の思い出とともに、こうした世界の秘境エリアをレポートしてきた著者が綴る紀行と貴重な写真を多数掲載した写文集。
  ーこの本の7ヶ所とは、   w((´ω`))wワオッ!!
 ヒマラヤの王国ブータン/ 南米大陸のギアナ高地/ 南米パタゴニア/ 西ネパールのドルポ/ アフリカ大陸の
 グレート・リフト・バレー/ 北極圏のグリーンランド/東チベットのヤルツァンポで、写真とともに紹介している。
 その写真が素晴らしい。また人々との出会いなどが中心に書かれているのも特徴。
 現地で出会った人々の話や、亡くなった冒険家の植村直己さん、写真家・星野道夫君、探検家の関野吉晴さん等の話も面白い。           
  ー彼のこの本に対するコメントも良いー
「地球上にこういう素晴らしい所がある事を知ってもらいたいし、そういう場所が冒されつつあるということは人類にとっては
非常に危機的状況であると思うんです。 そしてこういう本を書くと改めて日本の事を思うんですね。 
比較というんですかね。∩゙ヽ(。・ω・。)へ   (以下、字数の関係でカット09年11月23日)       


4268, この非常事態に、万一の備えがあるの ? −3

2012年11月22日(木)

   * 始まった身近な崩壊現象
 先週、歯医者で地元紙を何気なく見ると、高校の同級生の会社倒産の記事が載っていた。
早速、家に帰って地元情報に詳しい同級生に聞こうと部屋に置いていた携帯をみると、その人から留守電が入っていた。
久々に近くのサエゼリアでの雑談の中で曰く、「これで貴方を含め同級会の中心メンバーの三人全てが全滅!」だと。
10年前に100億規模のスーパーの社長をした男がガンで急死、息子が引き継いだが数年後に倒産。 そして、私が去年。
更に三人目が彼である。 ところが話はまだ続く。一昨日、午前のTVニュースで、「(地銀の系列の)計算センターが
雇用調整給付金の不正請求!」と報じていた。そこで午後、スポーツジムで地元紙を見ると、社会面に大きく掲載されていた。 
労働局が「内部告発があり、それにもとづき調査の結果、書類などの改ざんで水増しなどをした悪質なもの。不正分の返金のため、
刑事訴追はしなかったが、公表した・・」と。 二年間で1億3千万。200人規模の会社としても半端でない。見せしめだろうが、
全国レベルのニュースにならなかったのが不幸中の幸い。その社長も、そのクラスの同級生。 その二人が春先の同級会の宴席の
前席に座っており、去年春以来の初めての同級会でもあり、上から目線で見られているようで、少し気遅れをしていた。
そこは銀行系なので責任が厳しく問われるかどうか。あまり偉ぶらず誠実で好感を持たれる人物だが、挫折には強そうではない。
それと内部告発は良くない。この制度は早くいえば、経営の苦しい中小企業への資金援助。手続きに則っれば、問題はないはず。
しかし解釈によっては、どうとにも判断が可能。悪意の虫が一匹、社内にいただけのこと。今は疑心暗鬼のルツボだろうが、
いずれの組織も一歩中に踏み込むと、どろどろした何かが必ずある。不景気の一現象だが、三ヶ月もすれば忘却の彼方レベル。
処分は少し退職が少し早くなる位で軽く?済むだろうが、人生、何があるかわからないもの。
 ・・・・・・
3893, 閑話小題
2011年11月22日(火)
   * 乗りつっこみ
 漫才の掛け合いに「乗りつっこみ」がある。相手のつっこみに、そのまま乗って、その直後に否定することで笑いを誘う。
サンマやタモリなどは、そのへんのプロである。 「御前のカミさんはブスや」のツッコミに対して、
一度「そうや、ワイのカミさんはブスや」と、答えた後で、「御前に、何で言われなければならないや」と切り換えて、
一瞬間を取るやり方である。 日常の会話も、その技が出来るかどうかで大きく違ってくる。「つっこみ」に対する「乗り」である。
落語の、ご隠居と与太郎との会話も、この技法が多用されている。その場の空気を読んで、落ちを考えて、笑いを誘うのである。
それも一瞬のタイミングを外さないことが重要。
  
  * 言葉を使うときは王のような視点を持て、というが
 言葉を使うとき、文章を書くときには、王のような視点を持てという。客観性と、真理、道理が厳然となければ、詭弁になる。
毎日この随想日記を書いていると、知らず知らずのうちに王様になった心持ちになっている。偉そうに、である。
自分の想いや意見は相手が納得しなければ、何にもならない。納得させるためには、王様が語るほどの内容に権威が必要である。
だから王のような視線で、言葉を選ばなければならない。 また一度書いたものと毎年の同月同日に、再び出会うことになる。
その時に矛盾や自分が恥じるような言葉と論理は、そのまま己に帰ってくる。そのため何ども読み返し、論理の矛盾を探す。
それでも数日後、数年後に読み返したとき、それに気づくことが多い。それが論理や思考にプラスになる。それを続けていると、
他の人の言葉、論理の矛盾が分かるようになる。その反面、評論家や作家の卓越した論理と自分のそれの違いが見えてくる。
王のような視点を持て、というが、一流のプロは全く違う。恥ずかくもなく、馬鹿な知能を公開するのも勇気がいるが、割り切って
しまえば、それはそれで自己満足になる。
・・・・・・・
3528, 死に至る地球経済  ー3
2010年11月22日(月)
  * トリフィンのジレンマ
 この著書で基軸通貨国のジレンマを紹介している。 ロバート.トリフィンというベルギー人の学者が、
「流動性ジレンマ」と名づけ、以下のようなジレンマ「トリフィンのジレンマ」を見事に例えている。
 ーその内容は次の通りだ。
≪「基軸通貨というものは、世界で幅広く使われるのであるから、潤沢に出回ってもらわなければ困る。供給不足は禁物だ。
だが、あまり出回り過ぎると値打ちが落ちる。基軸通貨たるもの、値打ちが下がったのでは、そもそも基軸通貨としての基盤が
揺らぐから、これも禁物だ。要するに基軸通貨は希少価値があると同時に流動性が十分でなければならない。
希少性と流動性を同時に満足させることは極めて難しい。これがブレトンウッズ体制下のドルにつきまとうジレンマだ。」 
トリフィンはこのジレンマをブレトンウッズ体制の構造欠陥だと批判したのである。トルフィン流に考えれば、基軸通貨とは
要するに人気歌手のようなものだ。人気があるという人気が高いということは、希少価値が高いということだ。だが、人気に任せて
彼方此方に出すぎると、飽きられ人気が落ちる。さりとて、あまり希少価値にこだわって自重していると、出し惜しみで顰蹙を買う。
人気稼業の難しさは人も通貨も変わりない。希少価値と流動性の同時たっせい。基軸通貨国には、この至難の技が義務付けられる。
この両立不可能なことの両立を求められる、これぞまさしく基軸通貨国家に課せられた呪いに他ならない。≫
 〜 とはいえ、基軸通貨国だけで、紙切れの紙幣を刷っただけで世界中のモノが入ってくるのだから、維持のためには
何でもするのは当然である。そのアメリカのドルによる基軸通貨体制が崩れようとしているのが現在の世界。
冷戦の終了と同時に共産圏が自由貿易圏に変わり、その広がりが増えたことが、20年近くドル基軸を保つことができた。
しかし、リーマン・ショック以降、それが崩壊を始まり、混迷を深めている。
・・・・・・・・・
3153, ラ行の受身形 ー2
2009年11月22日(日)
 ー まずは前回の続きの部分より ー
妻の葬式の時、私は不思議な体験をした。 いよいよ出棺というそのとき。私の鳩尾(みぞうち)から喉に向かって稲妻のように
熱いものが走ったかと思うと、それは胸全体へと広がっていった。 その瞬間、私は言葉では譬えようのない至福感の中にいた。 
あの体験は、「 死は悲しみではありません。 私は満ち足りた気持ちであの世へ向かっています 」という妻からのメッセージでは
なかったかと、今になってそう思うのである。もし、あの世の妻とコンタクト可能なら、私はこんな問い掛けを妻にしてみたい。
「 がんに殺されたと思う? 」、「 いえ、がんに殺していただいたんです。お蔭でたくさんのことを学ばしていただきました。
 ありがとうございます 」  「ラ行の受身形」の透けとおった心で、そう応えるかもしれない。そして最後に
「あなたも感謝の心を持って、狼狽えることなく生きてくださいね 」と妻は、微笑みながらそう付け加えるのを忘れないであろう。
▼ こういうのは、本人しかできない不思議な体験である。 「鳩尾から喉に向かって稲妻のような熱いものが走った」というのが、
チャクラが反応したのである。 似たような経験を、幾つかの記述を何度か読んだことがある。身近な故人とは、色いろの魂の邂逅が
あるようだ。 私も父が亡くなった初七日に不思議な邂逅があった。 夢で父の気持ちになってしまい、死の恐怖心から
〔死にたくない〕と思った瞬間、我に返った時、あれっ、私は生きている!という不思議な安堵感と父の魂との邂逅と、似ている。 
思いは、言葉で作られ、そして残るもの。 思いも、それを形成する言葉は、後々残るから大事にしなければならない。
気楽に、言葉遊びとして、ラ行の受身形を前向きな言葉に替えるように努めたいものである。〔こん畜生め!〕は、やめとこう。
言ってもいいが、その後に「何かのサインを出してくれて、ありがとう」を加えれば、気が楽になる。歳をとった暗い顔だけはなりたくない。 
 ・・・・・・・・
 2788, 平心庵日記
 2008年11月22日(土)
  「半歩遅れの読書術ー?」で紹介されていた本で、さっそくアマゾンで注文、朝晩の通勤の新幹線内で読んでいる。
  これが何ともいえない味わいがある。 もしかしたら己の人生を間違えていたか?と、考えさせられる内容である。
  明治初期に三井物産を創設した大茶人の益田孝(鈍翁)と、主治医・近藤外巻(平心庵)の心の交流を、
  大正13年から昭和13年までの平心庵日記をもとに、平心庵の長男である近藤道生が描いた本である。
  当時まだ年少だった著者の目を通してみた大正から昭和初期の時代の想い出がもの静かに書かれている。
  「明治経済界の重鎮である鈍翁は,江戸の武士道気質と明治以後の欧米ビジネスマンの感覚を合わせ持つ実力者だが、
  政治的には影の存在に徹した。 隠居の地小田原で,無私の外科医・平心庵と茶事を通じて結んだ親交は、
  現代人が失ってしまった真のもてなしの精神と、日本文化の奥行きを伝える豊かな時間であった。」と書評にあるが、
  成るほど読むほどに大茶人の片鱗が窺える。 千利休以来の大茶人と謳われ、茶の湯や美術関係の人には、
  よく知られているという。両親の趣味が茶道だったこともあり、子供の頃から色いろな話を聞いたり、
  茶席に同席させられたこともあり、何か、日記の一言一言が目に浮かぶようなイメージが沸いてくる。 
  これを読んでいて気づいたが、両親はかなりの茶人だったようだ。私は、どうも堅苦しい作法に反発を感じ、
  現在も近寄れない。  しかし私の人生で、知っておくべき世界だったかも知れない。 
    ーーーー    
   「平心庵日記 :失われた日本人の心と矜持」 近藤道生著
 ー日記が大体が次のようなベースで書かれていまる。
  (字数の関係でカット 2011年11月22日)
 ・・・・・・・・・
 2007年11月22日(木)
2423, 夢のようなホントの話                       
 Good☆':.*^ヾ('c_'ヽ,,)*.:'☆Morning
週刊誌を何気なく読んでいたら面白い話があったので、紹介しよう。作家の高橋三千綱のミニ・エッセーだが、引き込まれる内容。
こういうことが実際にあるのだろうし、また逆のこともあるはずだ。 その分岐点は、その人が持っている人間性である。
 ーまずは、その部分からー
南カリフォルニアのラ.コスタに滞在していた、ある年の夏のことである。
・・ホテルのラウンジバーで飲んでいると、いつのまにか人の輪の中に紛れ込んでいた。
話題がラスベガスの話になったので、その頃人気のあったマジックショーを見たいものと私が言った。
時刻は午前一時を回っていた。どうやらホテルのマネージャーを呼び出しているらしい。
相当酔っているな、と私はあきれていたのだが、四日後にはラスベガス空港に降り立っていて、しかもリムジンが待っていた。
それから私は、夢のような3日間を過ごした。部屋はスイートで寝室がふたつあり、バーも広い談話室もついていた。
最前列で見るマジッグショーは迫力満点で、目の前で巨大な像が消えた。ホテルでは私専用の女性秘書をつけてくれて、
あらゆる用事を彼女がやってくれた。その全でが大男の招待だった。カジノでも私はつきについた。
一体、あの男は何者なのだ、と秘書に訊くと、ニューヨークの大富豪で、有名なプロデューサーでもあるという。
何も知らなかったの?と驚く彼女を見ながら、こんな話をしても誰も信じないだろうな、と私は思っていた。
 ▼ 大金持の酔っ払い世界に紛れ込んだということだ。その大男からみたら「気分が良かったのでしてあげた」
  だけのこと。2〜300万の宝クジに当たったレベルの話でしかないが、それでも庶民感覚とは、
  かけ離れた世界の一端を、垣間みた話である。       ☆bye-bye☆ε(*゜ω^*)
・・・・・・・・
2006年11月22日(水)
2059, あたりまえなことばかり −13
    (。^0^。)オッ(*^○^*)ハ〜
ここでは、深い哲学のサワリを解りやすく書いてある。我われは「観念としての死」に、今まで取り付かれてきた。
そして物理的な時間軸を生から死へと一直線の前方に向け生きてきた。ところがそれは違うというから、面食らってしまう。
「永遠として直感される瞬間とは、それ自体で生死を越えて、生死を飲み込んで今ーこの瞬間に立ち上がる!」ということは、
人生の深い経験をしてこそ実感できるのである。経験の裏づけがないと、言葉の言い回し位としてしか理解できないだろう。 
いや、鋭いのは解るか?その瞬間の「永遠」は、死後にあるのではない、生の真っ只中に垂直に立ち上がる。
(感動、歓喜の中で)著者の池田晶子の、その瞬間が以下の文章に立ち上がっている。
仏教でいう、悟り、覚醒感がそのまま伝わってくる内容だ。
 −−−−−−−−ーーーー
* 死ぬのは不幸なことなのか ー?
死は、恐るべき避けるべき事柄と、深く思い込んでいる。転倒した生存本能としての死の恐怖は、人生の孝、
不幸を量るわかりやすい目安とも化し、観念と現実からも判然としないまま、今も岩のように人類を縛り付けている。
死は、恐れるべきものではなく、あるいは祝福すべきこと、喜ばしきことなのかも知れない、
という可能性である。これは死は恐ろしいもの、と言う可能性と同じく、その論拠は無い。
それを恐れとして、喜びとしての「死後」を提示することで答えようとする宗教とは哲学は違う。あくまでも、
「死後」を語っているのは、生きている人だけである。永遠として直感される瞬間とは、そのこと自体で生死を越えている。
あるいは、すべての生死を飲み込んで、今である。考える精神として、一直線に前方へと流れる物理的時間塾から
垂直に立ち上がる時、人は、自分が肉体として生き死ぬ自分でない存在であることを知る。生きているか死んでいるかが、
なぜ今さら問題であり得るのだろうか。すべては永遠に存在し、永遠に生成する。今この瞬間に直感されるそれは、
したがって、「死後」ではない。死後などない。死後は死後に存在するのではない。 生の真っ只中においてこそ、
それは永遠の時間として知られるものなのである。ギリシャ人たちが、肉体を墓場であると呼んだことの背後には、
このような確信が存在している。精神でありながら、同時に肉体である我われが、永遠の存在であると同時に
死するべき存在である。しかし、死への恐怖に衝き動かされながら、直線時間軸上をよろめきながら歩いているという
惨めな表象が錯覚であるとしたら,逆に肉体こそ死後であろう。 したがって、肉体が死ぬということは、本来の「生」、
すなわち永遠的存在への開放に他ならない。死ぬということは、精神の再びの誕生として、祝福すべきことでなかろうか。 
だからと言って、死すべき肉体を粗末に扱うということにはならない。摂食、生殖、快楽の意味、幸福の源泉であることで
不幸の源泉でもあるところの肉体を、精神がどのように扱うか、それが肉体によるこの生を、われわれが経験していることの
意味だからである。この生で幸福になるのでなければ、どの生で幸福になることができるのだろう。
・・・・・・・・
2005年11月22日(火)
1694, 「官から民への流れ」の一現象
 選挙の自民大勝を受けて本格的に小さな政府に向けての動きが本格的になってきた。
 まずは政府系の金融機関の大鉈がふるわれることになった。中小・零細企業は大きな岐路に立たされる。 (X_X;)    
 ところで身近でも、面白い動きが出てきた。 求人を出していたところ、『財団法人・雇用能力開発機構センター』
 という所より連絡が入った。国から、雇用を促進するために委託をうけた独立行政法人という。
・雇用保険を受けている人で、ある職業を希望している人の仕事を
・三ヶ月間、希望先で実習・訓練して、互いに合格すれば入社をする。お互いに不一致でも、本人の職業訓練になる。   
・その期間、求人側は採用不採用に関わらず約2万5千円を補助してもらえる。    
 求職者も雇用保険を貰いながら、一日500円の日当が支払われる。
・パート、準社員の求人でも雇用保険と社会保険が支払われれば適用範囲になる。         
  解りやすくいえば、今までの丸抱えの職業訓練を、「一日500円払うから、就職の適正を互いに見合うという条件で
 現場で教えてくれないか」という仕組みである。よく考えたものだ。採用する方も三ヶ月という期間、雇用保険も社会保険を
 支払わないで済むというメリットがある。 三者両得という理屈に合った仕組みである。 ?¬_¬)nannjai    
 現在、職安に行くと30台ほどのパソコンが並んでいて、求職者で満杯で、一昔前の様子と様変わりという。 
 全く求人する方も求職する方も、世知辛い世の中になったものである。考えてみれば当たり前のことでしかない!  
                          フウ〜 ( ̄ω ̄;)!!       ーつづく        
 ・・・・・・・・
 2004年11月22日(月)
1329, 教養と自由とバカの壁
「教養とは自由になるためのアーツ(芸術・芸)」と、昨日の読書日記で書いた。
そういえば「自由」について以前書いたことがあった。 (後に、コピー)
そこでは、自由について
・積極的な自由とは、自分の真にしたいことを見つけて追求すること、
・消極的な自由とは、束縛されていることから解放されること、 の二つに分類した。
教養とは、「真に自分がやりたいことを見つけ実施していくために蓄積し、知識、経験を芸にまで高めておくこと」
である。また自己を束縛していることから、いかに解放するかのアーツ(芸術)といえる。
「話が通じない時、情報を遮断しているもの」を養老孟司が、「バカの壁」と名づけたが、
情報を遮断している小さな固定観念を一つずつクリアーしていくことが、経験を芸に昇華していくことになる。
自由とは、選択の自由である。多くの選択肢の中から、一つの選択をしなくてはならない。
これは非常に難しいことである。そこには決定という自己責任と結果が生まれてきて、その不安に常に付きまとわれる。 
そこに哲学が必要になってくる。教養としての哲学は、取り囲んでいる壁に対して自覚することから始り、その壁を土台にすること、
そして乗り越えるのに必要になる。話は少し変わるが、「英語をマスターすることも教養のうちか?」と、問われれば勿論教養のうちだ。 
英語を話せる分、読める分、それだけ自由の枠が広がる。特に英語は、現在世界の標準語になっているから。
 (字数の関係でカット 2009年11月22日)


4267, つれづれに ー衆院選・政治談議

2012年11月21日(水)

   * 次の内閣は安部首相で、石原が副首相か
 消去法からすると、まず民主が消え、自民も駄目、公明、共産、社民は論外。その他のミニ政党も烏合の衆の範囲。
そうすると日本維新の会しかない。中心人物二人が東京都と大阪市の首長として改革した実績が光っている。
その実績をもって二人が国政を改革をするというなら、期待するのは当然の理。 おそらく、自民が180〜200票で、
維新の会が80〜100票前後で、「安部首相、石原が副首相」か、逆の「石原首相で、安部副首相」の超保守的強権内閣の
可能性が出てきた。こうなると、改憲や領土問題などで一挙に中国や韓国との間に摩擦が生じる。 また、国内的にみても
荒療治が行われることになる。 公明党も、時の権力に擦り寄るのは自明。ここで強大な救国内閣という名の下に思い切った
荒治療をすべき時期でもある。 一歩退いて改めて日本を、世界をみると、実相が鮮明に見えてくる。
 日本は既にEUのPIIGS並みに陥っている。ここで本気に改革しなくては周辺各国から狙い撃ち状態になる。
いや、既になっている。 国家非常事態の特別立法をつくり超権力を持って腐った病巣を切り捨てるべき時節。 
野田首相は、それでも真ともだったが民主党の3年あまりは酷かった! 
しかし、このところ安部が、政権をとったら国債の日銀の引き取りをさせるという。これを始めたら国家滅亡と、
前からいわれていた。個人国債も同じだ。自民だけには政権をとらせてはならないが、では誰がというと、石原と安部しか
見あたらない。 どちらにしても先行き真っ暗である。 安部・自民は時代の逆戻りという感が非常に悪い。
国民には自民党へのトラウマが根強く残っていることを、彼らは分かっているのだろうか? この選挙で、日本の
将来は大きき変わることになる。ご隠居の視線で劇場型政治と割り切っている分には面白いが、壊滅は、どうも・・
 ・・・・・・
3892, 顔を哲学する
2011年11月21日(月)
 家中心の生活に入って8ヶ月になろうとしているが、平日のバラエティーは化粧とファッションを取り扱った番組が多い。
それほど顔が大事にしては、「何故、これほどまでして人は化粧をするのか」という疑問と、答えをあまり聞かない。 
顔について哲学した学者といえば、レビィナスである。 顔は、その人の魂の表出でもある。 特に女性は、そのバランスの
釣り合い(美系)によって人生さえ変えてしまう力がある。全身の肉体のバランスが、そのまま顔に集約されて出てくるからだろう。
口は女性の性器に鼻は乳房?を表現しているという。 顔面の評価認識は時代により、国により変化している。また脳の中に
それ専用の部位があることから、生物的に有意な機能があると考えられる。美醜の存在は、それが単にコミュニケーション
のためだけでなく、身体機能や脳機能の優劣の選択のシンボルとなっている。そのことは目は脳、鼻は肺、口は胃と同じ細胞から
分裂して形成される事から推察される(だから胃が荒れると唇も荒れる)。
 美人を優れた男が獲得する事が続けば、結果的に身体的な強さと顔の美しさが相関するようになるのが当然である。
その意味で顔は、その人の家系の表出と見てよい。 韓国では、女性の整形はごく普通のように行われている。 
整形も、化粧も、顔のバランスの崩れを修正し、美形に近づける。顔の中で眼だけが、内臓が露出している。目は脳の細胞と同じで、
人の心が、そのまま現れ出てしまう。 だから女性は目元、睫毛、眉毛に注意する。イスラム教徒の女性が、ベールで顔を隠すが、
欧米人が酷く嫌い、恐る。顔・形を隠すからである。また、双子を除けば万人、それぞれ違っている。その人の認証のサインである。
 そうこう考えると、顔・形に、特に女性が集中するのは至極当然である。 それと姿勢があるが、これも年齢と共に崩れていく。
 ・・・・・・
3527, 円高より深刻な国力低下
2010年11月21日(日)
 18日の産経新聞の一面の「日本の未来を考える」で、東大の伊藤元重教授の「円高より深刻な国力低下」の論説がよい。 
  ーこの内容を大ざっぱにまとめるとー
≪ 現在の円高は1995年に比べると、アメリカの物価などを考慮すると、まだ30〜40パーの円高に過ぎない。
しかし、産業界の実情を聞くと、どうも、その時のレートより今の方がきつそうだ。 それを考えると、
15年間で日本の経済力が落ちてしまったのではないか。言い換えると、周辺国の競争力が上ったのである。
これは、円高を嘆くより、経済力、国力の低下を嘆かなければならない。≫  と言うのだ。
 この20年間、海外に出て、日本に帰ってきて新聞と週刊誌を飛行場で買って読むが、年々、紙面から
出てくるエネルギーが目だって落ちている実感がしていた。 最近は、それも慣れてしまい、それすら感じない。
 様子が変わったのがバブルの崩壊からである。一度、1995年に持ち直したに見えたが、数年もしないうち、
再び下がり基調になってしまった。金融再編成で都市銀行が、三つになったり、証券会社が淘汰された時期である。
そこに、2001年のリーマンショックである。そこで、まず地方の弱体化が本格化した。その間に、関東・東海地区は、
金融と輸出で大きく潤ったが、地方は弱肉強食の弱肉になってしまった。そして、2008年のリーマンショックで、
関東と東海に原爆ニ発が落とされた位の大打撃を被った。しかし、同時にとって、地方の更なる衰弱になっていった。
悪いことに自民党の自滅で、民主党が政権を取ってしまい、更に国力が削ぎ落とされてしまった。
これで、まだ大底についてないのが実情で、この数年で大底が待っている。そして、二番底の可能性がある。
それを前提に現在を、そして、この20年、30年を振り返ると、アメリカによる、日本の愚民化政策が見えてくる。
それが現状と、数年先に予測されるだろう惨状である。大学生の半分近くの就職先が見つからない事態を、
10年、20年前に誰が予測しただろう。この地方経済の惨状もである。高度経済成長の時代の陽気さと、
現在の暗い世相の段差が分かればこそ、国力の低下を嘆くのであって、それを知らない若い人たちは、
こんなものと思っているのか。まだ円高だからよいが、円安になったら、国力の衰退など言っていられなくなる。
・・・・・・・・
3152, ラ行の受身形
 2009年11月21日(土)
「年齢(よわい)は財産」〜日本ペンクラブ編 
の随想集の中にあった土居伸光氏の【言葉遊び】ーラ行の受身形ー がよい。
 ーその概要を短く纏めてみるとー
10数年前に末期癌で亡くなった奥さんの、死に至る過程を見つめ、彼女が否定的で
受け入れたくない出来事に対して使われる言葉が、感謝へと転換していく姿を愛情を込めて書いている。
 ラ行の受身形とは・・・
・叱られた   ・文句を言われた  ・虐められた  
・騙された   ・裏切られた    ・嫌われた    これらは私達が日常でよく使う受身形。 
 どちらかというと、否定的で受け入れたくない出来事に使われることが多い。そこで、
「叱られた→叱っていただいた」「嫌われた→嫌っていただいた」など、ラ行の受身形を転換をすればよい。
その結果として、感謝の心を増幅させるだけでなく、人を大らかにし、強くさせる力になる。
 奥さんは、絶えることなく襲ってくる激痛に逃げ出すことはしなかった。 直観力が強くなったのだろう、
激痛を事前に察知して、仏壇の前に正座をし、ローソクと線香を灯し、祈りながらそれがやってくるのを待った。
その後姿に、著者は揺るぎない彼女の覚悟が読み取れた。  そして、ある日、
 「問題は、すべて私の中にある。ガンを早期に発見できなかったのは病院ではない。ガンそのものが、問題ではない。 
  ガンは自らがつくり出したもの。ガンは自分自身。誰も悪くない」と耳の疑うような言葉が彼女の口から飛び出した。 
その言葉を境に、奥さんは大きく変わっていった。・・・ 激痛を乗り越える過程で受身だった彼女は感謝の心に
変わっていったのだ。 そして余命半年といわれていた奥さんは結局三年生きた。 
 我われは老いの進行と共に、頭や身体は思い通りには動いてくれなくなる。 第三者から「ラ行の受身形」の言葉=
《叱責、文句、虐め、騙し、裏切り、嫌悪》が、未来の自分に投げかけられる可能性がある。 その都度、心が大きく
揺れるようでは、人生の平安はほど遠くなる。ラ行の受身形を転換し続けることで、すこし謙虚になったように思うという。
文句を言われるのは、文句を言われるようなことがあったからと気づく。そう考えると、自分の至らなさが見えてきたりする。
そうすると、文句を言った人に、怒りではなく感謝の気持ちがわいてきて、嫌な人物がそうでなくなってくる。 
今の私には嫌な人物は一人もいないという。 単なる言葉遊びと思われるかもしれないが、
やってみる価値は十分ある遊びである。この遊びの素晴らしいところは、使っても目減りをしない。
使えば使うほど心は確実に成長し、その結果は微笑みという形をとって顔に現われてくると、無邪気に信じてくるようになる。
 ー
 味わ深い内容である。 この続きも良いので次回に書く。 これは先日書いた「要は、受止めかた次第」の具体例と
考えるとよい。 その意味で、この文章に偶然出会ったのが不思議である。  書いていて思い出したのが
「もとは、こちら、そのままけっこう」である。  実際に現在抱えている幾つかの問題に対して言葉遊びをしてみたら、
直ぐに「そんな問題じゃないだろう」と、心(言葉)が噴出してきた。 しかし、「遊び、遊び!」と自分に言い聞かせ、
何度か言葉遊びを繰り返すと、あれだけ腹立っていたことが収まってくるから不思議である。色いろな悟り方があるもの。
・・・・・・・・・
2787, 不況景色
 2008年11月21日(金)
・新潟市内の【新潟タクシー】が倒産した。 先日倒産した【新潟相互タクシー】に続いてである。
 タクシーの所有が70台、従業員が130人というから、新潟相互タクシーと、ほぼ同じである。
 ピーク時の売り上げの半分まで落ちていたというから、仕方がない。 タクシーも、ビジネスホテルも
 似たような客商売である。 だから、さもありなんと納得する。 次は何処のタクシー会社?という段階だろう。
 二社潰れても,タクシーの台数の一割強でしかない。彼方此方から不況の現場の話しが聞こえてくる。
 資産の劣化も始っている。昨夜のNHKの「クローズアップ現代」で、中古マンションの荒廃の実態をレポートしていた。
 バブル期のマンションなどが荒廃をして、投売りで暴落、廃墟になっているマンションも出ている。
 5〜6年前で2百数十万室もあり、その後も激増しているという。 不動産業者は10年を目安に造り、売却する。
 その典型が現在、問題になっているアパとかいう、業者である。 買うほうも深く考えないで目先のファッション服を
 買う感覚で購入する。 10年経った後に、大きな問題になってくる。 物件は暴落し、荒廃が進む、という図式になる。
・アメリカのシティと、スイスのUSBの株価が暴落している。
 USBは、二年前のフォーブスのランキングの数万社の世界の超優良会社で、ベスト9の会社である。
 それが、風前の灯といから、すざましい。 ゴールドマンなど、1〜2ヶ月で、半額以下である。
     シティ    $ 6.45(−22.85%)
     UBS    $ 9.28(−14.75%)
     ゴールドマン $55.18(−11.04%)
AIGも時間の問題といわれているし、ビックスリーの自動車会社も、実質破綻に近いという。
自動車関連の従業員が、アメリカの就業者の1割を占めるというから、これまた破綻は国家存亡の問題。 
生かしておいても、資金の垂れ流しになるし、潰せば世界恐慌の速度を速めることになる。
この金融恐慌、他人事ではないから深刻である。 株価が、ある日総崩れになる可能性を孕んでいる。
恐慌は勝ち組も負け組みもない。全てが、死線の上を漂うことになる。社会的には、失業者が急増、凄惨な事件が続く。
それが地域紛争につながり、そして世界戦争に拡大していく。これに鳥インフルエンザが重なると、60年前の姿と酷似する。
ただ、日常は淡々と流れていくが、気がついたときには生活実態は三分の一のレベルまで、下がっているということ。
  まずは、今年の暮から来年の三月までが、第一の倒産ラッシュが吹きすさむ。
トヨタのトップが「市場が消滅してしまうのではないかという恐怖心にかられる」といっていたが、これから起こることは、
想像を遥かに超えたものになる。経済学者が言っていた、「16世紀以来の中産階級の崩壊のプロセス」に入ったのか。 
そうすると、100年に一度の大事件ではなく、1000年に一度の歴史的惨事が待っていることになる。
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2007年11月21日(水)  
 2422, サブプライム問題 −2                               (*´・ω・)ノはよー
 前回の記事の続きを読むと、この問題は裾野が広いのが解る。日本でもビルなどの不動産の証券化した債権が
一般の投資家に対して売り込まれている。これはアメリカだけの問題ではないのである。その意味で今年の暮れから
来年にかけては日本でも問題が発生しかねない。更に駅周辺に怪しげなマンションが、奇麗な歌い文句で売られている。
これも不動産債権と大同小異のもの、直接、跳ね返るのが買った本人になる。それさえ気がつかないから深刻である。   
 ー前回のつづきの記事も解りやすいー
株価の値下がりは一般的にはサブプライム問題と言われているが、症状の一つに過ぎない。
根本問題は、アメリカ経済が既に一年前から不況期に入っていることにある。そのことは工業品出荷の推移からも
ハッキリと現れている。昨年6月をピークとして急速に落ち込み、昨年10月には前年比マイナスの水準になってしまった。
アメリカが不況になったからこそ、住宅価格が下落に転じ、その結果差プライムが火を噴いたのである。 
サプライム問題を考える時、日本人は日本の住宅ローンを考えるが、これはアメリカとは違うのである。 
日本では、ローンで買った住宅が大きく値下がりした時に家を売却をしても借金が残る場合がある。
 (字数制限のためカット 10年11月21日)
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2006年11月21日(火)
2058, あたりまえなことばかり −12
     (。^0^。)ノ オッ(*^○^*)ノ ハ〜 ヨウ
死は他者の死しか知ることができない。 そして他者のごく身近な人の悲しみの表情をみて、
死=悲しい、という構図を長年人間は描いてきた。象も死んだ子供や仲間の死を悲しむというが、それも、
その象の表情を見て、勝手に思っているだけである。虚無になる恐怖感と言えども、「無になる」とは
他者の死体を見たイメージでしかない。人生ー生死が何ものか解らないのに意味など果してあるのだろうか?
という、疑問が成り立つ。せいぜい、年寄りの老化現象でしかないのか。
といって、意味の意味が、「価値」とするなら、「人生の価値は無い!」と切り捨てることも出来まい。
 *死ぬことは不幸のことなのか −?
  −−−−−−ーーーーーー
(字数の関係でカット 2008年11月21日)
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2005年11月21日(月)
 1693, 中学校還暦同期会
あと二ヶ月で還暦になる。(O_O;)Shock!! 中学校の還暦同期会は、考えようによっては面白い。
卒業してから45年という歳月と、義務教育の分別?される前の、危ない場の中学の還暦はそれぞれ思いは深い。 
同期会ということもあって、45年ぶりの再開の人が多い。それも、もう恐らく二度と会うことはない人だ。        
一昨日が、その中学校の還暦同期会があった。来るべき時が来た!というのが、実感!。
そして興奮と感激の連続であった。koufun (+`ω´+)∩・・驚いたのが、学年の三分の一の108人が集まったことだ。
(私のいたクラスは一番まとまりのあるクラスだが、五分の一だった。)
長岡の一流?の料亭の鴨川別館で、会費が写真込みで一万円。幹事は大変だったはずだ。  ase ∩(+`ω´+)∩・・・キュゥ
二次会はフロアーを変えた別会場で設定してあった。ほぼ8割が出席していた。(別料金)不景気、料亭も考えるものである。
これでは、スナックは大変だ。      ヽ(゚Д゚;)ノ!!  
 還暦に神社で御祓いの習慣があることをはじめて知った。わざわざカジュアルの服装で行ったが、男の8割が背広であった。
還暦とは、成人式と同じ感覚なのだろう。 還暦が過ぎると、「生老病死」の問題がシビアに出てくる。
反面60歳代が人生で一番面白いとか? 準備してきたかどうかで決まるだろうが。(O.O;)(oo;)      (^_^)/~~
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 2004年11月21日(日)
1328, 「哲学者たちは何を知りたかったの?」−1      −読書日記
 ー教養は何故必要か?−
ふと本屋で立ち読みをしていたら、ー教養とは自由になるために必要なアーツー という文章にいきあたった。。
早速買ってきて読んだが、なかなか読み応えのする本であった。特に教養に対して、ズバリその本質をついている。
ー「日本で教養というと、大学の教養課程やその延長線上で身につけるものと受けとめられがちだが、本来教養とは、
人間が自由(リベラル)になるために必要な(アーツ)だったのです。ですから、教養としての哲学、教養を持てば、
それがガイドやパイロット、あるいは乗り物となっているので、脳空間の中を自由に飛躍でき、さまざまな世界を
のぞき見ることが可能になる。人間は、神のもとから自由な空間に解放され、そのために多くの不安や悩みを
もつようになりましたが、教養としの哲学を持つことで人間として生きていくことの素晴らしさを味あうことができ、
それがまた、不安や悩みの解消につながり、「幸せ」を招来してくれることも確かです。ーー
 −以上だが、なるほどそのとおりである。生まれでたと同時に、多くの刷り込みが行なわれるが、教養とは、
それを乗りこえる為のパーツの総量ともいえる。教養といえば、字のとおり「教え養われたもの」であるが、
それでは、「それが何のため?」といわれると、言葉に窮してしまう。
一流の職人が「おれ中学しか出てないけど、大学を出ているのと、あまり変わらないと思うんだが?」という素朴な言葉の中に、
多くの問いかけと答えが含まれている。現象が全てなのだから、それはそれで仕方がない。彼は言葉の中に含まれる
意味の世界とは全く無縁であるから、目の見えない人に視覚が解らないのと同じことである。
しかし、その分他の感覚が研ぎ澄まされるようになったから、一流になれたのだ。
宇宙から見れば人間の存在などチリ以下、いや地球の存在自体チリ以下であることを考えれば、その知識の差、
教養の差など些細なことでしかない。しかし、せっかくこの世に生を受けたからは、この宇宙のこと、地球のこと、
自然のこと、人間のことなど、可能な限り知り体験することは大事なことだ。
人間という拘束された存在を自覚して、少なくとも刷り込みの拘束から自由になることが最も重要である。
(字数制限のためカット 10年11月21日)
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2003年11月21日(金)
961, 「いらっしゃませ〜!ぽんぽこぽん〜」
 (字数制限のためカット 09年11月21日)


4266, 法則は思考のショートカット −1

2012年11月20日(火)

                  「知っているようで知らない 法則のトリセツ」 水野 俊哉 (著)
  今さら法則もないが、しかし面白い本である。 ーまずは、アマゾンの内容紹介からー
【 内容紹介: 巷にはさまざまな成功法則や戦略書がある。いったいどの法則が実際に使えるのか、そしてどのような場面で
   どんな法則を使うべきなのか、迷ってしまうことも多い。そこで本書ではどれが有効なのか、ケース別、TPO別に解説する。
   ナポレオンヒルから行動経済学までを完全網羅!
 △ 世の中はこんな「法則」で回っている!
    組織には必ず20%の怠け者が存在する
    会議では自分の意見に反対する人は正面に座る傾向がある
    一度Yesと答えてしまうと後でNOとは言いづらくなる
    先延ばしした仕事は、処理に通常の2倍の労力を要する等 
  不安定な時代に知っておくべき「法則」がある。人生の「ショートカット」となる「法則」の数々が、この一冊に! 】
 ▼ ざっと概要は、こんなものだが、取り扱い方というより多くの知らない法則が各分野に多くあるのに驚いた。
  それらの法則を知っているか知らないかでは雲泥の差になる。「法則の取り扱い方」の説明書より、法則の紹介書ともいえる。
  「法則」を多く知り、用いることが出来れば、人生、数倍、いや数百倍も豊かに人生を生きることが出来る。しないで済む
  苦労も事前に避けることが可能になる。 長い歴史の中で科学も人生も、ほとんど先人が既に経験済みのこと。
  法則は、それらを経験則として凝縮されている。それを知るほど、世界を広げることが出来る。三年前の出版された本だが、
  過去に、このような本は数多あったはず。 多くの「法則」、知っていても本当に理解していたか?というと疑問である。
  ここで法則を、職場関係と仕事の法則、ビジネス一般、心の法則、勉強の法則、そして成功本の成功法則などに分けている。
  半分近くは、これまで読んだりして少しは知っていたが、全く知らない法則も多く紹介されている。
   何気なく目次を見た中で、「好意の互恵性」の法則があった。「好きになると、好かれる。好かれると好きになる」とか
  いう法則である。これも一方的に思い過ぎたり、思われ過ぎると逆効果になるが、ほどよく人間関係に適用すれば、
  職場などの人間関係で有効になる。 次回から、今まで知らなかった面白そうな法則を選んで紹介する。
   ・・・・・・
3891, 腰痛は、脳内システムの不全が原因
2011年11月20日(日)
  先日のNHKTV番組「ためしてガッテン」で、腰痛を取り上げていた。腰痛について、ここで何度も取り上げてきたが、
内容は、思わない展開であった。大雑把にまとめてみると、<腰痛の痛みは、椎間板ヘルニアと思われていたが、その痛みは
ストレスなどで脳内にある痛みを抑える脳機能の働きが弱ったためで、犬や他のことに気を散らせると大きく改善する・・云々>
という内容。今でも半信半疑である。
  ー まずは、「ためしてガッテン」のHPの内容紹介を、箇条書にしてみる ー
 ◎ 日本人の8割が一度は経験するといわれている腰痛が、実は「国民的大誤解」があることがわかった。
  まず、なんと「腰痛の85%が原因不明」という。
 ◎ さらに、主犯と考えられていた椎間板ヘルニアさえ犯人じゃない? 町の人に尋ねると、半分の人たちがこの椎間板に原因で、
  ひどければ手術!と信じていました。 ところが、これが国民的大誤解。 ヘルニアを切除して、神経の圧迫が無くなったのに、
  痛みが消えない人。さらに、ヘルニアがあるのに痛みがない人が続々とみつかりました。「ヘルニア手術」をした場合と、
  「手術以外の治療」をした場合を比較しても、2〜10年で患者の回復満足度に差がないことも明らかになってきた。
 ◎ そんなナゾ多き痛みに、50年に1度という大発見がありました。 それはなんと「脳」と「腰痛」の意外な関係。
  「犬」を飼ったら大幅に直った!という事例がある。神経が、痛みに集中していたのが、犬に気持ち分散したためである。
  研究者が注目しているのが「脳」と「腰痛」の意外な関係。 様々な論文で、ストレスが高まると「腰痛」が増えることが
  指摘されていましたが、その理由は解明されていませんでした。福島県立医科大学が、原因不明の腰痛患者の脳血流量を調べたところ、
  なんと7割の腰痛患者が、健康な人に比べて血流量、つまり脳の働きが低下していたのです。 アメリカのノースウエスタン大学が
  さらに詳しく調べると、活動が特に低下しているのは「側坐核(そくざかく)」という部分であることが分かってきました。
  「側坐核」は、痛み信号が脳に届くと、鎮痛物質を働かせる命令を出すと考えられています。これによって、脳は大きな痛みを
  自動的におさえていたのです。ところが、慢性的なストレスを受けると、側坐核の働きが低下。鎮痛物質に命令がいかないので、
  痛みがおさえられず、激痛を感じてしまうのです。ストレスが痛みの原因を作るのではなく小さい痛みを強めて激痛を生み出すことが
  分かってきた。 脳の鎮痛システムが働かなくなるので、痛みが増加しているというのです。 
 ▼ 腰痛を47年も抱えてきた私にとって、まだ信じられない結果である。腰痛解消のため、30年前から早朝のウィーキングを
  続けており、二年前からは低反発クッションと枕を取り入れたこともあり、重い腰痛は起こらなくなった。そして、半年前からは
  スポーツジム通いで、更に改善をしている。 それが、ストレスによる脳の働きの低下により重くなっていると、いう。
  そんなものではない!というのが、私の現在の心境。しかしストレスは万病の元である。ストレス無いのが一番のストレスというが。
・・・・・・
3526, 死に至る地球経済   ー2
2010年11月20日(土)
   「死に至る地球経済」 浜矩子 著
   ー今だ一番底に落ちてない世界経済ー
  今だ、底に落ちてないのに二番底というのは矛盾がある。来年から再来年に、一番底が来るのは流れからみて当然。
 そして、その後に数年して二番底が来る。プライムローンなどの不良債権は、まだ表ざたになされないまま、銀行、
 企業、そして自治体などに塩漬けにされている。しかし、そのままにしてはおけない。
   ■ランダムに印象に残った部分を書き出してみた■
* 「二番底」と言うが、問題がある。ここまでの地球経済は、しっかり一番底に足がつかないまま、無理して舞い上がる
  ことを強要された恰好で推移してきた。このリーマン・ショックをもたらした諸々の歪みを是正され修正されるプロセスを
  貫徹されないまま、当座凌ぎの緊急対策で経済活動を離陸させた。二番底というのは、失速し、谷に落ちた経済活動が、
  一度は活力を取り戻して谷底から這い上がったのに、再び力尽きて谷に落ちた場合である。今回のは、谷に落ちていく
  途中で、つかの間の踊り場が人為的に繰り出されて一息ついた感じである。大底に向かっての小休止に過ぎない。
  そんな小休止の踊り場はぐらついている。G20の「成長に優しい財政再建」の苦肉の言い回しが、
  この厳しさを実によく言い表している。
* PIGS(ポルトガル、アイルランド、ギリシャ、スペイン)の国々は「豚箱入り」
* アメリカとPIIGSはキリギリスで、ドイツはアリ。 日本は「アリの民間」と「キリギリスの政府」と喩えられ、
  「アリギリス」だ。 アメリカは、これからアリギリスを目指そうと言うが・・・
* 日本のお家芸は「量的緩和」と「金利引き下げ」である。
*「自国さえ良ければいい」的な通貨安競争は一時的には自国の利益を増やすが、各国が密接に関連している世界経済では、
  巡り巡って自国への強烈なカウンターパンチとなりかねない
* ガルブレイスの言葉、「政治は可能性追求の技にあらず。それは選択の技である。 
  選択肢は、悲惨なるものと耐え難きもの。二つに一つだ」(61-2頁)
  (字数制限のためカット 11年11月20日)
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3151、災害で助かる人、助からない人
 2009年11月20日(金)
 韓国の釜山の火災で日本の観光客が亡くなったり、浜松のマージャン店火災で7人が死傷したが、
色いろの現場で助かる人と助からない人が出る。 一般的に地震や火災などに遭遇したとき、
人はどのような心理状態で行動するのか? まず、どちらが正しいか?という質問。
 1 地震や火事に巻きこまれると、多くの人々はパニックになる
 2 地震や火事に巻きこまれても、多くの人々はパニックにならない 
  答えは2という。 日本や欧米の研究でも、避難の指示や命令があっても、大部分の人間は速やかな
避難行動を取らないという。指示する側が人々に安心感を与えるために状況の深刻さを軽めに伝え、その結果、手遅れと
なることもある。一般的には、実際の災害現場では幾つもの要因が偶然に重ならない限りパニックなど起きないという。
過去の大災害時に助かった人で、一番死亡しやすいのは年齢の高い「男性単身者」。
逆に一番助かりやすいのは「家族」で、行動を共にする人がいること。 また若い人ほど生存確率は高い。
家族による信頼感と無償の援助、心理的な安心感が生存確率を二倍にも高めるということ。
マスメディアや近所つきあいの接触の多い人間は、早めの避難行動を取る傾向があり、助かりやすく、
また金持ちほど助かりやすいデータもある。大金を残して死ねるかという執念があるからか。
状況判断が的確に出来るか、そして前もって災害の恐ろしさの情報があるかどうかが分かれ目になる。 
 少し話は逸れるが、地震や大火災は、都市の時間的流れを強制的に進める効果がある。神戸の震災は復興はしたが、
経済的な後退感は否めない。それは神戸が経済的には下降期にあったからだ。逆に関東大震災の東京は、それを機に
都市計画を整備し、震災以前よりも首都として成長することができたのである。都市が成長期の災害は一層の成長をし、
衰退期の災害は一層の衰退につながる。 人生も事業も同じようなものか。
 飛行機事故で数人助かった人の顔は、何か共通の異相をしているのにお気づきですか。
 :天声人語に以下のような文章があった; 
 警察によると、幅約1.4メートルの落石が駐車場フェンスを突き破り、駐車場に停まっていたキャンピングカーを貫通した 
  (字数制限のためカット 11年11月20日)
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2786, 人生ゲームを楽しまむため、生まれけん!
 2008年11月20日(木)
ー次は、ある雑誌(文藝春秋)の中にあった、角川春樹の文章であるー
【 私は平成五年八月二十八日、麻薬取締法違反で逮捕され、ニ年五ヶ月、干葉拘置所に拘束されていた。
その間、私を悩ませた課題は、「自分は何故生まれ、何処へ還るのか」という古代ギリシャ以来の疑問であった。
ある時、一冊の本が差し入れられた。立花隆の『宇宙からの帰還』である。その中で私を惑動させたのは、
宇宙飛行士のエド・ミッチェルの、次の発言であった。
〈 すべての存在がそれぞれにその役割を担っているある神的なプランがある。そのプランは生命の進化である。
個別的生命は全体の部分である。個別的生命が部分をなしている全体がある。すべては一体である。
この全体の中で、人間は神と一体だ。宇宙は創造的進化の過程にある(略)。 〉
彼の言葉が、完壁に理解できたのは、平成十年の大晦日である。 朝から二度倒れ、四度嘔吐した。
その時、突然、次の唱句が天から降りてきた。   年ゆくや天につながるいのちの緒   春樹
この瞬間、あらゆる生命が宇宙意識と繋がっていること、宇宙は一つであることを直感したのだ。
エド・ミッチェルが宇宙で体験したことを、私は地上で体験したのである。そして平成十六年九月一日、
私は静岡刑務所の独房の中で、自分の意識が宇宙の果てまで辿り着いた時、逮捕されて以来の長い間の疑問が
あっけなく感受できた。 答えは、人間は人生ゲームを楽しむために地球に生まれて来た、ということだった。】
▼ 人生のゲーム化については、ここで何回か書いているが、彼が他の人と違うところは、
そのコンセプトのもとに雑誌を刊行したことと、刑務所の中で、絶望の底で、実感として掴み取ったことである。
‘ゲームとは、到達地点を決めて、その間に障害を置いて、如何に効率よく到達するかを競う遊び’である。
人生ゲームの醍醐味は、死の完成までの障害を乗り越えるプロセスを如何に楽しみ、味わうかにある。 
それも命がけに取り組むほど、ゲームが面白くなるのである。
【 父母に 呼ばれてこの世の 客となり用が済んだら はいさようなら 】という一休の詩がある。
せっかく、客として呼ばれたからには、この世の人生ゲームを充分楽しまなければ、生まれてきた甲斐がないじゃないか! 
ということだ。そうこう考えると幸せの4階建ての4Fが、克服できない苦難や悲しみ、というのが少しは分かるが。
    4階:克服できない苦難や悲しみの中に、幸福がある。
    3階:苦難や悲しみを経験し、それを克服する。
    2階:獲得した「快」を永続させる。
    1階:人間の本能的な「快」(恋、富、名誉など)を得て、増やす。
 人生ゲームは、このビルの中で遊ぶようなものである。   何か際どい話になってきたが。
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2007年11月20日(火)
2421, 閑話小題             ヾ(´∀`o)+。才ノヽ…
 *携帯電話・パソコンが変えたこと
 (字数制限のためカット 09年11月20日)
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2006年11月20日(月)
2057, あたりまえなことばかり −11
  オッ(*^○^*)ハ〜ヨウサン! −読書日記
「死と生」は、考えるほど不思議で尽きない。この無限の宇宙の中で、何で此処に自分が存在しているのだろう。
60年生きてきたが、「自分にとって死はない」というし、永遠は「いま、ここ」にしかないというし、
人間しか持ち得ない「観念」によって、動物のように十全に生きられないというし、
人間しか持ち得ない精神の思考によって、生物体としての死の恐怖を看破し得るという。
先入観ー馬鹿の壁ーがビッシリと脳にこびり付いていた自分の人生に、ここで気づいている愚かさ! 
そして、周囲を見て、まあいいか、と思っている愚かさ!自分にとっての時間は生まれ死ぬまでの時間ではない。
永遠は、「いま、ここ」に、垂直に、立ち上がる! なるほど、その通りである。
我を忘れるほどの感動の、あの瞬間! 縦に立ち上がっていた! 永遠に今も続いている。
 薬物でもできそうだが・・・   それは、末期の時の一服の楽しみとして、とっておこう! **** Ψ( `▽´ )Ψ ケケケケ♪
  ーー
  * 死ぬことは不幸なことか 
人間のみが自殺する生物であるのは、人間においてのみ、死が観念として対象化されているという
事実を端的に示している。 観念でない現実の死。とは、どういうことなのか。 
多くの人が、人間は死に向かう存在なのだと長く教えられてきた我われが、そのまま長く思い込んできた、
未だ気づかない間違いが、ここにある。考えてみれば、観念でない現実の死を考えるとする正にそのことによって、
死は常に観念となるという事実。観念でない現実の死など、観念としてしか存在しない。
しかし人は死ぬではないか、と人はいう。確かに現実に人は死ぬ。死ぬのは常に他人であるという事実について考えてみる。
他人の死は自分の死ではない、そこにも自分の死は、存在してない。人は、他人が死ぬのを見て、死を観念として対象化し、
それを自分に類推して、自分の死が現実に存在すると、思い込んでいるに過ぎない。ここでもあくまで観念でしかない。
笑うべきことだが、自分の死を考えようとして与えられている思考の真空、自分がいないとということを、考えている当の自分に、
どうして考えることができるのだろうか!かくして、哲学が誕生することになる。精神は思考することによって、
生物体としての死の恐怖、その錯覚を看破し得る、だから、考えることこそが、善く生きるということなのだ。
おそらく生物に存在するのは生存本能であって、死の恐怖ではない。生きようとするために死を避けるのであって、
死を避けるために生きているわけではない。人間という生物においてのみそこが転倒しているのは、自ら課した観念による
錯覚のためで、人間は動物のように、十全には生きてはいない。それ自体で転倒している死への恐怖を逆手に取り、
再び大きく転倒させるものが宗教である。あるいは、宗教は考えられないものとしての自分の死、思考の真空地帯のそこに、
「死後」の絵を画く。あたかもそれが、生の続きのように。しかし「生の続き」としての「死後」とは、どのようなことでありえようか。
自分の死が観念としかあり得ないのだから、その「死後」というのも、文字通り観念としかあり得ないのは自明なことだ。
死が観念なら死後も観念である。ふと気づけば当たり前のことである。 人が死と対になった「死後」という観念から
離れられないのは、真空への恐怖だけでなく、時間の一直線に前方に流れるものという時間認識の錯誤にもよるのではなかろうか。
時間は一直線に前方に流れるという人々の表象の原型となっているのは人は誕生から死へと向かう存在であるという人生の表象。
人は、物理的肉体として生まれ、育ち、次第に老いて、次に死ぬ。時間は、そのような物理的現在、物理的瞬間の重なりとして
表象されているのである。しかし、この時間表象によっては、決して表象されないときがある。
それが、それらを表象している正にこの現在、時間は一直線に前方に流れるものだと表象しているこの瞬間である。
  (字数制限のためカット 2010年11月20日)
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2005年11月20日(日)
 1692, 二つのトッテ
「ものごとにはすべて、二つのトッテがある」という諺がよい。 (人`∀´)ィヒッ♪
 何ごとも両面がある(今さらだが、例えとして判りやすい)+面の取っ手を掴む癖をつけるかどうかで
 人生変わってくる。 私のみるところ、意識をしてプラスを掴むようにしている人は1割も満たない。
 平気でマイナスの取っ手を掴んでいる人をみると、その異様さに唖然とする。 家内にいわせると、
 おばさん系の地味な服装の人に多いという。話題に暗い話をするのが恒例になっていて、マイナスの話に
 快感を覚えているという。     ン・・ ヘロヘロ α〜(´`d)ぱぁぁ   ー 字数の関係でカット(2007年11月19日)
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2004年11月20日(土)
 1327, まさか、地元で大地震が!ー14
今回の損害は、おおよそ3兆円と発表された。
・インフラー高速道路、山間部の斜面などで、一兆二千億  ・民間家屋、7000億
・商工関係、3000億                   ・他    8000億 という。
阪神大震災が兵庫県だけで9兆9000億というから、その三分の一の損害規模になる。
阪神大震災が都市型であるのに対して、中越地震は山間型地震の典型だ。
損壊した家屋が4万8千戸。そのうち全壊とほぼ全壊で2300戸という。 現時点で、解雇が50社で420人。
この地震での事業への影響は、目先プラスであるが、当面の復興の為の応援が収まったときのことを考えると
背筋が寒くなる。長期的にみたら、この大震災は新潟県にとって大きなマイナスである。目先の資金の確保は非常に楽になるが、
消費マインドが冷え込む。ことの深刻さは、日が経つにつれて深くなってくる。本当の問題が出てくるのは、これからである。
ただ年内に新幹線が全面開通の見通しが経ったのが救いである。
・・・・・・・
2003年11月20日(木)
960, バードウオッチングの面々−3
字数の関係でカット(2007年11月19日)


4265, この非常事態に、万一の備えがあるの? −2

2012年11月19日(月)

 私の場合、記憶が1歳の頃からある。そして両親の商売の一喜一憂が、そのまま普段の生活に直に伝わっていた。
終戦直後で、新しい事業を両親が模索していた時期のため、今から振り返ると、何ともいえない張り詰めた緊張感があった。
「どこどこが倒産した」「店を出したが、少し良くなると天狗になり夜逃げをした」などが、日常会話。それもあってか、
自分が瀬戸際に直面した時に、不謹慎だが、デジャブというか、その自分を冷笑し楽しんでいる視線があった。
現在も、一部それがある。それらの幼児体験もあり、万一の備えを無意識に次々と重ねていた。悪化と同時に、自動的に
手順を打つのが自然の道理。30年間(事前の準備期間を入れたら45年間になるが)、創業から整理までの起承転結の
一サイクルの経験をしてみて、手じまいも、事業の最大のイベント。だから最悪に見えた経験も、奇妙な感情が支配していた。
あと講釈だから、言えるのだろうが。15年以上かけ準備をし立ち上げた事業を、その衰退を見届け、自分の手で潰すのも、
それも事業経営の一環であり、後悔も無念の感情も残らないのも道理。
 で、この本体の経済崩壊の大津波、地方では既に到来している感がする。大方は茹で蛙状態で、知ってか知らぬふり? 
年末の選挙前後辺りにクラッシュの可能性の仮説はたてておくべきだ。年越しの可能性もあるが、遅かれ早かれ恐慌は起きる。
日本で、この2千年の間に4回の、東日本で震度8クラスの大地震があった後、10年以内に、いずれも首都圏で、直下型地震が
連動して起こっていた。 西日本では18年以内にM8クラス以上の巨大地震が起きている。経済の7割が集中している
太平洋ベルト地帯が破壊されてしまうのである。恐ろしいが日本には失われた20年で経済が壊滅的状態。そこに少子化もあり、
分かっていても、資金が追いつかないのが、現実である。それと世界的恐慌と、デフレの問題がある。ある日突然、何かの
切っ掛けで、世界は機能不全に陥ってしまう危険がある。そうすると、弱い国に矛先が向かう。その弱い国が、日本となる
危険が非常に強いのである。 バフェットが、一度売り抜けた金を再び大量購入をした。 イスラエルが、先手をうって
ガザ地域で戦争を仕掛けている。イランへの攻撃が始まるか? 危惧されていた2012年、このままでは終わらない・・
 ・・・・・・
3890, ギリシャ/イタリアの次は・・
2011年11月19日(土)
 ギリシャが何とか目先の命を繋いだが、これも解決したわけでなく問題の先送りをしただけ。その直後に、待ってましたと
イタリアがマナ板に上がり、IMFの管理下に置かれて徹底的な国家の合理化が図られる。 イタリアには一度就職をすると
簡単に人員整理が出来ない法律がある。イタリア人は、それを逆用して働かないで給与を貰う体質が染み付いている。
 グローバル化の世界では競争力がなくなり破綻するのは当然。IMFの厳しい合理化にイタリア人気質が耐えられるか?というと、
非常に難しい。ギリシャ、イタリア、スペイン、ポルトガルという一時代を築き上げた国が次々と国家破綻の瀬戸際になっている。
 リーマンショックがキッカケで、世界の多くの国が積年の矛盾が噴出し、一挙に激変の様相になっている。
それに対して指導者は、その対策が全く立たない事態で、その場限りの対処しか考えられないのが現状。あとは何時何処で火を吹き出すか。
1999年からG7にロシアを加えた蔵相会議が開催されてきたが、リーマンショックを契機に世界の主な国の12ヶ国を加えたG20が
年に1〜2度のペースで開催され、その対策が検討されている。そこで何とか恐慌を食い止めているが、それも秒読みになってきた。
イタリアに続いてスペインの国債利回りが7パーになろうとしている。ここもIMFの管理国になるのだろうか。
 ギリシャ危機の9月のギリシャ国債のりまわりが136パーセントというから驚き。現在の32パーも、危機ラインを遥かに超えている。
日本だったら1千兆の利回りだから、329兆円の利回りになる。国家収入の10倍になる。そのギリシャと程度が同じで、数年後には、
似た状態になるとしたら、ここで叫び続けていることは、まだ楽観的範疇。 例の国の国債の利回を見て、呆然。近未来が見えている。
 <10年もの国債の利回>   ぷかぷか煙草を吸いながら川辺で車に寄って引き潮を見ていた東北大震災の被害者の姿が目に浮かぶ。
・ ギリシャ    32.29%      
・ ポルトガル   11.52%
・ アイルランド   8.22%
・ イタリア     7.28%         
・ スペイン     6.43%       たまたま、この数年来の同月同日に予告編?を書いていた。
・・・・・・・
3525, 死に至る地球経済
2010年11月19日(金)
  [死に至る地球経済」浜矩子 著
ー内容紹介ー
 ギリシャ危機に端を発するソブリンリスクを抱えたEUや、人民元の動向が注目される中国など混迷が続く世界経済。
長期低迷を続ける日本経済も、デフレ、資源価格の高騰、財政危機というトリプルショックを迎えている。
今、進むべき道はどこにあるのか。グローバル経済の新しいあり方を視野に入れ、現状を分析し未来を模索する。
(第1章)では、G20サミットの苦悩にみる政策主導型成長の限界を論じ、「成長に優しい財政再建を目指すこと」
    の困難さについて述べている。
(第2章)ソブリン・ショック=国家破綻の脅威についてで、グローバル時代の恐慌は、いったん始れば国家財政で
    押さえ込むスケールを遥かに越え広がり、セスキュー隊員を遭難させ、その隊員の遭難が更に恐慌を深める
(第3章)終焉近い基軸通貨体制 ートリフィンのいわゆる「流動性ジレンマ」論を踏まえての基軸通貨システムへの
    代替論の提示)、どうしても「地域通貨」に一つの解答を見出したくなるという
(第4章)ポスト・リーマンのグローバル金融の模索、ー再暴走か、大縮減かの瀬戸際に立つ緊迫状態
(第5章)中国は果たして救世主になれるか? 世界経済における中国の存在意義とそれが生み出す諸問題、
    経済活動は、成長と競争と分配を三辺とする三角形。中国は、はなはだ歪で成長だけの一輪車。正念場はこれから。
(第6章)そしてわが日本はどうすべきか。総中流に向けて忙しく働き、皆が豊かになっていく時代の状況は変わってしまった。
    「下流社会」という言葉も出ている中、誰もやらないことをやるのが政策の仕事である。
▼ 著者は、辛口の経済学者として著書、雑誌で度々みかけ、その論調も痛快である。エピローグで、ここで再び世界を
不安感が覆いはじめていると警告。その不安を呼び覚ましている言葉を二つあげている。その一つが「財政破綻」。
二つめが「二番底」という。財政破綻は、国家破綻を意味している。その二の「二番底」は「死に至る危機」が襲う恐ろしいこと。
これは当初からあったが、目先の緊急措置で当面の間、乗り切ったに過ぎず、根本問題の先送りをしただけ。その先送りの問題が、
再び、立ち上がってきている。「国家財政破綻」これが、恐ろしいのである。欧州では、理想的なEUが発足されたが、さっそく、
この金融恐慌で、その脆さが出てしまった。先行き、真っ暗で、世界恐慌への引き金を引きそうな事態になってきた。      
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3150,「要は如何受け止めるか」である!
 2009年11月19日(木)
   「いやな気分の整理学」―論理療法のすすめ  岡野 守也 (著)
 最近、どうもこうも不機嫌なことが続く。年齢的からみて誰もが通らなければならない60歳前半の欝症だろうか。
それまでは、いやな事があっても次の事象が起これば直ぐに切り替えが効いたのが、年齢的な衰えからから、
以前のように切り替えに時間がかかり何時までも引きずってしまう。
 いやな出来事A(失敗・陰口・争い)→ 結果C(落ち込み・腹立ち)が生じると、それは失敗や陰口と思いこむ。 
しかし論理療法のABC理論は、AとCの間にB(Belief)を入れる。
出来事・A →  考え・ビリーフ・B →  結果としての感情・Cとする。
「いやな出来事と感情の間に、それに対する受け止め方・考え方があり、それが感情的な反応を決める」
要は「どう受け止めるか」である。 Bで肯定的思考に変えることで、暗い性格から、明るい性格に換えてしまう。
 論理療法の創始者エリスは「ねばならない」「であるべきだ」「であってあならない」「はずがない」という非合理な
思い込みが、不健康な否定的感情につながると指摘。「絶対にうまくやらねばならない」「私の人生は完璧であるべきだ」
「こんな不公平があってはならない」という思い込みが、いやな出来事Aをいやな気分に変換してしまうとする。
そこで、論理的な対話型セラピーによって、非合理的考え方、イラショナル・ビリーフを解消するのが論理療法。
*「私はまったく無力です」という人には「歩いてここまで来られたのですから、歩行能力があるんですよね?」と
 話を持っていき、ご飯を食べたのだから咀嚼力も消化力もあるし、目が見えているから視力もあるじゃないですか
 という風に誘導。 人間の心はおもしろいもので、「自分は無力だ」と考えると、無力感が襲ってくる。
「微力としても、力はある」と考えると、少し力が涌いてくる。 思い込みの内容を意識して言葉として表出させて、
 論理的な説得を繰り返すことで、感情の自己コントロールが可能な性格に変えようと持っていく。  
 肯定的思考法に似ているが、マイナス思考を無視するのではない。
*「落ち込み癖」を治すには
 ・「ダメな私」=自己非難 ・「かわいそうな私」=自己憐憫 ・「かわいそうなあなた」=他者憐憫を、まず止めること。
 夫婦で慰めあっているのがいるが、まあ、「可哀想な貴方たち」ということだ。 そのうち、互いにダメな貴方になるが。
そのためにはミッション・ステートメントなど、自分の信念を箇条書きにして、それをビリーフにすればよい。
「出来事のうけとめ方」とは「自分で自分を説得すること」で、気分を合理的に整理する方向に持っていくことになる。
他にも気分を整理する働きとして、般若心教に、ウォーキング・セラピー(こんな言葉はないが)に、日記に、カラオケに、
秘境ツアーに、あげれば限がない。 私の場合は、嫌な気分の原因を集中して考え続けていると、ある時点で、消えていく。
その時間査定も、その中でしてしまう。初老性欝症状は軽く終わりそうだが、あと半年? その後は、慢性老人欝症かいな?
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2785, 恐怖指数
2008年11月19日(水)
 11月17日付の読売新聞・一面の「編集手帳」が面白い。 
【 アメリカで4年に1度、注目を集める経済指数がある。大統領選の行方を占う指標とされる「ミザリーインデックス」である
◆日本語訳は「悲惨指数」「窮乏指数」と悲壮感が漂うが、要は物価上昇率と失業率を足した数字のことだ。
 これが10を超えると、米国民は経済失政に怒り、政権交代を望むという。
 8年ぶりに民主党のオバマ氏が大統領選を制した今年、指数は6月から10を超えている。
 歴代大統領では、指数が高かったフォード、カーター両政権は短命だ
◆ 政権交代との因果関係は定かでないが、指数が上がると政府の無策を嘆く人が増えるのは間違いない。
 実は、日本も6を超え、1980年代前半以来の高さになっている。経済政策への不信感は、相当に強いに違いない
 (以下、字数の関係上、カットー2008年11月19日)
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2007年11月19日(月)
 2420, サブプライム問題 ー1
 新聞広告につられ年に2〜3度しか買わない週刊誌を先日買って読んでみたが、なかなか面白い内容であった。 
大体が週刊誌は期待した半分も中身がないが、週刊文春の11月22日の発行の「50年に一度の『株価クラッシュ』が始まった!」
の特集は、どれも考えさせられるものばかりであった
その中のアメリカのサブプライムの問題はもしかしたら大恐慌の引き金になるほど、根が深いようである。
「住宅の借り入れ金の範囲しか責任がない(借金を返せなくなったら、その物件を銀行などの債権者にひき渡せば、それで済む)
のがアメリカのノンリコール制度。 この制度のおかげで、不良債権化した物件や債権を引き渡された銀行は、
担保割れの物件の山になる。 まだ住宅の相場良いうちは問題は生じないが、相場が崩れると、強気で貸し付けてきた銀行の
損失になってしまった。それが数十兆円、百兆以上?もあるというから尋常でない」これでは大恐慌になっても不思議ではない。
どうなることか? これに石油高騰と穀物高が重なったのだから・・・来年は、更に荒れる年になるのは必定! 
 ーーー
 *まずは週間文春の一部を紹介してみよう*
日本人はつい日本の住宅ローンの常識によって物事を判断してしまう。
だがこれは大きな誤りだ。日本では、ローンを組んで買った住宅が大きく値下がりした場合、
家を売却してもなお借金が残ることがある。この時、借りた人間は律儀に残債を返すのが当然だと私たちは思う。 
だからこそ日本では不況が恐慌に発展せずに済んだのだが、同時に十年以上も延々と不況が続いたのだとも言えるだろう。
日本の住宅ローンとは異なりつアメリカで一般的な住宅ローンはノンリコースローンである。借金を返せなくなった場合には、
担保、に入れていた住宅をお金の貸し主に渡してしまえば、それだけで借金から解放されるという契約なのだ。 
日本の常識から見ると、アメリカの住宅ローンは、経営方針が大甘のカジノみのたいである。
金も持たずにやって来た客に対しても、喜んで賭け儲け金を貸してくれるという大甘の
カジノである。 客が勝てば(=買った住宅が値上がりすれば)勝った差額を自由に持って帰ることができる。客が負けたら、
手元に残った残金だけ返せば(=担保となった不動産を引き渡せば)それ以上は責任を追及しないというカジノである。
こんな大甘カジノなら、客は殺到するだろう。大繁盛すること(=住宅の価格が高騰すること)間違いなしだ。
だがカジノが繁盛していることと、カジノが儲かっていることとは、まったく別のことなのだ。
住宅への需要が水膨れすれば、価格が高騰するのも当然であろう。 だが、どう転んでも客が損しないサブプライムローン
の仕組みが成立するためには、住宅価格が右肩上が滑りで、今日よりも明日にはさらに高い値段になる必要がある。
ところがアメリカは昨年末には不況入りした。当然、住宅需要は減ってくる。
みんな、一斉に勝ち逃げしようと考える。住宅の売り物が増えてくる。価格は下落に転ずる。
 (以下、字数の関係上、カットー2008年11月19日)
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2006年11月19日(日)
2056, あたりまえなことばかり −10      (。^0^。)ノ オッ(*^○^*) ハ〜 ヨウ
 内語は、声を出すと独り言になるが、独り旅で内語というカタチでブツブツ言っている自分に気づくことがある。
毎朝のウォーキングも内語が活発化している。内語といえば、この随想日記の同月同日の数年分を読み直しているとき、
そうか、そうか、と読みながら独り発語しているのは内語の究極と思える。まあ、このHPも内語そのものと言えよう。
そう、今年の3月から始めたモーニング・ページ(起きざまに白紙のノートに思いつくまま書き出す)も、
自己対話の形式の内語である。この良さは、頭で考えていることは、ほぼ些細な事と鳥瞰できることだ。
まあ、砂金がたまに見つかるのが・・・ この自己対話で質問者と回答者の対立が深まると、分裂症状になるが。
近くの居酒屋の親父、厨房で頭に浮かんだまま声に出している。 私のことを一度「あいつ、俺には合わないんだよな〜」と、
言っていたか・・ ブログなど、内語だった地声?を、そのまま公開することである。内語は考えるほど面白い形式だが・・
 ー孤独とは苦しいものなのか ー
  *「内語」と「孤独」について
「思う」とはどういうことだろうか。 何かを思うとき、思っているのは自分だが、思われているのは自分ではない。
これは、よくよく不思議なことでなかろうか。「思う」というこれだけの出来事で、自他の区別はまったく不明瞭なのである。
あるいは逆に、「思う」ことによって、自他がそこで出合うのである。
孤独なもの思いにおいてこそ、人は世界へと開かれることができるという逆説、孤独な思索者の内なる饗宴である。
「内語」という現象にそれは極まるだろう。自分が自分に語りかけると、普通にわれわれは思っている。
しかし、自分が自分に語りかけるとは、一体どういうことであろうか。
もしも自分が自分として完結しているば、そこに語りかけるという行為は発生しないはずである。語りかけるとは、
問い尋ねる、確認する、疑念を発する、同意を求める等、本来的に他者へと向けられる行為である。
しかし、語りかけているそこには、目に見える他者など、存在していない。
すると、そこに語りかけているのは誰だろうか。なるほど「自分に」だと言うしかない。
だからこそ、他者として、語りかけ語りかけられている自分とは、自分にとって自分なのだろうか、
他者なのだろうかという問いが、いよいよ悩ましいものとして立ち上がることになる。
自分である、他者であるということは、自分であるという正にそのことにおいて、
いかにしても自明のことではあり得ないのだが、この場面において人は、目に見えるもののみ信じすぎる。
 (以下、字数の関係上、カットー2008年11月19日)
           (*^○^*)ノ ホンジャ!また
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2005年11月19日(土)
1691, ザ・マインドマップ−4
ーマインドマップのメリットといえば、
(字数の関係でカットー2007年11月19日)          〆(∀`*)
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2004年11月19日(金)
 1326, 海外旅行ー履歴  
今までいった旅行履歴である。あらためて、よく行ったと自分でも感心する。
60歳まで50回という目標は無理であるが、年二回のペースなら63歳に達成する。
この不況の中、年二回のペースを守れるかどうかだが?70歳まで、年二回のペースを守ると65回になる。
  (以下、字数の関係上、カットー2011年11月19日) 
・・・・・・・
585, ある時間の断片ー12
  - 2002年11月19日(火)
 1968年 10月1日
9時半に起床、11時までボーと過ごす。 その後学校に行く。石川と入れ違いに兼子がくる。
一緒にコピーをとりに校外にでる。そこでフェステバルの行進にであう。かれの食事に付き合うーそれまで私は終えていたが。
(以下、字数の関係上、カットー2012年11月19日)
・・・・・・・・・・
「232」人生の三つの坂
 2001/11/19
人生に三つの坂があるという、「上り坂」「下り坂」「まさか!」 である。
 (以下、字数の関係上、カットー2010年11月19日)


4264, しまった!  ー12

2012年11月18日(日)

                       ー しまった! 「失敗の心理」を科学する ー ジョゼフ・T・ハリナン (著)
   * 人生の財産 ーこの著書を総括するー 
 瞑想は、静かに独り座し、心を沈め、バイアスのかかった自分を見つめ、かえりみて己をしることである。
ある人は、「飛行機のビジネスクラスで世界を移動することを仕事の核にしている」という。10時間以上の、まとまった時間、
ただひたすら、黙想する。その時、深い何かに触れるという。 前回の旅行でエコノミーの席だったが、耳栓をし、同じように、
ただひたすら黙想をしてみた。「一万メートル上空で、時速千キロ以上のスピードの空間の半睡のような黙想体験は、言葉で
表現し得ない悟りというか、マドロミに包まれた夢のようであった。 考えるでなし、何かの思いが浮かんでくれば思うまま、
半睡状態にいる。それが飽きることなく(トイレと食事以外)、その状態。宇宙と一体になっているような、何かから解放されて
いるような永遠な何かと一体になっているような。疲れ果てたとき、決断したいとき、頭を整理したいとき、ただ、あの空間で、
飲食のサービスを気ままに受け、自然体で黙想するには理想的空間である。高速の移動空間は、脳内活動を活発にすることは
新幹線内での読書で経験していた。 学生時代の友人の娘が日航のスチュワーデスをしていて、小泉元首相が外国への飛行での
機内専用サービスの担当になった時の経験談を聞いたことがある。「10数時間、お茶を一口飲んだだけで、ただ眠り続けていた」
という。あれは疲れで寝ていたと同時に、黙想?もあったのだろう。 過去に機内で同じ状態でいた時間はあったが、ひたすら
10数時間を黙想状態にしたのは初めての経験だった。 時間とお金に余裕があれば、充分価値のある時間になると、納得。
この経験から、ひとつの習慣が出来た。休日などで、ふと何もすることが無いとき、独り寝室で半睡をする。大体30分〜一時間。
ただ目を瞑り、休む。 この春から始めたヨガで、最後の5分、マントラを聞きながら大の字で弛緩する。これも機内と同じ状態。
好きなことに熱中している時も、これと似ている。この時間こそ、人生の財産である。私には時間という財産だけは充分にあった。
装置産業を選び、それゆえに固定化されたマイナス面があったが、反面、自由になる時間が充分にあった。これこそ財産だった。
秘境ツアーに、読書に、パソコンに・・ 日本人には、何もしないと価値のない時間と思い込む妙な習性がある。定年をむかえ、
それまでの延長に生きている人が、あまりに多い。私も似たようなものだが、改めて、じっくり時間の過ごし方を考えなければ!
・・・・・・
3889, 積極的逸脱 ー2
2011年11月18日(金)
 積極的逸脱は、その視点で捉えると多くの分野で見て取れる。ベターに妥協せずベストを求めた結果の現象が逸脱になる。
天才と秀才の差は逸脱をしているかである。秀才は決して逸脱はしないで、その世界の価値観の中で頭角する。
野茂がメジャーに行き、その後にイチロウ、松井秀喜が続いた。初めてのチャレンジは逸脱と捉えられがちになる。
彼らは天才、それとも秀才だろうか? 日本のレベルを超えているので、日本では天才、アメリカでは秀才?
いやイチロウはアメリカでも天才だろう。 そう考えると天災、秀才は比較の問題になる。とすると、自分で地元で、
積極的逸脱をしていたと思っていたのは、自己詭弁でしかなかったことになる。単なるアウトサイダー、ハグレモノ。
天才は、対象に没頭するあまり誤解のベールに包まれ逸脱者として扱われてきた。
 ところで、酒や薬でトリップするのを積極的逸脱というのか?というと、それは違う。
前回、書いたが、40・50歳代に多くの問題が重なり、そのストレス解消のため秘境旅行に数多く行ったが、
これは日常からの積極的逸脱であった。 その総量のエネルギーと感動は、その他の人生の総量と同じぐらいはあった。
人生の積極的逸脱で見られるのは、40歳半ばから50歳で一線を引退し、早々に自分の趣味の世界に入る人がいる。
江戸や明治時代には多く見られたが、現代では経済的事情があり、そんな優雅がことは難しい。 いや、それより、早々に
産業廃棄物扱いをされてしまう恐怖感が壁になっている。 私も結果からして、10年前に会社を売却して、第二の人生に
入った方が得策だった?と考えたが、それは後講釈。どちらにしても結局は同じ。 事業に「たら、れば」はない。 
 積極的逸脱もあるなら消極的逸脱もあってよい。一般にいう落伍者である。落伍による失意の果てに待っているのが自死。
これも、あの世への積極的逸脱と考えられなくもないが、好き好んで自死をする人は皆無に近いから、消極的逸脱の果てになる。
 鎌倉時代中期の僧侶一遍は時宗の開祖。「捨聖(すてひじり)」と尊称された。捨てて捨てて捨て去った人。
 ・・・・・・
3524, 「人・ひと」と、「人間」の違い
2010年11月18日(木)
 私たちは「人」と「人間」の違いを意識せず何気なく使っている。しかし、そこにはハッキリした違いがあるようだ。  
  この違いについて膨大なエネルギーで和辻哲郎が研究している。
【 和辻哲郎は「人・ひと」と、「人間」の違いにこだわり、これがどのように混同されて使われてきたかを、英語、フランス語、
ドイツ語などと比較対照しながら、考察を進めてきた。日本語に「われひとともに」という言葉があるように、「ひと」「人」は
われの人としての自覚から始めて、他人を意味している。そのうち「ひと」は「人は言う」や「人聞きが悪い」などのように
世人・世間の意味に用いられるようになった。 では、「人間」という言葉はどうか。これは、人に間の字を添加している。
間を加えるとすると、すでに「ひと」「人」は、自、他、世人を意味しているのだから、そういう人の間を意味し、
そういう人の間の関係を示すということになる。人間とは世間であり、世界でもある。和辻は「法華経」や、その原典に関わる
古いインドの神話まで渉猟して、人間とはあくまで人間社会のことであって、天上や自然界に関わるものでないことを実証している。】
 ( 哲学者の言葉100 −稲垣真美著 p‐37 )
 〜「人間は、人の間の関係を示す」とすると納得する。人は人との関わりあいの中で、人間になっていくのである。
また、それは人だけでなく、我われを産み出してきた根源といわれるものと発展していくが、それは、人間の意味に、
あくまでも含まないとする。根源を含め人間というと、それぞれの自己絶対化が生じてくる。一神教が、それを言いあらわしている。
 人は人間関係、社会を通して人間になっていく。 書物を通した色いろな人物もである。「出会い」こそ、人を人間に変えていく。
 ・・・・・・・・
3149,つれづれに ー閑話小題
 2009年11月18日(水)
  * 論理的思考とは
毎日、二〜三時間かけてレポート1〜2枚分の文章を書き続けて8年半経つ。 自分のメルクマールのため続けているが、
この習慣で得たことは、「インプットした知識もあるが、各種の題材を探し出し、その要点をまとめ上げる過程で身に付いた
本質を見抜く視点と、それを起承転結にシンプルにまとめる論理力がついたことにある。」 論理構成力こそが、自分の核である。 
その核?はウネウネとトグロを巻いているようで、ブラックホールのようなトンネルの先の別世界に繋がっているようにも思える。 
大した論理構成力でないが、その蓄積と、その発酵は、トンネルの先で起こっているようだ。純真の視点ということか。 
何かのイベントに参加すると、その事象をスラスラと文章化できるようになったのが一番の収穫である。 
それは記憶のパッケージ化をしていることになる。その蓄積は人生経験を豊かにしてくれる。デジカメで日常の写真を撮り、
そこに言葉を添えて毎日の日記帳にすれば、それだけで豊かな気持ちになれる。 その人によるが。
  * ブルーレイ録画機
7年間使ってきた、DVD録画機が故障を始めたので、ブルーレイをネットで買った。量販店の7〜8掛けである。
(字数制限のためカット2011年11月18日)
  * オモシロ、オカシク
(字数制限のためカット2011年11月18日)
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2784, こんな経験したことありますか?
 2008年11月18日(火)
 下記に近いことを、私は何度も経験している。人間の五感が受けるのは、普段動いている五感の範囲のことでしかない。
犬は数万キロの彼方の子供の泣き声を感じ取れるというし、象は遠くの仲間の音波信号を感じ取れる。 
以下の内容は不思議でもなんでもない。普段は動かなかった感覚が動いただけのこと。
絵に残った痕跡が著者の心の奥の何かに反応し、墓に感応しただけ。でも、何ともいえない著者の心の内が顕れている。 
 ーー
*うぶだしや*             (うぶだしや=遺品買取屋)
「大正の末か昭和初年でしょうか?職業画家のものにはみえない」それらは令嬢の死をいたむものだった。
ほかにもたくさんの政界の名士が弔辞をよせていた。令嬢は長く病床にあッたという。肺を病んでいたのだろう、と私は思った。
友達が学校に通い、結婚していくなかで、令嬢は、ずっと病床にあって、死病に向きあっていたにちがいない。
思えぱ、日本画に描かれているものは、彼女が送ることのできなかった女の幸せな日常ばかりであった。
彼女は、死にゆくなかで、絵筆をとり、現実には、自分が送る二とのできない憧れの生活を描きつづけていた。
そのせいか彼女の残した日本面はどこか畏様な気配がただよっていた。日本画は通信添削で習っていたのか、
絵の裏に、師匠の画評が書き込まれていた。 彼女の遺品のなかに「磨かずぱ玉も鏡もなにかせむ学びの道もかくこそありけれ」
と書かれた額があった。 昭和皇太后の肉歌であった。私が、それをながめていると、うぶだし屋が、そっといった。
「これ!もう売ったんですか?一枚だけでいいですから、ぼくに売ってください!」
「ようござんす。まだ商売になっちゃいない。一番、いいのをひとつ選んでおくんなさい」うぶだし屋は、大きくうなずいた。
うれしそうであった。私は、髪をたばねた少女が着物にエプロン姿で立ち、カフェで給仕をしている絵を一枚えらんだ。 
お代は二千円。このうぶだし屋は、ただ同然で品物をゆずるときは二千円ときめていて、だまって指を二本たてる癖がある。
私はその絵を大切にした。箱にいれて、しまっておき、ときどき取り出しては、うっとりとながめた。
画中の女は、美しいというより、どこか寂しげであった。 だが、あるとき、ほかの骨董屋に、こんなことがあったと、
右のいきさつを話したら、その骨董屋の顔色が変わった。「先生、そういうお品はいけません。それ死人の念のこもった御品です。 
 悪いことは申しません。御縁が遠くなりますから、ご供養のうえご処分なさい」
たしかに、それからというもの、私はいくら結婚したいと思っても、まったく、縁がなかった。
 (やはり、あの女の絵のせいではなかろうか…と思ったが、どうにも絵を捨てられない。 捨てられないと、
こだわるほど、悪いことが起きそうな予感がした。 ところが、しばらくして、信じられないことが起きた。
ある妙齢の女性から花見の誘いをうけた。 顔は知っていたが、それほど親しいわけではない。
なのに突然、電話がかかってきて、「青山墓地の桜が縞麗だから二人で見にいきませんか?」という。
こういうことはまるでなかったから、素直に、誘いにのって、いくこことにした。桜は美しかった。
墓地に眠る人の命を吸っているから、美しいのだろうと思っった。私は、はずかしいから地面をみて、
女性のうしろを、とぼとぼついて歩いた。私は女性の顔をちらりとみた。青白い気品のある横顔であった。
体が弱いのか、のどくびを覆い隠す洋服を着ている。しばらく墓地をみてまわったところで、女性がいった。「桜、きれいね」
 そのと教私は背後になにか気配のようなものを感じた。目をあげると、そこには、信じられないないものがあった。
あの日本画をかいた乃木坂の令嬢の墓石であった。「享年二十七歳、昭和九年没」と刻まれていた。
地の底から、女が、じっと、こちらをみているような気がした。 気味が悪くなって、それっきり、
その花見の女性とは会わなくなった。 二十七歳で死んだ女の絵は、いまも私のもとにある。
  −−
  私なら、花見の女性と深い因縁があると考え、一歩踏み込む。そして、その墓の若い女性を自分の守り本尊にし、
  毎年、花見に来て、墓に祈るだろう。 いや、感謝をする。 何で気持ちが悪いのだろうか? 
  まあ、いいか! これも解釈の一つでしかないが。 桜には霊気が満ちているというが!
・・・・・・・・
2007年11月18日(日)
2419, 『楽天主義』
      *ヾ(´∀`o)+。才ノヽ…YΘ! 
 『楽天主義』ーヘレン・ケラー著             ー読書日記
 この本を図書館で見つけ、数ページ読んで、その行間から溢れ出てくる光のようなメッセージに驚いてしまった。
三重苦を乗りこえた偉大な人物ということは周知のことだが、実際に彼女の本を手にするのは初めてであった。
それも何と彼女の処女作で、100ページ足らずの読みやすい本である。この一冊を20歳前に読んでいたら人生が
変わっていただろう。 三重苦の中で、言葉の持つ意味を深く理解したのである。もしかしたら、
今年の最高の本といってよい本だろう。この本はもう廃刊になっていて、中古本で二倍の値がついていた。
 ーその概要といえばー
 この本は、ヘレン・ケラーが1903年、大学在学中に初めて書いた処女作である。
ヘレンは三重苦の身でありながら、88歳の生涯を障害者の救済のために力強く生きた。
彼女は生後19ヶ月の時に熱病に罹り、聴力と視力を失い、三重苦の生活を強いられた。サリバンという女先生と出会い、
読み書きを覚え、大学を卒業後、世界各地で講演したり福祉活動を行い「奇跡の人」と呼ばれた女性。
ここで彼女は「楽天主義者とは、善を信じ、輝かしい未来の到来を確信し、明日を今日より美しいものにするための
努力を重ねる生き方」と述べている。楽天主義者は、信じ、試み、そして目標を成し遂げる。楽天主義こそいっさいを
成功に導く信念である。 希望がなければ何ごとも成就するものではない。
人生の目的は何か、などと堅苦しく考える必要はない。楽しく生きて、この世を去るときに、
「生まれてきてよかった。幸福な人生だった」と振り返ることができたら、その人は人生を楽天主義者として
過ごした成功者である。将来に希望をもって努力することで幸せは得られるものである。
逆に、悲観的な考え方のクセがある人は、幸せになりにくく、不幸になりやすい。幸せになるためには、悲観的な
(不幸になる)考え方をストップし、意図的に楽観的な考え方をできるだけ心がけたほうがよいのである。
ー彼女は、ここで次にように述べている。
「幸福は心の持ち方の問題で、外見から他人が判断できるものではない。
私は、盲・聾・唖の障害者でも、世間の常識に反して自分は幸福である、という考え方を信条としている。 
どんなに幸せそうに見えても、本人が幸せと思っていなければ、その人は幸せではありません。
   (字数制限のためカット2010年11月18日)
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2006年11月18日(土)
2055, あたりまえなことばかり −9     読書日記       (~Q~;) おはよう〜〜            
 自分とは何、これは考えても考えても尽きぬ問である。孤独という実感の先にある「宇宙の真っ只中に浮いている意識」
が真我であるのか? 以前も書いたが、「禅」の字は「単を示す」と、新井石龍禅師が語っていた。
「宇宙に誰もいない、ただ一つの生命」これを実感するのは死期を悟った時。
これが苦しいのか、苦しくないのか経験したことが無いので今のところ解らない。
恐らく、あのバンジージャンプの板の上に立った実感が近いのだろうが・・
しかし、あの落ちていく瞬間の覚醒の意識が最後の見納めとして周囲を見渡す時のそれなのであろうか。 
私の場合の「私」は、このHPそのものである。このHPの先にいる得体の知らない「これ」である。
デカルトのいう「考えている、『!』『?』」である。たしかコギトと表現していたが・・考えている、思っている、
思い出している、想像している、これである ー> ( ̄ω ̄;)!!エッ `
ー孤独とは苦しいものなのか −
 *自分とは何であろうか
たとえば、自分とは自我でなく、この肉体でもないとしたら、同じ理由によって、他者とは誰のことであろうか。
他者もまた、その自我でもその肉体でもないとしたら、孤独の癒しとして求められるような他者とは、自明なものだろうか。
孤独であることは、苦しいことと感じられるほど確かなものであり得るのだろうか。自分とは「何であるか」、
他人や社会によって知ることができないと知ったとき、人は自我の向こうに自己をもとめて、船出することになる。
(字数の関係でカット、2009年11月18日)
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2005年11月18日(金)
1690, 僕が最後に言い残したかったこと
                   ー読書日記
「銭道」などのシリーズで売れっ子漫画家の青木雄二の本を手にしたら、彼の遺書代わりの本であった。
 死を直前に書いた本で迫力がそのまま伝わってくる。   (二年前に死亡)
 図書館で何度か、この人の本を手に取ったが借りる気はしなかった。金に関して素人向きの内容だからだ。
 現に、この本もそうだが、死を前にお金と人生の関係をシビアに表現しているところが面白い。
 私は、両親からお金について幼児の頃から話を聞いていた。
         耳年増であるが、特に父の死の直前に教わったことは 現在の私の金銭哲学になっている、
 § d^^b  
 ┃  ^namu           
 Э ∬∨∬                (^┰^;)ゞ
 ┃(〜∞〜)
 ┃( 人 ) ・お金は自分で稼いでこそ価値がある
   ノ   ハ   ・使う楽しみを知らなくては稼いだ価値がない
           ・あの世には持っていけないもの、使うべき時に使うからこそ金の価値がある
             ・自分で事業をみつけ、それを楽しめ。 そのカスがお金として残ってくる。    
   ・:*:`☆、。・:*:`★   
 *この本でなるほどと感じたところを書き出してみた*
  ー最後にこれだけは言っておく。金は貯めるために存在するんじゃないで。
   時間を有意義に使うために金はあるんやで。そう、金は使うために存在するんや。
   死んでしまってからは使えんのやからな。それが僕の偽らざる実感や。    
  ー忘れてならないのは、お金自身に価値があるのではない。
   お金を「真に価値あるもの」と交換することが大事だということや。
                      ♪〜(=^ε^= )          
  ーサラリーマンの人たちは、定年後を考えて現役のうちから人生設計を考えておくことや。
   とにかく「自分のやりたいことをやることや」趣味でもよいし、アルバイトでもよい。
    大きな器をつくるには、時間がかかるんや。 定年では遅すぎるんや。
   では、何をやるか。それはあなたが考えることや。特に奥さんとの仲を良好にしておきなさい。
             (o;´=ω=)o)) ドキッ!
  ーある人が一千万円の資産を持っていたとしても、厳密な意味で、「持っている」というわけではない。
     (字数制限のためカット2010年11月18日)


4263, しまった!  ー11

2012年11月17日(土)

                       ー しまった! 「失敗の心理」を科学する ー ジョゼフ・T・ハリナン (著)
   * 人生の財産 ー総括するとー 1
 人の幸せについて研究してきた学者が同僚とともに、ひとつの結論に達した。《 人生の資産はお金でなく時間である。 》と。
人生の大きな転機に起こる大きなまちがいに「時間の過ごしかたを変えない」ことがある。やろうと考えていた新しいことでなく、
人は、これまでと同じことをするのに時間を費やしてしまう。人生を精巧に作り変えるには、決意と自制が求められるが、
難しいのである。人の幸せは、どこに住むかでなく、自由になる金があるなしでなく、時間をどのように過ごすかにある。
それを忘れて、思い切った割り切りをしないことが人生の最大の「まちがい」になる。
 この「失敗の心理」から自分の思いあがりや、固定観念の殻に気づき、苦笑の連続であった。人間は、間違いを犯す動物であり、
それを前提にして、いかに間違いを減らすかである。 それぞれに人間はバイアス(体系的偏見)がかかっている。 それを
知り、自覚することは可能である。多くの知識の蓄積が教養だが、バイアスの自覚も、その効用のひとつになる。 それぞれの
人間のバイアスは面白いほどケッタイである。気がつかないから、本人にとって悲劇、他からみたら喜劇にみえる。
 間違いを少なくするには「小さく考えること」。 間違えは意外と身近な些細なことから生じていることに気づくこと。
私たちの重大な決断も、考え抜いた末に、印象で勝手に決めつを避けているつもりだが、しかし結果は、大きく影響されている。
考えることを嫌い、こうなるはず、という直感に従ってしまう。 私たちは見ていて見えてないのである。知っていても
理解してないのである。そのことを、まずは自覚することから間違いを減らすしかない。それでも、頑強なバイアスが脳の
奥底に強固にこびりついて思考、行動を規制している。節目に、それが現れ出てきて、大きな壁となる。
 ところで現在の状態に、あまり不満はない。毎日の生活が自然のままだから。知りたいこと、楽しみが絶えないこともある。
失敗も成功も人生の内である。それも考えてみれば裏表、一過性の現象でしかない。死んで三日もすれば、永遠の彼方に過ぎ去る。
・・・・・・
3888, 第二の人生は、「自由の刑罰?」
2011年11月17日(木)
 サルトルが「人間は自由の刑に処せられている」と述べた。 自由は人間の求めるところだが、突然の倒産や、会社に
不満を持って辞め、いざ自由の身になると何も出来ない自分に直面して戸惑うのが人間の常。私も初めて会社勤めで、
その過酷の仕事に疲れはて、再び大学に入り直したが、もう社会的には傷物。 その後、事業を始めるには、まだ能力不足で、
再度、金沢にある会社に入り直し鍛え直した時の苦しさは筆舌に出来ないほど。 何とか踏みとどまっていたが、逆に、
その立場の視線で社会を見ると、多くの事が見えてくるもの。 結果からみて、それは予定挫折であった。自由は厳しいものである。
「なるほどサルトルのいう、自由は不自由!とは、このことか」と骨の髄まで思い知った。結局は、自分の思いは、思いでしかない。
その経験を人生の前半に何度か味わってきたので、今回の事態では、こんなものかと冷静にいることが出来ている。
それよりも、65歳の現在、人生を振り返ると、40年近く、自分で事業を起こし、独立独歩であったことが、如何に恵まれていたか。
自由を自分のものにして、判断をし、その結果をプラスもマイナスも直接感受出来たことは、最大の人生の収穫であった。
自由の不自由を克服し、不自由の苦悶の褒美として、自由の使いこなしが出来たことほど、幸せなことはない。
サルトルは実存主義者であるが、人間の本質は、「投企=取捨選択しながら未来に向けて自己を投げ入れ人生を切り開く」存在であるとし、
実存が存在に先立つとしている。 しかし老年になると、その未来が少なく感じ、人生を切り開く前に絶望が先立つから困ったもの。
 自由と平等と博愛の社会は理想だが、こと個々人になると、非常に難しい課題になる。
「自由の刑罰」の獄死か、獄内で、うち拉がれている人の山? それが世間という世界である。
・・・・・・・
3523, 都市型狩猟採集生活
2010年11月17日(水)
   「ゼロから始める都市型狩猟採集生活 」 坂口 恭平 (著)
 先日、「新潮45・9月号」を図書館から借りてきたが、そこに養老孟と設計士兼作家の坂口恭平の対談があった。
「都市型狩猟採集生活ー対談」がテーマで、上記の著書の内容についての対談。彼は巨大建築物を設計することに違和感を持ち、
これ以上、新しい建物を作っても仕方ない、それより現在あるものを転用したり、人が見捨てた場所を転用したりすればいいと考え、
路上生活者の家に興味を持った。都市から溢れ出た「ゴミ」によって作られた工費0円の家。その写真集「0円ハウス」まで出版。
たまたま図書館で、その写真をみたことがあるが合理的だ。 路上生活者は都市に落ちている余剰物を「自然素材」と捉え、
それらから家を建てている。彼らにとって、都市は鬱屈したコンクリートジャングルでなく、資源ゆたかな世界に見える。
坂口は、廃棄されるゴミを山や海の幸のように〈都市の幸〉と名づけた。 彼らは“都市の幸”で暮らせば、
政治、経済、労働、あらゆるものから解放され、自分自身にしかできない生活を獲得している。
   ー以下の文章はアマゾンの書評にあったものをコピーしたものだが、なかなか考えさせられるー
 * 「アルミ缶拾いは他人よりも先に拾わないといけない生業なのに、達人たちの話を聞くと、みんなあまりガツガツ
  していないことに驚かされる。ようするに焦ってはダメなのだ。採集したあとは周囲を掃除する位の心の余裕が必要だ。
  そんな姿を見ている人がいる。 それが次の顧客との出会いにつながるのである。」 (p.68)
 * 「高い解像度で都市を見ることができるようになったきみは、社会のルールを何一つ変えることなく文句一つ言うことなく、
  独自の生活をつくり出すことに成功する。・・・  社会システムは、いくら変化させてもまた同じ循環を繰り返し、
  人間を苦しめつづけるだろう。 それよりも まず、きみの精神、視点、創造性を変革させるのだ。・・・
  <都市の幸>で暮らすことは、きみが起こすことのできる唯一の革命なのだ」 (本書P148)
* 「路上生活者支援に積極的なのはキリスト教会であり、それに比べて仏教寺院の多くが冷淡であるのはどうしてか?」
   ーこの対談の最後に坂口と養老の言葉がよい。
 坂口:意外だったのは、「都市型狩猟採集生活の民」たちが、激増する自殺に危惧の念をもっていたこと。彼らは、
  「自殺する前に、なぜうちのバラックのドアを叩きに来てくれないのか?」という。うちの手伝いに来て、  
  アルミ缶を一緒に拾ってくれれば、金なんかなくても生きていけることが分かるのに、なぜ相談してくれないのか、と。
  人生を失敗し、すべてを失ったと思っても、絶望して死を選ぶ必要がない。「どん底に落ちたら、とりあえず周辺を歩け。
  歩けば何でも見つかる」と、住民の酋長といわれる男が言っていた。
 養老:身体を使うことは大事。私が好きなイタリアの箴言に「どん底に落ちたと思ったらそこを掘れ」って。
  ▼ 日本にトレーラー・ハウスの住人が少ないのは、公営住宅などが揃っていたり、生活保護などの支給があるからか。
 それにしても、ホームレスの仮設住宅?に合理性を見出すとは、感心させられる。カラスも雪国でチャンと冬を越せる。
 何か無駄なものを人間は持たされてしまったのではないか! 立って半畳、寝て一畳というが、老後の心配で節約など・・
  ・・・・・・・・
3148,殺人事件の半分は家族内殺人
 2009年11月17日(火)
 先日、図書館で「新潮45・2009・7月号」{殺人事件の半分は家族内殺人}ー橘由歩 のレポートが目に入った。
子供の頃から両親に、「それぞれの家には必ず問題がある。だから、あまり深入りをしないこと」と言われてきた。
しかし、このレポートの題目をみるまで『殺人の半分が身内』とは知らなかった。さらに知人の殺人が9割を占める
というから驚きである。これまでは、家族内殺人はイメージとして1〜2割である。いや、もっと低い。
それだけ家族内では問題が発生していることになる。彼女の著書で取り上げている10人の
家族内殺人者の共通点がDV被害者というのも印象的である。
  ーまずは、一番印象的な部分を書き出してみるー
≪ 本書に登場する10人の殺人者に共通するのが、虐待家庭で育ったということだった。 
 子どもとは本来、親の愛を求め、親からありのままの存在として認められ尊重されたいと希う。
 それをどこかで歪めなければならなかった子どもたちだった。
 自分の心を育てる時間を持てなかったということだ。 その空っぽな心が、他者への依存性を生む。
 前述の母親たちは、子どもによって自らの空虚感を埋めてもらおうと子どもを使った。
 だからこそ、子供に依存し、子どもを自分の為に使ってはいけないということだ。
 子どもが心を育てる場所と時間を、大人は決して奪ってはならないと。≫
  ーー
  多くの若い人を採用し、教育過程でみえてくるのは、両親の子どもに対する影響である。
 特に母親の甘やかしと将来への依存が、子どもに大きなマイナスを与えている。 子どもにとって
 厳父と優しい母のバランスが必要不可欠。 夫にとって、妻が一番危険であり、妻にとっても夫が危険である。 
 親子も同じことがいえる。 家族に殺される確率は1千人に1人というから、ありそうなことである。 
 自分で自分を殺す自殺は、身内とはいえないが他殺の20倍になるという。一番恐ろしいのは自分ということ?
  ーー
 「身内の犯行」 橘由歩著  ーネットよりー
  (字数制限のためカット 2010年11月17日)
・・・・・・・
2783, 外は広く、内は深い
 2008年11月17日(月)
日本総研会長の寺島実郎が文芸春秋の中で『新編 東洋的見方』(鈴木大拙著)についての文章の一節である。
【・・・大拙の語り続けたことを集約すると、「外は広く、内は深い」という言葉に行き着く。
「独りよがりではいけない」そして「自らを失ってはいけない」ということで、
「眼と心を星空に向け、その眼と心をもって世界を見直すこと」という言葉は心に沁みる。
西洋的な見方は分別的知性であり、「分けて制する」、つまり主客を分別することで知の成立を図る思考であり、
そこから一般化、概念化、抽象化という体系が生まれ工業化や産業化が成功裡に展開される土壌になったと大拙はみる。
他方、東洋的な見方は対置概念を退け、主客未分化のまま「無分別の、分別」によって円融自在に全体を捉えようとする知性である。 
西洋に真摯に向き合いつつ、論理万能の分断的知性の限界を大拙は見抜いていた。ある時、弟子が「禅の話などアメリカ人に
分りますか」と尋ねたという。大拙は「君たちには分るのかね」と答えた。 大拙の本質に迫る話だと思う。】
  〜〜
  己の人生を振り返りと、「狭い世界の中で、浅い知識」を振り回して生きてきただけの輪郭が見えてくる。
 (字数制限のためカット 11年11月17日)
・・・・・・・・・
2007年11月17日(土)
2418, よく生きる −3          才ノヽ∋―_φ(≧ω≦*)♪
宗教の問題も、それぞれの人間にとって大きな問題である。日本人が平気で外人に「私は無宗教」と言うと、
腰を抜かさんばかりに驚くとか。多神教の風土が無宗教と言わしめるのだろうが。しかし著者の次の内容は、
宗教の必要性を解りやすく説いている。私達は大いなる根源から送り出され、そして根源に帰って行くのだ。
その道筋は、それぞれ違っても行きつくところは同じであろう。その違った宗教観を持った人の集まりが社会である。
宗教観と社会観を理解してないと、よく生きることは出来ない。 
 ー その部分を、「まえがき」の部分から抜粋してみる ー
(3)さて、人は自己を実現して自分の存在を確保し、他者との交わりによって愛の喜びを味わっも、挫折、病気、老化、
それが第三の論点、すなわち宗教の問題です。この問題は一言でいえば、私たちと私たちの存在の根源、言い換えれば、
宇宙のすべての存在者の根源との関わりの問題です。この根源は、人類の中で、存在、神、絶対者、道、天、空、ヤーヴェ、
仏、アラー、ブラフマンなどなど、いろいろな名前で呼ばれてきました。要するに、私たち個々の存在者はこの根源から送り出され、
死を通しての根源へと帰るのです。このとき、この根源を善意に満ちた親と考え、優しい親元へと帰るのだと信じることができれば、
安らぎが生れるでしょう。それはすべての存在者を生み出した根源ですから、そこでは自分と他老の区別が意味をなさなくなる。
それが自他不二の世界であり、絶対者の懐に抱かれて万人が肯定される世界です。 ところで宗教的人間は、一般に特定の宗教に
献身していますが、人類の歴史を血まみれにした宗教戦争の惨禍を乗り越えるためには、各人が自己絶対化を捨てなければ
ならないでしょう。多者共存が人類共生の不可避の前提となった現代においては、それゆえ、すべての偉大な宗教が
それぞれ異なる道を通って共通の根源へと向かっていると考えるべきでしょう。普遍的な霊性が肝要なのです。
 (4)そして最後に、第四点として、社会の問題があります。人間は本性的に社会の中で生きる存在者ですから、
どのような社会を作るかは人間の幸福にとって死活の問題です。人類は、おしなべて初めは王制から社会を作り始め、
やがて貴族制へと移行し、それらの劣化した形態である独裁制、寡頭制を経て、現在ではデモクラシ喜最良の社会形態として
是認しつつあります。 
 (字数制限のためカット 11年11月17日)
・・・・・・・
2006年11月17日(金)
2054, あたりまえのことばかりー8
                   b(^o^)dおっ W(^O^)Wはー♪
団塊の世代が本格的に60歳を向えようとしている。その中でサラリーマン生活を過ごしてきた人達が、大量に定年を向えようとしているが、
彼等にとっての大問題が第二の人生である。常に集団社会の中で、「孤独」の確立が出来てない人が大部分である。
「どうしてよいのか解らない」のが、本当のところだろう。 せいぜい、前の会社のOB会の集まるスナック・居酒屋とか、
ゴルフ会とか、町内会の会に出るぐらいしか知恵が出てこない。この問題を、著者は「孤独」の意味を探りながら論じている。
彼らこそ、群から離れて「隠棲」に入ることが、サラリーマン社会に生きてきた人ほど必要であろう。
隠棲といっても、ブログで繋がる便利さもできているから、それほど深い寂寞感はないだろう。
しかし、孤独は生やさしいものでないことも事実である。
 ーーー
ー孤独は苦しいものなのか ー
隠棲するということは、静かで豊かな魂のありようのために、意志的に選ばれる行為だったはずである。
それが、「引きこもり」という言い方によって、何らか心理的に問題のある一種の症候群に目されるようになったのはなぜだろう。
自宅や自室に引きこもって、長時間にわたって社会と全く接触を持たない若者が、30万人はいるという。
家族とさえ打ち解けず、家族でさえその理由は解らない。 本人たちは、非常に苦しいものらしい。
孤独を欲していて、実は孤独を欲してないのだろう。本人は人と関わりたいと思っているが、
うまく関われない、無力感、挫折感、自己嫌悪感の泥沼の長期化、恐らくそういうことなのだろう。
(字数制限のためカット 09年11月17日)
・・・・・・・
2005年11月17日(木)
 1689, 今日という日は誰もが素人だ!
「今日という日は誰もが素人だ!」三浦綾子の本にあった言葉だ。つくづく良い言葉と思う。  
                               ~~■P_o(δ-δo) COFFEE
 誰も今日という日は初めてで、何に出会うかもしれない日である。
その気持ちを忘れてしまうから、素人の持っている新鮮さを失ってしまう。
茶道に『一期一会』という言葉がある。 その言葉の真髄に    ヽ(δ◇δ)ノ エーーー!
「今日(今)という日(瞬間)は二度とない、誰も初めての経験であり、最後の経験になる」がある。
それを意識をすれば、全ての出来事に「驚き」が出てくるはずである。生きるということは驚きであり、
感動であり、感激である。その気持ちは、素人だからこそ生まれてくる。  Σ(δOδ*)ハッ
今日という日は、昨日までの自分の積み重ねがあったからこそ存在することも事実である。 
今日という日に素人になるには、昨日の玄人であるほど良いのも事実である。 (*δ-δ)ノ彡☆゜・。・゜バイバイ
・・・・・・・・・
2004年11月17日(水)
 1324, ライオンの柵内に男が侵入
10日ほど前のTvのワイド・ショーの衝撃映像が面白い。台湾の動物園のライオンの柵内に、男が入り込んでいる映像が流れた。
   (字数制限のためカット 2010年11月17日)
・・・・・・・
2003年11月17日(月)
 957, ナレッジマネジメント −1
「図解、解る!ナレッジマネジメント」の本から、ナレッジマネジメントの意味と本質を考えてみる。
数年前に、「ナレッジマネジメント」という言葉がしきりにいわれた。ナレッジは言葉の通り「知識」である。
この場合はむしろ「知恵」に近い意味と考えてよい。「人、物、金、情報」の経営資源に対して、変化の激しい情報化社会では、
「情報」が最も重要になる。 この情報をコントロールした変化対応が、生き残りがポイントになる。
それを活用する「知識」活用がナレッジマネジメントである。「第5の重要な経営資源が、ナレッジー知識(知恵)である」
まずは現場社員が持つ「知的資産」の活用が求められている。知とは「組織経営、企業活動に価値ある全ての情報」である。
ナレッジ経営の第一目標は顧客満足にあり、顧客志向が鮮明でない企業は生き残れない。その為の「組織知」の拡大と、
「個人知」の共有が必要である。 ナレッジマネジメントの目的は、顧客サービスの向上である。
 ある事業の立ち上げをしようとすると
・「情報」収集がまず第一歩になる。
・次にその情報の蓄積が「知識」になってくる。
・その集積と熟成が「知恵」に変わってくる。
 その「知恵」で「情報と金とモノと人の組み合わせ」を再編成をして、企業目的を遂行していく。
 情報化の時代に、知恵をまず第一の資源としてエネルギーの集中が必要とされる。 事業を創めるとき、
「目的を持って人を集めるのでなく、優秀な人を集めて事業の目的を決める」という今までの逆の発想も重要になってきている。
「まずは知恵のある人間を集めて、目的・目標をさがす」。目標を決めて、その手段として人材を集めるのは、
あくまで道具を集めるにすぎない。道具は道具の知恵を遣って「馬鹿の壁」をつくっていまう。
道具は道具以上の力を出すことが無い。 今までリ・エンジニアリングからベンチマーキング、そしてナレッジマネジメントと
色いろな技法が開発されてきた。事業のベストプラクティスから、小さな業務上のコツまで、さまざまに収集、蓄積できれば、
間違いなく会社の有力な財産となるはずである。ナレッジは知識というよりは知恵に近いものである。    ーつづく


4262, しまった!  ー10

2012年11月16日(金)

                     ー しまった! 「失敗の心理」を科学する ー ジョゼフ・T・ハリナン (著)
   * どう思うかは、そのときまでわからない
 今回、思ってもみなかった事態に陥ってみて大変ではあったが、一度、受け入れると、諦きらめがつき、後悔とかは皆無。。
この一年八ヶ月の生活は、この10年間の気苦労の生活より、少し近所の視線が気になる以外、はるかに気楽な平穏な日々に
自分でも驚いている。 これまで何かにチャレンジをして不安になると、その結果に対して、「なるようになる、その時は、
その時!」という言葉が常に繰り返していた。 何事も、その場に立たないと分からないから面白いのだ。 ーその辺りよりー
≪ 大方の人は、自分が将来どう感じるかの予測は得意のはず。だが人生は、遠くから眺めるのと近くとでは違ってみえるもの。
 人はとかくその瞬間がくるまで、自分がどう感じるかなどわからない。たとえば、自分が若いときは、老いて、特別な延命治療を
受けるかの質問に、殆どが「受ける」と答えない。ガンの専門医で「受ける」と回答したのは6%、化学療法士でゼロ、
健康の人で10%だった。しかし、死にかけている人に同じ質問をすると、重病患者の58%の人が、たとえ一週間しか命が
延びなくても、治療を望むだろうと答えている。・・・ ≫と。
 ▼ 「こと(実践)」に擦り寄って、体感してみないと、実際のところ分からない。 一流のエキスパートには二つの
  共通点があるという。一つは、「幼少期からはじめている」ことと、二つ目は、「肉体面でも、頭脳面でも、生まれもった
  能力は人が思うほど大した要因でなく、重要なのは練習量、特に10年間の持続的な努力を要している点」である。
   研究者によると、バイオリニストの調査で、同年代で、世界の最高レベルの人たちのグループは、20歳までに一万時間の
  練習量を超えており、それほど成功してないレベルの人たちの平均は、2500〜5000時間だった。当然ただ練習を
  すればよいのではなく、練習の繰り返しの中で、パフォーマンスの記憶を改善する方向を目指すことが必要。
   ところで秘境旅行は実際に当地に行って直接、その大自然に接し感動して初めて、その醍醐味が実感できる。
  どんな大自然に出会うか、そのときまでわからない。それが良いのである。それは事業でも人生でも同じこと。
  未知への不安に対しては、自分で乗り越えるしかない。私の友人の哲学(信念)は、「迷ったら、とにかくやってみる!」
  見ていて面白い人生である。節目ごとに私のところに相談にくるが、見事なぐらいに転進していく。どうなるのか、現に
  実践してみないと分からないのを本人は知っている。 本題から逸れたが、ある程度を考えたら、後は出たとこ勝負である。
・・・・・・
3887, 積極的逸脱
2011年11月16日(水)
異端をマイナスに捉えるのでなくポジティブにみる「ポジティブ・デビアンス」という言葉がある。日本語にすると積極的逸脱になる。
世界を巡ってみると、それぞれの地域の閉鎖性が垣間見え、それが異端に見える。当然、自分の住んでいる異端が合せ鏡で見えてくる。
そういう私の方が地域社会では異端になる。それもあり、地元の人の付き合いは一部の人と因縁のある学校の同級生を除いて
最小にしてきた。私にとって、これが積極的逸脱である。職場が新潟、住居が長岡だったこともあり比較的上手くいったと思っていた。
 しかし、私という存在は他者がいてこそ成り立っている。その他者が限られた閉鎖社会としたら、その兼ね合いは難しい。 
「ポジティブ・デビアンス」は、もともと社会問題の解決法に使われていたが、現在ではビジネスに使われているようになっている。 
後進国の農村で死亡率が高い中で、ある村が何かのきっかけで、手を洗い、動物性タンパク質を取る習慣があって、
たまたま近くに医者がいる部落があったとする。その地域からすれば、その習慣は他の地域社会の常識から
逸脱していることになる。 しかし、それを知った外部の人が、それを他の部落の人に広めることで、全体の死亡率が減っていった、
とういう事例がみられる。 コンピューターの世界に「暴走熱」がある。 一定期間継続して作動するコンピューターが、熱を出して
不具合が生じるトラブルで、これはエンジニアの世界共通の常識であった。これをアメリカの大手コンピューター・メーカーの
一人のエンジニアが立ち上がり、世界中のポジティブ・デビアンスを探し出し解決をして、会社への競争優位をもたらしたという。
大体が改革とは、そういうもの。 従来のやり方を根底から変えることは、どうしても摩擦が生じるもの。 秘境ツアーそのものも、
極的逸脱と見ることが出来る。 世界の在り来たりの観光地から、秘境・異郷に興味が向いたのは積極的逸脱であった。
そうしなくてはストレスが解消出来なかった。逸脱する対象が、どんどん奥地になるほど、比例して満足度が高くなっていた。  
あと二週間しか生きられないとしたら、何をしますか?」という質問がある。死に直面したら、当然、日常生活からの積極的逸脱が
残された人生を生きる術になる。ベターの時間より、ベストの時間を過ごす何かを求めるはず。そこで、それを本気になって探すと、
自分の生きている世界中に、それが無限に転がっていることに気づくことになる。 第二の人生でのキーワードは、積極的逸脱である。
緑の原野から、視界の広がったサバンナへの逸脱へ・・
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3522, 「尖閣ビデオ流出問題」を哲学してみると!
2010年11月16日(火)
 今回の尖閣列島の衝突問題と、そのビデオを海保の保安官が流出させた問題を考えてみる。 まず、この問題は、G20が韓国で
開催される時期と、APECの日本で開催される直前に明らかに政治的思惑で中国側から仕掛けられた難題である。それに、
やすやすと乗って、中国の強圧的態度に尻尾を下げ、その間隙をつかれロシア大統領に北方四島の一つに上陸をさせてしまった。
これはアメリカに対する圧力の駒であり、中途半端な外交姿勢の管首相の足元をみられた結果である。ところが、中国・ロシアの
計算外の海保の保安官の秘密漏洩が起こってしまった。これは、タイミングからみて周到に計算された国家戦略から幾重もの
クッションを通して行われた可能性を含んでいる。 それが出来るほどのタマは現在の日本にいない? しかし、中国のトップの顔に
泥を塗るにタイミング的に良かった。その映像がアジアでも日本でも繰り返し放送されたからである。 これは政治的にみて
タイミングがよすぎるたのではないか。 保安官が、自分の身分に捜査の手が及びそうになる直前にマスコミに接触したことも、
一介の海保の保安官のなせる技だろうか? 差出人の名前に「sengoku38」というネーミングも、上手く作りすぎである。
「仙石さんはパー」とか、「仙石は左翼」との解釈で揶揄されている。 それより、中国の居丈高の姿が逆効果にするに、あまりに
効果があった。だから、あの男は、日本に来てからアカラサマに不愉快の顔をしていた。いずれにしても保安官が逮捕でもされれば
管・仙石ラインは、そうそうレイム・ダックになってしまう。 まずあ支持率も20パーセント辺りまで急落することになる。 
その隙をアメリカも、中国も、ロシアも狙っている。日本を更に追い込むにはTPPに日本を参加させ、農業の自由化を迫ること。
これが完成すればアメリカの属国の縛りが一段ときつくなる。ここで、民主党小沢派と、自民党の隠れ主流派が大同連合を組み、
国家非常事態宣言をし、銀行閉鎖も、デノミも、核武装もすればよい。 それが100年、250年に一度の地球規模の
危機に対する対処になる。 海保の保安官の逮捕は海保のクーデターと認めることになるのを自覚も出来ないのか?
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3147, 地方経済惨状の一現象
 2009年11月16日(月)
 このところ、たびたび地方経済の惨状を書いている。 先日の読売新聞の新潟県版に帝国バンク支店長のインタビューで
「新潟市内のマンション建設が、この数年で3000室も供給された。しかし売れたのは700〜800室。いずれダンピングが始る。
団塊の世代の定年退職者の退職金をあてにしたものだが、それが全く当てが外れてしまった・・云々」 
マンション業界では100室クラスのマンションで、最後の1〜2室で、やっと利益が出るかどうかの世界。
それが4分の1しか売れてないとは、惨憺たるもの。 数ヶ月前に大手のマンション販売会社が倒産し、新潟の信濃川の川沿いの
大きなマンションが宙に浮いた状態にある。 それを長岡の行きつけの居酒屋店主に話したところ、「東京にいる息子が先日、
5200万のマンションを1200万の値引きで4000万で買った。しかし、売れ残りのマンションでは半額のものもある」と、
息子が言っていたという。 それと、「大手大橋の向うのショッピングセンターの真ん中にあるマンション、4室もあって
1200万円で買えるらしいよ。」という。大型マンションは、土地の仕入れから建設期間をいれれば3年〜5年はかかるが、
その間に世界が劇的に変わってしまうから難しい。 といって、仕込み、造り続けないと会社は存続しない。
 ところでホテルは、計画から資金回収まで20〜30年のスパンときている。 その間に、時代は激変をする。
その中で単品を売り続ける商売。 恐ろしい事業に手を出してしまったことが今になって分かってきた。
新潟駅再開発の道路拡張で4棟のうち、二棟が買収されるから何とか帳尻が合いそうだが。 
  (以下、字数の関係でカット2011年11月16日)
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2782, 浅井さん
 2008年11月16日(日)
 十年前の「随想集」の中にあった、「浅井さん」という文章である。
 ホノボノとした三人の人間性が雀の雛を通して伝わってくる。
 「随想とは、こういうものだ」と、教わるようだ。
 −−−
ー浅井さんー          諏訪崎はるえ
 数か月前、我が家の隣の古い家屋が取り壊された。 隣は軒先に雀がよく巣をつくるので、子雀達はどうなるのだろうと、
私は気がかりだった。ブルドーザやシャベルベルカーが現れて、一時の間に家は壊われた。 日暮れ近くになって、
庭に若い作業員が二人、敷地の隅に駆け寄って行ってしゃがみ込むのを見た。
「雀?」 フェンス越しに私が問うと、ヘルメットが頷いた。  掌に渡された子雀一羽に、私はうろたえた。
うぶ毛も生えていない赤裸の雀である。何とかしなければ……と、気持ちの焦る中で、ふと、以前に浅井さん夫妻が
雲雀の子を育てて巣立たせた事があったのを思い出した。電話をかけてみると、雀の子育てを引き受けて下さるという。 
折よく在宅だったご主人の運転で、お二人揃って車で雀を迎えに来てくださった。 その数日後、浅井さん夫妻には
長女の方の嫁ぎ先へ行かれる用事ができて、雀は一時我が家へ帰って来た。我が家には猫がいる。 
  (以下、字数の関係でカット2010年11月16日)
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2007年11月16日(金)
2417, よく生きる −2    ・ω・)ノはよー
                              −読書日記ー   
この数日の間、この4つの問題を私の経験を照らして考えてみた。自分は本当に「 よく生きてきたのか? 」という自問自答である。 
やはり根本的なところが欠けていたいたようである。「万人が、そのはず?気がつくかつかない人もあろうが」と自己弁解をしながらだが。
無神論に近いが、やはり最期は「絶対者の元へ帰っていく」という確信は必要ではなかろうか? 生きてきた過程で現在、
こう在らしめている何か=Xを、神として心の底に置かなければならなかったのでは?という自問自答である。
真面目に、健全に、前向きに生きていれば良いだけだが・・・
 まずは、4つの問題の二つの要点をーはじめにーの中から抜粋してみる。
  ーはじめにー
旧友のクリトンが「無実の罪なのだから逃亡すべきだ」と脱獄をすすめにきた時に、語られた言葉です。ソクラテスが言うには、
(字数制限のためカット 09年11月16日)
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 2006年11月16日(木)
 2053, たとえ他人の過ちが90パーセントであっても
                 才八∋ウ_〆(∀`●)
   いいですか、たとえその人のあやまちが90パーであり、あなたのあやまちが10パーであるにしても、
   あなたは90パーのことを考えることより何も得ることはできません。 
   何故かと言うと、あなたはそのことをどうすることもできないからです。
   ところが10パーからは、とても大事なことを学ぶことができるでしょう。   (ユング)
   ーー
   ある本に引用されていたユングの言葉が心に残った。ユングはフロイトの理論に共鳴して精神分析を始め、
   フロイトも自分の後継者をユングと期待していた。しかし途中から二人の意見の食い違いが大きくなり決別してしまった。
   そこでユングが考えたのは、「互いの理論の誤りは人間のタイプの違いによるのではなかろうか」ということである。
   同じ現象でも、感情によって判断する人と、理性によって判断する人は、受けとめ方も違ってくる。
   それぞれが、それぞれの理由や合理性があるはずである。 かりにどっちかが間違っていたとしても、
   相手の考えを変えることが出来なくとも、自分の考えを変えることは出来る。
   理論の対立だけでなく、我われの日常のことでも使えることだ。隣の人が教えてくれるような忠告だが、深い内容である。
   この理屈を少しでも実践すれば、家内などとの些細な事などに、いちいち対立することも激減していただろうに・・・
   些細なことなど、相手に従いなさいということになる。「他者不可知論」と同時に、深く考えなければなるまい!
   熟年期を向かえて何の準備の出来ていない同年代の群れの悲哀の姿が、あまりに生々しい。
   ・・それも他人の90?の誤りと思い込んでいるでしかない。それぞれのタイプがあるのだから。
   家内相手に、これを実践したら毎日の生活では隷属することになるんじゃないかい?
   夫婦間で超然としているわけいかないだろう? 心の奥で思っていればよいことか!
     (;´-`).。oO (ぇ・・マジ!)         (。^0^。)ノサイナラ!
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2005年11月16日(水)
 1688, アメリカ資本主義 "実体は巨大な政府"
 数日前の読売新聞のトップページ「地球を読む」というコーナーに時々、米国の未来学者のトフラー夫妻が寄稿をしている。
 今回のテーマが何と「アメリカ資本主義”実体は巨大な政府”」であった。
 目を疑い内容をジックリと読んだが、間違いなくそのテーマを論証するものであった。                 
  ー以下はその概要であるー        
 ドイツやフィンランドの細々した規制社会とは違い、アメリカは規制の少ない警官も少ない国というイメージとは全く違った内容。
 (以下、字数の関係でカット2008年11月16日)
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2004年11月16日(火)
 1323, まさか、地元で大地震!ー13       Σヽ|゜Д゜|ノ┌┛☆【びっくら!】
やっと収まったと思いきや、昨日も震度三の地震があった。しかし三週間以上も余震とは、全くシツコイ。
道路などの公共施設の損害が約2000億円と発表されたが、まだ膨れあがるだろう。学校や役場なども酷い状態とか。
民間を含めたら、その倍だろう。「被災地の多くの家の躯体は大丈夫だが、内部が目茶目茶で使えない」というのが実体だという。 
屋根瓦が雪国用に厚く作られている為、重量がかかって押しつぶされている。青いシートが多く屋根にかかっているので
よく分る。特に長岡の悠久山よりの住宅に多い。新幹線も、「トンネル内部などの損傷が激しく実体を発表できない状態」
との話も洩れ聞こえてきた。1〜2年、いや数年、という事も考えられるが、これだけは予測が付かない。まだ高速道路が通るから
救いがあるが、何といても新幹線の影響は大きい。長岡、新潟駅の専門店など如何なるのだろうか。 いや他人事ではない。
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メルクマール  堀井 
11月12日
・今朝方はAM2時半位に震度1〜2の地震あり。何だこの程度か、せっかくなら、せめて3~4位になれと!思う余裕も出てきた。
 これは被災の大きい人達に悪いと考え直したり。それでも一時であるが大雨が降ってきたが、ダムの土石流は大丈夫か心配になる。 
・東京に出張を控えていた人達が、そろそろ出張に行きはじめた。長岡を新幹線で朝6時40分に出たら、10時に東京に着いたとか。
 来週、仕事で東京に行くとか。バスが一番手ごろのようだ。それにしても、駅は可哀想なぐらい人が少ない。
 毎日のように長岡駅の専門店に通勤の帰り道によって、大幅値引きの弁当や酒の肴を買っている。
 売れないため、スーパーの半額以下。いや、もっと安い。 せめての贅沢?である。可愛いものだ!
 ーーー
11月11日
・2〜3日続いた夜半の余震が無かった。 寝ているところを突然揺れると、少しは動揺する。
  (字数制限のためカット 11年11月16日)
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2003年11月16日(日)
956, ハイビジョン超特急
 昨日の昼、NHKハイビジョンで過去3年間の「ハイビジョン番組」90本を5分以内にまとめて、4時間ぶっとうしで放送をした。
デジタルだから可能なのだろう。様々なジャンルの番組を繋げて放送するもので、息をつかせない内容であった。
未来の一部を垣間見たような時間であった。そして、至福に近い4時間であった。元々ハイビジョンの内容は、選りすぐりのものが多い。 
その二時間を5分にまとめて、次々に放送するのだから一瞬も目を離せない。 年末に再放送をする予告編も兼ねていた。 
音楽スーパーライブ、美の回路、お祭り、サッカーなどのスポーツ番組、動物、自然、宝塚、歌舞伎、遺跡など次から次へと出てくる。
7割は見た番組だったからこそ、更に面白かったのだ。 これからは、こういう番組が多くなるのだろう。ワールドカップのサッカーも
5分にまとめてあるのだから目が離せないのも当然。スポーツ、遺跡など、それだけを集めて5分にまとめて放送する番組も出てくるだろう。
 印象的なものとして、「長野オリンピック」「源氏物語・絵巻師との対話」「エチオピア」「イグアスの滝」
「ベネチアの仮面祭り」「ワールドカップ」「謎の深海大峡谷アメリカ西海岸・モントレーの神秘」「ミレニアム・オリンピック」
「リオのカーニバル」「青森ねぶた祭り」「天空への道」「南極大紀行」「大砂漠ラクダキャラバンーテネレ砂漠」
「永平寺」「九さい溝」「リビア」 どれ一つとっても非常に興味をひかれる内容である。
ハイビジョンの良さは遠くの背景がしっかりと見て取れることだ。すごい時代である。


4261, この非常事態に、万一の備えがあるの ?

2012年11月15日(木)

     * 本当は危ない、夜逃げ予備軍の事業主に!
  第一線から退いたため、より冷静に事態をみることが出来ているが、余裕資金のない大方の中小企業のトップは、
 どこかで株式の暴落か、イスラエルによるイランへの攻撃でも始まれば、一発でダウン。 私の事業継続断念時には、
 運転資金とは別の僅かだが予備資金の積立てがあり、それが命綱になった。あれから1年8ヶ月、大方の企業は更に体力を
 落としている。 リーマンショックの次なる津波は、ただならぬ大きさ。 私が前倒しの整理が可能だったのは、30〜
 40年前の事業設計にシェルター機能を組み入れていたため。それで思い切った事業整理が可能だった。「あと講釈」だが、
   ー中長期のリスク対策ー をまとめてみた。 【来年にでも実情を書こうと思っていたが、前倒しする】
 ・ 全ての建物は万一を考え、用途変更可能の設計。(壁以外の柱を入れない等、好立地もあり、不動産の6物件は完売。)
 ・ 借入金は県の保障協会を含め3分2が政府系金融機関。他は都銀と第四銀行で、ほぼ大部分。 ー元金融関係の先生の
   コンサルティングを5年前から3ヶ月に一度の割で受けていた。その御蔭で常に先手の対策を打ち続けることが出来た。
 ・ 職場を新潟、住居は長岡と分け、住居地域では学校以外の人間関係は最小にする(名誉職的団体に一切に入らないなど・・)
 ・ 20年前に短期借入全てを長期借入金に組みかえ終了・・(悪化の場合、短期の借換え時点で追加担保の要求が出るため)
 ・ 10年前からは、万一の場合に備えた予備資金の積立てを続け、運転資金に一部でも転用した段階で事業閉鎖(隠れ目標値)
   を予め決めておく。そして到達と同時に廃業を決断。 ー見切り時期の設定ー (償却前赤字の転落時点も、目安にする)
   この時期に、個人名義の事業物件を会社に転売して、個人の金融負債をゼロにする。
 ・ 二人の幹部社員には役員就任時に一度退職金を支払済み(平均・三分の一)。
   そのため結果として、会社の退職金規定の8割近くの支給が可能になる。(国の退職補助金一千万近くを含めて)
 ・ 事業停止時には、「取引先への20日締めの月末支払いを全て決済」を予め決めていた。一般債権は、ホボゼロ。
 ・ * 個人的には、当初より事業に親戚縁者は一切組み込まず、家族経営を排除。 
   * 創業時に、高値の事業転売を前提(売り時を逃がし、結果的に出来なかったが)。
   * 事業の創業を目指すと決意した時から、連れ添いは、「商売とは何かを体感している事業経営者の子女」を前提。
   *「家訓の、借入金の保証人を妻子など家族を入れない、保証人には絶対にならない」を厳守。 
   * 家内には結婚来、毎月給与を支払い、健康保険と厚生年金をかけ、残りは家内名義の別立て預金。
   一般的には事業停止時に、自宅も銀行に収容され、個人破産?は必定だが・・ 自宅は家内が買い取ることで確保。
   【 長期の装置事業に長期のリスクヘッジをしていた】だけだが。 しかし結果は、ご覧のとおり。
 ▼ ーあとバイアス(偏見。あと講釈)の要素はあるが、大筋は以上の通りー   
   長期の装置産業には時代断絶の大きなリスクが伴うが、それに中長期のリスクヘッジをかけておくのは、経営の正道。
  経済震災は既に起こってしまったのである。 現在、中小・零細企業の三割は‘今日明日の資金繰り’に追われ極限状態。
  あとの三割以上も、その一歩手前といわれる。そこで、まずは、「弁護士費用は別口に用意して、家族の保証は避けるべき。」 
  現在は想像を絶する国家的非常事態。正常時とは全く違った舵取りが必要・・  金融機関に小手先の手法など土台、無理。
  まして計画倒産など、この時節に出来ようはずがない。それほど金融機関も一般債権者も甘くはない。そのためには、
  「事業は舟板一枚下は地獄」を前提に《戦略的防御の構築》を中長期的に作っておくしかない。私の見立てでは7〜8割が、
  「本当は危ない、夜逃げ予備軍」。しかし、それに気付いてないため、ことは深刻。私の場合、決断をする3ヶ月前までは
  まだまだ大丈夫と思っていたが、気付いたときには雪崩が間近。 直感的に即断したため、命拾いはしたが・・
  ・・・・・
2011年11月15日(火)
閑話小題
   * 江戸時代の幸福とは
 江戸時代の幸せを並べた俗うたがある。
< 世の中は、年中三月、常(じょう)月夜、嬶(かかあ)十七、俺三十、負わず借らずに子三人 >
 17歳の嬶に、子が三人もいるわけでない、月日も止まるわけでもない。借金も、何時の世にもついてまわる。
 最後は、子供の顔でも見て幸せを感じるしかない、ということになる。 これを現在に置き換えると?
< 世の中は、年中連休、常外食、嬶働き、俺は主夫、負わず借らずに子一人 >というところ?
 ざれ歌を、まっとうに考えることもないが、いかに幸福感が妄想で不平の上に成り立っているかである。
  * 人生に意味(価値)があるのだろうか
 40年近い事業人生を終え、毎日が日曜日の日々の中で、「自分の人生は何だったのか?意味=価値があったのか?」等を、
考えざるをえない?日々。 人生の価値とは何か?は、人生の根本問題。その時点時点で、価値を見出し、それに従って
生きているのが人間だが、実際には考えているフリをしているだけで、漫然と生きているだけ。ニーチェが、そのいい加減な
万人の生き方を取り上げ、人生に意味などない、世の中に価値など無いと知るべきと、指摘している。 キリスト教の教えを、
弱者の救済の思想とし、その教えの価値も全く無いと切り捨てている。 価値無きものを求めるから、人間は間違えるものと。
そうこう考えると、せっかく哲学書を読み続けていながら、今さら、自分の人生に価値=意味があったのだろうか?などという
思いは妄想そのもの? あるのは充実していたかどうかの一点である。 その辺のオバサンかオバアサンが、したり顔で、
人の悪口、陰口を言っている醜さは、結局は自分のことを言っているに過ぎないことを自覚してないためでる。 まして大の男が
腐った女?のような価値論を述べているなど・・・ エッ 私のこと? いえ、貴方のこと! 全ての人である。
 ・・・・・・・
3521, 我が家に新しいTVが  −4
2010年11月15日(月)
 「新しいTVが入って2〜3ヶ月経ったら、居間の世界が変わるぞ」と、家内に言ってから三ヶ月近くが経つ。
 そして、予測とおりテレビの見方が全く変わってしまった。 これまでのテレビとは別物のマシーン。
 ニュースかスポーツの生番組以外は録画に軸が変わってしまった。そのためか居間での時間が二倍以上面白く、充実をした。
* 画面と音響が格段に良くなった他に、地デジを全てを自動的に25時間録画するか、19時~23時の四時間×6日間(変更可)を
 自動録画する機能がよい。これが一番の売りだったが、実際に利用する前は何で地デジの全番組を録画するのか?不思議だったが、
 実際に使ってみると、これがよい。 ゴールデンタイムには必ずといってよいほど面白い番組がある。 しかし当日の地デジは
 殆ど見ることはない。 見るのはBSか録画。 録画のものは面白くなければ、その場で消す。 平日の18時半から21時には、
 せいぜい二番組しか見る時間がない。当日のベストは後にして、これまで録画をしたものでベストのものか、ゴールデンタイムの
 過去6日分の中から、面白そうなものを選び、面白くなければ、他を見る。 改めて過去のゴールデンタイムの番組を見て
 面白いものが冷静に選ぶことができる。そのため面白い番組の選択枠が5倍以上になった。トピックスなどはそれを早送りで見る。
*マシーンが変われば品変わるで、歌謡ショー、映画、次にボクシングなどの格闘技、プロ野球が格段に臨場感が出たため、
 内容が数段良くなって見える。 家内は三日に一度は「凄い!」という。 要は一画面の情報量が格段に増えた分、
 臨場感がアップしたのである。 それが感受性を更に高めている。
*先日、松田聖子のスタジオの(観客無しの)ワンマンショーの録画を観たが、二時間テレビに釘付けになってしまった。
 ハイビジョンを意識して構成されていて、音響とステージの色彩が幻想的。 それほど好きでもない歌手のショーに
 引きこまれてってしまった。 次々と光と色彩が音楽に合わせて変化をし、全く飽きさせないショー。
 これほど幻想的画面を見るのは実のところ初めてといえるほど。映画館で最近観たマイケル・ジャクソン(ケニー・オルテガ監督)
 最後のコンサート「THIS IS IT」のリハーサル映像があるが・・・。 また「生」で世界のショーを幾つか観てきたが、
 いずれもステージは臨場感。それが音響を含め数倍になったということ。所詮は、人生を振り返れば夢のまた夢。虚構は虚構で!
  (この下の方に、8年前にパイオニアのPDPのTVを入れた時の感想が書いてある。隔世の感がある)
  ・・・・・・・・
3146, 変である、日経の論調
 2009年11月15日(日)
一昨日の日経新聞のー経済教室ーで 「中小企業金融円滑化法案」を全面的に批判をしていた。
 慶応大の桜川昌哉教授と、カルフォルニア大の星岳雄教授である。
日経に請われて書いた提灯論理としか思えない内容で、日経新聞の上から目線を自己証明している。
ポイントとして :貸し渋り対策で、過度の政府介入するな  :問題は貸し渋りではなく収益の低迷 
        :政府支援の照準は・新規参入・産業再生に すべきという。
5〜6年前に、金融監督庁が執拗に銀行に入り込んで、弱体化している会社を潰すように指導し、
強引に整理をさせた時に日経新聞は当然のことと冷笑していた。 何を、この新聞社を載せるのだろうか。
そのころ日経新聞自体のスキャンダルで、内部が滅茶苦茶だったが・・ これで新規融資が一段と萎縮するというが、
上から目線の論法でしかない。 地方の現場から逆照射をしてみると、「上からお金を流すのは構わないが、
下の目線で資金コントロールするのは相成らぬ」と解釈できる。「銀行サイドの床柱の姿勢を改めるか、改善しろ」という、
どこが悪いと言うのだろう? 二番目のポイントしてあげた「問題は、貸し渋りではなく収益性の低迷」というが、
リーマンショックで、大打撃を直撃して低収益になっている弱者を、この法案で救済する、どこが悪いというのだろうか。
日本中の中小企業の経営者の99パーセントは、私の意見と思うが。この学者、「本筋は企業収益向上」と言うから驚き。 
地方の企業は、そうじて売り上げが大よそ半減している現状が分かって、こういう空理屈を言っている・・・ 
去年のリーマンショックからの金融危機は大災害、いや震災であって、企業収益の向上などと言っているケースではない。
大手銀行にあれだけの資金を投入したのは赦されているのに、この法案が日本の金融システム全体に対する不信感を
生み出しかねないと、一方的に言うのはオカシイ思わないのだろうか。 日経新聞の質の低下も甚だしい。
床柱、上から目線が、自分ではわからないのだろう。 もう一度いう、 「これは、大震災、それも100年に一度の大震災」。 
都会の真ん中で理屈を捏ねている茹で蛙には実感できないのである。 それと、日経新聞もである。
 ・・・・・・・・・
2781, 世界同時不況  ー日本は甦えるか −2
2008年11月15日(土)
 文藝春秋の12月号の特集「世界同時不況 日本は甦えるか」−2
  ーまずは前回の対談の、続きの要所を抜粋する。
・なぜパーナンキFRB議長やポールソン財務長官がリーマンを破綻させたのか。 思いつく最も説得力のある答えは、
 金融機関の不良債権を買い取らせるとうポールソン・プランを認めさせようとするショック療法だった。(竹森)
・三菱UFJ銀行から1兆円の融資を受けたモルガンスタンレーが、冬のボーナスのために六千億の金を用意しているという。
・そう簡単に次の機軸通貨は現われない。現に円を除けば、他のどの通貨に対してもドルの価格は上がっている。
 但し、円だけはありあえない。
・アメリカの国債を買うしかないのは日本だけしかない。オイルマネーは非常にケチ。中国には、その力はない。
・現在、アメリカは基本的に弱くなっている。しかし、日本はきわめて世界から見たら特殊な国である。
 端的にいえば、日本は千五百年間、一度も外国に侵略されてない。こんな国は他にはない。
 その意味で、これからは第二の維新・開国の時代を迎えている。
・グローバル化によって、新興国は1960年代の日本の3,4倍の速度で近代化している。これからは、新興国の人から預金を集めて、
 中小企業にきちんと貸すリテール中心の銀行であり、彼らに買ってもらう安価なカラーテレビや自動車である。
・新興国が消費の中心となると、従来の多機能、高品質、高付加価値の商品戦略は成立しない。
 日本が過って1950年〜60年代に手がけた安価な商品をつくって競争するしかない。
 生産技術の水準を落とすのではなく、多機能を止めて、価格帯を下げればよい。
・国内では、これまで手がけてこなかったセクターに支援を行うべき、例えば地方であり、中小企業であり、農業を初めとする
 第一次産業である。 農業といっても、農業土木ではなく、農業自給率を60%にするような本当の農業再生である。
 −−−
  以上から考えられることは、一度徹底的に、近代資本主義を破壊して、ゼロからやり直すチャンスと説いている。
  (字数の関係でカット 11年11月16日)
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2007年11月15日(木)
 2416, よく生きる −1       ゜+.(ノ*・ω・)ノ*.オハヨオォォ☆゜・:*☆
池田晶子と陸田真志との対話集の中で、ソクラテスの{ただ「生きる」のではなく、「善く生きる」べきである。}
という問いが語られていた。 何か解りやすい本がないかと図書館で調べたら、やはりあった。 
哲学者の 岩田靖夫著「よく生きる」−ちくま新書 である。 目を通すと、「はじめに」の要約が解りやすい。
これで充分といえるほど簡潔で、知りたい全てがそこにあった。
 それを要約をすると、
1、幸福とは、自己実現することである。
2、その自己実現は目的ではなく、条件であるが、その意味ではない。目的は自己実現したレベルでの他者との邂逅である。
3、その中でも、挫折、病気、死などが待ち受けている。それを解決できるのは宗教しかない。
  それぞれの神という根源の元に帰るという確信こそ、人の求める究極である。
4、我われは、そういう人々の社会の中で生きている。そこでは自由と平等が求められる。
  その仮想がユートピアだが、理想として追求するのが求めるべき人間の姿勢である。
 さらに表紙裏の説明文が更に簡潔であった。
   ーまずは表紙裏ー
   (以下、字数制限のためカット2010年11月15日)
・・・・・・・・・
2006年11月15日(水)
 2052, 新潟は今・・
       (+>∀<+)ノ おぁはは〜ようさん!
このHPを見ていれば解るように地方経済は重苦しい状態がつづいている。首都圏のような明るさの気配は全くない。
駅前ホテルと飲食店、そしてタクシーは特に地方の景気に敏感である。目立たないが、飲食店の廃業の話が連日のように
入ってくる。一ヶ月ほど前には新潟駅から直通のワシントンホテル(300室)の撤退のニュースである。
シーズンが変わる度に、夜の繁華街の人通りが少なくなっている。もう誰も不景気とボヤク人もいなくなった。
その中で一部だけ良い店があるからだ。今風にして、ほんま物を廉価にして、互いの姿を見えないようにした隠れ居酒屋は、
それなりに入っているからだ。 それが出来ないところは自然消滅しかない。ところで、新潟市内のタクシー業界では
来春から一斉に完全歩合給に入るという。もし事実なら、タクシーの運転手も暇で仕方がないとぼやいてはいられない。
長岡でも新潟でも給料の話すると「固定給12〜3万+歩合給=15~6万円で、手取り13〜4万。それに、家内のパートで
8万円、合計20万で親子3人で暮らしてますよ。今さら働くところも無いし、辞めても直ぐに誰かが入ってくるし・・」
という返事が返ってくる。それが来春から完全歩合給になるというから、運転手も目の色が変わりざるをえない。
「個人タクシーが成り立っているのだから、完全歩合給も成り立つはず」という理屈も成り立つが・・・
15年ほど前に、札幌でタクシーに0時ごろに乗ったとき、運転手に「深夜の勤務は幾らほど出るのか?」と聞いたところ、
その返事に一瞬にして酔いが醒めてしまったことがあった。「札幌はね~、最悪の景気なの。私も問屋を倒産させてしまってね〜
最後の生き残りをかけて運転手をしているの。といって今さら正社員じゃ無理なの。 夜のタクシーは、殆ど私と同じ立場の
中途半端の中年が小金を稼ぐため、タクシー会社と契約して夜間だけ車を借りているの。 客を拾えなければ収入はゼロだから必死。
何処で客を拾うか、ハンターと一緒で勘が頼りなの。とにかく生きていかなくてはならないからね〜辛いよ!」今でも、
その時の情景をリアルに憶えている。完全歩合制は、それと同じ状態に全ての運転手がおかれることである。
固定給のベースを割る車が出始めてきているのだろう。数年前から始まったタクシー自由化と、不景気が背景にあるのだろうが。
私自身を考えてみても、タクシーを乗らなくなった。飲んでも、酔いさましのため、酔いの勢いを借りて歩いて帰ってくる。
十年ほど前から、特に古町の飲食街に行かなくなってしまった。 高いし、以前ほどホステスのプロも少なくなったし、
タクシー代はかかるし、機会そのものも少なくなった。新潟駅前で一軒の店に3時間ほど粘って帰るのが殆んどである。
まあ、燃やせば骨も残らないほど飲んでしまったし・・・          (。^0^。)ノサイナラ!
・・・・・・・・・  
2005年11月15日(火)
1687, 新潟県 「2010年問題」 
最近、新潟県でも「2010年問題」がささやかれだした。
新聞で断片的に取り扱われていたが、朝日新聞新潟版・土曜特集に報道していた。
 ーポイントくをまとめてみると  φ(・ω・ )
 ・北陸新幹線の金沢までの開通が、2014年、富山までの開通は、2010年。
  [2010年問題]といわれるのは、2010年の方が、[呼びやすい]という説もあるが、
  富山までの開通でも新潟県に甚大な影響が予測されるためだ。 (=_=;)
 ・この開通で、北陸新幹線が幹になり、上越新幹線が枝になってしまう可能性が大である。      
 ・上越市経由のため新潟県上越地区が新潟県から分断され、金沢・富山圏に組み込まれてしまう。
(字数の関係でカット 11年11月16日)
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2004年11月15日(月)
1322, PDPTV −2
2年前の今日、PDPTVについて書いていた。そこで、この2年間の感想と実感を書いてみる。
値段の値崩れが、思ったより少ない。50インチで年15〜20?下がっていれば、40〜50万円位のはずである。
(字数の関係でカット 09年11月16日)
・・・・・・・
2003年11月15日(土)
955, 自分づくりの文章術 ー読書日記
(字数の関係でカット08年11月15日)
・・・・・・
581, PDPTV
- 2002年11月15日(金)


4260, しまった!  ー9

2012年11月14日(水)

                     ー しまった! 「失敗の心理」を科学する ー ジョゼフ・T・ハリナン (著)
    * 人は誰も人並み以上と思うもの
 色いろな挫折体験から学んだことは、「自己能力の限界の設定」である。しかし、その設定さえも間違えてしまう。
それだけ、自分のことになると見えないのである。 若い女性の場合、これが極端に出る。若いだけで周囲が特別視するが、
それは束の間のこと。そこで若さを失うにつれ表面的な化粧や衣装で若く見せようとするが、その衣装と化粧代は膨大になる。
自分を人並み以上と思うのは、まだましで、特別な存在と信じて疑わないのが、あまりに多い。ーその辺りを抜粋し考えてみるー
 ≪ スポーツジムの会員は、自分が期待する回数の半分程度しか通っていない。大半は回数券の方が得なのに会員権を買っている。
 統計からみると、月会員の八割ほどが、利用ごとの支払いにしておいた方が得という。 何故そうかというと、
「要するに自信過剰。自分が出来ると思っていることと、実際に出来ることを混同している」のである。その原因の一つに、
ジムに行かない理由を、何かのせいにすることが多い。そのため、フィードバックが効かなっている自覚が無くなってしまう。
同じような結果が、兵隊の射撃の予測と結果に現れている。大方の兵隊は射撃がうまいと思っているが、実際に射撃をすると、
大きな差が現れる。75%が予測より下で、25%以上が、あまりに下手で不合格の成績に終わっていた。気象予報官についても、
経営者についても、同じである。奇妙なことに課題が難くなる職業ほど、自信過剰のレベルが下がるのではなく上がる傾向にある。
困難が過大になるほど、自信過剰がもっと高まるのだ。・・・どうして、このような自信過剰過多の幻想が出てくるのかというと、
情報の持つ魔力、というのが答えである。情報を読めば読むほど、知識が増えたと勘違いをする。だが、実際には、そうとは
限らないのである。それは見聞ではなく、自信が増しただけ。情報化過多の落とし穴が、そこにある・・・ ≫
 ▼ 自信過剰自体は問題がないが、現実の自分に出会ったときに歪みが出て、それが他人の弱点を見つめ攻撃に向かった場合、
  それは回りまわって自分に返ってくる。それが嫉妬や怒りに転化して怨恨になっていく。 だから不幸がついてまわる人には
  近づかない方がよい。あるいは自分が不調な時節には、孤高を守るべきである。 不幸タイプの人は、必ず、その正体を現し、
  恩をに仇にして返す。それを品性の低さというが、それが更に自らを貶めることに気づかない。「人並み以下の人ほど、
  自分を並以上、いや特別な存在」と思うもの。だから、お世辞が人間関係の円滑油になる。逆にいえば、恵まれてない人ほど
  注意し大事にしなくてはならないことになる。特に若い女性と青年と熟年には・・ そうすると自分を大事に扱わなければ。
・・・・・・・
3885, 平等と公平
2011年11月14日(月)
 最近、平等と公平に対する議論を多く目にするが、その辺の哲学か理論があるはずと思っていた。
ところが、小川仁志著「人生をやり直す哲学」中で、ロールズの『正義論』が紹介されていた。
その概略というと、≪ ロールズは、ハーバード大の教授で、アリストテレス以来の政治哲学の復権を図った人物で、
その『正義論』は、その後の正義に関するあらゆる言説、あるいはリベラリズムの議論の機軸になったと言われている。
リベラリズムとは自由主義のことを言い、物事の価値の中立性をとなえる立場である。分かりやすく言うと、
「善に対して正の優先性」をとる立場である。 本来は平等など我われの世界には存在しない。全てが不平等である。
金持ちと貧乏人、才色兼備と、そうでない人など比較すれば全てが不平等に出来ている。情報化などで一強多弱が進むと、
その格差は社会的歪を生み出してくる。 そこで問題になるのが平等と公平の問題になってくる。それを克服するために
正議論が出てきている。 正義の二つの原理、すなわち「平等な自由の原理」と「機会均等」である。
◎ まず第一原理ー「平等な自由の原理」とは、<各人は基本的な自由に対する体系に対して平等の権利を持つべきで、
 この自由の体系は他者と両立しなければならない>という原理である。自由に関して誰も平等であるべき、ということ。
◎ 第二原理とは、「社会的、経済的不平等は次の二つの条件を満たしていなくてならない。(a)「社会の最も恵まれてない
 人の状況を改善すること」、(b)機会の公正な均等という条件の下で全員に開かれている公職や地位に伴うこと」の二つ。≫
 ▼ 競争条件の前提として、自由度と機会平等の権利を持たすべきということになる。資本主義も、社会主義も、家系の知力、
  資金力で、競争前提が全く違っているのが実情。それが、そのまま、社会的格差になっている。 中学校の同級生の、
  その後の人生を見ていると、その時の家庭の格差の拡大が、そ後の人生に見えている。(但し、何事も例外はある)
  ロールズの言わんとする趣旨は、道徳的議論、つまり善悪の「善」よりも、手続き的な正しさの「正」を優先させるところにある。
  それを守るために、これらの原理と、その都度の判断を比較して、公式そのものの妥当性をチェックすべきとしている。
  「平等は無理としても、公平であるべき」というが、しっかりした二つの原理の社会的前提がなければならない。
  現在、情報化で社会的不平等が露出されてデモが多発している。 これは「平等と公平」の問題を訴えているのである。
  そこで、この『正義論』が大きくクローズアップされている。 自由人平等と博愛の問題は、そう簡単でない。
  明治以降、日本が世界列強の一つになったのは、家柄より学力、学歴を最優先したからだ。 二つの原理が明確に当てはまる。
・・・・・・・・
3520, 電子書籍は、その後どうなった?
2010年11月14日(日)
 iPadで火がついた電子書籍は、その後、どうなったか?が、読売新聞で特集をしていた。
また一昨日の朝のNHKニュースでも取り上げていた。 5月末に発売されて半年で、トピックスとしても丁度良いタイミング。
私も秋口の11月頃と発売当初に考えていたが、各社メーカーが年内に出揃った後、比較してからにした。 
それとまだ電子ブック・ソフトの販売網も充実をしてない。 4年後にタブレット式パソコンが二億台も普及するという。 
戦士書籍だけでなく新聞、雑誌も、ブログ、ツイッターも、ここから見ることになる。 これまでの隠れネット難民も、
その使いやすさから使い出すだろうから、社会的には大きなインパクトを与える。例えの話だが、村上春樹が自分の小説を
ブログから直接販売も可能になる。 映像ではYoutubeが自分撮ったビデオを、直接投稿をしている。良い内容のものはネット上の
口コミや視聴ランキングの多さで、一瞬に世界を駆け巡るので、直ぐにスターになれる。 既に、ここから多くのスターが出ている。
 タブレットは電子書籍専門のものと、他の機能が入っているタブラットと大別される。多機能のiPadは、半年で700万台売れた。
その使用場面が居間と外出先の電車やレストラン。多くのメーカーが、それぞれの機能の特徴を前面に出した機種の出現が楽しみである。
 思いもよらないソフトも出てくるだろう。既にアコーデオンの鍵盤を画面に映し出し、演奏できるものや、パソコンやiPhoeにある
自動車運転ソフトを使い、他の誰かとレースを競うものとか、カラオケ端末機能とか、数年後には、日常の当たり前の端末になる。
その反面、雑誌、新聞、書籍などが激減することになる。レコード店など駅前商店街が消滅していったように、新聞、雑誌、
地方TV局など多くが淘汰されていく。これもインターネットの渦の一つ。
 ・・・・・・・・・
3145,高速道路千円の仕掛け人
 2009年11月14日(土)
学生時代のゼミの一年下の松下さんと、以前に「新潟を活性化するに如何したらよいかと大和総研に頼まれたが、
何か知恵がないか」と電話があったので、「 新幹線を新潟駅から飛行場近くまで延長して、東京駅から直接乗り込みの飛行場を
持った環日本海都市として売り込めばよい。その沿線には中国、ロシア、朝鮮の特区地区としてパスポートで出入りする地区をつくり、
工場などを誘致して、それで足りなければ、高齢者などの施設をつくって首都圏の補助機能をつくり、元もと天領だった特性を、
そのまま利用すればよい。現在、新潟駅再開発が動き出したので、その延長として本気にならないと、北陸新幹線が完成したおりに、
幹から枝葉の地区に取り残される。これが最後のチャンスと思うよ」と、軽く答えた。 ところが数日たってから、その話を新潟県の
エライサンに直接話して欲しいということになり云々・・・話は長くなるので、これはこれで終いにするが、その松下さんが
道路経済学を一人で長年かけて学んできて、現在では、その道の権威者。「高速道路の千円」の大元の理論家である。 
更に無料化の流れを彼がつくったというから、尊敬に値する。その彼が、民主党が天下を取ったら自分の理論が政策に取り入れられ、
大きな役割を与えられると数年前に言っていたが、その時代がやってきたようだ。 先週に彼から、週刊エコノミストに大きく
取上げられたとそのコピーが同封されてきた。 早く言えば、「思い切った高速道路の値下げが、大きな経済効果をもたらす」
という、英国学者の理論を日本に紹介したもの。彼の著書「道路経済学」も、なかなか説得力がある。
「過剰な?高速道路を、世界一高い値段の料金を無料化をして、皆で使いましょう。大部分は、ほとんど
使ってないのだから」というのも一理ある。それを先読みして、コツコツ学んできたのだから・・・
 以下は、コピーの礼状である。
  ー松下文祥様ー
前略、 送っていただいた資料、さっそく拝見しました。高速道路の料金一律千円、松下さんの出版された本が出発点
 だったようですね。近くの岩室温泉や月岡温泉などのリゾートホテルが潤っていると知人から先日、聞いたばかりです。
 また、民主党が高速道路の無料化の方針も、やはり貴方の理論的裏づけがあるようですね。
 貴方の長年の地道な努力が、こういうカタチで花咲くのは同じゼミの出身者として誇りに思います。
 恐らく、戦略会議の一員にも推挙されているのでは? と思いますが・・ 
《以下、字数の関係でカット。2011年11月14日》
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2780, 世界同時不況 ー日本は甦えるか −1
 2008年11月14日(金)
 文藝春秋の12月号の特集「世界同時不況 日本は甦えるか 
               ー未曾有の経済危機の核心を七人のエキスパートがえぐる」を読んでみた。
  内容は、刺激的なことをオブラートに包んで語り合っているが、それでも大恐慌に突入したことを
  前提であるのが、興味深い。 もう堰は切れたのである。 面白そうなところを、書き出してみた。
   ーーー
   高橋洋一/榊原英資/竹森俊平渡辺喜美/水野和夫/田村秀男/宮崎哲弥の対談で、
  1、「失われた十年」再び来たる     2、株安・円高地獄の脱出策は?
  3、「アメリカ金融帝国」没落す     4、GMがトヨタに買われる日 の、分野で議論をしていた。
    ー印象に残った部分を書き出してみる。
 ・欧米で合わせて320兆円を超える公的資金投入は、人類が始めて経験する未曾有な経験
 ・アメリカのウォール街が主導して世界のGDPの十数倍の金融商品を作り出し荒稼ぎしてきた、
  金融工学と称するシステムの破綻と、借金漬けの消費帝国アメリカの終焉。
 ・その結果、アメリカという国は二度と立ち上がれないほどのダメージを負った。
 ・アメリカの貧困層に住宅ローンを売りつけ、彼らを丸裸にしてしまった。
 ・フォードやGMの社債は、額面の25〜30%を割っており、もはやジャンク債の域である。
  GMは毎月1000億の損失を出している事態になっている。
 ・アメリカが4割の下落に対して、日本は5割の下落である。
  その理由は、日本の利益の源泉が北米の輸出で、利益の5割を占めている。大雑把にいうと、
  それで5割の減益だが、アメリカの金融セクターの占める割合は4割。だから日本のほうが株価の下落が大きい。
    (字数制限のためカット2010年11月14日)
・・・・・・・・
2007年11月14日(水)
2416, 世界の「富」は、人口の2%が過半数以上所有         才ノヽ∋―_φ(゜▽゜*)♪
一月ほどの新聞記事だが、国連の研究機関が発表した調査によると
  ー世界の「富」は、人口の2%が半分以上所有ーという。
 これを解りやすくまとめると
・世界の成人人口の2%が、家計全体の「富」の半分以上を所有。
・逆に貧しい方からみると、人口の50?が所有する富は1パーセント。
・最も豊かな層に属し、成人人口の1%に相当する人々が所有する富は、世界の4割に相当。 
 「上位1%」に居住している国別に分類すると、米国が最多の37%、日本は2番目に多い27%で、
 日米だけで上位1%の3分の2近くを占めていることになる。
・一人当たりの世界の富の平均が、2600ドル。日本は18万1000ドル、アメリカは14万4000ドル、中国は2600ドル、インドは1100ドル。
・富の分配の格差を示す「ジニ係数」も国別に算出。 値が一に近づくほど格差が大きくなるが、世界の平均値が0.89に対して、
 アメリカは0.8に対して、日本は0.55で格差は比較的小さい。まだまだ、日本は健全にみえるが、この数年で大きく変わってきた。
 2000年の統計値を使ってまとめたもので、預貯金や不動産などの資産から負債を引いたものを「富」と定義したという。
 ーー
 以上が大方の数字だが、20年近く前に中国に行ったときの一人当たりの格差が100倍だったが、現在は50倍というから、
中国は20年で2倍も豊かになったということだ。 「世界の富の80%は、世界の20%の富裕層が所有している」というが、
日本は最後の余力を食べつくしながらも20%の立場を保っている。 
ところで先日の新聞発表で、国内の一億円以上の預金者は大よそ人口の一?という。
一家族三人として、30数軒に1軒の割合になるが、地方では到底考えられない数字である。
それでも知人を見ていると数人はいるが、まあ他人の懐具合は、如何でもよいか!     ヾ(´_`○)ノ ノヾィ♪
・・・・・・・・
2006年11月14日(火)
2051, あたりまえなことばかり −7          才八∋ウ_〆(∀`●) 
  幸福論も、あるところまでいくと生死の問題に深く関わることになる。しかし生死がわかるはずが無いことは、前に論じてきた。
 観念としての幸福を、いくら説いてもラッキョウの皮を剥くようなもの。といって、人生の中で「自分ほど不幸ものはいない」と、
 思ってしまうのが人間の性。 不幸という観念に捉われない為にも、孝・不幸は真正面から論じてみる必要がある。
 前に読んだー「私」のための現代思想ーもそうだが、過去の知識の総点検をしているような感覚である。
 知っただけ、経験しただけ生きてきたことになる。知識として知らないことがあまりにも多すぎた!これが現在の心境である。
   ーー
「あたりまえなことばかり」
ー・ 幸福はどこにあるのか ー 
《以下、字数の関係でカット。2009年11月14日》
   バイバイ
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2005年11月14日(月)
1686, 「ひとを嫌うということ」−2
 嫌いに対して、よくぞここまで書けるものと感心する。といって日常生きている上で、好き嫌いの感情はつきまとうものだ。
 だから、世の中が面白いものとして現前する。 この本の印象的なところを抜粋した。
 ー「嫌い」の結晶化作用ー         `(`´)”
スタンダールは恋愛における2重の「結晶化作用」について論じている。(′O`)
・第一の結晶化作用とは次のもの。ザルツブルグの塩坑で寒さのために落葉した1本の小枝を廃坑の奥に投げ込んでやる。
 2,3ヶ月もして取出してみると、それは輝かしい結晶で覆われている。
 一番小さな枝、せいぜい山雀の足くらいの枝までが、まばゆいばかりに揺れて閃く無数のダイヤモンドで飾られているのだ。
 もとの小枝はもう認められない。 私が結晶化作用と呼ぶものは、目に触れ耳に触れる一切のものから、愛する相手が
 新しい美点をもつことを発見する心の働きである。
 なんとなく気に食わなかった人があるとき当然「結晶化作用」により大嫌いになることは誰でも知っています。
・そして恋愛における第二の結晶化作用とは、相手が自分を愛していることの確信へと向かう結晶化作用であり、
 疑惑と確信との間を揺れ続ける「交互作用」です。恋する男は15分ごとに呟く。「そうだ、彼女は私を愛している」と。
 そして結晶化作用は一転して新たな魅力を発見することに向かう。と、ものすごい目をした疑惑が彼をとらえ俄かに彼を引き止める。
 胸は呼吸を忘れる。彼は自問する。「だが、彼女は私を愛しているのだろうか」 痛ましくもまた甘いこうした相互作用の最中で、
 哀れな恋人は痛感する、「やっぱり彼女は私に与えてくれるにちがいない、世界中で彼女だけが与えることのできる喜びを」と。
 どうも「嫌い」の場合はこうした交互作用はあまり一般的ではない。          キラ(゜´Д`゜)゜━イ!!!
ー「嫌い」の8つの原因ー       《以下、字数の関係でカット。2008年11月14日》
・・・・・・
2004年11月14日(日)
1321, 西武鉄道の上場廃止
 ー時代の変遷の象徴
堤義明のオーナー会社・西武鉄道グループは、この不況下でも安定をした会社と思われていた。それが突然、不正が発覚、
株式が上場廃止という。 関連会社が西武鉄道の株を担保に借金をしている為、一挙に担保割れの事態になる。
日本の影のドンの一人といわれ、「総理大臣が誕生する度に3億円の祝儀を払い続けてきた」と囁かれていた堤義明も
ついに逮捕?の可能性がでてきた。 世の中どう変わるか解らないものである。ーもっともコネにて一件落着の可能性があるが。
《以下、字数の関係でカット。2011年11月14日》


4259, しまった!  ー8

2012年11月13日(火)

                     ー しまった! 「失敗の心理」を科学する ー ジョゼフ・T・ハリナン (著)
    * 人は、聞いた話を自分なりに綺麗に改変する
 ≪ 学生の被験者に、ある物語を聞かせ、後で、その物語を語らせると、大きく歪曲する事実があった。問題は、その話の程度が
予想を遥かに超えていたこと。 全談話の61%に情報の追加、省略、誇張、最小化をおこなっていた。それを学生の42%しか、
認めてなかった。それは学生が偽りだったとは思ってなかったことを示している。・・・ そのうえ、学生は話を聞き手の好みに
合わせただけでなく、更に重要なことは自分の目的に合わせていた。特に面白い話の場合、大幅に誇張したり、うそを加えたりした。
後で聞くと、被験者の6割が、その話に嘘を入れていた。人は、談話をするときには、情報伝達をする目的と同時に、ある目的を
達成する手段になるもの、という結果になった。その意味で、対話の目的とは事実を伝えるのではなく、印象を伝えることだと。
もっと面白い作用は、聞き手だけでなく、話し手自身に対するもの。語り手が自分の作り話を、何度か話しているうちに、
作り変えた話が、その人にとっての記憶になるケースが多かった。 私たちは自分の嘘を本気で信じるようになるのである。
更に悪いことに、本人に、その自覚がないことである。≫
 ▼ 私が小さな地域社会で、アウトサイダーに徹しているのは、これを知ってのこと。社会学を40年以上、独学してきたので、
  その馬鹿馬鹿しさを知っていた。逆に、それを独り楽しんでいる自分がいる。割切ってしまえば、これほど面白いものはない。
  B層の、さらに下のC層という何も考えない旧来の価値観から一歩も出たことのない人たち。彼らにゾンビが多い。 彼らは
  普通の風体をしているが、中身はカラカラの干物。 水気が失われているため、真っ当な人間に対する語り部になるしかない。
  彼らの毒は、「作り話」として人に襲いかかる。 襲われ、その毒に侵された人間は、その瞬間、ゾンビに変身する。
  そして地域社会の多くがゾンビ化してしまう。彼らは思考能力ゼロのため、その自覚も無く、屍の群れは今日も人を襲い続ける。
  これが城下町レベルでなく、情報化の御蔭で全国区レベルになっている。それを一部の権力者が悪用している仮説が面白い。
・・・・・・・
3884, マネーボール ーシネマ感想
2011年11月13日(日)
 ブラッド・ピット主演の『マネーボール』を見てきた。最近、シネマが面白いのがたて続きで、先月から今月にかけて映画漬け。
内容の概略といえば、今までは、スカウトが見つけてきた有望選手を一流選手に育て上げ、有能な監督が選手を有効に使って優勝に
導く手法だった。それを実在のアスレチックスのGMのビリー・ビーンが「他のチームで埋もれている傷物に近い選手を一流選手の
値段の数分の一で入団させて、その強みを組みあせて有効に使う手法」を、考え出す。 そのため、当初は敗戦が続き、旧来の
スカウトや監督、選手、そしてマスコミからも袋叩きになる。しかし、ある時期からその理論通りにチームが20連勝を達成をする。
これでビーンは、現在のメジャーリーグの野球を根底から変えてしまった。それも、わずか10年前の実話を映画化したもの。
 最近、弱小チームだったヤクルトが、監督交代と同時に優勝を争うチームに変身したが、この理論に忠実に沿ったチームの
立て替えだったかどうかは分からないが、みるみるうちに逞しいチームになっていった。 また新潟の野球チームの前監督が、
野村監督のデーター野球を引き継いでいたのを買われて巨人入りをしたと報じていた。 過っての巨人のような一流選手を金で
かき集めたチーム編成で勝てる時代は終わったようだ。この映画を見た翌日に、巨人の騒動である。この数年のトレードの責任は
GMを兼ねている球団代表にある。特に外人選手のトレードをみて、GMの首は当然と思うのは私だけでないはず。
  ー 『マネーボール』のHPの内容紹介 ー
< メジャーリーグの弱小チームを“常勝軍団”に作り替えた男、ビリー・ビーンを題材にしたノンフィクションを、ブラッド・ピット
主演で映画化した「マネーボール」が公開された。 「ソーシャル・ネットワーク」(2010年)でアカデミー脚色賞を受賞した
アーロン・ソーキンらの脚本で、燃える男ビリーと相棒ピーターの孤立無援の戦いが、抑制の利いたタッチで描かれる。
 経営難の球団、オークランド・アスレチックスは、スター選手をまたしても裕福な球団に引き抜かれ、ピンチに陥っていた。
ジェネラル・マネジャーのビリー(ブラッド)は、イェール大で経済を専攻したピーターを引き抜き、球界の常識を完全に無視した
データ主義によるチーム作りに乗り出す…。 打点や本塁打の数より、出塁率や長打率を重視し、低コストで人材をかき集めていく
ビリーに対し、ベテランのスカウトたちから強い批判が集まる。そのビリーには、かつて巨額の契約金を提示され、大学進学を
あきらめてニューヨーク・メッツに鳴り物入りで入団、その後、芽が出ずに退団した過去があった。>
 ・・・・・・・
3519, インターネットは20万年来の革命か? −2
2010年11月13日(土)
  「一口に、インターネットは20万年来の革命というけれど、過剰表現では?」と思うのは誰も同じ。
 人間が狩猟・採取から、牧畜・農業を始めて1万年、その20倍の20万年前に道具を本格的に使い始めて以来の大革命、
 というから、いかにネットのツールとしての威力の凄いかである。 個々人の情報を写真、動画、論説、つぶやき、
 などが発信も、受信も、気楽に出来るのである。 やはり道具として20万年、200万年来の大革命である。
 それに加えて端末機器が日ごと進化を始めて、止まることがない。 電子化は一度ソフトが完成すればコピーと圧縮が可能。
 それをベースに次々と新しいソフトの追加が際限なく出来るため時間の経過とともに、進化していくことになる。
  「フューチャリスト宣言」の対談で、梅田 と茂木 の次の一節がネットの明るい可能性を言いあらわしている。
    ーとにかく、明るい未来フューチャリストだから、読んでいても楽しい!ー
 茂木:  自分の人格を高めていく喜びは、おそらく人間が体験できる喜びのなかでも最も強く、深い喜びはないでしょう。
  食べる喜びなど、おなかがいっぱいになれば終わりだし、性的な喜びも限界がある。 それに対し学ぷ喜びは限界がない。
  インターネットというものが、「学ぷ」という最も根源的な、終わりのない喜びを大爆発させる機会を与えている。
  まさに、「知の世界のカンブリア爆発」です。しかも、一部の特権的な人だけにでなく、あらゆる人に、発展途上国の人にも、
  その可能性が広がっている。基本的な認識はそこで、人間の脳の報酬系、強化学習のプロセスに作用する。
 梅田: なるほど。言語を獲得したときも、脳が喜んだわけですね。
 茂木: 要するに、それが現れたことで脳の使い方がまったく変わったもの、ということで、「言語以来」という言い方が
  成立するのではないか。 言語によって脳の使い方が劇的に変わったんだけど、インターネットによっても変わる
  ポテンシャルがある。 でも、まだその可能性にまだみんなあまり気付いていない。
 茂木: 人間は快楽主義だから、楽しいことをどんどんやろ・・とする。思っている以上に変わるかもしれない。
  ほんとうに素晴らしい機会がいま訪れていますよね。動画でも何でも、たとえ大学の講義のようなものでも、
  タダに近いかたちで入手できる。そういうときに大学などの既得権益を保持する側がどういう反応を示すか。
  でも、長い歴史の中で人間の社会は必ず学ぶ喜びを青天井に開放する方向に変わると恩います。
  〜〜
  ネットが、ほぼ無料で、知識を世界中から簡単に入手できるツールになったこと、そのことが20万年来の革命である。
 ネットが出現して15年、本格的に普及をはじめて7〜8年で、もう一つの世界をつくり上げた。ネット販売が僅かな時間で百貨店、
 コンビニの総売り上げを超えてしまったこと一つをとっても分かる。 当方のホテルの三割近くが既にネット経由からの予約。
 また私の書籍購入の八割がたはアマゾン。小型の電器製品もほぼネットから購入している。これは20万年来の革命的ツールと
 仮説を立てると、まさしく符合する。ここでも脳学者が言語で脳の使い方が変わったのと同じく、ネットで脳の使い方が変ると
 述べていることを考えると、ネットは200万年来の大革命というのも納得いく。これがリアル世界を根底から変化させている犯人。
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3144,「法則」のトリセツ  ー5
2009年11月13日(金)
  * フェルミ法則
 ーネット辞書「ウィキペディア」によるとー
フェルミ推定とは、実際に調査するのが難しいようなとらえどころのない量を、いくつかの手掛かりを元に論理的に推論し、
短時間で概算すること。名前は物理学者のエンリコ・フェルミに由来する。フェルミはこの手の概算を得意としていた。
フェルミ推定はコンサルティング会社や外資系企業などの面接試験で用いられることがあるほか、欧米では学校教育で科学的な
思考力を養成するために用いられることもある。Google社やマイクロソフト社でも、入社試験問題として出題されたことがある。
フェルミ推定という語句が日本に入ってきたのは、『広い宇宙に地球人しか見当たらない50の理由―フェルミのパラドックス』
(スティーヴン・ウェッブ著、青土社、2004年)が最初だろう。ただしこのような考え方自体は大学の授業などで教えられていた。
例えば「東京都内にあるマンホールの総数はいくらか?」「地球上に蟻は何匹いるか?」など、見当もつかないような量を推定する。
フェルミ推定で特に知られているものは、「アメリカのシカゴには何人のピアノの調律師がいるか?」を推定するもの。
これはフェルミ自身がシカゴ大学の学生に対して出題したとされている。この問題に対して、次のように概算することができる。
 まず以下のデータを仮定する。
・シカゴの人口は300万人とする    ー>            ・シカゴでは、1世帯あたりの人数が平均3人程度とする
・10世帯に1台の割合でピアノの保有している世帯があるとする ー> ・ピアノの調律は平均して1年に1回行うとする
・調律師が1日に調律するピアノの台数は3つとする      ー>  ・週休二日とし、調律師は年間に約250日働くとする
・そして、これらの仮定を元に次のように推論する。    ー>   ・シカゴの世帯数は、(300万/3)=100万世帯程度
・シカゴでのピアノの総数は、(100万/10)=10万台程度  ー>    ・ピアノの調律は、年間に10万件程度行われる
・それに対し、(1人の)ピアノの調律師は年間に250×3=750台程度を調律する
・よって調律師の人数は10万/750=130人程度と推定される
 フェルミ推定では、前提や推論の方法の違いによって結論にかなりの誤差を生じることもある。
  〜
 以上のような推定と実際の数値が、変わりないというから驚いてしまう。先日、新潟駅南のジュンク堂に
「フェルミ法則の事例訓練」の本があった。迷ったが買わなかったが、面白そう。推論の訓練も面白いだろう。
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2779, アメリカは、どう転んでも、最小の損失!
 2008年11月13日(木)       
こういう微妙な時期には「産経新聞」と「毎日新聞」の論説の方が、読売、朝日、日経より筆先は鋭い。
サブプライムローンの、問題の深さを解りやすく説明しており、民主党のオバマのスタッフが、クリントン時代の
面々が返り咲き、国債の「奉価帳」を回してくることを予測する。 今度の緊急サミットも、そのために使われるだろう。
アメリカの消費バブルと、中国が生産バブル、そして日本が金利ゼロの金融供給のバブル、それが一挙に破裂したことを
解りやすく書いている。 一番の加害国のアメリカは、実際のところ、大恐慌になっても、ドルもアメリカ国債の価値が
失墜しても、あまり困らないのである。損失は紙代だけという穿った見方もできる。 困るのは、紙を溜め込んだ日本と、
中国、そしてアラブの連中だけ。だから、アメリカの脅しにのり、更に紙を引きうけ、セッセと生産品を送り続け泣けれ
ならないのである。 その結果、待っている事態は、戦争であある。   −まずは、その内容から    
  (字数の関係で中間カット2009年11月13日)
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2007年11月13日(火)
2415, 閑話小題        才ノヽ──d(∀`d*)─(*b´∀)b──
 *古着の処分*
今まで、古い背広を思い切って処分をした記憶がない いや、数年前に処分したつもりであったが、よく見たらまだ何着もあった。
(字数制限のためカット2010年11月13日)
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2006年11月13日(月)
 2050, あたりまえなことばかり −6       \(≧ロ≦\)オハヨウ! サン
 著者の幸福論もシンプルで解りやすい。幸福など観念でしかない、観念をカタチに求めるから‘こんなはずではなかった’
という結果になってしまうのである。それはあれ等、軽いタレント同士の結婚の破局をみれば分かることだ。
家庭内を含めると半数以上の夫婦間が破局するのも、このような無知からきている。 まあ、相性もあるが・・・ 
幸福論は、格言以外あまりまともには読まないが‘付随してくる感情か、自分を納得させるための方便’にしか考えてなかった。
この著では、タレントとか有名人の表層の幸福のカタチは、動物レベル?になるが・・
コミックとしてしか誰も観ていないか、いやまともに見ているから恐ろしいのか!   
「あたりまえなことばかり」
 ・ 幸福はどこにあるのか ー 
何ものでもない心の状態としての幸福というものを、ほとんどの人は物質に似たものとして人は思い込んでしまう。
人は「思い込みの動物」である。 動物存在として「カタチあるもの」をのみ幸福と思い込むのは自然である。
そのレベルでは、目に見え、触れるもののみが存在する。生存するために存在する。しかし動物は、そのような自身のありように
自身のありようを問わないであろう。人間のみが、その生存において、自身の孝・不幸を問う。このとき、その理由によって
孝・不幸は一つの思い込みになる。カタチあるものを、カタチない孝・不幸と同じように、カタチないものを、カタチあるものに
孝・不幸を求めてしまう。カタチなきものを、カタチあるように思い込む、 の思い込まれる思い込みを、通常は「観念」という。
孝・不幸もその意味で観念である。幸福とは何がしかカタチないものと予感しながら、カタチ無いままにさせておくことが出来ず、
何がしかのカタチあるものとして捉えては、捉われる、とか。例えば、カタチなきものであるはずの「愛情」を求めようとして、
人は結婚や家庭というカタチを求める。あるいは、カタチなどあろうはずが無い「自由」を求めようとして、「自由」「自己実現」
というカタチを求める。はたして幸福でない心に、幸福な生活があり得るだろうか。心は、いわば分母の一のようなもの。
心が不幸であれば、いかなる分子も不幸であろう。分母が幸福であれば、いかなる分子も幸福であろう。あれこれの生活の
ありようなど所詮は分子的な存在でしかない。ここで問題のなるのは、「私」とは、では誰のことなのか。
他人と比べての孝・不幸であるところの「私」とは誰なのかの問題になってくる。
「私は私である」「私は個人である」とは、「私とは誰なのか」という問いを止めてしまった我われの思い込みである。
この限り「私」とは、一つの観念なのである。人は自分を「個人」と思い込むことによって「幸福を個人の領域」
に押し込んでしまう。財産や地位など有形のものも等しく「個人の所有」とみなして、その所有を幸福と思う。
 (字数の関係でカット2011年11月13日)
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2005年11月13日(日)
1685, ザ・マインドマップ−3  −読書日記         (~O~)ふぁ・・                   
ー技術的ルールとして、
1、強調
  ・中心イメージを置く             ・絵を使う
  ・中心イメージには3つ以上の色をつかう    ・イメージと言葉を立体的にする 
  ・感覚にうったえる−視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚など
  ・字、線、イメージの大きさに変化をつける   ・スペースを整理して使う
  ・適当な余白を残す    (ρ_-)
2、連想
 (字数の関係でカット2008年11月13日)
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2004年11月13日(土)
1320, 2000年前のポンペイ −3
 小プリニウスの「手紙」−1
ポンペイについて書いた直後に地元の新潟中越地区に大地震がおきた。何かの偶然の一致だろう。
ポンペイの遺跡から当時の情報が多く知ることができた。歴史から忘れられたポンペイの遺跡が発見され、
発掘が始ったのが18世紀の半ば。そして現在に至るまで250年にわたって発掘が続いている。
まだ発掘してないところが多くあるという。歴史家のタキツゥスが、書の中で当時のある若い青年の手紙を残していた。
当時まだ17歳だった青年の2通の手紙が当時の模様をこと細かく整然と後世に伝えていた。
その文章を読んでいると、その一言一言が身に沁みる。 その青年とは、当時、地中海艦隊の司令官として
ナポリ湾岸の町ミセヌムに駐在していた大プリニウスの甥、小プリニウス(61年頃〜112年頃)である。
歴史家タキトゥスの求めに応えて書いたこの手紙は、ローマ帝国内の美しい都市に起きた大惨事の貴重な目撃談。
この手紙を読んでいて、彼の驚きと当時の若い彼の興奮がそのまま、2000年の時空を超えて伝わってくる。
「言葉を持つことは魂を持つこと」という言葉の重みを実感する。
発掘された遺跡の姿そのものが、そのまま人間の変わらない生活と真実を伝えている。
 ◎ 小プリニウスの「手紙」 ー6月16日の手紙
 伯父の死をできるだけ正確に後世に伝えるため、あなたに手紙を書くようにとのご依頼を受け、私は嬉しく感じました。
というのは、伯父の死があなたによって書き留められることで、彼に不滅の栄光が与えられると考えたからです。
恐ろしい災厄によって死んだために、伯父の死は、他の被害にあった住民や美しい町とともに永遠に記憶されるでしょう。
また、伯父自身、後世に残るであろう多くの作品を書いています。しかし、それに加えてあなたの著書に書き留められる
とすれば伯父の歴史上の記憶は、より確かな、永遠のものになるはずです。
私は思うのですが、歴史に残るようなことを行うか、あるいは価直のある文章を書く能力を神から
与えられた人は恵まれた人であり、しかもこの能力を2つとも与えられた人は、最も幸せな人です。
私の伯父は、彼自身の著書とあなたの御著書とによって、そのような恵まれた人物の一人となるでしょう。
(字数制限のためカット2010年11月13日)


4258, しまった!  ー7

2012年11月12日(月)

   
                     ー しまった! 「失敗の心理」を科学する ー ジョゼフ・T・ハリナン (著)
   * 状況は「偉大な杖」の如し
 私たちは目先の出来事(現象)に、惑わされてしまう。大部分の人は、目先の周りばかりみて長期的見方をしようとしない。
それをするには考えなければならないが、本質など見知りたくないのである。出来るのは、他人の表面を見ることだけ。
そういう私も同じだが、そのことを自覚していると思い込んでいるだけ、タチが悪い。 ーその辺りを要約してみるー
≪ 日常の出来事を認知するうえで私たちがいかに「状況」に頼っているかである。 状況は偉大な杖だ。私たちは自覚して
いるよりもはるかにこの杖に頼っている。ハロウィーンの時期に事件があると(ろくに考えもしないで)ハロウィーンに関係が
あると思いこむ。たいがいはそのとおりだ。しかし、そうでないことも多々ある。 街角で首吊り自殺が実際にあっても、
ハロウィンの飾りの一つと見てしまう。 スキムという法則がある。情報の表面的理解のことだ。これはベテランの投資家や、
音楽家などで多く見られる。人は得意の分野ほどウッカリミスのスキムしがちになる。特に集団が暗示にかかった時など、
それに大きく左右される。日本のバブルと崩壊が、その典型的事例である。それを悪用したのが証券会社。現在、アメリカの
金融工学とかで世界中に不良債権をばら撒き、恐慌一歩手前の金融危機を向かえている。世界の金融機関が状況に騙されたのだ。
ある実験で、催眠中に暗示を与えられ、気分が楽しくなった人と、悲しくなった人が、それぞれ次のような物語を聞かせた。
【 二人の大学生が仲良くなり、テニスを楽しんでいる。一人は何をしてもうまくいく楽観論者、もう一人は、何をしても
うまくいかない悲観論者。後催眠をかけられた被験者たちは、物語を読み終えた時、主役は誰かと問われた。
すると、楽しい気分の人たちは、楽観論者に、悲しい気分の人は悲観論者を主役と感じた方が多かった。】これが人間。 ≫
 ▼ 「幸福な記憶は、幸せなときにこそ鮮明によみがえる」のである。だから貧してはならない。貧すれば鈍するになる。
  人は、あまりに目先の状況に対して隙だらけ。だから考えなければならない。自ら省みて、考え足らずを思い知らされる。
 ・・・・・・・
3883, 無知蒙昧が老いると、無知老害! ですか
2011年11月12日(土)
  「無知蒙昧」が歳をとると「無知老害」になるというが、成るほど老いて、つくづく実感する。
  何事も知っていると知らないとでは天地ほどの開きが出てきて当然である。それが自覚出来ないのが人間の儚さ。
 それでも情報機器の飛躍的進化で私たちは、情報(知ること)が無限に近く入手可能になっている。
 とはいえ情報蓄積と、分析と加工のベースがないと、情報が、そのまま通過するのみ。 知識の蓄積と知恵への変換の基礎教養が
 が必要になる。そのため己の無知蒙昧を自覚するのが、第一歩。「無知の涙」という死刑囚の執筆があるが、これは万人の姿。 
 人生を精一杯生きるほど、自分の限界線が鮮明に見えてくる。 何度か極限を見えたことがある。その先は何とか意識的狂気で
 乗り越えた。 事故死をしたレーサーの名言がある。「誰もが極限まではやる。問題は極限の先を何処までやるかだ」と。
 限界を超えようとすることを狂気という。 自分の正気は小さな限界を示している。 狂気こそが、その限界を破壊してくれる。
 正気の世界のみで生きている人たちこそ、蔑視に値する人としてみると、成るほど合点がいく。自分の現在だからである。
 正気の世界のみで生きた人生こそ「正気の沙汰」の人生になる。「若気の至りがない人生こそ、若気の至り」も同じこと。 
 「若気」こそ、人生のヒントが隠されている。この言葉から「老気」という造語?が浮かぶ。 歳相応の「老気」も悪くはないが、
 人生を旅路とすると、最期まで旅そのものを楽しむ「若気」は失わない方が良い。私たちは、あまりに人生を無意味に生きている。 
 それもこれも、死んでしまえば皆同じ、と思えれば良いが、心は足りなかった部分にいく。 それが無知老害になっていく。
   これ、顔に出るから恐ろしい! 最近、鏡を見るのが恐ろしい? 
 ・・・・・・・
3518, 不況景色とは、こんなもの? −2
 2010年11月12日(金)
 これまで何度も書いてきたことだが、日ごと娑婆が留まることなく冷え込んでいると実感する。 
「来年2011年から2012年にかけて世界も日本も大きな節目になる」と仮説を立てると、現在の深刻度がはっきり見えてくる。
二年前、アメリカのプライムローンの債権ばらまきから発した金融恐慌が、本格的に世界経済を大混乱に陥る時期である。
1929年に始った恐慌も大波は3〜4年後の1932年〜33年度にきている。その一番の大波がまず日本に来る。
アメリカの軍事・金融属国の宿命で、当然といえば当然。悪いことに、その時期が団塊の世代が大方、年金生活に入る時期に重なる。
その引き当て財源の多くがアメリカ国債などに化けている。 それが表面化すると一挙に円高から円安に転換し、5〜10年かけて
300円まで下がると予測される。あと数年で国家予算すら組めなくなり、国家の信用失墜となり、長期金利の上昇をもたらす。 
不動産は底抜けし、株は暴落、ハイパーインフレが吹き荒れる。 日本がG8の中で最初にデフォルトを起こし、IMFの管理国家として
悲哀を味わうことになる。これが近未来に起こる大波の現象である。 現在は、まだ預金が1400兆円あるというが、
それらはハイパーインフレで価値が激減する。 一部の資産家は金の現物か、香港、カナダか、オーストラリアの国債に替える等の
避難をするが、一般人は丸裸に近い状態というイメージがわく。 この5年間の年替わりの政権たらいまわしをしてきたツケが、
今後10年の間、さらに低落に拍車をかける。 日本の政治システムが激変に対応できないのである。 これらを考えると悲観的に
なってしまうが、これが現実。 割り切るしかない。 これも情報化社会の到来による劇的変化の一現象でしかない。
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3143,プロ野球の順位予測と結果
 2009年11月12日(木)
毎年、毎日新聞の「記者の目」のコーナーで、スポーツ記者10人によるプロ野球の順位予測が、開幕前に取上げられる。
それぞれのリーグに5人ずつの記者が予測するが、その平均予測順位はセリーグ、巨人、中日、阪神、広島、ヤクルト、横浜。
結果が巨人、中日、ヤクルト、阪神、広島、横浜だった。 ヤクルト5位の予測が3位に入れ替わっただけだから、
良しとしなければならない。しかし、パリーグが惨敗で、予測平均は西武、ロッテ、日本ハム、オリックス、ソフトバンク、
楽天。 そして結果は日ハム、楽天、ソフトバンク、西武、ロッテ、オリックスというから惨憺たるもの。
特に西武が完全に外れ。その原因はコーチの大久保と、黒江が抜けてチーム全体が緩んでしまったことを上げていた。
さっそく大久保の現場復帰が決定された人事が発表されていた。 それと楽天を最下位に5人中3人が予測していたから、
これまた大きな外れといってよい。一位日ハムを予測した者は誰もいなく、もちろん二位楽天も一人も予測する者は無かった。
野球はチームプレーで、チョッとしたコーチの配置で、結果が変わってくる。だから、面白いのだろう。
 −−−
  記者の目: プロ野球順位 私の敗因「西武4位」  =田中義郎
 プロ野球記者を通算14年務め、担当球団のリーグ優勝4回、日本一2回を目にした。それなのに2年連続で全部ハズレ。
読者の皆様に申し訳ない気持ちでいっぱいだ。「なぜ外したのか」を考えてみた。野村克也監督率いる楽天の2位躍進を
予想できなかった人は私も含めて多いが、それ以上に私の「敗因」は昨年日本一に輝いた西武の4位転落だ。中島裕之、
中村剛也両内野手や涌井秀章投手ら20代の選手が自信と力を付け、連覇を疑わなかった。
 西武低迷の理由を探る中で、組織内の「人」の重要性を痛感した。日本一になったチームと今年の大きな違いは大久保博元、
黒江両コーチがチームを去った点にある。・・(中略) 3人が「仲良しグループ」ではなかった点が、互いの責任を明確に
できたのだと思う。 90年代に黄金期を迎えた西武では、当時もヘッドコーチだった黒江さんが森祇晶監督に、
作戦面で何度もかみ付いた。選手も、マウンド上で野手が投手に「何で打たれるんだ」などと半ばけんか腰になっていたという。
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2778, 世界は一冊の本
 2008年11月12日(水)
 次の詩がよい。その中の「本でないものはない。世界というのは開かれた本で、その本は見えない言葉で書かれている。」
 私が秘・異郷ツアーに魅せられるのは、世界の開かれた本を正しく読めるからだ。それぞれ一期一会の出会いがあるからだ。
 そして感動し、考えるのである。    生きるとは感動し、そして考えることなのだ。
   ーー  
  「世界は一冊の本」        −長田弘
   本を読もう。 もっと本を読もう。 もっともっと本を読もう。
  書かれた文字だけが本ではない。 日の光り、星の瞬き、鳥の声、川の音だって、本なのだ。
  ブナの林の静けさも、 ハナミズキの白い花々も、 おおきな孤独なケヤキの木も、 本だ。
  本でないものはない。 世界というのは開かれた本で、その本は見えない言葉で書かれている。
  ウルムチ、メッシナ、トンブクトゥ、 地図のうえの一点でしかない 遥かな国々の遥かな街々も、本だ。
  そこに住む人びとの本が、街だ。 自由な雑踏が、本だ。  夜の窓の明かりの一つ一つが、本だ。
  シカゴの先物市場の数字も、本だ。 ネフド砂漠の砂あらしも、本だ。 マヤの雨の神の閉じた二つの眼も、本だ。
  人生という本を、人は胸に抱いている。  一個の人間は一冊の本なのだ。 記憶をなくした老人の表情も、本だ。
  草原、雲、そして風。 黙って死んでゆくガゼルもヌーも、本だ。  権威をもたない尊厳が、すべてだ。
  200億光年のなかの小さな星。 どんなことでもない。 生きるとは、考えることができるということだ。
   本を読もう。 もっと本を読もう。 もっともっと本を読もう。
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   ローガウの「格言詩」の中に「世界は一冊の本であり、人間ひとりひとりは活字である。
  国々は綴じひもであり、時代はページである。」という詩がある。
  これを人生という視点で置き換えると「人生は一冊の絵本であり、出会ったひとりひとりは挿絵である。
  家族は綴じひもであり、時代はページであり 筋書きは愛である」という詩ができる。
   それにしても、「世界は一冊の本」の詩は、ひとことひとこと胸に刺さる。                          
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 2007年11月12日(月)
2414, 反転 ー闇社会の守護神と呼ばれて −2         オハヨウ (▼皿▼#) !
 この本の中には検事の職業の裏と表を、あますことなく書いてあるが、次の言葉が解りやすく象徴的である。
「検事を含め法曹界におけるわれわれの仕事は、しょせんその「ドブ掃除」にすぎない。
 正義を振り立て、人をリードする職業などではない。人間のやった後始末をするだけだ。
 それも人間のいちばん汚い部分の後始末である。」それゆえに、ヤメ検は裏社会に適応するのだろう。
 ー前回の続きの部分をコピーしてみるー
  (字数制限のためカット09年11月12日)
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2006年11月12日(日)
2049, あたりまえなことばかり −5
          オッハ ∠_(o ̄∇ ̄o)  
 {「私」のための現代思想 }の読書日記を17回にわたり書いたが、ここでの著者の「私」についての、解釈も面白い。
「私」については、知れば知るほど面白い。ソクラテスの「汝自身を知れ」ではないが、汝が居てはじめて「私」が存在する。
 複数の汝によって、「私」は社会の存在者として表出する。         
 ー 生きているとはどういうことか ー
科学的世界観時代のドクマとして、自分は肉体であると思い込むに至る。しかし自分は肉体であるとは、どういうことなのか。 
それを極言すれば、自分とは脳であると、現代人は9割がたの人が疑ってない。「私」という言葉で、精神、感情、心とかいった
ことも含めるんでしょうが、精神的なことも脳波を測定したりしていますが、「私」は果して脳なのでしょうか。
脳には触れることができるとしても、考えそのものには触れることはできません。 感情だって、同じである。
「私」という存在にもっとも驚いたのは近代哲学のデカルトである。なんだこれは。考えている「これ」です。
「精神」「コギト」と彼は言いましたが、非物質の精神の存在、コギト。 彼はそこで失敗したのは、それに「私」
という名を持ってきてしまったことだ。そこに「私という名を持ってくると、どうもそこに私が存在するようになる。
問いとしてあべこべになってしまう。 つまり考えている「これ」に「私」という名前を当てたに過ぎないのであって、
「私」というものが予めてあるのではない。何かにあてられた一人称代名詞。これも名前に過ぎないということに気がつきます。
この一人称代名詞「私」は一体、何を代名しているのか。 最近「自分探し」というのが巷で流行っているそうですが、
これは方向としてあべこべで「私」という何かが何処かに在ると思っている。 
たぶんそれは社会的なアイデンティテーが欲しいということなんでしょうが。 それは正しい問い方ではない。
「私なんてものは、無いんですから。無いにもかかわらず、考えている何かがある。それは何か、ですから。
「何が私という名前で呼ばれているか」これが哲学的な問いです。どうも「私」は物質ではないらしい。非物質。
それと「私」は死なない。 死が無いから、「死後」は問えない。死後が在るか無いかという問いの間違いは、死が存在するとして
時間が前方に直線的に流れているという誤った表象に基づきます。この誤りに気がつけば、すべては、今ここにすべて存在する、
ということに必ず気がつきます。「私」が死なないという意味であって、死後にも生きているということではない。
なぜだか、全ては今ここに存在すると知っているこの何者かは誰なのか、これが正当な謎として立ち現れてくる。
このような不思議な存在に対して、「魂」と言いたくなる。しかし魂という言葉はつかい方が非常に難しくなる。
何か実体があるような、そういうものが生まれかわりするようなイメージになりがちです。実体的イメージ。
しかし、すべてが今ここに存在しているのだから、前世来世を問うのはナンセンスです。
だからと言ってそういうものが無いというものでもない。 とはいっても「私は私である」「私は個人である」とは、
「私とは誰なのか」という問いを止めてしまった我われの思い込みである。    
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ー死後が在るか無いかという問いの間違いは、死が存在するとして時間が前方に直線的に流れているという誤った表象に基づきます。
 ーここがポイントではないか?「死があると信じて時間が直線的に流れている」と、思ってきたが少なくとも私は死なないのである。
 「すべては、今ここに存在する」と、「死は無い」とが、 深く結びついているのである。
 「永遠の今ここ、そして永遠の、《私》」ということか・・   死(0_0)〜†  しっし "ゞ(`')
   死ぬわけ無いじゃん、わたすは私だから           (*^ワ^*)i  ホンジャ バイバイ 


4257, しまった!  ー6

2012年11月11日(日)

                     ー しまった! 「失敗の心理」を科学する ー ジョゼフ・T・ハリナン (著)
    * 人は、あまりに楽観的過ぎる!
 人は楽観的の方が気楽で生きやすい。しかし、それが人生に失敗をもたらす大きな危険を呼び起こすとしたら、問題は別。
バブル崩壊後の失われた20年は、「根本問題から目を背け、経済成長に戻る」という楽観論に惑わされた結果である。
根本問題は、東西対立が終わり米国が地政学的に日本に対する特別待遇の必要性が無くなったことと、アメリカの衰弱、少子化、
そして情報化によるグローバル化の結果である。 その前提が変化しているに関わらず今だ成長路線への修正を目指している。
あまりに楽観的である。間違いなく、10年後には国民の生活レベルは現在の半分以下か、三分の一になる。
 著者はここで、大学の色々な実験結果を示し、人間は昔から自分の記憶をいいように、自己満足するように再構成する性を
指摘している。たとえば親は、実際よりも専門家の意見に近い子育てをしてきたと信じてきたし、ギャンブラーは、負けより、
勝ったことを、こと細かく記憶している。それぞれの顔を何割か良くした修正写真と、修正前の写真を二枚並べて、どちらが
自分に近いかを問うと、確実に修正写真の方を選ぶという。人間は自分に都合よくものを見たり思ったりするもの。
 人間で凄いのは、とにもかくにもモノゴトを考えようとしないこと、楽観的すぎるということである。更に悪いことに、
結果を知ると、それまでの考えを無意識に修正してしまい、以前より修正後の考えを持っていたと思い込んでしまう。
大部分の人は世界は自分の為にあり、自分中心に地球が回っていると考えている。 実際は、その正反対であるのに。
その甘い考えで経験を重ねるうち、直接、自分に跳ね返ってきて叩きのめされる。それが小さな事態なら、まだ良いが・・
「楽観は意志、悲観は感情」という言葉は、一面、真理だが、これは意志に裏づけがあり強固であってこそ。
右上がりの時流の時は、「長期、楽観! 短期、悲観!にして、日々楽しく!」で、
右下がりの時は、「長期悲観、短期楽観で、日々可笑しく!」を旨にして、冷静にあるべき。楽観的であるのはよいが、
現象のマイナス部分を見て見えないという、欠点がある。その蓄積が大失敗に繋がる。 自分のことか?・・ いや、貴方も!
・・・・・・・
3882, 閑話小題
2011年11月11日(金)
     * カラスの怒り
 一月ほど前の話になるが、信濃川の大橋を自転車で走っていると、橋の下から飛んできて欄干にとまろうとしたカラスと
50センチ位の間近かに鉢合わせをした。カラスは不意をつかれヒックリ返って橋の下の方に落ちていった。
しかし体制を立て直したのだろう、30Mも行かないうちに自転車の数メートル先の欄干に止まって羽をいからせ威嚇してきた。
それを4度も繰り返したことから、怒り心頭が分った。 カラスにも人間のような意地があるようだ。
散歩などで時おり威嚇してくることがある。 黒色系の服装が刺激するのだろう。 鳥は、人間が思っているより遥かに頭がよい。
それもカラスは、地元密着で多くの知識の蓄積がなされている。 人間社会との微妙な距離を守り、共存している。
土鳩とカラスと雀は世界の街の何処にでもいる鳥である。
   * オリンパスの飛ばし
 オリンパスの飛ばしと英国人社長の解任事件、英国人の優秀な人物を社長にしたのはよいが、その男は一神教の堅物。
彼を引き上げた実力者の意図と違った行動を始め即刻、首なった。 ところが、その英国人が内幕を暴露をし、
世界的なニュースになってしまい、実力者の元社長は追放され、司直が入る可能性が出てきた。 これが現在、伝わってくる情報。 
飛ばしは、粉飾決算の手法の一つ。 それが銀行と証券会社主導かが問題視されている。 飛ばしは日本だけの慣習なのか?
世界共通の手法かは分からないが、これを切欠に、次の飛ばしの会社が槍玉になってくる。次は、どの会社かは情報筋は
分かっているはず。 この事件はアメリカにとっても、大きな日本バッシングのネタになる。今度は、オリンパスが買収される側になる?
一英国人からみた、日本の経営的慣行は、非常に歪んで見えるのだろう。それが白日に曝されるのだから・・・
アメリカは、TPP交渉に日本を引きずり出す絶好のネタとして、最大限、使ってくるはず。
 ・・・・・・・
 3517, 不況景色とは、こんなもの? −1
2010年11月11日(木)
  * 繊維業界の不況景色とは?
 いずこも似たようなものだが、昨日の朝のNHKニュースのレポートで岐阜を中心とした繊維不況の実態を映し出していた。
デフレに対する人件費の削減のため、中国人を研修目的の名目で入国させて何とか凌いでいたが、研修目的という題目の
低賃金が法律で禁止されることになり、先行き真っ暗という。ついに、来るところまで来てしまったという深刻なもの。
30年前に5年近く実家の衣料量販店をたずさわり、岐阜や広島などの生産現地に仕入れに行っていたこともあり、その深刻度が
直に伝わってくる。現在は業種は変わってもほぼ同じような問題で地域経済は喘いでいる。 住宅も、車も、電気製品も、
エコポイント制度による前倒し需要で何とか今年は凌いできたが、問題は来年はどうなるのか?である。 
前倒し需要の反動がモロに日本を覆うことになり、来年は更に冷え込みが大きくなる。考えただけで恐ろしい。 
また消費税の増税も待ったなし、ときているし、さらにTPP(環太平洋湾自由貿易)で、農業も例外なく自由化されれば、
日本の農業は大打撃を被ることになる。もし参加しないなら、日本経済そのものが壊滅的打撃になる。
 一昨日の同じニュースのレポートは、目と耳を疑う内容。「風俗嬢の派遣会社に一般主婦の応募が急増している」という。
顔を隠しているが、サラ金の借入れが厳しくなって、手っ取り早い風俗に昼間行っているという。週に4〜5日、
6時間で月40万になるという。 朝のNHKが放送する内容ではないが、時代は、そこまで深刻ということ。
 もう自明になったが、民主党に政権を取らせたことが間違い。今年の暮れか来年早々、政変で自民党と民主党の小沢派が
大同連合をつくり、この難局を乗り越えないと、国家破綻が現実的になってくる。 アメリカのCIAは、あらゆる手を使って
阻止してくるが、それしかない。 まったく、どうなってしまった日本よ!
 ・・・・・・・・
3142, 最近、いやに時間が短く感じるが
 2009年11月11日(水)
 齢を重ねるごとに、あれだけ長く感じていた1年があアッという間に過ぎ去る。
還暦を過ぎてから、それがますます激しくなっている。 日常生活に大きな変化がないためだろうが。
年齢を重ねるほどに、時が経つのが早くなるのは万国共通のこと。 これは実験でも検証されており、
「数十秒から数時間という経過時間を被験者に評価させると、加齢に従い短い時間を報告する」という。
また、苦しい時間はユッタリ流れ、楽しい時間は短く感じるのはどうしてか?などを突きつめると面白いはず。 
 「大人の時間はなぜ短いのか」一川誠著に、時間に影響を及ぼす主な要因としては
  次の4つが挙げられていた。
・身体の代謝= 代謝が高まると時間をゆっくりに感じる。1日の内でも代謝の関係で午前がゆっくりで
 午後が速く感じられるようだ。 代謝は加齢に伴い低下する。年を取るほど時間経過を速く感じる一因となる。
・心的活性度=緊張や興奮によって時間経過は速く感じられる。実験では逆にクモ恐怖症の人をクモと
 一緒の空間に閉じこめると時間が長く感じられたという。
・時間経過への注意= 時間を気にすると長く感じられる。時間経過への注意が時間を分節化してしまい、
 分節化された時間帯の数を多く感じることで、長いと感じるという仮説がある。時計を度々見ると長く感じる!
・他の知覚様相の状態= 広い空間では時間はゆっくり。刺激が多い時間は速い。 
 受け取る情報に脈絡やまとまりを感じていると速く感じる。目や耳で感じる印象と物理的実在のずれは案外に大きいことがわかる。
 時間感覚のずれも錯覚の一種としてとらえている。 今後、研究が進んでいけば、錯視パターンのように、
 人間の時間経過を操作する技術が発見できるのかもしれない。人間には心地よいと思える「精神テンポ」が備わっているとか。
 ーー
 なるほど、どれもこれも、納得できるものばかり。 分子の一年を、生きてきた分母で割ると、
 その分母が大きくなる分、導き出された答えは小さくなる、すなわち短く感じると、単純に考えていたが、
 他にも多くの要素があるようだ。肉体の新陳代謝のテンポや、齢をとるごとに刺激の感受性が少なくなるのも理由。
 要は老化現象で時間が短く感じるということか。 長い時間をかけて、人間は自然とユッタリ身構えるようになる。
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2777, 仮説思考 −4
 2008年11月11日(火)
   棋士の読みの一手は、仮説思考そのものである。 次の文章で、そのことを上手く表現している。
  制限時間のかなで、判断しなくてはならないから、一瞬の仮説思考が必要になる。 
  羽生は、ここで「直感の七割は正しい」といっている。面白い確率だが、彼の天才的な能力だから七割なのだろう。 
  共同体の中で、共同幻想を持って、そのことすら気づいてない我われは、仮説の世界で生きているようなもの。
  棋士の目で経営アドバイスをすれば、良い助言が出来るだろうに。
*天才棋士は一瞬で打ち手を絞り込む
  P−32
 プロ棋士、羽生善治は稀代の天才棋士であることはいうにおよばないが、仮にビジネスの世界に進んでいたとしても、
かなりの確率で成功を収めたに違いない。なぜ、そんなことをいうかといえば、それは羽生が仮説思考の達人だからである。
 羽生の棋風はオールラウンドで幅広い戦法を使いこなし、終盤に繰りだす妙手は「羽生マジック」と呼ばれる。
「マジック」の使い手ということになるが、こちらも妙手の秘密について著書「決断カ」で言及している。  
 羽生は将棋で大事なのは決断力だという。すなわち意思決定だ。決断にはリスクを伴うが、それでも「あとはなるようになれ」
という気持ちで指すのだという。そのときの意思決定を支えているのが仮説思考である。  
 将棋には、ひとつの局面に八○通りくらいの指し手の可能性があるが、その八○をひとつひとつ、
つぶさに検証するのではなく、まず大部分を捨ててしまう。八○のうちの七七、七八については、これまでの経験から、
考える必要がないと瞬時に判断し、そして、「これがよさそうだ」思える二、三手に候補手を絞る。これはまさに仮説思考だ。
八〇のうちから、よさそな三つの答えを出す。そして、その三つについて頭の中に描いた将棋盤の中で駒を動かして、検証する。
大胆な仮説を立てて、「これでよいのではないか」と指しているのだ。 羽生は「直感の七割は正しい」ともいっている。
直感は、それまでの対局の経験の積み重ねから、「こうういうケースの場合はこう対応したほうがいい」という無意識の流れに
沿って浮かび上がってくるものと思う、ど羽生はいう。 こんなこともいっている。
 「判断のための情報が増えるほど正しい決断ができるようになるかというと、必ずしもそうはいかない。
私はそこに将棋のおもしろさのひとつがあると思っているが、経験によって考える材料が増えると、逆に、迷ったり、心配したり、
怖いという気持ちが働き、思考の迷路にはまってしまう。将棋にかぎらず、考える力というのはそういうものだろう」
 将棋の対局の軽験をビジネスの経験に置き換えても同じことがいえる。ビジネスにおいても、問題の原因と解決策について、
あらゆる可能性を考えるよりも最初に焦点を絞って飯説を立てることが大事というのは、これまで述べてきたとおりであり、
それは、経験に裏打ちされた直感力、勘によるものだ。
 −−−
 羽生棋士の話より、多くの仮説から瞬時に一つを選ぶ‘決断’の重要性を教えられる。
 孫子の兵法で「巧遅より拙速」というが、そのためには高度の経験の蓄積を必要とする。 何事も同じである。 
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2007年11月11日(日)
 2413, 反転 ー闇社会の守護神と呼ばれて −1           (ォ'`ョゥ)
この本を読んで俗にいう娑婆のことを多く学ぶことができた。
バブル当時まで、元の住友銀行が大阪検察の幹部との定期的な会を開いていたことは周知の事実である。 
これは検察が定年退職をして弁護士になる時に、銀行の取引先を紹介してもらう見返りに、その銀行に対して逮捕者は
出さない取り決めだという。かなり強引な手法も検察がついているから好き放題できたと、この本にもあった。
やはり本当だったようだ。 地検も法務省の一機関でしかないということだ。
それにしても、恐ろしいことだ。 人間がいるところ仕方がないのか?ーその部分を抜粋してみる。
 「反転」 田中森一著
ー地検特捜の恐ろしさー
 ーP、178〜179ー
平和相銀事件の本質は、岸組による恐喝事件だったはずだ。 それが銀行側の特別背任にすりかわった。
本来、被害者が加害者になったようなものだ。その事件が、住銀の首都圏侵攻に大きく貢献したのは間違いない。
結果的に、われわれ検事は、都心の店舗をタダ同然で住銀に買い取らせるために捜査をしたようにも見えた。
伊坂はすでに亡くなっているが、古巣の検察にこんな騙し討ちのようなことをやられて、死ぬに死に切れなかった
のではないだろうか。 この平和相銀事件を体験し、私は東京地検特捜部の恐ろしさを知った。
事件がどのようにしてつくられるか。いかに検察の思いどおりになるものか、と。
《字数の関係でカット2008年11月11日11日)              ○´・ω・]ノヂャァネッ
・・・・・・・・・
2006年11月11日(土)
2048, あたりまえなことばかり −4
     b(^o^)dおっ W(^O^)Wはー♪   ー 読書日記
「生死を問う?ー何のためにいきるのか」は哲学上の大テーマである。
このコーナーでも何回も取りあげてきたが、私が一番好きなのは、フランクルである。
「人生に何を求めるか?ではなく、人生が何を私に求めているか?を問うてみよ」である。
 せっかく地球に生まれたからには「良く遊び、良く学び、そして良く働くこと」シンプルに言えば、これに尽きる。
 彼女ー池田晶子の生死については解ったような解らないような・・
 さわりの部分にこうある、「生死に対する、これはという答えなどないが、人は言語を所有するために、
 存在するしかない存在についての意味や目的を問うてしまう。言語のせいです。動物は言語を所有していないので、
 ただ生まれたから生きている。言語を持ってしまったから、問えない問いを問う不幸、十全には生きられない。
 問いを持ってしまったのだから、問うしかないから、問わざるをえない。『何のために生きるのか』」
 生を考えるとき、その対極にある『死』を知らなくてはならない。 しかし、死など解るはずがない。
 −−
「あたりまえなことばかり」
ー 生きているとはどういうことか ー
「なぜ生きるのか」と問うても、「生きていることはどういうことか」とは、人はあまり問わない。
意味、目的を問う前に、まずは生きているとはどういうことか知りたい。このことを知った上で、そこから初めて生存の意味や
目的を問うべきである。生存を知る前に、死を知っていなくてはならないが、死とは生きていることじゃない!と答えるしかない。
死を知らないくせに、知ったつもりでいる。普通、死は恐い、恐怖、不安であり、いずれは死ぬという前提で人生を送っている。
他人の死ぬのをみて自分に当てはめて類推しているに過ぎない。自分が死ぬという経験は絶対にありえない。
   (字数の関係で中間カット2010年11月11日11日)  
 ーーー
 内容はダンダン面白くなっているが、字数の関係でここで切る。エピクロスは、「人が生きているかぎり死は存在しないし、
死が存在するときには人は存在しない」と看破した。言葉を持った人間が死という言葉を持ったために、死という言葉の影に
脅えているに過ぎないということをよくよく納得しないと、生きかたを間違ってしまう。でも、言葉でわかったつもりでも、
「生きているうち、死んでしまえば、それまでよ!」と思ってしまうから困ったものだ。
しかし、死ぬという言葉自体が生きている人間が死体をみて、いや抜け殻を見て名づけた言葉である。
しかし仏教では「生老病死」というんじゃないか?でも、あれ宗教じゃないか! いや元々は宗教ではなかった。
死という字がよい、一の下に夕ヒである。夕陽が地平線の下に消えるのが人生の終わり!何ともロマンッチクである。
この辺に答えがあるのじゃないか?いや、一は生きている方が勝手に思っていること?当人は、その線の一は無い!のか?        
・・・・・・・・・
2005年11月11日(金)
1683, ザ・マインドマップ−1               −読書日記
ブザンのマインドマップに関しては、「頭の良くなる本」「自分が天才に思える本」「人生に奇跡を起こすノート術」
などを読んでいた。特に初めて「人生に奇跡を起こすノート術」を読んだ時は大きな衝撃を受けた。
その前に、「インスピレーション」というソフトを買って使っていたにかかわらず。
これをノートに切り替えるという、着想がわかなかっただけのことだが。しかし、絵入り、手書きという部分が違っていたが。
 《字数の関係でカット2009年11月11日11日)
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2004年11月11日(木)
 1318, ベスト・エッセイ集ー2
 橋本元首相が、数年前に大手術をしたことは、ニュースで知っていた。この本の中に、その時の生々しい心情や、具体的な
日々が書いてあった。何かキザな鼻持ちのならない男と見ていた存在が、急に身近な一人の人間に思えてくるから不思議である。
またTV「お宝鑑定団」に出ている中島誠之助のエッセイもあった。普段知ることのできない骨董品の世界を覗き見ることが出来た。
骨董の世界は本物、偽者が混合している世界。本物の中でも、価値が大きくわかれている深い世界である。
 ー中島のエッセイの印象に残ったところを抜粋してみる。「骨董の世界では、初めから人をだますために作られたものを、
偽者にもおよばない最下級におき、『嫌物(いやぶつ)』と呼んで下げすんでいる。
嫌物は、それをこしらえた人化身であるために、そのもの自体に罪がある。それに対して偽者は、その人が作りあげたもので、
品物自体に罪はないといえる」 著名の作家の書く文章は、何気ない日常の描写が鋭く、それを思わせないタッチがプロの凄み。
一流の人は何気ないことでも、その文のタッチで改めて対象を見つめさせてくれる。それが一流の一流たる所以である。
一流の役者が端役を演じると、その役そのものが端役でなくなってしまうから不思議である。何事も魂を込めるからである。
このエッセイ集に選ばれることが、著名なもの書きや、政治家や、エッセイストの大きな名誉となっているという。
 この数年分の「ベスト・エッセイ集」をジックリ読んで勉強してみようか。
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2003年11月11日(火)
 951, 衆議院総選挙の結果を考える
 終わってしまえば、こんなものだろうというのが選挙の結果である。もう少し、投票率がアップするのではと思っていたが、
それにしても低すぎる。総括として「二大政党のカタチが、でき始めた選挙」であった。
 以下字数の関係でカット(2007年11月10日)
・・・・・・
577, 一人旅
- 2002年11月11日(月)
 (次数制限のためカット 2011年11月11日)


4256, しまった!  ー5

2012年11月10日(土)

   
                 ー しまった! 「失敗の心理」を科学する ー ジョゼフ・T・ハリナン (著)
    * 後悔の歪み
 人生、振り返ると後悔することが、あまりに多い。人は、その後悔が次の行為の壁になり消極的人生を過ごしてしまう。
 反省はよいが、後悔は程々に、である。トラブルも失敗も生きていればこそ。 ―その辺りを抜粋して考えてみるー
≪ 失敗を裏づける証拠が増える一方なのは、意思決定における「感情」、とりわ後悔の念が果たす微妙な大きな役割について。
 人は誰でも、引き出した結果を悔やむ状況に立たされ続けている。結婚の失敗。故障しがちな車。処分できなかった不動産。
しかし同じ後悔のなかでも、「後悔する優先順位」というのがある。そして後悔の深さの差から、なぜ人は最初の直感に
しつこくこだわるのか、その理由が見えてくる。 一般に人は「不作為」よりも「行為」に対して大きな責任を感じるものである。
誤りを犯しそうなときは、むしろ、「行動を起こさない」という誤りを犯すほうを選ぶ。 というのも、不作為は受け身の
できごとと見られがちだからだ。 自分は何もしなかった、だからその結果に感じる責任も小さい、というわけだ。
 1600人以上の大学生による模擬試験の観察から、観察者は、先行研究で発見されたのと同じ誤りとを発見した。
答えを変えた受験者は、たいがい点数を上げていた。変更された全解答をカウントして分析したところ、誤答から正答への変更は、
正答から誤答への変更を二対一の比で上まわった。 だが、もっと重要なことは、実験後の学生との面談から明らかになった。
「正答を誤解答と変える予感は、誤答を正答に変え損ねる予感よりも大きな後悔をもたらしていた」のだ。
つまり、何もしないほうが、何かをするより後悔しないで済む、ということだ。どのみち誤答してしまうとしても。 ≫
 ▼ 人は、しなかった後悔より、実際にしてしまい失敗した後悔により捉われる傾向にある。実際に、この実験のとおり、
  私の具体的経験を振り返っても同じことがいえる。やらなかった後悔は、実際に失敗した後悔の数倍の損失のことが多い。
  しかし実際ところ、止めて致命傷にならないで済んだことも多くあった。事業結果が、こうだとしても、後悔をしていない。
  原因がハッキリしているためだが、全身全霊を注ぎ込んだこともある。思った通り、生きてなかったら数倍、いや数百倍も
  後悔していたはず。 海外旅行は、起こりえるトラブルが全て起こると覚悟をしておかなければならない。
  「良いこと2に、後悔すること1」の比率で、通常生活10倍が圧縮して生じてくる。 そう割り切ってしまえばよい。
  「正答を誤答へ変える予感に従うと、正解する確率が二倍になる」のと同じ比だが・・・ 少し意味が違うか。
  人生も同じことがいえる。 刷り込まれた思い込みを間違っていると直感しても、その修正による失敗を恐れ、
  大事な人生を棒に振る。 修正した方が正しいと分かっていても、である。だから計画をたて、準備を充分するのである。
  結果は、それまでの経験の色分けを変色し、その歪を大きくする。それにシタリガオ批判の歪が加わり自滅してしまう。
・・・・・・
3881, 閑話小題 ースロータイムの勧め
2011年11月10日(木)
    * のんびり、ぼんやりといこか〜   ー スロータイムも悪くない!
 第二か、第三の人生のキーワードは何だろと考えると、「ぼんやり、のんびり、のびのび、ほのぼの」という言葉が浮かんでくる。
あまり、のんびりすると、ボケてしまう?。 数十年も緊張の連続の後、これからの人生は、せめて一日のうち数時間でも、
のんびりし、ぼんやりすることも必要だろう。この随想日記を毎日書き続けるのも結構、緊張をする。スケジュールに沿って
生活しているので、一日中は、ぼんやりしていられない。 一応、午前中はスケジュールを満つにして、午後はフリーにしている。
最近、「アングリー・バード」という子供向けのパソコンゲームで、午後の一時間は遊んでいるが、これも、のんびりの範疇。
無意味=無価値の時間を遊ぶことも必要? 「定年になったら女房と、のんびりと世界一周をしたい」というのを聞いたことがある。
地方で装置産業を事業としてきたので比較的に時間があった。しかし、のんびりしてきたか?と言えば、そうでもなかった。
しかし節目が変わって、価値観がコペルニクス的に変わり、のんびりする時間が多い人生こそ最大の収穫と思えるようになってきた。
 ところで、栗田昌裕の指回し体操で「 さわやか、まろやか、のびやか、晴れやか、ほのぼの 」とブツブツ言いながらする健康法が
あるが、これを「ぼんやり」とすると良い。 積極的幸せの追求は、さておき、消極的幸せの追求に重心を移動する時節でもある。 
積極的幸せとは、自分の趣味を追及するとか、人に認められるような事、人のためになる事を、追求すること。 消極的幸せとは、
病気や事故にならないように、人の迷惑にならないようにとか、まずは普通の生活を確保して、それに満足する生き方、
無事平穏こそ幸せ、と信じる生き方である。 第二の人生は現状を、これで良しと諦念する生き方?。 年寄りっぽくなってきたが・・ 
「歳には勝てない」として生きるか、原野に留まり自分の価値を高め続けるのか、その人次第。それも、生活が安定した上の話になる。
・・・・・・・
3516, インターネットは20万年来の革命か?
2010年11月10日(水)
 10年ほど前に、「ネットは人類の歴史で20万年以来の大革命である」と聞いた時、20万年前は、
言葉か絵画の出現では?と勝手に思っていたが、先日になって、それが「道具」と知った。
 ■一万年前に狩猟・採取から農業・牧畜が始り、■5千年前に5大文明が世界各地で起こり、
 ■250年前に蒸気機関が発明され、産業革命が起きた。■そして人間が道具を使うようになったのが20万年前。
 ■脳学者の茂木健一郎は、ネットは言語以来の発明というから、200万年以来の発明ということになる。
* 200万年の言語というと、掴みどころないので20万年の道具説以来の発明の方がよい。そして、この十年でネットが世界中に
結ばれ、検索にキーワードを入れると世界中からの情報が入ってくる。さらにブログやツイッターが普及し、各自が情報を無条件に
公開を始めたため、情報が爆発的に増えている。ネット世界の出現で、もう一つの世界が出来たといわれるが、それが現実世界の
上位に立ち始めたことからみて、20万年来の革命的ツールという説も、言葉使用からの200万年説も、決してオーバーとは
いえなくなってきた。そのネットと最先端電子機器が世界を根底から覆していることを、あまり取り上げない。
今さらなのか? しかし現実を見ていると、機器とソフトが独走をして一部の人間を除くと、コントロール不能になり、
政治、経済のあり方を根底から変化させている。政治ひとつとっても、直接に政治に関りない国民の方が、渦中の政治家より、
正しい判断が可能になっているとか、思いもよらない情報が表ざたになるとかで社会を大きく変えてしまった。
現在問題になっている尖閣列島の中国漁船ビデオの流出も、それを阻止すること自体がどだい無理の話。一人の海保職員が
政治を大きく左右することが容易になっているのも、ネットのため。これらによる社会変動は、まだ始ったばかりで、
時間の経過が経つほど大きな影響を出してくることになる。 再度いうが、TV、携帯電話、パソコンなどの進化には驚かされる。 
問題は、それをどう使いきるかである。  まさか、これを現実に目の当たりにできるとは!
 ・・・・・・・・
3141,自分の年齢から時間の長さを考えてみる
 2009年11月10日(火)
産まれて、あと二ヶ月で64年経つが、遥か彼方のようでもあり、それほどでもない感覚でもある。
20歳の人からみたら、大昔に感じるだろうし、90歳の人からみたら、それほどでもないだろう。
そこで自分が産まれた時点から、逆に64年前を考えてみると、128年前、1881年、明治14年である。
私の祖父が、この頃は10歳位になる。  それを考えると、やはり遥か彼方である。
 この年を調べると、
・外国の動きでは、ロシア皇帝アレクサンドル二世暗殺
・明治天皇、東北、北海道巡幸御発輦
・黒田清隆、大隈重信の国会開設早急論に反対し、三条実美に趣意書提出
 大隈重信、参議を罷免(明治14年の政変)   国家の形が出来始めたころだ。
この64年間に第二次世界大戦、朝鮮戦争、米ソの冷戦、中国の文化革命、ソ連の崩壊、9・11テロ、
そして、去年の9・15から始った金融恐慌である。そして眠れる獅子の中国の時代がやってきた。
また、時代とともに家電機器やパソコン、そしてインターネットの飛躍的な進歩で情報社会が
劇的に我われの生活を変えようとしている。もちろん、変わらないものがあるが、潮流は飛躍的に変っている。
三倍の200年の時代を経験してきたようだ。 特に、この20年の変化は劇的であった。
とはいえ、私の産まれる前の64年間には日清・日露戦争、5・15、2・26事件、昭和の大恐慌、東京大地震があった。
世界でも第一次、第二次世界大戦と世界恐慌があった。 世界は激動していたのである。
 80歳を一つの目安とすると、あと16年。10年間は恐慌の嵐が吹き荒れる環境で、日本がダウンサイズし、
中国が勃興するプロセスを目撃することになる。また、ITなどのネット社会への激変も目撃することになる。
64年間、十分に世界を見てきた満足感はある。 長生きしなければ、世界の変化を充分に見ることは出来ない。
 少し、酒でも控えるか。 もう、遅い? 戦争で兵隊を経験し、戦中を乗り越えてきた80歳後半の人は、
本当に長く生きてきた実感はあるだろう。 彼らは変化を受け入れ、冷静に見ているから、なお、
時間の長さ・短さを実感しているだろう。  これだけ激しい変化を目撃するとは、実際思ってもいなかった!
・・・・・・・・・
2776, 仮説思考 −3
 2008年11月10日(月)
「仮説思考」で、この金融危機を掘り下げて考えみる。
「この一連の金融危機は世界恐慌の序曲である。」と、仮説を立ててみる。
(「もうこれは仮説ではない! 現実である」という私の内なる声は無視する)
  −−その仮説から考えると−−
「1929年の世界恐慌と比べて、今回の方が遥かに規模が大きく、タチが悪い」と世界恐慌・研究の米国人経済学者が
インタビューに答えていた。 経済危機としては歴史的にみて最悪の事態であり、5年や10年のスパンで収束しない事態。 
その最大の被害者は一番の友好国である、イギリス、イギリス連邦、日本、サウジアラビア。
次は体質のまだ弱いUCの国々、ロシア、中国である。アメリカの毒入債権を金融機関や個人が多く保有しているからである。
 アフリカ系のオバマが、いくらチェンジといっても、それは口先だけのこと、実際はあまりにも大きな壁があり、
早期回復など有得ない。 そうこう考えると、この10年は想像を絶する事態が待ちうけ、世界戦争につながる可能性が大。 
「地球システム」の立場からみれば、この狂った猿の自滅が始っただけで、むしろ有益である。 
今年の暮から来年にかけて世界中が一挙に不況風が吹き荒れ、倒産ラッシュは避けられない。
5〜6年先には、食品が二倍に値上がり(もっとか?)、消費税が25%、株は5千円以下、土地の値段は現在の半分か三分の一。
生活レベルが現在の半分以下とみればよい。 それでも40年〜50年前の生活に戻るだけである。 
それがどうしたといえば、どうもしない。 この予測が悲観的ではなく、現実的な予測。そうなりざるを得ないだけ。 
企業には成長対策、競争対策、生存対策、将来(長期)対策があるが、生存対策が最優先の時代の到来になった。
 今回の問題は、これまでのドル体制が根こそぎ崩壊していくサインである。
更に悪いことに、ユーロも崩壊に近い状態であり、今後の新しい金融システムの未来像が見えてない。
そうこう考えると、世界は欧州、アメリカ、アジア、アラブ圏などの、ブロック化の傾向が強くなる。
その中で日本は、どのブロックに入っていくかが戦略的大問題になる。 
 今週末のサミットは異常事態の中での緊急に開催されるが、「驚くべき声明」になる可能性もある。
各国が同時に非常事態を宣言する可能性とか、一時的な銀行閉鎖もありえる。 
世界はキセズシテ激動期にはいったのである。 日本でも、世界でも、大地震や津波やサイクロンが発生するし、
異常気象が発生している。 この世界的危機を含め地球システムそのものの変調が原因とみるべきである。
 ▼ 以上が、この異常事態を「世界恐慌」と仮説?して書いたものである。成るほど、書いていて基点が明確であるので、
   どんどん言葉が出てくるし、掘り下げて考えやすい。                    つづく
・・・・・・・・・
2007年11月10日(土)
2412, 暴対法について       ○( ̄ ̄ ̄ ̄o ̄ ̄ ̄ ̄)○ おっ W( ̄ ̄ ̄ ̄∇ ̄ ̄ ̄ ̄)W は〜
また、九州で暴力団の素人を巻き込んだ殺人事件があった。こうなったら「暴力団対策庁」を「警察庁」から独立して設立すべきである。
暴対法が出来てまる15年、その社説が先日の産経新聞に出ていたが、この法律が出来てから見るからに暴力団風の男の宿泊は激減した。 
またクラシックなパターンのホテルへのカツアゲも殆どなくなった。開業以来ほぼ強請り取られた経験はないが、それでも現場は常に
緊張感に包まれている。地元の暴力団は比較的に大人しいが、それでも数年に一度はニアミスを起こしそうになる。
(字数制限のためカット 10年11月10日)
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2006年11月10日(金)
2047, あたりまえなことばかり −3
      オッ(*^○^*)ハ〜       ー 読書日記
難しいことを、わかりやすく書いてあってよい。 考えることは数多ある娯楽の中で一番面白いと・・
如何にわかってないかをわかること、無知の知の自覚こそ哲学の原点という。そして「きちっと考えれば悩まなくなる」
というが、そのとおり。自由への道を一歩一歩、考えながら歩むことになる。
 ーーー
「あたりまえなことばかり」 
  ー 考えるとはどういうことか ー
 ソクラテスもこう言ってます。「何も考えても何の得にはならない、しかしわからないことをわかろうと考え始めて、
  如何にわからないかということをはっきりわかることができる」彼はこれを無知の知という言い方をしました。
 つまりはパラドックスの自覚です。このソクラテスの無知の知という自覚は、哲学の原点です。
 考えてもわからないから、なお考えるのです。 逆に、考えるということはそこから始まるのです。
 この「考える」ということは、世の中にある他の面白さなど大したことはない、というふうになります。
 他の娯楽が多くあるが、直に飽きます。それはその面白さが大したことがないからです。
 考えることがなぜ飽きないかというと、いくら考えても先があるからです。
 もう少し実用的な言い方をすると、きちんと考えていると、悩まなくなります。     
 考えることが自分から始まって宇宙まで広がると、その開放感とか自由感は凄いものなのです。
 なぜなら、非常に大きなところから自分を見る視点を獲得するからです。
 相対的な視点が獲得できると、我われは日常のべったり張り付いている場所に居ながら、
 また宇宙大の視点から見ることができるから、非常に自由になれるわけです。
 今が日常のすべてと思い込んでいる人が、こういう目を持つことができれば、あれこれ悩んだり喧嘩したり
 することから開放されるのです。死体が残って、死が何処にもなければ、人は当然、魂という発想を持つわけですが、
 これを上手く語る言葉がない。 また魂を語るといって、これは死後を語るということではないのです。
 死後とは、これこれであると言ってしまえば、それは宗教になってしまいます。 死後は誰もわかっていないのです。
 ですから、古代の人の死生観が如何に自然であったか気づくわけです。
 どうやら人が自分を自分と思っている自分は、それほど明確なものではないらしい。
 自分と宇宙、自分と他人というものをうまく分けられない。 万物は流転しているようだとだんだん気づいてきます。
 そうすると再び、 今ここに居て何かをしている自分は何か、という問いに戻ってきます。
 我われがこの地球に存在したことの意味と目的というのは、考えることによって、その不思議さを自覚することによって、
 自由になることにあると思います。 我われは考えないことによって、要らないことにいっぱいこだわって、
 不自由になっているいるわけですから、考えることによって、それから一つ一つ自由になっていく。
 また本来すべての我われが自由であったということに、考えることによって人は必ず気づくはずです。
 謎を自覚することは、自由である他になりません。 だからこそ人は、じっくり考える必要がある。考えて自覚すること、
 自分が自分であることの謎を 自覚することこそ、この時代の人生を生きることの意味は尽きていると考えます。
 ーー
 以上が「考がるとはどういうことか」の主旨である。「人間の最上の快楽は考えることである」というのは少しは納得できた。
秘境旅行に行って、サッパリして帰ってくるのと酷似しているから尚のことだ。最果ての地で直感した開放感と自由感は、
その離れたところからの大きい視点を得ることによって、確実な心の基点を裏づけとして、何時までも残る。
それが、哲学することー考えることと酷似ているということである。哲学も、秘境旅行も、その蓄積により自分の中の自由を
大きく切り開いてくれる。我われは、よく考え、よく生きることによって、よき自分の物語を持つことができる。
自分の中に自分の物語と、歴史の物語を重ねることによって、互いのプリズムを照らし合わせて
輝かしい人生にすることが、哲学をすることに求められるのではなかろうか。


4245, しまった!  ー4

2012年11月09日(金)

   
                 ー しまった! 「失敗の心理」を科学する ー ジョゼフ・T・ハリナン (著)
     * 人は、出会った人の名前はどうでもいい
  私は人の顔と名前が覚えられない性質である。元々、見ないのである。数年前に義妹の名前も忘れいて、呆れ返られた。
 しかし、この本によると名前は意味がないため、関心度の重要度が低いという。人は名前や名称より、意味を記憶をする。
 逆に記憶するにはキーワードに意味を持たせればよい。人は、職業と趣味に注目されるが、名前や性格は二の次になる。 
   ー その辺りから ー
≪ 人の名前は、じつは、人の特徴とよく似ているが、大した意味がないので、忘れたり、まちがえたりしやすい。
 名前がほかの要素と比べて重要でないことは、数年前にイギリスの研究で証明された。 にせの人物のプロフィールを暗記
させるという実験だ。各プロフィールには架空の名前のほか、その人物ゆかりの地名(出身地など)や職業、趣味といった、
にせの情報が記されている。にせのプロフィールは、たとえばこんな感じだ。〈アン・コリンズ。有名なアマチュア写真家。
ブリストル近郊在住。地元で訪問看護師として働いている〉 では、実在する被験者たちは、その人物の何を覚えていたか?
「職業」だと思ったあなた、正解だ。職業は全被験者の69%が記憶していた。タッチの差で二位だったのは「趣味」の68%。
次いで、62%の「出身地」。ぶっちぎりで最下位だったのが「名前」である。ファーストネーム(名)は31%、ラストネーム(姓)は
30%しか覚えてもらえなかった。どういうわけか、その人がパン屋を営んでいることは姓がベイカーであることより覚えやすいのだ。
なぜこうなるのか?研究者にもわからない。おそらくは、人の名前は、あまり意味がない恣意的につけられた「ラベル」でしかない
ということだ。ジムにしろティムにしろ、可能だ。・・・ 人はパン屋さんであるベーカリーの方を、ベーカーさんより記憶する。≫
 ▼ 営業は顧客の顔と名前を必ず一緒に記憶する重要性を知ることから始まる。過去のツアー仲間たちで、憶えているのは、
  職業、趣味、出身地、そして顔。しかし、名前は、実際のところ殆ど憶えていない。031538という数字を例えると、
  「3月半ばの15日の3時と8時か、どちらかに」か、「王(おー)さん、いこか38本。」とか、何か意味づければよい。
  意味づけるには、上記のように小さな物語を作ることである。名前は、それぞれの物語だが、他人にとって符号でしかない。
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3880, 東北大震災と、9・11、9・15を重ねると
2011年11月09日(水)
   * 東北大震災と、9・11、9・15を重ねると
 東北大震災と、9・11テロ、プラス9・15リーマンショックを重ねると、現在の世界金融危機が見えてくる。
東北大震災は三つの地震が連動しM9の大地震になって、それが10メートルの大津波となって太平洋側の東北の海岸線に押し寄せた。
その上に宮城の原子力発電所を襲い破壊してしまった。 起こりうる最悪の重なり(大地震、大津波、原発事故)である。
その原発事故は今だ進行中である。 9・11テロと、9・15の金融危機の重なりも、ことは重大である。9・11はイスラム対キリスト教の対立。
またリーマンショックも、金融王国アメリカがもたらした経済大震災。アメリカのサブプライムローンを組み込んだ債権を世界中の企業と
金融機関などに撒き散らしたが、今だ塩漬けの状態。 しかし遅かれ早かれ表立って世界中の金融機関を破壊してしまう規模のもの。
 今回のギリシャは何とか目先乗り越えたが、次はイタリア、スペイン、ポーランド、アイスランドが待っている。
東北大地震が起きた後の大津波の襲来は、1時間から4時間経ってから海岸線に押し寄せた。 リーマンショックを大地震と例えると、
その大津波は金融恐慌、経済恐慌に例えられる。 前回の1929年の恐慌は、当初の株の大暴落から3〜4年後の1933年に本格的大暴落になって、
大恐慌落に落とし込んだ。 今回はG20を緊急に組んで各国の首脳が対策に努めているので、何とか目先を引き延ばしている。
それも瀬戸際に近づいてきた。 不安を煽るようだが、東北大震災が日本経済に与える影響は、これから。一年一年、ジワジワと我われの
生活に影響をしてくる。 失われた20年とリーマンションショックの時期が重なっているため事態は深刻。 
以前は世界規模の戦争を起こして清算してきた。しかし、現代では、そのロスの方が遥かに大きいのは目に見えている。その中で、
世界の指導者も、我われも自然の流れに身を委ねているのが現在。 株式の暴落=Xディーが、何時のなるのか、薄氷の日々が続く。
 起こってしまった経済大震災と自然大震災、極めて大きな黒雲が漂っている。 これに情報化社会がもたらす社会変化が加わる。
その結果としての近未来の惨状は世界も日本も第二次世界大戦を超える可能性がある。特に経済的ロスは下々の方が大になる。
その彼らは正常性、同調性バイアスで、日々を過ごしている。 しかし、それも、あと僅かになってきた。悲観的過ぎるかもしれないが、
そうとしか考えられない。私の現状が既に震災の被害を直撃したため悲観的過ぎるのか、そこに身を置いたから分かることなのか?
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3515, ユダヤ人の頭脳活性法 ー7
2010年11月09日(火)
  「ユダヤ人の頭脳活性法 」手島 佑郎 (著)
 * ユダヤ人の考え方から何が学べるか
 ー 日本人は、第一人称不在である。
 記憶力が良いことと、自分で問題解決方法を工夫するのは別次元である。
「それについて自分がこう思った。私はここを疑問に思った。私であったらこう考える」という主張が欠如している。
つまり「自分自身は」という一人称が不在である。日本人の、無思考シンドロームの若者の多さは、大人たちの解答直行主義が
まいた種子の結果である。学校時代のまる暗記などで大学受験を乗り切ってきた根源が社会に出てからも続いてきたからである。
ベストセラーなど名著を読んでも、その本に感化されるわけでもない、吸収もしない、いわば、消化器の胃腸を持たない食道だけの
状態の人間、知識の食道人間、それが日本人である。ソクラテスもカントもニーチェも、自分の時代の問題を自分のことばで
考えたのであって、他人の言説の解説はほどんどしてない。 対照的に、日本の知識人は、
あたかも自分の考えであるかのように海外の思想を引用し、それを基準に世間の動向を批評している。 
 ■ここで考える四段階とは?を説いている。
△第一段階で、考えるための基礎的知識とヒントをどうつかむか?を、
△第二段階で、考える課題を自分自身に引きつけ
△第三段階で、自分で疑問を持ち、問題を発見し、解決法を組み立てて
△第四段階で、自分のことばで、自分の考えを述べる   これを徹底的にすることで思考力を高めている。
 ■「質問」ができるか?という能力も大きく問われる日本人は、小中高校を通して、先生にあまり質問をすることはない。
それは逆に言えば、深く問題を自ら求めてないからである。先生の方も生徒に課題を多く出して、生徒自身が研究し、
自分で解答を見つけるように仕組むのが教育もあるべき姿である。ユダヤでは低学年の時から小人数のグループ編成と
ディスカッションを進めている。一クラス25人を超えることはない。課題研究は5〜6名で、生徒たちは議論をしながら進める。
自分たちで考え、自分たちで疑問を持ち、自分たちで質問しあい、自分たちで答えを出す作業をしている。
 〜〜
 自分の頭で考えること、そのためには「自分自身は、こう思う」という第一人称で考えること。疑問を持ち、何が問題かを見つけ、
解決策を見つけ、自分のことばで考えなければならない。特にユダヤの教育は子供のころから、これを徹底させる。
島国の中で、外敵から攻撃の心配がないことが、思考の必要性を最小限にしたのだろう。明治維新は、外的の脅威から起こった。
 坂本龍馬、高杉晋作、吉田松陰など、強烈な個性を持った男たちは、第一人称を持っていた。
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3140, マイケル・ジャクソン 「THIS IS IT」
 2009年11月09日(月)
 昨日、長岡T.joyでマイケル・ジャクソン「THIS IS IT」ーを観てきたが、期待した以上の内容だった。
長男が二回も観てきたというし、家内も観て良かったというので、ネットで内容を調べ納得し見ることにした。
亡くなった時に、あれだけ世界中が悲しんだのだから何かがあるはずと・・・。
ライブをそのまま映画化したものを観たいと思っていたので丁度よいタイミング。
 《以下字数の関係でカット2010年11月09日》 
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 2775、仮説思考 −2
  2008年11月09日(日)
    ー この本の背裏の紹介の内容が、ズバリ要所をついている ー
 「情報が多ければ多いほど、よい意思決定ができる。このように信じているビジネスパーソンは多い。
 そうであるがゆえに、できるだけ多くの情報を集め、それらを分析してから、経営課題の本質を見極め、解決策を出そうとする。
 実際に起こることは何か? 情報収集しているうちに時間切れになったり、あるいは、ほかのどうでもよいデータはあるが、
 最も重要なデータがないことに土壇場で気づき、苦し紛れで「エイヤーッ」と意思決定せざるをえないことになる。
 徹底的に調べてから、答えを出すという仕事のやり方には無理がある。では、どうすればよいのか? 仮説思考を身につければよい。
 仮説とは、十分な情報がない段階、あるいは、分析が済んでいない段階でもつ、「仮の答え」「仮の結論」である。
 常に仮の答えをもちなながら、全体像を見据える習慣を仮説思考と呼ぶ。
 「仕事が速く、優れた成果をもたらすコンサルタントはみな、仮説をもって仕事をしている」と著者は言う。
 ーこれだけを身につけるだけで、全てが変化をするだろう。そして、その効用とは・・・
 *仮説思考の効用
    著者は、仮説思考の効用を3つ上げている。
    (1)情報洪水に溺れなくてすむ、(2)スピードアップ、(3)他人に状況がよく見える。
 (1)は、学生時代の研究レポートのようなものを考えると分かりやすい。「できるだけたくさんの情報を集めて
    分析してストーリーを作ろうとすると、提出日前の夜中になって重要な点を調べ忘れたと気が付いたりする。
    その結果、その部分は穴をあけたまま提出することになる。情報収集に時間を取られた結果、思考する時間が
    ほとんど取れなくなってしまうのは最悪だ」(内田)。これでは仕事の質が悪いばかりか、時間の無駄となる。
   「最初に答えを決めておいて、それに必要な部品を集めていけばいい。100を網羅的にやるより、もっともらしい2、3をやる。
    仮説思考は繰り返せば繰り返すほど経験がものをいうし、精度も上がる」
 (2)は、仕事がスピードアップし、楽になるという点だ。多くの作業をこなした方が仕事をした気にはなるが、
    実際には仕事の価値とはまったく関係ない。(1)とも関連するが、「100のうちの3に絞って考え、
    それで結果的に問題の解決策につながれば、仕事は加速度的に素早くなる」。作業のスピードを向上させるのではなく、
    仕事の量を減らすことで作業の効率化を図るというわけだ。
 (3)は、他人に仕事が見えるという効用だ。例えば、部下に仕事を依頼し途中経過を確認しようとしても、
    頑張ってはいるようだが、状況がよく分からないということがある。作業の状況よりも着地点を先に決めている人への方が
    アドバイスしやすいし、上司も安心できる。ここでも先に仮説を立てている人の方が結果として良い結果につながりやすい。
    同様に上司も仮説を持っていると、部下は最初から仕事の方向性が見えるので無駄な作業をしなくてすむ。
   「徹夜してやらなければならないような作業を行ったのに、結果的に間違ったものが出てくる」という事態を避けられる。
    もう一つ事例を挙げると 「実験をする前に論文を書く」ケースがある。 最初に論文を書くことで、アウトラインを明確にする。
    そのため、その結論に至る実験内容を決定できる。 つまり、その結論に至る余分な実験を行わなくてよくなる。
     失敗しても自分の出した結論は間違いだと短時間で分かるため、それほど時間の無駄にはならない。
 *自分より1つ上のポジションの立場で考える
   仮説を持って仕事をするためのポイントは、全体のストーリーを立てることだという。
   全部いっぺんにやろうとしてはダメだ。「網羅的にやって80点を取ろうとするよりも、ヘソをおさえてやる方が大事だ」
  「少ない情報でもイマジネーションを使えば2週間もあれば結論を出せる」。新米のコンサルタントに最初の2週間で出させた結論と、
   プロジェクト修了後に出した結論を比べてみても「これがほとんど変わらない」という結果になるという。
   著者は仮説思考を訓練するために「常に自分よりも1つ上のポジションにいる人間の立場になって考えてみる」ことを勧める。
   また「相手の眼鏡を掛けてものを見る」ように心掛けるのも役に立つという。
   ーー
 後記)考え方としては、「演繹法」に似ている。まずテーマを決めて、その要素を探し出す方法である。次回は、この本で紹介している、
   天才棋士の羽生の話である。棋士ほど、あらゆる仮説を一瞬に立て決断しなければならない。
   彼の言葉の一言一言が仮説思考について当てはまるのである。            ーつづく
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2007年11月09日(金)
2411, からだのままに      (☆-v-)。o○《Gооd Мояйiиg》
 「からだのままに」 木けいし著 文藝春秋社   ー読書日記ー 
 数年前、レンタルDVDでみた「阿弥陀堂だより」が非常に印象的であった。図書館で見つけた本だが、
  《以下字数の関係でカット2008年11月09日》            ノヾィ♪ヾ(´_`●)ノ ノヾィ♪
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2006年11月09日(木)
2046, 教養について −2
     (+>∀<+)ノ おぁはは〜ようさん
数ヶ月前に、同じテーマで書いたが、再び書く。
<前回の要旨>は、
・「教養」の概念は、英語では「文化」を意味するculture、ドイツ語では「形成」を意味する
  Bildungに対応していていて、豊かな人間性の形成のための素養としての知識・経験をいう。
・「いかに生きるか」という問いが教養の始まりであった。
  古代ギリシア人にとって教育の目的とは、一人一人が教養を身につけることであり、
   市民としてよりよく生きるための知恵の獲得を意味した。
・「世間」とは、建前の無教養に重なり、世間には、当然と思われる価値観が厳然としてある。
  しかし、それは地域差別のコントローラーとして機能しており、そのことを客観視できる素材が教養である。
・なぜ人生の後半になってから、そのことに気づくかというと、
 「何が大切で、何が大切でないかが、経験を通して見えてくるからある。
 * 私にとっての教養とは、
「感動すること、感激すること、感謝すること、 その響きを可能な限り大きくするための知識・経験を蓄積すること」
「知ること、愛すること、創造すること、それらを楽しむこと、 このために必要な知識・経験」である。
 『親や、育った環境から与えられた先入観から自由になるための知識・経験』 というのが、結論である。
▼ 先日の朝日新聞の紙面のトークショーの内容が「今、教養とは」であった。なかなか納得しやすい言葉で各自が語っていた。 
印象的な発言を集約してみる。
ー日本画家の千住博の講演がユニークである。 {サルにとって、進化するための教養が壁画だった}という説が面白い。
西欧州の300ある洞窟の壁画のうち、新しいものの一つにアリタミラの壁画がある。
 《以下字数の関係でカット2010年11月09日》 
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2005年11月09日(水)
 1681, うそつき−4
「うそつき」の話になると、いくらでも面白い話が思いつく。筒井康隆の『嘘と法螺』という随想に、子供の嘘がある。
ーある人が、下駄を片方なくして帰ってきた子を叱った。するとその子は、泥棒が持って逃げたのだと言い訳をした。
泥棒が持って逃げるのをみて、どうしてお巡りさん言わなかったのかと訊ねると、子供は、下駄を持って逃げた泥棒は、
実はお巡りさんだという。 お巡りさんが下駄の片方を持って逃げても、何の役にもたたないだろうというと、
そのお巡りさん片足だったという。
ー このような話だったと記憶しているが、こうなると瞬間芸としての子供の創作力に感心をしてしまう。ー
次の『嘘』についての話も面白い。ー昔、法螺話をする男がいて、村人からも面白いので好かれていた。
その男は毎朝、村から出て行き夕方になると帰ってきて、仕事を終えた村の働き手が仕事を終えた後に、
彼が今日見たという話を楽しみに聞いていた。ある日のこと『今日は何をみてきたか教えてくれ』というので、
その男は次の話をしたという。「森のなかで笛を吹いている牧神をみたよ。その音につれて、小さな妖精が、踊っていた」
『もっと話してくれ、ほかに何をみた?』「海岸にいってみると、波うちぎわで人魚が金の櫛で髪をとかしていたよ」
ところがある日、海岸に行くと人魚が金の櫛で髪をとかしていた。
そして、その後歩き続けて、森に行くと、牧神が笛を吹いて妖精たちが踊っていた。しかし、その夜、帰ってきて村人に
『今日も話して欲しい、何があったんだ』ときくと、彼は何もないような顔をして、「きょうは何も見なかったよ!」
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見てきたような嘘だから、男にとってよいのであって、現実なら面白くも可笑しくもない、ということだ。
嘘といえば、化粧も、動物の擬態も、政治家の公約もある。
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2004年11月09日(火)
 1316, まさか、地震が地元で!ー12
昨日の月曜日、ホテルの今週予約が如何なっているのか、実のところ心配であった。
新幹線と在来線の不通の事態なら、普段の客数の五分の一か、十分の一である。
実際、下越の観光ホテル・旅館でさえも殆んどがキャンセルである。
中越地区はゼロは情況から見れば、今さらいうこともない。新幹線がストップなら、駅前型のホテルも同じ情況で当然だが、
復興の為の手伝や、役所が全国から当分は集まって来ていて、差し引してもプラスになっている。
イベントも殆どキャンセルになっている。お客様のほとんどが、作業服を着た被災救援の関係者。
今のところ、復興部隊の人の宿泊でカバーしてくれるが、新潟県の経済は大打撃を受けたことは間違いのない事実だ。
建設・土木関係は当面、神風がふいた状態だろうが。何処まで続くかわからない事態の余震が、まだまだ収まりそうもない。
昨日も震度4〜5の余震があった。通勤の帰路にある長岡駅裏のダイエーが、地下の食品売り場を除いて閉鎖をしていた。
今朝の4時前に震度4弱の余震があった。 余震がいつまでも続いている。今では余震の度に、震度の当てあいをしている。
 メルクマールの日記内容である。
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メルクマール  堀井
  ー11月08日
  ー11月7日
(字数の関係でカットー2011年11月9日)


4244, しまった!  ー3

2012年11月08日(木)

    
                 ー しまった! 「失敗の心理」を科学する ー ジョゼフ・T・ハリナン (著) 
   * 見ていても見えているとはかぎらない
 この年齢になって、つくづく感じるのは自分の無知。特異と思っていた自分の人生も、小さな世界に縛られた凡庸な枠内。
知っていたつもりが、何も知ってなかった厳然たる事実。それでも可能な限り考え、前向きに生きてきたつもりだったが、
振り返れば「しまった!」の連続。「見ていても見えなかった」のである。結局、地頭の限界が、その人の程度。
「知ったかぶりするな!」が、何事についての基本。知りもしないのに、知っているつもりだったのである。
そう、実験に昨夜、ビデオに録った「居酒屋放浪記」を、見たが、二度目に見たとき、一度目は、殆ど何も見えてなかった
ことに思い知らされた。大部分の人が、そうだとしても、こと重要案件に対しては、それは許されるものでない。
   ーまずは、その辺り部分を抜粋してみるー
 ≪ 私たちは何かを、または誰かを見るとき、そこにあるすべてが見えていると思う。しかし、実際はそうでない。小さなもの、
背景などが目に入らないことが多い。目はカメラではない。出来事の「画」を撮りはしないし、一度にすべては見えてない。
視野の中で常に見えるのは、全体の数分の一に過ぎない。たとえば通常の視距離でハッキリ見えるのは、視野の四分の一に過ぎない。
目はこの制約に対処するため、絶えず視野を動かし、一秒におよそ三回の割合で動いて止まってを繰り返す。さらに動いている目に
何が見えるかは、見る人によっても変ってくる。たとえば、男と女では、気づくものが違う。男が女の財布をひったくられたのを
目撃したとき、女性はひったくられた被害者の容姿や行動に目が行きがちだが、逆に男性は、ひったくられた犯人の風体を覚えている。
・・・交差点では、右折か左折かをするとき、右利きの人は右折を、左利きの人は左折を選びがちである。結果として、ある研究の
報告者は、こう助言した。「店や銀行で、なるべく短い列を探すとき、まず左側を見るべきだ」と。・・・
「人は探しだすのが難しそうだと、早めに「あきらめる』ようにプログラムされている」また、レントゲン技術者は画像に写った
悪性腫瘍の9割を見落としている」というし、アメリカ国内で10年前に調査された結果だが、四丁に一丁の割合で見逃されていた。≫
 ▼ 「自分は、見れど見えず、知っても理解できず」と、突き放すべき。 昔読んだ本を再読して、果たして、この本の主旨を理解して
  いたのだろうかと疑問を持つことが多い。その時の自分の知識レベルで中途半端に理解していたに過ぎない。 リタイアをし、
  過去を振り返ると「しまった!、あの時の、あれは」と、日々、独り言を呟くことになる。その上に「手ごわい後バイアス」の
  フィルターがかかっていれば、独り思い込みの世界に、それぞれが居るようなもの。 しかし、人は、失敗を恐れ、
  「何もしないという、より大きな失敗」を選択してしまう。そして、これが限界と、自嘲するしかない。そして、誰かに向かい、
  「自分の人生を返してくれ!」と、嘯くしかない。それが両親に向かったとき、自爆、無知の極みの悲劇になる。
・・・・・・
3879, 閑話小題
2011年11月08日(火)
   * 焼鳥屋、鳥梅
 私の幼稚園の頃の、一番初めの友達が、近くの焼き鳥屋の息子であった。幼稚園の一年間と、小学校の二年の三年間である。
ある日の午後、そこに遊びに行くと、今から思うと焼き鳥の串さしの仕込みを、御父さんがしていた。子供なりに、仕事の場には
近づいてはならないことは知っていた。ところが手招きをして、その一本の焼き鳥を差し出してくれた。 そして、食べて驚いた。
その美味いこと。ガムのようで噛んでも噛んでも、噛み切れないが、その味わいと香りは、今でも強烈な記憶として残っている。
その後、成人になって長岡にUターンをしてから1〜2度、飲みにいったことがある。 私の幼馴染は何があったか分からないが、
店から引退し、姉さんと、奥さんが店に出ていた。 その店の前を二月ほど前に早朝のポタリングの帰りに通ったら、店の看板が
無くなっていた。そこで、姉さんらしき女性が、店の前で掃き掃除をしていた。 そこで、長岡の夜の博士と自認している?人に、
聞いてみたところ、「この春に閉店したが、その閉店の日に行ってきた。姉さんも高齢と不景気で止め時と言っていた」という。
それにしても、幼稚園時代の記憶の原点の一つの店が閉店とは、時代の変わり目である。
  * 11月7日になると
 毎年、11月7日になると思い出すことがある。私が27歳で初めて貸しビルを完成、その一角で養老の滝のFCの居酒屋を
オープンした日である。 まだ生々しく憶えているが、開店直後からパニック状態でオロオロし、身体は硬直し、冷や汗が出て、
茫然自失とは、あの状態である。一週間は使いものにならない廃人状態。 後で分かったことだが、20年、30年の経歴を
持っていた人でも、殆ど同じ状態になるという。 それを聞いて安心したが、あの切なさは言語を絶している。
それでも両親の創業時の姿からみれば、全く甘いもの。実際に自分が現場で七転八倒をして、両親の苦しみの一端を知ることになる。
酒飲みの酔った時の異常な振る舞い。カウンターの内と外側の一歩の大きな差。 立場が変わった時の風景の違いを、そこで思い知った。
 数ヶ月は、朝7時から夜11時までの世界。千葉の郊外のニュータウンの真ん中で、ズブの素人が、顔色を変え醜態を曝していた。
その二年後に、隣の一角でベーカリーの立ち上げを始めたのだから、振り返って我ながら驚いているより、呆れている。
しかし商売の原点を、肌で学んでいた日々になる。 思い返せば、ジャスコも、その次に勤めた会社も、創業のプロセスにあった。
そこは究極の異常世界。 仕事の現場は、どの世界でも厳しさは同じ。創業は、捨て身で全てのエネルギーを叩き込まなければ、
一つの生命としての事業は生まれない。 振り返ってみると、「人生は、良いことが51に、悪いことが49」ということか。
その辺の輩が一現象だけをみて、分かったようなことを言うが、一つの現象の背景には、多くの血と汗が隠されている。馬鹿さもだが。
 ・・・・・・・
3514, ペットロス ー2
2010年11月08日(月)
 インコの死で、何か家の中がシーンとしてしまった。 僅か一年だったが、存在感のあったインコだった。
呼びかけた言葉を憶えてしまい、居間のガラス戸越しに、その言葉で必死に呼びかけてきたからである。今までにない経験である。
ここで、ペットロス症候群というウツ病を知った。ペットの死で幼い子供の死と同じぐらいのショックを受け、立ち直れなくなる欝症。 
先日、私のブログでペットの死を知った友人が「飼い犬の死に際の逸話」を聞かせてくれた。
「15年間飼っていた犬が、あと一日で死ぬときに、県外にいる三人の子供全員が別れのため帰省してきた。
ところが友人は私と酒を飲んでいて午前様になってしまった。ところが、犬は帰ってくるのを待っていたかのように本人が
頬ずりをした直後に息を引き取った」という。 うちのインコが長男が知らせを聞いて駆けつけてきて撫ぜてもらった直後に、
死んだのも偶然だけではないと思っていたので、丁度よい内容であった。 動物も、人間と同じようなことがあるのかどうか。
休日だったこともあり死に際に立ち会えたが、ペットが一日かけて死んでいく姿も人間のようであった。何度も危篤になるが、
頭を摩りながら呼びかけるとハッと我に返る。そして時々、餌場から下に堕ちてしまい、力を振り絞って金網を登ってくるが、 
その都度、衰弱してくる。しかし目は虚ろになり、たっているのも難儀になり、蹲ってしまう。呼吸が苦しくなりヒューヒューという
息遣いが聞こえてくる。そして、時々大きな深呼吸をする。意識が遠くなるが、その都度、何かを待っているように戻ってくる。
最後は、長男が喉を摩っている中、ドッサと下に落ち、息絶えてしまった。長男も、家内も、涙を流していたようだ。
 ところでペットは何故、あれだけ人をひきつけられのだろうか。 それは彼らが無条件でなついてくれるから、
人間の方も無条件で受け入れるのである。 それが愛情の原点である。 愛情とは無条件だからである。人間は子供の頃は無条件だが、
時間とともに自立していくほど薄れていく。 しかしペットは、何時までも無条件で愛情を求めてくるため、人間も何時までも愛情を
無条件で与えることができる。したがって幼くして亡くなった子供の悲しみとペットロスの悲しみは酷似するほど深くなる。
 特に子供たちが結婚などで巣立っていった中高年の家庭では、ペットは実際の子供と同じように愛情をもたらしてくれる。
それだけ、悲しみも深くなるものである。それが犬や猫を10数年も飼っていれば・・・
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3139, 「法則」のトリセツ −4
2009年11月08日(日) 
* フット・イン・ザ・ドア・テクニック
    ー小さなウソの積み重ねー
 OKしやすいことからはじめて、そのOKしてもらった内容を少し変えていきながらクロージングする方法。
よくあるのが「お試し」。「どうぞ、ちょっと試しに着てみてください」と言われて試着すると、あの手この手のほめ言葉で
いろいろと買わされてしまう。 アメリカの心理学者スティンプソンたちが行った実験で、女子大生たちに環境に関する
アンケートを実施し、それに回答した者に、さらに難題を要請するというものがある。
最初の依頼、「環境問題に関する10の質問に答えてください。」
第2の依頼、最初の依頼にOKしてくれた女子大生を対象に、「環境浄化に協力をして下さい。
 指定の場所 (大学から数マイルはなれている)に、苗木を植えてもらたいのですが、お願い出来ますか?」
いきなり、2番目の依頼をすると半数以上の人が拒否をしたにも関わらず、このステップを踏むと、承諾率は80%近い
ところまで跳ね上がった。 このテクニックは、通販広告(ダイレクトレスポンス広告)で良く利用されている。
サンプル無料提供、モニター募集、などである気軽に試乗してください。 よろしかったら一度試着しませんか、
というセールストークもこの原理を利用している。 1番目の依頼と2番目の依頼のバランスがポイントである。
この2つの間にあまり大きな開きがあってはいけない。 そしてこの心理を応用した説得の方法を言う。
 ――
 こういう手口は、過去経験の中で、幾らでも転がっている。その事例を幾つか。騙す本人も知らないで?
使っているケースが多々ある。そう解釈したい。もしかしたら、成り行きで自分も? 動機の問題もあるが・・・
 * ゼネコンが受注する時が、ほぼ、この手段を使う。完成品を買うわけではない。 素人の隙の部分をねらう。
   要は、追加工事である。ダムとか道路工事の計画もしかり。出来っこない計画で着工させ、初期工事の途中で
   到底無理と分かっても誰も指摘をしない。
 * 倒産間際の資金繰りに窮して身内や知人からウソを積み重ねて借金。初めは小さなウソの積み重ねも、
   積もり積もると立派な詐欺行為。刑事事件にならない際のウソの繰り返しは見ていて人間観が変わるほど。
   まずは自分の創作した物語に自分自身が酔ってしまう。そうでもしないと、他人を引き込めない。
   倒産劇からの親戚を巻き込んだ借金話のもつれほど、ストレスなものはない。 
   他人を騙す場合、まずは一番の身近から始める。 これを知っておくと知らないとでは大きな違いになる。
   もう一つ最近にもあった。生生しいから書けないが・・・、 倒産は人間の本性を露出させる。
 * 「まあ、私を信じて下さい!」が殺し文句の男がいる。 この人、ウソを重ねている自覚がない?から罪深い。
   すべて、いざとなると、この言葉で煙をまく。それも何度、騙されても、つい信じさせる技の蓄積がある。
 * ネット上のマッチポンプも、居る。 何年も続ければ立派な『犯罪行為』。  
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2774, 仮説思考 −1
2008年11月08日(土)
  「仮説思考」 内田和成 著         −東洋経済新報社
   実のところ、これを読んでショックであった。 私の場合、仮説を多用してきたが、ある課題があると、
  問題点を幾つか探して、対案を幾つか考える。その対案を仮説と思っていた。しかし、早い段階の「仮の答え」を
  仮説というから、驚いた。リーマンの倒産直後に、大恐慌が始ったと書いた。 その時は、違うかもしれないが、
 8割方は間違いないと。確信はあったが、それでも半信半疑で、そう書いてしまった。 
 ところが、その視点で現象を見据えると、明らかに恐慌であり、その後の経過から現在は多くの人が、
 そのトバグチに立っていると信じている。「あと一週間で死ぬとしたら何をしますか?」という問いかけも
 分かりやすい仮設である。そうすることで、現在の「いまここ」の重要性に気づくことになる。
   間違いなく恐慌と確信したら、現在すべきことは全く違ってくる。
 「まずは結論から言いなさい。そして、その結論に至った理由を三つ分かりやすく説明しなさい」と、よく言う。
  それを思考に使うということだから世界のコンサルトは違うものだ。この本は必見に値する。 勘の鋭い人は、
  この文章だけで充分だが。
  ーまずは、この概要をまとめてみた。ー
 仮説思考とは何なのかというと、 情報収集の途中や分析作業以前に持つ「仮の答え」のことである。
『情報の少ない早い段階で結論を出し(仮説)、問題解決の筋道を大体決めてしまえ』というアプローチをいう。
・問題の課題の洗い出しをし 
・課題を発見したときも原因の追求をする、
・そして解決策を考える。
 この3つのプロセスにおいて事前に仮説を構造化していれば、漏れなく、早く、本質を当てることができる。
 大切なことは仮説を立て、仮説を構造化することである。
 仮説を構造化するために  So What?を使用する、訓練を行うために "Why?を5回繰り返す" などがある。
(字数制限のためカット11年11月8日)
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2007年11月08日(木)
2410, 「あたりまえ」ということ
 金子みすず の「不思議」という素晴らしい詩がある。
*不思議
 (字数制限のためカット10年11月8日)
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2006年11月08日(水)
2045, あたりまえなことばかり −2
   「 あたりまえなことばかり」 池田晶子著  ー 読書日記    (。^0^。)オッハ〜          
 この本の面白そうな項目から取りあげてみると「考えるとはどういうことか」になる。
「考える」とは、実際のところなんだろうか? 言葉の羅列?それとも、思いつき?、
 それともそれらを対比し、その差異と同定をしながら掘り下げること? 
 まずは、この本の面白そうなところを抜粋しながら「考えて」みる。我慢して最後まで読んでください。それも何度も!
 当たり前のことに何の疑問を感じなくなってしまっている、自分の感覚を呼び戻すためにも・・
 ー 考えるとはどういうことか ー
 *私が日がな何を考えているかといえば、考え始めたはじまりにまで遡ってみると、一言で言えば人生についてです。
  人生というと一言で敢えて具体的にいえば「生まれてきて、死ぬことです」あるいは「誰もが自分である」ということ。
  この当たり前のことが、不思議ではないですか? そんなのは当たり前といいますが、本当に当たり前と言われるが、
  それでは如何いうことか、解るのですか?生きることも、死ぬことも誰も知らないのに、どういうわけか皆知ったふりをして、
  毎日を生きているわけ。
 *キリストの言葉というものをよく読んでみると、私を信じろとはいってませんね。
  あなたの内なる神を信じよ、といっているのです。ところが、生命とか宇宙とかの不思議が本来もうどうしようもない謎を
  忘れた人たちにとっては、キリストそのものが信仰の対象になってしまうのです。 キリストだって分りませんよ、そんなこと。
  ところが自分がわからないといことを忘れているから、ただの権力闘争になってしまう。本末転倒なわけです。
 *どう考えるかという問いにあえて答えるとしたら、一言「驚け!」です。
  (字数制限のためカット09年11月8日)
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 2005年11月08日(火)
1680, 「自薦エッセイ集 魂の光景」−4
   ー「メタモルフォーゼ」ー ?
     <意識の変容>
 一万年続いていた農耕社会の重心が、工業化社会から情報化社会に移動しようとしている現在、狩猟社会の本能が再び
目覚めようとしている?のか。北極圏のインディアンに残っている狩猟社会の個人主義は、農業社会が作りあげた差別社会を否定する。
メタモルフォーゼは、情報化社会になればなるほど問われることになるだろう。
以下は「メタモルフォーゼ」ー<意識の変容>の中の文章の抜粋である。
 ーーー
直立歩行を始めてサル類から分岐した人類の先祖たちは、死肉あさりという屈辱的な低い生態的地位を経た後、
大よそ20万年前から狩猟生活を始め、平等な個人同士の対等な関係を基本とする小グループを形づくってきた。
文化人類学者の原ひろ子は「老若男女それぞれが、自分が主だと思っている。
命令口調でものを言う人間や、忠告めいたことを言う人間を極度に嫌い、馬鹿にする。
酋長といった部族全体を統率するリーダーはいない」と報告している。
彼女は「ヘアー・インディアンとその世界」という著で、さらに狩猟民族の`個人主義’について示唆を多くしている。
特に興味をおぼえたのは、彼らの生活が 「働く」「遊ぶ」「休む」の三つにわけられ、
そのうち「休む」が最も重要と考えられている、ということだ。
「休む」とは無為に寝転がっているということではなく、各人がそれぞれの自分だけの守護霊(部族と家族とも共通でない)
と相対する時間のことである。他人との関係からはなれて、ひとり静かに自分自身と、つまり自分の無意識と対話するのだが、
守護霊は雪の山野の親しい生物から選ばれるのだから、それは自然の声でもあろう。
そんな平等な個人を基本とする生き方が、農耕時代に入って、身分制社会の不平等生活へと一変したことは事実だ。
まるで高等サル類の不平等な群社会に戻ったかのように、ひたすら優位者の機嫌を窺い、身辺の人間関係に意識の大半を費やし、
一族の、村の、国の共同の神をそろって拝む。 だが農耕社会はわずか数千年来のこと。 
それに比べてわれわれは本格的な狩猟民として、最も短く見積もっても5万年もの経験を持っている。
20世紀の後半になって、農業人口が激減して、巨大な村に過ぎなかった木造的都会が、鉱物的な現代都市に変貌するにつけて、
狩猟民時代の記憶が意識の底から徐々に蘇り始めてきているように思えてならない。
 ≪字数の関係でカット2011年11月8日≫


4243, しまった!  ー2

2012年11月07日(水)

  
                 ー しまった! 「失敗の心理」を科学する ー ジョゼフ・T・ハリナン (著)  
     * 手ごわい「あとバイアス」
  周囲の世界を見たり、記憶したり、感知したりするのは、総じて‘体系的偏り’(バイアス)を通して行われ、間違いの起因になる。
 要するに、人は、それぞれの偏見に焼きなおして記憶するのである。それは、その人の期待でもある。 小さな地域社会では、
 それが一人歩きを始める。それが老人の多い町ほど、内容は、地域の偏りの魔女狩りの様相になる。酷い噂は、流れのない、
 淀みに住んでいれば、誰もが何度も経験する。インサイダーになるか、徹底してアウトサイダーになるかの選択をするしかない。
 それが、「あとバイアス(歪んだ後講釈)」として、更なる歪むため、ことは厄介になる。 ーその辺りを抜粋してみるー
≪ 簡単にいうと人間、自分が思うほど完全な存在ではない。だが周囲の世界は人間が完全であるかのような前提で動いている。
 たとえば、社会は数え切れないほどのパスワードを、暗証番号を覚えるよう要求する。ところが、この種の情報の記憶を
人間は苦手とする、あるテストでは、たった一週間で三〇%の人がパスワードを忘れてしまったし、別のテストでは、三ヵ月後に
六五%以上の人がパスワードを忘れていた。人間が一度にできることの数はごく限られているのに、ふだんの生活でマルチタスク
(複数の作業を同時にこなすこと)が求められ、その限界が試される。そのうえ同時におこなうよう求められることは、たいがい
実行中のことと無関係だ。しかし一般に人間の短期記憶は、五つ以上の無関係なことを一度には覚えられない。
たとえば愛車はあなたに、いくつのことを記憶するよう求めているだろう? 車内にナビは搭載? 自動速度制御装置は? 
衝突防止装置はある? 死角警報システムやリアビューカメラ、子ども用の娯楽システムは? MP3プレーヤーや携帯電話は? 
いまや車内には運転者の気を散らし、それ自体が事故の原因になりうる装置があふれている。だが事故が起きれば、責めを負うのは
車ではなく、あなたなのだ。自分が間違えるのを「間違った」もののせいにしていたら、同じ過ちを繰り返すことになりかねない。
原因をまちがえていては、経験から学べることは少ない。とりわけ大きな不具合が生じた場合に、責任の所在を追及するのは
当然のことである。だがどこに誤りがあったか、それをつきとめるのは容易なことではない。だから「あとバイアス」をする。 ≫
 ▼ 「あと講釈」の一つに、スポーツ解説がある。勝手に、選手の失敗に対して、あたかも本当のようなウソをいう。
  聞いている方は素人を承知で、「あとバイアス」の言いたい放題。 気の毒なのは、選手で、それが恰も真実として罷りとおる。
  批判される選手と監督は、結果責任を問われているから何も反論できないことを充分に承知の上のため、言いたい放題。
  しかし、「あとバイアス」を自分の思考や判断を狂わせてしまう。現在の日本の政治の混迷も、これが大きな起因になっている。
・・・・・・
3878, 閑話小題
2011年11月07日(月)
  * 再び、ギリシャ
 ギリシャの首相には驚き、呆れてしまった。例え話でいえば、《暴走しているバスの運転手、助けにきた他の車が暴走車に鎖をつけて、
何とか大事故を抑えようとしたところ、「鎖をつけるかどうか、乗客に聞いてみてから」と、言い出した。乗客は暴走をしているのを
知ってか知らずか? バス内の自分たちの不満で頭が一杯。瀬戸際で運転手が、どの道を選ぶか乗客に聞いている場合でない。
一つ間違えると、助けにきた仲間も道連れになることを運転手と乗客も知っているので、タカをくくっている。 そこで、
「それなら助けるのを中止する。その上に、共同体から排除をする」というと、急に運転手も乗客も慌てだし、従うと言い出した。》
これは世界中が唖然とした寸劇。しかし国民の反対デモや議会の混乱を抑えるため「国民投票」といえば、世界の袋叩になるのを覚悟の上、
あえて言った政治的駆け引きとすれば、これも納得。 国民投票やるべし!のデモが起きるかどうかだが、起ってこないのが漫画的。
 この10年間、哲学書を読み続けているが、その始まりはギリシャ哲学。 その西欧文明の行き着いた終着駅が現時点とすると、
ギリシャ問題は、図ったように起きたユング的現象か。民主主義の発生の国で、その矛盾が、そのまま表出することになった。
ともかく、目先の火の手を納めたが、次はイタリア、スペイン、アイルランドが控えている。そして、日本も、アメリカも、中国も?
  * 少しウツ気味で、正常の状態?
 いつも書いていることだが、少しウツ気味。 年齢と現在おかれている状況から当然で、これが正常なのかもしれない。
パソコンの具合が悪かったり、スポーツジムで冷たい視線を感じたり、家内が機嫌が悪かったり、幾らでも原因はある。
それでもiPadという新たな遊び道具を手に入れネットサーフィンや、パソコン・ゲームに熱中。 スポーツジムや、早朝の
サイクリングで発散ができている。過去に身辺のウツ症状の人の素人カウンセリングをしたりして対処の擬似体験していたので、
最小で済んでいる。目先の落ち込みはシネマにいくのが即効性がある。で、最近多く見に行っている? 他にストレス発散に買い物がある。
100円ショップや、スーパーで「酒のツマミ」や、机周りのものを買ったりする。あくまで日常品の範囲だが・・・。
 何度も何度も書いているが、50歳代の10年近く、20年・30年分の人生を押し込んだのが、ここにきて効いている。
そのため現状を悲観し過去の良かった時節を懐かしむこともない。人生は時節ごとに一期一会。それぞれに、また違った人生がある。
これからの人生を有効に生きるに、何が良いのか考え尽くさねばならない。 これまでの緑の原野から一歩出て、目の前に広がる
「草原の世界」で何をすべきか? そのためには新しい世界を知ること。そして、草原で生きるための「人生の知恵」を改めて
身に着けなければならない。緑の原野だけが人生ではないことを知るには、そこを一歩出てこそ分かるもの。 真実の自分に気づく旅路?
 ・・・・・・・
3513, ペットロス ー1
2010年11月07日(日)
  * ペットが風邪で死す
一年前に我が家に久々にペットになったメキシコ・コガネインコが、数日前の夕方に死んでしまった。
12年は生きるとあったので一年は早すぎる死である。 死因は風邪である。大よそ30年から20年前にかけて、
小桜インコを代々5羽飼っていた。 殆どは二年位で逃げられてしまった。その度に雛を飼ってきては手乗りにしていた。
しかし最後の一羽は凍死をさせてしまい、その罪悪感と子供が大学入学で巣立っていったこともあり飼うことを止めてしまった。
数年来、ペットショップを動物園代わりに、近くのSCに行ったついでに立ち寄っていたが、いやに人懐こいインコが気になっていた。
しかし売れないようで金網にとまって御客から頭を撫ぜてもらっていた。値段が6万8千円じゃ、そうは売れない。
たまたま中年の夫婦が、そのインコの頭を撫ぜていた。 「慣れたインコですよね」と話しかけると、
「私たちはオカメインコを飼っていたが、鳴き声が大きく近所迷惑で、親戚の人にあげた。それで時々、ここのインコを見にきているが、
このインコが懐いていて欲しいけど、やはり近所迷惑が・・・」という。 何気なく私の癖が出て、近くいた女店員に
「5万円なら買いたけど」というと、「このインコ、店の皆が大事に育ててきたインコ。値下げなど出来ません」と怒りだした。
で、私もムキになって、「三ヶ月前から、売れないでいる。ペットは大きくなるにつれて価値が下がるのは常識。
お客が、そう言っていると責任者に聞いてきて欲しい」というと、暫く姿を消していたが「店長が6万円ならオッケーです」との返事。
その成行きで買う羽目になったことは以前、ここで書いた。 で、家内に例のごとく反撃にあって、あわや
「新潟の長期滞在の御客様のペット」となる直前に、急に家内の気が変わって暫くはOKになった経緯がある。
そうこうして我家のペットになったが、ペットショップの多くの御客から頭を撫ぜてもらっていた為、人懐こいのである。
しかし朝晩以外は誰もいないベランダに置いておくため、足音など人の気配が聞こえるとピーピー鳴き叫ぶ。 
最初のうちは、うるさいと思っていたが、だんだん、それが可愛らしくなってきたのは私と長男だけでなく、昼間、家にいる
家内もである。直近は一番、あれだけ嫌っていたのが、このインコの大ファンになったいた。 鳥というより犬に近いと思うほど、
人懐こく、頭がよい。 個々人の識別もし、その対応も変わる。何とか人にかまってもらおうと、色いろな鳴声が憶えた人間の言葉。
それで呼びかけられれば愛情が湧いて当然。「三つ子の魂いつまでも」で、店頭で可愛がられて育った温もりが、性格になったいた。
 ・・・・・・・・
3138, 閑話小題  ーつれづれにー
2009年11月07日(土)
   * 金の価格が、動き出した?
 金の価格が、そろそろ動き出してきた。 世界の株式総額4000兆円に対して金の総額は500兆円でしかない。
信用取引などの債権総額が7京(7千憶×10)。 金の通貨としての歴史は数千年もある。 時代が変化しても、
やはり通貨の基準軸である。 で、去年に世界主要20ヶ国が、この通貨危機に対して、どんどん通貨を刷りましょうと
決めたのだから、近い将来に金が暴騰するのは当然のこと。 しかし目先に金を放出して、金融危機を乗り越える機関もあり、
一年あまりは自動調整をしてきたが、ここで値上がりに転じてきたようだ。IMFが放出した400トンの金の半分を
伏兵だったインドが買ったことも上げ相場の原因だが。 それとも、まだ調整期の一現象か? 金融の世界だけは
複雑怪奇なので即断は出来ない。 これでバブルの沸く中国上層階級が買いに入るかどうか?
  * 新潟飛行場タクシー運転手殺人事件
 物騒になってきた。新潟市は殺人事件が多いが、港町ということもある。
数万の金のため簡単に殺人事件を起こすから恐ろしい。 運転手も戦々恐々だろう。
「不景気で稼ぎが悪い上に、これだもの!」という、ボヤキが聞こえてきそうである。
さっそく、刑事が当日の宿泊客の名簿を調べにきていたが。 
  * 来春の高卒の就職内定者が4割を割って過去最低
 来年の高卒就職内定率が9月末で37パーセントで、去年より13パーセントもダウンした、という。
経済活動全般が三分の二になったのだから、この数字も肯けるが、地方ではよりマイナスが大きい。
新潟県は33パーセントというから、学校によっては、2割も決定してないところもあるはず。
企業側からいえば、5年もしないうちに大部分が辞めていくなら、中途採用を準社員にした方が数段、戦力になる。
この流れは、もう止まることもないから若者は絶望的になるのも分かる。 新卒の若いうちに、正社員としての
基礎訓練を入れてないと、何処の企業の再就職も難しいことは周知の事実。日本がますます弱っていく姿は痛痛しい。
その人にとって時代背景に恵まれていたかどうかは、大きな要素。その意味で現在、卒業を迎えている若者は気の毒。
しかし「今時の若者は」ではないが、ますます若者の質の劣化が進んでいる。まともな会話さえ出来ないのが大部分。
どうする日本である。それにしても、「ゆとり教育」の弊害は深刻である。 日教組か〜歴史に残るだろう、これは!
                         (偶然だが、去年、似たようなことを書いていた)
・・・・・・・・
2773,  どこか変?
2008年11月07日(金)
 今更だが、子供も含めて「どこか変」である。「今の若者は!」と、ピラミッドの何処かに書いてあったというが、
現在の若者のそれは、そのレベルではない。見てみない振りをするしかないのか。アメリカが画策した占領下無能化教育の完成品?  
立場的に書けないことは幾らでもあるが、酷いを遥かに超えている。 情報化による弊害もある。
 以下、その純朴な疑問がそのまま書いてある随想の一部である。 まずは、その部分から、
   ーーーー
*どこか変です!
 女子高校三人が乗ってきて、通路をはさんだ私の前の三人がけの座席に座った。その直後である。駆け込み乗車さながらに、
白い蝶が一匹、勢いよく飛び込んできた。まるで意志あるがごとくにである。その潔さに驚いているとドアが閉まった。
蝶はまぎれもなく電車の一員になったわけだ。 この珍景に心を奪われていると、蝶はやがて失敗に気づいたらしく
右往左往しだした。だが程なく居場所が決まった。三人の前である。彼女たちの匂いや彩りを花と見立てたのだろう。
その前を拠点に、ひらひらを始めたのである。 私はほっとした。 三人はきっと優しい視線を注ぎ、あわよくば誰かが、
その柔らかな掌に包み込んでいとおしむに違いないと思ったのだ。 ところがである。彼女たちは、「きゃあー」と悲鳴をあげて、
通路を前方へと突っ走って行ったのだ。あたかも熊ん蜂に襲われでもしているかのように、両手で頭を押さえ、背を丸め、必死なのだ。
信じられない。 なぜなの? 蝶は拒絶されてもなお、その花たちを追った。三人は、前の車両に飛び込んで大慌てで境のドアを閉めた。
そうして、こともあろうにガラスに額を押しつけて、蝶のようすを伺っているのだ。これっていったい何なの。ふざけ?それとも本心?
高校生だけにその挙動は不可解だった。 乗客の大半は蝶のことを知らない。突然の騒ぎにも我関せずである。
ひたすら本のぺージを追い、携帯電話を見つめ、あるいは目を閉じている。私は行きがかり上、無関心ではいられない。
それとなく、孤独な蝶の行方に心を寄せていた。なぜ、こうまで嫌うのだろう。相手が複数なら別だけれど、たったの一匹だ。
しかも三対一。ふざけにしては大袈裟過ぎる。 それとも鱗粉が問題なの? それなら眺めるだけでよい。
  (字数制限のためカット11年11月07日) 
・・・・・・・
2007年11月07日(水)
  2409, まわり道               ヾ(@⌒ー⌒@)ノおはよ〜♪
  神谷八重子の「こころの旅」ー第六章の中に青年期の「まわり道」について書いてあった。
 同じようなことが、立花隆の文章にもあった。「青年期の10年は潜伏期間で何を蓄積するかで人生が決まってくる」と。
 私のカラオケの18番が「遠くへ行きたい」である。「まわり道」の先で歌ってたせいか、心の歌になってしまった。
 一番の究極の時こそ一番のプラスとマイナスの経験をする。人生には、色いろな道を通らねばならない。
「のぼり坂、くだり坂、そしてまさか」という道。迷い道、けもの道、なみだ道、散歩道、行き止まり道、
 分かれ道?など、 多くの道を歩いた先にあるものは?  火葬場? 天国?
ーp.121
・・・しかし人生はまだ長い。これですべてが決定されてしまったわけではない。
「運命」と当面のしごとが要求することを忠実にはたしているうちに、意外にもそこから本来の道へ行く糸口が
あらわれてくることもある。 あるいはまったく思いがけない人がみていて、本道へとつれ出してくれることもある。
けなげに目前の仕事に励んでいる者は長い間見捨てられているわけではない。
いずれにせよ、青年期にまわり道をすることは一生のこころの旅の内容にとって必ずしも損失ではなく、
たとえもし青年期を病の中ですごしたとしても、それが後半生で充分生かされることが少なくない。
  (字数制限のためカット11年11月07日) 
・・・・・・・・・
2006年11月07日(火)
2044, 読書週間に読書習慣を考える       (+>∀<+)ノ おぁはは〜ようさん!
先週は、「読書週間」で読書について幾つかの新聞で特集を組んでいた。
驚いたのは、「この一ヶ月間で何冊本を読んだか?」の質問で、一冊も読んでない人が半数近くもいたことだ。
・男女はほぼ同じ、女性が50パー、男性が48パーであった。読まなかった人は、この10年間はほぼ変わらなかった。
・20年前に比べると20代では、20年前(22?)に比べると、二倍以上も増えていることだ。
 娯楽が本以外のメディアなどに多様化したことが原因である。
  (字数制限のためカット09年11月07日)      


4242, しまった! ー1

2012年11月06日(火)

                 ー しまった! 「失敗の心理」を科学する ー ジョゼフ・T・ハリナン (著) 
 誤りは人の常。人はそれぞれのバイアス(体系的偏見)から、自分自身と世界を見ている。問題は自分で、それに気づかないで、
それぞれの岩の中(バイアス)で一生を過ごしてゾンビになってしまうこと。そして魂の抜け殻人間になってしまう。
そして最期に、「しまった!」と後悔する。年寄りの顔が暗いのは、そのため。同じ後悔ならバイアスに気づき、出るしかない。
    ーまずは、内容紹介ーより
 「人間はなぜ、まちがうのか」というテーマについて、 面白くてネタになるトピックを
 「これでもか」というぐらい集めて分析した内容。 たとえば・・・・・・
★ レントゲン技師は、画像に写っていた悪性腫瘍の9割を見落とす?
★ トップレスダンサーの収入は、彼女の月経サイクルに左右されている?
★ 黒いユニフォームのチームは、ペナルティーをとられる可能性が高くなる?
★ 人間は、誤りを犯しそうなときは、むしろ「行動を起こさない」という誤りを犯すほうを選ぶ ?
★ 「セックスした相手の数」を、男は女の四倍も多めに答えたがる?
★ 医師の84%は、同業者がメーカーからの贈与に影響されていると考える。
  だが、自分が影響されていると考える医師はわずか一六%しかいない。
★ 人はなんらかの形で自分が不正をしていないことを証明すると、その後の作業でもっと不正をしやすくなる。
★ 映画を「あとで見る」人は高尚な作品を、「いま見たい」人は大衆的な作品を選ぶ。
★ キャッシュローンを勧める通知書に女性の写真を載せるだけで、利率を五ポイント下げたと同じ効果が期待できる。
★ 予備選名簿の一番目に載った候補者は、得票に三ポイント上乗せできる。
★ 投資家は、金曜日の経済記事には月曜日の記事ほど注意を向けない。
★ 人間は、印象の操作など特定の目的のためには平気で話をつくり変える。
★ 無意識につくり変えた話でも、二度三度と繰り返すうちに、いつしか「記憶」そのものになってしまうことがある。
★ 一般的に、男は自分を持ち上げるために、女は他人を持ち上げるために嘘をつくことが多い。
★ 社会的地位や学歴、収入は、全体の幸福度におけるわずか三%しか占めていない。
★ 人を単純作業に従事させるためには、お金の力がものを言う。だが、たいていの行動では、
  人間は総じて金銭的動機には左右されない。(ゆえに、行動経済学はあまり役に立たない?)
   などなど、興味深い話がてんこ盛り。
 ▼ 多くの事例で人の「まちがい」メカニズムを解明。 人はミスを防ぐことができるのだろうかを問う内容。
  人は自分を騙す動物だが、自分に騙されている自覚がゼロに近いため、その蓄積が致命傷になる。 
  本来、「人生は、しまった」の連続。その最たるものは結婚。9割の夫婦が失敗と思っているというデーターがある。
  人間の最期は死に直面するが、誰もがシマッタと思う。バイアスに閉じ込められていた自分に初めて気づくことになる。
  ・・・・・・
3877, フォトビジョン
2011年11月06日(日)
 iPadを購入して数週間後、分からないことがあったので買った先のソフトバンクショップに聞きにいった。ところが、
「それは販売店では解決できない問題で、直接、アップルに電話をして聞いてください」と、軽くあしらわれてしまった。 
その時に気づいたのは、こういう販売代理商品は、ヤマダ電機などにあるアップルの担当のいる店で買うべきで、
販売代理をしている店で買うべきでない、ということ。 その窓口の人が、「ところで、iPadを購入すると、
PhotoVisionというフォトフレームが無料で貰えるのを知っていますか?」という。 買った時に、そんな話を
聞いてない・・ そこで、「以前から興味があったが、買うほどでもないと思っていたが、タダなら、もらいたい。」というと、
急に態度が変わり、その手続きに入った。 そこで分かったのが、デジタル・フレームに携帯用の電話番号がついたもので、
メール用の住所もある。 携帯電話で撮った写真をデジタル・フレームに直接、電送してしまうもの。 なるほどと思ったが、
手続きに時間がかかる上に、新たに携帯電話契約のローンを組まされた。その見返りとして、それに見合う金額が数週間後に
銀行に振り込まれる仕組み。 何か騙されたような?奇妙な気持ちであった。 これは、孫や小さな子供がいる家族に、
遠くはなれた子供から携帯電話で撮った写真を直接メールをしてくれる。 面白そうだが、孫もいないし、新たに携帯電話料金も
かかるし、どうでもよいものを持たされてしまったと釈然としない気持ちであった。そのため二ヶ月ほど使わないで放っておいた。 
しかし数日前に急に思いたち、取り付けてみた。 携帯電話の写真電送などすることがなかったので、初挑戦と、そのフレームに
携帯電話で撮ったばかりの写真を送ってみた。 何度か失敗をした後に、確かにフレームに撮ったばかりの写真が送られてきた。
普通の電子写真立ては携帯電話やデジカメで撮ったSDカードを差し込んで見るが、これも直接入力も出来、スライドショーにもなる。 
親からすれば、遠くの子供や孫から、メールで写真がフォトフレームに送られてきたら、嬉しいだろう。 という訳で、
私の前のiMacパソコンの横に、iPadと、ソフトバンクのPhotoVisionが仲良く並んでいる。
面白いのは、同封されてきたパンフレットに糸目が入った「フォトとも、をつくろう!」というのがある。
6つほど、そこにメールを書き込み人に配ればよい。 最近のスマートフォンで若い人たちや、女・子供は、
気楽に写真添付のメールのやり取りをしているのだろう。  いや、メールでなくツイッターか。 面白い時代である。
 ・・・・・・・
3512, ユダヤ人の頭脳活性法 ー6
2010年11月06日(土)
  「ユダヤ人の頭脳活性法 」手島 佑郎 (著)
  * 「論理力」を身につける
 ▼ー知恵は、地中深く岩と砂にまじっている金鉱石に似ている。 
     論理は金を鉱石から抽出する水銀に似ている。(ラビ・モシェ・イブン・エズラ)
  ーまずは、論理力の身につけ方を要約してみたー
【 点と点の情報を結ぶ能力が、論理力であり、点と点とのつながりが論理であり、「論理的」であるとは、
点と点が一貫した整合性で結ばれていることである。また論理的ということは、真実の根拠を積み上げて考えることである。
論理的に考える際の、思考の最小単位となるのは、「A=Bである」というであり、その表現を組み合わせながら、
私たちは物事を考えるのである。  また、考えるという行動には幾つかの面がある。
△論理的に考える △分析的に考える △直感的に考える △情緒的に考える 
△肯定的に考える △否定的に考える △建設的に考える △消去的に考える。
 これは、考えるという行動の様態というか、一面を示している。 過去を思い出すのも「過去を想像する」ことから始る。
しかし、思い起こした内容が実際かどうか、合理的かは問われる。過去のことを自由に想像して、そこから整合性があるかどうか、
確認でもある。それでは未来に向けては、どうすれば良いか。いわゆる空想には、願望や憧憬、単なる想像がある。
どこまでも、自分の思うままに、自由に、想像の翼を広げてみるのもよい。これを「考える力を高める」という目的に結び付けるに、
現実化へ一歩ずつ踏み出す必要がある。現実と理想の隔たりを埋めるために、考える力が必要になって来る。
そこで、一つだけ絞って、できる限り詳しく想像をめぐらしてみることである。
  それが実現すると、どのようなことが起こるか。
○何がさらに始るか。○誰が喜ぶか。○誰が最もメリットを受けるか。
○それを持続していくと、さらにどのような幸せを誰と誰に与えることができるか
 これらプラス思考は、どんどん広がっていくもの。またマイナス思考も同じぐらいしておくこと。
それをなるべく具体的に描いていくことです。
 そして、その理想を実現する方法は、今度は、理想とする未来の方向から現在へ向かって発想する。
そうすると、理想を実現化するための手段が明確になって来る。いきなり自分から理想に近づこうとしても無理。
逆順をしていって、現在の具体的な行為で一つずつ片付けていけばよい。 理想とは、未来のことでなく、
未来が要求する条件にかなうように、自分を準備する。そうすることで、未来が現実のものになる。
理想と未来からの発想が、人間を変えるのである。】
 〜以上だが、これらは長年の訓練の繰り返しの中でしか、身につくもの。しかし、論理(筋道)がチャンとしてないと、
行き当たりばったりの生き方になってしまう。それぞれの家のハビタス=習性も、長年かけた代々の行いから築きあげられたもの。
それにそっていくのも良いのかもしれない。
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3137, 脳と日本人 ー3
 2009年11月06日(金)
「 脳と日本人 ー3 」
   * 庭の話             P−116  ー枯山水と認知科学ー
≪ 伝統的な庭園を日本と西洋とでは、どう違うのかというと、日本庭園の始まりのひとつは京都の禅宗寺院の庭園。
その一つに竜安寺の石庭がある。 逆に幾何学パターンの伝統的西洋庭園の違いがある。
 日本の伝統的庭園素材の代表は石である。何百年も庭の存在を維持する石である。
石そのものが伝統的日本庭園の中心で、植物は、あくまでも脇役。しかし西洋庭園は植物、とくに花が中心で、石は具えもの。
 日本は庭をみて作庭者の心を読んで、無心に庭の心を読み、無心に己を見つめるためにある。
それに対して西洋の庭は花そのものを楽しむためのものであった。 日本は植生が豊富で、建物も木。
その対比として石を主役にし、植物は第二にする。 西洋は石材の建物のため、植物をメインにしている。
 日本の平安時代頃の建物は、家の空間が庭と一体となるように考えられており、部屋で座って庭を眺めるようになっている。
日本は家と庭とが同一空間の中の中にある。それで家庭という名になるのである。 
それに対して、西洋では石の家の上から見下ろすつくりになる。
 ところで中世から日本の作庭は、「石の乞わんに従え」といって、石が「ここに置いてくれ」といういう声を
出しているのを聞いて配列を考えると禅坊主から庭師に職かえをした人が「作庭記」に書いている。
石の形を生かそうとする考えが基本にある。それに対して、西洋の基本は、石を切り刻んで形に入れようとする。
その根本的な違いが両者にある。その違いを西欧人は日本に来て直ぐに見抜くのである。≫
 ▼ 父が私の現在の年齢の時、昭和38年から39年にかけての高度成長期に入った頃に、終の住処として(現に私が住んでいる)
 ー以下は字数の関係でカット(2011年11月06日)
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2772, アメリカの人種比率は?
 2008年11月06日(木)
黒人の大統領が当選したが、アメリカの白人、黒人、モンゴロイドの人種比率をネットで調べてみた。
 ーー
2005年の人口統計によると、
・白人(ヨーロッパ系、北アフリカ系、中東系、中央アジア系、ラテン系) 74.7%(2億1530万人)
・サハラ以南のアフリカ系(黒人)                   12.1%(3490万人)
・アジア系(東アジア、東南アジア、南アジア系)            4.3%(1250万人)
・アメリカン・インディアン                      0.8%(240万人)
・太平洋地域の先住民系                        0.1%(40万人)
・2つ以上の人種を祖先とする国民                    1.9%(560万人)
・その他                                6%(1730万人)
ー以上だがー、
四人に三人が白人、九人に一人が黒人。二十二人に一人がモンゴロイド、五十人に一人がハーフ。ということになる。
  ー以下は字数の関係でカット(2010年11月06日)
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2007年11月06日(火)
2408, 久世塾 −2             (*´・ω・)ノはよー   読書日記
 ー本当の不幸な人とは−
 印象的な人ー講師の話を抜粋しながら、この本の要点を書いてみよう。
 まずは、内館牧子の「本当に不幸な女」には驚いてしまった。
 4人の姉がいたことと、女の職場にいたので、色いろの女性の時々の多くの生き様を見ることができた。 
 特に結婚や恋愛の姿をみていると、心の中が手に取るように見えることがある。
 100%満足をして結婚する女性は皆無に近い?当然のことながら、妥協か成り行きである。
 そして最期は、諦めになっていくのは、キュープラー・ロスの本にあった末期ガンを宣言されて、その受容に
 落着くまでの患者の諦念への過程に似ている。最期の最期まで白馬の王子様を待っているが、そんな人は
 現れるわけがない。   結婚詐欺師は、その心に付け込み理想的物語の世界に誘うのである。
   それはそれでよいが、シナリオライターの眼は、もっと深いところをみているのである。
 ーまずはその部分を抜粋してみよう!ー
--以下は字数の関係でカット(2008年11月06日)        ホナナァ☆ |∀・`@)ノ|Ю  
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2006年11月06日(月)
2043, 「私」のための現代思想  −17    才八∋ウ_〆(∀`●)
    ーこの本の‘まとめ’になるー
   今年は「面白い本」の当たり年であった。この本は「面白い」という面で、ベスト3に入る本である。( ̄∇ ̄ |||  
   私たちは考えごとをする時に、略しているかどうかは別として、《私》という言葉を常に使っている。
   意識しないのを含めれば一日数百、いや数千回は使っている。そして、取巻いている世界からは、他人の《私》の
  「超越確実言明」を聞く。人間関係の軋轢の中で都合よく自分勝手な理屈をつくり上げ、
   その歪みに全く気づかないのが人間。さらに悪いことには他人の歪みには敏感に気づくときているから始末が悪い。
   近代哲学などで多く「私」について扱われてきたが「<私>について何か解りやすい理論がないものか?」と考えていた矢先に、
   この書に出会った。「他者」と「他人」の違い}も解りやすい。「他人の知らない部分を他者」と思っていた。
   自分自身の知らない一面をみてもゾッとすることが度々あるから、自分の中にも他者がいることになる。
   ユングの「意味ある偶然の一途」の経験など、まさに未知なる自己である。
  「自分の物語」の中で他者を勝手な配役に振り分け、俺様は主役。主役の俺様にとって、他者へ役割が「他人」になる。
   自分の人生劇場の登場人物として都合の良い役割を決めつけてしまうのだ。
   その都合よい物語の中で他者を端役として位置づけ、都合の悪い相手は悪役にしたて、
   都合に良い相手は善役にする。自意識過剰な軽い女子学生が唯我独尊の独り芝居をしている「あれ」である。
   数年前に亡くなってしまった同級生が、チンドン屋のような独演をいていたが。 人生は全ての人が多かれ少なかれ、
   同じようなものだろうが。U(^(ェ)^)U   自分のことさえよく解らないのに、他者のことなど解るはずがない。
   他人は、自分の妄想でしかないことを自覚すべきである。 他者不可知論も肯ける。
   いずれにしても、我われは露出しないにしても、何らかのカタチで、《私》と<他者>の軋轢の中で生きて
   いかなくてはならない。<私>の核の《私》が他者の積み重ねの中から出来ているという指摘には驚いた。
   考えてみれば、そうなのかもしれない。簡単に言えばー「私」を認める者の存在ーを通して《私》になる。
   その一番最初は、普通は母である。 初めの他者が母である。
  「《私》と、その<世界>は腐っていく」というのも、戸惑ったが、実際周辺をみていると解る。
   多選の県知事汚職が、そのよい事例になる。 w(☆o◎)w 県知事も、その周辺も腐っていくのが当然である。
   こと自分自身について考えると、あまりにも辛辣に聞こえてくるが・・・
   気が付くかつかないの差である!身体


4241, 閑話小題 ーある居酒屋で

2012年11月05日(月)

    * 再び不景気の話
 先日、TVで成田のホテル事情を放送していた。値段とサービス競争で少ない客の獲得競争が激烈化している、という。
日航ホテルがツイン・ダブルで一人3千円からと、打ち出していた。もちろん飛行場までは無料のシャトルバスが出ている。
「訳あり客室」と名うって限定数だが、実は何の問題のない部屋。最近は格安運賃で早朝出発の客が多いので、格安価格を
打ち出すしかないようだ。そのホテル内にはローソンがあり、お客の殆どが、そこで弁当を買っている。
 中国・韓国からの客も激減で死活問題。新潟駅前も厳しかったが、成田は、そんなものではなさそう。リゾートホテルや
温泉街など酷いようだが、潰れないのは銀行が潰せないため。年の瀬に向かって厳しさが直に伝わってくる。
ナショナルが二年で1兆5千億の赤字を計上したと報道にあった。粉飾などしないのがナショナルの良さだが、スマートフォンと、
タブレットPCに、テレビ、デジカメ、パソコン、電話、書籍、ナビなどが集約され格安になれば、会社の土台から揺らいで当然。
その上に韓国のサム寸や、中国の家電がシンプルな格安商品を売り出し攻勢をかけている。世界ブランドのナショナル、シャープ、
ソニーなどが、会社存続も危ぶまれるなど数年前までは考えられなかった。 
   * その上に不景気の話
 日経新聞に ≪ 【ソニー、パナソニック、シャープ】3社の5年前の2007年前半の時価総額16兆円が、2兆円にまで激減、
逆に韓国のサムスンは14兆円まで増えている≫と報じていた。今や産業全体が衰退しており、好調を維持している産業が衰退する
事態になりつつある。それにしてもナショナルが2年で1兆5千億の赤字で、20年分の利益総額分をとばしたというから酷いもの。
株価は暴落でストップ安。 シャープも4000億以上の赤字決算・・・ リーマンショックの地震の後の、日本版大津波の一つの現象。
近未来の株式の大暴落より先に、こういう形の現象が現れてきた。家内がイオン内にあるスポーツジムに通っているが、
「とにかく、変!」と、価格の底抜けが異常と、いう、主婦なら分かっていることだが。 経済に疎い家内が、ことあるごとに、
「会社を早々、たたんで本当に良かった。中小や個人など、やっていけないのが私でも分かる!」と、いう。
 先日、久々に殿町で定例の飲み会。何れの店の客の入りは良くない。十数年ぶりに入った居酒屋、客の入りの割りに、
注文した料理が出てこない。主がイライラしてのがカウンター内から直に伝わってくる。母親とパートのような二人の動きが変。 
二軒目のスナックで何気なく連れが、「以前いた奥さんが居ない」と話していると、隣の客が、「どうも別れたようで、
二人は母親と姉さん。 以前より度々、奥さんを叱責していたが、あまりに酷い怒りかただった」という。不景気と嫁姑の関係で、
居たたまれなくなったようだ。 客商売の苦労は、売り上げが良ければ、それだけで解消するが、逆だと相打ち。 
駅前の居酒屋チェーンに客は取られるし、この不景気、飲屋街の居酒屋などに直撃している。 何か切ない話だが、これが現実。
 ・・・・・・
3876、閑話小題
2011年11月05日(土)
  * 五ヶ月前の「次の首相」は誰か?の予測は
「文芸春秋−7月号」を図書館で借りてきたが、そこで68人の識者が次の首相を予測していた。
その中で、9、7,6票と、石破、安部、小沢の順であった。 野田を予測していたのが政治学者の伊藤敦夫だけ。
彼は野田を「安定感」と「バランス感覚」に優れていて、他の候補と比べて、「理」に走る‘民主党臭さ」がなく、
「論破」のタイプではなく、「説得」で物事を進めていくのが、他党との信頼関係を築く上で、最適であるとしている。
その頃でも、安部とか小沢一郎とかの名を上げている識者が多かったのに驚いてしまう。 野田は、就任してニヶ月だが、
今のところ安定した政治運営をしている。 これを読んでみて、識者の予測のいい加減なことに驚いてしまう。
現在の日本は大震災から僅かな時間しか経っておらず、まだまだ非常事態の最中。 まだ実務的能力が優れているのか
見極めがつかないが、兎にも角にも、1〜2年で終わらない政権であって欲しいもの。時代の変化は激しい!
  * 最近、ちなみに感じること
 一年ほど前に、林秀彦著の「9.11・考えない・日本人」の読書日記を書いていた。この春に大きな人生の節目を経験し、
その後も、色いろ考えさせられることが多くあった。そのプロセスの中で見えてくるのは、この書のとおり、
「大部分の人は全く考えないということ」である。 という私も、考えが足らなかったので、この結末を迎えてしまった。
偉そうなことは言えた立場ではない。 考えるとは、目的、目標に向かう時、最短距離と、不足しているものを探すプロセス。
他にも、目的が無くとも、楽しいと思えることを探すことも、考えることになる。 林秀彦は、アメリカの戦後占領政策の
一環として、日本人に考えさせない教育をしてきた。その結果として、考えない日本人の現在があると指摘している。
この10年近く、哲学書の入門レベルの本を読み続けてきた。 考えるとは何か、考えるべきことは何か、を考え続けてきた。
その積み重ねから分かり始めたことは、自分も含めた大多数の「考えない、考えられない日本人」の現状である。
その大敵は、TVであり、ネットであり、映画である。とすると、その考えない日本人の典型は自分ということになる。
それでも、何とか考える時間は持っているつもりだが、それを全て、文明の力?が破壊している。
 考えないことを、日本人だけでなく、自分の中に見るべき、ということ。 「下手な考え、休むに似たり」もあるが。
・・・・・・・・
3511, ユダヤ人の頭脳活性法 ー5
2010年11月05日(金)
  「ユダヤ人の頭脳活性法 」手島 佑郎 (著)
  * 感じたことをどう表現するか
 10年近く毎日、テーマ日記を書いてきた。そして得たことは、感じたことを、素直に表現できるようになったこと。
それは前日書いた文章を、早朝40〜60分かけて添削し続けてきたからである。たった、この短い文章にである。
そのため過去に自分が書いた同月同日の文章を読んでいて、時間をかけたエネルギーを文章の中に感じ取ることができる。
魂の一片である。 言葉のデッサンの修正と、色づけをしていたことになる。 知人が、あれだけ自分にはスラスラ書けないと、
諦め顔でいったが、私だって出来ないのを一番知っている。スラスラ書けるようになるには、文筆業でしか生活が出来ない
土壇場を経験してきたプロでしか出来ないはず。 天才は別だが。早朝、何度か書き換えてアップロードする時に必ず
「稚拙だが、これしか書けない!」という思いで吹っ切っている。さらに自分の文章の蔵庫を開放しているに過ぎないと。
満足に近いのは年に数回しかない。それも自画自賛で我を見失っている時である。それ位、感じたことを適切に表現することは難しい。
いや、その感じているそれさえ、疑問を持っている。(この本のマトメというより、自己主張になっているか)
この本に【短くても素直な言葉、素直な表現、素直な組み立てで自分の心にある思いを表現する、それが考えるということ】
とあるが、それが考えることの基本である。素直な心−ことばは、おのずと独特の音、独自の韻を持っていると、著者は述べているが、
その自然の抑揚と響きが読者の心を打つのである。 過去10年近くの文章を毎日読み続けていると、ただ書き写した文章と、
自分の脳を通して消化してある文章の差を自分が一番敏感に知ることになる。 
素直に発したことばは、時空を超えて過去の自分に邂逅できる。だから、素直になるしかない。
それが毎朝となれば、添削の作業そのものが瞑想そのものに近くなる。それと過去の文章を無心で読むことも。
だから続いている。  この文章は、著者に触発されて、私が感じたことを、そのまま書いてしまった。
 ところで今度、実際のダ・ビィンチなどのデッサンの模写をしてみようか。 名画の模写と、名文の模写は基本である。
  ー文字制限のため毎日、文章をカットしているが、これが自分の身を切るようで辛いー
 ・・・・・・・・・
3136,脳と日本人 −2
2009年11月05日(木)
 「脳と日本人  松岡正剛 茂木健一郎」 −読書日記
 * 日本という方法
松岡: ぼくは、日本をヨーロッパ思想の規範の価値観だけで見るのじゃなくて、日本が日本を「方法としての日本」に
 しようとしてきたことに関心があるんです。それを見ることが好きなのです。たとえばインドに生まれたブッダの仏教は、
 中国をへて日本に伝来しましたね。中国の浄土教が日本に入ってくると、法然や親鶯らによって、かなり独創的な
 日本浄土教というものになっています。空海の密教も、インドはむろん、中国にもあまりないものです。つまり、日本は、
 中国にあったものを変えて日本化させてしまっている。再編集するのですね。それは禅もそうだし、屏風や庭園もそうです。
 屏風は、中国ではほとんどが木です。日本は紙ですね。 日本という方法になっていくんですね。 たとえば、屏風は、
 閉じてまた開くとか、季節になったら蔵から出してきて、終わったらまた蔵に戻すとか。ぼくの家もそうしていました。
 掛け軸も、その場に合わせて掛け替える。ヨーロッパなどでは、いつ行っても同じ絵を飾っていますね。
 えんえん百年間も同じ絵を飾っているという家庭もありますからね。セザンヌの絵でもお爺さんの肖像画でも、三年ぶりに
 訪れたら掛け替えてあったということはほとんどないしね。 新しく購入した絵画を自慢したいというのは別ですけどね。
 ところが、日本では、僕くが育った環境では、少なくとも季節ごとに変えています。 みんな、お金持ちじゃないから
 繰り返して使いますけどね。そういうやり方をするわけです。また、禅宗は中国で生まれて発展しましたが、日本で広まり、
 五山の禅宗文化になった。そこにはいろいろ付属して芽生えたものもある。細長い掛軸もそのひとつ、座敷で酒を飲むのも
 そのひとつ。その代表的なものが、枯山水です。中国にもロックガーデンは沢山ありますが、枯山水はまったくありません。
 枯山水は、水を使わずに岩や石や砂を配置しただけで、そこに山や水をあらわしている。水を感じたいから、あえて水を
 抜いているんです。 枯山水の庭の前に、日本では池泉庭園というのをつくっています。毛越寺の庭園ですね。
 そういうのがあったにもかかわらず、枯山水の庭をつくって岩や石や砂があるだけなのに、そこに水の流れや大きな世界を
 観じようとした。つまり、感じたいものを方法論的にそこから抜いたのですね。 こういうことは、宗教改革のような
 既存価値の打倒や分割とはいえないかもしれないけれど、とはいえそこには宗教感覚が生成していないともいえないんです。
 水を感じたいがゆえに、あえて水をなくしてしまった。不在をもって、かえって存在感を表現する。
 ―
 松岡は、何らかの情報を得て受けとめる方法のすべてを「編集」であると見て史書の編纂から日記、短歌、連歌などに
 とどまらず政治・経済のシステムや、書くこと話すこと、生きることそのものまでを編集行為として捉え、
 長年考察し続けてきた成果をもとに日本を日本ならしめている「日本的編集方法」を探っている。
 ただ「主題」を求めようとするのではなく歴史に蓄積された「日本という方法」を発見している。
 極東の島国に流れ込んだ、あらゆる文化を島国に合わせて再編成を長年かけてしてきたのが日本である。
 21世紀こそ、このノウハウが世界に必要となるのではないか、という。分からないでもないが。
 ・・・・・・・・・
2771, 女の一生
 2008年11月05日(水)
ある随想を読んでいたら、次のような内容があった。一人ひとりの人生を見つめると、誰も彼もが波乱に富んでいる。
短い文章の中に、一人の人生が垣間見れるようだ。「言葉には魂が宿る」ということである。
 ーー
・・・十代の終わりには私は親もとをはなれ、働きながら自分で縫ったスーツを着て成人式に出席しました。
これが二十代のはじまりです。そして.「この人となら死んでもいい」と思える恋をしたものの、
「わしの目が黒いうちは、かまどの下の灰も、他人にはやりたくない」と彼の母親に言われ、
死ぬほど辛い失恋をしたのも二十代のことでした。
主人と知り合って妻になり、長男を授かって親となって、私の二十代は終わりました。
主人が交通事故のために、右足切断の身体障害者になったのは三十代のはじめでした。
しかし私は考えた末、身籠っていた長女を出産しました。
それからの月日は二人の子どもの養育と、後に自宅を改装して開いた喫茶店経営の忙しさに追われ、
いろいろなことはありましたが三十代、四十代は夢のように過ぎてしまいました。
子どもたちが成長して私の元から去っていき、五十五歳で喫茶店も閉じました。
先日、紀伊国屋書店で何げなくめくった本に、こんなことが書いてありました。
 女の一生
  二十代 美しく   三十代 強く      四十代 賢く    五十代 豊かに
  六十代 健康に   七十代 しなやかに   八十代 艶やかに  九十代 愛らしく
気がつけば私は六十歳の半ばも過ぎて、四人の孫の「ばあば」になっていました。
振り返り、私の「女の一生」は、どうだったでしょうか。
記憶にも残らない日々を、多く積み重ねただけのような気がします。
私に残されたこれからの人生は、自分のためにも、そして、友人や知人のためにも健康に気をつけて、
しなやかに、艶やかに、愛らしく生きていこうと考えています。
年賀状をポケットに、ポストに向かう私の背を北風が強く押してくれました。
 ーー
解)女の一生 を 男の一生に 私の実感から書いてみると、 
  二十代 七転八倒           三十代 激しく逞しく
  四十代 ゆるやかに、よろよろと    五十代 面白可笑しく、三十年分を
  六十代 静かに 穏やかに?      七十代 (やはり)しなやかに
・・・・・・・・・
2007年11月05日(月)
 2407, こころの旅 ー?         ○´ω`○)ノ**c⌒っ *・∀・)φ【才八∋ゥ♪】
   この本は、ところどころに見逃すことの出来ない「人生の道理」の内容で満ちている。
   それを知っているといないとでは、人生が全く違ってくるだろう。
   その意味では、この本は常に身近において読んで置いてよい本である。
   ・一歳半〜五歳位の間におきる脱中心化=自己客体として自分の身体を客観化する転換期、
   ・思春期におきる超時間的な抽象的時間の概念をもつようになる転換期、
   ・熟年時におこる宇宙時間の実感化への転換期、 と、人生に三回のコペルニクス的転回を指摘している。
    私は宇宙的時間の実感化はおこり始めているが・・・
  まずは、その部分を抜粋して考えてみる。
  −−−−−
  *人生の三回のコペルニクス的転回
・第一の転換期については、ピアジュは子どもの研究において、一歳半ぐらいまでの幼児はすべてを自己中心に考えているけれども、
 一歳半ごろから自分の活動を自分のからだから「脱中心化」し、自分のからだをほかの客体の中の一つとして見ることを始める。
 これは四歳ごろから顕著となり、五、六歳ごろには本格的なものとなる。つまり、空間における自分のからだを客観的に見ることが
 できるようになり、ものを抽象的に考えることができるようになる。これが第一の転換期という。
・さらに思春期ごろから第二の「コペルニクス的転回」が起こる。 青年は時計の「物理的時間」は便宜上のものにすぎない
 ということがわかって来て、超時間的な、抽象的な時間概念をも持ちうるようになるという。
 つまり時間というものは極めて不思議な、哲学的な問題であって、青年期にこの問題に思いをひそめる人は必ずしも少なくない。
  (字数の関係でカット09年11月05日)
・・・・・・・
2006年11月05日(日)
2042, 田舎に泊まろう!
     。^0^。)ノ オッ(*^○^*) ハ〜 ヨウ
「田舎に泊まろう!」を見ながら、この文章を書いている。(11月4日9時半)
地上放送で土曜日の9時25分に、夜はBS/TVで、20時に放送しているが、最近はどちらかを必ず見ている。
                (字数の関係でカット08年11月05日)
・・・・・・・・・・
2005年11月05日(土)
 1677, うそつき−3
子供の頃、「うそはついてはいけない」と信じていた。当時の子供社会は、まだまだ純朴な時代背景があった。
中学生になってクラスの隣の席の男が平気でうそをつくのに驚いた。それまで、うそを平気でつく人間はほぼいなかったからだ。
それから年齢を重ねると同時に、うそを平気でつく人間を多く知るようになる。また裏切りも多く出会った。うそに対しては、
誰も一言も二言も言いたいことがあるはず。父が癌であと一年と宣告された時(本人には隠されていた)亡くなるまでの一年の間、
自宅で父と暮らした。私が26歳の時であった。死に病を隠すために時々父にうそをつかなくてはならない場面が多々あった。
そしてあと三ヶ月と宣言された時、父に隠れて葬式用の黒服を作りにいった。何かを察した父は、『何処に行ってきたのか』
と聞いた。その瞬間のうそほどつらいものはなかった。その時、「うそも訓練していなくては!」と、思い知った。
そして、私に思わぬ出来事があった。セミナーで、東京に泊まったときのことである。
ホテルの近くの居酒屋で会社の人と酒を飲んで、何処かのスナックに入った。そこで上機嫌で飲んだことは憶えているが、
その後のことは全く忘れてしまった。二日酔いの私に連れが翌日、「前日のことを忘れてしまったでしょう」と言われた。
(字数の関係でカット10年11月05日)
・・・・・・・・
2004年11月05日(金)
 1312, まさか、地元で大地震!ー9
この地震シリーズを書くのも終りのはずであった。書くのも飽きてきたし、面白くない内容だ。
昨日は普通の生活パターンに戻る初日。ところが新幹線が長岡駅を発車して7分後に、再び余震があるとは思ってもいなかった。
震度は4で、ユサユサという感じの揺れであった。災害以後の、通勤初日の新幹線でまた余震にあうとは。
今年の台風と同じで、どこまでも続くのが不気味である。 地球規模の大気圏と地層で、何か起り始めているのではないのか?
と考えざるを得ない。 観光旅館は、県内は壊滅状態という。中越地区は、ほぼ100?がキャンセル。
他の地域でも80?がキャンセルをしているという。本当に深刻である。これは典型的な業種であるが、ほぼ全ての経済は
壊滅だろう。困ったものである。長岡駅と新潟駅の専門街は殆どお客は見当たらない状態である。
旅行をしていると、この数年どこにいっても、「地球温暖化の影響で、この数年異常気象が起きている。
生態系のバランスが崩れて色いろの分野で大きな問題がおきています」という。神(大自然)が怒っているのだろうか。
 ーーー
 昨日、出社の直後書いた日記の内容である。
 ー11月4日ー
「冗談じゃない!」 11日ぶりの新幹線、やっと平常に戻れたと思いながら外を見ていた。
ところが発車して7分ほどして、新幹線が急停車。その後10秒程度?揺れていた。
「これは地震で震度4~5位だが、もっと大きいかもしれない。当分、新幹線の車内から出ることが出来ない!下手すると、
数時間はかかるだろう。それにしても、危ない場面に出くわしてしまったのだ」と思い、自宅に携帯電話をするが不通である。
   (字数制限のためカット2011年11月5日)       


4240, 雑談ネタ、酒の肴ネタ ー13

2012年11月04日(日)

     * 駅伝のルーツとは                         ー「ルーツ大全」インフォペディア編 より
  今日、大学選抜の駅伝が行われるが、駅伝のルーツが、この本にあった。飛脚がルーツという感があったが、なるほど、
 色いろな経緯があった。箱根駅伝もTV中継をするようになってから爆発的にファンが増えた。 −まずは、その辺りを抜粋する。
≪ 選手がリレーして走る、いわばロード・リレー・レースである駅伝は、日本発祥のスポーツである。最初に駅伝が行なわれたのは、
1917(大正六)年のことだ。この年は、京都から東京へ首都が移ってからちょうど50年目にあたった。当時の有名企業は、こぞって
50周年の記念行事を計画し、駅伝はそうした企画のなかの一つとして、考案されたものだった。
 駅伝を発案したのは、当時はまだ朝日新聞や毎日新聞の後塵を拝していた読売新聞の青年社員である。彼は、京都の三条大橋から
東京の上野を結んで、昔の飛脚のように東海道五十三次をマラソンリレーする斬新なアイデアを考え出した。「駅伝」という名前は
この時考え出された。鉄道の駅に立ち寄るわけでもないのに、なぜ駅伝という名前がつけられたのだろうか。 これは、古代の
「駅伝制度」にちなんでいる。古くは飛鳥時代から、日本の主な街道には、急ぎの使老が乗り継ぐための馬を配した「駅馬」
「伝馬」が置かれていた。選手たちが次々に走り継いでいく様子をこれになぞらえ「駅伝」と名づけたのだ。
この日本初の駅伝は、関東組、関西組のニチームで争われ、選手たちは三日間昼夜を徹して東海道を走り抜いた。
沿道は世紀の大勝負に大観衆が熱狂して声援を送り、最後は関東組の勝利に終わった。この駅伝大会が成功したため、
三年後には東京と箱根を往復する駅伝大会が始めている。これが現在の箱根駅伝。最近では海外でも駅伝が行なわれている。
日本が生んだ競技が、世界に広がりつつある。 ≫
 ▼ 駅伝は順調でもチームの一人が倒れれば、それで終わりとう危険がある。だから、見ている分には面白い。
  倒れた人は、それで一生の傷を負うことになる。甲子園の野球に、似たところがあって、そのドラマは残酷でさえある。
 ・・・・・・・
3875, ギリシャ危機の実態とは? −2
2011年11月04日(金)
   * 呆れたギリシャと、日本
  ギリシャが支援を受けるには借金を減らすため政府予算をきりつめなければならず、国民の反発が強い。
 否決されれば、欧州の解決策が白紙に戻る。そのジレンマの中で、何と国民投票をギリシャ首相が表明したとニュースにあった。
 いずれ破綻をするのなら、一度破綻させ、ギリシャをEUから外せばよい。 一つ間違えると、世界は恐慌。いや、既に瀬戸際に
 立っている。本来は10月に起こって不思議でない恐慌が、少し延びているだけ。 まず、その記事の一部をコピーから・・・
【 欧州の政府債務(借金)問題への懸念が再燃し、また株安やユーロ安を引き起こした。ギリシャがユーロ圏各国による支援策を
 受け入れるかどうかを国民投票で決めると発表し、否決されれば欧州問題が解決できなくなるとの不安が強まった。
 独仏首脳はギリシャ側と2日に緊急会談を開き、対応を協議する。 1日の欧州株式市場では、ドイツの株価指数が一時6%、
 フランスの株価指数が一時5%を超える大幅な下落になった。とりわけギリシャ国債を多く持つ仏金融大手のソシエテ・ジェネラルや
 BNPパリバなどの株価が大きく落ち込み、金融機関の経営への懸念が強まっている。その後のニューヨーク株式市場も急落した。
 大企業で構成するダウ工業株平均は一時、前日終値より約320ドル下落した。 欧州通貨「ユーロ」も売り込まれている。 
 1日午前の東京外国為替市場では一時1ユーロ=109円台をつけたが、その後は 円高ユーロ安が進み、欧米市場では
 1ユーロ=106円台になった。】
▼ 世界の金融関係者は固唾を飲んで見ているが、日本は、他山の石でないから大変である。問題はギリシャだけでなく、
 他のPIIGSが控えていること。その上にアメリカも、日本も、そして中国も大きな地雷を抱えている。各国の指導者の誰も、
 その解決方法が分からず、成り行きに従うしかないのが現状。 ギリシャの公務員数が、何と人口の10パーセント。
 日本の公務員数はというと400万人。国家公務員100万人、地方公務員300万人。多いといっても3パーセントでしかない。
 話は飛ぶが、日本の公務員は、退職金とか公務員年金を給料に換算すると年に一千万近くになるという。で、それを掛けると、
 何と40兆円になる。国家予算と、地方の予算は別としても、国家予算より多いことになる。で、国の予算が実収入の三倍。
 当然、待っているのは、国家破綻である。そして、韓国がIMFの管理下で血の滲むような、合理化をせざるを得なかった道が
 目の前に待っている。 同調バイアスと、正常性バイアス、そして他愛主義者が政権をとっていることもあり、国民は大津波の
 前の土手で、車に寄りかかってプカプカとタバコを吸っている姿に類推できるのが、現時点。海岸線の危ない人の話だけでない。
  ・・・・・・・
 3510, ユダヤ人の頭脳活性法 ー4
2010年11月04日(木)
「ユダヤ人の頭脳活性法 」手島 佑郎 (著)
   * 全身学習法
 子供が六歳でへゲルとよばれる寺小屋に通い始めると、まず文字を指で押さえながら朗読することを教える。
つまり、目で文字を追い、指で押さえ、口で朗読し、耳で聞くわけである。人にとっていちばん記憶しやすいのが、自分の声。
次は胎内入る時から聞いている母親の声。母親の語る童話や寝物語は、人間の知性の発育に大きく影響する。
ユダヤ人は、これに加えて、身体を前後に揺らしながら読みます。つまり全身を使って読むわけである。
我われは、本を持って部屋をウロウロしながら小さな声を出して読むのが一番効果があることになる。
座って前後に身体を揺らせながら読んでもよいが。こういう時、速読は駄目で、ゆっくりと一行ずつ幾度も音読を繰り返し、
文章の余韻を味わってみることである。 それと、考えと思いを書き出すことも重要。 自分が心の中で思っていることと、
自分が理知的に考えていることの間には、大きな段差がある。 自分自身に対して中途半端に妥協せず、自分が納得するまで、
とことん吟味し選び抜き、自分が納得できる表現の文章に組み立ててみることである。
 〜解)そういえば、鳩山兄弟の勉強法に「部屋の黒板に書きながら理解をしていく」とあったが、これも身体全体を使っている。 
   *「模写する力」を身につける
 ー「書き写す」、「真似る」そこから自然とオリジナリティーも育ってくる
  書くということは、自分の考えを綴るだけでなく、他人の名文を書き写すことからも学ぶ点が多い。
 名文というものは、日本語の韻律に優れているだけでなく、仮名と漢字の使い分けや、そのつなぎの妙、
 そして仮名と漢字の織り成す音韻の点でも優れている。受験生などに有効な、もう一つの方法は「筆写」。
 試験問題も、設問も、全部二・三度書き写してみる。そうすると出題者の意図が試験問題全体から伝わってくる。
  もう一つ、「写生」である。写生は見えているものを描こうとすることです。紙の空白の何処のスペースの置くか、
 何を訴えて描こうとするかー奥行きが深いもの。それが上手く出来るかどうかは、全体の構図の取り方にかかっている。
 「デッサン」も、誰もが実践可能な頭脳活性法である。デッサンはフランス語で「下絵」のこと。
 鉛筆や木炭、単色の画材だけを使って対象物を書く素描のこと。対象物をその輪郭、白黒の濃淡、陰影、線の太さ、細さなど、
 単純な要素で表現するもの。それだけ、描き手の目の鋭さと腕の確かさが一目瞭然になる。自分でデッサンできないなら、
 模倣と模写から始めることだ。欧米の美術館に行くと、巨匠の画家の作品の前で終日、模写をしている若い人を見かける。
  〜〜
  真似る、書く、書き写すことが、基本のようだ。それも繰り返し、続けること。
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3135, 「法則」のトリセツ  ー3
2009年11月04日(水)
* ドアインザフェース ー取引の駆け引きの一手法   
  ‘ホテルカツ上げ’のケース
アメリカの心理学者チャルディーニが行った実験がある。
最初の依頼「これから2年間、毎週2時間ずつ青年カウンセリングプログラムに参加してもらいたい」
第2の依頼「ボランティアとして、1日だけ、子供を動物園に連れて行ってもらいたい。」
 最初の要請はほとんどの学生が断った。 断った学生に第2の依頼をすると、約50%の学生が引き受けてくれた。
ところが最初のステップを踏まず、いきなり第2の要請をすると、17%の学生しか承諾してくれなかったのである。
この方法は、外交交渉でよく使われる。 以前の経済交渉で、アメリカが常套手段にした方法がこれである。
最初に、とんでもない要求を突きつける。相手が断ると要求を下げてくる。下げてきた要求の方がアメリカの狙いだったりする。
このテクニックは、最初の依頼を断った時の相手の罪悪感を利用している。
 一般的な例としては
「財布を忘れてきたので、一万貸してくれないか」「悪いけど人に小銭でも貸したことがないので汽車賃なら」
「じゃー昼飯代で二千円でも」で、相手が優位な状態で仕方なく金を貸しざるを得なかったことがある。
 女性にルーズで、当時倒産をして生活が苦しいとは聞いていたが。 また最近、ホテルであったケースとして、
《 部屋においていた高価な時計が無くなったと騒ぎ出し、警察を呼んで調べてもらった翌々日から電話での恐喝が始った。
 明らかにカツ上げが目的。百万以上の時計だが、御前のところの誰かが盗んだはずだ。どう弁償してくれる、何とかしろ。》
 警察に電話をしても「民事のこと、話し合いで何とかしてください」という。 何度か電話が来たが、最後は露骨な脅し。
 そこで録音をして警察にとどけることにした。 百万といっておいて数万〜10万で手をうつ手法は見えみえ。
 といって、恐喝ハンターとしては警察沙汰にした方が後々のため。 で、電話を録音をして警察に届け出て一件落着。
 二十年前の時は、「電話の取次ぎが途中で切れてしまった。 数百万の取引が駄目になった。保障をしろ」という。
 これも体の良い恐喝である。 二人連れだったが、対応した副支配人に包丁を突きつけての脅し、その包丁が彼等の車内で
 発見されて逮捕された事件があった。 次回は、小さなウソを重ねた詐欺的行為?のケース・・
〜〜
2770, 半歩遅れの読書術 −3
2008年11月04日(火)
 茶道を通して二人の男の深い魂の結びつきが伝わってくる。馴れあわない親愛、孤独に耐えうる人間の友情が、何とも良い。
さっそく、『平心庵日記』をアマゾン《中古本》で注文をしたが、面白そうだ。
 ーあるHPの感想文からー
  * 逃避から得た恩寵
 昨年(2000年)の晩秋に読んだ本だが、近藤道生氏の『平心庵日記-失われた日本人の心と衿持』(角川書店)も、
私にとってその種の本の一つであった。著者は戦後復興期の大蔵官僚であり、転身して博報堂の代表となった経済人だが、
同時に現代の茶道を支える大茶人として知られている。その著者が、外科医で茶人だった厳父、平心庵・近藤外巻の
日記を読み返し、しだいに大戦の影の迫る、大正末から昭和初期の茶人の生活を描いたのが、この本である。
 平心庵は文字通り「仁術」に生きる開業医だったが、そのために営利的な同業者のあいだでとかく孤立しがちであった。
だがその彼が茶友としたのが三井財閥の総帥であり、近代茶道の復活者一人、鈍翁・益田孝だったから、
話はにわかに華麗な背景に飾られる。 益田は財界の雄であり、山県有朋と結んで政界をも左右した人物だが、
それ以上に江戸後期に形骸化し、利休の精神に回帰させた大正茶道の指導者として有名であった。
 感動的なのは、この二人がたま小田原に住んで、ただそれだけの縁で無私の友情。育んでゆく過程である。
当時・反軍的な益田はようやく政界での力を失い、国の将来を憂いながら隠棲に似た生活を送っていた。
二人はともに孤独を覚えがちな境遇のなかで、いささかも馴れず甘えあわず、茶の湯の規則貫かれた君子の交わりを結ぶ。
二人のあいだに慎み深い距離があって、しかも同じ不幸な時代に耐える暖かい共感が養われていた。そしてとくに私の注目を
惹いたのは、この同じ規律が近藤家の家庭の内部にも及び、息子は父にいつも敬語で語りかけていたという挿話であった。
 この二年、私は「社交する人間」という長編評論に取り組んできた。そのなかで私が社交に求めていたのは、
一貫してこの馴れあわない親愛、孤立に耐えうる人間の友情だったのだが、この本はそれに具体的な挿絵を与えて、
書きつづける私を勇気づけてくれたのであった。
▼ 以上だが、両親が茶人だったこともあり子供の頃から茶道の世界を垣間見、その奥行きの深さを感じ取ってきた。
 私が残された時間ですべきことは茶道の世界なのかもしれない。 
 金沢時代に一年間、寮の近くの個人が教えている家に通ったことがあったが・・・
・・・・・・・・・・
2007年11月04日(日)
2406, カラスの話 −2          ○( ̄ ̄ ̄ ̄o ̄ ̄ ̄ ̄)○ おっ W( ̄ ̄ ̄ ̄∇ ̄ ̄ ̄ ̄)W は〜♪
「カラスの話」でもテーマにしようかと思いたった。 ところが、そういえば一年ほど前に書いたような気がしたので調べたら
(Hp内の検索)やはりあった! 一年近くに書いてあった。 先月の10月23日のこと、中越地震三周年の花火が通勤の帰路に
(亡くなった人の数?)打ち上げられて、その音と地響きが聞こえてきた。その時、彼方此方からカラスの鳴き声が聞こえてきたが、
「恐怖の叫びと、互いに安全の確認」と推測できた。「カラス語」で検索してみたところ、仏の鳥類学者デュポンのカラス研究があった。
彼の長年の研究の結果、カラス語が幾つか解るようになった。
・カラス語は25の語数からなっていて、ほぼ全ての意思を伝えることでき、
・「クラ、クララ、クラオ、クラオ、クロア、クロネ・・・」とある。
 フランス人は日本のように「カ〜カ〜」の音ではなく、「ク〜ク」の「ク」の音階で聞こえるという。
それぞれ ーここ、そこ、前、うしろ、人間、寒い、暖かい、というようなことを話しているという。
この数日のウォーキングの道すがらカラスの鳴き声に耳を澄ませているが、成る程、意思交換をしている。 
カ〜カ〜カ〜という長い声と、カッカッカッという短い声、音程の上下、回数、などが微妙に違っている。
それと、朝晩の集会での意思交換をしている。 話しは少し変わるが、先日のこと、カラスが宅上犬を
からかっている場面に出くわした。宅上犬の歩いている先の橋の欄干にとまって挑発をしていた。
その可愛いい犬が吠えても逃げようとしないでカ〜カ〜と鳴きかえしていた。
飼い主は面白がって、その犬とカラスの攻防をなすがままに任せていた。
それをまた、私も見ていたのだから・・カラスが子犬を馬鹿にし、からかっているのが何とも人間的であった。
 数分のやり取りの後に、電線に飛んでいった。 カラスは、一番身近な野生を感じさせられる動物である。
 もう少し姿、形が良かったら、もっと身近に感じるのだろうが!    グッ。・:*:・゚☆w(´・з・`)バァイ
ーーー
2006/10/24
2030, カラスの話
 ー以下は、字数の関係でカットー2007年11月04日
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2006年11月04日(土)
2041, プロ野球の「記者の順位予測」          才八∋ウ_〆(∀`●) 
ープロ野球の「記者の順位予測」と結果ー
 毎日新聞の「記者の目」のコーナーで毎年、プロ野球の開幕前にセ・パ両ーリーグの順位を12人のスポーツ記者が予測する。
 そしてシーズンが終わると、それぞれの記者が「反省の弁」を、 実際の「予測順位」と「実績」の下に書く。
《私はセリーグは巨人、パリーグはソフトバンクと予測したが、みごと外れてしまった。》
  ー記者の結果を見ると、
  (以下は、字数の関係でカットー2010年11月04日)
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2005年11月04日(金)
1676, 「自薦エッセイ集 魂の光景」−2
深く考えさせられる内容である。 まずは、この文章を!
 ー「イルカは跳んだーある感触」−
男はイルカのことを考え続けている。イルカ一般のことではなく、1960年代の末ごろのハワイの海洋研究所に飼われていた
一頭のメスイルカのことを。このメスイルカは研究所の訓練者が呼子を吹くとある動作たとえば水面に跳び出て尾びれで
水面を叩くという芸をみせて、餌をもらうように仕込まれていた。その研究所に来る見学者にその芸をみせるのである。
ところがある日、その芸をしても餌はもらえない。 2時間休んで次のショーの時も餌をもらえない。 
当然イルカは当惑して混乱して苛立つ。そうして数日後14回の苛酷な、虚しい演技が終わったあと休憩時間に、
イルカは明らかに興奮した嬉しそうな顔をする。そして15回目の舞台で、いきなりこれまでみせたことのない
4種類の演技を含む8種類の違った演技を、次々とやってのけたのである。 そして、やっと餌をもらえたのである。
それまでの毎回同じ演技をすれば餌をもらえる、という条件反射的行動から、一回ごとに違った動作をしなくては餌を
もらえないという複雑な一段上のルールを認識したのだ。このイルカの話を、日野はグレゴリー・ペイトソンの本の中で読んだ。
「ここでイルカはひとつの跳躍を、論理階型間のギャップのとび越えをやってのけたである」とベイトソンは書いている。
このイルカのことを、男(日野)は考え続けている。14回までの彼女の苦悩と不安を、
14回目の後の休憩時間に起こった劇的なひらめきを、そして15回目に実現した彼女の論理階型の新生を。
 べトソンは
・初めのイルカの段階つまり単純な条件反射的行動を「学習?」となずける。
・それに対して、様々に起こる出来事、つぎつぎと置かれる事態の間に コンテクト(文脈・脈絡)を見出して、
 それに従って行動する(適宜修正しながら) 段階を「学習?」と名づける。
ー以下は、字数の関係でカットー2010年11月04日
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2004年11月04日(木)
1311, まさか、地元で大地震!ー8
昨日の朝、何時もの散歩道を歩いていたところ、一軒の家が全壊していた。
母屋の隣にある小さな二階建ての元住宅で、今は駐車場兼倉庫に使っていたようだ。
倒壊で車が押しつぶされていた。「サロンのコーナー」に写真を貼り付けてあるが、小千谷など震源地に近い古い住宅は、
同じように多く倒れているのだろう。我家の自宅裏の空いていた貸家に、家が半壊した一家が昨日より引越のため荷物を運び始めた。
数日前に不動産屋からの紹介で、台風による洪水と中越地震のダブル被災の長岡近郊の浦瀬の一家が入居することになった。
殆ど生活用の家具は使えなくなったという。台風でやっと立ち直りかけた後なので、かなり深刻のようで、もう避難所生活も限界。
しかし、JAへ夫婦共々勤めている内福の一家のようだが。全壊は300万、半壊は100万円の支援金がでるというが、やはり厳しい。
新幹線は今日から長岡〜新潟間が開通するので、普段に戻ることになる。
近くでは、長岡大手高校の前と、青少年センターの駐車場にテントに囲まれた
臨時浴場が現れた。中が電気で影が見えるのが生々しい。被害は全てにくるのではなく、マダラになっている。
地盤や古い住宅など、物理的に弱い所がやられるようだ。人間の体もそうだが。
今朝の明け方も、叩きつけるような雨が降っていたが、避難所にいる人は本当に大変だろう。


4239, 雑談ネタ、酒の肴ネタ ー12

2012年11月03日(土)

                          
                              ー「ルーツ大全」インフォペディア編 より
   * サッカーのイエローカード、発案は信号機がヒント
≪ サッカーの試合で見かけるイエローカードとレッドカード。イエローなら警告で、レッドなら即刻退場とわかりやすい。
 普段の会話でも「今の発言はイエローカードだ」などと使われることもある。このカードがサッカーの試合に初めて登場したのは
案外新しく、1970年のワールドカップ・メキシコ大会から。
 イエローカードとレッドカードを考え出したのは、イギリス人審判のケン・アストン氏。彼は1966年にワールドカップ・イングランド
大会のイングランド対アルゼンチン戦の副審(当時でいうラインズマン)を務めていた。この時アルゼンチソ代表の選手が、ドイツ人の
主審に退場を宣告されたものの、言葉が通じず、ピッチを去らなかった。あわや大騒動となる寸前、スペイン語を話せた副審が
この選手を説得して事態を収拾した。国際試合では、審判と選手間で言葉g通じない場合が多い。通訳がいても、全部の場合に
対応できるとはかぎらない。そこで、「どうすれば異なる言語を話す選手に、言いたいことを正確に伝えられるか」を考えた。
 そんなある日のことである。車を運転するアストン氏がロンドンのハイストリートの交差点にさしかかると、信号が黄色から
赤に変わった。信号待ちをしながらアストン氏はひらめ、いた。「これだ!」 交通信号ならほぼ万国共通だし、審判がカードを
掲げれば誰にでも意味が通じる。こうして、イエローとレッドカードは、世界標準のルールとして正式に採用されることとなった。≫
 ▼ プロボクシングも取り入れればよい。
     〜〜〜
   * ライバルの語源は、川の水場争い
≪ 好敵手をライバルというが、この語源は「river」にある。古代の文明の発生はいずれも大河の流域。水がなければ
 人間は生きていけない。水を確保するに、川のそばが都合がよい。そこに部族間、部族内で争いがおこるのは必定だった。
 その場所をめぐって争うことを「ライバル」というのである。≫
 ▼ イスラエルは、まさに東西の境にある水場の地域である。 その争いが現在まで数千年も続いている。
  ・・・・・・
3874, 閑話小題 ー「すてきな金縛り」
2011年11月03日(木)
   * 最近、多くなったシネマ通い! 
 昨日は、スポーツセンターを一時間で終え、シネマの「すてきな金縛り」を見てくる。
監督が三谷幸喜 というので期待したが、70点というところ。三谷監督には、シックスセンスが無いのでは?。
したがって、シックスセンスが無い、興味本位の人にとっては面白いが、過去にあった者にとって物足りない? 
 ところでリタイヤをしてしまうと、昨日のように急に思い立った行動が出来るのがよい・・
それにしても、最近の映画は面白いのが多い! 見すぎで躊躇して見逃すことも多い。 せめて月に一本だろうが、
このところ月二本のペースになっている。 千円だから気楽に行けるからだ。 期待外れの場合は、翌日の昼は、
インスタントラーメンか素うどんと、ゲーム化にするのも面白い。 隔日の近所のランチ以外は、似たようなものか。
今日の評価は、ウドンにカレーかけ、あたりか。 どうしても、エネルギーの発散が中途半端、映画が効果的で・・・
  ー 映画紹介文から
【 ステキな金縛り将来性ゼロの三流弁護士エミ。事務所のボスから、ある資産家の妻殺しの容疑で捕まった男の弁護を頼まれる。
彼には、事件があった夜、旅館の一室で金縛りに遭っていたというアリバイがあった。無実を証明出来るのは、一晩中彼の上に
のし掛かっていた、落ち武者の幽霊だけ。エミは早速その旅館を訪れ、その夜、金縛りに遭う。目の前に現れた落ち武者に、エミは
裁判で証言するよう依頼する。人生のどん詰まりに立たされたダメ弁護士と、421年前に無念の死を迎えた落ち武者幽霊の奇妙な友情。
二人の前に立ちはだかるのは、一切の超常現象を信じようとしない堅物検事。かくして全世界の注目の中、幽霊裁判は幕を開けた。】  
 ▼ この映画、喜劇として気楽で見れるのがよい。「幽霊も人間だ」という言葉が印象に残った。
  家では一日おきにWOWOWで映画を見ている上に、隔週のシネマ通い。 世情から浮くわけだ。
  毎月の一日は、年齢にかかわらず千円。 その日は客が集中するという。二本、掛け持ちをする人も多いとか。
  しかし、その翌日の水曜日の昼に客が20数人も入っていたのに驚いてしまった。 女性中心で、若い人から中年まで・・
・・・・・・・
3509, ユダヤ人の頭脳活性法 ー3
2010年11月03日(水)
  「ユダヤ人の頭脳活性法 」手島 佑郎 (著)
  * まず「五感」を鍛える
 人間の持っている感覚−五感を研ぎ澄ます基本的なことがユダヤ人の生活の中で育まれているという。
臭覚・視覚・聴覚・味覚・触覚の五感を鍛えれば全身で何かを感じることができるようになる。
先日、声楽家の話しの内容が印象に残っている。「音楽家はディナーなど食事の会で、語りあいながら美味しいもの
楽しく食べることを特別大事にする」と。一流レストランなら、この五感を充分満足させてくれる何気ない装置ができている。
音楽家は全身で練習をし、観衆の前で演奏や歌を披露する。そのために格段に五感が研ぎ澄まされていなくてはならない。
特に味覚、臭覚は頭脳の活性化には非常に重要である。彼らは、他の視覚、聴覚、触覚は張り詰めた空気の中で
研ぎ澄まされているから、先の二つの感覚が相まって鋭くなる。ユダヤ教は彼らは選ばれし民という根本思想がある。
選ばれし者は、まずは五感から優れていなくてはならないから、食事の材料そのものから細かい規定がある。
頭脳が活性するように長い歴史の経験が、彼らの教え、習慣として根付いている。  
  * 「ことば」を自分のものにする
 まずは「読み書き」の力を身につけること、これも重要である。ことば抜きには、自分の考えを組み立てたり、
表現したりするのは、ほとんど不可能。だいたい日本人が日常で使うことばの数は、せいぜい3000語前後。
アメリカ人の普通の会話は2000語前後。熟語を加えると、やはり3000ほど。
微妙な語彙を増やすために辞書を引く習慣が必要である。そして、自分の心の内側の思いを、多くの日本語から、
どのことばに託するかを決めることも重要になる。ことばは、その人の衣装。 脳活性化の第一歩は、
まず「読む」という作業の見直しから始る。一番効率が良いのは、声を出して読むことである。
ユダヤ人は、暗誦できるほどに聖書を子供たちに音読させている。その暗誦そのものが彼らの頭脳を鍛える。
 そうこう考えると、ユダヤ人から学ぶところは、あまりに多い。偶然だが、去年の同日に「脳と日本人」を取り上げていた。
 ・・・・・・・・
3134, 脳と日本人
2009年11月03日(火)
「 脳と日本人  松岡正剛 茂木健一郎 」 −読書日記
 この本の初頭から、「エッ!」と思わせる内容である。「主題は20世紀に出揃っている、21世紀は方法の世紀」と。
最近、パソコン、インターネットを初めとするIT機器などの飛躍的進歩で、世界は大きく変わろうとしている。
それより良いにつけ、悪いにつけ、私自身が劇的に変わってきた。 方法のキーワードが「編集」と看破しているところが、
松岡正剛の言わんとするところ。 実際の、このテーマ日記を8年半ほぼ毎日書き続けていて、大きな内面の変化を実感する。
起承転結の編集作業を通して、外的世界の把握の仕方と、内面の編集作業がアップスケール?した。
それを実感しているからこそ、冒頭からの二人の対話に引きこまれてしまった。 
正座をして隣で聞き耳を立てて読んでいる感じである。  編集とは創造作業の方法というとわかりやすい。
 〜まずは冒頭の、その部分から〜
松岡: 20世紀は主題の時代で21世紀は方法の時代。方法というのは、ものの見方、考え方の支点。
 そのキーが「編集」ということ。平和とか環境とか民主主義とか多様性とか共生とか、主題はだいたい20世紀に出揃ったでしょう。
 でも、何も解決していない。 だったらこれからは、方法が問われた方がいい。それには編集的方法にもっと注目した方が良い。 
 編集という言葉は、新聞や雑誌、テレビ、映画などのマスメディアでよく使われる技法用語です。けれども僕は、その意味と用法を
 拡張して何らかの出来事や対象から情報を得たときに、その情報を受けとめる方法のすべてを編集と呼んでいます。
 たとえば、パソコンで文章を打ったり、日記や手紙を書いたり、というのは全て編集です。企業の経営やプラニングを考えたり、
 会社でスピーチをしたり、家で料理をつくったりすることも編集です。アタマの中に浮かんでいることと、体で起こることを、
 目や手や道具をつかってつなげているわけだからね。だからサッカーや野球は編集ゲームですし、小説を書くことは編集構成です。
 何かを思い出すことも情報編集です。
茂木:「編集」という方法が考えたり、書いたりという人間の知覚や思考、表現のすべてにかかわっているわけですね。
松岡: 人間にかぎらず、生命体の活動はもともとが情報編集でしょう。 生命体の本質はそもそも情報高分子だし、生きていると
 いうのは、負のエントロピーを食べて非線形的なふるまいをすることですからね。二十一世紀は、そういう方法に着目するべきです。
(以下、字数制限のためカット 2010年11月3日)
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2769, 閑話小題
2008年11月03日(月)
 *時代が激変している!
この数ヶ月、休日に車で一人、フラッと目的なしに色いろな店に入るようになった。女性なら当たり前のことだろうが、
男はフラリというのは少ないのだろう。昨日は、地元のスーパーセンターの<ムサシ>のペットショップ。 
犬の半額セールデ、お客で溢れかえっていた。普段の3倍の子犬で、それぞれが飼いたい衝動にかれれる目をしていた。
家内が動物が大嫌いとは知らなかったが、そういう人間が存在するとは衝撃であった。 まあ、愚痴か!
最近、面白いのが中古品ショップである。ハードオフに冷やかしで行っていたが、似たような店が出来てきた。
新品同様で、三分の一が相場なら買いたい衝動も沸く。 少し恥ずかしいが、今更である。
合理的という意味で、中古ショップは理にかなっている。アマゾンの中古本もしかり。
 *りんごダイエット
  《字数の関係でカット08年11月03日》
 *昨日は、親戚の法事
昨日は、父方の親戚の法事。 兄が実家の商売を倒産させてしまったので、数年は謹慎の身。
当分は私が法事を出ることになる。 これまでは「家」を殆ど無視、意識しなかったが、今後は違う。
10時半に法要があり、12時半からオトキ、二時過ぎに終了。家に帰ってTVで天皇賞をみる。
 ところでニューオータニの和食料理、なかなか美味しい。 驚いた。
 −−−
 *アメリカ大統領選
  《字数の関係でカット08年11月03日》
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2007年11月03日(土)
 2405, 耳栓とアイマスク         (@⌒ー⌒@)ノおはよ〜♪
三ヶ月ほど前に、「100円ショップ」で耳栓を見つけ購入した。そして使い出したところ耳栓なしには寝れなくなってしまった。
あくまで主観だが、8割の音が遮断される。寝室でアイマスクと耳栓をすると、隣で家内がTVを見ていても平気で眠れる。
寝ついた後の四時間は熟睡状態になる。そのためにか、その後は逆に眠れない。私の住まいは住宅が密集していないため、
殆ど雑音は聞こえてこないが、耳栓をして初めて、それでも雑音に囲まれていたことに気づいた次第である。 
   (以下、字数制限のためカット 2010年11月3日)
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2006年11月03日(金)
2040, 「あたりまえなことばかり」 −1
     (。^0^。)ノ オッ(*^○^*) ハ〜 ヨウ     読書日記
 著者の池田晶子は、専門知識や用語に頼ることなく、日常の言葉によって「哲学」を語ることで多くの読者から支持を受けている。
《字数の関係でカット09年11月03日》
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2005年11月03日(木)
1675, 「自薦エッセイ集 魂の光景」−1     −読書日記
「創造する心 日野啓三対談集」につづいて、図書館から日野啓三著「自薦エッセイ集 魂の光景」を借りてきた。
読めば読むほど、日野啓三の深い洞察に驚きざるを得ない。数年前に亡くなったが、1990年代、60歳代に
入ってから大きな手術をし、死と向き合うことによって、一段と深い所に達したようだ。
心の奥底に、先祖たちの、生物のあらゆる記憶の存在を感じている。神秘思想に非常に近いところにいる。 
しかし同時に心の奥底に、神秘思想のところがありながら、「意識は脳の働きである」という意識を明確に持ったまま、
心の奥深い世界を描写している。 印象に深い章から抜粋しながら考えてみる。
  ー「書くことの秘儀」ー
”小説を書くってことは、なにひとつ実在しないところから、リアリティを生み出すことだ、”
”だが死は恐怖であると同時に、生をより自覚的に劇的に物語的に、悲壮の輝かしく喜ばしいものと痛感させる
条件ではなかっただろうか。死者を弔い。祖霊、神霊への祈り、祭り。それに伴う様々な建築物、道具、装備品の洗練。 
  《字数の関係でカット08年11月03日》
・・・・・・・
2004年11月03日(水)
 1310, 23歳の日記−3
 ー卒業式の思い出ー
大学の卒業式の写真が数枚残っているが、その前後の事や詳細の記憶は殆ど無かった。ところが、この日記で当日の記憶が
鮮明に蘇ってきた。最終の学校の卒業は、人生の大きな境い目であるその記念日の記憶は、大事なことと読んでいて実感する、
それも年齢を重ねれば重ねるほど。幼稚園、小学校、中学校、高校とその日のことは憶えている。その日の父親の気持ちが、
今あらためて振り返ってみると少しは解かってくる。写真も大事だが、気持ちの記録はもっと大事である。
それにもっと早く気がついていれば、日記を書き続けておくべきだった。読み返していて感じることは、
「若いということは、若いというだけで光り輝いている」ことだ。不安定で歪がまだあっても、あらゆる可能性があるのが
若い時の特徴である。それが悩みになるが、その悩むということがよいのだ。それも振り返ってみて初めて気がつく。
 ー1969年 3月24日ー
卒業式に出席する為に、8時半に起床、10時半に四日市から東京に向け出発する。15時前に東京駅に到着する。
大学時代の友人の川崎のところに電話を入れる。一科目、追試が残っていて、それが及第しないと卒業できないのだが、
大丈夫だった。絶対に大丈夫と思っていたが、本当に良かった。万一の時は、就職もオジャンになってしまうのだから。
その足で、寮に行く。佐藤君は居なかったが、残してあった荷物は娯楽室にあった。その荷物を持って、千葉の検見川にある
(三番目の姉)優子さんの家に泊めてもらうために向かう。父が私の卒業式の為、来ている。何か父も嬉しそうだ。
恐らく、最後の子供を無事卒業させたという安堵感だろう。父に言ってはならないことをズケズケといってしまった。
「このままの仕事では、必ず淘汰されるのでは!」とか。父は何か悲しそうな顔をした。本当に何をやっているのか、
自分を怒鳴りつけたい。それも自分の卒業式にわざわざ出てきてくれたのに。
「親父よ、私はまだまだ未熟なのだ。ご免なさい!」 本当に恥ずかしい。
 ー3月25日ー
7時半に起床。今日は卒業式だ。8時過ぎに近くに住んでいる(4女)姉の礼子さんがくる。 父と私に会う為だ。
私は寮に行かなくてはならないので、父より一歩先に家を出る。寮で大家の奥さんに挨拶をする。
丁度その時、佐藤君とバッタリ会う。最後の握手をする。初めは親しかったが、途中から行き違いが出た。
しかし、気持を何時も通じていた。良い寮での同僚であった。 佐藤よ、ありがとう。
これで壊れた関係を元に戻せたようだ。 これで恐らく会うこともないと思うが、良い友人に恵まれた。
さて、その後父と待ち合わせて、大学に行く。これが本当に、本当に最後の最後の行事になってしまった。
まずは深井に会う。新橋しのだ寿司の御曹司で、無神経だったが何ともいえない暖かさがあった。
彼も興奮気味であった。その後、武澤先生に会う。父を紹介した後、父ともども記念写真を撮る。
武澤先生には、言いたいだけいい、その結論を出さずしまいであった。その後、河村、外山、石川、奥野、
兼古、広瀬、皆が居た。 本当に最後ということで涙を浮かべて最後の握手をする。彼らとも、もう二度と会えないのだろう。 
思い出の深い校庭である。ここが日本かと思われるような何ともいえないアメリカ的な雰囲気があった。
父が、あまりに私のところに多くの友人が次々挨拶に来るので唖然としてみている。父は何か取り残されているようだった。
しかし、それより全ての友人に挨拶をする方が先である。卒業式は一人一人が壇上に上がって総長から直接卒業証書を手渡された。
その後、全員で校歌を歌い無事終了した。そして、学食に集まり、ビールで乾杯をして、コップを床に叩きつける。
これで学生時代とお別れという儀式である。そして学校を後にする。ところが面白い現象がおきた。ふと見ると、歩いているのが、
入学当時のグループの兼古と奥野と広瀬の4人なのだ。最後はそこに収まったということだ。兼古は千葉の方向ということで、
駅前の喫茶サルビアで思い出話と、今後の人生について話し合う。そして電車で千葉の検見川まで一緒に帰ってくる。
これで、完全に学生時代は終わってしまった。良い学生時代であった。そして、良い卒業式であった。
これだけ、素晴らしい!と思えるというのは一生の宝になるだろう。 明日から再び現実が待っている。


4238, 雑談ネタ、酒の肴ネタ ー11

2012年11月02日(金)

 
                      
                             ー「ルーツ全集」インフォペディア編 より
    * バイブレーターの起源は、ヒステリックの医療機器
  際どいが健康機器売場でのバイブレーターの見方が、これで少し変わってくる。
≪ ちょっど刺激釣なセックスをしてみたい……。そんな時に使う大人のおもちゃの定番といえぱバイブレーターだろう。
 女性を絶頂に導いてくれるスグレモノだが、バイブレーター、じつはもともとは医療器具だった。
いったいどんな治療に使われたのかというと、情緒不安定、具体的にはヒステリー発作を起こしている女性を対象としていた。
ヒステリーの語源は、ギリシャ語で子宮を意味する「ヒューステラ」。つまり、昔は、ヒステリーを起こすのは子宮が原因だと
考えられていたのだ。しかも、子宮が欲求不満であることから起こると信じられていた。 もうおわかりだろう。
ヒステリーを起こすのは、性的欲求不満が原因なので、治療法としては、女性を性的に満足させればいい。
そこで、医者や助産師が、指でマッサージ(愛撫)して、絶頂に導くことで治療をしていた。 この療法のための医療機器として
一九世紀の終わりに開発されたのが、ヒステリー専用のマッサージ器であるバイブレーターだったというわけ。
こうした治療は古代ギリシャの時代から、一九二〇年代まで、西洋ではれっきとした医療行為だった。 確かに、目的自体は
今も昔も変わっていないとはいえ、医者が患者にバイブレーターを使うなど現在では考えられない。一方、バイブレーター以前は、
大人のオモチャの主役だった人工ペニスは、10Cのビザンチン帝国の百科事典にも記載されている。 こちらは一般的に
普及していたようで、アテネの女性に愛用されていたようだ。また、インドの性典『カーマ・スートラ』にも、
「男性自身が小さすぎて満足できないときは、これを使うとよい』と記されている。 ≫
  ▼ ・・・ !  これを読んで、「大人の玩具」と検索して吃驚仰天。  
・・・・・
3873, 緑の原野が君たちを待っている!
2011年11月02日(水)
 学生時代に衝撃を受けた授業といえば幾つかある。その中で当時、ドラッガーの訳者で経営学の野田一夫教授の言葉である。
HP内検索で調べてみたところ10年近く前に、この随想日記で取り上げていた。
 ≪ 2002/02/28 20歳の頃ーある教授との出会い−2 野田一夫教授 ≫である。
野田教授の授業は厳しく、少しでも遅れてきたら入室禁止、途中の退座や、よそ見や、私語は絶対禁止。
授業は異常なほどの緊張感で進められていた。 その内容を再び大まかに書いてみる。
≪ 貴君らは選ばれて、ここにいる。そして、社会に出て行けば指導者の立場になるために、ここで学んでいる。
 今日から食事をするときは、店の真ん中に座って堂々ととりたまえ。 間違っても、隅でとるな。君たちの学生生活は、指導者に
 なるための準備期間であることを忘れないこと。そのために可能な限り本を読みたまえ。あらゆる分野の本を読めるのは今しかない。
 ロマンローランの「ベートーベンの生涯」を直ぐに買って読みなさい。彼は多くの災難を乗り越えて、あれだけの素晴らしい曲を作った。
「運命」は、音楽家でありながら、難聴の病に冒された時の絶望を音楽にしたもの。「苦難を突き抜け、歓喜に」「良く、かつ高貴に
 行動するものは、その事実によってだけでも困難に耐えることができる」などの言葉がある。 絶望を通り抜たからこそ、あの曲が
 出来上がったのだ。 君たちは恵まれている。しかし、それに甘んじていてはならない。「社会という緑の原野が君たちを待っている!」
 だから、学生である現在、灰色の世界(学問の世界)で、多くを学ばねばならない。≫
この感動的な教えを聞いて将来に明るい陽ざしを感じたのは初めての経験。それも高度成長期の最中である。その日以来ドラッガーの書を
必死に読み始めることになった。自分の強みを見つけ、自分の資源を集中すること。マーケッテングを優先すること。紳士的であること。 
他にもアメリカの経営書を多く読むことになった。 その何もかもが面白く、理詰めで、乾いた干乾びていた脳に吸収されていった。
教養課程の二年までは、日本の作家の書を中心に読んでいた。 が、それでも絶対量が少ないことに気づいた。 高校時代まで、
殆ど教養書を読むことがなかったツケが回ってきたことに気づくことになった。お陰で、卒業後40数年の間、毎日二時間の読書習慣がついた。
 何で。このことを思い出したかというと、当時が一つの節目だったからである。そして現在、次の節目に至ったためである。
「灰色の世界から緑の原野へ、そして、原野を通り越して、大草原に出たのが、現時点」である。 アフリカの猿は原野の木の上から、
草原に進出し、二足歩行を始めた、という説がある。 そう考えると、第二、第三の人生こそ、やっと人間らしい生活が我われを
待っていると考えられる。 周囲は、既にエネルギーを使い果たし、抜け殻しか残ってないような人が三分の二??。
それも人生だが、緑の原野にいた蛇の代わりに、草原にはライオンもハイエナも豹がいる。振り返ってみて、学生時代に多く視点を得た。
緑の原野では、さらに多くのものを得た。そして、現在、草原に入った。 そこで生き抜くためには、ただ一つ、考えなければならない。
・・・・・・・
3508, ユダヤ人の頭脳活性法 ー2
2010年11月02日(火)
                     「ユダヤ人の頭脳活性法 」手島 佑郎 (著)
*インテリジェンスとはー点と点を結ぶ能力 
  ーまずはP/28から
≪ インテリジェンス=考えるとは、そもそも何か? 考えるとは、点と点を結ぶ行為をいう。考える力は、
   そもそも言葉や概念、知識などの量とは関係ありません。まず考えるためには物事をありのままに見る行為から始まる。
知識をたくさん持っているのに、考える力がない人が大勢いる。知識と考える力との間には直接の関係はないのです。
最近ではインテリジェンスということばを「情報」と訳したりもしています。だがインテリジェンスは情報ではありません。
Intelligenceというのは、もともと[Inteー重なり、、際(きわ)」「legere(結ぶ)」という二つのラテン語が
合成された言葉です。きわときわを結ぶ、物事と物事を結合するという意味です。スパイは、点と点の情報を結んで線の情報を推理し、
他の線と線の情報を結んで、面の情報を組み立てます。そういう断片的情報をつないで、総合的な情報に組み立て、物事を総合的に
判断する能力が知性なのです。そして、この点と点を結ぶ行為こそが「考える」という行為です。 ≫
▼ インテリジェンスとは元もと軍事用語で、スパイが諜報で得た情報から線、面へ推論する能力。
 線と線を的確につなげるには、様ザマな能力が必要になる。そのために、まず「五感」を鍛えなくてはならない。
点と点から線を推論し、他の線と組み合わせて面を推論、その面を幾つか重ねて立方体を推論していく過程を考えること、
というと、分かりやすい。この著で、ラビ・レオポルド・スティンは「インテリジェンスの人というのは、
まずオープンマインドで、しかも積極的に記憶して、そして常に体験してみる人のことだ」と指摘している。
それは、点、線、面、立方体へと考えを進めていくことになる。その視点で、もう一度、自分も含めて周囲を振り返ると、
インテリジェンス人は稀のようだ。せいぜい点と点を結んで線にして、それで止めている。 佐藤優の本を読むと、
点と点から線を、線と線から面、面と面から立方体へと推論を組み立てている思考に驚かされる。
・・・・・・・
3133、現代の結婚事情
 2009年11月02日(月) 
 この世知辛い世の中で、男も女も結婚相手を見つけることは大変である。
私の世代の男は、少し下の年代が団塊の世代のためイメージとして男女比が2対3で恵まれていた。
それにしては??。 最近の結婚の大変さには同情する。 世の中の男の格差の問題もある。 
以前は三高といって高学歴、高収入、高身長(ちなみに三低は低趣味、低収入、低学歴)だったが、今では
・女性からすると
 3低 =低姿勢(レディーファースト)、低依存(束縛しない)、低リスク(リスクの低い職業・公務員など)。
 3C =コンファタブル(快適)、コミニケーティブ(理解しやすい)、コンポレーティブ(協力的)
・男性からみると、4K =可愛い、賢い、家庭的、軽い(痩せている) という。
 収入問題などで、ますます晩婚化になっているが、歳を重ねると、プライドだけが高くなり、
 自分の品との段差が開いていくから、始末が悪い。
人生を振り返ると、両親、連れ添い、そして仕事の相性で、8割方が決まる。
その中で、結婚は私生活の大部分を占めるから大問題。 姉の一人が「結婚は大事業」と実感を込めて言っていたが、
その通りである。 最後は、性格の問題になるが・・・ 一生を添い遂げるのも芸のうちである。 
神様は最も合わない相手を結婚相手に選ばせるように人間をつくり上げてきたという。 
それにしても面白い罠を人間に与えるもの。 人生とはレッスンというより修行である。特に結婚は荒修行!
 ――
結婚といえば、^カリール・ジブラン「結婚」ーの詩が良いー
 (字数制限のためカット 2011年11月2日)
 ・・・・・・・・・・
2768, 半歩遅れの読書術 −2
 2008年11月02日(日)
 【 出久根達郎 】
  彼の記述にある「井上流 本の読み方十箇条」が面白い。 井上ひさしの『本の運命』に、紹介されているが、
  ここでは二つしか紹介されてなかったのでネットの検索で調べた。 以下のとおりである。
   ーー
一、「オッと思ったら赤鉛筆」。ーこれは万人が実行している。
二、「索引は自分で作る」。ー大切な言葉や事柄に関する索引を本の扉や見返しに つけておくとよい、という。
   思いつかなかったが早速、実行することにする。
三、「本は手が記憶する」。ー「書き抜き帳」を一冊作ってそこに何でも書き込ん でいく。
   大事なのは手で写すこと。そうすると手が自然と記憶する。
四、「本はゆっくり読むと、速く読める」。ーどんな本でも最初は丁寧に、登場人物の名前や関係を、抑えながら読むといく。
   そうすると書 いている人の癖が分かって、その後が読みやすくなり、結果的に速く読める。
五、「目次を睨むべし」。 ー目次は全体の構造の見当がつく。
六、「大きな事典はバラバラにしよう」。 ー分厚い事典は持ち運びが便利なようにバラバラにする。
七、「栞は一本とは限らない」。ー井上ひさしは本を買うとまず、タコ紐の栞を三本ほど貼りつける。
八、「個人全集まとめ読み」。ー個人全集を集中して全部読むと、著者の言葉遣いや書き癖などが分かっておもしろい。
九、「ツンドクにも効用がある」。ー本との運命を大事にする。本は「買おう」と思ったときに買っておく、これが鉄則。
   そして机の横にでも置いておくと、不思議なことに本の方から「読め 読め、読め読め」と言ってくる場合がある。
十、「戯曲は配役をして楽しむ」。ー戯曲を楽しむためには自分でキャスティング すると良い。
   ーー
  以上だが、これとは別に「本は撫でてやると、所蔵者にささやいてくれる」という。成程、その辺は合点がいく。
 そのためには、図書館で借りて、これは!と思ったら迷わず買うことだ。
 出久根によると、井上やすしはかって、日本で発行される書物と雑誌を、一冊残らず買い求めていたという。
 200冊か100冊か、全部毎日買い求めたというから、たいていではない。 井上は本を買うとまず暇そうな喫茶店に入り、
 一冊20分くらいかけて目次を見 たり、ところどころ読んだり、栞(後述参照)を貼りつけたりするという。
 そしてこれを「僕と本との新婚旅行」(98頁)と呼ぶ。こうして一回撫で回すと、本が彼に向かって話しかけてくる。 
 「この間、目次見たでしょ」とか、「そのことは私の中に書いてありますよ」、と。
 結局、そうこう考えると、テクニックというより絶対量をこなすほどの愛情がなければ!ということだ。
 出久根は、この文章の終わりに作家の福永武彦の名言で閉めている。
【人に人徳あれば本もまたこれに従う】 読書だけでなく、全てに言えることだろうが。
 ・・・・・・・・・
 2007年11月02日(金)
  2404, 久世塾                     ゚+.(ノ*・ω・)ノ*.オハヨオォォ
   図書館で面白い本を見つけた。
 (以下字数制限の関係でカット09年11月2日)
・・・・・・・・・
2006年11月02日(木)
2039, 猫撃退法    1∧11∧    (ΦωΦ) ニャ〜ン
隣に「猫のブリーダー」が引っ越してきて5〜6年経つ。 
それ以来、我家の庭やベランダが近所の猫の集会所になっている。水をかけたり石を投げても、全く効果が無い。
ブリーダーが知人の同級生ということもあり、露骨に文句も言えない。 そういう人には知恵があり、
近所の陰口屋に上手く取り入ってしまう強かさがある。 そこでインターネットで猫撃退法を調べてみた。
「ペットボトルやコヒーかすなどの猫よけ策のほとんどは殆んど効果なく、センサーで鳴るブザーやスプレーなども
一時的な効果しかない。目先の一時的なものは直に『猫にも見透かされる』」というのがHPに書いてある大たいの結論である。
  (以下字数制限の関係でカット10年11月2日)    サイニャン (・x・)
・・・・・・・・・
2005年11月02日(水)
1674, うそつき−2
面白そうな所を書き写してみた。 何げない言葉の中に鋭い深い意味が入っている。
 私の評論も入れてみた。
 ・人は自分にうそをつくために他人にうそをつく。
  (評)−他人に巧妙にうそを仕掛けるために、まず自分にまず巧妙にうそをつく。
    もう亡くなったが、身近の人の実演を見たことがあるが、迫真の演技だった。
    のっけから騙そうと筋書きを書いて、そのとおり演じ、その演技に自分が酔いしれてしまう。
    そうでもしなければ金を騙し取ることはできないが。これは他人を騙すために自分をまず騙すケースか?
 ・人は自負心を保つために自分にうそをつく。
  (評)ーこれもどこでもあるうそである。特に女のそれは凄い。
 ・人間は、自分のいうことを自分で『信じている』ときに、より効果的なうそをつく。
  (評−効果的なうそを言うために、信じるまで自分に言い聞かせている人間を何度見た。
 ・うそをつく人間とつかれる人間の両者が共謀して事実を歪曲する。
  (評)−会社の責任の擦りあいなど典型だろう。
 ・うその基本的技法は相手の聞きたがっていることを語ることである。
  (評)−なら女性などには、うそを言い続けなくてはなるまい。 また、それが一番よいのだろう。
 ・人が真実のなかに求めているのは『いいニュース』だけ。
  正真正銘の真実を聞かされて我慢できる人間はそうはいないものである。
  (評)−そうか、自分は真実をいいすぎて嫌われているのか。
 ・うそを語る特権なしには、文学をはじめとして芸術の世界は存在しない。
 ・自分にうそをつくのが下手な人は、うつ病になりやすい。
  (評)ー鬱病者は、自分に正直すぎるんだ。寝る前に今日は楽しかった!と、100回自分にうそ?を言えば良いのに!
 ・人間の語る身の上話などというものは、いかに筋が通り、一見もっともらしいように思われるものでも、
  その人の過去の歴史的事実など重要でない。
  (評)−渡りのホステスなど、聞いていて??
 ・人はうそをつく能力は高いが、うそを見破る能力は低い。
  (評)−私の場合は、逆のようだ? 採用面接で、ほぼ騙されている!?
 ・警官、税関検査官などのうそを見破る能力は、一般人となんら変わらない。
  (評)−ただ場数を踏んでいる!
 ・権力を求める政治家には自己愛的な人が多く、その人格特性がうそを助長する。
  (評)−庶民も、騙されることを望んでいるから始末が悪い。
 ・病的なうそつきは、脳の機能不全と関連のあることが多い。
 ・うそが非道徳的とされているのは、権力構造の維持に役立つからである。
   (以下字数制限の関係でカット10年11月2日)
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2004年11月02日(火)
 1309, 23歳の日記 −2
ー社員教育が終了して、現場初日の日記である。
当時の澄んだ視点と、不安一杯の気持がそのまま出ている。 それと、冷静に見ているところが面白い。
当時は、高度成長期の真っ盛り。大卒の新入社員を確実に確保する為、一ヶ月前の3月1日に新人教育に入っていた。
卒業式の休暇はもらえたが、その辺のことも日記に書いてあった。 遥か彼方の記憶へタイムマシーンにのって、
当時に、よみ返ったような気分である。全てが新鮮で、毎日がドキドキ・ワクワクの連続であった。
しかし激務と変化の連続で、限界を遥かに超えていたようだ。とにかく気持を書きのこすという事は、何か深い意味がある。
 ー1969年3月5日ー
現在、四日市市内の駅裏から歩いて10分位の男子寮にいる。同室は、「魚職人の寡黙の男の人」と、
「同志社卒の一年アメリカに遊学してきた大人しそうな堀田という人」だ。この人とは、いやに気が合う。 
虚無的な、それでいて一言一言が哲学的な味のある男である。一人でワインを買ってきて、フランスパンを
食べている。何かホッとした。今朝は、8時に起床をして、寮での食事後、会社へ出発。初仕事である。
始めは主任会議に出席して紹介される。その後、全社員の前で辞令を交付される。自分でも驚くほど緊張をしてしまった。
午前中は、本店店長の説明がある。午後は、管理係長の説明、その後の15時半より実施訓練。全神経を使ったためか、
疲れてミスを重ねる。直接の上司の松又さんという人は温厚で面倒見が良い。初めから良い人に当たり幸運だ。 
しかし、それに甘えないこと。湯の山の研修にしても、昨晩にしても最低の失敗をしてしまった。
何か自信が無いのか背伸びをしているようだ。関大出の倉谷という同期に帰りの喫茶店で批難される。
「お前は、硬く考えすぎだ、そしてコチンコチンだ」と。 まあそうだろう。 敵を作らないことだ。


4237, 雑談ネタ、酒の肴ネタ ー10

2012年11月01日(木)

                       
                      ー「ルーツ大全」インフォペディア編 より
   * 卓球をピンポンと呼ぶのはなぜか
 卓球は英語で「テーブルテ二ス」という。1880年代、イギリスのテ二ス愛好家たちによって考案されたスポーツだ。
じつはテーブルテニスというのはあとでついた名前で、もともとはイギリスでもアメリカでも「ピンポン」と呼ばれていた。
ピンポンの語源は、当時使われていた中空の革張りラケットで球を打つと「ピン」という音が出て、球がテーブルに当たると、
「ボン」と聞こえるところからきている。この名称が卓球協会の名称として正式に採用され、イギリスとアメリカでは
「ピンポン協会」が設立された。ところが、このピンポンという名称はすでにイギリスで商標登録されていることが、
あとになって判明。スポーツ用品メーカーが家族で遊べる玩具として発売していた卓球セットの商品名を、「ピンポン」
として登録していたのだ。そこで、トラブルを避けるため、イギリスのピンポン協会は解体された。
今でも卓球をピンポンと呼ぶのは、当時の名残なのである。
     〜〜
   * 土壇場は斬首刑の土もリ
 ドタキャンとかいう、土壇場の意味は、字の通り「土を盛って築いた壇の場所」。江戸時代の死刑に、この土壇場に
罪人を横たわらせて斬首刑を執行したため、土壇場は「斬首刑の刑場」を意味していた。土壇場に上げられた罪人は、
手足を拘束され、どうにもならない状態で処刑を迎えた。ここから土壇場は、どうにもならない事態をさすようになった。
 ▼ 土壇場で死に直面した時のの恐怖は、言語に絶するだろう。そういえば、Youtubeで、フセインが絞首刑に
 なるまでの映像があった。吉田松陰も恐怖で転げまわったとか。ところで、バンジージャンプの飛込み台の恐怖のどん底の
 凍りついた瞬間を思い出した! 数分前から恐怖で呼吸困難、頭の中は真っ白!「こんなはずでなかった!」という言葉。 
 躊躇するほど恐怖が倍増してくる。ワッーという感じで飛び込んだが・・  高層ビルから投身自殺をしようとして、
 2Fで何かに引っかかり九死に一生を得た人のインタビューをTVで見たことがあるが、その直前まで意識があり、
 鮮明に落下していく光景が見えていたという。ロシアン・ルーレットも、こんな感じだろう。快感のところもあるようだが。
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3872, 一人旅
2011年11月01日(火)                       
  一人旅を過去に何度かしたことがある。北海道と九州に、それぞれ10日間ほどと、大学を出て四日市に勤務をしたときに、
紀州の尾鷲に一泊したこともあった。 金沢で修行していた時には、観光バスの日帰りコースで能登半島に行ってきた。
23歳から26歳の4年間、精神的な体力が出来たころである。一人旅には、それに似合った時節がある。27歳で結婚し、
事業の立ち上げを始める直前。振りかえってみると、その時節しかタイミングがなかったのである。
一人旅をすべき時節に、すべき事をしていたことになる。
 一人旅は思い立ったら、駅の旅行センターで、「一週間ほど北海道の一人旅をしたい」といえば、窓口の担当者が、
そのルートを一緒に組んでくれ、列車と宿の手配をしてくれる。そして、そのルートに従えばよい。一度、列車に踏み込めば、
不安とか、孤独感はなくなる。 若さもあり、一人旅そのものに酔っている部分もあった。 当時の記憶が少ないのは、
目先が変化変化の連続で、刺激の強い日々だったからである。 現在、一人旅というと、面倒という思いが先にたつ。 
しかし今から思うと北海道も、九州も思いで深い。人生を振り返ると、それぞれの時節の思い出があるが、特に旅行の思い出は大きい。
北海道は、青森から青函連絡船に乗り、函館、札幌、釧路、網走、旭川、函館と周遊した。北海道の旅も、一歩踏み出すと気ままだった。
 結婚してから10年間は家内と国内旅行ガ中心だった。 事業と家庭中心で、海外旅行に切り替えたのは15年経ってから。
卒業記念に海外への一人旅が流行りだしたのは、私が卒業をして数年してから。しかし当時の私の精神的体力では、海外の一人旅は無理。
私の知人ではオーストリアが二人、イタリアに一人、留学をした。 それと幼稚園から高校まで同窓で、慶応大学教授になった直後に
亡くなった男が、学生時代に欧州を数ヶ月一人旅をしたといっていた。 そう、新潟県活性化案を一緒につくった松下さんも、一年間、
彼方此方のアメリカの大学を聴講してまわったとか。 感受性の強いうちに世界を見ると見ないとでは大違い。それも一人旅で・・・
 幕末から明治維新にかけ、外国に行った人と、行かなかった人と、その後の活躍が全く違っている。 明治政府の高官になって、
新しい政府つくりの邁進したのは、前者が多い。一人旅は変わっていく景色を見ながら、独りブツブツ呟きながら思いにふけるもの。
 ・・・・・・
3507, ユダヤ人の頭脳活性法
2010年11月01日(月)
              「ユダヤ人の頭脳活性法 」手島 佑郎 (著)
 図書館で借りてきて目を通したが、なかなかである。ピアノとか、吹奏をやる人は勉強の成績がよい人が多い。
それは長年の間、繰り返し集中し、続けないと身に付かない。教科書を理解し、暗記するなど、それに比べれば、取るに
足らないから成績も良くなると思っていたが・・・ ユダヤだけでなく、優秀な人間?の特性、頭脳活性法が書かれている。
  * アマゾンの ー内容紹介ーより
 マルクス、フロイト、アインシュタイン、ドラッカー、スピルバーグ…… 彼らはみなユダヤ人。
もちろんユダヤ人全てが優秀なわけでは無いけれど、優秀な人間が多いのも事実。それには何か理由があるのだろうか――。
 実はそのヒントは彼らのささいな日常にあった! 五感を目一杯に使い、日々を楽しく過ごすユダヤ人たちの文化。
子どものころから全身を使って本を読み、聖典の名言を吸収していく。そして創造することのみに自分の価値を見出す。
そんな生活の積み重ねによってユダヤ人の発想力が生まれるのだ。 そんなユダヤの世界からヒントを得た、
頭脳活性のための様々なトレーニング方法。ほんの少しの工夫でユダヤ人のすごい発想力が手に入る! ユダヤ本というと、
怪しさのようなものを感じてしまうが、この本には、それがない。ヘブライ大学卒業後、企業コンサルタントなど、学者ではなく
「実学」の世界で生きてきた著者自らの人生観を通して、ユダヤの箴言、格言などから学ぶべきことを的確に表現している。
 〜「まえがき」より〜
「ユダヤ人だから特別に優秀である」と強調するつもりはありません。 それは人種の優劣をつけることであり、
私の本意ではありません。けれども、彼らから学ぶべき点が大いにあることも事実。 確かに、世界にこれだけ有能なユダヤ人が
いるということは、どこか秘密があるに違いない。 そう思ってこの本を読むと、彼らが勤勉で自らを高めるために努力を惜しまない、
ということが見えてくる。 そして「何かに感動する素直な心」こそユダヤ人共通の特性!と。
 *ユダヤの格言やユダヤ人の名言として   ・人の目は前にある。後ろにはない。
  ・考えるのをやめることは、私にとって生きるのをやめることだ。
  ・話す前に、あなたの言葉を選べ。……etc
  ―
 基本は「五感を研ぎすます」こと。 見る、聴く、触れる…そういった感覚を養うことで、人間は心の豊かさを手に入れ、
頭脳も活性化していくのだ、と。心の豊かさが持てれば「何かに感動する素直な心」になれる。彼らはユダヤ教の基本構造として
選民意識を持ち、それを実行していくことである。そこに、生まれつきの天才的頭脳が重なれば優秀な人材が輩出するのは当然。
金融世界で支配しているユダヤ人も、こういう背景があると知ると、納得がいく。アラブ人やインド人が、彼らに敵うわかがない。 
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3132, 生きる幻想 死ぬ幻想  ー6
 2009年11月01日(日)
 「生きる幻想 死ぬ幻想 」 岸田 秀 (著), 小滝 透 (著)     ー読書日記
   近代イデオロギーの罪
 * 理性主義の恐怖 p−99
科学の発展や、大航海以来の欧州世界の拡大で、それまで宗教が欧州人に一つの統一的説明を与えていた世界が崩れていく。
そこで登場したのが「理性」という理念である。これが「神」の代わりになった。1789年のフランス革命では、「理性」が
至高の価値として掲げられ「神の死」が宣言された。「唯一の神の信仰」が「唯一の神としての理性への信仰」にすり替わった。
そうすると、理性からはずれるものが出てくる。それが子供であり、未開人であり、精神病者である。近代は理性というものを
発見し、そこから逆噴射する形で、子供、未開人、精神病者を発見したのである。その三者の共通点は理性の欠落である。
子供には理性を持つように教育をしなかればならない、未開人には、教え導かなければならないということで、植民地主義が
正当化され、精神病者は回復するまで隔離されるようになった。 
 フランス革命もロシア革命も、理性によって理想社会を作ることができるという考えから起こった。
反計画経済の大御所のハイエクは、社会主義や共産主義は、社会は人間の理性で設計できるという思想だが、
それは「致命的な思いあがり」だと。 共産主義というのが理性の理想的社会だとすると、これに反対するヤツは
みんな殺されなけばならないことになってしまう。 で、中国やソ連やカンボジアで大虐殺が生まれてきたのである。
社会主義がなぜに間違えていたかと言うと、経済が下部構造になっていて、それを計画経済でやっている。
あれは要するに意識が全てを決定するということ。 ところが基本的に経済の流動的動きは無意識が決めている。
 ーー
 この辺を考えると、知性、理性的にあろうとしてきた現代人の方向そのものを根底的に考え直さなければことになる。
最近、年齢のためか根底から今までの生きかたに対して疑念を感じるようになっている。 
毛沢東は何を国民にしたのだろう。スターリンも毛沢東も、理想社会を目指して数千万人も虐殺をしてきたのである。
また、アメリカも、この金融恐慌を引き起こしたのも、理性主義の行き着いた先であった。 
時代は丁度良く欧州大陸からアメリカ大陸へ重心を移していたのが、今世紀はアジアに移行する。
アジア的な考え方が見直されなければならないが、動乱を通してか、それともソフトにいくのか? 
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2767, こころと脳の対話 −3
 2008年11月01日(土)
   面接や新入社員教育の時には、河合隼雄と同様、
  「中心をはずさないで、無心になって対象の人と相接する」しかない。
  そうすることで、心だけでなく、心の中心点の奥の魂同士がクロスをすることができる。
  そこまでしないと、相手のことが理解できないのである。 美人とか、センスや、頭の良さなど属性になるのである。
  河合は当たり前のことを素人向けとして、解りやすい事例を出しただけ。 
  相手の中心点だけを見ると、逆に性格とか、片親とかの属性が浮きだって見えてくる。 
  そこまでいくには、経験を重ねるしかない。  それにしても、色いろな心の病があるものだ。
 「 こころと脳の対話 」 河合隼雄 茂木健一郎
    第三回 魂を救う対話 
  *相手の「魂」だけを見つめる
 P−160 
茂木 「中心をはずさない」って、僕、すごく大事なことのような気がしてきたんです。というのは、『五輪書』には、
   たしか、相手のどこかに注意を置いてはいけない、というようなことが書いてあるんですね。やっぱり同じ感じですか。
河合  同じです。それからね、これは僕が人にほめられた最高の賛辞というか、
   「うれしくてしょうがないからあちこちでしゃべっているんですけれどね、どないうてほめてくれたかというとね……。
   その人は、「離人症性障害」っていう、大変なノイローゼなんです。現実感覚がなくなるんですね。
   こういう場所にいても、みなさんが生きている人間に見えなかったり、それからこういうふうに手を振っても、
   本当に自分が手を動かしているのかわからない。すっこい苦しいけど、誰もわかってくれない。
   自殺する人も多いんですけれど。でも外見はふつうで、ちょっと見てもわからない。
   そういう離人症になられた人が、自分が現実感覚がないのをなんとかしたいと思うから、人と接近するわけね。
   その人、きれいな女の人やったから、恋人がいっぱいできて、また、いっぺんに二人も三人もつくったらしいから、
   恋人同士が殴り合いしたり、劇的なことが周りでいっぱい起こっているんだけれど、その人は全然、劇の外にいるわけです。
   そうでしょう、現実を生きてないわけだから。 その入が、あちこちのセラピストのところに行ってみても、
   どうしてもうまくいかない。何入かのあとで、私のところにこられた。 私のところにこられて、治るまで五年ぐらい
   かかったんですよね。「本当にありがとうございます」とお礼をいわれたときの言葉がおもしろいんですよ。
   「いちばん初め・先生に会ったときに、この先生で自分は治ると思った」
   「どうしてですか」 「いままでの先生と全然違った」 「どう違った?」
   「私が部屋に入ってきたとき、先生は、私の顔にも服装にも、全然関心を示されなかった」
   というのは、ものすごく美人ですから。服もきれいなのを着ておられるんだけれど、その服も見てないし、顔も見てない。
   (以下、字数制限のためカット10年11月01日)
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2007年11月01日(木)
2403, 恩送り      (゚▽゚*)♪  ('-'*)オハヨ♪
 ある本に「恩送り」という言葉があった。よい言葉である。もともと江戸時代にあった言葉で儒教的、仏教的な味わいがある。
それが明治以降西欧的な考え方が入り、死語になってしまった。親が子供にしてやったことは、子供もまた順繰りに子
孫代々受け継いでいくもの。それが血統であり家系として引き継がれていくものである。最近は「家」そのものが崩壊傾向にあり、
個人に重きを置くようになったが、それでも個人として「恩送り」を必要ということである。
 最近「Web 2・0」で、情報公開が大きな流れになっているが、これも類似したものである。
 ー電子辞書のウキィペディアによるとー
「恩送り」をとは、自分が誰かから受けた親切・善意・思いやりなどを、与えてくれた人へ直接返すかわりに、別の、
必要としている人達に送る事である。又、それにより善意が社会を巡り、様々な善き連鎖が社会全体へと広がってゆく事も指す。
これに似た言葉として、「恩返し」があるが、それは字の通り恩を受けた人に直接に恩を返すことが、
これだと二人の閉鎖的な関係で終わるが、「恩送り」という考え方・実践ならば、返す相手が限定されていないので、
親切を送り出す相手や、親切の内容は、自在に無理なく選ぶ事が出来る。従って比較的短い期間・時間の間に、
具体的に親切をこの世に"現実化"させる事が出来る。 人々が「恩返し」にこだわらず「恩送り」も選択肢とする事で、
社会全体としては、"現実化" し "流通" する親切の量が、圧倒的に多くなるのである。
これは1人1人の視点でも、日常的に自分が出会う親切の量が増える事を意味する。

井上ひさしはNHKの番組『井上ひさし福祉都市を語る〜イタリア・ボローニャの共生社会』において以下のような主旨の事を語っている。
ー 江戸時代に、「ご恩送り」という言葉がありました。ご恩返しは、贈り物を送ったり返したりで、関係は2人しかないわけです。
ご恩送りは、誰かから親切を受けたら、これを親切を受けた誰かに返すのではなくて、他の人に渡していくんですね。そうすると、
江戸に100万人いるとしますよね。1日に一度ぐらいは親切を受けることはありますよね、一瞬のうちに江戸の町に
100万の恩というものがバーッといくわけです。 それをお互いに回すわけですよね。
 ・・・(中略)最近ではある程度の年齢の人たちだけでなく、学生などにもこのような考え方が広がってきている。
特に旅好きの青年、ボランティア活動に熱心な青年などには顕著にこのような考え方を持ち、日々実践している者も多々見られる。ー
   −−
  −以上だが、それでは「恩」とは、どういう意味なのだろうか? 漢和辞典を引くと
(以下、字数制限のためカット11年11月01日)
・・・・・・・・
2006年11月01日(水)
 2038, 躁鬱病について −6   オッ(*^○^*)ハ〜ヨウサン!
 「夫はうつ、妻はがん」
    ―夫婦で苦境を踏み越えて ー ?  小川 宏 著
この本で有名人で「うつ病」から脱出した人や、亡くなってしまった人を何人かあげている。
脚本家の倉本聰、俳優の木の実ナナ、高島忠夫、気象士の倉嶋厚などである。
皇太子妃の「適応障害」も、専門家の話によると「うつ病」という。
世界を股にかけたキャリアの女外交官が小さな籠に入れられ、男児が生まれない重圧の中で、ノイローゼになるのは当然のこと・・
倉本聰とラジオの対談で病気の話を聞く機会があった。それによると20歳代から欝を繰り返し、さらに二十数年前、北海道の
富良野に居を移してからは、毎日のように自殺を考えていたという。 その地に適応するまでの苦闘が思い知れる。
自殺で亡くなった人は、桂枝雀、ポール牧、嵐寛寿郎などがいる。精神科医の大原健士郎氏との対談で、
「小川さん、自殺未遂者が息を吹き返した時の第一声の言葉かわかりますか?」と訊ねられて、
「多分生きていて良かったと言うんじゃないですか?」の答えに、 先生曰く、
「そういう人はわずかで・・・ほとんどの人は、助けて!といいます。」 自ら命を断とうとした人が、助けて!
とは矛盾しているが、先生は「誰でも命への執着があるので、そういう言葉を発するのです」という。
  (以下、字数制限のためカット10年11月01日)       

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