堀井On-Line



2614, 東京湾 漂流死体は語る −1

2008年05月31日(土)


   図書館で見つけた本だが、それぞれの死体が語りかけてくる刺激的な内容が初めからつづく。
   深い悲しみが、その死者の追跡から浮かび上がってくる。
   ホテルの自殺の場合、当事者として刑事が自殺の原因とか、家庭の事情を知ることとなる。
   横浜港の漂流死体の場合、原因を追究していると、あまりに不幸な生き様が垣間見えてくるという。
   読んでいても、行間から人間の業の深さと、その結果としての悲しみが胸に突き刺さってくる。
   ここに出てくるのは世間を騒がすような猟奇的な事件ではない。
   しかし、一人悲しみが死体として漂流している人間の結末から叫びとして突き刺さってくる。
   死ぬには死ぬなりの事情が、それぞれあるのである。 娑婆には亡霊が彷徨っていても不思議ではない。
    これを読んでいてつくづく思ってしまった。一つ間違えば誰にも、ありえるのである。

 この本が出版されて14年にもなろうとしているが、現在も同じような仕事に従事している人がいるのである。
 アメリカのTVドラマのシリーズで、「CSI・科学捜査班]という刑事ものがある。
 死体から、犯人を追い詰めていく内容だが、この本は、人生を追いもとめるもの。
 だから、読むものの心を引き付けるのである。 あとがきーに、この本の要約が明快に書いてあった。 
  〜〜

 豪華客船、貨物船、タンカーなど、世界各国の船が出入りし、あらゆる人種が行き交う世界最大級の海の玄関口、
横浜港……。 経済大国ニッポンの大動脈を担ってさ様ざまな船が往来する東京湾。
……この現代社会の縮図ともいえる東京湾をはじめ、太平洋の荒波が打ち寄せる房総東岸など、
関東近隣の海を舞台に繰り広げられる犯罪の捜査、取締まりの最前線で私は働いてきた。
そして、この手で揚収した漂流死体も数え切れないほどである。
海上での「漂流死体情報」に接するや、私はなりふり構わず巡視艇や監視取締艇で飛び出していく。
死体との出会いは一刻でも早い方がいい。風や潮流で流され、それだけ発見揚収が難しくなるからだ。
現場に直行し、死体を発見揚収し、合掌ののち、他殺か自殺か、あるいは事件死なのかといった、
いわゆる事件がらみの死体かどうかをはっきりさせるため捜査活動を展開する。
 死因、死亡時期などを明らかにするため検視を行い、解剖に立会い、また、これらと並行して死体の人相、特徴、
着衣、所持金など手掛かりとなるものを頼りに身元を突き止め、さらに死者の肉親、友人などから事情聴取をすすめ、
「なぜ漂流死体となったのか」を徹底的に調べていく。 それは「死者の生前の旅」を辿っていくことに等しい。
その結果、我々は死者が決して触れて欲しくなかったであろう生前の隠しておきたい部分までほじくり返すことにもなる。
そして、その過程で出会うさまざまな人間模様・・・ これらの漂流死体は、ある意味で現代を生きる私たちの
もう一つの姿でもあるような気がしてならない。
 「死」という壮絶な経験をした死体が語る人間の在り方は、虚飾がないだけに、いずれもその迫力には圧倒され、
かつ、真に迫ってくる。 不思議なもので、自分自身が直接、揚収した死体のことなどは、それが10年、
20年前のことであっても、つい『昨日の』とのように、鮮明に蘇ってくる。
私は死体と接するとき、そのたびに「相手は死体でも人間だ。血の通った私たちと同じ人間なんだ」……と考え、
常に温かい気持ちで接するように心がけてきた。 そんな気持ちで接していると、死体がひとりでに
何か語りかけてくるような気がするし、時にはしきりに何か訴えているようにも感じることがある。
生と死を超えたところで見せる人間の壮絶さとでもいうのだろうか。
 死体と対面するたびに、つい私は「生きるとは」…「人間とは」…:と考えさせられてしまう。
自殺であれ、事件がらみであれ、冷たい海の中から揚収し、死に至る経緯を調べ上げ、供養し成仏させるのも
我々海上保安官の重要な仕事の一つであると私は思っている。
また、これまでの経験から、漂流死体はそれだけでは決して死んでいるのではなく、発見され、揚収され、
その死因を明確にされるまでは生き続けているのではないかとも思う。
  〜〜
                         つづく
・・・・・・・
2007年05月31日(木)
2249, 耐震偽装 −5
                 (o゚▽゚)o オハョ〜
    以下の文を読む限り「アパ・グループ」は非常に??な集団である! 片耳の内容を一方的に信じるのは何だが、
    社長が安部首相の後援会副会長で、それ故にまだ存在しているのだから、開いた口が塞がらない。
    しかしネットで、この事実は全国津々浦々まで浸透し続けている。これは抑えることのできない事実である。

検察まで加担した事実を昨年暮れに藤田が外人記者クラブで披露しているビデオもネット上に公開されている。
ウヤムヤの幕引きは絶対にない! そんなバカなことがあって良いわけがない。
私が知る限り日本は、そんな非常識が通る国ではない。今年の後半は大きな嵐が国内を吹き荒れることは間違いない。
もしそうでないとしたら日本は救いようがない。{ こう書きながらでも、もう救いようがなくなっているのでは? 
という疑問がわく!しかし・・・・・??}

    吉田茂の孫という血筋だけで首相の座が転げ込んだ甘さが、この耐震偽装疑惑事件に象徴的に出ている。 
    政治は一寸先は闇である。 この男が、憲法改正をやらないで、誰がやるというのか?全く!
ーー
P−408
そうした中、2月14日頃であった。会社の真志尾から「報告したいことがある」と、僕に内線があった。
手に資料を抱えながら、「新たな偽装物件が発見されました」と声を上げた。
僕はまた姉歯関係かと、と思った。しかし、その予測に反し、「姉歯ではありません。
田村水落という、アパグループの構造設計を一手に行っているところです」と。
「今のところ、三棟です」と、付け加えた。もう、大抵のことには驚かなくなっていたが、
アパグループの名前が出たときには、「ヒューザー以上の大問題になる」と思わざるを得なかった。
2月17日に田村水落設計を呼んだ。 対応したのは、社内の6人。田村水落設計のの代表、水落光男氏は、
富山から朝一番に多志ビルにやってきた。姉歯と同じく、最初から偽装を認めた。
さらに、「こんな手法は、僕のほうが姉歯より先に僕が始めたんだ。

早く申請を出すために、いったん改竄したものを出して、後で設計変更をする。
こんなことを、やっているヤツは他にもいる」と豪語した。しかし、水落氏の言葉とは裏腹に、
計画変更など微塵もしないで、改竄されたままの構造設計図書で工事が進行している現実があった。
この時の会議の録音テープが、五月下旬に賢人からリークされて、朝日新聞が裏づけを取って6月1日に記事にする。
・・・・結果的に、川崎市が、国土省の指示の下に、耐震性能の偽装を意図的にインペイしてしまったのだ。
今、ここでアパの偽装を発見したと公表したら、ますますイーホームズのイメージが悪くなる。二度と立ち直れなくなる。
・・・

こういう状況の中、国土省は動かない。そして、アパは工事をやめようとしなかった。
国会で、H18年3月20日に「工事をやめた」と言っているが、これは嘘だ。
イーホームズが工事をやめるように指導しても、アパはやめようとしなかった。
まして、引き渡し済みと入居済み物件の調査を進めようとは一切しなかった。
「これ以上、アパを刺激することをよくないです。国交省も役所も、見てみぬ振りをしているじゃないですか。
下手をすると藤田さんの命が危ないです。みなが、これ以上アパのことを表に出すことを良くないと
言っているじゃないですか」 三月から四月にかけて時間が流れていく中、さとさんが僕に言った言葉である。
「社長、もうこれ以上アパに言っても無駄です。国も結局、ヒューザーの時から隠蔽するつもりだったのです」
真志尾が言った言葉である。・・ もし、ここで、アパを追求する手をやめていたら、いったいどうなったことか。
しかし、僕らは調査を続けた。
    ーーー
    信じられない内容である。非常にたちの悪い会社であり、行為そのものが犯罪的である。
    この本は、もう全国にばら撒かれマスコミが底辺で動き出している。
    それよりネットで、飛び交っているから何時どこで発火するかだ。
    恐ろしい!と時代の変化の凄さを知るのは、彼らだろう。
    建設関係の人から聞いた話だと、マンションそのものに疑いを持ち始め、
    買い控えが始まっているというが・・私は元々アンチ・マンション派だが。
                                   −つづく
            ☆^(*≧ω≦)ノ~~~βyё
・・・・・・・・・
2006年05月31日(水)
1884, 家電の買い替え期間   (。・∀・)ノ゙オハヨウ!

家電の買い替え期間は、大体どのくらいのものだろうか?
と思っていたら、先日の日経新聞の中にあった。

・冷蔵庫    10年
・洗濯機    9年
・掃除機    7年
・エヤコン   10年
・カラーtv    9年
・ビデオカメラ 6年半
・DVDプレーヤ 4年半
・デジタルカメラ 3年
・パソコン   4年半
・携帯電話   2年半
    以上であるが、我家の実体は大よそだが、
    ・冷蔵庫は  20年近く
    ・洗濯機は  15年
    ・掃除機   10年
    ・エヤコン  10年と25年
    ・カラーtvは 7~8年
    ・DVDは  5年
    ・パソコンは 3年
    ・携帯電話  3年
    ・電気釜   10年
家電には当たり外れがある。使い方にもよるだろうが、同じラインの中でタマタマ工程の中で
偶然仕上がりが良いものと、悪いものが出る。 これは致し方ないものだが。
私の経験からみると、TVに関することだがソニーはよい。シロモノは松下電器は外れが少ない。
                            ヾ(^ω^*) バイ                  
・・・・・・・
2005年05月31日(火)
1519, 知らないことを知らない恐ろしさ!

一昨日の日曜日のNHKスペシャル
「日本の群像・再起への20年 銀行マン苦闘」が刺激的であり、怒りを感じざるを得なかった。
ユダヤ資本に翻弄されている現在の日本経済を焙り出した内容であった。
その象徴として勝者のゴールドマン・サックス会長と、敗者の元長銀会長の姿を対比させ、映し出していた。

「1985年の日本のプラザ合意は、ユダヤ資本のアメリカの銀行が仕組んだもの」と、平然と嘯いていたのには
怒り心頭になった。アメリカが日本に国内消費の拡大を求め、バブルのキッカケをつくったのだ。
そして、「アメリカ国内不動産の高値掴みを誘導した」と、平然と話していた。
そして、現在は逆に「日本の落ちきった不動産を買いまくっている」と。
  ゴールドマン・サックスのトップの言葉が凄い。
「知らないという事を知らないで、バブルでアメリカの不動産を買いまくっていた日本人ビジネスマンの姿が・・」
その戦略的経済戦争に負けたのが、現在の日本経済の姿である。

現在の日本では、順調に業績を伸ばしている外資金融機関に日本の学生が殺到している。
その反面、不良債権の処理に苦しみながら、再起をめざしている日本の銀行の姿がある。
が、両国の銀行にどんな違いがあったのか?が、辛らつなカタチで映し出されていた。
特に敗者の象徴の日本長期信用銀行の元会長が現在も、その時の貸し出しに対する裁判の係争中であるのが印象的であった。
「知らないことを知らないことの恐ろしさ」の結果が、現在の日本であろう。 他人事でないのが、恐ろしいが。
ソクラテスの「私は多くの知っているのではない。何も知らないというということを知っているだけだ」が、身に沁みる。

・・・・・・・・・
2004年05月31日(月)
1154, つれづれなるままに

・まったく書くテーマが出ない日が、時々ある。今日はその日であるが、そういう日は自分でも嫌になる。
今までは千回まではと踏ん張ってきた。毎日書き続けることからくる習慣が重要であって、止めればエキスが失われる。
それが解っているから、休むわけにいかないから厳しい。といって、所詮は趣味の世界の話でしかないが。
〜〜 
・先日、自宅の台所の改装のため夕食がつくれず、近く(150m先)のファミリーレストランに急遽いった。
隣り合わせているイタメシアの「サエゼリア」とチャンコ料理屋の「江戸沢」のどちらかと思いながら、
店の前までいった。 サエゼリアはほぼ満席で、江戸沢は一席しか入ってない。
両方とも100席以上の店だから、その差がはっきり見えてくる。
サエゼリアと江戸沢の客単価が二倍近くの差がある。何故お客が来ないのか、経営者はわかってないのだろう。
メニューの内容が、開店当初から全く変わってない。 まあ、他人事でないか。
仕方なく江戸沢に入ったが、出てきて何か損をしたような気分であった。
〜〜
・今年の自宅の藤の花がほとんど咲かなかった。過去30年で二〜三回目である。
そういえば毎日散歩をしていて、花と草の勢いが例年に比べて弱いのがよくわかる。
梅雨が例年より早いとTVでいっていたが、今年は米の豊作は望めない?
〜〜
・昨日は異常なほど暑い一日であった。 今朝もどんよりしている。
晴れる日もあれば、曇る日も雨の日もある。 天候も人生みたいなものだ。

・・・・・・・・
2003年05月31日(土)
787, 「加熱する新潟のホテル戦争・NHK」をみて

今日のNHKの[きらっと新潟ー加熱するホテル戦争」が面白い内容だった。電話が二本入ってきた。
 NHKの何も解ってない素人が企画した内容という前提で見ていたせいか、お笑いの部分もあった。
今時にホテルで高価な結婚式をあげる時代ではない。アッパークラスの5佑凌夕錣藁祿阿任△襦
専門店ー冠婚葬祭の式場か手軽にレストランでする時代だ。 それをオオクラホテルで村上牛を
特別注文をしての特別企画をとかいう時代ではなくなっている。
 
また長期滞在型ホテルが展望風呂をいれて拡張をしているが、だからといって周辺のホテルと同じ稼働率でしかない
ーリネン業者の情報だから間違いがない。魚がいなくなっているだけなのだ。
国内のビジネス客がこの2~3年で、3分の1になったのだ。3割減ったのではないのだ。
更に他の業界ーマンション業界とか、メンテ業界などが参入してきて、競争激化になっているだけだ。
企業が事務所を合理化の為に廃止したり、新潟・長野・群馬を高崎に統合したり、二時間までは宿泊原則禁止とかして、
日帰り圏になったりしている。事務所代わりに月曜日から金曜日にホテルに宿泊をして、営業をするようになった。
 
  また長期滞在マンションをも滞在型ホテルがターゲットにしている。
敵はホテルではなくて、貸しビルやマンションなのだ。いま起きていることは、垣根を越えた競争の時代になっている。
昨夜のTVに出ていた立教大学の岡本教授といえば、観光科を創設した人だったが?そこまでは解っていない
レベルでしかないのだ! その背後にあるものは、情報革命ーIT化が進み、合理化が可能になった為である。
 
 ビジネス客が3分の1ということは、ホテル業そのものの壊滅状態といってよい。
その中で生きていかなくてはならいのが、実情である。
朱鷺メッセが8000室の予約が入っているとか、結婚式が年内満杯とか、開業の年だけは、
ブームに乗っているのかもしれないが、どう見てもおかしい!2~3年後に必ず、この馬脚があらわれる。

誰がタクシーを使ってあそこまでいって宿泊するのだろうか!一日5人か10人ならいるかもしれないが。
長岡のGホテルは、その程度しか宿泊はないとか。それも駅から歩いて3分の好立地であるのに。
他人事ではないのが深刻だが、何とか切り抜けそうだが? 大津波が日本・世界にきているのは事実である。
その先端の大波がこの業界に来たということだ。

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2002年05月31日(金)
423, 酒の話−1

学生時代も、勤めていた時代も、どこに行ってもすぐ見つけるのが、飲み友達と、いきつけの飲み屋である。
地元で今も数人いるが、そのうち特に飲んだ二人は亡くなったり転勤で居なくなった。
転勤の一人は新潟に出張にくる度、今でも年3回は飲んでいる。

特に勤めてからの、いろいろな地方での酒が忘れられない。
やはり金沢の酒が忘れられない。なんともいえない味がそれぞれの店にあった。
歴史の深みであろうか。転勤商売も苦しいだけ、そういう楽しみもある。
苦しい時期ほど、そういう居酒屋の酒がうまっかった。

新潟では20年前から5年位前までの酒が、特に美味しい思い出が多くある。
大学時代の友人が、丁度その時新潟に転勤で赴任してきており飲み歩いた。
それと数年前に亡くなったが「新潟駅前の花園の町内会長をしていた不動産やの社長」と古町を飲み歩いたことだ。
有名な老舗の小料理屋や料亭を芸者をあげたりして飲んだ。
数十回も。 自分では間違ってもできない昔流の粋な遊びを教えてもらった。

亡くなってからは、当然のこと料亭などは全く行ってない。丁度「海外旅行と遊びの入れ替え」の部分があったが。
飲むほうも、その時期時期に一応一とおりのことを経験した。


2613, 閑話小題

2008年05月30日(金)


 ―今日は父親の命日ー
父親が亡くなって35年、36回忌である。
毎朝、仏壇で、父・母、兄・姉、義父・義母、そして10人位の因縁のある故人の顔を思い出し手を合わせている。
一番初めは父であるが、父の愛情の上で、現在の自分があると歳を重ねるほど実感する。
家庭的には恵まれていた。特に両親との相性が良かったことが私の人生にとって一番の要だった。
次には家内との相性だが、それなりに?
この文章を推敲し、ネットに上げ、墓参りに行く。


 ー交通事故死がピーク時の三分の一だとー
交通事故死が5744人と54年ぶりの低下とマスコミが報じていた。
昭和45年度には16765人というから三分の一に減ったことになる。
車の数は数倍になっているはずだから、十分の一以下になったことになる。
一昨年の福岡市の3幼児死亡事件で警察庁が飲酒運転の強化を図ったことと、
シートベルトの義務化が大きな要素になっているという。
去年の交通事故死の半分近くが、65歳以上の高齢者で占めているというから、
年寄りは交通事故には特に気をつけないということになる。
10年近く前で、一万人を割ったと聞いていたが、ここまで減っているとは知らなかった。

 ー中学校の同期会の話ー
先日、中学校の同期会に出席した。
元々、中学校の同級会が、ほぼ毎年行われてきたが、他のクラスの同期の人たちが
参加をすることで、いつの間にか同期会になってしまった。
今回の出席者24人のうち、私が属していたクラスの出席者は7名であったが。
小学校と重なる人が半分以上入るので、年に二回は会う人が半分以上はいる。
ところで、あまりシビアには書けないが、それぞれの人生の大枠が見えてくる。
離婚、倒産、死別、大病、事故など、一人の人生は重いものだとつくづく感じる。
人生は決して平坦ではなく、山あり谷ありである。 
一人のかなには小説一冊分の人生が濃厚に詰まっている。だから面白いのである。
大よそ、15佑亘瓦なった。

・・・・・・・・
2007年05月30日(水)
2248, 耐震偽装 −4
         ゚+.(ノ*・ω・)ノ*.オハヨオォォ☆゚・:*☆

国家ぐるみの犯罪ネットの被害者・藤田東吾の目からみたマスコミ、特に報道番組の批判が注目に値する。
マスコミは第三の権力機関と言われているが、これほど「危ない性格」を持っている事実を思い知った。
藤田東吾はつくづくと言っている
「僕は、この事件に遭遇するまで、自分に利害関係が生じないような記事や報道を、そのまま鵜呑みに
 してしまったと思う。今それが間違いだったと実感する。すべてに疑いの眼差しを注げというのではない。
 今回の事件で、正しく見ようとし、考えようとする姿勢を、取り戻しただけだ。」
 確かにマスコミの視線は鋭いが、あくまで大衆は娯楽としてしかニュースを捉えない。
 人生を国策犯罪で叩き壊された男の実感は心うつ。
ーー
P−398
言葉は悪いが、『報道ステーション』は、ストーリー中心のバラエティー番組に過ぎない。
一番ひどかったのは日本テレビの『NEWSリアルタイム』だった。・・・
同行していたさとさんが帰る道筋、「日テレは読売だから危険だと言ったじゃないですか。
日テレの局内があんなに敵視していた雰囲気は異常ですって。渡辺恒雄が裏にいるからなんですよ。」
さらにさとさんは、「日テレに比べれば、まだ事前に放送のストーリーを教えてくれた『報道ステーション』
は良心がありましたよ」と、落着を取り戻して付け加えた。さらに、「『スーパーニュース』の木村太郎の
質問はずれていたけど、あの元地検の河上和雄は、藤田さんの首を取ったみたいに・・・最悪ですよ」
と再び怒りをもって言ってくれた。

僕は、耐震偽装に関する番組に登場する人々の中で、テリー伊藤がコメンテーターとして
最も「資格がない人」だと感じた。彼は元々ジャーナリストではない。テレビの構成作家というか、
プロデューサーというか、そんなジャンルから出てきて、今はタレントとして名が通っている。
ジャーナリストではないので、ある意味テレビ受けをする
言葉を使って、時に辛口の、また時にはユニークな視点からの発言で、時勢を捉えたコメントを披露している。
しかし、こと耐震偽装に関しては、国策に乗った意見を徹底的に言うだけだ。
この事件を「ヒューザーとイーホームスとの民間同士の争いに納めてしまおう」という国策に乗った発想だ。

後日、TBSの南さんが、きっこの日記はブラックだ」と言った。 
そして、「自分たちのような報道関係者はホワイトだから、『きっこの日記』にメールをしたのは明らかに間違いだ」
と指摘された。 「藤田さんは墓穴を掘ったかもしれない」 「ホワイトは裏を取り、真実を伝える。
ブラックは裏を取らないから信憑性はない。だから、きっこと繋がるイーホームスの藤田はイメージが落ちるはずだ」
南さんは賢い人だと思うが、自分が国策の下、報道の対象になったことがない。
もし、自分が対象にされたら、この人が言うホワイトの連中がブラックだ、と言うことを思い知るだろう。
結果として、僕らが主張した客観的事実を報道してくれたのは日本のメディアは、唯一「きっこの日記」だけであった。

僕は、この事件に遭遇するまで、自分に利害関係が生じないような記事や報道をそのまま鵜呑みにしてしまったと思う。
今それが間違いだったと実感する。すべてに疑いの眼差しを注げというのではない。今回の事件で、正しく見ようとし、
考えようとする姿勢を、取り戻しただけだ。 この事件の体験に従えば、渡辺恒雄も、読売新聞の記者も、
『リアルタイム』の笛吹雅子も、河上和雄も、そしてテリー伊藤も、報道番組に出る資格があるかどうか。
たとえ彼らが他の局面では評価を得ても、こと偽装事件に関しては、羊頭狗肉であったと、思わざるをえない。

ーーーーーーーー
解)私が嫌いなマスコミのコメンターとして、ミノモンタがいる。
 上記のテリー伊藤のような軽い内容を主婦を意識してコメントする。
 そこには、人間としての誠実さのカケラも感じない。
 如何でもよいことだが!マスコミの恐ろしさの一端に何回も触れたことがある。
 ことニュースに関しては鮫の集団になりえる存在である。
           (○´ω`○)ノ**SeeYou
・・・・・・・・・
2006年05月30日(火)
1883, 閑話小題ーつれずれなるままに
             おはよ〜!(*^ワ^*)i
ー水の都・新潟ー
新潟駅近く(車で5分・徒歩20分)に数年前にできた「朱鷺メッセ」がある。
先日その中のシンボル的な高層ビルに初めて登ってみたが、なるほど30Fからの展望は素晴らしい。
新潟市が水に囲まれた県都ということが実感できた。初めて新潟を訪れた東京の知人は、
東港や飛行場や古町などを移動中、車からみる自然の美しさに感嘆の声をあげていた。
地元にいると、それが当たり前に見えているので、新潟を客観的に見直すよい機会になった。
景観が少し問題になるかもしれないが、新潟の古町や朱鷺メッセや飛行場を結ぶ展望のよい
ケーブルカーを通すのも一計かも知れない。

ー最近の月刊誌ー
最近、図書館で数ヶ月前のものだが「月刊現代」や「文藝春秋」などを、借りてきて読むことが多くなった。
二年分の古い月刊誌の中に、なかなか面白い記事に行き当たる。 月刊誌などは、少し時間が経った方が冷静に
読めるのかもしれない。当たり月刊誌の中に面白い記事が次々と出てくる。
以前は、「新潮45」か「現代」か「文芸春秋」のいずれか一冊を買って読んでいたが、10年ほど前からは
週刊誌を含めて殆んど買わなくなった。ある月刊誌の編集長に直接聞いたことがあるが、編集するほうにとっても、
当たりと外れがあり、それも発行して初めて判るという。 
図書館の古い月刊誌の中から、面白そうなものを探し出すのも面白いものである。

ー秋田小一男児殺人事件の犯人は?−
昼飯に喫茶店に行ったところ、普段は読まない「フライディー」があった。
「秋田の小1男児の殺人事件の犯人? その男児に殺害現場を見られたため殺害した」
と、その辺では誰もが噂をしている、という内容であった。
その一軒おいて隣の、やはり殺された女児の母親の写真が出ていた。見るからに「お水」の容姿であった。
男出入りが激しく、男がきている時は女児は家の外に出されていたとか。
パトカーが常時家に張り付いていて、そのことに腹を立てて怒鳴り散らしている・・・
危ない写真情報誌だから書けるのだろう。このような内容は、このお固いこのHPにふさわしくないが・・
ランチが出てくるのを待つのに丁度手ごろの内容だった。
マスコミも即解決よりも、時間があった方が視聴率を稼げてよいのだろう!事実は小説より奇なりということか?
売らんがため主婦が犯人でないとワザワザ見出しにする巧妙な週刊誌もある。
先週中の逮捕と思っていたが、少し遅れ気味か?ドンデン返しの結末はないだろう! ニュースの劇場化か。
                  (ノ*・ω・)ノ ホンジャまた! 
・・・・・・・・
2005年05月30日(月)
1518,今日は父の33回忌

去年の今日も、父の命日のことを書いたが。 私にとって父の存在はあまりにも大きかった。
そして、今でも父の影響から抜け出てないといってよい。明日は、身内だけの33回忌の法要である。
父の口癖は、『死んでしまえば、それまでよ!』であった。そして、この歳になっての実感として『その通りである!』
だから、「早いうちに生きることとは何かを知り、生きることを第一の仕事としなくてはならない」ことを学んだ。
末期癌で亡くなる一年間、赤裸々な父の死の葛藤を身近で見ながら、人生とは何かを教えてもらった。
そして、その後の生きる大きな教えと指標になった。

・何をするにしても捨て身で取り組まなくてはならないこと。
・地元のー痴呆名士ー とは一線を引くこと。 近所の人とは親しくするな!。
・お金に対する対処を間違うな。 お金はライフワークの一つとして、取り組むこと。
 人間はお金の前では赤裸々で、悲しいほど弱いこと。
・「女はを持つということは、荷車に大きな重い荷物を持って坂道を登るようなもの、遊ぶなら覚悟を持って遊べ!」
この年齢になって改めて父を振り返ってみると益々学ぶことが多くなっている。
学歴は無かったが、接してきた人に超一流の人が多かった。古物商をしていたためであろう。
深い違った教養を持っていた。時代を読み取る能力と、人物を選別する能力、そして人間の狡さを知っていた。
 さて、これから近くのスーパーで花を買って墓参りだ!

・・・・・・・
2004年05月30日(日)
1153, 今日は父の32回忌

今日は、父親の31年目の命日である。この世で一人の人を選びなさい、といったら間違いなく父である。
それだけ私にとって父の影響が大きい「ありがとう」と一番いわなくてはならない人である。
年齢とともに、父親と心の中で話すことが多くなってきている。
一方的に話しかけているのだが、ときどき父も話しかけてくることもある。
もっと以前から事業のことなど話しかければよかったと、今になって思い始めている。
 供養の為に、14年前に書いた文章をコピーしておきます。

-そういえば、この文章を書いた頃のことを思い出した。ある休日の夕方、TVでお寺の仏像を映し出していた。
そのとき、TVの中の仏像に少し開いていた障子から夕陽があたったのだ。
そして何ともいえない不思議な感じになった。何だ何だ、今日は何かあるんじゃないか?!と、考えてみたら、
父の命日だった。うっかりしていて、父の命日を忘れていたのだ。
本当に不思議なことがあるものだ!と思った。 さあ父親の墓参りだ!
ーー
 H0505 小説のような本当の話!

 十数年前、父の七回忌の早朝、母と花を持ち墓にお参りに行きました。
ところがすでに墓がきれいに磨かれており、花が飾られていました。
生前仲のよかった“父のいとこ”が、すでに来てくれたと母と語らい、お参りをしていると、
見知らぬ老人が話しかけてきました。
 たまたまその寺の近所に住んでいるというその本人がしみじみ語るには
“自分の子供の高校の入学時に、金がなくコートを買ってやれずに、店にいた父に正直に事情を話したところ、
父は全く見知らずの自分に、分割払いをしてくれた。 それが本当にうれしくてうれしくて!
それで父が亡くなった時以来、必ず命日にこうして掃除をして、花を供えている”との事。
 聞いていて本当に父のすばらしさの一面を知らされた思いでした。
その時、果たして私の七回忌にこんな事がありうるだろうか。
そういう“生き方”を自分はしてきただろうかとつくづく考えさせられる出来事でした。
父の名前は誠作という事もあり、それが本人のコンセプトになっていたのだろうか?当時、
丁度今の会社の理念を考えていた矢先、それが大きなきっかけとなり“誠心誠意”に決まった次第です。

・・・・・・・
2003年05月30日(金)
786, 「随想テーマ日記」は自分史

「5歳の頃」「10歳の頃」「20歳の頃」「学生時代の日記の書き写し」「30歳の頃」「40歳の頃」
と書いてきて、後でよみかえして、そこに全く知らない自分を見るときがある。
「こんなことを書いていたのか!」と驚くことが度々である。

当時の自分を振り返っている自分を、更に見ていることなる。それは過去の二人の自分を冷静に見ていることである。
第三者の目で見ているのだ。こういうのを客観視というのだろう。
書くということは冷静に自分を見つめるのに有効である。
そしてそれを読み返すと自分の知らない自分に出会うような気持ちになる。
私以外の人なら、更に驚くのではないだろうか。そしてその時には見えてなかった自分が見えることがある。
他人からは見えていたが、自分では気がついてなかった自分の姿である。
また、その日に集中した事が文章で残っているのは、自分の道標になる。

この「分類のコーナー」を覗いてみて驚く事がある。よくぞ真面目に自分の本心とアイデンティテーを書いたことに。
脳の奥の素っ裸の内面がそのまま出ている。それも露悪の自分がいる。
第三者から見たら、これほど面白いものもないだろう。1000項目が目標である。
毎日書く事で、量の問題を解決してきた。量をこなしているうちに、質が僅かながら上がっているのも解る。
習慣は力である。

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2002年05月30日(木)
422, ピラミッドの風景 
 ーたとえ話

以前も書いた事があるが? 社会構造をエジプトのピラミッドと、
その周辺の風景に例えで説明すると、いやに納得できる。

 ピラミッドを組織に喩え、
・頂上に向けピラミッドに登る人、
・途中で上るの止めてそこに留まってる人
・ピラミッドをメンテしている人
 
 周辺では
・小さなピラミッドを創っている人
・オアシスで遊んでいる人
・ラクダをひく人
・砂漠で住んでいる人
・そこで商売している人

全く上手く社会と組織を説明をしている。そうすると私は小さなピラミッドを作っている人ということになる。
船も喩えで見ると、組織を説明しやすい。世界一周する大型船、小さな漁船、帆掛け舟、ボート、
丸太とそれぞれの組織を喩えることができる。一人でサーフィンを楽しんでいる人。
大型船は世界一周できるが、それぞれの仕事を分担されてしまう。
自分は何をしているのか解らなくなる「自己疎外」という問題がでてくる。
小型船なら面白いし、小回りが聞く。しかし船の行動範囲が狭められてしまう。
丸太にのって遊んでいるのも、それなりに面白い。

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2001年05月30日(水)
[36] 初めてのパソコン教室

今日初めてのパソコン教室に来ています。自宅から3分のところで非常に便利です。
長岡でその人に合わせた指導を求めている人は 31−2466 長岡コムネットに電話してください。
2時間で3500円です。 ここの写真を撮って、写真日記に入れておきます。


2612、 佐藤優の速読術について

2008年05月29日(木)


「国家の罠」「自壊する帝国」の外務省のノンセクション作家である佐藤優の
「速読術」の方法、考え方が面白い。
ーまずは、その概要を私なりにまとめてみた。
・速読法は、基本書を完全にマスターしているから可能であり、基本データが完全に
 インプットされていない分野では、無意味である。ヒンズー語を知らないのに、 
 その文献をいくら捲っても理解できないのとおなじことである。
 受動的勉強を充分に勉強した上で能動的な速読法ならわかるが、そうでないのは無理がある。
・読書術として、難しい本に二種類あって、*一つは理論がでたらめで難しいフリをしているもの。
 *いま一つは議論の積み重ねで構成されているから時間がかかるが、読んでいけば知識が得られるもの。
 何故、速読術が必要かといえば、読むに値しない本を見分けるためです。
 速読法とは、自分の周辺に押し寄せる、いい加減な情報を波打ち際でたたく方法である。
 つまり一年でどれだけ熟読できるか計算をして成り立つ。
 月二冊熟読するのが限度でしょう。その本を熟読するために他を速読するという逆転の発想です。
・速読をすれば知識がつくというのは嘘です。知識は熟読によってしか得ることが出来ません。
 速読は自分が持つ知識以外のものが出ているかどうかのチェックする手段に過ぎません。
 速読術は熟読術にあるということです。読まなくても良いものを精査するためのものです。
・速読術には厳密に分ければ「速読術」と「超速読術」の二種類あると思います。
 速読術は鉛筆を使って判断しながら読む方法で、400〜500ページの本に2〜3時間かかります。
 超速読術は、飛ばし読みで、純粋に新しい単語を拾って、大づかみで内容を把握する方法で、
 10〜20分ですみます。最初と最後、そして目次を見ること。
・「興味力」の赴くままに濫読すること。何でも興味を持つことが重要。
        =「国家と人生」寛容と多元主義が世界を変える= 竹村 健一 佐藤 優より
 〜〜
熟読によってしか知識は得ることが出来ない、というのは良くわかる。 もう一つは「繰り返し」である。
ところで私も似たようなことをしている。 長岡と新潟の図書館に週二回行き、面白そうな本を借りる。
そして、これはと思うものは、直ぐにアマゾンで発注する。そして、本に取りあえず織り込みを入れる。
自宅の居間と会社の机の上に三十冊は並べておいて、とにかく超速読をする。
そして、その中で、これはというのを、この随想日記のネター読書日記に書く。
熟読するものはトイレにも置いておく。 だから、ネタにはならない。
私の場合は、とにかく繰り返し本を開くことにしている。だから、居間にも常に本を横に置いている。
せっかく地球に旅に来ているのだから、地球上のことを知らないと。それが、動機である。

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2007年05月29日(火)
2247, 女性の品格
             (*´・ω・)ノおはよー
   NHK/TVを見ていたら「女性の品格」の著者の坂東真理子氏のインタビューがあった。
   昭和女子大の副学長で「女性の品格」という講義もおこなっていた。
   私自身はさておき、品性のない人間は大嫌いときている。
   学歴や肩書きや収入とかでなく、その人の持っている生まれながらの品位は、
   どうしようもないものである。その人のもって生まれた何かである。

この本の中で、強く、優しく、美しい女性になるための「66の法則」を挙げているが、
ーその中で幾つか選んでみたー
 上品な女性は、
・礼状が書ける
・約束をきちんと守る
・型どおりの挨拶ができる
・長い人間関係を大切にする
・流行に飛びつかない
・姿勢を正しく保つ
・贅肉をつけない
・プライバシーを詮索しない
・よいことは隠れてする
・愛されるより愛する
・得意料理をもつ
・恋をすぐに打ち明けない
・人に擦り寄らない
・礼を尽くす
 などなど、ビジネス、装い、話し方、恋愛にいたるまで、女性としての振舞い方を具体的に示してある。
何げない日常の立居振舞いに、女性の生き方と品位はおのずと表われるもの。
自分を卑下しすぎず、もちろん、うぬぼれず、「等身大の自信」を持つことである。
「強く優しく美しく、そして賢く」と示しているが、人間として「凛とすること」である。
    私自身、ご存知の通りあまり品格のある方とは全く思ってなかった。
    都合の良いところを選んだつもりはないが、上記の内容は全て〇と自認している。(また、自慢?)
    私達の年齢なら殆どの人は〇だろう。「そう見せているが実際は違う」という人は多いが!
    品位のない人間を直に見抜かれるから恐ろしい。
   「あなたは酒癖が悪いことと、言葉が鋭いから、そんなことを言う資格はない!」
    と家内に言われたが 「この正反対って、女性の特性じゃない?」ですか。 だから書いたのでしょう。  
    誠意ある人、ということである。ところで、ほんとうに○なの?? 違うじゃないか?御前さん!
    ーー
ーPHP新書
女性の品格―装いから生き方まで
PHP研究所 ・坂東 眞理子【著】
                 (*・ω)ノβψε★βψε
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2006年05月29日(月)
1882, 新潟県活性化案−2  おっ w(゚Д゚)w ハァョ〜

この活性化案をベースに5月16日、私の事務所で14名が休憩二回をはさんで5時間にわたり議論をした。
利害と直接関係ない新潟県に対する危機感を持った参加者が多かったため、
内容は濃いものとなった。 色いろな職業の人がバラエティーに散らばっていて、
    それぞれの立場からの視点が丁度よいバランスになっていた。内容としてベストといってよかった。
2010年の富山まで北陸新幹線開通後の新潟県の危機は深刻である。さらに2014年には金沢までオープンする。
その時、上越新幹線は北陸三県を背後にした北陸新幹線の枝葉になってしまう。
何故飛行場まで新幹線を通さなかったのか?アジア大陸の窓口としての拠点都市つくりをしてこなかったのだろうか?
    この議論をした翌日、新潟東港〜新潟空港〜トキメッセ〜寺泊を見てまわった。
    特に新幹線の延長可能な「廃線した貨物線」をみたが、そこを生かせばそれほどのコストはかからない。
    20年前に新潟空港まで新幹線を開通していれば、環日本海拠点都市宣言をして都市づくりをしていれば、
    全く違った展開になっていたはずである。今さら遅いといっていられない事態である。

高崎から新潟県に新幹線を開通させるという大プロジェクトではない。
あと10キロ足らずの新幹線を延長させるだけで「全く違った性格を持つ世界稀なる首都から直接乗り入れの新幹線になる」
ということが解らないのだから、角栄以後の政治家のレベルの低さに呆れてしまう。
    飛行場周辺と新潟駅の一体化を図るべきだ。そのためには、骨太の奇策と思える計画が必要である。
    新幹線の延長したレールを共有して新交通システム
    ー新潟駅~新潟空港間に動くエレベーター(新交通システム)ー
    をつくり、一体化すればよい。ただしコストを安くすることだ!
    羽田の新交通システムも周辺住民が多く利用しているではないか。
    新潟空港周辺をみてまわったが、その自然環境は素晴らしい。
    そこと新潟駅周辺の集積された商業集積を結びつければよい。
    テーマパークのロシア村をつくったり、新潟駅の再開発に千数百億も投資するなら、
    せめて10年前に飛行場に新幹線を乗り入れ、その周辺にサッカー場や、流通団地、
    専門学校や大学の特区地区などに集中投資すべきであった。岡目八目ではないが、私の知人が呆れるのも解る。
    
  ー以上、新潟県活性化案を補足するものである。
             ゝд・) ノ バイ バイ!
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2005年05月29日(日)
1517, 酒中日記ー2

この本の面白そうなところを抜粋してみる。 作家の文章を書き写すということは、
文章のレッスンをしていることになる。 絵でいう写しをしていると同じことである。
「上手い文章を書いているな~!」と、読み過ごすことと、書き写すことは全く違う。
写すということは、主体的に変化する。だから、このように時間をかけるのである。

ーその後の文章を抜粋してみます。 それにしても作家の文章は上手い!
ーー

黒岩重吾
ー飛田にひとり

某月某月

大阪の西成界隈をバックにした小説を書くので、久しぶりに飛田の近くに飲みに行った。
私は西成の小説を書く時は、必ずその前に散策をしてみることにしている。
 
十年前に、私がいたころの飲み屋は殆どなくなっていた。
大門通りや飛田商店街の飲み屋は殆ど残っているが、私がよく行ったのは屋台だったから、
水の泡のように消えてしまっている。
ただ一軒、飛田駅の近くに消えずにあった飲み屋に行ったが、女将の顔が違っていた。
私はビールを飲んだ。 ここにも娼婦らしい若い女がいて、女将さんとしきりに話している。

昨夜の客が、昔遊んだ女を覚えていて、その女のことをしきりに尋ねたらしい。
ひんがら眼の女らしいけど、おばさんは知っているか、と尋ねていた。
女将は、ひんがら眼なら3〜4人は知ってるが、誰かなと興味なさそうだった。
私はその女の話を聞きながら、この娼婦と遊んだ男は、長い間、ここに姿を見せなかったのだろう、と思った。
その間、男は何をしていたのか、刑務所にいたのだろうか、飯場を転々としていたのだろうか。

そんなことを考えながら飲んでいると、小説を書きたくなった。実際に飛田界隈は不思議なところで飲みに行くと、
必ず創作意欲が湧くような人物にあったり、そういう話を聞く。これは他の場所では、殆ど味わえない。
つまり、飛田界隈には、人間の原液が、そのままの姿で流れているせいかもしれない。

ーーーーーーー
田中小実昌

ーわめき酒
・某月某日
新宿花園街の「まえだ」で飲んでいると、佐木隆三が入ってきて、「コミシャーン」とぼくのからだを抱き上げた。
佐木さん沖縄に行っていて久しぶりだったのだ。ところが、ぼくを抱き上げただけで、後は面倒をみず、手を離した。
おかげで、ぼくはほうりだされたカッコになり、木の角に脛をぶっつけ、青く腫れ上がった。
澁澤幸子さんも来て、歌をうたう。澁澤さんのテーマ曲は「アッツ島玉砕の歌」。
そのほか、ナツメロ、シャンソン、なんでも歌う。
流しのアコーデオンのマレンコフは、いつもの大サービスで、何十曲歌ったかわからない。
渋澤さんは、度胸がある。なんてケチなものでなく、育ちがよいせいか、にんげんを怖がらない。
はじめてあった夜、新宿南口のおっかないところにつれてったらちょうどガタついている
最中で、ガラスがこわれ、かなりの血がながれたのか血なまぐさく、ところが、
幸子さんはコウモリを逆手に持って、「やれやれ」とけしかけ、ぼくはあわてた。

・某月某日
歌舞伎町の「かくれんぼう」でミイ子とあう。
ミイ子は学生だが、何かの雑誌で川上宗薫と対談したことがあり、そのあと、ぼくと飲んで、
「感度だとか、構造だとか、肌のきめぐあいだとか、川上先生は、ぜんぜん、女をわかっちゃいないのよ。
あんな男はフンサイだわ。断固、フンサイ!」とぼくと意気投合したことがある。

ところが、たまたま、包茎のはなしになると、「ホウケイってなあに」とミイ子はなにも知らないんだ。
ホウケイで思い出したが、石堂淑朗は、三光町の飲み屋へ、ぼくが惚れてる女のところへいって、
「いっぺんヤラセロ」と言っているらしい。石堂はやたらでかいせいか、ナマケモノで、
もてないものだから、自分で女を開発せず、ひとの女ばかりねらいたがる。

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2004年05月29日(土)
1152, 「老い」を考えてみる −2

昨日の新幹線で読んでいた藤沢周平の「海鳴り」の中に、老いに対する思いが偶然そのまま書いてあったが、
彼の思いがそのまま伝わってきた。 (実際こういう偶然があまりにも多く、自分でもびっくりする)

何も考えないで精一杯生きてきて、ふとポッカリと心の穴に落ちた心情はこんなものであろう。
特に夫婦間の亀裂がのっぴきならない状態で、家族に忌み嫌われた亭主はこんなものかもしれない。
あまりに迫真があったので、何回も読み返してみた。実際の荒涼感は、こんなものより深く絶望的であろうが。
北欧の老人の自殺が多いのは、こういう心象風景の果ての絶望感と孤独感が底知れずあるからなのだろう。

この下書きを昨夜書いたためか、夢をみた。何処かの海岸線のリゾートに一人いて、店とか海岸で、
その世界になじめない。一人ウロウロしているじぶんがいる。まあ、早速こんな夢をみるとは単純なものだ。
  
ー「海鳴り」の中の一節
妻子のために、身を粉にして働いてきたはずだった。40歳の坂を越えたとき、わずかの迷いがきた。
妻子からも、家からも離れて、一人の人間にたちもどりたいと願ったのは事実だ。
だがそれは、長い道のりを歩いてきた一匹の生きものが、ふと足をとめて
かたわらの泉から水を飲んだような、ほんのひとときの憩いに過ぎなかったのだという気もする。

長い道をわき目もふらず歩いてきたので、生きものは身も心もくたびれ果てていた。気がつくと老いが忍び込んでいた。
それでも道は、まだまっすぐに眼の前につづいていた。 色彩もとぼしく荒れ乾いていた道である。
道がか細く消えている地平あたりから、風が死の臭いをはこんで来るのにも気づいた。

それでも生きものは、その道を歩き続けなければならないことを知っていた。
それが生きもののさだめだった。振り向くと、通り過ぎてきた花も緑の木々もある道が見えた。
しかしその道は、振り返ることも出来ても、戻ることは出来ない場所である。
生きものは新しく見えてきた風景の心細さに心を痛めながら,いっとき泉のまわりをうろつき、一息いれた。
新しい、のぞみのない旅にそなえて気持をととのえるために。あるいは歩いてきた道に、醜い後悔の痕を残さないために。

それだけのことが、そんなに批難されなければならないのか、と新兵衛は
思うのだ。生きものの心に思いをひそめたから、人間の道をはずれたと指さされるのか。
歯車が狂ったもとは、もっと別のところにある。それが何なのか、新兵衛にはわからなかった。
わからないことがもどかしく、ほんの少し不気味であった。
 −−−−
今でいえば初老性鬱病か、それとも誰もが感じる年齢の心象風景の一つなのか。
まあ、かなり藤沢周平の世界に影響されているようだが。
ー『海鳴り』−藤沢周平

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2003年05月29日(木)
785, 一期一会(すすき野の夜)

 昨日書いた異業種の人達との札幌のススキノの夜の話である。
二次会もバラケてしまい、残った四人で「すすき野」に行くことにした。
せっかくの札幌の「すすき野」の夜、入るなら一生に残るような
エキサィテングな店がないかと数軒の店を覗いていたら、何か異様な賑わいを
みせている店があった。すぐ団体が帰るというので少し待って入った。
空いているカウンターに我々4人が座った。暫くすると、他の団体も帰っていった。
隣には、その店の馴染みと思える中年の品のよさそうな男性が座っていた。
何かの縁かと「実は異業種交流の途中に札幌によった」と話しかけた。
「何処から来たのか?」と聞くので、新潟市から来たというと、自分は佐渡の出身だという。
その場が急に同郷の会みたいになってしまった。この店の入っているビルと、
幾つかの飲食ビルを経営している専務だった。

 そこにお客を送っていった美人のママが帰ってきた。二人が深刻そうな話を始めていた。
「もう店をやめたら!」とビルの専務が言っているのだ。
ママが食道癌で退院したばかりで、店に出れる状態でないが捨て身で店を開いていたのだ。
連日入院していた病院の先生も店にきて忠告しているという。
その場が深刻な、微妙な雰囲気になってしまった。その為か、ママの歌が魂のこもった素晴らしい歌が続いた。
そうなると、お客全員も引き込まれて魂の歌になった。
どういうわけか、私がいやに気に入られて最後までダンスのお相手をしていたと同行の人から翌日聞いた。
歌は憶えていたが、そういう記憶はいつも昇華して消滅するのが残念である。
恐ろしいような、悲しいような、楽しいような、一生に残る思い出になった。
「すすき野」の夜の人生ドラマの深さを垣間見てしまった。
その話を翌日、行かなかった人に話をしたら「なぜ俺たちを連れて行かなかった」と叱られた。

・・・・・・・・・
2002年05月29日(水)
421,世間とはー2

前回では「個人が確立されてない日本では社会が存在し得ないのでないか。
そしてその代わりー世間ー存在している」と書いた。 ある地域に生まれ育って、一歩も外の世界で
住んだことがない人は、世間という枠組みから出ることができないのも仕方がない。神話の世界でいう蛇である。

その対極にある鷲に憧れを持ち、その合体の龍を創りあげた。どういうわけか世界中の神話に龍が出てくる。
縛られた世界からの脱出の希求は人間の本質的欲求なのであろう。
羽仁五郎の「都市の論理」に、両親からの自立が人間としての第一歩と書いてあった。
西洋社会でいう「個人」とは、自立した自己ということになる。

まずは職業である、自分で稼いで生きていくのが第一歩である。次に両親からの影響と環境からの自立である。
自分という意志を持った主体の確立である。世間というものに対し、戦い挑んで勝ち取る意志である。

両親と周辺のせいぜい20人を[濃厚な?世間]という。それを自覚する事である。「短い人生、ただ狂え!」が、
世間様の丁度いい噂の餌になるが。王陽明に「羊になるな、狼になり羊を食い散らす生き方を!」というのも、
世間に縛られた生き方を諌めたものだ。 個人ー個性とは世間との闘いで創っていくものだ。
世間とは、他者とのあいまいな緩衝地帯でもある。
私はそこに生きるそれを『子狐』とよんでいる。 誰にもある要素だ。
もちろん自分にある最も嫌っている影である。その集約が、そうあの人!
誰もがこう言われれば自分と?考えてしまうのが不思議???!!

・・・・・・
2001年05月29日(火)
[35] 一人暮らしのあの頃

今日は終日長男(堀井大)のアパート探し! よくあれだけ部屋があるものだとビックリ!
部屋の中にある人生を感じた。 一人部屋にある何ともいえない哀愁を!
私にもあった一人生活の侘しさと緊張感。 いつも鏡を机の上に置き、独り言を言っていた侘しさ。
でも自由のよさ。何かタイムマシーンで三十数年前に戻った感覚であった。


2611, サルトルについて、考えてみる  −2

2008年05月28日(水)


改めて、読んでみるとナカナカ新鮮に思えてくるところが多い。
読んだ当時から40年経て、経験を多くつんだこともある。
当時はピンと来なかったことも、今では深く納得する。
経験は、やはり「自分」の財産なのである。

ー以下の論が、非常に面白い。

 *「意識」のあり方は、どのようなものか?

サルトルは、「世界へと関わる」ということを、「否定」と「無」と結び付けて考える。
人間が世界へと「「関わって」いる、ということは、人間は世界では「ない」ということなのだ。
たとえば、私は目の前のグラスでは「ない」し、窓の外の木ではない。サルトルは、人間が「世界に関わる」
というあり方をしているが、それは「世界ではない」というあり方だと、いう。
言い換えれば、人間と世界の間には「すき間」「裂け目」がある、ということだ。
人間が「世界と関わる」ということは、人間が、「世界との間に裂け目を作る出す」ことだと考える。
サルトルは人間と世界の間の「すき間」「さけ目」を「無」と呼ぶ。
ただしここで重要なのは、意識は、裂かれた片方の「モノ」なのではなく、「さけ目そのもの」ということだ。
意識としての人間は、いわば世界の中の裂け目、世界の中の無である。 
それは、意識が、関係する片方の「モノ」ではなく、「関係」そのものであり、
外部の世界への「矢印」そのものである。・・・・・
「世界に対して」裂け目をもたらす人間は、それだけでなく、「自分自身に対して」も裂け目をもたらす、
とサルトルはかんがえる。 人間は、常に過去の自分から脱出して新しい自分になっていく存在である。
過去と現在を乗り越え、未来に向かって自分を投げかけていく存在、それをサルトルは「投企」と呼ぶ。
  〜〜
 解)
   人間の意識が、世界と関わると、その世界との間に裂け目をつくりだす。
   それも人間の意識は、片割れの一方ではなく、裂け目、世界の無である、という。
   過去を振り返ると、実感として接してきた世界の片割れとしての自分というより、
   色いろ経験してきた世界の接触の中での私の意識は、それぞれが「無」だった。
   その時の己は、片割れの「モノ」ではなくて、「関係」そのものであった。
   それは「矢印」であった。世界中を観光してきて、そして事業を幾つか立ち上げてきて、その通りである。
   世界との間に裂け目を作り、世界の中に裂け目をもたらす、
  「意識としての人間」をサルトルは「対自存在」と呼ぶ。異郷・秘境の地で我を忘れて見入っているとき、
   自分は、そこに居ない。自分は、後で振り返ったとき、見入っている自分を対自として見ている
   内なる我が見ているとき、初めて顔を顕す。対象に魂を奪われているとき、そこは一方の割れた「私」
   ではなく、裂け目そのものが私である。別に難しいことではないのである。  
    −−−

*サルトルの人間観

サルトルは、人間が自分のあり方を自由に選択し、自分の本質を自分で作り出すものだということを明示した。
人間の実存は本質に先立つとする。
・まず人間は、「何ものでもない」ものとして、まず実存する。
・そして、自分の行動の中で自分が「何であるか」を決めていく。
自分のあり方を自由に選択するものとしている。
人間において実存が本質に先立つとは、人間は自由な存在だということでもある。
同時に、人間が自分のあり方に責任を持っているということである。
「卑怯である」ということは、卑怯であるものとして自分を作ったということである。
 解)
   人間は、己を作っていく存在ということだ。常に未来に向かって自分を投げかける存在である。


・・・・・・・・
2007年05月28日(月)
2246, 愚痴
      ゜・。*ヾ(´∀`o)+。才ノヽ…YΘ!!

愚痴とは、「言ってもしかたがないことを言って嘆くこと」、仏教用語としては
「 三毒の一の癡にあたり、物事を正しく認識したり判断したりできないこと」をいう。
 {参考のために、三毒とは克服すべきものとされる最も根本的な三つの煩悩、
 すなわち貪瞋癡(とんじんち)を指す。 貪ー貪欲、瞋ー怒、癡ー無知}σ(^◇^;)

人の愚痴は気づくが、自分の愚痴は気づかないから始末が悪い。
初めて就職した時に、ある転勤先に「愚痴のオジサン」というアダナの人がいた。
「初対面の人を見つけると兎にもかくにも愚痴を言うから、受け流すように」と、注意されたが、
なるほど話す大部分が愚痴なのである。;´д`)グチグチ!世の中にはこういう人がいるかと
驚いたことがあった。愚痴は人前では言うものではない実例としてみたが、「情けない」というしかない。
                          (-""-;)
私の周囲には少ないが、自分自身、知らないうちに言っているのかもしれない。
思い通りにいかないのが人生であリ、不意の出来事で窮地に立たされたり、
本意でない状況は「あざなう縄の如し」、次から次に問題が押し寄せてくる。
それに対し、「愚痴を言っちゃ〜おしまいよ!」と痩せ我慢をするのが人間のあるべき姿である。
「言ってもしかたがないことを言って嘆くこと」は最悪のことと分っていても、
言いたいのが愚痴である。だから、居酒屋が存在しているのである。
とくに擦り切れるような大組織の人間関係では、愚痴を言い、
憂さを晴らさないことには精神の均衡が保たれないのが男社会というものだ。
              あのバカヤロウ!(>ε<)(-"-;)( ̄ω ̄;)!! チェ

教養ある人が愚痴をいっている姿は、あまり見受けられない。 しかし人生の後半になると、
肉体だけではない、精神の衰えとして、愚痴が出てくるから気をつけなければなるまい。
特に身近な問題、矛盾が吹き出る時節である。(▼▼?) y-? バカにワカラナイ!
自分にプライドと、自立心があれば、愚痴など言わないが、経営者や目上の者が愚痴など言っていたら、
男の風上にも置けない。 「腐った女のようなヤツ」と言えば、       ( ゜o゜)ハッ
「他人の陰口を言い、人を平気で落とし入れ、愚痴を言う人間」である。
それは、やはり無知からきているのである。    ( ^3)〜♪
「あなた(わたし)、風上に置けない人じゃない!と言い切れますか?」 m(_ _)m
   自立してますか?ということ!                 スンマセン
                    :ヾ(´Д`*)マタネ
・・・・・・・・・
2006年05月28日(日)
1881, 閑話小題
        ォ'`ョ━━(。・∀・)ノ゙━━ゥ★   
ーつれづれにー

一昨夜、会合が終わった後に新潟駅前で飲む。その後古町の[シャムネコ]という店に行く。
店の中を整理しないのが売りで、ホステスを猫がする店。コタツがおいてあったり、20年以上前のカセットビデオ、
そしてマンガ本、色紙、などが雑然と置いてある。しかし、よくみるとチリなど溜まっていない。

    もう廃業したのではないかと電話をすると、第一声が
    「一見(一限)の客はお断りですが、貴方は誰ですか」という愛想のない声が聞こえてきた。

5年ぶりだが、三匹の猫の源氏名は社長、専務、常務で、ママが従業員という設定になっている。
(以前にもこの店のことを書いたことがあったが)この三匹に役割があって、入れ替わり立ち代り接客をする。
カウンターの上を気を使いながら歩いて客に媚びたりする。
知らないお客だったら怒る場合があるから、ドアには「一見のお客はお断り」と張ってある。

    三匹のうちの社長が亡くなっていたが、残りの二匹で一生懸命接客をしていた。
    といってお客の膝に上がったりカウンターを歩き回っているだけだが、
    お客の話が途切れたり、退屈したりすると何時の間にか傍に寄り添ってくる。
    またお客のツマミは決して欲しがったりしない。下手なホステスよりシツケが入っている。
    お客が帰るときは、一番くらいの高い猫がエレベーターまで見送るに出る。

初めてつれていった人は、誰もが喜ぶ。
何時もお客は殆んど入っていないが、どういうわけか5人の団体が入ってきた。
常連のようで、そのうちの一人とイヤに気があって大騒ぎをする。
アフリカに事務所があり、よくケニアには行っているとか・・・・
その後、その後再び新潟駅前に戻りスナックに入る。 そこでも盛り上がる。
   酒は一期一会という気持ちで飲むと、とどまることがなくなる。  
ーーーー            茶でも!~~旦_(-ω-`。)

ーできること ー

「あなたにできることは、 あなたにしかできないんですよ」
ある本にあった言葉である。だから何をしても良いというのではない。
自分にしかできないことなら、自分の全てをかけて、できるまですべきである。
「何ごとも自分で、やれることを、やれる時に、是非すべきすべき」ということだ。

考えてみれば一人一人が、その人しかできないことをしている。
それを自分で自覚するかどうかで、真剣度が違ってくる。
「私のできることは、私でなくて他の誰にもできるではないか?」
というが、私のやり方、私の知恵は、私にしかできない。

文章も、同じことがいえる。 私にしか書けないことを書けばよい。 プロの文筆家にかなうはずがない。
なら自分が書けることを、正直に書けばよいが、その正直に書ける度合いが違うのだが・・・
                    (。・∀・)ノ゙バイ!
・・・・・・・
2005年05月28日(土)
1516, 気の発見−2

気の話なら、40年のキャリアがある。
この随想日記でも何度か書いてきたと思ったが、どういうわけか、これをテーマにしたものは全く無かった。
「気功」などというと誤解されるか、全く知らない人には説明が難しいから、取りあげなかったのだろう。

本棚を見ただけで10冊以上はある。
・「『気が』もっとわかる本」
・「真気光」
・「『気』で心と体が変わる」
・「気の威力」
・「病は気から」
・「『気』と正しくつき合う本」
・「‘気'の発見」
・「『栗田式』超呼吸法」 
・「帯津良一の自然治癒力の脅威」
などなど、
図書館で借りてきて読んだ本を加えれば20冊は軽く越える。
(もっとも理解していたかどうかは、全く別の話。
殆どが、その本を買ったことで安心して知ったつもりでいるだけだったが。)
その集大成が、「ウォーキング気功」である。
しかし、解りやすいという点では、この本は群を抜いている。

ー以下は要所の抜粋であるー
(以下、字数の関係でカット二千八年五月二十八日)
                        つづく
・・・・・・・・・
2004年05月28日(金)
1151, 「老い」を考えてみる

誰しも老いるのは嫌であるが、それは「長生きをしたからであり、そうプラスに考えれば、
老いもそう悪いものではないのではないか」と考えてきた。老いは誰もが通らなくてはならない道である。
人生とは、徳川家康でないが重荷を背負った山登りに似ている。
登るほど息切れする。しかし視野は広くなることも事実である。

身体の老いより、心の老いが怖ろしいのが老齢期の大問題である。「青春は失策、壮年は苦闘、老年は悔恨」
というが、それを乗りこえた精神の自由を維持することが、大事ではないだろうか。
若いときには、われわれは愛するために生きるが、年を重ねるとともに、生きるために愛することが必要になってくる。
過去を振り返って、その重さに耐えきれなくなる時、愛と感謝で包み込まなくてはならなくなるからだ。

身近の色いろの人をみると、「若い生活をしている者は若いが、老いた生活をしている人は老いている」
というのが解る。 何があっても、精神は常に若く保たなくてはならない。
人は老年を恐れるが、そこまで到達するかどうか解らないのに気楽なものである。
人生は飛び立つ時より着地が難しいのは、飛行機と同じようなものだ。
とくに商売や事業をしているものにとって、最後は切実な問題になる。いかにソフトランデングするかが問題になる。

「60過ぎのことを、それまで全て先取りをしてしまえ」と思って生きてきたことが、今になって本当に
良かった思い始めている。気力、体力、金力のバランスが崩れてきて、どうしても計画どおり行かなくなる。
色々な問題が弱いところに出てくる。それなら、無理をしても60前にした方がよいと自覚していた。

義兄がしっかり60過ぎの準備をしていて、ルンルン気分でいたが、
60歳直後に亡くなってしまった。 思った通りにいかないのが人生である。
初めから、人生の余白を埋めるのも大事ということを教えてもらった。
いずれにしても、一日一日前向きに精一杯生きていけばよいのだろうが。

以前、20歳上の従姉が、自分の90歳でなくなった母親のことを回顧して
『母は50,60,70,80歳の峠を越えていった凄さが解るようになってきた』と言っていたのが印象的である。
老いに関しては現在読み続けている藤沢周平の小説の隠れたテーマの一つだ。
彼は主人公を通して老いいく人生の切なさや、最後の光り方を切々と書いている。
 もう目の前に、一つの峠が見えてきた。

・・・・・・・・
2003年05月28日(水)
784, 芸術家と芸人

5~6年前に、「異種業の会ー旅行に出てみないかい?」と誘われて、面白そうなので参加した。
大学教授、大手代理店の課長、芸術家数人、二代目等、個性的な人の集まりであった。
一回目が九州と大阪。二回めが盛岡と札幌・函館の視察であった。県からの補助金で食事を含めて全て無料であった。
日本が背伸びをした、足の下をそのまま見ているようでもあった。
反面、将来の姿とはこんなもの?と予感できる世界であった。といって、取ってつけた感も否めなかった。

一回目が北九州の福岡ドームとホテルと再開発地区、長崎市の観光、
湯布院、大阪の再開発の視察であった。半分はその名を借りたお遊びでもある。
しかしどこも新鮮な夢のある輝かしい?世界であった。
特に北九州の再開発は、北九州がアジアに向けての拠点を目指しているのが感じ取れた。
再開発には否定的だが、こういうものの表面だけを見るとなるほど騙されるのも解るような気がした。

湯布院が期待していた以上であった。時代劇の映画に出てくる隠れ里のような山里にあった。
個性的な店が多く出ていた。料理屋に小物や民芸品を売っているのが何ともセンスがよい。
若い女性や若者だけでなく、あらゆる年代の人が楽しめる。映画セットの中にいるような感じがした。
30数年前の軽井沢の旧軽通りに少し似ていたが、湯布院のほうがゆったり、ほのぼのとした感じで好きだ。

 二回目が、盛岡、札幌、函館の視察であった。メンバーはほぼ同じである。これも楽しい面白い旅行であった。
札幌の郊外の丘陵地帯にある芸術をモチーフにした公園には驚かされた。
いま考えてみると、バブルの一現象だったのだろうが、広大な敷地とモチーフが何ともいえない安らぎを与えてくれた。
函館の、観光をモチーフにした街つくりも素晴らしい内容であった。
石原裕次郎をモチーフにした館とか、ガラス細工専門店とか、年中クリスマスグッズを売っている店があったり、
寿司屋がところ狭しと並んでいる街とか、楽しいのだ。

この旅行で芸術家数人に向かって、「芸術家なんて気取っているけど、所詮は物を作る芸人だろう!」
と酔って言ったらしい。ところが芸術家たちが、その言葉にいやに納得くしていたとか。

・・・・・・・・
2002年05月28日(火)
420,世間とは

「西洋でいう個人が確立されてない日本では、社会は存在していないのでないか?」という疑問が以前からあった。
その代わり存在するのは、噂と悪口からでお互い牽制しあう「世間」である。
阿部謹也の「世間とは何か」という本を立ち読みをして、思わず納得した。

現在国際社会で日本が冷笑されるのも、もともと日本では存在していない
国際「社会」の中で、常に世間という日本社会を外に出してしまう為である。
勤めとか事業で、いろいろの地域社会をみてきて漫画的な社会?構造に驚いた。
世間様の存在と、それに対するペルソナー仮面を付けて、全員して演技している滑稽さである。

それは社会というより、群れという感覚でありその統制は噂と恥の文化である。
ある作家がある部落に住んで、、その滑稽を「気違い部落」という本で著した。
それが売れると、逆に気違い?にされ村八分にされてしまった事が、話題になったことがあった。
世間に属さない他者は今の日本では人であって人間でない、と先ほどの「世間とは何か」に書いてあった。  
その地域の集り坊主とか、地銀とかに勤め、支店長あたりになる。
そしてその地域の噂社会の中で、よい人を演技する?のが、「世間を渡る」という世界。

この世界で、個人として真っ当に生きるには、強靭な意思と主体が必要だ。
結局それを殺ぎ落とさないと、生きていけない社会でもある。
そして自分とは何かを死に近づいて考えて、気づく?世間に縛られた小さな一生を、その時初めて悔やむ!
世間とは、幻想社会という事を! 日本の島国的特性そのものだ。

ーーーーーーーー
10年前書いた文章です。
ーH0407城下街小唄ー
 私の出身地の長岡はかつて“長岡藩”の城下街であった。
その大手通りのほとんど真中に生まれ育った事もあり、その長所・短所がよくわかる。
その特質は閉鎖性・固定的、商人的であり、“城下街曼陀羅”がきっちりできており漫画的ですらある。

彼等の社会は“ウワサ社会”で構成されている。 特に長岡財界とかいう社会が存在(?)しており、
彼等の出す“ウワサ”がその社会を大きく左右する。それが事実であろうがなかろうが“マンダラ”
の中心点に近い人間が言った事こそ絶対のようだ。
(“ウワサ”として)彼等の社会をみていて、維持型の人間こそ“一級”と評価される。
固定社会が故に何もしない(何もできない)事こそがベストなのだ。

“非能動的二代目+婿取り娘サロン社会”と言える。先日もいやな“ウワサ”を聞いた、今は下火になったのだが、
新興の各業界の癸韻亮卍垢十人あまり癸韻故に聞くに耐えない“ウワサ”を流された。
“一種の集団いじめ”なのだが、そのストーリーが陰湿でリアリテーにとんでいる。
冷静に考えればほとんどが尾鰭のついたウソである?
それがおもしろおかしくて集団ヒステリック的につくりあげられており、自らの名が出るかどうか怯えている。
“参加型変態うわさゲーム”を全員で楽しんでいる“痴呆社会”そのものである。

・・・・・・・・・
2001年05月28日(月)
[34] 糸井重里サイトを見て感じた事

糸井重里の「ほぼ日刊糸井重里新聞」を二年前にホームペジを開いて、
現在1日二十数万のアクセスがあるという。ちょっとした新聞社なみだ。開いてみたがなるほど面白い!
ホームページ作りより、自分自身のインターネットに対する感覚が変わってきている事がわかる。
考えてみたら1度ホームページに載せたら、そのデータは半永久的に残る。
ホームページは墓場と言っていたが、そのとうりである。永久に残るデータベースである。

糸井重里本人が「不思議な感覚」と言っていたがわかるような気がする。


2610, 平和度指数で日本が5位というが !

2008年05月27日(火)

                    才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*)
 ーまずは、YaHooのニュースーから
英経済誌エコノミストの調査部門、エコノミスト・インテリジェンス・ユニット(EIU)などが
140カ国の政情や治安状況を分析し、ランク付けした「世界平和度指数」2008年度版が20日公表された。
日本は昨年と同様5位で、主要8カ国(G8)中では最高。隣国と緊張関係にあるものの、重大犯罪が少なく、
政情も比較的安定していることなどが評価された。
 (1)戦争や内紛が起きたか(2)暴力犯罪のレベル(3)政治的安定性(4)テロ発生の潜在性
  −など24項目について分析し、数値化して国別比較した。
 トップはアイスランドで、二位がデンマーク、三位がノルウェー、4位がニュージーランドが続いた。
 最下位はイラクで、ワースト2位はソマリア。ほかは英国49位、中国67 位、米国97位などとなっている。 
 ーまた読売新聞によると、
日本は、防衛費の対国内総生産(GDP)比や犯罪率が他国より低い点が評価。
G8では、米国は97位(昨年96位)、ロシアは131位(同118位)だった。
上位20か国のうち16か国が欧州勢。
 〜〜
 以上だが、」それでは何でトップ三位には入れなかったか? 
その理由として、近隣に北朝鮮や中国などの不安定の国があるから。 その北朝鮮は133位という。

トップ4位の国は、いずれも行ったことがあるが、共通しているのは、自然が豊かで、
福祉が行き届いており、治安がよいことである。
何で日本が5位なのか、島国で、自然が豊かで、当面テロなどの心配が少ないということか。
確かに、アジアでは間違いなくダントツに一位ではある。
外国人、特にイギリス人の目からみればやはり、住みやすい国なのだろう。
カナダ、スウェーデン、ギリシャも住みやすそうだが? 
アイスランドも確かに良いが、カナダや、日本と比べたら如何か? 
  何時の間にか暮らしやすさに問題がすり替わってしまった。
行ったことがないがブータンなども考えられるが・・・
幸福と平和、どこが違うか? 幸福は主観の問題が強いが、平和は安全問題という客観が求められるか!
                     \(⌒∇⌒)/ホナ、平和ぼけ諸君 バイ

・・・・・・・・・・
2007年05月27日(日)
2245, 耐震偽装 −3
ヽ(★>з<)。o○[ォハヨ]○o。(>ε<☆)ノ

この問題、知れば知るほど根が深い。 間違いなく政権を根底から揺るがす大問題で、
背後に創価学会の何かさえ窺わせている。本当に何時殺されても不思議ではないほど本人はキーマンになってしまった。
外人クラブで、藤田は記者会見をして、今回の問題を暴露していた。
この本も、自分の生命を彼ら?から守る意味もあったのだろう。
阿部内閣になったとき、一番初めの留任が公明党の北側だった。その時何か奇妙な感じをもったことをおぼえている。

この本が、何時の間にか店頭から消えてしまうのか、増版を重ねるのか、見ものである。実名を書かれた関係者も、
心穏やかではないだろう。とにかく参院まで、押さえきれるかどうかが彼ら?にとって、分岐点になる。
誰もがおかしい!不可解!と思っていたから、これは謎解きとして公開裁判的に問題の火が広がる。
司法は三権分立のはずだったが、今の司法はここまで成り下がった事例として世界に発信してしまった責任は重大。

ーー
P−301
 田口は、じっと私を見てから、静かに口を開いた。
「今回の偽装事件は、創価学会内部の問題だと思います。今度の内閣改造で初めに決定した大臣は、
北側国土大臣でした。今に出てきますが、<そうけん>というのが絡んでいます。
今回、偽装が関係したホテルオーナーも、姉歯も、ヒューザーの小嶋も、皆な関係者です。
この問題を表面化させないため、公明党の北側が続投して、一挙に解決を図るべく
イーホームズがターゲットにされたのです」  田口の思いもよらない言葉に、僕は驚いた。 
「何でそんなことを知っているのですか」僕は唖然として口を開いたまま訊ねた。
「今にわかります。『きっこの日記』というサイトがあります。そこをモニターしてください」
田口は、時として何かを暗示する。今までもそうであった。
僕はその話を聞いても「ありえない話」だと思ったし、あまりにも空想が過ぎるのではと
おもった。田口は「きっこの日記」という謎の言葉を残して僕の部屋を出て行った。
僕は、困惑しながらも、グーグルで「きっこの日記」を検索してみた。
これが初めて、「きっこの日記」を知ったときだった。・・・・・

P−393
 この事件に遭遇するまで、僕は、マスコミとは‘真実’を伝えるのが仕事と思っていた。
ところがこれが違う。もし、あなたが何かの事件に関わり、取材を受けたとしたら
初めて分かることがある。たとえばテレビの報道記者とは、真実を伝えるのではなく、
大衆が興味を持つものを伝えることが第一の仕事なのだ。
彼らの仕事は、視聴率で測定・判断される。視聴率が高いから、広告代理店が時間枠や
媒体面を高く買ってくれる。いかに面白いかどうかが重要なのである。
対象がいかに感情的になっているか、他人の不幸な顔つき、他人の不幸を喜び、
「他人の不幸は蜜の味」と感じる下品な連中が、次ぎも観たくなるような材料を流したくなるのだ。 
報道の真実より、高く売れるニュースを作りたい。 結果的には、真実はそこに残らない。
世の中のたいていの人は、テレビは、映像を伴うから正しいことを伝えていると思うものだ。
実際にテレビに出た事件の関係者が、率直に正直な思いを語っていると思うだろう。
僕も、この事件以前はそう思っていた。しかし、現実は全く違っていた。
取材を受けた者が、語りたい真実を言う機会は限りなく少ない。
 テレビは、構成を考えるディレクターが、なにを放送するかをあらかじめ決定していて、
それに合わせた誘導質問や、用意した原稿を読ませるのが一般的である。
とくに、耐震偽装事件のような利権構造に関わる事件では、ほとんどのニュースや
ワイドショーは作られたものだった。 僕は客観的な因果関係を説明したかったが、キャスターなどから、
話を折るような、論点を外される質問をされる。 その質問に答えているうち、結局時間切れになる。
つまり、高みの見物を決め込むような大衆の興味をそそる発言を引き出そうとするものばかりであった。
僕は、マスコミ体験を経て、国民が時の為政者連中に騙されているという現実を知った。

ーーー
マスコミの実態の姿がそのまま書いてある。 マスコミなど、その程度のものだろうということを
知らなくてはならない。 しかし、今はインターネットでこうして事実は一瞬のうちに知れわたり、
覆い隠したり、操作も限度が出てきている。 この問題は、国民の間に周知されているのである。
しかし国民レベルが低ければ、如何にもならないだろう。
高みの見物ではなく、それぞれのレベルで主張すべきは主張しなくてはなるまい。
          (*・ω)ノβψε★βψε

・・・・・・・・
2006年05月27日(土)
1880, 新潟県活性化案

1、新幹線を新潟飛行場まで延長する。
2、コスト削減のため単線にする。
3、新潟飛行場を3000~3500辰鳳篦垢靴謄魯峩港(国際空港)化する。
4、第三セクターを立ち上げ、新潟飛行場周辺を数十万坪買い上げ、特区にして高層のビルの容積率を
 1千%に上げ、買入価格の二~三倍?で売却、新幹線工事費の半分〜大部分を捻出する。
5、飛行場と東・西港周辺に大流通センターの特区とする。
 −特区として、労働特区(外国人への最低賃金制度を免除等)学校特区、高齢者特区・・・
6、飛行場から新潟駅まで新幹線の線路を使った新交通システムの無人電車を通す。
 (新幹線の空いている時間をフルに使う)ー特区地区の住民には格安の乗車券にする。
7、新潟駅から朱鷺メッセ〜西港~飛行場~東港の新交通システムを新幹線の延長工事にあわせて本格検討に入る。
 以上、新潟県を「環日本海拠点都市」と位置づけ、高らかに宣言をする。
 その象徴(目玉)として「東京駅から飛行場への直接乗り入れの新幹線」とする。
ーー
以上が新潟県活性化のための原案である。
 
観光は金沢・富山・福井の観光資源に対して太刀打ちはできないのは誰の目にも明らかである。
(2010年富山開通、2014年金沢全線開通)東京駅から新潟飛行場まで直接乗り入れをすることで、
日本初の直接乗り入れのハブ空港にすれば良い。

時代は日本・中国・ロシア・朝鮮半島の環日本海時代であり、首都圏からは一番近い立地を生かした拠点として、
物流基地、アジア大陸への拠点基地として首都圏への中継基地として、さらには独自の物流基地化が新潟県の
機能としてもとめられる。「新潟から2百舛離謄螢肇蝓爾箸靴疹Ψ」のハブ空港化もセールスポイントになる。
軌道にのるに20~30年のスパンになるが、これが新潟県の活性化の最適な姿である。
この案に近いものが方針に出されるだろう。 何故なら、当たり前のことであるからだ!

・・・・・・・
2005年05月27日(金)
1515, 気の発見 −1   ー読書日記

去年の今頃に書店の店頭で目にしたが、初心者向きに思えたので買わなかった。
ところが先日、図書館で偶然見つけて読んだところ、これが面白い。
五木寛之と、対話者・気功家の望月勇の対談集であるが、作家と気功家の組み合わせが良かったのか、
気功について解りやすい言葉で引き出している。
「気ってなに?」という本質的な部分と、気による治療行為、 想念、 遠隔治療、イメージ治療、
東洋と西洋の思想の違い、誤った呼吸法の危険性とかが、読み手に解りやすく語りあっている。

私自身、学生時代に合気道に出会い、本部道場にも通ったこともあり、気については40年間にわたって、
本を読んだり、実践を通して健康法の一つとしてとり入れてきた。
現在は20年近くかけて「ウォーキング気功」を独自でつくりだし実践している。

早朝、土手を腹式呼吸をしながら手の先に意識を集中をしながら歩く。
さらに、太陽を7~8秒見つめて目を閉じて残像の光を見つめる。
それをしながら歩いていると、途中から全身腹式呼吸になってしまう。
丸一日の毒素が、身体から吐き出ていくようである。

数年前までは、手の先がヒリヒリする程度であったのが、現在は、ビリビリするほどになった。
特に、ラジウム石のブレスレッドやネックレスを身につけるようになってから、更に強くなった。
気功の先生などは、バリバリするほどになるという。二人の会話は、素人向きに語っているが、内容は高度である。
  ー次回は、この本の面白そうなところを抜粋してみるー
                      つづく
・・・・・・・・ 
2004年05月27日(木)
1150, つれづれに

ー古着屋ー
最近に新潟と長岡につづけて古着専門チェーン店がオープンした。
面白そうなので、新潟店をみてきた。105円のネクタイ二本を衝動買いをしてしまった。
持ち込みの古着を100円で仕入れる。荒利が82パーセントとか。
店は120坪位で、売りにきた人が買っていくケースも多いようだ。
全国で三十数店のフランチャイズ・チェーンという。
ハード・オフやブック・オフがあるのだらから、古着があって当然である。
一昔前なら考えられなかった古着屋チェーンとは、時代も変わったものだ。いま元気なところといえば、
リサイクルショップとディスカウントである。時代が厳しくなっているのだろう。
 〜〜

ー自然体ー
フッと詩集が目に入ったが、なかなか深い自然体の良さがでている。
【坂村真民詩集】

才なき人は才なきままに 処するがよい
花にたとえるなら侘助(わびすけ)のように
鳥にたとえるならみそさざいのように おのれの花を咲かせ
おのれの歌をうたい 嘆かず訴えず
なにごともあるがままに 生きるのが一番よい

《見えないからと言って》
日の昇らない時が
あっただろうか
月の出ない時があっただろうか
見えないからと言って
なかったとは言えない
それと同じく
見えないからと言って
神さまや
仏さまが
いないと誰が言えよう
それは見る目を
持たないからだ
大宇宙には
たくさんの神や仏さまが居て
この世を幸せにしようと
日夜努力していられるのだ
一輪の花の美しさを見たら
一羽の鳥の美しさを見たら
それがわかるだろう
見えない世界の神秘を知ろう

・・・・・・・・
2003年05月27日(火)
783, 新婚さんいらっしゃい !

 テレビ朝日系で毎週日曜日の13時に放映している。 桂三枝と山瀬まみ、が司会をしているトーク番組で、
2組の新婚の夫婦をゲストとして招き、新婚秘話や、なれそめの話や、のろけ話しを三枝、山瀬 両司会が引き出していく。
恋愛のパワーのエネルギーが直接つたわってくる。人間の原点や、それぞれの人生が結婚というプロセスで見えてくる。
時には際どい下ネタが出てくる。この番組を見はじめて30年以上が経つ。軽いのりで時代背景がそのままでるのがよい。
周辺のいろいろな結婚を見ているが、全国レベルの変わった結婚のカタチが面白い。
 先日のケースの「拾った男と結婚した」というのが面白かった。 17歳の家出少年を一歳年上の女性が拾って、
カラオケにいって、そのまま部屋に泊めて、成り行きで結婚したケース。捨て犬を拾ってきて、飼っているという感覚である。
色々あるものだが、結婚は人生の私生活という面で大半が決まってくる。結婚相手レベルが自分であるといって過言ではない。
幸せを笑いで祝っているのだから、本人達、放送局、視聴者の三方両得になる。
 
・・・・・・・・・
2002年05月27日(月)
419,「金融腐敗列島」

昨夜、BSー6チャンネルの「金融腐敗列島]を見ていると、現在進行中の何処かのある地方銀行の姿そのもの。
(この映画面白いので過去に放送するたび4回見ている。)建てなおす主役がいないことが映画と違うが?
ひどいものである!「取れるところから、分母の貸し金を剥ぎ取れ」が、実際露骨におこなわれている!!!
(大口の倒産の引っかかりを中小の引き剥がしでカバーしている露骨な実態)
どうなるの日本?これが情報化!どんどん腐敗の内部がこと細かく暴露される。

どんどんTVで流されていること解ってないのだろう! 自分が同じことをやっている事、解ってない!
こっちは4回見ているのに。 これが日本の姿は旧約聖書の世界に似ている!
日本的社会主義の末端??の最終踏ん張り。でもその一員でしかない! そのテリトリーの?
それだけ現在は追い詰められている! 金融腐敗列島の内容が、今こそ露骨な現実だ。

・・・・・・・・
2001年05月27日(日)
[33] デフレ実感

家内が初めてマックの半額のチーズバーガー2個とマックシェ―ク1個を買って300円でお釣りがきたという。
息子とインスタントコーヒーを出し、チーズバーガーを1つとシェ―クを半分ずつ飲んで信じられない感覚だったとか。
1人150円でインスタントコーヒーをいれて170円、デフレを実感したという。うかつであった。
買った事がなかったのだ。 100円ショップ、家具のニトリ、サエゼリア、ユニクロ大きい共通点がある。
物価のグローバル化を戦略的にめざしている。100円ショップの原価は平均28円だそうだ。
300円から3000円のプライスの商品をトレードオフして、中国などの国で10〜35円で作らせて
持ってくればいい。100円ショップは当分は伸びる。2000〜3000円した旅行用空気枕を
100円ショップで買って結構良いのに驚いた。
デフレとこの不況まだまだ入り口だ! デノミのタイミングもそろそろだろう。


2609, サルトルについて、考えてみる −1

2008年05月26日(月)


              ..φ(ー ̄*)カキカキ_φ(* ̄0 ̄)ノオハ
 最近は、サルトルは人気がないが、私が学生時代は最も人気のある思想・哲学者であった。
サルトルといえば「存在と無」である。その中で説かれている「対自」と「即自」と「対他」
というキーワードがある。これらの言葉に出あった時の驚きを今だに忘れることが出来ない。
この言葉から「自分の裂け目」を言葉で初めて知った。
 ・そのままの存在が「即自」。 犬は己を犬と思わない。 自分が何者かを問わない存在。
 ・その己に語りかけるのが「対自」になる。自分が「〜である」ことを意識して生きている存在。 
 ・そして、他人から「もの」として見られる存在という意識が「対他」。 
 
「実存が本質より先立つ」人間はまずは生まれて「存在」となる。その後に、それぞれの本質が作られる。
実存主義だが、サルトルは、 それで、「私」という殻から抜け出て「外に出よう」と....。 
この辺が学生時代の「私」の理解である。当時、これを読んでいるうちに少しオカシクなりかけた記憶がある。

先週は、面白いので手持ちの哲学書入門書の何冊かを引っ張り出して、サルトルに集中してみた。
なるほど大戦後に一世を風靡するだけのことがある。共産主義の理解者として、左派のイメージが当時あったが、
現在振り返ってみると、それほどでもない。

  さて、この一週間で サルトルで思い出した知識といえば、
・「主体性」の哲学であること。
・デカルトは「あらゆるもの疑ってみた結果、疑っている自分、そのように考えている自分がいる、
 ということだけは疑うことが出来ないのではないか」と考え、「私は考える、ゆえに私は存在する」とした。
  それをサルトルは批判をした。 彼は「私が、何かを見ている」「私が何か考えている。」の
 「私」が疑問という。「何か考えている」は確かだが、「私」は振りかって「反省」をしていた時に生まれる対象。
 つまり反省している意識とは、意識自身を対象とする意識なのである。「私とは一人の他人」なのである
・人間は自由の刑に処されている。
 「人は何も決められてない投げ出されて、一から自分をつくりあげていくしかない。
 それが人間の「自由」である。投企とは、現在の自分を乗り越えるため未来へと 自分を投げ出していくこと。
 人生を前向きに生きていくことということである。
・アンカジュマン=自分の選択をする以上、自分の行動には責任を負わなければならない。
 と同時に、社会の未来に対して責任を負うべきである。
  ー 等々である。                   
       次回は、新たに知ったことを要約してみる。
                             ヾ(^ω^*)
・・・・・・・・・・
2007年05月26日(土)
2244, 耐震偽装 −2
          ゜・。*ヾ(´∀`o)+。才ノヽ…YΘ!!。
この本の、面白さは著者の藤田東吾がHPに時系列で記録を残していることである。
だから政治家や役人が奇麗ごとをいっても、その時やりとりした記録には真実の迫力がある。 
ネット上に事実が時系列に流れているからである。「安部首相が何で『美しい日本!』
など言う資格があるというのか?」と週刊誌に取りあげてあったが、これを読んでいると心底から同調する。
魚は頭と尻尾から腐るというが、全くその通りである。

藤田はパソコン世代なのである。会社のHPや自身のパソコンに詳細に成り行きをメモしていたのである。
文藝春秋が圧力?で、この本の出版から降りてしまった。
しかし、彼は自費出版というカタチで世に問うてきいたのである。
人気ブログの「きっこのブログ」に、自分の書いた文章を寄せてきたのである。これで火がついたのである。
国交省の役人も思ってみない所から火がついてしまった。
小泉と安部でしか、この隠蔽は指示・判断できないのは明らかである。
そして、その安部が『美しい日本』などと、のたまっている。
政治家を今さら非難するなど、意味はない。 ただ政治家も官僚もネット社会の実態を知らないのである。

今回の問題は、建設マフィアと政治家が組んで、構造計算のチェック機能を民間に移動、
チェック機能そのものを骨抜きにしたことだ。そして、そのミスを権力を持った役人と政治家が、
うまく責任転嫁をして、適当な者に罪を背負わせ、事件を総括してしまったのである。この書から、
森元首相、小泉、安部につながるラインの濃い悪臭がそこから臭っている。
国交省が責任逃れのために書いたシナリオに乗ったのである。ー藤田の次ぎの言葉が全てを言っている。
p−263
 (字数の関係でカット2008年5月26日)
           −つづく
                    ☆ァディオス☆(`・ω・´)ノ
・・・・・・・・
2006年05月26日(金)
1879, つれづれにー
                おっ w(゚Д゚)w ハァョ〜

湯沢のイナモト旅館が自己破産をしたと、先日の新聞に載っていた。
18年前に中学校の担任の定年祝いを兼ねた同級会を泊り込みで開いた老舗の料理旅館。
40歳代前半の同級会が一番良いと聞いていたが、普段出たことのない東京在住が
5~6名出席をした。総勢25人、丁度総勢の半分近くが出席した。
社会的にも、家庭的にも人生のピーク時で大いに盛り上がった。
その東京の在住のうち3人が、7~8年前に癌で亡くなってしまった。
  
     その時、担任の先生が翌日のスナックで、「自分の人生は無かった!」と深刻な顔をして言われた。
    (以前にも書いたが)一番寂しい言葉である。「両親が現在も90歳近くて矍鑠としていて、
     全てを支配された人生だった。俺の人生は無かった。本当に辛い!」と。

60歳直後の鬱病は人生で一番キツイとは聞いていた。
亡き義父も鬱病になりかけたのを助けたことがあったが、60歳になると歪み?が出てくるようだ。
私のように元々歪んでいる?と歪みようがないが・・・ この年齢になってみて、なるほど色いろの問題が
シワ寄せに重なるものと思い知ったが、欝などはほど遠い状態である。
綱渡りで生きてきたから、‘そう’いう悩みに驚いてしまった。

    湯沢の老舗旅館の倒産、地震の風評も重なったのだろうが、
    不況と時代の変化が根底にある。他人事の話ではない!まったく。
    ーー
今日は、私の事務所のあるホテルで、[新潟県活性化を考える会]が開かれる。
14~5名の出席である。去年11月、東京で不動産鑑定士をしている大学のゼミの後輩から電話が入った。
卒業後、ゼミ出身者の会で何度か顔を合せていたが、それでも十数年ぶりであった。

この人は[道路行政に関する本]を出していて、数万冊売れたという。
それを読んだ???総研から「新潟を活性化するには如何したらよいか」という依頼を受けた、というから、
「新幹線を新潟駅から新潟飛行場まで通して、‘首都・東京駅から新幹線直接乗り入れの世界稀なる飛行場’
を目玉に、環日本海拠点都市を宣言し、空港周辺を物流特区か、労働特区、高層ビル特区のいずれかにすべし。
ただし単線にしてコストは常識からみて十分の一以下になるように知恵を使う。
(第三セクターで押さた土地を高層ビル特区にして容積率を上げて、
     その値上がり分で工事費を浮かすような思い切ったことをする)
飛行場周辺の住民には、新潟駅まで格安の値段で乗れるようにする。

新潟はインフラという達磨をつくってあるが、目玉が入ってない。
目玉は新潟空港の新幹線乗り入れと、シベリアと旧満州と朝鮮・中国に対する拠点としての特区をつくり、
それを環日本海拠点都市宣言すべし。」と答えたら、これが彼らにピンと来たようで、今日の会になった。
どうなることか?あまりこういうことには乗らない主義だが! 一期一会である。
              !(*^ワ^*)i バイバイ
・・・・・・・
2005年05月26日(木)
1514, 酒中日記

何げなく図書館で借りてきた「酒中日記」が面白い。「小説現代」に連載された『酒中日記』
のエッセイを集めたもの。出版年は2005年だが、各エッセイは昭和41年からのもの。
四十年前の酒飲みの交友であると同時に、文壇交遊録でもある。

ちょうど私が20代の頃で、東京、四日市、神戸、千葉、金沢、と転々としていた所々で、
うまい酒を飲みまくっていた頃である。 現在の私の年齢と同じ位の当時の作家達が、面白おかしく酒を飲んだ
生々しい日記だから、更にひきつけられる。30年〜40年前の日記が、昨夜のように感じられるのが良い。

さすがに作家の日記である。具体的に克明に、面白おかしく書いてある。
このように私も当時の酒中日記が書いてあったら、それぞれの懐かしさが
具体的に記憶に鮮明に残っただろうに、残念である。
「金沢などの当時の人間関係を織り込んだ酒場でのやりとり」
が書き残してあったら、私にとって絶品の内容になっただろう!
誰もが、酒で多くの気晴らしや、ほろ苦い出来事や、面白い記憶があるはずだ。

この本では、酒を通じての交友、華やかな祝い酒、酒乱とその翌日の後悔の時間、
大酔しての活躍状況、いくら飲んでも底なしの人物…… その他いろいろ、各種各様のタイプの
酒にまつわる話が次々と出てくる。吉行淳之介から、安岡章太郎、瀬戸内晴美、遠藤周作など、現代文学史に
出てきそうな人たちから、山田詠美、吉村昭までの32人の作家によるエッセイだから、面白くないわけがない。
「某月某日」で始まる(酒を飲むこと)をテーマに、軽く書かれたが内容は生々しい。
「バーからバーへとはしごを続け、気が付くとパジャマで朝の新宿を歩いていた」とか、
作家同士、昼日中に相手の家に押しかけ、飲んでは人を呼び自分も出かけるという、
「作家」イメージが見事に再現されている味ある文章が続く。
「朝、家で起きてみると、やはり目の前に大きな鬱のクマがいた。しかたなく、また死んだフリをする。」など、
 酒飲みの何ともいえない心理を書いている作家もいる。

銀座に遊ぶ作家たちの賑(にぎ)やかな酒もいいが、京都逗留の水上勉の一人酒の話もよいものだ。
創作の疲れか、女性問題の悩みか、花見小路や先斗町をフラフラと飲み歩く姿が目に浮かぶようだ。
孤影悄然とした水上の一番輝いている姿だろう。  次に、具体的に彼らの文章を書き写してみたい。
                  ー つづく
 ーーーー
「酒中日記 」  中公文庫  吉行 淳之介著

・・・・・・・・
2004年05月26日(水)
1149, ああ結婚! −1

結婚について『随想日記』の中で、多くを書いてきた。
長い歴史の中で一番多くのドラマが、結婚という結びつきの中で生まれてきた。
そのドラマは、多様で深遠で、いくら書いてもつきない。
そこで、格言集の中から面白そうなものを探してみたところ、あるある、とびきり深い奴が、いくらでもある。
赤裸々な人間の本性が、結婚という名のもとにあらゆるカタチで露出している。
結婚前には、知らない方がよいことがあまりにも多い。そこにあるのは、相性と、忍耐と、諦めと、思いやりである。

以下のインターネットで調べた格言は、読めば読むほど男女の溝の深さを感じる。
と同時に人間の本質がそのまま、可笑しくも、悲しく顕れている。

一番こころ、うったのは、「ずいぶん敵を持ったけど、妻よ、お前のようなやつははじめだ!」
 ーバイロンーである。
過去の亭主どもが、この言葉を殺意?を持って何度つぶやいたことか!女房も同じだが。
自分に甘く、他人に厳しいエゴイズムが、ぶつかりあう先ず初めての場が結婚生活だ。
手持ちのジョーク集の中に面白いものがあった。 実際にありそうな話だ。

ー「こわい話」
男A「棺桶にテレコを隠しておいたんだ。
       ‘おい開けろ!’って声がしたはずなんだが」
男B「奥さんビックリしたろうな!」
 A「いや俺がビックリしたんだ!」
 B「なんで?」
 A「昨夜はおくさんがひとりで通夜してたはずが、 
   なんの騒ぎも起きなかったんだ!」
 
ー面白く、深いから、ご覧あれ!!  それも何回も!
 ー結婚についての格言ー 

・女には、どうしてもわからないテーマが一つある。
 男は仕事に注ぐだけの熱情をなぜ家庭にそそげないのか、ということだ。
                    D・デックス
・女はみんな結婚するほうがいい、男は一人も結婚しない方がいい。
                    ベンジャミン・ディズレーリ
・男はみんな賭博師だ。でなきゃ結婚なんてしやしない。
                    フレデリック・リット
・あらゆる人智の中で結婚に関する知識が一番遅れている。
                    バルザック
・結婚――いかなる羅針盤もかつて航路を発見したことのない荒海。
                    ハイネ
・結婚したまえ、君は後悔するだろう。結婚しないでいたまえ、君は後悔するだろう。
                    キルケゴール
・正しい結婚の基礎は相互の誤解にある。
                    ワイルド
・朝夕の食事はうまからずともほめて食うべし。
                    伊達正宗
・すべての悲劇というものは死によって終わり、すべての人生劇は結婚をもって終わる。
                    バイロン
・三週間互いに研究しあい、三ヶ月間愛し合い、三年間喧嘩をし、
 三十年間我慢しあう。そして子供達が同じことをまた始める。
                      テーヌ
・男は結婚によって女の賢を知り、女は結婚によって男の愚を知る。
                      長谷川如是閑
・不本意な結婚をした男にとって、彼女は妻ではない。敵だ。
                      プラウトウス
・正しい結婚の基礎は相互の誤解にある。
                    ワイルド           ・・・・・・・・・・
 2003年05月26日(月)
782,ドイツが揺れ始めた
(字数の関係でカット2008年5月26日)
・・・・・・・・・
2002年05月26日(日)
418,価値観の変遷

大学の同期のゼミの男が「価値観の年齢における変遷」を卒論のテーマに選んだ。
「こいつ凄いテーマを考えたな」と完成を待ったが、結局テーマ倒れであった。
時間がないということで、断念してしまった。

ーそこで軽く短かい内容で、遊びで考えてみる。
1、中学まではやはり親の価値観にほとんど左右されている。
2、中学、高校は、自分に適した大学、高校選びである。
  マセタ子供なら緊急事態の性欲処理としての異性の確保であろう。
3、大学はそれまでの進学という目標から、基礎教養と,会社選びと職業選択の知識の収集である。
4、そして社会人。男の場合は、その集約として会社の仕事の把握である。
  そしてその中での出世がポイントとなる。女性の場合は、結婚相手の選択が大きい位置を占める。
6、そして家庭づくりである。家と子供育て、そして会社では自分の出世、事業ならその発展である。
7、・・・ そして最後は「ころりと死にたいと望む老人の切なる願い」
 以上のようなことが、その年齢でどんどん変化していく。
 以前書いた人間の7年・8年の周期説がある。その周期ごとの価値観の変更とも考えることができる。
 それを受身でなく、積極的に自ら変えていく時節。

 どんどん変わっていく価値観と、変わらない価値観がある。
 そして地域によって違う価値観がある。 その年齢ごとの欲望の変遷でもある。
 56歳ー7年説から考えると、8*7=56歳で変身の歳・時節にきている。
 価値観の再検討、いや今の変えるべき価値観からの脱皮の時節という事か。

・・・・・・・・・・・・
 2001年05月26日(土)
[32] 34年ぶりの文章化

欧州1周旅行(印象記)欧州1周 ー 1967・07〜
 デンマーク(コペンハーゲン)・スエーデン・イギリス
 ・ドイツ・フランス・スイス・イタリア・オーストリア・タイ・・・ 

・34年前の立大三年ー大学の海外旅行研究会が募集した旅行会が募集した欧州1周旅行に参加した。
・期間 は30日間ー1967年7月01−30日ー総勢 40名
・ 団長 高木豊 添乗員 玉井 氏であった。−深井・川崎・酒向・池永・堀井八郎・・

内側(内面。国内)ばかり見てきたそれまでの世界観が一変、
地球の広がりを肌で感じた当時年間20万人しか海外旅行者はなかった。
カルチャーショックで、人生観が全く変わってしまった。
自分の世界の狭さを知る人生の一大転機でもあった。それまでの総てが粉々になってしまった。
人生でこれだけの楽しみも初めてといってよかった。

その時の印象に残っている事は、
1.まず自分は東洋人ということであった。白人の世界で初めてそのことを自覚をしたのだ。
 それと露骨な人種差別の視線を。
2、欧州の豊かさも想像をはるかに超えていた。
3、また文化の深さに驚愕した。毎日毎日見るものふれるものが、全て新鮮で興奮の連続であった。 
 全く事前の知識を入れてなっかったのが逆に良かった。
4.若さにありがちなコンプレックスの塊の自分に初めて自信がついたー行動としては初めてといってよい。

A.まず機内ーー飛行機で食べたヒレステーキーこんなにおいしい牛肉は生まれて初めて!
B.デンマークの街並みの清潔かつ美しさ! 一人で路面電車に乗ったとき嬉しさと不安! 
 郊外にあったお城からみた緑と空の色! 当時日本では殆どなっかったコッテジ風ホテル
C.スウエーデンでみた金髪美人の美しさと着こなし!
 それが北欧の街並みにぴったり!  そこのバイキングの食事
 ―バイキング方式の食事の存在をそこで初めて知った。
D・ロンドンの王宮そしてビッグベン。イギリスではパブが印象に残っている。
 軽くスタンドでビールを飲める感じであった。
E.ドイツはミュンヘンのビヤホールの大きく豪華なこと。 確か2000人位の客がステージの楽団に
 あわせてホール全体が一つになり楽しんでいのるのが不思議に思えた。
 なるほどヒットラーが出るわけだと思った。また古い街並みと古城のよいハイデルブルグ
 そしてライン下りで見た田舎ドイツの何とも言えない深みのある景色。
F.スイスアルプスの登山列車から見る山並み。    
G・オーストリアで飲んだ地酒のワインと生ハムの美味しい味。 
H・パリで見た凱旋門とシャンゼリデ通りそしてルーブル博物館のモナリザの絵と
 ミロのビーナス。そしてヴェルサエル宮殿とその鏡の間。そして庭。
I.ローマの遺跡の数々。コロセウム闘技場にトレビの泉。
 284本の円柱が囲む楕円形のサンピエトロ広場と寺院そこで見たピエタの像。
 地中海のカプリ島。幻想的だったコモ湖。
J.帰りに立ち寄ったタイのバンコク―その何ともいえない素朴な景色。
 寺院もどこもかしこも仏教の影響の為か純粋な東南アジアの良さがにじみでていた。
 この旅行から帰ってきて2〜3ヶ月呆然自失であった。
 もし神様が人生で1ヵ月時間を戻してくれるとしたら、迷わずこの一ヶ月を選ぶだろう。

 ー34年ぶりの文章化である。意外と憶えているものだー


2608, 閑話小題

2008年05月25日(日)

                 ヽ(。ゝω・)ノ☆;:*おはよう*:;☆
 *西堀ローザの衰退
新潟市の古町近くの地下の西堀ローザが、去年の売り上げが前年度の30邑困世箸いΑ
オープンから30年が経っており、16年前の売り上げが三分の一、11年前の半分、
6年前の6割、一年前の7割というから、壊滅状態といっていよい。
テナントも47店舗のうち7店舗も開いている。
去年できた新潟駅から10分ほどのラブラ万代の影響が20諭郊外にできたイオンのSCの影響が10諭
まあ、手の打ちようが無いのが現状だろう。ダウンタウンの古町にある大和百貨店も撤退の意向のようだが。
新潟駅の再開発も、今後すすみ更に古町周辺は地盤沈下は避けられない。これも時代の流れである。

同じことを、知人が言っていた
「長岡駅と新潟駅の中にテナントとして入っているが、長岡は、ユニ系のアピタがオープンしたら三割減。
 新潟駅も三割減である。今年が勝負の年になる。新潟駅は新ビルが出来たところに移転するが、経費だけ増え、
 売り上げが元に戻るだけ。」
 〜〜

 *柏崎原発「一月再開」という内部文章が露見?
柏崎原発が来年の一月に再開、という文章が外部に流れたという。
これも、穿った見方をすれば「やらせ」?とも思えるのも、東京電力への不信感が強いからか。
そうとすれば上手いやり方である。 従来の5倍の震度に耐えられる構造に作り変えるというが?。
 〜〜

 *五雨十風
「晴れの日ばかりではなく、5日に一度の雨、10日に一度の風が吹く。
そんな繰り返しの中で自然の豊かさがうまれる」雨や風は、その立場にとって良い場合と、悪い場合がある。
運動会の日の雨は、あいにくの雨であり、自然の環境にとって、五雨十風の天候は丁度良い。
こういう言葉が日本にあったのは、先日読んだ本で初めて知った。
自然の中で住む我々は、五雨十風の恵みの中でこそ生きられるのである。
雨が降ったといって、気分がすぐれないとか、好きなことを言っているのは人間だけ。
このことは自然現象だけでなく人生でも、良い事だけでなく悪いことも
アザナエル縄のごとく、交互にやってくるという意味もある。
               (σ・з・)σホナ、マタ!

・・・・・・・・・・
2007年05月25日(金)
2243, 耐震偽装 −1 (p≧w≦q)オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪  
          (藤田東吾著 自費出版)  ー読書日記

インターネットで取り寄せた本だが、読み出すとなかなか面白い。
国家権力による偽装と隠蔽をそのまま暴いてる。ヒューザーや、アパグループのマスコミ発表は氷山の一角!
平成元年〜17年の間にわたって200万棟?の偽装のビルがあり、それを許したのは国交省である。

政府と役人そして、それを周知の上でつくったマンション建売業者は、この問題は、
けりがついて、この世からイーホームズと少数の者が消える、そう考えていたであろう。
国の威信を守ろうとした策謀が、かえって国家そのものを傷つけていくことを、そのまま告発しているので
内容はクールである。「偽装物件を押さえようと思っても、雨後の筍のように後から後から出てくるな。
誰も止めることなんてできないと思う」まさに予言者の如くであった。
 (本文より抜粋)
また現行の建築基準法が定める、最低限の構造安全の規準を満たさない建築物は、
合算するだけでも、4500万戸のうちの半分以上2000万戸の数字を遥かに越えるという。
この建築業界に厳然と存在していたマフィア・システムが、1981年に施行された
新耐震設計基準法と結びついて、ビルなら二百万棟の偽装を故意に?作っていたことになる。

誰もがおかしい?と感じ取った「見せ金」での逮捕は、時の権力者と自民党が、
自らの失策を隠蔽しようと国家権力を振るい、力づくで隠蔽を図ったのである。
読んでいて怒りを覚えてしまうし、本人は無念だろう。
問題の本質をすり替え、「見せ金」という全く関係ない罪状で逮捕したのだ。
国交省の大ミスを告発したことに対して、政府が検察を使って隠蔽しようと逮捕した!
ということである。 立小便のような微罪で逮捕したのだから本当にひどいものである。

地元の三条市のアパのマンションで、露骨な隠蔽を画策して三条市長が激怒の記者会見を
していたが、これらに対する設計事務所などの対応が「あまりにも酷い!」と・・・。
この問題がおきてから新潟市内に建設中の200室あまりのマンション。
130室決まっていたのが、キャンセル続出?という話で建築関係者の間ではモチキリという。    
                  つづく           バ━━ヾ(●′ω`)ノ━━イ
・・・・・・・・・
2006年05月25日(木)
1878, <不良>のための文章術
           おはよ〜!(*^ワ^*)i  ー読書日記ー
−NHKbooks 著者 永江朗 −長岡中央図書館・借

5年間、テーマを立て文章を書き続けて思うことは、プロは凄いということだ。
書き続けたからこそみえてきたのだろう。 何が違うのだろうか?
ここでいう<不良>は、良い子でない文章の書き手、という意味である。
私のプロの物書きに対する解釈といえば・・「絶対量が違う上に、奇麗事を一切捨てて本音で書いている。
更に現場に立ち、実際の経験の裏づけに徹している。」であった。
    この本では、そんな当たり前のことを書いてはいない。そんなことは素人が書くことだという。
    この本でまず、ガツンとやらえるのが、「自己表現を捨て、読者を愉しませることに徹せよ!」である。
    私の5年間書き続けてきた、「テーマ日記」は駄目な典型である。どのように表現するか、それだけで必死であった。
    読み手のことなど関係なく、自分の知識倉庫に入れるための手段であった。
    そこがプロと私の差である。もっとも、それが動機であったのだ。動機からして、プロと比較するのがおこがましい。

こんなことを書くこと自体が素人である。本書の副主題は「書いてお金を稼ぐには」である。
動機が違うのだから仕方がないでは、文章は上達はしない。今まで読んだ「文章術」の本で、一番納得するものだ。
文章とは自己表現と思っていたのに、プロは自己表現ではないという。 なるほど足元には及ばないはずだ!

ーまずは概略を書いてみたー
プロが書く文章は、貨幣と交換されるためのもの。
読者が「ここに書いてあるレストランって、うまそうだね。こんど行こうかしら」と、
書いたライターのことを気にしないような文章である。こういう文章こそがプロフェッショナルの文章である。
   おカネになる文章とは、どこか過剰だったり何かが欠落しているような文章です。
   ・・・美しく正しい文章なんて、退屈で眠たくなるだけです。
   そんなものはシロウトにおまかせしておけばいい。プロは客を退屈させてはいけません。
   客を眠らせてはいけません。良識ある人は顔をしかめるかもしれませんが、しかし、それでいいのです。
   (中略)というわけで、<不良>になればなるほど文章の商品性は増します。
   <不良>でたりなければ、極道でも悪党でもなんでもけっこうです。
   つまりこの本は、「出版社がカネを払いたくなる。読者が買いたくなる」ような文章の指南書である。
    名文はカネにはならない。美しく正しい日本語は良い子のもの。
    不良(プロ)は自己表現という考えを捨て、読者を愉しませることに徹します。
   「本書を読めば、誰でもプロのライターになれます」
     万が一なれなかったとしたら、それはあなたが『良い子』だからです」と。
  「自己表現を読みたくなるのは有名人、大家に限ってのこと。
  どこの馬の骨だかわからないやつの自己表現など見向きもされない、ことを自覚しておくべきだ」という。
   アマチュアの文章が「書き手」からの発想とするなら、「読み手」から発想するのがプロの文章です。
  「読み手」にとって役立つ情報とは何か、プロは「読み手」は何をいちばん知りたいか、から考えはじめる。

読者が知りたいのは書き手の「私」ではなく「本」であることを忘れないよう釘をさしている。
ーーーーーー

   図書館で借りてきて、買いたくなる本が三ヶ月に一度くらいある。この本が正に、これだ。
   プロになりたい人より、プロの技法を盗みたい人向けの本でもある。
   最近では[ローマから日本が見える][ずっとやりたかったことを、やりなさい」
   である。注文をして手元に届くと、それで安心して読まなくなるが,それでもよいと思わせる本が良い本である。 
   「商品としての文章を書くのがプロである。だから貴方の文章はつまらないのです」と自覚せざるを得ない内容である。
   文章術に関してベスト3に入る本である。
                    バイ♪(ノ´∀`*)ノ
・・・・・・・・
2005年05月25日(水)
1513, こころを凛とする196の言葉 −2
               ー読書日記

美容評論家の斉藤薫の書いた多くの著書のさわりが、この一冊に集約されているから、一言一言が強烈に響いてくる。
美容ジャーナリストという彼女の職業の立場が、美容を通して女の「こころのあり方」を見ているのだろ。
女も大変である。受けの立場であるからだ。さりげなく男を引き付ける努力をしなくてはならない。
こころを凛とすることも大事だが、もっと知的努力も必要だろうと思うのも、私の年齢のためか。
美容ジャーナリストの本に、読者も知的背景の勧めなどを求めてないのか。何事も努力・努力である。諦めたと同時に・・
ーー
・音の効果
自分の好きなCDだけを繰り返し繰り返し、一日で擦り減るほど聴く。じつはこれ、私にとっては立派な美容法。
好きな音は、耳に脳に心地よいだけでなく明らかに魂に響き、はっきりと共鳴を起こす。
その共鳴が体中をめぐるのを感じ、そういう時はなぜか必ず顔色がよい。
ーー
・喜びの分水量
誰をどれだけ愛し、誰にどれだけ愛されてきたか、その喜びの量が、
そのまま艶となって人を潤すってことなのかもしれない。
ーー
・女に学ぶ
よく「つらいことがあると、宇宙の広さを思う」という人がいる。チリの一粒にも満たないちっぽけなことで、
自分は悩んでいたんだ、バカみたい・・・そう思うためだが女は視野が狭くなりかけたら、宇宙のかわりに
年上の女を思おう。辛そうだけど、ときどき悲しそうだけど、くじけずに頑張っている年上の女性の姿を。
つらいときこそ、女は女に学ぶのだ。
ーー
・女は姿勢がつくるいちばん身近なことに、いちばん気がつきにくく、そして人をいちばん醜くしてしまうのが
「姿勢の悪さ」であると思う。背筋をピンと立てるだけで、毒が抜けたように、女は生まれかわってしまうのに。
美しく、潔く、生き生きしていて、正しい女に・・・。世にも簡単な、変身である。
ーー
・「覚悟」は美しい
退社、独立、離婚、別れ、親との同居・・。「女の覚悟」はいつも人生に関すること。時に自分の幸せを犠牲にするもの。
だから、「覚悟した女性」は感動的に気高く、そして美しい。いちばん美しいのかもしれない。
ーー
・オーラは意志。 人間の意志の強さは、姿形にも現れ、人をとんでもなく美しく見せることがある。
誰が何と言おうが、自分の意志だけで自分の力を信じて歩いていける人は、目に見えない「美しい緊張感」
みたいなものを全身に張りめぐらせて、それが何ともいえない凛とした力強い美しさに変わる。
「オーラがでる人」とは、たぶんそれ。「強い意志を持っている人」を指すのだろう。

・・・・・・・
2004年05月25日(火)
1148, 遺伝子の話

遺伝子の研究が進んだのはごく最近である。遺伝子の性格は、ほんらい利己的であるという。
「我々は遺伝子という名の利己的な存在を生き残らせるべく盲目的にプログラムされたロボットなのだ 。
遺伝子は、マスター・プログラマーであり、自分が生き延びるためにプログラムを組む。
個体というものは、その全遺伝子を、後の世代により多く伝えようとする。
自然淘汰における中心的な役割を演じているのは、遺伝子と生物個体である。」

人間の身体を支配するものは遺伝子であって、人間の個体が死んでも遺伝子は生き残っていく。
自分というものは遺伝子にとって、仮の宿でしかない。
「父親や祖父などの祖先から、遺伝子は転々と住み変えている宿でしかない」と考えると、気が楽になる。
人間は、利己的遺伝子に貸している借りの姿で、すべてを支配しているのは、利己的遺伝子である。
最後は自分が一番可愛いのであり、それでよいのだ。これを読んでいると、論語など読むのがバカバカしくなるか、
だからこそ論語のような規範が必要と考えるか、分かれた解釈になる。

ーあるホームページからのコピーですー
なかなか解りやすくうまくまとめてある
 ーーーー
生物は遺伝子の乗り物である生物が親から子へと受け継いでいくのは遺伝子である。
個体は寿命が来ればあっけなくこの世を去るが、遺伝子は子孫に受け継がれていくのだから
不滅であるといえるだろう。個体は遺伝子の乗り物にすぎない。生き残ろうとしているのは、
個体ではなく遺伝子なのである。そこでドーキンスは遺伝子のことを、自己複製子と名付けている。

ドーキンスによれば、自然淘汰とは、この自己複製子が個体という姿を借りて行う生き残りゲームである。
ゲームをうまくやれる自己複製子は自分のコピーをたくさん残せるので、増殖することができる。
うまくやれない遺伝子は滅びる。遺伝子とは文字通り、生物が親から子へと性質や形を伝えるためのもの。
今では、遺伝子はDNAという化学物質であることがわかっている。
DNAを構成している塩基の並び方により、いろいろな遺伝情報が保持されている。

しかし、遺伝子の働きは、これにとどまらない。
遺伝情報を保持する遺伝子は構造遺伝子と呼ばれているが、その遺伝情報を実際の形質として発現させる途中で、
調節遺伝子などが働く。調節遺伝子とは、遺伝暗号の発現を抑えたり促進したりといった調節を行う遺伝子である。
さらに最近、ホメオティック遺伝子という遺伝子が発見されて話題となっている。

10年間ほどの間に、遺伝子は遺伝のみならず分化(器官形成)の面でも重要な働きをすることが明らかになった。
では、個体の形質のみならず行動までも支配しているのであろうか。 ドーキンスによれば、個体は遺伝子の単なる
乗り物なのであるから、もちろん、行動もその支配下にあるということになる。 ハミルトンやドーキンスは、現在、
ある生物が存在しているのは、その生物の遺伝子が自然淘汰で生き残ったからだと主張する。
しかも、その遺伝子の目的はただ一つ、これからも生き残ろうとすることである。

こで決定的に重要なことは、遺伝子の目的は唯一、自分自身が生き残ることで
あって、単なる乗り物にすぎなり個体の生き残りではないということだ。
このことから、ドーキンスの主張する「自己犠牲」という行動の合理的解釈が生まれてくる。
簡単にいうと、個体の自己犠牲的行動とは、あるグループの遺伝子
(自分のコピーもしくは血縁)が自分たち全体の利益を計るために分乗している
ある乗り物を、犠牲にすることに他ならない。つまり、全体のための部分犠牲である。

「個体は遺伝子の乗り物」「自己犠牲」につづく、ドーキンスの第3のモチーフ、
「延長された表現型」とうい概念がある。ドーキンスはこの概念を「遺伝的遠隔作用」とも表現している。
遺伝子は自分の生き残りのために個体どころか、種を越えて、他の生き物をコントロールする場合がある。
これを、延長された表現型としている。

ー感想ー
要するに、「遺伝子が生き残る為に個体を維持させ、乗り換えている。
個体を維持させることが目的でなく、遺伝子そのものが生き延びていくことが
目的でしかない」ということだ。これを読んでいたら、何か気が楽になってきたことは確かである。
神は遺伝子に宿るということか?! いや、エゴイズムのはずがないから違うか?

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2003年05月25日(日)
781, 父が亡くなって30年

 父が亡くなってあと5日で、三十年になる。去年もこの時期書いたが、供養も含めて更に書く。
私が末っ子ということで、陰に陽に父親には愛情をそそがれた。子供に対して、非常に愛情の深い人であった。
母の愛情のかけ方があまり巧い人でなかった分を、父がカバーしていた。反面非常に厳しい人であった。
 年を重ねると供に性格も顔もそっくりになってきている。毒舌家で、卑しい人間を徹底的に嫌っていた。
非常にシャイな人で他人とは迎合をしない人であった。反面、非常に寂しがりやのところがあった。
こう書いていると自分の事を書いているようだ。過去に一番悲しかったことといえば、父が亡くなったことだ。
もの憶えがついた頃から大晦日に、子供全員が金庫の前に座って一人一人がお年玉を貰うのが恒例であった。
そして数日後、全額を預金させられた。 もっとも預金するかどうかは本人の意思を尊重していた。
 10万近くが高校に入る頃まで溜まっていた。高校に入ると同時に待っていたのだろう「株を買え!」という、
それも自分で銘柄を選べと。 必死に考えて「科研科学」という会社の株を選んで買った。
結果としては儲からなかったが、日経新聞の経済情報を毎日見るようになった。
 時間をかけて種銭をつくり、情報を自分で集め、投資をしろということを教えたかったのだろう。
ー以前書いた文章をコピーしておきます。
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2002/06/01
父・堀井誠作のこと -1
(以下、字数の関係でカット2,008年5月25日)

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2002年05月25日(土)
417,人生の負け組みと勝ち組み

だいたい20佑勝ちで、80佑鷲蕕荏箸澆任△襦2燭鬚發辰鴇,舛如何をもって負けというのか?というが。
一般的に自分の真にやりたかった事を見つけ、やりとおせたかどうかだ。 その意味でやはり、あるはずだ。
社会的な勝ち負けの話しではない。

負け組みの、負け惜しみで何かへ理屈が出てきそうだが。
・過去の蔵にそれ(やりたかった事をやってきた行為)が詰まっており、
・現在それを過去の計画どおり実行しており、
・未来の計画をキッチリ立ててある人

そういう意味で大体私の周囲では、2対8の比率は間違いない。
刑務所など99佑世蹐Αその共通点は目先しか見えない峡視の人だろう。80佑凌佑眩海蝓
ダイヤを入れれば、ダイヤが出てくる。ゴミを入れいればゴミが出てくる、その分別ができなかった人だ。
何か厳しい内容だが、見方を変えればいい。「自分は社会的なことは別として、ずっとやりたいように生きてきた。
自分の大好きな○○をしてきた、それで充分だ」こう言える生き方が勝ち組だ。

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 2001年05月25日(金)
「31]」写真日記コーナー開設! ウイークリーマンションの司の社長の写真日記
ーこれはノートにその日あった人のインスタント写真を張りつけていくものだが、
ーいつか実行したいと思っていた。そしてホームページで 是非実現してやろうと思いつき今日開設した。
ソフトが不備で思いどうりにならず、苦戦していたが何とか間に合った。 しかし途中挫折しなければよいが? 
慣れてくれば、習慣化してしまえばしめたものだが。 どういう展開なるか自分でも解らない。 
小さな世界がますます露呈されていくが、しかたあるまい。
だんだんホームページに関わる時間を短縮していかなけれと思っているが、


2607, 脳内会話 −2

2008年05月24日(土)


 脳内会話といえば、
哲学者の池田晶子の「帰ってきたソクラテス」「ソクラテスよ、哲学は悪妻に訊け」
「さよならソクラテス」の三部作が、池田晶子の脳内会話のようなものだった。
宇宙の彼方から帰ってきたソークラテスが、現代のニッポンに甦り、現職議員や老人福祉係、ニュースキャスター、
ジャーナリスト、エコロジスト、フェミニスト、マルチプランナー、トレンドクリエイター、コピーライター、
サラリーマンから釈迦まで、様様な職業の人たちと、政治や老人福祉、その他諸諸のことについて、対話する。
筆者が抱いている「ソクラテス像」というフィルターを通して、しゃべりたいことを、ソクラテス(池田晶子に
話をさせている。 ソクラテスなら、こういうだろうと池田が成りきっているところが面白い。
これこそ脳内会話そのものだろう。
 〜〜
「そーさ、そりゃあたしだって、決してこんな世の中いいと思ってるわけじゃない。
確かにこの頃は・目に余るところはあるわよね。 でも、世の中って、そういうもんて言や、
そういうもんなんじゃないの。 (中略) あたしは、自分の身の丈の暮らししかしたいと思わないから、
官僚が金儲けしようが女子高生が売春しようが、あきれはするけど、かまわないね。
言ってわかる連中じゃないんだから。(中略) ああいうのに腹立てて、やいやい言ってるヒマがあんなら、
自分をまじめに生きてる方が、あたしはいいね、ほんとはそっちが先でないのか。
みんながそれをほっぼらかして、人のことや世間のことばっか気にするから、
結局世の中全体が、そういうふうになるんでないのか。.……」ーソクラテス

『悪妻に訊け』で読んだ「フェミニスト」とのやりとり。
「フェミニスト  女の能力は生殖や家事に尽きるものではないと私は言ってるのです。
  女の隠れた能力を存分に発揮できる場所を、社会は用意するべきだと言ってるのです。
クサンチッペ  馬鹿だねえ。女の能力って言うんなら、そりゃ男を動かすことに尽きるでないの。
  社会動かしてるのが男なら、その男を動かすことこそ女の技量ってもんよ。せっかく女やってるんなら、
  断然その方が面白いね。
フェミニスト  全然甘いわね。男たちは女の言うことなんか、そんなに簡単に聞きやしませんよ。
クサンチッべ  そりゃ、あんたがそれほどのタマじゃないからさ。それだけのことだよ。
フェミニスト  失礼ね!自分の食い扶持も稼げないくせに!
クサンチッペ  やれやれ、食うことばっかりこの人は言うんだ。ない、私が稼がないのは、
  ソクラテスが私に惚れているからだよ。男ひとりに惚れられなくって、何で女の能力なのさ。」
 〜〜以上だが、
もちろん、クサンチッペは池田晶子そのもの。 一人にやにやして、自己会話をしている姿が彷彿する。

そうそう、面白いことを思い出した。 ある家の部屋の更に奥にある部屋に入って
亡くなった親戚、家族、友人、恩師などのテーブルを想定して、そのテーブルに座り、
一人一人と会話をするイメージの創作をしたことがあった。何かの本からヒントを得たのだが。
これをイメージだけでなくノートに書けば、面白い文章になったのに、書いておけばよかった。
 当時は気持ちが重くなって、あまり長続きはしなかった。今からでも遅くはないが。 
   脳内会話の本、アマゾンでまだ注文してないが、するか。

・・・・・・・・・・・
2007年05月24日(木)
2242, 閑話小題  ゜・。*ヾ(´∀`o)+。才ノヽ

*滋烈亭のママ*

十数年前の話になるが、長岡や県外の人が新潟・古町界隈の「個性的な店に行きたい」
というと「滋烈亭」という創作中華料理店に連れて行った。
ママも美人でキップが良かったこともあったが・・・ ところが当時、改装をしたという案内をもらったので
行ったところ、カウンターを主体にした、より高級志向の店になっていた。
当時、「ちょっと高級志向的過ぎるのでは?」と注意した記憶がある。
露骨に嫌な顔をされて、それ以来行ってなかった。その直後に金融の再編成や、官公庁への接待なども厳しくなって、
高級イメージがマイナスになったことも加え、前ほどお客が行かなくなった、
という噂を聞いていた。 本人は骨身に沁みていただろうに!
だが、「本当のことをいってはならないのが人のため」というのが最近分りかけてきた?・・・私には出来ないが!

そのママが先日、事務所に訪ねてきた。 曰く「この十数年、ギリギリ乗りこえてきたが、
東京で勤めていた息子が店に入るというので、それを機会に駅前に移転したいので駅前界隈の情報を
知りたい。色いろな病気もその頃から出て、この十年は闘病の日々であった。
十数年前までは接待費の店として充分採算があっていたが、今は時代が変わった」とか。
以前の面影はあまり見られなかったが、それでも人生に対して前向きのところは変わってなかった。
この話を聞くまでは「格差社会の中、で高級志向の人たちに支持されているのかな」
とも思っていたが、それほど甘くはなかった! ということだった。
ーー

*やはり変わった駅前周辺の空気*

この十数年来、4月にはいると一段落ちの売り上げダウン。そして5月の連休後さらにダウン!
もう諦め顔というのが毎年のパターンであった。
ところが今年は逆に4月1日からプラスに転じ、ゴールデンウィークの連休明けも同じ流れが続いており、
予約をみると6月の初旬まで同じ流れである。今年に入ってから、三ヶ月ほど微強であったが・・・
夏場をイベント予定をみると例年どおりで、流れからすると、今年度はまあまあとなりそうである。
しかし、この商売だけは景気に直接左右されるので、気は許せないが・・
4月1日より政令都市になり雰囲気が全く変わったのには驚く。
それとこれから本格的に駅立体工事が進むので、底は抜けたとみてよい??それほど甘くはないか?   
                        ヾ(・ω・`)ノバイヾ(・ω・`)ノバイ
・・・・・・・・
2006年05月24日(水)
1877, 「ノート術」本当の極意 −2
                おっ w(゚Д゚)w ハァョ〜               
 「手帳とノート魔法の活用術」の著者の和田茂夫氏の
  ービジネスノート活用七原則ー の基本的ノートの使い方が参考になる!
原則一、ノートとメモは使い分ける(メモは気づいた時に、適当に書きとどめるので改めて書き直す方が良い。
     メモ情報のなかにお宝が多いのを掘り出すことになる。     
原則二、カタチは何でもよい(A4かB4のノートで十分)    
原則三、ノートは片面だけをつかう
    (ノートを切り離して使うためにも、片面がよい。
    見直すときも常に書いてある方をみれるし、みやすい) 
原則四、タイトルは×マークで(その上の部分にテーマ、右の出典、左に月、下に日付けを入れる 
原則五、主語+述語のワンフレーズで書く
    (たとえば「新会社法」とか「見積書」の場合、
     「新会社法の施行」「見積書をファックスする」)     
原則六、図解してみよう(マインドマップ、○△□→などを多くつかう)  
原則七、封筒で整理する
    (テーマごとに大きな封筒の、関連のノートなどを入れておく。
     ノートは片面しか使ってないので切り離してもよい。
     タイトルを端に書いておけば、少し引き出しただけで、封筒の内容がわかる。)
                  (*^ー^)/C□~~ コーヒー?
この内容のポイントは、
・ 楽しく書けば長続きする。
・ 方眼紙の紙やノートを使うと図表やグラフを描きやすく便利である。
・ 空間を充分に取り、絵とか図を多く取りいえるとよい。ノートは片面だけを使う。
・ メモの場合、必ずワンフレーズにしておく。 というところだが・・・
現在、モーニング・ページで毎朝思いついたまま3P書き連ねているが、
ほぼ上記をカバーしているが、実際のところどうだか?
                 (。・ω・)ノ☆゚+.バイ!
・・・・・・・・
2005年05月24日(火)
1512, こころを凛とする196の言葉ー1 
             読書日記

最近、あまりこだわりを持たないで、色いろなジャンルの本を読むようになった。
その中に、女性が女性向きに書いてある文章がある。読んでいると、
切口が鋭いことと、少し言葉を変えると「男」にも当てはまる内容が多い。
特に、服装に対する心構えなどは男性用のものは殆どない。
外見に対して気をつけることとして、「清潔7割、色気3割」は、男にとって「清潔7割、着こなし3割」
と考えればよい。それとも、色気3割も必要なのかもしれない。
とにかく、読んでいて男の自分が「ハッ!」とする内容が次々と出てくるから不思議である。
特に、汚いオバサン化した女性には厳しい言葉である。若い女性には、是非読んでほしいものものばかりだ。
女性の気の使い方が読んでいて面白い。大事なことだが、でも? まあ、いいか!

女性の化粧は、欠点をカバーするもので、特にアンバランスを調整する為にするのが基本であるという。
ブランド物でどういうバランスを保てるのか疑問符があるが。
 ー幾つかを書き出してみるー

・美の真骨頂は7対3
  私が街で振り返ってしまう女性は、いつも決まって同じタイプ。
  清潔感と色気がきっちり7対3の女たちである。
 −−
・清潔感を毎日ひとつ
  メイクでも服でも香りでも何でもいい。毎日ひとつでも、
  清潔感を放つものを体にくっつけて出かける。それが「清潔感のある人」・・・
 ーー
・服のルール
  おしゃれとは、年齢とともに失っていく清潔感を取り戻すためにある。
  ーー
・地味の落とし穴
  他人の視線が気にならないのは、ある意味でとても「おさまり」のいい日。
  でもその「おさまり」こそ、言ってみれば「地味」の正体。
  人目を煩わせずに、ひっそりとしていれば心身ともに疲れない。
  だから気がつくと「地味」の中にぬくぬくとうずもれてしまいがち。
  危険なのは、そこである。「地味」はやがて体の中までしみ込んで細胞代謝を低下させ、
  女性がもっているべき艶まで失わせてしまう。
 ーー 
・自分をキレイに扱う
  仮に美人でなくても美しく見える人は、なぜそう見えるのか?
  逆に美人なのに美しく見えない人は、なぜそう見えないのか?
  美人か否かの分かれ道はいろいろだが、ひとつだけ決定的なことを言うなら、
  自分自身が自分を「美しいもの」として扱っているかどうか、それで女は決まると思う。
 ーー 
・ブス
  安心が女をブスにする。
 ーー
・流行力
  女にとって流行は、老けないためのストッパー。
 ーー
・ブランドはプライド
  女にとって「いかに生きるべきか?」と「次にどのブランドの何を買うか?」は、
  下手をすると同じくらいの重さを持ったりする。たぶんブランドは、プライドだから。
  少し自信が足りない女のプライド・・・。
 ーー
・美容の掟
  化粧もカーラーもバレたら無意味。
  高校生の私は、そこで自分のなかに初めて掟が生まれたのを感じた。
  美容はバレちゃいけないのだという・・・
 ーーーーー
 「こころを凛とする196の言葉」
 発行所 ソニー・マガジンズ 著者 斉藤薫
                 − つづく
・・・・・・・・ 
2004年05月24日(月)
1147, 「唯脳論」 

この本も、なかなか面白い。情報化時代だからこそ脳が問題になる。
脳こそ、情報器官そのものであり、それがコンピューターと結びつき、さらに
インターネットでネットされた現代社会では、最も注目されてしかるべきである。

自分の脳を公開して、さらに自分で時間をおいてみてみると、自分でも面白いのだから、他人が見たら
もっと面白いだろう? この随想日記は「唯脳の世界」そのもの、それも重層に重なっている。
「現代人は脳の中に住むという意味で、いわばお伽噺の世界に住んでいるといっていい。」
と著者は書いているが、ある意味で、このホームページもお伽噺なのかもしれない。

ー以下は、あるホームページの抜粋を、再構成したものである。
それにしても、神様か、高度の何かが人間や生物を創ったとしか思えないが。
ーーーー

養老孟司著 青土社刊
●はじめに
・現代とは、要するに脳の時代である。
情報化社会とはすなわち、社会がほとんど脳そのものになったことを意味している。
ヒトの歴史は、自然の世界に対する、脳の世界の浸潤の歴史だった。それを我々は進歩と呼んだのである。
・自然保護運動が、しばしば理性に反するようにみえるのは、その実態が「自然に帰れ」 
 運動ではなく、直感的な「反-脳」運動だからであろう。
現代人は、脳の中に住むという意味で、いわばお伽噺の世界に住んでいるといっていい。
・・・・・ お伽噺に異を立てる現実とは、我々を制約するものに他ならない。
それは歴史的には常に自然だったが、いまでは脳になってしまった。
・我々はかつて自然という現実を無視し、脳というお伽噺の世界に住むことにより、
自然から自己を解放した。現在その我々を捕らえているのは現実と化した脳である。
脳がもはや夢想ではなく現実である以上、我々はそれに直面せざるをえない。」

●唯脳論とはなにか
・ ヒトが人である所以は、シンボル活動にある。言語、芸術、科学、宗教など。
我々の社会では言語が交換され、物財、つまりものやお金が交換される。
本来は全く無関係なものが交換されるのは、脳の中にお金の流通に類似した、過程がもともと存在するからであろう。
・ ヒトの活動を、脳と呼ばれる機関の法則性という観点から、全般的に眺めようとする立場を唯脳論と呼ぼう。
(以下、字数の関係でカット2,008年5月24日)

・・・・・・・・・
2003年05月24日(土)
780,またおきた「意味ある偶然の一致」
  ー40歳の頃−1986年

過去をこうして書いていると、いかにして今の自分になってきたかの謎解きを一人しているような気分になる。
この頃は第二の増築工事の完成をした年であった。280室に向けて一番勢いがあった。
またギリギリの判断をして、後は野となれ山となれという気分であった。
時代はバブル直前の何ともいえないエネルギーが溢れていた。コンピューターを導入した年でもあった。
政治的には、アメリカとプラザ合意をしてバフルに入った直後であった。気持ちの中ではギリギリの限界であった。

ーこれを書いているときー今、TVから1986年の歌がが流れてきた、それも字幕で
1986年と入っていた。加山雄三の歌がー「北国の〜と歌っている」
また起きた感じだ。 NHKのBS・2で、時間は21時55分。
恐ろしい感じがする。よくおきるがあまりに露骨だ!シンクロニシティー「意味ある偶然の一致」だ。
嘘みたいだ! 実際のところ、現におきたのだ。
書いている最中に字幕で1986年と出て、歌まで出るのだから! あまりにも出来すぎている。
これに合わせて引きつけられるように、このテーマを書いていたということになる。
深い自分のしらない何かがあるのだろう。 これだから面白い!テーマが変わってしまった。

ー重大ニュースー

・三原山大噴火
11月15日、伊豆大島の三原山が209年ぶりに噴火。21日、全島民に避難命令。
約1万人が1ヵ月にわたって島外避難したほか、農・海産物などに大被害をもたらした。

・撚糸工連事件

・・・・・・・・・
2002年05月24日(金)
416,鳩山家の「勉強法」

何回か立ち読みをして買うかどうか迷っていたが,先日買って読んで面白かった。
しかし本来ある技法を、とってつけたような内容も多かった。最近ノウハウ書に凝っている。
以前はノウハウ書などの小手先の本を甘く見るところがあった。
ところがそれが思い込みでしかないことが、この年で解った。
ノウハウ書ばかり偏るのがよくないのであって、技術の宝庫であることは間違いない。

この本もそうだ。ノートのとり方一つでも目から鱗である。
私の場合あまり勉強が得意でなかったこともある。

最近凝っている即読法もそうだ。10倍とはまだなってないが、
3~5倍早く読めるようになった。うそみたいな話だが。

10歳ぐらいのときに、ある姉が教えてくれた。「一科目だけでいいから、勉強して一番をとりな!」
これが小学年の後半、算数だったと思うが一番になった。
それがきっかけであった。 そして中学二年の時、・・・・・と。

さてこれで印象に残っている順に書くと!
・ノートの左右の書き分け 左にキチット先生の教えたことを、ノートにとる。
  右に 右脳的に 絵とか自分の 形に遊びを入れて書き換える。
 また、そのときの部屋の様子や、他のことも書き加える。ダビンチのノートもそうだ。
 絵と文を交互に空間を広く取りながら書き込む。広くとった空間にどんどん書き加える。
・あと問題集を徹底的に解く。 それもどんどん答えを見ながら、先に進む。
・本は全体をとりあえず読む。そして後ろのほうから、逆読みをする。
 推理小説の犯人を先に知った上で、 そのストーリーを読み解く方法を勉強法に取り入れる。
・黒板を周辺に置き、いま覚えるべきところを書き込む。
・勉強をすることが楽しい雰囲気を作る。音楽はアダージョなどの、アルファー波の出る音楽を流す。
・黒板で自分が先生になったつもりで、生徒に教えるように演技してみる。
・暗記は繰り返し暗記をすれば、誰でも憶えられる。
・頭の切り替えの為、ポイントごとに遊びを入れる。
・最も大事なところは、勉強と終わりに集中させる。
・あくまで本人の主体性を尊重する。

これは別に写したわけでなく、自分の印象に残った順に記憶から記している。
受験なら、どこそこの大学と具体的に目標を決め、その科目を集中して勉強する。
それも高校一年の時から割り切り、他の授業は割り切って進級すればよいレベルにする。
こういうのを戦略的勉強法というんだろうが。
でもそれを出来なかったが、「生き方で戦略的に生きてやれ」と、学生時代に意識できた収穫もあった。

・・・・・・・
2001年05月24日(木)
ホームページを開いて3週の実感

 今週末に‘写真日記のコーナー’ができると一応ホームページの骨格が完成だ。
パソコンを何のため使っているのかな?使い切っているのかな?と疑問を持っていた矢先ホームページの
開設を思い立ち、そのプロセスの中で他のホームページの構造とユニットをつかむ事が出来た。
  
 自分のデータベース造り、及びその蓄積になっていくと同時にそれがそのまま外界に
リンクしていくサテライトスタジオ機能を持つことと言える。
グローバルに対する自己の開放である。ホームページはその表紙を語源とする。
ということは大項目のデザインということになる。この数ヶ月かなり追加と変更が予測できる。

 今年の新年の誓いはパソコンとインターネットとホームページをものにする事であった。
特にホームページは思ったより収穫になりそうだ。
 開設の5月2日以前と以後と言うくらいのそこに大きい段差を感じる。


2606, 脳内会話

2008年05月23日(金)


昨日の新聞の広告欄にー「脳内会話」の法則ー成功も幸福も3つの言葉で手に入るー
という本が紹介されていた。さっそく、検索などで、その3つの言葉を調べてみたが、何処にもない。
そこで新潟駅の本屋に行ってみたが、やっとジュンク堂に、その本を見つけた。
しかし、色いろの場面で、幾つかの3つの単語があっただけで、それほど目新しい内容でなかった。
もちろん買わなかったが、それでは私自身の脳内会話の3つの単語を幾つか考えてみることにした。
擬人法で、
・まずは *絶対肯定君、(反対の *絶対否定君)
・次は *欲望君、 ( *真面目君)
・最後は *冷静君 ( *情念君)
 としてみたが、どうだろうか。
数日以内に、この6人に問いかけをして、脳内会話をしてみる。

ところで、脳内会話は、読書や、日記、そして独り言などで、誰もがしていること。
この随想日記や、バードウォッチなども、独り言そのものである。
私は、亡くなった父親と対話することが度々である。
「ところでお父さん、貴方なら、この問題を如何考えるだろうか?」とか、
「兄のこの件に関して、如何判断する?」などなど・・・
他にも、大学ノートに「モーニング・ページ」を毎日のように書いている。
白紙に9つの桝を書いて、その真ん中にはハートの絵と、その外側に心臓の絵を書く。
そして思うままに、ペンの動くままに書き込むのである。
これこそ、脳内会話になるが、さっき考えた肯定君や欲望君、そして冷静君など擬人法をつかって
書き込めば、ペンの動きは更に活発になるだろう。
まあ、子供じみているが、その子供じみているからこそ良いのである。

それより、迷ったこの本を買いたくなった。中古本は出てないが、まあ、面白いか。
読めば、また脳内会話の擬人の6人も違ってくるはず?。
  私「ところで、冷静君よ。この原油の値上がりで、如何なるんだろう」
  冷静「誰も答えなど無いから、変化の時々に考えるしかないだろう」
  私「そうは思っているが、スタグフレーションという本当に性質の
    悪い大雪崩か、大津波みたいなやつ。高台に逃げようにも。??」
  
・・・・・・・・・・
2007年05月23日(水)
2241, ヤバいぜっ!デジタル日本 −2
         o(゚∀゚)o オッ ヽ(゚∀゚)ノ ハー

   二ヶ月前に家内がワンセグの携帯電話を買ったのをキッカケに、私も三年前の携帯電話を買え替えた。
    前の携帯電話とは全くの別もので、ミニ・パソコン?ではないかと!
    この本に、私が感じとったことや知りたいこと、その方向がわかりやすく書いてあった。
  
ーまずは面白そうな部分からー

*インターネットの本質  −P・29

 インターネットとは何か?
「バラバラで始まった世界のあちこちのネット同士を乗り入れ可能にするために、
 同じ技術を使いましょうという約束事である」 すなわち技術的約束事である。
同じ技術的約束事を持っている同士であれば、アメリカでも日本でも、どこからでも、
必要なサーバーやクライアントに入ることができる。
またどの場所でも、それが可能であるのが利点というなら、デスクトップよりノートパソコン、
さらには片手で扱える携帯電話が、より有利になる。すなわち、技術的約束事を持った携帯電話、もう少し言うと、
携帯トリプル召これから世界を席巻するということになる。
 
 携帯トリプル召箸蓮△い錣罎觀搬單渡辰里海箸世、それは既に単に電話ではない。
・メールやブラージングもでき、
・ラジオも聞け、TVも見れ
・カメラもついていて、
・GPS付や財布にもなりはじめている、
これは、もはや電話ではない。だから、この進化し続ける複合機を、便宜的に携帯トリプル召噺討屬海箸砲垢襦
この携帯トリプル召魯泪ぅロソフトやインテルの牙城ではない。
国産OSを開発したり、リナックスなどに注力するより、携帯トリプル召鬚匹Δ垢譴个茲い
国際的戦略を組むほうが日本として大切なことになる。

インターネットは所詮、携帯トリプル召離丱奪テクノロジーに過ぎないことが、だんだんわかってくるだろう。
人々の生活を激変させるのは、インターネットではなく、携帯トリプル召任△襦インターネットは所詮、技術なのだ。
携帯T.召蓮▲蓮璽匹筌灰鵐謄鵐弔任呂覆、まだまだスタイルを作ることができる。
その使いこなしの先端に立っているのが、いまの段階で日本人である。
ーー

 *携帯トリプル召、パソコンの未来 −P・30
実際、携帯T・召魯僖愁灰鵑量簑蠅鯊燭解決している。
まず、小さい。安い。通信が殆ど落ちない。画面が固まらない。
所有者の身元が比較的しっかりしている。課金が簡単など挙がればきりがない。
すなわち、携帯トリプル召蓮▲僖愁灰鵑量ね茲覆錣韻澄
見方を変えれば、パソコンで今やっていることは、数年後には携帯トリプル召任盻个るということである。
現在キーボードや液晶モニターは、当分小さくなりそうもない。
投射型レーザーのヴァーチャル・キーボードや、ゴーグルタイプのモニターなども具現化しているが、
まだまだ使いづらい。したがって、人間の手の先にあるキーボードという入力端末と、
液晶モニターという出力端末のサイズはそのままで、その間に携帯T・召挟まって使用できるというのが現実的である。
言わば、ポケットに入れて持ち歩きのできるCPU(パーソナルコンピューター)ということになる。
iPadがハードデスクをポケットに入れる新しい提案なら、次なる提案はポケットサイズのパソコンだろう。

 *インターネットの限界 - P・32
インターネットはまだまだ無限の可能性があるように言われている。
私はむしろ逆で、行き先の限界をそろそろ理解しなくてはならないと考えている。
インターネットからまだ本物のスターは出ていない。それは何故か?
インターネットが、スターを生み出すような仕組みを持っておらず、
ここでは全員がスターだからだ。インターネットは大きな夢を生み出すのが苦手で、
マス・マーケットを狙ったエンターティーメントを構築するのが難しいのだ。
小さな個人の夢と欲望と、マスメディアとは違う大きなスキャンダルのようなもので
今日のインターネットのコンテンツは動いていると言える。
   ーーー
   解)
    確かに、携帯T・Xの最近の動きは異常と思えるほど進化を始めている。
    私のように明治生まれの両親を持つものにとって、SFの世界のようである。
    特に携帯T・Xに関しては、戸惑うほど進化が激しい。
    この日本の携帯T.Xが数年内に世界の文化を根こそぎ変え、
    また光ファイバーを全国にいち早く導入した効果が、現象として現れ、
    それがプラス・マイナス面で顕著になっていくだろう。
    それが格差をさらに生み出し、社会を不安定にしていくだろう。
    それも面白いだろうが・・・・
                  (´∀`)ノ~サイナラー
・・・・・・・・・
2006年05月23日(火)
1876, 10年後に後悔する事とは?
            おはよ〜!(*^ワ^*)i 

あるHPを見ていたら、次の言葉に引きつけられた。
「10年後に後悔しそうなことをリストアップして、それを潰していく生きかたをする」である。
 (七田チャイルドの七田真氏と本田某氏の対談)

    私が十年前に考えたことは、           (。-`ω-)ンー
   「50代の10年間で60歳以降の人生を全て押し込んで生きる」である。
    20~30年間を50歳代の10年間で全て前倒しにする、と。
    それがこの程度の変化でしかなかったのか?。  ゚+.(○ゝω・)b+.゚。イィ??
    という自問自答は残るが。現在になって振り返ると、先まわしをして良かったと思っている。
                          (*^U^)人(≧V≦*)/
 後悔しそうなことを潰していく生き方は消極的に思えるが、
 「消極的な生き方(後回しーその大部分は中途半端)が一番後悔する」
 とリストアップすれば、逆に積極的な生き方が出来る。  (・∩・)?アレ??≡3
    
    想定可能なマイナスをあらかじめ潰すのは、最善の行為と同じか、それ以上である。
    後悔することは、その時は気がつかない行為か、判断ミスが最悪だったということ。
    それが想定可能かといえば、可能である。ということは最善の準備と同じぐらい大事なことになる。
                            (‐”‐;)
ところで10年後に何を後悔するだろう?一期一会と、何ごとも真摯に立ち向かえば後悔することはないはずだが。
いや10年前に事業で時代の先行きを、より悲観的に読んでいればもっとシビアな手が打てたはず。

 ー面白おかしく「10年後の最悪の後悔」をイメージをしてみた?
                           (●´・△・`)はぁ〜 あ!
   ・酒を飲んで暴れて、家内に愛想をつかれて離婚。
    現在は年金で、何処かの街の安アパートで冷酒を飲みながら懺悔の日々・・
    それでも冷酒を飲んでいるのだから、懺悔にはならないか?
                           ε-(;-ω-`A) フゥ…
   ・死んで、この世にいない。 誰も、もうこの男のことを憶えていない。
    二人の子供も、あの父親のことだけは思い出したくもないと墓参りもしない。
   (しかし自分がいないのだから後悔しようがないか                                      
                           クゥ━il||li(っω`-。)il||li━リ…
   ・脳梗塞で入院しているが、気が短く、毒舌が冴え、同室の患者や看護婦から嫌われて自閉症気味。          
                           il||li(つд-。)il||li
   ・考えていたより遥かに、日本という国家の疲弊が酷い状態。
    10年前に海外に思い切って財産や生活の場を代えておけばよかったと、毎日の生活の追われる日々。          
                           (*´Д`)=3ハァ・・・   
    ありそうな10年後の姿である。   _| ̄|○
    より深く時代を読まなくては!酒にも、病気にも注意しなくては!       
                    (o´・ェ・`o)ノ♪ バイバイ!
・・・・・・・
2005年05月23日(月)
1511, 子供や若者が変!

若い人や子供をみて、「いまの若い者は!」とか、「今どきの子供は!」とだけは、言いたくはなかった。
同年代の人が、この言葉を言ったら顔を歪めていた。
古代の遺跡にも「今どきの若いものは」と書き残してあったという。

しかし最近になって、じっくりと小学生や高校生を見てみると、やはり[最近の子供がおかしい]
と思うようになった。どうも、例の「ゆとり教育」のぶざまな結果である。

一時「ゆとり教育」が騒がれたが、いまや余りの学力低下に文部省も慌てふためいて
指導要領を見直すことになった。世界からみても、日本の学力低下が著しく目立ったためである。
20年前からスタートして、2002年開始の学習指導要領で完成したはずの「ゆとり教育」が、
「学力だけでなく、質そのものの低下になってしまった」と、いうのだ。

それでは、その「ゆとり教育」とは何だったのか
ー以下は、あるHPから抜粋した学力低下の実態であるー

OECDが3年に一回、世界41の国と地域を対象に行っている
国際学習到達度調査の成績が前回は8位であったが、今回の調査で日本は14位。
3年で6位も転落してしまいました。日本が得意とされてきた数学力でも日本は1位から6位に転落しています。
この傾向は他の調査でも同じで明らかに日本の子どもの学力は低下している。

また、日本地理学会が発表した初の「世界認識調査」で、日本の大学生や高校生を対象に最近ニュースなどで
よく取り上げられる世界の国と地域の場所を認識しているか調べたところ、
約4割がイラクの位置を正しく認識しておらず、アメリカも約3%が場所を知らないという実態が明らかになった。

一方、日本の子どもが宿題する時間は1時間で調査国の中で最下位。
また、学校以外の学習時間は、1週6.5時間で、世界の平均8.9時間を大きく下回ってます。
ここからは、テレビに夢中で、勉強せずに、次第に能力が落ちていく
日本の子供という現状が浮かび上がってきます。 一体、何がいけないのでしょう?

原因のひとつは「ゆとり教育」とも言われています。
ゆとり教育は、1976年、中央教育審議会(当時の教育課程審議会)が受験戦争の激化や知識偏重教育を批判して、
「ゆとりと充実」という言葉を答申に入れたことが発端でした。
そしてそれ以降、このようにゆとり教育政策は進められてきました。

天然資源のない日本が大国になることが出来たのは、
明治以来の教育による優秀な人材を輩出したことが大きいと言えます。
それらの人材は「国定教科書」という一律の教材を使用し、
一律の教育方法で、全国共通の標準語で教育されて生まれました。
しかし、この教育は「兵隊とロボットを作る教育」とも言われ、
戦争においては優秀な兵士を大量に、
戦後においては、工業社会の優秀な戦士を大量に育成する教育法でもあった。
一定限度の能力を持ち、協調性のある人材を生み出しますが、独自の発想や、
周囲よりぬきんでた能力の開発という意味ではむしろマイナスの教育だったのです。

しかし、現代の情報社会の本質は、そういった人材作りとは
違うところにあるのではないでしょうか。
これからの教育にはこれまでの一律の教育から脱皮して、
「独自の発想の出来る人間の教育」が急務なんです。
では、どうすれば、そのような人材を育成できるのでしょう?
ーーーーーー

以上であるが、ゆとり教育の結果が、その弊害だけがでてしまった。
「お子様大事、優先」の結果、どうにもならない馬鹿な世代が出来上がってしまった。
現在の小学生から大学生を中心にした世代である。教育現場では、大問題になっているという。

現場の教師が一番そのことを知っており、自分の子供は私立の小学校・中学校に入れるという。
それだけでなく、小学校の先生は父兄に私立の中学に行くようすすめているという。高校にいたっては、
30佑眞翅爐垢襪箸海蹐發△襪箸。特に、外資系の会社員は「ゆとり教育」など認めてなく、
個性のある私立校に当初から子供を進学させていた人が多い。

何か、失われた10年は経済・政治だけでなく教育界も同じだったようだ。
衰退する時とは、こんなものだろう。 恐ろしいものだ。

・・・・・・・・
2004年05月23日(日)
1146, {上に立つ者の道}三十ヵ条

{上に立つ者の道}三十ヵ条がよい。
これは住友の岩澤正二氏が部下達に与えた指導者としての指標という。働くとは、
人間関係のどういうことが求められるか、どういう人間であるべきかの多くの示唆が含まれている。

耳の痛いことばかりである。住友の気概がそのまま伝わってくるようだ。
もっと早く、知っておくべきことがあまりにも多い。道としているところがよい。
理想は何処までも遠くにあっても一歩ずつ歩いていくべし、ということだろう。

1.むかう所を明瞭に示せ。
2.信を他の腹中に置け。
3.虚心担懐、光風霽月、是を是とし、非を非とせよ。
4.褒める時褒め、叱る時叱る。
5.権謀は無策に劣る。功詐は拙誠にしかず。

6.功を部下に推し、責めを身に引け。
7.広く意見を徴すべし。部下の話は熱心に聞け。
8.己に薄く人にあつく、己に厳に人に寛なれ。
9.長所を見て人を使え。人は誰しも長所を有す。
10.愚痴と立腹と厭味とは人の上に立つ者の大禁物、言いたきことあるも耐え得る雅量あるべし。

11.みだりに難きを責むるな。ただし、泣いて責むべき場合あり。
12.自分がまず研究して確信を得よ。
13.金銭に恬淡たるべし。
14.部下の人事に熱心なれ。人の世話はよくしてやれ。
15.その労するところを知り、よく、これをねぎらえ。

16.寡黙重厚。従容自若。眼眸厳正。挙止端正。
17.よく休ませ得る者は、よく働かせ得るものなり。
18.人のことをわがこと程に思え。
19.努めて失意逆境にある人をひきたてよ。
20.自他の職域を守り、これを尊重せよ。

21.知らざることは、あくまで知らずとなせ。
22.少なく言い、多く行え。
23.絶えず研究して、一歩先んぜよ。
24.小疵をもって大功を没すべからず。
25.部下に威張るな。部下の機嫌をとるな。 至誠一貫、正々堂々。

26.外柔内剛、柔らかくとも一節あれ。
27.事をなすには、腹をきめてかかれ。やるべきときには、断乎としてやれ。
28.上に立つ者は、部下をして己の最大の保護者たることを感ぜしめよ。
29.自分一人にて事をするな。任せて人を使え。ただし、監督を怠らば、仕事をする人に張り合いがなくなる。
30.自然に導くを得場、上の上なり。
31.部下と能力を競うな。
32.象徴を高く掲げ、衆心一致、精神の統一をはかれ。
 中心の引力はあらゆる手段をつくして強固ならしむべし。

 会社組織だけでなく 、家庭や各種グループのリーダーに参考になるメッセージが多くある。

・・・・・・・・・・
2003年05月23日(金)
779, 茨城 のり子の詩

 何げなく読んだ茨城のり子の 詩がよい。魂の響きがそのまま直に伝わってくる。
    インターネットで調べてコピーした。 私の解説など入らない!
       
 落ちこぼれ
                茨城 のり子
  (字数の関係でカット2,008年05月23日)
    
 ・・・・・・
 2002年05月23日(木)
415、「テーマ日記を書き始めて一年 ー2」

ホームページ上のテーマ随想日記は、非常に有効だ。
一年書き続けて、毎日それなりにチャンとテーマが出てくる。10日に一度くらいが、
まったく思いつかない状態になるが、それでも、その状態の中でも湧くように出てくる。

書き続けることが大事である。「一ヶ月で、千項目テーマをあげて文章を書け」といわれても絶対に不可能だ。

しかし毎日一項目書き続けることは不可能でない。
その習慣をつければ、何とか千項目書けるのではないか。後二年近くかかるが。
それさえ作っておけば、自分のデータベースになる。
大テーマを立ちあげた時に、それぞれの大テーマに合わせてそれを組み替えればよい。

書いているうちにコツが解ってくる。新幹線の中とか、散歩の時間にそれを集中する。
またどういう訳か集中できるのだ。この時間の集中の積み重ねが、膨大のデーター化になる。
またテーマを考えることと、そのテーマに対し色々言葉を組み合わせる作業が考えを深める。

内容に対しては、それぞれ批判があると思うが、その時点の自分の
自然に出てきたテーマと内容なので、これ以上でも以下でもない。

書き続けるポイントは「ギブ・アンド・ギブ」である。そうでなくては、続けられない。
今までの自分の持っている経験・知識を全て吐き出し、現在、得た情報をそのまま出し続けなくてはならない。
しかしそれを実行していると、他のホームページのそれが良く理解できるからだ。

そうする事が、逆に自分の為になるからだ。仏教の布施、キリスト教のボランティアみたいに。
それをすることで、他のページのそれが解ってきた。自分が入れたエネルギーの数十倍、いや数百倍が入っている事が、
理解できるようになったからだ。 そうしていれば、相手の内容を見る目が違ってくる。
また謙虚な眼で、それを見ることができるようになってくる。またその時々のメルクマールにもなる。

時間が経つにつれて、自分の考えもどんどん変化していく。
その変化した視点で、過去の自分の考えを見つめ直すこともできる。


2605, 自己愛について

2008年05月22日(木)



先回書いた「最近みる夢」で、自分の夢を分析して驚いたのは、自分の心の奥の本質を、
そのまま提示されたことである。
夢に出てくる「海」が「自己愛」の象徴で、海底の牢獄でもがいている己の姿に、我ながら驚いた。
ユングの地下の象徴の夢に近い。 その夢の中には、自己逃避、不安、自己愛、
それに囚われもがいている自分、そして、死などなど、多彩な内容が重なっている。
これは、私個人というより、人間の本質を提示していると言える。
(いや、勝手に、そう解釈したとも言えなくないか?)

そこで、行き着いた「自己愛」とは何か?を調べてみた。
 〜〜
  真の自己愛とは、奥深い自分に忠実であるということ。
 自分が深く納得している自己愛でなければ、ナルシストの姿かたちの表面的なものに過ぎない。
 キリスト教の教えのように、真の自分を愛するように隣人を愛しなさいという、自己愛である。
 自己愛という言葉は、「私さえよければ」という利己主義とはまったく違う。
 あるいはまた、自己愛は自分の魅力を感じて自分自身が好きであると思われることもあるが、
 本当はそれとも違う。 その区別を見わけるために、本当の自己愛の条件をあげてみる。
 自己愛とは、自分が認められたり、周りから褒められたりすると、喜ぶ。これが自己愛です。
 生きていくうえで、他者の存在は絶対に必要で、そのため自己愛と同じように他者愛を持つことも必要となる。
 常に自分が一人ではない、と認識したうえで、自己愛を持つことが、健康な自己愛といえる。
 その極端な「自己愛性人格障害者」の特徴として、次のようなものがあげられる。
・ 自分は偉くて、重要人物だと思っている。この幻想に限度がない。
・ 自分は特別であり、優れている人にしか理解されないと信じている。
・ 過剰な賞賛を求め、特権意識が異常に強い。
・ 相手を自分の目的にしか利用せず、相手に共感することがない。
・ 自分の身体の不快にとても敏感でオーバーに反応する。
 〜〜  以上だが、
ごくごく至近に、その傾向の強い人がいる。
女性の本質だから、仕方が無いだろうが。いや、誰の心の奥にも、酷似して傾向が隠れている。
自己愛性人格障害者の特徴に一言を書き加えれば、誰にも当てはまることだ。
そうすると、仏教の四苦八苦の世界の煩悩の最たる要素が極端の自己愛ということになる。
しかし、それは人間を大きく動かすエネルギーの元ともいうことも出来るのである。
生物の遺伝子は自己愛ーエゴそのものという。 自然体とは、エゴ丸出しということも出来る。
キリストも、「己を愛するように隣人を愛しなさい」と言っており、
己を犠牲にして隣人を愛しなさい、とは教えてないのである。
                              ーつづく

・・・・・・・・・
2007年05月22日(火)
2240, ヤバいぜっ!デジタル日本
    ・д・)ノ〔● ォ'`ョゥ○〕 
               高城剛著  集英社  
                    ー読書日記
ー表紙裏に書いてある内容ーから
ヤバいとはvery badとvary coolのWミーニング。世界各地を飛び回る著者が、
情報最先端の事象を紹介しつつ日本人の知らない日本と日本人を論じる。
世界から取り残されてしまったIT戦略をこのままにしていいのか?
国家ブランド戦略をきちんと立てなくていいのか?
日本が世界に広めたハイブリッド車のように、異なる要素を組み合わせて新しいスタイルを創ろう、
それこそが日本人の得意分野で、世界から「クールでヤバい」と評価されるはずじゃないか?
日本への憂慮と愛が溢れる、元気の出る本。今後10年間のデジタル社会の変化を予言する書でもある。

著者は、これからの近未来はPCではなく「携帯電話」を情報の受・発信装置として駆使するライフスタイルが主流となり、
そのTrendは日本(人)が主導する」と予言。「携帯で電話しながらメールを書いてるのは日本人くらい凄いらしい」
「Googleは基本的にただの情報整理屋」と断定している。デジタル社会に乗り遅れないために日本が行うべき事として
使い方(ライフスタイル)志向で携帯電話の機能・Design・Softを開発し、デジタル社会のプラットホームにするような国家戦略を
練っていくべきと論じている。グーグルに対しての見方には異論があるが、それでも携帯電話が主流になるとは、
成る程と思うが・・・
 ーー
ーまずは面白そうな部分を

 P-21 −TVを処分することを勧める!ー
情報ダイエットの方法として、思い切って何かをやめるとしたら何だろう。
情報量の多い、インターネットか携帯電話、そしてテレビ。
その中で一つやめるとしたら、あなたは何を選択しますか?
どれもやめられないとう人がほとんどだろう。僕は、テレビを数年前にやめた。
モニターを数台持っているが、チューナーを接続していない。
一週間で見るテレビの時間はゼロである。もちろん、サッカーもオリンピックも見ない。
正確に言うと見られない環境にある。朝一時間くらいついていたり、夜1~2時間ついていて、
テレビの音声を聞いていることが多い。一日3時間、週に21時間、テレビとともに暮らしていることになる。
これをやめれば、約一日使える時間が増えることになる。週8日。これは大きな変化である。
もし本気で情報ダイエットに取り組もうとするなら、ネットオークションでTVを売るか、
友人にあつかってもらうことを勧める。

 P-24 ー未来のないゲームー
この数年で、ゲーム業界が不振に陥っている。一般的には、携帯電話に市場を取られた、次世代機を持っている、
などいうものだった。 プレーステーションでゲームの頂点を迎えた。実際に、マイクロソフトからもX-box360と
呼ばれる次世代機が発売され、僕も使ってみたが、映像がきれいになった程度で、欲しいものではなかった。
 わかりやすく言えば、iPodほど価値観をかえるものではない。
オンラインで音楽を入手して、それを一万曲ハードディスクに詰め込んで、外に持ち出す。
音楽の入手を一貫して提案できたのはアップル社だけであった。・・・
では何故ゲームをやらなくなったのか?僕はこの数年来、「街の構造がゲーム化したから」と答えている。
簡単に言えば、ドラゴンクエストなどでポイントを貯めたりレベルを上げることより、
家電量販店のポイントやマイレージを稼ぐ方が楽しくて現実的で、美少女ゲームをやるより、
出会い系サイトのほうが楽しいということだ。ITが普及したことで、実写がゲーム化したことも大きい。
大金をかけた架空の箱庭のゲーム・コンテンツが、現実社会に根ざしたちょっとしたメールに負けているのだ。
時代はブログのような発信可能なメディアへとシフトしているのだ。
大情報化になってしまって時間がなくなったのである。非現実的なものに触れる時間は、
まず第一に削られることになった。 それがゲームである。

ーーーーーー
解)これを読んでいて、全くと思う。 私が40数回いった秘境ツアー、あれは旅のゲーム化である。
それも、その地域を熟知している専門代理店の企画に乗ったバーチャルに近いものである。
その道の専門家からいったらあれは偽もの。 しかし、お客はそれでいいのである。
詳細は帰ってきてから、TVや図書館にある写真集や、冒険家の本を読み返せばよい。
リスクは負いたくないし、タンザニアなど危険すぎて単独旅行などできない。
なら企画モノに乗ればよいのである。情報は幾らでもある、それを元にいかに構造を組み立てるかが、
個人個人に求められる時代ということである。日本は、その点では非常に知恵のある人種。
可能性は幾らでもある時代になってきたということか!
              ヾ(・ω・`)ノバイヾ(・ω・`)ノバイ
・・・・・・・・
2006年05月22日(月)
1875, 大相撲・千秋楽
              才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*)

   大相撲は初日と千秋楽が何ともいえない緊張感があって面白い。
   今場所は、朝青龍が怪我で休場をしたが、最終的には白鵬が優勝をした。まあ順当であろう。

最近は千秋楽の翌日に、大相撲について書くことが多くなってきた。
この数年間(若乃花・貴乃花時代が終わってから)全くつまらなくなっていたが、
最近になって徐々に面白くなってきた。今場所も以前から比べると空席が少なくなったようだ。

日本人、モンゴル人、旧ソ連圏のグループの対決が鮮明になり、
モンゴル相撲と、トルコ系?レスラーの異種格闘技の様相が時代にマッチしてきた。
ただ若い有望な力士は殆んど外国人力士の上、幕内上位の半数が外国人力士というのが気になるが。

    一部屋に外国人力士一人という制限があっても、段違い?外国人が強いのだから、その制限をとったら
    幕内の殆んどが外人力士になってしまう。まだ幕下に強い外人力士が数人いて、まもなく上がってくる。
    金髪の把瑠都という力士も、怪我さえなければ横綱昇進は間違いない。
    白鵬、朝青龍、把瑠都の時代が3~5年は続くだろう。

先日、新聞に載っていたが、過去の15日制になってからの全データーを調べると、
7勝7敗の力士の勝率は8割という。その数字は明らかに八百長の存在をあらわしている。。
そのため千秋楽の前日は、翌日の番組発表は幕内の取り組み後になっている。
ただ、最近は携帯があるから?・・・

自信を無くしていた日本人も持ち直してきた。相撲を始めて二年もしない新入幕の金髪力士が
優勝に絡むのだから、相撲の深みとは何?なのか。
ただ、立合いの気合いが大きい要素というのは、他にない格闘技である。

・・・・・・・・
2005年05月22日(日)
1510, ご自愛のほどー2

この本は仕事も家庭も愛するひとりの女性が、長年の経験と知恵と、大切にしてきたことを娘のために綴った、
詩のような言葉である。 著者は、この本を完成させてまもなく、命まで本にこめて亡くなってしまう。
そう思って読むと、またどの一行も深く感じるものである。彼女が亡くなった後で、娘が自費出版を続けていたのが、
出版会社に目がとまり、多くの読者に読まれるようになった。

多くの人が、自分を愛することに疎いだけでなく、むしろ憎んでいるように思われて仕方がない。
まず、ありのままの自分を、ふかく、ちゃんと、しずかに、ゆったり、愛することが必要である。
「着飾った他人向けの自分が好かれる」ことよりズット大事なのに。

  ーーーー

自分を ありのままに愛してみたら
ふりかえることが できるようになった。
自分が混乱していたときのことを闘っていたときのことを
かなしみに打ちのめされていたときのことを
そして こう思うようになったのだ。

ーそれらもまた わたし自身の姿であり 愛するに値するものだ。

ーーーー

自分を深く愛してみたら
心を思いきり広く 開けはなてるようになった。
そして この世をおおう苦しみもかなしみも 受けいれられるようになった。

 ーーーー
以下は字数の関係でカットしました。

・・・・・・・・・
2004年05月22日(土)
1145,「デフレ・スパイラル」について

 資産デフレと物価デフレが、装置産業にいるためか深刻である。 そこで、デフレについて、調べてみた。
 現在の世界の経済は、有史以来三度目の大きな屈折点にある。 21世紀はデフレの世紀になるだろう。

・経済の第一の屈折点は、10000年前の農業革命である。人類が定住を始めて物々交換市場が成立した時点。
 第二は16世紀の欧州でおきた中世荘園制度から資本主義への脱皮。
 三度目は1980年代からおこり現在まで至っているデフレ革命である。
 ー情報革命による、コスト削減と一物一価に集約さていくプロセスで物価は下がり続ける
 
 特に日本は深刻である。
・安価な労働力を(日本の25〜30分の1)豊富に持つ隣国・中国の輸出供給力がある、
 欧州にとっては東欧・旧ロシアが、それに当たる。
・資産バブルの清算がまだ終わってない
 80年代の上昇分の反動が必要になったが、まだ土地の時価総額1500兆円は
 名目国内総生産の約三倍、イギリスの一倍に対してまだまだ地価は差がある。
・デフレ解消にはまだ10年20年以上はかかる。 いやまだまだで今世紀はかかるのだろう。
 
 デフレス・パイラルはまだまだ続くことは間違いはない。
 特に地価は日本では、更に半分以下になると予測される。
 
 現在の日本は、戦前の昭和19年か20年の前半の終戦前夜に酷似している。終戦というより敗戦である。
 現在、中国関連とIT関連で少し景気は上向いているように錯覚しそうだが、実態は全く違うといってよい。
 とくに消費を引っ張ってきた団塊の世代が、社会の中心から外れようとしている。
 経済は年齢構成の問題であるというから、日本は特に絶望的である。
 
・・・・・・・・・・・
2003年05月22日(木)
778, 私が10歳の頃-1956年

 長岡の坂之上小学校4年から5年生に進級した頃だ。
10歳までが長岡駅前の繁華街の四つ角の衣料ディスカウントの店の3階に住んでいたが、
この年に駅裏の台町(現在ーとーちゃんラーメン)に転居していた。
それが転機であった。 あの慌しい店の上の日々が、静かな生活に一変した。

 丁度その頃に、初めて勉強に目覚めた。 ある姉に勉強のコツを教えてもらった。
「一教科でよいから、とにかく良い成績をとってみろ!そうするとコツが解るし面白みが出てくる」
そうかと思って算数に絞って勉強をしたら、100点近くを取った。 それからコツが解りかけてきた。
とにかく数人のライバルに負けたくないと思って勉強した。

 この頃の虐めは本当に厳しいのは誰も経験があるはずだ。一番激しいライバル関係が出来上がる時期だ。
また自分の身を守る為にも、誰かをターゲットを探して苛めをする。
このあたりから初めて性格ができるのではないだろうか。また家庭内ではいろいろな問題を抱えていた。

母親が重度のノイローゼーになっていた。二人の息子(兄)の不幸の死と、仕事の疲れの蓄積が原因であった。
あまりの悩みの為、心筋梗塞や多くの病気が一挙に吹き出てしまった。
医者にも見放されそうであった。 何回も死線を彷徨っていた。
その中で姉兄も自分も「自分自身を生きる事」で精一杯の時期だった。
今になって当時を振り返ると、家庭の危機であった。母はその後3年間の死闘後、一人立ち上がってきた。
身近で見ていても子供なりに、それが分った。そのあと40年は遊びと趣味をし尽くして亡くなっていった。
死んだ時に解剖をしたところ、心臓の4分の1が壊死していた。それだけ悩みが深かったことが分る。

商売を続ける事は、すざましいことだ。

・・・・・・・・・・・・・
ーその頃の政治や社会的出来事としては、

日ソ国交回復 参宮線列車転覆の惨事 弥彦神社惨事 砂川基地闘争 メルボルン・オリンピック  
ーことば(流行語・話題の発言)は「一億総白痴化」(大宅壮一)
「愚連隊」 「シンタロー刈り」 「戦中派」「太陽族」(石原慎太郎の小説「太陽の季節」から)
「抵抗族」(石川達三の小説「四十八歳の抵抗」から)「デイト」 「ドライ」 「マネー・ビル」
「もはや戦後ではない」(中野好夫)
ー音楽ー
・ラジオ体操の歌[作詞:藤浦洸、作曲:藤山一郎](3月発表)
 ♪ 新しい朝が来た 希望の朝だ 喜びに胸を開け 大空あおげ ラジオの声に 
 健(すこ)やかな胸を この香る風に 開けよ それ 一 二 三

・・・・・・・・
2002年05月22日(水)
414, サッカー直前の馬鹿話!

一昨日、TVでサッカーのキャンセルがここにきて大量に出て、開催地のホテルが深刻な?
悩みというのを放映していた。一年前の説明会で25パーセントの紹介手数料と聞いて、何を馬鹿な!
それなら逆に、他の一切の代理店の予約もとらないで、落穂拾いの方針に切り替えた。
黙っていても、溢れたお客が流れてくるのを拾ったほうが有利に決まっている。
どこかの国の訳のわからない総代理店、何の保障がない。

昨日のTVで、それに合わせて開業予定のあるホテルが、設備を代理店の言うままに追加投資。
それが直前になって90パーセントが解約されてしまったという。泣くになけない状態とTVで責任者が嘆いていた。
何処かの県?の旅館組合の代表が、この時期に毎年やる他のイベントがそれを嫌がり、他の県に移った。
むしろ普通の月よりマイナスだと、間抜け顔をして言っていた。
少し考えれば、幾らでも知恵が出てきそうなものを!普段の月より、一割も稼動が増えるかどうかのレベルの話。
去年、プレの大会があった為、前年並みで終わる可能性がある。ただなんとなく街に人が多い感覚で終わるだろう

・・・・・・・・
2001年05月22日(火)
チャレンジ100

60歳までに50回 外側―異境秘境をメインに旅行の目標を数年前にたてた。
ねん3回ずつ最終年4回で達成だ。今まで34回面白かったし、エネルギーも
つかった。この分だけ人生に上乗せという感だ。年三回というと家内の分も含め
ると2百万余かかる。ゴルフはやらず、居酒屋スナックは4000円以下、
もちろん国内旅行は一切行かず、更に日本に居たとしての生活代がかからない事
を考えると、それだけでプラマイゼロである。数年前かいた履歴を一昨日書き加え
た。好きでない人間には金まで払って何をやってんだと思うだろう。 
「35」北欧ーロシア-スカンジナビァ           ・06
「34」メキシコ                    2001.01 (以下、字数の関係でカット2,008年5月22日)


2604, 最近みる夢 −2

2008年05月21日(水)


前回、「空からパラシュートから飛び降りて、墜落し、気がついたところが海底の檻の中で、
もがいている所で目が覚めた夢」を書いた。そこで、その夢分析をしてみた。

・まずは「空を飛び降りる夢」
空は束縛のない自由の世界。 現実の世界は覆いかぶさる責任ある仕事の重圧や、
会社や家庭という束縛、日常の退屈など、知らないうちにプレッシャーがある。
空から飛び降りる夢は強い脱出願望の現れ。 また落下することは、強い不安の現れである。
不幸な境遇に陥る、ひどい気分に落ち込むなどを、敏感に感じ取っていることを現わすから、
サブプライム問題で更なる不況への不安感や、還暦を過ぎたことの焦りなどが、夢に集約されている。

・「落下途中にパラシュートが開かない」 これは開くはずのパラシュートが半分しか開かずパニックになる、
予定していた想定が、外れる不安である。この歳になると、いつ死に直面するかもしれない不安感の顕れ・

・次は、「海に落ち、海底の牢獄の中で檻から出れないでもがいている」部分。
これが面白いのである。 夢の中で、海なら助かると自分で直感的につくりあげた瞬間創作。
海は欲望、それも自我愛である。 海底の牢獄は自我愛の牢獄。そこでもがいて死の境にいる私の顕わの姿そのもの。

・そして、「ああ、このままでは死んでしまう」と恐怖を持った瞬間に目が覚めた。
死の夢は、 古い自分が死んで新しい自分が生まれる前ぶれという期待。
従って死ぬ夢は、新しい人格の為に古い人格が死ぬことを意味している。

 解釈の問題だろうが、それにしても人間の顕わの姿が、自分の夢に示されている。
現在、色々の問題で混乱している部分の己を、こういう夢で光を与えてくれていると
解釈すると、驚きである。 一種のユング的な夢と受け止めることができる。
夢そのものより、解釈のほうが面白いだけか?? 受け止め方である。 

前夜、これを書いたためか、これに劣らないほど?面白い夢をみたが、
ほぼ断片を残して記憶の彼方に消えた。

・・・・・・・・・・
2007年05月21日(月)
2239, 宇宙に他に地球のような星があるの?
                    ヽ(★>з<)。o○[ォハヨ]
    以前にもすこし書いたことがあるが、20年以上前の話。
    夏休みの午前中にNHKラジオ放送の「子供電話相談室」に、
   「宇宙に地球のような星が他にあるのですか?」という質問があった。
    子供は純粋だからこそ鋭いから、偉い先生もタジタジすることが多い。
    その時の回答の先生が天文科学者だったが、その名回答に、「成る程!」と感心してしまった。
    ーー
「宇宙に人間が住める星が他にあるかどうか、まだ科学では解ってないの!
でもね、考えてみて、この広大の宇宙に地球のような奇跡の星があって、
人間や生物が生きているとうことの方が、素晴らしいことで疑問なの。
現在どんなに科学の研究が進んでも、解決できないほどの奇跡の結果なのね。
解る?だからね、他に星があるのか疑問に思ったなら、この広大な宇宙に
地球しか無いかもしれない不思議を考えてみる方が重要なの解る!」である。

車を運転しながら「何ということをいう学者だろう!」と驚いてしまった。
最近マスコミで、「さほど遠くない星に地球に酷似した環境の惑星が発見された」
と発表されたが、生命がいるということではない。

哲学者の池田晶子が、最近TVに頻繁に出ている怪しげな「来世」など
「生まれかわり」を話す江原啓之を、一刀で切り捨てていた。
「いま、生きていること自体が不思議で解らないことばかりなのに、
 何で来世など問題にできるの?笑ってしまう」と。全くその通りである。
現世を地球人にたとえ、来世を宇宙人にたとえれば面白いのかもしれない。
宇宙人を問う前に、地球人とは何か知るべきである!
その視点で江原啓之の話をTVで聞いていると、下手なお笑い芸人よりズ~ッと面白い。

 ーウキィペディアで江原啓之を調べてみた。以下はその一部ー
「オーラの泉」において、霊視して部屋の中を言い当ててゲストを驚かせ(当然節度を守った範囲でだが)、
番組を盛り上げるデモンストレーションは有名。 また美輪と共にその人生の転機を説いて、人生の転換を
助けるなど数多くのカウンセリング実績を残している。
相談の際に「必要以上に相談者及び他人の非難や中傷をせずに生き方を説く」
ことでも知られそのメッセージは多くの支持を得ているが、自身の解説する
心霊世界を信じない、異論を唱えたりする人間に対しては、
「魂のレベルが低い」とコメントするなど、やや強引な面も垣間見られる。
 ーー 
   異次元の視点で自分を見つめなおす機会を与えることは、バーチャルの好きな人には良いのか?          
                      バイバイ!(゚▽゚*)ノ~~
・・・・・・・・
2006年05月21日(日)
1874, 人生の質×量=人生の総量
            才八∋ウ_〆(∀`●)

4月19日のバードウォッチングの中で、
「人生の真実は、人生の勝敗で勝ったとか負けたとかは関係ない。人生の質は常に喜ぶことのできる能力に比例する。
その喜ぶ能力は、日常の細部に目をやることによってもたらされる」を紹介した。
(モーニング・ページを紹介してある「ずっとやりたかったことを、やりなさい」 の中にあった言葉である)
この言葉が頭の中に残っていて何度も思い浮かべているうちに、
人生の質×人生の量=人生の総量(豊かさのレベル) と思い至った。

    人生の質は認めるが、それだけでは男として物足りないと考えているうちに、
    人生の量(行蔵)も大事であると思いたった。そらから人生の質×人生の量=人生の総量ではないかと。
    そして総量があるラインを越すとアップ・スケールが生じる。蛹が蝶になる脱皮である。   
    総量が一段上の質へ転換することだ。 人生の質だけでは何か男として物足りない、量も大事では?
    と思ったことが、これで筋が通ってくる。
    アップスケールし続けることで総量(豊かさ)が増え続けることになる。

人間は、それぞれの立場で、立ち止まることなく、変化(アップスケール)をすればよいのだ。
少し歪んだ立場(場面)になると、人間は自分の人生を必死になって肯定しようとする。
誰も何らかの形で、現状を肯定しようと必死になっているものだが。

幼稚園から、小学校、中学校、高校(大学)、社会人、親・・と、それぞれの立場が変化していく。
その時々の立場を喜んで受け入れ、肯定して次の立場へのステップをしながら脱皮続けることが、
人間のあるべき姿ということになる。 「人生の質とは成功も失敗も喜んで受け入れる能力に比例する」
ということからみても「好きなことを見つけ、それをやり続けること」こそ、人生を豊かにするである。

「人生の質=喜んで人生を受け入れる能力」という言葉から、人生を考えてみた。
          ヾ(^ω^*) バイ! 
・・・・・・・
2005年05月21日(土)
1509, ご自愛のほど−1
 「もっと自分を愛してごらん」−1
                   −読書日記
図書館で何げなく借りてきた本である。女性向の本だが立ち読みをして、心が和んだので借りてきた。
簡易な短い言葉の奥にある優しさや力強さが、そのまま感じられ、また見る度に気になるページが
変るから不思議である。 すっと自分の心に入るもの。ちょっと考えこんでしまうもの。

自分を愛すると変わってくるもの。自分を満たすと見えてくるもの。
そのページごとに深い愛情が、言葉の底から湧き上がってくる。
その愛情が自分を楽にしてくれ、誇りを感じるようになり、また深い自分に気づくようになる。
実際に「自分の娘に語りかけるように」して書かれた内容である。
一人、孤独に浸るときなど、女性だけでなくとも読むと良い。
また心の疲れや悩みを和らげてくれる。 まず、自分を愛してみることである。

ーその幾つかを書き出してみるー

もっと自分を愛してごらん すると すぐにあきらめたり 妥協したりしなくなる
 ーーー
もっと自分を愛してごらん
すると自分のいいところが見えてくる。
 −−−
もっと自分を愛してごらん
すると 今いるここ この時代こそが
実は自分にピッタリの居場所だったのだとわかってくる。
そして むだな力が 抜けていく。
 −−−
もっと自分を愛してみたら
ひとりでいることが 好きになった。
静寂につつまれ その魔法にも似た力に打たれながら
自分の内のはるかな広がりに 耳を傾けるようにして。
 −−−
自分をしずかに愛してみたら わかるようになってきた。
べつにわたしは 特別な人間ではない
でも この世に ただひとりしかいない人間だ と。
 −−−
自分をしずかに愛してみたら
「成功する」ということの意味が変わって
人生がシンプルになった。
ああ 毎日が 何と すがすがしくなったことだろう。
 −−−
もっと自分を愛してごらん
すると かわってくる。
人生を追かける必要のないのだ、と。
しずかに あわてずにいれば
人生のほうから やってきてくれる と。
 −−−
自分を深く愛してみたら 心の痛みというのは
わたしが何か 神様の真理からはずれたことを
してしまっているシグナルだと わかってきた。
 −−−
ちゃんと自分を愛してみたら機会あるごとに せっせと歩くようになった。
階段を歩くようになった。 景色のいい道を 選ぶようになった
ーーーーーー
以上のような詩が 82も書いてある。

左側には母親の自筆のノートが写真で。
右側が訳者の言葉で・心がこもっているためか、どれを見ても染みるように響いてくる。
「もっと自分を愛してごらん」
  キム・マクミラン著  文藝春秋社 
 ー明日も、幾つか書き写す。
                  ーつづく
・・・・・
2004年05月21日(金)
1144, つれづれに -不安

・テロの脅威
アルカイダ幹部が、昨年9月まで、一年二ヶ月も新潟に潜伏していたという。
経歴もかなり年期の入ったテロリストで、本人がその気なら何時でも大きなテロを起こせたようだ。
まさかと思っていたが、身近な問題になっていている。

ドイツで捕まり、取調べからこの事実が初めて解ったのだ。
上越新幹線か柏崎原発辺りは、何時でも可能であった?スペインやインドネシアのテロが思い出される。
国内への600万の入国のチェックは、かなり難しいだろう。
参院選挙が近づいてきて、非常に危なくなってきているとみたほうがよい。

もし、新幹線などのJRの駅でテロがあったら、直接に商売が上がったりになることは自明である。
最近、新幹線のホームで警察官の姿が目立つようになったのも、こういう情報に基づいてのためであろう。

・今度はUFJ銀行
「りそな銀行」の国家管理が落ち着いたと思ったら、次のターゲットが「UFJ銀行」になってきた。
3年連続の赤字で、今期は3000億の赤字とか。関連のUFJ信託銀行を、住友信託に3000億前後で売却に入るとか。
東海銀行にしても、三和銀行にしても、硬い基礎の銀行で、悪いなりに大丈夫というイメージがあったが、
このデフレ・スパイラルには抗しがたいようだ。グループの三人のトップは引責辞任とか。

・・・・・・
2003年05月21日(水)
777, 何ともいえない日々が続いている。

 中小企業の8割が赤字、一割がボーダーライン、一割が黒字だそうだ。
数年前までどんな時代でも3割は堅実経営で、黒字であると税理事務所の
担当がいっていたが、いまやそれが一割だそうだ。ここで景気がさらにおかしくなってきた。
数人の堅実経営の知人の会社が、ボーダーラインか、赤字に入ってしまった
と聞いている。当方もこの一〜二年で可能性がでてきた。

そのパターンは
「勝ち組で、同業者を食べて生きてきたが、食い尽くしてしまった感じ」というのが共通点である。
大津波は全てをのみつくしてしまう。といって自分だけは生き延びなくては
ならないのが経営というものだ。「後は野となれ山となれ」ともいえない。
今年は何とかいけそうだが、来年は全く解らないという人も数人いる。
うまくいっているところは過去に合理化を迫られて、体質が現状にあっているところだ。

 明日はわからないというのが、全ての会社の偽らざる事態だろう。
もし県内にSARSが出たら、全国的に蔓延したら、宿泊業者や流通業や
デズニーランドや飲食店などほとんどが壊滅的状態になる。
第一次世界大戦時に、スペイン風邪で2000~4000万人死んだという。
戦争の為、情報統制をしていた為に社会的な混乱は最小で済んだという。
日本でも26万人死んだというが、SARSがこの状態になる前に防ぐことができるだろうか?

 中世に黒死病ーペストが流行って欧州の人口の何割かが死んだ時に、ユダヤ人だけは無事だったとか。
ユダヤ人の陰謀ではないかと疑われたが、彼等は戒律に従い、
手と身体を清潔に保っていたのがペストにならない原因だった。
話が変わるがユダヤ人は子宮ガンにはならないという。これも清潔に関係しているという。

世界的な不景気とデフレ傾向は当分続きそうだし、北朝鮮問題やテロや
エイズなど暗い問題が多いが、せめて気分は前向きにしておきたいものだ。

・・・・・・
2002年05月21日(火)
413,ー印象に残っている両親の言葉ー

母から聞いた言葉で「片耳だけを聞くな」という言葉があった。昔から、ちゃんとそういう言葉があったのだ。
世間知らずの人や、人の良い人を利用しようとする時、あるタイプの人(片耳内幕情報や)が利用する。
三流マスコミや株屋、そしていびつな組織人が良く使う手だ。

要するに一方的の話しだけを聞いて判断するな、数名の人の話を聞いて判断すべきという事だ。
何人かに聞いているうちに、その背景見えてくる。

「あと歯に血がつく」という言葉も、母から聞いた。博打で勝ってその味を知ってしまう事をいうが、
上手い言葉だ。歯についた血がいつまでも口に残る。

今はあまり言葉として聞かないが、父が使っていた言葉で「てんごうを欠く」があった。
自分の力の以上の仕事をして、失敗することを言っていたので、天の理を欠くで、「天合」?
を欠くというのだろう。倒産した会社の社長を何時もそう非難していた。

「きみせをするな」とも、子供の頃よく言われた。
他人におどけて見せたり、パフォーマンスをするなという意味だった。
大家族のせいもあって、あまり目立つ行為をするなということだった。
 
 家内に時々そういう類の言葉を使い、「明治生まれの両親の子」とからかわれている。

・・・・・・・・・・
2001年05月21日(月)
つれづれに

今日3時半に目が覚める。4時半に散歩にでる。この時間でもけっこう歩いている人がいる。
土手を朝日をうけて歩くとこの上なく気分がよい。このところ5時間も寝ると目が覚める。
爆睡しているせいか、寝不足に感じない。最近CS−TVの癒し系の番組268チャネルを』
申し込んで音楽を聞いているが映像もいい。何回も書いているが、このソニーのBSハイビジョンTVはいい。
映像つきラジオ番組472チャネル―マザーアースもいい。


2603, 最近みる夢

2008年05月20日(火)

          (p≧w≦q)オッ☆ ハ!
   最近みる夢は、ますます深遠の奥にある中心に入り込んだような内容が多い。
  一昨夜の内容といえば、
 飛行機からパラシュートで落下するが半分しか開かない。
 先に飛び降りた人達のパラシュートは開いているのに・・・
 そして海に落下する。そして気づくと海底の牢獄のようなところでもがいている。
 ところが檻があって海面に出ることができない。生死の境目を漂っているようなストーリーである。
 最近、図書館から借りて目を通した「死のまぎわに見る夢」の影響だろうか。
 哲学書の生死の問題について読んだばかりのためだろうか。
 映画でみたダイビングのシーンの影響か。 その全てだろう。
 夢とはその人に深く埋もれている創造性が出るというが。
 現時点の、死に対する潜在的なイメージだろう。

  何度も書いたが、父親が死んだあとに父のベッドで見た夢は、心の奥深く刻まれている。 
  亡くなる前の数ヶ月、父は「死にたくない」という死の恐怖と闘っていた。 
  一緒に住んでいたので、その気持ちが私には痛いほど感じていた。
  亡くなった数日後の深夜に、父のベッドで、その気持ちに乗り移ってしまい「死にたくない、死にたくない」
  という父の気持になったのである。 その夢から覚めたときに、「何だ生きているじゃないか!」という、
  父の感覚が乗り移って現に生きているという不思議な感覚である。 魂が入り込んだとイメージである。
  魂は不死という不思議な感覚を、その時に初めて実体験をしたのである。
  27歳時だったが、それ以来20年近く、霊能力みたいな五感以外の感覚が私の中に入りこんでしまった。
  最近は、殆ど無くなってしまったが、何時また出てくるかもしれない。

 夢の内容を意識的に思い出し考えると、不思議な世界を覗き込むようである。
 深い得体の知れない自己の深遠の世界をみるのである。
 その奥は、想像を遥かに超えた自分の経験の積み重ねだけでなく、
 何億年の生命の経験の積み重ねの記憶まで広がっているようにさえ思える。
  
 考えてみれば、宇宙の一点で独り彷徨っているのである。
 それを真に気がつくのが死の間際だけとは・・・身近な不幸な死を垣間見たとき、
 つくづく感じるのである。 群れているしか身の処し方を知らない人こそ、そうだ。
                         (*´・ω・)ノホナ
・・・・・・・・・・
2007年05月20日(日)
2238, お金の正体 −2
  (*゜ロ゜)ノミ☆【おは〜♪】
                  −読書日記

ーまずは面白そうなところを幾つか抜粋して考えみよう。
P32−
 ここで不動産のイロハを言うと、
・土地、建物の値上がり率は経済成長率より低い。 
 ロンドンでもニューヨークでも、50年~100年間の統計がそうなっている。
 その理由は固定資産税をとられるからで、経済成長率より低い分はちょうど、
 税金額に見合っている。不動産に対する税金は逃げようがない。
・ロンドンやニューヨークで不動産で財産をつくった成功者がいるが、
 その人たちは大抵ユダヤ人である。ユダヤ人相手に売買して負けになら そうぞおやりください。
・ロンドンでもニューヨークでも人口が爆発的に増加した時があった。
 その初期に買った人は巨万を築いたが、やがて町にも必ず衰退期がくる。
 その前に売り抜けないと! 一等地だから大丈夫という人は大抵騙される。
 これは古今東西に通じる真理である。

 結論をいうと、土地に限らずお金をまわして儲けるのは、自分で事業をおこして儲けるよりも楽ではない。
 確実だとはいえない。 事業そのものを見る力のない人は不動産売買に近づかないことだ。
 土地は万能基本財だが、それでも大きな浮き沈みの波に晒される。
  ーーー
    解)身に染みて解ったことが不動産の浮き沈みである。
      これが解らないから苦労するのである。大銀行もである。
      そして、また都会を中心に土地バブルがおきようとしているが、
      今度は利益還元法で割り出した裏づけを求められるだろうから、以前とは違うのだろう。
 −−
P120−
 *格差社会といっているが
 日本は精神でも身分でも経済でも平等な社会をつくることでは、
 世界で一番成功している。いまはだいぶ崩れてきて格差社会といっているが、
 5~10年前に比べればの話で、国際社会からみれば世界で一番平等な社会である。
 だから格差社会を問題にするなら、それは5~10年前に戻せばよいのか、それともそれ以上に、
 もっと平等にしなくてはいけないと考えているのか、そこまで考えて欲しい物である。
 格差ができたということは、格差さえ甘受すれば自由が増えるということである。
 事実、今の日本は、格差がない平等社会をつくるために、いろいろな制度をつくったために
 大きく自由が制限されている。
 「私は学校に行きたくありません」とか、「野垂れ死にしてもほって置いてください」と答えない。
 「私は失業しないように真面目に働くので失業保険は払いません」というのも、
 強制徴収制度だから実行できません。
 「私は病気になっても病院に絶対行かないので健康保険は払いません」とか、
 「年金はいりません」というのを実行すると、国家負担分や企業負担分をもらいそこねる。
 あまり差があるのは良くないが、全くないのもよくない。
 ときどき締めたり、ゆるめたりすれば、両方のありがたさがわかって良いと思う。
 挌差には色いろあって、その一つが経済であって、それでしかない。
 昔ギリシャには美人税があった。美醜の差で課税で公平化しようというアイディアだ。
 多くの女性が自発的に納税を申し出たとは面白い話である。
 ーー
   解)昨夜も、NHKのゴールデンタイムに地域格差の是非の特番を組んでいた。
    グローバル化の時代、世界の格差社会の構造がストレートに影響してくる。
    日本も仕方ない!というしかない。情報化社会とは、そういうものである。
    弱肉強食の原理を入れておかなと、世界の中で国家として劣敗していくしかない。
    5〜10年前には戻れないのである。弱者は消え去るしかないのである!
    経済的な格差が、この数年で大きくついた実感がする。
    しかし、経済だけが優勝劣敗の基準ではない。
    「太った豚より、痩せたソクラテス」の方が良いに決まっている。
    それはソクラテスー考えられる人という条件がつく。
    「バカな考え休むに似たり」にならないためにも考え続けなければならない、ということか!               
               (○´ω`○)ノ**SeeYou**(○´ω`○)ノ
・・・・・・・
2006年05月20日(土)
1873, 「ノート術」本当の極意 −1
    \(^▽^*)おはようございます!*^▽^)/                    
本屋の中を徘徊?をしていたら、ー日経ビジネス・アソシエー という雑誌に
「ノート術」本当の極意 があった。 朝刊の広告にあったものだ。

7~8年前に、「天才のノート術」を分析してあるトニー・ブザンのマインドマップ方式のノート術を知り、
これを中学校時代に知っていたら・・と、目から鱗が落ちる思いであった。
ノート術そのものが、脳の力を強化する思考技術だったのだ。このテーマ日記も一種のノートである。

    最近になって、モーニング・ペイジという習慣を身に付け、これも目から鱗であった。
    これらを人生の最後の直線コーナーに入って気が付いているのだから・・
    いや何度か気がついていたが習慣化までいってなかった。しかし気が付かないよりは良いだろう。
    随想日記の五年間書き続けたことも、自分にとって最大の収穫である。
                 。。。φ(ー` )メモメモ
                       ・・・ボキッ!!☆_/o(□`;)!!
話を元に戻すが、この本の内容は奥行きが深い。
この特集では、15人のノート術を紹介しているが、その何人かを纏めてみよう。
面白いのが紙面で、そうは書いてないが、内容の濃い順に書いてある。
ノート代わりに写してみる。      −−φ(.. ) メモメモ
                  あっ間違えた_ロ(.. )m ケシケシ
                 やーめたφ( ゜゜)ノ ポイ でもなぁ( ..)_ ヒロットコ
 最初のユニ・チャームの高原慶一郎氏の「ノートがあなたを成長させる」の要点をまとめてみよう。
・45年間に書いたノートは650冊以上。
・テーマごとに分けてノートをとっている。 
 海外出張、コンサルティング、セミナー、人生シナリオなど。
 −大きなくくりとしては、「世界を知る」「経営の定石を体得する」「自己と組織開発」
・世間にありふれた情報や知識をノートにまとめることで、自分として根づく。
 その際に、漫然としてとるのではなく「1P6W2H」でまとめます。
 -priority −優先順位 
 -6W=5W+whom
 -2H=how to, how much.  こうした視点で、自分の思考を瞬時にまとめる。
・ノートはコクヨのA4サイズの「キャンパスノート」に100円のボールペンで書いている。
・あらかじめ最初の数ページは目次と要点をまとめるページに
 割いておく。それぞれのページの欄外には気づきやヒラメキを書く。キーワードにはマーカーをひく。
・書いたノートは執務室の書庫に保管して、いつでもオープンにしています。
 ナレッジは共有・継続するものなので、体系的に整理して「ユニ・チャーム語録」
 としてまとめました。 それを社員手帳に収録し、全社員に配ってます。
      
.._〆(・∀・@)...〆(´U`*...φ(・∀・*) _φ[・ω・`*]メモメモ♪
   ー高原会長が書き続けてきて、ノートは何か?という実感は?
   ノートはただ記録するだけのものでなく、
   人生を豊かにする一番身近な、毎日できるトレーニングの方法。
   スポーツ選手のプロが朝から晩までズットトレーニングをいている。
   それは頭で覚えるものでなく、身体で覚えるものである。
   ビジネスパーソンにとってのノートも同じである。
   毎日書き続けることによって、自分の能力が高まり達成感が得られる。
   誰でもやろうとすればできることを、一流の人は繰り返し継続をする。 継続は力です。

 元来、人間は考え、行動を繰り返す生きものです。
また自分の内なる欲求と外部の刺激によって成長し続けるもの。
それが私の場合ノートでした。 これらのノートは私の価値観の軌跡といえます。
自分の人生観や職業観を全うするためにも、これからも書き続けていきたいです。
 −−−
 経営セミナーで、この人の姿を何度か見かけたことがあった。いつもニコニコしていて目立つ存在であった。
 そして最前列でメモを取っていた。 その利用の仕方からして充分に消化しているのが窺い知れる。
                つづく     (* ̄(エ) ̄)ノ  バイ
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2005年05月20日(金)
1508, 猛女怪女列伝ー2

ー藤田小女姫ー

美人霊能者として一世を風靡し、時の政財界の大物まで占った女性占い師である。
ところが1994年、ハワイで子息と同時に別々の場所で殺され、
その真相は現在も充分明らかになってはいない。
彼女は結婚後3年で離婚(1964年)、1968年には経営していた有楽町のサウナ風呂の店が
焼け従業員3名が焼死した。その責任として、執行猶予つきだが有罪になっている。
その辺りから彼女の霊能者としてのピークは過ぎた。

彼女は政財界との交流が多く、野田醤油がキッコーマンに、産経新聞がサンケイ新聞に改名した
背景に彼女のアドバイスがあったと言われている。またワシントン・ホテルを経営する
藤田観光の名前の由来が彼女の名前にあやかって付けられたといわれている。

米誌『ニューズウィーク』のインタヴューに応えて行なった予言は、
韓国の朴正熙大統領の暗殺予言が未遂であったことを除いてすべて一応的中していた。
彼女が小学校の2年生の時(昭和21年)に、ハワイから来た狐が耳元で、「コトドメヒメ」と囁いた夜を境に、
「ものを聞かれると頭の中でタイプを打つような音がして無意識のうちに言葉がヒョイヒョイでるようになった」
という。そして、その素っ頓狂な調子で予言を口はしる美少女は時の人になる。

当時の政治評論家の細川隆元も、彼女の能力を買った一人である。
日米安保条約の改定案成立に、日本中が騒然となった昭和35年、時の総理の岸信介が、
細川に藤田小女姫に会わせてくれと頼んできた。 この時、彼女は22歳である。
岸は、彼女に「安保は通るか通らんか」と訊いたところ、
「断固とおやんなさい。通ります。そのかわり、通ったあとに、内閣は長く持ちませんよ」と答えたという。 
あとで岸は、「彼女がいなかったらいまの自分はなかっただろう」と呟いたという。

最後は殺害されて彼女の人生の幕が閉められたが、自分のこと以外は、彼女には霊感があったようだ。
しかし、実際に霊感があったのは小女姫の母親で、娘は母のプロデュースによってつくられたただの
タレントという話もあったという。しかし余程の霊感がなければ、多くの大物が心酔はしなかっただろう。

ー新潮45−4月号参照ー

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2004年05月20日(木)
1143, 宇宙とは自分の脳みたいなもの!

この言葉に出あった時に、真言密教の奥義を知ったような深遠な感覚を持った。
宇宙といえば、太陽系があり、銀河があり、その銀河が数百億あり、その銀河系の中に
ブラックホールがあって、もしかしたら、そのホールが他の宇宙のトンネルになっている可能性がある。
地球物理学者の松井孝典氏の本の一節で、「この宇宙が『自分の脳』みたいなもの」
と言ってのけるのだから驚きである。 凄いことを言うものである。
(字数の関係でカット2,008年5月20日)

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2003年05月20日(火)
776、「ドラッガーとの対話」  −読書日記ー2
『未来を読みきる力』

 この人の日本における経営者への影響は絶大なものがある。
ドラッガーの経営書と司馬遼太郎の歴史小説と、山岡荘八の『徳川家康』は戦後の経営者のバイブルであった。

若くして学んで、いまや忘れ去ってしまった原理原則が多い。
以下はドラッガーの名言録を書き写した。 なかなか深く耳の痛いところが多い。
企業は常に若く前向きで、改革をしていなくてはならない。
自分の立場を守る為、改革を阻止するヘドロは退場すべきである。
自分では気がつかなくなってしまうのが恐ろしい。
自戒の言葉であると同時に、40歳を越えたすべての企業人に当てはまる事だ。

 大不況の中どうしても後ろ向き、内向きになってしまいがちだが、励まされる内容である。
私のような対人関係が煩わしい人間は「内向けでお山の大将になってしまいがちだ」
自戒の事としてコピーして手帳に張っておくことにした!

ー『ドラッガー名言録』ー
1、「表の風に吹かれろ!」
2、「自分はここで何が貢献できるかを考えよ」
3、「昨日を捨てよ」
4、「お山の大将根性を捨てよ」
5、「物事は、人が思ったり言ったりすることの二倍かかる」
6、「知識は消え去りやすい」
7、「中小企業が大企業に鵜呑みにされ手消滅するなどというのは
   全くのナンセンスである」
8、「アクション(行動)によるフォローアップ(追査)なきプロジェクト
   (計画)は、パフォーマンス(実績)を生まない」
9、 「問題解決を図るよりも、新しい機会に着目して創造せよ」
10、「企業がより大きくなる必要はないが、不断に、良くならなくては
    ならない」
11、「教師が学習を阻害することがある」
12、「人間は単能マシーンではない」
13、「革新とは、単なる新しい方法ではなく、新しい世界観を意味している」
14、「中小企業の経営者は机に縛り付けられてはいけない」
15、「人間というものは、非常に時間を消費するものであり、そして大部分の
    人間は時間の浪費家である。
16、「知識労働者自身に上下はない」
17、「必要は発明の母ではないが、助産婦である」
18、デシジョン・メイキングにおいて、2+2=4という具合に、
   ドンピシャリの‘正しい答え’が出てくるものはデシジョンとは言わない」
19、「最も重要なことから始よ」
20、「知識は本の中にはない」

読めば読むほど、耳が痛い!

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2002年05月20日(月)
412, 次の旅行の予定

ー次の旅行の予定である、だだ変わる可能性があるが。
1、スイス・アルプス 2002/07
2、イラン 2002/10
3、南米のパタゴニア 2003/02
4、南アフリカのナミビア2003/06
5、南米のガラパゴス 2003/10
6、ポルトガル 2004/02
7、アラスカ 2004/06
8、イースター島 2004/10
9、パプアニューギニア 2005/02
10、リビア       2005/05
11、南インド 2005/07
12、アイスランド 2005/10
13、エチオピア 2006/01
  
これで50回ー目標達成である。
ー20??年1月15日ー60〜70歳
 飛び石で世界一周したことになる。60歳は無理だろうが、目標は目標だ。
これ以降は、フランス、ドイツ、イングランド、トルコ、中国などの国の田舎街を
じっくりまわるコースを中心に?

77歳で98回目の人が、シリア・ヨルダンの旅行でいたが。
何か100回が執念という感じがあった。そう思って生きれば、張り合いもできる。
海外旅行紀行などの番組を見ていても、楽しい。

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2001年05月20日(日)
随想日記―テーマ日記

8年前より随想日記―テーマ日記に切り換えた。其のためこのような風変わりな日記となっている。
毎日よくネタがあると思うが何年かんの訓練と、パソコンの中の材料を使っているにすぎない。
6年まえの文章をコピーしてみる。日記お宅になってしまいそうだ。                                  
 ーテーマ日記  H0701
二年前より日記を“テーマ日記”方式に切り換えた。なれるまでは大変だったが今ではけっこう面白い。
この文も去年の一月七日の“テーマ日記”が下敷きになっている。
思いつくまま“テーマ”書き、それをもとに内容を書く。前日みた“TVドラマ”がテーマであったり。
 前夜みた“夢”の内容であったり、“父の思い出”“年記”(年末に日記風に一年をまとめた内容)、
“読書感”であったり。あとでふり返って読んでも面白い。
いかに普段あまり深く考えてない事と、その時点の自分の興味の変化がわかる。
“日記”より雑記に近いが…。(随想、随筆の難しさがよくわかる。)


2602, ごっこ遊び

2008年05月19日(月)

        
 ヽ(★>з<)。o○[ォハヨ]○o。
ーまずは「ごっこ遊び」を、ー辞書で調べてみるとー

【ごっこ遊び(ごっこあそび)はこどもの遊びの一種で、何かになったつもりになって遊ぶものである。
通常、○○ごっこというように、何かの名前をつけて呼ぶ。 何かの職業のまねをして遊ぶ場合や、
テレビやマンガのヒーローやヒロインのまねをして遊ぶ場合がある。
こどもはあこがれを抱いた対象ならどんなものでごっこ遊びにしてしまうので、
「わんちゃんごっこ」や「お人形さんごっこ」 など大人の予想しないごっこ遊びを始めることがある。】
とある。 子供の頃に、多くのごっこ遊びをした記憶がある。
最近は、若者の間にアキバ系で「メイドカフェ」なども、「ごっこ遊び」そのもの。

他にも、ロールプレーイング・ゲームがある。 
元々は戦争シミュレーションゲームから派生したアメリカで考案された遊び。
参加者が各自に割り当てられたキャラクター(プレイヤーキャラクター)を操作し、一般にはお互いに協力しあい、
架空の状況下にて与えられる試練(冒険、難題、探索、戦闘など)を乗り越えて目的の達成を目指すゲームの一種。
様々な設定と制約の元で、空想上の世界で物語の登場人物のように活躍できる。

考えてみれば、世の中の多くは「ごっこ遊び」のようなもので、国が発行している札だって、
所詮は紙に書いた紙切れでしかない。それに価値があると国民が思い込んでいるから価値があるのであって、
冷静に考えてみたら、それって印刷された紙切れ。
子供の頃に紙に書いた紙切れで御店屋ごっこをしたのと何が変わるのだろうか。
お互いに思い込みをして演技をしている「ごっこ遊び」に過ぎないのだ。

その最も滑稽なのが、青少年期の恋愛である。 お互いに理想的な男女を演じる姿も微笑ましいが。
そして、その段差があまりに大きいため、幻滅の時期の白けも大きくなる。成田離婚が、その典型である。
「振りをする」というのも疲れるものだろうが。 世の中、それぞれの役割がある。
その役割をこなすには、まずは「振り」から始めなくてはならない。ぶりっ子という言葉があるが、
これは「振りっこ」のミエミエのことである。俳優も「ごっこ遊び」に徹することから始まり、
最後も、俳優という仕事で配役を「ごっこ遊び」として楽しむところにコツを見つけるのだろう。

まあ、人生ごっこも面白いと言えるかどうか?
                        ヾ(??????)ノ
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2007年05月19日(土)
2237, お金の正体 −1
      「お金の正体」 ー日下公人著
                         (((。・-・)从(・-・。)・゜
「生・死」と「金」の話題は尽きることは無い。
特に「金」に関してはもういいや!と思うが、それでも次々面白い道理に出あう。
しかし、どれを読んでも面白いのは、金が欲の集約でもあるからである。
この本を図書館で手に取ったときは、あまり内容のない本に思えたが、実際読んでみると、面白い本である。
「お金の正体」はつきつめると「その人が求めている幸せは何ですか?」ということになる。
幸せとは何ですか?は、これも単純で解りきったように思えるが、実は深い問題である。
私が好きな「幸せはアルコールのようなもの」とか、軽く扱われない大きな問題である。

以前にも何度か書いてきたことたが、父が死を覚悟した時にジッと私の顔をみて、数千万円の数字を紙に書いて
「この数字と銀行預金の同じ数字と何処が違うのだ?」と深刻な顔をして私に問いかけた。
「事業という楽しみの後に残ったカスがお金である!」が父の口ぐせだったが、
それでは、そのカスも紙に書いた数字でしかないことに気づいたのだ。
「実際に使えないなら現状なら、無いに等しい」といいう言葉を加えた。
しかし両親は、そのカスを更に楽しんで使っていた。それ以上を求めること自体は、
少し求めすぎのように思えたが、それでも逝く直前に割り切れない何かが心が残った。

その時、何かを伝授してもらった。「仕事を遊びまで高めること、そして、そのカスとしてのお金を、
仕事とは別の趣味を見つけ楽しむこと。それも楽しんだら、大らかな気持ちで余韻を楽しむこと」である。

金を哲学的に考察すると、交換手段としてのルール(価値尺度)でしかない。
それでは目的はというと「魂の充足と自由」である。
「金」を通して(物や事で)魂の充足をしているうちに、目的と手段が混同し、
その混同が生き方を誤らせてしまっているのが現代の傾向である。
金という手段で「魂の充足と自由」をやり取りしているうちに、金が魂と同類に思えてしまったのである。
だから価値尺度の通帳を見てニヤニヤしているうちに死に直面してしまい、
「金」が果して何だったのだろうかと錯乱してしまうのである。

ところで私の父親の迷いは何だったのだろうか? その謎解きをしてみよう!
事業を楽しんで当時として、地方では財をなした。
そして、以前の家業の骨董屋の因縁で「骨董」の収集と、「国内旅行」を楽しんだ。
更に豪邸をつくった、そしてその8年後のある日突然死を宣告された。
目の前には、当時の数千万の預金と、幾つかの土地屋敷がある。
「それでも残ったこれは(資産)自分にとって何だろうか?」という疑問である。
死を直面して、混乱をしたのである。

父は事業も趣味も充分に楽しんだ。そう、魂の充足はしたのである。ところが、何かが欠けていたのである。
それは哲学的思考である。それも、難しい哲学ではない。 それで充分幸せであった!
という心の安定を裏づける確信ができなかったのである。
「それでは完全燃焼などあり得るというのか?」という哲学的な答いが出来なかったのである。

父の姿をみていて「哲学の基礎だけは教養として身につけておかなければならない」
ことを教えてもらったのである。

ー以前、書いた一部を紹介してみるー
 ーーーーーーー
 H0903  お金について

 誤解を恐れずに、いや覚悟の上に書いてみる。 これほど重要なモノについて誰も直視しない。
触れたがらないのはその本質があまりにも“現金”だからである!。ズバリお金は“自由の塊”である。
世界の大部分のモノが引換に手に入る!人の心さえも。 それほど強力な魔物である。

それに支配された時、その人の奴隷使いにも変身してしまう。
反対に上手に使えば従順な召使いになる。 父がよくいっていた
“お金がないのは首のないのと同じ位つらい、その苦労はこの世で一番の苦労だ!。”
“お金で奇麗事を言う奴が一番お金に汚い人だ!”“生き金は使え、死に金は使うな!”
“お金の楽しみの(うまくいった仕事の)結果のもの。”
“それは使わなくては紙に書いた絵でしかない。”
“金・金・金!!とどのつまるところ、それだ、それ位重要である。
お金に窮してはじめてそれと気ずく。それを誰も直視しようとしない。
世の中その為に首を吊り、人を殺しもする、盗みもする。
それを認めた上で、それにとらわれるな!とらわれない為にはお金を貯めろ!”。
父の考え方は決して間違っていないと思うし一つの見方だ。でもお金に対して奇麗な人であった!
                    ヾ(´Д`、)マタネ

・・・・・・・・
2006年05月19日(金)
1872, グーグル Google -8   才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*)                
                ー 読書日記
(字数の関係でカット2,008年5月19日)
        ー  お茶どうぞ 且_(゚◇゚ )ノ゙
                              つづく                      
・・・・・・
2005年05月19日
(木) 1507, 猛女怪女列伝
  ーアナタハンの女王 ー

終戦直後の日本で、このようなドラマがあったと「新潮45」という
月刊誌のー猛女怪女列伝ーで初めて知った。

 太平洋戦争での敗戦濃厚になった、昭和19年6月から6年間、
敗戦を知らない南海の孤島「アナタハン」で取り残された「男31人、女1人の生活」で、
一匹の『女王蜂』比嘉和子をめぐる、壮絶な性と生のもう一つの戦争があった。

その殺戮の中で生き残ったのは20人、残りの12人は、『女王』を争って殺されたり、
原因不明な死を遂げたと生還した兵隊達によって証言されたという。
極限の世界で野獣と化した雄どもの命をかけた雌の奪い合いの地獄絵である。

 その比嘉和子も、昭和47年(1972)年に亡くなった。
「アナタハンの女王」といっても、昭和20年代後半の話で、この本を読むまでは全く知らなかった。
アナタハン島は、サイパン島の北方約117キロにあり、東西の長さ約9キロ、
幅3.7キロしかない小島で、面積は約32平方キロだから、サイパン島の4分の1弱の大きさである。

この時の『女王蜂』をめぐる殺戮劇が、月刊誌「新潮45」4月号に、詳細に書かれていた。
「事実は小説より奇なり」というが、すざましい内容である。

この六年間に、和子は5人の男と正式でない結婚をした。 ピストルを所持する`権力者’?に、
強引に娶られたり、争いを恐れた男たちが合議した末、次の夫が指名されたりしたのだ。
そのうち大部分が、明らかに殺害されたり、不自然な事故で命を落とした。

女王をめぐっての殺戮が続く中、遂に和子の『処刑裁判』が開かれた。
その時には、32人のうち10人が亡くなっていた。男達は全員出席した。
そして、『敵と戦って死ぬならとにかく、和子をめぐって殺しあうなど
許されない。彼女に死んでもらうことがよい』という結論になった。

その中の一人が彼女に、そのことをこっそりと告げた。そして、彼女はジャングルに逃げた。
その一ヶ月後に、投降を勧めるアメリカの艦が島に近づくと和子は必死に着ているものを脱いで降り続けた。
助かったのだ。 そして、その一年後に残った全員が助けられた。

昭和26年から29年にかけて、「アナタハン」ブームが、日本を席捲した。
「おしさしぶり」の代わりに「アナタハン」という挨拶が流行り、「女王蜂」「アナタハン」
という名前の飲食店も続々登場。さらに、ハリウッドの巨匠ジョゼフ・フォン・スタンバーグが監督をした
「アナタハン」もつくられて「ライフ」や「ニューヨークタイム」にも採りあげられて世界的にも話題になった。

その後も、彼女は数奇な人生をおくったが、最後は結婚をして穏やかな人生を終えたという。
彼女も戦争の犠牲者の一人であった。

・・・・・・・
2004年05月19日(水)
1142, 自由について −2

「自由ほど不自由」ということを感じたことを誰もが経験していると思うが?
これは「自由な自己決定」を迫られる「不自由」ということにある。
自由とは主体的であるということだが、その主体ということが怪しいのだ。
主体的と思いこんでいるだけでしかないことに気がついてないのだ。
その主体も外的要素によって規制されているから矛盾が出てくる。

目の前の「自由」が、ちゃんと何かによって規制されていることを嫌というほど、
思い知らされていることを。人生経験の中で主体と思ってきたことも、
所詮は限定された世界の泳がされてきた小さな池の魚でしかなかったことを。

主体を「気短」という説がある。なるほど、面白いドキッとする内容である。
主体的ということは、気短で、その結果として目先の判断で動いているだけという。
なるほど、そうかもしれないところが、身に沁みる。自由から、何で気短に行きつくのが不思議であるが。

現在の社会の様々な問題の根底の部分に、「自立した自己」や「自由な主体」などの、
幻想が潜んでいるのではないだろうか。「ゆとり教育」とかいうものが、
幻想でしかないことを国は気がつき始めた。国民レベルは、それが幻想ということを初めから知っていたが。

自由は戦いとるもの、積極的な自己目的を追求する姿勢の中にこそある。
「不自由論」という本がある。曖昧な自由論を批判している内容である。
風刺漫画を思い出した。「夫婦が、お互いの首についた紐を握りしめ溜息をついている絵」である。
何とも不自由そうであった。

ーーーーーー
【-自由について-】

・あまり安価で手に入れたものは軽く扱われる。
自由のように神々しいものが高価でなかったら、実におかしいではないか。
                    −ペイン
・人間の自由を奪ったものは、暴君でも悪法でもなく、社会の習慣である。
                    −J・S・ミル
・痩せた自由は肥えた奴隷にまさる。
                    −イギリスのことわざ
・自由は外的な事実の中にあるものではない。それは人間のうちにあるのであって、
 自由であろうと欲するものが自由なのである。
                    −エルンスト
・自分自身を支配できないものは自由ではない。
                    −マッティアス=クラウディス
・自由に気がついていないときこそ、人間は一番自由なのだ。
                    −ローレンス
・自由は責任を意味する。だから、たいていの人間は自由を恐れる。
                    −バーナード・ショウ
・人間が自由であり得るためには、神があってはならない。
                    ーシェリング
・自由であるとは、自由であるべく呪われていることである。
                    ーサルトル
・真に重大な自由はただ一つです。それは経済的な自由なのです。
                    −モーム
・自由は新たな宗教であり、われらの時代の宗教である。
                    −ハイネ
・ビロードのクッションの上に大勢で座らされるよりも、
 カボチャの上に座って、カボチャを自分で占領した方がいい。
                    −ヘンリー・ダビット・ソロー
・自由を愛することは他人を愛することだ。力を愛することは自分を愛することだ。
                    ーハズリット
・おお自由よ!汝の名においていかに多くの犯罪がなされたことか。
                    −マダム・ジャンヌ・ローラン

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2003年05月19日(月)
775、「ドラッカーとの対話」ー読書日記 −1
 著者/訳者名  :小林薫/著
【本の内容】
ピーター・F.ドラッカーとの40年にも及ぶ交流に基づき、
その思想のエッセンスを読みやすい形で凝縮。

【目次】
第1部 ドラッカーの魅力と先見力
第2部 ドラッカーに親しく聴く
第3部 21世紀を見透すドラッカーの眼
第4部 ドラッカーのキーワード20
第5部 ドラッカーの日本を見る眼・世界を見る眼
第6部 ドラッカー式英語の面白さ
第7部 ドラッカーの人間像

−私の感想文ー
ドラッガーといっても、そう難しい難しいことを言っているわけではない。
学生時代にドラッガーの「現代の経営」訳者の野田一男教授の講義を受けて、
当時「経営者の条件」「創造する経営者」「断絶の時代」「現代の経営」など数冊、読んだ。
現在も多くの本をドラッガーは書き続けている。
彼の要約書が多くでているので、私なりに纏めたいと思っていたら、
この書にであった。小林薫という名も懐かしい。この書の印象的なところを書いてみる。

・現在が200~300年に一度の大転換期にあり、100年スパンの
 期間にわたっているという。そして現在はその40~50年目あたりという。
・彼の名言は「強みの上におのれを築け」である。
 これは個人にしても、組織にしても、国としてもそういえる。
 何ごとも強みがあると同時に弱点もあるが、
 弱点に対しては目をつぶり強みを活かすように努めるべきである。
・イノベーションも彼の大きなテーマである。変化をチャンスとして捉えて、
 イノベーションをするのが経営だ。
・彼は常に価値、解りやすさ、性格ー人格、知識、ビジョン、責任、自己管理、社会的責任、
 自己実現、尊厳を述べている。
・知識こそ最大の経営資源であり、中心的資源であるが、彼の変わらざる主張である。
 このような急激なIT化による情報化になればなるほど、彼の50年をかけて主張してきたことが
 現代に受け入れられる。話は変わるが、彼の「経営者の条件」がなかなか面白い。
 これは最後にインターネットで調べたー書評と目次ーをコピーしておくが、焦点を成果にあわせよ、
 自分の時間管理からまず始めよ、貢献について、自己ー自社の強みの発見に努めよ、
 重要事項から始める癖をつけよ、と経営者や上に立つもののあり方が書いてある。
 この本かどうかは忘れたが、上司たるものダーテーであってはならない、潔癖であるべし
 というのが彼の変わらぬ主張である。

・・・・・・・・・
 2002年05月19日(日)
411,自分の人生のつくり方 -いろいろな悩みー3

それでは自分の人生のつくり方とは?どうしたらよいか。
ライフワークをきっちりつかまえて、その都度脱皮すればよい。
「脱皮できない蛇は死ぬ」というが、そういう人間で満ちている。

ライフワークとは、一生涯を通じてやり遂げる趣味と仕事。
そして一生涯を通して脱皮の時期がある。7年説、8年と10年という説がある。
ライフサイクルというが、
・7年ー7歳、14、21,28、35、42、・・と節目がある。
・8年ー16、24、32、40歳・・
・10年ー20,30,40,50年歳と・・

またこういう説がある
1、児童期・青年期  0〜22歳
2、成人前期     17〜45歳
3、成人中期ー中年期  40〜65歳
4、成人後期ー老年期   60歳以降

重なっているところは移行期、これが一番わかりやすい。これと7年説が私の一番納得できる。
その節目ごと、脱皮していく事をいう。「節目を叩け!」という諺があるが。

自己実現という言葉がある。たしかユングの言葉であった。
自分のなりたいこと、したいことを実現することをいう。それも一生涯を通してだが。
それを自分の人生という事にならないか。

子狐がここにきて、にわかにそれをつくろうとしている。やらないよりはいいが。
10年〜20年スパンで何をすべきか判断して、それぞれ節目を作り、やり通すのがライフワークである。

それをやり通すことが、結果として自分の人生という。「濡れ落ち葉」はそれを全くやってこなかった人、
そして、これからもそれを見つけられない、その気力のない人をいうのではないか。

 中年クライシスという中年の危機といわれてのが、これである。中学の先生もそれだった。
 今度中年クライシスについて書いてみよう。 周囲はその人たちで満ちている。
     一ヶ月前、150m先の58歳のご主人が自殺したという。
     家を新築したばかりなのに!
 それにしてもそういうことに無知すぎる!
 
・・・・・・・・・・
2001年05月19日(土)
どうも不調

昨日1日このがサイトがひらけなかった。
きのう23時に帰ってきて、文章を書いたが記載出来なかった。
これから散歩に行く。


2601, 柏崎沖地震で原発が7基、停止しているが

2008年05月18日(日)


去年、柏崎沖地震で7基の原発が停止をしたが、真夏の東京の電気を一時止めることも無く乗り切った。
これは、どういうことなのであろうか。 休止していた火力発電を急遽動かし凌いだといっても、
原発の数は54基。そのうち7基といえば大きい影響が出そうだが、それを乗り切ったという実績は大きい。
単純に計算すると原発の発電電力が占める割合が35パーセント。
柏崎原子炉が大よそ15パーセントであるから、掛け合わせると5パーセントになる。
古い火力発電などを再開して、何んとか乗り切ったのである。

2002年の統計だが、世界における総発電量(163215億kWh)の16.2%が原子力発電所によるものであり、
これは火力発電所の66.6%、水力発電所の16.5%に次ぐ。
世界でもっとも原子力発電所に依存しているのはフランス (78%)、
次いでスウェーデン (46.3%)、ウクライナ (44.9%)、大韓民国 (35.4%)である。
2005年現在、日本における発電電力量の約35%、発電設備容量の約20%を担っている。

しかし、この異常な原油高、思ったより日本が動揺してないのは原子炉が三分の一あるからだ。
まずは50%まで供給したいのだろう。柏崎刈羽原発は3兆5千億円もかけた原子炉である。
地震の活断層の真上にあることが分かっていても簡単に諦めることもできまい。
柏崎市の経済、東京電力からの収入が何年か途絶えれば大問題になる。
角栄が権力を持って以来、非常に恵まれたところであったが、一挙に貧乏都市になってしまう。

二回の大地震で新潟県の経済は大打撃を受けており、その深刻度は中越地区を中心に日ごと増している。
夢見るが如しというと、少しオーバーに聞こえるが実感はそれだけ酷い状態である。
駅前だけでなく、最近は郊外の空き店舗が目立ち始めている。
柏崎は家内の実家があり、小さな事業をしているが無借金なので、ことなきを得ているが、
あらゆる商売が切迫しているという話が入ってくる。
この原油高で、世界中の国が本格的に原子炉を造るだろう。
チュルノブイユのような事故が起こる可能性が増加するということだろう。

ところで、今回の中国の四川省の大地震、原発は無かったのだろうか?
住民が近くの化学工場から毒ガスが発生しているというデマ?
 で大挙逃げてきた映像があったが・・・

・・・・・・・・・・・
2007年05月18日(金)
2236, *閑話小題*
      ・д・)ノ〔● ォ'`ョゥ○〕ヽ(・д・`●)

ーまさか、貴方まで!−
 同級生のY君が病に倒れ、いきさつ上、私とM君が入院の合間に
 「Y君を励ます会」の幹事をすることになった。
他の同級生にもお願いして、連絡する名簿を振り分け、
まず一番初めにK君に電話を入れた。
「Y君の病状は決して良くはなく、退院予定が更に三ヶ月間の再入院になった」
と病状を説明をした。
ところが、K君曰く「実を言うと10日前に胃を半分切り取った。
今日、明日の土日の二日間の帰宅を許され家に居る。残念ながら出席できない」
という。言葉を選んで話したので、無神経なことを言わないでよかった!が、
まさか一番初めに電話したK君が手術していたとは!
60歳過ぎれば、誰もが何かあっても不思議でない年齢ということである。

ー次男が結婚後初めての帰省ー
 先日、次男が三月三日の結婚式以来、新婚旅行の報告も兼ねて二人で帰省した。
日帰り予定を、私の勧めで一泊して帰ったが、幸せそうであった。
新婚旅行はドイツ・オーストリア12日間の個人旅行だという。
外資は年に一度一ヶ月間の長期休暇が取れるという。
傍から見れば、今でいうセレブのIBMマンである。
しかし仕事は極限までのエネルギーを搾り取られるというが・・・

ー耐震偽装の深層ー
 耐震偽装の深層はインターネットなどで、隠蔽を抑えることはできない昨今、
深い国家としての歪みを露呈する様相を示してきた。
先日、本屋に平積みをしてあったイーホームスの藤田東吾の自費出版の
「耐震偽装」のコーナーに行ったが、いつの間にか全て消えていた。
見られたら営業に差し支えのある何処かの会社が買っていったのだろう。
それならインターネットで買いたくなるのが心情というものだ。さっそく注文をした。 
考えてみたら、藤田東吾という人物、耐震偽装を初め告発した人物である。
「それが何で『見せ金』という容疑で逮捕されなければならないのだろうか?」見せ金で逮捕?はおかしい!
という疑問は誰も持ったはずである。今回の騒動は国交省の重大なミスである。
それを隠すために政府ぐるみ隠蔽しようとしているのは周知の事実。
隠せば隠すほどインターネット上で暴露される。現政権や官僚の圧力ではもはや抑えきれない時代ということが、
連中は解っていない? ネットは恐ろしいものである。
今日明日に、この本が送ってくるが、読むのが楽しみである!
それにしても、貧すれば鈍するとはよくいったものだ。
耐震構造などのチェック機能を民間に移動すれば、談合マフィアのやることは決まっている!
耐震構造のチェックする設計事務所と談合して手抜きをするだろう!
膨大なヤミが大きく横たわっている。
この問題が発覚するまでに建てられた怪しげなマンション販売会社の
多くが果たして公表されるのだろうか??非常に疑問である。
それと藤田東吾氏の生命も!
                (*・ω)ノβψε★βψε
・・・・・・・・・
2006年05月18日(木)
1871, グーグル Google -7
  おはよ〜!(*^ワ^*)i
                  ー読書日記
グーグルの収益方法  ーグーグルが何故儲かるのか           

P−38
 たとえば「花屋」のキーワードでオクションをやって、
 かぐらざか花店     150円
 麹町ふらわーしょっぷ  200円
 池袋花工房       90円とする。

    この場合、麹町・・、
    かぐらざか花店・・、
    池袋花工房の順に広告が表示される。
    しかしオークションに参加したのが20店あったとすると、
    検索結果のトップページには収まりきらなくなり、二ページ三ページとなる。
    そうすると利用者の目に止まりにくくなるから、オークションに参加する人は
    何とかトップページに入ろうと入札価格をつり上げていく。
    だから人気のキーワードは、値段が高騰しやすくなる。

キーワードのオークションは「花屋」みたいな単一のキーワードだけでなく、
「花屋 東京」「花 ギフト」「フラワー 贈り物 送料無料」といった二つ以上の
キーワードでも入札可能になる。そこでこのキーワードをどのようにうまく組み合わせるかが、
頭の使いどころになる。

    たとえば東京湾で屋形船を出している会社がある。
    この会社はキーワード広告を始めた当初は、
    「東京湾 屋形船」というキーワードで入札していた。
    競争相手が少なかったせいか、クリック価格はそう高くはなかった。
    この組み合わせのキーワードで入札する利用者が、あまりいなかったのだ。

そこで屋形船の会社は、必死に考えたのだ。「利用者はどんなキーワードを使うだろうか?」
そこでわかってきたのは、夜の東京湾に遊びに行こうと思っている人は、
プランとして屋形船を考えているケースは少ないのではないか?ということだった。
    「今度の宴会は東京湾の夜景を皆でみたいね」
    と社内で盛り上がっていても、屋形船に乗ろうとはならない。
    宴会幹事が検索エンジンで何かのサービスを探すとしても、「東京湾 屋形船」とは入れないだろう。
    そこで、「東京湾 夜景」で入札することにした。 すると結果はいとも鮮やかだった。
    瞬く間に大量のクリックがあり、数多くの客を呼び寄せることに成功した。
    このキーワード広告を利用している会社が、日本国内だけでも中小企業を中心に、この数年急増している。

ーパンドラの箱が開くー
それにしても、キーワード広告という今まで存在してなかったビジネスが、
何故ここまで持てはやされるようになったのだろうか。
マイクロソフトのウィンドウズが普及始めた当初、アメリカでバナー広告がもてはやされた。
バーナーは「横断幕」という意味の英語で、その名のとおりHPの
上部などに左から右への広告が流れるもので、ニュースなどのサービスと同時にみれる。

    このバーナー広告の特徴は「クリックできる」ことに最大の特徴があった。
    これはパンドラの箱であった。これまでの広告は「本当に効果があるのかわからないが、
    ものすごく多くの人が見ているし、恐らく効果があるだろう」といった漠然としたものであった。
    最近になって、「広告の漠然とした期待感が実は砂上の楼閣で、
    TVの広告がいよいよ崩れようとしている」という説もある。
    バーナー広告の代理店はバーナー広告を「クリックの回数を保障します。
    クリックがなければ広告代金はいりません」として広告主に売り込んだ。
    最初はバーナー広告は人気が高かったが、数年でクリック数が減ってしまった。
    その理由は二つ考えられる。

・一つは、「情報のインフレーション」が起きてしまったことだ。
毎日毎日ものすごい数のHPが生まれ、人々に読まれるようになっている。
HPひとつあたりの利用者が相対的に減少してしまった。
バーナー広告も同様で、見たいHPが山ほどあるのにバーナー広告など誰も見なくなってしまった。
・もう一つの理由は、当初は広告主の種類が限られていて、同じような企業の広告ばかりで
飽きられてしまった。 こうした中で登場してきたのが、キーワード広告である。
                     −つづく
          ヾ(^ω^*) バイバイ!
・・・・・・・
2005年05月18日(水)
1506, ラジウム石・小物

現在は、ラジウム温泉をきっかけに、ラジウム小物に凝っている。
その小物とは
・フランチャイズ・店舗ショーで買ってきたラジウム石の‘ネックレス’  と、
 以前取引先から貰った‘ブレスレット’、
・更にインターネットでラジウムを埋め込んだチタンの‘ブレスレッド’
・セラミック・ラジウムのコーヒーカップと、
・寝床には、枕の下にラジウムの‘粉末の入った袋’と、
 2キロの‘ラジウム石の塊’が枕の横にタオルに包んで置いてある。
・風呂には拳大の‘ラジウム石の塊’を入れてある。

これをつかい始めて、直に変化が起き始めた。気力が数倍充実した感覚ある。
恐らくラジウムが身体の中にある放射能を刺激をしたのだろう。
(人間も微量であるが、放射能を放射しているという)この冬は風邪とは無縁であった。
とにかく私の場合、凝るとトコトン追求したくなる性質。
あと一月は、ラジウム石に気持ちを集中してみるつもりである。

ラジウム石には、人によって体質に合わないことがあるようだ。
私の場合は、体質には問題がない。
(初めは、風呂にラジウム石を入れたらアレルギーになったが)
いずれにしても、人間の身体には良い影響を与えるようだ。

以前、不思議なことに身辺に置くと体調が良くなるコースターに凝ったことがあった。
あの種明かしが、ラジウム石の素材ではないだろうか?
サルノコシカケという苔があるが、これはラジウム有機物質という。

・・・・・・・・
2004年05月18日(火)
1141, 「ライフ・レッスン」−最終レッスン

最終のレッスンになったが、何ごともレッスンとみれば
世の中の出来事はすべて意味があることになる。
過去を振り返ってみても、すべての出来事は意味があった。
ならば、毎日の出来事にレッスンの意味を見出して学び生きていくことだ。

この世は、意味を見出す為に、感動する為に、愛する為に、
全てを学ぶ為にあることを、この本からレッスンした。
毎日は、「バカの壁」を乗りこえるための学校と思うとよい。
「秘境ツアー・レッスン」「事業レッスン」「挫折レッスン」・・など、いろいろ書けそうだ。

各章を書き続けて、多くを内省した。
人生から学ぶことがあまりにも多い。
ーーー
ー最終レッスンー からの抜粋

・わたしたちは、自己の長所をしり、たがいの美点を見つめあい、生きている
ことの奇跡を讃えあうために地上に生まれてきたことを、思い出す必要がある。

試練に揉まれて人は甌穴のなかの岩に似ている。穴のなかで川の激流にもまれ、
翻弄されているうちに、角がとれて磨き上げられて、以前よりまるい、希少な岩になる。
穴から出てきたときには、もっと大きなレッスンを学び、もっと大きな人生を生きる準備ができている。
すべての悪夢は祝福に変わり、それが人生の一部となる。
人生は『なにが大切か』を、『本当の自分とは何か』を教えてくれる。

「おわりは逆向きのはじまりにすぎない」のだ。
『生がいいものだとわかれば死もいいものであるはずだ。生も死も、おなじ
 名匠の手によってつくられたものであるからだ」

・海のそばに住んでいる人はたくさんいるが、しみじみ海をながめ、海を味わい
 つくす人はほとんどいない。ほとんどの人は空の下に住んでいながら、星をながめ
 ようともしない。わたしたちは本当に人生にふれ、味わい、堪能しているだろうか?
 平凡の中にある非凡なものを,感知しているだろうか。
 毎朝、目がさめるたびに、あなたが経験すべき人生を、
 もう一日だけ与えられているのだ、といってもおなじことだろう。
 その一日を、あなたが最後にフルに経験をしたのはいつだっただろう。

・いまの人生とおなじ人生は二度と手にすることはできない。
 この人生ではたしてきた役割をもう一度演じることも、
 もう一度これまでと同じように人生を経験することも、二度とない。

・あの両親のもとに生まれ、この家族を持ち、このこどもに恵まれ、
 この環境、この状況のもとに生きてきたように、この世界を経験することは、もう二度とできない。

・おなじ顔ぶれの友人をもつことも、今生の生かぎりである。
 あの海、あの空、あの空、あの愛する人を、最後にもう一度だけみたいと願うように
 なるときまで待つ必要はない。

・・・・・
2003年5月18日
774, 30歳の頃(1976年)

 この年は本当に大変な年であった。
その半年前に、新潟県長岡市駅前通りの繁華街の四角で衣料量販店をしている
実家の店に戻っていていた。 本店は当時6億の売り上げを上げていた。
家族内のトラブルで急遽、千葉の千城台で貸しビル経営と
(養老乃滝+焼きたてのパン屋)を経営委託にして、帰ってきたところであった。

 仕入れに、販売に、新人の教育にと、いま考えてもよくやったと思う。
体が浮いているようでもあった。新卒を13名入れ、その戦力化に必死であった。衣料品は博打的要素が多い。
季節要因により、在庫の調整をしたり、流行の筋を早く見つけ一瞬で売り抜けなくてはならない。
岐阜・大阪・広島・岡山の産地を情報を頼りに現金を持って走り抜ける。
それも全く経験のない自分が、買い付けるのだ。よくやったと思う。必死とは不可能を可能にする。
目を吊り上げ、無我夢中で必死に仕事をしていた。
 
 何ごともコツというものがある。
それは必死さの中から初めて掴む事ができる。

一シーズン3ヶ月の間に[導入・最盛・売り切り]と一ヶ月単位で博打をしていく。

それが面白い!当たればの話だが。
そのシーズンが当たると後の2シーズンがその勢いで上手くいく。
外れると、回復に2シーズンかかる。 従って間違えても外せないのが面白い!

 五年近く従事したが、当時の自分の頭を自分で撫ぜてやりたい気がする。
反面いろいろの経験ができた。
安いビジネスホテルをさがして、規定のホテル代の差額と出張旅費で居酒屋とか、
地元の料理屋に行くのが楽しみであった。仕入れに、販売にゲームをしている感覚であった。
今のホテルも、その経験から顧客の立場で考え抜く事ができた。

 その頃の社会的背景を書いてみる。
ー社会現象ではー
・ロッキード事件で田中角栄前首相逮捕
 大型ジェット旅客機の売り込みを図るロッキード社から5億円の賄賂を受け取ったとして、
 東京地検、田中角栄前首相が受託収賄罪で7月27日を逮捕。計16人が起訴された。
・ミグ25亡命事件
 9月6日、ソ連の最新鋭戦闘機ミグ25に乗ってペレンコ中尉、アメリカに亡命のため
 北海道・函館空港に強行着陸した。中尉は希望通りアメリカへ亡命。
 機体は自衛隊百里基地で分解、検査された。
・総選挙敗北で三木退陣、福田内閣が誕生
・酒田大火発生
 10月29日、山形県酒田市も繁華街で大火が発生、1059棟が全焼。消失面積史上4番目。

ーーー
このように時代背景をみながら当時を振り返ると、当時の記憶が生々しく浮かんでくる。

・・・・・・・・
2002年5月18日
410, 自分の人生ー いろいろの悩み−2

昨日の続編でもある。
書いていて、改めて中学の担任の先生の悩みの深さに気づいた。
それすら理解できない子狐レベルを除けば、それぞれの人が理解できるし、身につまされる問題である。

それでは「自分の人生」とは何であるか。やはり親からの自立である。
あるいは、育った環境ー社会からの自立である。そしてその人独自の生き方が自分の人生でないか。
しかし、それ(自立とか脱皮をしない人生)も自分の人生ではないか?という疑問がでる。
しかし自分の趣味とか、与えられた環境をフルに生きれば、それが自分の人生といえる。
そういう意味で、先生にとって適正でなかったのかもしれない。
80佑凌佑呂笋呂蠕萓犬稜困澆剖瓩で困澆鮖っている。
「自分の人生これでよかったのか?」という疑問を持っている。

サラリーマンも事業家も100佑郎埜紊郎胆泙垢襪箸いΑ
勝ち組の人も、最後は後進にその立場を譲らなくてはならない。
後進の人や事業そのものもは、その人を乗りこえるため、それまでの破壊を始めるからだ。
そしてその時初めて敗者の気持ち立場が見えてくる。

その年齢の景色を正直に先生が話されたのだ。
おそらく先生の過去の行蔵の中に、いっぱい宝が詰まっているはず。
気づかなかったのかもしれない? その年齢に段々近づいてきている。
50歳代後半から60歳に訪れる、最大の人生の危機の典型ではなかろうか
 
そう、初老性鬱病!

・・・・・・
2001年5月18日
バーチャルで日銀ツアー

産経新聞でこの記事をみて早速覗いてみた。
やはり少しかたいが日銀内部はこんなものかという意味では面白い。
日銀のホームページ内の新コーナーだがお堅い日銀にしては上出来か。
http://www.boj.or.jp/


2600, 一点集中力

2008年05月17日(土)

           「一点集中力 」伊藤 真 (著)

図書館で見つけた本だ。今さらと思ったが、借りて目を通してみた。
著者が東大在学中に司法試験に合格。その後、受験指導を始めたところ、
たちまち人気講師になり、95年に「伊藤真の司法試験塾」を開設して「伊藤メソッド」
と呼ばれる革新的な勉強法を導入して、司法試験短期合格者の輩出全国トップクラスの
実績を不動にしていると、著者履歴に書いてあった。
その彼の恐らく最も基本が一点集中主義なのだから、説得力のある本であった。
表紙裏の紹介文は簡単にー何かを成し遂げる人は、みな「一点集中力」を持っているーである。
まだ憶えているが、小学校の5年生になった時、ある姉が勉強法を教えてくれた。
「いい点数をとりたかったら、一教科だけとにかく集中して一度良い点数をとってみなさい。
そうすると、他の科目も良い点数がとれるようになるから」という言葉であった。
そこで算数に狙いをつけて一番になってみた。そうしたら、他の科目も何時の間に取れるようになった。
これも一点集中だったのだろう。

とにかく、やはり借りて読んでよかった。もし受験期の子供がいるなら、迷いなく、
この本を買って与えることを勧めます。 私自身の一点集中は、
・この7年間は、この随想日記を欠かさず書き上げること。
・秘境ツアーに行き続けること。
・良い習慣を少しずつでも付け加えること。それ以外で捨てること。
私も一点集中ということに関しては、知っていたつもり。
「錐の先の一点集中のエネルギー」「レンズで太陽光を一点に集中し発火させる」等々
戦略・戦術のまず第一歩である。それを兵法でといたのが「孫子の兵法」である。
 まあ自分の話は、この辺にしておいて、

ーこの本の印象に残った部分を抜粋してみようー

・もし、あなたが何かを成し遂げたいと思ったら?
 とにかく、自分の目指す「一点」にエネルギーを集中すること。
 それ以外は勇気を持って「捨てる」こと。
 そして、この「決断」ができるかどうかーーー。

・我々の潜在能力、顕在能力も、レンズを通してグッと集中させれば、
 火が燃えてしまうほど、ものすごい力になる。

・「余計なもの」を見極める二つの考え方
 *集中すべき対象を、できるだけ単純明快、簡単にすること。
 *「全体から見る」視点をもつことである。
  全体の中から、自分を位置づけ、今は何をすべきか、切り分けていくこと。
 *司法試験の勉強で言えば、合格者が口をそろえて言うのは
  「絶対にあきらめないこと」と「基本が大切」、この単純な二点である。
  この「ゴール」と「基本」に一点集中することの大事さに気づくかどうかである。

 ・・・・・・・・・
2007年05月17日(木)
2235, 男は女のどこを見るべきか −2
     (゚∇^*)オハヨ♪
                 ー岩月 謙司 (著)
   第四章 女性は記憶をかいざんする がなかなか面白い。
    この歳になり初めて知らなかった女性の心の奥の魔性の一部を垣間見た思いがする。
    一番身近な家内の心の内の未知を幾つか知って驚いた箇所があった。
    なるほど男の知恵と女の知恵は大きく違う。 まあ、それが良いのだろう。
 
 −−−−−−−−−−
*記憶の改ざんについて*
 −−−−−−−−−−
特に記憶の改ざんについて、なるほど思い当たる部分があまりにも多い。 女兄弟や女性の職場にいたこともあり、
多くの特性を把握していたつもりであったが、所詮は男の立場の理解でしかなかった。
記憶の改ざんについては、・男はもともと事実を記憶するという特性があり、社会的圧力で、より正確に記憶が求められる。
これに対して、女性は事実より感情を基に、記憶の改ざんは多くしている。

女性は自分の気分次第で過去の記憶を平気で書き換えるが、ニセモノの記憶を脳に定着するまで、
何度も何度も自己欺瞞を繰り返すのである。だから書き換えた記憶なのに、自信を持つことができる。
さらに悪いことに、書き換えたことを正当化するために、他の記憶まで連動して書き換えてしまうことがある。
さらに凄いところは不都合な記憶は男に比べて簡単に消去してしまうことができるのです。

両親の仲が悪く不幸な家庭環境の中で育った女性は、怒りの方向に記憶を書き換える傾向が強いために自らを不幸に
導いてしまうのです。消去、書き換えを平気でする上に、解釈まで変えるからもうどうにもならない危険人物に
なってしまう傾向があるから更に始末が悪い。
これらを考え合わせると、一見男から見れば消極的に見えるだけで、女性は心の中は積極的である。
女性のする行動は、まずは自分の心の内面を変えることなので目立たないが、男の知らないところで一生懸命努力をしているのです。
 
 −−−−−−−
*幼児体験が重要*
 −−−−−−−
あれもこれも幼児期体験が大事になる。幼児期に楽しい思いをたくさんした人は、快の体験を思いだやすい体質を持っている。
反対に幼児期に不快感や恐怖をたくさん味わった人は、不快は嫌悪の感情を思い出しやすい体質になってしまう。
愛の環境の中で育った人は、周りから受け入れられているので、自己受容ができるのです。それは自己肯定につながり、
それは他者を肯定することにもつながる。

 −−−−−−
*言い訳の達人*
 −−−−−−
これまで、1、記憶の改ざんや消去 2、感情の張りつけ 3、解釈の変更 4、八つ当たりのために相手の欠点を探す、
があるが、5番目として、言い訳の達人が上げられる。 特に怒れる女性は言いわけの達人でもある。
女性は心の中で男の何倍も言い訳をしているが、それは傷つきたくないという思いが強いからです。
それも、言い訳した自覚がまったくない。言い訳を多用していると、次第にひねくれてくる。
そして、素直さが失われいくのである。
    ーー
    これを読んでいると、本当に男から見たら女は魔性の生きものに思えてくる。
    ただ、やはり仲の良い両親などの恵まれた環境で素直に育った人は、 男女問わず、
幸せになれるということである。私は「平気で、あの女性とは結婚しない方が良いよ」と言ってしまい、
    何人も恨まれた経験がある。「これだけは絶対に言ってはならないことだ」
 しかし、そういった人の家庭環境から出ているオーラというか、雰囲気は、この上記の5つの傾向の非常に強い人である。
    私の家内が、この5つを一応クリアーしているので、そうでない正反対の人は直感的に分る。
    間違いなく不幸の要素がクッキリ見えてしまう。相手も分るようで、傍にもよらない。

だから私の会社にジンクスがあるようだ?それは結果として??となる。
しかし、今や家庭内を含めると5分5分だから、今さらか? それも人生である!
                 ヾ(・д・。)バイバイ
・・・・・・・・
2006年05月17日(水)
1870, ブラジルの襲撃・暴動
                   おはよ〜!(*^ワ^*)i
一昨日、TVのニュースでブラジルの麻薬組織が一斉に蜂起して、警察と刑務所を襲っている映像であった。
刑務所の待遇が悪くて囚人が暴動が起こしたというのでなく、
麻薬組織が真正面から国家権力に武器を持って攻撃しているというから、
驚きである。ブラジルの民度の低さが、そのまま出てしまった事件である。
国家権力に麻薬組織が挑めば、完璧なまでに破壊されるはずだが、ことブラジルのこと、どう収まるだろうか?
    ブラジルに行ったとき、ブラジル専門の旅行代理店の社長と たまたま同席になった。 ブラジルの事情を聞くと、
 「ブラジルに支店があって100回は往復しているが、ブラジルは面白いが、しかし恐ろしい国だ。
    支店に強盗が何時入ってくるかわからない。 下手をすると直に撃たれる。 だから金庫に、強盗用のお金を入れておく。
    ジャングルに逃げこめば、ほぼ捕まらない。 また、違法のこともできない。万一警察に捕まったら、どうなるか分らない。
    日常がスリル満点である」   と言っていたのが、印象的である。
 街に出ると、ストリート・チルドレンが街頭で屯している。
 年中暖かい上に、野生の自然食が森に行けば幾らでもあるので、親がいなくても、家が無くとも生きていけるという。

    ーー
    朝日新聞の記事からコピーしてみたが、映画に出てくるような世界である。

ー死者70人超すー 2006年05月15日23時14分
 
(字数の関係でカット2,008年05月17日)
   まさしく、映画や劇画の世界である。
                   (*^▽^)/
・・・・・・・・
2005年05月17日(火)
1505, ドッグ・ファイト−2

一昨日の朝、散歩をしていると川原でカラスがシギ?を追い掛け回していた。
ところが他の二羽のカラスがそのカラスを攻撃を始めた。
何か仲間を諌めているようで、微笑ましい世界を垣間見たようだった。
これを見て、以前にドック・ファイトについて書いたことを思い出した。

異種の動物同士のテリトリー争いを「ドック・ファイト」というが、
現在は「戦闘機同士による空中戦」を意味する。

電線にとまっている一羽のカラスの周りに鳩が10羽ほど囲んで威圧をしている姿や、セキレイが鳩が数十羽もとまっている中に入って、
一羽ごと追い掛け回している姿や、雀と燕が、巣の奪い合いをしている姿や、鳶をカラスを攻撃している姿など、異種の鳥同士の争いを
目にすることがある。 去年、オーストリアに行った時も、鳩とカラスの集団が空中戦をしていた。 「いずこも同じ」と、見とれてしまった。

この文章を書いていて、「ドッグ・ファイトについて」殆ど誰も書いてないことに気がついた。
いくらでもネタがあるのだ。あまりドッグ・ファイトを見かけないのだろう。
4年前の今日、やはりドッグ・ファイトについて書いていた。 ー後日談だが、燕の巣は雀が勝って棲んでいたが、
燕が来なかったためか、その後きれいに取り除かれしまった。
  
・・・・・・・・・
2001年05月17日(木)
ドッグファイト

3月末いつもの土手を散歩をしていると、顔見知りの人が{ツバメが今日来たようですよ}と声をかけてきた。
バイパスの下のトンネルの蛍光灯の上に7〜8個ツバメの巣がある。
十数年来この時期になるとやってくる。 そして春の到来を実感する。

なるほど十羽ほどが飛びまわっていた。なにか異様な雰囲気によく見ると、
ツバメと雀が入り乱れて飛んでいる。数羽の雀がツバメを追いまわしているのだ。
もちろんその速さが違う、またそれが可笑しいのだ。巣のほうを見るとツバメが巣の中の雀と戦っている最中。
しばらくすると中の雀がそのツバメをおいかける。そのくり返しのようだ。
近くに10羽くらいの雀がきて時たまその争いに加わる。しばらく見ていたらツバメが
いなくなった。雀が勝ったのだ。毎年雀のツガイが、その並んである巣の隅に住んでいたのは
解っていた。よくこんな近くで住めるものだと感心していたが、今年は雀が反撃に出たのだ。

その2−3日後一度やはり同じような事があったが、今年はそれっきりツバメの姿を見る
ことはなかった。その後1ヶ月位2羽がトンネル両側で見張りをしていた。
10年来もちろん初めてのことである。誰かにそのことを話したら英語でドッグファイトというらしい。
異種間の群れ同士の争いは何処でもある話でそう言うらしい。 以前NHKスペシャルで、
「ライオンの群れとリカオンの群れの死闘」のドキュメントを見たが、今でも鮮明に記憶でのっこっている。
最後はリカオンのボスが若い雄ライオンに殺されてライオンの群れが勝ったが。

・・・・・・・・
2004年05月17日(月)
1140, 自由について−1

学生時代より『自由とは何』を考えてきた。そして自分の自由を優先して生きてきた?
しかし、よく考えてみたら、自由は自分のやりたいことをみつけ、それを追及することであった。
自らの自己実現に対して忠実に生きることであった。 字のとおり「自らに由り、生きること」である。
そして自由な生き方ー周囲の因縁や世間といわれている束縛から解放されている状態を理想としてきた。

調べてみると、自由には多くの意味やとらえ方があるようだ。手の自由といっても、しょせんは
人間の体の一部としての腕の範囲内の自由でしかない。しかし使い方は自由である。
自由には当然、自由なだけの自己責任がともなってくる。

アイザリア・バーリンは自由を「消極的自由」と「積極的自由」の2つに分類した。
ー「消極的自由」とは「他者からの強制・干渉を受けずに自分のしたいことができるという
意味での自由」であり、
ー「積極的自由は自己が自己を支配している状態」ととらえられる。
例えばカントは、恣意に従うのではなく「理性」に従う状態が自由であると主張している。
また、ハンナ・アレントは政治活動を通じての自己実現こそを自由の本質と看做している。
これは「より高次の自己」を獲得するための手段・条件としてとらえられることになる。
このような積極的自由は「個人主義的積極的自由」ととらえられる。

キリスト教世界においては、人間存在の根源的価値を「自由」としている。
ルソーは、その著書「社会契約論」で「人間は自由なものとして生まれた」と述べたが、
「全ての人間が社会において等しく自由である」という事は絶対に不可能である。
かつてホッブズは、各自が己の自由を守る為には「万人の万人に対する闘争」に陥る。と指摘した。
キリスト教世界において、人間が自由であり続ける為には、戦い続けなければならない。
「自由」という言葉には、英語では2つの単語が存在します。
「Liberty」と 「Freedom」である。
「Liberty」とは「束縛からの自由」を意味し、束縛から逃れる為には、戦わなくてはならない。
一方、「Freedom」は束縛から解放された結果もたらされた自由であり、「自由な状態」を指します。
そして自由な状態が脅かされる時には、やはり戦わなくてはならない。

哲学者のホッパーは自由を 文化的粉飾から自由になることが大事だとしている。
日本的にいえば、世間の常識に縛られないということだ。日本は自由という言葉は明治初期まで無かったという。
欧州から入ってきた「Liberty」と「Freedom」を西周が「自由」と訳した。
それまでの封建社会では自由の意味もまったく無かったのだ。

鈴木大拙は自由に相当する言葉を自然(じねん)と看破した。
自らを然らしむ、自由自在に自分を伸ばす、自分で自分の納得する境地を拓く、という内容である。

この「自然」の然は、もとは「燃」という説もある。「人間は燃えているときに仏性をもつ。
醒めた人間は悪魔だ」という。「自由とは道理」という解釈も面白く納得できる。
自由ー自然ー道理と考えると、なるほど納得できる。

「家内の束縛から自由になりたい」と思ったら、「家内の束縛から自然になりたい」ということになる。
束縛を束縛ではなく、それが自然と考えればよいのか?束縛に対し、自らを納得させるということになる。
束縛が道理であると諦めるということと考えると、解るような気がする。まあ、あまりに日本的だが。
「不自由を恐れるなかれ、無意味な自由を恐れよ」
と、この文章を書いていて思いついたが、そのとおりだ! 逆もいえる
「自由を恐れるなかれ、無意味な不自由を恐れよ」の方が、理にかなっているか。
                  ーつづき

・・・・・・・・・・
2003年05月17日(土)
773, 日本が真に独立をするためには

評論家の福田和也氏が寄稿しているテーマ
日本は『核武装』しかないのか」が、なかなか説得力があった。

ー要旨はー
アメリカの核の傘は幻でしかない。 盗人猛々しい北朝鮮の核の脅しの一番のターゲットに
なっている状態の日本にとって、核武装も視野に入れなくてはならない時期ではないか。
他にもロシア、中国など核に囲まれ、アメリカの核の傘でいいように隷属
国家扱いされている現状を考えると、核武装が今の日本の独立国家としての第一歩である。
日本への他国の核攻撃に対して、アメリカそのものが核攻撃の危険に晒された時に
はたして核攻撃をするだろうか? それはファンタジーでしかない。
核所有国に囲まれたわが国が、最も核攻撃を受ける可能性の強い国だという事実を直視して、
どうすれば核攻撃を受けないで済むかを徹底的に議論すべき時にきている。
想起すべきは、第二次世界大戦を終わって55年間、 大国間で平和が保たれたこと、
その平和を日本はじめとする西側諸国が享受できたのも、麗しい平和のお祈りのせいではない。
核の均衡の上である事実を直視しなければならない。日本も自力でその力のバランスとして核を持つべきだ。

ーー以上が大筋である。
今の日本が真に独立するためには原爆保持が第一歩である主張に説得力がある。
現実にスターリン型の国家が近くにある事実を受け入れざるを得ない。

・・・・・・・・・
2002年05月17日(金)
409, いろいろな悩み

3年前まで20年近く中学の同級会が開かれていた。
3年間休み今年から再開とのこと。高校もしかり、本当にまとまりのあるクラスだ。

もう10年少し前の話だが、丁度、中学の担任の先生が定年退職の年だった。
そのときは、先生にとって至福の一年となるらしい。
受け持たれたクラス単位で、それぞれお祝いの会を開いてもらえるという。
湯沢の旅館で泊り込みでクラス会が盛大に開かれた。
そして次の日の夜まで、30時間延延と続いたクラス会になった。

長岡である女性がスナックを開いており、翌日の2次会はそこで行われた。
その時、たまたまカウンタの隣の席に座った先生が、浮かない顔で、俺の悩みを聞いてくれという。
先生「俺の両親が90歳と87歳、同居しており今もカクシャクとしている。
両方とも先生をしていた。別に自宅と別に、マンションを持っていて時たまそこに行く。
実をいうと、この年で実感として自分の人生が無かった。それが無念だ!本当に深刻の悩みなんだ。」

自分には、その先生の悩みが理解できた。父が亡くなった時、自分にとって溺愛してくれた喪失感が大きかった。
反面その時の家庭の事情等で、あと頼れるのは自分ひとりという精神的自立ができた。
丁度、千葉で事業の立ち上げの時期と結婚も含め、自分にとってタイミングが、
ぴったりであった事も確かであった。

親の死は子供に対する最大のプレゼントというが。
その要素も確かにある。その意味で、先生の悩みが理解できた。
でもその状態を「無念と考えるか最大の幸せと考えるか」もあるだろうが、本人しかわからない悩みだろう。

その数年後、両親が亡くなった。 先生に「実際亡くなると、違うでしょう」というと、
「いや何の悲しみも、喜びも感じなかった。やっと死んでくれたという気持ちと、ただ無念だけが残った」
といわれた。その先生も4年前に脳梗塞になり、東京の子供のところに引っ越していかれた。

   人生はいろいろある。


2599, 楽天主義とは

2008年05月16日(金)

こういう先行き不安定の時、せめて気持ちは楽天的でなければせっかくの娑婆、
勿体ないではないかと思う日々である。 そこで楽天主義を フリー百科事典
 『ウィキペディア(Wikipedia)』で調べてみた。

 〜〜
楽天主義とは、optimismの訳語のひとつ。 哲学上では最善説と訳される。対義語は悲観主義。
ライプニッツの予定調和を主張する「最善説」に由来する。
ライプニッツは、現実世界は可能なすべての世界の中で、最善のものであると考えた。
かれはまず想定可能なすべての世界を考える。 
しかし、このうち、内部に論理的な矛盾を孕む世界はそもそも現実化可能ではない。
そこで、この共可能的な事象の組み合わせからなる複数の可能な世界のうち、
どのような世界が(神によって)実現されたかが問題となる。
そこで、かれは、神は定義に善なるものであることが含まれているのだから、
選択された世界は最善であったはずだ、と主張した。
 ヴォルテールはこの最善説を揶揄批判したが、
ライプニッツは、現実世界が、すばらしい場所である、またはすばらしいことが起きる傾向がある、
ということを述べているのではなく、「現実は起こりうることの中では一番マシである」と主張しているのである。
ひとが想定するよりよい世界は、人間の限定された知性と知識では認識できない、何らかのそれを補う悪や、
あるいは、現実化を阻む論理的な自己矛盾を持っているのだ、ということである。
ただし、この最善たる「現実の世界」は「現在」とイコールではないため、進歩や改良の可能性が
否定されているわけではない。 したがって、むしろ、起きたことは必然であった、というような納得と近い。
 〜〜

 なかなか、ライプニッツの最善説は、説得力がある。
「神は定義に全なるものを含んでいるから、その神が選択された世界は最善であったはず」という主張はよい。
 ものごとをどう解釈するかで殆どが決まるのだから、世界は最善と信じて疑わなければ、それはそれでよい。
 ただ落語に出てくる怠け者の与太郎の楽観ではなく、最善をつくしてひた向きに努力をすればこそ、
 悪いことも試練になる。 最善を尽くして天命を待つのが楽天である。 
 過去を振り返ってみると、不安で眠れない日が続いても、結局は何とかなった。
 寝れない夜に、あれこれ考えて練っていたからこそ、何とかなったのである。
 私のギリギリの時の内語は、
「最善を尽くしてのだから何んとかなる、その結果に対しては、その時に再び最善を尽くせばよい」である。
 楽観とは、「今日は、昨日より良くなる、明日は今日より良くなる」という気持ち。
 同じ境遇で、片方はどんどん良くなり、片方は全く不幸な人生を生きることになるのは、楽観的に考えて、
 問題解決の核心に向かって努力をするかどうかの差である。 
 鼻歌を歌いながらスキップをして目的地に向かうことである。 

・・・・・・・・・
2007年05月16日(水)
2234, 国民投票法成立で思うこと!

           (o゚▽゚)o オハョ〜
    国民投票法が成立をしたが、遅いくらいである。グローバル化の時代には、
    益々軍隊の必要性が増えるし、原爆保有を検討しなければならない時期になった。
    当たり前のことが当たり前で通らないのが、この国家?の憐れなところ。
    北朝鮮が原爆を持ってテポドンで恐喝してきた時、一番簡単なのは同じ原爆を
    持つしかないのは至極当然のこと?被爆国として核絶対反対!とは言ってはいられない。

アメリカに民間人の町に原爆を投下されて数十万人殺されているのである。
アメリカは何らかの形で復讐をされまいかと恐れるから、日本に去勢憲法を成立させたのは自明のこと。
原爆を持たない限り、この国は独立、自立はできないと考えるのは当然。
原爆を持つことは何か極右的ようだが、そうではない。それだけの資産と債権をアメリカなどから買わされていれば、
それを守る為に、それ相応の軍事力を持つのが国家というもの。現憲法を世界遺産に? お笑いもいいところである。 
 現在の日本は何かがおかしい! 暴力団の存在の容認も含めて! 

    こんな意見は数ヶ月前までは全く無視していた。しかし、北朝鮮の動きや、国際情勢を知るにつけて、
    日本の国内の憲法擁護等の意見を知れば知るほど、何かおかしな日本人と、解ってきた。アメリカも含めて、
    日本など赤児のようにしか見てないし、中国も日本を軽蔑し始めた。
    私が中国人なら現在の日本なら徹底的にバカにする! アメリカに徹底的に騙され、略奪されて、
    ファンドと評した外資に撹乱されて、経済占領の状態で、やりたい放題。

アメリカの格付け会社が日本の会社を勝手に格付けをして、株価操作をして買占めを容認している現実がある。
あと数年もしないうちに、株価暴落を操作されて更に日本の買占めに入ってくる。
それらを考えるにつけ、やはり強い軍隊を、それも経済合理的な原爆を持たなければならない。
真の独立が今の日本に出来るのだろうか?  疑問に思うが!

           (○´ω`○)ノ**SeeYou**(○´ω`○)ノ
・・・・・・・・・
2006年05月16日(火)
1869, グーグル Google −6
        ォ'`ョ━━(。・∀・)ノ゙━━ゥ★
  このへんの話に驚くようでは、かなり遅れているのだろうが、
 「情報化時代とはこんなものだ」という事例として理解しやすい。
  まずは、ポイントを要約する。
     −−−
第二章 小さな駐車場の「サーチエコノミー」

グーグルの巨大な収益構造は、いったい何処からきているのか。
この一見してグーグルや先端ネットビジネスとは何の関係もなさそうな、
ごく殺風景な場所にある小さいな駐車場から始まる。
    東京都大田区京浜島。羽田空港の近くある小さな島である。
    そこで200台の駐車場 B&B を経営している夫婦の話である。
    集客に大手旅行代理店に頼りざるを得ない駐車場ビジネスとうのは、経費を徹底的に押さえ込んで、
    かろうじて損益分岐点を越えることができる微妙なビジネスである。

集客に悩みに悩んでいた山崎夫妻がインターネットと出あったのは、広告制作をしてくれた知人だった。
「ホームペイジを作ったほうがいいよ」とアドバイスをされ「民間の羽田空港駐車場。 B&Bパーキング。
羽田空港近くの駐車場。 オンライン予約可能」というキャッチフレーズを作り、HPから予約できるようにした。
これだけでもかなり予約が入ったが、さらに飛躍するきっかけになったのは、
何といってもキーワード広告に参入したことだ。
   そのキーワード広告とは、グーグルの「アドワーズ」と、オーバーチュアの「スポンサードサーチ」である。
    世界的にも、日本的にも、この2社がおおむね市場を分け合っている。
 このサービスの内容とは、どのようになっているのだろうか。
    
例えば神楽坂の花屋の主人とする。
・まず、グーグルのHPを開いて、キーワード広告のアドワーズに登録する。
 登録料として最初に500円徴収される。支払いはクレジットカードである。

・これから後は、すべてHP上のボタンを押したり、キーワードで文字を入力すればよい。対面の窓口は存在しない。

・次に広告の文面を考える。 タイトルと本文の文章、それにHPのアドレス。
 たとえば、こんなふうだ「かぐらざか花店 都心の小京都・神楽坂の花屋が和のこころで花を届けます」
  www.kagurazaka-hana.jp
    
    ・次に、「どのような検索キーワードを選ぶか」という作業。花屋といっても無数の店が出てくる。
     そこで、広告料金は「クリック単価」によって決められる。グーグルの検索結果を見ている利用者が、
     その広告を一回クリックして広告主のHPにいく度に料金が発生する仕組みである。
     そのクリック料金の最低価格は、7円。
     もし、「かぐらざか花店」の広告をアドワーズに出して仮に7円で落札できたとする。
     アドワーズを経由して100人来てくれれば、700円の広告料金を払うことになる。
     花屋など誰でも思いつくキーワードを落札して、広告を出そうとする
     競争相手は多いから、落札価格はどんどん高騰してしまう。
     たとえば、「キャッシング」「融資」などの人気キーワードは、クリック価格は三千円にもなっている。
     一万人クリックすれば三千万円にもなる。 それでも広告を出し続けている業者が沢山いるのだから、
     キーワード広告がいかに広告効果があるかが解る。
                つづく
                          ヾ(^ω^*) バイバイ!
・・・・・・・
2005年05月16日(月)
1504, 平等について−2

社会主義の失敗は、この「平等が基本」という前提が間違っていたことである。
建前と本音が人間にはある。 その本音の部分を見落としたのである。
だから、官僚という特権階級の利権の肥大化が資本主義者の特権階級より
進んでしまったのだ。現在の北朝鮮や中国の姿である。

不平等といえば、インドのカースト制度がある。 大きく分けると、4階級。細かく、500階級もあるという。
下の人に不満があるかというと、そうでもないという。下ほど、多くの数の見下せる人達がいることと、
ヒンズー教の教義の裏づけがあるためだ。 それと3000年の歴史がある。
不平等という本音が、そのまま生きている国なのである。
 
先回書いた、鷲田と三浦の対談の中に「運命まで平等にしようとする」が、本質をさらについている。
 −−
・鷲田
美人に生まれようが、ブスに生まれようが、偏差値が高かろうが、低かろうが、それはその人の運命である。
運命は自分で引き受けなくては、それが人間の基本です。ところが世の中のすべてを同じようにならそうとする。
偏差値の高い人も低い人もなるべく同じ土俵において、差をつけようとする。
どこかの放送局で女性アナウンサーがある年齢になって他の部署に配置転換されたら、不当だとか抗議したというのが。
TVを観るほうからしたら、原稿を読むアナウンサーならくたびれたオバサンよりも、
若いきれいなお嬢さんの方が良いに決まっている。
放送局が配置転換をするのは当然のことです。その当然のことをいかんというのです。
平等になろうという意識が、いかんと言わせているのです。
・三浦
運命まで、平等にはできるわけにはいかない。
・鷲田
そうですよ。運命の平等化なんてフィクションです。
そのフィクションまで平等化しようとしたのがマルクス主義です。
そこが、あの思想の危険なところがあったわけです。
その危険な余韻がまだ尾を引いているということです。
 −−−
フランス革命の「自由・平等・博愛」は、それまでの王政の矛盾を破壊するための理想であった。
人間は自由を目指し、平等であるべきだ、そのためには博愛をもっていなくてはならない、ということである。
しかし、自由の獲得は簡単ではないし、人間は不平等である。
そこで博愛で乗り越えていかなくてはならないということか?

・・・・・・・・・
2004年05月16日(日)
1139, マザー・テレサ

「ライフ・レッスン」の著者であるキュープラー・ロスの本の中に度々出てくるマザー・テレサを調べてみた。
知っていたことといえば、インドのカルカッタで貧しい人のため全てを投げうって奉仕活動をして、
その結果として、ノーベル平和賞をもらい、数年前に亡くなった。という位であった。

彼女の言葉の中から、彼女の素晴らしが、そのまま伝わってくる。
読めば読むほど、彼女の一生を投げ打った言葉の輝きがみえてくる。
そして自分の卑小さがみえてくる。ただ無心に読むとよい。
 
 ***
・インドの最下層の人たちは、あなた方が想像できないほど貧しい生活をしています。
  しかし、彼らの心はあなた方が想像もできないほど人間的です。
・この世の最大の不幸は、貧しさや病気ではありません。
  むしろ、そのことによって、見捨てられ、誰からも自分は必要とされていないと感じることです。
・今日、貧しい人々はパンやご飯、愛や神の生きた言葉に飢えているのです。
  貧しい人々は、水や平和、真実や正義に渇いています。 貧しい人々は、レンガでできた避難所、理解し、
  包みこみ、愛する幸せな心、という安息の場を与えられていないのです。
・私たちの使命は、ソーシャルワーカーではありません。
  貧しい人と共に生きて、貧しい人を愛することです・・私たちは、貧しさの中にこそ、喜びを見いだすのです。
・大切なことは、貧しく、見捨てられた人々に兄弟姉妹として接し、
  人々の痛みを自分の痛みとして受け止め、愛を分かち合うことです。
・私たちの目的は、神がこの世を愛しておられるということを宣言することです。
・もし家庭が祈ることを始めるなら、愛と一致がもどるでしょう。
  というのは共に祈る家族は共にとどまるからです。祈りの実は信仰です。信仰の実は愛です。愛の実は奉仕です。
・今日の最大の病気は、らいでも結核でもなく、自分はいてもいなくてもいい、
  だれもかまってくれない、みんなから見捨てられていると感ずることである。
・最大の悪は、愛の足りないこと、神からくるような愛の足りないこと、すぐ近くに住んでいる近所の人が、
  搾取や、権力の腐敗や、貧しさや、病気におびやかされていても無関心でいること。
  ……病気の人、苦しんでいる人にとっては、この会の人がいたわりと慰めの
  天使でありますように。わたしどもの貧しさの生活は仕事にも劣らず必要である。
  どれほど貧しい人に借りがあったか、天国へ行ってはじめてわかる。
  彼らのことでもっと神を愛することを教えられたということのために。

・親切で慎み深くありなさい
 あなたに出会った人がだれでも
 前よりももっと気持ちよく
 明るくなって帰れるようになさい
 親切があなたの表情に
 まなざしに、ほほえみに
 温かく声をかけることばにあらわれるように
 子どもにも貧しい人にも
 苦しんでいる孤独な人すべてに
 いつでもよろこびにあふれた笑顔をむけなさい
 世話するだけでなく
 あなたの心を与えなさい

・ある人びとが豊かに生活できるのは、それなりの理由があるはずです。
 そのために働いてきたに違いありません。
 ただ、私は物が浪費されるのを見ると怒りを感じるのです。
 私なら使えるものを人びとが平気で捨てる時に。
・・・・・・・・・・
ー1997年
平成 9年 9月5日(日本時間9月6日午後6時)「もう息が出来ないわ」の言葉を残し永眠。
9月13日インドで国葬が行われた。 国家元首でも首相でもないのに、異例の国葬です。
マザーがどれほどインドの人々に愛されていたかが、わかります。

マザー・テレサやシスターたちのとなえるアッシジの「聖フランシスコの祈り」

主よ、私をあなたの平和の道具としてお使いください
憎しみのあるところに愛を
争いのあるところに許しを
分裂のあるところに一致を
疑いのあるところに信仰を
誤りのあるところに真理を
絶望のあるところに希望を
闇に光を
悲しみのあるところに喜びを
もたらすものとしてください
慰められるよりは慰めることを
理解されるよりは理解することを
私が求めますように
わたしたちは与えるから受け
ゆるすからゆるされ
自分を捨てて死に
永遠の命をいただくのですから

・・・・・・・・・
2003年05月16日(金)
772, 家電の買い方

 私の値がさの家電やビデオなどを買う時の方法論を書く。
見る人が見たら何を今更のことでしかない。
しかし衣料量販店のバイヤーや、大きい買い物ではホテルビルの発注の経験を
してきたので、買い方は他の人よりは知っている?
 
 何事もまずは情報である。昨秋に50インチのPDPTVを買った時には事前に量販店の売り場に30~40回は通った。
職場の近くに石丸電気とヨドバシがあるからだ。また休日にはコジマ電気、ジョーシン、ヤマダ電機など
5~6軒を数回ずつ回った。 それを楽しむのだ。まあ買い付けがすきなのだろう。
何といっても決めては、インターネットの価格・comで値段と情報を仕入れる。
商品ごとのチャットの記録が残っている。かなり詳細の実際買った人の会話が載っている。

 以前のTVを買った量販店に行き,正直に価格・comで調べた値段をいう。
もちろん他の家電の見積もり値段も言う。それは会員証の記録で解るから、本気で対応してくれる。
全く同じ型番でも、数ヶ月で新機能が加えられる。
メーカーはそれまでの在庫を量販店に破格の値段で流すのだ。といってPDPTVはホット商品である。
そういう情報はチャットに載っている。ジョーシンで、チェーン店内の在庫でそれを捜してくれた。

 買うと決めたら、その時点からゲームにしてしまうのだ。
一番スタンダードの方法は、ヤマダ電機とコジマ電気に見積もりを取ることだ。
さらにジョウシンにいってその下にならないかと聞く。
値がさのものなら、ギリギリ下げてくれるはずである。
それなりのエネルギーを使ったぶんだけ安くなるの間違いはない。
その為には執念とプロセスを楽しむ事だ。何ごとも同じである。

 そういえば週刊誌で、記者が上記と同じ買い方をして記事にしていた。
あまりの値下げに驚いた内容であった。 この程度の事は誰もやっているか!


2598, 中国の地震について

2008年05月15日(木)


中国の地震は、死者行方不明は十万人以上の可能性も出てきた。
産経新聞が行方不明9万人と報道していたが、まだ真偽は解らない。
中越、中越沖地震がマグネチュードが6・8、今回の中国の地震が、7・8。 
震度が一違うと32倍というから、いかに大きな地震だったか!が推測できる。
32年前の文革真っ只中に24万人の死者の地震があったというから、日本の最近の地震とは規模が違う。
この地震もも、マグネチュードが7・8だったという。
最近は誰もがデジカメか携帯電話のカメラや、ビデを撮ってしまうから情報管制は難しい。
連日、生々しい写真が出始めている。

スマトラ沖地震と、ミャンマーのサイクロン、そして、この地震と大規模の災害が続いている。
それも中国にとって華やかなオリンピックの聖火リレーの最中に。
そういうものである。

以下は、新聞の記事で、
最も簡潔に知りたいことが書いてあった記事である。
  =毎日新聞 ー余録:四川大地震=
 
人類史上最悪の自然災害は、明時代の中国で起こった華県地震と呼ばれる震災という。
1556年1月23日、陝西省西安の東方約70キロの華県で発生したマグニチュード8の地震で、死者は83万人に及んだ
▲その有り様は「地陥没、裂開し、震裂の大なるは出水、出火してその怪形容すべからず」と伝えられている。
人的被害が大きかったのは、この「地陥没、裂開」のなかでヤオトンと呼ばれる横穴式の穴居住宅の多くが崩れたためといわれる
▲今また倒壊した建物のがれきの下から助けを呼ぶ声がするというニュースを聞けば、繰り返されてしまった惨禍に言葉を失う。
四川省を震源にしたマグニチュード7.8の地震が四川、甘粛、陝西の各省や重慶市を含む広い地域を襲った
▲被害の全容はなおつかめていないのに、すでに死者は1万人以上を数えている。現地からの報告では倒壊家屋の総計は
346万戸に達し、震源近くの街は壊滅状態という。
また各地で学校などの倒壊が相次ぎ、被災地全域で今も合わせて2万人以上が生き埋めになっているようだ
▲歴史上震災は何度も経験していたのに、今回も災いは地震への備えを欠いたもろい公共施設や
山間地の貧困層の暮らしを直撃した。今この瞬間もがれきの下で助けを待つ子供らがいる。
何かできることはないかと心あせるのは、このニュースを見つめる全世界の人々の気持ちだ
▲北京五輪を前にチベット人も多い土地を襲った震災だ。中国政府は直ちに首相を現地に派遣し救援態勢をとった。
今はただ救える生命を一人でも多く救うのにすべての決断を集中するのが、国際社会への最良のメッセージにもなろう。
               毎日新聞 2008年5月14日 0時07分(最終更新 5月14日 1時36分)
  〜〜
 中国もソ連解体と同じ道を歩くのか、それとも13億の民を守るため、共産党という建前の強大な権力が
 必要悪として許容するのか、この数年は目を離せない状況になってきた。

・・・・・・・・・
2007年05月15日(火)
2233, しお壷の匙  −2
         (´∀`σ)σ オハYO!
 
    この中の「銭金について」の上司の言葉と、本人の動揺が面白い!
   「学生気分が抜けない頭でっかち」を注意された時のカルチャーショック。
    誰もが一度通らなければならない精神的脱皮の時である。
    働くとは何か?  金を稼ぐことである。 生きるためである。
    そして、その中に生甲斐を見出していくことである。
    一度、徹底的に自分を破壊して、金を稼ぐプロとして再生しなければならない。
    これが三年目にくるか、十年目にくるか、それぞれ違うだろうが。

ーまずは、その部分を抜粋してみる。
 ーー
「・・ある日、私は上司に呼ばれ、きみはまだ学生気分が抜けていないんじゃないか、
お世辞、お愛想の言い方がへただ、と注意された。突然のことに当惑していると、
上司は自分の机の抽出しから一冊の本を取り出し、いきない「これは何だッ。」と呶鳴った。
見れば、それは私の本だった。当時、新潮文庫の一冊として上板された、プラトーン・田中美知太郎訳
「ソークラテースの弁明」であった。私は己れを慰めるためにそれを書店で求め、通勤の往き帰りに
電車のなかで読んでいた。 上司はそれを私の机の中から取り出し、咎めているのだった。

「俺はお前が週刊誌を読んでいる姿、見たことねえぞ。これは何だ。
こんなもの読みやがって。こんなもの読んでて、金に頭を下げられると思ってんのか。
人間の心は捨てろ。そうすれば、どんなことだって平気で出来る。
人におべんちゃらを言うことだって、人を騙すことだって平気で出来る。
俺たちは人に頭を下げることによって、飯を喰ってんじゃねえぞ。
金に頭を下げることによって、喰ってるんだ。いいか。お前はその屈辱にもよう堪えん男じゃないか。
金に頭を下げることのありがたさを知ったら、どんなことだって出来る。
屈辱に堪えること、それがお前の喰う飯の味だ。お前だって、金なしには飯が喰えん男じゃねえか。
その金は誰からもらうっているんだ。おう、どんな別嬪も便所へ行ったら、パンツを脱いでしゃがむんだ。
人間の心を捨てろ。いいか。」 ・・・  

私にあっては、この小事件は大きな意味・価値を持っていた。
私はプラトーンを読みながら、併しまた同じくプラトーンを読む他人で、
これを読むことに屈辱を覚えない人には、も早何も共感を覚えなくなっていた。
世の中にはプラトーンを読む人は多く、寧ろこれを読むことを己れの「誇り」にしている人の方が多い。
私にはその自慢がましい精神態度が、頓珍漢な思い上がりにしか見えなくなった。
・・・併し私はそれでもプラトーンを求めないではいられなかった。この屈折は、私に苦痛を強いた。
ーー
  解) 私が金沢の某会社に勤めていときの上司に似たようなことを言われたことがある。
    もっと次元の低い内容であったが、まだハッキリ憶えている。 その時は「自分の見える限界でしか、
    人は見えないということか?」と頭の中で呟いていたことを覚えている。
    上司や仲間を同列の相手として見ていない自分が、そこにあった。
    甘さを背中に抱えながら、見て見ないようにしていた自分が当時の自分であった。
    
    この文章を読みながら、なるほど金を稼ぐということの難しさを改めて思い知った。
    生存と、成長と、ライバルとの競争と、何の手がかりのない空虚のあせりの中で・・・
    当時は、目の前に置かれた一冊の宗教書「大本教の出口王三郎」の言葉であった。
    その歪みの心の中で、木に登って=「プラトンを読んで」現実からの自己逃避を
    していた著者と、現実という熊の吐く息が、その上司である。

    今の若者、いやこれは何時の時代にも通じることだが、本も重要だが、
    シッカリと地に足をつけた割り切りも重要である。現在の私の年齢の厳しさは、
    過去の自分の足取りがそのまま、自分に突きつけられるためである。
    心が締め付けられる思いを毎日のようにしている。
    
    ただ金銭感覚は、両親から徹底的に教え込まれたが、一日、二時間の読書は必ず、していたが、
    それでも後悔すること然りである。
                   (*・ω)ノβψε★βψε
・・・・・・・・
2006年05月15日(月)
1868, ブログは社会革命ー 2
 おはよ〜!(*^ワ^*)i
    いま一つ劇的なポイントがあった。
    それはブログに書かれた記事は、検索エンジンにとっても検索されやすいということだった。
    わかりやすく言えば、ブログの記事や日記は一本一本が独立したHPのような形式になっている。
    検索エンジンはこうした構造のHPを好むから、結果的に検索エンジンはブログに書かれた内容であっても、
    企業のHPと同じように検索エンジンに取り扱われるようになったのだ。
    
「ウェブ進化論」の第四章ブログと総表現社会 の中に解りやすく書いてある。

ーひとつはブログの仕組みは、記事をコンテンツの単位として設計されている
ということだ。つまり、ここの記事に固有のアドレス(URL)がつけられた。
技術的に難しいことではないが、これが当たり前になったのが非常に大きかった。

それぞれのブログの記事に固有のアドレスがつけば、「○○さんのブログ」というたくさんの情報が
混在する塊を指し示すのではなく、「○○さんのブログのこの記事」とピンポイントで紹介できる。
そのウェブサイト全体の内容が次々と更新されても、書かれたその記事のアドレスは変化せず、リンクは永続する。
ウェブサイトという単位よりも、もうひとつ小さなくくりである記事が、ブログで取り扱う標準単位になった。
                      (*^ー^)/C□~~ コーヒー
    第二の技術的変化は、RSSという古い技術がブログという新しい仕組みに取り込まれ、
    全く新しい可能性を拓いたことである。
    RSSとはウェブサイトの更新情報を要約してネット向けて配信するための文章フォーマットのことだ。

もともとウェブサイトとは実に受動的なメディアで、サイト上で何か更新を行っても、
誰かがそのサイトを見に来てくれない限り、その更新は人の目に触れないという
代物であった。しかし「更新情報を要約して配信」できるということは、
そのウェブサイトをの更新を能動的にネットに向けて知らしめることができるということを意味する。

    記事をコンテンツの単位として考えたブログの仕組みと、サイト内の記事を
    配信するというRSSフォーマットの構造がうまくマッチしていたため、
    ブログを書くためのツールの殆んどが、最初からRSS配信機能を組み込んだ。

つまりブログツールは、記事がかかれてサイトが更新される度に、
RSSフォーマットの情報を、ネットに向けて自動的に配信するようになったのである。
むろんブログの書き手のほとんどはそんなことを知らない。
しかし、インターネット上は、ブログを書いた人たちの記事の数だけ吐き出されたRSSフィードで溢れるようになった。

    フォーマットが標準化されていたから、ネット上の誰もが、
    それらを拾って蓄積したり、加工したり、サービスを開発できるようになった。
    情報の自己増強・伝播メカニズムの芽が、ブログとRSSの組み合わせによって生まれたのである。
    
            (o´・ェ・`o)ノ♪ バイバイ!
・・・・・・・・
2005年05月15日(日)
1503, 平等について−1
ー不平等が人間の基本ー

フランス革命の旗印は「自由・平等・博愛」である。
その自由に重心を置いたのが、自由主義であり、平等に重心を置いたのが、社会主義である。
博愛に重心を置いたのが宗教というところか。

「自由」については何回か書いたが、今度は「平等」について考えてみよう。
『日常生活に哲学は必要だ』ー三浦朱門と鷲田小弥太の対談集ー
の中の「平等について」の一節に明快に書いてあった。 これから考察してみる。

ーまずは抜粋してみるが、「平等」に対して、これだけ解りやすく納得させてくれるのも珍しい。

ー「不平等が人間の基本」ー
・三浦
 社会主義の基盤は平等です。さっき、人間は共産主義者が好きなのではないという話がでましたが、
それは実は平等が好きだということなんです。

実際、遠見に見ると、人間なんてどれもこれも同じなんです。
たとえば学校を見ると、卒業式とかなんかで、クラスの記念写真を撮りますね。
これが制服など着たりしているとなおさら、みんなと同じである。
だが、少し近づいてみると、男の子がいたり、女の子がいたりする。
偏差値も違うし、歌の上手い子もいる。ハンサムな子、美人な子、逆にブスな子もいる。
これだけの要素を順列組み合わせしてみても、千差万別といってよいほど違う。
まして人間の要素というのはこれだけではない。 本当に一人ひとり違う。

 だから、社会を構成上で大切なのは、平等の適用範囲なのでしょうね。
平等の心地よさは大事です。それは社会を安定させる重要な要素です。
人間を遠距離で見るか、中距離で見るか、近距離で見るか。
市民的平等、遺伝子的平等、文化的平等などさまざまな局面を考えてみると、
やはり平等は社会保障や法律の局面に限るべきだと思います。
その部分の平等が保障されていれば、その社会はまずはよしとしなくてはなりません。
ところが平等とはなんでも同じでなければならないととらえられている。
・鷲田
まず人間は基本的に不平等であると心得なくてはなりません。 
その基本的に不平等である人間が社会的生活を営む上で、なるべく円滑にいくように
考えだされてのが平等という概念であることを知らなくてはなりません。
そのためには、法律に定められた平等以外に不平等であるのが人間の姿なのです。
それを心得させるものは哲学であるということなのです。

「平等と権利の主張」

・三浦
平等は社会生活を営む上で便宜的な概念であって、人間の本質でないということことですね。
だが、その平等の概念がしばしば混乱するのは、ほかでもない、
権利意識と平等が混同されるからではないでしょうか。
・鷲田
権利を主張するのに平等を楯にする。しかしね、平等を楯にした権利の主張は利己主義に過ぎないよ。
その証拠に、こちらに何かを寄越せ!という権利の主張なら大いに平等を口にしますが、
平等にするためにこちらの何かを削らなくてはならないような場面では、平等のビョの字も出なくなる。
・鷲田
いまの政治家や役人の二代目なんてのは世襲化しているが、これを如何考えるか。
・三浦
何代目であろうが、一応外交官試験を通ったり、選挙に当選しているのだから、
やはり平等と見なくてはなりません。
・鷲田
平等は聞こえがよいし、居心地がいいかもしれない。
また、社会生活を円滑に回転させるための円滑油としての効果もある。
だが、それはあくまでも法律的な枠組みに限られたことだとわきまえなくてはならない。
良識などという言葉は私にはもっとも似合わないが、
やはりそういう良識を持ち合わせてないと、品位のない社会になってしまいますね。
その良識を確立するためにも哲学を持たなくてはなりません。

ーーーーーーー
以上、書き写すのに時間がかかったが、私にとって、それをするだけの価値は充分あった。

まずは、「平等が基本」という前提が突き崩された。しかしよく考えてみれば、
子供の時から社会を見ていても「不平等が基本」にあった。
裕福な家庭の友達と、貧困の家庭の友達は厳然とあった。
学歴の差も、美人とブスの差もあった。 成績の良い子もいれば、劣等性もいた。
弱い子は虐めの対象になっていた。

色いろな人がいるのが社会である。 そして、弱肉強食が実態である。
平等は何処にも存在をしてないのが実社会である。
しかし、心のどこかに平等意識が働いているから、歪みが出てしまうのだ。
同じ兄弟なのに! 同級生なのに! 市民なのに! 国民なのに! 等々。

しかし、そこに落とし穴がある。
「人間の基本は不平等」と割り切っていれば、「人生の敗北者」の考え方にならないですむ。
「敗北者」の甘さに、心のどこかに平等意識があるからだ。
「世間様」に棲む「子狐的人間」が、この不平等と平等意識の狭間の中で右往左往する。

中国旅行の時の現地添乗員が、日本に留学に来ていた時に日本の豊かさを観て
「何で同じアジアに住む人間として、ここまでの差がなくてはならないのか?
戦勝国の中国の方が貧しいのか?非常に疑問を持ってしまった!」と言っていた。
国内だけの貧しさの平等なら解るだろうが、敗戦国なのに100倍近くの収入の
差を見せつけられれば疑問を感じて当然だろう。「国家体制のシステムそのものに問題がある」
ことに小平が気がついたからよかったが。
                       ーつづく
・・・・・・・・・
2004年05月15日(土)
1138, つれづれなるままにー駅の風景
(字数の関係でカット2,008年5月15日)

・・・・・・・・・・
2003年05月15日(木)
771、ゆっくり急げ!
(字数の関係でカット2,008年5月15日)

・・・・・・・・・
2002年05月15日(水)
407,ホームページを開いて一年

以前「テーマ随想日記を書いて一年」を書いたが。このテーマはホームページである。
「ホームページつくりを通して、パソコンをわがものにする」と目標を立て、実行して一年半経つ。
やはり人生が根本的に変わろうとしている。 情報化を実感している。

たどたどしく、やってきたというのが実感だ。一つの目安が、現在のこの時期と考えている。
ここで一回ホームページの解体の時期かもしれない。 実施は夏以降か?

現在の自分の現状に似ている。今までのビジネスや人間関係や慣例の解体のプロセスの時期だ。
ゼロベースからの見直しである。ホームページづくりと、旅行の積み重ねと、去年の9・11で、
世界と世界観が全く変わってしまったからだ。 やはり情報は最も大事である。

どこまで一人になりきれるか、とりあえず一人に。 とくに「−−会」といっている集まり。 
当分は「空」への過程だ。 そしてある時期がきたら、新しい「色」を求める。 
ポイントは「電脳、グローバル、21世紀へ、前向き、楽しさ、興味」である。濡れ落ち葉にはなりたくない。

ここで他者のホームページが見えはじめてきた。素晴らしいホームページにいきあたる。
それと自分のホームページとのリンクがポイントである。
特にリンクの分類がポイントになってくる。それとやはり絞込みが重要だ。
そうしないと、みさかえなく情報が入ってくる。

現在、電脳というキーワードがある。その時代に入ったことが実感できるかできないかが分岐点だ。
ポイントはホームページだ。 自分のリンク集でもいい。

・・・・・・・
2001年05月15日(火)
赤面―自嘲―入力ミス

日記の文章で、文面に2日に一度は入力ミスがある。1度見直せばこんなに多くないのはずなのだが。
2〜3日前より一度パソコン内のメモ帳上に書いた上で、コピーして載せるように切りかえた。
ブラインドタッチの訓練をかねている為、余裕が無かったとことと、
日記帳という気楽さという言い訳は公開した以上成り立たない。
書き直す方法は明後日にパソコンの先生の授業課題なので土日に直すつもりだ。
毎日は書かなかった日記を公開すると同時に欠かさず書き始めるのも自身が可笑しい。


2597, みんなのたあ坊の哲人訓−1

2008年05月14日(水)

     「みんなのたあ坊の哲人訓」ー読書日記

図書館で見つけた小型版の絵本のような本である。
子供向けに サンリオの社長が選び抜いた言葉と、割り切ってみると違った風合いがある。
どれもこれも、耳にこびりついている言葉だが、子供向きにと思うと改め新鮮に思える。
何を今更というより、子供に道理の一部を伝えようという気持ちが伝わってくる。

今日は、100のうちの50までの印象に残った言葉を書き写してみた。
この中でも一番、好きな3つの言葉は
「虹だって15分続いたら人はもう見向かない」(ゲーテ)
「失敗の最たるものは、何ひとつ失敗を自覚しないことである」(カーライル)
「他人の罪は目の前にあるが、自分の罪は背後にある」(トルストイ)である。
    

    〜〜〜〜〜
    さんりお 辻信太郎著

  「人間は考える葦である」(パスカル)
「誠実に勝る知恵なし」(シラー)
  「逆境も考え方によっては素晴らしいもの」(シェイクスピア)
「友情とは二つの肉体に宿れる一つの魂である」(アリストテレス)
  「知は力なり」(ベーコン)
「天才は1%の才能と99%の努力である」(エジソン)
  「汝自身を知れ」(ソクラテス)
「真実の山では登って無駄に終わることは決してない」(ニーチェ)
  「君の魂の中の英雄を放棄してはならぬ」(ニーチェ)
「幸運は望むものにしか訪れない」(アイザック)
  「人間、志を立てるのに遅すぎるということはない」(ボールドウィン)
「虹だって15分続いたら人はもう見向かない」(ゲーテ)
  「失敗の最たるものは、何ひとつ失敗を自覚しないことである」(カーライル)
「他人の罪は目の前にあるが、自分の罪は背後にある」(トルストイ)
  「根本的なことは私にとって真理であるような真理を発見することだ」(キルケゴール)
「賢い人は多くの事を知る人ではなく、大事なことを知る人である」(アイスキュロス)
  「機会が二度扉をたたくなどとは考えるな」(シャンフォール)
「太陽が輝くかぎり、希望もまた輝く」(シラー)
  「どんな問題にも両面がある」(プロとゴラス)
「美しい笑いは家の中の太陽である」(サッカレー)
  「その日その日が一年中の最善の日である」(エマソン)
「心に残るのは千の忠告よりひとつの行為だ」(イプセン)
  「寒さに震えたものほど太陽の暖かさを感じる」(ホイットマン)
「望みを持ちましょう。でも、望みは多すぎてはいけません」(モーツアルト)

                        世界は知識で満ちている。
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2007年05月14日(月)
2232, しお壷の匙
      ヽ(★>з<)。o○[ォハヨ]○o。(>ε<☆)ノ
    
    車長吉の本の評価は、それがどうした?とみるか、驚きの目でみるか?
    二つに分かれる。私は「で、それがどうした?」という視点が強い!
    内容は事実をそのまま写生的だが、何処にでもある話である。
    人はそれぞれの人生を生きているのである。

 ー面白そうなところを抜粋してみた。
 ーーー
私が物心ついた時分の勇吉は、すでに七十を超え、鍛冶仕事はやめていた。
いつ行っても家の奥の暗がりに黙って坐っていた。異様によく光る夜蜘蛛のような目で人のすることを見ていた。
…そして何か癇に触ることがあると、たとえ相手が三つの子供であろうと、情け容赦のない険しい声で
「ド畜生めがッ。」と言った。恐らくは人間は凡て畜生であることを見抜いていたのだろう。
孫あやしをして喜ぶような甘さはカケラもなかった。私が五つ時分のことである。
ポケットから落ちた五円玉が日土間のたたきの上で、独楽のように廻転しはじめた。
それを足で踏んで拾い、顔を上げた瞬間、いきなり横っ面を張り飛ばされた。
私はもんどり打ってたたきの上へ転げた。
「この糞ったれめがッ。」その時の瞋恚(しんい)に燃え立った勇吉の目を今も忘れない。

吉祥天のような貌と、獰猛酷薄を併せ持つ祖母は、闇の高利貸しだった。
極道がドスを呑んでやって来ても、「うちは冗談は嫌いやが。」と言って、目をつぶっており、
なお相手が横車を押してくれば、いきなり鍋の蓋が飛ぶような烈しい声でカチ喚いた。
「斬るんなら斬りんな、うちは承知しないでッ」陰気な癇癪持ちで、没落した家を背負わされた父は、発狂した。
銀の匙を堅く銜えた塩壷を、
               (以下、字数の関係上カット2,008年5月14日)
                          ☆ァディオス☆(`・ω・´)ノ
・・・・・・・・
2006年05月14日(日)
1867, ブログは社会革命 ー1
        (。・ω・)ノ☆゚+.オハヨゥゥゥ
                   ー読書日記
    HPを開設してまる五年経つが、    「ウェブ進化論」と「グーグルGoogle」を読むまで、
    ブログがここまで進化ているとは思ってもいなかった。そして「ブログ進化論」を読むにいたって、
    情報革命の行きつくのは,ブログだったのか?と考えてしまった。
    
    とくに‘トラックバック’という革命的な‘双方向リンク・システム’には驚いてしまった。
    何じゃこれは!というのが実感である。私も、この旧式?なHPはこれとして、
    ブログの世界に入っていくつもりで、その内容を如何するか熟慮?をしている。
    自分の名前を出すか、仮名でいくか? 別人生の自分をつくって、遊ばせるか?   

まずは「グーグルGoogle 」(文春新書)第5章の中の『ブログについて』から抜粋してみる。
素人にはホームページ開設は敷居が高かったが、2,002年を境に状況が劇的に変わってしまった。
専門知識がなくても、ブログのサービスを利用すれば、誰でも簡単にHPをもてるようになったのだ。

    アメリカで、ブログが世間に認知されるようになったのは 2,001年のこと。
    きっかけは、9月11日の同時テロだった。
    この事件をきっかけに、アメリカ市民の間に『テロに対する自分の意見を言いたい』
   『お互いの気持ちを交換したい』という情報発信に対する熱望が広範囲に広がった。
    そして、HPやネット掲示板で政治的な意見を発信する人が急増し、
    ある種の『インターネット論壇』のようなものを形成するようになった。

丁度その頃、サンフランシスコで「ムーブバブルタイプ」というソフトが生まれた。
このソフトを開発したのは、ミナ・トロットとベン・トロットという夫妻であった。
この夫妻が作ったムーバーバブルタイプは、ブログを簡単に解説できるソフトだった。
日記を書くソフトは以前から存在していたが、他人の日記に対してコメントを
つけ加えたり、過去の日記の蓄積を簡単に検索して閲覧できるような使いやすいソフトは皆無だった。
妻のミナは自分のブログを書こうと考えて、「もっと使いやすいソフトはないの?」とベンに相談し、
プログラマーだったベンがムーバーバブルタイプの最初の版を作り上げた。

    このソフトが2,001年秋に無料で公開されると、口コミで高まり、あっという間に
    インターネット社会に広がってしまった。 このソフトはあらゆる面で革新的であった。

その中で最も革新的だったのは「トラックバック」という仕組みを持っていた。
これは、誰かがブログ上で別のブログにリンクを張った際に、その相手のブログにも
「リングを張りましたよ」というメッセージが表示される仕組みだ。
つまりブログ同士がお互いにつながりやすくなり、意見が活発にできるような仕組みを用意したのである。

    これによって、インターネット社会が劇的に変化した。
    それまでの「インターネット大陸」の狭間にあって孤立していた個人のHPが、
    急速に他のHP群とつながるようになったのである。

これによって、ブログが「双方向リンクシステム」というトラックバック・システムを整えていた。
これによって世界中のHPはお互いにつながり合うことになった。これまで孤立していた個人のHPが、
トラックバックによって劇的にネット世界のあり方を根底からひっくり返った。
新たなパラダイムの出現であった。 いま一つ劇的なポイントがあった。
    それは次回に。
                  つづく    ゝд・) ノ バイ
・・・・・・・・
2005年05月14日(土)
1502, サラ川

第一生命が毎年募集している恒例の「サラリーマン川柳」の入選作100句が7日に発表された。
18回目の今年は全国から2万1878句が集まったというが、例年から見ると不況のためか五分の一以下である。
職探しや会社の競争に疲れた話題を取り上げた句が多く、サラリーマンには「逆風」が吹き付けている現状が、
そのまま反映されている。「帰宅して妻の気嫌を犬に聞く」など時代に翻弄されている庶民の実感が滲み出ている。
毎年、楽しみにして見ているが、それにしても川柳自体に勢いがない。捻りもないし、面白みも少ない。
時代背景のためなのだろうが、せめて川柳で笑い飛ばしたいところだ。

まず
1位は、「オレオレに 亭主と知りつつ 電話切る」 と‘振り込め詐欺’と妻に利用され、
2位、「ペと言えば 母はヨンジュン 父加トちゃん」 と韓流ブームも反映、
3位、「『振り込め』と 言われた その額もってない」 と自嘲し、
4位、「ヨン様かあ オレは我家で ヨソ様さ」 といったペ・ヨンジュンのネタや、
5位、「有害だ 『混ぜるな危険!』 嫁姑」 という、家庭内の事情も加え
6位、「オレオレは マツケンサンバ だけでいい」 など松平健もあり、
7位、「『残念!』と 俺の給料 妻が斬り」と投げパッチになる。 

ーーーーーー
2004年05月14日(金)
1137, 「ライフ・レッスン」−14
   ー明け渡しのレッスン

ー抜粋ー
・自分を明け渡すためには、毎朝、目がさめたときに「『わたしの意思で』ではなく、
『汝の意思で』」といえばいい。 そして、こういうのだ。
「きょう、なにがおこるのか、わたしにはわかりません。 きょうは自分がすることの計画はあります。
 仕事に出かけ、芝生をかり・・・。
 でも、その計画は青写真でしかないという現実に対して、わたしは自分を明け渡します。」
  ーーー
−明け渡すとは仏教でいう、諦念に似ている。死ぬとは、この世にすべてを置いて消滅することである。
定年で会社を辞めることも、自分の仕事を明け渡すことである。
宗教の言葉に「死後残るのは、愛情だけだ」という言葉があるが、両親からは深い愛情を残してもらった。
 明け渡しのとき、すべてが空ということが解るのだろう。そして、残るのは無心の愛情だけである。
愛は言葉だけでない、その裏づけの明け渡しの中にある。
人生には最後のイベントとして、死がある。すべてを明け渡して‘無’に帰さなくてはならない時、
虚無の真っ只中で、自分の人生とは何だったのか、この人生で何を学んだのだろうかを振り返ったとき、
愛情と感動こそが、すべてだったと気がつくのだ。

 感動はじゅうぶん経験してきたが、無心の愛を残してきただろうか?
  いや、残せるだろか?
 ーいい日は幾らでもある。 手に入れるのが難しいのはいい人生だ。
                −アニー・ディラード
・・・・・・・・・・
2003年05月14日(水)
770、 私が二十歳の頃-時代背景

20歳の頃の話は、半年前に「学生時代のこと」のテーマで書いた。
今回は、その時代背景はどんなであったかを書いてみる。
・二十歳の前年の1965年、米軍がベトナムの爆撃を開始、
 ベトナム戦争が二年目であった。 ベトナム戦争反対運動と学生運動がピークに向かっていた。
 また中国で文化大革命運動が始まっていた。 高度成長の始まりもあり、騒然とした雰囲気であった。
・アメリカ大統領がジョンソンで、日本は佐藤栄作が首相二年目に入っていた。
・ビートルズが来日。
・尺貫法が廃止される。
・TV では『おはなはん』が放映、『笑点』がこの年に開始された。
 他には『サンダーバード』『ウルトラマン』『銭形平次』があった。
・漫画では『巨人の星』『意地悪ばあさん』があった。
・流行歌では、「星影のワルツ」「君といつまでも」「夢は夜ひらく」 「霧氷」「バラが咲いた」
 「こまっちゃうな」「思い出のワルツ」 などポップスの全盛期であった。
  翌年は「ブルーシャドー」「小指の思い出」相良直美の「世界は二人のために」
 「夜霧よ今夜もありがとう」「女の波止場」など、名曲がつづいた。
・スポーツでは巨人は堀内恒夫が入団で、44イニング無失点の記録をつくった。
 君原がボストンマラソンで優勝した。 社会人ラグビーでは、八幡製鉄が4連覇を果たした。
・新宿に西口ができた。西口の浄水場の近くをバイトで何回か通ったことが 懐かしい。
 こう書いていると次々と当時の記憶が蘇ってくる。

振り返ってみると、高度成長期の真っ只中で日本が未来に向かって光り輝いていたようだ。
音楽も漫画も夢のあるものが多い。半年前にこの頃の事を書いたものをコピーしておきます。

・・・・・・・・・・
2002年11月08日(金)
574, つれづれに-学生時代のこと

学生時代の最後の半年間の日記を「ある時間の断片」という題で書き写している。
そのときは34年の時空を飛び越えて青春真っ只中の自分に立ち返っているようだ。
記憶もそのときのことが走馬灯のように立ち返ってくる。
現在と変わらない自分と、全く変わってしまった自分がそこに見える。
今時に悠長なことを思い出しているものだとも考えてもしまう。

学生時代は、
・そこで住んでいた青雲寮の生活
・武澤ゼミと卒論
・欧州の一ヶ月の旅行
・影響を受けた大学の先生と授業
・クラブの先輩同僚などの思い出
・軽井沢の友愛山荘のアルバイトの思い出
・合コンや合宿などなど

結構多くの構成が重なっている。この4年間が人生の圧縮であった。
物理的には馬小屋のような部屋に住んでいたが、出来事は数え切れないほどのことがあった。
脱皮脱皮の連続線上にいたようだ。20代30代は誰でもそうだが、私の場合創業を目指していたこともあり、
刺激の強い20年間であった。

武澤ゼミ、欧州旅行、青雲寮、軽井沢友愛山荘、個性的な教授と結構恵まれていたのは時代の背景もあったようだ。
高度成長期で日本がアップスケールの真只中だった。

当時の日記の中で色々な友人と語っている内容は、これからどういう生き方をしようかという内容と、
その批判である。 未来が光り輝いていた。
・自分は留学しようと思う。
・いや大手の会社に勤めようと思う。
・大学に残ろうと思う。
・自分で事業を起こしてやろう。

そういえば結婚をしようという人は誰もいなかった。如何しようか?という人は多かったが。
自分が何か使命を持って社会に期待されているようであった。何かやっと自分の出番が回ってきたようでもあった

・・・・・・・・・
2002年05月14日(火)
406, 倒産の後先ー2 -失敗の条件

倒産にもいろいろある。特に自分で事業を立ち上げて失敗するケースである。
実際経験しなくては解らないのが経営である。早くいえば、実際は博打に似ている。
博打は多くは場数を踏まないと上達しない。遵って、経営管理と経営は全く別物である。

経営に無知?の社長が大手の幹部を社長にスカウト。そこまではよい、経営を全面的に任せる?
その間違いという事に気づかないケースが身近にあった。
「飾り」ならいいが、あるいは叩き上げならまだよい。
それをカバーするには、準備を何処まで周到にできるかにかかっている。

自分が22年前、今の事業を立ち上げた時、「500佑寮功確立」が、自分の信念の中にあった。
そしてそれだけの準備を、15年間ー19歳よりーかけてきた。
その15年の中身は誰もわからない。そして表面を見て「運」と思ってしまう。

ある人と飲んだ時、かなり深酒の後、ふと横を見ると私の顔を不思議そうな眼でじっと見ていた。
「何でこんな奴が、事業の創業ができるの?」 何処でも捨てるほど失敗事例がある。
起業、起業と最近いわれるが、そう甘いものでない。 それだけの充分の準備が必要だ、それも周到の。

もう先年亡くなったが、以前地銀の次長として長岡の店にいた人が、支店長として私の会社の取引店に栄転できた。
いうことがずばり「たまたま上手くいったの?それとも周到の計画の上で?」
たまたま上手くいった奴と、勝手に決め付ける人よりよいが。

失敗した人はいっぱいいるが、彼らは「たまたま失敗した、運が悪いだけだ!」と思っている。
その上に、失敗の共通点は、私生活が崩れる場合が多い。
打つ買う飲むに溺れてしまう。自己管理ができない人が、経営管理ができるわけがない。

二代目では、変化対応ができないで失敗するケースが多い。
青年会議所のトップ?になってるが、自分の会社は潰れそう。
それと商工会議所の部会長とか?あの街、この街の現在進行形?のパターン!

ゼネコンとか集り政治家に煽てられ、再開発とか。
何処かの街の話だが、厚生会館をつぶし2Fの大駐車場を造ればよいのに地下駐車場を数十億かけつくり、
一台あたり20万~50万で、できるのに確か??00万の経費をかけ、地下駐車場を再開発。
こういうのをマフィアという。利権の為の犯?的行為だからだ。
一桁の差でもありえないのに、二桁は歴史に残る話だ。

その??人形に使われて、娑婆はだから面白い!少し問題がずれた。
潰れるまでに、こういう体質を永年かけてつくっている。会社は一瞬にして潰れるが、
しかし反面まともに?経営をしていれば、そう簡単には潰れない。

経営に向かない人が成り行きや、立場上なってしまう。
他人のことでないかもしれないが! 明日はわが身か?

・・・・・・・・・
2001年05月14日(月)
つれずれに‐変化の中で

数年ぶりにここにきての‐連休明けー客数の極端の減少で感じた事を書いてみる。
あまりこの(当社ホテル)辺りは、露骨な客引きや売春婦はいなかったが、急にここにきて増えてきたという。
売上ダウンで撤退したあとの店にあらての風俗系の店が入れ替わった結果であろう。

私も飲むときは決まった店で恒例の会か、10年20年飲んでいる気のおけない
飲み仲間としか行かなくなった。そしてその時は1期1会 徹底的に楽しむ。
要するに安くいかに楽しむか、断るか。中途半っぱの飲み会は出ない。でもこれは私だけでない傾向のようだ。

TVもインターネットもますます面白くなってきているし、1日の中身がより濃くなっている。
大相撲も野球の巨人戦も全くつまらなくなった。 
格闘のk−1とかアメリカでの野茂や一郎の大リーガ‐戦等の為である。

時代が変わってきたのだ。情報化が今までの感覚を知らぬ間に変えてしまったのだろう。
この変化を面白いと言っていられないのが今の日本であり、我々各々の当面の課題である。


2596, 金融鎖国

2008年05月13日(火)

            ー読書日記ー
                  (朝´∀`){♪Good Morning♪}
  「連鎖するドル大暴落」「ドル覇権の崩壊」の二冊を立て続けに読んでショックを受け、
   それでは、その著者が以前に書いた本が、何処まで当たっているか見てみようと、
  「金融閉鎖」と「日本壊死」を図書館から借りてきた。そして、その7〜8割は当たっていた。
   数年前に本屋で手を取ってみたが、気になってはいた本であった。
   読めば読むほど、先行きに対して不安になってくる。 やはり、その2008年になったのである。
   石油が120ドルという、とてつもない暴騰をし、世界経済が根本からおかしくなり始めたのである。
   穀物や油が高騰を続ければ、世界経済は大混乱をするのは時間の問題である。
   物は売れない、原価は止めの無い高騰。 企業は成りゆかなくなり、倒産、そして失業者が溢れかえる。
   資源を狙って隣国同士が戦争とマイナスの連鎖が続くだろう。 現時点では、金融閉鎖は無いにしても、
   アメリカのドルの暴落、債権の暴落等で金融鎖国的の事態もありうるというのも肯ける。
   悲しいことに日本は、その直撃を受けるのである。
 ー概略をまとめてみたー
 〜〜
「金融鎖国」
―日本経済防衛論 副島 隆彦 (著)

「金融ビッグバン」が、日本国内の資金流出、外資の流入を促進した結果、日本金融・経済は弱体化し、
銀行、生保、証券会社が次々と「ハゲタカ・ファンド」と呼ばれる外資に乗っ取られた。 
一方、政府・日銀は国債と紙幣を大増刷しつづけ、マネーサプライをあふれさせた。
この後に待ち受けるのは、「ハイパーインフレ」と「預金封鎖」、「新円切り替え」である。
日本金融がアメリカと連動する限り、国民の苦しみは終わることがない。
だが、やがてアメリカはデプレッション(大不況)に突入する。
日本の国益を守るために、金融面でのアメリカとの連動を断ち切り、外為法を少しづつ元に戻して、
これ以上の外資の流入を食い止め「金融再鎖国」(ただし実体経済である貿易は別)せよと説く。

ー表紙裏の概要ーより
日本経済に「最後の秘策」を授ける
●「金融ビッグバン」は、実はまやかしだった
●なぜNTTドコモは海外出資で八○○○億円を失ったのか
●アメリカの赤字の四割を「穴埋め」する日本円
●為替と通貨をめぐる日米の秘密協定
●ドルの「一極支配」は崩壊し、「コモディティ・バスケット通貨体制」へ移行する
●「バンク.ホリデー」がなされたアルゼンチンは、明日の日本の姿だ
●「国民の虎の子」郵貯二六〇兆円を外資から守れ
●合言葉は「規制緩和」から「再規制化」へ
   ーーー
   この本が発刊されてのが2002年の9月である。
   6年近く前になるから、読んでいて恐ろしくなってきた。
   既にアメリカの大不況に突入を予測しているが、巨大な双子の赤字から見て何時か来る道、
   と言ってしまえばそれまでだが。 テンポが遅いだけで、方向としてはこうなるしかない。
   金融封鎖に近い状態に一刻一刻近づいているというのも現実味が出てきている。
     それで困るほど大金も無いから、恐れることも無いが、
     一つ間違えば丸裸にされてしまうことも事実である。

・・・・・・・・・
2007年05月13日(日)
2231, 男は女のどこを見るべきか
            (ヾ(´・ω・`)ノオハヨウ(o´_ _)o)ペコッ
    
        ー岩月 謙司 (著)  ちくま書房
    「女性は男性のどこを見ているのか」の著者・岩月謙司の女性論である。
    こういう女性論は探せば幾らでも在りそうだが、比較的少ない本である。
    彼の論によると、「男は女をあまり理解していないが、女の方は逆に男と較べると段違いに理解していて、
    理解できないのは、男の強い性衝動位のもの」という。男と女の違いより、共通していることのほうが多いが、
    極限状態のときに本質的な違いが浮かび出るという。雄と雌でしかないのを、割り切ってしまえばよいが、
    割り切れないから面白いドラマがあるのだろう。

ー概略をまとめてみるとー

女性の思考法の特徴を
1、自分の快・不快でものごとの善悪を決める
          ー女性が感じる快は、自然の法則に合っていることが多いが・・。
2、社会的配慮が苦手ー自分を守り、自分を愛してくれる人が一人いれば、
           社会を敵にしてもよい
3、二分法的な発想 ーゼロか100かという二分法の発想
4、数の論理    ー「みんながしている」という数の論理で動いている
           それで安心してしまう
このような発想で生きていると、多くの人から愛される人間になり、結果として、
愛を多くため込むことになります。女性は「愛の貯金箱」にたとえる事が出来る。
人を愛するということは、
「人の悦びが我がことのように悦び、悲しみも我がことのように悲しむことです。
人の幸福を願い、不幸を悲しむことです。」
慈悲深い人になるのです。その愛情の大きさは、男の数十倍〜数百倍もあるのです。
男とは桁が違うのです。それ故に、素敵な女性は女神であり、慈悲深い天使です。

   ・男性は理論から感情を構築し、女性は感情から理論を構築する傾向にある。その感情も小さくできており、
    大きな感情を理解できない。大きな感情を持っている人は、小さな感情は理解でたとしても、
    小さな感情の人は大きな感情の人を理解できない。だから始末の悪いことがある。
   ・気まぐれ(個人的感情)による約束反故は(彼女らにとって)正当な理由になる。
   ・女性の善悪は自分がキモチイイ=善で、自分がキモチワルイ=悪となる 。
    逆にいえば割り切ってしまえば、簡単である。
   ・女性は過去の感情は記憶するが、客観的事実や結果は記憶しない。
   ・真の愛を貰った女性は天使となるが、真の愛を貰えなかった女性は悪魔となる。

これらから考えられるのは、女性は自分を客観視できない傾向が強い。その事例として女性の運転を上げている。
1姫、2トラ、3ダンプと恐ろしい女性ドライバーをあげている。怒れる女性は、欲望のままに行動するからである。
基本的に女性は、男性に騙されない。 女性は自分に騙されているのです。男に騙されたのではなく、
自分を騙した結果として男に騙されるのである。 結婚詐欺師は、それを見抜いている。
愛されて育った女性は自分に騙されません。「これ好き、あれも好き、あれもやってみたい、
という発言をする女性は、素敵な女性です。愛されて育った女性は素敵になるのです。

   ーーー
   前著の「女は男のどこを見ているのか」と、この著を重ねると、著者の言わんとするところは、
  「子供の頃から愛されて育った女性と、若い時に英雄体験を重ねた男が結婚すれば、幸せになれる」
   ということになるが。誠実に、相手の立場に立って優しく接し続けていれば良いということか。
   女性は、我がままで、気が強く、直感は鋭いが、長期的視点で論理的に考えにくい。
   それもこれも含めて、女性は好きだが、最後は品性である。
               ☆^(*≧ω≦)ノ~~~βyё βyё♪   ☆^(*≧ω≦)ノ~~~βyё βyё♪
・・・・・・・・
2006年05月13日(土)
1866, 売春合法 ドイツ
         おっ w(゚Д゚)w ハァョ〜

    一昨日の産経新聞の国際欄の「鼓動2006」で、「売春合法ドイツの実情」の記事が載っていた。
    売春業界?のシステムが面白いので取り上げてみる。
    自慢ではないが、売春婦を買ったことは一度もない! 良かったのか悪かったのか?
 
 ー記事の概略というと・・   
迫るW杯を控えたドイツでは、顧客の増加を見込んだ売春業界が本格化しているという。
売春といえば、先進国では当然禁止と思っていたが、2002年にドイツでは合法化された。
犯罪組織が地下に潜るのを防ぐことが狙いだで、ドラッグなど何種類の麻薬も合法化した?

   こうした女性の数は少なくみても17万5千人も存在、税金も払い、社会保障を受けるほか、労組も作っている。
   ベルリン西部にあるオリンピック・スタジアム近くには最近、W杯観戦者の利用を見込んだ大型の施設が建てられた。
   外観は地味だが、40室の部屋がある建物内部には、サウナやスイミング、レストラン、バーの他、
   サッカー観戦用の大型スクリーンまで用意されているという。
(字数の関係でカット2008年5月13日)
               (* ̄(エ) ̄)ノ  バイ
・・・・・・・
2005年05月13日(金)
151, 人生の敗北者とはどんな人か?−3

人生の敗北者が本当にいるのか? という疑問が生ずる。
敗北とは、自分が決めるもので他者の表層を見ての判断ではない。
しかし、「‘プライドと、それに対応した被害妄想’のために、
自分の壁になる対象を否定。それ故に一生を棒にふるってしまっている人」
を見ると、敗北者と観るのも当然である。もちろん誰の中にも多くの要素が存在している。

ー彼ら(自分)の心の呟きとは「そうでも思わなくては自分の精神を保つことが出来ない。
それと実際のところ、そう思ってストーリーの構築をしないと自分の正義は成立しない!」
「敗北者には、お互いに傷を舐めあう共通精神が必要だ。 その敗北者の共通根性こそ安らぎになる。
我われには共通の敵がいるのだ。その共通の敵は、絶対数が少ないので攻撃をしやすいし、攻撃することで
我われのプライドは満たされている。敗者の惨めさは敗者しか味わったことがなく、
この苦しみ、この惨めさは、勝者には解ろうはずがない」

「敗北というが、何を持って敗北と言うのか?決して敗北ではない! 立場が違うのだ!大体が人が嫌いなのである、
アクセクしているより面白おかしく人生を生きた方がよいではないか。何を一生懸命生きる必要があるのか? 
何を学ぶ必要があるのか?悪い奴らを疑い、憎悪するのは当然のこと、叩かれれば叩き返せばよい。
目には目をというではないか。何を奇麗事をいう必要など何処にあるというのか?」

等々と、それぞれの言い訳がある。(はっきり言うと、これは私の内面の声である。だから、スラスラ書けるのだ)
言い訳を先ず考えてから、ものごとに対処しようとするのが共通点にある。

対象によって勝者と敗者に分かれる部分がある。心の中は、この二人の会話の部分がある。
だから複雑になってしまう。 でも敗者の方がいつも勝ってしまう。
心は否定の方が勝つ構造になっている。 だから知識が必要なのだ。
 この年齢になって、教養の必要性が今更のように解ってくる。

・・・・・・・・
2004年05月13日(木)
1136, 「世界がもし100人の村だったら−(2)」

以前この本の(1)を買ったが、この続刊のー(2)が図書館にあった。
目を通すと、−(1)の解説書という内容であったが、さらに考えさせられるものであった。
これは世界の象徴であると同時に、グローバル社会の我々にとって、大きくかかわってくる。
ユダヤ民族が牛耳っているアメリカがいかに世界の富を独占しているか、
そして貧富の差が世界を覆っているかが一目瞭然と解る本ともいえる。
イラクのアメリカの侵攻の意味も、この数字を見ながら考えると不気味な感がする。

 ー「世界がもし100人の村だったら」ー(1)の概要を、
  まず抜粋してみると <世界には63億人の人がいますが
  もしもそれを 100人の村に縮めるとどうなるのでしょう。>
  
  ー100人のうち
  52人が女性です  48人が男性です
  30人が子どもで 70人が大人です そのうち7人がお年寄りです

  90人が異性愛者で  10人が同性愛者です
  70人が有色人種で  30人が白人です

  61人がアジア人です  13人がアフリカ人 13人が南北アメリカ人
  12人がヨーロッパ人 あとは南太平洋地域の人です

  33人がキリスト教  19人がイスラム教 13人がヒンドゥー教 6人が仏教を信じています
  5人は、木や石など、すべての自然に霊魂があると信じています
  24人は、ほかのさまざまな宗教を信じているか あるいはなにも信じていません

  17人は中国語をしゃべり 9人は英語 8人はヒンディー語とウルドゥー語を 6人はスペイン語を
  6人はロシア語を 4人はアラビア語をしゃべります これでようやく、村人の半分です
  あとの半分はベンガル語、ポルトガル語 インドネシア語、日本語ドイツ語、フランス語などをしゃべります

  いろいろな人がいるこの村では あなたとは違う人を理解すること 相手をあるがままに受け入れること
  そしてなにより そういうことを知ることが とても大切です

  また、こんなふうにも 考えてみてください 村に住む人びとの100人のうち
  20人は栄養がじゅうぶんではなく 1人は死にそうなほどです でも15人は太り過ぎです

  すべての富のうち 6人が59%をもっていて みんなアメリカ合衆国の人です
  74人が39%を 20人が、たったの2%を 分けあっています

  すべてのエネルギーのうち 20人が80%を使い 80人が20%を分けあっています

  75人は食べ物の蓄えがあり 雨露をしのぐところがあります でも、あとの25人は そうではありません
  17人は、きれいで安全な水を 飲めません

  銀行に預金があり、財布にお金があり 家のどこかに小銭が転がっている人は
  いちばん豊かな8人のうちの1人です

  自分の車をもっている人は 7人のうちの1人です
  村人のうち1人が大学の教育を受け 2人がコンピューターをもっています
  けれど、 14人は文字が読めません

  もしもあなたが いやがらせや逮捕や拷問や死を恐れずに 信仰や信条、良心に従って 
  なにかをし、ものが言えるなら そうでない48人より恵まれています

  もしもあなたが 空爆や襲撃や地雷による殺戮や 武装集団のレイプや拉致に 
  おびえていなければ そうでない20人より 恵まれています

  1年間に、村では 1人が亡くなります
  でも、1年に2人 赤ちゃんが生まれるので 来年、村人は101人になります

  もしもこのメールを読めたなら、 この瞬間、あなたの幸せは 2倍にも3倍にもなります
  なぜならあなたには あなたのことを思ってこれを送った 誰かがいるだけでなく 文字も読めるからです

  けれどなにより あなたは 生きているからです
  昔の人は言いました めぐり往くもの、 また巡り還る、と

  だからあなたは、 深ぶかと歌ってください のびやかに踊ってください  心をこめて生きてください 
  たとえあなたが、傷ついていても 傷ついたことなどないかのように 愛してください

  まずあなたが 愛してください あなた自身と、人が この村に生きてある ということを

  もしもたくさんのわたし・たちが この村を愛することを知ったなら まだ間にあいます
  人びとを引き裂いている非道な力から この村を救えます
  きっと           『世界がもし100人の村だったら』
                                池田香代子 
・・・・・・・・・・
2003年05月13日(火) 
769,「私が20歳の頃」ー読書日記

 自分の二十歳の頃は何をして、何を考えていたのかなあ?と本屋で思わず手にとってしまった。
立花隆と東大生のゼミが、いろいろな年代の人たちにインタビューを試みた本だ。
二十歳というと、人生の節目である。その為この本に登場してくる人たちの話が自分との比較になってしまう。
どんな人たちも二十歳のころに思い悩み、試行錯誤しながら生きていた。
このころといえば人生の前途に対して大きな不安と希望が混在していた時期だった。
個人個人のそれぞれの人生があるのがよく理解できる。それとそれぞれのバックグランドとしての
時代背景があることが。その時代背景が、その人の人生を大きく左右していることも読み取れる。
こんど「私が20歳の頃」を、このコーナーで書いてみようと思う。
 以下はインターネットで調べたものです。
http://matsuda.c.u-tokyo.ac.jp/~ctakasi/hatachi/
ーーーーーーーー
ーまえがきと目次と書評ー
                新潮文庫
「私は何のために生まれて来たんだろう」「あの人の運命を決めた出来事とは?」
―二十歳のころの生き方が、その後の人生を決める。
立花ゼミ生が熱い思いで突撃取材! 安保闘争、バブル崩壊、オウム真理教事件、
NY同時多発テロ……世界が再び混迷の時代に突入する1960〜2001年に
「二十歳のころ」を迎えた多士済々39の足跡。 二十歳のころのインタビュー集

目次
 赤川次郎/秋山仁/安部美知子/石弘之/板倉聖宣/糸井重里/伊藤影明/
 茨木のり子/エリック・ハイドシェック/大江健三郎/大杉正明/小川国夫/
 小川三夫/ 鬼沢修二/加藤恭子/加藤登紀子/加藤尚武/神谷郁代/萱野茂/川上哲治/
 
・・・・・・
2002年05月13日(月)
405, 新潟駅前界隈ー3
           ー 駅前の変遷
駅前の変遷をいうと、10年前まではビジネス旅館とミニビジネスホテル、
そしてファッションメーカーミニ工場が目に付いた。それがここ数年で殆どなくなった。
その反面、専門学校と予備校、そして1DKマンション 大型のビジネスホテルが
眼につくようになってきた。  若者の比重がどんどん増えている。
飲食店がどういうわけか殆ど、増えていないし減りもしてない。殆どスナックは行ってないが、
感じでは4割がたは減った? 夜が以前と様変わり、客引きが多く立つようになっている。

新潟駅構内がセゾンとか専門店がどんどん増えて、集客力を増している。
駅に隣接して、APAの百数十室のマンションができ、更に再開発ビルが完成しようとしている。
これが完成すると、感じが変わってくるだろう。
更にJRの高架の工事が始まる為、当分はー20年近くは駅周辺はエネルギーが溜まる。

話しは少しそれるが、新潟は住みやすい街である。仙台と長野が好いというが、新潟もそれに匹敵してよいだろう。
都会の好さと、地方のよさがうまく混合している。 また結構自然に恵まれている。
若者があまり東京に憧れを持たないのも、その為だ。何処も住めば都か?

・・・・・・・・・
2001年05月13日(日)
図書館通い

毎週土日に一〜2回は必ず図書館にかよっている。大体好きなコーナーの好みの本は読んでしまった。
ただ好みが偏っているのが良くわかる。自分の空間の1部になってしまっている。
1回に10冊かりる事ができるのが良い。その内1^2冊あたればよい。
その当たった本の中で買えばよいのだ。図書館も慣れてくるとなかなか良い空間である。
散歩に図書館に居酒屋に通勤の新幹線、そして会社のパソコンの前と自宅のTVが私の空間の殆どを占めている!
図書館は読もうかどうかのファジーの本を気楽に借りられるのが最大の利点だ。これから出かけるところだ。


2595, 閑話小題

2008年05月12日(月)

 *シティーバンクが41兆円の資産売却の意味すること

ニュースでシティーバンクが総資産の2割にあたる41兆円を売却すると報じていた。
ということは、サブプライムローンで同額位の損失をしたと考えてよいだろう。
それが、世界全体の10~20佑噺ても200~400兆円の損失と考えても不思議ではない。
シティだからこそ、それを売却して支える力があるから良いが、殆どの金融機関が無理だろう。
このことから考えられることは、世界経済が重大な局面に入っていることの裏づけになる。
アメリカの株価が数年以内に数分の一になるのは必定。
それに伴い世界大恐慌とイメージするのは決して悲観的だろうか。
このニュースは考えれば考えるほど、恐ろしい先行きが迫っている意味を含んでいる。
マスコミが、あまり深刻に報じていないのが気になる。
 〜〜

*大相撲が始る

大相撲が昨日より始った。 二人の横綱が体制になって面白みが少し出てきた。
上位の将来性のあるのは殆どが外人で、日本人は数人しか見当たらない。
体質とハングリーさがモンゴルや元東欧諸国出身の力士と比べると劣るのは育った環境による。
大相撲も一昔とは大違いである。 異種格闘技と割り切ってみれば、逆に面白い。
初日は、さっそく朝青龍が負けた。前半に二敗をしても撥ね返すだけの実力は、この横綱にはある。
 〜〜

*連休明けから、少しおかしい!

覚悟をしていたが、連休明けから宿泊が少しおかしい。
例年、新年度になる4月初旬と、5月の連休明けの宿泊に異変が起こるかどうかで今年度の予測ができる。
これだけ石油をはじめ、物価の値上がりをすれば、おかしくなるのは当たり前のこと。
ただ、まだ小団体が引き続き入っているので、青くならないで済んでいるが、それでもタダゴトではない。

・・・・・・・・・
2007年05月12日(土)
2230, 人生張っています 
                              −読書日記
  それでは特に凄いウンコ話を抜粋してみた。オカマのマツコとの対談は、あまりにも凄いので掲載はひかえる。
  「ニラを面倒なので、切らずに煮て食べた、そして・・・」 オカマでなければ言えない話である。
  誰も長い人生で危機一髪か、近い経験をしているはず。 ただ言うか言わないかだが、
  それを楽しんで話すところが異常? それを薄ら笑いを浮かべて読んでいるのも似たようなもの。
  ある明治維新の立役者が、電車の開通の式典の後に乗った時に便意をもよおしシルクハットの中に急遽・・
  の逸話がある。「あのバカ野郎!」は、アメリカでは「ファック、ユー!」だが、
  日本は「クソたれ!」。それだけ日本人は、隠したがる恥になっている。
   *******

サイバラ:ウンコ漏らした?
 うさぎ:私がね。自分ちの玄関で。玄関までは、何とか我慢したんだけど。
サイバラ:ああ、そういう時は玄関なんか見ると、括約筋が開きますよね。
 うさぎ:開きますねェ~。全開してでしてねぇ。
サイバラ:全部出た?
 うさぎ:もぅ〜、ボタボタと滝のように。しかも白のベルェサーチのワンピースを着てまして。
サイバラ:オオー、いい感じだ。
 うさぎ:夏物で、初めて着たんですが、捨てました。夫はビックリしたみたいで、
     猫と部屋に閉じこもっていました。 後始末は自分でしました。
サイバラ:私は片づけてあげたけどな。
 うさぎ:そうなんだ、鴨ちゃんがウンコもらしたんだ。
サイバラ:コンビニで買い物をしている時に、急に変な歩き方になって。
    満月の夜でさ。「フェー、かーちゃん、ウンコ漏らした」って泣きが入って。
   「真夜中のカウボーイ」みたいになって。スェットはいててその下から、
    ボトボトって。これがまたぶっといの。しょうがないから、コンビニの袋で
    ウンコ拾ってあげて。泣いてる亭主の背中を撫ぜてやって、
   「何時までこの坂は続くのやら」と自分で自分に言って。

    ーーーー
  斉藤綾子:そうだ、知り合いの知り合いなんだけど、すごいウンコ話があるの。
うさぎ:(身を乗り出して)はい!
  綾子:首都高乗っていたら、強烈な便意をもようして、
   どこかには入れるまで待てないって。 窓開けてケツ出してやったって。
うさぎ:おおーっ!(拍手)
  綾子:すごいでしょ?歴代ウンコ話では一番と思って。
うさぎ:男ですか?
  綾子:女です。
うさぎ:ほほーう。
  綾子:何人か乗っていて、「悪いけど、ちょっとウンコするって」と言って。
うさぎ:外から見ると、窓から尻が出ているわけですね。風にちぎれて水平に流れていくウンコですね。
  綾子:後ろの車のフロントにパンッとかね。事故が起きたかどうかわからないけど!
    ーーー
  解)そういえば数年前TVで、マグロ釣りをしていた梅宮辰夫が、もようして
   船尾で尻を海に突き出して???、その直前まで写していたが・・・。
   先日のこと、ウォーキングの土手で便秘の犬が凄い格好で何をしていた。
   その若い女性の飼い主が、その姿に真っ赤な顔をしていた。

 ・・・・・・・・
 2006年05月12日(金)
1865, グーグル Google   (。・ω・)ノ☆゚+.オハヨゥゥゥ
            ー読書日記
この本の重要な要約部分がこの章に詰まっているので、さらに破壊戦略の意味を書き写してみる。
 −−
第一章 世界を震撼させた「破壊戦略」−4

さらに、驚くべきものが「グーグルブックサーチ」で、2004年にそのサービスをスタートさせている。
これは書籍の全文が検索でき、世の中の全ての書籍がグーグルから検索できるようにすることを目指している。

    出版社がこのサービスに登録して、自社で刊行した書籍をグーグルに送ると、
    グーグルが全てをスキャンして電子化し、グーグルのデーターベースに登録する。
    利用者が検索をすると、そのキーワードが含まれるページが表示され、そこから
    オンライン書店の購買ページや出版社のHPにリンクする仕組みになっている。
    検索結果は、そのページしか表示されないため、
   「著作権保護の観点からも問題はない」と、グーグル側はアピールをした。

ところがグーグルがこのサービスをさらに進化させて、図書館の蔵書を対象にしたことから、問題の火がついた。
同年暮れに、ハーバード大學や公立図書館の蔵書をすべてデジタル化し、検索できる新プログラムを発表したところ、
アメリカの作家団体や、出版団体などが、「著作権法違反」として、相次いで提訴した。そして現在も争いが続いている。

    さらにグーグルは、今年2006年初頭からオンラインビデオ販売にも参入した。
    これはアップルがスタートさせた「iPad」のビデオ配信と似たサービスで、
    アップルと真っ向から衝突することが予測される。

アメリカの調査企業IDCはグーグルを、「破壊者」という刺激的な呼称で呼んだ。
「破壊的なビジネスモデルが加速することで、新たな状況が生まれる」IDC社によると、
グーグルは次々と既存のビジネスを破壊していくというこの潮流は今後も拡大していく。
破壊される相手はIT企業だけでなく、古い業界にまで及んでいく可能性がある。

    同社のレポートは、「より大きな影響として出てくるのは、古い企業が「破壊者グーグル」
    に対抗するために自分自身のビジネスモデルを破壊していく状況だろう」と予測している。

第二章からは、グーグルの収益構造の秘密の解明になる。
             (* ̄(エ) ̄)ノ バイ!
・・・・・・・・

2005年05月12日(木)
1500, 人生の敗北者とはどんな人か?−2

私の周辺でも、「人生の敗北者」の要素の強い人が何人かいる。
「自分は純粋無垢で、誠実で善良な人間であるいっぽう、
 自分以外のほとんどの人間は、不誠実な悪人たちと信じて疑わない」という考え方の人である。
「『無知』を起因としている」と考えざるを得ないが、
心のジャングルの中の暗い小道で、「知識」という光を持たないためである。

おそらく、その人がこの文章を見たら驚くにちがいない!(いや気が付かないか?)
その人が長年のかけて作りあげてきた世界ープライドの裏側を指摘され、根こそぎ否定されるからである。
本人の自慢といえば、子供が気楽に近寄ってくることぐらいである。

諺に「他人(ひと)を呪えば、穴二つ」というが、それが趣味になってしまっているから、なお恐ろしい。
短大卒のあの人(プライドの高さが実態と全く伴わない?)。親や舅・姑などに頭を抑えられている人。
転職を繰り返している人。夫婦間が上手くいってない人。 等々に、こういう傾向の人が多い。
(これでは、殆どの人を網羅してしまうが)

誰もが一時期でも、こういう心情は持った経験があるはずである。しかしこの性癖から抜けてない人が多いから面白い。
これが、その人を不幸にしていることに気がついてないから滑稽である。 そういう私が一番滑稽である?!
『世間様』を小ばかにして見下しているのだから。  「世間様」から見たら、なお滑稽だろうが?

そういえばマスコミ報道は、敗北者の視点である。
記者や、ディレクターは「視聴者の心理が敗北者の視線」ということを知っているのだ?
マスコミ報道に我々は更に洗脳されているのである!
マスコミを盲信している大衆のレベルを周知しているためだ。
「大衆を善玉して、誰かを血祭りにする」のが、手っ取り早いからだ。
人生の敗北者としての視点をマスコミが作り上げている。

・・・・・・・・・
2004年05月12日(水)
1135、「ライフ・レッスン」−13
 ー遊びのレッスン

 遊びは仕事とともにもっとも大事にしなくてはならないことである。
何のために働くのかと問われれば、遊ぶために働いてますと真から
答えることができ、何のために遊ぶのですかと問われれば仕事を
じゅうぶんできるために遊ぶのです、と答えることが理想といえる。

 遊びとはつかの間の気楽な時間ではなく、遊びのためだけに捧げられた、
じっさいの時間である。私にとって、この随想日記を書くことじたい遊びである。
遊びでなくては絶対に1000回も書くことは無理であった。 散歩もわたしにとって、最大の遊びである。
初めは腰痛対策であったが、いつの間にか遊びに昇華してしまった。 歩いて楽しいのだ。

 晩年になって過去を振り返ったときに、あの時は良かったという記憶に残るのはやはり
無心で遊んでいた時であろう。それぞれの年代において、それぞれの遊びの中で我を忘れて楽しんでいた時である。

ー抜粋
・われわれは趣味や遊びが何であるか忘れている。
家具つくりを趣味でしている人が、ある日突然「これを仕事にしよう」と思い立つ。
好きなことをして、それが仕事になれば、というかもしれない。
しかし趣味とは成果を気にしないで純粋に楽しむものである。
売るための家具をつくれば、もう趣味といえなくなる。 それは仕事である。
そのことに気づかずに、好きなことを、純粋に楽しめないことに ゆがめていく人が少なくない。

・面白くって、一日中でもやっていたい、本当に好きなことをやらずに、欲求を最大限おさえて生きていくなんて、
何ておぞましい人生だろう。遊びにかけているサファーを、われわれは並以下の人間に感じる。
しかし、真剣に問われるべきは、われわれの大半が遊びのない世界に住んでいるのは何故かということだ。

・自分自身に上質な時間をあたえてほしい。愛する人とすごす上質な時間が必要だということを、誰もが知っている。
ところが、自分だけのための、ひとりですごす上質な時間もまた必要なのだ。ひとり取り残された時間でも、
気がついたらひとりになっていたでもなく、純粋にひとりを楽しむ時間が一番大事だということを知って
ほしい。
 −−−−−
 ー以前書いた文章ー 
 
ー遊びについてー
人間にとって「遊び」は最も重要の一つである。そこで「遊び」とは何かを考えてみよう。
まずその達人を事例で考えてみる。一番身近では母がそのプロ?であった。
戦前、戦中、戦後の動乱期に10人の家族が生きていく中で、父とともに苦労の連続であった。
そして長男、次男の連続の不幸な死で今の重症のノイローゼーニ。心筋梗塞、死の一歩の手前までいった。
亡くなった時、医師の要望で心臓を解剖したら、心臓の4分の1が壊死していた。

それを乗り越えた後は、それまでのエネルギーを遊びに全て向けていった。約40年近く遊びきって亡くなった。
日本舞踊、短歌、お花、旅行、茶道、写真。毎日いそいそと何か遊びを見つけ楽しんでいた。
子供ながらに、そのエネルギーに感心をしていた。遊びの重要さもそのため学んだ。
父は「働く人」、母は「遊ぶ人」と役割分担がハッキリしていた。ただ父も仕事の合間に、結構遊びを作っていた。

「遊び」を儒教的影響の為か、キリスト教的倫理観の為か、罪悪と教えられてなかったか。
子供のころ誰もが、毎日目を光らせて遊んでいた。 ただただ無心に遊んでいた。
あの遊びをいつの間にか我々は忘れてしまった。

人間は生きていかなくてはならない。 その為に働かなくてはならない。
競争に打ち勝たなくてはならない。 その為に勉強もしなくてはならない。
しかしそれだけでは、それだけの人生だ。 それがクロなら、その対象の白が必要になる。
どちらが大事かでない、どちらも必要なのである。 それを特に母の生き様から学んだ。

一般的にいうと、遊びの優先順位があまり高くない。
どうしてだろうか、やはり生活をしていかなくてはならないからだ。そして厄介な不安という心理がある。
その為に、お金をセッセと溜め込まなくてはならない、「馬鹿な?生き物」である。
遊びとは、「好きな事をして、それを楽しむ事」をいう。 
そうすると、仕事も遊びになりうる?天才はその典型であろう。
あの子供の時の遊びを我々は忘れてしまった。 何でも遊びの対象にした「遊び心」を。
純真の心を失っているからだ。 「純真な遊び心」をいつの間にか忘れてしまった。
「遊んでないで、笑ってないでもっと真面目にやれ!」と暗示をかけられてないか?

私の趣味の一つにウオーキングある。初めは腰痛対策であった。今は大事な趣味ー遊びになっている。
純真に楽しいーヽ(^o^)丿(^^♪!(^^)!(#^.^#)(*^^)vのである。
その中に純真な遊び心が躍動を始める。何々のためにといった場合は、遊びでなくなる。
それを乗り越え、純真な遊び心になった時点で「遊びに昇華」する。

パソコンもそうだ、このホームページもそうだ。そこまで持ち上げる必要性を人生で学んだ。
「遊びになるまで集中する」という事か。  これから散歩だ!

ーーーーーーーーー
2002/01/05
 一人遊び


常に人に何かを求めているか、頼っているからだ。
--
(字数の関係でカット二千八年五月十二日)

・・・・・・
2003年05月12日(月)
768, 規制緩和

 この国が狂っているのは誰もが解っている事である。たまたまホテル業界は全くの規制がない世界。
その事が今になってみれば自分をすくうことになっている。
ホテルは完成した時がベストの状態で、必ず右下がりになっていく装置産業といってよい性格がある。
そこにもし規制があって、解除されたら後発の装置に対応ができない。

小売業をみてみると、過去に存在した大店法が流通業界そのものの脆弱な体質をつくった。
一店舗を出店するのに多くの規制がある。そのために業界は出店が自由に出来なくなり、
競争が最小になってしまっていた。

既存小売店を守るためというより政治家と役人の?意味合いが強いものであった。
ところが実際は既存の大手チェーン店の利益を守るものになってしまった。
それがダイエーやニチイや長崎屋の間接的な弱体化の要因になった。
現在西友の買収というカタチで、アメリカのウオルマートが進出をしてきたが、
ジャスコとヨーカ堂が合併しても太刀打ちできない事は自明である。

規制ー許認可緩和が、いま日本が直面している典型的な基本の問題である。
その規制で権力と利益を得ている役人と政治家が、今だに権力に執着しているのが現状である。
それでも酒屋・タバコ・ガソリンスタンド・米屋などアメリカの圧力で規制緩和がなされている。
既存の業者は壊滅状態である。今でも多くが利権保持の圧力団体からの票と献金で規制緩和が維持されている。
それがこの不況の一つの原因になっている。

 経済を多くの規制でコントロールしようというのは、社会主義的規制社会である。
大きな政府になりざるを得ないのである。しかし情報化社会はグローバル化を止める事はできない。
それは自由化、競争の激化をいみする。それに対応するには競争力をつけるしかない。
規制社会はその力をそぎ落としてしまう。その為には規制緩和をするしかない。
いまの自民党を中心とした政府を潰さない限り不可能である。
野党を中心とした政府になっても大して変わらないだろう。
しかしこの失われた10年を考えてみると、政府が何回か交代をする必要であったのだ。
他人事ではないが、新陳代謝が国も会社も個人も必要である。

・・・・・・・・
2002年05月12日(日)
404, 結婚と離婚ー3
 −夫婦というもの-

人生の永遠のテーマの為か、過去に多くのエピソードが多くのこっている。
まずはソクラテスの妻は悪妻で知られている。「哲学者になりたかったら、悪妻を持て」というジョークがある。
徳川家康の築山御前は、愛人と謀反を企て殺された。あと息子も殺してしまった。
夫婦の間には、永年の間に底なしの泥沼になってしまう。
一時の熱で、一生後悔の人生を過ごさなくてはならないのは、悲劇より喜劇といってよいのかもしれない。

それが解ってたら誰も結婚をしないから、「恋愛という高熱の麻痺」を神が創りあげたのだろう。
誤解で結婚をして理解で離婚するのが、夫婦のある一面かもしれない。
といって一生の連れ添いは必要である。やはり生きていくうえでなくてはならない存在である。
特に離婚した人や死に別れをした人を見ていると、そう感じる。

やはり家庭ーそれも夫婦という基本形は大事にしなくてはならない。しみじみ感じる年頃になってきたということか!
「また生まれたらもらってね!」といって知人の奥さんが亡くなった。 いい言葉だ。


2594, 最高の人生の見つけかた

2008年05月11日(日)

   昨日、「最高の人生の見つけ方」という映画を観てきた。
  期待した通りの内容で、「それ以上でも以下でもない」というのが感想。
  死を宣告された末期がんの最後の死に様を軽妙に扱っているところが良い。

ーまずは、その内容を主観的にまとめるとー
 〜〜
ガン末期の病室で知り合った70歳位の二人が、人生の最後の‘やりたいことリスト’を紙に書いているうちに、
意気投合して、それに基づき、残りの人生を生き生きと駆け抜けるストーリーである。
一人は
 ・哲学的、思索的でクイズ番組が大好き人間。
 ・頭が良いが、妻が妊娠した為にやむなく学者志望を諦めて自動車整備工になった人。
 ・妻一筋。浮気など無縁で、自分より家族を優先する。
いま一人は
 ・理論より行動の実践型で、仕事が趣味で一代で千億円という財産を作った。
 ・プレイボーイ。結婚も3回したが、今はひとり。何より自分優先。
この対極にいる2人が同じ境遇で病院の同室に入ったことから物語は始る。
そして、その対極のある二人が、互い補完をしあって人生の最後を過ごす。
原題は「棺おけリスト」。 棺おけに入る前に、やりたいことを書き出す。
真面目な前者のリストの一部は
「荘厳な景色を見る。 赤の他人に親切にする。 涙が出るほど笑う」
大金持ちのリストは
「スカイダイビングをする。 ライオン狩りをする。 世界一の美女にキスをする」などなど。
 〜〜

最近は、かなり際どいドキュメントがあるので、より軽いタッチの内容にホッとした。
「棺おけリスト」という言葉がよい。20歳前後に作っておいたほうが良いだろうが、
差し迫らないと直視しないことである。 哲学は、その根本問題から問いを立てている。
社会的な成功や達成など、「やりたいことリスト」の達成から見れば些細なことでしかない、
という事実を軽く表現しているところが良い。 それは人生の余白を埋めるリストでもある。
死は、この137憶光年の宇宙空間の外にでること。 本人にとっては消え去る、なぞというほど甘くはない。
 生まれる前のことなどと気休めを考えても仕方が無い。 同じようなことだが?
 私の墓には
「死んでしまえば、それまでよ」
  と書くつもりである??  父親の口癖だった言葉だ。
    まあ、このHPも墓のようなものだが。

・・・・・・・・・
2007年05月11日(金)
2229, 人生張っています −2
 (σ・з・)σオハYO!!
            『人生張ってます』−読書日記

 対談を終えてのインタビューの感想がまた面白い!
   ーー
 さすがの中村うさぎも、毒気を抜かれて「まだまだ、うさぎは青かった」と。
「私はそれなりに地雷を踏んできたなと思っていたが、世の中には私の
踏んでない地雷がいっぱいあるものだと、勉強になりました」と脱帽。

    30歳前後位で、女はみんな迷ったり模索するじゃないですか。
    その時に暴走しちゃったらするんだと思うんですね。私の買い物もそうかもしれない。
    5人の場合も折り合いがついてないのかもしれないが、「私はこっちの道を行くと決めた」
    というのがあって。 こんな人にはなってはいけない。

「あなたはあなたなりの道が用意されているわけで、それはあなた自身が決めないといけないんだ」ってこと。
誰かから決めてもらって押し上げてもらって押し上げられた人は誰もいない。ある程度のところで決断して、
捨てるものは捨て、受け入れるところは受け入れて、自分の売りとか生きていくキャラの方向性を決めないと。
「これが私なんだ、こんな私はどうよ?」という腹のすわり方は、読者も見習ってほしい。

    私のそういう瞬間は、第一次、第二次があるとして、第一次は離婚でしょうね。
    あの旦那をわたしの人生から簀巻きにして放り出したところで、これでいいやと思ったんです。
    それから浪費癖ですね。開き直ったんです。「浪費作家・中村うさぎ」という名が売れるとは、
    想像もしてなかった。ドン底にはまった時に、そのドン底がネタになるんですね。
    ネタにしようとやっているわけではない。
    
 ーー
解)以上であるが、冷静かつ真面目に彼女等と自分を見据えている。
それよりも、すざましいウンコ話をパソコンに打っている自分が面白い?
秘境旅行は、一度の旅行に一通りの人生のトラブルが圧縮して立ちふさがる。
その一つが『デモノ・ハレモノところきらわず』である。

食事と飲み物と、時差の関係で、何時何処で、もようしてくるかわからない。
今まで、一度も失敗が無かった方が奇跡である位、何度も危機一髪の事態に陥る。
そんなことを恐れていたら、秘境旅行などできやしない。何とかなるものである?
だから、このエゲツナイ話が身に沁みるのである。書き写すかどうか迷ったが、今さらである。
読まない方が良いですよ!と 言いながら・・・
こういう話は、タブーなのだろうが、この本は誰もが嬉々として話しているところが怖い!ところだ。
  ー内容は、明日のお楽しみ?に!三人分の対談者の内容を書き写してある!
 
                ☆^(*≧ω≦)ノ~~~βyё βyё♪
・・・・・・・・
2006年05月11日(木)
1864, グーグル Google -4         
              ≡≡≡⊂[ォ][ハ][ョ][ゥ]っゝд・)っ
       ー読書日記ー
第一章 世界を震撼させた「破壊戦略」−3

そんな中、グーグルがサン・マイクロシステムズと提携した。この提携が注目されたのは、
サンが「オープンオフィス」という無料のオフィスソフトを開発していたからだ。
マイクロソフトと対抗し続けてきたサンは6年もかけて、これを開発続けており、
完成度もナカナカのものだったが、一般の普及には失敗していた。
マイクロソフトの牙城を突きくずすことはできなかったのである。

    マイクロソフトが3^5万したものが、無料でも突き崩せないということは、いかにマイクロソフト社の
    市場制覇力が強いかだ。しかしサンがグーグルと手を組むとなると話は違ってくる。
    その強力なAjaxをつかってオープンソフトを改造すれば、そしてネット上で気楽に使えるようになれば良い・・
    と、人々は期待した。しかし実際の発表の場では、その話は出なかった。

ここにきてマイクロソフトも、危なくなってきたのである。
マイクロソフトはウィンドウズにオフィスソフト付けてを高値で売って、膨大の利益を上げてきた。
それに対してグーグルは、すべてのサービスを無料で提供し、マイクロを駆逐しようと躍起になっている。

ー「グーグルネット計画」ー

グーグルは2005年10月に、米サンフランシスコ全域に無料の無線インターネット接続を提供する計画を発表をした。
家庭やオフィスで使われている無線ランのアンテナをくまなく張り巡らし、
市内だったら簡単にインターネットに接続できるようにしてしまう計画である。

    日米どこでも、通常インターネットに接続しようと思ったら、
    接続業者と契約をして、月づき数千円の利用料金を支払う必要がある。
    これが全て無料になり、しかも無線を使うことによって住宅に
    回線を引き込む工事も要らなくなるのだから、この発表は驚きである。

さらに、このプランはサンフランシスコだけでなく、全米に張り巡らせる計画があるという。
こうなると、これまでの有料でインターネットを接続を提供してきた
ブロバイダや電話会社、ケーブルネットワーク会社などに、誰も金を払わなくなるということだ。
これはアメリカの通信業界を、根底から破壊してしまう可能性がある。

    グーグルの狙っている広告ビジネスの戦略は、全国を張り巡らせる中継アンテナにある。
    どの利用者がどの中継アンテナを使ってインターネットを使っているかは、
    グーグルからみれば把握可能である。その対象に、絞った地域密着的な広告が可能なる。

例えば、あなたが神楽坂に住んでいるとしよう。あなたが仮にグーグルネットを利用して、
新宿区神楽坂6丁目の電柱から半径数百メートルの範囲に住んでいることを
グーグルは把握する。また接続サービスを契約する際に、さまざまな個人情報を
登録するから、あなたが年収600万のビジネスマンで、妻と小学生の子供が二人いる
ことも知っている。趣味がドライブと映画鑑賞であることも知っている。

    一方グーグルは、ありとあらゆる広告主を集めて、それらの広告主の広告を
    配信している。その中にもちろん自動車メーカーや化粧品会社、果ては近くの
    スーパーマーケットや、個人の商店や信金なども広告主として契約している。

これらが普及していけば、折り込み広告が消滅していくだろう。
折り込み広告が将来的に駆逐されることになれば、新聞社の存在の基盤が揺るぎかねない。
                ーつづく
                     ヾ(^ω^*) バイ
・・・・・・・・・
2005年05月11日(水)
1499, 人生の敗北者とはどんな人か?−1

「人生の敗北者とはどんな人か?」という項目が,ある本にあった。
読んでいてドキッとする内容で、誰かに?ピッタリ当てはまるから恐ろしい。
知人の?0佑賄てはまる?(但し、このHPを見ている人にはいないが?)しかし他人事ではない、
自分の影の一部分でもある。自分の中にも?0佑、存在している。 だから面白い内容なのだが。

ーその一部を抜粋してみるー
人生という戦いのなかで敗北をつづけている人たちは、とても容易に他人の誤った行いを攻撃します。
彼らは、周囲の人たちのずるい行いや裏切りがなかったら、自分は素晴らしい成功を収めていたはずだ、
大金持ちになっていたはずだ、大きな名声を収めていたはずだ、などと考えて、それを自分のみならず、
他人にも信じさせようとして、ヤッキニなっています。

彼らは、自分がどんなに騙されてきたか、利用されてきたか、評判を落とされてきたかということを、
いつも口にしています。彼らに言わせると、彼らは純粋無垢で、誠実で善良な人間であるいっぽうで、
彼ら以外のほとんどの人間は、不誠実な悪人たちです。

彼らは言います。「もし僕が、他の人たちと同じように身勝手であったならば、どんなに繁栄し、
どんなに大きな名誉を手に入れたことか。僕の人生が思い通りに行かないのは僕が善良すぎたからだ」
人生の敗北者とは、人間の本質を宇宙の善性に対する信頼を完全に失っている人たちです。
彼らは、他人を見るときは悪いものを見るための目しかもちません。
いっぽう、彼らが自分のなかに見るのは、苦悩する清らかさのみです。
彼らは、自分のなかで悪いものを見る意思は全くありません。彼らにとって、悪いのは常に他人なのです。

彼らの心の中で、卑劣な悪魔を人生の統治者の地位に祭りあげ、外側の世界でくり広げられている
「身勝手な奪い合い」にばかり目が奪われています。その世界では、善はつねに押しつぶされて、
悪ばかりが勝利を収めているのです。彼らは、彼ら自身のおろかな行為や無知、弱さなどには全く目を向けません。
その運命を決定付けている不正義のみです。

このような、心の誤った性癖を、根こそぎ、捨て去ってしまうように努めなくてはなりません。
彼らこそ、不誠実さや、身勝手こそが、成功する為の最高の武器と信じているのです。
「悪のほうが善よりパワフルであり、悪人の方が、より素晴らしい人生を歩むことができる」
などと信じているのです。そういう人間こそ、悪の要素と関わり続けているのです。
多くの人たちが悪、無秩序、不正義を見ている場所で、善、秩序、正義を見ることができません。
                       つづく
・・・・・・・・
2004年05月11日(火)
1134, 「空間歩行」

・学生時代、「合気道」に二年間近く熱くなったことがあった。
住んでいたところが合気道の本部に近かったこともあり、本部に一年通った。
創業者の植芝盛平の姿も何度か道場で見たことがあった。

合気道でも柔道でも、基本は受身である。転びかたや受身を徹底的に教えられる。
「転びかたは、起きることを意味する」のだ。ボクシングも、殴り方よりまず防御などの受け方を叩きこまれる。
負け方ということを知らないと、恐れが先立ってしまう。戦前の日本の姿がそれであった。
負けは勝ちの背後になくてはならないのだ。武蔵は自分の弱さ限界をしっていた、
勝つことより負けないことを考えて戦略をたてて闘った。勝負師はそれを知っている。

話は変わるが、柔道の三船十段の「空間歩行」というのが意味深である。
ー土や畳の上を歩くから倒される。ならば、土や畳の上を足で歩かず、腰で歩けばよい。
重心が腰にあるから、足で払われても倒れない。相手の足と自分の腰が同じところに
意識があるから当然倒れないのである。 つまり、「空間歩行」である。
ー物理的な空間でなく意識的な空間をいっている。

ここから更に、相手の倒し方に話になるが、内容が濃くなる。
「私は足で歩かないから、体を持ち上げられて足が地から離れても、どうされても、
腰が体を支配しているから何ともない。つまり倒れるということは頭が下がるという
ことです。だから相手を倒すにも、地面へ投げることばかり考えないで、上へあげる。
その結果は落ちる・倒れるということになるのです」
ー相手を倒そうとするのではなく、自分の腰と相手の足と同位置まで相手の重心を
上げておいて、その次に落とすと相手が倒れる。ここまで考えるのに、一日かかったが。

・・・・・・・・
2003年05月11日(日)
767, 不動産屋と喩え

 不動産屋は情報産業そのものである。暴力団も情報産業の典型と聞いたことがある。
強請りのネタを見てけて陰湿に脅しをかける裏情報産業とか、このテーマとは関係ないが。
財産の大きい部分を占める不動産の移動を手伝いをするサービス業であり、
住居の貸して借り手を紹介するサービス業でもある。この不動産業業者に特性がそれぞれある。

 野球のバッターに喩えると解りやすい。ホームランバッタ−、ヒットバッター、
バンドバッター、ピンチヒッターとかそれぞれが専門化されている。
その組織の中でも、この人はホームランバッター、バントとか役割がある。
・ホームランは大型物件の売買をいう。100億の物件ならお互いから4〜5億の手数料が入る。
しかしこういうチャンスか長時間かけてじっくり獲物を待つしかない。
・アパートなどの賃貸専門はバンドバッターである。
 一年で100件の仲介をしても、8万平均でも800万10年でも8千万でしかない。
 それも色いろな苦情もアフターフォローで必要になってくる。
・住宅の売買手数料は2塁打というところか。

 街の不動産屋は奥さんがヒットとバンド専門で、旦那が長打を狙う。
彼等は意識しようがしまいが、その情報で飯を食べている。
彼らの中にはトンビという役割役もある。自分のテリトリーの中を暇に任せて回って餌ー情報を捜す。
お客の中には餌だけをとって逃げる奴もいる。しかし不動産屋仲間ですぐに情報が流れ情報は一切流れなくなる。

 さっき述べたが、それぞれ自分の得意技を持っていて、情報という餌を捜し回る。
株屋と組んで、株をやりたそうだとかの情報を仕入れると、株屋にその情報を流す。
その見返りに確実に利益の取れる転換社債の売買で利益を得る。
調子がよくって、ボケたふうにとぼけて近づき一番の情報を取る。以前の保険屋の世界に似ている。

漁業にも喩える事ができる。近海漁業、遠海漁業。一本刷りに川釣り、海釣り男女の互いの獲得の方法論と同じ。

・・・・・・・・・
2002年05月11日(土
結婚と離婚ー2 −夫婦というもの

お互いの性格の違いや、育ってきた環境が違ううえに、さらに互いの舅姑や小姑という人間関係が絡んでくる。
それを考えると結婚が上手くいく確立が50佑箸いΔ里盥里韻襦
その人間関係の縺れを、常に話し合いで解いていかないと、どうにもならない状態に陥ってしまう。

夫婦間の争いは、動物的ないや生物的な二匹の権力争いそのものだ。
これがいい過ぎなら,主導権争いといってよい。
そもそも出発点にお互いに惹かれるのは、自分のない部分を相手に求めるからだ。
上手くいっているうちはいいが、歯車が狂うと逆に全く性格の不一致になってしまう。

家庭は本来は子供を育て上げる‘場’である。「すまい」は鳥の巣から語源が来ているという。
そして最終的にそれが崩壊していく‘場’でもある。
最近、間接的に知っている人の70歳近くの両親が離婚したという。
40年間どういう人生を過ごしてきたのだろうか? 人生の悲鳴が聞こえてきそうだ。人類最大の課題である。

・・・・・・・・・・
2001年05月11日(金)
連休あけの顧客動向

連休あけの出だしはその期の売上ー景気動向を図る意味でおおきい目安になる。
悪い!先行き不安の出だしである。どうなっているのだろう?今期と来期は競馬と
サッカーで一応目安はたつているが、それにしても今週は悪い。ここで各会社が益々
経費節減を徹底してきたのだろう。新幹線も今週はひっそりしていた。ここで大型
倒産が出るだろうと思っていたが出なかったのも無気味だ。


2593, 閑話小題

2008年05月10日(土)

 

*地元スーパーの社長の死

地元長岡のスーパー原信の社長が亡くなったと、新聞で報じていた。
40数年前に、セトモノ屋をしていたが、先代と供にスーパーを立ち上げ、一部上場までもっていった。
20年ほど前に胃癌になったと聞いていた。 享年73歳。
チェーン理論を教える「ペガサスクラブ」のセミナーでよく、顔を見かけていた。
30年ほど前に会計事務所の所長の紹介で会ったことがあった。40過ぎの温和な人という印象が残っている。
スーパーを立ち上げた直後に私の父親のところに創業を供にした先代の父親と供に、衣料品の仕入れ先とか、
産地とかを聞きにきたと父から聞いたことがある。 ・・・私には関係ないことだが。
 何時も人様が亡くなると思うことだが、仕事の質量より、どれだけ人生を楽しんだかを推し量る。
あまり楽しい人生ではなかったように思えたが、それは私の想像でしかない。
しかし、生きていることが90%、それをフルに利用して多くを学び、楽しむことを加えれば99%の価値がある。
他人様の死は、そのことを自戒させてくれる。 
弟と供に途中まで会社を伸ばしていたが、子息が大学から卒業するあたりを狙って追い出したのは驚いた。
その前後に、弟と故人は二人とも癌で倒れた。 そして大よその20年後に鬼籍に入ったのである。
その弟の方が余程、人生を味わったと思われる。 所詮、他県に行けば聞いたことのないスーパーに全てを捧げるより、
弟が実践した(ハワイあたりで、読書三昧)方が良いに決まっている。それを2人が一番感じていただろう。
  死ぬときは生きてきたとおり死ぬものである。 ストレスも溜まってきたことだし、そろそろ海外でも行くか!


*人生とは自分の物語を生きること

振り返ってみると誰もが自分歩いてきた道が見えるものである。
そして、その足跡が自分の人生であり、それを語ることが自分の物語になる。
常に自分の心の中で内省をして、自分の生きてきた跡を見つめ、そして現時点の位置を確かめて、
何処に行こうとしているか考える必要がある。 最近になり、知人の死を見るにつけ、その人の物語を
想像しながら、自分のことを振り返ることが多くなった。
それと哲学書を読んで、己の人生を付き合せてみると、喜劇的物語に気づく。
自分が経験し、乗り越えたことしか物語としての場面は無いのである。
そこにいる己は喜劇的な卑小な人物でしかない。 
自分の物語、それは平凡な至近の日常を見逃してしまいがちになる。
いや、平凡な日々の細部の素晴らしさの織り成す味わいに慣れてしまう。
自分の物語、そんなものと簡単に切り捨てることができないから厄介なのである。

・・・・・・・・・
2007年05月10日(木)
2228, 「多財布」家計
     ヾ(?o?o)ノ 【ぉはょぅ?】

    先日の日経新聞に、「総働き家族」“富山にはなぜか富がある!?” 
    という記事があった。(日経新聞07.05.04朝刊1面)
   ーまず、その記事を要約すると、
   *日本一豊かな家計の秘密は「総働き家族」の風土と環境・・
   ▼「平均月収」71万円=日本一
   ▼「消費支出」40万円=全国二位
   ▼「こづかい月額」4万5千円=日本一
   ▼「平均預貯金残高」569万円=全国七位
  その秘密は一家の「多財布」という。 (*'-'*)ヾ(*'-'*)ヾ(*'-'*)ハ

女性の常用雇用率は全国一位の66%で、全世帯の6割近くが共働き。
日本では家計に占める世帯主収入の割合が82%だが、富山では62%。
配偶者や他の世帯員の収入が異常に大きい「多財布」家計になっている。

富山の女性は働くのが 当たり前で、家にいると『体が弱い』と思われる。
子供は姑が見て、働けば旅行など楽しみも増えるという考え方。富山は三世代同居が世帯の2割もいる。
日本型家族制度という昔ながらの伝統が、逆に女性の社会進出を支えている。
化学や金属加工など産業が盛んなことも女性が働く風土を育てている。

富山市は昨年「運転免許証を返上すれば2万円給付」という制度を始めた。
対象は65歳以上だが、市が高齢者と若者の住まいの交換を仲介する。
高齢者は車が必要な郊外の一軒家を出て中心市街地に引っ越し、空いた家は子育て世帯に貸す。
所得に応じ月1万円の補助も出す。
 ーー
    以上のことからみて、県民性が堅実な働き者家族で、これからの日本の家庭のモデルともいえよう。
    私の知人に夫婦で都合、年収1600万の人がいる。長男で家を継いでいるので家賃やローンもないので、
    非常に豊かそうだ。 下手をすると、本社の重役より豊かな生活を送っているようだ。

以前、ある知人から「サラリーマンの三ランク」を聞いたことがある。
・家持ちの人(親から家を受け継いでいる人)で、
 妻がキャリアの収入の多い人か資産家娘で、二つの条件が揃っている人。
・二番目は、そのどちらかの一つの条件の人。
・最後は、いずれもない人という。その知人は三番目だが、「奥さんが少し稼いでいて良い方だ」と言っていた。

    一番目でも、その分、奥さんが威張っていて家では頭が上がらないし、
    三番目でも奥さんがシッカリしていれば、それなりの生活もできる。
    二つが揃っていても、旦那に問題があれば、全てを失うケースもある。
    兄姉が7人もいて、従兄弟も40人もいるので、色いろなケース見ている。
    金が全てではないが、一朝一夕で収入源の確保や資産形成は出来ない。
    外国並みに日本もなっていくしかないのだろう。子供の頃、『共働き』という言葉があったが、
    今はそれが当たり前になったためか、死語になったようだ。

                   ホナナァ☆ |∀・`@)ノ|Ю
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2006年05月10日(水)
1863, グーグル Google -3    +.(ノ*・ω・)ノ*.オハヨ 
              ー 読書日記

第一章 世界を震撼させた「破壊戦略」−2
 ーグーグルニュースの凄い意味ー

大手マスコミが、グーグルニュースに何故、自社の記事がリンクされるのを嫌がるか?
グーグルニュースが普及してしまえば、「各新聞社のHPの収益が上がらなくなってしまう」ということだ。
グーグルニュースに出ている記事をクリックすれば、それぞれの新聞社などの本文記事に飛ぶのだから、
悪いわけではない。

    収益の元になっている、トップページからでなく、いきなり記事に飛んでしまうからだ。
    大手の新聞社は、その知名度で広告料を高くとっていたが、
    すべてグーグルニュースに奪われてしまう可能性がハッキリしてきた。
    トップページの広告が収益を生み出しているのが、記事にリンクされれば、広告収益が見込めなくなる。

一方、地方紙やローカル地方局は、それによってHPのアクセスが増え、
認知度が高まる相乗効果があるので大歓迎である。 このことは、大転換である。
辺境の地方局は世界中からのアクセスが入るポジティブな転換であるし、
逆に今まで世界の中心にいたはずの大手にとって、ネガティブな転換になる。
それは、「情報のハブ(中心地)」が、轟々と音を立てて、別の場所へと軸を移していくということである。

    これまでは、アメリカの三大ネットワークやCNN、ワシントンポスト紙、
    ニューヨークタイム紙という一部大手マスコミであった。
    彼らは自由に情報を動かし、自在にマスコミが作りあげる空間を演出していた。
    ところがグーグルニュースが発達していけば、今後ハブを握るのはグーグルニュースということになる。
    グーグルの計算式が情報のハブとなり、情報空間を支配する司祭になっていく。
    これは大変革である。      ( ´・ω・`)_且~~茶
ー「破壊戦略」の本当の意味ー
(以下、字数の関係でカット2,008年05月10日)
                        バイ♪(ノ´∀`*)ノ
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2005年05月10日(火)
1498, 男と女ー4

携帯電話とかパソコンで気楽に?意思交換ができるようになると、
以前のようなワクワクするようなイメージがお互いに湧かなくなる時代である。
それでも性の違いによる違いに驚く。大本教の出口王仁三郎の書に面白い話が載っていた。
もう35年前になるが鮮明に憶えている。

ーまず初めに女性を自分好みに美しく創られた。神様は非常に女性に優しかった。 女性は、毎日幸せに暮らしていた。
鳥は女性の美しさを称え鳴いていた。 蛇は女性の身体を快楽に満たしていた。
たくましい生き物が自分を守っていてくれた。 猿は果物を木から取って持ってきてくれていた。
ある日、その女は何か満たされないものを感じた。

そしてあることを思いついた。「この動物たちの全てを一つにした自分のような生き物を創ってください」
と、神に頼んだ。 そして、神は男を創ったのである。
 −−
以上である。だから本質的に女性は威張っているのだ。我侭で、かつ神様に男より愛されている生き物である。
そうとも思わないと、彼女らとは上手くはやってはいけない。
ある本に偉大な女たちの一言が載っていた。女こその言葉を、多く見ることができた。

ーーー
ー偉大な女達の一言ー

人を導くことはできる。
しかしそれは、彼らが望むところまでであって、あなたが望むところまでではない。
         −ジャネット・ランキン(アメリカ下院議員・1880〜1973年)

狂気なしでは、何事も成し遂げられない。 
         ーエヴァ・ペロン(アルゼンチンの政治家・1919〜52年)

虹を見たいのなら、雨は我慢しなくてはね〜 ードリ〜バ〜トン(アメリカの歌手1946年〜)

未来を構成する要素は、現在を構成する要素と何ら変わらない
         −シモーム・ヴェイム(フランス哲学者・1909年〜43年)

幸福な女性とは、悩みを抱えていない人、
陽気な女性とは、悩みを抱えているけど、そのせいで落ち込んだりしない人。
         −ベヴァリー・シールズ(米国・オペラ歌手1929年〜)

他人が私をどんな人間だと思おうと、私は自分を見る目を変えたりしない。
だってそんなの、亡霊を相手にするみたいなものでしょう?
         −サリー・フィールド(米国の女優・1946年)

私たちは、物事をありのままに見ているわけではない。
物事にありのままの私たちを見せているのだ。
         −アナイス・ニン(米国の作家・1903〜85年)

私の行き方に対して とやかく言う男はいらないわ。
私以外に私とこんなに深く付き合ってきた人間がいると思うの? 
         ーシャリー・マクレーン(米国の女優・1934年〜)

自分のことを笑い飛ばす勇気が、私の中に育ってきたのね。
自分の内面に笑いのタネを探せるようになったわ。
         −ジョアン・リバース(米国の喜劇女優・1933〜)

・・・・・・・・・
2004年05月10日(月)
1133, 中坊公平氏の「後輩に与える言葉」

正義感から強引に詐欺的な債権を取り立てて、逮捕直前までなって消えていった、
弁護士の中坊公平氏は誰がみても真っ当な正義の人であった。
 その彼の「後輩に与える言葉」が素晴らしい。
一、正面の理  二、側面の情  三、背後の恐怖

人生で前向きで生きていこうとした時に直面する正直な気持ちである。
考え抜いた彼の言葉であろうが、背後の恐怖という正直な表現がよい。
これが正面の理も、側面の情も、強くしてくれるのだ。
過去のどの場面をとっても、結局はこの三つのバランスの上で成り立っていたように
思える。現在でもまったくおなじ状況といってよいのだ。

人生は突きつめれば、背後の恐怖の死が待っている。
そこに哲学としての正面の理が出てくるし、側面の情念が色濃く囲むのだろう。

私なりに、これを人間的弱さに言い換えると
一、正面の利
二、側面の状(況)
三、背後の恐怖、
になるし、これが一般の人間の姿であろう。経営も、そのものずばりである。

−−−−−−−
2004年05月03日(月)
1126, 「ライフ・レッスン」−9
ー恐れのレッスン

秘境ツアーに行きはじめた当初、出発前のプレッシャーは相当のものだった。
その恐怖感と不安感の波を乗り越えたさきの、すばらしさが直感できたからこそ、
恐れを乗り越えることができた。

初めてアフリカに行った時、10年のベテラン女性ツアーコンダクターも不安で、
震えていた。先輩に『天国と地獄がある』と脅されたきたという。
インドの時も、タンザニアの時も、南米の時も、恐怖感の山であった。
しかし一度飛行機に乗ってしまえば腹が据わる。
そして実際現地にいってみると、恐れの殆どは無知からの妄想でしかないことが判る。
いまでは、そのプレッシャーも料理の味付けとわりきっている。

恐れのプラス面は、万一に備えて、こころの準備と、持ち物の準備、情報の準備のエネルギー源になることだ。
未来を思い煩うなかれ、過去を悔やむなかれ。
いまに挑戦し、いまに生き、いまを見つめ、いまを味あうことだ!人間ができることはそれしかない。

積極とは、極みを積むことである。極みは、自分の限界のラインにたつことである。
積極とは、その先の経験にチャレンジすることである。そこには、恐れのレッスンがある。
恐れは自分の壁に対する自分自身のレッスンになる。
すべてがレッスンと思うことは、世界を広くしてくれるし、こころを上からみる魂の視点になる。

ー抜粋ー
・人生がわたしたちにあたえるものの多くは、恐れや心配などの前兆なしに、
いきなりやってくる。恐れが死の進行をとどめることはない。恐れがとどめるのは生の進行である。
大部分の人が考えている以上に、わたしたちの人生の多くは恐れとその波及効果への対処に費やされている。

恐れはすべてをさえぎる影である。愛、真の感情、幸福、そして存在そのものが、恐れの影にさえぎられている。
私達は恐れのなかで育ち、未来にみえるのは恐ればかりだ。しかし、恐れていることの何パーセントが、実際におこるのか?
ほとんどはおこらないのだ。

それにもかかわらず、多くの人の人生が危惧や心配や恐怖に支配されている。
だからこそ保険会社は、人々の危惧の大半がただ幻想であるという可能性に賭け、
その賭けに勝って、毎年、数十億ドルという利益を上げている。
掛け率からいえば、人生はけっしてそれほど低いものではないのだ。

・人生で経験する感情には、幸福、恐れ、喜び、恨みなど、さまざまなものがある。
しかし、そのずっと底のほうの、人間の核になる部分には、愛と恐れという二つの感情しかない。
あらゆる肯定的な感情は愛から生まれ、あらゆる否定的な感情は恐れから生まれる。

愛は幸福、満足、平和、よろこびがわきあがり、恐れからは怒り、憎しみ、
罪悪感がわきあがる。基本的な感情は愛と恐れの二つしかないことは確かであり、
両立しないのが特徴である。愛と恐れはまったく同時に感じることはできないのだ。
愛を感じているときは恐れを感じることはできず、恐れを感じているときは愛を感じることはできない。
 ーーーーーー
【-恐怖について-】-

・恐怖と勇気がどんなに近くに共存しているかは、
 敵に向かって突進する者が一番よく知っているであろう。 −モルゲンシュルテン
・船は水よりも火を恐れる。               −西洋の諺
  (--以下は字数の関係でカットしてます。)

・・・・・・・・・
2003年05月10日(土)
766, いまスナックでおきていること

 いま人気の店は、とにかく安い店である。
・代替わりの居抜きの店を、家賃半額でそのまま引き継いだ店である。
・近くの店のホステスがママになって、値段を半額近くで売っている。
・若いアルバイトをピーク時間に合わせて、短時間で、高給で、きめ細かく回している。
 
 大体基本が、このパターンである。
以前も書いたが銀座ママのホームページをみたら、銀座クラブの価格破壊を売りにしていた。
値段が銀座相場の三分の一であった。商品価値を落とさずに如何にコストを下げるかを考えぬかなくては不可能な事。

 以前よく通っていたスナックが潰れそうだという噂が入ってきた。
その店はバブル期に小さな店から表どうりの家賃の高い?ビルに高級店?を開いた。それ以来ほとんどいかなくなった。
やはり高くなったので、それまでの常連客に逃げられてしまったと他の店のママが言っていた。

 5〜6年前に古町のよく通っていた店から、閉店の挨拶の葉書が来た。
半年後に店の前を通ったところ、店がそのままあった。てっきり代替わりをしたと思っていた。
私の知人で飲食コンサルタントに聞いたら「実をいうと最終日にその店に行った。
そこで何故止めるのか聞いたところ、赤字になってきたのでやめるという。
経費を聞いたら家賃が半額なら何とかやれそうであった。
そこで「駄目もとでオーナーに交渉してみたら!」と進言したという。
ところがオーナーがその条件をのんだので、そのまま営業を続けているとのこと。
エレベーターが無いビルの3階にあり、半額でもテナントが入りそうもない場所で、
条件をのみざるを得なかったのだろう。

初期投資をいかに少なくして、ランニングー営業コストを下げて、
値段を安くした店にお客が行く。スーパーでも家電チェーンも全く同じである。

私が見ていてこうすれば良いのにと思うのはー90分で男2500円、女2000円。その後30分単位で500円をプラスする。
それを何気なく値段を表示しておく。 そして一人でやれる範囲にしておく。
もちろん居抜きの安い物件を焦らずさがすことだ。これは業種より業態への転換である。
そのために如何したらよいか商品ー酒・ツマミを組み立てる。

これがなかなかできないが、実際やっている店がある。
 スナック談議の一節!

・・・・・・・・・
2002年05月10日(金)
402,結婚と離婚

現在離婚は4組に一組という。家庭内離婚も半分?はその状態という。
そうすると上手くいく結婚の確立は(相性)は、五分五分ということになる。厳しいことだ。
やはりこの世は不幸で満ちているのか? そうとも思えないが。

私達はまあ上手くいっているうちだ。そうでなくては海外旅行を一緒に24回もできない。
旅はカスガイの部分があるが。旅行は8日から15日間にわたり24時間一緒だから厳しい。
お互い同行者と割り切り、一線を引いておく事だ。

私の場合の結婚生活で守っている事は
・お互いある一線を越えないこと。(浅くて広い川があるー溝ができようがない)
・外部のごたごたは絶対に持ち込まない事。
・会話を絶やさない事ーお互いの話しを聞く事。
・長女と末っ子の組み合わせが良かったが、その特性を生かす。 
 結果として、長女的視点で(一段上の視点)見守ってもらう。
・美点凝視。

スナックのママなどは、離婚経験者が多い。みていると一人で生きていくことは本当に大変だ。
知人でも何人かその経験者がいるが、そう甘くはない。特に長期連休など、何の取っ掛りがなくなり、
孤独地獄に落ちてしまうらしい。あとは女1人、男社会で生きていくのはそう甘くはない。

考えてみれば、人生の一番の難題かもしれない。でも乗り越えなければならない難題である。
ある姉が言っていた「結婚は一生の大事業だ」 相性の悪いのもどうしようもない事だが。

・・・・・・・
2001年05月10日(木)
お勧めホームページサイト

字数の関係上カットしてます。


2592, 日本の国民皆保険は世界に誇るシステム!

2008年05月09日(金)

文芸春秋の4月号に、「日本の国民皆保険は世界に誇るシステム!」とあった。
当り前と思っていた日本の健康保険が進んでいる事実を初めて知った。
年間33兆円に上る国民医療費は、対GDP比でみるとOPEC30ヶ国中21位と高くない。
しかし、その質的レベルからみると世界に誇れるシステム。
それぞれの国によって、多くの規制があり、日本のように彼方此方の医者に気楽に行けないという。

 ーまずは、その部分を書き写してみたー
  〜〜〜
医療技術、たとえばがん治療は世界でも最高の水準を誇っている。
しかし一方で、納得できる治療を受けられずに複数の病院を渡り歩く「がん難民」もあふれている。
06年に近藤正晃ジェームス東京大学特任准教授らが、がん患者1168人に対して行った
アンケート調査の結果、「治療説明時に不満、または治療方針決定時に不納得を感じたがん患者」が53佑鮴蠅瓩拭
これを日本のがん患者128万人にあてはめれば、68万人が「納得できる治療を受けていない」ということになる。
保険証一枚あれば、いつでも、どこでも、誰もが平等に医療を受けられる「フリーアクセス」を、
日本の患者は当たり前に享受しているが、これはどこの国にでもあるものではない。

1961年に始まったこの目本の「国民皆保険」は、じつは世界に冠たる医療制度なのである。
たとえば、イギリスでは地域の家庭医に患者が登録され、その医師の紹介なしには勝手に病院や専門医に
行くことはできない。いっぽう病院は、手術患者の待機期間が長く、手術まで半年以上待たさることもある。
アメリカには日本の健康保険のような公的制度がない。あるのは民間の保険会社が販売している医療保険だけ。
かけ金や契約内容によって、受けられる医療の範囲が決まってくる。
専門医にかかりたくても、保険会社の指定する病院にしか行けないケースもある。
民間の保険だから加入する義務はなく、事実アメリカでは4700万人が無保険で生活している。
加入したくてもできない低所得層救済のためにメディケイ下という医療保険制度があるが、これは実質上、
生活保護に近いものだ。いま、日本で行われている医療制度改革は、超高齢社会の到来をにらんで、
医療費の抑制を図ろうとするものである。患者の窓口負担は数年ごとに引き上げられてきた。
従来出来高払いだった診療報酬に、疾患ごとの包括払いが導入され、医師は高度の医療がやりにくくなった。
  〜〜〜
海外旅行に出かけるときの必須の知識は、保険に入ることである。
国によっては膨大な金がかかる。日本にも良いところが幾らでもある。
最近になって物騒になってはきたが、それでも治安も日本は最高水準にある。
治安と医療体制は、生きていく上で根幹の問題である。
我々は、悪くなってきたとはいえ素晴らしい国に住んでいるのである。

・・・・・・・・・
2007年05月09日(水)
2227, 人生張っています −1 
      (*´・ω・)ノおはよー
                        ー 読書日記                   
「中村うさぎ」については、もういい加減にしろ!と思いながら、図書館で見つけると、つい借りてしまう。
エゲツナイ!の一言である。「人生張っています」は露悪という言葉など、はるかに超えている。
「無頼の女たち」5人と語った対談は、互いの最悪を引き出したエログロものである。
こういう話は、世間様の枠から遥かに出ていて中途半端なお笑いより面白い!

花井愛子、岩井志麻子、マツコ・デラックス、西原理恵子とくれば「たしなみ」など、ありえるわけがない。
「はみだし者」の世間の価値観におさまらないオバケのような妖怪女が普通人の「常識」と違う「異世界」
の話を展開している。 個性的な女同士のバトル的、際物的な、ぶっ飛びの話題ばかり。
中村うさぎが普通の人に思えてくるから不思議である。女のシモネタの羅列も、ここまで明け透けの話すと、
なるほど納得する。 西原が「私から悪いところ取ったら私がなくなっちゃうじゃない」という言葉がよい。
自分自身を丸ごと引き受けて生きている言葉である。
 
      まずは冒頭の ー無頼な女たち宣言ー
    「きつねには穴があり、空の鳥には巣がある。しかし、人の子にはまくらする所がない」
     (マタイによる福音書第八章20節)諸君、我々には、あらかじめ用意された居場所などない。
     それ故、人はさまようのである。自分の居場所を求めて・・無頼な女たちとは、
     ねぐらを持たない行き方を選択した女たちだ。その道は自由で、孤独で、そして果てしない。
     人は彼女たちを笑い、彼女たちを恐れ、彼女たちに憧れるだろう。
     多くの物を背負いながら、何も持たないかのように歩いていく、その軽がるした足取りに。
  ーー
 人生とは何じゃらかんじゃら?などクソクラエである。 世間?そんなもの何処にあるの? 
 生きたいように生きて何が悪いの? 変態? それじゃあんたはどうなのよ?
 新幹線の中で薄気味悪い笑いを浮かべながら読んでいるが、誰かが見たら不気味だろう!
                                      ーつづく
・・・・・・・・・
2006年05月09日(火)
1862, グーグル Google -2  ε(´',_c')オハヨウ!
                ー読書日記
8年前に設立した小さなベンチャーが、彼らが持っていた新しい検索エンジンのテクノロジーが
卓越していたため、瞬く間に15兆6千億の株式時価総額になってしまった。
2004年の株式公開時には、500億円が一年足らずで300倍になったというから驚異というしかない。
しかし、その実体を知れば何も不思議でないことではないことが解る。
    
    この検索エンジンのお陰で、地方の零細企業が再生し、彼らに新たな顧客と以前の数倍の
    売り上げを与えようとしている。この本は、その実体を解りやすく書いてある。
    グーグルによって、地方と中央はかき混ぜられ、全く新しい産業構造が生まれようとしている。
    −−
  そこで先ずは、第一章 世界を震撼させた「破壊戦略」の概略をまとめてみる。
  この章は全体の概要になっており重要なので、次回も引き続き書く。

    グーグルの中で解りやすい例として取りあげるのが「グーグルニュース」である。
    このグーグルニュースは、世界のメディア業界を震撼とさせている。
    なぜならば、この新サービスは、新聞やTV,通信などがネット上で
    展開しているビジネスを、崩壊させかねない可能性をはらんでいるからだ。

それでは、その「グーグルニュース」とは?
世界中の数千のニュース媒体から、様々な記事を集めてきて、一括表示してくれるサービスである。
日本語版もあり、国内の新聞社など600あまりのニュースホーム呂茲蟲事を収集している。
集められたニュースは、トップニュース、社会、国際、政治、経済、文化・などのカテゴリーに分けられ、
グーグルニュースのHPにまとめて表示される。

    この表示方法は非常にうまく作られており、同じ出来事を扱った記事は、代表的なもの
    カテゴリーのトップに表示され、他媒体の同内容の記事は「関連記事00件」というカタチで
    別ページに一覧表示される仕組みになっている。
(以下、字数の関係でカット2,008年05月09日)

             ー  つづく  バイ♪(ノ´∀`*)ノ                
 ・・・・・・・・
 2005年05月09日(月)
1497, いま・現在についてー5
  ー「私の」生成ー

[どうせ死んでしまう] の読書日記に戻る。
この著書の中のー[私の]の生成ーという内容の意味と、[いま]を重ねて考えると、面白い。
 
 ーその一部を抜粋してみるー
「この」身体や[この]心の状態を[私の]身体や[私の]心の状態に変形させるのはいったい何であろうか。
[いま]周辺を見回してもらいたい。そこには[私]は登場はしていない。

そこに認められるのは[この]身体の状態であり、[この]心の状態である。
それは[私]の身体の状態・心の状態ではない。だが、一時間前の光景を思い出してもらいたい。
それを見ていたのは誰か。それは、いまこの光景を見ているものである。

この光景を見ている者がさっきあの光景を見ていたものである。
現在と過去という互いに否定的な関係がここに登場する。世界は過去と現在に炸裂する。
そして、同時にそこに[私]がこの炸裂を繋ぐものとして登場してくるのである。
「私」は知覚においては登場してこず(川を眺めているあいだは「私」は登場してこない)
川を眺め終わって帰る時に想起したときに初めて登場してくる。
 
痛みですら、現在と過去との炸裂で了解される。犬が[キャン]と鳴くことと、
[私]が[ウッ!」と呻くのではなく、適切に[痛い]という言葉を使用できるのは、
やがて痛みが治まったときに[痛かった]と言えることでもある。
そのつど刺激に対してのみ[痛い]という事ができ、[痛かった]という過去形を使えない者は、
実は痛いという言葉を理解していないのである。
こうして、「この」痛みが[私]の痛みに「なる」ためには、痛みがさったあとに
なお私が[痛かった]と語れることが必要である。痛かった[あの]痛みが「私」の痛みなのである。

他者とは、[別の私]のことである。それは、知覚においてではなく想起においてはじめて登場する。 
犬は他者ではない。想起能力のない生物は、いかに私と同じような身振りで苦しがっていても、他者ではない。
他者とは、私と同じように、現在と過去という楔を世界に打ち込むことができる存在者なのである。
 ー以上であるー

過去と未来を想起するものが[私]であり、「いま」という時点で前の「いま」を想起しているものが[私]になる。
従って、その想起のできないものは[私]を持ち得ない。
人間以外の動物には、[過去]や[未来]の想起ができないから、[私]はないのである。
このことより考えてみても、「いま」と[私]は非常に深く関連していることになる。
何気なく使っている[私]という言葉は、現在と過去という世界に打ち込むことができる楔である。 
それも現在[いま]、において。

この連休は、「いま」と「私」について、徹底的に考えてみた。
「私」にとって、非常に有意義な「いま(時間)」であった。

・・・・・・・・・
2004年05月09日(日)
1132, 「ライフレッスン」ー 12
 ー 幸福のレッスン
 
 不幸論なら書けるが、幸福論となると何か書きつらいものだ。
幸せ感なんてものは、一時の気分でしかないと思ってしまうからだ。
といって幸せを意識して求めてないと、その時間を知らないうちに過ごしてしまう。
また、せっかくの幸せを得る機会を失ってしまうことも事実である。
ハッピーはハプニングが語源という。偶然におきた中に幸福を見出すセンスをいうのだ。
良い偶然を得たことを喜ぶ気持ちと感謝である。考えてみたら、生まれてきたことも、いまあることも偶然?

後にある抜粋の、一番初めの「幸せを私たちは、不自然と感じ、それに値しないと
思い込むように子供の頃から洗脳されている」のかもしれない。
しかし、幸せ感を得ようとするなら、少しの訓練があれば、誰でも可能である。
心の底から「ありがとう」と言えているときが幸せなのである。
 
 幸せの格言の中にも多くの幸せに対する示唆がある。
「幸福人とは過去の自分の生涯から満足だけを記憶している人々であり、
 不幸人とはそれの反対を記憶している人々である。」という萩原朔太郎の言葉が真髄をついている。
それは、訓練でも可能になるのだ。いま私が実行していることは、マイナスの気持ちや言葉が出てきたとき、
自動スイッチとして「ありがとう」という言葉を繰りかえしていうことにしている。
お陰で「ありがとう」という言葉を繰り返しいうことになってしまった。

知人に万年欝の人がいるが、過去の生涯の嫌なことだけを記憶している人である。
よく記憶していると感心するくらい憶えているのだ。 むしろ不幸にいることが、
自分の存在意義であるようにさえ思える。やはり基礎的な知識を持ってないからであろう。
それだけ深い心の傷をためこんでいるいるのだろう。
「愚人は終夜睡眠し、昼間は交際を楽しむ。いったい、苦悩を消滅するのは何時のことか」
  という言葉もあるが。
 ー抜粋ー「ライフ・レッスン」

・幸福は人間の自然の状態なのだが、わたしたちは不幸な状態に安住するように
訓練されている。わたしたちは幸福になれてないのだ。
せっかく幸福の状態にあるのに、それを不自然と感じ、それに値しない人間とおもってしまう。
だからこそ、幸福の状態をいいことだと感じる訓練や幸福になる為の訓練が必要になる。

・幸福になるか不幸になるかは、周囲におこることによって左右されるのでなく、
おこることにどう対処するかによって左右される。
おこっていることをどう解釈し,どう了解し、こころにどう対処するかがその人の幸福を決定するのだ。
そして、ものごとをどう了解するかは、その人がものごとのかかわり方によって決まる。
ものごとからレッスンを学び、ものごとと自己との真実を想起するバランス点はそこにある。
ものごとのや相手の状況の最悪の側面をみる傾向にあるか、最良の側面をみる傾向があるか
によって、事態は大きく変わる。最良、最悪、いずれの側面をみるかの傾向も、その人のなかで育ち大きくなる。

・不幸への最短経路は、ものごとを比較することにある。
比較というこの自己破壊な行為には、しかも、比較する他者さえ必要でない。
過去または未来の自分と比較するだけで,おなじ惨めさが味わえる。
ところが幸福は、だれと比較することもなくて、いまここで、ありのままの自分を
「これでよし」と感じるところからやってくるのだ。

・人は矛盾のかたまりである。つねに『もっと』を望みながら、一方では、
あるがままの自分をうけ入れ,愛そうとしている。
自分が霊的な存在でもあることを知っていながら、世俗的な経験が織りなす現実を
受け入れようとしている。苦しみながら、一方で苦しみを乗りこえようとしている。
わたしたちは多いものと少ないものの、優れたものと劣ったもの、足りないものと
豊かなもの、大きいものと小さいものに満ちた世界に住んでいる。
その両極に気づいたとき、わたしたちは以前より豊かになる。
宇宙の中のわたしたちという部分はつねに、みごとにバランスを保っている。

・・・・・・・・
ー幸福の格言
・コロンブスが幸福であったのは、彼がアメリカを発見した時ではなく、それを発見しつつあった時である。
 幸福とは生活の絶え間なき永遠の探求にあるのであって、断じて発見にあるのではない
                  − F.M.ドストエフスキー
・人間は、死、悲惨、無知を癒すことができなかったので、
 自己を幸福にするために、それらを敢えて考えないように工夫した。
                  −パスカル「パンセ」
・自分の仕事を愛し、その日の仕事を完全に成し遂げて満足した。
――こんな軽い気持ちで晩餐の卓に帰れる人が、世の中で最も幸福な人である。
                  ーワナメーカー
・幸福の秘訣は、自分がやりたいことをするのではなく、
 自分がやるべきことを好きになることだ。 ージェームズ・バリー
・幸福は対抗の意識のうちにはなく、協調の意識のうちにある。 −ジイド「文学と倫理」
・私達は踏みなれた生活の軌道から放り出されると、もうダメだ、と思います。
しかし、実際はそこに、ようやく新しい良いものが始まるのです。生命のある間は幸福があります。
                   −トルストイ
・人は幸福を探し始めると、たちまち幸福を見つけられない運命に陥る。
しかしこれには不思議はない。幸福とは、あのショーウィンドウの中の品物のように、
好きなものを選んで金を払えば持って帰れるというものではない。
                   −アラン
・・・・・・・
2003年05月09日(金)
765, 流砂の民

いま中国を中心にSARS が猛威をふるっている。誰かが「これはソ連のチュルノブイノである」と言っていた。
なるほど、そうなる可能性が大である。孫文が中国人のまとまりのなさを喩えて流砂の民といった。
つかんでも手の指の間からサラサラと落ちていく。今までの共産党は、むしろ中国の発展にプラスに働いた。
ところがこのSARSで、その体制がソ連の崩壊と同じ道をたどるのではないかという指摘は的をえている。
いまの中国を頭の一部だけ赤い丹頂鶴に喩えたのも面白い。
あの磐石に見えた中国はこれをきっかけに、国として激動期に入る。恐ろしいことである。
 
昨日のニュースでWHOが死亡率が7佑ら14〜5佑暴だ気靴拭65歳以上だと50佑箸いΑ
子供がかかるケースが少ないことも不思議な現象である。この成り行きによって世界は大恐慌に入る可能性がある。
ホテルなど誰が泊まっているか解らない。もしSARSの患者が出たら、ホテルとして即死−倒産である。
スーパーやデズニーランドも一人出たら終わりである。本当に恐ろしい時代になった。

・・・・・・・・
2002年05月09日(木)
401, 腰痛

昭和38年の三八豪雪の時、長岡高校の屋根の雪落としをしていて、腰痛になってしまった。
母が腰痛もちで、よく腰が左右に曲がっていたのを見たが、それがそのまま遺伝したようだ。
腰の骨が本当に左右にずれるのである。 その時の痛みは言葉に言いがたく、脂汗がにじみ出る。
大体が季節の変わり目に出る。

その対策として15年前から散歩を始めたが、今は腰痛対策というより、精神的肉体的両面の健康の
すべての対策になっている。散歩も一日30000歩を超えると、逆に腰痛になる。
人間の今の身体の構造は、歩く前提で出来ているという。何かあったら歩くのが一番自然だ。
腰痛は猿が人間に進化する過程で、腰に不自然な力がかかるようになった。
その結果、人類共通の持病になってしまった。歩行がその対策によいことは、15年続けての実績で解る。
しかし完治はしない。腰痛が出はじめたら、ホッカイロをその部分に当てるのが一番効果がある。
(母の対策を見て知ったことだが)それで4~5日で直るからだ。
医者には一度もかかったことはない。あとは腰痛と仲良くしていくしかない。

・・・・・・・・・・
<おわらい>

ー贈賄の勝利ー
  ある男が、弁護士に訊ねた。
「弁護士様、訴訟が始まる前に、裁判官にアヒルの立派な奴を一羽、名刺を付けて送っておいたらどうでしょう」
「とんでもない。そんなことをしたら贈賄となって、裁判は絶対にあなたの負けになりますよ」
 この裁判は結局、勝訴となったので、男は大喜びで弁護士に言った
「あの時、先生には反対されましたが、やっぱり裁判官にアヒルを一羽送っておきました」
  弁護士はびっくりして言った。
「しかし、あの謹直で知られた判事さんが、黙っていたとはどうしても信じられない」
「いやなに、名刺の方は訴訟相手の名前にしておいたんです」


2591, 日本壊死

2008年05月08日(木)


三年前なら、読み過ごしたが、サブプライムローン問題が大きく露出した現在では、
この本の内容は決して絵空ごとには思えない内容である。
特に、ここにきて日本がアメリカの属国とう著者の論は、的を得ている。
彼の主張していることは、彼からすれば当たり前のことで、
誰も現実を直視しようとしないだけなのか。
安部前首相、福田首相の姿を見ると、数年後の修羅場が目に見えるようである。
 〜〜
「日本壊死」―新しき人目覚めよ
      船井 幸雄, 副島 隆彦 (著)
ー 表紙裏の説明文
アメリカ帝国主義とロックフェラー支配の終焉、
1ドル60円時代の到来、ユーロの台頭、
借金1000兆円国家・日本の地獄絵図、財務省の重罪、
預金封鎖と老人税の導入、行革が進まないワケ、
脱米入亜の可能性、次世代国家を作る新しい人たちの登場
…日本が歩むべき道を徹底討論。
 〜〜
 *面白そうな部分を抜粋してみた。

ー副島隆彦
・「米国債400兆円を買わされ、さらに毎年30兆円分買おうとしている日本」
・「金融緊急処置令」というのは日本の敗戦時の1946年2月17日に発令された
 「新円切り替え」と「預貯金の引き出し制限」のことです。
 この二つを合わせて「預金閉鎖」といいます。
 緊急の統制令を出して、預貯金に支払い制限を設ける、一人につき一月500万円として、新札の切り替えが
 一段落をしたら「旧円は使えません」という統制手段に出るわけです。
 この預金閉鎖は2005年から数年以内に起きます。
・「息子だけは、絶対に会社に入れては駄目です。銀行の融資と信用だけはつないであげる。
 それ以外は自力でやれ。そして、それで成功してこい、と。他人の飯を十年食わせた、とかも駄目です。

ー船井幸雄
・「いまの世界は、アメリカのロックフェラー一族によって大半が支配され、
  唯一の対抗勢力が欧州のロスチャイルド家という構図になっている。
  これは公然の秘密で、下手にいうと抹殺されかねない。
  たとえば、いまの日本で起きている銀行再編にしても、UFJを吸収する東京三菱がロックフェラー系であり、
  それに対抗する三井住友系がロスチャイルド系というと解りやすいと思います。
  その他の政・官・財、そしてマスコミまですべて、いくら偉そうなことを言っても、所詮は逆らえない。」
・「戦争も政治の一種なのだという考えが、いまでは当たり前の発想になりつつありますが、
  戦争は経済活動でもある(P.181)」・・・
・「日本にも、勤勉の精神が日本を豊かにしたという山本七平氏や、私の先生の小室直樹説がある。
  しかし、もう信じられない。勤勉と才覚で金持ちになったのは初代の創業者までの話で、
  二代目、三代目の資産家にはそんなものはありません。やはり、近代資本主義をつくったのは
  ユダヤ商人たちだったのだと、私は断言します(P.183)」・・・
・「彼(副島氏)と話していると、60%くらいは同じように考えていることが分かります。
  30%くらいは新鮮なこと、しかも肯定できることが教えられます。10%くらいは「本当かな?」
  と思うことですが、それらは調べていくと肯定したくなることばかりです。
  私(船井氏)にとってこのような人は、日本人でいま活躍中の男性では神田昌典さん、本田健さん、
  森田健さん、五日市剛さん、坂本政道さん、北原照久さんなど何人かいますが、
  彼らとともに私を元気づけてくれ教えてくれるのが副島さんです(P.236)」・・・
  〜〜
  この本は三年前の刊行だが 8割?は当たっている。
 この十年間については、悲観論を主張していれば、そのスポットが来るのは当然だが。

・・・・・・・・・・
2007年05月08日(火)
2226, いい男とは? ー2
(p≧w≦q)オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァヨウ♪

この本「女は男のどこを見ているのか」で一番面白く印象に残ったのが、次の一節である。
 ーー
「先ほど、猫との約束でも守らなくてはダメと申し上げたが、
一回くらいの約束を破っても許されるだろうと考えるのは、浅はかです。
これもダメです。釣り銭をごまかすのも、小額だからとか、誰にもばれないのだから一回くらいは許される
だろうというのもダメです。今月はお金がないから釣り銭を余計にもらっても許されるのではないか、
という言い訳もダメで、たった一回のの言い訳や裏切り行為が、あなたの心をダークにしてしまうからです。
一回の悪い行いは、100回の良い行いに相当します。やると決めたら徹底して清く生きないと効果ありません。
たった一回の不誠実な行為が、心を汚し、気持ちの悪いサインとして、貴方の体から発信されてしまうのです。
自分に対する信頼というものは、100佑任覆てはならないのです。
もし、ここにスリル満点のジェットコースターがあって、100回に1回は脱線してしまうとしたら、
貴方は乗るでしょうか。約束を守る、とはそういうことです。」     (p154)
  −−
  解)
「一回の悪い行為が百回のよい行為に相当する」は、多くの示唆がある。経営がそうである。
どんなに巧く運営していても、少しのミスで全てを失ってしまう。
チョッとした運転ミスが致命傷になる自動車の運転ミスと同じである。
  ーー
ー今ひとつ面白い部分を紹介してみよう。

「『スターウォーズ』の二作目の[帝国の逆襲]のなかで、ルークがヨーダという
900歳のジュダイの指導者と修行する場面で、ヨーダは[憎しみに負けると
ダークサイトに堕ちてしまう]といいます。怒りと妬み、恨みがダークサイト
そのものです。生物学的には、[怒り]は相手に対する威嚇であり、威嚇で相手の
敵対心や攻撃心を抑え、戦争を未然に防ぐ効果があると考えられています。
・・・油断すると、怒りの海であるダークサイドにはまってしまいます。
それを防ぐために、[冷静で心安らかにいることだ」とルークに語ります。
怒りや憎しみに拮抗する力は[悦び]です。そして、正義が勝つのではなく、パワーが強いほうが勝つのです。
これまで自分がした楽しいことの総量と、自分がイライラしている総量の差で決まるのです。自己実現をして、
悦びをいっぱい持っている人は、ひとりでに冷静かつ心安らかになります。悦びを介して人と共感したり、
共感されたりして、人と深いところでつながっている人です。
ですから、人を信頼しています。前向きである。 しかし、イライラの総量の多い人は、
怒りの海に溺れ、冷静さを失い、攻撃的です。 そのため相手の反発を買い、
ますます自分の怒りが刺激されて、ドンドン怒りの総量が増えていきます。(p186)
ーー
    解)
    私も20歳代後半から、40歳前半までは、怒りのダークサイドが悦びより、
    遥かにましていたようだ。
    しかし成功体験と、秘境ツアーなどでの多くの歓喜体験を繰り返しているうちに、
    40代後半辺りから悦びの総量が怒りの総量を超えてしまった。
    その時分だろうか、自分が穏やかになったのは。
    両親から学んだことは、人生経験を通して何ごとも遊びの領域まで達すること!
    そして、仕事と遊びの悦びの領域の総量を可能な限り増やすこと!
    そのためには自己を認め、かつ磨き続けなければならないこと!
    その結果として人生の満足がある、ということである。
     学んだわりには、スケールは小さかったが! 全く。

               グッ。・:*:・゚☆w(´・з・`)バァイ
・・・・・・・
2006年05月08日(月)
1861, グーグル Google
    おっ w(゚Д゚)w ハァョ〜
              ー読書日記
「グーグル Google」 文藝春秋
  著者 佐々木俊尚
   内容
    既存のビジネスとそれを支えた価値観が次々と「破壊」されている。
    その担い手は検索エンジンの怪物・グーグル。
    なぜグーグルはそれほどのパワーを持ち、
   そしてどのような影響を社会に与えようとしているのか、そんな疑問に迫る。   
 
                (*^ー^)/C□~~ コーヒー?
ー評ー
最近、文春新書から発刊されたばかりの本である。
『ウェブ進化論』で取り上げてあるGoogleという会社のフォロー版といったところ。
これを読んで、Googleを更に一歩踏み込んで知ることになった。

   世界中のパソコンの画面に必ずグーグルの検索のツールバーがあり、
   そこからキーワードの組み合わせを入れれば、一瞬のうちに世界中の情報が把握できる。

そして、そのキーワードの先に、キーワードに丁度良い広告を載せることが出来れば、最高の効率が得られる。
それも、その広告に顧客がクリックした回数分だけ広告料を払うシステムなら、これほど良いものはないだろう。
実際、アクセスが予測を遥かに超えるものであったという。

   もし私のHPが人気が出て一日数万人がアクセスしてくれば、
   このHPにも広告がのせることが可能になる。 面白い時代である。
   いま人気の「鬼嫁日記」にも多くの広告が載っている。
   トヨタの『レクサス』の興味ある人なら、検索に「レクサス」といれるだろう。
   トヨタは、そのキーワードの先に出てくるHPなどに
   広告を出すか、その広告に自社のHPのリンクをはればよい。
   
グーグルは世界の新聞社や通信企業、マイクロソフトなど多くの巨大企業を破壊しようとしている。
「ある日突然音をたてて崩壊するのは間違いない」と、この本を読んでいると少しは解ってくる。

   キーワードが、自販機に入れるお金に例えることが出来るとすれば、
   自販機を押さえてしまえば、天下を取れるというのも肯ける。
   
先日のニュースでフランスの大統領が国家予算2000億を投入して、
フランス版Googleの立ち上げを決定とあったが、今さら2000億では・・
やらないよりは、いいが! 次回から、
一章ごとの要約をまとめてみる。
               !(´・ω) バイ
・・・・・・・
2005年05月08日(日)
1496, いま・現在について−4
「記憶のない男」ーDVDレンタル

レンタルDVD で観た「記憶のない男」が、
「いま」と「私」を考える上で面白い内容であった。

ー知らない街に仕事を捜しに来て、
暴漢に襲われて記憶を全て失った中年男の物語ー
それぞれの人の「いま」は、それぞれの過去を背景を持っている。
過去が記憶喪失で失われた場合、その人の「いま」は無いに等しい。
ストーリーの中では、そこまでは表現しつくしてはいなかったが。
しかし、その空白を「いま・現在」という現実の中で、必死になって埋めようとする
主人公の心を、静かに淡々と映し出していた。

過去の想起がなければ、[私]は存在しないに等しい。
動物に[私]はない。それは想起ができないからである。
もし自分が過去の記憶をなくしたら、「いま」という感覚は希薄になる。

青年時代の日記を偶然倉庫で発見。 それを、悪趣味的?に、この随想日記で露わにした。
その過去の「いま」を、思い出せば出すほど、現在の「いま」との重なりが見えてくる。
そして現在の「いま」がより濃く深くなっていく。 それは現在が過去より成立しているからだ。

過去や、未来より、「いま」が全てだと考えがちだが、過去も未来も重要であることを教えてくれた映画。
{「いま」を人間の手とすると、過去と未来は人間の身体}
と例えると解りやすい。手は手としては存在し得ない。手はあくまで身体の一部でしかない。
記憶喪失とは、「手そのものしか自分を感じ得ない」ということだ。
身体全体が失われた感覚は想像しただけで恐ろしい。

そこ(いま)には、「私」はないに等しい。
[いま]に集中するということは、過去と未来にそして「楔」を打つことである。
楔を打つことは最も重要な行為である。しかし全体の構造を考えて打たなくてはならないのである。

今上の人生、来世のことは考えない方がよいのか? それとも、来世のために今生を生きるか?
やはり「いま」に全てを傾けるべきである!?「どうせ死んでしまう」のだから。

・・・・・・・・・
2004年05月08日(土)
1131, 「藤沢周平」ワールド

この一年以上、藤沢周平にはまっている。
新幹線では、行き帰りの半分以上は藤沢周平を読んでいる。
庶民のひたむきな生き方を真摯な目で見つめているのがよい。
小説の多くは似たような内容であるが、それでいてストーリーが面白い。
生きることの重みと哀しみを知り抜いた人でしか書けない内容である。

彼の本を読んでいると、いつの間にか藤沢ワールドにドップリ入ってしまう。
原風景の中に、忘れさっていた子供の頃の純粋さ、ひたむきさを感じる。
彼の文章の中のところところに何気なく書いてある言葉に胸をうたれる。

彼の作品に出てくる女性がすべてよい。
慎ましく、無垢で、深いいたわりのある、暖かい心の美しい女性である。
平凡な何処にでもいそうな、しかし滅多にいない、毅然とした気品を持った女性である。
彼が若き時になくした妻の昇華した女性を、彼の作品で描いているように思える。

忘れていた人生の一番大事な原点を、静かに思い出してくれる優しさが、小説の中から滲み出ている。
人生の波をいくつか乗り越えてきて、つくづく自分の卑小さや、醜い姿を何度かみて
自嘲を繰り返したすえに、昔の汚れてなかった昔の自分に出会った感である。
自分に厳しい日本人の原点がそこにある。苦悩のすえに掴んだ優しさがある。

以前書いた藤沢周平の文章をコピーしておきます。
 (以下、字数の関係でカット2,008年05・08) 

・・・・・・・・・・
2003年05月08日(木)
764, 「カリスマへの階段」

いまマスコミで連日報道されている白装束の集団「パナウエーブ研究所」を見ていて、誰もが
「何故真っ当な大人?が、かくも幼稚な教祖様の御教えを信じてしまうのだろ?」と首をひねる。
マインドコントロールというヤツで洗脳されてしまうのだ。

7~8年前に『オウム真理教』が騒がれていた時に、図書館でコリンウイルソンの「カリスマへの道」
を借りてきて、あまりの面白さに蔵書として買ったのを思い出して、また読み返した。
何度読んでも面白いものは面白い。9年前にスイスのカルト『太陽寺院』のメンバーの集団自殺がおき、
その前後して麻原の『オウム教』の問題が出てきた。彼らは決まって終末思想がある。
そして、その信者だけが救われるという教えを繰り返し教え込んでしまう。

オウム教のそれは『世界の終末は1997年に起き、オウム真理教の信者のみが救われる』と説く。
この白装束の主張は
・この5月15日に何処かの流星が地球に衝突する
・また共産ゲリラが彼らに電波で攻撃を仕掛けているという。
このような幼稚なカルトに何故ごく普通の人たちが、妄想にひた走る
「メシア」様の命令を唯唯諾々と従うものか?

その原理を「カリスマへの道」では歴史を遡って書いている。
その中で一番面白く本質をついていると思われるところを以下に書き写した。
ーーー

 西暦1666年の初頭、全欧州が人類の歴史上の最大イベントを待ち構えていた。
ユダヤ民族を昔日の栄光に導くメシア登場である。 この神の使者はサバタイ・ゼビという40歳のユダヤ人。
今はスルミナに住んでいるが、やがてトルコのスルタン(皇帝)を打倒し、龍に乗ってエルサレムに入城する
手筈なっている。そしてその後は戦いで次々と敵を倒して世界の王になる予定。
ユダヤ人が『我々が今にあなた方の主人になる」と言うと、 キリスト教徒も心配を始めてた。・・・

 大都市の多くではこの期待は早くも混乱を生みつつあった。
ユダヤ人社会が商売を止めて最後の審判の準備に入ったため、
まずは商業が機能停止になった。ハンブルグでは人々は家と土地を
売り至福千年期に備えた。・・・・・・・・
だが年も押しつまる頃に信じがたい噂がながれ,歓喜は落胆に一変する。
イスラムにサバタンが改宗したという。
サバタンが若いメフメト4世の前に引きずり出され「イスラム教に改宗するか、
さもなくば生きたまま串刺し」と二者択一を迫られた。
これに応じたメシアのサバタイは直ちにユダヤ帽を地に投げ捨て唾を
吐きかけ、これに変わって白いターバンが頭に巻きつけられるに任せた。
そしてスルタンー皇帝はこの改宗を優雅に受け入れと新しい名前と門番の職を与えた・・・

ーーー 
 こういう新興宗教のメシア様の色いろな内容が次々と出てくるのだ。
神の名での教祖様のハーレムがつくられ、組織内での多くの殺人が繰りひらかれるのだ。
宗教ごっこならよいが、セックスと殺人が終末思想の元で日常になって自己破滅を始めていくのである。
オウムのようなことは、宗教の創立期にはどこでもつきものである。
理想社会は教祖様にとっての意識下の世界でしかない。95佑僚晶腑織ぅ廚旅垢覆訛梢融峺を求めている人は、
その理想社会の空想社会の餌にごく簡単に飛びついてしまう。そして全財産を剥ぎ取られてしまう。
世界中がそれに満ちているといってよい。精神的に傷つき癒されたい人が、それだけ多いのだ。
自分で本を読みつづける中から癒されるのが、一番効果があるのに!! それしかないのに!?

「カリスマへの階段」
コリン ウィルソン (著)

・・・・・・・・・・・
2002年05月08日(水)
400, 末っ子はつらいよー2

姉が見たら(聞いたら)なにをいっているか!と怒鳴られそうだ。
「両親に、兄姉にみんなに可愛がられて!とんでもない」と。
確かにそれもそうだ。特に両親にとって、いつも傍において置きたいペットみたいなものであった。
死ぬ時もしかり、傍にいた。そして遺言も財産に関しても、一番有利に書いて亡くなっていた。
また両親が死ぬまで常にお手伝いがいる家だった。
チヤホヤされてきたことも事実だ。 末っ子の特権を充分享受した。

それと孤独に強くなる。一人で何かいつも遊んでいた。
長姉がいうに、いつも一人で三輪車で遊んでいたという。
今も殆ど同じ一人遊びが好きだ。ノイローゼになる人は一人遊びの出来ない人だ。
ーできればノイローゼにはならないが。

花よ蝶とはいかないが、そういう立場にあったことは否定できない。
幼児期・少年期は事業の立ち上げ時で、非常に刺激的な環境であった。
そういう意味で「三つ子の魂百までも」である。
それぞれの性格はその時代の背景と、血液型と家族関係と両親の年齢などによって、
微妙に決まってくる。長男には長男の立場、末娘ならその立場で決まってくる。
すぐ上の兄は、私の影的存在で?少し大人しい性格だ。

「積み木崩し」というあるタレント手記があった。
長女、次女の次に男が生まれると、その次女がひねてしまい非行に走るケースが多いという。

・・・・・・・・
2001年05月08日(火)
BSTVについて

BSハイビジョンTVを入れて5ヶ月、その鮮明さに驚いている。
8年前にハイビジョンTVを入れた当時その鮮明さに驚いたが、
今は一般放送が前のハイビジョンなみになり、今のBS放送は
格段に良くなった。映画を見ると劇場にちかい感覚といってよい。
白黒TVとカラーTVが1000万台普及するのに10年かっかた
がBSTVがそれを超えるのに4〜5年といわれているのがうなずける。
それとBS放送の局がそれぞれ特化しており、選びやすいのも良い。
それとBSラジオもよい!それぞれのキーワードで放送がなされている。
音楽がまた素晴らしく、それにあわせて映像が流される。
茶の間生活が一変した。これにCSハイビジョンが流され、光ファイバー
通じると今の情報量の1000〜3000倍が家庭に流れてくるという。
それも4〜5年以内に。今からわくわくしている。


2590, イスラエルの話

2008年05月07日(水)

長男が、イスラエルから帰ってきたので、その感想を書いてみる。
ー今回のツアーからの概略(私のインタビューからの情報)
・ツアーの会社は、新日本トラベル(現在は合併でエヌイーオーに改名)
・総員23名。半分が一人参加。 本人を除くと全員が40歳以上。
 70歳代の夫婦が三組。男女の割合が半々。平均年齢が50歳位。
・4月23日〜5月02日までの10日間コース。
・添乗員は40代のベテラン女性。 現地ガイドは日本系のイスラエル人。
・旅行の最中に日本人には一人も会ってないが、韓国人らしきグループを一組みた。
・現時点で、年間のイスラエルの訪問客は8000人。
・危機感を持つ場面は、ゼロ。しかし、ウズベスタン航空のサービスは最低。
 帰りのテルアビブからウズベスタンへの飛行中に、かなり厳しい乱気流にあって死ぬ思いの経験。
・一人参加のアップの加算を含めて、38万円。総額43万円。
・満足度は100点。
・テルアビブの飛行場と、エルサレムの街の緊迫感は、私から聞いていたほどではなかった。

ーーー
以上だが、9年前の私の実感とほぼ同じである。
私の9年前の場合は、これにアブラハムが十戒をつくったエジプトのシナイ山があった。
これは強烈な印象が残っている。 イスラエルはインパクトがあまりに強い。
わずか四国の大きさの国土で、700万人の国が、存在としては大きく位置を占めている。
日本の大よそ二十分の一の国がである。 契約の概念はユダヤから出ている。
神様との契約が、いつの間にか人間同士の契約にすり替わったのである。
ユダヤ人とイスラエル人は同一ではない。
一般的には、イスラエル人=イスラエル国籍を持っている人。
ユダヤ人=ユダヤ民族。 と思われているが、ユダヤ人はユダヤ教を信じていて、両親のうち
両方が何じゃらとか難しい決まりがある。「ユダヤ人は選民である」という教えが、他の民族から
忌み嫌われるのである。 多くの決まりがあり、ユダヤ教徒は、それを厳格に守るのである。
旧約、新約聖書のような物語と、その舞台が、そのまま一致しているのは
イスラエルしかないというが、異教徒?の目から見ると、尚のこと、その特異性が、
何とも新鮮で驚きをもってみることが出来るところである。
 以下は私の旅行記である。
  〜〜
H1105イスラエル聖なる旅 

この旅行は、四千年の旧約・新約聖書に出てくる歴史と出会う旅であった。
四国の面積とほぼ同じ中に、数えきれないほどのドラマがあった。
現地の日本人ガイドのシャワ−のような説明が新鮮かつ面白く驚きと感激の連続であった。
その為か帰ってきて、新約・旧約聖書をじっくり読む事ができた事が最大の成果となった。
関連を含めると十冊を前後二ヶ月たらずで読んでしまった。
考えてみたら私の人生の転機の度に必ず聖書か聖書関連の本があった。
人生のもっと早い段階で、じっくり読むべきであった!。

旧約は先入観で固く難しそうであったが、読んでみれば何もむずかしくない、
ただただ面白い!内容であった。旧約はユダヤとユダヤ民族の歴史の書であった。
また新約は出会い=イエスの心との出会いの書と言ってよかった。

ー印象の強い順に列記してみると、

まずは何といってもエレサレムである。
イスラエルがそのまま凝縮されているといってよい。
四千年の昔から神の名と民族の誇りをかけ、数え切れない戦いの舞台となった。
そして現在も続いている。

この街を歩く事は世界の歴史の生き証人と出会い同行することかもしれない。

イエスが十字架を背負って歩いた悲しみの道=ヴィア・ドロロ−サ。
磔刑に処せられたゴルゴダの丘。最後の晩餐の部屋。

イスラム教の重要な寺院=岩のド−ムとアクサ寺院。
ユダヤ教徒にとって最も貴い嘆きの壁と広場、そしてダビデの塔。
旧市街を囲んでいる城壁は四千年の歴史の深さをそのまま物語っている。

次はモ−ゼの十戒で有名なシナイ半島のシナイ山である。
深夜の二時に三時間かけて登って山頂からのご来光とシナイ山の山並み。

そして、その麓にあるカタリ−ナ修道院と、神の声をきいたという“燃える柴”。

そして帰路にたちよったベトウィンの部落。そして、そこで飲んだ紅茶。

“マサダの要塞”=この旅行までは全く知らなかったが、
キリストが死んだ四十年余り後に、ロ−マ軍に追いつめられた熱心党員の
ユダヤ人九六七名がたてこもった自然要塞。
陥落の前日、そこの指揮者ベン・ヤイルの演説の後、
七名を除く九六〇人の集団自決のあった場所であった。
その時の詳しい内容が生き残った者の証言で残った
(ヨセフスの“ユダヤ戦記”に生々しく残っている)。
=「奴隷にされる前に...自由の状態におもむこうではないか。」
=自殺を厳禁しているユダヤ教徒の集団自決であるからその意味が違ってくる。

イエスの生まれたベツレヘムの岩のほら穴の馬小屋と岩の飼葉桶。

ユダヤ教エッセネ派の“死海写本”が発見されたクムラン洞穴。
一九四七年、近くを歩いていたベトウィンの少年が、洞穴で土器に入った巻物を発見。

壷に納められた六〇〇を越える巻物には、イザヤ書全巻や旧約聖書等々記されていた。
今世紀最大の発見といわれている。ここで他にとんでもない事が記された文書があった。

−イエスキリストが主張された大すじが、そのずっと昔のこの文書の中にあったという。

“イエスはエッセネ派の指導者の一人でしかなかったのでは?”という疑問が
でてきたのである。そうすると西欧キリスト教の根底が変わってしまう。

あと十年後に振り返った時、恐らく今回のイスラエル旅行は私の内的深奥で一大転機の経験となるのではないだろうか。
旅行は外界を訪れるだけでなく内奥の自分との出会いの機会でもある。

【別記】

この旅行と旧約聖書を読んで今の日本に絶望的気分になった。
四千年間の他民族・他宗教と血と血で争う闘いが現在まで続いている。

六十年前には六〇〇万人ものユダヤ人がナチに殺されている。
現在も一歩間違うと今の国土より追放されかねない緊張感・危機感が全土にあった。

男子は三年、女子は二年の兵役があった。国中どこにいっても機関銃を持った兵隊がいた。
一歩家の中に入ると機関銃が無造作においてあるという。
といってその手の事件は一切ないという。その銃の目的は敵に使うもの、
国を守る為のものというのがはっきりしているからである。

今の日本の防衛に対する考え方甘さが対比すると浮き彫りにされた旅行でもあった。 [1999.4.14〜4.24 -ryokou ]


・・・・・・・・・
2007年05月07日(月) 2225, いい男とは?
       (*´∀`)」" ヾ(@⌒ー⌒@)ノおはよ〜♪
           
    著者・岩月謙司に、ある日、とある女性から
   『岩月先生の本に従って一生懸命素敵な男性を探してみましたが、
    今だに「いい男」とは出会えません。・・是非、男性向けに
    いい男になるためのハウツー本を出してください!』という投書をもらい、
    この著書「女は男のどこを見ているのか」を書く決意をしたという。
    
    なるほど、著者の魂の入った内容であるが、この本が出た後の2004年12月に、
    女性患者への準ワイセツで逮捕されてしまった。
    (字数の関係でカット2008/05.07)

・・・・・・・・・
2006年05月07日(日)
1860, ローマから日本が見える−11
     おはよ〜!(*^ワ^*)i    
                 −読書日記ー       
《その戦法を知りながら、
   騎兵力を増強できなかったのか?》

ローマ軍には騎兵を増やそうにも増やせなかった事情がある。
この時代には、鐙が発明してなかったので、自分の両足で馬の胴体を
締め付けて乗るしかなかった。
    この技法は子供の時から馬に乗りなれてないと到底乗りこなせない。
    ちなみにハンニバルは、カルタゴの同盟国の北アフリカのヌミディア人と、
    ガリア人という、騎馬に長けた民族が参加していた。
またローマ軍の主体が重装備歩兵であったため、騎兵中心に変身しにくい要素があった。
重装歩兵がローマ軍組織としてあまりに中心過ぎて、これを変えるとローマ軍の
組織そのものが弱体化してしまう恐れがあった。

《ハンニバルの誤算》

    ハンニバルが限られた手勢でアルプスを越えて、単身イタリア半島に
    乗り込んできたのには、もちろん彼なりの計算があった。
    戦いに勝ち続けていれば、ローマ連合も盟主ローマから離反し、
    寝返ってくる都市が続出すると踏んでいた。
ところが、ハンニバルの予測に反して連合軍の連帯は強固であった。
ローマが長年かけて造り上げた「政治的建設」は、ハンニバルの心理作戦でも
揺らぐことは無かった。
                       茶でも!~~旦_(-ω-`。)
《スキピオ登場》
         (字数の関係でカット、2008年05・08)

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2005年05月07日(土)
1495, いま・現在についてー3
 「どうせ死んでしまう」−     −読書日記

「どうせ死んでしまう」ーいまの生成ー 
というコーナーに、「いま」について深く掘り下げてあった。
「一つの連続的自然現象を多様な関心に従って多様に区切る仕方」という言葉が解りやすい。
  
    ー面白そうなところを抜粋してみるー
P−39
 ー「いま」の生成
すべての科学(大脳生理学・心理学・物理学等々)は
現在と過去との差異性を塗りつぶすことによってかろうじて成立している。
・・・・・・・「いま」は△T1というような一定の時間を指す概念ではない。
「いま」は一つ前の「いま」という相関ではじめて意味を獲得する。
この「いま」をえぐり出すことは、とりもなおさずその外に一つ前の「いま」をえぐり出すことである。

今日を「いま」としてとらえることは、昨日を一つ前の「いま」としてとらえることである。
今年を「いま」としてとらえることは、昨年を一つ前の「いま」としてとらえることである。

「いま」とは、自然現象ではなく、
一つの連続的自然現象を多様な関心に従って多様に区切る仕方なのです。
「いま」の出現は、互いに否定的な二つ(いまに対応した未来と過去)の
「いま」の出現にほかならず、そこにはお互い否定的なものを繋ぐ作用が必要である。
それが想起であり、その想起の主体こそが「私」なのだ。
つまり、「私」は知覚においては登場してこず(川を眺めているあいだは「私」は登場してこない)
川を眺め終わって帰る時に想起したときに初めて登場してくる。

正確な知覚能力を具えているが(エピソード記憶に対応する)想起能力の
完全に欠如した生物を考えてみよう。彼は次々と知覚しその内容を記録する。
しかし、次々と忘れていく。彼は自分が記録した内容を過去の事象として理解することができない。
そこに日付があったとしても、それが過去の日付であることを理解できない。
つまり、彼は連続的な自然現象を正確にとらえることができても、
そこに「いま」と「いま」の楔を打つことができないのである。
そういう彼は「私」という意識をもたない。
 −−−−−−−
 
以上が、「いま」を哲学的に書いてあるところである。
「いま」は、過去の上によって初めて成り立つ、と解りやすく説明している。
そして、「いま」は想起能力がなければ存在し得ない。
「いま」を大事にするということは、過去を大事にすることになる。

過去を想起し得てこそ、「いま」が存在をする。それからみると、日記は「いま」にとって
大きな要素になる。文章として書き残すことは「想起のための楔としての記録」になる。

「いま」の意味を、もう少し納得するために記憶喪失を例に考えてみる。
先日レンタルDVDで観た[記憶のない男]の姿の中に[いま]の希薄をみた。
彼の「いま」は全く過去を持たないため、虚空を彷徨っているようであった。
その「いま」は小さな点ーエネルギーでしかないように見えた。
過去の「いま」の積み重ねをバックに持ってこそ、私の「いま」がある。
それは、未来に対しても同じことである。深い過去をもってこそ、深い「いま」が存在をしてくる。
「いま」だけが全てではないのである。
                     ーつづく
・・・・・・・・・・
2004年05月07日(金)
1130, 「ライフレッスン」−11
 ー 許しのレッスン

誰も人生には、八つ裂きにしても許せない人間は何人かいる。
そして、自分も、他の人間にとって、そのうちの一人になっている。
相手を許すということは、けっきょくは自分を許すことである。
許すということは、自分の内面の魂の問題のかかわってくる問題である。
「ならぬ堪忍、するが堪忍」であり、それは自分を如何に納得させるかの折り合いの問題でもある。

許すというのは、ある意味で奇麗事なのかもしれない。
しかし、その奇麗事は最も大事ではなかろうか。許しは、主体的なことである。
許そうと努力していれば、そのうちに忘却の彼方に消えていくものである。
残ったとしても、自分の記憶には「許し」という言葉が包んである。

ー以下は抜粋であるー
・人生まっとうにしようとするなら許すことを学ばなければならない。
許しは苦痛や傷を癒す方法であると同時に、ふたたび他者と自己を結びつける方法である。
わたしたち全員が、他人を傷つけたことがあったはずだ。
問題は傷つけたり傷ついたりすることよりむしろ、その経験を忘れられないこと、
それを忘れようとしないことである。傷の痛さはそこにあるのだ。
わたし達は傷をためこみながら生きているが、その傷を手放す方法はだれからも
教わっていない。許しを必要とされる理由はそこにある。

許す人生を選ぶか許さない人生を選ぶかは、その人が決める問題である。許しは自愛的な行為といえる。
許さないということは、むかしの傷や怒りにしがみついているということである。
恨みの感情に栄養をほきゅうして、過去の不幸な部分を生かし続けることである。
許すことができなくては、自分自身の奴隷になるしかない。

・もうひとつ許しの障害になっているのは、報復してやりたいという欲望である。
報復という低次元な行為をした自分にたいして、あとで罪悪感をもつことになる。
自分を傷つけた人に対する攻撃的な行為が,けっきょくは自分を傷つけるのだ。

ーー以下は字数の関係でカットしてます。
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2003年05月07日(水)
763, 地方差別

 東京では、地方出身者は田舎者と露骨に差別される。
学生時代に東京に住んでみて、驚いたのが地方差別であった。
解らないでもないが、都会生活での初めてのカルチャーショックであった。
今でも海外旅行のパックの同行者の意識で驚く事がある。
それも強い負け犬の立場の人?に露骨に顕れている。

 一番面白かったのが「ケニアのヌーの河渡り」であった。
都会のハイミス・ゴールドミス(グランド・オールドミス)がすざましい
ひと達だった。具体的には書きたくないが、その傷口の血は濃厚だ!
もう二度と、その血を浴びたくはない!洗っても数年は落ちないほどだた!
自分のプライドを守る為に弱者を探すと地方差別が一番手っ取り早いのだろう。

 何処かのヨーロッパの空港の待合で、江戸っ子の職人風の父子がいた。
話しかけたら「貴方は地方?それとも東京出身?」と聞いてきた。
新潟と答えたら、一切話をしないで露骨な可愛い差別を始めた。こんなものである。

学生時代に外国旅行に行った時、ある同行の女性が思わず本音が出た。
「最近帝国ホテルも、地方のお上りが多くって質が落ちていますわ!」
その一言で最後まで嫌われて、総スカンをくらってしまった。
「父親は同行の女性の会社の子会社の下っ端の役員でしかないないのに!」とすぐに陰口が入ってきた。
結局はすべては「コンプレックスの隠しの芸の追求」が人間の本質なのだろう。

「お上り」という言葉が、典型的な軽蔑言葉だ。地方差別を書くこと自体がタブーでもある。
公平という意味でー平等でなくー差別をされても仕方がないのも解るが!?
毎日二つの街を通っていて、長岡と新潟でさえもあまりに違いすぎるのは事実である。

「都落ち」という言葉もあるとおり、特に都会で生まれ育った人間は
地方に住むということはアジアの何処かというくらいの響きがあるようだ。
アメリカのニューヨークなどは、もっと複雑に絡んでくるという。
民族や人種や宗教や収入や肩書きなどで露骨の差別があるという。

まあどうでもよい田舎者の話だが。

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2002年05月07日(火)
399, 末っ子はつらいよ

8人兄弟の末っ子である立場を書いてみる。少年期まで、末っ子は上からの虐めがきつい。
特にすぐ上の2人のそれがきつい。常に気を張っていなくてはならないのがその宿命だ。

食事も気を抜くと自分の食べ分がなくなる為、早食いが癖になってしまう。
常に周囲の情勢を把握していなくてはならない。
誰かに聞いたが、多くの兄弟で育った末っ子は社長に向いているそうだ。
他人の気持ちを常に読んでいなくてはならない事が、それに向くのだろう。
それと結婚の相手は長女がいいと最近聞いた。たまたま家内がそうだった。
そういえば知人のW氏も長姉もその組み合わせだ。上手くいっているようだ。

そういえば過去に惹かれた女性は長女で、A 型で、160cm、おっとりしたタイプが多かった
ー今もそうだ。末っ子は口が堅くなくてはならない。それぞれの兄姉の秘密を知ってしまうからだ。
万一告げ口をしたら、袋たたきにあってしまう。家族はまず出会う初めての社会だ。

・・・・・・・
2001年05月07日(月)
ユニクロが面白い

半年前に自宅の一^二分のところできたユニクロがますます面白い。
とにかく体形にフィットするー着心地がよい。それと安い。
土日曜は開店から閉店まで客のとぎれることはない。’服は服装のパーツである’という
考えのもとの品揃えがはっきりしているのだ。
あそこまで客に支持されるのは、普段着と重ね着のサブに徹している為もある。
今まで腰まわりだけのサイズのズボンしかなっかた。 今は股下のサイズもヨウイしてある。
ウエスト79のサイズの股下80と70とでは当然形が当然形が違ってくる。
今まではそれだけ種類が増え在庫が増えてしまうという川上の論法ででつくられなっかったが、
売れ筋を 絞り込む事と在庫管理の徹底で用意すれば安いコストでそれぞれの人が着やすい品を
提供できる事が彼らに解ったのだ。本当の意味での顧客サイドの商品つくりがおこなわれていなっかたのだ。
その意味で当分ユニクロの一人勝ちは当分つつくだろう。

−以前書いた私の文をコピーしておきます。
H1211 事業百訓−ユニクロ現象について−
  ー字数の関係でカットしてますー


2589, 日本の真実

2008年05月06日(火)


  「ドル覇権の崩壊」と「連鎖する大暴落」の警告が、あまりに当たっているので、
   副島隆彦の「日本の真実」を、アマゾンで買って読んでみた。
  「日本はアメリカの属国、日本の支配者層は、その傀儡の売国奴でしかない!」と、
   辛らつに切り捨てている。 また、そう直視すると見えない真実が見えてくる。
   角栄や栄作など、隷属国家の悲哀を一番良く知っているのだろう。
   角栄と、福田赳夫がアメリカに呼びつけられて、ある人物に大声で怒鳴れれている現場の
   生々しい話を聞いたことがある。二人が震えていた姿が痛ましかったとか・・・
   しかし、その御陰で、アメリカ型消費社会を享受することが出来たのである。
   その毒饅頭のおかげで、脳までやられてしまったのが現在の日本の有様である。
 −まずは、その概要からー

最高支配層だけが知っている 
 日本の真実         −副島 隆彦 (著)

 ー表紙裏の「著者からのコメント」が面白い!ー
本書が提供するのは「日本の最高支配層の人間たちだけ」が知識と情報として占有し、隠し通し、
一般国民には絶対近づくことをさせなかった諸事実である。
なぜ一般国民には大きな事実が知らされないのか?
その理由は、現在の世界覇権国であるアメリカ合衆国の属国群のひとつであり、
しかも属国の優等生として卑屈極まりない現状にある私たち日本国の支配層の人間たちが、
帝国からもたらせれる高度の情報と知識を独占することによって、
それら最高情報が生み出す価値を自分たちだけで享受し、そのことから来る圧倒的な優位性によって
国内権力者層として存在しているからである。だから、これらの秘密を公然と暴き立て、一般国民に知らせ、
広めることが、私たちの日本国にどうしても必要なことである。
そうすることで、一方で帝国から常に脅され、脅かされている現在の惨めな彼ら指導者たちと
一般国民の間に壁が消えて、日本人が一致団結して、国難に立ち向かうことができるのである。
「編著者のことば」より

  ー目次
1 安倍晋三の奇怪な変節と「ザ・カルト・オブ・ヤスクニ」
2 大衆世論を操縦せよ!―「郵政洗脳選挙」と「広告プロパガンダ代理店」
3 遅れて来た「拝金主義」―外国勢力に踊らされ続ける日本人
4 日本銀行はロスチャイルドがつくった―明治日本のドンは、仏ロスチャイルド家の承認を受けて日銀を設立した松方正義である
5 世界の歴史をカネで動かす男たち―国際エスタブリッシュメントの金融支配
6 秀吉の金、信長の金―イエズス会の黄金輸入利権と「銀の島」日本から流出する銀
7 女王陛下の明治維新
8 日本海海戦はイギリス海軍の観戦武官が指揮していた
9 ロックフェラーが仕掛けたウォーターゲート事件
10 「ロッキード事件」におけるザワザワとひろがる真実
11 「愛の思想」で新自由主義から身を守れ
 〜〜〜〜

ー要点の何箇所か書き写してみるー
・「第二次大戦以前はイギリス、後にはアメリカという覇権国家を実質的に牛耳る世界の金融を支配している人たちが、
 自分達の利害計算に基づいて、中央銀行(つまり通貨発行権という絶大な権力)を手中にし、マスコミを操り、
 政府中枢にも直接的・間接的に自分達の意に沿う人材を送り込み、その覇権国家を意のままに動かして、
 戦争と、謀略や外交その他戦争以外の手段を用いさせ、彼らの政治目的(利益の永続的獲得)を達成するために
 行動して来たのが、この世界の近現代史」
・「現在の日本国政府首脳がアメリカ合衆国の首都のワシントンで行なっている。
 日本はアメリカへの朝貢国であり、属国である」
・「紀元前後からの二千年間は中国歴代王朝の藩国・冊封国であり、
 ペリーの黒船来航以来の百四十年は、アメリカと西欧列強の属国であった」
  〜〜
 そのアメリカがサブ・プライムローンで、これから十年は大不況になるのだから、
 日本は、最悪の状態を覚悟しなくてはなるまい。
 バブル崩壊の後の惨状より、さらに厳しい事態になる、ということである。
                
・・・・・・・・・
2007年05月06日(日)
 2224, 自分の居場所ヽ
         (★>з<)o○[ォハヨ]○o(>ε<☆)ノ    
  
昔から、どの世界に行っても「自分の居場所のつくり方」は上手い方であった。
八人兄弟の末っ子と、商家の生活環境もあって、大所帯の中で独りで
自分の居場所を何時もつくっていたためである。
その条件が、誰とも就かず離れずの間隔を幼児時期から身に着けさせていた。

人間は、両親との人間関係の相性が人間性のベースとなる。
両親の愛情をたっぷり受ければ愛情に満たされた人間性になる。
両親の不仲の中で愛情が空回りになった子供は愛情不足になる。
その不足を友人や恋愛相手に求めてしまい、バランスが崩れてしまい、
自己嫌悪になるケースが多い。その根本が、親への愛情に対する不平不満である。
愛情不足の人は、何時も自分の居場所に不安を感じとり、何処かに母の存在を
求めて居場所の確保追われることになる。(これは当人は気づいてない)
その確保を探し求めても、所詮は虚構を求めているだけでしかない。

その解決は自分でしか出来ないが、「まあ、しょうがない!居場所は居直る心の状態しかない!」と、
自分の心の奥で悟るしかない。その心の在りかたが、解決になる。
それは「あるがままの自分を受け入れるしかない」開き直りである。
自分がつくり上げてきた自分の過去の決断・行動を全て受容することになる。
その気持ちが、「自分の居場所にいる心のあり方」と同じ心理状態となる。

たったこれだけのことが解るのに、何十年の人生の旅が必要であった。
反対に親に自分をからみ取られて、母親というウバンマに一生を犠牲になるケースは、その辺の
マザコン息子や娘がザラにいるだろう。60歳過ぎたら、自分の人生は無かった?という虚無感である。
私の4人の姉は、両親の強烈な影響の下から抜け出ることが出来なかった。
そういう私も似たようなものだが、私の場合積極的にその影響を受容した?から、
後悔はないが・・・。
----------
ところで、上記は深い意味の自分の居場所について論じたが、いままで具体的に?
 居場所づくりとして何をしてきたかというと、
・まずは飲み屋か、酒飲み友達を探す。(見るところ、それが異性であったり、喫茶店だったり、
 人によりそれぞれ違う。)
・次に座り机と座布団と、本棚と愛読書、蛍光電灯である。
 その時どきによって違うが、宗教書などの心のよりどころになる愛読書を置く。
 現在でも通勤の往き帰りの鞄の中に、4冊以上の本を携える。
 座った席がそれだけで、自分の居場所になってしまう。
・そしてコーヒーのセット。
・次に探すのが、昼飯の行きつけの店と本屋の確保である。
 意識しようがしまいが、誰もが多かれ少なかれ同じようなことをする。
 
私は群れるが嫌いなので「会」は極力出ない。その反面、一対一か、3人まで会には出るようにしている。
地方で、特に新潟で一対一で話せる価値観を共有できる人との出会いは少ない。 

面白いものが出来たものである。これは、また違う機会に・・・・
                 ☆^(*・ω・)ノ~~~βyё βyё♪

・・・・・・・・・
2006年05月06日(土) 1859, 体罰は教育?
              才八∋ウ_〆(∀`●)

昨日のモーニングショーで、最近釈放されたばかりの戸塚ヨットスクールの戸塚宏氏と
タレント系?のヤンキー先生の討論をしていた。ミスマッチといえるほど戸塚氏の方が一方的な内容で、
老教授が若い学生を教えているようであった。
(ヤンキー先生=ヤンキー上りが売りで生徒をみちびく教育をしている)

   「目的は、体罰そのものではない!体罰は本人の行動を導く為の一つの手段でしかない。
    親がとことん力を尽くして、それでも無理な子供を作り直している」等々、
    聞いていて一言一言が深い経験を通して得た理論だけに、説得力のあるものだ。

ヤンキー先生の彼なりの手法もあるのだろうが、二人の経験の量と質の差は致し方ない。
戸塚氏の「自分のところに入れて鍛え直して、親を超えさせて家に帰すことだ」という言葉もよい。
親そのものに問題があるのだから親を超えさせないと、一時しのぎになってしまうからだ。

    最近の若い人は、親から怒鳴られたことがないのが多い。
    研修期間で、少し厳しいことを言うと荷物を持って帰りかける。
    社会教育は本来家庭で親がするものだが、最近では会社がせざるを得ない。
    
 『日本よ』で掲載されたものである。 同感である!
  ーー
    2006年4月3日発売の産経新聞より転載 産経新聞社HP http://www.sankei.co.jp/
                  まあ茶でも!~~旦_(。-_-。)
ー 日本よ −
 石原慎太郎
「失われようとしている子供たちのために」

 生徒の死亡事故の責任を問われ服役していた戸塚宏氏がこの四月に刑期を終えて出所してくる。
 
 (以下、字数の関係でカットしました。2008/05/06)
                   ヾ(^ω^*) バイ
・・・・・・・
2005年05月06日(金)
1494, いま・現在について−2
「どうせ死んでしまう」−1  ー読書日記ー         
 ー私は哲学病ー

究極の、刹那的な言葉といえば[どうせ死んでしまう]である。
「これを言っちゃーお終いよ」という言葉である。しかし、尽きるところ、それである。
「いま」を考える時、キーワードとして「永遠」がある。
しかし、「どうせ死んでしまう」という言葉を考えると「永遠」と「いま」という言葉に行当たる。

生は限られている。所詮はどうせ死んでしまうのである。
それがハッキリしているから、いろいろな問題が発生するのだ。

個々人にとって、自分の死が基点になる。自分にとって自分の死が大ごとで、全てといってよい。
目前に死を覚悟した時、「いま」という瞬間に気持ちが集中する。そして、その一瞬一瞬に永遠を感じる。
最後と覚悟した花火や花見の中に永遠を見るのである。その死にたいして誰もが根本的に不安がある。
その不安はどこまでも付きまとうものである。

その不安に対して、宗教が昔から死の向こうに来世を設定をして人々の心に秩序を与えようとしてきた。
しかし、来世だけでは理屈に合わない。現世にも秩序ある生と死の意味をつくらなければならなくなった。
哲学は、それを言葉で徹底的に追求しなくてはならない。
この人(中島)の哲学視点はリアルで露悪的であるが、その辺が私は好きなのだ。

以下は、面白そうなところを抜粋してみた。この連休の暇つぶしに、パソコンに打ち込むのに丁度良い。

ーーーーーーーーー
・・学問や芸術に専念しているものたちよ、あるいは社会的に有益なことをしていると自覚している人々よ、
なかでもその仕事が世間的にわずかでも評価されて幸せを感じている輩よ、
いちどすべてを無理にでも反省してみたらいかがであろう。
そのために費やした膨大な時間(青春)は、はたして無駄ではなかったのか。
あなたがそれをする必要があったのか。あなたがしなければ、何か困ることでもあったのか。
あなたがしなければ、ほかの誰かが(ずっとうまく)し遂げたのではあるまいか。
つまり、その仕事は、あなたにとってのみ、あなたの生き甲斐としてのみ重要だったのではあるまいか。
  ー字数の関係でカットしました! 

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2004年05月06日(木)
1129, 「一生のうちにすべきこと、しなくていいこと」−2
 谷沢永一 2000/10/19『PHP研究所』 

二年前に書いた文章の続編である。図書館で借りてきて、返してしまったために中断をしていた。
先日おなじ本を借りてきて、以前書いたことを思い出し、検索をかけたところ、二年前に書いてあった。

『しなくてよいこと』は、『すべきこと』より知っておくべきことと、前の文章(あとでコピー)を読み返して、
つくづく思った。知っていれば、しないでよい苦労を避けることができる。こういう知識に対して無知の人が
あまりに多い。他人事でないが。『すべきこと』も、まったくそのとおりである。
ー以下は
「すべきこと、しなくてよいこと、してはいけないこと」の抜粋である。

ーすべきこと(抜粋)
 ・真の友をもつ
 ・人生設計を立てる
 ・生きるためのお金を得る
 ・本を読む
 ・夢をもつ
 ・感動
 ・人生のブレーンをもつ
 ・結婚
 ・趣味を持つ
 ・前向きに生きる
 ・一人旅
 ・音楽を聴く
 ・失敗を経験する 
  and etc.
 
ーしなくていいこと(抜粋)
 ・分相応
 ・世間体をつくろう
 ・他人と比べる
 ・出世競争
 ・嫉妬
 ・功績を誇る
 ・不正をただす
 ・自分の過去をクヨクヨ思う and etc.

ーしてはいけないこと(全項目)
 ・言行不一致
 ・頼み事
 ・金を借りる
 ・子供を私物化する
 ・自分がされたくないことを人にする
 ・運のない人とつきあう
 ・卑屈な生き方
 ・自分の欠点をかなしむ
 ・マイナス条件を数え上げる
 ・知識を誇る
 ・嘘をつく

ー後記
 ・お金を、知人から借りることは私の常識外なのだが、以外と平気で借りにくる人がいる。
 そこに甘さが、ありありと出ているのが本人には判らないのだろう。
 ・「運のない人とつきあう」これも然りである。 冷たいようだが、絶対に近づけてならない。
 必ず酷い目にあう。周辺の人を巻き込んでしまうのだ。自分が不遇の時は、逆に人に近づかないことだ。
 ・「知識を誇る」も、ひとつ間違えばしてしまうことだ。この随想日記も、それに近い行為なのかもしれない。
 自分の知識蔵庫として貯めこんでいるのだが、知らないうちに『誇って』 いるのかもしれない。
 「随想なんて、けっきょくは自慢話でしかない」と誰かが看破していたが。
 
・・・・・・・・
2003年05月06日(火)
762, あるホームページ

 (字数の関係でカット2,008年5月6日)
・・・・・・・・・
2002年05月06日(月)
398,新潟駅前界隈ー2

ほとんどの店(飲食店)が瀕死の状態である。止めるに止められない状態といってよい。
以前から私は個人で飲むときは、一軒目は3500円が最高限度である。
二軒目も4000円か5000円止まりである。
彼らに馬鹿にされたものだ「3500円までの男」とか言われて。

でも今は一般に3000円で9時までどう過ごすかが、一般の飲む基準になっているという、それも週一度。
店主の役割は「客の視線で店を見なくてはならない」が、彼らは自分の都合でお客を見ている。
殆どの店が死に瀕しても、その視線を捨てる事が出来ない。
さっさと潰れろといいたい、まさか目の前で言うわけにいかないが。

彼らに聞いた事だが、自分に生命保険をかけて失敗したら死んで借金を返す世界があるという。
飲食の世界はまだそういう信じられない世界が残っているという?
ママつきの店の売り物ー金ずるのオーナーが倒産ー
そうすると、そういうオーナー探しをする世界があるという。

一回だが何処かのママに言われたことがある「あのこオーナー探しているんだって、あんたどう?」
それが金があれば考えてもいいような絶世の美女! 違う世界の話しでしかない。

やり手のママは・実際の彼氏に・オナーに・お客数名の男を持ち、それを鵜のように使い分けるというが?
しかし意外と半数以上は真面目な実直の人が多い。永くやるにはそうでなくては続ける事が出来ないのだろう。

 以前新潟駅前を書いた文章をコピーしておきます。
  ーーーーーーーーーーーー
  H0603ゴネ社会のカラス達

 ラジオで鳥学者のカラスの習性という話題の中で印象的な話があった。
“牛の出産時に、ただ対象が弱味を見せている、というだけでおそいかかり、
時には牛が出血で死んでしまうケースが多々ある。”

この新潟駅前花園地区近辺は、ゼネコン関係者の間でも鬼門になっている位、
そのカラス的習性人種のたまり場で有名の地区という。
飲食関係者とかミニオーナー達が「自分達も何かゴネ社会でチャンスがあればタカってやろう」
とうごめいている。全く関係のないところまで出向き、口を出し?をせびる。
その為にそのカラス達は飲食組合や、町内会の役員をまずねらうという。

考えてみれば今の小物代議士(政治業界のたかり屋)と全く同じ手口だ。
今回の工事でもその代表的カラスが何匹かさわぎかけた。但し今回は比較的うまう納まったが。
第二増築工事の時は、近隣のオーナーに停年退職期のウサを、すべて工事妨害にたたきつけられてしまった。
(店子にあいさつに行きオーナーになかったという理由で)

隣地の工事等の妨害は相手は数十倍いや数百倍こたえる。
当然その怒りは形を変えて数倍も攻撃する事となった。隣地の攻撃は後ほど有利になるのだ。
これがわかってないから目前の相手を攻撃してしまうのだ。

“隣地境界は絶対に攻撃してはならない”あたり前の事がどうしてわからないのか。
人間の心の中にサド的なものが、悪魔が秘んでいると工事の度に思いしらされる。

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2001年05月06日(日)
ホームページの可能性

ホームページを開設して感じた事は自身の大きな変化の予感である。
貧しい?内面と過去の公開といってよい。特に日記の公開のこのコーナーは恐くおもしろそうだ。
もしHP−ホームページの改良を重ねていくと、数年後はおそらく最後にコピーした
久垣啓一氏の実感に近ずくのではなかろうか。個人の発信というのがこれからのキーワードなってくるだろう。
これに映像が加われば今の常識で考えられない世界が広がってくるだろう。どうなっていくか楽しみだ。
−>−>−> ホームページとは
                  (久垣啓一)
ホームページは、重層的な関係の中に浮かぶ開かれた自分そのものである。
ホームページは、情報への感度を飛躍的に高める。
ホームページは、豊かな時間を演出してくれる。
ホームページは、コミュニケーション能力を高めてくれる。
ホームページは、出会いと感動の宝庫である。
ホームページは、巨大なデータベースである。
ホームページは、巨大な渦巻きの中心である。
ホームページは、どらえもんの「どこでもドア」である。
ホームページは、生きる喜びを与えてくれる。
ホームページは、家族の関係を豊かにする。


2588, 閑話小題

2008年05月05日(月)


*パペット

パペットとは、手や指を入れて遊ぶことができるぬいぐるみのことをいう。
他には影の人物や国に操られる人間や国を指す。
日本などは、ある意味でアメリカのパペットとである。
以前に「新潟県を活性化する会」を何度かやらされたことがあった。
いい様に操られる猿回しのエテと気づいて、さっさと役割を降りたが・・。
3〜4回まで!と始める前に約束をしたが、それを了解をしておいても、
「縛り付けをして役割から抜けられなくなるのが世の常」
チャンと、そういう役割の英語「パペット」という専門単語があったのである。
それが仕事ならパペットとして納得するが。
地元のために発展を考える中小企業の社長という役の振り付けで、ボランティアだとか。
それを知っていて巧妙に役割に収めようというのも、その人の仕事なのだろうが、私は何の価値もない。
乗りかかる私も甘いが、いや三回ぐらいなら面白いと割り切っていたから、甘くはないか?
それ以上は絶対にやらないこと位見抜けなかったのか? いや、見抜けないか?
パーペットのサル。 そういえば、周りに多い。パーのペットということだ。
地方大名に多いが。 実際には利権が絡んでいるのだろうが。
ということは、私に利権が無かったということだ。
無いから出来ることもある。 政治がらみのことはお断りであるが、
普段は垣間見ることの出来ない面白い世界の一端が何とも愉快であった。
でも東京駅からの直接の日本海乗り入れの新幹線、造っておくべきだったことは間違いないことである。
   歴代の政治家の怠慢である。そして現在の政治家も。
 〜〜

*HP開設、まる7年!

昨日で、このHPが開設して、まる7年になる。
これを作った直後から「ブログ」なるものがアメリカ発で、ブームになった。
個人用HPで、キーワードで互いにネット上でリンクするもの。
5年もしないうちに世界中の数千万、いや数億?のブログが出来上がってしまった。
これに「Web2.0」という情報公開の流れが出来て、あらゆる情報がキーワードで
簡単に得ることが出来るようになった。そして、これが世界を根底から変え始めた。
ウェブの世界は、時間とエネルギーをかけることしかない。それと奥行きが深い。
「自分をグーグル化せよ」といっても、そのグールの世界は私のレベルから見たら魔界といってよいほど、
深く迷路のように感じるのである。 実際に情報革命の先に何が起きているかも訳が解らないほどである。
IT格差という言葉を目にするが、間違いなく情報量の質と量が、圧倒的に変わった。

・・・・・・・・・
2007年05月05日(土)
2223, HP開設、6周年
          [○´・ω・]ノオハヨウ!

毎年のように、開設記念日に感想を書いていた。今年も二日遅れになるが書くことにした。
実のところ、全エネルギーを入れて書き続ていて複雑な気持ちがある。
ネタ(テーマ)を選ぶだけで神経を集中せざるを得ない。
それと、ネタ切れになるので、何処かからネタを探してこなけかればならない。
しかし良寛の発句「焚くほどは風が持てくる落葉かな」の、落ち葉と同じように
何時の間にか湧いてくる。その感覚とスリルを楽しまないと続かない。

考えつく全てを吐き出して何も書くことが無くなれば、その境界の外に出ざるをえない。
それが、この随想日記を書き続ける一番のプラスになる。
書くために読む、書くために考える、書くために本を買う、そして借りる、そしてウソも吐き出す。 
それが限界という塀の上にいるから見えてくる。 こういう日常を六年間続けていると、
他人の脳が合せ鏡で見える瞬間がある。「考えること」を殆んどしていない?と・・・
自分が経験したこと、そして知りえたことの範囲が、そのままバカの壁になっている。
書くという行為は、そのバカの壁を自覚させてくれ、脳の底ー本質を刺激する。

書くということは、考えるということである。誰もが考えるだろうし、書いているだろうが、
更に書き続けることがー考え続けることが如何に大事かということが6年間の経験上、身に沁みて解った!
業際(ごうさい)いや限界を、それぞれの人生経験と知識で乗り越えるかが、
バカの壁を乗り越えるポイントになる。この程度で思っているのだから、何をか言わんかだ。
そろそろ、ブログに移行過程に入る時が来たようだが・・・

ブログというロングテールがドンドン大きくなっているが、それが、世の中の根底を更に変えている。
ブログがどう進化するかが、見ものである! ビデオか?ライブ映像か?はたまた、映像チャットか?
                          byebyeヽ(o・ω・o)ノ
・・・・・・・・
2006年05月05日(金)
1858, ローマから日本が見える−10
              ォ'`ョ━━(。・∀・)ノ゙━━ゥ★
この本を読んでいると史実を読んでいるというより、壮大な歴史小説を読んでいるようだ。
一人一人がそれぞれの立場をわきまえて役割をこなしている。
当然、ローマに敵対する英雄もいる。カルタゴの英雄ハンニバルである。
まずは第5章のハンニバルの挑戦 の概略を抜粋する。

ー第5章 ハンニバルの挑戦 −1

ポエニ戦争や、ハンニバルを書いていたら中途半端では終えることができない。
当時のローマ(BC264年頃)のローマは地中海では新興国もよいところ。
ようやくイタリア半島を統一したまではよいが、もとが農牧民族のため航海術さえ、ろくに知らなかった。
ましてや海を渡ってカルタゴを征服など夢にも考えたことがない。そのような時代にポエニ戦争が始まった。
当時の地中海ではカルタゴは圧倒的な力があり、経済力の差は全く違っていた。

   それでは何故大国カルタゴと新興のローマはポエニ戦争を戦うことになったのか?
    イタリア半島の先にある、シチリア島であった。その半分の支配下にあったカルタゴが、
    残りの半分を支配下に置こうとしたことが、きっかけになった。
    もし、全島を支配下にカルタゴが置けば、ローマの防衛体制が瓦解する可能性があった。
{著者の塩野のいうとおり、ポエニ戦争を軽く書き飛ばすことなど不可能なので、
 なぜカルタゴのハンニバルが強かったのかを書いてある部分を抜粋してみる}
(字数の関係でカット2,008年0505)

・・・・・・・・・・
2005年05月05日(木)
1493, いま・現在についてー1

「人生の贈り物」ー読書日記

「ゾクゾクするような生き方ができないのはなぜだろう。」「一日一日が何かが足りない。」 
「なんだか面白くない。」多くの人が、そう思っているようだ。
そのような人に、大きな「ヒント」をあたえてくれる本である。
 ー大筋を書いてみるとー

少年がいました。ある日、老人から不思議なプレゼントの事を聞きました。
「かけがえのないプレゼントだよ」「それは、贈り物なんだ」と老人はおだやかに言いました。
少年は若者となりかけがえのない贈り物を捜しつづけて、かけがえのないプレゼントとは、
プレゼント=現在のことだとわかったのです。過去でもなく、未来でもなく、かけがえのない現在ということです。
現在の瞬間というのは、常にかけがえのないものです。

それがまったく完全なものだからではありません。完全に思えないことの方が多いくらいです。
現在がかけがえのないのは、その時点では、それがすべてだからです。あるのままの状態が。
現在とは、ありのままということで、それがかけがいのないことなのだ。
なぜそうなのかわからなくても。現在は、そうなるべくしてなったものなのだ。
その現在を知り、現在を受け入れ、現在を生きるなら、満ち足りて、幸せになれる。
苦しみとは、ありのままのことと、望むことがくいちがっているということだ。

思いどおりにいかなかった過去を悔やみどうなるかわからない未来を おもいわずらうのは、
現在を生きてないということだ。 それは、みじめで、不幸なことだ。
過去もその時は現在であった。そして、未来も現在になる。現在の瞬間こそが、経験できる唯一の現実なのだ。

現在にとどまっているかぎり、永遠に幸せでいられる。永遠も、常に現在なのだから。
私がさがしていた、かけがえのないプレゼントとは、ただ、いま現在あるがままの自分のことだ。
それはかけがえのないものだ。
かけがえのないプレゼントは、自分から、自分に与える、かけがえのない贈り物なのだ。
自分というのはかけがえのないものだから。自分こそ、かけがえのないプレゼントなんだ。

−−−−−−−
以上が、大筋で結論である。この本は70ページ足らずのシンプルの内容だが、一番大切な「いま・現在」
の大切さを述べている。「いま・現在」こそ、永遠である。「いま」までの「いま」の積み重なりが自分である。
その「いま」というプレゼントを、その時その時に大切にしなくては、「自分というかけがえのない人」
に申しわけが立たない。

たまたま同時に借りてきた 「どうせ死んでしまう」という哲学書に「いま現在」について
解りやすく書いてあった。近々に、中島義道の、この本の読書日記を書いてみる。

・・・・・・・・・
2004年05月05日(水)
1128, 「ライフ・レッスン」ー10
ー忍耐のレッスン

「耐えることは信じることー信仰をもつことーに似ている」という著者キュープラ・ロスの言葉がよい。
耐えることによって、その信仰は深く強く根を地中深く入っていく。
『石の上にも三年』も、耐えることの重要性をいっている。
耐えることによって、はじめてレッスンにまで高めることができる。
『耐えがたきを耐える』のが忍耐になる、いずれは、うまくはいくのだからという信念をもって。
忍耐にも、じっとしているべき時にじっとしている忍耐と、積極的に立ち向かいながら耐える忍耐がある。
また絶望に中で、その絶望を受けいれる忍耐がある。それぞれの忍耐を経験するのも人生では必要なことだ。

ー以下は抜粋である

・忍耐の要諦は、すべてはいずれはうまくいくものだと悟るところにある。
宇宙の計画を信じる力を養うことだといってもよい。でも、その悟りはすぐに忘れられる。
だからこそ自分が思うとおりのタイミングで進行させるべく、状況をコントロールしようとする人が多いのだ。

・忍耐はある意味で、筋肉のようなものである。普段からつかってないと、
いざという時に役に立たないものだ。日常の生活の中でささやかな忍耐の筋肉を使ってなくては。

・「結果でなくてプロセスを大事にすること、自分の感情とつきあうこと、
起こっている事態が送ってくるメッセージに耳を傾けることを学んだみたい。
宇宙の力と自分自身の力を信じることもね。自分の中にこんなにつよい力があり、
必要なときにそれを使うことができるなんて、考えてもなかったもの。
何を変え、何を受け入れるかも学ぶことができたみたい。」

・人生は経験の連続だ。たとえそのときの自分がわからなくても、すべての経験には理由がある。
何らかのメッセージがある。だが、いらいらして「これはまずいぞ!この事態を変えなくては!」
と思っているうちは、そこからレッスンを学ぶことはできない。現におこっている事態を否定したり、
泣言をいったり、変えようとしたりするのでなく、黙然とそれを経験すればよい。

・時間は楽しむためにあるって思えるようになったんだ。そう考えれば、楽しいことはいくらでもある。
この世界には力がある。みえなくても、気づかなくても、すべてのものごとは善の方向に向かっている
ことを信じてほしい。それが信仰というものである。耐えることは信仰を持つことと同じことなのだ。
いかなる状況、いかなるときにあっても、宇宙があなたの人生にもたらすものは、
あなたがそうなることになっているような人になるために必要な経験である。
真実の鍵は信じること・・・耐えることにある。
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【-忍耐について-】

・忍耐は仕事を支えるところの、一種の資本である。 −エドマンド・バーク
・天才とは強烈な忍耐者である。          −トルストイ
・艱難は忍耐を生じ、忍耐は練達を生じ、練達は希望を生ず。
                          −「新約聖書-ロマ書5章」
・忍耐――肉体的な小心と道徳的勇気の混じり合い。  ーハーディー
・堅忍という美徳は、しばしば頑固と混同される。   ーコッツェブー
・君の心の庭に忍耐を植えよ、その草は苦くともその実は甘い。−オースティン
・我々は現在だけを耐え忍べばよい。過去にも未来にも苦しむ必要はない。
 過去はもう存在しないし、未来はまだ存在していないのだから。 −アラン
・重要な事はなにを耐え忍んだかという事ではなく、いかに耐え忍んだかという事だ。
                           −セネカ
・世の中の事はなんでも我慢できるが、幸福な日の連続だけは我慢できない。
                           ーゲーテ
・忍耐――それによって凡人が不名誉な成功を収めるくだらない美徳。
                           −A・ビアス
・大いなる精神は静かに忍耐する。           ーシラー
・現在我々は悪い時期を通過している。 事態は良くなるまでに、恐らく現在より悪くなるだろう。
 しかし我々が忍耐し、我慢しさえすば、やがて良くなる事を私は決して疑わない。
                           −チャーチル
・立派にやり遂げたことに対する最大の報酬は、それをやり遂げたことそのものにある
                           −ボルテール
・・・・・・・・・・
2003年05月05日(月)
761, 歌は過去に向かって歌うもの

「歌は過去に向かって歌うもの !」先日Tvで歌手の「さだまさし」が何気なくトークでいった言葉だ。
なるほど言いえて妙である。すべての歌は思い出のメロデーになるのか?

心を込めて歌うとは、その過去にタイムスリップをして歌うことである。
それは過去の喜怒哀楽に対して歌うということだ。
それぞれの歌にはその時代の背景と、それぞれ人の人生がある。
また情念を瞬間冷凍をする。その意味でいろいろな歌を振り返ってみると、過去が地の底から浮き上がってくる。

特に幼児の頃に聞いた童謡や流行歌は魂の故郷といってもよい。
その時の光景を思い出して歌ってみると、その時の記憶がどんどん湧き上がってくる。
美空ひばりは歌っているときは、過去のその時の世界に入りきっている!

また、青春時代の失恋など、それぞれ生きてきた時代ごとにの歌があった。
人生のバックグランドミュージックといってよい。
笑いと歌には、心というよりもっと深い魂の世界で、行蔵のラベルでもある。
それでは「こんにちは赤ちゃん」は過去に向かって歌うのか?というが、
むしろ母親が、あとの思い出としての歌うのほうが、心いや魂の歌になる。

私が生まれたのは第二次世界大戦の終戦直後である。ラジオで復員兵の名前や尋ね人のコーナーがあった。
それと同時に、「異国の丘」とか、「上海帰りのリル」「みかんの花」が流れていた。
幼児期の記憶は希薄だが、歌だけは記憶にしっかり残っている。
青春期はポップスの黄金の昭和40年代であった。
いま聞いても本当によい歌が多い。高度成長期の時代背景があったためである。

60歳までは過去を振り返らないことにしているが、もう数年で、その歳になる。
カラオケに手を出して失敗した時の歌や、NTTの株で失敗した時に涙をして憶えた歌など
「一曲数千万円」もした歌がある!たくもう、高くついた!
話は少し変わるが、歌の先生をしていた一番上の姉の正子さんが、
ある時「人間は歌うとき、自分の肉体は楽器なのよ!」と何気なく言った事を思い出した。

・・・・・
2002年05月05日(日)
397, たとえ話ー人間の姿を犬に例えるとシビアなわけ?

以前も書いたが、たとえ話はより深い真実をあらわす。犬のたとえがシビアである。
犬は狼を数千年かけて、人間の都合のよいように作り上げた動物である。(人間に絶対服従の性格に)
社会もしかり、権力者が自分に都合のよいように作り上げた制約社会である。
イスラム教のアラーの神はその発明の典型といってよい。
砂漠の中で規範が必要であった、それだけだ。宗教は一番権力者に利用される。
キリスト教は未開発国に放たれた尖兵ー細菌であった。

論語もしかり、孔子が権力者に自分を売り込むための教えである。
鼻声で唱和するのも、歳をとってからならよいだろう。
人間は従属しか出来ない哀れな猿でしかない。人間の95佑禄沼阿鯔召鵑任い襪箸いΑ

したがって狼を犬に創りあげた人間を、逆に犬に例えるとより本質的になる。
「番犬、野良犬、捨て犬、雑種、負け犬、闘犬、噛まし犬 、狂犬・・・」
 あまりにシビアに人間の被支配性の本質を顕している。
 
ー番犬のような男、野良犬のような男、座卓犬のような人間、牧羊犬、しかしそれが自然の推理なら、
それに従うのが人間の姿である。 それに気づいているかどうかである。
話が変わるが、ハワイでの事、現地のガイドが日系兇了をバナナと言っていた。
外が黄色で、内側が白(白人)、いい得て妙であった。

いまの日本人は正しくそうだ。日本人のキリスト教信者もそういえる。
白人の仏教信者は白瓜、アメリカの黒人は茄子か。

・・・・・・・・
2001年05月05日(土)
連休はパソコン・ウオーキング・TV・外食三昧

連休はパソコン・ウオーキング・TV・外食三昧 である。
もっとも連休でなくても、そうであるのが可笑しいが!大型連休はほとんどそうだ。
以前は会社の自分の部屋までわざわざ行っていたが今は自宅で過ごす。
特にパソコンとBSーTVが暇を充分満たしてくれるためだ。
1ヶ月後に秘境ツアーに出かける為、極力節約する。

1日1回居酒屋かファミリーレストランからーめん屋に出かけける事と、図書館に行く事が
リズムをつくるみそである。ここでインターネットとホームぺージが特に面白くなったのも、
さらに連休の過ごし方を快適にしてくれる。


2587, 幸福大国ブータンから、幸せとは何かを考える

2008年05月04日(日)


 国民の97%が幸福と実感し、 自殺者ゼロの国、
40年前には国土の5割以下だった森林面積が、現在は7割以上に回復し、
経済成長ではなく「国民総幸福」を国の指標とし、独自の「豊かさ」を目指すブータンという国がある。
数年前にTVのドキュメントで見て気になっていたが、図書館で、この国の第四代国王王妃が、
その国の素顔とブータン人の死生観などを書いていた本を見つけ早速読んでみたが、
 何とも心の豊かさが滲み出ている内容であった。
 
 ブータンの幸せ指数世界一だが、物資や食料の欠乏は、心の貧困には繋がらない証明になる。
物質社会・競争社会に溺れる日本人は特に、学ぶ必要がある。
ブータンの国語・ゾンカには「幸せ」を意味する言葉はないという。
それでも国民の97%が、「幸せかどうかと言われると、決して不幸ではない」と答える。
経済的な豊かさを手に入れるためには、いろいろなものを手放さなければならない。
その手放してしまったものが何か充分に考えてみる必要がある。
 ブータンの存在そのものが、物質社会、競争社会へのアンチテーゼになる。
 〜〜
インターネットで検索をしたら、次の紹介があった。
 ーー
 ブータンは、ヒマラヤ山脈のほぼ東端の南斜面に位置する小王国。
人口約55万、面積は九州をひとまわり大きくしたくらい(4万6000平方キロメートル)で、
緯度は沖縄とおなじくらいに位置します。 17世紀前半に、チベット系大乗仏教の一派(カギュ派)
の化身高僧によって国として統一されてから、これを国教とし、その歴代化身系譜を聖俗両面での
最高権威者・権力者とする、いわば「仏権」政治体制がつづいてきました。
1907年からは世襲王制となりましたが、仏教が国教であることには変わりなく、
現在でも国民の大半は信心深い仏教徒です。 その意味でブータンはチベット仏教最後の砦とも言えます。
地政学的には中国、インドという二つの大国にはさまれていますが、
標高差の大きい豊かな森林と肥沃な土地で自給自足できる、アジアの中でも恵まれた国です。
近年、「国民総生産」にかわる「国民総幸福」を提唱する国として、そのユニークな環境政策や近代化政策が、
グローバル化によって生ずるさまざまな問題への批判的文脈のなかで紹介されることも多くなっています。
第4代ブータン国王こそ、「国民総幸福」という考え方を世界に問うことで、国際社会に中における
ブータンの存在感をたしかなものとした人なのです。ブータン社会とはどのようなものなのでしょうか。
またそこに生きる人々は、どのように暮らしているのでしょうか。
 ーー

 ブータンも決してユートピアではないが、純朴な社会に生きる国民性が
「よりよく生きる、とは?」
「より人間的である、とは?」を考える意味で大きなヒントになるだろう。
自然環境が一種の鎖国状態をつくりあげ、現代の奇跡的な国民性をつくり上げたといえる。
あまりにも、アメリカナイズされて一種の薬物づけされた日本人にとっての反省材料を
多く含んでいるだろう。 97佑幸せと実感している国があるとは驚きである。
まったく勝ち組、負け組とか、何じゃい、それ!だろう。
世界の幸福度を国連が調査した資料も検索で調べたら出てきた。
主観的な幸福度では中南米の人たち、それも小国ほど、高い結果になっていた。
ちなみに日本は中位であった。
物理的なものを加味すると、デンマーク、スイス、オーストリア、スウェーデンであった。

・・・・・・・・・
2007年05月04日(金)
2222, 平凡って幸せなの?  −2
       ♪ヾ(*'ー')*'ー')*'ー')/" オッハヨウ!

平凡って幸せなの?という、何気ない家内の質問に、
「そういえば、平凡など考えたことがないし、平凡の日々を過ごしていながら、
平凡を嫌って生きてきた自分に気がついた。」というのが本音である。
しかし過去を振り返ると、平凡な日々のなかにこそ人生の真実があったように思える。
しかし、これも縦に立ち上がっている、問題の陰に隠れてしまって記憶には残らない。
記憶に残らないということは、無に等しいと思いがちになってしまう。
ただ合せ鏡で平凡の生き方をしている人を見ると、やはり?とも、思ってしまうが。

  「平凡とは?」と検索をしたら、面白い質問に行き当たった。
   まずは、その部分を・・・
   ーー
   <平凡な生活に対する疑問>
   「毎日を平凡に生きている人間って、どうして生きているんでしょうか?
   はっきり言って僕は、そういう人間は死んでしまってもいいと思います。
   毎日何も変化のない暮らしというのは最も最低な人間の生き方と思うのですが・・
   みなさんはどう思いますか? 」
ーー
この答えが、面白いので後にコピーしたが、平凡は一番身近の問題であり、
過去には多くの人が名言を残している。
ところで平凡って何だろうか?非凡とは何だろうか?考えてみたら非常に難しい問題である。
「死んでしまえばよい」でなく「死んだも同然」と言えば良いのだ。
「死んでしまえばよい」でなくては「釣り質問」にはならないか?

ところで、若い時に「こんな生活を送っていて良いのだろか?
もっと良い生き方が在るのじゃないか」と何時も思っていた。
今でも、「二度とない人生、悔いのない一日を過ごすよう心がける」が、
私の信条の一つである。これも「平凡の人生を否定する言葉」ではないか。
平凡に対する、テーゼ・アンチテーゼとして、
自分で何時も問答をしなければならない問題である。

     ====
    *投票でベストアンサーに選ばれた回答
     ====
   「あなたのいう「平凡」=「変化がない」ですか?まずは平凡に生きてみてください。
    こんなに難しいことはないでしょうから。平凡に生きていたいです。 」

 ====
*ベストアンサー以外の回答
 ====
「平凡こそ幸せです。どのような人生が、素晴らしく最高なんですか?
非凡に生きるってどういうこと? 忙しくで自分の時間も持てないくらいに仕事してるってこと?
平凡の中でも、充実した人生があります。もう少し年取ったらわかります。」
    ーー
   「平凡な人間は死ねですか。まるでどこぞの独裁者ですね。
    ご自分がどれだけすばらしい人生を送っていらしゃるんですか。
    人間一番不幸なことは自分の愚かさに気付かないことです。」
ーー
「人間って色んな人がいるし、色んな考えがあるとは思いますが、
ここまで私と逆の考え方の人間がいるとはビックリです・・・
なんだか寂しい気がします。私は平凡な毎日こそ最高の幸せだと思います!
ではあなたの言う最高の生き方ってどんな生き方でしょうか?
命があるっていうことだけでも最高の人生と私は思いたいです。」
   ーー
   「毎日を平凡に生きる」ことがどれだけ難しいことかわかってないな。
    けつの青いガキが寝言言ってんじゃねえ。」
   ーー
  「視点を変えてみれば、あなたが常に変化を求めるのは、自分自身にある凡庸からの逃避ではないでしょうか。
   非凡な人間になりたいという願望を持つという意味で平凡ではないですか。
   変化を求め続ける限り凡庸はついて回ると思いますよ。」
ーー
    以上だが、なかなか含蓄がある答えが多い。平凡、非凡を何を持っていうのかという問題にもなるが、
    王陽明に影響を受けた我が長岡藩の河井継之助は「天下になくては成らぬ人になるか、
    有ってはならぬ人となれ、沈香もたけ屁もこけ。牛羊となって人の血や肉に化してしまうか、
    豺狼となって人間の血や肉をくらいつくすかどちらかとなれ。」と凡庸の行きかたを諌めている。
    まあ、平凡と凡庸は違うだろうが、平凡と「前に進めなくなる」ことは違う。
    その辺も、比較の問題でしかないが・・・

 あらためて、平凡とは何だろう?何も考えないで、流されている人を質問者は問題にしたのだろう。
 元々死んだも同然だから、責めること自体がナンセンスであると、
 言いたいのだろうが、前に進むとは何?それが、どうした!という自問自答が出てくるが・・・
 うまい飯喰って、笑って、クソたれて、寝る日々のどこが悪いのか?と言ってしまえば、それまでか!
           
               ☆ァディオス☆(`・ω・´)ノ
・・・・・・・・
2006年05月04日(木)
1857, HP開設、5周年  −2
            才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*)

自分の日々の読んだ本や新聞のポイントを書き出し公表し続けた結果、
インプットの吸収力が数倍強くなった。 アウトプットの加工の過程で、
知的生産を自動的に促すことになる。

    その積み重ねは信じられないぐらい自分を成長させてくれる。
    思いをそのまま書いていれば誰かが読んでいるはず。
    そして「どこか深いところで自分が自分を納得すればよい」と割り切ることが出来る。

もう一つ良いのは、何年間の同月同日の文章を読み返すことが出来ることだ。
一つの文章を書き上げるのに、テーマ選定を含めると2~3時間がかかる。
5年分を読み返すということは、過去の10~15時間分の自分のエネルギーに毎日ふれることになる。

    これが自分を大きく後押しをしてくれる上に、あとでみる自分の姿も面白い!
    過去の自分との対話をすることにもなる上に、忘れてしまった自分の姿に驚く。
    また自分の脳を公開していると、他のHPを深く理解できるようになった。
 ーー                        ´ー`)y─┛~~

ふと去年の同日の随想日記を読むと、同じテーマで書いてあった。
さらに一昨年も同じテーマである。去年、一昨年の方が、よほど良い内容である。
だから内容が落とせなくなるのである。

    過去5年分の同月同日の日記を読むことは、同時に内省をしていることになる。
    毎日、自分でもよく続いたものと感心する!が、これらに縛られてしまうのも不安である。
     今さらだが!

ところで、グーグルが高性能な検索エンジンを提供したことで、ブログは企業やマスコミの大手HPと、
同じ力を持つようになった。それまでは、大手のHPをみていた一般の人が、検索エンジンを道案内にして、
あらゆるHPに直接アクセスするようになった。
検索で大手企業も個人のブログも、同じレベルに扱われるようになった。これは、大革命といってよい。

    個人の情報の質も公開数が増えるにつれて、飛躍的にアップしてきている。
    あらゆる人が、オープン・ソース化を始めたのだ。
    オープン・ソース化することによって、外の情報とリンクして
    世界と結びついた方が有効であることに気がついたのである。
    今までは、何処かのカフェとかの仲間同士が情報をやり取りする場と同じことが、
    検索エンジンのお陰で、ネット上で可能になってきた。
    ブログ上のキーワードをクリックすることで一瞬に他のHPのキーワードにとんでいくようになった。
    こうなると、深く情報を追求するのに数秒・数分もあれば、事足りるのだ。
 私のHPも根本的に改造しなくてはならない時期にきているようだが・・
                      ヾ(^ω^*) バイ!
・・・・・・・
2005年05月04日(水)
1492, HPを開設して、まる4年

今日5月4日はHPを開設日で、丁度まる4年になる。
海外旅行をしている間を除けば、随想日記をほぼ毎日書いてきた?
一日一つのテーマを取り上げて考えることを、自分に課してきたことになる。
まさか4年も続けられるとは、思ってもいなかった。

久垣啓一の図解WEBというHPに刺激され、糸井重里が「HPを開いて毎日文章を書き続けている」
と知り、自分も挑戦してみようと決心をした。

初めは1000の文章を書き上げることを目標をした。書くテーマが全く思い浮かばないことが何度かあった。
ある本に、その時は「全く思い浮かばないことをテーマにしたらよい」と書いてあった。
そして、それをテーマにしたこともあった。しかし、1000を超えた辺りから苦痛度が少なくなった。

「自分が楽しくなければ気持ちが伝わらない」ということも解った。
書き続けていると、自分をドンドン掘り下っている実感が出てくる。
一度書いた文章は、自分から離れてしまうことも知った。
書き上げてしまえばコピーができるし、パート2,3と掘り下げることも可能になる。
ネット上の発信基地であり、備蓄基地にもなる。
表現できる場を持っているという実感が自分の心を楽にしてくれる。

このHPの開設と維持で、パソコンとインターネットの世界を身近に引き寄せた。
HPの開設を通して、パソコンをマスターするのが本来の動機であった。
「パソコンは、奈良時代に最新のヘリコプターを持ち込んだようなもの」
というが、{全くその通り!}ということも解った。
これに携帯電話とBS/TVなどが連携して時代を変えていることも実感している。

 話は変わるが、3日前に図書館で8冊の本を借りてきた。
そして、一昨日DVDを三枚レンタル店で借りてきた。
8冊の本の2冊と、DVDの1枚に共通点のテーマがあった。
その内容は明日から、この随想日記で取り上げるが「いま」 についてである。

なぜ、あえてHPの5年目のテーマに「いま」について書くのかというと、
「毎日の、いま」にしか、永遠の入り口・切口がないことが解ったことだ。
その時々の「いま」をパッケージにしている充実感がよい。
「いま」の重要性をつくづく実感するようになった。
「いま」は永遠なのである。 いや、「いま」が永遠になっていくのである。

とにかく4年も経った。やはり1000というのが大きい目安であった。
そして、その辺りから大きな変化が出てきた。次はあと三年の七年が目標である。 
そして、10年。

ーーーー
たしか去年も同じテーマで、同じような内容を書いたようだが、
内容は全く憶えていない。そして、書き上げた後に去年の文章を読み返してみて、
ほぼ同じことを、一年前にも書いていたことに驚いている。
人間なんぞ同じことを繰り返し考えているに過ぎないことが、読んでいてよくわかる。
こんなものか、少しは掘り下げているのか。一度読んでから、書けばよかったのだろうが。
前の同月同日の文章を貼り付けるのは、いつも書き終わってからだ。

・・・・・・・
2004年05月04日(火)
1127, ホームページを開いて3年

今日で、ホームページを開設し、随想日記を書き始めてマル3年になる。
だいたい二年が続けるかどうかの分岐点になるという。まる3年も、分岐点であることも間違いはない。
毎日書き続けるのは本当に!シンドイが、あとで振り返った時に続けていた方が良かったと後悔するのが
解っているので、止めるに止めれないのも事実である。といって、そのつかうエネルギーは膨大である!

常に、何かに急きたてられているような気分である。もっとも、その位のほうが良いのかもしれないし、
10年〜20年後に振り返った時に残っているのは入れたエネルギーの文章だけかもしれない。
いやそれすら、残っていないかもしれない。
三年で、書きたいと思うことは殆んど書いたという実感がある。遺言書といってもよい。

自分自身にプラスになるのは、手に取るようにわかる。
特に毎日の随想日記は、自分の背骨が一本、日々の生活に入った感じだ。
毎日、思ったことや、考えたことを文章化することは、まったく違う領域に自分が入ってしまう。
それを、さらに公開するとなると、自分のノートに書き出しているのとでは全く違ってくる。

同月同日の一年前・二年前書いた文章を毎日コピーしながら読み返すと、
何か不思議な感覚になる。今日からは三年前の文章も毎日読むことになるが、
まったく忘れているから何か変な感覚になる。
知らない自分を見ているような、内省をしているような感覚である。

話は変わるが、ホーム・ページを開くキッカケを書いてみる。
パソコンを手元に置いても、どう使ったらよいか迷っていた矢先に
久恒啓一氏の「インターネット勉強法」の中の「ホームページ」の勧めを読んで、
パソコン教室に通ってHPつくりに入った。

その本には、HPつくりは「自分の墓場つくり」と書いてあったのが印象的であった。
なるほど三年経ってみて、書きたいことを全部書き出してしまった実感がある。
その意味が分りすぎるほどわかった。

はじめは1000回、次に3年と目標をたててきた。
1100回目から、あまり気張らずにリラックスをして楽しもうと割り切った。
逆にそれが良かったようで、それからは肩の力が抜けたようだ。
これからは、趣味として、お遊びのHPとして変身するつもりである。
それまでは、かたく考えすぎていたようだ。
あまり他人から理解しがたいタイプなので、丁度よい手段なのだろう。
それにしても、クソ真面目に、毎日書いているものだ。

・・・・・・・・
2003年05月04日(日)
760, いかに生きたか いかに生きるか

去年の文芸春秋の12月臨時増刊号の「日本人の肖像ーこのすがすがしい生きかた」ー
シナリオ作家の舟橋和郎を文章を紹介する。
 文章が鮮明で、半世紀以上前の情景がアリアリと浮かび上がってくるすばらしい文章である。
 小林秀雄という人物と、乃木大将の決心と、舟橋和郎の人物が何ともいえない文章で浮かび上がってくる。
  (以下、字数の関係でカット2,008年05月04日)
 
・・・・・・・・・
2002年05月04日(土)
 396, 光の旅人

三条で昨日見た映画「光の旅人」がなかなか面白い!当たりであった。
昨年の9・11に最も救いを求めていたアメリカで、10月にNO.1にヒットに記録された映画という。
ー内容は
以下は字数の関係でカットした、HPのこの日をクリックすると出てきます。

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2001年05月04日(金)
ウオーキングについて
      ーー
 以下は字数の関係でカットした。


2586, 日本の貧困率 ワースト2

2008年05月03日(土)


ヾ(´∀`o)+。才ノヽ…

先日、Wowowで観た映画『しあわせの力』という映画。
ウィル・スミス演じる主人公が貧乏のどん底から成功者への階段を上っていく内容だが、
その大部分が「すべり台社会」を滑り落ちていく内容。 リアルで他人事に思えない内容である。
地下鉄のトイレや、教会の施設に並んで泊まったり、子供が一緒だから尚のこと引き込まれてしまった。
実話に基づいた内容だから、迫力があるのだろう。
黒人のセールスマンが収入が無くなり、奥さんに愛想をつかれ子供を置いて出て行く過程など現実的である。
そして、最後はホームレスになる。
這い上がるのは無理という状況から主人公が成功を掴んだ要因は、【息子への愛】と、どん底でも諦めない執念。
何か身につまされる内容であった。 人生で、何度もすべり台に立つ瀬戸際を経験した。
一つの判断が致命傷になる、それが創業ということ。

たまたま昨日から朝日新聞で「ルポにっぽん」が始まった。
 初日は一面トップ扱いで、
「39歳 全財産100円」−細切れ雇用食いつなぐ生活ー
 で、深刻なワーキング・プアを二人取り上げていた。
この中でNPO法人「自立サポートセンター・もやい」の事務局長が、
ーいまは、「すべり台社会」で、少し踏み外しただけでも直ぐに貧困のどん底まで
 滑り落ち、なかなか這い上がれない」と語っていた。
また日本の貧困率がアメリカについで世界でワースト2になっている。
(貧困率とは生産年齢人口の所得分布の中央値の半分に満たない人の割合)
アメリカが13・7、日本が13・5、アイルランドが11.9、イタリア11.9、カナダ10.3、ポルトガルなどがつづく。 
元々貧しい国=中国、ロシアなどは、その中央値が低いから、ここには出てこないようだが。

年収が200万円以下の人が1000万人を超えたというから、世の中も様変わりをした。
身近の人が、どんどんワーキング・プアになっていくのがリアルであるから、他人事ではない。
家内も厚生年金に入っているし、個人年金も僅かだが入っているので、自分の身には関係ないが?
それでも、この経済情勢は何が起きてもおかしくない。
いや、何かが音を立てて起きているが、それに大衆は気づかないだけか!


・・・・・・・・・
2007年05月03日(木)
2221, 静岡で感じたとこ
           ヾ(●´∀`●)GOOD MORNING!!

去年、学生時代の友人が私のところに訪ねて来て、今年は私が静岡を案内してもらった(4月30日、5月1日)。
学生時代に30日間欧州旅行をした友人である。静岡は住みやすいと聞いていたが僅か2日間だけでも、
その豊かさを感じ取った。静岡市内を案内してもらった後に、車で一時間近くにある浜松市に行き、
その後に焼津に行って、友人の地元の知り合いの経営しているホテルに泊まった。

その間に車の中から垣間見た世界は、東海ベルト地帯の豊かさである。
「日本は東京から名古屋までの地帯に富が一極化に集約されるのではないか」とさえ思えるような
景気の良さと豊かさを感じとった。車から見える家と車は新しく、街並みは奇麗に整備されており、
静岡駅や浜松駅周辺は再開発など大きなビルラッシュで、カナダの都市?のような活況と清潔感があり、
「これが地域格差」「これが21世紀」を具体的に見せつけられた思いであった。
「新潟駅立体交差再開発の完成の姿を思い浮かべることができた」ということか。

静岡県は「ヤマハ」「本田」「鈴木自動車」それにトヨタの関連企業が数多揃っていて互いシノギを削っている。
友人の実家が、トヨタ自動車のラジエーターを主につくっている会社で、友人は、その子会社の社長で、
かなり鼻息の荒い状態だった。

東海道ベルト地帯は永年かけた工場地帯の集積がある上に、お茶の生産地があり、
焼津などの漁港もあり、山梨などの後背地域もあって、それぞれが有効に連鎖している。
名古屋駅周辺を含めて、隔世の感があるほど活況があり、不景気はどこ吹く風という。
なるほど他とは格差がつくにはつく、理由がある。それに引き換え、それ以外の日本は?・・・・

 −−
そうそう、今日でHP開設、6周年になる、2200も毎日、この文章を書いたことになる。
それと、もう一日に書ける限度のレポート用紙20枚分をオーバーする。
6年前の文章をカットしなければならない。毎日、過去の書いた文章を眺めて自己満足をしていたが、
オーバーのサインが出てきて、カットするのが非常に心が痛む。
過去の自分(のエネルギー)を切り捨てるような気持になり、どれも捨てがたいのである。

                     (○´ω`○)ノ **SeeYou *(○´ω`○)ノ
・・・・・・・・・
2006年05月03日(水)
1856, HP開設、5周年  −1

 \(^▽^*)おはようございます!(*^▽^)/
明日で、このHPを開設して、まる5年になる。旅行以外は、ほぼ?一日も欠かさず随想テーマ日記を書いてきた。
我ながら続いたことに驚いている。5年前のこの日を境に一変し、全て、このHPを中心に生活がまわるようになった。

    一日、何らかのカタチで5時間以上?はパソコンに向かうようになった。
    5年前にパソコンの先生に事務所にきてもらって、このHPを立ち上げた。
    さらに自宅近くのパソコン教室に三年以上通った!

・パソコンを自分の道具として使いこなせるようになりたい!
・HPを自分のネット上の部屋にしたい
・ネット・サーフィンでネット空間を飛び回りたい  という思いがあった。
 随想日記に書き続けたお陰で以上のことが身についた。

    インターネットの世界は日進月歩である。
    現在はインターネットが出来る人と、それ以外の人に分類できるのではないか?
    今どきパソコンが出来ない人がいるのか?というが、 私の年代の半分以上はできない。
数年前に、
「パソコンは奈良時代におりたった最新のヘリコプターのようなもの。
それを使えるか使えないかで、数百年の時代の格差が生じる」という言葉に出会ったことがある。
いい得て妙だが、現在は全くその通りであると確信できる・・・

    《検索》の機能が飛躍的に良くなったのだ。
    それと、オープンソース化で情報は無限に手に入るようになった。
    この二年で、検索の機能の飛躍的アップと、ブログの爆発的増加で
    インターネットの世界は激変してしまった。素晴らしいHPに多く出会えるようになった。

「インターネットが出来るようになって、それが何なの?」という問いかけをする人が
 インターネットの出来ない人にいる。 「何で新聞を読むのですか?」「何でTVを見るのですか?」
「何で携帯電話を持つのですか?」という問いと同じである。

    ブログ(ネット上の日記)が数年で爆発的の増加したという。
    500万以上というが、あと数年で1000万以上になるだろう。

                 ゜+.(*・ω・)ノ*. バイ!
・・・・・・・・
2005年05月03日(火)
1491, 男と女−3

 my感想を書いていて、面白い。
 これが考えるという事でもあろうか、それとも批評か。
 夫婦生活で、お互いに飽きないのも全く違う生きものだからだろう。
 相手にもよるが、男も女も品性があればこその話である。
 
 一番身近にいて、そしてお互いに訳けのわからない生き物が異性である。
 だから多くの喜劇も悲劇も生まれる。親しい異性の友人?というのが、一番良いが?
 それにしても面白い格言が多い。
 
 ーーーー
・分別のある男は女を軽く扱い、一緒に冗談を言い、歌うだけである。
 重大な事については女に相談する事も任せることも決してしない。
                    −チェスターフィールド
・四十歳をすぎると、男は自分の習慣と結婚してしまう。  −メレディス
       ーmy感想ーこれだけは一夫多妻がよい
・男はある女の愛人でありうるときには、その女の友人である事はない。
                    −バルザック
・これが男というものです。計画だけはみんな悪者ですが、
 そのくせ実行となると、弱気になって、それを誠実だというのです。
                    −ランクロ
       −my感想ーだから丁度良いんじゃない?
・もう一日くらい待ったなら、自分の婚約者よりももっと好みに合った理想的な女性が
 見つかるかもしれないという気持ち。 どんな男でもこうした気持ちを抱いているものだ。
                    ーサーバー
       ーmy感想ー女のほうがもっと強いのでは?と、つくづく感じます
             結婚間じかの女性を多く見てきて、つくづく感じます
・この地上には、男性だけがその費用をひきうけるにしては、あまりに美人が多すぎる。
                    −リガリエン
       ーmy感想ー????!!!!!!?
・男の人って一度女を愛したとなると、その女のためならなんだってしてくださるでしょ。
 たった一つ、してくださらないもの。それはいつまでも愛しつづけるってことよ。
                    −ワイルド
・人生にはいやなことがいっぱいある。中でも一番いやなものは、男同士の晩餐だ。
                    −ディスレーリ
        −my感想ー最後の晩餐の絵、暗いものね
・情熱家より、冷淡な男のほうが簡単に女に夢中になるものだ。
                    ー?
        ーmy感想ー「女に」の「に」、「が」の間違いじゃない?       
・男にとっては今日一日だけの浮気心にすぎないものに、女はその一生を賭ける。
                    −モーリアック
        ーmy感想ーそういう人も、たまにはいるのかも?
              その日、出会った男とできちゃった婚をする女も
              見るものね、最近は。結婚するだけましか!
・男というものは自分の愛している女を憎み、どうでもよい女を愛するものだ。
                    −シュラッツラー
・勇敢な男は自分自身のことは最後に考えるものである。  ーシラー
        ーmy感想ーその時だけはね!
・一人の女しか愛さない男はしばしばもっとも幸福な生活を送るが
 死ぬときはもっとも孤独な死にかたをする。−へミングウェイ
        ーmy感想ーうんだ、うんだ、うんだ、うんだ・・・
             多くを愛した男はもっと孤独?解らない?
・私が女より男を好きなのは、彼らが男であるからではない。
 彼らが女でないからである。      −クリスティーナ
        ーmy感想ー家内に女の子が欲しいといったら
              同じようなことを言っていた!
・芸術でも技術でも、いい仕事をするには、女のことが分かってないとダメなんじゃないかな。
                    ー本田宗一郎
       ーmy感想ー女がわかれば天下が取れるというけど
・愛の舞台に上って馬鹿らしい役割を演じるのは、いつでも男だ。 ー島崎藤村
       ーmy感想ー馬鹿の方がズット面白いからじゃ! いい訳、9割だけどね!
・男にふさわしいのは権威であり、女にふさわしいのは威厳である。
                    ーシュワルツ
       ーmy感想ー今は反対だもんね
・男は法律をつくり、女は風俗をつくる。
                    ーセギュール夫人
・君の人生に女が入ってくる。
 素晴らしいことだ。出ていってくれたらもっと幸福なのに。
                    ーポール・モラン
       ーmy感想ー相手次第じゃない
・ライオンの雄にはたてがみがあり、孔雀には豪勢な羽があるが、
 人間の男には三つボタンの背広しかない。    −J・G・サーバー
       ーmy感想ー女性には、いま一つのチャーミング・ポケットがありますもの
・ああ、世の中には面白くないことがたくさんある。 神様、あなたは女までお作りになりました。
                    −ロシアの諺
       ーmy感想ー本当にありがとうございます
・女がいなかったら、男は神のように生きていくだろう。   ーデッカー
       ーmy感想ーそんなこと、ないね! 悪魔になってしまう、絶対に!
・男が本当に好きなものは二つ。危険と遊びである。
 そしてまた、男は女を愛するが、それは遊びのなかで最も危険なものであるからだ。
                    ーニーチェ
       −my感想ー 一盗、二卑、三妾、四妓、五妻    
・男は常に女の初恋の人でありたがる。それが男の無様な虚栄である。
                    ーワイルド
・男にほれられるような男でなければ、女にはほれられない。−作者不詳
       ーmy感想ー気持ち悪! ?
・男というものはいつでもそうだが、我が家から離れている時が一番陽気なものだ。
                    ーシェークスピア 
       −my感想ー最近は家のほうが陽気な人が多いもんね
・男というものは元来多妻主義だ。心ある女は、男の気まぐれによる過失をいつも大目に見る。
                    ーモーム
       ーmy感想ーある女の呟き 「大目に見なければやっていけません!」
・・・・・・・・・・・
2004年05月03日(月)
1126, 「ライフ・レッスン」−9
ー恐れのレッスン

秘境ツアーに行きはじめた当初、出発前のプレッシャーは相当のものだった。
その恐怖感と不安感の波を乗り越えたさきの、すばらしさが直感できたからこそ、
恐れを乗り越えることができた。

初めてアフリカに行った時、10年のベテラン女性ツアーコンダクターも不安で、
震えていた。先輩に『天国と地獄がある』と脅されたきたという。
インドの時も、タンザニアの時も、南米の時も、恐怖感の山であった。
しかし一度飛行機に乗ってしまえば腹が据わる。
そして実際現地にいってみると、恐れの殆どは無知からの妄想でしかないことが判る。
いまでは、そのプレッシャーも料理の味付けとわりきっている。

恐れのプラス面は 万一に備えて、こころの準備と、持ち物の準備、情報の準備のエネルギー源になることだ。
未来を思い煩うなかれ、過去を悔やむなかれ。いまに挑戦し、いまに生き、いまを見つめ、いまを味あうことだ!
人間ができることはそれしかない。

積極とは、極みを積むことである。極みは、自分の限界のラインにたつことである。
積極とは、その先の経験にチャレンジすることである。そこには、恐れのレッスンがある。
恐れは自分の壁に対する自分自身のレッスンになる。

すべてがレッスンと思うことは、世界を広くしてくれるし、こころを上からみる魂の視点になる。

ー抜粋ー
(以下、字数の関係でカット2008年5月3日)

・・・・・・・
2003年05月03日(土)
759, 陽気と陰気

 陽気とは外交的で何事も前向きな人をいう。人と交わることを好み、常に活動的なタイプだ。
陰気とは消極的であり、心が内向き後ろ向きの人をいう。引っ込み思案で他人と交わるより独りを好む。
どちらが良いということはないが、やはり傍にいるなら陽気の人の人がよい。
陽気のタイプとしては、秀吉をあげることができる。 陰気は家康だろう。
信長はどちらであろうか?、陰気と考えるとさっきの定義は違うことになる。

我々は、生きていくために陽気が求められる。外に心を向けていないと生きにくくなってしまう。
その為にどうしても自分の中の陽気の部分を積極的に前面に出して無理をしなくてはならない。
しかし陰気が悪いのだろうか。プラスにみれば精神性の深さ求めていることだ。

我々は青年期や壮年期に陽気に振るまい、心を外に向けて生きる。
しかし50歳を越える頃、あまりに内側に目がいってなかったことに
唖然とする。そして心の空虚さになす術がなくなる。そして内側の充実に取り掛かるようになる。
そこで、気づく時期が遅かったことに失望をする。
それさえ気がつかない人を、私は抽象的に「小狐」といって、この随想日記に度々書いている。

その意味で、決して陰気は否定してはならない。
何故なら陰のエネルギーも人生のバランスを考えると必要であるからだ。
ただマイナス思考の行き過ぎが悪いのだ。家には居間も必要だし、書斎も必要である。
陽気を居間に喩えるなら、陰気を書斎に喩えることができる。
そこで内側の精神の充実をはかる場所だからだ。書斎に閉じこもることも必要だ。
といって、閉じ篭り出てこないのもバランスを崩してしまう。

このように居間でパソコンを打つのも中途半端になるのか?いや中庸でよい!ほんと。

・・・・・・・・・
2002年05月03日(金)
395, 文章作法−1 (文章作法は人生作法?)

この種の本を数冊借りて、もっている本を数冊計7冊並べて見た。共通点と相違点を考えてみた。
共通点は全てそれぞれの人の人生論であること。 相違点はその職業の立場の視点であった。
   ー詩人、作家、記者上がりの作家
面白い発見であった。 そして文章を書くことの大事さを再確認した。
その2つの更にベースの共通点がある。聞く人によっては非常にきつい事が羅列してある。

・好きな事を書け(好きな事をやれ)愛情をもてること以外書くな(するな)ー対象に愛情を込めること
・自分の選らんだテーマに集中する ー結論を先に
・自分の地頭で考えた事を書け(やれ) 自分で考えた事をそのまま書くー自己責任の行為
・失敗を大事に書け(大事にしろ)
・わかった振りするな
・まず書け(行動しろ)ー
・とりあえず量を書き、推敲をどんどんするしかない
 ーとりあえず多くの経験を積んで、フィードバックするしかない(行動を噛み砕け)
・いかにして「書くプレッシャー」を乗り越えるか
・自然体でー背伸びや虚勢を張らない
・自分を直視するー自己責任
・基本的の技術を身につける
・自分の持ち味を生かした文を書くー個性を発揮する
・文章の脈絡をキチントとうすー筋をとうす  起承転結を常に忘れずに   
・他人の文と比較しないー生き方と比較しない
・常に現象のの底を見つめる
・何故を常に忘れない事
・見えないものを常に見る視点をー観察力を持つ
・主語を忘れずにー主体性を大事に
 書く時代であるー個人発信の時代
・常識を常に疑う


2585, 情報は1冊のノートにまとめなさい

2008年05月02日(金)


「情報は1冊のノートにまとめなさい 」
  −100円でつくる万能「情報整理ノート」 ー奥野宣之著

買って、その底の浅さに「騙された」と思ったが、それでも千三百円も出したのだから何かを
得なければ面白くないと、とにかくお勧めのA6版の大学ノートを買った。文庫本の大きさである。
このノートを肯定してみるため、とにかく数日の間、書き込んでみたが、
それで千三百円の元を取ったような気持ちになった。
図書館で借りた本なら、おそらく、そこまでしなかっただろう。
このサイズの大学ノートを〜2度使ったことがあるが、現在改めて手に取ると、
その小さなサイズが便利で使い勝手が良い。
一般的な大学ノートも良いが、手軽に持ち運びをするには大きすぎる。
ところが、このサイズのノートは手軽に持ち運びが出来る上に、ある程度の文章を書き込める。

情報を時系列に集約するのは「超整理法」のノート版とも言える。
袋に入れて並べていくのが野口悠起雄の整理法なら、手帳の情報整理法と捉えることができる。
それと、このサイズのノートの効用と、使い方がよい。
その上に、自分で工夫して何でも情報整理ノートにする着想。
理想のオリジナルノートの「作り方」のノウハウ書といえる。

現在、普通のサイズの大学ノートで毎日、モーニング・ページを書いているが、
買いだめの在庫が無くなったら、思い切って、このサイズのノートに切り替えるつもりである。
スケジュール表も自前で作って貼り付ける、メモも重要と思ったものを貼り付ける。
そして、検索のためのナンバーリングを作って、パソコンに憶えこませるのも面白い。
ノートに書く本体とパソコンに入力する索引の「二分割」管理ということになる。  
「パソコンの検索を紙メモのシステムに組み込むことにより、過去のメモを完全にデータベース化する」
といった方がよい。

これを読んでいて 「情報は一つのブログにまとめなさい」という着想が出てきた。
これを書いても本として売れるかどうか。
ブログを使いこなしている人は、そのことを知っており、
知らない人には、その意味の一端も理解できないからである。
(それだけブログは別世界である。)

私のHPも、マンダラ風の9つの升目に、それぞれの用途別ブログを貼り付けるのも悪くはない。
手前味噌だが、試行錯誤の結果そうなっただけだが。「分類のコーナー」の中に検索機能があって、
過去の自分の書いた中に記憶をたどる場合、キーワードを入れる検索がベンリである。
 時間がたっぷりないと無理だろうが。それと材料も!

・・・・・・・・・
2007年05月02日(水)      ー遇然同日に、酒の話があった。面白いものだ2008年5月02日
 2220, 酒の話ー3  +.(ノ*・ω・)ノ*.オハヨオォォ☆゚・:*☆
    
    酒の話は、ここで何度も取り上げてきた。酒には付き合い酒、祝い酒、涙酒、別れ酒、
    怒り酒、迎え酒、寝酒など、色いろあるが、あるHPで酒に関する面白い文に行き当たった。
    酒は下ネタと同じく時空を超えて万国共通であるためか人間の本質を知る上で身に沁みる戒めが多い。
    特に私は!? 偶然の一致だが、三年前の今日、『酒について』というテーマで酒について、
    書いていた。面白いものである。 それにしても、酒の失敗があまりにも多い!
    
 =====
*まずは『旧約聖書外典』である。『外典』は、『正典』としての「旧約」や「新約」聖書の成立の編纂で、
排除された文章をまとめたもので、酒に関する戒めのような実用的なものが多い。
これが2000年前の旧約聖書にあったのだから、酒は今も昔も人間を狂わせてきた魔物。
ー『旧約聖書外典』(関根正雄編 講談社文芸文庫)よりー

大酒を飲むことで勇者を気取るな
酒で失敗した人は多いのだ
炉が鋼鉄をためすように
酒は酔っ払う人の性格をためす
酒はほどよく飲めば
生命の力となる
酒なくして何の人生か
酒は人を幸せにするために作られた
時をえらんでほどよく飲めば
酒は心を楽しませ 愉快にする
だが飲みすぎれば苦い思いを味わい
怒りと復讐の心を生む
愚か者は酒によって憤り 自ら害を招く
酒は力を弱め ついには障害をうけるようになる
酒の席ではとなりの客と争うな
相客が楽しんでいるのを妨げるな
隣人をあざけったり
借金の催促などをしてはいけない

====
また若山牧水「酒の歌」で『今まで自分のして来たことで多少とも眼だつものは
矢張り歌を作ってきた事だけの様である。いま一つ、出鱈目に酒を飲んで来た事。』
と酒の思いを述べている。

ー牧水の酒のうたー

人の世にたのしみ多し然(しか)れども 酒なしにしてなにのたのしみ
酒無しにけふは暮るるか二階より あふげば空を行く烏あり
酒のめばなみだながるるならはしの それもひとりの時に限れる
酒の名のあまたはあれど今はこは この白雪にます酒はなし
一杯をおもひ切りかねし酒ゆゑに けふも朝より酔(ゑ)ひ暮したり
それほどにうまきかと人のとひたらば なんと答へむこの酒の味
うまきものこころにならべそれこれと くらべ廻せど酒にしかめや
酔ひはててただ小(こ)をんなの帯に咲く 緋(ひ)の大輪の花のみが見ゆ
白玉(しらたま)の歯にしみとほる秋の夜の 酒はしづかに飲むべかりけり

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    勧酒   干武陵

     勧君金屈巵  コノサカズキヲ受ケテクレ
     満酎不須辞  ドウゾナミナミツガシテオクレ
     花発多風雨  ハナニアラシノタトエモアルゾ
     人生足別離  「サヨナラ」ダケガ人生ダ
                      井伏鱒二訳
====
深夜の酒宴    諏訪優

一九八六年十一月二十五日 午前二時
ランプのまわりを飛びまわる一匹の蠅よ
この界隈で
いま 目覚めているのは
わたしとお前だけだろうよ
すべての音も消えて

俺は黙々とお前と遊ぶ
午前二時 これから
深夜の酒宴だ
いいさ
明日は狂って
”冬の海でも見に行ってくるぞ”

やがて白々と夜が明けて
窓 あけ放つ
わたしと一夜をともにした
一匹の蠅 曇天に去る
ああ蠅よ
お前は蠅の中の美女だったよ

わたしたち
ゆうべ けして孤独ではなかったな
そしてほら
お前が去ったあと
細かい雨が降り出した
田端一丁目XX番地
雨と墓地の竹林が美しい
              冬の雨 竹百年の青さかな   優
                 「太郎湯」 思潮社
ーー
解)酒は何時の時代でも、人間の大問題である。
上記も実際に一人で冷酒を飲んで、しみじみと孤独観の中、
一匹の蝿と戯れる姿は、自分が実際に経験しているような気持になる。
酩酊の最たる状態で独り夜明かしをしながら白々とした夜明けを向かえ、、
冷静に酔った自分を見つめている永遠の時間・・・
何度か経験したような? してないような?
死刑囚が執行前夜、まんじりとしない一晩を過ごす時も似た気持になるのだろう。
                *´∀`)」" さいなら☆彡
・・・・・・・・
2006年05月02日(火)
1855, ローマから日本が見える−9
               (o´・ェ・`o)♪ぉはょぅ
    ローマ街道を彼らローマ人は武器と考えた。 そして、その武器を最大限生かした。
    その武器を平時の時に常につくり続けていった。
    このため、彼らは兵隊を駐留させる必要はなかった。
    その詳細が、この本には解りやすく書いてある。
    ーー
ーなぜローマ人は街道を造ったのかー
(字数の関係でカット2,008年5月2日)
('Д'*⊂⌒`つ      
・・・・・・・・
2005年05月02日(月)
1490, 24歳の日記ー4
            ー4月1日  1970年

一番大事なことは、誠実である。誠実さを持てば自ずから幸福につながる。
言葉というものは、いわば自由な消費財と捉えられる。
しかも、その消費財を使う消費者は生産者を兼ねている。

何か解ったような解らないような。父親に言われる、
「人間、自分が将来に希望を持てないようだったら死ぬべきだ!周囲に迷惑がかかる。死ぬなら今のうちだ」

ー4月11日

10日間、両親と三人で四国に行ってきた。両親と三人で旅行するのは、今迄で初めてである。
考えていたより、素晴らしい旅行であった。 良い思い出になった。

特に、香川の坂出の夕陽のオレンジ色の輝きは生涯忘れることができない。
生まれてみる初めて見た自然の輝きであった。瀬戸内海の景色の中の波の照り返す黄金の輝き!
学生時代に湘南で見た夕陽とは、また違った輝きであった。
それと、両親と旅行することも二度とないだろう。 かなり加熱していた頭を冷やすのに丁度良い。

中原中也の詩「山羊の歌」の中の
ーあき・修羅街輓歌ーと、
ーみちこ・汚れてしまった悲しみにーが、今の自分を慰めてくれる。
 今の自分の心をそのまま表現している。 心の傷を消毒をしてくれる。 強くあらねば!
 ーーー
  
ー修羅街輓歌ー
 
 序 歌

忌はしい憶ひ出よ、
去れ! そしてむかしの
憐みの感情と
ゆたかな心よ、
返つて来い!

今日は日曜日
縁側には陽が当る。

ーもういつぺん母親に連れられて
祭の日には風船玉が買つてもらひたい、
空は青く、すべてのものはまぶしくかゞやかしかつた……

忌はしい憶ひ出よ、
去れ!
去れ去れ!

 供/貔

私の青春も過ぎた、 ―この寒い明け方の鶏鳴よ! 私の青春も過ぎた。
ほんに前後もみないで生きて来た…… 私はあむまり陽気にすぎた? ―無邪気な戦士、私の心よ!
それにしても私は憎む、 対外意識にだけ生きる人々を。 ―パラドクサルな人生よ。
いま茲に傷つきはてて、 ―この寒い明け方の鶏鳴よ! おゝ、霜にしみらの鶏鳴よ……

 掘‘噺

器の中の水が揺れないやうに、器を持ち運ぶことは大切なのだ。
さうでさへあるならば モーションは大きい程いい。

しかしさうするために、もはや工夫を凝らす余地もないなら…… 
心よ、 謙抑にして神恵を待てよ。

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2004年05月02日(日)
1125, 酒について (ああ、酒よ!)

「神はこの世を六日間で創り給うた。そして、第七日目には、二日酔いを与え給うた」
というとおり、酒はよいことだけではない。

「バッカス(酒の神)はネプチューン(海の神)よりも多くのものを溺死させた」と、ローマの諺にある。
酒は肝臓に悪い。腎臓に悪い。 しかし、酒は「心の特効薬」?である。酒の一杯は健康のため。
二杯は快楽のため。三杯は放縦のため。四杯は狂気のため。というが、酒はプラスにもマイナスにもなる。。
「おい堀井。お前、晩酌で二日酔いしたことがあるか?」と高校の同級生に聞かれたことがあった。
「ほとんどない!」と答えたら、「おれなど、いつも晩酌で二日酔いをしているぞ!」何か深い深い意味があった。
 
目の前の悩みを洗い流してくれるのは、酒と先人の言葉と諦念である。酒は愉楽の完全な典型である。
酒は実にうまい、不満を追い払ってくれる。 それ以上何を望もうか、それでよい。
酒を飲むことほど日々を楽しくさせてくれるものはない。くよくよさせず、勇気をいっそう勇敢にさえしてくれる。
しかし、酒であまりの多くの失敗をしてきた。 若き日、酒を飲んで多くの議論をしてきた。
そして、多くの人と争ってきた。 酒は、脳に入れた敵、気違い水であり、あまりに危ない敵である。
それでも、酒は美味い。これで20年は寿命を短くしただろう。

ー私の場合特に以下の言葉は胸に刺さる

・酒を飲む理由は二つある。一つはのどが渇いたときに喉をうるおすため。
もう一つはのどが渇いていないときにのどの渇きを事前に防ぐため。   Tーピーコック
・若者にとって酒は大人の勲章である。                 ー吉行淳之介
・一生を洗い流してくれるのはただ酒だけである。            ー韓愈
・どういうことになるものやら見当のつかない二つの場合がある。
 男が初めて酒を飲むとき。女が最後に(今夜きりよ、と)酒を飲むとき。  ーヘンリー
・土曜の夜の酒の味が、平生と違うことを知らないものには、日曜の朝の楽しさは解るまい。
                                   ー水上滝太郎
・酒がいちばんいいね。酒というのは人の顔を見ない。貧乏人も金持ちも同じように酔わせてくれるんだ。
                                   −古今亭志ん生
・酒と美しい娘は二本の魔の糸。 経験を積んだ鳥でもこれにはまんまと引っかかる。−リュッケルト
・酒に害はない。泥酔する人に罪がある。                −フランクリン
・煙草が存在しなかった時は、セックスの後で皆何をしていたのだろう。  −ヴァシリス・アレキサス
・酒は百薬の長なり。                         −「漢書」
・百薬の長とは言えど、よろずの病は酒より起これ。           −吉田兼好
・ときには我を忘れるほど酔うことも人間の特権だ。           ー山本周五郎
・大体お酒のみには二種類ありますね。酔いたい人と飲みたい人とです。  −内田百
   
・・・・・・・・
2003年05月02日(金)
758、ある医師の夢
 
  10年近く半年〜一年に一度の定期健診ー人間ドックにいっている。
 その主治医と、いつの間にか懇意になった。
 先日検診に行くと、オホーツクの僻地に赴任することになったという。
 僻地医師になるのが長年の夢で、「あと定年まで3年で、このままいても今と同じくり返しでしかない。
 一度しかない人生、夢の実現の為に思い切って決断した!」
 ほとんど長岡を出たことのない最後の人生のデザインである。人生いろいろある。
 
  青年期に読んだ本の一節で「人生、小説でないのよ、勝者が善、敗者が悪なのよ!」
 というソルジェニーツェンの小説の一節がある。
 しかし小説のように生きる事こそ人生の要諦ががあるのではないだろうか。
 死ぬ時につくづく「小説のような人生を生きていてよかった!」と思える生き方もある。
 最後は自分の納得の行く決断が人生のデザインである。
 一人で、自分で自分をどう考えるかである、それしかない!同じ人生なら納得して死んでい(生)きたい!
 
 「いいじゃないですか!もし事前に相談されたら、いけいけ絶対に行けというでしょうね!
  でもどっちも結果として大して変わりはないでしょうね!」と無意識で答えていた。
  自分の答えの冷たさに自分で驚いてしまった。「それは他人の事だら言えるのことだ!」と本人の答え。
  こういう場合は「五分五分に迷ったら行動すべき!但し結果には期待しない!」
  これは人生の私の経験則である。その真意は相手には伝わらなかったようだ。
 「そこで独りぶつぶつ言いながらつきつめ一つ一つこなしていくのが、事業の立ち上げの経験でいえるんですよね!
  その経験をインターネット上にホームーページの日記として載せた方 がよいと思いますよ。
  『僻地医師の独り言』がよいじゃないですか!」と進言した。
 「奥さんは一緒ですか?」との問いに、「いや、まず自分がいってから判断をするつもりです!」
 「最低何年のつもりですか?」 「三年です!」 「一年でもよいのではないでは?」
 「そういう訳にはいかない、僻地なので後任がそうは決まらないので辞めるわけにはいかないのです!」
  言葉の中に永住という感もあった。
 
  例えが悪いが、お屋敷の卓上犬が広野に一匹飛び出すということだ。
 設備もない僻地で、全てを独りで解決しなくてならない世界である。
 その苦労が目に見えているが、一度もお屋敷ー大病院から出たことのない人は純粋性とエネルギーを持っている、
 すばらしい事である。  こういう純粋性が教養というのだろう。
 「いま貴方にそのエネルギーがあるか?」と問われれば、「ない!」が正直な答えである。
 エネルギーというより、教養の差ともいえるのか。 先日、親戚の人の「30数年を賭けた夢の実現」と、
 「医師の夢」の話は、いまの私にとって身近で人生ドラマを見せてもらったようであった。

・・・・・・・
2002年05月02日(木)
394,「人生を変える至福の散歩」

昨夜、NHK でウオーキング特集を組んでいた。「人生を変える至福の散歩」というタイトルだった。
今更という感で見ていたが、散歩の素人向けの番組だった。15年のプロ、柔道でいうと2段くらいか。
新潟市内を平日の日中歩けば、3段ぐらいになれる。 ただ楽しい至福の時間だ。
他人のことはどうでもいいが、これだけの素晴らしい事を殆どの人が見つけていない。
家内に言っても、息子にいってもいまだ解らない。それが他人にいっても解るわけがない。
全てが含まれている。一日7^8時間歩いているという人の手記を日経新聞で読んで、凄い人がいるものと驚いた。

毎日散歩をしていて感じる事は、自然に溶け込む、自然と一体感が持てることだ。
鳥の世界が見えてくる、草木の世界が見えてくる、昆虫の世界が見えてくる。
橋が見えてくる、山が見えてくる。その世界に入っている自分が見えてくる。
太陽の光と空気の世界が見てくる。自分の人間世界の卑小さが見えてくる。
そして何よりも自分の人生が見えてくる。雀のあの楽しそうなしぜんが見えてくる。

ー過去に書いた文章をコピーしておこう。
 〜〜〜
H0311事業百訓
 最近私が造った言葉で“夜明けのリゾート・タイム”がある。
(江藤淳の“夜の紅茶”をもじったものだが)〜當(4時半〜5時半)起床
近くの土手を一時間散歩テレビ体操も堊朖ゲ搬価完のお祈り食事
風呂と続く。特に散歩が非常により。山の彼方をみながら複式呼吸をして歩く。
季節ごとの草花や鳥をみながら川のせせらぎを聞き、時々に般若心経をとなえる。
この散歩に全てが含まれても過言ではないという“気”にもなる。

 これを実施して4年、副産物としてアフター・ファイブに出あるく事と、
酒量が激減した事だ。健康食品を口にする事も加えて七kgも体重が減った。
時々不節制が続くと散歩していると身体がだるく重くなるのがはっきり判る。
また朝の風呂も非常によい。当初は疲れが残ったがなれると気分爽快になる。

早朝型のきっかけは、松下電器の山下俊彦元社長の講演を聞き、感激して自ら挑戦してみた事だ。
彼は登山がライフ・ワークであり、その訓練も含め毎朝3時半起床。1時間半10km歩くという。
そして読書とシャワーをあびるとの事。夜は定時がくるとすぐ帰宅。夜のつきあいは一切断っている。
これが逆に考える時間と、心の余裕をつくった。山下跳び(飛躍的出世)の秘密もこれがポイントだ。

ーーーーー
H0503万歩計
“万歩計”をつけてから約一年が経過する。冬期八千歩・それ以外が一万三千歩・平均して歩いた。
一年で四百二十万歩、一歩五十センチとして、二千km歩いた事になる。
江戸時代の人は平均二万歩近く歩いたという。

ある調査によると会社の営業系の人は七千歩!事務系六千歩!管理職が五千歩!
トップは四千歩が平均歩数との事。また人間の身体の構造は本来、歩くようにできているそうです。
私の場合必ず手帳に歩数をメモにとり一週と一ケ月の平均歩数を出します。
これを実施していて雨の日の休日でも傘をさしてでも散歩に出るか、
天気予報を見ながら“歩き溜め”をしたりする様になりました。

私の知人も数名万歩計をつける様になりました。
今では、万歩計をつけ忘れても大体、歩数はわかるようになりました。
参考の為に、万歩計は薬局かドラッグストアに二千円位で売っています。


2584, ただ、生命だけが‘びくびく’と生きている

2008年05月01日(木)


  ー「人生の答え」の出し方ー  柳田邦夫著 −2

    この本の「魂を揺さぶる言葉」という項目の中で
    ー「いのちの初夜」 北條民雄著ーを取り上げていた。
   ハンセン病のために隔離され疎外され、23歳で夭折した小説家・北条民雄の代表作
  「いのちの初夜」で、古株の患者が新入患者である主人公に語る言葉の一部がある。
   まず、その部分を書き写してみる。
  〜〜
「人間ではありませんよ。生命です。生命そのもの、いのち そのものなんです。
僕の言うこと、解ってくれますか、尾田さん。 あの人たちの『人間』はもう死んで亡びてしまったんです。
ただ、生命だけが‘びくびく’と生きているのです。 なんという根強さでしょう。
誰でも癩になった刹那(せつな)に、その人の人間は亡びるのです。 死ぬのです。
社会的人間として亡びるだけではありません。 そんな浅はかな亡び方では決してないのです。
廃兵ではなく、廃人なんです。 けれど、尾田さん、僕らは不死鳥です。
新しい思想、新しい眼を持つ時、全然癩者の生活を獲得する時、再び人間として生き復(かえ)るのです。
復活そう復活です。 びくびくと生きている生命が肉体を獲得するのです。
新しい人間生活はそれから始まるのです。 尾田さん、あなたは今死んでいるのです。
死んでいますとも、あなたは人間じゃあないんです。
あなたの苦悩や絶望、それがどこから来るか、考えてみてください。
ひとたび死んだ過去の人間を捜し求めているからではないでしょうか」・・−「いのちの初夜」より
  〜〜ここからは、ー「人生の答えの出し方ーより〜〜
・・ハンセン病になったとたんに、家族からも地域からも排斥され、社会的存在としての人間は抹消されてしまう。 
しかも、病気の進行によって、肉体は崩れて感覚器官も うしなわれていく。
まさしく<生命だけが、びくびくと生きている>状態になることを、北条は残酷なまでに表現している。
<びくびく>という形容詞が、情景と本質を正しく表現する決め手になっている。・・
・・この作家が川端康成に出した手紙の中に次のような文章がある。
「この作品は書かねばならないものでした。・・僕には、生涯忘れることの出来ない恐ろしい気(ママ)憶です。
・・僕には、何よりも、生きるか死ぬか、この問題が大切だったのです。」
  〜〜
 解)
  「人生の答え」など、あるわけがないと、この本を読むまでは考えていた。
   ところが、此処には、その答えがあったのである。
   この本の構想のメモには、
 <俺は俺の苦痛を信じる。如何なる論理も思想も信じるに足りない。
   ただこの苦痛のみが 人間を再建するのだ。>
  とすざましいことをいっている。
   人間は、死を直前に突きつけられると「生きる意味」に気づかされるのである。
   死を目の前に突きつけられると、自分が宇宙のチリの中の微粒子の、
   そのまた無に無限に近い存在に気づかされるのである。
   そして、そこから改めて現世に振り返って、そのことを考えている己を見つめ直すと
   生死の際でボウフラのように、ふわふわしている存在に大きな愛情を感じる。
   著者のライ患者・北条は、そこで苦しみ苦痛こそ、崩れ去ろうとする人間性を再建させてくれると悟り、
   書くことに全てを捧げる。 それこそが、人生の答えの出し方である。 
  「その苦痛こそ、多くの人間の苦悩を救うことが出来る。それを書くという一点に全てを集中すること」
   それが人生の答であると、柳田邦夫は看破している。

 ・・・・・・・・・
2007年05月01日(火) 2219.平凡って幸せなの?

おはよう! (=゚ω゚)ノょぅ!

    数日前の出勤前の朝飯の時に、家内が神妙な顔をして
   「平凡な生活って幸せなの?」と聞いてきた。
    私が読んでいた「14歳からの哲学」(池田晶子)を、
    この数日の間、読んだ影響だろうと思ったが、
    待ってましたとばかりの瞬時の私の答えといえば・・・
    ーー
「もちろん、平凡ってのは幸せだと思う。
何でもそうだが、平凡の生活も、非凡も、現象をどう受けとめるかだ。
脳には長年かけて作りあげた、絶対超越言明という、言葉の受け皿がある。
その受け皿が<受け止め方>として、自分の脳の中で、経験を分類・整理を
するようになっている。だからマイナス要素の強い人なら、その受け皿の分類で何ごとも
マイナスに選り分けることになるし、プラス要素の人ならプラスに分類・整理をするだろう。
だから、平凡な生活が幸せかどうかは、それぞれの人によって当然違ってくるし、
他人がとやかく言う問題ではない。
平凡な生活という言葉だって、その人の受け皿の分類でしかないじゃないか。
その辺の連中は、自分で受け皿がしっかりできてないので、
他人のことが気になって、その比較しか判断基準がないので、
平凡な生活が、幸せだとか、非凡の日々が如何だとか言いたがる。
要するに教養がないということ。」何か、あまりにスラスラ出たので自分でびっくりした。

    ところで平凡って何だろうか?
   「平凡って何?」と検索をしたら、面白い問題設定に、色いろな答えが次々と出てきた。
   「人間は深いところで生きているのに、驚いてしまった。
 ーー
<平凡な生活に対する疑問>
毎日を平凡に生きている人間って、どうして生きているんでしょうか?
はっきり言って僕は、そういう人間は死んでしまってもいいと思います。
毎日何も変化のない暮らしというのは最も最低な人間の生き方と思うのですが・・
みなさんはどう思いますか?

*この答えが、素晴らしい
これは次回のお楽しみ!

 −−−−
2006年05月01日(月)
1854, モーニング・ページ、7週間経過
             ォ'`ョ━━(。・∀・)ノ゙━━ゥ★

毎朝、ペンが動くままノート・3頁に書き込む「モーニング・ページ」を始めて7週間経過した。
「8週間は読み返さないこと」と、あったので、ほぼ見てないが、あと7日で8週間になる。
MPの一週間の総括を始めるとまた変わってくるだろう。
(週末に一週間単位に20分かけて一ページの総括をする)

    7週間のMPの感想といえば、毎日が驚きに連続である。日記はその日の出来事を書くが、
    M・Pはただ頭に浮かんだことを書き込むのだから、違ったものである。
    慣れてくると、何が出てくるか面白くなると同時に、気の重さは全く無くなる。

7週間も経過しても、書き出しから何を書いてよいか戸惑う。
そのため前日の出来事を思い出して書き込むか、朝方に考えたことや、
前夜に見たドラマとか、夢とか・・・になる。 それが良いのだ。
日記は、その程度の内容は自分の中の検閲官が、まずは書き込みを拒否する。
しかし、その検察官が拒否した内容こそが宝の山である。
MPは真っ白な頭で、真っ白なノートに書き込むのだから、自身の検閲官のチェックは最小になる。

    せっかく面白い発想が出ても、良い話を聞いても、大部分が忘却の彼方に消えてしまう。
    一日経っても残っているだけで、その中に重要なことが含まれているはず。    
    MPを続けていると普段自分の考えていることが、ノートにそのまま現れてくる。
    朝起きざま、そのまま頭に浮かんだことを書き込むのだから当然。
    
普段自分が考えていることを誰がチェックしてくれるのか?
自分しかない!それをMPがしてくれることになる。
    
    最近になって「若いときに、このことに気づいていれば!」という知識がいやに多く入ってくる。
    浅い教養の自分に人生の後半になって、誰もが?気づくのだろうが!

                   ヾ(^ω^*) バイバイ!
・・・・・・・・・
2005年05月01日(日)
1489, 男と女ー2

あるHPの「男と女」の格言が含蓄の深いものが多い。
私の「my感想」を加えるてあるが、品位を疑われる内容もある。
初めて読むときは、私の感想を見ない方がよい。

それにしても、よく集めたものだ。そして男と女の本質をズバリついている。
読んでいると、耳年増になってしまう。

「人間に男と女があるのではなく、女と男を合わせて人間という」というジョーク?がある。
この格言をじっくり読むと、それもそうだと思ってしまう。それだけ、身体と心の構造が違う。 
だから面白いのだ。何回か読まないと、奥行きの深さが解らないものもある。
ーーー

まずは
ー男とはーの格言から

・どんな男の人と一緒になってみても同じ事だろうと私が言うと、
「そんな筈ないわ、石鹸だって、十銭と五十銭のじゃずいぶん品が違ってよ」
                    ー林芙美子「放浪記」
       ーmy感想ー女にだって言えること、長くつかわないと
        解らないのところが石鹸と違うが

・身も心も愛して欲しいのに、なぜ男は冷たいふりをするのよ。
                  ー川端康成(「雪国」のキャッチコピー)
       ーmy感想ー男はシャイなのです
 
・こんなことをしたら嫌われるのではないかと、何もしない男が一番嫌われる。
                    −中谷彰宏
       ーmy感想ーそれで何時も嫌われていました。
             それだけでもないか?

・人生が歌のように流れている時に楽しい気分になるのは容易だ。
 だが、立派な男とは何もかもうまくいかない時でも笑える男だ。
                    ーE.ウィルコックス
       −my感想ー私の場合は何時も引きつった笑いになってしまう!
      
・男ってなぁ、普段なんか茶色だろうが灰色だろうが構やしないんだ。
  いざって時に黄金色に輝やきゃあな。
                    −本宮ひろ志(漫画家)
       −my感想ー金メッキが多いからね、娑婆には。
             メッキの内側の色の方が良いのにね
             いざって時に、その茶色とか灰色が輝きゃよい

・男というものは、女房が小難しいことを喋っているときより、
 自分の食卓にうまい料理があるときのほうがもっと嬉しいものである。
                    ーサミュエル・ジョンソン
       −my感想ーうちの食卓には、あり得ないもんね?
             旨い料理は。
             料理上手は、床?手というから
       
・男は自分の知っているたった一人の女、つまり自分の妻を通して、
 女の世界全体をいい加減に判断している。
                   −パール・バック『男とは、女とは』
       ーmy感想ー ・・・・・・・・?
       
・男というものは……家ではまったく邪魔になります!
                    −ギャスケル夫人
       −my感想ー連休など、身の置き所が無い悲しみが・・・
       
・女に懲りるのは一度でたくさん。
 だれもがそう思いながら二度三度と繰り返す。
                    ー田中澄江
       ーmy感想ープロセスが良いからです
       
・私は女性が愚か者であるということを否定はいたしませんが、
 全能の神は男性につりあうように女性を作られたのです。
                    ージョージ・エリオット

・床の上で自分の子供の電気機関車をいじくって三十分を空費することのできる男は、
 どんな男でも実際は悪い人間ではない。
                    −シメオン・ストランスキー
       ーmy感想ー取り上げて、一日中イジクッテイル奴は馬鹿!?

・男というものはつねに女の友であることは決してありません。
 他に愛する女を持っているときは別ですが。
                    −リュー

・自己侮蔑という男子の病気には、賢い女に愛されるのがもっとも確実な療法である。
                    ーニーチェ
       −my感想ーしかし軽蔑もされよう
       
・男は建設すべきものも、破壊すべきものもなくなると、非常に不幸を感じるものである。
                    −アラン
       ーmy感想ーいまは幸福です?

・どんな男でも、ある女性を自分のものにしようとするときは、
 その人が自分の愛に最もふさわしい女性であり、自分がこんなに夢中になるのも
 もっともなことだ、と思いこんでいるのである。
 そして、それが迷いであったと気づくのは、
 あとになって別の女を愛するようになったときである。
                    ーアルツィバシェフ
        −my感想ーうんだ、うんだ!

・女は男に欠点があるからこそ愛するのだ。
 男に欠点が多ければ女は何もかも許してくれる。我々の知性さえもだ。
                    ーワイルド
       ーmy感想ー知性があればの話だろう 
  −−
 偶然の一致だが、たまたま去年の同月同日も
 同じHPからの抜粋であった。 面白いものである。
                     ー つづく
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2004年05月01日(土)
1124, いま不幸と思っている人へ

不幸論を書いたことがあるが、一般に自分のことを不幸と思っている人が多い。
幸・不幸は、気分と解釈の問題でしかないと割り切って考えないようにしてきた。
躁の時は幸せ気分、鬱の時は不幸せ気分でしかないと。
何げなく検索をしていたら、面白いHPに「不幸について」多くの格言がまとめてあった。

これを見ているだけでも、こころやすまるから不思議である。
結局他人と比べてしまうのが人を不幸にしているのだ。

「人は自分が幸福であることを知らないから不幸なのである」
といったドストエフスキーの言葉が真髄をついている。
仏様は人間は生きている限り、苦しむものだと看破をしてそれを「四苦八苦」に分類。
それを乗り越えるために「八正道」を説いた。先人の不幸に対する解釈も深い。

ー面白いところだけを抜粋してコピーした

・もしある人が自分の不幸な出来事について話したら、
そこにはなにか楽しんでいるものがあると思って差し支えない。
なぜならば、本当にみじめさだけしかないとしたら、その人はそんなことを
口にしないだろうから。 ーサミュエル・ジョンソン
・不幸なる人々は、さらに不幸な人々によって慰められる。
      ーイソップ
・他人の悲劇は、常にうんざりするほど月並みである。
      ーオスカー・ワイルド
・人間には幸福よりも不幸のほうが二倍も多い。
      ーホロメス
・大多数の人間は、静かな絶望の生活を送っている。
      ーヘンリー・デイヴィッド・ソーロー
・すべての不幸は未来への踏み台にすぎない。
      ーソロー
・不幸に対する特効薬はありません。ただ昔から
退屈な忍耐とか、あきらめといった美徳があるのみです。
      ーアルドゥス・ハックリー
・結局のところ、最悪の不幸は決して起こらない。
たいていの場合、不幸を予期するから悲惨な目に会うのだ。
      ーバルザック
・不幸な人間は、いつも自分が不幸であるということを自慢しているものです。
      ーラッセル
・それ自体の不幸なんてない。自ら不幸を思うから不幸になるのだ。
      ーアルツィバーシェフ
・不運な時に幸福な時代を思い出すことほど辛いものはない。
      ーダンテ
・人生の小さな不幸せは、我々が大きな不幸を乗り越えていくのを助けてくれる。
      ーエッシェンバッハ
・人間には幸福のほかに、それとまったく同じだけの不幸がつねに必要である。
      ードストエフスキー
・どんな不幸のなかにも幸福がひそんでいる。どこに良いことがあり、
 どこに悪いことがあるのか、我々が知らないだけである。
      ーゲオルギウ
・明日、なにをすべきか分からない人は不幸である。
      ーゴーリキ
・「今が最悪の状態」と言える間は、まだ最悪の状態ではない。
      ーシェークスピア
・時間がやわらげてくれるような悲しみは一つもない。
      ーキケロ
・いつまでも続く不幸というものはない、じっと我慢するか勇気をだして
 追い払うかのいずれかである。
      ーロマン・ローラン
・人間は、自分が考えるほど不幸でもないし、それほど幸福でもない。
      ーラ・ロシュフーコー
・人間には不幸か、貧乏か、勇気が必要だ。でないと人間はすぐに思いあがる。
      ーツルゲーネフ
・人生は学校である。そこでは幸福よりも不幸のほうがよい教師である。
      ーフリーチェ
・絶望は死にいたる病。
      ーキルケゴール
・不幸はナイフのようなものだ。ナイフの刃をつかむと手を切るが、とってをつかめば役に立つ。
      ーメルヴィル
・不幸はこれを語ることによって軽くすることができる。
      ーコルニィエ
・人は自分が幸福であるだけでは満足しない。他人が不幸でなければ 気がすまないのだ。
      ールナール
・禍福は糾える縄の如し。  ー老子

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2003年05月01日(木)
757, ミスマッチ
(字数の関係でカット2,008年5月01日)

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2002年05月01日(水)
393, 倒産の後先

子供の時の両親の話題はいつも「倒産、夜逃げ、自殺の話し」であった。
子供なりに刺激の強い話しであった為、記憶に鮮明に残っている。
少し上手くいくと、「妾」か「ライオンズ」か「商工会議所」通い。
本分を忘れてしまうものらしい。子供ながらに「人間は幼稚なものだ」と感じていた。

現在の全国の会社の70佑赤字、30佑倒産予備軍(いつ潰れるかの線上)という。
県内はこれより更に悪いという。身近で多くの倒産を見てきた。(誰もが見てきているはずだ)
人間の死と同じで悲惨で直視できない。離婚などの家庭崩壊がそれに加わるからだ。

それと最後は資金繰りのため、詐欺同然までに陥ってしまう。
「狂言自殺」や「??揃っての計画的詐欺」よくやるなというほどの知恵を出す。
それを社員や親戚や同級生や親友にやるから深刻になる。
子供の時より子守唄のように聞いていたが、
いざ自分が実際目の辺りでであうと、そのリアルな悲劇にとまどってしまう。
事業をしていると常に倒産の危険に出会うが、ついついその備えを忘れてしまう。

それを予防の為に反面教師という意味で、そういう場面にあった時それを直視する。
時代が変化する、事業の利益はその先取りからくる。変化の先行益であることを忘れてしまう。
したがって常に時代を読み、自分を変えていかなければならない。
変化対応の体質を作っていなくてはならない。

それでも今までは愚直にやっていれば、何とか生きていけたのだが。
今はそうは行かない時代に入ってしまった。実質社会主義制度から
資本主義制度の移行期であるからなおさら難しい。

事業は上手くいっている時は天国、上手くいかなくなったときは地獄である。
坂道を転がり落ちるように破滅へ向かう。難しいといえば難しい。
そうでなくては誰もが自分で事業を興すだろう。特に金の心配は地獄の苦しみという。

こと事業に関して、資金繰りがつかない時点で即倒産だ。ゲームとはそこが全く違う。
その危なさが面白いとは、上手くいっている時の感情・感想でしかない。
またサラリーマンとは全く違うところだ。

 

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