堀井On-Line



2583, 全日本柔道選手権

2008年04月30日(水)


毎年、この大会を楽しみにしている。
特に、オリンピックの年のこの大会は、異常な熱気に包まれる。
日本の柔道家は、オリンピックより、この選手権に勝つことを重要視している。
今年も、準々決勝から放送されたが、どの試合も熱気に満ちた劇的な試合が続いた。
特に、準々決勝の棟田・生田戦と、井上康生と高井戦が劇的な戦いであった。
それまでの全てをかけた男同士の極限の戦いということ。
結果として、石井と鈴木の三年連続決勝戦になった。
普通の人なら、この試合は凡試合で、後味の悪い幕切れと見るだろうが、私は違う。

試合は、石井の準決勝に引き続いての後味の悪い内容だった。
相手に技をかけさせないで、焦りを誘い僅差で勝つ作戦。 21歳の若さの男の戦いではなかった。
解説者も準決勝を見ていて、これでは勝ってもオリンピック出場も微妙でしょうと、怒りを顕わにしていた。
ところが決勝も先に技ありを取った後に、反則ギリギリに逃げ回っていた。
解説者が怒り心頭に「これは全日本柔道の決勝の内容ではない!」と吐き捨てる解説。

そして石井が勝った瞬間に、涙がボロボロこぼれた。初めは嬉し泣きと思っていたが、
優勝インタビューでは、「自分の試合内容が惨めで悔しい。恥ずかしい。」
と大声を出して泣いたのである。 表彰式も、会場が白けた雰囲気であった。
全日本柔道選手権を30年来見ているが、いや他のスポーツの優勝インタビューで、大の男が
自分の試合の内容の悔し涙を出して語るのは始めてである。
元々、そういう試合をする選手だったが、自分でも解らないうちに試合の展開上、
身体が勝手に、そう動いてしまうのだ。それだけ、真剣勝負のプレッシャーの中で、
勝つという一点に気持ちが向いているのである。
特にオリンピックでは彼のような戦術が必要である。何とも印象深い大会であった。
井上康生選手については、語る必要がないだろう。 ハングリーが、背景にないと勝てないということだ。

書き終えて、気づいたことだが昨年を除いて毎年、この日本柔道選手権の総評を書いていた。
なるほど言葉に残していると、過去の自分に出会うということである。


・・・・・・・・・
2007年04月30日(月)
2218, 団塊格差は、かくもついたり
                  (p≧w≦q)オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪    
   『団塊格差』三浦展著   ー読書日記ー

   2005年12月に、この著者の『下流社会』について書いたことがあった。
   今度は『団塊格差』という本が書店に並んでいた。
   丁度、団塊の世代が今年から定年を向かえるのでタイミングがよい。
   これもまた買うほどでないので、ネットで概要を調べてみた。
   時代背景が良かったので、格差がついたとしても、
   それぞれの立場で納得しているところが、見かけられる。
   総中流時代の中で、結果として格差がついても、時代の恩恵は受けていた年代である。
   歴史的にみても、団塊の世代は日本の黄金時代の背景があった。
   格差がついたとしても、それが如何した!でしかない。
   格差は、その子供たちに直接影響を受けるから、問題は子供である。
   それが大きい!が、 しかし、どれが如何した!と言えば、それまでのこと。

 ーまずは、ネットで調べた内容からー
 
月刊誌『文藝春秋』との共同調査で、2000人の男女から得られた様々な数字を基に、
「団塊たち」の人生60年とこれからを考える
*貯蓄:   300万円未満ー29%、 2000万円以上ー19% 
*退職金:    なしー35%   2000万円以上ー28%
 
人生60年の棚卸しをしてみたら、実は団塊の世代にも大きな階層間格差が!
月刊『文藝春秋』との共同調査をもとに、所得、資産、仕事、結婚、定年、
子育ての視点から現状を分析。
・女性にはもてたい43%、
・不倫したことがある28%なども含まれている。
『下流社会』の著者が、団塊世代の格差をとらえている。

     ー団塊格差ー
   1.リッチ・シニア層
     退職金は2000万円以上、充分な年金、ある程度の資産を保有。
     職業を持つ場合、実業家であれ、再雇用で会社従業員になるにしろ、
     収入のためというより、社会貢献の一環として、好きで働く層。
     職業を卒業した場合は、ボランティア活動をしたり、趣味に生きたり、学問や研究をしたり、
     自分の好きなように、自由に、有意義にセカンド・ライフを送ることができる階層。
   2.アクティブ・シニア層
     金銭的に不安があるため働かざるを得ないが、法制度の改正にうまく乗って、
     シニアになっても職業を得ている階層。 例えば、労働基準法の改正による、
     会社の雇用延長制度や再雇用制度を上手に利用して就職できている人々。
     健康で元気なうちは良いが、病気やケガで働けなくなると心配。
   3.ワーキングプア・シニア層
     金銭的に不安があるのに、アクティブ・シニア層のように収入を得る職業に就くことも難しい層。
 ーー
 調査が浮き彫りになった団塊世代こととは何か。
  著者があとがきに記している次の一文が、それを端的に表している。
*「団塊世代はマスメディアによってつくられた大きな虚像である、という側面があるのではないか」。
 当然ながら、この世代にもいろいろな人がおり、‘リッチな趣味の人’というのが平均的な姿ではない。
*「男性の個人所得」には大きなバラツキがあり、「高所得1割、中所得7割、低所得2割」になっている。
  定年を前にして「所得150万円未満」の人たちが1割いることを見ても、団塊世代の殆どはリッチ」でない。
 「貯蓄500万円未満」が4割、「退職金なし」が35%。その一方、貯金も退職金も多額の額という人たちもおり、
  社会問題になっている「格差」「二極化」が進行している。
*「夫婦関係」というと。「世間のイメージはまあまあ正しい」と言えない。
 「女性のほうがより離婚願望が強めであることはたしか」
 「定年と共に捨てられる団塊男性が増える」と分析を行う。
  自分たちはがむしゃらに働きながら、しかし
*「本当は好きなことを仕事にするのがいちばんいい」
  という価値観を持っているこの世代の人たちは、その夢を自分の子どもに託す傾向が強いと分析。
 「ムリに嫌な仕事をする必要はない」「自分に合った仕事をゆっくり探しなさい」
  と言われて育った子どもたちは、“自分さがし”から派遣、フリーター、ニートの道を歩むことが多い。
 
      団塊世代の子どもの3割(在学者を省く)が非正規雇用者という。
      妻は離婚願望を秘めていて、子どもはフリーター。 
      団塊世代にもひとつだけ胸を張れる点があるとすれば、
     「仕事人生に満足」という人が過半数を超えていること、
      そして、仕事に対する満足度には学歴でほとんど差がない。所得や職業に学歴が決定的な因子ではない。
      学歴にかかわらず階層の上昇が可能だったことも、調査結果は明らかになる。
      彼らには自分のやる気や努力ひとつで人生を変えられる、という自己決定権が与えられていた。
     「自分の人生は自分のもの」と思い込む自由は、手にしていた。
      これが、自分の階層が親の年収や学歴であらかじめ決められ、
      そこから這い上がるのが困難ないまの若い世代とは、決定的な違いなのである。
 ーーー
 以上が著者が描き出した「団塊世代の実像」である。
  私の見たところ、「質的に元々格差がついていた」のが、そのまま結果となっただけ!
 分別される中学校の同級会や同期会に出ると、そのことを感じとれる。
 この年代の二年先を露払いをしてきただけに、非常に興味がある問題である。
  ただ、収入や社会的活躍だけで、その人の価値をハカルのはどうかとおもうが。             
  しかし、あながちピンとが外れてもいない。 受けとめ方、受けとめ方、それぞれの!  
                     (*・ω)ノβψε★βψε
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 2006年04月30日(日)
1853, 全日本柔道選手権
      (☆-v-)。o○《Gооd Мояйiиg》○

毎年、4月29日は全日本柔道選手権が行われる。
この数年来、このテーマで書いているが、前年度を全く読み返さないで書く。
その後以前の内容を読むと面白い。同じ日に同じテーマで書いていると、
その時々の選手の力関係だけでなく、それを見て書いている自分が見えてくる。
別に柔道が格別好きということではない。一年に一度の大勝負の真剣試合だから面白いだけだ。
年末の全日本相撲選手権も同じである。この大会は、階級別でないのが面白い!

    今年の大会は、前評判の選手が順当に勝ちあがってきたが、19歳の最年少、
    初出場の石井選手が初優勝をした。決勝戦は優勝最有力の鈴木桂治選手が勝ちあがり、
    有力選手の中では伏兵の石井選手と対戦をした。最終まぎわまで鈴木選手が一方的に
    攻めていたが最後の4秒前に、石井の捨て身の技で敗れてしまった。勝負とは面白いものである。        
                  (*^ー^)/C□~~ コーヒー 
もっと面白いのは、優勝インタビューで
「自分は、この優勝より近くに行われる次の団体戦に焦点を合せているので、気をぬかないようにします」
と答えていた。聞きようによっては日本の全柔道人を馬鹿にした答えである。
何を自分が成し遂げたのか解っていなかったのだろう。
大相撲の朝翔龍が、日本的儀礼を小馬鹿にして根こそぎ権威とやらを叩き壊したのに類似している。
それと、苗字に「井」という字がついている選手が多い。井上、高井、穴井、石井と。
昔、プロ野球で国鉄に「田」がついている選手が多かった。金田投手がいた頃だ。何か?あるというが。

     あるセミナーで、講師が
   「参加者の誕生日を、これから聞きます。必ず同じ月生まれの人に偏っているいるはずです」
    と言って、それぞれの月ごとに挙手をしたところ、極端な偏りがあった。
     話題が逸れたが!     バイバイ♪(ノ´∀`*)ノ     
  −−
 以上を書き終えたあと、以下の文章を読み直してみたが、数年来、
 出てくる選手の顔ぶれは変わっていない。鈴木に、棟田に、高井に、穴井とベスト8に出ていた。
 井上と、棟田の力が落ちてきたのが、流れから見えてくる。
 高井が次の有力選手と思われていたが、石井が割って入ってきた結果になった。
 
・・・・・・・
2005年04月30日(土)
1488, 全日本柔道選手権−4

この数年間、4月30日には全日本柔道選手権について書いてある。
今年も書かなくては気持ちが悪い。毎年、同じ日に同じ対象を書き続けるのも面白いものである。
昨日は、去年に続いて鈴木桂治選手が優勝をした。
ライバルの井上康生選手が休場した為に、今ひとつ盛り上がらない大会になった。
棟田選手も早々と負けてしまったし、若手の高井選手も元気がなかった。

そして予想通り鈴木選手が村元選手を破って優勝をしたが、僅差であった。
気になるのが、若手で生きのよい選手がいないことである。
いつの時代にも必ず若手でいるものだが、現在は見当たらない。
高井、穴井というのがいるが、井上、鈴木の若い時の輝きはない。仕方がないのだろ。

今年の総評も、書くほどの内容はなかった。
相撲も、柔道も、どうしても時代の勢いによって選手のレベルが決まってくる。
そして、優秀な選手には必ずライバルによい選手がいるものだ。
この4年間の文章を読んでいても年々、柔道のレベルが落ちていくのが解る。

桜も充分見たし、連休で英気を養って夏を向かえる何時ものパターンである。
そういえば鯉幟の姿を殆ど見かけないが、地震のためだろうか。
この三年間の文章を読んでいて、同じような文章を書いている自分が其処にいる。
それと、殆どの記憶は忘却の彼方になっていることに気づく。

読み返してつくづく思う事は、とにかく書き残すべきことは書き残したほうが良いということだ。
TPOSの時の具体的な事と、その時の正直な気持ちを言葉に書き残す事は自分の気持ちの刻印になる。

・・・・・・・・
2004年04月30日(金)
1123, 全日本柔道選手権−3

今年で3年連続で「全日本柔道選手権」について書く。日記を読み返してみても、この選手権はドラマがある。
なんといっても準決勝で鈴木と棟田のオリンピックをかけた勝負が伯仲をした面白い内容であった。
二人の実力は五分であったが、消極的ととられた棟田が注意・指導ー有効の差で負けた。
これで鈴木が100キロ超級でオリンピック出場が決定をしたが、終わってしまえば
やはり順当というところであった。 負けた後に涙をこらえていた棟田の姿もよい。

最後は最優勝候補の井上康生を鈴木が勢いで破って優勝をした。
鈴木も前回、負けた井上に勝ったのだから、自信を持ってオリンピックに出場できるから、
このオリンピックも期待できるようになった。
当分この三人が100キロ級と100キロ超級の二つの枠をかけて争いながら日本の重量級を引っ張るだろう。
これと、天皇賞と、連休が終わるとで春は終わり、初夏に入ることになる。

・・・・・・
2003年04月30日(水)
756, 全日本柔道選手権−2

去年も書いたが4月29日は講道館ルールでおこなわれる「全日本柔道選手権」がある。
勝てば天皇杯をもらえる。 毎年必ず楽しみにしてみている。無差別でおこなわれるのが面白いし、
毎年何らかの因縁の試合がある。
今年は、
・篠原選手が引退をかけて出場してきた事と
・鈴木と井上選手の勝敗がどうなるかである。
数ヶ月前の世界選手権をかけて争った体重別選手権で鈴木が勝った。
しかし過去の実績で代表は井上が選ばれた。
もし今度も鈴木が勝てば、井上の代表はどういうことか疑問を持たれる。
結果は井上が一本勝ちで面目を保った。
優勝インタビューで井上は男泣きしていたが、鈴木も表彰式で泣いていた。
篠原は僅差で負け引退をした。去年準優勝の棟田は怪我をおして出たが、
そうそう負けてしまった。感動的な緊迫した一瞬も見逃せない真剣勝負が多かった。

 ・・・・・・・・・
 2002年04月30日(火)
392, 「全日本柔道選手権」−1

4月29日といえばこれである。この面白さは体重別でない事だ。
軽い体重の選手が結構勝ち抜く。それと真剣さを感じる、永年の歴史の重みであろう。

柔道の面白みはもともと「小さいな男が大男を投げ飛ばす」ところにあった。
それが世界的に広まっていく過程で、階級別になっていった。
それぞれの体重別のトップが次々に出てくるところが面白い。
その人が2〜4ランク上の準実力者と闘うからだ。
100キロの井上が150キロの選手を投げ飛ばしたていた。
最後は井上が一ランク上の棟田を破り優勝した。

この試合が近年まれなるよい試合であった。
両者とも絶対に勝つというぶつかり合いで、会場も異様な熱気に包まれた。
一〜二階級の違いなら、トップクラスの方が勝つ事が多い。勝ち方を知っている為だ。
四月最終日曜日の天皇賞と、これを見て初めて連休を実感する。ああそれと鯉のぼりだ。


2582, 柳田邦夫の2.5人称の視点

2008年04月29日(火)


        ー「人生の答え」の出し方ー柳田邦夫著 −1

柳田邦夫著ー「人生の答え」の出し方ーに「2・5人称の視点」という言葉があった。
その意味を噛締めてみると、成程と合点がゆく良い言葉である。
学生時代のゼミで、色いろな人間関係の実例を取り上げ、それぞれ原因を探り、
解決策を討論する事例研究を一年にわたり徹底的に鍛えられたことがあった。
この本を読みながら気がついたことがある。 それは事例研究から学んだことは、
一人称、二人称、三人称、そして一・五人称、二・五人称の視点の訓練をさせられたことである。

ーその二・五人称とは何か?を大筋書いてみる
一人称は、自分、
二人称は、あなた、家族など身近な人、
三人称は、専門家、役人、ジャーナリスト等、客観的に見る人。他人事とみる視点。
三人称は「事態を客観的に見る良さがあるが、悩んでいる、落ち込んでいる一人称、二人称からは冷たく見えてしまう。」
そこで、三人称の人も二人称に歩み寄り、同時に二人称に埋没しない「2.5人称の視点」を持つべきだと。

1人称、2人称の視点だけでは感情に走って冷静な判断が下せなくなる。
といって他人事としての3人称の視点であれば、冷たく突き放す見方が優先する。
求められるのは、1人称と2人称を考慮に入れつつ3人称的な冷静な判断を下せる、
2.5人称の視点が、柳田邦男さんの「2.5人の視点」である。
冷静・客観的な、それでいて人間性豊かなかかわり合いを持てる人間こそ2・5人称の視点を持った人、ということだ。
二人称に限りなく近づくが、どっぷりと二人称になると、冷静な判断かつ正しい処置ができなくなる。

そうすると「1.5人称の視点」「0・5人称の視点」「4人称、5人・・・称の視点」と考えてみた。
1・5人称の視点は、夫婦、親子、兄弟間のこととか・・・
0・5人称の視点は、自分の中の神の目の視点とか、良心の視点とかである。
 −それにしても、0.5、1・5、2・5とは面白い切口である。
思いやる心、温かい心、慈悲、感謝、感激、愛する心などなどということか。

・・・・・・・・・・
2007年04月29日(日)
2217, ネットカフェ難民 
        ヽ(★>з<)。o○[ォハヨ]○o。(>ε<☆)ノ
   
   今年になってから、インターネット難民という言葉を見かけるようになった。
   駅前で宿泊業をしているので、こういう現象に敏感になる。
   当ホテルにもビジネスホテル難民?が数年前までぺアで1〜2組、入れ替わり立ち代り宿泊をしていた。
   12屬良屋に3〜10年の長期滞在になるが、身なりはシンプルで、キチットしている。
   水商売で色いろの事情があるようだ。もちろん警察にはマークされるが、犯罪にはつながってない。
   今年になってから、急にネットカフェ難民という言葉が目立ってきた。
   家内の話によると「最近は24時間営業のファースト・フード店やファミレスに若者難民が屯して、
   ドリンク一杯で一晩うつ伏せで寝る現象が出てきた」とTVの番組で扱っていたという。
   新潟駅前のビルの1Fにあるロイヤルホストに夜明かしをする若者がいる!と聞いたことがあったが・・。

*「ネットカフェ」をインターネット辞書のウキィペディアで検索したら・・
 ー概説ー
ナイトパックが利用可能なインターネットカフェ。
コインロッカーの一例これまで過ごしていた自宅(実家やアパート)や寮を諸般の事情
(家賃の滞納や家庭の事情など)で退去して、24時間営業のインターネットカフェや
漫画喫茶で夜を明かし、日雇い派遣労働などで生活を維持している若年者を指す。
ホームレスに代わる用語として2007年頃より用いられている。
一般的な高齢化による求職難、働く意思・意欲が無くホームレスになった人々とは対照的に、
ネットカフェ難民は働く意思を持ち、日雇い派遣労働に従事するのでホームレスの用語を
あえて使用せず、マスメディア側で2007年頃から便宜的に作られ使用されている造語である。

 ー雇用環境の変化ー
身の回りの荷物の収納を8時間100円で使用できるコインロッカー、シャワー施設を完備し、
低額料金のナイトパックで利用できる個室席を完備したネットカフェなどの増加を要因と
した社会情勢の変化でネットカフェ難民になることへの敷居が低くなったことも一因として挙げられる。
ブル崩壊後のフリーターの増加、多くの企業ではコスト削減・価格競争力を維持するために
派遣労働者の比重を高めてデフレ経済の中での生き残り策を模索し、それに比例して
正社員雇用の採用が低下するなど幾つかの要因が重なり合った日本経済の雇用実態の姿を映し出している。
ーー
 以上であるが、ネットカフェ難民とは! 日本も変わったものである。
 セカンドハウスと思えば、安く便利だろう。団塊の世代が定年を向かえるが、
 粗大ゴミとして扱われる彼らの「昼間の避難所」として非常に良い空間になる。 
 こちらも切実だろう。     (TωT)トホホ!
                     (○´ω`○)ノ**SeeYou**(○´ω`○)ノ
・・・・・・・・
2006年04月29日(土)
1852, ローマから日本が見えるー8
 才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*)

二つのネットワークのうち、まずローマ連合と、その成り立ちとは?
 ーー
ーローマ連合とは、その成り立ちー
 *ローマ連合は大きく分けて、 5つの要素で構成されます。
(以下、字数の関係でカット2,008年4月29日)
   ーー 
     以上であるが、これは大手企業グループの資本金の比率などの構成に酷似している。
     学者などはローマ連合を類推して、その合理性を導き出しているのだろう。
     現在の政治経済に、そのまま当てはまることが多くある。
                        − つづく
                ヾ(^ω^*) バイバイ!
 ・・・・・・・・
2005年04月29日(金)
1487, 郵政民営化と自民旧守派

郵政民営化は、至極当然の流れである。しかし、反対派との猿芝居で殆ど骨抜きになったが、
国鉄の民営化より先にしなければならないことであった。

この旧守派の連中のトップで反対しているのが、トナミ運輸のオーナーで、前の橋本派(恥元派)の
現在の実質トップの綿貫という男。自社の利益を守るための反対であるのは自明である。
郵政が民営化されると、一番困るのが運輸会社である。もう政治とか何とかいっている以前の話である。

こんなのが、政界の中心にいるというからエログロである。
この男の反対理由に「利益だけではなく、公共の利益を考えなくてはならない」
とか言っておられる。自社の利益を守るためであるのは誰の目にも明らかである。
これが政治家だというからお笑いである。それも元衆議院議長というから、その質の低下もいいところである。

政治的犯罪行為が露出しているのが、この連中には解らないのだ。
あの亀井静とかいう政治家も、政界にまだ存在しているから恐ろしい。
郵政族と称する票?食(乞?が怒るか?)も哀れな存在でしかない。
言葉が汚いかも知れないが、この連中のことを書くかぎり言葉の方が汚れてしまう。
彼等の存在と名前は、汚点として政治歴史として間違いなく残る。

自民の旧守派どもが郵便預金を露悪的公共事業に注ぎこんできた主犯。
その残党どもが、その元金を断ち切られるのを恐れて反対をしているに過ぎない。
恥を知れ!というほどのレベルでもないが。
書いていても情けないというより、その醜悪の姿に日本の将来に絶望を感じる。
こういうのが、まだ存在しているのだから。

国鉄を振り返ってみれば、郵政の民営化は当たり前のことである。
郵便局の存在は国鉄の数倍も国にとって効率の悪い存在でしかない。
何が公共的存在というのか。国鉄の末期のとき、共産党と社会党の連中が同じことを言っていた。
コンビニで郵便局の存在意味は、ほぼ終わってしまったのだ。
特に、郵便局の連中の言い訳に羞恥心があからさまに見えていた。。
あまりの非合理性を自分で知っているからだ。

とにかく自民党を潰さなくては! 小泉も含めてだが。
民主党の党首が、あの程度である。 貧すれば鈍するが今の日本の政治である。

・・・・・・・・
2004年04月29日(木)
1122, 「ライフ・レッスン」ー8
 ー怒りのレッスン

・怒りは文字通り腹部でつきあわなくてはならない。
そのこつを身につけるには、眼をとじて、片手を胃のあたりに
当てるとよい。脳でなくからだを使うというかんたんな動作が、そのとき感じていることを知るのに役立つ。
自分の感情とつきあう習慣は、現代社会ではほとんど知られていない。
現代人はからだで感じるということを忘れている。わたしたちは理性と感情を分けようとする。
理性に支配させることに慣れすぎているで、感情やからだのことは忘れてしまう。

・怒りは、うけた傷に自分がなんの対処もしていないことを知らせるシグナルである。
その傷は現在進行形の苦痛だが、怒りはだらだらと長びく苦痛になる。
傷をためこみ、それに注意を向けないでおくと、怒りは成長をする。
わたしたちは怒りを多くためこみ、やがて傷の分類ができなくなって、
最後には自分に怒りがあることにさえ気づつかなくなってしまう。
怒りの感情とともに生きる事になれてしまい,それが自己の一部と思いはじめる。
その怒りがアイデンティテーの一部になる。
だから、わたしたちは、自己のアイデンティテーと古い感情とを分ける作業を分けなくてはならない。

・・・・・・
ー感想ー
怒りっぽい性格のためか、このレッスンを過去の人生で多くしてきた。
怒るには怒るだけの理由がある。また、その怒りによって適切な判断ができたことが多かった。
怒りは、その感情の高まりによって自分の世界を他者との間に一瞬ラインとして見ることができる。
怒りの感情を抑圧することで対処しようとする人が多い。
その必要はないのだ、といって怒ってばかりいるのは問題だが。

はなしは変わるが、去年の同日の随想日記の内容が偶然の一致で
「怒る技術」であった。面白いものである。怒るということからのレッスンが全く足りないのか?
方向違いを知らしめようとしているのか? じっくり考えてみる必要がある、特に私の場合は。

怒りの背後にあるものの一つに「恐れがある」という。 なるほどそうかも知れない。
怒ってみて初めて、その正体がわかることもある。 怒りを溜め込むと憎しみになる。
憎しみのヘドロを溜め込むなら怒って、そのつど吐き出すことも必要なこともある。

憎しみのヘドロでドロドロの人が、あまりに多い。そのヘドロを他人に投げつけるから始末が悪い。
--------
《--怒りについて--》

怒る・・
(「起こる」と同語源で、勢いが盛んになる意から、感情が高ぶるのを言うようになったもの)
  自分の意に反するものの存在によって感情がいらだち荒れること。

・いつまでも人を恨んでいてはならない。
 あなたが恨んでいる人は、人生を楽しんでいる。      ーハケット
・敵のため火を吹く怒りも、加熱しすぎては自分が火傷する。 −シェークスピア
・怒りの結果は、怒りの原因よりはるかに重大である。    ーマルクス・アウレリウス
・汝を傷つけた人間は、汝より強い者か弱い者かのどちらかである。もし弱い者であれば、
 その者を許しなさい。もし強い者であれば、汝自身を許しなさい。−セネカ
・あなたの敵を許しなさい。しかし、絶対に名前を忘れてはなりません。−ジョン・F・ケネディ
・過去を忘れ、心から怒りを消し去れ。どんな強い人間もそんな重荷に耐え続けることは出来ない
                             −チェロキー族の格言
・間違っていながら、しかもそれを認めたがらないとき、人はついには怒り出す。
                             −トーマス・ハリヴァーン
・怒れる人は再び怒る――彼が冷静になったとき、彼自身に向かって。
                              ープブリリウス・シルス
・死ぬほどの怒りは狂気よりもずっとひどい病で、
 胸の奥の奥にある一番の秘密をしばしばさらけだすものである。−ヤコプス
・怒りは他人にとって有害であるが、憤怒にかられている当人にとっては −トルストイ
・我々がある人間を憎む場合、我々は彼の姿を借りて我々の内部にある何者かを憎んでいるのである。           
                              −H・ヘッセ
・怒りと愚行は並んで歩み、後悔が両者のかかとを踏む。    −フランクリン
・人間は、理性のうちに負けたものの埋め合わせを怒りのなかでするものだ。ーW・R・アルジャー
・人は軽蔑されたと感じたときに最もよく怒る。だから自信のあるものはあまり怒らない。
                              −三木清

 偶然の一致だが前年、怒りについての読書日記を書いていた。面白いものである。
・・・・・・
2003年04月29日(火)
755, 「怒る技術」ー読書日記
 
タイトルが面白そうなので買ったが期待したほどの内容ではなかった。
私が怒りっぽい人間でこの技術を経験上身につけてきた事もある。
 著者と同じ年齢で闘争的であることもあってか合点することが多かった。
私の場合は子供の頃から兄姉やクラス内の喧嘩で怒りの山であった。
また学生時代の寮生活で、怒りのテクニックを身につけざるを得なかった。

創業でも色いろな場面に遭遇したことが多かったこともある。
怒りの山を一づつ乗り越えてきたというのが実感だ。
その意味では、この本は哲学者の言葉の遊び的な甘さもあった。
しかし彼がウイーンで、怒らなくては生きていけなかったというのは
よく理解できる。ヨーロッパ人は実によく怒るそうだ。
喜怒哀楽を冷静に使い分けないと、事業など出来ない。
著者も彼らの「怒る力」には及ばないと書いてあった。
彼らはわれわれ大和民族と怒りの表出の仕方が違うという。

彼らの特徴は
・すぐにその場で怒りを表出する
・以前の怒りを根に持つことが少ないこと
・怒りは激しく、しかしただちに収まること
・怒りの表出が言葉中心であること
・個人的に怒ること
・演技的怒りであること
以上であるが、全く私が身につけた怒りかたと同じである。

寮生活をしていて、大学を卒業しながら、社会に溶け込めず寮に入り浸っている先輩の群れがいた。
大人しくしていたら部屋のものを持ち去ってしまうこともあった。
直接攻撃もできないし、ただ見ているしかないこともあった。
彼らの姿から、脱皮していくには過去の場所には二度と行ってはならない、ことを学んだ。
  
怒りは貯めておくと、膿になり化膿してくる。自分でコントロールしなくてはならない。
この本の中に「怒れない人達」というのが書いてあった。何か気の毒のような気がする。
最近こんなものかと怒りが少なくなってきたが、それでも山のようにある。

この著者は怒りの代用として対象への軽蔑がある。そのことに気がついてない。
自分が生きているだけで精一杯でしかないのか、それとも哲学者のゆえんか。
「怒りの代用としての軽蔑と、生きていくだけで精一杯」は自分のことだからよく解る。
私の場合と違うのは、この人の人生は全く楽しくないということだ。
本人もそう書いている。「笑いの技術」でも書けばよいのに!要らぬお世話と怒られるか!

昨夜この下書きを書いて寝た為か今朝面白い夢をみた。
ペガサスクラブというチェーン店理論のコンサルタントの
一種気違いに近い怒り方をする渥美俊一先生が、セミナーで招いていた
先生ー経済評論家のリチャード・クーを、私語をしていたといって殴りつけたのだ。
なんでリチャー・クーなのだろか解らないが?そして二人は喧嘩をしながら、会場外に出て行った。
恐らく警察をクーが呼んだのではと思いながら・・で夢が覚めた。こんなものだが、それにしても脳は面白い!
話は変わってしまったが!
・・・・・
「怒る技術」
PHP研究所 中島 義道【著】
ー内容ー
たとえ間違っていようと、あなたは怒るべきである。
20年にわたる壮絶な対人闘争から掴んだ「怒りの哲学」。

・・・・・・・・・
2002年04月29日(月)
391, 休日の風景

休日の一日の典型の日が昨日であった。
時系列に書くと

・5時に目が覚める、30分位 うとうと
・5時半、 起床ーすぐ仏壇の前でおまいり
 「天国のお父さん、お母さん、運一さん、進さん、正子さん、(兄・姉)
  ご先祖様、そしてあの世のすべての人が安らかに過ごされますように!
  そしてこの世のすべての人が良くありますように。特に大変な人がよくありますように。
  ご両親様ありがとうございました。仏様ご苦労様です。今日一日最大限いきます。そして明るく・・」
  
・5時35分〜6時15分  パソコン・・・・
・6時15分〜8時15分  散歩
・8時15〜11時   食事・新聞TV・読書
・11時      風呂
・12時      食事 パソコン
・13時      愛の貧乏大作戦ーTV
・14時      図書館・選挙
・15時      競馬・天皇賞ーTV
・16時〜17時45分 WOWWOW ー映画ーリプレイスメント これが大当たりー面白い!
・17時45分〜   笑点
・18時      近くのー100m先のサイゼリヤで食事
        (500mlの赤ワイン、牛肉の角煮、ムール貝、アンチョビのピサ、ドリア)
         以上で2人で税込みで2100円。スーパーより安い!   ウオーキング
・19時  サンマのからくりTV
・20時  巨人戦
・21時  居眠りーTVの前で  ビデオ少し
・10時半 就眠  
大体これで休みが過ぎる。80パーセントがこんなもの。あとはSC と映画 とあたりが加わる。


2581, 連鎖する大暴落 −3

2008年04月28日(月)

                才ノヽ∋―_φ(゚▽゚*)♪
この本の「まえがき」に
「アメリカがいよいよ暴落する。・・・少しだけアメリカから離れましょう。
自分の財産を守りたかったら、ここで『損切り』を敢行すべきである。
投資とは損切りができることである。・・・」という言葉が印象的であった。
 その通りで、損切りができるかどうかが、投資の分かれ目になる。
人生と同じで見切りが大事である。 私の場合、この経験を嫌というほど経験してきた。
損切りに躊躇、迷っているうちに大損をしてきた。 しかし損切りも何度もしてきた。
これだけは自分が経験しないとわからない。 これは決断の話になる。

現在のアメリカの状況は、日本の18年前とホボ同じというが、その通りである。
その時期に損切りが出来なくて大損をした経験から、現在のアメリカの状況が透けるように感じる。

数年前に、親しくしている知人がカナダドルとカナダ国債を勧めに来た。
その時に、「アメリカは磐石。その理由は *世界機軸のドルと、*世界最強の軍隊と、*世界の共通言語と、
*ネットを含めた情報革命の最先端を走っている。その上に資源のあるカナダは更に磐石である。」とのこと。 
投資の最低ロットが2000万円からという。しかし、如何いうわけか、少しも心が動かなかった。 

理由は、「ユダヤ系資本の人の受け売りでしかない」と思ったからである。
いや、金(キン)の実物ならいざしらず、紙切れに何で?というのが、当時の本音であったが。

〜この本に面白そうなところを〜〜P59〜
ー先物取引は株にしろ通貨(外資)にしろ、イカサマと断じている。
先物の値段はごく限られた特殊の人だけで勝手に『値決め』されているという。
ならば一般の市場も、これで振り回されるのだから当然一部の人の思惑で殆どが決まることになる。
ミルトン・フリードマンが『選択の自由』という本で『自由競争と市場原理の素晴らしさ』を説き、
「規制撤廃」と「小さな政府」を提唱した世界的経済学者ということになっていたが、
しかし彼が影でこそこそしていたことは、その逆のおそるべき統制経済であり、
「私たち一番上の権力者が全ての値段を決める」という行動だったのである。
私たちはフリードマンに大きく騙されていたのである。その日本における今の代理人の一人が
竹中平蔵元金融大臣である。おかしな人である。今でもまだ「日本は自己改革(規制緩和)が不徹底だから、
景気が悪い」とのたまっている。まったく畏れ入る。
 〜〜
先物投資が、株価や国債の値を先導するのだから、大筋の債権の投資とは、
ヤクザが胴元のインチキ博打のようなもの! 
儲かるのは、たまたま運が良いだけ!と割り切ったほうがよいと、この本はいうのも肯ける。
                   (゚Д゚*)ノ⌒【ホンジャ】
・・・・・・・・
2007年04月28日(土)
 2216, 中村うさぎ         才八∋ウ_〆(∀`●)
  「女殺し借金地獄」 ー読書日記

    書き写しながら、何でこんな文章を自分が?時間を潰していて、果たしてよいのだろうか?
    と自責の念にかられる内容である。男には、こういう文章はかけない?ものである。
    アル中の、買い物依存症の、バカ女が、それを売りに捨身で文章にして、生計をたてている
    だけの本でしかない。それもブランド買いの世にも哀れな気の毒な底の浅さを売りに!
    その哀れな女のサガが共感を得るのだろうが・・・。
    一番嫌いの、そのバカさの露悪が、逆に面白いから取り上げている。
    しかし、考えてみれば現象を変えてみれば自分の姿でもある。
    お水の世界には、こういう人は意外と少ない。虚飾を見抜いているからだろう?
    それとも、実は虚飾人間の吹き溜まりで、高い店に行かないだけか!?
    
ーとっておきの場面を抜粋してみるー
 ーー
P-177
その夜、私は、何人かの友人と、一気飲みのゲームをしていた。
何回か負けた後、「これはヤバイ」と気がついた。
これ以上飲むと、私ははいてしまう。これ以上飲めないと宣告すると、友人たちは、
苛酷な罰を私に課したのである。「飲めないのなら、代わりに、ケツの穴を見せてもらおう」
吐くより、ケツの穴を見せるのは、ただ一瞬の恥で済むのではないか。
痛くもなければ、体調をくづすわけもない。そうせ、こいつら酔っ払いだ。
私がケツの穴を見せた事など、一晩たてば、すっかり忘れるにちがいない。
よ〜し、決めた!ケツの穴をみせてやるぜ!私は不適にも微笑み、ぺロリと尻をめくってやった。
まさか私が本当にケツの穴を見せようとは誰も予測してなかったらしい。
(字数の関係でカット2,008年04月28日)
                    ゲッ!!ε=(@.@;)
 ーー
   これ、書き写していて「バカじゃないかい! 書くほうも書くほうだが、
   書き写している私はもっとバカか!」と、不気味な気持ちであった。
   でも、これほど酷くないとしても、バカ騒ぎをしているのだろう、
   酔っ払いは。ヘ(゚◇み)ノ~  ところで、自分は如何だったのだろうか?
   まあ、忘れてしまった!    m(。^_^。)m
   都合の悪いことは、どういうわけか忘れてしまう。
                 (・_・) ノ ホンジャ~
・・・・・・・・
2006年04月28日(金)
1851, ローマから日本が見える−7
     才ノヽ∋―_φ(≧ω≦*)♪
                   ー読書日記
1千年以上にわたって広域の多民族を支配し続けたシステムの根幹とは、
驚くほどの合理的、かつシンプルで、それぞれの民族にとってもプラスでなければならない。
そこは突き詰めた組織の経験則の宝庫のはず。その秘密が、『組織のローマ』の中で解明されている。
時間をかけて写すだけの価値は充分にあった。過去より現在の方が果たして進歩しているのだろうか? 
宗教は人間にとってプラスだったのだろうか?それは神のみぞ知る?である。
著者はローマ帝国史を読んでいる時には、自分が皇帝になったつもりで読むと良いといっているが・・・  
しばし、皇帝になるのも良いものだ!
ーーー

第4章 『組織のローマ』、ここにあり

前章で述べた「リキニウス法」で、100年にわたる貴族と平民の対立は解消へと
向かう。この決断が、驚くべき決断であり、どの社会でも起こりえる階級対立は
『取りこみ方式』で解消しようとしたのはローマのみであった。
その選択が結果として正しかったのは、その後のローマ史が明らかにしています。
   
    僅か100年前にケルト人によって、あわや滅ぼされそうになった民族がイタリアの覇者になれたのは、
    貴族と平民の融和政策であった。平民の中から優れた人材を集めて、その人材を元老院を中心とした
    統治体制の中で活用していくやり方を、今日の表現に変えると、「組織力」という一語に集約される。

ー二つのネットワークー

歴史家リヴィウスをして『アレクサンダーをも退けたに違いない』
といわせたローマの組織力は何も、共和制度だけに負っていたわけではない。
リキニウス法以後のローマには、同時代の他の国の持ってない二つの大きな武器がありました。
・一つは、モノや人を動かす上でのネットワークとしての道路網。
・もう一つは、ローマを中心とする、国家間のネットワークとしての「ローマ連合」。
  この二つのネットワークの力で、ローマはイタリア半島の覇者になり、
  その後には地中海の覇者になるのです。実はこの二つが同じコインの裏と表になるのです。
 別の言い方をするならば、
 ・道路網がハードウェアなら、
 ・「ローマ連合」がソフトウェアであった。

歴史家プルタルコスは、ローマが他を圧して大きくなった理由として次の一言に要約しました。
「敗者さえも自分達に同化させる彼らのやり方ぐらい、ローマを強大化に寄与したことはない」
この美徳はロムルスの時代にすでにサビーニ族との同化において現われていたが、
それが王政から共和制に移行した後も変わることがなかった。
  
  ー次回は、その「ローマ連合」の内容である!
                       − つづく
            o(▽^*)ノ~~=バイ〜バイ♪  皇帝諸君!
・・・・・・・・ 
2005年04月28日(木)
1486, 男と女

男と女を語らせるなら、「オカマ」が面白い。その話が面白くて一時オカマバーにかよったものだ。
あからさまな女の本音を聞かせてもらえたり、突如、男に変身?する身の変わり方が絶妙である。

最近になって書店で、特に目につのが美輪明宏である。なるほど読んでいて鋭いが、
あくまでも男女間の機微だけで、人間の本質に関しては深くはない。これもオカマの宿命で仕方がないのだろうが。

近くの図書館から借りてきた本で、現在売れっ子の美輪明宏と斉藤隆の対談集の
「人生賛歌」ー大和書房ーがよい。

特に「第四章のセクシュアルに生きる」ー弱い女と強い男は見たことがないー
美輪明宏の言葉がなかなか男女の本質の差を言い当てている。

 ーその一部を抜粋してみるー
長い間、男女を見てきて思うのは、女はものの考え方がとても大人なんですよ、老獪なんです。
ところが視点が「浅いところ」をみている。男の考え方はとても幼稚で子供っぽい、稚拙なんです。
ところが実は「深いところ」を見ている場合があるんです。そこが女と男の本質的な違いがあります。

女は生まれながらにして、大年増、「オバタリアン」なんです。
小学校の6年生の男女を比べると、一年と六年生位の差があります。
はるか年上の先生を好きになったり、性的に迫ったり、悪知恵を働かせます。
最近私がよく言うのは「弱い女と強い男は見たことがない」ということです。
中小企業の社長で死ぬのは男だけ、女は絶対に死にません。
社会通念では「女がロマンチスト」で「男は現実的」と考えられているが、
これはあべこべなんです。ちょっとした叙情的な要素はあるが、女は現実そのもの。

私は男性がロマンチストで女が現実的というのは、それが必要だから、
神様がそのようにつくったのだと思います。
男が雄雄しく、女は繊細でつつましく、やさしくあれというのは、実は
そうでなかったからそう言われていたわけなんです。

女が現実的で、男はロマンチストだから、女に天才が少なくて男に天才が多いんです。
男は仕事のほうでは驚くくらい老獪でしたたか、抜け目がなくて油断ならないところを
もっている。しかし、私生活になったら、迷子になるぐらい方向音痴だったり、
世の中の常識を知らなかったり、ストンと大きなところが抜けています。
そのギャップが天才の資質なんです。・・・・・・・・
子供っぽさと深いところを見ている大人のところの落差が、天才の条件なんです。

 ーーー
姉が上に4人もいたことと、女性の職場にいたため、
この程度の男女の違いの内容は常識で初歩的でしかないのは解るが、しかしオカマが言うから面白い。
何で時間をかけて書き写したかといえば、ズバリ解りやすく表現しているからだ。

女は男よりシビアで現実的なのは生理があり、一つ間違えば妊娠してしまう立場にあるからだ。
雄犬と雌犬の差である。雄犬は本能に任せておけばよいが・・女性も見ているので、
この辺で止めておいたほうがよい。

ーーーー
2001/12/21
[215] オカマバーー2

前回書いた初めて連れて行ってもらった時の事、カウンターで若い女性が二人飲んでいた。
「へー、若い女がこういう処にのも来るのかなー」と見ていたところ、
一人の女性が「社長!こんな処に来るのですか!」と話かけてきた。
よく見るとうちの会社の社員。「お前こそ、なんでこんなところに!」
と逆にこちらがビックリした。それぞれ世界があるものだと感心した。

毎年行われている長岡高校の同級会を新潟でやってくれと、私の幹事の番に言われた。
そしてその日の3次会で残った4〜5人でその店に行った時、0時を過ぎていた。
確か二人の女性が踊りながら、我々を見てホモの集団を見ているような目つきで見た。
その時「これが引き時かなー」と、それから行かなくなった。

丁度その頃、古町で(Zoo)という店がオープン、値段が7700円でかなりの話題になっていた。
女装している店で、筋肉隆隆のコミックのうりの面白い女?か、
あれは切ったとか、いやに女っぽい女?を憶えている。別世界の驚きがあった。

二回行ったが、そのホステス(ホスト?)が中学の同級会に女装で
行った時、担任の先生の驚いた表情の話が、印象的であった。
その世界の素人?に、その世界を面白おかしく見せたり話すのが「彼らの売り」であったようだ。
「笑われて何ぼ」という世界のようだ。 ただエログロの面白さ一見の価値はあった?

学生の時、歌舞伎町で女装のオカマの店の前で、お客を見送っている姿を見た時のことを急に思い出した。
その時は如何いうことか全く解らなかったのだから、かなりオクテだったのだろう。

ーーーーーー
2001/12/21
[214] オカマバー  −1

14〜5年ぶりに新潟駅前にある、オカマバーにいってきた。オカマバーの面白いのはその話術である。
変わった飲み屋がないかと言われて当時よく、知人を連れて行ったものだ。
始めは近くの大原簿記の理事長が近くにビルを創りたいが、
この辺の情報を知りたいとので一献と、奥さんと娘と行ったのがきっかけであった。

やはり初回は異様な感じで、カウンターに男同士の絡みの置物の像には驚いた。
しかし知人に話をすると殆どの人が連れていげという。喜ぶが二度と行こうとは誰も言わない。
奥にやはりもう一軒あるそうで、そこはその気のあるホモのタマリ場という。
男同士はあまり猥談は言わないが、かなり際どい下ネタをあっさり言う。

以前姉達が新潟に来た時つれていったが、その時私の手をとって人先指をふき始めた。
そして目をツブレと言うつぶった瞬間その指をシャブラレタ!ぞっとした。
もしホモの味を知ってしまったら、抜けられないとその時思ったが、それより気持ちが悪いほうが先であった。

悲鳴をあげたが、1人の姉が私にもやってみてという。真面目を絵に書いたような人で、皆凝視の中
シャブラレタが「何ともないわ、それより真面目な顔でやってるのが面白いは!」と言ったのに驚いた。
私の知り合いが、子供を連れてサウナに行ったららそのママがいたと言う。
子供を盾に下半身を隠し方法のていで、出てきた時のシグサガの話が面白かった事を思い出した。

・・・・・・・・・・
2004年04月28日(水)
1121, 平均寿命100歳!

新聞を読んでいたら、「今世紀後半に平均寿命が100歳になるとなるかもしれない」とあった。
ーその概要を書いてみるとー

線虫をモデルに、老化にかかわっている遺伝子「クロック1」を傷をつけると
1・5倍に延びるという。同じような遺伝子は人間にも見つかっており、
「人も遺伝子の操作で最大1・5倍の延ばすことも不可能でないはず」という。
人間の寿命が120歳が定説になっているので、単純に当てはめれば180歳まで
延ばすことが可能でないかということになる。
「老化は体内の神経系、免疫系のバランスが崩れ、体全体の機能が低下すること」である。
この研究を進めることによって、老化そのものを遅らせることも
可能になる。脳が重いほど最大寿命量が長いともいう。その意味からみても
人間はより長生きができる可能性を持っているといえる。

ー以上であるが、
新聞の死亡欄を毎日見ているが、90歳を越えた人が多いのに驚かされる。
100歳の平均寿命の可能性は、一昔前までは考えられなかったことだ。
長生きは、元気であるかぎりしたいものだが、100歳まで生きたいとは思わない。
やはり80歳から85歳辺りが丁度よい。

もし神様が「100歳まで必ず生かしておくという契約を結ぶかどうか?」と契約書を出されたら、
拒否する方を選ぶだろう? 元気で頭がしっかりした状態だとしても躊躇するだろう。
 でも、長生きはしたいのが本音だが。

・・・・・・・
2003年04月28日(月)
754, サエゼリアで思うこと

 サエゼリアのことは、よく事例として書くが更に書く。先日の新聞でスパゲッテーを何割か値下げを発表した。
290円ラインのスパゲッテの新商品も新たに加えていた。少し工夫すれば夕食を二人で千円で済むことになる。
ドリアにスパゲッテーにミニサラダにグラスワインで千円である。 さすがである。 
イタ飯は、一つのサラを2~3人で食べるのが中華料理と同じだ。前菜を入れて三品を食べたことになる。

ー以下の文章は数ヶ月前に書いてそのままペンデングしておいた内容である。
 イタ飯レストランのサエゼリアのニュースが出ていた。
前年の9〜12月の既存店の売り上げがマイナス14佑箸いΑ
それでもこの三年間で450店の出店をして1000店に持っていくという。
豪州にその為の工場を作って完成したと日経新聞に書いてあった。

 この店には自宅の至近距離にあって、月に1〜2度は行く。スーパーの弁当と同じか安いのには驚く。
そして行く度に値段が下がっている。 量も減らしているが、不味くはないのが良い。
1千店になった時に規模のメリットがさらに出てくるだろう。

 殆どの商品がセントラルキッチンから半製品になって店に送られてくる。
あれだけの席のホールをアルバイトと思しき若い子が1〜2人でこなしている。
忙しくなると中の人が飛び出してきて、ホールを手伝うのも合理的だ。
品出しをした後、必ず食べ終わった食器を下げるのもこの店の特徴である。

 考えてしまうのは、このような勝ち組で業態がしっかりしている店が14佑稜笋蠑紊殴瀬Ε鵑箸い事だ。
実勢として15〜20佑離瀬Ε鵑今の日本の消費の実態ではないだろうか。
北海道出身の家具のニトリも定点観測で数ヶ月に一度は見に行くが、行く度に安い商品に重点が移っている。
応接セットのイスと机もばら売りに切り替えている。 それだけ厳しくなっていると考えてよい。

ー以上が数ヶ月前の文章だが、それからやはり手を打って客単価を下げてきたのだ。
たまたま至近距離にあるので、定点観測をしやすいので注目しているが、
居酒屋も含めて飲食チェーンで一番お値打ちを感じる。
最近はチェーン店以外に入ると、いつも失望して店を出てくることが多い!

・・・・・・・
2002年04月28日(日)
390, 因縁と果報

因は直接原因、縁は間接原因。 果は直接結果、報は間接結果。
嫁を求めている男が、ある知人の家に遊びにいて、妹を見初め結婚をした。
因が嫁を求めていたである。縁がタマタマ遊びに行ったーこれが間接原因である。
果は妹と結婚したである。報は知人と嫁本人が納得して応じたである。よい果報を得る為には、
よい因と縁をなくてはならない。特に因が大事だ。その因に縁がついてくるからだ。

その中に感謝する気持ちがある。感謝をすれば、感謝をするような事がどんどん集まってくる。
これは意外と難しい事だ。 感謝は言葉を変えれば、ありがたいことに気づく事だ。
特に商売をしていると、お客様のありがたさを見落とす事が多い。
顧客第一主義といいながら、そのことを忘れてしまう。

準備は「因」づくりそのものである。準備は誰でもやれる魔法である。
解っていながら?それをおろそかにする。そして「果」のみを追う。事業でも、旅でも、人生でも全てそうだ。

教養とは生きていくための基礎知識だ。永年かけて積み重ねていくものだ。
ところで基礎教養が自分にはあるのだろうか? 過去にその準備をしてきたのだろうか?
ただその問いかけは常にしてきたつもりだが。


2580, 閑話小題

2008年04月27日(日)


              \(⌒∇⌒)/おはよ〜!
 ー哲学と思想の違いー

池田晶子著の「暮らしの哲学」で 「哲学」と「思想」の違いについて次のように書いている。
『「哲学」と「思想」の違いは
 「哲学」とは考えることであり「行為」である。
  それによって導き出された言葉なり文章なりの結果が「思想」である。
  だから「哲学する」とは言うけれど「思想する」とは言わない』と。
 解りやすい説明である。
「哲学は考えること。思想は思いこむこと」 というと、何か違うような気がする。
 人の考え、思い込んだことを言語化したもので、貼り付けることが出来るのが思想で、
 考える行為が哲学ということ。
一般的には、哲学も思想も同じように論じられているから、話がややこしくなる。
ここの差異をハッキリさせおくと、哲学・思想書関連の本を読んでも整理がつく。
  〜〜〜
 
 ー何でも半分ー

 最近、何でも半分ずつ家内と食べるようになった。
ショートケーキも、バナナも、回転寿司の二貫も一つずつ。
居酒屋やファミレスの料理も半分ずつ。
焼き鳥も、食べる前に串からはずして半分ずつ食べる。
これはケチるより、少量でも多くの品を食べたいことと、健康のためもある。
半分でも、一人前食べたような気持ちになるからよい。
しかし、お品が良い?ので、皿から一方が小皿にとってから食す。
 少し話は変わるが、以前に昼間の法事があり、終了後に居酒屋チェーンに入った。
発注役は私が得意だろうということで、私の腕のみせどころ。
8人位であったが、既に酒と料理でお腹が一杯だったが、何か注文しなくてならない。
それで酒とビールを三本ずつと、メニューの品を八品、全て一品ずつ頼んだ。
ところが、人間は面白いもので、一品だけ出てくると何だろうかと注目する。
一つずつを2〜3人が分けあって食べるのを見ていると、食べない人の食欲が出てくる。
結果的に、更に一人一品ずつ注文することになった。何でも半分は、これに似た感覚。
とにかく半分となると物足りないため、おいしく感じるもの。
けち臭いと思うか、それとも、それが楽しいと思うかである。
 〜〜〜

ー改めて考えてみても、おかしいと思わない?ー

アメリカの大手のナンバー3,5の航空会社が経営危機で合併。
自動車最大手のGM,フォードなども経営危機。
そして三大金融機関のシティ・バンク、モルガン、メルリリンチがサプライム問題で危うく倒産。
やはり、ただ事ではない。 世界の変わり目。 それにしても脆いものである。
「日本経済はアメリカが風邪を引けば肺炎になる」というが、
今回の危機を発端としたアメリカの危機は中程度のガンとすると、
日本は末期ガンになる?が、どうも実感としてピンとこないが、地方で、この事業をしていると
何か底知れぬウネリの音が聞こえてくるようである。
             ヽ(。ゝω・)ノ ホナ また!
・・・・・・・・・・
2007年04月27日(金)
2215, 買い物依存症の女
       ^O^ノ  オアヨーン
       
    海外ツアー、それも秘境に行く人は、心に大きな負担を持った人が多い。
    ある年代になれば誰もが何らかの問題は抱えている・・・
    特に刺激を求めてアフリカ、中近東、シルクロード、南米などに行く人は
    人生の究極を求めている人が多い。その中で、「買い物依存症」の人が何人もいた。
    明らかに病的の、「やり手?ブランド嗜好の金ぴか中年女」である。
    店側の尤もらしい口上、お世辞に金をばら撒いている姿が悲しく映る。
    買物で心の空虚を埋めようとするとするのは究極の癒しである。

亡くなったが、何度かガンの手術の死線から生還してきた人と、
その直後、酒を飲んだことがあったが、その時の言葉が印象である。
「もう帰ってこられないと思っていた娑婆に戻って(退院して)、
何をしたいと思うか分かる?買い物だよ、無性に買物がしたくなるのだ。
セックスと思っていたら、そうじゃないんだ、何かを買いたくなるんだ。
何でだろうか、考えてみたんだ。動物の本能が出てくるんじゃないか!ということだ。
生きるということは、何かを欲すること、それも女じゃないんだ!物を得るという行為なんだ!」
なるほど、その通りなのかもしれない。

    車谷長吉「反時代的毒虫」の中の対談相手の一人、
    中村うさぎの『買い物依存症』の内容の概要を以前書いた。
    先日、図書館の返却コーナーで偶然、彼女の『女殺し借金地獄』を見つけた。
    初版が平成9年4月だから、10年も前の本になる。
    この本の中で自らを中村うさぎ自身『ブランド漁りのバカ女』と自認しているが、
    心の空虚さを埋めるために借金をしてまで、買物や外食に勤しんでいる。
    私の極至近に(誤解しないで・・、家内ではない)、似たタイプがいたが、
    気の毒を通り越していた。見栄だけで生きている人が世の中にいるのだ。
    ・・・ まあこの辺でやめておこう!
 〜〜
ウェブ百科辞書「ウィキペディア」で『中村うさぎ』と検索したら、
以下の通り、彼女らしい紹介があった。
   ーー「中村うさぎ』履歴・人物ーー
(以下、字数の関係で中略2008年4月27日)
ーー

この本、期待どおり、いや期待以上に過激の内容である。
よく、ここまで書けるか!という、エゲツナイ本である。
先日、彼女がTVに出ていたのを見たが、やはり、この本を読んで見るのと、見ないのとでは
全く見る目が違ってくる。先日は、まだ読む前だったが、ヘラヘラしていたのが印象的だった。
 
次回は、この面白そうなところを抜粋してみる!やはり、まずいか?気品ある、このコーナーでは??
  ーパリで、走りながらウンチたれた!ーなどを、とうてい書けません!
                  ホンジャ \(__ )  バイバイ!
・・・・・・・・
2006年04月27日(木)
1850, 2008年、日本は大きなクラッシュに? −1
        おはよ〜!(*^ワ^*)i
 
     昨日、池袋で開催された『資産防衛セミナー』での第一声の講師の言葉が
     「平成20年に、日本は大きなクラッシュになる!』である。
     そして「その対策を、具体的手順にふむべき時期がきている」という。

 二年半前に同じ講師で同じテーマのセミナーに参加したが、再び参加してみた。
 5回も参加している人もいるという。その衝撃的な内容は絶望度をましていた。
 景気回復など論外。 現在の日本の事態は生やさしいものではないという。
 
      本屋で、数年前まで悲観的な表題の本が平台に積まれていたが、
      最近は見かけなくなってきた。少し温かい微風がふいているからだ。
      この講師の話を聞いていると、その絶望的な話は不変であった。
      2~3年以内のクラッシュも、あながち有得ない話ではない。

ー印象的に残った部分を列記するとー
・金(ゴールド)など現物に替えておけ、グラム6000円も有得る(現在2000円)
・ハイパーインフレはもう始まっている
・銀行閉鎖も最悪の場合ありうる(その場合は貸し金庫も閉鎖される)
・金利が5~10佑魍亳腓鬚靴討いたほうがよい
・日本はアメリカの植民地国家
・三井住友銀行の貸し手に対しての、脅しもどきの取立て現場の生々しい話

     これからの日本の混乱の生々しい予測と現状の内容である。
     現在は明治維新時、第二次大戦の敗戦時、と同じ有事の時。
     それを明確に意識をして、ことに当たるべきだという。
     思い切った決断しか、これからの時代は生き残れない!ということか。

私が感じているより、遥かに事態は深刻のようだ。日本は、これから何処に漂っていくのだろうか?
「日本という国は、潰れない。ただ、国民の財産を根こそぎアメリカ資本に持っていかれるだけだ!
 その防衛は、それぞれの自己責任で防衛するしかない!」が印象的であった。
                        つづく
              ε(´',_c')зβyё        
・・・・・・・
2005年04月27日(水)  
 1485, 24歳の日記ー3
 3月31日 1970年

昨日、最終的に実家の会社の一員になることが決定した。恐らく三年後あたりが目途であろう。
それまでに、自分の力をつけなくてはならないのだ。もう許されないのだ、いい加減な姿勢は。
息苦しい感じがしたが、それでもハッキリとしたものが見えてきた。
これからは、衣料店だけでなく他の事業も考えなくてはなるまい。もう、サイは投げられたのだ。

これから大事なことは、「自分を自分の相談相手にすることだ」
この時期は二度とない大事な時期である。
足元を見つめなおして一つずつこなしていかなくてはなるまい。

ー私の現在思っている言葉の定義を、そのまま書いてみようー

・「贅沢」とは、他人の目を意識をして、そのために意識や金や物を使うことなのか。
・「生きがい」とは、自分の価値を明確にして、その追求をするプロセスの一瞬に感じる満足感
・「言葉」は大事な要素である。しかし、それは行為にあとに出てくるもの。
 その行為は、生きた言葉、生きた人間そのものである。
・「神」とは、真善美の理想形として人間が創りあげたXである。
・「真」とは、ものごとの本筋・本質をいう。
・「決断」とは何だろうか?その裏づけになる理論と、その後の行為が肉付けされて達成に至るものだ。
・「善」とは、道徳のいや、価値の側面である。
 道徳は社会の中の規範であるが、その社会の規範は過去のものでしかない。
・「誠」とは、裏切りを知りながらそれを乗りこえて生きることである。
・「美」とは、美を感じる心が無くては。美を感じる心とは、対象のバランスを
  自分の中のバランスとして受け入れる感受性である。それは、真善においても同じだろう。
・「克己」とは、自分の壁を乗り越えること。人に勝つ前に、自分に勝たなくては!
・「価値」について、それぞれの社会の固定化された欲求?
 それとも目標? 外部に価値を見出すべきではない。そうなった時は自分に迷いのあるときである。
・「力」とは何か、人間がただ頼れる一つのエネルギー?
 今の自分は自分自身を信じて自分の足で立つことだ! 見えない未来に向かって。
        おやすみ!

 ー2005年4月27日5時半ー 記
 よくぞまあ、35年前にこんな難しい?ことを書いたものだ。
 難しいことというより自分の頭の中の言葉を引っ張り出して曝しているのが有効である。
 深くは考えないで、その時に気ままに日記に書いたものだが、言葉の重要性に気づいたのだろう。
 
 この一年で、情報と言葉の「切断」の重要性にも気づいた。
 カレーライスをつくるのにそれぞれ素材を目的に合わせて切断する。
 情報や言葉も同じであることに。この一年ほど、自分の一生にとって有意義な年はなかった。
 一見、無駄に見えたが基礎の再構築だったようだ。
 
 常に社会と一線を引くスタンスが、この一年で身に付いた。
 姉夫婦が、小さな城下町の価値観の世界を全世界と信じて疑ってない姿を身近で観察できたこともある。
内海にいる魚は海そのものがどういうものか知ることがない。陸に上がって海そのものを見ることができない。
まして、自分が内海にいることも知らない。 人間全てにいえることだが。
 
 ・・・・・・・・
 2004年04月27日(火)
 1120, 「ライフ・レッスン」ー7
  ー時間のレッスンー

・時間のなかで、すべてのものは変化する。内面も変わり、外面も変わる。
外観も、内的自己も変化している。人生はたえず変化をつづけているが、ふつう、変化を好まない。
それに抵抗しようとする。そうこうしているうちに、周囲の世界のほうが変わってしまう。
変化の速度は、かならずしもわたしたちの内的速度と一致しているわけではない。
たいがいは早すぎるか遅すぎるか、である。
変化とは慣れ親しんだ状況に別れをつげて、不慣れな状況に直面することである。
あたらしい状況そのものでなく、そこにいたる間の時間に不安を感じることもある。
「一つのドアが閉まっても、別のドアが必ず開いている。・・・
でも、それぞれドアにつうじる廊下にいるときが、いちばんつらい」変化はたいがい、
ドアがバタンと閉まってしまった場合始まる。先が見えなくなり、人は不安な時間を過ごす。
この時期はつらいものだ。もうだめだと思った時、何か新しいことが始まり、
ドアが開く。変化に抵抗しようという人間は、自分の人生そのものに抵抗して
いることになる。必要なことは変化に乗じること、少なくとも変化を受け入れることである。

・「西洋文化においては、歳をとることは尊重すべきことではなく、しわは人生の勲章ではなく、
隠すべきもの、避けるべきもの、除去すべきものだとみなされている。ところが、
青春時代の活力を懐かしみながらも、殆どの人はまったく同じ人生をやり直したいとは思わない。
若き日の狼狽や混乱を、ありありと憶えているからだ。

中年になると人生のなんたることかも多少は解り、ばかげたことをしている時間もなくなる。
中年期になると、いたずらに青春時代に戻りたいとはおもわなくなる。若さの時期は、
無垢の時期であると同時に無知の時期である。青春の夢が中年の後悔に変わるのが、
人生が終わったからでなく、その夢のとおりに生きれなかったからである。
優雅の歳を重ねるということは、毎年、毎日を充分に経験しつくす生き方である。
人生を本当に生きた人は、もう一度生きなおしたいとはおもわない。
後悔する人生は、決まって、じゅうぶんに生きれなかった人生である。

人は何歳まで生きたいと思っているのだろうか。
もし200歳まで、あるいは永遠に生きるチャンスを与えられるとしたら、
いったいどれだけの人がそのチャンスを受ける人がいるだろうか。
そう考えてみれば、寿命というものの持つ意味が理解しやすくなる。
時代をこえて生きたとしても、何の意味もない。愛する人が誰もいなくなり、
もはや理解しがたい文明の中で生きつづけるのは、空虚以外の何ものもないだろう。

・夜空をみあげるとき、私たちはじつは遠い過去の光りをみている。
星の光りは地上のいまの光りでなく、何百万年前の光りだ。
他人にたいしても、私たちは同じ経験をしている。
私たちはなかなか現在の目で他人を見ようとしない。それは自分に対しても
おなじである。ほとんどの人はいまの真の自己をみようとせず、過去や自分や、
そうなりたかった自分としての自己を見ている。
きのうの自分がきょうの自分を規定しているわけがない。
それに気づくことのなかに、すばらしい自由がある。
もし現在という時間に意識をむけ、あるがままの人生を見つめることができさえすれば、
あたらしい自分になり、まっさらの新鮮な気分で今日という日をむかえることができる。

ー感想ー
「時間がすべてを解決をする」ということを長く生きてきた人は
誰でも実感することである。だいたい深い傷でも3年が目安である。
ただし、深いところで自分で手当てをしておかなくては後々まで引きずるが。
振り返ってみる時、時間と供に自分も変わっていくので、客観的にその変化をみることができる。
時間が経つと同時に、何が大事で何が大事でないかもみえてくる。
冷静に屋上の上から見ている自分が「魂」である。
その時々に思い悩み、笑い楽しんでいる感情が「心」といってよい。
時間と供に魂の目を、その時間に伴って上方に上げてくれる。
ただ今日、今という時間に意識を集中しなくては魂は上方には上れない。
一期一会とは、すべてにいえることである。

・・・・・・・
2003年04月27日(日)
753, 孤独について考えてみた

 自分の強みは何だろうと考えてみた。「孤独に強い事」である。あまり人といなくとも平気である。
若い時の都会の生活や勤めの時代に鍛えられたことと、8人兄姉の末っ子だったこともある。
一人でいつも遊んでいたという。創業を独りで何回か経験をしてきたのが、さらに孤独の訓練になった。
孤独をポジティヴに前向きにしなくては、無から有は創れない。
青年期はそれほど強くはなかった。実際は空元気であった。

「孤独を恐れるのは、ひとりそのものではなくて、孤独であることを責める自分
の中の内在化された他者の声である。それが多くの人の心を責めさいなまし、
安らかな心を破壊してしまう・・・」とある本に書いてあったが、私の場合そのような内在化された
他者の声は全くない。独り事業を何回か立ち上げてきた為に内在化する余地がなかったのだろう。
それと行蔵が整理?されていたこともある。幼児期に両親や姉兄にタップリと愛情をそそがれた事が大きい。

 日本というのは孤独を白眼視する、同調的で画一的、群れや集団に属さないことを
忌避する、個人が自立できない幼稚な社会である。これは仏教と島国が長年の間に影響してきたのだろう。
現代のように人から嫌われることを極度に恐れ、他人に従順になりすぎる大多数の
人には、逆に「人から嫌われる強さ」が必要である。
群れていれば安心している輩があまりにも多い、まあ如何でもよいことだが!
孤独をきっちり確立した上で、寂しさを紛らわしたくなったら、そういう場に
行けばよい。独身時期はきっちりとその組み立てをしていた。
居酒屋に行けばいくらでも、癒してくれる店主やママや飲み仲間がいた。

 本当に孤独に対して訓練されてない人が多い。そういう人が仲間になって群れてしまうから更に悪い。
今回の青年会議所仲間同士の殺人事件など、そこがバカや低脳児の集まりの場で
しかないことの証明でもある。本人たちは全く気がついてないのが哀れである。
仕事の手段として群れているつもりだろうが、手段が目的にすりかわってしまうのだ。
手段の遊びが、目的になってしまうのだ。 過去を考えると他人事ではないが!??

ー孤独を失った時の損失を考えてみると
・独創性や創造性であり
・夢や目標や目的の喪失であり
・自我の確立であり、また自己の心の成長であり
・自分らしさや個性、独自性、心の自由、行動の自由、趣味の自由などである
群れや際限なき仲良しゴッコはそれを補ってあまりあるものなのか疑問である。
たえず友達や仲間といっしょにいる人は、群れの奴隷となり、自分を失っている。
私の嫌う子狐があちこちで群れているが、「和して同ぜず」ではなく、
「同じて和す」ということか。その「同じる」が恐ろしいのだ。
「個性個性、孤独孤独といって石のカタチの違いこそ大事だといっても、
所詮は砂利は砂利でしかないのに、解ったことをぬかすな!」という心の奥の声がする。

・・・・・・
2002年04月27日(土)
389, どういう時代に?

今年来年はどういう年になるだろうか?
・今年はブロードバンド時代の新しい形が、 
 製品や社会現象で新しい形で出てくる年である。ー孫正義
 携帯TV電話、液晶TV、BSハイビジョンTVなどの普及

・何を発信できるか、するかの時代になってきている。−堺屋太一
 ホームページは発信の窓か
・嵐の年、そして来年もビッグバンを間接原因にした倒産の嵐、
 失業の増大 身近に失業者や倒産廃業が増えてくるデフレの進行
・テロの続出と社会不安の増大
  新たな戦争?イラク、北朝鮮
・身近に具体的に危ない事件の続出
・思いもよらない大事件が生じるー社会的にも政治的にも

ますます殺伐とした時代になっていくことは間違いはないだろう。
しかし面白いことも事実である。
20世紀的のものの崩壊と、21世紀的の出現が同時に見れるのだから。

時代の変わり目である。こういう時こそ、戦略の練り直しが必要だ。
一人で考え抜かなくては生きていけない時代だ。


2579, 連鎖する大暴落 −2

2008年04月26日(土)

             (p≧w≦q)オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪

   サブプライム問題は、予測できることであった。
   だから、逆張りも出来たはずだが、それも振り返ってみればの話。
   オバマが大統領になると断じているところが面白い。
   民主党は(クリントンは新鮮味がないので)オバマとしても、共和党のマケインとは互角だろう。
   しかし民主、共和党が10年ごとに交代することに話がついている、というのも肯けること。
   この本の通り、日本がアメリカの属国と割り切ってみると、日米関係が改めてシビアに見えてくる。
   世界中の物資を、ドル、アメリカ国債などの紙切れの偽札モドキで交換しているに過ぎない。
   特に日本などは、それで高い兵器を言値ねで買わされているのだから哀れなもの。
   この本を読むと、ドルが60円台、株が3000ドルも、なんら不思議ではない。
    ー前著同様に、この目次だけでも内容が充分に要約されている。

[目次]

第1章 私の予言はなぜピタリと的中したか
 ・サブプライムローンの破綻はすでに2007年の5月にははっきりしていた
 ・アラン・グリーンスパンFRB議長は2005年に警告を発していた 
 ・ニューヨークもこれから三ヶ月ごとに大暴落していく
 ・返せそうもない人々に無理矢理お金を貸し付けたのがサブプライム  
 〜〜
第2章 大暴落がこれから3カ月ごとに襲い来る
 ・専門家と称する詐欺師たちが金融の八百長をやってきた
 ・レオ・メラメッドという男が「先物市場」というイカサマで世界を支配 
 ・サブプライム売り崩しの「逆張りリファンド」が今度は買いにまわる
 ・世界一の資産家パフェットのモノライン救済提案は自身の救済のためでもあった
 ・アメリカの地方債が崩れたら大変なことになる
 ・サブプライムの損失は本当は500兆円にものぼる
 ・アメリカはなりふりかまわずドル(国家資金)を国内に投入する
 ・日本のバブル崩壊で起こったのと同じことがアメリカで起こる
 ・中国による米国債の売り崩しが始まった
 ・アメリカという沈む船から資産家たちが逃げ出し始めた
 ・やられたのはアメリカのヘッジファンドで、ヨーロッパ系は大借け
 ・1月の大暴落の本当の原因は仏ソシエテ・ジェネラルのトレーダーの大損失
 ・これから3カ月ごとに株、債権、為替が大変動する
 〜〜
第3章 沈みゆくドル帝国アメリカからお金を逃がせ!
 ・グリーンスパンは円キャリー・トレードにも警告を発していた
 ・アメリカは日本を「ゼロ金利」「円高」「財政赤字」の3本柱で押さえつけた
 ・グリーンスパンはリバータリアニズムの師であるアイン・ランドを裏切ったのか
 ・石油支配でロスチャイルドを駆逐したロックフェラーの時代ももう終わる
 ・アメリカのドルは餌年経って30分のーの価値になった
 ・沈没するアメリカからマネーを逃がせー
 ・ドル預金からユー口あるいはオーストラリア・ドルへの資産シフトが進む
 ・金利が上がりだしたらアメリカも日本も恐ろしいことになる
 ・石油価格がこれ以上上昇するとアメリカで暴動が起きる
 ・史上最高値の金はまだまだ上昇を続ける
 ・今の不景気はスタグフレーションではなくスタグネーション
 ・住宅ローンは今すぐ固定金利に借り換えなさい
  アメリカは日本を「ゼロ金利」「円高」「財政赤字」の3本柱で押さえつけた 
 〜〜
第4章 いよいよロックフェラー帝国が崩壊する
    のたうつ大蛇に喰らいつく小型毒蛇たち
 ・デイヴィッド・ロックフェラーが日本に助けを求めてきた
 ・シティはボロボロの自社株で日興コーディアルを手に入れた 
 ・メリルリンチもモルガン・スタンレーも日本から撤退か
 ・シティは裏帳簿にデリバティブの莫大な損失を隠している
 ・民主党の小沢党首辞任劇の背後にもロックフェラーの影が
 ・のたうち回って死んでいく大蛇の肉に小型毒蛇たちが喰らいつく
 ・シティグループ系の金融機関が次々に潰れ、ゴールドマンのひとり勝ちに
 ・ひとり勝ちのゴールドマン・サックスも安泰とは言えない
 ・もはやペーパーマネー(証券資産)の時代は終わるのだから
 ・政府など信用しないでまだまだ金を買え
 〜〜
第5章 オバマ大統領のアメリカを中国が売り崩す
・女性モデルがドルでなくユーロでの支払いを要求
・巨大なヤラセと八百長がシカゴ・マーカンタイル取引所で行われている 
・キャッシュ・フローのある人は先物市場で売り崩せ
・ドルは60円台、ニューヨークダウは3000ドル台の根拠
・オバマは財政出動を義務づけられた大統領になる

 〜〜〜
「最高指導層だけが知っている『日本の真実』」副島隆彦著を買って読み始めたが、
属国に本の虚妄がメッタギリにしている。次に取り上げてみたい。

・・・・・・・・・・・
2007年04月26日(木)
2214, 中国人移民の話
       <(_ _)>  オハヨウゴザイマス
            
    去年、新宿周辺を知人の車で案内してもらった時、
    青梅街道などに韓国人商店街や、中国人商店街が出来ていたのには驚いた。
    アメリカをはじめ、何処の国の首都には中国人街がある。
    朝鮮人街も時には見かけるが、日本人街は殆ど見かけない。
    中国人街を見るたびに、中国人の海外居住者は何人いるのだろうか?という、素朴な疑問を感じていた。
   
 ー先日の毎日新聞に中国人の移民の記事があった。
 それによると、海外在住移民の数が3500万人!  こんなもの?と思ってしまった。
 シンガポールや、インドネシアが果して入っているかどうかは、
 この記事には無かったが。 総国民の3%が多いか、少ないかだが。

「イタリアのミラノ市で、移民と警官隊が衝突」という見出しであった。これによると、
ミラノでは1平方舛涼篭茲500軒以上の店がひしめき、20年前の500人の
ミラノ在住中国人が13000人と、26倍も膨れ上がったという。
イタリア人は欧州でも働かない国民性で、中国人の「勤勉・活気」に
妬みと軽蔑の気持ちが強く、互いの軋轢が出てきている、という。

    その横の関連記事として、中国人の移民の実態のレポートがあった。
    その内容を要約すると、
   ・大陸出身中国人は、151ヶ国に3500万人
   ・2000年から2005年間だけで、アメリカへの移住者が35万人。
   ・カナダ在住中国人は1988年の3万人から、2002年には30万人に激増。
   ・日本では、韓国、フィリッピンについで28000人
   ・観光などの旅行により中国本土からの出国者は昨年で3450万人で、2001年の3倍近く拡大したという。

旅行先では、「世界中には、何処にいってもネズミと中国人はいる」
と言われていて、飲食街では殆んどの都市で中華料理店を見かける。
それが、また美味しい店が多いの。(日本料理は外れが多いが、中華料理店は外れは少ない)
いずれにしても、世界の人口の2割を占めていて、バラバラの国民性が
携帯などでネット化すれば、侮れない存在になっていくだろう。
人口が多いほど、個人の存在が小さく思われがちだが、逆に個性的でなければ、生きていけない。
没個性的な日本人とは、相性が悪いのは致しかたがないことである。
           
             Σ( ̄∇ ̄|||  バイ!           
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2006年04月26日(水)
1849, ローマから日本が見える−6
                  ≡≡≡⊂[ォ][ハ][ョ][ゥ]っゝд・)っ
第三章 共和制は一日にしてならず
ー王から執政官へー

紀元前509年、尊大なタルクィニウスを追放し、王政を廃止するに至った
中心人物はルキウス・ユニウス・ブルータスである。
これより460年後にカエサルを暗殺したマルクス・ブルータスとは血縁は全く無い。
王を追放したブルータスは、ローマ市民を集めて
「今後一切、ローマ人はいかなる人物であろうとも王に就くことを
許さず、いかなる人物もローマ市民の自由を侵させない」と誓わせた。

    ーここからが面白い!ブルータスが考えたのが、「執行官」という最高指導者である。
    王と同じく、市民集会で選ばれて、ローマ内政の最高権力を握ると同時に、
    有事では指導者として軍隊を率いる。とはいえ、アメリカの大統領とは違い、
    当時は実際に最前線で指揮をとるのが常であった。このような大きな権力を与える一方、
    執行官が将来の王にならないように歯止めをかけた。

その制度とは「執行官はかならず市民集会によって二人選ばれ、その任期を一年とする」
ということであった。これでは王のように振舞えないと考えた。
しかも、執行官を二人にすることで、更に保険をかけた。
二人の執行官には上下がなく、それぞれに拒否権が与えられていた。
しかし、これには弱点もある。 任期が一年なので、長期の政策ができなくなる。
そこでブルータスが考えたのが、元老院の機能の強化であった。
100人の元老院を三百人に増やした。当時、三百人まで増やすということは、
殆どの有力者を網羅することになった。
                   まあ、茶でも!~~旦_(-ω-`。)
  ー「ノブレス・オブリージュ」ー
    著者の塩野は、ローマ帝国1000年を支えた根本は
    「ノブレス・オブリージュ」だったと強調している。
    ローマの貴族は社会的責任を負わなければならないという考えが強かった。
    戦争が起これば貴族は率先垂範して最前方に出て戦い、
    公共の利益をためには貴重な財産を社会に快く提供したという。
    ローマの元老院は真の意味で「貴族精神」の持ち主であった。

「知性ではギリシャ人より劣り、体力ではケルト人やゲルマン人より劣り、
経済力ではカルタゴ人より劣っていたローマ人が、永らく巨大帝国を維持できた
原動力は社会指導層の役割だった」と主張した。

     辞書にはノブレス・オブリージュの意味を
  ・身分の高い者はそれに応じて果たさねばならぬ社会的責任と義務があるという、
   欧米社会における基本的な道徳観。
  ・高い地位や身分に伴う義務。ヨーロッパ社会で、貴族など高い身分の者には
   それに相応した重い責任・義務があるとする考え方。
  ・もとはフランスのことわざで「貴族たるもの、身分にふさわしい振る舞いをしなければならぬ」
   の意とある。                      (´Д`;)/ヽァ・・・
ー「リキニウス法」の驚くべき内容ー
 紀元前367年といえば今から2373年以前。日本は歴史以前、
 中国では戦国時代に入ったばかりの時期に、ローマ人が成立させた法律「リキニウス法」。

   この法律でローマは国政の中枢に貴族の賛成の上に平民を受け入れることを決定。
   (流血もなく平民の受け入れを決めたのは驚くべきことである。)
   この目的は貴族と平民の対立の解消にあったにせよ、この改革は英断であった。

その賛成をした大部分が元老院の大多数を占めていた貴族であったから、
尚のことである。それも彼らが選んでのは「全面的な開放」という道であった。
つまり、共和国政府のすべての官職について、貴族であろうが、平民であろうが、
ローマ市民なら誰でもなれるようにした。 「機会の平等」という他にない。
平民と貴族の結婚さえ合法化されたのである。

    ローマ人は、30年前の紀元前404年にアテネがスパルタに敗れさった事実を
    見ていたからだろう。この事実が、[[近現代史の教訓」として
    強く刻まれていたからである。当時のトップランナーであったアテネが
    民主主義の暴挙を許したがゆえに凋落してしまった姿を見たためだろう。

  −−−−
 果てしない戦いの中で『共和制』の体制の基盤を作っていったローマは、
 『機会の平等』という民主主義と自由主義に似た考えに辿りついたのだろう。
 指導者に「ノブレス・オブリージュ」を失えば、その国は滅び去るしかない。
 どこかの国にもいえることだ。いや組織にも!                      
                         −つづく
            ●・з)ノ" バイバイ〜♪
・・・・・・
2005年04月26日(火)
1484, 24歳の日記ー2         
  ー1970年3月22日
 
朝11時に、実家の店に手伝いに行き、17時まで手伝う。
よく売れるのに驚かされる。今日、大鵬を見ていておどろいてしまった。
再起不能といわれながら、努力で再起をして優勝をしたのだ。
ただ驚きである。人間の一番美しい姿を見せてもらった。

今日、一年の設計図の大枠を考えるつもりが何も考えられない。
どうしたことか、例の手紙のせいか気持ちが揺らいでいる。
明日は病院に行って、精密検査をしなくては。

ー3月23日
午前中は、病院で検査である。 午後は設計図を書いたが、いい加減である。
早々簡単に書けるわけがないが。 焦りだけあって、何もできないのだ。
こういう時間をもらっていながら、何もできないのが情けないが。
といって時間だけは過ぎていく。一日一日、一歩一歩、歩むしかない。走ろうとしても無理、
歩くしかないのだ。自分と直面して解るのは自分の甘さと、いい加減さである。

 ーーー
ー 3月30日
今朝、急に父が8時半に居間に集まるように言われた。
両親に、家の裏に住んでいる姉夫婦、兄の三郎、そして私である。遺言の内容の言い渡しという。

急なことで全員が、吃驚する。
ー内容の概略は以下の通りであるー
・大手通の本店のビルを私、兄、義兄の三人名義にする
・会社の名義も以上の三人の名義とする
・台町の社宅になっている土地と会社名義の資金も三人共有にする
・今後三人には、別個積み立てで毎月20万づつ積み立てる
・今朝白の土地と、父個人の名義の預金は、母のものとする
・父が万一の時は、母が社長となること
・株式は母も加えた4人名義とすること
 以上が遺言の骨子であった。

父が、兄と私の立場を心配をして作ってくれたものだ。
特に、一番足がかりのない私を心配したようだ。
早く言えば兄と、私と、姉夫婦に対して三等分にするという宣言であった。
姉夫婦は半分か三分の二と思っていたようだ。

それと「長姉夫婦の派手な生活ぶりに対する父親の怒りがあった」
ようだ。それにしても姉夫婦の華やかな生活振りには驚くが。
姉夫婦は、顔色を変えていたのが解った。しかし何にも言わせない父の迫力があった。

父親の私に対する心配がこうさせたのだろう。父親から、多くのものを得なくてはならない。
私もこれから力をつけなくてはならない。父が元気のうちにである。 ある意味で、
私の青春は終わったのだろう。これからは一個の人間として、自分に真の力をつけなくてはならないのだ。
今日で、青春は終わったのだ。
 −−−

ー2005年4月18日記ー
全く書いたことも憶えていない生活信条には驚いた。
これを土台にもっともっと書き直して、常に手帳に書いておけばもっと違った人生をおくれただろうに。
少し硬いが、いま読んでも面白い内容である。 もう少し、軽いもののほうが良かっただろうが。
書いてあることの方が、自分でいうのは何だがすごい。
書き残すことの重要性に社会に出てから無頓着だったようだ。
現在から考えてみても、よく狂わなかったものだ。それだけ追い詰められていたことを思い出す。

・・・・・・・・
2004年04月26日(月)
1119, 北朝鮮の怪?

 今回の北朝鮮の大爆発の事件,何か不可解な事件である。
数百メートルが瞬時吹っ飛んでいたのに、どうして電線から引火をしたのが
解るのだろうか? 組織的な大掛かりのテロ?
TVで「近くの中国側の街での噂で、今回の事件は暗殺未遂といわれている」とか、
「金総書記が通過する近くに、危険物を乗せた貨車があること自体不自然だ」とか、
報じていたが、異常な事件であることは間違いはない。
北朝鮮は単純なミスと報じていたが、そんなわけがない事件である。

NHKでも、阪大の爆発物の専門の教授が出てきて「電線から引火は考えられない、
爆発物によるものと考えられる」と言っていた。
中国から近い駅というと、アメリカのCIA?がとも想像してしまう。
北朝鮮そのものが、援助目的の窮余の一策ともいう仮説は少し無理がある。
状況からみたら、軍部のからんだ大掛かりな暗殺未遂のテロとみるのが自然だろう。
これから、いろいろな情報が出てくるだろうが。

スターリン型の国家が隣国に存在していること自体信じられないことだが。
現在の北朝鮮にピッタリの事件に思えるが、いつも犠牲になるのは一般大衆である。

・・・・・・・・
2003年04月26日(土)
752, SARSの不安

 もしアルカイダーか北朝鮮のテロなら!と考えると、背筋がゾッとする。
発生源が特定しているからまだよいが、そうでなかったらテロと疑われパニックになるところであった。
単純な自爆テロなら、その範囲で済むが、火薬を細菌に置き換えたテロを彼らが始めたら大変なことだ。
 
 中国の香港や広東州からばら撒くのが、世界恐慌を狙う彼らからみた時に、
一番効果的である。あまりにもTPOSがよすぎる疑問が残る。
もしアルカイダーの立場なら、自分を感染させてアメリカとか日本に行くのが
効果的である。不特定多数の殺戮とパニックを狙うのがテロである。
悲観的に考えたらどこまでもマイナスに考えられるが、そこまで今は危ない
状況である。これが世界中に蔓延をしたら、パニックと恐慌は必至である。

日本などはすぐにパニックになりやすい国だ。
北朝鮮あたりが、その病原菌を貯水池などにばら撒くことも考えられる。
北京は市内閉鎖の噂で飛行場に人が殺到したとか、スーパーや小売店が買いだめの
お客で殺到している内容のニュースでやっていた。
私達のようなサービス業は、国内で蔓延をしたら一番影響をうける。
全ての人が他人事でないのが流行り病だ。先日、新幹線で咳をしたらいっせいに視線が集まった。
飛行機で世界中に一瞬に広まるのだから、恐ろしい。

これに北朝鮮の大問題だ、どうなっていくか?

・・・・・・・
2002年04月26日(金)
388, 温度差

3~4年前の将棋の米長棋士の講演会で聞いた話だが、丁度北海道拓殖銀行がつぶれた直後で、
彼の講演がそこの主催で入っていた。当然のことながら急遽中止なった。急なことで時間もとっていたし、
飛行機の切符も送られてきたし,他の人との予定も入れていたので、そのまま行ってきたという。

それと札幌の雰囲気がどうなっているかみたかったという。
飛行場からのタクシーの運転手に話を聞いて、思わぬ内容に耳を疑った。
北海道中、特に札幌の道民は内心皆、喜んでいるという。
彼らは北海道では超エリートで、威張り尽くしていた。永年のその鬱憤が一般の中に蓄積されていた。
確かに北海道経済にとってマイナスで、喜んでいられないが、道民感情は拍手喝采だという。

そして数日札幌滞在中、会う人全員がそういっていたという。
これは実際現地に来てみなくては解らない情報である。
彼が言いたかったことは、実際マスコミに流れる情報と、そこの情報の差である。
「何事も現場の声を実際聞いてみなくてはわからない」ものだという事だ。反面ITの時代は、
こういう情報が瞬間流れてしまう。「それにしても、あれは何だったんだ?」ということだった。

そこまで嫌われる理由は?マスコミはこういう情報は間違っても流すことは出来ない。
こういう情報は現地で直接しか聞けない。どこかの県市でも、同じことが生じている。
気がつかないのは当事者だけ、破綻したときそれが表面化する。何処かの城下街のそれは時間の問題という。

リストラにあった元管理職や街の中から?? という話が生々しく聞こえてくる。


2578, 連鎖する大暴落 −1

2008年04月25日(金)


『 連鎖する大暴落 』 副島隆彦著  読書日記

   この本は「ドル覇権崩壊」の続編といっていいが、決して劣ってない内容である。
   恐らく、この二冊で著者の論が見直されるだろう。ジュンク堂に行ったら彼の本が十数冊あった。
   どれも悲観・際物的な内容だが、「ドル覇権の崩壊」が具体的になった現在になれば、
   どれも納得するしかない。   欧州はイギリスのロスチャイルドが19世紀を支配し、
   20世紀になってアメリカのロックフェラーが石油を背景に世界を支配。
   そして21世紀に入って、その支配が崩壊しようとしている。
    そのきっかけが、サブプライム問題であると・・・

 ーそのポイントを要約するとー
 
  サブプライムの損失の額、500兆円! 
  日本のバブル崩壊後、90兆円を費やした日本と比較して、ケタ違い。
  米国の住宅バブルに始まり、サブプライムローンなど信用力の低い債権を証券化した金融商品が生まれ、
  実需のないマネーゲームに奔走、そして住宅バブルの崩壊、サブプライム証券の大暴落、
  次々に明るみに出る金融機関の損失、そして今後の行方はどうなるかである。
  これから次々と大手金融機関やヘッジファンドの破綻、倒産が訪れ、ドル円は60円まで大暴落し、
  日本が3万9千円から8千円まで五分の一まで落ちたことを考えれば、
  NYダウが3000ドルまで転げ落ちてもおかしくない。
  サブプライムをキッカケとして動乱に入ったのである。
  〜〜
 この本の裏表紙と、まえがき、の一部を書き写してみる。
 目次は、字数の関係上、明日になるが、前著、同様にこれだけでポイントの
 8割近くのポイントが含まれている。
 〜〜
 「連鎖する大暴落」 静かに恐慌化する世界
             副島隆彦/著

  この「連鎖する大暴落」はあと3年、2011年まで続く!
1.ニューヨークダウは3ヶ月ごとに暴落して6000ドルへ
2.ドルも大暴落して1ドルは60円台にまで下落する
3.サブプライムの損失は本当は500兆円以上
4.為替・株式・債券の3点セットで暴落すればそれは世界恐慌
5.金(ゴールド)は史上最高値を更に更新する
6.オバマ次期大統領はなりふりかまわず公共投資に走る
7.米中に通商戦争が勃発し、人民元は大幅に切り上げられる
8.中国はロシア、中東諸国と組んでこれから米国債を売り崩す
  ( 以上・・・・裏表紙より) 

(まえがきより一部抜粋)
遂に1ドルは100円を割って(3月14日)値固めしている。世界中の株価は崩れ続けている。
原油は1バレル(159リットル)110ドルになり、金は1オンス1000ドルを突破した。
私が唱えてきた「アメリカ発の大恐慌」が始まりそうである。 ・・・・
大事なことは、これから起こるだろうことは必ず起こる、と分かることである。
株式や為替や商品先物の相場に参加している人なら、沈みゆくタイタニック号に何時までも
残ってはいないだろう。 「失敗する可能性のあることは、必ず失敗する」
というマーフィーの法則を知っているだろう。 ・・・・・
アメリカの株式も円・ドル相場ももっと崩れる。まだしっかりしている米国債が何時崩れ始めるかだ。
それと、何処まで激しいインフレがアメリカを襲うかである。

                  つづく
・・・・・・・・・・
2007年04月25日(水)
2213, 白い雲に乗って ー3
          (・_・) ノ オハヨウ!
   
    お風呂に入った直後の22時過ぎにクラッシック音楽を聴きながら就寝する。
    就寝30分後に爆睡を4〜5時間した後、午前の3〜4時に一度目が覚める。
    そして冬時間の起床時間が5時半、夏時間は5時に起床する。
    起床前の2時間が半睡状態の時間になる。その時間が、ある意味でゴールデン・タイムになる。
    夢をみたり、夢と現実の塀の上を遊ぶ?のである。

以前、書いた「白い雲にのって」は、半覚醒で子供時代に立ち返った内容を書いた。
夢のような、魂の故郷を漂った白昼夢の世界の描写である(いや白朝夢か)。
白い雲に乗ったイメージで当時の思い出の世界に入ると、記憶がドンドン出てくる。
脳の奥行きの深さに驚いてしまう。

    ある意味で夢と同じぐらい深い脳の領域に思える。
    50〜60年前の赤ちゃんから幼児の記億の世界は、魂の世界である。
    殆んど忘れてしまった、古い古い記億の痕跡への旅である。
    立ち返って気がついたのは、それからの人生の激しい時代の記億より、
    ず〜と刺激の強い世界の思い出である。

白銀色の毎日が新鮮な経験のシャワーを浴びているようで、愛情に包まれた夢のような日々であった。
ドラマをみているような、自分そのものが舞台劇の小さな子供の役者を担っていた。

初めての大きなショックが、柏崎の親戚の近くの海を初めてみた時である。
それまでは近くの公園の池しか見たことがなかった。
海のコバルト・ブルーを見たときの驚きは現在でもはっきり憶えている。
それと、舟と漁師の姿と磯のカオリも記億に鮮明に残っている。よほどショックだったのだろう。

   ところで、私が生まれたのは第二次大戦の終戦の5ヶ月後の1946年1月15日である。
    越後長岡の東神田で産湯をつかり、長岡駅から100胆茲糧鵬擲垢了佑蝶僂梁膽蠶未了佑蝶僂
    三月後に戻ってきた。百日風邪になり、「もしかしたら駄目かもしれないと医者に言われた」
    と父は口ぐせのように言っていた。私の名前は八人兄弟の末で「八郎」というが、実際は九人目で、
    もう一人2歳で亡くなった兄がいた。 父が42歳、母が38歳の時の子供である。
    そのためか、特に父親にはペットのように特別愛されて育った。 16歳、14歳、年上の兄と、その下に姉が4人、
    その下にすぐ上の兄がいて、最後に私という構成であった。(2~3歳違いで、双子、年子は一人もいない)
    終戦直後で両親は大家族の生活維持のため人に、一倍働かなくてはならない条件があった。
    産まれてから10年間の長岡の繁華街の真ん中の生活は刺激の強い環境にあった。

東神田から大手通に連れてこられた生後三ヶ月後の記憶が残っている。
リンタクに乗せられて、大手通の家に行った記憶である。そこでは、「福ちゃん」という
喫茶店をしていたが、一年もしないうちに止め、衣料品店に転業をした。

    そして2歳になった頃に、その店兼住宅を丸太を下にいれ、転がしながら、
    近くの公会堂の前に引きずっていき、仮店舗を開きながら4F建のビルを建築した。
    個人名義のビルは国内で始めてと市役所で言われたとか?その記憶が一つ一つ記憶として残っている。
    人生を振り返って一番楽しい日々といえば、10歳までの大手通のビルの立ち上げから、店の開店、
    そしてそこで起こった悲喜交々も日々だった。 本当に刺激的な日々だった。
                  ヾ(@⌒▽⌒@)ノ バイ
         
ーーーー
2007/02/18  
2147, 白い雲に乗って ー2
         b(^o^)dおっ W(^O^)Wはー♪

    先日のつづきの夢をみた。半分は覚醒をしていたのかもしれない。
    前回の夢が契機になって当時のイメージがドンドン出てくる。
    如何いうことなのだろうか?それは57年前の世界そのものである。
    その世界から此方をみている感覚と、此方の感覚の間にある塀の上での
    微妙な世界に立っているようだ。    
    ーー
白い雲に乗って再び、その世界(4歳)へ行ってきた。そこは前回よりリアルな当時の世界があった。
中央保育園の面接があるというので、目新しい服を着せられて、
母の手に引かれて「同じぐらいの小さい子が多くいるところ」に行った。
そこは家から10分ほど歩いた小さな小路にあった。
面接のオジサンがニコニコしながら、色々なことを聞いてきた。
母に前もって聞いていたので、驚くほど上手く答えた。 恐らく入れるだろうと思った。
家(店)に帰った後、三輪車に乗って前の安栄館というビルの同じくらいの友達のところに行った。
やはり最近できた大きなビルのところの子だ。 何か遊んでいると楽しい!

その数日後に場面が変わり、幼稚園の合格のしらせがきた。手紙を待っていたが、何時までたってもこないので、
お母さんが「落第したのかもしれないけれど、そんなことがないはずだが・・」と言う。
ガッカリしていたところ、合格の葉書がやっと届いたが、凄く嬉しい。

    クリスマスの飾り付けのため、二番目の姉の恭子と近くにツリーの飾りを買いに
    二人で行った。大きな雪がフワフワと降っている。
    ツリーに吊るす色いろなものを二人で選んだ。小さな家とか、星とか、動物とか、人形などがあった。
    それを袋一杯に買って家に帰って3Fの食堂で飾り付けをした。
    ラジオのクリスマスの音楽を聴きながら、それを他の姉たちと飾りつけた。ツリーの電飾がいやに奇麗だ!
    こんな楽しい気持ちは初めてと喜んでいる自分を誰かがみている。
     あれは誰だろう? 翌日の朝、枕元に箱に入ったサンタの贈り物があった。
    雪が、ドンドン降っていて窓の下は雪で埋まりそうだ。
    
突如、周りを見渡すと誰もいない空間になってしまった。
何処に行ったのだろう、皆は! 白い靄がかかり、その中で恐ろしさが襲ってきた。
目をつぶって白い布団を被った。目が覚めると、そこは寝室の布団の中であった
               (o ・д・)ツ  バイ!
・・・・・・・・・
2007/02/10  
2139, 白い雲に乗って ー両親の思い出
  
    夜半に幻想的な夢をみた。 小さな白い雲があった。
    それに乗ると、ふかふか浮いて異次元の世界に引き込まれてしまった。
    そこは4歳の頃の世界におりたようだ。すべてが鮮明な蘇った当時の世界が浮かび上がってきた。
    両親がいて、兄達と姉達、そして多くの従業員がいた。
    そこは越後長岡の十字路のど真ん中にある当時の私にとって大きなビルの中。
    一階が店、二階に事務所と倉庫があり、三階に家族の住まいと台所、
    四階には従業員と姉達の部屋があった。白銀に輝くファンタジーの中に包まれていた。

三階の住まいに猿のタロー、そしてタマという茶色の猫がいて、そこでラジオから童謡とか
歌謡曲が聞こえていた。 店には若い女店員が多くいて、ぼくを「ハッちゃん」と頭を撫ぜてくれている、
正に当時の真っ只中にいた。コロという生まれたばかりの白黒の小犬を運一・兄が拾ってきた。
そして三毛猫のタマとコロがジャレている。 その空間には何時も緊張感がただよっていた。

   燕が飛んできて窓に当たって死んでしまった。初めて死をみた瞬間だ。いやに首の下の赤い色が印象的だ。
   そこを出たところには大きな通りがあり、多くの人が歩いている。小さな三輪車で駅の方に行くと右手に
   小さな公園があり、その脇に池があり小さなスイッカスが水上を泳いでいた。

そうだ、ここは公会堂の裏にある小さな山の上に神社が祭ってある公園である。
周りを見渡すと植木の展示会が開かれていた、多くの植木鉢がところ狭しと並んでいる。
その先に大きい広場があった。それは阪之上学校の運動場。
何時も遊んでいる近所の子がいたので声をかけると、スーと消えた。
夢をみているのだろうか?いや、夢のはずがない。ぼくは間違いなく、ここにいる!

    ズットここにいるのだ。何で、ぼくは、ズ~ットここにいるのだろうか?
    忘れたが何か遠い遠い旅をしてきたようだ。
    何の旅だったのだろうか、僕はどこにいってきたのだろうか?
    
そこで、無性に悲しくなり大声で泣いてしまった。
泣いても泣いても、あの遠くのズット向こうの世界は戻れない!
ぼくはもう、あの遠い世界には返れないのだろうか?
ふと脇をみると小さなコロが悲しそうな顔をして、ぼくをみていた。
でも、コロがいたので安心をして三輪車を引っ張りながら家路についた。

    両親は忙しそうに働いている。その横で姉達は今度法事で着る洋服を試着して笑っている。
    その後に夕飯の時間がきて、丁度みんなで食べようとしていた。
    父チャンがいて、ぼくもふくめて子供達が8人が勢揃いをしてご飯を食べた。
    外がいやに賑わしいのでみると、長岡祭りの山車が次々と通っている。
    三階の窓から手を振ると、屋台の上から男の人が笑いながら手を振り返した。
    何かそれをみていたら、嬉しくてケラケラ笑ってしまった。

しばらくすると父親が今日の売り上げを持って、下にある店から上がってきた。
札を十枚ずつ数えて束にまとめて小さな金庫に入れている。嬉しそうな顔をしている。
何か自分が白い雲の中で浮いているような感じがしている。ふと目が醒めると、隣に両親が寝ていた。
あ〜ぼくは、一人ではないんだ!よかったと独り言をいっていた。

    ここは間違いなく大手通の世界である。どうして、ぼくはここにいるのだろう!
    それにしても、それにしても、どうして浮いているのだろうか?
    
というところで、目が覚めてしまった。幻想的な遥か彼方の遠い世界に舞い戻ったのだ。

ーーーーーーー
ー字数の関係で内容をカットしました。
 HPからクリックしてくださいー

2006年04月25日(火)
1848, ローマから日本が見えるー5
        は(* ̄(エ) ̄)ノろぉ(* ̄(エ) ̄)ノ
                ー 読書日記
    少し息抜きで、
   ークレオパトラは美人だったのか?ー
・・・・・・・・・
2005年04月25日(月)
1483, 桜咲くーつれづれに −2
・・・・・・・・・
2004年04月25日(日)
1118, 寝るほど楽はなかりけり
・・・・・・・
2003年04月25日(金)
751, 不思議-シンクロニシテー

 以前にもシンクロニシティーについて書いたが、また書く。
親戚の葬式で不思議なことがおこることが多い。
不思議な現象で特に多いのが虹だ。5~6回はある。
先日も葬式から帰ってきて散歩にでると、過去15年以上を散歩
をしているコースで初めて大きな虹を見た。ああまた出たという感覚である。

 その中で一番凄かったのは、7~8年前に義父が亡くなった時である。
葬式が終わり柏崎から車で帰ってくる曾地峠で虹が7回も次々に出て、その下を通ってきたのだ。
曾地峠は過去に数百回は車で通っているが虹が出たのは勿論はじめてである。
 
 以前にも書いたが、ゾクッとしたのは8年前に近くの分家にあたる従兄が自死した時のある現象。
納棺の時に、突風が自宅に吹き込み桜の花吹雪が舞い込んだのだ。
写真を撮っていたが、汗びっしょりになった。そして納棺が終わると同時に、
その突風が止んでしまった。天気予報で午後の三時過ぎに突風が吹くといっていたが、
納棺の時間が偶然に一致したのだが。死ぬ前日に桜の花をいっぱい撮っていた。
こういうのをユングが「意味ある偶然の一致」といっている。

 涙雨というのは昔からある。晴天でも葬式の時だけ雨が降る現象だ。
それなら大都会では毎日降っていなくてはならない。地方におきやすいのだろう。
人知のはかれない何かがあることは間違いない!

以前書いたものをコピーしておきます。
  ーーー
H0407霊的体験
 
二十年近く前になるが、父の死後四九日の終わるまで何度か不思議な体験をしてみた。
死後一週間後位か妙な夢をみた。私自身父の気持になり“死にたくない。
もっと生きたい、生きたい”という“念”になってしまった夢である。
そして夢よりさめた時の妙な気持。私自身父になってしまった。いや私自身
(父自身)生きている!という妙な不思議な感覚である。
夢の“念”は父そのものであるし、父と一年身近で苦しんだ為に“念”が
自身実感できたのだと思う。それが夢よりさめた自分の魂が“父の魂”と一緒に
なったという不思議な実感。恐らく経験した人間ではないとわからないはずだ。

また死後二〜三日後の夢も強烈な夢(?)であった。何か強烈な恐怖感がおそってきた。
その時、父のベットで寝ていたが“おやじ助けて!”と言ってしまった。
と同時に廊下の向こうにある仏間より本当に強烈な“引力”が足をひっぱった。
そのひきずりこまれた瞬間ベットにしがみついたがその時隣に寝ていた母がスクッと立ちあがり
トイレに行った。全身汗びっしょりであった。まだまだ不思議な事がいっぱいある…。
あれ以来最近は少なくなったが幽体離脱とか、妙な霊的体験が多くなった。
ーーー
H0511妙な夢―(機  

ある夜半、自宅のどこかで音が聞こえた。泥棒ではないかと起きようとするが半睡眠状態で身体が動かない!
起きよう起きようとしているうちにスーッと身体が起きて廊下に出て、居間に行き、台所を通り、
寝ていた部屋へ一周してもどってきて布団に入る。
ところが、ところがである。自分の肉体は反対側の向きでねている。
まずいと思い反対側にねがいって自身の肉体と一緒になるという夢(?)である。
これが単なる夢か幽体離脱七日まだわからない。
 また、こんな夢(?)もみた、明け方、自分の身体が1.8m位浮いて
(そのまま水平にいて)下をみると自分の肉体が下にみえる!直観的にまずい
と思い下にもどろうとするがもどれない。かなりうなされていたと思うが?
何年か後に誰かにきいたが、霊現象の一つで、よくある事だそうだ。
こんな事もあった、これは夢ではないが部屋の天井や床の下四ケ所で次々と音がする。
はじめは気のせいか夢かと思い、じっくりと観察を数夜してみたが、しかし夢では
なかった。ところで当社の税務事務所の応接間でも同じ現象があるそうです。
(一部字数の関係でカット2,008年04月25日)
・・・・・・・・・
2002年04月25日(木)
387, 習慣ー極限

人間が極限の時にする行為が、健康法にいいと聞いた事がある。
それを習慣化してしまえば良いという。頭を掻き毟る。顔をこするーマッサージする。
ため息を吐く。 喚くー叫び声をあげる。 身辺の整理をする。
これを普段から習慣ですればいいと。 そのとおりである。
遺言もそうかもしれない。死ぬという極限の状態を常に忘れない。
毎日は無理かもしれないが、毎年の年末に書くこともそれに似ている。

末期がんで死を宣言されて、写経を始めるケースがある。
それなら普段から、暗記をして唱えているか、写経をしておけば良いことになる。
積極という言葉は正しくそれを普段から積んでおけという事だ。
消極はそれを避けて生きることである。

「あと一週間で死ぬならなら何をしますか」というテリー伊藤の本があった。
いろいろの人がふざけて書いているが、全部いつでもその気になったら出来る事であった。
人間の弱さをそのまま出てしまう問いかけである。


2577, フロー体験 −2

2008年04月24日(木)

 オハ*・゜゚・*:.。..。.:*・゜(≧∀≦)゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*!!!!!
   まずは、要点を書き写してみる。
 〜〜
我々が幸福であるかどうかは、世界の大きな力に加えることのできる統制によるのではなく内側の調和による。
肉体的生存が外部環境に依存している以上、外部環境を支配する方法を学び続けることは確かに必要である。 
しかし、外部環境を支配するとは、すでに経験して解るように、我々が個人としていかに喜びを感じるか、
または世界めカオスをどのように減少させるかに関しては、それほど役に立たない。
カオスを減少させるためには、意識そのものを支配すること学ばなければならない。
 ーフロー体験の構成要素が存在すると、
   次の8つを挙げている。
1. 明確な目的(予想と法則が認識できる)
2. 専念と集中、注意力の限定された分野への高度な集中。
  (活動に従事する人が、それに深く集中し探求する機会を持つ)
3. 自己に対する意識の感覚の低下、活動と意識の融合。
4. 時間感覚のゆがみ - 時間への我々の主体的な経験の変更
5. 直接的で即座な反応(活動の過程における成功と失敗が明確で、行動が必要に応じて調節される)
6. 能力の水準と難易度とのバランス(活動が易しすぎず、難しすぎない)
7. 状況や活動を自分で制御している感覚。
8. 活動に本質的な価値がある、だから活動が苦にならない。

フロー体験は外面的報酬とは隔離され、ひとつの活動に深く没入し、その経験それ自体が楽しいので、
純粋にそれをするために多くの時間や労力を費やすことができる状態をいう。
したがってフロー体験は、悲しい、辛い、煩わしい、妬ましい、腹が立つ、焦るといったネガティブな
感情とは隔絶した、うれしい、楽しい、歓喜に満ちた十全感、充足感、楽観、自己効力感をもたらしてくれる。

 〜〜
最近、ipodを常に携帯して機会があるごとに聴いているが、
それはマシン+音楽でフロー状態を作っていることになる。特にアルファー波が出るのがよい。
マリファナを吸ったときに出る脳波と同じ状態になる音楽だけを集めたシリーズもある。
スナックや居酒屋のバックグランドミュージックとして流しておけば、再び来たくなる効果が出るだろう。 
成功者は、フロー体験を人一倍持っている。 だから、人を引きつける。 
失敗者は、その逆の波が身についている。だから人は近づかなくなる。
逆境のときは、あまり人と接しないことだ。
この毎日書いている随想日記もフロー体験の構成要素をみると、当てはまる。
居間のコタツの上で書いているが、目がパソコンに向かった瞬間、他の情報はホボ遮断する。
フローの状態そのものであ
               (。´_`)ノ ほなぁ。
・・・・・・・・・・
2007年04月24日(火)
2212, 宇宙的自己?が語りかけてきた?
              (。・8・。)ノ おはよう!
  *一昨日の朝方の夢*

   10年近く前に亡くなった母の夢を時々みるが、一昨日の夢が不思議な夢だった。
   晩年の母は5年半ほど痴呆症だったが、夢の中の母は平常の状態。
   不思議に思い、「如何したら呆けないでいられるのか?」と聞いたら、
  「何を経験しても、その都度ごとに文脈としてまとめることよ、
   また、一つ一つの要素をキッチリと言葉にしておくことよ。」と諭すように答えた。

そして、家の宝として、小さな仏像を5~6個持ってきた。
さらに家にある大きな封書を持ってきた。神聖な昔から家にある「書置き」のようだ。
そこで目が覚めた。 普段の自分の世界から一歩抜け出た不思議な感覚であった。
‘遥か遠い向こうの世界からの魂の呼びかけ’のような、
‘宇宙的自己としての母の自己が、地上の私に直に語りかけてきている’
ようであった。現に毎晩、私が寝ているところが、母が30年以上寝ていた処である。

   「魂とは何なのだろうか?」不思議で不思議で仕方がない。
    誰もが持っている、不死の何かなのだろうか?あの夢に出てきた母とは誰なのだろうか?
    自己の創り出した(記憶の底から出てきた)母のイメージだろう。夢も考えてみたら不思議である。
    犬も夢をみるというが、自分の無意識がつくり上げた物語である。

以前は不思議な夢を多くみたが、最近はめっきり少なくなった。
モーニング・ページに起きざまにみたばかりの夢の内容を書いている。
そのまま、大学ノートに書きなぐるが、生々しい夢を書くのも面白いものである。
モーニング・ページの大きなコーナーになっている。
内容は他愛もないが、それでも時どきハッとするような深い内容がある。
夢と魂とは何か結びついているんじゃないのか?と時どき思う。
それも身近な母や父などの夢は、特に!

ところで母が持ってきた、あの封書の中味は何だったのだろう?
  母の残した、「詩」だろうか?それとも家を守りなさいというサイン?
  あのイメージは、家筋としての記録である。家系としての筋道? 胡散臭いが!        
               ホンジャ  (~▽~*)/
----------------
2006年04月24日(月)
1847, 安楽死について−2
         (’0’)d おっ w(゚Д゚)w ハァ?

昨日の随想日記の過去分(2002年4月23日)に、安楽死について書いてあった。(あとでコピー)
数日前の毎日新聞のー記者の目 ーで安楽死について取り上げていたが、鋭い論評であった。
私は積極的安楽死論であるが、この記者も安楽論のようだ。
両親や親戚の叔母などの死際を身近に見ていて実感したことは、
激痛を伴う終末の延命は無意味であり、カタチを変えた拷問の容認である。

  ーまずは、毎日新聞からー
    「射水市民病院の呼吸器外し問題」=根本毅(大阪科学環境部)
   ◇「医師が命の線引き」、嫌だ
  −−延命治療、議論を尽くせ

 富山県射水(いみず)市の射水市民病院で末期患者7人が人工呼吸器を外され死亡した。
病院側や多くの医療関係者の意見は「越えてはならない一線を越えた」と、
6件の関与を認めた外科部長(50)=自宅待機中=に厳しかった。
しかし、病院周辺では「家族との信頼関係の中で外した」とする外科部長に同情する声が強い。
どちらが正しいのか、現地で取材しながら悩んだが、偶然あたった主治医の死生観で
自分の死に方が決まるとしたら、納得できない。外科部長の取った行動は誤りだったと思う。

      医療技術が進み、意識の戻る見込みがない重体に陥っても、
      人工呼吸器や栄養・水分補給の点滴などで延命が可能になった。
      今回、呼吸器を外された7人は末期患者で、うち5人はがんを病んでいた。

 問題は昨年10月、別の患者の呼吸器が外されようとしているのを、看護師長が院長に報告し発覚。
院長は外科部長と話し合い、県警に届けた。病院側は日本医師会が04年にまとめた
「医師の職業倫理指針」に基づき、延命治療の中止に必要な要件の
(1)回復の見込みがないという複数の医師の確認
(2)本人の意思表示−−がなく、問題だとしている。

    病院の別の医師は「外科部長は呼吸器のスイッチを切る時に手が震えなかったのだろうか。
     命の重さを考えたら、私にはできない」と話す。
     別の病院の外科医は
    「消極的安楽死という言い方もあるが、スイッチを切るのは積極的行為。
     やはり一線を越えている」とする。
     大阪府内の脳神経外科医は「20年前までは医師の都合で平気でやっていた。
     死亡日を決めることも可能で、実態は殺人と同じようなものだ。
     そもそも人工呼吸器をつけるかなど延命治療について事前に聞かないといけない」と指摘した。

取材では、外科部長を擁護する言葉の後で「患者はまな板のコイ」(入院中の62歳男性)、
「医者は信頼するしかない」(妻のリハビリに付き添う84歳男性)という声も聞いた。
医師は、患者の命や健康について本人以上に知っている。 患者は絶対的な弱者だ。
外科部長が主張するように、医師と患者・家族の信頼関係で治療方針を決めたとしても、
医師の説明で判断するほかなく、医師の能力や考え方が大きく左右する。
別の医師の意見を聞く「セカンド・オピニオン」が重要なのはこのためだ。

      外科部長は、外科以外の医療スタッフに相談せずに呼吸器を外した。
      患者の当時の状態についてはカルテが残るだけで、
      その時点で本当に回復不能だったのかという点などを
      第三者が検証することは難しい。 手続きは不備だった。

一方で、忘れられないシーンがある。病院から出てきた男性(55)に声を掛けた時のことだ。
男性はうんざりした口調で「介護したことある?ないなら現実の大変さは分からないよ。
外科部長の気持ちは理解できる」と話した。私は末期患者をみとったことはない。返す言葉がなかった。

     病院は13診療科、200床を有する地域の中核病院だ。外来は圧倒的にお年寄りが多い。
      女性患者(80)は「病院は外科部長で持っている、と言われていた。
      外科部長を悪く言う人は一人もいない」と話し、入院中の男性患者(50)も
     「殺人にはしてほしくない」と捜査の行方を心配していた。

 大阪府豊中市でがん患者の在宅医療を手がける「千里ペインクリニック」
の松永美佳子院長は「往診では『早く楽にして』と、毎日のように言われる。
呼吸器外しは日本では許されないが、外科部長の気持ちは分かる。
支える家族が費やす金と体力は大変だ」と説明。その上で、
「呼吸器を外さなくても、点滴を減らしたり止めることは現場で行われている。
どこまでなら許されるのか、線引きがあいまいだ。
どこまで延命するかの判断は医師によって全く違う」と指摘した。

     取材をきっかけに、死について妻(32)と話した。
     妻はがんの姉の最期をみとった経験がある。
    「延命治療をしなくていいからね」と話すと、
     妻は「あした、あなたがそうなったら、私は延命治療を希望するわ」
     と言った。妻が望むならそれでもいい、と思った。

 人の死についてはさまざまな意見がある。
終末医療のガイドラインを一律に決めることは簡単ではないだろう。
しかし、個々の医師の考えで生死が線引きされる状況は、明らかにおかしい。
今回のケースも、
「いい先生だから」といって、外科部長が免責されるようなことがあっていい
とは思わない。臨終の時をどう迎えるか。
死をタブー視せずに、まず広範な議論から始めなければならない。
         (。・・)_且~~ お茶 
                   ヾ(^ω^*) バイ
・・・・・・
2005年04月24日(日)
1482, ラジウム岩盤浴−2

スモールビジネスとして岩盤浴経営も増加しつつある。新潟市内にも、先日郊外に開店をした。
数年前に流行したアカスリブームや、足マッサージに似ており、
一時的ブームも可能性も充分考えられる。 三〜四年が目安であろう?

料金は一回600円〜1500円。 天然ミネラル風呂と併設されているところもある。
女性の利用が9割ということもあり、女性専用のところが多い。
最近は男性も利用者が増えつつあるという。
取引先の社長が、この岩盤浴に興味を持って岩盤温泉サウナを準備をしていたが、
開店直前に失火で全焼してしまった。現在、違う場所で開店準備に入っているという。

失火した店を、その数日後に社長と見てきたが、見るも無残であった。
その時にラジウム石?を一部譲ってもらって風呂に入れたり、枕の下に入れている。
特に風呂に拳大の大きさの石を入れたが、身体に保温効果が出ている。
風呂のタイルに付いていたカビや水垢も不思議なことに自然と消えていた。

また、この素材でできているカップでコーヒーを飲むと一段と美味しい。
また酒やワインも、この小石を入れて飲むと味が一段と美味しくなる。
最近はラジウム石のブレスレッドや、ネックレスも身に着けている。
パソコンに集中しているためか目が異常に疲れるが、その疲れが減っている。

ーあるHPのこぴーです。
 ルルドの泉って何?
フランスのスペイン国境近く、ピレネー山脈の麓にルルドという村があります。
1858年2月11日、この村に生まれたベルナデッタ・スビルーという13歳になる娘が、
たきぎにする流木を拾い集めている時、彼女の前にマリア様が姿を現しました。
それから7月16日まで18回にわたってマリア様は彼女の前に姿を現しました。
2月25日の9回目に、マリア様がお告げになられた場所から湧き出た泉が、
後に数多くの病人を奇跡的に治したと言われる”ルルドの泉”です。

1879年4月16日、35歳という若さで昇天された聖ベルナデッタは、
現在ヌヴェ−ルの聖ギルダード修道院の聖堂に安置されています。
昇天されてから120年以上経った現在も、そのお姿は腐敗しておらず、
”もうひとつの奇跡”がここにあります。

この村にある泉の水を飲んだり、身体に接触させると、近代医学では不治の病と
考えられている病気や身体の不調・障害が急速に回復していくという実例があります。
ローマ法王庁からは奇跡と認定されています。
後の研究の結果、泉の中には、実は驚くほどの多量のゲルマニウムが含まれている
ことがわかりました。

現在この奇跡の泉には年間300万人を超える病人が世界中から訪れています。
また東洋でも評判の良い漢方植物にゲルマニウムの含有が知られています。
ルルドの泉の奇跡が全てゲルマニウムで説明がつくわけではありませんが、
現在医学界ではゲルマニウム(元素番号32)は予防医学の切り札として、
大変な脚光を浴びています。

・・・・・・・
2004年04月24日(土)
1117, 「ライフ・レッスン」ー6
 ー罪悪感のレッスン

・罪悪感は自己の判断に根ざしている。自分が何か悪い事をしてしまった
という意識である。
それは自己の信念体系に抵触をしたときに生じる、内側に向かう怒りである。
多くの場合、その不幸な判断基準は、幼児期に受けた教育によって
形成されるものだ。
それもしばしば「売春婦」になるべく育てられたということが原因になっている。
不穏当な表現だが、これは事実である。象徴的に売春婦とおなじく、われわれは
他者の親愛の情を得るために自己を売るべく育てられてきた。
自己のためのアイデンティティを強化するよりも、他者の願望実現の為に
専念するのがいい子であると教えられてきた。
真の独立や相互依存よりは、共依存すべく訓練されてきた。
われわれは自己の幸福実現のために自己の欲求を満たす方法を
知らないままに育ったのだ。 適切な時に「ノー」といえることを学ぶべきなのに。

・罪悪感は時間とも密接に結びついている。
罪悪感はつねに過去から生じ、人は過去に生きつづけさせるものである。
罪悪感とは、現在というリアリティを見ないようにするための方法なのだ。
それは過去にまでひきずっていく。過去の罪が未来の罪をつくりだす。
罪をてばなした時、人ははじめて過去を手放すことができ、あたらしい未来
創造ができる。
人は罪に値するものではなく、許しに値するものである。
そのレッスンを学んだとき、われわれはまったき自由になるのだ。

ーー
笑い話に「こどもの嘘」を思い出した。
ーあぶらげを隣から貰ってきた子供が、思わずかじってしまった。
それをとがめらると「トンビが下りてきてかじっていった!」この類だが。

良心という問題が出てくるが、両親ー良心ーの姿が一番影響する。
自分も両親ー良心ーの片割れだ。

・・・・・・・
2003年04月24日(木)
750, ある人生

 先日親戚の葬式で、故人の息子の一人に30年ぶりにあった。
2歳年下で、中学を卒業したと同時に日本橋の蕎麦屋に勤めにいった。といっても出前持ちである。
一度その店に行ったこともあったが、将来自分の店を持ちたいといっていた。
大人しい無口な、あまり機転が利かないタイプで、店を出せるタイプでない典型の人と思っていた。

 その彼が何と店を持ったという。そして数年前に7年やった店を閉鎖をしたと聞いて驚いた。
涙がドッと出てとまらなかった。大小にかかわらず創業がいかに大変かを身にしみてわかっているから、
彼がまがりなりにも新潟で単身で店を出した苦労が解るのだ。
 
 20数年働いた1千万で、誰の力も借りないで新潟市で、あの大人しい彼が開店から閉鎖まで
自分一人でやったという。彼の性格からいって、人の数倍の苦労があったのが想像できる。
若い時の甘い顔は一仕事をやり遂げた野武士のような面構えに変わっていた。
そして自分のやってきたことに自信を持っていた。 この自信こそ人生で一番大事なことだ。

 一心は岩をも通すというが、正に彼はその人生を貫いたのだ。
20数年かけて一心に働き、店の営業を含め合計30年以上のワンクルーを一心にやりとげたのだ。
隣で、その兄が「凄いことだ!」といっていたが、それを聞いてただ涙が出て止まらなかった。
「それが如何したことか?何処でもある話ではないか」というストーリーかもしれないが、
彼の純粋な大人しい性格を知ればこそ感動したのだ。それも独身で!

 彼の30年以上のスパンで、やり遂げた一心さは,どんな成功者より凄い。
少しオーバーかもしれないが、「山田太一の世界」といってよい。
人生の何たるものかをこの人に教えてもらったようだ。私の尊敬する人が一人親戚にできた。
 今は柏崎の実家で母親と住んで、掃除会社に勤めているといっていた。
この経済の暴風の中やる気をもらった。

・・・・・・・・
2002年04月24日(水)
386, 宗教的タカリ

オウム教はとんでもない犯罪行為をしたが、一つだけよい事を、いや結果的に良いことをした。
宗教の怪しげな一面を浮き彫りにしたことである。その一つが現在の仏教界の集り体質である。
葬式仏教の陥っている偽善体質である。

数百年かけ巧妙に、そのシステムを作っていったのだ。
彼らも商売?のだから仕方ないと、誰もが疑わないのもおかしい。
仏を盾に集っているのだ。 彼等の法事等の話など聞けたものでない。
こちらの知識の数段下レベルである。 プロの素人化の典型といってよい。

戒名料とかなんとか、勝手に値段を決め金をせびる。
彼らも生活をしなくてはならないのは判るが、豪奢な生活が問題である。
幸福の科学にしろ、創価学会にしろ、その怪しげな一面を見ると、もっとその共通点を洗い出し、
白日にさらけ出さなくてはならない。信じさせて金を騙し取るという点で、詐欺師のテクニックとほぼ同じである。
特に結婚詐欺に似ている。

夢を売って金を騙す、お布施と称して。


2576, ドル覇権の崩壊 ー6

2008年04月23日(水)


                \(⌒∇⌒)/おはよ〜!!!
 *アメリカの住宅バブルとは?

P-55
アメリカの住宅バブルを分かりやすく話すと、例えば「10年前に50万ドル(約6000万円)で買った家が、
今は100万ドル(約1億2千万)になっている。これがアメリカのミドルクラスー中産階級の家である。
中産階級というのはそれほど貧乏ではない。日本語の中流という意味ではなくて、もう少し豊かな、
専門職業をもっている小金持ち層のことである。
このミドルクラスが自分の家を最初、一軒目を住宅ローンで買っていたのだが、家の時価(市場価格)が
100万ドルになってしまっているので、残っているローンの残高の3000万円を除いた残り9000万円分を更に
目一杯までお金を借りられる。
また銀行も担保力があるかぎりは、家の価値、価格がある限りは、いくらでもお金を貸すのがアメリヵの流儀である。
すなわち一般庶民層までぎりぎりまでお金を借りて、二軒目の投資用の家、あるいはアパート(コンドミニアムと言う)
を買って利殖する。 あるいはその余剰資金を株式市場や債券市場での運用に回す。
もともと返済能力があまりない人たちまでが、この含み資産であるところの不動産資産を担保にして、
ぎりぎりまでお金を借りている。 そして、これが逆回転(リワインド)するのがいちばん怖いのである。
このことをグリーンスパンFRB前議長が警告を鳴らしていた。

 〜〜
これを読んでいると、まさしく日本のバブル期に土地投資に走った会社と、目端のきいたサラリーマン達が
してきたことと同じではないか。 現在、その人達は大損をして消えてしまった。
それと同じことがアメリカで現在進行中で、まだ殆どのバブルの感覚から抜け出ることが出来てないという。
当時の株価から5分の一まで下がったのだから、アメリカの株価が3000ドルまで下がるのは別に極論ではない。
日本の損失が100兆円、そしてアメリカの損失は500兆円という。
日本経済の壊滅的な崩壊からみて、このサプライム問題が如何に大問題を含んでいるかわかる。
アメリカが世界の主軸の通貨ということを考えると、大恐慌は必至なのか。
とくに、3年から5年は日々、深刻度合いが増していくだろう。
日本は関東から東海に渡る今まで好景気に沸いていた地域が一挙に冷え込むかどうかは、
中国のバブルの破裂の度合いによる。
 
・・・・・・・・・・
2007年04月23日(月)
2211, 帰ってきたソクラテス −2
      (^o^) (^0^)オハヨウ!
                  ー読書日記ー
    韓国人学生による米銃乱射事件、精神的に問題があったとしても、
    その原因は長年の人種差別の鬱積が本人を追い詰めたことにある。
    金持ちに対する恨み辛みというメッセージがあったというが、
    人種差別と朝鮮人の直情的な国民性も重なり暴発したのだろう。
    差別は人間の、いや動物の本能であり、これだけは、どうしようもないこと!
    と割り切るしかないのか。 目くそは、鼻くそを差別するものである。
 ーーー
 P−221
ソクラテス:救済と差別とは、どういう関係にあるのかな。
 僕はそこを君たちに聞いてみたい。だって、信者になるということは、
 自分は神に選ばれた、皆とは違う人間だってコトなんだろう。
 その選ばれた信者が、神の前に皆平等と説くなんて、やっぱり変じゃないか。
釈迦: 私は衆生を捨てておけなかったのです。ソクラテス:たとえ騙してでも?
釈迦:よしてくださいよ。ソクラテス:だけど、あなたも知っているとおり衆生はワカラナズヤだぜ。
 これは差別ではなく、事実を言っているだけだが、 自分ってものはなかなか捨てられないものだぜ。
  ・・・
ソクラテス: 宗教的なものとは、そも、一人っきりの心と、神なり仏なりとの間か、
 すごく孤独な何かだなんてこと、君たちには言うまでもないよね。
 なのに、なぜそのとき、他人の救済やら互いの平等やらが問題になることが
 できるのかと、僕は思うんだ。それぞれの人間が、それぞれの仕方で、
 神や仏と付き合ってはなぜいけないんだろうね。
イエス: だって、それじゃ宗教にならないんじゃないですか。
ソクラテス:だから宗教は詐欺だって僕はいうんだよ。
 教団や運動になった宗教なんて、大ウソもいいところさ。
 まして、言葉の数は限られているんだ。不特定多数の人間に一方的に語る仕方じゃ、
 一つの同じ言葉がそれぞれの心にどんなふうに受けとめられるかを確認できない、
 回収できない。集団をまとめる力には十分になるだろう。
 しかしそのための神や仏なら、話は逆になるってね。
イエス:やれやれ、さしずめ私は、詐欺集団のボスってとこかーー。
 いや実のところ私の弟子たちも、どうももうひとつ分かりがよくなくってね。
 なにしろこの私を拝むなかれ!、と私が説いた当の偶像を仕立てあげてしまった。
 全く相手をみて説かなくては!
ソクラテス:それが大原則だよ。それが「縁」だよ。
 僕には何が理解できないって、死んじまったあとに救われるヤツ、救われないヤツという
 あの考え方だ。だってそうだろう、この世の自分こそ、この世の当に原因なのに、
 その自分をわざわざあの世に連れて行ってまで、何で救われることがあるんだろう。
 あんなヤツは地獄に落ちるぞって腹立ちまぎれにせよ、死後こそ天国で楽にしてやろうって目論むにせよ、
 死後の差別で今の自分を救おうって考え方は、どうしても無理があるよ。
 死んだ後には天国も地獄もありはしない。しかし無もまた考えられないって
 ハッキリ教えて、深く困惑させてやる方がよほど救いになろうってもんさ。
 譬えで語るのも考えものだよ。
釈迦:いえ、あながちそうとも言えないものでございますよ。いかなわからん人間であれ、
 その生涯を生きてゆくにつれて、次第次第にわかるようになるものであることは、
 あなたも認めになりましょう。はっきりとわかる、ありありとわかる、涅槃に覚醒する
 そのときまで、私たちの魂の成長は、来世、来来世まで続くものと言えましょう。
 そして、たとえばあなた、そしてこの私、幾世かを経て、もはやこの世の自分に執着しない、
 そのことによって以後煩悩の六道輪廻に落ちることなく、救いは今のこの場で成就している
 のでございます。・・・・
 
    ーー
   解)「宗教的なものとは、そもそも一人っきりの心が、神なり仏なりとかの間に生じる
      非常に孤独の中に生じる神聖な心のはたらき」である。
      毎朝、起きて直ぐに仏壇の前に座り、数分間、一人お参りをしている。
      その時つくづく思うことは、坊様とは何ぞや!ということである。
      自分が魂を込めて参っていれば、形式としての坊様のお経など必要がない。
      日蓮宗とか、何じゃらかんじゃらは、何だ?というのだろうか?、と。
      家制度が崩壊し始めた現在、やはり仏壇と、盆暮れの墓参りは必要なことかもしれない。
      しかし、・・江戸幕府が体制維持のため、坊主をつかい百姓などを管理させた名残りが、
      檀家制度である。それを最大限利用したのが・・・まあ、止めておこう!
      何時お世話になるかもしれないから!?
                     (θ_θ)ノバイ〜
 ・・・・・・・・
 2006年04月23日(日)
1846, いくらかかるの? 結婚のお値段
            (。・ω・)ノ☆゚+.オハヨゥゥゥ゚+.☆

    昨日の朝日新聞の『マネー外来』というコーナーで、
   「いくらかかるの?結婚のお値段」を特集していた。二人の息子も、27と30歳になる。
    いつ結婚しても不思議でない歳になってきたので知りたい内容であった。

  ーまずは、その記事からー =満足感を重視して382万円=
 ごく身内だけですませる地味婚から、セレブを気取った盛大なゴージャス婚まで
結婚式の形態はさまざまですが、気になるのが結婚費用です。
どのくらいかかるのか、最近の相場を調べてみました。

    Q 最近の結婚式の形態はさまざまだけれど、
      平均的な費用はどのくらいなの?
 A 結婚情報誌「ゼクシィ」が昨年、読者4547人に実施した調査では、
   結納・婚約から新婚旅行までの総費用の平均は382万円。
   このうち挙式、披露宴・披露パーティーが293万円。
   首都圏では02年の254万円を底に3年連続のアップで05年は291万円。
   前年より11万3000円も上昇している=グラフ左。

    Q 結構、お金をかけているんだね。
 A 結婚は普通、人生で1度きり。節約して後悔するより満足感を重視する人が多い。
   オリジナルな演出や料理にこだわるカップルが増えているのも価格上昇の一因だ。

    Q 400万円近い費用を工面するのは大変だね。
 A 2人の貯金総額の平均は470万円(首都圏)だから、
  結婚準備はしっかりしているようだ。でも、夫の3割、妻の2割は貯金ゼロ。
  親からの援助=グラフ右上=が役立っている。

    Q どんな式が人気なの?
 A 上位三つは
 (1)アットホームなムード(65%)
 (2)自分らしさを表現できること(57%) 
 (3)列席者を退屈させないこと(54%)。
  「お金をかけないこと」は16.7%で8位だ。
 
最近は、少人数でも本当に招待したい人だけを招き、新郎新婦も招待客と一緒に会話を楽しみ、
くつろいだ雰囲気の中で感謝の気持ちを表すカジュアル婚が人気。
実際、首都圏でみると、95年の招待客81.3人が、05年は67.3人と14人減っている。

     Q それでも費用が膨らんでいるのは、招待客1人にかける費用が高くなっているのかな?
 A そうなんだ。1人当たりの挙式・披露宴・披露パーティーの費用(首都圏)は、
  98年の3万8000円から05年は4万5000円と7000円アップ=グラフ右下。
  地域別で最も高いのは東海で、4万5000円だ。

親・親族からの援助は
0円        ー25
0〜100万未満   ー16%
100〜200万未満   ー26%
200~300万未満    −17%
300~400万未満    −9%
400~500万未満    −3%
500万以上      −3%
    婚約から新婚旅行までの総額は380万
    結婚式のみだと 290万(首都圏)
    祝儀の総額は  217万(首都圏)
    パーティーの費用は、全国平均4万(首都圏4・5万)
(森本美紀)
http://www.be.asahi.com/20060422/W15/20060412TBEH0015A.html

・・・・・・・
以上だが、知人の数人から聞いたら、
・結婚の総額は400万が相場
・援助は新郎側が100万、嫁側が50万
・祝儀収入は半額の200万
・結納は、それぞれの考え方があるという。
・披露宴は50~人。
  −ホテルには結納セットがあるというー 
    地元で事業をしていて、人間関係が絡まっている場合は規模は大きくなるという。
    その分、祝儀も入るからバランスはとれるとか。
    私が出席した中で、気持ちの入った結婚式が幾つかある。
    本人達の結婚式への思い入れが、そのままでる。小さな披露宴ほど良いのは、どういうことか。
    盛大のものは、当たり外れが大きい!出席するほうは、人の幸せの席に参加できるだけでも嬉しいもの。
    ただ私は結婚式に出席するのは大好きだ!

私ケースは、本人達が計画をしたのに従うつもり。
50人以内で、カジュアルな、二人の気持ちの入った地味婚が息子二人には似合ってる。
まあ、結婚をしてくれるだけ有難いと思わなくては!
                     (v^ー°)バイ! 
・・・・・・・
2005年04月23日(土)
1481, ラジウム岩盤浴

最近、話題になっているのが岩盤浴である。
岩盤浴とは、温められた天然石の上に寝ることで多量の汗を促進して、
新陳代謝を高め老廃物を排出する”お湯を使わない温石療法”である。
天然石はブラックシリカ・ラジウム石・セラミックなど と種類があるが、、
どれも遠赤外線とマイナスイオンを発する石だ。

岩盤浴で有名なものとしては秋田の玉川温泉の地熱を利用した天然岩盤浴がある。
最近は北海道でサウナ感覚のものが急増して、それが全国に飛び火をしているようだ。
北海道のものは、ブラックシリカであり、国内では 北海道の檜山郡上の国町でしかとれないためか
道内からブームがおきた。

サウナ式岩盤浴では、
・受付でパジャマのような服をもらい着替える。
・岩盤浴の部屋は大体が10名程度が一度に寝転べる程度の広さ。
・室温は38度、湿度80%位。
・うつ伏せで10分、仰向けで10分、その後いったん退室して、
 マイナスイオンの入った水を飲んで1、0分間水分補給。 これを1〜3回繰り返しす。

岩盤浴はマイナスイオンをたっぷり吸って、
クラッシック音楽などをバックグランドにして、深い眠りにつくのがよいようだ。
ベタベタしない、匂わないサラサラの汗がタップリでる。
特に顔と首周りが汗が出るという。 この汗がダイエットにも効果的をもたらす。

ダイエットや、美肌効果や、体質改善など、
週1回のペースで 一ヶ月くらい続けると効果が出てくるという。
                     ーつづく
・・・・・・・・
2004年04月23日(金)
1116, 「内面なんて、見せかけだけのもの」

何気なく図書館で立ち読みをしていたら、この言葉が飛び込んできた。
早速借りてきて読んだが、一理あるようなないような。 しかし面白い内容である。

 ー抜粋をしてみるが、際どい内容だが、まあいいだろうー
老詐欺師が私のおだてに乗って、自分の若いときの女性遍歴を話し始めた。
よくぞまあ、こんなことまでという内容であった。 その話も終盤にさしかかったとき、
私は彼に、「・・女性の、どんなところがあなたはいいと思いますか?」
と訊いてみた。しばしうつむいて考えていたが、やがて「・・・やっぱり、美しさだね」と言った。
「それは・・・顔の?それとも、内面の?」と私。「顔だよ。顔。それしかないよ」
「内面とかはどうでもよいこと?」「・・・きみはね、まだ若いね。いいかい、
 内面の美しさなんてものは、見せかけにしか過ぎないんだよ」
「内面なんて見せかけだもの」という言葉は、ズット私の言葉に残った。
それから十数年の間に、わたしもかなり、さまざまの女性とつきあった。
もちろん仕事上だが。 例外なく心の美しい人たちであった。

彼女たちは心が純粋で、内面が美しくて、それのみを自分の価値観として生きてきて
ビジネス的な話は何ひとつ理解できなくって、それどころか、私の方にも
内面の美しさを要求し、つまり金などという汚いことを云々するなと,強要してほどほど困った。

(以下、字数の関係でカット2,008年4月23日)  
・・・・・・・
2003年04月23日(水)
749, リオのカーニバル

 この時期になると例年、NHKハイビジョンでその内容が放映される。
毎年三月の初旬に開かれ,約一月後に放映されている。何とも派手で陽気で豪華で楽しい!
8年前にいって、その雰囲気を知っているから、観ていても楽しいのだろう。
違うのは音量の大きさと、会場の熱気が直接伝わっていることだ。

 TVを観ていると、会場に行っているような錯覚をしてしまう。
以前にも書いたものを後でコピーしておくが、なかなか奥行きが深い。
ブラジルではTVなどで生中継される全国的な行事なっている。
今回、あるチームの準備などの内幕をドキュメント風に紹介していた。
80分の持ち時間の演技のために一年間の準備をする。

 審査項目が10項目あり、それを細かく説明していた。
・テーマ曲の良し悪し
・打楽器ーバテリアの内容
・テーマの紹介のパフォーマンス
・同じ衣装のダンス隊のダンス
・山車の美しさ、テーマの解りやすさ、迫力
・チームの旗手の踊り
・そのチームの女王の観客へのアピールと反応である。
 プロの演出者を雇い、その年のテーマにそって
 カーニバルとサンバと山車や音楽や衣装が組み合わされる。

今年もなかなかの出来であった。数回再放送でやるから、何回もみるつもりである。
ー以前書いた文章をコピーしておきますー
   H0703 ブラジル旅行記

“行って吃驚!玉手箱”主観をこめて現地の実感を書いてみる。
カーニバルはリオディジャネロだけでなく、全国津々浦々の都市で行われており、
四日間全国がお祭りの為休みとなる。その最も有名で世界的に知られているのがリオのそれなのである。
リオのカーニバルのランクがA・B・CとなっておりAランクが9チーム、
Bランクが15〜16チーム、Cランクは数十チームとなっている。
AとBチームが特設スタジオのメーン、ストリー800mを80分の持時間で
踊りながら行進する。そこは六万人の観客席があり、審判席で厳格に審査され、その年の優勝等順位があらそわれる。

 そのチケットは一般の人はほとんど入手不可能である。
我々のTV新聞等で目にするのはCチームが街頭で行進するものでしかなかった。
チームは四千名が1チームで構成されており、それが約500名×8チームに
細分化され統一のコンセプトのもとに仮装が華やかにつくられている。
音楽も各チームごとに毎年新しいコンセプトのもとに有名作曲家が名誉を
かけてつくる。その作曲も採点の大きなポイントになるという。
一日6〜8チームが夜の七時より翌朝の七時まで延々と踊りの行進が続く。
観客席もその行進曲にあわせて半数以上が踊っている。音響もすさまじく隣の人の声は全く聞こえない。

 上位数チームが翌週の土曜日に優勝をかけて再び行進がおこなわれて優勝チーム
は10億以上の賞金がつき、かつ翌年に向けてのよいスポンサーが約束される。
その年の山車とか衣装は翌年に持ちこさずすべて破棄するという。
カーニバルをみていて“気”とか“色即是空”とか“禅の悟り”がすべて含まれており、
東洋的なこのような言葉が小さくみすばらしくさえ思えるくらいだ。
ブラジルの印象として残ったイメージとしてのキーワードを書くと“サッカーと
“サンバ”(カーニバル)と“森林”と“イグアスの滝”そして“汚職まみれの国”
である。さらに加えるなら“まずしさ”である。

・・・・・・・・
2002年04月23日(火)
385, 安楽死

定期的に安楽死が問題になる。
今回の内容は、記事を見る限り詳細は解らないが、私が知る限りのことを書いてみよう。
ただ誰が見ているかわからないので、ある程度は抽象的にしておく。

・安楽死は実際日常的に行われている公然の秘密である? 何処までを安楽死というかもあるが。
・末期癌で、集中治療室で最後の苦しみの段階で、身内の了解のもと
 筋弛緩剤をうつなどは当然のことと思っていたが。実際は医者の手で?酸素呼吸器を外すことも。
・苦痛をとめるモルヒネは、死をいっきょに加速するのは公然の秘密だ。
 しかしそれより本人を楽にする方法はない。
・脳死など、それをもって死と判断し移植につかう時の最後の「方法」は何だろうか。
・身内のなかで、悪意の第三者?がリークして自分に有利にする事が多い。TVドラマでもあった。

 ところで私がその事態になった時は、「モルヒネはどんどんうってくれ、さっさと積極的安楽死をしてくれ」
 と常々言っている。「苦しんで死んでいった」という話を聞くと、周囲にそういう経験者がいなく
 「モルヒネは死ぬから、うたないで」と望む為、最後の最後までノタウチマワッテ、死んでいくケースが多い。
 
 こういう事について、あまりにも議論ないし、理想論が勝ちすぎだ。
 駄目なものは早く死なせてやるべきだ。生まれる前に戻るだけなのだから。
 どっちも管を巻かれノタウチマワル事は一緒か。 出来たら死ぬ時はそれを回避してほしいものだ。


2575, フロー体験 ー1

2008年04月22日(火)



    先日、「好き」という言葉を取り上げた。好きな状態、好きなことをしていると、
    時間を忘れ、あっという間に時間が過ぎ去ってしまう。最適経験をしている状態を
    チクセントミハイは「フロー」と呼んだ。好きなことをしていれば創造的になる。
    だから一流の人は「好き」になるまで、対象に集中する。
    その為には、成功体験の味を知らなければならない。
    当たり前のことといえば当たり前のことだが。
    一流の人の持っている雰囲気は、フローが滲み出ている空気をいう。
    〜〜
   面白そうなところを、まずは抜粋してみる。

     「フロー体験 ー喜びの現象学」 
        ミ      ハイ.チクセントミハイ著

「なぜ幸福になるのはこんなに難しいのか?」
「人生の意味は?」 
人はみなこの大問題に思いを巡らす。
あえて答えを示す者は多くはないし、それだけの素養のある者はさらに少ない。
著者のミハイ.チクセントミハイは、最初の問いに答えることに全力で挑んだ結果、
それが第二の問いと切り離して考えることはできないことを見出した。
 
この二つの問いをつなぐものこそ、「フロー」理論の本質である。
一般的な次元での、第一の問いに対するチクセントミハイの答えは、
「幸福になるのが難しいのは、宇宙は人間の幸福のためだけにあるわけではないからだ」
これに対する防御手段としで、宗教や神話がつくられはしたものの、
私たちは厳しい現実を残酷にもくり返し身をもっで知らされる。
宇宙は、秩序とカオス(エントロピー)という観点から考えるのがいちばんよい、と論じる。
「幸福を得るためには、意識に秩序をもち込む=心をコントロールする」ことが不可欠。
しかし、このコントロールはどうすれば可能になるのだろう?

チクセントミハイの研究は、幸福の本質を検討することからでなく
「人間はどんなときがいちばん幸福かと問うことから始まった。
 楽しさや達成感を感じるのは何をしているときか?」の問いから出発している。
これを見つけるために、一週間の中で無作為の時間を被験者のポケットベルを嶋らす、という調査も行われた。
そのとき何をしていたか、その行動によってどんな気持ちになっていたかを厳密に書き留めてもらうのである。
その結果、最高に幸福な瞬間は、予測のつかない外的な出来事によって偶然に起こるのではなく、
特定行動を行っているときに、起こりやすいことがわかった。
その特定の行動は本人にとってきわめて価値があるもので、それを行うと不安や雑念は消えうせる。
その状態を「最適経験」あるいは単純に「フロー」と呼ぶ。
フロー状態の人は、何かより大きく創造的に発展させていると感じる。
・運動選手はこれを「ゾーンに達する」
・神秘主義者は「法悦」
・芸術家は「恍惚」という。
時間が止まっているように感じることである。
 〜〜
  「特定行動」 =これがミソである。
  自分のライフワークを見つけ、それに没頭すればよいのである。
  それを早く見つけ、やり続けることなら誰もしていることだが。
    いや、してないか??

・・・・・・・・・・
2007年04月22日(日)
2210, 帰ってきたソクラテス −1
        (*^_^*)I おはよう!

    あのソクラテスを甦し、政治家、学者、評論家、老人福祉係、元左翼、人権擁護団体、
    イエスに釈迦まで登場。プラトンの『ソクラテスの弁明』の問答形式で、彼らと対話をしながら、
    尊厳死から性教育まで身近な難問に大哲人が挑み、知の広場へと誘っている。
    哲学とは自分の頭で考えることだが、それを具体的に示してくれた内容である。
    池田晶子の本は、もう10数冊以上は読んでいるが、読めば読むほど面白い。
    初めは面白くない本を買ってしまったと後悔をしたが、じっくり読むほどに間違いだと気がついた。
    面白い順にランダムに取り上げてみる。

    まずは、イエスと釈迦とソクラテスの対話が面白い。三人の対話の架空の対話の中から、
    一神教と仏教と哲学の考えの違いを面白く浮き立たせているところが良い。
     ーーー
 
  =死後にも差別があるなら救いだ=
       ー登場人物ーソクラテス、イエス、釈迦ー
 ーP・215ー
ソクラテス:「彼と我々」って気持ちの持ち方が、この世の差別の始まりであって、
 けしからんことなのだそうだから。
イエス: 全然違う話だぜ。
ソクラテス: 付き合いのよさこそが、君らの身上ってもんだろう。ここは一つ、
 有難い御法話と御説教といこうじゃないか。
釈迦:付き合いということなら、あなたは我々の比じゃないでしょう。
 あなたは実によく付き合う。ものぐさなんて、何をおっしゃる。
 教祖というものは決して付き合わないものなのです。
 付き合わないからこそ教祖は教祖になるのでございます。
 差別はすなわちシャベツとは、本来仏教の言葉なのです。
 たまたま厳しい身分社会の制度が人人を苦しめていた世の中に、万物平等、
 一切衆生悉有仏性を私が説いた。そして、たまたま王子であった私が、その位を捨ててそうした。
 それで、私は画期的に偉いということになっているのでございますよ。
イエス:メクラを治し、いざりを癒し、売春婦を赦したから私はえらいことになっている。馬鹿やろうだな!

釈迦:私が申しましたのは、そういうたまたまの現われでしかないこの世の
 肉体や身分やらの差別相に拘泥する心のあり方こそが、
 ない差別をあることにしてしまっているのだということでしたのに。
 こんな当たり前のことに気づかない無知蒙昧なる衆生たちは、
 差別相を実相と信じ込んでは、性懲りもなくすったもんだを繰り返し、
 初めからないものを、ますますすることにしてしまっている。
 ああ色即是空、かくも簡単な真理が何故わからないのでしょう。
イエス:いや君ね、いちばん困るものがそれだってこと。
釈迦: あるものをない、ないものをあると言うから易しいが、
 ないものをないという、そしてそれをわからせる、これが実に難しい。
ソクラテス: うふふ。
イエス: 何がうふふですか。ほんとうにズルイんだから。
 確かに、執拗な問答という君の戦略こそ、先手必勝だったのかもしれない。
 十字架か毒人参かは対した違いじゃない。
 いずれにしても世間というものは、わからないものが怖いものだよ。
 しかし、君、言い出したものの仕方がない。もはや断言あるのみだ。
 然り、然り、否、否、であるべきだ。私が言った「神の御心を行う者は、誰も私の兄弟である。」
釈迦:それ言ったのが悪かったようですな。
イエス: おや、それなら君だってかなりなものだぜ。
 「一切衆生悉有仏性」、言わずもがなだ。しかしね、それを聞いた弟子たちが、
 すかさず付け足すんだ、「一部除く」と。お陰で後世、あれは何を指すんだ、
 女人か、はたまた賎民とかの詮索が絶えないじゃないか。知ってるかい、
 部落の中でも女が差別されているとか、女の中でも部落を差別するのがおるとか、
 互いにせめぎあっているとか。
釈迦: あ〜あ、やだやだ。
ソクラテス: しかし、その点なら、君だって一言多かったんじゃないの。
 「ただし、この言葉を受ける力のある者のみ受けよ」だろ。
 受けられるのは俺だけだ、異教徒他宗派にはわかるまいって、連ちゅうやってるぜ。
 「汝の敵を愛せよ」って言われりゃさ、ない敵もあることになっちゃうことだしね。
イエス: 言わなきゃよかったよ。

    −−−
    解)まだまだ、面白会話が続くので、次回に回すとして、
     三人の会話を通して、宗教の好い加減さを鋭く突いている。
     道理からすれば、神は大自然の計らいを抽象化した呼び名でしかない。
     知識を持ってしまった人間が、その知識ゆえに苦しまなければならなくなった、
     その対処として発明した召慮討嗅召神である。
     それぞれの解釈があろうが、毒とも薬にもなる神?という発明なるものに、
     人類は多くのエネルギーを注いできた。そして多くが救われ、反対に多くの犠牲を払ってきた。
     どうしようもない人間の業を、どこかで統制しなければならないのだから、
     必要善、かつ必要悪、としての共通の価値観、規範が必要なのである。
     
     確かに差別という大問題が、我われ一人一人の前に突きつけられる。
     聖書はマタイの創作のオトギ話である。
     しかし、そのオトギ話が真実の道理なら、奇跡などが事実かどうかは
     問題にしなくてよいだろう。38歳で亡くなったといわれる、キリストが果たして何処まで
     人の苦しみを分かっていたかは疑問であるが、救い主は疑問の対象にしないものである。
     人間たる所以は「言葉」と「道具」を持っているためだ。
     そして「言葉」がつくり上げた最たる精神の「道具」が神なら、
     それも人間の遺伝子として、認めることも必要かもしれない。
     「神よ!罪ある子羊を救いたまえ」と。
                         (~▽~*)/ グッバイ!
ーーーーーーーー
2006年04月22日(土)
1845, あちら側の世界 −10
             おっ w(゚Д゚)w ハァョ〜
ー狭い世界,6次の隔たり
 「ウェブ進化論」の中に「6次の隔たり」について書いてあった。
 「地球上の任意の二人を選んだとき、その二人は、6人以内の人間関係に結ばれている」
 というもの。 早速、グーグルの検索で調べてみた。
ー以下は、その中の一つのコピーであるー
 
6人の知人の連鎖を介せば世界中のどんな人にもたどり着けるという理論。
もとは,心理学者 Stanley Milgram 博士が唱えた,"米国民全員は,
6人程度の知人の連鎖を介してつながっているという"説。
これから,ネットワーク効果という科学分野が生まれた。
 
    イェール大学の故 Stanley Milgram 博士(社会学者)が1967年に行なった実験から生まれた。
    博士は全米から無作為に選んだ300人に対し,彼らが直接知らない受取人に重要な手紙を送るよう指示。
    送り主に人々には,受取人のおおまかな居場所や職業といった手がかりが与えられ,
    彼らはそをもとに,目当ての受取人に「より近い」かもしれないと思われる誰かに
    手紙を転送するよう指示され,最終的な受取人に手紙が届くまで,これが繰り返された。

この結果を Milgram 博士はサイコロジー・トゥデイ誌に発表,
(以下字数の関係でカット2008・40・22)

・・・・・・
2005年04月22日(金)
1480, 桜咲くーつれづれに

昨日か今日あたりが長岡の平地では満開であり、もう散りかけてもきている所もある。
近くの山は大よそ一週間おくれになる。何でも咲きがけか蕾のころがよいものだ。
満開で散りかけも良いが、何か心さびしいものがある。
近くに福島江という桜の名所があり、この時期の楽しみになっている。
車で10分ほどの悠久山の桜も良い。 特に豪雪の年は良い桜が咲く。

家内は如何いうわけか桜が好きでない。「どうして?」と聞いても解らないと言う。
「すぐ散るからじゃないか」と言ったら「恐らくそうじゃない」と答えた。
私は、すぐ散るから気にいっているのだが。

10年に一度位は大当たりになる。悠久山などで早朝に見ると、思わず息を呑むような神秘的な
光景を目にすることが何度かあった。 一瞬の艶めかしい雰囲気が漂っている。
全国的にみたら、無数に名所があるのだろう。サロンに、時々訪ねてくれる井上さんの桜の写真も楽しみだ。
現場で見る桜は、写真では表現できない濃艶な妖精が無数に漂っているのだろう。

先日の日経新聞の最後のページの「文化欄」に作家の山本一力氏が、
吹かずともと言う文章を書いていた。桜の花と、人の引退時を重ねて書いていた。
 ー引き時に迷ったら、桜に教わればよいー
今週の長岡は、桜の週である。 庭の梅の花も散り始めてきた。
近くの川に鴨の姿がチラホラ見えてきた。本格的な散歩が、この時期から始まる。

・・・・・・・・
2004年04月22日(木)
1115, 中年期の「八つの危機」

思春期妄想症、青年期神経症をやっと乗り越えて、中年期から老年期になると一番恐ろしい
中年期の危機が大きく口を開いて待っている。中年から老年に向かっている身にとって
一つ間違えれば、とんでもない危機に陥ってしまう年齢になってきた。
アルフォンス・デーケンは、この中年期の危機を「八つの危機」にまとめている。
バランスを崩せば、何時でもこの鬱の世界に転げ落ちてしまう。
この「危機」に対して、上手に対応することが必要になってくる。

以下は、アルフォンス・デーケンの本に書いてあった内容である。
いくつかは誰もが心の奥で感じたことであろう。
どういうわけか私の場合、ほとんどない?? 常にコントロールしてきた為だろうが。
今まではそうであったが、今後は解らないのが人生というものだ。

このすべてを背負って、万年鬱になり自殺未遂を繰り返している人がいるが、ある日突然、
こころの芯棒が折れてしまって、この幾つかの穴にはまり込まないとは限らないことばかりである。

ーその一部をまとめて抜粋をしてみるー
「気がついたら人生の折り返し地点を過ぎてしまった・・・」
「仕事がサッパリ面白くない」
「同僚と付き合うのが億劫だし、妻や子供との時間が楽しくない」
「何の為に生きているかわからない」
「ちょっとしたことでも、くよくよ考え込んでしまう」
「若い頃のように、やる気が出てこない」
「上司や同期の葬式に出ることが多くなったな・・・」
「コメディ映画をみても、素直に笑えないよ」

よく聞くぼやきであるし、身に覚えのあることである。
以上のことは中年期に忍び寄ってくる特有な「八つの危機」の典型的な
現れである。それぞれを説明してみると
--以下は字数の関係上カットしました。後は、HPの同日分を開いて見てください。(2008年04・22)

・・・・・・・
2003年04月22日(火)
748, 思い込み

中学の頃、血液検査でB型といわれて30年経った10数年前に、
自分が実はA型ということが解った。その時の驚きは天地が引っくり返る位であった。
「自分はB型で、その性格は努力型で、独創型のマイウエータイプ!
部下や友人にはO型が適正、女性はA型が(^_-)-☆−大好き!
男の相性の悪いタイプはAとAB型と信じて生きてきたのに!」
そのA型が自分自身だと!!「今まで信じてきたことは何じゃい、これは!」が、その時の実感である。

 逆に考えてみると、条件を設定をして、
その中でパーツをたてればいろいろな自分を創れるということだ!
暗示をかければ、その通りになってしまう実例でもある。
それにしても、こんなバカみたいな事が実際にあるのだ。
実の親と思っていたが、実は違っていたという感じである。
面白いものでBの対極のA型といわれてみると、自分は本来はA型タイプ
に思えてくるから面白く、かつ単純なものである。
それからはA型類型の性格の自己暗示にいつの間にかかかっている?

 金沢の会社にいたころ、誰かの手術で緊急に寮生のA型が集められた。
全く自分とは正反対な性格の連中であった。その時やはり血液型は性格
形成の基礎になっているのだと実感したのに、あれは何だったのだ?

 人間なんてものは全て言葉による刷り込みを、言葉によって剥がしていく
動物でしかないのだろう。そこに不条理が発生してくるのだ。
イスラム教とキリスト教の対立も、その思い込み?が起因している!宗教ー経典は刷り込みの典型である。
地方にいれば地方の、都会にいれば都会の思い込みがそれにあたる。
思い込んでるのが愚か者、それを冷笑しているのがバカ、というのが何かに書いてあった。

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2002年04月22日(月)
384, 我が内なる無能性−2

以前も「我が内なる無能性−後まわし」という題で書いたが、その続編。
そういう人が反面教師として多くいる。といってそれを云うだけの資格があるのかといわれれば、ない。
それでも書き出してみる。

・自己責任がない ーーー人のせいにする。全て人が悪い、よく言うよという位人のせいにする。
 その点で狡猾そのものだ、その芸術家だ。誰もがその要素を持っているから書いては駄目なことだが。
 人間それほど強いものでない。
・過去の記憶だけは、よーく憶えている、特にマイナスの記憶を。
 その壁を自分の周りに作り上げ、その中から出れない状態。
 芥川龍之介の「山椒魚」はこれを揶揄したのだろう。
・本を読まない、人の話しを聞かない、変化を嫌う、議論をしないーいや出来ない。
・長期的視点ーグランドデザインが全くない。
 ー人生でも、家族の事でも、仕事でも。したがって準備という意味が解らない。
・人の付きあいが小さい枠。 両親の呪縛から抜け出る事が出来ないーとっくに死んでしまっていても。
・人の欠点を探す事で、凝視する事で自分の影をカバーしようとする。

考えてみたら、大部分の人がほぼこれに当たる。もちろん私もである。少し濃いか薄いかの差でしかない。
それを「子狐」という象徴でその無能性を書いている。時々「子狐」とあったら、上記の象徴と思ってほしい。
ただそっくりなモデルはいる。


2574, 我々は 井伏鱒二の山椒魚?

2008年04月21日(月)


−山椒魚は悲しんだ。彼は彼の棲家である岩屋から外へ出てみようとしたのであるが、
 頭が出口につかえて外に出ることができなかったのである。 〜『山椒魚』本文より〜
  岩屋から出られなくなってしまった山椒魚が、孤独のあまり岩屋に迷い込んだ蛙を
  閉じ込めてしまうという、井伏鱒二の「山椒魚」を読んだときの衝撃が、今でも鮮明に残っている。

学生時代に読んだ時の私の解釈は、「岩屋」を自分のつくった固定観念と、因縁に縛られてしまった
現実(生活レベルの環境)ということであった。 
岩屋に入った後に、自分の体が大きくなり、その入り口から出れなくなった悲哀である。 
人生の縮図のようで、何か残酷にさえ思えたものだ。
身近な壮年・老人の一生が山椒魚に重なって見えたのである。
家業に縛られた長男、長女の立場も岩屋にたとえることが出来るが、
ただ誰もそのことにすら気づいてないのが、悲しいといえば悲しい!


しかし考えてみれば、全ての人が同じではないだろうか?
頭が大きくなりすぎて出れなくなったならよいが、腹?(中年太り、出来ちゃった婚の子供)が
大きくなって出れなくなって云々で一生、岩屋で過ごしてしまうのが人生だろう。
といって山椒魚が大河や大海をすいすい泳ぐこともない。
所詮は岩屋から出たり入ったりをしているので、同じことかもしれないが。
 その後人生を重ねて自分を振り返ると、自分も同じである。
  これを読んで、ピンとこないのは鈍い? 
 山椒魚の場合、岩屋に餌が紛れ込んでくるが、最近は岩屋には餌が激減しているようだが。

それでも最近は、インターネットという代物が出てきたため、岩屋でもけっこう面白か!
 
・・・・・・・・・
2007年04月21日(土)
2209, 反時代的毒虫 −4
    U(^(ェ)^)U おはようございます!  ー読書日記ー
  「反時代的毒虫」ー河野多恵子、奥本大三郎との対談ー
    『人の悲しみと言葉の命』から

P-153
奥本:お金を恥ずかしがったり、汚がったりするのは、日本独特のことじゃありませんかね。
河野 やっぱり武家社会の影響だと思います。武家社会はお米が給料でしょう。
奥野:武家の負け惜しみ。
河野:武家は、一種の俸給生活者。それでお米をお金に替えたりするわけだけど。
   お金というものに縁遠かった。
奥野:商人階級を特に分離して、それを卑しめる。しかも時代とともに苦しくなって、
   それに頭を下げなければならない悔しさ。 そこから不浄感が余計に出てきた。
 P-156
    車谷:「お金がないということが生きることの原動力になっている人と、
     それが無気力を呼び込んでしまっている人と、ふた通りありましたね。
     前者はなりふりをかまわず、金さえあればっていう考えで生きている。
     そういう人たちの顔色は溌剌としていた。ニヒリズムというか、
     絶望感というか、そういうものをはっきり意識していた。」
    車谷:「(無気力組のほう)つまり金がないということの行き着く先は、
     浮浪者というかホームレスという形になっていくと思いますね。
     比喩的な意味では、この世での居場所を失うということです。
     じゃあ気力がある人はどうなるかと言ったら、
     ドストエフスキーの『罪と罰』みたいに人を殺すんです。
     ラスコーリニコフみたいに人を殺すとか強盗に入るとか」
    奥本:「気力はあるが、判断力がないんじゃない。」
    車谷:「判断力のある人は、だいたい水商売に行くんです。
     なぜ水商売に行くかといったら、この日本社会では保証人になって
     くれる人がない限り、水商売以外では、暮らしていけないからです
     私も多分にもれずに、水商売を、9年もやった。
     水商売の場合は、タコ部屋というのが用意されていますから。
     そこでともかくねどまりをする。 だからそれは判断力のある人。
P-184
車谷;大江健三郎さんは、上品というようなことをいいます。
 人間の中の叡智の部分を信じたいということでしょう。
 しかし人の偉さは限りがあるけれど、人の愚かさは底なしの沼です。
 僕は人間の本質は相当にタチが悪いものだと思うんです。業が深いというか。 
 文学の原質は、世俗の中の下品な、血みどろの欲望の渦巻く、
 煩脳や迷いが流れ出るようなものだと思うんです。
 なりふりをかまわないとか、場合によれば人を殺してしまうというか、
 そういう世界が流出するのが文学だと思います。
 東京の山の手文化というのが、生身の欲望にひと皮きれいなベールを被せたような文化ですね。
 ところが、ひと皮めくると、たちの悪い生身の色と欲、迷いがあるわけでしょう。
奥本:その山の手文化の不思議な気取りみたいなもの、腰の弱さ、底の浅さ、
 あれが純文学の世界にもあるんだろうと思うんですけれども、ウソがあるんですよ。
 そのウソが安っぽいスノビズムみたいな形で西洋文化の理解のほうへ行ったり
 上品さを装ったり、いい面もあるんだけれども、やっぱりウソはウソなんです。
車谷:窓辺に花が飾ってあるのを見ると、いつもそれを思う、うその生活をしていると。
車谷:久米正雄が、昭和初年代に、この世のことは金で半分は片がつくって
 行っていたらしいけれども、平成7年の今では、8~9割まで金で片付くような
 世の中になりましたね。それは物事が金で買えるということですね。
 物が買えるのはよいけれど、事が買えるということですね。・・・・
    ーーー
    解)
    お金に関しては、ここで多く書いてきたが、また小説の中での
    「金に関する扱い」もシビアで面白い。金と女(男)は、人間の煩悩の元である。
    車谷の「人の偉さは限りがあるけれど、人の愚かさは底なしの沼です。
    僕は人間の本質は相当にタチが悪いものだと思うんです。業が深いというか。 
    文学の原質は、世俗の中の下品な、血みどろの欲望の渦巻く、煩脳や迷いが
    流れ出るようなものだと思うんです。」という言葉が深く染みる。
    
    私自身も父親の影響を受けたため、金に関してシビアの方だ。
    父は「人間の金に対する建前と本音」の乖離を冷たくみていた。
    特にひ弱な教養人と自認している人間の、腰の弱さ、底の浅さ、
    うそと安っぽさを見抜ききっていた。問題は、それを直視するかどうかである。
    世の中は、やはり8割は金で解決できるのだろうか?まあ「猫に小判」という言葉もある!
     
  馬鹿に金を持たせても、ただ見ているだけのヤツ多いね、ホント!
   m(_ _)m       使い切るヤツよりいいか? どっち?

・・・・・・・・
2006年04月21日(金)
1844, ローマから日本が見える−4
             ォ'`ョ━━(。・∀・)ノ゙━━ゥ★
第二章 かくしてローマは誕生した。

 以下は、ウィキペデェア百科辞書から「ローマ誕生」について抜粋したものだ。
 ーー
ー建国伝承ー

 狼の乳を吸うロムルスとレムスの像ローマ建国までの伝説は、次のようになっている。
    トロイア戦争で敗走したトロイ人の末裔(アエネイアスの息子アスカニウス)が、
    イタリア半島に住みついた。この都市をアルバ・ロンガという。
    時代がくだり、王の息子アムリウスは兄ヌミトルから王位を簒奪する。
    ヌミトルの男子は殺され、娘レア・シルウィアは処女が義務付けられたウェスタの巫女とされる。
ある日シルウィアが眠ったすきに、ローマ神マルスが降りてきて彼女と交わった。
シルウィアは双子を産み落とすが、怒った叔父の王は双子を川に流した。
双子は狼に、その後羊飼いに育てられ、ロムルスとレムスと名づけられた。
成長し出生の秘密を知った兄弟は協力して大叔父を討ち、追放されていた祖父ヌミトル王の復位に協力する。

    兄弟は自らが育った丘に戻り、新たな都市を築こうとする。
    しかし兄弟の間でいさかいが起こり、レムスは殺される。この丘に築かれた都市がローマであった。

ー王政ローマの制度ー

初代ロムルス王以来、多くの一族を抱える有力者は「貴族(パトリキ)」
として終身の「元老院」を構成させ、王の「助言機関」とした。
人類の社会史上ローマにのみ見られる特徴として、他国から一族郎党を引き連れて移民してきた者や、
戦争で破った敵国の有力者も一族ごとローマに強制移住させ、
代表者を元老院議員にすることで味方に取り込み勢力基盤とした。

    これは、エトルリア人都市国家やアルバ・ロンガなどのラテン族都市国家に囲まれた
    小さな「寒村」ほどの規模から出発した新生ローマでは、最大・喫緊の課題は「人口増加策」
    であり、人口が増えないことには、自衛のための兵力すら維持できないからであった。

さらに、奴隷や一時居住者以外のこれら自由市民は「ローマ市民」として
王の選出を含む国家最高議決機関である民会で投票する権利を与えられた。
もっとも、この市民による王の選出は共和政期に共和政の歴史を古くに求めるために
作られた伝説とする説もある。

    ローマ建国の王であったロムルスも治世の途中で、この民会の選挙で選出
   (この場合信任)され、改めて選挙で選ばれた王となった。
    王の任期は終身。しかし原則として世襲制はとらない。
    王の最大の責務はローマの防衛であり、そのため自由市民が「輪番」で
    兵役を勤めるローマ軍全軍の指揮を担当した。
   (全軍とはいっても草創当時は2,000名程度であったと推測される)
                  (。・・)_且~~ お茶どうぞ
ーー
以上だが、面白いのはロムスルは王になっても権力を独占しようとしなかったことだ。
彼は国政を、王、元老院、市民集会の三本柱で支えるという制度を定めた。
ローマの王は市民全員が参加する市民集会での投票で決められる。
王は終身制であったが、他国と違って王の子孫や血縁者が自動的に王になるのではない。
あくまでもローマ市民の同意がなければいけないということにした。
さらに、市民集会は王の政策に承認を与えるという権能も持っていた。

    このように王の権利はかなり制限されたものになっていた。
    その王の政策の助言として元老院が創設された。
    現代の民主政体では国家権力を司法、行政、立法の三権にわけ、
    それらがお互いにチェックしあうことで、権力の暴走を防ごうとしている。
    ローマの制度は現代式の民主制度ではないにしても、
    国家権力の三分割という点で似ている。

形式上は王政であっても、その王は市民集会によって選出されるので、
ローマ市民の意識は「王の国」ではなくて「我らが国」であった。
だからこそ、彼らは戦争の連続にも耐えられたし,戦意も衰えなかった。
現在の日本より政治体制と大して変わりはないでないか?
いや、皇族ー王政が選挙という面でローマのほうが?
人間性という面で、千年経っても変わっていない?
              ー つづく
                    ☆~~ヾ・ェ・)o尸~ マタネ~♪
 ・・・・・・・・
 2005年04月21日(木)
1479, 『知りたいことがなんでもわかる 音楽の本』−1

クラシック、ジャズからワールドミュージック、日本のポップスまで、
幅広く網羅した、音楽の基礎などが書いてある本である。
 ほぼ全てのジャンルの歴史が詳しく分りやすく書いてある。
入門書に留まらず歴史的な考察も入っている。一冊にこれだけ音楽の体系をまとめてあるのに感心した。
この一冊で、音楽の世界を鳥瞰したような気分になれる。

「人生を肯定するもの、それが音楽」というが、どん底の時に何度も音楽で救われたことがあった。
むしろどん底の方が、音楽を受け入れることができるようだ。
音楽の奥底から感じ取られる作曲家の気持ちが通じやすくなるためだ。
ボーズのステレオを買ったのをキッカケに、音楽の世界に
急に興味をおぼえ始めたに過ぎないが、先ず知りたいのが歴史と
分野の体系であるから、この本はタイミング的にみてもベストであった。

これまでに、知識としてクラシック、ポピュラー、世界の民族音楽の三分類と、
・クラシックではバロック、古典派
・ポピュラーではブルース、ジャズ、フォーク、ロック
・世界の民族・地域音楽として、アルゼンチンタンゴ、スペインのフラメンコ、
 ロシア民謡、イタリア民謡、・・・位のものであった。
それが、この本では解りやすく、時系列と分類を鳥瞰できるように纏めてあった。
 
ー以下は検索で調べた概要である。

ー知的生きかた文庫  三枝成彰監修

 この一冊で‘音楽通`になれる!
・バロック、古典派、ロマン派・・・どんな音楽?代表的な作曲家は?
・「ソナタ形式」「交響曲」の定義は?
・バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン・・・これだけは知っておきたい!
・どんなオペラが有名で、何から観ればいい?
・ジャズは、いつどこでどうして生まれた?
・「スウィング、ビバップ、ハード・バップ」ってどんなもの?
・ブルースが生んだ重要な音階「ブルーノート」って何?
・プレスリーブームからフォーク・ロック、ハード・ロック、パンク、
 そして90年代グランジ・ロックまで
・歌舞伎に欠かせない音楽の知識とは?

ー目次
1 クラシック音楽(中世・ルネサンスの音楽 バロックの音楽 古典派の音楽 ほか)
2 ポピュラー音楽(ジャズ
 ロック 世界のポピュラー音楽 日本のポピュラー音楽)
3 世界の民族音楽 (ラテン・アメリカの音楽 アジアの音楽  アフリカの音楽)
4 知っておきたい日本の伝統音楽(邦楽の世界)
 ーー
次回から、
具体的に、それぞれの音楽の言葉の意味
 (ジャズとは?クラシックとは?とか)をまとめてみる。
                        つづく
・・・・・・・・
2004年04月21日(水)
1114, 「ライフ・レッスン」 ー5
 ー力のレッスンー

・ほんとうの力はその人の社会的な地位、銀行の高額の預金残高、華麗な肩書きなど
から生まれるのではない。
それは自己の内なる真正さ、つよさ、誠実さ、いさぎよさから生まれる。
どんな人にも内奥には宇宙の力があるのだということに、わたしたちは気づいていない。
一粒のタネがたくさんの花を咲かせ、毎日、太陽を大空をわたっていくのをみて、
そこに力を感じ取る。

・感謝をする人は力のある人である。感謝が力を生み出すからだ。
世にある豊かなものはなんであれ、いまあるものに感謝する気持ちに根ざしている。
真の力、真の幸福、真の幸福は、感謝という高度の技術の中にみいだされるものだ。

いま与えられているものに対する感謝、ものごとがそのようにあることへの感謝、
自己が自己であることへの感謝、生まれてきたときに自分がこの世界に持ち込んできたものへの感謝。
自己の唯一無二性への感謝。−たとえいまから100万年経ったとしても
自分とまったく同じ人間は現れない。 自分と同じように世界を眺め、同じように反応する人間はいない。
感謝の種は尽きない。 「感謝の筋肉」を鍛えたことがない限り感謝をすることはできないのだ。
「もっと」というゲームをやめて「もう足りている」というゲームをはじめよう。

・人間は内部に大きな力を持っているが、その使い方には無知同然である。
真の力は、真の自己を知り、世界のおける自己の立場を知ることより生まれる。

ー感想
力のレッスンに感謝ーありがとうーがあるとは思ってもみなかった。
しかし考えてみれば、内奥の力は今あるものに対する感謝・気づきから
出発することを考えれば至極当然のことである。「感謝の筋肉を鍛える」という言葉も心にのこる。
感謝は長年のトレーニングが必要ということだ。毎日「ありがとう」という言葉を繰りかえすのも、
トレーニングで感謝の筋肉を鍛えあがていることになる。

・・・・・・・・
2003年04月21日(月)
747, 散る桜残る桜も散る桜ー2
 ー雨中の花見
 昨日、散歩がてらの悠久山の花見に行ってきた。
毎年のこの時期の恒例の一人花見である。もう十年以上続いている。
他の場所はどうか解らないが、長岡は4~5年に1度があたり年である。
季節の微妙なバランスが影響しているのだろう。
今年は例年並であったが、満開時期に雨が続いたという点で外れの年と言ってよいだろう。

 午後一番に悠久山に向かって出発したが、小雨がダンダン大粒の雨になり、
丁度悠久山の参道に到着したと同時に大雨になってしまった。
いまさら帰るわけにもいかないし、とりあえず瓢箪池に行く。
それでも、いろいろな団体がテントの中で「やけ花見?」をしていた。

 雨が桜にとっての天敵ということが散歩をしていて解った。
それまでは大風と思っていたが、雨も桜の花を叩き落してしまう。
最近の桜では6年位前に2~3年に大当たりが続いた。
その時に早朝、悠久山で写真を撮っていると、中年の男の人が話しかけてきた。
「自分はこの近くに住んでいるが、これだけの桜は初めてだ!」
という。それだけすばらしい桜だったのを憶えている。

 ここで桜を見ていると、子供の頃家族で夜きたことを思い出す。
参道の両側に多くの屋台がならんで華やかな雰囲気であった。もう50年も前のことだ。
 
 花見こそ一期一会である。
吉野とか京都の名所のあたり年の桜は、魂を吸い取ってしまうのだろう。

・・・・・・・・・
2002年04月21日(日)
383,チンパンジー

TV のドキュメントや本などでチンパンジーの生態の研究が面白い。
人間そのものである。 まずはその社会、ボス争いが面白い。
彼らの社会は厳格な序列が決まっていて、常にその力関係の争いと緊迫が漂っている。
特にボス争いが熾烈である。また2番手3番手の力バランスが、人間の政争とそっくりである。

鼻が詰まった時など鼻の穴に小枝を入れ、くしゃみを誘発したりもする。
蟻の穴に棒を入れ蟻を抜く行為もする。 ボスのいない隙に浮気をしたりもするし、
子供期の遊びと虐めも人間とほぼ同じ。 嫁いびりや集団リンチなどもある。

京都大学の霊長研究所の代々の名物教授が、数十年にわたりその研究を続けている。
その内容がいろいろ出版されている。またTVでそのドキュメントを数年に一度づつ放映している。
今アメリカの研究所で、チンパンジーの一番人間に近いボノボというチンパンジーの研究が進んでいる。
数回そのドキュメントを見た。 言葉の研究やゲームの姿を見ていると
「人間との差は何処にあるのだろう?」と考えさせられる事がある。

日本でもアイコという雌チンパンジーとその子供の研究がすすんでいる。
今ではヒトを「第三のチンパンジー」と呼ぶべきという動物学者も出てきている。
人間は狂ったチンパンジーパンジー(猿)というが、言葉を持った猿の欲望の無限の拡大のなせる業か。


2573,  「好き」という言葉の重み

2008年04月20日(日)

「好きと嫌いじゃどれほど違う、命ただやるほど違う」という川柳があるが、
これほど人間の本質をあらわしている言葉はない。
私も好みの激しい人間だが、この感情は、何に由来するのだろうか。
「あの男は好かん」とか、「あの女性は私のタイプだ」とか、思うにつけて、その意味を考えたことがない? 
育ってきた環境が似ているとか、教養レベルが同程度とか、趣味が一緒だとか。
反対に「俺は堀井が嫌いだ」と何人から言われたことか。でも、相手が相手だけに心の底では??
私の経験上からみて「嫌い」いう言葉は禁句である。 いわれた方が、それで一生恨まれるからである。 
犬でも猫でも、相性があるから、これだけは如何にもならないことと割り切るしかないのか。

私の好き、嫌いの基準は娑婆経験の中からハッキリ自覚している。
女性は長女、血液型A型、教養と品性があり、少し抜けていて、顔はノッペリ。
他人には概ね無関心で、優しい雰囲気があり、明るい人である。
大体、好きなタイプは概ね、これを満たしていた人。
興味のないタイプは、冷たいタイプで、神経質な近寄りがたい正統派美人と、
個性的な自意識の強いタイプ。 殆どいないが! コンプレックスの強い人。
犬でいうと、宅上犬タイプが好きで、シェパード、コリーのような人は苦手。

同性は、品性と教養のない人と、社会的な肩書きだけで人を判断する人とか、チャラチャラした人は苦手。
商工会議所、ロータリー、ライオンズとかの人間関係に没頭している人種。それと女性関係に派手な人。
軽薄な二代目。 もう一度品性のない人!。 そんなことをいっていたら、地方では誰も相手に出来ないのでは?
とはいうが、それはそれでよい。そういう御前さん、どうなの?といわれるが、他人に厳しく自分には甘い? 

ところで好き嫌いということは、如何いうことか?
相性ということ? それとも持って産まれた先天的な本質。これだけは、どうにもならないこと?
好きなことを選んで、それを一生を通して追求することが、幸せと不幸の分かれ目になる。
好き嫌いが、先天的なものとすれば、この道理は正しいことになる。
 神=自然が与えた本質的素養だからである。

シカゴ大学の心理学者ミハイリ・チクセントミハイによると、人間には“フローの状態"
と呼んでいる精神状態がある。遊びの過程で我を忘れて熱中する状態をいいう。
これは遊びだけではなく、仕事や勉強にも当てはまる。フローの時は精神が完全に集中していて、
心の底から楽しい感覚が湧きあがってくる。だから好きなことをするのが一番いいことになる。

「ありがとう」と同じぐらい重要な言葉は「好き」と、この文章を書いていて気づいた。
「何々+好き」を、もっともっと使うべきではないだろうか。 特に人に対して使ってよいのでは。
この言葉は、その意味で魔力のある言葉になる。 誰も好きと思われて、言われて悪い気はしないもの。
  次の機会にハイリ・チクセントミハイ著「フロー体験 喜びの現象学」について書いてみる。

・・・・・・・・・
2007年04月20日(金)
2208, 下流志向
 おはよう!♪〜 ヽ(´π`)ノ
        
    一週間前の毎日新聞・文化欄「本の現場」のコーナーに、
   「下流思考」著者の内田樹氏へのインタビューをまとめた、
   { 若者はなぜ学ばず、働かないのか<「下流志向」内田樹著 講談社> }
   という記事があった。本屋では平積みであったが、数回立ち読みをしていた。
   面白そうだが、買うほどでもない本と判断していた。
   この記事と書評で八割は把握できたようだ。
    言わんとしているエキスを著者から引き出している。

ー毎日新聞のHPに記事があったので、コピーして置きますー
    −−−−
 ◇固まった頭をぐちゃぐちゃに
 フランス現代思想の研究者にして武道家が「学力低下」「ニート」という
若者をめぐる二大問題を論じた。
約2カ月で10万部と、この手の本としてはかなりの売れ行きだ。
 丘の上に南欧の修道院を模した校舎が建ち並ぶ、神戸女学院大(兵庫県西宮市)
で話を聞いた。「ここより美しいキャンパスは見たことがありません」という。

 「ずっと考えていたけれど、背後にある巨大な地殻変動の正体がわからなかった。
『オレ様化する子どもたち』(諏訪哲二著)を読んで、腑(ふ)に落ちたんです。
『それってグローバリゼーションだったのね』と」

■過剰な「消費主体」
「オレ様」を元に話を広げていった。商品経済は世界の隅々にまで行き渡った。
日本人は過剰に適応し、子どものころから「消費主体」として振る舞うように
なったという。
 消費主体とは、商品を買うように「今の自分に損か得か」によって、
物事との関係を判断するあり方。学校や仕事にもそれを持ち込み、
すぐ役立たないことを学んだり、簡単に稼げない仕事をやるのは、
高くて不必要な買い物と同じと考える。学ばず働かずとも、とりあえず何とかなる。
だから学力は低下し、ニートが生まれる。

「消費主体化が進んだのは、日本人みんながすぐ『右へならえ』になるから。
国策が成功しすぎたんです。グローバリゼーションへの過剰適応は、
子どもを規格化するような教育政策が大成功した結果でしょう」
 問題解決には、かつての地域社会や大家族、学生寮といった損得ではない
人間関係を持てる場が必要だ。自身は将来、<寺子屋のような、道場のような、
コミュニティの拠点を作りたい>と思っている。
「子どもに武道や哲学を教え、書生を住まわせ、宴会やマージャンをしたり…」

■忍耐強く聞こう
 普通の人にもできそうなことはないだろうか。
「商品のように流通している出来合いの言葉しか知らない子どもたちに、
『オリジナルな言葉を聞かせてよ』と言うこと。たとえ言語の体をなさなくとも、
大人は忍耐強く聞くことです。楽しいですよ、決まり文句しか言わなかった子が、
初めて生の言葉を発する瞬間に立ち会えるのは」

 これは、キャンパスで日々実践していることでもある。
「18歳までに固まった学生の頭の中を、ぐちゃぐちゃにして社会へ送り出す、
 それが私の仕事なんじゃないかなあ」

 校舎の中庭に出た。抜けるような青空にクリーム色の外壁が映える。
 「昔は全寮制だったそうです。今の寮も定員を増やしたいのですが」
 「ぐちゃぐちゃにする仕事」への思いを新たにしているようだった。
                        【鈴木英生】
  ====
 ■人物略歴  ◇うちだ・たつる 神戸女学院大教授(フランス現代思想)。
「『おじさん』的思考」「先生はえらい」ほか。 毎日新聞 2007年4月13日 

ーーーーーーー
なるほど、と納得する。
学生時代は寮生活、ゼミ、クラブ、世界一周旅行と当時としては恵まれた経験を多くした。
その中で一度、「固まった頭がぐちゃぐちゃ」になった経験があるから、
その重要性が深く理解できる。馬鹿の壁を一つずつ叩き壊す経験をしたが、
振り返ってみてどこまで壊してきたのか?疑問である。
何も壊していなかったのか、いや壊した!の、自問自答である。
その時に生の言葉を発していたかどうか分らないが、
傷口から出る血のような言葉であったことは間違いない。

ー著者の次の指摘も、ずばり急所をついているー
「ずっと考えていたけれど、背後にある巨大な地殻変動の正体がわからなかった。
『オレ様化する子どもたち』(諏訪哲二著)を読んで、腑(ふ)に落ちたんです。
『それってグローバリゼーションだったのね』と」・・・
 ・・
グローバルぜーションの上に共産圏が一挙に資本主義社会に組み入れられ、
更に「ゆとり教育」の失敗が、無気力の若者を造成していまった。
また、アメリカの実質占領政策が、この国民を無気力にしてしまった。
団塊世代ジュニア以下の年代の人たちは、明らかに自ら下流を目指しているのでは?
と思うことが度々である。 彼らは、お消費様なのだ。
逆の立場は数パーセントの人たちが確実に占拠してしまっているのである。
この時代の変化に、やはり一度、グチャグチャにして、己を変えるしかない!
変わり方によるが、少なくとも、アメリカ型の消費社会を見据える知識は持たねば!
                  (℃゛)/ また、明日!
・・・・・・・・
2006年04月20日(木)
1843, 桜の話
               才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*)
近くの福島江の桜は昨日・今日が満開である。
「花」と言えば桜を意味するくらい、桜は日本人にとって特別な花である。
今年の花便りだと桜の当たり年のようだ。
私のHPに投稿してくれる井上さんのHPも、桜の花が多い。

     長岡にも幾つかの桜の名所がある。
     自宅から数分のところにある、福島江の桜と、悠久山の桜だ。
     毎年、開花を楽しみにしている。
     5年に一度は大当たりの年になるが、今年はその年か如何か?

桜をぬきにして日本人の自然観や人生観を語ることは出来ない。
文学・能・歌舞伎・絵画のどれをとっても、桜は大事な役割を果たしている。
日本人の考え方や生き方を表しているとも言える。
春になると「桜前線」が天気予報のように(今どこが満開かと)放送される位だ。

     十数年前の話になるが、私の近くに住んでいた従兄弟が、
     桜の散り際を待っていたように「自死」をした。
     その納棺の儀式の時、桜吹雪が部屋の中に吹き込んできた。
     ゾクッとするような不思議な体験であった。
     5月3日に、その法事に行くことになっている。
               (*^ー^)/C□~~ コーヒーいかが?
               
ー幾つかの花に関する和歌・俳句を
   HPからコピーしてみた。

世の中に たえてさくらの なかりせば 春の心は のどけからまし
                    在原業平
ちりぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ
                    細川ガラシャ
人はいさ 心も知らずふるさとは 花ぞ昔の香に匂いける
                     紀 貫之
こえぬ間は 吉野の山のさくら花 人ずてにのみ ききわたるかな
                      紀 貫之
みよしのの 山辺に咲けるさくら花 雪かとのぞみあやまたれける
                      紀 友則
色見えでうつろうものは世の中の人の心の花ぞありける
                     古今和歌集
願はくは 花の下にて春死なん その如月の望月のころ
                       西行
吉野山 こずえの花を見し日より 心は身にもそはずなりにき
                       西行
浮世には 留め置おかじと春風の 散らすは花を惜しむなりけり
                       西行
仏には 桜の花をたてまつれ わが後の世を人とぶらはば
                       西行
吉野山 梢の花の色々に おどろかれぬる 雪のあけぼの
                      太閤秀吉
咲く花を ちらさじと思うみ吉野は 心あるべき春の山嵐
                     徳川家康
花咲くと 心にかけず 吉野山 またこむ春を 思いやるにも
                      前田利家
花にねて よしのや吉野の吉水の 枕の下に石走る音
                     後醍醐天皇
吉野山 陵ちかくなりぬらん ちりゆく花も うちしめりたる
                     昭憲皇太后
まだ咲かぬ 花のあかりや 蔵王堂     芭蕉                 
古寺に 誰が植え捨てし 花一本      芭蕉

妹が垣根 三味線草の 花咲きぬ
                     蕪村
そのくせに 花はくれない 人は武士
                    古川柳                     
難波津に 咲くやこの花冬ごもり 今は春べと咲くやこの花
                     古今集
こち吹かば 想いおこせよ梅の花 主なしとて春なわすれそ
                     菅原道真
さくら さくら やよいの空は 見渡す かぎり
 かすみか くもか におぞ いずる  いざや いざや 見に ゆかん
 ーー
 桜は死の匂いがする。 一瞬にして咲いて散るからである。
 それが、また良い! 今朝は強風が吹いている。
 こういう日の強風は、何か腹立たしくなるものだ。               
                   ε(´',_c')зβyё☆βyё
・・・・・・・
2005年04月20日(水)
1478, 居酒屋放浪記

土曜日は家内と至近にあるサエゼリアか、歩いて十数分の駅周辺の
全国チェーンの居酒屋に行っているが、もうソロソロ飽きた。
そこで、昔からの居酒屋をあらためて見直すことにして三週続けて行った。
今更の感もあるが、年齢もあるのだろう。家内はもう行きたくないというが。

最近、BSi・6で「吉田類の居酒屋放浪記」を放映している。
平日の19時半に放送しているが、毎日これを見るのを楽しみになっている。
全国のレトロな居酒屋を訪ね歩く内容だが、吉田類と現場で酒を飲んでいるような
カメラ目線がよい。先々には、何十年も積み上がられた味と雰囲気が漂っている。
店と料理と親父・女将とお客の醸しだす暖かさがよい。それと、その地域の日本酒の紹介も時々ある。

以前に「居酒屋の親父」のミニ小説?を書いたことがあったが。
男の楽しみは酒と女と博打であるというが、軸は一つという。間違いなく私は酒である。
そういえば32年前に初めての創業で貸しビルつくった時に、
その中に「養老の滝」を立ち上げて経営したことがある。二年間だったが、忘れられない経験だった。

酔っ払いの恐ろしさ、嫌らしさ、そして面白さをジックリ味わった。
居酒屋は客としてはよいが、自分がやるものではない。
カウンターの外と内側は全く違う世界である。人間、酒が入ると別人になる。
歪みと誠実さなどの人間性がそのまま露呈する。割り切ってみれば、これほど面白いものはない。
人生の縮図が、そこにある。 書き出したら止まらない。

ーー
これからは私の文に戻るが、
東京の中野の居酒屋もよかった。

創業以来47年の女将と、それ以来のお客との会話が何とも味があった。
苦しい時の居酒屋の酒の味の何とも心の気休めはなかった。
神戸のガード下の中華料理店の油にまみれたモツの炒め物とか、
おでん屋(関西では、たしか関東煮といった)のスジ肉の美味しさ。
誰もが、甘じょっぱい酒のつまみの思いでは数知れずあるだろう。

今度、養老の滝の立ち上げの時の話をジックリ書いてみよう。
あまり思い出したくないが、書きたくなったということは、その時のことを
受けいれる余裕が出てきたのだろう。その時の相棒もこのHPを見ているとメールが入った。

・・・・・・
2004年04月20日(火)
1113, ヘビー級の醍醐味 −2

 ー家内性手工業ー
昨夜、世界ヘビー級ボクシングを見ていたら、アナウンサーが面白い言葉
をいった。IBFの世界チャンピオンのセコンドが何とトレーナーが父親で、
カットマンが母親であった。解説者も長くボクシングを見ているが初めてと言っていた。
その時のアナウンサが「家内性手工業」と言ったから笑ってしまった。
上手いジョークである。大型の選手が小型の選手を、追い回している試合であった。
その内容を称して「コンニャクを押さえつけて包丁で叩き切ろうとしているようだ」
という表現もおもしろい。際どい壮絶な試合だからこそジョーク?が出るのだろう。

大型選手の名前がまた良い「ゴロタ」というポーランドのゴロツキあがりの
柄の悪い選手なのだ。いつも負けそうになると相手の下腹部を叩きつけて、
反則負けになる。 数年前もタイソンに負けたばかりだ。

この試合ではないが、観客席で見ていた母親が、負けそうな息子を助け
ようと興奮して「ハイヒール」で、相手の選手に殴りかかったこともあった。
この試合は最後の最後までわからない大接戦でドローであった。 ヘビー級は面白い。
そういえば具志堅というチャンピオンが「あなたの職業はどういう関係?」と聞かれて
「肉体関係」と答えた話しを聞いたことがあるが。 まあ、どうでも良いことだが。

 ・・・・・・・・・
 2003年04月20日(日)
746, 笑われている自分を笑っている面

 数年前の話である。 
高校の同級生が、ある会ー精神修養団体の支部ー主催で講演会をやるから、
聴講して欲しいと頼まれた。
たまたまその話し手の手記を読んだ事があったので、二つ返事で参加をした。

 300人位の講演会で同級生が開会の挨拶をした。
恥ずかしいそうな顔をしての挨拶が何とも可愛らしい味のある顔であった。
それから数ヶ月後に、同級会で顔を会わせた。 何げなく「お前も、やっと面ができてきたな!」
と言うと、本人がすかさず「どういう面か?」と聞いた。
正直にそのまま「笑われている自分を笑っている面になっていたぞ!」
と言葉がでてきた。どうしようも隠せない心の顕れが純粋にでた面であった。
それも他人に良かれという仏心のが表れた表情は何とも良いものだ。
本人も何か嬉しそうな顔をしていた。

 自分の心の傷を最小にするには、他人に笑われる前に先に自分で笑ってしまう
のがコツである。その意味で、この随想日記も赤裸々に心の奥を曝け出して
笑われるのを承知の上で書いているのも「笑われている自分を先に笑っている」ことにになる。

 ところで人間の顔というのも面白いものだ。気持ちや品性がそのまま出てしまう。
酔っ払った時の(^。^)y-.。o○−顔を鏡で見てビックリした事がある。
漫画のアトムで小さく出てくるブタの顔そのものの顔であった。実際そういう顔をしているのだろう。
そういう顔をして、総てを忘れたい為飲んでいるのだから、それも仕方がないが。 
顔はごまかせない。 バカな女が必至で化粧をするのも解る。

・・・・・・・・
2002年04月20日(土)
382,能力とは

人間の能力は無限だ。問題は発揮できる環境をどうやって作り上げていくかだ。
それを伸ばす為に、人生設計ーグランドデザインが必要である。
それを前提にして目標の設定を立て、その達成のプロセスとその結果が能力。
したがってグランドデザインが明確でかつ高くなくては伸びない。
 まとめると
・高い志を持ち
・ウオームハート&クールヘッドで
・事の本質を見つけ
・自ら常にその時点の最重要の問題を見つけだし
・失敗を恐れず、その重心と中心点に向かい
・全エネルギーを持って
・チャレンジとコンペテションとチェンジをする

知性と愛と力のバランスをとり、それぞれの価値を見つけ
継続してやり続ける。その為には好きな事を見つけそれをやり続けるか、
それを好きになるかだ。  まあこんなところか。


2572, ドル覇権の崩壊 ー5

2008年04月19日(土)

  
「金や銀、プラチナを買って、手元に保有すれば良い」と、そこまで言わしめるだけ、
  この危機は異常なのだろうか? 実際のところ国家単位で自国民を騙すのだから、それも道理。
  税務署を暴力団とは言いえて妙である。
  税務調査を経験してから、そう信じていた。 調査の対象は、のっけから被疑者扱いである。
  そこまで疑うなら、脱税をしない方がおかしいのではと実感した。 何でしてないの?
  するのが当然で、その当然のことを我々は取り締まりに来たんじゃないの?
  という態度である。
  サブプライム問題もバブルの典型で、これをキッカケで世界恐慌の可能性をはらんでいる。
  実態は火の車で、いつ何が起きても不思議ではない状況。
  ドル安、アメリカ国債安、アメリカ株平均値安になると儲かるファンドもあるという。
  買ってみたいが。

 *アメリカ住宅バブル崩壊が世界恐慌の引き金を引く
  P-18
だから、金や銀、プラチナなどの貴金属を買って手元で保有すればいいのである。
銀行の貸金庫にも預けない方がいい。自分で安全確実な場所に隠すのがいい。税務署の調査になど、
やすやすと応じてはならない。彼らは国家強盗団である。正義の法の執行者のふりをして、
日本の資産家、投資家、経営者たちを痛めつける国家の暴力団である。
金銀プラチナは奇妙なことを言うようだが、鉱物資源である。金属のかたまりである。
鉱物資源でしかない。だから税務署・国税庁はそれをもって金融資産と見なすことはできない。
ここが味噌である。たとえば、自分で檜の材木を300本買って、倉庫に寝かしておくことと同じことだ。
国税庁・税務署は「買った売った」で利益(課税所得)が生まれた時にしか課税できない。ここが味噌である。
国家は金地金(ゴールド)を管理できない。ところが、最近の国税庁、税務署は資産家(金持ち)たちに向かって、
納税申告の際に、「資産負債残高表」などという奇妙な書類を出せという。
日本は恐ろしい金融統制国家(預金封鎖の国)になりつつある。
  P-19
「円キャリートレード」などという恥知らずの取引ができたのは日本の円をアメリカが"ゼロ金利"で
自分たちのオモチャにしたからだ。「円はほぼゼロ金利だから、超安価で借りて使える」と、
このことにいち早く気づいて10年前から儲かった人がたくさんいる。それはアメリカの金融資本家どもである。
彼らの仲間であるアメリカ政府(米国国務省)とFRBが日本政府と中央銀行(日銀)を脅しあげて"ゼロ金利政策"
などという奇妙きわまりない政策を強制して10年間、日本を痛めつけてきたからである。
ほとんどゼロ金利に等しい低利の資金を、円市場(日本の銀行や生保)から借りて米国債を買えぱ、
黙っていても年率4〜5%つく。例えば南アフリカのランド通貨、ニュージーランドのドルで運用すれば、
自動的に年率7〜8%の利益が出るのである。 この金融博打を放置してきた責任はG7(各国・中央銀行総裁会議)
にある。彼らが世界の通貨政策をおかしくしたのである。
これに投資家筋が襲いかかって自分たちの旨みをつくりだすのは当然のことだ。
もつと分かりやすくいえぱ,
パチンコ屋のパチンコ台のチューリップが最初から開いている台でパチンコをやるようなものである。
 〜〜〜

  真剣に金でも買うことを考えなければならないのか?悲観を売りにしているとはいえ、
 ことごとく当たっているだけでなく、それ以上の事態になってきた。

・・・・・・・・・・




2007年04月19日(木)
2207, 犯罪集団の存在を公認している日本
           オッ(*^○^*)ハ〜ヨウ!

    一昨夜の長崎の山口組による、現職市長へのテロ?には驚いた。
   たまたまNHKを見ていたので、現場の生々しい事態が、そのまま茶の間に入ってきた。
   これは明らかに国家に対する彼らの挑戦である。(結果としても)
   それにしては、安部首相のコメントには驚いたというより、怒りを感じた。
   地方統一選挙の最中に現職の市長が、みよがしに射殺されたのに、
   当たりさわりの無い一辺倒の言葉である。これでは、なめるわけである。
   犯罪集団が公然と国家を相手に戦争を仕掛けてきたからには根絶しなければ、国家は破滅する。

闇は闇でしかない。光を当てればそれまででしかないはずだが、現在の日本は別?。
激烈な批判が噴出して当然で、それだけのことをしてしまった。
世界で、暴力団の存在を違法としていない国は日本だけである。
それも堂々と事務所を構えて、夜の繁華街がマフィアに占拠されている異常を
何とも思わない日本という国が果てして治安国家といえるのだろうか。
今回の事件は明らかに広域暴力団による地域公共事業工事からの締め出しへの‘見せしめ’と捉えてよい。

   地方選挙の真っ只中に、現職市長を公衆の面前で射殺するなど言語道断である。
   それも二代続けての長崎市長へのテロ。司法、立法そして立法は何をやってきたのだろうか。
   今度の対応次第によっては、裏世界が国家利権のシンジケートを確立する
   可能性が出てくる。いや、あったのが崩壊した結果なのか?。
   法整備を根底から変える絶好のチャンスである。広域暴力団の存在そのものを法律で否定しない限り、
   彼らの地域公共事業での利権、汚職の強要は無くならない。

              ε(´',_c')зβyё☆βyё
・・・・・・・・
2006年04月19日(水)
1842, ローマから日本が見える−3
                おっ \(*^▽^*)/ はぁー

ー第一章 なぜ今、「古代ローマ」なのかー  
 *この章の印象的なところから抜粋してみる・・
  「歴史とは人間である」

私にとって歴史とは、人間がこれまで経験してきた全てが入っている。
キリスト教は千年の間、ヨーロッパ人の精神を支配してきた。
だが、それにもかかわらず、ヨーロッパ人の人間性が向上したとも思われない。
これは結局、人間の存在自体がもともと、宗教によって変えようがないほど
「悪」に対して抵抗力がないのではないか。

    そうした人間世界を変えていこうとするなら、こういう人間性の現実を冷徹に直視する必要がある。
    なぜなら古代ギリシャやローマの人々はキリスト教のない時代に生きた人々であった。・・・・

キリスト教は本来は人間をさらに向上させたはずだ。
それが、そうならなかったのは神と信者の間に、聖教者というフィルターが介在したと考えられる。
彼らの存在はかえってキリスト教の教えを損ねているだけでなく、
神と信者のつながりを邪魔をしているとルネサンスのルターは考えた。
{私見ー現在の日本の葬式屋僧侶にもいえる}

     「水平思考と垂直思考」    
    現在の日本を考える時、改革の遅れに破滅への危機を感じる。
    どうすれば良いのか?それには、一つには、日本以外の国はどの様にしているのか?
    (水平思考)
    他には、垂直方向のリサーチー歴史を振り返ることです。西欧的な考えが崩壊している現在、
    ローマ人の生き方は宗教やイデオロギーとは無関係だっただけに参考になる!と・・・

「試行錯誤がローマを作った」

当初は小さな都市国家でしかなかったローマがイタリア半島に勢力を伸ばし、
ついにはポエニ戦役に勝って大国のカルタゴを下し、地中海を「我らが海」
と呼ぶまでの勢力になる。
あたかも幸運の女神に導かれて、すくすく発展したようだが、実際は正反対であった。
ローマ人の強さは失敗しても、必ず次の成功につなげようとするメンタリティがある。
彼らは敗因が自分たち自身にあったことを直視する。
反省するだけでなく、それを、国論分裂という活力のロスを避けることを目的とした、
政治改革という形に結びつけるのです。
こうして完成したのが、帝政に移行するまでのローマの政体として有名な
ローマ独特の「共和制」であった。
                    まあ茶でも! ~~旦_(。-_-。)
      「一級品の男たち」
    「役に立つ」ことだけが歴史のとりえではありません。
     ましてや、ローマの全史ときたら、素晴らしい男たちが次々と現れてくる波乱万丈の物語です。
     ドイツの歴史家モムンゼンをして「ローマが産んだ唯一の創造的天才」と言わしめた
     ユリウス・カエサルはもちろん筆頭ですが、カエサルだけがローマ史ではありません。
    ・ポエニ戦役の天才のハンニバルを破ったスキピオ・アフリカヌス。
    ・ポエニ戦役以後の「混迷の時代」の登場したスッラ。
    ・カエサル暗殺後、初代ローマ皇帝になるアウグストゥス。・・・

この他にもユニークな人物、型破りな人間、あるいは仕事はできないが、
愛すべき人間達が無数に登場する。 歴史とは、やはり人間が作るもの。だから面白い。
             − つづく  。.@(-ェ-)@ノ~~~バイ〜
・・・・・・・
2005年04月19日(火)  1477, 男はつらいよ

ある保険会社のアンケートによると、
・また生まれてきて再び
 同じ亭主と再婚したいと思っている女性が20佑紡个靴董
 同じ女房と再婚したいと思っている男は75諭複苅悪佑硲僑悪佑猟敢嵯覯未發△襪)
 女は更に、結婚は嫌だから一人で暮らしたいが5佑發い
・60代夫婦で、夫が妻を看取るのが15諭◆〆覆夫を看取るのが85諭
 看取ったあとの男の余生は5年、逆に夫を看取った妻の余生は22年。
 
私の親戚を見ていると、この数字に納得がいく。
女は逞しいものであるし、夫につくづく愛想をつかしているのがわかる。
定年をむかえると妻は外に遊びに出て、夫が家にいて妻の管理をする
逆転現象がおこってしまうという。

しかし、もう亡くなった姉から聞いた話。コーラスの先生をしていて、コンセプトごとにグループ化をしていた。
その中に未亡人の会があったが、「やはり夫に死なれた女性は強がりを言っているが、実際は片羽を失った鳥」
という。しかし、妻に先立たれた夫の方が更に惨めであるが。

60歳過ぎると、甘いものでないことは事実のようだ。夫婦がいがみ合っても、お互いが生きているうちが花。
女性の場合、横社会に生きている割合が多いので、すぐに群れることができる。
しかし男は、いまさら横社会といっても難しいようだ。

人生は甘いものではないのは老後も同じ。ライフワークをチャンと創っておかなくては!
おかあちゃんの奴隷になってしまう。最後は、老後も含めて生きてきてよかったといえる人生を終えることか。

・・・・・・・・
2004年04月19日(月)
1112, 「ライフ・レッスン」−4
       ー人間関係のレッスン
ー感想文ー
人間関係ほど難しく、かつ人生勉強になるものはない。
それも対立している相手や、悩ましてくれる相手ほど自分の姿の合わせ鏡になる。
その軋轢の中に真の自己が表れてくる。また私たちが無意識の中に求めているロマンチックな関係の相手こそ、
ありもしない自己逃避の空想の相手である。そして勝手にイメージとして作りあげ、
対象に求めていくから幻滅が生じる。解りやすい例としては、成田離婚がある。

そのイメージこそ自分を不幸にする「バカの壁」になる。
しかし人間はイメージの中でしか生きられない側面もある。
「ブランド」は、その一番リアルなイメージ商品といってよい。
お互い自分自身というブランドをつくりあげ、そのイメージに縛られてしまう。
真実の自己に気づくのに一生かかってしまう。人間関係のレッスンこそ、そのイメージを剥ぐ目的になる。

ー抜粋ー
・人間関係は人生のレッスンを学ぶ最高の機会をあたえてくれるものである。
自分はほんとうはどんな人間なのか、何を恐れているのか、自分の力は
どこから生まれるのだろうか、真の愛とはどんなものなのか、人間関係はそれを発見ための場である。

人間関係は多くの場合、なかなか上手くはいかない、時にはひどく辛い
経験だからだ。だからこそ、学び、成長し、愛し、愛されるための最高の機会にすることができる。

・全体性や完全性は自己の内部から生まれるものでなければならない。
誰か特別の人を見つけることは、親密な人間関係にかかわる問題の解決にならない。
独身で不幸な人は結婚しても不幸なのだ。専門職につけない人は、とくべつな人をみつけても、
パートナーのいる専門職のない人しかなれない。

他の人にもとめることをやめて、自己を完成させることなかにある。
だれか愛する人をみつけようするのではなく、自分自身を愛されるに値する人間につくりあげていくべき。

・あなたは、ただあなたであるというだけで、だれかとくべつな人なのだということを、
けっして忘れないでほしい。仕事で成功していようがいまいが、完璧な相手と結婚していようと
独身であろうと、あなたはこの世界にとって、唯一無二の尊い贈り物なのだ。
あなたはすでに一個の全体であり、外から何かがやってくるのを待つ必要がないのである。
人生にロマンをもとめたいなら、あなたの人生そのものと恋におちればよいのだ。

・・・・・・
2003年04月19日(土)
745, 散る桜、残る桜も散る桜

「散る桜、残る桜は散る桜」は人間の死を一言でいっている。
他人の死も、すぐに自分の死になる人生の無常を喩えている。
この季節の桜の花を見ていると、ものの哀れをつくづく感じる。
桜は生臭い死の臭いがする。人生の縮図を桜の花に感じるのは歳のせいか?

 今年の桜は[あたり年ではなかった?]が、例年並だった。
2~3日前が近所の桜の福島江の桜が満開だった。「悠久山の桜」は今日あたりが満開だろう。
悠久山の桜も絶品だ!5〜6年に一回はあたり年になるが、雪などの季節の要素が微妙に関係してくる。
 桜は毎年思うことだが、自分の生死を考えさせられる。
以前、桜の精の女に迷って死んでいく侍の映画をみた事を思い出した。
ゾクッとする日本的エロチックの内容であった。

 また7~8年前に近くの従兄が桜とともに自殺をした。
多くの写真を撮り残して。 新潟は桜とともに春が来るという感覚である。

・・・・・・・
2002年04月19日(金)  381,システム販売

「IBMが物流コストを一~二割カットできるシステムを提案、
初年度のカット部分の半額をシステム料として貰う。診断料は無料」
という提案の講習会に出てきたと、あるメーカの専務が言っていた。

システム販売そのものである。
物流システムの販売をIBMが始めたのに時代の変化を感じた。
IBMの世界から集めたノウハウなら一~二割のコストカットは難しい問題でない。

私もフランチャイズを2回経験してシステム力には納得している。
息子が去年宅建の試験を受ける為に日建学院に通った。
授業は衛星で送られてくる画面と聞いた。
「もし日建に通ってなかったら試験は受かってなかった」と本人が
言っていた。全国数百箇所の教室で、いっせいに聞くのだから合理的だ。

もし落ちても来年は、無料で通えるとか。なるほどと納得した。
これもそのシステムを売っているのだ。
イトーヨーカ堂もシステム70余ι複械悪佑箸い考え方を柱にしていた。
システムを主体に売っているということだ。
もの主体から、こと主体の時代の変化である。


2571, ドル覇権の崩壊 −4

2008年04月18日(金)

                  ー読書日記
 
   2001年の9月11日のテロは、ことアメリカのドル政策、石油にとって理想的な事件であった。
   そのため、当初はアメリカの国家としての陰謀か、意識的に見逃した事件ではないかと疑われた。
   アラブ民族、イスラム諸国にとって有利の事件だったのだろうか?と考えると、疑問は増す。
   価値のない紙切れは、ドルだけではない、円もしかりである。
   私は、少し落ちついた40歳を過ぎた頃から、意識的にお金を使うことにしていた。
   といって、子供二人を大学に入れて毎年、1000万は使うこと!である。
   貯めたところで、それが通帳の数字以外の何ものでもないことを父親の死に様から、学んだ。
   この程度は使ったうちではないが、普段の生活は節約をしていたから、年2〜3回の海外旅行など、
   割り切って使うべきことができた。この本、読めば読むほど心が寒々としてくる。
    〜〜 

第三章 かくしてドル覇権は崩壊していく
  P-155
今や処刑されたサダム・フセインは、2000年11月にイラクの石油輸出をユーロ建てにすることを要求した。
彼の公然たるアメリカへの挑戦とその傲慢さは、ドルへの直接の脅威であった。彼がもっていた
イラクの軍事力は既に相当に疲弊して欠乏しており、アメリカにとってはたいした脅威ではなかった。
当時のポール・オニール財務長官(任期2001〜2002)の発言で後にわかったことは、
「2001年の1月のブッシュ新政権の初回の閣僚会議の主要な議題は、
 どの様にしてサダム.フセインを国際社会から追放するか」であった。
サダムフセインが米国に脅威を与えた直接の証拠は何も無かった。
大量破壊兵器、すなわち・核兵器や毒ガス兵器の開発計画の施設は遂に発見されなかった。
ブッシュ政権での、比較的温厚で、善良な閣僚であったオニールには、このことが驚きであった。
9・11事件後にブッシュ政権は、中東地域に計画通りアメリカ軍を進駐させる計画を即座に実行開始した。
そのための自己正当化の理論として、「テロリストたちからの攻撃から、アメリカ本土を防衛するために
先制攻撃(プリエンプティブ.アタック)はどうしても必要なことである」とアメリヵ国民を説得して
戦争への支持を呼びかけた。アメリカ国民はこれを承認して、積極的にブッシュ政権を支持した。
政権への支持率は80%を超えた。国民と言うものは、指導者たちが煽動すると、このように易々と戦争に
動員されてゆくものである。人類の歴史は、このように愛国心と民族主義という考え方を鼓舞(インスパイア)
する。いとも容易炊きつけられて、無謀な対外戦争への道を歩まされる。その数年後には、必ず大きな失望と
幻滅が襲い掛かってくるというのに。戟争と言うものは、古来、だいたい3年から4年で、それを支える
国民の熱狂と支持が消えうせるものなのである。剥き出しの報復感情と、メディアを使って操られた国民が
幻滅し、国民に自覚を促すのには、それなりの時間がかかるのである。
アメリカの軍事行動を故意に正当化するために、どうやってイラクの独裁者サダム・フセインを、
9.11事件と結びつけるかという、事実の捏造にブッシュ政権が遭進したことは今では良く知られている。
9.11事件とイラク政府との関連性の証拠は全く見つからなかったし、更には大量破壊兵器の開発の証拠も
全く見つからなかった。それにもかかわらず、歪曲や猛烈な勢いの偽りの政府答弁と陳述によって、
世論や議会の支持が作り出され、サダム・フセイン政権の体制転覆(レジーム・チェンジ)が正当化された。
サダム.フセインが「イラクの自国の原油を、ドル建てではなく、ユーロ建てで販売し、ヨーロッパ諸国との
資金を決済する」という決断をして、実際にこれを実行に移した。このことで、基軸通貨(キー.カレンシー)
であり、世界銀行が公認する準備通貨(リザーブ・マネー)としてのドルの完全性を攻撃した。
サダム・フセインは、オイル・メジャーを支配するロックフェラー家の逆鱗にふれたのである。
だから、彼を国際社会から追放し、更には、ヒトラーや東条英機の閣僚たちと同じように縛り首にして、
世界中に「アメリカ帝国への反抗者はこのような目に遭うそ」という見せしめの像にされた。
 〜〜

  続刊が出たので、早速買って帰りの新幹線の中で読み始めたが、
 「自分のいったとおりだろう!」という自慢と、同時に更に過激な内容になっていた。
  それは来週に書くつもりだが、5〜10年はアメリカ発の大恐慌に世界は混乱する!
    娑婆の混乱もおつなものか?

・・・・・・・・・
2007年04月18日(水)
2206, 反時代的毒虫 −3
       b(^o^)dおっ W(^O^)Wはー♪
  「反時代的毒虫」
    ー中村うさぎとの対談「覚悟の文学、命がけの浪費」ーより

    浪費癖で借金してでもブランド品を買いまくりを売りにしている
   「ショッピングの女王」こと、あの中村うさぎ、との対談である。
    彼女は自らを
   「自分を売る職業・・・それが風俗や水商売なら、私の仕事だって同じことだ。
    私には、『自分を切り売りしている』という意識が常にある。」
   「そんなふうに自分を切り売りしている人々は、必ずそのことに復讐される。
    魂が壊れていくのだ。」と語っている
 
本を書くため身を削り、シリアスなキャラが売りで、まさに「覚悟の文学」である。
最初の結婚は、大失敗に終わり、2度目の結婚相手の現在の夫はゲイ。
「毎日一緒のベッドで寝ているが、互いの裸を見たことがない」という。
彼女の両親はゲイの夫に大きなショックを受ける。一人のホストにいれあげて、
出版社には前借りの借金を繰り返し、時には税金未納で銀行口座を差し押さえられながらも、
1本100万円のヘネシーをオーダーするまで「命がけの浪費」をする。
(字数の関係でカット2,008年4月18日)
              バイ! UvU/〜
・・・・・・・・
2006年04月18日(火)
1841, 理解する技術ー情報の本質がわかる−2
   
     +.(ノ*・ω・)ノ*.オハヨ  ー 読書日記             
□第3章ー文章から情報を読み取る基本テクニック
  (字数の関係でカット2,008年04月18日)
               ー つづく  ヾ(。・ω・)ノバイ!
・・・・・・・
2005年04月18日
(月) 1476, 24歳の日記

ここで22歳・23歳の日記に続いて「24歳に日記」が始まる。
 数回だが。

あまり書きたくないのが本音であるが、自分を見つめ返すためには、目をそむけてはいけない足跡である。
途中から、日記をカード式に切り替えたが、そのカード式の日記帳は全て捨てた。
今から考えてみたら残しておけばよかった。
残っている日記帳には十数日分は書いてあるが、大まかにしか書いてない。

まず、生活信条が書いてあった。 真面目に書いたものである。
それが若さであろう。 35年経っても、ほとんど変わってない自分がそこにいる。
それでは24歳の日記ー十数日分だが、開始である。直視したくないので、数回で終えるが。

中原中也の詩の中に、当時の私の気持ちがそのまま書いてあった。
当時、ある姉に勤めたら薄れ汚れてしまった感じといわれたが、
当時の悲しみが直に伝わってくるものだ。 それと中原中也の心も。

それと当時の両親の温もりと愛情もそのまま自分の中に残っている。
人は愛情の中で生かされていることを実感する。全ての人に感謝をしなくては。特に両親に対して。

昨夜、独身時代の自分の夢をみた。
 ーーー
1970年3月
ー私の生活信条

誠実であることー動機においても結果においても常に清潔であること

愛情を基本とすること
  ー常に相手の意思・立場を理解をして、それを持って自己の満足とする

毅然たる態度でー何があっても自分を見失わないで、自分の善に従うこと

善悪を明確にしておくこと
      ー他人(自分以外の人)に対して、自分と等しく愛するように勤める
     善悪の基準は他人に対して、いかに自分と同様に満足せしめるかにおく
     打算においても、同じ扱いをする
     動機において不純はさけることとする 
     (最後に拠るべきは純粋な動機のみである)

人間関係ー常に相手側と同じ立場におく
     ただし、能力レベルが同等に対してであるが

不言実行(無言実行)ー
     有言不実行の矛盾に陥らないこと
     経験を振り返ると無言実行が一番実効があった
     言葉が先に立ったときは、自信のないときと自覚すること

自己投資をすること
      −人生とは、投資である。
      自分に対して、そして創造行為もである
     与えられた時間、物、金、チャンスを投資に向けること

克己ー 自立性と自主性を持って,他人志向的個人主義を目指す
   そのために己に打ち勝つこと

 ーー
 1970年3月21日

現在、自分を見直すために会社を辞めた。
そして、現在は長岡の自宅にいる。
会社には丁度1年在社したことになるが、いざ辞めてみて解ったいたことだが、
動揺があまりにも大きい。 今も夢の中にいるようだ。
辞表を出して、2〜3週間大きな揺れがあった。
色いろのことがあったこともあるが、自分も人間だったのだ。
これからは決心をしてしまったからには、1年ジックリ勉強のやりなおしである。

コンピューター関連は、技能職でしかないので私には向いていない。
マーケッテングのほうも面白そうだ。義兄に西村さんに聞いてみようと思っているが。
この一年間どうすれば一番効果のある時間を過ごせるか考えてみなくてはならない。
それより、この一年で一生の自己設計をつくるのがポイントになるだろう。
そのために如何するかを考えるべきである。

日記を考えると、即自と対自の会話である。
また自分自身である時間。 反省と焦りが交差するところである。

・・・・・・・・・・
2004年04月18日(日)
1111, 「今時の若いものは!」

エジプトの遺跡にも「今時の若いものは・・・」と書いてあったという。
数年前から、数人の知人が会社の後輩に対して「今時の若いものは!」と、
批判的にいっている言葉が気になった。 年寄り臭い嫌な響きがあった。

若い人にも個々それぞれある。
この言葉は自分の価値観が若い人の変化を受け入れられない心理から出ている。
「それにしても、今の若いものは!」という言葉が出てきそうだが。

一年前、アメリカがイラクへの侵攻から、若ものの間でイラクが究極の旅行先としての
ターゲットになっているという。今回のイラクの人質騒ぎも、その類の範疇でしかない。

ボラティアの女性だけが救いであったはずが、??を吸いにいく丁度よい名目?で、
NPOを利用してだけ?という疑惑も浮かびでてきた。
18歳の坊やも、共産党一家のパフォーマンスでしかなかったのか。
といって、彼らには彼らの正義があったはずである。

インターネットの検索で調べたら、私が書いた文章より、内容の濃いものでてくるから困ったものだ?
しかし、このテーマを考えたらこそ、より深く見えてきたこともあるが。

・・・
演題:「近頃の若者」 養老猛

この講演は平成10年6月に鎌倉芸術館小ホールにて行われました。
その時の講演の録音テープをおこして原稿を作成し、
養老 孟司先生に御了解を得て、このホームページに掲載しています。

「近頃の若者」という題をいただきましたが、私ももう相当な年になったのでこの題が
ちょうどいいのではないかと思われたのではないかと思います。
「今時の若い者は…」というのは一番古くは、エジプトのパピルスに書いてあるといいます。
ですから紀元前の頃から年寄りは若者のことを「近頃の若い者は…」という習慣というか癖があったようです。

自己紹介いたしますと、私は1年だけをのぞき、小学校からずっと学校におりまして
卒業してからは教師になり、東京大学に57歳までおり、58歳からは北里大学におります。
ですから仕事では若い方とお付き会いするというのがほとんどでございました。

戦後50年を過ぎましたけれども、この半世紀で世の中が相当変わりました。
その間に若い方もずいぶん変わってきたというのは当然でございます。私が小学校に
入った時というのは戦争中でございまして、1年生の時が昭和19年でした。
ちょうど東京で空襲が始まった頃です。

その頃病院に入院したことがありましたが、ご存知のように病院の食事というのは
ひどいものですが、そのひどいのが戦争中でしたから一層ひどいものでした。
その時代、親は食べていくことで精一杯。
子供たちは青天井で、学校が終わると川へ行って魚を捕ったり、
空き地で虫取りをしたりの生活でしたので、学校は大変ありがたいところでした。

私がまず最初に「近頃の若者」と違いを感じたのは、団塊の世代でした。団塊の世代の人たち
(昭和21年〜25年生まれの人たちの事)は何でもみんなでやるという世代で、
戦後の典型的民主主義教育を受けて育った人達です。

私たちの世代は(私と同い年の人というと橋本龍太郎、美空ひばり、江利チエミ、
雪村いずみさんなどですが)自分は自分、人は人という個人主義的世代で、
自分自身で決めればよいと考える私と、団塊の世代の人達は合わなかったのです。
昭和42年に東大で助手になり昭和52年に教授になりましたが、
その間大学紛争の後始末に明け暮れたという感じでした。

次に非常に驚かされたのがオウムの世代であります。
よく宇宙人と言いますが、ある日、解剖の実習をしていましたら、ある学生が突然
「先生、尊師が水の底に1時間いる実験をするので、一緒に見に行って証人になってください。」
と言います。「何をやっているのか」と聞くと「ヨーガをやっている」と言い、良いことがあったか聞くと、
「食欲や性欲がなくなった。オウムでは空中浮遊等も日常的だ。」と言う。 まったく愕然としました。
  ・・・・・(中略)
現代においては9割の人が病院で生まれ、病院で死を迎えます。
人間の抱えている自然が隠れてしまい、非常に多くの人が自分が死ぬとは思っていないのです。
日本では勉強することはマニュアルを頭に入れることだと思っています。
知るということが軽く扱われています。「知る」ということは恐ろしいことなのです。

技法でない知に吸い込まれてしまった一部の人がオウムであります。
近頃の若者は全てのものが頭の中で並列に並んでいます。

・・・・・・・・・
2003年04月18日(金)
744, まずは一日一図から −2 

これを実行して10日が経つ。 三日坊主と思っていたが、今もしっかりと続いている。
始めたら面白いのだ。一番面倒で避けたい思考が面白いのだから、大変な習慣であり収穫である。
この歳で色いろのことが解り始めている、この鈍さも実感する。

ポイントは
・初めに漫画を中央に小さく書き込み、
・それに、漫画の「声の噴出し」を書いてしまう。
・そして漫画の上にテーマを書きこむ。
・「噴出し」に思いついたことを気楽に書き込んでいく。

 漫画の人形を書いたケースの場合、自分の分身と思ってしまう為か、
頭の中から色いろなことが浮かび上がってくる。
「半分遊び気分で問題の追及」を、結果としてしてしまう。
「左手を上に挙げ、右手を腰に当てている小さな人間の絵を中央に描いて、
左右に三づつ声の噴出しを書き込む」と、どういう訳か難しい問題でも、気楽に考えられるのだ。

 読書法で10〜100倍の速度が可能という本が多く出版されている。
私の場合、その方法を身につけて10倍以上の読書力になった。それもこの1^2年である。
しかし、「一日一図」を始めてわずか10日で、10倍の思考力が増えた?ようだ。
その程度の頭脳でしかないのが、事実だ。 以前から天才のノート法とかいう本を読んで、
色いろ工夫していたが「毎日一図の習慣と、漫画を中心に描いてから、埋める方法」がよい。

 随想日記を書き始めて、文章力と文章量はそれまでの十倍に増えた。
そうすると、「読書力と文章力と思考力」がこの数年で10倍になったことになるが、
集中力がそれだけ増えた事は間違いない。これらの方法は過去からいくらでも在ったのだから、
今になってやっと気づいたに過ぎない。
この随想日記を続けてきたことが、こういうノウハウを身につかせているのだろう!

・・・・・・・
2002年04月18日(木)
380, 姉正子さん

姉正子が亡くなって2ヶ月すこし経つ。
去年の6月に来て,3時間半なにを話したか?

大体がこんな内容であった。
・自分の生い立ちー声楽のコンクールで、中沢桂に高校時に負けたことが一生の分岐点であった
・高校しかいけなかったハンデキャップが一生ついてまわったこと
・倒産時に私に助けてもらったのが、地獄に仏であった
・今回自分はセンガンでないが、主治医がセンガンと書いてくれた為、保険が全額降りた。
・いつもこの家に来ると、肩に重い何かが被さるが今回はないのが不思議だ
・両親の思い出、今までの思い出
・なにがあっても自分は生きぬくーEM 菌を飲んでいるので順調
・病気の状態ー入院の後先の話
彼女にとって、「もしかしたらこれが最後の実家帰り」という気持ちがあったのだろう。
彼女にとってここは(自宅)やはり実家なのだ

 この内容から私なりの彼女の心理分析をすると
・この長岡の街で、この世界を出ることができなかった一生であった。
・やはりやってはいけない事?をしてしまった無念、後悔。
・両親に対する恨みと、反面後悔。
・病気の恐怖に対しての自分の気持ちの説得ー自己詭弁

一昨年の手術の前日の20時過ぎか電話が鳴り、「実は自分は肺がんで明日手術。
最後の電話をやはり貴方に電話をしてしまった。これからお風呂に入って
身体を清め、手術に臨む。もしものことがあるかもしれない。いろいろ有難う。」
ー私「もし間違えてあの世に行ったら、両親によろしく。それとうまくやって。」
ー正子「仲良くするし、待ってるからね」 だいたいこんなものだった。
 
 面白い人でもあった。


2570, 些細なものほど、光を放つ! と、振り返ると解る

2008年04月17日(木)

 
   日常のチョッとした瞬間、60年にわたる過去の些細な記憶がフラッシュのように出る。
   これが還暦を前後して特に多くなってきた。
   人生は些細なことほど大きな意味が含まれているようである。
   コマーシャルではないが、「人生は、その人の選択で出来上がっている」と実感する。
   一日、数万のことがフラッシュのように脳に発生するというが。
   様々の経験から、自分の心の芯にとって、いやな後味になることはしないようにしてきた。
   それでも、次から次へとフラッシュが発生する。自分の過去を冷静にみれる年月が経ったためだ。
    多くの人を虐殺した政治家の内面は如何なるものだったのか。
    死者が纏わりついているのだろう。彼のそれは、些細なものではないからだ。

  次の文章が‘些細なものほど、光を放つ’ことを理路整然と表現している。
 〜〜
「哲学の教科書」中島義道著
  *些細なものほど、光を放つ
                  P-232
哲学者の目とは、人生の「外側」から、すなわちあたかも死者、
あるいは他の天体からの飛来者のように、人間たちの営みを見る目です。
こうした目で見続けますと、そこに面白い変化が生じてきます。
人生の大事と思われているものは取るるに足らぬように見え、
逆に取るに足らぬと思われていることが輝いて見えてくる。
「死」を背景にすると、天下国家の大事ではなく 些細なものこそ光を放ってくる。
フランクルは強制収容所という「向う側」にいる人間の心持ちを次のように語っております。

彼の想像はいつも繰り返し過去の体験に想いを馳せて、それに耽っているのであった。
しかしそれは過去の重大な体験ではなくて、以前の生活のごく日常的な出来事やささやかかな
事象のまわりを彼の考えはめぐっているのであった。……市電に乗って家に向う、入口の扉を開ける、
電話が鳴る、受話器を持ち上げる、部屋の電灯のスイッチを入れるー囚人がその思い出の中で
いわば撫で回して慈しむものは、こんな一見笑うべきささやかなことであった。
そして、その悩ましい思い出に感動して 彼らは涙を流すこともあったのである。

強制収容所に入っていない私たちが、今この状況を腹の底から実感するのは難しいでしょうが、
例えば奈良時代の官吏の一日を文字通り再現してくれれば、どうでもよいことがわれわれには
本当におもしろいことでしょう。
もし私が一時間だけ千二百五十年前の奈良の都に戻してくれるなら、東大寺や興福寺には
行かずに、人がごった返す市場に行くでしょう。内裏の「閣議」は見物せず、
一般の家庭の夕餉を見物するでしょう。・・(中略)女房が派手で困るとか、給料が上がらないとか、
子供がぐれて困っているとか、毎日の生活がしみじみと面白みを帯びてきます。

 〜〜
学生時代の日記を、ここで公開したが、私にとって、その面白みは当時の日常の風景が
具体的に書いてあったことである。実際に読み返してみると、当時のことが昨日のように思い出される。
何で、その後、思ったままのことを具体的に書いてなかったか後悔する。
誰かに見られたら嫌だというのが、それなのだろうが。些細なことの中に光が宿っているのである。
それは、「今日、今、ここ」しかないから。ここに永遠が存在しているから。


・・・・・・・・・・
2007年04月17日(火)
2205, 反時代的毒虫 −2
  才八∋ウ_〆(∀`●)
             ー読書日記ー
「反時代的毒虫」の中の
ー白洲正子との対談『人の悲しみと言葉の命』ーから

     車谷が『四十八瀧心中未遂』で直木賞をとったあとの「文学界」で白洲正子との対談である。
     白洲をして、恐ろしい、こわい、と言わしめるのだから、驚きである!
−−
白洲 「私、十何年も前に見っけたんだからね」
車谷 「白洲先生からいただいたその手紙をここに持ってまいりました。
 『新潮』に発表した『吃りの父が歌った軍歌』を先生が読んで、手紙を下さった。」
白洲 「いや、恥ずかしい。そんなもの、持っていらっしゃらなくてよいのに。」
車谷 「私が板前ををやめてセゾンに勤めていたころです。
  消印を見ると昭和62年12月です。」・・・(中略)

    車谷 「20年間、文章を書いてきてファンレターなるものをいただいたのは、
     一度だけです。それが白洲先生からだから、びっくり仰天です。」
    白洲 「冗談じゃないわよ。なにしろあなたの文章じゃ、
     誰も手紙なんか出せないわよ。私は思い切ってだしたけど」
    車谷 「お手紙の中で、『車谷さんの文章は生きている』と書いてありました。
     『生きている』というところに傍線を引いて、何回も読みました。
      のちに先生にお目にかかったとき、『おそろしい』と言っていただいたことを
      覚えています。『こわい』とかね。
    白洲 「ほんとうにこわい。今だってこわい。」・・・・(中略)

車谷 「私が25歳のときに小説を読むきっかけは、永井龍男の『青梅雨』という短編を読んだ時でした。
 ぼくは名文だなと思った、よけいな言葉が一つもなくて。
 それで、一生に一度でよいからこういう名文を書きたいとおもったのが、
 ぼくが小説を書く動機だったので、、文章がダメな人は、文学者としてダメだと思うんですよね。」、
白洲 「あたりまえじゃないの」。 ・・・・
 
    車谷 「若いときから西行に憧れて出家したいと思ってたんです。
     とにかく一生の間に一冊作品集を出して、それで出家しようと。
     47歳のとき「しお壷の匙」という作品集が出まして、これでもう
     出家しようとしたら、高橋順子というのがあらわれて、結婚するはめになって。」
     ・・・・(中略)
    白洲 「あなた、お辞儀ばっかりしているようなときがあるわね」・・・(中略)
    車谷 「白洲先生は鬼になって書いていらっしゃる」
    白洲 「私は般若です」
    
ーーー
解)遜った車谷の態度が気になるが、白洲の前ではこんなものか。
文学の世界では、白洲正子のブランドは絶大なのだろうが。
最後の車谷が白洲に対して、鬼になって書いてる!に対して、私は般若です!というところがよい。
般若の面は差別に対する、究極の怒りと嫉妬の表情というが。 それと知恵もあるが・・・
 
 また、次の部分も良い。
車谷「20年間、文章を書いてきてファンレターなるものをいただいたのは、
 一度だけです。それが白洲先生からだから、びっくり仰天です。」
白洲「冗談じゃないわよ。なにしろあなたの文章じゃ、
 誰も手紙なんか出せないわよ。私は思い切ってだしたけど」 
  白洲をして、そこまで言わしめるのだから、
  車谷の「しお壷の匙」を読むことにした。   ホンジャ、バアアイ
                        ♪♪((((*`・´))ノ
・・・・・・・・
2006年04月17日(月)
1840, ジャンケン
    オハ (´・ω・`)(ω・`)!(´・ω・`)! ヨ〜 

「ジャンケン」について書いてある資料は殆んどない。
HPを調べても勝ち方の極意が書いてあるだけだ。その中で、それぞれのだす確率があった。
580回のうち、グウが190 、チョキが203、パアが 187 回とあった。
確率からみたらグウを出すのがよいことになるが、ほぼ同じである。
もっと偏りがあると思っていたが。
           Pa(・ω・ ) σ(д・`★)グウ Y(・c_,・●)チョキ
 図書館で何気なく立ち読みした
    「大切なことは60字でかける」−高橋昭男著の中にジャンケンについて書いてあった。
それによると、
・ジャンケンは、江戸時代に中国から長崎に伝来
 大阪を経由して江戸に伝えられた。
・江戸時代のジャンケンには色いろな方式があり、子供の遊びではなく、
     お座敷遊びの一種であった。
・中国では、日本と同じ方式で行っている。
 世界の40ヶ国で盛んに行われている。
 ーマレーシア、パキスタン、サウジアラビア、イギリス、
 フランス、ドイツ、 デンマーク、エジプト、アメリカ、チリなど・・
 アメリカのジャンケンは日本のかけ声を英訳したもの。

     この本を読むまでは、日本特有の遊びと思っていた。
     お座敷遊びで、野球拳とかがある。子供の頃は何かあるとジャンケンで決めていた。
     そういえば、ジャンケンで勝ってハワイに行ったことがあった。
     (実家の会社にいたとき、社員旅行で兄とどちらか社員旅行で
     ハワイに責任者として行くかで)まあ、よき時代であった。
      
                    ゚+.(*・ω・)ノ*. バイ!      
ーーーーーーーー
2005年04月17日(日)
1475, 汚れつちまつた悲しみに−2

「汚れつちまつた悲しみに」の「汚れ」を「倒れ(挫折)」にして、
「倒れてしまった悲しみに」 という詩を書いてみた。
 
 昔の何度かの挫折を思い出しながら。
    −作成時、2005年4月16日 20時20分

ー倒れてしまった悲しみにー

倒れてしまった悲しみに
今日も涙の雨が降りかかる

倒れてしまった悲しみに
今日も嵐が吹き荒れる

倒れたしまった悲しみは
たとえば樹氷のように突き刺さる

倒れてしまった悲しみは
たとえば黒い血海のよう

倒れてしまった悲しみは
たとえば虚空の空飛ぶ蜻蛉よ

倒れてしまった悲しみは
あなたの愛に気づくとき

倒れてしまった悲しみは
夢みた昔を懐かしみ

倒れたしまった悲しみは
倒した人を思いだす

倒れてしまった悲しみは
光りの日々が走馬灯

倒れてしまった悲しみは
独りの自分に出会うとき

倒れてしまった悲しみは
悲しい悲しい悲しみよ 
悲しい悲しい悲しみよ

倒れてしまった悲しみは
倒れてしまった悲しみは
倒れてしまった悲しみは

・・・・・・・・・・
2004年04月17日(土)
1110, 「ライフ・レッスン」ー読書日記 −3
  第二章 愛のレッスン
 
・ことばで説明するのがきわめてむずかしい愛こそが、人生という経験のなかで
ただ一つの真実である。永続をするただひとつのものである。
愛は恐れと対極にあるもの、つながりの本質、想像の核心、力の美しい部分、
自己が自己である為のもっとも微妙な部分である。

・自分を愛する事は、いつも周囲にある愛を受け入れる事である。
それはあらゆる障害をとりのぞくことである。
自分がつくってしまった障害に気がつくのは容易なことではないが、
実はこころの中にいくつもの障害があり、それが人間関係影をなげかけている。
神に会うことができたら、神は「おのれに愛をあたえたか、人に愛を
あたえたか?人からの、おのれからの愛をうけたか?」と問うだろう。
自分自身を愛する力は、人の愛を受け入れ、人を愛することによって身に
付いていく。神はわれわれに、愛し、愛される無限の機会をあたえてくれる。

・わたしたちのほとんどは、じつは愛を経験をしたことが無い。
経験をしてきたことは愛ではなく報酬である。 子供の頃、わたしたちはお行儀よくしていれば、
いい成績をとれば、オバアチャンにやさしくしてあげれば、手をよく洗えば、「愛してもらえる」
ことを学んできた。

愛されようと努力はしたが、それが条件つけの愛であり、
にせものの愛であったことに気がつかなかった。
いちいち他人から是認を必要とするような愛を本当の愛とよべるだろうか?
自分自身への慈しみの心を持つことが、本当の愛の第一歩である。
 
 あなたはたましいによい栄養をあたえていただろうか?
自分を愛している人は、何をするにも顔にほほえみを浮かべている。
それをすることがうれしくて、たましいが歌をうたっているのだ。

そうすべきだと教えられきたような行為ではなく、そうしたいからしている
行為である。たましいに栄養をあたえる行為とは、もしかして、休日でも早起きを
してなにか「有益な」ことをするのではなく、ただのんびりと寝ていることかもしれない。

・「愛にツいてないのです」と彼は答えた。
「何人かの女性を愛そうとしました。相手を幸福にしようと努力をしました。
ほんとうです。相手を幸福にしよう努力もしました。」
わたしはかれに質問をしました。かれにとっては、意外な質問だったらしいのです。

「もし愛が、相手の女性を幸福にするものでなかったとしたら?
そんなこととは無関係に、ただ傍にいるだけが愛だとしたら?
相手を幸福にするという思い込みすてて、ただ傍にいることが、
長い目でみたら、相手を幸福にすることになると考えてみたら?」

人生には浮き沈みがある。愛する人がかかえる問題をすべて解決してあげる
ことはできないが、そばにいることなら、できなくはない。
長い目でみればいちばんの愛のしるしではないだろうか。 

・・・・・
2003年04月17日(木)
743,『金持ち父さんの子供はみんな天才』−2
             読書日記
ー抜粋ー6

父は話をつづけた。
「天才とは、自分の中にいるランプの精を見つた人のことだ。
ちょうど『千夜一夜物語』のアラジンが、ランプの中に押し込められた
精霊を見つけたように、私たちもみんな自分の中にランプの精を見つける
ことが出来る。天才とは自分の内側にランプの精を見つけた人、
与えられた才能を見つけた出した人のことなんだ」
「ランプの精が見つかると、精がおまえらにこう聞く。
『一つ目の願いは自分の才能を自分に与えること、
 二つ目は自分の才能を愛するものや親しい者たちだけに与えること、
 三つ目は自分の才能をみんなに与えることー さあどれを選ぶ?』
「この世界に天才はあふれるほどいる。私たちはみな天才さ。
問題は、たいていの人がその才能をランプの中に閉じ込めたままにしていることだ。
才能を自分のためだけや愛する人だけに使おうとする人が多すぎる。
ランプの精は三つ目の願いを選んだ時だけランプの中から出てくる。
つまりランプの精の魔力は、自分の才能をみんなに与えようとした時にだけ
効果を発揮するんだ」
  (以下、字数の関係でカット2,008年4月17日)

・・・・・・・
2002年04月17日(水)
379,外国人犯罪

一昨日、新潟の万代の金券ショップで老夫婦の殺害があった。
たまたま昨日の飲み会の1人が隣家であった。
NHKの全国放送でインタビューに出たそうだ。取材攻勢で家にはいられないという。
外国人の犯罪らしい。ヒット&ウエーで恐らく捕まらないのではないかと思われる。
発覚前に飛行機に乗って逃げてしまうらしい。

ベトナム旅行に商店を休んできている夫妻がいた。休業の張り紙は出せないらしい。
外国人がトラックで全て持ち出すという。
10年前の外国旅行で聞いた犯罪が、日本でも当たり前になりつつある。
犯罪もグローバル化になってきた。平気で殺すから恐ろしい。

同席していた1人はセコムに近じか入るという。
自分も真剣に考えなくてはならない時期にきている。8000円が少し高いが 。


2569, 閑話小題 

2008年04月16日(水)

 *ガソリン価格
先週、車のタイヤ交換のため新潟に来たが、見附で124円のガソリンを入れた。
そして新潟のバイパス近くのガソリンの値段を見たら120円とあった。
ところが、家内の話だが長岡はセルフ以外は、127円で統一(談合)しているのでは?
市内の何処を見ても統一は不自然だという。
こんなことをしているから消費者に嫌われるのを知らないのだ。
誰も直接口には出さないが、必ず口コミで辛らつに批評されているのである。
 〜〜

 *呼び込みの、その後(迷惑条例実施の、その後)
新潟のキャッチが古町も駅前も完全に姿を消したという。
呼び込みは店の前というよりドアの内外の辺りにいて、積極的に声をかけなくなった。
外でタバコをすっている振りをして、そこにいることを知らしめるだけで、
自分からは声はかけないという。
先々週、長岡の殿町でキャッチに付きまとわれてトラブルになったが、その後はどうなったのか。
風俗の店はキャッチが禁止されれば、商売が成り立たない?。 
ところで先週末の古町はキャッチもいない代わりに、一般の客もいない状態で閑散としていたとか。
少し猥雑の雰囲気を客は求めているのか?。

 〜〜
*ロシアのバレー事情の激変
先日、NHKのハイビジョン特集「シベリア鉄道2008」の中で、
ロシアのバレー学校の事情を部分的だが、紹介していた。
この番組、20年以上も前の番組と同じコースを映しながら、その変化を紹介する内容。
なかなか見ごたえがあった。
ソ連の時代はバレーダンサーは優遇され、全国から殺到していたが、
現在は素質のある生徒が集まらない。学校のほうが全国にスカウトにまわっている始末。
やっと、育て上げても海外の条件の良いところに行ってしまうケースが多い。
ダンサーの給料が激減、若者の希望は実業者とか、銀行マンに移ってしまった。
17年で価値観があまりに変化したという。


・・・・・・・・・
2007年04月16日(月)
2204, ベトナムとインドの「交通戦争」
                 おはよう!♪〜 ヽ(´π`)ノ
 ーインドの追い越しー

外国に行くと、思わない文化の違いを見ることがある。 その一つが交通事情である。。
インドの都市間をバス移動の時、対向車線の車が追い越しのため、
進路から正面に向かってギリギリのところまで迫ってくる あわや正面衝突!と、
思わず目をそむけてしまうほど危ない。
彼らにとってそれが日常のため、国道沿いには数キロごとに衝突の車を見かける。

   慣れていない日本人は見ていて気分が悪くなり、町から町への移動の国道では、
   誰も前の席に座りたがらない。沢木耕太郎の「深夜特急」という本の中で、
   インドからパキスタンへの移動の高速バスで、その恐怖を書いていた。
   実際に自分が体験をしてみて、これほど恐ろしいとは知らなかった。

それと中国のウィグル地区からパキスタンへのカラコルム・ハイウェーの断崖の砂利道の
暴走運転の恐怖を思い出した。明らかに我われ日本人をカラカッタ運転だった。
その手の話題はいくらでも話題は出てくる。

 ーベトナム交通戦争ー
 
ベトナムで驚くのは、そのバイクの数である。
さらに驚くのは一台に乗っている人数が3人、4人、5人なのである。
警笛も鳴らしっぱなし。交通規則の信号なども殆どない。
大きな交差点をバイクの群が縦横にぶつかり合っている。
よく見ていると、ギリギリのところで避けているが、よほど慣れてないと、
衝突する際どさの中を運転技術でコントロールしている。
慣れない外国人は恐ろしくて運転などできない。

   ベトナムのオートバイは2000年で650万台、2003年で1100万台、
   去年で1700万台で、世界のオートバイ流通量の実に10佑鬟戰肇淵爐占める。
   自動車とオートバイの比率は、9対1で圧倒的にオートバイが多い。
   そのため交通事故は2004年で年間17,500件以上、死者数も14,000人を超えている。
   1990年に死者は2300人だというから、14年間で6倍になってしまった。
   オートバイの数と丁度正比例していることになる。

日本で1970年に交通事故死者数が16,765人をピークになった当時、
ベトナム戦争での年間戦死者数より交通事故死者数が多いところから「交通戦争」
と呼ばれた時代があった。 現在のベトナムは、その「交通戦争」の様相になっている。

   かつてハノイには市電とトローリーバスが走っていたのだが、
   交通の妨げと廃止され、それに変わり自転車からバイクへなってしまった。
   一家に一台はあるどころか、家族一人に一台になりつつある。
   無免許、飲酒運転当たり前、事故死は日本の人口の三分の二にかかわらず倍。
   ということは人口比からみたら三倍になる。もちろん、ヘルメットをする人は皆無。
   2~3割は無免許で、免許も賄賂を渡せば簡単に取れるという。

しかし、あの戦場?の迫力も、あの国のエネルギーとしてみれば、穏やかな国民の発散に思えてくる。
20年近く前の中国の北京で見た、通勤時の自転車の群れも迫力があった。

    ホンジャキオツケテ(o ・д・)ツ バイ! 
・・・・・・・・
2006年04月16日(日)
1839, 理解する技術ー情報の本質がわかる −1
  おはよ〜!(*^ワ^*)i
                −読書日記              
ーまずは、この本の概要をアマゾンの紹介記事のコピーから〜
           「理解する技術」藤沢晃治、PHP新書                
著者からの内容紹介
携帯電話の分厚いマニュアルから必要な情報を効率よく得るには? 
「分かりやすい技術」の著者が、効果的な情報収集・整理術を伝授!
携帯電話などの分厚い取扱説明書は、どうやって読めばいいか?
大量の資料から要点だけをすばやくつかみ、まとめるには?
一夜漬けで試験に臨んで高得点を取るには?
インターネットの情報から、確かなものだけを収集するには?
本や雑誌から自分が必要とする情報をいかにして得るか?
    ▼情報の洪水の中で生き抜くには、
     効率よく本質を理解する技術が不可欠だ。
    「誰かに教えることを前提に情報収集」
    「仮説を立てて検証」
    「ニュースソースを確認し、曖昧な表現にだまされない」
    「ルールを発見し、記憶量を減らす」
    「頭の中で図表化して保存」
     などをマスターすれば、必要な情報だけを吸収でき、
     人前でも分かりやすく説明できる。
▼日常生活・ビジネスで役立つ文章読解術・対話術から、
資格・試験で成功するためのノウハウまで、今すぐ使えるテクニックを伝授!
「分かりやすい表現」などで好評を博した著者が贈る
「要領のいい人」になるための知的情報術。
  ーー                且_(・_・ ) まあ、どうぞ!
     以上がカバー裏の説明書きである。
     これに、目次に印象的なところを書き込めば
     80佑惑聴できるはずであるが?
     5年間にかけて随想日記を書き続けた結果把握したノウハウが
     そのまま書いてあったようだ。

最近は「検索」で、読む前に本の構造を調べるようになった。
読む前から、骨組みを知っているのでエネルギーは数分の一で済む。
骨組みを知った上に、仮説を立てて、その誤差を測ると手っ取り早い!
情報洪水に溺れないためのコツである。

     情報発信者の手抜きを私たち情報受信者が補い、
    「わかりやすく理解する」ための情報受信術をマスターすることだ。     
     具体的には、人間が文章を読んで理解するまでのメカニズムと、
     脳の仕組みを理解して、それを利用することである。

ー章単位に印象的なところを抜粋してみたー

□第1章ーアウトプットしながら情報収集する
  P30ー私たちの日常活動は、多くの場合、アウトプットを前提にしている。
    手っ取り早く情報受信をするためのテクニックの基本は、
    他人に教えることを前提にすることだ。
    〜情報受信と情報発信は、ニワトリとタマゴの関係である。
   
・アウトプット=他人に教えることを前提に勉強する
・ビジネスマンはプレゼンを意識する
・情報を発信することを念頭に置きながら、情報を受信しなければならない

□第2章ー分かりにくい文章から意味を読み取るには
  P47ー私たちは、入力されてきた情報が自分の持っている過去の情報と
    関連づけられたときに、情報の意味が明確になり、
   「理解できた」と感じる。 
    理解できた情報は、関連ある棚に格納されて、長期間、記憶される。
  脳内関所の役割は5つ
1.情報の大きさをチェックする
2.脳内辞書の棚から必要な辞書を選ぶ
3.情報構造を分析する
4.論理性をチェックする
5.脳内辞書に格納して意味を確定する

脳内関所は、サイズの大きな情報の取り扱いは苦手。例えば、電話番号以上の桁数を覚える行為。
次に、脳内関所をクリアした情報と、脳内辞書の棚にある情報とに関連性がないか検索。
新車情報という情報が入ってきたら、車の運転の仕方の棚を検索。

そして、入ってきた情報の構造を分析。
因果関係、主従関係。また他の脳内辞書の棚との構造的関係をチェック。
ただし、腑に落ちない情報は格納されない。何故と根拠がセットになると格納されやすくなる

P49ー本文を読む前に、各章のタイトルに一通り目を通して全体像を
    把握しておくことは、脳の特徴に適合しており、効率的な情報収集を可能にしてくれる。 
    また、文章の内容が理解しにくいときには、段落ごとに自分なりに要約してみると、
    情報サイズが小さくなって、脳内に入りやすくなる。       ーつづく
                 バイ!
 ・・・・・・・
2005年04月16日(土)
1474, 汚れつちまつた悲しみに
 中原中也

汚れつちまつた悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れつちまつた悲しみに
今日も風さへ吹きすぎる

汚れつちまつた悲しみは
たとへば狐の皮裘
汚れつちまつた悲しみは
小雪のかかつてちぢこまる

汚れつちまつた悲しみは
なにのぞむなくねがふなく
汚れつちまつた悲しみは
倦怠のうちに死を夢む

汚れつちまつた悲しみに
いたいたしくも怖気づき
汚れつちまつた悲しみに
なすところなく日は暮れる

・・・・・
河上徹太郎編 「中原中也詩集」より
-汚れてしまった悲しみに-

この詩を読んでいて、何か深い悲しみを感じ取ることができる。
特に失恋をした若い女性にとって、深い癒しになるだろう。
年をとるにつれて、人間は誰もが多く挫折をし、傷を負う。
深い挫折の中で、汚れたという言葉が自分を苛む。
その中で自分の汚れを拭き取りながら「所詮こんなもの、人生は!」と自嘲する。
24歳の日記をまもなく書き写すつもりだが、当時の自分の気持ちも、この詩の心に似ている。

昨夜、極近に挫折をし自殺直前で思いとどまった人と、膝付き合わせて話した。
一言一言の言葉の中に、深傷の痛みを感じ取ることができた。
「汚れてしまった」という言葉の替わりに「倒れ(挫折)てしまった」が、
彼の気持ちであった。その悲しみは、本人しか知ることはできない。その傷は本人しか治せない。
「それでも生きているのは何故か」を自問自答をして、「何かに生かされている」
ということに真に気がついた時、初めて一人で立ち上がることができる。それにしても深い詩である。

・・・・・・・
2004年04月16日(金)
1109, 「ライフ・レッスン」ー読書日記 −2
 ー第一章 「ほんものの自己」のレッスンー

この本の意味は読めば読むほど、その深さに驚かされる。
キュープラ・ロスが死にゆく人々から学んだ教えの数々。
すべてを終えた時、「生」と「死」の本当の姿があらわれる。
その深さに少しでも自分の意識を降ろす為に、一章づつ印象深い文章を書き出してみる。

私たちは、自分に与えられたレッスンを学ぶ為に、地上に生まれてきたのだ。
25歳の金沢時代の、どん底にいた時のある瞬間に「ハッ!」としたことがあった。
今でも忘れられない瞬間であった。自分は何故ここまで惨めな気持ちにならなくてならないのだ。
自分が何故ここに、こういう状態いるのだろう?

その瞬間に思ったことは「自分は修行をしにきたのだ、修行で苦しみの極限を味わう為である。
その極限を嫌っていては何の意味もない。極限の境遇を学ぶ為に今ここにいるのだ。
それなら、いま自分がこの状況にいることが必然である。 学ぶのだ、学ぶしかないのだ、
それなら今の自分が自分で納得できる!」という、こころの大転換があった。

その時から、視点が変わった。全てが可愛い表象に見てきた。
分厚いレンズー現実が目の前から消えたようだった。
この本を手に取ったとき、なるほど究極に生きてきた人の、
暗闇に光り輝く魂の言葉の深さを感じ取った。

過去を考えてみると、全てがレッスンであることが理解できる。
人生は学校なのだ。現象は神があたえた教科書の練習問題。
何故、その問いに答え続けなくてはならないのか?それが生きるということだから!

ー以下は、過去に書いたライフレッスンー1の内容である。 
 938, 「ライフ・レッスン」ー読書日記  2003/10/29
(字数の関係でカット2008年04月15日) 

・・・・・・・・
2003年04月16日(水)
742,『金持ち父さんの子供はみんな天才』−1               
               ー 読書日記
『金持ち父さん』シリーズの三冊目『親だからできるお金の教育
ー金持ち父さんの子供はみんな天才』を買って読んだ。
この本のシリーズの本は、どの本もそれぞれが理にあっている。

何回も読んで金銭感覚を磨かなくては、この時代には挫折をしてしまう!
何割かは実行してきたことだが、しかしあいまいな部分が多い。
この激動の時代だ、一つ間違えると致命傷になってしまう。
お金は、ある意味で生きていく交通手形である。
お金に対する考え方は人生観の大きい基礎といってよい。
 ーまずは印象に残っているところを抜粋してみる。
  ー抜粋ー1
昔、先生からこんな話しを聞いたことがある。「神様は私たちに右の足と左の足を与えてくださった。
正しい足と間違った足を与えてくださったのではない。
人間はまず右に向かい間違いを犯し、次に左に向かって間違いを犯すことで進歩をする。
いつも正しくあらねばならないと思っている人は、右足だけで歩こうとしているようなものだ。
そういう人は、自分では前に歩いていると思っているが、たいていは
一ところを回っているだけだ」
  ー抜粋ー2
人生における選択肢について、お金持ち父さんはよくこんなことを
話してくれた。
「飛行機のファーストクラスもエコノミークラスも、目的地につく時間
に変わりのないことは私も知っている。問題はそういうことではない。
問題は、ファーストクラスかエコノミークラスの選択肢を持っているか
どうかだ。エコノミークラスに乗っている人の大部分は、一つしか
選択肢を持ってない」「お金は力だ。なぜなら、より多くのお金を
持っていれば、それだけ多くの選択肢を与えられるからだ」
ファイナル・インテリジェンスがお金持ち父さんに買ってくれたものは
何か、私に言わせればそれは『自由」であった。
  ー抜粋ー3
「金持ちと中流以下の人のちがいは、余った時間に何をするかにある」
「たいていの人は、お金を稼いだあとそれをどうするかについて、貧乏になるプラン、
やり方しか持ってない。金持ちは余った金でゲームをやるんだよ」
  ー抜粋ー4
「つまり、人間が時代遅れになるんじゃない。でも、考え方が時代遅れに
なることはある・・」「その人の勝利の方程式が時代遅れになるんだ。
・・・古い考えにこりかたまった老人だ。まだほんの50歳だというのに。
問題は、10年前、既に歳をとりすぎて時代遅れになっていたのに、
それに気がつかなかったことだ。」
  ー抜粋ー5
本書の目的は、次のようなことを言わないように、親たちに警告を
与えることである。
「借金を返しなさい」「預金をしなさい」「請求書の払いをきちっとしなさい」
「クレジットカードを切って捨てなさい」「お金は借りてはいけません」
・貧乏人は銀行を悪者と考え、避ける。
・中流の人は銀行はいいサービスと悪いサービスがあると考える。
・金持ち父さんは、全てに関していい点と悪い点を見分けるように教えて
 くれた。そして、お金に関しての殆どのいい点と悪い点の両方を
 見つけるよう促すことで、より細かく区別する力を伸ばしてくれた。
 つまりファイナンシャル・インテリジェンスを高めてくれたのだ。
                     −続くー
・・・・・・・・
2002年04月16日(火)
378,不況

昨日、地元の中堅の食品メーカーが倒産した。
1989年に設備投資、その3年後に70億の売り上げになったが、
現在はその半分の売り上げに激減。 家内が言うに、今の社長は
「10数年前に文芸春秋を辞め,帰って来たと話題になった人」とか。

今の倒産の多くに見られるパターンだ。先日倒産した新潟市の香月堂もしかりだ。
全国に、このパターンの倒産予備軍で満ちている。昨日の新聞に載っていた、
ある雑誌のアンケートで、サラリーマンの30パーセントが「自社の倒産の不安」を持っているという。

大丈夫と思っているのは僅か17パーセントとか。
私の感じていた、「3分の一はいつ倒産してもおかしくない会社」と同じ数字だ。
新潟県はあと一割増か。自社は一応17パーセントに入ると思うが?
社員はそう思ってないかもしれない。

どうして不安かと思うと、
・中堅幹部がどんどん辞めていく。
・給与カット、時間外勤務の削減。
・売り上げの激減。
・会社資産の売却。

今のところ当社は一つもないが。しかしこの経済情勢はただ事でないことは確かである。


2568, ドル覇権の崩壊 −3

2008年04月15日(火)

   著者はアメリカが実質的価値のないドルと、偽札のドルとどこが違うと疑問を呈する。
   私も以前から北朝鮮が国家として作っているといわれる偽ドルと、
   アメリカのドルと、どこが違うか疑問を持っていたが、
   その極めつけがプライムローンである。
    まずは、その部分を書き写してみる。
  〜〜
 第二章 世界はこうしてドルに騙された
  非兌換紙幣であるドルの刷り散らかしはアメリカによるマネーの偽造
ーP100
「紙幣を印刷するものがが法律を制定する」
少なくともまだ暫くの間はこの格言が真実として通用するだろう。
今日では、ゴールド(金貨〉は通貨としてもはや使われていない。
表面上は、ゴールドによる貿易決済もゴールドを準備貨幣とする経済体制も存在しなくなっている。
しかし、それでも今のアメリカの強大(そうに見える)な軍事的優越性と、米ドル紙幣の印刷と
強制通用のみせかけの信用によって、諸外国の国民が、米ドルをゴールドと同じような信用力を
有するものと、思いこみ、深く信用しているからだ。また、そのように信用させることが大事であるから、
そのように、上手に「ドル紙幣の生産とそのドル紙幣で各国への軍需や経済援助を実行し続けるという
外見は今も不変である。実際には、ぺーバーマネーでしかない今のドルは、非兌換紙幣、不換紙幣である。

金にいつでも替えてもらきという保証のある紙幣でないものは、
マネーとしての信用の一番大切な価値を失っているのである。今の紙幣(お札)は、
非兌換紙幣であるから、ゴールドなどの実物資産の裏付けがない。
この非見換紙幣を印刷し続けることは、極端に言えば国家によるヤネーの偽造である。・・・
・・・・ 基軸通貨の発行者は、必ず世界の金融のシステムの支配と管理を保証するだけの
信用保持力(サステイナビリティ)の保有国でなくてはならない。

アメリカ政府の・現代の悪化鋳造、実質の価値を持たない粗悪なマネーの製造という、
隠されたあっ刻が露見しつつあるのである。アメリカの世界中からの信頼が傷つき、
アメリカは詐欺の大国である、という悪評を受けるようになっているのである。
悪貨(資金の裏付けのない紙幣の大量印刷、大量発行)によって、アメリカ国民は自分の収入以上の
楽な暮らしをこれまで享受してきた。しかしアメリカの偽計による繁栄による、アメリカ国民の甘やかしは、
健全な国民性を破壊してしまった。 このやり方はゴールド(金)が本当に通貨であった時代に、
諸外国を支配して政治的、軍事的に屈服させて、ゴールドを帝国が手に入れていたやり方と全く同じ手法。
(中略) アメリカ国民の貯蓄は、いまも 0%である。 薯貯蓄するよりも、目先の贅沢のために消費し、
さらには出来る限りの限界まで借金をして、それを投資に回して、その金融バクチで国民までもが
豊かな生活をしようとしている。 そのせいで、だから自己の返済能力を超えた、銀行からの過剰な
融資という悪性の借金や、とめどない浪費、贅沢がアメリカでは奨励されている。
例えば不産産王のドナルド・トランプが司会者を務める、「あなたもこのようにして儲けましょう。
その具体例の指南をしましょう」という、儲け目的の、露骨で下品なテレビ番組が今もまだ人気を博している。
そのうちに、いや、すでにもうアメリカの住宅バブルは、激しく破裂して、全ての金融財産を失うときが
刻々と近づいている。
 〜〜
 今回のドル安、株安は地震の前揺れで、本震はこれから。
その一番の被害者は日本の中産階級になる。アメリカの国債を五百兆も持たされているというから、
いくら隷属国家とはいえ、絶望的な事態である。そして、政治が、この有様ときているから・・・

・・・・・・・・・・
2007年04月15日(日)
2203, 自殺について −2
                (~Q~;)  おはよう〜〜

    経済的の問題や時代の大きな変化、そして国民性が自殺の要因になる。。
    日本人のような生真面目な性格も世界で1~2位の自殺率に要因なっている。
    それに対して南米やアフリカの陽気な国民性のところでは、自殺は激減する。
    フィンランドやデンマークなどの北欧で、冬の黒夜(14時位から夜になってしまう)
    が人の心を暗くして自殺が多いという話を聞く。
    そういえば秋田や山形などの北国も冬は雪で閉ざされるから自殺が多い。
    
     ー自殺率の世界分布地図を見るとー
    ・ロシアを中心にユーラシア大陸で自殺率が高く、
    ・インドやイギリス、スペイン、イタリア、ノルウェイなど
     ユーラシア大陸周辺部、及び北米大陸で低く、
    ・ラテンアメリカではさらに低いという状況が見てとれる。
    *自殺率が低くはなかったロシアが、1991年のソ連崩壊後の自殺率が急増、
     現在は断然世界一となっている。
     また、米国、英国、カナダ、オーストラリアといったプロテスタント国、
     及びイタリアは、以上の国々と比較すると低い自殺率水準で推移している。

 ー日本の自殺率の高さと推移についてー
  日本では、自殺が文化の一部になっているようにさえ思える。
  過労や失業、倒産、いじめなどで、自殺で自身の名誉を守る、責任を取る、
  といった倫理規範として自殺がとらえられていて、
  これは他のアジア諸国やキューバでもみられる傾向である。
 ・第二次大戦後、社会保障が整備される以前は高齢者の自殺率が高かったことや、
  戦後の価値観の大転換などで若者の自殺率が急増したことが原因で、
  1958年の自殺率25.7人は過去最高の値になった。
 ・その後、1959年国民健康保険法施行、1961年国民皆年金など社会保障制度の充実や
  1960年所得倍増計画に代表される経済成長目標の国民的普及により、自殺率は、
  15人前後への低下した。国民全体で明るい夢を抱いていた時代だった為だ。
 ・その後、1973年のオイルショック前後から自殺率は上昇に転じた。
  あまり注目されなかったが、1983年の景気後退は自殺率の急増
  (前年の17.5人から21.0人へ)を招いた。
 ・1997年秋の三洋証券、北海道拓殖銀行、山一証券と立て続けの
  大型金融破綻事件がきっかけとなり、98年の5月にかけて失業者が急増し、
  自殺率も、97年から98年にかけて18.8人から25.4人へと急増した。
  このときは自殺者数も前年の2万3千人台から、一気に3万1千人台へと
  急増したこともあり社会的に大きく注目を浴びた。
  そして、その傾向は十年経つ現在も続いている。

  −−
  時代の変化と、それによる経済的困窮が自殺の要因として大きくなる。
  激変の中、生きていくことは大変である。
 「死にたくない」と同じように「死にたい」という気持ちも自然である。
  死など存在してないのだから、気持ちの一現象でしかないが。
  
 ーーーーー
 2004/07/24
 1208, 自殺 3万4427人

 昨日の新聞の一面トップに、昨年の自殺者が前年より7佑眩加して
 3万4427人と報じていた。
 
   ー内容をまとめてみるとー
・原因として、病苦が45諭経済苦が25諭‘辰坊从儷譴料加が目立って増えている
・40歳以上が、4分の3を占め
・男女の比率は、男子が70諭⊇子が30
・鬱病が30〜70諭B召寮鎖声栖気鯑れると、殆んどが精神疾患があった
・1997年まで、年間2万〜2万5千人と推移していたが、
 1998年から3万人台になり、ついに3万4千人になってしまった
・職業別に見ると、無職が半分近くだ
(以下字数の関係でカット2008年04月15日)

・・・・・・・・
2006年04月15日(土)
1838, あちら側の世界 −9 才八∋ウ_〆(∀`●)

     グーグルについて書いてきたが、先日の産経新聞の一面に興味ある記事が出ていた。
     簡潔に現在の流れを浮き上がらせている内容である。 
先ずは、その記事のコピーである。             ~~旦 ゝ(-_- )まあ、茶でも!
−−
産経新聞 2006年4月13日[木]
=サービス基盤、OSからウェブに 
 IT覇権争い グーグル台頭、MSネット強化 =

インターネットの進化に伴い、IT業界の勢力地図が替わる可能性が強まっている。
パソコンの基本ソフト(OS)の代名詞と呼べるウィンドウズで台頭した
マイクロソフト(MS)だが、同様の機能をインターネット上で利用
できるようになったことから、米グーグルが新たな主役に躍り出ているからだ。
パッケージソフトの販売で利益を上げるマイクロソフトと広告収入で
無料ソフトを開発するグーグルのビジネスモデルは、正反対。
ブロードバンド(高速大容量)時代の覇者はどちらに軍配が上がるのか。
(谷口正晃、大柳聡庸)

     偶然にも十二日、東京都内でマイクロソフトとグーグルの新製品発表が重なった。
     マイクロソフトは、テレビやDVDなど娯楽機能を強化したOS
     「ウィンドウズXP・メディアセンター・エディション」を搭載した
     パソコンの新製品と映像と音楽配信サービスの拡充を発表。
     OSに依存しないデジタル家電との競争激化の中、
     ジョー・ベルフィオーレ副社長は「パソコンは娯楽の道具として進化する」
     と述べ、優位性を強調した。

 一方のグーグルは、企業が社内ネットワークに蓄積する文書や書類を検索する機器
「グーグル・ミニ」をアピール。
企業内検索はソフト大手が参加する成長市場だが、グーグル企業部門の
デイブ・ギロウド副社長は「マイクロソフト、IBM、オラクルがライバル。
しかし、わが社は検索技術が専門だ」と強い自信を示した。

              ^ー^@)qq(・▽・*)お肩をたたきましょ♪ か?
              それとも、(´_` )qq(・ω・ ) 指圧しましょう !
    ≪新たな本流≫
     業界ではマイクロソフトを代表格とするOSベースの時代を
     「Web(ウェブ)1・0」、ウェブベースの時代を「Web2・0」
     と分け始めており、投資家も2・0を「新たな本流」と熱い視線を注ぐ。
     独自理論に基づく検索サービスと組み合わせた連動広告で収入源を確保し、
     簡易ホームページ、地図サービスといったソフトをウェブ上で無料提供する
     グーグルは「最も2・0的な企業」といわれる。

これまで、IT業界の「老舗」である創業三十年のマイクロソフトの牙城を
崩した企業はないが、創業八年のグーグルが、その最先端を走っているのは間違いない。
                       ー終わり
ーー
以上であるが、流れからいって、明らかにWeb1・0」のマイクロソフトの時代は、
過去のものになりつつある!重点が既にグーグルの時代に移動してしまった。
オープンソース化にマイクロソフトは対応できるのだろうか?
ちなみに、現在の株価の総額はマイクロソフトが30兆円、グーグルは10兆円である。
                   。.@(-ェ-)@ノ~~~バイ〜
・・・・・・・
2005年04月15日(金)
1473, 指桑罵槐(しそうばかい)

ある知人が中国人の国民性を一言で表している表現としてとして、
教えてくれた言葉である。
問題になっている中国のデモは明らかに中国政府の政治的な意図が読み取れる。
日本も中国人の何時もの手法として、ただ蔑視を決めつけている状態といってよい。

中国内で起こっている暴動の目を逸らそうという意図と、
尖閣列島問題などに対する駆け引きが目的である。
チャイナリスクという言葉まであるが、都合が悪くなると
問題を摩り替てしまおうとするのは、いま始まった問題ではない。

15年ほど前、中国に行ったとき現地のガイドが何げなく
「文化大革命のときは、地方の村に行くと死体の山があちこちにあった。
2千〜3千万ほどの人が虐殺をされました」と言い放ったのを聞いて耳を疑った。
まだ今ほど国内の開放が進んでない時のことである。
中国とは、そういう国である。いや共産主義か。

現在もそうだが日本のマスコミは中国の入国拒否を恐れて真実を報道しない。
都合が悪くなると、60年以上前の中国侵略と虐殺を言い立てる。
すでに17回も陳謝させているのに。

以下は指桑罵槐を検索で調べた内容である。
ーーーー
指桑罵槐 ー桑(くわ)を指さして槐(えんじゅ)を罵るー

桑は、蚕の食べる桑の木のこと。
槐は、えんじゅの名で知られ、街路樹や庭木として植えられる喬木を指します。
つまり、似ても似つかないものどうしのことです。
本当の怒りの対象とは全く違うものを攻撃する、という意味だといいます。
「鶏を指して犬を罵る」というのも同じです。

中国人は当事者を直接批判することはほとんどなく、この「桑を指さして槐を罵る」
というやり方をするという。 ある相手を攻撃しているように見せているけれど、
実は別のところにいる人を批判していることになっているというのです。
中国が激しく批判などしてくる問題があったなら、マに受けて腹を立てるのではなく、
彼らが真に攻撃したいのはどこなのか、誰なのかという視点で思いを巡らしてみるのがよいらしい。

中国産冷凍ホーレンソーから基準を超える残留農薬が検出され問題になったことが
あるが、中国当局は記者会見で、
「日本の野菜に関する現在の安全基準が非科学的で不合理なところに問題がある」
と、逆に日本の検査手法を非難してきた。
指桑罵槐で読み解けば、中国国内の検査方法や検査担当者たちを非難している、
と見るべきなのだろう。 「言いたいことがあるなら正面切って言ってこい」とか、
「陰でこそこそ言ってないで本人に言いなさい」など、
正々堂々を良しとする日本のメンタリティーとは違った面があるようです。

・・・・・・・・・
2004年04月15日(木)
1108, 西武鉄道・堤会長の辞任

「西武の堤義明会長が辞任!」とニュースで報道していた。
随想日記で専務が逮捕された時「お笑い西武鉄道」という文章を書いたが、
所詮は悪口でしかないと、掲載を止めた。
しかし辞任ということで、ケジメをつけたということで書く。

西武の森元監督が講演会で、彼のことを「超ワンマンで、西武の試合の采配に対して、
口うるさく電話がくる」と言っていた。監督にとって大きなプレッシャーだったとか。
テープだけはとらないようにと講演前に言っていたのは、堤を恐れていたのだろう。
西武鉄道の専務が逮捕された時「彼が知らないわけがない!」と誰もが思ったはずである。
逮捕されないだけよかったのだろうが、やはり辞めて当然である。

歴代の首相が就任をすると、3億の祝い金を払っている?という話を聞いたことがある。
一つの時代が終わった事件である。堅実経営で、バブルにもたいして踊ることなく西武グループを
ここまで率いた力は大である。最後をまっとうすることの難しさをつくづく感じる。
もっとも、辞めるのは本社の会長だけで他は留まるというから、カタチだけなのだろう。

・・・・・・・・・・
2003年04月15日(火)
741, デフレと対策 −2

ー 前にもこのテーマで書いたが、今一度書く。

 今の日本はデフレである。
しかしそれでもアメリカの物価より物価は実感として、2倍3倍高い。
それが修正過程に入っているだけである。
戦後の実質社会主義制度による統制物価が、その崩壊とグローバル化で
世界的な物価への平準化プロセスに入っているだけである。

 家具のニトリにしても、イタ飯屋のサエゼリアやマクドナルド、100円
ショップが好調なのは、グローバルな物価の追求を実践をしているためだ。
世界的な物価に下がるまでデフレは続くのが当然である!それで恐慌になっても仕方がないことだ。
ジタバタバタしないで、このデフレの中で自分を変えるしかない。
政治頼みや批判をしても、仕方がないのは自明の事。
やるべき事をキッチリやってそれで駄目なら退場するしかない。
やるべき事もしないで仲間内で愚痴をいいあってもどうにもならない。

 先日の日経流通新聞に、箱根の湯本の二番目に古い、370年の歴史を持つ
温泉旅館の『一の湯』が一面トップ記事で出ていた。
半値から三分一のプライスー一泊二食つきで6800円をうちだして、
低価格旅館グループを拡大しているという内容であった。
親父が高級旅館をつくってしまったが高プライスの為に不振になった。
座して死を待つよりよいだろうと、25000円から9800円に期間限定で、
この値段に下げたら、お客が殺到した。それで延長延長で、この値段を固定にしたとか。
その代わり徹底した合理化を図ったという。最近は一泊4500円の旅館も始めたとか。
潰れた旅館を買い取れば、これも可能になるだろう。こういうのを「高級を高度に切り替える」という。
 
 銀座のクラブも三分の一以下で、商品価値を落とさない店が好調だと、
先日このコナーでかいた。昨日いって来た京都は深夜にバスに乗って、
宿泊なしで翌日の深夜に帰ってくるパックさえ出来てきている。
これで京都に一万円でいってこれるのだから、価値がある。 凄い時代である。

http://www.ichinoyu.co.jp/
以前書いたのをコピーしておきます。
 
 ーーーーー
デフレと対策 ー1  2002年10月01日
(字数の関係でカット2008年04月15日)
 
・・・・・・・・・
2002年04月15日(月)
377,「知ったかぶりをするな」

「到知」という雑誌に出ていた文章で、今でも強烈に残ってる言葉だ。
誰かに聞かせたい言葉でもある。

ーその人が社命をかけて、ニューヨークにセールスに行った。
ある製品を売り込まなくては、会社が潰れる瀬戸際である。
まともに英語も話せず、どのセールスも上手くいかない。
英会話さえ出来れば何とかなるが、その時間もない。
どうにもならず、公園で途方に暮れ泣き出してしまった。

その姿をみて近くの老人が事情を聞いてくれた。
その人は事情を聞いて「よし解った。明日からここで英語の特訓をしよう。
ただし条件がある、けして知ったかぶりをするな。わからないことは正直にいえ」

それから公園で英会話の特訓が始まった。そして数ヶ月もしないうち、
英語がだんだん話せるようになった。そしてセールスを始めると、見る見るうちに上手く
いくようになった。  以上である。

この話の中に多くの教訓がある。
・ぎりぎり追い詰められた状況ーゼロからの出発になった。
・その老人がかなりのレベルの人であった。
・本当にそれが必要であった。
・真剣なぶつかり合いになった。

実際事業の立ち上げは、この状態からの出発といってよい。 赤裸々の対話の積み重ねである。 
それもぎりぎりの。いつでも立上げはそうであった。みしらずの人を集め、どうなるか判らない事を
始めるのだから。しかし新しい事業を興す時は、そのほうがいい。 真っ白から始められるからだ。



2567, 閑話小題

2008年04月14日(月)

 
 *桜咲く
*今日現在、桜が満開である。
三分咲き、六分咲き、七分咲き、そして満開と自分の人生を開花の中にみる。
毎年、同じ桜でも気持ちが新たになる。 短時間に咲いて散るから心を打つのである。
一日ごとに、それぞれの姿を見せてくれる。そして今日あたりから一日一日と散っていく。
通勤途中だから、それがよく見える。散るのもまた良しの気持ちにはどうしてもなれない。 
 〜〜

 *最近の身近な景気状況
取引先の都銀の担当の話だと、去年の秋口から小さな倒産が続いていて、
ここにきて更に景気の悪化が著しいという。税理士や知人の情報からも似たような話を聞く。
三月期末の結果の数字は1〜2ヶ月後に出るので緊迫感がないが、厳しい事態が予測できる。 
特に建設と運輸関係の倒産が中心になるだろう。飲食・サービス関係もかなり切迫している。
 ところで、当方はどうかというと、団体が七ヶ月にかけて入っているが、これを除くと
やはり、二つの地元の地震による影響がある。 そう甘いものではないが、
駅前再開発がここにきて急ピッチになっている。 ここだけは別のようだ。
 〜〜

 *その後のipod
日にちが経つほどipodの良さを実感している。
本体が小さいのと、操作が簡単なのが良い。通勤の車内では行き帰り、ほぼ聞いている。
それと就寝時は20分は聞く。それと昼休みの食事時も聞いている。
TPOSに合わせて選曲を気楽に出来るのがよい。
 〜〜

 *最後の叔父が亡くなる
両親とも7人兄弟(姉妹)で連れ添いを含めると26人になるが、その最後の一人が一昨夜亡くなった。
89歳だったが、老衰だという。従兄弟の平均年齢が70歳になるのだから、その時期なのだろう。 
昨夜が通夜で、今日は本葬である。 何か寂しい気がするが、叔父叔母全てが明治・大正生まれ。
その時節ということ。 後ろに感じていた死が、前に見えてきだしたきた?
父方の従兄弟(従姉妹)達は、既に三分の一以上亡くなっている。平均年齢が70歳というから、
叔父叔母全てが亡くなっても不思議ではない。ご冥福を! これから葬式に十日町に出発。


・・・・・・・・・
2007年04月14日(土)
2202, 自殺について −1
      〜〜 <(_ _)> 〜〜
                   おはようございます!
    自殺について、ここでは何回も書いてきた。書いても書いても尽きないのが自殺である。
    考えてみれば、自殺ほど考えさせられることはない。「死」が哲学(考えること)
    の究極であるから、自分で死を実行する自殺は、深い意味があって当然である。
    
    歳を重ねれば重ねれば重ねるほど、生きていることの深さに気づくためか、
    自殺に対して否定的になってきている。状況がそう言わせていることもある。
    若かりし時に何度か挫折をするたびに、この世から消滅をしたいと心底思った。
    しかし、今から考えてみても気もちの何処かに「今のこの気持ちは何時か変わり、
    必ず素晴らしい未来ある」という楽観があった。それは未来という時間があったからである。
    この数年でも従兄弟や従妹の亭主やポン友が自殺をしたが、死にたくなるほど苦しかったのだろう。

先進国の中で、日本が一番自殺率が高いと聞いてから10年近く経つ。
数年前に韓国が一番になったようだが、同じ位の数字である。
検索で『日本の自殺率』というキーワードで検索したが、
1990年代後半から異常に自殺率が跳ね上がり、7~8年間は先進国の中で一番になってしまった。

    以下は、幾つかのHPの自殺の現状をマトメタものである。
    不景気と体制変換期には自殺が跳ね上がることからみて、
    環境の変化と、その不適応と、自殺は大きく関連しているようだ。
    ーー
 
日本は、人口10万人あたりの比率に換算する自殺率でみると世界第10位で、
旧ソ連・東欧圏を除く主要先進国の中では最も多い。
主要先進国の自殺率は、米国10.4人、英国7.5人、フランス17.5人、ドイツ13.5人、に対し
日本25.3人(平成16年)。日本の自殺率を押し上げている最大の要因は「成人男性」の自殺だ。
平成14年、15年ともに自殺者の72%は男性が占めている。
このうち、25歳〜44歳までの男性の自殺率は42.3人と著しく高い(平成14年)。
100人の死者のうち、なんど24人は自殺!

    この年齢層はリストラ対象層。再就職しても、給与は落ちる。
    家のローン、子供の教育費、親の介護の資金と、金はいくらあっても足りない。
    生命保険の保険金目当てに自殺を企てる人間も多い。

この年代を含む30代〜50代男性の自殺の動機は、1位が経済・生活問題である。
女性や他の世代では自殺の動機1位は健康問題だが、金の切れ目が人生の切れ目とは、何とも哀しい。

    主な自殺のサインは、
   ・うつ病にかかっている、
   ・周りの人とかかわりをもてない、
   ・身の回りの整理を考えている。
   ・ゆうううつな状況を不安な口調で訴える、
   ・アルコールや薬物に依存している、
   ・長期にわたる不眠を訴えている、
   ・人との接触がほとんどない、などがあげられる。
 
ー自殺予防としては、
  一人で悩まずに、妻、家族、親、友人に相談すること。
  それができないときは、「命の電話」「自殺防止センター」などに
  電話で相談するのがよい。相談することで、心が少しは軽くなる。

  ー日本における自殺の手段は、
    ・圧倒的に首吊り  20,669件(64.4%)、
    ・次がガスか排気ガス 3,538件(11%)、
    ・飛び降り     2,774件(8.6%)と続く。
    ・拳銃とライフル銃による自殺は、それぞれ13件、19件と少ない。
                    ーつづくー
以前書いた内容をコピーしておきます。
ーーーーー
2006/10/25  2031, 「私」のための現代思想  −15
       (+>∀<+)ノ おぁはは〜ようさん!
      字数の関係でカットー2008年04月14日

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2006年04月14日(金)
1837, ローマから日本が見える−2
       才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*)  ー読書日記

読めば読むほど、ローマ人のリーダーの面々に引き込まれていく。
彼らは自分達のありのままの姿を直視し、それを改善しようとする気概があった。
この書はローマ人が如何にして自己改革を行うことに成功したかの実例でもある。
それは、保守派と改革派の熾烈な戦い実例でもある。
改革が為されなければ、衰退か破滅の瀬戸際の中で行われるから引き込まれる。
そして、そこにリーダーとしての優劣が出てくる。 
   ーリーダーの本質についてー

    イタリアの高校の教科書には次のように書かれているそうだ。
    「指導者に求められる資質は、次ぎの五つである。
     知力、説得力、肉体上の耐久力、自己制御の能力、持続する意志。
     それをカエサルだけが、このすべてを持っていた」。
    著者はリーダーについてもローマ人の指導者からみて重要な示唆をしている。

 日本で指導者の資質として取り上げられる決断力、実行力、判断力、
 ましてや「調整力」などということはまったく述べてない。
「経営者の決断力」などが課題になること自体が問題であると看破。
 決断力のないリーダーが多すぎるのが問題であり、
 リーダーであれば当然、決断力や実行力は持っていて当然のこと。
 毎年一冊の割合で発表される「ローマ人の物語」は、
 その中に著される多くのローマの興亡に携わった人物たちの
 生き生きとしたドラマとしての歴史読み物としての面白さにある。

 古くからローマの歴史を演繹することによって、有史以来の様々な国々の興亡の要因を学び、
 又、自分達の生きている社会の問題点の解決方法を学んできた。
 現代においても、ローマの歴史は現代の政治的、社会的な問題解決の糸口にも
 なる上に、社会・文明批評の書ともなりうる。

 巻末にはアレクサンダーから、ローマの英雄、皇帝たちを含む歴史上の人物たちの通信簿が掲載されている。
     (*^ー^)/C□~~ コーヒーいかが? C□^(゚◇゚;)ノ゙アチチ!

 ーところでシーザーの『賽は投げられた』の詳細は、どういうことだったのか?ー
     腐敗堕落した元老院政治打破を叫んで立ち上がったユリウス・カエサルは
     紀元前49年1月29日早朝、「賽は投げられた」と叫んでルビコン川を渡った。
     ルビコン川はローマ本国と北イタリア属州との国境。
     川岸に立った武将カエサルも幕僚も配下第13軍団兵士も身動き一つしなかった。
     川幅は狭く渡るのは容易だ。 しかしこの川を渡るには勇気と決断が必要だった。
     ルビコンを越え、本国に軍団を率いて入ることは「祖国への反逆」を意味していた。
    クーデターと見なされ追討軍を差し向けられローマ人同士の内戦になる。
    「ここを越えれば人間世界の悲惨さが待っている。
     越えなければわが身の破滅」。カエサルは兵士を振り返り叫んだ。
     進もう。神々の待っている所へ、我々を侮辱した敵の所へ。賽は投げられた。
   次回からは、目次にそって印象深い部分を抜粋しながら考えてみる。  
                  (*^▽^*)/ バイ〜
・・・・・・・
2005年04月14日(木) 1472, カリスマについて

先日、少女暴行で朝鮮人の変態牧師様?が捕まった。
キリスト教の普及手段として、音楽を取り入れたりして現代風にアレンジした
ファッションが売りのようだ。 しかし、見るからに怪しげな集団である。

宗教そのものも、本来怪しげなものであるが。
といって、30人以上の少女を毒牙にかけていながら問題にならないのもおかしい。
カルトもオットセイ的絶倫教祖様が異常なハーレム世界がいきつく先だ。
この手合いは、現在でも世界中に満ち溢れている。 ニーズがあるからである。
救いとしてのセックスもカリスマならストレートで効用があるのかもしれないが。(もちろん皮肉である)

前に読書日記でカルトの教祖様について書いたことがあった。
コリン・ウイルソンの「カリスマへの階段」という本で、初めから終わりまで息を詰めて読んだ。
教祖様の描いた天国の世界に、教徒は洗脳され、そして・・・の世界である。
共同体は、カタチは変われど似た側面があるが。
言葉を使った教祖様空想世界の夢商品の販売である。信じるものは救われるのだろう。

以下は、以前書いた読書日記のコピーである。
今度[カリスマへの階段]−2で、他にも幾つかの集団と教祖を紹介してみる。
ーーーーー
2003/05/08 「カリスマへの階段」

 いまマスコミで連日報道されている白装束の集団「パナウエーブ研究所」
を見ていて、誰もが「何故真っ当な大人?が、かくも幼稚な教祖様の御教えを
信じてしまうのだろ?」と首をひねる。マインドコントロールというヤツで洗脳されてしまうのだ。

 7~8年前に『オウム真理教』が騒がれていた時に、図書館でコリンウイルソンの「カリスマへの道」
を借りてきて、あまりの面白さに蔵書として買ったのを思い出して、また読み返した。
何度読んでも面白いものは面白い。9年前にスイスのカルト『太陽寺院』のメンバーの集団自殺がおき、
その前後して麻原の『オウム教』の問題が出てきた。彼らは決まって終末思想がある。
そして、その信者だけが救われるという教えを繰り返し教え込んでしまう。

オウム教のそれは『世界の終末は1997年に起き、オウム真理教の信者のみが救われる』と説いていた。
この白装束の主張は
・この5月15日に何処かの流星が地球に衝突する
・また共産ゲリラが彼らに電波で攻撃を仕掛けているという。
このような幼稚なカルトに何故ごく普通の人たちが、
 妄想にひた走る「メシア」様の命令を唯唯諾々と従うものか?
その原理を「カリスマへの道」では歴史を遡って書いている。
その中で一番面白く本質をついていると思われるところを以下に書き写した。
ーーー

西暦1666年の初頭、全欧州が人類の歴史上の最大イベントを待ち構えて
いた。ユダヤ民族を昔日の栄光に導くメシア登場である。
この神の使者はサバタイ・ゼビという40歳のユダヤ人で、今はスルミナに住んでいるが、
やがてトルコのスルタン(皇帝)を打倒し、龍に乗ってエルサレムに入城する手筈に
なっている。そしてその後は戦いで次々と敵を倒して世界の王になる予定。
ユダヤ人が『我々が今にあなた方の主人になる」と言うと、キリスト教徒も心配を始めてた。
・・・(中略) 大都市の多くではこの期待は早くも混乱を生みつつあった。
ユダヤ人社会が商売を止めて最後の審判の準備に入ったため、まず商業が機能停止になった。
ハンブルグでは人々は家と土地を売り至福千年期に備えた。
・・・・・・・・
だが年も押しつまる頃に信じがたい噂がながれ,歓喜は落胆に一変する。
イスラムにサバタンが改宗したという。
サバタンが若いメフメト4世の前に引きずり出され
「イスラム教に改宗するか、さもなくば生きたまま串刺し」と二者択一を迫られた。
これに応じたメシアのサバタイは直ちにユダヤ帽を地に投げ捨て唾を吐きかけ、
これに変わって白いターバンが頭に巻きつけられるに任せた。
そしてスルタンー皇帝はこの改宗を優雅に受け入れと新しい名前と門番の
職を与えた・・・

ーーー 
こういう新興宗教のメシア様の色いろな内容が次々と出てくるのだ。
神の名での教祖様のハーレムがつくられ、組織内での多くの殺人が繰りひらかれるのだ。
宗教ごっこならよいが、セックスと殺人が終末思想の元で日常になって自己破滅を
始めて行くのである。オウムのようなことは、宗教の創立期にはどこでもつきものである。
 
理想社会は教祖様にとっての意識下の世界でしかない。
95佑僚晶腑織ぅ廚旅垢覆訛梢融峺を求めている人は、
その理想社会の空想社会の餌にごく簡単に飛びついてしまう。
そして全財産を剥ぎ取られてしまう。 世界中がそれに満ちているといってよい。
精神的に傷つき癒されたい人が、それだけ多いのだ。
自分で本を読みつづける中から癒されるのが、一番効果があるのに! それしかないのに!?
・・・・
「カリスマへの階段」
コリン ウィルソン (著) 青土社 (1996/03)

・・・・・・・・・
2004年04月14日(水)  1107, 大逆転ー2

昨夜の巨人戦が久々に面白い内容であった。
一昨夜は、世界ヘビー級の劇的逆転KOに驚いたが、
昨夜は7対1で負けていた巨人が8回の裏に9対9の同点に追いついた。
たまたま逆転の場面からTVを見たので,一番面白いところを見ることができた。

そのうち、安部が二本のホームランで6点の打点をあげた。
まさかと思っていたら、いまの巨人はそれをやってのけるから凄い。
最後は12回裏に阿部の押し出しでファーボールでサヨナラ勝ちをした。
その時は寝てしまっていたが。
あれだけのバッターを集めるのだから、こういうことがおこるのだろう。

昨夜の対戦相手が中日であるが、今年から監督になった落合監督が飄々として面白い。
長年の構想を練って監督になったのが見ていてよく解る。
長島元監督とは全く違うタイプである。
阪神の岡田、中日の落合、巨人の堀内という新しい監督の個性がこれからの試合で、
出てくるだろう。過去に蓄積されたものがどの程度であったか、
あからさまになるのだから監督業も大変な仕事である。

・・・・・・・・・・
2003年04月14日(月)
 740, 深夜特急

沢木耕太郎の「深夜特急」という小説がある。
彼が若い時にロンドンへ貧乏旅行をしたときの深夜に移動する
乗り継ぎバスからとった小説の題名である。 TVドラマにもなった。

昨夜の十時半に京都の桜見に出かけた。一万円パック・バスツアーで、
翌日の21時半に帰ってきた。天気が良かったが、先週に桜のピークは過ぎていた。
しかし、この桜の時期のパックのシステムが良い。

・朝6時に、京都の清水寺の開門に合わせて到着するコースが組んであった。
・その後7時に嵐山に行って、あとは解散してそれぞれが嵐山・嵯峨野
 めぐりをして11時に集合して、オプションの食事
・その後、一般公開の最終日の京都御所をみて14時半に帰ってくる内容であった。

ハイライトは自転車を借りて周った、嵐山周辺のお寺周りであった。
印象順に書いてみると
・愛宕念仏寺の羅漢仏の群れがよい。
 写真では何回もみたが、実際にみたのは始めてであった。
 人間臭い像が多くあちこちに郡をなして並んでいた。
・壇林寺の多くの仏像と仏画が印象的であった。
・祗王寺の小宇宙を思わせる庭とその中の家もすばらしい。

最近は殆ど国内旅行はしなくなったが、こういうパックシステムに
参加して、効率的に行ってくるのもよいことが解った。
こういうシステムに参加して嵐山だけに絞って周り最終地で待ち合わせて
帰りのバスに乗るいう方法もある。 43人の参加で添乗員がついていた。
新発田、新潟、三条、長岡と参加者を拾っていくのも効率的である。

深夜特急?が意外と疲れないのを知ったのも収穫であった。

・・・・・・・・・
2002年04月14日(日)  376,新潟駅前界隈

新潟の駅前で事業を始めて21年になる。場所柄、いろいろな商売をみてきた。
本当に商売の難しさを思い知らされる。意外と潰れてないのが驚きだ。半分は生き残っている。
しかし多くの潰れていく店も多い。数年たつといつの間にやめている。
その共通点は私生活の乱れが多い。それといつの間に「唯我独尊」になってしまうことだ。
店が悪くなると、すぐ客単価を上げようとする。

お客は「お値打ち」を求めて店に来ているのが解らなくなる。
こと値段に対して厳しい査定をしている事が見えなくなる。
そういう危なくなっている店が、ここにきて多い。
おかしくなる数年前に、何かその種をつくっている。
お客は一度離れたら二度と戻ってこない。

いろいろな事情と思惑で、商売を始めている。
しかし原理原則が商売にきっちりある。その原則がわかってない人が多い。
大きい本屋を数軒回れば幾らでもあるが、気がつかないのも仕方ない。他人事ではないが。

特に飲食店がよくない。原因は
・一人当たりの可処分所得と小遣いが減ったこと。
・出張と社交費が激減したこと。
・自宅近くのチェーン店に行くようになった。
・TV のハードとソフトがここにきて格段によくなった。
 その為、家でビールを飲みながら、TV を見ていたほうがずっと価値がある。
・そして最大の原因は不景気である。

デフレと売り上げが減っている為、客単価を下げる事が出来ない。
商品の質を一ランク上げ、価格を一ランクか二ランク下げなくてはならない。
客が来ないため鮮度と質が落ち、客単価を上げてくれば客は減って当然だ
お客は食べ物には敏感である。
おまけにデフレの為スーパーやファーストフードは合理化を進め、値段を下げてくる。
「誰がそんな不味いものを高い金を出して食べるか!」と黙って行かなくなる。

それでもまだ店を出したがる人がいるのだから。


2566, ターニングポイント

2008年04月13日(日)


・世界のターニングポイントは、
 ソ連が崩壊した1991年か、
 アメリカの9・11テロの起きた2001年か、意見は分かれるだろう。
・日本は、バブルと、その崩壊の(1986年12月から1991年2月までの4年3か月の)1991年か、
 阪神淡路大震災、オウム事件、そしてネット社会の始まりをつげるウィンドウ95の発売で始まる
 ネット社会の起動の1995年か、これもまた分かれるところである。 
世界にとって、ソ連の崩壊と、アメリカのテロによる威信の失墜と弱体化は、同じ位の意味はある。
世界も、日本も、その背景にあるのは、情報化社会の到来によるグローバル化がある。
民族と宗教対立が世界規模で生じてきたのである。そして中国ではオリンピックを契機に大混迷期に入る。
     以上のことから
   「日本はバブルの発生した1986年からウィンドウ95・阪神淡路大震災・オウム教事件の発生した10年間、 
    世界はソ連崩壊の1991年から2001年の9.11事件の10年間が、ターニングポイントの期間になる」
    ということになる。

これは20世紀から21世紀への時代の千年単位の変化で、その背景にIT革命などの科学の飛躍的進歩がある。 
まさか、ソ連が崩壊するとは思っていなかったし、ニューヨークのアメリカを象徴するビルが
二つ瞬時に消滅するなど、考えられない事件であった。

日本では、バブルと、その崩壊、そしてインターネットの普及は大事件である。
20以上あった都銀が、あれよあれよという間に3つに集約され、西武グループも、西武鉄道も解体された。
デパートも、ここにきて4つに集約されようとしているし、ナショナルチェーンも2つに集約された。
ターニングポイントは、10年にわたったが、その余波は政治経済の事象を大きく変え続けている。
それだけ大きな時代の断層は大きいのである。

身近では、僅か3年半で大地震が二度も起きた。
幸い事業には最小限の影響ですんだが、それでも決して甘い状況ではない。
ハッキリいえることは、これで新潟県のエネルギーが10〜15%ダウンした。 その中で、
一つ状況への対応を間違えれば事業として即死するしかない。これは、どの事業も同じことだが。
もう一つターニングポイントといえば、今年が大きな変わり目になる。
恐ろしい年と覚悟をしたほうがよい。 特に、後半に政治も経済も大波乱がある。


・・・・・・・・・
2007年04月13日(金)
2201, 新幹線乗り越し、6回目
                  (~Q~;) おはよう〜〜 ファ〜
    一昨夜、6回目の新幹線の乗り越しをしてしまった。
    飲み会の帰りの新幹線、燕三条駅まではしっかりしていたが、
    その直後、少し寝込んでしまった。そして、目を開けたら長岡駅。
    鞄を持って走ったが、目の前でドアが無情にも閉まってしまった。
    またか、と思ったが、最終便の一本前なので何とかなると慣れたもの。
    そして、無事Uターンした帰ってきた。4年弱ぶりということになる。

HP内検索で「新幹線乗り越し」と入れたら、出てきたのが以下の文章である。
なるほど文章化をしておくのも面白い。
乗り越した「浦佐」の駅員に、「長岡では乗り過ごさないように」と注意されたり、
横にいたホロヨイ気分の人に「頑張ってね!」と励まされたり、
シッカリ酔っ払いをしてきた。いや酔っ払いずれをしているということだ。

    5年前の湯沢で乗り過ごした時に、やはり乗り過ごした人がいたので、
    割り勘で同部屋に泊まったことがある(全く知らない人だった)、
    その半年後、会社のパソコンに光ファイバーを入れた。
    その時のNTTの営業担当が何とその人。 互いにビックリした事があった。

 以下は以前の書いたものだ。
 ーーー
2003/08/22  5回目の乗り過ごし

 昨夜、5回目の新幹線の乗り過ごしをしてしまった、十四年?ぶりである。
コンサルタントの林さんと新潟の沼垂で痛飲、22時16分の最終列車で寝込んでしまった。
気がついた時は既に長岡を通過してしまっていた。
仕方がなく浦佐の駅前のビジネスホテルに泊まってきた。
最終に乗るくらいなら泊まると決めていたが、酔った勢いの判断ミスであった。

ホテルを始めた頃、東京からの新幹線で大宮で降りる予定のサラリーマンが
新潟まで寝過ごしてきた。財布は空で宿泊代は無し。
「宿泊代と帰りの切符代を貸してもらえないか」と頼まれた当時の大矢マネージャーが
気の毒なのでその通りに応じたという。
本来は警察に行けば何とかしてくるはずだが、気が動転していたのだろう。
他人事の話ではないが。
以前「乗り過ごしについて書いた文章」をコピーしておきます。
ーーーーー
2002/02/10
新幹線の乗り越しー4回!

通勤22年間に乗り過ごしの経験が4回ある。それぞれに思い出がある。
たて続きに3回乗り過ごした。10〜15年前で一番酒を飲んでいた時期であった。
初めは湯沢で泊まった。飲んでいた勢いでビジネスホテルの近くのスナックに飲みに出た。
10時半過ぎであった。大きい猫がいて手を噛まれた!中年のママさんがいた。湯沢の情緒が漂っていた!

その次は浦佐駅であった。乗り過ごした2人と話し合い「割りかん」で帰ってきた。
長岡駅と思い歩いていて,何かが違うのでよく駅名を見ると[浦佐]であった。
3回目は本を読んでいて、夢中になりすぎて乗り過ごした。折り返しの新幹線で帰ってきた。

5年位前の乗り過ごしが面白かった。ウソみたいな本当の話である。正月の3日か4日であった。
乗り過ごした私と同年代の人と駅の改札で話し合い、どこかのホテルのツインを割り勘で泊まることにした。
そして近くのビジネスホテルで、乗り過ごしの事情をいい「値引を交渉!」

「自分には値引きの権限が無い,駄目!」酔っていて滅茶苦茶!面白くないので、そのまま出て歩いていた。
たまたま向こうから60歳すぎのの人と、40歳後半の男の人が歩いてきた。事情を話し、
「もっと安いホテルが無いか?」と聞いたら、ちょっと待てと電話をしてくれた。
そして安くしてくれるホテルがあるといいう。

助かったと思い感謝しつつ後をついていくと、何と初め値段交渉をしたホテルであった。
そしてその若い方がその社長であった。そして飲みに行こうという。
それならばこちらも乗りかかった船、その連れと付き合うこととなった。
但し値引いた分の金額を出せという。それは当然のこと二人で出した。

その後、湯沢で一番の高級のクラブで2時間、正月という事もあって大騒ぎ。
ー後で知人に話したら、そのスナックを知っていたー
次の日4時間だけ寝て一番の新幹線で帰ってきた。 だんだん恥のさらけ出し?

「気違い水ー酒」を飲んだドラマがいろいろある。

(*´∀`)ノバイ
・・・・・・
2006年04月13日(木)
1836, ローマから日本が見える−1  b(’0’)d おっ (゚Д゚)w  ハァよー
                 ー 読書日記
     この本は塩野七生が、1992年より年に一冊の割合で書いてきた
     『ローマ人への手紙』のローマの建国から帝国の成立までを、
     自らダイジェスト版にした本であり、その入門書でもある。
     その意味で、解りやすい中味の濃い一冊である。
  
 =まずは、この本の概要をまとめてみる。
ー「なぜローマにこれほどの入れ込みをしたか」ー

著者の塩野七生は「私がローマ人に興味を抱くのは、彼らが人間性に対する幻想を抱かず、
ということは、自分自身に対する幻想を抱くことなく行動していたから」と述べている。
イタリアの一地方都市に過ぎなかったローマが、有史以後最大の帝国にまで成長を遂げ、
千年以上(1229年間)に亘って世界を支配した、その原動力は何であったのか。
そして、そのローマ帝国が何故衰退の道を歩んだのか。ローマ史は、歴史の面白さに満ち溢れている。

    古代ローマ時代のローマ街道の道端にあるお墓に「これを読む人に告ぐ。健康で人を愛して生きよ。
    あなたがここに入るまでのすべての日々を。」 と、書かれていたという。
    「幸運の女神は、すべての人にすべてを約束する。と言っても約束が守られたためしはない。
    だから一日一日を生きることだ。一時間一時間を生きることだ。
    何ごとも永遠ではない。生者の世界では。」「ローマ人の物語」の中の言葉である。

 人生の全てが、ローマ人の行蔵や言葉の中につまっている。
 また、そこで活躍した男達の魅力は計り知れないものがある。
 著者がローマに入れ込んでしまうのは自然のことだ。ε=ε=ε=(。・ω・)_旦~~
               
ーローマ人の改革についてー
  「真の改革とは再構築である」
   「改革とは『過去の否定』ではない」ー

   ローマに限らず、どんな国家であれ、どんな時代であれ、改革とはけっして会議で決まるものではない。
   一人の指導者が現われ、みずからの信じるところに従って改革を断行しない限り、永遠に体制は変わらない。
   そして変わらないで過ごすうちに、国力は衰微する一方になる。しかし、改革はむずかしい。
     どんな改革であれ、それによって損をする人たちがかならず現われる。
     しかし彼らの反対に耳を傾けてしまえばどうなるか。
     結局、どんな改革も大幅な修正をされて小幅な改良に終わってしまうのが落ち。
     したがって改革をやろうとすれば、結局は力で突破するしかないということになる。

カエサルは彼に最終勧告(要するに追放もしくは死刑の宣告)を与えた元老院を
潰すことなく、彼の体制の下に置いた。 ただし、改革も行った。
それは従来ローマ市民にしか与えられなかった元老院議員の資格を属州の人たちにも与えた。
彼の大きな改革として私たちが今でも恩恵を受けているのはユリウス暦の制定。
カエサルは様々な改革をわずか2年で成し遂げた。
                        …(´Д`驚)…!!              
     改革にはタイミングがポイントとなる。
     ローマは紀元前390年に北方ケルト族の襲撃であっけなく占領された。
     このどん底から這い上がることで真のローマになった。
     敗因が自分たち自身にあったことを反省し、ローマ独特の共和制を樹立し政治改革を完成させた。

ローマは、その苦境を乗り越えるために、ローマは、自らを改革して行った。
それこそが、ローマが王政から共和制へ、そして帝国へと変わっていった
過程なのだという。「ローマは試行錯誤によって作られた」のである。
もちろん改革の時期には改革を阻止しようとする勢力が優勢になり、後戻りも頻繁にある。
しかし、その後戻りも結果的には改革への推進力に切り替えるかたちで
ローマは自らを成長させてきたことが、本書でも簡潔に示されている。

    著者はローマが新生ローマになるには20年の年月がかかった。
    それだけかかっても改革への取り組みを諦めなかったからこそローマはローマになったと指摘している。

ローマも改革も1日にして成らずである。改革には時間と手間がかかる。既得権益を持つ人達は手放したがらない。
多くの人は改革の手間を惜しみ、まだ大丈夫と思っている内に国家は衰退していく、と指摘。
当時のローマに今日の日本の姿を投射しながら改革の「必要性」とタイミングの「重要性」を説いている。
急激な経済の拡大成長に従来の国内システムが対応できない日本。
その間に業者や特定利益団体が自民党族議員・一部官僚と結託して、利権体質を作りあげた。
現在の日本はその体質改善が求められる。
 
     − つづく   ヾ(^ω^*) バイバイ!
・・・・・・・・
2005年04月13日(水)
1471, 『冥途のお客』を読む

佐藤愛子著の「霊の話」光文社ーが面白い。

月刊誌の「新潮45」で、数年前に霊体験を連載していた。
読んでいて、背筋が寒くなるほどリアルで中味の濃いものであった。
文春文庫から[あの世の話]という題名で出版されている。

私は27歳時の父親の死の直後、霊体質になった。
最近は、あまり妙なことは起きなくなったが、以前は信じられないような
色いろな現象に出くわした。そのことは随想日記にも何度か書いてきた。

佐藤愛子は30数年前、50歳で霊体質になったというから、私の方が若くしてなった。 
ほぼ同時期になる。霊体質になる以前は、こういう話は興味本位で聞いていただけで、
内心は全く信じてなかった。 しかし、自分がなってみると違うのだ。
違う感覚器官が、身についたという感覚である。そのことを、佐藤愛子も書いている。
耳の聞こえない人に、音楽の話や、風の音の話をしても何も解るはずがない。それと同じことである。

私の場合は、身近な人の葬式前後に何かが起こる場合が多い。
どこどこで、全く知らない霊と出会うことは少ない。最近は本当に少なくなっている。
おそらく仏壇で毎日、亡くなった因縁のあった人の名前を挙げて、
[あの世で静かにお眠りください]と祈っているためだろう。

2年位前の、自社ホテルの因縁部屋(初の自殺者出た部屋)に泊まった時の話である。
夜半トイレに入ったところ、換気扇が人の鳴き声になっていた。
「今更、そこで亡くなった人が泣いているわけもあるまい」と、
気を取り直して、何回もスイッチを入れたところ人の鳴き声に聞こえる。
それも何回も聞きなおしてもである。この部屋で亡くなった、あの女性が出てくるはずがない
と思いながら、まんじりとしない一晩を過ごした。翌日事務所に行って暫くすると、
私の泊まった前の部屋で「病死のようだが、人が死んでいた」という報告が入った。
あの泣き声は、故人が私に悲しみを伝えたかったのではと?

理屈から考えれば有り得ない話だが、実際信じられない現象が起こるのだ。
霊感の強い人は、普通の人が見えないものが見えるのだから大変である。
佐藤愛子の場合、私よりズット霊体質は強い。
自分に霊体質が無ければ、こんな内容の本には見向きもしない。
理屈に全く合わないのだから。

ー以下は検索で調べた、この本の大筋と感想を書いた内容である。
けっこう上手くまとめてある。
 ーーー
著者自らの霊体験を告白
(以下、字数の関係上カット2008年04月13日)

・・・・・・・・
2004年04月13日(火)
1106, 大逆転-ヘビー級の醍醐味

昨夜、ヘビー級の世界タイトルマッチを見ていて驚いた。
圧倒的有利のウラジミール・クリチコフが、サウンドバックのように
相手選手を攻め立てていた。そして4回に相手選手がダウンをきっし、
ノックアウト寸前。 5回はいつダウンをするか一方的の試合になってしまった。

そしてラストの40秒前に、相手のパンチが当たって、最後0秒で劇的大逆転で
クリチコフが負けてしまった。数年に一度見れるかどうかの面白い内容であった。
映画の「ロッキー」を見ているようであった。ヘビー級はこれがあるから面白い!
当り前のことだが、見ていないと、その面白さがわかるわけがないが。
9回2アウトからの大逆転のようなものである。

最盛期のタイソンが日本でまさかの敗退や、レノックス・ルイスが
数年前に負けるわけのない選手に一発で負けた試合を思い出す。 しかし今回みたいに、
サンドバックのように一方的に攻められていた選手の、劇的な大逆転も珍しい。

子供の頃の楽しみは、「巨人・大鵬・玉子焼き」ではないが、ごく限られたものであった。
白井やファイティング原田や海老原などの世界戦が思い出に残っている。
それと青年期にはカシアス・クレイ(アリ)とリストン戦や、フォアマン戦が記憶に残っている。

ボクシングも最近以前のように熱心には見なくなってしまった。
しかし昨夜の対戦は記憶に残る面白い内容であった。

・・・・・・・・・・
2003年04月13日(日)
739, 睡眠時無呼吸症候群

一度だけだが、寝ていて息苦しいので目が覚めてた時に,
息するのを忘れていたことに気がついた。「エッ!」というのが、その時の印象だった。
「なんで呼吸を忘れるんだ?」という疑問であった。
「こういうことが実際にあるんだ!」と思った記憶がある。5〜6年前の事だった。

ところが最近になって無呼吸症候群が問題になって、初めてなるほどと感じた。
それで死んでしまう事ってあるのだろうか?そういえば新幹線の停車ミスの運転手も無呼吸症候群だった!
そこでインターネットで「睡眠時無呼吸症候群」を調べた。その結果、私のその経験と違う?ので安心をした。
 
ー睡眠時無呼吸症候群の定義ー
一晩(7時間)の睡眠中に10秒以上の無呼吸が30回以上おこる。
または、睡眠1時間あたりの無呼吸数や低呼吸数が5回以上おこる。
実際に止めてみると辛いことがわかります。
 睡眠時無呼吸症候群(SAS:Sleep Apnea Syndrome)は、睡眠中に呼吸が止まった状態
(無呼吸)が断続的に繰り返される病気です。
その結果十分に睡眠がとれず、日中の眠気、集中力、活力に欠ける、居眠りがちになる、
居眠り運転で事故や重大事故などを起こしやすくなります。
治療をせずに放置しておくと生命に危険が及ぶ場合もあります。
よって適正な症状分析と診断、治療、予防などの対策が必要になります。

眠っている間に呼吸が数十回、ときには数百回と止まるようであれば、体内の酸素不足が
深刻になってくるでしょう。酸素不足がおこれば「寝苦しい」「息苦しい」
などの症状が現れ、睡眠不足がおこります。
また酸素不足は循環機能に負担をかけ、不整脈、高血圧、心不全、糖尿病が現れ生存率が
低くなるなど無呼吸症候群には様々な問題がでてきます。
いびきのあとに呼吸が止まるようなときには無呼吸症を疑い、 早めの治療が必要です。

ーーー
もしこういう症状であったら本当につらいだろう!睡眠はある意味で、天国の世界である。
それが楽々眠れないとしたら、これほどの不幸はない。信じられない病気が多い。
病気になった当人しか、その苦しみは解らないものである!

・・・・・・・・・・
2002年04月13日(土)
375, 「テーマ日記」を書き始めて一年

あと一ヶ月でホームページに「テーマ日記」を書き始めて一年になる。
旅行を除けば一日も欠かさないで書いた。何処までやれるか自身との闘いで始めた。
あまり苦しい事はなかったが、しかし気をとられたことは事実である。
気がついたら、370以上の文章を書いた事になる。よく書いたものだが、内容はこんなもの。
あと1〜2年つづけたら殆ど内面を、いや底を尽くのではないか。
その後で底から真水が出てくるのではないか。
今現在もう底を突いているのではとは思えないでもないが。
テーマの種が尽き始めた事は事実だ。大した事を考えてない自分が顕わになった。
本気になって第三者を意識して書き出して、プロの文筆家の能力に
今更驚かされる。それで食べているのだから当然といえば当然だが。

書くということと、内面で考える事とあまり違いはない。内面を赤裸々に顕してしまう。
毎日書き続け公開していることは、とんでもない事かもしれない。

しかし今更そういう生き方をしてきて(^^ゞ−(;一_一)(+_+)(-_-;)
ー恥ずかしいことはない。後どうしても過去の事考えたことに偏ってしまう。
人生の7割生きたのだから仕方ない。自分史そのものだ。
自分史の先取りだが、自分史は早いほどいいという。

・・・・・・・・
<おわらい>
ー貧すれば鈍する

「隣の家 借金苦で夜逃げしたんだって!」
  「貧すればド(ろ)ンする」


2565, ドル覇権の崩壊 −2

2008年04月12日(土)


 (p≧w≦q)オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪

   この本で面白いと思ったところといえば、
  ・第二次世界大戦後に、「金・ドル体制」が確立、
  ・ニクソンが1971年に金ドル体制で崩壊、それに変わって「ドル・石油交換体制」が成立した。
  ・そして、ここにきて「コモデティ・バスケット通貨体制」と移動しようとしている。
   という点である。 現在の天然資源や穀物などの値上がりは、そういう要素もあったのだ。
   イラクにアメリカが攻撃を仕掛けたのは、フセインが石油の決済をユーロにしようとしたことが、
   原因というのも解る。

その『コモデティ・バスケット通貨体制』とは、
「金を中心にして、その他の鉱物資源、石油、天然ガスなどのエネルギー、農産物等の実物資産を
まとめてバスケットの中に入れて、それを評価、信用の基礎とする通貨体制のこと。
コモデティとは基本物質という意味であり、貴金属と鉱物資源を中心とする戦略的な物質の全てである。
現在のドル決済、ユーロ決済、更には円決済は、それぞれ為替相場の変動が実物経済に及ぼす影響が
無視出来ない程、大きくなってきていることから研究されているものである。
 現在の通貨体制をゴルフのハンディに例えると、お互いに相手国のハンディが多すぎる、自分(自国)の方に
もっとハンディをくれないとゴルフ(国際貿易)に参加できないといっているようなものである。
そのため毎日日々刻とハンディ(外国為替相場)をお互いにそのつど替えてゴルフ(国際貿易)を行っている。
 コモデティ・バスケット通貨体制は、 金本位制度、 為替の固定相場制、 為替の変動相場制 に続く
新しい第4の通貨・貿易の決済体制とされ、将来の通貨体制の混乱を防ぐには、これ以上の方策は今のところ
見当たらないといわれている。 ただ、あくまで理論上のものであり、更に研究しなければならない点も多く、
実際に導入されるにしても、相当の紆余曲するだろう」

ー以上だが、
 米国は国家単位で贅沢な生活を続け、その結果として 巨額の貿易・財政赤字を垂れ流している。
 ところが自国が基軸通貨なので、輪転機を動かしドルを刷れば自己決済が出来る。、
 これではドルはいずれ暴落すること必定、早く他の通貨か物に避難すべし!ということになる。
 サブプライムローン問題は、アメリカのドル・石油交換体制の崩壊を決定付けた。
 その大混乱が、これから何年にわたって始まるのである。
 その一番の被害は資源のない日本であるのは誰の目にも明らかである。
 本当の本格的プアー社会は、これから本番になる!
 格差社会というが、それは違う、中間層がプアーになっていくのである。
 上層とかいうのも、激減していくだけ。 大変なのは団塊世代の後の人たちである。
  プアーといっても、1950年〜60年代の生活レベルに近づくだけ。
  社会資源は残っているから、それよりましか?
            .:+:.::.:+:(,, ・∀・)ノ バイ
・・・・・・・・・
2007年04月12日(木) 2200, 反時代的毒虫 −1

才八∋ウ_〆(∀`●)      
 ー読書日記   

 何げなく図書館で、この本を手にして、ーまえがきにかえてー
  の部分の中の一節に目が吸い寄せられた。

*カフカに「皇帝の使者」という短編小説がある。
ある男のところに皇帝の使者が出発したというお告げがある。
ところが、その使者は何時になってもこない。使者はその男が死んだあと、
到着するのである。私は自分をその使者を待つ男と同じでいいと思うていた。
ところが47歳の時、新潮社から『シオ壷の匙』という本を上板していただくと、
突然、私は白洲正子さま、吉本隆明氏、江藤淳氏の絶賛を浴びて、世に認められた。
皇帝の使者がきたのである。驚いた。「駄目な男」であることになれきっていた
私には、青天の霹靂である。あれから12年経ったいまでもまだ「変な気分」である。
    ーー
  そして中には、江藤淳、水上勉、白洲正子との対談が載っていて、対等に対談しているのである。
  本屋で彼の名前は見たことがある程度だったが、借りてきて読んでみたが、なかなか面白い。
    文学の授業を受けているような気持ちにさせられる内容である。

ー表紙裏よりー
私小説における虚点とは何か。命の通った言葉、通わない言葉とは何か。いかに女を描くか。
創作と金をめぐる関係とは。 小説とは、虚実皮膜の間に漾う人が人である謎を書くことである。
異形の作家が私小説の真髄を語り尽くす。

  ー1998年から2004年までの間の車谷長吉が行った対談や、妻・高橋順子との句会が掲載されている。
     対談相手は、江藤淳、白洲正子、水上勉、中村うさぎ、河野多惠子・奥本大三郎である。
     小説やエッセイの毒虫的な車谷からすれば、たやすく想像されることではあるが、
     人と語る車谷は誠実で、言葉を選んで、理性的で、少年のようである。

 ーまずは江藤淳との対談ー
  『私小説に骨を埋める』から
江藤淳との対談は、それぞれの言葉が相手の言葉を引き出す、非常に内容の濃い対談になっている。
車谷の言葉が非常に豊かに引き出されてくるのがわかる。

ーP16
車谷「私には私小説というよりも、まず物語を書くという気持ちがありました。
 その物語の「物」とは「物狂い」「物の怪」「物心がつく」の「物」だ、という意識があります。
 物を語るというのではなくて、物が語る。書き手である私に「物」がくっついて、 私の口、
 あるいは手を借りて、「物」がある物語を私に書かせる。
 初めて小説を書いた頃からずっとそう考えているんです。江藤「物が書かせるということですね。
車谷「はい。人間は2,3歳になると物心がつきますね。
 その物心の『物』とは何だろうと、ずっと考えていたんです。
 …夜にアパートで一人でいると、何ともいえず生きていることが恐ろしくなって
 きましてね。・・この恐ろしさが『物心がつく』の『物』ではないかと
 気づいたんです。『夏目漱石』で江藤さんがお使いになる言葉でいえば、
  (以下、字数の関係でカット2,008年04月12日)

ーーー
私の親戚にも何人か数奇な人生を生きてきた人がいる。
差し支えがあるので書けないが、書いたら面白い小説になる!
どの世界にも「事実は小説より奇なり」の話は転がっている。
             
            (℃゛)/ また、明日!
ーーーーーーー
2006年04月12日(水)
1835, 善意について
      \(^▽^*)おはようございます!(*^▽^)/

善意については、色いろ考えさせれることが多い。
最近になって、そのプラス面でなくマイナス面の指摘を目にする。
善意の善は、善悪の善である。 善悪なぞ、価値観の一側面でしかない。
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、一つとっても互いの善悪は全く違う。

   善をプラス、悪をマイナスみても、善も悪も何時までも持続はしない。
   環境が変化するからだ。環境が変化をすると、善はマイナスー悪になる。
   現在の自民党の族議員、ゼネコン、官僚の構造的汚職など典型的なものである。

善意は、善意でよいが! 善意だから何も許されるという甘えがマイナスになる。
日本の裁判の特徴に、善意による脇の甘さが起因しているトラブルがあまりにも多いという。
「友人の困窮に家を貸したが、相手が権利を主張をしてトラブルになった」とか、
「連帯保証に、善意で判を押してしまった」という話だ。その善意が狙われるのだ。

   善意を売りにしている人間で真っ当な人は多いが、
   何らかのペルソナ(仮面)の一部ぐらいに割り切っていたほうがよい。
   ただ、善意ではなく、できることならギブ&ギブを心がけていた方がよい。
   善意と優しさは、似て異なるものである。善意という動機にクールの視線を持てということだ。
   (ウオーム?ハートにはクールヘッドがコインの裏表のように必要である。)
   
 ー以前書いた、善意の小悪党に関する文章である。
  これは、善意ー善人面を売りにして事例だから、すこしづれるが・・。

ーー
2004/02/06
1038, 「わたしは悪い不動産屋」−2

以下の内容は、この本の書評というより、仕事で不動産にかかわってきた
私の目から見た不動産業に対する批判と知識である。

この本を読む限り、不動産屋とかマンション屋は全て悪徳のように思えるが、
実際はそうではない。真面目な不動産屋が大部分である。
しかし、20諭は悪徳に近い。80対20の法則がここでも当てはめることができる。
その20佑80佑琉さをする。しかし、それを素人は見抜けるわけがない。
80佑料盈匹良堝飴魂阿砲20佑琉徳要素が含まれていると考えた方がよい。
完全な物件は無い、それをよい部分だけを誇張していまうのだ。
(実際は5佑、95佑琉さをするのだろうが)

面白い善意の不動産屋がいる。自分は何も社会倫理に反する事をしていないが、
不動産屋の習性で、物件に対する瑕疵を見つけて冷静な判断をする。それが彼の仕事である。

ところが無意識で親しい人間の瑕疵を見つけ、他人に瑕疵を営業代わりに、内幕情報屋をしている。
しかし、そのことを自分で自覚してない。その瑕疵を純粋に相手を変えて言ってしまう。
悪意なしの無意識の世界の恐ろしさの深さがある。

不動産業の業というよりも、誰もが持っている人間の業であるが。
人間は誰も善意の悪党の要素を多く含んでいる。人間論になってしまった。まあ他人事でない。
違うカタチで自分の生き方で、同じことをしていたのだろう。

生きるということは、こういうことなのだろう。 純粋性の恐ろしさがある。
不動産屋は、なるべく相場より安く値づけをして早く商売を成立させたい。
その為に対象のケチとあら捜しをするのが習性になっている。

不動産取引は情報の売り買いである。
長期物件の売買で生きていく糧を長年かけて網を張っていく世界だ。
蜘蛛の巣に情報がかかってくるのを待つ商売である。
少しマイナスの視点で書いているが、それだけ深い世界ということだ。
そして無くてはならないビジネスである。

不動産屋をみていると、それぞれの個性がある。
野球のバッターに例えると
・バント専門
・ヒットバッター
・ホームランバッター
・代打専門と、それぞれの特性がある。
・バントは、アパートなどの仲介を中心に扱う
・ヒットは、マンションや住宅の売買を得意とする
・ホームランは億単位のビルの取引を狙う1発屋
・代打は、そういう情報を得て、長期物件に不得意の人に代わりに時間をかけて
 得点を得るために三割〜半額をもらうことを裏契約をして共同作戦をする人
 等々、生臭い情報を探し求めて利益を探しだす世界である。
 自分を、その世界にサラシテ生きてきたからよく解るのだ。
 
 トンビという仕事もある。
事務所を持たないで、情報を売り買いしているハイエナ的な仕事である。
饅頭のアンコという言葉もある、情報のやり取りで利益を分け合うのだ。
         
           ー つづく   ΒΥΕ.._〆('Д'*⊂⌒`つ
・・・・・・・・・
2005年04月12日(火)
1470, 書く(一人、語る)ということ−2

このHPを開設をして一番の効果について何回か書いてきた。
今までは、知識を得ても自分の内面に落とし込んで、それでお終い。
殆んどが記憶の底から出ることなく埋没するだけであった。
知識・教養とはそれでもよいが、
やはり外部化をしておいたほうが良いに決まっている。
いつでもコピーをしたりできるし、分類や再考が可能になる。

反面、このHPに落とし込んだ場合に第三者にも曝すことになり、
自分のノートや備忘録に落とし込むのとはおのずから違ってくる。
まず第三者にも理解するように書かなくてはならない。
自分の気持を書き込む時には、自分の中の第三者の目ー理性ーで、
一度濾過をしなくてはならない。それが自分をコントロールをしてくれる。
1年、3年、10年経った時の自分や、子孫の目も意識しなくてはならない。
しかし、その加工は時間が経った時の自分にとってプラスに働くうえに、
第三者の人とも共用が可能になる。この共有感が、気持ちを安らげてくれることになる。

いま一つ良かったことは、何か感じたリ驚いたりした時に、
それを無意識に起承転結として文章化をするようになった。
いつの間にか、書くように頭の中でまとめている習慣がついてしまったことだ。

また他人と話している時なども、書くように話しているのだ。
これも結果として大きな収穫であった。
更に、他人の話を聞くときも、文章を読むように聞いてしまっている。
相手の起承転結を整理しながら聞いてしまっている。
インプットも、アウトプットも、無意識に整理しながら聞いたり
話したりする習慣(脈絡を掴むよう)になっていた。
                    つづく
・・・・・・・・
2004年04月12日(月)
1105, 「ありがとう」戦略ー2

・「幸せだから感謝をするのではない。感謝をするから幸せなのだ」
 感謝はー大勢の人々のお陰、宇宙の森羅万象のお陰という気づきは、
 チャンスのときよりピンチのときに生じることが多い。
 ー「ありがとう」と、心の底から周りに対して言える状態が幸福といえるのだろう。
 
・「お客様は来てくださらないもの」「取引先は商品を卸してくださらないもの」
 「金融機関はお金を貸してくれないもの」ヨーカ堂の伊藤名誉会長が母親から受けた教えだという。
 この「ないないづくし」を前提に考えれば、『有り難い』という言葉が自然とでてくるものである。
ーこの気持ちを忘れてしまうのが人間である。他人のことは見えるがいざ自分のこととなると見えなくなる。
 
・言葉の原則がある。
 第一は「言葉はレストランのオーダーの如し」という原則がある。
  注文どおりの料理が運ばれてくるものだ。 言葉のとおりになっていくのだ。
 「疲れた」「(>_<)困った」「できない」と、消極的な言葉を発するとおり不幸な状態を発注をしているのだ。
 第二は「言葉はエネルギー」という原則である。」
  言葉の強力な言霊エネルギがピンチをチャンスに変えてくれる。
 第三は「言葉は表情」という原則である。言葉や表情を明るく変えるから人生も明るくなる。
 
・言葉には「明元素言葉」と「暗病反言葉」がある。
 ー「明元素言葉」は
「ありがとう」「簡単だ」「愉しい」「恵まれている」「面白い」「美しい」「楽しい」
「嬉しい」「素敵だ」これらの言葉は、積極的で、肯定的で、状況を陽転していく
 エネルギーを持っている。「現状打破言葉」とも言える。

 ー「暗病反言葉」は
「忙しい」「疲れた」「嫌だ」「困難だ」「やってられない」「駄目だ」「不幸だ」
「もう歳だ」「できない」「どうでもよい」これらは「現状維持言葉」という。
 この言葉を使っていると本当に「暗病反」になってしまう。
                          ーつづく
 ・・・・・・
2003年04月12日(土)
738, NTTの現状から時代の変化をみる

先日、NTTの人が光ファイバーの件できたので、IP 電話の内容を聞いた。 
NTTが現在、大きい分岐点にあるのは私でも解る。
一般回線からの収入は数年後には、減っているなか更に激減するという。
今後の収入源が光ファイバーと、ADSLの収入しかなくなるという。
それも他業種の参入で競争が厳しいという。
固定費が本来高いので競争に不利である。今の時代の象徴そのものだ。
あの電信柱と電話回線という数兆の資産が、たんなるゴミになってしまうのだ。

他人事ではない!観光白書によると一昨年だけで、ビジネス客が一年間で6割も減っているのだ。
昨年は更に減少傾向にあったから、三分の一になっている。
ある日突然、ある価値が全くの無価値になるのが、今の時代である。
東京の中央部の中型・小型の貸しビルが、最近目立ち始めた超高層ビルに
取って代っているという。NHKスペシャルでやっていたが、
出揃う4年後の2007年に大問題になるという。
立地がよいという理由だけでは存在価値が無くなるのだ。
 
この情報化革命という奴は、想像をはるかに超えて世界を根底から変えている!
   
・・・・・・・
2002年04月12日(金)
374, 主観と客観(喜劇と悲劇)

以前も書いた事があるが?
「滑って転んだとする、その人は骨を折ったか、悲しいぐらいのいたみである。
たまたま横にいた人にそれが非常に可笑しく見えた。前者にとって悲劇、後者は喜劇である。」

後者は同じ出来事を傍観している。他人事として見ている、これが喜劇。
前者はその滑った本人の目で書いている、これが悲劇だ。後者は客観で、前者は主観である。
あれだけ苦しんだ事も、あとで笑い飛ばした時に気持ちが癒される。
何事も笑い飛ばしてみれば、どうっとことはない。
「早く忘れたい嫌な事は、笑い飛ばしてしまえ!」というのが肯ける。

「喜劇と悲劇は紙一重」とは、視点を主観から客観に少し変えてしまう事だ。
「人を笑う前に自分を笑え」ともいえる。
特に日本人は「恥じの文化」ともいわれるように、他人に笑われる事を嫌う。
それだけ自立していないのと、多神教のせいもある。

逆に他人を笑っている自分は何だろう? 自嘲か軽蔑か、それとも同化か?
あまり他人を笑わないほうがいい!その他人に対する同化になってる状態だ。
考えてみたら、この二律背反だからこそ生きられるのだろう。

・・・・・・・・・
<おわらい>

以前 隣の男にお酒を一本ご馳走になった。
焼き鳥のツクネが一本残っていたので
「これツクネけでどお返し」とあげてしまった。


2564, サルも朝日の美しさに感動する! −1

2008年04月11日(金)

   以前、旅番組で猿が二匹で夕陽が沈むところを眺めている姿を後ろから映していたが、
   いやに、その画面が目に焼きついている。猿も日没の美しさに心打たれるのだろうか。
   それは感動という心の働きではないだろうか?それを猿が持っている?等々、を考えた。
   しかし、同じような姿を、ユングが見ていたのである。
   夕陽の入りと、朝日の昇るのを見るのは万国共通のようで、その不思議を感じていたが、
   猿も、その美しさに見とれていたのである。

  ユングの『自伝』の一節に以下のような印象的な言葉である。
   まずは、その一節を書き写してみよう。
   〜〜
ウガンダのナイル河上を、ユングが旅をしていたとき、
断崖の上にヒヒたちの群れが東の方にむいて並んで座っている。
その地帯の夜明けは信じがたいほど劇的った。
朝日の光が、渓谷の深い闇の底から一切の物の形を浮かび上がらせる。
ヒヒたちはその朝日の最初の瞬間を、身じろぎもせず待っているのだ。
そしてその光のドラマを見終ると、ぞろぞろと台地の向こうに去ってゆく。
「光への憧憬、意識に対する憧憬」
「原初の暗闇から脱出しようという抑え難い衝動」・・・・。
  〜〜
この地方の日の出は、日々新たに私を圧倒する出来事であった。 
劇的だったのは、地平線上に太陽が急に昇ってきたときの光輝よりも、
それに続いてひき起こることの方にあった。私は夜明け直前に、キャンプ用の椅子を持ち出して、
アカシアの木の下に座る習慣をつけた。私の前には小峡谷の底に、黒い、ほとんど暗緑色のジャングルが
細長く横たわり、谷の反対側にはジャングルの上に聳える台地の外輪があった。 
まず、光と闇との対照がくっきりと鋭くなった。
それから緒事物がはっきりとした形をとって光のなかに現れ、光は緊密な輝きとなって峡谷を満たした。
谷の上方に見える地平線はまばゆいばかりに白んだ。
次第に輝きをましてくる光は諸物の構造にまで透過するようにみえ、諸々の事物は、
まるで色ガラスの破片のように、ついには透明に輝きだすほどにまで、内側から輝いてくるようになった。
すべてのものは閃耀する水晶に変容してしまう。 ベル・バードの鳴き声が地平線のあたりに響き渡った。
このような瞬間には、私はまるで寺院の内部にいるような気がした。
それは一日のうちの、もっとも聖なる時間であった。
私は歓喜して飽くことなくこの光輝を眺めており、むしろ時を超越した恍惚にひたっていた。
 (中略) そのとき私は、人間の魂には始源のときから光への憧憬があり、
原初の暗闇から脱出しようという抑え難い衝動があったのだということを、理解した。
(中略) 光の来る瞬間(瞬間に傍点あり)が神である。その瞬間が救いを、解放をもたらす。
それは瞬間の原体験であって、太陽は神だといってしまうと、その原体験は忘れられてしまう。
「今や、悪霊の徘徊する夜が終わったと、われわれは喜ぶのだ」と土人たちが言うとき、これはすでに
合理化を意味している。 実際には、大地を覆う自然の夜とは、全く異質の暗黒が圧倒している。
それは心的な根源的夜であって、数え切れないほどの幾百万年もの昔から、今日と変わることはない。
光への憧憬、意識に対する憧憬なのである。」   (『ユング自伝2−思い出・夢・思想−』
    解)これに劣らない?場面を アフリカで何度も見てきた、次回、それを書いてみる。
      ユングとはいえ、よくぞ言葉にして描きだしてくれた。

〜〜〜〜〜〜〜
2007年04月11日(水)
2199, 歌舞伎町シノギの人々
              オッ(*^○^*) ハ〜ヨウ
                            ー読書日記ー
    新幹線車内・読書用として図書館から借りてきて読み始めたが、これが面白い!
    新潟駅前で宿泊業の仕事をしているから、尚のこと興味を引かれるのだろう。
    遊びの達人?から「歌舞伎町は悦楽桃源郷の魔界」と聞いたことがある。
    なるほど、この本に出てくる人たちは異様な住人である。
    彼らの正体を知ってか知らないのか、普通の人と同じ目線で扱っている。
    そこは刑務所と娑婆の塀の上の世界であり、舟板一枚下は地獄の人たちである。

ー背表紙の紹介文からー
ここでは日本一夜の魔界・歌舞伎町でシノいでいる人々の生き様が、
面白おかしく、悲しいが、どういう訳か暗さは感じない。
月収500万円のトップキャバクラ嬢、歌舞伎町バラバラ殺人犯のヤクザの妻、
巨大マーケットを押さえる麻薬の総元締め、などなど歌舞伎町でシノいでいる人々の
生きざまがすざましい。そこに住みついているというより歌舞伎町に寄生して生きてる、
といった方が似つかわしい一人ひとりにスポットを当てて、
なぜ彼等が歌舞伎町にこだわるのか?を浮かび上がらせている。

 ーこの著の中の最近の歌舞伎町のデーターが、この魔界をそのまま言い表しているー
   ・東京・新宿・歌舞伎町。3656軒の飲食店と3950店の風俗店があり、
    100組以上の暴力団が200以上の事務所を構えている。
   ・一晩に職務質問されるのは200〜300人、新宿署に留置される人が80〜100人。
    歌舞伎町関係で逮捕された暴力団員は1年に400人。
    1年間に新宿で検挙した家出人は270人。一晩に歌舞伎町関係で受ける110番は20件以上。
   ・暴力団に支払われるみかじめ料(ケツ持ち料)は、
    カジノ50〜200万円、ゲーム屋20〜30万円、
    ぼったくりバー10〜20万円、ヘルス10万円、
    キャバクラ10〜20万円、エステ5〜10万円、
    クラブ1〜3万円、路上の店は3〜5万円。
    歌舞伎町には「会員制のヤクザ専門喫茶店」まであるという。
    想定だがヤクザが上げるシノギは月に一億円以上という。
                          (▼皿▼y
 登録されてないものを含めると、360平方メートルに8000軒以上の店があり、
 5年前に50台の監視カメラがセットされた。
 このカメラは100胆茲了っているタバコの箱の文字までわかるもの。
 これで2003年だけで34件の犯人が検挙されたという。
                  連行ヽ(゜▽゜ )−C<(/;◇;)/
          (* ^)(*^-^*)  110 番  ξ\(・_・) (―□―メ)凸
   ーーー
  「歌舞伎町シノギの人々」 
 著者:家田荘子、出版社:主婦と生活社
                 ー つづくー ☆~~ヾ・ェ・)o尸~ マタネ~♪
・・・・・・・・
2006年04月11日(火)
1834, 壁際の名言−2   才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*)
              −読書日記ー
   唐沢俊一著の「壁際の名言」が面白い!
   この本は、「まえがき」と「あとがき」を読むだけでも充分に価値がある。
   老詐欺師の「内面なんで 見かけだけだもの」の一言が目に付いて
   図書館から借りてきた。内容は馬鹿馬鹿しい?が、シビアで現実感がある。
   少し(15分)時間がかかったが「あとがき」を書き写してみた。
   自分の経験と照らして、この文章を味わうとよい。

ーあとがきーの文章がよい!

老詐欺師は私のおだてに乗って、自分の若いときの女性遍歴を話し始めた。
今は詐欺師に身をおとしているが、京都のしかるべき家の出であることを本当らしく、
大正時代の上流家庭の子女を篭絡させていった手管や失敗談は、一冊の本にしたいほど、
スリリングで抱腹絶倒させた。そして彼は私の周りをウロチョロして、
一円の金もとれずに消えてしまった。・・・

    それらの話も終盤にかかった時、私は彼に、
   「・・・結局女性の、どんなところがいいと思っているのですか?」
   と聞いてみた。すると、彼はうつむいて考えていたが、やがて
   「・・・やっぱし、美しさだね」と言った。
   「それは・・・顔の?それとも、内面の?」と私。
   「顔だよ。顔。それしかないよ」

「内面とかはどうでもいいと?」
「・・君はね、まだ若いね。いいかい、内面の美しさなんて、見せかけにすぎないんだよ」
逆説なのか、それとも単なる言葉の言い違いかもしれないが、
「内面なんてみせかけだもの」という言葉のインパクトは、ずっと私の心に残った。

    それから十数年の間に、私もかなり、様ざまな女性と付き合った。(もちろん、仕事上である)
    そして、最も仕事上で酷い目にあったのが、心が純粋で、内面が美しく、
    それのみを自分の価値観として生きていて、ビジネス的な話が理解できないところか、
    私に内面の美しさを要求し、つまり金などという汚らしいことを云々するな、
    と強要し、こちらはホトホト困窮した。

一方、外面〜顔〜の美しい女性は、世間に対する見栄を大事にして、
此方がわ(芸能プロダクション)が要求しているのは顔の綺麗さだけだということを理解して、
プロの論理できちんと応えてくれた。その度に、あの老詐欺師の言葉が、フラッシュバックしたものである。
    ー
    以上であるが、これは美人論でもある。女の職場を渡り歩いてきて色いろな経験をしてきて、
    著者の言いたい一部分は理解できる。美人は部下として使いやすい?という現実がある。
    子供の時から、それを意識をしているから、その辺を認めてやればよい。(もちろん例外はあるが。)
美人の泣き所があるし、寂しさである。 逆に、その他(8割)の女性の泣きどころもある。
そんなことは、どうでもよいこと。 顔も心も、それにこだわることに問題がある!ということ。

  ーーー
 ーこの本は古今東西の有無名人の言葉から‘キワドイ’56名言を集めたものだが、
  その中から幾つかの言葉を選んでみた。 
  
「おまえらせいぜいまずいものでも食って長生きしろ」(尾崎紅葉)              
「バレなきゃイカサマじゃないんだぜ」       (ジョジョの奇妙な冒険)
「貧乏人は安いものが好きだ。そして金持ちは貧乏人よりさらに安いものが好きだ。
  だから金持ちになったんだ」           (マツモトキヨシ)            
「立派な芸人になりたかったら、まず人にたかれ。 それから女に貢がせろ。
  それも出来なかったら・・・・泥棒しろ」     (立川談志)
「談志師匠は、人格最低、芸最高」         ( 弟子たちによる談志の評価)
「生まれることは不幸であり、 生きることは苦痛である。
  死ぬことは厄介である」             ( 聖バーナード)           
『楽観論者は失望しか味わえないが、
 悲観論者は「意外な幸運」を味わうことが出来る』  (唐沢俊一)
「よいお世辞があれば、2ヶ月はそれで生きられる」  (マーク・トウェイン)
「新聞に載るオレのコメントな、一人称がオレって言うてんのに、
 なんでワシになってんねん」            ( 清原和博)
『人に限らない。 国も企業も、世間は実体よりイメージを先行させる』(唐沢俊一)
「純粋なバカ番組はふつうのバカ番組を駆逐する」 (キットマン)
「詩。1人の心に灯をともす 別の一人に欠伸をさせる」  (堀口大學)                                 
『人間の最も恥ずかしい瞬間は、若い頃書いた詩を、後年読み返すときである』 (唐沢俊一)
 
ー唐沢俊一 
「壁際の名言」 海拓舎 長岡中央図書館     
                  
・・・・・・・
2005年04月11日(月)
1469, 負い方ひとつで、重荷も軽い

徳川家康の言葉で「人生は重荷を背負いて坂道を往くがごとし」という言葉がある。
人生には確かにそういえる部分がある。特に年齢を重ねるほど、その意味がよく解るようになる。

「負い方ひとつで、重荷も軽い」という言葉が人生の妙を言いあらわしている。
人生の荷物も、「人生のコツー技術」と、「心の持ち方」という面で何分の1にすることができる。

常に荷物を点検して減らすことを務めれば、重荷は軽くなる。
過去を如何に忘れるか、そして未来の不安を軽減するかは、努力と技術で可能になる。
いつも書いていることだが、「早く好きなことを見つけ、ライフワークにすること」がポイントになる。
荷物は決して減りはしないが、一時でも荷物の重さを忘れることが出来る。
荷物の背負い方を知っていると知らないとでは、重圧が全く違ってくる。
そういう私も大きな荷物の重圧があるが、しかし無いよりはズット良いと思っている。

海外旅行先で、2日に一度は旅行カバンの中身を全て外に出して整理をする。
翌日必要なものを直ぐ取り出せるようにしておく。慣れれば15分で可能だ。
気持ちが、落ち着くのだ。 これは人生の荷物にもいえることである。
常に中身を整理しているだけで、荷物が軽く感じるものだ。
その繰り返しの中で何が重要で、何が必要ないかが見えてくる。そしてシンプルになっていく。

金沢にいた時、先が見えず状況も最悪であった。 その時、悩みぬいた時にフッと
「今は修行の時、学ぶ時である。こういうマイナス状況こそプラスになる」と思った瞬間、
肩の荷の重みが半分以下になったのを覚えている。
考え方一つで、荷物は軽くなるのだ。状況そのものより、それに対する考え方がより重要である。

本当に、軽い荷物を重そうに背負っている人が多い。
整理がついてないからだ。そして、ストレスの塊になっている。
無知と言おうか、誰でも思い浮かぶ人が何人かいるだろう。居酒屋や、スナックのママさんあたりの。
「負い方ひとつで、軽荷も重い」を、実践しているのだ。 他人事ではないが。

いらない荷物を幾つも持って喘いでいるのに、 さらにドンドン背負いこもうとする。それも人生か!

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2004年04月11日(日)
1104、「ありがとう」戦略ー読書日記−1

以前「幸せの宇宙構造」という本を読んで、人生観が一変してしまった。
心の底の一番大事な芯として、「ありがとう」の言葉が根付いてしまった。
単純といえば単純だが。朝方、色いろ考えた後、後は自然の流れに従うしかないと思うと同時に、
「ありがとう」の言葉の繰り返しが、心を明るくしてくれる。

この本もジックリと読むと深い暗示を多く含んでいる。
「ありがとう」という言葉には、考えれば考えるほど深い意味が含まれている。
過去に出会った周辺の「人生や仕事の上手くいっていない人」は、
100佑「感謝の念の少ない人」である。
私自身も上手くいってない時期の原因を考えると「感謝が足りない」ことによる。
 (字数の関係でカット2008年04・11日)

・・・・・・・
2003年04月11日(金)
737, 若い人の価値が下がってしまった

 現在の新卒の就職が問題になってきている。大学を出ても、まともな就職先がないのだ。
周辺の知人の子供が丁度その時期に来ているが、まともに就職している人が殆どいない。
フリーターか、準社員の勤めとのこと。

 何かの雑誌に、若い人の価値そのものが下がってしまったとあった。
会社が若い人を育て上げるだけの余裕がなくなってきた為だ。
ある程度育て上げると、訳のわからないことをいって辞めてしまう。
余裕のあるうちはよいが、会社も人件費を考えると正社員の比率を
下げざるを得なくなってきた。いくらでも良質な準社員やパートを
採用できるなら、敢えて正社員を入れる必要がなくなったのだ。
会社の寿命のサイクルもここにきて、極端に短くなっていることもその原因にある。

 それと若い人の間でも、勝ち組と負け組みの質の差がはっきりしてきた。
あえて負け組みの劣化した人は準社員として割り切ってしまった方が得策になる。
「素養のない人にどんなに教育しても金をドブに捨てるようなものだ」
ということが、過去会社経営してきて身に沁みて解った。
十数年前になるが、男子社員が「教育するなら金をくれ!」と嘯いていると聞いた。
ただ呆然として聞いたが、こうなると血筋のレベルの問題だ。 他人事でないか?

 今ではアルバイトでさえも、就職が困難といわれる時代になった。
  時代は変わった!

・・・・・・・
2002年04月11日(木)
373, 何故マイナス思考になるのか

ーこれは面白い問いかけだ。
経験を積むにしたがい、必ず失敗の経験を重ねていく。
そしてその失敗の経験が、マイナス思考を生み出す。
あれも駄目、これも駄目、全て駄目、一番悪いのはそういっている俺!
ある???会に行くと、マイナス思考の愛好会そのもの!
どうしたらあのような考え方が出来るかと不思議なくらいだ。
現実に溺れて(下と横だけを見て)???

子狐がいるせいもあるが。この子狐不景気になってきたら急に元気になった。
周りが自分並に見えてきたためか。 ーマイナスに対するマイナスは拙いか?

いま一つがマスコミの毎日流される、事件の報道である。事件はほとんどがマイナスの出来事である。
犬が人を噛んでも事件にならないが、人が犬を噛むと事件になる。
それは別にマイナスの事でないが、幸福な家庭からは事件は起きない。それはニュースにならない。

めったに起きないマイナスを報道するのがニュースである。
それをまともに脳に流し込んでいるから、いつの間に頭はマイナスに侵されてしまう。
それに気づかないから、どんどんマイナス思考に落ちてしまう。
「あまり人を恨むな、恨んでいると知らないうちに主語が消えてしまう。
主語が消えた後、他の人達に主語が転化してしまう。」という話を聞いた事がある。
「あまり恵まれてない状態の人や人生の人に近づくな!」というが、この年になると実感する。

といってマイナス思考も必要である。ただ冷静に見据えておかなくてはならない。
人は他人の不幸をどういうわけか好むという。江戸時代の盲人が、それを看破していた。
目が見えない分だけ、人の気持ちが良くわかるという。
不幸の話をしている人の声が弾んであるという。幸福の人の話をしている時は沈んでいるという。
他人の不幸を悲しみ、幸福を喜ぶことは意識して訓練しなくては出来ない。

いやその前に自分が幸せと芯から思えなくてはならない。
まずは考え考え考え抜いて、自分が幸せと気づかなくては。それがプラス思考の第一歩。

以前にも書いたが、家内が「自分の友達の大部分が自分不幸と思っている。」と驚いていた。
「どうみても幸せの筈なのに、どうして?」これなど、典型的なマスコミとか、
周囲のマイナス思考に対する浄化装置を身に付けてない典型の例だ。

・・・・・・・・
<おわらい>
 理屈っぽい彼女へ!
「論よりシヨウ(コ)ヨ!」


2563, ディープ・スロート

2008年04月10日(木)



『ディープ・スロート 』ー大統領を葬った男
        ボブ・ウッドワード著
                      ゚+.(ノ*・ω・)ノ*.オハヨオォォ☆゚
 これも図書館で見つけた本である。これが出版されていたことは知っていたが、
 買うほどではないと、判断していた。あまりに奇抜で、生々しいから目をそむけたのだろう。
  まずは、アマゾンの紹介文からして、面白い。
 ー内容
ニクソン大統領を辞任に追い込んだ「ウォーターゲート事件」から33年。
新米記者ボブ・ウッドワードに地下駐車場で極秘情報をリークしていた人物が名乗りを上げた。
当時のFBI副長官マーク・フェルトだった。
フェルトが死ぬまで秘密を守り抜く覚悟でいたウッドワードが、その告白を受けて初めて明かす、
フェルトとの出会い、情報源秘匿のエピソード、その後の二人の関係…。
 ー
著者のボブは、大統領ニクソンを辞任に追い込んだいきさつを書いた『大統領の陰謀』の著者。
ワシントン・ポスト紙の新米記者だった彼は、同僚のカール・バーンスタインと共にスクープを連発した。
ボブに情報をもたらした匿名の政府高官は「ディープ・スロート」と呼ばれ正体が明かされなかった。
 〜〜
 
 はてな検索によると、
《いわゆる「内通者」の意。ウォーターゲート事件で一躍有名になった言葉だが、
実は同時期に上映されたポルノ映画の題名より取られていることは意外と知られていない。
二重スパイ(ダブルエージェント)と似ているが、ディープスロートは基本的に高官であり、
二重スパイよりも高い位置からの工作を行うらしい。
それが事件から20年以上の時を経て、誰であったか判明したということ。》
 〜〜

  三年前に世界中が、ディープ・スロートがFBIの副長官で、その捜査のトップも勤めた男に驚愕した。
  私も「まさか!」と耳を疑ったが、アメリカ国民ならもっと驚いただろう。
  動機は「FBIの生え抜きだったがトップに上り詰められないナンバー2(マーク・フェルト)が、
  ニクソンへの復讐のためにスクープを出し続けた」というものだった。
  それにしても、世界中の権力者は驚いただろう。 最近は情報化社会である。
  デジカメ、携帯電話などの情報機器で内部情報が簡単に通報されてしまう。
  ニクソンが、フェルトではないかと疑っていたようだが、確信は持てなかったようだ。
  それを知らないで亡くなったのが、幸せだったのか? 事実は小説より奇なり、の一事例といえる。
                             (* ̄0 ̄)ノバイ〜 
・・・・・・・・
2007年04月10日(火)
2198, リーダーシップの旅
                才八∋ウ_〆(∀`●) 
     ー読書日記ー
   「リーダーシップの旅」 ー 見えないものを見る (新書)
      野田 智義 (著),
     
    野田氏の考えを主として金井氏が聞き手として対談し、
    まとめたもので、サブタイトルは「見えないものを見る」である。
    二人の気持ちが、そのまま現れて解りやすい内容になっている。

    ー要点を先に言ってしまえばー
    *リーダーは、それに相応しい人がリーダーの仕事をするのではなくて、
    初めは、あることをやろうと思い立ち、自ら一歩踏み出すことがはじまりで、
    最初からリーダーだったわけではない。あることやり遂げることで初めてリーダーになる。
    それは私たち一人一人が、自分の生き方の中に発見するもの、生き様を問うことだ。
 
   創業を何度か経験をしてきたので、野田氏の言わんとするところが、いやというほど解る気がする。
   ツアーを使った秘境旅行でも、そのつど何処に行くかの選定の筋書きが始まる。
   だいたい家内の大反対から始まり、それでは私一人で行くとなり・・その後、家内が従う物語になる。
   この難関が一番大変である。 周囲の反対で中止というのは、それだけのことでしかない。

:面白そうな部分を抜粋してみると・・:
 ーー
リーダーシップは「見えないもの」を見る旅だ。
ある人が、「見えないもの」、つまり現在、現実には存在せず、
多くの人がビジョンや理想と呼ぶようなものを見る、もしくは見ようとする。
そして、その人は行動を起こす。
世の中ではよく、リーダーはついてくる人(フォロワー)を率いる、
リーダーシップはフォロワーを前提とするなどと言われるが、私はそうは思わない。
旅はたった一人で始まる。 フォロワーは旅の途中で現れる。
リーダーと出会い、一緒に旅をする。
しかも、この時点で、しばしばリーダーは自分のリーダーシップには気づかない。

見たいものを見、やりたいことをやり、自身が描く目標に向かって歩いているだけで、
自分がリーダーシップを発揮しているとは意識しない。
リーダーとフォロワーが、実現したい何かに向かって、
ともに旅という時間と空間を過ごすプロセスで、お互いの共振関係が生じる。
決して、一方的な関係ではなく、相互の影響がそこにはある。
その中で、リーダーが見る「見えないもの」がフォロワーにも共感され、
いつしかフォロワーの目にも「見えないもの」が見え始める。
そんなリーダーの行動がフォロワーに向けて醸し出す「フェロモン」と、
フォロワーがリーダーに感じる賞賛によって、リーダーシップは結果として成立する。
リーダーは、リーダーになろうと思ってなったわけではなく、
「結果として」リーダーに「なる」のだ。  (21〜22ページ)
 
    ーー
    社長になろうと思って社長になった人はいても、
    リーダーになろうと思ってリーダーになった人はいない。
    リーダーは自らの行動の中で、結果としてリーダーになる。
    はじめからフォロワーがいるわけではなく、
   「結果としてリーダーになる」プロセスにおいて、フォロワーが現れる。
    
    リーダーシップは、本を読んで修得するものでも、だれかから教わるものでもない。
    それは私たち一人一人が、自分の生き方の中に発見するものだ。
    リーダーシップはだれの前にも広がっている。
   「すごいリーダー幻想」から脱却し、こぼれ落ちそうだったリーダーシップを
    再び手の中に、自らを生きる選択肢として捉えること。すべてはそこから始まる。
    何かを見たいという気持ちがあれば、可能性は無限に膨らむ。
    自らが選択し行動することで、人は結果としてリーダーと呼ばれるのだ。(P39ぺージ)
ーー
中年がある時期、立ち止まり、自らの来し方を振り返ることには意味がある。
三十代半ばから四十代は、「人生の正午」に当たる。
学校を出て働き始めて二十年近くが過ぎ、定年を迎えるまで二十年少しを残している。
十分に経験を積み、現実もそんなに甘くないことは分かっている。
そのぐらいの年齢で、自分は本当に何を実現したかったのかを考え直す意味は
非常に大きいのではないだろうか。(中略)

今なぜ仕事をしているのか、その会社や組織で働くことにどういう意味があるのか、
自分のいる場所にとどまり、会社や組織、社会に対しても貢献できて、そして何より
自分が生きいきできる夢とは何なのかを、考えることもできるのではないか。
とどまって挑戦する。精一杯やって、どうしても駄目だったら、
別の場所を考え始めればいいのではないだろうか。そう私は、強く、とても強く信じている。

中年の夢は、自分と真剣に向かい合い、よりよく生きるためのガイド役になりうる。
だだ、そうかといって、中年の夢が、神の啓示の如く、非連続に突如降りてくる
というわけでもないだろう。
むしろ今まで生きてきた自分、自分が無意識にしても大切にしてきた
自分との連続線上に、夢が浮かび上がってくるものだと考えられる。
                       (161〜162ページ) 
(2008/04/09字数の関係でカット)
                 ホンジャ~~ヾ(´ω`)バイバイ
・・・・・・・
2006年04月10日(月)
1833, ずっとやりたかったことを、やりなさい−6
   才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*)          ー読書日記ー

   この本の最後のページに書いてあった言葉である。
   言葉の効用を最も深くあらわしている。言葉は人を生かしもすれば、殺しもする!
   じっくり考えると、般若心経が一番効用がある! 生まれる前も、死んだ後も、
   そこにあるのは「無」である。いや「空」である。 全てが、そこに帰結するだけである。

   最後は一人である、人間は身近な人の慰めをもとめても、深いところの慰めは得られることは少ない。
   先人の深い言葉は、数百年数千年の時空を超えて我われを元気付けてくれる。
   先人の言葉を探し求めれば、必ず我われを勇気づける言葉はある。

ー癒しの言葉ー

言葉を濡れた冷たい布切れのように折り畳み
あなたの額に置いてあげたい。
あなたの手首を包んであげたい。
ほら、ほらとその言葉は語りかけるだろう。
あるいは、もっとましな言葉を語りかけてくるかも知れない。
私は言葉に、何もかも大丈夫よと囁いてくれるに頼むだろう。
私は言葉に、あなたを一晩中抱いてくれるように頼むだろう。
熱で火ぶくれになり、やけどを負った箇所に
熱があなたを傷つけた箇所に
言葉を塗り込め、冷やし、なだめてあげたい。
言葉でもって癒してあげたい。
   ー
   丁寧にキヅ口に当てればタチマチ、傷口から優しさが沁みこみ、そして深い経験に昇華する。

             ε(´',_c')зβyё
・・・・・・・・
2005年04月10日(日)
1468, 通販の時代の到来

先日、NHKのニュースで
「韓国のホームショッピングが、デパートの売り上げと同額になった」と報じていた。
・韓国では既にインターネットの普及率が70佑鯆兇┐燭海
・光ファイバーが隅々まで配置されている などが理由にあげられるという。、
結婚式などの無形商品もTVでそのサービスを見て選定をしてから、
2〜3の会場に行って決定するという。

日本もここにきて、本格的に光ファイバーが家庭に普及しだしてきた。
数年もしないうちに韓国と同じような状態になるだろう。
このことは情報化の象徴的な現象とみることができる。
それにしても、TVショッピングがデパートの売り上げを超えようとは感慨深い。

私の場合は、電気製品を買う時は必ず価格ドットコムを見てから、
量販店に、その事実と価格を告げて数佑鮠緇茲擦鬚靴毒磴Α
万一故障の時、直接メーカーと交渉するのが面倒だからである。
健康食品と書籍も、半分は直接ネット上で買っている。

生物は経験の重なりが知識・情報になり、その結果として進化してきた。
ところが、その情報がインターネットで瞬時で世界中に飛び交う時代になったのだ。
これは人類にとって大革命である。 そして、このことが社会を根底から変えている。
新潟の駅周辺にも、隠れ居酒屋が彼方此方に出来始めて何処も結構繁盛している。
リクルートなどが出している情報誌を見て、予約をしてくるという。

新幹線の中で、最近パソコンを使っている人が目立ち始めてきている。
また、事務所も自分のセクションのないフリーのものが増えてきたという。
パソコンに事務所機能が入っているのでセクションがないほうが合理的になる。
日本も光ファイバーが、会社と事務所に本格的に入ってきた。
さらにTV機能の付いたパソコンと携帯電話が一般的になってきた。
これらが社会にもたらす影響はこれから色いろなカタチで出てくるだろう。

一昔(5~6年前)では考えられない面白い時代になった。
経営する立場は大変である、一強多弱しかないのだから。

ーーーーー
2004年04月10日(土)
1103, マスコミは戦争地域には・・

今回イラクでこうそくされた邦人は何なんだろうという疑問がわく。
NPOに名を借りた1発屋のフリージャーナリストである。
現地に行って、その体験記や写真を新聞社に提供するのである。
リスクを売りにするのだから、殺されてもいたし方が無いともいえるのだ。
当然殺されるのも覚悟の上のイラク行きであったはずである。

以前「ヌーの河渡り」に行った時の添乗員兼インストラクターが「アフリカ専門何でも屋」であった。
TVでアフリカの事件が起きると何回かTVに出たことがあるが、殆どの人は名前も顔も知らない。
アフリカの紛争地に日本のマスコミと契約をして、
記者が行くに危険すぎるところに乗り込んで行くのが仕事。

新聞社などの記者では、現地で死んだり、怪我をした時に、自社の社員には余りにも
リスクと金がかかりすぎる。フリージャーナリストの存在は互いに都合がよいという。
生命の危機や虐殺の現場に何回も出くわしたが、慣れてくると、その危険が
たまらないという。日本に帰ると病院の精神科に通院しているとか。

マスコミは奇麗事をいっているが、実際に身体を張っているのは、そういう人なのだ。
アフガンの戦争時も、そういう日本人ジャーナリストが一時現地で行方不明になったことがあった。
今井さんという18歳の青年は、両親や兄に必死に止められたようだ。
しかし退避勧告の中に行ったことは、まぎれもない事実である。

・・・・・・・・・
2003年04月10日(木)
736, まずは「一日一図」から

 このホームページを開くきっかけをつくったのは久恒啓一著の「インターネット勉強法」である。 
先日、彼の本を買った、三冊目である。『人生がうまくいく人は図で考える』である。
なるほど買って読んだら単純にみえたが、なかなかよい本である。
・なかでも「一日一図」がよい。
・それと「借図から創図へ」。
・「文図両道」
・また「図解は一日にしてならず」もよい。

 サッソクこの本の勧めるとおり、3日前から大学ノートに「一日一図」
専用ノートをつくった。 そこでまずは「借図」がポイントと気づいた。
気に入った図を、そのまま真似るのだ。次に「図解は一日にしてならず」もなるほどと思った。
「借図」を続けることで、自分の「創図」をつくっていくのもうなずけた。

レオナルド・ダビンチなどの天才のノートは、空間を
タップリとって文と図を解りやすく書いてある。まさに「文図両道」である。
レオナルド・ダビンチのノートなどを借図にして、身につくまで真似ればよい。
しかし、なかなか図解するのは身に付かないものである。そこで「1日一図」を実行するのが第一歩だ。
どこまで続くかだが、四行日記あたりをこれにしてもよいだろう。

まずは「随想日記の下書き」や「読書日記やその目次写し」から始めてみよう。
以下はインターネットのホームページからのコピーである。
   ・・・・・・・・
「図解 人生がうまくいく人は図で考える 」
久恒啓一
販売元: 三笠書房
■ 書評 ■

自分の人生を図で描いてみると、こらが意外と楽しい。「ここにこれを置いて、
こっちにこのことをっなげて、次には、最初は不足していた条件をくっっけて……」。
こんな調子で自分の人生図をっくっていくと、結構のめり込んでいく。楽しい上に、
バラバラだっ事柄同士のつながりが見え、今後の進むべき方向まですっきりしてくる。
たとえば、「人間関係」という項目では・三人の人間に図解してもらったが、三人が
三人ともまったく違う図を描いている。つまり、会社人間なのか、自分中心なのか、
友人関係だけで成り立っているのか、さらには、その人が今何を一番大切に考えて
いるのか、どういう人間なのか、生活のパターンといったことまでが、たった一枚の
図の中ですべて明らかになってしまうのだ。

・・・・・・・・
2002/04/10  不安解消法

学生時代読んだ本だが、カーネギーの「道は開ける」に書いてあった方法である。
記憶なので何処まで内容が正確か定かでないが書いてみる。
 ある不安があったとすると、
1、まずその不安な気持ちの対象を書き出す。
2、その不安のさらなる最悪の出来事を想定して書いてみる。
3、その解決方法を幾つか書き出してみる。
4、それが本当に起きるだろうかと、今一度自問してみる。
5、そのプロセスで不安感は消滅してしまう。

という内容だったように記憶している。これを実行していく中で、不安症の性格がかなり修正された。
「まあその時はその時さ!」「何とかなるさ」「考えても仕方ない事は、考えても仕方ないさ」
が口癖になった。不安を感じた時、それを直視すればそれは不安でなくなる。
それに対する方策を考えれば、それが不安そのものを解消する。
不安そのものが、手順を考えるプラス要素に逆転する。

実際にケニヤにはじめて行った時の不安は、想像以上であった。
添乗経験10年の女添乗員と家内がヒソヒソと不安そうに
ロンドンへの機内で話していた。 「ロンドンで降りようか」と。
実際タンザ二アやインドに行った時も「不安というプレッシャー」
が襲ってきたが、実際はその数百分の一でしかなかった。

その時時に、その不安を具体的に考え、その対処を具体的に考えていくしかない。
事業も然りであった。具体的に具体的に考えるしかない。
そして具体的に一つずつ解決していくしかない。
「それで済むな生易しい問題は、本当の不安でない」という言葉が聞こえそうだが。
「直視できない問題だから大変なんだ、不安なんだ」 それももっともだが。


2562, ドル覇権の崩壊 −1

2008年04月09日(水)

    図書館で借りてきた本だが、この本が出版されたのが、去年の7月の末である。
    それから半年もしないうちにアメリカのサブプライムの問題が表面化をして、
    この本の大筋のとおりになってしまった。
    かなり刺激的な言葉に満ちているが、サブプライム問題で
    株とドルの暴落を目の当たりにすると、納得するしかない。
    この著者の本は何度か買って読んだが、何時も刺激的・悲観的な内容で一貫している。
    そして、指摘しているほどの事態に世界はならなかった。しかし、この本に関する限り
    アメリカのサブプライムが表面化したために、決して悲観過ぎではなかった。
    この一連の金融危機、考えれば考えるほど、恐ろしい近未来が待ち受けているようだ。
    年々ジワジワと悪くなっているのが身に沁みる。  どうなるのだろうか?
 
    まずは、この本の表紙裏の 「説明文」と 目次を コピーしてみる。
    これだけで、この本の半分以上の要旨が書いてあると言って過言ではない。
  ーー
「ドル覇権の崩壊」―静かに恐慌化する世界 
                       副島隆彦著
 ー背表紙裏の説明文
ドル暴落を見越した資産逃避(キャピタル・フライト)が始まった
2007年5月からの「三角合併方式」での日本企業への買収の真実は"ドルの逃避"である。 
日本企業をただ単に乗っ取ることよりも、真の動機は、ドル資産の保全、
ドル暴落からの避難、外貨建て資産でのリスクヘッジという考えに変わりつつある。
日本の大企業を買収する利益は、チョップ・ショップ方式による、
荒っぽい自動車泥棒・解体屋の手法ではなくて、これからは、アメリカ本国からの
資産逃避(キャピタルフライトである。

  ー 目次 −
第一章 2008年末からドルが大暴落しアメリカ帝国は衰退する
  2008年末にかけての為替と株の動向を予言する
  円キヤリートレードは金融博打である
  いまのうちに黙って人民元を買え!
  ジェイ.ロックフェラーはアメリカのバブルを延命させて最後には奈落に突き落とす
  財政と金融の政策をごっちゃにしてきた日本
 すでに金融統制経済は始まっている
  ドルは2008年末ごろ暴落を始め やがて一ドル80円台の超円高が出現する
  ユーロの台頭でドル離れがますます進む
  アメリカの国力衰退によって円安の日米秘密合意も壊れていく
 アメリカ住宅バブル崩壊が世界恐慌の引き金を引く
 バーナンキは米ドル紙幣を刷り散らして大不況突入を阻止する
  原油価格がさらに高騰すると米国内では非常に危険な状況に
  原油高騰は日本にとってはチャンスの到来
  これからのエネルギーの鍵を握るのは何と原子刀発電
 〜〜
第二章 世界はこうしてドルに騙された
  ロン・ポール下院議員が予言する「ドル覇権の終焉」
  「ドルによる世界支配」はやがて終焉する
  非交換紙幣であるドルの刷り散らかしはアメリカによるマネーの偽造
  "ドル外交"を"ドル覇権"へと変質させたアメリカ
  iMF体制は秘かにロックフェラー石油通貨体制にすりかえられた
   金キャリー・トレードで痛めつけられたゴールド
   金取引に関するワシントン協定がゴールドにとどめを刺した
   あらゆる帝国は 4代 120年で衰退に向かう
 〜〜
第三章 かくてドル覇権は崩壊していく
  36年続いた「修正IMF体制」はもうもたない
  ドルの没落を阻止するためならアメリカは何でもやる
  世界各地から湧き起こるドル信任を掘り崩す動き
  ネオコンによる「世界革命」は完全に失敗した
  国際通貨体制のいかさまをもう世界は我慢しない
  アメリカは強大な軍事力で脅してドルの価値を維持してきた
  アメリカはもうイスラエルを見放すつもり
  日本がアメリカに貢いだお金の半分はもう戻らない
 〜〜
第四章 日本はどこまで日本はアメリカに毟られるのか
  アメリカの経済は日本から毎年30兆円を徴収して維持されてきた
  日米間に金利差をつけてアメリカに資金を環流させてきた
  日本の財政破綻で円安になるという大嘘
  ドルを支えてきたオイル・マネーとジャパン・マネー
  日本の外貨建て資産への投資が今のドル高を支えるという矛盾
  日本の国債相場が急落すれば米国債相場は必然的に暴落する
  ダウは3年後に1万ドルを割り、その後8000ドル台にまで下がっていく
  ドルを売り払いたい アメリカ財界人たちの本音
 〜〜
第五章 アメリカが衰退し、中国が次の超大国になる
  アメリカは中国に北朝鮮問題を丸投げして、アジアから逃げ出した
  アメリカは東アジアのヘジェモニーを中国に引き渡す
  アメリカは次世代の中国指導者まで決めている
  人民元に投資せよ
 ーーー
 
 以上だが、こういう悲観論者の話は、この時期には敏感になったほうが良い。

・・・・・・・・・
2007年04月09日(月)
2197, ファンタジー文学の世界へ −3
            ( ^3)〜♪ オハヨウゴザイマス!
 「ファンタジー文学の世界へ」  ー読書日記
 
     P-154 「さいはての島へ」(ゲド戦記掘
   ■目的と存在 −「ある人生とする人生」について

    第三巻は、壮年になったゲドが王子アレンとともに、世界の均衡を取り戻す旅に出る物語です。
    これから本格的に冒険が始まろうとする前夜、ゲドは、以下のようにアレンに語りかけます。

  「よくよく考えるんだぞ、アレン、大きな選択に迫られた時には。
   まだ若かった頃、わしは‘ある人生’と‘する人生’のどちらかを選ばなければ
   ならなくなった。わしはマスがハエに飛びつくように、ぱっと後者に飛びついた。
   だが、わしらは何をしても、その行為のいずれからも自由にはなりえないし、
   その行為の結果からも自由にはなりえないものだ。
   
   ひとつの行為が次の行為を生み、それが、またつぎを生む。
   そうなると、わしらは、ごくたまにしか今みたいな時間が持てなくなる。
   一つの行動と次の行動の間の隙間のような「する」ということをやめて、
   ただ、「ある」という、それだけでいられる時間、あるいは、
   自分とは結局のところ、何者なのだろうと考える時間をね。」

ここでの「ある人生」とは人間の存在を意味し、「する人生」とは
人生の目的を意味する。人間の全体性を哲学的に分析すれば、
この存在と目的という観点は重要な切り口である。
抜粋にあるとおり、若きゲドは「する人生」に飛びついたという。
目的は若者の特権としても、目的だけの人生には、常に、危ないものがつきまとう。

目的を持つことと、それを目指す行為とは一体のものだからである。
目的と行為の一体性には、何ら問題がないように無いように感じるかも知れない。
しかし、往々にして行為のみに追われだすと、行為という活動に実在感を得て、
何もしないことや、何もできないことが自分にとって否定的に感じてしまう。
とにかく「動く」ことのみ専心してしまいがちになる。
活動のみに追われて、その意味を考えることが鬱陶しくなってくる場合が多くなる。

   先の抜粋の中の『一つの行動と次の行動の間の隙間のような「する」
   ということをやめて、ただ、「ある」という、それだけでいられる時間、
   あるいは、自分とは結局のところ、何者なのだろうと考える時間』が
   大きな意味を持つ。この休止時間こそ最も大事な時間である。
   この時間の中で、一に戻って考えることこそ、個々人の心や魂と向き合うことになる。
   ・・・・・・・

 ゲドも、世界の危機を救うさまざまな冒険を成し遂げ、魔法学院の長である大賢人となるが、
本人はそれを喜ばない。 そして曰く
「わしのほうは、うむ、いろんなものになった。いちばん最後が、そして、
 おそらく、いちばんつまらないものが、この大賢人というやつだ」と。

河合隼雄が著書「生と死の接点」の冒頭「ライフサイクル」の中で、
 人生の「後半の問題」を解説する。ユングがフロイトへの批判をして、
「フロイトは人生の前半の問題(自我の確立といった言葉で表される)しか相手にしていない」としている。
「人生後半の問題とは、自分なりのコスモロジーを完成させることである。
 コスモロジーとは、この世に存在するすべてを、自分もそこに入れ込むことによって、
 ひとつの全体性へと作り上げることである。世界を対象化するのではなく、自分という存在との
 濃密な関係付けの中で、全体性を把握することである。本人のなんらかのパフォーマンスが要請される。」
 
 ・前半の問題とは、平たくいうと「生きるためにすること/壊すこと」、
 ・そして後半の問題とは「死ぬためにすること/創ること」である。
 若い時は攻撃的だったのが、人生の後半になると大人しくなる。
 前半は「する人生」、後半は「ある人生」に転換してしまう。
 
    ーーーー
   解)人生を振り返って一番重要と思えるのは、無駄と思えた『浪人』の時期である。
   一度、リセットをして一より考え、出直す時であった。
   その時は、無駄で意味がなく惨めで、辛く悲しいとしか思えない。
   しかし、その時ほど人生で一番大事なことをしていた時期であった。
   
   水平から、縦に立っているから、水平線の人からみたら無駄飯食にしか見えないし、
   当人も、仕方なく縦に立っているしかない。しかし、「する人生」を振り返り、
   「ある人生」の転換期でもある。水平の彼方の地平線が果たして幻覚かどうか、
   眼を据えて見るときである。
   
   「する」と「ある」という面では、ホテル業も似たところがある。
   立ち上げ(創業の時)という晴れの時と、日々の日銭で借金を返す倹約時(ケの時)と明確に分かれる。
   それをツマラナイとみるか、面白いとみるかは、性格によるだろう。

                 ホンジャ、バアアイ ♪♪((((*`・´))ノ ♪♪
・・・・・・・
2006年04月09日(日)
1832, グーグル完全活用本 −1
      ォ'`ョ━━(。・∀・)ノ゙━━ゥ★
               −読書日記

この本は「ウェブ進化論」と同じ位の、お勧め本だ。
(ちなみに「ウェブ進化論」はベストセラーになった)
この随想日記を読んでいる人なら、検索を多用していると思うが、
グーグルの「検索」を勧める。(ウェブ進化論の影響があるが)

    もしパソコンの検索機能や、Yahooの検索を使っているなら、
    直にでも切り替えたほうがよい。別に洗脳されたわけではないが「ウェブ進化論」と、
    この「グーグル完全活用本」を読めば分るはずである。
    30万台のパソコンが24時間、世界中のネット上にアップされた情報を収集しているという。

もう5年も、グーグルの検索を使ってきた。キーワード入れれば、アクセスの頻度の高い順に出してくれる。
これがキーポイントになる。          ~~旦_(^O^ )
この本を読んで殆どの検索の便利さを知らなかったことが解った。
   ・「120×180= 」と計算式を検索の窓に入れるだけで答えが、
   ・「新潟市 郵便番号」と入れれば、新潟市の郵便番号がすぐ調べられるHPが、
   ・「和英 何々」と入れれば、和英辞書の検索のように英語が、
   ・税金を調べたい時は「税金□(空間)源泉□控除」と入れれば、効率よく調べたい内容が、
   ・ある企業の株価を調べたい時は「企業名と株価」を、そのまま入れればよい。
    「ダイエー□株価」(□ー空間)と。 
   ・「イチロー」以外の「鈴木一郎」を検索する方法として、
    イチローの前にマイナス記号をつけて( 鈴木一郎 -イチロー)とすれば、
    イチロウ以外の鈴木一郎の情報が出てくる。
   ・キーワードを<" ">で囲むと、完全一致検索ができる 
    −その言葉の範囲内で検索する。
   ・意味を知りたいときは「〜とは?」といれればよい。
   ・多く使えるのが「ビジネス□ ”文例集”」である。
    ビジネスの部分に色いろのキーワードを入れればよい。
    「?? ”文例集”」 ー 手紙、スピーチ・・・
   
 知人が私の「随想日記」を読んで、どうしてそんな細かなことを知っているのか
 不思議そうな顔をしていた。  別に物知りなのではない。
 本の引用と、この検索から引き出しているだけである。
    グーグルのサイトは、普通の「検索サイト」と思っていたが、
   実は「人工知能」という方が正しい。擬人化をするか、電子図書館と思えばよい。
 −−
「グーグル完全活用本 」
 知的生きかた文庫 ー創藝舎 (著)
             ヾ(●・з)ノ" バイバイ!
・・・・・・・
2005年04月09日(土)
1467, おしっこ

雑誌に面白い歌が載っていた。なかなか面白いので、詩を書き写してみた。

おしっこをしている時の顔はみんな哲学的である。
「水を飲みながら、おしっこをすると妙な気持ちになる」
と何かに書いてあったので、試みたこととがある。
やはり妙な気分であった。馬鹿みたいだが面白い。

この詩の、おしっこの代わりにウンコを思い浮かぶと更に面白い。
何か臭いがしそうなので、やはりおしっこの方がよい。
でも、その方が人間の露な姿を表現できるだろう。
シンプルな詩であるが、中味は濃い。

曲・ 小室等、 作詩・谷川俊太郎
ーお し っ こー
    谷 川 俊 太 郎

大統領がおしっこしてる
おしっこしながら考えている
戦争なんかしたくないんだ
石油がたっぷりありさえすれば

テロリストもおしっこしてる
おしっこしながら考えている
自爆なんかしたくないんだ
恋人残して死にたくないもの

兵隊さんもおしっこしてる
おしっこしながら考えている
殺すのっていやなもんだぜ
殺されるのはもっといやだが

男の子もおしっこしてる
おしっこしながら考えている
マシンガンを撃ってみたいな
きっと気持ちがすっきりするから

武器商人がおしっこしてる
おしっこしながら考えている
銃がなければ平和は守れぬ
金がなければ自由も買えぬ

道で野良犬おしっこしてる
おしっこしながら考えている
敵もいなけりや味方もいない
ただの命を生きているだけ

・・・・・・
2002/06/05
おしっこをしながら、水を飲む
(字数の関係でカット2008年04月09日)

・・・・・・・・・
 2004年04月09日(金)
1102, つもりちがい十ケ条

 高いつもりで 低いのが教養     低いつもりで 高いのが気位
 深いつもりで 浅いのが知識     浅いつもりで 深いのが欲望
 厚いつもりで 薄いのが人情     薄いつもりで 厚いのが面皮
 強いつもりで 弱いのが根情     弱いつもりで 強いのが自我
 多いつもりで 少ないのが分別    少ないつもりで多いのが無駄
        そのつもりでがんばりましょう
                    天台宗別格本山 両子寺
人間の浅はかさ、のぼせ上りをいっている。
「般若心教を唱えていたので、高いも低いも、深いも浅いも、多いも少ないも、
『色即是空・諸法空想』としか思っていなかったつもりであった」が、
果たして実際はそうであろうか。
いや、そんなことはない。この通りであった。この随想日記をその全てを
露呈しているではないか。恥ずかしいことである。
それにしても、人間の心理の一番奥の逆上せ上がりをそのままついている。
これを読めば読むほど、本当に自分はバカで卑小とつくづく思ってしまう。

・・・・・・・・・
2003年04月09日(水)
735, ホームページを開いて二年

このホームページを開いてあと一ヶ月足らずで二年になる。
旅行以外は随想日記を一日も欠かさなかった。脳内の何パーセントを汲みだした感覚である。

その時その時の興味が移り変わっていくのもわかる。
 お笑いであったり、癒し系であったり、人間観察であったりだ。
・何事も三年である、あと一年は今のペースは続けるつもりである。
 随想テーマ日記の千項目がもう一つの目安だ。
・毎日書き続けるとネタ不足になるが、それが外部の情報収集の動機になる。
 公開をして第三者の目を意識をして書くことで、自己コントロールをするようになった。
・書き続けること、改善し続けることで自己の外部化をしていることになっている。

 毎日文章を書き続けることは大変である。
「今日飯食って、会社に行って、テレビを見て寝た」という内容なら如何といことないが、
テーマをみつけて筋の通った?文章にするにはエネルギーをつかう。
考える時間を入れると、2〜3時間ぐらいはかかる。
その危なさが面白いと感じるから、続けることができるのだが。

 一人で、机の中の日記帳にこれをやろうとしても無理である。
第三者に対する意識があるから続けることができるのだ。
なんで毎日書き続けるのかという疑問があるが、誰のために書いているのではなく、
自分のために書いているだけだ。読み返していると結構自分を鏡でみているようで面白い。
ハッキリいって見る人が見たらバカじゃないのかと思うだろが、これが自分でしかないのも事実である。

参考の為に一年前に書いた「テーマ日記」を書き始めて一年
ー1・2をコピーしておきます。
ーこうしてあらためて読んでみると、今も一年前も考えることは
ほとんど変わらないものだ。今のままの自分がいる。

・・・・・・・・・
「テーマ日記」を書き始めて一年   
    −1ー2002・05・22)
(字数の関係でカット2008年04月09日)

・・・・・・・・
2002年04月09日(火)
371,花見

いつもこの時期、福島江と悠久山の花見に行く。
といって朝の散歩で行くのだが。今年の桜は当たり年のようだ。
「散る桜、残る桜も散る桜」 毎年このことをおもいしらされる。
人間の人生の短さに例えて言っているのだ。所詮自分の死もいずれ近くやってくる事を言っている。

京都の桜も素晴らしい。それぞれの地区で素晴らしい桜の名所がある。この時期の名物の一つである。
7年前私の従兄弟が桜の散際に自死をした。桜が好きで毎年写真を撮っていたという。
なくなった後で、その時の写真を見せてもらった。なくなった通夜の納棺の時、突風が吹いた。
納棺の桜吹雪である。背筋がこうりつく思いであった。 こういう事が実際あるのだ。
桜は人間の人生を見せてくれる。その年も桜の当たり年だった。

 ・・・・・・・・・・
  <おわらい>

 ークロマテーもの

・牽制ではさまれて 相手選手「黒待てー」
 アウトになりベンチで「クロマタ失礼しました」
 長島監督「クロマイッタ」
・三振して 『クロマイッタ!』」
・ホームランを打つとすぐ天狗になった。「クロマ天狗」
・いつも人の車を借りて事故ばかり起こしていた。
  そこでいつも言われていた『クロマモテ!』
 
   *クロマテー元読売ジャイアンツ4番バッター


2561, ウォルト・ディズニーがくれた夢と勇気の言葉  −2

2008年04月08日(火)


   創業のノウハウの全てが、ディズニーの全てに入っている。
   それが遊びという世界で万人が解りやすいから、尚のこと心を打つのである。
   感動、そして共感が一つずつのイベントに入っている。
   その原点が、チャップリンの凝縮されたミッキーマウスから出発している。
   ディズニーのの世界は参加型バーチャルであり、夢の世界で幻想を楽しませる。
   明るく、光にみちた世界に一時を過ごすのである。
   
 −−−−−
ひとつ踏み出す、
つまり、新しいことをやってみるということは勇気がいるけど、
自分を信じて、思いきってやってみよう。
ひとつ踏み出さなくちゃ、何にもはじまらない。
 解)その一歩の勇気、それが大きく人生を左右する。
   その一歩も裏づけを十二分に持ってないと、逆の結果になってしまう。
 〜〜
「人生の素晴らしい瞬間というのは、自分ひとりのためよりも、
 愛する者たちのために行ったことに結びついている。」
 解)押し付けにならない程度のことだが。
 〜〜
実は人々はお互い相違する点よりも
共通する点が多いということを、伝えていく。
 解)自分の中に、その共通点を見出していくのが教養?
 〜〜
ただ、絶対に忘れてならない。
すべてのはじまりが一匹のネズミだったということを。
 解)ミッキーマウスが、チャップリンの漫画化ということも?
 〜〜
我々は何か人をひきつけるものが欲しくて、
チャップリンのようなちょっと切なげな様子を持つ小さなネズミを思いついた。
とにかく精1杯生きているちっちゃなやつ、というような.
どこにいても人々がミッキーを見て笑い、
共に笑い続けてくれることだけを求めた。
特に社会的象徴のような重荷を課したりしなかったし、
社会の欲求不満を代弁したり、
痛烈な皮肉をしゃべらせたりしなかった。
ミッキーは人を笑わせる使命を与えられた小さな人格なのだ。
 〜〜
どこにいても人々がミッキーを見て笑い、共に笑い続けてくれることだけを求めた。
特に社会的象徴のような重荷を課したりしなかったし、社会の欲求不満を代弁したり、
痛烈な皮肉をしゃべらせたりしなかった。
ミッキーは人を笑わせる使命を与えられた小さな人格なのだ。
 解)笑わす使命を与えられた人格=チャップリン か〜
   気の毒じゃないか、そういうのは? いや、人に微笑を浮かばせることこそ、
   人間としての使命ではないだろうか。

・・・・・・・・
2007年04月08日(日)
2196, ファンタジー文学の世界へ −2
               オッ(*^○^*)ハ〜ヨウ! 
  「 ファンタジー文学の世界へ」
                   −読書日記
ーP57〜58
「シーズ・リーヴィング・ホーム」はビートルズの画期的アルバムの
『サージャント・ペーパーズ・ロンリーハーツクラブ・バンド』の挿入歌である。
イギリスの教育界では粋なことに、この詩について二年にわたる論争があったという。
一方は「この詩は家出を推奨しているので青少年に与えるべきではない」
もう一方は「この詩こそ、現代家庭内の人間関係の疎外感を象徴している」
という肯定的なものである。教育界でこのような論争が起こるということは
大変好ましいことである。ここには誰も悪人はいない。
ただ、人間の持つ自立願望(依存対象からの脱皮)に伴う絆(家族以外への愛情転換)
にかけようとする一種の成長願望があり、そこに向かおうとするパッションが、
世代間における微妙な心の差異、そこから生じる疎外感の蓄積となっていく。
  以下は、その挿入歌の詩を訳したものである。
   ーー
    「彼女は家を出て行く」
   (シーズ・リーヴィング・ホーム)ービートルズ

    水曜日の午前5時  夜が白み始める頃
    そっと寝室のドアを閉める
    書き切れない思いの残る手紙を残して
    階段を下りてキッチンへ向う
    手にはハンカチを握りしめながら
    裏口のドアの鍵を静かに回してみる
    外へ出る とうとう自由だ

    彼女は     (あの子のために何でもやってきたのに)
    出て行く    (夫婦の生活などは犠牲にしてきたのに)
    家を      (欲しがるものは何でも買ってあげたのに)
    彼女は家を出て行く  一人ぼっちで寂しかった
    何年も何年も   (さようなら)

父はいびきをかいている 
母はガウンに袖を通す
そこにあった置手紙を見つけて拾い上げる
階段の上で呆然と立ちつくし
泣き崩れて夫のもとへ駆け込む
お父さん、あの子が家を出て行ってしまったのよ
なぜ私たちがこんな目に会わなくてはならないの
あの子は一体どうしたっていうの

    彼女は       (私たち夫婦のことなんかどうでも良かったのに)
    出て行く      (自分たちのことなんか二の次でやってきたのに)
    家を        (頑張って頑張りぬいて何とかここまできたのに)
    彼女は家を出て行く  一人ぼっちで寂しかった
    何年も何年も    (さようなら)

    金曜日の午前9時 遠く離れた場所にいた
    きちんと約束の時間に待ち合わせ
    自動車の仕事をしている彼氏がやってくる

彼女は       (私たちは間違っていたのだろうか)
楽しい時を     (間違いだとは思いもよらなかった)
過ごしている    (楽しみをお金で買うことは出来ない)
彼女の心の中の何かが否定され続けてきた
何年も何年も    (さようなら)

彼女は家を出て行く (さようなら)

   ーーー
   解)
   これも、親離れへの情操の心理であり、
   誰もが通過しなくてはならない通過儀礼でもある。
   もし何らかのカタチで、このアップ・スケール(自立)をしないと、
   親という山姥に一生をとって食われてしまうことになる。
   しかし、親の愛ほど純粋なものはない。
   特にお腹を痛めた母親は、「子供は分身」という思いは強いだろう。
   親離れ、子離れの問題は、嫁・姑の問題と同じく、人類の永遠の問題である。
   私の場合、八人兄姉の末っ子で、両親の(特に父親の)深い愛情の
   元で育った。試行錯誤の後のため、いや大家族のため束縛は殆んど感じなかった。
   しかし両親が死ぬまで、盆と正月は、就職をした年を除けば、全て両親と過ごした。
   そういうものと信じて疑わなかった。少子化の時代。
   両親と子供の関係は強くなり、親離れの問題は大きくなる。
   気の毒といえば、気の毒である。
                      ー続く
・・・・・・・・
2006年04月08日(土)
 1831, ブログの話
     は(* ̄(エ) ̄)ノろぉ(* ̄(エ) ̄)ノ
 
世界に80億のサイトが存在しており、日本のブログは、500万。
アメリカでは2000万もあるという。
この中で、いかに面白い自分にあったブログを探し出すのがポイントになる。

先日NHK・BSで、「ブログおもしろ大賞」を特集していた。
おもしろいブログを紹介する番組。
エントリーされた中から2つのブログが大賞に選ばれた。
それぞれの個性がはっきりしていた。
いろんな要素を加え、角度を変えることで特徴が出ていた。
大賞は、「世にも奇妙なグルメリポート」と「夢を追う男」
   面白そうなので、メモをして幾つか見てみたが、ナカナカ味がある。

     「しまふく寮日記」
     「クリックブログ」
     「サブ・カルチャーの達人」
     「ガラクタイチ」
     「うちの三姉妹」
     「月刊男心」
     「ゆめおう男」
     「私がみた事実」
     「ニコニコルソン」
     「だから東京が好き」
     (ネコライブラリー)
     「東京テッシュ」
     「元プロ野球選手のセカンドキャリア奮闘記」
その中で一番面白かったのが、これである。
このブログの一部をコピーしてみた。
     (*^ー^)/C□~~ コーヒーいかが?
  −−
「夫の不倫観察日記〜阿修羅のごとく〜」

夫がまた不倫をしている。
・・・また・・・そう、これが初犯ではない。
この際、もうネタにするしかないか。
夫の浮気の一度や二度や三度・・・ 見て見ぬフリをしてきた。
しかしながら、今回はとうとう寛大な妻の『地雷』を踏んだぞ!!!

夫の不倫、観察します。 妻の皆さん、一緒に笑ってください。
夫の皆さん、妻の恐ろしさに震えてください。
=これだけで、もう引き込まれてしまう=
          ΒΥΕ.._〆('Д'*⊂⌒`つ

・・・・・・・・
2005年04月08日(金)
1466, 閑話小題

ーロシア人の大立ち回りのその後ー
拘留されて三週間、あと一週間で国外退去になるという。
領事館が中に入って、警察の提案で告訴を取り下げることになった。
本人は日本の留置場に入るために来たようなものであった。
頭がおかしいとか、薬中とは警察も言わなかったが、
国外退去が妥当というところであろう。
損害は20万弱でほぼ保険が下りることで実損は無かった。
「何で?」という疑問が残ったが。

ー不景気風ー
このところ、4月になるとピタッと客が遠のく。
毎年のことだが、連休までは気持ちが悪いほど街そのものも閑古鳥が鳴く。

ー音楽の世界ー
私にとって高価なコンポを買った為に、知らなかった音楽の世界を
飛躍的に知ることになった。
これが10万以下ならそうはいかなかっただろう。
そろそろボーズのコンポの熱が冷めてよいころだが、
それでも最低2〜3時間は聴いている。
元々CDのソフトが揃っていたこともあるが。

読書日記で書くつもりだが、
「知りたいことがなんでもわかる・音楽の本」がクラシックから、
ジャズ、ロックから、日本のポピュラーや伝統音楽まで、地図のような
案内書になっている。何回か読んでいるうちに、それまで断片的にしか
知らなかった音楽の世界を少しは鳥瞰できるようになった。

他にも楽器の成り立ちや、種類や、音響マニアの存在、そしてCDよりすぐれた
SACD(スーパーオーディオCD)が5〜6年前より市販され、
最近になってドンドンソフトが出されているということも知った。
あの会場で聴い音が良かったのは、コンポそのものの性能だけでなく、
録音技術も、CDそのものも飛躍的に進化していたためだ。

本屋で立ち読みをした音楽雑誌の音響広告に、サッカーボールのようなものに、
多くのスピーカが何面(8〜12面?)も付いていたものがあった。
其々にアンプがついていて、室内の空間の壁に向かって反響させるためだ。

・・・・・・・
2004年04月08日(木)  1101, 春がきた

新学期が始まった。春は誰にとっても心躍る時期だ。
幼稚園生、小学生、中学生、高校生、
専門学校生、大学生と街に初々しい姿が見え始めた。

そして春といえば桜、その桜の花も咲き始めた。
自然と春の歌が自然と口に出てくる。
「春がきた、春がきた、何処にきた、山にきた・・・」
「春のうららの隅田川・・・」
何か魂の故郷に里帰りをしているような気持ちになってしまう。
近くの川には鴨が浮かび、雀がさえずり、小さな花があちこちに見える。

春は皆にとって、心がときめく。
全ての始りのような気持ちにさせてくれる。
新鮮な希望の時なのだ。
長い冬は、春にとっての母でもある。
そこで大きな愛を充分与えられるのだ。
春は長い冬の眠りの中で過去を蓄積をして未来を膨らます。

・・・・・・・・・
2003年04月08日(火)
734, またまたお金の話ー銀座のママの・・

「銀座ママが明かすーお金に好かれる人 嫌われる人のちょっとした違い 」
の題名につれてて図書館で借りてきた本だ。
日本のトップの財界人や政治家や役者などのお客の色いろな
人生の浮き沈みを見てきているはずである。
軽く読むにはなるほど面白い内容だ。

 私は高級クラブなど、殆ど行かない主義。
バカバカしいと思うのだが、といって数回行った銀座の店の気分の好さは
今でもはっきり憶えている。
5万10万出しても、価値を感じさせる何かを常に店に演出しているのだろう。
なるほどというのが所々納得できる。
 このママの店のホームページをみてキーワードは、「明朗会計」と「銀座としての
安さ」である。以下はある書評からのコピーである。
   
・・・・・・・・
 数々のベストセラーを生み出した作家「ますいさくら」の双子の姉、ふたご屋の
オーナーママ、「ますい志保」が「銀座」から学んだ成功法則を元に、お金をつかむ
コツを知ったいわゆる出来る男と出来ない男の違いを語ってくれます。
不況こそチャンスと考える「出来る男」の成功法則やノウハウもぎっしり!
やはり彼女は男を見る眼が違います!

「ふたご屋」のWebサイトはこちら http://www009.upp.so-net.ne.jp/futagoya/

 人の世の摂理、富、名声、愛、信頼と裏切り。
人生の「旬」、成功と挫折、欲にまみれた人間模様。濃密な時間が流れる街、「銀座」。
巷には、不況や不景気を言い訳にする人は多く、夜ごと、愚痴や不満を口に
していませんか?語った「夢」に今でも責任を持っていますか?

能力だけではつかめない「お金と成功」。
では、成功者たちは日頃からどんなことを実践しているのでしょうか?
「どなたも特別なことをされているわけではありません。誰にでもできる、
ちょっとした工夫で成功と大金をつかんだのです。」

―ますい志保―
その「ちょっとした違い」の一部をご紹介しましょう。
【目次から】
    (字数の関係で中略2008年4月8日)

ーあとがき ー「人材」は「人財」と実感する日々 
「多く傷付いた魂にこそ光を。」人をもてなす。人を惹きつける。
この銀座ママの箴言に耳を傾けてはいかがでしょうか?
「あなただけの使命」を持つことが、成功をたぐり寄せる。
私は彼女のこの言葉に「元気」をもらいました。

ー感想ー
この本から感じたことは、著者に上手くいく人の典型をそのままに観たことだ。
学ぶ姿勢、不景気の時代の合わせた廉価の追及、好きのことの追及などなどである。
一番印象的だったのは、たたき上げの居酒屋チェーンの社長が言ったという
「プライドを捨てられるだけのプライドを持て」であった。
自信がなくてはいえない言葉である。また、仕事で成功している人は全てが好きで仕事をしているか、
仕事を遊んでいる人だという。まあそうだろう。

 典型的な虚飾の世界であることも間違いはない。
銀座などのクラブの世界は、日本にしか存在しないシステムだという。
売春を目的にしたシステムなら幾らでもあるが。
「擬似ー擬餌?恋愛を前提にした場か、権力の誇示の場としての虚飾を時間売りして
いるシステム」は欧米の人がみたら、全く理解しにくいだろう! まあ面白いものだ。

・・・・・・・・・
「銀座ママが明かすーお金に好かれる人 嫌われる人のちょっとした違い 」
  ◇著者:ますい志保

・・・・・・・・・
2002年04月08日(月)  370,なりきる

散歩のときはウオーカーに、旅行の時はツーリストに、
会社に行けば会社の立場に、家に帰れば父親になりきる。
そしてなりきった立場で色々な自分を見てみる。

散歩の時、会社のことを考えたりして景色が見えなかったりする。
海外旅行でのケース。今まで会社の役員をしていた人が、その役員の状態で来ていた。
奥さんがその人を、社会へのリハビリでこの旅行にきたといっていた。
かたっぱなしに同行者を皮肉っていた。
上から見下ろしている視線を引きずってきていたのである。

考えてみたら、なりきってない方が多いのではないだろか。
学生時代に学生になりきっていなかった自分。
必至で働いていたあの時期、その時はなりきっていた。
実際なりきれないで、失敗を重ねていくのが人生かもしれない。

同級会などで久々に会うと、時間を超え昔の自分にいつの間になっている。
花が「今花やってんねん」と主張していると、考え見ている自分。
その時は見ている人になりきっている?いやなりきってないか?
名優は端役をやっても光ると云うが、名優の名優たる所以はなりきることだ。

ところで自分は今、書き手になりきっているだろうか?
・・・・・・・
<おわらい>
ー喘息
うちの社長、春になると喘息になる

ゼイゼイ、ぜいぜい、税税と言い出す。


2560, ホモ・ルーデンス −2

2008年04月07日(月)


          (*´∀`)」" おはよう☆彡
  子供の頃、無我夢中で遊んでいた頃の楽しさ、あの時の無我夢中の気持ちが
  人生の中で大きな位置を占めていたのである。
  人生の要諦、「よく学び、よく遊び、よく働く」のうち、一番満足度が高いのは、
  「よく遊んだこと」である。 ただし「よく」である??。
まずは遊びの本質と定義について書いてある部分を抜粋してみよう。
   〜〜
ー文化は遊びのなかにはじまるー

遊びは文化よりも古い。動物は人間とまったく同じように遊びをしている。
遊びの基本的な要素のすべてが、すでに動物の戯れのなかにはっきりとあらわれている。
子犬が遊び戯れているところを観察してみさえすればよい。
子犬は一種の儀式めいた身振り、動作で、たがいに気を引きあったりする。
相手の耳を血が出るほど噛んではいけないという規則も守っている。
まるで恐ろしく怒っているかのようなふりをして見せる。

もっとも重要なことは、子犬はこれらすぺてを明らかに嬉々として楽しんでやっているということである。
このように動物の場合と同様、人を夢中にさせる力、〈面白さ〉のなかに遊びの本質があり、
〈面白さ〉こそ、人間にとってもっとも根源的なものである。
人類が共同生活をはじめるようになったとき、その行動にはすべて最初から遊びが織り交ぜられていた。
たとえば、人類の最初にして最高の道具である言語である。 
言語によってものごとを表現したり、伝えたりするという行為はいつも遊びながら行われるのである。 
どんな抽象の表現でも、その背後にあるのは比喩であり、
いかなる比喩のなかにも言葉の遊びが隠されている。
 *遊びを定義すると
遊びとは、ある限定された時間および空間のなかで行われる、自発的な行為もしくは活動であり、
自発的に受け容れられた、絶対的な拘束力を持つ規則に従っている。
遊びの目的は行為そのものにあり、それは、緊張と歓びの感情を伴い、
また〈これは日常生活とは別のものだ〉という意識に裏づけられた、何ものかをめぐる闘争ないし表現である。
このような遊びが地球上のあらゆる地域に同じような形式や観念のもとに存在することが確かめられているが、
このことは、人間に遊びという機能が先天的に与えられているということの何よりの証拠である。
  〜〜

   日本文化の典型の、茶道とか、華道は、遊びなのか、それとも修養なのか?
   前記の内容からしたら、遊びそのものということが出来る。
   ひと時の安らぎの茶のひと時を、茶道という文化に高めたのだから粋である。
   パソコンのインターネットも、携帯電話も子供や若者の遊び心から飛躍的に普及した。

   ホモ・ハーベン(働き蜂人間)だけでは人生はつまらないだろうが、
   仕事を遊びまで昇華させれば、それはそれで良いだろう。
   死を直前にした人間で、もっと働いておけば良かったと後悔する御仁は少ない。
   もっと色いろなことをして楽しみたかった!という人が大部分である。
                  。・∀・)ノ ホナ!
・・・・・・・・・
2007年04月07日(土)
2195, ファンタジー文学の世界へ −1
              オッ(*^○^*)ハ〜ヨウサン!
「ファンタジー文学の世界へ 」
ー主観の哲学のためにー 工藤左千夫著 (成文社) 
                           ー読書日記
    一般的にファンタジーとは、夢 のような空想を元にした小説のことをいい、
    現代社会から、かけ離れた人物、事実、世界観がテーマとなる。
    前回にも書いたが、ファンタジーには、二通りのジャンルがある。
    ハイ・ファンタジー とロー・ファンタジーである。
  *ハイ・ファンタジーとは、社会構成・環境・文化など、
    世界観が詳細に設定されたファンタジー小説のことです。
    過去にも未来にも、世界のどこにも存在しない別世界を題材にしている。
  *それに対しロー・ファンタジーは、現代を舞台にしたファンタジーで、
    ちょっとした不思議な世界を題材にする。

   情報社会の中で合理的世界観から一歩はなれて、非合理的な世界を持つことで合理的社会を
   鳥瞰することも必要となる。この本はファンタジー感覚の発祥と変遷について書いている。
   初期ファンタジーは、強烈な目的性を志向し、その通過儀礼を特徴としている。
   それに対し現代ファンタジーの傾向は、目的よりも存在論的視野を目指す傾向が強い、と論じている。

   この本の面白そうなところを、幾つか抜粋してみよう。
ーー
P-23 ■ファンタジーの構造
神話的世界の「英雄」は孤独である。孤独は、「英雄」の条件と考えた方がよいほど、孤独である。
これは人間の人格形成において「自立願望」という母子分離の強烈な心理が、人間の属性だからである。
初期ファンタジーの多くは、明確なイニシエーションをかかえている。
それは、「分離」−>「周辺」−>「統合」という物語の構造で表現される。
依存対象から「分離」は、一人で「周辺」に向かうことを意味する。
それは、「依存対象に頼ることができない」こと、それが孤独なのである。
その孤独から自立への物語には、最後に何かを得て、元の場所に戻る精神がある。
元に戻ることが「統合」もしくは「全体性の回復」になる。・・・・中略


P-31 冒険(ゆきて帰りし)とは、無自覚な日常感覚に対する警鐘である。
そして、非日常ー冒険で培われたものが、日常に命をもたらすものであり、
人生の新たな価値を模索する道でもある。この道は困難そのものと言える。
この困難を越えようとする強烈な意志こそ、大人への道標足りうるのである。
作者は、人間の成長において、身内以外の父性的存在がある局面で必要であり、
この父性的存在こそが、「わたし」の深奥に導く一つの契機ともなる。・・・
我われの周囲には様々な冒険(ゆきて帰りし)の扉が黙示されている。
その覚知なるものは、現実を積極的(主体的)に観ることの意識化を通して、
もう一つの世界(非日常、内的世界)へ向かうことである。狭き門の両側には二つの世界がある。
第一の世界ー第二世界、 日常ー非日常、 意識ー無意識、 平穏ー不穏。
この二つの世界を主役は往復するのである。この往復の困難性が人の心に「なにか」を生起させるのである。
「なにか」を主体化する作業が、現実の深い意味を客観化しうる認識の扉ともなる。つまり、困難を通して、
自らの潜在的力を引き出すこと。しかし、この地平は「英雄」にありがちな慇懃無礼の世界ではない。
自らが拠って立つ精神的基盤を自らが客観化した地平である。

    ーーー
   これを書いていて気がついたが、15年間にわたり年二回平均の秘境ツアーが、
   ファンタジー小説に近い世界であった。ー日常に対して、非日常。 意識的世界に対して、無意識の世界。
   平穏?に対して、不穏。ーで、夢そのものの中の世界である。
   ファンタジー作家のかわりに、旅行代理店が物語を企画してくれている。

・・・・・・・・
2006年04月07日(金)
1830, あちら側の世界 −8
          (’0’)d おっ w(゚Д゚)w ハァ?

「ウェブ進化論」の中で、「グーグルアース」を紹介していた。地球地図・映像検索である。
早速、グーグルのHPよりソフトをダウンロードをして使ってみた。ただただ驚きである。
月の位置から地球に近づいて、見たい場所に降りていって、
家や車や木まで見えるところまで接近できる。もちろん首相官邸や皇居の中もみえる。
これで世界中の都市を見ていると、雲の絨毯で下界を飛び回っているような錯覚になる。
殆んどの大都市の衛星写真が貼り付けてあり、家の屋上や木や池まで識別ができる。
使ってみると、リアルな感覚になる。

   「グーグルアース」と、グーグルの検索に入れたところ、皇居や首相官邸、
   インド沖の大津波の写真、アメリカの本土のステルス(飛行機)まで紹介されていた。

数日前の新聞に、「インド政府がグーグルアースの写真公開に抗議!」
という記事が載っていたが、これでは問題になるだろう。
世界中の政府が衝撃を受け戸惑っているというが、当然である。
北朝鮮など、嫌味か?、かなり詳細の平城の写真があった。原子炉?らしき写真もあった。
大都市圏以外は地形認識までしかできないが、有名観光地には、
その情報の入った小さな箱が貼り付けてあり、クリックをすると見ることができる。
検索で「グーグルアース」のキーワードを入れソフトをダウンロードをすれば、
誰でも無料で見ることができる。マウスでズームアップもダウンもできる。
手塚治のアトムの目を持って世界中を見ることができるということだ。

この大本の「グーグルマップス」のAPIを公開しているが、
リクルートの不動産関連のHPに、マップで日本中の都市圏の場所に矢印を当てると、
地図がアップででてきて、周辺不動産物件の詳細を紹介をするサービスがある。
現在は地図だが、近い将来は写真になるのだろう。

    アフガンやイラクでは、アメリカ軍がこれを多用して勝利に導いたが、
    実際は顔の認識まで可能という。
    最近の映画のスパイモノに出てくる衛星利用のSFもどき内容が、
    実際に個々人で使えるようになったのである。
「ウェブ進化論」を毎日、繰り返し読んでいるが読むほどに情報化社会の
実態がおぼろげながら見えてくる。

ー以下は、あるHPにあった内容だが解りやすく紹介してあったので、貼り付けておきますー
 −−
(字数の関係でカット2008年04月07日)  
                (v^ー°)バイバイ!

・・・・・・・・
2005年04月07日(木)
1465, なんじゃい、こりゃ!

またかい!このホームページを見ている常連なら、オーバーな表現と思うだろう。
ただ実感でいう正直な話で、その時書いた文章である。
 −−

たまたま日本酒を取引先から貰って飲んだ感想をそのまま書く。
「これは今までとは全く違うほど美味しい酒ですよ!」といって置いていった酒である。
その人から、普段は飲まないような極上の酒を数回か貰っていたが。
そのことも忘れて口に含んだと同時に、その美味さにビックリ仰天。
新潟の土地柄もあり美味しい酒は数限り飲んできたが、これが特別なのである。

早くいえば、今まで飲んだ日本酒で一番美味しい。
「嘘だろう、今まで日本酒に関しては美味しい酒は飲んできたのに。
自分が変ではないだろうか」と、飲んで何回も口に含んでみた。
しかし美味しいのである。日本酒に関しては、この随想日記にも書いたことがあるが、
美味しい酒が飲める環境にあった。地元の人がみている前提で書いているが、美味しいものは美味しい。

そこで、その酒の箱を見てみたら、ヤッパリ仰々しい印刷があった。
「ロンドン開催ー第12回国際酒祭り酒類審査会ー世界第一位受賞」と書いてあった。
「天領盃 大吟醸」が、酒の名前。 メーカーは佐渡の「佐渡吟醸株式会社」。
このラベルにつられて、美味しいと思ったのではない。

口に入れた瞬間、ただ水を飲んでいるようで何の味もしなかった。
そして二口目を口に入れたとき、何ともいえない香りと味がしてきた。
朝日山の久保田(万寿)や、吟醸古酒を少し薄口にした味というと、かなり大雑把な表現になるが。

酒の世界の深さを殆ど知らないが、底の知れない世界があるのだろう。
そういえば先日TVで、メーカー名は忘れたが四号瓶で数万円もする日本酒を紹介していた。
数十年かけて醸造したものであった。 どんな味がするのだろうか。

ワインなどは、もっともっと深い世界があるのだろう。
ー酒通がこの文章を読んだら、この程度でと鼻先でわら笑うだろうがー

・・・・・・・・
2004年04月07日(水)
1100, 撃墜王の秘密

ある本の「撃墜王の戦法」がなかなか面白い。そのまま書き写してみる。

ー第二次世界大戦で「独特の戦法をとった」二人のパイロットは、ハルトマン少佐と
その師であるロスマン軍曹。ハルトマンは確認されているだけで敵機352機、
ロスマンも80機以上も撃墜している。

その戦法を最初に考案したのはロスマンである。彼はパイロットになりたての頃、完治不能の傷を負った。
普通、接近戦になると体力が勝っている方が有利であった。
そこで普通の戦法ではとうてい生き残れないと悟ったロスマンは、考えつくした末、
自分の体力を補うテクニックを編み出した。

彼は体力戦勝負の接近戦をやめて、計算しつくした戦法に切り換えた。
一つ一つの攻撃に、それぞれの計画を練り上げた。
敵に実際に銃弾を浴びせることを考えないで、どうチャンスものにするか、
さまさまな情況を分析することに多くの時間を費やしたのである。

彼が攻撃に出るのは確実に勝利が取れるポジションを取れたときだけだった。
理想的な標的となった相手にだけ、ありったけのエネルギーを使って集中攻撃をしかけるのだ。
ハルトマンは、ロスマンの「相手をよく見極めてから集中砲火を浴びせる」
戦法が優れていることを、自らの戦果で証明をした。ー

ー以上のことより学ぶことは、
完治不能の腕を持ったことで、考えつくして全く違った戦法を自ら作った
ことである。色いろな情況の研究に全てのエネルギーを入れたことだ。 孫子の兵法と同じである。

普通のパイロットは、接近戦の銃撃の手法を研究したのに対して、
確実に勝利の取れるポジションとりの研究をしていたのだ。
チャンスが来るまでエネルギーと知識の保存を充分に蓄積していたのだ。

過去に上手くいったケースを考えると、大体がそうである。勝てるポジション取りであったのだ。
人の真似とか、表面を見て準備不足の事業は失敗をしてきた。
といって、この時代ジックリ準備といっている間にチャンスは一瞬で消え去る。難しいところだ。
一病息災というが,一つ病気を持っていた方が健康にとってよいのも事実である。
 
・・・・・・・・・
2003年04月07日(月)
733, 30年間着ている礼服

現在も着ている礼服は忘れもしない記憶がある。ちょうど30年前になる。
父が「あと2週間の命」と医者に宣告された直後に母にいわれて、
「村田仕立て屋」に、父に解らないように出かけて、つくったものだ。
今でもしっかり冠婚葬祭に着ているが、全く古い感じがしない。
私が子供の頃に注文服も扱っていた頃から出入りしていた仕立て職人で、腕がよい人だった。

 年に4回位、平均して着ているとしても、120回でしかない。
それも大体が半日だから、そういたむものではないが。
しかし身につけるもので30年も使っているものは勿論これだけある。
まだまだ十年以上は使えそうなので、一生ものである。
ということは体形が30年変わってないということだ。
当時は体重が56キロ、ウエストは76センチ。現在は60キロ、ウエストは79センチだ。
ズボンの腰周りを20年前に直したが。こうなると愛着がわくものである。

 話は変わるが、その時もしかしたら、「父は勘で注文にいっていることを知っていたので
はなかろうか?」とこの文章を書いていて気づいた。
何か生々しい話になったが、私が死んだ時にお棺に入れてもらおう。
嬉しいとき、悲しい時に着ていたものだからだ。

・・・・・・・・・・
2002年04月07日(日)
369,植民地経営

西アフリカに行った時聞いた話しである。
未文明国を統治する方法として、次の3つがある。

1、直接統治
2、間接統治でそこの王族と手を組み統治
3、隣国に間接統治の王国に攻めさせ統治

大体がこの3つである。まずはフレンドリーに入って行き、徐々に統治していく。
その前にキリスト教の宣教者を派遣して、内側から攻めていくのが常套手段だ。
秀吉がそれに気づき、キリスト教禁止令を出したのは賢明だった。

戦後の日本も戦犯の天皇や官僚をそのまま温存させたのも王族の間接統治を狙った為だ。
今の日本は王族を飾り物に、戦後から続く官僚の支配がそのまま続いている。
そして悲しい事に、間接統治をされていることに全員満足している。

この不況は「1986年のアメリカのバブル押し付け政策」の結果である。
そして、直接支配に今露骨に入ってきたのは周知の事実だ。

今回の9・11テロは、この間接支配の露骨のアメリカ世界戦略に対するテロである。


・・・・・・・・・
[ターザンの最期]☆☆☆

ターザンが木から落ちて死んでいた。
土に書置きがしてあった。

「誰かがツタにー」
調べたら、いつも通るツタに油が塗ってあった。
 −−−
  ーここで一句
 
 ターザン殺すに刃物は要らぬ ツタに油を塗ればいい


2559, 印度放浪 −3

2008年04月06日(日)



ー語録ー2

人間の身体を見ていて神々しいと思ったのは、一ぺん沈んで浮かんできた水葬体だね。
水葬にしていったん沈むんだけど、沈んだあと底につかないのはそのまま浮かばないで流れ浮かばないで
底についたのは必ず浮かんでくるんだ。そうやって浮かんできた時の顔とか身体というのは、
不純なものがいっさい流れたような美しいものなんだね。半眼微笑の仏像そっくりな場合すらある、
それが二、三日経つとだんだん膨らんできて、中の血管の血がバッーと表に出て、まるで不動明王や
五大明王みたいに赤黒くなる。それからまた血が引いて漂白されたようになって行く。
水に投げられたひとつの死体をずーっと見ていると、人間のもっているすべてが見えるよ。
日本でも死ぬ時に、これは単なる比喩的な言いまわしだろうけどさ、死ぬ時に一回苦しんだか二回苦しんだか、
三回苦しんだかで、その人の生前にもっている業みたいなものが出るということを言うじゃない。
それとは違うけど、水葬死体も人間のもっている生前のことを全部見せてくれるような気がするね。
 〜解)日本人は死体を特別に大事に考えている影響が40年前の著者に残っているようだ。
    こういうのを読むと、さっさと重油をかけて焼いてしまうのも良いと思う。
    その方が余程ドライである。
ーー
犬が水葬体を食っているのを見て、法華経に出てくるクンパーダカをふっと想像したんだ。
クンバーダカ鬼は架空の生きものだから見たことはないが、そういう感じがしたんだ。
広角で撮ろうと死体を食っている中洲の犬に近づいたら、そこにいた一匹が逃げたんだ。
それが遠くから十二、三頭を連れてきた。砂けむりを舞い上げてね。
僕がエサを取ってしまうとおもったのか、全部がうなりながらにじり寄ってくるんだよ。
人間を喰っている犬ににらまれたんだから、かなり危機感を持ったね。
眼を離して逃げたらワーッと襲われてやられるとおもったから、こっちも動けない。
川の中洲だから人間は誰もいない、助けも呼べない。カメラを持って投げつけるような恰好しながら、
それでもこれを投げたら壊れるからやめとこうとおもったりしながら、投げるものを探したわけね。
そのへんは写真にも写っているように頭蓋骨とか骨がけっこうあるんだ。
で、犬の目から目を離さないようにしながらゆっくりとしゃがんで、頭蓋骨を四ツくらい集めて
これをかかえて投げるかっこうをしながら、頭蓋骨もったまま少しずつあとずきりをして
川の中に胸まで入ったんだ。犬は向うでウロチョロしている。
奴に向けて力いっぱい投げつけたんだ。暫くするとあきらめて、
また向うの死体を喰いはじめてくれたんだね。こちらは川づたいに三脚のあるとまでやっと辿り着いてね、
これでやっと安心して、この三脚を持てぱこれ殴れるから何となく大丈夫だと思ったわけ。
これは後で考えると、地獄で何かしていたような気がするんだ。
 〜解)インドでないとこういう経験は出来ない。宗教で、かくも文化が違うかが理解できる。
    ベナレスのガンジス川の底には骨が重なっているというが。その骨についている貴金属を
    あさっている子供もいる。
ーー
インドはね、撮りすぎるとダメなんだ。インドってのは撮れちゃうから。まわリ三六〇度ぐるりと
一回転して三十六枚押したら、一本フィトストーリーができてしまう。
だからインドへ行った人の写真ってのはみんな同じになる。写りすぎるってことは、
全部撮ってもダメということなんだね。インドは「何を撮らないか」というマイナスの作業でしか
自分の視点が出てこないのね。 加算とかブラス信仰の社会から行うた人からは、
撮らないということも表現であるという発想がなかなか生まれない。
 〜解)これって写真だけを言っているのでなく、全てにいえることじゃないですか。

・・・・・・・・・・
2007年04月06日(金) 2194, 大人のファンタジー読本
    おはよう!♪〜 ヽ(´π`)ノ            
                  ー読書日記 
 ー未知なる扉をひらく180選ー  出版:マックガーデン

この本の副タイトルが、そのまま当てはまる内容である。
    1Pか2Pに一つの小説の概要が書いてある。
    その概要だけで大きくイメージが広がるから不思議である。
    わずか数分の間、ユックリと読んでいるうちに日常を超えて
    ファンタジーな世界に引きずりこまれるのである。

この本は、10年前のパソコン通信の時代からあったネット上の仲間が出会い、
ネット上の語らいからつくり上げた本である。
180選を45人が要約した共同執筆で10年がかりのエネルギーが入っている。
1P〜2Pの要約の中に好きな人の魂が詰まっているから、要約というエキスに引きずりこまれるのだろう。 
これこそ現代の本と云えよう。「エネルギーを使わないで、いつ読んでも現実を忘れられる本がないか?」
と言われれば、間違いなくこの本を勧める。何せ一ヶ月間新幹線の列車の中で読み続けていた本である。

    初めは図書館で借りて読んだが、アマゾンでさっそく発注をした(中古本だが)。
    ファンタジー本は、1980年代にアメリカで「指輪物語」が一大ブームとなり、
   「ナルニア物語」そして「ゲド戦記」などが映画化されている。
    それと最近のブームはやはり「ハリーポッター」映画化である。
    これがファンタジーの世界を変えたと言えよう。この前と後というほど、大きな影響を与えたという。

 ファンタジーは、ハイ・ファンタジーとロー・ファンタジーの二つに分けられる。
・ハイ・ファンタジーとは、まったく架空の世界を創りあげて、そこで色んな人物が
 登場して冒険や旅をする形のもの。『指輪物語』や『ゲド戦記』など・・
・これに対して、昔の伝説をちりばめたり、歴史上の出来事を舞台にして
 語り直したものをロー・ファンタジーという。

    この本の母体になっている翻訳クラブのファンタジーの定義がある、
   「現実にはありえない何らかの法則に従う世界に従う世界を舞台にした物語。
    あるいは、現実のはありえない何らかの法則に従う世界を法則に従う現象を
    主な構成要素とした物語」である。それが、SFやホラーや御伽話とは違う。
    この本は、ハイ・ファンタジーだけでなく、ロー・ファンタジーなども
    多く紹介されていて、ファンタジーの魅力のブックガイドの本といえる。

先日、その中で紹介してあった「トムは真夜中の庭で」を読み始めたら、これが面白い!
小説でファンタジーを読むのが初めてであるが、なるほど、ファンタジーのイメージ世界は何とも夢がある。
列車の中で「獄中記」と交互に読んでいることもあり、内容が極端な段差があるから互いに刺激的になる。
               
               (^o^)ノ バイ! 
・・・・・・・
2006年04月06日(木)
1829, あちら側の世界 −7
    「ウェブ進化論」読書日記 
           (ヾ(。・ω・)ノ☆゚+.オハヨゥゥゥ゚+.☆
ー「アマゾン」とはー

 =この本から「アマゾン」という会社とは何かを要約しながら、考察してみる。
 (このウエブ進化論ー3・ロングテールについてーに重なるが敢えて取り上げる。 
 ロングテールが書籍以外の商品群に広がるからだ。それは全ての流通経路の大変革を予感させる)
 
    IT革命の地殻変動を実感させる、もう一つの会社が「アマゾン」である。
    アマゾン・コムの「ロングテール現象」が、その象徴といえる。 本の流通の関係者といえば、
    インターネットが登場するまでは、出版社と流通業者と書店であった。

今までの流通経路は店舗や倉庫や在庫といった固定費を抱え、
ある程度以上売れる本ーつまり「恐竜の首」で収益を稼ぎ、「ロングテール」
(恐竜の尾の部分ー80%以上の売れない部分)の損失を補う、事業モデルであった。
2004年秋にロングテール論が脚光を浴びたのは、ネットの「アマゾン」が、
この構造を根本から変えてしまったことである。
日本での年間出版点数は約7万点であるが、アマゾンは230万点もの書籍を取り扱うことができる。
売れない本には価格競争がないから利幅も大きい。

    2005年に入って、アマゾン・コムは全売上の約3分の1をリアル書店が在庫を
    持たない本から上げていると発表した。
    インターネットの世界に異変が起こっている分りやすい事例である。

(字数の関係でカット2008年4月6日)

以上だが、最近、本以外の分野に枠を広げてきたが、
アマゾンの本当の恐ろしさが出てくるのは、これからである。
世界中の人が、このネットで本格的に買い物を始めるのは、これからである!
間違いなく、あちら側の世界が、こちら側の世界を大きく変えようとしている。
                   ー (*"・∀・)ノバイバイ!
・・・・・・・
2005年04月06日(水)
1464, 発想名人 −読書日記

最近よく本屋で見かける斉藤孝の本を図書館から数冊借りて読んでいたが、
また「発想名人」を借りて読んでみた。
内容は前の本からみると軽いが、表紙裏の言葉がなかなかよい。

ー『ネガティブな意見を言っている暇があったらアイディアをだせ!』
これが私の最近のスローガンである。すべての現実の困難は、具体的な
アイディアによって乗りこえるものだと私は考えています−

ネガティブな意見を出すのは簡単である。
相手の正反対の視点を設定して正面から突き刺すのである。
私も独りで考える時に、正反の問いかけを何回かしてみる。
その繰り返しの中で問題を掘り下げる。それが、考えることである。
したがって、肯定だけでなく否定の視点も必要である。

計画を練ることは、正反合を繰り返し繰り返ししていくことである。
ネガティブの意見も「異見」として正の立場を逆に見直すことになる。
チームで計画を練ると、否定だけの人がいる。
ネガティブはエネルギーを殆んど使わないで済むことを知っている。
ただ、アイデア・バスターをしていれば済むからだ。 ほぼ対案を持ってない。

特に女性に多い。 亭主の否定をして、稼ぎを当然のように取りあげれば済む。
それも自覚してないケースが多いから泥沼に陥ってしまうケースが多くなる。
判断を相手にさせて失敗した場合に、その非をなじるか、冷笑しているばこと足る。
その辺は巧妙であり、テクニックである。

これを繰り返していると、本人がアイディア欠乏症になる。
ネガティブが体質として身につくと、アイデアー知恵が出てこなくなるのだ。
思考停止になってしまい、武器は否定だけになる。
全ての神経が武器に集中することになるから、アイデアなど出てくるわけが無い。
恐ろしいのは、自分のアイデアさえも否定してしまうことである。
いや、出てこないのだろう。

正・反・合の繰り返しが経験知として蓄積されて知識から知恵へと醸造されてくる。
否定はそこで全て切断してしまい、思考を切断してしまう。
秀才があるところまで行くと、全く成長が停止をしてしまうのは、
アイデアが出てこなくなるからだ。 だから評論家には、このタイプが多くなる。

色いろな人がいるから世の中が成り立つのだろうが、企業活動ではプラスにはならない。
企業は知恵の集合体でなければならない。特に情報化社会では無限にある情報を
選択して知恵に換えていかなくてはならないからだ。
寝ても醒めても、自分の仕事に集中しないと知恵は出てこない。
その知恵を否定するのだから、そのエネルギーの深さが見えなくなる。

考えつくしていると、考えない人の否定が見えてくる。
最後はこの辺に話になってしまうが、
実際のところ自分自身にこそ、その傾向が強いのだろう。
「我内なる否定者」の話でもあるが、 しかし、・・・
口先だけの肯定もあるから何ともいえないが?

・・・・・・・
2004年04月06日(火)
1099, 「80対20」革命 −4

「自分の20佑離好僖ぅ(強み)を見きわめる問い」が考えさせられて面白い!
ー以下に書き写してみる。

△あなたが心底興奮するのは、どんなことに対してか?
 一番熱心になれることは、どんなことか?

△自分が有名になったと想像してみる。
 どんなことなら有名になれるか?

△自分の個性でもっとも特徴的なことは何か。
 人と一番変わっているところは何か?

△何をしているときがもっとも幸せで充実していると思うか?

△一番得意なものは何で、他の人より得意なものは何だろうか?

△どんな役割や仕事がもっとも適していると思うか?

△別の分野や活動で、自分が優れていることがないか、あらためて考えてみる。
 できるだけ現在とかけ離れた意外なものがよい。
 あまり深刻にならない方がよい。

△もし新しいベンチャーを始めて驚くほど成功するとしたら、
 どんな事業であろう?
 想像力をはたらかせて考えてみる

ー以上であるが、
現在の自分について考えてみて書いてみた。
ここでは書けないが、如何に深耕があった部分と、無かった部分が
よく見極めることができた。今回は内容を書くのは控えるが、この随想日記
に殆ど書いてあることばかりである。まあバカの壁を辛辣に見えてしまって
いるからだ。もう見せているから今更だが。全て反省の言葉が多いのが人生と思っているが。

・・・・・・・・
2003年04月06日(日)
732, 「こうすれば良くなる」??

いまの日本の議論で大部分が「こうすればよくなる!」という発想が基点となっている。
これに対して「もうこの発想から脱却すべきではないか?」という論が新聞にあった。
その内容を私なりにアレンジをして書いてみた
ー誰もがいまの日本は縮小すべき時期にきていることを知っている。
それを回復とか現状維持を前提に議論しているから、ますますおかしくなる。
失業率だって今の倍の2〜3倍になってどこが悪い。それで西欧並みでしかない。
日本をとりまく環境が変わってしまったのだから失業が増えて当然である。

 デフレもグローバルになったのだから仕方がない。
どうして日本の経済規模を縮小していくかを真剣に議論すべき時期である。
そうしなくては、自然の暴力にもろに破壊されてしまう。 恐慌というやつにだ。

 いまや株価や土地が20年以上前になっているなら、政府の予算規模も
縮小すべきである。それができないなら、恐慌が起こるのが当然である。
「良くするなどと考えている非常識」がまかり通っている。
思い切って、国家規模ー予算を20年前に戻すべきだと宣言すればよい。
それにしても、箱物や道路や橋や新幹線を造ってしまって、
その借金をもあるから単純にはできない。このジレンマからいつ抜け出る事ができるのだろうか?

ー以上になる。
人の意見をこうアレンジして書いてみると、これが自分の意見になるのだ。
なるほどと、自分でも感心する。大体がこんなものだから批評家が存在するのだろう。

・・・・・・・・・
2002年04月06日(土)
368,リオのカーニバル

いまTVをつけたら、NHKのハイビジョンで「リオのカーニバル」をやっていた。
2時間があっという間に過ぎてしまった。
7年前に行った内容をコピーしておくが、本当に素晴らしい内容であった。

今見ている内容は当時に比べ、かなり豪華にかつ派手になっているようだ。
カーニバルは元々はヨーロッパで行われていた、キリスト教のお祭りである。
南米の農園に売られていった奴隷が、一年に一度のカーニバルに与えられる休日に輪を作って
歌い踊ったという。普段でも彼らの楽しみは歌と踊りだけで、それが段々サンバに変わっていったという。
1888年に奴隷制度が廃止された時、彼らはリオに仕事を求めていった。
彼らはグループを作って踊っていたが、そのそのトップクラスと準トップクラスが正式に会場で競う。

それぞれチームごとにテーマがあり、それによってストーリがある。
それにより、衣装や歌や踊りが決まってくる。
上位のチームにそれぞれのチームにスポンサーが付いているという。
それぞれ項目があって、厳格の審査のうえで順位が決まる。
去年から見ているが、ハイビジョンのせいもあるが素晴らしい。
一年は全て、カーニバルを中心に回っている。
ーーーーーーー
H0703ブラジル旅行記

“行って吃驚!玉手箱”主観をこめて現地の実感を書いてみる。
カーニバルはリオディジャネロだけでなく、全国津々浦々の都市で行われており、
四日間全国がお祭りの為休みとなる。その最も有名で世界的に知られているのがリオのそれ。
リオのカーニバルのランクがA・B・CとなっておりAランクが9チーム、
Bランクが15〜16チーム、Cランクは数十チームとなっている。

AとBチームが特設スタジオのメーン、ストリー850mを80分の持時間で
踊りながら行進する。そこは六万人の観客席があり、審判席で厳格に審査され、
その年の優勝等順位があらそわれる。そのチケットは一般の人はほとんど入手不可能である。
我々のTV新聞等で目にするのはCチームが街頭で行進するものでしかなかった。

チームは四千名が1チームで構成されており、それが約500名×8チームに細分化され、
統一のコンセプトのもとに仮装が華やかにつくられている。
音楽も各チームごとに毎年新しいコンセプトのもとに有名作曲家が名誉をかけてつくる。
その作曲も採点の大きなポイントになるという。
一日6〜8チームが夜の七時より翌朝の七時まで延々と踊りの行進が続く。
観客席もその行進曲にあわせて半数以上が踊っている。

音響もすさまじく隣の人の声は全く聞こえない。
上位数チームが翌週の土曜日に優勝をかけて再び行進がおこなわれる。
優勝チームは10億以上の賞金がつき、かつ翌年に向けてのよいスポンサーが約束される。
その年の山車とか衣装は翌年に持ちこさずすべて破棄するという。
カーニバルをみていて“気”とか“色即是空”とか“禅の悟り”がすべて含まれており、
東洋的なこのような言葉が小さくみすばらしくさえ思えるくらいだ。

 ブラジルの印象として残ったイメージとして、キーワードを書くと
“サッカー”と“サンバ”(カーニバル)と“森林”と“イグアスの滝”
そして“汚職まみれの国”である。  さらに加えるなら“まずしさ”である。

・・・・・・・
 ーお笑いー
<新しいメイド >

 家内を呼んでくれと頼んだら、男と寝室にいると言う。
 頭にきたその男、メイドに書斎の机にある銃で、二人を撃ち殺すよう命じた。
 暫くすると、二発の銃声が聞こえた後、電話口で今殺してきましたとのこと。
 ついでに、死体を庭のプールに投げ込むように命じた。
 暫くすると、メイドが電話口で
            ‘庭にプールはありません!’


2558, 爪もみ療法

2008年04月05日(土)


ある本を読んでいたら、「爪もみ療法」という聞きなれない健康法があった。
そこで早速ネットで調べてみたら、以下のようにあった。
 〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 【爪もみのやり方】
…泙寮犬┐わの角を反対側の手の親指と人さし指で両側からつまんで揉みます。
一カ所を十秒ずつ、症状に対応する指は二十秒ずつ、揉みます。
0幣紊魄貽に二から三度行います。
ぞし痛いくらいの強さで刺激する。
ヌ指だけを揉むことは避ける。
(薬指は交感神経を刺激する指のため。他の四本指の刺激と一緒に行なう)
  以上は福田稔医師が考案した療法の簡単バージョン。
 爪もみ療法が効果を発揮するのは、すべての病気で、効果があるようだ。
 ーー
他のブログには、
{ 親指・人差し指・小指の手指の爪の生え際と第一関節の間くらいにあるツボを、
順に反対の親指と人差し指の腹で20〜30秒ほど「いた気持ちいい」くらいの強さで押しながら
指全体をねじるようにして刺激します。ツボだけを押す爪もみよりも、経絡全体に刺激を与えられるので、
肩こり解消の効果が高いそうです。薬指の肩を通る経絡(気の通る経路)の肺経・大腸経・心経・小腸経
それぞれに様々なツボがありますが、れらの中で比較的簡単に押せるのが爪の生え際と
第1関節の間くらいに位置するツボです。1日に爪もみをする時間を決めて毎日行うのがよいです。
個人差がありますので、爪もみ効果がでにくい場合は、爪もみの時間をながくすると良い。
足の指を通る経路の中に肩を通る経路もあるので、爪もみは手だけでなく足の指でも効果がある。
おすすめは小指です。 }とあった。

  下記は福田稔医師が考案した本格的療法である。
  ー
{ 爪もみは、注射針やレーザーを使って爪の生えぎわを含む全身の治療点を刺激していく、
「自律神経免疫療法(医師や歯科医師が行う)」を応用した家庭療法で、
自律神経を整える効果があるという。
自律神経のバランスを整えれば免疫力が高まり病気を遠ざけることになる
「白血球の自律神経支配の法則(福田-安保理論)」に基づく治療法。
爪の生えぎわは神経繊維が密集する非常に感受性の高い場所なのでここを押しもみして刺激すと
刺激が瞬時に自律神経に伝わり交感神経に傾いた自律神経の働きを副交感神経優位に導いて、
白血球の中のリンパ球を増やし免疫力を回復させることができる。 }

 〜〜〜〜〜〜〜〜
以上だが、簡単バージョンなら通勤途上で、気楽に出来るので実行するするつもりである。
最近亡くなった作家兼ロシア語通訳の米原万理が紹介していたものだが、
本人は本格的な、この療法を専門医に受けたがあまり効果がなかったようだ。
しかし簡単バージョンなら、病気予防でも健康法にでも、やり続ける価値がありそうである。
20年位前に、一時足もみ療法が流行った。理屈からみても万遍なく足をもみ続けて悪いわけがない。
それ以来、入浴時に5分間は足の指の間に反対側の手の指を挟んで、もみ続けている。
もんだ後には首筋と、目が楽になるのがわかる。

・・・・・・・・・
2007年04月05日(木) 2193, やまあらしのジレンマ
    オッ(*^○^*)ハ〜ヨウ!

ショーペンハウエルの「やまあらしのジレンマ」の話が面白い。
 まずは、その内容から
 ーー
あるところに二匹のやまあらしがいた。
冬の朝、寒いので二匹のやまあらしは互いに暖めあおうとして身を寄せあった。
しかしあまりに近く身を寄せあった二匹のやまあらしは
自分の体に生えているハリで互いに傷つけてしまった。

   そのため二匹のやまあらしは相手から離れたが、また寒くなった。
   そこでふたたび二匹のやまあらしは身を寄せあったが、また互いに相手を傷つけてしまう。
   このように二匹のやまあらしは離れたり近づいたりを繰り返し、ようやく「最適の距離」を見いだした。
 ーー
この寓話は、我々の心は「寒さ」と「痛み」のジレンマの中でしか
「最適の距離」を見いだすことができないことを提示している。
やまあらしのトゲとは、人間の自我(欲望や、社会的立場、感情)をいう。
青年期は自我の一番強い時期、だから青春期の恋愛は、
トゲとトゲの刺しあいになり、愛しあうほど傷つけあうことになる。
その繰り返しの中から、お互いの最適な距離感を身につけることになる。
 青年期は、傷つきやすい時期でもある。

    その傷の癒しを他の対象に求め、そこで更に深く傷つくのがあたり相場。
    癒しを他に求めること自体が次の傷をつくる準備をしていることになる。
    そのこと気づかないのが若さからくる無知である。
    孤独は人間の本質的なことであり、それをしっかりと自覚していないと、
    傷口がどんどん広がり、化膿していく。 

夫婦関係にも言えることである。
トゲとトゲの差し合いを今だしているが、互いの皮膚が30数年の結果、
痛みを殆ど感じなくなってしまった。適当の距離感とは、=あまり親密にならないこと!である。
青年期に女性も友人も、ある距離に近づくとトゲが全身から出るのを感じとった。
あれが、自我だったのだ。  今もそうだが! トゲは必要である! 自己を守るためにも。
   しかしトゲの先は丸くしておかなければならない!     
                     ホンジャ、バアアイ 
                   ♪♪((((*`・´))ノ ♪♪
----------------
2006年04月05日(水)
1828, ずっとやりたかったことを、やりなさい−5
        ゜+.(ノ*・ω・)ノ*.オハヨオォォ☆゜・:*☆
               -読書日記
  ーアーティスト・デートー

   「人は皆、内なるアーティストをその心に抱えており、
    今までの経験や年齢等に関係なくアーティストとしての創造性を秘めている。
    そして誰でもカンタンに(もちろん継続と努力は必要だが)
    その才能にアクセスする方法がある」という。

ここで誤解しないでもらいたいのは、アーティストの才能とは
画家・音楽家・歌手・陶芸家・舞踏家といった俗にいう「アーティスト」
だけを表すものではなく、全ての職業に共通して求められる「創造性」の開花をいう。
その意味で、全ての人を対象にした才能開花術である。
特にクリエイターの方々(デザイナー、各種コーディネーター、ライター)には参考になる方法である。

    机上の空論ではな、才能開花のための実践的なトレーニング法が
    12週間という具体的なプランに落としこまれたトレーニングプログラムである。
    本を読みすすめていきながら書かれている通りに、一週間約30ページずつ、作業を進めていけばよい。
    そのプログラムの核ともなるべきものが「モーニング・ページ」と「アーティスト・デート」。
    先々回はモーニング・ページを紹介した。今回は「アーティスト・デート」である。

ーその一部を本文より抜粋してみると…
アーティスト・デートとは具体的に何なのか?それは週に二時間程度のまとまった時間をとって、
あなたの創造性の象徴である「内なるアーティスト」の育成に専念することだ。
もっとも基本的な形を言えば「アーティスト・デート」とは旅行であり、
あらかじめ日時を指定しておくデートであり、他人の進入を禁じた時間だ。

    「アーティスト・デート」には部外者を同行させてはいけない。
     行ってもいいのはあなたと、あなたの「内なるアーティスト」、
     つまりあなたの「想像する子供」だけだ。
     恋人も、友人も、配偶者も、子供もだめ −どんな肩書きの人もお断りだ…
   ーー
 以上だが、要約すると
「週に二時間ほど自由な時間をとって、その時間だけは自分が好きなアートを好き勝手にやりなさい」
ということ。私は読んだとき、私が毎朝しているウォーキングが正に「アーティスト・デート」と気づいた。

   ーそれ以外にこの本で印象的なことを抜粋してみる。
   《怒りは耳を傾けてもらいたがってる。怒りは声であり、叫びであり、懇願であり、要求である。
    怒りは敬意を払ってもらいたいのだ。というのも、それは心の地図だからである。
    怒りは私たちの限界がどこにあり、私たちがどこに向かいたがっているか教えてくれる。
    また、自分が現状に満足できなくなっていることを知らせてくれる。・・・
    怠惰、無関心、絶望は敵だが、怒りはそうではない。怒りは友達である。
    素敵な友達でも、やさしい友達でもないが、きわめて誠実な友達だ。
    それは私たちが裏切られたときや自分自身を裏切った時、かならず知らせてくれる。
    そして、自分の興味に従って行動するときであることを告げてくれる。
    怒り自体は行動ではない。行動への招待である。》

     《アートとは、みずからを社会にさらす行為である。
     アートは物事に光を当て、私たちを照らし出す。
     そして、私たちの中に残っている暗闇に一条の光を当て、
    「みえるでしょう?」と語りかける。
     あるものを見たくないと思っている人たちは、
     それを見せる者に怒りを覚え、徹底的に糾弾する。》
     《真摯な表現はクロゼットを開け、地下室や屋根裏に新しい風を
     送り込み癒しをもたらす。》
     ーー

  ずっとやりたかったことを見つけ、それを時間をかけてやりなさい!
   ということか。
              ΒΥΕ.._〆('Д'*⊂⌒`つ
・・・・・・・・
2005年04月05日(火)
1463, 「虚構の王国」−NHKスペシャル

一月前ほど前、このHPで堤義明のことを書いた。
ところが、その内容についてTBSの記者から電話が入った。
「自民党の歴代の派閥の長が首相になると3億の祝儀を彼が云々・・」と書いたが、
そのニュースソースを知りたいとの問い合わせで、「翌日の、報道番組に取り上げたい」。
キーワードで検索をして、知ったようだ。
「ヤバイことを書いてしまった!」と、少しパニック状態になってしまった。

しかし、10年程前には誰も知っていた話である。
年代が変わったのだろうと、知人に何人か聞いてみたところ、
「現在はどうかわからないが、当時は流布していた」と聞いてホッとした。

ところで先日、NHKスペシャルで「虚構の王国」
 ー西武鉄道・土地神話の五輪計画とサミット・闇の株式取引ー
というテーマのドキュメントを放送していた。
 その最後のナレーターの言葉が印象的であった。
「虚構の王国の向こうに見えたのは、戦後日本の実像である」
この言葉は、現在の日本のバブルの崩壊の姿そのものである。

インフレ時代の勝ち組が、現在負け組に変わっている。
最後のバブル崩壊の象徴として西武が浮かび上がってきた。
担保に入れていた西武鉄道の株が上場廃止になってしまい、実質債務超過になってしまった。
それをキッカケに、隠れていた事業のボロが露出してしまった。
その具体的な内容のドキュメントであったから、見ごたえがあった。
多かれ少なかれ、時代の流れの中で誰もが出会った現象である。

不景気の直撃がレジャー産業に直撃。更に、海外にレジャーの鉾先が向かってしまった。
レジャーもグローバル化が生じたのである。
そのため西武ー国土の思惑が全く崩れ去ってしまった。
日本中の観光産業は、その直撃で生死の境を彷徨っているのが現状である。

ここにきて、あらゆる分野で根底から変化の現象が現われてきている。
全ての国民にとって、他人事の話でないのが深刻である。
−−
以下は、先月書いた西武鉄道の内容である。
あぶないところは、かなり書き換えてあるが。

ーーーー
2004/04/15  1108, 西武鉄道・堤会長の辞任
(以下、字数の関係上カット2008年04月05日)

・・・・・・・
2004年04月05日(月)  1098, 拾い物

拾い物は殆ど無いが、それでも幾つか記憶が残っている。
10年ほど前になるが、池袋のサンシャイン・ビルで何かの研修で行った時のこと。
腹の具合が悪くなりトイレに駆け込んだところ、カードと現金が数万も入った財布が忘れてあった。
現金だけを抜くという手もあるのかなと頭によぎったが、過去に一回も
そういう経験をしたこともないし、良心に対してマイナスになる。

早速、案内嬢のところに持っていくと、係わり合いになりたくないというのがアリアリ。
警備の受付のところに直接持っていけという。
電話をして呼べばよいのに、本人はタダタダ面倒でイヤだという態度。
(西武系は流通・鉄道系両方ともお客に対して不遜のところがある)
言われたところに行っても、その事務所がない。
乗りかかった舟、聞き歩いてやっとのことで警備事務所に届けた。

本人からは礼の葉書が一枚届いただけだが、なるほどと思った。
30分以上も歩き回り、その上書類にこと細かく内容を書かされた相手の好意がわかる由はない。
数年前の、通勤の新幹線で高崎と小田原の回数券を10枚近く拾った。
これも新潟の駅前の交番に届け出たが、彼等は直ぐに権利放棄書にサインしろと
いわれ、何か釈然としない嫌な感じを持った。

そう考えると拾い物は殆どないということだ。
そういえば新幹線で皆が降りるのを待っている人がいる。
そしてキョロキョロ見て回っている。週刊誌の面白そうなものを漁っているのだろうが。
もし悪意があるなら、忘れ物を2両でも探したら一年に一度は何かに行き当たるだろう。
考えること自体が卑しいことだ。

・・・・・・・・・
2003年04月05日(土)  
731, 前提を疑ってかかるという事
 「縦社会の人間関係」

「縦社会の人間関係」という中根千枝の本を学生時代のゼミで読まされ、
それに対する議論をした事を思い出した。

ー要旨は
「日本社会は蛸壺のように縦社会になっている。
これは島国特有の社会であると同時に、江戸時代の藩体制がそれぞれの縦社会を
つくった。西欧社会はそれに対して資格社会であり、横社会である」であった。
日本社会の人間関係は、個人主義・契約精神の根づいた欧米とは、大きな相違をみせている。
「場」を強調し「ウチ」「ソト」を強く意識する日本的社会構造にはどのような条件が考えられるか。 
「単一社会の理論」によりその本質をとらえている。日本社会の人間関係は、個人主義・契約精神の
根づいた欧米とは、大きな相違をみせているー等々である。

 なるほどそのとおりであると納得したが、そこで問題にしていたのが
その縦社会という視点そのものが、はたして正しいのだろうかという提示であった。
「何々それってどういうことなんだ??」
私が考えていたのは、それぞれの部分の成否でしかなかったのだ。
根底ー前提から、それがはたして正しいかどうかを疑う姿勢こそ科学の第一歩である。
日本社会こそ「横社会ではないだろうか?」という仮説である。

 逆に資格社会ー横社会であるという仮説をたてると、縦社会と同じように説得力があるのだ。
「士農工商」という身分社会が大きく社会に残っている日本こそ、縦社会でなく横社会とも
いえるのではないだろうか。その中でも殿様,家老、老中などそれぞれの階級があった。
そしてその資格は日本のどこでも通用するものであった。
インドのカースト制度は5百数十種類の身分が細かく決められている。
横社会そのものだが、個々の立場に立てば縦社会といえる。

この時に、なるほど前提を盲信してしまう自分の無知の限界を初めて知った。
常に前提を疑ってみる必要性をこの時より身につけた時だった。

・・・・・・・・・
2002年04月05日(金)
367,「携帯TV電話」は究極の情報機器。

5年前、マスコミで聞いた内容である。それが今年から始まったのである。
「携帯電話」が我々の生活を劇的に変えた。いや社会を変えてしまった。
 空間の溝を取り払ってしまった。
それ以上に「携帯TV電話」が社会のありようを変えてしまうだろう。
これにそれぞれの場所にカメラが設置して、それにリンクすれば、
一瞬にして世界中の何処でも見ることが可能になる。

現在でもそのサイトが多くある。
これにデジタルTVをリンクさせれば、想像を超えた使い方が可能になる。
インターネットを使っていて、こんな時代が来るとは思ってもいなかった。
それが更に劇的な「携帯TV電話」が普及する時代とは驚きだ。
昨日もソニーの出井会長がNHKノインタビュウで、
情報機器の進歩により、この10年後は世界が劇的に変わっていると言っていた。
これに期待しすぎて、先行投資で電気メーカが苦境に陥っていることも事実だが。

・・・・・・・・

ースナックジョーク
(ママかホステスをからかうジョーク)ひとつ
  
森に一匹のメス鹿が迷い込んだ。 向こうからきた狼に森の出口を聞いた。
狼「ひとつヤラセテクレタラ教ええあげる」
もちろん断り、向こうからきたトラに聞いた
虎「ひとつヤラセタラ教えてあげる」もちろん断った。
熊も狐も同じ答えだった。 それでも何とか森から出ることができた。

そこでママ(かホステス)に
「どうして出ることができたか知ってる?」
ママ「・・・・・・・・???」
「ひとつヤラセテクレタラ教えてあげる」


2557, 印度放浪 −2

2008年04月04日(金)


  この本に著者・藤原新也の《語録》というコーナーがあるが、深い言葉が次々と出てくる。
  40年前の25歳の言葉だから恐れ入る。 印度という国が、彼の精神を育てたのか、
  元々持っていた素養なのか。 読んでいるうちに、いつの間にか自分と比べている。
  そして、小さな世界の中で、小さな習慣に甘んじている自分が浮かび上がってくる。
   比べること自体がおかしいが。
  その一部を抜粋してみる。

  ーーインドへの準備はとういうものだったんですかーー
 
二つある。捨てること。それに準備しないこと。僕の場合はね。学校。アパート。
家具。本。捨てて支障のないものは全部捨てたり、売り払ったりしたんだけど、
そうしてみると、案外ほとんど自分の身の回りのものに切実に必要なものは、
歯ブラシぐらいのものってことがわかる。 さっぱりしたよ。
 準備しないってのはね。情報を一切入れなかったことだね。旅の目的地に関する。
情報を入れれば入れるほど安心はふくらむけど、実像は遠ざかるよ。
十人の人が同じ情報を頭にぶち込んで「自由の女神」を見た場合、皆同じようにしか見えないんだね。
今の情報化社会の旅はこの病が恐ろしく深い。 むしろ実像を見るのが怖いってことなのかな。
実像が自分を侵さないように情報によって保護膜を作ってるのかも知れないね。
 〜〜解) 初めて欧州に行ったときの感激は、一切情報を入れてなかったのが良かった。
      当時は、旅行のショックで精神を病む人が多かった。
      現在は、あまりに前知識が多く、感動の幅が小さくなってしまう。
 ーー
物ができあがって滅びて死んで行って土に戻り、また別の何かの型をとって再生するという
大きなサイクルがあるでしょう。それはやはり自然物でないと表現されないわけですね。
そういう環境を目の前に持てなければやはり彼岸とかあの世、
この世といった感性は生まれにくいんですね。
 〜〜解) 現在の情報社会の一番の欠陥であろう。若者の質の劣化も、こういう部分がある。
 ーー
インドだかといって聖人.善人、素朴な人ばかりってわけじゃない。
悪人、俗人が入り乱れて人間博覧会みたいだね。日本はその幅が平均的だけど、
インドの場合は聖と俗の幅が驚くほどかけ離れている。カーストが百くらいあるとすると、
それほど人間の格=聖と俗のパリエーションがある。どのバリエーションの格でつきあうかで
自分の格が見えるんだね。類は類を呼ぶって言うでしょ。旅はまさにこれだね。
くだらない旅をしてる時は、くだらない奴とつきあってる。ふっきれたいい旅をしてる時は、
百の中の八十とか九十あたりの高い人間ととつきあっている。
しかし、高い人格の人間と出会う旅=いい旅、ということでもない。 
どうにもならない奴から、次元の高い奴まで、どれだけバリエーションが旅の中に展開されたかだね。
それが旅の豊かさだと思う。
 〜〜解) インドは、人間博覧会が露出されているから、面白い。建前も本音もない。そのまま。
      それが日本と対照的である。島国と大陸という環境の差もある。
 ーー
インドでのカーストというのは肌の色でもあるわけです。
日本からインドへ行くと、最初のうちは色も白いし、身なりも汚れてないわけですよ。
それが二ヵ月、三ヵ月いるにしたがって、色も黒くなって、服も汚れてくる。
そうするとまわりの反応も変ってくる。カーストが次第に下ってくるんだね。
乞食の対応もだんだん変ってくる(笑)。僕は最初の旅のとき、半年くらいで乞食から無視された。
無視されると、意外とこれが寂しいもんですよ(笑)。だんだん彼らと同じようになってくると、
初めは街を歩いていて一日に十人ぐらい寄ってきたのが、ポツポツやんできて、
最後には誰も見向きもしてくれない。ちょっと見捨てられたような感じもするのね(笑)。
 〜〜解) 白、赤、黄、黒と肌の色で身分が分かれているというのも露骨である。
      シンプルで良いことは良いが!


ーーヒンドゥ教は具体的な物と形而上的世界が一体となったような宗教らしいですが、
  その物を通して抽象世界・あの世が見えるというような世界は、藤原さんの写真の世界に近いですね。ーー

それは意識によってそう見えるというのではなくて、存在の仕方としてすでにあるわけです。
例えばアフリカへ行くと物の見え方が無意味になるんですよ、不思議なことに。
インドで、例えば太陽がバッと照って、石とか木とかに当るとその物の背後にイメージというか、
その存在の意味が立ち上がるということがあるところがアフリカだとこれが逆なんですね。
つまり光が当ると、物から意味がどんどんはがれて行って、ただ「在る」ということだけの世界になって行く。
トウモロコシ畑とかハイウェイとか、ビカビカの黒人の頭とか、それが全部等質の光を帯びてくる。
アフリカというのはインドとはちがった意味で原質の世界だな、と思いました。
石、と言ったら石以外の何物でもない世界なんだな。
インドだったら、石と言ったら、石の背後に何かの隠喩が働く。
どちらがすごいかと言ったら、インドの方が深いけど、アフリカの方がふっ切れている。
 〜〜解)宗教という文化の差だろうが・・・

・・・・・・・・・
2007年04月04日(水)
2192, 人生とナメクジの線
              オッ(*^○^*)ハ〜ヨウ!
   「キャリア」の語源は、ナメクジが這った後に残る線という。思わず噴出してしまったが、
    人生もナメクジの這った跡の線と思えば、何も深刻ぶることはない。
    
    這っていく前には線は見えないが、後ろにはまるで道のように跡が残り、
    その跡が進むべき方向を示しているようでもある。
    我われが、明日を考える時に、やはりナメクジの跡の線と同じように
    歩んできた自分だけの線を振り返る必要がある。

ナメクジの優劣や跡の線など、それが如何したとみれば、悩みの殆どは消える。
そういう喩えをみると、さらに展開をしたくなる。
そこで思いつくのが、家付きのナメクジ?、そうカタツムリである。
家が無いカタツムリをナメクジとみれば、我われの持ち家など持つことはない。
これでは話が面白くないので、「塩という世間を這いまわり自分の身体を溶かしながら生きるのが人生」
と考えると尤もらしい言葉になる。

  ひろ さちや著のー「狂い」のすすめーの中にあった一節を思い出した。
 *そこを抜粋すると*
「カタツムリが旅に出て、ナメクジになって帰ってくる」
私たちは常識や既成概念、世間の物差しを持っています。
そういう殻を背負ったカタツムリが旅をするのは、そうした殻を捨てるためです。
殻を捨ててナメクジになって帰ってくる。そうした気持ちの旅こそ、最高の旅である。
たとえば、インドの貧困だって、貧困を悪いものだとみるカタツムリでなく、
貧困もよいものじゃないかというナメクジの目でみることができれば、素晴らしい旅になるはずです。
 インドの子供の裸足を見て「かわいそうに・・」と思うかもしれませんが、
「裸足のどこが悪いんだ、上等の靴を履かされて、重い鞄を持って塾通いと、
裸足でのびのびと遊んでいるインドの子供と、どちらが幸福なんだ・・・?」とね。
    −−
    土手を歩いていると、よくカタツムリが道を横断している。
    しっかりと、その跡がついているのだが、彼らとて大変である。
    雀とカラスの丁度良い餌になったり歩行者に踏むつぶされ、
    線が横断途中で途切れているのを見かける。

 お悩みの諸君!悩んでいる自分をナメクジと鳥瞰した喩えで笑えるなら、
もう半分は悩みは解決しています。
                  (⌒▽⌒)/"”さいなら!
・・・・・・・・・
2006年04月04日(火)
1827, 日本一短い手紙「私へ」    才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*)
                 −読書日記 
                 
「私へ」の手紙}といえば哲学的にいえば、{即自から対自への手紙}ということになる。
だから万人に共通する言葉であり、一言一言が響いてくる!
あの歳の、あの場所で、あのケースで、呟いていた自問自答の言葉がある。
これほど奇麗事の言葉ではなかった。
ふて寝をしながら、涙を溢しながら、時間の過ぎるのを待つしかなかった。
こんな言葉が心の奥から聞こえてきたら、あれだけ傷はつかなかっただろう。

    この本の中で「私にしかできないことがある。きっとある。今は分からない。」
    という言葉がある。 この言葉には、希望と明るさがある。
    絶望の海に溺れてしまった息苦しさの上の言葉には聞こえない。
    「私へ」という自分が、そこにある! それだけで、明るさがある!
    それでよいが。私の自分への言葉を、いま思いついたまま書いてみる。
 −−
 まあ、いいじゃないか!
 それで、いいじゃないか!
 これしか、なかったじゃないか!
 それも、これも、 どうでも、いいじゃないか!
 
 ほんとうに、これでよかったのか?
 ほんとうに、あれでよかったというのか?
 
 まあ、いいじゃないか! これで!
 他に、しかたなかったじゃないか!
 ー
    歳を重ねると、こういう自問自答が多くなるのだろう。
    それが老いるということである。 気持ちは青年のままでいたいものだ!
 せめて年寄り臭い奴の傍には近寄らないことである。そのためには常に感動、感激を求めることだ。               
           お茶どうぞ 且_(゚◇゚ )ノ゙
ーー
日本一短い手紙「私へ」
 一筆啓上賞

おいおい そんなに落ち込むなって
人生少しわかりかけてきたじゃないか。    浅原昭子 青森県黒石市 40歳

お前の大きな財産の一つは、
いじめの痛みを知ってることだ。       荒平翔太 熊本県菊池郡合志町 17歳

コノセカイニ アタシハヒトリダケ
ソレハアタシヲ ツヨクスル         海道志寿佳 福井県坂井郡丸岡町 18歳

ずっと“いい子”の私。
やめたいのに本当の私を忘れてしまった。
私は何がしたいの?             金島道子 広島県庄原市 17歳

私にしかできないことがある。きっとある。
今は分からない。
でもある。きっとある。           黒木かつよ 宮崎県児湯郡都農町 19歳

あなたの心の悲鳴。聞きとれるのは私だけ。
私とあなたの寂しい関係。          竹田飛鳥 東京都江東区 15歳

お願い、黙って、私が努力している綺麗な夢の孵化を、手伝って… 陳許玉蘭 台湾 72歳 主婦

一人で来たブラジルだけど、今は五人。
俺が我家のル−ツとはくすぐったくなるな。  堤剛太 ブラジル 52歳 会社員

アホでいるこっちゃ。オサキにやるこっちゃ。
エライこといわんこっちゃ。         根市政志 青森県三戸郡福地村 65歳 無職

過去の僕よ、犬を飼わないほうがいい、別れる時が、辛いから。          
                      野村朋史 神奈川県藤沢市 14歳 中学3年生
-------
他にも、多くの印象的な言葉があった!
その一つが以下の言葉である。自分に壁を作るのはやめよう。
見えるものも見えなくなるから。自分の可能性は限りないから。

ー自分の現在の壁に気がついているのだろうか?タダ、その気持ちはだいじだが。
次は、これ以外の響いた幾つかを抜粋してみる。
    ε(´',_c')зβyё☆βyёε('c_,'`)з゛
        
・・・・・・・・・
2005年04月04日(月)
1462, 永遠に生きるように学べ

学生時代に、「永遠に生きるように学べ、そして明日死ぬかのように生きろ」
という言葉に出あった。最近、再びある本で出会ったが、年齢を重ねたためか、
この言葉の重さ・深さを改めて実感する。
母親が向学心が強い人で、その後姿を見ていたので死ぬまで勉強の必要性は感じていた。
その都度、自分も社会も変化していくのだから、
基盤も変えていかなくてはならないのは至極当然のことである。

年齢を重ねるほど、経験の裏づけが多くあるので吸収度が高くなる。
せっかく地球に生まれてきて、80年の時間を貰ったのだから、
地球のこと、宇宙のこと、そして人間が長年かけて積み上げてきた知識・文化を
可能な限り見て・知って・経験するのが、人間の生きる最大の目的になる。

自分で意識をしてこの言葉を自問していないと、虚脱感の強い・虚無的な人になってしまう。
「もう歳だから何で勉強をする必要があろうか」
「まあ世間様と同じように何事なく生きていれば良い」と何もしない生き方になってしまう。
それならまだしも、真っ当に生きている人に対して批判をするのが
趣味になってしまうから、自分に対して更に害を及ぼすのを自覚できない。
90涌幣紂が、私の見る限りそうである。 いや、もっと多いか。

その辺で老人同士が、いい歳をして人の悪口を言っているのをみると、思わず顔をそむけてしまう。
それまで生きてきたようにしか歳をとれないのはわかるが。

「永遠に生きるように学べ」は「死ぬまで勉強」と、同義語であるが、
響きが明るいのが良い。「明日死ぬかのように生きろ」は人生のコツである。
明日死ぬかもしれないのが人生である。だから「いま、ここ」を大事に生きなくてはならない。
一期一会である。 いま、ここの一瞬は永遠である。生きているとつくづく、このことを実感する。

この随想日記も、そう思って気持ちを集中している。何十年後に子供が読んでも、
この今の一瞬の集中の閃きは、そのまま言葉の中に永遠に篭っているはずである。
若き老人達よ,この言葉を自分の手帳に書いて、繰り返し読むことを勧める。
最低千回は口ばんでみるべし。「15歳で自分の人生を投げ出してしまった貴方のこと!」

「自分のこと!?」 「そう!」
 
・・・・・・・
2004年04月04日(日) 1097, 落し物

 散歩をしていたら熱くなってきたので、ベストジャケットを脱いだ。
持っていた折りたたみ傘をそのジャケットに入れたところ、いつの間にか
無くなっていた。傘はどういうわけか愛着がある。
散歩道で15分前にジャケットを脱いだのでその時落としたのだろうと、その道を取って返した。

ほとんど誰も歩いてなかったので、そのまま落ちているだろうと下を向いて
道を探したが見当たらない。いま時、傘を拾う人もいないだろうにと思い
拾った人は(私なら)如何するだろうかと考えた。
「おそらく目立つところに置くのでは?」と思い浮かんだ。橋の欄干ではないか。
今度は下でなく、目立つところ見て歩いたら、やはり橋の欄干に置いてあった。
拾った人が分かるようにそうしたのだろう。いまの日本人にはそういうところが残っている。

 傘は平均2年に一度は無くすが、後味の悪さがどうしても残る。
新幹線通勤で降りた瞬間、気がついて何度か引き返したことがある。
15年前、生の現金を封筒に入れたまま、数万円を落としたことがある。
泥酔をしての事だ。長岡駅の交番にいったところ、うけあってもらえなかった。
「奥さんに言えない金を使ってしまって、狂言ではないか」と言われた。
怒りさえでなかった。「なるほど、そういう見方もあるんだ!」と驚いてしまった。
じつをいうと、数万入った財布をいま一度落としたことがある。この時も出てこなかった。

学生時代に5000円の入った財布を落としたことがあった。それは警察に届いていた。
500円のお菓子を持ってお礼に行ったことがあった。明日は、拾い物について書いてみる。
拾い物は以外と少ないものだ。落し物は数知れずだが、記憶に残るものはこんなものだろう。
 
・・・・・・・
2003年04月04日(金)
730, 「ほめ芸王」ー読書日記

ー褒め上手は芸のうち
営業を何年もやっているうちに身につける芸である。
口先だけの営業手段として、ただで一番効果のある手段だ。
十年以上営業をしていれば、営業術から営業芸にランクアップしてしまっている。
キーマンに会ったときの枕詞として、「さて今日は何の褒めネタでいくか?」
と考える。それが営業の第一歩であり、まずは切り口となる。
今日の芸はどの程度であったかを日記に克明につけたらプロであろうが。
「どっこいしょ」と持ちあげて、次に相手を落とすのだ。
「どっこいしょ日記」に、おだて上げと落としの日記を克明に書けば
いかに人間は幼いものと解ってくるだろう。 人間は誰も褒めて欲しいのだ!

ー「ほめ芸王」の内容の一部を抜粋する
・わたしはほめない、ほめちぎるのだ。
 ほめるのでは足りない、ほめちぎらなと、ほめたうちにならない。
・「ほめ下手の人は、ほめているものの、相手を見下げている。
 ほめるということは、見上げる事である」
 −これは言いえて妙である。「このことに関しては全然あなたの方が
 上ですね」という言い方にすれば、相手も受け入れる。
・「ほめることは簡単だ。しかしほめ続けることはむずかしい」という。
・「感嘆」に勝るほめ言葉はない。
・ほめるとは相手を語ることではない、自分を語ることである。
 自分のほめ方は自分にしかできない。
・相手をほめることで、自分自身の存在を確認する事ができるのだ。
 神様の心にならなくては、ほめることができない。
 ほめることで神様の心になれるのだ。 怒った顔で、ほめる人はいない。
 ほめる時、人は誰でも、神様になれるのだ。
 ほめるとは、感動である。
 ほめるとは、感謝である。
 ほめるとは、感激である。
 ほめることで、二人の人が幸せになる。
 一人は相手。そしてもう一人は、あなた自身なのだ。

感想ーどうもほめる事は難しい。自信がないのだろか。
やはり営業でそうせざるを得ない立場の人は身についている。
私がほめると効果てき面だが、軽々しくほめたくはない。
まずは顔色からほめるのもよいが。家内を実験台に少し始めてみるか!
少なくとも貶すのはやめよう!

・・・・・・・
2002年04月04日(木)
366, 速読法

先回も書いたが、速読法という本を読んでいて吃驚した。
一つ一つの語句に目を合わせるのでなくて、一度にページ全体を眺め、フォトフォカス状態で
文書を眺める。意識下でなく、無意識下でその文書を取り入れてしまうものだ。

初め読んだ時、本当かと疑ったが、実際やってみて驚いた。
見開きの2ペジの中央に目を合わせ、それを4つかどの隅に全体の視野を
広げていき、ジッと10秒ぐらい見続ける。
そして再び、一ページ単位で中央に目を持っていき、それをまた意識を
そのページの隅に持っていき10秒ぐらい見続ける。

そして文章を読むと、通常の数倍の感覚で文章がスラスラ読めるのだ。
目そのものがスキャンの能力をもっているのだ。もし疑うなら実際やってみればいい。

人間の脳力の凄さの一端をみたおもいだ。一回めくる度に4秒をかければ、
250ページなら20分かかるが、かなりの情報が脳に記憶されるという。

・・・・・・・・
<お笑い> ー幽霊が出てきた

「何かよーかい(妖怪!」 「この化け(あ)もん!」
    「YOU-霊?」

ー立川談志が癌になって
「おれガンマニア!、  ガンファイター! 
 指きりガンマ    おれガン張るよ」


2556, 印度放浪 −1

2008年04月03日(木)

  『印度放浪』 藤原新也著  朝日文庫

写真家の文章は何故もこのように対象を、
 そして対象に映った気持ちを上手く表現出来るのだろうか。
言葉の一言一言が詩のようでもある。
以前、買って目を通したが、長男がインドへ行ったのを機会に時間をかけて読んでみた。
文庫本になっているが、半分以上がカラー写真で、40年以上前に書かれたものとは思えない。
 表紙を開くと、すぐ次のページに、この一行だけが書いてあった。

ー 歩むことに、ぼく自身と、ぼく自身の習ってきた世界が虚偽に見えてきた。ー

そして、その二ページ後に、
ーぼくは歩んだ。
 出会う人々は、悲しいまでに愚劣であった。
 出会う人々は、悲惨であった。
 出会う人々は、滑稽であった。
 出会う人々は、軽快であった。
 出会う人々は、はなやかであった。
 出会う人々は、高貴であった。
 出会う人々は、荒々しかった。
  世界は良かった。

 《旅》は無言のバイブルであった。
 《自然》は道徳であった。
 《沈黙》はぼくをとらえた。
 そして、沈黙から出た言葉はぼくをとらえた。
 良くも悪くも、すべては良かった。
 ぼくは全てを観察をした。
 そして、わが身にそれを《写実》してみた。
  〜〜

40歳になって15年ぶりにこの旅をふりかえった著者が
「なぜインドに行ったのか」の質問に言葉がつまり、その若者の後の影に、
 過去の自分を投影する。 
 (若いときの自分について)
 青年は何かに負けているようだった。たぶん青年は太陽に負けていた。
 そして、青年は大地に負けていた。青年は人に負け、熱に負けていた。
 青年は牛に負け、羊に負け、犬や虫に負けていた。青年は汚物に負け、花に負けていた。
 青年はパンに負け、水に負けていた。青年は乞食に負け、女に負け、神に負けていた。
 青年は臭いに負け、音に負け、そして時間に負けていた。
 青年は、自分を包みこむありとあらゆるものに負けていた。
 疲れたその青年の目は表情を失っているかに見えたが、太陽にいられて眩く白熱する、
 目の前の地面を、ただぼんやりと見つめ返すだけの意思をわずかに残していた。・・・・
 ・・・なんか知らんけど目茶目茶に何でもかんでも、
 負けにいったんじゃないかなぁ。最初の頃は。
  〜〜
 インドは何々とは、この本を読むと何もいえなくなる。
ただ、行ってよかったと、つくづく感じるところである。
                         ーつづく
・・・・・・・・・・
2007年04月03日(火)
「定年以降の生き方」を考える
                          才八∋ウ_〆(∀`●)
    今年から、大量の団塊の世代が定年を向かえる。
   その第一期生が、この4月から正式に大量に会社から(悪くいえば)放りだされる。
   「組織」から離れて「個」として、どのように自立(自律)するかが問われる。
   「孤独」「孤立」した時に、自分と如何付き合っていくかが真に問われるのが、
   これからの人生である。

それまでの組織内での相互依存関係の環境が、自分自身への依存になるから厳しい。
宅上犬が「明日から家の外で暮らしなさい!」と翌日から屋外に放り出されるのと同じ。
勤めていた会社の価値観は、他では全く通用しないしないことに、そこで初めて気づく。
鑑札のある首輪があるうちは、誰も温かく向かえてくれるが、首輪が外されてしまえば、
誰も相手にしない。    その時ただ一人茫然とするしかない。

    そこで手っ取り早く「定年退職者の溜まり場」にソソクサと出かけても、
   「自己を持たない濡れ落ち葉同士の葉っぱ」の絡み合いになるのは、当然の成り行き。
    そこにいるのは自分と同じ「虚しさ」を埋めにきているゾンビばかり。
   「人生とは何か」を考えたことのない人は、自我の先の自己が希薄である。
    そこでは自我と自我のぶつかり合いになるだけ。

ここではゾンビの話ではなく、定年退職後の生き方を問おうとしているのである。 
面白いので、つい話がそれてしまった。
還暦になる前に10~30年かけてライフワークを確立すべし!ということだ。
今さら言っても仕方がないが・・  まあ、面白いから話を続けよう。

    そこでは即席でもよい、「楽しい」と思えることをやること。
    その「楽しい」が何かも解らないから始末が悪いときている・・・
    何時間やっても疲れないものを探せばよい。 それも解らない?
    じゃあ、愛玩動物ーペットが好き?なら、飼えばよい。 もういる。
    もし犬を飼っているなら、さらに小鳥を飼えばよい。

もし持ち家があるなら、家を売って、その資金で旅行三昧をすればよい。
その覚悟がなければ、家の中でウジウジすればよい。
二度とない人生、最後は楽しみ尽さなければ。定年後は、年金の他に10万円の収入が理想という。
年間120万円あれば、海外の安いものなら夫婦で二回は行ける。

    もし、ゾンビ的要素の強い人が読んでいたら、敢えて言う、
   「やっと、人からの束縛から抜け出て、孤独、いや孤立したのだから、
    あなたのような人の溜まり場には近づかないことだ。
    せっかく死が貴方の後ろから追いかけてくる歳になったのだから、
    その死への恐怖と危機を借りて、他人からの目や、プライド、見栄など、
    一度無視することである。 死の前では、そんなものは霞でしかない。
    限られた時間を自分の奥底の声の通り生きなくては、何の意味もない。

死ー無という絶対的な宇宙からみたら、自分の存在なぞ無いに等しい。
だから、一度独りになって、ジックリ多くを考えるべきだ。
図書館があるでしょう、図書館が!それと身近にいくらでも自然が! 美術館も、いや百貨店もある。
それに気づくには独りになりきることしかできない。
誰かに言われそうだ。 シツコイ!同じことばかり書いている、と。
定年の時期なので、ついつい! ウトサイダー的人生観は、これから必要になるから?
            ホンジャ、バアアイ♪♪((((*`・´))ノ

別の声)そういうけどね、今さら如何すればよいんですか、
路頭に迷ってしまっているのだから、致し方ないのです。
ただ、朝起き、飯喰って、ボーッするのも、良いじゃないですか。それしか出来ないのだから。
何で好きなことを探さなければならないのですか? こういう生活が好きなのだから、
ただ比較しているだけじゃないですか。ウジウジして生きる、ナメクジの人生もあるのですよ。
人生、人生というけど、ナメクジのはった跡を言っているだけじゃないですか。 そんなもの!

・・・・・・・・・
2006年04月03日(月)
1826, ずっとやりたかったことを、やりなさい−4
                
          ー 3月22日 12:00記
 朝起きがけのモーニング・ページを始めて8日経つ。(3月14日開始)
 学生時代の卒業間近に半年分書いてあった日記がある。
 何の構えの無い、筆が向くままの文章だが、 もっと日常の些細なことや
 気持ちの動きを書いてあればと面白いのにと、読み返してみて実感する。
 
     それをカバーするのが、モーニング・ページである。
     何でも良いから気の向くままノート3ページに書いていく。
     書くことがなかったら、書く事が無いと書いた上に、その後に
    「ありがとう、嬉しい、楽しい、幸せだ、ついている、大丈夫、許す、よかった」
     などを自動的に書く。そうすると、不思議なことに何かが出てくる。
 
 学生時代はそれに近かったが、最近は構えてしまう。
 モーニングペイジは脳の排水というが、その排水に何かがある。
 この文章も頭に浮かんだままの内容の文章である。
 毎朝一時間近くかけて修正・構成している随想日記ーテーマ日記も面白いが、
 ただ何も考えないで起きがけに構えないままのモーニング・ページも面白い。
 これはHPで公開はできないし公開したら、そこに構えが入ってしまう。

 −−
             − 3月30日 pm12:30記
「8週間は読み返さないこと」とあった。それでも数日前のものを読むとナカナカ面白い。
自然の、その時点の自分の言葉が読み取れるのがよい。
良いのは、ただ筆に向くまま書いてあるのがよい。
話題はソウソウないから、昨日の些細なことや、昨夜見た夢のことや、
昨日観たTVなど話題になってしまう。それが記録として残るのがよいのだろう。

    人は、一日6〜8万のことを考えているという。
    私は、それほど考えてはないが、それでもその時点時点考えている。
    それを起きざまに30分間筆に任せて書くのだから、後で読めば面白いのは当然だ。
    そうでもなくても、随想日記を一年後、二年後、三年後の同日読み返すと面白いのに。
    最近は、昼休みの20分を使って書きたしもする。

ただ何にもとらわれないで、些細な出来事に対する気持ちの動きを書き出すことが、
後で読みかえして共感するのだろう。外国にいった時に、このような文章を書いていたら、
後で読み返したとき一番の思い出になるだろう。それと同じことである。

 人生でも同じである。日常の何げないことこそ、大事なことなのだ。
 そして、それを自然体で記録をとして書き述べればよいのだ。
 その意味で、朝起きたばかりの時に30分間筆の向くまま文章を書くことが
 一番大事だとわかるはずだ。       ー4月2日記 am9:30

これを実施してから、20日になるが、続けるほど効果の深さに気づかされる。
先日から中央に日付をかいて○で囲んで、そこから放射線で外に大きな○を書いて、
その中に書き込む方法に切り替えた。マッピングである。
この切り替えがよかった。さらに昼に違う色のペンで書き足している。

  驚くのは、いくらでも書くことがあることだ。実際には頭には無数の雑念が浮いては消えている。
  そこには多くの砂や石に混じって金もある。その混合をとにかく書き出しておくことは、
  良い思いでだけでなく、それをベースに次の発展になる。要は、頭に浮かんだことを、
  そのまま書く習慣が良いのだ。何か自分が自分の中を散歩しているような気持になる。

これを過去の旅行中にしておけばよかった。書いた分だけ、その時の気持ちが後で読んだ時に残るからだ。
文章の中には、気持ちがそのまま残る要素がある。 それが良いのだ。
とにかく30分、3Pのノートに習慣として、自然体に書いておけば続ければ続けるほど
内容が良くなる。小説家の日記は、これを克明にしているのだろう。

・・・・・・・
2005年04月03日(日)
1461, 「どう思いますか格差社会」

昨夜の19時半から22時半の特番が深く考えさせられる内容で、
好きな?巨人戦も殆ど見ないで、この番組に見入ってしまった。
社会ウォッチャーとしては、現在の凝縮された社会を見たおもいであった。

一部の勝ち組と負け組が、情報ネット社会とグローバル化のために分かれてきた。
それに対して、シビアな議論がつづいた。
議論内容はレベルの高いもので、自由闊達で好感が持てた内容であった。

「競争激化の結果としての格差も仕方がない」という前提で議論をしている。
もう日本一国だけの論理は許されないのを周知しての前提の議論であった。
格差はどの時代にも元々あったもので、今更でもあるが。
格差・差別をいうなら、天皇制そのものを問うことになる。
島国の王国の血筋だけで何で??という大問題がある。

国の体裁を取り繕うための飾りに、何で国税・血税であそこまで?という議論がある。
アフリカならいざ知らずだが?北欧的な庶民レベル的王族制度にすべしというと、
問題がすりかわってしまうが。面白いのは、出席者が「この中の座っている席の上側と
下の段差で出演料が違う。」という暴露があったことだ。
前の席は、大学教授や、成功経営者が占めていた。

いま一つの問題提起が、「引き継がれる格差」という問題がある。
「学力は、親の経済力と知識量によって決まってくる」という大問題である。
「家族の資源」の差がそのまま「子供の資源」の差になってしまう厳然たる事実がある。
中学校の同級生を事例に見るとはっきりしている。 
所得の低い層では、学力が低くなるのは生活環境からみて当然である。

豊かな人と、貧しい人との差がますます大きくなってきている。
先進国で日本ほど教育費に親の負担がかかる国は世界にない、といわれている。
格差の問題は、深い問題であり、そう簡単に解決できる問題ではない。
行き過ぎた平等社会こそおかしいともいえる。

世界中で大都会でスラム街のない国は日本だけである。
また明治以来、社会で血筋より学歴を優先する社会も日本特有である。
潔癖に近い機会均等の日本社会が、グローバル化のため崩れるのも仕方がないことだ。

この番組の面白さは、参加者に多くの職業の勝ち組と負け組を意識的に集めて議論させたことである。
勝ち組、負け組という言葉に囚われすぎているのが良くないことだが。
日本そのものが戦後、経済的に筆頭の勝ち組で40年以上も謳歌してきた。
「アメリカ属国優待国の崩壊過程の現象で、その結果としての負け組への移行過程の一現象でしかない!」
と言えば、あまりもの現実的お言葉でしかないか。

・・・・・・・・
2004年04月03日(土)
1096, 人生と時間

 1日=24時間、 1年=8,760時間、 80年=700,800時間

 人生80年間を時間換算すると、確かに700,800時間になる。
人間には睡眠や食事、排泄など、生理的に欠かせない時間がある。
そうした時間を1日10時間とすると、70万−292000(10時間×80年)=約41万時間となる。
<人生は41万時間の配分ゲーム>といえる。

・ 1日=労働時間+生理的必要時間(睡眠、食事、排泄etc.)+自由時間
・ 他律的時間と自律的時間
・ ライフサイクル 疝直期→少年期→青年期→壮年期→老年期
・ ライフサイクル◆疊鑄淪楴國生徒・学生→労働→結婚→家族→引退

1日を、一生を、どのような時間で構成するかは生涯設計(ライフ・プラン)、人生設計そのものになる。
自分をライフ・デザイナーと意識している人と、していない人では、異なった結果になることは確かである。
自分が実はデザイナーであることを知らない人から、優れたデザインが生まれるはずが
ない。時間認識の有無は優れたライフ・デザイナーにするための前提条件です。
それは豊かな充実した人生を送れるか否かを決定する最も重要な前提条件でもある。

話は少しずれるが、「自分の時間が持てない」とかいう人が見かけられる。
自分の時間を持つコツを知っている人というのは、自分の「場所」を幾つか持っている。
自分の時間を持つことは、自分の場所を持つことと同じことになる。
行きつけの居酒屋やスナックはその典型である。
といって、読書の好きな人で居場所など何処でもよい場合も考えられるが。
それでも自分の好きな場所で読むことが最上である。

ある哲学書に何げなく書いてあった「心身の問題は、時間の問題である」
という一文も考えさせられる。内容を読もうとしたが、難しので深くは読んでない。
ただ経験から、どんな深い心の傷も三年も経てば殆ど消えている。
連れ添いを亡くした人を、年配のヤモメが慰めていたのを聞いたことがる。
『何事も三年よ!』と。倒産や身近な人の不幸や失恋などの心の傷も、完治大体三年である。
学生時代の日記を読んで見ると、次から次へと心の傷を負っている。
といって、次の問題が起きると殆ど忘れてしまう。

そう考え見ると、心身の問題も時間の問題と割り切って考えればよいことになる。
「時間が全てを解決する」ということだ。それでは時間とは何ぞやという難しい問題が出てくる。
「人生二度無し」が『自分に与えられた時間』の重要性をズバリ言い当てている。

・・・・・・・
2003年04月03日(木)
729, 「イヌが教えるお金持ちになるための知恵」
               ー読書日記
(字数の関係でカット2008年4月03日)
著者/訳者名 ボード・シェーファー/著
出版社名 草思社  長岡中央図書館:2003年03月30日

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2002年04月03日(水)
365,ミカン集中法

「ミカンを頭の上15センチ上に置くイメージを抱き、
本を読んだり、書き物をすると集中力が数倍増す」という。
読書や文章を書くとき「頭の上に意識を集中するといい」とは昔からいわれていた。
それを「具体的にイメージとしてやると効果が上がる」という事だろう。

今朝、ウオーキングでやってみて効果抜群であった。
集中が数倍ついたようだ。この文章はほぼ散歩で頭で書いた。
中国で「魔術師がかぶる三角帽」「思考帽」と、実際あったという。
落ち着きのない子に罰でかぶせる「ダンスキャップ」もあった。

ミカンもいいが、鳥もいい。 他に気がいったら、飛び去る鳥だ。
それを意識していれば、他の思考や情報が遮断されるからだ。
授業でも、読書でも、この随想日記を書くときに早速利用できる。
石のアーチの頂点に置くカナメ石に似ているという。
カナメ石は他の石が所定の場所に固定させる役割になる。

注意の一つを一点に集中する事により、残りの集中力を読書などの対象に集中させる事が出来る。
 仕事でも、考え事でも、授業でもなんでも使える。

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<お笑い> ー本当にあった話

結婚したての頃、家内がタラノコをみて
 家内 「タラノコって塩鱈の子?」
 私  「・・・・・・・・・」


2555, ホモ・ルーデンス −1

2008年04月02日(水)


『ホモ・ルーデンス』       ー読書日記
      ヨハン・ホイジンガ(オランダの歴史家) 1938年著。
  「文化は遊びとして、もしくは遊びから始まったのではない。
               言うならば、遊びの中で始まったのだ」
  ーすべては遊なりー
  ー文化は遊びの中にはじまるー
ホイジンガーの言いたいことは、この二つに尽きる。
 
まずは 
 −すべては遊びなりー(遊びの考察と定義とは) について考察してみよう。

ホイジンガの遊びに対する考察は、プラトンの言葉から始まる。
「真面目にすべきことは真面目にやり、真面目でなくてもよいことはそうしないでもよいのです。
 最高の真面目さを以て、事を行うだけの価値があるのは、ただ神に関する事柄だけなのです。
 これに対して、人間は、ただ神の遊戯の玩具になるように、というので創られた。
 これこそが、人間の部分です。だから人はみな、男も女もそういうあり方に従って、
 最も美しい遊戯を遊戯しながら、今ちょうど心に抱いているのとは正反対の考えで
 生きてゆかなければならない。(プラトン対話集『法律』)」

著者は、この真面目と遊びの対立において、
「真面目は遊びを閉め出そうと努めるが、遊びは喜んで真面目さを自己の中に抱き込むことが出来る」
と、遊びの優位性を説いている。
そして、遊びの定義として、
「遊びは自発的な行為もしくは業務であって、それはあるきちんと決まった時間と場所の限界の中で、
自ら進んで受け入れ、かつ絶対的に義務づけられた規則に従って遂行され、そのこと自体に目的をもち、
緊張と歓喜の感情に満たされ、しかも『ありきたりの生活』とは『違うものである』という意識を伴っている」
「遊びは人間がさまざまの事象の中に認めて言いあらわすことのできる性質のうち、
 最も高貴な二つの性質によって充たされている。リズムとハーモニーがそれである」

遊びの定義から、世俗に対して離れているという点で、「聖なるもの」と「遊なるもの」は同一であると。
最後の文章に
「人間的思考が精神のあらゆる価値を見渡し、自らの能力の輝かしさをためしてみると、必ずや常に、
 真面目な判断の底になお問題が残されているのを見出す。
 どんなに決定的判断を述べても、自分の意識の底では完全に結論づけられはしないことがわかっている。
 この判断の揺らぎ出す限界点において、絶対的真面目さの信念は破れ去る。
 古くからの『すべては空なり』に代わって、おそらく少し積極的な響きを持つ『すべては遊なり』が
 のし上がろうと構えている。これは安っぽい比喩で、ただ精神の無力を思わせるかのようだ。
 しかし、これこそプラトンが人間は神の玩具であると名付けた時に達した知恵なのだ」
  〜〜
 
一流は、その芸を遊びの領域まで到達している。遊びは自由への飛躍ということだ。
   次回はー文化は遊びのなかにはじまるーを考えてみる。
梁塵秘抄 巻第二 四句神歌 に以下のような歌がある。
「 遊びをせんとや生れけむ 戯れせんとや生れけん
  遊ぶ子供の声きけば 我が身さえこそ動がるれ」
子供達が純真に遊ぶ心を忘れずに、健やかに育って欲しいと願う気持ちが、
 そして、自らもまた、子供の頃の気持ちを持ち続けていたいと願う心がこもっている歌だが。


・・・・・・・・・・
2007年04月02日(月) 2190, 飲料水について
           オッ(*^○^*)ハ〜ヨウサン!

    何処かの国の大臣様が、不正申告の事務所代の言い訳に
   「6000円のミネラル・ウォーター」を経費にしている、
    と言い訳をして失笑をかった。
    しかし、それだけ水の健康に対する影響も大きいということだ。
    そこで、水の健康に対する効果と、飲み方を調べてみた。

*まずは水と人間との関係は
・人間の体内の水の割合は、成人男子が60諭⊇子が55%。
 (新生児で80諭⇒鳥では70佑ある)
 年齢と供に水分の比率が減り60歳になると、50%に減少する。
・人間の脳には水分濃度を感知して補給の信号を発するセンサーがあるが、
 歳を重ねると同時に感度が狂ってくる。
 体内の水分不足に対し喉の渇きが自覚しにくくなる。
・体から1%減っただけで喉の渇きを感じ、2%不足すると脱水症状を起こし、
 6%減では呼吸困難や精神錯乱を招き、20%に達すると、臓器の機能不全で死に
 いたることもある。
・人の水分の排出は2.5Lで、それだけの水分補給が必要になる。

  一般的には
   硬水は動脈硬化の予防やダイエットに、
   アルカリイオン水がガンの予防に、
   疲労回復には炭酸水が良い、といわれる。
  ・硬水はミネラルであるカルシウムやマグネシウムが血栓を防ぎ、動脈硬化予防に役立つ。
  ・アルカリイオン水は活性酸素を抑制し、免疫細胞を活性化をすることでガンを予防する。
  ・炭酸水は地層のなかに含まれている天然ガスが水に溶け込んだもので、飲みやすい。
   疲労時に生じる乳酸を、炭酸ガスに含まれている重炭酸イオンが中和して
   体を中性に保つため、疲労回復効果が高い。
 
水は「6番めの栄養素」と名づけられ、糖質、たんぱく質、脂肪の三大栄養素に
続くビタミン、ミネラル、の次に位置づけられている。
ミネラル・ウォーターは4,5,6の栄養素が結びついているので、効果的な水といえる。
ペットボトルのラベルにミネラル・ウォーターには、様々なミネラル成分が表示してある。
中でもカルシウム、マグネシウム、カリウム、ナトリウムの4つが主要ミネラルと呼ばれ、
水の味は、この4つの配分で決まってくる。
カルシウムが多いと甘く、重みのある味となり、マグネシウムが多いと苦く渋みを感じる。

   水には、すべての人を健康にするものは存在しない。
   年齢や体質、改善すべき症状によって使い分けるしかない。
   朝起きたときに、浄化器の水か一度沸かした水を飲み、
   三食の食事前にアルカリイオン水を飲むのが、理想的である。
   お茶を細かく飲むのも良い。運動時にはスポーツドリンク、外で酒を飲む時は、
   アルコールで体が酸性になるので、軟水のアルコールイオン水を脇に置いて
   飲むのが効果的である。
   寝る前にやはり湯冷めの水か、浄化水を飲むことを心がければ良い。
   
 −−
 以上であるが、調べていて水の健康への影響は大きいのが解った。
 そういえば、20年前に5年ぐらいアルカリイオン水浄化器を使っていた。
 壊れたのをキッカケに使わなくなったが・・・・
 
  少なくとも、生水と、缶もの(ジュースやコーラ)はさけて、
 特売の100円のペットボトルか、麦茶のつくり置きの習慣は必要だろう。
        水まで格差?の時代か。       
                    ホンジャ(o ・д・)ツ バイ!
・・・・・・・・・
2006年04月02日(日)
1825, あちら側の世界 −6
              b(⌒o⌒)d おっ \(*^▽^*)/ はぁー
ーGoogleという会社とは?ー

グーグルのミッションは
「世界中の情報を組織化し、それを誰からでもアクセスできるようにすること」
 と定義している。
「世界政府があるとしたら、そこで開発しなければならないはずの
システムを全部グーグルで作ろう」ということだ。
そのために「世界中の情報を整理しつくす」というが、そう簡単にはできることでない。

グーグルに関して
   ー第2章 グーグル―知の世界を再編成するー の概要から考えてみよう。
   (これは、あるHPからコピーしたものだが、簡潔にまとめてある)

・グーグルのミッションは「世界中の情報を組織化(オーガナイズ)し、
 それをあまねく誰からでもアクセスできるようにすること」
・ネットの「こちら側」であるフィジカルな世界から、インターネット空間に
 浮かぶ巨大な情報発電所とも言うべきバーチャルな世界である「あちら側」
 へのパワーシフトが確実に起きる
・情報をインターネットの「こちら側」と「あちら側」のどちらに置くべきか、
 情報を処理する機能を「こちら側」と「あちら側」のどちらに持つべきなのか、
 というトレードオフが、これからのIT産業の構造を決定する本質となる
・グーグルの情報発電所とも言うべき巨大コンピュータ・システムは、
 チープ革命を徹底追求した全く新しい作り方で自製し、
 圧倒的な低コストを実現したという意味において、
 三大潮流のすべてを体現した存在である
・グーグルのビジネスモデルは新しいバーチャル経済圏を形作ろうとしており、
 「知の世界の秩序の再編成」に新しい富の分配メカニズムをもたらしている
・「情報自身の淘汰」に委ねるという思想のもとに、すべての情報を共有することこそが、
 組織と情報」におけるコペルニクス的転回であり、グーグルの組織マネジメントにおける
 スピードとパワーの源泉になる
・サービスにおける「人間の介在」の思想の違いから、ヤフーはメディア、
グーグルはテクノロジーという本質的な違いがある

 −以上だが、
「世界中の情報を組織化し、それを誰からでもアクセスできるようにすること」
「世界政府があるとしたら、そこで開発しなければならないはずのシステムを
 全部グーグルで作ろう」というミッションの恐ろしさの一端を、多くの人が
 実感できたのが、2005年6月に「グーグル・アース」というサービスを始めた時だ。
     無料でダウンロードできるグーグル提供のソフトウェアとサービスを使うと、
     世界中の衛星写真、起伏に富んだ地形の立体画像、さらに大都会の場合、
     建物の意味を含めた詳細の三次元画像を、私たちはパソコン上ですべて
     みることができるようになった。
東京の詳細の画像も全部見ることができる。 
適度の高度からズームアップをしたり、高度を上げて、東京全体を鳥瞰できる。
これに仰天するが、これは「挨拶代わりにどうぞ」という感覚で、
グーグルが世に出したに過ぎない。

    これ一つとっても恐ろしいが、
    彼らはリアルタイム性や解析度もさらに高め、全地球上の何が起きているかを
    全部閲覧できるシステムをゴールとしているに違いない。
    チープ革命とは、そういうことを可能にする潮流なのである。
 ーー                
                       (*・_・)y-~~~ ひといき
  ーさらに他のHPにも解りやすい内容があった。
  (以下、字数の関係でカット2008年4月02日)
ーー
先日さっそく「グーグル完全活用本」−創芸者を買ってきたが・・・
次回は「アマゾン」について書く。                         
                      ゝ(-_- ) バイ!
・・・・・・・
2005年04月02日(土)
1460, 頭脳の果て −読書日記

この本は数年前に買ったが、目を通しただけで本棚に並んでいた。
何げなく手に取ってみたところ、面白い。
前に読書日記で書いた「迷ったときは運命を信じなさい」に似ている。

ネット書店の「アマゾン」で、この本の基本情報を取ろうとしたら、
この中古本が、何と10倍近くの値段で出ていた。
絶版のため、値段が競りあがっているという。
書き込みと、ページの折込をしてあるので売り出せないが、そうでなかったら、
売りに出したのだが。(売り手の戦略の可能性もあるが)

それにしても、面白い本である。特に天才のイメージを借りるテクニックが面白い。
天才の感覚を借りるテクニック(Genius Code)、イメージワークである。。
天才をイメージで呼び出して、その人になりきり、その人の疑似体験をする。
イメージトレーニングを発展させたと言えばわかりやすい。
使いようによっては、かなりパワフルにはたらく。

大まかにいえば、
1.リラックスする
2.モデルとなる師を具体的にイメージの中で描写する
3.着ぐるみの中に入るようにして師匠の背中から中に入り、
 師の焦点と、言葉と、体の使い方を体験する。
 終わった後では、その着ぐるみを脱ぐ
 というような感じになる。

実際、随想日記を書いて読み直すとき、物書きのイメージで批判的に
自分の文章を読み返すと、いつの間に全く違った添削をしている。
他にもイメージ・ストリーミングが色いろ書いてある。

その一つを紹介すると、
1・エレベータのようなものに乗る。
2・ボタンを押すと、他の星に移動する。
3・そこには、他の星の自分がいて、自分よりはるかに能力がある。
4・その自分と一体になって、ものごとを考える。
  そして何かヒントがでてくるはず。
5・そして元の自分に戻って、そのマシーンにのって帰ってくる。
 まあ、大雑把にいえばこうだ。 私が考えた、「三つの部屋の物語」も、
これがヒントかも知れないが。 更に、いま一つを紹介しておこう。

夜寝る前に目を閉じて、最も偉大な9人を透明な顧問にして、
彼らと一緒にいると想像する。 彼らは私を楽しい冒険の旅に導いてくれる。
おかげで真実の偉大さに再び深く感謝することができ、創造的な試みに
向けて努力する気持ちと正直な考えを表現する勇気を持つことができる。
自分の好きな9人を選ぶのもよいだろう。
「迷ったときは運命を信じなさい」の、ギリシャ神話の神様と似通っているが。

これらは、私達が持つ大脳の素晴らしい潜在意識のメッセージに
耳をそばだてることである。また違う視点を得ることが可能になる。
大脳皮質とそれが持つアイデアを吸収したイメージを形作ることになる。
そうすることによって、より優れた能力を発達させることが可能になる。

スター・ウォーズに出てくる、フォースをイメージするのも面白い。
フォースは基本的な訓練やテクニカル・スキルをマスターしてみて
初めて得られる威厳ある自由な力
フォースとは、右脳と左脳が完璧に調和したときに同時に
作用したときに得られる解放された力である。
(フォースー潜在能力から湧き出してくる力)
 
これらのテクニックは幼稚に思えるが、
 実際は右脳をフルに使うことになる。

・・・・・・・・
2004年04月02日(金)
1095, わからないという「方法」

この本を本屋で見たとき、てっきりーわからないという「方法」で、自分の
枠の世界からでない方法のことを言っているのかーと思ってしまった。
それはできませんと勝手に思い込んで、小さな世界に閉じこもってしまうのも同じ。

立ち読みをして、インターネットで調べてみると、わからないと、
一度0に立ち戻って1つずつ理解しようとする努力方法をいっている。
ナルホドと肯いたが、わかるとは何かを一度考えるチャンスにもなった。
わかるとは理解することである。といって何処まで理解するとわかったことになるか、
あいまいである。

むしろ「わからないという方法で」対象に入り込んでいくとよい。
私はあのひとを、わかっているといって全くわかっていないのが実態である。
あれはこう、これはこういうものという勝手な思い込みを捨て去ることを
いっているのだ。異業種参入が新しい業態を作ってしまうケースが多いのは、
むしろわからない「方法」を利用している為である。

・・・・・・・・
2003年04月02日(水)
728, 天国と地獄

 人生を長く生きてきて「天国と地獄」は死後にあるのではなく、
生きている人間の心ー思いの中にあることが解った。
その意味で一生かかって、天国のイメージをつくるのが宗教のはたす役割といってよい。

 事業は経営が順調だと天国、上手くいかないと地獄である。
これほどのハッキリしたものはない。上手くいっている時はこの世の天国である。
 しかし経営悪化で、資金繰りが行き詰まり自転車操業になった時は生き地獄そのものである。
その意味では「日本中は現在は地獄のふたが開いている状態」と経済評論家の高橋乗宣がいっているが、
実感としてよく解る。自民党という鬼が今も利権のため地獄の世界に国民を巻き込んでいる!
何ともいえない日本を覆っている暗い雰囲気は、それを物語っている。

 サラリーマンはよい職場か、悪い職場でそれが決まってくる。
ある時期に倒産直前状態で大手の資本下にあった会社にいたことがある。
この世の地獄である。お互いの足の引っ張り合い、傷のつっつきあいになる。
また上司の相性も、その分かれ目になる。大の男がトイレで号泣!になってしまう。

 家庭もそうだ、基本の夫婦関係が「あたり」か「はずれ」で、天国か地獄かの
分かれ目になる。五分五分でまずは、試される事になるのだ。
いかにいい加減に相手を決めてしまうのが人間の弱点だ。
誤解をして結婚してしまい、理解して離婚というケースになってしまう。

 重いうつ病もこの世の地獄である。
その人が理想としてつくった家は、その人にとっての天国のカタチという。
なるほど解るような気がする。いま住んでいる自宅は両親が「自分の人生の最後を飾るため」
に造った家だ。 そうすると、私は両親の天国世界にいることになる。 なるほど!
私の天国は家内と秘境旅行をしている時だ。 それぞれのカタチがある。

・・・・・・・
2002年04月02日(火)
364,新入社員歓迎会

毎年この時期におこなわれる。 かなり毎年盛り上がる。
当社の宴会はもともとかなり盛り上がるが、歓迎会がさらに盛り上がる。
2〜3年に一回はトリック・スターが出るが今年は2人いた。
お陰で例年の数倍の盛り上がりようであった。
まだ酒の飲み方の解らない新人に飲ませるのだから、こちらも責任がある。
その辺を調整しながら、盛り上げる。 しかし面白いことこの上ない。

若い人のエネルギーを戴く感じである。若いということは、本当にいいことだ。とにかく明るい!
花が咲いたという例えがピッタシである。それと時代に左右されている。
彼等はとにかく携帯電話世代だ。意思疎通の早い事が特徴で、感覚が研ぎ澄まされている。
新人類から、宇宙人といってよいのかもしれない。反面、孤独という一番大切な世界を知らない。

宇宙人といえば、かぐや姫のストーリ何か今の時代になってみると
以前事実に近い事があったのではと、イメージが湧く。

・・・・・
ーお笑い
<寝ぼけた子供>

子沢山で寝室が一つしかない夫婦、
‘夜の営み’子供が皆寝静まるのを待ってお母ちゃんが手を上げると、
おとうちゃんが這っていく事になっていた。
ある晩やっと子供が寝静まると、手が上がった。
お父ちゃんが這っていくと、 子供が寝ぼけて手を上げていた!


2554, 閑話小題

2008年04月01日(火)



*予習と復習

 人生の終盤に入ってくると、色いろとそれまで気がつかなかったことが、
実感としてわかることが多くなってくる。
特に学習に対しての予習と復習の大切さを、あの時、気がつかなかったか悔やまれる。
そういえば、先生が予習復習を口すっぱく言っていたが・・・・・
 こと、学業に関しては予習30、復習70佑般椣造世蹐Α
ここにエネルギーの20佑鯑れると、効果として200〜300佑慮果になったのである。

ところで中高学校、そして大学の学業は人生の予習であり、
熟年期から、その復習期といえる。
その意味では、熟年期こそ人生の一番大事な時期と言えるのである。
先日、知人と「若いときの節目の旅行こそ大事ではないか」と話した。
その後の人生で長い時間をかけ、その経験に知識を加えていくこと(復習)こそが、
人生をより豊かに彩ってくれるからである。 一度行った旅行は何時までも続くのである。
 〜〜

* 客引き・スカウト行為が今日より禁止
 
4月1日から、「新潟県迷惑行為等防止条例」改正により、客引き・スカウト行為などが禁止され、
50万円以下の罰金が科されるなど規制が強化される。 以前は古町界隈にイカガワシイ男たちが
立って、客引きをしていたが、数年前から新潟駅前も悪質な客引きが目立つようになった。
来年の国体の開催もあり、迷惑行為防止法が実施されることになったが、これが実施されると
ほぼ客引は他の都道府県の実施例からみて、ほぼ姿を消すことになる。
三月になってから、自警団も駅前にも出来て見回りが実施されているようで、
四月からは、少しの客引きでも取り締まられる。
先週末には、警官が二名立って、客引きに警告をしていたようだ。
ピンクなどの客引きも、仕事はできなくなり、少なくとも新潟駅前と古町では仕事はなくなる。
新潟駅構内にも、カラスといわれる「ホステスのスカウト」が目に付いていたが、これで一掃される。
良いことである。
〜〜

*ガソリン値下げ

道路関連税制を無くすことは非常に結構なことだ。
恐らく、自民党は4月に再議決をして成立を図るつもりだろうが、そのプロセスで
数十年間にわたり国民をだまし続けてきた構図が浮き出るだろうから、これだけでも充分である。
これこそ、道路族を含めた建設マフィアとの金つるである。叩き壊すのは当然のことである。
これで地方が更に不況になってもである。
.......
2007年04月01日(日) 2189, 「考える」とはどういうことか? 

    おはよう!♪〜 ヽ(´π`)ノ
                 ー 読書日記
     「近代哲学再考」 竹田青嗣著
        ー「ほんとう」とは何か 自由論ー
  
池田晶子の本の中で、「考える」を多く取り上げ、考察している。
また読書日記でも取り上げた。
「思う」から「考える」へ、どのように変化するかというと、
その対象をまず把握することから始まる。
我われが「悩む」というと、悩んでいる対象を把握していないことにある。
その把握ー情報収集が考える第一歩が始まる。
把握のプロセスから、すでに考えることになる。

    「考える」をー検索すると、
    「問題の解決や,目標の実現や達成のために,いろいろな経験や知識を
    組みあわせながら,新たな構想をさぐっていく精神活動。
    すなわち,思いをめぐらし(連想,想像,推理),考え(思考,工夫),
    そして決断する(判断)ということである」と定義している。
    ひとことで言えば、
    「本質の洞察をするための精神活動」ということである。

難しいことを解りやすく整理するのが、私の考える切り口でもある。
池田晶子が子供向きに哲学用語を一切使わない文章などは、一瞬で深い真理に導く。
ーこの著の以下の部分は「考えるとは何か?」を考える上で、なかなか解りやすい!
ーー

「プラトン入門」という本で、わたしは哲学の方法原理を
つぎのように整理しました。
 嵎語」を使わずに抽象概念を使用する。
◆峺桐」を提示する。
つねに「一から」(根底)から再始発する。

ー,砲弔い董⊇ゞ気任論こ説明をするのに「物語」を使います。
そしてこの簡潔な「物語」を通して、世界はなぜ、どのようにして存在したか、
人間はどういう理由で存在するか、なぜ生きて苦しみ、またその生の意味は何か、
といった自己と世界の存在それ自身についての「問い=謎」に対する答えが、
明快に与えられる。
 これに対して「哲学」は、「万物」「原理」「水」といった抽象概念を
用いて世界説明をおこないます。ここで抽象概念とは、「一」「他」「同」
「静」「変化」「不変」「多」「完全」「不完全」「永遠」・・等々の言葉です。
「物語」を排し、「抽象概念」を使うことによって、哲学の世界説明が、
特定の文化や民族や共同体の限界を越えて、誰もがその思考に参加できる
いわば開かれた言語ゲームとなった。

   −△砲弔い董哲学は「概念」を論理的に使用しつつ「原理」を提出する、
    というルールで行われる世界説明(人間とは何かを含む)の言語ゲームだ、
    といえます。そして、ここでの「原理」という言葉は、本来、
    根本的で究極的な「真理」という考え方とは違ったものである。
    自然科学の、仮説と実験とを繰り返しつつ理論体系を徐々に整備していく、
    という基本方法は、一見、哲学の思弁的方法と異質なものと思える。
    しかし、少し注意すれば、科学もまた、「物語」を禁じ手にし、
   「抽象概念」を論理的に使用し、「原理」を提出し、さらにすでに
    成立した世界説明を神聖化したり、固守したりせず、常に時代の要請に合わせた、
    できるだけ深い前提に立ち戻ってもういちど理論を組み立て直す、
    という根本原理によって成立していることがわかる。
    哲学は、ある多様な現象を、どのような「キーワード」(=原理)で呼べば、
    またそれをどう構成すれば、より普遍的な(=広い共通了解を生むような)
    説明方式になるか、これが哲学どいう思索方法のもっとも革新的な方法であり、
    自然科学はまさしくこの方法を「自然科学」の領域に当てはめ成立したものである。

−について、哲学の重要な点がある。
それは哲学において、先人の説を聖化しないで常により根源的な仕方で、
「一から」考え直そうとすることです。
新しい哲学者は、必ず一度、先人の思考をもっとより深く根底的なものへ、
つまり普遍的な説明方式へ推し進められないか、と考える。
そして先人の提出した「原理」から現れる矛盾をよく考え抜き、
その難問をクリアしうる新しい「原理」(キーワード)を提出しようと努力する。

ともあれ、哲学の方法の本質は、自然科学の方法の本質と同じであり、
それは世界説明をより`普遍化’していくことであって、
「客観」」や「真理」へ届くための絶対的方法ではないのです。

   ーーー
  ー以上であるが、
   「哲学=考えること」と、単純化すれば、
   「考える」ということは、
   (語を使わないで「抽象概念」で、
   ¬簑蠕瀋蠅鬚靴董△海譴鯏験する為のキーワードを提出して、
   B仂櫃粒某瓦房けとった上で、常に初めの一歩より再出発すること。
    これが基本といえる。

これを「人生」ということに当てはめると、
より良い人生を生きる為には、
子供の時の夢を具体的な言葉として持ち、
常に自分の生きていく中で繰り返し、
そのイメージを大切にして生きること!である。
そのために、「よく学び、よく遊び、よく働く」ことである。
ポイントの「よく」は、キーワード(原理)を明確にすることである。

                ヾ(*'-'*)バイバイ!!
・・・・・・・・・
2006年04月01日(土)
1824, あちら側の世界 −5
      オハ (´・ω・`)(ω・`)(・`)( )(´・)(´・ω)(´・ω・`)ヨ〜 

ウェブ進化論ー5  ーオープンソース現象ー(2)
 ー「ウィキペディア」について

この本で知ったのが百科事典の「ウィキペディア」である。
まずは、この百科事典から調べてみた。
   ー
   ウィキペディア (Wikipedia) はインターネット上で作成、
   公開されているオープンコンテント方式の多言語百科事典。
   ウィキペディアはウィキメディア財団の展開する
   最初の多言語プロジェクトである。
   執筆、編集は主に参加者の共同作業によっておこなわれており、
   自由参加型である点にも特徴がある。
(字数の関係でカット2008年4月1日)

・・・・・・・・
2005年04月01日(金)
1459, 遠くにありて日本人 −2

この番組が面白いので見ていたら、先日で最終回になっていた。
スペイン在住の日本人画家であったが、その中で印象的な場面があった。
大きなキャンパス全体に、斑模様の微妙な茶色を背景として塗りこんで、
あとは数日間、その画面を睨み続けて、何か閃きが来るのを待つ。
そしてヨギッタ一瞬に、それをすくい取るという。

そのキャンパスを睨み続けて数日、やおら絵を書き込み始めた。
元々頭には、何の構想もないという。
その構想は、絵を睨んでいるうちに自然に湧いてくるという。
自分の潜在意識から湧き出るイメージを絵にするのだ。
ただただ、驚いてしまった。

それを見ながら、レオナルド・ダビンチのヒントの掴み方を思い出した。
天井の節目とか、何かの模様を見て、それからの発想・展開をしていったという。
これも、自分の脳(潜在能力)の中のメッセージを得るキッカケにしていたのだ。
その絵の作成行程を最後まで映し出していたが、最終には素晴らしい絵が完成していた。
何ごともそうだが、プロセスは似ているものである。
ただし、自分の中に十分の経験と知識があっての話だが。

ーーー
2004/12/13
1350, 遠くにありて日本人 −1

この番組み、度々見ているが、昨日のアメリカのロス近郊の
バイク・ビルダー(手づくりバイク)の日本人がなかなか面白い。
ライダーからの特注のバイクをつくるミニメーカーの日本人の紹介なのだが、
ライダーの世界と、そのバイクの製造過程が垣間見れた。

この「遠くにありて日本人」は世界のそれぞれで自分の生き方を貫いている
日本人を紹介しながら、その地域や、人間の生き方を覗き見る内容である。
自分の好きなことを見つけ、それを貫いていることが人間としての理想的な生き方である。

グローバルの時代に、本場に行って理想的な生き方をしている人を紹介している。
アルゼンチンに行って、「アルゼンチンタンゴ」の踊り手になっている中年に
差し掛かった女性も印象であった。

この番組みを見ているとき、時たま街で出会う高校の同級生から電話が入った。
「佐藤というあの無口の同級生が、中越地震で被害にあった山古志村の診療所の
医師をしている。いま仮設の住宅地でやはり仮設の診療所を開いて苦労しているから
クラスの同士で来年早々、慰安会を開いてやらないか」とのこと。
時々TVや新聞に出ているという。

それを聞いた家内がいうには、「近くにありて日本人。ね」
なるほど上手いことを言うものだ。 色いろな人生があるものだ。

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2004年04月01日(木)
1094, 『携帯電話不安症』症候群

先日、ニュースで携帯電話不安症について特集をしていた。
メールが来ないと、不安になってしまい精神のバランスを失ってしまい、
不安と疎外感で一晩中泣いてしまうという。
手軽に自分の気持を携帯電話で誰にも伝えることができる反面、
孤独になる機会が少ない為に、チョッとしたことで精神のバランスを
崩してしまうという。
常に誰かと繋がってないと息もできない感覚になるという。

いま一つの特徴としては、
'周囲の人と同じような自分'でなければ不安でしかたがなくなる。
それは、今までにない異常な大ヒット現象を生み出す一方、
いじめなどの社会不安の増加をもたらしている。
さらに彼らの、「カリスマを求めてしまう心」は、
社会をファシズムに走らせる危険性もはらんでいる。

会社員の場合、会社の携帯電話を待たされていると、

・いつも誰かに追われているような気がしてストレスを感じる。
・携帯電話の電源をオフにする勇気がない。
・呼び出し音がする度にドキッっとする。(心拍数の上昇)
・冷や汗が出る。
・呼吸が苦しくなる。(過呼吸症候群)
・動悸・息切れがする。
・お腹が痛くなる。(過敏性腸症候群)

これは「仕事上のストレス、会社に束縛されるストレスの二重のストレスの状態が原因」
という。いずれにしても、携帯電話が今の社会を大きく変えたことは間違いはない。
これからは、使い放題の定額制になると、若者のマスマス携帯の利用頻度は増すだろう。
携帯電話の使い過ぎは、自分の放棄といってよいほど、人間を無能にすることは
間違いない事実である。

ある中年の男の人で、友人のたった一人の電話呼び出しを待っている
姿をみた事がある。別にヘンな関係ではないが、友人がいない人なのだ。
たび重なる不祥事の為、奥さんや子供にも相手にされず、
たった一人の携帯電話を見つめている姿は鬼気迫るものだった。

中年にとって、携帯電話なんぞは、そのレベルの使い方なのだろう。
もし学生時代に携帯電話があったら、数倍愉しい時間を過ごせただろう。
身近で見ている限り、(仕事や家庭への連絡を除いて)携帯を多用している人間に
ロクの奴はいない。 自分を持てない付和雷同になっているからだ。

・・・・・・・・・・
2003年04月01日(火) 727,  
「結婚スピーチ 」-読書日記
     ー死ぬまで忘れられない話 ー  
 
 この本がタイトルとは違って、斉藤茂太の人柄の為か面白いのだ。
おそらく我々のスピーチの数十倍の機会が多いから、色いろの逸話を集めたのだろう。
考えてみれば、夫婦の何ともいえない機微を取り上げるのは結婚式が一番多い。
夫婦の関係ほど微妙で複雑で赤裸々で面白いものはない。
ー以下を抜粋してみたー私の感想を入れた。

・ある人がアインシュタイン夫人に、
 「あなたは相対性理論をおわかりになるの?」と訊いた。
 それに答えて「いいえ。でも,わたしはアインシュタインをよく理解していますよ」
 といった。
(感想)フォード1世に、ある記者が学歴がないことを知っていて、難しい質問をした。
 フォードいわく「それは解りませんが、それが解る人間はすぐ呼べますよ」
 の逸話を思い出した。

・結婚をしなかったわたしは、なんてバカだったんでしょう。
 これまで見たものの中でいちばん美しかったのは、腕を組んで歩く
 老夫婦の姿でした。    ーグレタ・ガルボ
(感想)朝のモーニングショーで、離婚をしてよかったといっている
 中年女タレント数人に小沢昭一が、
「歳をとってね、ばあさんと一緒に飲むお茶の味はいいものだよ」といった。
 元気のよかったバカタレント何もいえなくなった。

・作家の吉川英治は、亡くなる前に奥さんの手を取って、こういった。
 「7たび生まれかわっても,7たびきみと結婚するよ」
(感想)わたしの知人の奥さんが亡くなるとき
 「またわたしを貰ってね!」といったそうだ。
 家内には「今度生まれてきたらあなたとは結婚はしないわ!」
 といわれてしまった。
 結婚生活のコツは「また生まれ変わったら、この人と結婚したいと思うよう
 にお互い努力することと聞いたことがある。

・人間にとって昔から大事なことは、夜、家に帰ってこないとき、
 どこにいるのかと心配してくれる人がいるということだ。 −マーガレット・ミード
(感想)アメリカの地質学者の言葉だ。  やはり港があるから楽々遊べるのだ。

・結婚は鳥篭のようなものだ。 
 外にいる鳥は、入りたがり、なかの鳥はいたずらに出ようともがく。−モンテーニュ
 (感想)理想は開けっ放しの餌の充分ある篭がよい。 そうもいかないか?! 
 夫婦生活は最後は 明るく、暖かいことと、最後はお互いの品性である。

 「結婚スピーチ 」ー死ぬまで忘れられない話   
 斉藤茂太著  文化創作出版 1996年出版
 長岡中央図書館
 2003年03・29日

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2002年04月01日(月)  
363,人に好かれる方法
          聞き役

学生時代読んだ本に、カーネギーの「人を動かす」という本があった。
その中にあったデールの6原則があった。
1、名前を覚える 2、聞き手にまわる 3、誠実な関心を寄せる
4、相手の関心を把握する 5、笑顔で接する 6、褒める ーと記憶している。

学生時代まだ田舎を出たばかりで、人間関係の都会的感覚が身についてなかった。
どうしたら人に好かれるか上手くやれるかに、悩んでいた時にこれを読んだ。
即実行、ものの半年もしないうち世界が一変した?
もちろん男だが、友人が私の周りにオオバーに云えば屯したのである。
そうも上手くいくものかと自分で驚いたものだ。

特に聞き役は大変だ。
そこですぐ覚えたのは、聞いたフリをして他の事を考える事である。
と同時に関心の中心に、相手の話題を掘り下げてやる事である。

あの頃は頭でっかちである。
誰かに知ったばかりの知識をヒケラカシタイ歳である。
誰か聞いて欲しいのである。
また孤独で自分を知って欲しいのだ。
そして2年続けていたら馬鹿馬鹿しくなった。
 「おれはカウンセラーじゃねえぞ!」
 「今度は逆をやってみよう!」
ヒステリック的に自分でハッタリをかましてみようと。
その時読んだ本が「教祖の話術」−赤塚行雄ーであった。
聞き役の寡黙の男が、急にわめきだしたのだから周りは吃驚した。
そしてその話にそのバックあるから、その効果があった。

行動科学のシュミレーションをしていたことになる。

・・・・・
<お笑い>
ーmanuke
ある男休日に浮気を誤魔化すため、釣りに行くといって釣り道具を持って出かけた。
帰ってきて「イヤー釣り針を忘れて、行ったがいいが釣りができなくて!」
奥さん「あら落ちてたんで釣り箱に入れておいたのに!」
男「−−−−−−−!」
ーー
ー結婚

「私なんどもなんどもシツコク結婚してくれって頼まれたわ」
「だれに?」
「両親に」

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