堀井On-Line



2129, 熟年離婚とセックス

2007年01月31日(水)

            Σ(≧д≦)LOVE   オハヨウ!

    図書館で借りてきた昨年の「文藝春秋・11月号」に、
   「熟年離婚とセックス(千人調査)」という特集があった。
    55歳あたりから急激な精力減退を実感し、歳を重ねるほどに後退?
    当初は自己存在の喪失の感覚になりかけて焦燥感になったが、
    今はバイアグラの力を借りて・・何とか?    (●?∀?))ヾ☆*。

こういう話は、気心が知れている人に酒を飲んだ勢いの時にしか聞けない。
といって、下ネタは具体的な話をしてはいけないという男の暗黙のルールがある。
「実際のところ同年代は?」と思ってところ、
千人調査のアンケートというから丁度良いタイミングであった。
少し際どい?が、男にとって切実の問題である。
 このレポートの概要を主観をこめてまとめてみた。
 ー調査対象が1947~1951年生まれの男女500人ずつを対象に調査ー
                  (*′з(’Д`●)・:*:・
    ・性生活が全くないが、何と52諭
     年数回が17、5諭
     月一が11諭
     月2~3回が11諭
     週一以上が8,6
     全くない人が半分いる反面、
     月一以上が3割もいる。なるほど!
    ・相手が 妻が85諭特定の妻以外の人、12諭不特定が3諭
    ・不倫に関しては、83佑鰐気掘過去にいた9諭現在いるが8諭
     やはり男が20佑塙發、女は6諭
     収入の額が高くなるほど、不倫の率が高い。
     年収1千万以上の男性の三人に一人がしているのに対し、
     150万以下では、4佑砲覆辰討靴泙Α
     それなりの収入ができると 助平根性がでるようだ。
    ・寝室別室が35諭
    ・自愛(マスターべション)は、男が過半数を超えた54諭
     女性はその三分の一以下になる。

 −−
この世代は、性や恋愛に対するタブー意識を破ってきた性解放世代。
といって、本当に恵まれていたのは都会の文化エリートか、不良といわれた
(性の方だけにエネルギーを絞って)社会的に頓挫した両極端だけの人たち。

その世代より一年上ということで、私の同年代は団塊世代の露払いとして、
「競争が少ない幸運?」に恵まれてきた。
特に男はその対象が団塊の女性のため、男一人に女がトラック一杯という
需給のバランスで恵まれていたはずだったが・・・
実際は?いや、やはり恵まれていた!?

少し年代が下とはいえ、3割が毎月一度以上あるというし、
半分以上がセックレスというのも驚きである。
まあ、三分の一辺りというところ? ハイ!
  『で、どうした』 「少し安心しました!」
  『ほれで?』   「黒田節を思い出しました」
  『何、それ?』  「使わないと錆びますと!」 
                      (。・ω・。)ノ? バイ

 ・・・・・・・・
 2006年01月31日(火) 1764, 袖に涙のかかるとき・・

「袖に涙のかかるとき」と検索をしたところ
次のHPのコーナーに行当たった。
     リハビリに励んでいる人達の「名言・名句」
     だから深く魂に響いてくる。
     
     深い心の底から、人間を、健常者では知りえない世界を、
     見つめている。
     そして、
     「生きている、それだけで素晴らしい!」ことを知っている。
     実際に絶望の淵に立たなければ、
     その言葉の奥行きは解らない。
−− 
あるHPの
 ー心に残る名句名言集ーより

 リハビリに励んでおられる患者さん、家族の皆様から寄せられた
 ”心に残ることば”を「名言・名句集」としてご紹介いたします。
 同じ障害をもった皆様に、これらのことばが少しでも励みになることを
 念じております
□病気になってみえてくる一番大切なことは、
 人間の生命が生きてそこにあることが実に不思議な、
 貴重なことだと気づくことである。     (西江孝之)
       そうです。生きているってこと自体がすごいことなんですね。
       これからは、 生きていることに感謝してまいります。
□言う言葉がないから、よく家内に頑張れ頑張れって言っていたが、
 失語症なった多くの人達の場合は、実は見えないところででも頑張っている。
                           (西江孝之)
       私もつい「頑張れ!頑張れ!」といっていました。
       そんな自分を恥ずかしく感じました。
□君は看よ。双眼の色。語らざれば憂い無きに似たり。(良寛)
       ことばはでないけれど、主人の表情はとってもすてきです。
□世の全てを見るには目をつぶれ。
 全てを聞くには耳を閉じよ。
 全てを語るには口を閉ざせ。       (バーミヤンのヒワ遺跡)

       ことばに障害があって話すことはできないけれど、
       大切なのは心なんですね。
□「観自在」という言葉に出会うまで、毎日のリハビリや努力で
 一日も早く自由な元の身体になる事しか考えなかったが、その時以来、
 今の在るがままの自分から出発することが大事だと思った。
                           (池田清彦)
        あるがままを受け入れることって、とても大変なことです。
        でもとても大切なこと だと感じました。
□今日の一日を感謝しましたか? 
 ありがとうの気持ちと感謝の気持ちで、明日もまた頑張ろう。
        ある本に出ていたことばです。
        きょう一日を実のあるものにして、感謝する気持ちをもって、
        明日も実のあるものにしたいという気持ちです。
□神よ、変えられない事を受け入れる心の平安を、変えられる事を変える勇気を、
 そして変えられる事と変えられない事を知る英知を授けたまえ。
                         (ラインホルトニーバー)
        この神に祈る言葉が、
        どれ程私の心の平安を与えてくれたことでしょう。
□幸運は偉大な教師である。不運はそれ以上に偉大な教師である。
                        (ハズリット)
        病気をまだ嘆いています。 なかなかです。
□人間にとってただ三つの事件しかない。
 生まれてくること、生きること、死ぬことである。
 生まれてくるときには気がつかない。死ぬときは苦しむ。
 そして生きているときは忘れている。
                    (ラ・ブリュイエール)
        生きているってことを忘れがちです。
        でも今は、生きていることを実感しています。
□名前なんか言えなくたっていい。
 名前はたまたま生まれた時につけた記号みたいなものだから、
 言えたのに越したことはないけれど、
 人間というのは生きてそこにいればいいのだ。(西江孝之)
        「名前さえいえないのか」と思っていました。
        このことばにドキッとし、そしてホットしました。
□寝る前に、今日一日を振り返って、
 十の感謝のことばを思い浮かべてみましょう。(岡本峰世)
        今まで、何も考えずに寝ていましたが、岡本先生のことばを聞いてから、
        毎日感謝のことばを見つける習慣ができました。
□二人で睦まじくいるためには、愚かでいるほうがいい。
 立派すぎないほうがいい。
 立派すぎることは、長持ちしないことだと気付いているほうがいい。
                        (「祝婚歌」)
        「祝婚歌」のはじめの5行の詩です。
         夫婦長く続けてまいります。
□落ちぶれて 袖に涙のかかるころ 人の心の奥ぞ知らるる。
        脳出血になってから7年が過ぎ、
        他人の心が理解できるようになりました。
□己に勝つ。(野村克也)
        私の事故前に読んだのか、事故後に読んだのかはわかりませんが、
        今のその気持ちで頑張っています。

□憂きことのなおこの上に積もれかし、限りある身の力ためさん。 
        50歳ころまで思っていたことに、今ぶち当たっています。

  −−−
名言、名句に対するコメントも味わい深い!
そして全ての名言・名句が深く心を揺り動かす!

誰もが病に倒れしみじみと、この言葉を味あう日がくる。
そして、
如何に人生の表面しか生きてなかったことを思い知ることになる。
他人事ではない!

 健常の今日という日々を噛みしめて生きなくては!

 http://homepage3.nifty.com/sanidai-nozomi/nozomi-meigen.htm          


・・・・・・・・
2005年01月31日(月)
1399, NHKと朝日新聞

昨日の朝日新聞の天声人語が時期が時期だけに、少し際どい?内容であった。
(後でコピー)
「政治的圧力の有無の報道の件」は、誰がみても朝日新聞の方が正しい。
予算承認という伝家の宝刀を自民党が持っていて、その時の権力者が
口を出すのは当たり前。
と言って、修正前の番組内容も酷い偏向内容だったようだ。
問題は、政治的圧力をかけたことが悪い。
しかし、今は時代が変わってしまった。
自民党の権力ボケどもが陰で左右しようとしても、今回のようなことになる。
政治屋どもは国民の直接の批判がアキレス腱である。
あの??の二人が介入してないわけがない。

日本人は甘い。
私もそのうちの一人だが。
不払いが1佑△泙蠅靴ないのが合点がいかない。
2〜3割が不払いになるのが自然である。
知人の銀行員が、「不払いの手続きに多くの客が来ている」
と言っていたが、それでこ僅か1佑任△襦

NHKの歴代の会長の半分以上が不祥事の責任をとって辞めている。
島ゲジとかいわれた前の会長も不祥事で辞めている。
以前、何処かの秘境旅行で、NHKの偉いさんが夫婦で一緒だったが、
鼻持ちのならないエリート意識が漂っていた。
これを契機に、NHK解体論が出てもよい。
少なくとも、分割民営化の対象にすべきである。

■《天声人語》
      01月30日付

 「クレームが来るのではないかと予想はしていたが、こんなに大きな波とは」。
 NHK前会長らの顧問辞任を発表する会見で、橋本元一会長は見通しの甘さを認めた。
 NHKという巨大な船のデッキに立った新船長が、さざ波程度を予想していたとは
 思えないが、うねりぐらいならかわせると踏んでいたのだろうか。

  波は、時に予想を超える振る舞いをする。その一つが「一発大波」だ。
  気象エッセイストの倉嶋厚さんの「お天気衛星」にはこうある。
  普通、人が海岸に立って感じる波の平均の高さは、その時に現れた
 波を高い順に並べて、上位3分の1までの高さを平均した値に近い。
  天気予報の波の高さもこれだ。
  しかし千波に一つは約2倍の大波になって、人や船を襲う。

  波に関する幾つかの本によると、世界で観測された最も高い波は、
  10階建てのビル並みの37メートルだ。
 1933年2月、大荒れの太平洋上で、
  米海軍のタンカー「ラマポ」が報告している。

  巨船「NHK」は、これまでにないような高い波に囲まれている。
  視聴者の目は厳しく、操船を誤った船長の交代だけでは波は鎮まらない。
  前船長や取り巻きの口出しを許さない、本当の意味での新しい船出が必要だ。

  この船は不沈船とも言われてきた。
 受信料という、他の船には無い永久固定燃料の供給があったからだ。
 今度の波は、燃料供給の方法の見直しも求めているようだ。

  視聴者から見て、民放では得られない価値のある放送・報道がどれだけできるのか。
  かじ取り次第では「一発大波」を何発もかぶりかねない。

・・・・・・・・
2004年01月31日(土)
1032、「リクルートのナレッジマネジメント 」

   ー読書日記ー1      
 図書館で、この本を買ってきて読んでみて、さっそく会社で3冊を買った。
 それだけインパクトの強い内容であった。
 現場からの視点でつくりあげたイントラネットの一つのカタチとしての
 凄みを感じとることができた。
 「普通の会社なら、3日で首でしょうね」と役員がいっていたのもうなずける。
 サブタイトルが「やれるものなら、やってみな」もよい。 
 
 下の子供が勤めている外資系の会社のホームページに、
 丸ビルにある本社の事務所の写真が何枚か貼り付けてあった。
 優秀事務所デザイン賞と書いてあった。
 机と椅子とノート型パソコンがあるだけ。
 ペーパーレスだけでなく、個々人のセクションのコーナーがない。 
 
 正月に帰省してきた息子に、「自分のデスクは、どこまで昇進したら
 もらえるのか」と聞いたところ、「取締役」だという。
 全てはコンピューターの中なら、自分の机など必要がないのだろう。
 
 ナレッジマネジメントも、
 現場の知恵・情報の蓄積と活用を中心にしたものと、
 経営戦略を中心にしたものがあるが、
 この本は現場の情報や知識の活用を中心にした内容である。
 
 以下はインターネットで検索をしてコピーした。
 これだけでも、何回も繰りかえして読む価値は充分ある素晴らしい内容だ。
 
 ーーーーーーーーーーーーー    
    
     限りなく金髪に近い茶髪の女、
     森本百々子が
     営業がよろこぶために必要なものは
     ナレッジだったと気づくまでのこと。
・・・・・・・ 
 2003年01月31日(金)
667,「成功する読書日記」-読書日記

読書日記帳の基本パターンは
・署名   成功する読書日記 ・著者名  鹿島茂
ーこの本の引用とレジェメー

これに、書き込んでファイルに溜め込む。
大学ノートに一冊読んだごとに書き込めばよい。
引用やコメントは初めは無理して書なくてよい、そのうちに自然と
書き込むようになる。

 とりあえずこれを続けることに意味がある。
・量がたまってきたら,しめたものである。
・その為には無理をしないで、事務的に書き続けることだ
・遭遇時情報も大事である。
 新聞で見つけて買ったとか、図書館で何時借りて何時返したとか。
・その評価の☆とりも大事の一つ
・レジュメー特に自分がここが印象的という主観でよいから
 書き留めることー写す
・本選びは、自分の気に入った本屋を数軒決めて、定期的に行くこと。 
 図書館もだ。
・トイレ、書斎・居間・通勤電車などの本を、そのつど決めておく
・飛ばし読みOK
これを続けていくと、たんに読んだ本を書きとめているより、むしろ
「収集」しているのではないかという感覚になる。
ある程度の量になるとそれがジャンル別になってくる。
そうすると体系化への志向が生まれ、、それ自身が意思を持ち始める。
コレクション的になってきて喜びが生まれてくる。

読書日記や映画日記を続けていると、何時しか、コレクションが
「開かれる」という現象が起こってくる。
一つに集中していたジャンルに、ある日そこに夾雑物が混じりこんできて、
その夾雑物が次のジャンルを導く。これが繰り返されて色々なジャンルが
できると、ジャンルそのものの比較検討が可能になる。
SF小説、冒険小説、推理小説、時代小説などなど。
そのジャンル相互の類似と差異が目に付くようになる。
そして「小説」そのものについて、批評意識を抱くにいたります。

量がある域を超えると、「質」という問題を意識にのぼらせる様になる。
この量を超えて「質」を掴めたということは,そのまま「抽象」
を行ったことを意味する。
「量」というのは、思っているよりはるかに重要である。
これを軽んじるものは「質」で躓く。
「量」をこなしてない批評家は信用できない。
随想日記を書き続けていて、その感覚は解る。

 理想をいえばー
自分では一切本を持たないで、図書館の本を徹底的に利用することである。
図書館から借りてきた本から必要部分をすべて引用しておき、読書ノートを
書庫代わりにすることだ。但し図書館がすぐ近くにあることが条件だ。

ーコメントー

以上が大体のこの本のレジェメだ。
これを読んでいて、私の旅行に似ているのに驚いた。
アフリカ大陸、ユーラシア、南米、インド・シルクロード、
オセアニア、イスラム世界といつの間にかジャンルができてしまう。
そして今度はどこのジャンルのどこにしようかという見方で
選択を始める。

そしてジャンルー南米とアフリカの類似と差異を見たり、
アフリカだったら、ケニアとタンザニアの差異と類似が見えてくる。
その為には、とりあえずある量ー回数をこなさなければならない。

この本を読んでいて、何でこれだけ量を読んでいながら読書日記や
映画日記をつけなかったか今更悔やまれる。
こういう本の存在を見つけられなかったからだ。
実際に何回か挑戦したが、ノートに引用しているうちに、書く事に
気をとられてしまい、そのマイナスが大きく足を引っ張ってしまった。
でも、読んだ本と、著者、出版社、買った動機、借りた図書館、
日時位とちょっとしたコメントは書けたはずである。

この習慣は必ず身につけることを誓う!!

・・・・・・・
・・・・・・・
 
 2002年01月31日(木)
317,あだ名

中学の同級会に出るとは、男は全員あだ名で呼び合う。
私は「ハチ」である。小学校は「八ちゃん」である。
ある男が「よく巧いあだ名をつけるもんだ」といった。
全くない男が「今考えると、あだ名をつけて貰ったほうがよかった」
そして特に、「おいら」というあだ名の話題になった。

無口の愚直の味のある男で「おいら」というあだ名がピッタシであった。
誰がつけたという話になった。無口の男が重い口を開いた。

おいら「おい堀井お前だ!」
私「エー!・・・嘘だ!」
おいら「中学の一年のときの、皆既日食の時、理科の時間にしき版に墨を塗り、
それをとうして見ようとした。うっかり落としてしまったのをお前が拾い
‘落ちてるぞ、誰んだ?’と聞いた。思わず‘おいらんだ’と言ってしまった。
堀井がその時‘おいら’とつけた」

全く忘れていたが、それを聞き記憶が戻った!
40年ぶりの記憶が一瞬で戻る快感であった。
しかし、その人にとってトラウマー心の傷?ーで残っていたのだろう。
罪なことだ?
参考のため同級生のあだ名を他に挙げてみる
「カボ、ボラ、せ〜の、六角・・・」

考えてみれば「ハチ」と言われることが一番いやだった。
あの年ごろは一番気位が高い。

・・・・・・・・・・・
1月31日 金曜日 1969年

8時に起床。起きるのがやっとであった。
最後の授業の人事管理である。
武沢先生の授業はこれでおしまいである。

ゼミの高木と喫茶ウィーンに行く。
彼はこのところ角が取れてきた。 面白い奴であった。
スウェーデンに恋人がいて、一緒にヨーロッパに行ったとき別行動で
彼女の家に泊まってきた。
その後、どうなったか聞いてないが、この男の行動力は凄い。

午後はゼミ。
私の人生の最後の授業である。
途中、川崎がきて頼んでいたコピーを置いていく。
武澤先生が比較社会主義的発想と問題中心主義的発想について語られた。
面白い内容でよく理解することができた。
これで終わったのだ、ああ素晴らしい学生時代が!感慨無量であった。
これからは、いままで培ったものが全て試されるのだ。
それを前面に出して発揮しなくてはならない。
面白そうな反面、友人達との別れも辛いものだ。

一歩足を出す為には、捨てるべきは捨てなくてはならない。
栄光の未来と前途に行こう!
さて、今日は事務管理しかできなかった。
明日は価格理論と事務管理である。
予定として、10時起床、2時まで人事管理。
15時から18時まで人事管理。


2128, マンションについて考えてみる

2007年01月30日(火)

                (~Q~;) おはよう〜〜 ファ〜

    建売にしても、マンションにしても、買う場合の最低の知識が必要である。
    といって、それが解れば苦労はない!自分の頭で考えるしかないが、
    それでも少しは知っていれば、
    誰かのように「アパ」から三室も買わないで済んだろう。
    そこで私の経験から更に「アパ・マンション」と
              「マンションの買い方」について更に考えてみる!

何事でも商品である限り荒利を得るのが企業活動である。
当たり前のことだが、まずそこが問題である。
それは悪いことではない、商品価値を買うのが顧客だからだ。
アパのマンションが全てが決して悪いとは言えない、むしろ理屈から考えてみて、
価値としての理に適っている。
    ・バブルで暴落した駅周辺の良好の土地を格安に仕入れ、
    ・建設業者を徹底的に叩いて低コスト・低プライスにして、
    ・現在の時代感覚に合致したセンスの、
    ・広いスペースのマンションを
     提供しているのは素晴らしいことである。
    だから、それが消費者に支持を受けて時代の寵児になった。

しかし問題は合法・非合法にしても、10~20~30年の時間が経過した時に、
それが耐ええるものかどうかということである。
長期的理念があるかどうか、この会社が数十年続くかどうか?も重要である。
アパの場合はどうも、この辺になると怪しくなるのである。
そこで、この会社の今後をみるためには過去を振り返れってみてみればよい。
過去を見つづけて、私が知る限り間違いなくノーといえる。
そこのマンションを造った部長自ら、
「長期的な視点は一切考えてない建物でしかないない、お勧めできない!」
と断言している。その他のゼネコン関係者からも同様な話を聞いている。

    日本にマンションが本格的に建てられて、まだ30~40年しか経っていない。
    その歴史はあまりに少なすぎる。
    そのため内臓といわれる設備に関して、数十年後を考えると歴史が浅すぎる。
    慣れればマンションも良いというが、本来日本は木造住宅で暮らしてきた。
   「セメントと鉄の塊の中で住むことが、肉体的・精神的に果たして良いのか?」
    何か都会のマンション暮らしは、隠れたマイナス要素が隠されているような
    気がしてならないと感じるのは私だけだろうか?

今年より、団塊の世代が定年をむかえて住居として、駅周辺のマンションに
転居を考えている人が多いだろう。その矢先にこの事件である。
私も、現在住んでいる住居も、家内と二人では少し広すぎる。
結局は新潟駅周辺?に転居を考えなければならない時期がくるだろう。
そうすれば、やはりマンションになってしまうのか?

    さて、ここからが本番の話である。
    もし、そのように決心したらどうするか!
    時間をかけて主要駅至近距離の中古のマンションを探すだろう。
    隠された瑕疵はあるだろうが、探し続ければ必ずあるはず。
    まずは不動産屋の手数料しか経費はかからない。
    「当初の売り手の荒利の経費分の加算された部分の削ぎ落とされた物件」
    を探すということ。
    それを内装業者に頼んだり自分自身で、丁寧に時間をかけて手直しをする。
    少しでも高く売り抜けるという感覚で、それを楽しんでやればよい・・
    アメリカ人の多くがやっている住宅に対する考え方である。
    手直しを何年かかけてやって、それを高値で売り抜けるやり方をやればよい。
    売りやすくするにやはり、主要駅至近の中古マンションがよい。
    少しの知識と労力が必要だが、それを楽しめるかどうか?だろう。
    
               さようならm(__)m ごきげんよう
・・・・・・・・
2006年01月30日(月)
1763, 人の心は金で買えるか?
       
         o(*'▽'*)/☆゜おはよう〜♪
ライブドアの堀江もんが、著書で「人の心は金で買える」
と言っていたというが、これについて考えてみる。
      「買収されるかされないかは、その額による」
       という強烈な格言があるが、実際のところそうだろう?
       これを捩れば
      「人の心が買えるかどうかは、その金額による」になる。
お金の力は絶大である。
金に貧した人の露わな姿を多く見てきた。
他人事ではないが。
お金は扱い方によって魔力にもなる。
一般的にみると誰もが貧すれば鈍する。
金が無くなると人間性まで卑しくなるのが人間の性である。 (#`ε´#ゞ
       試しに破産すれば解ることだろうが。      
      「落ちぶれて袖に涙のかかるころ 人の心の奧ぞ知らるる」
       心の奥の奥を、冷たさ・優しさ、醜さ、浅さ、深さなどを
       置き換えてみると解りやすい。 例として
      「落ちぶれて袖に涙がかかるころ 人の冷たさ初めて知らるる」」
       というのが現実であろうが。
「人の気持ちを金で買える!」を、単純に否定も肯定も出来ない。
TPOSー時と場所と場合とケースーによるが、それぞれの価値観もある。
人によるだろうが、
・女性が身体を売るのからみれば、
 気持ちなど売るのは如何ということはないともいえるし
・身体は売っても心は売らないというケースもあるだろう。
                    茶 (@゜▽゜)_且~~どうぞ w
    ところで「袖に涙のかかるころ・・」という言葉の検索をしたところ
    現実の生死の境界線上の人を慰め奮い立たせるHPがあった。
    これを明日取り上げてみる。
                 ゚+.(・∀・).+゚.。oO(おまけ!) 
【堀江社長語録】をコピーしておきます。
                   【2006/01/24 東京朝刊から】
ーー
 「想定内」「人の心はお金で買える」「新聞を殺す」…。
ライブドア社長、堀江貴文容疑者はプロ野球界参入表明や派手な株買収、
総選挙出馬などで常に新しい話題を振りまくとともに、刺激的な発言を繰り返してきた。
これまでの主な発言をまとめた。

「人間を動かすのは金。人の心はお金で買える。少しずつ投資するより、
  一部のエリートにどんと投資したほうがはるかに経済効率がいい」
              (平成16年8月、著書『稼ぐが勝ち』)
「新聞とかテレビを、われわれは殺していくんですけど、
 自分たちが持ちながら殺していったほうが効率がいいかなと思って」
           (12月、ジャーナリスト、江川紹子さんインタビュー)
 「投資家にとって邪道かどうかは関係ない。
 ずるいといっても合法だったら許される」
            (17年2月、共同通信インタビュー)
 「金さえ借りれば、どんな企業も買収できる」
            (3月、テレビ出演)
 「10年ほど前に始めたときからの目標を達成でき幸せなこと。
 今からわくわくしている。(和解は)想定の範囲内です」
             (4月、フジテレビ側と和解し共同会見)
 「株価操縦は情報を流す裏で株を売買して利益を得て初めて成立する。
 そんなことをしなければいけないほど、うちの幹部の給料は安くない」
             (4月、和解後初の産経新聞インタビュー)
 「東証は上場しないほうがいい。証取なんて買収するのは簡単だ」
             (6月、自民党企業統括委員会出席後)
 「古い日本の象徴をぶち壊さないと、この国は本当の意味で変わらない」
             (9月、日本外国特派員協会で講演)
 「『想定内』という言葉が流行語になるなんて、想定外ですね」
             (12月、流行語大賞に選ばれて)
 「疑いをかけられている件については、私は身に覚えがないです」
            (18年1月22日、自身のブログで、
            強制捜査後初めて事件への関与についてコメント)
               ̄Д ̄)y─┛~~~ホンジャ! 
・・・・・・・
2005年01月30日(日)
1398, 人の話を聞くな!

前回、「相手の話の聞けない人」について書いた。
ところが昨日、散歩ついでに「蔦や」の本のコーナーによってみたところ、
何と「人の話を聞くな!:著:堀場雅夫」という題目の本があった。
ナンじゃい、と思いながらパラパラとみたが、大した内容ではなかった。

ーそこで、主観的にとらえたのは、
「自信がないから人の話を聞こうとする、
しかし人の言うことに殆ど真実をとらえていることはない。
それより自分の主観を大事にしたほうがズット良いことが殆どだ」
という内容であった。
なるほど一理があるが、といって「聞いてまわらないで失敗した」ことが
あまりにも多い我身にとって一理があるが、疑問を感じざるを得なかった。

そこでインターネットの検索で調べてみたら、
「自己の目標が困難なほど、人に方法を聞く前に 自分で考えて行動する事が 
真に目的を達成出来る人間へと 昇華できる」という内容であった。 
それだけで足りないから、人の話を聞くのだが。
日経新聞の「私の履歴書」の中で故・五島昇が、財界の先輩に
いわれた言葉が焼きついている。
「五島君、一番大事なことは他人に相談するなよ!」である。

恐らく著者の堀場雅夫も、その言葉が下地にあって、
それに加えて自分経験の実感でいったのだろう。
知らない人が、この言葉を表面的にとらえたら大変なことになる。
可能な限り、情報と人の話を聞き、議論をし尽くした上に、
最後の決断のところでは他人の意見は差し挟んでは駄目だということだ。

「言語化」能力の向上が能力のアップになることは否定はできない。
相手の話を聞くということは、言語化したものを自分の情報にして、
自分自身の言語化をして吸収することである。そして総合判断をすることだ。
それを否定する事ではない。

最後の最後は、人の話で判断するのではなく自分の勘で判断せよということだ。
「携帯電話を持った猿」ではないが、何もかも友人に判断を委ねる??が、
あまりに多いのだ。
このレベルにむけた言葉と一般の対話を混同してしまう題名であった。
哲学でいうと、経験主義と・・・ということか?

・・・・・・・・
2004年01月30日(金)
1031, スランプの乗り切り方

人間であるかぎり、誰もがスランプはやってくる。
要は、それを如何やり過ごすかである。
一般には、いや私の場合は
「亀のようにジッとして時間が過ぎるのを待つ」のが最善であることを
経験上、身につけていた。
スランプは軽い鬱の状態といってよい。

スランプの時は何をしても上手くいかない。
時間さえ経てば、プラスマイナスのサイクルでしかないのが解る。
ところで、スランプになったという経験がほとんどない。
リズムのつかみ方で反転させることもできる。
私の場合万年スランプだから、あえてスランプという必要がないのだが。
三流選手がスランプといっているのと同じこと。
スランプとは「調子がよい」のが「悪くなる」状態であるから、
もともと調子がよくない人が使う言葉でない。

広辞苑には「一時的に調子が出なくなる状態。不調。不振」とある。
朝の仏壇の前のおまいりと散歩で、一日単位でストレスを解消しているので
スランプにはなることはないが、「自分でそう言い聞かせている」可能性もある。
大体スランプと言ったとしたら聞いているほうから、いい年をして何をいって
いるのかと笑われてしまう。

といって、あと数年後の60歳過ぎに、初老性鬱病の危険が待っている。
書いていて気が付いたが睡眠と同じだ、「意思と準備と楽観」があればよい。
不調の時期があるから好調があるのだ。
野球の一流選手も、もう立ち直れないのではないかという位のスランプがくる。
しかし、立ち直った時に絶好調になる。
これが一流選手の大きい要素といってよい。
スランプを逆に利用するのだ。
ということは、スランプは必要ということである。

「意思と準備と楽観」がしっかりあるからできる。
スランプを大きなプラスのノウハウを積む機会に変えてしまう。
長期的なスランプは「枝葉を切って、根を養う」 時期と考えればよい。

・・・・・・
2003年01月30日(木)
666,「読書・映画日記」

月に2〜3回はまったく何を書いてよいか呆然とする。
逆に言えば9割がたは何か書くことを抱えていることになるが,
実はそうではない。
従って常に何を書いてよいかアンテナを張っている。
これが一番のプラスの要素になる。
本当のところ止めてしまおうかと数ヶ月に一回の割合で考えてしまう。
特に冬の散歩ができないときは、発想が枯渇してしまう。

好きで書いているから続けられるが、仕事や強制されたものであったら
苦痛は数倍になる。
毎日書き続けていると考えていることが平易に表現できるようになる。
20人か30人に向かって話しかけているとイメージして、楽しんで
書いているのも事実である。

書いているとプロの凄さが見えてくる。それはキャリアの絶対量の差からくる。
仕事にして売れなくては食べていけない、ぎりぎりの状態から来るものだろう。
時間とともに深く広くなっていくのは当然の事だ。
しかしあるところを突き抜けてしまえば面白いだろう。

今度からこの随想日記に「読書・映画日記」を取り入れることにした。
直近に読んだ本と映画のタイトルとレジェメやコメントを書けば、
下手なテーマより内容が充実するし、テーマが枯渇した時などよい。。
実際もう既に「4行日記」と「日本経済の破断界」を書いている。
次は「成功する読書日記」である。
この本がヒントになったが。

・・・・・・・
2002年01月30日(水)
316,一生のうちしなくていいこと

谷沢永一の
「一生のうちにすべきこと、しなくていいこと」を図書館で借りてきて、
目を通した。当たり前のことが大部分だが、
シナクテいいことから挙げると
・「隣人と親しくする」-
-「近くの人ほど距離を置け」と父のも同じ事を言っていた。
・世間体をつくろう
・他人との比較
・出世競争
・パーテーの参加
・嫉妬
・盛大な葬式ーこれに私は結婚式を挙げたい!
・功績を誇ることーそう嫉妬して見える、見る人の視点は別
・お金の執着ー稼ぎと使いのバランスが大事
・自分の過去をクヨクヨ思う
  10年前、30年前の事をまだクヨクヨしている。
 「恨んだ相手は高いびき」という言葉があるが、高笑いであろう。
・頼みごとをする。人脈を頼みごとのできる人間関係と信じて疑ってない。
 不幸な人の特性が、これである事を最近知った!ー依存性
 離婚や事業で失敗した人は依存タイプが多い。
・借金ー事業で借金以外、恥じである。
・子供の私物化ーこのあたりがその人品の決め手といってよい。
・運のない人とのつきあいー運のない男ほど、巧妙に電話をかけてくる。
 「飲み逃げの??」など、ストリーを作ってくる。
・卑屈な生き方ー人間皆持っている要素、要はそのコントロール。
 いまひとつ卑屈な人間ーに近づかない、近づけない。
 共通要素は、仕事に恵まれてない人で、オベッカの上手い人間。
 そう、どこにもいる、あの男!

 こういうと、自慢かもしれないが、ほぼ全部クリアーしている。
 何処かの「同?会」の連中、「ほぼ上記の連中が過半数」をしめている!
 私が嫌うより、要するに俗人、プチブルの生き方の否定ということ。

・・・・・・・・・
1月30日 木曜日 1969年

午後、本を読んで過ごす。

夕方、予告なしで実家の会社の支店の女店員が二人訪ねてくる。
面食らってしまう。私の常識では考えられない。
仕方がない、すぐにホテルを予約をしてやる。
寮にいた佐々木さんと高橋を誘い新宿で食事。
その後、ゴーゴーに案内をする。
23時に、先に1人で帰寮する。

あの二人、こちらも計画があるのに、何を考えているのだろう。
子供なのだろう。あまり考えないことにする。
長岡で、この正月に「調子のよいことを言った」のだろう。
無責任の言葉には気をつけなくてはならない。

ぜんぜん試験勉強の計画が狂ってしまう。


2127, アパ・マンション/ホテルについて

2007年01月29日(月)

          (o_ _)o.。o○グー   オハヨ〜
    アパに関するこの文章は、一度書いたが間違えて消去してしまった。
    再び書いていて、これはとんでもない大事件になる予感がした。
    元々、建設関係者の間では、「アパの建物はコスト削減のため長期物件としての
    建設のつくりをしていない!」というのは誰でも知っていたこと。
    たまたま偽装耐震という部分が露出しただけで、
    建物などに問題が山積みであった。しかし、買う方も買う方である。    
    ー『私は悪い不動産屋』(王様文庫)の中の一節を抜粋してみるー
   ー誰でも知っている、レンガ色のどこの町に行っても同じ外観だから、
   ああここにもあるのか、と思うマンションがある。
   なら大丈夫かというと、答えはノーである。
   ここは採算至上主義をとっているので、業者はどこかで手抜きをしなくてならない。
   この業者は地元を使うケースが多いが、どこで手抜きをされているか当事者でも
   よくわからない。基本的に長期的な立場を一切無視している。
   見た目が同じならどの業者でもよいのである。
   外観のデザインで客を集めるのは、ブランド・マンションの真髄ともいるがー
    −−    
しかしアパは決して悪いことだけではない。
バブルの弾ける直前に過熱を判断して、殆んどの物件を売り逃げをしていた。そして
不動産が下がりきったところに、「4コウ戦略」で、
今までとは違ったマンションを提供してきた戦略は素晴らしい。
4コウとは、より広い面積、より高感覚の(ファッション的な)内装と間取り、
好感の持てる割安感のある価格、効率のよい管理、である。
それが受けて、全国紙に毎日のように大きな広告が見られるようになった。
しかし、あの「ヒューザー」と、このアパとどこが違うというのだろう。
耐震疑惑が表面化すれば、これまでの無理してきたアパの方が大きな問題が
噴出するとみるのは当然である。
    私の経験からみて、
   「あの夫婦二人が耐震偽造を知らないわけがない!
    何百棟の建物をつくってきて、二人が知らないことはあり得ないこと。    
    設計図を元に施工図を書くが、それを見てないなど有りえる訳がない。
    その程度のことなど、関係者なら誰もが知っていること。
    あるいはビルの二つか三つ造った事のある人なら誰でも知っている。
    あの女社長様、よくぞ涙など出して演技ができるものと・・・」

私の会社に進出直後のアパ・東新潟マンションを買った人が働いている。
その評価は決して良くない!購入者は不満が鬱積しているという。
二月に入ると全国的にこの鬱積が爆発する可能性が大で、
ヒューザーなど問題にならないほどの大問題になるかどうか・・。
マンションは、投資物件の一つでしかない!
権利書というのは客観的な相場物件でしかない。
その相場が、数ヶ月で暴落する可能性を含んでいる! 
    東横インに関しても、以前から大きな問題ありと言ってきた。
    理由はリースバックの条件がある時点から、負担できなくなるからだ。
    あの条件では私の見立てでは7〜8年後が折り返し地点になるからだ。
    だから、一棟あたりの平均年数を割らないように出店し続けないと
    赤字になる運命にある。
    一見華やかのように見えるが、その実運転操業なのである。
    アパも似たりよったりであり、今年の国内最大の事件になる可能性を含んでいる。

「夢を見ているお客に幻想を売るのがファッション・マンションの真髄である。」
 その夢が醒めたときの段差があまりにも大きい、これは!」
    (まあファッションとはそういうもの!)
 「マンションをファッション感覚で買うとは!ドアフォ」
 と面と向かっていっても仕方ないが、無知はやはり悲しいものである。 
  あの夫婦の顔が年内に何十回、いやもっとうつし出されるだろうが、
  よ〜く一度、その視点で顔を見直してみれば、
   ここで書いたことの一端が解るはず ; ̄ー ̄A アセアセ・・・
                 (*^_^*)ノほんじゃ!
・・・・・・・・・
2006年01月29日(日)
1762, 愛のアフォリズム−2
      ♪オハ(b´∀`d)ヨォ♪

ランダムに幾つか面白い順に抜粋していく
特に「結婚」に関する章が面白い!
「第八章 ああ結婚!」から面白そうなのを抜粋してみた。
人間形成の基本ベースは家庭にある。
その始まりが結婚というキッカケから始まる。
そして、その半分が家庭内離婚を含めて破綻する。
破綻した両親の下で半数の子供たちは悲惨な生活を強いられる。

人生の最大の決断は結婚といってよい。
「その人物を判断するには連れあいをみよ」というが、
ほぼ間違いなく言い当てている。
クサンチッペをみて、ソクラテスを判断はできまいが。                    
               □[◎□◎]□〜♪♪ 
                   (-ω-`*)♪音楽聴いてるw
 =第八章 ああ結婚!=

結婚して最初の一年間、夫は支配権を手に入れようと努力する。
二年目にはいると、同権を求めて闘う。
三年目にはいると、せめて身ひとつの生存を求めて悪戦苦闘する。
                      (読人しらず)
       カンカンカン〜・・ ¶ゞ(; ̄д ̄)ノ☆=♀家内の ワラ人形
結婚生活が神聖だといわれるのは、
きっと殉教者がたくさん出ているからだろう。
                    (ルートビィヒ・トーマ)
恋愛とは短期的愚行。
結婚生活とは、短期的愚行にピリウドを打つ長期的愚行。
                    (ニーチェ)
結婚すると妻は夫の姓を名乗る。
これは、戦勝者が会戦名を名乗るのに似ている。
                 (モーリッツ・ゴットリー・ザーフィル)
おまえは生涯、妻を背負いつづけるかもしれない。
でも、下ろすたびに妻は言うだろう。
「わたしゃ、くたびれた」と。      (モンテネグロの格言)

結婚生活は愛の置き土産です。      (ヘレン・ローランド)
おたがいが憎悪しあっていながら、それでも相手なしにいられないーというのは、
とにかく言われるような最も真実な関係とか、最も刺激的な関係では決してない。
あらゆる人間関係の中で、もっともみじめな関係です。
                    (ボーヴォワール)
結婚とは、愛の灼熱をだんだん胸焼けに変えていく安全装置です。
                    (ジャン・ジュネ)
「サラ、わが恋人!]]という言葉には何と幸福感がこもっていることだろう。
ところが、「サラ、わが妻!]]だと、その幸福感は半分に消え、
残りの半分のやがてきえるだろう。    (メレフォントのセリフ)

 ーーーーーーー      お茶 (@゜▽゜)_且~~どうぞ w
 以上、だが。
結婚は当たり外れのどちらか!
それすら判定できないのが現状?
とにかく大変な大事業である。
私のつくった格言は
「妻と私のあいだには、溝はない。 しかし、浅くて広い川がある」
                 橋はあるから、まだ良いが!
 =検索で調べた「結婚」の格言の幾つかコピーしてみた=
・女には、どうしてもわからないテーマが一つある。
男は仕事に注ぐだけの熱情をなぜ家庭にそそげないのか、ということだ。
                       byD・デックス 
・女はみんな結婚するほうがいい、男は一人も結婚しない方がいい。
                     byベンジャミン・ディズレーリ
・男はみんな賭博師だ。
   でなきゃ結婚なんてしやしない。   byフレデリック・リット
・あらゆる人智の中で結婚に関する知識が一番遅れている。
                     byバルザック
・結婚――いかなる羅針盤もかつて航路を発見したことのない荒海。 byハイネ
・結婚したまえ、君は後悔するだろう。
 結婚しないでいたまえ、君は後悔するだろう。 byキルケゴール 
・妻が婚姻中に懐胎した子は、夫の子と推定する。by日本国民法第772条

・君がよい妻を持てば幸福になるだろうし、
 悪い妻を持てば哲学者になれる。      byソクラテス
 ー寸言ー  私が少し哲学的なのは、そうか〜
・「結婚を考えたことはないのか」
 「あるさ。でも考えるのとするのは違う」  by映画『夕日の挽歌』
・結婚は鳥カゴのようなものだ。
   カゴの外の鳥は餌箱をついばみたくて中へ入りたがり、
    カゴの中の鳥は空を飛びたくて外へ出たがる。 byモンテーニュ
・正しい結婚の基礎は相互の誤解にある。
                  byワイルド
・朝夕の食事はうまからずともほめて食うべし。by伊達政宗
 ー寸言ー  毎日、美味しいといって食べています!
   そういうと、本当に味の感覚がなくなりました! 本当の話!
・すべての悲劇というものは死によって終わり、
    すべての人生劇は結婚をもって終わる。byバイロン
 ー寸言ー それで毎日、突っ込みをボケをいっているのか?
・ずいぶん敵を持ったけど、妻よ、お前のようなやつははじめてだ。byバイロン
 −寸言ー
   これほど結婚の、妻への気持ちを言い表した言葉は初めてである!
・結婚とは誰もが犯さなければならない過ちである。
                    byジョージ・ジュセル
・その健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、
 富めるときも、貧しいときも、これを愛し、これを敬い、これを慰め、
 これを助け、その命ある限り、真心を尽くすことを誓いますか。
                  by教会での結婚式の宣誓の問いかけ
  ー寸言 ・・・・フン!
・結婚とは、熱病とは逆に、発熱で始まり悪寒で終わる。 byリヒテンベルグ
・結婚生活とはいわば冷蔵庫のようなものである。
 冷蔵庫に入っている限られた素材で、いかにおいしいご馳走を作り出すか、
 それに似ている。決して、他人の冷蔵庫を羨ましがらないことだ。 by柴門ふみ
・結婚をしばしば宝くじにたとえるが、それは誤りだ。
 宝くじなら当たることもあるのだから。 byバーナード・ショウ
 寸言ー私など、大当たりだ!    ・・?・・
・結婚へは歩け。離婚へは走れ。
                 byユダヤの格言
・日曜学校のクラスに金髪の美しい少女がいた。私は一目ぼれだった。
 妻となった今も私の気持ちは変わっていない。byハリー・S・トルーマン
 ー寸言 さすが、大統領になる人は、凄いことを言う!
   普通の人が言っても何でもないことが、格言になるのだから!
・ウェディングケーキはこの世で最も危険な食べ物である。 byアメリカの諺
 −寸言  毒食えば皿まで! 
・愛はしばしば結婚の果実である。 byモリエール
 ー寸言  私など、同胞愛である。  
                 ヾ(*'-'*)バイバイ!!
 ・・・・・・・・ 
 2005年01月29日(土)
1397, 相手の話の聞けない人

『相手の話の聞けない人』といえば、誰もがピンとくるだろう。
私の知っている限りでは、10人に1人あたりであろうか。
隠れ何とかを入れれば、その数倍であろう。
それでも少なくなったが、今でも唖然とすることがしばしばである。
相手のことが見えてないのだ。
この人はこういう人、あの人はこういう人という主観の思い込みが
強いのだ。世間体に言えば「頭ー固定観念ーが固い」ということだ。
地方の二代目に、こういうのが多いが。
身辺の長岡の二代目に、そのタイプにも多いが今では殆ど淘汰された??
いやこういう奴ほど、生き残っているか?
私もその一人なのだろうか?
「そうだ、そうだ。お前などもっと酷いものだ!聞いた振りをしているが、
結果的には唯我独尊で鼻持ちがならない!」という声が聞こえてきそうだ。
自分の姿の変形の話でしかないのか。
学生時代に、相手の話を聞く訓練を公私でしたつもりであったが。
しかし、他人の話でないと、話が続かない。

酒の席などで、特に出会うことが多い。
何故、相手の話が聞けないのだろうか?
余裕がないのか、その訓練をするチャンスがなかったのか。
その必要が無い環境で生きてきたためだろう。
もとめる姿勢が無いのが、そうしているのか。
私が見る限り、それぞれ色いろあるのだろうが、
本をジックリ読んでない人に、このタイプが多い。
また、多種の人間関係の経験が少ないためであろう。

口は一つ、耳は二つあるのは、
話した二倍を聴くためだともいう。
しっかり聴いているが、見事に右の耳から入って左の耳に抜けていく人がいる。
他人事ではないが!実際。
同じような内容を以前書いたので、コピーしておきます。

ーーーーー
2002/12/24
パタゴニア旅行記ー7 
−話しまくる人ー

今回の旅行で面白い人がいた。
常に一人話しまくっている人である。
常に自分が話をしていないと気がすまない人だ。
アメリカ経営学者のドラッガーの本にもこういう人のことが書いてあった。
500人に一人の割合でこれで上手くいく人がいるといっていた。
タレントのタモリやサンマや古館一郎あたりの人のことだ。
相手の反応を見ながら瞬時に内容を変え続けられる人で、
一方的にしていてもう不快さを与えない人だ。

誰かの話している間に割り込んで強引に自分の話題に引き込んでいく。
聞いているほうはたまらない。一種の自閉症に似ている。
自分以外の世界を閉じてしまっている。
三人のグループであったが、その一人がコッソリト
「あの人は悪い人でないが直らない病気!」と教えてくれた。

誰もが持っているが、自分でコントロールしているものである。
私など人のことをいえた義理でない、他人より数倍その要素が大きい。
それにしても老年に差し掛かった女性のそれはすざましい。
人の話を聞けない人は案外と多い。
すぐに自分に置き換えてしまう心の癖がついてしまっている。
出羽の守という人だ。東京では、長岡では、仲間内では、家族では
という自分の世界の世界に置き換えてしまう人だ。
そうあの人のことだー幾らでもいるからこう表現した。

この随想日記も一人話しまくっているようなもので、自己対話という
面で一種の自閉症のようなものか。
人間その要素を誰も持っている。

・・・・・・・
2004年01月29日(木) 1030, ワークとジョブ

・ジョブは一般でいう繰り返しの仕事をいい、
・ワークとは創造的な仕事をいう。
従ってジョブは日常の8時間だけ働いていればよいが、
ワークは24時間働かなければならない。
要するに仕事に知恵を叩き込まなくてはならない。
仕事以外の時間に、知識の蓄積と知恵を出していかなくては
ワークとはいえない。

一般的には、この差も認識してないケースが多い。
実際のところ、この数年ワークの仕事をしてきただろうか自分に
問いかけてみると「イエス!」と言いきれない。
現在は問題山積みで、毎日がワークという実感があるが。
学生時代は、その基礎知識と知恵の出し方を学ぶところといってよい。
社会に出ても、その蓄積を何らかのカタチでしていかなくてはならない。
特に情報社会において、変化に対して自らも変化し続けなくてはならない。

一般には、知的労働を含め、ラバー、ワーカー、スペシャリスト、トップ
に分けられる。
・ラバーは主に腕から先の作業を受け持つ人
・ワーカーは頭は使うが、作業を中心に頭と身体を使う人
・スペシャリストは、その道のプロとして24時間仕事に従事する人
・トップは、会社の方向ー方針と内部統括をする人に分けられる。

ラーメン屋や料理屋の亭主はその全てを受け持たなくてはならないから、
傍で見ているよりズット大変である。
会社が停滞をしたとき、ワークがジョブに変わってしまうケースが多い。
これは会社と人間の両方にいえることである。
人間はジョブに流される傾向がある。
それを回避する為には、変化をおこすことが必要である。
それをするのがワークであるといってもよい。

・・・・・・・・・
2003年01月29日(水)
665, 連れ合いーつり合い

以前ある大手の人事部長に「人の見分ける一番の虎の巻はあるのですか?」
と聞いたことがあった。
「奥さんを見れば、ほぼその人が解る!」
「なるほどな〜、下手な相手とは結婚できないんだ!」25歳の金沢時代だった。

考えてみれば、その人レベルの相手と結婚するものだ。
酒に酔って思わず「出来ちゃった婚」もあるが、その程度のレベルだ。
知人の長男がそれで結婚し子供ができたが、嫁はもともとの男と
逃げてしまったと聞いた。
養子にして育てているが張り合いができて毎日が楽しいとか。

ある知人の奥さんが子供ができた後、子供が病気になって血液検査の
をしたら何と父親が違っていたとか。奥さんは子供を連れて蒸発
したという話を他の人から聞いた。
「事実は小説より奇」というが、正しく色いろあるものだ。
結婚相手を選ぶということは、人間にとっての最大の決断である。
失敗確率が30数佑世ら、当たり外れは実際に結婚してみなくては
解らない。お互いの家庭環境に違いもあるし、隠された過去もあるだろうし。

私が独身の時は「家柄ー両親、人柄、学歴、センス、相性」の5項目を
分けてそれぞれを20点として合計100点で判断していた。
でもこれ嫌な感じがするが、一生のスパンで考えると野球の戦力分析に似ている。
やはりバランスがとれていたほうがよい。長い人生このアンバランス
が必ず出てくる。
ある知人が結婚の相談に来たので、この判断基準を教えてやったら相手の全てが
80以上であった。納得して結婚したが離婚をしてしまった。
資産家のお嬢様で商売系の家に入ってしまった為か馴染めなかったようだ。
あとは本人しだいという事だ。

割れ鍋にとじ蓋というが、金鍋に金蓋というものもあってよいものを。
あのクリントン元大統領をみると一見金鍋に見えたが、やはり割れ金鍋に
とじブタだ、いや金蓋か?
本論に戻るが独身時代、恋愛と事業を立ち上げの両立は無理と経験上?
判断をしていた。そしてここで結婚をしなくてはというタイミングに家内
の話しがあり、自分の目で5項目とも80佑犯獣任靴拭

その判断が正しかったかどうかはいまだ解らない?世の男は全てそうだろうが。
「結婚をしてから大体ー事業も家庭も上手くいっている?また後悔をしてない
のだから良しにしよう!」と自分に言い聞かせている。
家内もそうだろうが??

・・・・・・・・
2002年01月29日(火)
315、心と意識と魂

心と意識と魂-その意味ー以前も書いたが!更に。
「彼が彼女を意識したが」を「彼ー>彼女」のー>を意識という。
矢印そのものが意識というと、いまひとつ意識に対し明確な意味が解らなかった
のが、矢印ひとつで、解って?しまうのが、不思議である。
絵文字の感覚を考える時、この矢印で考えると、見えてくるように思える。
好きもハートの印で表現したほうが、相手にストレートに通じる場合がある。
ー心は円ー、ー魂は球ーが良い。
心の中心点は何であろうか?正中心一点無で「無」か?
その内側は欲求というところ。
「内側を意識で埋めると、円の上側80佑里△燭蠅縫薀ぅ鵑魄き、
上が顕在意識、下が潜在意識。上の空欄に小さな四角の書き、そこが自我、
円の中心点がエネルギーの発生点」と何かの本に書いてあった。
心も「こころ」は仏心というらしい。

・・・・・・・
1月29日 1969年 水曜日

朝10時に学校へ行く。
寝過ごしてしまった。
川崎と事業部で会う。そこで少し話をする。
彼から今日の分のコピーをもらう。
午後帰寮する。
その後ゼミのレポートを書き上げる。
その後価格理論をやるが、あまりはかばかしくない。
夜半の三時に就寝。


2126, タクシー運転手残酷体験記

2007年01月28日(日)

            オッ(*^○^*)ハ〜ヨウサン!

    デフレ経済と過当競争の狭間の中で、苛酷労働と低賃金の象徴的な
    職業のタクシードライバーの現状について、ここで何度か書いてきた。
    借りてきた雑誌の中に、ノンフェクション作家の体当たり
    「タクシー運転手体験記」のレポートがあった。

仕事の関係で彼らの生態の情報が入るが、
実際に運転手をした生のレポートは、具体的で生々しい。
レポートの現場は京都だが、地方の現場の平均とみてもよい。
観光シーズンがあるから楽そうに思えるが、実際はそうでもない。

    レポーターは(学生時代に学校に通いながら)運転手を1973年から77年までの
    4年間、最初が9万位で、辞めるころは15万円を稼いだ経験がある。
    当時の学生としての収入として悪くなかった。
    それから30年、タクシー運転手を巡る状況は悪化の一途。
    
    特に5年前の2002年の規制緩和の「改正道路運送法」が施行されてから、
    増車と運賃値下げなどで過当競争に陥り、デフレも重なり劇的に収入が
    激減したという。大阪の運転手事情はTVで何度かみたが、
    札幌・仙台などでは、平均240万を切ったという。

このレポーターの現場の京都では、2000年の354万円の平均年収が、
2004年には20%減の287万に激減した。
これを手取りの月収に直すと月17万円になる。
この17万円を稼ぐには、40万に売り上げが必要だという。
タクシーの売り上げ=荒利になるので人件費率からみたら、妥当だろう。

    朝7時から16時までの勤務だが、その売り上げを上げるためには、
    19時まで働かないと到底無理!ほとんど毎日12時間以上働いても
    15~6万円になるかどうかである。
    レポーターの勤めたK社の平均一人当たり売り上げは36万なので、
    一人当たりの手取り月収は13~4万円。
    これでは一家の主の収入で家族を養っていけるわけがない。
    そこで会社に入ってくるのは年金生活者になる構図になる。

このレポートでは、17万円を稼ぐ厳しさを生々しくレポートしていたが、
読んていて、そのリアル感には驚かされた。
タクシーの事故率は普通の車の9倍もあるという、
それだけ乗車時間が長いこともあるが、その苛酷な労働条件がベースにある。
売り上げ累進歩合制度は原則的には禁止されているが、
この過当競争の中では有名無実になっている。

    私自身はタクシーだけは健康と、自分の経済観念のベースを維持するため
    可能な限り乗らないことをモットーとしている。(ただケチだけか?)
    新潟を例えにすると、最近は旧市街にある古町という飲食街には行かない!
    タクシー代が馬鹿馬鹿しいからだ。
    
    この春から、地元の新潟も完全歩合制に移行と聞いている。
    こうなると、会社は車と名義を貸せるだけの商売になってしまう。
    個人タクシーと大してかわりはしない。
    通勤で駅前を歩いていると、お客に見えるのか
    タクシー・ドライバーの鋭い視線が痛い。

・・・・・・・・・
2006年01月28日(土)
1761, あなたのところのホテル、大丈夫?
                  (σ・з・)σオハYO!!
      最近、会う人によく聞かれるのが
      「あなたのホテル大丈夫?」である。
      耐震問題と、昨日すっぱ抜かれた偽装工事である。      
      もちろん「大丈夫!」である。
      誰も解っていると思っていたが、それは私の思い込みであった。
      (このHPの日々日常の出来事を書いている‘バードウォッチ’
      のコーナーに少し書いたが)
ー偽造問題では
・当社のホテルは最終工事は1995年に終わっており、
 市の建築課が何度か検査に来ている。
 (民営委託になったのが1998年)
・私がたずさわった建物は、全て鉄骨造り。
 (今回、問題になっているのは鉄筋造りのビル)
 その上にフロアーに、ほぼ柱を入れないので鉄骨が普通より太い。
 (時代が変わっても用途変更可能にするため)
 そのため、私がたずさわった建物は値が高く売れる。 
・当社と連携している鷲頭設計事務所の前社長(故人)の
「建物を建てるのは神の代行行為
 自分が死んだ後や、売却後も責任がある。」
 という持論を亡き父親から聞いており、
 その思想が建物に入っていて、
 コストダウンの対象にしていない。
                      
 これから考えるとヒューザーや、木村建設、姉歯設計など言語道断である。
 大手の鹿島や大林組など設計図を見れば「殺人ビル」が解らないはずがない。
 これらが大手4社も解っていて組んでいたというから、開いた口が塞がらない。
 地元でも、最大手の福田組と、準大手の丸運建設、植木組も
 建設をしていたという。
 役員以下総辞職ものだが、全くその話を聞かない。
 貧すれば鈍するということか!
 最大手4社が昨年の暮れ「談合の禁止を決めたようだ」と、新聞に報じられた。
 そう簡単にそのシステムが変えられるのだろうか?

 あと数ヶ月は、ライブドア関連と、耐震偽装問題が続くだろう。
 
                    ( ・∀・)つ(:゚::) ミカンでもドゾ♪
ー偽装工事について
 
 ・東横インの改装、いくらなんでもやりすぎである。
 全国規模でやっていたというが、実際にやったとしても地元では
 直ぐに摘発されてしまうし、同業者がまず連絡をいれる。
 屋上の仮設の小さなプレハブさえも問題にする。
 それが何で全国で放置されていたのか?
 それにしても、年に一人か二人のために身障者の
 設備を義務付けるのは、もっと弾力的にしたほうが良いだろう。
        
        地元では市の役人が常にまわってきてチェックしていたが、
        最近まわってこない。1998年の法律が変わったためか?
        そうすると、耐震工事と根は一緒になる。
        東横インは全くノーチェックになった事実を知ったのだろう。
        一度つくって、検査を終了後つくりかえるなどあり得ないことだった。
 それにしても、あの社長の迷・珍インタビューには赤面した。
 
                       ☆~~ヾ・ェ・)o尸~ マタ
 ・・・・・・・ 
 2005年01月28日(金)
1396, お水の花道

先日見た「お水の花道」のドキュメントが、面白い。
新宿のキャバクラの数人のホステスの素顔と店の中の出来事を追った
ドキュメントである。
この随想日記にも何回か取り上げてきた。
女の世界を知る一番手っ取り早い凝縮された職場である。
虚飾と現実が紙一重の世界でもある。

この番組みでは、4人の個人を、それぞれ追っていた。
時給が5〜6千円ということ、それとお客の取り合い、
携帯電話でのお客への攻勢、そして店内でのお客との掛け合いなど、
キャバクラの内側がリアルに映し出されていた。

彼女達は、自分が消耗品ということをよく知っている。
しかし、生きるために?新宿のキャバクラで自分を酷使している。
ストレスからくる鬱病と闘っている娘や、それぞれの人生を背負って、
一夜一夜を精一杯生きている姿があった。
暴走族の女番長で少年院帰りの、刺青の入った素朴なホステスが圧巻である。
彼女は、お客との仮想恋愛が苦手で、飲むことを売りにしか出来ない姿が痛々しい。
店は互いに売り上げを競わせて、多くのお客を引こうとする。
同じ位の娘を持った親なら正視できないだろう。
そう簡単に時給5000円も稼げるわけがない。
それだけ仕事も過酷になる。その世界を、カメラは冷徹に写しだしていた。
彼女らに他に何ができるのだろうか?という同情もわいてくる。
もっと、気張らずコツコツ生きなさい!という親心が出てくる。
しかし、それぞれの生きてきた環境と人生がある。

今まで書いた「水の世界」についての内容をこぴーしておきます。
ー真面目に、よく書いたものだ!本当。
・・・・・・・
2001/12/21  銀座ナンバーワン

銀座ナンバーワンホステス二人の対談が、ある雑誌に載っていた。
丁度バブルの絶頂期だったと思う。
面白く今でも内容を憶えている納得のいくものだった。
事業のコツとほぼ一緒であった。
店に立ったときは、もう最後の収穫の場でしかない。
その前にコマメに電話をしたり、手紙を書いたり、誕生日の贈り物を贈ったり、
ゴルフの付き合いをしたり、ありとあらゆる事の結果お客が
店にきて、自分を指名する状態にあるという。
素人はそれが解らないらしい。店にきてから初めて準備を始める。
店の中の現象しか観てないのだ。
接客とか話術でとかで、気に入られようとする。
またなじみのお客の話題の知識の勉強をしておくという。
どうすれば好かれるかの努力を全てするそうだ。
その中で印象に残っているのは、「男は皆やはり威張りたい」そうだ。
割り切ってしまえば、男はたわいないものという。

学生時代の友人に十数年前、彼のいきつけの銀座の店に連れて行って
もらったことがある。狭いがぎっしり席が詰まっている店であった。
満席であった。ホステスも2人に1人あたりついていた。
小柄な24〜5歳のチイママ(ママの次のママ候補生)がついた。
その時、はじめ書いたナンバーワンのホステスの話をした。
かなり相手もその内容に興味をしめした。
「貴女はすぐにママになれるよ!」と励ましたとき、目が輝いたのに驚いた。
 
そして半年、会社に手紙が届いた。恐らく名刺を置いていったからだ。
本人の写真が同封、その時話した内容と「言われたとうり、
ママになりました!」という内容であった。そしてボトルの無料券が入っていた。
その後は行ってないが、そのひたむきさと自分の写真を添えて
手紙をよこす気持ちに、さすが銀座は違う!と感動した。
2〜3年前にその友人に会ってその話をしたところ、それに近いことが自分もあった。
そしてそこを使っているが、連れて行ったお客が全員喜ぶといっていた。
保険の外交員の日本一の契約の女性の話も、
この話と重なる部分が多い。 一句 「馬鹿な奴 結果だけ見て 運に観え」              
・・・・・・・・
2004年01月28日(水)
1029, 夢分析ー自己解剖
ー心の地下を覗く

「昨日・1月27日の‘メルクマール’に書いた夢分析をしてみる。
 ー内容は
「『学生時代の日記』を随想日記に書きうつしているせいか、
当時の部屋に35年ぶりに行った夢をみた。

小さな押入れの中には当時のものが、そのままあった。
布団に、電気炬燵、実家から送ってきていたコメ、柿の種などなど、
忘れ去っていたものが、記憶としてハッキリしたイメージになっていた。
記憶とは凄いものだ。但し部屋の中は全くの空であった。
押入れの中のものを全て出して、その処分に困っているところで目が覚めた。
夢まで、35年前にタイムスリップをしてしまった。
他人の夢の話ほどつまらないものはないというからこの辺で止めておくが」

以上であるが、
自分の心の奥の階段を掘り下げるとはどういうことかを、解剖してみる。
現在毎日35年前の日記を書いているから、この夢をみたのだ。
おまけに、その前日「眠りについてお話」を書いたことも重なっている。
そして前日眠れない時間を2時間も過ごしたから、神経が鋭敏になっていた。
更に、その日記の内容が益々刺激の深い内容が続いていることもある。

ー我流であるが、夢の把握と解剖をしてみる
・「35年前の部屋に、現在の自分が訪れている設定の場面」の夢であった
・部屋が空室で綺麗であった
・冷静に部屋の中と外の庭と大家の住んでいる母屋を見ていた
・その部屋の押入れの中の当時のものを、時代を超えて記憶として
 リアルにみていた
 それを一つずつ押入れの中から出して、冷静に見ていた
・それを処分しようとしているが如何にもならないで困っている
押入れは、22歳の日記そのものである。
押入れの中のものは、毎日の日記の内容であり、当時の出来事である。
処分しようとするが、処分できないのが過去そのものである。
冷静の目は、当時をみている自分の視線である。

以上であるが、単純といえば単純な自分がいる。
箱の中は見なかったが、食べ物が封印されて腐っているようなものもあった。
何か深い意味が含まれているのか、ただ久々に開けた押入れの中の
食料が腐っていただけなのか、それは自分の「良心」の判断になる。
 夢は潜在意識の入り口である。
記憶には、人間の、猿の、哺乳類の、動物の、生物の、長い記憶が
刻み込まれている。
それからみれば、35年前と35日前の記憶もさして変わりはない。

 ・・・・・・・・
 2003年01月28日(火)
664,「日本経済の破断界」

十数年前から日本経済の破滅を言い切ってきた元三菱総研専務ー高橋乗宣の
本のタイトルである。
去年の秋に新潟の紀伊国屋で買おうかどうか迷って買わなかった本を
図書館で先日借りてきた。

ー要約を書くとー
・日本経済が凋落した原因を、「ニクソン・ショック」としている。 
 今になって世界機軸通貨のドルが暴落して騒いでいるが、ニクソン・ショック
 の時点で終わっていた。
・アメリカがIMF体制をつくった当初、世界の金保有量の66佑鯤殕していた。
 アメリカは35ドル1トロイオンスの金の交換ルートでIMF体制をつくった。
 その体制の前にどこの国もドルを欲しがった。それを利用してドルをばら撒いた。
 ドルをばら撒く事がプラスに働いた。
 ドルが機軸である限り必ずアメリカへ戻ってきた。
・ところがドルを手にしてもアメリカ製品を必ずしも買わなくなった。
 日本やドイツが製品をより良く安く売り出したためだ。
 それが日本やドイツを中心に溜まりだした。
 それと同時にベトナム戦争でつかったドルが更にヨーロッパや
 アジアに流れていった。
 それが外国に山のように溜まり、アメリカの公的準備金が激減しだした。
 ヨーロッパやアジアの国は金を持ちたがる傾向にある。
 アメリカの金が減りだし、発行した金の交換量をはるかに超えてしまった。 
 それがドル危機である。たび重なるドル危機で1971年に金とドルの交換を
 停止する宣言をする。これの意味が深いのだ。
・資本主義は、金を通貨の基準でなり立っている。
 その瞬間、ヨーロッパ諸国は固定的な為替関係を放棄した。
 しかし日本だけは一週間にわたり、一ドル360円のレートを守ろうとした。
 大失態だった。すぐに固定相場を放棄せざるを得なかった。
 ヨーロッパとくにイギリスのサッチャーはロンドンのシティーを開放し、
 金融のウインブルドン化を行った。
 日本は10年かけて金利の自由化を図ったが、市場にゆだねるための規制撤廃
 は一切行わなかった。いまだに当座預金のペイオフすら延期するような幼稚な
 レベルで留まっている。最悪である。市場主義の流れさえ全く理解してない国民
 と政治家のレベルを露呈してしまった。
・過去の資本主義の最終段階に入っているが、日本は小手先の自民党の最終漫才
 の自己逃避に国民もなすすべもない。自民党はその寄生ー規制で潤っている
 業界から献金を受けている為、規制撤廃ができないのだ。
 なすべき決断を下さず、実行せず、もう大丈夫、もう大丈夫と繰り返していると、
 市場はある日突然、暴力的になる。市場の「自己矯正メカニジム」が働く。
 この先送りのツケが必ず来る。
 シートベルトをしっかり締めつけ、下げた頭を両手で抱えるー飛行機のハード
 ランニングが始まる。まずは2003年の3月がどうなる事か??
 先延ばしの典型のダイエーが最終の失敗の露呈を始めた。
 ーー
以上が私がまとめた本の要旨だ。

ほぼ大筋は外れてはいない。まずはこの3月がどうなる事か。
イラク戦争と朝鮮戦争をどうこなしていくかが問題だ。
この国の民度ー自民党のあのパフォーマンスー自己逃避をしているレベルを
民度というのだ。
それも仕方がないのか奴隷国家ー西アフリカの奴隷国家以下の現状。
自民党は歴史に残る劣悪政党だ!その猿芝居を信じているのが今の日本だ。
あの歴史的国辱の彼等が
「我々自民の主流派の定義は国家の行き先を真に考えているかどうかにある。
我々は先行きを真剣に考えている故に主流派という」
とのたまっている。

万死にあたいする劣悪集団が、こうも脳が狂ってのたまう。
彼らはいう「自分たちは、こういう劇場政治にとっての生贄だ」
ゴミのー盗人の最後の泣き言だ。
「盗人に三分の利?」いい加減にしろと言いたい。
おそらくこの文章は、私のまだ見ぬ孫や曾孫が見ると思うが
「私の時代にこの劣悪集団と子狐どもが貴方の時代と同じようにいたと、
タイムマシーンのように時空を超えて伝えたかった」という事だ。
如何でもよいことだが。

 ・・・・・・・・
2002年01月28日(月)
314、情報化ー 一考察

情報化とは、突き詰めれば[中抜き]ということになる。
横に重層になっていた構造が立てになり直接
世界にさらされる状況といってよいーそれが結果として[中抜き]になる。

銀行を例にとると、都銀、地銀、信金という規模別に、
あるいは地域別に棲み分けていた業態が、一瞬で直接さらけ出されてしまう。
合理化をしないできた地銀以下が,都銀やほかの金融機関、
更に世界の銀行と同列に、競争にさらけ出されてしまう。結果はすぐ出る。
情報化は競争社会にさらけ出されることである。
地方区が全国区になるようなものだ、いや世界区に。

アメリカの証券会社のメルリリンチが、ネット証券の出現の為この数年で
会社の存続さえ危うくなる時代である。恐ろしい時代である。
ヒカリファイバーが一般に普及される、5年後がどう変わっているか楽しみである。
情報化のひとつに画面の情報量の拡大がある。
ハイビジョンTVはその典型といってよい。
その結果、今まで見なかった番組を見るようになる。
カラーTVが出始めの時、全国のファッションが変わったと言う。
カラーに対する情報が、そのまま画面を通して一斉に全国に流れた為だ。
 昨日も自民党の集り代議士が、その権限の乱用を暴露されていた。
 ソ連の崩壊も、情報化で一般の意志に従わざるを得なかった結果である。


2125, 顔筋マッサージ

2007年01月27日(土)

            (~Q~;) おはよう〜〜ファ〜
           
    先日の中学校の同期会の二次会の写真を見て驚いてしまった。
    飲みっぱなしと、久々に同級生に会って気が緩んでいたのも含めて、
    弛みきった初老の顔が、そこにあった。
    ところで、ある雑誌に代議士の加藤紘一の手記に「顔筋マッサージ」があった。

 −その概要といえばー
「文藝春秋10月号の332ページを見よ」というメールが知人から入ったので、
そこを捲ると、「顔面マッサージで男を磨け」という記事に加藤紘一の名前が
載っていた。 そこには
  「 ・・・他に政治家で気になるのは加藤紘一さん。
   真摯に生きているが、でも顔がどんどん横に広がって大きくなっています。
   マッサージでシャープになれば劇的に変わり、本来の輪郭に戻れるでしょう。」
   とあった。・・・・そこで、そのマッサージ師を呼んで受けてみた。
   ところが、わずか20分ほどのマッサージを終えると、鏡の中の顔の輪郭が
   引き締まっていた。その直後のTVの討論番組の収録で、異口同音に
  「加藤さん、痩せましたか?」と声をかけられた。
   他人の目からみても効果があったのだろう。
   私の顔でこれだけ変わるのだから、片山虎之助参院幹事長はいかほどだろうか。
   是非勧めたい・・・」
    という内容である。(文藝春秋2,007年1月号より)

そういえば家内に一月ほど前に、
TVのモーニングショーで「顔面マッサージの効用」とかいう番組をみて、
実際何回かやってみたが非常に良かったと、その手ほどきをしてもらった。
それ以来全く忘れていたが、一週間前にも頬を下から上に向けて
マッサージをする効果をTVの番組の中でやっていた。

    そこで10分ほど顔面マッサージをして鏡を見たところ成る程!
    顔が引き締まっているのである。
    少し緊張した人の顔は何ともいえない良さあるが、
    それを人工的に作り出すことができるのである。
 *大まかにいうと、
・両手の掌でホッペを下から上に揉みあげていく。
・目の周りを指と掌で入念に揉んでいく。
・目から鼻にかけての両側を上下に揉む。
・額を皺を伸ばすように左右両側から揉む。
これを執拗に繰り返す。ただそれだけである。
鏡で「する前」「した後」をみると大きな変化がわかる。
 
   そういえば、あの片山虎ちゃんの顔が変わった?・・・
   要は、これを習慣として取り入れることが出切るかどうかだ。
   私も加藤紘一の手記を読まなければ二回も実際にやってみて、
   ただ、その時だけやっただけ!
   恐らく?三度目の正直、習慣にまで持ち上げられるだろう!
   
頬の肉を持ち上げるより、習慣にまで持ち上げることが先か!

           ヽ(*´∀`*)ノ.+゚ホンジャ〜バイ♪.+゚
 ・・・・・・・・・・
2006年01月27日(金)
1760, ウエブ上の「貨幣」は「キーワード」
               ヾ(o′エ`o)ノ*:.。オハヨウ。.:*

産経新聞の「正論」のコーナーでの論客の公文俊平氏の
  「ポスト産業社会を担う知本主義」が面白い。
 ポスト産業社会としての現代社会を「知本主義」社会と位置づけて論じている。
 これまでの産業社会を資本主義を中心とした社会の対比して知本主義では、
 通職、智、智場、智民、キーワードをあげている。
                     ( ・∀・)つ(:゚::) ミカン  ドゾ♪
資本主義社会ー> 知本主義社会
商品    −> 通識
富     −> 智
市場    −> 智場(インターネット)
市民    −> 智民
貨幣ーお金 −> キーワード      
       筆者は資本主義社会における貨幣が、ネット上ではキーワードと看破している。
       web上の検索にキーワードを入れると、世界中のありとあらゆる智場から
       情報を得ることが可能だからだ。
       智場から智ー富を何時でも瞬時に得ることの出来る人を「智民」
       というのも肯ける。   (σ〃'ω')σ ゲッツ キーワード☆

  今後、豊かさの大きな位置を占めるのはこういう「智民」であるという。
  日本は相対的にみると、最も健全にネット社会が発達していると
  楽観的な見方をしている。      
      「智」という言葉がキーワードになる。
       検索で調べたら、
      「長い経験から納得して知る、すなわち腑(ふ)に落ちて知る」
       というのが智の意味とあった。
      「情報を知識化、知恵化をして蓄積されている状態」
       ということだろう。

 ネット上の裕福な人とは、多くの上質のキーワードを一瞬にして
 把握して、自分のHPにネットをはれる人?
 それと自分のライフワークをネット上にセットできる人?
 そのためには、教養が必要ということか?
 今日、用がない?では、智は得ることはできない。
   この文章で初めて知ったのが、「WEB2.0」というキーワードである。
   次の機会にまとめてみる。 ネット上も変化は激しい!      
                      (*´∀`)ノバイ
・・・・・・・
2005年01月27日(木)
1395, 危ない格言ー3
             ー読書日記ー

第2章 自己をめぐる右往左往

・憎悪は人間を鋭敏にする、もっぱら敵の弱みについてだけど・・・
(my感想)ー敵だけでなくなるのが、恐ろしいことだ。
 憎悪を感じる程度は、まだまだ!
 −− 
・これまで獣や畜生と名指されてきて蔑まされてきた動物たちは、
もとより人間どもが,自分達の事情で,こねあげた像を押し付けられただけで、
彼ら自身は動物として、他の生物や生命の世界にもとることは何ひとつ
やってこなかった。
彼らに押し付けられた像は、実際は、すべての人間の所業から捏造されたものだった。
動物の中で、獣のように振る舞い畜生のように行動してきたのは、
要するに人間ばかりであって、他の動物ではなかった。
(my感想)ーそのとおりである。
地球のダニが人間だもの!
ダニのような人間とは、ダニにとって傍迷惑である。
寄生虫も、所詮人間が自分の姿を見てつけた?のでは!
 ーー
・「われわれに、われわれ自身を止める能力がどうかして備わるように」
 −人間への祈り 
(my感想)-自殺しろということ?それとも、「われわれ」という言葉の
甘さを言いたいのか、どっち?。
 ーー
・君は、あるいは紆余曲折を得るにしても、君自身を我慢しなくては
ならないことを学び、そのすべてを身につける。
そうであるなら、他者を我慢することぐらい何ほどであろう!
(my感想)−どっちも我慢できないけど!
でも、自分は許せても、他人は許せないのが人情!
 ーー
・問題は、君が何者であるか、君の自己が何処にあるか、などでなく、
いかにして君を他者にとって最低限我慢できる存在にするか、
君を君自身にとって少なくとも耐ええる、そして、できれば快い
人間にするか、だ。
(my感想)−ふ〜ん、まあ、いいや!
 ーー
・自分の欠点を埋めるより、うまく使うことを工夫する方が無理がない。
(my感想)−ホントかいな?
虚言癖の人間が詐欺師になればよいということ?、か。
 −− 
・人間はなるほど一般が自分が可愛い。
だからといって、一般に自分を心底気に入っているいるわけではない。
(my感想)−いるんじゃないか、自分が気に入っている人が!
自分の頭の程度が可愛い?と思っているが、その上に自分を気に入っている人も!
 ーー
・人は、機会さえあれば、何でもあれ、己をひれかそうとするものだ。
他に何もなければ、自分の平凡さえも、その平凡さを見下している
自分の鑑識眼であれ。
(my感想)−この、随想日記からみると自分のことだ!
 −−
・他者による軽蔑は、人間を傷つけ、自分自身による軽蔑は、人間を腐らせる。
確かに前者の方が痛みがひどいが、後者は治りが遅く、場合によっては
時とともにいっそう悪化する。
(my感想)−まあ、軽蔑してくれる人がいるだけ良いんじゃないか。
 −−
・自己満足は、自己の現有の能力を越えてゆかねば到達できない
目標を決して立てない者の、何時もの到達点だ。
(my感想)−最後の拠りどころじゃないか!
超えたか超えないかを、如何判断できるの?
 −−
・有能な人間になることは、自分のために有用だとは限らない。
(my感想)−無能のままの人間は、自分にために無用だということか。
そして、周囲にとっても!
 −− 
・ひとは、しばしば自分を見損なう。目が悪いからだけでなく、
自分を見てとるに最も適切な位置と距離と角度を知らないために。
(my感想)−適切な位置と距離を知っていても見損なうんじゃない人間は!

・・・・・・・・・
2004年01月27日(火)
1028, 大人のワッペンー勲章の意味 −2
 「新リーダーの研究」 読書日記−2
 
 「目次」の小項目と、それぞれのダイジェストを書き込んだ。
 これで内容のほぼ90佑鯡嵳紊靴討い襦。
 書き込んでいるうちに、ほぼ理解?!をしてしまった。
 現在の私にとって、内面の底から湧いて来る自身への声に聞こえてくる。
 
 いまさら高度成長期の「故・伊藤肇の提灯本」ではあるまいが。
 古典を引っ張り出して経営のあり方を説く時代ではない。
 それをネタに経営者を片っ端から批判し、ランク付けを勝手にしている
 ことが、今から見るとお笑いだ。
 ということは、その本とテープに何万も金を出したということを告白して
 いることになるが。
 時代は移り変わっていく。
 
 深沈厚重第一の資源  磊落剛勇第二の資源  聡明才弁第三の資源
 とか、いっていたが。
 
 このことに対して疑いを全く持ってなかった。 
 今から見ると何だったのか?
 高度成長期の一つの人的資源として必要条件だったのだろう。
 東洋の考え方とみれば、それはそれでよいが。
 チャラチャラしている、馬鹿タレント向けに丁度よい言葉だが。
 しかし古典は最も大事である。
 誤解ないように!
 ーーーーーーーーーー
 
 第1章  リーダーの心得 ■
 ・ 一国の興亡は指導者にあり
  −−−
  ジョパンニ・ボテロの言葉に「偉大な国家を滅ぼすのは、けっして
  外面的な要因ではない。それは何より人々の心のなか、そしてその反映
  たる社会の風潮によって滅びる」
  エリート教育不在が指導者排出の土壌を枯らす。
  
 ・ 恐れられ愛されるカリスマの本質
  ーーー
   リーダーシップというものは非常に複雑である。
   勉強をして身に付くものではなく、先天的なものでもない。
   非常に多様なものである。
   リーダーシップの根源にあるのは、相手の意見を聞いて理解する
  ことであり、こちらの意見をわかりやすく表現する要素です。
  ・ 権威なき権力は必ず腐敗する
   ーーー
   権力は粉飾できても権威はごまかせない
   権威の希薄な人ほど権力にすがる
  ・ 「マイ・スタンダード」を構築せよ
   ーーー
   国際派の経営者ほど日本の独自性を重要視する
   独自性こそ国際競争力となる
   「グローバル」を超える「マイスタンダード」を
  ・ 真のエリートを育成せよ
   −−−
   古典を学び己を磨くことに務めよ
   「このままでは世の中の枝葉化が進み、狭義の‘専門家’
  によって占領される危険がある」
  ・ 志を高く掲げる
   高い志で日本流の創造に挑め
  ・ 「叙勲の辞退」が価値をもつ時代
   勲章で人の値打ちが決まるか  叙勲は政財官の癒着
   それに値する人ほど辞退する
   
第2章 経営改革は自己改革 ■  
  ・ 現状打破の精神を燃やす
   ーーー
  劇的な変身なくして生き残れない
  大事なことは、この世は何が起こるかわからないことと割り切ること
  われわれがこれまでと同じように生き残る為には、われわれ自身が
  変らなくては
 
   現状維持の壁を破れるのはトップだけ
   現状維持の壁は厚く硬い
   組織は新しくつくった時が最高値である。
   その後はだんだん酸化をしていくものだ。
   経営者の変革は「自己革新」と心得よ
   過去の枠組みを大胆に捨てよ
 
  ・ 逆境を勝ち抜く異端のパワー
   −−−
   日本中に張り巡らされた現状維持のバリア
   逆転の発想で創造的破壊に挑むこと
   逆境ほどチャンスの時ーやるべきことが満ちているからだ
   
   正統を超えた異端の革新力が必要
   「革命は常に辺境から起こる」
 
  ・ 経営革新はスピードが勝負
   ーーー
   「先送り」から継承がもたらす「突然死」
   「コンセンサス」よりすばやい決断
   
  ・ 決断力をいかに高めるか
   −−−
   準備は悲観的に
   行動は楽観的に
   いき過ぎた楽観は破滅をもたらす
   そうすると「陰影をおびたネアカ」というのがよいことになる
   決断をしたら即実行」を習慣づける
   ベストコンデション決断に臨む
    早朝がよい
   
  ・ 「説明責任」を体現せよ
    ーーー
    自分の言葉で語れ
    自信がもてるまで練り上げよ
    難しいことをやさしい言葉で語れ
 
  ・ 甦る経営者の気概
   しがらみを断ち切り、過去を葬る勇気を持て
 
  ・ 人材を創る教育者たれ
   ーーー
    育てるより育つ環境をつくれ
   部下としてより人間として育てよ

第3章 価値情報を選択する感性 ■
  
  ・ 情報洪水をいかに乗り切るか
   −−−
   問題意識を持って情報を選別せよ
   ともかく問題意識を持って目を凝らせ
   特に先行情報を探しだせ
   受信能力を研ぎ澄ませ!
  ・ 複眼思考で変化に対応せよ
   ーーー
   百芸を見ながら一芸に秀でよ
   「仲良しクラブ」から自分を遠ざけよ
   経済情報だけでなく、深い教養を身に付けよ
   両方が要求される時代である
  ・ 聞き上手はいかなる雄弁にも勝る
   ーーー
   人の話しを聞かくなったら 、リーダー失格
   反対者や少数の意見にこそ聞く耳を持て
   聞き上手でこそ相手の本心を探り出せ
  ・ マイナス情報にこそ価値がある
   ーーー
   アイアコッカの「7つの戒め」
   一、ベストの人材を登用せよ
   一、短く言え
   一、何を先にするかを決め、優先順位を常にリストアップせよ
   一、銭を稼ぐのはラインだ、忘れるな
   一、異端者を身辺に置け
   一、改革もよいが、商売を忘れるな
   一、基本、基本、そして基本をわすれるな
   
  ・ 戦略は現場にあり
   ーーー
   変化の予兆は足で歩いてキャッチする
   変化してよいものと変化してはいけないものを見極めよ
  ・ 新聞情報に振り回されるな
   ーーー
   それぞれに自己流の読み方がある
   
第4章 トップの自己啓発 ■
  ・ 経営学は人間学と心得よ
   ーー
   人に上に立つとは人を信用すること
  ・ わが城で「深思高飛」せよ
   ーー
    一人考える時間を創造せよ
   どんな狭くとも自分の「書斎」をもつこと
   「知」の工房で深思する習慣をつけろ
   読書に励み、一日一度は精神を集中させる
  ・ 古典“大いなる世界”に親しむ
   ーー
   古典は時代をくぐりぬけた文化遺産
   古典は現代の読み手に向けられる深い問いかけ
   長期的視点
   多面的視点
   本質的視点
   という問いかけが必要である
  ・ 思考も意識も瞬時に転換せよ
   ーー
   10分位の間、自分なりの仮説を3つ立てて考えろ
   創意工夫で気分転換を習慣化せよ
  ・ 「自分のリズム」を大事にせよ
   ーー
   朝のリズムを己でつくれーウオーキングの重要性を知れ
  ・ 意志の伝達は「簡にして要」
   ーー
   ものごとは「三つ」に集約してしまえ
   そしてランクを付けろ
  ・ 「無所属の時間」をもとう
   ーー
   日常空間からの脱却を
   
・・・・・・・・・・ 
2003年01月27日(月)
663, 小売業売上げの推移

朝日新聞の経済欄で、百貨店とスーパーの「既存店の売り上げ」
が6年連続前年割れと出ていた。
グラフで見る限りの6年間のダウンの数字合計が約20佑任△辰拭
これを見る限り既存店の多くの店が赤字という事になる。
それも開店した2年目からの店と、勝ち残っている店の平均値である。
これではスーパーなどは新規の店を出し続けないと維持できない。
百貨店は老人狙いやの詐欺商法!!やブランド商法で何とか数字を
つくっている?

大雑把にいえば、デフレの値下がりに比例しているともいえる。
ここにきて更に10涌幣紊稜笋蠑紊殴瀬Ε鵑箸いΔら、
殆ど限界を超えている。厳しい中どうしているのだろうか?
他人事でないが。うがった見方をすればあくまで発表している数字、
実際はこんなものでないはずである。

業種は違うが、街中で見かける自動車の主体が「軽自動車」になった。
以前はマイナーの立場で、スズキやダイハツが隙間を狙い特化していたが、
今や大手の売れ筋の主流になっている。
一台あたりの単価が大きく下がっている。
総売上は大幅に下がっているはずだ。

医療費の3割負担や実質賃金ダウンで更に財布を締めるのは当然のこと。
更にイラク戦争や朝鮮半島の緊張が高まれば、消費に更に水をかける事になる。
何がおきてもおかしくない事態になってきた。
恐慌はそれまでの売り上げの7割まで下がるそうだ。
その事態になった時の体力が、弱体した日本に残っているか心配だ。
  マクロの経済政治を考えると、マイナスしか考えられないのが現状である。

・・・・・・・・・
2002年01月27日(日)
313,自分の為の文章作法

日記とか、随想など自分の思いを書いているときの決め事として
「以下のようにしておくといい」と書いてあった。

・誰かがこう言っていたとか、自分がこう言った場合は
 「−−−」と言っていた。
・自分がこう思った、考えた場合は
 <−−−>と思った。
これだけでも言ったことと、心の中の思いを分ける事ができるという。

いま一つはの分け方は、-これは私が考えた分け方
1・自分の考え思いを<−−>と決め、
2・自分以外の考えや、言ったことや、書いてあった場合を「−−−」と分ける。
3・信念、強い考えを[ーーーー]もつかえる。
4・希望、夢は(−−−)、
これを決めていれば、自他の区分がハッキリして自分の位置づけが解りやすい。
上から重要順に書いてある。
<まず1、からこれを実行しよう>と思う。
文章にいま一つ自分のシステムが入ってくる。

今日から実行だ。

・・・・・・・・・・
1月27日 月曜日 1969年
1
昼過ぎの2時に起床。
TVをみて、風呂に行く。
21時から翌朝の4時まで勉強。
あと一週間で最後の試験に入る。
意外と内容は難しい。
そう簡単に卒業はさせてくれない。


2124, 死んだ人に、もう会えない?

2007年01月26日(金)

             <(_ _)>   おはようございます!

義母が昨年の12月01日に亡くなって、もう49日以上が過ぎ去った。
家内を慰める言葉として、哲学者のエピクロスの
「<われわれ>が生きているとき、死はそこになく、死がそこにあるとき、
<われわれ>は生きてはいない。だから、死はわれわれになんのかかわりもない・・」
の意味を説明し、補足として、
「一人称の本人の死は存在しないし、三人称の死は他人ごとでしかない。
二人称の死も実際のところ本人じゃない。
死に慌てている、そして死に対し無知な自分がいるだけ。
死はあくまでも他人の昇天と周囲の悲しみを見て感じつくりあげた観念でしかない。
実際は死んではいない」といったところ、
家内「でも、会うことがもう出来ないじゃないか」
と素直な気持ちを吐露した。

     それに対し、スラスラ出た言葉が、
   「でも、それはこれからのこと。唯心論じゃないけれど、
思い出の中で会える。
     自分の大部分は過去で出来ているし、
過去は都合の良いように変えることも出来るが、
     間違いなく存在していた。その存在こそ絶対であるし、
消すことも無くなることもない。
     もし死んだとしても、実は死んではいないし、
もう会えないということより、母親その人と会えたことの方が奇跡だし、
その方を考えた方が良い。
    悲しいのは解るが、死とは何かじっくり見つめ学ぶ機会と
考えた方が良いんじゃないか」
    悟ったような答えであったが、考えてみたら
哲学者の池田晶子の言葉のうけ売りの言葉。
     しかしスラスラと出たのは事実。

『死』は人生の最大の関心事である。
それも自分の母親の死は、自分そのものの死を考える機会になる。
両親が亡くなって、その直後の数ヶ月を過ぎてからは寂しい思いはなかった。
亡くなることによって、心の中心により深く住むようになった。
そして心の底から感謝ができるようになった。

しかし、これは義母−二人称の死の話だが、実は自分のことでもある。
まさに死そのものより、「現在、いまここ、にある自分の存在」の意味と
同じことをいっているのである。
死を考えるということは、自分が「いま・ここ」に、
そして生きてきたことの不思議を考えることである。
    

    亡くなる=無になる、ということは有り得ない。
   「無にどうしてなるのか? 無いものに成るなど、
ありえないことである!」
    全くそのとおりで疑う余地は全くない。
それが存在することの不思議につながる。

   「何故いま・ここに、自分がこうして存在しているのだろうか?」
    不思議で不思議で、まずそこから出発しないと・・
    存在とは何か?そして、その消滅とは?
                       ☆~~ヾ・ェ・)o尸~ マタネ~♪
  ・・・・・・・・・・・
  2006年01月26日(木)
1759, 閑話小題
          (●′∀`)σ )Д`○)★Ohayou☆
ー新手のおれおれ詐欺?ー

・友人A 氏の名をかたった「おれおれ詐欺?」の電話が自宅にあった。
一昨日の午後、自宅に友人A氏 の名前で
「主人在宅ですか?」という電話が入った。
家内が声が違うので不審と思い、直ぐに切ったという。
       昨日友人A 氏に聞いたら、先週の金曜日に、
       彼の前の会社の元部下B氏 の自宅にも同じ時間に同じような
       電話があり、やはりB氏の奥さんに疑われて電話を切ったという。
       私とその友人氏B は顔見知りだが仕事上の直接の繋がりは無い。
友人A氏の10年前の会社を名乗ったというから?
A氏の現状を知らないとみてよい。
恐らく十年以上前にA氏と行った飲み屋?で渡したA氏の名刺の裏?に、
会話の中から名前を知り書いたか、
あるいは私もB氏も(別々)に名刺を置いてきたのかもしれない。
       こういう仮説をたてるのは面白い!が。
       直ぐ電話を切らないで、相手が何を狙ったのか聞いていたほうが
       面白そうだが。
       新手のおれおれ詐欺だろうが、気楽に名刺も出せない時代になった。
~~旦_(‥ )ま、茶どうぞ!

ーうそー
日本語は面白い。
その中で、人のためと書いて「偽」ーウソがある。
昔の人は深く偽善を見抜いていたのだろう!
人が為すことは全て偽とも受け取れるが!
       論語を黄色い声で読んで、
       その視点で(自分ではなく)他人を攻撃する輩を何人か知っている。
       それでも勉強をしないよりましか?
       そういえば、亡くなったが茶坊主の経営評論家が、
       論語を持ち出し片っ端から切り捨てていた。
       経営者は人格がまず要求される第一の要素だが。(*ノω<*)
                ヾ(*´▽`)ノ=з=з=з      
                      バイバイ!
・・・・・・・
2005年01月26日(水)
1394, 人間の成長角度

ー知人が面白い話をした。

「人間には、それぞれ上昇角度がある。それを早く見抜いて
エリート教育をすべきである。
その角度は、よほどの事がない限り、変わらない。
変わるとしたら、大きな挫折か、大失恋かである。」
なるほど、と感心をした。
ある共産党員が話していたとか。

中学校は選抜される前の最終の集団である。
(今は違っているケースが多いが)
その時の成績の順位が、そのまま人生の優劣を決定している。
以前にも書いたことがあるが私の中学校の同級生を見ると、
クラスの一番が慶応の教授(故人))、
二番が日本レコード協会の専務理事、
三番が自衛隊の偉いさん?で、
四番が私?で、
大手損保の支店長、
中学の先生、
その後が税理士になって??の税理事務所長(二代目だが)で、
ー女性は省いたー成績で見ると目立った人はいなかった

成績の悪い順は、書かないほうがよいようだ。
??な人生ではない人が殆んどである?
別に「慶応の教授がどうだ」ということはないが、
生き生きしているかどうかで判断してもよい。

人間の成長角度は、その時に決まっていたのは事実である。
大体が、10歳で既に決まってしまっているが、
次の筋目の時期は、中学二年であろう。
両親の質?の問題が、大きいのが最大の理由である。

その成長角度も、20歳で終わってしまうケースもあるし、
40歳の場合もある。大器晩成型もある。
高校一年の時のクラスが担任の先生が素晴らしいこともあって、
そのクラスから東大、早稲田、慶応に多く合格した。
しかし、東大は精神病で廃人、早稲田は自殺、・・・。

振り返ってみると、順調な人生の人は性格のよい人が多い。
そうでもないか?いや、そうだ!

反対に無事・長生きにかけるしかない人もいるが。
老後は、これが一番か!
しかし、これは傍迷惑になる?
ライフワークを持って、仕事とのバランスを保っている人が
成長角度を保っているようだ。

世間様の世界で浮きしずみしている人は,
下降角度になっているのが多いが。 
 まあ、いいか! 誰が見ているか解らない?

・・・・・・・・
2004年01月26日(月)
1027, 大人のワッペンー勲章の意味

「新リーダーの研究」 読書日記−1
「叙勲に辞退」が価値をもつ時代

飯塚昭男著の「新リーダーの研究」を図書館で借りて読んだが、
なかなか内容があった。
目次の見出しだけ見ていても、ハッとする内容が並んでいる。
その中で『「叙勲に辞退」が価値をもつ時代』というのが良い。
叙勲は春と秋の定例行事になっている。
批判をしたいが、「貰えないからやっかんでいる」と思われるから、
誰も批判しないで黙っている。

著者は、誰もが普段思っていることを辛らつに書いているのが良い。
私の意見と、著者の意見をミックスして書いてみる。
責任転嫁もできるからよいが、
著者は辛らつである。

・「大人のワッペン」とズバリ言ってのけている。
 ーもらって涙をこぼしている姿は可愛いといえば可愛いが。

・大体が叙勲で人の価値が決められるというのか。
 どういう規準でランクをつけるというのだ。
 詐欺まがいの元首相と一生を教育や福祉に捧げた人を含めて
 どういう規準でランクの上下を決めているというのか。

・総理府の勲章局というのがあって、「全銀連盟」や「鉄鋼連盟」
 などの業界団体が推薦者をあげて、各々の所轄官庁に書類を提出。
 その中から選ばれるという。
 要するに官民の談合で決められるという。
 それを総理府などの長官会議で決めたものを、総理がサインをして決定する。
 それは政財官の癒着の温存の元凶になっているという。
 ーこの本を読んでマスマス馬鹿馬鹿しくなってきた。

・心ある財界人はほとんど辞退をしているという。
 政治家は喜んで、いや自分から働きかけて哀願するという。
 政治家は国民を騙す以前に自分を騙しているから、ワッペンで自己証明を
 しないと御祓いができなくなる。
 政治ごろの鑑札?は、言い過ぎか。
 
 文化勲章は認めてよいのではというが、人間国宝というのがあるから
 それで充分である。
 さっきも書いたが国が、いや役人がそれを決めるとはオコガマシイ。 
 天皇制の一つのフレームなのだろう。

また経営改革は自己改革という言葉にハッとした。
 会社の転換期に入っているので、一番実感している。
 一番の抵抗勢力は、自分の固定観念と甘さである!

・・・・・・・
【新】リーダーの研究
◇飯塚昭男著
◇1,890円(税込)
◇2000年3月22日発行

<内容紹介>
 政党の党首や社長といったトップ・リーダーは、いまや状況のイノベーター
(革新者)であって、その自意識が企業の盛衰を大きく左右する。
「改革はトップしだい」ということになる。
単なる利害の調整役、足して二で割るような世話人タイプは必要ないのである。
 
さて近年において、経営革新でかなりの実績をあげている人たちにある共通点が
うかがわれる。従来の物差しでは簡単に測れないような人物という点だ。
むしろ従来の枠組みから外れた人、あるいははみ出た人がかなり輩出している
ということだ。

こういう人物はその企業の土壌の中ですんなりと伸びてきたわけではない。
その生い立ち、キャリア、発想、気概においてかなり異質だった。
企業内を、エスカレーターに乗るように順調に上がってきたわけではない。
それだけに自身がトップになったとき、思い切った変革ができたのではないか。
過去のしがらみに縛られることが少なく、また過去の成功体験に埋没しなかった
のである。
 
「革命は常に辺境から起こる」といわれるが、異端こそが危機に陥る一歩手前で
舵を大きく切り替えられるのではないか。
筆者はそれを「正統を越えた異端」と命名しているのだが、いかがであろう。
いまこそ、「正統を越えた異端よ、出て来い」と声を大にして叫びたい。
常識を越えた異端こそ、企業を大きく変えられるのだ。
<本文より>
(次回は、この目次の小項目と、その解説を書き込む予定)
 
  ・・・・・・・ 
2003年01月26日(日)
662, 「他人の血で自分の傷口を洗うな!」

この言葉を初めて聞いた時、その意味をしばし考えてしまった。
相手を傷つけてしまう事は「何らかの意味で自分の問題を相手に投影
してしまった」という事でないか。

いじめっ子は家庭の不和の子が大部分だ。
そのトバッチリを学校で弱い相手を捜して攻撃する卑劣の行為だ。
これが「他人の血で自分の傷口を洗おうとする行為」の典型だ。
あと戦前の日本軍の古参兵の新兵虐めもそうだった。
「新兵の時の虐めをやりかえす」という行為で傷口を洗っている愚劣の行為だ。
必要悪の部分もあるが。

傷ついて膿を心に持っている精神症(精神病)の人も、その苦しさの
あまり血の匂い嗅ぎつける。
「自分の人生失敗だった」という敗残者もこういう傾向が強い。
精神に深い傷を持っている。
といって正常の人でも、誰でもその傾向はある。
その軽い症状が「他人の噂しか話す内容を持たない人種」だ。
教養を積んでこなかったオバちゃんだ。男ー子狐もいるが。

これには大きな落とし穴がある。
他人の血で傷を洗うという事は、その傷を目先癒すが
逆にどんどん傷を深くし、さらに黴菌が入ってくる。
それこそ「無知の涙」である。

他人の事といっていられない自分の問題だ。
誰もが心の傷を持って知らないうちに他人を傷つけている。
そして傷つけてきた??・・!!
それに気がついているかどうかのだが。
「恨んだ相手は高いびき」
その相手になっているのではなかろうか?

・・・・・・・・・
 2002年01月26日(土)
312,書くということ

書くということの意味とは
毎日随想日記を書き続けて、いろいろの事にきずく。
書くということは、話すということより、ずっと多くの事を、
意味を感じるようになってきている。
この20年間社内報に隔月に文章を書き続けて、
その継続も含めて意味を感じるようになりました。

その時々のメルクマールだ。
あの時アア考えていたのだ、こういう本を読んで感銘していたのだと。
それが全くやり続けてなかったら何が残っていたのだろうか。
書けば消えずにそのまま残っている。

したがって話すという表現手段と、文章化の手段と一見小さな相違が、
継続という時間の中で無限に近い相違を引き起こす。
つくづく 書き残していてよかったと実感している。
時間が経つとその自己表現が、自己認識になってくる。
したがってそれに書き加えていけば、自己認識が深まる。
そして自己吟味できるようになる。

実をいうと、そのためにホームページにさらし、
自己表現のレベルの維持と、自己顕示のそれを原動力にして
書き続けているのです。
地方にいると例の「子狐の群れ」の中で自分を見失いがちになります。
見失わない為に、これは最低限必要なシャワーでもある。
ー自己詭弁,正当化もいいとこ?

まずは書き出す、そしてそれに筋を通す、そして客観化する、
そして深めていく行為である。

・・・・・・・・
1月26日 日曜日 1969年

12時起床。
市川さんと食事に行く。
この人、理系がお医者さんのお守りの営業をさせられているためか、
理詰めで社会を理解しようとしている。
人間の、いや社会の、いや自身の嫌らしさを知らない。

その後読書をする。
夜、レポートの作成に入る。
次にマーケッテングのレポートを作成。
夜半の3時に就寝。
今は卒業をする為の集中が必要だ。


2123, 階級社会ー不平等社会を考える

2007年01月25日(木)

オハ☆:*:・ ★(o≧□≦)o☆・*:..。o○☆*゚
                     ヨオオオオォォォーーー!!
  世界は不平等社会で成立している。
今さらのことだが、これは何度も振り返って考える必要がある。
戦後日本は実質的には社会主義的な平等社会であったというが、本当だろうか?
「自由、平等、博愛」はEUの基本理念であるが、世界はその正反対から成り立っている。
だからこそ、理想として基本理念に掲げている。

    インドでは3000年前に白人系アーリア人がインド全土を支配。
    ヒンズー教をつくり上げて500以上の階級を詳細につくりあげて、
    白、赤、黄色、土色の肌色をベースとして、その混血を防止するため、
    この宗教をつくり上げた。
    それが宗教的効果も加わり、現在まで全く変わることなく続いてきた。

インドでは交通事故で最下層の人を轢いても犬を轢いたのと同じように扱われる。
地方では最下層の村の襲撃事件が彼方此方にあり、虐殺は日常的であるが、
警察は全く取りあわない。
去年の暮れにニューデリー近郊で起きた二十人以上の幼児や若い女性の猟奇殺人の容疑で
二人が逮捕されたが、これも下層階級の牛以下とみられた階級に対する
アーリア系?による差別行為の一端とマスコミは報じていた。

    我々が「娑婆を知る」「世間を知る」というと、
    「奇麗事の民主主義の中にある階級社会の不平等の現実を受け入れ、
    それぞれの立場で、自分を見つめること」をいう。
    「何で皇族を養わなければならないのか?」と誰もが思うのは当然であり、
    何で朝鮮系の彼らを象徴としなければならないのか?
    という根本的な疑問は誰も持っている。
    この疑問の拡大は、押し戻すことはできない。
    
考えてみたら、実家にはお手伝いがいて、店には50~60人の従業員がいた。
それが当然のことであり、何も考えたことはなかった。
ところが上京して、根こそぎ不平等社会に曝された。
大都会の中で、初めて自分の存在の小ささに直面した。

皇居に出入りする車の列をみて、
「何でアイツラが税金で特別待遇を受けなければならないの?」
という原始的な疑問を持った。東大の安田講堂立て籠もり事件の頃のこともある。
・社会とは何だろうか?その中の小さな自分とは何だろうか?
・何故、社会は大金持ちと乞食が同じ街の中で暮らしているのだろうか?
・皇居に何で皇族がいて、税金でのうのうと暮らしているのか?
・山手線に下町地区があり、そして山の手地区があり、何も不思議と思わず、
 それを受け入れているのだろうか?、と。

    父親が日常の生活で質素を基本としていた。
    明治生まれの価値観で、贅沢は身を滅ぼすと・・
    送金は、殆ど最低の生活費と、馬小屋のような寮。
    三年次になっての一ヶ月の欧州旅行で知り合った友人達の
    私生活の派手なのには驚いてしまった。
    世の中には自分の知り得なった社会があり、
    そこには社会格差が存在しているという現実を身近に初めてみた。

    そして就職。そこで一番下の一平卒からみた地方名士様を目の当りに見て、
    自分もそこに育った環境を、つくづく客観視した。
    そして更に根本的な疑問を深く感じざるを得なかった。
    その中で、頼れるのは自分の勘と実力だけで、一つ間違えば
    「舟板の下は地獄」の漁師と同じ世界を生きなければならないことを。
    
バブルの崩壊後に一億総中流社会の所得分配が、年功序列の賃金制度の人事体系の崩壊や、
流通や金融業界の規制緩和による競争激化により、相対的な平等性が崩壊してしまった。
これまでの日本は欧米に比べて、所得格差が少なことが戦後体制の安定を作りだしてきた。
しかし時代は変わってしまったのである。
「平等」は所得の多い少ないで判断できない。
しかし競争を通して下克上をしてきたことが日本社会を活性化してきた。
不条理であるが、それが現実の社会なのである。

働かざるもの、食うべからず!である。
働きは決して汗する働きだけではない、
それぞれの立場で「価値をつくりだす出すことが働き」である。
「価値を生み出すものが利益を多く得る」のは当然であり、
それができない社会は衰退・滅ぶしかない。
平等と公平とは、の問題になってくる。

    情報化社会は、機会均等という素晴らしい要素があるが、
    反面、一強多弱の世界を呼びこむ。
    それも、地球上の時空の垣根をこえてになるから、
    厳しい競争に曝されることになる。
    面白くなったが、生き辛い世の中でもある。
     *^ワ^*)i バイバイ 
 ・・・・・・・・・
 2006年01月25日(水)
1758, 人生の贈り物
   ohayou*・゜゚・*:.。..。.:*・(≧∀≦)                                         −読書日記
「人生の贈り物」ースペンサー・ジョンソン著ー がよい。
 あの「チーズはどこへ消えた」の著者である。
 この本の、面白いところを抜粋して書き写してみる。
 若い人向きだけでなく、あらゆる年代でも共鳴するのではないか!
      
「現在とは、ありのままということで、
 それがかけがえのないことなのだ。
 なぜそうなのかわからなくても。
  現在は、そうなるべくしてなったものなのだ。
  その現在を知り、 現実を受け入れ、現実を生きるなら、
   満ち足りて、幸せになれる。」   ♪♪♪ ( ^^)人(^^ ) ♪♪♪
        
        「私がさがしていた、
         かけがえのないプレゼントとは、
         ただ、いま現在あるがままの自分のことだ。
         それはかけがえのないものだ。」

「かけがえのないプレゼントは、
 自分から、自分に与える、かけがいのない贈り物だ。
 自分とはかけがえのないものだから。」(^0^)∠※PAN!。.:*:・'゚☆。.:*:・
「自分こそ、かけがえのないプレゼントなんだ。」
「かけがいのないプレゼントは、
 それ自体が財産なんだよ。
 人からもらうものではないよ。
 自分が自分に与えるものなんだ」
 と あの老人は男に話した。
  
   ー最後の要約に近い文章を書き写してみる。 
            
        時がたち、男は かけがいのないプレゼントを手に入れ、
        幸せな老人になった。
        そして、幼い女の子に
        かけがいのないプレゼントの話をした。
        女の子は“ステキ!”と思い、ほしくなった。
 女の子は大きくなって どうしたのでしょうか?
 手に入れようとしたのでしょうか?
 手に入れたのでしょうか?
       “かけがえのないプレゼント”を
        次の人に渡していくのもおもしろいか?
 過去を振り返るのも大事だが、それに囚われるのは無意味だと、
 将来のことを考えるのも大事だけど、そればかり心配しても先がどうなるか
 誰にもわからない、
 だから一番大切なのはまず今どうするかを考えよ。
               (*^ー^)/C□~~ コーヒーいかが?
 ー以上だ。
 
 大事なことは、いま現在である。
 今を如何に深く過ごすか。
 かけがえのない自分を如何に深く掘り下げるか。
 この本はジックリと考えさせてくれた。
   著者の「チーズはどこに消えた」の  
  「自分が変わるには、自らの愚かさをあざ笑うことだ。
         そうすれば見切りをつけ、前進することができるのだ」
  「人が恐れている事態は、実際は想像するほど悪くないのだ。
   自分の心の中につくりあげている恐怖のほうが、現実よりずっとひどいのだ」
  「変わろうとしないのは、変わるのが怖いからじゃないかな」も印象的な言葉である。
                        バイ~~ヾ(´ω`●)
  ・・・・・・・  
2005年01月25日(火)
1393, 600坪のネットカフェ

ネットカフェが面白い。
前を通ってパンフレットは何回かもらったが、
会員にまでなって入る気がしなかった。
しかし、現在の新しい業種、業態として見過ごすことはできない。
ホテルの機能に、何か重なるものがあるような気がしていた。
当社のホテルの1Fにテナント(FC)に、いかがなものかとも。

去年の暮れの一ヶ月間、ネットカフェに毎日のように通ってみた。
特に最近できた「アイ・カフェ」に入って驚いた。
600坪のネットカフェである。
ネットカフェのスーパー・センターである。
ネット・カフェというより、ゴルフ場のロビーのような雰囲気だ。

新潟バイパスの沿線のコジマ電気の撤退の後に、2億5千万の投資をした店。
若い人たちだけでなく、多種の人が入っていた。
オバサンの連れから、若い女性が一人でいたり、明らかに営業のサボリ、
オジサン、子供づれの母親など、など。

情報センターなのか、
それとも漫画喫茶なのか、
インターネットカフェなのか、
マッサージ・センターなのか、
はたまた個室ベッドルームなのか。
何屋なのか私には解らないが、個室喫茶店というのが原型だろう。

とにかく、安いことが特徴である。
一時間で、各種のドリンクが飲み放題で500円。
時間帯で、おにぎりや、お粥、味噌汁が出る。
新聞から、雑誌、DVDなどが豊富な種類が揃っている。
それと、他の人との直接的接触が少ないのもよい。
これで本当に採算が取れているのかと思うほどだ。
もちろん、24時間営業である。
金土曜日は人であふれているのだろう?。
パソコンの「仮想ネットタウン」に入ったよう感覚だった。

ホテル内でのテナントか直営は、「リスクが大きすぎる」との結論であったが、
資金的余裕が十分にあったら、遊び感覚で入れてみたい機能である。
(しかし際物?は、以前のカラオケの失敗で懲りている)
      時代はドンドン変化している。

・・・・・・・
2004年01月25日(日)
1026, 100円つめ放題

かたい話が続いたので、世間話をする。

「プラント5」という最近出店してきたスーパーセンターでの
「100円つめ放題」が面白い。
チョコレートであったり、揚げ物であったり、芋であったり、シシャモで
あったりする。先日は枝豆であったが、毎週変えているのがよい。
 自分も詰め込むので必死だが、他の客のテクニックが凄い。
店サイドは絶対に文句は言わないことを図々しいオバサンは知っている。
それを解ってかどうか、お互いの顔を見合わせながら詰め込むのが面白い。
 
 大体がB級商品を裸に置いておくのだら、店も客寄せとしてはよいし、客も良い。
最近はSMのウオロクや原信も始めた。前から400円や500円で揚げ物を数種類の
つめ放題もあったが、100円というと気楽がよいのだろう。
100円ショップでやればよいだろうが、まだ気がついてないのだろう。

 商品の取り扱いが広い上に、アイテム数が圧倒的に多いので見ているだけで
楽しい。冬のせいもあるが、一週おきの我家のレジャーになっている。
アメリカに発したスーパーセンターも、日本の地方から発しているのがよい。


 その業態をつくって日本に乗り込んできたウォルマートーが、買収した西友の
リストラを発表した。25佑凌涌整理という。
スーパーセンターを順次出していくのだろうが、思ったより時間がかかりそうだ。

・・・・・・・
2003年01月25日(土)
661,イチロウ−3

彼の話は過去に2回書いている。
一つは、数字を書いたテニスボールをマシーン2百数十舛播蠅温ませ
見きわめる練習。
いま一つは、小学生の時の日記だ。

最近ある新聞のスポーツ欄にイチローが連載していた中で、印象的だった内容が
あった。ーアメリカの1のピッチャーと対戦した時の話だ。
「癸韻療蠎蠅里箸は、決め球を避けて失投を待つ。
自分は違う、彼の一番の決め球を待った。
投手は決め球を投げるために投球を組み立ててくる。

勿論バッターはそれを知っていて他の球を打とうとする。
自分はそんな球に興味はない。ただひたすら決め球を待った。
そしてやっと来た、そしてそれを打った。」

超一流の選手でなくてはいえない言葉である。
具体的に1球目、二球目と全てのボールを憶えていて書いていた。

その球を打つために何回も投手のビデオを見て、タイミングや組立てを
熟知したうえに練習を重ねた言葉である。
彼の言葉から感じるのは、練習の裏づけと情報とロジックである。

その場面をきっちり理路整然と説明できて至極当たり前である。
右脳ーイメージと、左脳ー言語構造が両方交互に全開している状態である。
やはり天才であろう。
自分でも天才かもしれないと書いていた。

あらゆる場面のことを明確に記憶をしていて、イメージとしても脳に残っている。
やはり集中力が異常に高いのだろう。

柔道の山下の講演で同じような事をいっていた。
「相手の一瞬の動きに身体が瞬時に対応するまで練習をする。
考えてできるものではない。全ての行為は練習で完璧に出来上がっている。」

天才いや超一流の所以は、そこまで練習での基礎のレベルが高いという事だ。
凡人はそこが見えない。

・・・・・・・・・
2002年01月25日(金)
311、パソコンの機能と実感-2

実感としてのパソコンを書いてみると
・発想機械として、もっともその機能が活用できる。
  言葉の並び替えが簡単にできる。そのプロセスで発想が出てくる。
  言葉のKJ 法?が安易にできる。コピーも消去も一瞬にできる。

・インターネットを利用した情報収集に最もその特性を使える。

・計算は卓上電卓のほうが使いやすい。

・ホームページとは、自己公開の発信基地と、他のホームページの分類箱。
 ウエブ上の応接間兼事務所。

・パソコンを使える人間と,使えない人間の二種類に分けてもいい時代だ。
 ー奈良時代に最新のヘリコプターが降りてきて、若い人と子供がすぐ群がって
いく人種と,林に逃げ遠回りに見ている人種に分けられる。

・グローバルの情報をもっとも活用できる。

・パソコン等のデジタルの特性はコピーが無限に可能になることである。

・パソコンとは、超高性能の小型コンピューターであるー当たり前のことだが。
 それを何処まで自分に取り込めるかが、ポイントになる。特に私らの年代に
 パソコンアレルギーの人が殆どだ。地方のせいもあるだろうが。

・まだまだソフトの最適なものにあたってないが、必ずあるはずである。
 毎日がその発見である。
 
 ・・・・・・・・・・ 
 1月25日 1969年

朝、千葉の甥っ子の「ムーちゃん」がTVに出るという。
ロンパールームという番組で30秒位話をする。
物怖じしないところがよい。
一年間、姉のところに居候をしていたので、弟のような存在の子だ。

午後、価格理論の補講に出席。
解ったような解らないような内容であった。
帰寮後、22時から翌3時まで勉強。


2122, 下流喰い −6

2007年01月24日(水)

           (~Q~;) おはよう〜〜ファ〜

   「日掛け金融」の存在は、この本を読むまで全く知らなかった。
    「超高利貸し」が法律で認められ、現に存在していた。
    スナックの開店直後などに時たま見かけた得体の知らない人が、
   『日掛け金融』の人達だったようだ・・。
    飲食ビル経営の人が、サイドビジネスで店子などに金貸をしている話は
    聞いたことがあったが、夜の深い世界の一端なのだろう。
  
 まずは、その部分を抜粋してみよう。
ー日掛け金融の世界ー

九州などの西日本一円に今も数多く存在する
日掛け金融(日腑貸金業者)も、その歴史は古いという。
もともと市中の鮮魚商や八百屋といった現金商売、水商売などを対象に、
日掛けで金を貸す業者をさし、毎日、店先に顔を出しては仕入れ金などを
用立てたり、日賦などを集金する業態で成り立っている。

    地方の飲み屋街に行くと、いまだに顔馴染みの日賭け金融業者が
    店の合鍵を持って、毎夜、店のカウンターの置かれた返済金を回収していくという。
    価率が幾らだとか、回転率が幾らだとか考えないで、
    今日は5000円の売り上げがあったから、3000円を返しておこう、
    という世界が現在も厳然としてあるという。
    いうなれば出入りしている雑多な業者の日常に密着し、
    小回りを極度に利かせた小口の貸し出し、土着的な金融業といえる。

出資法附則第9項に定義付けがなされている。
―抄醗5名以下の小規模零細事業者を貸付の対象にする。
∧嶌儡間が100日以上。
100分の50以上に日数にわたり、債務者の営業所または住所に
自らがいって集金する。
 右のような日賭け金融業者にのみ年54.75佑箸いζ知禧睛を認めている。

    これだけ高利なのは、リスクが高い上に、毎日のように貸付先に顔を
    出さなければならない。ほとんどが無担保で、夜逃げされる危険性とも
    隣り合わせである。
    土着商売のため、下手に悪評がたつと商売が出来なくなるという。
    たとえば、『赤羽では商売しづらくなったので、蒲田の方で鞍替えするか」
    という行動など、まずは不可能という。

こうした日掛け金融が久々にスポットを当てるきっかけが、
商工ローン問題だった。その反省から2000年6月に出資法が改正され、
上限金利がこれまでの40.0から29.2佑悵き下げられた。
すると今度は、日掛け金融に新規業者が殺到するようになった。
ちなみに九州地方では登録貸金業者の2割、沖縄では実に4割が日掛け金融に
鞍替えしたとされている。
その後、全国各地で悪質な日掛け金融業者によるトラブルが頻発して、
そうした新参の日賭け金融を封じ込めるため、2001年1月から改正資金業法が
施行された経由がある。

 ーーー
    以上だが、やはり水商売が中心になるのだろうが、
    厳然とした事実としてこういう世界があるようだ。
    大家のサイドビジネスにはリスクが多いが、うってこいである。
     色いろあるものだ!
           ¥(*^_^*)\バイバイ
・・・・・・・・
2006年01月24日(火)
1757, ライブドア・ショック−2
               (。´_`)ノおはぁよ〜

それにしても、もう逮捕とは早いものだ。
系列下の証券会社の副社長が自殺をしたのだから
相当違法行為すれすれか、隠された違法行為が多くあったのだろう。
結局は、マネーゲーム屋でしかなかったのか?

     堀江は、あまりにも華やかな寵児だったが、
     週刊誌に書かれていたとおり「乗取り屋」でしかなかった。
     この男を利用しようとした自民党の体質もあるが、
     亀井には丁度よい対抗馬だった。
     民主党のトーンが低いのも、堀江に袖にされた経緯があるからだ。
                       ~~匸Pヽ(・ω・`)コーヒーデモ
自民の武部幹事長が、選挙時に堀江に「私の弟、息子」と連呼している映像を
放映していたが、お笑いでは済まされまい。
これからフジ・TVの反撃が始まるだろうが、脅し取られた事実は否めない。
昨夜はフジだけが特番を組んでいなかったのも不自然?である。
     私の苗字が堀井で、堀江逮捕と連呼されると
     自分が逮捕されたように錯覚して切迫感が出てくる。                 
                 ホリエ逮捕! (o;TωT)o"ビクッ
特捜が踏み込んだ時に、一番初めに押収したのが携帯電話。
なるほど、過去の通話の記録をチェックすれば多くの情報が取れる。
このライブドアのキッカケは内部告発だろう。
あれだけ強引に買収をしてきたのだから、多くの恨みを買って当然である。
     マスコミを徹底的に利用をした男が、今度はマスコミから徹底的に利用され
     弄ばれる立場になるのも皮肉である。
     検察も耐震偽造などもあり、日の目をみて喜んでいるだろう。

ダークの噂が多くあったというから、
検察は時間をかけて情報を集めていたはずだ。
楽天の何某も、冷や汗を流しているだろう。
次の標的の確率は三割位か?    

国としても、NTTの株の放出時に似たようなことをしていた!
よくやるよ!という声が出て当然だ。
しかし著書で、人の心は金で買えると書いたのは、いただけない。
「何割かは買える?」と、書かなくては!  それが八割だとしても!
 相手によるか?
                      (◎皿◎)ノノ" バイバイ
・・・・・・・
2005年01月24日(月)
1392, 危ない格言ー2

「性格については」のコーナーは、捻りが面白いので、
私にとっては真骨頂でもある。

  ー性格についてー

・性格は演じられる、見せるためにも,隠すためにも。
 (my感想)−そう思っているだけじゃないか?
 実際は、その演技そのものが観られているんじゃないか?
 以前から、チンドン屋と皮肉っていた「演技する人」。
 それに殉じて亡くなってしまったが、閉鎖社会の哀れさである。
  −−
・君が行い得る最善の行動を言ってみたまえ。
 そうしたら、君がなし得る最悪の行動を予測することにしよう。
「my感想)−これ22・23歳の日記の自分の行為だ。
 最悪の行動であった。 しかし、冷笑をして何もしないよりずっといいだろう!
 いや、しない方が良かったか?冷笑をしていると、後でキツイしっぺ返しがくるが。
  −−
・ねたみと嫉妬ー復讐を実行しえる力と構想にまでとどかない
 弱さのせめてものウサ晴らし。
(my感想)−だから巧妙に近づいてくる小キツネを選別しなくては!
 志とかいうが、最後は誰も挫折するのだろう。
 ーー
・先入観は、弱者が精神に準備する鎧だ。
(my感想)ー強者の先入観をどう説明するのかね?
 もっと性質が悪いのでは?、いや弱いのでは!

・反省とは、行ってしまったことに附す終止記号のようなものだ。
 要するに、やらかしてしまったことへの関心を打ち止めにすることに
 役立つのであって、次の行動を導くことにはようがない。

・冷ややかな構えを保持している人間は、何かにつけて熱く反応する
 人間より、事態や他者を冷静に判断することができるかのように見られがちだ。
 しかし、冷ややかさは、そのように見せるための擬態でもあり得るし、
 常に出来合いの偏見や常套句に寄りかかって、自ら考えることに
 力を尽くさないという惰性で裏打ちされていることもあり得る。
(my感想)−まあ、そう見える90佑そうだろう。
 要は、精神的インポテンツでしかないが、本人はそうは思っていない。
 思いたくないのか、自覚してないのか。

・機智は、感情を振り返ってみる知性の短評だ。
(my感想)ーそうか〜?感情も知性より大事なことが多いから!
 そう、アクセルとブレーキ。

・見栄は見せかけの自乗だ
(my感想)−もっと多いんじゃないか。

・われわれが誤り学ぶことは、誤りを繰り返さないことではなく、
同じ誤りを前とは少しばかり違ったやり方でまた行うことらしい。
(my−感想)−全くその通りである。そうでなくては世界はもっと良く
 なっているはずだ。また自分自身にも言えることだ。
 それも、さらに悪い方法でといったほうが当たっているんじゃないか!

・・・・・・
2004年01月24日(土)
1025, 「眠りについてのお話」−3

一番悪いのは「眠れないことに対するストレス」である。
 寝れないときの私の知識とノウハウを書いてみると

・単純イメージの繰り返し、羊の数を数えてみたり、
 砂漠の砦で自分がインデアンになって、騎兵隊の兵士を1人ずつ
 撃ち殺していったり、
・色々の可笑しな小話を思い出したり、
・海外旅行の思い出を一つずつイメージしてみたり、
・体の器官を頭の頂上から力を抜いていくとか、
・般若心経をユクッリ、ハッキリ心の中で唱える
 等々、寝れないときのネタを仕入れて準備をしておく。
寝れないで海外旅行を全て思い出したことがあった。
3時間かかったが、むしろ楽しい時間であった。

今でも憶えているのは、
実家の商売を5年間従事した時、隔月に夜行列車で仕入れに出ていた。
23時前後の寝台車に乗るのだが、これほど睡眠に悪い環境はない。
線路の継ぎ目の音とか、他のお客の鼾や、駅に着くたびの乗車客の音とか、
最悪の状態である。

翌日は問屋を数十軒駆けずり歩くから、充分の睡眠が必要になる。
初めは苦労したが何事も慣れである。
寝る時に、「ここで睡眠をとるのだ!」という意思を持って寝ると意外と寝れるのだ。

線路の継ぎ目の音は単純音の繰り返し、その音のリズムに乗ってしまえばよい
と考えた。そして、それが即効であった。
その時思ったのは「寝るのは意思」ということであった。
何事も、まずは意思と、それに対する準備が必要ということだ。
それと楽観である。

・・・・・・  
2003年01月24日(金)
660, 夢のない話

ツアー旅行をしてると、添乗員から色々な面白い話を聞ける。
ネパール旅行の時の30歳位の女性の添乗員の話が印象的だった。
新婚ツアーの添乗が凄いという。
お互いの旦那のランクが時間とともに、お互いに解るという。
それと女の自分達の評価も見えてくる。
そうするとナンバーワンの旦那に皆が憧れを持つ。
そういう心理が見ていて何とも面白いという。

成田離婚など当然の事。
お互いにこんな筈でなかったと冷めて激しい喧嘩が始まる。
数組が本当に成田離婚になるという。
二組のカップルがお互いの相手を好きになって、編成替えをしてしまった
ケースもあったとか。これにはさすがに驚いたという。
添乗でいろいろなカップルを見ていると、結婚だけはしたくなくなると
言っていたのが印象に残っている。
底の浅い男女が表面的なものでお互い結ぶついているのが、露出
して見えるからだ。

そのまま小説になるような題材だ。
サ??のついたオスメスの集団を束ねていくのだから、
これほど人間の生態として面白いものはないだろう。
今は3組に一組は離婚する時代だ。
30年近く前の勤めていた時の話だが、結婚しているはずの人が
駅でオニギリを食べていた。何気なく冗談で「かみさんに逃げられたの?」
と聞いた。本人「・・・・・・」
数ヶ月後、その人が離婚した事を聞いたが後の祭りである。 いろいろある。
「毎日こうもくだらん事をよくかけるな!」 
 という声が聞こえてきそうだ!

・・・・・・・・・・・・
2002年01月24日(木)
310、地球を一周する

以前読んだ本でまだ忘れられないのが、「地球のエネルギーの
ポイントが西周りで一周する]という説である。
その本が何か忘れたが社会主義のピークの時代、怪しげなそれと見えた。
中国、インド、アラブ、そしてヨーロッパ、アメリカー現在。
アメリカの時代ももう終わったように感じる。
そしてこれからは再び中国、インドにポイントが移っていく、
あながち間違ってはいない。


日本はもう横丁というところ、面白い説である。
ヨーロッパもアメリカも、使い古しの雑巾にみえる。
アジアはまだ使用前のように感じられる。真実をついているようだ。
思想的にもこれからは、儒教・仏教的考え方が求められていくと考えると自然だ。

・・・・・・・・・
1月24日 金曜日1969年

「勇気を出そう、肉体はどんなに弱くとも精神で勝ってみせよう。
いよいよ25歳だ。一個の男の力の全てが示される年齢に達したのだ」
ベートーベンの言葉だ。
人事管理の授業に出席できず。終了後にやっと着いた。
昼飯をとった後、ゼミの外山と喫茶店へ行く。
そこに兼古が来る。

午後からはゼミに出席、あまり面白くない。
三人ぐらいが勝手に喋っている感じであった。
18時に帰寮。
夜半に寿司を食べに行く。


2121, 銀行も本格的な競合状態に!

2007年01月23日(火)

               (^^)/ おはようよっ!

地元の銀行の担当の話によると、
「地方銀行も本格的な競合状態に入ってしまった。
都銀や大手信託銀行が、中小企業への本格的な開拓を始めてきた上に、
地銀同士がこれまでのテリトリーを越えて顧客の奪いあいを始めた。
都銀が地元の地銀の有力得意先に対して本格的貸出しを始め、
どんどん顧客が奪われている。こんなことは初めてのこと」という。

   某都銀の営業の20人のうち15人が、地元地銀の倒産したり、
   リストラされた銀行マンという。
   彼らは地元の経営者に顔が利くため平気でトップに面会して
   切り替えが得意という。
   成績が上がらなければ次年の労働契約は保障ないので必死という。

先日の地元の新潟日報には、「東京三菱銀行が新潟に中小専門拠点を開設」
という見出しが出ていたが、ここも同じような戦略をとってくるだろう。
これでは自社の子飼を、そのまま敵に手渡すことになるから堪ったものでない。
この圧力が、地銀の再編のきっかけとなることは必定。
集団輸送船団方式の銀行行政の最大の恩恵を受け続けてきたのが地銀。
それが、一挙に都銀や大手信託銀行の直接貸し出しなどの脅威に
晒されるようになったのだから、一大事である。

   コンビニが銀行業務の一部を始めて消費者に大好評。
   さらに郵便局も、民営化が本格的に始まる。
  「地銀以下の銀行の存在意義とは何ぞや?」という大問題に突き当たる。
   さらに携帯電話などの決済も進み、キャッシュレス化がますます進むと、
   その存在意義がゼロに近づくことは避けられない。

「一枚のチップに銀行の支店の機能が軽く入ってしまう」
と言われだして数年、その機能の存在意義そのものが根本的に問われる。
恐ろしい時代になったものだ。去年から流通業の地元の再編が動き出した
ようだが、銀行も同じ流れになった。

   十年ほど前に、地銀の次長が「地銀機能は無くなりません!」
   と言っていたが、それは十年スパンの話。
   それとも縮小しながらでも存在するのか、どうであろうか?
              マタネッ(*^-゚)/  ~Bye♪
・・・・・・・
2006年01月23日(月)
1756, サイボーグ   (σ・з・)σオハYO!!

NHK・BSスペシャル「サイボーグ技術が人類を変える」
の先日の放映が衝撃的であった。

身体の一部を機械に置き換え、
脳が機械と直接つながったサイボーグ。
SFの世界の話だと思われていたサイボーグが、
現実のものになろうとしている現状のレポートである。
脳とコンピューターを直結し、考えただけで身体を動かす
研究を実用化しようとしている。
                  ・∀・)つ(:゚::) ミカンでもドゾ♪       
       5年前には世界に殆ど存在しなかったサイボーグ技術が、
       ここにきて飛躍的進歩にあることを立花隆がレポートしていた。
       特にサイボーグを実現可能にする技術として最も注目を集めるのが、
       脳の情報を利用する技術・神経工学である。
 
この放送は、立花隆とサイボーグ技術の行方を見つめるため、
世界各地での徹底取材を行ったもの。
自ら進んでサイボーグ化をすすめた人々を紹介している。
 
 ・アメリカ・テネシー州の男性は、感電事故で両腕を失ったが、
  いまでは考えただけで動く「人工の腕」を手に入れている。
 ・完全に視力を失ったカナダの男性。
  ビデオカメラで撮った映像を直接脳に送りこみ、光を得ている。 
医療・福祉の分野でサイボーグ技術によって、人々は人生を取り戻し、
今までの人類が体験したことのない新たな感覚を得ている。  
    さらに脳の機能の一部を機械に置き換えるサイボーグ技術も進んでいる。
    難病の治療に劇的な効果をもたらした。
    この研究は、今、うつ病、強迫神経症などにも応用され、/ω\*)ウゥ/ω-\*)
    人の心に関する部分の調整にまで踏み込もうとしている。
                            ̄ー ̄;)ニ、ニヤリ 
        その急速な発展に注目し、巨額の資金を研究に投じているのが、
        アメリカ国防総省。
        手足の力を10倍にするパワースーツ。
        兵士の重装備の移動を大幅に軽減する。
        これは首から下が麻痺をして動けない人の歩行も可能にする。
        聴力・視覚を格段に向上させるなど、
        不死身のサイボーグ兵士を作る研究が進む。
圧巻は
大型のネズミにヘッドギアを取り付けて、
パソコンで動作を直進・左右へとコントロールする
「ロボラット」。
頭にミニ映像カメラをつけて目的地まで誘導する一種のサイボーグ。
ー(右(左)の脳に刺激をして右に行くと快楽脳を刺激する。
それをインターニットでパソコンと直結してコントロール。
さらに頭にカメラをつけて目的地まで誘導して下水とか敵の目から
隠れた攻撃が可能になる。
こうなるとSF映画の世界である。

        サイボーグ技術が人類に光をもたらすのか、
        それとも単なる人体改造なのか、
        答えは両方だろう。
        見終って、しばし茫然とした。
        ここまで、科学が来てしまったのかと!        
      少しオーバーにいえば世界観が変わるほど?である!      
                    (*-ω-*)m バイ〜
・・・・・・・  
2005年01月23日(日)
1391, 危ない格言        ー 読書(毒書)日記 ー

ー新書yosennsya
 榎並 重行 (著)

書店で立ち読みをしていたら、鋭いとげのある格言が目についたので
衝動買いをしてしまった。
私向きの本である。
買って読むと棘が棘に見えなくなってくるから不思議なものだ。ー
帯びに『類を見ない猛毒に満ちた格言集!』とあるが、
買ってジックリ読むとやはり毒だらけである。
それぞれの章ごとに、毒の強い文章を幾つか書き写してみる。
第6章まであるので、数日の随想日記のネタになる。

       先ず本の名前を見て、帯を見て、表紙の裏の文章をみて、
       そして、前書きを見て、終わりを見て、パラパラと開いて、
       飛ばし読みをするのが通例だが、どこを見ても毒だらけの
       珍しい本である。
       ーmy感想は、毒には毒をと毒づいてみた。
       書かないほうがよいが、それでも書かないわけにはいかないのだ!
ーーーー
先ずは、第一章から

第一章 この変な動物、人間
ー類型についてー

・どんな人間にも、顔を赤らめ、恥ずかしさにうつむくしかないことがある。
 そんな経験をしたことがないといい放つ者は、これから、手ひどい形で
 その経験に襲われるまでだ。
(my感想)ー 海外旅行先でトイレにあわやという事態に何度も遭遇した。
 その経験がなければ、回数を重ねているうちに思わない最悪の事態に
 なることは間違いない。
  −− 
    ・己のなかに俳優を感じて困惑し、たじろぐ者は、
     まだ自らの誠実さを保っている。
     むしろ笑む者は、すでに自他のために誠実さをも演じているだろう。
     (my感想)ー誠実は言葉でなく、人が感じるものだ。
     
     以前ごく身近に、「自分は性善説である」を言葉の癖にしていた人がいた。
     あまり本の量を読み込んでない人だったが、
     「性善説とは性悪をカバーする為に使うことが多い」
     という仮説を自分に立てて考えれば、声高に言えないはずだ。     
     この人、最後は高利貸しの代わりに、
     多くの友人から大借金をして倒産した。
     騙されるほうも騙されるほうだが!
     俺は性善説など間違っても言わないことだ!
     ただ自分の中の悪党に気がつかないか、
     虚偽をいっているに過ぎなのだから!
      −−  
・夢見る者は、自分に関して事実を否認する権利を、夢の名によって、
 自分自身に与える。
(my感想)−若者と、女と、自己逃避をしている夢想家に多い。
 誰もが経験してきたことか?
  −−
・自殺者は、自死を問題の決着として考えることができる。
 その近親者には、強いられた相続にしか思えないが。
(my感想)−事実そうだ。 
 それも永遠にだ。
 近親者そのものにとってもマイナーの相続者になってしまうから。
 自死は、最後に残された最大の意志でもあるが。
  −−
      ・自ら生まれてこなければ良かったと思うほどの人間たちは、むしろ、
       その繊細さゆえに、他者にとって取り立てて激しい感情や行動を
       引き起こす存在ではない。
       他者からすればどうしてこんな奴がこの世に存在しているかと憤慨を
       覚えざるをいられないような人物は、
       むしろこの世の生活を満喫しているもの。
       ーー憎まれっ子、世を満喫す。
      (my感想)−そうだ、そうだ、そのとおりである。
       憎んだ相手はタカイビキが世の中である。
       憎んでいる暇があったら、タカイビキで寝ていろ!
       それにしても、あの野郎!
        −−
・何でも語って恥じないおしゃべりは、始末の悪いことにそれを
 自分の思いやりとして誇る。
(my感想)−なんか身に覚えもあるし、他人の中でも多くみてきたし。
  −−

・有能な人間が、役に立つとは限らない。役に立つ人間は、特に有能である
必要はない。有能な人間が役に立つのは、往々にして、その欠陥や
無能とまではいかないとしても不能な部分によってだ。
(my感想)−何が有能かが問題だ。
有能だから、不能な部分が役立つのだろう。
  −−  
      ・予測できる未来なんて、しょせん今の成れの果てでしかない。
       (my感想)ーそうとしか、思えないもんね!
      いや、そうとしか思えない人に迎合すればよいのか、所詮評論家は?
                         −つづく
・・・・・・
2004年01月23日(金)
1024, 22歳の日記−2

何回か書いた事があるが、ゼミについて考えてみる。
この時期は、武澤ゼミと寮とクラスメイトなどの過去4年間の友人が、
ほとんど全てを占めていた。

特に武澤教授の影響が大きいことが、この日記からうかがい知れる。
ゼミでは、まず一週間前に事例(ケース・スタディー)の用紙を渡される。
その間に対処を考えてきて、それを元に全員で徹底的に議論をする。

その後、その事例研究の答えの用紙を見せられる。
我々の出した結論と、その誤差について更に議論をさせる。
また二班に分かれて議論した結果を持ち寄って、お互いに議論もする。

結果的に、知識と体験をもとになっている地言葉で議論をすることになる。
教授の意見は、要所要所以外はほとんど話さない。
考える為のヒントを与えるだけで、「考えること」を促すのだ。

そして「考えることは如何いうことか」と、更に一歩踏み込んでいく。
自分の中の知識不足を、冷静に自ら気がつくように仕組んである。

いま日記を写しながら気づいたことだが、ソクラテスの「対話法」による
真理の追究を、その中で体験させていた。
素朴で深い疑問を常にもって、社会や世界を見る目を持たせるのが目的であった。
その結果、卒業まじかに多くの友人が私に集中してきた。
誰もが転換期にたって、迷っていたからだろう。

また社会に出て、事業の組立てに非常に役に立った。
冷静な事実の組み合わせと、仮説の積み上げと崩しの繰り返しの中で
計画の練り上げをしていくのと酷似していたからだ。
ようするに地頭で考えることに役立った。

35年前の日記を読みながら、感想を書いていること自体が自分の深耕をしている
ことになっている。
過去の自分と今の自分が向き合って対話しているからだ。
その意味でも、この22歳の日記の写しと公開は良かったと思っている。

ー後記ーこのホームページ内検索で
「武澤ゼミ」で出したら、ほぼ同じ内容が出てきた。
こんなものかと呆れてしまった。
以下である!

ーーーーーー
2002/11/01
ケーススタデー  ー1

前回書いたゼミの内容を書いてみる。
人生で、このゼミの訓練が非常にプラスに働いた。

人事管理の具体的事例研究で、討論でその本質を探る手法ー
各部所で起きたトラブルの問題点の原因と解決を考える内容である。

・一週間前に翌週分の「トラブルの現象」の問題のプリントを渡される。
・それを次のゼミで各自が自分の意見を述べる。
・それにしたがって議論を始めるのだ。
・それが終わった時に、そのベストの原因追求と解決案の内容を
 示されるのだ。そしてゼミの結論との誤差を話し合う。

幼児期から両親の自営していた生の会社のケースを見ていた事と、
8人兄姉の末っ子で常に状況を冷静に見ていた為か、
自分の意見があたるのだ。
寮生活でイロイロのトラブルもみていたのもあった。

その為か自分のゼミにおける立場が確立されていた。
それよりも、現象の中にその骨組みをさがして、自分なりの
組み立てをする面白さを知った。

これは後で事業を起こすときに非常に役に立った。
人間関係に対して,直感的に論理だって構図になって瞬間に出てくる
のが最大の武器になった。

良質な上司には可愛がられるが、逆のケースの場合は大変
な事態になってくる。
この男は何を考えているのかを不安になるらしい。
自分はサラリーマンは絶対に無理と社会に入って直感した。

ーーーーーー 
569, ケーススタデー ー2
2002年11月03日(日)

毎週金曜日の15時か16時より2時間開かれる。
ゼミが終わると太陽が黄色に見える位疲れていた。
知的訓練など全くしたことがなかったためか?

二年間コースで初めの一年は課題の本を読んで、それの感想と議論。
二年目の前半は事例研究で、後半は各自が自分で事例を創り、
当事者として2時間ゼミの全員に質問と追及を受け、その結果を討論
する内容だった。私は途中二年目からの編入であったが。

他の人を聞き取る場合は刑事のような内容追及がリアルで面白いが、
自分の場合は追求されて、瞬時に物語を創っていかなければならない。
今でもその全て憶えている。

このケーススタデーは「見聞皆師」にあてはめて考える事が出来る。
現象ー事象の中から真理を探し学ぶ方法にもなった 。
また人間関係だけでなく、営業や経営のベストプラクテス−
ベンチマーキングにも酷似している。

ゼネコンの営業の社内研修でも、これに似たケースでOFF−JT 
が行われていると大手のゼネコンの営業の人から聞いたことがある。
流通やサービス業の他店見学も似ている。
サラリーマンの足の引っ張り合いは善意を装ってくる
陰険版か??????!!

現象とあるべき姿の格差を埋める作業だ。
少し違うが、帰納法に似ている。
現象の中の真理の内容を検討して結論に導くという点で??
新しい車が発売されると工場ですべて解体して、
それぞれのパーツで業者やその部門の人達が集まってチェックする
のはどこのメーカーでもやっていたという。

今はコンピューター処理でインターネットをフルに利用している
のだろう。これの人事管理版が武澤ゼミのケーススタデー?!
管理されるという事はあまり気持ちのいいものではない。
でも組織体としては、それは必要欠くべからざるものである。

ここでいま一つ学んだ事は、
当たり前のことー自分の能力は自分で創りあげるものという事だ。
最後は独りの自覚で自分造りをしなくてはならない。
習慣づくりといってよい。

問題が逸れたが?
私の辛辣さは、露悪ー露善(偽悪ー偽善)を自分や他人の中で
すぐ直感してその原因を構造化するためだろ
ー父もそうだったから、その理論的訓練を受けた事になる。

それよりその結果として自分の無知蒙昧をいやというほど知らされた。

・・・・・・・・・・
2003年01月23日(木)
659, 人間-女心

ー宗親流に書いてみるー

人間の心ほど、いや自分の心ほど面白いものは無いね。
単純で複雑で自分でもコントロールが不可能なものだね。
だからノイローゼになるんだろうな。
それにさ男女の下が絡んでくるからね。
 
 「女の身体の真ん中辺にシンショぶっちゃる穴がある」
  という都都逸があるがね。これを即興でつくりかえるとこうなるよ。
 「男の身体の真ん中辺に陸釣り用の竿がある」
  少し品が無いね!

暇だからさ女という生き物について書いてみるね。
あれほど割り切ってみると単純で可愛い生き物はないよ。
姉が4人もいて、女の職場にいた為に鍛えられたね。
この単純でかわいい存在に。

要するにエゴの塊、これも生理からきているからね。
いつもある姉に言われていたね。
「女なんてね、やられる振りしてやる動物なんだから気をつけな!」
ってね。

女を制すれば世界を制することができるというが、性欲がそれを
鈍らしてしまうんだよ。
女は知っているんだ人間をね、男と比べたら数倍もね。
初めは大人しくしていて、段々図々しくなっていく仕方。
あれは戦術なのか戦略なのか?両方だろうがね。

単独に彼女と接するときは真摯に徹すること。
複数を対象にした時はエテコウー猿のレベルと割り切ることだよ。
泣いているときは、一緒に泣いてやるのさ。
笑っているときは、一緒に笑ってやるの。
合わせ鏡に自分をしてしまうのさ。

彼女たちは、長い時間の中で知恵を持っているの。
男の甘さの嗅覚を。
だから真っ当に相手にしては駄目だよ。

昔からいうだろ
「怒れば泣く、甘やかせればつけ上がる、殺せば化けて出る」
これ本当だよ。
でもね、あつかう時はね、怒り、甘やかせ、褒め殺しにしなくてはね。
理屈じゃないんだから。でも好きだね女!

まあこんなところが大体の男の視点!
じゃあまたね。             − 宗親

・・・・・・・・ 
 2002年01月23日(水)
309,壁ー2(言葉の壁)

決断しなくてはならないが、そこに壁があり躊躇するとき
「取りあえず、決断を引き伸ばすか回避する言葉」が「取りあえず」である。
思考停止病といっていい。

「とりあえず、こおしておこう」
「とりあえず、大学にいっておこう」
「とりあえず、就職しておこう」
「とりあえず、定年になってから考えよう」
人生の一番大事な事を、その時々に判断をいい加減にさせ、
あるいは先延ばしにさせる言葉である。
この言葉で思考停止の状態になり、
決断放棄の一生を過ごしてこなかっただろうか?


そして最後の最後、追い詰められても「取りあえず、今をやり過ごそう」
とする。「取りあえず、取りあえず、取りあえず、・・・・」
取りあえずとは、人生を放棄すると同じ事でなかろうか。
この文も「取りあえず」この辺で止めておこうーブラックジョーク
似た言葉で「でも」がある。ある判断をしようとすると、
「でも、やめとこかーな」「それはそうだが、でも」。

「でも」と「取りあえず」は何かにている。
この川を今渡らなくてはならない、そこで「でも」という渡ったときのリスクが
頭によぎる、「でも、でも、でも」が出てくる。
無意識で使っている言葉の壁である。

・・・・・・・
1月23日 木曜日 1969年

8時起床。
登校後、産関論の授業に出席。
この授業は、これが最後だった。
その後、川崎と喫茶店に行く。
午後は価格理論に出席。
帰寮後、合気道のOB会出席迷ったが、結局欠席にした。

18時から一時間、産関論のレポートを纏める。
21時から勉強を開始。
夜半の2時に就寝。


2120, 一度はやってみたかった!

2007年01月22日(月)

           オッ(*^○^*) ハ〜ヨウサン!
  
ー下品な人は誰のこと?ー

    「品格のない男とはどういう品種」かと、先日書いたが、
    酒を飲むと、その人間の品性が出るという悪い事例を「自分にみた!」
    男なら一度女性の和服を脱がしてみたいものである!が、
    その願いが何と叶えたのである。

先日の中学校同期会の二次会で、午前の一時過ぎの帰る間じかに、
和服の女性二人が、着物から洋服に着替えるので席で帯を解くという。
「じゃあ、私に解かせて!」と頼むと、「OK!」の返事。
スナックのボックスだが二人の着物を脱がせてもらった。  (^^*)

初めてで最後の経験だろうが、何か淫靡な面白い疑似体験?になった。
二人が「着物の似合う上品な艶かし女性」だから、リアルで切迫感があった。
もっと若ければ・・・、まあこのさい 贅沢は言わない。 (−^^−)うにゃ〜
着物用の下着を着ていたが・・少し気があった人?だから、
それを加味すれば差引ゼロであるが。    
   
 「芸者ワルツ」と、「温泉芸者」のカラオケを聴きながら無言で、
    帯紐を外し、帯を外し、着物を一枚一枚脱がしていくのだから!妙な気持になる。
    『何もしてないのに、何か?しているような・・』
    長いボックスの一番奥だったので、他の人はあまり気づかなかったようだが。
    いい歳をして何をしているのだろうか?  こういうのを下品というのだろう。
    着替えたあと、『貴方とは帯をとかれ、着物を脱がされた仲ね』と言われた。
    罪のない余興だが! こういうのを「遊び」というのだろう  ヘ(ё)ヘ

もう直ぐ花婿の父をやらなけらばならないから・・・
 品をよくしないと!本当に。
この文書を嫁になる人がみたらどう思うだろうか?
まあ、可愛い酔っ払いの余興でしかないが・・!   ウンマ! (m ̄ ̄m)
    人生二度となし、一期一会で「いま、ここ」を大事にしただけだ!
    それにしても、こんなこと書いてよいのだろうか!  今さらか!
 ^^^^

 『で、どうした!』
  「ただ帯解きを手伝ったのを、
   ‘かなり脚色をして’面白可笑しく書いただけ」
 『で、・・』
  「貴重な体験でした」
 『ほれで?』
  「少し興奮しました」 ( ̄(●●) ̄):
 
 『アフォ! 本気になって読んだじゃないか、 全くもう!』
  「話に引き込むために、オーバーに書いただけです」  
 
 『何か、いやにリアルな内容じゃないか?それも品が無い!』 
  「まだ、アルコールが残っているとき書いたからじゃないですか」
              
                   (^_^)v バイ
 ー『で、どうした!』以下は、
 将来 嫁とか孫に見られたときの
  フォローのため書き足した文章です。はい!ー

ーーーー
2006年01月22日(日)
1755, 道洲制度について
                |(*′口`)ノ||O |
                   ☆.:゚+。おはょ゚+。:.☆
そろそろ道州制度が問題として浮かび上がってきた。
全国を8〜11道洲に分割して合衆国制度にすればよい。
これだけ情報化が進んでしまえば、県という存在は必要でなくなる。
イギリスのサッチャーが、首相になったと同時に市のみにしたという。              
    ((;-”-))))さ 寒い・・・∵ゞ(>д<)ハックシュン!
          市町村の合併のあとには県の廃止と洲の導入は必然である。
          そしてその中間の道洲制を取り入れて思い切った権限委譲をして、
          ミニ国家的にすることだ。
          県は江戸時代の藩を元につくられたものでしかない。

道州制度には中央省庁は大反対をするだろう。
中央官僚のタカリの種がなくなるからだ。
実現は今のところ空論でしかない雰囲気だが、
情報化の進展が県という中二階の存在を消滅させるだろう。
                       フムフム(*゚Д゚)φ))ナルホド!!
合併による合理化と、思い切った地方への権限委譲が効率よく出来るようになる。
国の経費を三分の二に縮小するには、思い切った道州制度は避けて通れない。
大阪府と京都府などあるのを疑問視していた。
奇異と誰もが思っていたはずだ。京都・大阪・神戸・和歌山・滋賀など
合併しても当然と、遠くから見れば解ること。
                    (c_,0*)(c_,-*)(c_,0*)(c_,-*)ゥンゥン♪
                  (*・ω・)(*-ω-)(*・ω・)(*-ω-)ゥィゥィ♪
          新潟県は、それぞれの行政単位で中途半端の状態に置かれている。
          (関東甲信越、北陸地方、東北地方)
          この三案で全て違う組み合わせになっているが、
          道路と新幹線を基点に判断すると、関東甲信越の枠組みである。
          最悪は北陸地方としてくみこまれることだが、
          それはないだろう。   [○´・ω・]ノ  ヂャァ
・・・・・・・
2005年01月22日(土) 1390, 迷ったときは運命を信じなさいー2      
             読書日記
第6章の「あなたの自身の『原型』を知る』の中の
ー光の領域のレッスンーが面白い。
以下を要約をした。
 ーーー
2〜3回、深呼吸をしてから次のイメージをしていく
1、都会の喧騒から離れた美しい並木道のある田舎道歩いている。
2、そこに広場の先に藁葺き屋根の風情の小屋が建っている。
3、その家の中を入っていくと、ロビーの先の廊下があって、その一室に入って、
 クローゼットを開けてみる。
4、服の奥に隙間があり、そこに入っていくと、下に行く廊下がある。
 そこをどこまでも降りていく。
5、下にたどり着くと、月の光を映している大きな川があった。
 そこで、座り川のせせらぎの音を聞きながら星を見ていると、船が見えてくる。
6、その船上でリネンのローブに身を包ん人物に呼ばれて、船に乗る。
7、その時に、流れるようなサラサラした衣装を与えられ着こむ。
8、その船はトンネルの中に入り、どこまでも進む。
 船先にいる髭を生やした船頭が、聞きなれないマントラを唱え始める。
 そうすると、感覚が信じられないほど、研ぎ澄まされて、緊張はほぐれ、
 爽快な気分になってくる。
9、トンネルの向こうに光が見え、ドンドン明るくなっていき、
 そこが『可能性の領域』の入り口であることに気がつきます。
10、船を下りて水に浮かび、光に溶け込んでいく。
 そこでは光そのものになっている。
 振動する光であり、仮想の存在になっている。
11、光の中にいき、 
  ギリシャの神々の女王である、「尊厳と美の象徴のヘラ」に変身する。
 そこでは自信に満ち、周囲には威厳を放ち、世の中を指揮しています。
 そこに、別れを告げて、また光の戻ります。
12、再び純粋な領域いて、再び光の中心につき、
  今度は人生の荒波を乗り越える知恵を持った『賢い老王』に変身します。
  あなたはこの世の中にある形や現象を宇宙のダンスと考えている
  偉大な『リシ』ー賢者です。この世にいながら、世の中を客観的に眺めている。
13、そこに別れを告げて、今度は「救い主」に変身します。
  あなたは、許しや希望を周囲に振りまく思いやりの光です。
14、では、救い主に別れを告げる。
  今度は神々の母の姿になる。全てをはぐくみ、生命力を授ける
  エネルギーに満ち溢れた農業、多産、結婚の女神『デメテル』であり、
  シバの神の妻のシャクティーである。
  あらゆるものに愛情を注いでいます。
15、そこに別れを告げ、再び光の中心につき、今度は快楽、恍惚、
  酩酊、の神『バッカス』になります。
  あなたは一瞬一瞬に全身全霊を捧げています。
  バッカスの目で世の中を見て、あなたを祝福する宇宙の音楽に耳を傾けてください。
16、バッカスに別れを告げ、
  今度は学問と芸術の女神『アテナ』や、
  インド神話の知恵の女神『サラスバティー』に変身する。
  知識、知恵、芸術、科学的論理を司る、文明の保護者である。
17、そこに別れを告げて、今度は愛と美の女神『ビーナス』として光から生まれてきます。
  あなたは官能、情熱、セックスの象徴である。
  愛の神の意識を表現し体験する。
18、愛の女神から別れを告げて、再び光に溶け込んで、
  『神の子』として、再び表面にでてくる。
  捧げる立場と、受け取る側のどちらにも無条件の愛の期待を抱かせる、
  純粋無垢な象徴です。神から宇宙から生まれたので、
  運命そして宇宙の可能性に満ち溢れています。
19、神の子に別れを告げて、光に戻ります。 そこでくつろいでいる。
  そこは願望をすべて叶えることのできる、激しい鼓動である。
20、また光に戻って、宇宙の錬金術師に変身する。
  あなたは無から有を創り出し、有を無に帰すことのできる
  最高の魔術師です。あなたにとって、意思と注意力を利用して、
  エネルギーを物質に変えていきます。
  どんな生き物であれ、物質であれ、姿を変ることができます。
  宇宙の錬金術師のクリシュナであり、無限な可能性です。
  −−−−−
以上だが、これを更に省略をして、寝る前に「光のイメージ」の実験をした。
「アメリカの田舎の並木道から、一軒家に入り、廊下を通って、部屋の
衣装棚の奥へかき分けて入って、地下のトンネルを通って、
大きな川辺に出て、船に乗り、トンネルに入って、出て、船から降りて、
光になって、そして、女神ヘラになり、老王リシになり、救い人になり、
救い人の母のデメテルになり、酒の女神のバアッカスになり、学問の女神アテナになり、
美の女神ビーナスになり、神の子になって,最後は宇宙の錬金術師のクリシュナになる」
以上を、ポストイットに書いて手帳に貼り付けて、酒を飲みながら見ていたら、
2時間ほどで覚えてしまった。
そして2日間、ベッドで自分が「風になったイメージ」をして
先ほどの「霊魂ー風」になったつもりで、実験をしてみた。

そうして寝てみると「多くの夢をみる」のに驚いた。
ユングの世界の被験者になっているようで面白い。
自分の内面の深層に、ドンドン降りていくような感じになった。
ーいや実際降りていったのだろうー
そして、それぞれの女神や、救い主になった感覚が面白い。 一種の白昼夢か?
この文章を読んでいる人は、信じられないのではないだろうか?
イメージで、かつ半覚醒で女神や神の錯覚状態をまともに書いてあるからだ。
神様と対話している感覚のようでもある。
ユングは、このような地下への階段をドンドン降りていったのだろう。
『その状態をもっと詳しく書いてみろ!』という声が聞こえてきそうだ。
今度、ミニミニ小説を書いてみようか?それとも、宗親日記に取り入れて書いてみようか。あまり入り込むのは、この程度でやめておくが・・・。
 ーーー
驚いた!、去年の今日が『眠りについてのお話』のテーマであった。
ここまでくると、気持ちが悪い!

・・・・・・・
2004年01月22日(木) 1023, 「眠りについてのお話」−2
「経験を盗め」読書日記−2

睡眠は8時間が理想と思い込まされてきた。
しかし、これは統計上の話であって、生物学的な根拠は何もないという。
一般的に、人間に必要な深い眠りは寝入りばなのノンレム睡眠時に集中して
訪れるから、長く眠ればよいというわけではない。
睡眠は非常に多様性に富み、個性的なものである。

10時間続けて寝ればよい人もいれば、2〜3時間づつ寝ればよい人もいる。
「いい眠り」というのは、それは「自分にとっての」ということでしかない。
自分が納得した眠りを見出せれば、それが本人にとってよい眠りである。
ようするに、眠りの唯我独尊を手にすればよいだけである。
草食動物にとって寝ることは命がけである。
夜間に肉食動物に襲われる危険がつきまとっているからだ。
また回遊性のイルカは左右の脳にかわるがわる眠らせているという。
「入眠障害」「中途障害」「早朝障害」「熟眠障害」全てを経験を
したが、これで困ったことはない。
ー困ったことがないということは障害とはいわないか?
何度かの挫折で眠れない夜が数限り続いたが。
「寝れないことを苦痛にしないのが大事」と子供の頃から体験上知っていた。
「寝れない時は寝れなくって結構」と思っていればよいと。

私の寝れない時のコツは、顔、腕、足と力を意識して抜くことを
繰り返していると、いつの間にか寝入ってしまう。
寝れない時は知らないうちにどこか力が入っていることが多い。
ある人から聞いたが「寝れない時は直ぐ起きればよい」という至極単純な方法もある。
寝ようとしないで、三日間ぐらいのスパンで睡眠をとりかえせばよいという余裕を持てばよい。

睡眠障害も一種の神経症だから、陥った人にとってどうにもならないことも解るが。
セックスにしろ、食事にしても、本能的なものに神は快楽を与えた。
快眠後の爽快感も、その一つだという。
そのためには、あまりの熟睡は寝たという充実感が少ないから逆に良くない。
私の場合は、現在は6時間半が平均である。
特に寝入りっぱなは熟睡をする。誰もそうであろうが。
その時々によって、「中途障害」と「早朝障害」が三日に一度はくるが、
別に苦痛ではないので障害にはならない。
また万年寝不足という経験も全くない。
そういえば睡眠は一日単位の死であると聞いたことがある。
よく生きれば、良く死ぬことができる。
良く一日を過ごせば、良く寝ることができる。
楽しい一日であれば、寝れない夜はなお楽しい。
そうそう良い一日が続かないのが人生だが。

・・・・・・・・
2003年01月22日(水) 658, 躁鬱について

人間は躁鬱質か分裂質かどちらかか、その中間を浮いている存在だ。
そのコントロールが利かなくなって第三者に迷惑をかけたり、
抜け出れないのが精神病になる。
束ねている元が壊れてしまうと精神病か。

北杜夫は躁鬱で有名だ。
彼の随筆を読むと面白い。
彼の場合鬱が長く、躁は短いタイプという。
自分のことを書ているから、彼の躁鬱の話が面白い。
躁はある説によると、子供に帰ってしまう事だという。
そうー躁すると未来志向になってしまう。
欝は逆に過去に向かって沈むことをいう。

大体沈んでいる時は、過去の嫌なことをや嫌な人間に囚われている時だ。
うきうきしている時は、何か明日や将来の楽しみを考えている状態だ。
過去の楽しい状態を考えていることは少ない。
その意味で躁は未来志向の時で、鬱は過去に向かっている時というのは肯ける。
身近に万年鬱が数人いるが、急に20年前の恨みつらみの電話をする。
電話を受けた人は、ただ驚愕をする。

万年躁の人もいる、躁仮面をかぶっているだけかも知れないが。
ある自殺未遂三回の人は鬱の人だ。悪臭が周辺に漂っている。
自分に甘い人で、周辺に甘さからくる膿をばら撒いている。
昔の日記を面白がって随想日記に書いているが、一種の鬱かもしれない。
楽しい鬱などないのだから違うか?

躁病7年説というのもあると書いてあったが、私の周波が7年であるのは
躁質の体質なのかと考えてしまった。三年躁で四年鬱あたりか。
人間は創造をする時は「躁造」−造語ーといってよい。
準備を積み上げた上に「躁の状態」でなければ、そうそう創造は出来ない。
女性などは生理があるのだから多かれ少なかれ躁鬱だろう。
誰でも精神質はある。

・・・・・・・・・
2002年01月22日(火) 308,人生の損益分岐点

人生の損益分岐点-とは人生で元はとったか?ということ。
何だろうか、そんなもの考えている暇があったらチャレンジするものを探せ!
そんなものだ。おそらく人生にそれを見ること自体、おかしいのかもしれない。
しかし、言葉の遊びとしてスキップをしてみよう。
私の場合、51歳であった。下の子供が大学入試に合格した瞬間であった。
今から5年前である。入学をしてしまえば、後はアルバイトでもすれば卒業できる。

事業で500室ーこれは新潟周辺の客室の最大数(300室)の1・7倍。
母親を見送り、一応目安はたった。その時自分の一つのライン、その表現
が人生の損益分岐点に達成したである。
人間としての一応のなすべき事の達成である。
これからは、純益のそれー自己達成とかいう真にやりたい事の自己満足の
追求だ。まずは家内に「私と結婚してよかったという」本心の満足感!
それは今更、無駄か!そして大好きな秘境ツアーの60歳までの50回達成である。

・・・・・・・・・
1月22日ー水曜日  1969年

10時に学校に到着。 川崎と会う。次に河村に帳面を返す。
そして産関研究所に行き、レポートの為の資料を借りる。
東武百貨店でコピーをとる。  昼過ぎに寮に帰る。

市川さんが部屋に来る。 会社が平日だが休みのようだ。
彼と話をする。何か私からゼミで得た知識を吸収しようといているようだ。
その後風呂に行き、読書をする。
22時から0時半まで勉強。  一時に寝る。


2119, 家族について

2007年01月21日(日)

          o_ _)oパタ (o- -)oムクッ (o°▽°)oニパッ
          (o_△_)oゴロン(o_ _)o.。o○グー   オハヨ〜

最近、家庭崩壊による悲惨な事件が続いている。
この歳になってつくづく思うことは、「家庭」の重要性である。
その人を判断するときに一番簡単の判断基準が育った家庭環境である。
といって、それぞれ当たり外れがあるが・・・

    神という存在があるなら、神は何と酷いことをするのであろうか!
   「連れ添いの当たり外れを五分五分にするのだから!」
    そして外れた場合、その子供は明らかに大きなハンデを背負わされる。
    子供にとって親の仲の良し悪しで、運命が大きく左右される。
    その上に両親との相性の問題もあるから、十歳までに能力・運命が決定
    されているというのも、肯ける。

人の幸福の第一は家庭内の平和である。
家内の平和とは、夫婦が互いに深く理解しあうことの他はない。
それがまず人生の基本になくてはならない。
色いろあったとしても、恵まれた家庭に生まれ、また恵まれた家庭を
つくることが出来ただけでも、良い人生であった。(自画自賛か)

    結婚するまで、私には帰るべき家があった。
    年越しで家で越せなかったことは就職をした年の唯一度だけであった。
    それまでは両親と必ず年越しをしていた。
    家内も家庭に恵まれた人で、愛情がタップリ注がれた人である。
    愛情をタップリ注がれた人は、芯が強く、明るい人生をおくる人が多い。

家族を辞書で引くと、「夫婦・親子を中核として、血縁・婚姻により結ばれた
近親者を含む生活共同体。」という。
家族は最後には何らかのカタチで分裂、消滅していくものである。
二人の男女が出会い、結ばれ、子供ができ、育って、巣立ちをしていき、
そして二人が次々と亡くなり、消滅していく。

    私が好きな「男はつらいよ」の主人公のトラには帰る家があった。
    そこには故郷の原風景があり、我々がひかれるのは、
    そこにある優しさと温もりである。幸せになるには、原則がある。
    幸せの家庭で育った人は、幸せになる人が多い。
    その原則の因子が育った環境で作られるのだろう。
    
ギリギリのところでどう考えるかである。
露出した家庭生活の中で、何処でお互いに折り合うかである。
幸せの家庭の中で育った人は、その折り合いのノウハウを学んでいるからだ。
夫婦なんぞ、こんなものでしかないことを!
しかし、それでも一緒にいれば良いことあることを!

    巣は一番大事なところである。
    巣さえしっかりしていれば、
    どんな不幸にでも耐えることができる。
     
                   (^_^)v バイ 

 ・・・・・・・
2006年01月21日(土)
1754, ライブドア・ショック
          (っ´Ι`)っ { おはよう〜

強制捜査の日に東証が全売買停止をしてしまった。
これは暴落の歯止めという点では良かったのだろう。
ライブドアの「上場廃止」ともなれば倒産の可能性もある。
「本人の逮捕間近」と、マスコミも騒ぎだしてきた。
さらに子会社の副社長が自殺をしてしまい、最悪の事態である。
ライブ関連株は連日ストップ安で、ゼロに果てしなく近づくだろう。
                          o(TヘTo) くぅ
          一般の主婦が自宅のパソコンで売買をしている姿を
          先週の週末にTVで放映していた。
         「米国で1920年代後半、株の暴落直前に靴磨きの少年が株を
          買っていることを知り、全ての株式を売り抜けた人の話」
          の逸話を思い出して、それと同じ現象ではないか?と、
          TVを見ながら思った矢先であった。
他のIT関連株も売り進まれるだろうから、
若い層や主婦層も大きな痛手になる。
既にライブドアの株価は半値になり、5270億の損失になっている。
身近の数人もIT関連を売買しているが、どうなることやら?
この反省は大きく煽られて流されるから、株式市場は打撃を被るだろうが、
それでも現在のミニバブルは消せないだろう。
しかし素人は株と個人国債は買わないことだ。 コーヒーε=(。・ω・)_旦~~ オマタセー
                        ~~旦_(‥ )こりゃ どうも
          ジャスダックに上場した知人から手法を聞いていた。
         「素人に紙切れを売りつけるだけ、あの耐震構造のビルなど可愛いもの?
          鉄骨も入ってないのを、鉄筋鉄骨造りのようにして売るのだから」
          に近い話である。

ー辛口の評論家の佐高信氏の論評が鋭いー 
 ー「投機家」ばかりになってしまった株式市場のひ弱さが出た。
 株というのは本来、企業を育てて配当によって利益を得るもの。
 目先のそろばん勘定しか考えない投機家や大手金融機関が
 主役のような顔をして市場を蹂躙している。
 その代表がライブドアの堀江だ。
 今回の事態は、規制緩和と称し、こうした動きを煽ってきた
 小泉純一郎の改革路線の強烈なしっぺ返しになる。ー
      
      ー立花隆の論評も納得したー
         ーライブドアに東京地検の捜査の手が入ったのにはビックリしたが、
         想定外かといえば、そうでもない。
         ライブドアには、昔から、変なウワサがつきまとっていた。
         あまりまともとはいえないことに手を出す、ヤミ金融の世界の人間と
         怪しげなつながりを持っているなどのウワサが、ずっと流れていた。
検察の事案としては簡単なケースだろう。
この事件どこまで広がるか、現段階では全く予測がつかないが、
一般論として、東京地検が捜査令状を取って、公然捜査に踏み切るのは、
その前段階の予備調査、内偵で、これはモノになると
よほどの確信が持てた場合に限るということである。
          確信は持てないが、とりあえず怪しいようなので、証拠集めのために、
          見込み捜査をやるなどということは、地検は絶対にやらない。
          検察は非公然予備調査の段階で、秘密裏に証拠を集める強力な手法を
          沢山持っている。
それに、相手が小泉首相とも距離が近く、落選したものの、
前回選挙で当選していたら、小泉チルドレンの一人になったにちがいない人物。
見込み捜査でやったら、失敗した場合のリスクが大きすぎる。
検察は捜査に踏み切るにあたって、相当慎重にすでに入手している証拠の評価と
法律的な詰めをしているはずである。
これほど堂々たる捜査に踏み切ったということは、検察当局がすでに立件するに
足る証拠を手にしているからだと考えてよいだろう。

          検察当局としては、近い将来、やっかいな耐震偽装事件の捜査に
          乗りださざるをえないことを覚悟しているはずで、
          それに相当のエネルギーをさかざるをえないということがわかっている
          状態でこの事件をかかえこんだわけだから、
          これは事案としては簡単なケース(証拠集め、立件がそんなに難しくない)
          と考えているのではないだろうか。
ライブドア事件はIT業界全体には波及しない
この事件で、IT関連株がいっせいに売られているらしいが、
それはもっともな部分と、過剰反応の部分がある。
IT業界の一部には、ライブドアと同じように自社の株価が高いのに気をよくして、
時価総額に依拠しての冒険主義的経営手法をとっているところが結構ある。
          そういう会社の中には、時価総額を少しでも上げるために、
          今回問題にされたような虚偽情報開示、あるいは風説の流布に
          近いようなことをやっているところが他にも少なからずあるはずで、
          そういうところは、ヒヤリとしただろうが、ライブドアの時価総額が
          たった一日で一千億円近く(グループ全体で一千五百億円)
          下がったことを考えると、時価総額商法がいかに危ない経営手法か
          わかるだろう。   
 ーーー
 ー後記
 それにしても短時間に大騒ぎをして、あっさり消えていくものだ。
 アメリカのマスコミの報道が真をついていた!
 「国策による潰し!」と。 
 ついでに、村上某も?潰しておいた方がよいだろう。
                      ヾ(*´∀`)ノ バイバイ♪
・・・・・・・・
2005年01月21日(金)
1389, 迷ったときは運命を信じなさいー1           
                 読書日記
―すべての願望は自然に叶うー

書店で、何気なく手に取ってみた。
店内を一回りをした後、再び本を開いてみたが、
やはり一言一言が突き刺さってきた。
すぐに買って読んでみて、なるほど面白い。
世界に2千万人の読者がいるというのも肯けた。
癒し系の本であるが、書いてある内容が解りやすくビジュアル的である。

まず第5章の「偶然の一致の役割」が面白い。
偶然の一致を起こす方法として
「偶然日記」
を書き連ねる手法が紹介されていた。

日常の出来事の中で、偶然の出来事を記録するという手法である。
記録するうちに自分が望む方向、導かれる方向がわかるというのだ。
丹念に記録すれば、自分のプラスの方角がみえてくるのは道理である。

私も過去に自分のシンクロニシィテー
(信じられないような偶然ー意味ある偶然の一致)
について何回か書いてきたが、書き連ねるうちに自分の原型に気づいてきた。
書くことで、今ある自分の奇跡に気がつくのだ。

後で振り返った時に解ることが、「書くことで偶然を意識する」ことによって
「今この時に覚醒している不思議」に気がつくのだ。
「自分が今ここにある」ことの奇跡を誰も気がついてない。
それに気がつけばつくほど、偶然に対して真摯になる。。

全てが奇跡、偶然の一致であるのだ。
その積み重なりが『今、ここ』である。
この本は、ただ面白い、それも解りやすい。

今ここで『おい、面白い本はないか!?』と言われれば、この本を薦める。
但し、「素養と、求めるものがないと無理」である。
周辺の雑事に追われていては、尚更無理。

仏教で、この意味ある偶然を『因縁』という言葉で説明している。
因は直接原因、縁が間接原因としてこの二つが重なって
出来事が成立すると、教えている。
                  −つづく
  ーーーーー
ディーパック チョプラ (著),
Deepak Chopra (原著), 住友 進 (翻訳)
価格: ¥1,890 (税込)
出版社: サンマーク出版

ー目次
1、*本当の自分がいる「場」
2、*自然のなかのシンクロニシティ
3、*自然のなかに在る魂
4、*個人的な意思・宇宙的な意思
5、*偶然の一致の役割
6、*あなた自身の「原型」を知る
7、*瞑想とマントラ
8、 *第一の原理:あなたは宇宙のさざなみである
9、 *第二の原理:関係の鏡で自分を見つける
10、*第三の原理:心の対話術をマスターする
11、*第四の原理:意思は宇宙の絨毯を織り上げる
12、*第五の原理:感情の嵐は成長の糧になる
13、*第六の原理:宇宙のダンスを祝福する
14、*第七の原理:偶然の一致を利用する
15、*シンクロディスティニを実現する

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2004年01月21日(水)
1022, 「眠りについてのお話」−1

「経験を盗め」ー読書日記 
ー「眠りについてのお話」

糸井重里と二人の専門家との対談集で、18のテーマになっている。
新幹線の中で、丁度30分で1テーマを読めるのがよい。

「眠りについてのお話」が面白い。  
糸井重里×井上昌次郎/矢崎葉子の対談だが、
身近なことなので非常に興味をもって読んだ。
『眠ると意識のレベルが下がり、外界の変化を見たり聞いたり嗅いだりと
いうことがほとんどできなくなる。筋肉も緩みます。危険が迫っても急いで
逃げられない無防備の状態で、生きていくのに不利な条件が押し寄せるわけで、
睡眠は危険をともなう、じつは命がけの行為なんです(井上)』
等々含蓄のある話が多い。

この本を読んでかなり眠りの考え方が変わった。
睡眠に関しては、知ると知らないとは大きな違いがある。

ー印象順に纏めてみたー80諭は網羅しているはずである。

・睡眠といえば、不眠症が思い当たる。
 不眠症には
「入眠障害」
「中途障害」
「早朝障害」
「熟眠障害」がある。
誰もが経験しているはずである。
大体5人に1人が、不眠に悩まされているという。
平安時代の絵巻ものには、まわりが寝静まっている中で、
ひとりだけ起きて、指を折って数える仕草をしている女官
の絵があるという。

・睡眠の異常には、
精神的なストレスのものと
身体内からの異常のものに分けられる。
また睡眠時無呼吸症候群も最近問題になっている。

・人間は進化の過程で、大きな脳を持つようになった。
脳はコントロールセンターみたいなもので、酷使をすると
オーバーヒートをしてしまう。その脳をクールダウンさせて、点検して、
疲れを回復させる為に必要になった、それが睡眠の機能だという。

・睡眠にはレム睡眠とノンレム睡眠が組み合わされている。
ノンレム睡眠は熟睡をしている状態をいい
レム睡眠は半睡眠状態で眼球が動いている状態をいう。
90分で一つのサイクルになっていて、一晩に何回も繰りかえす。               
                           ーつづく
・・・・・・・・・
2003年01月21日(火)
657, 四行日記−2

わずか四行を毎日書き続ければ間違いなく自分が変わっていく。
このポイントは最後の「宣言」を肯定語で締めくくる事だ。
これは肯定思考の訓練になる。
毎日書き続けることで、自分の気持や注意に客観的なれる。
「何とか性格構造を変えたい!」と思っている人には良い習慣になる。
 
また起承転結の訓練にもよい。。
起ー事実、承ー気づき、転ー教訓、結ー宣言
これを書き続けることは、文章作法をそのまま身につけることにもなる。
課題ーテーマ発見、論理性、問題解決、肯定思考を少しずつ身につける
訓練そのものになるのだ。それも身近な事を一つづつ取り上げて。

何気ない事だが、この記号もよい。
事実ー■、
気づきー◆
教訓ー●
宣言ー★
これを決めておけば、目安になって( ..)φメモを楽にかける。
話が変わるが、私の考えた「知情意とその他」の4項目日記も
手前勝手だがよい。自分で試みで明日から手帳に書いてみよう。
面白そうだが初心者には向いてないか?

昨日だったら
・知ー送ってきた本に目を通すが面白い。
・情ーー昨日見たDVDの映画が面白かった。
 タイムマシーンの設定が良いのだろうが、その画面のリアルが
 素晴らしい。
・意ー何か時代の変わり目を感じるが、節の面白さを劇画的に見る自分が
 可笑しい
−(^<^)!(^^)!(^'^)(^^♪(~o~)
  (^・^)(^o^)丿ヽ(^o^)丿
でもやはり四行日記の方がわかりやすい!
昨日の四行日記を書くと
■ー四行日記がおもしろい
◆ー身近なことを具体的に考えるのに便利だ
●ー随想日記は少し抽象的過ぎたか?
★ー四行日記を非公開で少し書いてみよう

習慣は第二の天性である。如何によい習慣を多く身につけるかが
その人の能力といってよい。

・・・・・・・・・
2002年01月21日(月)
307,方針ー政策

方針とは、こうしようという積極的枠組みより、これはしないという
マイナスの枠組みであるという。
どこかのセミナーの今でいう,カリスマ的コンサルタントのピーク時点の
言葉であったから、聞いていて「本当か?」と耳を疑った。
しかし納得した。
 
解りやすくケースをあげて説明すると
・ユニクロは衣料のカジュアルー普段着以外やらない。
・ヨーカ堂は、流通以外手を出さない。(ダイエー、西武流通グループは??)
・ある会社は絶対借金しないことを社是にしている。
・住友は浮利を追わずが「社是」で、このバブルを比較的軽傷ですんだ。
・静岡銀行もバブルに対し頑なに一切それにのらなかった。
 ジャスコ、ヨーカ堂も。

当社も社是で、いくつか規定している。
失敗したケースはそれを外れていた場合である。
生き方も、家訓も考えたらそのケースが多い。

ー家訓はー父の教えは、
・請け判は押さず
・人に金を貸さず
・共同事業はやらず
・一つの仕事に縛られない、転業はどんどんやれ
・死に金は使うな
・名誉職はつくな
・近所の人と親しくなるなーつかず離れず

硬い商人のごく当たり前のことだが、特に保障人の請け判だけは
繰り返し気をつけるように言っていた。やはり人生の中で数回きた、同級生の?
や親戚がきた。なるほどと思った。
あるビル管理の担当が、「自分は?大を出て大手の会社に勤めていたが、
カミサンが社宅のある奥さんに頼まれ、連帯保証の請け判を押してしまい
破産、会社に居れなくなり、こうして掃除をしている」と言っていた。
ハン一つで人生全て失う。父がこれを言っていたと思った。

父は自身の生き方は無借金だったが、借金の諌めを言った事はなかった。
無借金の自分の限界を見たためであろう。

・・・・・・・・・・
1月21日 1969年

14時に学校に着く。
しかし図書館はいっぱいで座る席がない。
仕方なく帰ろうとすると、深井とバッタリ会う。
30分位話をしていると石川と宮崎もくる。
彼等とその後に話をする。

その後1人で、新宿の紀伊国屋に行くが思った本がない。
17時過ぎに帰寮。
前から思っていたが、入社前に1人で卒業旅行をしようと思いつく。
それも当てのない阿呆旅行がよいだろう。
最後の学生時代の思い出つくりに良いだろう。
そこでじっくり考えるのもよい。
行こう、いや


2118, 品格について −2

2007年01月20日(土)

      才八∋ウ_〆(∀`●)
   
   福田一男著「成熟への名作案内」
   の一節で取りあげている次の文がよい。
 −−
英国在住の日本人作家カズオ・イシグロ(石黒一雄)は
「日の名残り」の中でで、語り手たる執事スティーブンスに
 ー偉大さの条件は、品格にあるーと、言わせている。
ではその「品格とは何か」という問いに、偉大な執事であった父を想起しながら、
以下のように考える場面がある。
   【品格の有無を決定するものは、みずからの職業的あり方を貫き、
   それに耐える能力だと言えるのではありますまいか。
   並みの執事は、ほんの少し挑発されただけで職業的あり方を投げ捨て、
   個人的なあり方に逃げ込みます。そのような人にとって執事であることは
   パントマイムを演じているのと変わりません。
   
   ちょっと動揺する。ちょっとつまずく。すると、たちまちうわべが剥がれ落ち、
   中の演技者がむき出しになるのです。偉大な執事が偉大なるゆえんは、
   みずからの職業的あり方に常住し、最後の最後までそこに踏みとどまれる
   ことでしょう。外部の出来事にはーそれがどれほど意外でも、おそろしくとも、
   腹立たしくともー動じません。偉大な執事は、紳士がスーツを着るように
   執事職を身にまといます。公衆の面前でそれを脱ぎ捨てるようなことは、
   たとえごろつき相手でも、どんな苦境に陥ったときでも、絶対にしません。
   それを脱ぐのは、自ら脱ごうと思ったとき以外にはなく、
   それは自分が完全に一人のときに限られます。
   まさに『品格』の問題なのです。】
    ーーー

これは品格と同時に、プロフェッショナルの問題でもある。
一流のプロは品格を伴うのは、行きつくところが同じということである。
一流は、役割を知りつくしているから、役割から一歩も出るはずがない。
どんなプロ選手でもプレーヤーとして洗練されて初めて品格が出来てくる。
成績が一流になればこそ、品格と実績からくる自信が相まって風格ができる。

   仮面もそれが一流にものであれば、仮面を被りつつけた本人も一流になる。
   いや仮面が仮面でなくなり、本当の顔になってしまう。
   能の世界に入りこむと、演じ手の自分と役と解らなくなることがあるという。
   そこに人間としての円熟味が加わった時、上品になる。

その時に個人のブランドが出来るのである。
名優は、何を演じても個人の個性が現れる。
その個性が、その役を演じているのではなく、風格が役を演じているという感覚になる。
その役より本人そのものの味ー品格が勝り、そこに不自然さが残らないのである。
これを上品(じょうほん)という。

          b(^o^)ノ バイ!
          
 ・・・・・・・・・
 ・・・・・・・・・
 2006年01月20日(金)
1753, 愛のアフォリズム −1         
                   (ヾ(´・ω・`)ノオハヨウ
                                              
アフォリズムとは、
気の利いた名言・格言をまとめたもの−箴言集−という意味。
格言や、哲学者や作家の著作などから、恋愛に関する言葉を集めてある。
どれをみても捻った言葉で満ちている。
一言一言が深く身に沁みるというと誤解されるから、
心に響くといったほうがよい。
                        お茶いれました !
                         (゚∀゚ )つc( ̄)ク        
        普通、箴言集は読んでいて飽きてしまうが、これは読むほど深い?
        世界に引き込まれてしまう。
        お笑いの視点でみると、これほどコミックなことがないが。
        
今回は幾つかランダムに選んでみたが、
次回は面白い章を選んで吹きだしてしまうような
お笑いアフォリズムを抜粋してみる。
「お笑い一升瓶?」を次回は選び出してみる。
 Ψ(☆w☆)Ψ ケケケッ 
   −−−−−−−−

愛情に束縛を感じはじめたとたん、人はさとる。
                もうじき終わるにちがいないと。                
                    ーフランスの格言 
                         自由ヽ( ´ー`)ノ 万歳♪
嫉妬が死に絶えるのは、愛情が死に絶えてからずっとあとのことである。
                    −H・G・ウエルズ               
                   c(>_<。)ノ☆コノコノォ♪嫉妬
                     (">ω<)っ))
キスとは、思う存分くちびるを使うことで二人とも黙ろうとする試みです。              
                    ーゼンタ・ベルガー
                           (・´з)(ε`・)
恋も麝香のかおりも、隠しおおせるものではない。                    
                    ーペルシャの格言
                    |・ω・`)コッショリ|д・) ソォーッ… |x・`)チラッ

結婚するのは一種の責務だが、愛人をつくるのは一種の贅沢である。               
                    ーシモーヌ・ド・ボーヴォワール
                          (i∀`●)y うほほ♪
快楽は、生殖・出産の苦労に対する自然界からの報奨金である。                  
                    ージークムント・フロイト
                       (~O~;)アン(;~O~)
結婚生活なんて、二個の砥石がせいぜいやさしく撫であうようなもの。
                    ージョン・オズボーン
                      プニプニ((=´ω`)σ"(・(・
恋愛とは、アマチュアの方がプロより上手い、
              この世で唯一のわざである。・・・                  
                    ーカールハインツ・デシュナー
                [HOTEL]女゚∀゚)----C< 男Д`)!!
                         チョット、ヤバイヨ !
「どんな男でも、二つのことしか頭のなかにはないわね。
                    もうひとつがお金」
                             スケベ!¬_¬)Y
                    ージャン・モロー
ーーー
アラビアの格言に
「花嫁を選ぶ前に、まず母親のことを問い合わせろ。」
というのがある。

二十数年後の姿と品性と教養が露出しているはずだ。
それが許容できると思ったとしても、
結果には責任は負えないが。

それと「家庭不和」かどうかも大事だが!
そんなことを言っていたら結婚はできないか?
それを麻痺させるために恋愛感情が必要なのだろう。
麻痺が醒めてから、一生男は後悔するのだが!                
                  (--、)ヾ(^^ )
 。・°°・(((p(≧□≦)q)))・°°・。            
              ☆ミ(o*・ω・)ノ〜 バイ!!
・・・・・・
2005年01月20日(木)
1388, 23歳の日記−10

11月2日 1969年
今日ひらめいたが、一年早く会社を辞めて大学に入リ直すのはどうだろう。
初めの予定は、二年後に実行の予定であったが。
来年の二月で辞めて、どこかの大学に再編入するのはどうかということだ。
今度また、三連休をして、家に帰って親父に頼んでみよう。
このまま、あと一年は自分の気持がどうなっているか。

ーーー
ー後記(2004年1月15日)
ここで、23歳の日記は終了をしている。
この4ヵ月後に会社を辞めて、産能大に編入したが、ボロボロであった。
そのボロボロが良かったようだ。
その一年が、現在の基本になっている。
日記を読んでいると、全く好きなことを考えていた。
父親が絶対的に応援をしていてくれている前提があったからだ。
全て、父親の手のひらの上で好きなことを考えていたに過ぎない。

父は、若いうちは好きなことを、思ったことを、やりたいことを、
全てやらせたい、という見守る愛情があったようだ。
父親なりの経験からくる教育だったようだ。

それを知った上で、これだけ自分本位な考え方をしていたのだ。
それでも自分で考えて、即座に実行する行動は、
この時についたものだ。
手のひらの上でしか出来ないこともある。

この後、辞表を出したと同時に三重の四日市に戻され、
間接的なリンチにあってボロボロになって帰ってきた。
これだけのリンチも初めてで終わりである。
当然の報いといえば報いである。

「他人の血で、自分の傷口を洗うな」という言葉がある。
誰もが気をつけなくてはならない。
それぞれの多くの道を歩いてきた。
読み返すと、全く違う他人の日記を読んでいるようでもある。
細胞も、脳も殆どが入れ替わっている。
しかし、原型がそこにある。

 ーーー
ーところで、また信じられないことがあった。
24歳の日記帳が、本棚にあった。

てっきり本と思ってしまう厚いカバーがあった為、30年近くも
気がつかなかったのだ。
恐らく、学生時代の日記と23歳の時の日記の三冊セットで、
自宅の倉庫の本の間に隠してたのだろう。

やはり20日分が飛び飛び書いてあった後、途絶えていた。
その後は、日記帳をカード日記に切り替えた為である。
カードに日記を書いて、分類していた。
しかし一年後に全てを捨ててしまった、過去の膿に思えたからだ。
 
カードごとにテーマも書いていたというは、現在の随想日記の原型を
24歳の時に実施していたのだ。そして引き出し代わりに茶封筒に入れていた。
24歳の日記には、何と今でいうミッション・ステートメントが書いてあった。
そして、その後の人生のパターンを振り返ると、その通りに生きてきている。
(正直にいうと、それ以来見ていないのでブレがあったが)
その宣言を常に持っていたら人生変わっていただろう。


その後、日記帳は一切書いたおぼえがない。
また書き写すつもりだが、「もう見たくない、書きたくない」のが、
本音である。しかし、その時々の記憶の思い出す糸口になっている。

・・・・・・・
2004年01月20日(火)
1021, 22歳の日記


半年近くつづいた22歳の日記もあと一ヶ月足らずで終わろうとしている。
丁度、昨日と一昨日の辺りの日記が内容としてピークのようだ。
この日記を読むと頭が痛くなるので、当日分を書くとき以外読まないことに
している。写しながら赤面も良いところだ。
こんは華やかな?日々を、過ごしていたことが不思議でたまらない。
高度成長期真っ只中という時代背景もある。
最後の青春を謳歌してようだ。

昨日の聖心女子大の明美は卒業をしたあと、確か手紙のやり取りを
一回したことがあった。
また、私が結婚をした一年後(5年後)、深井と千葉の私の新婚家庭の
近くまで車で訪ねてきたという。
途中で彼女が気が引けて、U−ターンをして帰ってしまったと後で聞いた。
その時は、彼女はお医者さんと結婚、亭主がニューヨークに行っていたとか。
何ともおっとりした感じのよいお嬢様であった。
好き嫌いというより、彼女たちからは温かさが、そのまま伝わってくるのが良かった。

一度皆と会おうかという話もあったが、仲に入っていた深井が10年前に
脳梗塞で亡くなってしまった。
世界の違う人たちというのが分っていたので、恋愛感情は全くゼロであった。
全員が、洗練されたかなりの美人であった。
その中で、特に「アユ」は光り輝いていた。
私以外の二人は、その人に結婚を申し込んで振られたと、
深井が死ぬ数ヶ月前に言い残していった。
全く知らなかった。その意味では、私だけは無傷であった。

こういう女性を見ていたためか、女性の職場を転々として、
同僚の女性を結婚相手という気持を持つことはなかった??
どこか冷静な眼ができていたのだろう。
この時期の自分が大きく揺れていたのが日記帳から窺い知れる。
濁りのない純粋の目も感じることができる。
内面はもっともっと揺れていた。
別に人に見せる文でもないのに、自分に対しても気取りがあることが
ハッキリ解る。若いということだろう。
それと精一杯一日一日を過ごしていた日々が懐かしい。
  書き残すということは、非常に意味があるとつくづく思う。

・・・・・・・・ 
2003年01月20日(月)
656, 四行日記

新聞広告を見て買おうか迷ったが、先日また同じ広告が
出ていたのでやはり買うことに決めwebの紀伊国屋で注文した。
一昨日とどいて要点読みをして要点を把握した。
 届くまで自分が4項目にするならどうするか考えてみた。
 以下のとおりである。
・新知識ーこんな事知らなかった   −知
・感情ー喜怒哀楽、感謝感激     −情
・こんな事してみたい        −意
・ 他・・・・
     以上を考えた。

実際の本の内容は
。事実   −その日の出来事で、心のアンテナに反応した事を一つ選ぶ
。気づき  −「あっ、そうか!」と気でいたことを書く
。教訓   −その気づきから学んだ事
。宣言   ー「ありたい姿」を力強く断言

毎日これを続けて書いていけば、膨大の知識と経験が蓄積されるし、
感覚が鋭くなっていくだろう。
小説家は何らかの形でこれを毎日続けている、データーベースの為だ。
日記は
・その日に起きた事実を書き
・その感想ー意見をまとめる
・時系列であるのが特徴だ。

私が続けている随想日記を上級?ならば初心者向きだが、
明快で毎日続けるにはよい。
プロセスは全く同じだ。
「明日は何か書くことが無いか??」が常に頭から離れない。
好きでやっているのだから苦痛はそうでもない。

いざ始めようと思ったら、この四行日記がいい。
一日何らかの出来事はあるはずだ。
それを提起して、感想を書き、その中の学んだ事を書いて、
最後はより広い高い視点を書き込めばよい。

カミさんと喧嘩をした時
・まずその内容ー事実を書き
・そういえば、最近あまり会話が足りなかった事に気づき
・話すのが面倒でも、聞き役にはなれるはずだ
・明日から朝晩に5分はその時間をつくることにする 
 定期入れにその誓いの文を暗号でもよいから書いておく。
これで日記に十分なる。   
                −続く
・・・・・・・・・ 
 2002年01月20日(日)
306、時代の変遷

時代の変遷に驚いている。
今日、新聞をみて目を疑った。
あのアメリカのKーマートが倒産直前という。
10年位前まで、k−マートといえば全米でウォルマートと小売りの1〜2を競っていた。

加入している流通のコンサルタント会社の視察旅行でアメリカに二回行き、
その合理的システムに驚いたものだ。
米デスカウントストアの草分け的存在で、丁度ピークの時だった。
景気後退とウォルマートとの安売りの競争が、収益悪化に拍車をかけたという。

あの天下のシアーズも数年前経営悪化を報じられたが、ここまで競争社会の
激しさを目の当たりにしようとは。アメリカの流通は大別して「シアーズから、
Kマート、そしてウォルマート」と変遷してきたといってよい。

日本でも西武流通グループも解体され、堤清二が追放。
ダイエーも実質倒産?解体で、中内功が追放。
スーパー四位のニチイーマイカル、長崎屋、ヤオハン、九州の最大手の
寿屋も倒産。チェーン店でまっとうなのがジャスコとイトーヨーカ堂と
専門大店と地方のナンバーワン・スパー位になってきた。

これからIT の時代、ナンバーワンしか生き残れない時代が顕著になってきた。
本の半分以上は、ネット書店で買うようになってきた。ネットも紀伊国屋から、
アマゾンで買うように変わってきた。

・・・・・・・
1月20日 1969年
12時起床
午後本を読んでいると、市川さんが会社を途中で引けてくる。
お茶を飲みながら話をする。
何か俗人もよいとこだ。仕方がないのだろう。

その後風呂に行き、食事をする。
突然、ある女性のところに手紙を書きたくなる。
まあ何も意図はないが。面白い文になった。
昨日もそうだが、実際は一人一人お別れをしていることになる。

大学もあと一ヶ月でお終いだ!
もう誰とも会うことはないだろう。
出生前の兵隊みたいな気持とはこういうものだろう。
何か今ひとつ読書の幅という点で、物足りなさが残った。


2117, 新潟駅周辺が動き出す!

2007年01月19日(金)

              オッ(*^○^*)ハ〜ヨウサン!
昨日の地元紙に
「新潟駅構内に1万5千屬両Χ肇咼襪侶設計画」が発表された。
現在の駅構内のセゾン専門店街に隣接して造られるため完成すると、
一大ショッピングセンターになる。
駐車場も800台の収容というから、新潟駅再開発に向けて大きく
動き出したことになる。
    概要は
   ・現在の新幹線駅の出口にある専門店街の「セゾン」に隣接した場所に
   ・8F建て  商業施設延べ建設(1F〜3F) 延べ1万5千屐
          駐車場(4〜8F) 800台収容
          敷地面積 7千坪。
   ・今年2007年9月着工、来年の12月完成。
   ・工事費は65億円。
  駐車場が1台あたり7坪として800台で5600坪になり、
  商業施設を加えると1万坪になる。
  65億というから、坪当たり65万の建物になる。
  
駅広場を挟んだ反対側に総工費100億の30F・複合ビルも秋口に着工するから
駅周辺の商業集積が一挙に進むことになる。(2007年7月着工、2010年1月完成)
立体工事に伴い駅構内に専門店街を増設するので、
7〜8年後には駅周辺の様相は一変、1.5~2万坪クラスの
大ショッピングセンターが出来ることになる。

    駅前周辺に5箇所の物件を持っているので、やっと時節到来になる。
    この工事関係者の宿泊が見込めるので、良いことずくめのはずだが・・・    
    団塊の世代の停年後用のマンション計画や、
    飲食ビルも集積するだろうから、不動産も上昇に転じる。
    ・・・ということを願っている。
  それより、現業を発展させる方が最重要事項!
  装置産業はね、小回りがきかないから。
  新潟駅再開発計画の進行は当方の運命を左右する。

今年4月の「政令都市への移行」が、やはり大きな転換期になる。
これと「新幹線の新潟空港への延長工事」が加われば、大きな起爆になるはず。
誰も本気になる人がいないのが、新潟県の限界ということ。

    県知事様よ、
   サミットなど十年後〜二十年後の新潟県の行く末に関係ないでしょ!
   少しは、シャンとしてよ、シャンと!まったく!!
   貴方しかいないのだから!それができるのは!
   県知事はね〜、10年、20年、30年先を読んだ行政をするものなの!
   それを過去の?質の県知事らがやってこなかったから、このザマでしょうが・・
   同じレベルなのですか?  ハイ!という返事が返ってきそう!
     いまやっていることは、その程度でしょう。
   話は逸れたが・・
   こちらの方がかなり低レベルだが・・
                    (゚∇^*)ホンジャ、バイバイ! ♪〜
・・・・・・・
2006年01月19日(木)
1752, 『桃井かおり』という女優
        
      ~~~~~ヾ(* ̄▽)_旦~~ オチャドーゾォー♪
彼女が若いときから 山田洋二監督『男はつらいよ』などの
マドンナ役をみて、不思議な魅力を持った女優と思っていた。

         地の顔なのか演技なのか、味のある演技をする。
         どんな役を演じていても彼女以外には考えられないのだ。
         こういうのを一流というのだろう。                    
                   _(。-_-。)いい演技してますな〜
                           
特に何処にもいるような普通の女性を演じさせたら逸品である。
性格俳優の女性版だろうが、歳を重ねるに従いますます円熟味を増している。
ある本の対談に彼女の芸の秘密を語っている部分があった。
 
       ー桃井ー
         最初の頃は、衣装や役の名前が変わるぐらいで、あとは同じ、
         全部桃井かおりでやってました。
         いつもおかっぱ頭で。 ♪ニャーニャー o(^‥^=o)~ o(=^‥^=)o
                    私ネムソ~ナ女 ~(o=^‥^)o  ニャーニャーブス

意識して地を出すというより、役をイメージしながら台本を読んでいても、
この役より、私が考えた桃井かおりの方が面白いだろうと思ったりして、
桃井かおりでやってしまったていたという感じです。

         よく考えてみたら、桃井かおり しかやってなかったので、
         自分でもあきてしまった。 だから4年間も休んだ。
         どの脚本も桃井かおりのイメージでかかれるようになって。
         『型』にはまらない型にはまってしまったの。

最近、気がついたのは、女優というのは職業の名前だったんだということ。
女や人間はやめられないけど、職業は変えたっていいわけだし、
そんなに思いつめなくなったみたい。
別にお金持ちならなくてもよいし、養わなくてはならない親兄弟はいないし。
 ーー
         (  ̄ー)L ネム  ヨコガオモモイ         
          ーー
         以上の彼女の言葉には深い人生の示唆がある。
         なるほど一流の役者は違うものだ。
         「役よりも自分の思っている自分のイメージを演じている」
         というところが特に彼女の魅力の秘密だろう。
         自分を演技の中でつくっていくということだ。
         我われの仕事も事業も、ライフワークでもいい得ることである。

この人の話で面白いのは
『お葬式ノート』がある。
葬式の希望と、そのための情報をノートに書き出している。
(仕事の関係者とか、個人的な人間関係とか、
 チグハグにならないように書き足している。)
既にスクラップ帳に二冊分になっているという。
               
             バイバイ!(゚▽゚*)ノ~~
・・・・・・・・
2005年01月19日(水)
1387, 23歳の日記−9

10月1日 1969年

店の大改装で、関西地区で初めての靴売り場の責任者になる。
開店で死ぬほどの忙しさである。
新しい部門ということで全員が注目を浴びている。
岡田卓也社長も、この売り場まで見に来てくれて一言声をかけてくれた。

予算の800佑箸いΔ里、自分でも驚きである。
何品かの売れ筋を見つけて、それをお客さんに積極的に勧めるコツをつかんだ。
面白いように売れる。
予算の立て方を店長が低くしてくれたこともある。

新しい店長が、私に目をかけていてくれているのが嬉しい。
この改装時にテナントに入っている星電社の男子社員と、店の男子社員が
集団乱闘寸前にになった。
そこに私が身を挺して中に入ってなだめてから、全員が私を受け入れてくれる
ようになった。学生時代に合気道の経験が役に立ったようだ。

店舗の改装で、本が読めないのが悩みである。
本を読んでこそ自分があるのに、流されないようにしなくてはならない。

ーー
10月13日

今日と昨日は、集合教育の為地区本部に行ってきた。
また壁に当たっている。本を読めないのだ。
一人になり、かつ考えなくてはならないのに。
あれもこれもと、やりすぎである。
ドライに割り切って、優先順位をつけてこなして行かなくてはならないのに。

ところで、上司の別所さんの「送別会」を私がやらなくてはならない。
明日まで、会場を決めなくてはならない。
いつも行く寿司屋か、会社の社員食堂か。
準備は、日下部さんか、岩崎さんに頼もう。

売り場は、先ず単品管理を徹底的にしよう。
そして、靴の商品知識は、本部バイヤーの送ってきた本を読もう。
年内に大方、この売り場を把握しなくてはならない。

・・・・・・・・
2004年01月19日(月)
1020, 人生とは

 いまさら人生論ではないが、あまり思い浮かぶことがないので
思い浮かぶまま,生きてきて思うことを書いてみる。
まず思う事は、「人生には無駄なことがない」ことだ。
マイナスに思える中にプラスがあり、プラスの中にマイナスがある。
むしろマイナスと思える中にこそ、真のプラスが隠されているようだ。

 それはマイナスの方が対象をしっかり吸収する為である。
失恋旅行の方が、対象と一体化をすることをみてもそうだ。
小説も音楽も、絶望の中で聴いたほうが心に沁みとおる。
無駄が無駄にならないのが、人生の意味深く、味わい深いところである。
特に若い時の無駄が深い意味を与えるものだ。
浪人とか長期療養や大学中退などは、その人にとってプラスになることが多い。
じっくり本を読んだり、将来のことや見失っていた周囲のことが見えてくる。
また我慢強さが出来てくる。

 マイナスをプラスにする力が年齢を重ねると段々ついてくる。
この力こそ一番重要な要素である。
この力には前向き、積極性、陽気さ、そして集中力が付いてくる。
「知識を多く知っていることが大事でない。美しいということを美しいと
思えることが大事な事」という意味がよく解る年齢になってきた。
また「生きているということは凄いことだ」と思う。
目的をもって、崖っぷちにたっている時こそ「生きている」経験をする。

「人生を商家の一代目、二代目、三代目と考えると面白い」とか。
30歳辺りまでが一代目ー商売の基礎作り
50歳辺りまでが二代目ー必死に維持拡大をする
その後が、全てを遊びに昇華して、過去の蓄積を楽しみ尽くす・・・

 なるほど上手いことを考えるものだ。
馬鹿三代目にも、それなりの役割があるんだ。
人生50〜60歳以降は馬鹿三代目として楽しむことだ。
「人生晩期は三代目論」か!   いいね!

ホームページの検索を調べたら、あったあった。
底が浅いのか、本心の深いことなのか?解らない。

ーーーーーーーー
2001/12/21
[51] 無駄な事なし

人生ふりかえってみて感じる事は無駄な事は全くないという事である。
もっともある程度燃焼してきたから、言えるのかもしれないが!
それも全く無駄にみえる事ほどふりかえってみた時、一番重要なポイント
だったようだ。皮肉と言えば皮肉だ。ポイントはぼろを羽織ってくるのだろう。

老年にさしかっかた時、死と同じくらいの恐怖
「自分の人生これでよかったのだろうか?」という問いかけだそうだ。
ある本に自分の母が死ぬ時「私の人生失敗だった!」
という言葉を残していたと、姉より死後聞いてが立ち上がれないほど
ショックを受けたという内容が書いてあったが。

無駄な事だらけという人生もあるのかもしれない。
人生にやはり意味を求めていないと、失敗だった?
という気持ちになってしまうのだろう。

2001/06/13

・・・・・・・・
 2003年01月19日(日)
651, 自分の一本の木

「自分の一本の木を見つなさい!」を考える。
これは二つの事が考えられる。
・何処かの山や近く川端などの具体的な木を見つけておく。
・心の中の目標やゆめである。

まず具体的な木を考えてみる。
これを見つける為に近くの福島江の桜の木や長岡の悠久山の木を探したが、
まだ見つけてはいない。自宅の松ノ木あたりなのだろうか。

こういう木があって、これが自分の一本の木と真に思えれば、
その木と対話ができる。それが独り言だとしても、その木を通して違った会話に
なるはずだ。生命体として反応するとみてよい。

その木がアンテナとして、宇宙の霊に通じている可能性もある。
祈る時に両手を合わせるのは全ての宗教の共通した事だが、
これはアンテナになるからだという。
一本に木を買ってきて、庭に植えるのもよい。
それを自分の木にする事も可能だ。
いずれにしても早く見つけなくては。

「心が疲れたら、鉢の花を買ってきて語りかけなさい。
心が休まる」というが、鉢物の木を買ってきて手軽にしてしまう方法もある。
全くしないよりずっとよい。

心の中の木を考えてみる。
目標・夢である。
ツリー図で実際書いてみると面白い。
大目標・中目標・小目標を幹・大枝・小枝と書き加えればよい。
そうすると根の存在が面白くなる。

「枝葉を切って根を養え!」という時期もあるが。
それと土壌と環境の問題を合わせ考えると幾らでもヒントが出てくる。
難しく考えないで取りあえず幹と枝を感えてみるといい。
  実物の木を3月を期限に最終決定する!!

・・・・・・・・
2002年01月19日(土)
305、ホームページ文章作法

毎日テーマ日記を書いていて心がけている事として
・まずはテーマを奇抜に興味をもってもらえるように、
・数人の知人友人に直接語りかけるつもりで、気楽に
・従って本音で、面白く、自分の言葉で、平易に
・添削をなるべく重ねる
・書きだめを幾つか溜めておく
・いちばんリラックスしている時に書くー晩酌をしながら下書きを書く

ある人が糸井重里に
「貴方の年賀葉書が毎日もらえたら嬉しいのにね」と言われた。
本人は「なに金と手間があれば、毎日だせるさ」と思った。
それがメールにはまり込むキッカケだったという。
多人数に軽く文章を送れるからだ。

そしてホームページを思い立った時、その転用として頭にうかんだという。
私の随想日記も似ている。10日に一回位書いていた随想日記を
「これを機会に毎日書くことを自身に強制する事で、
頭の中を汲み出してしまおう」と試している。
1〜2年は尽きることはない自信があった。

カミサンとは毎日飽きずに何か話している。2〜3日家をあけようものなら、
かなりのネタが幾らでも出てくる。30年近く経っても尽きないのだから、
随想日記のネタが尽きる訳がない。
ということで、内面を気楽に、しかし本音で、面白おかしく、ブツブツ書いている。

・・・・
1月19日  1969年

11時起床。
12時半に、聖心女子大に向けて出発する。
明美とトツに会う。明美から招待券二枚が送ってきて
寮の佐藤と出かけた。晴海もチッラと見る。

「アンドロマック」という演劇であった。
その中でエルミオレを演じた人が素晴らしい演技であった。
演劇の素晴らしさを知ったようだ。
明美が演出したという。

よくあれだけの人を纏め、仕上げたものと感激をする。
おっとりした彼女の中に、あれだけの知性と能力が隠されているのは驚きだった。
終了後、気を使わせない為、会わずに帰ってきた。
そのほうが良かったのだろう。

聖心女子大に入ることも初めてで終わりだろう。
昨年の暮れ、女らとの合コンを深井とのトラブルで欠席したが、
これで気持の上で納得ができた。いい思い出になった。

17時に帰寮する。
招待状を送ってきた時の彼女(明美)の手紙である引用だが、
印象的な言葉があった。
「青年は確実な証券を買ってはならない」
ふとこの日記を書いていて思ったことは
「純粋性は手段ではなく、目的にすべきである」

今は毎回のイベントが最後の別れになる。
よい人たちであった。


2116, 品格について −1

2007年01月18日(木)

         <(_ _)>   おはようございます!

   「国家の品格」というベスト・セラーの本の影響で、
   「品格」という言葉を巷でよく聞くようになった。
    何をもって品性・品格というか解らないが、
    私の最も嫌いなのが品性のない人である。
    じゃあ、自分は品性があるかというと、どうも自信がない。
    そこで、「品位」「品格」を検索で調べてみたが、
    あるHPの中の説明がよい。これを読んで、少しホッとした。
    品性のない人を嫌うには、チャンと裏づけがあった。
    人品なのだから、これだけはどうしようもないが・・・

 いま思い当たる「人間の品格」を思いのまま書いてみると、
・知識・教養・経験で培われた人間性の質をいう。
・品を品物のシナと考えればよい。
「人間としての品物が良いかどうか?」とみれば、解りやすい。
人間を品物として自分を振り返ると、自信がなくってしまう!

ーあるHPにあった「品位と品格」についてが、ずばり要点を言い当てている。
 まずは、その箇所を抜粋してみる。
 −−
【品位とは人に備わっている人格的価値であり、
品性は人の性格を道徳的価値として見る場合の呼称である。
一方、品格と言うのは物の善し悪しの程度、品位、気品を言い、
人間のみならず社会全体や都市、地域に対しても当てはめることができる。
日本社会の原理(社会の拠ってたつ根本法則)は侍社会の躾だと言う人が多い
(司馬遼太郎他)。侍は雨が降っても走らず、道の真ん中を歩き、
曲がり角は直角に曲がるなど本当に凛々しかったという。
またある行為で恥を掻いたり、人に後ろ指を差される或いは笑い者になれば、
死ぬほどの屈辱感をおぼえるなど行動規範が社会の品格を保つ要因となっていた。

    品格があるというのを具体的に示すのは難しいが、
    品格のなさはどのような場合に生ずるかというと、
   仝⇔呂釦擦咾襦
   大きいもの(組織・企業)を崇拝しそれに依存する、
   自分の権利だけを主張し適わないと嫉妬する、
   ぜ立性がなく自尊心がない、
   イ瓦泙しがあり本物の心と価値が分からない、
   Χ眩を崇拝する等である。
    これらは程度の差はあるとしても人間誰でも心の奥底に持っている。
    しかしそれが表に出ないように修養し、努力しているのである。 】
 {上品だ、下品だと?そんなもの! ~ヽ( ̄Д ̄*)ちっ  (=△=)凸 ファック!  
       (≧Σ≦)ぶっ  グワハッハッ(≧∇≦)  (゜σ ゜)ホジホジ }
  ーー
  以上であるが、
この「6つを擬人化したような人」が実際にいるから面白い。
『子狐』を嫌う理由が「品格がない」ということだった!のだ。
誰もが持っている要素なので、あまり言求できないが・・・
でも居るでしょう、あの人!(エッ私のこと?、いや違います、あの人です)
社会的ニーズもあるので仕方がないが、やはり本人の性質(たち)が大きい。
  目くそ鼻くそを笑う?でしかないが・・・   
  あの党の代議士様たちも、そうじゃないかい!
 
    自分をチェックすると、
    殆どクリアーをしている?つもりだが・・。
   「酒癖が悪いので、その全てを破壊しているではないか!」という声が、
    心の底から湧きあがってくるから、困ったものである。
 
 品格など気にすることはない、まともな生き方をしていれば自ずと身につくもの。
 しかし、そのまともな生き方がね〜、できないから困ったものである。
                         
                        ーつづく    
 今日は品良く、ごきげんよう さようなら
            m(__)m
・・・・・・・
2006年01月18日(水)
1751, あ~あ60歳−2
             (゚Д゚*)ノ⌒【おはよう】
一昨夜も還暦の会を開いてもらった。
二次会で久々に新潟の古町のカントリーウエスタンの
「テネシー」に行ったが、不景気で息するのもやっと?
という風であった。          
       (つд;*) (ノω=;)。。。(/へ\*)))
         還暦の赤いチャンチャコは着たいような、
         反面着たくないような気持ちであった。
         ところが、その店のマスターが半年前に贈られた
         赤いウエスタンのチョッキと赤いハットを
         かぶり記念写真を撮った。
         これで、その両方の気持ちをカバーしてくれた。
         還暦の行事の赤いチャンチャコと帽子をかぶったことになった。
しかしマスターの弱気には驚いてしまった。
対象のお客が定年とか不景気の為か、急激に顔を見せなくなったという。
かなり有名な店であったが、マスターの話は年金と老後の話である。
        50歳までは中年の最長老のような気持ちであったが、
        一晩で初老の一年生という気持ちになってしまった。
        (60歳から65歳が老年の移行期というが)
        誰もが人生で、それぞれの年代の峠を乗り越えていくのだろ。
                    (´∀`σ)σ !!!
何かの本によると、人間は歳を重ねても決して枯れるのではなく
ますます生臭くなるという。その人物によるが。
周りを見て見るとあの真面目だった人が???  ( 〃'ω')σ
これから自分を見つめていけば解るだろう。                 
       (*´Д`)ノ~~☆:.・*. See.:you.:again♪
・・・・・・・・
2005年01月18日(火)
1386, 若者と携帯電話

携帯電話の進化と普及はめざましいものがある。
特に若者にとって、「何が無くても携帯電話」というほど、
必須用具になってしまった。
我われの年代から見ると羨ましい限りである。

若いときに携帯電話があったら、どんなに楽しかったことだろう。
特にTV携帯電話があったら数倍のコミニケがとれて、
多くの友人がつくれたのではないか。
反面、孤独感からくる学びが数分の一になってしまう。
が、しかしそれなりに違った孤独感がでてくるという。
「携帯電話不安症」という違った孤独感が出てくると、新聞で読んだことある。
定期的な電話が来なくなると、絶望感に陥ってしまうという。

『他人との依存が強くなり、自分が自分であるという実感が乏しくなり、
自分の中の空虚な穴に陥ってしまう』という。
考えただけでも背筋が寒くなる孤独であろう。

若いときは、孤独に向き合い、悩み、傷つき、一人七転八倒する時期でもある。
それが、寂しければ携帯の電話番号を押して呼び出して慰めあえるのだ。
ところが、その手軽さが真の心の通じ合いを疎外してしまう。
ただ友情をつなげる道具が、反対に真の友情を妨害してしまっている。

一人になって自分の中で自問自答した言葉を投げ合うプロセスからこそ、
真の友情が生まれる。
また本を読んでいても、孤独の中から生まれた著者の真実の声に共感する。
身近に携帯電話馬鹿?があまりにも多い。
こういう浅い人間関係しか経験しかしてないから、
柔な傷つきやすい人間になるのだ。

それも人生と割り切っているのだろうが、それを乗り越えた先が良い。
道具の進化は人間を誘導する。
昔、年寄りが同じようなことを言っていた。

・・・・・・
2004年01月18日(日)
1019、「会社にお金が残らない本当の理由」−2

二年前に節税が何かないかと考え抜いた。
そこで思いついたのが、個人の事業用資産の三ヶ所を会社に売却をする
「個人の損だし」による方法である。
バブル期に買った個人名義の事業資産を時価で会社に売却をした。
そして個人の会社からの借入金と相殺した。
その結果個人は??の損失が出た。
そして過去2年分の税金の数千万が戻ってきた。

といって会社借入と相殺したので、手元には一銭も残ってないが。
今年も数百万は戻ってくることになっている。
長岡税務署では前例がないという。
といって合法的であるから文句はつけることができない。
税理士が目を白黒していた。
そのような前例が過去に全くなかったからだ。

来年か再来年は、今度は会社の損だしの予定である。
個人が逆に会社の含み損のある物件を買い取ることで会社の含み損を
だしてしまう。これで向こう7年は税金を払う必要はなくなる。
この三年を含めると10年間は殆ど税金を払わないで済む?
このような知恵は誰も考えてくれない、自分で考えぬくしかない。
実際含み損を出しただけだが。
もっとも会社が利益出せればの話だが。

 「資本主義の本質は『ボッタクリ』」について考えてみる。
今のアメリカをみればよく解ることだ。
基軸の金融制度をつくって、ドルという紙切れで他国の資源を持ってくる。
そして、そのドルの価値を下げればよい。所詮は紙切れは紙切れである。
さらに勝手に格付け機関を作って、狙い定めた国の会社のランクを根こそぎ
下げておいて買い叩く。
また国債を日本などに半強制的に買わせる。
これも所詮紙切れである。
そしてドル安に持っていく。
これがボッタクリでなくて、何だというのだ。

税金もそうだ、会社から国がボッタクッテいるのだ。
取られている方は、全くそのことに気が付いていない。
ところでこの著者は新潟県上越市の税理士と先日新聞に載っていた。
地方発というのが面白い。

一億か! それも個人預金が。
ーーーーー
岡本 吏郎 (著)
出版社/著者からの内容紹介

10年間、多くの経営を見てきた私が、「会社が本当にお金を残すには
どうしたらよいか」を1冊の書籍にまとめました。
現在、経営をされている方はもちろん、起業を望む方やサラリーマン
の方にもきっと役立つ内容です。

最終章で数ページに精神論が出てきますが、基本的に技術論です。
精神論でお金が貯まるほど世の中甘くありません。
それが一番言いたかったことです。
  この本であなたがわかることは、
・裏帳簿は絶対必要!その理由と作り方
・決算書の数字はまったく意味がない理由
・経営をするうえで知らない人が多い、たった一つの数字
・これに逆らったらお金は貯まらない「ビジネス万有引力の法則」
・間違った節約、正しい節約
・あなたの稼いだお金の本当の価値
・お金を減らさない逆転発想
・資本主義の正体を知れば行動も変わる  などなど盛りだくさん。

・・・・・・
2003年01月18日(土)
650, 債務返済年数

最近この言葉が新聞や本などでよく見かけるようになった。
会社の利益などや償却での現金収支の額が返済に充てると
仮定して債務完済まで何年かかるかをいう。
ー総借り入れをキャッシュフローの金額で割った数字をいう。

当社は今のところ12年である。
装置産業の当社として、無借金と同じ状態が8〜10年であるから
あと2~3年でその状態になる。
といって大きい事件がおきて、日本の総生産が2〜3割ダウン、
利益がマイナスになれば、一挙に20〜30年になる可能性がある。

地銀などの「審査能力の崩壊をきたしているところが、
ただ審査基準を当てはめている」のが今の日本の状態である。
当方も危ない会社にされかけたが、貸しはがしの陰湿な口実
だったかもしれない。

今朝の日経新聞に「過剰債務、中小が深刻」と書いてあった。
大手で平均12年に対して、29年という。
深刻なすうじである。

他人事でないのが経営である。
新幹線にテロなどがあったら、売り上げが激減する。
小説といっていられない北朝鮮が控えている。

あと2~3年でかなりの減量感が出るが、
今の日本も似た状態だ。
本格的な倒産の嵐を耐えねばならない。

・・・・・・・・・
  2002年01月18日(金)
304、パソコンの機能と実感−1

パソコンの機能と実感
これには無限に近い機能?が入っている。

ワープロ、電卓、辞書、写真現像機能、名簿、TV、CD、世界中の
情報を検索できる図書館、情報発信機能ーホームペイジ機能、印刷機、
手帳、ポストイット、ゲームなどあげれば数かぎりない。

万能機械といってよいほど機能が入っている。
10年前の数億円相等のコンピューターの能力が入っている。
これが10万そこそこで買えるのだ。
これを使うかどうかが、仕事だけでなく人生にかかってくるといってよい。

やっとその数百分の一を知っただけだ。これを使って何をすればよいか、
徹底的に考えられるかどうかが,これからの鍵になる。

この一年でやっと人並みに近づいた。
この一年で全く違う世界に一歩足を踏み入れた。
ブラインドタッチを少し出来掛けてきた。
やっと門に入り、その通路を歩き出した感覚だ。

メールも抵抗なくできるようになった。
飛躍的に自分が変化しているのが解る。
デジタルカメラの写真もあまり抵抗なく、やっとホームページに貼れるよう
になった。それでも圧縮を抵抗なくする為に時間がかかる。

本も抵抗なくWeb上で買えるようになったのも最近だ。

・・・・・・・・
1月18日 1969年

9時半目覚める。
二日酔いもよいところだ。
やっと起きて、横浜さんのところを出る。

直接学校へ行く。
田島と学食でばったり出会う。
昨日はゼミに出てこなかった。
彼が言うには卒論を出せなかったということで、ゼミを辞めたと言う。
二日酔いもあってか、怒りが出る。
卑怯だと彼を責めたてる。

また反省をしてしまったが、私がいう問題ではなく彼自身の問題である。
でも寂しいのは事実である。今まで一緒にやってきたのに!
あと一歩のところで何をしているのかと思うのは当然だろう。
一番人間として信じていたのに。
時々ハッとする言葉を投げかけていたのに。
最後は挫折なのか。
そういう姿も羨ましいところもある。
見習うべきなのかもしれない、満足のいかない中途半端な卒論を出すより
ズット良いかもしれない。

その後、産関論の欠席届を出して、川崎と待ちあわせで来るのを待っていると
クラブの高杉と出会う。
高杉とも、如何いうわけか気が合う。
留年などして苦労しているからだろう。
30分ほど今後の進路のことなど話をする。
その後、川崎と喫茶店に行き話をする。
彼は彼のペースで相変わらずいる。
彼は自分の思ったとおりに生きているのが特徴である。
本当にこの学校に入って良かったと思う。
人間性が豊かの人が多いのだ。

寮に帰り、またTVで東大の安田講堂の立て篭もりの攻防を
放映していた。彼等の行動は現実には全く理解できるものではない、
といって、あそこまで駆り立てる何かがあるはずである。
彼らが見ている社会矛盾をもっと見るべきであるが。
その矛盾の中にこれから入っていくのだ。


2115, だと!

2007年01月17日(水)

              ○┓

『    だと!』
《     》
 
     『  んで!』
     《     》

『 で、どうした!』
《     》

     『 で、どうする?』
     《     》

『 うんで?』
《     》

     『 あふぉか!』
     《     》

『 フニャ!》
《     》

     『 うんだ、うんだ!』
     《     》

『ま、いいか!』
《     》
  
     『     』
     《・・・・・》

『  ! 』
《  ?    』

  『   。   』
 《   ・   》

         ( ゚∀゚)ノ
 ・・・・・・・・
2006年01月17日(火)
1750, おひとりさま
     (*^o^*)オ (*^O^*)ハ (*^。^*)ヨー!!

先日、TVで『おひとりさま』というテーマで
女性の一人の食事や音楽会の参加について取りあげていた。
女性といえば、つねに誰かと二人以上で行動するのが常だが、
最近になって、ひとりで行動するスタイルが
格好よいとされる風潮になってきている。
                    お茶どうぞ ( ^-^)_且~~~             
         「おひとりさま」のスタイルといえば、
         映画やリサイタル一人で観たあと
         ぶらりと店に入りワインかコーヒーを飲みながら食事……。
         大人の女性としての一人の時間を楽しむことである。
         背景にはキャリアウーマンの出現が背景にある。
時には一人で旅行に出て、ジックリと孤独の時間を味わう
スタイルを身につけること。
ひとりの時間を楽しめる人間こそ、
「おひとりさま」であり、しっかりした個を確立してこそ
他人との関係も良好になる。
         自然態で自分と向かい孤独を楽しめる人こそ
         「ひとり」の世界を確立できる。
       
      自己の確立がしっかりしているとは
        1「個」の確立ができていること
        2 他人の個を認めることができる
        3 独り遊びができること
        4 知的裏付けをもっている である。
都会住まいをすると初めに直面する問題が
男女を問わず『おひとり』の生活である。
三食の食事などの生活を自分で考え組み立てなくてはならない。
そして家族から離れた寂しさのコントロールである。
このバランスを崩して変質行為にはしる輩もいる。
        その中で初めて直面する問題が外食である。
        学生時代に、初めて蕎麦屋に入って食べた
        カレーライスの味が今でも忘れられない。
        そのような日々の中から、
        知己が一人一人出来てくる。
親しく十数年、古町などを飲み歩いた社長(故人)が、
「実をいうと誰にもいえない秘密がある。      (^。^ゞ
この歳になっても一人で新規の飲食店に飛び込めない」
という。粋な玄人の遊び人がである。      
        訓練の結果か、店の開拓が好きになってしまった。
        飛び込んで一人「一見(限)」でカウンターに座った緊張感が
        なんともいえない。
        この味を知ってしまうとコントロールがきかなくなる。
        酒量を減らすために、最近は一切やめてしまった。

「おひとりさま」で、(十年は経つが)
家内から聞いたおもろい話を思い出した。
長岡駅裏にあるホテルのレストランでコーヒーを飲んでいたら。
一人の中年女性が小さな花束をもって入ってきてコーヒーを飲み始めた。
そして持ってきた花束をグラスに入れて嬉しそうに眺めていたという。             
              |||||/(-_・;)\||||||| まじ〜〜?        
        周囲の人が全員変な目でみているので、小さな声で
       「あの女の人は、いつもああしているのですか?」
        と聞いたところ
       「ええ、時々来て同じことをしているのですが、
        周りから同じ質問をされて困っています。
        まさか、やめて下さいとも言えないし」と迷惑顔。
        全然、それが似合わない仕草で異様な感じという。
                      (/o\)ハズカシ(*^^*)
何かの本でヒントをえて一人で楽しんでいるようだという。
「本人が楽しければ良いんじゃないか!」というと、
「いや公衆の目の前で、何か素敵!と思えるなら良いが、
見ているほうが気恥ずかしい思いをするのはチョッとね」
という他愛のない話である。
知性を持ってこそ「おひとりさま」である。
               ・・・・~~~ヽ(^▽^)))さいなら!
・・・・・・・
2005年01月17日(月)
1385, ラムセス2世

「たけしのエジプトミステリー掘
  ー古代エジプト最強の王ー  の録画を先日みた。

10年近く前にエジプトに行った時に、初めてラムセス2世の存在を知った。
現地添乗員が「日本では、クレオパトラが有名だが、欧州ではラムネス2世の方が
段違いに有名である」と説明をしたが、なるほど彼の遺跡の多さには驚いた。

この番組は、タケシと吉村作治と女レポーターの対談方式で進行していた。
ラムセス2世と古代エジプトを、もっと知りたいと思っていたので
丁度よいタイミングであった。

ーまずラムセス2世の概略をみるとー
・第19王朝のファラオで、紀元前1304年〜紀元前1237年まで、67年間エジプトを支配。
 紀元前1295年頃、シリアのヒッタイトと戦い、決着がつかず、
 世界最初の国際的な和平条約を結んだ。
 そして後にヒッタイトの王女を妃に迎えた。
・後半の治世は内政に力を注ぎ、神殿建築等の事業を起こした。
・100歳近くまで生き、多くの女性との間に100人以上の子供がいた。
・彼は大規模な建造物を数多く建てたが,
 中でもアブ・シンベル大神殿が特に有名である。
・数の上では最も多くのオベリスクを建てたファラオとされ,
 実際8本のオベリスクが現存している。
 彼が建てたオベリスクは比較的小さなものが多いが,
 ルクソール神殿第1塔門前の一対のオベリスクは非常に大きいもので,
 エジプトに残るオベリスクの中では「ハトシェプスト女王オベリスク」
 に次いで二番目に大きなオベリスクです。
 本来ペアであるべきものが欠け,いまや1本しかない。
・最後はミイラとなって王家の谷に葬られた。
 しかし、彼の遺体は墓泥棒たちによって、本来の墓所から運びだされた。
 墓泥棒の隠し場所である共同墓所に、
 セティ1世、
 アメンヘテプ1世、
 トトメス3世
 などの他のファラオたちのミイラとともに、隠されていた。
 1881年に、この隠し場所が発見され、
 現在、カイロのエジプト博物館に展示してある。

ラムセス兇離潺ぅ蕕蓮∋犖3000年の時が経たあとも、その表情はリアルで、
強い意思が感じ取れる。
彼の生涯で私が最も強くひかれたのは、彼を偉大なファラオに押し上げた
王妃ネフェルタリの存在である。
歴史が男を動かし、その男を女が動かす。
3300年以上も昔の2人の愛が巨像やレリーフとなって永遠に地上に
残されていることだ。
ネフェルタリの愛が、そのまま遺跡を巡っていると感じ取れるのだ。

私が知る限り、一個人が数千年の時間を越えて、
直接これだけ訴えかけてくるのは、彼以外見当たらない。
まさか博物館で万人の目に触れるように展示されるとは
夢にだに思わなかっただろう。
自己顕示欲が強かっただけに、本人も本望だろう。

遺跡は、直接当時の世界がリアルに感じ取れるのがよい。
以前書いたエジプト紀行をコピーしておきます。

------
H0805
エジプト、トルコ感激の旅  ーエジプト編ー 

まさにタイム・スリップして数千年前の古代を旅している日々であった。
まず最初に訪ねたのが
「カルナック神殿」であった。
“まさしく驚愕!”
直径が二mの石の大列柱が百数十本並ぶ神殿。
これが三千数百年に本当に!周辺の王侯貴族を驚かす為に造られたというが、
今まさに自分が、目を丸くして驚いているのだ。

歴史が私という小さな存在を見下ろしているのだ。
日本ではまだ縄文の時代、これを造りあげた高度の技術があったのだ。
そして壁に刻みこまれたレリーフ、古代文字、現地のまだ若い日本人女性ガイドの
熱心な説明も手伝って古代文明の世界にタイムスリップした気分になってしまった。
そらに天を指すオペリスクとラムセス鏡い覆匹硫Δ篆世料の数々。
今まで何度か海外旅行をしていながら、
何故ここにもっと早く来なかったのだろうか?と考えてしまったほどだ。
 
次に行った「王家の谷」。
ここは何代の王様の墓が、かくれるように数々掘られている集団墓地だ。
この中で英国の考古学者カーターの執念でつきとめられたツタンカーメンの
墓室にも入ってみた。
また、夕日の長い影を落としていたハトシェプスト女王の壮麗な葬祭殿と
そこにやはり刻まれていたレリーフの数々。
その帰りにたちよったネクロポリスの麗に立つメムノンの二体の巨像の神秘的な
光景も印象的であった。
 
その翌日行ったアブジンベルの大神殿、小神殿、のラムセス凝の巨大な立像。
実際そこに立ってみて古代歴史の深さを実感する事ができた。
またアスワンのナイル川で乗ったのんびりした“ファルーカ”という
小さな帆かけ舟の夕日の中での“ひととき”も、一瞬の中に永遠を感じる事が
できるようだった。

旅の後半になってカイロに入ったが、
ナポレオンが言ったという“四千年が諸君を見下ろしている!”
というまさに異様なイスラム社会が大きなカルチャーショックになった。
丁度、ラマダン(一ケ月間の日の出から日の入りの断食の行)という事もあり、
異様さがさらに目立ち、我々日本人は西欧社会に感化されているのが、
逆に対比する事ができた。

早朝、街中とどろくアラーラの祈りのスピーカーの音も異様そのものだった。
我々の目からみると、接するエジプト人全員が金に特に汚い詐欺師そのもの、
“騙すより騙されるのが悪い!”“車は轢かれるほうが悪い!”とか、
それがイスラム教という。

カイロ郊外にある二百五十万個の巨石を積みあげた「クス王のピラミッド」
も本当にすばらしいの一言。
考古博物館のツタンカーメンの黄金のマスクと財宝をみた瞬間、
ゾクゾク身ぶるいをしてしまった。

まだ今にも起きあがりそうな「ラムネス供廚鬚呂犬瓩箸垢
数々のミイラも数千年をこえて不死への激しい希求を魂に
かたりかけてくるようであった。

・・・・・・
2004年01月17日(土)
1018, 「会社にお金が残らない本当の理由」 −1
ー読書日記

 紀伊国屋で、この本の帯につられて買ったがナカナカ面白い。
タイトルは−93・7佑硫饉劼10年以内に潰れるー攻めるだけでは
会社は10年続かないーである。
「初めに」の出しからして刺激的な文章である。
ー「まずはキャッシュで一億を作る。」
社員5名ほどの中小企業‥とか零細企業に私が最初に言う目標である。
「零細企業にそんなことができるか?」と思うかもしれません。
しかし、会社経営をしているなら、当たり前です。

現在日本には一億の預金を持つ人は108万人います。
総世帯4700万ですから全体の2.3佑任后
50世帯に一世帯が一億を持っているのです。
実際の中小企業やその社長はどうでしょうか。
資金繰りに追われているところが大半です。
何故こうなったのでしょうか?
それはほんのチョッとした差から生じています。
そのチョッとした差が生死を分けてしまいます。

・・・普通の経営者は、経営の背後になっているシステムが分らないのです。
 ーとのっけから読み手を引きつけていく。
  
 ー印象に残ったところを抜粋してみるとー
・資本主義社会そのものがボッタリの本質をもっている。
・今の日本の税制は「かっぱらい」である。
 「取りやすいところからとる!」が結論である。
・決算上の利益とは、実態とは違った税金を取るための数字でしかない。
 その粉飾決算の利益を経営者も税理士も会計士も信じきっている。
 税理士や会計士は無知もいいところ。
 ゾンビを生んでいる日本の税制に気がつかない。
 設備投資の耐用年数は実態とかけ離れている。
 その数字のおかげで、ありもしない利益を計上させられ、
 税金をボッタクラレている。
・自宅の名義は奥さんにしておくべきだ。
・「車」と「家」と「保険」を、おさえておけばお金は残る。
 ーこの詳細がナカナカ面白い
・社長で「いい人」ほど儲かってない。
 一般常識の世界で生きているからだ。
 ロータリークラブとか・・・
 それとは別の独自の指標が必要だということが分ってない。
・中小企業ー零細企業の報酬の内訳は「役員20諭⊆勸30諭
 但し役員報酬は合法的裏金で実質的に会社の金と割り切ること。
 内部留保金と未来投資資金として割り切ること
・裏帳簿の勧め・・・・
・戦略3つ,戦術7つ
・ローリスクだからこそハイリターンを得ることができる。
 リスクは極力かけるな!ローリスクは本業の中にしかない。
ー以上が印象に残った内容だ。
               ーつづく
・・・・・・・
2003年01月17日(金)
649, 損切り

ある経営セミナーの案内のパンフレットが送ってきた。
題目が 「会社と個人の資産防衛策」
副題が ーいま「損切り」してこそ新しいチャンスがつかめるー
その内容がなかなか面白い。
このパンフレットに殆ど90佑含まれている?

ーその概要を書くと以下のとおりであるー
・大清算時代ー含み損を吐き出してしまえ!

・個人も会社も、いまは「損切り」をしないと生き残れない。
 いまは有事の時、平時の常識を捨てなさい。
 −不採算部門の切捨て
 −不良資産の切捨て
 −不良幹部ーヘドロの切捨て
 ー倒産を恐れるな
・不動産は「短期の流動資産」と考えよ、決め手は利回り
 −まだまだ不動産の大放出が続くと思え
 −より安全で、より高利回りのものに切り替えよ
・銀行取引の全面見直し
 社長は先手を打って資産を守るべし
 ー次は地銀・第二地銀・信金・・・金融機関の大編成が始まる。
   −貸してくれない銀行には返さないこと。
   −手元流動性資金の確保が絶対に必要
   −絶対に応じるなー追加担保と追加保証人
   −担保に入っている社長個人の不動産を会社に売却
・5年先を読むと先手必勝である。
 −国債の暴落から始まる大マネー戦争になる。
 その結果金利上昇・円安そしてハイパーインフレ・・
 −不動産の金融商品化が本格的に始まる。
 −円資産だけでは危ない時代。
  ゴールド・円でドル建て預金
 −事業こそ最大の資産だ。
  その事業を良くしておく事
  それはデフレに勝ている事業だ。
・・・以上がその内容である・・・
「処分すべきは処分をして、徹底的にスリムな体質にすべきだ」という事だ。
去年から、個人の事業用資産を会社に譲渡して損だしのプロセスに入った。
次に、会社のデフレからきた損だしのプロセスに入るが?
ここで思い切ってやらねばならない時期が来たようだ。

体力あるうちに先手を打ってやるべしということだ。
先行きはもっと悪くなるのは自明のことだ。
こういう時代は知恵を絞って乗り切るしかない。
この数年は負け組みの最後の整理が控えている。

・・・・・・・ 
2002年01月17日(木)
303、事業と難関

事業を始めると、必ずといっていいほど「身辺」に
思いもよらない何かが起こる。それと当然「事業そのもの」にも、
想定以外のことがおこる。

必ず難関が次から次に起こってくる。回を重ねるうちに、
そういうものだと割り切れるようなった。
そしてかなりの極限に追い詰められた時、
「これが今回の丁度ピークのそれ」
と冷静に受けとめれるようになった。

そしてその二つが重なってくることが多い。
しかし経験とは凄いものである、それが勘で解る。
ここを踏ん張っていると次の展開が出て来ると解ってくる。
従っていつの間にか、その感覚がゲーム的になる。

難関を一つずつ乗り越えていくのが逆に面白くなってくる。
それは付き物である。これが一波、これが二波、これが三波と、
そして「これが今回の一番の大波」?
とうけながら冷静に対処していく。

一番の大波と感じた時は、これが自分の限界点に近いことがある。
しかしこれ以上の波はないのも解る。
それが仕事というものだ。
人生もそうか!

初めて事業を興した時、全ての問題がはき出た。
「そういうもの」ということが解らなかった。気持ちに余裕はなかった。
しかし、親戚の同じ歳のナショナルに勤めていた人が遊びに来て、
帰りにボロボロの姿を見て、
「羨ましい!」といった一言が自分を支えてくれた。

その人は今かなり出世をしたとか聞いている。
その人の弟の葬式に7〜8年前出会ったとき、
「私は自己採点は80点だが、
貴方はいくつか?」と聞いたら、
「93点」と言っていた。
人事系の仕事だから冷静な点数と思う。

・・・・・・・・・・
ー1月17日 1968年
午後一時にゼミに出席する。
今までのゼミの反省と総括をする。
私の意見は
「週2日を週一回にしたのが問題ではなかったのか?」
であった。全体的に同調されたようだった。
石川君と私の卒論の発表会的なところもあった。

その後ゼミの連中と飲みに行く。
「嵯峨」から飲み始める。
下落合の助手の横浜さんの下宿の近くまで、
17時から翌朝の5時まで12時間も飲みまわる。
その後数人で横浜さんの部屋で泊まる。

石川には、「その仮面を剥げ!」とかなりの言ってしまった。
彼も私を辛辣に批判をする。私のほうが過激であった。
あとで謝らなくては!
言いたいことを言ったあとで自己矛盾がおこる。
 自分が解らなくなってしまう!


2114, セレブ殺人事件ーロスト・ジェネレーション

2007年01月16日(火)

             b(^o^)dおっ W(^O^)Wはようー♪
    
    現在を象徴する事件として多くの意味が含まれている事件である。
    正月から朝日新聞で、この事件を予告するような
   「ロスト・ジェネレーション」をシリーズで連載していた。
    
    二人の息子も、この世代であるので興味をもって読んだが、
    セレブ殺人事件の二人は同世代である。

 ロスト・ジェネレーションとは、
バブル崩壊後の就職氷河期「失われた10年」に社会に出た、
25歳〜35歳(2007年現在:1970年代生まれ)の世代を指す言葉として、
朝日新聞が定義した。この世代は非正規雇用が増え、賃金格差が広がった世代。
朝日新聞で元旦から、一面でこの10年の世代を扱っているが、
彼らは自分探し世代、仮面世代、世直し世代などと言われている。
(元々、このロスト・ジェネレーションとは第一次大戦への従軍体験から、
 戦後、社会のあらゆる既成概念に疑念を示し、虚無的傾向のうちに新たな生き方を
 追求した米国の作家の一群。ヘミングウェイ、ドス=パソス、フィッツジェラルドら。
 女流小説家G=スタインの命名である。)

    このシリーズでは、彼らの恵まれてない事例を幾つか取り上げている。
   《*食べてゆく為に、悪徳リフォーム会社に夜中の2時まで営業に回れと言われ、
    一週間取引がないと、殴られる。最低賃金10万、成績が良いと100万の月給。
    成果主義だった。
    *派遣先で自分が休んでも仕事に問題ない。
    単調な仕事のなか、自分が必要にされていないと悩み転職を繰り返し、今、
    日本語教師として、韓国に、その前はベトナムにと、自分探しは続いている。
    *就職は新卒での内定がほとんど。いまや、人気企業の倍率は1/1000 。
    作業的な工場は、中国、韓国、などが拠点となりロボットの発展にともなって、
    従業員は減っている時代。残業代もサービスが多く、
    厳しい現実と向き合わなければならない。等々》

セレブ殺人事件の二人の特徴といえば
・セレブといわれる勝ち組であり、この世代では恵まれている。
(被害者は自らを日本で100人の指に入る勝ち組と自認)
・二人からは、人間としての深さを全く感じとることができない、
 成金のピカピカ ーメッキの薄さが目に見えている。
現代の理想像という風潮があるが、それを見事に叩き壊してくれたのが、
この事件であり、大きな問題提起を起こしてくれたといえる。

    ライブドアの堀江や、村上ファンドの村上の挫折に似ている。
    しかし結婚の当たり外れは五分五分。
    この事件はたまたま外れのケースでしかないともいえるが。
    二人とも地方の出身で、大学も1・2流どころで、
    現代社会の表層の世界しか見えなかった背景も見逃すことができない。
    
 コンクリート・ジャングルの悲劇と言えばそれまでだが・・・
 まずは相手を認める訓練が必要である、それも連れ添いを!
 一番むずかしいことは、相手の話をジックリと聞くこと、
 そして、肯くこと、褒めること、そして微笑むこと。
 これ訓練で出きるのです・・・
    
    初歩的だがカーネギーの『人を動かす』あたりでも、
    読んでいれば良かったのに!もし読んでなかったら、
    何処の本屋でも売っているから、基本中の基本が書いてある。
    この一割でも実行していたらまず、この悲劇はなかった!!
      いや、相性もあるか、合わないのは合わないか!
     これはどうしようもないこと!
     合コンで知り合って三ヶ月じゃ、無理無理、見極めるのは!
     あんな男、同性でも虫唾がはしる!のに。
     好みも、それぞれだから、これも何ともいえない。
    
   で、どうした!(何をいいたい!)
 アファな結婚前の男・女諸君、結婚だけはよーく考えて!
 そのヒントは、互いの両親の仲の良し悪しにあるのです!
 ということをいいたかっただけ。
 少し違った、都会のセレブの成りそこない批判でした。
     
    
            (o ・д・)ツ  バイ!
 ・・・・・・・・
2006年01月16日(月)
1749, 心のままに生きてごらん−3
               (゚Д゚*)ノ⌒【おはよう】
鳥はよけいなものを背おわない。
だから、とべるんだよね。            −87

          過去は記憶のなかにしかない。
          記憶はあくまであたまのはたらきで、
          あたまはきりかえがきくから、
          過去も自分でかえられる。  −91

ほんのすこし時間をさくだけで、
よろこんでくれるひとがどれだけいることか。
それなら、それをいとわないこと。        −96

          死にもいろいろと いいことがあるのに、
          ほとんどのひとが わかっていない。
          ということは、この、唯一たしかなことに
          ほとんどのひとが目をむけてないんだ。 
                         −97
    ~~~~~ヾ(* ̄▽)_旦~~オチャドーゾォー♪

なんでも できないひとなんていない。
みんなできる。
すこしはできる。
なにかはできる。                −104
          思うようにならないと
          他人のせいにするのは、
          まちがった列車に乗って、
          列車のせいにするようなもの。 −109

ひとの期待にこたえようとして生きるのは ひとの服をきるようなもの
・・・・・そもそもサイズがあわないし、 色やがらもしっくりこない。       
                         −116
          わすれちゃいけない
          ーみんなせいいっぱいやっている。 −118
          ((≧(≧∇(≧∇≦(≧∇≦)≧∇≦)∇≦)≦)))
おもしろくないのは
あたりまえのきりかえをいやがっているから。    −125

          復讐はみずから苦痛をもとめる行為。−131
             sosi sosi!!o┤*`□´ *├o sosi sosi!!

孤独はこの世でいちばんありふれた病気。
そして、いちばん理解されていない病気でもある。   −134

          なんでも悪いのは他人と考えるひともいれば
          なんでも悪いのは自分と考えるひともいて、
          何も悪くないと考えるひともいる。 ー139
      (*´・ω・`)(*´-ω-`)(*´・ω・`)(*´-ω-`)ウンウン♪
モチモノにはご用心。
ツキモノにかわることがあるから。          −145

         おちこんでいるときに問題に目を向けるのは、
         おなじ世界を針の穴からのぞくようなもの。−146
         
人間も牛のむれもおなじ。
てんでばらばらに見えるけど、
少し上からはなれて見れば、
みなおなじ方向へ向かっている。        −150

         おしえるのは他人にできても
         まなぶのはあなたにしかできない。 −152
                  (・ω・`メ)(-ω-`メ)ウ〜ン
                     ソウダ!
   ーーーーーーー                  
 「ひとの期待にこたえようとして生きるのは
   ひとの服をきるようなもの
   ・・・・・そもそもサイズがあわないし、
     色やがらもしっくりこない。 −116」
 
  一生気がつかない人がほとんどだろう。
  まだ人の期待にこたえようとして生きるだけましだが。
  それさえ意識しないで生きている人が多い?
  
  ところで親の期待は、どうなんだろうか。
  一番しばられる期待であるが。
  まずは親からの離脱が必要か?
  手と指の関係と同じで無理といえば無理と考えるか、
  それとは違うといえば全く違うのか。  
                  ☆~~ヾ・ェ・)o尸~ マタネ~♪  
 ・・・・・・・ 
2005年01月16日(日)
1384, 生きる2004〜森山良子コンサート

昨夜、何げなくTVの番組表を見ると
「生きる2004〜森山良子コンサート」があった。
森山良子のコンサートを学生時代に見に行ったこともあり、ジックリ見た。
加山雄三・さだまさし・平原綾香の4人がそれぞれの時間を受け持つもので、
彼女のワンマンショーではなかった。

誕生日に心に残る何かがないかと思っていたが、
これがメルクマールになった。かわいいものだが。
何げなく皇后の来賓席の姿を映し出していた。
そのためか、全員の歌に熱が入っていたようだ。

加山雄三と森山良子は、学生時代の思い出の歌手である。
さだまさしも心の歌をジックリ聞かせてくれるので好きである。
平原綾香の「ジュピター」も好きな曲である。

自分の誕生日の贈り物と勝手に思って聴いたが、部屋の電気を消して
真っ暗の中で聴いていると、実際の会場にいるようであった。
特に、森山良子の歌の全てが心に響く。
「今日の日はさようなら」は、学生時代の22歳の日記のバックミュージックに
ピッタリである。私にとっての青春の歌である。

また加山雄三の歌も一曲一曲が当時を思い出させてくれる。
昭和40年代は経済の高度成長期のよい時代だったということだ。
歌は時代背景を、そのまま反映する。
まあ誕生日に丁度よい番組みに当たったということだが、小市民そのものだ。

・・・・・・
2004年01月16日(金)
1017, 足の話−2

 前にも少し書いたが、野球のスカウトがまず注目するのは足である。
リトルリーグから大学を経て社会人になるまで観察し続けることもある。
まず足が速いこと、それによって体のバネや筋肉や関節の柔らかさが分る。

野球はランニングに始まり、ランニングで終わる。
大リーガーのスカウトは、特に足にうるさいという。
イチローや、二人の松井も脚力は並外れている。

 大相撲でも、入門をすると徹底的に下半身ー脚を鍛え上げる。
股割りから始まり、すり足、四股を教えていく。
そして、足指で土を掴まえるようになるまで足を鍛える。
本場所の相撲を見ていて、足に目があるのではないかと思うくらい微妙なところ
で俵の上で残ったりする。そこまで鍛え上げているからだろう。
 
足を辞書でひくと、
「体を支え移動させる機能。たとえば、動物の下肢、立ちまたは歩行の用をなすもの、
タコなどでは遊泳の用をなすもの」等が書いてある。 
 足といえば、「足が付く」「足が出る」「足を洗う」「足を引っ張る」
「勇み足」等々、慣用句にもなっているほどだ。
お金のことを「お足」とさえ言っている。これは、走るように去っていくという
意味がある。いずれにしても、自分の体を移動させる重要な機能である。

 ところで、足の代用として何が考えられるだろうか。
移動手段として見ると、まずは車である。
免許が無いのは、現代イザリとさえ言われている。
飛行機、船、列車などが考えられる。
このような移動手段の発達が人類の進歩に大きな役割を果たしている。

 海から生物が陸に上がってきて進化する過程で、移動手段としての足は
重要な機能となった。
鳥のように前足を羽に進化させて、空を飛ぶということで移動する生物もある。
また蛇のように一切足を持たない生物もある。逆に百足のようなものもある、
  
 ところで、今の乗り物の多くは生物の機能の真似から出来てきた。
車は馬、飛行機は鳥、潜水艦は魚等。しかし船だけは見あたらないというが。
それと自転車やオートバイなどの二輪車は何だろうか?

・・・・・・・・・
2003年01月16日(木)
648, 流通業界を考える

実家も勤務も前業も流通業界の出身の為か業界のウネリに興味がある。
一般小売店と地方百貨店はほぼ壊滅。その流れが都心の百貨店にきている。
そごう百貨店の倒産、西武流通グループの解体と西武百貨店の再生法。
東急もしかり。三越の不祥事の連続の事態。
これからは高島屋の隠れた問題が吹き出るはずである。

百貨店といっても、その実体は不動産業でしかない。
問屋とアパレル業やメーカーの場所貸しでしかない。
それに優勝劣敗の管理を加えている位だ。
当然、スーパーや大手専門チェーンに侵食される運命だった。

その勝ち組であったスーパーがおかしくなり始めた。
マイカル・長崎屋・九州の覇者の壽屋・ヤオハンの倒産である。
ダイエーは解体過程、西武流通グループは完全解体、西友は外資に
買収された。原因は多角化の失敗である。
アメリカのNO・1であったスーパーのKマートが去年倒産したが、
これはシアーズの生活総合業の真似によるエネルギーの分散の為である。

ダイエーは、野球やリクルートとホテルなどの多角化が本体のエネルギーを
そぎ落としてしまった。他もそうだっだ。
勝ち組と見られるヨーカ堂とジャスコは売り上げ経費率が25〜28佑發△蝓
近々大量出店を見込まれるウォールマートの16佑裡嫁楸瓩ぁ
10年後の流通図が、この数字に全て暗示されている。
この2つが合併しても16佑砲修落とす事は無理だ。

傍で見ている分には面白いが、これから始まる大競争時代を象徴している。
解体と再統合の繰り返しの始まりだ。
これは今の銀行の先行を明確に現しいている。
地銀以下レベルは40年前の日本の流通業に酷似している。
どう収れんされていくのか? 今年からその再編成が始まる。
これは日本の根底の再編成になる。

・・・・・・・・
2002年01月16日(水)
302、事前の一策は事後の百策に勝る

生きてきて、事業を通してつくづく感じる事である。
これは準備の大事さ、計画の大事さをいっている。
ビル計画の場合、出来上がった後「こうしておけばよかった、
ああしておけばよかった」ということが出てきても、その
修正に莫大の費用がかかってしまう。従ってアアでもないコウでもない
と仮説を立て、あらゆるケースを考え設計にエネルギーを叩き込む。

これ以上もう考えられないところまで、考え尽くす。
それをどこまでやれたかが、10年〜20年後に結果として出てくる。
宮大工は、自分が死んだ数百年後の修理のことまで十分意識して、
建物を造るという。数百年後の宮大工を意識して仕事をするという。

以前何かに書いたが、成功の言葉は「練り上げ成す」という。
事前の一策を練る事といえる。
一般にみていると、「事前の一策の戦略ミス」を「事後の戦術でカバーしている
プロセスを踏んでいる」ケースが多い。本人はその意識もないレベルだが。
他人事でないか?!事前の一策をどう打つか、立てるかがポイントになってくる。

それでは「それを十分に立てることが可能か?」もちろん「可能」である。
十分な情報収集とその分析に、時間とエネルギーをかけることである。
過去の自分の失敗事例と成功事例を振り返ると、ここに行き着く!
準備とは集中の要である。準備とはなんに集中するかを、
とことん突き詰める事だ。
計画中断も一策かもしれない。根本から数回やり直すことも、
必要だったらやるべきだ。やる前ならどうとでも修正できる。

結婚もそれがいえるかもしれない。以前は「足入れ婚」があったという。
数年住んだあとで、籍を入れる、ああそうか今は同棲という形か!

・・・・・・・・
1月16日  1969年

9時起床。
10時前に大学にいって卒論提出。
万歳!これで頭を痛めていた難問をクリアーする。
内容は満足のいく半分のできであった。
あれだけ努力をして、内容はこのレベルでしかない。
基礎ができてなかったのだろう。

あちこちの文章を切り抜いて、自分の言葉に言い換えただけでしかない。
そこに新しい視点を見つけることは不可能であった。
甘さといい加減さが、この内容が物語っている。
以前の自分はもっと自分に厳しかったはずなのにどういうことだろう。

そういえば今日試験があったのを知らなかった。
これをとらないと単位が取れないという。
欠席届を出して、後はどうなるか様子見である。
一つ大きな心配が増えた。
ゼミの河村と石川と外山と4人で研究室に行き、助手の横浜さんと話をする。

その後、寮に帰りTVをつけると、東大の校舎で反代々木系全学連が安田講堂に
たてこもって8千人の警察官と攻防を繰りひろげていた。まるで戦場である。
講堂の屋上からは火炎瓶、空からはヘリコプターが
三機もいて催リュウガスを撒いている。驚くばかりである。

駒村の部屋に行く。彼とは大きな距離を感じる。
その後風呂に行く。

その後部屋に帰ってくると、先輩の永田さんくる。
先日、飲みに行ったばかりだが、また彼と飲みにいく。
先日よりズット落ち込んでいた。
あれだけ強気であった人が、何があったのか弱気なのだ。
もう秘書は辞めて田舎に帰るとか、鼻ー蓄膿症ーが悪くてどうにもならないとか。

午前一時過ぎに帰って、就寝。


2113, あ〜もう、誕生日か〜

2007年01月15日(月)

                 ●        
    61歳ですか!._| ̄|   お陰さまで ○‖=‖_有難うございます!
                      (; ̄ー ̄A アセアセ・・・
    
例年、誕生日にほぼ、誕生日の実感を書いていた。
それを忘れていて、前の同日分を貼り付けようとして思い出し急遽、
これを書き出した次第である。
それにしても過去分の「誕生の実感」を読み返してみるのも楽しいものだ。
他人の誕生日は『ああそうか!』ぐらいしか思わないが、自分は感慨が深い?
読み返すと、それがよく解る。

   61歳?自分が自分でないような,認めたくないというより信じられないのが実感だ。
   この歳には、もっと老成していると思いきや、とんでもない!
   気持ちがドンドン若くなっていくのだ。
   それに加え、脳がアップスケールしていく。
   この随想日記を書き続けていることと、ネットサーフィンの効果もある。

それと、数年前から人や社会の見方が根底から変わってきた。
情報の質・量が圧倒的に増えて、脳の基幹が変わったこともあるが、
人生の競馬でいう直線コーナーに入ったこともあろう。
コペルニクス的な大転換である。
元々、世間・社会の価値を根こそぎ疑っていたが、それが更に転換した。

   人間の見方を例にとると、
   人間の品性をまず見るようになった。
   「国家の品格」という本がベストセラーになったが、
   人間の品位が年齢を重ねると、ますます見えるようになったきた。

そこで自分は品位はあるのだろうか?不安になってきた。
いつも家内に『品が無い!』と結婚以来いわれ続けてきた。
私の両親は間違いなく品位があったが、私がどうだろうか?と。
家内の両親も品位は充分あった。
じゃあ、どちらがあったかというと、まあここで書くことでないか!

   明日にでも、「品位について」を書くが、ある物指しからみて、
   何と信じられないことに、家内より私の方が品位が上?であった。
   その基準によるが、「目先の現象や価値観に左右されない」のが
   品位というらしい。それは明日書くとして・・・

結局、人生はゆったりと豊かな気持ちで、感謝して生きていれば、
それで充分ということだろう!
  「で、どうした!」
  「61だと!」
  「で、  」
  「今日は、のみに行こうか!」
 結局、このあたりに話が収まる。
 
       ホンジャ 歳を忘れるなよ!(o ・д・)ツ  バイ!

・・・・・・・・
2006年01月15日(日)
1748, あ~あ60歳!
        オハヨ〜━ヾ(*´∀`*)ノ━☆
今日で60歳になってしまった。(*´ェ`*)w(⌒_⌒; タラタラ
                ´ヘ`;)エヘへ・              
前にも書いたが、60歳を大きな到達点として、それ以降の全て前倒してきた?
ので、感慨がことさら深い! 成人式と同じく還暦は大きな区切りになる。
昨日は兄にカウントダウン?の還暦祝いをしてもらった。 
 明日は友人の数人にしてもらう。    ーヤキトリ(o´・ω・)_串 ♪
                ごきゅごきゅ(´c◇ゞぷはぁ(^o^)□
            オリャ ∪ヽ(●-`Д´-)ノ彡☆ もっと酒持ッテコーイ!
       σ(´~`*)ムシャムシャ(*´▽`)◇ゞ ゴクゴク(*´▽`*)=3ハアー ウメッ ♪         
去年の中学校同期還暦の会で、定年間近の同級生が
「人生60歳代が一番良いらしいな!」という言葉に『エッ!』と、驚いてしまった。
  サラリーマンの傍ら、自分のライフワークを持っていた人なら、そうかもしれないが。         何度も書いてきたが、人生を振り返ってみての実感は、
  1、とにかく恵まれていた。
    時代に、家庭(両親に家内に子供)に、先生に、そして事業に。
  2、ついていた。3、面白かった。4、悔いはない!である。
人間は考え行動した総体と、
 自分が生まれた両親と家族、
  そして自分の家庭、
   職業、趣味などの総体が自分を構成していると実感する。
   人生の7〜8割がた生きて最後の
     直線コースに一歩踏みこんだ日である。     
     少しは大人しくしなければ!
それにしても、毎年の誕生日の日記を読むと面白い!
 「自分でいて自分ではない独りの男がいる。」
  それにしても、考えていることは同じことの繰り返しでしかない。             
             ★:゜バイ〜*☆※>o( ̄▽ ̄*)>*
・・・・・・・・
2005年01月15日(土)
1383, 誕生日ーつれづれに

今日は私の誕生日である。
 59歳である。
  この歳になってしまった自分が信じられない。
  人生は短いという思いと、長く生きたものだという思いが交差している。
   気持ちは全く歳をとっていないのに自分でも驚いている。
   早くいえば馬鹿ということだろう。
    鏡を見れば歳相応の顔があるが、見慣れてしまったせいか
    その歳の自分に気がつかなくなっている。

1月15日は以前「成人の日」で祭日だったので、
 それも重ねて「自分の祭日」にしていた。
  しかし、数年前から日にちが変更になってしまった。
   以前は毎年1月15日にはNHK『青年の主張』を楽しみにしていた。
    色いろな世界を垣間見れるのがよかったが、最近はみなくなっていた。
    今年はまだ放映されていないが、どうしたのだろうか。
    学生時代の日記にも『青年の主張』の感想が書いてあった。

あと一年で還暦になる。
 以前は還暦というと大年寄りという感がしていたが、あと一年でなるのだ。
   最近は、歳をとることがあまり気にならなくなっているのも事実である。
   60歳以降の人生を、60歳前までに押し込んで生きてきたので、
   気持ちの中の充実感は強い。

昨夜は、一日早い誕生祝いをスナックでしてきた。
 以前は祭日だったので、一人でたまたま開いているスナックに
 飛び込むのを、楽しみにしていた。
  誕生日というと、祭日で暇なこともあり歓待をしてくれた。
  それが狙いなのだが。
 −−−
書き終えてから、数年前の随想日記を見ると、
 ほぼ同じ日記が書いてあった。
  毎年同じ感想というのも馬鹿みたいといえば馬鹿みたいなものだ。
  しかしメルクマールー道しるべーにはなっている。
  
・・・・・・・
2004年01月15日(木)
1016, 58歳の誕生日

 あと二年で還暦である。
  もうこの年になった!というのが実感である。
   60歳までに、60歳以降の余白を全て埋めてしまう生き方をしようと
   50歳の時、決心をした。
   「10年で30年分を生きる」が、それからのコンセプトになった。
    そして8年が経つ。
    実際のところ、そうしてきたかというと自信はないが、
    そう思って生きてきたことは事実である。
   「海外旅行を50回を60歳まで」にと目標としたのも、その一つである。

 この随想日記もその一つだ。
  60歳を過ぎてからというのが一般だが、約三年前1千を目標にして、
   昨年の暮れに達成した。
   言い残しておきたいことは殆ど書いてしまった感じだ。
   あと二年で730日分書けば?もういいだろう。

    父が58歳の時、私は中学二年生だった。
     その頃、50代後半は凄く年寄りに見えたものだ。
     恐らく若い人から見たら、そう見えるのだろう。

年齢を重ねると、マイナスだけでなくプラスも同じくらいあることも知った。
 若い時と違った充実をした日々を過ごせるのだ。
  経営をしていると、そう心休まる日はない?が、
  といって毎日の内容が濃い。

 この年齢の風景を見てみると、
  ・10〜15佑瞭欝蘋犬亡くなっている。
  ・私の両親の兄弟姉妹と連れ添いは9割以上亡くなっている。
    いとこは4割、兄姉は9人中4人亡くなった。
    従兄弟で現役で働いている人は一割もいない。
     兄姉で働いているのは、兄夫婦と私だけだ。
     同級生では、男では定年か廃業の直前の人が殆どだ。
     こんなものだろう。

 生老病死とは、よくいったものだ。
  生き、老い、病んで、死んでいくのだ。
   それを苦しみと捉えて解決法を説いたのが仏教だ。
    といって死ぬまでは生きているのだ。
     また楽しみは無限にある。
 「日々是好日」の意味の深さが解ってくる年代に入った。

・・・・・・
 2003年01月15日(水)
647, ハッピーバースデー
  おめでとう〜   *<( ・∀・)ノ□☆□ヽ(・∀・ )>*

ツアーで、ホテルのレストランで食事をしていると時おり人だかりができる。
 宿泊客の誕生日に、レストランのコックやボーイが全員集まって、
  ケーキに火をつけハピーバースデーの歌を歌っているのだ。
   小さいレストランの場合は全員が合唱をする。
    何とも心が和むひと時だ。
     そして本人がケーキを持って、各席に持って回って配るのだ。

キリスト教徒の誕生日に対する思い入れは、日本人と比べるとずっと強い。
 それはキリスト教の教えにある。
  神から頂いた生命の記念する日に、その場に居合わせた人は神の意思である。
   従って祝うほうも心からその人に祝福する。
    またケーキもその祝福として、お互い分け合う。
     与えるほうも貰うほうも目出度いのだ。
      あの暖い雰囲気には、キリスト教の教えの背景がある。

数年前までは1月15日は休日であった。
 その誕生日には一人で飲みに出ることにしていた。
  それも入った事のない店に飛び込む事にしていた。
   この日だけは家内は「一人休日に飲みに出ること」に文句を言わない。
    休日のために殆どの店が休んでいるが、飛び込みで入って誕生日で特別に
     飲みにきたと話すと歓待される!勿論それを狙っているのだが。
      これを年中行事にしていた。
       「その日が休日だから面白い」のであって、いまでは家に大人しく帰る?
        勿論今日も会社から貰ったケーキを持って!

誕生日ほど自分と第三者の差が大きい。
 子供の頃の家庭では「正月に一度に祝うのだから、誕生祝の必要はない」
  と一切やらなかった。
   勤めていたときや、以前の会社では朝礼で全員でハッピーバースデーの歌を
    歌いケーキを贈り、寄せ書きをしていた。
     今は会社でメールで祝いの文章をお互いに送ることにしている、
      それとケーキを。

 ・・・・・・・・・ 
 2002年01月15日(火)
 301、動物の不思議な世界−2

土手で散歩をしている時、ある家の玄関にいるゴールデンリトルバー
 の一歳ぐらいの犬と目が合った。

  思わず右手を上げて「ヨッ!」と挨拶をしたら、
   なんとその犬が右前足を挙げて挨拶?をかいしてきたのだ。
   「嘘だろう!」というのがその時の気持ちであった。

    翌日全く同じ状態で挨拶をしたが挨拶を返さなかった。
    そこで考えた、あれは「お手」の感覚で思わず手を出したのではないだろか?
    生きていると思わず、いろいろのことを経験する。
    でも傑作であった。

    中学の時、その当時飼っていた柴犬に悪戯で日本酒に砂糖を入れてなめさした。
   はあはあ口で息をはきだし尻尾を振りながら、
  よろよろと千鳥足で歩き出した。
  急に変なことを思い出した。

・・・・・・・
1月15日 1969年

 今日は学生時代最後の誕生日だ。
毎年この日にNHK「青年の主張」を必ず見ることにしている。
このよう見るのは最後だろう。
 内容と評価を、メモをしながらみた。
 
・北海道代表の武田(女)さんの主張 
 あまりハッキリした意志が感じられないー65点
・東北代表の清水さん
 働きながら夜間にいっている。自分をしっかり把握して真正面から
 自分を見つめられる人間になりたい −70点
・四国代表の中西さん(女)ー実習教官
 自分を温かく包んでくれる深い何かに感謝−80点
・東海代表の須田さん(女)
 女である自分の農業の立場 75点
・東京代表の守屋さん
 青春の喜びー無限と思われる未来の夢に対する生き方
  若さの代名詞は可能性  75点
・沖縄代表の宮城さん(女)
 沖縄県民の心情ー85点
・近畿 林さん 精薄施設の女指導員
 園児の美しい心の素晴らしさについてー75点
・関東代表の関谷さん
 自分1人で生きていく心構え 70点
・九州 河嶋(女)
 生活の為働かなくてはならない姉妹について
 老人対策など       90点
・中国代表の吉原さん
 非行少年の観察員の主張
 心が病んでいる少年達ー80点

 以上が私のつけた評価の点数である。
現実にドップリ使っているのだから、仕方がないがもっと
広い視野で自分を見下ろす目が必要ではないか。
可能性の追求をもっと見つめることが大事ではなかろうか。

 この目で自分を見つめ直すと、どうであろうか。
流通で生きると決めたのだ。そこで何を可能性として求めるべきだろうか。
そこで自分の基盤を深いものにしなくてはなるまい。
そこで自己建設をしていくことになる。
 
 ここで忘れてはならないのは、他人もそれをおこなっているということだ。
何故、そんなことをしなくてはならないか?
人間として生まれ、最後は死ぬ中で自分の生きた証を残す為である。
それが義務といってよいからだ。

その立場によって、それぞれが違って当然である。
私は今、そのスタートラインに立っている。
誕生日に毎年この番組を見るのが私にとってベストになった。


2112, 塩野七生が「日本の政治と政治家」を語る −2

2007年01月14日(日)

                才八∋ウ_〆(∀`●)
    ローマ帝国の歴史を熟知している欧米の政治家からみて、
    日本の政治家の演出があまりにも乏しくみえるのは解る。
    国家連合を1400年も維持してきた政治センスは一朝一夕で出切るものではないが。
    しかし、真似ることも、学ぶ事もできるはずである。
    また国家のために一身を投げ打つ覚悟が出来ているかどうかもある。

 −−−
 *民主主義の仕組みの中で、理想的な政治家は生まれるのでしょうか?
  果して民主主義は絶対的な善なのだろうか?
塩野:私は日本人に少し違和感を感じるのは「民主主義を信じすぎ」
 ということです。民主主義は万全でない、デマゴーグに左右されるのです。

 *政治家の粒が小さくなったと言われますが、どうですか?
塩野:それは政治家を使い捨ての存在だと思ってないからです。
 使い捨てだと思えば、その人の一番いいところがどこだと考えて使います。
 権力は「必要悪」でなくて、何かをやるために「必要」なのです。
 この頃の政治家は面白くないという議論は、20歳そこそこの若い女性が
 「この頃の男は面白くない」というのに似ています。

     *政治家は善人には出来ませんね
    塩野:安部のような旦那様にはできますがね。
    一度だけ小泉元首相会ったことがあります。
    彼は私が書いた「マキャヴェッリ語録」の最後の
   「天国に行くのに最も有効な方法は、地獄へ行く道を熟知することである」
    という言葉が一番好きだと言いました。
   「政治家は地獄へ行く道を熟知していて、国民を天国になるべく連れて行こうと
    するが、自分は地獄へ行ってしまうのですよ。大丈夫ですか」と言いました。
    私が好きでないのは、天国へ行く道ばかりいう人です。
    一歩間違えば地獄に行く可能性があるから我々は注意するのに、
    「天国にお手てつないで行きましょう」と言って、地獄を忘れさせてしまう。
                     ( ̄▽ ̄)■]~~~ 珈琲TIME♪
 *阿部首相は就任後、印象が変わった。
   首相を演じているように思えますが。
塩野:日本の政治家はTVの使い方が変だと思います。TVの前で話す時、
 カメラの前に何千万の人がいるいると考えるのではなく、
 たった一人のひとを相手にしている思えばよいのです。
 私は自分の本の読者は複数でなく単数と思っています。
 一人に分ってもらえればよいと思い書いている。
 そこを小泉さんは分っていた。
 一億を相手にしている思えば「俺は死んでもよい」なんていえますか。

     *文章や弁論でも、戦っていると迫力がありますね。
    塩野:ある政治家が「政治家は有権者のニーズをくみ上げて・・・」
    と言うから、私は、「有権者は自分のニーズをはっきり分ってない。 
    あなた方が喚起すればいい」と言ったのです。
    有権者が「そう言われればそうだ」と反応すれば勝ちである。
 
 ーーー
 文章も、演説も同じである。
 一人を相手に書く、自分に対して話しかけるのがポイントである。
 小泉は罰一で、阿部は「あの上さん」がいる。
 独りになる時間が圧倒的に少ないし、上さんにエネルギーを取られてしまう。
 小泉は、常に独りで自問自答している言葉で、効果的なものを言えばよい。
 その差が画面にそのまま現れている。
 
    日本は早急に大統領制を取り入れ七つ位の州に国家機能を分割して、
    思い切った改革をしないと、国家衰退を止めることができない。
    それと天皇制もあり方も、根本的に考えないと・・・
    
 厚生年金が最近まで世界トップの22万円だった。
 それが欧州の何カ国に追い抜かれ、30万円以上の国が出てきたというのだ。
 その鍵が、円がユーロに対し数年前の70数佑砲覆辰燭らである。
 国家が衰退していくということは、円の価値がドンドン下がっていくこと。
 日本人の力のある人は、チャンと先手を打って財産を海外に移動している。
  
 放置していた政治家と国民の責任であるが、国家が衰退するということは、
 一人一人の財産や、生活が衰弱していくということになる。
   まあ、先がそれほどあるわけではないからよいが・・・
               
                 ホンジャ \(^▽^*)バイ!
・・・・・・・・・ 
2006年01月14日(土)
1747,新潟駅・駅再開発が決定!
           オッハヨ〜
        (((。・-・)从(・-・。)・゜・。・゜゜・*:           
昨日、市役所に駅再開発の経過を聞きに行ったところ
「最終決定された!そして近々に公示。
  年度内(三月末)着工に向けて最終の詰めに入っている。」という。
    昨年末に市と県のそれぞれの審議会で、
    計画案が通ったという記事はHPで見たが、
    市役所で決定を直接聞いたので間違いだろう。 
 ( ̄ー ̄)ニヤリッ   (_ー_)逆ニヤリッ!!  ー ̄) ニヤッ
( ̄ー+ ̄)ニカッ! ( ̄ ̄▽ ̄ ̄) ニコッ ψ(`∇´)ψ うきょきょきょ

    当社にとって待ちに待った朗報である。        
    これから十数年は工事関係の長期滞在の宿泊が見込める上に、
    駅周辺の地価の下げ止まりと同時に、
   これまでの急激な値下がりの反動が見込める。
   着工前と、着工後というくらいの大きな断層になる。       
  新潟県下越の一極集中は新潟駅周辺になる。
  これで、とにかく「生存レベル」ではクリアする。

  当社にとって、4棟のホテルと200坪の駐車場が
 道路拡張など計画案のど真ん中に入っているので、この決定は大きい。
 いずれにしても再開発のプラスのエネルギーが当分つづくことになる。  
  年度内着工のおりには内祝である。 
          ^_^)/q□☆□p\(^_^ ) カンパァーイ            
               クゥーッ!!”(*>∀<)o(酒)" (酒)
・・・・・・・・
2005年01月14日(金)
1382, 23歳の日記ー8

ー9月01日 1969年
雲屯庵にきている。
学生時代にいた司法試験のため、一人きていた三条の高橋さんがいた。

新井石龍禅師と早速話しをする。
私「いや〜、世の中こんなに厳しいとは思ってもいませんでした!
理屈と実社会との隔離にただただ驚いています」
禅師「世の中は、変わりはしない。世の中が厳しいのではなく、
あなたの理屈が甘かっただけの話です。」
私「・・・・・」

その夜、休暇で日本に帰ってきていた慶応を出て、ハーバード大の
ビジネス・スクールの学生がいた。
彼と高橋さんと、そこの雲水と話をする。
ところが、その雲水が博学で、高橋さんと私はダンマリ。
ハーバードと雲水の議論に全くついていけないのだ。
どうしたのだろう?
禅師に昼間真っ二つに甘さを指摘され、夜は夜で二人の議論について
いけない自分が、そこにいるのだ。
何だろう、何だろう、何だろう!

実践としてスーパーに入ったが、何にもできない中途半端な自分が
いるし、実際のところ濁流の中でもう水を飲んでアップアップしている
だけの自分が、神戸の垂水に一人呆然としているだけだ。
どうしたのだ、どうしたのだ。
適当に真面目に考えることもないが。

ーーーー
2005年 ー1月14日記ー
ーこの時のショックは計り知れないものがあった。
身近で、これだけの知的水準の高い同年代ハーバード大の人と接したのは
初めての経験。会話さえついていけないのだ。
一言一言の言葉が宇宙語のようであった。
その逆の環境の真っ只中にいたから、その段差がなおのことあったのだろう。
「学生時代に自分は何をしてきたのだろう?」という、疑問を持ったまま
卒業をしたこともあり、「いま一度一人になって知識の再構築したい」
という気持ちが芽生えたキッカケになった。

司法試験をしていた高橋さんが三条市で弁護士になっていると、
その後聞いたことがある。
まだ会ってはないが、実直な無口な人であった。
懐かしい日々であった。

・・・・・・・・
2004年01月14日(水)
1015, 一人と独り

度々この言葉の書き方を迷うことが多い。
私の場合は、状況から「疎外感を持っている状態」を「独り」と書き、
数名の一人の場合を「一人」と書いていた。

独りは、独身や孤独などの置かれた状況をいい、
一人は、一が人についている状態で孤立とは違う。
したがって独りという言葉とは少し意味が違ってくる。
数字で言うと一人は「一」で、
独りは「ゼロ」ということか。

辞書で調べると
・ 独り ー単独、孤独「独りになりたい」
・一人 ー人数「息子が一人います」となっている。
状況と数の違いということだ。
凍りつくような独身生活と
青春を謳歌している独身生活とは
同じ独りでも、また意味が違ってくる。
老人の自殺は、凍りつくような独り生活に耐えられなくなるケースが多い。
生涯を通じて、自分独りの楽しみを創ってきたかどうかだ。
しかし連れ添いや子供を失った喪失感は、それでもカバーできない場合がある。
この随想日記も早朝、独り居間で書いている。
全く寂しいとか、辛くて書いてはいない。
どちらかというと面白い。
「独り」は「真我」といってよい。
自分の中心点の奥の「正一点中心無」といも言えるだろう。

以下はインターネットで調べた内容をコピーしました。
ーーーーーーーー
 「独りって…」
 
  ある人が言ってたよ。
  一人と独りは違うとね。
  私はその言葉にうなずくよ。
  私は独りだけど独りじゃない。
  私には、友達も仲間もお母さんもいる。
  でも、私は独りです。

  どんなに幸せな時間が流れても
  さっきまで、仲間と笑ってる時間があっても
  独りの寂しさはやってきます。
  人間、しょせん独りなんです。

 ・・・・・・・ 
 一人と独り

一人でいると
独りであることを
強く感じる時がある

二人でいても
独りだと感じたら

待っているのは
悲しい予感
・・・・・・・・・・

−ひとりでいるのは寂しくない?−
誰かに聞かれたことがあった。

「一人は寂しくなんかないよ。」
たしか俺はそう答えたはずだ・・・
でも
 ―――独りは怖い―――

心ではそう思ってはいたが、外に出すことはしなかった
出しても気付く人はいなかった
「一人」と「独り」の区別を知らない者・・・

彼らは幸せ

「独り」の寂しさを知らないから
「独り」になったことのない”幸せ”な人たち
”孤独”という単語は知っていても理解することは出来ない者達
そう彼らは知らない  知らないから”幸せ”でいれることを

けど
知ってても幸せになる方法を
教えてくれた人がいた

『一人は怖い?』
――怖くないよ。ただ嫌になるだけ――

『独りは嫌い?』
――嫌い――
『じゃ、一緒にいよう? だったら独りじゃないよ』
そういったのは誰だっけ?

・・・・・・
2003年01月14日(火)
646, 教育を考えてみた

昨日は成人式だった。少し硬い教育を考えてみよう。

過疎の学校の生徒の成績は普通の学校の生徒より
かなり落ちるという。
学校の統合や廃校で父兄が反対運動をするが、これは生徒の側から
見たらマイナスである。
常識的に考えれば、一人当たりの先生の比率が圧倒的に多い
過疎の方が成績が良くなってよいはずだ。
それが反対に悪くなるのはどういうことだろうか?
いろいろな問題が含まれている。

あまり管理が行届いて、子供の遊びや工夫の目を摘んでしまう事や
子供同士の動物的刺激が最小に済んでしまうからだろう。
小学校高学年から中学にかけての虐めや、ライバルとの闘いが意外と
人間性の基礎をつくっているのかもしれない。
多くの人間との接点の中より人間の基礎がつくられるのが
真実ということだろう。

小学校5年までにその人の能力の基礎は確定してしまっている。
そこのベースより抜け出せないともいう。
小学校や中学を見渡しても、大化けした同級生は全くいない。
逆はいくらでもいるが。

これからの時代は、今までのような学業の成績だけでは
判断されないから難しい。
自分で自分の特性を早く見つけて、自己育成を早い段階で積み上げなくてはならない。

昨日の成人式でノーベル賞をもらった小柴さんが
「やりたいことを見極めて」と言っていた。
「自分のやりたいことを見極めることは、そう簡単なことでない。
食わず嫌いせず、いろいろな事を自分で試してください」と。
もう遅いのか?最後のチャンスなのか?

「あなた何がしたいの?」とある若い人に聞いた。
「何にもない!ただ流されるまま生きていければよい。
 この時代何をしても上手くいくはずがない。時代が悪いのだ。」
 開いた口が塞がらなかった!でもこれが若い人の半分以上を
占めている感覚である。
大学を卒業しても就職口ない時代、自棄になるのは解らないでもないが。
そういえば地元の??
問屋の??2代目が同じことを言っていたのを
母から聞いた事を思い出した。
親父が「俺なら幾らでも創業のネタがあるが、ああなっては人生終わりだ」
という内容だった。

「人生どんな時でも前向きに切り開いていく能力」が教育の基本だが。
今の日本の中途半端の挫折がこういう雰囲気をつくっている。
最後は悲観的になったが、教育はすべての基本だ。

・・・・・・・・・・
2002年01月14日(月)
300、「心と合理化」

「合理的とは最小の資源で最大の効果を求めることである。
しかし心構えとして必要なことは、最大の努力で最小の効果である」

若いときに出会った言葉である。そして全てに対してその気持ちの構えで
とり組んできたー精神論もいいところだ。これは知る人ぞ知ることである。
意外とこれは落とし穴かもしれない。
それを可能とするのが、本当にそれが好きかという根本で決まってくる。

「好きと嫌いはどれほど違う、命ただやるほど違う」という都都逸があった。
好きなことをしての一生と、そうでない一生では天と地の位の差がある。

私の場合、事業と箱作りービル建設である。したがってこの30年、
全く苦労した感はない。周辺に波乱万丈の人生を生きてきたとかいう人がいるが、
それが何なんだとつくづく思う。
好きなことをやってきたという人生こそ大事なことだ、と信じていきてきた。
他人の批評は所詮他人の脳の歪みでしかない。

この前ベトナムに行ったとき、
定年直前のバスのドライバーが二人できていた。
本当に楽しそうに旅行を楽しんでいた!子供のとき自動車に憧れ、
大人になったらドライバーになると決めていた。
本当に夢がかなってよかったとシミジミ言っていた。

決して社会的に高いわけでないが、人生の後半にそれを言えることが最も
大事だと思うようになった。
心とはそういうものだ!

・・・・・・・・
1月14日 1969年

11時過ぎに起床。
食後、卒論の最後の仕上げだ。
16時に酒井君がくる。
佐藤の友人で早稲田の男で何か気が合う。
酒を買ってきて、佐藤と三人で飲む。
酒井君に「私は防御が強すぎる。そして直に針を出して、人から自分を
守ろうとする。如何でもよいことまでも突き詰めてしまうと。
自分をあまりに大事にしすぎだと。
もっと自分を下から見るべきである。

・「観念構成のために最もよい燃料は経験である。
 直接的な経験は一番上等な燃料になる。こういう経験はいつまでも
 身についてくるし、必要な時にはドンドンでてくる」
・「賢人の最も美しいあり方は、きわめて控えめな言葉を使って、
 きわめて強烈なことを言うことにある」
・「自分自身の考えを信じること、人知れず深く考え、自分にとって真理で
 あることは全ての人にとって・・・・・・


2111, セレブ殺人事件ー普通の人が一番恐い!

2007年01月13日(土)

        才八∋ウ_〆(∀`●)
    
    世の中どうなってるのだろうか?
    毎日のように凄惨な殺人事件が続いている。
    バラバラ事件のセレブ妻が逮捕される前の電話のやり取りを 
    TVで生々しく放映していたが・・。
    電話のやり取りは70分もわたっていたというが・・・
    犯人の奥様が新潟中央高校の裕福な出身で、お嬢様学校の白ゆり学園卒の
    セレブというから興味が倍増する。
    実家も「何処の誰か」が知れわたるから、針の筵だろう。
    苗字が旦那名だろうからよいが、地方は狭い社会である。

ところで年末に借りたDVDが「400万ドルを拾った三人が狂っていく物語」で、
なかなか面白い内容だったが、その最後のセリフが言いえて妙だった。 
 「普通の人が一番恐ろしい!」 
この事件も、まさに普通の人である。
夫婦間のことは二人しか知りえぬことがあるが、二人とも愛人がいたという。
新宿の歌舞伎町近くに、これ見よがしにバラバラの胴体を置くとは、
余程の憎しみがあったのだろう。

    この文章を書いている現在、TVで3人の暴力団に殴られた普段大人しい男が、
    逆上して、その3人を刺し殺してしまった事件を報じている。
    書いている内容そのもの「素人こそ恐ろしい!」である。
    暴力団のチンピラが殺したならわかるが、ド素人に殺されるのだからカタナシだ。 
    
    暴力団もオフレを出さないと、
    「素人衆には気をつけろ!」と・・・
    笑うに笑えない娑婆である。  
    
    「普通の人」といえば、嬰児の殺人事件が地元の長岡で発覚した。
    初めの調べでは37歳の母親が「多くの子供がいるので育てられない」
    という動機だったが、その後の調べでは、
    「夫の子供でないのが発覚するのが恐ろしいので殺した」という。
    複雑な家庭環境があったのか、それとも援助交際か何かの・・か?

15年位前の話になるが、知人の会社に勤めていた人が離婚した。
本人はそのため会社を辞めていったが・・・
「赤ちゃんが病気になり、血液検査で父親が違っていたのが判明した」のが原因という。
身近に「異次元の世界があるもの!」と驚いてしまった。

    今回の事件に話を戻すが、セレブのお嬢様?がバラバラにするなど、
    想像すら出来ない事件である。
    DVDやTVの映画などで、バラバラ殺人の映画など見慣れていて、
    追い詰められて殺してしまい、「既視感」からバラバラにしてしまうのだろう。
    玄人なら、こんな猟奇的なことをしないが?
    
    死体の一部が発見された時、初めは暴力団系の見せしめと思ったが、
    それは警察に対する挑戦にもなる。そんな無駄な事はしないだろう。
    仲間内でも警察に垂れ込まれる可能性もあるから、やるわけがない。

わざわざ歌舞伎町近くに「解体」した身体の一部を捨てた心理が、まだ理解できない。
コンクリート・ジャングルの住人の中の、ゾンビ化した団塊ジュニアの、
爆発現象の一端を垣間見た。
    
              さようならm(__)m ごきげんよう
 ・・・・・・
2006年01月13日(金)
1746,心のままに生きてごらん- 2   
    才ノヽ──d(∀`d*) ─(*b´∀)b──ヨ                 
                 ー読書日記

外見がかわれば なかみも かわるわけでもないけれど・・
・・なかみがかわれば 外見もかわる           −34

    苦労は彫刻家のノミのようなもの。
      えたいのしれない かたまりを けずり、
      なかにかくれていた傑作を うきぼりにする  −36

なにもかも、いや、愛のほかはなにもかも、
みな、かりものにすぎない、                −37
            (*・ω・)(*-ω-)(*・ω・)(*-ω-)ゥィゥィ♪   
    うしろむきに考えるひとは 考えることで人生をふりかえり、
     まえむきに考える人は  考えることで人生をきりひらく。   
                             −42
習慣とは、やめない意志のつよさをもつこと         −46

  未来の基盤は過去の記憶。
   いちばんいい記憶だけをつかわないと、上にたてた家は長もちをしない。                                    −48
        フ〜ム(*゚Д゚)φ))ナルホド!!
悲しみも  きているからあじわえる。           −50
  
  行動は考えにしたがい、
      考えはなんにもしたがわなくていいんだよ。   −53
 ~~~~ヾ(* ̄▽)_旦~~オチャドーゾォー♪
変化はまたチャンスがくるということだから・・・
                              −54
   不幸なら 幸福な人より
     うんと努力をしないといけないんだよ        ー58

ストレスはやすらぎにかてない!               −74

   しあわせを見つけようとするのは、犬が自分のしっぽを追かけるようなもの・・
     どうして、はじめからあるものを追かけるの?   
                              −75
写真は過去の記録 いちばんいいものだけがアルバムにならぶ。
記憶もそんなふうに整理しよう。               −77

   自分みたいに 自分のあらさがしばかりするひとがいたら、
       どう思う?                  −78
       
起こることは どうにもならないけれど
起こったことは どうにでもとれるよね。           −80

この本のよさは、短い文章の行間に 多くの思いと 愛情が溢れ出ているのがよい。
  そのうえに読者をして 考えさせるように空間をたっぷりとってある。
 「写真は過去の記録 いちばんいいものだけがアルバムにならぶ。
  記憶もそんなふうに整理しよう。」は、この随想日記そのものである。       
                 −つづく
     ヾ('-'*)バイバイ!!
     
・・・・・・・・
2005年01月13日(木)
1381, 現在、世界で何が起こっているのか? −2

ー自然環境的側面ー
中越地震も含めてインドネシア沖地震など
私にとっても生まれて初めての事件が続く。
学生時代、TVで、『環境破壊がこのまま続けば、30年後、50年後には
オゾン層の破壊や地球温暖化で、地球上は破滅状態になる』という番組をみた、
鮮明な記億がある。

その時、『何故解っているのに、誰も政治的に手を打たないのだろうか?』と、
素朴な疑問を持ったことがあった。
結局は、人間は自分の生きている時代のことしか考えないのだ。
それが人間の本質なのだろう。
そして、この様が「地球環境の破壊」からくる、この事態である。

一人の人間として、『地球環境の破壊』のことより、
自分のことに全てを考えてしまう、オゾマシイ存在が人間である。
この地球環境は更に、早かれ遅かれ徹底的に破壊される。
ならば、いま起こっていることを当たり前のことでしかない?
これが「現在、大気圏で起こっている自然現象」である。

これに中国の13億の民や、インド、旧ソ連の民が目覚め
石油などをドンドン使いだしはじめた。
更に絶望的な事態である。
地球上の生物にとって、人間は癌細胞そのものと言うのも肯けることだ。

・・・・・・
2004年01月13日(火)
1014, 足の話−1

 図書館の健康のコーナーを見ていたら「足」に関する本が多いのに驚いた。
手にとって読んでみると、ナカナカ面白い。
そこで「足は何のためにあるか」と「足の裏から見た体」を借りてきた。
速読で、印象に残ったところを中心に纏めてみた。

ーその前に足に対する私の知っている範囲の知識を書いてみる。
・相撲取りは足首を見ればよいと聞いたことがある。
 どんなに太っていても足首が締まってなければ三役にはなれない。
 それと土踏まずが広いことも大事と聞いていた。
 子供のときから、力士を見ていて間違いない。
 北の湖や大鵬や若の花など歴代の横綱は全てそうだ。
・また野球選手も、まず見るのは足であるという。
 早く走れるということは、全ての可能性を秘めているという。
・足は第二の心臓、常に刺激を与え続けなければならない。
  (風呂時には、念入りにマッサージを続けている)
・人間の老化はまず足より始まる。 
 足を若い時から鍛え続けておかなくてはならない。
  (一日1万4千歩を歩いている)

この本に書いてある内容を印象の強い順に書いてみる。
・人間の効き足は左足である。
 ー実験の結果、男女の放尿時には左足に重点がかかっているという。
 一番の自然の姿であるからだ。
 左足は、体全体のバランスを保つ機能を受け持ち、移動方向を定める。
 右足は、攻撃とかスピードをコントロールする。
 (前から、効き足はどちらであろうか素朴な疑問があったが、昨日初めて
 知った)
 ということは、一歩踏み出す時は右足からが自然であり、
 長く立っている時は、左足に重心を置くほうが良いことになる。
・人間の一番の特徴は二足性歩行にある。
 そして、直立の姿勢の結果として咽喉が真っ直ぐになり、
 話す言葉を持つことができた。
・まず四足動物から4手動物としての猿に進化。
 その後、下半身の2手が足に(後退?)進化していった。
 そこで2手がさらに進化していった。
                   ー 続く
 ・・・・・・・・
 2003年01月13日(月)
 645, お金はむき出しの真実

以前にもお金についての一考察を書いたが、さらに書いてみる。

・お金で不幸になるというが、それは他人のお金をいう。
               −そのとおりだ!!
・事業、それ他人のお金だってさ!! −それ当たり前の事??
          自己資金の範囲ー無借金の場合、事業といわない?!
・どんな人間でも買収されないものはない!!
 ただ問題はその金額である。       −凄いシビアの話だね。
                 でも考えてみれば誰でもそうだろう。
・お金は自由の塊である。その金に縛られている馬鹿がいる。
                   −気づいているかどうかだがー
・貧困が犯罪の母であるなら、知恵の不足が犯罪の父である。
                  −この合体が刑務所の中の真実??
・お金は不平等を平等にする。それだけ絶対的な威力だ。
          ー 世の中の不幸は不平等からきているもんね!
・お金は「力」だけでなく「言葉」である。
                 −意味をたっぷり含んだ言語だ。
・借金は自由の人間を束縛する監獄だ。
              ー 私など懲役刑。
渋沢栄一の「必要なら樽の水は飲んでもよい。しかし絶対に漏らすな!」
学生時代に「雄気堂々」という小説で読んで、いらい金銭哲学にしている。
それと「樽の水は常に水位は一定にしておく」(これは私の金銭哲学だが)
そういえば「お金の苦労だけはしたくない」は、父がいつも口にしていた。
その為か常に念頭に入れて事業計画を立てていた。
それでも厳しい時代になってきた。

私が見る限り、お金にたいしての知識が一般に薄いように思われる。
特に縁のない人ほど、無さ過ぎる。
馬鹿丸出しで「お金に対してあまり興味が無いんだよね」とのたまう。
それは自分の卑しさー人間の奥底の卑しさに、まだ気づいてないからだ。
特にお金に対して窮したことがないからだ。可愛いものだが。
ものの本に「世の中の悩みの90佑呂金やそれに伴なうトラブル」と書いて
あった。金の考え方がその人といってよいほどだ。

「財布に10万持って、5千円の買い物をするのと、一万円を持って買い物を
するのと、5千円で買い物するのと、借金で買い物するのとではまったく違う
ものだ」という話を聞いた事がある。それから財布の中身を倍にした。
それと他にヘソクリを持つようにした。そうするとたまに衝動買いする以外
あまり物が欲しいと思わなくなった。次ぎ考えようという余裕が持てるのだ。

反対もあるが。財布は最小にしておくという方法もあるらしい。
2000円以上持たない主義の人もいる。
身近に金の汚い人がいるが、その人は持たない人だろう。
やはり気持ちに余裕が持てなくなるのだろう。

ーお金について 
ーのホームページよりコピーしたものです。
ーー故伊丹十三監督・制作の「マルサの女」の一場面:巨万な富を築き最後には、
 隠し部屋が見つかりマルサに尻尾を捕まれた脱税者を演じる「山崎努」が、
「どのようにしてこんな財産を築いたのか?」の質問に対し、
「それぞれの器があるが、今ここにお金を水に例えて、コップの中に少しずつ貯めて行く。
 殆どの者が少し貯まると喉の乾きからその水を飲み干してしまう。
 そのような事をすると貯まるものでも貯まらない。
 自分は、そのコップに少しずつ貯めて水がコップを溢れるまで飲まない、
 溢れた水はゴクンと飲んでは駄目!舐めるのだ!」と
 すぐ買うことが出来るから普段は買わないそうである。
 庶民は、買いたいものがあれば直ぐ買ってしまう。 ーーー
こんなものだろう。
・・・
参考のために、以前書いた文章をコピーしておきます。

ーお金について -事業百訓より
[112] お金について
2001/08/18

以前お金の事に対して書いた、それにより人も殺すし人を助ける事もできる。
体も売る、売春で普通の子女が売春に走る値段は、新卒の給料の一週間分の値段が
世界の共通という。日本なら4〜5万というところか。

仕事をしているとそれが鮮明に見えたり、全く見えなくなったり。
命の次でなく、命と同じくらい大事である。
といって死んだと同時に一円も必要でなくなる。しかし生きている限り必要なもの。

金のない人ほど金に対して軽く見ている。
見ているふりをしているかと思っていたが、そうでない。
私の実感は稼ぐは大変、失うは簡単!である。
銀行はまさしくその管理をしているのだから、解っているはずが全くその正反対と
いうのがジョークそのもの。
一番面白い話、あの松下幸之助とかなんとか、下を向いて一生懸命書き物
をしていた。こっそり見たら、金かねかねと書いていたという。
自由の塊というところか、それとも神の代行業に対する神の謝礼か。
ーーー
H0903 お金について
    ー事業百訓より
    
 誤解を恐れずに、いや覚悟の上に書いてみる。これほど重要なモノについて
誰も直視しない。触れたがらないのはその本質があまりにも“現金”だからである!。
ズバリお金は“自由の塊”である。世界の大部分のモノが引換に手に入る!
人の心さえも。それほど強力な魔物である。
それに支配された時、その人の奴隷使いにも変身してしまう。
反対に上手に使えば従順な召使いになる。

父がよくいっていた“お金がないのは首のないのと同じ位つらい、その苦労はこの世で
一番の苦労だ!。”“お金で奇麗事を言う奴が一番お金に汚い人だ!”
“生き金は使え、死に金は使うな!”“お金の楽しみの(うまくいった仕事の)
結果のもの。”“それは使わなくては紙に書いた絵でしかない。
”“金・金・金!!とどのつまるところ、それだ、それ位重要である。

お金に窮してはじめてそれと気ずく。それを誰も直視しようとしない。
世の中その為に首を吊り、人を殺しもする、盗みもする。それを認めた上で、
それにとらわれるな!とらわれない為にはお金を貯めろ!”
父の考え方は決して間違っていないと思うし一つの見方だ。
でもお金に対して奇麗な人であった!

・・・・・・
2002年01月13日(日)
299、動物の不思議な世界

以前テレビの動物番組で目を疑うことがあった。
ハイエナに襲われた小鹿を、カバがそのハイエナを
追い払い、その後小鹿に大丈夫かと思いやっている内容であった。
異種の動物の子供をかばうということが、現実にあった。
その子鹿はすでに死んでいたが、鼻先で起こそうとしていた。
もちろん同種であれば当然かばうだろうが、本能的にそれをしたのだろう。

先日も野生の雌ライオンが、鹿の子を育てているのがニュースに出ていた。
その後水飲み場で、雄ライオンに食べられてしまったといっていた。

以前、温帯魚を飼っていたとき、同種であるが一匹の魚が他の魚を執拗に
攻撃していた。見ていると他の魚が必ずその間に割って入っていた。
「嘘だろう」と見ていたが、何回もそのパターンが続いていた。

長岡の鯛の専門店でのこと、水槽の中を2〜3十匹の鯛の群れが一方の方向に回遊
していた。その時一匹の鯛と目が合ってしまった。その後2時間近く、回ってくる度に
見詰め合っていた。その後スナックにいったが、その話でモチッキリになって、
その鯛を食べに行こうとなりその店に電話をした。
すでに閉店していたが、もちろん実際は行く気はなかった。

・・・・・・・
ある時間の断面
1月13日 1969年

12時半に起床。
午後、姉の優子さんのところに電話をする。
今月中に清書をしてもらった金を払いに行くと約束をする。
川崎から電話でスケートにいけなくなったと電話が来る。
夜、先輩の永田さんが部屋に遊びに来る。
二人で飲みに出る。かなり弱気になっていた。

今は誰もが気持として不安定のようである。
この人は県会議員になるというハッキリした目標がある。
しかし自信が無くなってきたとか。
こういう先輩が私に悩み事を正直に言ってくるのは、
私の中に客観的な視点をみたのだろう。
武澤ゼミ効果だろう。 私も最近おかしい。
 何もするでなし、スランプを抜け出れない。


2110, クローズアップ現代「東大・論文ねつ造疑惑」

2007年01月12日(金)

        b(^o^)dおっ
               W(^O^)Wはー♪
    一昨夜の19時半のNHKの「クローズアップ現代」
    には驚いてしまった。
   その内容とは
   「揺らぐ科学の信頼」〜東大・論文ねつ造疑惑〜
 ー概要はNHKのHPによるー
ーー
東京大学大学院の研究グループが発表した遺伝子をめぐる論文のねつ造疑惑で、
大学は、去年の暮れ、論文の責任者の教授と実験を担当した助手を懲戒解雇にした。
1年9か月に及ぶ調査の結果、論文は信ぴょう性を欠いており、
社会の信頼を著しく損なったと断定。東京大学を揺るがした疑惑は一応の決着を見た。
しかし、科学論文の危うさを印象づけた今回の疑惑。
論文は、どこに問題があったのか。疑惑を生む背景は何なのか、依然、
明らかになっていない。
そこには、最先端科学の研究が抱えている共通の課題が見え隠れする。
当事者の教授と助手の単独インタビューをもとに、疑惑の内幕に迫り
課題を浮き彫りにするとともに、その対策を考える。(NO.2348)
スタジオゲスト : 北澤 宏一さん
    (科学技術振興機構理事)
 ーー

    以上だが、
    驚いたことに、疑惑の教授と助手が二人で、その件で話し合っているところが
    ビデオにリアルに撮影されていて、それがそのまま放映されていた。
    助手が捏造したのを教授が鵜呑みにして、裏付けをとらなかったのが
    問題だったようだが。二人とも懲戒解雇になるのだから、
    知られてない何かが他にもあるのだろう。
   「捏造の実験を第三者を入れてしたい」と教授が助手に言っているのに、
    助手が「それは出来ません」と頑なに拒否している場面があった。
    これが最高学府の東大の研究室の中の映像だからこそ、迫力があった。
    これも情報化のもたらした一現象だろうが。
去年、韓国で世界的な大発明といわれていたものが捏造と判明、
国家全体が騙された大事件があった。
これは国家レベルの低さを露呈するものとして、
国そのものを汚す事件になった。

   最近、この番組面白いのにあたることが多い。
    「官製談合」について取り上げた内容もシビアだった。
            ホンジャ、サイナラ!
             (o ・д・)ツ バイ!
・・・・・・・・
2006年01月12日(木)
1745、 心のままに生きてごらん                   
                (o゚▽゚)o オハョ〜
            ー読書日記
イギリスで大ベストセラーとなった、人生の「天国から地獄」を体験した著者が綴った、
 152のメッセージである。
  どのページにも、人生を豊かに生きることを教えてくれるメッセージがある。
  トイレにでも置いて、毎日数行でも読むとよい本だ!

      一頁に一つの文章がメルヘンな絵とともに書いてある。
      しかし、ひとことひとことに深い響きが伝わってくる。

     
      悩んだとき、苦しいとき、さびしいとき、わからなくなったときなど
      人生の大切なことを思い出させてくれるだろう。
           
      常に迷い彷徨う存在の人間にとって丁度良い励ましの言葉になる。
      若い人向けより 人生を多く経験した人ほど
      感じるところが多いのではないだろうか              
      その中の幾つかを書き出してみた。
      !お茶 (@゜▽゜)_且~~どうぞ w
       ーーー
言葉は地図……
  ……どちらも道をおしえてくれる。    −1

10の人生を1だけ生きるか、
 10の人生を10まで生きるか、
  そのちがいはどちらをえらぶかです。   ー2

しあわせは自分のなかでかなえるもの!    −3

信じよう、まよっていたのは 
   信じる勇気がなかったからだと 信じよう。
                      −4
なにより最大の迷信は、
  なんでも あればあるほどいいと思うこと。
                      ー5
悲劇はかわるチャンスだから・・・・・。 
                      −6
なにもおわりはしない。
ただかわるだけ。              −7

苦痛が愛するのはおそれ。
苦痛がおそれるのは愛。           −8

信じることができなければ、
あちこちとびらを閉めきって
生きていくことになるでしょう。
それでわたしの言葉はどこから入ればいいの? ー9

自分のよさをみとめないと
それがあることすらゆるされなくなる。    −10
                  “o(>ω< )o”ヤダヤダ!!
たくさんの涙が流された。
ただ思っているだけで口にはだせずにいたことのために。
                      −11
怒りはたんに、
愛がおるすになった状態。          −16                                    
ひとつ、しあわせに条件をつければ、
ひとつ、なやみのたねをまいたことになる。  −18

夢はいいーーーでも、
目標となったら現実だ。           −20

心はきもちを植える庭のようなもの
花を植えれば、
花がさき、
イモを植えれば、
イモができ、
なにも植えなきゃ
草がはびこる、             −23

時間は世界共通の通貨          −24

どうしてこうも多くのひとがいいことで自分をほめるより
わるいことで自分をせめたがるの?    −25

怒りに怒りでおうじれば、
結果はさらなる怒りでしかない      −26

不安はいまに居場所がない。
未来にしか存在できないものだけれど、
未来になったら、
そこがいまになるだけ。
不安はいまに居場所がないのだから・・・。ー28
                    
笑いは世界共通の言語          −29
                     (*Φ皿Φ*)ニシシシシ
。.:♪*:・'(*⌒―⌒*))) ( ゚Д゚)ァハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \    (*´pq`)クスッ
                     (*≧m≦*)プププw
人生はいつでもこれから。
これまでじゃない。           −30
ーーー                               
「心のままに生きてごらん」ダイヤモンド社
リチャード ウィルキンズ (著),Richard Wilkins (原著),
大西 央士 (翻訳)
       −つづく      |≡ヾ(´∀`)ノバイ  
 ・・・・・・・・
 
 2005年01月12日(水)
1380, 現在、世界で何が起こっているのか? −1

「現在、世界で何がおこっているのか?」という素朴な疑問がある。
 身近では、台風による洪水と中越地震。
 そして世界ではインドネシア沖地震などの天災。

 それだけでない、ITなどの技術革新からくる社会的な大変革。
 全てが、今まで見たことも聞いたこともない現象である。

 どうなっているのだろうか。
 新年ということで、その人間的側面と、自然的側面から考えみる。
 まずは人間的側面から・・ 
        ーー
<人類のビッグバン >

ー「人類にとって20万年に一回のビッグバンがこの情報革命だ」と、
 10年前に聞いたことがあった。
  の時は、かなりオーバーに聞こえたが、現在の状況からは
   決してオーバーには思えない。
   一人一人が情報基地を持ち、自分を表現をし始めたのだ。
   私自身も、このHPを持ち、自分の主張の公開を始めた。
   (いや主張しつつ、自分の知識を整理して貯蓄し始めた。)
   そして4年近く経つが、自分から離れて独自のものとして歩みだした感もする。

   脳を外部化して、そこに情報をインプットし、またアウトプットしている。
  それを公開しているのだからおかしなものである。
 普通なら部屋の机の中の日記帳かメモにある内容を、
 キーワードの検索で誰でも見ることができるから不思議な世界である。
 携帯電話とパソコンにより我われの社会という様々な家族や会社や所属する共同体が、
  個人というユニットに分解され、ネットで再構築されるプロセスに入ったのだ。

  このことは人類にとって大革命であり、今までの共同体を根こそぎ破壊することでもある。
  それが地球規模で、それぞれの共同社会の破壊が起こり始めたのだ。

  「人類が20万年かかって構築してきた共同体が、個々人がインターネットで
   再構築されようとする前の大混乱が地球規模で起きている」 
   これがビッグバンの正体であり、世界を根こそぎ変えている。
   数年前までは、考えられない現象がドンドンおこっているのも、
   その背景があるからだ。
  
  ・・・・・・
2004年01月12日(月)
1013, 大相撲がはじまる

ここ数年、大相撲がつまらなくなったと書いてきた。
しかし今場所あたりから、何かが変って面白くなってきた。

早くいえば、曙や貴乃花や武蔵丸などが引退したことが大きい。
また元横綱の曙が異種格闘技のK−1に出て、無様な負け方をしたのがよい。
横綱になれば、引退後一試合に一億の興行を張れるのが実証されたことが重要である。
また国技などといって、特別の存在のように言っているがそれほどでもないことが
解っただけでよい。

ここにきて、ロシアやグルジアやモンゴルなどの出身で、若手で有望な面白い
力士が芽生えはじめてきた。
もう日本人とかいう枠を徹底的に割り切ってみた方が面白い。

それに、あの横綱審議会も解散すべきだ。
ー「死にかけた老人が訳も解らないことを言っている」と、
誰かが主張しなくては。
(以前週刊誌で、『世の中で要らないモノ』の一つにあげてはいたが)
相撲協会が「国技」と勝手に名乗っていたことを、正直に告白すべきだ。
ルールも思い切って変えるべきである。その機運が出はじめているが。

相撲の醍醐味と良さは
・神聖な勝負ごとー日本の伝統
・仕切りと立合いの「気」が良い
・「円の中での、出した、突いた、倒した」の格闘技
・一瞬(平均 5秒^10秒)の勝負の為に、その背後には膨大の訓練をする。
 やはり神秘的な格闘技である。
 そこに圧縮された時と雰囲気が出来上がる。
 といって、源流はモンゴル相撲やトルコ相撲が背後にあるのは自明のことだ。
 「朝鮮系の文化そのものの神社」の奉納の力自慢のお祭りが発生である。
 
文化国家のフランス大統領が、何故相撲の虜になるのだろうか。
それは、一瞬の気合の中に圧縮された時間に文化を感じ取ることが出来るからだ。
もっともっと外国巡業に出るべきである。
外国で一年に一度は本場所をしてもよい。
それと、それぞれの相撲部屋にスポンサーをつけて収入を計るべきである。
相撲部屋を会社に売って専属にすべきである。

それとK−1とかプロレスのようにショーアップをすべきである。
場外乱闘もあってよいし、茶髪も認めるべきだ。
そうすれば、注目も浴びるしお金が集まる。
力士の収入も横綱がプロ野球のトップ並みの5億円以上にすれば、
どんどん志願者が集まるだろう。
その点で、いまの朝青龍を徹底的に認めることも重要だ。
あの読売の耄碌爺が出てくるようでは、お終いである。

昔からのシキタリで残すべきは残して、変えるべきところはドンドン
変えていかなくてはならない。難しいところもあるだろうが。
「今の政界のような八百長体質」を変えないと、ますますファンは減るだろう。
最近特に若い人の姿が少ないのが気にかかる。
今までのように外国人が悪役ではなく、スターになる時代が目前である。
大相撲の呼称も「ザ、スモウ」に変えてもよい。

話は変るが、
「高見盛」という現在一番人気のある相撲取りがいる。
彼は何で人気あるのか、直ぐに解った。
彼は神経症である、そしてピュアーなのだ。
それも、ど近眼ときている。さらに、気が優しい。
日本人の、いや、人間の原型である!!
だから人気が出るのである。
それを気取らずに、そのまま表現しているから受けるのだ。

相撲の最大の魅力は、凝縮された時間の中の勝負である。
「気」が重要な位置を占めている。
その「気」を、全身に入れるのが良い。
それも館内のファンの歓声ー気を自分の中に取り入れる。
そうすると、「火事場の馬鹿力」が出ることを体験上、解っているのだろう。相撲談議でした。

・・・・・・・・・
2003年01月12日(日)
644, 呼称の妙味

雑誌の「宝島」が一月三日の読売新聞の全面広告が面白かった。
呼び名を変えれば、日本も変わる(かも)。
「呼称改革」と名をうって今までの呼び名を変えたら、中身もそれにつれて
古い何かが変わり始めるかもしれないという馬鹿馬鹿しい内容だが、
といって唸る内容でもあった。これを全面広告で載せるセンスがいい。
主観的の面白そうな順に並び替えて書いてみる。

女子アナ  −TVコンパニオンー変換を打ったら女子穴が出てきた。
官僚   −公僕員
国債   −前借
代表取締役 −代表取り締まられ役
警察官  −正義官
粛々と  −適当に
国会議員  −国民奉仕員
公的資金  −失策穴埋め金
道路公団  −迷路公団
外務省   −害務省
公約  -虚約
バツイチ  -マルイチ
風俗嬢  -ビタミンガール
未婚  -恐婚
年金  −幻金
テロリスト  −ゲロリスト
ーーー
大体こんなもんだが以下を考えてみた。

暴力団  −巧妙徒党恐喝集団
自民党  −利権擁護巧妙収賄党
社民党  −空想科学夢想党
地方名士  −痴呆迷死
ライオンズクラブ ーオニャンコクラブ
生命保険 −命対象賭け博打
談合   −検察黙認官民共同犯罪詐欺
商工会議所 −談合破り監視会・地域暇つぶし愚痴言い合い所
       痴呆名士様肩書き付け合いどころ
お歳暮  −ミニ収賄・贈賄
葬儀   −生き残り者の面子場・集り坊主集金祭事
政界   −政治業界
(^┰^;)ゞ  
・・・・・・・・・ 
2002年01月12日(土)
298、酒乱ー2

私の一番のマイナスの特性は酒乱のケがあることだ。
勤めてそれも本格的になったのが、金沢時代からだ。

酔わなくてはやってられない、いや酒に逃げていたのかもしれない。
といってそれで人生を狂わせた、というほどでもない・・??

酒の失敗がない人生を考えてみると、10倍位の人間関係が
広く深くなっていたと思う。
反面、人間関係でABC 分析のBCの人間の排除に一番いいのも確かだった。
そう思い込んでいるのかもしれない、これは負け惜しみか。
「人間はおおよそ失敗するのは、女か酒か賭け事の何れかだ。
もっと詰めれば女か酒かだ」とあるゼネコンのベテランの営業の人がいった。

「貴方は酒の失敗系の人だ、女はない。10年も付き合って一度も、
飲んでいてその場面に近いことがない、必ず尻尾が出るものだ」と。
酒の失敗がなければ、そちらに何かあったと思う。

その意味でぎりぎりセーフというところか。よく警察沙汰によくならなかった
ものだ、当たり前のことだが。

私の場合、口害になるから恐ろしい。
いい加減に生きている奴ー大部分ーに対して鋭い刃が向いてしまうのだ。
いや普通に話すことが全て刃になってしまう。
いい加減に生きている自分自身のことを言っているのだから説得力があり、
鋭く?なるのだ。酒が入ると、知らないうちに刃を抜いてしまうのだ。
一番タチが悪いのだろう。

酒の中で一番危ないのが日本酒である。
これで何回失敗してことか!
気違い水とはよく言ったものである。
最大の敵を自分の脳の中に入れることと同じことだ。
酒を入れるとその人間性があらわになる。
卑しい奴は卑しく、凶暴のな奴は凶暴に、暗い奴は暗く、
スケベの奴は助平になる。
「酒も飲まず、タバコも吸わず百まで生きた馬鹿がいる」というが、
それも事実である。

・・・・・・・・・・
1月12日  1969年
・「想像は知識より重要だ」アインシュタイン
・アイデアを多く出す為の価格表ー
 一つ出すたびに二倍の価格になる。

人をバカにする方法のアイデアを10個を10分で書き上げよ!
という設問を考えてみる。
1、TVをなるべく多く見る。
 自分で考える時間をなくしてしまう。
2、他人との交友の中に安定を求める。
3、行動に移さないースタートをしない。
4、自分はダメだ、バカと信じ込む。
5、不安定な気持のままいる。自己コントロールをしない。
6、一瞬一瞬をいい加減に生きる。
7、自分の壁の中にのみ生きる。
  人の言うことは一切聞かない。本も読まない。
8、自信喪失にする。
9、経験のみに頼る
10、バカな連中だけと付き合う。

こんなものだが。何か二年前の自分そのものだ。
今もそうか?
ー 2004年1月12日AM6:00 記ー
こうして35年前の日記帳を写していて、今も昔も変らない自分に驚いている。
そしてあまり成長をしていない自分にも驚く。
人間観察が好きなのだ。
逆にそれにとらわれすぎて全体と自分自身が見えなくなっている視点だ。

また大人数の末っ子の立場で兄姉を一人一人観察してきた上に、社会学という
早くいえば人間学を専攻してしまった為である。

反面、「人生のデザイン」を自分で書いて生きることができた?が。
それが、書かないで生きてきたこととどれほどの差があるのだと言われれば、
何も反論できない?!まあいずれにしても「頭でっかち」だということだ。


2109, 塩野七生が「日本の政治と政治家」を語る −1

2007年01月11日(木)

            (+>∀<+)ノ
                 おぁはは〜ようさん!   
     日経新聞(1月4日)に
   「作家の塩野七生が日本の政治家を語る」が掲載されていた。
    安部首相、小泉、小沢などを語っていたが、なかなか面白い。
    さすがに、15年間にわたり15巻の「ローマ人の物語」
    を完結させた作家である。カエサルを理想としている視点から、
    なおのこと、この三政治家には手厳しい。
    その中で小泉元首相には比較的高い評価をしていた。

  ー面白いところを抜粋してみるー
 
    *まずは、阿部首相をどう評価しますか?
塩野:
 阿部は人間的にはいい人なんだろう。だんな様にするには良いタイプだが、
  指導者としていいかどうかは別です。阿部首相は誠意がありますが、
  答えればよい10倍の量、誠心誠意答えているが、普通なら飽きてしまう。
  芥川龍之介の言葉で「ときには嘘でしか表現できない真実もある」のです。
  実を越えるために、虚のやり方が良い時がある。彼は変化球を投げない。
  
 小泉元首相は、旦那には大変じゃないか。知力はどうかなぁ。
  説得力に関しては、起承転結の「起」しか言わない。
  我々が彼に改革を期待して「承転結」まで考えてあげていた。
  マキャヴェッリは「民衆は抽象を問いかけられると間違える場合があるけれど、
  具体的に示されれば相当程度に正確に判断を下す」と言っている。
  小泉さんはそれをした。
  阿部首相は言っていることがだんだん分らなくなってしまう。

    塩野:文章の世界では、メリハリや切り返しを芸というのですが、
      阿部さんは芸がおありでない。あの年齢では性格を変えろといっても
      無理だろうけど。私が振付師だったら、彼に合う戦略を考えますね。
      具体的に言うと、官房長官に彼と全く違った人間を持ってくるべきでした。
      国際会議では熟練の通訳が必要ですね。安部さんの言う半分に縮めることの
      可能性のある人が必要です。そうしないと国益に反する。
  
塩野:私たちは阿部首相が改革を続けてくれるだろうと期待したので、
  あの支持率が生まれたのです。その後の低支持の原因は演出がないこと。
  小泉は劇場政治とか、政治は喧嘩だと言われたが、
  れを否定する方がおかしいい。政治はドラマであり、喧嘩でもある。
  それが嫌なら官僚にでもなっていればいい。
  私は以前「国会の予算委員会か、顔見世歌舞伎かと言うようなれば
  日本の民主主義は安泰だ」と書きました。この頃はチットも面白くない。
  阿部さんは理性に訴えているのでしょう。小泉さんは感性に訴えたのです。

     ーー
    *民主党の小沢代表はどうですか?
      政治家にとって手段であるはずの政権交代が目的になっていますが。

    塩野:ある時期面白いと思っていたのですが、しかし、彼は勝負しない人です。
      勝負する時に逃げてしまう。高級なバラには花屋さんはいろいろな
      細工をするが、しばしば満開になる前に枯れてしまう。 
      どうせ枯れてしまうのなら、満開にならなくては。
     −−
    *政治家の世襲についてどう思いますか?
   塩野:私はかまわないと思います。他の仕事にも世襲はあります。
     子供の頃から情報とか雰囲気とか何かを得ているからです。
     つまらない人ばかりでていると、その党は票を失うからです。

             ーづづく
  ーーー

阿部首相が短命に終わるとしたら、造反議員を自民党に臆面もなく
復帰させたことによる致命的な不信感になる。
それだけ、あの判断はマイナスであった。
国民を露骨に欺いたことに対する国民感情の反発に気づかない。
「政治感覚の甘さ」が露呈してしまった。
直接この件について書いてないが、政治家としての素質を見抜いている。
使い捨てるには、ひ弱?あとは運があるかどうかだ、小泉のように。


                (⌒▽⌒)/"”さいなら!
・・・・・・・・
2006年01月11日(水)
1744、 正しく生きるとはどういうことか
                φ(* ̄0 ̄)ノ[才八∃一]
池田清彦著の
「正しく生きるとはどういうことか」
 を借りてきて読んだが、今ひとつピンとこない。
 
 「正しく生きるとは身の程を知り地道に働いて、
  それとは別の趣味の世界に生きるのが一番安定した生き方」   
  が、この本の一番の要点だが。
  果たして、そうだろうか?著者自身の人生観でしかないのでは?
                 ( ・∀・)つ(:゚::) ミカンでもドゾ♪
これ以外は、訳のわからないこと?を綿々と書き連ねているだけ。
 著者はギリギリのところで生きたことがないのだろうか?
  それとも整理がつかないで書いてしまったのか?
                 ∵ゞ(>д<)ハックシュン!
「よく生きることは、人間の仕事である!」
 という言葉は合点がいくが(著者の言葉ではない)、
 「正しく生きることは、身の程を知って無理をしない生き方」
  というのが、いまひとつピンと来ない。

もともと「正しく生きるとは?」に、答えなどある訳がない。
 それを題名にしているから、訳のわからないことの羅列になってしまう。
  本の題名に上げること自体が問題である。
                 お茶 (@゜▽゜)_且~~どうぞ w
誰もが自分の正義を心の奥に持って、それにしたがって生きている。
 それを敢えて『正しく生きるとは』と問題にするのは、
  哲学的に考えているつもりだろうが、その答えがこの書からは感じられない。
                  (σД≦)ネムゥ〜
個々の正義は、普遍的な正義とは一致しないし、
 普遍的な正義がある訳がない。
  といって、露悪的な生き方が良いともいえない。
                 ネルナー(*゚ロ゚)-C<*_ _)。o○
そこで私個人にとって、正しく生きるとは?
 ミッションステートメントに書いてある生き方を貫くことである。
  これは正しく生きることとは違って良く生きることか?
  私にとって良く生きることは、
 「地球に生まれてきたからには、可能な限り地球の自然と、
  人間の創り上げてきた文化・文明を見聞し、人生を最大限生きること」
   だが、「正しく生きる」となると、少し違ってくる。
   いや、身どほどの範囲ですればよいということか。
      
         ☆ミ(o*・ω・)ノ バイ!!
・・・・・・・
 2005年01月11日(火)
1379, 全日本高校サッカー選手権

一昨日の全日本ラグビー選手権に続いて、
昨日は全日本高校サッカーがあった。
息詰まるような接戦で、0対0のままPK戦になった。

ここまできてのPK戦の決着は、個々人に責任がかかる。
息を飲むような緊迫の中、選手のプレッシャーは極限になる。

市立船橋はPK戦は弱いと言われていたが、準決勝戦で金沢の星稜に勝った。
しかし、この決勝のPK戦では九州の鹿児島実業が4対2で勝って優勝をした。
試合は、鹿児島実業が優勢に進めていたので、この結果も当然といえば当然である。

負けた市船の監督が呆然としていた姿が印象的であった。
これも勝負の世界である。

大学生ラグビーでも、高校サッカーでも、一期一会の優勝戦だから面白い。
数年前までは、あまりサッカーは見なかったが、新潟アルビレックスの
試合を見てから急に見るようになったから、単純なものだ。

最近はBSで放送している欧州のプロのサッカーも見るようになった。
見はじめると面白い。
一流選手の試合は何かが違う。
鍛えあがられた上の個性があるから、一流になれるのだ。

・・・・・・・
2004年01月11日(日)
1012, 牛丼チェーンー狂牛病の影響

 他山の石という面で考えてみる。
アメリカの狂牛病による牛肉の輸入禁止は、牛丼チェーンを含めた
飲食業界や食肉業界などに、大きな影響を与え始めてきた。
アメリカの圧力で、早々に輸入禁止措置を解除されるだろうが、
一般の牛肉に対する不信感は、そう簡単には拭い去ることはできない。

 「輸入牛肉を使用しない場合は500円の売価で、かつ硬くなってしまう」
と吉野家がコメントしていた。早速、昨日近くの吉野家に行ってみた。
12時前にしては5〜6人しかお客は入ってなかった。
普段はその時間帯はほぼ満席である。年初という面もあるが。

 やはり肉は以前とは違い、硬く味も不味くなっていた。
新メニューを注文をしようとしたが、解りづらく牛丼を注文をした。
いままでの牛丼の単品から、他の丼モノのオペレーションは出来てない
はずである。
その店は、駅近くの二人だけの従業員の店の為に新メニューは扱ってなかった
のかもしれない。
やっと数年前の狂牛病騒ぎの影響が収まってきた矢先、飲食業界は
大打撃である。
グローバル化は、直接世界の影響を受けるから大変である。

 昨日、久々に紀伊国屋で定点ウォッチングをしていたら、
新刊本の帯に「10年後には、93.7佑隆覿箸倒産」というキャッチフレーズが
書いてあった。面白そうなので早速買ってみた。
既存の企業という点では、それもありえるというのが実感だ。

 現在は日本も含めた世界が大転換期にある。
それも数百年単位の大転換期だ。
情報化社会が本格化してきたのだ。
今までは他国・他社の事が、直接に影響をしてくる時代になった。

 経営という面では、本当に難しい舵取りの時代である。
 
 ・・・・・・・・・ 
 2003年01月11日(土)
  643, ハングリー?

 日本は「国は大変だが自分は大丈夫という!」という雰囲気で満ちている。
私もそれに近い感覚を持っている。
私の青年期の頃のあのハングリーさは、時代背景もあってか全く感じられない。
昔の日記をおりにつけて書きうつしているが、本当にハングリーであった。
 「何かをやれば何かが叶う」という気持ちだ。
 今の日本に一番欠けているのがそのハングリー精神だ。

 ある逸話で
ーオーストラリアに移住した欧州人が、年中花咲くこの地でミツバチを
持ってきたら蜂蜜が欧州の数倍は取れるだろうと目論んだ。
しかし失敗に終わったという。
はじめの年は多く取れたが、年々収穫が下がり最後は全くとれなくなった。
蜂は寒い冬に備えて蜂蜜をとりこむ為に集めるのであって、
年中花が咲いている地ではその必要がなくなる為だという。
なるほどと考えさせられた。

 現在アメリカの一流大学の合格者はベトナムやカンボジアの難民か、
その子弟が多いという。
ハーバードなどは20涌幣紊彼らで占めてしまって問題になっている。
そこに入って知識を得るしか将来は無いから、死に物狂いで学ぶという。

 またソニーの元会長の大賀氏がこの正月の紙面で中国に10数年ぶりに
行って、日本の丁度戦後10年に頃の熱気とハングリーを感じたという。
先年中国に行った時、現地の添乗員が話していた内容が印象的だった。
「日本に留学をした。そこで同じ人間として如何してこんなにまでまで
生活の格差があるのか義憤を感じた。勉強をして必ずあの生活を勝ち取る
つもりだ」聞いていて、いつか日本は中国に追い越されるのではと
不安になった。

 今の日本はオーストラリアに持ってきたミツバチそのものである。
もうじき大寒波が来るのに、いやすでにその一波がきている。

 ・・・・・・・ 
 2002年01月11日(金)
 297、最近飲む回数が減ったわけ

・何といっても不景気だ、気分的に沈みがちの中飲んでいても旨くない。
 誘いも少なくなる。
・新潟駅と長岡駅に鮮魚店や料理屋の販売店などのテナントが出来た。 
 通勤の途中に両方がある。これが一杯飲み屋よりもずっと美味しい。
 地元の一流の料理屋が出店で割烹料理を売っている。
 子供の時の正月料理とほぼ同じ味である。これを帰りの時間(PM6:00)
 の値引きセールになる。家で食べる方が美味しいという逆転現象がおきる。
・歳をとってきたー以前ほど赤ちょうちんの雰囲気に親しみを感じなくなった。
・TVのパフォーマンスの方が楽しい。
    以上が理由に上げられる。

サラリーマンのスーパーでの買い物が増えているのと自分の姿が二重写しになる。
週に1回はどちらかの駅の売店で肴のツマミを買う。
家内も外で飲んで帰ってくるより、健全?で、美味しいから文句をいわない。

彼ら店主は、この時代の変化が全く解ってない!これは他人事でない。
何処も全く同じ味の商品!こちらは毎日が生活面では変化の連続だ。
また変化し続けてる店しか行かなくなるのも、当たり前である。

スーパーの食品も冷凍・冷蔵技術や器の高度化や低コスト化で日日向上している。
闘いの相手がどんどん変化している。家でデジタルTV をつけ、パソコンをいじり
買ってきた肴をつまみで酒を飲んでいたほうがずっとよい。
年齢もあろうが。

デフレとライフスタイルが変わってしまったことに気ずいてない。
他人事でないが。
店主よりこちらが舌が肥えてしまったという逆転にも。
毎日が激変である。

・・・・・・・・
1月11日  1969年

12時に起床。
ジャスコオカダヤに論文を提出をする。
一安心をするが、今ひとつ満足のいくものではなかった。

午後は安心感からか漫然とTVを見て過ごす。
間中のブーちゃんが帰省から戻ってくる。
彼と少し話をする。
何かイヤにソフトになりビックリする。

夜、駒村の部屋に行くと、気分が悪いと部屋に引き篭もっている。
かなり陰鬱になっているようだ。
何かあったのだろうが、自己疎外という奴だ。
こちらまで滅入ってしまう。


2108, ゾンビの群れ

2007年01月10日(水)

         オッ(*^○^*)ハ〜ヨウサン!
ー団塊世代の大量退職とゾンビ化について

一昨日、NHKスペシャルで「団塊の世代」の大量定年を向かえるにあたり、
意識調査をしていた。
途中からパソコンを打ち込みながら見ていたが、何かイマイチの番組であった。
一年早く還暦をむかえたのでいえる。
第二次大戦後の時代の象徴が彼らだったが、第二の人生は厳しいだろう。
右倣えのマニュアル人間で、孤独、孤立の訓練の経験があまりに少なかったからだ。
「自由の恐ろしさ」と、「自由の不自由」を経験することになる。
これだけは訓練と経験を重ねるしかない。

    彼らの一時収容所のようなサークルをTVなどで見かけたが、
   「ゾンビ化した集団」でしかなりえないのは、少し理屈をこねれば解ること。
    孤独にきらないで、徒党を組むからゾンビの集団になってしまう。
    ゾンビは今さら他に当てがないから、そこに集まるしかないが・・・
   
     *ここでいうゾンビとは
     「夢も魂も愛もなくした人間の抜け殻」をいう。

団塊の世代の中の生存競争で戦い、生きてきた人にとって、
一人で行動する訓練が必要になる。
そこで、まず独り遊びの訓練が入り口になる。
独りでパソコン教室に行き、独りで飲みに行き、独りで図書館に行き、
独りで目星をつけた趣味ー茶道・絵画・作文教室などーの教室に行き、
そこで自分の道を求めることが、まず第一歩。
説教にになってきたが・・・
準備をしてこなかったので、今さら無理?。

TV番組の中で電話インタビューを聞いていて、何か哀しくなってきた。
仕方がないといえば仕方がないのだろうが・・・

    渥美清が、『何故、人は徒党を組んだり政治的になるのだろう?
    孤立(孤独より具体的だが)しないと、人間は物ごとが見えてこない』と言っていたが。
    それが以前にも書いたが、ゼロを基点とした孤独である。
    そこで非人称の自分と出会うところである。
   一人称ー>私、
   二人称ー>貴方、
   三人称ー>彼ら・・・
   非人称ー> それ以前の共通している意識ー能作

いちど、二人称、三人称を切り捨て、
一人称と、さらに非人称のゼロ基点の自分に向きあわないで、
何で群れようとするのか?その群れには虚しさしか有りえないのに。
その虚しさが哀れということ。ゾンビ化した群れ、魂の無い集団の群れ!
  ゾンビは群れないと息ができないのか。

    直ぐに哲学的になってしまうが!

           (^o^)dバイー♪
・・・・・・・・・
2006年01月10日(火)
1743, 全国高校サッカー選手権
     (σ・Д・)σ   ohayo~
 
 ー全国高校サッカー選手権決勝戦・TV観戦記ー

昨日の高校サッカーの決勝戦が面白かった!
 サッカーの試合でこれだけ興奮してみたのは初めてといってよい。
  〔もともとサッカーは地元のチームか、大試合の決勝戦位しかみないが〕

  延長戦でのギリギリの攻防は見ていても手に汗を握る
   魂と魂のぶつかりあいの試合であった。
    はじめは初優勝を目指している滋賀県の野州を応援していたが、
     途中から鹿実を含めて両者を応援してみるようになった。

      最後には九州の鹿児島実業が勝つのだろうと思っていたが、
      野州が1―1の延長後半7分、中川からの右折り返しに
      途中出場の滝川が決勝ゴールを決めた。
      鹿児島実は史上9校目の2連覇を惜しくも逃した。
      土俵際でウッチャリと小手投げでクルクル入れ替わる
      劇画のような試合内容であった。
        ε=ε=((○`・v・)っ/キック!◎ヽ(●`・v・) /○◎●。゜。゜
           
      高校生というより、プロの試合のようであった。
      これだけの技術をフルにつかっての攻防が高校生でも可能なのだ。
      これはお互いの優勝への執念の結果であろう。
               ( ´・ω・`)_且~~コーヒー イカガ?
      七日の準決勝の
      野洲と、閉校瀬戸際?の多々良学園(山口)も見たが、
     これも大接戦であった。
     シュート計33本を打ち合う攻め合いとなり、
    野洲が後半5分に楠神の右クロスを滝川が頭で決めて先制。
   この1点を守り切った内容であった。
  この決勝でも技術を前面に押し出した野州のサッカーが、
  連覇を狙う鹿児島実のチームプレーとの対決に勝って
   滋賀県勢初優勝を成し遂げた。
   「タイムアップの笛は、次の試合への新しい夢への笛である」というが、
    高校のサッカーを見ているかぎり、この伝統が次々とつづくだろう。 
     甲子園の高校野球も含めて、純粋な少年達の心が迫ってくるからよい!
                  
             ☆~~ヾ・ェ・)o尸~  ジャ〜 マタネ~♪
・・・・・・・・
2005年01月10日(月)
1378, 全日本大学ラグビー選手権

ハイ!(/o^)ノ○ノ(^o\)  
      ○⌒ ヽ(ω・´ ) ホレッ!
毎年、この連休は全日本高校サッカー選手権の決勝と、
 全日本大学ラグビー選手権の決勝が行なわれる。
  毎年楽しみの一つになっている。(年末は全日本相撲選手権と剣道選手権だが)
   この連休は大相撲の初場所と柔道の嘉納杯も重なりTV漬けになる。

    ラグビーは、団体戦では一番面白いと言われている。
     昨日は、早稲田と昨年の覇者の関東学院大学の決勝。
     早稲田が逆転で勝ったが、関東学院が優勝してもおかしくない内容であった。
     早稲田の監督が「今日は泣きますよ!」というほどの熱戦であった。
     ここまで勝ち抜いてくれば決勝に勝ってこそ、その価値が出てくるだろう。

      見ていても、彼らの勝ちたい気持ちが伝わってくる。
      あとは社会人との決勝リーグがあリ日本一が決まるが毎年、
      学生が大差で負けている。
        エイ!(。・_・)_/ゞ ~゜○〜○ ポカ! ^☆)X_x)イテェ
      学生ラグビーといえば早稲田の頭脳に対して明治大学の、
      真正面からの力による攻めのラグビーが印象深い。
     10年前に、96歳で亡くなった北島忠治監督の姿が今でも焼きついている。
     一途に真正面からの攻撃が彼の哲学で、明治ラグビー部の伝統になっている。
     その後、OBの内紛で多くの問題が噴出したが。

    最近は関東学院を中心に優勝が争われていたが、今年は早稲田が優勝だ。
   ラグビーは学生も社会人も、全日本選手権の決勝か準決勝ぐらいしか見ない。
  しかし、決勝戦は緊迫感があって面白い。

 今日は、全日本高校サッカーの決勝戦だ。
 準決勝は、非常に面白かったが。

・・・・・・・
2004年01月10日(土)
1011, 2時35分

 深夜の底は2時35分と聞いたことがる。
それを聞いた時にハッとした。
過去に大きな決断を迫られた時に目が覚める時間が、
決まって深夜の2時35分であったことだ。
                     (σД≦)ネムゥ〜
 丁度深夜と翌朝の切り替え時間の底なのだ。
そこで決断した内容が果たして正解であったかというと別問題だが。
ギリギリ突き詰めると、そのあたりに一番に頭が冴える。

 現在はなるべくベッドの中では考えないようにしている。
しかし決断を迫られたときは別である。
むしろベッドの中の方が陰陽バラエテエーに考えることができる。

 最近は夜半の2時半や3時半に目が覚めることが多くなってきた。
この時代の変わり目、判断に迷いが出るからだ。
結果として「真に自分と向き合う時間」になる。
最後は「自分独り!」という実感を、裂け目の時間で経験することになる。
考える上で一番大事なことだ。

 話は少しそれるが、木が大地の水を吸い上げ始める時間が深夜の3時半という。
木に耳を当てると聞こえてくるそうだ。

 学生時代ことであるが、酔いを強くする為にわざわざ深夜の一時過ぎから
飲み始めたことがあった。      ∪ヽ(●-`Д´-)ノ彡☆ 酒持ッテコイヤ〜
4時過ぎあたりになると茫洋とした気分になってくる。
真夜中から朝を跨いだ感じがよい。
若いからできたのだろう。

・・・・・・・・・・・ 
2003年01月10日(金)
642,DVDのレンタルショップ

DVDのレンタルショップが昨年末にオープンした。
新潟駅近くにある石丸電気が倉庫を改装して出店したが、
お客は入っている。売り出し期間ということで入会費は無料。
レンタル料がベラボウに安い。
7泊8日で100円と200円の二種類ある。
新作は3泊4日で200円である。
結構見ていて雑音が入ったりして見にくい部分があるが、
値段の安さは魅力である。
蔦やに行ったが、270円か450円の間である。

会社の至近距離にあるため非常に便利である。
先日も4枚借りて500円でしかなかった。
奥をみるとカーテンがあってピンクのDVDのコーナーがあった。
ある会で石丸電気に勤めていた人がいた。
販売でもピンク物がよく売れるといっていた。
そのコーナーには結構お客が入っている。
間違っても入ってみることはできない。

感じたのは商品の絶対量が足りない。
今の5倍の量になったらもっと入るだろう。
先日借りたのは「スターゲイト・SG−1]「AI]「ウォーゲーム」
「ザ インターネット」である。
昨夜は「AI]を見たがなかなか見ごたえがあった。
これで100円は安い。採算は合うのだろうか。

韓国産であればDVDのハードは1万円で買える。
時代は変わっている。

・・・・・・・・・・ 
2002年01月10日(木)
296,壁

5〜6年前か、息子の大学入試の作文の課題が「仏教について」であった。
そこで自分ではどう書くか考えてみた。
チャンスがあったらに書いてみようと思うが。

その前年が「壁」であったと聞いて、すぐ自分のそれを考えた。
それを思い出して書いてみる。
「壁というと、まず考えられるのが仕切りの壁で、区分の役割である。
そして心の壁である。それも自分の思考習慣の壁である。

仕切りの壁も人工のものと、自然の壁がある。
人工のものとして一番大きいものとして万里の長城がある。
日本だったら海というところか。

これは外国から国を守る為のものだ。
屋敷の壁、これは家屋敷を外から遮断するものである。
部屋の壁はそれぞれの機能の区分である。

こんな内容であった。何故はっきり憶えているかというと、
日記に書いていた為である。

これに対し、今新たな考えを加えると「言葉の壁」と「習慣の壁」である。
言葉の壁の「取りあえず」「でも」「まいっか」・・・・
そして外国語の壁がある。
習慣の壁、そうそう行動の壁、感情の壁、いくらでも出てくる。

言葉の壁を次回書ててみよう。

・・・・・・
1月10日  1969年

10時起床。
朝食後、12時過ぎに学校に向かう。

13時にゼミに行くが、4年で出てきているのが私だけだ。
武澤先生が急用で欠席であった。
半分遊びで、助手の横浜さんと30分ほど議論をした。
 
 その後、3年全員と喫茶店へ行く。
皆で子供のように騒いだ。
タバコを1分で吸えるかどうかの賭けをする。
結局誰も吸えなかった。

 全員でゲームセンターへ行き一時間ほどして、横浜さんと
三年生の3人と寿司屋にいく。
「理念」とは何かが話題になる。
横浜さんがいう「理想像を追い求めるプロセスでの、その人の
方法が理念ではないか」というのが何か変った言葉として印象に残った。
私の考えていたのは「理想像を追い求め一体化を図ること」
とは少し違ったようだ。

 また疎外感についても議論をした。
「疎外から立ち直った時、一つの成長過程の変革を向かえるのでは」
という意見に対して、横浜さんは「その反省過程で、他の手段方法を
考え、そのことから自己を第三者として捉えることが前進になる」と
言われたことも印象的であった。
しかし反対にそれに捉われることは、自分の壁をつくってしまう為に
何もできない状況になる独創性が失われてしまうとも考えられる。

 「私も考え方が凝固まりだした」という言葉に対して、
「それも現時点では必要ではないか」
「一つの枠を創っていないと
吸収する力を持ち得ないのでは」という言葉も説得力があった。
合気道の師範の黒岩先生も同じことを言っておられた。
「その枠を弾力的かつ吸収力のあるものにすることこそ大事」だと。
その枠を大きくしたり縮めてみたりすることが大事だと。
そこから外に散歩に出たり、旅行をすることが重要ということだ。

 夜、市川さんがお茶を飲みに来る。
彼とも2時間以上議論をする。

ー2004年01月09日記
この時期、市川一さんとよく酒を飲みに行った。
といって決して親友というわけでなかった。
酒を飲んで、ただ鬱憤を晴らす仲間だ。
早稲田大で一年先に卒業、薬メーカーに勤めた理学部出身の人だ。
卒業をして1〜2年間、寮にそのままいてもよい不文律があった。
卒業後は一度も音沙汰はない。
「夢をコントロールして好きな女性ー吉永小百合などとセックスが出来る」
と言っていた。何とも面白い人であった。
在学中は、左翼運動の闘士とも言っていた。
当時はプライバシーに一切触れないのがマナーであった。
彼は、いま一番会いたい一人である。

この日記がなければ忘却のかなたの日々である。


2107, ウェブ人間論 −5

2007年01月09日(火)


            (~Q~;) おはよう〜〜 ファ〜
 −−−−−−−−−−−−
*「ハビトゥス」という概念*
 −−−−−−−−−−−−
 
「ウェブ人間論」の中に印象的なところがあった。
 まずはその内容から
ーフランスの社会学者のピエール・ブリュデューが、
「ハビトゥス」という概念を出している。ある社会環境の中で、上流階級の人は、
子供の時からオペラを何回みているか、もっと低いクラスの人たちはオペラを何回見たか、
動物園に何回行ったことがあるか、具体的な数字を調査すると、[階級]が再生産されていく、
そういう環境にまつわるハビトゥス(習慣)が大きいー  という箇所である。

  そこで辞書で「ハビトゥス」を調べてみると
    *人々の日常経験において蓄積されていくが、
     個人にそれと自覚されない知覚・思考・行為を生み出す性向。
    *態度,外観,装い,様子,性質,習慣などを意味するラテン語。
     アリストテレスのヘクシスに相当する。
     人間は善への志向をもつが,その構成契機のうち情念passioとともに
     道徳的選択に影響を与えるものがhabitusで,行為によって獲得された習慣である。
 
    *トマス・アクィナスの倫理学の重要な概念として、intellectus(知性),
     scientia(学知),sapientia(英知),prudentia(分別),justitia(正義),
     fortitudo(剛毅),temperantia(節制)などをhabitusとしてあげている
     −
ーあるHPに、次のような説明があったが、上記をフォローするのに良いー
「ハビトゥス」とは通例「習慣」と訳されるが、意味がずれるところがある。
「習慣」とは、外に現われた行為や生活の型であるが、
ハビトゥスとは、むしろそういった型を生み出す能力であり、
しかもさらに重要なのは、個人の生活の中でなされる行為の型よりも、
むしろ他者との関わりの中で行なわれる行為を生み出す能力なのである。
・「習慣」を定着した行為の型、普通に習慣として捉えられるものと解し、
・「ハビトゥス」を、その「習慣」の基盤にある、身体化された社会的能力として
 用いることで、使い分けることにする。
                    ( ̄▽ ̄)■]~~~ 珈琲TIME♪
     ーーー
     以上が検索で調べたものだが、
    「子供には一流の音楽や絵画の芸術作品や大自然をシャワーのように浴びせなさい!
     それが親の責務である」という意味が、最近さらに深く理解できるようになった。
     世界中の美術館や大自然の光景を見てまわってみて、
     これらを幼児の時から見ていたら人生は根本から変わっただろうと思うからだ。
     過去を振り返ってみて
      「人は家庭環境で80佑い筺■坑悪佑決まってしまう」とつくづく思う。
     家庭環境でベースで「ハビトゥス」がつくられるのだろうから。
     それは10歳までに決まってしまうといって過言ではない。
     しかし兄弟姉妹でも違うから一概にいえないか!?

     般若心経や、早朝の瞑想?、モーニングページや、この随想日記、
     ウォーキングなど、習慣づくりをしてきたが、
     その総体と過去の経験と血筋などからつくり上げた人格ということか。

 ネット社会は、むしろ恵まれてない人に対して、
 そのような素材を与えるチャンスを与えてくれる。
 私など時間が足りないぐらいである・・・
   
  ハビトゥスか〜 これを考えると宿命論と運命論になってくる。 
 ところで、「教養」とドコガ違うのだろうか。
 「教養」によって培われた生活習慣、生活センスということ?
             
 ところで、お前のハビトゥスなっとらん!( ゜Д゜)y─┛~~ X  
      どういうこと? ( ̄ω ̄;)!!
 酒癖が悪いからじゃ、分かっているのか! (*^_^*)酒もってこい!((( ^_^)且~~
                    ┻━┻ミ\(≧ロ≦\)オリャァァ!! 
  (^_^)v バイ
 ・・・・・・・・ 
 2006年01月09日(月)
1742, 教養とは ー2
            (」o^∀^)」コンチワァァァァァァァァァァァァ
教養を考えるために、
「教養のないオバちゃん」を例に考えてみる。
 私が大好き?の典型だから解りやすい。
・小さな世界しか知らない上に、それが全てと信じている。
 ・品性がなく身勝手。
  ・とにかく本を読まない。      クルクル  σ@( ゚∀゚)y パー!?
    その結果、人の話を聞こうとしない。
     読む本は週間文春か、週間現代、週間ポスト。
    ・身分の上の者や金持ちに対してひくつな態度をとる。
     逆に、身分低い人や貧しい人に対して傲慢になる。
    ・自己耕作(修養)に対して全く興味を持たない。
     ー 自分の内面には全く興味を示さない
    ・自分のことをやたらに話し、自己宣伝をする。
   ・群れをつくる、それも同じレベルと。
  ・関心は常に他人の粗捜しにある。
    ーTVの粗捜し番組に異常な関心を示す。       
                    フムフム(*゚Д゚)φ))ナルホド!! 
 幾らでも要素が出てくる。
  ある人?を思い浮かべながら書いているから、言葉が次々と出てくる。
   考えてみたら自分の中にも多くの要素があるから、嫌いなのだろうが。
                  ナニガナンダカ??┐( ̄▽+ ̄*)┌??サッパリ
     男でも身辺に、この女版が幾らでもいる。
      知識はあるが教養のないタイプもある。
       知識は教養の必要条件ではあるが、十分条件ではない。
        しかし、私が知っている範囲でみると、
         知識の多さが必要条件を充分条件に変える。
                   (・∀・。)(-∀-。)(・∀・。)(-∀-。ソウソウ!
          (*´・ω・`)(*´-ω-`)(*´・ω・`)(*´-ω-`)ウン ソッカー♪
           こういうレベルの人ほど、「何々勉強の会」
           みたいなところに出入りしたがる。 (。・・)_θ 胃薬どうぞ
          (入ってないよりはましだが)              
           こういう会での、その手あいの人物の見分け方がある。
           理想論を述べ社会や会の批判はすれど、
           幹事などの責任を回避する。    ( ゚д゚)ヴォケ!!
           幹事をしたとしても、心が入らない。
           そして自分のビジネスに利用しようとしか考えない。
          何せエセ教養の???・・・ 人生は面白いものだ! 
                          O(≧∇≦)O オモシロ!!     
                     お茶いれますた ア!~~旦_(-ω-`。) ドモドモ    
         この文章を読んで、ドッキとしない方がおかしいが!!
         チャンと、逃げ道をつくってある!
        誰も持っている共通項をいっているだけだ。

       この文章の内容こそが、
      筆者に教養がない証拠になる。  o(TヘTo) くぅ
     文章を書いていると、こういうことに気づきされる。
    これが、落ち!だが。
   自分に教養があると思ったら
  これこそ最低の無教養人間である!
  
 ある本を読んでいたら、何処かの大学の教授が
 自分は日本を代表する教養人と書いていた人がいたが。
                    (○ `ー´)○バキッ!         
    ε=ε=ε=ヾ(´▽`*)ノ☆バイバイ 
        ☆ヾ(*´▽`)ノ=з=з=з
・・・・・・・
 2005年01月09日(日)
1377, 人生における成功者の定義と条件−3
                  ー 読書日記
年代があがるほど、面白いものが多くなる。
 やはり、アメリカナイズされた個人主義が戦後教育で根付いてきたのが、
   この定義と条件でわかる。
  ー40代の抜粋である
   この辺になるとやっと、響いてくるものが出てくる。
   ・「今タイムマシンがあったとしたら何時に戻りたい?」と聞かれたとき、
     「今でいいよ」と答えることが出来る人。
             −46歳 歯科医師     ーmy感想ー
      「今でいいよ」にも、色いろな意味があるだろう!
       よほどうまくいった人生か、よほど酷い人生か?
       ・「子供には生きる力を授け、プラマイゼロでしぬこと」
        自らの力で人生を切り拓くことで、たとえ地位、金銭、
        名誉を失ったとしても、誰かには信頼され愛され、
        誰かに気兼ねすることなく、人目も気にしない。
               −41歳 広告関連
        ーmy感想ー
        そう思っているだけじゃないか?勝手に!

 ・「金持ちになって貧乏人のように生きている人」。
  お金持ちは沢山いると思いますが、多くはかえって苦しんでいる気がします。
   若く貧しかった時のように、些細なことに感動できる感性と質素な生活に
    感謝できる気持があれば成功者と思います。
               −48歳男性 開業医
     ーmy感想ー
     「金持ちになって貧乏人のように生きている人」って、
      お金の使い方を知らないだけじゃない?
      金持ちの苦しみの方が、小金持ちだった両親をみていて、
       貧乏人の「何」よりズットよいと思う。
       人格の問題と金の問題は全く違うと思うが。
       ただ品位がそこに出てくるから恐ろしい。
     ・たくさんの人に、或いは、少数の人であっても深く、
     「あの人がいてくれてよかった」と言ってもらえること。
      逃げ水のように捉えどころのない「生きる意味」をおぼろげながらも
      実感できた人。
     条件ー自らの小ささと、世界の大きさを悟ること
    −全ての価値は他者との交わりの中でしか立ち上がってないことを理解すること。
   ー40歳男性 インド人会社員

−50代以上ー

・「人を愛し、その人から愛されている人のこと。」
 条件ー愛の対象が具体的な人間であって、相互に相手の愛を認識していること。
  なぜなら、健康も不健康も、貧乏も財産も、愛する人の存在で価値を持つから。
             −53歳男性 自営業
   ーmy感想ー
    キュープラー・ロスでないが、「人生は愛すること、そして愛を受け入れること」
     を言いたかったのだろうが、「自然を愛し、その自然からも愛されている人」
      の方が深く響くような気がするが。
       神の発見、いや発明?も、自然の愛の擬人化と考えればよいか?

      ・「誰かを愛し通した人」。
     複数でも単数でも、自分のみでも。
    それが対象に少なくとも最終的には有効な方法で。
             −51歳女性 自営主婦
   ーmy感想ー
  何か女性の言いそうな言葉だ。

・世俗的な雑事に惑わされず、自分自身が心底から至福と思える時を持ち続け、
 「生きていてよかった人生を肯定できる人。」
  条件としてー1、大病しないこと
        2、最低の生活を送れる収入があること
        3、優れた芸術作品に啓発されること
         −71歳男性 無職
   ・「最期によくやったと自分で思えば成功者」
    と呼んでいいのではないでしょうか。
     ただし・・人生におけるという大前提が付けばだが。
        53歳女性 主婦

     ・「F・シナトラが歌う『マイウェイ』が、私の『成功者』のイメージです」。
     それは、自分の晩年に自分の足跡を省みて、天に向かって堂々と、自分の人生を
      述壊できる人である。
       しかし、『現代の成功者』という言葉は、きわめて即物的で、嫌いです。
        いま社会でバリバリ働いている人は当てはまらない。
            62歳男性 顧問業
ーmy感想ー
『マイウェイ』を独り悦にいって歌っている男を見ると、
 そうとも思えないが。
  歌と生き方は違うか?
   マイウェイのできなかった男向けの歌か。
            
 ・・・・・・・・
2004年01月09日(金)
1010, 10年日記帳

 昨日「10年日記帳」を買ってきた。
いつも行く書店に、3年日記帳と5年日記帳があり、その横に更に
10年日記帳があった。数日前から迷っていたが思い切って買うことにした。
10年といえば途中で途切れる(死ぬ)可能性もあるが。 
 
 10年前にこの日記帳を書きつづけていたら、毎日が面白いだろう。
日記お宅になってしまうかもしれない。

 買ってみて、「10年先を白紙で毎日意識してみることが出来る」
のではないかと気がついた。
現在はホームページの随想日記に、35年前と2年前と一年前の日記を
コピーして貼り付けている。この為どうしても、後ろ向きになってしまうが、
10年日記の先の白紙を毎日見ることにより、10年スパンで物事をみる目が
知らないうちに身に付くのではないだろうか。

更にもっと深い意味が出てくる可能性もある。
ーポストイットで未来の日記を仮定で書き、貼っておくとかー
ーありたい理想の姿を現在進行形で書いてみるとかー

 年をとっていく自分を見るのが憂鬱になる可能性もある。
反面9年、10年経ったとき後ろ向きになってしまう可能性もある。
その時は亦新たに10年日記帳を買えばよい。
 今日から門出の日記の開始である。

随想日記に、過去の当月当日を貼り続けているが、
結果として毎日過去の日記を見ることになっている。
(いや初めから、それを自分で読み直すために貼り付けたが)
そうすると、ほぼ同じことをしていることになるが、
白紙を毎日見ることが決定的に違う。

まあどうなることか。
こうして公表してしまえば、書きざるを得ないだろう。
習慣化は第二の天性というから。
これも加えたいが・・・・・

・・・・・・・・・ 
 2003年01月09日(木)
 641, 動物と人間

旅行をしていると、色いろな世界を垣間見れる。特に動物の話しが深い。

・シナイ半島で聞いた話だが、ラクダが面白い性格を持っているという。
 理不尽にいじめたりすると根に持って,
 隙を狙って人を殺すという。
 理屈に合ってたしなめながら調教なら恨まないという。
 人間の気持ちと同じという、何か解るような気がした。

・ケニアの湖の小さな舟の船頭に聞いた話だが。
 目の前にいるカバのグループ一匹が先日ある男を襲ったという。
 その男はいつも遠くからカバを馬鹿にしてからかっていたという。
 静かに船に忍び寄ってきて襲って、その後死体はあがらなかったという。
 何気なく現地の人が話すが内容は新鮮で迫力がある。

・中国ウイグルのホータンで聞いた話しが面白い。
 ロバと人間の関係がよい。
 労働力として運命共同体として運搬としてつかうが、死んだら墓をつくり
 埋葬するという。何かその地域の特性があらわれている世界だ。

・アフリカでは野生動物は自動車に乗った人間は絶対に襲わない。
 時間をかけた、といっても100年だろうが、お互いの契約ができているという。

・ペルーのチチカカ湖の沖にの葦で作った島に住む住民の世界だ。
 驚いたのが、鵜に似た鳥が天敵がいなかったせいか人間を恐れないのだ。
 その島民も欲しいときにその鳥をとって食べるのだ。
 現場を見て自分の常識から考えられない光景に口を開けたまま呆然とし た。

・もっと刺激的なのはインドである。牛は神聖な動物とされて最下層の人より
 上に扱われているのだ。街で自由に闊歩している。当然誰より自分が上という
 事をしっている。餞民が交通事故の場合はほとんど問題にされないが、
 牛の場合は大きい問題になる。日本では考えられない。

・パキスタンでは、街の真ん中で羊を殺し解体している。
 日本では勿論、許可をえた場所以外屠殺は禁止されている。

動物との関係は風土や宗教により成り立っている場合が多い。
世界は好奇に満ちている。

・・・・・・・・・
2002年01月09日(水)
295,夢に日付けをいれる

この正月、TVに出てきた創業社長の言葉である。
「時間を切ってない仕事は仕事でない」のは、言うまでもないが、
夢に時間を入れるとは、その段階から計画に移行したことになる。

夢ー>希望ー>目標ー>計画ー>手順と
具体的行為に思考ダウンしていくものだ。
時間を入れるということは具体的目標、計画化に入ることになる。

夢とは長期的な漠然としたものである、時間を入れることにより、短期レベルに、
具体的レベルに引っ張り込むことが可能となる。

人生にビッグな設計図を描いておくことは当然のことだが、時間(日付)のところが
意外と曖昧になってしまう。私が自分の葬式の写真からの視点を、
忘れないようにしているのも、人生の終わりー最後日を意識しているからだ。

言葉の遊びか本心か、「2020、0202、0202」」
2020年2月2日ー午前2時2分。
この辺りを目安に、生きてみよう!今年死ぬかもしれなが、後は神の思し召しのままに!

・・・・・・・・・
1月9日 1969年

9時起床。
1時45分のの汽車で帰る予定が雪の為に15時に延ばす。
正子さんのところに行くと、2千円の小遣いをもらう。
正子さんは話が面白い。
型にはまってないのがよい。
独創的で、自分の哲学を持っている。

15時の列車にのり、19時に帰寮。
市川さんと早速飲みに出る。
23時過ぎに帰ってきて、0時に就寝。
 


2106, それがどうした!それでどうした!

2007年01月08日(月)

                   b(^o^)dおっ 
                   W(^O^)Wはー♪よう♭さん♯
「それがどうした!」
究極の開き直りの言葉として、何ともいえない響きのある言葉である。
そして「それでどうする」が、ギリギリのところで思考から手順への
転換点への切り替えの最後の言葉となる。

   「エ・アロール それがどうしたの」は渡辺淳一による小説作品になっている。
    フランスのミッテラン元大統領が、女性問題について質問した記者に対し、
    応えた言葉「Et alors?(それがどうした?)」もコミック的である。

人は他人の誹謗とか中傷に弱く、常に不安感に悩まされる動物である。
この中傷・誹謗や不安感のために人生の一番大事なチャンスを逃してしまう。
その時の悩みに対して、「それがどうした!」「それでどうした!」
と開き直ってみると、ほとんどは何ということもない。 
そうでもないか?まあ、話を逸らさないために、そういうことにしておく。

「それがどうした!」と開き直ったとき、その対象を考え始める基点とするか、
思考停止にするか大きな分かれ目になる。その対象の問題の本質の
「正一点中心無」に向かって開き直って掘り下げていくか、中断するかの分岐になる。
掘り下げると、殆んど「そんなもの、何とことない!」に行き着く。   
 関西で「何ぼのもんじゃい」という言葉もあるが・・・
   
    事業を一つ立ち上げる時、常にこの言葉と向き合うことになる。
   「それでどうした!」そして、「それが何だ?」
   「それでどうする?」とつづき、「それしかできないのだから、しかたない!」
    となり、そしてあとは「なるようにしかならない」となる。
    その繰り返しの中から手順をみつけていく。

先日、飲みにいったママさんが、あるお客に
「御前はこの辺の飲み屋の中で評判が悪い!」と言われた、
と深刻そうな顔をしていた。「ああ、引っ掛け言葉にやられたな!」と。
これは定食屋の定番言葉で、迷っている時ほど、これにやられる。
卑しい「世間屋」のあれらの「低俗男」が何も考えないで、
二軒で同じような話を聞いていう、あの引っ掛け言葉である。

    「週間ポスト」「週間現代」「週間文春」の低俗記者の記事レベルの
    売らんかなのタイトルレベルの引っ掛け話である。
    その程度の話を一度いった連中は二度と身辺から遠ざけてきたが。
    それでも寄ってくるが・・・
    
    長岡のある不動産関係の??の男に
   「あんた、不動産仲間の中で評判悪いよ!」と言われた事があった。
    ムッとして思わず言ってしまった。
   「私にとって最高の褒め言葉として聞いておく!」と・・・
    これが本人にとって大うけをしたらしく、それをその連中に
    言って回ったと言う。これだけ侮蔑した言葉は無いだろうが
    ますます、世間屋様に嫌われたか!
       それがどうした!

父親の下で「うだつのあがらない二代目」などの小池宇宙の世間屋様の商品に対し、
「それがどうした」「それがなんじゃい!」を自分の脳を守る「超越確実言明」
にするしかない。

石ころが遠くから見れば同じような砂利でしかないが、
ただ変形度がおおきいだけ!じゃないかい、という声が大きく聞こえてくるが。

   「それがどうした」そして、
   「うんで〜?」と呟いていれば知恵が出てくるから。
     ゴミ取り言葉!  蝿取り言葉! か?
           そんなところだ!
              
              ウンジャ(o ・д・)ツ 蝿、いやバイ!
・・・・・・・
2006年01月08日(日)
1741, 教養とは −1

「教養の意味」を検索で調べてみた。 (/´Д`)/Hei !!!!!
     (;¬_¬)  sonnnamon 今日用がない monn!
    
・高く評価される人間性の背景となると想定される知識・経験。         
           勉強勉強!!((φ(◎ロ◎;)φ)))ウラウラウラー!!
・(一般には)一人前の人間が当然持っているべきと考えられる
 一定レベルの知識や 常識を持っていることは当然として、
 古典文学や芸術などに対する幅広い知識を備えており、 かつ、
 それらの知識が品位や人格およびものごとに対する理解力・創造力に
 結びついている状態を指す。       
      ーギリシア語ではパイディアであり、
       意味は「子どもが教育係に指導されて身についたもの」のこと。
      ー英語ではcultureで「粗野な状態から耕された、人の手を経たもの」、
      ードイツ語ではBildungであって「つくられたもの」のこと。
        それぞれに教養の捉え方に対する文化的な温度差がある。
        学問や芸術および精神修養などの文化的活動のことを指す。
        伝統的に西欧の大学で扱われていたリベラル・アーツに
        相当するものとしても捉えられる。
         
        大学の専門課程以前に身に着けておくべき幅広い知識。
        社交界や人付き合いの場面において、
        洗練された会話や身のこなしができる能力。
       (ノ^^)乂(^^ )ノ (ノ^^)八(^^ )ノ
       −−
        以上が検索で調べた内容である。
       
      私が理解していたのは
   「教養=過去に蓄積された知識・経験で全て忘れた後でも残っている素養」
   という言葉である。
  「高い人間性の背景になる知識・経験」というのが解りやすい。
  私など無教養を自認しているのは
 「高い人間性とは、程遠い生き方をしてきた」からだ。
  ( ゚д゚)ンマッ!
  何故必死に本を読むかというと、
 「せっかく人間として生まれたなら、
  可能な限り人類が蓄積してきた文化を知りたい」
   からである。
 
  「教養は愛の別名」というのがある。 愛[*´ω`人´ω`*]愛
  「既存の学問分野を縦断しながら、人生への愛を学ぶのが教養」
     というとなお納得できる。 
  豊かな人間性の背景になる経験・知識というのが一般的な意味である。
 
  ~~匸Pヽ(・ω・`)コーヒーデモノモウ…  つづく
・・・・・・・・
2005年01月08日(土)
1376, 日常最上

書店で「日常最上」という言葉に目が吸い寄せられた。
 日常の何げない生活の中にこそ、実は最上の時間であるという意味である。
  それに気がつくのに、何年かかったことか。

   この随想日記に「22・23歳の日記」を書き写してきたが、三十数年ぶりに
   読み返してみると、当時の「日常の何げない些細な友人との会話や議論、
   そして感情の起伏や感動全て」が光り輝いていたことに、初めて気づく。

    現在でも日常の些細なことが全てが実は最上ということに気がつけば、
    毎日が充実した生活を過ごせるのである。
    あの35年前に、そのことに気がついてはいなかった。
    それを今にあてはめて考えてみればよい。

    逆に言えば、日常にドップリつかってる俗世間を否定するのではなく、
    その俗世間そのものを味あうことがも必要である。

    以前読んだ本で、印象的な内容があった。
   「神様に過去の、ある一日に戻してあげる」
   と言われた人が、昔のある日に戻ったという。
   両親・兄弟がいて幼馴染の友達がいて、何げない全てが光り輝いていたという。
  何故その時、それに気がつかなかったというと、
 「どうでもよい事」ばかりに気がいっていた為だった。

 日常最上は「生きていること、そのこと」が素晴らしいということである。
  悩みも、恐怖も、不安も、怒りも、全てが最上ということに、
  気がつくことである。「生まれてこなければよかった!」なぞ言語道断である。
   そう思える人が多いが。
   他人から見たら、そう思われているのだろうが。

・・・・・・・・・
2004年01月08日(木)
1009, 心を軽くする言葉

何気なく図書館で借りてきた本を読んでいたら,ある項目にこの言葉があった。
 そうそう手軽に「心が軽くなる言葉があるのだろうか」と思いつつ読んでみて、
 ナルホドと思ってしまった。この随想日記も考えてみたら、自分の心を軽く
 する効用がある!
 を軽くする映画シリーズは「男はつらいよ」であるが、少しテーマから外れるか。

  私自身にとって「心を軽くする言葉は何だろうか」と考えてみた。
 「何とかなるだろう、何とかならなくなったら、何ともならないでよい。
  ただ問題の中心点からは眼はそらさないこと、最善を尽くすこと。
  何があっても卑しくはならない事、そして人を騙さないこと」ということか。

   この本の中で、ある女性には魔法のような呪文があるという。
   引用の引用になってしまうが。

   「どうにもならないことは、どうでもいいことだ」

    この一説を目にしたとき、スッと肩の力が抜けたという。
    努力のかぎりを尽くしたのに成果が出なかった。
    といって、誰かを傷つけた訳でなし、死んだわけでもない。
    どうしても必要なものなら何とかなったはずだから、
   どうにもならなかったことは、それだけのものでしかなかったのだろう。
   これがその人の解釈だという。本人にとって正しく魔法の呪文だったのだろう。

   この文章を書いていて、気がついたが今実行している「ありがとう」という
  言葉の呪文こそ、「心を軽くする」言葉である。
 ウォーキングをして、1千あたりからスッと気持が軽くなるのが解る。

 この本ではシンプルな例として
 ・「時間はすべてを解決する」
 ・「小さなことは気にしないことだ。そしてすべてのことは小さなことだ」があった。
  ところで、この不景気ほんとうに心が重くなる。
   心のレッスンと受け止めて、日々過ごしているが。 
   
・・・・・・
2003年01月08日(水)
 640 ,ラスベガス

去年の年末にBSTVでラスベガスのショーを連日放映した。
その華やかさにただただ驚いた。
NHKの紅白より豪華で格段の差があった。
センスといい規模といい比べること自体が可笑しいといってよい。
アルゼンチンでタンゴのショーを見て圧倒されたとき、ラスベガスの
ショーはこんなものでないのだろうと思った。


先日図書館で借りてきた本に偶然そのラスベガスを書いてあった。
浅田次郎の「絶対幸福主義」である。
彼は仕事の頭の切り替えにラスベガスに年5^6回行っている。
そこでこの街をわかりやすく描写している。


ーラスベガスというのは、カジノだけでなくホテルもレストランも、
全体が堅気ではない。すべてが遊び場、夢の世界なのです。
だから24時間、私を別の自分にしてくれる。
こんな街は世界に二つとないでしょう。
何を求めて年に5回も行くかというとリフレッシュのためです。
いやリライフー生き返る・蘇生するという造語を言わせてもらう。


まずホテルからして面白い。私が滞在しているのは「トレイジャーホテル」ですが。
その名のとおり、コンセプトが「宝島」。で、地下のフロアーに行くと海賊が
ウロウロしているんです。隣の「ザ・ミラージュ」は、ホテルそのものが
ジャングルになっている。
その隣の「シーザーズ・パレス」は、古代ローマそのままの内装なんであります。
街そのものがワンダーランド。ディズニーランド顔負けであります。
意外と思われる方も多いでしょうが夫婦や家族ずれで来るとさらに楽しいところだ。


どこに行ってもきれいだし、治安がいいし、買い物をするにも世界一というほど
ショップが揃っている。洒落たレストランもそこらじゅうにある。
この街の健全性に、私は感動してしまいました。
と同時に、いかに日本人が博打を罪悪してるかを再確認しました。
   ・・・・・・・・・
等々、目に浮かぶような描写である。
俗っぽく言えば
「如何にお金を持つことが大事であるかと、またそれを使うには能力が必要」
ということだ。


私の場合は秘境旅行を、そのままこの文章に当てはめることができる。
「こちとらは、ニセモノのジャングルや古代ローマや宝島じゃないぞ。
本物なのだ」というのも金と能力の限られた人間の負け惜しみだ。
一度ラスベガス行ってみたくなった。
何時も乗換えで飛行場から遠く街を眺めていたがこんな楽しい街なら
行ってみたい。
金をたっぷり持った人種に圧倒されて帰ってくるのが目に見えているが。

・・・・・・・・・
・・・・・・・・・
  
 2002年01月08日(火)  
 294、正面突破しかないのでは?

今の日本は6掛け規模に収縮になるべき立場にある。
何をもって6掛けかはただ勘であるが、間違いはない。
今の生活を維持をしようとして、それを嫌がりどんどん銀行から金を借り、
雪達磨式に借金が年収の10倍以上に増えていった家庭の状態と仮定できる。

今もその範疇より一歩も出れない状態にある。
「こうすれば、よくなるという」視点より脱却しなくてはならない時期に来ている。
やはりクラッシュに向かって正面突破しかない。
もっとも自然にそうなっていく。しかし今の評論家のほとんどが、
この視点から一歩も出ていない状況である。

ソ連の崩壊までの前提と、それ以降の前提が全く変わってしまった。
アメリカの優待の立場が消滅してしまった、その事実が解ってない。
解っていてもどうにもならないのだ。
この10年ああすれば、こうすればと小出しにいろいろやってきて気づきはじめた。一度清算しなくては、これを小泉首相が建前で言った。
しかし見ていると、まだ腰が引けている。

恐らくクラッシュがおきるだろう、いやおき始めたと言ってよい。
仕方がない、いや長期的にみたらよいことだ。大津波がきている、
しかし全ての知恵を使って各自が自助努力するしかない。
恐ろしいことだが!近じか地元の大手の建?業が倒産するとの噂も入ってきた。

・・・・・・・
1月8日  1969年

9時過ぎに起床。
10時半に両親と料理屋の「青木楼」へ行く。
11時から実家の店の新年会だ。
70人ほどの会であった。
大広間にこれだけ集まるとさすがに凄い。
終了後店の二人の女性とボーリング場に行く。
その後4人が来る。
6人の女性とのボーリングは楽しい。
その後、ゴーゴー喫茶に行く。
一時間で切り上げて一人で帰ってくる。
家に変えると、株屋の田中さんがきて父と話をしている。
22時に就寝。


2105, ウェブ人間論 −4

2007年01月07日(日)

            (~Q~;) おはよう〜〜 ファ〜

ネットがますます重要な位置を占めてくるとき、
その中での実名か匿名か、どちらを選ぶか大きな問題になる。
匿名の場合は無責任な事も書けるが、実名は書いたことは実際に話していることと
同じことになり、当然リアル世界に直接跳ね返ってくる。
    
     このHPを書いていて時々面白い現象にであうことがある。
     自分が忘れていた事を相手が憶えていて、読んでいる人のほうが
     自分のある一面だがよく知っていることがある。
     これだけの量を書いていると何を書いたか、自分でも忘れてしまう。
     自分の体臭に気づかないのと同じで、悪臭は敏感に感じ取られてしまう。

このHPは、自分のネット上の分身であると同時に、本心そのままである。
もし私の知人が殆んど同じHPを書いていたら、これほど面白いことはないはず。
最近一人芸の「ピン芸人」ブームであるが、何か非常に似ている。
面白くなければ他人も自分も、毎日つづかない。
特に文章は残るものだから、そして「未来の読者としての自分と、自分の分身」
に語りかける要素があるので、手抜きは許されない。
実際、匿名のHPも自分を大きく開放してくれるだろうが、
「自分という世界の構築」という意味で、マイナス面が大きいのではなかろうか。

ーーー
第二章 匿名社会のサバイバル術 

梅田:ネットをする人と、パソコンを触ったことのない人もいる。
 今は間違いなく過渡期です。
 初めて入ったコミュニティーというのが本当にベストであるという、
 保証は全くないのです。その齟齬のようなものが、家族の中にも、
 学校にも、日本という国にもあり、物理的な大きな制約になっている。
 でもネットでは、自分がいたい場所が選べる。
 人との出会いを含めて可能性がバーンと広がっている。
 学校のクラスの中には自分と合う人はいないけれど、ネットに行くと
 母集団が50人から500万人に変わって、さらに検索が出来るから、
 在ったこともないけど自分とおなじことを考えているとか、
 自分にピッタリあった人が見つかっていく。
 これがものすごく大きなことで、それが、ネットへのワクワク感を
 持った人たちを「ネットなしではやっていけない」という感じに
 させているのだと思います。

    梅田:専門性ということでも、一つの研究所にITのプログラマーが
     500人位在籍していても、ある一人がやっていることは必ずしも、
     その組織では理解されないのです。あまりに専門化しすぎてしまって。
     ところがオープンソースの世界では、ソフトウェアーのコードを
     ネット上に無料で流すと、いきなりロシアとか中国とかシリコンバレー
     からでも、「お前のコードは凄いよ」とか、「同じことを考えていた」
     とか、世界中の不特定多数からのリアクションが届く。
     この感動が核にあるんです。リアル世界では誰もわかってくれないのが、
     ネットにのった瞬間に変わる。オープンソースの原動力って、
     結局そういう個々の承認感動にあると思います。

梅田:ネットの魅力の感じ方は、リアルな空間での自分の恵まれ度に
 反比例すると思います。リアルの世界で認められている人や、
 いい会社に勤めている人たちに、いくら僕がネットがいいよ話しても
 わかってもらえない。リアルで完全に充足しているから、別世界なんて
 必要としないのです。

 −−−−−−−−
*ピン芸人的ブログ
 −−−−−−−−
平野:ネット社会によって到来した「一億総表現者時代」というのは、
 非常に刺激的なことと思っています。今までは一部作家と出版社だけに
 寡占されてきた「_〆(。。)書く」という表現手段が、一気に、
 しかもただ同然に、誰にも開放されたのですから。
 その内容といえば二つに分けることができる。
 一つは、有益な情報発信、情報交換の場としてのブログ。
 もう一つは、個人のアイデンティティに関わる、
 つまり今日何を食べたかというような当人以外どうでもいいようなことを
 こつこつ記録していくブログ。
 
     最近演芸において、3名をトリオ、2名をコンビ、というのに対し、
     1名でネタを演じる者をピン芸人がブームになっているが、
     あれはブログ的と感じるのです。伝統的な漫才のボケとツッコミは、大体、
     ボケの方が突拍子もないことを言って、ツッコミが「何でやねん?!」
     と常識を代弁してそれを咎める。これは、リアル社会のパロディーですね。
     それに対してピン芸人は「なんでやねん?」と人からツッコマれる場所では
     黙っているけど、でも、心の中では、むしろそうしたリアル社会の「常識」
     の方に「みんなそう言うけど、本当はこう思っているんじゃないの?」と、
     ツッコミを入れる。その意味で逆転している。
 
 ピン芸人は、マスメディアを通して、視聴者の内面の声に語りかけるわけです。
 これは、ネットでブロがーたちがボソボソと不特定多数の人に向けて語っている
 言葉と近いんじゃないのかと思います。ただ、誰に向かって語っているか、
 というのはどちらも明確でなくて、誰か分かる人だけが反応すればいい、
 というスタンスです。
 
     −−−−−−−ーーーーー
    *空いているスペースを取る*
     −−−−−−−−−−−−
     梅田*僕は自分の本のタイトルを、グ−グルで空いているスペースから
     探してつけているんです。『ウェブ進化論』も空いていたんです。
     グーグルで『ウェブ進化論』って検索しても、僕の本が出るまで、
     20件ほどしか検索結果がでなかったのです。
    『シリコンバレー精神』というタイトルも検索したら空いていた。
     そういう工夫をしながら検索エンジンと付き合っていくのが、
     これからの時代を生きる術の一つだと思います。
     ある情報が200万件も検索エンジンに引っかかると、
     そのうちの一つは、もう砂浜の一つの砂みたいになるんですよ。
   −−−−−−−
   後記)このタイトルは先手を打った内容である。
  これからのネット社会の人間像を最初?に掘り下げている。
  一日300のブログを読むとは、今までの私の感覚からして信じられない。
  せめて一日10のブログを読むことから始めたい。
  これが今年のブログへの移行と同時のチャレンジだろう。
  その選定から始めなければならないが、まずは梅田のブログからだ。
              (⌒▽⌒)/"”さいなら!
 ・・・・・・・・
 2006年01月07日(土)
1740, アウグスツヌスとローマ帝国
              (σ・з・)σオハYO!!
先日のNHKハイビジョン特集
「ローマ皇帝の歩いた道」が面白い。
ー内容の概略といえば、
  海を制したローマ帝国の初代皇帝アウグストゥスが築いた
   地中海の交易ルート「海の道」を紹介。
   イタリアやギリシア、チュニジア、スペインなど地中海沿岸のローマ遺跡を
   日本の考古学者がガイドしながら旅する内容であった。

    ・エジプトを破り地中海の覇者となった海戦の舞台、ギリシアのアクティウム。 
    ・皇帝ゆかりの街、スペインのメリダ。
               (*^ー^)/C□~~コーヒーいかが?      
    ・はるか北アフリカのチュニジアにそびえ立つ巨大な円形闘技場と水道橋。
         
    ・帝国内の圧倒的な遺跡群と新発見に沸く発掘現場、
     そして今なおローマ帝国の遺産と共に暮らす人々とのふれあいを通じ、
     多民族を束ね上げ、地中海に君臨したローマ帝国繁栄の秘密に迫っていた。
     去年北イタリアに行ってきたことも含め、ローマ帝国に対して関心が
     わいてきた時期なので、丁度良いタイミングであった。
   
ーその中で印象の強い順に印象に残った内容を書いてみる。
 1、アウグスツヌス皇帝が、
   スペインのメリダの円形闘技場で思いたった
   「円形闘技場の座席を差別化して、階級制度をビジュアルに見せる
    仕掛けを考えた。
     大まかに身分ごとに三段階に席を分けて、
     娯楽の中で差別意識を埋め込んむシステム」が面白い!
     どこの都市にも円形劇場という娯楽を与えて、
     その中で、無意識の中に階級制度を埋め込んだ。 
    2、自由民といわれる最下層でも、25年の兵役を果たせば
      一般市民に格上げされるシステムもよい。
      自由民は自ら望んで兵役に従うシステムである。
 (‘0‘@)スゲ〜!     
    3、地中海を内海としての戦略ポイントにおき、
      それを中心に帝国を創りあげた
    4、占領した相手の破壊は最小限度にして、
       兵役システムで多民族を束ね上げる手法も卓越している。
     また兵役を終了した際、「世界で初めて退職金制度」もつくった。
  5、ここでは紹介されてはいなかったが、
  ローマ軍の日常の大部分は、帝国内の道路の整備に費やされていた。
  こと反乱があった時に軍を数日以内に到達できる準備を常にしていた。
「ローマは一日にしてならず」という言葉の重みが、
 窺い知れる。 
               ☆~~ヾ・ェ・)o尸~ マタネ~♪ 
・・・・・・・・・・
2005年01月07日(金)
1375, 人生におけ成功者の定義と条件−2

合間にある「一般の人」の「成功者の定義と条件」が面白いので、
幾つか抜粋してみるが、
要するにそれぞれの価値観を述べているに過ぎないが。
成功も失敗も、あくまでも価値観が決めること、価値論を持ち出すと
根こそぎ、このテーマが崩れてしまうから深く追求はしないで論を進めたい。
年代によって、その答えが深くなっているのが面白い。

ーーー
ー20歳代以下のアンケートの内容を抜粋ー
・生きていくのが永遠でないという事実に死にそうになるほど
恐ろしくなる、でも
「そんな死を受け入れられるような、楽しい時間を生きる」
それが人生における成功と思います。ー16歳男性
 ーmy感想ーこの同じ言葉を16歳の人がいうのと80歳の人がいうのとは
 全く意味合いが変わってくるだろう。
・「自分で自分のレールを敷けること。」
でもやっぱり、何年経っても、今の自分と変わらない笑顔をつくれることが一番。 
    ―21歳女性。
・自分自身で考え決定した、好きなことをやっている人。
「それが趣味でなく職業であること」
その職業において自分の理想とする生活がなされていること。
また満足していること。これを満たし、日々楽しんでいること。
    ー24歳女性
・「自分でけっこう幸せなのかな」と思える人。
    −27歳女性
 ーmy感想ー日々変わるから、特にこの年代の女性は 
・「徳を積み上げ、それに溺れないこと」
 より多くの人に良き影響を与えた人。 
    −28歳男性 フリーター

ーー三十歳だいになるとーー
・百貨店に展示してある
「ピアノで飄々とドビュッシーを弾くホームレス風の初老の男性」
と、迷惑そうに彼を追い払う店員を見かけました。
彼らを見て思ったことは、「社会的な」成功と「人生における」成功とは
別物のようだ、ということです。
     −31歳男性 会社員
ーmy感想ー
 「う〜ん!」でも、「唐文字で、売家と書いてある・・」に似ているが。
即興劇風に、人生の全てが詰まっている。
その男の人の心の中はどうだったのだろうか?
 
・「仕事を愛すること。また愛する仕事を見つけること。」
昔、ドキュメンタリー番組でみた、ある老指揮者の一言が忘れられません。
「仕事をしている感覚が無いんですよ。楽しくて、楽しくて」
自分が給料を得ている仕事が楽しくてたまらず、なおかつその仕事で
世界的な名声を得ている。
     −34歳男性 メールマガジン編集
ーmy感想ー
 わかるけど、その人の背後の苦労の積み重ねに気がつかないと!
とんでもない誤解をする。
本当に、楽しくて楽しくて仕方がないのだろう。 
でも、毎日「楽しい、楽しい!」を、千回いい続ければ、
 大して変わりはしないのでは?
                 つづく
・・・・・・・
2004年01月07日(水)
1008, 勘違い

ーマニフェストとフェミニストー

 昨年の暮れの「今年の総括」の文章の中でマニフェストとフェミニストを
間違えてしまった。帰省中の息子に指摘されて気が付いて半日で書き換えた。
読んでいるほうからみると、このような漫画的な間違いが限りなく見えるから、
面白いだろう。誤字当て字も読み返していると多い。

 実際のところ、この間違いは解っていた。
それでも間違えるのだからどうしようもない。
フ「ァ」ミニストとフ「ェ」ミニストの違いと思い込んでいたのだ。
ところが実際はマニフェストの「マ」と「フェ」の違いであったのだ。
人生は全てが同じような間違いで成り立っているのだろう。

 作家の沢木耕太郎が同じようなことを書いていた。
「赤い靴はいていた女の子、いじんさんに連れられていちゃった」
という歌の、「偉人さん」を「いい爺さん」と最近まで勘違いをしていた
という。
大学受験のときの問題に、与謝野晶子の「たけくらべ」を「背比べ」
と書いたことを思い出した。
ある姉に、それを知られ何度もからかわれた経験がある。
またボランティアをボランタリーと言ってしまったこともあった。
それも何度指摘されても、いい違えてしまうのだ。
また、去年の今日の随想日記に「野田一夫」の夫を男と間違えて
今さっき書き直したところだ。恥ずかしい事だ。

 今回は、帰省中の息子に指摘されて氣が付いたので良かったが、
この随想日記の中で数多くあるのだろう。
読んでいる方は、それを冷笑しているから逆に書けなくなるのだろう。
書いている方は、「馬鹿の公開」と開き直っているから平気?であるが。
今回みたいに明らかに英語力の無さというより、基礎学力の無さが露出して
しまうのだから厳しいといえば厳しい。

・・・・・・・
2003年01月07日(火)
639, 自己疎外

35年前の事だが経営学の野田一夫教授の授業をうけて数ヶ月。
同級生が手をあげて「自己疎外とは何ですか?」という質問をした。
それに対しては一瞬詰まって「君にはちょっと早い問題だよ!」と答えた。
その時から「疎外」というキーワードが記憶に鮮明に残った。

これは大不況の今の時代にピッタシだから敢えて書いてみる。
組織や地域社会に所属していると孤立している感覚に陥ってしまう。
全ての人が自分をあざ笑っている感覚であり、取り残されている感覚が
疎外感である。誰もが持っている挫折感と絶望感の一番の空虚感である。
死や失業になった時に初めて気づくのだ。

自己疎外感は孤独のブラックホールといってよい。
全ての充実感や存在感を吸い取っていくのだ。
宗教業界の商品作成のデザインの一番の落としどころだ。
それを見抜いて神と共同体を与え愛をささやくのだ。

今の日本に自己疎外を持った人が満ちている。
それは絶対神ーラージXを持たない日本の弱点になっている。
大都会の酒場で一人飲んでいるほうが禅寺で座禅をしているより、
孤独感を感じるのは自己疎外に陥っている状態であるからである。
ところでこのホームページを開いてから自己疎外感が激減した。
疎外感退治にホームページを開くことを勧めます。
  疎外感を感じている方が真実に気づいている事も事実である。

・・・・・・・・・
1月7日 1969年
11時起床。
12時に食事。
午後は本を読み、甥の慶昭と話をしたりする。
夕方、店でコートを買う。
0時から3時まで勉強をする。
会社の佐藤さんの分析解剖をしてみる。
文章に書いてみると、やはり気がつかなかった部分が見えてくる。
「内容」は・・・・・・・・・?・
ー自己実現について考える。
人生はつまるところ自己実現のプロセスを踏むことだ。
自己実現とは、自分の設計図を書いて、その設計図にのっとって
生きていくことである。それも自分に適したものであるべきだ。
ゼミの同期の一人一人を具体的に考えてみると理解しやすい。
それぞれの特性を生かして自己実現を図るのがベストだ。
私は何だろか。
自主独立の行動力だろうか、それとも生真面目だろうか。


2104, 勘違い!

2007年01月06日(土)

  オッ(*^○^*)ハ〜ヨウサン!

先日のモーニングショーで、
TVで勝ち組?の六本木ヒルのマンションに入っている社長と、
月十万円を稼ぐのに必死の三万円のアパートに入っている漫画本講談師との、
二人の年末の日常を、同じ時間軸を対比しながら映し出していた。
共通点は、20歳代後半と、フリーター出身である。

    私の目からみれば月十万円の漫画講談師のほうが遥かに良い一日を過ごしている。
    それが画面にはっきりと映し出されている。
    地に足をしっかりつけて一日を過ごしているのはどちらか歴然としている。
    しかしディレクターの素材の問題だろうか、それとも実際は、私の指摘した
    隠れ真実を?ディレクターは言いたかったのだろうか。

モダン主義と、ポストモダン主義の問題そのものである。
誰もが認めるような大きな成功物語を良しとするか、それとも、
自分がしたいことを傍の目をものともせず生きる物語を良しとするか。
コミックなのは、成金の方が一時代前の価値観で生きていることだ。
だから漫画講談師と対比させたのだろうか?いや違うだろう。

    何が六本木ヒルか笑ってしまう。あれが何だっていうのだろう。
    気の毒な連中の収容所でしかないと思うのも私だけだろうか。
    満足感の問題だから敢えていうこともないが、ただ単純に、こちらは良い、
    あちらは悪い、と決め付けることに問題がある。
    たまに泊まる分にはよいが何じゃありゃ!でしかない。
    これは私の立場。
    村上某とか、ライブドアの某とかいうパンダが、証明したではないか。
    
自宅から歩いて数分の所の土手の彼方此方に鴨がいて、セキレイが飛び交っている。
どっちが素晴らしいというのだろうか。
そんなこと決まっているじゃないか、というのは年齢のためか。
下の息子も一昨日鉄骨ジャングルに帰っていった。
嬉しそうなところが、痛々しいが・・
彼の方は、小さな世界に安住している地方の両親!と位にしか、
見えないから、それは年齢と適正の違いもあるが・・・

    話が逸れたが、漫画本講談師の男、毎日がスリルとサスペンスだろうが、
    決して楽しそうでないのが気になったが・・・

・・・・・・・・

2006年01月06日(金)
1739, 人生の自己採点
             ま! (。・・)_且~~ お茶どうぞ
            オットッ! 且_(゚◇゚;)ノ゙ アチッ!
                 
私の何気なくする質問が時々キツイことをいう。
 その中でも特に顔色を変える質問がある

 「これまで生きてきて、自分の点数をつけるとしたら何点?」
                   )))))))(゚o゚;)/ギク!
   思わない質問に、自己評価をどうしてよいのか一瞬たじろぐ。
    おそらく、その後かなり悩むのではないだろうか。
     それも次の言葉を加えるから厳しい。

「一応、あなたが考える第三者の評価も含めて勘でよいから
  感覚的な数字をあげてみて」 と、一瞬の間を置く。
                   (;゜0゜) ハッ
   大体、70点以上の人は直ぐに答えるが、
    それ以下の数字を頭に描いた人は黙ってしまう。
     
   この答えをはぐらかすには、
 「合格点が60なら、その辺かな?いや努力をしたので70点あたりか。
 しかし他人は50点以下と評価するだろうな!」

  知、力、愛の三分類をして、それぞれの点数を自己評価して、
   その平均値を出してみると解りやすい。

 「そんなことなど、お前の一番嫌う世間体の視点でしかないだろう!
     馬鹿なことを言うな!」 
      という心の奥の声が響いてくるが!

 私の義兄の弟(長岡高校の同期)に数年前に遇ったとき聞いたら
  「93点!」と答えた。   ヽ(・_・;)ノ ドッヒャー!
   松下電器でかなり出世をしたという。
   そのとき私の答えは
    「83点」であった。   ノ(*≧∀≦*)ヘ
     少し無理をしたか?     モジ(((*´ε` *)(* ´З`*)))モジ

・・・・・・・・
2005年01月06日(木)
1374, キュープラ・ロスー2

ロスに関して、もう少し詳しく書いてみる。
ターミナルケア(終末期医療)のテーマにおいて最も愛され、
尊敬される第一人者の存在である。

若き日の勤務していたニューヨークの病院での瀕死の患者の扱いに
彼女は愕然とした。
〈彼らは避けられ、粗末にされ、だれも彼らに正直に接していなかった〉
彼女は他の同僚たちとは違い、いつも末期の患者とともにいて、
彼らの心の声を聴いていた。

そして彼女は「自らの経験を語る瀕死の患者についての講義」を始めた。
1969年の最初の本「死ぬ瞬間」はキュブラー・ロス博士を世界的に有名にした。
〈私の当時の目標は、患者が心の奥深くの悩みを訴えることを禁じる
 専門家の拒否の姿勢をうち破ることだった〉と書かれている。

このテーマについて何年間も満席の聴衆に向かって話をし、20冊以上の本を書き、
25カ国語以上に翻訳され、また彼女は20を越える名誉博士号を受けている。

1995年に彼女はひどい発作におそわれた。
麻痺が残り、彼女自身死と向き合うこととなった。
容態が安定したとはいえ、彼女は発作から完全には回復していない。
〈私はゲートを出たのに離陸できなかった飛行機のようなものです。
ゲートに戻るか、そうでなければ逃げ去ってしまいたい〉
と正直に自分を語っている。

「世界中の人に愛を与えた聖女」の実像は、家族をおきざりにして、
世界中の人々に愛を与えて歩きあげくの果てに、霊媒師に引っかかり、
結局は一番最愛の人(夫)を失ったともいえる。
その晩年は孤独で淋しい老女だったことは間違いない事実。

世界中の死に直面をした人を救った彼女は、自分の愛する人を救えなかった。
皮肉といえば皮肉である。
しかし、その矛盾した姿こそ、彼女の偉大の姿でもある。

「死の瞬間」の出版から、世界中の注目を集めた独りの女性は、
その晩年の姿は決して幸福ではなかった。
先日のテレビの映像はその姿を生々しく映し出していた。

世界的地位や名声と引き換えに、
一番大事な「家族との時間」を失った彼女の姿は聖女といえば聖女であろう。
彼女の晩年に書いた「ライフ・レッスン」という著書も、なかなかの内容だ。
全てが人生におけるレッスンと思って生きていけば、全てを受容することが
可能になるからだ。

若いときに鬱々としていた時、ふと
「全てが人生の修行と思えばよいのではないか」と思った経験がある。
そして、その視点で全てを思い見直したとき、霧が目の前から消えていく
思いをした経験がある。

人生全般からみたとき、死に直面した時こそ最大なレッスンになるのだろう。
両親に後ろ姿を、その時に身近でジックリ見せてもらった。
しかし、自分が直面しないと解らないだろうが、ロスは直面した時
何を学んだか?
一言二言では言い表せないのは当然である。

・・・・・・・
2004年01月06日(火)
1007, 激突!エコノミスト-今年の景気予測

一昨日の田原総一郎司会の「サンデープロジェクト」の新聞見出しが
「激突!エコノミスト」であった。
経済予測をエコノミストが議論する新年恒例の内容である。
「小泉構造改革に展望があるか」を中心に議論をしていた。

ー内容をまとめてみると
・今の日本は「粉飾国家」とまで断言をしていたエコノミストがいた。

・ほとんどのエコノミストが「小泉の構造改革」は失敗をしたと断言。
 道路公団の改革は全くの骨抜きにされたと意見が一致。

・年内の景気は悲観論と楽観論が相まっていた。

・今年は中小企業の倒産等が大問題になる。
 それに伴ない地銀以下の問題が派生してくる。
 どのエコノミストも地方経済は最悪と認めていた。

・政府は、どうにもならないアメリカの国債を買い続けている。
 そしてドル安にして、日本の資産を吸い取っている。
 アメリカ経済は大統領選挙が終わった来年が問題になる。

・デフレスパイラスに入ったかどうかに対しては殆ど議論はなかった。

・来年のペイオフの影響はあまり議論はなかった。

 私の目から見て、刺激的な言葉は避けているようであった。
 悲観論者は遠慮をして話しているようでもあった 
 
 道路建設しても止めるにやめられないのが実情だろう。
 半減でもしたら、建設業界は壊滅をしてしまうからだ。
 いずれにしても、表面は繕いながら中味は凄惨な状態が避けられない。
 「粉飾国家」という状態であると見なくてはなるまい。
 
 他は如何であれ、自社は生き抜かなければならないのが経営である。
 この環境の中の舵取りは大変だ。
 今更のことだが。
 ・・・・・・
 
 2003年01月06日(月)
633、「不幸論」ー中島義道

 図書館で借りてきたユング派の哲学者の中島義道の不幸論が面白い。
幸福論の自己欺瞞を鋭く指摘したあとに、人間の最終結末の死をとらえて
不幸論を書いている。しかしあくまでも幸福論の批判であって、
不幸論そのものを見すえて論じてはなかった。

しかし不幸を座視にして幸福論を批判するのは、逆に幸福論をより鮮明に
浮かび上がらせて理解するのに良い。
幸福の構造は
1、自分の特定の欲望がかなえられていること
2、その欲望が自分の一般的信念にかなっていること
3、その欲望が世間から承認されていること
4、その欲望の実現に関して、他人を不幸に陥れてないこと
特に1〜3までの実現に4が生じてしまう。

幸福論というと、エピクロスの快楽主義が思い浮ぶ。
「人生において、面白おかしくしたい事をする事が全てに優先されるべき」
バランスが問題になるだろうが。

最近の幸福論としてヒルティやアランである。
・ヒルティの幸福論はキリスト教の理想的なカタチ
・アランは内省ー解釈の仕方ー気持ちの持ちよう
集約するとこんなものだろう。

私の幸福論はやりたい事を見つけどれだけやったかという
達成主義である。それもあくまで自己欺瞞でしかないのだろう。
愛・知・力という3点に自分の目標値は決め、達成のプロセスが=幸福という
単純なものだ。しかし死を宣告された時にその達成感など何の支えになるかと
考えると、その前に粟粒でしかない。

この不幸論の一番気にいったところを抜粋した

ーだいたい、幸福論を書こうという人の動機が気に入らない。
彼(女)は、
・まずだれでも幸福になるという基本態度を押し出す。
・次に、この磁石の上に、自分の体験を重ね合わせて、幸福とは大それたもの
でないことを、それは考え方を変えることで誰の足元にもころがっているという、
壮大な建造物ー砂上の楼閣を創りあげる。

これは幸福教の布教にすぎないまやかしである。
幸福そのものが虚妄なのではない。
幸福そのものが、じつはあまりにも高いところに位置する。
幸福が安直に手に入ると思う事が、虚妄なのである。

各人の幸福は自分の五感で探すしかない。
そしてヤコブが砂漠で神と格闘したように、全身全霊でみずからの
人生と格闘した後に、とうてい到達できない事を知って、絶望するほかない。
こういうことを悟った者は幸福でない。
しかし、幸福という幻覚に陥っている者より数段マシである。
・・・・・・・・
以上がだいたい彼がこの本で貫いている主張の要旨だ。
私の今の気持ちー敢えて気持ちと書くーは以下である。
両親や身近な人の死に様や生涯をみて、
一生かかって何かをやり終えた人生そのものの判断を幸・不幸という言葉で
論じるべきでない。
それは酔ってる気分の状態を論じているにすぎない。
「酔って気持ちが良いか、悪いかの」
まあ幸不幸は考えないのが一番幸福だ??

・・・・・・・・
2002年01月06日(日)
292,システム・エンジェニアーSE

ソフトハウスの仕事の柱になるのは、SEである。
去年、下の息子がアメリカの会計系のコンサルタント会社に就職した。
勤めて初めての帰省で、会社の内容ー特にシステムー
を少しでも聞いてみた。あまり多く聞くチャンスがなかったが、
「仕事内容は実際何だ?」と聞いたところ、意外な返事であった。

会計を中心としたシステムの「システムエンジニア」であった。
なるほど!と思ったが、当然といえば当然だ。
会社の(システム)改革は、新しい進んだソフトを導入することである。
そこでハッとした、事業も考えてみたらシステム・エンジニアでないかと!
会社作りもそうだ。時代のニーズに対する、新しいシステム設計とそのカタチ
作り(業態)を起業というのでは?間違えていれば即座に破壊される。

GE のウェルチのNO1戦略も事業のシステム設計でなかったか?
設計会社も考えてみれば、システム設計が本来の仕事である。
この事は全ての事業に云える事でないか。少し飛躍した論になってきたが、
情報社会において、「システムとして選択と集中の設計」がもっとも大事な課題
であることは確かである。

・・・・・・・・
ある時間の断片
1月6日 1969年
10時起床。
食後、11時から16時までジャスコに出す論文の下書きを完成。
それにしても集中力が足りない。
構想力や文章力のなさに自分でも情けない。
絶対量の本を読んでなかったツケがこういうカタチになって出ている。

独りになる時間が少なかったのだろう。
その為に、独りになると逆に縮んでしまうのだ。
焦りと、動揺がここにきて出てきた。
リラックスをして自分をもっとしっかり見つめないとダメだ。

このように家に休暇で長く居れるのも、これが最後だ。
こうしてみると、やはり学生時代は人生で一番良い時だったのだ。



2103, ウェブ人間論 −3

2007年01月05日(金)

          o_ _)oパタ (o- -)oムクッ (o°▽°)oニパッ
          (o_△_)oゴロン(o_ _)o.。o○グー   オハヨ〜
    
    このHPを開設して、あと4ヶ月で六年になる。
    開設した日の前と後というほど、大きなインパクトを持つことになった。
   「誰かに見られている」という意識が文章の手抜きを最小にしてくれる。
   「手抜きができない」が一番の自己コントロールになっている。

    平均2時間の準備と、寝る前に30分、起きて30〜45分の添削をしている。
    それでも会社にいって読み返すと誤字や筋が通ってないことが多い。
    誰に頼まれたわけでもないのに、毎日書き続けて2100項目になったが、
    確かにこの六年近く書き続けたことで、何かが変わった。

    文章化の能力と、その蓄積と分類、
    そしてそのオープンソース化は、
    人間の脳を根こそぎ変えてしまう不思議な何かがある。
    ーーーーー

第一章 ウェブ世界で生きる  −

*ブログで人は成長できる*
 ーーーーーーーーーーー
  
   平野:梅田さんは新書や文庫という旧来型の紙という媒体で本を出される一方で、
    ウェブ上ではブログを書かれていますが、両方を経験して、どういう印象ですか。

梅田:まずブログというのは、まとまったものを読むのには不向きです。
書くほうも読むほうも、一日でせいぜい原稿用紙で5〜10枚ですから。
だから読むほうも、ジックリ読むのではなく、情報をパッパと見て、
リング先に飛んで戻ってという情報ハンティングですよね。断片を消費するに近い。

   平野:朝、新聞をざっと読むような感じで、ということですか。

梅田:ブログは文章の推敲が足りなくても、少々誤字があっても、
リアルタイムが必要だということです。
それに対し、本にしたのは、思考を構造化したかったということです。
考えをひとつの構造にまとめるのに適したメディアはやはり本しかない。

梅田:むしろブログの本当の意味は、何を語る、何かを伝える、ということ以上に、
もう一つあるのではないか。ブログを書くことで、知の創出がなされて以上に、
自分が人間として成長できたという実感があるのです。
ブログを書き始めたとき、最初は自分の中にどこかに、
「シリコンバレーでずっとITの未来について考えてきたプロ中のプロの僕が、
無料で毎日書くんだから、読者はありがたいと思って読むに違いない」
という意識があったんです。
毎日二時間ぐらい勉強した成果を、一時間かけて書くわけですから。
メディアやクライアントに送れば有料の内容のものを毎日毎日、
無料で公開しているのですから。

    平野:その感覚があるから、既存のメディアが書いている多くの作家の多くは、
     ネットで無料で書くことに躊躇しているのでしょう。作家は表現そのものが、
     仕事のわけですから。

梅田:ところが、ブログを始めて数ヶ月たった時に、オープンソースのことを
書いていたんですね。オープンソースで世界的に活躍している日本人が実は何人も
いるのです。そういう人の一人から「この部分は浅い」という内容の批判的な
トラックバックをされたんです。さいしょは驚いたり反発する気持ちもあった。
でもその後、何回かやり取りしているうちに、会ったこともない彼との信頼関係が
生まれたのです。

梅田:例えばジョブスの話を書く。僕自身はいくらシリコンバレーに十何年いても、
ジョブスの友達ではないし、彼とも会ったことが無いが、
それでも解ったように書いているが、ところが、ネットの向こうには、
ジョブスと仕事をしたことのある人がいるのです。
ネットの向こうにとんでもない広がりがあるということに心の底から気づいたのです。
それからは、モノを書き始めた頃の謙虚さを取り戻したのです。
何こともジックリ考えるようになった。またそういうことが、読み手の側にも伝わって、
「ああ、こいつは成長しているな」と思ってもらえるというプロセスも、
全部見える形で公開されているんですよ。

    平野:なるほど。情報を一方的に提供するという古いメディアのイメージから
     抜け出して、情報の双方向性というインターネットの特徴を、
     実感を持って理解したと。特に、自分の未成熟な部分で、
     そのありがたみが分かるのでしょうね。

梅田:自分の成長のきっかけになるんですね。もちろん漠然と情報を集めて
ブログを読む人にはそのプロセスは分からない。成長のきっかけになるような
トラックバックをしてくれた人とは、どこかであったら直ぐに友達になれるだろう、
という気持になります。

    平野:それはかっては、一部の作家とか、研究仲間だとか、
     カフェにたむろしている芸術家だとか、そのいう人たちの間だけ
     おこっていたことなんでしょうね。

梅田:そういう意味で言うと、
ブログの世界はまだ1佑盪呂泙辰討覆ぞ況だと思います。
           
                 −つづく
    ーーーーーー
    良い悪いは別として、
   「携帯電話を自分の身体の一部として使っているかどうか」
    が、だいたいネット社会に適応しているかどうかの目安だという。
    私は電話機能しか使ってないので、非適応人間になってしまう。
    携帯をキーボード機能としてみれば、それを使いこなせれば、
    あとは端末に接続しさえすればよいからだ。
    私のようにパソコンのボードしか馴染めないのは、
    中途半端なのかもしれない。   
                 ¥(*^_^*)\
                  バイバイ
 ・・・・・・・・
2006年01月06日(金) 1739, 人生の自己採点

           ま! (。・・)_且~~ お茶どうぞ
            オットッ! 且_(゚◇゚;)ノ゙ アチッ!      私の何気なくする質問が時々キツイことをいう。
 その中でも特に顔色を変える質問がある

 「これまで生きてきて、自分の点数をつけるとしたら何点?」
                   )))))))(゚o゚;)/ギク!
   思わない質問に、自己評価をどうしてよいのか一瞬たじろぐ。
    おそらく、その後かなり悩むのではないだろうか。
     それも次の言葉を加えるから厳しい。

「一応、あなたが考える第三者の評価も含めて勘でよいから
  感覚的な数字をあげてみて」 と、一瞬の間を置く。
                   (;゜0゜) ハッ
   大体、70点以上の人は直ぐに答えるが、
    それ以下の数字を頭に描いた人は黙ってしまう。
     
   この答えをはぐらかすには、
 「合格点が60なら、その辺かな?いや努力をしたので70点あたりか。
 しかし他人は50点以下と評価するだろうな!」

  知、力、愛の三分類をして、それぞれの点数を自己評価して、
   その平均値を出してみると解りやすい。

 「そんなことなど、お前の一番嫌う世間体の視点でしかないだろう!
     馬鹿なことを言うな!」 
      という心の奥の声が響いてくるが!

 私の義兄の弟(長岡高校の同期)に数年前に遇ったとき聞いたら
  「93点!」と答えた。   ヽ(・_・;)ノ ドッヒャー!
   松下電器でかなり出世をしたという。
   そのとき私の答えは
    「83点」であった。   ノ(*≧∀≦*)ヘ
     少し無理をしたか?     モジ(((*´ε` *)(* ´З`*)))モジ
        …(o´I`)ノ …バイ!
 ・・・・・・・・
 2005年01月05日(水)
1373, キュープラー・ロス

去年の8月24日に『死ぬ瞬間』などの著者
 キュープラー・ロスがなくなった。
  その彼女の最期をリアルに映し出したドキュメントを、
   年末の教育TVで放送をしていた。
    その録画を一昨日じっくり見た。

    彼女の最後の日々のインタビューを見ながら
    柳田邦夫と山崎章郎とNHKの女性アナの対談形式で進められていた。

    彼女の本を数冊読んで何度か息を呑んだ経験を持っていた。
    そのためか、彼女の一言一言が心につき刺さってきた。

    「私は聖女ではありません!ふつうの人間です。
     聖女など大嫌いです。そんな言われ方などとんでもありません」

     自分が死を迎えるに当たって、一番大事なことに気がついたといえば、
     愛を与えることと、愛を受け取ることです」

    「来世が死ぬ人にとってのニーズなら、それを認め与えてやらなくは」
             (*´・ω・`)(*´-ω-`)(*´・ω・`)(*´-ω-`)ウンウン♪
    「死を覚悟して、自分がとるべき態度は悟り済ました姿ではない。
     死を看取ってきた患者の気持ちになって、恐れ慄く姿こそ私のとるべき態度です。
    その彼等の立場に自分がなって、その経験をすることこそ、
    残された最期のレッスンです。」 等々、言っている内容が深い。                   フム(*゚Д゚)φ))ナルホド!!
 医者や看護婦や医学生を集めて、死にいく人とのインタビューの
 録画があった。
  もう数十年前の白黒画像で、末期肺がんの老人であった。
   死に直面した老人の心奥の恐れや悩みを引き出していた。

   また白血病の10歳位の子供のインタビューもあった。
   その子供の内面を、ロスが引き出していく様子が涙を誘う。
   「死ぬことは違う世界に移り変わるだけ、そこには多くの人が僕を待っていてくれる」
    「この病気になって気がついたことは、生きるということは辛いことだ。」

     私がロスの著書で一番好きなくだりがある。
     ロスの最高の師が「黒人清掃作業員」だったということだ。
    ー重体の患者を元気づける不思議な能力のある黒人作業員の秘密が知りたくて、
    博士は彼女をスパイのように追いかけ回す。彼女に接した患者が誰もが癒される。
    作業員は博士に、彼女は息子を肺炎で亡くした経験から死を怖れず、
   「心配しないで。死は怖いものではない」
   と死に行く患者に語っていただけだと言う。
  博士は清掃員を「人生の師」と呼び、自分の第一助手として採用する。
 ーこれが彼女のあらゆる本の中で一番彼女をそのまま表しているところだ。

 ーこのドキュメントと、彼女の概略を書いてみると
  以下のとおりだ。

・「ベストセラー『死ぬ瞬間』ー死の概念を変えた精神科医の
  愛とたたかいの記録」の著者。
  ・スイス生まれの精神科医。
   死の臨床、終末期医療の先駆者で、死の受容に至る5段階説を主張
    ・『人生は廻る輪のように』は最晩年に書かれた博士の自伝だ。

     博士はわずか900グラムの三つ子の一人として生まれ、
      子供時代から
      「自分らしさがはっきりしない三つ子の一人として生まれたのはなぜか?」
      と疑問に思ってきたという。
      その疑問はやがて「自分は誰か?」
      「自分らしさを発揮する生き方は何か?」という問いに変わって行き、
      若くして父親の反対を押し切って医師の道を選ぶ。
      結婚を機にアメリカに渡ってから、
      末期ガンなど終末医療での患者の心のケアの必要性に目覚め、
      患者だけでなく、医療従事者も対象に「死を迎えるため」
     のワークショップを始めたりする過程を淡々とドキュメント風に進めている。

    「人生に偶然はない」
   「起こったことは、起こるべくして起こったのだ」
   と言う博士は、降りかかる様々な困難を
  「学ぶための試練」だと受け止めた。
  自分の道を最後まで勇気を持ってエネルギッシュに生き続け、
 死の臨床に打ち込む様子は
「医者」というより、ほとんど「聖職者」だ。
「選ばれた人」と思いたくなるが、彼女はそういわれることを一番嫌う。

  去年8月に78歳で亡くなったばかりだが、
  彼女が「死の看取りに全てを奪われた為」、夫は彼女に離婚をつきつける。。
  そして、子供三人を置いて離婚。
  1995年に発作におそわれた後、麻痺が残り、
  十年近い不自由な療養生活を送って後亡くなった。

・・・・・・
2004年01月05日(月)
1006, 「この俗物が!」−2

一回で終わるつもりであった、
 あまりにも内容が面白いので続編を書くことにした。

  福田ガ存(このガの漢字がない)の
   「俗物論」というエッセイがベースにある。
    早くいえばタネ本である。

     この本でまずとりあげているのが「地域俗物」である。
     これには田舎を軽蔑する都会者と、名門旧家を誇ったりする田舎者がいる。
      この田舎者の中に、知事・役人などの「実力俗物」と、官公立大学の先生
      などの「文化俗物」がいる。それに「ボス型俗物」や「取巻き俗物」、
      床の間に座りたがる「床の間俗物」や、常に下座に座りながら、
      上座の人の顔色をうかがっている「下座俗物」がいる。
      等々、辛辣に書いてある。

      更に、「自尊と謙譲」が俗物のキーワードとしている。
      注目(尊敬)をされたいが、その気持ちを知られたくない。
      けれども、知ってほめてもらいたい。という複雑な気持ちの具合によって、
      狡猾な俗物か露骨な俗物にわかれる。
     「首尾一貫俗物」「陽型俗物」に「陰型俗物」、性交人数や性能力を
    自慢したがる「性的俗物」「肉体的俗物」「精神的俗物」「知的俗物」
   などなどある。
   読んでいて、一つ一つが思いあたるから面白い。

  最近は「情報俗物」が出てきている。
 「交際俗物」もナカナカ面白い。
  こういう人を知っているとか、付き合っていることを自慢する輩である。
   その辺にいる「子狐」である。
    「交際を絶っても何ともないと自己の強大さを誇示する「孤高俗物」がいる。
    私はこの傾向が強い。反対に「誰も自分を理解してくれないことを
    かこつ女性型形態」としての「孤独俗物」がいる。
    福田は更に「一流俗物」に「個性俗物」「趣味俗物」などを挙げている。
     福田自身も俗物を分類分析定義する自分をも「反俗物的俗物」としている。
     この傾向も私にはある。

     ここまでずべての人間を俗物と指摘されるとウンザリする反面、
     ここまで割り切って斜めの視点で観ることも意味があると思うようになる。

     福田のいう俗物根性とは、
    「世間にたいする自己の関係に不安を感じ、その不安を解消するため、
    劣弱な自己を拡大修飾して現実の自己以上に見せかけようとする心理」
    と定義している。
   彼によれば「人間は、誰もかれもが、自己拡大欲に駆られている」という。
  その根っこに「自尊」感情がある。
 中心価値がなくなり、さまざまな価値が自らの価値を主張始めた。
 人もそれを認めた。伝統的な権威も揺らいだ。
 ようするにしゃかいの中から絶対性がなくなり、全てが相対化したのだ。
 俗物は、いいかえれば偽者のことだ。二人はお互いに自分が本物で相手が
  偽者と怒鳴りあっている。

   ーこの本は、このような文章がウンザリするほど延々と続くのだ。
    何か自分が惨めになってくると同時に、癒されてもくるから不思議だ。
     といって俗物中の俗物のような男は大嫌いだ。

・・・・・・・・・・
2003年01月05日(日)
632, 自由化\(~o~)/

日本が大きな曲がり角にきている最大の原因は自由化のウエーブである。
 特に厳しい業界は規制により守られてきたところだ。
  酒屋、米屋、ガソリンスタンド、スーパー、ホームセンター、
  金融ー銀行・保険、農家など殆ど全てといってよい。

   自民党と結託した利権団体を隠れ蓑にした社会主義の共産党員社会である。
   その意味で今のこの混乱はソビエトが崩壊した
    十数年前のロシア共産社会の混乱に酷似をしている。

    今の自民党はロシアの共産党以下のレベルを演じている。
    それを支持しているこの国の民度の低さがますます露呈されている。
    その意味でこの3年間は更に激しい破壊の年になる。

   システムや能力は激しい競争社会の中でしか進化をしない。
  それを否定し理想社会を夢見たのが共産主義や社会主義である。
 チャンス平等でなく、結果平等を求めた。
 資本主義社会の矛盾の破壊の役割として有効に機能を一時果たした。
 現在は、その役割を果たした日本的社会主義の終了過程にある。

 自由化とは何か??いや自由とは何??
 それぞれが自己責任を背負う事??
  それを国家単位で放棄してきたツケがこの数年で一挙に清算過程に入った。

   ところでこのホテル業界は規制が全くない。
   結果的にこれが非常に良かった。競争対策を常に求められた。
   一見大変そうだが、競争対策がシステムに組みざるを得なかった。
   従って現在大混乱にある甘さがよく見える。規制ー寄生の甘さである。

   例をあげてみると
   スーパーが大店法に守られ競争対策が全くなされてない。
   「存在意義が大店法の存在だけ」という事が露呈してきた。
  地方豪族化の漫画的存在が周辺でも見られた。
 あと5〜7年後にアメリカのウォールマートに制圧されるかどうかの
 瀬戸際にたたされている。その前に自滅もあろうが。
 ホームセンターやスーパーの1ロットが最低5000億の世界という。
  地方では500億で大企業だ。
  その行方が??

・・・・・・・・・
2002年01月05日(土)
291、一人遊び

孤独に強い人は、これができるかどうかである。
 一人で楽しみを見つけ・・・、書いていて気がついた、
  それって「お宅」でないか。似ているがやはり違う。

   それは一人遊びのできない人が表面を見て、いっているのではないか?
   結局中途半端のそれをいうのではないか?
   字のとおり、部屋に引きこもって自分の殻にこもった状態をいう。
   山登りや釣りはやらないが、これなど一人遊びの典型である。
   別にそれをお宅といわない。
   読書好きの人もお宅といわない。

   自分の強みは孤独に強いことだ。人に何かを求めないこと、求めても
  そこに何もないことを、経験上知っているためだ。
 結局人間最後は一人だ。そこでボールを一人でバウンドさせていくしかない。
そうしていれば、人が面白そうと自然に寄ってくるものだ。

「禅」とは、その修行によって、字のとおり単(一人)ということを示すことだ「示単」。
 これはある有名な禅僧から直接聞いたことだ。
 そこで自分の好きのことを見つけ、それを楽しむことから始めなくてはならない。
  その積み重ねが個性を作る。
   ノイローゼになる人をみていると、これができない人だ。
   常に人に何かを求めているか、頼っているからだ。

・・・・・・・・
1月5日  1969年

8時半に起床。
 店に11時前にいく。
  長岡の街には人があまり出ていない。
  14時に兄三郎さんの婚約者の「木村恵美子」さんと初対面。
    可愛い人というのが感想だ。
    17時に店を手伝い、家に帰る。
    正子さんに頼まれたものを間違えてしまった。
    いい加減な自分に嫌になる。

   ー今日の本にダイエーの中内功の言葉が印象に残った。
  「われ進むところ常に道なし,荒野の中独り道をつくる」


2102, バンジージャンプ −2

2007年01月04日(木)

   ohayou_〆(∀`●)
  (以前にも書いたことがあるが、同じテーマが二年後にはどうなるか、
    以前の文章を見ないまま書いて比べてみるのも面白いだろう)
  
昨日のNHK/HVで世界自然遺産の特集番組を幾つか放送していた。
    その中の一つ「ビクトリアの滝」(am10:00~11:00)で、
    カメラをつけたカメラマンがバンジージャンプをする場面があった。
    ジンバブエからザンベジへの国境に架かっている100辰療感兇両紊ら、
    飛び降りるのだ。
    世界で一番高いジャンプ台である。
    私も11年前に飛び降りたことがあるが、今はもう無理だろう。

「ジャンプをしてやろう!」と、いざ決断した瞬間から息ができないほど緊張をする。
その数年前に、ニュージーランドで43辰龍兇両紊ら飛び降りた時の恐怖心が、
その時に立ち上がったからだ。
そうなったら、身体全体をフイゴのように呼吸するしかない。
そうしないと恐怖で息が止まりそうになる。

    恐らく銃殺か、斬首のため刑場に引き出される時は、あんな感じなのだろう。
    飛び降り台に立ったとき周りが恐怖心のためか、銀色に輝いて見える。
    躊躇したら恐怖心が数倍になるのを知っている。
    身体を前に向かって投げ出すしかないのである。 
    そして投身!
    その瞬間、頭の奥から「おい、目を開けてみろよ!」と思わない声が聞こえてきた。
    そしてバウンドを数回したあと、腰につけたベルトを上に引き上げるのである。

引き上げられる時に更なる恐怖心が襲ってきた。
自分が逆さの宙吊りのまま大きく左右に揺れている時の恐ろしさ。
そこに、10歳位の黒人がするすると紐に釣り下がって降りてきて、
紐のついた鉤をかけて引き上げ始めた。
 
もうできないが、何ごとも経験である。
南アフリカ旅行といえば、これが強烈過ぎて他が霞んでしまった。
 
   ほぼ同じ内容だが、以前書いた文章をコピーしておきます。
ーーー
2004/09/13
H0705  バンジージャンプ  −1 

−南アフリカのジンバブエー 
ナイアガラの二倍の落差のビクトリア大瀑布に息をのみ、
そのまま進むとジンバブエとザンビアの国境を結ぶ小説等で有名な鉄橋がみえてきた。
よくみるとバンジー・ジャンプで丁度人がとびおりたところであった。
思わず“私もやりたい!” 今年の五月にニュージランドで43mの高さを挑戦!
今度はその二倍あるという。現地案内人の黒人女性も、私の気迫におされて「OKの返事!」
一度国境を出てまったく無国籍の橋の上へ行ったところ、国境警備員も本当かと
何回も念を押した。

そして……。
飛び込み台に立って気がついた高さと恐怖心は正比例である事に!
氷つくような恐怖心!後ろをふりむいて
“やっぱりやめた!”という一瞬の気の迷いを振りほどいてジャンプ!
何と次の瞬間思いもよらない脳の奥より声!“目をあけてみてみろ!”
何とそこには高速道路で170劼離好圈璽匹如
車をはしった時の世界と同じような空をとんでいるような感覚。
いやに緑の木々の印象の強い光の中をつきぬけていく風景がみえてきた。
さらに恐ろしいのは50m位の中間で何分か宙づりになり、
橋まで再びひきあげられるまでの恐怖であった。
(次はヘリコプターよりのジャンプ!?)

ーニュージーランドー
四十三mの渓谷の吊橋より足首に一本のゴム紐をつけて飛びおりるゲーム。
まさに“身も氷るおもい”そのものであった。
あの飛びこみ台は死刑台と同じ感覚ではないかとその瞬間思えた。
立って下を見た瞬間まさに金縛りそのもの。
自分は何でこんな事をしてしまったのか。
まさか自分がここより飛びおりる?
…本当に恐怖のどん底とはあの瞬間であった。

そういえば現地の日本人ガイドが私の申し込みに、
四回も私の目をみて念をおしたのも、そこに立って始めて頷けた。
また、その後にのったジェット・ボートの現地の運転手がその事を聞き、
真面目な顔で“クレージー”。(ニュージーランド、クラフトチャーチ)

60歳以上と、女性の場合スポッポンの場合無料だったが、
女性の無料があまりに多いので中止になったという。

・・・・・・・・
2006年01月04日(水)
1737, 日本一短い「母」への手紙   ー 読書日記
   (朝´∀`){♪Good Morning♪}(´∀`朝)
人は誰もマザコンである。
 だから、嫁姑の問題は深くなる。
  母親の子供に対する愛ほど深いものはない。
   その愛の深さは人間の心の奥深く沈殿して一生の温もりになる。
   その温もりが人間形成の基礎構造になる。
    両親の温かさが感じ取れない人は信用しない方がよい!
    温みのない人は、その温みを他人にもとめる。
   しかし、他人との間の温みは独りになるとスグさめる。
  母親の温みは、そのまま直に子供に与えることができる。 
 良い母親に当たるかどうかは神の判断の領域である。
 良い母親になるには、良い伴侶が必要だ。
 それも、母親の責任になる!
  両親への感謝が、その人間の温みの原点である。
              ♪♪アリd(*´□`*)bガトー♪♪    
 ・・一筆啓上賞・・
お母さん
  雪の降る夜に私を生んで下さってありがとう。
      もうすぐ雪ですね。
                 天根利徳(大阪府51歳)
後10分で着きます。
   手紙よりさきに着くと思います。
      後で読んで笑ってください。
                 瀬谷英佑(愛知県16歳)
「私、母親似でブス。」娘が笑って言うの。
   私、同じ事泣いて言ったのに。
      ごめんねお母さん。   田口信子(群馬県38歳)
桔梗が、ポンとおとをたてて咲きました。
日傘をさした母さんを、思い出しました。
                  谷本栄治(京都府65歳)
母親の  野太い指の味がする
ささがきごぼう  噛まずに飲み込む
                  鶴田裕子(山口県21歳)
絹さやの筋をとっていたら  無性に母に会いたくなった。
母さんどうしてますか。
                  中村みどり(東京都31歳)
おかあさんのおならをした後の
どうもあらへんという言葉が  私の今の支えです。         
                  浜辺幸子(大阪府30歳)
お母さん、
ぼくの机のひき出しの中にできた湖を
のぞかないで下さい。        今 越 (福井県11歳)

お母さん、私は大きくなったら家にいる。
お帰り。と言って子供と遊んでやるんだよ。
                  藤田麻那(兵庫県9歳)
お母さん、もういいよ。
病院から、お父さんを連れて帰ろう。
二人とも死んだら、いや。      安野栄子(千葉県44歳)
ーーー            
              ( ・∀・)つ(:゚::)  ミカンでもドゾ♪
 ・・秀作・・
あの人と幸せでしょうか、お母さん。
父さんは、無口を通し逝きました.。
                  伊藤岬(長野県45歳)
今でも弟の方が気になるかい。
もうどちらでもいいけど 今はもういいけど。
                  川越俊夫(京都府44歳)
離婚、賛成します。
お母さん、今まで本当にありがとう。
もう、耐えないで!
                  倉富洋子(東京都31歳)
弘君のまねして お母さん と呼んでみた
やっぱりダメだ かあちゃんが遠くなる
                  坂村友彦(群馬県45歳)
荷物届きました。
でも「パンツ」とは、「ズボン」の事ですよ。
ガマンします。
                  佐々木司(神奈川県28歳)
母さん生きていて!
私は古希、命ある限り捜します。
現世で一目逢いたい。
                  須藤柳子(千葉県71歳)
文字読めぬ母なれば
逞しき両の手形と五ツ迄乳に縋りし
この唇の型を送る
                   瀬谷鉄保(東京都83歳)
母ちゃん。
泣きたい夜は、決まって母ちゃんが夢に出てくる。
背中を、押してくれる。
                    高田郁(兵庫県33歳)
若い日あなたに死ねと言った、
あの日のわたしを殺したい。
                    八木達也(岩手県32歳)
修学旅行を見送る私に
「ごめんな」とうつむいた母さん、
あの時、僕平気だったんだよ。      横川民蔵(石川県55歳)
        =ε=(。・ω・)_旦~~ オマタセー
・・・・・・・・
2005年01月04日(火)
1372, 日本人と笑い
      あはっ♪(^∇^*)*^∇^) あはっ♪
    ┌(。Д。)┐ あはは♪ (o_ _)ノ彡☆ばんばん
昨日の朝日新聞に、
「日本人と笑い」をテーマにした全国世論調査の結果が出ていた。
 その中で、印象の強い順に抜粋してみる。
  ・最近よく笑うー62%
   ・人を笑わすことが好きー61%
    ・若い人ほど良く笑い、歳を重ねるほど笑いが少なくなる。
      女性の方が、男性より笑いが多い。
      ・どういう状況で笑うことが多いか?に対する答えとしては
       20代では9割が「人と話している時」であり、
       高齢者ほど、「TVや漫画を見ているとき」が増えていき孤独な笑いがふえる
       ・ユーモアのセンスは、「かなりある」「すこしある」を合わせて、
        全体の6割がある。
       ・親父ギャグに代表される「親父ギャグ」については、
       76%が別にかまわないと肯定的であった。ワーイ♪\(^ω^\)( /^ω^)/ワー 
     ・今の世の中を例えると苦笑いが38%、作り笑いが23%、冷笑が8%、泣き笑いが8%、
      というマイナス系の笑いが圧倒的で、
     「微笑」が15%、「大笑い」が5% と、プラスの笑いを思い浮かべる人が少ない。
   ・今の日本に笑いが「少ない」という見方が71%に達している。
 ・少し話は変わるが、生活実感として、楽になったは10%で、
  「変わらない」が64%、「苦しくなった」が28佑任△
  「心のゆとりがある」と「生活実感でよくなった」とプラスの実感を
   持っている人ほど「最近よく笑っている」と答える人が圧倒的に多くなる。
 ・「人を笑わせることが好き」で「ユーモアセンスがあると思う」
   割合が増えており、そういう人ほど「最近よく笑っている」と答える傾向が強い。
              Ψ( ̄∀ ̄)Ψケケケ   Ψ(☆w☆)Ψ ケケケッ
  ー以上が、朝日新聞の調査の結果を要点であるが、思ったより、
    笑いに対して肯定的で、わらいに溢れているのに驚いた。
    私の場合、日曜日を笑いの日にして積極的に取り入れているが、
    あくまで、TVのお笑い、バラエティーが中心であリ、孤独の笑いだ。
    友人や、家族と談笑をしながら食事をするのが一番の幸福のカタチというが、
    その為にはユーモアのセンスが必要である。
    しかしユーモアのセンスは知的センスを要求される。それも同じ水準が。
  だから、TVとか寄席で代替するのだろう。
 それ以外はマイナスの笑いにお互いになってしまうから始末が悪い。全く!
・・・・・・・・・
2003年01月04日(土)
631, 文化と文明

文明と文化の言葉の意味を明確にしておきたいと思い辞書でひいてみた。
1、世の中が開け、生活が高度に進むこと
2、人類のあらゆる時代を通じ、人間が自然に働きかけることによって、
 みずからも自然状態から脱して作り出してきた物質的・精神的ないっさいの成果。
 フンボルト以来物質的文化を文明、精神的文化を文化と呼び分けることが多い。
これまでは
文化の積み重なりとしての遺産を文明。
その現時点の花開いている集合体を文化と理解していた。
時間軸でショートスパンで捉えたものを文化。
ロングスパンのものを文明として捉えていた。

しかしインターネットでで調べてわかった事は以下の事である。
ー各ホームページから抜粋したものを纏めたものであるー
・文化は個々人の心(意識と無意識)であり、
・文明は人間を取り巻く環境(自然環境、建築環境、社会環境)です。

ー文明とは人間が造り出した目に見える物質的なものに対して
 向けられる言葉であるが、

ー文化とは人間の身につけた自らの行動を律する目に見えない精神的なものに
 対して向けられる言葉である。
 最近の言葉でいえば「ハード」と「ソフト」との違いと言うことになる
「文化」と「文明」という言葉のつく固有名詞を考えて見ればこの違いはより明確になる。

・「○○文明」と言われるものの多くは「インダス文明」とか「古代文明」
 などのように、特定の時代の、しかも特定の人々の社会もしくは
 その経済的所産を指しており、その多くはすでに歴史の流れの中で過去のものと
 なっている。

・これに対して、「○○文化」と呼ばれるものは「イスラム文化」とか
「仏教文化」というように、たとえその誕生した時期や地域が特定されるにせよ、
 その時代や地域に制約されることなく、その多くは今日まで何らかの形で生きている。
 確かに文化と文明とは人間の歴史の中で一体となっており、文明なしの文化、
 文化なしの文明などあり得ないのであるが、これらは決して同一のものではない。
 高度の文化を持ちながら、しかもずっと低度の文明しか持たない民族がいる
 ――例えば古代インド人――一方、大いなる文明を持ってきたが、
 比較的低い寄せ集めの借りものの文化しか持たない国民――例えばローマ人、
 そして現代ではアメリカ人――がいるのである。
 歴史の隠れたドラマは、人類の内的価値と外的価値の永遠の闘い、精神と物質、
 文化と文明との闘争であるとさえ言いうるであろう。
 アメリカとアラブの闘いは文化と文明の闘いと思っていたが、
 文化と文化の争いでしかない?
  
 ーー自分である問題を提起すると、一瞬のうちに纏めができることに驚いている。
 幾つかのホームページの要点を張り替えただけでチョッとした
 学者並みの小論文が出来上がる。
 
・・・・・・・ 
2002年01月04日(金) 290、歓喜ー2

TVであるが、
元旦の小沢征爾のウイーン・フィルニューイヤ・コンサートがよかった。
あまり興味のない分野だが、日本人初のこの指揮を生放送ということで見てみた。
もちろんウイーンからの生である。
シュトラウスの「ラデッキー行進曲」や
ワルツ「美しく青きドナウ」などであった。
それに合わせ他の?お城でダンスを踊っているのが夢のような世界である。
指揮者・演奏者・観客が一体になり音楽の世界に入りこんでいる、
歓喜の世界であった。

当然最後はアンコールの拍手の渦であった。
この音楽会でこの曲を聴く前と後、というくらいのインパクトを与えるのが
芸術の力である。あの場面にいたら、その位の気持ちになったのでなかろうか。
歓喜・感激はそれ位のインパクトを人間の心に与えるものである。

音楽などの芸術は、宇宙・大自然の中のあるメッセージを一瞬にとらえ、
作品に仕上げたものであろう。
それを会場の全員がそのまま受け取っているのでないか。
歓喜は当然のことだ。

・・・・・・・・・
1月4日 1969年
 10時に起床。
食事をして、顔を洗い、新聞を読んだりして時間を過ごす。
午後は裏に住む姉の正子さん宅の屋根の雪下ろしだ。
2時間した後に、従妹の旦那の関口さんが来る。
高専の先生をしている。
彼と学生運動から教育論について話す。
気がついたら3時間も経っていた。
気持が若く開放的だ。
先生とはこういうものかと思った。
20時からジャスコオカダヤの論文の構成を考えるが、
上手くまとまらない。
この程度の問題がナカナカ上手くいかない。
如何したのだろう。


2101, ウェブ人間論 −2

2007年01月03日(水)

         b(^o^)dおっ
         W(^O^)Wはようー♪  
    この1〜2年でネットによって社会が劇的に変わりつつある。
    光ファイバが各家庭へ劇的に普及したことと、ブログと、
    携帯電話の進化のためで、この激変はとどまることはない。
    私の今年のテーマは現在のHPから「ブログ」への転進である。
    第一章から内容は深く核心をついた内容になっている。
    梅田のネット世界が窺い知れて面白い。

第一章 ウェブ世界で生きる  − 
*ネットの世界に住んでいる*
 −−−−−−
梅田:今の僕は、朝4時に起きてトータルで1日8~10時間位ネットに
つながっていて、「ネットの世界に住んでいる」という感覚である。
僕の仕事は、アメリカで考え事をして、ニケ月に一度日本に戻り、
日本企業の顧客と議論するというスタイルなので、東京にいる間は、
打ち合わせなどリアル世界で朝から晩まで忙しいから、ネットにすめない。
だから僕は「アメリカに帰る」と「ネットの世界に帰る」は同義で、
ネットの世界が僕にとって「リアル」なのです。・・・・

梅田:ネット上の僕の分身が僕のブログだから、まずそこに行きます。
家族が元気かどうか、家は家事になってないか心配する感覚で、
分身が異変を起こしていないかを、確かめに行きたいんですよね。

    梅田:少しまとまった時間があれば、いつもチェックしているブログを
    見に行きますが、それだけでも英語のもの、日本語のものあわせて
    300~400位あります。気になっている人300~400人の日常や、
    いま考えていることを、シャワーのように浴びるっていう感覚でしょうか。
    もちろんリアルの友人のブログもその中に含まれますが、
    それは全体からみればわずかですね。

平野:僕が2004年にパリに住んでいた頃に、ネットカフェがパーッと
増えたんです。当時のパリは、自宅のネット接続まだまだ遅くて、
やっとADSLが出てきたという調子であったからと思います。
パリのカフェは本当に人がお喋りをする場所で、いつ行っても
フランス人がダラダラ喋っている空間であったのが、
いまやインターネットカフェでは誰も口をきかず隣の人でなく、
数千キロ、数万キロ離れた人とやりとりをしている。
これは何なんだ!という雰囲気が、特にネットに関係ない人たちの間に
ありました。
その時、コミュニケーションの際の「時空」の把握の仕方が変わってきているなと、
感じました。

    *検索がすべての中心になる*
     −−−−−−−−−−−−
    梅田:「ウェブ進化論」でも紹介した将棋の羽生善治さんの
    「高速道路」論というのがあって、「ITとネットの進化によって
    将棋の世界に起きた最大の変化は、将棋が強くなる高速道路が一気に
    敷かれたということです。でも高速道路を走り抜けた先には大停滞が
    起きています」と、彼はいうわけです。
    僕はその大停滞を抜け出せるかどうかのカギに一つは、構造化能力と
    思っています。

平野:情報というものは、そういう一部の「専門家」だけじゃなくて、
誰でもアクセスができるし、そもそも一人の手に負えるものじゃない。
大雑把な全体把握をするか、選択的に自分の関心のある世界だけに手を
伸ばすかないという認識が一般化してきた。その後者が「オタク」でしょう。
作家でも研究者でも、知っているだけでは、もう威張れない。
ネットの検索機能を使えば、誰もがその知識にアクセスできるのですから。

    梅田:検索がインターネット時代の中核技術だということを、1998年に
    シリコンバレーで創業した「グーグル」という会社だけは知っていた。
    グーグルというのは、検索エンジンという概念やシステムそのものを
    発明した会社ではないのです。もっと前からアルタビスタなどの
    検索エンジンが色々と出来て、グーグルは後発なのです。
    その中でなぜグーグルが勝ったか、それは僕は「思想の有無」の差だったと
    思います。いま思えば2003年ぐらいまではグーグルのどこがすごいか、
    ほとんど誰も気がつかなかった。

梅田:1995年から2005までの10年が、インターネットの時代だとすると、
おそらく006年から次の10年というのがグーグルの時代=検索エンジンの
時代なんです。グーグルは、検索エンジンの意味を体現して、
情報の層(レイヤー)を全部押さえ、整理し、整理対象になる情報を
もっともっと広範囲にしていく、そういう意志を持った会社です。
その最初の10年が「ウェブ1・0」、これからが「ウェブ2・0」
ただ、利便性、コンビニエンスというのは、まだ1・0の感覚なんですよ。
利便性以上の変容を迫るのが2・0なんです。

    平野:光ふぁいばーなどのインフラの整備のおかげで、通信速度が速くなって
    圧倒的にネットが身近になって、誰もが「ネットで何とかしよう」という気に
    なったんじゃないかと思う。ダイアルアップで、接続時間と料金を気にしつつ、
    重たい動画や画像をイライラしながらやり取り、ネットの世界は、
    面倒くさい印象だったし、限定的な利用にとどまっていた。
    その心理的な抵抗感が取り払われたということ。

梅田:検索エンジンは世界の結び目を、自動生成する機械なんですね。
リアルタイムでドンドン更新されている全ての情報を、常時取り込んで
整理している・・・・・・・。
大組織のトップや、社会的な地位の高い人や有名人には、
検索エンジンのがどんなに凄いものことなのかが見えないかもしれない。
電話一本で良質な情報を与えてくれる人周りにいるわけですから。
しかし、その環境にいない人にとって、未知との出会いを求めている人たち、
勉強をしたいという気持ちを切実に持っていて時間がタップリある人にとって、
検索エンジンの有用性というのは計り知れない。
SNS(ソシャル・ネットワーク)もそう。「エッ、友達の友達にこんな人がいるの?
その人と友達になれるの?そのコストが一円もかからないの?]というネット空間の
新しい価値は大変なものです。
                  ーつづく
     −−−−−
     映像ブログが本格化してくると、また一味違った社会が出現するだろう。
     梅田のブログを、興味を持って見つづけるしかないか・・・
     1975年生まれの人が、ウェブ人間の大きな境目になるというが、
     息子の歳である。なるほど、見ていてそう思うが・・・ 
                   ホンジャ(*^ワ^*)i
・・・・・・・
2006年01月03日(火)
1736, 日本一短い手紙 「喜怒哀楽」 −2
           ヽ(*´∀`*)ノ.+゚おはよ〜♪.+゚
このシリーシーズの「喜怒哀楽」は、
 読めば読むほど良い。                       
  心は、喜怒哀楽と感激・感動・感謝が大きな比重を占める。
   日常は、それが原動力で動いているといってよい。
    感想文かわりに、絵文字で語ってみました。 \(@^0^@)/♪

怖いのは、怒っているのに笑っている人。
         偉いのは、哀しいのに笑っている人。
                  阿部 智幸(山形県 43歳)
    シトリボッチ.....ρ(=´ε`≡))(涙) ((≡´з`=)q ...フニャ!
ようやく気づいたよ背伸びせず、
         卑下もせず 身の丈で生きる 今の自分が好き
                  馬越 直子(香川県 54歳)
~~■P o(´・∀・` ) coffee time☆
          ,,,,,(((( ;:゚皿゚:)_◇~~ アァァァ!!
喜びには花を、怒りには水を、
         哀しみには陽を、楽しみには時間を与えてください。
                  大澤 神世(静岡県 19歳)
                    ヾ(=^‥^=)ノニャハハッ
淋しすぎるから、今日は明るい色を着てみました。
         あなた、喪中なのにごめんなさい。 (o^-')b
                  黒澤 典子(千葉県 48歳)    
好きと言われた。うわっどうしよう・・・。 ヽ(゚ー゚*ヽ)ヽ(*゚ー゚*)ノ(ノ*゚ー゚)ノ
         家に帰って大声で叫んだ『ヨッシャー!!』
                  高梨 智子(大阪府 高校3年)
(__m)ヾ( ̄▽ ̄;)  字数の関係上、ここでカット、あとは過去歴から御覧あれ!  
・・・・・・・・
2005年01月03日(月)
1371, 人生における成功者の定義と条件−1  −読書日記

大げさなタイトルだが、面白い内容である。
 作家の村上龍と各界の著名人との対談集。

 「これまでの成功者のイメージを壊したいという気持ちがあるんです」
  お金でも地位でも名声でもない“成功”の定義とは何か?
   格差が顕著化し、価値観が多様化する日本において、
  “成功者”とはいったい誰なのか?
   仕事と人生について考え抜いた著者が5つの職業の
    第一人者と語りつくしている。
    終身雇用制度が終わろうといている現在、過去の成功の定義はゆらいでいる。
     まえがきの最後に人生の成功者というのは、
     その人の人生における目標を達成した人という言い方ができるかも知れない。
     それでは人生のおける目標とは何かというと
     「生活費と充実感を保障する仕事を持ち、かつ信頼できる小さな共同体を
     持っている人」と言う仮説を立てて論じている。
     しかし、充実感と生活費のだけでは何か足りないような気がする。
    現代では、平均以上に金を稼ぎ、出世する確実な方法はない。
   つまり良い学校に行って、いい会社や権威のある役所に入っても
  成功者になれるかどうかわからない。それが、今の子供たちに勉強の
  モチベーションを失わせている。
価値の多様化でも旧来の成功モデルが機能しなくなっている今、
あえて成功者の新しい定義と条件を示す事は無意味ではないとあって本文が始まっている。

 大きな時代の変化の中で、どうしたらよいのかの問いかけとしての
 ヒントを与えてくれる内容である。
  むしろ、よい学校に行って、よい職場に入って、人並みに良く生きて、
   定年をむかえた後に、自分の人生とは何だった?と初めて気がつく
   人たちより良いのかもしれない。
ーーー
「人生における成功者の定義と条件」
  著者ー村上龍
  NHK出版協会
  2004年 12月25日 長岡中央図書館
 ーーー
各界を代表する方と「成功」について語る対談集だが、
 合間にある「一般の人」の「成功者の定義と条件」も面白い。
  次回は、その内容を抜粋して、考えてみる。
                       −つづく
・・・・・・・・・・
2004年01月03日(土)
1004, 正月の過ごし方

基本的には寝正月だ。
 元旦は、墓参りとTVと自宅に訪ねてくる兄一家と酒を飲む。
  2日は家内の柏崎の実家に行って、お節を食べるのが習慣になっている。
  近くの料理屋のものだが、絶品である。
  ?万もするとか。お節だけは恒例で贅沢をするという。
   実家では子供の時から、「まるやま」という魚屋のお節をとる。
   内容は家内の実家の方が、倍位は美味しい。
   魚屋と料理屋の差は歴然としている、仕方がないが。
    2日は家内が子供と実家に泊まる為、
    一人で帰ってきて何処かのスナックで酒を飲む。
    今年は家内が日帰りの為に、家でおとなしくしていた。
    年末年始の挨拶は一切なし。
    図書館で読んだ月刊誌の中で、正月に対して今の若い人は以前ほどの
    思いいれはないという。むしろクリスマスの方に思い入れが強いとか。
   正月に対する若者の意識の変化は家庭崩壊の一つの現象と、筆者が分析を
   していたが、少しオーバーに思えた。。
  日本では年越しにマトメテ年をとる習慣があったのも年越しの
 思い入れにあったのだろう。
 田舎や実家に年二回帰る習慣はやはり根強い

 これを書きながら、実家以外で正月をむかえた事の少ないのに気が付いた。
 初めて勤めた年に神戸で宿直をしたことと、
 7〜8年前にタンザニアでの年越し位である。あとは全て両親か母親と供にいた。
  実家は私が引き継いだ為に、いまも実家で正月を過ごしていることになる。
   反面、タンザニアにしても、神戸の宿直は強烈な思い出がある。
  以下をコピーしておきます。  
  ーーーー
-H10・01  タンザニア・サファリ -
 アフリカは何と不思議なところであろうか。
  行ってくるだけで魂がいやされる。ケニアの南に隣接したタンザニアは、
   ケニアの首都・ナイロビより車で5時間のところに国境がある。
   ケニアの国立公園は一歩、中に入ると世界中のサファリ観光の為、百年以上の
    時間をかけて、整備がされてあった。
     しかしタンザニアのそれは全くの未整備、サファリという言葉がまさに
     ぴったりであった。ケニアよりさらに二日もかけてのサファリの為、
     ただ行って帰ってきた感覚だったが、それでも強烈な印象はケニアのそれとは
     比較にならない程強い。
      あのどこまでも続くセレンゲッテ国立公園の大草原の地平線
     (360度の視界がすべて地平線である。)ここを車で走っているだけで 
     魂がいやされる。もちろん生まれて初めてみる360度の地平線である。
      ンゴロ・ンゴロ国立公園はタテヨコ、16Km×19Kmのクレ−タ−に
     とじこめられた野生動物達のロスト・ワ−ルドである。
    この中に東アフリカのほとんどの種類の動物がとじこめられているという。
   自然がつくりあげた自然動物園であった。
  大みそかの晩、特別に現地の運転手達に招待されたホテルの寄宿舎近くの
  スナックのアフリカ式年越しパ−ティのさわぎが一番のハイライトであった。
  ホテルから車で15分のところにある掘っ立て小屋風のスナックであった。
   街頭があるわけが無い真っ暗な中にあった。
   自分がドキュメンタリ−の主役になったような別世界であった。
   20〜30人が、そこで潰した羊の肉で酒を飲んでいた。
   色っぽい現地のママがいた。その部分はどこの世界も同じだ。
   外にも椅子が置いてありバーベキューをしていた。
   4〜5匹のハイエナが焼肉の臭いで近くでウロウロしてのが唸り声でわかった。
   子供たちはハイエナに襲われないようにバケツを叩きながら遊んでいた。
   そして全員で年越しのカウントダウンを数えて、その瞬間歓声をあげた。
   少し離れた寄宿舎からも歓声が聞こえてきた。
   少しすると、我々に引き上げようという。
  これからは危険だという。
 喧嘩や暴行がおきる可能性があるからだ。
そそくさと、面白くなりかけたところで帰ってきた。
日本人では、特別に招待された5人であった。
 これで4年連続のアフリカだが、いつも担えきれない何かを持って帰ってくる。
  そして1回ごとの旅行のたびに、意識が拡大していく事が実感できる。
  心の奥深く潜む神秘の領域までとどく体験でもある。
   神話の英雄が日常の世界より、超自然的で不思議なものが住む世界に入り
   決定的な経験、そして勝利を納める、まさにそれに近い世界を体験する。
   ますますアフリカ病が重くなった。 −1997年12月28日〜1月4日
 ・・・・・・・・・ 
2003年01月03日(金)
630, クロスエンカウンター

仏教学者の紀野一義の講演会で
「ー縁ーの英訳で迷った訳者がキリストの十字架との出会いと人との出会いを
 兼ねてクロスエンカウンターと訳した」という言葉が印象的であった。
  先日読んだ野口悠起雄の本に
   大蔵省にいた時に先輩に「急に出先で講演を依頼された時などの緊急の話題
    をつくらなければならなくなった時に、縦軸と横軸のキーワードを探して
     話をまとめるとよい」という内容があった。
     一つの例として学校でのケースで考えてみると
     先生を縦軸、生徒を横軸にすると面白い内容になる。
     即興で作ってみると
    「生徒を縦軸、先生を横軸に考えてみると生徒と先生のそれぞれの立場が明確になる。
     生徒の一生を縦軸とすると、先生やクラスは大きいメルクマールであり、
     知識や性格形成にとっても大きい影響を与える。
     逆に先生の立場を縦軸とすると、教師生活での担任は先生にとっても
     メルクマールになる。
     その時々のクロスこそ教師にとっても生徒にとっても真剣勝負で
    なくてはならない・・・」
   このことは時間が縦軸、空間が横軸といえる。
  商店主の会なら、店主とお客の関係を縦横にして話の構成をすればよい。
 取引先と店も縦横にできる。

 これをもう一歩進めて「考える中心軸」にすればよい。
  対象を縦か横にすえて自分との対比とか、
   対立する対象を縦横にして考える軸にすればよい。
   一生はクロスエンカウンターの繰り返しである。
    そしてその中心は自分だったり神様だったりする。
・・・・・・・・
2002年01月03日(木) 289,歓喜

「歓喜ー>理智ー>意志ー>気ー>肉体」
私にある知人が転勤で引っ越していく時の挨拶の文書に書いてあった文章の一文である。
 「生きてきて人生これだと思う」という内容だった。
  その時私がこの文章を解釈するために考えた「たとえ話」がある。
  実を言うと私は「たとえ話」を自分の思考法に昔から使っている。
   喩えの名人になってしまった?いや迷人か。
    この時の喩えは、巨人の9連覇の選手である。
    彼らの多くが監督、コーチになっている。
    もちろんそれだけの才能があったからだが、
    多くの試合と優勝積み重ねの中で、
    上記の内容を全身全霊に体験したからである。
    勝ち癖ををつけろということは、こういうことである。
    どんな奇麗事をいっても所詮「歓喜ー>理智ー>・・・」
   の経験にかなわないのは、それは理智に留まっているからである。
  秘境ツアーにいそいそいくのは、自然・歴史の中の対象に感動し歓喜するからである。
  薬物とか、酒でそれを求めると「歓喜」のそれだけになってしまうから、不自然の
 カタチになってしまうからだ。
・・・・・・・・・・
ある時間の断片
1月3日  1969年
10時に実家の店に手伝いに行く。
 17時まで働く。
  あまり街には人出はない。
  家に帰って食事をする。
   22時から本を読む。
   そういえば店にいたら中学校の同級生の山本に会う。
   中学校以来だが、殆ど変わっていない。
   実直な大人しい男だ。
   長崎屋に勤めているとか。
   同級の阿部さんと遠藤が結婚したという。
   思いもよらない組み合わせで驚いてしまった。
  そういえば数年前に同級会の2次会で二人が中座をした事を
 思い出した。
それと姉の正子さんに長靴を買ってもらう。
 お返しに、持ってきたカーネギーの「人を動かす」を贈る。



2100, ウェブ人間論  −1

2007年01月02日(火)


           (~Q~;) おはよう〜〜
                ファ〜
    この本は確かに面白いが「ウェブ進化論」ほどの衝撃度はない。
    しかし二人の対談からウェブの世界の中で人間がどのように変化していくのか、
    多くの示唆がある内容であり、「ウェブ進化論」のフォローという面では、
    ベストと言える。 面白そうなところの抜粋と意見は次回にするとして、
    まずはー紹介文ーを直接読んだ方が解りやすい。
    ーー
「ウェブ人間論 」(新潮新書)
梅田 望夫・平野 啓一郎著
 
 ー内容説明ー
「ウェブ進化」によって、世の中はどう変わりつつあるのか、
そして人間そのものはどう変容していくのか。
ビジネスとテクノロジーの世界に住む梅田望夫と、文学の世界に生きる平野啓一郎が、
その変化の本質と未来を徹底討論!

 まず 梅田望夫と平野啓一郎という二人が対談したという事実が興味深い。
シリコンバレーでITを主体とした実業家と京都で中世欧州を舞台とした「日蝕」を書いた
芥川賞作家の間の「距離」はいままでの常識で考えると 果てしないものがあるはずだ。
つまり 出会うはずの無かったセグメントに属したお二人が 出会ってしまい、
かように刺激的な対談を行うようになったという点で 時代の変化を強く感じた。
 
     二人の興味はネットという「新しい道具」を手にした「人間」にある。
    人間が道具を作ることは確かだが 作られた「道具」が
    逆に人間を変えていくことも歴史的な事実である。
    過去人間を変えてきた「道具」には色々あったと思う。
   「火」から始まり「車」や「電話」など 人間の価値観自体を変えてきたような
   「道具」は 色々あった。 そんな「道具」の一つとして 「ネットがある」
    という点で 二人の意見は 一致している。
    それが この稀有な対談を可能にしたと思う。
 
 一方ITを使った「実業家」が 「人間を考える」という点も興味深い。
僕らが当初持っていたIT企業家といえば「ネットを使って さっと会社を設立、
公開して巨額の個人試算を築く」という感じであった。
それに対して 梅田氏の論点は そんな一種の拝金主義からはかけ離れた極めて
「思弁的」である。 これは梅田氏の個人的な資質と言ってしまえばそれまでだ。
しかし ネットという人間を変える道具を使うに際してその「人間を見つめる」
という視点が 実は 非常に重要なのだと強く感じた。対談ゆえ 内容には
あっさりした印象はあるが、一方 きらめくようなヒントに彩られている本と言える。
ーーーー
 
    以上が、紹介文であるが、
    この本の中に多くの意見の一致点と、全く知らないことが多くあった。
    検索がインターネット時代の中核技術だということは
    知っていたが、これほど全てを左右するものとは知らなかった。
    1998年にシリコンバレーで創業したグーグルという会社だけは
    その重要性を誰よりも知っていたということだ。    
    すべての中心が検索!と言われても、何かまだピンとこないが。
    次回は「第一章 ウェブ世界で生きる」から、
    面白いところを抜粋して考えてみる。
      
              さようならm(__)m ごきげんよう
・・・・・・・・
2006年01月02日(月)
1735, 内福について
         オハヨウゴザイマス  o┐ペコ
先年の暮れ、東京のある会で新潟の県民性について話した。、
「新潟県は一見貧しそうだが、実情は内福な家が多いのですよ。
 特に中越地震の被災地区の辺りは、裕福なのですよ。
  間接的に雪の融け水が豊かな農産物や鯉・畜産にプラスになっている」
   といったところ、居合わせた4人が(´ρ`)ぽか〜ん、 として
   「『内福』という言葉も、字も知らない。如何いう意味ですか?」という。
   子供の時から両親が「あの家は地味だが内福だ」が
    日常用語であったので、知らないということに驚いてしまった。     
                       ‖┓  ((   
                      (_)  匚P   
                       ━┻      
そして、その場の‘主の立場’の人が、
「貴方のいう内福は豊かとは違う!」と発言。
 それに対して
  「ヨーロッパのイタリアとかフランス人も、実際の生活は実収入より
   豊かな生活をしているというが、彼らは豊かではないと言うのですか?」
    というと、「豊かとは思わない」という。そこで
「私は家内と、この十数年で三十数回地球の秘境旅行をしているが、
 これは豊かといわないのですか?」と訊ねると、
  「それは豊かといえる。しかし、地味な生活に甘んじて遊びも控えているのは
   豊かとはいえない」との答え。
それも一理ある。
 私の従兄弟に一億以上の貯金がある?という噂がある60代半ばの独身男がいる。
  見たところ地道な生活をしており、殆どお金を使っていない。< ;`∀´>マジっすヵ!!
   この人は間違っても豊かとはいえないし、内福とは言わない。

内福という言葉を知らないことが驚きであった。
 越後長岡の典型的な方言だろうかと 
 「検索」で調べたら、
  小説の一節に「以前は内福であったが、現在はそうでもないらしい」
   というのがあった。
   それからみると方言ではなくて、死語になってしまったようだ。
内福は、「収入内でヤリクリしてそれなりに豊か?な生活をしている状態」である。
 これからの日本の生き方のヒントが『内福』の生き方にあるのではないか。
  書店で『300万で豊かに暮らせる方法』みたいな本がならんでいるが。
  
                      ヾ(●´∀)ノ" また〜♪
・・・・・・・・・
2005年01月02日(日)
1370, 酒についてー3
           ∪ヽ(●-`Д´-)ノ彡☆ 酒持ッテコーイ
正月早々、また酒についてを書く。
 前回書いた「作家の酒についての名言」の続きである。
  感想も含めて考えてみる。
  −−
・酒に限らず言えることですが、人間のつくり出した
 『楽しむためのもの』を、不必要に恐がらずに、みくびらず、使いこなして、
  『楽しむ』ことを覚えれば、それだけ豊かな時間を過ごせるわけでです。
   ー豊かな人生、豊かな青春が。         −吉原幸子
                  ( ^_^)/q□☆□p\(^_^ ) カンパァーイ
   my感想ーその反対も多く過ごしてきた。
     みくびったためだろうが。

・酒は、その土地の文化の結晶なのである。
              −田村隆一
  my感想ーその土地土地の酒は、景色、人間に劣らず個性がある。
   新潟の酒、沖縄の泡盛、世界各地の葡萄酒、ビール、
    そして中国の紹興酒などなど。
     そこの肴を一緒に飲む酒は、何よりも絶品である。

・深まってくる秋とともに飲みたくなるのはやはり日本の酒である。
 一人で部屋で仕事から解放されたあと、魚のひらきなどを焼いて飲む。
  この時のものさびしさは、やはり捨てがたい。
              −三木卓
   my感想ーそれで二日酔いをしたら馬鹿?

・女を口説くときは酒はあったほうがいいものだが。
  が、酒を飲むときは、女は要らないサカナである。
              −荻昌弘
   my感想ー?   ?!    クゥーッ!!”(*>∀<)o(酒)"

・楽しみといえば、酒を酌交わしながら、
  気のおけない友人と談笑することであろうか。
   といって、趣味に『飲酒』とも書けないが。
              ー戸坂康二
・酒場でモテる客というものは、要するに向こうの期待通りに振舞って、
 それが気にならないような、そんなお客かもしれない。
  こんなお客だけにはなりたくないものだ。
   酒場では、少し嫌われるぐらいが一番いいものである。
              −五木寛之
 my感想ー誰かがそう言ってくれるのを待っていた
  酔っ払いが、世の中には五万といるだろう。
   そのうちの一人が私だ。
    少しぐらいならよいが、それを超えてしまうのが酒の魔力である。
 
・通と野暮は紙一重であるが、たかだか食べ物のことで、通も野暮も
  あるまいという気持ちが強い。負け惜しみのようだが、食通は変態の
   一種ではないかと思うのである。

my感想ーそうだ、そうだ、その通りである。
 しかし、その変態がうらやましい。
  ラーメン、日本蕎麦などのB級グルメならよいのでは?

・私が人並みに元気なのは酒を飲んでいるときだけであるから、
  これをやめるわけにいかないのだ。
              −結城昌
   my感想ーこの人が言うと、迫力がある!
 
・私がうまいというのは、           ―{}@{}@{}- ヤキトリ
 「値段が安くて・・・」と必須条件がついてのことで、
   値段が高いものは、
    うまいもまずいも判断の対象にならない。−吉村昭
  my感想ーまったくである。よく言ってくれた。
    バブル時に三千円までの男と酷評されていたからね。
    そういう連中の数倍、数こなしてきたから、
    そんな金を使う必要がなかったからだ。
    そのどこが悪いかとお思っていたが、このバブル崩壊で、
   やっとみな本音を言いはじめてきた。よいことだ。
 高い店はドンドン潰れているのが楽しい・・。
   ーー
酒については、書いても書いてもネタはある。
    ∪*ゝω・*∪つC□☆□D⊂∪*・ω・*∪ カンパイ♪

・・・・・・
2004年01月02日(金)
1003, 「2004年日本経済」ー読書日記
  ー円高デフレの恐怖が襲来する。

この人の本はバブル発生時から一貫して「日本経済悲観論者」である。
 中長期的に振り返ってみると、この人のいうとおりになっている。

  ー印象に残った順に列記してみる。
・2005年のペイオフが一つの鍵になる。
  金融再々編成によって残る大手銀行は二行になる可能性も。
   メガバンク国有化は、日本経済の信用を損なう、
    そうなる前に再編成をさせる。
・いまのデフレとは、銀行の信用デフレが発端である。
  銀行がその役割を終えてしまった。
・さらにリストラ、倒産はつづく。
  日本経済は根幹から音を立てて崩れはじめている。
   給料はまだまだ下がり続ける。
・アメリカは内部崩壊をはじめてきた。
  この円高ードル安は、日本では更にデフレ圧力になる。
・EUも深刻なデフレに向かっている。
  ドイツ経済が日本化をしていく。
   元東ドイツの住民が社会主義的な政策政党に票を入れ始めた。
    その為ドイツ経済は競争力を無くし始めた。
     日本の生産地が中国に移動したのと同じ現象が
      ドイツと元東欧諸国と同じになってきた。
・円高は100円を割る可能性を含んでいる。
  79円も割る可能性も十分考えられる。
   この水準を割り込めば日本経済は完全に息の根を止められる。
   この大不況の中、何とか持ちこたえられたのは輸出のおかげである。
    円高はドル安になるといくことである。
     この輸出が円高で激減する可能性 がある。
     またアメリカの国債を持たされた日本は実質の回収が落ちることになる。
     等々である。

     実際に事業現場に立っていると、この内容は決してオーバーに思えない。
     新潟駅前の夜は、火が消えてしまったように静まり返っている。
    何処の会社も経費節減の為に2時間以内は日帰り圏にしてしまった。
   この数年間でビジネス客は3分の1に減ったという統計も出ている。

 「2003年日本経済」では副題はー世界恐慌の年になる!であった。
 実際のところは恐慌にはならなかった。だから「今年は、この人の
いう通りにはならない」と考えるのはおかしい。
この本では人口の問題には触れてない。
 数年先から、本格的な人口の減少が続く。
  他には若い人の質の低下の問題がある。
   まだ何とか持っているのは、
   団塊の世代が踏ん張っているからである。

   こと日本に関しては悲観的材料が多すぎる。
   生存対策をまずは第一にしなくてはならない時代である。
   この情報化社会は世の中を激変させている。
   健康食品も本も、インターネットで注文するようになった。
   近く「ユニクロ」があっても、わざわざインターネットで注文をする。
   電化製品も必ず「価格ドットコム」で最低値段を調べて、近く大販店で
   値段交渉をするようになった。

   まさかこんな時代をみることになるとは思ってもいなかった。
  大不況になっているのではなく、違う時代への過渡期の整理過程と
 見るべきなのだ。整理されないよう自分を変えていくしかない。
会社も自分も社会もである。
  
 ・・・
「2004年日本経済」
  ー円高デフレの恐怖が襲来する。
   出版社: 東洋経済新報社 ;
    (2003/11/14)
    内容(「MARC」データベースより)
    急激な円高、企業収益の悪化、株価の下落、長期金利の暴騰…。
    市場がドルを見離したとき、最悪のシナリオが日本を襲う。
    危機寸前の日本経済を徹底予測。
   「人民元」の次のターゲットは「円」だ!
ー目次
プロローグ 日米為替戦争が勃発する
 第1章 景気予測―小泉自爆型政策の末路は経済破綻
  第2章 デフレ経済―デフレの本質を見抜けない愚かな政府
  第3章 金融不安―現実味を帯びてきた金融再々編の可能性
  第4章 企業経営―「市場のルール」を貫かなければ、企業の再生は遠い
 第5章 世界経済―日米欧同時デフレの深刻
 エピローグ  アジア経済統合で日本の技術を生かせ
ーーーーーー

2003年01月02日(木)
629, 英国人はまず道具を揃える

今回-パタゴニアの添乗の人がイギリスに詳しい人で色々のことを教わった。
 その一つに
  「イギリスではゴルフやハイキングをする時は思い切った良いものをまず揃える」
   「まずは形から入る!」
    この言葉がいやに説得力があった。
    長い歴史の中からの知恵を感じ入った。
    しっかりした道具を買ってしまえば簡単には止めることができない。
    覚悟ができると言う事だろう。
    目的を見定めて手段のしっかりしたものをそろえるという事だ。

    道具だけ揃えて持つことを趣味にする人がいるが、それはそれで趣味なら良い。
    チャーチルが持ち物は若い時から超一流のものしか持たないことにして
    いたという逸話を思い出したが、今回の内容と関係ないか?!

    機能優先であまり物に拘らない生き方をしてきた事が果たして良かったのか?
    少し疑問があった矢先に聞いたので印象に残ったのだろう。

    ブランドものは値段の価値のあるものが多い。
   といって、それだけを追いかけている人を見ると疑問を感じる。
  ブランド=価値と勘違いをしてしまうからだろう。
 しっかりした道具を揃えることとは意味が全く違うが。

 道具はすぐ揃えるが、三日坊主の人があまりに多い。
  私の場合三日坊主の経験は少ない、
   学生時代の英会話があったが。

ーーーーーー
ーーーーーー

2002年01月02日(水)
288、捨てる技術

捨てる技術という本が数年前、ベストセラーになった。
 それに対し、立花隆が全く正反対の立場であった。

  その本を読み数年前、思い切って本を八割かた捨ててしまった。
   そして後で後悔した、といってさっぱりしたことも事実だ。
   矛盾が残った。

   先日図書館で野口悠紀雄の「超」整理法3を借りてきて読み、
   感じるところがあった。
   パソコンの「ゴミ箱」の考え方である。
   −とりあえず捨てるのである。
   後で拾いなおすことができる。

   「バッファー」という概念である。
   ショックを吸収するための緩衝器である。
   「廃棄バッファー」が重要だという。

   ベストセラーの「捨てる技術」と
   立花隆の反論の中間の?方法である。
   具体てきにいうと
   「多分必要でない書類を」収容する封筒をまず作ること、
   次にこれを収容する箱を作ることである。
   要するに「保存ごみ」である。
   保存することによって捨てることができる。

   捨ててしまった中に宝があったのに?といつも疑念が残っている。
   分ければ、資源になるのに?とかも。

  「到知」という雑誌を捨てようかどうかかどうか迷っていたが、
  そうだ自宅の倉庫に整理しておいて置けばいい!とか、新しい考えが出てきた。

 新聞の切り抜きもしかり、
「随想日記の保存分類ごとに封筒を作り」に
放り込んでおけばいい。

ホームページを立ち上げ、運営してきづいたことは、
 ホームページの本質は、ストックでなくフローであるということだ。
  それがそのままストックになっていく楽しみだ。
   捨てる技術がそのままシステムでできることだ。

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ーーーーーーーー
1月2日 1969年

朝8時にたたき起こされる。
 9時過ぎに店に出発。
  新年の初売りの手伝いである。
   初めは支店で一時間位働く。
   雪のためか人の出は少ない。
   その後本店で17時過ぎまで手伝う。
   18時に帰宅をする。食後団欒。
   22時過ぎのNHKの「出会い」という番組がよかった。
   最後の出た新婚の話がよい。
   その愛が美しく、人の気持の神秘的な美しさがよく出ていた。
  その前に出ていた40歳位の女性の20年前に話もよかった。
 よい正月の話として記憶に残るだろう。
年賀はがきが友人から届いている。


2099, 新年にあたり

2007年01月01日(月)


   新年明けましておめでとうございます   ○┓
                 今年もよろしくお願いします。
      ._| ̄|○
   
    2007年から5年間は大きな転換期に入るが、
    時代はどの方向に向かっていくのだろうか。
    情報化が人間を、社会のあり方を、根底から変えている。
    その中で私たちはどのように身を処してよいのだろうか。

1995年から2005年まではインターネットの時代、
2006年から10年間はブログと、グーグルの時代というが、
それがはっきり見えてきたのが昨年である。
今年からはより鮮明に具体的になる年であろう。

    その一つがグーグルアースで、これは驚愕といってよい。
    しかしこれは、グーグルの料理でいう前菜でしかない。
    通常の地図の他に衛星からの写真があり、建物の一つ一つが明瞭に識別できる。
    衛星写真で最大限にすると、地球全体が見え、そこから高度を下げていくと、
    地上の状況が次第に詳細に見えてきて、車までみえてくる。
    最近になって、飛行機の操縦桿みたいなものがついて、
    ヘリに乗って飛び回っているようになっている。

グーグルの地図ソフトは、一年前まではいくら金を出しても個人では入手できない
ものだった。それが、家の机に向かったまま無料でみることが可能になった。

その他にも、図書館に存在する書籍の検索を、グーグルが始めた。
まだ始まったばかりなので初期的段階だが、これが進めば検索の対象になる情報が
飛躍的に拡大する。もう留まることはないだろう。

    ブログの爆発的な普及により、情報のオープンソース化が進み、
    これと検索技術の高度化が結びつくと、想像をこえた情報の質と量が
    入手できるようになる。これが世の中を根底から変えようとしている。

新年にあたりに、このことを話題にするかというと、
劇的な情報機器と進化と、ソフトの高度化が、留まることなく進んでいる事実を
しっかりと把握していないと時代を見誤るからである。
全ての企業、そして個人がある意味で、大きな岐路に立たされている。

##プクーー###   しかし、いま、ここに、私が存在することに較べれば、 
♯##┌Ω┐###   何ともない問題である。
###└―┘###   何で、私という存在がここにあるのだろか?不思議で不思議
#########    で不思議である。誰も解るはずがないのはわかっているが・・

    今年は、私がここに存在している不思議を少しは知ろうと思うが!
    いや、それは無理としても存在している、いま、ここ、自分を、
    縦に垂直に切り落としてみたいが・・
    水平にのんびり飛んでいるカモメもいいが。
    今年は、垂直に高く飛んでみようか!
    カモメのジョナサンのように。
    
  年代わりは良い、気持ちまで新たになる!
    
 サイナラ!(o ・д・)ツ  バイ!
    
・・・・・・・・
2006年01月01日(日)
1734, 新年にあたり
(σД≦)ネムゥ〜 ☆・゚+。*゚・.+´
     あけましておめでとうございます 
      今年もよろしくおねがいします`。
 +.・*´゚+・。*☆  オメデト(^0^)∠※ PAN! ヽ(。ゝω・)ノ 
☆;:*おめでとさんです*:;☆
 
  2006年元旦である。 
  心新たに、新年をむかえる気持ちがよい。
  雪が積もってないと墓まいりが行事になっているが、
   これほど積もった場合は行かない。

    あと二週間で還暦になる。
    「60歳を一つの大きなゴールとして、それ以後の全てを詰め込んでしまえ」
     と思って生きてきたので、この年越しは感慨が深い。
     「思い残すことはない!」というのが実感であるが、
     「本当に思い残すことはないのだろうか?と一年かけて考えつくすことと、
      これからの十年のデザインをする」のが今年一年の課題である。
                   ま!*^ー^)/C□~~ コーヒーいかが?          今年も情報化の影響で、さらに大きく世の中を変えるだろう。
      冬季オリンピック、ワールドサッカー、政治では小泉の退陣、
      阿倍?が総理に変わり、憲法改正と消費税のアップ、
     など次のステップに向けて動き出すだろう。
                 銭箱] ◎⌒ヾ( ̄0 ̄ ) ドォカヒトツ  人(_ _ )
     身辺では、新潟駅立体交差の工事が始まり雰囲気は一変する。
    天気晴朗なれど波高しというところか。
    日本は、この10年は政治経済は想像を超えた混乱期に入る。
   各家庭に光ファイバーが浸透して、情報の質と量が膨大にアップ。
   これがますます時代の変化を加速するだろう。
   面白い時代でもあるが、生きづらい時代になることも事実である。 
  今年もよろしくお願いします!!    ☆^(*・ω・)ノ~~~βyё♪

・・・・・・
005年01月01日(土)
1369, 新年にあたり

さて今年が始ったが
 まあ元旦の清々しい気分がよい。
  去年、世界的にも身辺でも災害が続いた。
   オリンピックに、アメリカ大統領選挙、国内では参議院選挙も重なって
   刺激の強い日々が続いた。今年は、どうなるだろうか。
   早生まれなので、来年早々に還暦を迎えることになるが、
   多くの同級生が還暦を向かえることになる。 やはり感慨が深い。
   「とりあえず60歳まで!」と、人生を生きてきたので
    あと一年の余白を何で埋めるか、この一週間じっくり考えてみたい。
   その意味で今年は、思い切ったことをしたい。

   4月からは、銀行のビッグバンがある。
   特に地方銀行は、待ったなしの年になる。
  風評だけで倒産になる可能性が出てきた。
 大きな再編成は必至だろう。
 特に地方は大きな変わり目になり、多くの倒産・再編成がおこるだろう。
 ますます、刺激的な日々が続く。

 それにしても、大晦日と元旦では全く違う感覚が非常によい。
 この時代、あまりにも変化が激しい。
 しっかり足元を見つめていないと!自分を見失ってしまう。
  面白いといえば面白い時代でもあるが。
今年の私のキーワードは
「3C]である。チェンジ・チャレンジ・コンペティションだ。
  白紙に戻って、変化・挑戦・闘いをし続けなくてはならない。
  年始から少し硬すぎる内容になってしまった。
   楽しんでやっていれば良い。
   ー過去の元旦の文章を見ると、面白い。
   元旦の気持ちはいつも同じようになるようだ。
   また、時代時代の背景がクッキリ見える。
   書くということは、気持ちをパックしてくれる。
  去年の元旦の日記に「グリーンランドに行く」と書いてあったが、
  実際のところ、忘れていた。
 値段が高いこともあって行かなかったこともある。

・・・・・・・・
2004年01月01日(木)
1002, 新年に思う

新年になった。
 新年の何ともいえない雰囲気が好きである。
  神社に行ってお参りする習慣はないが、雪が積もってない時は
  お寺に墓参りに行くことにしている。
   ただ坊様のところには、新年の挨拶は行かない。

    今年は、日本経済に関して正念場になる。
    閏年は、アメリカ大統領にオリンピックがある年だ。
    国内では、これに参議院選挙がある。
    来年のペイオフを控えての銀行の大編成を避けることは出来ない。
    参院選挙を終えた後に、大きな倒産が続くだろう。
   大手4行の合併問題とか、地方銀行の倒産や合併が進むだろう。
   経済は更に一段落ちになる。

  そうそう甘い年ではないだろう。
 今年と来年は何とか持つのではないか、
 むしろ2006年からだろうという説も肯けるが。

 今年の旅行は北極圏の「グリーンランド」と
 激安の何処かを、二回は行くつもりだが。

会社では、一年をかけて一棟を長期型ホテルに変更。
和風ファーストフードを3軒のオープン予定?
 二億近くの投資になるが、どうなることか。
  ??億も、?+2億の投資も、ここまできたら同じである。
   いずれにしても予断を許さない時代になった。

    国内で、テロやSARDが何時発生してもおかしくない。
    新幹線で、もし起こったら窮地に立たされかねない。
    牛丼屋やハンバーグ屋や焼き肉屋が、ある朝のTVニュースで
    突然に窮地に立たされる。
    テロやSRADというカタチで、自分に何時向かってくるかは解らない。

   ある地元の会社の二代目が社長になって、新任の挨拶に来た。
   本人曰く「挨拶に回っていて誰一人として、おめでとうと言ってくれる人が
  いなかった」もちろん私も「おめでとう!」など言えなかった。
  1000人の従業員を抱えて如何するのだろかという方が心配であった。
 今、フリーの状態で、その規模の会社を引き受けるか?と言ったら
 誰もがノーというだろう。
 年末に日航の子会社のリネン会社を買収と新聞に大きく載っていた。
 攻撃するしかないと記事に載っていた。 時代は変った。
   激変な時代、舵取りはそう簡単にはいかなくなった。
    時代は氷河期に入った。

・・・・・・・・
2003年01月01日(水)
628, お正月の意味

今日はお正月、その意味をインターネットで調べてみた。

 お正月の意味はお正月さま、年神様という先祖の集合霊をいう。
  この霊が各家に帰ってくる。
   12月13日は家を祭場する準備のすす払いの日という。
    門松は神様の依り代で、神様が何処に帰ったらよいかの目印の為に置くという。

     お雑煮は帰ってきた神様に供えたものを下げて一緒に食べるごった煮をいう。
     その餅に宿る霊魂をお年玉という。今はお金を貰うことだが
     本来の意味は先祖の霊魂をいう。
     子供の頃一家揃って年末の御参りをしたのも、年始参りもその為だ。
     そういえば、旧家などで貰うお歳暮は貝柱だったりする。
    お盆も同じように先祖を迎え入れる行事である。
    その準備を始めるのが七夕だそうだ。
   何かいつも何気なく過ごしている中に先祖崇拝の風習があったのだ。
  日本的風習の中に盆暮れに実家に帰省をして仏壇参りやお墓参りは良い。
 最近は海外旅行に変わりつつあるが。
  ホームページのサイトをサロンに載せてある。

・・・・・・・・
2002年01月01日(火)
287、リセットの年

今年のキーワードは「リセット」と年末に挨拶に行った
 銀行支店長が言っていた。
  21世紀的なものへの、変わるべきところへのリセットである。
   自分自身に対しても同じことが言える。
   世界、日本にとって政治経済で白紙からの出発の年といっていいだろう。
   その背後は情報革命の本格的影響が本流になってきたためだ。

   何を変え、何を更に充実すべきかよーく見きわめなくてはならない。
   ここで一歩間違うと、とんでもない事態に陥ってしまう瀬戸際の年である。

   まず変わらなくてならないのは、自分の脳からであろう。
   どう変わらなければならないか、新年じっくり考えてみる。
  やはり個人はホームページの充実、会社も社内ネット化とホームページの充実である。
 あとは今の事業の棚卸である。

・・・・・・・・・
ある時間の断片
1月1日  1969年

8時起床。 食後、あと一寝入りをする。
  11時過ぎに、実家の店の佐藤さんが新年の挨拶にくる。
   その後、事務所の女事務員が数名挨拶に来る。
    また、近くの分家の堀井明ちゃん夫妻と従妹のまり子ちゃんも来る。
     相変わらず可愛い。彼等と裏に住む姉の正子さんの所に行く。
      一時過ぎまで、まり子ちゃんと話をする。
       小学生までに私のアイドルであった。

       母屋に戻ると、会社の五十嵐君が新年の挨拶に来る。
       彼は小学校の同級生だ。
       兄の三郎さんと三人で酒を飲む。
       その後、父と二人でお寺三軒を新年の挨拶に回る。
       そして、また裏の姉の所に遊びに行って、ボンカルタをする。

      夕食後、TVを見ていると二番目の姉の旦那の弟で、
     長岡高校の同級生だった、花井衛さんが遊びに来る。
     彼とはいやに気が合う。
    一年に一度は何処かであっていた。
   二時間以上、積もる話をする。
   彼は松下電器に入社予定だという。隠れた逸材である。
  彼も社会にでるということで塞いでいた。
  同じなのだ。

今年は社会への門出の年でもある。
今日、衛さんに「何か言葉にとらわれている」と注意された。
 揚げ足取りをしている部分だ。
  気をつけないと。

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