堀井On-Line



1672, 聖荊の奇跡

2005年10月31日(月)


パスカルといえば、
「パスカルの賭け」ー後記ーがよく知られているが、
それと同じくらい有名なエピソードがある。
(日本ではあまり知られてないが)
ー[聖荊の奇跡]である。

この奇跡を見たパスカルが[パンセ]を書く大きな動機になる。
姉の娘マルグリットが、目の病気になってしまう。
多くの医者をまわっても誰も治せない状態で、症状はますます悪くなる。
その間に、姉のジルベットは修道院に娘を寄宿させる。
しかし目の腫れ物が肥大して、膿がでて、鼻骨も侵されてしまう。

ある日、修道院に展示されていた
聖荊(キリストが磔にされたときに、頭につけていたとされる荊の冠)
の一部がにマルグリッドの患部が触れると、たちまち腫れ物は消え、
完全に病気が治ってしまう。
これは宗教裁判所からも、奇跡として公認されている。
この出来事を身近に見ていたパスカルは、信仰が揺るぎないものになる。
彼は、この出来事を契機として人間の回心を願い[パンセ]の執筆に入った。

ところで、私に奇跡を貴方は信じますか?
と問われれば、信じる方を選ぶ。
手品もどき宗教のトリックでなく、
「人知のはるか及ばない出来事はありうる」
 という意味で、だ。
全く、穢れてない少女が純粋に信じ念じたことが、
何かのキッカケで細胞レベルからの変容も不思議ではない。


‘パスカルの賭け’
「神を信じて、本当に神が存在すれば天国に行き、
もし存在しなければ天国も地獄もない。
神を信じないで、もし神が存在すれば地獄へ行き、
存在しなければ天国も地獄もない。
ゆえに、神の存否が分からない時は、神を信じたほうがよい」
(パンセ)
ダメもと、の信仰論がおもしろい

・・・・・・・
・・・・・・・

2004年10月31日(日) 1307, 一冊のアルバム

地震に明け暮れているので、話題を変えてみる。

事務所の移動で、秘境ツアーなどのアルバムを整理していたら、
未使用の小さなアルバムが出たきた。
一面一枚の20枚しか貼れないが、台紙のあるチャンとしたアルバムである。
買っておいて忘れたのだろう。

そこで、「さてどう使おうか?」と考えてみた。
その結論として、
「過去の旅行のベスト20枚」を貼り付けることにした。

そして、それが良かった。
何度みても飽きない。
私にとって、どんなものより素晴らしい宝物である。

「これは!」という写真は、一回の旅行に数枚はある。
それを更に、20枚に集約したのだ。
開けば、それだけでハイになる。

アルバムはそうそう開いて見ない。
いちいちアルバムを開くのが面倒だからだ。
それなら数千枚の写真を、二十枚に纏めればよいのだ。

そして、常にカバンに入れておくことにした。

詩も、言葉の中に全てを集約して残すのだから、
究極の凝縮のカタチである。
母が多くの道楽の末に行きついたのが「詩」であった。

事業にしても、
お金にしても、
不動産にしても、
写真にしても、
古道具にしても、
後継者にしても、
残るのは、生きてきた実感としての
「真実としての言葉」と
「写真」
「信頼」そして
「子供」だけである。

話しが大きく逸れてしまったが、
貼ってある順に紹介してみる。

・パキスタンの桃源郷といわれているフンザ近郊の小高い崖の上で
 一人で、足を開いて片手を上げているショット

・パキスタンのカラコルム・ハイウエーのがけ崩れの落石の中、現地人に手を引かれ
 走り抜けているショット

・機上から、天山山脈を撮ったショット

・タンザニアの大晦日の現地運転手の特別招待のパーテーで、多くの運転手たちと
 0時を過ぎた瞬間の写真

・フィンランドの登山列車で、トンネルの合間のビューポイントの滝で、
 一時停車をして写真を撮っていた。ところが、 急に音楽が鳴り出して
 遠くの滝の岩間で赤いドレスの女が踊りだしたショット
 (列車のお客に見せる為のショー)

・スイスの山頂の氷河に着いたが、霧で視界はゼロだった。
 その時、霧が急に風で飛ばされ、氷河が自らの姿を現した。
 家内と二人、感動で呆然として氷河の美しさに見とれていた。
 ー帰国後、同行の人が、そのショットを上から撮っていてくれていて、
 送ってくれた一枚

・スイス・マッターホルンでの凧揚げのショットと、マッターホルン

・モロッコ・マラケシュの「ジャマ・エル・フナ広場」の夕景

・モロッコのサバクで撮った、朝日が写しでした「私たちの砂上の影絵」
 幻想的な極上の写真

・ヨルダンのぺトラの前でのショット

・シナイ山の山上でのショット

・フィジーでパラ・セーリング(モーターボートでパラシュートを引っ張り
 空を飛ぶ)で、空から撮った写真と、地上からそのショットを撮った写真

・リオのカーニバル

・北スペインのパンプローナの牛追い祭り。
 最終日のファイナル・ギャザリングで、大衆が踊り歌っているショット

・ギアナ高地でボートからテーブル・マウンテンを写したショット。
 それと機上から撮ったテーブル・マウンテン

・メキシコのテオティワカン遺跡の、「月のピラミット」の頂上からのショット

・パルミラ(シリア)列柱通り

・ケニアのヌーの河渡りを見たあとの帰り道、夕陽と雲の織りなす夕景

・ワニとシマウマの死闘のあと、最後にシマウマが陸に逃げ切った瞬間のショット
 (私の人生の最高の一枚である)

・ネパールのカトマンズ近郊の山から、ヒマラヤ山脈を望む

・イスラエルのマサダの砦の山頂からのショット。
 ユダヤ人1000人が自害した時の闘いの生々しさが、今も残っている

・そして、最後はブラジルのイグアスの滝をヘリから撮ったショットである

以上だが、
恐らく死ぬ時、この一冊を抱きしめているだろう。

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2003年10月31日(金)
940, ゲーム理論ー2

「ミニマックス理論」と「囚人のジレンマ」はゲーム理論の大きい柱になる。
「囚人のジレンマ」は「自分が一番得をしたいと思って選んだ選択肢が、
結果として最適でないものでなくなっている」、それを互いにゲームで競う。

ーそれでは「囚人のジレンマ」とは?
 泥棒の嫌疑がかかっている二人が警察に逮捕され、独房に入れられている。
ただし、物証がないため証言だけが頼り。
そこで警察側は2人に次のような条件を提示した。
1)・2人とも黙秘すれば、証拠不十分で両方が懲役一年
2)・2人とも自白すれば、両方が懲役2年
3)・1人が自白をし、1人が黙秘をすれば、自白側は無罪、 
                     黙秘側は懲役3年
                     
 有利の順をみると、
一、自分だけが自白
二、2人とも黙秘
三、両方とも自白
四、自分は黙秘を続け、相手に自白をされて裏切られる

の順になる。
3)を選んで自分だけを釈放されようとしても、相手も同じく考えているため、
結局は、2)になってしまう。一番良いのは、両方が協調して黙秘をする、
1)である。
しかし、それができないから相手の読みを考えなくてはならない。
そこでジレンマが起こる。
ある政治学者「協調か」「裏切り」かの「囚人のジレンマ」選択をさせる
プログラムをつくって、対戦をさせた。
複雑なプログラムの中で、優勝したのが、「しっぺ返しのプログラム」だった。
「しっぺ返しのプログラム」とは、
1)はじめは協調
2)次回はすべて相手の真似

 これでは一回も勝てない。いつも負けか引き分けしかない。
それでも、一回一回は弱いが総合点でトップを取ることができた。
これぞ失点を最小限にする戦略である。
囚人のジレンマを乗り切る例としてはよい。

ここで注意しなくてはならないのは
「裏切られたらすかさず裏切り返さないといけない」という事だ。
そうしないと、単なる弱者になってしまう。

 この大不況の中、ゲーム理論をは実感として身に沁みることが多い。
長年かけて積み重ねて積み上げてきた利益が、一つのミスで全て失ってしまう。
勝つより負けないことがより重要な時代である。
経営の本質は相撲の喩でいうと「14勝一敗」より「8勝7休」でなくてはならない。
激しい競争社会では一敗が致命傷になる。
 
 何がおきるかもしれない時代、あらゆる想定の中で負けない経営を第一としなくては。
競争対策、成長対策、生存対策のうち、まずは生存対策が優先されなくてはならない
ことを「ゲーム理論」は教えてくれる。
                     ーつづく

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566、 2002年10月31日(木)
        1968年9月22日
      ーセミナーハウス二日目ー
8時10分前に起床、同室者はまだ二人とも寝ている。
 朝食後、セミナー開始。

 ーケーススタデー
討論開始、いい加減なことをいって恥ずかしい!
もっと深く考える必要があった。
ほかの人がよく学んでいるのが判った。
考え方もベースができているのに今更の感がする。


昼食後、全員で相模湖へ行く。
私と大島君と東レの研修員3人と同乗する。
ー君は一年後輩、呼び捨ては同期、さん付けは
東レの研修派遣の人ーで使い分けているー

東レの野村さんの女性論が面白い。
冗談と真実の紙一重の話がさすが大手の人事部の人は
センスが違うと感心した。車が逸れるが、現地で落ち合う。
早速、釣りをする・・・・・。

帰りは高木の車でセミナーハウスへ帰る。
高木の人間的魅力の深さに驚く。

再び「愛」について討論、最後に国家愛に行き着く。
印象的だったのが
「所詮バケツいっぱいの精液が、愛でしかない!」が印象的だった。
終了後、焼き鳥とビールで夜半の12時過ぎまで語り合う。

ーある時間の断面 −
                 1968年 9月23日  
 ーセミナーハウス三日目ー
8時10分前起床、食後、討論に入る。
「将来の日本」についてのパネルデスカッション。
パネラーは田口、石川、小島、鳥山、高嶋さんであった。

小島君の安保、自衛隊の批判に反論が出る。
かなり白熱した内容であった。

昼食後一時に解散。
高木の車で帰路に着く、東名高速は初めて乗ってみたが名神
より車が多く外国に行っているような錯覚におちいった。

帰寮後、夕飯に出ると大学の知人にばったり会う。
ITAという海外旅行研究会の部長で、昨年欧州行きで知り合った。
寮の近くにバイトに来ているという。奇遇であった。
私の部屋で話をする。アメリカに留学するという。

何か考えていることや話している内容がスケールの違いを感じた。
圧迫を受けてしまった。
彼を見ていると自分にもその力がある筈なのに、どうしてこうも
違うのだろうか?同じ力がある筈なのに。
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感想ー
段々と社会に出る切迫感がこれからの日記に出てくる。
かなり無理をしている自分がそのまま書いてある。
自分の子供を見ているようでもある。
丁度息子の歳ごろだ。
でも行動的であったのに驚いてもいる。

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2001年10月31日
[204] 霊体質ー3
今まで起きた実際の事実を書く!信じようが信じまいがその人の判断だ。
シンクロニシテー(意味ある、乃至考えられないような遇然の一致)と重なっている。

1、5〜6年前柏崎の義父の葬式の帰り、峠で行く先々で7〜8回虹ができその下を
  通った。100回以上そこを通ったが虹が出たことは初めて。
  かつ虹の下なぞ通ったのも初めての経験である。

2、近くの堀井といううちの分家にあたる従兄弟が、7〜8年前「自死」をしたときの事。
  丁度通夜の日、ジャイアンツの二軍が悠久山で試合があった。
  それで天侯を憶えていたが、 午後3時過ぎに突風がふくと天気予報がいっていた。
  
  3時に納棺であったが、その時突風がふき桜の花が納棺の最中吹荒れた。
  終わったと同時にピタッと止んだ。彼は毎年桜の花を写真に撮るのを趣味としていた。
  その年は桜の当たり年で、私もかなり多くをとった。
  彼もそれを覚悟で多くの写真を撮っていた。

3、母の葬式の日、‘おとき’のかえり天気なのに突然雨が降ってきた。
  涙雨といってよくあるそうだ。その時初めて知った。
  
4、昨年東京の叔母の葬式の時、丁度焼き場に遺体が行っていて、式場で家族以外が
  待っている時、急に気分が悪くなった。ハッとした、今叔母が私の処にきている
  のが解った。横を見ると鏡のついた柱があった。「鏡は霊を呼ぶのかーと思った」

  ということは、10年前に抜けた霊体質がまだ残っているのかもしれない。
 また以前の文をコピ−しておく。

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S6201霊的体験
2001/10/31

私には少し強めな霊的感覚があります。今回より数回シリーズで実体験を公開する。
“A”さんが数年前になくなった時の事です。
同じ会社仲間だった“B”さんと十日町の彼の家へおまいりにいった。
その途中の車中で“B”さんと般若心経の話になり、そこで彼の供養も含めて
お経をとなえた。

その後、Aさんの家の確認のため車をとめ地図をみた。
そして何げなく“B”さんの顔をみると、彼の顔がまっ青になっていた。
やはり車中で“C子”さんの話をしていた。
“A”さんが入社試験にやってきた時、彼(A)が優秀という事であり、
同じ十日町出身の美人C子さんにお茶を出させ、郷里の話をさせた。
そのせいかどうか彼は私の思いどおり入社した。

そのおもい出話をした事であったのか数万分の一、いや数十万分の一の確立で
彼女の家の前に車がとまったのだ。
十日町に出店をした時、彼女の家の前を“B”さんが通って知っていたのだ。
私がそこに“偶然”(?)車をとめてしまった。
“B”さんはあまり霊的な事を信じない人ですが、その時は最後まで信じられないと
いう風だった。私自身またかというのが実感だった。

その日一日“A”さんがニコニコ私達を見守っていたという何かを感じとった。


1671, 「全ての装備を 知恵に置き換えること」−2

2005年10月30日(日)


「全ての装備を 知恵に置き換えること」
は考えるほどに深い言葉である。
‘ハードを、ソフトに置き換える’
‘色即是空、空即是色
などが直ぐ思い浮かぶ!

ーさらに、この本のポイントになる文章を抜粋する。
「レベルの高い難しいクライミングをいくつもこなした後、
何がしたいかを問われたある男は言ったそうだ。
歩きたい、と。
道の方角へずっといつまでも歩いていたい、
そういったんだ。」
この言葉が彼のこれまでの人生を築き上げてきた哲学のように思えた。

実践からくる彼の言葉は一言一言重く深く響いてくる。
禅坊主の、シンプルと似ている。

ー著者の言わんとする一節があった。

人類がアフリカで誕生して以来、先祖は移動を繰り返してきた。
山を登り、川を越え、海を渡り、空を駆け、厚さにも寒さにも適応し、
今ではジャングルや沙漠、氷河にさえも人の息吹がある。
人間はあらゆる環境に生き延びる野生を持ち、その土地を生き抜く
強い生命力を備えている。
あるき続けることによって、肉体も精神も変化をし続け、その過程で
あらゆるものはそぎ落とされて、最後には本当に必要な知恵だけが残る。
人は旅の中で見て、聞いて、考える。
厳しいフィールドに身を置いている時に感じる幸せも、
異文化の中で生活している時に感じる幸せも、
それは変化を求められることへの喜びなのかも知れない。
自分はまだまだ歩き続ける。
自分にとって、生きるということは旅をすることだ。
それは揺るぎない。


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「全ての装備を知恵に置き換えること」
            石川 直樹 (著)       
             晶文社
石川 直樹
1977年東京生まれ。
高校時代にインドを一人旅して以来、世界中を旅するようになる。
北極から南極までを人力で踏破する地球縦断プロジェクト「POLE TO POLE」、
世界7大陸最高峰登頂の達成など極限を目指すとともに、
人類学、民俗学などの領域に関心をもち、行為の経験としての移動、
旅などをテーマに文章・写真作品を発表している

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2004年10月30日(土)
1306, 究極の観光旅行

朝のニュースで、例の男が「死体で発見された」と報道していた。
「現在の若者の究極の面白い旅行が、イラク旅行」という話は聞いていたが、
これが現実である。

ヨルダンのアンマンで宿泊していたホテルマンと、同宿していた日本人が、
イラク行きを止めるように説得したが、「大丈夫!」と振り切って出かけたという。
何おか言わんやである。

ロシアン.ルーレットゲームの玉が当たっただけなのだ。
この男は究極のゲーム(命を駆けたエクスタシー・ゲーム)を
楽しんだのだ。

イチイチこんな連中のために、自衛隊がイラクから撤去する必要はない。
「北海道の共産党の馬鹿親子」と、薬中の「あの女」のために、
生命の尊重とかで、日本中が慌てふためいた騒ぎは何だったのだろう。
あの救出劇が正しかったかどうか。

民主党の岡田党首が、
「この責任は首相にある!」とかいっていたが、
「このボウヤ、何をいているの?」のレベルである。
小沢一郎が呆れるのも、当然である。
次の首相候補というから、お笑い以下である。
これが真っ当の理屈でないのは、誰でもわかる。

筋が入ってない言葉は、直ぐわかるから恐ろしい。

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ー数日前の産経新聞の「産経抄」の内容がよい。
 コピーを貼り付けておきます。

何という奇跡、何という発見か。地震発生以来行方不明だった車の母子のうち
男の子が埋没現場から救出された。
それとは対照的に暗い話だが、小欄はイラクの武装勢力の日本人拉致を書く。
小泉首相が「自衛隊は撤退しない」と言明したのは当然だった。

 ▼とはいえ、国には国民の生命保護の義務と責任がある。
 救出に全力を傾注すべきこともまた当然だが、二十四歳のこの男性のイラク入りは
 ボランティアのためなどではない。
“何でも見てやろう”的漫遊の途上だったという。
 その無謀と軽率がやり切れないのである。

 ▼この春、同じイラクで日本人誘拐があったが、世論が「退避勧告」を無視した
 「自己責任」の問題を取り上げたところ、一部マスコミは人質と家族の不当な
 バッシングだといって騒ぎ立てた。しかし見当違いもはなはだしい。

 ▼テロリストの要求をそのまま主張する家族が自覚も反省もないことに、
 世論は嫌悪感を覚えたのである。
 「個」と「公」のけじめのなさと、それを情緒的にたれ流す新聞やテレビに、
 “ちょっと違うなあ”という違和感をもった、ただそれだけのことだったのだ。

 ▼この夏、戦乱のイラク取材にかかわったフリージャーナリスト勝谷誠彦(まさひこ)
 さんの行動基準というのをご紹介したことがある。
 それは「私は国家の『行くな』という意思に背いて、イラクへ出かけるのである。
 ならば何かが私の上に起きた時は、それなりの責任を自ら負うつもりである」と。

 ▼そして「万一の際は日本政府に多大の労力と血税を使わせたことをわびる」
 といっているのである。あっぱれジャーナリストの覚悟と根性というべきだ。
 すべての人がそうであれというのではないが、超危険地帯ではそれに近いものが
 要るだろう。

ーこの勝谷という男も、この若者と大して変わりはしないのに、少しオカシイが!何があっぱれだというのだ。

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2003年10月30日(木)
939, ゲーム理論 −1

 一昨夜、コンサルタントの林さんと酒を飲んで「ゲーム理論」の話題が出た。
ほとんど忘れたこともあり、「ゲーム理論」をインターネットで検索して調べてみた。
また本を読み直してみた。
なるほど勉強になる面白い理論である。
一般的にゲームというと、「目標を決め、途中に難関を置き、それを乗り越えながら
達成するプロセスを、第三者か自分自身と競う事を楽しむこと」であるが
「ゲーム理論」というと少し違ってくる。

ー要点を書いてみるとー

「『勝つ』ためには‘損切り’をして『負け』をへらす!」
が一番のポイントと思われる。

  ゲームと仕事に勝つための4原則は
・『勝利』より『損切り』を重視する
・裏切りによる勝利は長続きしないことを知る
・相手も自分と同様に利益を求めていると知る
・あらゆることが起こり得ることを知る
である。

 ーゲーム理論では「相手の存在』が不可欠である。
ゲーム理論は数学理論をもとにしている。
その大前提は、『自分』と『相手』がいて、それぞれが「合理的・利己的」に
「最適な状態」を目指すことにある。
かけひき上手を競うのが「ゲーム理論といってよい。

 ゲーム理論で考えられる世界は、100人が100通りの答えを持ち、
相手の存在と立場を見ながら戦略的に手を打つ。
「生き残り」という至上命題のための戦略、科学体系がこの理論である。

 ーゼロサム社会では勝者以外は全て「敗者」である。
いまのような不況は「ゼロサム社会」とよばれる。
ジャンケンのように誰かが勝つと誰かが負けるという
二つの和がゼロになる条件下のゲームを指す。
 
 ゼロサム社会での特徴は、現状の均衡点どちらにふれても誰かが損をする。
別名、利益の再配分の逆の「損の再配分」といえる。
この結果は「社会の硬直化」だ。
ものごとが決着しなくなり、社会が保守化し、誰も自分の既得権益のみを
守ろうとする。

 ゲームに勝とうとするには、「負けを減らす」ことだ。
勝つのではなく、負けた場合の損失を減らすのは消極的に見えるが
ゲーム理論では最も重要なことである。
「ミニマックス戦略」というこの戦略はこの時代最も重要である。
株式の世界では「損切り」といわれる手法だ。

 ギャンブルがうまい人は、自分の利益が出たときだけ、大穴勝負をする。
それも勝ちの一部だけを賭ける。大穴はほとんど外れる。
それでも利益があがる。
一般的には、負けが込んで、追い込まれて最後の勝負を確率の低い大穴に
すべてを賭けてしまう。そしてすべてを失ってしまうのだ。

 人生は一つの大きなゲームである。
 そして事業もだ。
人生の利益とは何であるか、
愛か、知識か、力か、お金か、誠実性か?
事業もしかりである。
拡大か、利益か、社会貢献か?

 事業を創業することは、まさしくゲームである。
ゲーム以外の何ものでない。

ー以前、ゲームについて書いたものをコーピーしておきます。
                   −つづく
ーーーーー
ーーーーー

513, 入試はクイズゲーム?
- 2002年09月08日(日)

「入試にしても、資格試験にしても、暗記とか理解を捨ててしまえ!
ーゲーム、パズルゲーム、クイズゲームと割り切ってしまえ!」
 というある文章を見て固まってしまった。

「ゲームや遊びの類と割り切ってしまったら、真っ当に受験勉強を
しないはずだ。クイズゲームの能力のレベルを上げたいなら、
過去のクイズゲーム(問題)の質問と答えを徹底的に調べて、
その傾向とか癖の調査を楽しめ!その為の準備を遊べ!」
要するにゲーマーになってしまえということだ。

何事も遊びに昇華した時に能力が飛躍する、入験がそうだと。
自分で試合を創れる男をゲーマーという。
ゲームとは「目標を決め途中に難関を置き、それを乗り越えながら
達成するプロセスを第三者か、自分自身と競う事を楽しむ事」という。
あるレベルを超えると、これが一番重要になる。

自分が事業を始めたとき、そうだった。
自分の練り上げた計画を実行というプロセスを楽しむゲームと
いう要素があった。そこまで計画を自分で内省した。
「計画お宅」といってよかった。

評論家がそれを非難した文を読んだことがある。
「遊びで事業をしている馬鹿がいる!」とか、これは第三者の目。
そこまで練り上げると遊びになっているのが解らないのだ。
いやそのはるか下のレベルの人を言っているのか?
その差も解らないレベルの批評というと、その批評に対しても、
同じレベルの目線という理屈になる。

高校時代に不思議に思っていた「同じ勉強をしてどうして全く違うのだ?」
それが40年経ったいま初めて気づいた浅はかさ!
でも実際社会にでた時から、実践でそれをやってきたから後悔はないが。
あの受験の時の優秀?の人はゲーマーだったのだ。

まあ、それだけではないと思うが。
本当にしたい事、なりたい仕事があったから必至に勉強したとかが
本当のところだろうが。
パズルゲームか、あれは!!?クイズ??
馬鹿馬鹿しいともおもえない。
誰も教えてくれなかった、その事実を。

愚直に挫折をしながら、独り知恵を絞った事も事実である。
それが力を創ったことも確かだ。

でも事業で両親から、その遊びかたを教わっていた!
遊びになるまで集中しろ、継続しろ、努力しろという事だ。
彼らはそれを受験勉強で知っていたのだ・・・??

人間はその人の範囲のレベルしか力はつかないものだ。
のっけから、そう思って真剣に望めば逆に能力が湧き出る。
秘境旅行も「旅行道?というものがあるならば地球の何処を
埋めていこうか?」というゲームになっている?!!

ところでこの随想日記はじつは危ないゲームになっている。
毎日のネタさがしと、その内容の構築がゲームでもある。
全くの無の状態から探し、材料の構築はスリルでもある。

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・・・・・・・

565,、ある逸話ーインドで見たこと
- 2002年10月30日(水)

インドの空港で帰国の時である。
修行僧のいでたちの男、杖一本をつきながらやって来た。

素足で身に付けているののはパンツ一枚である。
それで飛行機に乗ろうというらしい。
急を聞きつけた警察が数十名が周りを取り囲んだが誰も手を出せない。
空港の制服の女の人が間に立って説明をしているが、どうしても
折り合わないのだ。
パスポートも持たないでパンツ一枚で国際線に乗ろうとしているのだ。

恐らくカースト制で身分が高いのだろう、素裸の男の態度がでかい。
大声で入国査察官を怒鳴りつけているのだ。
恐らく「神の指示で乗れといわれたのに何故乗せぬ」と言っている
ようであった。
最後の結末をみないで飛行機に乗ったが、インドの社会を最後まで
見せ付けられた出来事であった。

インドは普通の感覚では考えられない身分社会なのだ。
牛が堂々と街を我が物顔で歩いているのだ。
宗教上で神聖な生き物なのだ。

以前にも書いたが、20�佑里△覲�級は餞民で人間とみなされないのだ。
交通事故死でも警察が取り合わないという、牛なら騒ぎになるが。
実際その経験談を読んだ事がある。同乗した車が餞民を轢き逃げしたが、
その後新聞でも何も載ってなかったとか。
轢いた本人も犬を引いた程度としか思ってなかったのに驚いた、
と書いていた。まあ凄い社会である。
一度はこういう社会を見てみるのも必要な事だ。

4年前に書いた文章をコピーしておきます。

・・・・・・・・・・

10/11
インド旅行記 ー私のみた北インド 

“インドとは...”など滞在一週間のツア−では表現できない。
面白いほど多様な国である。まず印象を列記してみよう。
�� 汚く、臭く、多種多様な人種、動物が“ごった煮”されている国であった。
映画の“深い河”や二本のTVドキュメント、本は五冊読んで実際行ってみて、
ここまで貧しく、奇異に感じるとは!

�� 大部分がバスの異動であったため、点というより線でインドを見れた。
“街の生活”や“田舎の街道”よりみた地域ごとの暮らしが印象に残った。
小さな節穴より垣間見た程度であったとしても沢山の事を見て、
感じ取ることができた。

�� ヒンドゥ−教の聖地ベナレス。生まれて初めて見た“美しい日の出”
その日の出がガンジスに反射する陽光!そこでの聖なる沐浴の光景!
三千年前とほぼ変わらぬ宗教的行事という。その岸辺での火葬の情景!
帰りの道すがらの物乞いの一団。
ふと気づくとライ病の集団に一人囲まれていた。

�� インドの2/3が最下層に属し、ほぼ乞食に近い生活をしているといって
オ−バ−でない。野良犬、野良牛、野羊と全く同じ感覚で一緒に生活している。
日本の80%が中流意識とは対極にあるといってよい。
帰ってきて今でも日本が逆に奇異にさえ見えてきた。
−完璧すぎる平等と潔癖症。そして豊かさが。

�� インドはヒンドゥ−教とカ−スト制を抜きでは理解できない。
おおよそ4階級に身分制があり、皮膚の色により白系(一億人)、
赤系(一億人)、黄色(一億人)、黒色(四億人)に分類されている。
我々が街で目にするのは最下層の人たちが主で、動物並みにしか上層の人より
見られておらず、本人達もそう思いこんでいる!
(ヒンドゥ−教の教えがその裏付けされている)。
白色ほど身なりがキチッとしているのは私達でさえ判断できた。
レストラン、ホテルなどそれぞれ決まっており、決して違う層は入れないという。

・・・・・・
・・・・・

[203] 夢ー11
 2001/10/30
 
 五〜六年前にみた夢で忘れられないのが、自分の葬式の祭壇を見たことだ。
学生時代住んでいた部屋であった。久しぶりに寮の自分のいた部屋を覗くと、
それがあった。恐らくもう‘あの時の自分がもう終わってしまった’
というシグナルだったのではなかろかうか。
何か変な奇妙な印象が残っている。

 どんどん変わっていく中で変わらないのが過去だけだ、しかし夢でさえ
もうあの時の自分は消滅したといってくる。
それから一年に一度位見ていた寮の夢をほとんどみなくなった。

ーまたこんな夢もみた。
中東?の兵隊の自分が絞首刑になる夢である。7〜8年前か。
それを当人になっている自分と、それを上から見ている自分がいた。
その瞬間もう一人の違う自分に移り、やはり絞首刑を経験する夢である。
いやに茶色の埃っぽいイメージが残っている。その前に確か廃墟の建物を訓練で
数人と昇っていた。

 非常にリアルな、前世の自分の過去霊をが夢に出てきた?感覚であった。
これとは全く違うと思うが、瞑想をしていると、突如「タジータジーダ」という
人の名前?が突如出てきた。
「なんだこれは?」と今でもそれが何かわからない。
情報のシャワーの中で、脳が勝手にある単語を吐き出したのだと思うが。


1670, 「全ての装備を 知恵に置き換えること」−1

2005年10月29日(土)

            −読書日記
「全ての装備を 知恵に置き換えること」
図書館で何げなく借りてきた旅行記である。
著者は、まだ28歳の芸大の大学院生だ。

・高校の時にインドを旅して以来、世界中を旅するようになった。
・そして現在は、芸大の籍を置いて旅行中。
・北極から南極までを人力で踏破する地球縦断プロジェクト
「POLE TO ROLE]の旅をしたり、
・世界7大陸最高峰登頂を目指すとともに、
・大学院では人類学、民俗学などの領域に関心を持つ。

プロとしての旅行探検家である。
旅を続けるために大學に行き、大学院に行き、本を出版している。

秘境旅行をしていると、このような一人旅をしている男に必ず出会う。
共通点は禅僧のような顔をして、優しく、悲しそうな顔をしている。
日本の高僧?のあの??からみると、数段よい顔である。
当然であるが!

この本の集約は、
「はじめに」の
「全ての装備を知恵に置き換えること」の章中の
冒険旅行の恩師イヴォン・シュイナード
というカルフォルニア生まれの男との対話といってよい。
(この本によると今年亡くなったとあった。)

このような著者のような男には、先生が何人かいるものだ。
その一番の先生であるイヴォン・シュイナードは、
パタゴニアという登山用品などを売っている創業者。

その彼が著者の質問の答の言葉がよい。
冒険に対する質問の答えが、人生の答えにもなっている。

ー幾つか書き写してみる

「冒険というものは究極は自分の身体一つでおこなうものと思っている。
もしある人がはじめてのクライミングをやりはじめたら、
周りにある装備を全て使うだろう。
それはとても簡単なことだ。
しかし、技術を身に付けていくにしたがって、氷壁を一本のアイスアックスで
登れるようになるかもしれない。それはある道筋のようなものなのだ。
私にとっての究極は何の道具も使わない「ソロクライミング」なんだよ。
チョークもクライミングシューズもガイドブックも・・・・。
裸で登るのが究極さ。
全ての装備を知恵の置き換えること。
それが到達点と思っている。
俺はそれを完全に信じてやまない」

そして、次の言葉がズバリ真実を突いている。

「冒険なんてどこにもあるものさ。
 そんなものは自分で生み出せばいいんだ。
 複雑なものから、シンプル、より純粋なものへと追及していく過程が
 全てが冒険なんだよ」
 世の中にあふれるものに背を向けて、
 シンプルな生活を目指すのも、
 たくさんある選択肢の中から本当に自分のしたいことを選び 追求することも
 それは冒険だろう。

「進化は前に進んでいるのではなく、時おり後退しているのではないかと
思うときがある。もし目の前にある水がアフガニスタンやパキスタンから
きた水だったら、私たちは腹を壊すだろう。現在の私たちは浄化装置を
使わないと生きていけない状態になっている」

「進化というのは理由なしに起こらない。全ての進化は必然なのだ。
人間にふりかかるストレスがあってはじめて人間に進化が起こる。
私の指は今は柔らかいが、毎日一時間ずつ二週間もクライミングを
続けたら、かちかちに固くなるだろう。人間の進化なんぞはあっというまさ」
                   
                        ー つづく
 ・・・・・・・・
 ・・・・・・・・
 
 2004年10月29日(金)
1305, まさか、地元で大地震!−6

昨日、地震以来初めて新潟の会社に出社する。
新幹線が不通の為、久々に車出勤である。
高速道路は長岡〜月夜野間が不通のため、新潟方面はガラガラだが、
長岡方面は、工事関係のトラックなどで異常な多さだった。

昨夜は新潟に泊まったが、地震は殆んどなかったようだ。

気象庁の発表によると、一昨日の余震で、さらに岩盤が動いたため
大きな余震の確率が大きくなっているという。

今日から三日以内の余震の確率は
M 6 以上 (ところによって震度6)確率が20�諭 �7日以内は40��
M 5・5 以上(        5強)   40�諭       �60��
M 5 以上 (         5)    80�諭       �90��

この数字を見る限り、非常事態である。
恐ろしいことだ。

地元ゼネコンの特需(道路復旧などの公共事業の大幅予算の追加)
を除けば、新潟県の経済は大打撃である。
最悪の不況が更に悪化することは間違いない。
先行きを考えると、すえ恐ろしい。
ー地元ゼネコンの株が急騰しているというから現金なものだ。

東京から2時間圏内の駅前型ホテルが、この数年で不況業種に入ったが、
復興の為の宿泊が当面増える。
また、新幹線の不通で、2時間圏内が当分6時間圏になるから
日帰りは無理になる。
この事態は当分はプラスにはたらくが、それも目先のことだろう。

緊急融資が特別枠で追加される可能性も大きい?から、
プラスプラスに考えるしかないないか!

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・・・・・・・・

2003年10月29日(水)
938, 「ライフ・レッスン」ー読書日記

 各レッスンの内容が愛と真実に包まれている。
「死ぬ瞬間」シリーズは世界的ロングセラーで多くの人に癒しを与えてきた。
ロスの本は何冊も読んだ。終末期医療から死にいく人々から学んだ数々を
わかりやすく説いている。
すべてを終えたとき、「生」と「死」の本当の姿があらわれるのだ。
 
 彼女がマザーテレサに亡くなる数ヶ月前に会ったとき、
ロスに、
「生きることがとてもたいせつと考えているからこそ
死にいく人達と一緒にいることを最大の使命としているのだ」
また「生は一つの達成であり、死はその達成の成果です」と言われたという。

 大部分の人は死を達成とみていないだけでなく、生も達成とみていない・・
死の淵にいる人は、そのことをよく知っている。
ロスは生そのものの大切さについて多くことを教えてくれる。

彼女の本を読んでいると、暗い?内容なのだが、暖かい愛に包まれたような
気持ちになる。

ーまずは、この本の抜粋からはじめたいー

・一生と呼ばれる時間のあいだに学ぶべきレッスンは色々ある。特に死に直面して
いる人々と一緒にいるときにはとりわけ多い。
死に行く人々は人生の終わりに多くを学ぶが、通常は学んだ教訓を生かすための
時間が残されていない。1995年にアリゾナに引っ越した私は、ある年の
母の日に脳卒中で倒れ、麻痺状態になった。
その後数年間は死の入り口にいた。時には数週間で死ぬのだと覚悟をした。
そして幾度も訪れてこないことに失望した。準備は完了していたからである。
しかし、死ななかった。その理由は、私にはまだ学ぶべきレッスン、最後の
レッスンがあったからです。そのレッスンの多くは人の生についての究極の
真実であり、命そのものの秘密である。私はもう一冊本を書きたいと思った。
今度は「死」そのものではなく「生」についてである。

・人には誰でもガンジーとヒットラーが住んでいる。
象徴的な意味であることは当然である。ガンジーは人の中のベストなもの、
もっとも慈悲ふかいものをあらわし、一方のヒットラーは最悪のもの、人の持つ
否定性と卑小性をあらわしているのだ。人生における人ノレッスンとはおのれの
卑小性に働きかけ、否定性をなくして、己のなかにも他人の中にもあるベストな
ものを見つけ出す作業である。人生の暴風に似たそのレッスンは、人をして
本来の人に戻してくれる。人間が地球上にいるのは、互いに癒しあうためである。
これは身体的不具合を癒すだけでなく、はるかに深いレベルでの癒しである。
精神と魂の癒しである。

・人がこういった人生のレッスンについて語るとき、人は完結していない
気がかりな問題の解決について語っている。完結していない気になる問題とは死に
ついての問題ではなく、生についての問題である。'確かに私は豊かな暮らしを
実現した。しかし、本当に生きるために時間を使ってきただろうか?'
というように最も大切な問題である。多くの人々は確かに存在はしてきたが、
本当に生きてはこなかった。それらの人々は完結していない気になる問題に
蓋をするために、膨大なエネルギーを費やしてきた。

・完結していない気になる問題は人生最大級の問題であるから、死に直面したとき
焦眉の急の課題になる。大多数の人々は完結していない気になる問題の多くを
未解決のままで終わる。問題の一部しか解決できない人も多い。

・人生には学ぶべきレッスンがあまりにも多い。
一度だけの人生では習得不可能であろう。でも、学べば学ぶほど未完結の問題が
少なくなり、それだけ充実した人生になり、本当に人生をおくることができる。
いつ死ぬかは不明であるが、死ぬときには、'オーイ神様、私は生きました'
と言えることになる。
   
 ・・・・・・・・・・・・  
 「ライフレッスン」  
 エリザベス キューブラー・ロス (著),
 デーヴィッド ケスラー (著), 上野 圭一 (翻訳)
 角川書店
 
 ー内容(「BOOK」データベースより)
幾多の死に向き合い、自身も幾度となく死の淵を覗いた終末期医療の先駆者が、
人生の最後で遂に捉えた「生と死」の真の姿。
死にゆく人々から学んだレッスンの数々。
愛・喪失・力・罪悪感・恐れ・許し・幸福など、
人生が提示する14のレッスンとその意味を静かに語りかける、
心にしみる一冊。

ー 目次ー
「ほんものの自己」のレッスン
愛のレッスン
人間関係のレッスン
喪失のレッスン
力のレッスン
罪悪感のレッスン
時間のレッスン
恐れのレッスン
怒りのレッスン
遊びのレッスン
明け渡しのレッスン
許しのレッスン
幸福のレッスン

 ・・・・・・・・
ー以下はインターネットで調べた書評であるー
ー書評
 一生のあいだには、学ぶべきさまざまなレッスンがあり、
とりわけ死に直面した人たちとともにいるとき、それを実感すると、著者はいう。
人生がわれわれに習得せよ と要求するレッスンを15にまとめている。

 すなわち、「ほんものの自己」のレッスン、愛のレッスン、人間関係のレッスン、
喪 失のレッスン、力のレッスン、罪悪感のレッスン、時間のレッスン、
恐れのレッスン、 怒りのレッスン、遊びのレッスン、忍耐のレッスン、
明渡しのレッスン、許しのレッス ン、幸福のレッスンである。

 たとえば、病気とたたかっている人を見ていると、自分とはなにかを知るためには、
「ほんものの自己」でないものをすべて脱ぎすてなければならないということが
分か ってくる。生の終局にあって、人は以前よりずっと純粋に、正直に‥‥
まるで赤ん坊 のように‥‥その人自身になっていくからだ。
「どんな人でも偉大さの萌芽をもっている。『偉大な』人物が、ほかの人たちの
もっていないものをもっているというわけ ではない。
『偉大な』人物はただ、最良の自己のまえに立ちはだかる余分なものを脱ぎすてて
いるだけなのだ。」
結局は、「ほんものの自己」のレッスンが、愛のレッスン、人間関係のレッスン、
喪失のレッスン等々のレッスンの根底にあるように思われる。

 人間関係のレッスンでいえば、だれかとくべつな人がいなければ自分は無価値な
 存在 だと感じている人は、その人との関係のなかでも、いずれは無価値性が
 外にあらわれて しまう。求めている全体性や完全性は、自身の内部にあって
 発見されるのを待っている のだ。つまり「ほんものの自己」の発見なのだ。

 喪失のレッスンについても同じことが言える。死という絶対的な限界状況に
 直面してはじめて人は、余分なものを削りとって≪いのち≫のして輝き出す。
 自己の内部に、失われることのないなにものかを見出す。死を前に徹底的な
 喪失を味わい、すべてに「さようなら」をいうこと によって、
 それによってもあせることのない何かをつかむ。 人生に 避けがたい喪失の
 体験によってわれわれは、かけがえのない学びを得るのだ。

 『余分なものを削りとる』作業さえすれば、だれであれなんらかなの場で輝きを
 放つ ことができる。「あなたの本質はもっとも純粋な愛であり、壮大ともいえる
 完全性であ る。あなたは自己を癒し、自己がだれであるかをおもいだすために、
 地上にうまれてき た。おもいだすべきあなたの本質こそが、闇夜を行くときの
 みちびきの光である。」

 これが一生のあいだに学ぶべきレッスンのうちもっとも核心的な部分だろう。
著者たちは、これらのレッスンがいかに深い真実であるかを、印象的な事例や
説得力のある言 葉で語る。その言葉の一つ一つからゆるぎない真実がにじみ出る。
真実から発せられた 言葉のみが持つ強さに満ち、じんわりと心に沁みこむような
感じの本だ。

 本書は、まちがいなく絶筆となるだろうと言われたキュブラー・ロスの自伝
『人生は 廻る輪のように』(角川書店、1997年)のあと、奇跡的に体力を
回復した彼女が、その 弟子であり友人であるホスピス・ワーカー、
デーヴィッド・ケストラーとの協力によっ てまとめたものである。

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・・・・・・・・

564, 一点集中主義−2
- 2002年10月29日(火)

少ない資源を最大に生かすには集中しかない。
例えで解りやすいのが「錐の論法」だ。
一点にエネルギーを集中することで穴をあける事が可能になる。
それと前回書いた虫眼鏡も然りである。
集中はその中で更に核爆発をも起こす。

集中は潜在能力への穴である。
人間は無限の潜在能力があるといわれているが、
その秘密のトンネルが一点集中である。

マクドナルドのハンバーグや、キューピーのマヨネーズ、
味の素など幾らでも事例はある。

分散も必要だ、一点に集中したものを分散する例として
セブンイレブンがいえる。
50坪の店を一万店出店することで、三越や本体のイトーヨーカ堂を
追い抜いてしまった。

資源が少ないのに、その少ない資源を更に分散をしてしまう。
淘汰されるのは淘汰されるべくしてされているのだ。

何かを始めようとしたら、それまでのやっていた事を全てを
いったん止めてしまう事だ。それか人に任せてしまうかだ。
空即是色である。
人間可能な事は、目前の努力だけだ、それも一点への。

以前書いた一点豪華主義をコピーしておこう。

ーーーーー

2001年12月12日(水)
267,一点豪華主義

1品豪華主義(一点豪華主義)趣味でも、仕事でもー

人生でも総てにいえる事だが、これだけは特別というものに
金をかける、人生の総てをかけることが重要だ。

反面それがアンバランスでもいいかという問題が残るが。
それでもいいかどうかは、やはり本人の問題でもある。

金も、暇も、能力もない人間でもこれは可能だ。
好きな何かを見つけ、一点集中的にエネルギーを注ぐ。
それを続けていれば、それについてプロの領域にたっする。

私のそれは、ご存知のとおり秘境ツアーだ。
他人の評価など全く関係ない、それが好きでたまらないからだ。

パソコンもあと2〜3年経つと、それに近い存在になるかもしれない。
旅行のネタをインターネットに載せるのも、一応理にかなってる。

「絵の好きな人が旅行先で景色を書いている」のを見ると、
人生の一番の奥義を見ているようだ。
一番好きな旅行で好きな絵を描ける幸せは何も変えられないだろう。

ピアノも一曲だけを練習すれば、弾けるようになるという。今度
ピアノの先生について一曲おぼえてみようかと思うが、無理か?


       (2) ─────
 wMWMWw, / ̄7 (好きな事をやろう!)
 W"ヽ /  (感激しよう! )
 (6 ^J^ / /  ────
 |  ̄ノ/ /
・・・・・・・・・・

[202] 霊体質ー2
 
 霊とは全く違う話になるが、初めて日本の南極越冬隊が犬を連れて行った時、
ある時間になると日本に向かい犬が吠え出すという。
不思議に思い日本に連絡をすると、その時間に子犬が南極のほうに向かい吠えて
いたという。何か脳波が数千キロを超えて通じるのだろう。

こういうまだ科学に解ってないことが数限りなくに多い。
そのうちの一つがこういうことにもあるのだろう。

 霊体質に対しての今の私の解釈はー「ヒステリック状況の感覚の鋭敏からくる、
不思議な磁石が何かをすいよせる。
そういう時は状況的にはかなり緊張の状態の時である。
それと夢に近い状況で現象に出る場合が多い。」
きのうのコピーした文の、父の亡くなった時のことも夢だろう。

 それにしても身辺の人の死には不思議なことがおこる。これは次回書く。
人間も30億年の生命の進化?の中で細胞になり、魚になり、陸にあがり鳥になったり、
哺乳類になり、猿になり、ここまできた。
その中で脳の奥にそのすべての記憶と能力が隠されているのは、
当然と言えば当然である。
それがヒステリック状態の時に、普段のブロックを越えて自分の中より出てくるのは、
別に不思議でないとも言える。

 それと霊を一緒に考えるのは飛躍だが、といってあの不思議な現象も事実である。

以前書いた、不思議な出来事をコピーしておきます。
ーーーーーーーーーー

H0511妙な夢―(�機�   
2001/10/29

 ある夜半、自宅のどこかで音が聞こえた。
泥棒ではないかと起きようとするが半睡眠状態で身体が動かない!

起きよう起きようとしているうちにスーッと身体が起きて廊下に出て、居間に行き、
台所を通り、寝ていた部屋へ一周してもどってきて布団に入る。

ところが、ところがである。自分の肉体は反対側の向きでねている。
まずいと思い反対側にねがいって自身の肉体と一緒になるという夢(?)である。
これが単なる夢か幽体離脱七日まだわからない。
 
また、こんな夢(?)もみた、明け方、自分の身体が1.8m位浮いて
(そのまま水平にいて)下をみると自分の肉体が下にみえる!直観的にまずいと
思い下にもどろうとするがもどれない。
かなりうなされていたと思うが?何年か後に誰かにきいたが、霊現象の一つで、
よくある事だそうだ。

こんな事もあった、これは夢ではないが屁の天井や床の下四ケ所で次々と音がする。
はじめは気のせいか夢かと思い、じっくりと観察を数夜してみたが、
しかし夢ではなかった。

ところで当社の関係先の税務事務所の応接間でも同じ現象があるそうです。


1669, おい、どうすんだ、定年後!−3

2005年10月28日(金)

 葬式に参列した故人の写真に自分の姿をイメージをして、
 そこから「故人としての自分から、生前の自分への言葉」とは、
 こんなものだろう。
 
 心の底の真実の声である?
 背後から迫ってくる自分の声でる。
  ーー
  
 おい、何やってんだ!
 まだ娑婆の縛りに囚われているのか?
 この写真に入ってしまえば解ることだが、
 好きなことを可能なかぎり求めるとよい!
 
 死んでしまえば、無である。
 お前なんぞ、一年もしないうちに忘れ去られるのだ。
 いや数ヶ月だ。
 好きなことを早く見つけろ!
 そして、それをさっさと一つずつやれ!
 何を、ためらっているのだ!
 
 今夜、美味いものを食べろ!
 といっているのではない。
 死ぬのは何時か解らないから、
 したいことを見つけろ!
 といっているのだ。
 俺は、実際にこんなに早く死ぬとは思っていなかった!
 そして、やり残したことに後悔しているのだ。
 
 だから後悔する生き方をするな!
 といいたいのだ。
 呆けっとしている周囲の顔など見るな!
 自分の内面を見ろ!
 
 色いろなことに、もっと目を向けろ、せっかく地球にいるのだから!
 この奇妙な惑星を自分の目でもっと見ろ、そして多くのことを経験しろ!
 葬式の写真に入った今、
 あれもこれも経験しておけばよかったのにと後悔しているのだ!
 人の評価など、どうでもよいことだ、
 とにかく生きろ!生きろ!そして活きろ!
 
 未知に向かってどんどん歩け!
 それしか人生はないのだ!
 
 その為には、俺の言葉を真剣に聴け!
 生きているうちだぞ、娑婆は!
 呆けに惑わされるな!
 いや、お前が呆けているのだ!
 それにに気がつけばよいのだ。

自由になれ、その壁に気がついてないのか!
 
  ーー
 
 自分の潜在からの声が、
 死者たちからの声に聞こえてきた。

 {メメント・モリ}
 ー死をおもえ、ということか。
 
 ・・・・・
 ・・・・・
 
 2004年10月28日(木)
1304, まさか、地元で大地震!−5

昨日の、余震には驚いた。
震度4以上の余震がいつまでも続いているのが、中越地震の特徴だ。
今年の台風と一緒で、そのしつこさは今までなかったことである。
世界規模で起こっている異常気象の一つの現象であろう。

それと、余震の中のレスキュー隊による、奇跡の行方不明の母子の救済のTV中継も
迫真であった。二歳の幼児一人だが助かったが、母親の愛情の結果であろう。
何か私たちに解からない人間の深い何かがあるのだろう。
不可思議としか思えない、奇跡である。

今回の地震は
新幹線の脱線、
奇跡に近い子供の救出劇、
大きな余震が異常に続いていること、
長岡市の4分の1が避難所にいること、
そして、身近で起きていることが特徴である。

ところで昨夜、夕食のため長岡駅前の居酒屋に行った。
長岡駅はニュースで言っていたとおり閉鎖されていた。
駅前の店は殆ど休業をしていたが、全国チェーンの店が数軒開いていた。
プロパンガスを使っているので営業が出来たのだろう。
6時前だが、ほぼ満席であった。
私たちの両側の席は、やはり応援部隊の人たちであった。

その帰り、避難所になっている阪の上小学校を覗いてみたが、近所の人がいた。
館内放送で「配給は、おにぎり一個に、飲料ボトル一個、
それに子供にミタラシ団子一個の配給だけになります」といっていた。

昨日も、刺激的な一日であった。
今日は、新潟行きに再挑戦だ。

ー日常の「生もの」を書いている日記のコーナー
「バードウォッチング」の数日分を以下にコピーしておきます。
 ーーー
 −−−
メルクマール

10月27日
・今日はもう大丈夫と思って、10時前に新潟の会社に向かう。
見附のバイパス脇にあるディスカウントで給油をして、三条への交通事情を
若い女従業員に聞いているところで、いきなり揺れがきた。
彼女は車のドアに掴まって、しゃがみこんでしまった。
私が、「これは5強位ですね」と言うと、
「そんなものですね。それでも出発直前で、よかったですね」と、もう彼女は
冷静になっていた。
怖いので、「このまま5分、停車していますから」と言って、様子を見ていた。

さて新潟に行くか、長岡に帰ろうかの判断をしなくてはと考え、直ぐに自宅に
電話を入れるが、不通。それではと、新潟の会社の人に電話を入れると、
中越地区は震度6とのこと。
給油所の電機が消えて、さらに目の前にある信号が、停電で消えている。
月末の支払いの判の仕事は、29日まで大丈夫なことを確認して、長岡の自宅に
帰ることにした。

バイパスの長岡まで20分位の帰路、事故が起こってないかと見ていたが、
一台の事故車は無かった。
ただ、道路わきの建物は停電の為か、電機のついている店や建物が無い。
‘これを書いている現在も、推定4の揺れがあった’まさにくライブである。

自宅の近くにある長岡大手高校(昨日、小泉首相が慰問に来た高校)の前を通ると、
グランドや校門や道路に避難をしている人が、100人以上出ていた。
家は、門の下のセメンが少し剥がれていた。それと食器が数個、壊れていた程度だ。
電機と水道は大丈夫であった。こういう時は、大人しくしておくべきとつくづく
感じている。もう、大丈夫と思ったのだが。

追文 14時40分
たまたま、TVをつけたところ、NHKで小千谷の母子三人の救出が生中継で
映し出されている。最近では久々に見る感動的な場面である。
それにしても、誰も生きているとは思っていなかったのだろう。
状況から見て、99・9�融猖瓦隼廚Δ里賄�然であろう。
危ないとしても、一人でもよいから、車に近づくべきであったのではないだろうか。
あの巨岩の中で、よくぞ生きていたのが不思議でしかない。
祖父が生きていてほしいと祈っている姿があったが。まさか、生きているとは。
あと母親と子供一人の救出がどうなることか。

・・・・・・・
・・・・・・・

メルクマール

10月26日
・今朝方の深夜の三時ごろ、震度三位の地震があった。
昨日の午後から、地震の間隔が少なくなっている。
しかし、今朝の新聞によると、新幹線の復旧に一ヶ月以上かかるという。
冗談でない、宿泊が半減は覚悟をしなくてはならない。
そうでもなくても、不景気の為大変であるのに。
しかし、昨日は月末の月曜日にしては、良い数字であった。
長岡の住民か、災害関係者が泊まっているのだろうか。
長岡など中越地区は宿泊は特需である。
新潟市はないだろう。

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メルクマール

堀井
10月25日
・ヘリコプターが相変わらず、とびっぱなしだ。殆ど自衛隊のヘリのようだ。
新幹線の脱線のため、ホテルはキャンセルの電話だけだという。
仕方ないが。
・この新潟県の中越地区は全国で一番不景気の地区である。
そこが地震とは、因果なものだ。
そういうものだ。といって、火災が起きたわけでないし、
建設が大きく特需というわけでもない。
せいぜい庭師の石灯篭の建て直しぐらいだ。
いや、建設の土木が神風だ。

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・・・・・・・・

メルクマール

堀井
10月24日
・先日、台風のニュースで豊岡市に住民が
「まさか、自分のところがね〜!」と被害にあった実感を言っていた。
それが翌日に自分におこるとは。庭の石灯篭が7〜8、すべて倒れていた。
直すのに数十万は覚悟か。家の中は、推してしるべしである。
怪我等は座っていた周りには、倒れてくるようなものは無かったので大丈夫である。
驚きとか、悲惨さは全く無い。
こんなものだろう。人生にこんなことも起こるのだろうというぐらいだ。
あと片付けが好きな性分なので、家の大掃除を楽しんでいるという気分である。
別に、かた肘を張っていっているのではない。そうなのだから、仕方がない。
オーバーに言うのが嫌いなだけだが、こんなものだ。
ネロがローマを焼いた時、ローマ市民は、恐怖とか絶望より、ローマが焼けているのを
見るという歴史的出来事のほうに感動していたというが、それを例に出す方がオーバーか。
15歳の頃、長岡大地震を経験しているので殆ど驚かなかった。
家内と面白がっていたというのが、実感である。
家内が机の下に頭を入れているのが何とも滑稽の姿で、可笑しかったほうが先であった。

・・・・・・・
・・・・・・・

2003年10月28日(火)
937, ダイエー優勝

 ダイエーがニ連勝の後、ホーム球場に帰ってきた阪神が三連勝をした。
その夜の22時のNHKニュースのスポーツのコーナーの解説者が、それでも
ダイエーが有利だと言っていたと家内から聞いた。
「阪神もダイエーも内向き、ホーム球場になると俄然力を発揮する!」という
解説にいやに納得をした。
ピッチャーのローテーションもダイエーが有利といっていたが。

 それを聞いて、福岡の闘いをみていると、なるほどそのとおりになってきた。
ホーム球場に帰ってきたダイエーが二連勝をして逆転優勝をした。
あとは私の解釈になるが、ダイエーグループの解体で福岡球場の売却問題と、
阪神という電鉄の長年の捩れの問題と星野の退団の問題である。
ダイエーの倒産・解体の方が瀬戸際である違いが出たのだろう。 
それと王監督と星野の人間としてのレベルの違いの差が出たともいえる。
これは「勝てば官軍、負ければ賊軍」の結果論でしかないが。

 家内がダイエーファンというが、ただ安売りが楽しみだという理由でしかない。
どっちにしても大きい背後の問題が優勝の燃料になっていることは確かである。
おそらくダイエーの王監督は引退をするのでなかろうか。
いや辞めないか、辞めれないのが事実だろう。
辞めてほしいのが私の気持ちである。
来年もう一年やって長島がオリンピックに監督で出て引退がよいか。

ダイエーの解体の原因の象徴が、この福岡ドームの多大投資というのが
皮肉といえば皮肉である。
ダイエー創業者の堕ちた中内功が、この皮肉な現象をどういう気持ちで
見ていたかを想像すると何ともいえない気持ちだ。
 こんなものだろう、人生は。
 
 ・・・・・・・
 ・・・・・・・

563,、一点集中主義
2002年10月28日(月)

人生の体験の中で私が得た最大の教訓がこれだ。
若いときより知っていたらもっと豊かな人生を過ごせたのに
と今更思うが。イロイロの挫折の中で自分の能力の限界を思い
知らされていたから、戦略的にしか生きる道はない事は知っていたが、
その要諦が一点集中であった。

人間の能力とレンズは似ている。
太陽から、人間から、歴史から、エネルギーを集め一点に集中する。
その為には自分が虫眼鏡のレンズになる事だ。

レンズは濁っていては駄目だ。
常にきれいな磨かれた状態でなくてはならない。
その意味で「自分が神になる」といってよい。

それと一点に集中すべき対象の選定だ。
これに近い言葉に一点豪華主義がある。
集中していれば自然にこれになってしまう。
私の場合は秘境旅行だ。今はこの随想テーマ日記だ。
それにウオーキングに読書にあと???だ。

一点集中は言葉では簡単に思えるが、実際は大変である。
捨てるべきものをドンドン創らなくてはならないからだ。

そうそう集中できるものではない。

事業では[シングルルームのデスカウント]である。
それも新潟駅前の花園地区。
4棟に分散をしたのが甘さで残っている。
他に学生服やカラオケはエネルギーの分散であった。

百貨店のソゴウのように駅前に超大型店をつくり、
その大きさが限界を超えてしまった失敗の例もある。

ロスだけで済まないのが分散である。
主体のチャンスロスが一番のロスになる。
若い時から自分の無能を自覚していたから、集中しかないのは
すんなりと受け入れる事ができた。

一点集中のポイントは、一点に向かいその真正面から
中心点に総てのエネルギーを集中する事である。
自分そのものがその中心点になる事である。
それが正中心一点無である。

いま一つがこれを継続する事でであるが、これは今度書く。

・・・・・・・・
・・・・・・・・

[201] 霊体質ー1
2001年10月28日
 作家の佐藤愛子が月刊誌の「新潮45」に連載で、
霊体質に52歳になってしまった体験を書いている。図書館でトビトビ
読んでいるので全て読んだわけでないが、今まで8回シリーズになっている。

 その連載はまだ続いているが面白い。北海道で買った別荘に霊がついており、
そこでかなり激しい霊現象が起こるそうだ。
それがさすが作家、きめ細かく書かれている。
実際経験したことのない人にとって、考えられない妄想にしか思えない。

 私も父の死の直後から起きた怪現象から、霊体質になった。
(後で昔書いたその時の文章のコピーを貼り付け)
この10年は元に戻り、ほとんど身辺でなくなったが、私の27歳の時だった。
約20年はその体質だったことになる。

かなり共通の部分があるが、家付きの霊というところが違う。
それと私の場合、身体から自分の霊が抜け対するところが彼女にはない。
同じところは、ラップが聞こえたり、動物の何かが被さってくるところだ。
それが起こるまでは全く信じてなかった。ーつづく
ーーーー
H0407霊的体験 ー見聞皆師より

 二十年近く前になるが、父の死後四九日の終わるまで何度か不思議な体験を
してみた。死後一週間後に妙な夢をみた。

私自身父の気持になり“死にたくない。もっと生きたい、生きたい”
という“念”になってしまった夢である。そして夢よりさめた時の妙な気持。
私自身父になってしまった。

 いや私自身(父自身)生きている!という妙な不思議な感覚である。
夢の“念”は父そのものであるし、父と一年身近で苦しんだ為に“念”が
自身実感できたのだと思う。

それが夢よりさめた自分の魂が“父の魂”と一緒になったという不思議な実感。
恐らく経験した人間ではないとわからないはずだ。

また死後二〜三日後の夢も強烈な夢(?)であった。何か強烈な恐怖感が
おそってきた。その時、父のベットで寝ていたが“おやじ助けて!”
と言ってしまった。
と同時に廊下の向こうにある仏間より本当に強烈な“引力”が足をひっぱった。
そのひきずりこまれた瞬間ベットにしがみついたが、
その時隣に寝ていた母がスクッと立ちあがりトイレに行った。
全身汗びっしょりであった。

まだまだ不思議な事がいっぱいある…。
最近は少なくなったが、それから幽体離脱とか、妙な霊的体験が多くなった。
佐藤愛子ではないが「霊体質」になってしまったのだろう。


1668, おい、どうすんだ、定年後!−2

2005年10月27日(木)

 定年になったら、
「囲碁とか、絵画教室、パソコン教室などに行けば!」
と考えてしまう。
が、もちろん彼らは何回か行くが続かない。
彼らは元仕事人間が多く、仕事の合間の自由の過ごし方は知っていても、
自由そのものの扱い方を知らないのだ。

会社という縦社会の住人だったため、
心の鎧が自分を閉じ込めて裸の自分を曝け出せないのだ。
趣味の会などの横社会には全く馴染めない。

しかし人間であるかぎり、共同体に入ってないと自分を保てない悲しいのが人間。
共鳴してくれる相手を必要とするが、もはや誰とも波長を合わせることが出来ない。
そういう人達が、大都会のベッドタウンに溢れている。

2007年から団塊の世代が大量に定年をむかえる。
高度成長期時代の騎士たちである。
右ならえ!という生き方しかしてこなかった、
彼らこそ定年後のすごし方を知らない世代だ。

家では粗大ゴミ扱いされて、外の世界の生き方のノウハウが全くない。
電車の乗ると、働いていない自分が許せないのだ。
サラリーマン時代の価値観から全く抜けきれないのだ。
群れているだけで、真の孤独を経験していなかったからである。

ーー
ー以上が月刊誌の概略である。

定年直後は首輪をはめた飼い犬が、家から放り出されて
行くあてがなくウロウロしているようなものである。
そこで元の会社の肩書きなど、何の役にも立たないことを初めて思い知る。

だからライフワークを長年かけて構築しておかなくてはならないのだ。
その暇がなかった大部分の都会サラリーマンにとって深刻である。
一から何か趣味を見つけチャレンジ出来る人は、ほぼ限られている。
理想的にいえば、一から始める方が良いのかもしれないが。


私の場合、この問題について51歳時が大きな節目の年になった。
(この随想日記で、何回か取り上げたが)
母親を前年に見送り、下の子供が大學に入り仕事も一段落ついた。
さあ、これからの人生を如何生きたらよいかと考えていた。

その頃、海外秘境旅行に年2~3回出ていた。
秘境旅行に参加する人は、人生の究極を求めてきている人が多い。
一期一会の出会いの中から、
彼らから「人生のあり方」の多くを学んだ。
その一つに「人生先まわしで生きろ!」である。

そして、考えた結果として
・「60歳までの9年間で、80歳までの30年間分を詰め込んでしまう!」
 という生き方である。ー余白も行間も埋めてしまう。
・その為に社会的に如何でもよいことは可能なかぎり切りすててしまう。
 
そう決めると、旅行の行き先がアフリカや南米などになってくる。
とにかく、先回しをして選定するのだから。
結果として、これを実行してきて本当によかった。

この随想日記も早くいえば自分史の一環でもある。
55歳の時から始めて、思いはほぼ書き尽くした?感はある。

60歳になったら、どうするのか?
余白は書きつくしたのだから、赤ペンで上書きをしていけばよい、
ポストイットに書き足して貼り付ければよい、ノートを買いたせばよい。
とにかく、何ごとも準備と先まわしである。

まずは自分を曝け出す訓練をしないと、誰も相手にしてくれない。
それも、どうでもよいことだが。       
                    つづく
 ・・・・・・・・
 ・・・・・・・・
 
2004年10月27日(水)
1303, まさか、地元で大地震!−4

地震から、既に四日目をむかえている。
あらためて周囲を見渡すと、思っていたより被害は大きい。
昨夜、一昨夜と、近所の家の電気が全くついてなかったのをみると、
ほとんどの住人が避難していたのだろう。
近所では、あまり大きな被害は無いようだが、それでも二軒先の家の玄関先が
壊れていた。

やはり一番のショックは、新幹線の脱線事故である。
200キロでよく大事故にならなかったものだ。
本当に奇跡である。
これで、新幹線の安全神話が壊れてしまった。
反面、40年間も死亡ゼロというのが、奇跡に近いといってよい。
これだけ全国に新幹線が張り巡らされていて、走行中に大地震にあわなかったものだ。
そうそう、震度6の地震も無いだろうが。

あれだけ大きい石灯篭が倒れるなら、墓石も倒れているのではと寺に行ったが、
見た範囲で、倒れている墓は一つも無かった。
どうして墓石は倒れないのだろうか不思議である。
数百年の知恵が入っているのだろう。

昨日、何時ものコースを散歩をした範囲では

・土手の大小の橋の全てに亀裂が入っていた。
 橋の交通止めは一箇所(段差が30cmのズレ)、
 注意書きがあったのが数箇所、
 アスファルトで臨時に修正してあるところが三箇所もあった。
・道路は所々に亀裂が入っており、地震の大きさを物語っていた。
・家は、少し壊れているのが目立つ位で大きな崩壊の家は無かった。
・近所のソフト・ハウスでは、ガレージに事務所内の壊れた棚や机などを
 出して、修理をしていた。
今回の地震は全ての家庭、事務所の内部が破壊されたのが特徴である。
家内の数人の友人の家は、全てひどい状態。
新潟のマンションに住む知人の家は殆ど被害は無かった。

近くにある坂之上小学校の避難所はどうなっているのか、散歩のついでに行ってみた。
受付で名前を書いて、横に積んである毛布をもらって、体育館の空きスペースに座る。
何か花見の場所取りをしているようである。
夜になると人で満杯になっるという。
受付の人に「まだ余裕はあるのか?]、と聞いたら、「ある}と言っていた。

昨夜から今朝にかけて2度、震度2〜3の地震があったようだ。
今日は、新潟に行く予定だが、どうなる事やら。
高速バスは2〜3時間かかるという。

ー随想では、こういう内容を「生もの」という。
もっと具体的に、気持ちを正直に書いておくべきなのだろう。
めったにない体験なのだから。

・・・・・・・
・・・・・・・

2003年10月27日(月)
936, 角栄の怨念

ーこの選挙の面白さ!
 
 最後の最後まで、何がおきるかわからないのが政治というものだ!
思わぬ動きがでてきた。沈黙を破って真紀子が動いてきた。
実質的に自民党を離脱したのだ。
田中角栄の娘の真紀子が大衆に迎合する「言葉」で、選挙に「突風」を
おこそうとしている。
今の自民党の存続を揺るがす事態である。
小泉の生みの親が、今度は小泉潰しの突風になる可能性を秘めている。

 自民党にとって真紀子の「この突風」を計算外だろう。
自民党という集り集団の自作自演のシナリオが、この2週間の突風で吹き飛き
とばされるのだ。亡くなったボス角栄の娘を怒らしてしまった。
マフィア角栄の子分の恥元(橋本)派と自民党そのものの崩壊トドメの
スイッチを、娘の真紀子が押すのが最も相応しい。
小沢と真紀子と??などが組んで、一瞬ことを起こす可能性が大きい。

 いまの北朝鮮と日本は酷似している。
自民党は金体制そのもである事は誰の目にも確かだ。
悪さの限りつくしたマフィアどもの最後のあがきに、国民は気づいてほしい。
民度の低い国民が、何処まできずいているかの尺度をみる選挙といってよい。

 あんたは何党といわれれば、「政権交代」党である。
政権を変えなくては、その度に灰汁(悪)出しをしななくてはならない。
小泉首相も、自民党体制の中で可能な限り改革をしている。
しかし、その範囲の中でしか出来ないのは自明のことだ。
ソ連の共産党のゴルバチョフが改革をしようとしたが、所詮無理であった。
それと同じことに国民が早く気がつかなくてはならない。

 その意味で、真紀子のこれからの動きが浮動票を反自民党へ動かす大きな
きっかけとなればよい。
 今日からが面白い!
 
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 ・・・・・・・

562, ある時間の断片ー7
- 2002年10月27日(日)

1968年 9月21日

9時起床。11時に図書館に行く。
13時にコモンルームでゼミのフルメンバー16名が集合する。
そして八王子のセミナーハウスへ。
近年できたセミナー専用のコテージ付のセミナーハウスだ。

思っていたより敷地が広く建物が近代的なのに驚く。
メインの建物が逆三角形で、異様な感じだ。
宿泊は二人で一部屋のツウィンだ。
それぞれのコテージが違うデザインで何か異界に入ったようだ。
空には飛行機が飛び交いまるで欧州にいるようだ。

夜から早速議論をはじめる。
課題は「遊び」だ。
「見返りのない、何の目的のない遊びこそが遊びだ」
「創造の為に、その背景としてそれは必要でないか」
私の言ったのは「4つの1つとしての位置付けの遊び
ー「愛、創造、知性、そして遊び」であった。
何かポイントが外れているようだった。

終了後、レストランで石川とゼミの一年後輩の大島君と飲んでいると、
武澤先生がこられる。
その後夜半の12時半に寝る。

・・・・・・
ー感想ー

日記を書き写していて、当時の日々がありありと思い出されてきた。
背景にベトナム戦争、大学紛争、そして高度成長期の真っ最中
でもあった。歌も二度とこういう時期は来ないというほど名曲が
生まれていた。

その背景を持って誰もが緊張と希望に揺れていた。
夏休みは卒論の流通革命論を書く為に一ヶ月、大阪のメリヤス問屋
に行ってきた。その後新潟県の六日町の「雲頓庵」という
禅寺に一ヶ月にも行っていた。そして自宅に帰った後の日記である。

学生時代の十数年間の総括の時期であり、
また新しい世界への旅たちの直前であった。
この卒業の直前一年は人生で一番良かったときかも知れない。
いろいろの人との邂逅と喧嘩と別れの時期でもあった。

寝ずに人生について話し合ったのが記録として日記に残っていた。
そういう意味で大学時代に恵まれていた、当時はその事に気が付いて
なかった。寮に、ゼミに、教授に、クラブに、友人に恵まれていた。
赤面する場面は当然カットして写している。

大学で学んだ事は、本を読む事、他人の話を聞きとること、議論を
する事、自分の壁を取り去る事、何事も勇敢にチャレンジする事、
戦略的思考をする事など数えればきりがない。
人生で一番良かった時期といえば、やはり大学生活であった。
馬小屋のような汚い寮であったが、いや長屋であった。
ー友人の間でもこの寮が凄いと話題になっていたー

父が5月に来て、翌月から仕送りを2倍にしてくれた、
あまりの凄さに同情したのだ。でも楽しい生活であった。
友人が吹き付けるようによって来た。
一人になれないのが悩みでもあった。あの孤独の都会生活で
最後には友人が吹き付けるように集まったのは、本当に良い青春
の思い出の財産だ。

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[200] 月刊ー文芸春秋
2001/10/27

 今月の‘文芸春秋’の内容があった。
イスラエル旅行から帰ってきら、毎月読んでいた‘文芸春秋と週間誌’を
買わなくなった。嘘みたいだが本当の話である。
‘図書館で読めばいい’に変わった。

 あまりにも旧約聖書の世界が生々しいのだ。
今更そんなえげつない現象など如何でもいい、軽い話でしかないに
変わってしまった。2〜3月に一回買うか買わないかである。

 しかし今回は違った!テロの特集で、内容はかなり悲観的に書いてあったが、
買う価値は充分ある。
新聞で、インターネットで、TV でその意味はとらえていたつもりであった、
かなりシビアにその意味が書かれていた。
第一次世界大戦に似ている、始まりは(皇太子の暗殺)誰もそこまでいかないと
思っていたが、それは大戦の始まりでしかなかった。
アメリカの中心の世界貿易センターが壊滅した大事件だ。
イラクやアフガン北朝鮮?は攻撃対象になる!
当然考えらないテロも更に行われるだろう,日本も当然巻き込まれる。
それも仕方がない、当然と受け止めていいだろう。

少し本題とそれたが、今回は700円の価値が充分ある。

これからが本題。
新聞と週刊誌と月刊誌の関係が時代によって、どんどん変わっているという。
これに進化したデジタルTVとインターネットと携帯電話の情報手段が加わってきた。
まず新聞は週刊誌の分野を侵す、週刊誌は月刊誌の分野を。

月刊誌は小説等の分野か、専門雑誌の分野により進化、深化していくパターンに
なっていく。一例をとると、新聞は週刊誌のやっている、
「特集もの、解説、カラー写真、連続小説」
などの付加価値につけないと、部数が減っていく。

週刊誌は月刊誌のある専門分野のスペシャリストの手記や、
各種の専門分野を深く入り込んだ記事に入っていく。
月刊誌はそれぞれの特化した専門雑誌に変身していく。

それぞれ勝ち組と負け組みが、はっきりしている。
週刊誌では「週刊文春」、月刊誌では「文芸春秋」が勝ち組。
あとは年代層に特化した「週刊ポスト」、「週刊現代」あたり。

月刊誌では「新潮45」あたりがまあまあといったところ。
あとは専門雑誌の細分化が進む。





1667, おい、どうすんだ、定年後!−1

2005年10月26日(水)


ー「友達づくりサークル」
    に集う寂しい定年男たちー

私たちの世代も、そろそろ定年に入ってきた。
そして耳に入ってくる話は、
全く気力を失ってしまった男達の話である。
   
20年近く参加している、ある会に出席したところ、
その会員の数名がシンポジュウムを開くパンフレットを配っていた。
何か私には積極的に勧めてはいなかったようだ。
私にとって今さらの内容ということを知っているからだろう。
「定年後の生き方、過ごし方」がテーマだったが、
彼らは何を言おうというのか?

ところで先週の土曜日、図書館である月刊誌をみると
ー「友達づくりサークル」に集う寂しい定年男たちー
 というレポートがあった。
 なかなか面白い切実な問題だった。

ーその内容といえば、
あるビルの一Fの焼き鳥屋に午後5時を過ぎると、
20人ほどの男たちが焼き鳥を分け合いながら酒を飲んでいる。
「船橋市時活村」のメンバーだ。

地元の友達のいない、
熱中できる趣味のない、
ボランティアをするでもない、
行くあてのない定年退職者が、
居場所と仲間を求めて集う。
1996年から9年経つという。
村民は現在、280名を数える。

地元に根っこのない、ベッドタウンを中心に住んでいる連中だ。
会社を辞めたあと、家の中でゴロゴロしている人達である。
年代は50代後半から70歳位まで。

そこでは自己紹介をする時、どこどこに住んでいる誰さん位しか紹介しない。
二時間もしないうちにお開きなる。
一人平均1500円だった。

・入村料は一万円、年会費5000円(二年目からは3000円)
・昼は20種類位あるゲームの何かをする
 ースポーツ関係が多い。
 ウォーキング、親父の料理講習会・・・
・夕方になると、焼き鳥屋に集って酒を飲む
・ほぼ毎日おこなわれている
・退会者は現在のところいない

            つづく
・・・・・・・・
・・・・・・・・

2004年10月26日(火)
1302, まさか、地元で大地震!−3

その時は、「震度6の地震とは、こういうことか!」という思いと、
「神戸ほどでないな!」、
「性質(たち)の悪い地震ではない!」と考えた。
それと同時に「「新幹線大事故の可能性が大きい」と、心配になった。

新幹線の不通は会社(ホテル)の経営に直ぐ跳ね返ってくる。
震源の近くを200キロで走っていれば、当然大惨事になる。
時間から考えると、当然可能性がある。
(私が乗っている新幹線の時間帯からみて、その辺にいるはずであった)
下りの‘とき’が震源地を200キロで走っていたと、その後知った。
脱線で済んで本当に良かったというのが実感である。

大事故なら数ヶ月は復旧しないだろうから、経営にとって大問題になる。
もしかしたら、一週間程度で済まない可能性もある。

専門家の話では、「この程度で済んだのは奇跡に近かった」とか。
百数十人の生命が奇跡的に助かったのだ。
あと数分ずれていたら、対向車の新幹線が衝突した可能性もあったという。
当分は、この地震のほとぼりが済むまで新幹線の乗客は激減するだろう。
昨日の株価が下がったのも、景気に台風と地震が景気に少なからず影響を
与えると読んだからだ。本当に他人事ではない、今週の宿泊は半減するだろう。

話は変わるが、母が亡くなって初めて、たまたま仏壇周りの両親の写真と、
遺品を整理した日に大地震が起こるのも何か因縁めいている。
「その時間に、引きつけられて整理をしたのだろうか?」と考えてしまった。
葬式用?の大きなロウソクも、ついでに倉庫にしまった。
それが、その日のうちに必要になるのも因縁めいている、面白いものだ。
仏壇の中のモノが(地震で)全て外に投げ出され、石灯篭が全て倒れるのだから、
因果に結びつければ、亡くなった両親が怒ったと思ってしまうのも仕方がないか。

歩いて数分の長岡高校と、長岡大手高校の前には多くの自動車が停車をしていた。
避難をするために駐車しているのだが、何か非現実的な思いである。
私も自宅に電気が通じてなければ、近くの避難所に行っているか、
新潟のホテルで過ごしているであろう。
やはり危ない事態なのだろう。

数時間前の深夜、震度3〜4の地震があった。
まだまだ予断は許せない事態である。

・・・・・・
・・・・・・

2003年10月26日(日)
935,『年収300万時代を生き抜く経済学』

森永卓郎著
(光文社) 

 怖いものみたさに何回か立ち読みをした。
また書評なども新聞でみて、買うほどでもないが何か気になる本である。
この文章は実際読まないで書いているが、要点の90�佑呂�さえているはずだ。

 これからの時代は、米国のように1�佑両,疏箸�牛耳る社会になることは
明らかである。99�佑�負け組みなら、敢えてわざわざ人生を犠牲にしてまで
働くという発想を変えることだという。
大部分の負け組み と割り切って年収300万を受け入れてしまえばよいと
主張している。それでも、けっして惨めな生活を送ることにならない。

2000年の一人当たりのGNI−国民総所得−では、日本はフランスの1・8倍、
イタリヤの2倍、スペインの2・7倍、その総所得でヨーロッパ人はバカンスをとり、
ちゃんと豊かな生活をしているという。

 もっと身近なデーターもあって、1999年「全国消費実体調査」によると
年収373万の2人以上世帯の耐久財普及率は、
電子レジー92%
エアコンー78%
VTR −71%
自動車 ー73%
だという。
その年の平均世帯年収が760万というから、
この半分以下の年収でこれだけの普及率ならよいとしなくてはというのも肯ける。
発想、見方さえ変えれば、それなりに豊かな生活が可能なのである。

 戦後から右上がりに成長路線の上で生活をしてきた世代が、ここで半分以下の
収入になろうとしているのは事実である。
不安な我々にとっての先行きのレッスンなのかもしれない。

 一部抜粋すると

・「日本に現れるのは新たな階級社会である。それは一般市民が新興の金持ちに
支配され、はい上がることの非常に困難な、安全で安心して暮らせる社会とは、
ほど遠い社会なのである」「1億円を稼ぐサラリーマンが出てくる一方で、
一般サラリーマンの年収の主流は、グローバルスタンダードの300万〜400万円に
まで下がっていくだろう」
・「国民は(このストーリーに気づかずに)金持ち優遇社会への転換という
小泉構造改革を圧倒的に支持しつづけているのだ」

 等々である。
アメリカ型資本主義が正しいとは思わないが、それよりもっと悪いのは、
何でも横並びで皆と同じが良いとする日本の感覚である。
 一�佑両,疏箸硲坑広佑良蕕荏箸澆諒�向性は変えられない。
この流れが変えられないから、年収300万円に見合う生き方をしろというのも一理ある。

 強者生き残りの生物の原理は情報社会ではしかたがないのだ。
いずれもグローバルの時代は世界的勝ち負けで判断される。
先進国でも300万から400万が平均値であるというから、
10年以内になるのも当たり前なのかもしれない!

・・・・・
・・・・・

561, ある時間の断片ー6
- 2002年10月26日(土)

1968年 9月18日

8時10分前に起床、すぐに学校に行く。
夏休みあけ後久しぶりだ。
事務管理を聴講後、石川、奥野など5人と池袋の駅近くの
喫茶ウイーンで話をする。
それぞれが自分の道や将来を模索している姿が自分と
重ねって、独自性が逆に見えて面白い。

その後いったん寮に帰る。
6時半に新宿の紀伊国屋で待ち合わせる。
歌舞伎町のB&Bで飲む。
3人で6000円で高いが気分が高揚をして面白い。

その後三浦というスナックに行く。
以前と変わってないが家庭的雰囲気である。
何とかという以前店で顔見知りの女性と踊る。

ここも面白い、3人で3000円であった。
奥野が気分が悪くなり、急遽自分の部屋で3人で泊まることになる。
私は帰省中の佐々木さんの部屋で泊まる。

ーーー
1968年 
   9月19日

翌日も三人で午後の3時までいろいろの事を話をする。
何か今日も予定どうり卒論が書けない。
頭の中に最近熱中して読んだ、精神論の言葉が駆け巡る。
言っていることと、やっていることと違いが大きすぎる。
ファイトファイト、自分の潜在の力よ!!

    9月20日
8時10分前に起床、8時15分に学校に行く。
人事管理の授業後、奥野と兼子と食事、その後図書館で
卒論のまとめをする。

15時にゼミに出席、我々の就職先の説明を
ゼミの全員に報告する。
ゼミ終了後、武澤先生と4年生全員と話し合う。
内容は夏休みのこととか、各々の性格のことを話し合う。

その後近くで食事後、帰寮後再び食事に出る。
そこで寮の先輩で代議士の秘書をしている永田さんと出会う。
唯我独尊の彼独特の考え方があまりに独善的だ。
自分で自分の枠をはめている。それと原因を常に自分以外に
求めているが疑問だ。

寮に帰ると、新橋シノダ寿司の息子でヨーロッパで親しくなった
深井が遊びにくる。一時間ぐらい話し合って帰っていく。
スカイラインのGTだ。何かツマラナソウナ顔をしていた。
不安でたまらない感じだった。

夜半の一時に寝る。

・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・

[199] トレード.オフ
2001/10/26

トレードとは野球のトレードである。
5名トレードすれば、5名首を切らなくてはならない。これがオフである。
ビジネスホテルのもっと合理化できる業態を考えた。カットできるもの、
和室、会議室、ツウィンである。そのぶんシングルの部屋数をとる。
これがトレードオフである。

ホット商品を早くコストカットして、安く、大量に生産、売り抜ける。
その時まずやるのが、トレードオフである。
まずはこれが基本である。

ファッションに10−4−2−1の原理がある。まずシーズン初めに種類を10を
ばら撒き顧客の反応を見てすばやく4に絞る、そして2に最後は1に絞り上げていく。

これも時間を入れたトレードオフと言える。もう20年も前なので、
忘れたが衣料をやっていたとき、冬春夏秋と4シーズンその中に、導入期、最盛期、
仕上期がある。そうすると毎月がどれかにあたる。しかしその年に気候の変動がある。
それを読みながら、10−4−2−1をやっていた。
すこぶる面白いが、目先に捉われる。

自己評価としては5年近く手がけ、100点満点であった。
あまり長くやるとそのドタバタで自己を見失うと判断?丁度いい引き時であった。
しかし面白かった。とくにゲーム化が面白い。
朝礼で予算達成順に並べたり、その日の予算を達成すると、その部門の持ち曲を店内に
流したり、値札に可能な限りの暗号の情報を入れたりした。
仕入れ総量、原価、色別数量、値下げ時期の達成枚数、値札のカラー別による情報化
等々。少し本題からそれたが。

激烈な勝負の世界では、トレード・オフの繰り返しで、より強さを求めなくては
敗者になる。
アメリカのGEは先日のTVで、事業部門のトレード・オフを徹底的に
くりかえしたために、今は超優良企業に変身したと特別報道を放送していた。


1666, 日本のこれから 今どきの若者たち

2005年10月25日(火)

先週の土曜日のNHKで、ゴールデンタイム19時半〜22時半まで三時間にわたって
「日本のこれから 今どきの若者たち」 の討論がおこなわれた。
若い人は、何を考えているのだろうと興味を持って最後までみた。
私の場合、三十年以上も若い人を身近でみてきたこともあって、
こんなものだろうという諦念があった。

若者、中年、芸能人、社長など多彩なタイプの人を集めたのが良かった。
一番印象的だったのは、
ハンガリーの若い女性の意見であった。
「私は社会主義国だったハンガリーの出身。
アメリカの学校を出て、日本に来た。
この国は社会主義国よりも社会主義的です。そして好きな国です。
あなた達は国の責任とか社会の責任のいうが、自己責任をもっと問うべき。
甘えすぎではないか」それに誰も反論できなかった。
彼女は会場の議論をあきれていたようで、その後何も言わなくなった。

 ーこの討論の私の印象と意見を書いてみる。

日本経済の大転換期、若者たちの将来に明るさが見えない。
また、携帯やパソコンやTVなどから情報が溢れるほど入ってくる。
その中で、自由を与えられても基礎教養が希弱な若者は、
何をもとめてよいか価値を見出せない。
(高度成長期は右ならえをしていればよかった)
そこで、その同類が携帯電話などで集っているが、
そこには表面的な付き合いしか存在しない。

企業も、一部の選ばれし者以外はアルバイトやパートタイムに切り替えている。
競争経済社会では、そうしなくては生き残れない。
ドロップアウトしたものは将来に明るさを殆ど見出せないまま、
フラストレーションだけが蓄積している。
少し注意されただけで切れてしまい、一生を左右する重大なミスをおかしてしまう。 
彼らは自分で如何したらよいのかの答えを見出すのは非常に難しい。
自分で答えを出すしかないが、情報化社会は価値の多様化でもある。
基礎が出来てない彼らに価値観を追求しろといっても無理の話。
目先の欲望の追求が価値と思い込んでいる。

高度経済社会では、大量生産、大量消費の画一の価値に従えばよかった。
ドロップアウトをしても、それを拾うだけのエネルギーがあった。
しかし、このような社会は全ての場面で競争が激しい。
もし私がこの時代の若者だったら、やはり呆然としてしまうだろう。
「今どきの若者は!」の批難が、右上がりの兆候が隠されていればよいが、
現在は明らかに急激な右下がりの兆候であるから、問題は深刻だ。
さらに彼らが激変している社会に対して不信を持っていることが、
さらに問題を深くしている。

・・・・・・・
・・・・・・・

2004年10月25日(月)
1301, まさか、地元で大地震!−2

この文章を書き出したと同時に、再び大きな揺れである。
震度5強と予測して、TVを見たら5弱であった。
まだ、震度に対する体感には誤差がある。
既に36時間も経っているのに、今も地震が現在進行形というのが驚きであり、
不気味である。
今朝の地震では、電気と水道が止まらなかったのが救いである。

一昨夜の二回目の地震は、揺れると同時に、電気が消えた。
真っ暗になったので、まず仏壇前にあったロウソクを皿に数本立て明かりをとる。
地震が少し落ち着いた後、もう一皿に移動用のろうそくを立てた。
今日仏壇周りを整理して倉庫にしまった,大きなロウソク二本を取ってきて
更に大きな明かりの確保をする。

その後、懐中電灯を探すがナカナカ見つからない。
次に携帯ラジオを探す。
両方ともあったが、今度は電池が見つからない。
それでも、やっと見つけ取りあえず居間の整理を始める。
現在から考えてみても、冷静に対処していたようだ。
鉄骨の二階で、かつ座っている場所の空間に、危ないものが無いから冷静でいられる
のだろう。こう書いている現在また震度3の地震がおきている。

慌てて、水の確保を思い立ち、鍋にポットに水を入れる。
(ゆれると同時に、サイドボードの前にいってドアを押さえている)
その合間に、この文章を書いている。面白い体験である。

電気、水道と、ガスが全て止まると、全く普段の生活がストップしてしまう。
まず、水である。
トイレが使えない(風呂の水が当面使えたが)
飲料水がない。(ジュースが5〜6本と、ノンアルコールのビールが10本あった)
TVからの情報が途絶えた(携帯ラジオがあった)
食料はスナックが代用できた。
感覚的には、一週間は代用で持ちそうだ。

近くの24時間スーパーに行ったら、閉鎖していたが、
隣のドラッグストアーは、店内散乱の中で、営業を始めていた。
それでよいのだ、緊急時は。
食品と、飲料水が飛ぶように売れていた。
40人位がレジに並んでいた。

地震から一時間もしないうちにヘリコプターの音がした。
報道か自衛隊か解からないが、発生と同時に準備をしなくては、その時間に
飛んでこれないから、その瞬時体制は凄いものである。

昨夜は市民の4分の1の4万数千人が、避難所に夜を明かしたという。
電気も、ガスも、水道も確保出来ないのだから、それも当然だろう。
近くに住む兄が昨日の午後、訪ねてきたが、やはり家の中は足場も無いほど
倒れたモノが散乱しているとか。また、庭にある石灯篭も二つ倒れ、
隣の家に入り込んでいるという。

                     つづく
・・・・・・・・・
・・・・・・・・・

2003年10月25日(土)
934, 成果についてードラッカー

 ドラッカーの言葉の中に「成果」という言葉が頻繁に出てくる。
努力そのものでなく、成果をあげることの重要性を説いている。
経営は理屈ではない、結果をいかに出すかだ。
成果能力を問われるのだ。
成果とは長期にわたって業績をもたらし続けることである。
ドラッカーは人生の生き方を経営学を通して教えてくれる。

ーこの成果について、ドラッカーの本より抜粋してみるー

・「成果が自己実現の前提になる」
ー成果をあげる者は、社会にとって不可欠な存在である。
同時に、成果をあげることは、新入社員であろうと中堅社員であろうと、
本人にとって自己実現の前提である。

・「自らの最高のものを引き出す」
ーまず果たすべき責任は、自らのために最高のものを引き出すことである。
人は自らの持つものでしか仕事ができない。
しかも、人に信頼され協力を得るには、自らが最高の成果を
あげていくしかない。

・「成果をあげることは習慣である」
ー成果をあがることは一つの習慣である。
実践的な能力の積み重ねある。
実践的な能力は、習得をすることができる。
それは単純である。あきれるほど単純である。

・「成果をあげるための五つの能力」
ー成果をあがるための実践的な能力は五つある。
第一に、何に自分は時間をとられているかを知り、
 残された時間を体系的に管理をする。
第二に、外部の世界に対する貢献に焦点を合わせる。
第三に、強みを中心にそえる。
第四に、優先順位を決定し、優れた仕事が際立った成果をあげる
 領域に力を集中する。
第五に、成果をあげるように意思決定をする。

・「成果は機会の開拓によって得られる」
ー問題の解決によって得られるものは、通常の状態に戻すことだけである。
せいぜい、成果をあげる能力に対する妨げを取り除くだけである。
成果そのものは、機会の開拓によってのみ得ることができる。

・「アウトプットを中心にそえる」
ー仕事を生産的なものにするには、成果すなわち仕事のアウトプットを
中心に考えなくてはならない。
技能や知識などインプットからスタートしてはならない。
技能、情報、知識は道具にすぎない。

・「成果をあがることは革命」
ー自ら成果をあげるということは、一つの革命である。
前例のないまったくあたらしい種類のことが要求される。
あたかも組織のトップであるように考え、行動することが要求される。

・「努力では習得できない資質とは」
ー習得することができず、もともと持っていなくてはならない資質がある。
他から得ることができず、どうしても身につけていなければならない資質が
ある。才能ではなく真摯である。

・「時間と労力と資源の集中」
ー時間と労力と資源を集中するほど、実際にやれる仕事の数と
種類が多くなる。これこそ、困難な仕事をいくつも行う人の秘訣である。
一時に一つの仕事をする。
その結果、他の人より少ない時間しか必要としない、
成果を上がられない人のほうが多く働いている。

ーー
以上だが、成果をあげるのがマネジメントである。
成果をあげるにはプロセスを踏まなくてはならない。
その為には、仕事いや人生に対して真摯でなくてはと説いている。
学び続けなくてはならないということだ。

・・・・・・・・
・・・・・・・・

560, ある時間の断片 −5 
- 2002年10月25日(金)
 
 1968年ー9月15日

朝7時半に起床、食事の後に東京の寮に帰る支度をする。
裏の家で姉の正子さんと、帰省中の3番目の姉の優子さんと、
甥の宗彦ームーチャンと写真を撮る。

12時5分発の第三佐渡に乗る。いやに長く感じられる4時間だった。
青雲寮につく、懐かしいわが部屋だ。
市川さんが飼っているミケに子猫が2匹生まれていた。

苦手だった先輩の河路さん、欧州行きが延びてまだ寮にいるようだ。
夕食後漫然とTVを見て過ごす。
またマンネリとした寮生活が始まるが、もう残された学生時代の時間はない。
最後はちゃんとして卒業しなくては。

・・・・・・・

ー現在の感想ー
日記を書く習慣を持っていればよかった。
それと写真をもっと多く撮っておけばよかった。

大学を卒業する前年の8月31日から翌年の2月半ばまでに半年間、
気分が高揚としていたのだろう、日記が残っていた。
たまたま6年前に倉庫を整理していたら、その当時の教科書の一番下に
隠すようにあった。

机の引き出しに入れて、読み返している、そして折々に
この随想日記に書いている。一種の躁の状態の自分の気持ちが
そのまま残っている。懐かしい本当に懐かしい!タイムマシンに
乗って当時に帰ったような感がする。

何も変わっていない自分がそのままいるのが奇妙といえば奇妙だ。
社会に出るにあたり不安と希望に揺れているのが懐かしい。
結局私にとって学生時代が人生の縮図であったようだ。
口泡を飛ばして議論をしていた青い時代があった。

・・・・・・・・・・・・
[198] 天の広さ
                 
井の中の蛙,大海の広さ知らず,

この言葉の後の言葉をもじって
‘井の中の蛙大海を知らず!されど天の広さを知る’
この後の「されど天の広さを知る」がいい。世間知らずの学者が考えたか?
「世間知りの、天命知らず」とも考えられる深い味のある言葉だ。

しかし両方でなくては(大海ー世間も天も知らなくては)、
所詮井戸から見た天しか知る事が出来ないのは当然の事だ。
それもこれも全て独り言でしかない、世間ー他人のことは自分の想像で
しかないのだから。

ーーーー

つれずれにー

今更当たり前のことかもしらないが、おかしい!
不況のうえに、このテロから急に何かおかしくなってきたと感じるのは、
客商売をしている為か。

恐ろしいのは、これが序曲ではないかということだ。
全くその日(9月11日)から変わった。かなり多くの人があれーテロをTVで
見ていたことだ。
あまりに劇的過ぎた。アメリカだけでなく、日本も準戦争国になってしまった。
どう考えても簡単に解決はしない問題だ。

新潟駅前の飲食街は9時を過ぎると、ゴーストタウンみたいに人っ子一人歩いてない。
いるのは呼び込みと怪しげな女性だけだ。他人事みたいだがどうなるのだろう?


1665, 中越地震から一年!

2005年10月24日(月)


昨日の「バードウォッチング」をまず、コピーしてみる。

ー10月23日
 去年の丁度今頃に地震がおこった。
早夕食が終わった直後であったが、あまり恐怖心はなかった。
秘境旅行を続けてきたのが一番の理由であろう。
一回の旅行で、圧縮されたトラブルがほとんどでる。
創業を何回もしてきたこともあるし、仕事の関係で常に現場では何かが起こっている。

真っ暗の中、一つずついま出来る手順をふめばよい。
身の危険が無かったこともあるが、
「この程度でなんで騒ぐの?」が、実感であった。
それぞれの建物事情もあるのだろうが。
刺激の濃い日々だったのか。現在も同じ?
丁度花火が打ち上げられている。
 黙祷!!
 ーー
 
以上であるが、実際は凄かった?喉元過ぎればか。
近くの高校と小学校が避難所になっていて、
一週間は近所のほとんどの家は(避難をしていて)真っ暗であった。
その瞬間からは、毎日ライブでこの随想日記に書いてある。
危機になればなるほど面白がる、楽しむ悪癖がある。
良くいえば余裕がある?
悪くいえば性格が歪んでいることになる。
やはり場数を踏んでいることか。

ただ、山古志などの全壊した村で避難所に住んでいる人が
一万人近くいるのも厳然たる事実である。
車で10分もしない所に、避難所で生活している人がいる。
時々近くを通るが、彼らが普段の生活に戻ることを祈る。

そういえば、自宅内の貸家に被災者が住んでいる。
彼らが自宅の裏の貸家を見にきた時の姿が目に焼きついている。
その一年前に、水害にあってやっと落ち着き始めたところ再度、地震にあったという。
一家して、疲れきった肩を落とした姿が印象的だった。

・・・・・・
・・・・・・

2004年10月24日(日)
1300, まさか、地元で大地震!

10分ほど前に、電気が復旧する。
長岡の市民の4分の1が、学校などの施設に避難しているとラジオで言っていた。
電気とガスが切断されていれば仕方ないのだろうが。
仕方がないので17時前に、郊外にファミリーレストランを探しに行くが、
一軒だけ和風の地元のファミレスの電気がついていた。
そこで食事後、家に帰ってきて18時半に就寝。
直ぐ熟睡。電気が今日中に復帰とラジオで言っていたので、電気のスイッチを
いれていた。それが23時半に復旧。
何がともあれ飛び起きて、この随想日記を書いている。

地震がおきた時は、丁度早夕食を終えようとしていた時であった。
普段、土曜日は家内と居酒屋か、近くのサエゼリアなどで食事をすることになっている。
たまたま、長岡近郊の小千谷市のスーパー・センターにドライブをかねて買い物に行き、
惣菜を買ったために、家で珍しく食事をしていた。
殆ど、前ぶりもなく激しい地震がおきた。

サイドボードに、コーヒーカップや、茶碗や、皿が多く詰め込まれている。
その半分ほどが、揺れで外に飛び出して割れてしまった。
大きな地震が4回、他に小さな地震が10回前後も?揺れ続いた。
一時間ほどかと、時計を見ると2時間半も経っていたのには驚いた。
一度なら、それほど驚かないが4度も大きな地震には恐ろしいより、
笑ってしまった。
と同時に、そこが私の面白いところ!
「これは県内で、二桁の前半の死者の数が出るだろう」と、地震の最中に
家内に言っていた。現在起きていることに対しても、解説的な自分が可笑しい。

                              つづく
ああ〜、0時一分前、
このソフト今日中でなくては翌日の日付になってしまう。
ギリギリ間に合った!
それにしても余震が絶え間なく起こっている!                             
 ・・・・・・・・・
 ・・・・・・・・・
 
2003年10月24日(金)
933, 強みに焦点をあわせよ(集中せよ) ー2

 ドラッカーの過去の書物の中から「強み」について、抜粋していた本の項目から
書き写してみた。
この中で印象的な言葉として、「無能を並みの水準にするには、一流を超一流に
するよりも遙かに多くのエネルギーと努力を必要とする」である。
これは人に対しても、自分の中の能力に対してもいえることだ。
自分の不得手を直すより、得意分野に努力を集中すべきということだ。
不得手を直すのは、むしろ害になることもある。
そこに気持ちの集中がいってしまうからだ。
「得手に帆を揚げ」という言葉が日本にもある。
プラス思考にもつながってくる。

 大組織のサラリーマンに嫁いだ姉たちを見ていると、マイナス思考になって
しまっているのが分かる。
まずはマイナスをお互い指摘しあう世界であるからだ。
それがまず必要なこともわかるが、マイナスのカバーに神経を研ぎ減らしている。

ー抜粋ー

・自分の強みはわかりにくい
ー誰もが、自分の強みをよくわかっていると思う。
しかし、たいていは間違っている。
わかっているのは、せいぜい弱みである。

・不得手なことの改善にあまり時間を使ってはならない。
ー自分の強みに集中すべきだ。
無能を並みの水準にするには、
一流を超一流にするよりも、はるかに多くのエネルギーと努力を必要とする。

・いまさら自分を変えられない
ー今さら自分を変えようとしてはならない。
うまくいくわけがない。
自分の得意とする仕事のやり方を向上させることに、力を入れるべきである。

・人と組むかひとりで行うか
ー仕事のやり方として、人と組んだほうがよいか、ひとりのほうよいかを
知らなくてはならない。
組んだほうがよいのであれば、どのように組んだ時によい仕事ができるかを
知らなくてはならない。

・大組織で働くか小組織で働くか
ー知っておくべき大事なことがある。
緊張感や不安があったほうが仕事ができるか、
整備された環境のほうが仕事ができるか。
大きい組織で歯車として働いたほうが仕事ができるか、
小さい組織で大物として働いて方がよい仕事ができるか、
どちらでもよいという者は、あまりいない。

・自らの価値を成果に変える
ー強みを生かす者は、仕事と自己実現を両立させる。
自らの知識が組織の機会となるように働く。
貢献に焦点を合わせることによって、自らの価値を
組織の成果に変える。

・最高のキャリアをつかむ
ー最高のキャリアは、計画して手にできるものではない。
自らの強み、仕事のやり方、価値観を知り、機会をつかむように用意
をしたものが手にする。
なぜなら、自らの得るべきところを知ることによって、たんなる働き者が、
卓越した仕事を行うようになるからである。

・得意なやり方で仕事をせよ
ー仕事上の個性は、仕事につくはるか前に形成されている。
仕事のやり方は、強みと弱みと同じように与件である。
修正できても変更はできない。
ちょうど強みを発揮できる仕事で成果をあがるように、
人は得意なやり方で仕事の成果をあげる。

・・・・・・
・・・・・・

559, ある逸話-外地のガイド
- 2002年10月24日(木)

海外の現地の日本人ガイドにはあまりプライバシーを
詳しく聞くなといわれている。
日本で訳ありの経緯できている人が多いという。
イスラエルや南アフリカなど日本人の殆ど行かない所では、
寂しいのだろう、自分で全てを話してくれた。

南アフリカでの話は今でもハッキリと憶えている。
50歳ぐらいの女性であった。
日本の商社に勤めていて、英国人と恋愛結婚して
初めは英国本土に行ったが、平凡な生き方に嫌気をさした旦那の
意向で南アフリカに十数年前にきたという。

ケープタウンに日本人は二十人前後しかいないと言っていた。
日本人同士の付き合いは殆どないとか。
日本人の墓は女性名で一つしかなく、
その墓を見てきたが冷えつく思いだったという。

子供ができた時に子供の名前を日本名にするか、
英国名にするか大モメだったという。
女性の場合、自分が死んだときに生きてきた自分の証明が
残るのは日本名の子供の名前だけになる。
自分という存在が完全消滅してしまうような不安にかられるという。

外人と結婚して外地暮らしは若いうちは良いが、
歳をとった時に辛いと言われているが、自分はそれを知らなかった!
と言っていた。聞いていても身に沁みる話であった。
人生いろいろあるものだ。

10年近く前、ニュージーランドに行った時も70歳近い女の老添乗員が
悲鳴をあげていっていた。
「40数年前に豊かさを求めてこの地に来たが、この地より
日本が遙かに豊かになってしまった。大誤算だった!」
現在は日本も事情が変わり、そうでもないだろうが??!

全ての事は±ゼロである。

・・・・・・・
・・・・・・・

[196] 本格的チェーン店の出現
  2001/10/24

日本にもやっと国内資本系のチェーン店で本物が出始めてきた。
ユニクロ、家具のニトリ、しまむら、イタリヤ料理のサエゼリア、100円ショップ、
無印良品、全国居酒屋チェーンの一部、そしてーーーー

上記の店は今の日本において本格的なチェーンといっていい。
ホット商品を廉価で提供しているからである。

チェーン理論のコンサルタント渥美俊一が三十年以上前から、口酸っぱく言っていた。
「普段の生活を豊かに!日本の物価は高すぎる。それはチェーンの形態しかできない。」

業態というカタチしか、出来てなかったそれが最近になってやっと出来てきたようだ。
デフレとグローバル化の追い風に乗って。

皮革張りのイタリヤ家具で、皮はイタリア製で木工と製造が韓国製の応接セットがある。
韓国は昔から木工の家具の得意なところ、イタリヤから皮革を輸入して、、
木工と人件費の安さと合わせた韓国製イタリヤ家具が完成する。

実をいうと自宅の家具がそうなのだが、ブランド家具の150万相当の家具が、
30万で買えた。五分の一である、グローバルとはそういうことが可能となる。
100円ショップの原価は27円だそうだ。ほとんどが中国・東南アジア製だ。
100円ショップの凄いところは、300円〜1000円なら要らないが、
100円なら買おうというところに目をつけてところだ。

チェーン店はそれがより可能になる。サエゼリアでもワインなど船一隻丸ごと?
運ぶことが可能となる。イタリヤ料理の材料を直接運ぶことが可能だ。
近くの地方スパーの原信の惣菜より安く、もちろんずっと美味く提供が可能になる。
客として不思議にさえ感じる。。知らない客にとって見えないマジックそのものだ。

マクドナルドはそれを65円ハンバーグで、実現してみせた。
今の海外ツアーと国内ツアーみたいなものだ。
3倍〜5倍の価値の商品が同額だからだ。


1664, ウィリアム・ブレイクの詩

2005年10月23日(日)

中野孝次著の「人生の実りの言葉」の読書日記で、
冒頭のウィリアム・ブレイクの詩「愛」に心動いた。

  わたしの誕生を司った天使が言った
 喜びと笑みをもって形作られた小さな命よ
 行きて愛せ、地上にいかなる者の助けがなくとも
              ウィリアム・ブレイク (著者訳)

そこでブレイクの詩を調べてみたところ
この「愛について」に劣らない詩が幾つかあった。
 −−

「無心のまえぶれ」の中の一節がよい

  To see a World in a Grain of Sand
  And a Heaven in a Wild Flower,
  Hold Infinity in the palm of your hand
  And Eternity in an hour.

 一粒の砂の中に世界をみる
 一本の野の花の中に天国をみる
 つかみなさい 君の手のひらに無限を
 ひとときの中に永遠を・・・
 
年齢を重ねたせいか、このような詩の深みが見えるようになった。
また次の詩も深く心をうつ


「虎」

 虎よ! 夜の森かげで
 赫々(あかあか)と燃えている虎よ!
 死を知らざる者のいかなる手が、眼が、
 お前の畏(おそ)るべき均整を造りえたのであるか?

 いかなる遥かなる深淵で、或いは大空で、
 燭々(らんらん)たるお前の眼の焔は燃えていたのであるか?
 お前の造物主は、いかなる翼をかって天に昇り、
 いかなる手を用いてあの火を掘みえたのであるか?

 そして、いかなる肩が、いかなる業(わざ)が、
 お前の心臓の筋肉を捻(ねじ)りえたのであるか?
 お前の心臓が脈うち始めたとき、
 いかなる恐るべき手が、足が、用いられたのであるか?

 いかなる金槌(かなづち)が? いかなる鎖が?
 いかなる炉がお前の頭脳を鋳(い)るのに用いられたのであるか?
 いかなる鉄床(かなとこ)が? そしていかなる膂力(りょよく)が、
 お前の恐るべき想念を把握しえたのであるか?

 星々がその光芒を地上に放ち、
 その涙で大空を覆いつくしたとき、
 造物主はお前をよしとして微笑(ほほえ)んだのであるか?
 彼は小羊を造り、かつお前を造ったのであるか?

 虎よ! 夜の森かげで
 赫々と燃えている虎よ!
 死を知らざる者のいかなる手が、眼が、
 お前の畏るべき均整を造りえたのであるか?

---

 果たして、ブレイクが‘虎’の姿の中に何をイメージしたのか。 
 これを書いている時に偶然TVで「男はつらいよ」 が始った。
 落ちは、この程度のことだが、 しかし偶然とは面白いものだ。
 「ふうてんの寅」と「「虎」は違うか!

ーウィリアム・ブレイクー 
 題名に使われた詩を書いたウィリアム・ブレイクは
 1757年から1827年まで生きたイギリスの詩人・画家です。
 ロンドンの靴職人の家に生れ。子供の頃から異常な幻視力を示した。
 10歳で版画師の徒弟となり、12歳で詩を書き始めます。
 無名と貧困に埋もれながらも晩年まで創作活動を続けた。
 
 ・・・・・・・・
 ・・・・・・・・
 
 2004年10月23日(土)
1299, 「23歳の日記」

 事務所の移転で、部屋の整理をしていて、一冊の見た事のある小さな鍵付の
ノートが出てきた。開いてみると日記帳である。
「22歳の日記」の続編である。
その続編があるとは、思ってもいなかった。
おそらく、「22歳の日記」とセットで、何処かにしまっていたのだろう。

 もっとも、入社したてで激務のせいか、8ヶ月で17日分しか書いてなかった。
−3月5日から11月初旬の間であるー
かなり刺激的な内容もあって、肉体的にも精神的にも極限状態が
手に取るように解かる。読んでいて戸惑ってしまっている。
三重県の四日市から、神戸に転勤するまでの心の軌跡や、
具体的な日々の有様が、そのまま書いてあった。

 小さな会社が三社合併をした年で、その交流の1弾として方々に
転勤させられていた。今から考えてみても、異常な日常の連続であった。
まあ良い体験をしたのだろうが、当時の流通は今でいう3K そのものであった。

 流通革命の旗手と上手く煽てられて、合併の最前線の駒に使われていた。
一番立場の強い会社に入社したため、惨めな目には会わなかったが、
それでも、一日一日が変化の激しい体験の連続であった。
まあ、それは40歳近くまで続いたが。

 研修が終わり、現場に配属された初日の事や、卒業式に出席する為に
一度東京に帰ってきた2日間のこと。(当時は卒業前の3月1日に仮入社
するところがあった)
悩んで、学生時代に通った禅寺に行ったことや、神戸の日々のことなど、
その時々の気持ちが書いてあった。
 
 スーパーの店頭での「瀬戸物の叩き売り」は、映画に出てくる
「男はつらいよ」の寅さんの口上とほぼ同じである。
それより、当時の関西のスーパーの肉屋や魚屋の職人には・・・?
それだけでない、スーパーの店員なんぞは下の下という風潮があった。
何が流通革命の旗手かと、ただただ驚きであった。

 汚い寮に住んでいたとはいえ、学生時代のアカデミーな世界とは一変、
地獄の底に突き落とされたというのが、その時の偽ざる実感であった。
もし、この文章を読み返さなかったら無意識で、当時の記憶の消去を
頑なにしていただろう。それだけあまり思い出したくない日々であった。
まあ誰もが入社したての頃はそうだろうが。

 書き残すということは非常に長い目でみても有益なことである。
「猿人類と人間の差は魂を持っているかどうかの差である。
魂とは、言葉を持つことによって得ることが出来る。」という猿人類学者の言葉を、
このような日記を読み返すと実感する。
言葉で書き残してなければ、当時の心の叫びは残ってない。

 おりおり、配属の日の日記とか、卒業式の光景、そして神戸の日々とか、
禅寺の一日を書き写してみるつもりだ。
ただし五日間のみにする。あまり当時を直視したくない。
心情を書き残すということは魂を書き残すことと実感する。

今このような日記を書けといっても書くことは出来ない。

ーーーー
S5709事業百訓 
ー1982年7月9日記(社内報)より
 
 何かの偶然で私自身全く貴重な経験をしてみた。

 修業という事で、三重県のA社に勤め、考えるところがあり再び学校へ入り、
その後石川県のB社に再就職をし、その後独立したのですが、私がB社を去った3年後、
A社がB社を吸収合併をしてしまった。
別に系列下にあったわけでもなく全くの偶然の一致であった。
 
 私自身修業という事で入ったのですが、戦略・戦術という面での社長の決定的違いを
一兵卒の立場よりケース・スタディという面で、非常に勉強させてもらった。
資金の使い方、人間の使い方、立地戦略、モラル・教養、全くの本質的な違いであった。
その決定的な違いをみると、
(1) 非生産的過大固定投資の失敗
(女子寮マンションの建設及び、時期早尚の配送センターの建設)
(2) 点作戦の失敗(地方都市にありながら、面戦略より点戦略をとり、
 結果として、他社よりねらいうちにあい全店舗がいきづまりをみせた。
(3) 人材の育成・成長を持っていなかった。
(教育・マニュアルの不備よりくる)=教育重視の戦略の甘さ。
 中途採用者グループ間の派閥争いで“子飼社員”が育つ前に失望退社のパターン。
(4) 長期・中期経営計画のつめの甘さ等である(以下次号)

S5711事業百訓
−1982年11月記
 A社は当時地方の一スーパーでありながら、S44頃内部留保数十億もあり
(現在の百五十〜二百億円)非常に内容がよく、市内でカジュアル関係の衣料の
70〜80%近くもおさえていた。

 しかし、将来を考え三社対等合併にふみきり、業界のドギモを抜いた。
社長の決断であり、それが現在の業界三位の地位をしめたその出発点である。
企業もその環境にあわや自己脱皮をはかりつづけなければ、その生命もすぐつきてしまう。
その事例としてB社を経験した。
“企業は大きいから強いのではなく、強いから、大きくなる”
“小さいから弱いのではなく、弱いから小さいのだ”
“弱いから強いのに食べられる!”
という事実を二社の企業体験として骨のずいまで実感した。
 
 内容のよい上り調子の会社は、それだけで社員の気持が一つになり、
かつ非常に働きがいがあるものであり、内容が悪化しお互いの足のひっぱりあいが
常態の会社は、それだけで人間がくさりはじめていくものである。
それは決して、社員の責任でなくすべて社長の責任である。
時流にあわせながら自己脱皮をはかりつつ内部体制をかため、
強い体質を作っていく事がすべての優先されねばならない。

・・・・・・・・
・・・・・・・・

2003年10月23日(木)
932, ある旅行代理店の廃業

 ツアー大好き人間として、旅行代理店遍歴を多くしてきた。
初めは日本旅行を母が使っていた因縁と、他の代理店の情報不足の為にブランドに
頼りざるをえなかった。
ところが、民間の安い代理店「新日本トラベル」をつかった姉が
「値段の割りに良かった」という話を聞いて、スペインのツアーに参加してみた。
その添乗員が非常に良かったことも含めて、今までの常識を根底から崩された。
「日本旅行」は、そのブランドを使っているが、旧国鉄感覚の
「お客をお客と思ってない」体質という事に逆に気づいた。
「JTB」と「日本旅行」を使うのはとんでもない間違いである!
親方日の丸が体質から抜けてないのだ。
それは実際、身銭を切る客が一番早く気がつく。

 ところで昨夜、、家に帰ってきたら「世界旅行社」から廃業のお知らせの
葉書が来ていた。
文面をそのまま書き写してみる。
 
 −−−−−
 廃業のお知らせ
   
前略
当社の業務につきましては常々格別のご愛顧をうけたまわり厚くお礼申し上げます。
当社は創業以来、動物、自然、遺跡をテーマにユニークな旅行企画を提供すべく
鋭意努力をしてまいりました。
近年テロ等海外情勢の悪化により旅行業務が低迷する中、なんかと切り抜けて
参りましたのも皆様のお陰と深く感謝しております。
しかしながら誠に勝手ではございますが、この平成15年10月20日をもちまして
旅行業務の取り扱いを終了させて頂くことになりました。
長い間、世界ツーリストをご愛顧頂きまして本当にありがとうございました。
皆様の益々のご発展をお祈りいたしまして失礼させて頂きます。
                           草々
                   
                   世界ツーリスト株式会社
                   代表取締役 浅見真弘
                    銀座ブラジルビル3f
                   
    ・・・・・
   
 この代理店は
「ベネゼイラのテーブルマウンテンとエンゼルフォール」のツアー」と、
「タンザニア」と、
「ケニアのヌーの河渡り」
 に使った。
また会社でも2回使った。
 パンフレットが送ってきた時に、家内がよく潰れないでやっていると心配を
していた会社だ。

 最近は、阪急旅行社や近畿ツーリストなど大手が手をつけてなかった
秘境系の分野に本格的に乗り出してきた。
その上に、アフリカはイスラム教が強い文化圏、どうしても9・11のテロ以来
一般客はさけるようになってきた。
どちらにしても時間の問題であったのだろう。
専門店としては「ワールド旅行社」や「ユーラシア旅行社」とか、
「旅のデザイン旅行社」などがあるが、どうしても値段が高い。

 今は「秘境地区への直行便」が流行になってきている。
乗り換えなしで、値段が2~3割安い秘境系のツアーだ。
お客は殺到するのも当然だ。
チェーン理論でいう、企画発注書の特別商品で、価値の創造商品だ。
私も今年に入り、アラスカとアイスランドと直行便で立て続けに参加をした。
これは大手の代理店しか企画が出来ない。
 その価値を十分感じ取った。
これでは弱小の代理店は消滅するのが当然である。

 何かもの悲しい感じがする。

・・・・・・
・・・・・・
 
 558, 仕事と性格形成
- 2002年10月23日(水)

知らないうちに人間の考え方は、自分が実際に携わっている
仕事に影響されているのを最近強く感じる。

私のような大商圏を相手にする仕事の場合、どうしても小商圏を
相手に仕事をする人との考え方が正反対になる。
気が合う相手は大商圏の仕事や、大手相手の事業をしている人だ。

小商圏といえば、お互いの目を気にして「世間様」という考え方を
第一にしなくてはならない。
お付き合いとかの人間関係の中から情報やビジネスチャンスを捉える
事が重要となる。

大商圏を相手にしていると、逆にそれが邪魔になることが多い。
近目と遠目のちがいである。遠視になってしまい近くのことが見えなく
なる、逆に小商圏は近視的視点になってしまう。

この違いの乖離が最近特に大きくなってきている。
最近それを指摘されるが、といって今更変えようとも思わない、
また指摘する人は小商圏相手の仕事をしている人だ。
もっともそのことすら理解できない人だ。
数年前から間隔をおいているが、そうすると大部分の人になって
しまう。最小限の人とのいきちがいは仕方がないと割り切っている。

銀行も政府系や都銀との付き合いに傾く。
人間関係もどうしても地元でない人が多くなる。
地元の人と一切付き合わないで済むから、地元では異様に思われて
いるだろう。
大商圏的生き方として当然の事と受け止めている。

特に父親はこの傾向が強かった、モデルがいるから更にそれで良いと
思ってしまう。
気が付いたら一人というと頑固爺の末路だろうが、その辺の変身は早い。

ある中国出身の作家がいっていた。
「地元で商売をするな、因縁がらみで何も見えなくなる。
他所なら全く関係なく、ビジネスとして割り切れるから。」
全くそのとおりである、ブラックジョーク以下の現象がビジネスで
日常になってしまう。

地方の景気が最近悪いのは、これに近い原因である事はいうまでもない。
情報化でグローバルの時代になってきた為だ。
これからの時代ますます大商圏的生き方の流れになる。
手前勝手か??

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[195] 宗教戦争ー6−
          2001/10/23
 -イスラム原理主義とはー
     ユダヤ教とキリスト教とイスラム教の違い

原理過激派はイスラム教を母体としたカルト教と思えば簡単である。
ややこしいのがイスラムが母体という事である。

モハメッドは一人考えた!「何故アラブ人に偉大なる神がないのか、
預言者がいないからだ。そうだそれを考えている自分が預言者になればいい」
と考えたのだろう。

まずは「コーラン」をユダヤ教の「タルムード」の代わりと考えた。
そんなものだ、宗教とは。

宗教学者ひろさちあ氏が月刊誌に、ユダヤ教とキリスト教とイスラム教の違いを
解りやすく書いていた。

ユダヤ教は・・・・「旧約聖書」プラス「タルムード」
キリスト教は・・・「旧約聖書」プラス「新約聖書」
イスラム教は・・・・旧約聖書プラス「コーラン」
   まずベースが旧約聖書である。
三宗教のうち、
・父親的な立場がユダヤ教、その父親から長男のキリスト教が誕生、次男のイスラム教が
 誕生した。
・ユダヤ教では、ーアブラハムが神ヤーヴェと契約を結んだ。
その契約は、人間のほうからは、あなた以外の神と絶対に拝みませんと誓い、その契約に
もとずいて神は人間にあれこれと命令する。その命令が律法だ。したがってユダヤ教は
、本質的にー契約宗教です。

・キリスト教のイエスは「神は我々を愛しているのだ。だから神の奴隷になる必要がない。
我々は自由人だ」と大胆な主張しました。律法に縛られる必要がないと。
本質的にー自由宗教です。

・マホメットはーキリスト教は安息日を守りません。
そういう自由に対しそれはおかしい律法に忠実であるべしとアラブ人向けにつくった。
自由を謳歌して神と律法から離れた長男のキリスト教に対し、もう一度
原理に戻ろうと主張した。
本質的にー原理主義です。

イスラム教にー神の(アラーの)ために戦う「ジハード」と言う概念がある。
もともとモハメッドが異教徒と闘うことー聖戦ーによって確立されたもの。
後世の信徒もそれにならってつねに異教徒と闘い続け、その教えを世界に広げることを
求められた。

その聖典のハデイースは聖戦について、
・たとえ一日でもアラーの道の戦い身を投ずることは、
 この世とそこにあるものよりより良い
・天国に入ることになる人は、たとえこの地上に何をもっていようと、
 現世に帰ることを望まないが、だだ殉教者だけは別で、彼は神から与えられる恩寵を
 知っているため、現世に戻り,更に10回も殺される事を切に願うのだ

熱心なイスラム教徒は、そのまま本気で信じているのだ。
 要するに殉教;は生より望ましいと思っているのだ。
それが過激派になったのだ。

実際はジハードは日常生活の中で「コーラン」をの原理を全世界に定着することである。
過激派はそれを暴力でと解釈した。


1663, 「人生の実りの言葉」−3

2005年10月22日(土)

ー独創?

・この章ー独創?ーの冒頭の「ゲェテとの対話」ーエッケルマン
を抜粋してみる。

「世の人はつねに独創(オリジナリテート)の話をするが、どういう意味だろう。
生まれるとすぐ、世界は影響しはじめ、そして死ぬまでつゞく。
一体エネルギイと力と意志と以外に自分のものがあるか。
若し私が偉大な先駆者や同時代の人に負うた点を一々あげることができたら、
残る所はきはめて僅かだろう。」

・更に、この章の一番のさわりの文を抜粋する              
ー私という存在は文化全体の影響によってできたもので、独創ということが
あるとしたらそれは、過去のすべての文化のうちどういうものを選んで、
どれによって自分を作っていったかのその作り方にある、と今は考えているー

ー「アランの独創性とはオリジナルであることの拒否である」
といわれるぐらい、徹底的して過去の文化の受容をすすめることであった。
「発明する方法は一つしかない。それは模倣することだ。
正しく考える方法は一つしかない。それは古くからの試練を経た、
何らかの思想を継承することだ」−アラン「教育論」
そのようにしてだけ人は正しく物事を認識して、考える方法を学び、
思想を自分のものすることが出来る、というのがアランの考え方だ。
ーー

以上だが、そういえば
作家の沢木耕太郎も彼の著書の中で同じようなことをいっていた。

ー夜空に星を見るとき、あの連なりからどうしてあのような絵柄が
イメージできたのだろうと  不思議に思うことがある。
そしてこう思う。もしかしたら、ノンフィクションを書くということは、
あの無限に近い星々から、いくつかの星と星とを結びつけて、
熊や琴やペガサスを描く作家に似ているのではないか、と。
ノンフィクションの書き手に許されているのは、
広大な宇宙にある「星」を選び出すことだけである。
未知の「星」を発見することはできる。
しかし、「星」そのものは作れない。
いや、作らない。たぶん、ノンフィクションを書くとは、
彼、あるいは彼女が、この広大な宇宙で見いだした「星」と「星」とを
結びつけ、虚空に自分の好きな絵をひとつ描くことにしかすぎないのだろう。
                       ―沢木耕太郎

少し、沢木のいわんとすることは模倣とは違うが。
模倣を徹すると、その組み合わせの組み換えが始る。
独創とは、ある分野を徹底的に追求した組み合わせの変化の結果の姿である。
あくまで、守・破の結果としての離の姿である。
20年近くおこなわれてきた個性化教育の失敗が、
現在の日本を大混乱を引き起こしている。
個性を引き出すとして、過去から蓄積されてきた知識を疎にして
我流を認めてきた重大な過失が日本を覆っている。

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2004年10月22日(金)
1298, 2000年前のポンペイ −2

 図書館で何気なく歴史コーナーを見ていたら、
「『ポンペイ』完全復活、2000年前の古代都市」というグラビア集があった。
一ケ月位前にTVで『ポンペイ』を特集していたのをDVDに録って、その面白さに
繰り返し見た後なので、思わす時間を忘れて、その場で見入ってしまった。
もちろん、借りてきて見ているがTVよりさらに深い内容である。
本は、映像では表現できない違う役割がある。

 AC/79年8月24日、ヴェスヴィオス山の大爆発で火山灰で埋没したこの街は、
その18世紀半ばからの発掘によって、古代ローマを知る上で大発見になった。
それまで、古代ローマの遺跡といえば、ローマ市郊外の遺跡であったり、
地中海沿岸の都市であった。
ローマ帝国は、このような街が数千もあって、それによって支えられていた。
しかし、それらはその後の追加工事などで、当時の原型を殆ど留めていない
ものばかり。これだけ、完璧に残って発見されたのは歴史上初めてである。
街そのものを、石膏(火砕流)を流し込んで、そのまま保存したようなものである。

ーそのグラビアの内容とは

・街全体の航空写真と、それを元につくられた街の復元の絵

・それで解ったポンペイの都市計画図
 そして街の構成と築造技術

・給水システムと下水システム

・共同墓地と体育場と円形闘技場、そしてスタビア浴場

・娼婦の館の写真と、そのレイアウト。
 そして、そこに描かれていた男女交合の絵

・完全に残っているパン屋と、内部の工場と、パン原型
 そして、それをもとに作られたパン屋の想像図

・複合劇場施設の航空写真と、その図面と、想像図

・音楽堂と、そこに描かれていた壁画と、残されていたタンバリンと、
 ブロンズ製のパンパイプ

・街の心臓部になっていた、市民広場
 そこでは、街の住人や、郊外の豊かな農民、商人、遊び人など様々な
 人たちが集っていた。そこでは選挙もおこなわれていた。

・公衆トイレもあり、入ると控えの間があり、外からは見えないように
 なっていた。そこを入ると便座があり、排水溝があって常に水が
 勢いよく流れていた。

こう見ると、現代の都市と大して変わりがないといってもよい。
                       
                         ーつづく

以下は、先日書いた内容です。
  −−−

1273, 2000年前のポンペイ
09月27日(月)

先日、TVで「ポンペイ」を特集をしていた。
十数年前にイタリアに旅行した時に立ち寄った、ポンペイの街の記憶と
TVの内容が重なって、非常に興味を持ってみることができた。

ーまずはポンペイの概略を書いてみる

ナポリの南東にあるヴェスヴィオス山のふもとの町。
古代ローマ時代には貴族たちの別荘地として発展し、
パクス・ロマーナ期の繁栄ぶりはめざましいものがあった。
当時の人口は2万。
公共施設が次々と建てられ、建物の構えはローマにひけをとらないほどだった。

悲劇は、AC79年8月24日にやってきた。
ヴェスヴィオス山が突然、大爆発を起こしたのである。
大地は鳴動して山頂は吹っ飛び、火口がぽっかり口をあけた。
きのこ雲は天に達し、くもった空の下に、三日三晩、火山灰と火山弾が降り注ぎ、
泥流は火口をあふれ出し、町を襲った。
ポンペイの町にも大量の石や灰が積もり、噴火の翌日までにその灰の深さは
5〜7mにも達した。
屋根の損壊や有毒ガスによる窒息による犠牲者の数は人口の1割にあたる
2000人と考えられている。

そこには火砕流でタイムカプセルのように、当時の生活が残されていた。
遺体を覆った火砕流の岩石の空洞に、石膏を入れて型どった生々しい遺体の像が
幾つかあった。お金を握った者や、妊婦や、奴隷、子供、犬など様々だ。
街を歩いていて驚いたのは、タイムカプセルでドロップアウトしたようになるほど、
リアルに当時の生活が残っていたことだ。
残っていた住宅の壁画などから見て、「性」に対して非常に大らかであったようだ。
女中部屋には、自?用の男性の??が壁につき出ていた。

幅10mの道路の両側には、焼きたてのパン屋、居酒屋、売春宿などが通りに並んでいる。
売春の値段まで残っている。今でいうと、コーヒー一杯分位だった。
道路には轍の後がくっきりとあるし、十字路には歩道がある。
下水道や、公衆水飲み場もあり、街の中央には広い集会場もあった。

今回のTVの特集で、全く知らないかった事実を多くあった。
街の殆どの人が、一瞬で亡くなったと思っていたが、発見された遺体は1000でしかなかった。
15000〜20000人の人口と推測されるから、遺体の半分は発見されなかったとみても、
9割の人が逃げ延びたのだ。
爆発から、この街に灰などが押し寄せるのに19時間の時間があったという。
逃げられなかった理由が遺体の様子から、それぞれ想像できた。

ポンペイとヴェスヴィオス火山の反対側にエルポラーノの遺跡がある。
この遺跡は、18世紀にある農夫が井戸を掘っていて発見したというが、
その近くの港で、300人の人骨が発見された。
その様子からエルポラーノの市民が、そこに逃げてきて救助を待っていて、
亡くなってしまったと推測される。

遺跡も多く見てきたが、それぞれが当時の生活や、深い因縁を秘めている。
しかし、衣服や住宅や街の様子が、火山でそのままリアルに封印されて残っているのは、
この遺跡だけである。
そこより、うかがい知れるのは「変らぬ人間の営み」である。

世界は広く、そして深い!

・・・・・・・
・・・・・・・

2003年10月22日(水)
931, 強みに焦点をあわせよ

「強みに焦点をあわせる」
経営学者のドラッカーの一番好きな言葉である。
企業にしても人間にしても当てはまることだ。
強者は強みを最大限いかすから強者になり、
弱者は弱みのうえに自己を置くから弱者になるのだ。

 まずは自分の強みとは何かを探さなくてはならない。
過去の中でうまくいった事、埋もれている潜在的な何かを自分で探すしかない。
企業もしかりである。
その強みを活かしていくと、それが違いになってくるのだ。
それを個性というが。
強みを探すとき、「他との違いを探す」方法もある。
違いの中に強みがあることが多い。
弱点に見える中に、強みがある場合もおおい。

一例をあげると、柔道の棟田という重量級にしては、極端に背が低い選手がいる。
彼は外国の背の高い選手に強いのだ。
重心の位置が低い利点を活かして、相手を投げ飛ばす。

 強みを活かし続けると、そこに独自性が生まれてくる。
強みに焦点を合わすと合わさないとでは、時間の中で大きな差が生まれてくる。
ついつい弱点の矯正に気が回って、いつの間にか重心がそこにいってしまう。
弱点を修正することより、強みを活かすことに全力をあげる事だ。
人を使う場合もそうだ。
ついつい弱点に眼がいってしまう。
意識的にその人の強みを探し出して使うことだ。

 私を例にとるとーまた露出だが、
・8人兄姉の末っ子
・両親とも商家の出で商売大好き人間
・私の幼児期は敗戦の真っ只中で、転業の創業期
・末っ子の知恵
・人を内側から多くみている
・負けず嫌い

 これは強みでもあり、弱点にもなる。
少なくとも勤め人より、商売系が向いている。
それも時代の変化に対しての創業系ー転業を活かすのに向いている。

 弱点は自制がきかないで突っ走ってしまう危険がある。

・・・・・・・
・・・・・・・

 557, 基調色-着こなしのコツ −2
2002年10月22日(火)

ある洋服屋だった社長から聞いた話である

ー昔の大金持ちの旦那衆は、目立たない高級呉服を似た柄で何枚も
持っていて毎日着替えていた。
よほどの目が利く人でないと、その違いが判らない。
無頓着にいつも同じ服を着ていると思わせていたという。
チョットした柄の違いのもので、羽織や帯や足袋をかえていた。
そういう粋な着方が本当のお洒落だとかー

基調色を決めておくというのに合い通じる内容だ。

たったこれだけの話の中に多くの教訓が入っている。
シンプル、スタンダード、スペシャリテー、セグメント
のチェーン理論のドライ主義が全て入っている。
一番主義と集中主義である。

目立たないーシンプル、スタンダードー似た柄で、
高価なースペシャリテー、何枚もーセグメントである。
何代も続く家柄という長い時間の中で、体得した知恵なのだろう。

日本も洋服を着るようになって、まだ日が浅い。
着こなしでは当然欧米人に比べ落ちるのは仕方がない。
しかし和服ではチャンと着合わせが出来ていた。

色というと7色が基本となる。
どうしても私などは単色と思いがちだ。
しかし赤一つとっても数千種類もあるという。
理屈からいえば無限のはずだが。
江戸時代はその色の違いを楽しんでいた。
そして自分の好きな赤を決めていたという。

本当にイロイロあるものだ。

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 至高体験-1
 2001/10/22
もう10年前に読んだコリン・ウイルソンの‘至高体験’が面白かった。
フロイトは‘性’で、ユングは‘聖’で、アドラーは‘権力’の視点で精神分析を
深めていった。しかし彼ら心理学者は精神症・精神病の患者の医者の立場だ。

これに対して‘非常に健康的な人’の持っている性格的特性とかを調べた。
そしてその共通点を探したところ、普通の人に対して‘至高体験’が多いという事だった。
至高体験とはこれ以上ない感激の極み、絶頂の幸福感をいう。

インドを旅行した時、ツアーで一緒だった女性に「20年前にインドに来たとき、
ハシシー麻薬を吸ったことがある」と言ったので「どういう気分になるのか?」聞いた。
「とにかく楽しくって、笑いが止まらなくなった」とのこと。
しかし薬物は中毒になる。死ぬときの痛め止めの薬物の楽しみに取っておくとよい。

ある姉が嬉しそうな顔をして、「極致の喜びを味わったことがある?」
と数年前か私に聞いた。少し躁鬱の気がある人で、近くにいた義兄がハッとした顔をした。
「まさかオルガニズムの事でも言い出すのでは?」と私もその瞬間思った。

「それでは貴女はあるのか?」と聞いたら、「一度ある」という。
もちろん私がそういう系統ー精神分析とか、心理学が好きということは解らないようだった。
そちら(セックス系)の内容でなかったが、「私は三桁は軽くある」、と答えると
全く信じられない反応であった。「そんな事絶対あるわけはない」という。

「それでは長島が昨年(7〜8年前)セリーグで、10月6日?に大逆転優勝をした時に、
至高体験したのでは。長島は三桁は至高経験をしているのでは?」といった時、
やっと納得した。

私の場合では、海外旅行で数十回はある。
また事業で一仕事終えた時、緊張感の極めの合間の一瞬の弛緩の時、
あるいは会社の忘年会とかに絶対的幸福感になる。(それだけ盛り上がる)
上げれば限がない。

これはある程度の訓練も必要だ。
会社で昼休みに30分、アルファー波の発生器に‘聴く麻薬の音楽’
(アルファー系音楽)を繋げて、もう10年以上聞いている。(アルバム日記に写真あり)
それを毎日している為か酒を飲んだ時など、直ぐブロックが外れそれに近い状態になる。

少しきわどい内容になるが、コリー・ウイルソンのその本に、「ロシアンルーレットが
その状態になりやすい」と書いてあったことをおもいだした。
ピストルに弾一発を入れ、弾そうを回すやつだ。そして引き金を引く。
6分の1で死ぬやつだ。死の緊張感と助かるのを楽しむ。
そして相手と自分が死ぬまでやるやつだ。助かった時の幸福感は至高体験に近いらしい。

家内が不思議そうな顔をして、何人もの友人が「自分を不幸と信じているみたい?」という。
少しは勉強すれば?と思う。
生きているそれだけで素晴らしいのに!


1662, 「人生の実りの言葉」−2

2005年10月21日(金)

 
ー運命

この章『運命』冒頭の
モンテーニュの「エッセー」の一節がよい。

ー運命はわれわれに幸福も不幸も与えない。
ただその素材と種子を提供するだけだ。
それを、それよりも強いわれわれの心が好きなように変えたり、用いる。
われわれの心がそれを幸福にも不幸にもする唯一の原因であり、支配者なのである。ー

自分の人生で、いつも何時もこの心の葛藤があった。
そして、いつも何事も修行と思えば、気分まで卑屈になることはなかった?
何事も、その対処をするに如何考えるかである。

 高見順がガンによる死の前にこういう詩を作った

    電車の窓の外は
    光にみち
    喜びにみち
    いきいきといきづいている
    この世ともうお別れかと思うと
    見なれた景色が
    急に新鮮に見えてきた

    この世が
    人間も自然も
    幸福にみちみちている
    だのに私は死ななければならぬ
    だのにこの世は実にしあわせそうだ
    それが私の心を悲しませないで
    かえって私の悲しみを慰めてくれる
    私の胸に感動があふれ
    胸がつまって涙が出そうになる
                                
       高見順『詩集 死の淵より』
  ーーー

 死に切迫した人間の、ぎりぎりの葛藤から生まれる孤独の詩である。
誰もが身近な人の死に直面した経験があるはずだ。
しかし自分が直面する場合と、それが最愛の人であっても全く違うのは
両親を見ていてよくわかった。
母親の心のどこかで、「自分でなくてよかった!」という気持ちがみえた。
そのくらい割り切らないと、最愛の伴侶の死を冷静になって見送ることができない。

死が近くなる実感によって、生が凝縮されてくる。
「人間は死を覚悟した瞬間から死ぬまで、それまで生きた全ての人生を生きる」
という。父の死で、それをま近にみた。
死の淵で人間は、過去に生きるしかない。
そして、その全人生を生きるのだ。
人間はノタウチマワッテ死ぬかもしれない。
それはそれで、よいのかもしれない。

死という最終の運命が誰にも待ち受けている。
それに対して、どう対応できるか?
70歳になると、死が後ろから迫るのでなく
前から近づく感覚になるという。
その死に対してただ茫然とするしかないのか。

・・・・・・・
・・・・・・・

2004年10月21日(木)
1297, 原価は一人170万円

毎日新聞の『外国人事件の実情』という、シリーズものの記事によると、
「フィリッピンパブや、外人パブや、性産業に売られる女性の値段は
一人当たりの原価が170万円前後。女は原価の3倍の500万を返すまでは
逃げられない」という。

その筋の男の話によると、
「タイの女性なら、シンガポールやブルネイに寄らせて、その国の
偽造パスポートで日本に入国させる。両国は、日本入国にビザが必要ないからだ。
現地からブローカーが付き添い、例えば上野のホテルで170万円と引き換えで
引き渡す。タイ、フィリッピン、台湾、コロンビア・・・。
女性の国籍はさまざまだが、値段の原価は一緒である。
取締りの厳しい時は、品不足になり、高くなる。
売春の値段は大体、泊まりで3万が相場で、早い娘で3ヶ月で返す娘もいる。
その後は儲けになるから、悲壮感は無い」とか。
一方で、「同じ地域の出身者を一箇所に集め、逃げたり通報した場合、
どの家の娘か分るようにして、ブローカーから家族から取り立て出来るように
なっている」という。

バブル華やかな頃、何回かフィッリピン・パブに行ったことがあった。
そこは、ただ遊びに行くコースと、口説いて店の外で売春をするコースが
あると聞いていた。ただ会話が面白く、陽気で、何ともいえない異国情緒が良かった。
それと、一生懸命、接客してくれるのが良かった記憶がある。
ところが最近になって、殆んど暴力団が背後にあると知った。
彼女等は、こういう値段で仕入れられていたとは、
また日常的に売春がおこなわれていたことも、この記事を読むまで知らなかった。
バブルの崩壊とともに、そういう店が激減したようだが。
こういう記事が出れば出るほど、こういう店は激減するだろう。
いや、しないか?

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2003年10月21日(火)
930, 自己責任の時代

 今日、ある見積もりの結果を見たら、77万円と240万の二つの結果であった。
工事関係は素人が餌食でしかないのだろうか。
当事者が解ってやっているのか、どうかも問題であるが。
 
 今のホテルを創めるとき、客室掃除の下請けの見積もりをとった。
五社から見積りをとったが、最低が月67万で最高が280万。
凄い世界を垣間見た思いをした。

 建設業界は業界そのものが、こういう恐ろしい世界である。
 
 いま道路公団総裁が首を切られそうなり、自民党の癒着の暴露を脅しにして、
情けない醜態を見せている。今までの官僚社会主義世界の暴露と、自民党の
利権汚職構造を露呈してをしてくれるから!、面白いといえば面白い。

 奇麗事で人間信頼の経営などというと、こういう手あいが工事で入り込む。
社員もだが。
ホテルの創業時には二代目の??ビル管理の専務が、二倍の見積もりを
持ってきた。小ばかにしたような面をしていた。
世間様の世界に、だまさて二倍の経費をかけるか、シビアにやるか?
当然後者でやるべきである。
いや前者だというのが、いまだ地方世界でまかり通っている。
地方ー痴呆の崩壊は当分続いて当たり前である。

 いま、マンションをつくらせ、「入居保障の殺し文句」で詐欺に近い商法を
している会社があるが。「つりの計画書」も素人騙しそのものである。
倒産した「ジュエリーをいつでも買い戻すといって販売道具にして倒産した」
詐欺宝石会社より性質が悪い。
「断言してよいのか?」と思われるかもしれないが、事実だから問題はない。
ある人がマンションビル計画の提案に
「入居保障が不可能の場合はどういうケースですか?」の問いに、
「当社が倒産した時」と答えたと言う。
こんな営業保障は、当然行き詰るに決まっている。

 株式の四季報でみると減資をしたり、内容が滅茶苦茶!
月に一度は自宅に営業から電話がかかってくる。
義弟にも電話があるという。
それもしつこく何回もあるという。
ジュエリーの詐欺販売の世界と全く同じである。
これだけもっともらしく広告を出して、よくやるよ!という世界である。
素人に、この手あいを見抜くには限界があるはずである。
 
「マルコー」という会社が以前、違う形で詐欺的商法?でマンション販売をして倒産。
その会社が成長真っ盛りの時に、周囲に「あれは詐欺世界!」と言たが、
誰も「まさか!」という顔をしていた!

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 556、一秒一円の価値
- 2002年10月21日(月)

[時は金なり]というが、人生という意味でわかり易く考えてみよう。
一秒一円で一生を80年とすると何と25億円になる。
時給1000円のアルバイトとすると、一生で換算すると7億円だ。

時間をお金に置き換えるのはおかしいが、わかり易く考えるに
丁度よい。
高利貸しや銀行はその事を一番知っており、借りる方はその事を一番
解ってない。
海外旅行は大体の目安が一日3〜4万、実質滞在日が4〜5万円
である。

一年を一秒に圧縮すると、一年前が3153万年前になる。
数年前に恐竜がいたことになる。150年前が地球誕生、
400年前がビッグバンになる。

人生を考える時に一日に圧縮して考える事がある。
昼の12時ですでに40歳で、60歳で夕刻の6時である。
そうすると私は17時半あたりになる。このテーマとは関係ない事だ。

製品もグラムあたりで値段を読む事がある。
鉄が安い象徴で、パソコンの半導体が高単価である。

人生で感動の場面は金かプラチナの価値、平凡な日々を
銅か鉛と例えると、可能な限りそういう場面を求めていった方が
よい事になる。

芸術や大自然に可能な限り触れ感動のシャワーを浴びる事だ。

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[193] まだ生きている!ー漂流
2001/10/21
もう古い?話になったが、数ヶ月前に
「33日の漂流の後、奇跡的に助かった漁船の船長」がTVに出ていた。

「スイカが流れてこないかなーとか、おや今日も生きているとか、
なかなか死なないもんだとか、ぼーと考えていた」このような一つづつが
奇跡の原因らしい。

スイカが流れてこないかなーはプラス発想、
なかなか死なないもんだは生に執着しない、
おや今日も生きているのかというは、事故(自己)の客観化、
一人者で、一人船長で、待っている家族もないのも諦念にあったのだろう。

10年位前ののヨットレースの佐野某の漂流記を読んだことを思い出した。
鴎をを捕まえて食べていたらしいが、一種の死の瞬間の倒錯?がすごい。
「乗っているボートごと垂直に数百メートル昇っていった」という。
「それは夢でもない事実としかいえない出来事だった」という。
かれは手記で今でも絶対に事実と信じていると強調していた。

 ユングがそれに似た経験をしている。瞑想をしていてそのまま天に上るくだりである。
インドの上空をどんどん昇っていく、インドの国の地形,青い海,そして地球が
見えたという。それがそのずっと後,宇宙飛行士が見た光景と同じであった。

 中世では人肉を食べた内容が克明に残っていたりした。
子供の時読んだジョン・万次郎を思い出した。


1661, 腰痛ー3

2005年10月20日(木)



過去に何回か腰痛について書いたことを思い出し、
HP内の検索で調べたら一昨年と三年前に書いてあった。
家内からは、去年の10月に腰痛になっていたといわれたので、
毎年一度は腰痛になっていることになる。
例年、5月の連休前後か11月になる。

今年は、イタリア旅行でなってしまった。
軽い時で、二週間。
重い時は一ヶ月近くかかる。
今回の腰痛は全治三週間である。
痛みのピークは一昨日で、昨日の夕方から反転して時間ごとに良くなり始めた。
しかし、油断をすると直ぐに元に戻る。

腰痛はきつい、そして気力が失われる。
季節要因と内臓の問題もある。
特に寒さに弱い。

そういえば5〜6年前に、思いで深い腰痛があった。
横になっても立っても何をしても痛いのだ。
脂汗が滲み出て、うなっているしかない。
一回も医者にいったことが無いのが、腰痛に対する私の態度である。
しかし、その時だけは一人で救急車を呼ぼうとした。

ホッカイロを腰に当てて、時間を稼げば半月もすれば直る経験則がある。
だから、ただ耐えるしかない。

ーーー

2003/11/13
953, 腰痛ー2

腰痛のことは以前にも書いたが、一昨日の朝、例年どおり腰痛が出た。
いつも季節の変わり目に出るが、私の場合は寒さで体を冷やしてしまうのが
一番の原因である。
いま一つは、パソコンを座って打っていると腰に負担がかかる。
今のところ時間をかけて暖めるしか方法はない。

 間接的には、パソコンと寒さがあるが散歩の後、屈伸とストレッチをしたのが
悪かったようだ。

 腰痛について書こうと思って過去の随想日記を調べたら、去年の連休後に
書いていた。五月の連休後も例年腰痛が出るのだが、今年はどういうわけか
なかったが。

 腰痛になると何もする気が起きなくなる。
また一回一回ごの痛みの内容が微妙に違う。しかし今まで一回も医者がかりはない。
経験上、暖めていると長くて10日で大体直ってしまうからだ。
その治療法を40年近くしている。

 インターネットで調べたら、腰痛にも色いろある。
デスクワークの人や、お産や生理が原因であったり、内臓の負担からくるものや、
運動のやりすぎ、等々ある。
今朝おきたら3分の1位に痛みが減っていた。
全治四日の予測が当たっていたようだが、どうなることやら。

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401, 腰痛 - 1   
 2002年05月09日(木)

昭和38年の三八豪雪の時、長岡高校の屋根の雪落としをしていて、
腰痛になってしまった。

母が腰痛もちで、よく腰が左右に曲がっていたのを見たが、
それがそのまま遺伝したようだ。
腰の骨が本当に左右にずれるのである。

その時の痛みは言葉に言いがたく、脂汗がにじみ出る。
大体が季節の変わり目に出る。

その対策として15年前から散歩を始めたが、今は腰痛対策というより、
精神的肉体的両面の健康のすべての対策になっている。
散歩も一日30000歩を超えると、逆に腰痛になる。

人間の今の身体の構造は、歩く前提で出来ているという。
何かあったら歩くのが一番自然だ。

腰痛は猿が人間に進化する過程で、腰に不自然な力がかかるようになった。
その結果、人類共通の持病になってしまった。
歩行がその対策によいことは、15年続けての実績で解る。
しかし完治はしない。

腰痛が出はじめたら、ホッカイロをその部分に当てるのが一番効果がある。
(母の対策を見て知ったことだが)それで4~5日で直るからだ。
医者には一度もかかったことはない。
あとは腰痛と仲良くしていくしかない。

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2004年10月20日(水)
1296, 新潟市官製談合

昨日の全国紙が数社、一面トップで「『新潟市官製談合』で強制調査」
を取りあげていた。
今朝の新聞では「新潟市役所の幹部を逮捕!」と出ていた。
やらないよりよいが、今さら何をやっているのかの感がする。
自民党の(土建たかり派閥の)衰退が背景にあるのだろう。

このコーナーで、当初より何度か、政治家を含めた国家的犯罪を指摘してきた。
かなり、偏った見方ではないかと思われた人が多かっただろうが、こうして、
マスコミに出る様になった。

現在の日本は、自民党の土建族の議員を金目とした、
ゼネコン・マフィアシステムが全国津々浦々まで張り巡らされいるのだ。
巧く見積もりを出したつもりでも、設備屋とか、鉄骨業者から全てが筒抜けになる。
彼等は薄ら笑いしながら、談合をしているのだ。
ちなみに仕切りは新潟県では、
・箱物は大成建設、
・土木は鹿島建設
というのは、その筋では公然の秘密?である。

末端の市の幹部本人にとって、マフィア・システムに沿って前の上司の
談合汚職の手順を、ただ受け継いだだけだ。
そこで今までの流れに反することをすれば、直に左遷される。
それなら自分にとっても利益になる談合システムに誰が逆らえるだろうか。

全国の市役所で、恒例的におこなわれているのは誰の目にも明らかだ。
恒例で彼ら土建担当が定年退職をすると、第二の職場としてゼネコンの
「名刺部長」と採用され、元部下に談合を半強要する。
担当者も定年退職後の職場として想定しているので従いざるをえない。
お互い、一石二鳥の構造汚職システムとして利益になる。

全く面白い国である。
「その何処が悪いのだ!という、感覚が面白い」のだ。
グローバル・スタンダードのよいところが、こういう部分で出ている。

地元最大手の??組の社長と、土建派閥の故竹?の娘が確か結婚をしていたようだが。

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以前書いた談合についての文章をコピーした起きます、

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2001/12/21
[242] ゼネコンー2

2001/11/25 10:18 NoName


同じ見積もりでも、3〜4割の値段が違ってくる。
平気で目の前で2000万・3000万、いや数億の値引きをする。
普通の感覚の世界とはかなり違った世界である。
今の不況の原因をつくったのは、ゼネコンの存在が大きいといってよい。

日本的特質がそのまま現代的に残っている。
この30年近くはゼネコンの付合いを欠かせたことがなかった。
社会勉強をその世界を知る事で,たっぷりさせてもらった。

悲劇、喜劇の渦巻く世界でもある。
しかし男の世界でもある。新しい創造に携わるからだ。
よしやるか!という決断から、彼等との付合いが始まる。

彼らのシステムに現場主任(現場代人)と言う責任者が、
殆どの権限を与えられる。その能力次第で完成のレベルが違ってくる。

システムを含め、やはり大手の会社はしっかりしている。
何年か経つとそれがわかってくる。またフォローの体制が大手ほどいい。

大手と準大手では総て含め、建築費に5〜7パーセントの差があっても、
それだけの出来上がりの差がある。

その業界が現在大きい危機に瀕している。供給過剰なのである。
それは20年前から言われていた。しかし減ったというより、むしろ
その数は増えている。

ある売り上げの量が、役所のその格づけの大きい判断材料にされる。
その為原価割れでも、請け負う事がある。その反面その役所から
談合で元を取るのだ。

今でも公然である。そのつけは国民にきているのだが、誰も知って
知らぬふりだ。この体質の結果が今の危機になっている。

工事には「箱物」といはれるビルと土木がある。
それと民間と公共にわけられている。公共は今はどうか?解からないが、
100�傭鵡隋�である。
民間の工事もかなりの確率で談合と云われている。

設計事務所も設備とか建材とかで、メーカー指定をしてそこからはねる?
こちらもそれを解かっているから、見積もりを出す時指定外でもよいと
いって渡す。そういう関係・因縁がびっちり詰まっている世界である。

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2001/12/21
ゼネコンの世界-1

26歳から増築2回も含め八回工事を経験したことになる。

そしてその業界の深さ、得体の知れない不気味さを書いてみよう。

まずは「談合世界」が基本にある。それと業界の情報網がある。

国家が認める?犯?システムである。
こんな事を書いていいのか?もちろんよい。

誰も告発は出来ないからだ。

全員が解かっていながら薄ら笑いをしながら、集っているからだ。

イタリヤのマフィアの日本的国家版だからだ。

私ら素人?が如何あがいても、どうにもならない世界である。

新潟県のその大本は「大成建設」という話を聞いた事がある。

ヤクザの世界にそっくりだ、いやそのものだ。

普通の素人は、その世界に入ってきた子羊一匹といったところ。

その中で自分が出来る最大の抵抗を試みるだけだ。

考えてみれば、出来上がりの製品を買うわけでないし、設計事務所を

100パーセント信用してよいわけがない。

甘ければ甘いだけ商品の価値を下げた建物を造ってくる。

それとその噂を聞くと、色いろな因縁を作って業者が寄ってくる。

もし親戚とか同級生の業者を入れたとしたら、そこはノーチェックとなる。

それがあるから彼らは因縁があるほど有利になる。

もしそれが成立すれば‘いただき!’である。

そんな善意(利害をを目指した因縁)は金を屋上よりばら撒く以下だ。

その連中(騙す奴と騙される奴)がいるから、世の中が成り立っているのだ。

こんな事を書いているだけ、私が純粋か低脳だからだ。

もちろんこのバラシを楽しんでいる。

建物を創るほうから見れば、命を懸けた魂の塊だ!

もちろんそれを受けるほうもそうだ。

だから談合もあるのだろう。


2001/11/21

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 2003年10月20日(月)
929, 忘れられない「悲しい話」

 昨夜は知人の父親が亡くなり、その通夜であった。
87歳の大往生であったが、親の死は傍目で見ているよりずっときつい。
死は直視できない。

 死に関しての悲しい話を書いてみる。
我家の分家は二軒ある。
父が長男で、弟が二人いたためである。
長岡にその一軒がある。
母の7回忌にオバが来てくれた。
86歳で影が薄かったのが印象的であった。
その半年後にあっさり亡くなってしまった。
母の法事で「こういう会に出れるのは最期では」というのが、
もの悲しかった。

 その時の酒席で、「人生で色いろ多くのことがあった!」と言っていた。
その数年前に溺愛していた長男が自死をしていた。
そして、その数年前には近くに嫁いだ長女が癌で亡くなっていた。
そのうえに、長男の葬式を取り仕切っていた長女の亭主も
数ヵ月後に自死してしまった。
その時「自死する気持ちが良くわかる!」といっていたのが気になっていた。
また叔父は40年前に亡くなっていた。
そのことは触れず、ある子供の死のことを打ち明けていた。

「赤ちゃんを病気で死なせてしまった。今の技術では助かっていたのだが、
当時は仕方がなかった。病院から死んだ子供を家に一人で背負って帰るとき、
段々子供が冷たくなって死後硬直をしていくのが背中を通して感じた時は、
本当に悲しかった!」とシミジミ言っていた。

 最後、私にその悲しみを言い残しておきたいのだろうと思った。
聞いているだけで、その時の悲しみが、そのまま直に伝わってくるようだった。
 叔母は天理教の熱心な信者になることで、その苦しみの数々を乗り切った。
最期の最期は、宗教しか人間の苦しみを救うことが出来ないのだろう。

「神はあるかないかでなく、あらねばならない」
という言葉が、こういう話を聞くと納得できる。

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 555, 針と糸
- 2002年10月20日(日)

先日、25年来の知人と酒を飲んだ。
大手の支店長をしていたが、請われて奥さんの実家の
専務に3年前に納まった。地元の中堅の会社である。

義弟が社長で大変だろというと、糸と針の喩えで
自分が糸に割り切ってしまえば問題がないといっていた。

面白く、ずばり本質をついた喩えにいやに納得をした。
社長業を針というのも上手い喩えだ。
時代に対して一点集中で鋭く縫いこむのが社長業だ。
何か耳が痛いが、もっと痛い人が今は多いだろう。

この針と糸の喩えを社長専務の関係だけでなくいくらでも云える。
このテーマ随想日記もそうだ。
テーマが針、それに対しての随想記が糸である。
なかなか良い針が見つからない。
糸なら経験がたっぷりあるから?いくらでも材料はある。

戦略と戦術の関係もそうだし、頭脳と心の関係も、
夫婦の関係もいえるだろう。
夫婦では最近はどっちが針か糸かハッキリしないが。

それを使い分けるのはあくまで主体の自己ある。
最近は布ー服の流行が激しく変わっていくので大変だ。
デザインの選定と工賃も厳しくなっているし、本当!!

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[192] 種銭ー2
2001/10/20

物覚えのついた4〜5歳のころから、年末の31日にお年玉を姉兄揃って貰った。
それが楽しみだった事を思い出す。

一旦渡しておいて、次の日に全額取り上げられるのだ。
そして貯金通帳に入れられてしまう。高校になるまでそれが続いた。
そして高校に入って暫くすると、なにか株を自分で考えて決めろと言う。
そしてある株を買った。その日から株式のコナーを目を凝らしてみるようになった。

子供のころから、両親に玩具を一回も買って貰った憶えがない。
友達の家に行くと、箱に玩具が一杯入っているのを見て、
信じられなかった事を今でもありありと憶えている。
といってお年玉は自分で稼いだ金でないことも確かだ。

株の上達の本を読んだとき、
「まずは種銭をつくれ、それも強い金でなくてはならない。それは自分が
汗水を流した芯のある金でなくてはならない。そういう金でなくては株で利益は
絶対にあげることは不可能だ」これは事業でも当たり前だ。

しかしこの強い金を創るのが一番大変なのである。
父は子供たちに、我慢をしてまず種銭つくりを教えたかったのだ。
お金に対してシビアなのは、実際のこういう教育があったからだ。
実際のところ、金に対してみるところあまりにも甘い。


1660, 「人生の実りの言葉」−1

2005年10月19日(水)


         読書日記

「中野孝次」著の
「人生の実りの言葉」がよい。
その冒頭の「愛」についての言葉が胸に突き刺さる。
愛について、これだけ解りやすくストレートに語っている言葉も珍しい。

まずは、その一説を書いてみる。
 ーーーー
1、愛について

 わたしの誕生を司った天使が言った
 喜びと笑みをもって形作られた小さな命よ
 行きて愛せ、地上にいかなる者の助けがなくとも
                 ウィリアム・ブレイク (著者訳)
 The Angel that presided o'er my birth
 Said, "Little creature, formd of Joy&Mirth
 "Go love without the help of any Thing on Earth"

 わたしがこの詩句を知ったのは、ドイツの作家H・E・ノサックの小説
『盗まれたメロディー』を訳しているときだった。
小説の中ではこれは流行歌の歌詞としてさりげなく出されていたのだが、
わたしはただちにこの言葉の魅力にとらえられた。
こんなに直戟に愛というものの性質を示した言葉があるだろうか、とおもった。

 この詩句の要である”Go Love”という二つの単語を一つにしたところに、
この詩のすごさがあるのである。
一方的な、自発的な、無限の無償の行為としての愛の性質が、
そのことによってくっきりと描き出された。


ノサックはこの詩句の背後にはこんな思いが潜んでいるのではないかとして、
『絶望のむこう側にだけ、ひょっとすると、他人を助ける可能性があるかもしれぬ。』
という章句を書いているが、たしかにそういう冷えきった荒涼たる背景の中から
このほとばしるような命令「行きて愛せ」が発せられたような気がする。


 ブレイクは愛の詩人と言っていい。

 ひとの悩みを見て
 自分も悲しまずに おれようか?
 ひとの嘆きを見ながら
 いたわり 慰めずに すまされるか?
                  「ひとの悲しみを」寿岳文章訳

そういうブレイクの生涯の思いを圧縮した言葉が、ここに引用した
”Go Love”だとわたしはおもう。
こういう言葉は一度心につきささると忘れられないものになる。
そして折々に心のうちに浮かびあがって、われわれの人生をみちびく。
それが真なる言葉の力だ。

ーーーー
以上だが、
この「行きて愛せ」という言葉は実に力強い。
ひさびさに素晴らしい言葉に出会った。
いま一度復唱してみよう

わたしの誕生を司った天使がいった
喜びと笑みをもって形作られた小さな命よ
行きて愛せ、地上にいかなる者の助けがなくとも

・・・・・・・
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2004年10月19日(火)
1295, 地球交響曲 第四番 ー1

先日、BS/TVで、第四番を放映していた。
地球交響曲第一〜第三番は、知人の紹介で(自主公演を)新潟、長岡などの
公共施設の会場で見ていた。
TVでの放映は殆どされてないようだ。

このシリーズで言わんとしていることを要約すると、
ー地球は、それ自体が大きな生命体であり、全ての生命、空気、水、土などが
有機的につながって生きている。
これをGAIAというが、そのテーマを背景に、この地球の素晴らしさ
を紹介していると同時に、環境破壊の実情を提示している。

第四番では、霊性について、以下の4人を通して、地球の賛歌を歌っている。
・ガイア理論の提唱者のジェームズ・ラブロック、
・沖縄の版画家の名嘉 睦稔
・タンザニアでチンパンジーの研究家の ジェーン・グドール
・そして、ハワイのさーふぁー ジェリー・ロペス
である。

第四番(いや、このシリーズで)の内容を要約すると、
ー21世紀は、人類にとって“霊性”(スピリチュアリティ)が求められる時代になる。
“霊性”を持たない人類の営みが、我々人類だけでなく、この地球の全生命の未来を
危うくしている。彼ら4人は、霊性に対して謙虚になるべきと説いている。

彼らの言う“霊性”とは、
「自分は、母なる星ー地球(ガイア)の大きな生命の一部分として、
今ここに生かされている」力のことである。

その内なる“霊性”に目覚めることによって、人は謙虚になり、
日々の出来事に対して、感謝の気持ちを持って対処できるようになる。
見えないものを見る力、聴こえない音を聴く力さえ甦ってくる。
霊性は、まず自分自身を幸せにするのだ。

内なる”霊性”に目覚めるのに、旧来の宗教が必要ではない。
「全ての人の中に“霊性”の芽が必ずある」という信念、
これこそ、“霊性”に目覚める無限の道が開けるのです。

それと、「この“霊性”の芽は、育まなければ開花しない」
“霊性”と“自我”は同じ力の裏と表です。
人間に与えられた最大の特性です。
放っておけば「自分さえ幸せであればよい」に向かいます。
だからこそ、“育む”ことが必要である。
ただ、その為に簡単なマニュアルはない。
なぜなら、“霊性”は究極的には、ひとりひとりが、自分自身の力で、
自分自身のやり方で開花させてゆくものだからです。

21世紀に生まれ育つ子どもたちのために、今の私たちに何ができるか。
「地球交響曲」という映画を通して、世界の何人かの人々の生き方、考え方を
提示し続けたい。

彼らの生き様が、子どもたちの“霊性”を育むのに役立つか否かはわかりません。
ただ、「子どもたちの中に必ず存在する、内なる”霊性”を激励する」という
強い想いを持って、この映画を作り続けている。
必ずしも、直接子どもたちに語りかける、という手法はとりません。
なぜなら、子どもたちの“霊性”を育むのは、映画そのものではなく、
子どもたちの日常に直接触れている大人たちの中の“霊性”であるからです。

このようなビジョンをもって、21世紀最初の「地球交響曲第4番」を
この4人を通して提案している。

ー以上が、龍村仁監督の主張である。
見ていて、ただただ感動の連続の内容であった。
彼らの生き様と言葉が鋭く心に突き刺さってくる。
地球という星に対する愛情、これは神への愛である。

次回は、
ガイア理論の提唱者のジェームズ・ラブロックについて書いてみる。

・・・・・・・
・・・・・・・

2003年10月19日(日)
928, 介護関係の現状

 介護関係の施設や法律を調べ始めて二ヶ月経つ。
一日一日が新鮮な情報が、どんどん入ってくる。
その情報の一つ一つがパズルゲームを解くようだ。

 開発担当のSさんの母親が現在進行中の介護の状態である。
私も亡くなった母親が軽い老人性痴呆症になり、5年間半の介護経験を持って
いる。
この分野には事業チャンスがあるが、立ち上げに時間がかかる上に
法律関係が各省ごとに絡んでいて躊躇する。

 ホテル業に重なるところが多いので、類推が可能なことが利点である。
箱物ー建物と設備とソフトが一体になっている。
そこを一つずつ解きほぐしていけば、意外と簡単なのだろう。
まだまだ全体把握に時間がかかる。

・老齢者専門のアパート・一DKマンション・マンション
・上記の一階に介護業者と食事サービス業者をテナントで入れるもの
・本格的に介護業者を建物の中心に入れて介護を重点にするもの
・3ヶ月までは臨時に介護をするーショートステーのサービスをするもの
・昼だけをみるーデーサービス
・重度の痴呆の老人を収容する特別老人ホーム
などなどである。

 この二ヶ月間、そのタイプの殆どの施設を見てまわってみた。
難しく考えないで簡単に考えないと、頭が混乱してしまう。
ホテルの視点の切口で、参入できるかの見極めがポイントになる。
判断には最低半年から一年近くの情報収集が必要であろう。

 一昨日、柏崎で「結婚式場業者がショートステーに事業転換をする」
という新聞記事を読んで、柏崎の知人の紹介で見てきた。
ブライダルの売り上げが数分の一に激減したため、転業せざるを得なかったようだ。
それでも、決断は素晴らしい。
社長が付きっ切りで説明してくれた。
本格的なもので3億の投資といっていた。
創業社長だから思い切った切り替えが出来たのだろう。

 いろいろ勉強になった。
売り上げの激減に驚いてしまった。
当方の落ち込みなど可愛いものだ。
いま世の中は私の想像を超えた変化が起っていると、この二ヶ月でつくづく
思い知った。
景気の落ち込みと既成の事業の本格的崩壊だ。
 
 捨て身で、狂ったようにリストラー事業構造の転換ーをしないと、
即死をしてしまう事態といってよい。
本気にならなくては生きていけない時代である。
「今更何をいっているのか!」という声が聞こえてきそうだが。

・・・・・・・
・・・・・・・

554, 人生に目的はあるだろか?−2
- 2002年10月19日(土)

ある雑誌に、たまたま数日前に書いた[[人生の目的」について
書いてあった。まさに偶然の一致であった。
京セラの会長の稲盛和夫氏の[[何のために生きるか」
の一文である。
ーー人生の目的とは、心を高めることです。心を純化する。
心を浄化する。人間性を高める。人格を高める。
これが人生の目的です。
波乱万丈の現象に遭遇しながら、その現象に対処しながら、
自分の魂を磨いていくこと。それが人生の目的です。
これを具体的に言い換えると、世のため人のため尽くすことです。
世のため人のため尽くすことが人生の目的と考えてきたが、
心を高めることが、人生の目的であった。

そのために仏教の六波羅蜜の修行をしなくてはならない。
一生懸命に働くことが、利他の心を持つことが、
そのまま人生の目的になるーー

仏教的な人生の目的というところか。
果たしてそうだろうか?奇麗事でしか思えないが。
別に心など磨かなくても、知らずに磨かれているいるものだ。

心の純化などいうことは、汚れているから言いたくなるのではないか。
汚れのない若い乙女に人生の目的など必要ないことになる。
もっとも磨かなければ汚れた小母ちゃんになってしまうか。

今日死ぬ明日死ぬのギリギリの人がこれを読んだら、
そうだそうだといわない筈だ。
戦争で逃げ回っている人もそうだ。
「なにを甘ったるい事を言っていやがる」と思うであろう。

苦しい時に心の修行と思えるのは素晴らしいが。
けっして心の純化だけが目的でないはずだ。

・・・・・・・
・・・・・・・

 [191] 種銭  
 2001/10/19

事業を興そうとした時、まず問題になるのが事業資金である。
俗に言う種銭である!これが硬くないと芯にならない。
資金の芯が甘くなると、事業そのものが甘くなる。
二代目とか婿養子が事業で失敗するのが、それが解ってないケースが多い。

松下幸之助しても、中内功も出発点でそれなりに財産があった。
全くなかったのは私がしっている範囲では、山種証券を興した山崎種三と、
国際興業を興した小佐野賢治と、ニュー大谷の大谷某ぐらいだ。

そのくらい種銭をつくるのが大変で時間がかかる。
20歳の頃読んだ山崎種三の自伝がおもしろかった。

「米屋小僧をしていた時、鼠を捕まえて警察に持っていくと僅かな報奨金が
もらえた。米屋なのでいくらでも鼠がいる、毎日鼠とりで捕まえ警察に持って行った。
親方の許可を得て、その金でヒヨコを買った。落ちている米をヒヨコにやり育て、
鶏から卵をとって、それを金に変えこつこつ貯めた。それを元手で成長しそうな株を買った。
そうしてそれを拡大して株師になり株の取引会社までつくった」

それをよんだ時、ハッとした。
父親が恐らくその話を知っていたのではと思ったからだ。


1659, 北イタリア旅行記−8

2005年10月18日(火)



ー旅行雑感−1

旅行中に、色いろな思いや出来事に行き会うことが多い。
ただ、文章にするには如何書いてよいものかと、切り捨てている場合が多い。
しかし、むしろ面白いのは、知りたいのは、思い出として取っておきたいのは、
その方が多いだろう。

・一人、50代半ばの女性が参加していた。
百回近くは、旅行しているという。
娘の就職を有利にする為に、娘の学生時代に年13回も一緒に旅行に出たという。
プロテニスや、プロ野球、スケートなどの何ママとかパパは聞いたことがある。
(松井や、イチロウ。テニスの・・・・)
一流旅行代理店に入社させるために、旅行に徹底的に連れて出たという話は初めてである。
その努力が実って、めでたく大手航空会社に就職が叶ったという。
本人が、旅行代理店に勤めたかったので、娘にその夢を託したという。

・今回の旅行は、ヴェニスで雨がドリャブリ。
その寒さの為か腰痛になってしまった。
そして帰国後も、その腰痛がさらに悪化してしまった。
もう10日近く経つのに、全然よくならない。

・「欧州の豊かさは日本のゆたかさとは雲泥の差がある」と
バブル真っ只中、当時の東京相互銀行の長田頭取の手記にあった。
イタリアで感じたことは、3000年の歴史の蓄積の豊かさを実感した。
街の教会にしても、公園、家にしても、数百年も経っている。
それがすべて長年かけた先祖からの遺産である。

・どの国もそうだが、北が豊かで、南が貧しい色分けになっている。
イタリアも同じであった。
イタリア人は、自分の出身をイタリアとほとんどいわない。
シチリアとか、トスカーナとか、ローマという。
彼等は数百年もそれぞれの地区が独立国だったためだ。

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2004年10月18日(月)
1294, 県知事選挙ーつれづれ

昨日は県知事選挙。
実のところ、ギリギリまで誰に入れたら良いか焦った。
家内と誰を入れたらよいか消去法をしたところ、全てが消えてしまった。
共産党、社民党、泡沫、泡沫、自民党。
まず自民党を消去、次に社民党、そして共産党、そして泡沫、そして塗れ雑巾の元??、
誰もいないのだ。
今の「公務員型・現状維持・最?知事」で県民は白けている。
そのため、最悪の知事選びの選挙であった。
長野県のように、実際思い切った手術のできる体質とは新潟県は違うのだろうか。

最終的には、まだましな?自民党推薦の候補に結論を出す。
・全国最年少の42歳と若いこと。
・駅前再開発に対して、マイナスにはならないだろうこと。
・大化けの可能性もあると、儚い期待があること。
 が理由である。

そして最終的に、その泉田という候補が当選した。
まあ、決まれば妥当ということか。

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2003年10月18日(土)
927, 「楽しく生きるには」−読書日記

 学生時代の日記帳を見ていて気がついたことは、「人生楽しく」をそのまま実行
していたことだ。その点では今と変わりはない。
 よく読むと、議論をしているか、本を読んでいるか、遊んでいるか、
酒を飲んでいるかだ。これは遊びのセンスと個人主義に関係しているようにも思える。
遊びと勉強の重要性が、この日記の中から読み取ることが出来る。
遊んでいなくては精神のバランスを保つことが出来なかった。
今の楽しい気持ちとは違うようだ。
不安と期待と焦りが大きく背後にあった。

「楽しく生きるは」は誰にとっても、生きるうえで大きなキーワードだろう。
それでは、如何したらそれが出来るかを書いた本があるかというとほとんどない。
小さな既成概念に縛られて、その縄の存在すら気がつかずにストレスになる。
そして中年になって大きな挫折感を味わうのだ。
 
 楽しく生きるといっても、「絶望や諦めの中で孤独に向き合い、真の
自分の求めているものを見つけ出し、それを追求するプロセスを楽しむこと」
をいっているのだ。
ーインターネットで「楽しく生きる」と検索をしたら、何冊かあったうちの一冊が
詳細に書いてあった。
詳細に書いてあったから逆に取り上げたといってよい。
これまで何回も、これに近いことを書いてきた。
 ーーーーーーーーーー
・書名 / 「楽しく生きるのに努力はいらない 」
  副題 / 元気がわき出る50のヒント
  著者 / 池田清彦

・書名 / 「楽しく生きる」
 副題 / 私には「会いたいもう一人の自分」がいる
  著者 / 高橋和巳
があった。
 
 さっそく図書館でー「楽しく生きる」高橋和巳ーを借りてきた。
この内容は後で読書日記で書くつもりである。
「楽しく生きるのに努力はいらない 」 池田清彦はインターネットで、
詳細を惜しげもなく紹介をしていた。
 
 私には個人主義の勧めと受け取れたが。
自分を構造的にとらえて、前向きに生きろということか。
以下はそのコピーである。
・・・・・・・・・
・・・・・・・・・
書 名 / 楽しく生きるのに努力はいらない
  副 題 / 元気がわき出る50のヒント

  著 者 / 池田清彦
  出版社 / サンマーク出版
  定 価 / 1300円(税別) 
  会員価格 / 1235円(税別) 
  形 式 /
---------------------------------------
著 者 プ ロ フ ィ ー ル
池田 清彦(いけだ きよひこ)
 一九四七年東京に生まれる。現在山梨大学教育人間科学部教授。
日本における構造主義生物学の理論家のひとりである。
『正しく生きるとはどういうことか』(新潮社)、
『分類という思想』(新潮選書)、『構造主義生物学とは何か』(海鳴社)、
『科学は錯覚である』(洋泉社)、
『さよならダーウィニズム』(講談社)、
『虫の思想誌』『構造主義科学論の冒険』(講談社学術文庫)、
『科学とオカルト』(PHP新書)ほか著書多数。

ー解         説 ー
 
 あなたの人生はあなたのもの。だから、あなたが決断し、あなたが納得すれば、
それが正しい生き方なのです。人には楽しくないことをしない自由があるのです。
「人には愛する権利はあるけれど、愛される権利はない」「道徳に従うも従わない
も、あなたの勝手」「アホな社会をあてにしないで生きる」など、一見毒のある発
言の中に、楽しく生きる50のヒントを小気味よく提示します。

ー目         次 ー
 はじめにまず、知ってほしいこと

第一部 気ままに、かつ「上品」に生きる

 1 道徳に従うも従わないも、あなたの勝手
  人は他人をバカにする権利、他人を愛する権利などをもっているが、他人にバ
 カにされない権利とか、他人に愛される権利とかはない。
 
 2 親切にされたからといって、感謝するいわれはない
  遅刻した人を待つのは自由だが、その相手に対して怒るのはお門違いだ。遅刻
した人も、相手が待っていると期待するのはいけない。
 
 3 臓器移植は下品である
  人の命は何より大事である、というセンチメントは医療資本に利用されるだけ。
  あなたが死でもかわりはいくらでもいるんだよ。
 
 4 あなたの命はあなたのものではない
あなたの命はあなたが働いてつくったわけでも、自分のお金で買ったわけでも
ない。だから、あなたが勝手に処分してはいけない。
 
 5 アホな社会をあてにしないで生きる
重要なのは、あなたが最もこころ楽しく生きることである。国家も法律も会社
も学校も、そのための道具にすぎず、道具は利用すべきもの。
 
 6 昔の考えに見切りをつける
  夫であれ、妻であれ、職であれ、見切る時には見切らなければならない。それ
があなたの将来を左右するといっていい。
 
 7 人は中途半端に生きて、それでよい新しいことを始めようと思ったら、
  思い立ったその時に始めたほうがよい。何も知らなくとも、何も準備して
  いなくともよいのだ。
 
 8 援助交際はいけないことか
  「援交でも売春でも、したいやつはすればいいじゃん。それはその子の勝手じ
ゃん」というのが、まっとうな女子中高生の正しい答えである。
 
 9 恋愛というゲームで、よいプレーヤーとなるには
  死ぬほど相手が好きだからといっても、そのことによっていかなる権利も発生
しない。ふられても相手をうらむ筋合いはまったくない。
 
 10 セックスは運動である
  あらゆるゲームやスポーツと同じように、セックスにおいても大事なのは果敢
  な判断と見切りである。
 
 11 楽しく生きられるのが、一番重要な才能である
  才能がなさそうなのに、楽しそうに生きている人がいる。世界の見方をちょっ
と変えれば、あなたも人生を楽しめるだろう。
 
 12 美人になれば本当に楽しいのか
  美人も不美人も人生を通して見れば、幸福の程度はさして変わらないかもしれ
ない。そう考えるのが楽しく生きるコツである。
 
 13 天才でなかったことを喜ぼう
  天才には凡人に想像のつかない悩みがあるのかもしれない。その間、あなたは
ノホホンとして人生を楽しむことができるのだから。
 
 14 結婚のメリット、デメリット
  結婚は法的な制度であり、場合によっては足枷(あしかせ)になり、場合によ
っては保護になる。あなたがどちらをより多く望むかで結婚を決めよう。

 15 切なくも苦しい、しかし楽しい不倫の醍醐味
  不倫するのはアホだ、不道徳だ、淫乱(いんらん)だと非難する人は、人間が
わかっていない。不倫は奥の深い文化なのであろう。
 
 16 非日常の楽しみはエクスタシー
  人は脳で快感を感じる生物であり、非日常の楽しみによって生み出されるエク
スタシーは一種の中毒症状を引き起こすのであろう。
 
 17 嫉妬するのは楽しく生きるための出発点
  人はかないそうな欲望にのみ嫉妬する。だから、嫉妬を努力に転化して頑張れ
ばかなうかも。ダメなら、見切りをつけてあきらめる。
 
 18 人生に目的など本当はない
  ボーッとしていることが楽しい人は、ボーッしていればよい。本人が楽しけれ
ばそれでよく、趣味に高尚もヘチマもあるもんか。

 19 検診を受けてオロオロするのは愚の骨頂である
  人間は生きている限り、必ず病気になる。ガン検診を受けるくらいなら、酒を
飲んで遊んでいたほうがよほどましであろう。
 
 20 人は死んではじめて一人前
  人生はいつか死ぬから楽しいのであって、永遠に死なないというのは石ころと
同じで、そもそも生きていることにすらならない。

 21 その日暮らしの快楽があるから、老人は楽しい
  息子の嫁に文句言われても、ヘラヘラ笑い、無一文になった時にピッタリ死ぬ
のが、正しい老人の生き方である。
 
 22 年寄りには、もはや未来がない
  ムチャクチャなことをして死んでしまっても別にどうということもないのであ
る。そう考えれば、年寄りも楽しいかもしれない。

 23 生きがいは、他人に依存しないほうが長続きする
  生きがいが仕事そのものでも、仕事の結果出世することでもいいが、ただひた
すら努力することが生きがいというのは感心しない。
 
 24 人生孤独なのはお互いさまである
人とのつき合いで‘ふり’をすることは大切だ。決して不まじめではない。
‘ふり’をしているうちにだんだん本気になっていく。
 
 25 裏切られるのも人生の楽しみの一つ
  裏切られることがあるのは、あらかじめ覚悟しておいたほうがよい。そうして
おけば、いざ裏切られた時のうろたえ方が違う。

第二部 1プラス1で、2以上になりたい

 26 配偶者は赤の他人である
  親や子はとりかえることができないが、配偶者はいざとなったらとりかえ可能。
  しかし、できればそうならないよう努力しよう。

 27 結婚とは、1プラス1を2以上にしようという契約
  片方だけが一以上を満喫しているなら、不満は口に出すこと。とり合わないな
ら、すみやかに三下り半をたたきつけよう。

 28 浮気そのものは本人の自由だが、契約違反ではある
  しかし、その夫婦が幸せなら、横から口を出すのはヤボの極みというより、犯
罪に近いおせっかいだ。浮気はリスクがあるから楽しいのだ。
 
 29 離婚した相手とつき合うのもステキである
  ともにシングルで自立している。自助努力、自己責任にふさわしい愛のカタチ
の一つではないか。家庭内離婚状態よりはずっといい。
 
 30 赤ちゃんの時はただひたすらかわいがる
  一般的に、人は他人に愛される権利はないけれど、赤ちゃんだけは親に徹底的
に愛される権利があるのだと思う。
 
 31 子供をおもちゃにしていると、必ずしっぺ返しがくる
  あなたの夢を子供に託すな。子供のためという大義名分をふりかざしても、子
供はこころの底であなたを冷ややかに見ているぞ。

 32 あなたの子供は社会の中のワン・オブ・ゼムである
  「赤ちゃんが乗ってます」というステッカーを車にはっているバカ親がいるが
、乗っていようがいまいが他人には何の関係もないんだよ。
 
 33 学校は勉強を教えるところ以上でも以下でもない
  勘違いしている人も多いが、お仕着せの道徳教育をするところではない。そん
な学校なら行かないほうがましというもの。

 34 自立しようとする子供に対し、親は口出しするな
  子供が不良とつき合っていようと、おかしな異性と結婚したがっていようと、
親がやきもきしてもどうにもならないのである。
 
 35 親が財産をどう使おうと、親の勝手である
  親の遺産などというのは元来あてにしてはいけないものだ。それはたなぼた所
得だ。親の心配するふりをして、遺産を心配するな。
 
 36 片親が再婚、あるいは同居を望んだら
  いい年をしていまさら結婚なんて、子供としてはずかしい、といったおためご
かしの意見を言うやつは、馬にけられて死んだほうがよい。

  37 老いた親を見るのは切ないけれど……
  実の親だろうと義理の親だろうと、頭にきたらケンカしていいし、口をきかな
くともいい。ただ、弱ってきたらそれなりの対処は必要だ。
 
 38 寝たきり老人やボケ老人の奴隷になるな
  あんまりわがままを言うようなら、時には死なない程度にけとばしたっていい
のである。生活を破綻させない範囲でめんどうを見よう。

 39 兄弟とは淡々とつき合えばよい
  つれ合いや子供の自慢とかは、あまり度がすぎないほうがいい。金の貸し借り
はご法度。親の問題についてはあいまいにしない。

 40 孫に遊んでほしければ、努力をしよう
  孫はジイサン、バアサンと遊ばなくても楽しいことはいっぱいある。血がつな
がっているからといって、孫がなつくことは絶対ないよ。
 
 41 孫が祖父母とつき合うのはボランティアである
  祖父母の昔話は我慢して聞こう。きげんをよくしておこづかいをくれるかも。
なかなか健全な援助交際ではないか。
 42 愛するということは、他人に迷惑をかけるということ
  お互い求めるものははっきりさせよう。相手に何も求めないといった無償の愛
は、ストーカーと同じ自分勝手な思い込みにすぎない。

 43 恋愛でやけどしないための二番目に賢い方法とは
  それは、きっぱりときれいに別れられること。一番目の方法は、最初から恋愛
などしないことですね。
 
 44 人はなぜストーカーになるのか
  かけがえのない私がここにいると錯覚し、相手がわかってくれないと、パニッ
クになる。国のおせっかい教育がこうした人種を増やす。
 
 45 セクハラする人、される人
  セクハラを強要するほうはもちろん卑怯(ひきょう)だが、
受けるほうもアホである。あとから騒ぐのは騒ぐほうが卑怯である。

 46 みんなで楽しく遊ぶ必要なんて、どこにある?
  好きでもないやつと楽しくつき合おうという建て前が、いじめや‘しかと’
  を 生み出している。友人は数でなく質なんだよ。
 
 47 君子の交わりは淡きこと水のごとし
友人が常にあなたを助けてくれるわけではないし、あなたが常に友人を助けて
やれるとも限らない、ということは認識しておこう。
 
 48 陰口を言われたら、まず相手をほめる
  それでも相手がやめなければ、激しく怒る。怒るのも健康の秘訣だ。最悪なの
はじっと耐えてウジウジすること。これはやめよう。
 
 49 人生は短い。無能な上司とつき合うヒマはない
  仕事の本質以外のところで怒るのが、無能の上司たるゆえん。おだてて動かす
のもいいし、ケンカしてもいい。我慢だけはするな。
 
 50 無能な部下と有能な部下、どっちがほしい?
  無能な部下を使いこなすのが有能な上司。有能な部下を優秀であると認める度
量があるのも有能な上司。つらいけどね。

より詳細は「分類・引き出し」のコーナーの「読書日記」に書いてあります。
ー文字数制限でここまでです。

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553, 基調色
- 2002年10月18日(金)

私に着こなしの事を語る資格はない。
しかし、実質的合理的な着方なら話せる。

背広やブレザーは自分の基調色を決めておく。
背広は細かいストライブの濃紺である。
ブレザーは茶か紺で今は紺だけだ。

背広は7~8年前から、同じに見えるものにしている。
古くなってきたら上下を換えても第三者には解らない。
実際は換えてきたことはないが,昨年は同じ背広を2着買った。

カジュアルのジャンパーやセーターも黒か紺に決めている、
白やネズ色とも合わせられるからだ。

海外旅行ではあまりみっともない着合わせはできない。
ある程度はチャンとした服装でなくてはならない。
欧米人は白と黒を基調にして、あまり派手な色は着てない。

パーテーや外食の時は着飾っているが、昼のカジュアルは質素で
シンプルである。日本人の団体をみると、チンドン屋の集団だ。

自分の基調色の必要性に気づくのに30数年かかった。
基調色を決めておけば、靴下やネクタイや鞄も色を絞るれる。

若いうちは何でも似合うからよいが。
歳を重ねたら、みっともない格好だけは避けたい。
それが色の組み合わせで出てしまう。

最近気がついたが、ネクタイと靴下の色の組み合わせが
重要とのことだ。濃紺なら黒でよいと思っていたが、
ネクタイの色に合わせてもよい。

ネズの靴下を葬式やお歳暮などで貰って履いていたが、
ネクタイを知らないうちにネズの入ってものにしていた。
これは無意識であった。

おしゃれとは本来自分の欠点をカバーするのが目的という。
若い時は長所を引き出すと良い。

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[182] 偽悪
2001・10・18

この言葉を聴いたとき、‘へーえこんな言葉もあるんだ!’と驚いた。
また言葉のもつ深さと魅力もその時感じた。しかしその時はそれ以上深く考えなかった。
そこでその意味を考えてみた。
この言葉から考えられる言葉は露悪、偽善、露善というところか。
善悪はそれぞれの価値のプラスマイナスの表現でしかない。

偽善もしかり、うけるイメージはその価値観のプラスを演じること、いや実際は
マイナスだがプラスに表面を見せておこうという時に使う。
偽悪はその対極にある場合に使う。

その価値観に捉われないために、むしろマイナスを演じる事をいう。
それを意識して演じて、その価値観がいかにつまらない事をジェスチャーして
見せる為にする行為か。


1658, 北イタリア旅行記−7

2005年10月17日(月)


ツアーの楽しみの一つに、普段なら会えない人と会えることがある。
一度会ったら二度と会わないから、気楽に何でも話せる。
共通点は旅行愛好家ということで、お互いの情報交換が気楽にできる。

その中で色いろな人生が、それぞれ垣間見ることができる。
また、私たちも彼らから同じ視点から見られているのだろう。

今回は、北イタリアという場所ということもあり欧州派がそろった。
アフリカとか、南米とか、シルクロードなど殆ど誰もいったことがない。
反面、欧州には隅々まで行っている人達ばかりで、殆ど話がかみ合わなかった。

特に、イタリア愛好家が何人かいて、イタリアへの深い愛情を感じた。
好きなものは好きなのだ。
イタリアに行けば、その理由はよく解る。
ローマ帝国から続いている長い文化が味わいがある。
どの街を見ても深い文化と歴史を感じることができる。

イタリアとは関係ないが、面白い人がいた。
趣味として、デジタルビデオを番組風に編集してしまうのだ。
元映像カメラマンの人で、編集には熟知しているから可能だという。
過去に30本以上も番組として完成して、DVDに収めてあるという。

5~6枚この旅行に持ってきて、ミニDVDデスクで見せてもらった。
奥さんが劇団にいた人で、ナレーターをして共同制作をしている。
NHKなどで放映している海外ものの番組の内容と同レベル?である。

まず映像を編集して、
ナレーションの内容を考え、
バック音楽を選定し、
45分位にまとめ上げなくてはならない。
集中して三週間はかかるという。

それにしても、旅行者として羨ましい限りである。
そのテープを旅行代理店のツアー説明会に提供しているようだ。
代理店にとって、宣伝用の番組をつくるのには数百万円は最低かかるから
それを借りることができれば便利である。
「一人位、ツアーに半額位値引きしてでも?」と、考えるのは私の卑しい考えになる。

何よりも、つくっている本人が一番楽しいだろう。
一度つくれば、コピーは簡単である。
ボランティアとしても、誰からも喜ばれる。
今回も、希望者に送ると全員から住所を聞いていた。

同行のツアー仲間にしてみれば、夫婦のビデオカメラマンを引き連れていったと同じ。
この夫妻にとって、最高のものを与えることで喜ばれ繋がりができる。
自分も楽しみ、そしてそれが因縁のある人達に最高に喜ばれる。
人生の最高の楽しみになるはずだ。
世の中は広いし、人生の達人がいる。

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2004年10月17日(日)
1293, 「閑」のある生き方ー読書日記 −3

「今ここに」を、更に考えてみる。
ー前回では
「空」を時の上から解釈して、「即今」、
 平たくいえば、ーただいまーと解釈した。
 「空」がわかるというのは、その「ただいま」がわかるということである。
 
 この「ただいま」を手に入れなくてはならぬ。
 この「ただいま」を無限そのものだと悟るとき、零すなわち見元の式が成立する。
「今ココニ」を丸ごと心で把握するなら、そこには、
 あとに残る過去も先に待つ未来もなく、ただ永遠の今があるだけということに気づく。
 空と時を合わせて「一念」というほうがよい。
 hereーnow が、それである。
 ーを抜粋し、そして感想を書いた。
 
 今回は、その即今の凝縮した瞬間はどういう時か考えてみる。
 感動、感激、至高体験、歓喜、感謝の時といえよう。
 その瞬間が「今ここ」を実感する時である。
 その瞬間を経験した時、それが永遠に通じている感覚がする。
 それが「永遠の今」である。
 
 感動の時、その瞬間は自分の中に永遠に残る切り取られた時である。
 この経験をするため、この瞬間を経験するために、生まれてきたといってよい。
 それまでの全てを超えた体験する飛躍の時である。
 その「今ここ」は、悟りの世界でもある。
 この中に、感激、至高体験、歓喜、感謝が含まれる。
 いや、これらの言葉の中に、それぞれが含まれる。
 
 「今ここ」は、決してプラスの時だけでない。
 挫折をした時、死を宣告された時、絶望を味わった時、身近の人の死の時、
 等々、あげることが出来る。
 意識の深くに陥ってしまう時といってよい。
 その時は意識は研ぎ澄まされ鋭く自分を切り裂く。
 
 「今ここに」を意識している時は、宇宙の中心に立っている時であり、
 宇宙と直接つながっている瞬間である。 
 
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2003年10月17日(金)
926, 180円ラーメン

 新潟市内で目についた180円ラーメン店に入ってみた。
180円のラーメンと、色いろなトッピングを付けたラーメンと、
餃子とチャーハンのセットがメニューの基本であった。
ー何処のラーメン屋もそうだが。

 特別美味いわけでもないし、といって不味いわけでもない。
ただちょっと食欲の無いときや昼飯に食べるのに丁度良い店である。
近所にあって欲しい店でもある。
ポイントは何といっても値段の安さである。
美味しさの追求が今までのラーメン屋の課題であった。
しかし気楽に食べられる値段に対しての盲点が出来ていた。
不味くもない廉いラーメンを腹を足すだけの目的で食べたい時の方が
実際のところ多い。

 現在ラーメンは500円が相場である。それが3分の1である。
いま価格破壊の波にさらされてなかったのがラーメン屋である。
このラーメン店をBSTVで一ヶ月前に紹介していたのを見たことがあった。
関西系で「ラーメン一番」という名前である。

要約をすると
・目標は1千〜千四百店。
・ラーメンのマクドナルドをモデルにしている。
・この値段で提供しようとしたら、徹底的な機械化と大量出店が必要。
・「金鉱を掘り当てたようなもの」との社長のコメント。
 全国は無店地帯
等々であった。

 そういえば何処かの讃岐うどんの店の関係者が「100円」の讃岐うどんを
メニューに目玉商品として取り入れたら、20�佑稜笋蠑紊殴▲奪廚砲覆辰燭�
話していた。このラーメン屋があちこちに出来たら一般消費者は既存のラーメン
の値段に疑問を持ち始めるだろう!

 いま新規に開店する店は、スーパーセンターやドラックストアー
など価格破壊の店ばかりである。

・・・・・・
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552, 人生に目的はあるのだろうか?
- 2002年10月17日(木)

この年になると人生の仮決算期に入ってくる。
「自分の人生はハタシテこれでよかったのだろうか?」
「人生に意味などがあるのだろうか?
 有るとすればなんだろうか?」

そういう話が最近面白くなってきた。
人生の目的とは漠然と考えてみるとー

・真にしたい事を見出して一生をかけてやりとおす事。
・そして全エネルギーをかけ一瞬一瞬を生き抜く。
・家庭をつくり、子供を育てあげるなど基本的な人生を生き抜くこと?
・誰かが困っている事を事業やボランテアを通して救うこと。
・歓喜を何度か経験して「この生を受けて本当に良かった!」
 と全身で感じ取ること。
・死ぬ時、本当に良い人生を過ごせたと思える生き方。

意味ある人生とは、こういうこと??
知ること、行動する事、創ること、そして愛すること??

これが絶対だというものは無いだろう。
一番良くないのは、人生を生きてきて最後に後悔すること?
倒産や挫折で最後に号泣すること?
それも人生である。

飯喰て、糞して、ただ死ねばよいか!!
意味などクドクド考えるな!この馬鹿!
所詮は自己正当化か!?

これが落ち!
いや違う??

・・・・・
・・・・・

[189] ツアーのプラスとマイナスを考えてみる
 2001/10/17

ーマイナス面ー

・添乗員、エージェンシーの意図のまま、飛行場に集まり、そのまま機上
 のひととなる。

・そのうち外国の街に着く。そこに当地のガイドが待っており、そのグループは
 外国のエージェンシーのガイドにわたされる。
 そしてお膳立てされたホテルにバスで行く。

・翌日から予定表どおり、市内観光に博物館に繁華街に公園へとぞろぞろと行列。

・ホテルでお仕着せの食事をして、そして飛行場まで無事送ってもらい
 成田に帰ってくる。
 
 「ツアーで旅行する人は主体も無いし、知性もなにも感じられない」
あるもの書きの本の冒頭に書いてあった内容であった。
その人は自称ー知性の塊と自認している人である。
慶応の大学院を出て、ケンブリッジの客員教授をしていたそうだ。
日本の一応知性人と自認しているらしい。
ツアーをほとんどしたことがないと思われる。
時間をまとまって取れる立場にいるから、それぞれの立場が理解できない。

ープラス面ー    

・10数年前よりツアーの利用の仕方が全く変わった、進化したのだ。
 ツアーでなくてはできない事、行けないところに行くように変化した。

・使い分けをするようになった。
 添乗員なしで当地のガイドと空港で会い、そして翌日から手配どうりに
 動くパッケージもある。

・アフリカのサファリキャンプは普通の人はツアーでしか危険でいけない。
 ナイロビなどは単独では、数十回の旅行をしていても危険である。
 こういうところは4〜5名でも全く知らないもの同士でサファリができるのだ。
 外国に行ったことがない人でも、ケニアでキャンプができるのである。

・考えられないほど安い金額で内容は詰まっているのである。

・環境からいって一般の人は2週間が、日本から離れられる限度だ。
 その中に如何に安く、価値ある商品パッケージを出せるかが、
 エジェンシーの役割になっている。

 私はツアーが大好きだ。
 ある目的地に行きたいという主旨のもと、全国からあらゆる人が集まる。
 そしてその縁のもと一緒に時を共有し、また別れていくのがよいのだ。

 個人では絶対に行けない、かつ行く気もしない地に、同じ思いの人と行けるからだ。
 一日あたりの旅費をみると、国内旅行と大して変わらない。


1657, 世界の絵画50

2005年10月16日(日)



今回の北イタリア旅行でも、フィレンツェのウフィツ美術館で
素晴らしい絵画を多く見ることができた。
実物を見ないかぎり、その絵画の背後にある意味を知ろうするには
余程のキッカケがない限りできないものだ。

「知識を持って絵をみること」
これを知ったのは、15年前にスペイン・マドリッドにあるプラド美術館で、
日本人のガイドの説明を聞きながら絵を見た時である。
絵の中には、さまざまなドラマが詰まっている。
その画家の技法、思い込み、性格を知ることで、絵が全く違ってみえる。

ピカソの「ゲルニカ」、ベラスケスの「ラス・メニーナス」、
そしてゴヤの「裸のマハ」「カルロス4世の家族」スペイン独立戦争を描いた
「1808年5月3日」など、絵の中にある多くの背景と、隠されているドラマを聴きながら、
初めて知識を持って絵を見ることの醍醐味を経験した。

名画は、画家たちの精神や思索の凝縮したものである。
それが絵画というカタチで、私たちの前に提示されている。
いかなる技法で描かれたか、あるいは画家が作品に込めた思いや、その人となりを知ることで、
はじめて鮮明に私たちの目の前に立ち現れてくる。
それまでは、絵の力や精気から感動を得るだけであったが、この日以来、
絵の見方が全く変わってしまった。

その意味で、この本は初心者にとって理想的な本である。

この歳になって、やっと知りえることがあまりにも多い。
年齢を重ねることは、前を向いているかぎり
堰が切れたように好奇心が旺盛になる。
自分を鳥瞰できるようになるからだ。

ー目次

1 誰の何という絵か言えないと恥ずかしい名画
2 見る者を神話・宗教の世界へいざなう名画
3 美術史のターニング・ポイントとなった名画
4 歴史と人間の営みをいきいきと表現した名画
5 画家の心象風景がリアルに伝わってくる名画
6 独創的な色づかいとフォルムに圧倒される名画

著者名:佐藤 晃子
出版社 :河出書房新社
出版年 :2005.07

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2004年10月16日(土)
1292, 随想について

 随想日記を書き続けていると色いろな事に気が付く。
 結局は、随想とは自分自身のこと、それも自分でしか書けないことを
 表現する、自分の物語である。
 
 もともと日記と随想は違うもの。
 日記の対象は自分であり、日常の出来事や気持ちを書き残すものであり、
 随想は第三者を想定して、それに合わせて書き下ろすものである。
 その二つを重ねた随想日記とは、矛盾している。
 実際は「毎日書く随想、あれこれ」という意味である。
 いや、日記にテーマをつけて書いていたのが、随想的になっただけである。
 
 日記としては、この随想日記に書いてある「22歳の日記」が、理想に近い。
 時系列に、その日の出来事と気持ちを正直に書いている。
 当時はただ、自分をコントローズをする為に本能的に書いていた。
 友人と議論した内容や、ちょっとした社会現象に対する意見や、
 読んだ小説や本の感想が書いて置けばよかった。
 当時、何故書いたか、その動機を憶えていない。
 
 それに対して随想は、第三者に向かって自分を表現する物語である。
 読んでいるほうは、実際こんなに面白いものはないだろう。
 ふつう経験できない個人の心の奥底に入り込めるからだ。
 
 文章は飾り立てても、その飾り立てている姿が出てしまう。
 正直に書くしかないし、そうでなければつづかない。
 飾り立てても今更というのが、書き手の立場である。
 
 毎日テーマをたてて脳の奥底を書くかというと、
 「未来の自分という読者と、まだこの世に存在しない子孫をも意識している」
 からである。そう思って書いていると、魂が入る。
 「今ここで」が、そのまま入魂になるからである。
 
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2003年10月16日(木)
925、「おん宿かわせみ」

 ホテルのフロントにたっていると、色いろな人生垣間見みれるという
一宿一飯のサービスと部屋貸しの商売である。
色いろな人が泊まっているのは当然である。
7割がリピータで、何らかのカタチでその人の事情が見えている。

 年に2~3回は、当ホテルの通報で犯罪者が逮捕される。
フロント内に指名手配の写真が数枚張ってあるのだ。
その功績で表彰状と金一封ー5千円を貰ったことがある。

 一月ほど前は広島の詐欺師で、通報をしたら7~8人の刑事が来て連行
していった。
ホテルからの通報ということを知らさない為か、違う捜査で
各部屋を調べているように装って、偶然みつけたようにしていた。
お礼で3千円ほどのケーキを貰ったが。
 
 ロシア人を捕まえようとしたら、一瞬の差で窓から逃走してしまった
こともあった。
大体が、通報があった場合、外に出てくるのを待って逮捕する。
こういう時代のため、最近は得体の知れない人が10人前後はいる。
どう見ても泥棒としか思えない人もいるという。
あまり派手なたちまわりはない。
誰もそうだが、自分の居場所では大人しくしているものである。

 三日前には、5月2日より長期で泊まっていた老人が部屋で亡くなっていた。
偽名で泊まっていたが、警察が所持品で調べたら身元が分ったという。
家出をしていたらしく、親戚が三人駆けつけてきた。
最近になり身体全体が浮腫みはじめていて、コンビニに一日一度出かける
のも大変そうだったという。
推測するには、癌か何かの宣告を受けて死を覚悟で家出をしたのではと?
どういう気持ちで泊まっていたのだろうか。

 死は直視することはできない!

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551、「エッ、嘘だろう!」−2  
- 2002年10月16日(水)

 本当かいな???「ビジネス客数56�邑此�!」
「観光白書」の宿泊数の激減の実体をみて驚いた。

2001年度の国内宿泊は前年に比べて、「マイナス17�諭廖�
その中のビジネス宿泊は何と「マイナス56�諭廚箸いΑ�

 ビジネスの宿泊が、一昨年の1億5700万人から6800万人に激減、
正しく壊滅と言ってよいだろう。
今年度も減少が続いている。そうすると3分の1以下である。
現場からは、「この数年背広を着たお客が激減をしており、
数分の1以下」という話しを聞いていたが、白書で実際の数字を聞いて
現場の話しが裏づけられた。

 その代わり関東圏を中心とした建設関係の現場の作業員の小団体や、
得体の知れないセールスグループが多く泊まっているという。
新潟市内は現在のところ再開発やSCの工事が多い。
下請けは今や地元より全国レベルで集めてくる。
その団体が泊まってくれるのだ。今や作業現場では泊まらない。

 当方は勝ち組みで、昨年は2�佑慮困悩僂鵑澄�
しかし全国的の実際の数字は、マイナス56�佑寮こΔ任△辰拭�
チホウ銀行の態度が全く変わったのは、あくまでもその一員と
見た為であった。
その不自然の態度が昨日の情報でやっと解った「なるほど!!!」

 日本の経済が壊滅の状態というのも決してオーバーの表現でない。
負け組みなら前年比マイナス70~80�邑困寮こΔ世蹐Α�

 こういう情報はマスコミには載らない。
戦略の一つにコスト力が最大の課題になっている。
当社の強さはコスト力である。
こうなった時に強さを発揮できるのが救いである。

 今日のテーマ「エー、嘘だろう?」が
これから多く出てくるのではないか?

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[188] 愛犬、コロー   
2001/10/16

 犬ー子供のころのペットは懐かしい。
猫がいて猿がいて、犬のコロがいた。

 初代コロである。
白と茶と黒の混ざった雑種のムクイヌみたいな犬であった。
一番のおもちゃと同時に友達みたいであった。初めて出会ったころは私の
6歳の頃か。
少し頭が悪く、人がいい?ところがあった、当時は放し飼いで、
時たま行方不明になったりした。近くの高砂園というお茶屋の犬がライバルで、
喧嘩ばかりしていた。家族にも従業員にもお客にも、愛されていた。
最後は病気で死んだが、ペットといえば一番印象に残っているのがこのコロで
ある。

 次のコロは、長岡駅駅裏に10歳の頃住んでた時、前の家主の飼っていた犬であった。九州に引っ越した為、そのまま飼っていた。
細い茶色の猟犬のメス犬で、家付きの犬のせいか陰のある犬であった。
猟犬のため鼠をよく獲っていた。この犬はよく子供を産んでいたが、捨てにいった後一晩中啼いていたのを思い出す。4年後に交通事故で死んだ。

 よくしたもので、その直後小さな柴犬が紛れ込んできた。恐らく逃げ出したのだろうが、愛想ががよくそのまま居つき、10数年後行方不明になった。
学生時代、夏休み等の長期休暇の暇つぶしに、石灯籠に飛び乗る芸当を
教え込んだ。
その犬を散歩に連れて行ったら、橋の欄干に自分で飛び乗った。そのまま彼女の芸になった。

 結婚後は家内がペットが嫌いで飼ってない。


1656, 吹き来る風が私に云う

2005年10月15日(土)



 帰 郷      
       中原中也


  柱も庭も乾いてゐる

   今日は好い天気だ

       縁の下では蜘蛛の巣が

心細そうに揺れている


  山では枯木も息を吐く

    あゝ今日は好い天気だ

       路傍(ばた)の草影が

       あどけない愁みをする


  これが私の故里(ふるさと)だ

    さやかに風も吹いてゐる

       心置きなく泣かれよと

       年増婦(としま)の低い声もする


  あゝおまへはなにをして来たのだと・・・・・

  吹き来る風が私に云ふ


生まれ故郷に帰った中也が、
自分に向かってつくった歌である。
何か万人の心の声といってよいだろう!

ほんとうに、オイお前なにをして来たのか?
自分の人生を生きてきたというのか?
これでよかったのか?

だれもが、この気持ちを持っているだろう。
私など、何回思ったことだろう。
そして、次の言葉で、その言葉を打ち消す。

ー仕方がないじゃないか、精一杯やったじゃないか。
これしかできないのも自分。
まあ、いいや。

と。

中原中也の詩は、悲しい。
しかし、悲しみを慰めてくれる。

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2004年10月15日(金)
1291, 「元気の出る言葉」ー5

ーどん底からはい上がるコトバー2

■やりもせんで、できんというな。
(by 堀之内九一郎)
 一言〜若いうちはね〜
■見返りを求めるな、そうすれば行動は制限されない。
 一言〜解からない
■打ちのめされるような人生の経験は、もっとも豊かな報いをもたらし得る。
 一言〜「           」
■自分について知ることは貴重であり、欠かせないことです。
 それは、危険な楽観主義とともに、陥りやすい失望を避けさせます。
■機会を待て。だがけっして時を待つな。
(by ヴィルヘルム・ミュラー)
 一言〜何々、何々?何々!チャンス?呼吸?
■自分の中に奇跡をおこせ。
(by 大越俊夫)
 一言〜まあ、いいか!何おかいわん
■行動は感情に従うように思われているが、実際には行動と感情は同時に働くのである。
 意思の力でより直接的に支配されている行動を規制することによって、
 意思に支配されにくい感情をも規制することができる。
 つまり、快活さを失った時、他人に頼らず自発的に快活さを取り戻す秘訣は、
 いかにも楽しそうな様子で動き回ったり、しゃべったりしながら、
 すでに快活さを取り戻したように振舞うことである。
(by ウィリアム・ジェームズ)
■一貫したものは環境においてでなく、自分みずからのうちに求めよ。
(by ゲーテ)
■高尚な目的をもたぬ魂は、舵のない船のようなもの。
(by アイリーン・キャディ)
■転んだ人を笑うな、彼らは歩こうとしていたんだ。
(by 米倉誠一郎)
 一言〜笑っている人は、歩けない自分に苦笑していることに
 気が付いてないんだから!
 それが自分の姿でもある。 
■成功は目的にではなくその過程にあります。
 楽しみの半分はそこに行き着くまでにあります。
(by ギタ・ベリン)
 一言〜旅と旅行の差をいっているだけじゃない?
■それまでに経験した失敗は、人生観を見出すための月謝と思えば、安いものだ。
(by 堤康次郎)
 一言〜それが人生の最終に来るから、安いといえなんだよ!
■雨だれが石を穿(うが)つのは、激しく落ちるからではなく、何度も落ちるからだ。
(by ルクレティウス)
■勝つは負ける日の初め、負けるはやがて勝つ日の初め。
(by 吉川英治)
 一言〜 ・・・・・・・
■これからを信じれば、今の過ちは許せる。
 一言〜これで禁酒、禁煙を失敗するんじゃない?
■いちいち、「うそ」や「まちがい」をほじくりだして、無視できないひとがいるが、
 成功のためにそれは無駄なようである。
(by 船井幸雄)
 一言〜この人へのコメントを敢えて書く
   フニャ〜!
   
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 2003年10月15日(水)
924, アイスランド旅行記ー4

ーつれづれに雑記

・ツアー仲間の話は書いていて面白い反面、物悲しいことが多い。
今回は同じバスではなかったが、痴呆症?の65歳位の女性の話である。
アイスランド最終日に初めて気がついてのだが、そのバスの同行者数人が
面倒を見ていることに気がついたのだ。
それから注意してみていると、全ておかしいのだ。
目が虚ろ、いつも誰かに質問をしているのだが、その結果が違うことをしている。
羽田に着いて、モノレールに乗る時も質問をしながら、結果として違う行為を
していた。まあ人生そのものだが。
帰りの列車で、独り考えてみたら凄い人であったということだ。
軽い痴呆症の人?が独りツアーに参加をして、ちゃんと帰っていったのだ。
決して軽蔑をして言っているのではない!
意志があれば何事も可能ということである。
そこに、その人の人生が全て現れているのだ。

 前回の添乗員がある話をしてくれた。
車椅子の人を家族の人が連れてきて、たった一言「お願いします!」といって、
逃げるようにして帰っていったという。結果としてツアー仲間が最後まで全員
協力しあって無事帰ってきたという。
痴呆症のオバアチャンもあったという。これも全員が最後までみたという。
今回は隣のバスで明らかに同じケースであった?!。
 
・色いろツアーに参加したが、添乗員の面白い人に出会う。
「ヌーの河渡り」の添乗員が、自分がホモと酒を飲んで告白したハプニングが
 あったり、元大手銀行員の経歴の持ち主であったり。
 今回の添乗員が飛びっきり面白い人であった。
 若い女性なのだが、お嬢様なのか、ただバカなのか?
 全て自分のレンズを通してクドクド説明をして話すのだ。
 お客は親位の年齢で、こういうツアーに参加しているレベル。
 何でも解っている相手ということが解らないらしい。
 まず結論を言って、その結論に沿って、その説明をするのが添乗員の当たり前の
 世界と思っていたが、初めから最後までその逆をしているのだ。
 全員がイライラしているのが解る。
 そして全て自分本位を、そのままお客に知らずに出してしまっているのだ。
  しかし良い点もある。「何々でございまーす!」と最後に歌うように鼻声を
 はりあげるのだ。そしていつも現地ガイドと大声で笑って話しているのだ。
 イライラもその声で、ガックリして怒りを忘れてしまう。
 まあしようがないかという諦めを押し付けてしまうのだ。
 これはノウハウであろう。
 
 旅行は普段会えない人に会えるのがよい。

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 550, ビールの飲み方
 - 2002年10月15日(火)

ベトナムに行った時の話だが、朝から晩まで中華系料理。
昼飯も、どうしてもビールが必要になる。
一本なら良いが、異常な暑さの為どうしても二本飲みたくなる。
もちろん350mlだが、脂系の食事のため二本を飲むと
腹の心配になる。

そこで考えたのが、コップに一口分(5分の1)
をついで、ゆっくり味わって飲む事だった。
それが美味しいのだ。少ないビールを味わって飲んだからだ。
その後は全くその事を忘れていた。

先日、図書館で池波正太郎の「男の作法」という随筆集を借りた。
その中でビールの飲み方が書いてあった。
「一口づつ、その都度ついでイッキに飲むこと」
なるほどと納得をした。それと酒飲みの底の深さを改めて知った。

私の場合はそれさえもユックリと飲む事だが。
量の制限がない時も、少量を一気に飲むのも悪くない。
その都度接ぐのが面倒だが、そこを習慣をしてしまえばいい。
ケチクサク見えるだろうが,美味く粋にのむ為だ。

日本酒をお猪口をひっくり返して底についで飲むのが安くて酔うのは
知っていたが。

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[187] 強い人    
             2001/10/15
 私の周辺に非常に強い人がいる。
何を持って強いのかと難しいことは横において、
そういう人を観察してみると、10歳位までに両親の愛情をたっぷり注がれている。
逆に弱い人はその時期、両親の不和とかで愛情が中途半端な人が多い。

 精神の柱が愛情で出来ているのではと思われる。
そういう人は、明るい、暖かい、さっぱりしているが反面,我侭だ。
人生の何かを教えられる。

 そこで自身は如何であろうか。
少なくとも10歳までは、多くの人にたっぷりそそがれたことに氣づいた。
両親からはベタベタしたそれでなく、間接的な絹木綿的な感覚の愛情であったようだ。
やはり直接しっかりとじかに愛情を受けた人は違う。

 愛情のなかで親の愛情ほど、強いものはない。一番の自我愛だからだろう。
だからその子は我侭になってしまうのだろう。
子供にとって両親の不和ほど不幸の事はない。
子供に対しては絶対愛と夫婦愛の両輪が必要という事か。


1655, 北イタリア旅行記−6

2005年10月14日(金)



 イタリア三大巨匠
ーダ・ヴィンチとミケランジェロ、そしてラッファエロー

このイタリア旅行までは
フィレンツェの「ウッフィッツェ美術館」の存在を知らなかった。

この美術館にはイタリア美術史に燦然と輝く名画が勢揃いしてあり、
本などで馴染みのある絵画を次々とみることができた。

・ボッティチェッリの「春」「ヴィーナスの誕生」
・ミケランジェロの「聖家族」
・レオナルド・ダ・ヴィンチの「東方三博士の礼拝」「受胎告知」
・ラッファエロの「ヒワの聖母」
・フィリッポ・リッピの「聖母子と二天使」
などなどである。

特に印象的だったのが、
ダ・ヴィンチの「東方三博士の礼拝」である。
この絵は下書きの未完のものだが、「モナリザ」「最後の晩餐」に
匹敵するもである。

また、ボッティチェッリの「春」と「ヴィーナスの誕生」が素晴らしい。
「春」を壁紙のHPよりコピーして一ヶ月位パソコンの背景画にしていたので、
非常に身近な感覚で観ることができた。

地元の女性ガイドが絵画の説明の中で、同時代に生きたダ・ヴィンチとミケランジェロ、
そしてラッファエローの三人の関係を解りやすく説明してくれた。
特に、ダ・ヴィンチとミケランジェロの人間臭い対立のエピソードが面白い。
それぞれの絵画の中の意味を知れば知るほど、その奥行きの深さが伝わってくる。
きしくも、三巨匠にボッテェチェリーなどが同時代にいたことが不思議である。

「旅は肯定である!」と、何かの旅についての随想にあった。
ー旅は、肯定するためにある。
ときにおこなう否定もまた、肯定の一種なのだ。
人間は、存在そのものが「!」であり、肯定なのだ。−

全くそのとおりであり、これは人生にも通じることである。
如何なる場合でも、人生は前向きにあらねばならない。
憎むためでなく、愛するためにある。
苦しむためにあるのではない、楽しむためにある。
疲れたら、休めばよい。急ぐことはない。

旅行は、そのことに気をつかせてくれる。

             つづく

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 2004年10月14日(木)
1290, ダイエーが再生機構活用!

一昨夜、自宅の近くにあるダイエーの紳士売り場と、靴売り場を見て驚いた。
売り場に商品が、あまりに少ない。
債権が焦げ付く可能性があれば、メーカーや問屋が商品の納入はしない。
まさに末期現象と思っていた。ところが、
昨夜のTVのテロップで、「ダイエーが再生機構を受け入れる」と
臨時ニュースを流していた。
これで、解体、売却の手順が踏まれることになる。
一つの時代の終わりの象徴といってよい。

学生時代、ダイエーが流通革命の旗手として飛躍を始めていた。
チェーンストア理論を売りにしていたペガサスクラブの優等生であった。

グループとして、解体過程に入っていたが、これで本体も売却か、解体に入る。
ジャスコ、ヨーカ堂が生き残り、ダイエー、西武流通グループ、マイカル、
長崎屋、ヤオハン、九州の雄の寿や、などが消滅することになる。
多角化を経営方針にした会社が、消滅していったのが印象的である。

話は逸れるが、この文章の下地を書いている19時のNHKのニュースで
西武鉄道の堤義明オーナーが、全てのグループの役員を辞任、
プロ野球の西武のオーナーも降りるという。
巨人のオーナーが辞めたので、堤が辞めれば更にプロ野球は一変する。
リストラこそ大事な時に、肥満の方向に逆流するのだから、
±プラスマイナスの両方ではなく、マイナスである事は間違いない。
西武も売却の可能性がでてきた?
勝ち組、負け組みとかいっていられない時代になってきた。
堤義明の場合、逮捕されるかどうかの瀬戸際の大問題になる可能性がある?
そうじゃなくては、全てのグループの役職を降りるということはないからだ?グループで上場廃止になる会社が幾つかある。
大問題である。いずこも大変な時代である。

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2003年10月14日(火)
923, アイスランド旅行記ー3

 ーオーロラハントー
 数年前に、ノルウエーのトロムソにオーロラハントに行ったことがあった。
その時は「何だこんなものか」という程度で、期待とは全く違うものであった。
薄い雲がスジ状に光っているだけであった。だだ行きの飛行機から見たオーロラが
カーテン状に広く光っていたが。

 今回も5日間で一日しか見えるチャンスが無かった。
夜になると寒くなる為か曇ってしまうのだ。
感動するような大きなオーロラのはそうそう見ることができないのだ。

 そしてたった一回だけの私にとって一生もののオーロラが出たのだ。
天空に展開した時の感激は、想像をしていたより遙かに神秘的かつ荘厳であった。
写真など撮っている余裕など無く、ただ呆然と見とれるだけであった。
これをどう言葉で表現したらよいのだろうかと考えていた。

 天空の黒をキャンパスに、滝が降るように頭上の両側に壁になり揺らぐ青白光の
波がこの世のものと思えない、神秘的なものであった。。
あとは「 ・・・・・  」である。

 取材できていた共同通信社のカメラマンが、
「このオーロラをどう東京の友人に説明したらよいか解らない」
と私に話しかけてきた。
「これは実際、この目で見るしか理解はできないでしょうね」
と答えるしかなかった。
その時、涙が出そうになっていた。

 以前ツアー仲間から、この体験談を聞いたことが何回もあったが。
「もういつ死んでもよいと思った!」
「聞くと見ると大違い、実際見なくては!言葉で表現できない」
それを聞いて、「ちょっとオーバーではないか?」としか思ってなかった。
しかし、この言葉の意味が実際見て初めて解った気がした。

 あと一度見たら、アフリカの大地のように完全にハマってしまうだろう!
 
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 549,「宣戦布告」
- 2002年10月14日(月)

 先日、映画の「宣戦布告」を見てきた。
北朝鮮の拉致事件の帰国も迫っていることもあり、
迫力と現実味のある面白い内容だった。

「日本海沿岸の海に,一隻の国籍不明の潜水艦が海岸近くで座礁した。
浮上した潜水艦からは、戦闘服に身を包んだ男たちが出現、
夜の闇の中に姿を消していった。−−そんな中からかって無かった
未曾有の緊急事態に見舞われる。
そして、今の法律では北朝鮮の戦闘員に発砲すら許されない。
追い詰めるが、一方的に射殺されていく。
そして全面戦争への危機に発展していく姿」をまねいている。

 この危機状況は、現実に起きても不思議でない状況である。
スターリン時代のソ連が、プチの状態で存在しているのが北朝鮮である。
その現実と平和ボケの日本をこの映画はいいたいのだろう。
日本も北朝鮮に似ているのが皮肉だ。
日本の官僚は北朝鮮のそれと全く同じといってよい。
巧くカバーしているだけだが?

 今の経済危機の状況にも酷似しているのが不思議でもある。
相手はアメリカでしかないが??!!
非常事態にも、その危機状況に気がついてない政府と官僚の姿がそこに
あった。

 明日にも拉致をされた5人が帰ってくる。
そのうちの3人が新潟県で拉致をされた人だ。
その姿を見て世論が沸くだろうが、景気にマイナスにならないかと
心配だ。そこにある危機を実感するからだ。

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[186] 野村と円楽    
 2001/10/14

 10年前の話になるが、新潟の大蔵ホテルで野村と円楽の講演会があった。
メインが円楽で前座が野村であった。もちろん私も円楽がまず面白そうで、
野村も面白いのではと期待していった。
まず野村が出てきた、そして黙って会場を見渡し、ニヤッと笑い、
「大部分は女性ですね、私の話なぞ如何でもよいと思っているんしょう。
円楽の刺身のツマぐらいと思ってるのでしょう」実際そうでだったから、
ザワツイテイタ会場はシーンとなってしまった。その瞬間に野村のペースに
聞き手をのせてしまった。

ー要点はー

・自分は投手の練習用のキャチャー「壁」として採用され

・数年後解雇を言い渡された・丁度その時父親が癌になっていた

・直接上司と掛け合い絶対に辞めないと粘りかろうじて首を免れた

・そのぎりぎりのところでどうしたら一流になれるか考えた

・一流の選手は持って生まれた天性ある、努力だけでは埋めがたい差がある

・そこでぎりぎりのところで、どうしたら一流になるための方法を考えたー頭を使ったー
 
 等々、底から這い上がってきただけに、一言一言が経験のうらずけがあるため
説得力があった。
また彼も浪人の真っ最中の状態で、話に力が入っていた。
今までー王、広岡、森と講演を聞いたが、野村だけは底から這い上げって
来たためか、ずば抜けた内容があった。

その日の円楽の話も力が入っていたが、所詮噺家の内容はしれたもの、
しらけた会場の空気が漂っていた 。
さすがキャチャー、瞬間その場を雰囲気をとらえ、自分のペースに捉える術。
今でもありありと憶えている。
キャッチャーは9人の選手のうち、一人だけ逆方向を見ているのだから。



1654, 北イタリア旅行記−5

2005年10月13日(木)


ーチンクエテッレー

この意味は、「5つの島」という。
海岸線に突き出た小さな島が5つあり、その小高いところに張り付くように
家が建てられており、その家々にカラフルな色が塗ってある。
漁民が船で帰ってきた時に、自分の家を識別できるように好みの色を塗りつけてあり、
それが何ともいえない風情がある。

その岩場に細い散歩道が百数十キロ続いていて、ウォーキングができるようになっている。
その近くを、やはり列車が通っていて5つの村に駅がある。
(線路沿いに散歩道をつくったといったほうがよい)
疲れたら、近くの駅から次の駅に行くこともできる。
ただそれだけであるが、島ごとにそれぞれに味わいがある。
その近くの昼食のスパゲッテと海鮮料理が絶品であった。
朝獲れたばかりの魚料理で美味しくないわけがないが。


ーミラノー

飛行機の関係で初日と最終日に行ったミラノがよい。
世界を代表するファッション、そしてイタリア経済の中心地であるとともに、
オペラの殿堂スカラ座や、ブレラ美術館など芸術の街としても有名。

・ドオゥモ
しかし何といっても、ミラノといえばゴシック様式ドーモである。
その内部も印象的であった。
特にステンドグラスは1400年代にできた世界最高のものというだけあって、
鮮やかであった。ちょうど太陽の光を受けて光り輝いていた。

またエレベーターで上がってみた屋上の景色は、身近に多くの彫刻の像と
ミラノの街を一望できた。
この屋上からの景色も、イタリアの数ある名所の中でもトップクラスに
あげられるというのが肯けた。

1386年に当時の領主が聖母マリアに捧げるために建設された。
何と500年近くの歳月をかけて建てられたものという。
荘厳な雰囲気と威厳に満ちて、見るものを圧倒する。
その最大の特徴は、天に延びる135本もの像塔、柱や壁に3500体の
彫像があり、近くで見ると、一つ一つの表情が異なり、リアルな描写に
驚かされる。
その中央の尖塔の頂上には「黄金のマリア像」がそびえている。
この愛の女神にミラノの再訪を祈ると叶うという。


・最後の晩餐
ミラノといえば、サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会にある
ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」の絵画である。
今回の旅行では見ることができなかったが、学生時代に見た記憶がある。
この絵は「リアルな人物達の表情」がポイント。

ダ・ヴィンチはキリストが言葉を発した、その劇的な瞬間を題材にして
この絵を描いた。キリストの言葉に対して、12使徒のそれぞれの反応を、
顔の表情、手や体の動きでリアルに表現した。
この画面の中には、緊張、悲しみ、苦悩、戸惑い、恐怖など、さまざまな
感情が描きだされている。

また、この絵の中には人物以外にも静物画としても、見ごたえがある。
テーブルに置かれている食器や食べ物の質感なども緻密に描いてある。
テーブルクロス、パン、食器、ワインなどである。

いま一度、見たかった絵画である。
人生は一期一会である。

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 2004年10月13日(水)
1289, 「元気の出る言葉」ー4

ーどん底からはい上がるコトバー1

どれだけ、どん底で先人の一言で励まされたことだろうか。
「元気の出る言葉」シリーズの中で、やはり胸を打つ言葉が多い。
読んでいて思った事は、実際あの時、果たしてどん底だったのだろうか?

今回の一言は、特に気持ちをこめた。
正反合の反という意味で、後で読んだときの思いが合になる。
第三者の視点も合になる。
  
  ーー

■心配すんな、どうせ死ぬんだ。
(by 軌保博光)
 一言〜それが解かってないから心配するんじゃ!
 でも、死ぬことを常に忘れるな、そこから自分の人生を見つめよという点で
 良い言葉だ。
■自分だけは自分の潜在能力を信じてあげろ。
(by 高橋がなり)
一言〜現在という瞬間の継続が、潜在への入り口だ 。
■時間が迫ってきて、追いこまれて、
「もうできるとかできないとか、そういう問題じゃねえ、とりあえずやるしかねえ」
 って決心した途端に、一軒目が決まる。
(by 高橋歩)
一言〜本当?
■「わくわく」センサーに従って、進路をズバッと決めてしまうこと。
(by 高橋歩)
■今がんばらなければ、いつがんばる。
(by 藤田晋)
■ぐちだけは、言わんとこうな。
一言〜愚痴か〜 、一人で布団の中で泣くのとどっちがよいのかな〜
■人生は10段変速の自転車のようなもの。
 自分が持っているものの大半は使ってない。
(by チャールズ・シュルツ)
一言〜一段だけの人もいるんだよな〜
■なんのために生まれてきたのか。答えは1つ。
 生まれ変わるため。
(by 中谷彰宏)
一言〜うん〜〜〜?!
■乗らないと損だと思える提案をせよ。
(by 神田昌典)
■自己実現とは、今の生活を最大限に充実させて満足を感じる能力だ。
(by アブラハムマスロー)
■努力した人ほど運が良かったと言い、
 努力が足りなかった人ほど運が悪かったという。
 一言〜そういうものだ!
■強いって事は泣かないことじゃない。
 泣いてもまた笑えること。
 一言〜泣き笑いが一番
■どうにもならない事って、きっとどうでもいい事なんだよ。
 一言〜そう思うのが一番
■しっかりした知識より、土壇場での経験値のほうが役にたつ。
一言〜これも何ともいえない!しっかりした知識も大事
■自分で思うほどダメじゃない。
(by 中谷彰宏)
一言〜自分って、自分が思っているよりダメなのかもしれない!
■やれなかった、やらなかったどっちかな。
(by 相田みつを)
一言〜両方
■最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き延びるでもない。
 唯一生き残るのは、変化できる者である。
(by ダーウィン)
■それが何と書いてあるのか何が言いたいのか。
 もちろんそれも大切だけれども、それよりも大切なことは、それを読んで
 自分が何を感じ、どう思ったか、どんな風に考えたかなんだよ。
 一言〜それで、これを書いているが、バカ丸出しになっているんだよな〜。
■好きなことをやって生活が成り立たないのに、
 嫌いなことをやって生活が成り立つだろうか。
(by 石井裕之)
一言〜好きと嫌いは裏表だから、この人解かっていっているのかな〜
 それとどうにもならな事があるの!人生には。でも、建て前も大事だよ?
■判断力は下積みのころに培われるもの。
(by ユースケ・サンタマリア)
一言〜決断力の方じゃないか? 
もちろん、屁理屈?
■倒れるなら、前に倒れた方が、起きあがる時楽だよ。
 一言〜楽とかいう問題じゃないんだよ、ほんとう!
 訓練と、必死に二つが絡んでしまうから!
■自分の欲しいものが何かわかっていない奴は、欲しいものを手に入れることができない。
(by 村上龍)
 一言〜何いっているのかナ〜この男!
 わかんな〜〜い。
■与えられているのは時間ではない。それは瞬間である。
 与えられている瞬間で時間を作るのはわれわれである。
(by G・プーレ)
 一言〜ホント?嘘だろ!!
 一期一会、今ここに、と納得しながら何か酒乱の失敗の経験があるからな〜!
■名案とは、やる気になった手法である。
 一言〜屁理屈!でも、全て屁理屈だから、何ともいえないか?
■できない人はできない原因(なぜできないか)を語り、
 できる人はできる真因(なぜやり遂げたいか)を語る。
 一言〜その人、程度の低い人でないのか?
 自分がそうだからといって、真実を曲げない方がよいか。
■生きることで老いる人はいない。
 人生に興味を失うことでのみ老いるのである。
(by マリー・ベイノン・レイ)
■私が普通のエリートになったとしても、代わりはいくらでもいるからね。
(by 土井香苗)
 一言〜何いっていんか解からない?
 普通の人が良いといっているのか?なるなら、
 それを超えたエリート(真に好きなことをする人)を言っているのか。
■成長するチャンスの時には、
 前に出て、どんどん失敗してください。
 どんどん怒られてください。
 恥かいてください。
 壁にもぶち当たるでしょう。
 まっすぐ歩いてるんだから、壁にぶちあたって当たり前です。
 壁にぶち当たらない人って、逃げて逃げて逃げまくっているんですよね。
 どちらの人生をあなたは選びますか? 
 私は、ど真ん中を歩きたいと思います。
(by 山近義幸)
 一言〜アホ!ど真ん中?
■決断とは、目的を見失わない決心の維持にほかならない。
(by ドワイト・D・アイゼンハワー)
 一言〜アイゼンハワーだから、だまっているけど!
■才能という言葉は、延々と努力を重ねている人に対して、外から貼ったラベルに
 すぎない。
 一言〜天才なら、異論があるけど、才能なら正しいかもしれない!
■人間、「勝者のリズム」と「敗者のリズム」がある。
 勝者のリズムを身につけないと絶対成功しない。
 勝者は、明るくて、いい方向に考えられる。
(by 堀之内九一郎)
 一言〜「敗者は暗くって、悪い方向に」と、考えられるということか?
■人生はかけ算だ。どんなにチャンスがあっても、君が『ゼロ』なら、意味がない。
(by ナカムラミツル)
 一言〜仏教者は何というだろかね〜
  君の?相手の意味が違うか
   
 ー今回の一言、魂が入っているというより、私の心の歪みか!
 
 ・・・・・・
 ・・・・・・
 
 2003年10月13日(月)
922, アイスランド旅行記−2

ーアイスランドを印象順に書いてみる

・何といっても、『オーロラ』である。
 オーロラは二度目だが、前回はノルウエーのトロムソは外れであった。
 今回は一回だけだが大当たり!しっかり目に焼き付けてきた。
 ー明日オーロラについて書く。

・海に突き出た雄大な断崖のディルホゥラエイのパノラマが素晴らしい。
 高さ100mの断崖がどこまでも続く絶景と、断崖から見えた果てしない
 海岸線が何とも美しい。
 北の果てという感じが一番でている場所であった。

・クレーバルバトン湖の背景に広がる景観は、
 正しく月の景色に一番似ているといわれている。
 スターウォーズの映画の場面を思わせる茶色のパノラマが別の惑星に
 いるようだ。
 月探索のアームストロングがここで訓練をしたという。

・氷河から流れ出た滝が、それぞれ素晴らしい。
 何といっても迫力のあったグトルフォスの滝が印象的であった。
 イグアスの滝に似ており、北極のイグアスとう感じだ。
 またスコォガフォスの滝の美しさも忘れることができない。

・霙の中で見た3〜4分ごとに吹き上げるストロックルの間欠泉も
 アイスランドならではのものだ。

・溶岩でできている大地がほとんど国を覆っている。
 土がまだ殆どできていないのだ。
 大地の上を数百年かけてできた20cmほどの苔が土の役割をはたして、
 その上を草が生えているのだ。
 我々は何げない土の上に住んでいるが、数億年かけて有機物の新陳代謝を
 繰りかえして土になっていったのが、このアイスランドに来てよく解った。
 岩山も緑の苔が覆っていて、景色としはアイスランドならではの異様な景色だ。

・少し場所を移動しただけで、景色がドンドン変わっていくのが印象的である。
 テーブルマウンテンや溶岩で出来た岩山、氷河に荒涼とした荒野などなどだ。
 そこに羊と馬が放牧されている。
 その中で目立ったのが、アイスランドポニーという小型の馬である。
 冬でも極北の寒さに耐え、そのまま放牧をしておいても大丈夫だという。
 性格が穏やかで欧米で人気があり輸出用だという。
 
 見た感じとして似ている国としては、ニュージーランドとパタゴニアである。
氷河とどこまでも続く荒涼とした大地と、吹き付ける冷たい風は北も南も一緒だ。

「一生に一度に行きたいアイスランド」という言葉が一番にあっている国である。
    本当に世界は広い!

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548,予定挫折
- 2002年10月13日(日)

ミスマッチの組み合わせの言葉である。
挫折は途中で断念してしまう事で、予定していれば挫折でない。

この組み合わせの意味は、挫折時期を予想しておいて
その準備をしておく事である。

私の場合、大学受験失敗や他の挫折を人生の前半に重ねた為、
挫折の痛みと、反面その必要性を実感をしていた。

必ず生きていくうえで変化と転進の必要性がある。
大体が7年である。
その時期を読み、変化を積極的に自分で創らなければならない。
その時にそれまで続けてきた事を止める、これが予定挫折である。

スキーを子供のとき滑って失速した時、自分から前向きに倒れるコツ
を覚えた事があった。
その方が大事にならないで済むことを繰り返しの中で知った。
柔道や合気道で、まず訓練をされるのが受け身や倒れ方である。
予定挫折を初めから組み込み、その時期がきたら割り切って
しまう事が必要である。節を予定して積極的に創っていく事だ。

ある甥が大手の会社に7年在職後、さっさと辞めて漫画家になった。
有名らしいが漫画を見たことがない。
曰く「入社前から、そう予定していた!デザインで社長賞を貰った
し、自分では為残した事はない。漫画家は自分がなりたかった仕事。
それで生きていけそうだし楽しい!」

私事だが、29歳の時に成り行きで実家の商売をみる事になった。
五年を目安とその時の勘で思った。勿論そう宣言をしていた。
3年も経てば兄弟が一つ舟の舵取りは無理!と実感。

予定どおりに5年で今の事業に転進したが、少しは挫折感があった。
これが予定挫折というのかと苦笑をした。
しかしすぐに次の仕事がたっぷり待っていた。

挫折時期はある程度読めるものだ。
定年退職やリストラとかで、無知の為に中年クライシスに
なってしまうのは、ただ流されて生きているからだ。
準備をする時間はあった筈である、たっぷりと!!

・・・・・・
・・・・・・

[184] 基本  
  2001/10/13
この20数年春になると、ほぼ毎年のように新入社員の入社前教育をしている。
以前はまる三日、最近はまる一日になった。
真っ白な若い人に教育する楽しみも以前ほど無くなってきた。

結局家庭のやるべき躾や言葉使いを、基本から教え直すことから始めなくては
ならない。本当にどうなっているのかと、開いた口がふさがらない事が多いが、
もうなんとも思わなくなった。

対話形式で基本的な会話・対話の仕方から教えていく!
それはここではどうでもよい話だが、教えるべき要点は

1、本を読むこと
2、日記を書くこと
3、相手の話をきっちり聞き取る事
4、自分の言うべきことを明確にする事
5、メモをとること
6、給料を貰う立場になった事(買い手から売り手の立場の逆転)
7、同質社会ー学校から異質社会に変わった事
8、その会社の制服を着たと同時に、個人はその制服の配役になってしまう事
  等々おしえる。

  しかし一番勉強になるのが、自分自身である。
 毎年春先にこれを真っ白な新卒に教えていると、自分自身にそのまま教える事になるからだ。
 全てが大事な事だ。

読書にしろ日記にしろ今でも続けているのは、これを毎年反駁しているからだ。
本当にこれをきっちりやっている人間の少ない事は、今更言うまでも無い。
それでもこのレベルの文章しかかけないのだから、別に如何という事がないのか。



1653, 北イタリア旅行記−4

2005年10月12日(水)


欧州で感じるのは、空の青さである。
それとグリーンと土の色合いの美しさもよい。
それが街の色と溶け合っている遠景が絵になっている。
特に数百年もたった古い街は何ともいえない佇まいの姿を現している。

ーシエナー

フィレンツェから約2時間30分のところに位置し、
中世ヨーロッパの中心地として大いに栄えた都市である。
シエナの中心部は一般車両の乗り入れが禁止されている。

シエナのシンボルは美しい扇形の家並みが美しいカンポ広場とマンジャの塔。
カンポ広場は世界で一番美しい広場としても有名である。
広場そのものが扇状の劇場的につくられており、周りの建物が広場を囲む壁のように
都市計画がされている。
その扇の元に市庁舎が建てられていて、ローマ劇場の舞台の位置になる。
もちろん、なだらかな傾斜がついてある。
広場が街のど真ん中に位置してあり市民の憩いの場にもなっている。

そこで年に一度の代表的な祭り”パリオ”が有名である。
広場を競馬場にして、それぞれの地区の代表チーム同士が名誉をかけて競う。
裸馬にそれぞれの地区と契約をした有名騎手が広場の周りを互いに蹴落としながら走る。
よくTVで、その熱狂的な場面を見たことがあったが、その場所に立つとは。

この街で世界で初めての銀行が生まれた街でもある。
また13〜14世紀に地下水道もつくられている。
この街の自治がユニークで、
9の自治区の代表が集団で自治する合議制が数百年も前からとられていた。

  −−−−

ーピサー

ガリレオ・ガリレイが塔の上から落下の実験を行ったことで有名な”ピサの斜塔”
として知られる鏡楼は観光名所として有名。

イスラムの影響が見られるピサ・ロマネスク様式で、ユネスコ世界遺産にも指定されている。
かつてピサは海洋王国として10世紀より栄え富と繁栄を極め、斜塔やドゥオーモは、
この時代に建築されたものである。

斜塔だけでなく、その傍のドゥオーモとのバランスが良い。
今回は時間の関係で斜塔には登れなかったのが残念であった。
思っていたより傾きが大きいのが印象的であった。
一年に一�牲垢�ことは初めてしったが、
その傾きを直すため大工事に入っていたことはニュースで知っていた。

バスで小さな街の遠景を見ていると、かならず小さな教会と鐘楼がある。
それを中心として街がつくられている。
それが絵になっているのだ。
数百年、数千年の歴史の深さが街の佇まいとして残っている。


・・・・・・・
・・・・・・・

2004年10月12日(火)
1288, 「閑」のある生き方ー読書日記 −2

11章の「今ココに」を心得よ、がなかなか含蓄が深いので、抜粋して、
そして考えてみる。
 −−
・ー現在只今の自分を全肯定できること、これが人間として達しうる
 究極の境地である。そこに達すれば現世の中で翻弄されている最中でも
 平然としていられるのだ。

・「今ココニ」は過ぎ去っていくのではなく、自分が生きている事実がつづくかぎり
 同一のものとしてあり、しかもそれがただち永遠につながっていることが、
 次第にわかってくる。それは心の時間というべき状態である。
 鈴木大拙はそれを「零=無限」として、こう言う。
 
 「空」は空間の義に思い違えられるおそれがある。それで仏教者はいつも
 その弁明に悩まされるが、存在といえば、いつも空間の存在の義に考えられ、
 時間を入れない。
 しかし実際は空と時とを分けるわけにはいかないのである。
 空と時を合わせて「一念」というほうがよい。
 hereーnow が、それである。(略)
 とにかく、「空」を時の上から解釈して、「即今」という。
 平たくいえば、ーただいまーである。
 「空」がわかるというのは、その「ただいま」がわかるという意味である。
 「ただいま」を手に入れなくてはならぬ。
 この「ただいま」を無限そのものだと悟るとき、零すなわち見元の式が成立する。
 アッというこの一瞬が直ちに無限の時間そのものであると気のつくとき、
 東洋思想の根底にふれることができる。
                   鈴木大拙「東洋的な見方」岩波文庫
 
 「今ココニ」を丸ごと心で把握するなら、そこにはあとに残る過去も先に待つ
 未来もなく、ただ永遠の今があるだけということに気づく。
 空間が時間であり、時間が空間であり、その空間とも時間とも名付けられぬ
 絶対の現在がある。それが生きている場である。
 そこから見れば、物差しのような時間観念はただ外にある人工的尺度にすぎない。
 我々にあるのが「今ココニ」だけであると同様、二千年前に生きたセネカや
 エピクロスにも在るのは「今ココニ」だけである。
 だから現在の自分とセネカは「今ココニ」というところで一つになる。
 これが人間の生きる時間の面白いところで、過ぎ去っていく時間という
 観念から自由になれば、人は永遠の時の中に行き始めるのだ。

  −−−
  
  以上であるが、この随想日記の過去分を読んでみると、
 数年分の同月同日の「今ココニ」に、毎日出会っていることになる。
 いや36年前の日記の自分の今ココニとも同じことだ。
 その意味で感情を文章に込めて書くことの重要性の意味が納得できる。
 気持ちを込める、魂を込めるということは、現在の今ココニに現世を
 超越した永遠の世界に入っている事になる。
 「茶道」の世界に「一期一会」も、「今ココニ」の世界である。
 その瞬間こそ、自分に生きていることになる。
 
  ーーー
ー「閑」のある生き方ー
 著者 中野孝次
発行元 新潮社 価格 1575円
 2004年10月3日長岡中央図書館
ー目次
�]掲�の準備は40代から始めよ
�⊆�分1個の意識を徐々に高めてゆくべきこと
��マインドの暮しからハートの暮しへ
�だ験茲鮹噂祺修垢戮�こと
�ゾ�しずつ軸足を社会から私の方へ移してゆくこと
�Δ�金より「閑」を。人生にはする事よりしない事の方がいい場合がある
�Ъ汰�上の忠告あれこれ
�┘┘團�テートスの教え
��万事に換えずしては、1の大事に成るべからず
��祝福さるべきは、若者ではなくて、よく生きた老人である
��生きるのは「今ココニ」しかないと心得ること
��自分を信じろ。周りに流されるな。力むことはない(レジー・ジャックソン)
��社会という車を乗り捨てる
��自足した定年後の人生、2,3の例
��自分の場合
�姐皺蹇Υ弭圈⊆�在の身


・・・・・・
・・・・・・

003年10月12日(日)
921, アイスランド旅行記−1

 ー2003年 10月4日〜10日
  
  ーアイスランドという国とは ー
 直行便がアイスランドに初めて出発するという新聞広告をみて
急に思い立ってアイスランドのツアーに参加をしてきた。
行って解ったことだが、今年から捕鯨を開始をしたアイスランドに対して
欧米の観光の予約のキャンセル相次いだという。
その穴埋めということで国をあげての企画であった。

 9月27日、10月4日、10月11日とそれぞれ240名、合計720名
の満員の大盛況。何か秘境?に行った感はほとんどなかった。
もちろん直行便はよいが、乗り継ぎで現地の人の間に好奇の目にさらされて
行くから面白いのだが。
乗り継ぎのエネルギーも大変なものだから贅沢は言ってられない。

 アイスランドと聞けば「氷と火の島」というのが印象である。
一般的には『それってどこにあるんだ』ってことである。
この国の位置はイギリスと北極点の丁度中間に位置している。
大きさは北海道と四国を足した大きさになる。
そこに人口僅か28万人、首都レイキャビックに18万人が住んでいる。

 イメージは極寒の地であるが、実際はそうではない。
・火山の国である為、地熱で温泉があちこちに沸いている。
・更にメキシコ暖流が周辺の海に流れ込んでいる。
・また氷河によって永い年月で出来上がった小さなテーブルマウンテンが
 多くあり、それが北極の冷たい風を防いでくれる。
そのため北極圏にしては暖かく、住めば都のようだ。 

 人口の50�佑�漁業関係に従事している。
また地熱を利用したビニールハウスで野菜や果物ートマトやバナナやメロン
などが栽培されているのだ。
家も92�佑�地熱のお湯で暖房されており、地熱利用の発電所も多くある。

  ー日本人の若い女性現地ガイドが面白い内情を話してくれた。
・一見豊かさそうに見えるが、習慣としてローンを組む国民性があり、
 借金でどの家庭も火の車という。
 一般的には手取りで20万足らず、物価が高い為夫婦共働きだという。
 反面社会保障が充実しているため、将来の不安は少ないという。
 医療費は大病の場合は無料とか。
 島国根性で見栄っ張り、外見を飾りたいとか。
ー何処かの国に似ている。
・自殺の割合が、十代ではヨーロッパで一番多いという。
 −これは一日八時間の日照時間に関係している。
・消費税が24�佑發△蝓�更に小国のこともあり食料以外の殆どが輸入品である。
 そのために物価が非常に高いのが特徴。
 だいたい日本の物価の1・5倍である。
 いかに高いか解るだろう。
・犯罪はほとんど無く、殺人は三年に一度あるかないかという。
 大統府も小さなオフィスのようであった。
・どの人も何処かで人間関係が繋がっているという。
 したがってあまり目立ったことができないとか。
                     −続くー
 ・・・・・・・・
 ・・・・・・・・

547, 人生で一番よい時
- 2002年10月12日(土)

 母から聞いた話である。
母が堀井に嫁いで数年たった時、多くいる小姑との
折り合いがうまくいかず、離婚を覚悟に実家に帰った時の祖母の
励ましの話が良かった。
「一番苦しい時は人生で一番いい時なのよ!」

 私の一番苦しい時に聞いた言葉であった為か、強い印象が残っている。
小姑とイロイロあったと聞いていたが、こういう話しを聞くと納得するものである。
祖母もその経験があるから?その瞬間、その言葉が出たのだと思う。
人生の深淵のある言葉である。
「苦しいときは逃げては絶対に駄目、前向きに生きなさい」
という気持ちの意味が背後にある。

人生から逃げ回っている人が本当に多い。
逃げても、その自分が何処までもついて来るのさえ気づかない。
そしていつも逃げ回ろうとしている。
このような人には「人生のいい時は来ない!」来ても気がつかない。

「苦しみを通り抜けて歓喜に!」というベートーベンの言葉がある。
苦しむから歓喜があるのだ。

マゾはそれをセックスプレーで楽しむのだろう。
 最後の一言は必要ない?!
硬い話を最後で落とす為です?


1652, 北イタリア旅行記−3

2005年10月11日(火)


昨日の午前、午後にかけてタイミングよくNHK総合で
『世界遺産イタリア縦断1200�繊α軆己圈戮鯤�映していた。
今回の旅行前(8月と9月)にBSで放送したものだが、
行く前と行った後では、見る目も違ってくる。
今回行ったところではシエナと、チンクエレッテがあった。

とにかく石の文化は残るからよい。
一度つくってしまえば、数百年も先祖代々住みつづけることができる。
やはり、日本とは歴史の深さからくる民度が圧倒的に違う。

またイタリアも北と南との豊かさの格差が大きい。

ーフィレンツェー

ルネッサンス発祥の地”フィレンツェ”。
フィレンツェ歴史地区はフィレンツェの中心部であり、
ユネスコの世界遺産(文化遺産) に登録されている。

歴史的な町並みが広範囲かつ集中的に保存されていて、
ルネッサンスの芸術や文化を感じることができた。
イタリア統一後、短期間イタリア王国の首都がおかれていた。
(1865年-1871年)。
フィレンツェは長期にわたりメディチ家の支配下にあった。
中世からルネサンス期にヨーロッパにおいて、商業および金融の重要な中心地であり、
文化の中心地域としても発達し、美術、建築の傑作が数多く残されている。
黄金期のミケランジェロやレオナルド・ダ・ヴィンチなどの作品が残り、
街全体が美術館のような佇まいになっている。

 ーその幾つかの概要を書いてみる

・大聖堂
フィレンツェといえば、その象徴とも言える大聖堂である。
別名「サンタ・マリア・デル・フィオレ(花の聖母寺院)」と呼ばれ、
白・緑・ピンクの色大理石を巧みに使った優美な外観を持つ。
量感と均衡に満ちた、イタリア独特のゴシック建築である。

着工は1296年カンピオによって始められ、その後ルネッサンスの建築家ブルネレスキが
14年の歳月をかけて大円蓋(クーポラ)を架け終ったのが1436年のことである
(頂上のランタン部分は1461年に完成)。
400段以上ある石の階段を上ったが、その屋上から見る中世を思わせる
町並みの景観はすばらしい。

外側の3つの扉にはレリーフがほどこされている。
その中の一つ東側の扉は、
ギベルティが1425年〜1452年まで27年かかって完成させた傑作で、
50年後にミケランジェロが「天国の扉」と称えた程である。


・ミケランジョロ広場
アルノ川南岸の小高い丘の上にあるミケランジェロ広場の夜景もよい。 
ここからは、花の都フィレンツェがパノラマのように見渡せ、
特にアルノ川とヴェッキオ橋が美しい。
中央にはミケランジェロの彫刻「ダヴィデ」のレプリカが置かれていた。


・ウフィッツィ美術館
ヴェッキオ宮殿のすぐ先に位置する華麗なルネッサンス様式の建物で、
ウフィッツィ宮殿内にある。
「ウフィッツィ」とは英語で「オフィス」を意味している。
当時はメディチ家の事務所として使用されていた。
3階建ての宮殿は、現在美術館として一般公開されている。
名実ともに世界第一級の美術館である。
 収蔵品は、
古代ギリシア、ローマ彫刻、フランドル絵画と幅広いが、
ダ・ヴィンチ、
ミケランジェロ、
ボッティチェリ
等のルネッサンス期の巨匠の作品群がすばらしい。
 
ー主な所蔵品として、

*ボッティチェリ:<春>,
<ヴィーナスの誕生>

レオナルド・ダ・ヴィンチ
 <東方三博士の礼拝>,
 <受胎告知>

ミケランジェロ
 <聖家族(Tondo Doni)>

ラファエロ
 <ひわの聖母>

ティツィアーノ
 <フローラ>,
 <ウルビーノのヴィーナス>

カラヴァッジオ
 <イサクの犠牲>

などが絶品である。
現地日本人ガイドの要約した、
それぞれの絵画に背後にある説明を聞きながらの鑑賞がよい。
レオナルド・ダビンチとミケランジェロの人間臭い葛藤も
幾つか聞いた。

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2004年10月11日(月)
1287、「閑」のある生き方ー読書日記−1

そろそろ定年をむかえる団塊世代を意識した内容だ。
 現代人は忙しいが、忙しさに流されたままでは充実した人生が送れない、
 その中にあって「閑」のある生活が、不可欠である。 
 内なる自分を優先して生きる為に、生活を単純化して、
 自分の ハートを大事にして、 自分の納得した生き方を勧めをしている。

著者は
「風の良寛」
「老年の愉しみ」
「自分を生かす”気”の思想」
 を読んで、質素な老いの生き方に同調、
「老いの生き方」の準備の必要性を説いている。

そこには多くの引用があった。
良寛の詩集であったり、
吉田兼好の「徒然草」、
加島祥造訳の「老子」の詩句、
セネカの「人生の短さについて」、
尾崎一雄の「まぼろしの記・虫も樹も」、
そしてローマ時代の「エピクテートス」の話があった。

40代を迎えた「甥っ子」に、老いに向ってどう生きていくべきか諭すカタチで
進んでいく。
物の時代、消費する時代、金本位の時代、経済成長率のあるのが当たり前の時代、
自己中心主義の時代の、(いい大学、いい企業、出世、名誉を重んずる時代の)
どっぷりと浸かった、「甥っ子」世代に対しての警鐘が淡々とつづく。

55歳を過ぎ、定年に近い団塊世代に対する書であり、
彼らに定年後の生活に入る心構えを作っておくべきと勧めている。

老後の準備をしておくか、おかないかで、
ーがっくりした悲しい末路になるか、
ー老年を自由の時として楽しめるかの、
生き方に分かれるのだ。

・「マインド」主体から「ハート」主体への切り替えの必要性。
・生活を単純化し、物を捨て、物に執着するな。
・老子の言葉を引用し、自分の外に目を向けるのではなく、内に目を向けよ。
 人生には、する事よりしないことも大切だと説く。
・テレビ、ラジオ、パソコン、ケータイなどへの依存度を減らすこと
・仕事を自分の時間まで持ち込むな
・自分の体を使ってする趣味を覚えよ
・カードかローンとかの誘惑を疑え

等々を一つずつ具体的に話を進めている。

 西暦紀元初めのローマのエピクテートスの言葉を引用し、
「自分のほんとうにやりたい事をしぼり、しぼりこんだら他のものは捨て、
 やりたい事を一生かけてしよう」と勧めている。
 いろいろやってみたい気持ち強すぎて、結局何もしない愚を指摘している。

 1章では、40代から、閑ある生活の準備を始めよ
  自分の力のうちにないものは受け入れ、自分の自由になることだけに集中する。
  これは40代から心すべきことである。
  社会に出て働く限り、多忙を極めざるを得ないが、これでは真に自分の人生を
  生きることはできない。
  人は、よく生きるためには「閑」が必要だ。その意味で、定年後は幸福であり、
  40代から意識を切り替え始めなければならない。

 2章では、その為にまず自分の意識を高めよ
 3章では、自分のハートに従え
  ・老後とは?自分と全面的に向き合う時。社会を相手に、世間一般の価値観で考える
 「マインド」の暮らしから、自分の内側から発せられる声に耳を傾ける
 「ハート」の暮らしに変えていく。軸足を社会から自分へ移してゆく。これは
  昔から「心身永閑(しんじんえいかん)」として、東西を問わず理想としてき
  た生き方だ。「生きることの最大の障害は期待を持つということであるが、そ
  れは明日に依存して今日を失うことである。」

 4章で生活・習慣をシンプルに
 ・生活の平穏を望むなら、50歳くらいから住居の中の所有物の単純化を心掛けること。
  自分のやりたいことも同じ。本当にしたいことを選び、その他は捨てる。
  そうすれば成し遂げられる。
 ・働くことばかりに時間を使っていたら、人生を楽しむときがなくなってしまう。
  19世紀前半に「スペイン人は、イギリス人のように新しい服を買うため
  に15時間も働くくらいなら、穴のあいた服を着てるほうがましだ。」という。
 「超多忙な人に限って、生きること、すなわち良く生きることが、最も稀である。」
  とセネカも指摘した。
  貧しくとも閑暇の中で心の声を聴く生方をする人のほうが尊ばれてきたのだ。
10章では、老人を誉め、
11章では、「今ココに」を心得よ、
  生きるのは「今ココニ」しかないと心得ること。
 「いつか社会という車を乗り捨て、自分の足で歩きだす。
  そのために、自分の奥深くから湧き出す要求を聞くことのできる耳を養うことだ。
 「ここにいることで いま生きているという意識が鋭くなる、それが喜びなのさ」と。

12章では、若い頃、筆者が励まされた尾崎一雄の言葉と、ヤンキースの松井に
 アドバイスした大リーグの往年の名プレイヤー−レジー・ジャックソンの言葉を、
13章では一人家族から離れて田舎暮らしをする畏敬の友の生き方を紹介し、
14章では自足したセカンドライフを送る人たちを紹介している。
15章では、単純・簡素化された筆者自身の生活ぶりと楽しみが書かれている
 「書」「碁」「酒」「犬」「読書」などなど。

「あとがき」にこうある。
「大量生産の安物には、二十世紀の体験だけでもうんざりしているのだ。
 人間が人間らしく生きるためには、柳宗悦が求めたように、工場製の画一生産物でなく、
 職人の手造りの上等な物がまわりになければならない。
 そんな願いをこめて、わが周辺に愛する物たちをとりあげたのが本書であった」

まあ、田舎住まいの人から見れば、何を言っているのかわからないだろうが。
田舎の人は「閑」あるのが常態であるのだ。

ー以下は、あるHPの要点の抜粋であるー

・昔から人が己れに会うとは、全体としての自分に会うことをさして言う言葉だった。
 ・・・多忙の中にあってはそういう心の世界には入れない。
 一人きりになって、他に気を紛らわせる何もなく、「閑」という状態に身を置くときだけ、
 人は全体として自分を取り戻す。

・物事の判断、得失のすばやい計算、ふるまい方や物の言いようの選択、情報収集と選り分け、
 社会の動きについての認識、そういうことを行うのを、マインドの働きという。

・自然情報とは人間がひとり自然の中にあってその声を聴くことや、自分の内なる声、
 ハートの声に耳を傾けることで、その声に従うことが自由ということなのだ。

・物というものは、あれば必ずそれに心をとられるものだ。落して壊しはしないか、
 こぼして汚さないか、傷つけないか、盗まれないか、その他その維持や保存に絶えず心労する。

・「朝夕なくて叶わざらん物こそあらめ、その外は、何も持たでぞあらまほしき」
 (徒然草)

・単純化とは物に心をとらわれないで心を無の世界に遊ばせることだ。

・人工刺激物と46時中かかわっていては、人は到底心の声、自然の声を聴くことが
 できないと、知るべきだ。それなしでは心が空虚で空虚な自分と向い合うのがこわさに
 すぐまたそれに戻るのだろうけれども、そんなことをしていては人は一生涯自分と
 いうものを受け入れることがないだろう。

・力のうちにあるものとは、自分の考え、行動、意欲、拒否、
 ・・・力のうちにないものは何かといえば、自分の身体、所有物、評判、
 社会での地位など・・・。

・自由であることを欲する者は、他人の権能下にあるものを得ようとしたり、
 避けようとしたりしてはならぬ。
 さもないとその人はいやおうなく他人の奴隷になる。

・自分の力のままにできることにおいて最善をつくせ。自分の力の下にないものについては
 運命にまかせて、それを受け入れよ。

・これが何より第一だというものをしっかり思い定めよ。そしてひとたびそうと決めたら、
 そのほかのことは全部捨てて、その一事に励むがいい。

・「第一の事を案じ定めてその外は思ひ捨てて一事を励むべし」(徒然草)

・年齢よりも若くありたいというような欲が少しでもあると、意識と身体のあいだにズレが
 生じ悲惨なことになる。

・問題は衰えること自体になく、衰えたら衰えたなりにそれを認め、それを受容し、
 それにふさわしい生活をするかどうかなのだ。

・老子は「道(タオ)」といい、セネカは「自然」といい、趙州や大梅は「仏」といい、
 エピクトーテスは「神」といい、名付け方は人それぞれちがうが、永遠なるいのちを指す
 ことでは同じだ。

・現代人は多忙のほうがよく生きているという錯覚にとらわれているのだ。
 すなわちよく生きていることになる。

・自分を信じなきゃダメだ。人(批評家)にこう言われちゃああ直し、ああ言われちゃ
 こう直しするようじゃ、自分のものは絶対にできない。まわりの声なんか気にしないで、
 自分を信じて、牛のようにじっくり押していけばいいんだ。

・自分の自由意志の支配下にないものについて、くよくよ悩むくらいばかげたことはない。

・とにかく心を、現世での欲にみちた営みから離して、自然の理に生きるようにすることを
 言うのだと僕は解している。諸縁を放下して、心の世界に生きよ、ということだ。
 老年とはそういう境地に生きる時であってこそ、本当に安らかに、静かなよろこびに
 満ちたものになる。希望を持て、ということだよ。

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 ・・・・・・・

2003年10月11日(土)
920, ある時間の断面ー41

11月18日 1968年
・11時起床
15時過ぎまで試験の勉強をする。
その後、試験のため大学へ行く。

試験終了後、学食で酒向と偶然会う。
川崎君と三人で「嵯峨」で一杯飲み、その後パブ「エリート」へ行く。
そこで同級の雨宮と角田などに会う。
その後21時過ぎに帰寮。

TVでボクシングの世界タイトルの西城戦がある。
大逆転で西城が勝つ。
面白い内容だった。

その直後、寮内の揉め事の仲裁である。
女性がらみの感情的なものだ。
仕方がないが、色いろ絡まっていてどうなっているのか解らない。
佐藤も好きな彼女ができデートをしていながら、まだ寮内の女性が
忘れられないようだ。この辺になると複雑な感情になる。
出来ることはしなくてはならない、馬鹿馬鹿しいが。

ー2003
10月10日記ー

毎日も飽きもせず、35年前の日記を書いている。
日記帳を書き写している時は、タイムマシーンに乗って35年前に帰っている
気分だ。どうしてこの時期にこの日記を書いたか記憶が無い。

これが無ければ99.9�佑亘困譴討い襪海箸个�りである。
他人が見ても全く面白くないだろうが、こういう学生時代の過ごし方として
みると面白いのではないか?
ー数人に面白くないと言われたが。

全く変わってしまった今の自分と,変わってない部分が日記を通して手に取るように
わかる。基本的には変わってない部分が多いのに驚いている。

現在と変わっているのは、当時多くの友人が吹き付けるようによって来ていた。
わざわざ寮まで何人が来ていた。
馬小屋のような寮が面白いという評判で、わざわざ見に来た友人もいたが。
共同生活の中で人間関係にも鍛えられた。

こうしてみると高度成長時代の、時代の上り坂の中に、どういう人生をこれから
生きていこうかという希望と不安満ちていた。
色いろな人間と自分を解放して議論をしてまくっていたのが日記から窺える。
それと実社会に向かって今何をしておくべきかを模索していたようだ。

今から見ると「豊かなお嬢ちゃま・お坊ちゃまの世界」でもあった。
貧乏生活を面白く楽しんでいるようだった。
それと自由な学生時代を満喫していた。

こういう生活をしていた為か、人の気持ちがより読めるようになった。
「この言葉をいう時は、こういう言葉が背後にある」ことが瞬時に解るのだ。
これもオープンな学生時代を過ごしてきたためである。
いずれにしても素晴らしい学生時代を過ごせたことが、この日記帳に
痕跡として残っている。

『ありがとう』という言葉の重みをつくづく感じる。

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546、株下がるー非常事態?
- 2002年10月11日(金)

株価が一時だが8200円を割った。
8500円までは下がるといっていたが、軽く割ってしまった。
今度は8000円を割り込むかのポイントになってきている。
7500円を割る可能性もでてきた。

8000円を割るということは殆どいわれてなかった。
「どうなるんでしょうか?」と聞いても、誰も経験してないので
コメントのしようのないのが実情だろう。

銀行に金を借りるとき、持合でその銀行株を持たされるケースが多い。
痛むのが銀行だけでなく、持合の会社も足を引っ張られるのが多い。
数年前に地元のスーパーがそれで数億引っかかったことがある。
長銀だった?

今はすでに恐慌スパイラルに入っているのか??
今朝のNHKニュースで、企業への銀行貸付の審査の厳格化を
更に徹底するといっていた。
本当に悪いなら仕方がないが、こちらまで問題会社にされかねない。

小泉は半年か一年以内に頓挫する!
先日までは支持していたが、ここで評価は変わった。
政変が起きる、間違いなく!!!

不況感が更に深った!
マスコミが悲鳴をあげるように大不況を取り上げ出した。
今更という感もないが、どれにしても末期癌患者のモルヒネの
量が足りないというレベルだ。

この十年の繰り返しの大合唱が始まった。
現場レベルの生の声は本当に生々しい話が多い。
地元の会社の倒産や廃業ニュースや噂で、お前もかと呆れる。

昨年の9・11以来、更に時代が変わったのに、
アメリカの株の暴落とイラク攻撃の切迫で、追い討ちをかけて不況感が
ましてきた。ワールドサッカーで隠れていた部分が露骨に表面化してきた。
さらに9月の半期決算の悪化の発表が近づいている。

政府も不良債権処理を本気で処理をしようと腰をあげてきた。
死体の企業の処理に本格的に入るということである。
 
当方は売上は微弱、利益は10月で前年をクリアーする?
たまたまプラス要素が幾つか重なっただけだ。

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[181] テロの影響  
2001/10/11

 昨日、月刊誌の「現代」と「文芸春秋」を買ってきて、テロの特集を読んだ。
そして今までのの週刊誌と新聞の切り抜きに目を通して、改めて戦慄をおぼえた。
‘日本は恐慌、世界は?必至の状態’は間違いないようだ!
やはり初め直感したとおり、9月11日以前と以後といえる位の段差のある出来事だ。
その重大さが日ごと増していくことを私のみならず感じているはずだ。

 成田空港はガラガラ、昨日TVで相撲の元横綱の曙がハワイの観光地の宣伝を
していた。40パーセントの客が減ったそうだ。
実際そんなものですんでないと思われる。
実際古町にしても駅前の飲食店も、20〜30パーセントの売り上げが減るだろう。
そうでもなくても死に掛けているのだから、本当に死活問題であろう。

10日まえに古町にいったとき、ほぼ毎日お茶引き(客が一人も来ないこと)で、
廃業直前とある店のママが言っていた。
当ホテルの第二が飲食客の流れの宿泊が多いが、端的にその減少が見えてきた。
新幹線に警官の姿は年に2〜3日しか見なかったのが、数人車内の中を覗き見ている。

 それにしても、あの国会議員の質疑内容のひどい事!日本が6000人殺されても、
黙っていろというのか。国連に提訴して、その判断に従えというのか!アメリカが
その相手を探し出し殺してくれるというのか?
あれが国会で議論されているー実際馬鹿馬鹿しく見てないが見なくとも解る!
国の態をなしてない!どうしてこうなったのだろう?

 アメリカの隷属国家に安住しているためだろう。自民党と社会党(社民党)の  
今の姿がそのまま現状を表している。
「文芸春秋」は内容があった。  
「現代」はひどい。


1651, 北イタリア旅行記−2

2005年10月10日(月)

ードロミテ渓谷
オーストリアと国境を接するドロミテ渓谷。
アルプスの雄大な山々と奇峰の間の道をバスで通りながらみる光景は感動の連続であった。
オーストリアからの抜け道的な道路は、第一次、第二次大戦の時の軍事道路として開発され、
その後その景観の美しさから山岳リゾート地として知られるようになった。

イメージとしてスイスに酷似しているが、210�舛砲錣燭詁始�からみる景観は
今回の旅行のハイライトであった。
その中で、やはりボルドイ峠にみるカレッツァ湖の美しさが感動的であった。

石灰岩の岩肌がむき出しのノコギリ状の山々が次から次と雄姿を現していた。
山と空は、その地域特性をそのまま露出して見せてくれる。
観光初日で、既に感動のピークになってしまった。

山の美しさは、何故これほどまでに人の心をうつのだろう。
カナダのロッキーが広大の大地を背景にした山の美しさなら、
ドロミテは奇景の山並みの間からみる美しさである。


ーべネツア
べネツア観光当日の雨は残念であった。
この日が快晴ならば、この旅行は最高級の旅行の分類に入ったのだが。

ベニスが西暦800年から1800年までの1000年間も独立国していたことを
今回はじめて知った。
ローマ帝国と、トルコの間にあって、このような小国が独立を保てたのは奇跡に近い。
海に突き出た島々に位置し、攻めるには膨大な海軍力が要するからだ。

海に突き出た島も入り組んだ細い川?が道路のようにあり、水上バスや水上タクシーが
移動手段として使われている。
メイン道路が川で、側道が歩道になっているところが風情がある。
ベニスは日帰りではなく数日の間滞在してじっくりするところである。
天候が良いという前提だが。

結局、自分が実際に目で見たことと、経験したことが自分を構成してしまう。
だから自分の壁は、経験と見聞を広げるしか乗り越えることができない。
旅行は、そのことをよーく教えてくれる。

雨のベニスもすばらしいが、この日の雨はかえすがえす残念であった。

                   ー つづく
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2004年10月10日(日)
1286, 内部告発ーもう一つの情報化

UFJが刑事告発をされたが、発覚は一本の電話だったという。

「UFJ東京本部の3F会議室に、金融庁に説明をした
ものとは別に資料が隠されている」という電話が去年の10月9日に入った。
これがUFJ銀行を三菱東京銀行に統合されるまでに追い詰められる契機になった
瞬間であった。
そこで金融庁の検査官が入って見たものが100個のダンボールの箱だった。
これが内部の隠語で「やばファイル」である。

常務以下の三人の役員などが告発を受けたが、当時の社長や副社長や専務などが
知らないはずがない。
早速、副社長宅が捜査に入られたが、それにしても恐ろしい事である。
誰が電話をしたのか、そのあたりの事情を調べていくと一冊の小説になる。
いまはデジタルカメラや、カメラつき携帯電話がある。

脱税で上げられるのは殆ど内部告発という。
数十年も前の話だが、私の知人の会社に税務局が入った。
何と社長の自宅の隠し金庫に、税務暑の担当が直行したという。
私が、「おかしいと思わないのか、内部の告発だよ!」というと、
ハタと考え込んでしまった。そこは、家族しか知らない?はずだが。
何か複雑な情念の凄さを感じ取った。

厳しい時代になったものだ。
4大大手銀行が、内部告発の一本の電話であえなく消えてなくなるのだ。

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2003年10月10日(金)
ある時間の断片ー40

11月15日  1968年

・8時過ぎ学校へ出発。
「人事管理」の授業に出席。
終了後。先生と顔を合わせるが、緊張をしてしまった。
自分に自信がないためか。全て見抜かれているようだ。
授業終了後、高木の車で寮近くまで送ってもらう。
再び、ゼミに出席のため、大学にいく。
15時から17時まで教授と同期の3人と「東レの派遣学生」4人と
議論をする。特に田島が教授に対して好戦的な議論を仕掛ける。
大した神経の持ち主である。そして自信も凄い。
その後、田島と二人で学食で夕食後喫茶店へいく。
カナダに行きたいといっていたが断念をしたと告白した。
その理由を話した。
・カナダの叔父さんから手紙で、甘さを指摘された。
・母から家庭に事情で行かないで欲しいと哀願された。
・アルバイトをしていて、世間の事情がわかってきたこと
・兄夫婦を見ていて、実直に生きる必要性を感じた
・遠くを見つめすぎた、夢のようなことばかり言っていられない
等々理由を挙げた。
20時過ぎに帰寮。22時から机に向かう。

ーーー
11月16日    1968年

・朝10時半起床。
大学の書籍部へ行く。
どういうわけか今日は誰も会わずじまいだ。
こういう日もあるのだ。
米林の部屋でお茶を飲んで、その後風呂に行く。
その後、間中の部屋で米林と3人で話しをしていると、
大妻女子大の宮本さんが松本さんと遊びに来る。
松本さんの眼に驚く。眼のきれいな人はアマリみたことがないからだ。
色いろな美しさがあるものだ。
その後、食事をして川崎に電話をする。
21時から夜半の2時過ぎまで卒論のマトメに入る。

今日、そういえば先日紹介してもらった飯野さんに電話の約束をしていたが、
しなかった。悪いことをした。いつもそうだが、どうもいざとなると面倒に
なる。また探そうといっている間に卒業だ。それでもいいが。

11月17日   日曜日
・10時起床。
あまり勉強をすることなく一日を過ごす。
夕方座禅みたいなことをする。
夜、佐々木さんと市川さんと瓜生と話をしていると、
佐藤がデートから帰ってくる。
彼はデート、私は余裕がなく電話しずまい。
これでよいのか考えたが、いまの自分はやらなくてはならない事が山積だ。
惨めな侘しさが襲ってくるが、仕方がないことだ。

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545, 物書きの凄み
- 2002年10月10日(木)

このホームページで素人レベルで毎日文章を書いているが、
プロは凄いとつくづく思う。
毎日文章を書いているから、それが解るだけの話しだ。
作家の椎名誠が週刊文春に、「赤マント」という連載を書いている。
5年位前に、たまたま買った内容にただただ驚いた。
「新宿駅で、お腹がおかしくなり、トイレに駆けこもうとしたが、
間に合わなかった具体的な事情」を詳しく書いているのだ。

誰もが「あわや!」ということがあるはずだ。
「くそったれ」「クソ!」というとおり、日本人の一番の恥でもある。
「デモノ・ハレモノー出物、腫物ところ嫌わず」というが、
これは「大便、生理」の掛け合わせの言葉だということを最近解った。
アメリカのクソという同意語は「ファック」だ。
海外旅行の心配は、これが最大の事だが。
誰もが過去に失敗の一つや二つや危機一髪はある筈である?

それをネタにして、読者をひきつける凄みはやはりプロでしか出来ない。
その後の「赤マント」に、この文章が大反響をしたと書いていた。
瀬戸内寂聴が「作家は大通りの真ん中で、素っ裸で大文字で
寝ているようなもの」と書いていたが、その凄みを垣間見た思いだった!

露悪趣味と捉えるか、人間的側面の原点の表現と見るかだ。
私など偽悪趣味でしかない??!!偽善もあるが!

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179] 創造について-2
 2001/10/10

創造とは‘カタチ’ にすることである。
言葉を‘か’と‘かた’と‘かたち’にわけて考えると

・‘カ’ は ー神のカー神示ー 発想ーアイデアーインスピレーションであり
・‘カタ’は  −型,形ー  枠組みにする、 システムを作るということに
  なる。
 ( アイデアの実現の計画化ともいえる) 田は字のとうり枠組みであり、
 ‘か’と‘た’をつけて形になる。
・‘カタチ’ −カタに血(エネルギー)をいれ、カタチにする。

創造について、システム工学の城功氏の本に書いてあった内容であった。
なるほどと唸ったものである。
これはアイデアが出た後、これを実現化していく内容を簡便に分解したもので、
非常にわかりやすい内容であった。

カレーライスを例に取ると、急にカレーが食べたくなったとする。
これがカである。冷蔵庫の材料を頭に浮かべ、スーパーにいって足りない食材を
買い、
仕込む、これが形作りである。そして煮込むこれが血である。

これが国作りでも、会社でも、ビルでもみな一緒である。
かー>かたー>かたちー>これを知らないうちに何らかの形でしている。
もちろんこの文章も、そうである。まずはテーマ次に枠組みを考え、時間を
かけて修正、
そして一挙に書き上げである。


1650, 北イタリア旅行記−1

2005年10月09日(日)



9月30日〜10月8日まで北イタリアのツアーに行ってきた。
ミラノ、ドロミテ街道、べニス、ピサ、フィレンツェ、
シエナ、チンクエテッレ、サンタマルガリーリグレ
などである。
何回にかけて書くが、今日は総括の感想を書いてみる。

実質、7日間の滞在中2日、雨になった。
ドロミテの二日目と、ベニスの観光の日である。
特にベニスは期待していただけに残念であった。
山や海は、荒れたら悲惨である。
ベニスはもし快晴であったら、すばらしいはずである。
土砂降りでも、あれだけよいのだから。

イタリアは世界遺産の宝庫といわれ、39ヶ所もあり世界最多を誇っている。
3千年の時が遺跡という形で、そのまま残こっている。
いかにローマ帝國が偉大なものであったか、現在でも巨大な遺跡建造物から
うかがい知ることができる。
今回は遺跡は殆どみることはなかったが。

オーストリアと国境を接するドロミテは峻険な山々の間を・・・
また美しいリビエラ海岸のチンクエレッテは・・・
これは明日書くので止めておきます。

それにしても、イタリア男は女性を見ると誰もかしこも、
直ぐに口説きにはいるには驚いてしまった。
女性の添乗員が、
『イタリア男は、誰もかしこも女性とみれば口説きに入ります。
それは年齢とか、美貌に関係ありません。充分に気をつけてください。
それがマナーと思っているようです。イタリア男は、そのことしか考えていません』
と言っていたが、なるほどその通りであった。

このところスイス、オーストリア、北イタリアと欧州が続いたが、
文明国は、このあたりで当分やめて秘境に切り替えである。
一年以上も海外に出なかったのは20数年来であるが、
海外旅行はストレスの解消になる。
                   ー つづく
                   
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2004年10月09日(土) 1285, 「北朝鮮人権法」

先日、何気なくニュースを見ていたら、アメリカで中国・北朝鮮に厳しい
「北朝鮮人権法」が法案が可決、今後アメリカの政策はそれに従うという。
アメリカの法律を他国に適用しようという、アメリカの強引の内容であると、
解説で言っていた。
これは北朝鮮にとって、宣戦布告を受けたと同じようなものである。
内容は
・脱北者の保護を中国に要求する
・アメリカ系「自由アジア放送」を一日4時間を12時間にする
・拉致された日本人・北朝鮮人の情報公示、彼等の本国への無条件帰還を
 認めなくければ、経済援助を認めない
・北朝鮮の人権回復のために働く団体に年間200万ドルの資金提供
等々かなり刺激的なものだ。

これでは、北朝鮮にとって大打撃になることは必定である。
もっとも、当然といえば当然のことである。
日本も、これで今までの北朝鮮軟化政策を根本的に変えざるを得なくなるだろう。
今回の外務大臣の交代も、かなり強硬派に変えたのも肯けた。

先日の北朝鮮の「ミサイル威嚇」も、この法案に対するサインであった。
最近、北で大きな大爆発があったが、北の内部では何かが起こり始めて
いるのは間違いない事実である。
これをキッカケとして、日本の世論も強行になっていくだろう。
それに対して、北が暴発する可能性もある。
日本に対するテロや、ミサイルの再度上空に飛ばす可能性もある。

アメリカも、大統領選挙に対して有利にする為に、北に対して何かしてくる
可能性もある。

・・・・・・・
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2003年10月09日(木)
ある時間の断片ー39

ある時間の断片ー39
  11月13日 水曜日  1968年
8時起床。
9時に友愛バザーの手伝いで文京区役所に行くが、実際は10時であった。
一時間近くを散歩をして時間を潰す。
売り始めたが、さっぱり売れない。
仕方がないので寮の駒村を呼び出す。
彼が来てから、俄然と売れ出す。
という事は私に問題があったからだ。
如何して売れないかを考えなかったからだ。
16時に帰寮、20時から26時までゼミの予習をして就寝。

11月14日
・9時起床。
9時半に大学に出発。
到着後、掲示板を見ていると川崎とバッタリと会う。
学生証を忘れてきたので、丁度良いので借りて学食で食事。
図書館に行くと雨宮君がいる。一時間近く話す。
彼も面白い人間だ。去年新潟の自宅に二泊していった男だ。
典型的な都会っ子だ。進路を迷っているようだ。
昼飯を川崎と食べる。
その時、川崎に私の毒舌を指摘される。
彼に対して「隙と甘え」があったようだ。
「価格理論」の授業に出席後、石川譲治と「ウエスト・サイド」
へいく。彼はいま私と感情のもつれがあり上手くいってない。
かなり混乱しているようだ。
少し覚せい剤を飲んでいて、時々おかしなことをいうが。
彼からは多くのことを教えられた。

・・・・・・
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544, [シャムネコという店]
- 2002年10月09日(水)

10年前にある不動産を買った時のオ-ナーに紹介された店
に「シャムネコ」という店がある。
一年に1〜2回位行っている店で、知人などを新潟の古町に案内する
時に連れて行くと喜ばれる店だ。
一昨日に一年ぶりに行ってきた。

この店の特性が面白いのだ。
・シャム猫が3匹いて、この猫が接客をする。
 この三匹に序列があり、社長、専務、常務と言われている。
 ママは従業員という。
・店に入ると社長が挨拶に来て接客をする。
 自分の役割を知っているのが面白い。
 帰る時は必ず外のエレベーターまで見送る。
・つまみ等を口に持っていっても絶対に食べない。
・社長が疲れると専務が交代に出てくる、そして常務が最後に出てくる。
 序列が出来るまで、死闘がおこなわれたという。

・その店のいま一つの特性は整理をしない店の雰囲気を売っている。
 雑然としているのだ。
 10〜15年前のビデオテープが置いてあったりする。
 阪神の掛布のテープがあったりして見れる。
 夏なのにコタツがそのままあったりする。
・とにかくそこに行くと休まる。自然体の不思議な雰囲気の店である。
 今はないが、ドアに一見お断りの張り紙があって、紹介される前に
 前を通り「変な店がある」という記憶がある。
 その時は恐ろしくて入らなかったが。
・15〜6席あるカウンターが5〜6人も座れないほど昔の変なもので
 溢れている。
 計算ずくで逆転の発想で売っている店である。
 一年に一二度行くに良い店だ。
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[180] 創造ー1 (心観学術態)
  2001/10/09

会社を作るときまずは
1、理念、
2、何をやるか
3、何をモデルとするか
4、どうしてそのモデルをカタチ化していくか、
 
の手順を踏む。

別の例をとれば医者の例がある。
医者に子供の頃助けてもらって、自分も医者になりたいと誓いを立てるーこれが心、
そしてその為に良い進学校に入らなくてはと考えるーこれが視点・観点である。
そして勉強をするーこれが学である。
そのうち成績もトップクラスのノウハウを身につけ、そして医者の卵インターに
なり、学び続け医者の技術を身につけるーこれがーこれが術である。
そして医者になるこれが態である。

・心ー目的、中心点、目指すところ。
(芯・真・親・信・神・心・新・信・深・針・深

・観ー観点、視点
  (感・観・勘・感・歓・完・歓・幹・肝・幹・
・学ーその視点から学ぶ
  (楽・学・愕
・術ー学んだ結果身につく、熟練する
  (術
・態ーそれがカタチとしてみえている
  (態・体・諦
  −−−
心観学術態は、カタチ作りのシステムそのものといってよい。

・ 心ー会社の理念、個人の信念、国の国是−ー芯というところか!

・ 観ー心からの視点、見方といってよい(ある商社の部長が部下の女社員に
  手をだして妊娠させてしまった。帰りのの電車から、20数件の
  産婦人科のネオンが見えたという)
    たとえが悪いが、解りやすい!
・学ー観からの情報収集とか、経験から学ぶ。

・術ー学からくる、体質化、業態化、熟練化
・態ーカタチ

 逆もある。業態−現象から学・観・心を観ていく


1649.マグロ屋福助ー亭主・宗親の独り言・・8

2005年10月08日(土)

8・うちの商法ー3

宗親
昼も定食を一品だけ出してるんだ、日替わりでね。
月曜はマグロ刺し定食、火曜日はマグロハンバーグ、
水曜日はマグロブツトロロがけ定食、とかしてね。

すべて700円で100食限定でね。
もちろん完売だね。

特に金曜日はトロ定食980円で出すの。
行列になるよ。
普通だったら原価割れ寸前のはず。
いや実際の価値は3000円以上だよ。
一本おろすからできるんだ。お客は知っているの、その事を。

うちの店の厨房は、一歩入ると機械だらけなの。
マグロのメイン以外は手をかけないの。
ご飯、味噌汁、コーヒー、スープ、オニギリなんか手をかけないように
器械化がしてあるんだ。今の器械化は凄いよ。

それと生野菜の真空パック技術なんか信じられないぐらい凄いよ。

手を抜くところは、徹底的に抜くんだ。
その反面、入れるところは徹底的に入れるんだ。

初めはね、中の上の商品を中の下で売れってねコンサルタントの先生に教えられたの。
それを忠実にやっていたの。そしたら疑問がでてね。
上の下の商品を下の上の値段にすべきじゃないかってね。
それをやるにどうしたらよいかってね。

仕入れを変えるしかないってね。それには
生産現地に行くしかないって考えたの。
そして、焼津に3日泊り込みで行ったの。
同業者のところに毎日通ったね。

Date: 2002/03/28/07:16:42 [29]

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2003年10月08日(水)

ある時間の断片ー38
11月11日     1968年
昼過ぎに佐藤のところに行くと「多恵ちゃん」から、電話で大妻祭に
招待される。毎日忙しいことだ。
これもアマリ気が乗らずに、佐藤のお供で行ったようなものだ。
講堂で「森山良子のリサイタル」があった。
さすがに彼女の歌は上手い!
一曲一曲が心にしみる歌であった。
しかし腹がへって貧血気味になる。
多恵ちゃんの友人の飯野貞子さんを紹介してもらい、4人で食事をする。
ブラブラ4人と寮の近くまで送る。
飯野さんと話しながら帰るが、真面目そうな面白い子だ。
といって、それ以上の何も感じなかったが。
23時から24時までゼミの予習をして、その後佐藤と明け方まで酒を
飲んで寝る。
11月12日
・明方まで酒を飲んでいたせいか、10時過ぎまで寝ていると、電話が
かかってくる。先輩の永田さんから、文京区役所でバザーの手伝いの
依頼だ。毎日毎日お呼びが良くかかるものだ。
タクシーで駆けつける。電動歯ブラシの販売である。
これは売れそうだと思いきや、殆ど売れない。
隣で30過ぎのオバサンと話をする。
宝石のデザイナーで、渋谷の専門学校で色彩学を教えているとか。
西銀座で宝石店を持っているとか。
彼女の友人の銀座の「モンブラン」のバーのマダムも、バザーの手伝いに来る。
販売よりも、この二人と話している方がずっと面白い。

」結局、この二人と知人が買ってくれたのを含め都合6つしか売れなかった。
がっくりしたが仕方がない。
帰寮後、風呂に行き、食事をして、21時から25時までゼミ関係の本を
読んで就寝。
ー後記ー
最近、急速に武沢ゼミに影響されている。
先生とゼミ同期の4人だ。
非常に個性的である。その4人に段々感化を受けているようだ。
それと教授の影響がここにきて大きい。
気を緩めると、潰されてしまう位厳しい。


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543, [エッ嘘だろう!!]
 - 2002年10月08日(火)

[エッ嘘だろう!!]と思わず叫んでしまった。

・自己資本は資本金の2倍以上で、創業時の償却勘定で
 マイナスになった以外は黒字の優良会社と思っていたのに、
 会社の借入金がある銀行の不良債権の可能性があったという。

・政府系銀行の借入れの都合で個人名義で買った
「2箇所の駐車場の土地」の資金を会社から借入をした。
 その役員貸付金が自己資本と同額であった。
 その事情は銀行が解っているのに?金融庁の検査で問題になっているとか。

・金融庁の監査の担当がいうには「個人と会社は別物で、その事情は関係ない」
 という。「自己資本と役員貸付金は相殺するのが筋で、そうすれば
 実質資本金はゼロで、健全会社といえない」とか。
 たまたま節税のため、個人の2物件を会社に売却をする報告に銀行にいって、
 その話を聞いて呆然ー足し算引き算も出来ないのが現状なのだ。
 金融庁と地方銀行の審査レベルの混乱がこういう現象を生んでいる。

・これがグローバルスタンダード?という事なのだろう。
 考えてみれば個人と会社を一体で見るということ自体おかしな話だろう。
 銀行にしても、金融庁にしても「売却をして相殺しなさい!」ともいえない。
 こちらが判断をするしかないのか。
 とんでもない誤解?で、不良会社になっていたのだろう。

 かなりこういう混乱が全国で起きているのだろう。
 今の日本の自滅のある現象だ。
 社会主義世界の崩壊のある断面だろう。

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[178] 忘れられない店ー4(金沢)
ー平家ー鉄板焼き           
             2001/10/08

金沢にいた時期によく行った店である。もう30年も前の話である。
4〜5年前に行った時まだっその店があったが、しかし個性的な親父は死んで
しまっていた。
その店のかみさんがそのままいた。高級化して二店になっていた。

落人焼きといって、何でも鉄板で焼く鉄板焼きやで‘平家’というだ名前の店だ。
今でもちょっとないかわった店だ。食塩の箱入りとともに、キャベツが山盛りで
ツマミにでる。

大きい鉄板の上で魚や肉や野菜や豆腐を焼くのだ。その為店が油でギトギトで真っ黒で、またそれがいい。

親父が遊び人風の個性の塊のような親父で、その話を聞いているだけでよかった。
当然お母ちゃんがいて、人間味あふれた夫婦であった。2時間ぐらいいるうち、
必ず大喧嘩をするのが名物で、皆それが始まるのを待っている節があった。

「マダ喧嘩始まらないの?」と聞く人まで出る始末。そしてすざましい喧嘩である。
たまに奥さんが休みの日、一人ショボンとしているところがまた可愛い。
何回も家に電話しているのだ。たまたま初めて行ったのは、会社の先輩が競馬で
大あてをして連れていってもらったのだが、
「お前の人生は今日で終わりだ、大穴を当てた味を知ってしまったのだからだ!」
と先輩に説教が始まった。それがいやに説得があって面白かった事を思い出す。



1648.マグロ屋福助ー亭主・宗親の独り言・・7

2005年10月07日(金)

7・うちの商法ー2

宗親
こちとら月に一度は、その産地に行ってさセリに一緒出たりさして、
いろいろやっているのが解らないんだ。

それと築地に一日おきに行くの。マグロの部分買いもしているんだ。
それと見せ商品も買ってさ。
マグロ以外は絶対に手をかけないのがミソだ。

マグロだけだらさ、それだけ集中しているから安く買えるんだ。

店の開店までさ、彼らの数倍の知恵と時間を使っているんだ。
もう店が開いた時は、勝負がついているのさ。

酒もさ、新潟の酒のメーカーから直接仕入れるんだ。
一社だけだね、これは通でも素人でもわかる美味しさだ。
ほぼ越の寒梅と同じかそれ以上だ。〆張り鶴という酒なの。
蔵元が一緒といっていたが、事実かどうか解らないがね。

つきだしにトロを少しだけど出すんだ。
これもこれだけで1000円はするの。

240円しかもらってないの。ビールの大ジョッキーと
日本酒の小と付きだしで960円。うちは税込みだから、
1000円でおつりつくの。
これにマグロの焼き鳥で1時間という人が3分の一もいるんだ。
内じゃ「1200円セット」といってるの。

何処にもこの価値は出せないね。
火曜日は酒類を半額にするの、平日の1,5倍の客数が来るから
荒利は一緒なんだ。
ビールは生ビールしか出さないの。ビンの半額に近いからね。
それを特大ジョッキーで出すの、480円でね。
1リッターに見えるけど、実際は700mlなんだ。

これに新潟の酒を出すんだ。絶対に大瓶で出さない。
酒を味わってもらわなくてはね。
それと「日本酒5本以上は出しません」といってあるの。
価値のある酒だからね。結構日本酒儲かるんだ。

それとビンごと売るんだ。その店で一応出してね一合だけね。
あとは持って帰ってもらうの。
これだと国税から文句来ないの。
一回来たが理屈を言ったらそのまま帰ったね。
それらしき人がきて、しつこく封を切れず売れといったがね。

これはまもらなくて法律違反になってしまうからね。
それでも結構売れるんだ。
3800円でね。それにしても十分価値があるの。
原価が2400円もするんだからね。
酒は一合でも実際使うのは7勺も使わないんだ。
それで60�涌幣紊旅嗟�取れるんだ。バックマージンあるしね。

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2004年10月07日(木)
1283, 原油高騰の不安

原油が、あれよあれよいう間もなく高騰を続けている。
昨日の段階で51ドルで、このまま行けば、11月以降61ドルも
あり得るという。

イラク戦争後、原油供給国の政情不安を引き金に始った暴騰に歯止めが
かかっていない。産油国はフル生産をしているが追いつかないという。
この高騰には、イラク戦争の政情不安だけでなく、中国経済の原油消費が
「底なし沼」のためという。
既に、日本を抜いてアメリカに次いで世界第二位の消費国になった。

これに
・ベネゼイラの政情不安
・ロシアの石油大手ユコス社の輸出大幅減
・メキシコ湾を襲ったハリケーンによる影響による精製施設の稼働率のダウン
などが重なった為である。

これを材料にヘッジファンドが、巨大な資金をつぎ込んで先物取引市場をあおる。
いわゆる「ペーパー取引」は9月、実需の2.5倍もあったという。
ユダヤ資本が動いているのだろう。

いずれにしても、日本経済にとってはボディ・ブローになるのは時間の問題である。
デフレという前門のトラ、インフレ懸念という後門の狼の気配がしてきた。

原子炉に対して多くの批判があるが、(必要悪としても)
日本にとって造っておいて良かったことになる。
中国は世界にとって、大きな波乱要素になりつつある。

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2003年10月07日(火)
ある時間の断片  

ある時間の断片
1968年11時9日     

・10時起床。
瓜生のところで、30分お茶を飲む。
その後、洗面をして、今度は佐藤の部屋でコーヒーを飲む。
そこで、大妻女子大祭に行くからこないかと誘われ、尾形と佐藤と
3人で行く。知っている人が居ないし、一人で途中で帰ってくる。
その後米林が部屋に遊びに来る。
風呂に行き帰ってくると、再び米林が来る。
早稲田の二年であるが、哲学や文学などかなり突詰めている。
その後。駒村の部屋でTVデ「ハニーを銃を取れ」をみる。
なかなか面白い。
明日はハイキング、どうなることやら!
11月10日
・6時半起床。
長瀞にハイキング。
お相手は「文化服装学院」。
あまり乗り気がしない。
池袋から、東上線で寄居から長瀞へ行く。
電車の中で少し気分が悪くなる。
長瀞駅で引き返すつもりであったが、持ち直す。
ロープウエーで山頂に行き食事。
その後ゲームなどをして、13時半に山を降りる。
途中で半々に分かれて、16時まで長瀞駅で待つことにする。
駅裏の川辺が何ともいえない景色。
絵に描いたような自然が何とも素晴らしい景観であった。
いつかどこかで見たようなイメージであった。
16時14分の電車に乗る。
佐々木さんと、相手がたの女子大生4人、他のグループと分かれる。
気が乗らず、新宿で3人と分れ帰寮する。
まだ誰も帰ってない、24時まで佐藤とビールを飲む。

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542, K−1が面白い
- 2002年10月07日(月)

1昨夜のK−1が面白い。
これは10年近く前から始まった総合格闘技である。
寝技を認めてないのが、プライドという格闘技と少し違うところだ。
キックと空手とカンフーの頭文字のKの字を取ってK−1にしたものだ。
異種の格闘技だから、たまらなく面白い。

最近はプロレスとの対抗戦やプライドや極真空手との対抗戦があって、
エキサイテングの多い内容が多い。
極真空手も最近は苦戦をしている。(最近は世界最強の格闘技と言わなくなった)

この10年間のK−1のトップクラスの選手が全盛期を超えてしまった。
その上に世界には幾らでも強い選手はいる。
昨夜もk−1のナンバーワンの選手が、格闘技を始めたばかりのパンチさえ
まともにうてないアメリカン・フットボールの元選手に軽く負けてしまった。

これは見方によってはk−1の全面否定でもある。
相手は筋肉の塊の2メートル、170キロの選手でただ力任せにパンチを振る
ストリー・ファイター。それに負けてしまうのだから面白い。

前回は反対に、プロレスの実戦派の強豪が軽くK−1の選手に負けてしまった。
最近は金網の中で、噛み付きと急所の攻撃以外なんでもありの総合格闘技の放映を始めた。
もちろんアメリカ本土の内容だが、寝技が中心になっていて、内容は凄惨過ぎる。

最近は月に一〜二度は、面白いボクシングかk−1が見られるのがよい。

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[177] 世間様ー2
2001/10/07

あまりに程度の低い言葉なので書きたくないが、実感している言葉として、
その言葉を多用している‘痴呆症(病)の無恥蒙昧’(自身も含め)に捧
げるためにかく。

しかしこの言葉の被害者になったり、加害者になったりしているから
ことは重大だ!それこそ「みな皆いっている」
これが‘世間というやつ’の正体の、いや現象の表皮の世界の(俗に言う世間の)
テクニックとして通用しているからことは重大だ。

ある話を聞いてこれは面白い!利用してやろうという時、
「皆言っている!」と知的レベル?低い人間を探していう。
あるいは相手を混乱させる目的に言う。

それでは「皆言っている」にどのようなが含まれているか?

1、誰も言わなくとも自分の主張強調するために使う。
2、一人に聞いたとき、誰かに話を強調するために使う。
3、噂の場合につかう。
4、聞くほうは実際どうか解らないが、それをまた人に使うに都合よい。
5、相手を実際やりこめる場合の言葉のテクニックとして有効。
  (俗物の塊のような男に何回もいわれた)
6、皆ーとは何?程度の低い底レベルの戯言そのもの。
  そのレベルの人種の呼び名。
くだらないことを書いているが、でもこういう世界が世間という事。



1647.マグロ屋福助ー亭主・宗親の独り言・・6

2005年10月06日(木)

6・うちの商法−1
宗親
飲食業界も今は一段と不景気だね。
その中で一応、いややっと生き抜いている状態さ。

昔から常連のお客にコンサルタントの人がいてさ。教えてくれるんだ、
商売のイロハをね。それを忠実に実行してるんだ。

コツとはね、一点集中という事。
自分がレンズになってしまうんさ。
商品もマグロを中心に出してね、
8割はマグロさ。

後は見せ商品なの。
見せ商品とは、手のかからない3〜4品で売れきれにしちまう商品。

それは殆ど儲けないの。
すぐ売れ切れてしまうから、
それでいいんだ。

商品の荒利を55パーセントにして、
酒類は63パーセントにしておくの。
それで58パーセントの荒利にするの。
それだけでは駄目だね。

全ての商品を240円と480円の値段にしておくんだ。
ああそれと980円を少しね。
これは見せ商品。でもそれが売り上げを稼ぐんだ。
荒利30�佑杷笋襪鵑澄�
お客も解っているんだ、自分も言うしね。

マグロもいいマグロを可能な限り使うの。
このぐらいの大きさの店で繁盛さえさせとけば、マグロの一本買いができるの。
もちろん本場の??から、直接買うの。
それとカマー頭だけを一本につき10個安く買うの。
大体それを毎日送ってもらうんだ。

それをさばいて、240円、480円、
980円に商品を創っていくんだ。
そうすると、ほとんどがよその店の倍の価値の商品になるんだ。
980円のトロなんて、他所じゃ3千から6千円の価値は十分あるんだ。

240円は普通の店じゃ捨てるところを、丁寧に切り出してさ。
焼き鳥風串焼きやハンバーグ風にしたりするの。カマも結構使えるんだ。
3分の1は980円で出せるんだ。

同業者も首をひねっているんだ。
Date: 2002/03/24/11:18:39

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2004年10月06日(水)
1282, 「元気の出る言葉」−2

一歩踏み出そうと思う言葉−2

「短い期間のことであれば、人のアドバイスが正しいこともある。
ただし、長いスパンで考えると、直感のほうが正しいことが多い。」が考えさせられる。
長期に過去を見てみると自分の直感が正しいことは、長い人生を生きてくれば周知の事。
もし間違っていれば、即座に自分に跳ね返ってくる。

深く考えてみると人のアドバイスも正しいことが多い。
私の結論は、直感六分、アドバイスが四分である。
直感で正しいと思ったことで、多くの間違いをしてきた経験をしてきた。
現実は自分の主観でいろいろ変って見えてくる。

といってアドバイスに頼ると、自分の判断力ー直感が鈍くなる。
アドバイスを徹底的に検証して、直感を入れていくしかない。
長期的なことに対しての直感は正しいことが多い。
当たり前のことか?

ー以下は前回の続きのコピーである。
「エッ、そうかなー」という疑問こそ、考えることになる。

■やったことは必ず何らかの形で結果が出るし、
 逆に言えば、自分でやったことしか手に入らない。
 感想ーそれが解るのに何年かかったことか。
    べき時にべきことをべくすべしということだ。
■たかが人生。何が起こったっていいじゃないか。
 感想ーそうかな〜!たかが人生、されど人生じゃないのかな〜ー
■直感とは、すぐに決断する勇気だ。
(by 小室哲也)
 感想ーこれが出来ないが、出来ないことで救われたことも多い。
■人生に夢があるのではない。
 夢が人生を作るのだ。
(by 謝 世輝)
 感想ー夢は夢、針ほど願って棒ほどかなうでよい。
■偶然は準備のできてない人を助けない。 
(by パスツール)
■あの時の苦労を、私は誇りに思う。
(by 和田清華)
 感想ー失敗した言い訳にもなるが
■とにかく今日やってることが3年後の自分をつくるんだという気持ちで
 やっていかないと、何も始まらないんだな。
(by 落合信彦)
■「ここ一番」と思った時は、いつもより力強く、一歩も二歩も踏み出して
 自分の思う通りに行動したほうがよい。
(by 谷沢永一)
■大切なことは、出発することだった。
(by 星野道夫)
 感想ーでも準備をしてからだ。
■時々、自分が何をしたいのか見つけるために、
 ともかく前進し、何かやってみるしか仕方のない時がある。
 すると、行動し始めた瞬間に、自分の気持ちがはっきりわかるものだ。
(by ヒュー・プレイザー)
■人間、心から100%本当に思っているのだったら行動する。
■人生は10段変速の自転車のようなもの。自分が持っているものの大半は使っていない。
■人には「できること」と「できないこと」がありますが、自分で自分の枠を
 つくってしまって「できない」と思っていることのほうが圧倒的に多い。
 いままで「できない」と思って「やらなかったこと」のなかに、どれだけ
「できること」があったか。
(by 村上和雄)
 感想ーこれほんと!
■短い期間のことであれば、人のアドバイスが正しいこともある。
 ただし、長いスパンで考えると、直感のほうが正しいことが多い。
■24時間、自分のやりたいことだけやって何が悪い。
 それをやりつくしても、時間は全然足りないのに。
(by 山本恭子)
■自分が眠っていると気づいた人は、その瞬間、既に半分目覚めている。
(by ウスペンスキー&グルジェフ)
■大切なことは、遠くにぼんやりと存在するものに目をやることではなく、
 手近にはっきりと存在することを実行することだ。
(by トマス・カーライル)
 感想ー両方必要じゃないのかな〜
■チャレンジして失敗を恐れるよりも、何もしないことを恐れろ。
(by 本田宗一郎)
■考えるな、感じるんだ。
(by ブルース・リー)
 感想ーまあ、映画のせりふではよいが。
■あなたにできること、できると夢見たことがなにかあれば、それを今すぐ始めなさい。
 向こう見ずは天才であり、魔法であり、力です。
 さあ、今すぐ、始めなさい。
(by ゲーテ)
 感想ーまずは準備から始めなさい!
■どんなに沢山の高尚な言葉を読んだとしても、どんなに沢山の言葉を話した
 としても、それにのっとった行動をしなかったら、何の役に立つのだろうか。
(by ダマパダ)
 感想ーそうかな〜
■人生を変えたかったら、今すぐ始めなさい。はではでしく大げさにやりなさい。
 例外はなしです。そして、言い訳はしないこと。
(by ウィリアム・ジェームス)
 感想ーそのとおり!
■どこかにたどり着きたいと欲するならば、今いるところにとどまらないことを
 決心しなければならない。
(by J・P・モルガン)
 感想ーそれが難しい、若い時こそ必要な言葉だ!
■世界を動かそうと思ったら、まず自分自身を動かせ。
(by ソクラテス)
 感想ー準備、準備、準備!
■昨日の夢は、今日の希望であり、明日の現実である
(byロバート・H・ゴダー)
 感想ー今日の「希望」に「絶望」を入れ替えても、いえるから用意周到な
 計画をたてなくては。

何か感想、茶化しているみたいだが。
経験はあくまでも自分の範囲を決めてしまう。

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2003年10月06日(月)
ある時間の断片ー35.36

11月8日 −前半
・7時50分起床。
人事管理の授業に出席。
今回こそ試験と思っていたが違った。
授業終了後、朝飯と昼飯を兼ねて食事。
11時にゼミで、それぞれの車で石川島播磨造船所に向かう。
一時過ぎに到着。
そのスケールの大きさに腰を抜かさんばかりの驚きであった。
30万トンの巨大タンカーの大きさに、たたただ呆然とした。
数百人が蟻のように張り付いて働いていた。
組織の意味を教授が教えたかったのだろう。
私は小さなボートに乗っているほうが合っていると思った。
凄いものを目の当たりに見せ付けられた。
工場内のオートマチックの流れも驚きであった。
そこの課長との質疑も面白内容であった。
帰りは教授の車に乗せてもらう。
田島君や小島君は議論が大好きだ。
彼らについていけず一人蚊帳の外という感じであった。
途中渋谷の喫茶店に入り話し合う。
教授の思想について聞いたり、女性論を話し合った。
教授に「社会に出ると良い相手はなかなか居ないから、学生時代に
探しておいたほうがよい」と言われた。
そうならそうと解っていたら、去年にチャンスが集中してあったが。
「さっきの話で、堀井君は女性は打算的といっていたが、自分と比べて
言っているのか、それとも自分が打算的であるが故に女性に対しても
打算的に見えてしまっているのではないか?」と鋭い指摘をされた。
私の全性格を見抜かれているようで恐ろしい思いがした。
教授の女性遍歴を少し話された。
昔同棲していた女性のこと。
そしていまの奥さんとの出会いのことを話された。
教授の思想はアメリカナイズされた極端の個人主義と自分で言っていた。
教授自身、自分の思想にしろ理念をハッキリ言って持ち得ない!とのこと。
分析能力は自信がある。
しかし、それを一つの思考形態の統合するのには、分析で物事が見えすぎる
為に躊躇をしてしまうとの事。
経営学の野田一夫教授は、直感的に思想を持ちえるし、当たっている。
しかし分析に関しては、全く甘いと指摘されていた。
ピーター・F・ドラッガーの受け売りでしかないとか。
しかし、生徒に対する影響度は野田教授の方が上だとも言っていた。
奇麗事は言うが、汚れ役は必ず避けて通る人だとも。

武沢先生は教務部長、野田一夫教授は課長でしかない。
同じ年齢でライバルだが、大学では武沢先生のほうが上だ。
人事管理を専門にしているせいか、流れのままの刹那的なところが
みられた。人事管理哲学があるなら、それこそ先生の哲学になってしまっている
といって良いのではないか。

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2002年10月06日(日)
541,幸福と本当の仕事

何気なく本を読んでいて、自分が事業を通して得た実感が、
ずばり書いてあることがある。そのうちの一つが下記である。
山本周五郎の「青べが日記」の一節である。

ー幸運を望むものよ、お前は3つの事しか為さないのに
10の結果を望んでいる間は、幸運は来ない。
幸運を望む男よ、お前が2つの結果を得る為に、10の事を
したら必ず、幸運は来るぞ。
貧乏をしても、出世していく友に遅れても、本当の仕事(為事)
をこつこつやっているこの力強さ。
白蟻が大黒柱を如何にしてガランドウにするか己が知っているー

事業をしていると、この闘いだ。
2の結果を得る為に10の努力をしてもマイナスになるのが事業の
恐ろしさだ。
「しない方がずっと良かった」という結果との闘いである。
「本当の仕事」をしているつもりが、虚の仕事をしてしまう。
「本当の仕事」をきっちり見つけなくてはなるまい。

知識と情報と経験不足から、それらは起因する。
新しい事態に対する判断を、常に不足状態の能力の中で求められる。
経営は相撲の喩えでいうと「14勝1敗より、8勝7休」
でなくてはならない世界であり、一敗は致命傷になることが多い。

情報と方向が正しいなら、1の努力でで10の結果を得る事が可能な時代でもある。
情報化社会でその傾向がより強くなっている。
現代の不幸は最小の努力で最大の成果ー効率を求められることである。
人間の気持ちまでも効率を求めてしまう事が、不幸にしてしまう。

好きということは最大の努力に対して、それ自身が楽しいことだ。
好きという事と有利という事を混同してしまうことが、人間を不幸にする。
好きの事を有利にする事は可能だが。

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「176」 [自己能力の限界の設定]
 2001/10/06

この言葉は30年前になるが金沢にいた会社の浅野という人事部長の言葉だった。
何か強烈なインパクトのある言葉だった。

‘自己能力の限界点’から自分の足すべき能力をプラスしていく事と解釈した。
10数年前の講演会でヤクルトの野村監督が(彼の浪人時代)全く同じことを
言っていた。

「自分は三流選手、一流になるために何をプラスすべきかを、
ぎりぎりのところで考え実行してた」
要するに三流をわきまえたため、戦略戦術をたてることが出来た。
それゆえに一流の成績を残す事ができた。
戦術戦略を立てるときに、自己把握なしにたてることは自殺行為でかつ空論でしかない。
自己能力の棚卸という事だろう。

自己能力の限界の設定は逆の面でも言える。勝手にマイナスに設定して、
それを理由に何もしないで留まってしまう事だ。



1645.マグロ屋福助ー亭主・宗親の独り言・・5

2005年10月05日(水)

5・ゴールドクラブ

宗親
酒はこの商売をしていて、つくづく気違い水と思うね。
まあみんなこの世智辛い世の中、気でも狂わなくてはやってられないのは
判るけどね。

陽気な酒、喧嘩っぽくなる酒、助平になる酒、理屈っぽくなる酒と
いろいろあるね。まあ気違い水を売って此方も食べてるんだから、
なにも言えねんだがね。

本当のところ、素面で酔っ払いを見ていると面白いよ。
気違い水を脳に叩き込むんだら。

その中で特に面白いのは、シラケ酒って言う奴さ。
独り浮いてしまって、暗い自分の殻に入ってしまう奴。
オールドミス、いや〜ああなるとゴールドミスさ。
グランドオールドで、G,OLD、ミスって奴さ。

独りでいつもある時間が来ると泣き出す。
皆もそれを知っていて、待っている。
普段イライラを周囲にぶつけているんで、皆心の中は喝采さ!
でもそれがバレタラ、あとで数倍も陰湿にいじめられるから、
隠している。それが見ていると可笑しくってさ。

セクハラという奴も、面白いよ!
それもあるけど最近は女も恐ろしいよ。

自分で誘っておいてさ、都合が悪くなるとセクハラという奴。
見ているとおとこの方が馬鹿だね。
もてない男ほど、すぐ引っかかるね。
あまり慣れてないから、引き際が判らないんだよね。

こうやって色色見ていると、人生いや人間なんて結局さ
その人間が実際行動した全体だと思うようになってきたよ。
それから一歩も大きくもないしさ、小さくもないしさ。
これが意外と判ってないんじゃないかな。

Date: 2002/03/05/21:45:58 [23]

・・・・・・・・・
・・・・・・・・・

2003年10月05日(日)
ある時間の断片ー34

11月7日     −1968年
・10時半起床。
12時に池袋に出発。
掲示板をみていると川崎と出会う。
「ヤタロー」で食事。
その後、「価格理論」の授業を聴講。
 12月5日に試験とか。
産業関係論が11月21日に試験と帰りに寄った掲示板に書いてあった。
明日のゼミの工場見学の資料を取りに武沢教授の部屋に行くが、助手の
横浜さんが居ない。
川崎君と一時間位喫茶店で話す。
磯部嬢とバッタリ会う。
石川とは上手くいってないみたいだ?
数ヶ月前に行ってきた欧州旅行のことを話したいみたいだ。

17時に帰寮。

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540,お経
- 2002年10月05日(土)

お経は「般若心教」「観音経」「歎異抄ー第一章」
「生長の家」の経を暗記してある。
別に生長の家の信者ではないが、お経の内容は良い。

お参りとかの時にそれを使い分けている。
「お経を暗記してると何なんになるんだ?」というが、
逆に暗記してない事を考えてみると、その効果は絶大という事が解る。
少なくとも、夜寝れない時の眠り薬になる。
般若心教は「憶える前とその後」といえる位な内面の変化がみられる。
心のベース基地ができる感覚である。

南無阿弥陀仏やアーメンの中に「オーム」という響きが入っている。
オームは宇宙からのある波長と同じという。
暇な時間に「オームオームオーム」とゆっくりと繰り返して
100回位唱えてみると、気持ちが落ち着いて宇宙と一体感
になっているような気になる。

8年前に書いた文章をコピーしておきます。

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ーH0605般若心経のすすめ  ー
十年前に創造工学の中山正和氏の“運のつくり方”
という講演で般若心経のすばらしさを聞いて一ケ月がかりで丸暗記をした。
今まで何万回唱えただろうか。当社では入社教育で丸暗記が必須となっている。
二人の子供ま毎朝の仏壇での私のお経の為か丸暗記をしてしまった。
十年間の経験より(私の実体験より)直観した事を列記すると
�ー�分サイズの時空を超えた一つの視点をえた
�⊃澗_擦貿板垢�あっている(リズム)
��α波がくみこまれている
�ぁ版亜匹�この中に入っている
�イ�寺・神社等で唱えるとTPOとして、その場のイメージが鮮明に残る
��情報雑念等を切断、整理をする働きがあり結果として“運=無意識の判断”
を左右する
�Г海譴鬚�り返しているとベースとして“空”がつみ重ねられてゆき
自己の中にその中空がつくられる
��夢の中で“空”を直感するイメージを得られた、等々限りない。
 
立花隆と宇宙飛行士との対話の中で
「彼等は地球をはなれた体験の中の一瞬にキリストや仏等の教祖が苦難の
上で直感した“絶対無”を観た」のではないかと言っている。
それは般若心経をくりかえしの中で少しでも近づける様な気がする。

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[175] 忘れられない店ー3

2001/10/05 11:25 NoName


衣料のデスカウント店で、産地直結の仕入れで大量仕入れ大量販売のはしりで、
全国的に有名な店であった。
大阪、岐阜、岡山、広島の産地に直接仕入れをしていた。
また大手商社からも直接仕入れをしていた。

全国的に超繁盛店で有名にもなっていた。
20年間位は店にはお客が殺到していた。

大家族のため両親からの干渉は一切なく、放任そのものであった。
各自が自分ひとり生きていくのが精一杯の状態であ。
−当時は商売をしているところは、大方そうでなかったかと思われる。

そのプロセスで大光無尽の駒形重吉とかいう男の‘金貸し’の勃興とか、
三条の香具師か露天商の渡辺とかいう人の興こした‘丸大’とか、
十日町の衣料品店の市村とか言う人の興した‘イチムラ’とか、
‘内山商店’とか、大手通りを見ているだけで激しい流れがあった。

私の実家は(特に父は)戦前、津上製作所の津上退助とか、互尊翁といわれた野本某とか、
山本五十六とかに可愛がられ、茶人としてもかなりのレベルの人であったようだ。

怪しげな金貸しの駒形某など馬鹿にしきっていた。反面羨ましそうの面もあったが。
そういえばこの本家すじの山形の元家老の事業家が、私のところに来たことがあった。

10歳までの10年間は遠い彼方の異次元の世界に思える。

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今回旅行はベトナム       
    2001/10/05
(11月8日〜14日ー7日間)に決定!
      ー近畿ツーリストー 16.8万ー

ガラパゴスかマダガスカル島かベトナムか迷っていた次回旅行が
ベトナムに決定。このニューヨークのテロで本命のマダガスカルが成立せず、
ガラパゴスもどうも出発も怪しげで、今回は自粛も含めてベトナムに決定した。
旅行仲間からベトナムのよさは聞いていて、この2〜3年先の計画に入れていた。

あまり今回のテロの影響の少ないベトナムが手ごろと判断した。
行くなら今のうちがベトナムの合言葉になっていた。
あと10年も経てば今のタイや中国みたいに、西洋社会に染められるからである。

今年はメキシコとロシヤ・北欧と今回のべとなむと刺激の少ないところだった。
来年は西アフリカ、ガラパゴス、スイスアルプスの予定だ、いければの話だが。
何があっても行くのが趣味の世界だ。


1645.マグロ屋福助ー亭主・宗親の独り言・・4

2005年10月04日(火)

4, 超一流の人
 宗親

どうしてもこういう商売をしているとね,
人間の悪い面だけが見えてしまってね。
でもいいことも多いよ。
絶対にこういう仕事でないと会えない人と
直接話ができる事だね。
芸術家で日本国宝の人とか、超一流の奴。
やはり普通じゃないよ。一流になる人は違うね。そう信念ね、持っているね。

「酒をの飲むなら男とのみゃれ、10年かけたる読書に勝る」あれだね。
一生を一つの事にかけている奴は違うよ。

ひと言ひと言が、にじみ出てくるんだよな。
教わる事は、「真剣に」ということさ。
その人の周囲はピーンと張り詰め空気が漂ってるんだよな。

あの空気というか雰囲気は、実際会ってみなくては解らないよ。
自分の仕事と何も違うところはないよ。
ただ真剣、純粋そして高貴というか後光が漂っているね。
人間こういう人は、1000人に一人いるんだよ。
まず50人に1人、別格のがいるんだ。
その50人のなかから20分の一選ばれる
んだよな〜。
そのへんの人は、自分で考える能力があるんだ。
物真似を超えて自分の何かを作り上げたやつさ。

50人に1人は物真似レベル。
そのなかで20人に1人自分のものを作れるやつが出てくるんだ。

これ私の客商売で人を見た中で感じたことさ。

Date: 2002/03/02/18:46:52 [22]

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2004年10月04日(月)
1280, 「乾杯!」を考えてみる

 乾杯といえば、忘年会などの酒席や、祝いの席には欠かせない。
家内や知人と飲む時も、グラスをぶつけあって乾杯をしている。

「乾杯」は、そもそもは日本古来のものではなく、その起源は古代ギリシャ、
ローマ時代に遡る。

『世界大百科事典』(平凡社)には、
「古代に神または死者のために神酒を飲んだ宗教的儀式が起源とみられ、ギリシャ、
ローマでは食事中に神酒を神にささげ、公の宴会では列席者ならびに死者のために乾杯した。
……それがいつのまにか生きた人間の健康を祝福する乾杯となった」とある。
 
 古代ギリシャ人の間では、「酒を飲むと、一緒に魔物が入ってくる」と考えられ、
飲む前にグラスをぶつけ合うことで悪魔を払ったといわれている。
悪魔は大きな音や騒がしい音が嫌い!特にグラスの鳴る音を嫌がったらしい。  
 
その一方ではもう少し生々しい説もある。
「紀元前6世紀、ギリシャ人の間には主人が友人の健康を祝って乾杯をする習慣があった。
当時、敵を殺害するため、ワインに毒を入れることがよくあったため、まず、
主人がワインを飲み、客はそれを見て安全を確認してから自分のグラスのワインを飲んだ」
というのだ。
互いにグラスを勢いよくぶつけたり(酒が混じる)、一斉に飲みほす……というのも、
毒殺対策がいわれというわけである。

飲みほすことについては、杯に底が平らでない貝殻や獣角が使われており、
飲みほさないと傾いてしまう(こぼれてしまう)ためともいわれる。  

記録によると、毒殺の盛んだった中世ヨーロッパでも、グラスをぶつけ合い、
互いの酒を入れ合うことで、毒が入っているかどうかを確かめていたという。
時の王様は自身の権力をライバル達に知らしめるために、大勢のお客を呼んで夜ごと、
豪華な晩餐パーティを開いていたが、しかしライバル達を暗殺する絶好の場だった。
そこで乾杯をして、毒など入っていない事を証明し合う行為だった。

乾杯は世界中、どこにでもある習慣だ。
スペイン南部の結婚式で行われる風習とは、乾杯で新郎新婦が乾杯酒を飲み干し、
そのグラスを地面にたたきつけて割るというもの。
「これには独身時代には色々な事があったけど、全てきれいさっぱり捨てて、
今ここから新たなるスタートとしよう!」という意味が込められている。

大学の卒業式の後、学食で学部の全員が集まり、パーテーがあった後、
乾杯してグラスを割った記憶が生々しい。
これで学生時代とお別れという節目としての粋な計らいであった。

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2003年10月04日(土)
ある時間の断片ー33

11月6日        ー1968年
・10時起床。
風邪で頭が痛かったが、少し良くなってきた。
12時、佐藤君のところでお茶を飲む。
その後本を読む。
夕方、飯を炊き、刺身を二人前買ってきて食事をする。
風邪を回復するための滋養だ。
食べ過ぎのせいか逆に気分が悪くなる。
21時にレポート用紙を買いに出ると、市川氏と高橋君に会う。
近くの行きつけの「サンキスト」へ飲みにいく。
 となりの30過ぎの女性と話す。
一人で楽しんでいるみたい。
私を田舎の坊ちゃんとか、結婚する典型的タイプとか、気取っているとか、
貶されているのか、褒められているのか解らない。
これが自分の姿なのだろう。
市川さんのおごりだ!
その後3時間、勉強をして寝ようとすると、佐藤のところで
駒村、ブーちゃんと3人で飲んでいる。
私も加わり、どうでもよいような議論が始まる。
どうも攻撃的で、間中のブーちゃんを責める。
他人事でないのに、なにを言っているのか後悔する。
酔っ払いでしかない。
もう少し勉強に集中しなくては、ダメだ。卒業まで時間がないのに。
周囲に動かされすぎだ。
いまの勉強は、自分を納得させるためにしているに過ぎない。

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539,至高体験−2
- 2002年10月04日(金)

「この経験をしただけでも、この世に生まれてきた価値が充分にある。
この瞬間を経験する為に生まれてきたとといって良い」という感覚である。
精神病は精神のマイナスの偏りの病だが、プラスの人(何をしてもうまくいく人)
は、至高体験を異常に多く重ねているという。

私の至高体験具体的に書いてみる(恋愛・下ネタはないのが少し残念だが?)
ー旅行先でのそれが多い

・初めて海外旅行ーヨーロッパに行った時、生まれて初めて腹の底から笑った、何回も!
確かイギリスのパブで、それとオーストリアのワイン居酒屋で、それとミュンヘンの
ビアホールで。感動と歓喜の毎日であった。
その旅行で私の固い頭を(固定観念を)叩き壊されたのが最大の
収穫であった。
中学高校時代は腹の底から笑う事は本当に少なかった。
またそれだけ刺激の強い事は、それまで全く無った。

・あとは20数年前、実家の会社にいた時30人近くを引き連れてハワイに行った。
その時も、至高といっていい位ぐらいハワイの総てに感激した。
世界に名だたる観光地、ショーにしても、洗練された内容が次々出てきた。

・カナダのロッキーも感動感動の連続であった。「一回しかチャンスが無いが、
何処に行ったらよいか?」といわれたら、カナダのロッキーだ。
多くの旅行経験者はそう言う!
地球でなくどこかの星に行ったような錯覚に陥る。
「ロッキーでの旅行の感激は、「自分の家を売ってでも経験する価値がある」
であった。この日を境にして、この経験をする前と後という感じだった。

・9年前に震えながらいったケニアもそうだ。
アフリカの大地の広大のサバンナを見たときの驚きと感動!
遙か彼方にシマウマとヌーが数十頭走っている姿を始めてみた時の
感動も強烈な思い出だ。

・事業でもそうだ。
初めて千葉で千城ビルを立ち上げ仕事も軌道にのり、
ふとそのビルを見上げた時の何ともいえない絶頂感も良かった。
誰もがその瞬間を持っているはずだ。

・会社の忘年会や竣工式の後の宴会でも、それに近い気持ちになる。

成功経験を重ねる人は、至高体験を重ね続けることの出来る人だ。
巨人の長島は至高体験を普通の人の数百倍、いや数千倍経験している。
それがますます至高体験を呼び寄せる。
自分を良くしようとしたら、至高体験を重ねる事だ。

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2001年10月04日(木)
「随想日記について}

新たに考えた事より、殆どが過去に日記帳などに書いた内容が多い。
それをむしろ再度まとめ直しているといってよい。

具体的文章と、抽象的文章と、その中間の文章を意識して分けて書いた。
かなり刺激的な文章もあるが、これも迷ったが思い切って載せた。
この随想日記と事業百訓などの20年の文章は私の潜在意識かもしれない。

潜在意識の顕在化のプロセスを、毎日実施していることになる。
よくテーマが出てくると感心する。
一週に一回ぐらいの割りに全く何を書いていいか解らなくなることがあるが、
しかしいつの間にかテーマが出てくる。

‘しかかり文章’を先に2〜3作っておくことがポイントである。
そうしておかないと、常に不安感が付きまとう。。

仕掛かりとしての文章は余裕を持って気楽に書ける。
土日曜日に、3〜4つ仕掛かりの文を書き溜めておく。

どろどろした経験でたまった原始言語の概念化か。


1644.マグロ屋福助ー亭主・宗親の独り言・・3

2005年10月03日(月)

3,ヘドロのボウフラ
 宗親
こういうところで人間を観察をしていると、いろいろな事が見えてね。
人間不信にもなるし、つくづく嫌になるのが「卑しい人間」だね!

特にサラリーマン社会の他人の中傷は、聞いていて耳を塞ぎたくなるね。
特に店に来る中で一番たちの悪い「K」というのがいる。

社内でも取引先でも、最近は友人でも、その時その時の有力者を連れてくる。
そして相手からうまく集っている。
それだけならいいが、営業と、社内営業もチャッカリしようとする。
集り尽くすと、手の裏を返すんだ。

本人もA 時点の相手、B時点の相手、C時点の相手と時系列に付き合っている。
Aは新規の相手、Bは情報を収集で集っている得意先さ、、Cは手の裏を返す相手。
Cが何故判るかというと、集れなくなった相手をAやBに「それまで取った情報」
を売るのさ。常に相手を回転してさせている。

最も本人にその意識がないから質が悪い。ただ動物的にやっているだけだからね。
それがノウハウだからね。

見ていると、そして集り方を上手く変えていく。さっき言ったように、
Cの時点の見方はその相手を、Aの相手の餌にするから良くわかるのさ。
嫌あだね。これだけでその社会で生きてきたんだって。
サラリーマン社会も甘いね。こんなダニみたいなのが40年近く抹殺されないからね。
実質はされているようだがね。

今はかなり「危ない会社の社長をしている小学校の同級生」を狙っている。
「噂によると年内で倒産」と彼は言っていたが。
ところが、目の前じゃ歯の浮くような話しだ。
その同級生の噂が、近く表面化してくることを見越して近寄ってるんだよな!

会社関係じゃ誰も知っているから、今度は同級生だってさ。
ハイエナもいいとこだよ!
いつもわからない様に塩を撒いているんだ、店が汚れるもんね。

本当にサラリーマンなんかしていなくてよかったよ、こんな人間をみると!
共通点があるんだ、こういう男にね。
三流会社の傍流の会社の万年ヒラという事さ。
どぶ川のヘドロに湧いたボウフラとか同僚が言っていたっけ。
Date: 2002/02/27/20:36:45 [21]

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2004年10月03日(日)
1279、イチロウの大記録

それにしても、イチロウの記録には驚いた。
絶対無理といわれていた257本のヒットの記録をついに破った。
これで、歴史に残るスーパー・スターになった。
相手チームの選手も祝福してくれるのだから、それだけ凄い記録ということだ。
これほどの歴史の残る大記録を、日本からの輸出品(完成品)で通用したことは、
驚くべきことである。

生のドラマを、劇場的雰囲気で見れるのだから素晴らしい。
昨日は、この試合を初めから終わりまで見た。
野球の試合をフルに見たのは、数年来初めてである。

イチロウが初めて打率を日本でトップをとった20歳の頃、
森・元監督が、あるセミナーで「王や長島より数段上の天才バッター」
といっていたことが頭によぎる。
しかし、ここまでの大選手とは思ってもいなかった。

以前にも書いたが、彼のある言葉に注目をした。
ートップクラスの投手の一番得意の決め玉を待つ、他の選手は得意球を
避けて甘い玉の来るのを待っているが、自分は違うー
超一流の投手なら、驚くだろう。
「奴は俺の得意玉を待っている、挑戦をしようというのか?」
「それなら、受けて立とう!」といかないのが、人間である。
今だかって、その経験がないからだ。
相手が、得意の玉以外を待っているから、得意球が効果を上がるのだ。
マジックショーのネタを相手が知っているのだから。
見ている方からしたら、こんな面白いショーはない。

彼は、手持ち時間は常にストレッチをしている。
超一流選手は、どういう訳か怪我が少ない。
常に鍛え、集中しているからだ。

ー以前書いた内容をコピーしておきます。
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2001/12/21
[233] イチロウ

「将棋、囲碁など今の天才と言われる新人類は、
みんなコンピューター付きマシーンを使っている」
と、美輪明宏がTVで言っていた。

何か練習に工夫をしているのではないかとは思っていたが、
昨日のBS・NHKのイチロウ特集で、その秘密の一部を知る事が出来た。
それは何か!

「テニスボールを投げ込むマシーン」であった。
それで230�舛離謄縫好棔璽襪鯏蠅温�み、スピードに対し、目を作ることと、
反射の訓練をしていたのだ。
これが彼の秘密のかなり本質の部分と直感した。

実際に球がきた時に、緩く見えるまで訓練するのである。
そこに赤と黒で数字が書いてあった。
それが見えるまで訓練するのだろう。

バッテングと守備の捕球に対して、
球の見極めができるようになるまで訓練をしているのだ。

子供の時から、そのマシーンを使っていたのではなかろうか。
脳と身体のサイボーグ化をしていたのだ。

もちろんそれだけでは、あれだけのプレーはできない!
その上に努力を人一倍重ねたのだろう。
努力は誰もできる、要は、人と違った手法を如何見つけるかだ。

イチロウは自分の練習を人に見られるのを極端に嫌っていた。
他にも彼なりの科学的方法を積み重ねていたのだろう。

数年前に森監督の講演を聞いた時、「イチロウは王・長島とは格違いのレベル」
と言っていた。
そのとうりになってきた。

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2003年10月03日(金)
912, 開発部門ーベンチャー

 人間も組織も、自然に任せておけば、「最良」を避けて「良」だけをする。
いや良だけでなく、悪をする。
そこで「組織にとって最良とは何かを考え実行する部隊」となる職種とは
なんだろうと考えたら、開発部隊であろう。
それも3年〜10年後の新しい事業の開発行為を専門に動く職種である。

 これを組織的に創るとしたら、「経営・戦略開発室」いや「経営企画室」である。
ラインやサービスとは独立をして「情報と経営・戦略の立案」に専従する職種だ。
組織的ベンチャー部門ということか。
この激変の時代、常にその変化に対して自己革新を続けなければ、
すぐに陳腐化をしてしまう。
そのこと自体も判らなくなるのが組織いや人間というものである。

 ところで、8月21日から開発専門を一人独立をさせた。
毎日、情報とりを開始をした。勿論、ラインの仕事を一切なし。
新プロジェクトの開始である。
二年前と三年前に一ヶ月間だけ期限を切って、二人に開発休暇を与えた。
期限を切れば、ラインの視点を超えることができないことに当時は全く
気がつかなかった。悪く言えば、本気にはなれなかったのも当然である。
開発の必要性に気づきだしたのに、あと一歩であった。

 問題の大部分は組織図にあるというが、その通りだ。
人間そのものの素質という面もあるが、システムー仕組みの問題点として
問題点を捉えてみるべきだということだ。

 開発行為は『外』に対する働きかけて新しい事業チャンスを模索することだ。
自分の庭の中には地表深く掘り下げれば多くの金塊があるかもしれない。
それに気づくためにも、一度外に働きかけなければ。
少なくとも事業に関しては、庭の中にいては何も見えてこない。
小さい会社は社長そのものが一番の仕事になるのだが。

 金物屋はホームセンターには変身不可能である。
それまでの常識がバカの壁になってしまうからである。

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[170] 忘れられないお店ー2   
           2001/10/03
 その店(池津屋)で10年生活した事になる。
すざましい日々だっだと思う。
その後長岡駅裏の台町の今の‘父ちゃんラーメン’のところに、
高校を卒業するまでの8年住むことになるが。

 衣料のデスカウントハウスのはしりで、全国的にも有名な店であった。
‘1Fが店’‘2Fが荷捌きと倉庫と事務所’‘3Fが住居’
‘4Fが直しと女子寮’になっており、全宇宙が圧縮されているようであった。

 ネコのタマとサルのタローと犬のコロが同居していた。
そのビルと大手通りが私の遊び場であった。
かなりマセタ餓鬼だったと思うが、誰にも可愛がってもらった。

 特に綺麗な女社員が入ってくると、ぴったしくっついていた。
競合店が出来ると子供心に心配で一人偵察に行った。
毎日の売り上げが気になり、必ずレジを覗いていた。
両親が従業員の評価をしていると聞き耳を立てて聞いていた。

 倒産夜逃げはごく当たり前の日常の話題であった。
今でも年に2〜3回はその頃の夢をみる。
でもクリスマスといえば皆でツリーを作ったり、正月は家族と従業員全員集まり
ご馳走を食べたりして年越しをしていた。      
                          


1643.マグロ屋福助ー亭主・宗親の独り言・・2

2005年10月02日(日)

2 人間勉強

こういう商売をしていると、社会の裏側をストレートで見せつけらる。
人間社会は複雑怪奇で難しね。

こちらからすると、カウンターの向こう側はどのお客も一緒よ。
いや基準はどれだけ気持ちよく飲んでくれるかだけさ。
しかし当人は違う。唯一の威張れる場所なんだ。

どの客も大して変わらない。ところが当人たちは違う。
それぞれが全く違う世界に生きているかね。
そしてそれぞれが他の世界を知らない。

特にそれが激しいのが「先生」と名の付く人種。
よくいえば純粋、悪くいえば社会音痴。
あれがよく先生と呼ばれると感心するね。

あとは社長といわれる連中。
この不景気ほとんどの社長は元気が無いね。
それと教養が無いのが多いね。
自分たちでさえも売り上げを上げるため、
必死に毎日知恵を絞っているのに。

彼らはただ毎日の売り上げの事しか頭がないんだよな。
それは営業課長の仕事じゃないか。
営業課長の仕事だけをやっていて社長業を全くしてないと、
銀行の「偉いサン」がいつもこぼしているよ。
まあ彼らのトップも似たようなもんだがね。

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2004年10月02日(土)
1278, 人生(時間)のセイムスケール−2

このHPにあった「アンソロジのコーナー」の内容が濃い。
「死の瞬間に何人も悟るだろう。
---人生の目的なるものが、いかにばかばかしいことであったかを」
(山田風太郎)などは、
虚無の境に立ったときに「人生の目的とやら」が、ドウデモよい卑小なことと
直感するのだろう。
人間の本音が、あまりに辛辣に次々と書いてあるが、
それでいて、何かホッとするから不思議である。

★「人生は日常の反復である。だが、いつのまにかずれが入りこみ、
 同じ行為が変質してしまう。反復とずれ、それが人生の時間の意味だ」
(吉田喜重)

★「神は人間を、賢愚において不平等に生み、善悪において不公平に殺す」
(山田風太郎)

★「人はだれでも可能性を持っている。
 自分の中にある埋蔵資源をできるだけ発掘して、それに形を与えていく。
それが生きるということの意味です」
(鶴見和子)

★「私の人生は失敗の連続だったが、その都度、全力を出して失敗してきた。
 失敗も全力を出せば満足に変わるのである」
(佐藤愛子)

★ 「絶望は人生の通過点に過ぎない」
(梁石日)

★「線路を走る列車のように、人生は見えないレールの上を走っていく。
そして、終着駅が近いと知ったとき、〈別の人生もありえたのでは〉と夢を見る。
しかし、列車を乗り換えることはできない」
(田中 誠)

★「我が命は地球より重い。他人の命は犬より軽い」
(山田風太郎)

★「人は生まれ、苦しんで死ぬ。人生の要点はそれでつきている」
(正宗白鳥)

★「みんないう。いつか死ぬことはわかっている。
 しかし、「今」死にたくないのだ」
(山田風太郎)

★「幸福な人々の死だけ悼もう。つまりごく少数の人々だけを」
(フロベール)

★「---いろいろあったが、死んでみりゃ、なんてこった、
 はじめから居なかったのとおんなじじゃないか、みなの衆」
(山田風太郎)

★「雪はげし書き遺すこと何ぞ多き」
(橋本多佳子)

★「死が生にいう。
〈おれはお前がわかっている。しかし、お前にはおれがわかっていない〉」
(山田風太郎)

★「昔の死は、人が、死にゆく人物を演技する喜劇的な悲劇であった。
今日の死は、人が、自分の死ぬのを知らない人物を演技する悲劇的な喜劇である」
(フィリップ・アリエス)

★「死の瞬間に何人も悟るだろう。
---人生の目的なるものが、いかにばかばかしいことであったかを」
(山田風太郎)

★「死んで不幸せになった人を、ひとりでも見たことがあるかね」
(モンテーニュ)

★「どんな臨終でも、生きながらそれは、多少ともすでに
神曲地獄篇の相を帯びている」
(山田風太郎)

★「大多数の人間は、死なないですますわけにはゆかないので死ぬだけである」
(ラ・ロシェフーコー)

★「いかなる人間も臨終前に臨終の心象を知ることができない。
いかなる人間も臨終後に臨終の心象を語ることができない。
何という絶対的聖域」
(山田風太郎)

★「おいとまをいただきますと戸をしめて 出ていくやうにはゆかぬなり生は」
(斉藤史)

★「生は有限の道づれ旅
死は無限のひとり旅」
(山田風太郎)

★「〈私の死んだ後、私はどうなるのでしょうか。はっきりおっしゃって下さい〉
〈それはすべてであり、そして無だ〉」
(ショーペンハウエル)

★「幸福の姿は一つだが、不幸のかたちはさまざまだ、とトルストイはいった。
同じように、人は、生まれてくる姿は一つだが、死んでゆくかたちは
さまざまである」
(山田風太郎)

★「女ほど世にも尊きものはなし、釈迦も孔子もひょこひょこと生む」
(「お血脈」という落語のなかの狂歌)

★「知らず、生まれ、死ぬる人、何方より来たりて、何方へか去る」
(鴨長明『方丈記』)

★「死をはじめて想う。それを青春という」
(山田風太郎)

★ 「死を何とも想わなくなる。それを白秋という」
(玉野安美)

★「人間は正視することの出来ないものが二つある。太陽と死だ」
(ラ・ロシェフーコー)

★「同じ夜に何千人死のうと、人はひとりで死んでゆく」
(山田風太郎)

★「死は終わりを意味するが、残された者には始まりを意味する」
(E・シュウナイドマン)

★「人は死んで三日たてば、三百年前に死んだのと同然になる」
(山田風太郎)

★「死刑執行人。---もうろくと事故死をふせいでやるために全力をあげる人」
(アンブローズ・ビアス)

★「人生の大事は大半必然に来る。しかるに人生の最大事たる死は大半偶然に来る」
(山田風太郎)

★「君の骨も乾かぬうちに、君の名も行為も忘れられた」
(ジョージ・オーウェル)

★「もし自分の死ぬ年齢を知っていたら、大半の人間の生きようは一変するだろう。
したがって社会の様相も一変するだろう。そして歴史そのものが一変するだろう」
(山田風太郎)

★「親も、友達も、みんな死んでゆきました。
それくらいのこと、私にだって出来るでしょう」
(田辺澄江)

★「靴ヲ隔テテ痒キヲ掻ク。生ヲ隔テテ死ヲ描ク」
(山田風太郎)

★「生が終わって死が始まるのではない。
生が終われば死もまた終わってしまうのである」
(寺山修司)

★「臨終の人間〈ああ、神も仏も無いものか?〉。神仏〈無い〉」
(山田風太郎)

★「また臨終の人間〈今、神仏が無いといったのはだれだ?〉。
答え無し。---暗い虚空に、ただぼうぼうと風邪の音」
(山田風太郎)

★「多病な私はなぜ生き残っているのだろうかと疑ってみる。
あの人はどうゆう訳で私より先に死んだのだろうかと思う」
(夏目漱石『硝子戸の中』)

★「死は推理小説のラストのように、本人にとって最も意外なかたちでやって来る」
(山田風太郎)

★「自分と他人との差は一歩だ。しかし人は永遠に他者になることは出来ない。
 自分と死者の差は無限だ。しかし人は今の今死者になることも出来る」
(山田風太郎)

★「果実に芯があるように、人はだれでも自分の死を自分の中に持っている」
(リルケ)

★「この世で最大の滑稽なことは、自分の死ぬことだ。にもかかわらず、
 およそ人間のやることで、自分の死ぬことだけが愚考ではない」
(山田風太郎)

★「死んでどこかわからんとこへゆくということ
 ---見えない風の中に囚われ、宙に漂う地球のまわりを、
 激しい力でとどめなく吹き飛ばされてゆくということ---
 ああ、考えただけでも身の毛がよだつ」
(シェイクスピア『尺には尺を』)

★「臨終の人間〈神よ、世界の終わりの日の最後の審判などいわないで、
今審判してください。なぜ、いま、私が---〉。
神〈では、いおう。最後の審判がいまだ〉」
(山田風太郎)

★「あの連中も持っていることを承知の上で、それでも君は「死後の世界」
があることを望むのか?」
(山田風太郎)

★「最愛の人が死んだ日のも、人間は晩飯を食う」
(山田風太郎)

★「死の一秒前の生者〈おれを忘れるな、忘れてくれるな!〉。
死の一秒後の死者〈おれを忘れろ、忘れてくれ!〉」
(山田風太郎)

★「生の快楽と死の苦痛は万人平等である。
しからば、なぜそれ以上の平等を求める必要があるのだろうか」
(山田風太郎)

★「はかない定めの者たちよ!
人とは何か?人とは何でないか?
影の見る夢--それが人間なのだ」
(ピンダロス)

★「毎日死を考える努力を---死を前にすれば、それ以外のことは無意味になります。
人に尊敬されたいとか、社長になるかどうかとか、お金持ちかどうかなど、
すべては無力です」

・・・・・・・
・・・・・・・

2003年10月02日(木)
911, 恥ずかしい話

 誰も長く生きていれば、他人に言えない恥ずかしい話は幾つかあるものだ。
露悪趣味的なところが、この随想日記の特徴の一つでもある。
そこでまずは自分の経験談を幾つか書いてみる。

・早速、昨日の朝のJRの改札での失敗談だ。
新幹線の回数券数枚を背広の胸ポケットに入れておいて、改札の直前に
とり出すのが習慣になっている。
昨日そのチケットを出したら、改札の駅員が奇妙な顔をした。
今までなかったことだ。よく見たら名刺であった。
妙な顔をするのも当然である。
前日に名刺交換をした名刺を回数券と一緒に、胸ポケットに入れていたのだ。
回数券は名刺と同じに作られている。
普断は乗車券しか入れないが、そのことを忘れていた。
 そういえば数ヶ月前、無人改札機に名刺を入れたことがあったが。

・男の人は度々経験するのが、ズボンのチャックの閉め忘れである。
特に朝、慌ただしく出てきたときなどに多い。
学生時代、都内をズボンのチャックをしめ忘れて半日、いやにすれ違う人が
自分の顔を見ていることに不自然さを感じた事があった。そして、その原因を
知った時の恥ずかしさは今でも憶えている。

・紙が顔についていた。
ハンカチを忘れた時に、パッケージのチッシュで汗を拭いていた。
トイレで鏡を見たら、チッシュの紙が顔についていた。
紙を顔に付けて歩いていた!
 ー露悪主義?ハイ!
 
・法事で靴下に大きな穴が開いていて、全員の前で姉に大声で注意されたこと。

などなど、数えればキリがない。
忘れることができるから、生きていけるのだろう。
選挙に出て落選するのも、傍で見ているより本人は(;一_一)(+_+)(^^ゞ(-_-;)
という。

 以前にも書いた事があるが、インドのデリーで長蛇の車のラッシュの中、
ツアー仲間の中年の女性客がお腹?を壊し、公衆の面前で上半身が見える中、
用を足したことがあった。本当にはずかしい思いだったろう。
 作家の椎名誠が週刊誌の連載で、新宿駅でトイレに間に合わなく・・・
その前後の詳しい内容を書いていたが、さすが作家だと感心した。
大好評だったそうだ。

 心の傷にならないためには笑い飛ばすしかない。
それを重ねているうち、面の皮が厚くなるのだろう。

 しかし羞恥心も人間にとって一番大事なことだ。
品位にかかわってくるからだ!
 
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537, 緩慢なる自殺
- 2002年10月02日(水)

 十数年前の東京の経営セミナーで、漢方の薬局を経営している人から
 聞いた話で、今でもその忠告を守っている。

 ーその内容は
・白砂糖は毒そのもの、絶対に口にしないこと!
 ーコヒーに入れて飲むのが一番悪い。
・缶ジュースも毒そのものー冷やすと甘味が薄れる為、甘味料を異常に
 入れてある。特にコーラは要注意、どうしても仕方なく飲みたいときは
 スポーツ飲料にすること
・インスタント物も可能か限り口にしないこと、やむをえない時は
 冷凍食品にする事。
・内臓ものも口にしないことー焼き鳥とか、レバ焼き。
 ラーメンもたまに食べるのはいいが、常食にしないこと
  −中華そばの汁は骨とかでダシをとってある。
・マヨネーズも危ない。
 今は動物性から植物性に変わっているが、ドレッシングがよい。

今考えてみて、それを実行してつくづくよかったと思う。
今の人を土葬にしても骨が腐らないためにそのまま残るという。
防腐剤のためだ。
 長岡のあるホテルの人から聞いた話だが「裁判調停の為長期で
泊っていた母と子が数ヶ月間、3食カップヌードルを食べていた」
と聞いたことがある。聞いただけでゾッとした。

農家は農薬を使っている現状を知っている為、自分達の口に入れる
作物は無農薬しか口にしないという話を聞いたことがある。
こうなるとエログロの話だが実際のところそれに近いのだろう。
今になって狂牛病が大問題になっているが、知る人ぞしる話である。

「それでも世界で一番長寿なのだから心配することはない」
というのは見当違いで、それは今のお年寄りの話。
そういう食品を若いときに口にしてない。
今の30~40歳以下の人はその保障はない。

「インスタント物」と「缶物」と「砂糖などの糖分」は口に入れないことだ。
そうしないと、緩慢なる自殺をしていることになる。

  ・・・・・・・・・・・

[168] 忘れられないあのお店−1
            2001/10/02
 このキーワードを聞いただけでも、
ある年齢を超えた人なら深い思いに駆られる。
初めてのデ-トで入った店とか、初めて一人で入った店とかのことだ。
これをキーワードに過去をさかのぼると、無限に近い記憶が戻ってくる。

 考えていたら予想を超えて、全く違う思いが底より湧き出してきた。
それが意外と?長岡の大手通りの‘生家の池津屋’という店だ。
要するに幼児体験の自身のアイデンデテーに立ち返るということだった。

 私が3歳の時に両親が当時ビルを建設をはじめた。
その時に仮店輔で木造の家を、今の厚生会館(前は公会堂)の前に引越した。
家の下に、丸たんぼうを入れて移動したのだ。
個人の申請として全国で初めてのビル建設だったという。

 昭和24〜25年の頃で、その時のことをハッキリと覚えている。
ビルの完成、そして引越し、仮ネグラの二階の奥の記憶!

 今の緊張感の数倍あった!
当時の方が圧縮された生々しさが有った。
あの白壁の匂い!そして三階への引越し。
四階に従業員のねぐらと倉庫。
子供ながら色いろあった。
それが(トップページの倉蔵の写真)の中にある。

 考えてみても、異常体験だった。
でも刺激的で悲しくもあり、楽しい毎日であった。
10人の家族と20人以上の従業員の戦場のような毎日!
 そのまま描写したら、面白い小説になるような日々の連続であった。

                −つづくー


1642.マグロ屋福助ー亭主・宗親の独り言・・1

2005年10月01日(土)

1, 人生を見せてもらいました!  
 宗親

居酒屋を二十数年も経営をしていると、社会の裏表が見える。
人生を人の数十倍、いや数百倍も見たように思える。

・数年前まで羽振りの良かった人が、今は乞食をしているとか。
・あのお客が会社の金を使い込んでいたとか。
・がんで亡くなったとか。
・かけ落ちをしたとか。
・実の娘に手を出し、子供ができたとか。
・遠くの親戚から、思わず数億の遺産が転がり込んだとか。

ここで書けないような犯罪の話の内容を聞いた。
それらを中心にボチボチ書いていくつもりだ。
まあ人間は酒が入ると、人間性が丸出しになるし、
幼稚になるからね!
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・・・・・・・
2004年10月01日(金)
1277, [人生の目的]ー五木寛之著ー読書録

 数年前に話題になった本だが、当時あまり興味を示さなかった。
先日、たまたま図書館にあったので借りてきて読んでみた。
幼児期のころから、かなり厳しい生活体験をしている為、
書いてあることは暗いが、しかし重い。
彼のーあとがきにかえてーの一文が、全てこの本を伝えている。

ーー「人生に決められた目的はない、と私は思う。
しかし、目的のない人生はさびしい。寂しいだけでなくて、むなしい。
むなしい人生は、なにか大きな困難にぶつかったときに、つづかない。
 人生の目的は、「自分の人生の目的」をさがすことである。
自分ひとりの目的、世界中の誰ともちがう自分だけの「生きる意味」を
見出すことである。変な言いかたになるが、
「自分の人生の目的を見つけるのが、人生の目的である」と言ってよい。
そのためには、生きなくてはならない。生きつづけてこそ、目的も明らかに
なるのである。「我あり、ゆえにわれ求む」というのがわたしの立場だ。

 その目的はナカナカ見つからないものである。
確実に見つかるのは目的でなく目標である。
目標は達成されれば終わる。残るのは達成感だけである。それも直に
薄れていく。

 人生の目的とは、おそらく最後まで見出すことのできないものだろう。
それがいやなら、もうひとつ、「自分でつくる」という道もある。
自分だけの人生の目的をつくりだす。それは、ひとつの物語をつくることだ。
自分で物語をつくり、それを信じて生きる。
しかし、これはナカナカむずかしいことである。
<悟り>という物語、
<来世>という物語、
<浄土>という物語、
<来世>という物語、
<輪廻>という物語、
それぞれが、偉大な物語だ。
人が全身で信じた物語は、真実となる。

ーー

以上だが、深い人生を生きてきたからこそ、このような文章が書けるのだ。
最近、両親の生きざまが、いやに思い出される。
私にとって両親を尊敬できるのが、本当に嬉しいとつくづく思う。
あと5年もしたら、どうしても過去を振り返りながら、
ソフト・ランディング態勢に入らなくてはならない時期になる。
その時人生を振り返っテ「自分の人生の目的」とは何だったのだろうか、
と総括をしなくてはならない。
苦しいが、しかし冷徹に自己評価をしなくてはなるまい。

この本に、前回借りた人が書いた、メモが挟んであった。
達筆な年配の人のような字だ。
それを書き写してみる。

「他力の信は義なきを義とす。
 生きている限り生老病死の影は、私たちにさしつづける。
 このことは、わがはからいにあらず
 災難に会うときは会うがよろし
 死ぬる時は死ぬがよろし
 
 人生は暗夜の山中行である
 人は彼方の灯火に勇気づけられる
 それを他力本願という」
 




2003年10月01日(水)
910, 人生の縮図

 先日、ある世界を垣間見た。
といって書くには、あまりにシビアな世界であった。
しかし、それを書くのが随想日記の真骨頂である。

 ある売り物の物件を見にいった時の人生模様である。
生々しい状態であった。
「あるリゾートホテルをどう転用したらよいか見てほしい」と頼まれた。
半年前に経営委託を受けた人が、支払いができないで逃げた直後。
オーナーが嫌気をさして混乱しているという。

 現場に行くと数日前まで営業をしていたのが、ありあり。
給料2か月分をまだ貰えない行き場のないマネジャーや従業員が3人いた。
彼等はそこで働き出して半年、派遣会社の身分で、保障は全くないという。
現在の日本の姿が、そのまま現れている状況であった。

 これ以上の景観がない位の場所にあり、オーナーが半分趣味で建てた
素晴らしいリゾートホテルである。
夫婦して80歳を過ぎた高齢の為、維持が出来なくなってしまったのだ。

 実家の衣料ディスカウントハウスを五年近くみていたときは、そういう現場
は日常茶飯事であった。
夜逃げ直前の現場から買い付けをする場面など、何回も経験してきた。
問屋を数十軒も回っていると、何処かで危ないという噂を聞く。
知らない顔をして平気で乗り込むのだ。
安く良い商品のことしか頭がなかったからできたのだろう。

 しかし今の事業を始めて二十数年は全く無かった。
ー違う形の人生模様は多くあったが、倒産という修羅場は無かった。
その当時はドライに割り切っていたし、深く対象を見る余裕など全くなかった。
しかし、この歳になるとその背後がよく見えるのだ。

 どんな時でも、弱者の立場に立ってはならないのが現実社会である。
自分が経験したこと以外は、何を理屈を言ってもイメージの世界でしかない。
可能な限り経験を積むしかない。
中村天風でないが「積極一貫」で経験を積むしかない。
自分が経験した範囲で対象が見えてくるのを今回つくづく知った。

 ここまで変化が激しい中で、変化に対応するためには、自分が変化の先端に
立つしかない。  変化の拒否は自殺行為である。

・・・・・・・
・・・・・・・

デフレと対策
      2002/10/01

現在上手くいっている店を見ていると、やはりデスカウントの業態の店である。
それも思い切って、20年前か25年前のプライスを打ち出しながら、
現在の嗜好を取り入れた店や会社だ。

衣料品は20年前の半値以下の商品が多くなってきた。
自転車も、半値か四分の一だ。
電気商品もしかりだ。

落ちないのが公共料金だけである。
ホテルの値段もその様相になった。
ラーメンの値段も落ちてない。
過去の三次産業の異端は価格破壊である。
そうすると落ちてないのが狙い目である。

先日TVで180円のラーメンチェーンを紹介していた。
マクドナルドのように、徹底した機械化を厨房で図っていた。
吉野家や松屋の牛丼も400円を280円に下げた。
そうすると他の甘いラーメン屋とか何でもや食堂のお客が流れてくる。

先日に法事で帰ってきた姉が、面白い温泉旅館にいってきたと教えてくれた。
関東圏の温泉旅館で、4名以上で一泊二食で4500円という。
予約をすると東京周辺のJR駅の近くの三箇所の指定した場所、
にマイクロバスで迎えにきてくれるという。
更に食事のときは従業員が即興の演劇をしてくれたり、
とにかく飽きさせないようにしてあるとか。
社長はつなぎを着て陣頭指揮にあたっているという。
先ずは安く、そして価値があればお客は殺到する。
「もうそういう時代だよ!」とつくづく言っていた。

何かどこかで聞いたことがある話だと思ったら、
そうアメリカの航空業界の異端児で大不況の中、飛躍的に伸ばしている
サウスウエスト航空を温泉旅館版に換えただけの話である。
斜陽産業の温泉旅館が良くぞ考えたものと驚いてしまった!!
(こういうのをベスト・プラクテスという)

客の立場にたてば,全く違った設定ができるのである。
淘汰されている所は、ただ不況と仲間内で傷を舐めあっているだけだ。
発狂してベスト・プラクテスをするか、廃業するかどちらかだ。
今更発狂はできないか??!!
(発狂とは、出来ない人の目から見たベスト・プラクテスのプロセスを
踏んでる姿)



[167] 読書について
                2001/10/01
 読書ー書物はすべての人の学校である、いや大学といっていい。
どこの学校に入ったとしても学べる事はしれている。
学校を出てから学び続けるしかない。
本を読み続けるしかない。

 大学を出ているかは関係ない、生涯本という大学・専門学校に
通い続けなくてはならない。
もちろんセミナーや新聞やTVや、実際の仕事の上で学ぶべることが多い。
しかし読書という分母の上でそれらをやると効率が違う。

 初対面の人でも書物の大学にどの程度通い詰めたかどうか直ぐわかる。
私も反対に見られているのだろう。
本は安い500円から2000円であれだけの情報・知識を買えるのだから。
もし高いというなら、古本屋かブックオフで買えばよい。
それでも高いというなら、図書館がある。

 主知主義ではないが人間として生まれてきたからには、知る事が最も優先され
べき権利であり義務でもある。知れば知るほど知らない事が増えてくる。
知っただけその周囲の未知の部分が増えるからだ。

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