堀井On-Line



1154, つれづれなるままに

2004年05月31日(月)



・まったく書くテーマが出ない日が、時々ある。
今日はその日であるが、そういう日は自分でも嫌になる。
今までは千回まではと踏ん張ってきた。
毎日書き続けることからくる習慣が重要であって、止めればエキスが失われる。
それが解っているから、休むわけにいかないから厳しい。
といって、所詮は趣味の世界の話でしかないが。

・先日、自宅の台所の改装のため夕食がつくれず、近く(150m先)の
ファミリーレストランに急遽いった。
隣り合わせているイタメシアの「サエゼリア」とチャンコ料理屋の「江戸沢」の
どちらかと思いながら、店の前までいった。
サエゼリアはほぼ満席で、江戸沢は一席しか入ってない。
両方とも100席以上の店だから、その差がはっきり見えてくる。

サエゼリアと江戸沢の客単価が二倍近くの差がある。
何故お客が来ないのか、経営者はわかってないのだろう。
メニューの内容が、開店当初から全く変わってない。
まあ、他人事でないか。
仕方なく江戸沢に入ったが、出てきて何か損をしたような気分であった。

・今年の自宅の藤の花がほとんど咲かなかった。過去30年で二〜三回目である。
そういえば毎日散歩をしていて、花と草の勢いが例年に比べて弱いのがよくわかる。
梅雨が例年より早いとTVでいっていたが、今年は米の豊作は望めない?

・昨日は異常なほど暑い一日であった。
今朝もどんよりしている。
晴れる日もあれば、曇る日も雨の日もある。
天候も人生みたいなものだ。

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2003年05月31日(土)
787, 「加熱する新潟のホテル戦争・NHK」をみて

今日のNHKの[きらっと新潟ー加熱するホテル戦争」が面白い内容だった。
 電話が二本入ってきた。
  NHKの何も解ってない素人が企画した内容という前提で見ていたせいか、
 お笑いの部分もあった。
 今時にホテルで高価な結婚式をあげる時代ではない。
 アッパークラスの5佑凌夕錣藁祿阿任△襦
 専門店ー冠婚葬祭の式場か手軽にレストランでする時代だ。
 それをオオクラホテルで村上牛を特別注文をしての特別企画をとかいう時代ではなくなっている。
 
  また長期滞在型ホテルが展望風呂をいれて拡張をしているが、
 だからといって周辺のホテルと同じ稼働率でしかないーリネン業者の情報だから間違いがない。魚がいなくなっているだけなのだ。
 国内のビジネス客がこの2~3年で、3分の1になったのだ。
 3割減ったのではないのだ。
 更に他の業界ーマンション業界とか、メンテ業界などが参入してきて、
 競争激化になっているだけだ。
 企業が事務所を合理化の為に廃止したり、新潟・長野・群馬を高崎に統合したり、二時間までは宿泊原則禁止とかして、日帰り圏になったりしている。事務所代わりに月曜日から金曜日にホテルに宿泊をして、営業をするようになった。
  また長期滞在マンションをも滞在型ホテルがターゲットにしている。
 敵はホテルではなくて、貸しビルやマンションなのだ。
 いま起きていることは、垣根を越えた競争の時代になっている。
 昨夜のTVに出ていた立教大学の岡本教授といえば、観光科を創設した人だったが?そこまでは解っていないレベルでしかないのだ!
 その背後にあるものは、情報革命ーIT化が進み、合理化が可能になった為である。
 
  ビジネス客が3分の1ということは、ホテル業そのものの壊滅状態といってよい。その中で生きていかなくてはならいのが、実情である。朱鷺メッセが8000室の予約が入っているとか、結婚式が年内満杯とか、開業の年だけは、ブームに乗っているのかもしれないが、どう見てもおかしい!2~3年後に必ず、この馬脚があらわれる。
誰がタクシーを使ってあそこまでいって宿泊するのだろうか!
一日5人か10人ならいるかもしれないが。
長岡のGホテルは、その程度しか宿泊はないとか。
それも駅から歩いて3分の好立地であるのに。
他人事ではないのが深刻だが、何とか切り抜けそうだが?
大津波が日本・世界にきているのは事実である。
その先端の大波がこの業界に来たということだ。

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2002年05月31日(金)
423, 酒の話−1

学生時代も、勤めていた時代も、
どこに行ってもすぐ見つけるのが、飲み友達と、いきつけの飲み屋である。

地元で今も数人いるが、そのうち特に飲んだ二人は、
亡くなったり転勤で居なくなった。
転勤の一人は新潟に出張にくる度、今でも年3回は飲んでいる。

特に勤めてからの、いろいろな地方での酒が忘れられない。
やはり金沢の酒が忘れられない。
なんともいえない、味がそれぞれの店にあった。
歴史の深みであろうか。

転勤商売も苦しいだけ、そういう楽しみもある。
苦しい時期ほど、そういう居酒屋の酒がうまっかった。

新潟では20年前から5年位前までの酒が、特に美味しい思い出が多くある。
大学時代の友人が、丁度その時新潟に転勤で赴任してきており飲み歩いた。

それと数年前に亡くなったが、「新潟駅前の花園の町内会長をしていた
不動産やの社長」と古町を飲み歩いたことだ。
有名な老舗の小料理屋や料亭を芸者をあげたりして飲んだ。
数十回も。
自分では間違ってもできない昔流の粋な遊びを教えてもらった。

亡くなってからは、当然のこと料亭などは全く行ってない。
丁度「海外旅行と遊びの入れ替え」の部分があったが。
飲むほうも、その時期時期に一応一とおりのことを経験した。


1153, 今日は父の32周忌

2004年05月30日(日)



今日は、父親の31年目の命日である。
この世で一人の人を選びなさい、といったら間違いなく父である。
それだけ私にとって父の影響が大きい「ありがとう」と一番いわなくては
ならない人である。
年齢とともに、父親と心の中で話すことが多くなってきている。
一方的に話しかけているのだが、ときどき父も話しかけてくることもある。
もっと以前から、事業のことなど話しかければよかったと、今になって
思い始めている。

供養の為に、14年前に書いた文章をコピーしておきます。

-そういえば、この文章を書いた頃のことを思い出した。
ある休日の夕方、TVでお寺の仏像を映し出していた。
そのとき、TVの中の仏像に少し開いていた障子から夕陽があたったのだ。
そして何ともいえない不思議な感じになった。
何だ何だ、今日は何かあるんじゃないか?!と、考えてみたら、
父の命日だった。うっかりしていて、父の命日を忘れていたのだ。

本当に不思議なことがあるものだ!と思った。

さあ父親の墓参りだ!

ーー
H0505小説のような本当の話!

 十数年前、父の七回忌の早朝、母と花を持ち墓にお参りに行きました。
ところがすでに墓がきれいに磨かれており、花が飾られていました。

生前仲のよかった“父のいとこ”が、すでに来てくれたと母と語らい、
お参りをしていると、見知らぬ老人が話しかけてきました。

たまたまその寺の近所に住んでいるというその本人がしみじみ語るには
“自分の子供の高校の入学時に、金がなくコートを買ってやれずに、店にいた父に、
正直に事情を話したところ、父は全く見知らずの自分に、分割払いをしてくれた。

それが本当にうれしくてうれしくて!それで父が亡くなった時以来、
必ず命日にこうして掃除をして、花を供えている”との事。

聞いていて本当に父のすばらしさの一面を知らされた思いでした。
その時、果たして私の七回忌にこんな事がありうるだろうか。
そういう“生き方”を自分はしてきただろうかとつくづく考えさせられる
出来事でした。
父の名前は誠作という事もあり、
それが本人のコンセプトになっていたのだろうか?当時、
丁度今の会社の理念を考えていた矢先、
それが大きなきっかけとなり“誠心誠意”に決まった次第です。



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2003年05月30日(金)
786, 「随想テーマ日記」は自分史

「5歳の頃」「10歳の頃」「20歳の頃」「学生時代の日記の書き写し」
「30歳の頃」「40歳の頃」と書いてきて、後でよみかえして、
そこに全く知らない自分を見るときがある。
「こんなことを書いていたのか!」と驚くことが度々である。

 当時の自分を振り返っている自分を、更に見ていることなる。
それは過去の二人の自分を冷静に見ていることである。
第三者の目で見ているのだ。こういうのを客観視というのだろう。
書くということは冷静に自分を見つめるのに有効である。
そしてそれを読み返すと自分の知らない自分に出会うような気持ちになる。
私以外の人なら、更に驚くのではないだろうか。
そしてその時には見えてなかった自分が見えることがある。
他人からは見えていたが、自分では気がついてなかった自分の姿である。
また、その日に集中した事が文章で残っているのは、自分の道標になる。

この「分類のコーナー」を覗いてみて驚く事がある。
よくぞ真面目に自分の本心とアイデンティテーを書いたことに。
脳の奥の素っ裸の内面がそのまま出ている。
それも露悪の自分がいる。第三者から見たら、これほど面白いものもないだろう。
1000項目が目標である。
毎日書く事で、量の問題を解決してきた。
量をこなしているうちに、質が僅かながら上がっているのも解る。
習慣は力である。

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2002年05月30日(木)
422, ピラミッドの風景  -たとえ話


以前も書いた事があるが?
社会構造をエジプトのピラミッドとその周辺の風景に例えで説明すると、
いやに納得できる。

  ピラミッドを組織に喩え、
・頂上に向けピラミッドに登る人、
・途中で上るの止めてそこに留まってる人
・ピラミッドをメンテしている人
 
  周辺では
・小さなピラミッドを創っている人
・オアシスで遊んでいる人
・ラクダをひく人
・砂漠で住んでいる人
・そこで商売している人

全く上手く社会と組織を説明をしている。
そうすると私は小さなピラミッドを作っている人ということになる。

船も喩えで見ると、組織を説明しやすい。
世界一周する大型船、小さな漁船、帆掛け舟、ボート、丸太とそれぞれの
組織を喩えることができる。一人でサーフィンを楽しんでいる人。

大型船は世界一周できるが、それぞれの仕事を分担されてしまう。
自分は何をしているのか解らなくなる「自己疎外」という問題がでてくる。

小型船なら面白いし、小回りが聞く。
しかし船の行動範囲が狭められてしまう。

丸太にのって遊んでいるのも、それなりに面白い。

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2001年05月30日(水)
[36] 初めてのパソコン教室

今日初めてのパソコン教室に来ています。自宅から3分のところで非常に便利です。
長岡でその人に合わせた指導を求めている人は 
31−2466 長岡コムネットに電話してください。2時間で3500円です。
ここの写真を撮って、写真日記に入れておきます。


1152, 「老い」を考えてみる −2

2004年05月29日(土)

昨日の新幹線で読んでいた藤沢周平の「海鳴り」の中に、老いに対する
思いが偶然そのまま書いてあったが、彼の思いがそのまま伝わってきた。
(実際こういう偶然があまりにも多く、自分でもびっくりする)

何も考えないで精一杯生きてきて、ふとポッカリと心の穴に落ちた心情は
こんなものであろう。
特に夫婦間の亀裂がのっぴきならない状態で、家族に忌み嫌われた
亭主はこんなものかもしれない。
あまりに迫真があったので、何回も読み返してみた。

実際の荒涼感は、こんなものより深く絶望的であろうが。
北欧の老人の自殺が多いのは、こういう心象風景の果ての絶望感と
孤独感が底知れずあるからなのだろう。

この下書きを昨夜書いたためか、夢をみた。
何処かの海岸線のリゾートに一人いて、店とか海岸で、その世界になじめない。
一人ウロウロしているじぶんがいる。
まあ、早速こんな夢をみるとは単純なものだ。
  
  ・・

ー妻子のために、身を粉にして働いてきたはずだった。
40歳の坂を越えたとき、わずかの迷いがきた。妻子からも、家からも離れて、
一人の人間にたちもどりたいと願ったのは事実だ。
だがそれは、長い道のりを歩いてきた一匹の生きものが、ふと足をとめて
かたわらの泉から水を飲んだような、ほんのひとときの憩いに過ぎなかった
のだという気もする。

長い道をわき目もふらず歩いてきたので、生きものは身も心もくたびれ
果てていた。気がつくと老いが忍び込んでいた。
それでも道は、まだまっすぐに眼の前につづいていた。
色彩もとぼしく荒れ乾いていた道である。道がか細く消えている地平あたり
から、風が死の臭いをはこんで来るのにも気づいた。

それでも生きものは、その道を歩き続けなければならないことを知っていた。
それが生きもののさだめだった。
振り向くと、通り過ぎてきた花も緑の木々もある道が見えた。
しかしその道は、振り返ることも出来ても、戻ることは出来ない場所である。

生きものは新しく見えてきた風景の心細さに心を痛めながら,いっとき
泉のまわりをうろつき、一息いれた。
新しい、のぞみのない旅にそなえて気持をととのえるために。
あるいは歩いてきた道に、醜い後悔の痕を残さないために。

それだけのことが、そんなに批難されなければならないのか、と新兵衛は
思うのだ。生きものの心に思いをひそめたから、人間の道をはずれたと
指さされるのか。

歯車が狂ったもとは、もっと別のところにある。
それが何なのか、新兵衛にはわからなかった。
わからないことがもどかしく、ほんの少し不気味であった。
 
 −−−−
今でいえば初老性鬱病か、それとも誰もが感じる年齢の心象風景の一つなのか。
まあ、かなり藤沢周平の世界に影響されているようだが。
ー『海鳴り』−藤沢周平

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 2003年05月29日(木)
785, 一期一会(すすき野の夜)

 昨日書いた異業種の人達との札幌のススキノの夜の話である。
二次会もバラケてしまい、残った四人で「すすき野」に行くことにした。
せっかくの札幌の「すすき野」の夜、入るなら一生に残るような
エキサィテングな店がないかと数軒の店を覗いていたら、何か異様な賑わいを
みせている店があった。すぐ団体が帰るというので少し待って入った。
空いているカウンターに我々4人が座った。
暫くすると、他の団体も帰っていった。
隣には、その店の馴染みと思える中年の品のよさそうな男性が座っていた。
何かの縁かと「実は異業種交流の途中に札幌によった」と話しかけた。
「何処から来たのか?」と聞くので、新潟市から来たというと、
自分は佐渡の出身だという。
その場が急に同郷の会みたいになってしまった。この店の入っているビルと、
幾つかの飲食ビルを経営している専務だった。

 そこにお客を送っていった美人のママが帰ってきた。
二人が深刻そうな話を始めていた。
「もう店をやめたら!」とビルの専務が言っているのだ。
ママが食道癌で退院したばかりで、店に出れる状態でないが
捨て身で店を開いていたのだ。
連日入院していた病院の先生も店にきて忠告しているという。
その場が深刻な、微妙な雰囲気になってしまった。
その為か、ママの歌が魂のこもった素晴らしい歌が続いた。
そうなると、お客全員も引き込まれて魂の歌になった。
どういうわけか、私がいやに気に入られて最後までダンスのお相手をしていたと
同行の人から翌日聞いた。
歌は憶えていたが、そういう記憶はいつも昇華して消滅するのが残念である。
恐ろしいような、悲しいような、楽しいような、一生に残る思い出になった。
「すすき野」の夜の人生ドラマの深さを垣間見てしまった。
その話を翌日、行かなかった人に話をしたら
「なぜ俺たちを連れて行かなかった」と叱られた。

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2002年05月29日(水)
421,世間とはー2

前回では「個人が確立されてない日本では社会が存在し得ないのでないか。
そしてその代わりー世間ー存在している」と書いた。

ある地域に生まれ育って、一歩も外の世界で住んだことがない人は、
世間という枠組みから出ることができないのも仕方がない。
神話の世界でいう蛇である。

その対極にある鷲に憧れを持ち、その合体の龍を創りあげた。
どういうわけか世界中の神話に龍が出てくる。
縛られた世界からの脱出の希求は人間の本質的欲求なのであろう。

羽仁五郎の「都市の論理」に、
両親からの自立が人間としての第一歩と書いてあった。
西洋社会でいう「個人」とは、自立した自己ということになる。

まずは職業である、自分で稼いで生きていくのが第一歩である。
次に両親からの影響と環境からの自立である。
自分という意志を持った主体の確立である。
世間というものに対し、戦い挑んで勝ち取る意志である。

両親と周辺のせいぜい20人を[濃厚な?世間]という。
それを自覚する事である。
「短い人生、ただ狂え!」が、世間様の丁度いい噂の餌になるが。
王陽明に「羊になるな、狼になり羊を食い散らす生き方を!」
というのも、世間に縛られた生き方を諌めたものだ。

個人ー個性とは世間との闘いで創っていくものだ。
世間とは、他者とのあいまいな緩衝地帯でもある。
私はそこに生きるそれを『子狐』とよんでいる。
誰にもある要素だ。

もちろん自分にある最も嫌っている影である。
その集約が、そうあの人!

誰もがこう言われれば自分と?考えてしまうのが不思議???!!

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 2001年05月29日(火)
[35] 一人暮らしのあの頃

今日は終日長男(堀井大)のアパート探し!
よくあれだけ部屋があるものだとビックリ!
部屋の中にある人生を感じた。
一人部屋にある何ともいえない哀愁を!
私にもあった一人生活の侘しさと緊張感。
いつも鏡を机の上に置き、独り言を言っていた侘しさ。
でも自由のよさ。
何かタイムマシーンで三十数年前に戻った感覚であった。


1151, 「老い」を考えてみる

2004年05月28日(金)

誰しも老いるのは嫌であるが、それは「長生きをしたからであり、
そうプラスに考えれば、老いもそう悪いものではないのではないか」と考えてきた。
老いは誰もが通らなくてはならない道である。
人生とは、徳川家康でないが重荷を背負った山登りに似ている。
登るほど息切れする。しかし視野は広くなることも事実である。

まあ身体の老いより、心の老いが怖ろしいのが老齢期の大問題である。
「青春は失策、壮年は苦闘、老年は悔恨」というが、それを乗りこえた
精神の自由を維持することが、大事ではないだろうか。
若いときには、われわれは愛するために生きるが、年を重ねるとともに、
生きるために愛することが必要になってくる。
過去を振り返って、その重さに耐えきれなくなる時、愛と感謝で包み込まなくては
ならなくなるからだ。

身近の色いろの人をみると、「若い生活をしている者は若いが、老いた生活をしている
人は老いている」というのが解る。
何があっても、精神は常に若く保たなくてはならない。

人は老年を恐れるが、そこまで到達するかどうか解らないのに、
気楽なものである。

人生は飛び立つ時より着地が難しいのは、飛行機と同じようなものだ。
とくに商売や事業をしているものにとって、最後は切実な問題になる。
そこでいかにソフトランデングするかが問題になる。

「60過ぎのことを、それまで全て先取りをしてしまえ」
と思って生きてきたことが、今になって本当に良かった思い始めている。
気力、体力、金力のバランスが崩れてきて、どうしても計画どおり行かなくなる。
色々な問題が弱いところに出てくる。それなら、無理をしても60前にした方が
よいと自覚していた。
義兄がしっかり60過ぎの準備をしていて、ルンルン気分でいたが、60歳直後に
亡くなってしまった。思った通りにいかないのが人生である。
初めから、人生の余白を埋めるのも大事ということを教えてもらった。

いずれにしても、一日一日前向きに精一杯生きていけばよいのだろうが。
以前、20歳上の従姉が、自分の90歳でなくなった母親のことを回顧して
『母は50,60,70,80歳の峠を越えていった凄さが解るようになってきた』
と言っていたのが印象的である。

老いに関しては現在読み続けている藤沢周平の小説の隠れたテーマの一つだ。
彼は主人公を通して、老いいく人生の切なさや、最後の光り方を切々と書いている。
もう目の前に、一つの峠が見えてきた。

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2003年05月28日(水)
784, 芸術家と芸人

5~6年前に、「異種業の会ー旅行に出てみないかい?」と誘われて、
面白そうなので参加した。
大学教授、大手代理店の課長、芸術家数人、二代目等、個性的な人の
集まりであった。
一回目が九州と大阪。
二回めが盛岡と札幌・函館の視察であった。
県からの補助金で食事を含めて全て無料であった。
日本が背伸びをした、足の下をそのまま見ているようでもあった。
反面、将来の姿とはこんなもの?と予感できる世界であった。
といって、取ってつけた感も否めなかった。

 一回目が北九州の福岡ドームとホテルと再開発地区、長崎市の観光、
湯布院、大阪の再開発の視察であった。
半分はその名を借りたお遊びでもある。
しかしどこも新鮮な夢のある輝かしい?世界であった。
特に北九州の再開発は、北九州がアジアに向けての拠点を目指しているのが
感じ取れた。
再開発には否定的だが、こういうものの表面だけを見るとなるほど騙されるのも解るような気がした。
湯布院が期待していた以上であった。
時代劇の映画に出てくる隠れ里のような山里にあった。
個性的な店が多く出ていた。
料理屋に小物や民芸品を売っているのが何ともセンスがよい。
若い女性や若者だけでなく、あらゆる年代の人が楽しめる。
映画セットの中にいるような感じがした。
30数年前の軽井沢の旧軽通りに少し似ていたが、湯布院のほうがゆったり
ほのぼのとした感じで好きだ。

 二回目が、盛岡、札幌、函館の視察であった。
メンバーはほぼ同じである。
これも楽しい面白い旅行であった。
札幌の郊外の丘陵地帯にある芸術をモチーフにした公園には驚かされた。
いま考えてみると、バブルの一現象だったのだろうが、広大な敷地と
モチーフが何ともいえない安らぎを与えてくれた。
函館の、観光をモチーフにした街つくりも素晴らしい内容であった。
石原裕次郎をモチーフにした館とか、ガラス細工専門店とか、年中クリスマスグッズを売っている店があったり、寿司屋がところ狭しと並んでいる街とか、楽しいのだ。
この旅行で芸術家数人に向かって、
「芸術家なんて気取っているけど、所詮は物を作る芸人だろう!」と酔って
言ったらしい。
ところが芸術家たちが、その言葉にいやに納得くしていたとか。

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2002年05月28日(火)
420,世間とは

「西洋でいう個人が確立されてない日本では、社会は存在していないのでないか?」
という疑問が以前からあった。
その代わり存在するのは、噂と悪口からでお互い牽制しあう「世間」である。
阿部謹也の「世間とは何か」という本を立ち読みをして、思わず納得した。

現在国際社会で日本が冷笑されるのも、もともと日本では存在していない
国際「社会」の中で、常に世間という日本社会を外に出してしまう為である。
勤めとか事業で、いろいろの地域社会をみてきて漫画的な社会?構造に驚いた。
世間様の存在と、それに対するペルソナー仮面を付けて、
全員して演技している滑稽さである。

それは社会というより、群れという感覚でありその統制は噂と恥の文化である。
ある作家がある部落に住んで、、その滑稽を「気違い部落」という本で著した。
それが売れると、逆に気違い?にされ村八分にされてしまった事が、
話題になったことがあった。

世間に属さない他者は今の日本では人であって人間でない、
と先ほどの「世間とは何か」に書いてあった。  
その地域の集り坊主とか、地銀とかに勤め、支店長あたりになる。
そしてその地域の噂社会の中で、よい人を演技する?のが、
「世間を渡る」という世界。

この世界で、個人として真っ当に生きるには、
強靭な意思と主体が必要だ。
結局それを殺ぎ落とさないと、生きていけない社会でもある。

そして自分とは何かを死に近づいて考えて、気づく?
世間に縛られた小さな一生を、その時初めて悔やむ!
世間とは、幻想社会という事を!

日本の島国的特性そのものだ。

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10年前書いた文章をコピーしておく。

H0407城下街小唄
 私の出身地の長岡はかつて“長岡藩”の城下街であった。
その大手通りのほとんど真中に生まれ育った事もあり、その長所・短所がよくわかる。
その特質は閉鎖性・固定的、商人的であり、
“城下街曼陀羅”がきっちりできており漫画的ですらある。
彼等の社会は“ウワサ社会”で構成されている。
特に長岡財界とかいう社会が存在(?)しており、彼等の出す“ウワサ”
がその社会を大きく左右する。
それが事実であろうがなかろうが“マンダラ”
の中心点に近い人間が言った事こそ絶対のようだ。
(“ウワサ”として)彼等の社会をみていて、維持型の人間こそ“一級”と評価される。
固定社会が故に何もしない(何もできない)事こそがベストなのだ。

“非能動的二代目+婿取り娘サロン社会”と言える。先日もいやな“ウワサ”を聞いた、
今は下火になったのだが、新興の各業界の癸韻亮卍垢十人あまり癸韻、
ゆえに聞くに耐えない“ウワサ”を流された。“一種の集団いじめ”なのだが、
そのストーリーが陰湿でリアリテーにとんでいる。
冷静に考えればほとんどが尾鰭のついたウソである。
それがおもしろおかしくて集団ヒステリック的につくりあげられており、
自らの名が出るかどうか怯えている。
“参加型変態うわさゲーム”を全員で楽しんでいる“痴呆社会”そのものである。

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2001年05月28日(月)
[34] 糸井重里サイトを見て感じた事


糸井重里の「ほぼ日刊糸井重里新聞」を二年前にホームペジを開いて、
現在1日二十数万のアクセスがあるという。

ちょっとした新聞社なみだ。
開いてみたがなるほど面白い!
ホームページ作りより、自分自身のインターネットに対する感覚が変わってきている
事がわかる。

考えてみたら1度ホームページに載せたら、そのデータは半永久的に残る。
ホームページは墓場と言っていたが、そのとうりである。
永久に残るデータベースである。

糸井重里本人が「不思議な感覚」と言っていたがわかるような気がする。


1150, つれづれに

2004年05月27日(木)

 

ー古着屋

最近に新潟と長岡につづけて古着専門チェーン店がオープンした。
面白そうなので、新潟店をみてきた。
105円のネクタイ二本を衝動買いをしてしまった。

持ち込みの古着を100円で仕入れる。荒利が82パーセントとか。
店は120坪位で、売りにきた人が買っていくケースも多いようだ。
全国で三十数店のフランチャイズ・チェーンという。

ハード・オフやブック・オフがあるのだらから、古着があって当然である。
一昔前なら考えられなかった古着屋チェーンとは、時代も変わったものだ。
いま元気なところといえば、リサイクルショップとディスカウントである。
時代が厳しくなっているのだろう。

  ーーー

ー自然体ー
フッと詩集が目に入ったが、なかなか深い自然体の良さがでている。

【坂村真民詩集】

才なき人は才なきままに
処するがよい
花にたとえるなら侘助(わびすけ)のように
鳥にたとえるならみそさざいのように
おのれの花を咲かせ
おのれの歌をうたい
嘆かず訴えず
なにごともあるがままに
生きるのが一番よい

《見えないからと言って》
日の昇らない時が
あっただろうか
月の出ない時があっただろうか
見えないからと言って
なかったとは言えない
それと同じく
見えないからと言って
神さまや
仏さまが
いないと誰が言えよう
それは見る目を
持たないからだ
大宇宙には
たくさんの神や仏さまが居て
この世を幸せにしようと
日夜努力していられるのだ
一輪の花の美しさを見たら
一羽の鳥の美しさを見たら
それがわかるだろう
見えない世界の神秘を知ろう

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2003年05月27日(火)
783, 新婚さんいらっしゃい !

 テレビ朝日系で毎週日曜日の13時に放映している。
桂三枝と山瀬まみ、が司会をしているトーク番組で、2組の新婚の夫婦をゲストとして招き、
新婚秘話や、なれそめの話や、のろけ話しを三枝、山瀬両司会が引き出していく。
恋愛のパワーのエネルギーが直接つたわってくる。
人間の原点や、それぞれの人生が結婚というプロセスで見えてくる。
時には際どい下ネタが出てくる。

 この番組を見はじめて30年以上が経つ。
軽いのりで時代背景がそのままでるのがよい。
周辺のいろいろな結婚を見ているが、全国レベルの変わった結婚のカタチが面白い。

 先日のケースの「拾った男と結婚した」というのが面白かった。
17歳の家出少年を一歳年上の女性が拾って、カラオケにいって、そのまま
部屋に泊めて、成り行きで結婚したケースであった。
捨て犬を拾ってきて、飼っているという感覚である。
いろいろあるものだが、結婚は人生の私生活という面で大半が決まってくる。
結婚相手レベルが自分であるといって過言ではない。
幸せを笑いで祝っているのだから、本人達、放送局、視聴者の三方両得になる。
 
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 2002年05月27日(月)
419,「金融腐敗列島」

昨夜、BSー6チャンネルの「金融腐敗列島]を見ていると、
現在進行中の何処かのある地方銀行の姿そのもの。
(この映画面白いので過去に放送するたび4回見ている。おまけに本でも読んだ)
建てなおす主役がいないことが映画と違うが???

ひどいものである!
「取れるところから、分母の貸し金を剥ぎ取れ」
が、実際露骨におこなわれている!!!!!!
(大口の倒産の引っかかりを、
中小の引き剥がしでカバーしている露骨な実態)

どうなるの日本?
これが情報化!どんどん腐敗の内部がこと細かく暴露される。

どんどんTVで流されていること解ってないのだろう!!!
自分が同じことをやっている事、解ってない!
こっちは4回見ているのに。

これが日本の姿は旧約聖書の世界に似ている!

日本的社会主義の末端??の最終踏ん張り。
でもその一員でしかない!
そのテリトリーの?

それだけ現在は追い詰められている!
金融腐敗列島の内容が、今こそ露骨な現実だ。

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 2001年05月27日(日)
[33] デフレ実感

家内が初めてマックの半額のチーズバーガー2個とマックシェ―ク1個を買って
300円でお釣りがきたという。
息子とインスタントコーヒーを出し、チーズバーガーを1つとシェ―クを半分ずつ
飲んで信じられない感覚だったという。
1人150円でインスタントコーヒーをいれて170円、デフレを実感したという。
うかつであった。
買った事がなかったのだ。

100円ショップ、家具のニトリ、サエゼリア、ユニクロ大きい共通点がある。
物価のグローバル化を戦略的にめざしている。
100円ショップの原価は平均28円だそうだ。
300円から3000円のプライスの商品をトレードオフして、中国などの国で
10〜35円で作らせて持ってくればいい。
100円ショップは当分は伸びる。2000〜3000円した旅行用空気枕を
100円ショップで買って結構良いのに驚いた。

デフレとこの不況まだまだ入り口だ!
デノミのタイミングもそろそろだろう。


1149, ああ結婚! −1

2004年05月26日(水)

結婚について『随想日記』の中で、多くを書いてきた。
長い歴史の中で一番多くのドラマが、結婚という結びつきの中で生まれてきた。
そのドラマは、多様で深遠で、いくら書いてもつきない。

そこで、格言集の中から面白そうなものを探してみたところ、
あるある、とびきり深い奴が、いくらでもある。
赤裸々な人間の本性が、結婚という名のもとにあらゆるカタチで露出している。
結婚前には、知らない方がよいことがあまりにも多い。

そこにあるのは、相性と、忍耐と、諦めと、思いやり、である。

以下のインターネットで調べた格言は、読めば読むほど男女の溝の深さを感じる。
と同時に人間の本質がそのまま、可笑しくも、悲しく顕れている。

 一番こころ、うったのは、
「ずいぶん敵を持ったけど、妻よ、お前のようなやつははじめだ!」ーバイロンー
である。
過去の亭主どもが、この言葉を殺意?を持って何度つぶやいたことか!
 女房も同じだが。
 
自分に甘く、他人に厳しいエゴイズムが、ぶつかりあう先ず初めての場が結婚生活だ。

手持ちのジョーク集の中に面白いものがあった。
実際にありそうな話だ。

ー「こわい話」
男A「棺桶にテレコを隠しておいたんだ。
       ‘おい開けろ!’って声がしたはずなんだが」
男B「奥さんビックリしたろうな!」
 A「いや俺がビックリしたんだ!」
 B「なんで?」
 A「昨夜はおくさんがひとりで通夜してたはずが、 
   なんの騒ぎも起きなかったんだ!」
 

 

ー面白く、深いから、ご覧あれ!!
 それも何回も!

 ー結婚についての格言ー 

・女には、どうしてもわからないテーマが一つある。
 男は仕事に注ぐだけの熱情をなぜ家庭にそそげないのか、ということだ。
                    D・デックス

・女はみんな結婚するほうがいい、男は一人も結婚しない方がいい。
                    ベンジャミン・ディズレーリ

・男はみんな賭博師だ。でなきゃ結婚なんてしやしない。
                    フレデリック・リット

・あらゆる人智の中で結婚に関する知識が一番遅れている。
                    バルザック

・結婚――いかなる羅針盤もかつて航路を発見したことのない荒海。
                    ハイネ

・結婚したまえ、君は後悔するだろう。結婚しないでいたまえ、君は後悔するだろう。
                    キルケゴール
 
・正しい結婚の基礎は相互の誤解にある。
                    ワイルド

・朝夕の食事はうまからずともほめて食うべし。
                    伊達正宗

・できるだけ早く結婚することは女のビジネスであり、
 できるだけ結婚しないでいることは男のビジネスである。
                    バーナード・ショー

・すべての悲劇というものは死によって終わり、すべての人生劇は結婚をもって終わる。
                    バイロン

・夫が妻にとって大事なのは、ただ夫が留守の時だけである。
                    ドストエフスキー

・正しい結婚生活を送るのはよい。
 しかし、それよりもさらによいのは、ぜんぜん結婚をしないことだ。
 そういうことのできる人はまれにしかいない。
 が、そういうことのできる人は実に幸せだ。
                    トルストイ

・男と女というこうも違った、また複雑な人間の間で、互いに良く理解しあい、
 ふさわしく愛するために一生を費やして長すぎるということはない。
                    コント

・一人でいるとき、女たちがどんなふうに時間をつぶすものか。
 もしそれを男たちが知ったら、男たちは決して結婚なんてしないだろう。
                    O・ヘンリー

・急いで結婚する必要はない。結婚は果物と違って、いくら遅くても季節はずれになる
 ことはない。
                      トルストイ

・結婚とは誰もが犯さなければならない過ちである。
  
・その健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、 
 貧しいときも、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り、
 真心を尽くすことを誓いますか。
                     教会での結婚式の宣誓の問いかけ

・結婚とは、熱病とは逆に、発熱で始まり悪寒で終わる。
                     リヒテンベルグ

・結婚生活とはいわば冷蔵庫のようなものである。冷蔵庫に入っている限られた素材で、
 いかにおいしいご馳走を作り出すか、それに似ている。
 決して、他人の冷蔵庫を羨ましがらないことだ。
                     柴門ふみ

・結婚前には両目を大きく開いて見よ。結婚してからは片目を閉じよ。
                     フラー

・結婚をしばしば宝くじにたとえるが、それは誤りだ。
 宝くじなら当たることもあるのだから。
                     バーナード・ショウ

・結婚へは歩け。離婚へは走れ。
                      ユダヤの格言

・日曜学校のクラスに金髪の美しい少女がいた。私は一目ぼれだった。
 妻となった今も私の気持ちは変わっていない。
                      ハリー・S・トルーマン

・ウェディングケーキはこの世で最も危険な食べ物である。
                      アメリカの諺

・独身者とは妻を見つけないことに成功した男である。
                      アンドレ・プレヴォー

・愛はしばしば結婚の果実である。
                      モリエール

・ねえ、あなた。話をしながらご飯を食べるのは楽しみなものね。
                      永井荷風

・家が必要なら、できあがっているのをとれ。  
   妻が必要なら、できあがったのはとるな。
                      ブルガリアの諺

・恋のない結婚のあるところには、結婚のない恋が生まれることだろう。
                     フランクリン

・結婚の契約をしてからでなければ恋をしないというのは、
 小説を終わりから読み始めるようなものである。
                      モリエール

・男と女とが結婚したときには、彼らの小説は終わりを告げ、彼らの歴史が始まる。
                      ロミュビルュス

・男どもは結婚を神聖だなどという。それこそ神をも人をもあざむく台詞というものだ。
 そしていつでも、その台詞の迷惑をこうむるのは、純潔無垢な、理想の女性とでも言うべき
 乙女なのだ。
                      アルツィバイシェフ

・もし人生をやり直すのだったら、私は結婚しないでしょう。
                      チェーホフ

・結婚する。まだ多少は愛したりもできる。そして働く。
 働いて働いて、そのあげく愛することを忘れてしまうのである。
                      カミュ

・同じ生活を営み、お互いに愛し合っている二人の人間が、
 どの点までお互いに謎であり、城壁をめぐらしていることができようか。
                      ジード

・女が再婚する場合は先夫を嫌っていたからで、男が再婚する場合は先妻を熱愛していたからだ。
 女は運を試し、男は運を賭けるのだ。
                      ワイルド

・結婚とは、その主人公が第一章で死んでしまう小説のようなものである。
                      出典不明

・結婚は死と同じである。取り越し苦労は無用である。
                      ヘラルド

・私の業績の中で最も輝かしいことは、妻を説得して私との結婚に同意させたことである。
                      ウィンストン・チャーチル

・三週間互いに研究しあい、三ヶ月間愛し合い、三年間喧嘩をし、
 三十年間我慢しあう。そして子供達が同じことをまた始める。
                      テーヌ

・男は結婚によって女の賢を知り、女は結婚によって男の愚を知る。
                      長谷川如是閑

・不本意な結婚をした男にとって、彼女は妻ではない。敵だ。
                      プラウトウス

・年頃の娘達は結婚のために結婚する。結婚によって自由になれるから。
                      ボーヴォワール 

・結婚したまえ、君は後悔するだろう。結婚しないでいたまえ、
君は後悔するだろう。
                    キルケゴール
 
・正しい結婚の基礎は相互の誤解にある。
                    ワイルド

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2003年05月26日(月)
782,ドイツが揺れ始めた

 昨夜のNHKスペシャル「地球市場・富の攻防(5)・自動車欧州戦線」
フォルクスワーゲンの戦略ーが面白い内容であった。
2年前に北欧に旅行した時、どの国の首都も不況の真っ只中であった。
その国の首都に集中していた企業の本社がドイツのベルリンに、雪崩をうって
移転している為だ。EUが国のあり方を変えている。
昨夜の内容は新たに10カ国増えて、25カ国に拡大する事に決まったEUを
舞台にいま、自動車メーカーが激しいシェア争いを繰る広げている。
その最前線を探る内容であった。

 旧共産圏の人件費の安い国に工場移転が本格的になってきている。
それがドイツの国を根幹を揺るがしているのだ。
現在の日本と中国・アジアの関係に酷似している。
ドイツお前もかというのが感想である。
第二次大戦の成功モデルの日本とドイツが、そのシステムが根こそぎ揺らいでいる。
部品メーカーが価格引下げの要求に、旧共産圏に工場を移転しなくては
成り立たなくなってきているのだ。
そうするとドイツやスペインなどの企業が、今までの労使の協約も根本から
見直さないと、会社そのもの国そのものが存立しなくなってしまうのだ。
グローバル化の典型的な事例である。

 話は変わるが、今度のSARS騒ぎは企業の情報化を更に推し進める事になるだろう。
TV会議システムなどの直接人間同士が接触しなくとも、衛星などを使った
情報交換を最大限駆使したシステムを使い情報交換が可能な状態にするだろう。今回のイラク戦争も殆どが情報戦であった。
これで駆使されたシステムが、一般の企業の端末に入ってくるのは時間の問題である。
ますます競争の激化と、変化が顕著になる。
この情報化社会はグローバル化と激しい競争社会を加速していく。
そして既存の社会・国・企業・家庭・個人のあり方など全てを根本から変えていく。

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2002年05月26日(日)
418,価値観の変遷

大学の同期のゼミの男が「価値観の年齢における変遷」
を卒論のテーマに選んだ。
「こいつ凄いテーマを考えたな」と完成を待ったが、
結局テーマ倒れであった。
時間がないということで、断念してしまった。

そこで軽く短かい内容で、遊びで考えてみる。

1、中学まではやはり親の価値観にほとんど左右されている。

2、中学、高校は、自分に適した大学、高校選びである。
  マセタ子供なら緊急事態の性欲処理としての異性の確保であろう。

3、大学はそれまでの進学という目標から、
基礎教養と,会社選びと職業選択の知識の収集である。

4、そして社会人。
  男の場合は、その集約として会社の仕事の把握である。
  そしてその中での出世がポイントとなる。
  女性の場合は、結婚相手の選択が大きい位置を占める。

6、そして家庭づくりである。
  家と子供育て、そして会社では自分の出世、事業ならその発展である。
7、・・・
  
そして最後は「ころりと死にたいと望む老人の切なる願い」

 以上のようなことが、その年齢でどんどん変化していく。
 以前書いた人間の7年・8年の周期説がある。
 その周期ごとの価値観の変更とも考えることができる。
 それを受身でなく、積極的に自ら変えていく時節。

 どんどん変わっていく価値観と、変わらない価値観がある。
 そして地域によって違う価値観がある。
 その年齢ごとの欲望の変遷でもある。

 56歳ー7年説から考えると、8*7=56歳で変身の歳・時節にきている。
 価値観の再検討、いや今の変えるべき価値観からの脱皮の時節という事か。

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 2001年05月26日(土)
[32] 34年ぶりの文章化

欧州1周旅行(印象記)欧州1周 ー 1967・07〜
   デンマーク(コペンハーゲン)・スエーデン・イギリス・ドイツ・フランス・スイス・
   イ   タリア・オーストリア・タイ・・・ 

・34年前の立大三年ー大学の海外旅行研究会が募集した旅行会が募集した
 欧州1周旅行に参加した。
・期間 は30日間ー1967年7月01−30日ー総勢 40名
・ 団長 高木豊 添乗員 玉井 氏であった。 −深井・川崎・酒向・池永・堀井八郎・・

内側(内面。国内)ばかり見てきたそれまでの世界観が一変、地球の広がりを肌で感じた
当時年間20万人しか海外旅行者はなかった。カルチャーショックで、人生観が
全く変わってしまった。自分の世界の狭さを知る人生の一大転機でもあった。
それまでの総てが粉々になってしまった。人生でこれだけの楽しみも初めてといってよかった。

その時の印象に残っている事は、
1.まず自分は東洋人ということであった。
 白人の世界で初めてそのことを自覚をしたのだ。それと露骨な人種差別の視線を。
2、欧州の豊かさも想像をはるかに超えていた。
3、また文化の深さに驚愕した。毎日毎日見るものふれるものが、全て新鮮で興奮の連続であった。 全く事前の知識を入れてなっかったのが逆に良かった。
4.若さにありがちなコンプレックスの塊の自分に初めて自信がついたー行動としては
 初めてといってよい。

A.まず機内ーー飛行機で食べたヒレステーキーこんなにおいしい牛肉は生まれて初めて!
 
B.デンマークの街並みの清潔かつ美しさ!一人で路面電車に乗ったとき嬉しさと不安!
 郊外にあったお城からみた緑と空の色!当時日本では殆どなっかったコッテジ風ホテル

C.スウエーデンでみた金髪美人の美しさと着こなし!それが北欧の街並みにぴったり!そこの
 バイキングの食事―バイキング方式の食事の存在をそこで初めて知った。

D・ロンドンの王宮そしてビッグベン。イギリスではパブが印象に残っている。
 軽くスタンドでビールを飲める感じであった。

E.ドイツはミュンヘンのビヤホールの大きく豪華なこと。
 確か2000人位の客がステージの楽団にあわせてホール全体が一つになり楽しんで
 いのるのが不思議に思えた。なるほどヒットラーが出るわけだと思った。
 また古い街並みと古城のよいハイデルブルグそしてライン下りで見た田舎ドイツの
 何とも言えない深みのある景色。

F.スイスアルプスの登山列車から見る山並み。    

G・オーストリアで飲んだ地酒のワインと生ハムの美味しい味。 

H・パリで見た凱旋門とシャンゼリデ通りそしてルーブル博物館のモナリザの絵とミロのビーナス。
 そしてヴェルサエル宮殿とその鏡の間。そして庭。

I.ローマの遺跡の数々。
 コロセウム闘技場にトレビの泉。284本の円柱が囲む楕円形のサンピエトロ広場と
 寺院そこで見たピエタの像。地中海のカプリ島。幻想的だったコモ湖。

J.帰りに立ち寄ったタイのバンコク―その何ともいえない素朴な景色。
 寺院もどこもかしこも仏教の影響の為か純粋な東南アジアの良さがにじみでていた。
 この旅行から帰ってきて2〜3ヶ月呆然自失であった。
 もし神様が人生で1ヵ月時間を戻してくれるとしたら、迷わずこの一ヶ月を選ぶだろう。

 ー34年ぶりの文章化である。意外と憶えているものだー


1148, 遺伝子の話

2004年05月25日(火)



遺伝子の研究が進んだのはごく最近である。
遺伝子の性格は、ほんらい利己的であるという。

「我々は遺伝子という名の利己的な存在を生き残らせるべく盲目的にプログラム
されたロボットなのだ 。遺伝子は、マスター・プログラマーであり、自分が
生き延びるためにプログラムを組む。
個体というものは、その全遺伝子を、後の世代により多く伝えようとする。
自然淘汰における中心的な役割を演じているのは、遺伝子と生物個体である。」

人間の身体を支配するものは遺伝子であって、人間の個体が死んでも
遺伝子は生き残っていく。自分というものは遺伝子にとって、仮の宿でしかない。
「父親や祖父などの祖先から、遺伝子は転々と住み変えている宿でしかない」
と考えると、気が楽になる。

人間は、利己的遺伝子に貸している借りの姿で、すべてを支配しているのは、
利己的遺伝子である。最後は自分が一番可愛いのであり、それでよいのだ。
これを読んでいると、論語など読むのがバカバカしくなるか、
だからこそ論語のような規範が必要と考えるか、分かれた解釈になる。

ーあるホームページからのコピーですー
なかなか解りやすくうまくまとめてある
 ーーーー

生物は遺伝子の乗り物である
生物が親から子へと受け継いでいくのは遺伝子である。
個体は寿命が来ればあっけなくこの世を去るが、遺伝子は子孫に受け継がれて
いくのだから不滅であるといえるだろう。

個体は
遺伝子の乗り物にすぎない。生き残ろうとしているのは、
個体ではなく遺伝子なのである。そこでドーキンスは遺伝子のことを、
自己複製子と名付けている。

ドーキンスによれば、自然淘汰とは、この自己複製子が個体という姿を借りて
行う生き残りゲームである。
ゲームをうまくやれる自己複製子は自分のコピーをたくさん残せるので、
増殖することができる。うまくやれない遺伝子は滅びる。

遺伝子とは文字通り、生物が親から子へと性質や形を伝えるためのものである。
今では、遺伝子はDNAという化学物質であることがわかっている。
DNAを構成している塩基の並び方により、いろいろな遺伝情報が保持されている。

しかし、遺伝子の働きは、これにとどまらない。
遺伝情報を保持する遺伝子は構造遺伝子と呼ばれているが、その遺伝情報を実
際の形質として発現させる途中で、調節遺伝子などが働く。
調節遺伝子とは、遺伝暗号の発現を抑えたり促進したりといった調節を行う
遺伝子である。
さらに最近、ホメオティック遺伝子という遺伝子が発見されて話題となっている。

ここ10年間ほどの間に、遺伝子は遺伝のみならず分化(器官形成)の面でも
重要な働きをすることが明らかになった。
では、個体の形質のみならず行動までも支配しているのであろうか。

ドーキンスによれば、個体は遺伝子の単なる乗り物なのであるから、もちろん、
行動もその支配下にあるということになる。

ハミルトンやドーキンスは、現在、ある生物が存在しているのは、
その生物の遺伝子が自然淘汰で生き残ったからだと主張する。

しかも、その遺伝子の目的はただ一つ、これからも生き残ろうとすることである。

こで決定的に重要なことは、遺伝子の目的は唯一、自分自身が生き残ることで
あって、単なる乗り物にすぎなり個体の生き残りではないということだ。

このことから、ドーキンスの主張する「自己犠牲」という行動の合理的解釈が
生まれてくる。
簡単にいうと、個体の自己犠牲的行動とは、あるグループの遺伝子
(自分のコピーもしくは血縁)が自分たち全体の利益を計るために分乗している
ある乗り物を、犠牲にすることに他ならない。
つまり、全体のための部分犠牲である。

「個体は遺伝子の乗り物」、
「自己犠牲」につづく、
ドーキンスの第3のモチーフ、
「延長された表現型」とうい概念がある。
ドーキンスはこの概念を「遺伝的遠隔作用」とも表現している。

遺伝子は自分の生き残りのために個体どころか、種を越えて、他の生き物を
コントロールする場合がある。これを、延長された表現型としている。

ー感想ー
要するに、「遺伝子が生き残る為に個体を維持させ、乗り換えている。
個体を維持させることが目的でなく、遺伝子そのものが生き延びていくことが
目的でしかない」ということだ。
これを読んでいたら、何か気が楽になってきたことは確かである。
神は遺伝子に宿るということか?!
いや、エゴイズムのはずがないから違うか?

・・・・・・
・・・・・・

2003年05月25日(日)
781, 父が亡くなって30年

 父が亡くなってあと数日で、まる三十年が経つ。
去年もこの時期書いたが、供養も含めて更に書く。

私が末っ子ということで、陰に陽に父親には愛情をそそがれた。
子供に対して、非常に愛情の深い人であった。
母の愛情のかけ方があまり巧い人でなかった分を、父がカバーしていた。
反面非常に厳しい人であった。

 年を重ねると供に性格も顔もそっくりになってきている。
毒舌家で、卑しい人間を徹底的に嫌っていた。
非常にシャイな人で他人とは迎合をしない人であった。
反面、非常に寂しがりやのところがあった。
こう書いていると自分の事を書いているようだ。
過去に一番悲しかったことといえば、父が亡くなったことだ。

もの憶えがついた頃から大晦日に、子供全員が金庫の前に座って一人一人がお年玉を
貰うのが恒例であった。
そして数日後、全額を預金させられた。
もっとも預金するかどうかは本人の意思を尊重していた。
 10万近くが高校に入る頃まで溜まっていた。
高校に入ると同時に待っていたのだろう「株を買え!」という、
それも自分で銘柄を選べと。
必死に考えて「科研科学」という会社の株を選んで買った。
結果としては、あまり儲からなかったが、日経新聞の経済情報を毎日見るようになった。
 時間をかけて種銭をつくり、情報を自分で集め、投資をしろということを
教えたかったのだろう。

以前書いた文章をコピーしておく。
・・・・・・・・・・・・・・・

2002/06/01
父・堀井誠作のこと -1

一昨日は父が亡くなってまる29年経つ。
早いといえば早いし、永いといえば永い年月だ。

父の供養も含めて少し父のことを書いてみよう。

・典型的な明治人で長岡商人であった。
・私が父の44歳の時の子供であり、父に間接的だが溺愛されていた。
・数代続いた骨董品屋の2代目で、
 父が跡を継いだ時7万ぐらいの資産があったと母から聞いた。
 当時の長岡では3〜5万が一応資産家の目安だったというから、
 もともと裕福な家だった?私のお祖父さんが貧乏で、お金に苦労した。
 その為必至に資産をつくり上げたようだ。
・父の代で戦前、それをかなりの資産に増やした。
 しかし戦災で大部分失ってしまった。
・戦前は山本五十六とか津上退助とか野本互尊翁等の人に贔屓にされ、
 かなりの骨董品の商売をしていたという。
・戦時中は仏壇で食いつないだという。
・戦後は長岡の大手通の4つかどの土地を手にいれ喫茶店を少しやり、
 古着屋に転業、そして衣料量販店で全国的にも知れるほどだった。
 
以前父のことを書いた文をコピーしておく。


・・・・・・・・・・・・・

2002/06/02
父・堀井誠作のこと−2


・女性の噂の全くない非常に真面目の人であった。
  家庭人としてこれが一番の基本である。
・非常にシャイなところがあった。

・商売では非常に厳しし反面、それを離れるとやさしいところがあった。
 これは自分で心がけているが、営業を狙ってくるタイプはその隙を狙ってくる。
  年内にその整理に入る!!!!ーこれは自分の話しか!

・その時々の時代に合わせて仕事を変えていったのは、最も学ぶ事であった。

・仕事も私生活も、楽しむ事が基本にあった。
 これも両親からの最大の教えである。

・宗教に関しては、ごく普通の仏教徒であった。
 特に法事などの仏事に関しては非常に大事にしていた。
 これを疎かにすると家が傾くと本当に信じているようだった。
 集り坊主の丁度いいお客様であった。
 所詮はレジャーでしかないのにーこれは私の主観。

・お金に関して父なりの金銭哲学があった。
   ー何を奇麗事を言っても、お金に関しては赤裸々な欲がある。
   −あまりに露骨の欲の塊が金、それをちゃんと見据えろ。
   −金は仕事の楽しみのカス、自分でその楽しみを見つけるべし。

・若い時に肋膜炎になり、戦争に行かないですんだ。
 これがコンプレックスと幸運の両方で人生観の背後にあったようだ。

・どちらかというと、母が男のように芯の強いところがあり、
 逆に父はシャイなところがあった。

・母から聞いた話だが、人間的に面白いエピソードがある。
 −戦前に一年に一商売をすると、一年間一家が生活できるだけの
  利益があったという。その商売が成立すると、50銭ー今でいうと5000
  〜10000円の硬貨を耳に挟んで、嬉しそうに一人で夜食事に行ったという。
    −5円なら解るが,50銭というところが自分に似ている。

    いずれにしても自分にとって最大の先生であった。

ーーーーーー

H0505小説のような本当の話!

 十数年前、父の七回忌の早朝、母と花を持ち墓にお参りに行きました。
ところがすでに墓がきれいに磨かれており、花が飾られていました。

生前仲のよかった“父のいとこ”が、すでに来てくれたと母と語らい、
お参りをしていると、見知らぬ老人が話しかけてきました。

たまたまその寺の近所に住んでいるというその本人がしみじみ語るには
“自分の子供の高校の入学時に、金がなくコートを買ってやれずに、店にいた父に、
正直に事情を話したところ、父は全く見知らずの自分に、分割払いをしてくれた。

それが本当にうれしくてうれしくて!それで父が亡くなった時以来、
必ず命日にこうして掃除をして、花を供えている”との事。

聞いていて本当に父のすばらしさの一面を知らされた思いでした。
その時、果たして私の七回忌にこんな事がありうるだろうか。
そういう“生き方”を自分はしてきただろうかとつくづく考えさせられる
出来事でした。
父の名前は誠作という事もあり、
それが本人のコンセプトになっていたのだろうか?当時、
丁度今の会社の理念を考えていた矢先、
それが大きなきっかけとなり“誠心誠意”に決まった次第です。

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2002年05月25日(土)
417,人生の負け組みと勝ち組み

だいたい20佑勝ちで、80佑鷲蕕荏箸澆任△襦
何をもって勝ちで、何をもって負けというのか?というが。

一般的に自分の真にやりたかった事を見つけ、やりとおせたかどうかだ。
その意味でやはり、あるはずだ。社会的な勝ち負けの話しではない。

負け組みの、負け惜しみで何かへ理屈が出てきそうだが。
・過去の蔵にそれ(やりたかった事をやってきた行為)が詰まっており、
・現在それを過去の計画どおり実行しており、
・未来の計画をキッチリ立ててある人

そういう意味で大体私の周囲では、2対8の比率は間違いない。

刑務所など99佑世蹐Α
その共通点は目先しか見えない峡視の人だろう。
80佑凌佑眩海蝓

ダイヤを入れれば、ダイヤが出てくる。
ゴミを入れいればゴミが出てくる、その分別ができなかった人だ。

何か厳しい内容だが、見方を変えればいい。
「自分は社会的なことは別として、ずっとやりたいように生きてきた。
自分の大好きな○○をしてきた、それで充分だ」
こう言える生き方が勝ち組だ。

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 2001年05月25日(金)
「31]」写真日記コーナー開設!

ウイークリーマンションの司の社長の写真日記
ーこれはノートにその日あった人のインスタント写真を張りつけていく 
ものだが、ーいつか実行したいと思っていた。
そしてホームページで 是非実現してやろうと思いつき今日開設した。
ソフトが不備で思いどうりにならず、苦戦していたが何とか間に合った。
しかし途中挫折しなければよいが?
慣れてくれば、習慣化してしまえばしめたものだが。
どういう展開なるか自分でも解らない。
小さな世界がますます露呈されていくが、しかたあるまい。
だんだんホームページに関わる時間を短縮していかなけれと思っているが、
今はとりあえず時間だけはいれなくては!
今日も午前中南雲氏とこのコーナーの準備。ビルつくりに似て慣れてくると
面白い部分が見えてくる。


1147, 「唯脳論 」 

2004年05月24日(月)

この本も、なかなか面白い。
情報化時代だからこそ脳が問題になる。
脳こそ、情報器官そのものであり、それがコンピューターと結びつき、さらに
インターネットでネットされた現代社会では、最も注目されてしかるべきである。

自分の脳を公開して、さらに自分で時間をおいてみてみると、自分でも面白いのだから、
他人が見たらもっと面白いだろう?
この随想日記は「唯脳の世界」そのもの、それも重層に重なっている。

「現代人は、脳の中に住むという意味で、いわばお伽噺の世界に住んでいるといっていい。」
と著者は書いているが、ある意味で、このホームページもお伽噺なのかもしれない。

ー以下は、あるホームページの抜粋を、再構成したものである。
それにしても、神様か、高度の何かが人間や生物を創ったとしか思えないが。

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養老孟司著 青土社刊

●はじめに

・現代とは、要するに脳の時代である。
情報化社会とはすなわち、社会がほとんど脳そのものになったことを意味している。
ヒトの歴史は、自然の世界に対する、脳の世界の浸潤の歴史だった。
それを我々は進歩と呼んだのである。

・自然保護運動が、しばしば理性に反するようにみえるのは、その実態が「自然に帰れ」 
 運動ではなく、直感的な「反-脳」運動だからであろう。
現代人は、脳の中に住むという意味で、いわばお伽噺の世界に住んでいるといっていい。
・・・・・ お伽噺に異を立てる現実とは、我々を制約するものに他ならない。
それは歴史的には常に自然だったが、いまでは脳になってしまった。

・我々はかつて自然という現実を無視し、脳というお伽噺の世界に住むことにより、
自然から自己を解放した。現在その我々を捕らえているのは現実と化した脳である。
脳がもはや夢想ではなく現実である以上、我々はそれに直面せざるをえない。」


●唯脳論とはなにか

・ ヒトが人である所以は、シンボル活動にある。言語、芸術、科学、宗教など。
我々の社会では言語が交換され、物財、つまりものやお金が交換される。
本来は全く無関係なものが交換されるのは、脳の中にお金の流通に類似した、
過程がもともと存在するからであろう。

・ ヒトの活動を、脳と呼ばれる機関の法則性という観点から、全般的に眺めようとする
立場を唯脳論と呼ぼう。

・一般に自然科学者は、考えているのは自分の頭だということを、なぜか無視したがる。
 客観性は自分の外部に、つまり対象にあると思いたがるのである。
「科学研究の結果」=業績は多くの場合、当人の脳の機能である。
しかも、その業績が誰にでも理解できるとしたら、それは誰の頭にも同じ機能が生じ得る
ということ。
そう考えると、「客観的事実に基づいた研究業績」とは、本当にはどこが自分の業績か、
判然としなくなる。
そのために、自然科学者は、自分と他人の脳のことなどは考えたくないのだろう。

・動物実験、つまり自然科学的手法だけでは、ヒトは理解できない。だから人文科学が存在する。
これは言語ばかりに頼るものだから、もめてばかりいる。ヒトの人たる所以をさらに
理解するには、将来は唯脳論に頼らざるをえないのではないか。

・医者は大体、理科と文科の間に挟まって往生するものである。両者を結び付けるのは脳であると
いうのが、この本を書いた私の動機である。

・ ホモサピエンスはここ数万年ほど解剖学的、すなわち身体的には変化していない。
従って、脳の機能も、数万年このかた変化していないはずである。
千変万化する学問分野を脳から見れば所詮同じ事をやっているはずである。
理科と文科とは脳の使い方の違い、使う部分の違いにすぎない。

・ それなら、脳を調べなくてはならない。その機能形式にある定まった法則性があれば、
そこに戻って理科と文科の話し合いがつくであろう。 ・・・・
言葉とは、大脳皮質連合野の機能である。発信された「言葉」から「受け手」は自己の脳の中に
「送り手」の脳にあったものと、類似の機能を起こさせようとする。
これがうまくいかないことが、人類社会のモメごとのかなり部分を占める。
これを解決するものは、脳の機能の研究以外にはありえない。

この本で私が述べようとするのは、文科系における言葉万能および理科系における物的証拠
万能に頼るだけではなく、すべてを脳全体の機能へあらためて戻そうとする試みである。

・レヴイ=ストロースは言葉の交換が、女性、物財の交換と並んで、
人類社会を成立せしめたと言う。

・お金にまつわる全ては、じつはヒトの作り出した約束事である。

・「ヒトの作り出すものは、ヒトの脳の投射である」

・考えているのは自分である。「実証されなければ科学ではない」。
そう信じているのは、そう信じている人の脳である。
さらに限定するならそう信じている人の意識である。
しかし、脳に存在するのは意識だけではなく、フロイドが発見した「無意識」もある。
数学の論理は、それがある形で脳内にあるからこそ、見つかるのである。
しかし、数学者はそのこと自体を「意識していない」。


●心身論と唯脳論

脳と心の関係の問題、すなわち心身論とは、じつは構造と機能の関係の問題に帰着する、
ということである。・・・・
「脳という物質から、なぜ心が発生するのか。脳をバラバラにしていったとする。
そのどこに『心』が含まれていると言うのか。徹頭徹尾物質である脳を分解したところで、
そこに心が含まれるわけがない」という疑問は、問題の立てかたが誤っている。

・脳は確かに「物質的存在」であるから、その重量を測ることができる。
しかし、心はじつは脳の作用であり、つまり脳の機能を指している。

・ この主張は「機能は構造からは出てこない」ということである。

・ある「ことば」と、その「ことば」に対応する「存在」を考えたとき、解剖学で利用する
「口」や「肛門」のような用語ですら、「対応するもの」が、外界から「実体」として、
かならずしも明確に取り出せるわけではない。これらの「対応するもの」は我々の脳内にある。

・心には、ある特殊性がある。それをわれわれは意識と呼ぶ。
意識には、自分で自分のことを考えるというおかしさがある。
これは、他の臓器ではありえない機能である。この機能的特性のためにヒトは、
意識つまり心をいつでも特別扱いしてきたのである。・・・
そもそもどの臓器であっても、その臓器しか持たない機能が存在する。

・ 生物学の歴史でふつうに見られるように、すでに発見されている構造について、
機能を「発見」するのではなく、唯脳論では、予め知られた機能に対して、構造を割り付け
なくてはならない。こういう逆転した議論を、人はなかなか受けつけないのである。

唯脳論は、心の示す機能に「対応するもの」としての脳、あるいは脳という構造に対応する
ものとしての「心という機能」を扱う。

・ 構造とは、脳なら脳を、より視覚系寄りに扱うやり方であり、機能とは、
同じ物を聴覚・運動系寄りに扱うやり方である。「心は物質から生じるか否か」という問題は、
われわれの脳の構造から生じる見かけの問題だと唯脳論は答える。

唯脳論は、世界を脳の産物だとするものではない。意識的活動が脳の産物だといっているだけ。
脳は世界の産物であり、哲学は脳の産物である。

・ 脳は変転して止まないと言い、他方では同じだという。これは個と普遍の問題にすぎない。
脳の個とはつまり遺伝と発生による決定であり、普遍とは進化的に成立したもの、
つまり「ヒトという種の性質」である。

死体があるからこそ、ヒトは素朴に、身体と魂の分離を信じた。生物学的に言えば、
構造と機能の分離である。ここから構造と機能の分離が「対象において存在する」
という誤解が生じた。私の意見では、構造と機能とは、われわれの「脳において」分離する。
対象においてその分離が存在するのではない。

・ 私が言いたいことは、死体の定義は、いまだ相変わらず、明瞭ではないということである。

・死体ではむしろ、機能の部分的あるいは広範な喪失にともなった、構造変化が生じている。
われわれの目が、それを「肉眼的に」かならずしも見分けられないだけである。
ゆえに、死体は残存しているが、それは、完全な構造の残存ではない。
それと同時に、それは完全な機能の喪失でもない。死体において、構造と機能が分離したかに
見えるのは、「あたかも分離したかのように」見えるだけのことである。

・ 死においては、対象側に、構造と機能の分離が生じるのではない。構造、機能ともに、
順次失われる。ここでもやはり、構造と機能の分離は存在していないのである。

自分の脳のことを忘れるのは、「客観的な」科学者には、きわめてありがちな傾向である。
真理は対象である脳の側にあり、「自分の」脳にはない。そこに自己言及性の矛盾を
本能的に感じるから、あえて自分の脳を忘れるのかもしれない。
心身が二元に見えるのは、われわれの脳が、構造と機能を分離する性質を持つからである。


●計算機という脳の進化

・計算機は、脳の進化過程ではもっとも遅く出現してきた能力だけを、いわば取り出して
使っているもの。

・われわれの脳は、九九の能力に象徴されるような、状況依存性を欠く無益な能力を、
多数ためこむことになったのである。

・ヒトの脳を置換するものは、ヒトの脳を包含する脳である。
脳は一般に他の脳を包含する場合に、相手を理解する。
われわれがサルをよく理解するのは、われわれの脳の中に、ともあれサルの脳があるからである。

・ヒトの脳の未来像を二つに分けて考えている。一つは計算機との接続である。
いまのように感覚器官系を通じて計算機からの結果が脳に入ってくるので脳そのものの
延長という感は薄い。人工臓器をつなぐのもなかなかうまくいかないので、私は買わない。

もう一つはヒトの脳そのものを変更することである。三百万年の進化過程でヒトの脳は
約三倍の大きさになった。これをさらに進める方向である。こちらの方が話が早いと思う。
もっともここでは、具体的な話を急ぐ理由は、いまのところなに一つない。

●脳は脳のことしか知らない

・意識とは脳の機能である。意識の問題がこじれて唯心論や唯物論が生じる。

・進化の過程で、動物の脳は外界の刺激を取り入れ、それに応じて自分の体を適当に
動かすものであったはずである。その中の二つの知識のうち、一つは外界・環境に関するもので、
もう一つは自分の体に関するもの。これらがそれぞれ唯物論と唯心論の起源といってもよい。

・ヒトの段階では、脳自身に関する知識を含むことになった。それが「意識」に他ならない。

ー日記エディターには字数制限あるため、より詳細の内容は「引き出しのコーナー」に貼り付けてあります。


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2003年05月24日(土)
780,またおきた「意味ある偶然の一致」

  ー40歳の頃−1986年

過去をこうして書いていると、いかにして今の自分になってきた
かの謎解きを一人しているような気分になる。
この頃は第二の増築工事の完成をした年であった。
280室に向けて一番勢いがあった。
またギリギリの判断をして、後は野となれ山となれという気分であった。
時代はバブル直前の何ともいえないエネルギーが溢れていた。
コンピューターを導入した年でもあった。
政治的には、アメリカとプラザ合意をしてバフルに入った直後であった。
気持ちの中ではギリギリの限界であった。

ーこれを書いているときー今、TVから1986年の歌がが流れてきた、それも字幕で
1986年と入っていた。加山雄三の歌がー「北国の〜と歌っている」
また起きた感じだ。
NHKのBS・2で、時間は21時55分。
恐ろしい感じがする。
よくおきるがあまりに露骨だ!
シンクロニシティー「意味ある偶然の一致」だ。
嘘みたいだ!
実際のところ、現におきたのだ。
書いている最中に字幕で1986年と出て、歌まで出るのだから!
あまりにも出来すぎている。
これに合わせて引きつけられるように、このテーマを書いていたということになる。
深い自分のしらない何かがあるのだろう。
これだから面白い!テーマが変わってしまった。

ー重大ニュースー

・三原山大噴火
11月15日、伊豆大島の三原山が209年ぶりに噴火。21日、全島民に避難命令。
約1万人が1ヵ月にわたって島外避難したほか、農・海産物などに大被害をもたらした。
その後の調査で、三原山が7.7m高くなったことがわかった。

・撚糸工連事件
日本撚糸工業組合連合会側から200万円を受け取ったとされる横手文雄代議士が受託収賄罪で、
500万円を受け取ったとされる自民党の稲村佐近四郎代議士が収賄罪で起訴された

・社会党に初の女性委員長

・イギリスのチャールズ皇太子とダイアナ妃が来日
5月8日、イギリスのチャールズ皇太子とダイアナ妃が日本政府の招待で来日した。
ダイアナ妃ブームに。京都見物を終えてから東京入り。歓迎式典や青山通りパレード、
宮中晩餐などの超過密スケジュールをこなして、13日羽田空港から帰国。

・現金輸送車の3億3000万円強奪
11月25日朝、東京千代田区有楽町、三菱銀行有楽町支店前で現金3億3000万円入りの
トランクを積んだ輸送車が停車、運転手と警乗員がドアをあけたところ、後方からきた車から
2人の男が飛び出し、モデルガンで運転手を殴りスプレー式の目つぶしを吹き付け、
ひるんだすきにトランクを奪い車で逃走した。車の中にも1人おり犯人は3人組だった。
87年10月フランス人の犯行と判明。現金輸送の強奪事件では1968年の3億円事件を上回る
史上最高被害事件。 衆参同時選挙で自民党が空前の勝利 。

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2002年05月24日(金)
416,鳩山家の「勉強法」


何回か立ち読みをして買うかどうか迷っていたが,
先日買って読んで面白かった。
しかし本来ある技法を、とってつけたような内容も多かった。

最近ノウハウ書に凝っている。
以前はノウハウ書などの小手先の本を甘く見るところがあった。

ところがそれが思い込みでしかないことが、この年で解った。
ノウハウ書ばかり偏るのがよくないのであって、
技術の宝庫であることは間違いない。

この本もそうだ。
ノートのとり方一つでも目から鱗である。
私の場合あまり勉強が得意でなかったこともある。

最近凝っている即読法もそうだ。
10倍とはまだなってないが、3~5倍早く読めるようになった。
うそみたいな話だが。

10歳ぐらいのときに、ある姉が教えてくれた。
「一科目だけでいいから、勉強して一番をとりな!」
これが小学年の後半、算数だったと思うが一番になった。
それがきっかけであった。
そして中学二年の時、・・・・・と。

さてこれで印象に残っている順に書くと!
・ノートの左右の書き分け
  左にキチット先生の教えたことを、ノートにとる。
  右に 右脳的に 絵とか自分の 形に遊びを入れて書き換える。
 また、そのときの部屋の様子や、他のことも書き加える。
 ダビンチのノートもそうだ。
 絵と文を交互に空間を広く取りながら書き込む。
 広くとった空間にどんどん書き加える。
・あと問題集を徹底的に解く。
 それもどんどん答えを見ながら、先に進む。
・本は全体をとりあえず読む。
 そして後ろのほうから、逆読みをする。
 推理小説の犯人を先に知った上で、
 そのストーリーを読み解く方法を勉強法に取り入れる。
・黒板を周辺に置き、いま覚えるべきところを書き込む。
・勉強をすることが楽しい雰囲気を作る。
 音楽はアダージョなどの、アルファー波の出る音楽を流す。
・黒板で自分が先生になったつもりで、生徒に教えるように演技してみる。
・暗記は繰り返し暗記をすれば、誰でも憶えられる。
・頭の切り替えの為、ポイントごとに遊びを入れる。
・最も大事なところは、勉強と終わりに集中させる。
・あくまで本人の主体性を尊重する。

これは別に写したわけでなく、自分の印象に残った順に記憶から記している。
受験なら、どこそこの大学と具体的に目標を決め、
その科目を集中して勉強する。
それも高校一年の時から割り切り、
他の授業は割り切って進級すればよいレベルにする。

こういうのを戦略的勉強法というんだろうが。
でもそれを出来なかったが、「生き方で戦略的に生きてやれ」
と、学生時代に意識できた収穫もあった。

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2001年05月24日(木)
ホームページを開いて3週の実感

 今週末に‘写真日記のコーナー’ができると一応ホームページの骨格が完成だ。
パソコンを何のため使っているのかな?使い切っているのかな?と疑問を持っていた矢先
ホームページの開設を思い立ち、そのプロセスの中で他のホームページの構造とユニット
をつかむ事が出来た。
  
 自分のデータベース造り、及びその蓄積になっていくと同時にそれがそのまま外界に
リンクしていくサテライトスタジオ機能を持つことと言える。
グローバルに対する自己の開放である。ホームページはその表紙を語源とする。
ということは大項目のデザインということになる。
この数ヶ月かなり追加と変更が予測できる。

 今年の新年の誓いはパソコンとインターネットとホームページをものにする事であった。
特にホームページは思ったより収穫になりそうだ。
 開設の5月2日以前と以後と言うくらいのそこに大きい段差を感じる。



1146, {上に立つ者の道}三十ヵ条

2004年05月23日(日)

{上に立つ者の道}三十ヵ条がよい。
これは住友の岩澤正二氏が部下達に与えた指導者としての指標という。
働くとは、人間関係のどういうことが求められるか、どういう人間であるべきか、
の多くの示唆が含まれている。

耳の痛いことばかりである。住友の気概がそのまま伝わってくるようだ。
もっと早く、知っておくべきことがあまりにも多い。

道としているところがよい。理想は何処までも遠くにあっても一歩ずつ歩いていく
べし、ということだろう。

1.むかう所を明瞭に示せ。
2.信を他の腹中に置け。
3.虚心担懐、光風霽月、是を是とし、非を非とせよ。
4.褒める時褒め、叱る時叱る。
5.権謀は無策に劣る。功詐は拙誠にしかず。

6.功を部下に推し、責めを身に引け。
7.広く意見を徴すべし。部下の話は熱心に聞け。
8.己に薄く人にあつく、己に厳に人に寛なれ。
9.長所を見て人を使え。人は誰しも長所を有す。
10.愚痴と立腹と厭味とは人の上に立つ者の大禁物、言いたきことあるも
耐え得る雅量あるべし。

11.みだりに難きを責むるな。ただし、泣いて責むべき場合あり。
12.自分がまず研究して確信を得よ。
13.金銭に恬淡たるべし。
14.部下の人事に熱心なれ。人の世話はよくしてやれ。
15.その労するところを知り、よく、これをねぎらえ。

16.寡黙重厚。従容自若。眼眸厳正。挙止端正。
17.よく休ませ得る者は、よく働かせ得るものなり。
18.人のことをわがこと程に思え。
19.努めて失意逆境にある人をひきたてよ。
20.自他の職域を守り、これを尊重せよ。

21.知らざることは、あくまで知らずとなせ。
22.少なく言い、多く行え。
23.絶えず研究して、一歩先んぜよ。
24.小疵をもって大功を没すべからず。
25.部下に威張るな。部下の機嫌をとるな。
  至誠一貫、正々堂々。

26.外柔内剛、柔らかくとも一節あれ。
27.事をなすには、腹をきめてかかれ。やるべきときには、断乎としてやれ。
28.上に立つ者は、部下をして己の最大の保護者たることを感ぜしめよ。
29.自分一人にて事をするな。任せて人を使え。
 ただし、監督を怠らば、仕事をする人に張り合いがなくなる。
30.自然に導くを得場、上の上なり。
31.部下と能力を競うな。
32.象徴を高く掲げ、衆心一致、精神の統一をはかれ。
 中心の引力はあらゆる手段をつくして強固ならしむべし。

 会社組織だけでなく 、家庭や各種グループのリーダーに参考になる
メッセージが多くある。

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2003年05月23日(金)
779, 茨城 のり子の詩

 何げなく読んだ茨城のり子の 詩がよい。
    魂の響きがそのまま直に伝わってくる。
    インターネットで調べてコピーした
    私の解説など入らない!
       
       
      落ちこぼれ
                      茨城 のり子

落ちこぼれ
  和菓子の名につけたいようなやさしさ
落ちこぼれ
  いまは自嘲や出来そこないの謂(いい)
落ちこぼれないための
  ばかばかしくも切ない修業
落ちこぼれこそ
  魅力も風合いも薫るのに
落ちこぼれの実
  いっぱい包容できるのが豊かな大地
それならお前が落ちこぼれろ
  はい 女としてはとっくに落ちこぼれ
落ちこぼれずに旨げになって
  むざむざ食われてなるものか
落ちこぼれ
  結果ではなく
落ちこぼれ
  華々しい意志であれ
           
               
               
               
               花ゲリラ
                        茨城 のり子

あの時 あなたは こうおっしゃった
なつかしく友人の昔の言葉を取り出してみる
私を調整してくれた大切な一言でした
そんなこと言ったかしら ひゃ 忘れた

あなたが 或る日或る時 そう言ったの
知人の一人が好きな指輪でも摘みあげるように
ひらり取り出すが 今度はこちらが覚えていない
そんな気障(きざ)なこと言ったかしら

それぞれが捉えた餌を枝にひっかけ
ポカンと忘れた百舌(もず)である
思うに 言葉の保管所は
お互いがお互いに他人のこころのなか

だからこそ
生きられる
千年前の恋唄も 七百年前の物語も
遠い国の 遠い日の 罪人の呟きさえも

どこかに花ゲリラでもいるのか
ポケットに種(たね)しのばせて何食わぬ顔
あちらでパラリ こちらでリラパー
へんなところに異種の花 咲かせる
  

........................

自分の感受性くらい


ぱさぱさに乾いてゆく心をひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて


気難しくなってきたのを友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか


苛立つのを近親のせいにはするな
何もかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを暮らしのせいにはするな
そもそもが、ひよわな志にすぎなかった


駄目なことの一切を時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ馬鹿ものよ


        ・・・・・・・・・・・

        根府川の海

        根府川
       東海道の小駅
       赤いカンナの咲いている駅

       たつぷり栄養のある
       大きな花の向うに
       いつもまつさおな海がひろがつていた

       中尉との恋の話をきかされながら
       友と二人こゝを通ったことがあつた

       あふれるような青春を
       リュックにつめこみ
       動員令をポケツトにゆられていつたこともある

       燃えさかる東京をあとに
       ネーブルの花の白かつたふるさとへ
       たどりつくときも
       あなたは在つた

       丈高いカンナの花よ
       おだやかな相模の海よ

       沖に光る波のひとひら
       あゝそんなかゞやきに似た十代の歳月
       風船のように消えた
       無知で純粋で徒労だつた歳月
       うしなわれたたつた一つの海賊箱

       ほつそりと
       蒼く
       国をだきしめて
       眉をあげていた
       菜ツパ服時代の小さいあたしを
       根府川の海よ
       忘れはしないだろう?

       女の年輪をましながら
       ふたゝび私は通過する
       あれから八年
       ひたすらに不敵なこゝろを育て

       海よ

       あなたのように
       あらぬ方を眺めながら……
             

      ・・・・・・・・・・・・

      わたしが一番きれいだったとき

      わたしが一番きれいだったとき
      街々はがらがら崩れていって
      とんでもないところから
      青空なんかが見えたりした

      わたしが一番きれいだったとき
      まわりの人達が沢山死んだ
      工場で 海で 名もない島で
      わたしはおしゃれのきっかけを落してしまった 

      わたしが一番きれいだったとき
      だれもやさしい贈物を捧げてはくれなかった
      男たちは挙手の礼しか知らなくて
      きれいな眼差だけを残し皆発っていった

      わたしが一番きれいだったとき
      わたしの頭はからっぽで
      わたしの心はかたくなで
      手足ばかりが栗色に光った

      わたしが一番きれいだったとき
      わたしの国は戦争で負けた
      そんな馬鹿なことってあるものか
      ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた

      わたしが一番きれいだったとき
      ラジオからはジャズが溢れた
      禁煙を破ったときのようにくらくらしながら
      わたしは異国の甘い音楽をむさぼった

      わたしが一番きれいだったとき
      わたしはとてもふしあわせ
      わたしはとてもとんちんかん
      わたしはめっぽうさびしかった

      だから決めた できれば長生きすることに
      年取ってから凄く美しい絵を描いた
      フランスのルオー爺さんのように
              ね
・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・

 2002年05月23日(木)
415、「テーマ日記を書き始めて一年 ー2」


ホームページ上のテーマ随想日記は、非常に有効だ。
一年書き続けて、毎日それなりにチャンとテーマが出てくる。
10日に一度くらいが、まったく思いつかない状態になるが、
それでも、その状態の中でも湧くように出てくる。

書き続けることが、大事である。
「一ヶ月で、千項目テーマをあげて文章を書け」
といわれても絶対に不可能だ。

しかし毎日一項目書き続けることは不可能でない。
その習慣をつければ、何とか千項目書けるのではないか。
後二年近くかかるが。

それさえ作っておけば、自分のデータベースになる。
大テーマを立ちあげた時に、それぞれの大テーマに合わせて
それを組み替えればよい。

書いているうちにコツが解ってくる。
新幹線の中とか、散歩の時間にそれを集中する。
またどういう訳か集中できるのだ。

この時間の集中の積み重ねが、膨大のデーター化になる。
またテーマを考えることと、そのテーマに対し色々言葉を
組み合わせる作業が考えを深める。

内容に対しては、それぞれ批判があると思うが、その時点の自分の
自然に出てきたテーマと内容なので、これ以上でも以下でもない。

書き続けるポイントは「ギブ・アンド・ギブ」である。
そうでなくては、続けられない。

今までの自分の持っている経験・知識を全て吐き出し、
現在、得た情報をそのまま出し続けなくてはならない。
しかしそれを実行していると、他のホームページのそれが
良く理解できるからだ。

そうする事が、逆に自分の為になるからだ。
仏教の布施、キリスト教のボランティアみたいに。
それをすることで、他のページのそれが解ってきた。
自分が入れたエネルギーの数十倍、いや数百倍が入っている事が、
理解できるようになったからだ。それもギブアンドギブで。

そうしていれば、相手の内容を見る目が違ってくる。
また謙虚な眼で、それを見ることができるようになってくる。
またその時々のメルクマールにもなる。

時間が経つにつれて、自分の考えもどんどん変化していく。
その変化した視点で、過去の自分の考えを見つめ直すこともできる。


参考の為に「テーマ日記」を書き始めて一年  ー1をコピーしておきます。
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「テーマ日記」を書き始めて一年

あと一ヶ月でホームページに「テーマ日記」を書き始めて一年になる。
旅行を除けば一日も欠かさないで書いた。

何処までやれるか自身との闘いで始めた。
あまり苦しい事はなかったが、しかし気をとられたことは事実である。

気がついたら、370以上の文章を書いた事になる。
よく書いたものだが、内容はこんなもの。

あと1〜2年つづけたら殆ど内面を、いや底を尽くのではないか。
その後で底から真水が出てくるのではないか。
今現在もう底を突いているのではとは思えないでもないが。

テーマの種が尽き始めた事は事実だ。
大した事を考えてない自分が顕わになった。
本気になって第三者を意識して書き出して、プロの文筆家の能力に
今更驚かされる。それで食べているのだから当然といえば当然だが。

書くということと、内面で考える事とあまり違いはない。
内面を赤裸々に顕してしまう。
毎日書き続け公開していることは、とんでもない事かもしれない。

しかし今更そういう生き方をしてきて(^^ゞ−(;一_一)(+_+)(-_-;)
ー恥ずかしいことはない。
後どうしても過去の事考えたことに偏ってしまう。
人生の7割生きたのだから仕方ない。
自分史そのものだ。
自分史の先取りだが、自分史は早いほどいいという。

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・・・・・・・・

  2001年05月23日(水)
 お笑いコーナーの開設

 スナックジョーカー
 去年シルクロードを旅行した時、同行者がかなり知的レベルの高い人達であった。
 旅行中非常に厳しい環境の中で、いつも軽いジョークを飛ばしていた。
 それがいやみも無く気持ちを和らげてくれた。その経験から軽いジョークは
 厳しい人生で軽い安定剤になるものだと、つくずく考えさせられた。
 そのとき日本に帰ったら必ずそのセンスをつけてやろう心に決めた。
 そして数ヶ月間ジョークと駄洒落の本10冊以上を買い求めた。
 初心者のジョーク収集家になってしまった。一人手帳に書いて楽しんでいたが、
 公開も面白いとこのコーナーを開設することにした。
 笑いはその人により千差万別経験により違う。可笑しかったら笑ってください。 
 いつものとうり以前書いた文章をコ ピーしておきます。
    −H1209"笑い"について ー
 笑いというと人生におけるアクセサリーのように考えられるが、
 実際は人間として生きるうえで、もっと根本的な問題を含んでいる。
 苦悩は人間の本質的一大問題である。仏様は、それを"四苦八苦"に分解してみせ、
 その根本的解決策を八正道とした。しかし人間はそのずっと以前に"笑い"を発見していた。
 そして苦悩をやわらげていた。人生は本来、思い通りにいかない、馬鹿げている、
 いやな事が多い。本来あるべき姿との闘争といってよい。これが苦悩となって負担となる!
 そこでユーモア・ジョークを創りあげ、笑いで中和していた。苦悩より生ずる精神のこわばり、
 このこわばりにおかしさが出てくる。これをスピーディーに指摘する。
 人間はスピーディーに不一致を指摘されると、おかしく笑い出す。
 笑いは笑う側から言えば優越感、笑われる側からいえば、その価値の下落、
 及至無化と関係している。われわれは優者に同一化する事により敗者を笑う。
 これが皮肉、悪口による嘲笑でもある。しかしこれは品性の最も低レベルの露出になる。
 皮肉は孤高な笑いでもある。皮肉屋は自らを高くして、自らを神の立場にして、愚者を笑う。
 反対にこの人間の弱さ愚かさに直面しても、これを憎まず受け入れる態度をユーモアという。
 笑われる対照が実はわれわれ自身でもある。
 ユーモアが与える心あたたまる連帯性の源は、この共犯性にある。
 すべって、ころんで怪我をして泣いているのが悲劇であり、その姿を第三者が可笑しくみえ、
 笑ってしまうのが喜劇である。同じ局面でもその立場で全く違ってくる。
 しかし喜劇的側面は少なくとも客観的であり、ロングショットの視点である。
 悲劇的視点はその苦しみしか見えなくなっている。
 という事は苦悩を逆に自ら笑ってしまう事のほうがプラスになる。
 "いつか笑える日がくるさ"とつぶやく事を忘れないなら、その日は駆け足でやってくる。
 笑うから楽しいのである。泣くから悲しいのである。笑いは自ら創りあげるものである。
 この三ヶ月間でジョークを一〇〇、駄洒落を二〇〇、頭の中にセットした。
 しかし、これで相手を笑わせるとなると話が違ってくる。難しいのである。
 当然の事ながら一つの話でも一人の人にとって可笑しいが、もう一人には
 全く馬鹿げている事が多い。その為にはTPOSでネタを変えなくてはならないし、
 それと失敗した時のフォローも考えておかなくてはならない。
 一つのジョークでも一つの"生き物"として自らの中で手入れをしておかなければ相手は
 笑ってはくれない。
 ユーモアは笑いを目的とせず、雰囲気を良くする事を目指し、ジョークは最後の一ひねりに、
 吹き出し笑いを目指す。駄洒落は聞き手に優越感の笑い(話し手を少し馬鹿にさせる)
 を目指すという。この違いだけでもわかっていると笑いに対する知識が全く違ってくるはずだ。


1145, 「デフレ・スパイラル」について

2004年05月22日(土)



 資産デフレと物価デフレが、装置産業にいるためか深刻である。
 そこで、デフレについて、調べてみた。
 現在の世界の経済は、有史以来三度目の大きな屈折点にある。
 21世紀はデフレの世紀になるだろう。

・経済の第一の屈折点は、10000年前の農業革命である。
 人類が定住を始めて物々交換市場が成立した時点。
 第二は16世紀の欧州でおきた中世荘園制度から資本主義への脱皮。
 三度目は1980年代からおこり現在まで至っているデフレ革命である。
 ー情報革命による、コスト削減と一物一価に集約さていくプロセスで
  物価は下がり続ける
 
 特に日本は深刻である。
・安価な労働力を(日本の25〜30分の1)豊富に持つ隣国・中国の輸出供給力がある、
 欧州にとっては東欧・旧ロシアが、それに当たる。
・資産バブルの清算がまだ終わってない
 80年代の上昇分の反動が必要になったが、まだ土地の時価総額1500兆円は
 名目国内総生産の約三倍、イギリスの一倍に対してまだまだ地価は差がある。
・デフレ解消にはまだ10年20年以上はかかる。
 いやまだまだで今世紀はかかるのだろう。
 
 デフレス・パイラルはまだまだ続くことは間違いはない。
 特に地価は日本では、更に半分以下になると予測される。
 
 現在の日本は、戦前の昭和19年か20年の前半の終戦前夜に酷似している。
 終戦というより敗戦である。
 現在、中国関連とIT関連で少し景気は上向いているように錯覚しそうだが、
 実態はまったく違うといってよい。
 
 とくに消費を引っ張ってきた団塊の世代が、社会の中心から外れようとしている。
 経済は年齢構成の問題であるというから、日本は特に絶望的である。
 
 以前書いたデフレについてコピーしておきます。
 
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2003年04月15日(火)
741, デフレと対策 −2

ー 前にもこのテーマで書いたが、今一度書く。

 今の日本はデフレである。
しかしそれでもアメリカの物価より物価は実感として、2倍3倍高い。
それが修正過程に入っているだけである。
戦後の実質社会主義制度による統制物価が、その崩壊とグローバル化で
世界的な物価への平準化プロセスに入っているだけである。

 家具のニトリにしても、イタ飯屋のサエゼリアやマクドナルド、100円
ショップが好調なのは、グローバルな物価の追求を実践をしているためだ。

 世界的な物価に下がるまでデフレは続くのが当然である!
それで恐慌になっても仕方がないことだ。
ジタバタバタしないで、このデフレの中で自分を変えるしかない。
政治頼みや批判をしても、仕方がないのは自明の事。
やるべき事をキッチリやってそれで駄目なら退場するしかない。
やるべき事もしないで仲間内で愚痴をいいあってもどうにもならない。

 先日の日経流通新聞に、箱根の湯本の二番目に古い、370年の歴史を持つ
温泉旅館の『一の湯』が一面トップ記事で出ていた。
半値から三分一のプライスー一泊二食つきで6800円をうちだして、
低価格旅館グループを拡大しているという内容であった。
親父が高級旅館をつくってしまったが高プライスの為に不振になった。
座して死を待つよりよいだろうと、25000円から9800円に期間限定で、
この値段に下げたら、お客が殺到した。
それで延長延長で、この値段を固定にしたとか。
その代わり徹底した合理化を図ったという。
最近は一泊4500円の旅館も始めたとか。
潰れた旅館を買い取れば、これも可能になるだろう。
こういうのを「高級を高度に切り替える」という。
 
 銀座のクラブも三分の一以下で、商品価値を落とさない店
が好調だと先日このコナーでかいた。  
昨日いって来た京都は深夜にバスに乗って、宿泊なしで翌日の深夜に帰ってくる
パックさえ出来てきている。

これで京都に一万円でいってこれるのだから、価値がある。
凄い時代である。

http://www.ichinoyu.co.jp/
以前書いたのをコピーしておきます。

  ーーーーーー
  
  デフレと対策 ー1  
 2002年10月01日

 現在上手くいっている店を見ていると、やはりデスカウントの
業態の店である。
それも思い切って、20年前か25年前のプライスを打ち出しながら、
現在の嗜好を取り入れた店や会社だ。

 衣料品は20年前の半値以下の商品が多くなってきた。
自転車も、半値か四分の一だ。電気商品もしかりだ。

 落ちないのが公共料金だけである。ホテルの値段もその様相になった。
ラーメンの値段も落ちてない。過去の三次産業の異端は価格破壊である。
そうすると落ちてないのが狙い目である。

 先日TVで180円のラーメンチェーンを紹介していた。
マクドナルドのように、徹底した機械化を厨房で図っていた。
吉野家や松屋の牛丼も400円を280円に下げた。
そうすると他の甘いラーメン屋とか何でもや食堂のお客が流れてくる。

 先日に法事で帰ってきた姉が、面白い温泉旅館にいってきたと教えてくれた。
関東圏の温泉旅館で、4名以上で一泊二食で4500円という。
予約をすると東京周辺のJR駅の近くの三箇所の指定した場所に,マイクロバスで
迎えにきてくれるという。更に食事のときは従業員が即興の演劇をしてくれたり、
とにかく飽きさせないようにしてあるとか。
社長はつなぎを着て陣頭指揮にあたっているという。
先ずは安く、そして価値があればお客は殺到する。
「もうそういう時代だよ!」とつくづく言っていた。

 何かどこかで聞いたことがある話だと思ったら、
そうアメリカの航空業界の異端児で大不況の中、飛躍的に伸ばしている
サウスウエスト航空を温泉旅館版に換えただけの話である。
斜陽産業の温泉旅館が良くぞ考えたものと驚いてしまった!!
(こういうのをベスト・プラクテスという)

 客の立場にたてば,全く違った設定ができるのである。
淘汰されている所は、ただ不況と仲間内で傷を舐めあっているだけだ。
発狂してベスト・プラクテスをするか、廃業するかどちらかだ。
今更発狂はできないか??!!
(発狂とは、出来ない人の目から見たベスト・プラクテスのプロセスを
踏んでる姿)
 
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2003年05月22日(木)
778, 私が10歳の頃-1956年

 長岡の坂之上小学校4年から5年生に進級した頃だ。
10歳までが長岡駅前の繁華街の四つ角の衣料ディスカウントの
店の3階に住んでいたが、この年に駅裏の台町(現在ーとーちゃんラーメン)
に転居していた。
それが転機であった。
あの慌しい店の上の日々が、静かな生活に一変した。

 丁度その頃に、初めて勉強に目覚めた。
ある姉に勉強のコツを教えてもらった。
「一教科でよいから、とにかく良い成績をとってみろ!
そうするとコツが解るし面白みが出てくる」
そうかと思って算数に絞って勉強をしたら、100点近くを取った。
それからコツが解りかけてきた。
とにかく数人のライバルに負けたくないと思って勉強した。

 この頃の虐めは本当に厳しいのは誰も経験があるはずだ。
一番激しいライバル関係が出来上がる時期だ。
また自分の身を守る為にも、誰かをターゲットを探して苛めをする。
このあたりから初めて性格ができるのではないだろうか。
また家庭内ではいろいろな問題を抱えていた。

母親が重度のノイローゼーになっていた。
二人の息子(兄)の不幸の死と、それまでの仕事の疲れの蓄積が原因であった。
あまりの悩みの為、心筋梗塞や多くの病気が一挙に吹き出てしまった。
医者にも見放されそうであった。
何回も死線を彷徨っていた。
その中で姉兄も自分も「自分自身を生きる事」で精一杯の時期だった。
今になって当時を振り返ると、家庭の危機であった。
母はその後3年間の死闘後、一人立ち上がってきた。
身近で見ていても子供なりに、それが分った。
そのあと40年は遊びと趣味をし尽くして亡くなっていった。
死んだ時に解剖をしたところ、心臓の4分の1が壊死していた。
それだけ悩みが深かったことが分る。

商売を続ける事は、すざましいことだ。

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ーその頃の政治や社会的出来事としては、

日ソ国交回復
参宮線列車転覆の惨事
弥彦神社惨事
砂川基地闘争
メルボルン・オリンピック
ーことば(流行語・話題の発言)は
「一億総白痴化」(大宅壮一)
「愚連隊」 「シンタロー刈り」 「戦中派」
「太陽族」(石原慎太郎の小説「太陽の季節」から)
「抵抗族」(石川達三の小説「四十八歳の抵抗」から)
「デイト」 「ドライ」 「マネー・ビル」
「もはや戦後ではない」(中野好夫)

ーベストセラー
太陽の季節(石原慎太郎)[新潮社] 芥川賞
帝王と墓と民衆
異性ノイローゼ
あなたは煙草がやめられる
夜と霧
モゴール族探検記
大菩薩峠
マナスル登頂記
細胞生活

ー音楽ー
・ラジオ体操の歌[作詞:藤浦洸、作曲:藤山一郎](3月発表)
 ♪ 新しい朝が来た 希望の朝だ 喜びに胸を開け 大空あおげ ラジオの声に 
 健(すこ)やかな胸を この香る風に 開けよ それ 一 二 三
・若いお巡りさん(曽根史郎)(4月発売)
 ♪ もしもし ベンチでささやくお二人さん 早くお帰り夜が更ける 野暮な説教するん
 じゃないが ここらは近頃物騒だ
・東京の人よさようなら(島倉千代子)(5月発売)
・リンゴ村から(三橋美智也)[作詞:矢野亮](5月発売) ♪ おぼえているかい 
 故郷の村を 便りも途絶えて 幾年過ぎた
・ここに幸あり(大津美子)(5月発売)
 ♪ 嵐も吹けば 雨も降る 女の道よ なぜ険し
・愛ちゃんはお嫁に(鈴木三重子)[作詞:原俊雄](5月発売)
 ♪ さようなら さようなら 今日限り 愛ちゃんは太郎の 嫁になる 僕らの心を 
 知りながら でしゃばりお米に 手をひかれ 愛ちゃんは太郎の 嫁になる
・哀愁列車(三橋美智也)
 ♪ 惚(ほ)れて 惚れて 惚れていながら 行(ゆ)くおれに 旅をせかせる ベルの音
・どうせひろった恋だもの(コロンビア・ローズ)(10月発売)
 ♪ やっぱりあんたも おんなじ男 あたしはあたしで 生きてゆく
・ケ・セラ・セラ(ペギー葉山)(11月発売)
・<ヒッチコックの映画「知りすぎていた男」の主題歌。
 
ースポーツとしてはー
第7回冬季オリンピックコルティナ・ダンペッツォ(イタリア)【1月26日〜2月5日】
トニー・ザイラー(オーストリア)は初のアルペン三冠王に。
【日本】スキー男子回転で、猪谷千春が2位に入り、日本人初の冬季でのメダルを獲得した。

第16回オリンピックメルボルン(オーストラリア)【11月22日〜12月8日】
ストックホルム(スウェーデン)【6月10日〜17日】
<オーストラリアの検疫規制により馬術競技のみ開催>
南半球初のオリンピック開催。
【日本メダル獲得数】金4、銀10、銅5
体操の小野選手が優勝。水泳では17歳の山中選手が400、1500メートルの自由型で
オリンピック記録を大幅に更新して2位に食い込んだ。

ー野球ー
セ・リーグ
[優勝]巨人
パ・リーグ
[優勝]西鉄
第7回日本シリーズ
西鉄 4(●○○○●○)2 巨人
第28回選抜高等学校野球大会
[決勝戦]中京商(愛知) 4−0 岐阜商(岐阜)
第38回全国高等学校野球選手権大会
[決勝戦]平安(京津) 3−2 岐阜商(岐阜)

ー大相撲1ー
1月19日:大相撲、九州場所も本場所とし、1年5場所に。
  大関若ノ花の長男がチャンコ鍋で大やけどし死亡。
初場所
鏡里 喜代治(かがみさと きよじ)[横綱、時津風]14勝1敗(3回目)
春場所
朝汐 太郎(あさしお たろう) [関脇、高 砂]12勝3敗(初)
夏場所
若ノ花 勝治(わかのはな かつじ)[大関、花 籠]12勝3敗(初)
秋場所
鏡里 喜代治(かがみさと きよじ)[横綱、時津風]14勝1敗(4回目)
1956

ー囲碁・将棋ー
囲碁第11期本因坊戦
高川秀格八段 4(○●●○○○)2 島村利博八段
<本因坊五連覇で現役を引退後に名誉本因坊を名乗る権利が与えられた。
なお、この期から四段以下の棋士も参加できるようになった>
呉・高川十番碁(第4局までは1953年)
呉清源九段6(○○○●○●○○●●)4高川秀格八段(互先)
<段位なら先相先の手合だが、本因坊だということで互先の手合になった。
第八局で向先相先に打込んだ>
将棋王将戦
升田幸三 3(○○○)0 大山康晴王将<失冠>

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2002年05月22日(水)
414, サッカー直前の馬鹿話!

一昨日、TVでサッカーのキャンセルがここにきて大量に出て、
開催地のホテルが深刻な?悩みというのを放映していた。

一年前の説明会で25パーセントの紹介手数料と聞いて、何を馬鹿な!
それなら逆に、他の一切の代理店の予約もとらないで、
落穂拾いの方針に切り替えた。
黙っていても、溢れたお客が流れてくるのを拾ったほうが
有利に決まっている。

どこかの国の訳のわからない総代理店、何の保障がない。

昨日のTVで、それに合わせて開業予定のあるホテルが、
設備を代理店の言うままに追加投資。
それが直前になって90パーセントが解約されてしまったという。
泣くになけない状態とTVで責任者が嘆いていた。

何処かの県?の旅館組合の代表が、
この時期に毎年やる他のイベントがそれを嫌がり、他の県に移った。
むしろ普通の月よりマイナスだと、間抜け顔をして言っていた。

少し考えれば、幾らでも知恵が出てきそうなものを!
普段の月より、一割も稼動が増えるかどうかのレベルの話。
去年、プレの大会があった為、前年並みで終わる可能性がある。

ただなんとなく街に人が多い感覚で終わるだろう

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2001年05月22日(火)
チャレンジ100

60歳までに50回 外側―異境秘境をメインに旅行の目標を数年前にたてた。
ねん3回ずつ最終年4回で達成だ。今まで34回面白かったし、エネルギーも
つかった。この分だけ人生に上乗せという感だ。年三回というと家内の分も含め
ると2百万余かかる。ゴルフはやらず、居酒屋スナックは4000円以下、
もちろん国内旅行は一切行かず、更に日本に居たとしての生活代がかからない事
を考えると、それだけでプラマイゼロである。数年前かいた履歴を一昨日書き加え
た。好きでない人間には金まで払って何をやってんだと思うだろう。 
「35」北欧ーロシア-スカンジナビァ           ・06
「34」メキシコ                    2001.01
「33]モッロコ                     2000.11 
「32」パキスタン・中国                 2000・06     
「31」シリア・ヨルダン・レバノン                ・04  
「30」ノルウエー                   1999・12 
29ケニア                          ・08   
「28」イスラエル                        ・04     
「27]]ネパール                          ・02
「26」北インド                     1998・10   
「25」 北スペイン                        ・07  
「24」タンザニア・ウンゴロウンゴロ・セレゲッテイ高原) 1997・12   
「23」 べネゼイラ・(ギアナ高地)                ・08
「22」 ペルー・(マチュピチ・チチカカ湖)        1996・06    
「21」エジプト・トルコ(カルナック神殿・ ピラミット)     ・02   
「20]南アフリカ(ビクトリアの滝・チョベ国立公園・喜望峰)1995・10   
「19」ニュージイランド(クウーンズタウン・ バンジー
             ジャンップ・ミルフォードサウン)     05    
「18」ブラジル(リオのカーニバル・イグアスの滝)・
「17」ケニヤ(ナクル湖・       )        1994・06 
「16」ドイツ・パリ(ライン川下り・ロマンチック街道)  1993・12 
「15」フィジー(コマ島・ )              1992・11
「14」スペイン1周の旅(アンダルシア・アルハンブラ宮殿・闘牛)
                           1991・08  
「13」カナダ・ロッキーの旅                  ・05
「12」香港クルージング                1990・07 
「11」アメリカ・ペガサス(ボストン・アトランタ)       ・04     
「10」スペイン・イタリア・パリ・ヘルシンキの旅 1989・12   
「9」 中国(北京・けいりん・上海)  1988.09    
「8」アメリカ西海岸SC・ペガサス      ・06
「7」カナダ・ナイアガラの旅     1987・08    
「6」香港の旅            1986・10          
「5」ハワイの旅           1983・08
「4」ハワイの旅           1980・08 
「3」ハワイの旅           1978・08  
「2」アメリカ・商業界        1976・07
「1」欧州30日一周          1967・07


1144, つれづれに -不安

2004年05月21日(金)


・テロの脅威

アルカイダ幹部が、昨年9月まで、一年二ヶ月も新潟に潜伏していたという。
経歴もかなり年期の入ったテロリストで、本人がその気なら何時でも
大きなテロを起こせたようだ。
まさかと思っていたが、身近な問題になっていている。

ドイツで捕まり、取調べからこの事実が初めて解ったのだ。
上越新幹線か柏崎原発辺りは、何時でも可能であった?
スペインやインドネシアのテロが思い出される。
国内への600万の入国のチェックは、かなり難しいだろう。
参院選挙が近づいてきて、非常に危なくなってきているとみたほうがよい。

もし、新幹線などのJRの駅でテロがあったら、直接に商売が上がったりに
なることは自明である。
最近、新幹線のホームで警察官の姿が目立つようになったのも、こういう
情報に基づいてのためであろう。

・今度はUFJ銀行
「りそな銀行」の国家管理が落ち着いたと思ったら、
次のターゲットが「UFJ銀行」になってきた。
3年連続の赤字で、今期は3000億の赤字とか。
関連のUFJ信託銀行を、住友信託に3000億前後で売却に入るという。
東海銀行にしても、三和銀行にしても、硬い基礎の銀行で、悪いなりに
大丈夫というイメージがあったが、このデフレ・スパイラルには
抗しがたいようだ。グループの三人のトップは引責辞任とか。

・・・・・・
・・・・・・

 2003年05月21日(水)
777, 何ともいえない日々が続いている。

 中小企業の8割が赤字、一割がボーダーライン、一割が黒字だそうだ。
数年前までどんな時代でも3割は堅実経営で、黒字であると税理事務所の
担当がいっていたが、いまやそれが一割だそうだ。
ここで景気がさらにおかしくなってきた。
数人の堅実経営の知人の会社が、ボーダーラインか、赤字に入ってしまった
と聞いている。当方もこの一〜二年で可能性がでてきた。

そのパターンは
「勝ち組で、同業者を食べて生きてきたが、食い尽くしてしまった感じ」
というのが共通点である。
大津波は全てをのみつくしてしまう。といって自分だけは生き延びなくては
ならないのが経営というものだ。
「後は野となれ山となれ」ともいえない。
今年は何とかいけそうだが、来年は全く解らないという人も数人いる。
うまくいっているところは過去に合理化を迫られて、体質が現状にあっているところだ。

 明日はわからないというのが、全ての会社の偽らざる事態だろう。
もし県内にSARSが出たら、全国的に蔓延したら、宿泊業者や流通業や
デズニーランドや飲食店などほとんどが壊滅的状態になる。
第一次世界大戦時に、スペイン風邪で2000~4000万人死んだという。
戦争の為、情報統制をしていた為に社会的な混乱は最小で済んだという。
日本でも26万人死んだというが、SARSがこの状態になる前に防ぐことがで
きるだろうか?

 中世に黒死病ーペストが流行って欧州の人口の何割かが死んだ時に、
ユダヤ人だけは無事だったとか。
ユダヤ人の陰謀ではないかと疑われたが、彼等は戒律に従い、
手と身体を清潔に保っていたのがペストにならない原因だった。
話が変わるがユダヤ人は子宮ガンにはならないという。
これも清潔に関係しているという。

世界的な不景気とデフレ傾向は当分続きそうだし、北朝鮮問題やテロや
エイズなど暗い問題が多いが、せめて気分は前向きにしておきたいものだ。

・・・・・・・・・
・・・・・・・・・

2002年05月21日(火)
413,ー印象に残っている両親の言葉ー

母から聞いた言葉で「片耳だけを聞くな」という言葉があった。

昔から、ちゃんとそういう言葉があったのだ。
世間知らずの人や、人の良い人を利用しようとする時、
あるタイプの人(片耳内幕情報や)が利用する。
三流マスコミや株屋、そしていびつな組織人が良く使う手だ。

要するに一方的の話しだけを聞いて判断するな、
数名の人の話を聞いて判断すべきという事だ。
何人かに聞いているうちに、その背景見えてくる。

「あと歯に血がつく」という言葉も、母から聞いた。
博打で勝ってその味を知ってしまう事をいうが、
上手い言葉だ。歯についた血がいつまでも口に残る。

今はあまり言葉として聞かないが、
父が使っていた言葉で「てんごうを欠く」があった。
自分の力の以上の仕事をして、失敗することを言っていたので、
天の理を欠くで、「天合」?を欠くというのだろう。
倒産した会社の社長を何時もそう非難していた。

「きみせをするな」とも、子供の頃よく言われた。
他人におどけて見せたり、パフォーマンスをするなという意味だった。
大家族のせいもあって、あまり目立つ行為をするなということだった。
 
 家内に時々そういう類の言葉を使い、
  「明治生まれの両親の子」とからかわれている。

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 2001年05月21日(月)
つれずれに

今日3時半に目が覚める。4時半に散歩にでる。この時間でもけっこう歩いている人がいる。
土手を朝日をうけて歩くとこの上なく気分がよい。このところ5時間も寝ると目が覚める。
爆睡しているせいか、寝不足に感じない。最近CS−TVの癒し系の番組268チャネルを』
申し込んで音楽を聞いているが映像もいい。
何回も書いているが、このソニーのBSハイビジョンTVはいい。
映像つきラジオ番組472チャネル―マザーアースもいい。


1143, 宇宙とは自分の脳みたいなもの!

2004年05月20日(木)

この言葉に出あった時に、真言密教の奥義を知ったような深遠な感覚を持った。
宇宙といえば、
太陽系があり、銀河があり、その銀河が数百億あり、その銀河系の中に
ブラックホールがあって、もしかしたら、そのホールが他の宇宙のトンネルに
なっている可能性がある。

地球物理学者の松井孝典氏の本の一節で、
「この宇宙が『自分の脳』みたいなもの」と言ってのけるのだから驚きである。
凄いことを言うものである。

ー少し内容を抜粋してみると

・「人間が存在する意義は、宇宙の究極の構造を理解し、宇宙がなぜ存在しているかを
理解することにあるのでは。・・・
<宇宙とは何ぞや>を理解したところで、人間はその役割をまっとうする。
そして、すべては振り出しに戻る・・・」

・「人間はずっと前から<宇宙とは何ぞや>と考え続けてきた。
そして宇宙の実体がどのようであると考えるからこそ、逆にいえば、
宇宙が存在する意味があるとも考えられる。この問いを人間が発しなくては、
極端の話、宇宙などあってもなくてもどうでもよいことだ。」

などなど宇宙物理学者でなくてはいえない、視点がおもしろい。

宇宙を世界という言葉に変えて考えると哲学的になってくる。
「世界は自分の脳みたいなもの」と、なるほど道理がある。
なら宇宙でもいえないこともない。

作家が書く世界は、作家の脳の世界である。
ならば、宇宙物理学者の「宇宙は自分の脳みたいのようなもの」も、
道理が通ることになる。

ならば夢は何だろうか?「胡蝶の夢」ではないが、脳内のブラックホールの
向こう側??が真実で、こちら側は逆に夢?

むかし読んだ『脳』の本を読み返してみよう。

いま「脳」で思いつくのは、
まず四畳体があって、その下に間脳があって、この間脳が人間そのものといえる位の
自我の本質になっている。これが入れ物として指令を出すところである。
そして、脳髄から神経系統に・・・
この四畳体と間脳が一番大事なところであり、孤独とか瞑想などで、
そこの一点に気持ちを集中させて判断をより的確にすることができる。
等だ。

脳の学者なら、「脳は宇宙のようなもの」と、主張しているはずである。
情報社会なればなるほど、インターネットが世界中張り巡らされると、
けっして理屈としてというより、事実・真実になってきている。

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2003年05月20日(火)
776、「ドラッガーとの対話」−読書日記ー2

『未来を読みきる力』

 この人の日本における経営者への影響は絶大なものがある。
ドラッガーの経営書と司馬遼太郎の歴史小説と山岡荘八の『徳川家康』は
戦後の経営者のバイブルであった。
若くして学んで、いまや忘れ去ってしまった原理原則が多い。
以下はドラッガーの名言録を書き写した。
なかなか深く耳の痛いところが多い。
企業は常に若く前向きで、改革をしていなくてはならない。
自分の立場を守る為、改革を阻止するヘドロは退場すべきである。
自分では気がつかなくなってしまうのが恐ろしい。
自戒の言葉であると同時に、40歳を越えたすべての企業人に当てはまる事だ。

 大不況の中、どうしても後ろ向き、内向きになってしまいがちだが、
何か励まされる内容である。
私のような対人関係が煩わしい人間は「内向けでお山の大将になってしまいがちだ」
自戒の事としてコピーして手帳に張っておくことにした!
ー『ドラッガー名言録』ー
1、「表の風に吹かれろ!」
2、「自分はここで何が貢献できるかを考えよ」
3、「昨日を捨てよ」
4、「お山の大将根性を捨てよ」
5、「物事は、人が思ったり言ったりすることの二倍かかる」
6、「知識は消え去りやすい」
7、「中小企業が大企業に鵜呑みにされ手消滅するなどというのは
   全くのナンセンスである」
8、「アクション(行動)によるフォローアップ(追査)なきプロジェクト
   (計画)は、パフォーマンス(実績)を生まない」
9、 「問題解決を図るよりも、新しい機会に着目して創造せよ」
10、「企業がより大きくなる必要はないが、不断に、良くならなくては
    ならない」
11、「教師が学習を阻害することがある」
12、「人間は単能マシーンではない」
13、「革新とは、単なる新しい方法ではなく、新しい世界観を意味している」
14、「中小企業の経営者は机に縛り付けられてはいけない」
15、「人間というものは、非常に時間を消費するものであり、そして大部分の
    人間は時間の浪費家である。
16、「知識労働者自身に上下はない」
17、「必要は発明の母ではないが、助産婦である」
18、デシジョン・メイキングにおいて、2+2=4という具合に、
   ドンピシャリの‘正しい答え’が出てくるものはデシジョンとは言わない」
19、「最も重要なことから始よ」
20、「知識は本の中にはない」

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2002年05月20日(月)
412, 次の旅行の予定

次の旅行の予定である、だだ変わる可能性があるが。

1、スイス・アルプス 2002/07
2、イラン 2002/10
3、南米のパタゴニア 2003/02
4、南アフリカのナミビア2003/06
5、南米のガラパゴス 2003/10
6、ポルトガル 2004/02
7、アラスカ 2004/06
8、イースター島 2004/10
9、パプアニューギニア 2005/02
10、リビア       2005/05
11、南インド 2005/07
12、アイスランド 2005/10
13、エチオピア 2006/01
  
これで50回ー目標達成である。
ー20??年1月15日ー60〜70歳
 飛び石で世界一周したことになる。
60歳は無理だろうが、目標は目標だ。

これ以降は、フランス、ドイツ、イングランド、トルコ、中国
などの国の田舎街をじっくりまわるコースを中心に?

77歳で98回目の人が、シリア・ヨルダンの旅行でいたが。
何か100回が執念という感じがあった。

そう思って生きれば、張り合いもできる。
海外旅行紀行などの番組を見ていても、楽しい。

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2001年05月20日(日)
随想日記―テーマ日記

8年前より随想日記―テーマ日記に切り換えた。其のためこのような風変わりな
日記となっている。毎日よくネタがあると思うが何年かんの訓練と、パソコンの中の材料
を使っているにすぎない。6年まえの文章をコピーしてみる。日記お宅になってしまいそうだ。                                    
テーマ日記 H0701
二年前より日記を“テーマ日記”方式に切り換えた。
なれるまでは大変だったが今ではけっこう面白い。
この文も去年の一月七日の“テーマ日記”が下敷きになっている。
思いつくまま“テーマ”書き、それをもとに内容を書く。
前日みた“TVドラマ”がテーマであったり。前夜みた“夢”の内容であったり、
“父の思い出”“年記”(年末に日記風に一年をまとめた内容)、“読書感”であったり。
あとでふり返って読んでも面白い。いかに普段あまり深く考えてない事と、
その時点の自分の興味の変化がわかる。
“日記”より雑記に近いが…。(随想、随筆の難しさがよくわかる。)


1142, 自由について −2

2004年05月19日(水)

「自由ほど不自由」ということを感じたことを誰もが経験していると思うが?
これは「自由な自己決定」を迫られる「不自由」ということにある。

自由とは主体的であるということだが、その主体ということが怪しいのだ。
主体的と思いこんでいるだけでしかないことに気がついてないのだ。
その主体も外的要素によって規制されているから矛盾が出てくる。

目の前の「自由」が、ちゃんと何かによって規制されていることを嫌というほど、
思い知らされていることを。

人生経験の中で主体と思ってきたことも、所詮は限定された世界の泳がされてきた
小さな池の魚でしかなかったことを。

主体を「気短」という説がある。
なるほど、面白いドキッとする内容である。
主体的ということは、気短で、その結果として目先の判断で動いているだけという。
なるほど、そうかもしれないところが、身に沁みる。
自由から、何で気短に行きつくのが不思議であるが。

現在の社会の様々な問題の根底の部分に、
「自立した自己」や「自由な主体」などの、幻想が潜んでいるのではないだろうか。
「ゆとり教育」とかいうものが、幻想でしかないことを国は気がつき始めた。
国民レベルは、それが幻想ということを初めから知っていたが。

自由は戦いとるもの、積極的な自己目的を追求する姿勢の中にこそある。

「不自由論」という本がある。
曖昧な自由論を批判している内容である。

風刺漫画を思い出した。
「夫婦が、お互いの首についた紐を握りしめ溜息をついている絵」である。
何とも不自由そうであった。

  ーーーーーー

【-自由について-】

・あまり安価で手に入れたものは軽く扱われる。
自由のように神々しいものが高価でなかったら、実におかしいではないか。
                    −ペイン

・人間の自由を奪ったものは、暴君でも悪法でもなく、社会の習慣である。
                    −J・S・ミル

・痩せた自由は肥えた奴隷にまさる。
                    −イギリスのことわざ

・自由は外的な事実の中にあるものではない。それは人間のうちにあるのであって、
 自由であろうと欲するものが自由なのである。
                    −エルンスト

・自分自身を支配できないものは自由ではない。
                    −マッティアス=クラウディス

・自由に気がついていないときこそ、人間は一番自由なのだ。
                    −ローレンス

・自由は責任を意味する。だから、たいていの人間は自由を恐れる。
                    −バーナード・ショウ

・人間が自由であり得るためには、神があってはならない。
                    ーシェリング

・自由であるとは、自由であるべく呪われていることである。
                    ーサルトル

・真に重大な自由はただ一つです。それは経済的な自由なのです。
                    −モーム

・我に自由を与えよ。そうでなければ死を与えよ。
                    −パトリック・ヘンリー

・自由は新たな宗教であり、われらの時代の宗教である。
                    −ハイネ

・ビロードのクッションの上に大勢で座らされるよりも、
 カボチャの上に座って、カボチャを自分で占領した方がいい。
                    −ヘンリー・ダビット・ソロー

・自由を愛することは他人を愛することだ。力を愛することは自分を愛することだ。
                    ーハズリット

・おお自由よ!汝の名においていかに多くの犯罪がなされたことか。
                    −マダム・ジャンヌ・ローラン

・人は自由を得たのち、いくらかの歳月を経過しなければ自由を用いる方法がわからない。
                    ーマコーレイ

・世界史とは、自由の意識の進歩以外のなにものでもない。
                    −ヘーゲル

・自分の好きなように生きている人間は自由である。
                    ーエピクティタス

・個人の自由も次の点では制限されなければならない。
 すなわち、他の人達に迷惑をかけてはならない。
                    −J・S・ミル

・アダムはリンゴが欲しかったから食べたのではない。禁じられていたから食べたのだ。
                    −マーク・トゥエイン
 
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 2003年05月19日(月)
775、「ドラッカーとの対話」ー読書日記 −1

 著者/訳者名  :小林薫/著
 出版社名     :徳間書店
 発行年月     :2001年05月
 販売価格    : 1,700円 (税抜)

【本の内容】
ピーター・F.ドラッカーとの40年にも及ぶ交流に基づき、
その思想のエッセンスを読みやすい形で凝縮。

【目次】
第1部 ドラッカーの魅力と先見力
第2部 ドラッカーに親しく聴く
第3部 21世紀を見透すドラッカーの眼
第4部 ドラッカーのキーワード20
第5部 ドラッカーの日本を見る眼・世界を見る眼
第6部 ドラッカー式英語の面白さ
第7部 ドラッカーの人間像

−私の感想文ー
ドラッガーといっても、そう難しい難しいことを言っているわけではない。
学生時代にドラッガーの「現代の経営」訳者の野田一男教授の講義を受けて、
当時「経営者の条件」「創造する経営者」「断絶の時代」「現代の経営」など数冊、読んだ。
現在も多くの本をドラッガーは書き続けている。
彼の要約書が多くでているので、私なりに纏めたいと思っていたら、
この書にであった。小林薫という名も懐かしい。
この書の印象的なところを書いてみる。

・現在が200~300年に一度の大転換期にあり、100年スパンの
 期間にわたっているという。そして現在はその40~50年目あたりという。
・彼の名言は「強みの上におのれを築け」である。
 これは個人にしても、組織にしても、国としてもそういえる。
 何ごとも強みがあると同時に弱点もあるが、弱点に対しては目をつぶり
 強みを活かすように努めるべきである。
・イノベーションも彼の大きなテーマである。
 変化をチャンスとして捉えて、イノベーションをするのが経営だ。
・彼は常に価値、解りやすさ、性格ー人格、知識、ビジョン、責任、自己管理、社会的責任、
自己実現、尊厳を述べている。
・知識こそ最大の経営資源であり、中心的資源であるが、彼の変わらざる主張である。
このような急激なIT化による情報化になればなるほど、彼の50年をかけて主張してきたことが
現代に受け入れられる。
話は変わるが、彼の「経営者の条件」がなかなか面白い。
 これは最後にインターネットで調べたー書評と目次ーをコピーしておくが、
焦点を成果にあわせよ、自分の時間管理からまず始めよ、貢献について、自己ー自社の
強みの発見に努めよ、重要事項から始める癖をつけよ、と経営者や上に立つもののあり方が
書いてある。
 この本かどうかは忘れたが、上司たるものダーテーであってはならない、潔癖であるべし
というのが彼の変わらぬ主張である。

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ー「経営者の条件」の書評ー
「エグゼクティブ」とは、何も経営幹部だけのことではない。
ドラッカーは本書のなかで、
「今日の組織では、自らの知識あるいは地位のゆえに、組織の活動や業績に対し、
実質的な貢献を行うべき知識労働者は、すべてエグゼクティブである」と述べている。
したがって本書で述べられる内容は、おそらくほとんどの知識労働者に当てはまるものと
推測される。本書の主題は、どうすれば成果を上げられるのか、という1点に尽きる。
ドラッカーは、この成果をあげるためにエグゼクティブがなすべきことを、時間の管理、
貢献へのコミットメント、人間関係、自分や部下の強みを生かす方法、仕事の優先順位、
意思決定などの視点から解説している。
GMのトップだったアルフレッド・P・スローンや、鉄鋼王カーネギー、南北戦争でリンカーンを
苦しめたリー将軍らが、いかにして成果をあげたのか、興味深い分析がなされている。
事例が古いのは仕方がないが、その洞察には目を見張るものがある。
目次

第1章 成果をあげる能力は修得できる
第2章 汝の時間を知れ
第3章 どのような貢献ができるか
第4章 強みを生かせ
第5章 最も重要なことから始めよ
第6章 意思決定とは何か
第7章 成果をあげる意思決定とは
終章 成果をあげることを修得せよ

もしこの本を読んでない経営者がいたら、すぐ読むことを勧める。
目から鱗のはずだ。

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 2002年05月19日(日)
411,自分の人生のつくり方 -いろいろな悩みー3

それでは自分の人生のつくり方とは?どうしたらよいか。

ライフワークをきっちりつかまえて、その都度脱皮すればよい。
「脱皮できない蛇は死ぬ」というが、そういう人間で満ちている。

ライフワークとは、一生涯を通じてやり遂げる趣味と仕事。
そして一生涯を通して脱皮の時期がある。
7年説、8年と10年という説がある。

ライフサイクルというが、
・7年ー7歳、14、21,28、35、42、・・と節目がある。
・8年ー16、24、32、40歳・・
・10年ー20,30,40,50年歳と・・

またこういう説がある
1、児童期・青年期  0〜22歳
2、成人前期     17〜45歳
3、成人中期ー中年期  40〜65歳
4、成人後期ー老年期   60歳以降

重なっているところは移行期、これが一番わかりやすい。
これと7年説が私の一番納得できる。

その節目ごと、脱皮していく事をいう。
「節目を叩け!」という諺があるが。

自己実現という言葉がある。たしかユングの言葉であった。
自分のなりたいこと、したいことを実現することをいう。
それも一生涯を通してだが。
それを自分の人生という事にならないか。

子狐がここにきて、にわかにそれをつくろうとしている。
やらないよりはいいが。
やるなら10年〜20年スパンで何をすべきか判断して、
それぞれ節目を作り、やり通すのがライフワークである。

それをやり通すことが、結果として自分の人生という。
「濡れ落ち葉」はそれを全くやってこなかった人、
そして、これからもそれを見つけられない、その気力のない人
をいうのではないか。

 中年クライシスという中年の危機といわれてのが、これである。
 中学の先生もそれだった。
 今度中年クライシスについて書いてみよう。
     周囲はその人たちで満ちている。
     一ヶ月前、150m先の58歳のご主人が自殺したという。
      家を新築したばかりなのに!
 それにしてもそういうことに無知すぎる!
 
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 2001年05月19日(土)
どうも不調

昨日1日このがサイトがひらけなかった。
きのう23時に帰ってきて、文章を書いたが記載出来なかった。
これから散歩に行く。


1141, 「ライフ・レッスン」 −最終レッスン

2004年05月18日(火)

最終のレッスンになったが、何ごともレッスンとみれば世の中の出来事は
すべて意味があることになる。
過去を振り返ってみても、すべての出来事は意味があった。
ならば、毎日の出来事にレッスンの意味を見出して学び生きていくことだ。

この世は、意味を見出す為に、感動する為に、愛する為に、全てを学ぶ為にあることを、
この本からレッスンした。


毎日は、「バカの壁」を乗りこえるための学校と思うとよい。

「秘境ツアー・レッスン」「事業レッスン」「挫折レッスン」・・・など、
いろいろ書けそうだ。

各章を書き続けて、多くを内省した。
人生から学ぶことがあまりにも多い。

  ーーー
ー最終レッスンー
        からの抜粋

・わたしたちは、自己の長所をしり、たがいの美点を見つめあい、生きている
ことの奇跡を讃えあうために地上に生まれてきたことを、思い出す必要がある。

試練に揉まれて人は甌穴のなかの岩に似ている。穴のなかで川の激流にもまれ、
翻弄されているうちに、角がとれて磨き上げられて、以前よりまるい、希少な
岩になる。穴から出てきたときには、もっと大きなレッスンを学び、
もっと大きな人生を生きる準備ができている。すべての悪夢は祝福に変わり、
それが人生の一部となる。
人生は『なにが大切か』を、『本当の自分とは何か』を教えてくれる。

「おわりは逆向きのはじまりにすぎない」のだ。
『生がいいものだとわかれば死もいいものであるはずだ。生も死も、おなじ
 名匠の手によってつくられたものであるからだ」

・海のそばに住んでいる人はたくさんいるが、しみじみ海をながめ、海を味わい
 つくす人はほとんどいない。ほとんどの人は空の下に住んでいながら、星をながめ
 ようともしない。わたしたちは本当に人生にふれ、味わい、堪能しているだろうか?
 平凡の中にある非凡なものを,感知しているだろうか。
 毎朝、目がさめるたびに、あなたが経験すべき人生を、もう一日だけ与えられているのだ、
 といってもおなじことだろう。その一日を、あなたが最後にフルに経験をしたのはいつ
 だっただろう。

・いまの人生とおなじ人生は二度と手にすることはできない。
 この人生ではたしてきた役割をもう一度演じることも、
 もう一度これまでと同じように人生を経験することも、二度とない。

・あの両親のもとに生まれ、この家族を持ち、このこどもに恵まれ、
 この環境、この状況のもとに生きてきたように、この世界を経験することは、
 もう二度とできない。

・おなじ顔ぶれの友人をもつことも、今生の生かぎりである。
 あの海、あの空、あの空、あの愛する人を、最後にもう一度だけみたいと願うように
 なるときまで待つ必要はない。

・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・
2003年5月18日
774, 30歳の頃(1976年)

 この年は本当に大変な年であった。
その半年前に、新潟県長岡市駅前通りの繁華街の四角で衣料量販店をしている
実家の店に戻っていていた。
本店は当時6億の売り上げを上げていた。
家族内のトラブルで急遽、千葉の千城台で貸しビル経営と(養老乃滝+焼きたてのパン屋)
を経営委託にして、帰ってきたところであった。

 仕入れに、販売に、新人の教育にと、いま考えてもよくやったと思う。
体が浮いているようでもあった。
新卒を13名入れ、その戦力化に必死であった。
衣料品は博打的要素が多い。季節要因により、在庫の調整をしたり、
流行の筋を早く見つけ一瞬で売り抜けなくてはならない。
岐阜・大阪・広島・岡山の産地を情報を頼りに現金を持って走り抜ける。
それも全く経験のない自分が、買い付けるのだ。
よくやったと思う。必死とは不可能を可能にする。
目を吊り上げ、無我夢中で必死に仕事をしていた。
 
 何ごともコツというものがある。
 それは必死さの中から初めて掴む事ができる。
ワンシーズンー3ヶ月導入・最盛・売り切りと一ヶ月単位で博打をしていく。
それが面白い!当たればの話だが。
そのシーズンが当たると後の2シーズンがその勢いで上手くいく。
外れると、回復に2シーズンかかる。
従って間違えても外せないのが面白い!

 五年近く従事したが、当時の自分の頭を自分で撫ぜてやりたい気がする。
反面いろいろの経験ができた。
安いビジネスホテルをさがして、規定のホテル代の差額と出張旅費で
居酒屋とか、地元の料理屋に行くのが楽しみであった。
仕入れに、販売にゲームをしている感覚であった。
今のホテルも、その経験から顧客の立場で考え抜く事ができた。

 その頃の社会的背景を書いてみる。
ー社会現象ではー
・ロッキード事件で田中角栄前首相逮捕
 大型ジェット旅客機の売り込みを図るロッキード社から5億円の賄賂を受け取ったとして、
 東京地検、田中角栄前首相が受託収賄罪で7月27日を逮捕。計16人が起訴された。
・ミグ25亡命事件
 9月6日、ソ連の最新鋭戦闘機ミグ25に乗ってペレンコ中尉、アメリカに亡命のため
 北海道・函館空港に強行着陸した。中尉は希望通りアメリカへ亡命。
 機体は自衛隊百里基地で分解、検査された。
・総選挙敗北で三木退陣、福田内閣が誕生
・酒田大火発生
 10月29日、山形県酒田市も繁華街で大火が発生、1059棟が全焼。消失面積史上4番目。
・東京地裁判事補の鬼頭史郎の「ニセ電話事件」が発覚。検事総長の名で三木首相に対して
 「ロッキード事件に指揮権を発動してはどうか」と促した。10月23日、最高裁が事情聴取。
・五つ子誕生
 1月、鹿児島市立病院で5つ子が誕生。父親はNHK政治部の三木首相番記者。
 5月12日、父親の勤務先である東京に引っ越し。

ー歌ではー
昔の名前で出ています(小林旭)
春一番(キャンディーズ)
ビューティフル・サンデー(田中星児)[作詞:田中星児]
ああ宮城県(吉川団十郎)[作詞・作曲:吉川団十郎]
わかんねえだろうナ(松鶴家千とせ)
おゆき(内藤国雄)
東京砂漠(内山田洋とクール・ファイブ)
♪ 空が泣いてる すすけ汚されて
北酒場(五木ひろし)
横須賀ストーリー(山口百恵)[作詞:阿木燿子]
嫁にこないか(新沼謙治)[作詞:阿久悠]
山口さんちのツトム君(川橋哲史)[作詞・作曲:みなみらんぼう]
<NHK「みんなの歌」で放映されヒットした>
東村山音頭(平田満)
四季の歌(芹洋子)
青春時代(森田公一とトップギャラン)[作詞:阿久悠、作曲:森田公一]
ペッパー警部(ピンクレディー)[作詞:阿久悠]
あばよ(研ナオコ)[作詞・作曲:中島みゆき]
S・O・S(ピンクレディー)[作詞:阿久悠、作曲:都倉俊一]
失恋レストラン(清水健太郎)(11月発売)
ースポーツではー
・[ボクシング]具志堅用高、ジュニア・フライ級世界選手権を獲得。
・植村直己が北極圏1万2千キロメートル、単独犬ぞり旅行に成功。

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このように時代背景をみながら当時を振り返ると、当時の記憶が生々しく
浮かんでくる。

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2002年5月18日
410, 自分の人生ー いろいろの悩み−2

昨日の続編でもある。
書いていて、改めて中学の担任の先生の悩みの深さに気づいた。
それすら理解できない子狐レベルを除けば、それぞれの人が理解できるし、
身につまされる問題である。

それでは「自分の人生」とは何であるか。
やはり親からの自立である。
あるいは、育った環境ー社会からの自立である。
そしてその人独自の生き方が自分の人生でないか。

しかし、それ(自立とか脱皮をしない人生)も自分の人生ではないか?
という疑問がでる。しかし自分の趣味とか、与えられた環境をフルに生きれば、
それが自分の人生といえる。

そういう意味で、先生にとって適正でなかったのかもしれない。
80佑凌佑呂笋呂蠕萓犬稜困澆剖瓩で困澆鮖っている。
「自分の人生これでよかったのか?」
という疑問を持っている。

サラリーマンも事業家も100佑郎埜紊郎胆泙垢襪箸いΑ
勝ち組の人も、最後は後進にその立場を譲らなくてはならない。
後進の人や事業そのものもは、その人を乗りこえるため、
それまでの破壊を始めるからだ。
そしてその時初めて敗者の気持ち立場が見えてくる。

その年齢の景色を正直に先生が話されたのだ。
おそらく先生の過去の行蔵の中に、いっぱい宝が詰まっているはず。
気づかなかったのかもしれない?
その年齢に段々近づいてきている。
50歳代後半から60歳に訪れる、最大の人生の危機の典型ではなかろうか
 
    そう、初老性鬱病!

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2001年5月18日
バーチャルで日銀ツアー

産経新聞でこの記事をみて早速覗いてみた。
やはり少しかたいが日銀内部はこんなものかという意味では面白い。
日銀のホームページ内の新コーナーだがお堅い日銀にしては上出来か。
http://www.boj.or.jp/


1140, 自由について −1

2004年05月17日(月)

学生時代より『自由とは何』を考えてきた。
そして自分の自由を優先して生きてきた?
しかし、よく考えてみたら、自由は自分のやりたいことをみつけ、それを追及すること
であった。自らの自己実現に対して忠実に生きることであった。
字のとおり「自らに由り、生きること」である。
そして自由な生き方ー周囲の因縁や世間といわれている束縛から解放されている
状態を理想としてきた。

調べてみると、自由には多くの意味やとらえ方があるようだ。
手の自由といっても、しょせんは人間の体の一部としての腕の範囲内の自由でしかない。
しかし使い方は自由である。

自由には当然、自由なだけの自己責任がともなってくる。

アイザリア・バーリンは自由を「消極的自由」と「積極的自由」の2つに分類した。
ー「消極的自由」とは「他者からの強制・干渉を受けずに自分のしたいことができるという
意味での自由」であり、
ー「積極的自由は自己が自己を支配している状態」ととらえられる。
例えばカントは、恣意に従うのではなく「理性」に従う状態が自由であると主張している。
また、ハンナ・アレントは政治活動を通じての自己実現こそを自由の本質と看做している。
これは「より高次の自己」を獲得するための手段・条件としてとらえられることになる。
このような積極的自由は「個人主義的積極的自由」ととらえられる。

キリスト教世界においては、人間存在の根源的価値を「自由」としている。
ルソーは、その著書「社会契約論」で「人間は自由なものとして生まれた」と述べたが、
「全ての人間が社会において等しく自由である」という事は絶対に不可能である。
かつてホッブズは、各自が己の自由を守る為には「万人の万人に対する闘争」に陥る。と
指摘した。
キリスト教世界において、人間が自由であり続ける為には、戦い続けなければならない。
「自由」という言葉には、英語では2つの単語が存在します。
「Liberty」と
「Freedom」である。
「Liberty」とは「束縛からの自由」を意味し、束縛から逃れる為には、  
 戦わなくてはならない。
一方、「Freedom」は束縛から解放された結果もたらされた自由であり、
「自由な状態」を指します。そして自由な状態が脅かされる時には、やはり戦わなくては
ならない。

哲学者のホッパーは自由を
文化的粉飾から自由になることが大事だとしている。
日本的にいえば、世間の常識に縛られないということだ。

日本は自由という言葉は明治初期まで無かったという。
欧州から入ってきた「Liberty」と「Freedom」を
西周が「自由」と訳した。
それまでの封建社会では自由の意味もまったく無かったのだ。

鈴木大拙は自由に相当する言葉を自然(じねん)と看破した。
自らを然らしむ、自由自在に自分を伸ばす、自分で自分の納得する境地を拓く、
という内容である。

この「自然」の然は、もとは「燃」という説もある。
「人間は燃えているときに仏性をもつ。醒めた人間は悪魔だ」という。
「自由とは道理」という解釈も面白く納得できる。
自由ー自然ー道理と考えると、なるほど納得できる。

「家内の束縛から自由になりたい」と思ったら、
「家内の束縛から自然になりたい」ということになる。
束縛を束縛ではなく、それが自然と考えればよいのか?
束縛に対し、自らを納得させるということになる。
束縛が道理であると諦めるということと考えると、解るような気がする。
まあ、あまりに日本的だが。

「不自由を恐れるなかれ、無意味な自由を恐れよ」
と、この文章を書いていて思いついたが、そのとおりだ!
逆もいえる
「自由を恐れるなかれ、無意味な不自由を恐れよ」
の方が、理にかなっているか。
                  ーつづき

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2003年05月17日(土)
773, 日本が真に独立をするためには

評論家の福田和也氏が寄稿しているテーマ「日本は『核武装』しかないのか」
が、なかなか説得力があった。

ー要旨はー
アメリカの核の傘は幻でしかない。
盗人猛々しい北朝鮮の核の脅しの一番のターゲットになっている状態の
日本にとって、核武装も視野に入れなくてはならない時期ではないか。
他にもロシア、中国など核に囲まれ、アメリカの核の傘でいいように隷属
国家扱いされている現状を考えると、核武装が今の日本の独立国家としての
第一歩である。
日本への他国の核攻撃に対して、アメリカそのものが核攻撃の危険に晒された時に
はたして核攻撃をするだろうか?
それはファンタジーでしかない。
核所有国に囲まれたわが国が、最も核攻撃を受ける可能性の強い国だと
いう事実を直視して、どうすれば核攻撃を受けないで済むかを徹底的に
議論すべき時にきている。
想起すべきは、第二次世界大戦を終わって55年間、
大国間で平和が保たれたこと、その平和を日本はじめとする西側諸国が
享受できたのも、麗しい平和のお祈りのせいではない。
核の均衡の上である事実を直視しなければならない。
日本も自力でその力のバランスとしての核を持つべきだ。

ーー以上が大筋である。
今の日本が真に独立するためには原爆保持が第一歩である主張に説得力がある。
現実にスターリン型の国家が近くにある事実を受け入れざるを得ない。

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2002年05月17日(金)
409, いろいろな悩み

3年前まで20年近く中学の同級会が開かれていた。
3年間休み今年から再開とのこと。
高校もしかり、本当にまとまりのあるクラスだ。

もう10年少し前の話だが、丁度、中学の担任の先生が定年退職の年だった。
そのときは、先生にとって至福の一年となるらしい。

受け持たれたクラス単位で、それぞれお祝いの会を開いてもらえるという。
湯沢の旅館で泊り込みでクラス会が盛大に開かれた。
そして次の日の夜まで、30時間延延と続いたクラス会になった。

長岡である女性がスナックを開いており、翌日の2次会はそこで行われた。
その時、たまたまカウンタの隣の席に座った先生が、
浮かない顔で、俺の悩みを聞いてくれという。

先生「俺の両親が90歳と87歳、同居しており今もカクシャクとしている。
両方とも先生をしていた。
別に自宅と別に、マンションを持っていて時たまそこに行く。
実をいうと、この年で実感として自分の人生が無かった。
それが無念だ!本当に深刻の悩みなんだ。」

自分には、その先生の悩みが理解できた。
父が亡くなった時、自分にとって溺愛してくれた喪失感が大きかった。

反面その時の家庭の事情等で、
あと頼れるのは自分ひとりという精神的自立ができた。
丁度、千葉で事業の立ち上げの時期と結婚も含め、
自分にとってタイミングが、ぴったりであった事も確かであった。

親の死は子供に対する最大のプレゼントというが。
その要素も確かにある。
その意味で、先生の悩みが理解できた。

でもその状態を「無念と考えるか最大の幸せと考えるか」
もあるだろうが、本人しかわからない悩みだろう。

その数年後、両親が亡くなった。
先生に「実際亡くなると、違うでしょう」というと、
「いや何の悲しみも、喜びも感じなかった。
やっと死んでくれたという気持ちと、ただ無念だけが残った」
といわれた。

その先生も4年前に脳梗塞になり、東京の子供のところに引っ越して
いかれた。

   人生はいろいろある。
   
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 2001年05月17日(木)
ドッグファイト

3月末いつもの土手を散歩をしていると、顔見知りの人が今年もツバメが今日来てますよと
声をかけてきた。バイパスの下のトンネルの蛍光灯の上に7〜8個ツバメの巣がある。
十数年来この時期になるとやってくる。そして春の到来を実感する。

なるほど十羽ほどが飛びまわっていた。なにか異様な雰囲気によく見ると、
ツバメと雀が入り乱れて飛んでいる。数羽の雀がツバメを追いまわしているのだ。
もちろんその速さが違う、またそれが可笑しいのだ。
巣のほうを見るとツバメが巣の中の雀と戦っている最中。
しばらくすると中の雀がそのツバメをおいかける。そのくり返しのようだ。
近くに10羽くらいの雀がきて時たまその争いに加わる。しばらく見ていたらツバメが
いなくなった。雀が勝ったのだ。毎年雀のツガイが、その並んである巣の隅に住んでいたのは
解っていた。よくこんな近くで住めるものだと感心していたが、今年は雀が反撃に出たのだ。

その2−3日後一度やはり同じような事があったが、今年はそれっきりツバメの姿を見る
ことはなかった。その後1ヶ月位2羽がトンネル両側で見張りをしていた。
10年来もちろん初めてのことである。誰かにそのことを話したら英語でドッグファイトと
いうらしい。異種間の群れ同士の争いは何処でもある話でそう言うらしい。
以前NHKスペシャルでライオンの群れとリカオンの群れの死闘のドキュメントを見たが、
今でも鮮明に記憶でのっこっている。

最後はリカオンのボスが若い雄ライオンに殺されてライオンの群れが勝ったが。


1139, マザー・テレサ

2004年05月16日(日)



「ライフ・レッスン」の著者であるキュープラー・ロスの本の中に度々
出てくるマザー・テレサを、調べてみた。
 
 知っていたことといえば、
ーインドのカルカッタで貧しい人のため全てを投げうって奉仕活動をして、
その結果として、ノーベル平和賞をもらい、数年前に亡くなった。
という位であった。

 彼女の言葉の中から、
彼女の素晴らしが、そのまま伝わってくる。
読めば読むほど、彼女の一生を投げ打った言葉の輝きがみえてくる。
そして自分の卑小さがみえてくる。

ただ無心に読むとよい。
 
 **

・インドの最下層の人たちは、あなた方が想像できないほど貧しい生活をしています。
 しかし、彼らの心はあなた方が想像もできないほど人間的です。

・この世の最大の不幸は、貧しさや病気ではありません。
  むしろ、そのことによって、見捨てられ、
  誰からも自分は必要とされていないと感じることです。

・今日、貧しい人々はパンやご飯、愛や神の生きた言葉に飢えているのです。
  貧しい人々は、水や平和、真実や正義に渇いています。
  貧しい人々は、レンガでできた避難所、理解し、包みこみ、愛する幸せな心、
  という安息の場を与えられていないのです。

・私たちの使命は、ソーシャルワーカーではありません。
  貧しい人と共に生きて、貧しい人を愛することです……
  私たちは、貧しさの中にこそ、喜びを見いだすのです。

・大切なことは、貧しく、見捨てられた人々に兄弟姉妹として接し、
  人々の痛みを自分の痛みとして受け止め、愛を分かち合うことです。

・私たちの目的は、神がこの世を愛しておられるということを宣言することです。

・もし家庭が祈ることを始めるなら、愛と一致がもどるでしょう。
  というのは共に祈る家族は共にとどまるからです。
  祈りの実は信仰です。
  信仰の実は愛です。
  愛の実は奉仕です。

・今日の最大の病気は、らいでも結核でもなく、自分はいてもいなくてもいい、
 だれもかまってくれない、みんなから見捨てられていると感ずることである。

・最大の悪は、愛の足りないこと、神からくるような愛の足りないこと、
 すぐ近くに住んでいる近所の人が、搾取や、権力の腐敗や、貧しさや、
 病気におびやかされていても無関心でいること。
 ……病気の人、苦しんでいる人にとっては、この会の人がいたわりと慰めの
 天使でありますように。
 わたしどもの貧しさの生活は仕事にも劣らず必要である。
 どれほど貧しい人に借りがあったか、天国へ行ってはじめてわかる。
 彼らのことでもっと神を愛することを教えられたということのために。

・親切で慎み深くありなさい
 あなたに出会った人がだれでも
 前よりももっと気持ちよく
 明るくなって帰れるようになさい
 親切があなたの表情に
 まなざしに、ほほえみに
 温かく声をかけることばにあらわれるように
 子どもにも貧しい人にも
 苦しんでいる孤独な人すべてに
 いつでもよろこびにあふれた笑顔をむけなさい
 世話するだけでなく
 あなたの心を与えなさい

・ある人びとが豊かに生活できるのは、それなりの理由があるはずです。
 そのために働いてきたに違いありません。
 ただ、私は物が浪費されるのを見ると怒りを感じるのです。
 私なら使えるものを人びとが平気で捨てる時に。

・目の不自由な人がそばにいれば、自分が読んでいる新聞を声を出して読みあげるだけでいい。
 それも自分が読みたい時間にで充分。
 いや、何もしなくても、そこに何かで苦しんでいる人がいるということを
 知っているだけでいいのです。

・私はね、人間的なあつかいをうけていない人たち、社会から拒絶され、きらわれ、
 軽蔑されている人たち、この世でもっともひどい病気に苦しんでいる人たちのもとに
 いかなければならないのよ。
 でもね、オキ。あなたたちは、もっと身近なことからはじめたらどうかしら。
 病院に入院している患者に花を持っていってあげるとか、年とった人のために窓を拭いたり
 洗濯をしてあげるとか、ね。
 浮浪者のために社会保障の用紙に記入する手助けするのだって、目の不自由な人のために
 手紙を書いてあげることだって、とてもりっぱな愛の表現なのよ。

・いまの世の中、人間が人間を見捨てているのよね。
 親が子を、子が親を、兄が弟を、友が友を、隣人が隣人を。

・子どもはあなたの愛を待っているのよ。一対一のね。
 あなたが働いてその子のパンを稼いできても、その子がほうっておかれるんじゃ
 どうしようもないでしょう。
 いま、ほとんどの人が、生活をもっと豊かにしようと、忙しく働いていて、
 子どもたちは両親とすごす時間がとても少なくなっています。
 私たちが接している貧しい人たちは物質的には豊かじゃないけれども、ほんとうに
 子どもを愛していますよ。その意味では、世界一の幸せ者かもしれませんね。

・愛は家庭に住まうものなんですよ。
 子どもを愛し、家庭を愛していれば、何も持っていなくてもしあわせになれるのですよ。

・国と国の間に大きな違いはありません。
 どこへ行っても出会うのは人びとですから。
 異なった外見、異なった教育や異なった地位ではあっても、みなおなじです。
 どの人もみんな愛すべき人です。
 みんな愛に飢えています。
 
・あなたがたがもし、苦しんでいる兄弟姉妹のひとりひとりを思いおこすなら、
 仕事はもっとらくに感じ、貧しい人たちにたいしてももっと心の底から微笑むことが
 できるでしょう。
 もし、貧しい人びとが飢え死にするとしたら、それは神がその人を愛していないからで
 はなく、あなたが、そして私が、その人たちにパンを、服を、そして愛を、思いやりを
 あたえなかったからなのです。

・でもそれは、パンがないためではありません。
 愛、思いやりへの飢え、だれかの「自分」でありたいという思いがみたされない飢えなのです。
 裸の人もいます。服がないということではありません。
 見ず知らずということだけで、やさしい心づかいをしめしてもらえないという意味で
 裸なのです。でも、それらの人びとに話すことはできるだけ少なくしましょう。
 説教してきかせても、それは人とふれあう場にはなりません。
 ほうきをもってだれかの家をきれいにしてあげてごらんなさい、そのほうがもっと
 雄弁なのですから。

・私は社会福祉家でもなければ、慈善事業家でもないのですよ。
 私はキリストのためにやっているだけですから。

・ 私かもし、社会福祉や慈善のために活動するのだったら、しあわせだった家も
 捨てなかったでしょうし、両親とも別れなかったでしょう。
 私は神に捧げた身ですから、いま私がしていることはヒューマニズムでもなんでも
 ないんですよ。ごく当たり前のことなんですよ。
  
  ーー
・" Love until it hurts ! "

・何もしなくてもいい。
 そこに苦しんでいる人がいることを知るだけでいいのです。

・あなたがちょっと微笑むだけでいいのです。
 新聞を読んであげると、慶ぶ目の不自由な人も、
 買い物をしてあげると、慶ぶ重い病気の母親もいるでしょう。
 小さいことでいいのです。そこから、愛は始まるのです。

・平和は微笑みから始まります。1日5回あなたが本当は笑顔を見せたくない人に
 微笑みかけなさい。それを平和のためにするのです。

・健康な人やお金持ちは、どんなウソでも言えます。
 飢えた人、貧しい人は、にぎりあった手、見つめあう視線に、
 ほんとうに言いたいことをこめるのです。

・ある人が尋ねました。
「いったいいつ、貧しい人々の貧困はやむのですか?」
 私は、あなたと私が分かちはじめたそのときに、と答えました。
 より少なく持てば、その分、より多く与えられるのです。
 より多く持とうとすれば、より少なく与えることしかできません。

・むしろ親切と慈しみのうちに
 間違うほうを選びたいと思います。

・貧しい人々の中で最も貧しい人々をキリストご自身の姿として助けてゆく

・私たちは、教会の維持を受けませんし、政府からの補助も受けません。
 また、月給もありません。神の愛の宣教者は、貧しい者の中の最も貧しい者です。
 誰一人、私でさえも、自分の物は何も持ちません。

・最も悲惨なことは、飢餓でも病気でもない。自分が誰からも見捨てられていると
 感じることです。

・貧しい人々が一番求めているのは、哀れみではなく、愛なのです。

・私は福祉活動をしているのではありません。私にとって大切なのは、群衆としての
 人々ではなく、個々の魂なのです。 

・貧しい人たちは、私たちが彼らに与えるよりはるかに多くを、私たちに与えてくれます。

・残り物を与えるのは、貧しい人々が持っている尊厳に敬愛を払っている行為ではありません。
 貧しい人々を私たちの主人と見てする行為ではなく、彼らを見下げた行為としか
 言いようがありません。

・飽くことなく与え続けて下さい。しかし、残り物を与えないで下さい。
 痛みを感じるまでに、自分が傷つくほどに与えつくして下さい。

・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・
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『マザー・テレサの生涯』

1950年昭和25年, インドに帰化。 12人のシスター
と共に、”貧しい中の最も貧しい人に仕える修道会” 「神の愛の宣教
者会」設立総長に就任して「マザー・テレサ」と呼ばれるようになる。 
. ...
ー1910年
明治43年 スコピア(現マケドニア)のアルバニア商人の家庭に生まれる。
両親はアルバニア系の熱心なカトリック教徒
ー1928年
昭和 3年 アイルランドのロレッタ修道会に入会し、カトリックの修道女として
インド・ダージリンの修練院に送られる。
ー1931年
昭和 6年 ロレッタ修道会修道女として初誓願を立てる。
修道名はシスター・テレサ
カルカッタにあるロレッタ修道会経営のセントメリー高等学校に赴任。
歴史と地理を教え、その後校長を務める。
ー1946年
昭和21年 黙想のためダージリンへ向かう汽車の車中で”神の召命”を受け、修道会を出て
貧しい人々の中に入ることを決意する。
ー1948年
昭和23年 イギリスの植民地から独立したインドで、貧困救済の活動に入るため、
派遣伝道師としての身分の除籍をローマ法王に申請。
(修道女のまま修道院外で働く許可)
スラム街にまず最初に「青空教室」を開設。
(薬を買って粗末なサリーをまとい貧民街に立ったとき、所持金わずか5ルピー。)
「富の中から分かち合うのではなく、ないものを分かち合うのです。」
ー1950年
昭和25年 インドに帰化。 12人のシスターと共に、”貧しい中の最も貧しい人に仕える修道会”
「神の愛の宣教者会」設立
総長に就任して「マザー・テレサ」と呼ばれるようになる。
ー1952年
昭和27年 路上で死にそうになっている人を連れてきて、最期をみとるための施設
「死を待つ人々の家」(Home for Sick and Dying Destitutes)を開設。
(地元住民の強い反対と施設撤去を求める誓願。何しろ、ヒンズー教徒の国で
すから、キリスト教のシスターは良く思われません。また、どうせ死ぬ人のた
めにそんなに苦労してもあまり意味がないのではないかという批判もあったそ
うです。でも、マザーは、最期の一瞬だけでも人間らしく扱われることの大切
さを知っていました。)

ある日、コレラで死にそうなヒンズー教徒の僧を引き取り、死をみとったこと
をきっかけに、住民の彼女を見る目が変わる。

「恵まれない人々にとって必要なのは多くの場合、金や物ではない。世の中で
誰かに必要とされているという意識なのです。見捨てられて死を待つだ
けの人々に対し、自分のことを気にかけてくれた人間もいたと実感させること
こそが、愛を教えることなのです。」

ー1955年
昭和30年 孤児のための施設「聖なる子供の家」を開設する。
ー1957年
昭和32年 ハンセン病の巡回診療を開始する。
ー1965年
昭和40年 インド国外での最初の修道院をベネズエラに開設する。
ー1968年
昭和43年 西ベンガル州にハンセン病患者のコミューン「平和の村」を開設する。
ー1975年
昭和50年 学校・病院・作業所持つ複合センター「プレム・ダム」を開設する。
ー1979年
昭和54年 ノーベル平和賞受賞
「わたしは受賞に値しないが、世界の最も貧しい人々に代わって賞を受けま
した。」
(ノーベル平和賞と言っても、政治家や活動家が受賞する際には、委員会の中
でも意見が分かれることが多いそうですが、マザーの受賞の時には、満場一致
だったそうです。彼女は、賞金の全額を寄付しました。また、受賞後に問題が
生じることもあるようですが、マザー死去の報を聞き、委員長は、
「マザー・テレサの平和賞受賞はわれわれが大きな喜びと満足感を持って振り
返ることのできる受賞だった」と語っています。
受賞後も、朝4時に起床、シスター達と一緒に、路上生活者やごみ捨て場に捨
てられた幼児を施設に連れてくるといった生活をほとんど変えずに行い続けた。
ー1981年
昭和56年 この年と翌年に二年連続して来日し、各地で講演を行う。
ー1984年
昭和59年 三度目の来日。
ー1997年
平成 9年 3月病気のため総長を引退。新総長にシスター・ニルマラが選ばれた。
ー1997年
平成 9年 9月5日(日本時間9月6日午後6時)
「もう息が出来ないわ」の言葉を残し永眠。
9月13日インドで国葬が行われた。
国家元首でも首相でもないのに、異例の国葬です。マザーがどれほどインドの
人々に愛されていたかが、わかります。

マザー・テレサやシスターたちのとなえる
アッシジの「聖フランシスコの祈り」

主よ、私をあなたの平和の道具としてお使いください
憎しみのあるところに愛を
争いのあるところに許しを
分裂のあるところに一致を
疑いのあるところに信仰を
誤りのあるところに真理を
絶望のあるところに希望を
闇に光を
悲しみのあるところに喜びを
もたらすものとしてください
慰められるよりは慰めることを
理解されるよりは理解することを
私が求めますように
わたしたちは与えるから受け
ゆるすからゆるされ
自分を捨てて死に
永遠の命をいただくのですから

・・・・・・・・・
・・・・・・・・・
2003年05月16日(金) 772, 家電の買い方



 私の値がさの家電やビデオなどを買う時の方法論を書く。
見る人が見たら何を今更のことでしかない。
しかし衣料量販店のバイヤーや、大きい買い物ではホテルビルの発注の経験を
してきたので、買い方は他の人よりは知っている?
 
 何事もまずは情報である。
昨秋に50インチのPDPTVを買った時には事前に量販店の売り場に30~40回は通った。
職場の近くに石丸電気とヨドバシがあるからだ。
また休日にはコジマ電気、ジョーシン、ヤマダ電機など5~6軒を数回ずつ回った。
それを楽しむのだ。まあ買い付けがすきなのだろう。
何といっても決めては、インターネットの価格・comで値段と情報を仕入れる。
商品ごとのチャットの記録が残っている。
かなり詳細の実際買った人の会話が載っている。

 以前のTVを買った量販店に行き,正直に価格・comで調べた値段をいう。
もちろん他の家電の見積もり値段も言う。
それは会員証の記録で解るから、本気で対応してくれる。
全く同じ型番でも、数ヶ月で新機能が加えられる。
メーカーはそれまでの在庫を量販店に破格の値段で流すのだ。
といってPDPTVはホット商品である。
そういう情報はチャットに載っている。
ジョーシンで、チェーン店内の在庫でそれを捜してくれた。

 買うと決めたら、その時点からゲームにしてしまうのだ。
一番スタンダードの方法は、ヤマダ電機とコジマ電気に見積もりを取ることだ。
さらにジョウシンにいってその下にならないかと聞く。
値がさのものなら、ギリギリ下げてくれるはずである。
それなりのエネルギーを使ったぶんだけ安くなるの間違いはない。
その為には執念とプロセスを楽しむ事だ。何ごとも同じである。

 そういえば週刊誌で、記者が上記と同じ買い方をして記事にしていた。
あまりの値下げに驚いた内容であった。
この程度の事は誰もやっているか!

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2002年05月16日(木)
408, 人間を犬に例えるとシビアに・・ −2

       
面白おかしく書いた文章を、そのまま受け取られない為に書く。
決して宗教を否定しているわけでない。
逆に最後は宗教しかない。
ただ権力者が利用しやすいのだ。

ある規範を作り、それを基準に仲良く生きていくべきだ。
組織もしかり、番犬も、座卓犬も、牧用犬も機能として必要だ。
ただ、犬になるなということだ。

犬は何も考えず、ただ上司の(直接上司)命令を待っている、
自主性のない組織人をいう。あるのは胡麻すり(尻尾振り)と
従順だけ。それも組織を円滑にすすめる為に必要かもしれない。

ただそういうレベルの人が、犬に割り切って上手くいくのが、
人間社会の縮図の組織で多い。ある都銀の支店長が言っていた、
「常に組織として、2〜3クラス上の上司を意識して行動すべき」
犬レベルは一ランクしか見えない。
だから例えがシビアに当てはまるるのだ。

宗教もしかり、絶対紳を造り上げ、その言葉として基準をつくる。
それも大事な事だ。
また死に対しては宗教しか人間の心を救う事が出来ない。
犬の例えは組織人にとって、耳の痛い話だ。

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2001年05月16日(水)
書いている本人が不思議な世界―畠山さんに

早速の感想有難うございます。暇というのが実際のところ。
自分を不思議な世界に投げ入れたような変な感覚です。
‘ソフィーの世界,の少女の感じです。
是非貴方もホームページを開いて,つれずれ日記を書いて見てください。
毎日か2日おきに私の場合必ず見にいくと思います。
そして誰かが感想をくれたら、不思議な感覚になると思います。
HP−ホームページは不思議な世界が実感です


1138, つれづれなるままにー駅の風景

2004年05月15日(土)



・一昨日(5月14日)のことだが、帰路の長岡駅の出来事。
60過ぎの背広を着た男と、人相のよくない二人連れがもめていた。
立ち止まらないで通りすがりに見ただけだったが、目がおぼろの男が仕込みの
刀を持っていて、二人の男が、それを取り上げようとしていた。
中年の男が「何するんだ!」と刀にしがみついていた。
二人連れは「お前こそ、こんなものを何でもっているのだ!」と言っていた。
すぐに気がついたのが。二人連れが私服の刑事で、男は何かの事情で刀を
持ち歩いていたのだろう。

・以前、新潟駅で作業服風の上下を着て帽子をかぶってマスクをした4人の男が、
歩いているオバサンの周辺を囲みながら一人が近づいて威圧をかけ、それを
バックでおばさんが追い返すと、次の男が近づいていく異様な光景を見た。
オバサンがたまらず大声で「あんた達の正体ぐらい分かっているいるのよ!」と、
叫んでいた。カルト集団同士の嫌がらせ?という感じがした。

・長岡駅の出来事であるが、階段を下りていた中年の男性が階段を踏み外して
顔から落ちてメガネがとび、血が見えた。
その瞬間、歩いている数十人が数秒すくんだ様に立ち止まった。
時間が止まるとは、あの瞬間をいうのだろう。
次の瞬間、誰も考えることは一緒である。
「係りあいになりたくない!」である。
全員が躊躇するのが、手に取るように分かった。
一番近くの人が、仕方がないという感じで、近寄り。
階段の一番改札口に近くの人が、駅員のところに駈けていった。

・新潟駅の新幹線の改札を出て、しばらく歩いたところに大きめな野鳥が
スクンデ蹲っていた。迷い込んで恐怖で動けなくなっているのだ。
立ち止まって見ていたが、どうすることもできないのでそのまま見過ごしたが。
多くの人が、まったく興味を示さず歩いていったのが印象的であった。
  ーーー
駅はいろいろの人がそれぞれの目的を持って集まり散っていくところである。見ていると色いろなミニ事件を目撃をする事が多い。
ハッキリしている事は服装は、当然の事だが、それぞれの目的に合わせて着ている。服装を見れば大よそ、その人の目的、もっといえば、その人の人生が分かる。そういう自分もそうだ。服装はやはり気をつかわなくてはならないことだ。キンキラも考えものだが。

・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・

2003年05月15日(木)
771、ゆっくり急げ!

この相反する言葉をひとつにしているのが面白い。
方向を間違わないで一歩ずつ確実に歩めという意味である。
童話の「亀とウサギのかけっこ競争」や「急ぐ文はユックリ書け」
に似ている。
私の性格が気短で、せっかちで解っていても急いでしまう。
人生の達人といわれる人にゆっくり急いでいるタイプが多い。
何にもしていないようでいて、ポイントを外さない人だ。
モノゴトのABC分析がキッチリできているのだろう。

 早速インターネットで「ゆっくり急げ」と検索してみた。
上記の私の半端な解釈より、ずっと深い内容であった。

ーその結果はー
・ローマ帝国初代皇帝アウグストゥスの言葉として知られている。
「完璧な将軍にとって、軽挙妄動や猪突猛進ほど不似合いなものはないと
 考えていた。そこで常日頃から好んで次のような文句を口にしていた。
『ゆっくりと急げ』
『大胆な将軍より慎重な将軍の方がましだ』
『なんでも申し分なく立派にやりとげたら、申し分なく早くしたことになるのだ』」

・ローマ時代の銀貨に錨(いかり)にイルカが巻きついた図柄の銀貨がある。
 錨はゆっくりを、イルカは速さを表している。
「ゆっくり急げ」を描いた銀貨だ。
『急ぐべき時には急げ、ゆっくりすべき時にはゆっくりしろ』
と言うことだそうで、要は判断とバランスの問題だと言う。

・何をすべきかを考えることが大切
《急ぎは浪費のもと》「急いては事を仕損ずる」
「短気は損気」
《急ぐと自分の踵・つまずく》
ー以上であるが、じっくり考える事と判断と、それを踏まえて
 の行動の早さが大事だということだ。
 目的と手段・戦略と戦術を冷静に見据えた果敢な行動の必要性をいっている。

・・・・・・・・・
・・・・・・・・・

2002年05月15日(水)
407,ホームページを開いて一年

以前「テーマ随想日記を書いて一年」を書いたが。
このテーマはホームページである。
「ホームページつくりを通して、パソコンをわがものにする」
と目標を立て、実行して一年半経つ。

やはり人生が根本的に変わろうとしている。
情報化を実感している。

たどたどしく、やってきたというのが実感だ。
一つの目安が、現在のこの時期と考えている。
ここで一回ホームページの解体の時期かもしれない。
実施は夏以降か?

現在の自分の現状に似ている。
今までのビジネスや人間関係や慣例の解体のプロセスの時期だ。
ゼロベースからの見直しである。
ホームページづくりと、旅行の積み重ねと、去年の9・11で、
世界と世界観が全く変わってしまったからだ。

やはり情報は最も大事である。

どこまで一人になりきれるか、とりあえず一人に。
とくに「−−会」といっている集まり。
当分は「空」への過程だ。

そしてある時期がきたら、新しい「色」を求める。
ポイントは「電脳、グローバル、21世紀へ、前向き、楽しさ、興味」
である。濡れ落ち葉にはなりたくない。

ここで他者のホームページが見えはじめてきた。
素晴らしいホームページにいきあたる。
それと自分のホームページとのリンクがポイントである。

特にリンクの分類がポイントになってくる。
それとやはり絞込みが重要だ。
そうしないと、みさかえなく情報が入ってくる。

現在、電脳というキーワードがある。
その時代に入ったことが実感できるかできないかが分岐点だ。

ポイントはホームページだ。
自分のリンク集でもいい。

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・・・・・・・

2001年05月15日(火)
赤面―自嘲―入力ミス

日記の文章で文面に2日に一度は入力ミスがある。
1度見直せばこんなに多くないのはずなのだが。
2〜3日前より一度パソコン内のメモ帳上に書いた上で、コピーして
載せるように切りかえた。ブラインドタッチの訓練をかねている為、
余裕が無かったとことと、日記帳という気楽さという言い訳は公開した以上
成り立たない。書き直す方法は明後日にパソコンの先生の授業課題なので
土日に直すつもりだ。毎日は書かなかった日記を公開すると同時に欠かさず
書き始めるのも自身が可笑しい。ーーー5月10日の立花隆のサイトは初めの
http://ttbooks.com/が正しいアドレスでした。一人混乱していたようです。


1137, 「ライフ・レッスン」−14

2004年05月14日(金)

ー明け渡しのレッスン

ー抜粋ー
・自分を明け渡すためには、毎朝、目がさめたときに「『わたしの意思で』ではなく、
『汝の意思で』」といえばいい。
 そして、こういうのだ。
「きょう、なにがおこるのか、わたしにはわかりません。
 きょうは自分がすることの計画はあります。
 仕事に出かけ、芝生をかり・・・。
 でも、その計画は青写真でしかないという現実に対して、わたしは自分を明け渡します。」
  ーーー
 
−明け渡すとは仏教でいう、諦念に似ている。
死ぬとは、この世にすべてを置いて消滅することである。
定年で会社を辞めることも、自分の仕事を明け渡すことである。

 宗教の言葉に「死後残るのは、愛情だけだ」という言葉があるが、
両親からは深い愛情を残してもらった。

 明け渡しのとき、すべてが空ということが解るのだろう。
そして、残るのは無心の愛情だけである。
愛は言葉だけでない、その裏づけの明け渡しの中にある。

人生には最後のイベントとして、死がある。
すべてを明け渡して‘無’に帰さなくてはならない時、虚無の真っ只中で、
自分の人生とは何だったのか、この人生で何を学んだのだろうかを振り返ったとき、
愛情と感動こそが、すべてだったと気がつくのだ。

 感動はじゅうぶん経験してきたが、
 無心の愛を残してきただろうか?
  いや、残せるだろか?


 ーいい日は幾らでもある。
   手に入れるのが難しいのはいい人生だ。
                −アニー・ディラード

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2003年05月14日(水)
770、 私が二十歳の頃-時代背景

20歳の頃の話は、半年前に「学生時代のこと」のテーマで書いた。
今回は、その時代背景はどんなであったかを書いてみる。
・二十歳の前年の1965年、米軍がベトナムの爆撃を開始、ベトナム戦争が二年目であった。ベトナム戦争反対運動と学生運動がピークに向かっていた。
 また中国で文化大革命運動が始まっていた。
 高度成長の始まりもあり、騒然とした雰囲気であった。
・アメリカ大統領がジョンソンで、日本は佐藤栄作が首相二年目に入っていた。
・ビートルズが来日。
・尺貫法が廃止される。
・TV では『おはなはん』が放映、『笑点』がこの年に開始された。
 他には『サンダーバード』『ウルトラマン』『銭形平次』があった。
・漫画では『巨人の星』『意地悪ばあさん』があった。
・流行歌では、「星影のワルツ」「君といつまでも」「夢は夜ひらく」
 「霧氷」「バラが咲いた」「こまっちゃうな」「思い出のワルツ」
 などポップスの全盛期であった。
 翌年は「ブルーシャドー」「小指の思い出」相良直美の「世界は二人のために」
「夜霧よ今夜もありがとう」「女の波止場」など、名曲がつづいた。
・スポーツでは巨人は堀内恒夫が入団で、44イニング無失点の記録をつくった。
 君原がボストンマラソンで優勝した。
 社会人ラグビーでは、八幡製鉄が4連覇を果たした。
・新宿に西口ができた。西口の浄水場の近くをバイトで何回か通ったことが
 懐かしい。
 こう書いていると次々と当時の記憶が蘇ってくる。

振り返ってみると、高度成長期の真っ只中で日本が未来に向かって
光り輝いていたようだ。音楽も漫画も夢のあるものが多い。

半年前にこの頃の事を書いたものをコピーしておきます。
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2002年11月08日(金) 574, つれづれに-学生時代のこと

学生時代の最後の半年間の日記を「ある時間の断片」という題で書き写している。
そのときは34年の時空を飛び越えて青春真っ只中の自分に立ち返っているようだ。
記憶もそのときのことが走馬灯のように立ち返ってくる。
現在と変わらない自分と、全く変わってしまった自分がそこに見える。
今時に悠長なことを思い出しているものだとも考えてもしまう。

学生時代は、
・そこで住んでいた青雲寮の生活
・武澤ゼミと卒論
・欧州の一ヶ月の旅行
・影響を受けた大学の先生と授業
・クラブの先輩同僚などの思い出
・軽井沢の友愛山荘のアルバイトの思い出
・合コンや合宿などなど

結構多くの構成が重なっている。
この4年間が人生の圧縮であった。
物理的には馬小屋のような部屋に住んでいたが、出来事は数え切れないほどの
ことがあった。脱皮脱皮の連続線上にいたようだ。
20代30代は誰でもそうだが、私の場合創業を目指していたこともあり、
刺激の強い20年間であった。

武澤ゼミ、欧州旅行、青雲寮、軽井沢友愛山荘、個性的な教授と
結構恵まれていたのは時代の背景もあったようだ。
高度成長期で日本がアップスケールの真只中だった。

当時の日記の中で色々な友人と語っている内容は、これからどういう生き方を
しようかという内容と、その批判である。
未来が光り輝いていた。
・自分は留学しようと思う。
・いや大手の会社に勤めようと思う。
・大学に残ろうと思う。
・自分で事業を起こしてやろう。

そういえば結婚をしようという人は誰もいなかった。
如何しようか?という人は多かったが。
自分が何か使命を持って社会に期待されているようであった。
何かやっと自分の出番が回ってきたようでもあった
・・・・・・・・・・・

2002年11月09日(土) 575, つれづれに学生時代のこと ー2

現在、学生時代の日記を書き写していることは意味のあるように思える。
ユングは「人生に午前の人生と午後の人生がある」といっている。
その価値観はまるで違う物差しになる。
今の私は午後の人生の学生期にある。
それで敢えて「学生時代の日記を書くことで、これからの
午後の人生の設計の基礎を考えようとしている」事になる。

若い時には仕事や家庭創りや物質など外に見出そうとした。
午後はその時に見出されなかった事や、人生全体の何かを自分の中に
見出していく時期だ。
そのことは「夜と霧」を書いた心理学者のフランクルもいっている。
「コペルニクス的視点の大逆転人生に何を求めるのでなく、
人生が何を求めているかの追求」である。

人生の意味の完成というと難しいのかもしれない。
午後の人生を余白でなく、新しいページの書き込みの過程として
捉えると解る。
その意味で学生時代を省みるのは理のある行為である。
可能な限り行動し、知り、新しいものを開拓していく設計図の再構築が
必要ということだ。

その下敷きとして学生時代の日記を見てみると違う視点が生まれる。
別に難しい事をいっていない。
両親がそれをしっかりやって死んでいった。

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2002年05月14日(火)
406, 倒産の後先ー2 -失敗の条件

倒産にもいろいろある。
特に自分で事業を立ち上げて失敗するケースである。
実際経験しなくては解らないのが経営である。
早くいえば、実際は博打に似ている。
博打は多くは場数を踏まないと上達しない。
遵って、経営管理と経営は全く別物である。

経営に無知?の社長が大手の幹部を社長にスカウト。
そこまではよい、経営を全面的に任せる?
その間違いという事に気づかないケースが身近にあった。
「飾り」ならいいが、あるいは叩き上げならまだよい。

それをカバーするには、
準備を何処まで周到にできるかにかかっている。

自分が22年前、今の事業を立ち上げた時、
「500佑寮功確立」が、自分の信念の中にあった。
そしてそれだけの準備を、15年間ー19歳よりーかけてきた。
その15年の中身は誰もわからない。
そして表面を見て「運」と思ってしまう。

ある人と飲んだ時、かなり深酒の後、ふと横を見ると
私の顔を不思議そうな眼でじっと見ていた。
「何でこんな奴が、事業の創業ができるの?」

何処でも捨てるほど失敗事例がある。
起業、起業と最近いわれるが、そう甘いものでない。
それだけの充分の準備が必要だ、それも周到の。

もう先年亡くなったが、以前地銀の次長として長岡の店にいた人が、
支店長として私の会社の取引店に栄転できた。
いうことがずばり「たまたま上手くいったの?それとも周到の計画の上で?」
たまたま上手くいった奴と、勝手に決め付ける人よりよいが。

失敗した人はいっぱいいるが、
彼らは「たまたま失敗した、運が悪いだけだ!」と思っている。

その上に、失敗の共通点は、私生活が崩れる場合が多い。
打つ買う飲むに溺れてしまう。
自己管理ができない人が、経営管理ができるわけがない。

二代目では、変化対応ができないで失敗するケースが多い。
青年会議所のトップ?になってるが、自分の会社は潰れそう。
それと商工会議所の部会長とか?
あの街、この街の現在進行形?のパターン!

ゼネコンとか集り政治家に煽てられ、再開発とか。
何処かの街の話だが、厚生会館をつぶし2Fの大駐車場を造ればよいのに
地下駐車場を数十億かけつくり、一台あたり20万~50万で、
できるのに確か??00万の経費をかけ、地下駐車場を再開発。
こういうのをマフィアという。利権の為の犯?的行為だからだ。
一桁の差でもありえないのに、二桁は歴史に残る話だ。

その??人形に使われて、娑婆はだから面白い!
少し問題がずれた。
潰れるまでに、こういう体質を永年かけてつくっている。
会社は一瞬にして潰れるが、しかし反面まともに?
経営をしていれば、そう簡単には潰れない。

経営に向かない人が成り行きや、立場上なってしまう。
他人のことでないかもしれないが!
明日はわが身か?

・・・・・・・・・
・・・・・・・・・

2001年05月14日(月)
つれずれに‐変化の中で

数年ぶりにここにきての‐連休明けー客数の極端の減少で感じた事を書いてみよう。
あまりこの(当社ホテル)辺りは、露骨な客引きや売春婦はいなかったが、
急にここにきて増えてきたという。売上ダウンで撤退したあとの店にあらて
の風俗系の店が入れ替わった結果であろう。自身も飲むときは決まった店で
恒例の会か、10年20年飲んでいる気のおけない飲み仲間としか行かなくなった。
そしてその時は1期1会 徹底的に楽しむ。要するに安くいかに楽しむか、断るか。
中途半っぱの飲み会は出ない。でもこれは私だけでない傾向のようだ。
TVもインターネットもますます面白くなってきているし、1日の中身がより濃くなっている。
大相撲も野球の巨人戦も全くつまらなくなった。格闘のk−1とかアメリカでの野茂や一郎
の大リーガ‐戦等の為である。時代が変わってきたのだ。情報化が今までの感覚を知らぬ間に
変えてしまったのだろう。この変化を面白いと言っていられないのが今の日本であり、
我々各人の当面の課題である。


1136, 「世界がもし100人の村だったら−(2)」

2004年05月13日(木)



以前この本の(1)を買ったが、この続刊のー(2)が図書館にあった。
目を通すと、−(1)の解説書という内容であったが、さらに考えさせられるものであった。
これは世界の象徴であると同時に、グローバル社会の我々にとって、大きくかかわってくる。

ユダヤ民族が牛耳っているアメリカがいかに世界の富を独占しているか、
そして貧富の差が世界を覆っているかが一目瞭然と解る本ともいえる。
イラクのアメリカの侵攻の意味も、この数字を見ながら考えると不気味な感がする。

 ー「世界がもし100人の村だったら」ー(1)の概要を、
  まず抜粋してみると          
   
  <世界には63億人の人がいますが
  もしもそれを 100人の村に縮めるとどうなるのでしょう。>
  
  100人のうち

  52人が女性です
  48人が男性です

  30人が子どもで
  70人が大人です
  そのうち7人がお年寄りです

  90人が異性愛者で
  10人が同性愛者です

  70人が有色人種で
  30人が白人です

  61人がアジア人です
  13人がアフリカ人
  13人が南北アメリカ人
  12人がヨーロッパ人
  あとは南太平洋地域の人です

  33人がキリスト教
  19人がイスラム教
  13人がヒンドゥー教
  6人が仏教を信じています
  5人は、木や石など、すべての自然に
  霊魂があると信じています
  24人は、ほかのさまざまな宗教を
  信じているか
  あるいはなにも信じていません

  17人は中国語をしゃべり
  9人は英語
  8人はヒンディー語とウルドゥー語を
  6人はスペイン語を
  6人はロシア語を
  4人はアラビア語をしゃべります
  これでようやく、村人の半分です
  あとの半分はベンガル語、ポルトガル語
  インドネシア語、日本語ドイツ語、
  フランス語などをしゃべります

  いろいろな人がいるこの村では
  あなたとは違う人を理解すること
  相手をあるがままに受け入れること
  そしてなにより

  そういうことを知ることが
  とても大切です

  また、こんなふうにも
  考えてみてください
  村に住む人びとの100人のうち

  20人は栄養がじゅうぶんではなく
  1人は死にそうなほどです
  でも15人は太り過ぎです

  すべての富のうち
  6人が59%をもっていて
  みんなアメリカ合衆国の人です
  74人が39%を
  20人が、たったの2%を
  分けあっています

  すべてのエネルギーのうち
  20人が80%を使い
  80人が20%を分けあっています

  75人は食べ物の蓄えがあり
  雨露をしのぐところがあります
  でも、あとの25人は
  そうではありません
  17人は、きれいで安全な水を
  飲めません

  銀行に預金があり、財布にお金があり
  家のどこかに小銭が転がっている人は
  いちばん豊かな8人のうちの1人です

  自分の車をもっている人は
  7人のうちの1人です

  村人のうち1人が大学の教育を受け
  2人がコンピューターをもっています
  けれど、
  14人は文字が読めません

  もしもあなたが
  いやがらせや逮捕や拷問や死を恐れずに
  信仰や信条、良心に従って
  なにかをし、ものが言えるなら
  そうでない48人より恵まれています

  もしもあなたが
  空爆や襲撃や地雷による殺戮や
  武装集団のレイプや拉致に
  おびえていなければ
  そうでない20人より
  恵まれています

  1年間に、村では
  1人が亡くなります
  でも、1年に2人
  赤ちゃんが生まれるので
  来年、村人は101人になります

  もしもこのメールを読めたなら、
  この瞬間、あなたの幸せは
  2倍にも3倍にもなります
  なぜならあなたには
  あなたのことを思ってこれを送った
  誰かがいるだけでなく
  文字も読めるからです

  けれどなにより
  あなたは
  生きているからです

  昔の人は言いました
  めぐり往くもの、
  また巡り還る、と

  だからあなたは、
  深ぶかと歌ってください
  のびやかに踊ってください
  心をこめて生きてください
  たとえあなたが、傷ついていても
  傷ついたことなどないかのように
  愛してください

  まずあなたが
  愛してください
  あなた自身と、人が
  この村に生きてある
  ということを

  もしもたくさんのわたし・たちが
  この村を愛することを知ったなら
  まだ間にあいます
  人びとを引き裂いている非道な力から
  この村を救えます
  きっと               『世界がもし100人の村だったら』
                             池田香代子 

  以下はインターネットで検索してコピーした内容である。
   −−−
 
 ミリオンセラーになったネットロア(インターネットによる民話)
『世界がもし100人の村だったら』の原点と背景がここに明らかになっている。
 百人百様の解釈、感想、批判から私たちの未来を考える。
「100人の村」の原点は、
環境学者ドネラ・メドウズが1990年5月に発表した「村の現状報告」というコラムの一編だ。
冷戦末期の世界を1000人の村にたとえ、そこにある矛盾と危機を平易に明快に示している。
本書ではこの「1000人の村の現状報告」を完全絵本化。
「100人の村」との対比も編者が加えている。

「村の現状報告」の1000人の村を100人の村に書き換えたメールの発信者はいまだに不詳と
されているが、世界を凝縮して考えるこの発想は多くの人々の心を揺り動かした。
数字の根拠はどこにあるのか。「村の現状報告」が書かれてからどう変化したのか。
「100人の村白書」の章では、ひとつひとつの数字を統計的に検証している。

「世界はどうしてこんなにいびつになってしまったのか」
「私たちはどこかで間違って
しまったのではないか」。
2001年9月11日のテロとその後始まった対テロ戦争は、強烈にこのことを私たちに突きつけた。
『世界がもし100人の村だったら』は、多くの人に世界の
現状を教え、この話を読むことができた自分は恵まれているのだということに気づかせ、
「私にできることはなんだろう?」と考えさせた。

その一方で「貧しい人を下に見て、豊かな側にいる自分に満足している」
「数字で表すことができない幸福があることを忘れてはいないか」といった指摘も あった
という。これには、作家、池澤夏樹、政治学者、ダクラス・スミス、大学教授、 大野健一、
そして国境なき医師団の黒崎伸子らがそれぞれの立場から意見を寄せている。

ドネラ・メドウズは2001年2月に「9.11」を知ることなく没したが、残したメッセージは
インターネットをきっかけに爆発的に広まった。"Think global, act local.
" この書は再びそのことを考えるきっかけになるだろう。(篠田なぎさ)

100人の村はそれだけではなかった。

前作「世界がもし100人の村だったら」では、60億人といわれる世界の人口を100人に
縮めるとどうなるかを仮定したものでした。
本書「世界がもし100人の村だったら−2」はその原点にある「1000人の村」の
たとえが載っています。
「100人の村」では描ききれなかったことがプラスされている。
「100人の村」より簡潔さが落ちました。さらなるおもしろさはあまり期待できません。
それでも更に今の世界を考え「100人の村」をもっと深く知りたいという人
には丁度よい本です。

 ー前作の解説本

前作「世界がもし100人の村だったら」では、100人というわかりやすい数字での
表現でしたが、著者の池田さんがおっしゃるには『1000人の村だったのもを100人の
村としたため、心にグサッと来る表現・文学になった』とのことですが、その抽象的な数字の
裏の現実をもっと詳しく知りたい・・・という方に、この本はオススメです。
また、数字にまつわることだけでなく、人口・人種・宗教・言語・富・エネルギー・戦争ー
というように小さな章に分かれていて、世界事情についても書かれています。
知っているようで実は知らない世界のこと、もっともっと知りたいという気持ちに
させられる一冊です。

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・・・・・・・・・・

2003年05月13日(火) 
769,「私が20歳の頃」ー読書日記

 自分の二十歳の頃は何をして、何を考えていたのかなあ?と本屋で思わず
手にとってしまった。
立花隆と東大生のゼミが、いろいろな年代の人たちにインタビューを試みた本だ。二十歳というと、人生の節目である。
その為この本に登場してくる人たちの話が自分との比較になってしまう。
どんな人たちも二十歳のころに思い悩み、試行錯誤しながら生きていた。
このころといえば人生の前途に対して大きな不安と希望が混在していた時期だった。
個人個人のそれぞれの人生があるのがよく理解できる。
それとそれぞれのバックグランドとしての時代背景があることが。
その時代背景が、その人の人生を大きく左右していることも読み取れる。
こんど「私が20歳の頃」を、このコーナーで書いてみようと思う。

以下はインターネットで調べたものです。
http://matsuda.c.u-tokyo.ac.jp/~ctakasi/hatachi/

ーーーーーーーー
ーまえがきと目次と書評ー
                新潮文庫ー781円

「私は何のために生まれて来たんだろう」「あの人の運命を決めた出来事とは?」
――二十歳のころの生き方が、その後の人生を決める。
立花ゼミ生が熱い思いで突撃取材! 安保闘争、バブル崩壊、オウム真理教事件、
NY同時多発テロ……世界が再び混迷の時代に突入する1960〜2001年に
「二十歳のころ」を迎えた多士済々39の足跡。
二十歳のころのインタビュー集

目次
 赤川次郎/秋山仁/安部美知子/石弘之/板倉聖宣/糸井重里/伊藤影明/
 茨木のり子/エリック・ハイドシェック/大江健三郎/大杉正明/小川国夫/
 小川三夫/
 鬼沢修二/加藤恭子/加藤登紀子/加藤尚武/神谷郁代/萱野茂/川上哲治/
 黒柳徹子/小松正規/阪口浩一/坂本龍一/崎田昭夫/佐々木力/佐藤学/
 下平作江/ジョージ川口/妹尾河童/曽野綾子/滝本太郎/立花隆/
 タン・スリ・H・M・カティブ/筑紫哲也/恒成正敏/鶴見俊輔/永沢光雄/
 中松義郎/成瀬豊/二木てるみ/西和彦/野田秀樹/萩尾望都/橋爪大三郎/
 バーテンダー/樋口可南子/日比野克彦/福島瑞穂/古川昭夫/
 ヘンリク・グルデモ/牧野信雄/真智・F・デイルワース/松本零士/水木しげる/
 水島涼子/元オウム真理教信者/森毅/山崎章郎/山田太一/山藤章二/
 横尾忠則/吉川弘之/吉田勝二/吉永吉正/米長邦雄/和田耕一/輪波孝禧 
--------------------------------

ー例えば、山藤章二
今の知恵で二十歳に戻れば、効率のいい生き方をすると思うけど、
そんな効率のいい生き方が幸せとは僕は思わない。
徒労と無駄の連続だったけど、それが筋肉とか能力、精神的な力を鍛えてくれたと思うね
(P596)過去というものが肯定的に捉えられるのは、今が充実しているからなのだろう。
終わってしまったことを変えることは出来ないが、終わってしまったことをどう捉えるかは
これから変えてゆくことができる。過去そのものは時間の中に閉じ込められているが、
過去の持つ意味は常に未来に開かれている。

・・・・・・・
生きる力を与えてくれた本, 2002/03/13
レビュアー: 銀杏並木 (プロフィールを見る)   京都府 Japan
30歳を目前にしてこの本を手に取った。年齢なんて関係ない、と思いたい一方で、
人生にはタイミングや限りがある、という感も否めなくなってくる年頃。「二十歳」
に戻ることはできなくても、何かヒントが欲しい。−−−読後の印象は「この人のここが」
ではなかった。登場する人々ひとりひとりが私に見えない生きる力を与えてくれた。
前向きに生きること、努力することの素晴らしさを教えてくれた。とても感謝している。
ただ、立花隆もことわっていることだが、有名無名、老若男女、といいながらも、
人選に偏りがある感も否めない。『東大生の興味』と『それに快く応える取材対象』
があってはじめて成立するインタビューなのだから、これは当然のことであり仕方の
ないことかも知れない。また有名人に関し!!てはある程度読み手と書き手に共通の認識が
あるのだから相互理解がしやすい。有名人の存在そのものが媒体になっている、
という感覚を初めて覚えた。新聞雑誌にさりげなく載っているインタビュー記事が
(良い悪い、真偽のほどは別として)いかに洗練されているか、
しかしステレオタイプになりがちなものかいうことも改めて実感した。
本をつくるということ、伝えるということについて考えるうえでも興味深い本だと思う。
この本では人物が生年月日順に並んでいる。順を追って読んでいくと、
時代背景もだんだん移り変わっていっておもしろかった。
50音順に並んでいなくて本当によかった。
・・・・・・・・・・・・

すごくためになる!, 2002/03/03
レビュアー: 果歩 (プロフィールを見る)   兵庫県篠山市
今、まさに二十歳前後の人にぜひ読んでほしい一冊。

二十歳前後というのはどの人にとっても人生で一番大切な時期。
それは自分を発見する時期であり、自分の生き方を発見する時期である。
それ故にこそ、一番悩みの多い時期でもある。誤りを犯しやすかったり、
自分を過大評価または過小評価しがちな時期でもある。
人生の選択をせまられながら選択できない時期でもある。
「二十歳」という、その人の人生が不定形の塊からある形をなしていく過程での最も
クリティカルな時期を上手く通過していくためにも、この本を読んでいろんな人の
二十歳前後を知って欲しい。

ーーーーー

この課題への入り口は、耳をすますというところにあるように思われる。
花隆とそのゼミナールの学生たちによる力作『二十歳のころ』もまた、
大学の教育実践において、耳をすます技法−人の話を聞き、それを自分の身体のなかで
自らの体験と共振させ、編集するプロセス−に取り組んだ結果の果実である。
 
 本書では、68人の「有名無名」の人々の20歳前後の経験がインタビューによって
 引き出されている、いわばライフヒストリーのアンソロジーである。
 立花隆の威光がバックにあるとはいえ、対象となった人々は、
大江健三郎、川上哲治、黒柳徹子、筑紫哲也、鶴見俊輔、樋口可南子氏などそうそうたる
メンバーである。それぞれの20歳前後の経験が多種多様で読み物としても面白い。
 輝ける秀才だった科学史家の佐々木力氏のような人生もあれば、
東京都の教育委員に委嘱された将棋の米長邦雄氏が20歳のころ「悲願千人斬り」
といって千人の女性と寝る目標に向かって邁進していたことを知ることもできる。
インタビュアーによってどのような語りが引き出されるかが決まる。
ライフヒストリーでは、ある人の業績そのものではなく、業績を生み出した
深い背景がさまざまな切り口で立ち現れてくる。
この企画では、20歳前後の学生がインタビュアーであるということが、
対象者が胸襟を開いて語ってくれるというプラスの面に働いたようである。
それにしても、人の人生は面白い、そしてまた人生が物語られるプロセスは、
私たちを惹きつけてやまない魅力をもっている。


2002年05月13日(月)
405, 新潟駅前界隈ー3  ー 駅前の変遷

駅前の変遷をいうと、10年前まではビジネス旅館とミニビジネスホテル、
そしてファッションメーカーミニ工場が目に付いた。
それがここ数年で殆どなくなった。

その反面、専門学校と予備校、そして1DKマンション
大型のビジネスホテルが眼につくようになってきた。
若者の比重がどんどん増えている。

飲食店がどういうわけか殆ど、増えていないし減りもしてない。
殆どスナックは行ってないが、感じでは4割がたは減った?
夜が以前と様変わり、客引きが多く立つようになっている。

新潟駅構内がセゾンとか専門店がどんどん増えて、集客力を増している。
駅に隣接して、APAの百数十室のマンションができ、
更に再開発ビルが完成しようとしている。
これが完成すると、感じが変わってくるだろう。

更にJRの高架の工事が始まる為、
当分はー20年近くは駅周辺はエネルギーが溜まる。

話しは少しそれるが、新潟は住みやすい街である。
仙台と長野が好いというが、新潟もそれに匹敵してよいだろう。
都会の好さと、地方のよさがうまく混合している。
また結構自然に恵まれている。

若者があまり東京に憧れを持たないのも、その為だ。
何処も住めば都か?

・・・・・・・・・
・・・・・・・・・

2001年05月13日(日)
図書館通い

毎週土日に一〜2回は必ず図書館にかよっている。大体好きなコーナーの好みの本は読んで
しまった。ただ好みが偏っているのが良くわかる。
自分の空間の1部になってしまっている。
1回に10冊かりる事ができるのが良い。その内1^2冊あたればよい。
その当たった本の中で買えばよいのだ。図書館も慣れてくるとなかなか良い空間である。
散歩に図書館に居酒屋に通勤の新幹線、そして会社のパソコンの前と自宅のTVが私の空間の
殆どを占めている!図書館は読もうかどうかのファジーの本を気楽に借りられるのが最大の
利点だ。これから出かけるところだ。


1135, 「ライフ・レッスン」−13

2004年05月12日(水)

 
 ー遊びのレッスン

 遊びは仕事とともにもっとも大事にしなくてはならないことである。
何のために働くのかと問われれば、遊ぶために働いてますと真から
答えることができ、何のために遊ぶのですかと問われれば仕事を
じゅうぶんできるために遊ぶのです、と答えることが理想といえる。

 遊びとはつかの間の気楽な時間ではなく、遊びのためだけに捧げられた、
じっさいの時間である。私にとって、この随想日記を書くことじたい遊びである。
遊びでなくては絶対に1000回も書くことは無理であった。

 散歩もわたしにとって、最大の遊びである。
初めは腰痛対策であったが、いつの間にか遊びに昇華してしまった。
歩いて楽しいのだ。

 晩年になって過去を振り返ったときに、あの時は良かったという記憶に残るのは
やはり無心で遊んでいた時であろう。それぞれの年代において、それぞれの遊びの中で
我を忘れて楽しんでいた時である。

ー抜粋
・われわれは趣味や遊びが何であるか忘れている。
家具つくりを趣味でしている人が、ある日突然「これを仕事にしよう」と思い立つ。
好きなことをして、それが仕事になれば、というかもしれない。
しかし趣味とは成果を気にしないで純粋に楽しむものである。
売るための家具をつくれば、もう趣味といえなくなる。
それは仕事である。そのことに気づかずに、好きなことを、純粋に楽しめないことに
ゆがめていく人が少なくない。

・おもしろくって、一日中でもやっていたい、本当に好きなことを
やらずに、欲求を最大限おさえて生きていくなんて、何ておぞましい
人生だろう。遊びにかけているサファーを、われわれは並以下の人間に感じる。
しかし、真剣に問われるべきは、われわれの大半が遊びのない世界に住んでいる
のは何故かということだ。

・自分自身に上質な時間をあたえてほしい。
愛する人とすごす上質な時間が必要だということを、誰もが知っている。
ところが、自分だけのための、ひとりですごす上質な時間もまた
必要なのだ。ひとり取り残された時間でも、気がついたらひとりになっていた
でもなく、純粋にひとりを楽しむ時間が一番大事だということを知って
ほしい。


   ・・・・・
 
 ー以前書いた文章
 
 ー遊びについて

人間にとって「遊び」は最も重要の一つである。
そこで「遊び」とは何かを考えてみよう。

まずその達人を事例で考えてみる。
一番身近では母がそのプロ?であった。

戦前、戦中、戦後の動乱期に10人の家族が生きていく中で、
父とともに苦労の連続であった。そして長男、次男の連続の
不幸な死で今の重症のノイローゼーなった。
心筋梗塞、死の一歩の手前までいった。
亡くなった時、医師の要望で心臓を解剖したら、心臓の4分の1が壊死していた。

それを乗り越えた後は、それまでのエネルギーを遊びに全て向けていった。
約40年近く遊びきって亡くなった。
日本舞踊、短歌、お花、旅行、茶道、写真。
毎日いそいそと何か遊びを見つけ楽しんでいた。

子供ながらに、そのエネルギーに感心をしていた。
遊びの重要さもそのため学んだ。
父は「働く人」、母は「遊ぶ人」と役割分担がハッキリしていた。
ただ父も仕事の合間に、結構遊びを作っていた。

「遊び」を儒教的影響の為か、キリスト教的倫理観の為か、
罪悪と教えられてなかったか。
子供のころ誰もが、毎日目を光らせて遊んでいた。
ただただ無心に遊んでいた。
あの遊びをいつの間にか我々は忘れてしまった。

人間は生きていかなくてはならない。
その為に働かなくてはならない。
競争に打ち勝たなくてはならない。
その為に勉強もしなくてはならない。

しかしそれだけでは、それだけの人生だ。
それがクロなら、その対象の白が必要になる。
どちらが大事かでない、どちらも必要なのである。
それを特に母の生き様から学んだ。

一般的にいうと、遊びの優先順位があまり高くない。
どうしてだろうか、やはり生活をしていかなくてはならないからだ。
そして厄介な不安という心理がある。
その為に、お金をセッセと溜め込まなくてはならない、「馬鹿な?生き物」である。

遊びとは、「好きな事をして、それを楽しむ事」をいう。
そうすると、仕事も遊びになりうる?
天才はその典型であろう。

あの子供の時の遊びを我々は忘れてしまった。
何でも遊びの対象にした「遊び心」を。
純真の心を失っているからだ。
「純真な遊び心」をいつの間にか忘れてしまった。

「遊んでないで、笑ってないでもっと真面目にやれ!」
と暗示をかけられてないか?

私の趣味の一つにウオーキングある。
初めは腰痛対策であった。今は大事な趣味ー遊びになっている。
純真に楽しいーヽ(^o^)丿(^^♪!(^^)!(#^.^#)(*^^)vのである。

その中に純真な遊び心が躍動を始める。
何々のためにといった場合は、遊びでなくなる。
それを乗り越え、純真な遊び心になった時点で「遊びに昇華」する。

パソコンもそうだ、このホームページもそうだ。
そこまで持ち上げる必要性を人生で学んだ。
「遊びになるまで集中する」という事か。

これから散歩だ!

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 2002/01/05

 一人遊び

孤独に強い人、一人遊びができるかどうかにある。
一人で楽しみを見つけ・・・、書いていて気がついた、
それって「お宅」でないか。似ているがやはり違う。

それは一人遊びのできない人が表面を見て、いっているのではないか?
結局中途半端のそれをいうのではないか?
字のとおり、部屋に引きこもって自分の殻にこもった状態をいう。

山登りや釣りはやらないが、これなど一人遊びの典型である。
別にそれをお宅といわない。
読書好きの人もお宅といわない。

自分の強みは孤独に強いことだ。人に何かを求めないこと、求めても
そこに何もないことを、経験上知っているためだ。
結局人間最後は一人だ。そこでボールを一人でバウンドさせていくしかない。
そうしていれば、人が面白そうと自然に寄ってくるものだ。

「禅」とは、その修行によって、字のとおり単(一人)ということを示すことだ「示単」。
これはある有名な禅僧から直接聞いたことだ。
そこで自分の好きのことを見つけ、それを楽しむことから始めなくてはならない。
その積み重ねが個性を作る。

ノイローゼになる人をみていると、これができない人だ。
常に人に何かを求めているか、頼っているからだ。

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2003年05月12日(月)
768, 規制緩和

 この国が狂っているのは誰もが解っている事である。
たまたまホテル業界は全くの規制がない世界であった。
その事が今になってみれば自分をすくうことになっている。
ホテルは完成した時がベストの状態で、必ず右下がりになっていく装置産業といってよい性格がある。
そこにもし規制があって、解除されたら後発の装置に対応ができない。

 小売業をみてみると、過去に存在した大店法が流通業界そのものの脆弱な体質をつくった。一店舗を出店するのに多くの規制がある。
そのために業界は出店が自由に出来なくなり、競争が最小になって
しまっていた。
既存小売店を守るためというより政治家と役人の?意味合いが
強いものであった。
ところが実際は既存の大手チェーン店の利益を守るものになってしまった。
それがダイエーやニチイや長崎屋の間接的な弱体化の要因になった。
現在西友の買収というカタチで、アメリカのウオルマートが進出をしてきたが、ジャスコとヨーカ堂が合併しても太刀打ちできない事は自明である。

規制ー許認可緩和が、いま日本が直面している典型的な基本の問題である。
その規制で権力と利益を得ている役人と政治家が、今だに権力に執着しているのが現状である。
それでも酒屋・タバコ・ガソリンスタンド・米屋などアメリカの圧力で規制緩和がなされている。既存の業者は壊滅状態である。
今でも多くが利権保持の圧力団体からの票と献金で規制緩和が維持されている。それがこの不況の一つの原因になっている。

 経済を多くの規制でコントロールしようというのは、社会主義的規制社会である。大きな政府になりざるを得ないのである。
しかし情報化社会はグローバル化を止める事はできない。
それは自由化、競争の激化をいみする。
それに対応するには競争力をつけるしかない。
規制社会はその力をそぎ落としてしまう。
その為には規制緩和をするしかない。
いまの自民党を中心とした政府を潰さない限り不可能である。
野党を中心とした政府になっても大して変わらないだろう。
しかしこの失われた10年を考えてみると、政府が何回か交代をする必要
であったのだ。他人事ではないが、新陳代謝が国も会社も個人も必要である。

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2002年05月12日(日)
404, 結婚と離婚ー3 −夫婦というもの-

人生の永遠のテーマの為か、過去に多くのエピソードが多くのこっている。
まずはソクラテスの妻は悪妻で知られている。
「哲学者になりたかったら、悪妻を持て」というジョークがある。
徳川家康の築山御前は、愛人と謀反を企て殺された。
あと息子も殺してしまった。

夫婦の間には、永年の間に底なしの泥沼になってしまう。
一時の熱で、一生後悔の人生を過ごさなくてはならないのは、
悲劇より喜劇といってよいのかもしれない。

それが解ってたら誰も結婚をしないから、
「恋愛という高熱の麻痺」を神が創りあげたのだろう。
誤解で結婚をして理解で離婚するのが、夫婦のある一面かもしれない。

といって一生の連れ添いは必要である。
やはり生きていくうえでなくてはならない存在である。
特に離婚した人や死に別れをした人を見ていると、そう感じる。

やはり家庭ーそれも夫婦という基本形は大事にしなくてはならない。
しみじみ感じる年頃になってきたということか!
「また生まれたらもらってね!」といって知人の奥さんが亡くなった。
いい言葉だ。

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  2001年05月12日(土)
 新潟木鶏クラブ

 新潟木鶏クラブを創立13周年経った。
 1・この会は‘到知’という月刊誌の愛読者が隔月ごとに会合を開いている。
 2・奇数月の第二土曜日(16  時〜19時)大体10人前後出席。ー会員は20人位ー 
 3・共通の雰囲気があり、身近の因縁を超えた接点ー業種・職業をこえた視点の多様性ーが
  持てる事が最大の利点である。
 4・利害を超えた友人がほしい人とか、あたらしい視点世界を求めている人にぴったりです。
 5・場所はシングルイン新潟の予約センターです。全国に支部があり新潟県には
  新潟、長岡、柏崎,上越にあります。会社社長、コンサルタント、僧師、学校の先生、
  気功の先生、サラリーマン等々異色の人が来ています。
 6・年れいは30〜70歳まで幅があります。女性常時2〜3名は出席しています。   
 7・1時間もしないうちにアルコールも出て、かなり伯仲した議論になります。
  13*6=78回開かれ1度も中断した事はありません。
 
  続けているとけっこう面白い知識を得る事が出来ます。
 5年を目安にはじめたのが気がずいた時13年たっていました。
 到知という雑誌と木鶏クラブから本当に13年得る事が多かったつくずく思います。
 到知という雑誌も読んでいるハッとする事が度々だ。


1134, 「空間歩行」

2004年05月11日(火)



・学生時代、「合気道」に二年間近く熱くなったことがあった。
住んでいたところが合気道の本部に近かったこともあり、本部に一年通った。
創業者の植芝盛平の姿も何度か道場で見たことがあった。

合気道でも柔道でも、基本は受身である。
転びかたや受身を徹底的に教えられる。
「転びかたは、起きることを意味する」のだ。
ボクシングも、殴り方よりまず防御などの受け方を叩きこまれる。
負け方ということを知らないと、恐れが先立ってしまう。
戦前の日本の姿がそれであった。負けは勝ちの背後になくてはならないのだ。
武蔵は自分の弱さ限界をしっていた、勝つことより負けないことを考えて
戦略をたてて闘った。勝負師はそれを知っている。

話は変わるが、柔道の三船十段の「空間歩行」というのが意味深である。
ー土や畳の上を歩くから倒される。ならば、土や畳の上を足で歩かず、腰で歩けばよい。
重心が腰にあるから、足で払われても倒れない。相手の足と自分の腰が同じところに
意識があるから当然倒れないのである。
つまり、「空間歩行」である。
ー物理的な空間でなく意識的な空間をいっている。

ここから更に、相手の倒し方に話になるが、内容が濃くなる。
「私は足で歩かないから、体を持ち上げられて足が地から離れても、どうされても、
腰が体を支配しているから何ともない。つまり倒れるということは頭が下がるという
ことです。だから相手を倒すにも、地面へ投げることばかり考えないで、上へあげる。
その結果は落ちる・倒れるということになるのです」
ー相手を倒そうとするのではなく、自分の腰と相手の足と同位置まで相手の重心を
上げておいて、その次に落とすと、相手が倒れる。
 ここまで考えるのに、一日かかったが


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2003年05月11日(日)
767, 不動産屋と喩え

 不動産屋は情報産業そのものである。
暴力団も情報産業の典型と聞いたことがある。
強請りのネタを見てけて陰湿に脅しをかける裏情報産業とか、
このテーマとは関係ないが。
財産の大きい部分を占める不動産の移動を手伝いをするサービス業であり、
住居の貸して借り手を紹介するサービス業でもある。
この不動産業業者に特性がそれぞれある。

 野球のバッターに喩えると解りやすい。
ホームランバッタ−、ヒットバッター、バンドバッター、ピンチヒッターとか
それぞれが専門化されている。
その組織の中でも、この人はホームランバッター、バントとか役割がある。
・ホームランは大型物件の売買をいう。100億の物件ならお互いから4〜5億の
手数料が入る。
しかしこういうチャンスか長時間かけてじっくり獲物を待つしかない。
・アパートなどの賃貸専門はバンドバッターである。
一年で100件の仲介をしても、8万平均でも800万
10年でも8千万でしかない。それも色いろな苦情もアフターフォローで
必要になってくる。
・住宅の売買手数料は2塁打というところか。

 街の不動産屋は奥さんがヒットとバンド専門で、旦那が長打を狙う。
彼等は意識しようがしまいが、その情報で飯を食べている。
彼らの中にはトンビという役割役もある。
自分のテリトリーの中を暇に任せて回って餌ー情報を捜す。
お客の中には餌だけをとって逃げる奴もいる。
しかし、不動産屋仲間ですぐに情報が流れ情報は一切流れなくなる。

 さっき述べたが、それぞれ自分の得意技を持っていて、情報という餌を捜し回る。
株屋と組んで、株をやりたそうだとかの情報を仕入れると、株屋にその情報を流す。
その見返りに確実に利益の取れる転換社債の売買で利益を得る。
調子がよくって、ボケたふうにとぼけて近づき一番の情報を取る。
以前の保険屋の世界に似ている。

漁業にも喩える事ができる。
近海漁業、遠海漁業。
一本刷りに川釣り、海釣り
男女のお互いの獲得の方法論と同じだ。

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  2002年05月11日(土
結婚と離婚ー2
    −夫婦というもの

お互いの性格の違いや、育ってきた環境が違ううえに、
さらに互いの舅姑や小姑という人間関係が絡んでくる。
それを考えると結婚が上手くいく確立が50佑箸いΔ里癲
肯ける。

その人間関係の縺れを、常に話し合いで解いていかないと、
どうにもならない状態に陥ってしまう。

夫婦間の争いは、動物的ないや生物的な二匹の権力争いそのものだ。
これがいい過ぎなら,主導権争いといってよい。

そもそも出発点にお互いに惹かれるのは、
自分のない部分を相手に求めるからだ。
上手くいっているうちはいいが、歯車が狂うと、
それが逆に全く性格の不一致になってしまう。

家庭は本来は子供を育て上げる‘場’である。
「すまい」は鳥の巣から語源が来ているという。
そして最終的にそれが崩壊していく‘場’でもある。

最近、間接的に知っている人の70歳近くの両親が離婚したという。
40年間どういう人生を過ごしてきたのだろうか?
人生の悲鳴が聞こえてきそうだ。
人類最大の課題である。

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2001年05月11日(金)
連休あけの顧客動向

連休あけの出だしはその期の売上ー景気動向を図る意味でおおきい目安になる。
悪い!先行き不安の出だしである。どうなっているのだろう?今期と来期は競馬と
サッカーで一応目安はたつているが、それにしても今週は悪い。ここで各会社が益々
経費節減を徹底してきたのだろう。新幹線も今週はひっそりしていた。ここで大型
倒産が出るだろうと思っていたが出なかったのも無気味だ。


1133, 中坊公平氏の「後輩に与える言葉」

2004年05月10日(月)


正義感から強引に詐欺的な債権を取り立てて、逮捕直前までなって消えていった、
弁護士の中坊公平氏は誰がみても真っ当な正義の人であった。

その彼の「後輩に与える言葉」が素晴らしい。
一、正面の理
二、側面の情
三、背後の恐怖

人生で前向きで生きていこうとした時に直面する正直な気持ちである。
考え抜いた彼の言葉であろうが、背後の恐怖という正直な表現がよい。
これが正面の理も、側面の情も、強くしてくれるのだ。

過去のどの場面をとっても、結局はこの三つのバランスの上で成り立っていたように
思える。現在でもまったくおなじ状況といってよいのだ。

人生は突きつめれば、背後の恐怖の死が待っている。
そこに哲学としての正面の理が出てくるし、側面の情念が色濃く囲むのだろう。

私なりに、これを人間的弱さに言い換えると
一、正面の利
二、側面の状(況)
三、背後の恐怖、

になるし、これが一般の人間の姿であろう。
経営も、そのものずばりである。

・・・・・・・・・
2004年05月03日(月)
1126, 「ライフ・レッスン」−9

ー恐れのレッスン

秘境ツアーに行きはじめた当初、出発前のプレッシャーは相当のものだった。
その恐怖感と不安感の波を乗り越えたさきの、すばらしさが直感できたからこそ、
恐れを乗り越えることができた。

初めてアフリカに行った時、10年のベテラン女性ツアーコンダクターも不安で、
震えていた。先輩に『天国と地獄がある』と脅されたきたという。
インドの時も、タンザニアの時も、南米の時も、恐怖感の山であった。
しかし一度飛行機に乗ってしまえば腹が据わる。
そして実際現地にいってみると、恐れの殆どは無知からの妄想でしかないことが判る。
いまでは、そのプレッシャーも料理の味付けとわりきっている。

恐れのプラス面は
万一に備えて、こころの準備と、持ち物の準備、情報の準備のエネルギー源になることだ。
未来を思い煩うなかれ、過去を悔やむなかれ。
いまに挑戦し、いまに生き、いまを見つめ、いまを味あうことだ!
人間ができることはそれしかない。

積極とは、極みを積むことである。
極みは、自分の限界のラインにたつことである。
積極とは、その先の経験にチャレンジすることである。
そこには、恐れのレッスンがある。
恐れは自分の壁に対する自分自身のレッスンになる。

すべてがレッスンと思うことは、世界を広くしてくれるし、
こころを上からみる魂の視点になる。

ー抜粋ー

・人生がわたしたちにあたえるものの多くは、恐れや心配などの前兆なしに、
いきなりやってくる。恐れが死の進行をとどめることはない。恐れがとどめるのは
生の進行である。
大部分の人が考えている以上に、わたしたちの人生の多くは
恐れとその波及効果への対処に費やされている。

恐れはすべてをさえぎる影である。
愛、真の感情、幸福、そして存在そのものが、恐れの影にさえぎられている。
私達は恐れのなかで育ち、未来にみえるのは恐ればかりだ。
しかし、恐れていることの何パーセントが、実際におこるのか?
ほとんどはおこらないのだ。

それにもかかわらず、多くの人の人生が危惧や心配や恐怖に支配されている。
だからこそ保険会社は、人々の危惧の大半がただ幻想であるという可能性に賭け、
その賭けに勝って、毎年、数十億ドルという利益を上げている。
掛け率からいえば、人生はけっしてそれほど低いものではないのだ。


・人生で経験する感情には、幸福、恐れ、喜び、恨みなど、さまざまな
ものがある。しかし、そのずっと底のほうの、人間の核になる部分には、
愛と恐れという二つの感情しかない。
あらゆる肯定的な感情は愛から生まれ、あらゆる否定的な感情は恐れから生まれる。

愛は幸福、満足、平和、よろこびがわきあがり、
恐れからは怒り、憎しみ、罪悪感がわきあがる。
基本的な感情は愛と恐れの二つしかないことは確かであり、両立しない
のが特徴である。
愛と恐れはまったく同時に感じることはできないのだ。
愛を感じているときは恐れを感じることはできず、
恐れを感じているときは愛を感じることはできない。

ーーーーーー
【-恐怖について-】-

・恐怖と勇気がどんなに近くに共存しているかは、
敵に向かって突進する者が一番よく知っているであろう。
                −モルゲンシュルテン
・船は水よりも火を恐れる。
                −西洋の諺

・恐怖はつねに人間の中に何か正しくないことが生じた徴候である。
恐怖は、苦痛が肉体に対して果たすのと同様に、精神に対しても貴重な警告者の
役目を果たす。
                −ヒルティ

・何も知らざる者は何も恐れず。
                ーイタリアの諺
・恐怖は残酷の両親である。
                −フロード

・恐怖には、恐怖に対する恐怖というものしかない。
                ーアラン

・苦痛には限度があるが、恐怖には限度がない。
                ープルニウス

・遠くにいると恐怖を感じるが、近くに迫るとそれほどでもない。
                −ラ・フォンテーヌ

・恐怖は常に無知から発生する。
                −エマーソン

 

・小心者は危険の起こる前に怖れる。臆病者は危険の起こっている間に怖れる。
大胆な人間は危険が去ってから怖れる。
                 −ジョン=パウル

・自分にまったく縁のない環境で暮らすほど恐ろしいことは、     
 この世の中にまたとあるまい。
                 −ドストエフスキー

・濡れているものは雨を恐れない。裸の者は盗賊を恐れない。
                 ーロシアの諺

・恐怖の魅力に酔いうるものは強者のみ!
                 −ボードレール

・恐怖は愛より強き感情なり。
                 −プリニウス二世

 ・希望と怖れは切り離せない。希望のない怖れもなければ、怖れのない希望もない。
                 −ラ・ロシュフーコー


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2003年05月10日(土)
766, いまスナックでおきていること

 いま人気の店は、とにかく安い店である。
・代替わりの居抜きの店を、家賃半額でそのまま引き継いだ店である。
・近くの店のホステスがママになって、値段を半額近くで売っている。
・若いアルバイトをピーク時間に合わせて、短時間で、高給で、
 きめ細かく回している。
 
 大体基本が、このパターンである。
以前も書いたが銀座ママのホームページをみたら、銀座クラブの価格破壊を
売りにしていた。値段が銀座相場の三分の一であった。
商品価値を落とさずに如何にコストを下げるかを考えぬかなくては
不可能な事だ。

 以前よく通っていたスナックが潰れそうだという噂が入ってきた。
その店はバブル期に小さな店から表どうりの家賃の高い?ビルに
高級店?を開いた。それ以来ほとんどいかなくなった。
やはり高くなったので、それまでの常連客に逃げられてしまったと
他の店のママが言っていた。

 5〜6年前に古町のよく通っていた店から、閉店の挨拶の葉書が来た。
半年後に店の前を通ったところ、店がそのままあった。
てっきり代替わりをしたと思っていた。
私の知人で飲食コンサルタントに聞いたら
「実をいうと最終日にその店に行った。そこで何故止めるのか聞いたところ、赤字になってきたのでやめるという。経費を聞いたら家賃が半額なら何とかやれそうであった。そこで駄目もとでオーナーに交渉してみたら!」
と進言したという。
ところがオーナーがその条件をのんだので、そのまま営業を続けているとのこと。エレベーターが無いビルの3階にあり、半額でもテナントが
入りそうもない場所だったので、条件をのみざるを得なかったのだろう。

初期投資をいかに少なくして、ランニングー営業コストを下げて、値段を安くした店にお客が行く。スーパーでも家電チェーンも全く同じである。

私が見ていてこうすれば良いのにと思うのは
ー90分で男2500円、女2000円。その後30分単位で500円をプラスする。
それを何気なく値段を表示しておく。
そして一人でやれる範囲にしておく。
もちろん居抜きの安い物件を焦らずさがすことだ。
これは業種より業態への転換である。
そのために如何したらよいか商品ー酒・ツマミを組み立てる。

これがなかなかできないが、実際やっている店がある。
 スナック談議の一節!

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・・・・・・・・・

 2002年05月10日(金)
402,結婚と離婚

現在離婚は4組に一組という。
家庭内離婚も半分?はその状態という。
そうすると上手くいく結婚の確立は(相性)は、
五分五分ということになる。厳しいことだ。
やはりこの世は不幸で満ちているのか?
そうとも思えないが。

私達はまあ上手くいっているうちだ。
そうでなくては海外旅行を一緒に24回もできない。
旅はカスガイの部分があるが。
旅行は8日から15日間にわたり24時間一緒だから厳しい。
お互い同行者と割り切り、一線を引いておく事だ。

私の場合の結婚生活で守っている事は
・お互いある一線を越えないこと。
 (浅くて広い川があるー溝ができようがない)
・外部のごたごたは絶対に持ち込まない事。
・会話を絶やさない事ーお互いの話しを聞く事。
・長女と末っ子の組み合わせが良かったが、その特性を生かす。 
 結果として、長女的視点で(一段上の視点)見守ってもらう。
・美点凝視。

スナックのママなどは、離婚経験者が多い。
みていると一人で生きていくことは本当に大変だ。
知人でも何人かその経験者がいるが、そう甘くはない。
特に長期連休など、何の取っ掛りがなくなり、
孤独地獄に落ちてしまうらしい。
あとは女1人、男社会で生きていくのはそう甘くはない。

考えてみれば、人生の一番の難題かもしれない。
でも乗り越えなければならない難題である。
ある姉が言っていた「結婚は一生の大事業だ」

相性の悪いのもどうしようもない事だが。

・・・・・・・
・・・・・・・

 2001年05月10日(木)
お勧めホームページサイト

お勧めサイト
まずナンバー1は野口悠紀雄氏のhttp://www.noguchi.co.jp/である。
次が久垣啓一のhttp://www.hisatune.netである
三番目は立花隆の本の世界―http://ttbooks.com/である。
この3つの世界がインターネットとホームページに対して全く新しい
世界と可能性にきがついたきっかけとなった。‘インターネット超活用法―野口悠紀男’
と、‘自分を高めるインターネット勉強法―久垣啓一’ヲ読んで さっそく覗いて
その便利かつ素晴らしい内容に感化された。ぜひぜひごらんください。
野口悠紀雄氏のアクセスナンバーは私か斎藤副支配人に連絡ください。
ここで書いてもし訴えられたら事ですので。

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・・・・・・・・

<おわらい>

世界で最も楽しく暮らすには・・・

アメリカの給料で暮らし、

中国の料理を食べ、英国の家に住み、

日本の女性を妻に持ち、ドイツの車に乗り、

イタリアの服を着て、フランスでバカンスを楽しむ。

 

世界で最もひどい生活を送るには・・・

中国の給料で暮らし、

英国の料理を食べ、日本の家に住み、

アメリカの女性を妻を持ち、ロシアの車に乗り、

北朝鮮でバカンスを楽しむ。


1132, 「ライフレッスン」ー 12

2004年05月09日(日)


 ー 幸福のレッスン
 
 不幸論なら書けるが、幸福論となると何か書きつらいものだ。
幸せ感なんてものは、一時の気分でしかないと思ってしまうからだ。
といって幸せを意識して求めてないと、その時間を知らないうちに過ごしてしまう。
また、せっかくの幸せを得る機会を失ってしまうことも事実である。
ハッピーはハプニングが語源という。
偶然におきた中に幸福を見出すセンスをいうのだ。
良い偶然を得たことを喜ぶ気持ちと感謝である。
考えてみたら、生まれてきたことも、いまあることも偶然?である。

後にある抜粋の、一番初めの「幸せを私たちは、不自然と感じ、それに値しないと
思い込むように子供の頃から洗脳されている」のかもしれない。
しかし、幸せ感を得ようとするなら、少しの訓練があれば、誰でも可能である。
心の底から「ありがとう」と言えているときが幸せなのである。
 
 幸せの格言の中にも多くの幸せに対する示唆がある。
「幸福人とは過去の自分の生涯から満足だけを記憶している人々であり、
不幸人とはそれの反対を記憶している人々である。」という萩原朔太郎の言葉が
真髄をついている。それは、訓練でも可能になるのだ。
いま私が実行していることは、マイナスの気持ちや言葉が出てきたとき、
自動スイッチとして「ありがとう」という言葉を繰りかえしていうことにしている。
お陰で「ありがとう」という言葉を繰り返しいうことになってしまった。

知人に万年欝の人がいるが、過去の生涯の嫌なことだけを記憶している人である。
よく記憶していると感心するくらい憶えているのだ。
むしろ不幸にいることが、自分の存在意義であるようにさえおもえる。。
やはり基礎的な知識を持ってないからであろう。
それだけ深い心の傷をためこんでいるいるのだろう。

「愚人は終夜睡眠し、昼間は交際を楽しむ。いったい、苦悩を消滅するのは
何時のことか」という言葉もあるが・・。

 
 ー抜粋ー「ライフ・レッスン」

・幸福は人間の自然の状態なのだが、わたしたちは不幸な状態に安住するように
訓練されている。わたしたちは幸福になれてないのだ。
せっかく幸福の状態にあるのに、それを不自然と感じ、それに値しない人間とおもってしまう。
だからこそ、幸福の状態をいいことだと感じる訓練や幸福になる為の訓練が必要になる。

・幸福になるか不幸になるかは、周囲におこることによって左右されるのでなく、
おこることにどう対処するかによって左右される。
おこっていることをどう解釈し,どう了解し、こころにどう対処するかがその人の
幸福を決定するのだ。
そして、ものごとをどう了解するかは、その人がものごとのかかわり方によって決まる。
ものごとからレッスンを学び、ものごとと自己との真実を想起するバランス点はそこにある。
ものごとのや相手の状況の最悪の側面をみる傾向にあるか、最良の側面をみる傾向があるか
によって、事態は大きく変わる。
最良、最悪、いずれの側面をみるかの傾向も、その人のなかで育ち、大きくなる。

・不幸への最短経路は、ものごとを比較することにある。
比較というこの自己破壊な行為には、しかも、比較する他者さえ必要でない。
過去または未来の自分と比較するだけで,おなじ惨めさが味わえる。
ところが幸福は、だれと比較することもなくて、いまここで、ありのままの自分を
「これでよし」と感じるところからやってくるのだ。

・人は矛盾のかたまりである。つねに『もっと』を望みながら、一方では、
あるがままの自分をうけ入れ,愛そうとしている。
自分が霊的な存在でもあることを知っていながら、世俗的な経験が織りなす現実を
受け入れようとしている。
苦しみながら、一方で苦しみを乗りこえようとしている。
わたしたちは多いものと少ないものの、優れたものと劣ったもの、足りないものと
豊かなもの、大きいものと小さいものに満ちた世界に住んでいる。
その両極に気づいたとき、わたしたちは以前より豊かになる。
宇宙の中のわたしたちという部分はつねに、みごとにバランスを保っている。

・・・・・・・・
・・・・・・・・

ー幸福の格言

・コロンブスが幸福であったのは、彼がアメリカを発見した時ではなく、それを発見しつつ
あった時である。幸福とは生活の絶え間なき永遠の探求にあるのであって、断じて発見にある
のではない
                  − F.M.ドストエフスキー

 ・人間は、死、悲惨、無知を癒すことができなかったので、
自己を幸福にするために、それらを敢えて考えないように工夫した。
                  −パスカル「パンセ」

・自分の仕事を愛し、その日の仕事を完全に成し遂げて満足した。
――こんな軽い気持ちで晩餐の卓に帰れる人が、世の中で最も幸福な人である。
                  ーワナメーカー

・幸福の秘訣は、自分がやりたいことをするのではなく、自分がやるべきことを好きになることだ。
                  ージェームズ・バリー

・幸福は対抗の意識のうちにはなく、協調の意識のうちにある。
                  ージイド「文学と倫理」

・私達は踏みなれた生活の軌道から放り出されると、もうダメだ、と思います。
しかし、実際はそこに、ようやく新しい良いものが始まるのです。
生命のある間は幸福があります。
                  −トルストイ

・人は幸福を探し始めると、たちまち幸福を見つけられない運命に陥る。
しかしこれには不思議はない。幸福とは、あのショーウィンドウの中の品物のように、
好きなものを選んで金を払えば持って帰れるというものではない。
                  −アラン

 ・我々は、我々の幸福を我々の外部、他人の評判のうちに求める。
他人はみな軽薄かつ不公平で、嫉妬、気まぐれ、偏見に満ちていることを百も承知なのに、だ。
                  −ラ・ブリュイエール

・人生における無上の幸福は、自分が愛されているという確信である。
                  ーユーゴー

 ・こいつが最初三十分ばかりの幸福なら、財布をはたいてでも買ってやるところだよ。
だがね、生涯つづく幸福!これには到底耐えられないね。この世の地獄だ。
                  ーバーナード・ショウ

・幸福は小鳥のようにつかまえておくがいい。できるだけそっと、ゆるやかに。
小鳥は自分が自由だと思い込んでさえいれば、喜んでお前の手の中にとどまっているだろう。
                  −ヘッベル

・不幸な人は希望をもて。幸福な人は用心せよ。
                  −ラテンのことわざ
 
・一生の仕事を見出した人には、ほかの幸福を探す必要はない。
                  ーカーライル

・今この瞬間にあなたが無常の喜びを感じていないとしたら、理由は一つしかない。
 自分が持っていないもののことを考えているからだ。
 喜びを感じられるものは、全てあなたの手の中にあるというのに。
                  −アントニー・デ・メロ

・幸運がもたらされても、その全てを使ってはいけない
                   ーコンフューシアス

・自分自身を幸福だと思わない人は、決して幸福になれない。
                   ーサイラス

・幸せを語りなさい。あなたの苦悩を除いたところで、世界は悲しみに満ちているのだから。
                   −オリソン・スイート・マードン

・我々は、幸福になるためによりも、幸福だと人に思わせるために四苦八苦しているのである
-ラ・ロシュフーコー
・人間の幸福の二つの敵は苦痛と退屈である。
-ショウペンハウエル

・人間はあらゆるものを発明することが出来る。ただし幸福になる術を除いては。
-ナポレオン

・幸福人とは過去の自分の生涯から満足だけを記憶している人々であり、
不幸人とはそれの反対を記憶している人々である。
-萩原朔太郎

 ・一日だけ幸せでいたいならば、床屋にいけ。一週間だけ幸せでいたいなら、車を買え。
一ヶ月だけ幸せでいたいなら、結婚をしろ。一年だけ幸せでいたいなら、家を買え。
一生幸せでいたいなら、正直でいることだ。
                   ー西洋の諺

・幸福というものは、一人では決して味わえないものです。
                   −アルブーゾー
・幸せは去ったあとに光を放つ。
                   −イギリスの諺

・幸福は婦人に似ている。若い者を好み、移り気だ。
                   −ドイツの諺

・幸福――他人の不幸を眺める事から生ずる快適な感覚。
                    ービアス

・幸福の最も大きな障害は、過大な幸福を期待する事である。
                    −フォントネル
・何も知らぬことは最も幸福である。
                   −西洋の諺

・「人間最高の幸福とは何か」「幸せに死ぬことだ」
                    ーアンティステヌス

・我々は他人が幸福でないのを当たり前だと考え、
 自分自身が幸福でないことにはいつも納得がいかない。
                    −エッシェンバッハ

・幸福とはそれ自体が長い忍耐である。
                    ーカミュ

・王様であろうと百姓であろうと、自分の家庭で平和を見出す者が一番幸福な人間である。
                     −ゲーテ

・幸福になる秘訣は快楽を得ようとひたすらに努力することではなく
 努力そのもののうちに快楽を見出すことである。
                    ージイド

・どうにもならないことは、忘れることが幸福だ。
                    −ドイツのことわざ

・人間の幸福は、決して神や仏が握っているものではない。
自分自身の中にそれを左右するカギがある。
                   −エマーソン

・幸福な家庭の顔はお互い似かよっているが、不幸な家庭の顔はどれもこれも違っている。
                   −トルストイ

・他人の幸福をうらやんではいけない。なぜならあなたは、彼の密かな悲しみを知らないのだから。
                    ーダンデミス

・幸福であるだけでは十分ではない。他人が不幸でなければならない。
                    −ジュール・ルナール

・人はつねに自分の幸福を望むものだが、
つねに幸福を見分けることが出来るわけではない。
                    ールソー

・幸福がこの上なく大きい場合には微笑と涙が生まれる。
                   −スタンダール
・愛することと愛されること。
 それより大きな幸福なんて、私は望みもしないし知りもしませんわ。
                   −モラティン

・幸福の便りというものは、待っている時には決して来ないものだ。
-太宰治

・私たちが愛する人々の幸福を願うのは当然である。
だが、自分達の幸福を棄ててまでこれを願うべきではない。
-バートランド・ラッセル
・幸福はまず何より健康のなかにある。
-G・W・カーチス

・誰もが幸福についてしゃべる。しかしそれを知っている人はほとんどいない。
                −マダム・ジャンヌ・ローラン

・幸福は我が家の炉辺で成長する。そして他人の庭先で摘み取るべきものではない。
                 −ジェロルド

・幸福は身体にとってはためになる。しかし精神の力を発達させるものは悲しみだ。
                −マルセル・プルースト

・幸福になりたいのだったら、人を喜ばすことを勉強したまえ。                                −M・プリオール

・幸福であろうと思えば、「こうでさえあったらなあ」という言葉をやめて、
その代わり、「今度こそは」という言葉に変えなさい。
                  −スマイリー・ブラントン

・幸福だから笑うわけではない。むしろ、笑うから幸福なのだと言いたい。
                   −アラン
・楽しい顔で食べれば、皿一つでも宴会だ。
                   −ブルデンチウス

・どうか僕を幸福にしようとしないで下さい。それは僕に任せてください。
                −アンドレ・レニエ

・他人を幸福にするのは、香水をふりかけるようなものだ。
ふりかけるとき、自分にも数滴はかかる。
                ーユダヤの格言

・寝床につくときに、翌朝起きることを楽しみにしている人は幸福である。
                ーヒルティ

・ある人たちにとっては幸福なことが、他の人たちにとっては不幸なのだ。
                ーラディゲ

・未だかつて、自分は本当に幸福だと感じた人間は一人もいなかった。
 もしそんなのがいたら、多分酔っぱらってでもいたのだろう。
                ーショウペンハウエル
          人生は酔っぱらっているようなもの?

・砂漠が美しいのは、どこかに井戸を隠しているからなんだよ。
                −サン・テグジュぺリ
・幸福とは幸福を探すことである。
                −ジュール・ルナール

・目の見える人間は、見えるという幸福を知らずにいる。
                ージッド
・幸福は夢にすぎず、苦痛は現実である。
                −ボルテール

・人は幸運の時は偉大に見えるかもしれないが、真に向上するのは不運の時である。
                −シラー

・本当に僕は幸福でした。もし快楽が幸福であるならばね。
                ーワイルド

・幸せでありたいというのか。まず苦悩することを覚えよ。
                −ツルゲーネフ 

・少しの悲しみもない純粋な幸福なんて、めったにあるものではない。

・世の中には幸福も不幸もない。ただ、考え方でどうにでもなるのだ。
                   −シェークスピア

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2003年05月09日(金)
765, 流砂の民

 いま中国を中心にSARS が猛威をふるっている。
誰かが「これはソ連のチュルノブイノである」と言っていた。
なるほど、そうなる可能性が大である。
孫文が中国人のまとまりのなさを喩えて流砂の民といった。
つかんでも手の指の間からサラサラと落ちていく。
今までの共産党は、むしろ中国の発展のためにプラスに働いた。
ところがこのSARSで、その体制がソ連の崩壊と同じ道を
たどるのではないかという指摘は的をえている。
いまの中国を頭の一部だけ赤い丹頂鶴に喩えたのも面白い。
あの磐石に見えた中国はこれをきっかけに、国として激動期に入る。
恐ろしいことである。
 
 昨日のニュースでWHOが死亡率が7佑ら14〜5佑暴だ気靴拭
65歳以上だと50佑箸いΑ
子供がかかるケースが少ないことも不思議な現象である。
この成り行きによって世界は大恐慌に入る可能性がある。
ホテルなど誰が泊まっているか解らない。
もしSARSの患者が出たら、ホテルとして即死−倒産である。
スーパーやデズニーランドも一人出たら終わりである。
本当に恐ろしい時代になった。

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2002年05月09日(木)
401, 腰痛

昭和38年の三八豪雪の時、長岡高校の屋根の雪落としをしていて、
腰痛になってしまった。

母が腰痛もちで、よく腰が左右に曲がっていたのを見たが、
それがそのまま遺伝したようだ。
腰の骨が本当に左右にずれるのである。

その時の痛みは言葉に言いがたく、脂汗がにじみ出る。
大体が季節の変わり目に出る。

その対策として15年前から散歩を始めたが、今は腰痛対策というより、
精神的肉体的両面の健康のすべての対策になっている。
散歩も一日30000歩を超えると、逆に腰痛になる。

人間の今の身体の構造は、歩く前提で出来ているという。
何かあったら歩くのが一番自然だ。

腰痛は猿が人間に進化する過程で、腰に不自然な力がかかるようになった。
その結果、人類共通の持病になってしまった。
歩行がその対策によいことは、15年続けての実績で解る。
しかし完治はしない。

腰痛が出はじめたら、ホッカイロをその部分に当てるのが一番効果がある。
(母の対策を見て知ったことだが)それで4~5日で直るからだ。
医者には一度もかかったことはない。
あとは腰痛と仲良くしていくしかない。

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2002年05月09日(木)
401, 腰痛

昭和38年の三八豪雪の時、長岡高校の屋根の雪落としをしていて、
腰痛になってしまった。

母が腰痛もちで、よく腰が左右に曲がっていたのを見たが、
それがそのまま遺伝したようだ。
腰の骨が本当に左右にずれるのである。

その時の痛みは言葉に言いがたく、脂汗がにじみ出る。
大体が季節の変わり目に出る。

その対策として15年前から散歩を始めたが、今は腰痛対策というより、
精神的肉体的両面の健康のすべての対策になっている。
散歩も一日30000歩を超えると、逆に腰痛になる。

人間の今の身体の構造は、歩く前提で出来ているという。
何かあったら歩くのが一番自然だ。

腰痛は猿が人間に進化する過程で、腰に不自然な力がかかるようになった。
その結果、人類共通の持病になってしまった。
歩行がその対策によいことは、15年続けての実績で解る。
しかし完治はしない。

腰痛が出はじめたら、ホッカイロをその部分に当てるのが一番効果がある。
(母の対策を見て知ったことだが)それで4~5日で直るからだ。
医者には一度もかかったことはない。
あとは腰痛と仲良くしていくしかない。

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<おわらい>

ー贈賄の勝利ー

 ある男が、弁護士に訊ねた。

「弁護士様、訴訟が始まる前に、裁判官にアヒルの立派な奴を一羽、

 名刺を付けて送っておいたらどうでしょう」

「とんでもない。そんなことをしたら贈賄となって、

 裁判は絶対にあなたの負けになりますよ」

この裁判は結局、勝訴となったので、男は大喜びで弁護士に言った
「あの時、先生には反対されましたが、

 やっぱり裁判官にアヒルを一羽送っておきました」

弁護士はびっくりして言った。

「しかし、あの謹直で知られた判事さんが、

 黙っていたとはどうしても信じられない」

「いやなに、名刺の方は訴訟相手の名前にしておいたんです」


1131, 「藤沢周平」ワールド

2004年05月08日(土)


この一年以上、藤沢周平にはまっている。
新幹線では、行き帰りの半分以上は藤沢周平を読んでいる。

庶民のひたむきな生き方を真摯な目で見つめているのがよい。
小説の多くは似たような内容であるが、それでいてストーリーが面白い。
生きることの重みと哀しみを知り抜いた人でしか書けない内容である。

彼の本を読んでいると、いつの間にか藤沢ワールドにドップリ入ってしまう。
原風景の中に、忘れさっていた子供の頃の純粋さ、ひたむきさを感じる。
彼の文章の中のところところに何気なく書いてある言葉に胸をうたれる。

彼の作品に出てくる女性がすべてよい。
慎ましく、無垢で、深いいたわりのある、暖かい心の美しい女性である。
平凡な何処にでもいそうな、しかし滅多にいない、毅然とした気品を持った女性である。
彼が若き時になくした妻の昇華した女性を、彼の作品で描いているように思える。

忘れていた人生の一番大事な原点を、静かに思い出してくれる優しさが、
小説の中から滲み出ている。
人生の波をいくつか乗り越えてきて、つくづく自分の卑小さや、醜い姿を何度かみて
自嘲を繰り返したすえに、昔の汚れてなかった昔の自分に出会った感である。
自分に厳しい日本人の原点がそこにある。苦悩のすえに掴んだ優しさがある。

以前書いた藤沢周平の文章をコピーしておきます。

ーーーーーーーー
2003/06/28
たそがれ清兵衛

 構想十年、山田監督が藤沢周平の時代劇を選び映画化した話題の作。
中年男性が目に涙をいっぱいためて映画館から出てくるという。
昨年、行きそびれてしまい、DVDレンタルがでたら借りようと待っていた。
4月に貸し出し開始の予告の張り出し広告が、レンタルショップに出た。
しかし店頭には中々でなかったが、やっと3週間前に出た。
ところがいつも貸し出し中。それがやっと昨日借りることができた。

 藤沢作品は表題作を始め、どの短編もいじらしく人間くさい主人公と、
普段は見せぬがいざというときに出てくるあざやかな剣さばきの対比が素晴らしい。
作者が晩年に達したといわれるユーモアとペーソスをさわやかに織り成しながら、
剣客小説としての凄絶さも失われないのがよい。
彼の多くの小説の共通点がある。
地方の名も知れぬ小さな藩の中の、風変わりな主人公が、それゆえに周囲から
あざ笑われている。しかしそこで、お家騒動がおこり巻き込まれていく。
そして・・・

早速、映画をみて驚いた。
小説と映画は全くといってよいほど違っていた。

ー小説のあらすじは
 時は幕末。庄内地方の海坂藩の平侍井口清兵衛は妻を亡くし、家には二人の娘(萱野と以登)、
 そして老母がいる。そのため生活は苦しく、下城の太鼓がなると同僚の付き合いなどを
 一切断って帰り、毎日家事と内職に励んでいる。同僚たちはそんな清兵衛をからかって、
 陰で“たそがれ清兵衛”と呼んでいた。

ある日、かつて想いをよせていた幼なじみ・朋江の危機を救ったことから剣の腕が藩士の
噂となり、上意討ちの討ち手として清兵衛が選ばれる。藩命には逆らえずやむなく承知した
清兵衛は、朋江への秘めた想いを打ち明け、意を決して邸に向かう。
愛する家族に背を向け、命を賭けた果し合いに向かった・・・。

ー映画の「たそがれ清兵衛」では、
人間愛(夫婦愛)が描かれている、それと完全並立するかたちで、武士社会の論理も描かれている。
主人公のもとに上意討ちの討手の役がひそかに舞い込む。
実は彼は若い頃には藩内でも一,二を争う剣の腕前であった。
夕方の城中での上意討ちが刻々と迫る中、愛する女房の下がもれてないか気が気でたまらぬ。
が、そこは主人公、相手を鮮やかな腕で始末した後、いそいで女房の下の世話へと急ぐ・・。
病気の妻に優しい主人公。しかし「上意」(主君の命令)により何のためらいもなく、人を殺す。
いやためらいはある。それは殺害の日には帰りが遅くなるので、妻の介護に差し支えは
しないかという心配のためだ。
 また、その後日、殺した相手の護衛が主人公を殺そうとするのですが、この時も、
 主人公は実にあっさりとその人物を殺している。何のためらいも、葛藤もなく。
 そして平然とその場を立ち去り、妻の元に急いで帰ってゆく。
  ・・・・・

 私はどちらかというと山田洋次の映画のストーリーが好きだ。
やはり、私も映画をみ終わって涙があふれていた。
何ともいえない藤沢と山田洋次の合作がよい。
とくに上意討ちにあう男の生き様に、何ともいえない日本人の悲しさ、美しさが出ていた。

・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・
 
 2003年05月08日(木)
764, 「カリスマへの階段」

いまマスコミで連日報道されている白装束の集団「パナウエーブ研究所」
を見ていて、誰もが「何故真っ当な大人?が、かくも幼稚な教祖様の御教えを
信じてしまうのだろ?」と首をひねる。
マインドコントロールというヤツで洗脳されてしまうのだ。

7~8年前に『オウム真理教』が騒がれていた時に、図書館で
コリンウイルソンの「カリスマへの道」を借りてきて、あまりの
面白さに蔵書として買ったのを思い出して、また読み返した。
何度読んでも面白いものは面白い。
9年前にスイスのカルト『太陽寺院』のメンバーの集団自殺がおき、
その前後して麻原の『オウム教』の問題が出てきた。
彼らは決まって終末思想がある。
そして、その信者だけが救われるという教えを繰り返し教え込んでしまう。

オウム教のそれは『世界の終末は1997年に起き、オウム真理教
の信者のみが救われる』と説いていた。
この白装束の主張は
・この5月15日に何処かの流星が地球に衝突する
・また共産ゲリラが彼らに電波で攻撃を仕掛けているという。
このような幼稚なカルトに何故ごく普通の人たちが、妄想にひた走る
「メシア」様の命令を唯唯諾々と従うものか?

その原理を「カリスマへの道」では歴史を遡って書いている。
その中で一番面白く本質をついていると思われるところを
以下に書き写した。
ーーー

 西暦1666年の初頭、全欧州が人類の歴史上の最大イベントを待ち構えて
いた。ユダヤ民族を昔日の栄光に導くメシア登場である。
この神の使者はサバタイ・ゼビという40歳のユダヤ人で、今はスルミナ
に住んでいるが、やがてトルコのスルタン(皇帝)を打倒し、龍に乗って
エルサレムに入城する手筈なっている。
そしてその後は戦いで次々と敵を倒して世界の王になる予定。
ユダヤ人が『我々が今にあなた方の主人になる」と言うと、キリスト教徒
も心配を始めてた。・・・

 大都市の多くではこの期待は早くも混乱を生みつつあった。
ユダヤ人社会が商売を止めて最後の審判の準備に入ったため、
まずは商業が機能停止になった。ハンブルグでは人々は家と土地を
売り至福千年期に備えた。・・・・・・・・
だが年も押しつまる頃に信じがたい噂がながれ,歓喜は落胆に一変する。
イスラムにサバタンが改宗したという。
サバタンが若いメフメト4世の前に引きずり出され「イスラム教に改宗するか、
さもなくば生きたまま串刺し」と二者択一を迫られた。
これに応じたメシアのサバタイは直ちにユダヤ帽を地に投げ捨て唾を
吐きかけ、これに変わって白いターバンが頭に巻きつけられるに任せた。
そしてスルタンー皇帝はこの改宗を優雅に受け入れと新しい名前と門番の
職を与えた・・・

ーーー 
 こういう新興宗教のメシア様の色いろな内容が次々と出てくるのだ。
神の名での教祖様のハーレムがつくられ、組織内での多くの殺人が繰り
ひらかれるのだ。
宗教ごっこならよいが、セックスと殺人が終末思想の元で日常になって
自己破滅を始めていくのである。
オウムのようなことは、宗教の創立期にはどこでもつきものである。
理想社会は教祖様にとっての意識下の世界でしかない。
95佑僚晶腑織ぅ廚旅垢覆訛梢融峺を求めている人は、
その理想社会の空想社会の餌にごく簡単に飛びついてしまう。
そして全財産を剥ぎ取られてしまう。
世界中がそれに満ちているといってよい。
精神的に傷つき癒されたい人が、それだけ多いのだ。
自分で本を読みつづける中から癒されるのが、一番効果があるのに!!
それしかないのに!?
・・・・・・・・・・

「カリスマへの階段」
コリン ウィルソン (著)
関口 篤 (翻訳)
価格:¥2,130
出版社: 青土社 (1996/03)
レビュー

内容(「BOOK」データベースより)
強烈な個性と卓抜な指導力で偶像化されるカリスマたち。
カルトの教祖から時代をリードするイデオローグまで、たえず生み出しつづけられる
「超人」の深層を赤裸々に検証する。

ー目次ー
1 救いとしてのセックス
2 メシアの歴史
3 信者の心理
4 殺人者としてのメシア
5 権力の美味
6 現実を変形する手段
7 メシアとしての精神科医
8 魔力
9 自由恋愛の福音
10 性の分水嶺
11 力の仮面
12 第二の流れ

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2002年05月08日(水)
400, 末っ子はつらいよー2

姉が見たら(聞いたら)なにをいっているか!と怒鳴られそうだ。
「両親に、兄姉にみんなに可愛がられて!とんでもない」と。
確かにそれもそうだ。特に両親にとって、
いつも傍において置きたいペットみたいなものであった。

死ぬ時もしかり、傍にいた。
そして遺言も財産に関しても、一番有利に書いて亡くなっていた。

また両親が死ぬまで常にお手伝いがいる家だった。
チヤホヤされてきたことも事実だ。
末っ子の特権を充分享受した。

それと孤独に強くなる。一人で何かいつも遊んでいた。
長姉がいうに、いつも一人で三輪車で遊んでいたという。
今も殆ど同じ一人遊びが好きだ。
ノイローゼになる人は一人遊びの出来ない人だ。
ーできればノイローゼにはならないが。

花よ蝶とはいかないが、そういう立場にあったことは否定できない。
幼児期・少年期は事業の立ち上げ時で、非常に刺激的な環境であった。
そういう意味で「三つ子の魂百までも」である。

それぞれの性格はその時代の背景と、
血液型と家族関係と両親の年齢などによって、微妙に決まってくる。
長男には長男の立場、末娘ならその立場で決まってくる。
すぐ上の兄は、私の影的存在で?少し大人しい性格だ。

「積み木崩し」というあるタレント手記があった。
長女、次女の次に男が生まれると、その次女がひねてしまい
非行に走るケースが多いという。

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2001年05月08日(火)
BSTVについて

BSハイビジョンTVを入れて5ヶ月、その鮮明さに驚いている。
8年前にハイビジョンTVを入れた当時その鮮明さに驚いたが、
今は一般放送が前のハイビジョンなみになり、今のBS放送は
格段に良くなった。映画を見ると劇場にちかい感覚といってよい。
白黒TVとカラーTVが1000万台普及するのに10年かっかた
がBSTVがそれを超えるのに4〜5年といわれているのがうなずける。
それとBS放送の局がそれぞれ特化しており、選びやすいのも良い。
それとBSラジオもよい!それぞれのキーワードで放送がなされている。
音楽がまた素晴らしく、それにあわせて映像が流される。
茶の間生活が一変した。これにCSハイビジョンが流され、光ファイバー
通じると今の情報量の1000〜3000倍が家庭に流れてくるという。
それも4〜5年以内に。今からわくわくしている。

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<おわらい>

ー 最小限の犠牲

コーエンは勤めから帰って、妻のスーシャが若い男を連れ込んで、

浮気をしている現場をつかまえた。

逆上したコーエンは鉄砲を取り出し、スーシャを撃ち殺してしまった。

コーエンは裁判にかけられ、裁判長から審問を受けた。

「あなたは、一体どうして妻の方を殺したのですか?」

「はい、殺人は一回犯すだけでたくさんです。

 もし妻の方を殺してなければ、あと何人も殺さなければなりません」


1130, 「ライフレッスン」−11

2004年05月07日(金)



 ー 許しのレッスン

誰も人生には、八つ裂きにしても許せない人間は何人かいる。
そして、自分も、他の人間にとって、そのうちの一人になっている。
相手を許すということは、けっきょくは自分を許すことである。

許すということは、自分の内面の魂の問題のかかわってくる問題である。
「ならぬ堪忍、するが堪忍」であり、それは自分を如何に納得させるかの
折り合いの問題でもある。

許すというのは、ある意味で奇麗事なのかもしれない。
しかし、その奇麗事は最も大事ではなかろうか。
許しは、主体的なことである。
許そうと努力していれば、そのうちに忘却の彼方に消えていくものである。
残ったとしても、自分の記憶には「許し」という言葉が包んである。

ー以下は抜粋である

・人生まっとうにしようとするなら許すことを学ばなければならない。
許しは苦痛や傷を癒す方法であると同時に、ふたたび他者と自己を結びつける方法である。
わたしたち全員が、他人を傷つけたことがあったはずだ。

問題は傷つけたり傷ついたりすることよりむしろ、その経験を忘れられないこと、
それを忘れようとしないことである。傷の痛さはそこにあるのだ。
わたし達は傷をためこみながら生きているが、その傷を手放す方法はだれからも
教わっていない。許しを必要とされる理由はそこにある。

許す人生を選ぶか許さない人生を選ぶかは、その人が決める問題である。
許しは自愛的な行為といえる。
許さないということは、むかしの傷や怒りにしがみついているということである。
恨みの感情に栄養をほきゅうして、過去の不幸な部分を生かし続けることである。
許すことができなくては、自分自身の奴隷になるしかない。

・もうひとつ許しの障害になっているのは、報復してやりたいという欲望である。
報復という低次元な行為をした自分にたいして、あとで罪悪感をもつことになる。
自分を傷つけた人に対する攻撃的な行為が,けっきょくは自分を傷つけるのだ。

・相手の過ちだけをみているあいだは、自分の内面をみる必要はない。
相手を許したときに、はじめて人生に力がよみがえり、傷を乗りこえて花開くことが
できるようになる。

・皮肉なことに、だれよりも許す必要がある相手は自分自身である。
自分がやったことに対して、やらなかったことに対して自分を許さなくてはならない。
過ちを犯したと思ったら、そのつど自分を許してやることだ。
まだ許しのレッスンがついてなかったと思ったら、身についてない自分自身を
許してやることだ。

・許しは一生に一度の大仕事ではなく、毎日つづけていく精神のトレーニングである。
それは精神的・霊的生活のメンテナンスのようなものである。
許すことによって平和が得られ、愛が維持できる。
だたひとつの課題は、ふたたびこころをひらくことである。

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2003年05月07日(水)
763, 地方差別

 東京では、地方出身者は田舎者と露骨に差別される。
学生時代に東京に住んでみて、驚いたのが地方差別であった。
解らないでもないが、都会生活での初めてのカルチャーショックであった。
今でも海外旅行のパックの同行者の意識で驚く事がある。
それも強い負け犬の立場の人?に露骨に顕れている。

 一番面白かったのが「ケニアのヌーの河渡り」であった。
都会のハイミス・ゴールドミス(グランド・オールドミス)がすざましい
ひと達だった。具体的には書きたくないが、その傷口の血は濃厚だ!
もう二度と、その血を浴びたくはない!洗っても数年は落ちないほどだた!
自分のプライドを守る為に弱者を探すと地方差別が一番手っ取り早いのだろう。

 何処かのヨーロッパの空港の待合で、江戸っ子の職人風の父子がいた。
話しかけたら「貴方は地方?それとも東京出身?」と聞いてきた。
新潟と答えたら、一切話をしないで露骨な可愛い差別を始めた。
こんなものである。

学生時代に外国旅行に行った時、ある同行の女性が思わず本音が出た。
「最近帝国ホテルも、地方のお上りが多くって質が落ちていますわ!」
その一言で最後まで嫌われて、総スカンをくらってしまった。
「父親は同行の女性の会社の子会社の下っ端の役員でしかないないのに!」
とすぐに陰口が入ってきた。
結局はすべては「コンプレックスの隠しの芸の追求」が人間の本質なのだろう。

「お上り」という言葉が、典型的な軽蔑言葉だ。
地方差別を書くこと自体がタブーでもある。
公平という意味でー平等でなくー差別をされても仕方がないのも解るが!?
毎日二つの街を通っていて、長岡と新潟でさえもあまりに違いすぎるのは事実である。

「都落ち」という言葉もあるとおり、特に都会で生まれ育った人間は
地方に住むということはアジアの何処かというくらいの響きがあるようだ。
アメリカのニューヨークなどは、もっと複雑に絡んでくるという。
民族や人種や宗教や収入や肩書きなどで露骨の差別があるという。

まあどうでもよい田舎者の話だが。

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2002年05月07日(火)
399, 末っ子はつらいよ

8人兄弟の末っ子である立場を書いてみる。
少年期まで、末っ子は上からの虐めがきつい。
特にすぐ上の2人のそれがきつい。
常に気を張っていなくてはならないのがその宿命だ。

食事も気を抜くと自分の食べ分がなくなる為、
早食いが癖になってしまう。
常に周囲の情勢を把握していなくてはならない。

誰かに聞いたが、多くの兄弟で育った末っ子は社長に向いているそうだ。
他人の気持ちを常に読んでいなくてはならない事が、それに向くのだろう。

それと結婚の相手は長女がいいと最近聞いた。
たまたま家内がそうだった。
そういえば知人のW氏も長姉もその組み合わせだ。
上手くいっているようだ。

そういえば過去に惹かれた女性は長女で、A 型で、160cm、
おっとりしたタイプが多かったー今もそうだ。
末っ子は口が堅くなくてはならない。
それぞれの兄姉の秘密を知ってしまうからだ。

万一告げ口をしたら、袋たたきにあってしまう。
家族はまず出会う初めての社会だ。

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2001年05月07日(月)
ユニクロが面白い

半年前に自宅の一^二分のところできたユニクロがますます面白い。
とにかく体形にフィットするー着心地がよい。それと安い。
土日曜は開店から閉店まで客のとぎれることはない。’服は服装のパーツ
である’という考えのもとの品揃えがはっきりしているのだ。
あそこまで客に支持されるのは、普段着と重ね着のサブに徹している
為もある。今まで腰まわりだけのサイズのズボンしかなっかた。
今は股下のサイズもヨウイしてある。ウエスト79のサイズの股下80と
70とでは当然形が当然形が違ってくる。
今まではそれだけ種類が増え在庫が増えてしまうという
川上の論法ででつくられなっかったが、売れ筋を 絞り込む事と在庫管理の徹底で
用意すれば安いコストでそれぞれの人が着やすい品を提供できる事が彼らに解ったのだ。
本当の意味での顧客サイドの商品つくりがおこなわれていなっかたのだ。
その意味で当分ユニクロの一人勝ちは当分つつくだろう。

−以前書いた私の文をコピーしておく。
H1211事業百訓−ユニクロ現象について−
自宅の一〇〇m先にショッピングセンターがオープン。
予想通り便利という面で生活が一変した!その中にユニクロが出店。
二ヶ月以上たった今でも土・日は人が入りきれないほど繁盛している。

そこで私の好きな店舗・商品分析の為、毎週通っている。
まず|羶寛然並咾一〇〇〇〜二〇〇〇円、¬誼亙、カジュアル、
そ鼎傭紊離汽屬里澆佑蕕Α↓ッ羚饑修九〇%、Ε妊競ぅ鵑漏姐颪琉賣デザイナーに
日本人の体形にあわせてデザイン、Щ藩冖榲は顧客にえらばせる、縫製は国内産以上、
等々。もちろん見るだけでなく、ズエット・スーツ一九〇〇円とフリースを一二〇〇円で
室内用に買い、無地のコーディロイのボタン、ダウンシャツ九八〇円を重ね着用に二枚買って
みた。 何といつのまにスエットスーツが室内着、兼パジャマに、フリースがガウンがわりに
なっていた。

朝・夕のちょっとした外出時はスエットスーツに外出着を羽織るようになっていた。
恐らく、若い人は以前より、このような使い方をしていたのだろうが...。
デザインも、コーディネートも一応さまになっており、フィットしている。そういえば、
四〜五年前、スエットスーツを買って少し着たが体形に合わず、タンスに入っているのを
ひっぱりだしてみた。ユニクロのそれと全く違うのだ。 着やすさ、デザイン、色、肌合い等々。
それも二倍以上も高いのだ。

ユニクロは日本人向けに、一流デザイナーにデザインをさせ、
中国で(縫製は厳格に)大量生産させ、カラーは顧客のニーズに合わせ、
毎週のように追加・変更しているという。九八〇円のコーディロイのシャツも今回の
海外旅行に外着のあわせに持っていったが、体形にフィットしており、着やすく、
何の問題もなかった。 ユニクロは"衣料のマクドナルド"を目指しているというが、
一人の消費者としてすばらしいと断言できる。

今回、ツアーで西欧人のツアー団体をみて、我々の団体を見ると冷や汗が出る思いであった。
彼等は無地の白と黒の上下の
カジュアルのみ(それ以外は無地のベージュの人が二〜三人いたくらい)。
但しデザインはセンスがよくさわやかなのである。 我々日本人団体はカラフルだがバラバラ、
デザインも個々をみると、まともに見えるが、集団でみると色気違い!

先日十年分のスーツをハンガーにならべてみたが(そしてほとんどズボンを残して捨てたが)、
私にとって思いきって、高く買った濃紺のスーツ以外は、よくぞこんなスーツを!
と赤面してしまった。無地の濃紺のスーツ一着も着こなせないのに、グリーン、グレー、
茶系とよく着ていたものだ。カジュアルウェアーの着こなしの基本は紺のブレザーの
着こなしだそうだ。 少し考えれば当たり前だ。ブレザーのデザイン、素材、さらに
ズボンの種類、ポロ、セーターのあわせだけで何十いや何百も変わってくる。
西洋人は何百年の洋服の歴史でとっくに常識になっているのだろう。
その事をユニクロも気付いていると思われる。
一番気付いていないのは、ブランドを追いかけている無知な、中年のオバサンではなかろうか。

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ー販売部長のアイデアー

社長が販売部長を呼んで相談した。

「夏ズボンが200本も売れ残ってしまった。なんとかさばけないものかね?」

「それでは地方向けに発送しましょう」

「季節外れになっちまったから、田舎でも売れないだろう」

「いやいや、御心配なく。梱包を上手くやるんです。

 10本ずつ1包みにして小売屋に送りつけるんですが、

 請求書の方は10本ではなく、8本分にしときましょう。

 もっとも値段は損をせぬよう、ちゃんと上乗せしときますがね。

 小売屋は間違って2本分余計に送って来たと思って、見本を買い取るでしょう。

 そこが狙い目なんです」

社長はこのアイデアに感心して、早速ズボンと請求書の発送を手配させた。

しかし、1週間ばかり経って、社長は販売部長を怒鳴りつけた。

「キミ、君はクビだ。何ということをしてくれたんだ。

 小売屋はどこも買い取るどころか、2本ネコババして、8本だけ送り返して来たぞ」


1129, 「一生のうちにすべきこと、しなくていいこと」−2

2004年05月06日(木)

 
    谷沢永一 2000/10/19 PHP研究所』 

二年前に書いた文章の続編である。
図書館で借りてきて、返してしまったために中断をしていた。
先日おなじ本を借りてきて、以前書いたことを思い出し、検索をかけたところ、
二年前に書いてあった。

『しなくてよいこと』は、『すべきこと』より知っておくべきことと、
前の文章(あとでコピー)を読み返して、つくづく思った。
知っていれば、しないでよい苦労を避けることができる。
こういう知識に対して無知の人があまりに多い。
他人事でないが。
『すべきこと』も、まったくそのとおりである。

ー以下は
「すべきこと、しなくてよいこと、してはいけないこと」の抜粋である。

ーすべきこと(抜粋)
 ・真の友をもつ
 ・人生設計を立てる
 ・生きるためのお金を得る
 ・本を読む
 ・夢をもつ
 ・感動
 ・人生のブレーンをもつ
 ・結婚
 ・趣味を持つ
 ・前向きに生きる
 ・一人旅
 ・音楽を聴く
 ・失敗を経験する 
  and etc.
 
ーしなくていいこと(抜粋)
 ・分相応
 ・世間体をつくろう
 ・他人と比べる
 ・出世競争
 ・嫉妬
 ・功績を誇る
 ・不正をただす
 ・自分の過去をクヨクヨ思う and etc.

ーしてはいけないこと(全項目)
 ・言行の不一致
 ・頼み事
 ・金を借りる
 ・子供を私物化する
 ・自分がされたくないことを人にする
 ・運のない人とつきあう
 ・卑屈な生き方
 ・自分の欠点をかなしむ
 ・マイナス条件を数え上げる
 ・知識を誇る
 ・嘘をつく

ー後記
 ・お金を、知人から借りることは私の常識外なのだが、
 以外と平気で借りにくる人がいる。
 そこに甘さが、ありありと出ているのが本人には判らないのだろう。
 
 ・「運のない人とつきあう」これも然りである。
 冷たいようだが、絶対に近づけてならない。
 必ず酷い目にあう。周辺の人を巻き込んでしまうのだ。
 自分が不遇の時は、逆に人に近づかないことだ。
 
 ・「知識を誇る」も、ひとつ間違えばしてしまうことだ。
 この随想日記も、それに近い行為なのかもしれない。
 自分の知識蔵庫として貯めこんでいるのだが、知らないうちに『誇って』
 いるのかもしれない。
 
 「随想なんて、けっきょくは自慢話でしかない」と誰かが看破していたが。
 
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2002年01月30日(水)
 316,「一生のうちにすべきこと、しなくていいこと」ー(1)
 
  一生のうちしなくていいこと

谷沢永一の
「一生のうちにすべきこと、しなくていいこと」を図書館で借りてきて、
目を通した。当たり前のことが大部分だが、

ーシナクテいいことから挙げると
・「隣人と親しくする」-
 -「近くの人ほど距離を置け」と父も同じ事を言っていた。
・世間体をつくろう
・他人との比較
・出世競争
・パーテーの参加
・嫉妬
・盛大な葬式ーこれに私は結婚式を挙げたい!
・功績を誇ることーそう嫉妬して見える、見る人の視点は別
・お金の執着ー稼ぎと使いのバランスが大事
・自分の過去をクヨクヨ思う
  10年前、30年前の事をまだクヨクヨしている。
 「恨んだ相手は高いびき」という言葉があるが、高笑いであろう。
・頼みごとをする。人脈を頼みごとのできる人間関係と信じて疑ってない。
 不幸な人の特性が、これである事を最近知った!ー依存性
 離婚や事業で失敗した人は依存タイプが多い。
・借金ー事業で借金以外、恥じである。
・子供の私物化ーこのあたりがその人品の決め手といってよい。
・運のない人とのつきあいー運のない男ほど、巧妙に電話をかけてくる。
 「??」など、ストリーを作ってくる。
・卑屈な生き方ー人間皆持っている要素、要はそのコントロール。
 いまひとつ卑屈な人間ーに近づかない、近づけない。
 共通要素は、仕事に恵まれてない人で、オベッカの上手い人間。
 そう、どこにもいる、あの男!

 こういうと、自慢かもしれないが、ほぼ全部クリアーしている。
 何処かの「同?会」の連中、「ほぼ上記の連中が過半数」をしめている!
 
どこかの街?の大部分は、
「上記をそのまま人間にしてしまった」といってよい。
いや日本人の特質か?

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2003年05月06日(火)
762, あるホームページ

 たまたまネットサーフィンしていたらあるホームページに行き当たった。
先日のこのホームページのサロンで紹介したMainDish
である。(これで検索を打ち込めばでてくる)
私がホームページを開いた一昨年の5月から始まっている。
毎晩の夕食は主婦なら誰もがつくるものである。
それを写真に撮り、時にレシピを載せるから素晴らしい。
2年間で20万のアクセスがあったというから、一日300〜400人が
見ていることになる。本人も楽しいだろしやる気も出てくるだろう。
見ていて、あまり興味のない私でも料理を通して気持ちが伝わってくる。
これを上手く分類をすれば「夕飯おかず事典」ができてしまう。
好きな事を楽しんで続ければいろいろの可能性が出てくる見本だろう。
このMainDishのホームページから学んだことは、何げない事の中にある
ヒントとその継続の重要性である。

 写真の好きな人がホームページをつくって載せたり、「子育て日記」も、
写真入で続ければ、その子供自身のよい記念としての贈り物になる。
それぞれの人が、その立場で自分を表現できる時代になったことが
情報化社会の特徴である。
私の場合は、今まで人に誤解されたしまうのが「言葉」である。
しかしこのように書くことによって、「自分にとっての本当のこと」を
「本当以前のこと」から生み出すことになっている。
自分の中のカオスー混沌から、本当のことをカタチ創っていることだ。

 少し難しくなったので料理の話に戻すが、ホームページは生の自分を
曝け出す発信基地であり、曝け出す事によって自分のカオスから
日々新しい自分を対象ー料理・日記・・・を通して創り出す場にもなる。
日々続く何げない日常の夕飯が、視点の変換によって、
毎日のささやかな?社会貢献と生きがいになる。
面白い時代だ!
 
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 2002年05月06日(月)
398,新潟駅前界隈ー2


ほとんどの店(飲食店)が瀕死の状態である。
止めるに止められない状態といってよい。

以前から私は個人で飲むときは、一軒目は3500円が最高限度である。
二軒目も4000円か5000円止まりである。
彼らに馬鹿にされたものだ「3500円までの男」とか言われて。

でも今は一般に3000円で9時までどう過ごすかが、
一般の飲む基準になっているという、それも週一度。

店主の役割は「客の視線で店を見なくてはならない」が、
彼らは自分の都合でお客を見ている。
殆どの店が死に瀕しても、その視線を捨てる事が出来ない。
さっさと潰れろといいたい、まさか目の前で言うわけにいかないが。

彼らに聞いた事だが、自分に生命保険をかけて失敗したら死んで
借金を返す世界があるという。
飲食の世界はまだそういう信じられない世界が残っているという?
ママつきの店の売り物ー金ずるのオーナーが倒産ー
そうすると、そういうオーナー探しをする世界があるという。

一回だが何処かのママに言われたことがある
「あのこオーナー探しているんだって、あんたどう?」
それが金があれば考えてもいいような絶世の美女!
違う世界の話しでしかない。

やり手のママは・実際の彼氏に・オナーに・お客数名の
男を持ち、それを鵜のように使い分けるというが?

しかし意外と半数以上は真面目な実直の人が多い。
永くやるにはそうでなくては続ける事が出来ないのだろう。

以前新潟駅前を書いた文章をコピーしておく。
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H0603ゴネ社会のカラス達

 ラジオで鳥学者のカラスの習性という話題の中で印象的な話があった。
“牛の出産時に、ただ対象が弱味を見せている、というだけでおそいかかり、
時には牛が出血で死んでしまうケースが多々ある。”

この新潟駅前花園地区近辺は、ゼネコン関係者の間でも鬼門になっている位、
そのカラス的習性人種のたまり場で有名の地区という。
飲食関係者とかミニオーナー達が
「自分達も何かゴネ社会でチャンスがあればタカってやろう」
とうごめいている。全く関係のないところまで出向き、口を出し?をせびる。
その為にそのカラス達は飲食組合や、町内会の役員をまずねらうという。

考えてみれば今の小物代議士(政治業界のたかり屋)と全く同じ手口だ。
今回の工事でもその代表的カラスが何匹かさわぎかけた。
但し今回は比較的うまう納まったが。
第二増築工事の時は、近隣のオーナーに停年退職期のウサを、
すべて工事妨害にたたきつけられてしまった。
(店子にあいさつに行きオーナーになかったという理由で)

隣地の工事等の妨害は相手は数十倍いや数百倍こたえる。
当然その怒りは形を変えて数倍も攻撃する事となった。
隣地の攻撃は後ほど有利になるのだ。
これがわかってないから目前の相手を攻撃してしまうのだ。

“隣地境界は絶対に攻撃してはならない”
あたり前の事がどうしてわからないのか。
人間の心の中にサド的なものが、
悪魔が秘んでいると工事の度に思いしらされる。

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2001年05月06日(日)
ホームページの可能性

ホームページを開設して感じた事は自身の大きな変化の予感である。
貧しい?内面と過去の公開といってよい。
特に日記の公開のこのコーナーは恐くおもしろそうだ。
もしHP−ホームページの改良を重ねていくと、数年後はおそらく最後にコピーした
久垣啓一氏の実感に近ずくのではなかろうか。
個人の発信というのがこれからのキーワードなってくるだろう。
これに映像が加われば今の常識で考えられない世界が広がってくるだろう。
どうなっていくか楽しみだ。

−>−>−> ホームページとは
             (久垣啓一)
ホームページは、重層的な関係の中に浮かぶ開かれた自分そのものである。
ホームページは、情報への感度を飛躍的に高める。
ホームページは、豊かな時間を演出してくれる。
ホームページは、コミュニケーション能力を高めてくれる。
ホームページは、出会いと感動の宝庫である。
ホームページは、巨大なデータベースである。
ホームページは、巨大な渦巻きの中心である。
ホームページは、どらえもんの「どこでもドア」である。
ホームページは、生きる喜びを与えてくれる。
ホームページは、家族の関係を豊かにする。

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<おわらい>

ー紅茶の注文

 ユダヤ人が三人、レストランで注文した。

「私には紅茶をくれ」

「僕は紅茶にレモンを付けてきてくれ」

「私も紅茶にするが、カップはよく洗ってきてくれよ」

しばらくして、ボーイが紅茶を三人前運んできて言った。

「洗ったカップはどちら様でございましょうか?」


1128, 「ライフ・レッスン」ー10

2004年05月05日(水)

ー忍耐のレッスン

「耐えることは信じることー信仰をもつことーに似ている」
という著者キュープラ・ロスの言葉がよい。
耐えることによって、その信仰は深く強く根を地中深く入っていく。

『石の上にも三年』も、耐えることの重要性をいっている。
耐えることによって、はじめてレッスンにまで高めることができる。

『耐えがたきを耐える』のが忍耐になる、いずれは、うまくはいくのだからという
信念をもって。忍耐にも、じっとしているべき時にじっとしている忍耐と、
積極的に立ち向かいながら耐える忍耐がある。また絶望に中で、その絶望を
受けいれる忍耐がある。

それぞれの忍耐を経験するのも人生では必要なことだ。

ー以下は抜粋である

・忍耐の要諦は、すべてはいずれはうまくいくものだと悟るところにある。
宇宙の計画を信じる力を養うことだといってもよい。
でも、その悟りはすぐに忘れられる。
だからこそ自分が思うとおりのタイミングで進行させるべく、状況をコントロール
しようとする人が多いのだ。

・忍耐はある意味で、筋肉のようなものである。普段からつかってないと、
いざという時に役に立たないものだ。日常の生活の中でささやかな忍耐の筋肉を
使ってなくては。

・「結果でなくてプロセスを大事にすること、自分の感情とつきあうこと、
起こっている事態が送ってくるメッセージに耳を傾けることを学んだみたい。
宇宙の力と自分自身の力を信じることもね。自分の中にこんなにつよい力があり、
必要なときにそれを使うことができるなんて、考えてもなかったもの。
何を変え、何を受け入れるかも学ぶことができたみたい。」

・人生は経験の連続だ。たとえそのときの自分がわからなくても、すべての経験には
理由がある。何らかのメッセージがある。だが、いらいらして「これはまずいぞ!
この事態を変えなくては!」と思っているうちは、そこからレッスンを学ぶことは
できない。現におこっている事態を否定したり、泣言をいったり、変えようとしたり
するのでなく、黙然とそれを経験すればよい。

・時間は楽しむためにあるって思えるようになったんだ。
そう考えれば、楽しいことはいくらでもある。
この世界には力がある。みえなくても、気づかなくても、すべてのものごとは善の
方向に向かっているいることを信じてほしい。それが信仰というものである。
耐えることは信仰を持つことと同じことなのだ。
いかなる状況、いかなるときにあっても、宇宙があなたの人生にもたらすものは、
あなたがそうなることになっているような人になるために必要な経験である。
真実の鍵は信じること・・・耐えることにある。
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【-忍耐について-】

・忍耐は仕事を支えるところの、一種の資本である。
                 −エドマンド・バーク
・天才とは強烈な忍耐者である。
                 −トルストイ

・艱難は忍耐を生じ、忍耐は練達を生じ、練達は希望を生ず。
                 −「新約聖書-ロマ書5章」

・忍耐――肉体的な小心と道徳的勇気の混じり合い。
                 ーハーディー

・堅忍という美徳は、しばしば頑固と混同される。
                 ーコッツェブー

・君の心の庭に忍耐を植えよ、その草は苦くともその実は甘い。
                 −オースティン

・我々は現在だけを耐え忍べばよい。過去にも未来にも苦しむ必要はない。
 過去はもう存在しないし、未来はまだ存在していないのだから。
                 −アラン

・重要な事はなにを耐え忍んだかという事ではなく、いかに耐え忍んだかという事だ。
                 −セネカ

・世の中の事はなんでも我慢できるが、幸福な日の連続だけは我慢できない。
                 ーゲーテ

・忍耐――それによって凡人が不名誉な成功を収めるくだらない美徳。
                 −A・ビアス

・大いなる精神は静かに忍耐する。
                 ーシラー

・現在我々は悪い時期を通過している。
事態は良くなるまでに、恐らく現在より悪くなるだろう。
しかし我々が忍耐し、我慢しさえすば、やがて良くなる事を私は決して疑わない。
                 −チャーチル

・立派にやり遂げたことに対する最大の報酬は、それをやり遂げたことそのものにある
                 −ボルテール

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2003年05月05日(月)
761, 歌は過去に向かって歌うもの

「歌は過去に向かって歌うもの !」
先日Tvで歌手の「さだまさし」が何気なくトークでいった言葉だ。
なるほど言いえて妙である。
すべての歌は思い出のメロデーになるのか?
心を込めて歌うとは、その過去にタイムスリップをして歌うことである。
それは過去の喜怒哀楽に対して歌うということだ。
それぞれの歌にはその時代の背景と、それぞれ人の人生がある。
また情念を瞬間冷凍をする。その意味でいろいろな歌を振り返ってみると、
過去が地の底から浮き上がってくる。
特に幼児の頃に聞いた童謡や流行歌は魂の故郷といってもよい。
その時の光景を思い出して歌ってみると、その時の記憶がどんどん湧き
上がってくる。
美空ひばりは歌っているときは、過去のその時の世界に入りきっている!

また、青春時代の失恋など、それぞれ生きてきた時代ごとにの歌があった。
人生のバックグランドミュージックといってよい。
笑いと歌には、心というよりもっと深い魂の世界で、行蔵のラベルでも
ある。
それでは「こんにちは赤ちゃん」は過去に向かって歌うのか?というが、
むしろ母親が、あとの思い出としての歌うのほうが、心いや魂の歌になる。

私が生まれたのは第二次世界大戦の終戦直後である。
ラジオで復員兵の名前や尋ね人のコーナーがあった。
それと同時に、「異国の丘」とか、「上海帰りのリル」「みかんの花」
が流れていた。幼児期の記憶は希薄だが、歌だけは記憶にしっかり
残っている。
青春期はポップスの黄金の昭和40年代であった。
いま聞いても本当によい歌が多い。高度成長期の時代背景があったためで
ある。

60歳までは過去を振り返らないことにしているが、もう数年で、
その歳になる。カラオケに手を出して失敗した時の歌や、NTTの株で
失敗した時に涙をして憶えた歌など「一曲数千万円」もした歌がある!!
たくもう、高くついた!

話は少し変わるが、歌の先生をしていた一番上の姉の正子さんが、
ある時「人間は歌うとき、自分の肉体は楽器なのよ!」と何気なく
言った事を思い出した。

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2002年05月05日(日)
397, たとえ話ー人間の姿を犬に例えるとシビアなわけ?


以前も書いたが、たとえ話はより深い真実をあらわす。
犬のたとえがシビアである。

犬は狼を数千年かけて、人間の都合のよいように作り上げた動物である。
(人間に絶対服従の性格に)

社会もしかり、権力者が自分に都合のよいように作り上げた制約社会である。
イスラム教のアラーの神はその発明の典型といってよい。
砂漠の中で規範が必要であった、それだけだ。
宗教は一番権力者に利用される。
キリスト教は未開発国に放たれた尖兵ー細菌であった。

論語もしかり、孔子が権力者に自分を売り込むための教えである。
鼻声で唱和するのも、歳をとってからならよいだろう。
人間は従属しか出来ない哀れな猿でしかない。
人間の95佑禄沼阿鯔召鵑任い襪箸いΑ

したがって狼を犬に創りあげた人間を、逆に犬に例えるとより本質的になる。
「番犬、野良犬、捨て犬、雑種、負け犬、闘犬、噛まし犬 、狂犬・・・」
 あまりにシビアに人間の被支配性の本質を顕している。
 
ー番犬のような男、野良犬のような男、座卓犬のような人間、牧羊犬、
しかしそれが自然の推理なら、それに従うのが人間の姿である。
それに気づいているかどうかである。

話が変わるが、
ハワイでの事、現地のガイドが日系兇了をバナナと言っていた。
外が黄色で、内側が白(白人)、いい得て妙であった。

いまの日本人は正しくそうだ。日本人のキリスト教信者もそういえる。
白人の仏教信者は白瓜、アメリカの黒人は茄子か。

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2001年05月05日(土)
連休はパソコン・ウオーキング・TV・外食三昧

連休はパソコン・ウオーキング・TV・外食三昧 である。
もっとも連休でなくても、そうであるのが可笑しいが!
大型連休はほとんどそうだ。以前は会社の自分の部屋までわざわざ行っていたが
今は自宅で過ごす。特にパソコンとBSーTVが暇を充分満たしてくれるためだ。
1ヶ月後に秘境ツアーに出かける為、極力節約する。
1日1回居酒屋かファミリーレストランからーめん屋に出かけける事と図書館に
行く事がリズムヲつくるみそである。
ここでインターネットとホームぺージが特に面白くなったのも、さらに連休の
過ごし方を快適にしてくれる。


1127, ホームページを開いて3年

2004年05月04日(火)

今日で、ホームページを開設し、随想日記を書き始めてマル3年になる。
だいたい二年が続けるかどうかの分岐点になるという。
まる3年も、分岐点であることも間違いはない。

毎日書き続けるのは本当に!シンドイが、あとで振り返った時に続けていた方が
良かったと後悔するのが解っているので、止めるに止めれないのも事実である。
といって、そのつかうエネルギーは膨大である!

常に、何かに急きたてられているような気分である。
もっとも、その位のほうが良いのかもしれないし、10年〜20年後に振り返った
時に残っているのは入れたエネルギーの文章だけかもしれない。
いやそれすら、残っていないかもしれない。
三年で、書きたいと思うことは殆んど書いたという実感がある。
遺言書といってもよい。

自分自身にプラスになるのは、手に取るようにわかる。
特に毎日の随想日記は、自分の背骨が一本、日々の生活に入った感じだ。

毎日、思ったことや、考えたことを文章化することは、まったく違う領域に
自分が入ってしまう。それを、さらに公開するとなると、自分のノートに
書き出しているのとでは全く違ってくる。

同月同日の一年前・二年前書いた文章を毎日コピーしながら読み返すと、
何か不思議な感覚になる。
今日からは三年前の文章も毎日読むことになるが、まったく忘れているから
何か変な感覚になる。
知らない自分を見ているような、内省をしているような感覚である。

話は変わるが、ホーム・ページを開くキッカケを書いてみる。
パソコンを手元に置いても、どう使ったらよいか迷っていた矢先に
久恒啓一氏の「インターネット勉強法」の中の「ホームページ」の勧めを読んで、
パソコン教室に通ってHPつくりに入った。

その本には、HPつくりは「自分の墓場つくり」と書いてあったのが印象的であった。
なるほど三年経ってみて、書きたいことを全部書き出してしまった実感がある。
その意味が分りすぎるほどわかった。

はじめは1000回、次に3年と目標をたててきた。
1100回目から、あまり気張らずにリラックスをして楽しもうと割り切った。
逆にそれが良かったようで、それからは肩の力が抜けたようだ。

これからは、趣味として、お遊びのHPとして変身するつもりである。
それまでは、かたく考えすぎていたようだ。

あまり他人から理解しがたいタイプなので、丁度よい手段なのだろう。

それにしても、クソ真面目に、毎日書いているものだ。

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2003年05月04日(日)
760, いかに生きたか いかに生きるか

去年の文芸春秋の12月臨時増刊号の
「日本人の肖像ーこのすがすがしい生きかた」ー
シナリオ作家の舟橋和郎を文章を紹介する。
文章が鮮明で、半世紀以上前の情景がアリアリと浮かび上がってくる
すばらしい文章である。
小林秀雄という人物と、乃木大将の決心と、舟橋和郎の人物が何ともいえない文章で浮かび上がってくる。

 以下の通り書き写した。
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 明治大学文芸科の教室で初めて小林秀雄さんの講義を受けた時の情景を、
私は忘れる事ができない。・・・かなりせかせかと、誇張すれば
「肩で風をきって」入ってきた。
そして安いタバコを取り出して一本くわえた、そしてマッチをすり、
うまそうに、フッーと煙を吐いてから、おもむろに、
「何か質問をしたまえ」と、言った。学生たちは面食らった。
「文学に限らない。どんな分野でもよい」
誰も手をあげるものはいなかった。
「質問がなければ、僕は帰るよ」と、タバコをポケットにしまいかけた。
あわてて学生の一人が手をあげた。
「先生、あのう(しばらく声がなくて)乃木大将は本当に偉いのでしょうか?」
見当はずれの質問のように思われて、私は思わず失笑しそうになったが、
小林さんがどう答えるか固唾をのんだ。
「そうだね、乃木さんか・・・ウム・・・あの人は偉い人だよ」
返ってきた言葉は単刀直入、極めて自信ありげに聞こえた。
「乃木さんって人はね、少尉時代に軍旗の騎手をやっていたんだ。
丁度西南戦役のときでね、彼はそこで軍旗を敵に奪われるという失敗をしでかした。
これは取り返しのきかない失態でね、それは天皇の象徴なんだ。
乃木は当然切腹ものだと覚悟をした。ではいつ腹を切ろうか、彼は悩んだ。
そして明治天皇が崩御された時に、み跡を追って切腹しよう、
そう心に決めた。これで乃木さんはスパッと人生を割り切ったんだ。
人間が若い時に自分の人生の最後をきめてしまう事は容易ならぬことだよ。
どうかね君たち、こういう人を偉い人と言うより他はないだろう、そう思わんかね」
そういって小林さんは満足そうにタバコの煙を吐いた。
学生たちは文字通りケムに巻かれたように、茫然自失の面持ちであったが、
正直ショックを受けた。というより心底惚れてしまった。
小林秀雄という先生の目の高さに惚れたのだ。
私は講義の度に自分の脳みそが少しずつ柔らかくなるような気がした。

ー以上であるが、乃木のそのときの深奥の決心が素晴らしい。
その時から全てがその瞬間ー明治天皇の死の瞬間ーに絞られた。
その視点より全てをみていたのだろう。
少なくとも彼の「無私の精神」の原点といってよい。
「いかに生きるか いかに生きたか」は
「いかに生きるかは いかに死ぬか」に行き当たる事例である。

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2002年05月04日(土)
 396, 光の旅人

三条で昨日見た映画「光の旅人」がなかなか面白い!当たりであった。
昨年の9・11に最も救いを求めていたアメリカで、
10月にNO.1にヒットに記録された映画という。
ー内容は
「初夏のニューヨークのグランドセントラル駅が不思議な光につつまれた。
雑踏の中に黒いサングラスの男が現れた。彼.プロート(P)は自分を、惑星
K-パックスから来たと主張し精神病院に送られる。
医師マークは的確に宇宙の謎を語るその男に興味をひかれ、
K-パックスと宇宙のなぞを突き止めようと治療をする。

その男は医師に治せない患者に対し癒しを与えていく。
そしてそのおとこPに夢療法を始めたところ、その男は実在していた。
流れ者に妻子を殺されところを見たその男は、
流れ者を殺し入水自殺をして行方不明になっていた。

その男にたまたま地球にきて、その身体を捜していたKーパックス人が
のり移っていた事実が?そしてかれPは最後にはK-paXに帰るのだが・・・?」
まあこんな内容だ。

次の小説?に丁度これに近い内容を考えていたので、
この偶然の一致に唖然とした。
私の場合、「精神病の患者がやはり、宇宙の星の話を始める。そしてそこの詳しい内容を話すのだが、
あまりものリアルさに患者仲間たちがその世界に入ってしまう。
先生には絶対秘密のその空想?の世界。そこが実際あるのか?、
それともカルト教団のようにたんに空想の世界か?
彼らは治療薬をためたり盗んで、それを自分たちの治療に応用する。
そして驚異的な回復をしていく。そして全員が退院をして・・・・・・・・・・」

こんな内容で、7割位同じ内容であった。
ユングの「意味のある偶然の一致」か?
たまたま知人がシネマのパンフレットを前日に持ってきたのを見た。
それまでは「ロード・オブ・ザリング」を見るつもりであった。
これにしようという案に、家内は普段は反対するが、
今回に限り?賛成をした。

私のこの私小説?は全くボツになってしまった。
いや基本から考え直して、再度組み立てろということか?
大体考える事は一緒か?
いや世界にはプロがいて、その程度のことは書いている。
趣味でストーリーを遊んでいればよい。

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2001年05月04日(金)
ウオーキングについて
{左下に各月のテーマが、目次になっています}

 7〜8年前より1日平均15000歩、歩ている。土日曜祭日は23000歩 は歩く。
気功、屈伸、地蔵様へのおまえリ、瞑想、太陽視、呼吸法、肯定思考訓練など全部取り入れてある。
趣味をとうりすぎてライフワークになってしまった。
酒を多く飲みすぎた時など毒素が抜けていくのがよくわかる。
日経新聞のコラムで1日7〜8万歩も歩いている人の文章を読んだ事があるが、
上には上があるものだ。

10年前に書いた文章をコピーしてみる。−>−>                   
 最近私が造った言葉で“夜明けのリゾート・タイム”がある。
 (江藤淳の“夜の紅茶”をもじったものだが)
 〜當(4時半〜5時半)起床
 近くを一時間散歩
 テレビ体操
 も堊
 ゲ搬価完のお祈り
 食事
 風呂と続く。
 特に散歩が非常により。
 山の彼方をみながら複式呼吸をして歩く。
 季節ごとの草花や鳥をみながら川のせせらぎを聞き、時々に般若心経をとなえる。
 この散歩に全てが含まれても過言ではないという“気”にもなる。

 これを実施して4年、副産物としてアフター・ファイブに出あるく事と、酒量が激減した事だ。
 健康食品を口にする事も加えて七kgも体重が減った。
 時々不節制が続くと散歩していると身体がだるく重くなるのがはっきり判る。
 また朝の風呂も非常によい。当初は疲れが残ったがなれると気分爽快になる。
 早朝型のきっかけは松下電器の山下俊彦元社長の講演を聞き感激して自ら挑戦してみた事だ。
 彼は登山がライフ・ワークであり、その訓練も含め毎朝3時半起床。1時間半10km歩くという。
 そして読書とシャワーをあびるとの事。夜は定時がくるとすぐ帰宅。
 夜のつきあいは一切断っている。これが逆に考える時間と、心の余裕をつくったのでないか。
 山下跳び(飛躍的出世)の秘密もこれがポイントではないか。


1126, 「ライフ・レッスン」−9

2004年05月03日(月)

ー恐れのレッスン

秘境ツアーに行きはじめた当初、出発前のプレッシャーは相当のものだった。
その恐怖感と不安感の波を乗り越えたさきの、すばらしさが直感できたからこそ、
恐れを乗り越えることができた。

初めてアフリカに行った時、10年のベテラン女性ツアーコンダクターも不安で、
震えていた。先輩に『天国と地獄がある』と脅されたきたという。
インドの時も、タンザニアの時も、南米の時も、恐怖感の山であった。
しかし一度飛行機に乗ってしまえば腹が据わる。
そして実際現地にいってみると、恐れの殆どは無知からの妄想でしかないことが判る。
いまでは、そのプレッシャーも料理の味付けとわりきっている。

恐れのプラス面は
万一に備えて、こころの準備と、持ち物の準備、情報の準備のエネルギー源になることだ。
未来を思い煩うなかれ、過去を悔やむなかれ。
いまに挑戦し、いまに生き、いまを見つめ、いまを味あうことだ!
人間ができることはそれしかない。

積極とは、極みを積むことである。
極みは、自分の限界のラインにたつことである。
積極とは、その先の経験にチャレンジすることである。
そこには、恐れのレッスンがある。
恐れは自分の壁に対する自分自身のレッスンになる。

すべてがレッスンと思うことは、世界を広くしてくれるし、
こころを上からみる魂の視点になる。

ー抜粋ー

・人生がわたしたちにあたえるものの多くは、恐れや心配などの前兆なしに、
いきなりやってくる。恐れが死の進行をとどめることはない。恐れがとどめるのは
生の進行である。
大部分の人が考えている以上に、わたしたちの人生の多くは
恐れとその波及効果への対処に費やされている。

恐れはすべてをさえぎる影である。
愛、真の感情、幸福、そして存在そのものが、恐れの影にさえぎられている。
私達は恐れのなかで育ち、未来にみえるのは恐ればかりだ。
しかし、恐れていることの何パーセントが、実際におこるのか?
ほとんどはおこらないのだ。

それにもかかわらず、多くの人の人生が危惧や心配や恐怖に支配されている。
だからこそ保険会社は、人々の危惧の大半がただ幻想であるという可能性に賭け、
その賭けに勝って、毎年、数十億ドルという利益を上げている。
掛け率からいえば、人生はけっしてそれほど低いものではないのだ。


・人生で経験する感情には、幸福、恐れ、喜び、恨みなど、さまざまな
ものがある。しかし、そのずっと底のほうの、人間の核になる部分には、
愛と恐れという二つの感情しかない。
あらゆる肯定的な感情は愛から生まれ、あらゆる否定的な感情は恐れから生まれる。

愛は幸福、満足、平和、よろこびがわきあがり、
恐れからは怒り、憎しみ、罪悪感がわきあがる。
基本的な感情は愛と恐れの二つしかないことは確かであり、両立しない
のが特徴である。
愛と恐れはまったく同時に感じることはできないのだ。
愛を感じているときは恐れを感じることはできず、
恐れを感じているときは愛を感じることはできない。

ーーーーーー
【-恐怖について-】-

・恐怖と勇気がどんなに近くに共存しているかは、
敵に向かって突進する者が一番よく知っているであろう。
                −モルゲンシュルテン
・船は水よりも火を恐れる。
                −西洋の諺

・恐怖はつねに人間の中に何か正しくないことが生じた徴候である。
恐怖は、苦痛が肉体に対して果たすのと同様に、精神に対しても貴重な警告者の
役目を果たす。
                −ヒルティ

・何も知らざる者は何も恐れず。
                ーイタリアの諺
・恐怖は残酷の両親である。
                −フロード

・恐怖には、恐怖に対する恐怖というものしかない。
                ーアラン

・苦痛には限度があるが、恐怖には限度がない。
                ープルニウス

・遠くにいると恐怖を感じるが、近くに迫るとそれほどでもない。
                −ラ・フォンテーヌ

・恐怖は常に無知から発生する。
                −エマーソン

 

・小心者は危険の起こる前に怖れる。臆病者は危険の起こっている間に怖れる。
大胆な人間は危険が去ってから怖れる。
                 −ジョン=パウル

・自分にまったく縁のない環境で暮らすほど恐ろしいことは、     
 この世の中にまたとあるまい。
                 −ドストエフスキー

・濡れているものは雨を恐れない。裸の者は盗賊を恐れない。
                 ーロシアの諺

・恐怖の魅力に酔いうるものは強者のみ!
                 −ボードレール

・恐怖は愛より強き感情なり。
                 −プリニウス二世

 ・希望と怖れは切り離せない。希望のない怖れもなければ、怖れのない希望もない。
                 −ラ・ロシュフーコー
・・・・・・・
・・・・・・・

2003年05月03日(土)
759, 陽気と陰気

 陽気とは外交的で何事も前向きな人をいう。
人と交わることを好み、常に活動的なタイプだ。
陰気とは消極的であり、心が内向き後ろ向きの人をいう。
引っ込み思案で他人と交わるより独りを好む。

どちらが良いということはないが、やはり傍にいるなら陽気の
人の人がよい。
陽気のタイプとしては、秀吉をあげることができる。
陰気は家康だろう。
信長はどちらであろうか?、陰気と考えるとさっきの定義は違う
ことになる。

我々は、生きていくために陽気が求められる。
外に心を向けていないと生きにくくなってしまう。
その為にどうしても自分の中の陽気の部分を積極的に前面に出して
無理をしなくてはならない。
しかし陰気が悪いのだろうか。
プラスにみれば精神性の深さ求めていることだ。

我々は青年期や壮年期に陽気に振るまい、心を外に向けて生きる。
しかし50歳を越える頃、あまりに内側に目がいってなかったことに
唖然とする。そして心の空虚さになす術がなくなる。
そして内側の充実に取り掛かるようになる。
そこで、気づく時期が遅かったことに失望をする。
それさえ気がつかない人を、私は抽象的に「小狐」といって、
この随想日記に度々書いている。

その意味で、決して陰気は否定してはならない。
何故なら陰のエネルギーも人生のバランスを考えると必要であるからだ。
ただマイナス思考の行き過ぎが悪いのだ。
家には居間も必要だし、書斎も必要である。
陽気を居間に喩えるなら、陰気を書斎に喩えることができる。
そこで内側の精神の充実をはかる場所だからだ。
書斎に閉じこもることも必要だ。
といって、閉じ篭り出てこないのもバランスを崩してしまう。

このように居間でパソコンを打つのも中途半端になるのか?
いや中庸でよい!ほんと。

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・・・・・・・・・

 2002年05月03日(金)
395, 文章作法−1 (文章作法は人生作法?)

この種の本を数冊借りて、もっている本を数冊計7冊並べて見た。
共通点と相違点を考えてみた。

共通点は全てそれぞれの人の人生論であること。
相違点はその職業の立場の視点であった。
   ー詩人、作家、記者上がりの作家

面白い発見であった。
そして文章を書くことの大事さを再確認した。
その2つの更にベースの共通点がある。

聞く人によっては非常にきつい事が羅列してある。

・好きな事を書け(好きな事をやれ)
 愛情をもてること以外書くな(するな)ー対象に愛情を込めること

・自分の選らんだテーマに集中する
 ー結論を先に

・自分の地頭で考えた事を書け(やれ)
 自分で考えた事をそのまま書くー自己責任の行為

・失敗を大事に書け(大事にしろ)

・わかった振りするな

・まず書け(行動しろ)ー

・とりあえず量を書き、推敲をどんどんするしかない
 ーとりあえず多くの経験を積んで、フィードバックするしかない
 (行動を噛み砕け)

・いかにして「書くプレッシャー」を乗り越えるか

・自然体でー背伸びや虚勢を張らない

・自分を直視するー自己責任

・基本的の技術を身につける

・自分の持ち味を生かした文を書くー個性を発揮する

・文章の脈絡をキチントとうすー筋をとうす
 起承転結を常に忘れずに   

・他人の文と比較しないー生き方と比較しない

・常に現象のの底を見つめる

・何故を常に忘れない事

・見えないものを常に見る視点をー観察力を持つ

・主語を忘れずにー主体性を大事に
 書く時代であるー個人発信の時代

・常識を常に疑う


1125, 酒について (ああ、酒よ!)

2004年05月02日(日)

「神はこの世を六日間で創り給うた。そして、第七日目には、二日酔いを与え給うた」
というとおり、酒はよいことだけではない。。
「バッカス(酒の神)はネプチューン(海の神)よりも多くのものを溺死させた」と、
ローマの諺にある。酒は肝臓に悪い。腎臓に悪い。
しかし、酒は「心の特効薬」?である。
酒の一杯は健康のため。二杯は快楽のため。三杯は放縦のため。四杯は狂気のため。
というが、酒はプラスにもマイナスにもなる。。

「おい堀井。お前、晩酌で二日酔いしたことがあるか?」
 と高校の同級生に聞かれたことがあった。
「ほとんどない!」と答えたら、
「おれなど、いつも晩酌で二日酔いをしているぞ!」
 何か深い深い意味があった。
 
目の前の悩みを洗い流してくれるのは、酒と先人の言葉と諦念である。

酒は愉楽の完全な典型である。
酒は実にうまい、不満を追い払ってくれる。
それ以上何を望もうか、それでよい。

酒を飲むことほど日々を楽しくさせてくれるものはない。
くよくよさせず、勇気をいっそう勇敢にさえしてくれる。
しかし、酒であまりの多くの失敗をしてきた。
若き日、酒を飲んで多くの議論をしてきた。
そして、多くの人と争ってきた。
酒は、脳に入れた敵、気違い水であり、あまりに危ない敵である。

それでも、酒は美味い。
これで20年は寿命を短くしただろう。

ー私の場合特に以下の言葉は胸に刺さる

・酒を飲む理由は二つある。一つはのどが渇いたときに喉をうるおすため。
もう一つはのどが渇いていないときにのどの渇きを事前に防ぐため。
             Tーピーコック

・若者にとって酒は大人の勲章である。
             ー吉行淳之介

・一生を洗い流してくれるのはただ酒だけである。
             ー韓愈

・どういうことになるものやら見当のつかない二つの場合がある。
男が初めて酒を飲むとき。女が最後に(今夜きりよ、と)酒を飲むとき。
             ーヘンリー

・土曜の夜の酒の味が、平生と違うことを知らないものには、日曜の朝の楽しさは
解るまい。
             ー水上滝太郎

・酒がいちばんいいね。酒というのは人の顔を見ない。
貧乏人も金持ちも同じように酔わせてくれるんだ。
             −古今亭志ん生

・酒と美しい娘は二本の魔の糸。
経験を積んだ鳥でもこれにはまんまと引っかかる。
             −リュッケルト

・酒に害はない。泥酔する人に罪がある。
             −フランクリン

・喫煙家が禁煙家にかける迷惑は肉体的なものであるが、
禁煙家が喫煙家にかける迷惑は精神的なものである。
             ー林語堂

・酒は茶の代りになるが、茶は酒の代りにならぬ。
             ー張潮

・酒を飲めば、言葉に羽が生えて、傍若無人に飛び回る。
             −ヘロドトス

・勤労は日々を豊かにし、酒は日曜日を幸福にする。
             −ボードレール

・少し飲み、そして早くから休むことだ。これは世界的な万能薬だ。
             −ドラクロア

・酒と人間とは、絶えず戦い絶えず和解している仲のよい二人の闘士のような
感じがする。負けたほうが勝ったほうを抱擁(ほうよう)する。
             ーボードレール

・酒は人を魅する悪魔である。うまい毒薬である。心地良い罪悪である。
              −アウグスティヌス

・人生は生きるに値するか?それはひとえに肝臓にかかっている。
              −ウィリアム・ジェームス

・人は次の五つの理由で酒を飲むことができるのである。
 
 まずは祝祭日のため。
 次に、その場の渇きを癒すため。
 それから、未来を拒むため。
 その上に美酒をたたえて。
 最後に、どんな理由からでも。
             ーリッケルト

・煙草が存在しなかった時は、セックスの後で皆何をしていたのだろう。
             −ヴァシリス・アレキサス

・酒は百薬の長なり。
            −「漢書」

・百薬の長とは言えど、よろずの病は酒より起これ。
             −吉田兼好

・ときには我を忘れるほど酔うことも人間の特権だ。
             ー山本周五郎

・大体お酒のみには二種類ありますね。酔いたい人と飲みたい人とです。
             −内田百

・酒は何も発明しない。ただ秘密をしゃべるだけである。
               −シラー

・酒と女と歌を愛さぬものは、生涯愚者である。
               −ルター

・酒は文明に対する一つの諷刺である。
               −萩原朔太郎

・私は人生を忘れるために酒を飲んだことは一度もありません。
 逆に人生を加速させるためなのです。
                ーサガン
                
・煙草をやめるなんてとても簡単なことだ。私は百回以上も禁煙している。
                −マーク・トウェーン
                
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2003年05月02日(金)
758、ある医師の夢

 
  10年近く半年〜一年に一度の定期健診ー人間ドックにいっている。
 その主治医と、いつの間にか懇意になった。
 先日検診に行くと、オホーツクの僻地に赴任することになったという。
 僻地医師になるのが長年の夢で、
 「あと定年まで3年で、このままいても今と同じくり返しでしかない。
 一度しかない人生、夢の実現の為に思い切って決断した!」
 ほとんど長岡を出たことのない最後の人生のデザインである。
 人生いろいろある。
 
  青年期に読んだ本の一節で「人生、小説でないのよ、勝者が善、
 敗者が悪なのよ!」
 というソルジェニーツェンの小説の一節がある。
 しかし小説のように生きる事こそ人生の要諦ががあるのではない
 だろうか。
 死ぬ時につくづく「小説のような人生を生きていてよかった!」
 と思える生き方もある。
 最後は自分の納得の行く決断が人生のデザインである。
 一人で、自分で自分をどう考えるかである、それしかない!
 同じ人生なら納得して死んでい(生)きたい!
 
 「いいじゃないですか!もし事前に相談されたら、いけいけ絶対に
 行けというでしょうね!でもどっちも結果として大して変わりはない
 でしょうね!」
 と無意識で答えていた。自分の答えの冷たさに自分で驚いてしまった。
 「それは他人の事だら言えるのことだ!」と本人の答え。
 こういう場合は「五分五分に迷ったら行動すべき!但し結果には
 期待しない!」これは人生の私の経験則である。
 その真意は相手には伝わらなかったようだ。
 「そこで独りぶつぶつ言いながらつきつめ一つ一つこなしていくのが、
 事業の立ち上げの経験でいえるんですよね!
 その経験をインターネット上にホームーページの日記として載せた方
 がよいと思いますよ。『僻地医師の独り言』がよいじゃないですか!」
 と進言した。
 「奥さんは一緒ですか?」との問いに、
 「いや、まず自分がいってから判断をするつもりです!」
 「最低何年のつもりですか?」
 「三年です!」
 「一年でもよいのではないでは?」
 「そういう訳にはいかない、僻地なので後任がそうは決まらないので
  辞めるわけにはいかないのです!」
  言葉の中に永住という感もあった。
 
  例えが悪いが、お屋敷の卓上犬が広野に一匹飛び出すということだ。
 設備もない僻地で、全てを独りで解決しなくてならない世界である。
 その苦労が目に見えているが、一度もお屋敷ー大病院から出たことの
 ない人は純粋性とエネルギーを持っている、すばらしい事である。
 こういう純粋性が教養というのだろう。
 「いま貴方にそのエネルギーがあるか?」と問われれば、
 「ない!」が正直な答えである。
 エネルギーというより、教養の差ともいえるのか。
 先日、親戚の人の「30数年を賭けた夢の実現」と、「医師の夢」
 の話はいまの私にとって身近で人生ドラマを見せてもらったようで
 あった。

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2002年05月02日(木)
394,「人生を変える至福の散歩」

昨夜、NHK でウオーキング特集を組んでいた。
「人生を変える至福の散歩」というタイトルだった。
今更という感で見ていたが、散歩の素人向けの番組だった。
こちとら15年のプロ、柔道でいうと2段くらいか。

新潟市内を平日の日中歩けば、3段ぐらいになれる。
ただ楽しい至福の時間だ。
他人のことはどうでもいいが、
これだけの素晴らしい事を殆どの人が見つけていない。

家内に言っても、息子にいってもいまだ解らない。
それが他人にいっても解るわけがない。
全てが含まれている。

一日7^8時間歩いているという人の手記を日経新聞で読んで、
凄い人がいるものと驚いた。

毎日散歩をしていて感じる事は、
自然に溶け込む、自然と一体感が持てることだ。

鳥の世界が見えてくる、草木の世界が見えてくる、昆虫の世界が見えてくる。
橋が見えてくる、山が見えてくる。
その世界に入っている自分が見えてくる。

太陽の光と空気の世界が見てくる。
自分の人間世界の卑小さが見えてくる。

そして何よりも
自分の人生が見えてくる。
雀のあの楽しそうなしぜんが見えてくる。

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過去に書いた文章をコピーしておこう。

H0311事業百訓
 最近私が造った言葉で“夜明けのリゾート・タイム”がある。
(江藤淳の“夜の紅茶”をもじったものだが)〜當(4時半〜5時半)起床
近くの土手を一時間散歩テレビ体操も堊朖ゲ搬価完のお祈り食事
風呂と続く。特に散歩が非常により。山の彼方をみながら複式呼吸をして歩く。
季節ごとの草花や鳥をみながら川のせせらぎを聞き、時々に般若心経をとなえる。
この散歩に全てが含まれても過言ではないという“気”にもなる。

 これを実施して4年、副産物としてアフター・ファイブに出あるく事と、
酒量が激減した事だ。健康食品を口にする事も加えて七kgも体重が減った。
時々不節制が続くと散歩していると身体がだるく重くなるのがはっきり判る。
また朝の風呂も非常によい。当初は疲れが残ったがなれると気分爽快になる。

早朝型のきっかけは、松下電器の山下俊彦元社長の講演を聞き、
感激して自ら挑戦してみた事だ。
彼は登山がライフ・ワークであり、その訓練も含め毎朝3時半起床。
1時間半10km歩くという。そして読書とシャワーをあびるとの事。
夜は定時がくるとすぐ帰宅。夜のつきあいは一切断っている。
これが逆に考える時間と、心の余裕をつくった。
山下跳び(飛躍的出世)の秘密もこれがポイントだ。

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H0503万歩計
“万歩計”をつけてから約一年が経過する。
冬期八千歩・それ以外が一万三千歩・平均して歩いた。
一年で四百二十万歩、一歩五十センチとして、二千
km歩いた事になる。江戸時代の人は平均二万歩近く歩いたという。

ある調査によると会社の営業系の人は七千歩!事務系六千歩!管理職が五千歩!
トップは四千歩が平均歩数との事。また人間の身体の構造は本来、
歩くようにできているそうです。
 
私の場合必ず手帳に歩数をメモにとり一週と一ケ月の平均歩数を出します。
これを実施していて雨の日の休日でも傘をさしてでも散歩に出るか、
天気予報を見ながら“歩き溜め”をしたりする様になりました。

私の知人も数名万歩計をつける様になりました。
今では、万歩計をつけ忘れても大体、歩数はわかるようになりました。
参考の為に、万歩計は薬局かドラッグストアに二千円位で売っています。


1124, いま不幸と思っている人へ

2004年05月01日(土)



不幸論を書いたことがあるが、一般に自分のことを不幸と思っている人が
多い。
幸・不幸は、気分と解釈の問題でしかないと割り切って、考えないようにしてきた。
躁の時は幸せ気分、鬱の時は不幸せ気分でしかないと。

何げなく検索をしていたら、面白いHPに「不幸について」多くの格言が
まとめてあった。

これを見ているだけでも、こころやすまるから不思議である。
結局他人と比べてしまうのが人を不幸にしているのだ。

「人は自分が幸福であることを知らないから不幸なのである」
といったドストエフスキーの言葉が、その真髄をついているのだろう。

仏様は人間は生きている限り、苦しむものだと看破をして
それを「四苦八苦」に分類。それを乗り越えるために「八正道」を説いた。
先人の不幸に対する解釈も深い。

ー面白いところだけを抜粋してコピーした

・もしある人が自分の不幸な出来事について話したら、
そこにはなにか楽しんでいるものがあると思って差し支えない。
なぜならば、本当にみじめさだけしかないとしたら、その人はそんなことを
口にしないだろうから。
      ーサミュエル・ジョンソン

・不幸なる人々は、さらに不幸な人々によって慰められる。
      ーイソップ

・他人の悲劇は、常にうんざりするほど月並みである。
      ーオスカー・ワイルド

・人間には幸福よりも不幸のほうが二倍も多い。
      ーホロメス

・大多数の人間は、静かな絶望の生活を送っている。
      ーヘンリー・デイヴィッド・ソーロー

・すべての不幸は未来への踏み台にすぎない。
      ーソロー

・不幸に対する特効薬はありません。ただ昔から
退屈な忍耐とか、あきらめといった美徳があるのみです。
      ーアルドゥス・ハックリー

・結局のところ、最悪の不幸は決して起こらない。
たいていの場合、不幸を予期するから悲惨な目に会うのだ。
      ーバルザック

・不幸な人間は、いつも自分が不幸であるということを自慢しているものです。
      ーラッセル

・それ自体の不幸なんてない。自ら不幸を思うから不幸になるのだ。
      ーアルツィバーシェフ

・不運な時に幸福な時代を思い出すことほど辛いものはない。
      ーダンテ

・人生の小さな不幸せは、我々が大きな不幸を乗り越えていくのを助けてくれる。
      ーエッシェンバッハ

・人間には幸福のほかに、それとまったく同じだけの不幸がつねに必要である。
      ードストエフスキー

・どんな不幸のなかにも幸福がひそんでいる。どこに良いことがあり、
 どこに悪いことがあるのか、我々が知らないだけである。
      ーゲオルギウ

・明日、なにをすべきか分からない人は不幸である。
      ーゴーリキ

・「今が最悪の状態」と言える間は、まだ最悪の状態ではない。
      ーシェークスピア

・時間がやわらげてくれるような悲しみは一つもない。
      ーキケロ

・いつまでも続く不幸というものはない、じっと我慢するか勇気をだして
 追い払うかのいずれかである。
      ーロマン・ローラン

・人間は、自分が考えるほど不幸でもないし、それほど幸福でもない。
      ーラ・ロシュフーコー

・人間には不幸か、貧乏か、勇気が必要だ。でないと人間はすぐに思いあがる。
      ーツルゲーネフ

・人生は学校である。そこでは幸福よりも不幸のほうがよい教師である。
      ーフリーチェ

・絶望は死にいたる病。
      ーキルケゴール

・不幸はナイフのようなものだ。ナイフの刃をつかむと手を切るが、
 とってをつかめば役に立つ。
      ーメルヴィル

・不幸はこれを語ることによって軽くすることができる。
      ーコルニィエ

・人は自分が幸福であるだけでは満足しない。他人が不幸でなければ
 気がすまないのだ。
      ールナール

・禍福は糾える縄の如し。
      ー老子

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ー以前書いた不幸論をコピーする。

2003/01/06
不幸論ー中島義道

図書館で借りてきたユング派の哲学者の中島義道の不幸論が面白い内容であった。

幸福論の自己欺瞞を鋭く指摘したあとに、人間の最終結末の死をとらえて
不幸論を書いている。しかしあくまでも幸福論の批判であって、
不幸論そのものを見すえて論じてはなかった。

しかし不幸を座視にして幸福論を批判するのは、逆に幸福論をより鮮明に浮かび上がらせて理解するのに良い。
幸福の構造は
1、自分の特定の欲望がかなえられていること
2、その欲望が自分の一般的信念にかなっていること
3、その欲望が世間から承認されていること
4、その欲望の実現に関して、他人を不幸に陥れてないこと
特に1〜3までの実現に4が生じてしまう。

幸福論というと、エピクロスの快楽主義が思い浮ぶ。
「人生において、面白おかしくしたい事をする事が全てに優先されるべき」バランスが問題になるだろうが。

最近の幸福論としてヒルティやアランである。
・ヒルティの幸福論はキリスト教の理想的なカタチ
・アランは内省ー解釈の仕方ー気持ちの持ちよう
集約するとこんなものだろう。

私の幸福論はやりたい事を見つけどれだけやったかという
達成主義である。それもあくまで自己欺瞞でしかないのだろう。
愛・知・力という3点に自分の目標値は決め、達成のプロセスが=幸福という単純なものだ。しかし死を宣告された時にその達成感など何の支えになるかと考えると、その前に粟粒でしかない。

この不幸論の一番気にいったところを抜粋した
ーだいたい、幸福論を書こうという人の動機が気に入らない。
彼(女)は、
・まずだれでも幸福になるという基本態度を押し出す。
・次に、この磁石の上に、自分の体験を重ね合わせて、幸福とは大それたものでないことを、それは考え方を変えることで誰の足元にもころがっているという、
壮大な建造物ー砂上の楼閣を創りあげる。

これは幸福教の布教にすぎないまやかしである。
幸福そのものが虚妄なのではない。
幸福そのものが、じつはあまりにも高いところに位置する。
幸福が安直に手に入ると思う事が、虚妄なのである。

各人の幸福は自分の五感で探すしかない。
そしてヤコブが砂漠で神と格闘したように、全身全霊でみずからの人生と格闘した後に、とうてい到達できない事を知って、絶望するほかない。こういうことを悟った者は幸福でない。
しかし、幸福という幻覚に陥っている者より数段マシである。

以上がだいたい彼がこの本で貫いている主張の要旨だ。
私の今の気持ちー敢えて気持ちと書くーは以下である。
両親や身近な人の死に様や生涯をみて、
一生かかって何かをやり終えた人生そのものの判断を幸・不幸という言葉で論じるべきでない。
それは酔ってる気分の状態を論じているにすぎない。
「酔って気持ちが良いか、悪いかの」
まあ幸不幸は考えないのが一番良い??

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 2003年05月01日(木)
757, ミスマッチ

 ある大型ショッピングセンターの出入口の横に一月少し前に、
讃岐うどんの専門店が開店した。
開店予告の張り紙を見て、てっきり今流行のセルフの100円の
讃岐うどん店ができるものと思っていた。
実際は380円、480円のプライスラインの讃岐うどん屋であった。
これは絶対にミスマッチの店と思っていたら、
やはり見事の位にお客が入っていない。
通勤で行き帰りのちょうど食事時間に前を通るのだ。

 この隣はドトールコーヒーが出ており、反対側にはマクドナルドのハンバーガー店と、その隣はコンビニエンスがある。
この三軒は勝ち組である。
うどん店の以前のテナントはケンタッキーフライドチキンであった。
そしてドトールコーヒーの右隣はダイエー系のハンバーガーチェーンがあったが、2軒ともマクドナルドに負けて撤退してしまった。

 恐らく100円のうどんショップだったら、ミスマッチではなかったろう。
間違いなく数年のうちに撤退するだろうというのは、私だけでなく
消費者なら解っていることだ。
新潟駅に同じ店があるがそこは結構繁盛している。
数千万の損失は誰の目にも明らかだ。
事前の調査の甘さが、数千万の損失を出してしまう。
事業の恐ろしさの典型だろう。

 店が開店をすると無意識のうちに、その店がどうなのかみてしまう癖がついてしまう。結構間違った判断をしてしまうが、大筋は間違わない。
少しの判断ミスで微妙にその店の成否が決まってくるから面白い。
博打を横で見ているのと何か似ているようだ!

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2002年05月01日(水)
393, 倒産の後先

身近にある事で今更の感もないが、自省も含め書いてみよう。
子供の時の両親の話題はいつも「倒産、夜逃げ、自殺の話し」であった。
子供なりに刺激の強い話しであった為、記憶に鮮明に残っている。

少し上手くいくと、「妾」か「ライオンズ」か「商工会議所」通い。
本分を忘れてしまうものらしい。
子供ながらに「人間は幼稚なものだ」と感じていた。

現在の全国の会社の70佑赤字、30佑倒産予備軍
(いつ潰れるかの線上)という。県内はこれより更に悪いという。
身近で多くの倒産を見てきた。(誰もが見てきているはずだ)

人間の死と同じで悲惨で直視できない。
離婚などの家庭崩壊がそれに加わるからだ。

それと最後は資金繰りのため、詐欺同然までに陥ってしまう。
「狂言自殺」や「??揃っての計画的詐欺」
よくやるなというほどの知恵を出す。
それを社員や親戚や同級生や親友にやるから深刻になる。

子供の時より子守唄のように聞いていたが、
いざ自分が実際目の辺りでであうと、そのリアルな悲劇にとまどってしまう。
事業をしていると常に倒産の危険に出会うが、
ついついその備えを忘れてしまう。

それを予防の為に反面教師という意味で、
そういう場面にあった時それを直視する。
時代が変化する、事業の利益はその先取りからくる。
変化の先行益であることを忘れてしまう。

したがって常に時代を読み、自分を変えていかなければならない。
変化対応の体質を作っていなくてはならない。

それでも今までは愚直にやっていれば、何とか生きていけたのだが。
今はそうは行かない時代に入ってしまった。実質社会主義制度から
資本主義制度の移行期であるからなおさら難しい。

事業は上手くいっている時は天国、上手くいかなくなったときは地獄である。
坂道を転がり落ちるように破滅へ向かう。難しいといえば難しい。
そうでなくては誰もが自分で事業を興すだろう。
特に金の心配は地獄の苦しみという。

こと事業に関して、資金繰りがつかない時点で即倒産だ。
ゲームとはそこが全く違う。
その危なさが面白いとは、上手くいっている時の感情・感想でしかない。
またサラリーマンとは全く違うところだ。

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