堀井On-Line



392, 「全日本柔道選手権」

2002年04月30日(火)

4月29日といえばこれである。
この面白さは体重別でない事だ。

軽い体重の選手が結構勝ち抜く。
それと真剣さを感じる、永年の歴史の重みであろう。

柔道の面白みはもともと「小さいな男が大男を投げ飛ばす」ところにあった。
それが世界的に広まっていく過程で、階級別になっていった。

それぞれの体重別のトップが次々に出てくるところが面白い。
その人が2〜4ランク上の準実力者と闘うからだ。
100キロの井上が150キロの選手を投げ飛ばしたていた。
最後は井上が一ランク上の棟田を破り優勝した。

この試合が近年まれなる柔道としては、よい試合であった。
両者とも絶対にかつというぶつかり合いであった。
会場も異様な熱気に包まれた。

一〜二階級の違いなら、トップクラスの方が勝つ事が多い。
勝ち方を知っている為だ。

四月最終日曜日の天皇賞と、これを見て初めて連休を実感する。
ああそれと鯉のぼりだ。


391, 休日の風景

2002年04月29日(月)

休日の一日の典型の日が昨日であった。
時系列に書くと
・5時に目が覚める、30分位 うとうと
・5時半、 起床ーすぐ仏壇の前でおまいり
 「天国のお父さん、お母さん、運一さん、進さん、正子さん、(兄・姉)
  ご先祖様、そしてあの世のすべての人が安らかにお休みなられますように!そ  してこの世のすべての人が良くありますように、特に大変な人がよくあります  ように。ご両親様ありがとうございました。
  仏様ご苦労様です。今日一日最大限いきます。そして明るく・・」
・5時35分^6時15分  パソコン・・・・
・6時15分〜8時15分  散歩
・8時15〜11時   食事・新聞TV・読書
・11時      風呂
・12時     食事 パソコン
・13時     愛の貧乏大作戦ーTV
・14時     図書館・選挙
・15時     競馬・天皇賞ーTV
・16時^17時45分  WOWWOW ー映画ーリプレイスメント 
           これが大当たりー面白い!
・17時45分^  笑点
・18時   近くのー100m先のサイゼリヤで食事
     (500mlの赤ワイン、牛肉の角煮、ムール貝、アンチョビの
     ピサ、ドリア) 以上で2人で税込みで2100円。スーパーより安い!
      ウオーキング
・19時  サンマのからくりTV
・20時  巨人戦
・21時  居眠りーTVの前で  ビデオ少し
・10時半 就眠  
大体これで休みが過ぎる。80パーセントがこんなもの。
あとはSC と映画 とあたりが加わる。




390, 因縁と果報

2002年04月28日(日)


因は直接原因、縁は間接原因。
果は直接結果、報は間接結果。

嫁を求めている男が、ある知人の家に遊びにいて、妹を見初め
結婚をした。
因が嫁を求めていたである。
縁がタマタマ遊びに行ったーこれが間接原因である。
果は妹と結婚したである。報は知人と嫁本人が納得して応じたである。

よい果報を得る為には、よい因と縁をなくてはならない。
特に因が大事だ。その因に縁がついてくるからだ。

その中に感謝する気持ちがある。
感謝をすれば、感謝をするような事がどんどん集まってくる。
これは意外と難しい事だ。

感謝は言葉を変えれば、ありがたいことに気づく事だ。
特に商売をしていると、お客様のありがたさを見落とす事が多い。
顧客第一主義といいながら、そのことを忘れてしまう。

準備は「因」づくりそのものである。
準備は誰でもやれる魔法である。
解っていながら?それをおろそかにする。
そして「果」のみを追う。
事業でも、旅でも、人生でも全てそうだ。

教養とは生きていくための基礎知識だ。
永年かけて積み重ねていくものだ。
ところで基礎教養が自分にはあるのだろうか?
過去にその準備をしてきたのだろうか?
ただその問いかけは常にしてきたつもりだが。


389,  どういう時代に?

2002年04月27日(土)

今年来年はどういう年になるだろうか?


・今年はブロードバンド時代の新しい形が、
   製品や社会現象で新しい形で出てくる年である。ー孫正義
    携帯TV電話、液晶TV、BSハイビジョンTVなどの普及

・何を発信できるか、するかの時代になってきている。−堺屋太一
   ホームページは発信の窓か

・嵐の年、そして来年も
 ビッグバンを間接原因にした倒産の嵐、失業の増大
   身近に失業者や倒産廃業が増えてくる
    デフレの進行

・テロの続出と社会不安の増大
  新たな戦争?イラク、北朝鮮

・身近に具体的に危ない事件の続出

・思いもよらない大事件が生じるー社会的にも政治的にも

ますます殺伐とした時代になっていくことは間違いはないだろう。
しかし面白いことも事実である。
20世紀的のものの崩壊と、21世紀的の出現が同時に見れるのだから。

時代の変わり目である。
こういう時こそ、戦略の練り直しが必要だ。
一人で考え抜かなくては生きていけない時代だ。


388, 温度差

2002年04月26日(金)

3~4年前の将棋の米長棋士の講演会で聞いた話だが、
丁度北海道拓殖銀行がつぶれた直後で、
彼の講演がそこの主催で入っていた。

当然のことながら急遽中止なった。
急なことで時間もとっていたし、飛行機の切符も送られてきたし,
他の人との予定も入れていたので、そのまま行ったてきたという。

それと札幌の雰囲気がどうなっているかみたかったという。
飛行場からのタクシーの運転手に話を聞いて、思わぬ内容に耳を疑った。
北海道中、特に札幌の道民は内心皆、喜んでいるという。

彼らは北海道では超エリートで、威張り尽くしていた。
永年のその鬱憤が一般の中に蓄積されていた。
確かに北海道経済にとってマイナスで、喜んでいられないが、
道民感情は拍手喝采だという。

そして数日札幌滞在中、会う人全員がそういっていたという。
これは実際現地に来てみなくては解らない情報である。
彼が言いたかったことは、実際マスコミに流れる情報と、そこの情報の差である。

「何事も現場の声を実際聞いてみなくてはわからない」ものだという事だ。
反面ITの時代は、こういう情報が瞬間流れてしまう。
「それにしても、あれは何だったんだ?」ということだった。

そこまで嫌われる理由は?
マスコミはこういう情報は間違っても流すことは出来ない。
こういう情報は現地で直接しか聞けない。

どこかの県市でも、同じことが生じている。
気がつかないのは当事者だけ、破綻したときそれが表面化する。
何処かの城下街のそれは時間の問題という。

リストラにあった元管理職や街の中から???
という話が生々しく聞こえてくる。


387, 習慣ー極限

2002年04月25日(木)

人間が極限の時にする行為が、
健康法にいいと聞いた事がある。
それを習慣化してしまえば良いという。

頭を掻き毟る。
顔をこするーマッサージする。
ため息を吐く。
喚くー叫び声をあげる。
身辺の整理をする。

これを普段から習慣ですればいいと。
そのとおりである。

遺言もそうかもしれない。死ぬという極限の状態を常に忘れない。
毎日は無理かもしれないが、毎年の年末に書くこともそれに似ている。

末期がんで死を宣言されて、写経を始めるケースがある。
それなら普段から、暗記をして唱えているか、写経をしておけば良いことになる。

積極という言葉は正しくそれを普段から積んでおけという事だ。
消極はそれを避けて生きることである。

「あと一週間で死ぬならなら何をしますか」
というテリー伊藤の本があった。
いろいろの人がふざけて書いているが、
全部いつでもその気になったら出来る事であった。

人間の弱さをそのまま出てしまう問いかけである。


386, 宗教的タカリ

2002年04月24日(水)


オウム教はとんでもない犯罪行為をしたが、
一つだけよい事を、いや結果的に良いことをした。

宗教の怪しげな一面を浮き彫りにしたことである。
その一つが現在の仏教界の集り体質である。
葬式仏教の陥っている偽善体質である。

数百年かけ巧妙に、そのシステムを作っていったのだ。
彼らも商売?のだから仕方ないと、誰もが疑わないのもおかしい。
仏を盾に集っているのだ。

彼等の法事等の話など聞けたものでない。
こちらの知識の数段下レベルである。
プロの素人化の典型といってよい。

戒名料とかなんとか、勝手に値段を決め金をせびる。
彼らも生活をしなくてはならないのは判るが、
豪奢な生活をしている事が問題である。

幸福の科学にしろ、創価学会にしろ、その怪しげな一面を見ると、
もっとその共通点を洗い出し、白日にさらけ出さなくてはならない。
信じさせて金を騙し取るという点で、詐欺師のテクニックとほぼ同じである。
特に結婚詐欺に似ている。夢を売って金を騙す。


385, 安楽死

2002年04月23日(火)



定期的に安楽死が問題になる。
今回の内容は、記事を見る限り詳細は解らないが、
私が知る限りのことを書いてみよう。
ただ誰が見ているかわからないので、ある程度は抽象的にしておく。

・安楽死は実際日常的に行われている公然の秘密である?
 何処までを安楽死というかもあるが。
・末期癌で、集中治療室で最後の苦しみの段階で、身内の了解のもと
 筋弛緩剤をうつなどは当然のことと思っていたが。実際は医者の手で??、
酸素呼吸器を外すことも。
・苦痛をとめるモルヒネは、死をいっきょに加速するのは公然の秘密だ。
 しかしそれより本人を楽にする方法はない。
・脳死など、それをもって死と判断し移植につかう時の最後の
 「方法」は何だろうか。
・身内のなかで、悪意の第三者?がリークして自分に有利にする事が多い。
 TVドラマでもあった。

 ところで私はそうなった時は、「モルヒネはどんどんうってくれ、さっさと
 積極的安楽死をしてくれ」と常々言っている。
 「苦しんで死んでいった」という話を聞くと、周囲にそういう経験者がいなく
 「モルヒネは死ぬから、うたないで」と望む為、
 最後の最後までノタウチマワッテ、死んでいくケースが多い。
 
 こういう事について、あまりにも議論ないし、理想論が勝ちすぎだ。
 駄目なものは早く死なせてやるべきだ。生まれる前に戻るだけなのだから。
 どっちも管を巻かれノタウチマワル事は一緒か。
 出来たら死ぬ時はそれを回避してほしいものだ。


384, 我が内なる無能性−2

2002年04月22日(月)



以前も「我が内なる無能性−後まわし」という題で書いたが、その続編。
そういう人が反面教師として多くいる。
といってそれを云うだけの資格があるのかといわれれば、ない。
それでも書き出してみる。

・自己責任がない ーーー人のせいにする。
 全て人が悪い、よく言うよという位人のせいにする。
 その点で狡猾そのものだ、その芸術家だ。
 誰もがその要素を持っているから書いては駄目なことだが。
 人間それほど強いものでない。
・過去の記憶だけは、よーく憶えている、特にマイナスの記憶を。
 その壁を自分の周りに作り上げ、その中から出れない状態。
 芥川龍之介の「山椒魚」はこれを揶揄したのだろう。
・本を読まない、人の話しを聞かない、変化を嫌う、議論をしないーいや出来ない。
・長期的視点ーグランドデザインが全くない。
 ー人生でも、家族の事でも、仕事でも。したがって準備という意味が解らない。
・人の付きあいが小さい枠。
 両親の呪縛から抜け出る事が出来ないーとっくに死んでしまっていても。
・人の欠点を探す事で、凝視する事で自分の影をカバーしようとする。

考えてみたら、大部分の人がほぼこれに当たる。
もちろん私もである。少し濃いか薄いかの差でしかない。

それを「子狐」という象徴でその無能性を書いている。
時々「子狐」とあったら、上記の象徴と思ってほしい。
ただそっくりなモデルはいる。



383,チンパンジー

2002年04月21日(日)



TV のドキュメントや本などでチンパンジーの生態の研究が面白い。
人間そのものである。
まずはその社会、ボス争いが面白い。
彼らの社会は厳格な序列が決まっていて、常にその力関係の争いと緊迫が漂っている。
特にボス争いが熾烈である。
また2番手3番手の力バランスが、人間の政争とそっくりである。

鼻が詰まった時など鼻の穴に小枝を入れ、くしゃみを誘発したりもする。
蟻の穴に棒を入れ蟻を抜く行為もする。
ボスのいない隙に浮気をしたりもするし、子供期の遊びと虐めも人間とほぼ同じ。
嫁いびりや集団リンチなどもある。

京都大学の霊長研究所の代々の名物教授が、数十年にわたりその研究を続けている。
その内容がいろいろ出版されている。
またTVでそのドキュメントを数年に一度づつ放映している。

今アメリカの研究所で、チンパンジーの一番人間に近いボノボというチンパンジー
の研究が進んでいる。数回そのドキュメントを見た。
言葉の研究やゲームの姿を見ていると、「人間との差は何処にあるのだろう?」
と考えさせられる事がある。

日本でもアイコという雌チンパンジーとその子供の研究がすすんでいる。
今ではヒトを「第三のチンパンジー」と呼ぶべきという動物学者も出てきている。
人間は狂ったチンパンジーパンジー(猿)というが、言葉を持った猿の
欲望の無限の拡大のなせる業か。


382,能力とは

2002年04月20日(土)



人間の能力は無限だ。
問題は発揮できる環境をどうやって作り上げていくかだ。

それを伸ばす為に、人生設計ーグランドデザインが必要である。
それを前提にして目標の設定を立て、その達成のプロセスとその結果が
能力という。
したがってグランドデザインが明確でかつ高くなくては伸びない。

まとめると
・高い志を持ち
・ウオームハート&クールヘッドで
・事の本質を見つけ
・自ら常にその時点の最重要の問題を見つけだし
・失敗を恐れず、その重心と中心点に向かい
・全エネルギーを持って
・チャレンジとコンペテションとチェンジをする

知性と愛と力のバランスをとり、それぞれの価値を見つけ
継続してやり続ける。その為には好きな事を見つけそれをやり続けるか、
それを好きになるかだ。

まあこんなところか。


381,システム販売

2002年04月19日(金)


「IBMが物流コストを一~二割カットできるシステムを提案、
初年度のカット部分の半額をシステム料として貰う。
診断料は無料」という提案の講習会に出てきたと、
あるメーカの専務が言っていた。

システム販売そのものである。
物流システムの販売をIBMが始めたのに時代の変化を感じた。
IBMの世界から集めたノウハウなら一~二割のコストカットは
そう難しい問題でないだろう。

私もフランチャイズを2回経験してシステム力には納得している。
息子が去年宅建の試験を受ける為に日建学院に通った。
授業は衛星で送られてくる画面と聞いた。
「もし日建に通ってなかったら試験は受かってなかった」と本人が
言っていた。全国数百箇所の教室で、いっせいに聞くのだから合理的だ。

もし落ちても来年は、無料で通えるとか。なるほどと納得した。
これもそのシステムを売っているのだ。

イトーヨーカ堂もシステム70余ι複械悪佑箸い考え方を柱にしていた。
システムを主体に売っているということだ。
もの主体から、こと主体の時代の変化である。


380, 姉正子さん

2002年04月18日(木)


姉正子が亡くなって2ヶ月すこし経つ。
去年の6月に来て,3時間半なにを話したか?

大体がこんな内容であった。
・自分の生い立ちー声楽のコンクールで、
 中沢桂に高校時に負けたことが一生の分岐点であった
・高校しかいけなかったハンデキャップが一生ついてまわったこと
・倒産時に私に助けてもらったのが、地獄に仏であった
・今回自分はセンガンでないが、主治医がセンガンと書いてくれた為
 保険が全額降りた。
・いつもこの家に来ると、肩に重い何かが被さるが今回はないのが不思議だ
・両親の思い出、今までの思い出
・なにがあっても自分は生きぬくーEM 菌を飲んでいるので順調
・病気の状態ー入院の後先の話

彼女にとって、「もしかしたらこれが最後の実家帰り」
という気持ちがあったのだろう。
彼女にとってここは(自宅)やはり実家なのだ

この内容から私なりの彼女の心理分析をすると

・この長岡の街で、この世界を出ることができなかった一生であった。
・やはりやってはいけない事?をしてしまった無念、後悔。
・両親に対する恨みと、反面後悔。
・病気の恐怖に対しての自分の気持ちの説得ー自己詭弁

一昨年の手術の前日の20時過ぎか電話が鳴り、「実は自分は肺がんで明日手術。
最後の電話をやはり貴方に電話をしてしまった。これからお風呂に入って
身体を清め、手術に臨む。もしものことがあるかもしれない。
いろいろ有難う。」
ー私「もし間違えてあの世に行ったら、両親によろしく。それとうまくやって。」
ー正子「仲良くするし、待ってるからね」
だいたいこんなものだった。
 面白い人でもあった。


379,外国人犯罪

2002年04月17日(水)

外国人犯罪

一昨日、新潟の万代の金券ショップで老夫婦の殺害があった。
たまたま昨日の飲み会の1人が隣家であった。
NHKの全国放送でインタビューに出たそうだ。
取材攻勢で家にはいられないという。

外国人の犯罪らしい。
ヒット&ウエーで恐らく捕まらないのではないかと思われる。
発覚前に飛行機に乗って逃げてしまうらしい。

ベトナム旅行に商店を休んできている夫妻がいた。
休業の張り紙は出せないらしい。
外国人がトラックで全て持ち出すという。

10年前の外国旅行で聞いた犯罪が、日本でも当たり前になりつつある。
犯罪もグローバル化になってきた。
平気で殺すから恐ろしい。

同席していた1人はセコムに近じか入るという。
自分も真剣に考えなくてはならない時期にきている。
8000円が少し高いが。


378,不況

2002年04月16日(火)

昨日、地元の中堅の食品メーカーが倒産した。
1989年に設備投資、その3年後に70億の売り上げになったが、
現在はその半分の売り上げに激減。
家内が言うに、今の社長は
「10数年前に文芸春秋を辞め,帰って来たと話題になった人」とか。

今の倒産の多くに見られるパターンだ。
先日倒産した新潟市の香月堂もしかりだ。

全国に、このパターンの倒産予備軍で満ちている。
昨日の新聞に載っていた、ある雑誌のアンケートで、
サラリーマンの30パーセントが「自社の倒産の不安」を持っているという。

大丈夫と思っているのは僅か17パーセントとか。
私の感じていた、「3分の一はいつ倒産してもおかしくない会社」
と同じ数字だ。

新潟県はあと一割増か。
自社は一応17パーセントに入ると思うが?
社員はそう思ってないかもしれない。

どうして不安かと思うと、
・中堅幹部がどんどん辞めていく。
・給与カット、時間外勤務の削減。
・売り上げの激減。
・会社資産の売却。

今のところ当社は一つもないが。
しかしこの経済情勢はただ事でないことは確かである。


377,「知ったかぶりをするな」

2002年04月15日(月)

「到知」という雑誌に出ていた文章で、今でも強烈に残ってる言葉だ。
誰かに聞かせたい言葉でもある。

ーその人が社命をかけて、ニューヨークにセールスに行った。
ある製品を売り込まなくては、会社が潰れる瀬戸際である。

まともに英語も話せず、どのセールスも上手くいかない。
英会話さえ出来れば何とかなるが、その時間もない。
どうにもならず、公園で途方に暮れ泣き出してしまった。

その姿をみて近くの老人が事情を聞いてくれた。
その人は事情を聞いて「よし解った。明日からここで英語の特訓をしよう。
ただし条件がある、けして知ったかぶりをするな。わからないことは正直にいえ」

それから公園で英会話の特訓が始まった
そして数ヶ月もしないうち、英語がだんだん話せるようになった。
そしてセールスを始めると、見る見るうちに上手くいくようになった。
以上である。

この話の中に多くの教訓がある。
・ぎりぎり追い詰められた状況ーゼロからの出発になった。
・その老人がかなりのレベルの人であった。
・本当にそれが必要であった。
・真剣なぶつかり合いになった。

実際事業の立ち上げは、この状態からの出発といってよい。
赤裸々の対話の積み重ねである。
それもぎりぎりの。

いつでも立上げはそうであった。
みしらずの人を集め、どうなるか判らない事を始めるのだから。
しかし新しい事業を興す時は、そのほうがいい。

真っ白から始められるからだ。
ゼロからの出発は、新しい材料で始めるほうがいい。


376,新潟駅前界隈

2002年04月14日(日)

新潟の駅前で事業を始めて21年になる。
場所柄、いろいろな商売をみてきた。

本当に商売の難しさを思い知らされる。
意外と潰れてないのが驚きだ。半分は生き残っている。

しかし多くの潰れていく店も多い。
数年たつといつの間にやめている。その共通点は私生活の乱れが多い。
それといつの間に「唯我独尊」になってしまうことだ。
店が悪くなると、すぐ客単価を上げようとする。

お客は「お値打ち」を求めて店に来ているのが解らなくなる。
こと値段に対して厳しい査定をしている事が見えなくなる。
そういう危なくなっている店が、ここにきて多い。

おかしくなる数年前に、何かその種をつくっている。
お客は一度離れたら二度と戻ってこない。

いろいろな事情と思惑で、商売を始めている。
しかし原理原則が商売にきっちりある。
その原則がわかってない人が多い。
大きい本屋を数軒回れば幾らでもあるが、気がつかないのも仕方ないだろう。

特に飲食店がよくない。
原因は
・一人当たりの可処分所得と小遣いが減ったこと。
・出張と社交費が激減したこと。
・自宅近くのチェーン店に行くようになった。
・TV のハードとソフトがここにきて格段によくなった。
 その為、家でビールを飲みながら、TV を見ていたほうがずっと価値がある。
・そして最大の原因は不景気である。

デフレと売り上げが減っている為、客単価を下げる事が出来ない。
商品の質を一ランク上げ、価格を一ランクか二ランク下げなくてはならない。
客が来ないため鮮度と質が落ち、客単価を上げてくれば客は減って当然だ

お客は食べ物には敏感である。
おまけにデフレの為スーパーやファーストフードは合理化を進め、値段を下げてくる。
「誰がそんな不味いものを高い金を出して食べるか!」と黙って行かなくなる。

それでもまだ店を出したがる人がいるのだから。


375, 「テーマ日記」を書き始めて一年

2002年04月13日(土)

あと一ヶ月でホームページに「テーマ日記」を書き始めて一年になる。
旅行を除けば一日も欠かさないで書いた。

何処までやれるか自身との闘いで始めた。
あまり苦しい事はなかったが、しかし気をとられたことは事実である。

気がついたら、370以上の文章を書いた事になる。
よく書いたものだが、内容はこんなもの。

あと1〜2年つづけたら殆ど内面を、いや底を尽くのではないか。
その後で底から真水が出てくるのではないか。
今現在もう底を突いているのではとは思えないでもないが。

テーマの種が尽き始めた事は事実だ。
大した事を考えてない自分が顕わになった。
本気になって第三者を意識して書き出して、プロの文筆家の能力に
今更驚かされる。それで食べているのだから当然といえば当然だが。

書くということと、内面で考える事とあまり違いはない。
内面を赤裸々に顕してしまう。
毎日書き続け公開していることは、とんでもない事かもしれない。

しかし今更そういう生き方をしてきて(^^ゞ−(;一_一)(+_+)(-_-;)
ー恥ずかしいことはない。
後どうしても過去の事考えたことに偏ってしまう。
人生の7割生きたのだから仕方ない。
自分史そのものだ。
自分史の先取りだが、自分史は早いほどいいという。





374, 主観と客観(喜劇と悲劇)

2002年04月12日(金)

以前も書いた事があるが?
「滑って転んだとする、その人は骨を折ったか、悲しいぐらいのいたみである。
たまたま横にいた人にそれが非常に可笑しく見えた。
前者にとって悲劇、後者は喜劇である。」

後者は同じ出来事を傍観している。他人事として見ている、これが喜劇。
前者はその滑った本人の目で書いている、これが悲劇だ。
後者は客観で、前者は主観である。

あれだけ苦しんだ事も、あとで笑い飛ばした時に気持ちが癒される。
何事も笑い飛ばしてみれば、どうっとことはない。
「早く忘れたい嫌な事は、笑い飛ばしてしまえ!」
というのが肯ける。

「喜劇と悲劇は紙一重」とは、視点を主観から客観に少し変えてしまう事だ。
「人を笑う前に自分を笑え」ともいえる。
特に日本人は「恥じの文化」ともいわれるように、他人に笑われる事を嫌う。
それだけ自立していないのと、多神教のせいもある。

逆に他人を笑っている自分は何だろう? 自嘲か軽蔑か、それとも同化か?
あまり他人を笑わないほうがいい!その他人に対する同化になってる状態だ。

考えてみたら、この二律背反だからこそ生きられるのだろう。


373, 何故マイナス思考になるのか

2002年04月11日(木)

ーこれは面白い問いかけだ。
経験を積むにしたがい、必ず失敗の経験を重ねていく。
そしてその失敗の経験が、マイナス思考を生み出す。
あれも駄目、これも駄目、全て駄目、一番悪いのはそういっている俺!

ある???会に行くと、マイナス思考の愛好会そのもの!
どうしたらあのような考え方が出来るかと不思議なくらいだ。
現実に溺れて(下と横だけを見て)???

子狐がいるせいもあるが。
この子狐不景気になってきたら急に元気になった。
周りが自分並に見えてきたためか。
ーマイナスに対するマイナスは拙いか?

いま一つがマスコミの毎日流される、事件の報道である。
事件はほとんどがマイナスの出来事である。
犬が人を噛んでも事件にならないが、人が犬を噛むと事件になる。
それは別にマイナスの事でないが、幸福な家庭からは事件は起きない。
それはニュースにならない。

めったに起きないマイナスを報道するのがニュースである。
それをまともに脳に流し込んでいるから、
いつの間にか頭はマイナスに侵されてしまう。
それに気づかないから、どんどんマイナス思考に落ちてしまう。

「あまり人を恨むな、恨んでいると知らないうちに主語が消えてしまう。
主語が消えた後、他の人達に主語が転化してしまう。」
という話を聞いた事がある。
「あまり恵まれてない状態の人や人生の人に近づくな!」というが、
この年になると実感する。

といってマイナス思考も必要である。
ただ冷静に見据えておかなくてはならない。

人は他人の不幸をどういうわけか好むという。
江戸時代の盲人が、それを看破していた。
目が見えない分だけ、人の気持ちが良くわかるという。
不幸の話をしている人の声が弾んであるという。
幸福の人の話をしている時は沈んでいるという。
他人の不幸を悲しみ、幸福を喜ぶことは意識して訓練しなくては出来ない。

いやその前に自分が幸せと芯から思えなくてはならない。
まずは考え考え考え抜いて、自分が幸せと気づかなくては。
それがプラス思考の第一歩。

以前にも書いたが、家内が「自分の友達の大部分が自分不幸と思っている。」
と驚いていた。「どうみても幸せの筈なのに、どうして?」
これなど、典型的なマスコミとか、周囲のマイナス思考に対する浄化装置を
身に付けてない典型の例だ。


372, 不安解消法

2002年04月10日(水)

不安解消法

学生時代読んだ本だが、
カーネギーの「道は開ける」に書いてあった方法である。
記憶なので何処まで内容が正確か定かでないが書いてみる。

  ある不安があったとすると、
1、まずその不安な気持ちの対象を書き出す。
2、その不安のさらなる最悪の出来事を想定して書いてみる。
3、その解決方法を幾つか書き出してみる。
4、それが本当に起きるだろうかと、今一度自問してみる。
5、そのプロセスで不安感は消滅してしまう。

という内容だったように記憶している。
これを実行していく中で、不安症の性格がかなり修正された。

「まあその時はその時さ!」「何とかなるさ」
「考えても仕方ない事は、考えても仕方ないさ」が口癖になった。
不安を感じた時、それを直視すればそれは不安でなくなる。
それに対する方策を考えれば、それが不安そのものを解消する。
不安そのものが、手順を考えるプラス要素に逆転する。

実際にケニヤにはじめて行った時の不安は、想像以上であった。
添乗経験10年の女添乗員と家内がヒソヒソと不安そうに
ロンドンへの機内で話していた。
「ロンドンで降りようか」と。

実際タンザ二アやインドに行った時も「不安というプレッシャー」
が襲ってきたが、実際はその数百分の一でしかなかった。

その時時に、その不安を具体的に考え、その対処を具体的に考えていくしかない。
事業も然りであった。具体的に具体的に考えるしかない。
そして具体的に一つずつ解決していくしかない。

「それで済むような生易しい問題は、本当の不安でない」
という言葉が聞こえそうだが。

「直視できない問題だから大変なんだ、不安なんだ」
それももっともだが。


3 71,花見

2002年04月09日(火)

いつもこの時期、福島江と悠久山の花見に行く。
といって朝の散歩で行くのだが。
今年の桜は当たり年のようだ。

「散る桜、残る桜も散る桜」 毎年このことをおもいしらされる。
人間の人生の短さに例えて言っているのだ。
所詮自分の死もいずれ近くやってくる事を言っている。

京都の桜も素晴らしい。
それぞれの地区で素晴らしい桜の名所がある。
この時期の名物の一つである。

7年前私の従兄弟が桜の散際に自死をした。
桜が好きで毎年写真を撮っていたという。

なくなった後で、その時の写真を見せてもらった。
なくなった通夜の納棺の時、突風が吹いた。
納棺の桜吹雪である。背筋がこうりつく思いであった。
こういう事が実際あるのだ。
桜は人間の人生を見せてくれる。
その年も桜の当たり年だった。


370,なりきる

2002年04月08日(月)



散歩のときはウオーカーに、旅行の時はツーリストに、
会社に行けば会社の立場に、家に帰れば父親になりきる。
そしてなりきった立場で色々な自分を見てみる。

散歩の時、会社のことを考えたりして景色が見えなかったりする。
海外旅行でのケース。
今まで会社の役員をしていた人が、その役員の状態で来ていた。
奥さんがその人を、社会へのリハビリでこの旅行にきたといっていた。
かたっぱなしに同行者を皮肉っていた。
上から見下ろしている視線を引きずってきていたのである。

考えてみたら、なりきってない方が多いのではないだろか。
学生時代に学生になりきっていなかった自分。
必至で働いていたあの時期、その時はなりきっていた。
実際なりきれないで、失敗を重ねていくのが人生かもしれない。

同級会などで久々に会うと、時間を超え昔の自分にいつの間になっている。
花が「今花やってんねん」と主張していると、考え見ている自分。
その時は見ている人になりきっている?いやなりきってないか?
名優は端役をやっても光ると云うが、名優の名優たる所以はなりきることだ。

ところで自分は今、書き手になりきっているだろうか?


369,植民地経営

2002年04月07日(日)

植民地経営

西アフリカに行った時聞いた話しである。
方法として次の3つである。

1、直接統治
2、間接統治でそこの王族と手を組み統治
3、隣国に間接統治の王国に攻めさせ統治

大体がこの3つである。
まずはフレンドリーに入って行き、徐々に統治していく。

その前にキリスト教の宣教者を派遣して、内側から攻めていくのが常套手段だ。
秀吉がそれに気づき、キリスト教禁止令を出したのは賢明だった。

戦後の日本も戦犯の天皇や官僚をそのまま温存させたのも、
王族の間接統治を狙った為だ。
今の日本は王族を飾り物に、戦後から続く官僚の支配がそのまま続いている。
そして悲しい事に、間接統治をされていることに全員満足している。

この不況は「1986年のアメリカのバブル押し付け政策」の結果である。
そして、直接支配に今露骨に入ってきたのは周知の事実だ。

今回の9・11テロは、
この間接支配の露骨のアメリカ世界戦略に対するテロである。


368,リオのカーニバル

2002年04月06日(土)

いまTVをつけたら、NHKのハイビジョンで
「リオのカーニバル」をやっていた。
2時間があっという間に過ぎてしまった。
7年前に行った内容をコピーしておくが、本当に素晴らしい内容であった。

今見ている内容は当時に比べ、かなり豪華にかつ派手になっているようだ。
カーニバルは元々はヨーロッパで行われていた、キリスト教のお祭りである。
南米の農園に売られていった奴隷が、一年に一度のカーニバルに与えられる
休日に輪を作って歌い踊ったという。
普段でも彼らの楽しみは歌と踊りだけで、それが段々サンバに変わっていったという。
1888年に奴隷制度が廃止された時、彼らはリオに仕事を求めていった。

彼らはグループを作って踊っていたが、そのうち互いに競いだしたのが
リオのカーニバルの始まりという。
リオだけでも400のグループがあり、そのトップクラスと準トップクラスが
正式に会場で競う。

それぞれチームごとにテーマがあり、それによってストーリがある。
それにより、衣装や歌や踊りが決まってくる。
上位のチームにそれぞれのチームにスポンサーが付いているという。

それぞれ項目があって、厳格の審査のうえで順位が決まる。
去年から見ているが、ハイビジョンのせいもあるが素晴らしい。
一年は全て、カーニバルを中心に回っている。

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H0703ブラジル旅行記

 “行って吃驚!玉手箱”主観をこめて現地の実感を書いてみる。
カーニバルはリオディジャネロだけでなく、全国津々浦々の都市で行われており、
四日間全国がお祭りの為休みとなる。

その最も有名で世界的に知られているのがリオのそれなのである。
リオのカーニバルのランクがA・B・CとなっておりAランクが9チーム、
Bランクが15〜16チーム、Cランクは数十チームとなっている。

AとBチームが特設スタジオのメーン、ストリー850mを80分の持時間で
踊りながら行進する。そこは六万人の観客席があり、審判席で厳格に審査され、
その年の優勝等順位があらそわれる。

そのチケットは一般の人はほとんど入手不可能である。
我々のTV新聞等で目にするのはCチームが街頭で行進するものでしかなかった。

チームは四千名が1チームで構成されており、
それが約500名×8チームに細分化され、統一のコンセプトのもとに、
仮装が華やかにつくられている。

音楽も各チームごとに毎年新しいコンセプトのもとに有名作曲家が名誉をかけてつくる。
その作曲も採点の大きなポイントになるという。
一日6〜8チームが夜の七時より翌朝の七時まで延々と踊りの行進が続く。
観客席もその行進曲にあわせて半数以上が踊っている。

音響もすさまじく隣の人の声は全く聞こえない。
上位数チームが翌週の土曜日に優勝をかけて再び行進がおこなわれる。
優勝チームは10億以上の賞金がつき、かつ翌年に向けてのよいスポンサーが約束される。

その年の山車とか衣装は翌年に持ちこさずすべて破棄するという。
カーニバルをみていて“気”とか“色即是空”とか“禅の悟り”がすべて含まれており、
東洋的なこのような言葉が小さくみすばらしくさえ思えるくらいだ。

ブラジルの印象として残ったイメージとして、キーワードを書くと
“サッカー”と“サンバ”(カーニバル)と“森林”と“イグアスの滝”
そして“汚職まみれの国”である。さらに加えるなら“まずしさ”である。


367,「携帯TV電話」は究極の情報機器。

2002年04月05日(金)


5年前、マスコミで聞いた内容である。
それが今年から始まったのである。

「携帯電話」が我々の生活を劇的に変えた。
いや社会を変えてしまった。
空間の溝を取り払ってしまった。

それ以上に「携帯TV電話」が社会のありようを変えてしまうだろう。
これにそれぞれの場所にカメラが設置して、それにリンクすれば、
一瞬にして世界中の何処でも見ることが可能になる。

現在でもそのサイトが多くある。
これにデジタルTVをリンクさせれば、想像を超えた使い方が可能になる。
インターネットを使っていて、こんな時代が来るとは思ってもいなかった。
それが更に劇的な「携帯TV電話」が普及する時代とは驚きだ。

昨日もソニーの出井会長がNHKノインタビュウで、
情報機器の進歩により、この10年後は世界が劇的に変わっていると言っていた。

これに期待しすぎて、先行投資で電気メーカが苦境に陥っていることも事実だが。


366, 速読法

2002年04月04日(木)

先回も書いたが、速読法という本を読んでいて吃驚した。
一つ一つの語句に目を合わせるのでなくて、一度にページ全体を眺め、
フォトフォカス状態で文書を眺める。意識下でなく、無意識下で
その文書を取り入れてしまうものだ。

初め読んだ時、本当かと疑ったが、実際やってみて驚いた。
見開きの2ペジの中央に目を合わせ、それを4つかどの隅に全体の視野を
広げていき、ジッと10秒ぐらい見続ける。
そして再び、一ページ単位で中央に目を持っていき、それをまた意識を
そのページの隅に持っていき10秒ぐらい見続ける。

そして文章を読むと、通常の数倍の感覚で文章がスラスラ読めるのだ。
目そのものがスキャンの能力をもっているのだ。
もし疑うなら実際やってみればいい。

人間の脳力の凄さの一端をみたおもいだ。
一回めくる度に4秒をかければ、250ページなら20分かかるが、
かなりの情報が脳に記憶されるという。


365,ミカン集中法

2002年04月03日(水)

「ミカンを頭の上15センチ上に置くイメージを抱き、
本を読んだり、書き物をすると集中力が数倍増す」という。

読書や文章を書くとき、「頭の上に意識を集中するといい」とは
昔からいわれていた。
それを「具体的にイメージとしてやると効果が上がる」という事だろう。

今朝、ウオーキングでやってみて効果抜群であった。
集中が数倍ついたようだ。この文章はほぼ散歩で頭で書いた。

中国で「魔術師がかぶる三角帽」「思考帽」と、実際あったという。
落ち着きのない子に罰でかぶせる「ダンスキャップ」もあった。

ミカンもいいが、鳥もいい。
他に気がいったら、飛び去る鳥だ。
それを意識していれば、他の思考や情報が遮断されるからだ。
授業でも、読書でも、この随想日記を書くときに早速利用できる。

石のアーチの頂点に置くカナメ石に似ているという。
カナメ石は他の石が所定の場所に固定させる役割になる。

注意の一つを一点に集中する事により、残りの集中力を
読書などの対象に集中させる事が出来る。

仕事でも、考え事でも、授業でもなんでも使える。


364,新入社員歓迎会

2002年04月02日(火)


毎年この時期におこなわれる。
かなり毎年盛り上がる。

当社の宴会はもともとかなり盛り上がるが、
歓迎会がさらに盛り上がる。

2〜3年に一回はトリック・スターが出るが今年は2人いた。
お陰で例年の数倍の盛り上がりようであった。

まだ酒の飲み方の解らない新人に飲ませるのだから、こちらも責任がある。
その辺を調整しながら、盛り上げる。
しかし面白いことこの上ない。

若い人のエネルギーを戴く感じである。
若いということは、本当にいいことだ。とにかく明るい!
花が咲いたという例えがピッタシである。
それと時代に左右されている。

彼等はとにかく携帯電話世代だ。
意思疎通の早い事が特徴で、感覚が研ぎ澄まされている。
新人類から、宇宙人といってよいのかもしれない。
反面、孤独という一番大切な世界を知らない。

宇宙人といえば、かぐや姫のストーリ何か今の時代になってみると
以前事実に近い事があったのではと、イメージが湧く。


363,人に好かれる方法

2002年04月01日(月)

聞き役

学生時代読んだ本に、カーネギーの「人を動かす」という本があった。
その中にあったデールの6原則があった。確か
1、名前を覚える 2、聞き手にまわる 3、誠実な関心を寄せる
4、相手の関心を把握する 5、笑顔で接する 
 6、褒める
と記憶している。

学生時代まだ田舎を出たばかりで、
人間関係の都会的センスが身についてなかった。
どうしたら人に好かれるか上手くやれるかに、悩んでいた時にこれを読んだ。

即実行、ものの半年もしないうち世界が一変した?
もちろん男だが、友人が私の周りにオオバーに云えば屯したのである。
そうも上手くいくものかと自分で驚いたものだ。

特に聞き役は大変だ。
そこですぐ覚えたのは、聞いたフリをして他の事を考える事である。
と同時に関心の中心に、相手の話題を掘り下げてやる事である。

あの頃は頭でっかちである。
誰かに知ったばかりの知識をヒケラカシタイ歳である。
誰か聞いて欲しいのである。
また孤独で自分を知って欲しいのだ。
そして2年続けていたら馬鹿馬鹿しくなった。

「おれはカウンセラーじゃねえぞ!」
「今度は逆をやってみよう!」

ヒステリック的に自分でハッタリをかましてみようと。
その時読んだ本が「教祖の話術」−赤塚行雄ーであった。
聞き役の寡黙の男が、急にわめきだしたのだから周りは吃驚した。
そしてその話にそのバックあるから、その効果があった。

行動科学のシュミレーションをしていたことになる。

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