ある大学院生の日記

2005年01月31日(月) 奄美3日目

朝はゆっくりと加計呂麻島を出て,奄美本島の観光をしました.宿のおじさんの知り合いなる人物がガイドをしてくれました.古仁屋の港からまずは宇検村の開運酒造にいって,黒糖焼酎作りを見学しました.開運酒造は音響熟成「れんと」という女性向きな焼酎を造っています.熟成過程で,たるにスピーカをとりつけてクラシックを利かせているんだそうです.それかあらぬか,なかなか香りもきつくなくて飲みやすいです.紅さんごのほうはほとんどウィスキーみたいですが.突然訪ねたのに,おねえさんが案内をしてくれてありがたかったです.しかし,この材料になる黒糖の多くをボリビアから輸入しているなんてびっくりです.

宇検村から移動して,マングローブの林でカヌーにのりました.マングローブパークといういかにもな道の駅もあるのですが,その上にあるマングローブ茶屋カヌーを借りました.カヌーは初めてなのですが,一人乗りだったら櫂の動きに応じてちゃんと動くので,なれるとなかなか楽しいです.マングローブの林も,ちょっと寒かったですがなかなか興味深かったです.カワセミも見ることができたし.

マングローブから移動して鶏飯(けいはん)を食べに行きました.その途中で,黒糖屋さん(?)に寄って黒糖を買ったのですが,そこのおじちゃんおばちゃんもなかなかなひとで,試食用に開けてあった黒糖一袋と,たんかんという柑橘類をひとつくれました.たんかんはややシーズンには早いようですが,そんなにすっぱくなくておいしいです.皮が厚くてむきにくいのがちょっと難点ですが.鶏飯というのは,ご飯に蒸し鶏などをのせて,鶏スープをかけて食べるというお茶漬けのような雰囲気の食べ物です.ぜんぜん知らなかったです.鶏飯は有名なんだそうですが,べつに鶏が有名でもないというのはよく分からないところです.ふむ.

ご飯を食べたあとは大島紬村に行きました.大島紬というのはやたらと高価なのですが,なぜ高価なのかがよく分かりました.びっくりするくらいややこしい工程をとっているからです.しかし,材料となる絹がどこから来るのかを聞くのを忘れてしまいました.はー.紬村のあとは奄美パークでちょろっと見学して,飛行機に乗って帰りました.あ,奄美パークというのは最近できた観光案内所のおばけみたいなのと,民族資料館と美術館がひっついたものなのですが,なんとなく,「地域おこし」の雰囲気を感じました.どうだったんでしょ.そういえば,昨日見た島尾敏雄記念碑の近くのトイレにも「地域おこし」だか「ふるさとおこし」だかのプレートが貼ってありました.おそるべし公共事業.



2005年01月30日(日) 奄美2日目

この真冬の時期に南の島でダイビングをするというのが目的だったようで,朝一番で大島海峡に潜りに行きました.大島海峡とは奄美大島と加計呂麻島のあいだにある海峡のことで,大島瀬戸ともいうようです.潜ってみると視界が20メートルくらいで,サンゴがときどきあって,白い海底が広がっていて,のんびりとしたいいところでした.さすがに水温が20度くらいでちょっとさむかったですが.サンゴの周りには熱帯系のサカナがうろうろしていたり,フグがじっとしていたり,針の立ってないハリセンボンがいたりしました.珊瑚の上にアオウミガメがじっとしていたのを見ることができたのはよかったです.気配に気がついてゆらゆらと泳ぎ去ってしまいましたが.加計呂麻島近辺のサンゴはオニヒトデの被害にあったいるそうで,対策が大変なんだそうです.オニヒトデはうかつに切断するとそれぞれから復活してしまうので,つかまえて燃やすか埋めるかするしかなく,たいへんなんだそうです.もともとオニヒトデはサンゴと共生する(というか,互いにえさ)生き物なんだそうですが,建設工事などに伴う赤土の流出などでサンゴが減少すると,オニヒトデ(の幼生)を食べるサンゴが減り,サンゴを食べるオニヒトデばかりが増え,サンゴが減ってしまうという循環になっているのだそうです.均衡においては,珊瑚がなくなってしまってえさのなくなったオニヒトデもいなくなる,んだそうです.よくない縮小均衡ですね.

写真はこちら

潜ると,緊張しているのかどうなんだかよくわからないのですが,前頭葉のあたりがくらくらする傾向があって,ボートだと酔いが加わってさらに気分が悪くなるので,1本だけ潜ってあとは宿で本を読んでいました(山内昌之「イスラームと世界史」.まとまった本ではなかったので細切れに読むことができるのは助かったような).

午後は時間が余ってしまったので,雨が降っていたのですが(おかげでやや寒かったのですが),加計呂麻島の観光に出かけました.といっても,宿のにいちゃんが島の半分くらいを車で回ってくれただけのことなのですが.奄美群島は,沖縄の北に位置するため,太平洋戦争のときには南洋への発進基地となっていたようで,特攻隊の指揮官であった島尾敏雄の記念碑などがあります.記念碑の近くには,船や人間魚雷を隠していた穴があって,なんだかしりませんが不気味です.穴を出ると,目の前の湾では田崎真珠が真珠の養殖をしているそうで,やっぱり平和が一番よね,ということをなんとなく感じます.

記念碑を見た後は,がじゅまるの大木を見に行きました.がじゅまるは比較的細い枝が組み合わさっているような感じなので,登ってみるには楽チンです.一通り登ったあとで移動中に,製糖工場が動いていたので見学させてもらいました.西田製糖工場というところなのですが,サトウキビを搾った汁を3段階でぐつぐつと煮込んでいて,工場の中は黒糖の甘い蒸気が充満していました.残念ながら働いているおじちゃんたちの話していることばは半分くらいしか理解できなかったのですが,できたてのとろーっとした黒糖を掬って分けてくれたので,なめてみました.黒糖はたんに甘いだけではなくて,なんとなく渋いような苦いようなところもあっておいしいです.

製糖工場から,諸鈍に移動してデイゴの並木やシバヤの会場を見て,宿に帰りました.今年の台風はたいへんだったそうで,壊れた防波堤がそのままになっていました.台風はデイゴの並木を超えて,民家を襲ったんだそうです.加計呂麻島は,「寅さん」の舞台になったことがあるらしく,それ関連の案内板が各所にありました.

夜は黒糖焼酎「里の曙」を飲み,菜飯や刺身やアオサのテンプラやいろいろ食べて,おなかいっぱいになって寝ました.



2005年01月29日(土) 奄美1日目

気がついたら奄美群島に行くことになっていたので,朝早くから起き出してJALで奄美大島に飛びました.目的地はカケロマ島というところだったので,奄美空港から路線バスに乗って,名瀬を経由して古仁屋に向かいました.所要時間は2時間半.奄美大島といってもそんなに大きなところだとは思っていなかったので,この時間でまずやややる気を失ってしまいました.後ほど聞いたところによると,奄美大島というのは,沖縄本島・佐渡島についで3番目に大きな「島」なんだそうです.

古仁屋の港からフェリーに乗って生間に渡りました.「いくんま」と読むらしいのですが,城を「ぐすく」と読んだり,諸鈍(しょどん)しばやといい,かつての琉球文化圏にあったような雰囲気が強くあります.でも,島津藩の直轄領であった影響もあるようで,日本の南の島という雰囲気のほうが強いです.さて,生間の港でしばらくまったあと,宿のにいちゃんが車で迎えに来てくれたので,宿に向かい,ぐったりと休んで,ご飯を食べて,寝ました.ふむ.



2005年01月25日(火) 時系列解析

職場の計量の勉強会で講師をしなければならなくなったので,慣れない時系列分析を付け焼刃で講義するべく,勉強しました.もとネタは,昔の上司の書いた論文の補論に出ていた共和分と構造VARの解説,日銀の金融研究に1992年に出ていたJohansenの共和分検定についての解説論文,Hayashi FumioのEconometrics,Davidson and MaKinnonを3ページばかり,といったところです.「共和分ベクトルの個数」とか「構造VARの識別条件」とか「ECMと共和分のGrangerの表現定理」とか,聞いたことがあるんだけどなんのことだかさっぱり分からなかったものをウスラ分かった気になって話しました.しかししかし,特性方程式の解と確率過程の安定性条件がどう関係しているのか,とか,共和分ベクトルの個数が行列のランク落ちの個数となぜ対応するのか,とか,行列をベクトルに分解する方法ってなんなのか,とか,ベクトルへの分解は一意に決まるのか知らん,とか,VARの右辺は普通はt-1期からだけど共和分の話では右辺はt期からになるのは単なる式変形の問題なのか,とか,そういえばCLTはなんでルートnで飛ばすんだったっけなあ,とか,数年前に確率過程の本を読んで納得しかかったこととかいろいろ気になりました.うーむ.しかし,さしあたってあんまり使わないなあとも思いました.ま,勉強会自体はDFとかADFの単位根検定とか,Engle-Grangerの2段階推定の考え方くらいしか話さなかったので何とかごまかせたと思うのですけれども.またそのあと飲んじゃいました.飲んでばっかりだなあ.



2005年01月23日(日) 火鍋

かつて四川省に出張に行ったときに買ってきたアヤシイ調味料セットが残り一袋になっていたので,本来なら水餃子につけてひぃひぃ言って食べるべきところを,やや薄味の火鍋にして食べました.やっぱり最初はひぃひぃ言っちゃいましたが,だんだん薄くなってきて,ほどほどによい感じでした.よかったよかった.



2005年01月21日(金) 報告終わって酒飲んで.

懸案の共同研究の最終報告会は,とくに出番もないままに無事終了し,なんだか高そうなものばかりにご相伴に与ってしまっていやほんとに申し訳ないですねぐふふ,という雰囲気です.最後はありがちな感じとはいえ茶会(立礼)にも出席してしまいましたし.で,そのまま飲みにいってしまいました.これまでで混んでたことがないので油断していたのですが,さすがに金曜の夜ともなるとそこそこ混んでいてびっくりでした.しかしま,サカナがおいしかったから良しとしましょう.シメサバがよろしうございました.「鳳凰美田」「澤屋まつもと」もうまかったです.そういえば,先週の小左衛門もよろしかったですな.

ぜんぜん関係ないのですが,出版してもOKなくらいまでWord整形をさせるというのもどうかとおもうぞ.



2005年01月19日(水) 出張3日目・採択!

出張も3日目ということで,朝から高崎山を視察して,別府の「湯路」のお話を伺いに行きました.地域通貨というやつらしいのですが,これがまた洒落っ気に富んでいて個人的には大好きです.「イ〜湯〜!」が発行しているとか,なかなか気が利いてていいじゃないですか.そりゃ日銀大分支店長も応援するでしょう.金券にならないように6ヶ月で期限が切れる仕組みというのもなかなかうまいです.

会社に行ってみたら,投稿論文がアクセプトされてました.2回改訂した甲斐があったというものです.というわけでこちらを更新



2005年01月18日(火) 出張2日目

朝から,一村一品運動についてお話を聞いて,知事さんに面会しました.夜は庄八に出かけて食べて寝ました.うえー.



2005年01月17日(月) 出張1日目

大分大学へ出張することになったので,羽田空港第2ターミナルから全日空に乗って大分に行きました.第2ターミナルは初めてだったのですが,なかなかぴかぴかしていて素敵なところでした.もちろん出張なので,空港内をうろうろする時間なんかなかったですが.あら残念.しかし言われてみると,たしかにこじんまりしていますね.あたりまえかもしれませんが.

大分空港から,ホーバークラフトに乗りました.水中翼船にも乗ったことがないくらいなので(?),ホーバークラフトというのは初めてだったのですが,あれは機体(車体? 船体?)を浮かせてプロペラで方向を決めるものなのですねえ.機体が浮いているので,水陸両用で,乗り場は陸上ですが,海の上を通って行きますし,浮いているので前後左右の制約があんまりないらしく,平気で横向きに移動します.けっこう変な感じです.しかし,素人目に考えるに,機体を浮かせるのにかなりエネルギーを使っている感じで,エネルギー効率はいいんだかわるいんだか怪しいところじゃないでしょうか.あと,けっこううるさいです.ええまあ珍しいのでいいんですけど.

空港から投宿して,そのまま大分大学に豊肥本線で移動して,知り合いのI先生の研究室でしばらく雑談してからいろいろ準備して,お客様をお迎えして,お話して,夕食を食べて,飲んで,寝ました.うえー.大分大学というところもなかなかよさそなところでしたよ.しかし,村おこしなんかに詳しい人がいらっしゃるんだったら調べて置けばよかった.みなさまありがとうございましたー.



2005年01月16日(日) センター試験と2次会と

新聞を見ていたら,センター試験の問題が出ていたので,英語だけやってみました.テレビを見ながらだったので時間は計っていないのと,途中でやる気が減退するのを抑えるのがしんどかったですが.なんと.182点.やった.いぇーい.

それはそれとして,夕方から職場のにいちゃんの結婚式の2次会に出るために銀座に行きました.花嫁の顔を見ることができたのもうれしかったですが,あのひとの彼氏を見物できたのもよかったです.S原くんの彼女を見損なったのは残念でした.本人がここを見てたらごめんちゃい.



2005年01月15日(土) あら川

東十条のてんぷら屋に久しぶりに行きました。定食を食べたのですが、やっぱりうまかったです。よかったよかった。コースのほかに、あなごカレーと白子煮もいただきました。日本酒は小左衛門でした。こい感じのお酒でした。雨が降ってましたが、出かけたかいがあったというものですよ。



2005年01月14日(金) のどあめ

年末からずーっとのどの調子が悪いのはなぜなのか,気になって夜も眠れない,という地下鉄漫才みたいなことはないのですが,喉は痛いので,げほげほいいながらのど飴をなめちゃうわけですが,「抹茶ミルクのど飴」とか「ブルーベリーのど飴」とかなってくると,さすがになんかちゃうんちゃうかとおもうんですが,つい買っちゃうのはなんでだろう(←いまだからこそテツ&トモ).

こんなもの発見.若者研究者は必読,かな.



2005年01月13日(木) 歓送会

仕事は仕事でそこそこやってるのですが,今日は職場のかたが出向されてしまうということで歓送会がありました.2次会を若者とこっそりやって,かなりな会話を展開してしまった本当に申し訳ないです.



2005年01月12日(水) 投稿

ほかに投稿してませんよ,というのをカバーレターに明記してなくて,カバーレターを書き直した気がするのですが,あれ?昨日のことだったか.



2005年01月11日(火) 歴史は苦手だ.

最近は「地方交付税制度の成立と変遷」というテーマで論文というかレポートというか,そういうのを書こうと思っているのですが,そこらへんの事情をまとめていたり,そこらへんのことに触れていたりする本や論文をちょろっと集めてまとめようとおもったら,やっぱりそれぞれに着眼点やものの見方がちがうので困っています.困っているというか,そもそも戦後経済史や戦後財政史や戦後史の基礎知識が欠落しているので,混乱する一方です.どれくらい混乱しているかは恥ずかしいのであんまりいいませんが,自分がすでに生まれていたはずの時代のこともよく分かりません.ってゆーか,最近の景気動向なんかも押さえてないし.まいったなー.リッジウェイ声明と神戸勧告のつながりとか分かる方,ぜひご一報ください.機関車論とか内需拡大とか日米構造問題協議とかと地方財政の関係も気がつかなかったしなー.



2005年01月10日(月) そうか,連休だったか

べつだん出かける用事もなかったのと,昨日の夜から相方が出かけているので,止める人もいなくてバカ食いして寝て起きたら,けっこうな時間でした.ということで,この3連休は,期末試験を作っておりました.あと,出席点の集計と.大学によっては,前期の成績が出る前に後期の授業の登録をしなければならないようで(ちがうのかな?),とりあえず登録はしてみたものの単位が揃っちゃったからもういいや,という学生さんが多数いたことが判明しました.やっぱりちょっと寂しいものですねえ.出席点をとるついでに(というか,出席点のほうがオマケなのですが),授業に対するコメントや質問を書いていただいて,なかなかスルドイことを書いているひとには加点しているのですが,ええまあなんというか,基本的に大学の授業で教えていることなんて他人事なのよねー,という雰囲気が随所に見受けられて,なんともまー.たしかに,財政学といえども研究自体はそんなに役に立たないと思うのですが,いやそれでもなー.

期末試験のほうは,ええまあなんというか,毎年おんなじような内容の授業をやって試験問題の手を変え品を変えるというのはけっこうたいへんだろうなあとおもいました.やっぱりセンセイたちはえらかったのだなあ.



2005年01月08日(土) お休み

土曜日にも授業がある生活を送っていたり,12月に入ってからは結婚式の2次会や出張や××や,いろいろで週末もぱたぱたしていたのですが,久しぶりに普通の休みの週末になりました.といっても先週末は年末年始でぐだぐだしていたのですから,いまさら「ふ〜っ.休みだねこりゃ」とちびまるこちゃん並みに喜ばなくてもよいわけなのですが.昨日の夜は授業の後で新年会に行ってけっこうのろのろ帰ってきていたので,朝は起きることもできませんでした.3連休ということで,試験問題を作るか,平常点の採点をするか,締切を過ぎた論文を書くか,なにかしようとおもって資料を職場から持ってきているのですが,このままだとなにもしないで3日が過ぎそうな勢いです.こんなことなら授業でもやってるほうが世のため人のためでやんすよ.

ということで,ブラウザをFirefoxに変えたり,メーラをThunderbirdに変えたりしています.「マイナだから安全」というのが理由です.いまのところなかなか快調ですが,いろいろな移行がちょっと面倒.

職場のネット環境が「整えられた」ためにウカツに気分転換もできないので,しょうがないので(?)家でネットで遊んでいるわけですが,ちらっと「IV推定値のほうがなぜ大きいか」みたいな文章を発見して,「けっ」と思いました.確率収束する先が大きいか小さいか(推定量の問題)と,得られた推定値が大きいか小さいかは,まさに確率的な問題なのであんまりごちゃごちゃいえないような気がするんですがどうなんでしょう.といって,望ましい結果が得られなかったときに「サンプルサイズが小さいからGMM推定では係数推定値の分散が大きい」という言い訳を使ったことがないわけじゃないんですけどね.そんなに気になるんだったらDurbin-Wu-Hausman検定でもやっちまえ.と,よく読みもせずに思いました.いやそれだけ.



2005年01月07日(金) 最後の授業?

てっきり最後の授業だと思って準備をしていたら,じつはあと1週あることが分かってしまってちょっとショックでした.センター試験の準備はなかったようで.そうなのか.ということで,これまでの授業についての質問やコメントを学生さんに書いてもらったのですが,そのなかに「緊張感のない話し方がniceです」というのがありました.学会発表でも言われちゃったことなのですが,そんなに緊張感がないかなあ?

今日は公的年金の世代間の不公平性ということで経済学っぽくないはなしをアツク話してしまったのでまた喉が痛いです.げほげほ.



2005年01月06日(木) 学会の締切

日本経済学会2005年度春季大会は京都産業大学で開かれるわけなのですけれども,その締切があしたです.ぼくとしては去年の春学会の発表論文をまだいじっていたりするのでとくにお出しするようなものはないのでありますが,アイデアだけ上司から降ってきている構想だけは5ヶ月くらいの論文とか,現在のところ泣く泣くまとめつつある地方交付税の変遷についての論文だとか(学術論文になりうるかどうかは疑問),ないわけじゃないのですがやっぱりないので,今回は諦めました.しかし,学会には行きたいのです.しかし発表論文がないとお金が出ないんですよお金が.世知辛い世の中になりましたなあ.と思っていたら,論文を発表しなくても職場からお金をもらって学会に行く方法を思いついてしまいました.しかし一人では実行できないのが難点です.やっぱりセコイことはやるなっちゅうことなんだろうなあ.

あ,Hさんと書いていた論文があるじゃん.あーっ.申し込んでくれたかなあ.そんなことないだろうなあ.しまったーっ(号泣).



2005年01月05日(水) 投稿2題

諸事情によって年を越してしまった論文を2本再投稿して(1本は共著者にしてもらって),H*に落とされた論文をこれも共著者にJ*Rに投稿してもらって,なんだか研究者さんみたいな生活を送っているのですが,しかし,これらの決着がついてしまうとしばらくネタがないぞ.いいのか自分.そんなことよりJJ*Eの投稿の返事が返ってこんのはどないになっとんねん.



2005年01月04日(火) 仕事始めは…

仕事始めで職場ではあいさつ回りで人がばたばたしているので,とりあえずレフリーをする論文をチラッと見てみたのですが,ええとなんというか,正直言って,いまさらこういうことやってもええんかいな,といったところです.うーむ.

そんなことより,職場ではシステム変更があって,なんだかわけわかんないことになっています.どうも担当するメーカも変えたみたいで,その引継ぎがうまくいっておらず,年末までに作成したファイルにアクセスできなかったりします.どうなっとんねん.しかも職場のメーラがO*tl**kに変わってしまい(伏字にするほどのことじゃないですが),このメーラが好きになれなくて使っていなかった身としては,HTMLメール嫌いとあいまってイライラが募ります.セキュリティはサーバのほうで対処していると思うのでとりあえずよいのですが,しかしなー.なんといっても,以前のメーラで読み込んだメールを取り込めないのってどうなのよ.メーカからいいカモにされてんのちゃうの.



2005年01月01日(土) あけまして

おめでとうございます.輝かしい新年をお迎えのこととお慶び申し上げます.皆様の御多幸を心よりお祈り申し上げます.いえいえワタシはまだまだひよっこですから.

しかし,「あけおめ」とか「ことよろ」とか「めりくり」とか「しゅうかつ」とか, てめーらは4音節以上は発音できんのかボケ,といった様相の略語とすらいえないような言の葉が飛び交うのは情緒も何もないですね.それもこれも,そもそもが入力機能を果たすために用意されているわけではない12個のキーで日本語を表そうとする携帯電話の発達の弊害なんでしょうか.と年始からおじさんになってもしょうがないですね.しかし,紅白を見るというのがそもそも世代を感じさせるような雰囲気さえあるなかで,その紅白を見て世代を感じるという二重構造はどうにかならんでしょうか.なりませんね去年のことですし.

というわけで,年始に関東圏にいるという強みをいかすべく,成田山新勝寺に初詣に出かけました.なんてったって成田まで電車で一本という地の利というか地の不利というかを駆使できるわけです.成田山なんて,ええもうお名前しか伺ってないんですがそりゃもうすごいんですって,という生半可な覚悟で出かけたのが失敗…でもないですが,ええまあ失敗でした.JR成田と京成成田から成田山に向かう道が表参道と交差したあたりから人が多いなあと思い始めたのですが,新勝寺に近づくにつれて満員電車並みの人口密度となり,成田警察署は「向かって右側を帰りのお客さん用に空けてくださいー」と放送するばかりで,ロープなどで区切ろうとさえしない(境内の中ではそうでもない)のでごたごたと道は埋まり,そのなかをなぜか怪しいキリスト教系の集団が「キリストはおっしゃられました」などとスピーカでがなりたてる,という,簡単に言うと何がなんだかよく分からない状況になってしまいました.本堂でお賽銭を投げるなんて,満員電車から降りるのより大変でしたよ.ひぃ.初詣じゃないときにゆっくり見物にこようと思います.なんなんだもう.

お正月といえば御節ですが,うちは黒豆が非常によくできているので,テレビを見ながらぱくぱく食べております.今年こそまめに生きようと思います.

で,成田山って,なんのお寺なんですか?


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