ある大学院生の日記

2004年12月31日(金) 石油ストーブ

電気ストーブというのはいかにも熱効率がわるそうだなあとおもっていたので,石油ストーブを導入しました.やかんを乗せてピーピー言わせつつこたつでみかんでNHKで紅白というのが正しい日本の年の瀬ですよ,とまでは言いません.言いませんとも.しかし,電気ストーブというかあのオレンジ色のやつって指向性が強すぎる気がするので石油ストーブくらいがちょうどいいですよ.部屋の中に対流が起きないので立ち上がると頭があったかいという弊害はありますが.

で,ついついなんとなく紅白→行く年来る年など見てしまったのですが,正直申し上げて,行く年来る年を午後9時くらいからずーっとやっておいたほうが,公共放送としてのNHKの役割を果たすことができていいのではないかと思います.落ち着いた雰囲気でいい番組だと思うんですけどね,行く年来る年って.愛知万博の「ボランティア」はかなり業者じゃないかと疑ってしまいましたが.

紅白って,会場に来るような人は若者たちの歌に興味がないかついていけないし,そういう人たちの前で騒がなくては…ではない,歌わなくてはいけない歌手(アーティストじゃないと思う)の人たちもさぞかしやりにくかろうとおもうんですが,そこらへんはどうなんでしょう.とりあえずしかし,今年のヒットは氣志團とマツケンサンバでした.上戸彩って歌うたってたんだっけ?



2004年12月30日(木) 風邪と帰省と

風邪引いてて,23日以降の休日の過ごし方の予定が狂ってしまったので,規制を回避,ではない,帰省を回避しました.おかげでおうちでごろごろですよ.片付けないといけないので片づけしてましたけど.そういうときに公募の落選通知がくるのってどうなってんだ大学の教授会というのは.



2004年12月29日(水) 忘年会

尊敬する先生と研究会兼忘年会があるというので秋葉原に出かけたのですが,年の瀬だというのに(だからこそ?),秋葉原はその手の人がいっぱいでびっくりしました.研究会はそんなに順調に進まず,忘年会ではタチの悪いウィスキーなど飲んでしまった気がするんですが,ええまあどうでもいいですこの際.再投稿の打合せさえできれば言うことないです.



2004年12月28日(火) 御用納め

金融機関よりも早く職場は御用納めとなってしまうわけなのですが,システムの入れ替えだのなんだのあってばたばたしているのに加え,論文の打合せの準備などしていたら,1月の報告会用の論文をまとめることなんてできないっすよ.なのですが,さすがに御用納めということで,乾杯やあいさつ回りこそないものの,まわりがばたばたしたりしているので,机の上を掃除してとっとと帰りました.なにごともなく.ええまあそんなもんですよ.

しかし,御用納め,というのは「御用だ御用だ〜」というのと「これで年貢の納め時だな」というのの関連する2つのせりふから1つずつ拝借してできた単語のように聞こえるので,なんとなくどきどきしてしまうのですが,そんなことはないですか.ないですかそうですかすいません.



2004年12月26日(日) なんにも

なかったんじゃなかったっけ.



2004年12月25日(土) クリスマスと2次会

このクリスマスは教会にも行かなかったのですが,あいかわらずたいして体調もよくないので,家でじーっとしておりました.が,夕方からは大学時代のサークルの尊敬する先輩の結婚式の2次会があるので原宿に出かけてきました.気がついたら新婦はサークルの後輩で社会人1年目というあたりにやや犯罪の匂いが漂わないこともないのですが,まあそんなことはどうでもいいです.行ってみたら,同期や先輩がばたばたとしており,いまやこんなことでないと会わない…というか,こんなことではよく会うような人々に会いました.そういうのってどうなんでしょう,と思ったり思わなかったり.のどがいがらいがらするので,お茶やオレンジジュースなど飲み,そのかわりそこそこぱくぱく食べました.余興の演芸もそこそこ成功したようで,なかなかよろしかったのではないかとおもいます.参加者がたくさんいてびっくりでしたが.

3次会にちょろっと行って「お金がたまらないんだよね」とぼやいているサークルの同期に「いくらくらいたまったら貯まったというのか」と質問したところ,「1000万円」といわれました.100万や200万だと「だって車買ったらオシマイじゃん」とのことです.30歳で大学卒業からちゃんと勤め続けるとそういうことになっちゃうんでしょうか.勝ち組の壁は高いね.



2004年12月24日(金) クリスマスキャロル

数年前(2001年)にも見に行ったのですが,またあるということなので,市村正親のソロパフォーマンス「クリスマスキャロル」をル・テアトル銀座に見に行きました.午前中は家で寝ておりましたが.しかし考えようによっては,12月24日はうちの職場にとっては(1年のなかでも)かなり重要な1日の部類に入るはずなのですが,そんな日に有休(振休)をとって家で寝ているとは,研究職の面目躍如といったところでしょうか(ちがう).

いろいろあって((c)清水義範),全部は見ることができなかったのですが,市村正親のクリスマスキャロルは笑いあり感動ありの素敵な舞台でした.やっぱりライブはいいね.で,そのままル・テアトル銀座の目の前のコージーコーナーでケーキを買って,銀座でなにか食べようかと思ったのですがどこも混んでいたので諦めて上野駅で買い物をして帰って食べて寝ました.シャンパンを開けようと思ったらコルクが飛んでたいへんなところになるところでした.ちゃんと冷やしておかないとダメですね,と,気体は温度が低いほど水に溶けるのでしたねえ,という中学の理科の基本を思い出しました.



2004年12月23日(木) 風邪気味

昨日からややアヤシイと感じてはいたのですが,なんとなくしんどくてのどががらがらするので風邪ではないかと思います.と,職場の診療所のお医者さんが言っていました.職場の診療所は不思議なところで,福利厚生の一環で自己負担率がゼロなので,かなり大雑把に処方箋が書かれているようで,くすりの量もけっこう多いです.初診回数は患者がある程度コントロールできるのですが,薬の量までは制御できないので,この量の多さは医師誘発需要と言わざるを得ないでしょうが,まあそんなことはどうでもいいです.げほげほ.



2004年12月21日(火) 忘年会

日本には忘年会という慣習があるらしく、いつも生真面目な日本人もこのシーズンだけはサンタもびっくりな赤い顔をして夜の町を徘徊してもよいという特権をもっているわけですが、そういうことで職場の忘年会がありました。エライ人もエラクナイ人ももう無礼講で飲んじゃって飲んじゃって、で後で無礼な事をした、といって叱られるというtime inconsistentなことが起きる職場ではないので、初手から長のつく人に挨拶回り、ということになりました。でもそういうのって苦手なので、営業をやってた生保の人にお任せして逃げちゃいました。すいません。生保といっても生活保護じゃないよ。しかし、こんな時期に、おそらくは半ばやけ気味に思いついたように「やる気」を見せる上司に振り回されて忘年会にも出れないヒトには本当に同情しますね。誰だそれ。



2004年12月19日(日) ニシヘヒガシヘ

神戸の学園都市に泊まっていたので、大阪駅まで出て行って、去年の職場のお隣りさんとお好み焼きを食べました。10時半という(大阪にしては)早い時間を指定したために、店が空いていないという予想外の展開にどうなることかと思いましたが、けっきょく11時くらいまでうろうろしているうちに店が開き始めてよかったです。よくないか。

新幹線でうちに戻って、着替えて、職場のお向かいさんの結婚式の2次会に行きました。新郎がいい気になってぐだぐだに呑んでぐだぐだになっていたのですが、新郎としての権利を余すところなく行使しているあたりがほほえましくてよろしいんじゃないかと思いました。ま、なかなか好感のもてるぐだぐだぶりでしたね。3次会で久しぶりにホッピーなんて飲んでみました。たまに呑むといいものですねえ。たまにですけど。



2004年12月18日(土) ルミナリエ・ミレナリオ

関西公共経済研究会だかセミナーだかで発表することになったので、授業もそこそこに新幹線で三宮に行きました。発表自体は共著者の先生がオン自らなさるはずだったところなのですが、なにがどう変化したのか、後半を僕がやることになりました。月初めにG大学で発表したところと概ね同じところが気になる人が多いらしいというのが分かりました。いいとおもうんだけどそれでいいの?というのが普通の反応のようです。いいじゃんか。

発表のあとは元町(横浜ではない。アタリマエか)で中華料理を普通に食べて、ルミナリエを見に行きました。呼んで下さった先生が「見ずに帰ることはない」と主張するので行ってみました。たしかにすごいのですが、事故防止のために道路を封鎖して延々と(といっても1時間くらい)歩かせる仕組みになっているので、せっかく(キレイめな先生と院生に挟まれて)よっぱらっちになっていたのが醒めてしまいました。べつにいいんだけど。光の都神戸自体はとてもすてきなところでした。丸の内のミレナリオみたいに遠近法を悪用することもなく、惜しげもない感じがよろしかったです。

宿は大学のすぐそばでした。日本では珍しいタイプではないかと思いますが、こういう仕組みが増えるといいなあと思います。文教予算はこういうところに使えよ。



2004年12月12日(日) 南へ行って北へ戻って

自慢じゃないのですが今月の週末はいろいろ予定が詰まっています.先週は日帰りでおでかけしていましたが,今週は木曜日から日曜日の朝まで出張でした.行き先は中国の海南省というところで,三亜という街は中国のハワイと異名を取る(どんな異名だ)リゾート地として名高いところだそうです.そうは言ってもこちらは出張なので,そんなところにはいかないで,海口という町にいって来ました.海口は「Haikou 」と発音するのですが,ディズニーランドの歌みたいですよね,と職場で言っていたら,同僚の女性におもいっきりバカにされました.そろそろ恩返しをしてもらってもよいかとさえ思っていたのに,恩を仇で返されるとはこのことです.冗談ですが.

海口という町に行くには,関西空港から直行便に乗るか,とりあえず上海・広州・北京といった大都市に行ってからトランジットするか,というルートを取ります.ところが帰りはいろいろあって,海口→広州→バンコク→成田という超のつくほど変則的なルートで帰ってきました.ま,長のつくひとと一緒だったのでちょっとだけいい思いもいたしましたけど,それでもそんなでもなかったので,やっぱりしんどいですね.変則的なルートで帰って来たのは,本郷でのマクロコンファレンスというのにdiscussantで出席するためなのですが,これまた疲れてでも行った甲斐がありました.先輩とか同級生とかに会えたのもさることながら,地方財政についての論文とディスカッションを聞くことができただけでもかなりのモウケモノです.うしししし.

しかし,このままいくとまた専攻がわけわかんなくなるのが残念です.マクロというにはmonetaryなことはぜんぜん知らないし,公共経済というにはpublic goodsの文献を知らないし.ああ.



2004年12月05日(日) 北風と太陽

夜半から明け方にかけて,低気圧の影響で大雨と強風が関東圏を襲ったようです.うかつにも洗濯物を外に出していたので,強風の音で目が覚めて「はっ」と思ってベランダに出てみると,物干しごと倒れていました.ひょっとしてなにかとんでっちゃったんじゃないかと気が気でないのですが,さしあたりよしとしましょう.我孫子駅前には,クリスマス用の電飾があって,夜に通りかかると,ツリーの形や,サンタさんの人形がなかなかきれいなのですが,見てみたらツリー状になっていた電飾は外れたんだか倒れたんだかで形跡はなく,サンタさんも倒れてしまっていました.おそるべし低気圧.関東地方はその後夏日になるほどの好天に恵まれたようですね.

ワタシ自身は,低気圧のせいで常磐線が動かなかったあおりを受けたりしつつ,日帰りでおでかけしておりました.行った先では冷たい雨が降っていて大変でしたよ.はー.



2004年12月01日(水) なにがなんだか

日本経済新聞というのは,国内ではかなり著名な経済系の新聞だと思うのですが,朝刊の連載小説は愛ルケ(通称)で周囲では評判が悪く(ある意味ではとてもよいのですが),もう毎朝どきどきしてしまいます.なんなんでしょうかあれは.

それはそれとして,きょうの夕刊をぼーっとみていたら,GDPデフレータの算出方法が連鎖方式に変わったのでどうのこうの,という話が書いてありました.これを書いたひとはGDPデフレータというのは,名目GDPをデフレータでデフレートすると実質GDPになるとおもっている節があるように読めるのですが,ことGDPデフレータと実質GDPについてはそんな求め方はしていなかったのではないか,とおもうのですが,そこらへんはどうなんでしょうか.あれ?


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