ある大学院生の日記

2003年06月30日(月) 最後

いろいろあっていろいろあるので,Kくんの音頭で,私淑するHさんなどと飲みました.これでTくんからリンク貼られちゃうだろうなあとおもいます.とりあえず気になったのは「友達が『あいのり』に出るのと『サバイバー』に出るのではどちらが恥ずかしいか」という問題ですが…….あしたからはがんばりますよ.たぶん.



2003年06月28日(土) ぐでっ

1日ぐでっとしておりました.四谷に行って魚を食べました.以上.日曜日も同じなんで省略.



2003年06月27日(金) ふて寝

昨日のセミナーの不出来さ加減にがっかりして午前中ふて寝ぎみだったのですが,書類を作る必要を思い出して学校に行きました.でもあんまり進みませんでした.いかんですね.



2003年06月26日(木) セミナー

某所にてセミナー.なんですが,3限に出てみると「きょうはビアガーデンに行かないか?」との先生からのお誘いがありました.やや心が動かなかったことはないのですが,先約を尊重してセミナーに出かけました.結論からいうと,たぶん緊張のあまり,間違えたことを主張してしまい,あとで先生につっこまれてしまいました.ペーパーではちゃんと書かれているんですが.「なにいっとんじゃい」と思われているのではないかと思うとやっとられません.今日はビール飲んで寝ます.そりゃいつもどおりやんけ,というツッコミは無しの方向で.



2003年06月25日(水) ピースワイズリニア

労働の授業でpiecewise-linearな予算制約下での効用最大化問題における推定について話をしました.まあ要するに,累進課税のもとでの労働供給関数の推定についてです.そもそも静学的な,学部生初歩のような枠組みで推定してもいいのか,という話のほうが興味を持ってくれるのではないかと思ってそっちを強調してみたのですが,「えーとぉ,実際のところ,いったん就職すると辞められないわけだしぃ,そうすると労働時間なんて決められちゃうじゃないですかぁ,途中でドロップアウトすると生涯賃金が減るじゃないですかぁ」と,モロに「ドロップアウト組」の烙印を押されつつ質問されたのには辟易しました.まあ発表者のバックグラウンドまで知った上で質問してほしいとも思いませんが(というか,知ってて質問したんだとしたらどうしよう),あーゆーのは大学院の授業なんか出ないで学部の労働の授業出るとか,せめて新聞を読んでほしいですな.しかもこれって最初のあたりでさんざん説明したつもりだったんだけど.なんなんだあれ.

まあべつにドロップアウト組でもかまやしないんですが,夕方は,医療経済学の勉強会に出席しました.某C大学のM2が発表したのですが,微分さえ理解しようとしない態度にはがっかりしました.まあ,書き方のソコツな論文ではあったとおもうのですがね.やってることはそんなに難しくないんじゃないかと思うわけですよ.最後のほうはめんどうだけど.あーゆーのは,「書き方がソコツですよね」といってちゃんと説明できるとカッコいいですよね.なんなんでしょうね.あーゆーのに限って反省しないんだろうな.

と,眼を三角にしていたわけですが,わが身を振り返るとウカツに他人のことはいえませんね.あー明日の準備が.どうしよう.



2003年06月19日(木) サンフランシスコ7日目

飛行機が午後に出るので,午前中はサンフランシスコ市内観光にあてました.といってもあんまり時間がないので,ぼくはUCSFに再び出かけて,大学生協をうろうろしておみやげを購入したりしました.Oくんはかねてからの希望をかなえるべく,ゲイのストリートとして有名な地区を探訪したようです.

サンフランシスコ国際空港まではBARTが2週間後に完成するはずらしいのですが,まだつながっていないので,途中までBARTで行って,そのあとバスでつなぐか,タクシーにしようと計画して出発しました.ところが,BARTが途中で止まってしまい,きょろきょろしてみると「コンピュータの都合で20分遅れになるよん」という電光掲示が見えたので,そこで駅を出て,タクシーを捕まえて空港に行きました.無駄な金を使ったなあ.空港ではベルトを外して靴を脱いでゲートをくぐるという念の入ったチェックを受けましたが,やっぱり気にしてるんでしょうねえ.ふむう.帰りは「Maid in Manhattan」「上海Knights」などをぼけーっと見ながら帰ってきたですが,中国語字幕にはややびっくり.まあいいんですけど.成田に着いたら20日になっておりました.はあ疲れた.



2003年06月18日(水) サンフランシスコ6日目・学会最終日

最終日ということで,尊敬するOくんの発表の日だったので,ちょっと早めに起きてポスターを貼りに行きました.Oくんの発表は……がっつんがっつん笑いを取ったというわけでもないのですが,それはそれとしてなかなかうまくできていました.いいなあ.

ポスターセッション,その後のセッションがおわると,各種表彰みたいなのがありました.学生の単著論文のcompetitionがあってその表彰もあったのですが,どうも事前に知らせていたわけではないらしく,「えーと.いないのかな?」という状況になっていました.いいのかいな.そのあと同じ会場でWHOの局長さんだかなんだかの講演がありました.開発経済学とも関係するような内容で興味深そうだったのですが,いかんせん英語が分からんのであんまり理解できませんでした.故團伊玖磨は

英語圏であっても,レストランで食事をしたり,床屋で髪を切ってもらうのに英語は要らない.これが,レストランで髪を切ってもらおうとしたり,床屋で食事をしようとしたりすると英語が必要になる.
てなことを名著「パイプのけむり」シリーズのどこかで書いていたような気がするのですが,さすがに学会では英語ができんとどうしようもない,ということを実感しました.あかんなあ.

WHO講演のあとは閉会式みたいなもので,次のWorld congressの会場であるバルセロナの宣伝を盛んにやっておりました.昨日のcity hallに対抗して,どこぞを借り切ってなんかやるぞ,てなことを言っていたようですが,もしかして参加費はそういうところに使われてるんでしょうかねえ.そのあとのレセプションは一転して有料でごはんも少なく,「とっとと帰れ」と言わんばかりでした.あまり先方の意向に反するのもなんなので,ビールを1本飲んで帰りました.

時間が余っていたので,お土産を買いにサンフランシスコ市内をうろうろしました.といってもSafewayでワインを買ったり,サンフランシスコジャイアンツのグッズを買ったりしただけなんですが.さすがにOpus oneは売ってなかったような.その夜は,泊めてくれた友人とどーでもいいような話をしながら飲んだり食べたりしておりました.彼と彼の家族には感謝することしきりであります.



2003年06月17日(火) サンフランシスコ5日目・学会3日目

きょうはいよいよ発表の日なので,のろのろとHiltonに出かけて,ポスターを尊敬するOくんに手伝ってもらいながらぺたぺたと貼り,昨日増殖させておいたフルペーパーと1枚の要約を置いて,他のセッションに出かけました.Paradigmatic Shifts in Health Economics 1という,名前からすると「むむむ」的なセッションに出てみたのですが(自分のセッションの座長が発表していることに気がついたからです),Ming Tai-Sealeさんが発表していた「How Much Patient Information Does it Take Before a Physician Makes a Decision: The Role of Uncertainty and Information Exchange in Physician's Decision-Making」という研究はひじょうに面白そうでした.診察の様子をビデオにとり,どのような話をどちらがしているかをさまざまな分野の専門家が分類し,もって情報伝達について分析しようという,こりゃまたえらいことやりましたなあ的な,学際的な研究のようでした.医師の意思決定(しゃれではない)は気になるところなので探してみたのですが,web上にペーパーはないようです.むむむ.

で,次のセッションで発表でした.座長のPaul Kindさんは,なんつうか,正統的なイギリスのおじいさんっぽくて「ほっほっほ.きみがスン……シュンイチロー……でよいのかな,かね?」とか言いそうな感じの先生でした.York大学の大物だなんて知りませんでしたよ.発表は12人中2番めで5分間という位置でした.5分間の発表でOHP5枚以内,という制限があるはずなのですが,英語に堪能なみなさんは早口でぺらぺらぺらと話し,OHPもよゆーで5枚以上ささっささっと使い,あまつさえ1枚の情報量が豊富,ということで,すっかり萎縮しきっておりました.なんつっても単純なペーパーなので,OHPは表紙含めて4枚,しかも1枚あたりの情報量も多くないし,早口の英語なんてとてもとても,ということでしたし.原稿は用意していたのですが,やっぱり緊張すると早口になるという副作用が功を奏したのか(?)残り1枚になった時点で2分近く残っておりました.「なんてこったい」と思ったので,「ええと,自分の研究は非常にシンプルなので次がもう最後のスライドなのであるよ」としゃべってみたところ,会場から笑いを取ってしまいました.なんでだろう.座長のKind先生が「残り1分」という札を見せてくれたときにはもう話すことはなくなってしまっておりました.うーむ.席に帰ると,Kind先生から「Thank you」と言われてしまいました.たしかにみんな5分なんて守れないよなあ.そのなかで4分で終わっちゃったペーパーっていったい…….

そのあと1時間のポスターセッションがあったのですが,自分のペーパーの前にあんまりじっとしているのもいたたまれなかったのでうろうろしていたら,フルペーパーがいつのまにかなくなっちゃっておりました.しまった.いればよかった…….

そのあともいくつかのセッションを見て,「ITとか受けないのかねえ」と思ったりしたあと,Gala dinnerに行きました.City hallを借り切ってDinnerだというのでいったいどうなっちゃうのであろうか,とびくびくしながら,Hiltonから送迎バスにのりました.さすがにボディチェックとIDチェックが行われているようで,ホールの前には列ができていたのですが,そのなかにProgram committee chairが混じっていたのにはやや驚きました.なかに入ってみると,立派なホールで,うろうろしてみるとみんなてんでに飲み物を飲み,食べ物をぱくついていておりました.開会の挨拶みたいなものがあるのかなあとおもっていたのですがそうでもないので,さっそく出ていた料理をぱくぱくと食べました.もちろん「カリフォルニアロール」もありましたし,みんな箸で食べてました.あたりまえですね.ローストビーフもおいしかったし,ワインやジンもなかなかでやんした.尊敬するO先生を発見したので,秘書のAくんともどもバカ話をしていたら,K先生にばったり会ったり,やや恐れているR大学のK氏に出くわしたりしました.このとき,僕の私淑するOくんは明日の発表に備えてアメリカン・ジョークを考えていたようですが,うかつなことはここには書けません.なんにせよ食べ放題飲み放題に近く,がつがつと食べていたのですが,友人宅に泊まっている関係上,10時ごろにはお暇しました.後で聞いたところによると,12時くらいまでディナーは続いたらしく,あれだけあった食べ物がなくなっていたそうです.おそるべしiHEA.



2003年06月16日(月) サンフランシスコ4日目・学会2日目

朝一番のセッションでSさんがlong oral sessionで発表するとのことなので,やや早起きしてのこのこでかけました.サンフランシスコ市内にはMUNIと呼ばれる地下鉄というか路面電車というか,が走っているのですが,その7日間Passを買ってしまったので,2駅分これに乗って快適に通勤です.サマータイムなので体感時間(?)は一時間早く,湿気もないので(日本の梅雨と違って!),やや肌寒いくらいなのですが,朝ならではの快適な時間帯ともいえます.さて,Hiltonについて部屋に行ってみると,Sさんの論文の共著者のO先生が「むむっ」という顔で座っていました.秘書のAくんも,もと秘書のTくんも来ていたようです.Sさんの発表はなかなか素敵で,明日発表を控えている身としては「むむむ.ちゃんとできるのだろうか」とのプレッシャに十分なるものでした.そのあとはやや気になっていたMcFadden講演でした.「Healthy, Wealthy, and Wise?」てなタイトルで,健康だから金持ちなのか,金持ちだから健康なのか,という問題を,因果関係をちゃんと定式化して測定するにはどうしたらよくて,どうだったか,という話でした(たぶん).開発経済学と関係して,このようなテーマは医療経済学でも注目を集めているテーマのようです.話の内容もともかく,ときどきjokeが入っているらしくて周りがどっと笑うのについていけないのが残念でした.しかしあとから考えてみると,アメリカ人の(アメリカ人は40%程度しかいなかったらしいのですが)笑いのポイントは分かりにくく,簡単に笑うような気もする一方で,ちょっと手の込んだ笑いをとろうとすると反応してくれなかったりするようです.やっぱ笑いは関西やね(なんや突然).

さて.もうひとつセッションを回って昼ご飯をどうしようかと思っていたのですが,どうも大きなホールで講演(luncheonなんとか)のようなものがあるらしいのでちょっと見に行くことにしました.すると.McFadden講演のあったホールにランチの準備がされていました.というわけで,講演を聴きながらHiltonのランチを食べてしまいましたよ.いやーんまかったです.デザートのチーズケーキを食べきれなかったのが残念でした.しかも,出席者数に比べて用意されたランチが多すぎたので,もったいないなあ,タッパーに入れてもって帰りたいくらいや,と思っておりました.肝心の講演はあいかわらずあんまり分かりませんでした.あーいかん.

そのあと,セッションをもひとつみて,フィッシャマンズワーフに出かけて,あざらしを眺めて,アルカトラズ島を眺めて,でっかいサンドイッチを食べて帰って寝ました.E先生の機嫌を損ねるところでした.損ねたような気もしますが……まあいいか.しょうがないっすよ.クラムチャウダーおいしかったし.しかしサンドイッチでかすぎ.



2003年06月15日(日) サンフランシスコ3日目・学会1日目

とりあえず,Hiltonに行って,iHEAの登録でも済ませてみるか,とおもって行ってみたら,登録はあっさりできたのですが,引き換えに論文要旨集とそれを入れるバインダーなどをごそっと渡され,とても持って歩く状況ではなくなってしまいました.実際のところ,Hiltonに泊まっている参加者は持って歩いて回っていたようでしたが.ともあれ,あまりの量に圧倒されてやややる気さえ失いかけ,へなへなとロビーに座り込んでしまいました.Hiltonの目の前のホテルに泊まっていたSさんの部屋にファイルを置かせてもらって,とりあえず空いた時間で市内観光にでかけました.まずはてくてくと歩いてサンフランシスコ近代美術館(SFMOMA)に行きました.マティスなどがあるじょ,という事前知識以外にはほとんど知らなかったのですが,やっぱり現代美術はよくわかりませんでした.絵画彫刻のほかにデザインや映像といったものもあったのですが.やはり.むむむ.

そのあと,アウトレットに行ってみたのですがたいしたことはなく,がっかりしながら最初のポスターセッションを見に行きました.ポスターセッションは,日本の経済学関係の学会ではあまり見ないスタイルなので対応に困っていたのですが,行ってみると,たしかにA1やA0の大きさにカラーコピーとラミネート加工を施したポスターがあったほか,もう少し小さいサイズの紙にコピーと加工したものや,なんとなくやる気を疑っちゃうようなものまでさまざまでした.このポスターセッションはopeningを兼ねていて,飲み物と食べ物が出ていました.怯えてちょこっとしか食べませんでしたが,ここらへんから,日本経済学会との差に気がつくべきでした.内容としてはそんなに理解しやすいものばかりでもなく,ふむふむと思ったり思わなかったりで,とくに質問することもなく帰ってきてしまいました.惜しいことしました今思えば.



2003年06月14日(土) サンフランシスコ2日目

朝は,泊めてもらっている友人の勧めにより,Farmers' marketに出かけました.無農薬野菜やら果物やらを扱っている朝市なのですが,素敵なことに,桃やさくらんぼやオレンジのたぐいが試食し放題です.明るい(もと)フェリー乗り場で果物を食べながらうろうろするのはさわやかでよいものです.シイタケやマイタケが売られていたのにはびっくりしましたが.ジャムを売っているおじさんがいて,これがおいしそうなので小さなセットを買ってしまいました.いまおもえばこのおじさん,McFaddenに雰囲気が似ていたかもしれません.

そのあとは,赴任してから行ったことがないという友人の運転により,Napa Valleyに行ってきました.有名なカリフォルニアワインの産地だそうで,酒飲みの友人は,訪ねるべきワイナリーをすでにピックアップしていたらしく,「ただで試飲できるところ」「ごはんのおいしいところ」「いいワインのあるところ」「いわくつきのところ」「シャンパンがあるところ」の順に回るのだ,とのことでした.なんせ意外と遠かったり,ここまできて渋滞したりしたのですが,とりあえずテイスティングを何杯かしてみてふむふむと思い,昼ごはんを食べてふむふむと思っておりました.若干クルマに酔いかけたような気もするのですが,ちゃんとopus oneに寄って所望の1品をいくつか入手しました.ここはかなり有名なところのようで,日本人の姿を多く見かけました.そのあと,Mummでシャンパンを飲み比べました.透明な青空のもとで冷えたシャンパンというのも健康的でよろしいかとおもいました.帰りは不覚にもクルマでくーすか寝てしまったのですが,えーとまあよしとしてください.すいません.



2003年06月13日(金) サンフランシスコ1日目

成田の出国もがらがらで,脅されていたわりにはマスクをしている人もほとんどおらず,なんということはなく飛行機に乗り込むことができました.ノースウェスト28便は出発が遅れたのですが,これといった理由もなく,単に飛行場が混んでいるからのようでした.機内ではなんとなく眠れなかったり眠ったりしていたのですが,やはり着いた後に眠気に襲われてしまいました.予定より30分も早く着いてしまったせいでしょうか.入国審査はどうということもあるまい,と根拠なく思っていたのですが.

審査官「入国目的は?」

僕「観光です(なんだろうとおもうな)」

審「アメリカに以前来たことはありますか?」

僕「あります」

審「いつ?」

僕「7年前くらいですかねえ(大学4年のときだしな…)」

審「(パスポートをめくりながら)ヨルダンにいったことがあるんだね」

僕「はあ」

審「目的は?」

僕「観光ですけど」

審「ヨルダンのどこに行ったの?」

僕「あー,アンマンとかアカバとか」

審「それどこ?」

僕「……?」

審「職業は?」

僕「学生です」

審「どこの?」

僕「東京大学ですが」

審「……(どこだそりゃという顔をしてスタンプを押す)」

ということになってしまいました.そんなに怪しい風体だったんでしょうか.アジア人だし.むむむ.しかしそのあとの税関では「Do you have tabemono?」で終わってしまいました.ふむむむ.

先に着くはずだったE先生の飛行機のほうが後につくようすだったので,空港で先生を待ち,そろって市内の宿に向かいました.先生たちが泊まる宿に荷物を置かせてもらって,しばしうろうろした挙句,となりのタイ料理屋でごはんを食べ,オーダーの間違いにやや怒り,ココナッツジュースの濃さにやや辟易とし,7-days passを購入してUCSF(カリフォルニア大学サンフランシスコ校)に向かいました.E先生のお友達のAndrewさんが先生をしているので,電子カルテなどについてお話を伺うためです.UCSFは経済学分野では名前を知られていませんが,それもそのはずで医学系の学部しかありません.しかし病院の評価は非常に高く,入り口に「全米ランキング10位入り」てなことが書いてありました.お話を伺うために病院内をうろうろしたのですが,意外に自由にいろいろなところへ行くことができてびっくりしました.また,小児関係や産科関係のフロアはタイルが明るい色調だったり,壁に和やかな絵が描いてあったり,子供の描いた絵が貼ってあったりしておりました.小児科なんぞ最近行ったことがないのですが,大学病院でもあーゆーものなのでしょうか.肝心の質問などは頭がたいして働くこともなく(いつもどおりですが),周りの質問と答えに耳を傾けるばかりでした.ひそかにUCSFグッズを買うチャンスを窺っていたのですが,そのままお茶を飲みにいきました.カプチーノを頼んだのですが,ボールのようなものに入って出てきたのでびっくりしてしまいました.ケーキもでかいし.なんてこったい.

UCSFは丘の上にあって霧が流れて気温も低く,半そででうろうろしている僕には非常に寒かったので,中心部で長袖でも買おうとしたのですが,適当なのがなかったので購入せず,とりあえず宿泊予定の友人宅に寄って荷物を置かせてもらい,ふたたび外出してパキスタン料理屋で夕食を食べ,友人宅に戻り,ビールを飲みながら友人の帰りを待ち,再会を祝してから寝ました.ふぅう.



2003年06月10日(火) へちょい

英語の授業でiHEAの発表の練習をしてみたのですが、前日深夜にOHPシートが行方不明になって朝からばたばたするし、英語もうまく話せないし、ということですっかりがっかりしてしまいました。あかんですなああれじゃ。ポスター発表に実証は合わない、とかいっとる場合ちゃいますな。肝心のポスターなんですが、某キン○ーズに行って拡大コピーを取ってきました。写真があるようなポスターではないので、せめて色上質紙にコピーしようと勇んで出かけてみたのですが、やる気のなさそうな店員さんに「あー、白いのしかないです」と言われてしまったので、白上質紙にコピーしました。できあがってみると、いかにもへちょいものになってしまったのでさらに凹んでしまいました。ラミネート加工する気にもなれません。うーむ。病院選択も混ぜたほうがよかったかしらんといっても後の祭。ま。とりあえず「地球の歩き方」も買ったし。慰めになっとりゃせんがな。



2003年06月08日(日) ちゃわん

ぐるっとパスの期限が切れないうちに、国立近代美術館に出かけました。竹橋にあるやつですね。毎日新聞のとなりの。ぐるっとパスは常設展しか入れないので、4階からしげしげと見ていきました。高村光太郎の彫刻に触ったら怒られちゃいました。彫刻なんて触ってナンボだとおもっていたんですが。ちがうんですかね。えーとそれはそれとして、2階の現代美術になってくるとなにがなんだかよくわかりませんでした。いまヒューストンにいるGくんならきっと分かるんだろうなあ、と思ったり思わなかったり。ぢつはひそかに茶碗を楽しみにしていたのですが、なかったので工芸館に行ってみました。北の丸公園内にあるやつですね。着物なんかもあったのですが、茶碗はあんまりありませんでした。がっかり。ふーむ。まあいいんですが。



2003年06月02日(月) リアクション

えーと,昨日の一件について重要なことを書き忘れておりました.昨日は衣替えだったのですね.光を反射するからか単に見た目の問題なのかそこら辺はまったく知らんのですが,夏になると白色系の服装が多くなりますね.「ゆりかもめ」に乗っていたら,目の前に立ったいかにもバカっぽいねえちゃんが真っ白のパンツというかなんちゅうかあの,女性が下半身にまとうところの2本の筒状の布に足を突っ込むタイプの服はなんて呼ぶんですかね,まああれですよ,あれを着ていたのでそんなことを思い出してしまいました.しかしヒョウ柄かよ.

えーとまあそんなことはまったくどうでもいいのですが,きょうの大学院マクロ経済学では,学生のあまりの無反応に業を煮やした教授が激昂してしまい,激昂した自分に苦笑してしまい,ということが起こってしまいました.まあたしかに英語というのがあるのですけども,もちっと反応してもいいんじゃないですかねありゃ.あーゆー反応しない学生どもに限って,授業以外の時間帯には「あの先生の授業は……」てなことを言ってるんでしょうなあ.進度が遅いだの速いだの難しいだの簡単だのって.授業中にあれだけ言ってるんだから,表情なり何なりで反応すりゃいいのに.一番前に座って「ワタシは生真面目に授業を受けてるんですからねっ」という人たちに限ってまったく反応しないっちゅうのはなんなんでしょうね.ただ緊張してんでしょうかね.それとも,「ええもう,先生のおっしゃることを承るだけです」とでも思ってんでしょうか.それってバカじゃん.

とかウカツに書くと「業績も大してないくせになんだありゃ」とか陰に陰に言われちゃうので言いませんが,TAセッションの無反応ぶりを見るにつけても,あれだけ暖簾に腕押しっつうか糠に釘というか釈迦に説法というか(←それはちがう)だとそりゃまあ堪忍袋の緒が切れてもしゃあないところでしょうなあ.今学期の進度がみょうに遅いのはそのせいでもあるのではないかと.

講義後は,書類書き→TAセッションの準備→データのクリーニング.またもや大きな壁が.ぎえ.



2003年06月01日(日) 工作船

先日購入したぐるっとパスがあるので,お台場まで行ってきました.上野あたりの美術館博物館も魅力的ですし,多摩動物公園なんてのも入れちゃうのですが,やはりここは,お台場にみるべきものがあるのでした.

工作船

ですよ.ぐるっとパスは基本的に常設展示しか見ることができないので,工作船公開が企画展だったらやだなあ,とか,「世界の不審船展」とかやってたらどうしよう,と心配していたのですが,そんなことはまったくなく,あまつさえ,工作船公開は無料でした.まあいくら笹川良一を館長とした船の科学館とはいえ,「世界の工作船展」とかいって各国から選りすぐりの工作船を並べるような政治力も財力もないのかもしれません.1世代前でいいからずらっと展示してみるとそういうのっておもしろいと思うんですがね.えーとまあそういう期待と不安と心配を持っていたのですが,そんなことはまったくありませんでした.杞憂というやつですね.それより驚いたのは,工作船人気(?)でした.やはりこういう御時世にあって防衛および安全保障に対する一般国民の関心および知識水準の向上が見られており,このような工作船の展示を通してさらなる知識の普及・注意の喚起が試みられているところなのでありましょうか.まさか.しかし,待ち時間は2時間を超えるという体たらく(??)であったため,「並んで物を見るなんて旧ソ連か?」という正しい疑問を抱いてしまい,けっきょく,遠目にちらちらと眺めて帰ってきました.えーとなんですな,工作母船というには意外とちっちゃい気もするし,工作船というには意外とおっきい気もしますな.とはいっても,いまとなっては錆付いた鉄のカタマリに過ぎないわけで,しかも,一般公開は周りをぐるっと歩くだけなので,しげしげと見たからといって「ほほぉこいつはすごいや!」となるものでもなさそうな気がします.でもまあ,直接見ちゃって,銃撃戦にいたる関連資料をちらちらと見たりすると,やっぱりこういうのが近海をうろうろしているというのは正しくないことなのではあるまいか,と夕焼けの空をきっとナナメににらんでしまうところではありますな.

ところで,有料で入るべき船の科学館はそれほどでもなかったのですが,その斜向かいにある日本未来科学館は面白かったです.顕微鏡でヒトのDNA見ちゃったりしたし,アシモも見ちゃったし.こりゃおもろいですよ.監修は日本を代表するような錚々たる顔ぶれのようですし.あれみると,理系に行きたかったとおもいますね.ほんとに.きょうは疲れていたのでざざっと見て帰ってきちゃいましたが.こりゃおすすめでっせ.


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