日々雑感
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2002年10月31日(木) みんないなくなった

夢の中で汽車に乗っていた。地元の町を走るローカル列車だ。汽車は橋をわたる。橋を越えてすぐの駅でひとり降りる。

秋晴れの午後。自分の町であるはずなのに、知っている人は誰もいない。家へと向かう海沿いの道を歩く。どこか様子がおかしい。漁船の音がしない。車も通らない。ススキは風に揺れているのに。

高台にのぼる。かつて自分の家があったはずの場所には湿地帯が広がっている。何もない。人もいない。建物の跡すらない。目の前に広がる見たことのない風景。海と草だけが茫々と広がる。海鳴りと風の音が低く聞こえる。

呆然としていた。けれども、それはなんて美しい光景だったろう。

一日、夢の中で見た風景が頭から離れず。あの場所でも、空はよく晴れていた。


2002年10月30日(水) 心穏やかな日々を

日に日に寒くなる。米をとぐ手が冷たくて気合が要る。

だいたい日本時間の深夜に行われる欧州サッカーの結果をネットにてチェックするのが最近の朝の日課だ。昨日は、ひいきのACミランがチャンピオンズ・リーグにてランスに2対1で敗れる。1次リーグ突破が決まっているとはいえ残念。勝っていれば気分よく、負けたときには落ち込んで、朝に知った結果によって一日が左右されている。テレビの占いなどよりもよっぽど強力。どうしてここまで入れ込んでいるのか、自分でも不思議だ。サッカーなど興味なかった頃の心穏やかな日々がなつかしい。

夜、半てんを取り出して着る。そろそろコタツもほしくなってきた。ニュースにて雪景色を見る。


2002年10月29日(火) 爽健美茶

午前中、学校へ。朝は冷える。早い時間に家を出ると、ついつい厚着になってしまう。

ハンブルグ生まれのドイツ人の先生は、いつも「爽健美茶」のペットボトルを抱えてやってくる。ミニボトルではなく、2リットルの大きいほうだ。机の上に置いては、自分のマグカップに入れて飲んでいる。他の飲み物だったことは一度もなく、帰るときも、そのまま抱えて外へ行く。「爽健美茶」には、ドイツ人の心に訴える何かがあるのか。その先生、今日は「これがないとクリスマスが迎えられない」と言いながらドイツのお菓子も一箱持ってきた。ものすごく甘いお菓子。

夜、部屋の中にいると、外から「森のくまさん」を歌う声が聞こえてくる。男女ひとりずつで、しっかり輪唱している。酔っ払うにはまだ早い時間帯だ。何だろうと思っていると、輪唱から今度は見事な二重唱に。秋の夜道で練習か。


2002年10月28日(月) 仔猫

いつの間にか木の葉の色が変わっている。今日も寒い。大学の構内では、日なたに丸まった猫が何匹も固まっている。夏には涼しい場所を見つけていた猫が、暖かい場所を探すようになった。

夜には、近所で野良の仔猫に会う。真っ白い小さな猫だ。警戒して、一定の距離を越えては近寄ってこない。前に実家で飼っていた猫がはじめてやって来たとき、ちょうど同じくらいの大きさだった。ある雨の日にいきなり迷い込んできたその猫は、家に上がりこんだかと思うとまっすぐに父親のところへ行き、そのあぐらの中にすっぽりと座り込んだのだ。そして、小さなため息をつくと、眠り込んでしまった。犬派だった父親が猫派に転んだ瞬間。

寒い夜。人も猫も丸まって歩く。人の分だけ、足音が響く。


2002年10月27日(日) 複雑

先週は怒涛のような一週間。その反動のせいか、朝からぼけっとして過ごす。晴れてうれしい。窓からよい風が入る。

何をしても手につかない日。体調の悪い猫が、何も食べずにじっとうずくまっているのと同じようなものか。体調や気分が悪いわけではないけれど、少しエネルギー量が減っているのかもしれない。「しっかり補給せよ」ということなんだろう。

友人から「窪塚洋介にちょっと似てる」と言われる(もちろん外見が、ではなく)。どういう意味なのかはっきりは聞かなかったけれども、ちょっと複雑。いや、かなり複雑。そうなのか?


2002年10月26日(土) ブルガリアと栗ごはん

友人がブルガリア舞踏団の楽士をしているのだが、その練習に遊びに行く。ブルガリアン・ヴォイスのCDなどは聴いたことがあったけれど、ダンスも演奏も生で見聞きするのは初めてだ。バルカンの楽器を手にした人々やダンサーがずらりとそろっている姿は壮観。「こんなところに、こんな人々が、こんなにたくさん!」という感じ。

生演奏に合わせてのダンスが、とにかくすごい。基本的に群舞なのだが、動きは激しく、迫力。演奏とダンスとが、互いに相手がいてこそ自分たちもいるという感じに一体になっているのもいい。あの渦や波の中にいられたら楽しいだろうなと思う。ぜひまた観たい。

夜、隣りの友人から電話。お父さんが東京出張で泊まりに来ているらしい。今朝、彼女のお母さんが炊いたという栗ごはんをお土産に持ってきており、おすそわけしてもらう。

栗の他に、しいたけ、緑色の枝豆、ゴボウやにんじん、いろいろ入った豪華版だ。おこげもしっかりある。うれしくて、しっかり夕飯を食べたあとだったが、さっそくいただく。美味しくて、思わずため息。持つべきものは、近所に住む友人か。


2002年10月25日(金) 知らない道

いくつもの用事がなぜか今日一日に集中。朝からバタバタした日。

一通り切り抜けて、最後の用事までにぽっかりと2時間空いた。場所は池袋。どうせならと思い、次の移動場所である新大久保まで歩くことにする。山手線に乗れば、池袋、目白、高田馬場、新大久保と駅で3つ分だ。どのくらい時間がかかるか見当がつかないが、2時間もあれば余裕だろうと歩き始める。

夜、知らない道を歩く。店の灯りや人のいない学校の傍らなど通り抜けて行く。一両きりの都電が並んで走る。知らないのに知っているような、いつか見たことのあるような、不思議な光景だ。

2時間どころか、20分もしないうちに高田馬場まで来る。駅前の本屋に寄り道。めったに来ない本屋だ。店内をぶらぶらしていると、熱心に本を読んでいる見覚えのある後姿。友人にばったり会う。びっくり。東京も狭い。

そのあと、新大久保にて最後の用事もすませて帰宅。日付も変わっている。いろんなことをして、大勢の人に会ったせいか、気持ちが昂ぶってなかなか眠れない。寝つきのよさだけが取り柄なのに珍しい。うとうとしたかと思うと、海の夢を見る。遠くから雷が近づいてくる夢である。


2002年10月24日(木) 尾崎放哉

月が明るい。隅々まで照らされ、広がる雲が青白く浮かび上がって、夜空が広々として見える。遠くからは踏み切りの音が聞こえる。

『尾崎放哉句集』(春陽堂)を読んでいる。同じ自由律の句人ということで山頭火とイメージが重なると思っていたけれど、こちらのほうがもう少し色気がある感じ。

 花火があがる音のたび聞いている
 人を待つ小さな座敷で海が見える
 海がまっ青な昼の床屋に入る
 つめたい風の耳二つかたくついてる
 晩の煙を出して居る古い窓だ
 海のあけくれのなんにもない部屋
 ころりと横になる今日が終わつてゐる (尾崎放哉)


2002年10月23日(水) 旅立つ人

海外へ旅立つ人ありて、夜、壮行会。

ずっといっしょに演奏したり、踊ったりしてきた仲間たちの1人である。11月からボリビアへと赴任するのだが、長い間の希望が叶っての渡航とあって、何か静かな充実感や決意のようなものが滲みでている。ほんとうによかった。誰かが己の道を信じて歩む姿を見るのはいいものだ。

平日だったが、結局2次会まで。今度会うのはいつになるだろう。夜の新宿、酔っ払って後にする。


2002年10月22日(火) 眠気ざまし

持ち帰りバイトと課題の〆切りが重なって昨晩は半徹夜。朦朧としながら午前中を過ごす。空は秋晴れだが、鞄が重い。

すべて提出して、ようやくひと息。夕方、革紐を買うために新宿の東急ハンズに寄り道する。先週末、大学時代のサークル仲間で友人宅に集まったとき、ひとりがアメリカ土産だといって「インディアンのお守り」なるものを全員に持ってきていた。いろんな形をした小さな石のペンダントヘッドだ。「みんなのイメージに合わせて選んだ」といって1人ずつに手渡してくれたが、自分が受け取ったのは小さな魚の形をした緑色の石(どうやら魚のイメージらしい)。石はひんやりと冷たく、手にしているだけで何となく気持ちよい。革紐に通してお守りにするつもり。

結局、お隣りの紀伊国屋書店にも寄って、上から下まで見てまわる。長居。さっきまでの眠気がどこへ消えたのかは不明。


2002年10月21日(月) 雨の日

朝から雨。本格的に降っている。

教室の窓から見える夕空は紫色だった。ゼミが終わって外に出ると、強い風が吹き、嵐が来る前のような、あるいは去った後のような、空気の匂いがする。落ちた葉っぱが道路で濡れる。

電車に暖房が入った。これからどんどん寒くなる。


2002年10月20日(日) バレバレ

外食やお酒がつづいたこともあって、昼は小さい土鍋でおかゆを炊く。

松谷みよ子の「ちいさいアカネちゃん」だったか「モモちゃんとアカネちゃん」だったかに、森に住むクマさんがアカネちゃんのためにおかゆを炊いてくれる場面があって、小さい頃、そこが大好きだった。ぐつぐつと炊けた真っ白なおかゆに、玉子をぽんと落として、しょうゆを少しだけたらして、ふうふう言いながら食べるのだ。しかし、今日は玉子ではなく梅干し入り。

夜、映画「ピンポン」を観る。面白かった。「青春ってすばらしい」などと、ベタに、けれどもしみじみと思ってしまうような気持ちよい映画。スマイル役のARATAがよかった。観終わって映画館を出たあと、一緒に行った友人に「ああいう顔好きでしょ」と言われる。バレバレだ。


2002年10月19日(土) 同じ釜の飯

大学時代のサークル仲間と集まる。音楽サークルに所属していたのだが、そこでずっといっしょに演奏してきたグループの7人が集合。仕事やら何やらで海外へ行く者が多く、全員がそろったのはものすごく久しぶり。考えてみると、最後に7人で会ったのはちょうど4年前、98年だった。4年に1回、ワールドカップの年に集結か?

その4年のあいだに4人が結婚し、今回はグループ内結婚組である一組の夫婦の家へお邪魔する。楽器持って演奏したり、何をするでもなく誰かの家に集まったり、そんなふうにして過ごしてきたうちの2人が結婚して、家庭を持って、いっしょに台所に立っている姿を見るのは不思議な感じ。当時は闇鍋などもやったけれど、今日はしゃぶしゃぶ。よく食べて、よく飲んで、話尽きず。

また何年もたってから顔をあわせても、はじめこそ「久しぶりだよね」と言いつつ、すぐにいつもの調子に戻れそうな気がする。これが「同じ釜の飯を食った仲」というものか。

夜、雨になる。ぎりぎりの時間までお茶など飲んで、駅まで送ってもらって電車に乗り込み、ふと見ると結局最後まで残っていたのはそろって未婚の3人。皆、思わず笑ってしまう。独身3人組、夜の東横線に揺られて帰る。


2002年10月18日(金) 「歌え!フィッシャーマン」

渋谷にて映画「歌え!フィッシャーマン」を観る。ノルウェーの北極圏に近い小さな町に男性合唱団がある。その合唱団の活動を追ったドキュメンタリーだ。

町の暮らしは楽ではない。仕事は少なく、冬には地吹雪。メンバーのひとりは言う。「防波堤と合唱団がなかったら、この町では暮らしていけない」。

けれども、決して悲壮な感じのする映画ではなくて、淡々として、おかしくて、不思議に明るい。団員の最高年齢は97歳。彼は自分で車を運転して87歳の弟を迎えに行き、いっしょに練習へと向かう。そして、どのメンバーも皆よく笑う。ロシアへのコンサートツアーのときには「ロシアの女性との出会いがあるかも」とコロンを荷物の中に入れ、妻に「他の女性と踊ってもいいかい?」と尋ねる(あなたは踊りが上手なんだから、ぜひそうするといい、と彼女は笑う)。何より全編に流れる歌声がすばらしい。

以下、余談。どんなに年齢を重ねても色気のある人というのはいるものだなあと思った。メンバーにひとりそういう男性がいて、スーツに制帽という同じ服装をしている集団の中でもひときわ目だつ。ステージの上でもどこか違う。ロシアでのコンサートの終演後も、若い女の子たちは皆彼のところへ集まってきており、「やっぱりなあ」と思わずうなずいてしまった。

夜、友人の九州土産のお菓子をいろいろ食べる。日向夏のゴーフレットが美味しい。


2002年10月17日(木) 日本酒天国

夜、研究室の後輩たちと飲み会。「とりあえずビール」もなく、いきなり日本酒から始めて飲む飲む。いろんな話が出る。飲んだお酒、男山、銀盤、酔鯨、八海山、〆張鶴、雪の音、出羽鶴、浦霞、その他。お店の人に「皆さん、強いっすね」と言われる。飲んでいたのは3人。

帰り道、セブンイレブンで「美味しい」と聞いていたモンブランを買う。奮発。たしかに美味。


2002年10月16日(水) 空き地

「ほんとにいいのか」と思うほど、よい天気。よく晴れた。

気候がいいと歩くのも楽だ。そんなわけで、今日は川沿いの道を行く。春には桜の咲く道。今は葉っぱだけがまばらに残り、川の流れが透けて見える。

橋をわたって、坂道をのぼって、狭い道、狭い道と選びつつ歩いていたら、いきなり空き地にぶつかる。広い。空き地というよりも、山の中の少し開けた場所というかんじで、丈の高い草が茫々と広がり、大きな木が何本も並んでいる。ぐるりと細い鉄線で囲まれた場所。かつて、何か大きな建物がここにあったらしい。

遠くにはビルも見えるので、ここは確かに東京の真ん中。それでも、その場所だけ、かつての時間の名残りも見せず、植物に覆われてじっとしている。気になって周りをうろうろしていたら、通りがかりの自転車の人にうさんくさそうに眺められた。

夜、サッカーの日本対ジャマイカをテレビで観戦。日本代表、W杯のときよりも黒髪率が上がっている。


2002年10月15日(火) 銀杏

早起き。昨晩雨が降ったのか、道路が濡れている。

街を歩くと、神社の前や公園の横の小道など、ところどころ銀杏くさい場所がある。そういえば、昨日は炒った銀杏を食べた。食べながら、小さい頃、近所のお寺で銀杏を拾った話を友人とした。袋いっぱいに詰めてきた銀杏を土の中に埋めて、周りの肉の部分を腐らせ、そのあと取り出して乾燥させるのだ。

炒った銀杏。殻がなかなかうまくむけずに失敗ばかりしていたけれども、あのうす緑色の実がきれいに取り出せたときは嬉しかった。もう少ししたら、大きな銀杏の木がある近所のお寺へ行ってみるか。

日野啓三氏が亡くなったというニュースを知る。まだまだ、これからたくさん読みたいと思っていた人だっただけに、ショック。合掌。


2002年10月14日(月) 「大変だ!」

友人から「大変だ!」とメール。よく行く居酒屋が、今日から3日間に限り食事メニュー全品半額だという。もちろん出かける。

半額だと思うと気も大きくなって、マグロも中トロなど頼んでしまう。他に、はたはたや生カキ、いつもは注文しないデザートまで。お酒は焼酎。「百年の孤独」という名前の焼酎はハッカのような香り、名前は忘れたが、友人の飲んだ焼酎は麦茶を濃くしたような味わい。食べ物の分だけお酒も頼むので、結局そんなに安くは上がらず。失敗か。

恒例のナーちゃんとの夜散歩のあと、友人宅で風呂に入れてもらう。入浴剤に凝っている友人、今日の風呂には花びらがたくさん浮かんでいた。風呂上がりに「ほうじ茶オーレ」なるものを飲む。ナーちゃんは眠くて目が半開き。


2002年10月13日(日) 祭りも終わり

土曜日は福島。福島はもうすっかり秋だった。葉が落ちて実だけ残った柿の木。紅や白のコスモス。ススキ。それに、寒い夜の匂い。

3日間つづく演奏会に参加。何かのイベントに向けて皆で練習を続けてくると、里心がつくように妙に人恋しさがつのるようになる(ふだんは1人でぷらぷらしているくせに)。演奏が終わって、解散して、またそれぞれの場所へ帰ってゆく。寂しくて仕方なくて困る。おまけに秋の夜は静かだ。

東京に戻って日曜日。街中から太鼓や笛の音が聞こえる。近所の神社のお祭りなのだ。半被姿の人々にかつがれたお神輿が何台も練り歩いている。道に座り込んでビールを飲む若衆や神輿を先導する長老風のおじいさん、そろいの半被を着た犬もいる。皆、高揚した表情をして、心なしか街中「普通ではない」空気。

忙しかったり、いろいろあったりする日々の中に、時折祭りがやってくる。巻き込まれて、何が何だかわからない状態になって、けれども、そうした「ハレ」の場が組み込まれている一年のサイクルというのは、とてもまっとうなものであるような気がする。

福島行きもまた「祭り」のひとつ。祭りのあとの寂しさ。明日からまた、がんばろう。


2002年10月11日(金) 魚の気分

なぜだか、眠くて眠くて仕方ない。横になっただけで、いくらでも眠れそうな気がする。うとうとしては、夢を見る。それも変な夢ばかり。

夜、渋谷のスタジオで練習。太鼓やらアコーディオンやら、ピアノ弾きが主に使うそのスタジオでは珍しい楽器を鳴らしているせいか、通りかかる人が皆「何事だ?」という感じでのぞきこんでゆく。水族館の水槽にいる魚の気分。

外は寒い。上着がほしい。明日からは演奏会で福島なのだが、もっと寒いだろうか。厚い服を取り出さねばと思いつつ、帰宅。夕飯はカレー。


2002年10月10日(木) 兄貴キャラ

柿の実がオレンジ色になってきている。花も木々も、実も空も、色が濃くなってゆくのが秋か。

本屋で「週刊サッカーマガジン」を立ち読み。いつのまにか「週刊カーン」なるページができているのに驚く。読者からの質問にカーンが答えるコーナーと、近況を伝えるコーナーとの2本立てだが、「近頃の兄貴」というタイトルといい、質問の答えの翻訳の仕方といい、すっかり「兄貴キャラ」に仕立てられている。本人も、まさか日本で「兄貴」と慕われるようになるとは思ってもいなかったろう。

夜、先日実家から届いた新米を食べる。美味しい。納豆をかけるのがもったいないくらい。そのままで何杯でもいける。食欲の秋は危険だ。


2002年10月09日(水) 遭遇

道沿いにずらりとサルビアが咲いた路地に迷い込む。いちめん真っ赤。彼岸花の次はサルビア、秋には次々と赤い花が咲く。

夕方からゼミ。今回の担当者である友人は、昨晩は徹夜、つい30分前までパソコンに向かっていたということで、目の下にクマができている。先生たちからいろいろ言われて、終わったあともぐったりした表情。「このまま帰るのはちょっと」ということで、先生たちが行きそうな場所を避け、数人で新しくできたらしいお店に入る。

地下へ向かって階段をおりていくと、しかし、いた。既にビールをたのんだ直後の先生たち以下数名。結局、合流。学校のそばで飲むのは難しい。


2002年10月08日(火) ノーベル賞

吉祥寺にて友人とお茶。夜に誰かと待ち合わせる予定があるというのはいいものだ。コーヒーにお代わり自由の温かいウーロン茶。久々に会えて嬉しい。

夜、小柴昌俊氏、ノーベル物理学賞受賞のニュースを知る。「ニュートリノ」や「カミオカンデ」については断片的にしか知らなかったけれども、今回のニュースではじめて「そういうものだったのか」と納得。天文学系のニュースは、何か他のどんなものとも違って特別な感じがする。詳しい知識はないくせに、わくわくするのだ。

一晩、雨は降り続く。上がる頃には、また少し寒くなるだろうか。


2002年10月07日(月) だまこ

雨上がり。空がずいぶん高くなった。秋の雲だ。

夜、友人宅で「だまこ」をごちそうになる。地元の郷土料理としては「きりたんぽ」が有名だけれども、この「だまこ」もなかなかいける。ご飯を丸めて小さな球にした「だまこ」を入れた鍋物。スープは鳥ガラ、それに鶏肉、ゴボウ、マイタケ、糸こんにゃくなどをどっさり入れ、さらに忘れてはいけないセリ。「きりたんぽ」でも「だまこ」でも、セリだけは絶対に外せない。

友人のお母さんがつくったという「だまこ」、大きな土鍋にいっぱいの量を、2人してあっという間にたいらげる。至福。スープの味がよくしみた「だまこ」も、ほんの少しえぐみがあるセリも美味しい。「秋味」も飲みつつ、大満足。

そのあと、腹ごなしもかねてナーちゃんと夜の散歩。昨日の雨のせいか、道が湿っている。ぐるりと歩いて帰りがけ、すれ違った人に「あら、アイフルちゃん」と声をかけられる。チワワが出てくる「アイフル」のCM、皆そんなに観てるのか。

部屋に戻ると「だまこ」の残り香。


2002年10月06日(日) 泣けてくる

夕方から新大久保のスタジオで練習。そのあと、飲み。好きな人々とお酒を飲むのは泣けてくるほど幸せ。だらだら話してるだけでいい。

終電ひとつ前で帰宅。明日は月曜日だというのに。何とか家にたどりついて、部屋の中に入ると、外からは雨の音が聞こえる。寄せては返す波のように、強くなったり、弱くなったりしている。


2002年10月05日(土) ポロポロ

実家から宅急便が届く。開けてみると、新米に梨、袋いっぱいの栗の実、それになぜか「フットケアセット」が入っている。かかと用のヤスリやつぼ押し棒、間にはさんで足の指を広げる足指パットなど一式。

そのまま、礼を言いがてら電話。あの足セットはどうしたのかと母親に尋ねると、化粧品を買ったときに、おまけでもらったのだと言う。ダンボール箱にすき間があったから詰めてみた、と説明しているそのとき、急に大きな声で「ほら、ポロポロこぼさないで!」。電話の向こうでは父親が茹で栗を食べているらしい。

夜、足指パットを使ってみる。なかなかいい感じ。栗の実も茹でて食べる。美味しい。けれども、やっぱりポロポロこぼす。


2002年10月04日(金) みのパワー

朝、電話の音で目が覚める。ものすごくいい夢の、ものすごくいい場面で。ただし、どんな内容だったかは思い出せず。受話器を置いたあとも、「ものすごくいい」という余韻だけ残っている。すぐ寝たら続きを見られそうな気がして二度寝するが、さすがに、そううまくはいかない。

午前中は部屋の中で作業。先週末の友人上京のときに片づけた部屋が、また、だんだんと散らかってきている。隅っこのほうから何かに侵食されてゆくみたいだ。進行を食い止めるべく掃除していると、窓の外から大家さんの声が聞こえる。近所の人とシソの育て方について熱心に話しているらしい。

そのうち、「あら、そろそろみのさんの時間ね」。「そうね、早く帰らなきゃ」「みのさんだもんね」。「みのさん」って何だと思って時計を見ると、もうすぐ正午。「おもいッきりテレビ」だ。みのもんたパワー、おそるべし。


2002年10月03日(木) 『この地球を受け継ぐ者へ』

外へ出ると、友人宅のベランダではナーちゃんがひなたぼっこの最中。目が合うと律儀にしっぽを振ってよこす。

『この地球を受け継ぐ者へ』石川直樹(講談社α文庫)を読む。北極から北米、中米、南米を通り抜け南極までを、各地で人々と交流しつつ旅してゆくという「P2P」(Pole to Pole 2000)と名づけられたプロジェクトに参加した著者が、その全日程を記録したもの。メンバーは世界各国8人の若者である。

ときにぶつかり、協力しあい、たまにはハメを外したり、クリスマスには思いがけぬプレゼントに涙したり。旅行記にはむずがゆくなるものも多いけれど、この本は面白くて一気に読んだ。メンバーのそれぞれが自分たちなりのテーマを持って参加していること、それに眼差しが自分中心でないことが、その理由か。

荒涼として美しい北極の光景。ひたすらに広いアメリカの平原。中米の町並みや人々。エクアドルの市場の喧騒。いろんなものの傍らを通り過ぎて行く。世界から自分を考える。自分を通して世界を考える。そのバランスがとてもいい(この「世界」というのには、もちろん「自然」も含む)。

石川氏(まだ若いので、何と呼んだらいいのか迷う)の行動力と、自分の身体を通して考える姿勢。読みながら、自分もぼやぼやしている場合ではないなあという気になる。例えば、現在の日々を何かもどかしく感じるとして、それは環境ではなく、意識の問題だ。タフでありたい。シンプルでありたい。

夕方からは、髪を切りに行く。また短くなる。これから寒くなるのだが。


2002年10月02日(水) 時間の淀み

台風一過。少し暑い。

帰り道。いつも歩く通りの一本裏へ入ってみると、古びたトタン屋根の大きな建物がある。そばへ近づくと、中にはいろんなお店がぎゅっと詰まって並んでいる。カタカナで「ショッピングセンター」と書かれた看板も錆色。住宅地の路地のすきまに、こんな場所があったのか。

魚屋、八百屋、豆腐屋、雑貨屋。ひとつ屋根の下、それぞれ小さな店の奥に、お店の人がひっそりと座っている。電球の鈍い灯りと、外からの光でできる影。時計の音が聞こえてくるような気がする。

こんなふうに、外の世界から忘れられたような場所というのがある。時間の流れがそこでは淀みをつくっている。例えば、ほんの数日前に入った喫茶店もそうだった。または、青森のとある町、駅前にあったバスの待合所。墨で書かれた時刻表も路線図も、色とりどりのお菓子や雑貨が置かれた売店も、いったいいつからそこにあるのかわからない。時間の感覚がなくなる場所。そうしたところは、なぜか決まって薄暗い。光の届きにくい場所では時間も動きが鈍くなるのか。

夕方、近所のおばちゃんの会話。「昨日の風で、神社の銀杏たくさん落ちたんだって。知ってる人はみんな拾ってたわよ」。まだ青い銀杏。拾ってみんな、どうしたろう。


2002年10月01日(火) 戦後最大級

台風接近。「戦後最大級」「超特大」など、仰々しい言葉が連発されるので、それならばと早い時間に買出しへ。午前中からすでに雨も風も強いが、意外と人は多く出歩いている。

夕方にはもう暗くなり、滅多に使わない雨戸を閉める。鉢植えも部屋の中に入れ、ついでにポストをのぞくとちゃんと夕刊が来ている。新聞屋、すごい。この風の中、自転車で配達しているのだろうか。生ぬるい外の空気。

ときおり突風が吹き、窓がガタガタと揺れる。戦後最大級というからにはこんなものではないだろうと神妙に待つが、結局そのまま去っていったらしい。安心半分、拍子抜け半分、明日はきっと、台風一過の晴天だろう。


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