日々雑感
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2002年04月30日(火) 18歳の憂鬱

午前中、大学でゼミ。連休の谷間には休講にする先生も多いのだが、しっかり開講。ああでもない、こうでもないと言い合ったあと、昼は学校裏の喫茶店でランチを食べる。A・B・Cの3コースのうち、Aのチキンりんごカレーを選ぶ。どんなのかと思ったが、りんごの甘さが意外とおいしい。食後にはコーヒーもつく。

外は曇り空。やがて小雨が降りだす。傘を持ってこなかったので、そのまま歩く。

家に帰ると、郵便と書籍小包が届いている。書籍小包のほうは、購読している雑誌だ。パラパラとページをめくっていたら、ある部分に目が止まる。昨日、偶然街で見かけて気になっていた、あるものについての文章が載っている。何かひとつのことが気にかかったとたん、連鎖するかのように、そのことに関する本が見つかったり、話が耳に入ったり、自分自身で関わる機会がうまれたりする。そうしたものを「シンクロニシティ」と呼ぶとすれば、今回はまさにそれ。俄然興味がわく。

郵便のほうは、地元にいる従姉妹からの手紙。従姉妹は先週誕生日を迎えて18歳になったばかりだ。手紙には「みんなより早く18歳になれてちょっと嬉しいけど、そんなこと言ってられるのも今のうちだよね」とある。「だって、誰よりも早く三十路がくるんだよ」。20代を飛び越していきなり30代の心配か。


2002年04月29日(月) 誰かのポップコーン

休日ということで通りは歩行者天国。ふと目をやると、道路の真ん中にポップコーンが散らばっている。すぐそばにはプラスチックの容器もある。近くのお店で買ったものを誰かが落としてしまったのだろうか。白いポップコーンはそのままに、人がどんどん通り過ぎてゆく。

思い出す。たぶんあれは幼稚園の頃、弟と二人、母親に連れられて小学校の運動会を見物に行ったのだ。親戚のお兄さんがいたからだと思う。運動会にはお祭りでよく見かけるアイスクリーム屋台が出ていて、パラソルの下におばあさんが座っていた。ピンクと黄色と、二色が混じり合ったアイスクリーム。

離れたところからじっと眺めていたら、母親が買ってもいいよと小銭をわたしてくれた。めったにないことなので、弟と二人して、興奮気味に屋台まで走る。おばあさんは差し出した小銭を受け取ると、コーンにアイスクリームを詰めてゆく。ピンクと黄色と、ちょうど半分ずつ。息を詰めて見守る。

大盛りのアイスクリームを受け取り、満足して母親のところへ戻ろうしたその瞬間、つまづいて手からアイスクリームが落ちた。草の上にピンクと黄色の固まり。暑い日だったのですぐに溶けてゆく。悲しいような、情けないような、あのときの気持ち。運動会のピストルの音。歓声。スピーカーから流れる音楽。はっきりと覚えてることに自分でも驚いた。

道路に散らばったままのポップコーン。誰の手から落ちたのか。そのとき、どんな思いだったろう。

通りには小さなスピーカーがついていて、休日になると音楽が流れる。今日の音楽はなぜかマドレデウス。ものがなしい旋律と歌声は、休日向き、歩行者天国向きかというと微妙だ。自分自身も何となくものがなしい気分になって通りを歩く。

快晴。ずいぶん高いところに薄い雲がある。


2002年04月28日(日) 全部同じ月

朝、7時に目覚し時計を合わせていたのに、いつの間にか止めていたらしい。10時をまわった頃に電話の音で目を覚ます。あせって受話器を取るとセールスの電話。寝ぼけたままだったので、切るタイミングを逃して20分くらい話を聞いてしまう。

連休2日目もよく晴れる。散歩日和、行楽日和だが、午後から池袋のスタジオで練習。楽器を持って地下にこもる。休憩も入れつつ3時間、久しぶりに笛など吹いて酸欠気味になる。練習を終えて地上に出ると、風が気持ちいい。外を歩いているだけでいい気分になる。

夜、今日も大きな月が出る。月の光で夜空が明るい。ふと、この月はずっと前から同じ月なのだなあと考える。今はこの世にいない人たちが、かつて眺めていた月。今、ここで見上げている月。やがて自分がいなくなったとき、誰かが目にする月。全部同じだ。そうしたものが存在しているということに、何かとても安心する。




2002年04月27日(土) GW初日

GW始まる。平日とか休日とか、あまり関係のない日々を過ごしているので実感なし。五月人形のイメージなのか、ケンタッキー・フライドチキンのカーネル・サンダース氏は鎧兜姿である。等身大なだけに、少し異様な雰囲気。街の真ん中でギラギラと光っている。

夜、下北沢で台湾屋台料理を食べる。青菜の炒め物、あさりのにんにく炒め、生春巻き、ピータン豆腐、大根もちなど、小皿だからと思って調子にのって頼んでいたら、けっこうな量になる。それに青島ビール。ひとしきり食べ終わった頃にはすっかり満腹。腹ごなしがてら、夜の下北沢をぶらぶら歩く。

いろんな人がうろうろしている。夜道に浮かぶお店の灯り。中から聞こえてくる人の声。ビルの上には大きな月。今晩は少し寒い。

映画「ベンゴ」のサントラCDをずっと聴いている。愛聴盤だ。聴きながら、いろんな風景が浮かんでくる。映画の場面でないところが不思議。


2002年04月26日(金) 幾何学模様の夜

夜、ライブへ行く。「手描きの幾何学模様の夜」と題された、トルコ・バルカン・アラブの楽器のコラボレーション・ライブだ。

場所は池袋。住所を頼りに会場を探すが、迷ってしまう。池袋はちょっと中へ踏み込むと迷路のような路地になっているのだ。コンビニの店員さんに道を尋ね、開演時間を過ぎた頃に何とかたどり着く。

演奏陣は4人。サズ、タンブーラ、カヴァル、ダルブッカ、バイオリンといった楽器を用いつつ、トルコやギリシャ、マケドニア、あるいはユダヤなどの音楽が演奏される。それぞれのリズムや楽器の音色が絡み合い、一体となって生まれてくる空気、うねり。「聴く」というよりも、その場にまきこまれるという感覚。音楽とは「場」を作り出すものだということに改めて気づいた。明りを落とした小さな部屋の中で、4人が作り出す世界に引き込まれる。変拍子の曲が多いのだが、それがまた奇妙に心地良い。

1時間半ほどがあっという間に過ぎる。演奏を終えたメンバーと(みんな、とてもカッコよかった)少しだけ話をしての帰り道、歩きながら思った。もっといろんな音が聞きたい。音がうまれてくる場所に居合わせたい。

金曜夜の池袋は、新歓コンパなのか、大学生らしき集団の固まりがあちこちに出来ている。喧騒。その中をぬって駅まで歩く。ひとり頭の中は変拍子。


2002年04月25日(木) 明け方の悲しみ

夜明け前、目が覚める。外が明るくなっているのがカーテン越しに透けて見えるけれども、太陽はまだのぼっていない。静かだ。時折聞こえる鳥の声や自転車の音が、やけに大きく響く。こんなとき、なぜだか決まって、ひどく悲しくなる。

夕方がどこか感傷的であるのに対して、朝はもっと静かな感じがする。しんとした悲しみ。何か遠くにあるものが、ふと見えてしまったような、深く広がっているものを垣間見てしまったような。

朝は、そうした世界と回路がつながりやすいのだろうか。いろんなものの気配が、まだ薄い時間帯。夕方は人の中の寂しさ。明け方はひとりきりの悲しさ。

夜、良いニュースを聞く。5月26日のNHKアーカイブスで佐々木昭一郎さんの「川の流れはバイオリンの音」を放映するらしい。ものすごくうれしい。さっそく手帳に赤ペンで書き込み。


2002年04月24日(水) 晩酌か生け花か

駅からの帰り道、家と家に挟まれた細い路地を歩く。不意に、上のほうからしゅるしゅるという音。見上げると、電線の上を小さな生き物が渡ってゆく。ネズミのような、イタチのような、リスのような、小さな影(暗いのでよく見えない)。すごいスピードで走って、片方の家の屋根にトンと着地した。一生懸命伸び上がって眺めたが、行き先はわからず。街の中には、まだまだ正体のわからないものがたくさん潜んでいるのかもしれない。

今日発売の「週刊文春」を立ち読み。「日記 つけるヨロコビ・読む楽しさ」という座談会が目当てである。メンバーが赤瀬川原平、荒川洋治、川上弘美ということで、どことなくのんびりとした感じがしていい。

「憩いのために日記を書いている」という荒川発言を受けて、座談会には「日記・晩酌説」が出てくる。

荒川「一日の仕事が終わった後に、あ、今から日記書くんだと思う時の幸せってないんです。もう本当にそのために生きてると思うくらい。時間にすればほんの二、三分ですけどね(後略)」
赤瀬川「晩酌みたいなものですね(爆笑)」
荒川「僕、お酒飲みませんからね」

これに対して、めったに日記をつけないという川上弘美、「じゃあ、お酒飲んでればつけないでいいんですね」。

他に「日記・生け花説」も出てくる。「一日の生活の中から、ちょっと一輪だけ花を摘んで生ける。あとはバサッと捨てる。駄目な枝は捨てて、これだけを載せるっていう選択というか、美しさみたいなものが似てるような気がする」(赤瀬川)

両方とも「なるほど」と思うけれど、自分はどちらかといえば「日記・生け花説」寄りかもしれない。書くときにはいろんなものを捨てている。それに、お酒を飲んでもやっぱり書いている。


2002年04月23日(火) 長老にして現役

午前中、大学へ。新入生がまだ元気なせいもあって、人が多い。裏道、抜け道を選んで歩く。構内にはいろんな道があるのだ。

読売新聞・夕刊の文芸欄に「長老2氏」というタイトルで、小島信夫、庄野潤三の新刊が紹介されている。小島信夫87歳、庄野潤三81歳ということで、確かに「長老」と呼ぶにふさわしいかも。作家が小説を「書きつづける」というのは、きっと想像など及ばないくらいに大変なことなのだ。長老にして現役。すごすぎる。

小島信夫と保坂和志の往復書簡『小説修行』(朝日新聞社)についても触れられている。記事中の引用から(孫引きになる)。

「記憶とは<響きあう人にだけ現れる。つまり人間は『記憶を持っている』のではなくて、『記憶を渡り歩いている』>」

「記憶とは響きあう人にだけ現れる」。この部分が気になって、近所の本屋を何軒か周ってみるが『小説修行』は見当たらず。図書館には入っていたが貸し出し中だ。ついでに小島、庄野両氏の新刊も探したが、どちらもない。発売日がまだなのかもしれない。ちなみに、小島氏の新刊は『各務原・名古屋・国立』(講談社)、庄野氏は『うさぎのミミリー』(新潮社)。「ミミリー」の「ミミ」は「耳」からきてるのか。もしかしたら。


2002年04月22日(月) ぼんやり

朝。雨上がりの匂いがする。今日は晴れた。

午後からゼミ。昨年一年間海外で過ごしてリフレッシュしたのか、先生がやけに元気である。たった数十行の文章だけで、みっちり3時間(途中10分の休憩あり)。終わった頃にはへとへとになる。

外へ出ると、18時半をまわっているのにまだ明るい。4人ほどで「ビールにするか、コーヒーにするか」と迷いつつ、今日はコーヒーにして喫茶店に寄る。サンドイッチ系が充実したお店だ。看板には「名曲喫茶」とあって、その名の通りクラシックがずっと流れている。授業のあとの「ぼんやり」の時間は気持ちいい。

週の始まりは穏やか。夜、少しだけ梅ワインを飲む。


2002年04月21日(日) 雨の日曜日

朝から雨。一日おとなしくしてようかとも思ったが、午後から傘をさして外に出る。歩くと、雨にまじって若葉の青くさい匂いがする。

渋谷で本屋とCD屋めぐり。ずっと気になっていた「サリー・ガーデン」のCDを買う。リュート・つのだたかし、歌・波多野睦美のコンビで出している一連のCDのうちの一枚で、イギリスのフォークソングが収められたものだ。演奏と歌自体は少し線が細い気もするけれど、「グリーンスリーブス」「スカボロー・フェア」など馴染み深いものから器楽曲まで、収録曲はどれもいい。

昨日の宴会の余韻でタガが外れてるのか、本屋でもいろいろと買い込んでしまう。『民俗誌を織る旅』赤坂憲雄(五柳書院)が平積みになっているのを発見。赤坂氏初のエッセイ集らしい。帯の「とっても重いエッセイ集」というコピーはどうかなあと思いながらも購入する。その他にも数冊。幸せな気分と「しまった」という気分と、半分半分で帰る。

明日までの課題とか持ち帰りバイトとかいろいろ抱えつつ、買ってきた本など広げてぼうっと過ごす。雨の音が聞こえる。時折強くなる。雨の日曜日。


2002年04月20日(土) かつて同じ時間を共有した

夕方から恵比寿で友人の結婚パーティー。披露宴と2次会は3月に行われていて、今回はいわば3次会。新郎・新婦は同じサークルの先輩・後輩同士ということで、サークルの面々だけでのパーティーだ。それでも、30人以上集まる。

音楽サークルだったので、今回は楽器を持ちこみ、みんなで演奏しようという会である。乾杯もすませて、途中からは演奏大会。演奏する人、それを聞く人、食べる人、飲む人、みんな好き勝手に楽しんでいる。お店の人たちもはじめは「どんな集団やねん」という感じで眺めていたが、最後のほうは厨房の陰でいっしょに手拍子していた(見てしまった)。

音楽は不思議だ。音が流れるだけで、そのときの情景やら何やらが一気によみがえる。

お開きのあとは、近所の居酒屋でさらに4次会。お店の片隅に楽器ケースの山をつくり、結婚のお祝いという主旨を忘れて同窓会状態となる。ひととき集まってお互いに元気かと言い合う、それだけのことなのになぜだかいつもパワーをもらう。かつて、ある時間を共有したということ。その一点があれば、いつまで経っても、別々の道を行っても、そこまでたどって再び会うことができるのだ。それは何て幸せなことかと思う。

気分よく酔っ払う。勢いで、帰りがけによったコンビニで思わずまた缶ビールを買ってしまう。アルコール連鎖。しかし、飲むのは思いとどまる。何とか。


2002年04月19日(金) 先生モード

夕方から大塚でバイト。高3の女の子の家庭教師である。

彼女の家には猫がいる。茶色くて大きなおじいちゃん猫だ。部屋に入るとまず足元によってきて挨拶。その後、ああだこうだと言っているあいだ中、棚の上でじっと窓の外を眺めている。終わると、途端に大きく伸びをし、またこっちへやってきて挨拶。「うちの子をどうぞよろしく」と言われてるみたいだ。

いちおう家庭教師ということで「先生」と呼ばれるのだが、どうにも慣れない。何も考えずに先生たちを「先生」と呼んできたけれど、呼ばれるほうの気持ちを少しだけ考える。世の先生たちは居心地悪く感じてはいないのだろうか。それとも「先生」と呼ばれているうちに、だんだんと「先生モード」になっていくのか。

夜、山手線に乗って帰る。彼女の家はマンションの9階にあって、窓からはちょうど山手線が行き来する様子が見えた。あの猫、今頃窓から見ているだろうか。「あいつ何だか頼りないなあ」などと思っているかもしれない。「先生モードになるまでの道のりは遠い」とぼんやり考えつつ、気がつくと居眠り。


2002年04月18日(木) 風景の交錯

ひどく眠い日。気がつけば寝ている。どれも浅い眠りのせいか、変な夢ばかり見る。

雪の積もる駅。一本だけ伸びた線路の向こうから汽車がやってくる。真っ白な景色の中で汽車の車体だけが黒い。月が照る夜の海。なぜか緑色の魚が砂浜に何匹もあがっている。そして火事の夢。遠くに炎が見えて、よく見るとそれは犬小屋なのだ。そこにまだ犬が残っていることを私は知っていて、夢の中で大泣きしている。

夢の中にあらわれる断片的な風景(最近夢の話ばかり書いている気がするが)。自分の中の風景を伝えたいという思いは、どこからやってくるのだろうと考える。

例えば、旅に出て絵ハガキを書くということ。自分が見た風景を誰かに/あなたに伝えたいと思って、絵ハガキを書く。あるいは絵ハガキが届く。あなたの見た風景がそこにある。

誰かのことを知りたいと思うとき、その人の中に抱え込まれているいくつもの風景を自分もまた知りたいと願うのかもしれない。そして自分もまた、一生懸命に自分の中の風景について書く。それぞれの風景の交錯。そこにうまれるのはいったい何だろう。

今日見たもの。ぼんやりとした月。小さな星。路地裏で立ち止まって猫に話しかける男の人。あなたは何を見ただろう。


2002年04月17日(水) 「ロード・オブ・ザ・リング」

午後から研究室。研究室にはお菓子とコーヒーが常備されている。今日のお菓子は誰かのお土産のチョコレート。何人かでコーヒーを飲みながら映画の話になる。

今晩「ロード・オブ・ザ・リング」を観に行くという話をしたら、一人が「ぜひサムに注目してください」と言う。彼がこの映画を観に行ったところ、映画館を出るなり、いっしょにいた友人に「よっ、サム!」と、肩をポンと叩かれたらしい。サムは主人公フロドに対してどこまでも忠実な旅の仲間。「サムに注目」と頭にたたきこむ。

夜、渋谷の映画館。映画が始まってしばらくすると、サムが登場。確かに似ている。どこがどうと具体的には言えないが、かもしだす空気が同じなのだ。映画の中のサムは、ひたむきでほんとに一生懸命で、観ながらどうにも感情移入してしまう。今度研究室に行ったら、やっぱり「よっ、サム!」と声をかけてやろうとひそかに誓う。

映画そのものにも大満足。3時間があっという間だった。「指輪物語」は、物語のいろんな要素がこれでもかというくらいに入っている作品だと再確認。わくわくする。風景なども素晴らしいけれど、高所恐怖症、閉所恐怖症の人にはきついかもしれない。自分自身はそのどちらでもないけれど、それでも少しくらくらする。

あちら側の世界にすっかり連れていかれて、終わったあともしばし放心状態。第2部が一年後というのは確かに長い。映画館の出口で「何で何で何で〜」と連呼してる女の人がいたけれど、その気持ち少しわかる。さすがに来年公開の第2部の先行チケットは買わなかったけれども。



2002年04月16日(火) 「シッピング・ニュース」

渋谷で映画「シッピング・ニュース」を観る。ラッセ・ハルストレム監督作品。ラッセ・ハルストレムは大好きな監督だ。偏愛しているといっていい。どんな作品であっても、その人が撮ったというだけで無条件で嬉しくなってしまう、自分にとっては特別な監督である。

パンフレットで田口トモロヲ氏がハルストレム作品のことを「いつまでも観ていたくなる」と言っていたが、同感。エンドロールが流れると、ああ、もう終わってしまうのかと切なくなる。どの作品を観ても決まってそうだ。いったいなぜか。ハルストレムの作品が、ずっとつづいてきて、これからもつづいてゆく「人生」という流れの一断片を切り取って見せているからだろう。映画の中ではいろんな出来事が起こるけれども、それらも大きな流れの中のエピソードにすぎない(そんなふうに撮っていると思う)。そして、それが終わったあとも、また時間は流れてゆくのだ。淡々と。

登場人物たちを取り巻く世界がずっとつづいてゆくとわかるからこそ、その流れから自分だけ外れてしまうようで、幕が閉じるのが寂しいのだ。ずっと観ていたくなる。

何かあったとしても、それは人生のほんの一部分。ひとときの出来事。それぞれに重い出来事ではあっても、時間は流れてゆく。自分自身がこの世からいなくなっても、世界は消えない。そうした流れの中に私たちはいる。監督の言葉。

「悲劇と喜劇がうまくミックスされていて、楽しいけれど、どこか悲しい。(中略)もともと悲しいけれどおかしい、というようなことが好きなんだ。人生もそういうものだと思っているし。」(『ギルバート・グレイプ』のパンフレットから)

そして「シッピング・ニュース」。「サイダーハウス・ルール」などと比べると少し地味な気はするけれど、よい作品だったと思う。後からじわじわときそうだ。舞台となっているニューファンドランド諸島の風景もいい。荒涼とした色のない風景。強い風が吹き、一日中低い波の音が響いている。

映画館の外に出ると風が強い。けれども、聞こえるのは波の音ではなくて街の音。


2002年04月15日(月) 思い出せない

ゼミ始まる。ゼミ室は校舎の4階にある。窓はちょうど木々のてっぺんの高さだ。風が強い日。葉っぱが風に揺れる様子が面白くて、ついそっちに意識がいってしまう。

夕方になっても風は強いまま。嵐が来る前の夏の夕方のようである。歩きながら、ふと何かを思い出しそうになる。こんなふうに風が強くて、空気がぬるい日のこと。何だろうと思うが浮かんでこない。もどかしい。

藤の花が咲いている。ツツジも咲いている。道端に小さな女の子がしゃがんで、たんぽぽの綿毛を一生懸命に飛ばしている。いろんなものを眺めながら、やっぱり思い出せない。

風に吹かれて歩く。踏み切りの音が聞こえる。いつかの、こんな夕方のこと。






2002年04月14日(日) 理解はできないが受け容れる

駅前の並木道。花水木が咲いている。街中がだんだんと緑に埋まってくる。

『春になったら苺を摘みに』梨木香歩(新潮社)を読んでから、「理解はできないが受け容れる」ということについて、ずっと考えている。この本は友人が貸してくれた。彼も言っていたように「理解はできないが受け容れる」というのがこの本の通奏低音である。

様々な文化や人が出会うことによって生じる葛藤、衝突、誤解、すれ違い。そうしたものにため息をつきつつも、観念上だけでなく、実際に「受け容れる」ということ。本の内容もだが、何より「理解はできないが受け容れる」というフレーズが頭から離れない。ふだん、理解できないことだらけなだけに。

おかしいと思ったことに対して「おかしい」と声はあげつつも、それを否定したり、排除したりしないこと。「受け容れる」こと。なんて難しいことだろうと思いつつも、そうありたいと願う。

この本、表紙が星野道夫さんの写真で、それがとてもいい。

夕方、散歩。梅ワインを発見。友人が「ものすごくうまい」と言っていたのを思い出して買ってみる。梅酒よりもさらりとして、甘味が少ない。アルコール度も低め。軽く飲みたいときにはいいかもしれない。ただし、飲み口がよすぎて、小瓶があっという間に空いてしまうのが問題か。今度はボトルで買おう。


2002年04月13日(土) なつかしい人に会えた

思いがけない人が夢に出てくることがある。以前少しだけ話したことのある人や、もう今はどこで何をしてるかもわからない人など。自分でも忘れたかと思っていた人が不意に夢の中に現れる。久しぶりにそんな夢を見た。ずっと前にドイツ語を習ったドイツ人の先生が出てきたのだ。

夢の中では当然のように日本語で会話していた(実際、日本語が流暢な人だった)。あの頃、先生はまだ30前。固くて真面目というドイツ人のイメージがあくまでも「イメージ」であると思わせるような、のんびりとして人の好い先生だった。笑うと顔が真っ赤になった。一年間ほどドイツ語を教えてもらって、その後何年も会っていない。

目が覚めてからもぼんやりと考える。何でいきなり登場したのだろう。今頃どうしているのだろうか。どうにも気になったのでインターネットで名前を入れて検索してみると、北大の先生になっていた。いつの間にか札幌在住。

なつかしい人に会えてうれしかった。夢の中でも。

夜、少し寒い。この部屋はすきま風が入るのか、夜になると冷えるのだ。思わず、仕舞い込んでいたコタツを復活させてしまう。スイッチを入れて本など読んでいると、気持ちよくてあっという間に居眠り。やっぱりコタツは危険。春ならば春らしくしていようと心に誓う。


2002年04月12日(金) 恋する季節

角にある金魚屋の前を通る。道沿いに水槽がいくつも並ぶ。大きいのや小さいの、金魚の群れがゆらゆらと泳いでいる。

金魚ばかりと思っていたのだけれど、よく見ると隅っこのほうにメダカとゼニガメ、ネオンテトラの水槽もある。ネオンテトラはまさにネオンの色。曇り空の下で小さな光が揺れる。ゼニガメは隠れていて見えない。そしてメダカ。小さい頃、田んぼのわきの用水路でたくさんメダカをとった。ザルを水の中に入れてすくいあげると、山のように上がってくるのだ。そんなふうにして捕まえたものを水槽に入れていたけれど、そういえば、あのメダカはどうしたのだったか。

夜、また友人の家へ。ナーちゃんに会いに行く。玄関のドアを開けると一目散に走ってきて、もう、それだけで幸せ。でれでれしてしまう。小さい体でくるくるとよく動き回って、佐藤さとるのコロボックル物語に出てくる「マメイヌ」のようだ。友人は風呂場にまで犬の本を持ちこんで、すっかり親バカ状態。

しばらく騒いでいたけれど、疲れたのか、こっちのヒザの上にやってきてうとうととし始める。友人に悪いなあと思いつつも嬉しい。さっきまでピンと立っていた尻尾がねている。名残りおしかったけれど、友人も明日は朝から仕事ということで早めに帰る。帰ってからもナーちゃんの面影が消えない。会うたびに思いがつのる。ナーちゃんに恋してしまった春。


2002年04月11日(木) 夕方、カラスが鳴く

朝、目が覚める。外はまだ薄暗い。布団に入ったままぼんやりしていると、外から「コアラー、コアラー」という声が聞こえてくる。何で「コアラ」を連呼してるんだろうとその声を聞きながら、ああ、これはカラスだと気がついた。寝起きは焦点があうまでに時間がかかる。

夕方の夢を見た。どこかの部屋の窓から、日が暮れてゆく街を眺めていたのだ。空の色や街の色はだんだんと明るく、部屋の中は暗くなってゆく。あれはどこの街だったか。行ったことはないはずなのに、なぜかなつかしい気がする街。そういえば夢の中でもカラスの声が聞こえていた。夢の中とこの世界と、両方をカラスの声がつないでいたのかもしれない。

用事だらけの日。たくさん電車に乗って、たくさん歩く。歩くたびにカバンの中の荷物も増えてゆく。やるべきことを、ひとつずつ確実に片づけていくというのは良い気分だ。途中、喫茶店に入って一息つく。いろんな人が行き交っているのが窓から見えるけれども、みんな、何か急いでいるような感じ。春は空気がざわざわしている。

夕方、またカラスの声。一瞬わからなくなる。ここは、何処か。


2002年04月10日(水) あぽ

友人の家の犬「ナーちゃん」のことが頭から離れず。今日もナーちゃんは部屋中走りまわったり、友人の足に頭をのせて眠ったりしてるのだろうか。

ナーちゃんが手をかんだときなど、友人は「あぽ!」と言って叱っていた。聞きながら「そういえば、これって方言なのか」と気がついた。地元では、小さい子を叱るときなど「あぽ!」と言うのだ(友人は地元が同じ)。父親も、近所の野良猫が悪さをすると真面目な顔をして「あぽ!」と叱っている。それにしても「あぽ」って何だろう。「阿呆」のことだろうか。

午後になってから、持ち帰りバイトの締め切りが今日だったことに気づく。泣きそうになりながらも何とか終わらせる。締め切りギリギリまで手をつけないのがいけないのだ、これからは計画的にやろうと毎回思うが、終わった直後の解放感で全部忘れ、また同じことを繰り返す。今日も同じ。バイト先に届けてしまうと、あとはさっぱりした気分で帰途につく。

帰りがけ、本屋に寄る。『グズの人にはわけがある』『今日の先のばしは明日の憂鬱』という本を発見。思わず買いそうになる。買わなかったけれども。


2002年04月09日(火) 女性がほんとにきれいな時期

大家さんの庭が花盛り。赤や黄色のチューリップ、桜草、ピンク色の大きな牡丹の花も咲いている。小雨模様のぼんやりとした風景の中で、花の色の鮮やかさが目にしみる。

地元ではようやく桜が咲き始めたらしい。「花ってすごいきれいだとしみじみ感じた」と友人からメール。彼女いわく「女性のきれいな時期って、お花みたいなオーラなのね、きっと」。そうかもしれない。ふと、何年か前の授業中に、先生が教室の窓から新緑を眺めつつ「女性も新緑も、ほんとにきれいな時期はほんの一瞬ですね」と口にして、女子学生からブーイングを受けていたのを思い出す。

夜、犬を飼い始めた友人の家へ遊びに行く。玄関のドアを開けると、チワワを抱いた友人が立っていた。思っていたよりずっと小さい。怪しいやつが来たと思ったのか、まとわりついては匂いをかいでいる。興奮気味。ずっと走り回っている。

耳も手足もしっぽも、触って大丈夫かと思うほど小さくて、おそるおそる抱いてみる。あったかい。しっぽを振りながらこっちを見上げている。友人がすでに骨抜き状態になっているのに納得。どちらかと言えば猫派だったけれど、宗旨替えしてしまいそうで怖い。

その子の名前は「ナガル」、通称「ナーちゃん」。どんな意味かと聞いたら「ナガ(生きす)ル(ように)」だと言う。少し切なくなる。


2002年04月08日(月) 春の新人パワー

朝、ラッシュの電車に乗る。4月はじめのこの時期は、いつもと同じような混み方でもどこか空気が違う。新入生や新入社員のぎこちなさが辺りに漂っていて、こっちまで背筋が伸びる。

今日は研究室のガイダンスだ。新しく入ってきた見慣れない顔ぶれがたくさん並んでいる。いつの間にか自分も最年長に近くなって、少し居心地が悪い。講義の紹介などのあと、恒例となっている先生からの訓示。古くからいる面々は「きたきた」という顔をしているが、新しい面々は神妙に聞いている。要約すると「気合入れて勉強しろ」というはなし。

構内全体がざわざわしている。おととしはガイダンスの後に花見をしたのだが、今年はもう緑。上着を着て外を歩くと暑いくらいだ。

夕方、帰宅。なんとなく疲れたのか、座ったままぼうっとする。開けた窓からは風が入ってきて、カーテンがゆらゆらと揺れている。初夏の夕方みたいな空気だ。やがて日も落ち、だんだん暗くなってくる。向こうのビルに灯りがともる。ひとつ、ふたつと増えてゆく。電気をつけるでもなくその様子を眺めながら、知らぬ間に寝入ってしまったらしい。

夕飯もとらずに夜中まで眠る。4月の空気に満ちる新人パワーにやられたか。


2002年04月07日(日) 焼肉すばらしい

午後から新大久保のスタジオで練習。本来はフラメンコのためのスタジオなのだが、料金が安いこともあってよく借りる場所だ。

よく晴れて暖かく、気持ちのよい日。そんな中、地下にあるスタジオへ潜って過ごす。ひとしきり練習したあと、階段をのぼって外に出るともう暗い。星も出ている。午後にふと居眠りしてしまい、目が覚めると外が暗くなっていたときような気分だ。

いつもはファミレスなどで軽く夕食をとるのだが、今日は少し奮発しようということで焼肉屋へ。看板には「山荘の雰囲気」「和牛使用」「韓国料理」とコピーが3つあって、「一貫性がないよね」と言いつつ思い切って入る。すぐ側の「牛角」は満員だったが、このお店は空いている。

期待半分、不安半分で注文すると、はじめに出てきた各種キムチから、もう違う。辛いのだが旨味があっておいしいのだ。韓国に行ったことのある一人がいうに、はじめから肉に味をつけている本場式の焼肉だという。こんなにしっかりと肉を食べるのは久々だが、しみじみとうまい。肉だけでなく、コムタンや石焼ビビンバなども素晴らしい(表現が大げさになってしまうけど、ほんとにおいしかった)。それに、大勢で火を囲んで同じものを食べるのはやっぱり楽しい。「真露」も飲んで満足。

店を出ると小雨が降っている。全員、おいしいものを食べた充実感に満ちて、傘もささずに気持ちよく雨の中を帰る。


2002年04月06日(土) 桜前線逆行

東京に戻る日。朝一番の汽車に乗る。

汽車は鉄橋をわたる。実家のある町と隣町とは海へと注ぐ水路でへだてられており、二本の大きな橋がそこをつないでいる。いつも汽車や車で橋をわたりながら「ああ、帰ってきた」と思う。そして、同じように橋をわたりながら今度はいつもの日常へと戻ってゆくのだ。境界線を越え、二つの世界をつなぐ橋。

新幹線は進む。仙台まで来ると、景色のあちこちが桜の白色でぼうっとかすんでいる。宮城、福島はちょうど花盛り。雪をいただいた山々と青空を背景に、桜、桃、菜の花などがいっせいに咲いている。宮澤賢治の言葉を借りれば「せいせいする」ような眺めだ。

電車に乗って、景色が次々と変わってゆく様子を眺めているのは楽しい。桜前線の境界を確認しつつ、東京へ。もうすっかり葉桜で、木々の緑がはっとするほど鮮やか。

午後からは横浜・元町でバイト先の人々と食事。よく晴れているせいか、人出も多い。食事のあと、みんなで「港の見える丘公園」まで歩く。太平洋を眺めながら、今朝後にしてきた海を思う。またここで、今日から始まるのだ。


2002年04月05日(金) 青い石、春の星座

昨日につづいて今日も山歩き。渓流をはさむようにして切り立った両側の斜面は、カタクリとイチリンソウとで紫と白のまだら模様になっている。積もった落ち葉の間からはギョウジャニンニクやアイコなどの山菜も顔を出す。

地面をよく見ると、めのうのように鈍く光る青い石がある。探してみると、あちこちに隠れている。小さいものを拾ってポケットに入れる。

家に帰り、青石を取り出す。水で洗うと青みが増してきれいなのだが、山の中で見たときとどこか違う。浜辺で拾った貝がらを家に戻ってから眺めると不思議に色あせて見える、あのときの感覚と同じだ。その場所から離すことによって、何が失われるのだろう。

夜、外に出ると、天頂にクエスチョンマークを裏返した形が見える。しし座だ。夜空もいつの間にか春の星座の季節。



2002年04月04日(木) 春の山を歩く

春の山を歩く。

途中で車を止めて林道を行く。ギャッギャッという聞きなれない鳥の声がする。アオサギらしい。このあたりにコロニーがあるのだ。登っていく。風の音がすると思ったら流れの音。あっちからこっちから聞こえてくる。山頂近くに滝があり、そこから流れてきた水がいくつも枝分かれして川や海へと向かっているのだ。

登山ではないので、山頂まではいかない。食べ頃のふきのとうを採ったり、水たまりの中にカエルの卵を発見したりしながら、のんびり歩く。古びた小さな鳥居があり、その先へ進むと湿地帯に水芭蕉が咲いている。まだ開きかけだが、白色が鮮やか。

山をおり、途中、山間の小さな集落を抜けながら移動。古く、どっしりとした家々が並ぶ。大きな梅の古木があって、ちょうど満開だ。酒屋もよろず屋もあるけれど、人が全然いない。時間が止まったような集落。「遠野物語」に出てくるマヨヒガのような印象。あるいは、佐藤春夫の「西班牙犬の家」とか。

帰りがけに、海沿いの道から別の山へも入ってみる。海鳴りを聞きながら中へ分け入ると、ココココという音がする。キツツキだ。すごい速さで木をつついているのが見える。道の両側には白いイチリンソウ、スミレ、それに一面に濃い紫色をしたカタクリの花。

山を歩いていると、思いがけないところに思いがけない風景が広がっていることがある。いろんなものを抱え込んでいるのだ。その奥深さが楽しくて山を歩く。

帰り、海沿いの民宿でエゴを買って帰る。酢味噌をつけて食べるとうまい。山へ行って海のものをお土産に帰る。それもまたよし。


2002年04月03日(水) 眉間のシワ

ふと鏡を見ると眉間にシワがよっている。

右目と左目の間、おでこの真ん中あたりにもうひとつ目があるような感覚がある。手塚治虫のマンガでそんな男の子が出てくるものがあったけれども、あれは何だったか。

そのもうひとつの目が閉じていると感じるときは、だいたい調子がよくない。うまく言えないけれど「閉じている」のだ。周りの物事にうまく反応できず、そんなときは残りの二つの目もきっとどんよりとしている。眉間にシワがよるというのは、その第三の目を自分で閉じているということか。

夜、友人から電話。ボーリングに行かないかというお誘い。ものすごく久しぶりだったけれど、なぜか調子がよくてストライクがどんどん出る(いつもは100を越えたらよいほうなのだ)。こんなところで運を使ってしまってよいのかと思いつつも嬉しい。

帰りはラーメン屋による。友人の誕生日は4月2日ということで、一日遅れで乾杯。ビールなど飲んでいるうちに眉間のシワも消える。


2002年04月02日(火) カモメが飛ぶ空

秋田市内の教会へ行く。母親と叔母が通っていたカソリック系短大の初代学長であった先生が亡くなり、その追悼式が行われるのだ。

91歳で亡くなった先生は、二人にとって忘れられない人であるらしい。とても厳しく、学生を叱り付けることも多かったが「あんなに愛情深い人はいなかった」と母は言う。叔母の娘である従姉妹も、現在その短大に通っている。今日は学生たちが聖歌隊として参加。従姉妹もその中にいる。

教会での結婚式には何度か出席したが、追悼式は初めてだ。学生たちが歌うグレゴリオ聖歌にあわせて司祭が現れ、ゆっくりと式が進行していく。先生は「音楽によって神を賛美するのだ」といって、短大に音楽科を設けたという。そして何より、自分自身、音楽が大好きだったらしい。その彼女が、学生たちの奏でる音楽や歌声によって送られてゆく。「どんなにそのことを嬉しく思っておられることでしょう」という弔辞の言葉。参列した皆も声を合わせて歌う。

快晴。外に出るとカモメの声が聞こえる。見上げると、教会の屋根の上、青空を背景に真っ白なカモメが何羽も舞っている。ここは海が近いのだ。

出口ではイースターエッグを配っていて、従姉妹も青く塗られた卵を一個もらう。大事そうにハンカチに包んでカバンに入れていたが、道路でつまづいた拍子に割ってしまう。「かなりショック」といった表情。「帰ってからちゃんと直そう」と接着剤を買っている。

夕方、浜を歩く。日が傾くにつれて、天頂の青色は濃くなってゆく。低い海鳴りの通奏低音。それにいろんなリズムで波の砕ける音が重なる。そして、時折混じるカモメの声。ここにもカモメが飛んでいるのだ。カモメ、沈もうとする夕日に重なって影となる。


2002年04月01日(月) 季節はめぐる

昨日から一転、春らしい陽気。外へ出ると潮の匂いがする。水仙も固まって咲いている。

午後から友人の運転する車で出かける。実家のある町から秋田市内までは車で40分ほどかかるのだが、今日はその市内まで行き、秋田駅前の駐車場へ止めるのが目的だ。駅前は交通量が多く駐車場にも止めづらいということで、まだ初心者マークの友人にとっては初挑戦。免許も持っていないのに、助手として付き添う。

やや緊張しながらも、問題もなく無事に到着。駐車場にもしっかり入る。安心して、コーヒーを飲みながら一休みする。

友人は先週末に仕事が決まって、明日が初出勤である。決まったと聞いたときはほんとうに嬉しかった。実家も近所同士で小さい頃からずっといっしょの友人である。何か、自分にとっても季節が一巡りしたような感じがしたのだ。

帰りはもう余裕も出て、助手席に座りながら気持ちよくぼんやりする。街を抜け、海沿いの道に出ると、水平線も山も霞んで見える。春霞か。漁のための網が広げて干されている。

4月始まる。新しい季節である。


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