フミカの日記
フミカのひとり上手とよばないで

2001年12月30日(日) いい年だったらいいなぁぁw(^o^)w

明日は12月31日!
小さい時は夜中まで起きていられる大晦日が、とても特別な様な気がしてワクワクした。
今、チびっこ爆弾(姉の子)の上の方が、時々泊に来ている。このチびっこは、毎日が大晦日の様に夜更かしで、私の方が先に沈没する事が多い!でも1人で起きているのは怖いらしく時々「フミカちゃ〜ん」と呼ばれる!
私は夢の世界の入口から、すごい勢いで現実に引き戻される。 これを何度も繰り返されるうちに“幽体離脱”と言うのは起こるのかなぁ〜と、非現実的な事を考えてしまう。
でも実は、私も怖がりだったから1人で眠るのが嫌いだったなぁぁ
昔、おじさんのお葬式の時、私を早く寝かし付けようと言う家族の魂胆が見え見えで、「こりゃあ私が寝たら皆、別の部屋に行ってしまうつもりだ」
と思い、目をギンギンにして頑張ったんだけど、やっぱり寝てしまい、目が覚めた時案の定ヒトリボッチで、滝の様な涙を流しながら、皆を探した事を覚えている・・・
これはまだ9才くらいの頃だったので“かわいい”で済まされるケド・・・
実は高校の頃、修学旅行で、誰かに言うと呪われると言う怖い話が流行って、旅行から帰って来てから、1週間程夜が怖くなり、母のフトンによく潜り込んでいた。そして「何が怖いの?」と言う問いかけに「ダメ!絶対言えないんだもん」なんて、訳の判らない事を言っていた。「あんた、いくつなの?」って言われてたてけど・・・・

私の恐がりは今も治っていません・・・!

あっ話は変わるのですが、今日が平成13年締めくくりの日記です。ちょっと旅行に行くので、パソコンともしばし離れます。兄アレの様にネットカフェに出合えたらいいなぁぁ〜
と言う事で‘来年も良い年であります様に’



2001年12月29日(土) もう終わりだよ〜

昨日は、夏ぶりに友達と会った!何のたわいもない会話をするだけなんだけど、
やっぱり楽しい!!
皆歳をとってるんだけど、お互い中学生の頃のままで時間が止まっている感じ
今も昔とあまり変わらないけど、クダラナイ事で泣いたり笑ったり・・・
なつかしいヨネ!
自分を取り巻くものが、どんなにセカセカしてきても、昔の頃の感覚を失いたくないと、いつもこの友人達と会うたびに思う。

“子供のままでいられたら”なんて思わない!
何に対しても夢中になる事や一生懸命になる事は、大人も子供も関係ないもんね。
時として大人は‘常識’と言う物に捕らわれがちだけど・・・
(私はどっちかと言えば本能かな)

実家の窓から見える岩木山と、気持ちが悪くなるくらいたくさん見える星と、
真っ白な雪・・・私はつくづく青森に生まれてよかったなぁぁーって思う!

ちょっと感傷的になってしまった12月29日・・

平成13年もあと2日で終わりです。



2001年12月28日(金) 「わ〜!待ってくれェェ〜」

朝からナ〜ニもしない1日
昔はよく父がスキーに連れて行ってくれた。

私にスキーを教えてくれたのは父で、私がまだ全然スキーの“ス”の字も知らない頃、
スキー場に着いてすぐ、“スキーのころび方”と言うのを1つ教えてもらい、そのままリフトに乗って頂上まで連れていかれ、「さあ!滑ろ!!」と言うスパルタ教育でした。
そして「いざとなったら、これがれ!」と一言残して、自分はス〜ィと滑り降りて行くのでした。
頂上に残された私は、滑るしかないので、半ベソ状態で滑り・・・イヤころがり落ちていました。
あの恐怖ったら言葉では言い表せないって感じなんだけど、何故か、また父と一緒にリフトに乗って頂上に向かってしまう。

不思議ですよネ、子供心って・・・



2001年12月27日(木) ナイショの、は・な・し!!

今日は朝からお買物・・・そしてチびっこ爆弾のお見送り・・・
下の子は、私と同じ保育園に通っていて、時々お迎えをお願いされる

今日は、私が通っていた時にお世話になった保育園の先生に会った!!
「うわー!全然変わってない、フミカちゃんでしょう!うわー身体が大きくなっただけじゃない!」なんて、ちょっと複雑・・・
しかも先生は、タタミカケル様に,
「よく帰りたいって言って、入口の木に捕まって泣いてたヨネ!覚えてる?」
って、そんな大きい声で・・・
覚えてます!覚えてます!今だにウチの語りぐさなんだもん。忘れたくても忘れられない。
「あっ!あと昼寝しない子だったよね!よく怒られてたもんね」
って、先生〜もういいよ〜

ひとしきり懐かしさにふけって、戻ってくる時、私に手を引かれていた下の子が

「フミカちゃん、悪い子だったの?」と一言・・・

い〜えいえ、とんでもない私は玉の様にかわいい子でした。きっと・・・



2001年12月26日(水) チびっこ爆弾

青森到着・・・ 朝からのんびり、のんびり、のーんびり、といきたい所だが・・・
姉の子供2人(女の子)にいつも襲撃される。8才と6才なんだけど
「フミカちゃーん、お帰りィー!!」と、ミサイルの様に飛んで来る!

かわいい奴らなんだけど、トイレに行く時も、お風呂に入る時も、ゴハンを食べる時も、2人とも全ー部私と一緒・・・
とにかく何をするにも、朝から帰るまで

「フミカちゃん、フミカちゃん、フミカちゃん」

とフミカちゃん攻撃!
とにかくかわいいんだけどね、時々困るのが、2人のケンカ・・・

だって、何をする時も私が隣にいなければ気がすまない、じゃあ私が真ん中になれば・・・と言う単純な理屈では、2人とも納得しないらしい・・・
子供心って複雑ぅぅ

でも私の心境も複雑ぅぅ



2001年12月25日(火) 私も見たい・・・!!

やっぱりギリギリまでバイトして、バタバタバタと何の余裕もなく
深夜バスに乗り込んで、グッタリ寝る・・・
朝真っ白な雪のまぶしさとキ−ンとする様な寒さで、青森に到着した事を実感する・・・毎年感じる事!

そして、家に落ち着いた所で忘れ物に気がつく・・・これも毎年の事!
今年は準備バンタン!よし・・・
って、確か去年もそう言ってた・・?(なんて学習能力がないんだろう・・・)

今日は22時出発!!
私が乗るバスは、首都高から高速に向かう。この時東京のビル群の明かりが、すごく綺麗に見える。毎回これを見るのが大好きなんだ!!

そしてしばらく走ると、周りは田んぼで真っ暗になる
「あ―北に向かってるなぁ」と感じ始める頃・・・

そして毎回思う事がもう1つ
‘トンネルを抜けるとそこは雪国だった’と言う状況を体験してみたい!
「ハイ!ここからが雪国です!」って1度も見た事がナイ
そんな場所ないのかな?
すごく気になるんだけど、いつも眠気に負ける・・・

川端康成は、どこで見たんだろう・・・



2001年12月24日(月) 寒いよぉぉ!マッチを擦っておくれ・・・

クリスマス・イヴ・・・私の通し5連続も今日が最後!がんばれ―

店長がクリスマスはたぶん混むよ!って言ってたんだけど
クリスマスとカレ―ってちょっとピンと来ない・・・

案の定お店はあまり混まない・・・よって今日は朝から駅前でビラ配り・・・
よりによってこんな日にビラ配りなんて・・・ちょっと悲しかったな!!
でも予想に反して、結構もらってくれる人がいて、うれしかった。

しかし1人、私がちらしを渡そうとしたら、まるで「ばい菌扱い」の様にして避けて行った人がいる。そんなにしなくても・・・仮に触っちゃったとしても溶けたりしないよ―!と思いちょっとカチン!ときた。

しかも天気はすごくよかったけど、寒いの寒くないのって(どっちなの)
チラシを配りながら、
「あ―これで雪でも降っていて、私がマッチ売りで、誰も買ってくれなかったら、そりゃあマッチを擦って暖まろうって思うよなぁぁ」って、考えてしまった。

もし今度街で、カレ―のビラ配りをしている人を見かけたら、無視しないで下さい・・・お願いします。



2001年12月23日(日) ハッ!しまった!!

頭が時間でいっぱいだ・・・と言うのも昨日から
新しいシフトを考えている。

フリ−タ―でバリバリ稼ぐ子が、私を入れて3人いる。この3人が1日労働する時は、間に3時間の休憩が入る。私は家が近いので3時間はうれしいけど、他の2人は電車通勤なので、家にも帰れず3時間は退屈すぎる・・・

それじゃあどうにかして、1日に働く時間を凝縮して、お休みを多くできないか・・・?

う−んと、まずAの子を9時30分で、月・木・金がお休み・・・Bの子を10時30分で・・・

ハッ!!しまった!!何で私シフト考えてるんだろう?
右腕になるのは、イヤッ!って言ったばかりなのに、
「どうにかなりませんか?」と言う店長の言葉にうまく乗っかっている。

これって店長の作戦・・・?

だけどお休みが増えるシフトはうれしいし・・・これだけは考えてみるか・・

でも「どうにかなりませんか?」って、そう言っているけど
まず、日・祭日お休みする店長、どうにかなりませんか?
あ!!それと店長のシフトは10時からなんだけど、10時に来たためしがない、店長がシフト通り10時に来てくれたら、こんなに頭を悩ませる事もなく、すべて解決するんだけど・・・

あー・・こんなに考えて、「私は10時30分出勤は無理です!」
なんて言われたら、苦労が水の泡だ・・・

フンッ!そうなったら右腕も何も、お店を辞めてやるぅぅぅぅ・・・
でも店長言いそうなんだよなぁぁ・・・
そして、そんな案があったと言う事も忘れ去られて、いつもどうりに働いていそうだ






2001年12月22日(土) 「ハイ、生地のサンプル!」byドラえもん風

通し中日と言う事もあって、ネムイ・ネムイモ−ド炸裂・・・

デスクワ−クをしていたら、一発で眠りに落ちる様な、けだる−い午後!!

OLをしていた頃、子供服のデザインを考えていた私は、毎回襲ってくる午後の眠気と、いかに戦うかと言うのが毎日の課題だった。

しかも、当時その会社で1番若かった私は、専務によく連れまわされていて
お昼ゴハンを食べた後、車の助手席に乗ってお得意さんをまわる時なんかは、ほとんど拷問の様だった。

でも専務には、すごくかわいがってもらっていて、
よくお昼ゴハンをご馳走になった。

しかし何故か、とんかつの「和幸」で食べる事が多くて、しかもメンチカツばかり頼む・・・私が何度苦手だと説明しても、「メンチカツ2つね!」と注文してしまう・・・結局最後まで覚えてくれなかった・・・

そんな専務の机の上は、いつもゴミ箱状態で
「これが片付けられたら、どこに何があるか、わからなくなるんだよ」
と言ってたんだけど、誰も机に指1本触れてないのに
「あの生地のサンプルはどこだ?」とか聞いてくる。

「どっちにしろ、やっぱり覚えてないんじゃん」
と、私はいつも心の中で思っていた。

そしていつしか・・・
その机の上の物を把握しておく事も、私の仕事の1つになった

このゴミの山の様な所から、専務の要求する物を出す時には、
ドラえもんがのび太君のために、ポケットからいろんな物を出してくれる場面が、いつも頭に浮かんでいた・・・

専務、相変わらず「メンチカツ」ばかり食べてるのかな・・・?





2001年12月21日(金) 二の腕・・・ん?間違った右腕だ!!

昨日から始まった通し5日連続・・・入ったばかりの頃店長に
「21日ラストまで大丈夫?」と言われ、訳が分からないまま
「ハイ!大丈夫です!」なんて答えて、あとでシフトを見たら、あらビックリ!
そんな事になっていたなんて・・・

でも年末から10日もお休みもらえるし、ここはがんばるか!と思ったものの
いざとなると、ちょっとブル―

しかも街はクリスマス・イヴに向けて、徐々に高まっているし・・・
別にイヴなんて、毎年仕事をしているので、どうって事ないんだけど・・
ちょっと流れに乗っかってみたい気持ちも少しあります。

そして更に私の今後の先行きが、あやしくなってきた。
まだバイトに入って1ヶ月もたってないのに、店長の右腕を頼まれそうになっている・・重いよ・・・重いよぅぅぅ・・・

1度丁重にお断りして、バイト募集の紙が、店先には張られた!ちょっとホッ!としたのも、つかの間・・募集を見てくる子は高校生ばかり、
それじゃあ今とあまり変わらない・・・

せっかく店長の気が変わりそうだったのに、適任者が現れず、すっかり弱気になって、また徐々に私へのプッシュが強くなってきた。私の顔を見て
ことある事に「NO、2.ダメ・・・?」と言う

あー――ん!!だめだって、絶対だめ・・
って言うか絶対イヤッ!!

誰かNO,2  やってぇぇ――!!



2001年12月20日(木) 聞こえちゃマズイって・・・

唐突ですが、うちの店長は前にも話した様に
帰りたいパワ―を発揮する以外は、とてもおおらかで、声が大きい!
どんなにお店が混んでても、ハナ歌まじりにルンルン気分・・・
本人はハナ歌のつもりでも、結構ホ−ルに聞こえていて
オーダ―を待っているお客さんの目が、ギラギラしている時がある・・・

常連さんが来ても「あの人はすごく呑むよ―」とか「おしゃべりが大好きだから」とか・・・店長ー全部聞こえてるよ――

聞こえてるよ!で思い出した。

前に1度泊まった旅館で、ゴハンを食べている時、奥から
「あのゴハン出したのか?」と言う、支配人らしい人の緊迫した声が聞こえてきた。「あのゴハンって、このゴハンの事?」と気になっている所に
奥からその支配人らしい人が出てきて、私達に向かってニッコリと笑って、お辞儀をして出て行った。
「あの笑い、意味ありげだ―」と、みんなの意見が一致した。でも見た目には普通のゴハンだし・・

結局、真実を確かめる勇気もなく、‘あのゴハン’の意味は謎のままになったんだけど、あの一瞬の緊迫感は、今でも忘れられない・・・

あの日私達は何を食べてしまったんだろう・・・



2001年12月19日(水) 笑顔が浮かぶ油揚げ

実家から届くはずの、リンゴが届かなかった!
リンゴ屋さんが送るのを忘れたらしい・・・そりゃ届かないはずだ・・・
でも、昨日1日家で待ったいたのは、無駄になったけど、なんかのんびりしてるなぁ―っ!て逆にホノボノとしてしまった。

母はリンゴに限らず、よく食べ物を送ってくれるんだけど、私はこれを
「救援物資」と呼んでいて、かなり助かっている。

青森は、スイカとかメロンとか野菜を‘タダ’同然に売っている所がたくさんあって、大きさも関係なく、どれでも¥100―¥200それも地面にゴロゴロ
転がっていて、しかもとてもおいしい!!お金も箱の中に入れてくるだけ
のどかだなぁ―って、いつも思う・・・

反面、自然を相手にしている、厳しさとか・強さとか・たくましさも感じる!

うちは父のこだわりで3―4ヶ月に1度、往復4時間かけて青森の左の端っこの方に、油揚げを買いに行っている。そこのお婆ちゃんは、もう90歳近くになるんだけど、笑顔がとても素敵で、キラキラと目が輝いている。

時々連れて行ってもらうんだけど、いつも心が洗れる・・

そして毎回、たぶん自分達の食卓用として捕ってきていると思われる、ウニとかサザエとかを「とれたてだよ!」と言って分けてくれる・・・
もうお婆ちゃんの笑顔の分だけ、このウニとサザエは格別な味がする。

海にも潜っちゃうし、畑も耕しちゃうし、油揚げも作っちゃう
そして、あの笑顔・・・たくましいよね・・・

時々母の送ってくれる荷物の中に、この油揚げも入っている。
そんな時は、お婆ちゃんの笑顔も一緒に入っている様で
なんかとても、元気が出てくる!!






2001年12月18日(火) 普通、割れる?

青森に大寒波がやって来て、大雪になっているらしい。
今朝、母から電話があって、ウンザリしているのが、手に取る様にわかった。

でもこれで12月24日は‘ホワイトクリスマス’だろうなぁ―
と、ちょっとうらやましく思ってしまう。
(別に‘ホワイト’じゃなくてもいいんだけど・・)

昔は当たり前だった‘ホワイトクリスマス’
子供の頃大はしゃぎして、うちの庭の池に落ちたんだ・・・
父が「魚達がビックリする!」って1番ビックリしたのは、ワ・タ・シ!!
「犬っコロでも落ちない」なんて言われても、
雪が積もってて、わからなかったんだもん・・・・
次の年の冬から、その池にはフタがついた・・遅いよぅぅ!

そう言えば昔の家は、雪の重みでよく玄関の開け閉めが悪くなっていた。
ある日の朝学校に行く時、また玄関が閉まらない
「うっきぃぃ―!」と思った瞬間、思わず手が出ていた・・・が

軽く叩いたつもりなんだけど、まるで空手の様に、結構分厚いガラスが
‘パリ―ン’と真っ二つに割れてしまった。
「うそっ―!!」と思ったけどもう遅かった。私は奇跡的に無傷でしたが
次の日から、ゆがみ防止の棒が、玄関には立った。
だから、うちはいつも遅いんだってば・・・

今では、落ちる池もなくなっちゃったし、屋根も雪が積もらない造りになった
それもこれも、み−んな私が体を張って見せた教訓のおかげ・・・だよね・・




2001年12月17日(月) じゃれてるつもりでも、手を出す勇気は・・・

この頃寒さが厳しくなって来た。
でも暑いのが好きか、寒いのが好きかと聞かれたら、私は寒い方が好きです。

そう言いながらも寒い時って、行動力が鈍くなりますよね。

前に児童劇で、冬の寒い日に‘動物達と一緒に遊ぼう’と言う
テ−マパ−クに行った。でもそこに居た動物達は、全然やる気がなくて
みんな「ダメ、寒い!悪いけど勝手に遊んでくれる?」
と、目で訴えていた。

そうだよね、人間だってやる気をなくしそうな寒い日だったもん
気持ちはわかる。でも主役達が全然やる気ゼロで、かなりつまらなかった。

かと思うと、九州のサファリパ−クでは、肉食獣コ−ナ−で、ライオンが
私達の車のタイヤを、ガシガシかじっていて、やる気満々だった。
うさぎとかポニ―ぐらいが、やる気満々なのはかわいいけど、
あなた達にやる気を出されても・・・

しかも「このコ−ナ−では立ち止まらないで下さい。ゆっくりでもいいので、
車を走らせて下さい」と放送がかかっている。わかってるんだけど、
走りたくても前がつかえているし、タイヤをかじっているライオン達は
ますますエキサイトしてきているし、気が気じゃなかった。

うちに居る‘小型ライオン’は、寒さですっかりやる気をなくして
いつもスト―ブの前で寝ている・・
そんな時「ネ―変わりにカレ―屋に行って!」
とわがままを、言ってみたくなる・・・
でもいつも「ダメなものはダメ!」と、目で訴えられる。



2001年12月16日(日) 父は「にわとり」母は「星飛雄馬のあきこ姉さん」

あと9日で里帰りです!年に2回は帰っているけど、やっぱり楽しみです。

別に何をする訳でもないんだけど、昔からの友達と会って、
あとは家でボッ−としているだけ・・・

うちの家は父親の影響で、かなり規則正しく毎日の時間が刻まれていて、
朝ゴハンは6時30分・昼ゴハンは11時・晩ゴハンは3時に食べ始めます。
そして父は7時には寝ます。私と母はさすがに寝ませんが・・・
朝はと言うと、4時30分頃には起き出して、庭の掃除などをしている・・
そんな父を母はいつも「にわとり・にわとり」と呼んでいます。

毎回、相変わらずの父の頑固さには、脱帽です!!
ちなみに私の好き嫌いは父譲り・涙モロイのは母譲りです。

そんな頑固な父が、首を縦に振る事になったのが、私の結婚話の時
「おれがダメだと言ったら、やめられる相手なのか?」と一言
もう滝の様に涙がでた。
その時の母は、星飛雄馬の‘あきこ姉さん’の様に、近くの柱の影から私達を見守っていて、やっぱり滝の様に涙を流していた!

何の不自由もなく、のびのびと育ったのは、この2人のおかげだなぁ―と
つくづく思う・・・

あと、付け加えておくと、私が酒飲みになったのは、3歳の頃の私に
面白半分でビ−ルを飲ませていた、父親のおかげだと思っています!



2001年12月15日(土) ドアは定期では開きません!

今日は2時出勤!朝寝坊してもいいのに、いつもの習慣で
目が覚めてしまった。歳かな・・・?

最近、わがカレ―屋が¥680ランチを開始した。店長の‘暇・打開策’
これが以外に大当たりして、ランチタイムは超コミコミになる!!
店長はニッコリ!でも私はちょっとグッタリ!

混む事は別にいいんだけど、混む事に慣れていない店長は、
次から次へと入るオ−ダ−についていけず、
頭に?マ−クがいくつも付いている。
「え―と・え―と!!」と言いながら、サ―ビスのサラダを何個も出したり、作る手を止めて、頭をかかえたりしている。

ランチタイムのピ−クが終わって一段落しても、頭の整理がつかないらしく、
昨日は倉庫に行くためには、本当は鍵が必要なのに定期を探していて、
私に「倉庫に行くための定期がみつからない!」と救いを求めてきた・・・
んっ???

それでも「今日はお客さんが、たくさん入ってよかった、よかった!!」
と言っている。

店長明日は、ランチタイムの時の頭の?マ−ク、1つ減らしましょう!

あっ!あとそれから、みんなのシフト覚えて下さい!いつも私に
(店)「じゃあ3時に休憩入って6時に戻って来て下さい」
(私)「あの・・私今日は、あがりなんですけど」
(店)「えっ!!うそっ!!」って、それ私のセリフ・・・

本当に私は毎回ビックリマ−クでいっぱいです。
そろそろ私もビックリマ−クを減らしていきたいので・・・  
                         よろしくお願いします。




2001年12月14日(金) 店長!どっちなの?

今日は早上がりで2時30分の日、気が楽だ!

昨日の夜突然、今まで満卓になった事がないうちの店が、
満卓になりっぱなしだった。店長が「どうゆう事ですか?」って、こっちが聞きたいよぉぉ―

「こんな事1度もない」「おかしい」なんて、何度も首をかしげて
不思議がっていた店長
「お願いだから、不思議がる前に、少し動いてよぉぉ」って感じだった。

店長は、おおらかと言うかのんびりと言うか、オーダ―がたまっていても
あまり焦らない。お客さんが待っていようが、奥さんからの電話にすご―く
長話をしたりして、ホ−ルに立っている私をいつもハラハラさせる。

じゃあおっとりした性格なのかと思うと、ラストオ−ダ−を聞いてからの
‘早く帰りたいパワ―’は尋常じゃない。
まだホ−ルの後片付けも終わってない私に「明日、明日、全―部明日!」と言って、せきたてる。
帰る時だけ人格が変わって、とにかく何でも明日攻撃・・・

全部明日に回された私は、次の日の朝
「だから昨日やっておこうよ・・・」といつも泣きたくなる。
でも9時30分を過ぎてからの店長は「俺は早く帰る」オ―ラが
全身から吹き出ていて、「明日大変なので今日やっちゃいます」
と言う言葉を何度飲み込んだ事か・・・

しかし、おっとりしているのか、セカセカしているのか・・・
本当にコロッ!と変わるんだもん。

ハワイタイムとか坂爪タイムとか、人には人それぞれの時間の流れが
ある事を、あらためて実感した。




2001年12月13日(木) 鳥肌No1

どこでバイトをしても、妙なお客さんと言うのは、1人か2人はいるもので、
今のカレ―屋さんにも、すでに1人いて
メンチカレ―とコロッケカレ―の上に乗っている物を1つづつ欲しいと言う。
通常2個づつ乗っていて、2個は飽きるし気持ちは解るんだけど、何故か店長も「うん!」と言わない。
それよりも、そのお客さんはとてもしつこい!!
見た感じは普通の人なんだけど、毎回来て、毎回断られているのに必ず言う

「ダメなものはダメなの!!」と強―く言いたい。しかも断ると‘2度と来ない’みたいな事を言うのに、またやって来て同じ事を言う。
お水を出しながら「今日もダメですよ!」と言いたくなる。

そう言えば、中華屋に居た時も‘困ったちゃん’が1人いて、妙に私の事を気に入ってしまい「結婚してほしい」とか「デ―トしてくれ」とか真剣に言ってくる気持ちの悪い人がいて、中華屋の奥さんに何度も助けてもらっていた。

が・・・1度道の遠くから歩いて来るのを発見して
「これは見つかったらヤバイ」と思い、わざわざ脇道にそれたにもかかわらず、そいつは突然目の前に現れて
「見―つけた!」と言ってきた。
「キャ―!!見つかってない、見つかってないもん!!」と心の中で何度も叫びながら、無言で猛ダッシュした。走りながら‘口避け女’の様な猛スピ―ドで付いて来ていそうで、怖くて振り返れなかった。

これに比べると、マックの「スマイルくれ」は、かわいい方だと思ってしまう。
まあ接客業をする以上、もれなく付いてくるオマケの様な物だろう・・・

しかし中華屋で会ったあいつが、今までの‘鳥肌No1’だと確信している。





2001年12月12日(水) 対 ドジョウ戦 in長野

食べ物のおいしい季節がやってまいりました。
が・私は割と好き嫌いが多い方なので、児童劇で地方を周って居た時も、損をしていたなぁぁ!と思っています。

外で夕食を済ませる時は、好きな物だけ・・・でいいけど、旅館でどうしても苦手な物が出たりすると、困りはてる。
その上その旅館の人達が、良い人だったりすると特に・・・

1度、長野で公演があった時に泊まった旅館で、ドジョウの柳川がでた。ドジョウと言ってもあまりビックリはしないだろうけど、驚いたのは、その大きさと量で
大きい物では12―3cmくらいの物もあって、しかも丸々と太っている。

みんな口々に「すごいよ!でかすぎるよ」「飲みこめないよ・・」
等と言ってる所に、その旅館のおじいちゃんが登場して、
「どうですか?おいしいですか?そのドジョウは、さっき私がとってきたんですよ」なんて言うんです。

かなりの高齢だと思われるおじいちゃんが、私達のために一生懸命とってくれた
姿を想像してしまい、他が食べられなくなっても、このドジョウだけは・・・
と思い、がんばってみた!!

しかし、食べても食べても次から次へと、ドジョウが出てくる。
減る気配がまったくみられない・・・

ふと周りのメンバ−を見たら、同じ事を考えたのか、
黙々とドジョウと戦っていた・・




2001年12月11日(火) 雪が積もる音・・・

午前中ちょっと買い物に出かけたあとは、ゴロゴロ・ゴロゴロしていた。

おとといから、めっきり寒くなった!青森はきっと雪が降っているだろう。
小さい頃雪が積もると、お父さんが「かまくら」を作ってくれたり、
スキ―山を作ってくれたり、雪ダルマを作ったり、朝から晩まで寒い中1日中外で遊んでいられた。お父さんが作る「かまくら」は本格的で、水に濡らした新聞紙を間に挟んで凍らせていくんです。だからとても頑丈で、中でお餅を焼いて食べたりしました。

今は温暖化のせいか、小さい頃に比べて、すっかり雪も少なくなったけど、
今でもお正月に帰って雪を見ると、ワクワクしたりする。

私は雪降りも大好きで、授業中あったかい教室の中で、ボッ―!と外に降る雪を
ながめているのが大好きだった。

あと昔のお婆ちゃんの家には囲炉裏があって、冬には掘りごたつになるんだけど、
寝ると一酸化炭素中毒を起こすから、寝ちゃいけないとよく言われてたけど
私はよく寝てしまい、そんな日は軽―く中毒で頭が痛かった。
でもこの囲炉裏で焼くお婆ちゃんの魚は最高で、私はこの囲炉裏も大好きだった。

そしてもう1つ。夜「き―ん!」と耳鳴りがする様な静寂の中に‘しんしんしん’と雪が積もる音を聞くのが大好きだった。
本当に聞こえるんだよ・・・




2001年12月10日(月) ブヒ肉で出た冷や汗

今日はチョ―二日酔いでした。久しぶりの感覚!呑みすぎです・・・
朝のつらかった事。修行最終日、ズキズキする頭を抱えて、がんばった!!

何がつらいって、味付けで使うワインとブランデ―の匂い・・毎回「オェ・・」ってなりながら、がんばった!!

まだ酒飲みのレッテルを貼られていないので、当分猫を被っていたいと思い、具合が悪いと言うカケラも見せないで、がんばった!!

しかしこんな日限って、私の1番苦手な、ポ−クの味見があった。
店長は宗教上の理由で、お肉が食べられず、ポ−クが柔らかくなったかどうか
いつも私に食べさせる!!何の味もついてない、ブヒ肉のみの味で、ただでさえ
具合が悪いのに、冷や汗がドップリでた。(汗と言うよりも酒かな・・・)

まさか毎回お願いされるとは思いもよらず、1度は食べたものの
「実は私もあまり得意じゃないんです!」なんて、今更言いづらくて・・・

とに角今日はがんばった!!!修行3日目と言う事もあって、
夕方私の目の下には、クマができてた。

でも楽しいひと時だったので、それですべて良し・・・
しかも、今この日記を書きながら何故か、カタワラにはビ−ルがある・・・

とりあえず「明日は休みだぁぁぁぁぁ」



2001年12月09日(日) カレ―屋の焼き鳥

カレ―屋さんのバイトDAY!店長に「基本的にホ−ルなんだけど、厨房の仕込みも覚えて」と言われ、昨日から修行に入った。
明日までの3日間なんだけど、奥の二人共がお休みの日は、私が奥をやるらしい!

働きだして12日になるけど、私が知る限りでは、満卓になった事がない!
まあ、お店も小さいので楽な仕事だと思うのですが、覚えるまでは、何事も大変だ
3日で覚えられるのか?って感じですが・・・

がんばりましょう!!

でも結構力仕事なんです!!もともと奥をやっている二人も、女の子なのですが
じゃがいもを茹でた鍋を
「このじゃがいもを・・・」と言いながら、ヒョイっと持ち上げる。
じゃあ私も・・・と思うでしょうが、これが持ち上がらない!!二人は
「大丈夫!ナレだから・・・」なんて言うけど、ナレたら持ち上がるのかな?

しかもうちのカレ―屋は、夜になると通常のカレ―メニュ―に、居酒屋メニュ―もプラスされるんだけど、せっかくカレ―の作り方を覚えた所に
「鳥串2本・皮2本・・」とか言われ、もうビックリしてしまう!!
居酒屋メニュ―には、印度の変わったおつまみもあって、おもしろいんだけど
やっぱり「焼き鳥」とか「枝豆」とかが多くて
「うちはカレ―屋・・・」と心の中で、つぶやいてしまう・・・

どうやら私は、ここでがんばれそうだ!!
うん!!がんばってみよう!!



2001年12月08日(土) 吉幾三に乾杯!!

今日朝バイトに入る時、入り口で入館許可書が見当たらない。
うちのテナントは結構厳しいんですけど、しかたなく身分証明と思い、免許書を見せて通してもらった。
あーぁ・・・身分証明でしか活躍しなくなった免許書!
すっかり「ゴ−ルド」だし・・・

青森にいる時暇つぶしにと思い、何となく取りにいったんだけど、
マニュアルを選んだにもかかわらず、割と優秀な方だって言われてたんです!

でも1度だけ左折で、後輪を田んぼに落とした事がありましたが、本人は全く気がつかず、隣に座っている教官が
「あ゛―!!」と一声あげて、グッタリと抜け殻の様になっていました。

それよりも、夜間教習と言うのがあって、そっちの方が
スリル満点でした。
「夜間と言っても少しくらい明るいだろう」と考えていたのが大間違い!
街灯がないんだもん・・・民家が少ないんだもん・・・
明るい訳がない・・・・・しかも周りは田んぼで、ガ―ドレ−ルもない・・・
その上、地元の人達は真っ暗だと言うのに、ビュンビュン飛ばしてくる!

その時の教官が「俺、一応妻子持ちだから」なんて言うんです。
「私だって、人生これからって言う女の子よ!」と思いながら、
「そんな事言うんだったら、運転かわってよ」とつぶやいたりした・・・

東京に来てしまった今では、あの時の真暗闇教習の腕を試す所がナイ!
と言っても、誰も試させてはくれないだろう・・・

余談ですが、青森には「雪道教習」と言うのもあります。「どんな物だろう?」と思う方は、1度腕を試させて下さい!!







 



2001年12月07日(金) ホルマリンにつかった蛇達

昨日とはうって変わって快晴!しかし今日は朝から救急車と消防車のサイレンが
鳴り響いていた。一瞬‘阪神大震災’を思い出してしまった。

あの日私は宝塚にいて、前の日メンバ−達と呑んで、正体がないまま布団に入った
朝何がおきたか解らないうちに、足元にテレビが落っこちてきて、
そっちの方にビックリして「あー!下にいなくてよかった」くらいにしか、思ってなかった。

が、、、外に出てもっとビックリ!!ホテルの壁は壊れているし、看板はハヅレテ落ちていた。
公演予定だった小学校は、窓ガラスが割れて、塀が崩れていた。とりあえず公演は中止になったけど、私達はその日神戸から九州行きのフェリーに乗る予定でした。
でもフェリー乗り場が、地震でなくなっちゃったんです。
急遽大阪まで行こうと言う事になりました。
でも、信号は壊れているし、家は壊れているし・・・
大渋滞の中やっとの思いで大阪に着いた。

フェリーに乗って、神戸の街に立ち昇る煙をただ見つめていました。いつもは夜景が綺麗な神戸も、ただ真っ暗で、火事の赤い色だけが、妙に生々しかった。

地震と言えば高1の時も秋田沖の大地震にあっている。
ちょうど化学の授業で実験室にいたんです。
地震も怖かったけど、後ろの棚の中の‘ホルマリンにつかっている方達’が
倒れてこない事を祈った!!

あれから2年程兵庫での公演がなくなり、やっと再開して神戸に行った時
街や駅の綺麗さに驚いた。でも1つ路地に入ると、まだ屋根と壁にビニ−ルシートを貼って生活している人達がたくさんいた。

いろんな意味で何かとても、やりきれない切ない気持ちになった。




2001年12月06日(木) 雨の日のトリケラトップス!

今日は寒い雨降りでした。でも私は暗い子なので、雨降りが好きです。
イベントDAYの雨降りはさすがにイヤだけど、お休みで洗濯もなくて、かたわらに‘まったり’とした猫がいて、ウダウダ寝れるんだったら、雨降りにかぎる・・

雨降りで1つ思い出す事がある。
 昔、住んでた近くに「サミット」があって、いつもの様に買い物をしようと思い出かけたはいいけど、そのサミットのエスカレーターで、
上から下へ一直線に滑りおちた・・イヤ転がり落ちた事があった。
雨で滑べちゃったんだよねぇぇ
後ろにいたお婆ちゃんが、私のあまりのすさまじい落ち方に、救急車を呼ぶような勢いで、これは人だかりができては大変と思い、必死で立ち上がり、買い物もそっちのけで、逃げる様に帰って来た。でもどうしても痛くて、病院に行ってみた。

結果は、トリケラトップスの背びれの様な骨が、退化した形で3ー4個人間の腰には
ついているらしく、その1つが欠けたと言う事だった。
もともと退化しているので、どうと言う事はないらしいんだけど、階段の登り降りは、かなりキツカッタ!!

ちなみに私は咳のしすぎで、アバラ骨にヒビが入った事もあるのですが、
いずれの時も、皆に大笑いされた。

今日みたいな雨降りの寒い日は、頭の中でトリケラトップス達が
元気に駆け回っている・・・



2001年12月05日(水) 妙な空間。

今年の25日は、毎年恒例の里帰りです。
青森に向かう深夜バスの中で、1人寂しくクリスマスを迎えます。
と言っても、どうせバスの中で寝てしまうんだけど・・・

昔は何処でも眠れる体質じゃなかったんだけど、
ある出来事をキッカケに、コロッと変わった気がする。
それは児童劇での、ある夏の静岡公演での事・・・

いつもの様に公演を終えて宿に・・・といくはずが、宿を取り忘れていて、あわててとったものの1つも空いてない!そんな事めったにないんだけど、その日は高校の県大会が静岡で行われていて、普段だったら、絶対に泊まらないだろうと思われる
ボロ宿ですら断られてしまい、私達は「野宿」と腹を決めました!!

焼津から清水の海岸まで来て、ちょうど夜中の2時頃、お弁当を食べて花火をして、ちょっと異常なハイテンションのまま、伊豆の下の方まで車を走らせて、明け方5時頃道路に幕を引いて、みんなで眠りました。
その後、伊豆の海水浴場の「海の家」に忍び込んで、また眠りました。

メンバーは6人うち女子は私1人で、5人はさっさと泳ぎに行ったみたいですが、
当時私はまだカッパじゃなかったので、眠り続けていたんです。
 気が付いた時には、誰もいなかった海の家や海水浴場は、チョー満員で
でも何故か私の周り半径1Mぐらいに、妙な空間が出来ていた・・・(ちょうど電車で、酔っ払って寝てしまった人の周りが空いてしまうように)
かなり恥ずかしかったんだけど、眠くて眠くて、起き上がれなかったの・・・
 他のメンバ−5人はと言うと、近くでゴハンを食べていて、ちょっと目を覚ました私を見て、足を持って引きずる様に自分達の輪の中に入れてくれた。
最初から、そうしてくれればいいじゃん!!

たぶんあの時の半径1Mの空間と、その後の3回の野宿が、すっかり私を強くしたのでしょう。ちなみにOL時代電車に乗ってて、知らないオヤジの肩に寄り添って寝ていた事もありました。今では猫同然、塀の上でも眠れそうです・・・




 




2001年12月04日(火) 私の味わった‘リング’

とっーても暇なバイト、こんなバイトはかつてなかったって言うくらい暇で、狂いそうです。

巫女も暇なイメージあるけど、結婚式とか忙しかったし、うちの神社は出張巫女もしていたので、忙しい方だったんです。
1ヶ月に1週間のペ−スで掃除当番も廻ってきて、朝5時30分から1人で神社中掃除機をかけるんだけど、入りたくない部屋もあるし、開けてはいけない部屋もあって、大変と言うよりは怖かった。しかも歩き回ると言う、うわさの花嫁人形があって、普通の女性のウエストくらいの高さで、1人で着替えをしている時、隣で一緒に着替えをしていそうな・・・
妙にリアルな人形で、目がちっとも笑ってないの・・・

私は怖がりなので、その部屋はいつも掃除していませんでした。ゴメンナサイ!

その他に、巫女の心得と言うのがたくさんあって、結婚式でモライ泣きをしてしまう私は「巫女は泣いてはいけない」と言われ続けた。
ちなみに「式の間は歯を見せて笑ってはいけない」と言うのもありました。

そんなある日、「神殿」とよばれ「神様が眠る場所」と言う神社の中で1番神聖な場所で、年末の大掃除をしながら、Hな話に花が咲いてしまい、その時の3人が‘腎盂腎炎’と言う同じ病に倒れ
「バチがあたった」とみんなに笑われた。でも当の3人はまさに‘リング’状態だった。しかも病状が1人目から2人目とだんだん重くなっていって、3番目だった私は、皆に「こりゃ死ぬね」と言われ、ちょっとしたスリルを味わった。
もう時効だと思うけど、その節はすみませんでした。



2001年12月03日(月) ミッション系って、ガラじゃないけどね・・・

クリスマスと言えば、私の高校はミッション系だったので、礼拝やら何やらで大盛上がりだった。学校でやるクリスマスなんて・・・って思っていたんだけど、うちの高校はすごかった。あまりの盛大さに1年の時は、鳥肌が立ちっぱなしだった。
2年の時は確か寝不足で寝てしまい、持っていたキャンドルで、前髪を焼いてしまったんだ・・・
ミッションと言うと聞こえはいいけど、うちは無宗教だし、その高校も単なる滑り止めで、学校中赤い髪・黄色い髪のヤンキー校でした。でも12月25日だけは
何故か、眉毛がない人からスカートが長い人まで、みんなおごそかな気持ちになるのよね。ちなみにうちの高校は、リンゴ畑の中にポツンとあって、徒歩で片道40分かけて通ってました。でも制服がセーラー服でかわいかったので、どうしても入りたかった。リンゴ・雪・・・?そうです!私は青森産です!!
そして最後に、うちの高校はリンゴの収穫時には、リンゴ畑を持っている家の子は、休んでも公休になるし、「リンゴをとったら3日間の停学」と言う校則が、本当にありました。



2001年12月02日(日) サンタクロースの不思議!

昨日自分で日記を書く時、1201って打ち込んだにもかかわらず、12月に突入していたのネ・・・って今更実感した。街にクリスマスツリーも増えてきたし、
私の小さい頃は、お正月・誕生日は盛大にやってたけど、クリスマスって言うのは
特にツリーがある訳でもない家で、でも何故か、サンタクロースの存在に関しては絶大で、私は小学校三年生までサンタクロースの存在を信じていた。うちのプレゼントの置き場所は、かわいく枕もとの靴下・・・と言う訳ではなく、外の小屋の中だった。今思えば、親が帰って来ると同時にプレゼントがあるんだから、気がついてもよさそうな物なんだけど・・・
 んでその年のクリスマスに、6つ上の姉に
「まだ信じてるの?じゃあ今日小屋ん所見てなよ」と言われ、プレゼントを仕込んでいる母親を発見してしまい、かなり悲しい思いをした。何故か真実を語った姉を恨んでしまった。
でも不思議マークが付いていたのは事実で、なんで私の欲しい物がいつもわかるのか?とか、親が「サンタが来た!プレゼントがもうあったよ」なんていつも言ってたんだけど、そのくせ雪の上に残っている足跡がいつも1人分だった事とか、疑問はあったんだけどネ・・・でも「サンタはすごい!」と言う事で、すべての疑問が打ち消されていた。しかもそんなに説得力のある答じゃなかったにせよ、そんな事、どーでもよかったんだから・・・
こうゆう事を知って行く事も、大人になるって言う事なのかなぁ・・・?



2001年12月01日(土) 「土曜日の実験室!」by原田知世

今日は4日ぶりに午後入りです。でもラストまでなんだよなぁ
うちの店は地下だから携帯がつながらないし、座る所もないし、今は気もつかってるからクタクタになる(携帯の電波は関係ないけど)

私最近カレー臭(しゅう)前はカクレンで働いた事がある人ならば、一度は体験するカクレン臭(しゅう)でいっぱいだった私。カクレンでバイトが終わって、そのまま芝居なんぞに行こうものなら「私って客席で主役?」って思ってしまう程・・昨日バイトから帰ってくる時、冬の匂いにマジって、まさしくカレーの匂いがしたのは、私だと思う!!
冬の匂い・雪の匂いって皆に言うと???になるけど、雪が降った時の雪の匂いって絶対あるって・・・空気が澄んだ匂いって言うか、うまく表現できないけど。
私はよく匂いで‘デジャブ‘になる。「時をかける少女」じゃないけど、
その時・その場所に一瞬、行けたらいいのになぁって思う。

カレーの匂いって事は、どこに行くのかな?
なんて非現実的な事を考える暇があったら、
カレーの種類を覚えろー!!


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fumika [HOMEPAGE]

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