almanac of the wind







2001年02月28日(水) 「障害者」について。



さっきまで、
「2月」についてかこうと思ったんだけど、
急遽変更です。

数時間前、高校時代からの友達から電話が来ました。
「どうしても不安でしかたがない」旨。

彼女はもう数回某教員試験を受けてるんだけど、
ことごとく落ちている。
実力も運も確かに有ると思う。
教員試験は数百倍の倍率だし。
ただ、彼女には「障害」というハンデがある。

彼女の障害は障害というには難しい程度の物です。
一応障害者手帳を持っているというくらいで、
知らない人には手を怪我しているんだくらい解らない人。
でも、面接では毎回イの一番に聴かれるそうです。
「手に障害があって、本当に教師としてやっていけますか?」
‥‥彼女をの意志を試してるのかも知れない。
でも、この質問は毎年聞かされる度、
彼女にも、わたしにも、余りにも残酷にひびきます。

「障害」ってなんだろう?
こんな事に出会う度、自問する言葉です。

ベストセラー作家乙武氏が「五体不満足」でかいていたこと。
「障害は不幸ではありません」

わたしにとっては(最低でも肉体的障害は)
ちょっと面倒なこと。
でしか有りません。
わたしが5秒ではく靴を20秒かかって履くだけのこと。
人生秒単位まできりつめることはない。 
そのあいだ、深呼吸でもしてればいい。
そうすれば、頭もすっきり冴えてくる。

目に見えない障害者もいる。
腎臓透析を週に何回もうけている人は、
静かに立っている限りは、
健常者(この言葉ほんとはだいっ嫌い)とかわらない。
つい先日の夕刊にのっていたことだけど、
20歳代のじん臓病患者さんが地下鉄で余りにも疲れてしまい、
だけど、地下鉄内で座る所がなく、
シルバーシートに座っていた所、
年配者に罵声を浴びせられたそう。
ちょっと注意してみれば、顔色が分かっただろうに。
ほんの少しの気配りが、一人を済う。
(救うとは使わない。わたし達は神様ではないから)

一気に書いているうちに、少し気持ちがおさまってきました。
もっと他に書きたいことは有るんだけど、
(たとえば、知り合いの障害者の事とか、
販売してたときの知人とか‥‥ほんといろいろ)
それはまたいつか又ということで。

今書きたかったのは、
「障害は特別なことではない」
ということ。
何か意識しないといけないことでもないし、
差別なんて論外だということ、それだけです。





2001年02月27日(火) 「こさかな&ピーナッツ」について。



昔は大嫌いだったのに今は大好きなものって、
けっこうない?
わたしも御多分にもれず何個か有ります。

その顕著な例が、小魚&ピーナッツのおつまみ。

‥‥小学校1年の時はあのちいさな生き物にも、
「目が合っちゃう〜>_<;)」
と心底恐怖して、
口にいられなかったのは、覚えてる。


きっかけは、些細なことだったんだと思うんだけど。
親戚のお家で出されて、
絶対食べないといけない状況だったんだんだ、きっと。
田舎の親戚って、
出されたものは、「どんなものでも」ちゃんと食べなきゃいけないという、
信念の持ち主だから。

でーすーが。
なんだかとても美味しかったのよ!なぜか。

それからは、
「食べられる為にわたしの目の前にいるんだから」
とおもいなおして、
パクパクたべてました。

が。
最近、この小魚&ピーナッツが、スーパーでうってない!!
何でなの〜(泣)と嘆き悲しんでも、仕方ない。
郊外型スーパーでも、
他のナッツ類の中にちょこっと入っているくらいだったりして。
だから、ナッツはいらないんだってのっていっても、
分けてうってなんかくれないし。

致し方ないので、最近はワカサギの甘露煮とか、
おかずのつくだ煮や田作りとか食べてます。

カルシウム不足にはなりそうもないな、きっと。





2001年02月26日(月) 「お風呂」について。



あー、ほっかほかっ。
お風呂から上がったばっかりです。
お風呂大好き。

家にいることが多いと、
ふだんやれないことをやり出す傾向が多いらしく、
お風呂も例外にもれないのです。

顕著な例が、「日に何回もお風呂にはいる」!
温泉宿じゃけっこう当たり前。
温泉名所で勝手が許させるなら、
1泊2日で4回位は入りに行くだろうな、きっと。
ただ、御連れの人もいるから現実には無理だし、
温泉街って一応観光地だから、
外も歩かないと勿体無いだろうしね。
(浴衣で街を歩き回るのも、大好き)

で、いえでお風呂に入ることについてだね。

父の夜勤の時は朝にお風呂に入ることも有るので、
まず、その後に入る。
夕方頃西日と共にゆっくり湯舟に浸かる。
で、寝る前にもう一回お風呂。

……よっぽど閑人なんだな、と思われそうだな。
でも、よっぽど暇を持て余してないとできないので、
しょうがないか。

家でお風呂に入るときにすることで顕著な例は、
湯舟に浸かりながら本を読むこと。

自分の部屋では何だか気がちって読めない本も、
お風呂に持ち込むと集中して読むことができて、
長風呂も飽きずにいられて、ちょっと面白いです。

ただしこのときの掟は、
万が一捨ててしまっても惜しくない本を選ぶ。
湯舟の中で集中して本を呼んでいると、
うっかりして、本の角を湯舟の中につけてしまい、
ボロボロにしてしまったこともたびたび‥‥。
それでも、懲りずに本を持ち込む。
ついでに、顔のパックも持ち込む。(笑)

お風呂は自分と親しくできる
ワンダーランドなんだろうね。





2001年02月25日(日) 「トムヤンクン」について。



ただしわたしが作るのは、「偽トムヤンクン」(笑)

そう言えば最近作ってないな。
きっと夏じゃないからだと思うけど、
それをなんで今書いているのか?というと、
テレビで無国籍料理のことをやってたから。
(ああ、単純)

きっかけはなんだけっな?
○武百貨店で「トムヤンクンの素」を見つけたからだと思うな。
ここと○井(そのまんまやねんっ)の食品売り場は、
意味もなくさまようと変なものに出会えます。

で、トムヤンクン。
一応作り方書いてみよう。

大体2カップのお湯に、
適当に切った(薄切りが一番面倒じゃないと思う)
にんじん、玉ねぎ、エビに、
あればふくろ茸(これもソニプラとかにもうってるよ。
つるっとした妙な形のキノコ。
ないときは、椎茸かしめじをいれたこと有り)と、
上に書いた「トムヤンクンの素」をキューブ二つくらいいれて、
さっと煮て、ナンプラーを大さじ1くらいいれ、
(大きめなスーパーなら売ってる醤油の一種。
○ックハウスにもうってたぞ。ただし、魚臭いので注意)
レモンを1切れ絞り、
最後に三つ葉(ホントはパクチーという葉が良いらしい。
が、何ぶん高いし、ちょっと苦手なんで‥‥。)
を、ちらしてできあがりー!!パチパチ。

カッコの解説を抜かせば、5行くらいだよ、これ。
夏はこれにサフランをまぜてたいた御飯とひき肉のレタス包みで
ごはんにしてました。

こんなこと書くと、夏が待ちどおしいな。
いつかの夏には、この料理誰かに食べてもらえるかな?   





2001年02月24日(土) 「楽園」について。



最初に聴いたのは、
CMで江角マキコが口ずさんでいたやつ。
あれって、地方限定バージョンだってしらなくって、
東京の音楽詳しい子に聴いても
「わからない」っていわれて、
ショックだったんだよ。

あ、平井堅のヒット曲です。「楽園」です。

普段ヒット曲に興味を惹かれるタイプではないんだけど、
この曲の世界にはどっぷりはまりました。
ほんと、中毒。
聞きはじめなんてエンドレスできいてました。
おかげで、シングルの方は裏側なんかきたいないです(笑)

歌詞の事で喧嘩もしました、ワハハ。
最初に書かれた東京の女の子、彼女と解釈のちがいで。

彼女は、
「いつかまた 巡り合えたらこの場所で歌おう 
ってなってるから、
これは、別れ話のうただよっ。だって切ないじゃん」
といい、
わたしはわたしで、
「U&I 最後の日には きみとこんな風に身体を重ねていたい 
だから、
希望の歌でしょ?」
(こんなことで喧嘩するなよ、わたし)

皆さんはどうなんでしょ?
平井堅の楽曲解説なんていうものがよく音楽雑誌にのるから、
そうゆうのでも読めば良いんだろうけど、ね。

まるで「楽園」のような恋愛を経て、
お互いにたくさんの出来事があって、
ぼろぼろに泣いた日も、
恋愛より、自分の状況を選んでしまったこともある。
もしかしたら、
この抱き締めている夜が最後になるのかはわからない。
それでも、何かを求めずにはいられない。

なあんて思ったんだけど、
この考えはけっこう捻くれているらしい。
ま、いいさ。楽天的なかんがえだけどね。





2001年02月23日(金) 「雪の日」について。



雪の気配に目がさめた。
ちょっとカーテンが空いてたんだね、
寝ぼけ眼にあたたかそうな雪が見えた。
なんとなく「櫻雪」という言葉が浮かんで、
春が近いんだなあって思ってみたりして。

雪がふってたりすると、
何となく散歩してみたくなってしまって、
母の長靴を履いて、近所の公園まで歩いたりします。
で、歩いてみたんだけど、
櫻の花びらみたいな雪が肩に手に重なってきて、
何かに祝福されているような、何だか照れくさい気分になったり。
寒い日に暖かい気持ちになれる幸せを深呼吸してみたり。

缶コーヒーをかって、
しばらく公園のベンチにすわって、
ぼおっとして、
それから帰ってきました。

それにしても雪の日の朝は、
どうしてこうも、
しんとした静けさの中に佇んでいられるんだろう。

家の中で激しさを増してくる雪の模様を、
無言の中で感じてみた。







2001年02月22日(木) 「猫」について。



動物は好きです。
人間と同じくらい好き。
‥‥人と同類項にはならない「好き」だけど。

2月22日は「ネコの日」だそうです。
ニャンニャンニャンってことかい。うーん、単純。
でも、この単純な発想っていうのは、きらいではないです。

猫はかったことありません。
でも、親戚が飼っていることが多いので、
触れあう機会は、そんなに少なくはないと思うな。

ただ、一言でゆうと、「猫はフィクション」

飼ったことがないわたしがいうのも何なんだけど、
挨拶されても、一緒に遊んでいても、
猫ってすごく遠い。気がする。
一切を交われない、
かたくなな線があって、
それを超えるのは、
きっと同じ猫であっても無理だろうという、
何だか哲学っぽい一面がある。

例えばわたしの知人の猫は、
玄関に「おじゃましまーす」とはいると、
彼女は(猫はとはかけない)
必ず、わたしの右足から左足に8の字に抜けて挨拶をし、
どこかに消える。
次に姿を見れるのは、
わたしのカバンの上にねッ転がる(!!)時である。
そのときに触ってみてもびくともしない。
何だか遠いなあ。と、つくづく感じる。

そういえば、猫には「眠る」という才能がある。
ほとほと呆れるくらい、猫は眠る。
わたしにとっては至極うらやましい話。
体の不調のせいで、不眠症の一歩手前まで
歩いていってしまったことのあるものにとっては、
「眠る」とこが、とても暖かく感じる。
きっと、眠たいと思うことが、
幸福感に近いことだからだと思う。
(違う人も知れないけど、そこはあしからず)

いちど飼ってみたら?
なんていわれることもたびたび。
でも、
心理上の理由以外でも、きっと猫はかうまいと思う。

猫はかわれて生きる物ではない、
かも知れないと思うから。
謎がおおい、猫。
だからこそ、またさわってみたいなんて思うのかな? 





2001年02月21日(水) 「お休み」について。



久し振りのお休みの最中です。
(ロンバケふうにゆうと、「神様のくれた休暇」BYセナ)

4年間、本当突っ走ってしまった感じでした。
人によっては「そんなの働いているうちに入らないぜ」
っていうひとも、いるでしょうが。
そこは、人の感じ方次第ということで、
くわしくは書きませんが、
突っ走り過ぎて、転んじゃったんでしょう、わたし。

で、ともかくも、今はお休み。

なるべく予定というものを組まないように生きてます。
その日、
「わたしは今なのをやりたいのか?」
と自問して、
人の御迷惑にならない程度には、自由にしてます。

4年間はずっと、頭の中は仕事だけだったから、
本当はちがうことの為にはじめたことだったから、
一旦からっぽにしなければ、何も動けない。

ゆっくり、ホントにゆっくりだけど、
クシャクシャになったYシャツをのばすように、
気持ちをのばしてみて。。

ただ、
「一番」についてだけは、考える事を忘れないようにしてるかな。

なぜ、いきてるのか。
なぜ、このことなのか。
なぜ、いまなのか。

理由ではなく、
感情のようにわいてくるように。
役に立つからとかのものさしではなく、
自分が求める対象であるように。

まだ、時間はかかるかも、知れない。
でも、いつかは休暇は終わるだろう。
それにあせることなく、添う生活をしていたい。
今はそんなことをつらつら考えてたりするんだ。





2001年02月20日(火) 「履歴書」について。



仕事さがしの事始めになるのが、履歴書。

企業によって書く欄が微妙に違うのは、まあ、わかる。
ただ、この履歴書で何が解るんだろう?
と、とても考えてしまうのもあって。
こんなこと考えるのも、
かつて自分が人を選択(この言葉いやだな)しなければいけない、
そんな立場だったこともあったからだなあ。

正直いって履歴書や面接位じゃ、
人間性は感じても、仕事に向いているかどうかは解らない。
もちろん人間性がほとんどを占める職場なら良いんだけどね。
どうしても、
技術というものも必要になってしまうこともあるし、
運もある。

人が人を選ぶ、この矛盾に疑問を持ちつつも、
それに慣れなければいけないときもある。

証明写真の中のわたしを見てみる。
何か嘘っぽいなあって思ってみたりして。

ま、今度の仕事は虚構にならないように。
いまはそれだけです。





2001年02月19日(月) 「うまれかわり」について。



『つくも神』の事をちょこっとかいたからかな?
『生まれ変わりとかに詳しいですか?』なんてゆうメールがきました。
‥‥すいません、わかりません。

前世というものはきっと信じてないと思う。
だって、よく前世の罪をうんぬんなんていうじゃない?
それはいやだなあ。
前世は違う人じゃない?
その罪を何で他人のわたしが背負わないといけないの?
どうも納得行かない。

でも「うまれかわり」というのはロマンチックで、好き。
(なんじゃそりゃ)
何かの拍子で、同じ魂のことを感じたとしても、
それは、
あくまでもわたしの感情であって、
記憶なんじゃないのかな?
逆にいうと。
デ・ジャ・ヴュっていうのも、
わたしという魂の記憶なんだとおもうんだな。

つかめそうでつかめないものって、
魂に関連あるかも知れないね。
あまりそうゆうものを信じる方ではない、
とおもうけど。
ある。ということは、納得するようにしてる。
見える人と見えない人がいるだけで。ってね。

人と出会ったとき、「気があう」とかいう。
それも、何回か生まれたぶんの魂の積み重ねだったりしてね。






2001年02月18日(日) 「マグカップ」について。



コーヒーをよくのみます。

その時期によって、
紅茶や中国茶や緑茶やダイエット茶(笑)と、
飲み物に関しては、比較的同じ物が続く傾向があるんだけど。
しかも、最近は家にいる事が多いから、
朝に二杯。
十時に二杯。
昼に二杯。
三時に二杯。
夕食後に二杯。
なんて、家の中で平均十杯程度も飲みつづけてしまう。

と、すると、どうなるか?
わたし愛用のマクカップが、
(ちなみに白地にこっくりした桃色の格子柄が縁に描かれている)
悲劇に陥る(笑)
真っ白だったはずのマグカップが、何度洗っても、
薄茶に染まっていってしまう。
わたしにとっては、
とても悲しい。

でも、物の命なのだからとおもって、
あたらしいマグカップを探し求めても、
なかなか
「これっ!」
というものには出会えないんだなあ、これが。

わがままはいってないつもりなんだけど。
白地か玉子色で、
無地じゃ寂しいから、シンプルな絵か模様が入っていて、
ちょっとたっぷり入る感じで、
少し重みがあって、
全体的にまあるい感じで、
‥‥わがままか。

食器には、100年使い続けると
「つくも神」
という憑き物が付く、
という言い伝えがあるらしい。

毎日、人に触れるものだから、
きっと心が入ってしまうんだろうな。
迷信というものをそんなに信じる方ではないけれど、
何となく、肌で感じるものがあるな。

という事で、今使っているマグカップとは、
もう少し付き合う事になりそうです。





2001年02月17日(土) 「グレートブルー」について。



あまりにも有名な映画ですネ。
「グレートブルー」

公開から、もう何年経つのかな?
でも、ふだんあまり映画を見るタイプではないわたしにとって、
(ビデオはみるよ。映画館に足を運ぶ事が少ないけど)
ちょっと特別なものです。

内容は知っているひとも多いだろうから、
(もしくは説明したら薄っぺらなものになってしまうから)
ここには書かないけど、
今日久し振りにサントラCDをきいて、
北海道はこんな雪の中なのに、
あの大きな海を想像してしまって。

ただひたすら海の青の中に抱かれて眠るのなら‥‥。

曲をつくっているエリック・セラもすき。
とても深い音楽を作ってくれるひとだな、
一人か、自分と心許せるひとと二人っきりで聴きたい感じ。
そのまんま、ちゅうとかしたりね(殴)

気持ちが揺れるのを振り子の速さにしてくれる、
そんな静けさを。





2001年02月16日(金) 「スポンジケーキ」対「シフォンケーキ」



即解答で
「シフォンケーキ」
に軍配です。
単に軽い口当たりが好きなだけなんだよね、きっと。

でも、どっちも自分で焼くのはへたなので、
(お菓子全般に作るのは下手です。うう。。)
ふわっとしたの食べたいとかおもうと、
食べに行くのも面倒で、
近くの六花亭いって紅茶シフォンかってきたりして。

「スポンジケーキ」もすきなんだけどな。。
甘ったるくないスポンジケーキを知ってるひと、教えてくだされ。







2001年02月15日(木) 「おやつ」について。



毎月15日は「お菓子の日」なんだって知ってた?

わたしが小学生の頃には、
お祭などでもらうお菓子袋の宣伝欄に書いてあったりしていたから、
歴史がある記念日なんだろうなあ。
でも、由来も何も知らないや(笑)

好きなお菓子はいっぱいあるな、基本的に甘いもの好きだから。
イロイロあるけど、

シブストにプリン。
あずきアイスにレモンシャーベット。
くずきりにぜんざい。
六花亭のシフォンにデメルのチョコレート。
ポッキーに龍角散のど飴。

…似てるものどうしであげてみようとおもったけど、
上にあげたものは、
わたしにとっては絶対外せないお菓子の味覚なのよぉ。
特に思い出に繋がる味覚が多いから、
絶対なくしたくないものなんだろうなあ。






2001年02月13日(火) 「はじめて」について。



そこそこ長く生きて来て、
「はじめて」も何もあったもんじゃないって思ったりしたりしてない?

自分に対して聴いてみる事がけっこうある。
そうゆうときは気持ちが疲れているときが多いかな。
いつも同じ日々、同じ仕事?
うーんって思う事ってないとは言えない。
特に今は家にいる事が多いから余計に考えてみる事がおおいね。

そんなときは「はじめて」を探してみたりして。

知らない本をよんでみるとか。
あたらしいハンカチおろしてみるとか。
食べた事ない物をつくってみるとか。(これは失敗した事あり。汗。。)

ドキドキしてたいじゃない?
ずっとじゃ疲れるけど、
一日一善みたいに一日一回くらいは。ね。
どんな事でも良いんだ、本当は。
ちっちゃな事で十分、
毎日が笑顔で過ごせますようにってかんがえる。
そうしないと、しわが増えちゃうから(笑)





2001年02月11日(日) 「almanac of the wind」について。



この場所は
2001.02.11〜2001.10までは毎日書いていた、
今はなき(笑)「AND SO IT GOES」内の文章を移行して来たものです。
各コンテンツに振り分けたもの
(cocktail pin です)もありますので、
全部の日は移行していませんが。。

2001.10まで書いていたと言うことは、
本来ならば、
一時眠っていた期間の2001.11が空白になるべきなのでしょうが、
全ての出来事は2001.10に起きたこと。
だと判断していますので、
2001.10も空白となるわけです(笑)

これまでの日記とこれからの日記を分別しようかな?
なんてことも、ちらっと考えたのですが、
「わたし」は「わたし」だという事実は消えないし、
3ヶ月更新されないと、
削除されるそうなのでもったいないし(汗)

2001.12からは不定期更新として、
ゆっくりと書いていきたいと考えてます。



‥‥見守ってくれますか?








2001年02月08日(木) 「日記」について。



「日記」は、
苦手なものの一つだったはずなんだよね。

交換日記や、手帳に一行ずつその日の事を書いたり、
ちゃんとした日記も、書いた事あるけど。。
     
ただね、
日記をかくじゃない?
そうすると
そこに書かれた「わたし」は、
もう「わたし」じゃない気がしてた。
いつもいつも。
ノートや手帳やそんな紙のうえに描かれた「わたし」は
もう違う「わたし」たと。

それが最近まではとても恥ずかしかったし、
いたたまれなかった事もある。

でもね、
ちょっと考えを変えてみようかな?
なんてね。
違う
「わたし」
に、
真っ向からむかいあったら、
楽しいかも知れないって。

未だ出会った事のない「わたし」
こんにちわ。
そして、
これから出会うかも知れない「貴方」
よろしくね。






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