Opportunity knocks
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2003年08月31日(日) 無題

 午後。つれあいが「アパートの鍵貸します」を観ていた。
つられて一緒に観ていると、突然わたしの顔を見て連れ合いがひとこと。

「結婚したばかりの頃は(もちろん若い時の)シャーリー・マクレーンに似てたんだけどなぁ。」

似てたんだけどなぁ・・と言われても。ねえ。

 それはともかく、「アパートの鍵貸します」って良い映画だなあとつくづく思う。シンプルで、おとしどころがちゃんとわかってて、観た後もへんな後味が残らない。

 映画観ながら、(ジャック・レモンのこと)んもうばかだなあ→でもいいやつだなぁ→あーでもやっぱりばか→んーっでもでもやっぱりいいやつー・・・なんて独り言をぶつぶついってたりする。つれあいに、もーうるさいなあと文句を言われてたりする。そんな午後。


2003年08月30日(土) 無題

 ねじまき鳥読みながら(まだ読んでるのです)人生は不確定要素に左右されながら作られていくものか、自分の力で作り上げていくものなのかということを考える。
それと同時に、人生は不公平でかつ不条理なものだと言い放った人間のことも考える。

 どこか暗いところからのびてくる長い手の存在を感じつつ、人はただ一生懸命に生きていくものなのだろう、きっと。


2003年08月29日(金) 誕生日

誕生日。
仕事の帰り、自分のためにひとつ香水を買う。
ブルガリのBLV。
青いパッケージにひかれて買ったのだけど、
なかなか良い感じの匂い。小確幸。


帰って来たら素敵なプレゼントが待っていた。
誕生日ってやっぱり良いものだなって思ったよ。
ありがとう。


2003年08月28日(木) わたしのきらいなつれあい

集中して本を読んでいるのに爪切り(あるいは新聞あるいはエアコンのリモコン)はどこかとしつこくきくつれあい。

夕食後せっかく台所を片付けたのに小腹がすいたといって夜食をつくり流しの中を汚くするつれあい。

輪切りにした胡瓜を残すつれあい(千切りだとだべる)

とても気に入って買ってきた洋服を酷評するつれあい。(似合わない、形が悪い云々)

家の中を自分の私物でいっぱいにするつれあい。

朝の忙しい時間に長トイレをするつれあい。

「真夜中のカウボーイ」を一緒に観ろ、と強要するつれあい。

人の話をきかないつれあい。

靴下を裏返しにしたまま洗濯かごのなかに入れるつれあい。

わたしの本棚から勝手に本を持ち出し学級文庫の本にしてしまうつれあい。

夜(10時くらい)一緒に映画(VTR)でもみようかと言おうとした矢先にいまから出掛けてもいーい?と猫なで声をだすつれあい。

まだまだあるけどとりあえず。



















2003年08月25日(月) 書くこと

 このところ日記を書く気になれなかった。
言葉はわたしの中に深く沈んでいてまったく浮きあがってこなかったし、強いて浮きあがらせようとする気にもならなかったから。

 こうやって文章を書く事について、ある人はそれを排泄と例えたけど、わたしにとってこのように書く事は何というか、深い井戸に降りていくような行為だと思っている。自分が何を感じているか何を考えているか何を望んでいるか、などなど、そういうものをしっかり確認するために書いている気がする。自分をしっかり把握するために書いている気がする。でも最近はあまりそういう気持ちになれなかった。自分が今どういう状態であるか、特に興味がなかった。次から次へといろんなことがあって考える時間がなかったからかもしれないし、感受性というものが少しずつ磨り減っていて何の感興も起こらない状態だったのかもしれない。とにかくわたしの気持ちはわたしの内側には向いていなかった。
 で、今はというとまた少しずつ書いてみようという気になっている。少しずつわたしはわたし自身のことを考え始めている。
 
 自分を確認すること、自分を把握することにどれだけの意味があるのかはわからないし、それをすることによって自分ははたして前進しているのか後退しているのかも、正直いってよくわからない。でも少なくとも無駄にはならないのだと思う。




2003年08月10日(日) もっと大事にしてあげればよかった

一週間前のこと。
車が壊れた、と連れ合いから電話がかかってきた。海水浴(コドモとふたりで行ったのだ)の帰り、高速道路を走っているときに突然止まったのだそう。
某ト○タのディーラーに持っていって(連れ合いのお兄さんがすぐきてくれて牽引していってくれた)みてもらった。すると信じられない言葉がかえってきた。
「エンジンがもうだめになっているので、廃車にするかエンジンを載せかえるかのどちらかになりますね」

えっと、新車で買ったんですが。まだ初回車検も済んでないんですが。

自体がうまく飲み込めないわたしは呆然としながらも整備の方の話しをきいた。とにかくエンジンオイルを交換しなかったことが一番の原因だとのこと。まさか買ってから一度も変えてないの?と連れ合いにきくと変えてない・・との返事。撃沈。


昔から車をこよなく愛する家族ではなかったと思う。わたしも連れ合いも。
ただ乗れさえすればいい、動けばいい、と、車を大事に使ってあげることに関してほんとうに人並み以下だったと思う。
でも、エンジンオイルを交換してないくらいで、エンジンというものはそんなに簡単に壊れてしまうものなんですか?それも買ってからまだ2年しかたってないのに?
それがねえ、壊れてしまうものなんですよねぇ、とディーラーの方。
保障も一切きかないとのこと。
あーもうこれからどうするのと目の前が薄暗くなった。
それから一週間。
何らかの理由で廃車になった同型の車のエンジンを載せかえるとのことで、廃車にはせず修理することに決まった。はじめは50万くらいかかると言われたのだけど、なんとか20数万くらいで修理できるとのこと。

はぁ・・。それにしてもためいき。
これからはもっと車を大事にしてあげよう、車の身になって考えてあげようと堅くこころに誓ったのでした。



2003年08月09日(土) 台風接近

台風直撃の朝。雨合羽を着て仕事にいく。
海のそばなので南西からの風がかなり吹くのだけど、今日はいつも以上にすごかった。いろんなものが風にまかれて転がっている。プラスチックの植木鉢、空き缶、折れた木の枝、子供のおもちゃらしきゴムボール、などなど。

仕事場は台風最接近の時間帯にも関わらず予定以上の患者でいっぱい。
キャンセルが相次いでのんびりできるといった目論見はあえなく破れ、お昼近くまで忙しかった。

午前の診療が終わって、食事のため外に出ると灰色の雲が速い速度で動いていくのが見えた。明日はすばらしい青空が見られるんだろうな。


2003年08月06日(水) だいじょうぶだから

結婚する前から家族ぐるみで付き合っている友達が今日、肺癌の手術を受けた。
一日、落ち着かない気持ちだった。
いつもと変わりない日常。そして友達もいつもと同じ日常を過ごしているはずだった。でも今日友達は肺がんの手術を受けている。

肺癌ときいたとき、とてもショックだった。父が肺癌で亡くなったので、肺癌という病気がどれだけ惨い病気であるか知っているからだ。その人は夫婦で小さな洋食屋兼BARをやっている人で、ほんとうに昔から数え切れないくらいその人の作る料理をたべて、数え切れないくらいいろんな話をしてきた。ビーフシチューの作り方を教えてもらったり、自分では抱えきれないものを聴いてもらったこともある。自分では絶対に弱さを見せない人で、いつも誰かの話をきいてあげたり、元気を与えたりしてくれていた。

見舞いは無用だと友達は言う。良くなったらまた店をやるからそのときにまた顔みにきてくれよ、という。
わたしが彼の顔をみても、励ますことなんてたぶんできないだろう。痩せこけてやつれた顔を見てショックを受け、何の意味もない言葉をかけてしまうのが関の山だろう。わたしができることなんてほんとうに何もないのだ。

7月の半ばに手術のことをきいてから、子供と一緒に千羽鶴を折っていた。邪魔にならないように小さな紙で一枚ずつ丁寧に。そしてやっと昨日、千羽折り終わって、糸に通したものを友達の奥さんに渡した。かける言葉がみつからなかったけど、だいじょうぶだから、きっとうまくいくから、という気持ちをこめて鶴を折ったその気持ちは、たぶんどこかにつうじると思っている。





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