Opportunity knocks
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2002年03月31日(日) 無題

オースターの「孤独の発明」を読み進めているのだけど、
文章のひとつひとつを消化吸収するのにかなりの時間を要しているため
まだ物語の半ば、という状態。
決して難解で、というわけではないのだけど、読めば読むほど底が見えなくなる
というか、1つの文章を読んであることを理解する→するとそこからまたある疑問がわいてくる→また思案にくれる・・といった感じで、同じ所で足踏み状態に陥ることがしばしば。
それだけオースターの書く文章が深いということなのだろうと思う。
いや、それともたんにわたしの頭が悪いだけなのだろうか?
やれやれ。
もっと出来の良いアタマがほしい・・。

出来の良い頭、といえば、再来週は科目最終テストがある。
いつも、ほんの少しの時間しか勉強できてないのだけど、
さすがにテストということで、本腰入れてやりはじめている。
ヤマをはってみたりもしたのだけど、外れる可能性が高いという
友達(事実大はずれで再試験を受けることになったらしい)の
忠告を受け入れて、いちおう全体的に勉強していくことにした。
大体、高校生時代も専門学校生時代も、ヤマがあたったなんてことは
滅多になかったしなぁ・・・。
どうか一発で合格しますように。。








2002年03月30日(土) なんとか

一夜明けて、時間がたって、かなり冷静にモノが考えられるようになった。
というかほとんど開き直りに近いのだけど。

学費のこともなんとかなりそう。
一時はCartierの指輪(我が家でもっともオカネになりそうなモノ)を質屋に
持っていこうかと考えたりもしたのだが、どうやらそこまでしなくてもよさそうな感じ。

今日は図書館にいって、また本を物色してきた。
そのついでに、「毎日のおかずを500円で作ろう特集!(BY 主婦の友)」
なんかも熟読してきた。(この際タダで利用できるものはとことん利用しようと
決意をあらたにしている)
考えることを厭わなければ、お金って節約できるものなんだな、と思う。

・・・なんだか、能動的になっている自分が可笑しい。
というか開き直りがはやい、自分。



2002年03月28日(木) 真夜中の電話なんてだいっきらい

夢を見ていた。
夢の中でわたしは机に向かって、何かを書いている。
ふと後ろを振り返って見ると、死んだはずの父親が立っていた。
「何を書いてるんだ?」 と父親は言った。
「小説を書いてるの」 とわたしは言った。
しばらくするとどこかから電話のベルが聞こえてきた。
家の電話器からでは無く、どこか隣家で鳴っているベルの音だった。
隣家の人が電話をとって、何かを話している。
あまり良くない知らせだったようだ。
悲嘆にくれたような隣人の話声が聞こえてくる。
すると、まもなくまた電話のベルの音が聞こえてきた。
今度はすごく近くで聞こえる。
家の電話だろうか?
電話にでなきゃ、と動いた瞬間、現実に引き戻され目が覚めた。

実際に電話のベルがなっている。
時計を見るともう1時近い。隣をみると連れ合いはまだ帰宅してなかった。
ぼんやりしながら受話器をとった。
連れ合いからだった。

「たいへんなことが起きた」 
緊迫したような落胆したような連れ合いの声がきこえた。

「なに? たいへんなことって」
ぼんやりしている頭を無理に働かせながらきいてみると、どうやら車上狙いにあったらしい。警察にいって被害届をだしてきたという。
車の中に置いておいたノートパソコンと現金を盗られたと連れ合いは言った。

・・・よくわからない。。
まだ頭がぼんやりしていて話がうまく入ってこない。
話を聞きながら順を追って、ゆっくり考えた。

ディズニーシーから帰ってきたその日の午後おそく、連れ合いはノートパソコンに使う外付けのMOドライブを買いに街へ出掛けた。(ノートに入っているイラストレーターやフォトショップのデーターが重くなってパソコン内の容量が少なくなったため)
そのあとミレー展を見に行き、知り合いの店で食事をし、車を止めた駐車場に戻ってみたら、車内が荒らされノートパソコンと買ったばかりのMOドライブと現金の入った封筒がそっくりなくなっていた、という。

・・・・ちょっと待って下さいね。
現金が入った封筒って何ですか?
嫌な予感がした。

「おまえの大学の学費、銀行から下ろしてきたやつそっくりそのまま盗られちゃった。。。」

とられちゃった、って・・・・。

それ以上何もきく気になれず、ぼう然自失のまま受話器を置いた。

そんなわけで、今我が家はたいへんなことになっている。
連れ合いは落ち込んでるし、わたしは怒り心頭状態だし。。

パソコンはまあわかる。ノートとはいえ、あんな重たいものを持って
繁華街をうろうろしたくはないものね。
が、しかし、かなりまとまった現金をなんで車の中に置きっぱなしにしておくんでしょうか? ・・・理解に苦しむ、ほんとに。
連れ合いは結構こういうところがある。
ふだんいろんなことに気を付けてる(と自分では思っている)人だけど
小さいミスをあまりしないかわりに、ここぞというときにかなり致命的なミスをするのだ。

今回のミスはかなり手痛いミスになってしまった。
連れ合いは学校関係のデーターをまた集めなくてはいけないし、
わたしはわたしで、1年分の学費および新しいノートを買う(もちろん買うらしい)お金をどこかから捻出しなくてはならない。

ため息ばかりでて、呼吸困難になりそうである。

世の中って不条理だと思いませんか?


2002年03月25日(月) イベント前夜

明日はディズニーシーにいく予定。
いろんなことをがんばる事ができたら連れていってあげると
以前からコドモと約束していた。
まあまあがんばったかな、と思うので今回連れていってあげることにした。

コドモは、(いつ連れていってもらえるか分からないにもかかわらず)暇さえあればいつもディズニーシーのHPをチェックしていたので、どこに何があるのかとか、レストランの名前もすべて記憶しているらしい。
明日は僕のいうとおりについて来て!とすごく得意げ。

明日は晴れるといいな。
というわけで、東京(正確には千葉県)、いってきます♪


2002年03月24日(日) 心の旅

夜、BS11でやっている「世界、わが心の旅」を見た。
今回の旅人は、夏目房之助さんだった。
マンガコラムニストであり、夏目漱石の孫にあたる人。
かつて漱石が留学していたロンドンへ行き、
祖父である漱石の足跡をたどるという内容だった。

家でとっている新聞にも時々彼のコラムが掲載されていて、
文章と漫画は結構前から読んだり見たりしていたのだけど
漱石の孫にあたる人だというのは、今回はじめて知った。
夏目という姓は珍しいほうだから、今まで結び付けなかったのが
不思議なくらいなのだけど、なぜか気づかなかった。
夏目さんは、ことあるごとに祖父と自分とを比較されることに
対してかなりナーバスになっていたと番組中に言っていたから、
たぶん意識的に、自分と祖父である漱石とを切り離しながら
作品を作っていたのだろうと思う。

夏目さんは、かつて漱石がたどった足跡をゆっくり見てまわりながら、
自分が祖父に対して持っていた隔たりのことを番組の中で話していた。
文豪の孫というプレッシャーはかなりのものだったらしい。
確かに自分というものを確立するためには、自分との間に1つの大きな
しきりをたてることが必要だったのだろうなと思う。

でも、今はまた少し違ってきていると夏目さんは言っていた。
以前より漱石が身近に感じられるようになってきたという。
自分というものが確立されてはじめて彼は、漱石の孫であるということを
受け入れることができたのだろう。

なかなか素敵な人だった。
連れ合いが、あんなかっこいい中年のおっさんになりたいなあ、というので
無理だとわかりつつ、うん、がんばればそうなれるかもしれない、
といっておいた。
少しでも近づいてくれると良いなあと思う。。





2002年03月23日(土) 女って。

髪を切りに行った。(Kさんの書きこみの影響をもろに受けて)
いつも決まったところに行っているのだけど、今日は何だか違うところに行きたい気分だったので、前から気になっていたところへいってみた。
見かけは、広くて明るくて、美容院というよりはトレーニングジムみたいなところだったのだけど、なかなか雰囲気が良かった。BGMも静かだったし。

カット名人はいなかったけど、カット前に入念なカウンセリングをしてくれたので、意志の疎通でもってかなり名人の仕上がりに近づいたのではないかと思う。
自分の頭の形や髪質、どんなタイプのトリートメントが合うか、スタイリング剤はどういうものを使えば良いか、などなど細かく教えていただいた。

そんなことをうんうんと頷きながら聴いていると、いかに自分がそういう美容関係について無頓着であるかということがよくわかった。
友達の中には、肌に良いから、髪の毛に良いから、といって10000円近くもする美容液やら、トリートメント剤やらを惜しげもなく買う人もいる。
それに比べてわたしなんか、スキンケアもリップもマスカラも殆ど無印だし
とくにブランドもこだわっていない。肌が比較的丈夫だということもあって、
コスメ関係に使うお金は普通の人の五分の一以下だろうと思う。

そんな感じでずっと過ごしてきたのだけど、ちょっと見なおさなければいけないのかなと、少し思った。
でも、自分の中の優先順位として化粧品関係はかなり下位にランク付けされているので、やはり一本10000円もする美容液なんかは買わないだろう、というか買えないだろう、たぶん。
そんなお金があったら、本を買ったり、CD買ったり、一本でも多く映画見にいったり、したい。

うーん、女ってめんどくさいね。




2002年03月22日(金) ライブ

前から予約していたライブの日。
6時開場だというのに、5時過ぎになっても連れ合いが帰ってこない。
ようやく携帯電話で連絡がとれたと思ったら、家につくのが5時半くらいになるという。
ライブの場所は名古屋なので、車で出かけても電車ででかけても着くのに1時間以上はかかる。何であんたはこうなのよ、と帰ってきた連れ合いに怒鳴りながら、車をとばしてライブハウスに到着した。6時半。当然立ち見。

Dr・JOHN、知ってる人は知ってるが知らない人はまったく知らないピアニスト。ニューオリンズのピアノスタイル、つまりバレルハウスピアノの生き証人ともいうべき人。バレルハウスピアノというのは、バレル(樽の意味)が転がっているような安酒場で黒人たちがピアノを弾いていたことから呼ばれるようになった言葉。具体的に言うと、ジャズ、ブルース、ラテンの要素が合体したような感じ。
アメリカ南部の気候を思わせるようなゆっくりしたうねりのあるリズムと、気だるそうな歌声など、これもまた好き嫌いが別れるところで、好きになる人は好きになるし、そうじゃない人はライブなんかには絶対こない。

うちの連れ合いはこのバレルハウスピアノが好きで、この人の楽譜なんかをわざわざ取り寄せて家で練習している。今日のライブも、わたしそっちのけで最前列にもぐりこみかなり盛りあがっていた。

わたしは連れ合いほど思い入れがないので、音楽を聴きつつ、壁にもたれながら周囲の人の様子を観察したりしていた。たてのりの人、横揺れの人、頭を振る人、膝でリズムをとる人、などなど、リズムの乗り方も人それぞれで見てると結構おもしろい。最後の方はバンドの方ものってきて、すごく盛りあがった。楽しかった。



2002年03月21日(木) 共同通信の村上さんの特別寄稿を読んで

共同通信の、村上春樹さんの特別寄稿を読んだ。
読みながら、もう7年もたったんだなと少し驚く。

7年前の3月20日の朝、わたしはコドモと一緒に新宿駅にいた。
連れ合いの大学の卒業式のため、前日から東京に来ていたのだ。
わたしとコドモは、卒業式に出席する連れ合いを見送りに新宿駅にきていた。

連れ合いを見送ったあと、空いた時間にどこへいこうかと駅の中をコドモと2人でぶらぶら歩いていた矢先、「地下鉄内でテロ発生」というニュースが駅構内に響き渡った。一瞬何が起きたのか訳がわからなかった。ニュースする側も事態がうまく把握できていない感じだったし、すべての人が冷静さを失っていた。
何か普通ではないことが起こったのだと思った。

すぐ宿泊先のホテルに戻り、テレビのニュースを見た。
そこで見たものは俄かに受け入れられるようなものではなかった。
現実感がなかった。一瞬、どこか別の世界で起きた出来事のような気がした。
でも、それは間違いなく自分が住んでいるごく当たり前のこの世界で行われたことだった。そう思ったあと急激に恐怖感が襲ってきた。
連れ合いが大学から帰ってくるまで、金縛りにあったように動けなかった。

連れ合いが大学から戻って、わたしたちはすぐ新幹線に乗って名古屋へ戻った。
山の手線に乗っているときも、東京駅の構内を歩いている時も、新幹線にのっている時も、訳のわからない恐怖は頭から消えなかった。

あのときの恐怖と痛みはいったい何だったんだろうとよく考える。
たぶん、自分をとりまく世界においてそのような暗部が存在していたということがショックだったのだろうと思う。

「この世界には閉じられたサーキットがいくつもある」と村上さんは書いていた。
そこには、共生を求めず自らの世界を構築しその中で生きることを望んだ人達が存在している。
強固に作り上げた世界に住んでいるものたちに、今更広い世界にコミットせよと求めるのはすごく難しいことだろうと思う。
でもそれをこのまま放置しておくわけにはいかないのだろう。放置した結果、社会はより深刻な問題を抱えるに至ってしまったのだから。

彼らを自らの痛みとして許容しなければならない、と村上さんがいうように
わたしたちは「閉鎖されたサーキット」に対して手をのばしていかなければいけないのだろう。

それができたときにはじめて、あの時の恐怖感なり痛みみたいなものは癒されていくのかもしれない。






2002年03月20日(水) ユリイカ

”ユリイカ”がビデオレンタルされていたので借りてきた。

夜、コドモが熟睡してから、(最近わたしが観るものに対してやたら興味を示し、どんな意味なのだやら、どうしてこんなのを観るのかだのとしつこく詮索してくるので)ひとりで、(連れ合いは最近夜中にならないと帰ってこない)
ゆっくり観た。
(・・・前置きが長いなあ。)

はっきり言って凄い映画だった。あまりにすごい映画だったため、
感想を書こうと思っても全然まとまらない。
それだけ深く入りこんでしまったということかもしれない。

(自分で書いてて訳がわからない。。)

でも、かなり想像力を要求される映画だと思う。
余分な情報は一切なし。なにかを仄めかしたりもしないし、
なにかを提示することもない。
難しいといえば難しい映画なのだけど、いったん感じるままに見てみよう
と開き直ってみるとかなり入りこんでしまう、そんな映画。

ユリイカという言葉はもともとギリシャの言葉で、アルキメデスが金の純度を
測るための方法を発見した時に発した叫び声、というのが語源であるらしい。
要するに、I have found it!というような意味。

わかった、見つけた、というタイトルからして、誰かが何かを見つけたのだろう。
誰は、何を見つけたのだろうか? 何を理解したのだろうか?
見終わった後、そのことがすごく気になっている。





2002年03月19日(火) 流行

最近のファッション系の雑誌を読んでいると、
フォークロア、ボヘミアン、ロマンティックという言葉をよく見かける。
今年の流行のキーワードなのだそう。

シャーリングが入っているブラウスや、レース、フリル、フリンジのついたスカート、シャープなラインの中に仄かな甘さ、というのが良いのだそうだ。

それは別にいいのだけど、フォークロアだとか、ボヘミアンだとか、
あきらかに言葉としてきちんとした意味のあるものをこうしたイメージに
あてはめるのは、個人的にどうかと思う。

綺麗に着飾ったブティックのおねーさんが、
「今年のはやりわあ、ボヘミアンっていうかー、フォークロアみたいなー・・・」
なんて言いながら洋服を勧めてくると、思わず冷めた笑いを口元に小さく浮かべたくなってしまうのだ。

そんなのどうだっていいことじゃないと思えばそれで済んじゃうことなんだけど
そんなことにいちいちひっかかってしまうわたしはやはり偏見にみちた人間だということなのでしょうか?

ちなみに最近ちっとも服を買う気がしない。





2002年03月18日(月) 友達に勧めるとしたら

朝、友達から電話がかかってきた。
都合が良ければお昼ご飯でも一緒に食べよう、そういう内容の電話だった。
いいよ、と返事をして電話を切った。

その友達とはこの土地へヨメに来てからの付き合いだから、
もうかれこれ8年くらい友達関係が続いている。
毎日忙しく仕事している人だし、わたしもそれなりに忙しくしてるので
何ヶ月かに1回くらいしか会わないのだけど、お互い相性が良いのか、
少し間があいてもつい昨日会ったかのように気軽に話せる間柄である。

お昼。友達の職場まで迎えにいく。
トマトソースのパスタが食べたいということで意見が一致し、
それなりにおいしいパスタを出すお店へと向かう。
行く道々、どーでもいいようなことを楽しくしゃべりあう。

お店にて食事。
アンチョビとアスパラガスのトマトソースを頼む。
そとでパスタを食べるのは、考えてみたら久しぶりだった。
いつも、大抵自分でさっと作ったものを食べているので、
やはりちゃんとした料理人がつくるパスタはおいしいなあと、
当たり前のことに感動したりする。

帰り道、助手席に座った友達が車のドアポケットに挟んである
”ダンスダンスダンス”を取り出してぱらぱらとめくり、
「村上春樹読んでみようかな・・」なんて言い出した。
さんざんわたしが勧めてもまったく関心を示さなかったのに、
どういう風の吹きまわしだろう?
"ダンス〜”は羊を読んでない初心者にはかなりきついので、
なにかほかのを勧めようと、
「これは続きものだからちょっと読みにくいと思うよ。読みたいんだったらほかの貸してあげるけど?」というと
読んでみたい、今週中に家に取りに行くと言う。

それで今悩んでいる。
なにを貸せばいいんだろう。
初心者に世界の終わり〜はハード過ぎるだろうか?
やはり、デビュー作から順を追っていった方がいいのだろうか・・・。
でも、読みやすさからするとやっぱり、エッセイや短編じゃないだろうか。。
でも、ノルウェイの森も捨て難い・・・・・。
うーん、迷うなあ。

友達になにかを勧めるのは難しい。自分と同じようにそれを気に入ってほしいと
思ってしまうし、それなりに期待したりしてしまう。

でもやはり、期待したりしてはいけないんだろうな。
うーん、それにしても迷っちゃうな、んっとに。








2002年03月17日(日) 掲示板

を置いてみました。
カウンターの上のHOMEをクリックすると出てきます。
日記の感想だとか、日常のことだとか、
どんなことでもいいので、書きこんで頂けたらうれしいです。


※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

日曜日。
アクティブに動こうと週のはじめに思っていたはずなのに
結局何もしないまま1週間が終わってしまった。。

今週はもう少しましになるだろうか。
とりあえず、少しでもレポートが進むように勉強に集中しよう。
とりあえず、読もうと思って買って来たり借りて来たりした本を読もう。
とりあえず、とりあえず・・・・

・・・しかしなんでこんなに眠いんだろう?
眠ってしまえ、灰色猿が耳元でささやいた。

午後10時就寝。





2002年03月16日(土) スカパラ

最近、東京スカパラダイスオーケストラの新曲を聴いている。
仕事にいくまえの朝に聴いているのだけど、なかなか良い。

スカパラは何回かライブにいってるし、CDもいくつか持っている。
スピード感のある音の流れや、ゴージャスで少し胡散くさそうな
管楽器(トロンボーン、テノールサックス、トランペット)の音色が
すごく好きだった。
昔の音に較べるとちょっと洗練されすぎているような気がしなくもないのだけど、
それでも良いなぁと思う。
そして、奥田民生。
はじめてちゃんと彼の歌を聴いたんだけど、思ったより良かった。
というかすごく良かった。というかスカパラの音と相性が良いのかな?

少しはまりそうな感じ。





2002年03月15日(金) 唯一にして絶対的なもの。

朝、連れ合いが仕事に出かけていった後、ふとテーブルの上を見ると
お菓子の紙包みらしきものが置いてあった。

ふむ。これはきっとホワイトデーのお返しということなんだろう、そう思って
中身をあけてみると、中にチョコレートの詰め合わせと村上春樹さんの短編が入っていた。
チョコレートというのが笑えた。
クッキーよりキャンディーより喜ぶと思ったのだろう。
だてに10何年も一緒に暮らしてないだけあって、よくわかってるみたいだ。

春樹さんの短編は、「蛍、納屋を焼く、その他の短編」だった。
読んだことのあるものだけど、本棚の中には入ってない。
わざわざ本棚の中をチェックして買ってきたのだろうか。

蛍〜は2番目に読んだ春樹さんの短編。
ちなみにいちばん最初に読んだのがパン屋再襲撃。その次が蛍〜、
その次がノルウェイの森、世界の終わり〜、ダンス〜、カンガルー日和と続く。
羊3部作はだいぶあとになってから読んだ。
最初にダンス〜から読んだため訳がわからず、風〜から読みなおしてダンス〜も再読したのを覚えている。

蛍は読んだ時、激しく揺さぶられた。心臓がことことと大きな音をたてた。
パン屋再襲撃を読んだ時に漠然と感じていたものが、はっきり形作られるのが
わかった。わたしはこの小説家の書くものにはげしく惹かれている、
そうはっきり感じた。

それ以来ずっと春樹さんの小説を読みつづけている。
徒然にぱらぱらとページをめくることもあれば、ひとつひとつかみ締めるように
読むときもある。

春樹さんの小説がこの世の中に存在しなかったら、こんな風に本を読むこともなかっただろうと思う。単なる娯楽の1つで終わっていただろうと思う。
春樹さんの小説に出会えて本当に良かった。

今日はそんなことを思いながら、蛍〜を読んだ。


2002年03月14日(木) オニオングラタンスープ

うららかな朝、仕事も休みということでのんびりと家事をこなす。

とくにやる事もないし、たまねぎがなぜかいっぱい余ってたので、
オニオングラタンスープを作ることにした。
新たまねぎ5つと普通のたまねぎ7つをひたすらスライスする。
ボウルにいっぱいになったたまねぎを、バターをおとした深鍋に入れて
しんなりするまで強火で炒める。
たまねぎがへにゃっとなったら弱火にして、かき混ぜながら炒める。
このまま1時間くらい炒める。

ガスレンジの前に折畳式の椅子を持ってきて、
「孤独の発明」の続きを読む。
人ひとりが抱える孤独について考えた。たまねぎが焦げそうになった。。

せっかくのたまねぎが台無しになるといけないので
本をしまって、何も考えずにひたすらたまねぎ炒めに徹した。
そのかいあって、綺麗なあめ色のたまねぎができあがった。
作っておいたコンソメスープを深鍋の中に注いで、また弱火で煮こむ。
そのまま1時間くらいおく。

スープにいれるフランスパンを買い忘れたので、近所のパン屋に買いに行った。
ちょうど焼きたてのフランスパンを買うことができた。
帰り道、いつもの場所に市がたっていたので、バケツいっぱいの伊予柑も一緒に買った。300円。すごく安い。

ウチに帰って、少し冷めたオニオンスープを温めなおす。
耐熱用のカップにスープを入れて、大きめにカットしたフランスパンをのせ
その上にナチュラルチーズとパルメザンチーズを振りかけて、オーブンに入れる。
パンとチーズに焼き色がつけばできあがり。

なかなか良い出来に仕上がったので、残りは冷凍することにした。
日曜日のお昼にでも3人でたべよう。

そんな感じで1日が過ぎた。


追記:昨日書いた日記をあとで読み返して、何だか恥ずかしくなった。
   ただの傲慢な人間ではないかと思った。深く溜息。。。

   今日のクレマチス。よく見ないとわからないくらいの小さな新芽だったのに
   今日見たらちゃんと葉っぱの形になっていた。わたしが買ったクレマチスは
   モンタナという品種なのだけど、ほのかに良い匂いがする。
   なんの匂いだろう?チョコレートの匂いに似てるような気がする。
   気のせいだろうか。気のせいだろうな。






2002年03月13日(水) 無題

気難しそう、お高くとまっている、気取り屋、
などなど、そんな第1印象をもたれることが結構多い。
決して中身は、気難しくもなく、お高くとまっているわけでもないのだけど。

外見だけにとどまらず、わたしの中身まで興味を持って話してくれる人もいれば、外見だけのイメージが固定してしまった結果、わたしという人間を自分とは相容れないものと判断する人もいる。

別にそれが悲しいことだと思っているわけでもないのだけど、
いや悲しく思っているのか? ・・・よくわからない

別に、人がそう思うんだったらそう思えばいいという不遜な気持も持っている。
でもその反面、自分が寂しがり屋の甘えたがり屋であることも自覚している。

そんな二面性が自分の中にはある。

どうなのだろうか?
自分から離れていく人がいるのを悲しく思うのも事実だし、
かといって、そんな人に対してわたしってこんな人間なのよって、
心をひらくこともできない。

連れ合いはわたしのことを、ソンな性格だなという。
「全然損なんかしてない」って強がりをいってみたりもするけれど、
結局はそうなんだろうと思う。

自分が持つ二面性のうち、どちらかを克服するとしたら、
やはり、寂しがり屋の甘えたがり屋の面を選ぶだろうとわかっている。
他人に心を開いて接するよりは、寂しい、甘えたいと思う気持をなくす
事の方が、わたしにとってははるかにたやすいことだからだ。

わかってる。
でも、そんな自分が時々嫌になる。




2002年03月12日(火) 事故

私の住んでいるH市でガス中毒事故があった。
下水管の清掃作業をしていた人たちが、高濃度の硫化水素を吸い込んで
次々と倒れ、わずか40分あまりの時間で5人の方が亡くなった。

事故があった場所は河川の河口付近で、もう少し下ると海になる。
私も日常的に車でよく通ったりしている。

今回の事故は、汚泥などの堆積物と下水管から逆流してきた海水が攪拌され、
一気に大量のガスが発生したというのが原因らしい。
海水が流れ込んだことが、硫化水素を大量発生させた原因だというなら
なぜ事前に海水の逆流を防ぐための処置が徹底されなかったのだろうか。

作業をしていた方たちは、何かを考える暇もなかったに違いない。
何だか気分悪いなぁ、と思っているうちに意識が遠のいていったのだろうと思う。
そんな人生の終わり方ってあるだろうか。
人生が終わることを自覚することなく、遣り残した何かについて思いを馳せる間もなく、何だかよくわからないままに死んでいったのだ。

仕事に出かける日の朝、家族はいつものとおり送り出したのだろう。
夜になればいつものとおり帰ってくることを疑いもせずに。

そんなことを考えるとやりきれない気分になった。

死はいつでも身近なところにあるのだ。
いつでも誰かの前に突然現れたりするのだ。




2002年03月11日(月) 週のはじめに

ひきつづき春めいた良いお天気の1日。

朝窓をあけたら、いろんな匂いがした。
あたたまった空気の匂い、沈丁花の匂い、
草の匂い、潮の匂いなどなど。

仕事を半日で終えてウチにもどる。
しばらく本を読んでいるうちにうたた寝。

コドモに揺さぶられて、はっと目を覚ます。
少々呆れ顔のコドモ。
ぼんやりしながら、学校の話を聴く。

「きょうね、じゃがいも植えたんだよー。ねーねー
じゃがいもってどう植えるか知ってるー?・・・・
あのさー・・・ねーかあさん、ちゃんと話きいてんのー?」

「(まだぼんやりしながら)きーてるきーてる。
 ちゃあんときいてますってば・・・」

そんな会話を交わしながら午後が過ぎた。


夕方、ポストを覗くと高校時代の友達から手紙がきていた。
先日富山から秋田へ引越ししたばかりで、
手紙には新住所とメールアドレスが書かれていた。
手紙を読む限り、元気そうで安心した。
秋田は思ったより住みやすいところであるらしい。
でも、まったく知らない土地で一からやっていかなきゃならない
というのも、大変な事だと思う。
元気でやっていってほしいと思う。

そんな感じで夜が過ぎた。
最近、感性を磨くのを少し怠っているような気がしなくもない。
いろんなものを見て、いろんなことを感じなければ。

というわけで、今週はちょっと集中して本を読んだり
映画をみたり、絵を見にいったりしようと思う。


追記:今日のクレマチス。
   ついてた蕾がひとつ開いた。根っこの近くから
   葉っぱらしきものが見える。柔らかそうな木緑色の新芽。
   
   


2002年03月10日(日)

日曜日。
あたたかい空気を吸い込みながら、
春っていいなあと実感。(花粉症の方ごめんなさい)

雪国で育ったせいか、春を迎える気持には特別なものがある。

降り止まない雪、無音化したモノクロームの世界のなかで、
子どもだったわたしは冬が永遠に続くような気がしていた。

でも、やはり物事には終わりというものがある。
冬は永遠ではなかった。
雪がとけて地表が見え始め、モノクロームの世界に色彩が戻る。
ふきのとうや土筆なんかが顔をだす。
そんな春の訪れが無性に嬉しかった。


今は雪もなく寒さもそれほどでない所に住んでいるのだけど、
そんな小さなときの記憶がまだわたしの中に残っているのだろうと思う。

春をたのしんだ1日だった。




2002年03月09日(土) 週末

そして土曜日。
半日仕事に行った以外はどこにも外出せず、
音楽を聴きながら、のんびりと洗濯物をたたんだり
アイロンをかけたり、コーヒー飲んだりしていた。

ぼんやりしていたらいつのまにか夕方。
ごはんまだー?の声にびっくりし、慌てて夕飯の支度。

Zさんから玄米ご飯のアレンジを教えてもらったので
さっそく炊いてみた。サツマイモ入り玄米ご飯。
ほくほくしたサツマイモの食感とあまみが玄米とすごく合ってて、
とてもおいしかった。
教えてくれてありがとーZさん。
またおいしいアレンジがあったらぜひぜひ教えて下さい♪

夜。
机に向かって、国語学概論のテキストを読む。
レポートの設題は、「上代から現代に至るまでの国語の文字、
表記の歴史について要点をまとめよ。」「国語の音韻、文字、
文法、語彙、のそれぞれについて、どんな研究領域があるのかを述べよ」

それぞれ、原稿用紙8枚にまとめるのだけど、
今の時点ではいったい何を書けば良いのか見当もつかない。
とにかくひたすら読むことにする。
書いてある文章がある程度アタマの中に入れば、なんとか書くべき言葉も
浮かんでくるだろう。一抹の不安がよぎるけれども。





2002年03月08日(金) 勉強

気がつけばもう週末。
10日締切りのレポートをようやく投函した。
今度は、日本近代文学史という科目と、国語学概論という科目のレポートを書く予定。レポート提出の1ヶ月後に科目の最終試験があり、それに合格すると単位がもらえるというシステムになっているので、今日出したレポートの試験は来月に行われることになる。つまり、レポートを書く作業と、試験の勉強を並行してやっていかなくてはいけない。

まあ、マイペースでぼちぼちと、という感じでやっているので特に辛くもないが、
何が何でも4年で卒業しよう、と考えていて、なおかつフルタイムの仕事も持っている人にはかなり大変な事だろうと思う。とにかく書くことが基本で、レポートの量も多い。普通の大学生の勉強量がどんなものであるか、よくわからないのでなんとも言えないけど、京都にある某大学に通った私の友達は、大学にはほとんどサークル活動のために通ったと断言していたので、そういう大学生より必然的に勉強量は上回っているような気がする。

こうやって自由気ままに文章を書く分にはいいけど、
人を納得させるような文章を書くのは本当に難しい。

少しでも上達していければ良いと思う。
少しでも良いものが書けるように。



2002年03月07日(木) クレマチス

久しぶりに会う友達とお昼ご飯を一緒に食べる約束をした。
待ち合わせの時間までまだ間があったので、紀ノ国屋書店などぶらつく。

リチャード・パワーズの「ガラテイア2.2」を手にとってぱらぱらと拾い読み。
まだまだ自分の手におえる小説じゃないな、とためいきをつきながら、
元の場所へ返す。この小説を読みこなせるレベルまでいくのに、
あと何年かかることやら・・・。
結局、平野啓一郎の「日蝕」とポール・オースターの「孤独の発明」を買った。

友達が待ち合わせ場所に到着したので、一緒にお昼ご飯をたべる予定の店へ行く。
お店は結構混雑していて、平日だからと予約もしてなかったため少々待たされてしまった。

出されたものは結構おいしくてよかったのだが、隣のテーブルに座っていた20代前半と思われる女性グループが最悪だった。
タバコの煙には辟易したし、食事の後おもむろにバックから折畳式の鏡と
コスメ一式を取りだし化粧直しを始めたのには開いた口がふさがらなかった。
4、5人のグループ全員が例外なく、きゃあきゃあ言いながら一斉に鏡に向かって化粧直しをしはじめたのだ。
つけ睫をつけなおしたり、マスカラを塗りなおしたり、真剣な顔つきで口紅のラインを筆で書いたりしている。
不愉快そのものの光景だった。
なんで食事する場でそんなものを見せつけられなければならないのだろうか?
公共の場という意識がまったくないのだろう。
自分の部屋にいるかのように振舞っている。

まるで食虫植物かゴキブリほいほいみたいなばか女たちのせいで、
消化不良を起こしそうなランチタイムになってしまった。


店を出た後、友達と雑貨屋めぐりをしたり洋服をあれこれ見てまわったりした。
気にいった洋服はみつからなかったけど、たまたま入った園芸のお店で
小さなフラワーベースと、クレマチスの苗を買った。
花弁が4こで、灰色がかった薄い紫のクレマチス。
友達に、「Nに買われるなんて、運の悪いクレマチスだね」なんて言われてしまったけど、大事に育てるつもり。(それでも園芸力?が全くないのは認める)

クレマチスの鉢を大事に抱えながら電車に乗って自宅まで。
ウチに戻ってすぐ、日当たりの良い窓辺へ置いた。
何でこんなところにきちゃったんだろうと、クレマチスが溜息をついてるような
気がしなくもない。
とりあえず今ついてる蕾が開いて、それから新しい葉っぱがでるように
世話をしようと思う。 ゲンキに咲いてくれますように。








2002年03月06日(水) いちご

夕食後、コドモとふたりで苺をたべた。
わたしとコドモは苺がだいすきで、シーズンになると毎日のように苺をたべる。
苺狩りに行ってどちらが多く苺をたべたか競いあうという、ばかばかしいことも
シーズン中2、3回はしている。

今日も向かい合って一緒に苺をたべた。
かれは実においしそうに苺をたべる。
「おいしいね、このいちご」とコドモが言った。
「うん、おいしいね」 とわたしも言った。

苺を食べている間中、苺の種のつぶれる音がぷつぷつと聞こえていた。
そんな音をききながらおいしそうに苺をたべているコドモを見ていた。
そのうち急に、この子が生まれてきてほんとによかったと思った。
唐突だけどそう思った。
ひとりで暮らしていたら、こんなあたたかい気持で
苺をたべることはなかっただろうと思う。

そんな風に感じる事は普段あまりない。
一緒にいるのが当たり前だと思っているからかもしれない。
でも今日はそんな当たり前のことがばかみたいにうれしかった。

また一緒に苺をたべようと思う。
これからもずっとそれが続きますように。





2002年03月05日(火) オン、オフ。

最近、交感神経が過剰に働いているような気がする。

ゆったりしたい、リラックスしたいと思ってもなぜかできない。
なかなか落ちついて本を読む事ができない。ぼんやりすることができない。

毎日いろいろと慌しい事はたしか。
どうでもいいことのようだけど、どうにもすることができない用事が
山積みしている。
そんな一つ一つがわたしの交感神経を刺激するのだ。


なかなか気持の切り替えができない。
ボタン1つで点いたり消えたりする蛍光灯のように
気持も簡単に切りかえることができたらいいのに。


2002年03月04日(月) 玄米ご飯

最近玄米入りご飯をたべている。
白米2に対して玄米1、ほかに粟、稗、黍なども混ぜている。
味は思ったより悪くない。というか、結構おいしい。
何より健康に良いし、ダイエットにも有効な食べ物である。

しかし、おいしいと思っているのはわたしだけみたいである。
連れ合いとコドモはキモチワルイといって食べようとしない。
彼らいわく、つぶつぶで白と茶色がまだらに入り乱れているのが
まずキモチワルイそうだ。さらに匂いが嫌。さらにかたくて噛めないなどなど。
白米と較べてはいけない、あくまで一食品として食べなきゃ
といっても、馬の耳に念仏状態。

健康に良いとかダイエットに有効だとか、
そんな概念は彼らには通じない。
見た目、味、食感が彼らにとってすべてなのである。

そういう点で連れ合いとコドモは似通った部分を持っている。
見た目にだまされやすいというか、
違う側面から物事をみることができないというか、
柔軟性がないというか。

そんなわけで、玄米ご飯はまとめ炊きして、
小分けした後、フリージングしている。
そして、私1人それを解凍して食べている。


今夜は、玄米ご飯の中にオリーブオイルで炒めた高菜を混ぜ
白ごまをふりかけたものを食べた。
おいしかった。
ご馳走様。













2002年03月03日(日) 雛祭り

今日は雛祭り。
歩いて10分足らずのところに住んでいる義母(連れ合いの母)から
電話がかかってきた。美味しいお菓子があるからお茶のみにおいでという
お誘いの電話だった。
義母は美味しいものに目がない。
よって義母が買うものはお茶であれ、お菓子であれ、何であれ
まず不味いということがない。遠慮なくご馳走になりに行った。

義母は連れ合い(つまり私の連れ合いの父)をなくしてから30年あまり、
今の家でずっと1人暮しをしている。まあ歩いて10分足らずのところに
息子もヨメもマゴもいるのだから、寂しいという事はないと思う。
それどころか独居ライフを満喫しているといってもいい。
誰にも気がねすることのない自由な生活を送っている。


家にいくと、思ったとおりあちこちに雛飾りがかざってある。
実は義母はかなりの人形フリークで、家中にありとあらゆる人形が
所狭しとひしめきあっている。自分で買ったもの、人から貰ったもの、
子ども時分からずっと大切にしてあるものなどなど数え切れない。
中には時の洗礼を受けて、かなり凄みの増した人形(日本人形)もある。
恐ろしさのあまりいつもその人形から目をそらしているのだが、
義母は可愛い可愛いといってすごく大切にしている。(かなり怖いシロモノ)

当然のことながら、雛飾りもかなりある。小さいものから大きなものまで
全部数えると100個近くあるのではないだろうか。
千代紙で作ったものや有田焼のもの、ぬいぐるみみたいなものや
ガラス製のものなど、ありとあらゆる雛かざりがある。
わたしやコドモがプレゼントしたものも幾つかある。

義母は年だけみるとかなり高齢なのだが、いまだに車の運転をし、仕事も持ち
毎日の化粧をかかすことがないといった感じで、楽しく気侭な生活を送っている。
日本舞踊、三味線、琴、といった芸事も一通り嗜み、
その昔はダンスホールなんかも経営していた。
(今住んでいる家はその時に稼いだお金で建てたらしい)

マゴ(わたしのコドモ)を猫かわいがりするのが少し難だが、
1人で平和に生活してくれているので、私にとってはかなり助かる姑さんである。

お茶を飲んで、世間話をして帰ってきた。

女だけのちょっとした雛祭りだった。




2002年03月02日(土) ”WE WILL ROCK YOU”

この冬、日産ステージアのCMがいちばんのお気に入りだった。
雪が降りしきるなかを車(ステージア)がかけぬけていく。
バックには”WE WILL ROCK YOU”が流れている。
見たことない人にはわからないと思うけど、かなりスタイリッシュでカッコイイ。
(と思う。独断的ではあるけれど)

とうとうケイコ・リーのアルバムまで買ってしまった。
”WE WILL ROCK YOU”といえばクイーンの方が有名だけど、
わたしはケイコ・リーのあの曲もなかなか良いのではないかと思う。
男っぽい曲だと思っていたけど、あんな風に歌われるとまた違った感じに
きこえる。
わたしはもともと男性ボーカリストよりも女性ボーカリストの方が好きで、
持っているCDもほとんど女性シンガーばかりだから、余計ケイコ・リーの
WE WILL〜が良かったのかもしれない。

ケイコ・リーといえば、まだまだメジャーではないけれど、
成功しているジャズ・ボーカリストである。
実はわたしの住んでいるH市出身。このまえ日記に書いたKくんは
ケイコ・リーと同じ中学、同じ学年、同じクラスだったらしい。
結構その頃から鼻っ柱が強くて、迫力がある人だったようだ。

WE WILL〜以外はそうひかれる曲もなくて、何となく聴いてるのだけど
何となくといった感じで聴くと結構ケイコ・リーの歌は心地良く感じる。

というわけで今も小さい音でケイコ・リーを聴きながらこれを書いている。
何となく良い感じで週末が過ぎた。





2002年03月01日(金) コドモと映画

今日新聞を読んでいたら、コドモがロード・オブ・リングを見たいといってきた。
なかなか子どものイマジネーションをかきたてる映画らしい。

コドモとはよく一緒に映画を見にいく。
一緒に見ることができそうな映画は結構限られているので、そんなにしょっちゅうというわけでもないが、トイ・ストーリーやジュラシックパーク、101(百一匹わんちゃんね)ハリー・ポッター、ジブリシリーズなどの映画は大抵一緒に見ている。
自宅でビデオや、テレビでやっている映画を一緒にみることもある。

このまえテレビでジャンヌ・ダルクを一緒に見たのだけど、
(最初、私1人で見てたのだが、途中から興味を持ったらしくそばで見始めた)
これはどこの国のお話なのか?なんで戦争をしてるのか?なぜ女の子が戦っているのか?どうして女の子なのに戦っているのか、なぜ火あぶりにされなきゃいけないのか?となぜなぜ攻撃をかまされ、おかげで百年戦争やフランスの王様の継承問題など広辞苑をひきながら説明するはめになり、全く映画に集中できなかった。


そう考えると、彼の興味の対象は最近少し変ってきたような気がしなくもない。
前はとにかく楽しければ良いというか、雰囲気的に楽しそうでほのぼのとした映画を見たがったのだけど、最近は歴史ものやアクションものに興味がうつってきた気がする。(関係ないかもしれないけど利家とまつも好きで見ている)

赤ちゃんの頃はアンパンマンが好きで、絵本もビデオテープも擦り切れるまで読んだり見たりしていた。そのうち機関車トーマス、ノンタンといっしょになって・・・えっと次は何だったっけ、そうだ、ある日突然ディズニーにめざめ、
それからあとかなりディズニー時代が続いた。
今はさっき書いたとおり、だんだん大人がみるようなものへ興味の対象が移っている。
振りかえってみると結構面白い。
成長の過程というものがわかる。
こうやってだんだんだんだん大人になっていくのかもしれない。

何てことを考えてたら、突然コドモが、
「ロード・オブ・リングの次は、ドラえもんのロボットキングダムね!一緒に見ようね!」

・・・・また今年も一緒に見にいくんですか、ドラえもんを。

まだまだ子どもみたいである。







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