TOI,TOI,TOI!


2001年07月21日(土) 友達の友達も皆友達に。

フランクフルトの町をTに少し案内しようと、今日は町に出た。

が、なんなんだこれは!!

町は大騒ぎ!パレード?なに?すごい人、人、人。爆音で流行りの曲を流す(本当にうるさい)山車(?)やら、仮装した人々が奇声を上げながらパレードしていて、それを見ている人が・・・・なんて多いの!?
ドイツでこんな人だかりを見たのは、フライブルクのサッカー場以来。こんなに人が多いフランクフルトは初めて。このお祭り騒ぎがいったいなんなのか・・・全然わかんない。とにかく皆狂ったように騒いでいて、ティはもちろん、私もかなり驚かされた。今日はいったい何の日なの?

少し、雑貨屋さんなんかを見て、マイン川のほとりでひと休み。ふと、Tが私に言った。

「ほんとに私たち今ドイツにいるよー。実現したよね、夢みたいな話だったのに。こうして、ノブにフランクフルト案内してもらってるし・・・」

そう。こうやってふと実感する瞬間が、私にもよくある。

学校の練習室に行って、それぞれ練習。明日からなのに、譜読みが間に合ってない私たち。

学校でKねえさんと待ち合わせて、二人はめでたくゴターイメ〜ン。

T「想像してたより、女らしい。」

私の話からもっともっとボーイッシュな化粧っ気の全然ない人を想像してたらしい。でも違うんだよね。けっこうかわいいんだよ、Kは。
私は、Kに「いったい、なに話した〜!?」とつっこまれた。

KにTの印象を聞くと、

K「思ってたより、普通。(笑・・・)」

3人でイタリアンで食事。友達の友達を皆友達にするのが私は大好き。とっても楽しい時間だった。
夜中までしゃべり続けて、駅で別れるとき、Kは「カルテット、頑張って〜!」と言ってくれた。


2001年07月20日(金) 話題豊富

昼、T到着。今日明日とここで2泊して、あさって一緒にミュンヘンに向かう。あさってから10日間、ミュンヘンのN宅に泊まりこんで、合宿。

今日は、家で二人でさらった。

久しぶりに合わせたので、テンション上がってはしゃぎまくってしまった。家族の人たち、ごめんなさい。

久しぶりなので、話題が豊富。いくら話しても、ネタがつきず、気づくと5時間ぐらいしゃべり続けていた。

夜、Kに電話して、明日の夜3人で会うことになった。もちろん二人は初対面。たのしみ。


2001年07月18日(水) レッスン@バンベルク

バンベルクに行って、レッスン。先生が駅のホームまで迎えに来てくれた。
弟子となって初のレッスン。やっぱりすごい先生だ。もうすでに、私の「癖」を全て見抜かれていて、まず、それを直さないと、話にならないようである。この先生に、コザイクやゴマカシは通用しない。今まで見て見ぬフリをしてきたツケが・・・。
本腰いれて矯正しないと、次に進めなさそうだ。

ところで、先生は先週誕生日だったとKから聞いていたので、万華鏡と、紙風船などのおもちゃセットをあげた。祖母が、荷物の中に入れてくれたものだ。
祖母!感謝!!

「ランフトから電話があって、君たちのカルテットの事、聞いたよ」と先生。
ランフト先生というのは、P君がついた先生。二人の先生は、バンベルク響時代の同僚で(ラ先生は現役)、今もしょっちゅう一緒に弾いてるんだって。Kもよ〜く知ってる人なんだって。この世界は、ほんとに狭い。

先生の奥さんも、すごく素敵な人だ。
帰り、車で駅まで送ってくれた。その途中、老人ホームによった。
先生のお母さんが「よくない」らしい。先生はレッスン日を決めるとき「お母さんがよくないからレッスンはバンベルクで」と、話していた。

奥さんに「病気ですか?」ときいたら、「もう歳だから」だそうで、聞くと、86歳だそうだ。家では先生の叔母さん、老人ホームでは先生の妹さんにお会いした。妹さんは、私と同じ長距離列車に乗った。これらの事を総合すると、やはりお母様は相当よくない状態なのだ。先生はレッスンのとき以外は、元気がなかった・・・。

行きは先生、帰りは奥さんに車に乗っけてもらったけど、二人は、2つの全く同じことを私に言った。
一つ目は、「語学学校に通うの?」
二つ目は、「バンベルクは、とっても素晴らしいところでしょ?」
本当に、素晴らしいところ。先生は、平日フランクフルトにいて、週末バンベルクの家に帰っているんだけど、こんなに素晴らしいところに家族が住んでるからこそ、先生はこの距離(長距離列車で2時間半)を往復するのだという事がよく分かった。

車の中から見ただけだけど、有名なドームは、ものすごく古く(1400年代?と聞いた気がする)かなりの大きさで、どっしりとして立派、でも(昔の人の仕事ってどうしてこんなにも緻密なのか・・)と思うんだけど、細かい部分まで手抜きが全くなくて、だからこそ全体を見たときに圧倒される。これに費やした時間、労力を考えると・・・・。
教会も、いったいいくつあるんだろう・・?かなりの数、見た。
教会のシルエットって、絶妙のバランスだなぁ。きれい。


2001年07月15日(日) パーティ!

昼間、Kが、「今日の夜、友達の家に集まってみんなでおいしいものを食べようって言ってるんだけど、来ル?」とTELをくれた。「何が出るかは、お楽しみ」と言う。もちろん即答「行キマス」

そこには、日本人ばかり、10人近く集まっていた・・・!!びっくり。こんなんなってると思って来なかったよ〜。でも、Kがこのパーティに私を誘ってくれたということが、私を認めて(友達として)くれたように感じて、とてもとてもうれしかった。

みんなとても仲いいし、とても楽しい人たち。関西出身多し。さいしょ、ちょっと緊張したけど、みんなすぐに打ち解けてくれた。
楽しくってしょうがなくって・・・私は初対面の人たちの前で、すっかりデキアガってしまった・・・。へべれけ・・・。

これからは、「酒強い?」と人に聞かれたら「ヨワイ」と答えなければいけないのかあ?ちょっと前までは、ザルと言われていたのに。
「トシダネ」と、AにもKにも言われたんだけど。(2人ともタメだけど)

ちなみに今日イタダイタお酒は、ビール、日本酒、ワインに、ウイスキ−を二口ほど・・・。混ぜすぎ?
ちなみに、「おいしいもの」とは、春巻き、鳥唐、たこ焼き、でした。最っ高―――でした!

いっきに友達も増えたし、『今、幸せダナ、ワタシ』と、しみじみ実感しつつ(ニヤけてた)、千鳥足で家に帰った。完全にあやしい酔っ払いの図。


2001年07月13日(金) しょぼアインラーデン

Kが友達と一緒に、ここに遊びに来た。
まだ私は、調理器具やら、食器やら、調味料やらを買い揃えてないので、ろくなおもてなしができなくて、なんかかっこわるかった・・・。この前は、素晴らしい手料理をごちそうになったというのに。

私が頼りなくキッチンにいると、Kが見かねて手伝ってくれ・・・・気がつくと、彼女に仕切られている私。やっぱり一人暮らし3年目は手際がいいわ〜。私は、調理場でバイトしてたこともあるし、料理は嫌いじゃないんだけど、まだいろいろと、なにかと慣れなくてね(言い訳)。

Aがボルドーからおみやげに置いてってくれたワインがとてもおいしかった。


2001年07月10日(火) カルテットのナレソメ。

P君、合格(昨日)。これでカルテットがそろった。

Nからこの前電話があり、7月下旬にカルテットの練習をやろうという話をP君としたという。7月に行くはずだったZentrumは、9月に変更してきた。今月下旬にミュンヘンで4人会う。

「カルテット」というのは、ワタシ、午後ティ、Nちゃん、P君、による弦楽四重奏。
フランスのフィジャックという、小さな美しい町で、夏に室内楽セミナーがあるのだが、去年、私たちはそれに参加し、メズ−先生(バルトークSQ)のレッスンを受けた。ミュンヘン在住のNと、日本からの3人が、フィジャックで合流。Nは、私とは数年ぶりの再会、午後ティとは、初対面であった。

なぜか4人はよく合いました。ある日、練習の休憩時間に(これからもこのメンバーで組んでいけたらいいのにな・・・)と思っていたとき、Nちゃんから
「伸ちゃんがこっちに来て(留学して)これからも一緒にやれたらいいのに、と思ってる」
と言われたのです。
通じ合っちゃった。でも現実問題、経済的な理由から、留学はその当時まったく考えてなかったので、Nにそう言いました。

小さな教会でのコンサートは、盛り上がりました。先生が喜んでくださって、このカルテットに名前を付けよう!と言ってくれたりしました。
教会までの移動は、車だったのですが、なんとNと私は、メズ−号に宿舎まで送ってもらうことになりました。
Nとメズ−先生は、車中ドイツ語で盛り上がっていました。私が入れないのを気遣ってくれたNは「話したいことがあったら通訳するから」と言ってくれ、先生も「悩みがあるの?」と言ってくれました。
先生はスルドイ!その時私は、話に入れないことより、(やっぱり解散は惜しい・・・でもどうすればいいのか)これで頭がいっぱいでパンクしそうになってました。その先生の一言で、思い切れた私は、「通訳して」とNに頼んで、

「悩みがあります。それは、カルテットを続けたいことです。」

と言いました。Nは、「それは私の問題だ」と、つぶやいてから、先生に、

「伸子が今こう言ったけど、それは私の問題で、私がミュンヘンに住んでいることが私たちにとって問題なんです」
と、話したようでした。
先生はこう言いました。

「3人とも、ヨーロッパに来なさい。ハンガリーでレッスンするから。日本で勉強するより、こっちで勉強したほうが、いい。ヨーロッパの景色を見て、言葉をしゃべって、空気を吸って、風を感じて、生活して、・・・・これらはヨーロッパの音楽を弾くのに、とてもだいじなこと」

・・・いつもニコニコ話す先生が、そのときはすごくまじめな顔をしていたのが、後部座席からでもよく分かりました。

これが始まりでした。
夢みたいな話でしたが、それから1年かけて、3人それぞれ留学準備をしてきて、それぞれに苦労がありましたが、なんとかドイツ内に3人とも留学することが、このたび実現致しました!!万歳!

これからは、それぞれの(ドイツの)先生の元で腕を磨き、予定が合うときは集まって合わせ。そしてメズ−先生と、バルトークSQのハルギタイ先生(Vl.)にカルテットのレッスンを、受けます。
先生達と私達、みんなの予定が1週間ぐらいまとめて合うときに、4人でブダペストに行きます。メズ−先生の家は3階建ての豪邸らしく、私たちはそこに泊まらせてもらって、レッスンを受けたり、合わせをしたりできるそうです。夢のよう。

以上、カルテットについて。書いていたら、去年の夏のことをいろいろ思い出して、懐かしくなった。初心を忘れず頑張ろう。


2001年07月04日(水) K、いい。

Kの演奏は、本当にいい。今日もまた違う面が見れて、とても良かった。
今日彼女はラベルのソナタ全楽章と、ブラームスの2楽章を、また弾いてた。この前だって十分良かったけど、本人や先生はあまりよくなかったと言っていた。それで今日ももっかい弾くとこが、すごい人達というか、すごいクラスというか・・・。

Kの友達と3人で、タイ料理のレストランに行った。こうやって、新しい友達ができて、カンパーイ!とかやってると、なんだか幸せを感じる。


2001年07月03日(火) 新生活

新しい部屋はやっぱり快適。ブリンクマイヤー夫妻は、ふたりとも根気強く私の言うことを分かろうとしてくれるので、めちゃくちゃでも、恥ずかしがらずしゃべろうという気になる。3人でずいぶん長くいろんな話をした。「どこで買い物できますか?」と聞いたら、犬の散歩がてら、スーパーまで連れてってくれた。

夜、先生に会う約束をしていたので、学校へ。レッスンを終えたKと先生にタイミングよく会えて、レッスンの日にちとやる曲を決めてもらった。レッスンはバンベルクで、18日。と決まった。
その後Kとゴハン。イタリアン。ビールぐらいじゃ前は酔わなかったのに、歳かな・・・。しゃべりだすと止まらなくなる、最近酔うと。でも楽しかった。

明日もまたVorspielだって。「来ル?」と言ってくれたのでもちろん行きます、と。明日はラベルを弾くんだって。全くこの人は、次から次へと・・・・!!


2001年07月02日(月) ゴゴティ合格

明日、イングリットのとこに引越しする。Aの提案で、今日、大きな荷物を運ぶことにした。しかもAが手伝ってくれた。「新しいとこ見たいし」と言って。おかげで引越しは楽チンだった。
Hbfで、クレープと、ソーセージと、コーヒーを、おごってもらった。

見送りした後、一人で帰るのって寂しいもんだなあ。

夜、Tに、電話。今日は彼女の入試の日。受かったそうで、よかったよかった。久しぶりにしゃべったので、長くなってしまった。ティは、パソコンを早くつなぎたくてしょうがないみたい。その話ばっかり。ティとしゃべると、つられてテンションが上がっちゃうので、目がさえちゃってなかなか眠れなかった。


2001年07月01日(日) ミニ旅行2

二日酔い・・・。
ヴュルツブルグに寄って、フランクフルトに帰ってきた。ヴュルツブルグは、ある程度栄えた町。ミルテンベルクの後では「普通の町」という印象。今日は日曜日なので店は完全にお休みだったため、ただただ2人でぶらぶらした。まあこんなのも、楽しい。

明日Aは、ミュンヘンのNのとこへ行く。楽しかったな〜ほんっと。


  
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