TOI,TOI,TOI!


2001年06月30日(土) ミニ旅行。

なんとか午前中に出発。

アシャッフェンブルクへ。ヨハニスブルク城を見た。お城なんていうものは、外から見るもんであって、中身はたいした事ないよ・・・と、Kから事前に教わっていたが、まさにそのとおり。

今日もマイン川inアシャッフェンブルク。橋からの眺めは最ッ高!!のどが渇いたので、水を買ったら炭酸入り・・・・・・。しかもビン入り。ビンは返すと30ペニヒぐらいもらえるので、飲み終わるまで橋の下で休憩することにした。向こう岸には白鳥がいる。こっち岸は鴨。親子連れが来たときは興奮した。コドモ、かわいい!結局、炭酸は飲みきれず、中身を捨てて、30ペニヒもらった。

また電車に乗り、ミルテンベルクへ。ここは気に入った!なんだか全てが可愛くて美しくて、映画の中にいるみたいな、別世界にいるみたいな気分。木組みの建物が、本当にきれい。センスがいい。ここにはユースホステルがないのだが、ここでゆっくりしてここで朝を迎えるなんていいよね〜という話になって、ホテルに泊っちゃうことにした。部屋を予約して、レストランで食事。テラスの席で、可愛い町並みを眺めつつビールを2杯!そのあと、雨が降ってきたので、飲み屋っぽいところに入って、2次会。飲みすぎて、酔いつぶれちゃった・・・。でも楽しかった。


2001年06月29日(金) A(フランス留学中)

A〜が来た(昨日)。とりあえず昨日は部屋で、缶ビールで乾杯!冷蔵庫にあるものを適当につまみにして。(もうすぐ引越しなので片付けたい) 

Aとは高校からの付き合いだ。再会、しかもドイツで。なんだかとてもうれしい。

今日は、フランクフルトをぶらぶらすることにした。運良く今日はマルクトが出ていて、イチゴワインを、二人で一杯。お馴染みWurst mit Broetchenなどを食べ、レーマー広場というところにはじめて行き、はじめてマイン川を見に行った。
レーマーは、とってもいい所で、私の方が感激してたかも。フランクフルトいいじゃん〜と思った。

店の人も感じいいし売ってるものもかわいいちっちゃいお店で、Aが私にスリッパを買ってくれた。店の人に、「彼女が私にプレゼントしてくれるって」と言ったら、「Gut!」とにこにこしながら、きれいに包んでくれた。

そして、お初にお目にかかりました!MAIN!想像と全然違った。辛いことがあったらここに来よう、と思った。フランクフルト悪くないね〜と、また私の方がはしゃいでた。

レストランがあったので、ビールとアップルワインをたのんで2人で飲んだ。それと、A〜チョイスで、モッツァレラとトマトのサラダ。美味しかった。川岸にある、半分ぐらい川に浮いてる店なので、いろんな船が通っていくのが楽しい。客船。ボート部。長〜い船が通ったとき、それを見てA〜は、「川の幅とどっちが長いかな?」と言ってた。Uターン出来るか、気になるらしい。免許持ってる人の発想ね。(私は持ってない) 

一番面白かったのは、足こぎボート。いいおっさん3人で仲良く乗ってて、それだけでまず笑えた。
しばらくしたら戻ってきたんだけど、みんなくったくたに疲れちゃって無表情になっちゃった。会話もなくなっちゃってる・・・。2人で大笑いした。

明日は早起きして遠出しよう、と言いつつお互いの留学の話や共通の友人の話で盛り上がり、寝たのは3時ごろ。


2001年06月28日(木) キラキラ

保険OK。めちゃくちゃでもしゃべりまくれ、と、Kに言われたことを思い出した。通じさえすれば、少し自信がつく。それに、書いたり読んだりするより、実際しゃべったり、聞き取ったりした単語は、不思議と覚える。

Kんちに行く。もう、楽しかったのなんのって・・・。和食だ!ごはんだ!うれしすぎる〜!うお〜!!!・・・参った。
Stuttgartの録音を聞きながら、今日はもうすっかり打ち解けて、1時半から6時半までしゃべりっぱなし。
Stuttgartの録音は、本当にプロ中のプロ達が、本当に楽しんで演奏していて、もうとにかく素晴らしかった。そんなすっごいおじさんたちに混じって、Kも、めいっぱいキラキラしていた。

食事も最高で、いろいろ深い話もして、幸せな時間だった。


2001年06月27日(水) Kラブ。

Zentrumには7月9日から通うことになった。週4回。がんばろー、おぉ!
Zentrumの人が陽気な人で、いろいろしゃべって楽しい気分になってきたので、調子に乗って保険会社に行き、銀行に行ったが、どちらでも「通訳を連れて出直して来い」と、追い返された。
く〜悔しいので明日もう一回行く。

今日は、またあの弾き合いみたいな発表会みたいな会を聞きに行った。この会の名前はフォアトラークスアーベント。前回、今回と、両方出てる人もいるし、両方出てない人もいる。
なんと、シュツットガルトから帰ってきたばかりのKが、今日も出演。しかも、よかった。ブラームス2楽章。泣きそうになった。
なんかこの人の演奏、いいなあ本当に。

また打ち上げもあって、すこしずつクラスの子たちとも話をするようになってきた。もちろんKのおかげだけど。Kが「あした、うち来る?」って誘ってくれて、もうめっちゃうれしくて「いく。」と即答。
あしたはP君が、ドイツ入りするため、空港まで迎えに行く予定だったのだけど。悪いけど、KとP君では、P君の負け。今の私には。

あしたは、夜はフランスからAが来るし、楽しいぞ〜なんか最近!!


2001年06月26日(火) あちこち

風邪は治った。学校から入学手続きの案内が送られてきた。

今日はあちこち下見の日にした。

まずは朝、住民登録所に行った。7月に引っ越したらすぐ申し込まないといけない。申込用紙をもらって帰ってきた。とっても混んでいたので、次来るときは朝一で来よう。

そのあとVolkshochschuleへ。昨日行ったら月曜は休みだった。
この中に外人対象のドイツ語コースがあるらしい。安い、と本に書いてある。夏の特別コースと、8月からの普通のコースがある。両方の値段を聞き、レベルチェックの面接の場所と時間も聞いた。これって安いのかあ?と思いながら、今度はKが通ってたという語学学校へ。

今日は天気がよすぎ!!あっつ〜・・・この陽射しの強さは、すっごい。サングラスなしでは、危険(視界が狭くなる)。

Zentrumというその学校は、Zeilwegから、けっこう便利なところかもしれない。
ペーパーのレベルチェックテストをやって、レベルが分かると、クラスに空きがあるか分かるのは明日だと言われ、明日午前中にもう一回来てと言われた。事務の人や先生と思われる人たちの雰囲気がなんかよい感じ。こっちに決めた。


2001年06月24日(日) Kと仲良くなってきた

とても風邪気味。

きのう、WEISSERSTEINからZEILWEGまで(2駅)歩いてみた。ツァイルヴェ-クというのは、今度住むとこの最寄り駅。天気がよかったので、カメラを持って出かけた。写真撮ったり、きょろきょろしたりしながらで、20分ほど。おとといは、不動産の駅からHAUPTWACHEまで歩いた。こっちも2駅で15分だった。電車と、バス乗り放題の切符(1ヶ月分)を持ってるんだけど・・・運動不足なもんで。気持ちよかった。

改めてよくみると、Zeilwegの周りは、Buber-Neumannを含め、まだ新しい家ばかり並んでいる。今住んでるところも住宅地だが、こちらは古くて大きな家ばかり。どっちもそれぞれいい。スーパーまでは歩いて5分。八百屋もあった!

Kと、やっと電話で話せた。
お祝いしなきゃ、って言ってくれた。
少なくとも1年はよろしく〜って言ってくれた。

1年じゃ少ないよ〜。この人は、私に無いものをいっぱい持ってる人。末永くよろしくお願いしたい。
シュツットガルトの音楽祭の話もいっぱい聞かせてくれた。最高だったと言ってた。本当に超ビッグな人達との共演だったみたい。私がその超ビッグな人を知らなかったんで、Kは、あきれてた。恥・・・。オーボエのゴリツキ。覚えた。フルートのジェラルド(こっちは名前だけ知ってた)。こういう部分でも私と彼女は興味をもってきた部分が違うので、すっごく面白いし、勉強になる。

Kは、バロック方面が専門分野だそうだ。でも何でも弾ける。こないだのブラームスも、かなりのもんだった。それと、オーボエ、ファゴットが好きだそうだ。
私が興味を持ってきたものというのは、室内楽。それからオケ。でも、それをやるにしたって、なにをやるにしたって、バロックは避けてはとおれない。しかも知識もない。無知をさらしつつ、勉強させてもらっている。


2001年06月22日(金) 礼金

不動産の礼金は400マルク。まさか騙されてないよね?信じきっていたんだけど・・・。でももう払ってしまった。忘れよう。(後でKに聞いたら、妥当だそうだ)
ちょっと風邪気味。


2001年06月21日(木) 足取りも軽いよ。

結局その部屋はダメでした。今日は、不動産に行きました。やっぱりあの人親切だったし、いいのがなければ決めなきゃいいんだし。

400マルクでとお願いして、いくつか紹介してもらった。一回帰って電話をかける。ファミリーの間借り480DMが彼女のおすすめ。なんと「楽器OKの家」だって。
電話したら「3時以降に電話して」と言われたので、その前にどっか見に行くことにした。450DMの部屋。まちの雰囲気を見ようと思って早めにいく。

小さなレストランが多いけど・・・スーパーは、どこだろね?家の場所もよくわかんなかったので、思い切って親切そうなおじさんに聞いちゃった。少し時間あるから探そう!と言ってくれた。
彼もすこし迷うほどわかりにくいところにあったが、無事発見。お礼を言って握手!!
親切な人に会うと、気分がよくなってウキウキしちゃう。

ベルを押して、玄関のところで「♪」ってな感じで待ってたら、酒瓶を手によれよれのスーツという典型的な酔っ払い男が焦点の定まらない目をしてこっちにふらふらやって来たので、完全無視。

・・・沈黙(3秒)・・・

再びベルを押す私。男「それおれ」 

・・・・・・。

顔にタテ線入ってた、きっと私。しかも部屋は殺風景で、古くて暗くて家具の趣味が悪い。練習は禁止!!と言われた。ダメだこりゃ。さよーなら〜。

近くに見覚えのある名前のStr.がある。もしかしたら?と思ってそこを歩いていくとやっぱり学校の前に出た。
フランクフルトは、実は小さい。電車が東京のように張り巡らされているけど、歩いてもけっこうあちこち行ける。

学校の前の公衆電話から、ファミリーに電話。この、家探しのおかげで、電話するのに抵抗がなくなってきた。はじめは、めちゃめちゃ怖かったね。

その家は駅のホームから見えるぐらい近かった。まず、その「通り」が一目見て気に入った!かわいい!ブーバーノイマン通りという住所なんだけど、通りではなくて、一角にその名前が付いているようだ。今まで古い家ばかり見たけど、ここはまだ新しい家。部屋もかわいいし、趣味がいいのに感動してしまった。
もう、部屋を見た瞬間に決めてた。ここに住む!

楽器を弾いてもいいかと聞くとおばさんは、逆に目を輝かせて「ブンダバー!!」と言ってくれた!1日中弾いていいと言ってた(あとから、17時までと訂正してた)。キッチンも17時までなら使っていいって。

おばさんの名前は、イングリット・ブリンクマイヤー。イングリットと呼んでいいと言われた。あと、犬と、猫がいるの!猫は私がいる間じゅう爆睡してたけど、犬!!でっかくてかわいい〜。でかい犬と暮らすの、ひそかに憧れてたんだよね。名前、「とーよん」だって!カワイイ・・・。

おじさんもおばさんも、丁寧にしゃべってくれるし、易しい文法で、しゃべってくれる。私が辞書を引こうとすると、その単語を英語で言ってくれたり、教えてくれる気もあるみたいだ!うれしい。3日に引越しすることに決めた。


2001年06月19日(火) 入試ドラマ。

13日の実技の試験日からきのうまでの6日間のことは、長い人生でも、忘れることはないだろうなあ。

13日は5時半起床。電車が20分も遅れて冷や汗かいたけど、9時半に無事ゼクレタリアートへ。中国人の男の子と知り合った。第一印象は「絶壁」。
私が弾くのは12:20と告げられたので、それまで学校でさらったのだが、これがものすごい部屋取り合戦・・・ 部屋を探して歩き続けてたら、なれないパンプスのせいで足を痛めてしまった。

1時間ほど探し続けて、偶然にも部屋が取れた!これは運がよかった今考えても。しかしのどが渇いた!水持ってくるのを忘れてしまった。足はじんじん、のどはカラカラ、でもこの日は不思議と気持ちが前に向いていた。

楽器を拭いていたら、なんとE線が枕のところで溝から外側に2ミリぐらい、はずれている!
E線をかえたのは2,3日前のことだが、そんなに「心ここにあらず」になってたのね・・・と、ちょっとひとりでおかしくなった。そんな風に思えるほどこの日は冷静。なおしたら鳴るようになった!気分もよくなった。

今日は外人を集めた試験日のようだ。私の2人前は、愛想のいい中国人の女の子。弾く直前なのにすっごい笑顔。弾き終って出てきたときも更に笑顔。私の前は朝の男子。私は最後から3番目で、あとは韓国人の女子とスペイン人の男子。


私の前の男の子が片手を高々と突き上げて、出てきた。勝った!ってところか?

そのあと先生たちが出たり入ったりし始めた。そこへフォーヒャルトも出てきて、私に気づくと、肩をポンポン!とやってくれた。一瞬の出来事だったが、アジア人連中が一斉にこっちを向いた。

あとから分かったのだが、彼らは事前に先生とのコンタクトを取っていなくて、しかもいくつもの学校を併願している。
私は、コンタクトを取っているけど、一本釣り・・・。
コンタクトと言っても、とってくれるとは一度も言ってもらってない。むしろ、併願するべきだ、と、先生から直接言われていたのだ、。
ココだけだと言うと、韓国人は眉毛をつり上げて驚いてた。

とにかく今か今かという状態でけっこう待たされた。いつも本番直前は、出る瞬間に合わせてテンションを高めていく私にとっては、つらかった。こちらの試験というのは、弾き終わるとすぐにその人の合否を出す。つまり一人終わるごとに会議しているのだ。


フォーヒャルトが呼びに来てくれて、・・・中へ。


Kの言葉を借りると「ほがらかな」男の先生が、いきなりGuten Tag!(笑顔!)私もグーテンタークと、面食らいつつ返す。そのあと朗らか先生が、何か言ったけど聞き取れず。最初に何を弾きたいか聞かれるはずだと思って構えていたので「バッハ」と答えてしまった。今考えると聞き直せばよかったなあと思うけど、なんか、「バッハ」 と、出てしまった。

課題は、全部で5曲。バッハのあとモーツァルトと、バルトークを指定された。チャイコフスキーを弾けなかったのはかなり悲しかった。あともう1曲はカプリスなので悲しくはない。
最後に初見。初見は桐朋で先輩たちに鍛えられたおかげで割と得意分野。

終わると、朗らか先生が、Danke schoen!(笑顔) フォーヒャルトも笑顔。私もダンケシェ−ンと言って、なんかそういう雰囲気じゃなかったんだけど一応日本式?におじぎをした。
初見でバルトークを達者に弾いてくれた伴奏者にもダンヶシェ−ンと言って出て行こうとすると、朗らか先生が、首を伸ばしてこっちを見て「Auf Wiedersehen!」と手を振ってた。中国女子が笑顔で出てきたのは、これか?と思いながら、私もかろうじてアォフビーダ−ゼ〜ンと言って出てきた・・・・。

終わった。

韓国女子と結果が出るまで一緒にいた。まだ19だそうだ。8ヶ月ケルンにいるそうで、わたしより断然ドイツ語は上手い。韓国人だということで、「チョンミョンフン、好き」と言ってみたり、なんかいろいろドイツ語で話した。あんまり内容は覚えてない。弾く前より何倍も緊張していたから。

結果が出た!と「絶壁」が知らせに来て、みんなで学長室へ行く。一人ずつ入って聞く。
「笑顔」中国女子は、落ちた。
「絶壁」男子はまた片手を突き上げて、出てきた。受かったのだ、コンタクトなしで。
韓国女子も落ちた。スペイン男子も落ちた。みんなに先を越された控えめな日本人は最後に中へ。



震えながら自分の名前を告げると、・・・・彼は肩をすくめて、
ゆっくり首を、横に振った・・・・・。




それからはなにも考えられなかった。
帰りに買い物してかえろうと思って袋持ってきたけど、その気力さえ無い。見るもの全てがいつもと違って見える。
部屋に戻って一人になると、もっとつらくなった。Kにまず報告。Nにも電話。これからどうするかという話にどうしてもいってしまうけど、本当に、考える気力が無いという状態だった。こんな状態にまでなったことって今まであっただろうか?
することがないので、化粧を落として、布団に入った。でも頭の中をこれからの事ではなく、今日なぜこうなったかという事ばかりがぐるぐる回っている。寝れるわけない。Kさんに言われたとおり先生だけが全て分かっているんだから、先生と話すのが最初だ。布団の中でどんどん想像してしまう。でも、それは意味の無いこと。本当はどうなのか知りたい!

布団から飛び起きて、先生に電話した。・・・・留守電。何度もかけなおすが、ずっと留守。もうバンベルクの家に帰ってしまったのかも?先生と奥さんの家はバンベルクにある。電話してみる。
奥さんが出た。「明日の昼に帰ってくる」そうだ。

再び布団へ。時々、さざ波のように悲しみがおそって来る。つらい夜だった。

翌日は昼までむりやり布団の中にいた。眠っていたかった。眠っていればあの波におそわれないから。目が覚めてしまったことが悲しかった。

12時ぴったりに電話した。奥さんに13時に電話してと言われた。12時はミッタ−クじゃないのか・・・?
13時に電話。「Forchert」 あの声だ。
ノブコ。と言うと、
「電話で話すのはよくない、明日学校に3時くらいに来なさい。レッスン室の前で。いい?じゃ、ザヨナラ(日本語)」
と言われた。
先生はそんなにいつもと変わらなかったが、私は先生のザヨナラに、反応する余裕すらない。

とにかく、今か今かと私からの連絡を待ってるに違いない人にだけ、言葉少なにメールで報告。それを見た、Tから国際電話。あ、伸の声久しぶり・・・と言われてすこしうれしかった。だいぶ気が晴れた。
夜、Aからも電話。元気が少し出てきた。

ビザのことも考え始めた。語学学校に通うということで経済的にどれだけ大変になるのか計算すると、また悲しくなった。

Nがミュンヘンフィルの「オーケスターアカデミー」のオーディションがあるけど、どう?と、メールで教えてくれた。でも10日後。もちろん受かるわけないのだが、一度そういうところで弾いとくのも悪くないと思って、やることにした。課題はモーツァルト。午前中さらってみた。モーツァルト特有の明るさにちょびっと元気が出た。 

午後学校へ。最初に、先生は「分かってる?」と聞いた・・・。

伸「???」
 
先生「君は合格した」 

伸「?!?!?!」 先生の顔を穴のあくほど見つめる私。 

先生「合格」
伸「でも不合格と言われました」 
先生「君は1年ここで勉強できる」 伸「?」 
先生は、1年ここで勉強できると、私のノートに書いてくれた。
先生「なんちゃらかんちゃらコンツェルトエグザーメンがどうのこうの」伸「?」 
先生「OK. 誰か日本人に通訳してもらおう。今探しに行こう。Komm!」 
そう言って先生はロビーに出て、アジア人に片っぱしから声をかけてくれた。私も日本語で「日本人の方いませんか?」とやったけど、ロビーには日本人はいなかった。
先生は今度は守衛さんにきいてくれた。守衛さんが教えてくれた部屋にいくと、日本人のピアノのやさしそうな人が伴奏合わせ中だった。
先生は、彼女を通してこう言ってくれた。

「今年から学校がシステムを変えて、すでに大学を卒業したという資格をもってる人にはKAの受験資格がなくなった。そのため事務的に私はKEの試験を受けたことにされていた。KEには点数が足りなくて落ちてしまった。でもKAに合格する点数は取れていた。システムのことを知らせないで受験させたのは学校側の落ち度なので、KAの最終学年のところに入れることにした。それでどうか?」  
 KA ; 2年で卒業するコースがあり、ほかの大学を出てからでも入れるというコース。(だった。)
 KE ; ソリストのためのコース。ここに入るのは国際コンクール級に難しいと聞いてたので、もちろん私が受けるコースではない

どうか?と聞かれているので「喜んで」と、通訳してもらった。
彼女は親切に、1年で試験(卒試)を受けなくてはいけないのかと聞いてくれた。けど先生は知らないらしい。

彼女と合わせ中だったバスの人にお礼を言って、部屋から出た。その瞬間、ぐっとこみ上げてきて、・・・・声が出なくなった。きっと先生が私をとるつもりでやってくれたことなのだろう。併願しろと言われたこともあるのに・・・。
ダンケと言った瞬間に、我慢しきれず、涙が・・・。先生は、私を抱きしめてくれた・・・。

展開が早くて、実感わくひまがない。でも帰り道、いつもの光景も、見る物全てが違って見えた。一度帰って夜ピアノをさらいに再び学校へ。

土日はひたすらテオリ−の勉強。16日の朝、日本から、Tが到着した。Hbfで会い、受かった。と、報告。1時間だけマックでお茶した。朝マックおごってくれた。ティ〜は胸がいっぱいでお腹すいてないと言ってた。私も来た日のことをちょっと思い出した。ずいぶん前のことのような気がする。



18日月曜。24歳になった。
7時半に学長室に行って、確認すると、またあなたは不合格ですよと言われた。拙いドイツ語で必死に説明したが、いまいち分かってもらえない。でも先生がノートに書いてくれたのを見せたら、ころっと態度を変えて、じゃあ今日の試験を受けなさい。と、言われた。もう〜心臓に悪い。この人はなかなかくせものだな。あとでまた今日の試験の合否を聞きにここに来るのだ。想像するだけでいや〜な気持ち。

口笛ピーピーならして、大きな帽子をかぶった男の人が、試験の部屋に出入りしていた。この人が一人でテオリ−、聴音、ピアノの試験を全部やる先生だと分かったのは、試験が始まってからだった。

テオリ−は問題数は少なかったが、勉強したところが出ていたので、ヨカッタ。聴音は、屁?ていうレベル。日本の学校の聴音は相当なレベルだという事がわかった。
それらが終わって、ひとりずつテオリ−口頭と、ピアノの試験。いくつかの問題で、問題の意味を取り違えたが、間違った答えを言うと、説明をしなおしてくれるというやさしい先生だった。初見(うた)もあったが、これは聴音と同じくカンタンだった。
日本ではやったことないなと思ったのが、先生があるメロディを弾いて、つづきを即興で創って歌うというもの。思いつくままに歌ってたら最初の調に戻らずに終わってしまった。これは多分点取れてない。即興の能力じゃなく楽式論の問題だったことに気づいたのは終わったあと。
あと、先生が4小節のリズムをたたく、それを即座に繰り返すというもの。これもやったことなくて、最初意味が分からなかった。

ピアノはなんとKAWAIだった。さらった甲斐あってまあまあ。緊張も全くしなかった。先生がやさしい人で、ゴッツァイダンク。

それにしても、こっちってほんとにどんなときでも挨拶することを忘れない。試験であろうと。
日本のあの張り詰めた空気を思うと、挨拶ひとつでこっちの気はずいぶん楽になるんだなあ・・・と思う。

なぜか次の人たちが誰も来ない。韓国女子3人まとめてだ。おかげで私たちの合否判定もでない。絶壁男子と待っていたが、この待つ時間というのがどうも嫌!じっとしてるといろいろ考えちゃうんだもん。なので、どっかでピアノさらってるかも?と思って、探しにいくことにした。
ドイツ男子(18)と、絶壁男子が一緒にいたので一緒に探してくれないかな?と思ったけど無理だった。
探すといってものぞき窓がないので、ノック→開ける→謝るという繰り返し。学校中のすべての練習室を見たけどいなかった。

12時になって、事務が閉まると、ドイツ男子は帰ってしまった。また3時ごろ見に来る!と言って。

絶壁男子に誘われ、メンザに食事をしに行くことにした。学生料金は安い!!(もちろん私たちはまだ) 日替わりランチで4DM(二百円強)。あまりおいしくないけど、安いということはよくわかった。そこに偶然現れたのは、U氏。「なんか残念だったそうで・・」と、言われてしまった。事情を説明・・・。その間絶壁男子ほったらかし。

食べ終わって、絶壁男子に誘われるまま行くと、着いたとこはホール。(学校内。)そういえばYukiちゃんが今日はオケだと言ってた。演目はフィガロ。しかも衣装も化粧もしてる。お客さんも少しいる。公開リハーサルといったところか?
学生オケと、学生シンガーでも、モーツァルト満開だ。日本人は大の大人が集まってもなかなかこれが自然に出せないのだ。表面的に(音の長さとか)真似するんだけど、何かが違う。血というものか・・・。

さっきの場所に戻り、再び待ちの時間。また緊張してきた。1時半になると事務が開くので、覚悟を決めて学長のところへ。あのときの思いがいやでもよみがえる。いよいよ本当のクライマックス・・・!!怖い!

おびえながら入り口のところで名前を言うと、「そんなオドオドしないで、堂々と入って来い!!」と言われてしまった。真似までされて・・・。
くせものの彼は、合格とはいわず「1年」としか言わない。今日の試験パスしたんですか?と、こっちから聞くと、軽く
「JA」

やった!とうとう!ついに!!!!!!

電車の中でもバスの中でもニヤニヤしてしまう。Kに報告したい!のに彼女は今音楽祭に参加していて、Frankfurtにいない。


学校の掲示板からZimmer Frei!315DMというのを見つけたので、家から電話かけたら、「今日の夜8時に来て。」と言われたので行くことに。これこそ「勢い」だな、と思いつつ。
電話で聞いたとおりにいくと、なんか見覚えがある光景が・・・なんとKんちのすぐ近く!!すごい偶然。

ほかに3人いるみたいだけど、その時いたのはひとりで、電話に出たのとは違う人。そのアパート自体がセンスよくて、中も、すっごいいい感じだった。新しくて、色は青系で、きれいだし。部屋は狭かった。とても。それ以外は完璧。
彼女はバス科のフランクフルトの学生だって!つまり練習していいってこと!立派なキッチンもあるし、とにかくセンスがいい。でも、あしたもうひとり部屋を見に来る人がいるので、話し合いをしてどっちかを選ぶと言われた。


2001年06月16日(土) 詳しくはのちほど。

日記に書くべきことがすごくたくさんあるが、この数日間のことは改めて時間をかけて書きたい。

入試と関係ないことで、ちょっとだけ。

まず、今日通り雨ならぬ、“通りヒョウ”があった。おもしろかった。雷が鳴り始めたな・・・・と思ってたら、バラバラバラバラ!と変な音・・・見ると、窓をすごい勢いで雹(あられか?)が打ちつけている!びっくり!バケツの「BB弾」をひっくり返したみたいな感じ。しかもそのあとは、かあっ!と一気に晴れて、窓も地面もみるみる乾いてったのでした。

2つ目。今日覚えたドイツ語「GOTT SEI DANK!」
なんか聞いたことあってずっと気になってて辞書を引いてみた。
意味は、「やれやれ ありがたい よかった」。
そのあと、いつもつけっぱなしでほとんど聞き流してるテレビから、なぜかこの「ごっつぁいだんく!」がいろんな番組の中で立て続けに聞こえてきた!うそみたいに。こうやって言葉って覚えていくのね・・・と、実感。

3つ目。BARTOKのディベルティメントが聞こえてきたのでチャンネル回しを止めると、なんとバレエなのだった!!ペンを持つ手が止まってしまい最後まで見てしまった。すごくすごくおもしろかったー!!
私もこの曲にはイメージを持っているので「分かる分かる!そんな感じ!」と思ったり、、思わなかったり。非常に楽しんだ。演奏もすばらしくって、終わったらチェック!と構えてたら、やっぱりさすがのオルフェウスでした。ソロうますぎるぞ〜!思い出のいっぱい詰まった大好きな曲だなあほんとに。なつかしい。


2001年06月14日(木) きのう、試験終わった。

落ちた。実技で終わり。

ずっと日記もさぼってたが、きのう、実技の試験だった。あーあ・・・・。やっぱ入りたかった。これからどうしよう。
先生に電話したら、電話じゃなくて、あした学校に来て話そうと言われた。こういうときに一人暮らしってつらい。夢だったらいいのにとか、本気で思ったのはひさしぶり。食欲がないのもひさしぶり。吐き気がする。


2001年06月06日(水) 在独1ヶ月です。

6月6日、雨。雷雨です。日本からメールをくれる友人たちが皆そろって言うには、日本はすっかり梅雨入りらしい。ドイツはなぜかここんとこ寒い日が続いています。といっても、ほとんど外に出ていないけど。

あと一週間だなあ・・・・・。すこし疲れてきてるのか、朝起きるの苦労したり、こう、だる〜い感じなんだよね。やばいね。いや〜それにしても!1ヶ月経った〜〜〜!


2001年06月04日(月) そんなこと今考えたくないのに・・。

朝、マテスが「Miete」(家賃)と言って、部屋に来た。払うと、7月も借りるかどうか早めに知りたいと言ってきた。不動産に電話するから・・だそうだ。試験次第だし、寮に入れたら入りたいので、決めかねている。試験が終わったらどちらにしてもやることはたくさんある。住民登録、滞在許可・・・。寮はすぐに入れるか分からない。空きがなければ入れない。もうひと月ココ借りるか・・・・・。なんと、今日も休日!祝日。知らなかった。買い物袋持って出かけようとしたら、マテスに止められた。あ〜あ・・・。昨日パン全部食べちゃったよ。


2001年06月01日(金) 近づく入試!

試験の参加申込を提出しに学校のゼクレタリアート(事務)へ。一応訊いてみた。
「大学を出てるのに、これらの試験を受けないといけないんですか?」 
「隣で訊いてみなさい」と、事務の女の人。隣=学長(かなぁ?多分違う)室。少し待たされ、再び「大学を・・・・」「でも全ての外国人はやらないと駄目とココに書いてあるだろ?」(←ジェスチャーで察した)「やー・・・」 ・・・即答。あっけない。

そのあとHauptwacheまで歩いて、ノートを買うため文房具やを探すがないのでデパートへ。文房具は日本の方が数もあるし、その分安いなあ。デパートだからかな。CITIBANKでお金を下ろしたら1DM=53.8円也になってた。来たとき57円だったのに日本で何が起きてるの???

HauptwacheにMarkt(市場)が出現。金曜日だからとか、きっと周期があるはずなので、それを知りたい。雰囲気はなかなか盛り上がってるけど、冷静に見ると安いわけではない。でも、新鮮!安心!っていうのは分かる。八百屋、チーズ屋、菓子パン屋、などなど。いろいろあったのに結局、言い慣れているBratwurst mitBroetchenを買ってその場で食べた。


  
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