宇宙人がやってきた
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2002年02月25日(月) 有森サンみたいですが・・・

1才8ヶ月のリスケは、まだ喋れない。

いただきます、ごちそうさま、の「マー」
ジュース飲みたい、の「ジュー」
アンパンマンのつもり「パンパンマン」

・・・これだけ。
パパもママも言えないし、「うん」や「ううん」も言えない。
要求を訊ねれば、
肯定なら「ハーイ」と手をあげる、又は「クレーン」
否定なら、力いっぱいブンブンブンと首を振る。

ごはんは、7ヶ月から自分で食べるが、「手づかみ」
1才8ヶ月現在も、「手づかみ」
フォークを与えると、右手で握りしめ、左手で「手づかみ」
食べさせようとすると、キッパリ拒否される。

1才過ぎまでは発達が早く、常に平均の2ヶ月は先をいっていた。
なのに、1歳半健診では明らかに「遅れ」がある。
兄、コータと同じである。

発達の仕方もよく似ている。
「できること」と「できないこと」の・・。

普通なら、上の子と同じ過程で発達していけば安心するものであろう。
が、うちの場合は、共通点が現れる度に、それが「心配の種」になる。

最近では、兄妹で「爪先立ち歩き」をして
ビデオを観ながら、2人で廻っている。・・「Wクルクル」である。
2人して奇声を上げながら、くるくる廻る姿に倒れそうになる母。

染之介&染太郎だって、廻るのはひとりだよ。
あ、あれは「廻る」じゃなくて「廻す」か・・・。

ご存知無い方の為に、少々注釈。
「爪先立ち歩き」も「くるくる廻る」も、
自閉症の子がよくやる行為のひとつです。

呼んでも振り向かない、外へ行ったとたんに「多動」
危険に対する認識が無い。・・・着実に、同じ過程で進みつつある。

限りなく「クロ」に近い、グレーな女リスケ。

だが、そんな彼女にも、たったひとつ兄と違う部分がある。
コータと違って、「母子分離」が全くできない。
自閉っ子でも「母子分離できない子」はいっぱいいるので
だから「自閉症じゃない」とか、そういうことではない。
多分、兄とはタイプが違う・・そういうことでしょう。

1日中私のあとをついてきて、少々ウンザリする。
買い物に行った時、夫が子供2人を連れて先に車に戻ることがある。
用事を済ませて車に戻ると、コータは、ただニコニコするだけだが
リスケは、満面の笑顔の後に、「ワーッ!」と泣いて飛びついてくる。

涙とハナでぐちゃぐちゃになった顔で、しがみついてくる。
この瞬間、私はいつも泣きそうになる。
愛しくて、嬉しくて、胸がいっぱいになる。

子供って可愛いな、オンリー・ワンというのは、こんなにも幸せなことなんだ。

思えば、いつも「片想い」だったコータの子育て。
こんな喜びを知らなくても、私は彼を愛し、精一杯やってきた。
今でも、これからも、それはきっと変わらないだろう。

そう思ったら、なんだか少しだけ自分を誉めてやりたいような、そんな気がした。




2002年02月20日(水) 教えて、しまじろう!

ご存知の方も、多いだろう・・・「こどもちゃれんじ」
ご多分に漏れず、我が家でも毎月購入している。

1番初めの「ぷち」からだから、もうじき4年目になる。
コータは早生まれなので、1才になったとほぼ同時に始めた。
「ぷち」は、良かった。問題なかった。

2才になって、「ポケット」
この辺から、ちょっと怪しくなってきたが
近所に4月生まれの子がいて、うちは2才、その子は3才。
差があって、当たり前・・とか、思っていた。
そういう問題じゃ、なかったのよね・・・今、思えば。

3才になって、「ほっぷ」
もう完全に、製作側が意図したようには、遊べていない。
私も、絵本の「切ったり、貼ったり、メンドクサイ」作業を
ほとんど、やらなくなってしまった。

それでもビデオは、喜んで観ているからいいや。と思っていたが
ある日、子らと一緒にビデオを眺めていた夫が「ちょっと」と呼ぶ。
最初だか、その次の号だかのビデオを見ていたらしい。
「どんぐりの成長記録」みたいなのを、やっていた。(記憶、あやふや)

「これは、無理だろう」と、夫が言う。
コータは・・・と、見ると、やはりボンヤリしている。
「だんだん、追いつけなくなってくるね・・・」と、夫と言いながら
そろそろ定期購読をやめようかな、と頭の隅で考える。

そんな時、どなたのHPでだったか
「次の年も、同じランクのものを与えている。」というのを拝見した。
そっか、ちゃれんじに事情を話して
「レベルアップなし」の継続を、お願いすればいいのか。なるほどなるほど。

試しに、「ぽけっと」(ひとつ前のレベルですね)でも
特にお気に入りだったビデオを、かけてみる。
・・・チラ、と見て知らん顔。
何本か、かけてみたが反応がほとんど無い。

じゃー、と「ほっぷ」をかけると喜ぶのだ。
「どんぐり」も「おやこえいご」も、わからないだろうに
“おべんきょう”のコーナーは、「オウム返し」で乗り切り
大好きな歌や踊りになると、大喜びするのは今までと同じ。

コータにかかると、どの唄もみんなオリジナルのラップになる。
踊りも、本人なりにバージョンがあるらしいが、全部ラテン系に見える。
それでも、本人は「ノリノリ」で、楽しそう・・・。

さっき“おべんきょう”と書いたが、これは“しつけ”や“ルール”のことだ。
「あいさつをしましょう」とか、「しんごうを、みてわたろう」
こういうのが、わからないのだ。
オウム返しで「あっとう(ありがとう)」や「あかー(信号)」を言うが
絶対に、理解できていないし、私がいないところでは、まず無理。

数字や、ひらがなの方が、彼にとっては「わかりやすい」のだ。
常に同じ形状で、「変化がない」から。

それでも、最近はセンターでの遊びを通して
「順番」というものを、少しずつ理解し始めているようだ。
「順番が、なんであるか」ではなく「順番、守るもの」という感じだが。

「ほっぷ」の絵本の方も、最近はよく眺めている。
めくる感触を楽しんでいるのかな・・と、(そういう時期があった)
思っていたら、そうでもないらしくお気に入りのページで遊んでいる。
なのに、工作してやらないズボラ母・・・だって、ホントめんどっちーんだよ。

もう、2月も後半。
どうしようかな・・・。「ほっぷ」を、もう1年か
新しい「すてっぷ」に進んでいいものか・・・。
うーん、どうしたもんか・・・悩むよ〜・・・。
・・・みなさんは、どうしているの・・・?


2002年02月15日(金) 息子の誕生日

今日は、コータの誕生日です。
4才になりました。
4年、経ったのですねぇ・・・。

テレビでは、連日冬季オリンピックを放映しています。
息子が生まれたのは、4年前の冬季オリンピックの時でした。

病室の枕元にあるテレビで、ジャンプの表彰式を見ている時
新生児室では、コータがスヤスヤと眠っていました。
看護婦さんが不思議がるほど、泣かない赤ん坊で
授乳時間に行くと、他の赤ちゃん達が大合唱で泣いている中
いつも、ひとりスヤスヤと眠っていました。

腕の中で眠る小さなコータが、愛しくてたまらなかった。
いじらしくて、大切で、幸せなのに見ているだけで、涙が出た。

子供の誕生日が来るたびに、
「生まれたその日」を思い出すのは、どの親も一緒であろう。
けれど、そのあとに思う心は、気持ちは、同じだろうか・・・。

「こんなに、成長して・・・。」という感慨は、もちろん、ある。
でも、それだけではない違う感情もある。

「あの時は、普通の赤ちゃんだったのに・・・。」
「このまま、このままでいてくれたらいいのに・・・。」
「いずれ、私達がいなくなったら・・・。」

必ず、こんな感情もいっしょなのだ。

ただ嬉しいだけだった誕生日は、1才の誕生日。
それ以来「幸せな誕生日」は、私達夫婦には無かった。
2才の時も、3才の時も・・・。

息子の存在を無視した、エゴイズムな気持ちだとは思う。
けれど、これから誕生日を迎える度に
この辛さや、苦しさは、きっと大きくなっていくんだろうな・・・。

コータは、おとなしい、可愛い奴なんです。
もしかして「どうしても、譲れない『こだわり』」なのかもしれない事でも
時に、私が、強引にねじ伏せてしまうことがある。
そんな時も、ポロポロ泣きながら「ゴメン、ママ、ゴメン」と謝る。

つくづく神様を恨みたくなるのは、こんな時。
「なんで、こんな障害を、作られたのですか・・・?」と。




今日、息子に用意されているのは
「誕生パーティ」ではなく、「耳鼻科の診察」と「予防接種」
やはり、可哀想なコータなのでした・・・。


2002年02月13日(水) 風邪ひきました その2(お食事中の方はご遠慮下さい)

風邪っぴき、4日目。
昨日までは「熱」「節々痛」「鼻&ノド痛」「咳」だったのだけれど
昨夜から、モーレツに胃が痛い。あまりの痛さに、七転八倒。
「ただいま〜」と帰宅した夫に「オゲ〜ッ!」とトイレから、返事。

夫が帰ってきたので、何とか、布団に横になる。
すぐに歓声を上げ、飛び乗ってくる子供達・・・勘弁してくれ〜・・・。

じっとしていると、余計に痛さが研ぎ澄まされる。
そろそろ次が、来そうだな・・・来た・・・クーッッッ・・・。
しかも、その間隔は、どんどん狭まってゆく。
・・・これは、まるで陣痛のようではないか・・・。

苦しみ悶えた3時間余り、赤ん坊が産まれることも無く(当たり前だが)
やっと、間隔が少し開いてきたので、ウトウトする。
翌朝(つまり今朝)、「38度あるけど休めない」と言いながら夫が出勤。
かなり辛そう・・が、本当に休めないのだ。なんとかしてよ、小泉純ちゃん・・。

今日になっても、胃が痛い。痛い痛い痛い。
でも、最低限やらなきゃいけない家事をやる。

気はあせるが、ノロノロと家事をしていると、電話が鳴った。
「あたしぃ〜、元気〜?」と、のんびりした友達の声。

元気じゃない、風邪ひいてる。そう言うと
「あたしなんて、風邪ひくヒマも無いわぁ〜」
別に、ヒマで風邪ひいたわけじゃないんだけど・・・。

浮かない声の私をよそに、職場の上司の悪口から子供の自慢まで、延々と続く話。
悪いけど、具合悪いから・・と、切りたい旨を伝えると
「お大事にねー、寝てられてうらやましい気もするわ。
私は、働いてるから寝込めないしねー・・・。」と電話を切った。

普段、「そーねー」と、相槌を打てる事も
調子が悪いと、ことのほかカチンとくるものである。

もう少しで
「でも、『馬鹿は風邪ひかない』って、言うしね。」と、言うところだったよ。


2002年02月12日(火) 風邪ひきました

連休を利用して、夫の実家へ行きました。
お正月に行く予定が、リスケの骨折騒ぎで延び延びになっていたのです。

朝、支度をしながら「なんか、ちょっと・・・」とは思っていた。
かったるいし、ノドも痛い。
でも、そこはホラ、あんまりそういうこと言うと
「行きたくないワケ?」とか、夫に誤解されるのも、なんなので
「気のせい、気のせい・・・」と奮い立たせて、出発した。

連休のせいか、道路がすごく混んでいる。
我が家は、横浜の片田舎で「行楽地」が近くにいっぱいあるので
休みの日とかは、渋滞するのです。

夫の実家に行く時は、その晩の「お酒」や「食料」を買っていくので
いつも行くスーパーに寄ったが、車から降りられない。
悪寒と体の節々が痛くて、気分も、ものすごく悪い。
夫が買い物を済ませ、義母の元へ到着。

挨拶もそこそこに、布団を敷いてもらい横になる。・・・久しぶり。
「熱を出して、布団で横になる」当たり前のようなことが
一旦、子を生むと、なかなかできないのだ。母達は・・・。

2時間ほどウトウトすると、義母たちの声で目が覚めた。
どうやら、夫が子ども達をお風呂に入れてるらしい。
コータを先に入れて、その後リスケを入れるようだ。

夫の声が聞こえる。
「コータ出るから、リスケを連れて来てー。」
義母の声。
「リスケちゃん、寝ちゃった。一生懸命、起こしたんだけど・・。」

こういう日は、子供も疲れていて早く眠くなるのは、わかっているんだから
なんでもっと早く、お風呂に入れないかな〜・・・。
夫に、ちょっと腹を立てるが寝ている身なので、文句も言えない。

そのうち夕飯の支度が出来上がり、それを頂いて、また横になる。
うつらうつらしていると、夫がリスケを抱いて部屋に入ってきた。
「リスケ、熱出た。」
・・・えー!ホント〜?・・・
確かに、熱い。おでこに「冷え○タ」を貼られている。

「ウトウトしては、ヒーヒー泣く。」を繰り返す娘。
何時ごろだったか・・2時か3時か。
泣き続ける娘に、飲み物を、と思ったが
私が体を動かしただけで大泣きする始末。具合が悪い時は、いつもだが。

娘を抱いたまま、隣でグーグー寝てる夫を
足の先で、チョンチョン・・・、起きない。
も少し強く、トントン・・・、起きない。
失礼して、ドカッドカッ・・・、殆ど「蹴り入れ」

「エ・・・ナニナニ・・・?」
朦朧としてる夫に「ジュース、持ってきて。」
朦朧としながら持ってきたジュースを、歯を食いしばって飲まない娘。
「いらないみたい。」また、バッタリと寝る夫。

次の日も、起きられない私たちを置いて
夫と、義母と、コータの3人は、義父のお墓参りに出かけた。
↑こういう組み合わせって、義母は、結構楽しかったのではないだろうか・・。

その夕方、帰ってきたが
「嫁」をしに行く筈が、「病人」をしに行ってしまった。
お義母さん、本当に、ありがとうございました。


2002年02月05日(火) 私のこと

結婚するまで、O線のM市に住んでいました。
そこは、他府県の方でもご存知なくらい、福祉に力を入れてる地域。

うちのそばには版画美術館があり、展示物を観たあと
ティールームに行くと、
障害者とおぼしき人が、お茶を運んで来てくれる。

駅前では、車椅子の人やボランティアの方々が
常に何かを呼びかけている。

当時、私は1人住まいで、働いていました。家族、猫1匹。
仕事は、インテリアデザイナー。
なに、内装屋です。

お客さんと打ち合わせをして、好みを訊ね、予算を伺い、見積もりを立てる。
図面を引いて、細かいデザインを打ち合わせOKが出れば、契約成立。
職人さんを手配して、現場の監督をし、完成したら「引渡し」、終了。
現場は色々です。横浜の時もあれば、埼玉、千葉の時もあり
遠かった記憶では、千葉の旭というところで、
九十九里の、国民宿舎に泊まったりもしました。

現場が重なると、家にも帰れなくなり、現場近くの銭湯行ったり
合間を見て、コインランドリーで洗濯したりしてましたね。
友達にコンパに誘われ、やっと駆けつけても、汚い作業ズボンに
三色ボールペンを胸ポケットに差してたりして、嫌がられました。

初めにいた会社の関係で、殆どが美容院の仕事でしたが
日に3件、美容室をハシゴしても、自分は何ヶ月もカットしてない状態。

そんなわけで、収入は多少良かったです。
同年代のOLさんよりは、稼いでましたが
そのぶん、税金もガッポリ取られるわけです。
分納してましたよ。借金して払ったこともあります。
いっぱい払って、ちょっぴりしか寝られず、いつも疲れてました。

仕事は楽しかった。
1枚の白い紙から、どんどん形になってゆく。
完成した時の喜びは、何度経験しても色褪せることはなかったです。

でも、やっぱり疲れていた。
寝不足のボンヤリした頭で、東急ハンズへ行こうと駅前を歩いてた。

例によって、ボランティアの人達が叫んでいます。
支えられて立っている、肢体不自由の人もいる。

ふと、顔を上げた時、ボランティアの方と、目が合った。
「お願いします!」と呼びかけられる。
サイフを出して、中を見る。小銭が、全くなかった。
1万円札が、数枚。千円札も、なかった。

駅まで行けば、売店がある。そばには、丸井もある。
両替してくることも考えたし、そうしたこともある。
けれど、その日の私は、とても疲れていた。

それで「ごめんなさい」と小さく呟いて、そのまま行こうとした。
熱心なボラさんだった。「お願いします!」と、頭を下げる。
「持ち合わせがないんです。ごめんなさい。」丁寧に言ったつもりだった。

その時、そばにいたリーダー格らしいボラさんが、こちらを見て言った。
「そんなに無関心でいいんですか!?他人事じゃありませんよ!
もっと、弱い立場の人間のことも、考えて下さい!!」と。

振り返る人もいた。「すみません」と頭を下げ、逃げるようにその場を去った。
足早に歩きながら、だんだん腹が立ってきた。モーレツにくやしかった。

「他人事じゃありませんよ!」ええ、他人事じゃありません。
頼れる親もなく、たったひとりで自分の「食い扶持」稼いでますから。

「弱い立場の人間のことも考えて下さい!!」確かに、普段考えてません。
でも、この市は高いんです。税金をいっぱい払ってるんです。私達。

いっぱい働いて、いっぱい払って、最近視力が落ちて
これからメガネを、新しくしに行くところなんです。このお金で。



その数年後に、まさか自分が障害児の親になるとは、夢にも・・でしたね。
かといって、あの時の私の「やりきれなさ」を、そう理不尽だとは思わない。

ともすれば「しょうがないじゃん、うちの子障害者なんだから」と
甘えた心になりそうな(そういう性格なので)自分を戒める為にも
憶えていたい出来事で、感情なのです。

相手の立場に立てないと、真の「バリアフリー」も理解できないまま
求めるだけ、甘えるだけ、主張するだけ、の弱者になりそうな私なので・・・。


2002年02月01日(金) けどさ・・・

先週、リスケの1歳半健診を受けた。
「指差し」今回も、できなかった。
言葉もまだ。
当然、引っ掛かりました。

「このあと個別で・・・」と例によって「居残り」を告げられる。
「療育センターの方に、相談していますから」と、断ると
「でも、地区の保健婦も様子を見て行きたいし・・」と言うのを
「・・あまり、意味がないと思いますので。」と、強引に終了。

このところ、積み木をひたすら積み上げたり
クルクル廻ったりしている娘。
そして、クレーン・・・。

夫と、もし、3人目を産んでも、「また」なのかねー・・と話す。
作らないけど・・・。

で、その話をセンターでしてると
「でしょう?だから、私は2人目は作らないの。また、だったらヤダから。」

と言った、お母さんがいた。

ひとかけらの悪気もなく、そのお母さんは言ったのです。
わかっているけど、何も言えなくなってしまった私。

じゃあ、
「障害の可能性のある子」は、産んじゃいけないの?
「障害の可能性のある子」は、望んでもいけないの?

そして、
「障害を持つ、貴女の子」は、生まれてきたことが、「間違い」なのですか?

息子の障害は、恥ずかしいことではない。
明るく、楽しく、堂々と、人生やっていきたいね。と、いつも思っている。

もちろん「キレイ事」では、すまない。
途方に暮れることも、ままある。

「障害」への受け止め方も、考え方も、ひとそれぞれだろう。
BEING MOTHERもいれば
DOING MOTHERもいる。
そして、受け入れられず、苦しんでいるお母さんもいる。

けれど、全くそういう状況にいない人たちより
少なくとも、同じ「痛み」を知っていると思っていたので
なんだか、とても淋しかった。

きっと、こんな風に考えてしまうのは「穿ち過ぎ」で
私の方こそ、相手を「思いやれない」未熟な人間なのだろう。


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