宇宙人がやってきた
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2001年12月29日(土) コーちゃんへ・・

もうすぐ今年も終わりだね。
コーちゃん、君にとってどんな1年だった?

ママはね、辛く苦しい1年だった。
今まで生きてきた中で、1番苦しかった。

打ち消そうとしても、漠然と湧き上がってくる不安が
初めて“自閉症”“障害”という形で、突き付けられた時
ママは壊れていく自分を、どうにもできなくて
死ぬことも考えました。コーちゃんを連れて。

誰の言葉も耳に入らず
何を読んでも、心に響かず
そこにあるのは、絶望だけだった。

自閉症のことを、どんなに勉強しても、どんなに教わっても
頭に心が追いつかなかった。

「どうして、こんなことがわからないの!」と怒鳴り
「なんで、そんな変な声を出すの!」と叩いた。

ある日、コーちゃんの髪についてたゴミを取ろうと手を出したら
コーちゃんは、ギュッと目をつぶって頭を手でかばったよね。

何を、何をしているんだろう私。
こんな目に遭わせる為に、この子を生んだんじゃない。
2日がかりの難産の末、仮死状態で産まれて来たコータ。
ただ、助かってくれれば、生きてくれれば何も望まないと、あんなに祈ったのに。

この1年、コーちゃんはうんと頑張ったよ。

外では一歩も歩かなかったのに、今は眠くても我慢して歩くし
ごはんも1人で食べられるようになったね。
センターでも、お弁当を自分で食べたり、椅子も運べる。
順番だって、少しは待てるようになった。

他のお友達はできるのに・・って、悲しかったこともあったけど
今のママは、コーちゃんしか見えてないから
どんな小さなことでも
コーちゃんが、初めて歩いた日と同じくらい嬉しいんだ。

たくさん時間がかかっちゃったけど
やっと、心から思えるよ。

コーちゃんで良かった。
コーちゃんじゃなきゃ、やだ。
コーちゃん、ママを選んでくれて、ありがとう。
自閉症ってわかる前より、今のコーちゃんの方がうんと好きだよ。

来年は、もっと楽しく、もっと元気に過ごせるといいね。
春になったら、初めて1人でセンターに通うことになるけど
新しい毎日がコーちゃんにとって、楽しいものになること・・・。
今のママのお願いは、ただそれだけです。

来年も、たくさん、たくさん、面白いことしようね。
いっぱい、いっぱい、いろんな所へ遊びに行こうね。

でも、もうひとつだけ、お願いきいてくれるなら
・・・オシッコ、出る時教えてね・・・



















*)つたない親バカ日記を、読んでくださって有難うございました。
  皆様もどうぞ良いお年を。そして、来年もよろしくお願い致します。










2001年12月26日(水) 遅くなったけど

息子が「自閉症の疑いあり」と専門家に指摘されても
本に書かれた“自閉症の診断基準”にいくら当てはまっても
私は納得がいかなかった。

「うちの子にかぎって」的なことではなく
「思いあたることが、たくさんあって・・」というもの。
結果的に無知からくる思い込みという意味では一緒だったのだけれど。

なにしろ手の掛からない子だった。
お腹がすいても泣くわけでもなく
眠くなれば、いつのまにかソファで眠っているような子だった。

私が新聞を読んでいる時は、ビデオをみて
夕飯の支度の間は、足元で猫の缶詰を積んでいた。
読書もできたし、長電話もできた。

だから、いけなかったのだ、と・・。
もっと相手をしてやれば、違う息子が存在したのだ、と・・。

1才半の娘は、一日中私のあとを追いかけまわしている。
コータのドライな赤ちゃん時代しか経験してない私には少々鬱陶しい。
ころんだ、どこかぶつけた、といっては(喋れないけど)
ワーッと泣いて飛んでくる。

自分のコップを私に押し付け、キーキー言うので
「ジュース?」ときくと「ハーイ」と手をあげる。
コップについでいる間、小躍りしながら待っている。

手遊び唄、人形ごっこ、相手をしてやれば目を輝かせ
ふざけてみせれば、キャッキャッとウケてくれる。
反応があるから、遊びも自然とひろがってゆく。

・・・・・楽しい・・・・・。
子供と遊ぶのって、こんなに楽しいんだ・・・。

コータが平気だった電話や、読書も、彼女は許さない。
パソコンを始めると、子供イスを抱えてすっ飛んで来て
しばらくは、キーを打つマネなどをしているがそのうち怒り出す。
「ちょっと、待っててね」というと
ベソをかきながら、数少ない芸を一生懸命始めるので、慌ててやめる母。

まさに私がいなければ、“夜も日も明けない”のだ。
これが、普通なのか?
決して、個人差などではない。

コータは“折れ線型”といわれるタイプで
順調または少しの遅れ程度の発育だったのが、
ある時期から止まってしまう(実際は止まってしまうわけではない)
自閉症のなかでも、重い子が多いとされてるものなのだけど
そのガクンとスピードが落ちた時期、その頃に発症したのだと思っていた。
それまでは、普通の子、だったのだと。

違うんだね・・・
君は、初めから自閉クンだったんだね。
早く、気がついてあげれば良かったね。
おとなしいからと、聞き分けがいいから、と
君がホントはいやなこと、ママは気づかず、いっぱいしていたんだろうね。

ごめん、コータ。
これから、君にとって「必要な人」になれるよう頑張るね。
ありきたりだけど、君たちの笑顔が、ママの1番大事な「宝物」。











*注)表現に偏ったものがあるかもしれません。自閉っ子でも普通のお子さんでも
100人いれば100通り、は一緒ですので。あくまで親ばか日記という事で、どうぞ
お許し頂きたいと思います。





2001年12月21日(金) 自閉ネタではありません

私の愛機は「しょうがい」を「生涯」と、初めに変換する。
確かに障害は、生涯、終生、おつきあいするものです。
障害にも色々ありますが、私は障害を
「苦手な分野」「その人なりの事情」と考えています。

「そんなもの、誰だってあるだろう」と言われそうですが
そう、誰だって苦手があって、事情があるのです。
その度合いが“個性”と“障害”の分かれ目なのではないのでしょうか。

たとえば私、すごく目が悪いです。
昨日も大切な電話の途中、どうしてもメモがとれない。
書けないボールペンは、この間全部捨てたのに・・おかしいな
あせる私が握りしめていたのは、娘のマグマグのストローでした。

うっかり、とか忘れ物がすごく多いです。
3年前、息子が熱を出し小児科へ。
初めてじゃないから、決してあわててはいなかった。
診察券も持ったし、保険証に母子手帳・・うん、OK。
診察が終わり、さて会計「・・財布がない・・?」
ないないない!バッグをいくら引っ掻き回しても見つからない。

財布を忘れて愉快なのは、サザエさんだけだよ、いったい全体どうしよう。
そうだ、1才迄は医療費タダなんだっけ、あーよかった、ありがとう横浜市。

ホッとして窓口へ進み出た私に、会計のお姉さんは気の毒そうに言った。
「診察とお薬の方は会計ございませんが、お薬のビン代160円になります。」

勘違いや聞き違いも、すごく多いです。
私は一度も虫歯になったことないんだけど
10年前、結婚式を控え少しでも白い歯に、と近所の歯科医院へ。
歯医者なんて、小学生の時の“良い歯のコンクール”以来。

緊張している私に、先生は言った。
「口笛を、吹いてください」と。
・・は?口笛?なんでまた、苦手なんだけどな・・。

それでも私は一生懸命吹いた。曲はKANの「愛は勝つ」
♪し〜んぱ〜い、ないからね〜

先生は首を傾げると、もう一度言った。
「口笛を、吹いてください」
・・初診だからかな、それとも選曲がいけなかったのかな・・。

今度は、竹内まりやの「駅」
♪見覚えのあ〜る〜、レインコート〜

先生は溜息をつくと、マスクをはずして、こう言った。
「口紅を、ふいてください、と申し上げたんですが・・。」


2001年12月18日(火) 奇声の館

我が家には3才と1才の子供がおります。
ふたりとも喋れません。
ひとりは、障害のためで、もうひとりは、「まだ」喋れません。

上の子は、自閉症という障害のため
きょうだいとの関わりも上手く作れず、一緒には遊べません。
一緒には遊べないけど、ケンカはします。常にモメてます。

言葉がないので「ギエーッ!」とか「ギョエーッ!」のケンカです。
狭い家で、一日中これをやられると、頭腐りそうになります。

今日も今日とて、朝からもめてるアンポンタン二人・・。
初めは、ままごと○ントンのバナナでした。
それがいつのまにか、お仏壇の○せがわ〜♪のチラシの取り合いに。
あのね、そんなもの取り合ったってアンタらのお年玉じゃ買えなくってよ。

何かに似ていると思いつつ、思い出せなかったのがやっとわかった。
“バードピア”だ・・・・・。

関東近辺以外にお住まいの方は、ご存知ないかもしれませんが
横浜にマリンタワーというものがありまして、その中にあるんです。
“バードピア”
主に南国系の鳥たちが、たくさん飼われていて、それらが日々
「キエーッ!」「ギョワーッ!」と皆さんのお越しをお待ちしているのです。

「キーッ!」「ギャーッ!」と飽くなき戦いは続く。
“奇声ラッシュ”である“奇声緩和”しなければいけない母も
「こらーっ!いいかげんにしろっ!!」と、つい参戦。
一番、大きな怪鳥になってしまうわけですね。




*注:一部表現に不適切なものがありましたら、お許し下さい。
  「きょうだいとの関わり〜云々」はあくまで、うちの子の場合・・ですので。

というわけで、興味のある方はドーゾ(^。^)y-.。o○

http://www.eco-act.net/spot/sp008.html


2001年12月14日(金) Time after time

結婚も遅かったが、妊娠も遅かったので
コータが生まれた時は、いい年になっていた。夫も同じ。

障害児である我が子。
“親亡き後”は、いつでも頭の片隅にある。

私の母が他界した時、弟はまだ小学生だった。
自宅で、通夜、葬式を出した。
弟は通夜の間中、私のスカートの端を握りしめていた。
親戚の子供たちが、ドタバタと家中を走り回る。

「おねえちゃん・・」
私を見上げる目に、涙が溜まっている。

私たちの母は、きれい好きで、1日中クルクルと働き
家の中は、いつでもピカピカだった。

知らない大人が、何人も出入りし、知らない子供たちが、騒いでいる。
泥や、食べこぼしで床が汚れていく。
母が、毎日磨いていた床。

「今日は、仕方ないのよ」
母を失った悲しみで、余裕のない私は、そんな言い方しかできなかった。

しばらくクスンクスンと、泣いていた弟は
小さな手で、雑巾がけを始めた。
ぽとぽと、と涙が床に落ちるたびに、ゴシゴシ、と雑巾で拭いている。
自分を取り巻く悲しみへの、せいいっぱいの抗議だったのかもしれない。
あの日の彼の姿は、20年近くたった今も、私の心から消えない。

夫と、「いつか、田舎で暮らそうね。」と話すことがある。
コータといっしょに、楽しく暮らせるところ。
海がいいかな。山がいいかな。温泉もいいね。
コータのことを考えたら、外国の方がいいかな。
アメリカは、もっとうんとバリア・フリーだしね・・って。

だけど、いつまでいっしょに、いられるかな。
その頃には、もっと医学が進歩して
ガンも脳溢血も心筋梗塞も、全部チャチャッと治るといいね。
・・・子供たちに、あの日の弟のような悲しみは、与えたくないから・・・


2001年12月13日(木) B型のオトコ

コータは“バタンッ!”が、嫌い。
ドアや、扉を“バタンッ!”と、閉めるとパニックになる。
窓、電子レンジ、冷蔵庫・・・特にトイレのドア。

そーっと、静かに、閉めないと
「ダーーーッ!」と、怒って飛んでくる。
私は、ドアを開けたまま入る。(こうして家庭の秘密が明るみに・・)

夜中にトイレに立った時、息子はよく眠っていた。
だから、油断した。・・ちょっとだけ、音が大きかったかもしれない。
トイレを出たとたん、暗がりの向こうから
「ダーーーッ!」と息子が現れた時は、自分の子でもかなり怖かった。
それ以来、ドアは開けたまま入ることにした。

夫が、朝トイレに入った。
「バタンッ!」・・あーらら知らないよ〜
「ダーーーーッ!」ほーら飛んで来た。
泣きながら、ドアノブをガチャガチャやっている。

「な、なんだ、なんだ!?」
「静かに閉めないと、ダメなんだよ。バタンッて音が嫌みたい。」
そーかそーか、コータごめんな、と言いながら、頭を撫でている夫。

特定のモノやコトに、過剰反応したり
そして、それが当人にとっては、エラく苦痛であるらしい、というのは
自閉キッズの親として、一応理解しているつもりなので
たいていのこと(世の中の基本ルールに反しない程度)は、譲ってやる。

その日の夜、「今晩は、冷えるね」と言いながら、帰宅した夫はトイレへ・・。
「バタンッ!」・・ありゃ
「ダーーーッ!!」当然、すっ飛んで来るコータ。
「おっ!?そーか、ゴメンゴメン」よしよしする夫。

次の日、朝食の支度をする私の、背中越しに聞こえてきたのは
「バタンッ!」
「ダーーーッ!!!」
・・・だ〜から、覚えなさいってば・・・

でも、逆にこの力の抜け具合だからこそ、やってられるのかも。
“自閉っ子の親”と、“私の夫”を・・・。




2001年12月11日(火) Ability

息子が、自閉症だというと
「可愛がってるのにね」とか
「いっぱい、話しかけてあげれば治るよ」
「私の知ってる子も、中1でイジメにあってから・・」

こーゆーのは、もう慣れた。

私が、可笑しいのは
「でも、絵とか上手いんでしょ」や
「将来、大芸術家になるかもしれないし」

なにが「でも」なのか・・慰めてくれてるんだろうなー・・きっと。
自閉症が、どうやら“ひきこもり”とは、違うらしい。
そのくらいの知識がある人に、特に多い。
3人に2人、いや、もっと5人のうち4人くらいは、言うな・・。

「きっと、才能あるよ」・・を。

ハンディのある人に対する、最大の賛辞で、エールなんだよね。多分。
確かに、HPを拝見していると、
その、みずみずしい感性に、ハッとさせられる
そんなお子さんの作品に、たくさん出会える。
ここにアドレスを、書きたいくらいだ。

コータは、どうか。
上手いですよ、もちろん。とってもシュール。

コムサに行ったって、ちょっとの間なら大丈夫。
お絵かきしながら、待っていられる。
やっと、クレヨンも食べなくなってきたし。

タイトルはね、“七色のみみず”ってとこかな。


2001年12月10日(月) 悪魔のようなあなた

私は、“結婚するまで”と“子供ができるまで”が、結構長かった。
つまり、“大人だけの時間”が、長かった。
でもって、子供が嫌いだった。
うるさくて、きたなくて、傍若無人、思い上がりの権化。

とっとと結婚して、さっさと子供を生んだ、友人たちを見ても
別に、羨ましくもなかったし
「自分の子なら、ウンチもゲロも汚くないの」とかなんとか、言いながら
赤ん坊の口の周りの、得体の知れないものを、ヒョイと指で掬ってなめる。

私には、絶対、できない・・・。

赤ん坊イコールべちゃべちゃのグチョグチョ・・。

コータが、離乳食を始めた。
ひとくち食べさせては、お口もお手々も、きれいに拭いた。
1才になっても、2才になっても・・。
3才過ぎても、自分でゴハンを食べられない息子が、できあがった。

小さな子がいるからって、散らかっているのは、イヤ。
コータが、ブロックを出そうとしている。
「コーちゃん、ブロック出すなら、この積み木ナイナイしてね」
絵本を出すときは、必ずそれまで、見ていた絵本をしまってから出すコータ。

もう、やめよう、と思った。
子供だもん。発展途上だもん。のびのびが1番だよ。
子供の後を、ゴミ箱持って歩くような育児は、やめよう。

のびのびリスケは、7ヶ月から1人でゴハンを食べる。
べちゃべちゃのグチョグチョである。
のびのびリスケは、おもちゃ出し放題。
部屋は、泥棒が百人くらい入った状態である。

散らかす・・と言うより、荒らす、と言ったほうがあってる。
コータが、ほとんどイタズラというものをしなかったので
“2人目の育児”といっても、全然余裕がない。

ビデオデッキのテープ投入口は、ブロックや洗濯ばさみでいっぱい。
リモコンがないっ・・と、さんざん探せば、家中のリモコンがベランダに。
魚を焼こうとグリルを開ければ、泥だらけのコータのサンダルが入ってる。

「メッ!」と叱られても、へっちゃら。
それでも最近、少し人間の言葉がわかるのか、一瞬、手を止める。
しばらくすると、またイタズラを続ける。
「ダメッ!」・・一瞬、手を止める。
また、続ける。
「コラーッ!いーかげんにしろ!」一瞬止まって、また。

・・・・・お前は、“だるまさんがころんだ”か・・・・・


2001年12月08日(土) マッチとお供え

来週、1才半になるリスケは、よく食べる。
よく食べるから、よく太っている。座ってる後姿など、まるで“鏡餅”。

今朝も、コータは夫と耳鼻科へ行ったので、娘と私の二人きり。
だから、娘の大好きな“味噌煮込みうどん”を作った。
大好きだから、よく食べる。
アダムのフォークを使って、もどかしげに食べる。
2杯食べたところで、取り上げた。キーキー言って、怒る娘。
アンタね・・大人用のどんぶりで2杯食べりゃ、充分でしょーが・・。

来週、3才10ヶ月になるコータは、食が細い。
食が細いから、体も細い。頭が大きいので“マッチ棒”のようだ。

知らないものや、変わったものは、食べようとしない。
小さな子の例外にもれず、お菓子が好きだが、知らないお菓子は、食べない。

肉と魚とごはん。それに麺類。野菜は、食べない。
果物は、バナナと、気が向けば、りんごと梨。それだけ。

外食は、大好き。ファミレスのハンバーグや、マク○ナルドのポテトが大好き。
野菜は食べないが、“充○野菜”や“野菜○活”が好きなので
それで、お茶を濁す母。

3才児の好き嫌いなんて、そんなもんでしょ・・と私は、思ってた。
センターの医師に言わせると、違うらしい。
偏食は、自閉症児の特徴らしい。

コータは、この春まで、自分でごはんを食べられなかった。
食事イコール「お口を、アーン」だった。
センターは、お弁当と聞いて、慌てた母は(今まで何もしなかったズボラ母)
フォークを持たせてみた。
なんのことはない。息子は自分で、食べはじめた。

ところが、夏頃、自分で食べるのをやめてしまった。
私にフォークをさしだし「ママ・・」と、小さくつぶやく。
「食べさせろ」ということだ。

普通なら「え〜なんで?」となるだろうことも
自閉症児の母は、嬉しい。甘えられた経験を、ほとんど持たないので。
(自閉症児の母は、と括ってしまったけど勿論、違うお子さんや母もいます)

「最近甘えて、自分で食べなくて・・」と、センターの先生にのろける。
・・違うんだそうだ。
自閉症児は“人とモノを結び付けて考えることがある”そうだ。
要するに“甘えられた”のではなく“使われた”
もしくは、「この人には、これをやってもらう『こだわり』」だと言うのだ。

なにを言っても、なにを訊いても、“自閉症”に結びつけるのね〜。
“障害”という辞書に、“個性”の項目はエントリーされていないらしい・・。

娘は、私がこれを書いているのを、いいことに
両手に1個ずつ、クリームパンを持って食べている・・・。

太っているのは、私に似たのかな〜
「立てばセイウチ 座ればトド 歩く姿はゾウアザラシ」といわれた私。

娘も、床にころがって、うたた寝している姿は、まるでメスカバだもんね・・。


2001年12月07日(金) ハリネズミ

クラスの先生と交わす“連絡帳”というものがある。
お子さんのおうちでの様子を、というやつだ。

初めの頃、私は何ページも書いた。
自分の気持ちや、
息子が、できるようになったこと。

でも、問題がありそうなことや
困っていることは、書かなかった。

こんなこと書いたら
「やっぱり、自閉症だ」とか
「特有の“こだわり”だね」とか
思われるんじゃないか・・って。

先生たちは「今まで、たくさんのお子さんを見てきましたから」そう言うけど
私にしてみれば、
「他の何百人の子が、どーだって言うのよ
コータの専門家は、私1人なんだから。」そう思ってた。

実際、こう言ったこともある。
「自閉だの、障害だのって、簡単に言わないで欲しいんです。
この子は、人生が始まって、まだたったの3年なのに
これからの一生が決まってしまうような事を、簡単に言わないで頂きたいんです」

こんなことも言った。
「わかります、わかります」と、頷く先生に
「わかりませんよ。
親として、色々なことをあきらめなければいけない気持ちは
同じ立場でなければ、決して、わかりません。」

研修で来た、保育園の保母さんにも毒づいた。
「こういうお子さんたちって、進歩があったりすると
普通のお子さん以上に、喜びも大きいんですよね」と、したり顔で言う。

“こういうお子さん”・・?

「その1つの喜びを得るために、“普通のお子さん”なら
10くらいの努力が、私たちは何百倍も必要なんです。
しかも、できていたことが、できなくなったりもする、そういう障害なんです。」

先生たちは、一生懸命やってくれているし
それなりに子供のことも、考えてくれている。
結局、私自身の療育のレベルにたいする、不信感だったのかも。

今は、どうか・・?
うーん、先生がこの日記を読まないことを、祈るだけ(読むワケないか・・)

その後
私の数々のあがきも虚しく、2度目の発達検査で
コータは、正式な“自閉症児”へと、昇格した。


2001年12月05日(水) せめてアンパンマン

見た目は、普通の幼児教室のようである。
2〜3才の子供たちが、遊んでいる。
そのまわりには、母親たちがいる。

普通と違うのは、
子供たちに、言葉がない。
母子分離の時、泣かない、探さない。

それでも、回を重ねるうちに
“後追い”をする子がでてきた。1人、また1人と。
気がつくと、ほとんどの子が教室を出る母親を、泣いて追っかける。

コータは、いつまでたっても“知らん顔”だった。
「コーちゃん、ママ行ってくるね」
私のことなど、見もせずに「バーバイ」と手を振る。
手のひらを自分に向ける“自閉バイバイ”で・・・「バーバイ」・・・。

帰宅して、現実逃避、古いビデオをみる。

生後10ヶ月・・・トコトコと一生懸命、私のあとを追う、コータ。
1才2ヶ月・・・「ナイナイ、バー」と何度も、可愛い笑顔を見せる、コータ。
1才6ヶ月・・・大好きな、ジュースを飲んで「おいし〜い」とニッコリ。
そのどれもが、レンズの向こうの私を、真っ直ぐに見つめている・・。

どうして、どうして・・・
なんで、なんで・・・哀しくてたまらなかった。
ぼやけた視界のむこうで、息子が、私を見つめている。

「コーちゃん・・ママ、つらいよ・・。」

「ホヤーマンッ!!」

「・・・・・」

アンパンマンの国に、住むコータ。
今日の彼は、“ホラーマン”らしい・・・。


2001年12月03日(月) ドン底

こうして、週1回のセンター通いが始まった。
「幼児教室みたいなつもりで」と言った先生は、学年主任だった。
勉強会など、この先生が進行するのだが
内容は、最初から「障害について」「自閉症について」というものだった。
たとえば、とか、もしかしたら、ではなく
おもいきり自閉症である、という前提の内容だった。

全然、幼児教室みたいなもの、ではなかった。
なんか、騙されてアウシュビッツに連れて来られた、ユダヤ人みたい。
子供たちは、強制労働・・じゃない、訓練は確かになく
遊び中心だったけど、コータはあまり楽しそうじゃなかった。

先生達は、子供と遊びながらも
視線を合わせようとしたり、お返事「はーい」を教えようとして
そんな様子が、ますます私を落ち込ませた。
それができりゃ、来てないっつーの・・・。

懇談会などでも、「怒鳴ったり、叩いたりしても逆効果です」といった
先生の話に「猫のしつけと一緒ですね」などと感想を言って
「はぁ?」と呆れられたりして、なんだか浮いてる私・・・。

「子供は、もともと育つ力を持っているのです。
遅れたり、つまずいたり、はお母さんの育て方のせいじゃありませんよ」
先生のお話に、皆うなずいたり、
「私のせいじゃないって、言って頂いてホッとしました。」
なんて、感想を言ってる。
「なんでホッとするの?治らないってコトじゃん」と、また哀しくなった・・。

早期療育科で、編集している小冊子があって
その中に、お母さん達が原稿を書いているコーナーがある
バックナンバーを、何冊も、何冊も、読んだ。

この週1回のクラスへ、通いだしてから
どんなに子供が、楽しんで伸びたか、
どんなに自分が、前向きになれたか・・といった内容が、殆どだった。

週1回くらいで、そんなに変わるの?・・と、正直思った。
じゃ、全然伸びないウチの子は、それだけ重度ってコト?
ますます落ち込む私は、ダメな親ってコト?

希望を与えてくれるものなど、なにひとつ、なかった。

あの頃は、ホントに辛かった・・・。


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