ふつうっぽい日記
もくじ過去未来


2012年02月29日(水) 静かな時間からの考察

2月29日。
ある手帳の日々の言葉に「帳尻あわせの日」という言葉があった。
そして、別の日々の言葉を集めた本に「静かな時間を持ちましょう」という言葉があった。

帳尻あわせの日だと思って、「自分らしくはないこと」をエイヤ!とやっちゃおうじゃないか的な促しの言葉もあった。
例えばモノへの執着を断ち切ってみるとか。「モノ」といってもいろいろとある。「断捨離」的な精神にも通じるような「物」の整理という視点。そして、摂取し過ぎると身体に良くないとされている「食べ物」。また、「人」との約束。
そして、自分らしい化粧やファッションなど。

今、私はパソコンを開いてこれを書いている訳だけれど、「いつも」ならラジオを流している。そうでなくてもCDをかけたりして「音」を流す、ということを無意識的に、習慣的にやっている。

今、ラジオは消している。
細かいことを書いておこう。
午前10時にラジオを消した。
12時15分頃から20分間ほど昼食を取ったのだがその時はラジオを付けた。
付けた理由もちゃんとある。
そして食後、ラジオを消した。
「いつも」聴いているラジオは消したが、いつもしない「お香を焚く」ということをやっている。
お香を焚く時の傾向としては雨が降ってじめじめとしている時だ。
今の天気は空気は冷たいが晴天である。
洗濯物も外に干してある。
もう一つ、いつもしないことをしていることに気づく。
窓を開けていることだ。

10時から12時頃までのラジオオフのひととき。
広範囲ではないが、片付けと掃除(拭き掃除)をした。
デスクトップのパソコンの配線を整理した。
数日前に買った、封筒自作定規を手に取った。
次に、何気にイラストが気に入っていたので保管していた(床に放置していたに過ぎないが)カレンダーの表紙を拾い上げた。
そして、食卓で2つの封筒自作をやり遂げた。

そこで、我に返った。
なんだか「寒さ」を感じた。
風邪を引いたのか、という不安が少しよぎった。
しかし、である。
無意識に、習慣的に流していたラジオ(音楽)から実は癒されていて、例えば風邪を引きそうな「気」のようなものを跳ね返すことに成功しているのではないか、という考えが巡った。
そして、窓を閉めて、ラジオを付け、昼食を取った。

今、窓は開けられ、ラジオは消されている。


ところで、「窓」から「気」のようなものが入ってくるのだとしたら、どういう「気」だろうか。
「空気」?

空っぽの「気」。
空色の「気」。

「気」は見えないものである。
しかし、カーテンを揺らしているのは「空気の流れ」である。
見えないものであっても、こうやって何かを動かしてその存在を伝えることがある。

何かのきっかけ、例えばラジオの音だったり香りだったり本などの言葉だったり、そういうモノから行動に繋がることもある。
そういうモノの存在感が慣れてくると、行動に繋がりにくくなるのだと思う。

あえて習慣になっていることを断ち切る、ということは自虐的かもしれない。
けれどもこういう小さな規模で、何よりも自分自身が把握できている確実な範囲で、自分らしいと思っている習慣を「絶つ」経験は大切なのではないだろうか。
自分自身がちゃんと存在していることは絶対条件である。
自分自身がいることで「絶たれた」経験を再生させることができるばかりでなく、自分自身を責めることも回避できるどころか、絶たせたゆえにいかに自分にとってその習慣が大切なモノであったかが分かるきっかけにも繋がる。
また、逆の視点もある。
「これがないと生きていけない」くらいに依存していたモノと少々関わらなくても自分自身をちゃんとコントロールできるという自信に繋がる。

自分らしさの条件を限定していないだろうか。

静かな時間は「ゆとり」を実感できる。





2012年02月28日(火) 消しゴム判子の持ち手

1年以上前に消しゴムで作る判子作りキットを買った。
同じものを友人にプレゼントとして贈ったことがある。

買ったことは覚えていたが(ずっと気にしていた訳ではない)、ふと作ってみようという気持ちが膨らんだ。

何を作ったかというと、読書メモに使う「枠」である。
事務的なものである。
3行の横長で、3行目を二分割にした。
1行目にメモ番号(カード番号)を記入して、2行目にタイトル、3行目には分類記号や日付を記入する「枠」である。

消しゴムの厚みは1センチくらいである。
少々持ちにくい。

そこで私はひらめいた。
実は私は収集しているという訳ではないけれど、一時期ただたんにスタンプがお得にパック詰めで売られていたら買ってしまう、ということがあった。
お気に入りのスタンプは決まってくる。
一度、使うモノ使わないモノと分別して処分したつもりだが、今もう一度見ると、処分してもよさそうなものがいくつかあった。
その中の一つが「枠」にぴったりな大きさだった。
ゴムの部分を剥がして、接着剤で「枠」印を装着。
木製の持ち手はなかなか頼もしい。
こうやって再活用する、という方法もある。

今まで「枠」は、パソコンで印字していた。
主たる筆記用具を万年筆にしたいと思う中で、コピー用紙では万年筆のインクは裏写りしてしまう。
プリンタの用紙にこだわってみる、という方法もないことはなかったが、万年筆の特性を考えてみるると、寄り添うと違うような気がしたのだ。

メモ自体も、パソコン上に残していく、という方法もないことはない。
しかし、デジカメで撮った写真を取りあえずパソコンに保存してそのまま……的な感じになってしまうのは切ないなぁと思い、自筆のメモを綴っていくことにしたのである。
メモをたんなるメモとして終わらせないように、時折読み返すようにしている。
後から補足として書き足すこともある。
体系だってきたら、メモを並び替えて、要約のようなものとして整理したいと思っている。
ただ、これは今の時点のなんとなくの展望なので、今日の「消しゴム判子の持ち手」の様な思いがけない展開で変わっていく可能性は大きい。


2012年02月27日(月) 関心の広がり

黒ボールペンに替わり万年筆を使用し始めて約1週間が経った。

きっかけは、何だったのかよく分からないくらいに「自然」だった。
よく分からないというのは「不自然」なようにも思えるけれど「不明瞭」の「不」に流されているだけなのだろう。

たまたま小遣いの残りが珍しく壱万円を超えていた。
ざっと思い返すに、書籍代で気づくと壱万円を使っているということは珍しくはないところを、そうか、図書館の蔵書、それも初めて「予約」という手続きをして気になる本を取り寄せてもらい、時間的な流れを有意義に感じてこれたのだ。
つまり、そこには「ゆとり」があったということだ。
金銭的な「ゆとり」は思いがけない現実ではあったけれど。

その日はリニューアルした本屋の地下に足を運んでみることを、何気に思いついたのだった。
地下には本屋が経営する文具コーナーが感動的な規模で展開されてあった。
本屋部分で1時間、文具コーナー部分で1時間半滞在していた。
その文具コーナーに万年筆があり、販売員が絡んでこないという条件も温かく包み込み、高いと思っていた万年筆が結構入手可能な価格設定であることが身近に感じられたのだった。
しかしながら、その時は、まだ「遠巻き」だった。
それが、である。
その後、別の雑貨屋に散策した時に、「万年筆のインク補充の仕方」的な映像が小規模なレジカウンターの近くで再生されていて、店員の近くでありながらも、やはり、特別に絡んでこないという条件が整えられ、我々はその映像を興味深く見入ることができた。

「へぇー。
吸入式とかコンバーターとか。
ボトルインクので補充するのって、なんか格好いいよね〜」なんて、すでに万年筆を所有しているかのような気持ちを受容し始めているのが実感された。

我々は再び、あの地下の文具コーナー目指して歩みを「進めた」のだった。
「戻った」のではない。

ショーケースの中の万年筆を見つめる。
そして、ペン先のお試しコーナーで
「この太さがいい」
「この細さがいい」
なんて感想を言いつつ、希望のペン先を決めることに成功していき、予算とデザインでもって、その希望サイズのペン先が存在するのか、在庫があるのかを真剣に見ていく。

いろいろなデザインを見ているとお値段が高価であっても、なんだか自分のものにしたくなってしまう気持ちに支配されそうになる。

「初心者なんだから」ということで、壱万円くらいの価格のものを選び会計。
販売員の女性は、我々が初心者であることを自然に聞き出してとても分かりやすく説明をしてくださった。そして、メーカーのキャンペーンとかで「お手入れセット」をいただけた。
これはなかなか買おうと思っても手に入らないものだと販売員の女性は熱く語っていた。お手入れグッズをどうやって使うかについても丁寧に説明してくださった。
何よりも安心感のようなものを持つことができた。
我々が入手したのは「両用式」というもので、カートリッジも使えるし「コンバーター」を付ければボトルインクも使えるタイプだった。
お手入れセットには、お試しのカートリッジインク3色もセットされていて、それを見た時点では「ボトルインクを使うタイプでは無かったのか……でも、それでもいいや!」なんて勝手に思い込もうとしていた。

説明書を見ると、「コンバーター」というのは500円程度で別売りされていて、ボトルインクを「吸入」して使うことができるとあった。

そう言われてみれば、販売員の女性は、「毎日書くこと、最低でも二日に一回は何かを書くことが一番のメンテナンスです。万年筆はいろいろな色が楽しめるところが特徴なので、カートリッジよりもボトルインクを是非楽しんでくださいね」とたしかに言っていた。

一眼レフカメラを持てばそのレンズやストラップやバッグなど周辺小物にいろいろと興味が広がっていくように、万年筆もそうである。インクの色やボトルのデザイン、万年筆の文字が映えるメモ帳やノートの質に興味が広がっていった。

そして、「もう一本くらいあってもいいかもしれない」なんていう思いも盛り上がってきている。

本日、お試し用のカートリッジが空になった。書けばまだ書けた状態ではあったが、昨日、ボトルインクとコンバーターを買ったということもあって、行動を起こした。
色は同じ黒だけれど、ちゃんと洗浄して30分くらい付けておいた。(時々水を替えた)
色を変える場合は、「一晩」置くのが基本らしい。

軸の色が黒なので、この万年筆は黒専用にして、別の万年筆を購入したらそれは色の変化を楽しむ用にすればいいかなぁとも思ってみたり、いやこれぞという一本でいろいろと楽しむことをこだわるのがいいのかなぁと思ってみたり、楽しい「思い」は巡るばかりである。

ボールペンの替わり。
万年筆のインクの黒。黒い字ばかりここ1週間書いてきただけある。しかも楽しく書いてきたのだ。
青いボールペンで補足書き込みの作業をやってみたところ、かつて馴染んでいたはずのボールペンの感覚に違和感を覚えた。外出先の例えば銀行とか役場とか美容室とかで何かを書かされる時の筆記用具のような感覚。
まぁ、だからといって、粗末に扱っては本末転倒である。


今までも関心を持つ機会はあったはずである。
しかし、その機会を自分自身の中に活かすかどうか、自分自身の興味関心を引き出せるかどうかは予測不能だ。新しい分野への関心の広がりは、その分野だけの関心を掘り下げることに留まらず、いろいろなものを巻き込みながら、広がっていくのだろうと思う。
この広がっていくそのものというか、広がっていっているという実感には、「ワクワク」が含まれていて、「楽しいことばかりが起こっている」という錯覚を持ち続けることに成功している気がしている。
「成功している」などと書くのはなんとも卑しいような感じではあるけれど、苦しいことや悲しいことのようなネガティブなことであってもそれは「何か」が成功しているのだ。
ネガティブな感情を発動することに成功した、という感じで。
例えばちょっとした風邪を引くことは、風邪を引くことに成功したということで、心身の影響を受けた部分にしてみれば課題を達成した、クリアしたとも言えそうだ。



2012年02月24日(金) 「目を覚ます」とか「目覚める」について

「君たちはまだ目を覚まさないのか?」
この言葉を思いがけずある現場で聴くことができた。

「君たち」というのは小学生である。
発言者は指導者である。
他にも
「大人になりなさい!」という言葉。

「引き」で見ることができた私の思い、場の受け取り方はこんな風だった。
まず、好き好んでこの言葉は放たれていないということだ。

その場を収めるために思わずこのような言葉を言ってしまったという感じに思われた。
伝わらない悔しさとかもどかしさみたいなものが表出された、という感じだった。
その場を冷静に収められない自分自身の弱さのようなものと向き合い、「何かの学び」になる思いが引き出されるまでの過程に過ぎない、という表現が近い気がした。

「何かの学び」とは、例えば感情や方法の押しつけに気づく、我に返るということである。
「ふつう、こんなときこうするものでしょう?」
「何回君たちは注意されれば分かるのか」みたいな言葉を言ってしまった自分自身の姿を「引き」で見ることに成功してしまったという感じの。
「まごまごする自分」の発見、認識、意識。

大人は子どもと関わる時、「引き」で見る「ゆとり」に恵まれるものである。
その「ゆとり」が「ふつう」の枠みたいなものを広げてくれることもあれば、その「ゆとり」があることによって「ふつう」を強要してしまうことがあるのではないだろうか。


メディアで取り上げられていたある騒動、事件で、親しい関係者から騒動の当事者へ向けてのメッセージとして
「お願いだから、目を覚ましてほしい」と言っていた、ということが、アナウンサーの言葉を通じて耳に入ってきた。
騒動には「ふつう」の枠がずれているような何かが背後にあるようなことを伝えていた。
「お願いだから、目を覚ましてほしい」という時の、「目を覚ます」というのは「現実を認識してほしい」とかいう意味だろうと思う。意識不明とか昏睡状態で眠り続けている状態ではない。

私は思った。当事者は「ふつう」とされているかもしれない枠からずれた世界に「目覚めた」のだろうと。思いがけず「目覚めてしまった」というのが近いのかもしれない。

私も少しだけ似たような経験がある。「ふつう」とされているかもしれない枠からずれた世界に「目覚めた」思いがけず「目覚めてしまった」期間がある。私の場合のそれは社会生活上の困難を周りから指摘される機会に恵まれたことによって、その機会が恵まれていたものだという意識を自分の中に見いだせたことによって、その期間について私自身が「引き」で分析できるように改善されていった。その思いがけず「目覚めてしまった」期間を経験したことによって、無理のない、自然な自分自身にふりかかる現実を受容できるようになった、成長できたと言い換えられる。

「目覚める」というと、眠り続けていた人がハッと我に返るということもあるだろうけれど、眠りを忘れていた人がさらなる覚醒によって「目を覚まし続ける」ことになった、起きているにも関わらず起き上がったというような「二重の目覚め」が厳しい現実を引き起こしているのだと思う。

よって、
「とりあえず、お願いだ、眠ってくれ。頼むから、休め。」という促しが有効なんじゃないかと思うのだ。

しかしながら、「二重の目覚め」の世界では、休むことは死ぬことなどと置き換えられてしまう危険性があるかもしれない。そういった間違った置き換えや変換は「幻聴」「幻視」に繋がっているのではないかとも思う。
これは、私が「引き」で「私の経験」を分析するとそのように物語りたくなったから、という理由にすぎない。

「私の経験」「誰かの経験」
そのことそれ自体は、通過点のある状況を切り取った時の呼び名に過ぎない。
通過点には、いろいろな障害物があるのが「ふつう」である。

「二重の目覚め」の状態にあったばかりに、「思想的な何か」に支配されてしまう、ということもある意味「ふつう」なのかもしれない。自分自身では回避できないことなのかもしれない。

かつての「私の経験」「誰かの経験」の通過点の呼び名に過ぎなかった時間の流れそのものは、現実であり事実でもあるといえるだろうが、そこに寄り添っていた気持ちのようなものは、ぼんやりとしか分からないものである。そこをはっきりさせるために「私」や「誰か」にマイクを向けて追求していくのは、残酷である。

時が来れば、「私」や「誰か」は自発的に語り始めることもあるのだ。
その「経験」がこれからの希望や未来に繋がるきっかけであったに過ぎないと受容できるようになるかもしれないし、「経験」の対価に戸惑うこともあるかもしれないけれど、やはりここは価値のある成長へ繋げるための「学び」として収まっていってほしいと願いたくなる。


2012年02月15日(水) 誰かの言葉を誰かに伝えるということ

誰かの言葉を誰かに伝えるということ。

たとえば、「あなたではない人」の発した言葉を「あなた」を通して「私」に伝えるという時の、「私」の気持ちを考えたことがあるだろうか。

そして、「あなたではない人」について「私」が多少の人となりのようなものを知っているという時と、まったく知らない人である場合や、著名人である場合の気持ちの違い。

「整理中」の期間は間もなくひとまずの区切りを迎えようとしている。
その間に浮上した私のなかでの気持ちから学びがあった。

それが、大きく束ねると「誰かの言葉を誰かに伝えるということ」だった。
具体的なエピソードを交えながら、広いところへ出て行いこう。


友人に渡したいものがあって、週末、主人の運転で友人宅に寄った。
友人にはあらかじめ知らせており、仕事で不在だけれども家族の方が在宅しておられるので預けておいてもらえないかということだった。

その日は日差しが強くて、主人はサングラスをかけていた。
娘さんが在宅していて、託した。

後日。友人から
「娘が、サングラスをかけた人がきて、不審者かと思って、怖かったって言ってたわ。」
と、世間話的に「私」は聞かされた。



別のエピソード。
母が甥っ子(私にとってはイトコ)と親戚の集まりか何かで話したことを聞かされた。
「イトコ君がね、あなたから来た空メールを見て、何の嫌がらせかって言ってたよ」



どちらも、悪気はないのだ。
ただ、世間話的な場で、「事実」のようなことを伝えたに過ぎないのだ。


友人のエピソードでは、実際に友人がその場にいれば別の展開があったはずである。
私は娘さんと同じ場を共有していた。
そして、イトコのエピソードでは、実際に私がその場にいれば別の展開があったはずである。
私は同じ場を共有していない。


友人のエピソードでは、友人が不在であったこと、その場に居合わせていなかったことをどうにか繋ごうとバランスを取ろうとした結果に過ぎない。
友人が不在だと知っていて、こちらの行動を優先させることを私が選択した時点で、そういった展開になることもありうることを無条件に受容することになるのだろう。



イトコのエピソードでは、母の立場では甥っ子と娘のメールの存在(たとえ空メールであっても)を通過させるための過程に過ぎない。
私自身は「空メール」と聞いて、「間違ったあの時のことだな」と身に覚えがあったものの、予想外な存在(母)からそのことを指摘されたことで違和感を感じたに過ぎない。



誰でも自分が不在の時に、自分に関わることが実行されると、その時どういった状況だったのかというのは気になるものである。
これは広いところへ出て行けたといえそうである。


さて、イトコのエピソードでは、「私」がその場を共有してないゆえに、もう少し考える必要がある。

誰でもその事を知り得ないと思っていた人からその事を告げられると混乱するものである。
その混乱には、「内容」の前に「あなたからその内容を伝えられたというそのことそれ自体」について「私」なりに理解することが求められる。
なるほど、本質が見えてくる。

イトコが「私」がその場にいないのにも関わらず、「私」に関することを語ったこと、しかも、そのことは「嫌がらせ」というネガティブな感情を伴っていたということである。

「母」の立場に立ってみよう。
甥っ子がネガティブな感情を発動させたきっかけが「我が娘」であることを、「母」は抱えなければならなかったのである。
「あなた(甥っ子)からその内容を伝えられたというそのことそれ自体」について「母」なりに理解した結果あるいは過程が
「イトコ君がね、あなたから来た空メールを見て、何の嫌がらせかって言ってたよ」
という言葉だったに過ぎないのだろう。

「イトコ」の立場に立ってみよう。
ネガティブな感情を発動させた当事者にぶつけられるべきだった事案が、たまたま当事者の関係者と対面する機会があったために浮上してしまうことになり、言葉として伝えたくなる気持ちを思いがけず優先させてしまった。
また、「空メール」を受信したことが
「あなた(イトコである「私」)からその内容を伝えられたというそのことそれ自体」について「イトコ」なりに理解した結果あるいは過程が「母」に伝えた言葉だったに過ぎないのだろう。


誰にもなかなか消化するのに時間がかかる気持ちというものはあるものである。
そして、その「気持ち」がより身近な関係、たとえば、家族といった近しい関係にあればあるほど、多層的になってしまうのはなぜだろう。
そういった身近な関係にあるのであれば、筒抜けになったとしても「あなたからその内容を伝えられたというそのことそれ自体」に戸惑う必要などないはずである。

「身近」「家族」「親戚」「血筋」
「近すぎる」からこその多層的であり戸惑う必要性なのだろう。
この戸惑いがなければ、近親相姦的な偏った考えも戸惑わなくなるのかもしれない。

他人であれば気にもならないことが近すぎる人間関係ゆえに気になってしまうということ。
この「気になってしまうこと」は、たしかにネガティブな感情を伴うものなのだろう。
できれば、そういったネガティブな感情とは無縁な生活をしたいと思うのも理解できる。

しかしながら、「甥っ子と話したその時間」、「娘と話したその時間」というのは、たしかに流れた生涯の貴重な時間なのである。

伝える言葉が誰かの言葉であったにせよ、ネガティブな感情を発動させたにせよ、それを伝えているその時間それ自体を支えているものは、似たり寄ったりの「いのち」なのだ。
かなり、広いところへ出て行けた。

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気持ちが整ったところで、母と父にご機嫌伺いのようなメールを送った。

最近、コミュニケーションを取っていないという実感があって、メールの内容はとくにたいしたことではなかったりする。
携帯のメールは結構早めに反応があるので必要な伝達事項を伝えるときに使っていた。
まぁ、見てくれる時に見てくれればいいという内容だったのでパソコンに送ったわけだが、気持ちが整っている、ということは、自動思考が入る隙ができてしまうらしい。
自動思考とは、今日の場合は「仮の実在への執着」。
「見てくれる時に見てくれればいい」と思っていたくせに、なんと、携帯メールで「パソコンにメールしたよ。たいした内容ではないけど、見たら見たよって簡単な返信ください。安否確認にもなります」ということを伝えることを私はやっていた……。

父から「今、仕事から帰宅中。帰って見る」との返信があって、一気に「仮の実在への執着」が意識化され、自動思考に気づき、「やってしまった感」が漂う。

まぁ、このやりとりそのものからも学ぼうじゃないか。

安否確認したい思いを抱えている、不安な気持ちに支配されかかっていたのは、私自身なのだ。
見守っていることをあえて伝えることで、見守られたい思いがあふれていたのだ。

高齢者だから心配なんだという気持ちを伝えつつ、心配してほしいという依存。
その気持ちも無邪気で大切だ。
自分自身の不器用さを愛そうじゃないか。

やっぱり、「近すぎる」と、おかしくもなるのだ。
そのおかしさが日常生活に支障を与えなければOKなのだ。


2012年02月13日(月) 音楽の棚の整理

生理と整理はまったく違うけれども、なんというか身体の中の整理が生理なのかなぁと考えると腑に落ちると思える時がある。
そう思える時は、「整理」をする日に適している気がする。
しかし、「決断」をするには適さない気がする。

現在、次学期に向けての科目検討中であるがモノとの決別は出来ても、科目決定には関心が向かない。この一週間ほどは、考えの整理期間。
モノへの執着との決別には有意義に活用できそうなエネルギー。

ここ2時間ほど、音楽CDを整理した。
処分するモノの選別である。
音楽CDは、決められた切り取り方をしている。
ハマった「その時」は、決められた切り取り方に意味があった。
じっくりとハマるために主体的に引き寄せたのだ。
ハマり続ける必要などないのだ。
ハマったあの時期というは、ただ「その人」「そのグループ」というだけでコレクションしたくなったものである。

なんだかにハマるということは長い人生において経験しておくといいのかもしれない。
「ハマる」というプロセスを経験することに意味がある。

流行にハマれない自分に焦ったこともあった。
流行だからという理由でハマろうとするところがおそらく考え方がずれていたのだろう。
流行は「きっかけ」に過ぎない。
まずは決められた「型」にハマって、自分の型に変形させていくこと。
そして、自分の型にハマる心地よさまで持っていけると最高なのだろう。

決められた「型」のいいところ、好きなところを寄せ集めたくもなる。

古い物を手放すことで新しい物が入る。
新しい物というものが、手放した古い物よりも歴史的には古いものであることもありうる。
だから単に手元にあるものが歴史的に古いものだからという理由だけで手放すことをためらう必要はない。
たまたま歴史的に古いものであっただけで、自分とその物との結びつきを優先したいものは持ち続ければいい。

時々、こう考えることがある。

例えば本との繋がり、出逢い。
自分自身がこの本との出逢いによって、考えが広がったように、その本を手放すことによって、他の誰かとその本との出逢いを繋いでいくのかもしれない、と。
独り占めしなくてもいいのだ、と。
たくさんの出逢いを取り込んでいいのだ、と。


例えば図書館の貸出期間2週間を超えて独り占めしたくなることもあるだろうし、図書館に所蔵されているかの確認よりもまず書店で一目惚れするかもしれない。

そのあたりの考え方は人それぞれだ。

こういう視点に立つと、「贈り物」にこめる想いは自分に置くか相手に置くかに迷ってしまう。
一時期、表面的なecoにこだわった。
「重宝する物」「実用的なもの」「無駄のないもの」こそが生活の中心になるべきである、といった狭い考えに追い詰められていった。

狭くなると広がりたくなるものである。
広がると狭くなってしまうものである。

近くても会わない人には会わない。
遠くにいるからこそその存在に大きな意味を持たせることもできたりする。
近くにいれば会わないだろうなと思う人が遠いところまで来てくれて深い話をしてくることもある。

「距離」と「時間」。
ほんの2,3キロの道のりを遠いという人もいれば、近いという人もいる。
どこから先が近いというのか、遠いというのか。

そのあたりの考え方は人それぞれだ。

しかしながら、自分の考えを伝えるということはきっかけを活かして続けたいと思う。
自分の考えは変わり続ける。
アレンジされていく。
だからこそかけがえのない時間を過ごしているのだろう。
「続ける」ことは変わらないけれど、何を続けるかは変わり続ける。

「何かを続けること」の「何か」に執着していないだろうか。
しかも「何か」を「一つ」だと思い込んでいないだろうか。

「何か一つのことを続けるということができない」と言っている人がいたとして、もしも、その言葉を何度も言っているのだとしたら、その言葉を言うということに関しては「続けること」に成功している。

「ありがとう」と言い続けることが出来たら素晴らしい。
だからといって、「ありがとう」の気持ちが生まれるきっかけの「何か」はいつも同じではない。「一つ」ではない。

同じ人との関わりを続けるという場合でも、人の気持ちや思いなんてずっと同じ状態ではないのだから。


「何かの出来事」と「思いや気持ち」
過去の記憶が「何かの出来事」と「思いや気持ち」から構成されているとすれば、「何かの出来事」は事実であって修正はできないけれど、「思いや気持ち」は発達させることができると私は考える。

振り返る「今」の「思いや気持ち」と「過去」の「思いや気持ち」のギャップに気づいた時、同じく「過去」を共有する誰かの記憶を消したいと思ってしまうことがある。

事実としての「過去」を共有しているからといって、「思いや気持ち」が他者と連動しているとは限らないということを忘れがちだ。

振り返る「今」の「思いや気持ち」と「過去」の「思いや気持ち」のギャップに気づいた時、他者にとってその「過去」が同じような優先順位だと思い込むことがある。

まず「何かの出来事」と「思いや気持ち」を分断することに努力しよう。
そして「何かの出来事」と「思いや気持ち」を新しく結びつけることができるように努力しよう。

再統合のプロセスが成長なのだろう。

大なり小なり病気等を有意義に通過すると再統合を余儀なくされるのかもしれない。
つまり、成長せずにはいられないのかもしれない。


あんな(モノを選んだ)私、こんな(モノを選んだ)私を私自身の中へ再統合させる一つの作業が「整理」なのだろう。


2012年02月10日(金) 探していた葉書が見つかった経緯

昨年の秋に、いただいた葉書が行方不明だった。

まぁ、これも意味があるのだろう、と言い聞かせて焦ることではなかった。

年賀状作成の時期にもしも手元にあれば送っていたかもしれない。


今日その行方不明の葉書と再会ができた。

SNS系のサービスでメッセージを突然送ってこられた方がいた。
精神的に少々揺らいでおられたのかなと今となっては思う。
それは最近受信したメッセージにそのような言葉があったからである。
最近受信したメッセージは非常に前向きだった。
自分自身を振り返っての有意義な「今」を語っておられた。(と、私は読み取った)
これまでの何回か対話的なメッセージを交換してきた。
私はその方のカウンセラーではないので、アドバイス的なコメントは控えるようにして、「自分自身を知ること」に繋げて体験談をエピソードとしてコミュニケーションを続けていった。
気ままに連想されたエピソードを綴る中で、お互いに「心の扉」を開いて行っているような感覚があった。

本名も知らないニックネームを通してのやりとりである。

かつて、気持ちに入り込み過ぎて息苦しくなった経験があったおかげで、「引き」の姿勢の実践レッスンをさせていただくような意味が私の中ではあった。

「前の私だったら、ここでこう切り返していたのかもしれない」
という有意義な振り返りも出来た。
違う切り返しでありながら、自分自身を知ること、繋げることを意識した言葉。
かつてとは違う対象(人)だけれども、いや、だからこそ、新しい考え方を試せたとも言えるかもしれない。

とりとめのない日々のあれやこれやのメッセージのやりとりというのもほのぼのとさせてくれるものではある。そういう交流をお互いに求めてステディな関係を構築していこうという意識の共通理解はしていなかった。


私は自分自身を知るというテーマでの「学び」としての関わりとして位置づけていた。
最近受信したメッセージが一段落したような雰囲気であったので、その方の人生を見守るようなメッセージを送った。
謙虚なお別れのメッセージという意味合いも含んでみた。

「別れ」というと、なんだか男女関係のようにも思えてしまうが、40代前後の「ええとし」の女同士とのやりとりである。

やりとりの途上では、素直な内省ともいえるような表現があり、「嫌われたらどうしよう」という不安があったことを伝えてこられた。
何度かこのようなアプローチで話を聴いてくれる人を探しておられたのかもしれない。

聴き続けることを続けるという選択もあったとは思う。

私自身が聴き続けてほしいと思ったことがあるように。

「嫌われたらどうしよう」「見捨てられたらどうしよう」という思いを素直に言葉にして伝えられた、その先の展開まで受け止めなくてもいいのかなと思った。
直感である。

芸術方面へ「揺れ」を活かす、ということを歩み出すにあたり、「ちっぽけな自分」と闘うにあたり、伴奏者が必要だったのかなと思われた。

いろいろとやりたいことが浮かんできて忘れない内に実際に行動を起こすという頼もしい意気込みを伝えてこられたので、「今だ」と私の中で直感して、尊敬する恩師からの言葉をアレンジしながら、メッセージを送ることにした。
尊敬する恩師からの言葉は、恩師の書かれた著書に貼り付けていた。


その著書に私は、葉書を挟んでいたのだ。
探していた葉書は、恩師からの葉書というわけではないのに、なぜか挟んでいたのである。

恩師からの言葉を借りてアレンジすることに、ちょっぴり恥ずかしさもあったが、いやいや、その恥ずかしさを超えたからこそ、探していた葉書に出会えたともいえる。

私がそうだったように、対話の人間関係上、想像上、亡き者に、排除されるかもしれない。
私がそうだったように、有意義に「内在化」させて「この人なら、こんな時、なんて言うだろう。どう考えるだろう」と置き換えることに成功するかもしれない。
いや、それは違うか。

ロケットの補助エンジンのように、有意義に燃え尽きる役を物語りたい。
私も私の道を一歩ずつ歩んでいくのだから。


2012年02月06日(月) お菓子と麻雀

26年くらい過ごした家族環境でのエピソードである。

私はたぶん、そこまでお菓子をねだったことはないと思う。
「チョコレート大好き!」という類いでもなかった。
出されたものは食べる。

まぁでも記憶をたぐるに、駄菓子屋で1個10円とか20円とかのお菓子を100円とか200円握りしめて何を何個買うか、というのは楽しかったという想い出はある。お菓子の味というより、そうやってお金を使った経験が懐かしい。話し上手ないわゆる「ヒョーキン」な性格だと、駄菓子屋のおばちゃんやおじちゃんとの会話も想い出の一部になっているのかもしれない。

私は「ヒョーキン」なタイプではなかった。
しかし、もう廃棄したので存在しないが、小学時代の「サイン帳」には二人くらいが「ヒョーキンKAZUちゃんへ」みたいな言葉を書いてくれていた。

私は二人との会話では明るい要素を発動できるが、大人数になると地味だった。

「二人で喋る時は面白いのにみんなでいるときは喋らんね。もっと喋った方がいいよ」
的な言葉を何度も言われてきた。
そのことを母に憎しみをこめて言ってみたこともある。
憎しみというのは、そういったおとなしい性格を母のせいにしたかったからである。
そうやって辻褄を合わせたかったのである。
自分以外の誰かのせいにして収めたかったのである。
そういう子どもの気持ちの誕生にも母親というものは立ち会う責任があって、その気持ちがたとえネガティブなものであったとしても温かく受容してポジティブな方向へ導いていくことが「仕事」だと私は子ども心に思い込んでいた。

母は私が中学に入学したあたりまで専業主婦だったと思う。
まだ「共働き」がそんなに多くはなかったのではないかと思う。
「学童」の規模も小さかった。
母は母であり、「母」以外の仮面をかぶることは想像できなかった。
よって、「この人はずっと大人の役をやっているのだろう」と考えて見ていたものだ。
会社勤めを私がするようになって、何かで言い争いになった。
仕事でストレスがたまっていたのだろうと思う。

「なによ、働いたこともないくせに!」

私は母が「母」以外の仮面をかぶることが、かぶっていたことが想像できなかったのだ。

「お母さんだって、外で勤めていたんだからね!」

怒りモードである。
眉間のシワは最大限に任務にあたっていた。


そんな何かと憤りの感情を持つ対象であった母であるが、黒糖風味のジャイアントポップコーンが大好物だった。寝っ転がって時には漫画を読みながら、時には家庭用TVゲームをしながらお菓子をほおばっている姿は忘れられない。

子どもが同じような行動をしていようものなら、お説教であるだろう。

私は母のそういった姿を刻み、「反面教師」と据えて、時に心の中でバカにしていた。
しかし、本当に「反面教師」として定着させるにあたっては、私自身の中での動揺、痛みを通過させなければならなかった。そのことは、「反面教師」という言葉を知ってから何年も後になって、身をもって知ることになる。

我が夫は我が両親との会話で「オヤジは反面教師ですから」といった言葉を放ったことがある。
オヤジさんがギャンブル好きであることを聞いて、我が父としては心配になったのだろう。
「君にはオヤジさんの血が流れているんだし」的な言葉をやさしくおそらく言っていた。
我が父はそういった「血」とか「ウチ」とか「世間体」というのを重視していたように思う。

私も少しずつ社会問題の「歴史」とか「経緯」とか「背景」について理解できるようになって、また、同級生との語らいの中で「ああいう考え方をする風潮が当時としては珍しくはなかったのだな」と冷静に通過させることができるようになってきた。


ところで、小学生、中学生の子を巻き込んでの家庭内麻雀というのはおそらく「不良行為」ではないのだろうと思う。
「勝負」が関わるものではあるが、我が両親は何やら記録を取りながら麻雀をすることを好んだ。
私は、麻雀パイの模様やデザインを眺めるのが好きだった。
漢字の「東西南北」や「發」「中」、白い何も書かれてないパイが手元に来ると何か嬉しかった。
ゲームの終了は、私が「すねて」(飽きて、いやになって)フェードアウトしていくことが多分、多かった。
「負けたからやろう?」「負けるからイヤなんやろう?」と、家族メンバーから取り囲まれて言われるのは、軽く「いじめ」の要素を発揮しているのだと思われるのだが、これも結果として、私が「外」の世界で、中学時代「いじめ」に遭ったときに「貴重な経験をさせてもらいました」と担任に放つ根拠に繋がっているように思う。

家庭内での人間関係の情動解決構造や仕組み、機能は、「外」で応用されるのであることを私は自分自身の子ども経験によって実証したような気がしている。

よって、「おはよう」という挨拶、「ありがとう」という感謝、「ごくろうさま」というねぎらい、「ごめんなさい」という謝罪の構造、機能を家庭内でまず「夫婦」同士が日常的に実践されていれば、その姿を見る子どもは、「外」でそのことを試してみるだろうと思うのだ。

そのように考えてみると、「勤労感謝の日」とか「結婚記念日」とか「誕生日」とか、そういう記念日に頼った感じで、非日常というか嘘くさいというか現実離れしているように思えたことは、自然のように思える。

今、現在の我が家は、子無しの二人家族であるが、夫との関わりによって、「おはよう」という挨拶、「ありがとう」という感謝、「ごくろうさま」というねぎらい、「ごめんなさい」という謝罪を「内」で実践できている。

夫は言った。
「君はボクがこんなに一生懸命仕事をしているのに、ごくろうさまって言ってくれないんだね」
10年間ずっと夫はこの思いを言えずに抱えていた。
この言葉は、奇しくも私が脳の変調をきたした状態をきっかけに吐き出されることになる。

「病気」はネガティブな要素ばかりがどうも主張されがちであるが、こういった内なる変革のようなダイナミックな環境への切り込みによって、「ありがとう」「ごくろうさま」「ごめんなさい」という思いが純粋な形で誕生するきっかけに繋がるのではないかな、と思えてくる。

子どもが「感情」について知るきっかけは、家庭内の人間関係以外にも例えば「本」のストーリーで「そうなんだ」と繋がることもあるだろうと思う。

しかし、年齢的な発達段階を配慮されて紹介される「本」というのが必ずしもその年齢の子の心に反応するかというと微妙なのだろうな、と思う。
まぁ、何年か後でも、何十年後でも、心が育っていっている手応えを感じられた時に、そういった心の成長を促すような本と設定を超えて、出逢うことは何かのメッセージに繋がっているのだろうと思う。


お菓子と麻雀。

一人自宅にてお菓子を食べることはある。
しかし、どこかで「申し訳ない」という思いがある。
隠れて食べているような罪深い気持ちになる。

子どもの時に、「バカみたいに」お菓子の虜になっておけば、お菓子を支配するような経験ができていればそういった気持ちに立ち止まることはないのかもしれない。
もしかすると、母が大人になってお菓子をほしいままに食べる、という行動は母の幼少時代の願望を叶えているのかもしれない。

「大人買い」とか昨今では「ふつう」に言われている。
かつて子どもだった今では「大人」がバランスを取るための一時的な衝動なのかもしれない。

麻雀。
四人家族として団らんの一つの形として据えればいいのだろうな。
ゲームの展開を楽しめるゆとりが私の中に根付いていなかったばかりに周りにも影響を与えたのだろう。麻雀の時、何が楽しかったかと思い出せば、その時はジュースやお菓子を罪悪感なく飲み食いすることができていたっけ。

そうか、ゲームは楽しめなかったけれどもちゃんと楽しさがあったわけだ。

野球観戦にも似ている。
ゲーム展開というより、ビールを飲んだり応援グッズで見よう見まねでその場に参加することが私は楽しいのだ。

いろいろな想い出の形がある。
「その時」とは違う形に年を重ねながら変容していくのだろう。
いつかはひしゃげて、自分の足で気づかず知らん顔で踏みつけることもあるのかもしれない。

これからだって、「形」になるたくさんの出来事があるのだから。
明日を楽しもう。


2012年02月03日(金) 後回しの一つの行く末

「私のことはいいの!」

「私のことは私の問題だから(放っておいて)!」


何度かこの台詞は何かの場面で言った経験があることは珍しくはないだろう。

たとえば、「母親」という役割があれば、子どもを第一にしたいという思いのあまり、視点をずらすときに使うのではないだろうか。


「他人の世話はいいから、自分のことをちゃんとしなさい!」
これも応用編的かもしれない。

この台詞は「自分のことは後回し」劇場の開幕なのである。
どのような行く末が待っているのだろう。

母親というのは、こういった台詞を「眉間にシワを寄せて」、実に感情をこめて放出する。

まぁ、眉間にシワを刻む母親(女性)がいる限り、美容業界は安泰かもしれない。
これは余談である。

母親のこういった台詞を言い放たれてしまう他者に視点を置こう。
他者、それは子どもである。
職業として大きな声を出して指導にあたるのでなければ、おおかたそれは「他者ではなく実の(私が産んだ)子」なのかなと思うが。
言葉尻をあえてつかもう。
「他者ではなく実の(私が産んだ)子」「我が子はよその子ではない」「他者とはよその子」

親子であっても「他者」なのである。
自分以外の人間なのである。
別の人格を持った他者なのである。

しかし、親子の「親」と「子」の間には他者同士とはまた違う人間関係の仕組みがあるのだ、と考えるとなんだかしっくりくる。

たとえばその仕組みを説明するキーワードとして「愛着」や「依存」があるのかなと思う。
具体的は説には触れない。
「愛着」という絆は育まれていくものらしい。

では、「依存」はどうだろう。
月日を重ねるにつれて、「育まれて」いくのだとしたら、これは困ったことになる。
成長は「依存」の進行か。
そんなことはない。
人間は誰しも依存無しには生きられない生き物であるという時の「依存」ではない場合、つまり、それが継続したら「病的」に映るような「依存」は、「ふつう」成長するにつれて発展的に脇役にまわっていくはずである。

今日、「自閉症」や「発達障害」や「統合失調症」に関する本を続けて3冊読んだ。
それらは批判的な否定的な内容ではなくて、理解を促進するような、考え方をかみ砕いた、分かりやすい展開だった。
ゆえに、私の中では「何が障がいか、病気か」「私にも当てはまる」という視点がやさしく受け付けられた。いや、潜在的にあったものが浮き出てきたに過ぎないという表現がふさわしそうだ。

はっきりとした境界線というものがないからだろう。

「依存」に戻そう。
人間の発達で、乳幼児というのは「依存的」なものである。

そういうものである。
よって、
「まぁ!なんてこの子は依存してるの!依存しないの!やめなさい!」
的な注意はおそらくされないだろうと思われる。
しかし、激しいとそうも言いたくなるとは思う。
家ではOKだが、外ではNGみたいなものもあるだろう。

「衝撃な実態」「驚きの現実」ではないだろう。
「うちの子、2歳なのに、パシリみたいに私のことを使うのよ!歩いて取りに行けばいいのに、自分が動きたくないからって歩けないふりするのよ!信じられないわ!」
なんてことはありえない。

頼らざるをえない発達段階と言いたくなる。
必ず誰でも「依存」の時期を通過するものである、と定義したくなりそうになる。

しかしながら、そうあるべきであるはずなのに、「え?」「あれ?」と「依存」が分かりづらい発達を進めていきながらも、「うちの子は依存しないわ。偉いわ。早い内から自立しているわ。」的に都合良く解釈することもありうるのかもしれない。

例えば、授乳中に母親が寝てしまうとする。欲求が満たされない時、赤ん坊は泣いて知らせるはずである。音に敏感な母親であれば慌てて体勢を整えるだろう。まぁ、育児はたいへん疲労困憊する労働であると言われるので爆睡に近く少々のことでは起きないということもありうるかもしれない。
赤ん坊の立場に立てば、泣いているのにも関わらず、欲求は満たされないということを不幸にも学んでしまう。もしも「泣く」という行動が非常にエネルギーを使うのであれば、空腹のサインを出しつつも、爆睡してしまうということもありうるかもしれない。

私は授乳時(赤ん坊として授乳されている期間)、栄養失調と診断されたことがあるそうだ。

どれくらいの量が、「満腹」であるとか「空腹を満たしている」のかは、分からないのだろうとは思う。

しかし、もしも、母親に多少の「ゆとり」があれば、時折、赤ん坊の表情を確認して、「もう要らん(お腹いっぱいだよ)」的なサインをキャッチしていけるのではないかと思われる。

「依存」の権利を堂々と発動できるのは乳幼児期だとすれば、十分に発動されないことによって、「私の辞書には依存という文字はない」的な外から見ると「お、自立してんじゃん」と思われそうになることもありうるのではないかと思った。

「依存、何それ」的な世界にあると、いや、厳密には辞書にもないくらいなのでその表現は誤っているが、「ふつう、依存してそのことを成し遂げるものである」というところを、「何事も自力で対処して成し遂げるものである」というプログラムのようなものが発動されたとすると、同じ「必要なことをする」工程、例えば「物を取る」という操作は「物の近くにいる自分ではない誰かにお願いして取ってもらう」というところを「物の近くにいる自分の一部を操作して取る」的な感覚になるのかもしれない。

「どこまでが自分なのか」
そんなもの自分は自分だよ的に考えるなんてことは「ふつう」しないのかもしれない。
しかし、「自閉症」関連について知ることを通して、そのことを考えること無しには深く理解できないような感覚になる。

「ふつう」しないことをすることは「ふつう」じゃないかもしれないけれど、「ふつう」しないことをするようになることは「ふつう」なのかもしれない。むしろ、「しないことをするようになる」ということなのだから、「発達」とも言えそうだ。




*******
時間の経過の音(ト書き)
*******

「私のことはいいの!」

「私のことは私の問題だから(放っておいて)!」


かつてそう放った声の主の一つの物語。

「また昨日、救急車を呼んだわ。
胃が痛いのなんのって。
検査をいろいろとしたわ。
帰宅したのは深夜よ。
今日も念のため検査なのよ。」




「私のことはいいの!」

「私のことは私の問題だから(放っておいて)!」

かつて、こう放たれた子どもの一つの物語も同時進行している。
「困ったときどうすればいいの?
なんていう台詞を放てばいいの?
どうせ泣いたって誰も助けてくれないんでしょう?
何をすれば私の痛みに気づいてもらえるの?
誰が私を助けてくれるの?
誰か助けて。」

心の叫び的台詞である。

心の台詞が、身体によって表現されることもあるという。
スキップをしてうれしい楽しい幸せな心の台詞を表現する。

だったらつらい心の台詞はどう表現されるだろう。



「私のことはいいの!」

「私のことは私の問題だから(放っておいて)!」

かつて、こう放たれた子どもの一つの物語は、「ふつう」への戸惑いを超えたのである。
自分への問いかけと答えを超えて、「他者」を想定した台詞を表現できるほどに確かに成長しているのである。


あなたの例えば「痛み」の物語は、あなた自身があなた自身を知るというプロセス(過程)で紡がれていくのですよ。


2012年02月02日(木) 「救済されたい」「救済したい」

昨日、久々に平日の飲み会が実施。
少しだけ、夕食の準備に着手していたけれど参加。
参加人数2名という小規模である。

仕切りのあるテーブル席。
入り口で靴を脱いで収納するタイプの居酒屋。

仕切りの向こう側の男性の声がちょいと大きめで、意識をずらそうと思っても聞き耳を立ててしまうのが厄介だった。
連れも同じだった様子で、何度か振り返って、「その面」を見たい衝動が伝わる。

私の方からは茶髪女子2名がちらちらと見えた。
20代と思われた。
男性は40代くらいだと思われた。

男性は離婚歴があり、再婚もしていた。
これは、私の敏感耳からの情報を繋げた結果による。


「今日はね、嫁さんには、取引先の人と飲んでくるから、ご飯いらないからね〜って言ってきた。嫁さんも、うん、分かったよ〜って。そんなもんだよ」

それに対して、茶髪女子2名は「へぇ〜」と声高々に言っていた。

離婚歴を語る場面では、
「……相手がどんなヤツかと思ったら、これがまたたいしたことないヤツ。これが芸能人みたいないけているヤツやったら、仕方がないかなって思えるけど、何が悔しいって、こんなヤツに……。子どもはどうするんだって言ったんだけど、それは、そんな母親の元に子どもを置いておけないからで、子どもを連れて行くって言うなら絶対それは許さないって言いたかったし。で、何て言ったと思う?子どもは置いていくって言う。ヤツとの関係を続けるには、子どもが邪魔みたいな言い方をする……」

それに対して、茶髪女子2名は「へぇ〜」と声高々に言っていた。


ほろ酔いの私は面白く分析して、勝手に物語を作りたくなった。

前の奥さんの浮気は、ご主人のこのような行動(「取引先の人と飲んでくるから」と言って、女性と食事をする的な)が関連しているのだろうと。
奥さんは満たされたいのである。ご主人も同じく満たされたいという思いが交わって安定した家庭が構築されるのだとすれば、奥さんは満たされない思いを抱え、ご主人は外で満たされているゆえに「満たされたい」という思いは発動されない。
離婚話を語る場面では、いかにもご主人側が救済されるべき存在である「可哀想な僕」を訴えている。その「可哀想な僕」を、聴き手によっては、救済したくなるのかもしれない。話し手もそれを期待しているのかもしれない。

「救済されたい」「救済したい」
どちらも一人の人間に共存しているプロセスだと思う。
それが、どちらかに偏りっぱなしになる時期というのもあるのだと思う。
この二つに共通して支えているのは、「そう思わずには、満たされない」。
そして、次から次に救済してくれる相手を、救済すべき相手を求めることを続ける。

「救済されたい」人が「救済したい」へ、「救済したい」人が「救済されたい」へ移るとき、「こんな私でも誰かを支えることができる」「こんな私でも誰かに支えられているんだ」と気づいた時、視界が開けるのだと思う。


まぁ、よそさまの会話の一部分を聞き取り、勝手に話を繋ごうとするという、余計なお世話的なものだけれど、時にこういうことは勝手に繋いだ作業を実行した人間(つまり、「私」)の考えを投影する一つの記録になるのかもしれない。


2012年02月01日(水) 私を束ねないでください

新川和江さんの詩を思い出すようなちょっとしたことが私の中を通過した。

「私を束ねないで」と検索したくなって、いくつかヒットしたサイトから一つのブログに漂着してみた。

ざっとしか内容を見ていないが、有意味な自問自答をされてある方で、ささやかに学ばせていただけた。その方自身も、言葉を紡ぐ中で「学び」や「気づき」に繋がっていったことに「感謝、感謝」でまとめてあって、読んでいた私も「感謝」の気持ちで「ちょっとしたこと」が括られたような、束ねることができたような、爽快感があった。

どうも、他者から縛られるのは、束ねられるのは「ヨシ」としないが、自分自身で「束ねる」ということは「ヨシ」な感じである。

「感謝、感謝」でまとめた方と、私の中での「ちょっとしたこと」に流れる気持ちの仕組みが似ていた。

その方は「電話」でのやりとりが通過させるべき事案だった様子だが、私はメールだった。

後味のようなものが似ていた。
その方は、眠れなかったとあったが私はそこまでではなかった。
ただ、仕組み的なものは似ていた。

大人になっても、自分自身の中には子ども(チャイルド)がいる、ゆっくり育つ部分がある。ということは、想像できてしまう。
「インナーチャイルド」と呼ばれるものだろうか。
詳細は調べていない。
仮にそういうものがあるとして考えると腑に落ちる、ただそれだけかもしれない。しかし、日々をとりあえず、昨日までと同じ個人として、まとめあげていく工程ではそういったものは何気に支えになっているのかもしれない。

「後味の悪さ」「申し訳なさ」「前言撤回したくなるような気持ち」
「昨日送ったメールへの削除したい思い」
こんな、仕組みが機能しようとウズウズしていたらしい。

そのきっかけは、
「返事をしようと思ったのですが、ネガティブになりそうなので、今日はやめておきます。また、近々。」
という返信だった。
正確には上記のようなメッセージに加えて3行ほど文章があった。

文章は短いけれども、「返事」「返信」には変わりがない。

しかし、冷静になれば、ありのままの気持ちがただ文字として書かれてあるだけであることに気付く。

「返事をしたい」というゆるぎない信頼を保ちたい思いを伝える気持ち、「ネガティブ」にならないようなメッセージを書きたいというどちらかというとプラスな、ポジティブな気持ちになるような言葉を綴りたい、綴れるはずだ、という自分自身への期待。

私は、「ゆっくりでいいですよ」とか「ネガティブになってもOKですよ」「気にしないでくださいね」的なメッセージを送りたい衝動が走った。


「前」の私だったら、行動を起こしていただろう。



「感謝、感謝」でまとめた方の仕組みによれば、返信をさせるに導いた、過去の私自身の紡いだ言葉には、悪気はないはずである、ということだ。悪気どころか、自分自身を整えたであろう心地よさが詰まっていたはずである。
その言葉によって、それに触れた自分以外の他者がなんだかの感情があふれるというのはありえることで、であるからして、前もって予言的に特別な配慮をする必要は浮かばなかったはずである。

仮に
「あなたからのメッセージを見て、過去の辛い思い出を思い出して泣きたくなりました」
と、伝えてきたとしても、
「辛い思い出を思い出させるようなメッセージを送ってしまって、ごめんね」
という切り返しはどうだろうか。

「ごめんね」
という、謝罪をしたくなる感情は「私」の内なる子どもが「私」に救済を求めている叫びのようなものだとすれば、それに答えるのは、抱きしめるに値するのは何か、と考えてみると、他ならぬ「私」ではないのか。

さらに、こういった「叫びは自分自身へのメッセージだ」という「仕組み」を理解させようと、他者に伝えようと努力することに頑張らなくてもいいのである。


たしかに、「昨日」の自分自身は、「今日」の自分自身と連続しているものではある。
しかし、流れている気持ちの「仕組み」は、すでに確実な過去のものであり、その「仕組み」を詳細に「今」たどろうとしたところで、詳細な「明日」の「仕組み」を予測することはできないし、したくないものである。

感情の「仕組み」、感情の波を、スケジュール帳に書いて、その通りに実行するなんていう発想は、なんと狭いことだろう。

そう、明日は、ちゃんと明日の風が吹くようにできているのだ。
そういって、一日を締めくくってきた日もあったじゃないか。

明日は明日の、喜びや辛さがちゃんと待っているのだ。
だから、今日は今日で終わらせられるように。



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