ふつうっぽい日記
もくじ過去未来


2006年04月16日(日) 本とテレビを堪能

週末は、どっぷりとテレビ(正確には映画のテレビ放映)と小説の世界に入っていた。
木曜日に、買い物に出かけてからたしか金曜、土曜、日曜と出かけてないような気がする。
いや、金曜日は昼過ぎの2時間くらい出かけたんだったか。

土曜日、昨日は福岡の夫は沖縄へ日帰り出張で、現場も雨だったらしく、観光気分にひたることなく最終よりも早い時間の飛行機で戻ってこれたらしい。
私はというと、朝9時近くまで眠っていて、1週間分の連続テレビ小説をまとめて見て、洗濯物を畳んだり、金曜日に買った雑誌に見入ったり、早めの入浴をしたり。
夜は11時半くらいまでテレビを見て、後少しで読破という小説を時間を気にする事無く読んだ。後少しだと思っていたけど、1時間半くらいかかった。
文庫本で850ページくらいあるそれは、見た目、「ぶっとい」。
だいたい、自分で適当に文庫本を買う時はそんなに「ぶっとい」のは買わない。
これは主人から流れてきたものだ(笑)
話題作というか、流行というか「売れます」とか「注目」とか「テレビでも放映」といったもので、テレビドラマ化されたそれは私は見なかった。主人は見たとか言っていたかしら。
「テレビとはちょっと違う設定だけど」と言っていたが、テレビで見てなかった私にとっては純粋にその世界にどっぷりひたることとなった。
どこかテレビドラマ化というと、なんか一騒動あって、ハッピーエンドになってるんだろうとか考えてしまう。
昨日の晩、「ぶっとい」本を読み終えて、いったいどのようにテレビドラマ化されたのが逆に気になった。この「ぶっとい」本を読み終えて、というか、後少しという時に、「次なるぶっとい何かの本を読んでみたい」という気持ちになった。
金曜日にちょっと寄った本屋は在庫数が少なかったが、でも、何かしら読みたくなるものがあるかもしれない!と何冊か手に取った。でも、結局、「ぶっとい」文庫本を決定することはできなかった。
その気になれば、主人の本棚には私が読んでない本がざっくざくあるのだから、わざわざ買わなくてもいいんだけど。

今日は目覚まし時計が途中で止まっていたりして、結局、ちゃんと起きたのは11時だった。
そんなに空腹感がなかったので、12時半くらいまで適当にテレビを見たり携帯メールに返事をしたりしてパジャマのままだらりんと過ごした。
そうだ、11時半くらいに福岡の主人のところへ電話をかけたら留守電で、とくに携帯に掛け直してみるという気持ちもなく、折り返し電話を気ままに待っていた。
留守電には「おーい。起きてるかーお−い、トイレ行ってるのぉ?」なんて残しておいた。
15分後くらいに電話があって、表示から主人であることは分かったので、おじさんみたいな声で「はい!」と言った。思った通り彼はトイレに行っていたらしい。「人がせっかくウン○している時に〜」と呆れていたが。「じゃ、そういうことで〜おやすみンガァー」と夫はふざけて言った。「もしかして、寝室に?まだ寝るつもり?」と言うと、「だって布団が離してくれないんだモン」と。

夫との電話はひとまずそこまでで、私は食事(冷凍ご飯を温めてレトルトのカレー)をとり、ケーブルテレビで適当につけたチャンネル(日本映画専門チャンネル)をちらちら見ていた。
ところが、途中からであったのにも関わらず、吸い込まれてしまった。昼ご飯の洗い物も後回しにソファーで大きな猫のぬいぐるみを時々だっこしながら。「機関車先生」という坂口憲二主演のやつだった。その終わり30分前くらいに洗濯機を回していた事を思い出し、ベランダにそれらを干した。それからも、同じチャンネルで2時間ほどの映画を見た。「アカルイミライ」というタイトルだっただろうか。ちょっとだるーくなるような展開だったが結構心地よく、結局最後まで見てしまったのだった。

それから、ベランダに干していたものを撤収した。まだ乾いてなかったが、すごい風が吹いてきて、雨も混じってきていた。その時に思った。「今日も買い物は行かなくていっかー」と。
冷凍庫に豚肉の細切れがあったのと、賞味期限が迫っていた使い残りのお好み焼きの粉を見つけて、献立が決まった。お好み焼きの粉は他にも1袋あってそれは5月末あたりだった。
いかんいかん、忘れられるところだった。
もしも、夕方、心地よい天気だったら、間違いなく買い物に出かけ、調子にのって食材を買っていたことだろう。

-----------
やることはいくつもあって、気合いを入れればそれなりに充実するとは分かっていても、ちょっとダラリーンと過ごしてもいいだろう〜と思う時だってあります。


2006年04月07日(金)

すこぶる快晴の博多。
昨日の夕方、無事に福岡入りをした。
大阪の桜はこの週末、満開となりそうで、来週戻ってきた頃は、緑の葉がところどころに見え、散り急いでいるかもしれない。
福岡の桜はもう満開のピークを超えて、場所により満開を拝めるような感じだ。大部分は、緑の葉も見えてきて、足元にはハラハラと桜の花びらが散り積もっているような感じ。
今晩が桜らしい見物の最終日かもしれない。

---
「桜が咲いたよ」という歌を知ったのは、まだ二十代だったと思う。
久石譲さんのファンクラブに入って、生演奏も聞いた。
久石さんといえば、映画(宮崎映画)やドラマの音楽というイメージが強く、歌が入っているのは新鮮だった。アルバムでは「地上の楽園」に収録されている。そのアルバムの曲の大部分がただ一度足を運んだコンサートで披露され、「桜が咲いたよ」が聞けたわけだ。
2006年となり、再び、シングルとしてリリースされたらしいことを何かのホームページで知った。歌は私の理解が合っていれば久石さんのお嬢さん。
なんとも古風というか、切ないような感じで、たしかに「桜」を感じる。

---
先月末、誕生日を迎えた私だ。
九州の友人から期日指定で届けられた贈り物、グリーティングカードの数々。中学時代からの親友のRからは「これ、うちの娘をイメージしているんじゃないか?って思うキャラクターのお菓子です」と可愛らしい丸い箱に詰められたマシュマロと「いつか、二人で連弾できたらいいな、と思っていた楽譜を送りました」というピアノの連弾楽譜のコピー。
その曲は久石さんの曲であり、それのハ長調に転調した簡単なものは私は持っていた。連弾であり、シャープがいくつかついていたそれは初めて見るもので趣味のピアノに触れる時間を生活に取り入れようという計画を具体的に進められそうでうれしい私だ。

---
明日は、実家の車を借りて、日用品の買出し。
ここから実家までは電車で20分で、実家の最寄駅から徒歩では15分くらい。ほとんど、駅までは迎えに来てもらっている。
実家に一旦寄って、一日のおよそのスケジュールを伝える。
買い物したものをここに運びいれ、車を返却するのはだいたい6時半前で、お風呂と食事を実家で済ませ、翌日がとくに予定がなければ泊まる。
翌日は駅まで送ってもらって、「また今度」と言って別れる。
二ヶ月に一度、福岡に行っていて、だいたい実家の誰かとは面会しているかな。
「1日遅れてすまない」とあった父からのグリーティングカードには「今度、来たときびっくりすることがあるよ!」と書かれており、あれこれと想像している私だ。
1年くらい前は風呂場とトイレがリフォームされていた。
今回はまたもやどこかの改修か、薄い父の髪が劇的に増えているとか、妹が婚約したのかしらとか、犬を飼い始めたのかとか、車が変わったのだろうかとか。
びっくりすると書くくらいだから、「うわー!」と叫ぶんだろうか。
答えは明日、分かるのだ。
母に「お父さんからびっくりすることがあるとカードに書いていたよ」と携帯メールに探りをいれても、そのことについてはツッコミはなかった。
だいたい「思うほどの、たいしたことないよ。」とかクールな返事が今までの傾向であればきそうなのだけど。あきれているのか、興味がないのか、母もサプライズに協力体制なのか。妄想は止まらない。
壁に穴が空いたとか、蜂の巣が復活したとか、車にすごい傷が付いているとか、階段から落ちてすごい青ジミができたとか、父の携帯水没及び落下による機種変更記録更新とか、門扉が無いとか、庭の花や木がことごとく虫にやられたとか、どうかそういうものでありませんように…。

---
今晩は、リクエストにより具だくさん味噌汁と丼ものを作成予定。
食後は散歩がてら夜桜見物を。


KAZU |MAIL