ふつうっぽい日記
もくじ過去未来


2002年04月30日(火) ゴールデンウィーク〜前半〜

土曜日、日曜日、月曜日と3連休。

27日(土)は、夫婦揃って昼まで寝ていた。それから、ビデオ鑑賞。ビートたけしのバトルロワイヤルを観た。R指定だ、たしかに。でも、観ようと思ったら観れるだろうな、なんて思いつつ、観ていた。ビートたけし演じる「キタノ」に視点をおくと、なんとも切なかった。その後、偶然つけたテレビであっていた洋画もエイリアンが出てきて、何やらすごい描写だった。途中で気持ち悪くなってチャンネルを変えた。気付くと夕方で、レンタル返却がてら近くのホームセンターを散策。主人の作業用の靴と手袋を購入。配線工事をすることがおおく、手に生傷が絶えないというので、家計費から支出。黄色のアクセントのついた黒い手袋で。ソファーで私がうたた寝している時にニョキッ!と顔をその手袋を付けた手で触られしこたま驚く私。主人も、「我ながら、怖い」と言っていた(笑)主人はすぐに、床屋に出かけた。夕食は床屋の近くのビアレストラン。出かけて1時間半くらいたった頃に、さぐりの電話をかけると、なんとスロットをしているという我が夫、、、少し怒りつつ、合流。食事時には私の怒りはおさまっていた。ビール券が5枚あったおかげで出費が抑えられ満足。帰りにお決まりのゲームセンターへ行った。収穫はドラえもん、、、。そして、スロットの収入で(?)ワイン2本とケーキ3個購入してくれた主人。さらに、目に入った「ソフトクリーム屋」で400円くらいする苺ソフトを買ってくれて、歩きながら二人でバリバリと食べた。電車に乗ってもしばらく食べていた。途中で下の方からクリームが流れてきて、少し騒いだ私(まるで子ども、、)まあ、周りに知った人いないし、いいか。と思ったら…電車を降りてからご近所の方を発見!「定例のビアレストランですか?」的なことを言われ、まさかビール券を消化するために、なんて言えず、私たちはフニャフニャと笑ったのだった。家に帰ってワインをケーキを堪能。ワインは2本とも赤を買ったつもりが1本はスパークリングワインで、結局、2本とも一夜にして空いてしまった。

28日(日)も、昼あたりまで寝ていた。そして、前から気になっていた古いパソコンとプリンターと音源とモデムを処分するために、梅田まで車で行った。連休ってことで、道は思ったよりスムースで、店の買い取りコーナーも客は少なかった。駐車場のおじさんから、「パソコン売りに来たんやね?売れるんかね?難しいってきくで〜」なんてツッコミを入れられながら店で借りた大きなカートにブツを載せて運んだ。PCは7年くらい前のモノで処分料取られる覚悟だったが、メモリを増設した分査定額よりも多かったので、ホッとした。モデムはケーブルの欠品で査定額の半分。プリンターは査定額通り(100円!)音源が一番高く買い取ってくれた。まあ、ほとんど、主人が独身時代に購入した品なので、買い取り額はそのまま主人の小遣いとなった。でも、優しい主人は5000円「小遣いあげる」と私にくれたのであった。調子にのって、駐車料金やガソリン代まで出してくれた(*出させたのではない)それから、前から予定に組んでいた「肉のジャンボ市」なるものへ行き、美味しそうなウィンナー20本くらいと、80円の豚足2本(調理方法は後日研究)、そして、夕飯用の肉(骨付きカルビ、牛タン)を購入。次に、お客さま感謝デーをやっていたショッピングセンタージャ○コに行き、ワインを購入(もちろん赤)ここでも主人は調子にのって発砲酒ではなくビール(○ビス)を買ってくれた。作業台の近くで「スーツフェア」という広告を見つけた主人は「見るだけ」だと2階へ私を誘導。見ているうちに、ほしくなったようなご様子(空腹だったし…)割引き中ってこともあるし、このところ、残業三昧で頑張ってくれているので、2着家計費から支出。裾あげの引き取りは翌日の夕方にしてもらった。

29日(月)この日も昼まで爆睡した夫婦。
主人は3時くらいまで寝ていた。私は洗濯したり、洗い物したり、バタバタしていた。主人はPCをいじっていた。5時前になって「今から梅田に行こうか?」と言ってきた。「夕飯はオゴルよ」と言うので、ちょっと期待しつつも、複雑な顔をする私。「何しに?」と私。「PCケース買いに」と主人。「荷物持ちかーーー!」と私。「だって、重いんだもん」と主人。微妙な時間が流れ「やっぱり、大人しく、時間も時間だし、片づけに徹しようか?」と主人。少し、怒りの顔をした私。「先にスーツを取りに行こう」と言うのでカッタルそうに私は軽くメイクをした。車の中で元気がないね?と言われ素直に「外食を期待していた」と言うと、「寿司でも食おうか」ということになり、ショッピングセンターでスーツを受け取って、どさくさにまぎれて私も服を2着買い、二次会用の日本酒をしっかり買って寿司屋に行った。(*廻転寿司です)連休中で多いかと思いきや、カウンター席はガラガラで迷わずカウンター席に突進。二人で23皿(赤だし別)寿司屋ではアルコールは取らない(理由:「タバコが吸えないから」主人談)帰ってからビールと日本酒のまったりタイム。

そして、30日(火)。
主人は早出の現地直行ってことで、私は5時過ぎに起きて弁当と朝食の準備。不思議なことに睡魔との格闘も今のところなく、1日が過ぎようとしている。でも、やるべきことはテンコモリなのは変化ない。明日は予定では主人のPCパーツ買い付けにつき合う事になっているヽ(;´Д`)ノ
さてさて、どうなることやら。


2002年04月26日(金) ちょっとだけ

「ちょっとだけ」と横になったらとんでもなく寝ていた。朝9時に「よし!」と気合いを入れたのだが(ウソの気合いだったと後で気付くことに…)、「ちょっとだけ」と布団に顔を埋めたら…壮大な夢を見て、目覚めたのは昼過ぎだった。こういうこともあろうかと、携帯でアラーム設定30分していたのだが、折り畳みの携帯は開きっぱなしで投げられていた(軽く)

壮大な夢というか、雰囲気がある夢だった。来週やってくる友だち3人が登場して1人が遅れるというもので、途中で落ち合うように他のメンバーも移動するのだけど、なかなか出会えず、気付いたら妙な建物の中に迷いこんでいた。その建物の中では友だちは揃っており、目指すところは「心斎橋」だった…(意味不明)建物の中には管理人のおばさんがいて、おばさんに聞くとぶっきらぼうに説明をしてくれた。私は「なんとかなる」と軽い態度で聞いていて、おばさんは「もう二度と説明しないからね!」とさらにムスっとなっていた。そのおばさんの顔の表情は強烈だった。「なんとかなるよ!」と友だちを引き連れて建物を出ようとするけど、出口が見つからず、妙なおじさんに出くわす。おじさんはニタニタするだけで説明はしてくれなかった。なんとか出口に辿りつくが、「傘、忘れてない?」と友だちから言われてハッとする。傘はちゃんと見つけられた。そして、友だちがニタニタおじさんから手紙を受け取ったらしく「これ」と私に渡す。妹からだった。
現実に絡んだ事…今日、傘を干した。そう、干そうと思って気になっていたのだ。今日、手紙が来ていた。そう、妹から先日一緒に行ったUSJの写真が送られてきていたのだ。前もって携帯に「ぼちぼち届くかも」とあったので、それが出てきたのだろう。

午後からはバタバタと動いたのだけど、午前中の眠りは大きかったヽ(;´Д`)ノ気合い入れたら「ちょっとだけ」って布団に顔なんて埋めるわけない…

明日から3連休。我が家はどう過ごすんだろう…具体的な計画といえば、日曜日に「肉のジャンボ市」に行くことくらいだし。来週末に盛り沢山のイベントがあるので、体力とお金をちゃんと温存しておかねば…( ̄○ ̄;)!イベント企画書類も作らないと(o^−^o)


2002年04月24日(水) 「たくさん勉強させられていた時代」

…たくさん勉強させられていた時代のほうが、メンタルヘルスは良好だった…手に取った本にそう書いてあった。

そう、その時は分からないもの。ふと、そんなふうに考えることがある。たとえば、「この果物を食べると頭が良くなる」と誰かが言ったとする。本当か?と疑いつつも、お手ごろならばやってみようかなって思う。でも、すぐに効果はでるものでない。また、相性もあるかもしれない。それらの実施の様子を何年もデータにとったら、スゴイことが分かったりするのかもしれない。そうだとして。それを「今」の人間にあてはめる…そういうのは、よくあることなのかもしれない。ある程度のシュミレーションができるものなのかもしれない。でも、なんだか、それでいいんだろうか?とも思う時もある。

私の中で「たくさん勉強させられていた時代」はいつだろう?って思った。“させられる”っていうのがちょっとひっかかる言葉ではある。意と反してそうしなきゃならなかった時…それでもって勉強…高校時代、月1回だったか週1回の月曜日に必ず提出せねばならなかった読書感想文だろうか。勉強、ではないか。どうも、私は「宿題」に限定するところがある。学校の授業として「たくさん勉強」したといえば…朝、放課後の課外のあった高校時代だろうか。(もたもや高校時代…)当時はきつかったけど、結果オーライだったのは小学校の漢字の宿題。瞬時に書けるものではないから、腰を据えて、机でする勉強と言える。私は字を書くのが好きなタイプだったので、楽しかったけど、「ダル〜ィ」と言いながら宿題に励んでいた人間も絶対いたはずで。中学校では塾通いが定着するかしないか微妙な時期で、ある塾では英単語を間違ったら1つにつき1000字かかないといけないという噂があって誰ぞは70000字書いたらしいとか聞いた。その塾は規則が厳しいとかそういうのではなくて、わりと成績に関係ないというか(入塾テストなんてのはなかったのかもしれない)気軽な雰囲気らしく人気はあったようだ。学校ではちょっとひねくれているタイプの生徒が、模擬試験では意外に成績がよかったりする。学校内ではハンパだけど、外ではそれなりに“ちゃんと”しているって感じだろうか。潔さ、純粋だったのかもしれない。学校の中でドキドキしながらお菓子を隠れて食べたことも、今は可愛らしいように思う。(こらこら)

今晩は、カレーライス。これに、たけのこの天ぷらをトッピングしようと思っている。添える小鉢はたけのこの煮物(o^∇^o)ノ


2002年04月19日(金) 振り返り記録“五木氏のはなし”

3時過ぎに、『ぴゅあテーマ劇場』の更新をしようと気合いを入れて、導入部ができてプレビューをしようとしたら「予期せぬエラーのため…終了しました」と表示された。やっとやる気がいい感じだったのに…でも、おそらく、近々めげずに今度はちまちまと保存しながら作業を進めると思う。

さて、今日の日記は、食事前のひととき。でも、まだ、野菜を切るくらいしかしてない。週末なので、待てるだけ主人を待とうと思う。ちなみに、「やきそば」と「餃子」なのだ。「餃子」はチルドのものなので、気楽。今週はちょいと、こんな気分なのである。こんな気分だけど、それは、とても心地よいものなのだ。で、今日は、また、「児童学研究法」のノートから抜粋しようとそのあたりをいじっていたら、1995年9月26日から書き始めた日記が出てきた。縁だとか運だとかをこよなく愛する私は(大袈裟)ぱらぱらと読みはじめる。ポエムの部屋にぼちぼち編集できそうな言葉もあったけど、10月中旬に書いたと思われる『五木氏のはなし』というタイトルでメモ(なぐり書き)があったので、それを記してみようと思う。

『五木氏のはなし』の「五木氏」とは誰なのかについての説明をしておく。歌手の五木さんではない。作家の五木寛之氏である。(今、名前の部分が出て来なくて「いつきひろゆき」と打ち、変換したらすぐに出てきたのでそれを信用した)私は大学を卒業して、アルバイト生活をしている時に市民大学を受講していた。いわゆる、講演会拝聴ってやつである。公民館(中規模かな?)で2ヶ月に1回有名人の話を一人聞きに行っていたのだ。実は、ひそかに、そこで“出会い”がないかな〜なんて淡い期待をしていたのだ…しかし、女性参加者の中で私は最年少で、男性の最年少は40歳くらいだったかに思う。平均63歳くらいじゃないの?というくらいの年齢層。私の日記のメモによると、1995年の10月は五木寛之氏が講師として招かれたのだった。ちなみに、市民大学の学長は俳優の「米倉斎年さん」(名前に自信がない:よねくらまさかねさん)だった。米倉学長(笑)とは開講式で公民館のロビーで遭遇し、わざと私は米倉氏のえんび服の腰の部分を触ったのだった(おばちゃん根性っぽい孤独な若者…私。)

+++『五木氏のはなし』のメモの抜粋+++

【井上靖(“三宮炎上”)】
*死者1の背後→足を切ってくれ
昭和23年福井地震→アル中毒----3769人死亡
★励ますことが有効な場合とそうでない場合がある
*そうでない:立ち上がれない時
→だまって、かなしむ

【遠藤周作】自分の痛みを分かってくれる
*立ち上がれない人が多い時代

【1988年バブル経済】
*自殺者の数:男性が多い
---戦後の倍
---玉もとんでこないのに
---物も豊かなのに
---食うには困らない
---“皮肉”
---子どもの自殺
---“自殺者の数”の背後には未遂の人々

【日本の勤労者のストレス何で発散しているか?】
*女性
1:睡眠
2:旅行、外食
3:雑談、買い物
4:カラオケ

*男性
1:睡眠
2:酒
3:テレビ

“仕事のストレス”→本当は人間が生きている本質的なもの
“人は見かけによらない”

【ぞうのじかん ねづみのじかん】
…哺乳類は、5億回の呼吸、20億回の心音。
★呼吸の預金★1日は、ゆっくり呼吸をしよう

【朝顔の花の研究】
★本当に元気よく生きていくためには、暗いことや心が冷えたりしてその中から生きる力とか

★自分の人生を肯定することは難しい
---自分の人生を否定する他人の人生なんか
---生き続けることは大変なこと
---死ぬ日まで生きていく
---“とりあえず今日まで少なくとも生きてきた”
生きていることだけでそれだけで値うちがある

----------とりあえず、このまま生きているだけで値うちがあるのだから、少しずつ自分磨きをしていきましょ、ね。貯金でいうと、元本保障って感じかな。上等上等。


2002年04月17日(水) 1週間を振り返る

楽しい時間はあっという間に過ぎて行った。

先週の水曜日の夕方に、福岡から妹が無事に大阪の我が家に到着した。久しぶりに見る顔。ロングヘア−からすっきりしたボブスタイルになっていた。前回の訪問は2年ほど前だっただろうか。「しょうがなく来ました」というどこか疲れたような顔だったのを覚えている。でも、今回は観光雑誌を手に目的をもった旅のようだった。「家まで来れるか?」の問いに「頑張って来てみる」とあり、心配だったが電話をしてきたのは1回のみで、それは我が家の近くの私鉄の駅からだった。逆算して家に着いてもよい時間なのに、チャイムはしばらく鳴らなくてハラハラしたのだが、少し迷ったとのことだった。息つく暇もなく、夕飯の買い出しに同行させた。初日(10日)の夕飯は「エビのチリソース煮」主人の帰宅はいつものように遅かった(午後11時45分くらい)主人と妹の対面は翌朝のほんの一瞬だった。

11日はUSJへ一緒に行き、夕方には帰宅し、夕食はホールトマトをざくざく潰したソースをからめたパスタを作った。主人には梅田の駅で餃子とシュウマイを土産として(?)買って帰ったので焼飯を作った(やはり、午後11時45分くらい:妹は午後10時半くらいに就寝)

12日は一駅電車に揺られてショッピングセンターを一緒に散策し、翌朝の朝食(パン)を買って帰った。夕食はリクエストによりさば味噌を作った。食後、妹は某隣人さんによりパックと眉のメンテナンスと前髪カットをしてもらい、少々疲れ気味(午後9時を回っていたこともあり)で就寝。

13日は妹曰く、一番よく歩いた日となった。一緒に観光の定番「通天閣」にのぼり、道頓堀まで歩きお好み焼きを堪能し、梅田の「空中庭園」にのぼり、赤い観覧車に乗り、お茶タイムにはパフェを食べた。その後、百貨店で母から自由に使っていいと渡されたという5000円分の商品券を握りしめて(使えないかもしれないという不安も抱きながら)割烹着2着(妹と私の分)と雑貨少々を購入。主人は夕方まで仕事で、6時くらいに合流した。夕食はからあげの美味しいビアレストランに行った。いい気分になって、ワインとアイスクリームを買って帰った。家に帰ってワインを1杯だけのんで、妹は就寝した。私と主人はもう少しワインを堪能して就寝。

14日は主人も仕事は休みで、せっかくの休みだったがボーリングに私たち姉妹を連れて行ってくれた。夕食は我が家で「たこ焼き」を堪能。福岡の実家ではお好み焼きはするけど、たこ焼きはしない。我が家で“ひっくり返し体験”をして妹も楽しそうだった。「ビールが進むね〜」とイッチョマエのことを言っていた(笑)

15日は京都方面へ一緒に行った。平安神宮に行きたいとの希望で決まったのだ。河原町通りを散策し、昼は八坂神社の近くのそば屋へ行き、店の前から平安神宮行きのバスに乗った。(写真付き日記参照)おやつはクリームあんみつを堪能。夕食は妹にも手伝ってもらいながらカレーライスを作った。主人はやはり帰宅は遅かった。

16日は雨降りということもあって、神戸行きを予定していたけど、のんびり過ごすことにした。午前中はゴロゴロとして、昼食はピザの宅配をとり、午後からオリジナルTシャツ作りをした。パソコンでTシャツプリント紙にプリントアウトしてアイロンで貼付けるという流れ。プリントアウトは私がやったが他の作業は全て妹に体験してもらった。柄はデジカメでお気に入りのぬいぐるみを集めたもの(具体的なキャラに関してはあえて書かない)で枕の上に“モデル”を寝かせてお気に入りのタオルで布団をかけたような舞台設定(笑)で、慣れない手付きでデジカメで何枚か撮っていた。せっかくなので、Tシャツのプリント原稿としてはボツになったデジカメ画像はハガキ用紙にプリントした。妹はすごく喜んでいた。夕食の準備をして、さて、早めの風呂にしようか?と話しているところへ主人から電話があった。夕飯が不要なのかと思いきや「妹最後の大阪の夜なんやろ?だったら食事でも外でどう?なんとか仕事終わらせてくるし」とありがたい言葉(ρ_;)それから、速攻で風呂に入って軽くメイクして一駅電車に揺られて待ち合わせの場所に一緒に向かった。予想外の展開だったが、妹と私はとても嬉しかったのだった。

17日、今日。午後1時58分の新幹線で妹は博多に帰って行った…1週間過ごした和室に貸していたフリースジャンバーがちょこんと畳まれてあって涙が自然に出てきた。布団もちゃんと畳んで重ねてあったので、また、これをそのまま放置しておくと、思い出し泣きをしそうなので(故郷が恋しくなる)速攻おしいれにしまった。その他、洗濯物や食器も涙を飲んで片付けた。なにも、もう会えないという訳じゃないのだけど、自然にうるうるしてくるのだった。それは、実家で年をとっていく両親を妹一人に任せているように思ったからかもしれない。「お父さんに迎えに来てもらったけど運転中、眠そうで途中で運転代わったよ」とメールも来たし、「お母さん洗濯物なかなかタンスにしまわないのよね」と愚痴を聞いた事も少し気になった。でも、それは、今に始まったことじゃないし、私自身にもそういうところがあるのだけど。それが、妹のストレスになる時もあるだろう、とか、そういうことを思った。この大阪訪問は本当の意味での息抜きだったんだろうな、と思った。今は、実家とは距離的に離れているので具体的にすぐ動くことはできないけど、それぞれと対等の場所から話を聞く、言葉を聞くことが今、私ができることかなと思った。

強くなれ、ワタシ。


2002年04月12日(金) ちょっと真面目な話〜存在感の5か条〜

このところ、HPの更新時間は不規則。今日も、ほどよい睡魔と闘いながら、主人の帰りを待ちながら、更新している。この「ふつうっぽい日記」は、下書きをしてから、清書(ほとんどコピー&ペースト)しているのだけど、今日はもう、直接書込んでいる。

眠たい目をこすりつつ、手にとったのは、「児童学研究法」という見出しがついたノートだった。でも、中身は「児童福祉」についてがほとんどだった。偶然開いたページには“存在感の5か条”が書かれてあった。5か条にはすべて「自分」という言葉が出てくるが児童に限らず大人の人間にもあてはまるなと思ったので書いておく事にする。


<<存在感の5か条>>----------

1:「自分は誰かの役に立っている」との実感が持てること

2:「自分は誰からか認めてもらっている」との実感が持てること

3:「自分自身の判断にもとづいて自分で行動ができる」との実感が持てること

4:「自分の能力を発揮することができる場がある」との実感が持てること

5:「自分の意見や考え方を本気で聞いてくれる人がいる」との実感が持てること

--------------


2002年04月08日(月) 最近の生活、今からの生活

主人の帰宅が遅いこともあって、2月あたりから、日記の更新が遅い時間になってきている。気持ちは夕方なのだけど…夕方は夕方で炊飯タイムに忙しい。ここ最近の夕方の炊飯タイムでは晩ご飯の他に次の日の弁当のおかずを1、2品作っているのだ。それは、弁当作りの本を買った影響も少しはある。弁当のおかずとはいえ、結構これが晩酌の立派な「あて」になったりするからなかなかよろしいのである。身近な食材で身近な調味料で身近な味で、きどらないのがいいのだ。

そういえば、風邪ひきなどの体調崩し以外で横になる、いわゆる「昼寝」をしなくなった。軽い気持ちでの昼寝で金縛りにあうことを体験したからという訳ではないのだけど、単純作業、複雑作業毎日違ったナニカで1日は過ぎていく。それは、「完成」することに必ずしも繋がるわけではないのだが。掃除ついでにアルバムや手紙に目が行き、正座していることもわすれて想い出に浸ることなども含まれる。そのきっかけは「ひょん」なことなのだろうけど、何か因縁があるように思えることもある。今日は大学時代のアルバムを見てしまった。先日私の誕生日の日に友人は結婚したのだが、ホテルの専属か取引先なのかは分からないけど女性のカメラマンというのが印象的だった。さらに、どこかで見たような顔だなぁと思ったのだ。大学の助手だったように思う。同じ人物か確認したところで、相手はおそらく知らないだろう。でも、きっと、福岡と大阪だし、大学の助手を辞めてカメラマンに転身したというのはちょっと無理があるようにも思う。頭の後ろの方で、少し気にかけておこう。

明日は火曜日。水曜日は英会話の日なので、予習復習、宿題をやらねばならない。そして、水曜日の夕方は福岡から実家の者が一人のこのことやってくる。まあ、ほとんど観光気分のようだが、身内とはいえ、やっぱり、小奇麗に片付けておきたいと思う私。明日はちょっと煮詰めておかねば…いろいろな意味で…今週、来週は嫌でも活動的になること間違いなしだ。


2002年04月03日(水) 何やってんだ?

今日は、英会話の日だった。いつもは、第2、4水曜日(月2回)の10時から。しかし、先月相方さんの都合で3月は1回しかできないということで、今日が振り替えの日。でも、私は時間を間違ってレッスンに向かった。てっきりいつもと同じ10時からだと思い、その時間に行ったのだが、イレギュラーな今日のレッスンは12時20分からだったのだ!!事務の女性から「あら?」と言われて、「あっ…」と気付く。「また後ほど…」と言ってその場から撤収する私。時間は9時45分を過ぎたくらい。このまま帰るのものなぁと思い開店してるかしれないか微妙なスーパーに足を進めた。先客の姿を認めたので、カゴをもって店内に入る。でも、まだ品出しが完了してない上に照明も薄暗く、客も3人くらいしかいなくて購買意欲減退。少しの野菜とお昼用にパンを購入。トホホという足取りで自宅に戻る。まあ、教室が近所だったからよかったが。

無事に12時20分にレッスンは開始…と、思いきや、相方さんが5分してもやってこない!事務の女性は電話をかけた。すると、自宅にいた。彼女は1時20分だと思っていたらしかった。それから10分して慌てて相方さんが笑いながら登場。それからは、いつものようにレッスンは流れた。

1時半に自宅に戻って来れたので、隣町に出て銀行周りと「コンタクト購入」を済ませることにした。コンタクトは1時間もすれば終わるだろう!と甘く見ていたら、本当に甘かった。40分くらい、待ち合い室で待たされた(T-T)コンタクト購入は眼科にも行くことになるので、なんじゃかんじゃで1時間半くらいはかかっていた。その間、外は雷雨だったようだが、私が店を出る頃には雨の跡も消えようとしていた。結局、コンタクトは1日使い捨てタイプのを選んだ。今までが(といっても、間が半年は空いている)ハードコンタクトだったので似たものか?なんて軽く考えていた。まあ、結果からすると、ソフトレンズは私にとっては快適だった。これだったら毎日しても苦痛じゃない!なんて思ったほど。レンズの大きさはハードに比べるとかなり大きく感じられたが私が選んだメーカのレンズは小さい方なのだとか。「うわっ!デカ!」と思わず叫んだら、係のお兄さんは「○○はもっと大きいのですよ!」と説明。何人かお兄さん(眼科医だと思う)がいたが、みんなまつげがくるりんと長いなぁと思った。装着レッスンの時は間近でお兄さんを見ることになり、綺麗なまつげだ…と少し見つめていた私であった(余裕なのか?ワタシは…)でも、初めてのソフトレンズの着脱はもう手が震えてしかたなかった。お兄さんはもちろん慣れているので「もっと豪快にどうぞ」とか「裏表、わざと間違って装着してみる経験もするといいと思いますよ。少しゴロつくくらいですよ」とかスゴイことを言うのだ!15分ほどで着脱のコツをなんとか習得し、装着したまま快適に帰宅。

さきほど、風呂が湧いた気配がしたので早速レンズを外す。もちろんベテランのお兄さんはいないので、うわぁっとかうなりながらの作業だ。なんとか、3分くらいで両目のレンズを外せた。使い捨てなので、そのままペタっとしたままゴミ箱へ。そして、衣服を脱いで風呂の蓋を開けたら…なんと、湯が入ってない!!もちろん下着も脱いでスッポンポン。なんてこった〜!と操作ボタンを押す。なんとこのボタンも「足し湯」を押しただけであったことに3分後にくらいに気付いた私、、、、何やってるんでしょう?もちろん、3度目の正直で、ちゃんと給湯されている(だろう:まだ見に行ってないが)

本当は他にもパソコン(Mac)で終了を選んだつもりが再起動をやってしまったり、メールでゴミ箱にいれようと思っていたのを送信してしまったり(宛先は自分のアドレスーー)という小さな「何やってんだ?」っていうのを記録したかったのだが、かなり夜も更けてきたのでこのあたりで今日の日記はしめることにする。まだ、夕食も食べてない私である…

これをアップしようとして、携帯が鳴ったので出ると主人だった。明日は代休をもらったという。いやはや、明日はまったりと過ごせそうだ。という訳で今晩は晩酌をすることになった。世の中捨てたもんじゃない(スケールが広すぎ…)


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