原案帳#20(since 1973-) by会津里花
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2006年06月29日(木) メッセージ(萩尾望都)

☆(以下、作品よりせりふのみ抜粋)☆

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(影)

……を
……て…ます

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(少し暗く怪しげな男性の姿が浮かんでくる)
わたしは
あなたを
……て…ます

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(男の表情はどこか悲しげに見える)
あなたを
心から
愛しています

ほんとうです

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(男の手が見える。異形)
信じてください
あなたを
愛しています

-----------------

(うら若い少女。「姫」の衣装)

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(少女の目に涙)

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(少女、庭草の上に仰向け、やや離れて立つ男性に向かって)
どうして
そんなことを
言うの?

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(男性)
あなたを
愛しています
あなたは
すばらしいひとです…

-----------------

(少女、自虐的な笑み)
うそよ
わたしは
すばらしくなんか
ないわ

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(少女、顔を覆う。背景、黒)
おばあ様も
お父様も
お姉様も
わたしが
キライだわ

わたしに
うんざり
しているわ

わたしなんか
いなければ
いいのにと
思っているわ

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(少女、顔を覆ったまま。背景、庭草に)
わたしなんか
生まれて
こなければ
よかったのよ

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(男)
そんなふうに
いわないで……
あなたを
愛しています

-----------------

(少女、少し非難めいた顔を起こして)
わたしのこと
なにも
知らないくせに

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(男)
あなたを
愛しています
いとしいひと
あなたが
なんであれ

あなたを
愛せないと
わたしは人間に
なれないのです

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(少女、上体を起こして)
どういうこと

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(男)
わたしは
人間に
なりたいのです
あなたには
なにも
求めたり
しません

あなたを
愛しています
ただ そう
伝えたいのです

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(少女、顔アップ)
……
どうして?

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(男、顔上半分アップ)
さあ
わかりません
でも

わたしは
あなたを
愛しています

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(男、手アップ。右手は異形)
どうぞ
信じてください

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(少女、画面中央、セリフは男)
愛しています

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(少女、手を差し伸べる)

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(少女、顔に手を近づける)

-----------------

(少女、三つ編みにした髪の毛の一房を胸の前からどける)

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(少女の三つ編み……と思われたのは実は縄だったらしい。
切れた端が少女の上方の枝にゆわえてある)
(遠くから)
おじょうさまーァ!

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(乳母?登場)
キアラー
おじょうさま!

まあ
こんなとこに!

霧だから
動かないでと
いったのに

こんな森の置くまで行って!

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(少女)
リーザ

-----------------

(乳母、少女を引き寄せるようにして)
さっ 帰るん
ですよ!
いつも勝手で
いうことを
聞かないん
だから!

なにかあったら
どうするん
ですか
わたしが
しかられるん
ですよ!

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(少女)
リーザ
(乳母、少女の頭に帽子を載せながら)
ほら
帽子!

ちゃんと
かぶって!

-----------------

(少女、乳母の後について歩き始めながら)
わたしを
さがしに
きてくれて
ありがとう

-----------------

(乳母、不審げな顔で振り向き)
ええ
!?

-----------------

(少女、顔をあからめ、帽子を胸の前に下ろして少しうろたえ)


へ 変な
こといった?

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(乳母、当惑)
……
いえ
行きましょう
いいです
けど

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(少女)
……
いつも
どういって
いいのか
わから
ないの

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(少女、後ろを振り返り)
でも
さっき
人に
会ったの

(乳母)
人?

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(乳母、少し驚き)
あちらは
しげみと
がけです
誰も
いませんよ

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(少女、不思議そうな顔)

-----------------

(少女)
その人
わたしに
メッセージを
くれたの

-----------------

(乳母、こちらを見ずに)
はい
はい


急いで

-----------------

(少女、思い出すように)
……
誰かしら
あの人

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(少女、森を振り返る)

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(少女の横顔、独白)
わたし
これからは
眠れない夜は
あなたのことを
思い出すわ

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(少女、目を閉じ)
そして
あなたの
メッセージを
だきしめるわ

-----------------

(少女の手の中に、男のイメージ)
ありがとう

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☆(以上)☆

次は11月号の登場だってー。
3ヶ月も待ちぼうけなのかー ブチブチ

でも、心に沁みる作品でよかった。

一読者というかファンの勝手な思いだけど、「永遠に作品を出しつづけてほしい」。

2006年06月22日(木) NHK-FM廃止!?(じゃなくてよかった)

とあるところに書いたけど消した書き込み。

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はじめまして。
わたしは日曜日の東京FM系列で山下達郎がDJをやっている「サンデー・ソングブック」という番組で達郎さんが(ちょっと声を荒げて)おっしゃってるのを聞き、びっくりしていたので、今このコミュを探し出しました。

あくまで趣味の問題だろうとは思いますが、わたしは民放FMで流すソースにはほとんど関心が持てません。
他の方もおっしゃっていましたが、民放で流す動機は「売れてる」「売りたい」という経済的なものしかないものが大半だからです。
だったら他のソースでもいくらでも買うことができます。目立つように売っているんだから。(まぁそれでも「今売れてる曲」にはそもそも興味を持てないんですが……ヒットチャートから降りても、或いはチャートとは全く関係なくても、まだ生き残っているような音楽が好きです)

けれども、体系的な番組構成であったり評価を伴う紹介の仕方であったり、そこにはFMならではの「文化」があります。
はっきり言って「民俗音楽(←ここをクラシックとか合唱とか純邦楽とかに変えても同じことですが)なんか流しても売れない(売れてない)から」というような目先の泡銭だけを基準にして、何百万枚売れて何億儲かっているとかいうような音楽以外を無視することが、NHKだけはないのです。

だからあえて選択的にNHK-FMを聴いています。
(たまに「ちょっとはマシになったかな」と思って夜の民放聞いてみたりするけれど、よく知らない芸能人の身内ウケみたいであんまり面白くないおしゃべりといつでも聞こえてるような売れセンの曲しか聞こえてこず、「こんなんだったらAMラジオと同じじゃん」と思ってNHKに戻してしまいます。はっきり言ってNHKがいちばん「FMらしい」のでは?)
「売れる・売れない」だけではない基準で評価したり守り育てていくことが、きっと他の芸術ジャンルでも同じだろうと思うけれども、音楽には絶対に必要だと思うのです。

長々失礼しました。
もう良い結論(NHK-FMは廃止しない)が出ているのですね。
(すみません日ごろ思っていることを吐き出してしまいました)

まあ、もうちょっと先を突っ込んでしまえば「民放でもNHKに匹敵するほどの文化を持ち得たらNHK-FMはやっぱり不要となる」というような論理がまた浮上するのでしょうか?
わたしはたまたまNHKのほかに民放が2局ほど聴ける地域に住んでいますが、このトピのほかの人のご意見を読んでいたら「NHKしか聴けないのに!」というのがあるのに気づき、「文化があるかないか」だけの問題でもないのだ、と認識を新たにしました。


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実は、FMという形式ではない「配信」(っていうのがそもそもわたしはよくわかんないんだけど)の方法がいろいろと考えられるからこそ「NHK-FM不要」という論が登場してきた、という経緯があるようで、わたしはそこを完全にすっ飛ばして、ただ単に
「わたしは民放よりもNHKが好きだ」
という意味にしかならないことを書いていたのでした。

あぶない、あぶない。無知をさらけ出すところだった。

でもねえ……

FM放送という形式だからこそ伝えられる文化って、それでもやっぱりあると思うし、それはネット配信みたいなかたちではしっかり受け継いでいくことはできないのではないか、と思うのね……

わたしは古いのかなあ?
(「アナログレコードでしか表せない音がある、それはCDには絶対に代わることができない音だ」というように)

民放FMがNHK並に「売れない音楽」を流すようになったら「NHK-FM不要論」に耳を傾けてやってもいいよ。
でもきっとムリでしょう。
産業音楽として特化したほんの一部の音楽の背後には、それこそ「お金にならない」無数の音楽文化が広くて深くて豊かなバックグラウンドを形成している。
(ちょうど、100年ちょっと前に「レコード」というかたちで究めて不完全ながら「保存された音楽」というものが出てくるまでの数千〜数万年の間に膨大な「保存されなかった音楽」があったように……
或いは「楽譜」というかたちで「再現可能な音楽」がつくり出されるまでの、やっぱり数千〜数万年の間に、時間×人の数ほど膨大な量の「一度きりの音楽」があったように……)
それがわからない人たちに「切り捨てられる」のは、絶対に許せない!
……って、いつのまにか自分のこと言ってるじゃん、あんた(=自分)。

要するに、そういうことか。
お金にならない音楽やって生きてく決心はしたものの、やっぱりそれが「切り捨ての対象」みたいに扱われそうになるのは心細いものなんですよ。

2006年06月13日(火) 極刑 田中宇

★1: 極刑
★2: 田中宇……イギリス的な



★1: 極刑

生き続ける、という極刑。

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★2: 田中宇……イギリス的な

田中宇の国際ニュース解説 http://tanakanews.com/に「アメリカはイギリスの傀儡だったが今改めて独立しようとしている」というような内容の記事が載った。
(「アメリカの「第2独立戦争」」2006年6月13日)

なんか、読んでいて、昔父がわたしに言っていた話を思い出してしまったよ。

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すごく久しぶりにこのフォームを使った。
実は、何年か前にこのフォームを使ってここにやたらと書き付けていた頃と、精神状態が似たような感じになってきている。

2006年06月12日(月) 不調です

☆サッカー、日本負けちゃったね。

わたしが見てて勝ったこと、ないよ。


☆死刑の求刑に対し、判決は無期懲役。
遺族「死刑以外は無罪と同じ」

この言葉に、死刑制度は殺人の連鎖を助長するだけだと改めて感じた。
死刑がなければ、遺族だってこんな発想はしづらいだろうに。
なんてむごい制度なんだろう。
遺族に「殺意」を促すことになる。

どんなに凶悪な殺人犯であっても、そいつを殺してうかばれる者は一人もいない。

「だって出てくるかもしれないでしょう?」
と誰かが言っていたが、だったら「出て来れない刑」=「終身刑」を創設すれば良い。

「国家が犯罪者を食わせていくなんて!」
と誰かが言うかもしれない。
しかし、真の防犯のために役立つなら、当然の投資だろう。

生かしておいて、犯罪心理の研究材料にすれば良い。
犯罪者の心理を、プライバシーさえ許さずにとことんまで調べ尽くし、その者が精神的に破綻してでも、
「どうすれば犯罪が実行されずに済んだか」
を研究する実験台にでもすれば良い。

死刑を言い渡されるほどの犯罪者は人権をほぼ全面的に剥奪されているんだから、そのくらいの目に合わせてもかまうまい。
「死ぬ権利」をさえ剥奪するのだ。

「ひと思いに死なせてくれ」
と懇願されても、生かしておく。
死ぬより辛い苦しみを、神がその命を取り上げるまでずっと、味あわせ続ける。

それが本当の「極刑」だ。

死んで楽になるなんて、そんなずるいことを許してはならないし、死刑は「犯罪の抑止」として役立つよりもむしろ「殺人の連鎖」を助長する面の方が強い。
同じ言葉をただ繰り返すのは脳がないが、強調しておきたい。


わたしは生き続ける。


☆でもふと気が付くと、「わたしのせいで人が死んだ」と思ってしまっている。

いや、わかっている。
そんなことない。
っていうか、傲るな。
わたしは一人の人を言葉やましてやただわたしが存在するというだけで死なせてしまうほどのパワーはない。

それは、わたしがたまたまテレビで観戦していたから日本が負けた、なんて言えないのと同じ。

逆に、仮に、わたしの存在や言動が他の誰かの生き死にに関わっていたとしても、それはいたしかたのない現実。

それは、わたしが生きて今日の夕食をとったせいでアフリカで何人かの子供が命を落としているかもしれない、というのとそんなに変わらないこと。

それで気落ちして、せっかく食べたエネルギーを引きこもってうだうだすることにばかり費やしてしまったら、その方が罪深いかもしれない。

いや、引きこもってもいい。

生きて存在することの残酷さに、耐えなければならないのは、命あるもの全てに課せられた宿命。


でも、でもね……


つい「自分のせいで」と思わずにはいられないんだよ……

意識が思っていないつもりでも、体が思ってしまう。
眠れない、起きれない。
風呂にも入れず、歯も磨けない。

楽器を弾いて歌うことができれば、まだわたしは生きてていいような気もするんだけど、
悪くなるとそれすらできなくなる。


せっかく誰かが日記でコメントしてくれても、返事ができなくなる。

(先週亡くなった友人は、掲示板上でわたしが最後にレスしたのだった。
……他の掲示板とかにも何か書いてたかもしれないし、わたしが本当に最後のコメントじゃなかったかもしれないのに)

……


あれ?
考えが同じところをいつまでも回っている。

いや〜、アタマじゃわかってるんだけど。
「余計なこと考えても何もいいことない」って。
「間違った思いこみにいつまでも囚われてなくていいんだ」って。

でも、キモチがね……





Anyone to help me?

2006年06月10日(土) くだらないつぶやき

「911は、破壊派によるクーデターのようなものだったと考えられる。」

という言葉に、妙に納得してしまった。

参考:田中宇の国際ニュース解説 2006年5月30日「つぶされるCIA」

特に、わたしたちはマスコミによって「911はイスラム系テロリストの仕業」と思わされているけれど、「自作自演」だとしたら、この言葉ほど実状に近いものはないのではないか、という気がする。

2006年06月07日(水) ある知人の死

メンタル系のある掲示板(クローズドなので詳細は一切伏せる)でもう4〜5年前からの知り合いである、ある人が亡くなった、という知らせを受けた。

直前にその人にレスしたのはわたしだった。
「生き死に」についての内容だった。

思いたくないけど、つい思ってしまう……

「わたしのせい?」と。

レスそのものは決して相手を攻撃するような内容ではなかったし、むしろ「お互い生きていきましょう」という気持ちを込めて書いたつもりだったのに。
言葉が足りなかったかもしれない。

わたしだけ?
人の死に対して、全部ではないにせよ何かしらの(場合によっては決定的な)原因を作ってしまった、と思ってしまうのは。

いろんなことを思い出して、暗澹とした気持ちになっている。

従兄の時より、少し冷静かも。
身勝手なものだ……

自分の父や母に対しても、間接的に原因を作ったかもしれない、と感じるし……

ふだんはそんなこと考えなくてもいい、と自分に言い聞かせているけれど、気になり始めると、もうだめ。

いちばん上の兄が死んだのとわたしが同じ年齢になるのが来年。
わたしはそれを越えて生きられるのだろうか。

兄の死の間際の言葉は
「オヤジ、オレを道連れにするのか?」
だったそうだ。
でも結局、兄が先に死に、父はそれから数年の間、兄の死を知らされないまま病床にいた。

いや、わたしは死なない。
病気や事故など、神さまの采配で与えられる死は、受け入れるしかないだろうけれど。
自分から死んだりはしない。
醜くてもみっともなくても、誰からどんなに恨まれても、どんなに自分で自分が許せなくても、どんなに世界中からたちの悪いお荷物だと思われても、神さまがちゃんとお迎えをよこすまでは、死なない。
行き先が天国なんかじゃなくても、それは仕方がない。

でも正直なところ、思ってしまう。
「わたしは本当に生きていてもいいのか」
と。

いや、結論が「死ぬべきだ」であっても、それでもわたしは生きることにしがみつくんだけど。

わたしが死刑に反対しているのは、万が一わたしが「死に値する罪」を犯したとしても、死刑にだけはなりたくないから、だったりするんだけど。

死ぬよりつらい目にあってもいい。
生かしてさえくれれば。

もちろん、そんなこと、わたしが自分で決められるようなことじゃないんだけど。

あ、それに、わたしは決して「死に値する罪」を犯したくなんかないし。
そんなことしてしまったら、今の今まで言ってたことを簡単にひっくり返して「死にたい」って言い出すだろうし。

罪を犯した者は、神さまが決められた時に命を引き上げるその瞬間まで、死より恐ろしい苦しみを背負ったまま生きる、いや生かされるべきだ。
「死んだ方がまだましだ」と思わせるのが、最高の「極刑」だと思う。

人間が勝手に人の命を奪い取ることは、たとえ法律が許していたとしても(つまり死刑であっても)、絶対にしてはならないことだと思う。

って自分に言い聞かせているわたしは、多分今とっても「生きているのが嫌」だと思っているんだろう。

本当はこんなこと、人から見えるところになんか書いてはいけないのかな。
見た人に悪影響を及ぼすのだろうか。

わたしは生きる。

だから、あなたも生きて。

もしもわたしがあなたにとてもひどいことをして、あなたが死ぬほどつらい思いをしたのなら、わたしは死ぬ以外のどんな償いでもします。

「死んでお詫びを」なんて、都合の良い逃げ。
カッコつけて死ぬくらいなら、生きていつまでも恥をさらせ!!

全ての自殺者は、生きたいから死を選ぶ。
わたしはどんな自殺者にも、共感しない(自殺者はもう何も言わないから共感もできない)。
生きたければ、生きるだけ。
死にたくても、生きる。
死ねと言われても、生きる。

殺されたら、死ぬ。
だから、誰も(たとえ国家でも)わたしを殺さないで。




あーもう、きりがない。
やめやめ。


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