原案帳#20(since 1973-) by会津里花
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2006年03月31日(金) アメリカ合州国大統領就任演説

アメリカ合衆国大統領就任演説』というのを、「青空文庫」というサイトで見つけて、何人かの大統領の演説を和訳したものをプリントアウトしてみた。
まだ読んでないけれど、このくらいは知っておいた方がいいと思った。

アメリカ合州国は、「キリスト教国家」である。
イランやイラクが「イスラム教国家」であるのと同じくらい。

日本ほど宗教についておおらかな国は(いわゆる「先進国」のうちでは)むしろ珍しいが、たまたま軍事的に「同盟」(というより主従関係)を結んでいるからといって、アメリカも日本と同じように宗教に関して寛容だと思ったら大間違いだ。
日本人の多くはこの点に関してたいてい勘違いをしていると思うので、いちおうここに指摘しておく。
(いやもちろんこのことを指摘している人は既にいっぱいいるんだけど、政治・軍事その他米日の「主従関係」によって勘違いさせられやすい傾向はそれ以上に強力なので、誰が何度このことを指摘しても足りないだろうと思う)

それにしても、最もマイノリティに対して親和的で、最も平和を愛するはずのキリスト教を、憲法にも大統領の就任演説にも最前面に持ってくるほどの国が、やたらと喧嘩っ早くてまるでヤクザのようにあちこちに戦争を仕掛ける様を見せ付けられるのは、毎度のことながら情けない。
迷惑だからクリスチャンの看板なんか下ろしちゃえ。
そう言いたくて仕方ない。

でも、しょうがない。
宗教が政治と結びつくのは近代以前のやり方でしかなく、その古い価値観の中では戦争はちっとも悪いことではないからだ。

戦争を「悪いこと」と考える思想は、ほんの100年かそこらの歴史しかまだ持っていないのだ。
これから育てていかなければならない、まだまだ「新しい思想」なのだ。
(今でも「戦争は正当な政治行為の一つ」と思っている人も多いでしょう? でもそれ、古いよ)

アメリカ合州国は、かつては「若い国」だったが、今や同じ政治体制を200年以上も固持している「古い国」になってしまった。
だから古い価値観にしがみつかずにいられないのも無理はない。
しかし、もうそろそろ、歴史の牽引役を降りる段取りを始めた方がいい。

時代は、わたしたちにとってはゆるやかに、しかし歴史的には急激に、変化を遂げ始めている。

--------------------------

ここからは(わたしがいつも言ってることだけど)極端な言い方になるけれど、宗教はあくまで個人に帰属するものであり、「宗教団体」すらわたしは肯定できない。
団体を築いて何かしらの利害関係が発生したとたんに、宗教は本当の意味で人の心を救うことも社会を「正しい方向へ導く」ことも、できなくなってしまう。

教会へ行くのは悪いことじゃない。
いや、むしろできるだけ行くべきだろう。
自らの弱さを知るために。
信仰の孤独を紛らして、「仲間がいる」ことの安堵を得るために。
そうすればわたしたちは、弱さゆえの過ちをいくらか回避できることもあるだろう。

しかし、教会の専従を養う以上のお金を差し出すべきではないし、まして社会に対して何かしらの影響力を行使しようなどと考えてはいけない。

もしも宗教の力でこの世を正しい方向へ導きたかったら、

ひたすら、祈れ。

一人で、祈れ。

信仰によってできることは、これに尽きる。

2006年03月22日(水) 自業自得

ある人に「わたしの居場所を奪わないで」と言ったら、逆にわたしの居場所が狭くなってしまった。

当然だ。
わたしに居場所が必要なのと同じように、その人にだって居場所はあるし必要なのだ。

ただ単に、わたしがその人のいそうなところに行けなくなってしまっただけだった。

そんなの、嫌だ。

でも、争いも、嫌だ。

できることなら、その人と和解したい。
(っていうか、本当は謝ってほしいんだろうな……)

でも、無理やり「和解」なんかしようとしたって、本心からそう思えなければ無駄だろう。

わたしは今もまだ、傷ついている。

その人が、わたし「以外」の人とばっかり交流を深めているのが、許せない。

……あー、どうしてこう、わたしは物事の暗い面ばっかり見てしまうんだろう?
そんなことしても、何もいいことないのに。

その人にだって言い分はあるだろう。
「あなた(=わたしのこと)にはつきあいきれない」とか。

でもやっぱり、「後足で砂をかける」ようなことをされた、とわたしは感じていて、平気でそういうことをして謝りもしない、というのは、やっぱり許せない。

……で、許せないことで、わたしは「自分の居場所を狭めている」。

ああ、早く許せるようになりたい。
相手が謝ってくれれば、わたしだって謝らなければならないことはある。わかっている。

自分から謝ればいいのか?……でも、なぜ? わたしは、確かに最後はキレてしまったけれど、それまでは本当につらい思いをしながら、この人のためだと思ってひたすら耐え忍んでいたというのに。
キレたという、そのことだけで、わたしはもう謝ってももらえないところまで落ちてしまったのか。

……あ、違う。
別の人のこととごっちゃにしてしまった。
「別の人」についてのトラウマも、まだ完全に回復してはいないからだ、きっと。

ああ、本当に嫌だ。

人を恨むのは嫌だ。

無視されているのも、嫌だ。

謝ってもらえず、いつまでも相手に対してわだかまりを持ちつづけるのも、嫌だ。

キレてひどいことして、相手から謝ってもらうことができないように自分からしてしまうのも、すごく嫌だ。

嫌だ、嫌だ……

2006年03月21日(火) 煙草による化学物質過敏症〜喫煙を注意されて殴る人

ショック!!

「煙草による化学物質過敏症」なんていうのがあるのだそうです。
煙草による化学物質過敏症
http://quc.fc2web.com/t_allergy/


コピペしてしまおう。

--------------------------以下引用

知っていますか?煙草による化学物質過敏症。

あなたは知っていますか?
タバコによる化学物質過敏症の存在を。
何気ない一服。
その煙で命を落としてしまう人達が居ます。
タバコによる化学物質過敏症は命に関わる病気なのです。

化学物質過敏症とは、中毒よりもはるかに微量の化学物質でも長期間にわたって吸い込んだり、一度に大量に暴露することで症状が出てくる状態です。
一度発症すると、極めて微量な化学物質に接触しただけで、症状が出てしまいます。
症状は個人個人によって違い、特異的な症状というのはありません。
タバコによる化学物質過敏症とは、タバコに含まれる成分に対して、
体が化学物質過敏症の症状を起こしてしまう病気です。

私の友人は、主にニコチンに対して症状を引き起こしてしまうようです。
ニコチンは肌からも吸収されるため、タバコに触るだけでも発疹等の症状が出てしまいます。

しかし、知名度が低いため、タバコ嫌いと間違われやすく、
「煙草が嫌いだから過敏に反応しているだけではないのか」「精神的なものではないのか」
「煙くらい我慢すればいいじゃないか」「たかが煙で大げさな!」という認識をされがちです。
タバコが嫌いなだけなら我慢すればいいのかもしれません。
ですが、タバコによる化学物質過敏症は、タバコ嫌いとは違います。
タバコによる化学物質過敏症は、病気なのです。
我慢するしないの問題ではありません。
我慢していたら死んでしまいます。

そもそも、化学物質過敏症は何故起きるのでしょうか。
何故症状が出る人と出ない人がいるのでしょうか。
それは、適応能力の大きさにかなり個人差があるためと考えられています。
適応能力は分かり安く言うとバケツです。
体が耐えられる一定容量(許容量)というバケツにいろいろな化学物質がそそぎ込まれ、
体は、排泄、適応で順応していますが、その体の適応能力を越えてしまうと、
バケツから水が溢れるようにいろいろ症状が出てきます。
一度バケツがいっぱいになると、少しの水でもバケツからこぼれてしまうように、
極微量の化学物質に接触しただけで症状が出てしまうようになります。
これが化学物質過敏症です。


化学物質過敏症の人がその化学物質に接触すると、
発汗異常、手足の冷え、頭痛、疲労性、不安、不眠、うつ状態、不定愁訴、集中力低下、
呼吸困難、息切れ、胸痛、咳、動悸、不整脈、高血圧、低血圧、発疹、かゆみ、アトピー、
下痢、便秘、食欲不振、悪心、嘔吐、難聴、くしゃみ、鼻水、めまい、みみなり、
頭痛、まひ、知覚異常、視力障害、調節傷害、光過敏、結膜刺激症状などの様々な症状が起こります。
(なお、症状には個人差がありますので、上記の症状が全て出るというわけではありません)

アレルギーとよく似ていますが別物で、症状の原因となる化学物質がアレルギーよりもはるかに広範囲にわたり、
なおかつはるかに低いレベルの濃度で症状を引き起こすのが、化学物質過敏症です。


対策としては、タバコの煙を吸わないこと。それしかありません。
でもそれが一番難しいのです。
あなたはタバコの煙を吸わないように外を歩けますか?

道端は歩きタバコのせいで、どこから煙が来るか分かりません。
常にタオルを口元に当て、空気を吸わないように歩かねばなりません。
息をしないように歩く。そんな事が出来ますか?

行ける場所も限られてきます。
ご飯を食べるにも、分煙化していない店には入れません。
喫煙席と禁煙席が隣にあったりします。
それでは煙を避けることが出来ません。
食事に限らず、大抵のお店は分煙されていません。
居酒屋、ゲームセンター、遊園地など、ほとんどの場所には行くことが出来ません。

移動手段も限られてきます。
電車のホームは禁煙ですが、喫煙所以外でも歩きタバコをしている人達が大勢居ます。
バスの車内も禁煙ですが、バス停にはタバコを吸う人が居るので迂闊に近付けません。
自家用車を使うのが一番安全な交通手段ですが、窓を開けて運転することはできません。
どこから煙が入ってくるか分からないからです。

結局安全な場所など無いに等しいのです。
化学物質過敏症の人が悪いわけではないのに、なぜこんなに悲しい想いをしなければいけないのでしょう。。

ではどうすればいいのでしょうか。
タバコは嗜好品です。(少なくとも今の日本では)
止めろ、とは言えません。

私たちがお願いしたいことは、2点のみです。

 ※ 歩きタバコをなくして欲しい

 ※ 建物の完全分煙化

たったこれだけのことです。
これだけのことで、タバコによる化学物質過敏症の人も、外を気軽に歩けるようになるのです。

お願いします。
タバコによる化学物質過敏症という病気があることを知ってください。
そして、タバコを吸う時に思い出してください。
その煙で苦しんでいる人達が居ることを。
悲しい想いをしている人達が居るということを。
少しだけでいいのです。
少しだけ、思いやってあげてください。
自分さえ良ければいいとか、そんな悲しいことを思わないでください。
あなたが少し気を使うことで、とても助かる人達が居るのです。

タバコによる化学物質過敏症にご理解とご協力をお願いします。

以上引用--------------------------

うう…… わかってしまう。

特に、「歩き煙草」は本当にひどいと思う。
外の空気を気持ちよく呼吸しながら歩いている時、突然煙草の煙がどこからともなく漂ってきて、
「うっ!危ないっ!」
となってしまう。

あと、車からの吸殻のポイ捨ても、たぶんやっている本人はそれがどんなに危険なことかわかっていないのだろうと思う。
こちらの方は、「物理的に」交通事故の原因になりかねないのだ。
……ていうか、そんなこと誰にだってわかりそうなものなのに、それでもやっちゃう人がいるのはなんでだろう??????ぜんぜん理解できない。
(正直、これ言い出すと恨み節になってしまう。だって、わたし昔原付に乗っていた時に、飛んできた吸殻がヘルメットのシールドに当たってすごく怖い思いをしたことがあるんだもん! あとちょっと下に飛んできたら、首に当たってやけどしてしまったかもしれない。もしかしたら、それがわたしの短い一生の終わりだったかもしれない、と思うと……)

ただ、このサイトの人はこんな言い方もしている:

--------------------------以下引用

※※ ここは嫌煙サイトではありません。 ※※
ここは、『心が』ではなく『身体が』煙草を受け入れることが出来ない病気の方の為のサイトです。
どうかそこだけご理解下さい。

以上引用--------------------------

確かに、感情的になってしまったら、いくらそれなりに根拠のあることでも、
「差別したくて言ってるだけなんだろう」
と言われてしまう。
そうなったら「好き嫌いの問題」で片付けられてしまい、どんなに苦しくてもわかってはもらえない。

そういえば気がついたのだけれど、わたしは煙草の煙の中に長いこといると、「眠くなってしまう」。
今までは「根性が足りないせいだ」と自分でも思っていたけれど、よーくよく考えてみると、煙草の煙がないところではこういう「症状」は出たことがなかったのだった。
そーか、そーゆーことだったのか。
これからは自分を責めるのは止めよう。

「体の病気」と「心」というか「気持ちの問題」は、時にはきっちり分けてものを言わないと、どうしてもわかってもらえなくなってしまう。
けど、わたしにはそれはちょっと難しいかも……

あと、こんなニュースも:

--------------------------以下引用
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060310-00000123-kyodo-soci

車内の喫煙注意され殴る 警視庁巡査部長を逮捕

 茨城県警牛久署は10日、電車内での喫煙を注意した乗客の顔を殴ってけがを負わせたとして、傷害の疑いで警視庁千住署生活安全課主任の巡査部長桑原英男容疑者(50)=同県阿見町=を逮捕した。
 調べでは、桑原容疑者は9日午後10時すぎ、禁煙エリアになっているJR常磐線下り特急電車のデッキで喫煙していたのを茨城県牛久市の男性会社員(56)に注意されて腹を立て、牛久駅のホームに降りて男性の顔を数回殴り軽傷を負わせた疑い。
 千住署によると、桑原容疑者はこの日は日勤で、仕事を終えた後、東京都内で同僚と酒を飲んで帰宅途中だったという。調べに対し「申し訳ないことをしてしまった」と話しているという。
(共同通信) - 3月10日13時45分更新

以上引用--------------------------

これはひどい。
お酒を飲むと喫煙したくなって歯止めがきかなくなってしまう、というのは、わたし自身経験したことがある。
禁煙しているつもりなのに、お酒を飲んでくらくらしてくると、「シャキッとしたいから」といって煙草を吸ってしまう。
お酒で拡張した血管を、煙草で収縮させよう、ということなのか、と思っていた。
けれど、どちらも化学的に「無理やり」やっていることなので体にはとても負担を強いることになり、結局は体調を崩してしまうのだった。

もしかしたらそういうことの積み重ねの結果、わたしはお酒に対しても極端に弱くなってしまったのかもしれない。

お酒を飲む場には喫煙者が同席していることが多いので、もしかしたら受動喫煙してやっぱり調子悪くなってしまうことが、今でもあるのかも。
喫煙者のいないところで飲むとどうなるのか、一度試してみようかな……?
でも、それって「一人酒」になっちゃうのかなあ……
それは嫌だなあ…… つまんないし……

ああそうだ、話が逸れた。
飲酒して判断力が鈍っているせいで喫煙してしまい、今度は煙草の影響で喫煙を正当化せずにはいられなくなってしまう、という「機序」はわかるけれど(あくまで「理解できる」という意味で、「許せる」とは全然思えないけれど)、いくらなんでも、それで人を殴っちゃうのは、……(口をあんぐり)

上で紹介したサイトはあくまで「心の問題じゃなくて体の問題」と言っていて、それは多くの人に対して「冷静さ」を促す姿勢として高く評価できる。

でも、実は「気持ちの問題」に対しても、煙草はものすごく狡猾に作用する、というか「立ち回る」。
ニコチンは神経機構(シナプス)に直接働きかけるので、たぶん感覚神経とかだけではなく「ものを考える神経」に対しても影響を及ぼすことができるのでは。
ちょうど、一口めにはむせかえってしまうけれど、二口めからはむせてしまわないようになる(=気管の神経に直接働きかけて「この物質に対してはむせる反応をしなくていい」という回路を作り上げてしまう)のと同じように、大脳の中でも「喫煙を肯定的に考える」という回路が作り上げられ、「喫煙に対して否定的な考え方を持つ」という思考回路そのものがニコチンによって阻害されてしまうのではないか、という気がする。
少なくとも、わたし自身の場合はそうだったし、喫煙を正当化したがる人の言い分を聞いていると誰もがほとんど同じことしか言わないので、そういう類型的な思考回路を作るのはその人が自分の頭でちゃんと考えた結果ではなく、ニコチンに影響されてそういう考え方しかできなくなってしまった結果なのではないか、と思えて仕方ない。

面白いのは、ニコチンの作用はどこかの神経機構に対して「抑制的」に働くだけではなく、他方では「促進的」に働いてしまうこともある、ということ。
これについては「交感神経」と「副交感神経」がプラス方向とマイナス方向に作用しあってそのバランスで神経作用が機能する、ということをある程度きちんと理解していないとわかりにくいかも。

要は、同じニコチンがある神経回路では抑制的に、別の神経回路では促進的に作用することがあり、それが見事に「喫煙の正当化」を目標として機能する、ということ。
たかが化学物質のくせに、「あくまで自分にとって都合がいいように立ち回る」ことが、ニコチンはできるのだ。

(例:「ストレスがかかった気分だ」→ふつうは「水を飲む」「深呼吸する」くらいで解消する程度⇔喫煙者にとっては「煙草でも吸わないとこのストレスは解消しない」と思わされているし、その感覚は強化されていく)

実はこのことに気づいたのをきっかけとして、わたしは本気で完全に禁煙しようと決めたのだった。
だって、それこそ「たかが化学物質」に自分の判断を狂わされるなんて、嫌じゃん。

もちろん、他にもそういうこと(自分の意志じゃなくて化学物質とかそういうものによって自分の考えがコントロールされる、ということ;典型的な例は言うまでもなくメンタル系の薬)はいくらでもあるだろうけれど、煙草だけは完全に無駄だし、止めても何も困らないどころか健康状態は明らかに良くなるので、わたしは煙草に対してだけはとっても厳しいのだ☆



……最後に、とても恐ろしいことを書く。
実は、こうやって煙草を標的にしてぐちぐち書き連ねるわたしは、実は心か体のどこかで「喫煙を欲している」らしいのだ。

たまに、夢に見るのよ。
とうとう誘惑に負けて、また喫煙し始めてしまう、という夢を。
それって実は、歯を磨かないで寝てしまって、口の中が気持ち悪い状態になっている時に見る夢だったりするんだけど。
つまり、口の中が気持ち悪くなるようなことをしたい、と夢の中では思っていたりするのだ。

そういう「悪しき欲求」と戦うために、わたしはこうやってぐだぐだといつまでも書き続けるのだ。
悪しき欲求がどこから来るかといえば、もちろん、受動喫煙のせいだ。
↑に書いた悪夢は、口の中が気持ち悪いだけじゃなく、たいていは受動喫煙にさらされた日の夜にやってくる。

そうして、わたしは
「しまったーーーーーーーーっ!!!!」
と叫んで目を覚ます。

煙草を吸ったのが夢の中だけのことだった、と気がついて、わたしはほっと胸をなでおろす。

「いいじゃん、吸いたくなったら吸えば」
なんて声をかけてくれる「優しい人」がいるかもしれない。

でも、わたしは嫌だ。
また歌えなくなってしまったり、肌がガサガサになってしまったり、自分が喫煙することを正当化してしまったり、なんて、そんな惨めな状態に落ちて生きていくのは。

それでなくても、自分が生きていることを認めてやるのは大変なことなのに。


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